茂木健一郎(脳科学者)

 とてもコミュニケーションが難しい時代だと思う。対立する見解を持つ人の間で、意味のあるかたちで意見を交換するのが難しくなっている。
 
 本来、議論というのは、違う意見を持っている人どうしがお互いの視点を持ち寄り、何らかの妥協点を見い出したり、一見相容れないものをより高いところに「止揚(しよう)」(アウフヘーベン)するのが目的のはずだ。

 しかし、今の日本において、ツイッターなどのソーシャルメディアでの意見のやりとりを見ていると、さまざまなことについて対立し、反発しあっている人たちが、歩み寄ったり、響き合ったりということが難しくなっている。

 やりとりしても、炎上し、反発し合うだけで、理解が深まったり、歩み寄ったりすることが難しい。インターネットで、対話をせずに一方的に相手に絡む人を英語圏では「トロール」と呼ぶ。「トロール」と議論しようとしても無駄だという意味から、「トロールに餌(えさ)を与えるな」という警句がある。

 今の状況では、意見が対立することについて相手と理解を深めようとしても意味がなく、「トロール」として無視するのがよいということになりかねない。しかし、同じ社会の構成員をいつまでもトロール扱いしているのはおかしい。最後は、みんな、仲間ではないか。新しいアプローチが必要だ。

 かつて、坂本龍馬は「日本を洗濯したい」と言った。今、坂本龍馬が生きていたら「日本をもみほぐしたい」と思うかもしれない。

 硬直化してしまいがちな議論を、いかにやわらかくして、多様な見方を混ぜていけるか。それが、私たちの課題だ。そのために、「笑い」は大切なきっかけになる。とりわけ、意見が対立しがちな「政治」の分野でこそ、本来、笑いの力が活かせたらと思う。

 昨年、私は「日本のお笑い」は「オワコン」だとツイートして、大きく炎上してしまった。その時の経験で、私は、いろいろなことを反省した。最も大きな反省点は、ただ自分の意見を表すだけでは、それは自己満足のようなもので、伝わらないし、世の中においても良い事にはならないというものだった。
漫才日本一決定戦「M-1グランプリ2017」開催会見で集まった出場者ら=2017年6月
漫才日本一決定戦「M-1グランプリ2017」開催会見で集まった出場者ら=2017年6月
 その苦い経験から、私はネットでの自分の表現の仕方を変えた。何よりも、世間で対立しそうなことに対して、一方の側の意見を書いて満足するというような態度では、何も伝わらないし、変わらないということが身にしみたから、そういう書き方はしなくなった。

 結果として、私は意見の表明に対して慎重になり、価値中立的なことか、これは多くの方に知ってほしい、というような情報だけをツイートするようになった。あるいは、他愛もないこと、ほほ笑ましいこと。

 ツイッターの書き方を意識的に変えたのは昨年末のことで、以来、ほぼ半年ほど、私のアカウントで「炎上」はないと認識している。このまま、穏やかな時期が続けばよいのだけれども、今後のことは、私の修練と選択にかかっている。