産経も詳報をしてきていないので、この機会に改めて紹介させていただいた。本書を書き始めた理由の一つでもあるからだ。

 「梶山答弁」の無視―。長くメディアの世界の隅で働いてきたが、これほどまでに異様な経験は、この一度きりだ。

 一体何があったのか。各社の記者が、なぜ原稿にしなかったのか、あるいは原稿は書いたが、本社サイドでボツにしたのか。

 いや、突然、あの質疑を聞いても、拉致についての相当な予備知識、関心がなければ一体何のことなのか訳が分からず、原稿にしようがなかったのではないか。答弁の重大さに気づかなかったのではないか。そんな冷めた見方もあるが、「メディアが死んだ日」の真相は今もって分からない。

 報道しなかったという事実が報じられるはずもなく、「梶山答弁」は事実上、幻、つまり存在しなかったことになってしまった。この間、9年。取り返しのつかない空白が生じた。

 本書は私や産経の手柄話の場ではない。恥もさらす。

 私自身、「梶山答弁」を報じた88年3月26日付産経夕刊掲載のベタ記事に気づかなかった。出稿部署を離れて整理部で仕事をしていた時期ではあったが、それは言い訳にならない。

 翌日だったか、翌々日だったか、同僚記者に教えられて知った時点で、大きく紙面展開することを社内で強く主張すべきだった。政府が国会で北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を初めて認めた、となれば、他紙もテレビも、それなりの報道をせざるを得ないはずだった。
2018年3月、拉致問題の解決に向け、安倍晋三首相(右)に決議文を手渡す家族会代表の飯塚繁雄さん(右から2人目)ら。中央左は横田早紀江さん(斎藤良雄撮影)
2018年3月、拉致問題の解決に向け、安倍晋三首相(右)に決議文を手渡す家族会代表の飯塚繁雄さん(右から2人目)ら。中央左は横田早紀江さん(斎藤良雄撮影)
 記者の常識からすれば、政府・警察にそれなりの確証がなければ「梶山答弁」にはならない。どんな確証なのか。これを契機に拉致取材合戦が始まる。新事実が次々に明らかになる―。世論が盛り上がる―。政府が動く―。北朝鮮が動く―。

 そうはならなかったかもしれないが、いずれにせよ、意気地のない記者だったことを恥じ入る。

 誤報、虚報とマスメディアに黙殺され、自分が取材したと親しい人にさえ言えずにきた、あの記事を政府、警察が国会の場で丸ごと追認したというのに、何もできなかった。しなかった。情けない話だ。

 産経に限らず、1社だけが報じても世論にはならない。80年の産経記事の後追い報道はともかくとして、「梶山答弁」はマスメディアが拉致疑惑をそろって取り上げるべき最初の機会だった。この機を逃した意味の大きさは計り知れない、と今も思い続けている。

あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。