阿部雅美(元産経新聞社会部記者)

(産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成)

 本書『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)は産経新聞に連載された《私の拉致取材 40年目の検証》に加筆したものである。連載中、読者からの反響で最も多かったのは、本書で繰り返し触れた《メディアが死んだ日》についての質問だった。

 1988年3月26日。北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚――政府が8年前に産経が報じた一連のアベック蒸発に言及し、初めて北朝鮮の国名を挙げて国会答弁したにもかかわらず、この答弁を含む歴史的な質疑をメディアがこぞって無視、黙殺したのだ。

 そんなことが本当にあったのか、という驚きの反応もあり、この事実が意外に知られていないことを知った。書籍化にあたりタイトルを『メディアは死んでいた』とした理由の一つだ。

 当時、国会・参院予算委員会の記者席にいた各社の記者に取材して《メディアが死んだ日》の真相を明らかにしてほしいという要望も、「あなたは何もしなかったのか」という叱責とほぼ同数寄せられた。実は20年前にも、15年前にも、それを試みかけたことがあった。

 しかし、報じなかったことについての他社への取材は至難だ。私の力には余る。《メディアが死んだ日》があったこと、この日の答弁内容を書き残すことで勘弁願いたい。

 朝日新聞や共同通信のOBから提案、アドバイスもいただいたが、「北朝鮮はそんなこと(日本人拉致)はしない、と言い続けた(当時の社内の)○○らに筆誅を加えてほしい」という無理な注文もあった。

 では、88年3月26日に何があったのか。

 この日の参院予算委員会質疑で答弁した警察庁の城内康光警備局長は、共産党の橋本敦議員の質問に対し、78年7月、8月のわずか2カ月間に4組の若い男女のカップルが突然姿を消したことについて、明確に「事件」と認定。続けてこう述べたのだ。80年の産経報道から8年、アベック拉致疑惑が初めて国会の場で取り上げられた瞬間だった。

《諸般の状況から考えますと、拉致された疑いがあるのではないかというふうに考えております》

 続いて答弁に立った梶山静六国家公安委員長(自治相)は、それまでの質疑をくくるように答えた。
梶山静六元官房長官。答弁当時は国家公安委員長兼自治相だった=1998年6月撮影
梶山静六元官房長官。答弁当時は国家公安委員長兼自治相だった=1998年6月撮影
《昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性に鑑み、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、ご家族の皆さん方に深いご同情を申し上げる次第であります》