《阿部氏の横田滋さん、早紀江さんへの取材は、日本社会や政治の対応に移っていった》

 阿部「日本社会は拉致に教訓を学び取らないと、被害に遭った方たちに申し訳が立たない」

 横田「向こうの生活はとてつもなく辛いと思いますよ…」

 阿部「先にも触れましたが、工作船に対して貧弱だった海の守り。拉致も含めて、防げたはずなのに、できなかった」

 早紀江「新潟の海岸はすごくきれいなんです。あのことがある前は『早く海を見に行こう』なんて言って、みんな海が気に入っていました。家族で行った後は、『よかったね。きれいだね』とか言ってね。そこが、そんなことになっていた。このショックはたまらないですよ」

 阿部「私も2回ばかり新潟の海に行きました。いい浜です」

 早紀江「本当にきれいでした」

 阿部「早紀江さんは政府や政治家をあまり批判されない」

 早紀江「いえいえ。私も結構言ってしまっていて…。この間、(参議院議員で、元拉致問題担当大臣の)中山恭子さんにも言ってしまったんですけれど。『なぜこれほど一生懸命、お金をかけて、時間をかけて、人を集めて、政治家をなさっている方が、なんで皆さん、こんなにのんきなんですかね』と。『申し訳ありません』と中山さんがおっしゃって、『すいません、中山さんのことじゃないんですけれど』と。でも、本当にそう思いますよね…」

 《全国の拉致被害者の家族が集まり、家族会が結成された当時(1997〈平成9〉年)の思いも振り返った》

 阿部「東京を中心に政治家に働きかけるということで、半ば押しつけたみたいに(夫の)滋さんに家族会代表になっていただいた」
2000年9月、森喜朗首相に北朝鮮日本人拉致被害者の救出署名簿を手渡すため首相官邸に入る被害者家族会代表で横田めぐみさんの父・滋さんと母・早紀江さん(小松洋撮影)
2000年9月、森喜朗首相に北朝鮮日本人拉致被害者の救出署名簿を手渡すため首相官邸に入る被害者家族会代表で横田めぐみさんの父・滋さんと母・早紀江さん(小松洋撮影)
 早紀江「夫は経理とかは上手なんです。銀行員だから。『でも、本当に代表なんてできません。経理はできますけれど、代表は勘弁してください』と。でも、そうなってしまって。それからも、本当にいろいろなことがありました。必死でしたね」

 阿部「見事に、全身全霊で救出運動を引っ張ってこられた。最近、連載もあって、いろいろなところで講演します。若い人で拉致を知らない人が相当増えている。国民に今、言いたいことをお聞かせください」

 早紀江「一番は、なぜ、解決しないのか。何をやっているのか、という思いが強いです。私たちも、本当のところがよく分からない。長い年月がたちますが、さほど変わらないじゃないですか。なぜこんなことを、ずっとやっているのか…。でも、阿部さんも含め、マスコミの方たちも、拉致問題のことをよく書いてくれました」

 阿部「昔は本当に無視され続けた。でも、積み重ねてこられたことは決して無駄ではない。救出運動や報道が相乗効果を生んで人から人に伝わり、メディアも変わった。家族会が何をやっても報道されないときもあった。何もないところからここまできた。でも、今も各社の記者と話すと、みんな一生懸命にやっているのに、だんだん上に行くとおかしくなる。消えてしまう。そういう心配はあります」

 早紀江「相当変わりましたよね。講演にお招きいただくと、いろいろと感じることがあります。『お母さんは強いですね』『本当に涙が出ます』と言われて。中学校で講演すると、生徒さんは純粋ですからね。涙を流して聞いてくれるんです。私はもう新潟でさんざん、泣いてきたから、最近は涙も出ません」

 阿部「全国に解決を願う方たちがいらっしゃる。国民は拉致のことを理解している。だからなんで解決しないのか、と」

 早紀江「だから、きつい言葉が出てしまうんです。『なんでこんな仕事(政治家)に就こうと思われるんですかね』と」

 阿部「極端にいえば、裏取引でもかまわないです。相手はとんでもない国だと分かっている。こちらも、やるべきところをやって挑まないといけない」

 早紀江「日本には賢い方がたくさんいらっしゃる。弁論の立つ人、こわもての人、知恵がある人、やさしく語りかけられる方。安倍(晋三)首相に選んでいただき、水面下でも、何でも、やっていただきたい。(事態が)動かないから余計に訳が分からなくなってきます」