太田省一(社会学者、文筆家)

 5月27日放送の『笑点』(日本テレビ系)がネットを中心に話題になった。番組の代名詞でもある「大喜利」のコーナーで安倍政権を風刺するような回答がいくつかあり、それを不満に思った視聴者の批判的ツイートが相次いだのである。それをきっかけに『笑点』の政治風刺をめぐって賛否両論、さまざまな意見が飛び交っている。

 私は、一人の研究者として、以前から芸人と社会の関係に関心を抱いてきた。その点から言うと、今回の件については『笑点』の風刺ネタそのものの評価よりも、それをめぐってこれほど論議がわき起こったこと自体にむしろ興味を感じている。

 まず、私にはこうした論議が起こったことが「不思議」という感覚があった。改めて言うまでもないが、笑いにも多くの種類がある。ダジャレのような言葉遊びもあれば、いわゆるリアクション芸のような身体表現の笑いもある。

 他にも挙げればきりがないが、その中には当然「風刺」も含まれる。権力や権威を鋭く茶化すことで、政治に不満を抱いている人々は笑い、一瞬ではあれ溜飲(りゅういん)も下がる。

 芸人は、洋の東西を問わずその役割をずっと担ってきた。アメリカの伝説的スタンダップ・コメディアン、レニー・ブルースは1950年代から60年代にかけて過激な言動と、痛烈な政治風刺で人気を博し、常に物議を醸して波乱万丈の人生を送ったことで知られる。

 かつて「日本のレニー・ブルース」と評されたこともあるビートたけしにも、次のような言葉がある。


 日本の政治がガラっと変わったとしても、おれたちお笑い芸人は何にも変わらないって、ひそかに確信してるんだよね。何が起ころうと、ずっと同じ。(略)独裁国家になったとしても、それをひっくり返そうなんてこと、思いもしないだろうね。それどころか、その体制に順応して、ますます喜劇を演じていくよ。毎日のように指導者たちを笑いのタネにしたりなんかしてさ。笑いっていう最高の武器で、権力を笑い飛ばしていくと思うね。



 主義主張や政治体制の如何を問わず、権力を笑い飛ばすことが「芸人の本分だ」とたけしは語る。だからその意味では、今回の『笑点』はその本分に忠実であろうとしたに過ぎない。

 また、『笑点』の政治風刺は、今回が初めてではない。スタンダップ・コメディほど舌鋒鋭いものではなくとも、庶民の視点から時の政治に対する不満や皮肉を笑いの衣に包んで表現することは、落語家が提供する笑いとしてずっとあるものだろう。
2016年5月、日本テレビ『笑点』の新司会者発表会見で握手を交わす桂歌丸(左)と春風亭昇太(大橋純人撮影)
2016年5月、日本テレビ『笑点』の新司会者発表会見で握手を交わす桂歌丸(左)と春風亭昇太(大橋純人撮影)
 したがって巧拙や好みはもちろんあるにしても、政治風刺が飛び出すのはある意味自然なことである。だから、今回の一件がさぞ問題のように扱われることが不思議でならない。

 だが一方で、このような論議が起こったことに「やはり」という、それとは一見相反する印象もあった。というのも、ここ最近、政治風刺の笑いは、特にテレビなどではほとんど目にしないものになっていたからだ。だから今回の『笑点』が突出しているように映り、炎上騒ぎに発展したのだろう。