漆原次郎(ジャーナリスト)


 「リスクに備えよ」という言い回しがある。こうした警句があるのは、リスクへの備えが十分でないことの裏返しなのだろう。

 日本では、十分とはいえないものの、自然災害のリスクに対し、ハード面やシステム面は相当に発達してきた。

 いっぽう、人の心構えという面では、いまも「リスクに備えよ」が警句でありつづけている気がする。日本は地震も大雨・台風も避けられない国土であり、そうした自然現象はこれからも起きつづけるとわかっていながら、あまり災害に備えようとしないからだ。

 2016年5月に経済広報センターが実施した「災害への備えと対応に関する意識・実態調査」では、3人に2人が、自身の災害への備えが「不十分」と答えたという。

 日本では自然災害は多いけれど、多いがゆえに「起きて当然」「被ってもしかたない」という精神性がはたらき、それが日本人の自然災害リスクへの備えに影響をあたえているのではないか。

 けれども、死に直面した瞬間、もし自分の備えが十分なら死を免れられたかもしれないと感じるのであれば、やはり「備えておくべきだった」と思うのではないか。後悔は先に立たない。

 国民性や精神性というものは風土に根ざしているから簡単には変わるものではない。それゆえ、自然災害を「起きて当然」「被ってもしかたない」と思いがちな日本人だからこその自然災害への備え方を考えなければならない。

 今回、話を聞いた神戸学院大学教授の前林清和氏は、著書『社会防災の基礎を学ぶ』や論文「災害と日本人の精神性」のなかで、日本人の精神性から災害観を捉え、その災害観を前提とした防災や減災のあり方を唱えている。

 とくに日本人の「無常観」の存在は、これからの防災や減災を考えるうえで、大きな要素となるようだ。詳しく話をうかがった。
前林清和氏。神戸学院大学現代社会学部社会防災学科教授。博士(文学)。
前林清和氏。神戸学院大学現代社会学部社会防災学科教授。博士(文学)。1995年の阪神淡路大震災におけるボランティア活動を機に、防災や減災への取り組みを研究や活動のテーマのひとつとする。
 「無常」とは、すべてのものは生滅流転し、永遠に変わらないものはひとつもないということを意味する仏教用語だ。前林氏は、無常観こそが日本人の人生観の中核をなすものと考えている。

 「日本には四季があるため、おなじことは続かないという考えかたが根づいています。そして、自然災害がひんぱんに起きるため、すべてが潰れてしまうという考え方も強くあります。なにもかもが変化していくなかで生きていく感覚があります」

 西欧では、突然ふりかかる死といえば、戦争や侵略などの殺戮によるものが主と捉えられてきた。遺された人たちは理不尽さを感じ、その恨みを人に向ける。だが、日本でのそれは、もっぱら自然災害によるものだった。「恨む相手がいなければ、次に行かないとしかたがない。日本人に無常観があるのはそれゆえです」。