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    コロナ禍がかき乱す、トランプ再選の行方を占うアメリカの真実

    を書いてやり、労働組合の設立を促し、女性に投票権を与えてやった。報復を予期していた日本人は、代わりに慈悲を得たのだ。 ただし当時のブッシュ氏はテキサス州知事であり、有力とはいえ、大統領選の共和党候補者の、そのまた候補者の一人にすぎなかった。彼が大統領に就任してからは、さすがに公式にはこの種の発言は伝えられていない。ところがバイデン氏は現職の副大統領の地位にありながら、日本に関する上記の発言をしてのけたのである。 確かに副大統領は閑職であり、大統領が死亡するのを待つだけが仕事だと揶揄(やゆ)される。それでもやはり、公式には大統領職継承第1順位にある要職ではある。そのような地位を考えれば、失言と言うより暴言に近かった。 「日本国憲法はアメリカ製」という見方は、実はアメリカで広く共有されている。2016年の演説時の映像には、バイデン氏の背後で何度も深くうなずくクリントン氏が映っている。ある意味で、これは戦慄(せんりつ)すべきことなのではないか。かの国の態度に、そうした「両国を対等ではない、日本を一段下に見る意識」、今風には上から目線気味に感じることがままある。捉えようによっては、単に私がひがみっぽいだけなのかもしれない、とはいえだ。 それでも、アメリカ人にとっての憲法典とは、政治について、いわば「デモクラシー教」の神聖な経典のようなものである。だから「書いてやった相手」をどうしても対等だとは思えないのであろう。ただし、この憲法を一言一句も手直しすることなく時を過ごしてきたわれわれ自身にも、大きな原因と責任があることは言うまでもない。とにかくトランプ氏と同じく、これからもバイデン氏はバイデン氏としてあり続けよう。そしてバイデン氏がトランプ氏より付き合いやすい相手か、世界の指導者にふさわしい人物なのかについて、私は懐疑的なのである。「未知の天使より、見知った悪魔を」とまで言っていいものか、ためらわれはするのだが。 最後に、6月に入って急速に拡大した警察官による黒人男性暴行死に対する抗議行動が、大統領選にどのように影響するか考えておきたい。 抗議運動自体がどう終息するのか、しばらく続くのか、確かな見極めもつかない今の時点で、あまり断定的なことは言えない。しかし、意外にもこの暴動が選挙に決定的な影響は与えない可能性もある。確かに、黒人層に大きな不満が存在していることは紛れもない事実である。しかし、それは警察の暴力だけではなく、経済不況やコロナ禍も複合した不満だ。 コロナが流行する前の10年間、黒人の経済状況は着実な改善を見てきた。11年から今年2月までに、黒人の失業率は16%から5・8%に低下し、白人の約2倍とはいえ、半世紀で最低の水準となっていた。黒人の生産年齢における就業者比率も今年2月に59%に達し、白人より2ポイント弱低いだけであった。 だが、コロナ禍については、黒人の在宅勤務率は低いため、ウイルスにさらされやすい。結果的に、黒人層の犠牲者は人口比で突出して高くなった。学校閉鎖に伴って行われたオンライン授業でも、都心部の黒人層は郊外住宅地の中産層に比べ、通信環境や機器などの十分な準備や対応ができなかった。これらの苦境に対する不満に、警察の暴力事件が火をつけたのだ。 ただ、元来黒人の9割近くは民主党支持者であり、先述のように前回トランプ氏に投票した黒人は8%にすぎなかった。今回の件で黒人支持者がトランプ氏を離れることはないだろう。というより、離れるも何も、とっくの昔に共和党を離れてしまっている層だからである。 無論、黒人が「覚醒」することで大幅に投票率が上昇したり、前回の8%まで失ってしまえば、話は違ってくるかもしれない。とりわけ、ほんのわずかの票で勝負の決まる接戦州では勝敗を左右し得ないともいえない。しかし、人種や階層を問わず、アメリカ国民の間に「コロナ」「不況」「抗議運動」の3点セットによる閉塞(へいそく)感、無力感が広がるようなら話は違ってくる。2020年6月3日、米東部ニューヨーク市で行われた黒人男性死亡事件の抗議デモ(上塚真由撮影) そうした場合、とりあえず現政権を取り換えてみる、という方向の選択をするかもしれない。別にバイデン氏や民主党をさして好まなくともだ。また、そうした行き詰まり感を打破しようとする欲求は、1968年に「法と秩序」を掲げた共和党のリチャード・ニクソン元大統領に勝利をもたらした。80年のロナルド・レーガン元大統領の勝利も、79年末に起きたイラン米大使館人質事件をめぐるジミー・カーター政権の不手際などの行き詰まりを打破したいという感情が働いたのかもしれない。 「陰鬱(いんうつ)な天候から脱して抜けるような青空を見たい」という漠然とした感情は、「いったん広がってしまうと手に負えなくなりがち」という点で、ちょうど新型コロナウイルスに似ている。どれほど政策を語っても、効くことはないからだ。抗議運動があと5カ月も続くとはさすがに考えにくいが、コロナの感染爆発の終息と不況からの脱出の兆しが見えてこなければ、トランプ氏の再選は危ういものとなろう。

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    ジョンソン英首相、容体安定と 人工呼吸器は使わず

    英国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教は、今回の知らせについて、「すべての重症者への慈悲を深めるものだ」とした。 また、アイルランドのリオ・バラッカー首相がジョンソン氏の「迅速な回復」を願ったほか、フランスのエマニュエル・マクロン大統領も、ジョンソン氏が「この試練をすぐに克服する」ことを願っていると述べた。 欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長も、ジョンソン氏の「素早い全快」を願った。 新型コロナウイルス特集 感染対策 基本情報:1分で解説 新型コロナウイルスについて知っておくべきこと 予防方法: 正しい手の洗い方 なぜ外出を控えるのか: 家にいることで人の命を助けられる 社会的距離とは: 2メートルってどれくらい? 感染対策に必要な距離 感染したか判断するには: 「具合が悪いんだけど、もしかして新型ウイルス?」 感染を判断する方法とは 心の健康:【解説】 新型コロナウイルス、心の健康はどう守る? 在宅勤務・隔離生活 在宅勤務:【解説】 より良い在宅勤務へ 便利なコツやツールは? 自主隔離:新型コロナウイルス、自主隔離でやるべきこと 必要なものの調達: 安全なデリバリーやテイクアウト、買い物の方法は (英語記事 PM in intensive care as virus symptoms 'worsen')

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    【法律相談】喫煙後のエレベーター使用禁止は喫煙者差別か

    間、エレベーターの使用を禁止する」という決まりです。喫煙者はマナーを徹底すべきですが、生駒市役所の無慈悲な決まり事はあんまりだと思います。この規則事項は人権問題にならないのですか。【回答】 受動喫煙とはタバコの煙と喫煙者が吐き出す煙に含まれる有害成分が周りの人に及ぼす悪影響の問題で、二次喫煙ともいわれています。 実験では喫煙者の息には吸い終わってからも、45分間はタバコの匂いが残るとされ、その間、息は有害成分を含んでいることになります。市は密閉されたエレベーターに喫煙後の人と同乗すると、受動喫煙の危険があると判断したのでしょう。こう考えると、生駒市のエレベーター利用制限も、一概に不当・不合理とは思えません。 地方自治法は地方公共団体の長が「公の施設を設置し、管理し、及び廃止すること」を担当業務とする旨を定め、施設の管理の事項は条例で定めなければならないとしています。生駒市の市庁舎管理規則を見ましたが、喫煙後45分以内のエレベーター利用制限に関する規定はありませんでした。しかし、規則になくても必要な事項は、そのつど市長が定めるとされているので、市長さんが庁舎管理権に基づいて定めたものだと考えられます。 インターネットで調べると職員には使用禁止を命じ、来庁者には協力を求めているようです。来庁者に対する関係では心理的な制約を除いて実害はありません。あなたの気分を害するでしょうが、受動喫煙の怖れがあるので、協力を求められても、やむを得ません。「45分エレベーターを使うな」は法的にどうなのか 職員に対する関係では庁舎の管理権というより、労働契約上の指揮命令権に基づくものであるようにも思います。市は雇用している職員に対して安全配慮義務を負っており、厚労省のガイドライン等により、職場の禁煙又は分煙の措置をとるべき義務があります。職員の受動喫煙を避けるために喫煙した職員に、その影響がなくなるまでエレベーターの利用を禁じても、指揮命令権の濫用であるとはいえないと思います。【弁護士プロフィール】竹下正己(たけした・まさみ):1946年、大阪生まれ。東京大学法学部卒業。1971年、弁護士登録。関連記事■公園の受動喫煙裁判 判決は「非喫煙者が喫煙者から離れよ」■たばこと肺がんの因果関係「男性の6割近くが無関係」と識者■喫煙シーン検閲「たばこ描けないなら作品書かぬ」と倉本聰氏■「エアポート投稿おじさん」が話題、次の新種おじさんは?■最近寒すぎるけど、-89.2度の南極基地の寒さ対策はどうなってるの?

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    「死者300人」イラクデモを報じない日本はどうかしている

    隣国イランの影響があり、イランにコントロールされている実態が浮き彫りになっている。 短期間のデモで無慈悲に市民を殺傷することができるのも、イランの影響下で動くイラク人ミリシアの屈折した心理があるからではないか。 イラク人でありながら、その忠誠の対象がイランであるとの負い目から容赦がないのだ。もはやイラク国民は、隣国イランの最高指導者アリ・ハメネイ師の代理人ともいうべきカセム・スレイマニが司令官を務める精鋭部隊「ハラスアルサウリ(イラン革命防衛隊)」を構成する「ベディル(勝利)」「アサエッブアルハク(正義)」「アルフレイサーニ(前衛)」「ヒズボライラク(神の党)」などの民兵によって、徹底的に殲滅(せんめつ)させられているのだ。 このことに関して11月15日、イラクのシャンマリ国防相はアラビア放送で「デモ隊を殺害しているのは、イラク治安部隊でもイラク軍でもない。武器を使用した第三者による殺害であり、これはイラク政府に買収されているものではない」と明確に答えた。 ここ数世紀のアラブとペルシャの戦いの憎悪を一気に象徴するがごとく、国際社会の目が届かないのをよいことにイラクは地獄絵的な惨状となっている。何よりも、1980年から8年間続いたイラン・イラク戦争、そして2003年のイラク戦争の爪痕は深い。 イラン・イラク戦争終結後、イラクは湾岸戦争に敗れた。しかし、サダム・フセイン体制が存続していた頃は、経済制裁を受けていたものの、今日のような混乱を招くまでには至っていなかった。米国のジョージ・ブッシュ大統領、英国のトニー・ブレア首相(ともに当時)による「大量破壊兵器をイラクが保有している」というでっち上げによって2003年3月20日、イラク侵略攻撃が開始され、めちゃくちゃに破壊しつくし、以後、同地ではとめどない混乱が続いているのである。 イラク攻撃が終わった後の結末はどうであったか。大量破壊兵器など存在していないばかりか、この間違った情報による攻撃であったことを米英両首脳が認め、謝罪したのだ。この戦争により、すでに多くのイラク人が殺傷された。後から謝られたとしても、人の命は還ってくるものではない。 当時、日本国内でも「イラクが大量破壊兵器を保有している以上、それを自ら認め、解体しない限り、米英の攻撃は仕方ない」という意見が散々出されていたが、私は「イラクは大量破壊兵器を保有していない。米英の宣伝に乗れば取り返しのつかないことになる」と主張してきた。米国の侵略攻撃前に、夜中の討論番組に呼ばれ何人もの政治家やジャーナリスト、学者などと議論を交わした。イラク開戦を受けて日本の政府の立場を表明する小泉純一郎首相、後ろは川口順子外相=2003年3月20日、首相官邸(撮影・小松洋)  結果的にイラクに対する濡れ衣は晴れたが、いわゆる有志連合によるイラクの占領が8年9カ月続けられた。この間の情勢は、イラクの混乱に目をつけたアルカイダ、「イスラム国」(IS)などが猛威を振るい、テロと混乱の時代を過ごすことになる。 しかも、「これらに対応することは国益に適わない」と、米軍は食べ物を食い散らかすがごとく、めちゃくちゃにした挙げ句、無責任にも撤退したのであった。その後、イスラム教シーア派中心の勢力がイランとの親和性からイラクを牛耳り、政権運営を続けてきたのが今日の現状である。日本の常識は世界の非常識 イラク国民は自らに国益が一切還元されていないことに、当然の不満を示している。原油輸出による恩恵を全く実感できず、その利益はどこへいってしまっているのか、本来豊かさを持つ国が全くそれを実感できないのは、イランやイランの傀儡政権の悪政などに、その原因があると彼らは認識している。 こうしたことがデモを引き起こさせる主因であるが、これだけの短期間で多くの人々が殺傷されているにもかかわらず、日本のマスメディアの扱いは全くナンセンスであり、異常であると言えるだろう。 冒頭のように、在日イラク人のマフムードが憤慨するのは無理もない話であり、正当な言い分である。地域的な問題なのか、在留邦人がいないからなのか、イラクに興味を持って現場に行かれたら困るからなのか。どういう理由があるのか知らないが、ほとんど報じない頰かぶりはわが国のメディアの怠惰ぶりを露呈するばかりか、ジャーナリズムの恥でもあり、その死すら証明している。 加えてわが国は、混乱の主因となっているイラク侵略攻撃を当時、日本の小泉純一郎首相が世界に先駆けて支持したのであり、米国の要求を満たすため、イラク特措法に従って自衛隊をサマワに派遣したのである。そのような関わりを取ってきた経緯からみても、今日のイラクの現状に対して、日本も責任を負うのが筋である。 米英の侵略に対し、厚顔無恥にも当時その行動をいち早く支持した小泉政権が「世界に先駆けて事をやれば日本の存在が米国に高く売れる」「勝ち馬に乗る」という損得勘定で軽率に対応したことを、後に政府高官が証言している。実に、正義の判断を追求するというより、姑息(こそく)で卑怯な選択により、「対米植民地」の極みを演じたのである。 日本政府は自分たちの目で大量破壊兵器の保有の有無を確認しようともせず、ただ米国情報をうのみにして時流に流され、状況をうまく利用すればいいという最も卑しい振る舞いに終始した。そのような軽率な発想が、11月9日に発表したイラクの混乱に対する今回の外務報道官の談話にも出ていると言えよう。 すでに米国、英国、ドイツ、フランス、エジプト、スウェーデンなどが事態を危ぶみ、声明を発表している。むしろ積極的に事態の沈静化と平和的な解決に向けて対応しているのだ。 日本メディアの忖度(そんたく)報道も本分を忘却した異常対応だが、日本政府も責任の所在に頬かぶりする恥ずべき外交対応と言わざるを得ない。ホルムズ海峡付近で攻撃を受けた後、アラブ首長国連邦沖に停泊する日本のタンカー=2019年6月(ロイター=共同) イラクだけでなく、イランでも反政府デモが行われており、混乱が中東全体に広がる可能性もある。日本への影響を考えれば、日運会社のタンカーも航行する原油輸送の大動脈、ホルムズ海峡のさらなる緊迫化や、政府が検討している自衛隊の中東派遣における隊員の安全確保にも大きく関わる。予断を許さない中東情勢を今後も注視していく必要がある。

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    中国・ウイグルの「再教育」収容所で真実を追う

    れた。かつて危険なほど過激化し、中国政府への憎しみに満ちていた人々が、その同じ政府からタイミングよく慈悲深い干渉を受け、いまや安全に自己改革への道に戻ったのだと。 西側諸国はここから多くを学べるというのが、私たちへのメッセージだった。 再教育の方針が開始された日づけについて話しながら、政府高官の1人が私の目をじっと見つめた。 「この2年8カ月、新疆(ウイグル自治区)ではテロ攻撃が1件も起きていない」と彼は言った。「これは私たちにとっての愛国的な責務だ」 「ああ心よ折れるな」 私たちは取材の招待に応じた。それだけに我々の仕事は、公式メッセージの裏側を凝視し、それをできる限り調べることだった。 撮影した映像には、ウイグル語で書かれた落書きがいくつか映っていた。私たちはあとでそれを翻訳した。 「ああ、我が心よ折れるな」と書かれているものがあった。別の落書きには中国語でただ、「一歩一歩」とだけあった。 政府職員には長時間をかけて取材した。その中には、この制度の本質をかなり示す答えがあった。 収容所にいるのは「犯罪者」だと職員たちは言い、入所者たちが脅威なのは犯罪を犯したからではなく、犯罪者になる潜在的な可能性があるからだと説明した。 また、ひとたび過激思想の傾向があると判定された人たちには、選択権(とは言えないようなものだが)を与えられるのだと認めた。 選択肢とは、「司法の審問を受けるか、非過激化施設で教育を受けるか」だ。 「ほとんどの人が学習を選ぶ」という説明だった。公正な裁判を受けられる可能性がどれほどかを思えば、不思議ではない。 別の情報源によると、過激思想の定義は昨今、きわめて広義なものに拡大されている。例えば、長いあごひげを生やしたり、単に海外の親族に連絡を取ったりすることも、過激主義に該当する。 そうした「過激主義者」が寝起きする寮を見た。二段に積み上げ可能なベッドが並ぶ部屋に、最大10人が入っていた。トイレは部屋の奥にあり、薄布で目隠しされているだけだった。 質問を慎重に重ねることで、何を言えるかではなく何を言えないかを通じて、多くを明らかにしてもらった。 私はすでに8カ月間入所しているという男性に、ここから何人が「卒業する」のを見たか聞いた。 少し間をあけてから、男性が答えた。「それについては、まったく分からない」。 民族と信仰を理由に100万人以上を拘束しているとされる大量強制収容所の巨大システムの内部から出た、一つの声に過ぎない。 どれだけ弱く、か細い声だろうと、その声は何かを言おうとしているのかもしれない。その内容は何なのか、私たちは注意して耳を傾けるべきだ。 (英語記事 Searching for truth in China's 're-education' camps)

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    【解説】 「三種の神器」、皇室が持つ謎の宝物

    の神器の中では唯一「オリジナル」が残っているとされているものだ。 現在は皇居に保管されており、天皇の慈悲を象徴している。 日本人は三種の神器を信じている? 日本の皇室はその祖先を天照大神としているが、現在の天皇は神を称してはいない。第2次世界大戦に負けた後、昭和天皇は自らは人間であるという旨の詔書を出した。 河西教授は、三種の神器には神の力が宿っていると信じている日本人も多くいるが、「他の国で王族が持つ王冠のような、装飾品としてみているでしょう」と説明した。 その上で、三種の神器の重要性は「天皇の神秘さを表し」、「皇室というシステムが長く続いている象徴」になっていることにあると述べた。 竹中博士は、三種の神器が先住の大和民族や出雲民族と帰化系民族の融合を表していると分析する専門家もいると指摘した。 この説を採れば、三種の神器は「この三つの民族を差別することなく統治する天皇」を表していることになるという。 一方で、20世紀にはテレビと冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」と呼ばれたように、現代の日本人にとって、この単語はより実用的な意味合いが強くなっていると話した。 追記:大井真理子

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    「奴隷を売る日本人が悪い」天正遣欧使節、千々石ミゲルのモヤモヤ

    ガル人に売られるだけではない。それだけならまだしも我慢できる。というのも、ポルトガル人は奴隷に対して慈悲深く親切であり、彼ら(=奴隷となった日本人)にキリスト教の戒律を教え込んでくれるからだ。しかし、日本人奴隷が偽の宗教を信奉する劣等な民族が住む国で、野蛮な色の黒い人間の間で奴隷の務めをするのはもとより、虚偽の迷妄を吹き込まれるのは忍びがたいものがある。 マルチノは、日本人がポルトガルに売られるだけなら我慢できるという。その理由とは、仮に日本人奴隷がポルトガル人のもとにいたならば、キリスト教の崇高な理念を教えてくれるからである。少年使節の考えは、あくまでキリスト教がすべてであった。 そして、現実には東南アジアで多くの日本人が奴隷として使役されており、そこで異教(キリスト教以外の宗教)を吹き込まれることが我慢ならないとする。同じ日本人奴隷であっても、キリスト教さえ信仰してくれたらよいという考えである。 つまり、日本人が奴隷として売られても、キリスト教を信じることになれば、最低限は許せるということになろう。この考え方は、ポルトガル商人がアフリカから奴隷を連行することを正当化する論理と同じである。千々石ミゲル像(雲仙市提供) この言葉には、少年使節の賛意が示されている。そして、まだまだ議論は続く。マルチノは、もともと日本では人身売買が不徳とされていたにもかかわらず、その罪をパードレ(司祭職にある者)やポルトガル商人になすりつけ、欲張りなポルトガル商人が日本人奴隷を買い、パードレはこれを止めようともしないと指摘した。 この指摘に反応したのがミゲルである。ミゲルは、次のような見解を示している。 ポルトガル人には、いささかの罪もない。彼は何と言っても商人である。利益を見込んで日本人奴隷を購入し、その後、インドやそのほかの国々で彼ら日本人奴隷を売って金儲けをするからといって、彼らを責めるのは当たらない。とすれば、罪は日本人の方にあるのであって、普通なら大事に育てなければならない子供が、わずかな対価で母の懐からひき離されていくのを、あれほどことなげに見ることができる人々なのだ。悪いのは日本人 ミゲルの見解は、ポルトガル人が悪いのではなく、売る方の日本人が悪いというものであった。当時の日本人は、ミゲルが指摘するように、わが子を売り飛ばすことにいささかの躊躇(ちゅうちょ)もなかったようである。 要するに、キリスト教国であるヨーロッパ諸国と比較すると、日本は人道的にも倫理的にもはるかに劣っていたということになろう。ミゲルの「奴隷を売る日本人が悪い」という考え方は、ポルトガル側の常套句に通じるところがある。ちなみに、彼らは当時、10代半ばの少年であった。 以上の会話のやりとりをまとめれば、次のように要約されよう。 ①日本人が奴隷として売られても、ポルトガルでキリスト教の正しい教えを受け、導かれるのならばそれでよい。しかし、日本人奴隷が異教徒の国で邪教を吹き込まれることは我慢ならない。 ②日本人が奴隷になるのは、人道的、倫理的に劣る日本人が悪い。ポルトガル商人は商売として人身売買に携わっているので、何ら非難されることはない。 天正遣欧少年使節の面々は日本人であったが、むしろ不道徳な日本人の考え方を嫌い、キリスト教の教えに即した、ポルトガル商人やイエズス会寄りの発言をしていることに気付くであろう。 余談ながら、天正遣欧少年使節の面々は、その後どうなったのだろうか。伊東マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアンは、その後もキリスト教の勉強を続け、司祭の地位に就いた。しかし、キリスト教が禁止されると、厳しい立場に追い込まれ、マンショは慶長17(1612)年に逃亡先の長崎で病死した。 マルチノは海外に活路を見いだし、マカオへ向かった。そして、寛永6(1629)年に同地で死去している。ジュリアンは国外に逃亡せず、長崎で潜伏生活を送った。しかし、寛永9年に小倉で捕らえられ、翌年に激しい拷問を受けて亡くなった。ミゲルはただ1人棄教の道を選択し、後に大村藩の藩主に仕えた。 キリシタンである天正遣欧少年使節の面々は、ポルトガル人(あるいはヨーロッパの人々)やキリスト教に理解を示していたが、豊臣秀吉については決してそういう考えではなかったかもしれない。豊臣秀吉像(模本、東大史料編纂所蔵) 率直に言えば、秀吉はキリスト教の教義などに関心は持っていなかったが、自らの政治的な野心を満たすために認めていたに過ぎない。天正16年6月に秀吉はパードレたちに使者を送り、次の4カ条について質問を行っている。次に、要約しておこう。 ①なぜ日本人にキリスト教を熱心に勧めるのか(あるいは強制するのか)。 ②なぜ神仏を破壊したり、僧侶を迫害したりして融和しないのか。 ③牛馬は人間に仕える有益な動物なのに、なぜ食べるという道理に背く行為をするのか。 ④なぜポルトガル人が日本人を買い、奴隷として連れて行くのか。 キリスト教の伝来とともに、多くの文物が日本へもたらされた。秀吉は九州征伐直後、中国大陸への侵攻を構想していたという(最近は否定的な見解もある)。そのとき頼りになるのが、西欧からもたらされる強力な武器の数々である。 やや極論かもしれないが、西洋の文物や武器が入手できれば、キリスト教などどうでもよかったと考えられる。しかし、それも度が過ぎると、承服できない点があったに違いない。その代表的なものの一つが、人身売買であった。曖昧なイエズス会 もっとも、肝心なのは先の4カ条目の質問である。この点については前回も触れた通り、ポルトガル出身のイエズス会宣教師、コエリョは次のように述べている。 ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレたちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることをやめるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう。 コエリョの回答は天正遣欧少年使節と同じく、「売る方が悪い」という理屈である。このやり取りについては、ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスの『日本史』にも詳しく記載されている。次に、紹介しておこう。 私(=秀吉)は日本へ貿易のためにやってくるポルトガル人らが日本人を多数購入し、奴隷としてそれぞれの本国に連行すると聞いた。私にとっては、実に忍びがたいことである。そのようなことなので、パードレはこれまでインドそのほかの国々へ売られたすべての日本人を日本に連れ戻すようにせよ。もし遠い国々で距離的に不可能な場合は、少なくても現在ポルトガル人の購入した日本人奴隷を放免せよ。私(=秀吉)は、ポルトガル人が購入に要した費用をすべて負担する。 宣教師たちからすれば、日本人が売ってくるから奴隷として買うのだ、という論理であった。しかし、秀吉にとって同胞の日本人が二束三文で叩き売られることは、実に耐え難いことであった。購入にかかった費用を負担してまで買い戻すというのであるから、凄まじい執念といえよう。これに対する回答は、次の通りである。 この件は、殿下(=秀吉)に厳罰をもって禁止することを乞い、パードレが覚書に示した主要な事項の一つです。日本国内はもちろんのこと、海外諸国へ日本人が売られることは、日本人のように卓越し、自尊心の高い民にとって不名誉であり、価値を引き下げることです。この災難は九州のみで行われ、畿内や関東にまで広がっていません。われらパードレは、人身売買と彼らを奴隷にすることを妨害するため、少なからずつらい思いをしています。いずれにしても、それらを禁止する根本的な手段は、殿下(=秀吉)が外国船が寄港する港の領主に禁止を勧告することになりましょう。 この主張を信じるならば、当時、日本人奴隷の売買はポルトガル商人の寄港地である九州を中心にして行われていたことが分かる。いずれにしても宣教師たちの努力では奴隷売買をやめさせるのは難しいようで、秀吉自らが禁止命令を出すべきであるとする。常々、彼らは奴隷として売る日本人が悪いと言っているのであるから、取り締まるのなら日本の方で責任をもってやって欲しいということになろう。狩野内膳作『南蛮人渡来図』(右隻)神戸市立博物館所蔵(Photo : Kobe City Museum / DNPartcom) ところで、先行研究の指摘があるように、イエズス会は陰で日本人のキリシタンに寺社の破壊を命じたり、奴隷売買にもかかわっていた(高瀬弘一郎『キリシタンの世紀』)。それを隠蔽し、言い逃れをしていたのである。ところが、こうしたイエズス会の曖昧な態度は、秀吉に強い対応策を取らせることになった。 次回はもう少し奴隷売買に対する、秀吉の対応を考えてみよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈■「人身売買」の戦国史、乱世の常識覆した秀吉の禁止令■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎

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    NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった

    にくいが異常に分かりやすい性質の人物である。そこが見えれば、入り込みやすい。 2もしかり。無謀かつ無慈悲な名を下す暴君に立ち向かうとか、権威主義に逆らうとか、子供でも老人でも分かる対立構造。『おんな城主 直虎』で言えば無茶ぶりする今川家、『半沢直樹』で言えば責任をなすりつけてくるクソ上司。敵が分かりやすいというのは、老若男女が見る上でたぶん必須なのだろう。 そして、3はどうか。主役でなくてもいい。主人公に仕える手練(てだ)れの右腕でもいいし、心底嫌悪感を抱かせるヒールでもいい。誰かフックになる「お気に入り」が見つかれば、自ずと見続けるはずだ。私自身は『龍馬伝』の香川照之、『平清盛』の井浦新、『軍師官兵衛』の家臣たちに、『西郷どん』の青木崇高あたりだ。主役はさておき、彼らに魅力を感じて視聴し続けた記憶がある。女性が見守るキャラクターは、二枚目や人気俳優であることが多いけれど。  この3つを、しょっぱなからどーんとぶつけて惹きつけることもあれば、時間をかけてじっくり描く場合もある。『いだてん』は今のところ、一つもクリアしていない。それがスタートダッシュの敗因だ。既に4回放送し、うっすら芽生えかけているモノはあるが、まだ全体としてはとっ散らかっている状態。だから、せっかちな客は離れてしまったのだ。五代目古今亭志ん生を演じるビートたけし(桐原正道撮影) 懸念はまだある。落語家編も同時進行で入り乱れているのが気になる。目と耳が慣れてくれば気にならないかもしれないが、このパート、このドラマに本当に必要? 体育会系の猛者と日本人の苦労話だけじゃダメ? 日本のスポーツの夜明けだけでよくない? 大多数の単純明快を求める人は、シンプルにそう思うのではないか。いや、「複数の伏線が最終的に大団円」が大好きなドラママニアにも、ある提案が脳裏をよぎる。それは、「落語家パート分離案」である。NHKっぽいオーダー 特に、キレのある動きが粋でいなせな森山未來や、役者界の「神の申し子」神木隆之介、大人計画主宰の松尾スズキなど、せっかくの名優たちが落語パートでさらっと散らされている。クドカンが大好きな小泉今日子もこっちだ。ひょっとしたらこっちはこっちで、別のドラマにした方が断然見やすいのではないか。『東京オリムピック奇譚~汗と涙と無縁のロックな落語編~』をBSプレミアムで放送してくれたら、まったく別の視聴者層が集中して、話題になったのではなかろうか。表大河と裏大河、みたいな感じで。 東京五輪に対して「疑問派」や「いまだに反対派」は、こっちの娯楽ドラマだったら楽しめそうな気もするし、スポーツそのものに興味がない「文系派」と「芸能派」も、ロックな落語家と五輪の因縁だったら、ちょっと観てみたくなるのでは?  で、勝手に妄想する。もしかしたら、クドカンはスポーツの世界だけを描くことに不安を覚え、自分の持ち味を出せる芸能系と組み合わせたのではないか。いや、そこも、もしかしたらNHK側からオーダーがあったのではないか。当初は「東京五輪」のお題から始まったものの、「1年やるなら、時代をまたいだ方がいい」「本業公演のある歌舞伎役者を主演にするならW主演で、大きく2パートに分ければ負担も少ない」「そのふたつをつなぐフックがほしい」「じゃあ、スポーツと関係ない分野で、たとえば落語はどうでしょう」みたいな。 と妄想で書いていたら、NHKのホームページに本人のインタビューが載っていた。「落語は橋渡し」だそうで。あながち間違っちゃいなかった。多岐にわたる人物と物語を描くのは、初めから決めていたようだ。きっとこれからその橋渡しが説得力をもって描かれていくのだろう。 それでも、「日本人すごい」「汗と涙の苦労話」「競技は偏りなく種目多めで」「JOCとか後で横やり入れてきそうなんで、組織の人間の話も」「こうるさい視聴者も多いので、適度な史実をまぶして茶を濁して」「フィクションです、とことわり入れますから」といった、いかにもNHKっぽいオーダーや気遣いも多分にあったのではないか。金栗四三を演じる中村勘九郎(南雲都撮影) こうなると、妄想が止まらない。「ちょっとイケメンが少ないと中年女性が釣れないから、松坂桃李と竹野内豊をぶちこんで」「『LIFE!』で育てて『おげんさんといっしょ』でキラーコンテンツを確立したNHKとしては、星野源はマストで」「ジャニーズは生田斗真で手打ちに。これ以上は勘弁」「『あまちゃん』ファンを誘うなら、のんでしょ」「適当に大御所も入れといて、年輩層もほんの少しひっぱりこむのも忘れずに」などなど。 逆に、この混乱の理由を勝手に邪推して、妄想するのも楽しくなってきたぞ。今後発表されるキャストも踏まえて、さあ皆さんもご一緒に、レッツ邪推。■『半分、青い。』共感できないヒロイン、それでも私は好きである■女主人公を暗躍させたがる謎の「大河縛り」 もうやめたら?■ムロツヨシに惹かれるのは「オキシトシン系」男子だから?

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    宮中祭祀で天皇は何を祈っておられるのか

    冒頭で「God save our gracious Queen(King)」と歌う。「神よ、われらの慈悲深き女王(国王)陛下を守り給え」と、国民の側が神に祈るのである。もちろん英国民たちは、神に祈るという形を取りながら、実のところ本心では、女王や王に「慈悲深くしてください」とお願いをしている。世界に稀な「いい国」 このような姿は、天皇が国民のために「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます。国民をお守りください」と祈る日本とは、まったく違う。日本の場合、天皇は慈悲深いに決まっている。 西洋でも中国でも、王様や皇帝といえば、権力を持ち、軍事力も備え、国民を収奪し処罰する「力」の存在であることが一般的である。だが、日本は違う。日本の天皇は、国民のために祈る「情」の存在として、国民の心の中に息づいているのである。 日本では、多くの人が天皇はありがたいという。だが、なぜありがたいかをいう人は少ない。その点について、私が思っているのは、いま書いてきたようなことである。 天皇がなぜありがたいかを知っていないと、逆に国民が天皇に、知らないうちに残酷な仕打ちをしてしまうことにもなる。「大御心」で「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます」と祈って下さっている方に対して、国民の側から、あたかも完全無欠でなければならないかのような高みを要求するのは失礼千万というものであろう。 もっとご自由になれる時間があってもいいし、お休みがあってもいい。定年退職があってもいい。少なくとも江戸時代以前はそうしていたはずである。皇族の方が若き日に海外に留学されるとき、もう少し羽を伸ばされてもいい。在英日本大使館にいた私の知人が「ご留学中、変な噂が立たないように、あまり色々な人と親しく接することがないよう気をつけるのが大変だった」というのを聞いて、私などは「余計なことをしなくていいのに」と思わずにはいられなかった。もっと「情」があってもいい。 また、皇室財産も戦後、GHQによって縮小されて、それきりである。「情」が伝わるのは「自腹」が何よりである。「御下賜金」といって、天皇がご自身の財産から、国民に義援金や奨励金などを下し賜わることがある。これはいわば、陛下の自腹である。だが、財産が減ってしまったので、いま、そのようなことも昔のように十分にはできない。このままにしておくのは、あまりに申し訳ない。 皇室財産を増やそうとすると、社会主義的な考えを持つ人びとが反対するのだろうが、そのような考えは貧相な嫉みや嫉みであって、あまり「情深い」といえない。昭和天皇のお励ましもあって、せっかく日本もここまで豊かになったのである。いつまでもGHQの軛に縛られず、皇室財産をもっと増やすことを考えてもバチは当たるまい。 繰り返すが、天皇はご立派な振る舞いをされるから偉いのではない。千年以上にわたって、「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます」という祈りを続けてこられた「情」の存在だからこそ尊いのである。日本国民として、それは忘れぬようにしたいものである。一つの国の歴史やあり方、権力の源というものは、すべてこのような「History」であり「Story」なのである。皇居・二重橋前(ゲッティイメージズ) 素晴らしいストーリーがあれば、皆、「いい国に生まれた」と思い、団結が強くなって、喜んで社会に貢献する。東日本大震災の折もそうだったように、世界の人が驚き、称賛するような立派で勇気ある行動をしていく。そうするとますます、「いい国に生まれた」と皆が思えるようになる好循環が生まれる。 天皇ご自身が「情」の存在であり、国としても「情」の社会であった日本は、そのような意味からしても、世界に稀なる「いい国」なのである。関連記事■ 日本文化圏と日本精神圏の誕生■ 日下公人 韓国「徴用工」問題の愚かさ■ 未来予測!世界はいずれ「日本化」する

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    「強欲でケチ」秀吉はいかにして巨万の富を築いたか

    続きでは、農民や田舎者すらも黄金を多数所持し、路頭には乞食(こじき)が1人もいなかったという。秀吉の慈悲により、貧民には何らかの施しがなされたということになろう。ところが、これはあまりに大げさに書かれているのは事実で、さすがに乞食がいないなどはありえない。ただ、秀吉が金持ちだったのは事実である。牛一の秀吉に対する評価は、高かったといえるのかもしれない。 これとは、正反対の見解もある。小瀬甫庵が執筆した『太閤記』には、ユニークな見解を載せている。同書の巻頭において、甫庵は問答形式で秀吉の金配りが道(人の道)に近いのか否かを問い、次のように回答している(現代語訳)。 秀吉は富める者を優先し、貧しき者を削った。どうして道(人の道)に近いといえようか。百姓から税を搾り取って、金銀の分銅にして我がものにし、余った金銀は諸大名に配った。下の者(庶民)に配ることはなった。 つまり、秀吉は強欲だったというのである。ただ、この話も決して真に受けてはならない。ときは寛永年間で、3代将軍・徳川家光の治世だった。この後に続けて、甫庵は家光が万民に施しを行ったので、人々は大いに喜んだと記している。つまり、現政権を褒めたたえているのだ。豊臣秀吉木像(大阪城天守閣蔵) また、秀吉は刑罰を厳しくしたが、犯罪はなくならず、逆に家光の治世では、さほど法律を厳しくしなかったが、犯罪は多発しなかったと書いている。家光の政治手腕は優れているが、秀吉は無能だったと言いたいのであろう。つまり、甫庵は為政者におもねった論法を用いていたのである。 甫庵はさらに、「秀吉は何事にもぜいたくであり、倹約ということを知らなかった」とまで述べている。贅(ぜい)を尽くした茶室、趣味の能楽に多大な費用をかけるなど、秀吉はたしかに金遣いが荒かった。甫庵がどこまで事実を書いているか不審であるが、秀吉は贅沢(ぜいたく)で倹約知らず、おまけに貧民を助けない人物と評価している。秀吉「直轄領」の実態 このように、金銭的評価が二分される秀吉であるが、豊臣政権を支えた財政基盤は、どのように形成されたのだろうか。 豊臣政権の財政基盤を物語る史料は乏しく、慶長3(1598)年に成った『豊臣家蔵入目録』がまとまったほぼ唯一のものである。作者は不明であり、豊臣家の奉行の手になるものと考えられている。しかし、必ずしも完璧な内容のものではなく、九州の蔵入地が少し抜けているなど、若干の不備が認められる。 この場合の蔵入地とは、豊臣家の直轄領を意味する。『豊臣家蔵入目録』によると、豊臣家の蔵入地は約200万石あったという(多少の漏れはあるが)。当時、江戸に本拠を置いた徳川家康は、関東周辺に約240万石を領していた。近世中期になると、江戸幕府の直轄領は約700万石に上ったという。ちなみに、家康の次に多いのは、前田利家の約102万石である。 豊臣家の蔵入地(以下、蔵入地で統一)が多いか少ないかといえば、議論の余地がある。その秘密については、のちほど触れることにしよう。 蔵入地は、北は津軽から南は薩摩に及んでおり、大名領内にも置かれていた。地域的には五畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)が約64万石と最大で、全国36カ国に所在した。ただし、徳川領や毛利領には蔵入地が存在せず、それは互いの力関係が考慮されたと考えられる。また、経済的にうまみのない地域には置かれなかった。 筑前の博多(福岡市博多区)も蔵入地だった。博多は国内・海外に通じる一大貿易拠点で、経済的に発展した都市でもある。加えて、文禄元(1592)年に始まる文禄の役では、兵站(へいたん)基地として多くの物資を賄う拠点となった。秀吉は軍事拠点であった肥前・名護屋城と連携しつつ、戦いを有利に進めようとしたのだ。 諸大名の領内に置かれた蔵入地も、同じ観点から経済的に有利な場所に置かれた。 薩摩・島津氏は薩摩、大隅、日向に57万8733石を領していたが、うち1万石が蔵入地だった。問題は場所である。蔵入地が置かれたのは、薩摩湾の奥の加治木(鹿児島県姶良市)だった。加治木は島津領内で最大の収穫があった場所で、中国の貨幣「洪武通宝」が鋳造されていた(通称「加治木銭」)。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) それは、常陸・佐竹氏の場合でも同じである。佐竹氏の領内にも1万石の蔵入地が設定されたが、その場所は那珂湊(茨城県ひたちなか市)だった。那珂湊も港湾として栄えており、佐竹領内の一大経済拠点だったといえる。秀吉は経済的に恵まれた地に目を付け、積極的に蔵入地に編入したのである。 ところで、各大名の領内に蔵入地を置いたことは、いったい何を意味するのだろうか。それは、各大名の領内に豊臣家の出張所があり、諸大名が監視を受けている状況を意味した。豊臣政権は中央集権を進めるため、諸大名に政治的、経済的な影響を強めるべく、要衝地に蔵入地を設置したと考えられる。 そして蔵入地を活用して、秀吉は積極的に経済活動を行った。伏見城を築城する際、秋田杉を建築材として伐採し、運送の費用は蔵入地からの年貢米を充当した。そして、一定の利益を運送業者に保証した。 当時、秋田から小浜・敦賀までの運賃は、米100石につき50石だったという。500~700石積の船ならば、250~350石が運送業者の利益になった。秋田杉の運搬の事例では、敦賀の豪商・道川兵次郎が400間の杉の運送を担当し、約384石の利益を上げたという。秀吉が重視した鉱山 また、津軽地方の蔵入地の年貢として2400石の米が納められた際、豊臣政権の奉行を務めた浅野長政は、南部の金山にその一部を販売した。その際、浅野氏は南部氏に対して、ほかの米商人の関与を否定した。つまり、秀吉は米の販売権を独占することで、高値での米取引を実現したのである。秀吉が豪商を活用した点は、後に詳しく触れよう。 蔵入地が1カ所に集中するのではなく、全国各地に点在していることには、大きなメリットがあった。それは、先に記した諸大名の監視のほかに、諸大名の経済拠点を蔵入地にすることにより、効率よく収益を上げることができ、なおかつ米などを独占的に販売することで、多大な利益を確保できた点である。 直轄領として、秀吉に多大な利益をもたらしたのは鉱山だった。秀吉は越後、佐渡、陸奥、出羽などの主要な金山を掌握するだけにとどまらず、石見銀山(島根県大田市)、生野銀山(兵庫県朝来市)などの銀の産出地も配下に収めた。そこに関与したのは、豪商たちだった。 実際の運営は豊臣政権の直轄でなく諸大名が関与し、実質的には商人などに代官を任せて、金銀を運上(上納)させていた。つまり、諸大名に命じて鉱山の開発を進めさせ、鉱山経営には商人たちがかかわったのだ。たとえば、平野郷の豪商・末吉次郎兵衛は越前・北袋銀山の経営を秀吉に願い出、通常なら上納金が銀30枚のところだが、70枚にすると申し出て、見事に経営権を獲得した。豪商にとって、利権が大きかったのだろう。 そのほか、秀吉はさまざまな名目で、運上の徴収を行った。 金座の後藤氏は、金貨を鋳造しており、その品質を保証するため書判(サイン)を記していた。また、銀座の大黒常是(じょうぜ)という堺の商人も、銀貨の鋳造を行っていた。秀吉は彼らに金貨や銀貨の鋳造権を認める代わりに、上納金を徴収していた。 このほか、大津から京都への陸運、琵琶湖や淀川の水運についても、それらの権益を独占する業者に上納金を納めさせていた。古来から琵琶湖の交通権は堅田衆が握っており、往来する船から交通料を徴収していた。交通料を徴収した堅田衆は、船が安全に往来できるよう、取り計らっていたのである。これも一種の特権だった。織田信長が楽座を発布すると、堅田衆の特権は失われたが、秀吉は天正15(1587)年に堅田・大津の船を集め、「大津百艘仲間」を作った。ある意味で信長の路線から後退する流れである。現在も残る生野銀山の入り口=兵庫県朝来市 そのルールとは、琵琶湖北部方面の公定運賃を定め、その上納金として、秀吉に年間銀700枚を差し出すというものだった。また、特権の見返りとして、蔵米や御用材などについては、無料で運送を命じたのである。 京都から大坂を結ぶ淀川と神崎川の水運は、過所(書)船(関所通行証を持った船)が業務を独占していた。信長の時代でさえも、御用商人の今井宗久は過所(書)船を利用しなくてはならなかった。大津から京都を結ぶ陸運については、大津駄所という馬借(運送業)が古くから特権を保持していた。秀吉は彼らの特権を認めて、上納金を納めさせることにより、財政を豊かにしたのである。「算勘にしわき男」 ほかにも、堺諸座役料なるものがあった。戦国期の堺には同業組合としての座は知られておらず、なぜ座が残っていたのか不明である。平野郷(大阪市平野区)の豪商・末吉氏に対しては、信長が堺南北馬座を認めた例が唯一である。 今井宗久は信長に対して、塩合物(塩で処理した魚・干魚の総称)の過料銭の徴収の許可を求めている。おそらく宗久は、以前から塩合物についての特権を保持していたと考えられる。千利休も、和泉国内や泉佐野の塩魚座から何らかの収入を得ている。秀吉は盛んな経済力に目を付け、商工業の団体からさまざまな形で上納金を得ていたようだ。 さらに、秀吉は商人を積極的に活用することにより、戦争の準備を円滑に進めようとした。文禄・慶長の役の際には、兵糧の米を大量に集めるため、博多で銀10枚で80石という米相場にもかかわらず、秀吉は銀10枚で77石あるいは70石(本営のある名護屋)という高値で買い上げると言った。こうして米を買い占めた。 博多では500石積の船の運送料が銀で約60枚だったが、名護屋では銀で約70枚となった。つまり、名護屋では銀10枚程度の儲けになるので、豪商たちにとって大きな利益となった。豪商は運送だけでなく、蔵入米や各種物産の管理もしていた。 ところが、やがて秀吉の時代は終焉する。 慶長3(1598)年8月に秀吉が亡くなると、その莫大な遺産は子息の秀頼に継承された。残念ながら総額は不明であるが、相当な額だったのはたしかであるといえよう。しかし、慶長5年9月の関ヶ原合戦において、秀頼はほとんどの蔵入地を失った。それでも、豊臣家の財政は豊かだった。 秀頼は慶長19年に方広寺(京都市東山区)の大仏の造営に着手したが、それは秀吉の豊かな遺産があったからだった。ところが、皮肉なことに方広寺の梵鐘(ぼんしょう)に刻まれた「国家安康」の文字が徳川家康を呪ったものと解釈され、同年から大坂冬の陣が開始する。 豊臣方には1人として大名が味方をしなかったが、代わりに馳せ参じたのは、各地で失業生活を送っていた牢人(主人を失い秩禄のなくなった武士)たちだった。むろん、彼らの目当ては戦後の恩賞だけでなく、当座の生活資金として支給された金銀だった。豊臣家は秀吉の遺産を元手にして牢人をかき集め、徳川との戦争に踏み切ったのである。兵糧や武器・弾薬の購入にも、秀吉の遺産がつぎ込まれた。大坂城(ゲッティ・イメージズ) 慶長20年5月の大坂夏の陣で、豊臣家は滅亡した。いち早く家康は金座の後藤庄兵衛に命じて、大坂城内に残る金銀の調査を命じた。結果、城内から金2万8060枚、銀2万4000枚を見つけ出して没収した。当時の庶民の間では、金が2、3枚もあれば金持ちだとされていたので、膨大な額である。 秀吉は「算勘にしわき男(そろばん勘定にやかましい男。ケチ)」と称されたが、その経済感覚は優れたものがあった。それだけの才覚がなければ、とても天下統一などはできなかっただろう。そこには意外にも、幼少時から青年期に至るまでの「金の苦労」が少なからず影響しているのかもしれない。主要参考文献脇田修『秀吉の経済感覚』(中公新書)

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    北朝鮮の「体制保証」と「人権改善」は両立できない

    な弾圧こそ、金正恩体制維持の「必須条件」なのだ。金正恩がトランプより怖いもの 金正恩は執権してから無慈悲な粛清を続けてきた。自分の叔父の張成沢を始め、人民武力部長、内閣副総理、総参謀部作戦局長など執権6年間処刑と粛清された軍と党の幹部が数百人に上る。 一般国民についても同様である。脱北を試みて捕えられた人や国境地帯での密輸が見つかり逮捕された人はもちろん、韓国の歌、ドラマを所持したり、楽しんだという理由だけでも強制労働収容所に送られ、時には公開処刑が行われるなど、それは正に恐怖政治である。現在の金正恩体制を維持するためには、人権弾圧は続けるしかない。そうしなければ、体制の維持は不可能だからである。 徹底的に閉鎖された社会で生きてきた北朝鮮住民に開放と交流という経験は動揺をもたらし、それは自然に統治体制への不満と反発という連鎖を起こすだろう。金正恩にとってこれほどの脅威はない。もし米国が非核化の見返りに、金正恩体制の維持を保証したならば彼は依然として国民に閉じられた世界での生活を強いるに違いない。それすれば内部の動揺が広がることはない。しかし、北朝鮮内では何一つ変われず地獄のような状況が続くだろう。 もしかすると、金正恩にとって非核化より受け入れがたいのは、政治犯収容所の閉鎖と政治犯釈放などの人権問題かもしれない。核兵器が外部からの体制を守る「盾」だとすれば、恐怖政治と人権弾圧は、内部(自国民)の反発から体制を守る「武器」だからだ。 外部からの軍事的脅威より怖いのが、内部の反発から始まる体制の崩壊である。それは過去のソ連をはじめ東欧の共産国家が外部からの力の圧力ではなく、内部の反発と抵抗から崩壊した歴史がよく証明している。北朝鮮の立場からすれば、非核化より受け入れがたいのが自国内の人権問題への干渉かもしれない。 米国は人権にうるさい国だ。特に2016年に北朝鮮を訪問中に逮捕された後、脳死状態で釈放された直後に死亡した米国の大学生オットー・ワームビアの事件は、北朝鮮の凄惨な状況を世界に知らせ、米国民を怒らせするきっかけとなった。これを鑑みれば、米国が非核化の見返りに金正恩体制を保証することはまた新しいの非難を招くことになるかもしれない。会見に臨む北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=2018年4月27日、板門店(韓国共同写真記者団撮影) 6月12日の会談で「非核化」の他に北朝鮮が米国に提示できるカードはない。一方、米国は「段階的非核化」という譲歩のカードだけでなく、経済制裁解除、経済支援など多くの魅力的なカードを持っている。 米国は果たして米本土攻撃の脅威を除去することに満足して、国際社会から非難される北朝鮮の人権弾圧を黙認するだろうか。それとも、非核化以外の厳しい条件を付けて、北朝鮮をさらに窮地に追い込むのか。米国の交渉術に注目する。チェ・ソギョン ジャーナリスト。1972年韓国ソウル生まれ。韓国の大学で日本学を専攻し、1999年渡日。関東地方の国立大学で教育学修士号を取得。日本のミュージカル劇団、IT会社などで日韓の橋渡しをする業務に従事する。現在、フリーライターとして活動、日本に関する紹介記事を中心に雑誌などに寄稿。著書に『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』(彩図社刊)、『「反日モンスター」はこうして作られた-狂暴化する韓国人の心の中の怪物〈ケムル〉』(講談社刊)がある。

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    津久井やまゆり園事件、「障害者差別」当事者からの悲痛な叫び

    足の危険性を軽視すべきではないと思います。 うかつに子供を神聖視すると、そのつけが障害を持つ児童に無慈悲な打撃となるかもしれません。教育現場において、一つや二つの成功体験を一般化してしまうのは早計に過ぎるかと思います。千差万別、全てがオーダーメードであろうと考えています。それを担うことのできるプロフェッショナルが、どの程度に拡充しているのでしょうか。無理難題を押し付けられる現場の教職員の方々も、また気の毒なのです。 障害者に無条件で優しくしろとか、過剰な好待遇をせよとか、そんなばかげた主張に、私は一切の賛同をしません。相手に不愉快な思いをさせて己は愉快な気分に浸りたいなどとは笑止千万の極みなのです。自らを惨めな存在におとしめてどうするのでしょうか、対等である以上の喜びを私は知らないのです。それぞれの場所、それぞれの立場で、持たざる者の意地を張り倒すしかないのだと思います。 私のささやかな願いは、厚生労働省の公式見解として「健常者」という概念を否定していただけないかと思うのです。「障害者と健常者が共に」などと表現しているのが、まるで別の生き物を共生させようと苦心惨憺(さんたん)するサファリパークの運営会社の思惑のようで、胸くそが悪いのです。「健常者」を廃止し「軽微障害者」と再設定していただいて「普通障害者と軽微障害者が共に」であれば、溝も随分と狭くなるかと思うのです。 だからといって障害者差別がなくなるものでもないと考えています。障害者同士の間でさえ差別意識はあるのですから、人の業の深さは計り知れないのですよ。楽園から追放されたその時から、人は皆「神様規格」から外れた「わけあり物件」です。願わくば相互理解の遍(あまね)く広がりますようにとつぶやいてみるのですが、底辺貧乏無神論者の祈りは誰に届くのでしょうか。

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    金正恩体制転覆のため われわれ日本人ができること

    行為について問われる国際法上の犯罪だ。金正恩は最高指導者となって以降、幹部の粛清や一般国民に対する無慈悲な公開処刑を続けている。体制に不都合な言動を行った民間人の政治犯収容所送りも常態化している。ナチスがアウシュビッツ強制収容所で行ったユダヤ人の大虐殺を彷彿させる。 この罪に問われれば、アドルフ・ヒトラー、ヨシフ・スターリンなどと同様「残酷な独裁者」として悪名がとどろくことになる。実は、人権包囲網を敷くことは、北朝鮮の体制変換を促す劇的効果がある。 まず、中国を巻き込める。北朝鮮と陸続きの中国には大勢の脱北者が逃げ込んでおり、いまも万単位の人が、韓国などへ逃れることができず潜伏している。中国当局は北朝鮮に協力し、そうした人々を摘発しては強制送還している。そうしたなか、立場の弱い脱北女性は中国で性的搾取を受けたり、人身売買の被害に遭ったりしている。この事実を、国際社会にアピールされることを、中国は嫌がるだろう。 国際社会は、中朝国境地帯における脱北者の人権を守るよう促せばいいし、世界の覇権国たろうとする中国もその声を無視できない。では、脱北者の人権が改善するとどうなるか。 北朝鮮の核・ミサイルの暴走を止めるには金正恩体制の転覆は不可欠だ。それは、北朝鮮の民主化を意味する。中朝国境地帯で北朝鮮の人々の人権が守られるならば、脱北者も増加するだろうし、北朝鮮内部にも必ずや、新たな風が吹き込むだろう。 ちなみに北朝鮮の建国の父とされている金日成は、日本に統治されていた当時の朝鮮本国ではなく、中国での抗日パルチザン闘争を通じて、朝鮮独立運動を目指したとされている。ならば、今の北朝鮮独裁体制を解放するため、中国にその根拠地を作るという発想があってもいいだろう。 もちろん、中国がたやすくそんなことを認めるわけがない。しかし、現状のような米中首脳の政治的判断に振り回されるより、よほど効果的ではないだろうか。さらに、北朝鮮の人権問題を国際的イシューとする上で、国連人権理事会などでEUとともに主導役となってきたのは日本である。日本としては北朝鮮の人権侵害の解決に向けて積極的に取り組まなければならない責務がある。もちろん、そのなかには日本人拉致問題も含まれる。 北朝鮮が完全なる核武装国家になれば、金正恩は手のつけられない独裁者として東アジアに君臨することになる。それを防ぐために求められるのは今のような対症療法ではなく抜本的な外科手術、すなわち金正恩体制を変革させるしかない。そして当たり前だが、その手段は武力攻撃だけでないのである。●こ・よんぎ/関西大学経済学部卒業。1998年から1999年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。近著に『脱北者が明かす北朝鮮』(宝島社)。関連記事■ 「正常じゃない人がおもちゃ持っている」麻生氏■ 北朝鮮と韓国との全面戦争はあるか? 専門家はないと説明■ 北朝鮮人民は「傲慢で横柄、生意気」だからと中国人が嫌い■ 【ジョーク】金正男から金正恩にメール「TDL破壊しないで」■ 中国が「北朝鮮は自国領」と伏線張っていると櫻井よしこ氏

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    金正男「暗殺」衝撃の新事実

    なぜこのタイミングだったのか。北朝鮮の最高指導者、金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏がマレーシアの空港で殺害された。実行犯の素性や動機、背後関係に至るまでいまだ謎は多いが、これまでも正男氏はたびたび命を狙われていたとされる。「金正男暗殺のなぜ」をiRONNAでも総力特集する。

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    ンゲマは38年君臨!「暴君」大陸アフリカはなぜ生まれ変わったのか

    な指導力によって事実上の個人支配体制を維持しながら、着実な経済成長を実現している。 彼らの統治は、無慈悲な暴力によって国家を私物化した前世紀の独裁者とは明らかに異なっている。現代アフリカの独裁は、あえて形容すれば、20世紀のアジアに存在した「開発独裁」に似てなくもない。 韓国の朴正熙政権、台湾の蒋経国政権、インドネシアのスハルト政権など、アジアには抑圧と経済成長を同時並行させた開発独裁政権が複数存在した。人権抑圧を伴うこれらアジアの政権が国際的に許容された理由の一つは、東西冷戦下の「反共」であった。21世紀のアフリカでは今、「アフリカの経済成長と安定」という大義名分の下に、新たな開発独裁が出現していると言えるかもしれない。

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    黒鉄ヒロシが教えたいシベリアの孤児を救った日本の美徳

    イのように転び出もしたか。 いや、つい感情的になり、日本人として恥ずかしや、平に謝す、許されよ。怨を慈悲に―三十八度線のマリア怨を慈悲に―三十八度線のマリア 平伏した眼を、そのまま朝鮮半島に転じよう。 昭和二十五年(一九五〇)六月、朝鮮戦争勃発。 ソウルに攻め入った北朝鮮軍兵士が乳飲み児を抱いた韓国人女性を射殺。投げ出されて泣き続ける以外に 術なき赤児を、救い上げる女性の両の手があった。 手の主は、日本人女性望月カズ、二十三歳。 東京杉並は高円寺の生まれ。父の他界後、母に従い四歳で満洲に渡る。  満洲での母の商いは軌道に乗るが、二年後の母の病死を境にカズの境遇は急変する。 売られた先の家で、カズは日本語を使うことを禁じられたというから、無論その農民は日本人ではない。 売った使用人もまた日本人ではなかろう。 ようやく関東軍に救い出されたカズは、身柄を預かった軍隊内に於いて読み書きその他を教育されたのち独立。 終戦後、一旦は日本に戻るが、そこには親戚も知人の一人も居ず、まるでカズの心地は浦島太郎。 恋しさ募り、他に当て無しのカズは母の墓地を目指すも、既に満洲は政情不安で踏み入る能(あた)わず、朝鮮半島はソウル、かつての京城(けいじよう)に足留め。 そこで先の話へと繋がる。 赤児を抱いて、カズはソウルを逃れて釜山(プサン)に向かうが、途中、瀕死の幼い姉弟二人も救っている。 見ゆるカタチは母子四人連れだが、血の繋がりどころか、縁もゆかりもない。 釜山に辿(たど)り着いたカズはバラックを建て、埠頭で荷下ろしなど手伝い、その日銭で三人を養う。 自分を売り飛ばし、こき使った他民族を恨みもせず、カズが育てた韓国人孤児は百三十三人を数えた。 やがてカズの存在は韓国人社会にも知られるところとなり、孤児達を育て始めた朝鮮動乱にちなみ、「三十八度線のマリア」と呼ばれるようになる。 昭和四十年(一九六五)六月、日韓条約が締結され、両国の国交回復。 六年後、韓国政府は長年の功績を称え、カズを「国民勲章・冬柏章(トンペクチヤン)」に叙した。 韓国側の贈呈者は、当時の大統領、朴(パク)正煕(チヨンヒ)。娘の槿惠(クネ)さんも、未だ疑問符の付く話に拘(こだ)わり続けるより、父君と三十八度線のマリアを偲ぶ方が余程に精神衛生には良いと思うが。戦場で敵兵救助した帝国海軍戦場で敵兵救助した帝国海軍 屈託は半島に残し、次なる〈雷〉と〈電〉を中心とする奇跡の検証の為に昭和十七年(一九四二)二月二十七日から三月一日のスマトラ島とジャワ島の間、スンダ海峡へと飛ぶ。 発端を、マレー沖海戦の日本軍航空部隊の雷撃によって、英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の水兵達が次々に海中に飛び込んだところに据えよう。 海原に浮かぶ英水兵を日本機は狙い撃ちすることなく、その上空を旋回。 英駆逐艦が海上の生存者を救出し、シンガポールへと退却するを確認しただけで、一発の機銃も撃たず見送っている。 この時、海上に漂っていた英海軍大尉、グレム・アレンは上空の日本機を見上げながら確信する。「日本軍は、一旦戦さ終われば敵味方勝者敗者の別なく、互いの健闘を讃えるのみで、過剰な追撃は加えない――」 場面を、マレー沖からスラバヤ沖へと転じる。 先に〈雷〉と〈電〉の奇跡と書き始めたが、もちろんあの力士ではなく、第三艦隊所属の駆逐艦〈雷(いかずち)〉と〈電(いなずま)〉のことである。 両艦製造の為の鉄は、善行の多さの秘密を解く鍵を溶かして用いたのではないかと思う程である。 さて、〈電〉の酸素魚雷によって傾斜した英重巡「エクセター」に向かい、艦長竹内一は総員を甲板に整列させ、「沈みゆく敵艦に対し敬礼」と令しながら、今まさに海上に展開する奇妙な光景を見た。 飛び込んだ英水兵達が〈電〉めがけて泳ぎ来(きた)るではないか。 先に「プリンス・オブ・ウェールズ」に乗っていたグレム・アレンは、今は士官として〈エクセター〉に配属されていたのだ。 アレンは退艦するに際して水兵達に告げていた。「飛び込んだあとは、日本艦艇に向かって泳げ。必ずや救助してくれる」 日本海軍の敵兵救出はこの二例に留(とどま)らない。 昭和十七年時の日本海軍の快進撃は驚異的だが、以下に続けるも世界戦史の奇跡の一頁であって、連戦連勝から生じた余裕などというものではけしてなく、特質を越えた日本人の体質であった。 海戦史上にも異例と思える程の長期に亙(わた)ったスラバヤ沖海戦では同様の景色が随所に見られたのだ。 漂流する敵兵に対し、「全員救助」と下令したのは重巡洋艦「羽黒」の森友一大佐で、敵旗艦「デ・ロイヤル」の生存者二十名救出に始まる。〈雷電〉の〈雷〉の方も、日本人乗組員は黙して一人として語る者は無かったが、元海軍中尉、サミュエル・フォール卿なる英国人が自伝を著(あらわ)したことから世に知られることとなった。 自伝をものした敵国のフォール卿をして「ありえないことだ」と言わしめたこととは。 フォール中尉が乗る英駆逐艦「エンカウンター」はスンダ海峡に於いて〈雷〉によって撃沈された。 真夜中の海へと投げ出された〈エンカウンター〉の乗組員達の運命は絶望的である。 フォール卿の記した「ありえないこと」が起きる。 撃沈した〈雷〉工藤俊作艦長は救難中を示す国際信号旗をマストに掲げさせたのち、海上の「敵兵救出」を命じる。 救助された英兵、実に四百二十二名。 工藤艦長以下〈雷〉乗組員は命を救(たす)けたばかりか、重油まみれの英兵の身体を貴重な真水で洗い流し、アルコール消毒した上で、南国の強い日差しを遮(さえぎ)る為の天幕まで張り、衣服、靴も支給し、牛乳、ビスケット、ビールなども供した。 英兵にとっては全てが意外で、感動に頬を涙で濡らしながらも深意を計りかねた。 奇跡と呼ぶには余りに多く、今やスラバヤ沖海戦の至るところでそれは起きた。 駆逐艦〈江風(かわかぜ)〉は蘭軽巡洋艦〈ジャワ〉の生存者三十七名救助。駆逐艦〈山風〉が〈エクセター〉の生存者の一部の六十七名救助。〈雷〉が英大尉グレム・アレンを含む〈エクセター〉の残りの生存者三百七十六名救助。「神宿る」といわれた、あの「幸運艦」、駆逐艦〈雪風〉も蘭軽巡〈デ・ロイテル〉の約二十名救助。 バタビア沖でも米重巡〈ヒューストン〉乗組員三百六十八名救助。豪軽巡〈パース〉の三百二十九名救助。 一部とはいえ、戦争を美しいとは無神経な物云いと承知はするものの、言語に頼る以上、この景色に想いを馳せれば、他の表現は思い浮かばない。 美しさには、戦さでの劣敗や、救けた救けられたのプライドも関係がない。シベリアのポーランド孤児救援シベリアのポーランド孤児救援 善行にも優劣などあろう筈もないが、日本人が他国民に為した中から、まとめとしてシベリアのポーランド孤児七百六十五人救出の事例を選ぶ。 選ぶことが出来る程に数多きことに、我々は日本という国と文化に感謝と誇りを持つべきだろう。 事例に踏み込む前に、先のエルトゥルル号のトルコ同様、多くの日本人のポーランドに対する知識は心許(こころもと)無いのではないか。 出身者として、コペルニクス、ショパン、キュリー夫人などが思い浮かぶなら上等だろう。 人名以外に、長く消滅していた国、カティンの森の悲劇などが加わると、にわかに不吉な気配が立ち籠めて、シベリアのポーランド孤児を包み込む。 不吉な気配に眼を凝らせば、先のピアノの詩人と呼ばれたショパン(一八一〇~四九)も、亡命後定住したパリで亡命ポーランド人を中心とした貴族社交界の寵児であったことを思い出すし、キュリー夫人(一八六七~一九三四)が生まれたのも帝政ロシアに併合されて既に国は国家の体を成していない時代であった。 地の利に恵まれたとはよくいうが、ポーランドを中心にまわりの国に眼をやると、地の損というか、全くに心安らかになる余地のない位置にあることが判る。 三方からポーランドを囲むのは、ロシア、ドイツ(プロイセン)、オーストリアの三強国。 元より白人の身勝手な思い込みに過ぎないが、弱肉強食の論理が領土にも及んで、拡大と縮小の繰り返しが常なる時代。 囲む三国の勢力争いにまき込まれたポーランドは、一七七二年、一七九三年、一七九五年と分割は続き、遂には国家自体が消滅するに至るのである。 その後、ウィーン条約によって独立は果たすものの、君主はロシア皇帝が兼任するという上辺(うわべ)だけのもので、実情はロシア語教育やロシア正教会への帰順と、強制的なロシア化を迫られ、十一月蜂起(一八三〇―三一)や一月蜂起(一八六三―六四)など、何度も立ち上がった自由の為の抵抗は全て鎮圧される。 蜂起は更なる不幸をポーランドに強いることとなる。侵略・弾圧続けるロシアの犠牲に侵略・弾圧続けるロシアの犠牲に ロシアは叛乱(はんらん)に加担した政治犯や危険分子をポーランドから一掃し円滑な統治を図るが、目的の地に選ばれたのが極寒の地、シベリア。 寒過ぎるのか、ウオッカの飲み過ぎか、権力を持ったロシア人の考える事はいつも同じで、危険の排除と土地財産の没収、そして未開の地での強制労働による開発の一石三鳥を目論むことになっている。 第一次世界大戦までにシベリアに流刑にされたポーランド人は五万人余りに上った。 更にその第一次世界大戦で、祖国ポーランドはドイツ軍とロシア軍が戦う戦場となり、追い立てられた流民がシベリアへと流入。 結果、シベリアのポーランド人は十五万人から二十万人に達した。 そんな折、ロシアの権力者が変わる。 一九一七年に勃発したロシア革命である。 権力を掌握したウラジーミル・レーニンは国家体制を帝政から社会主義共和国連邦へと極端な転換を図るが、その際、西欧諸国からのロシア皇帝借金は新政府とは関係ないから返済せずと宣告。 熊の毛皮の帽子を被っても寒さに脳が凍っているのか、突如としてロシア人はイワンのバカになる。 英、仏、米の莫大な借金を踏み倒すと、吐く息とともに高らかに吠えたのだ。 巨額な貸付金の返済拒否は自国の経済破綻に跳ね返る。 更に二年後にはコミンテルンを結成し、共産主義革命の思想を世界に伝染させ始める。 借金は踏み倒すワ、他国の体制の転覆は図るワ、もはや看過(かんか)出来ず、英仏が立ち上がった。 ここにシベリア出兵が実現する。 日本はどうであったか。 英国などから再三に亙って出兵の催促あるも日本議会は強硬な反対派が占めて動かない。 理由はひとつ、大義が無い。 未だ当時の政治家には武士の名残を見る。 日本はロシアへの貸付金こそないものの、革命の影響が満洲や朝鮮半島に及ぶ危惧(きぐ)はあった。 遅れて米国が派兵を決定するに合わせて、大義を見つけた日本も大正七年(一九一八)八月、シベリアへの陸軍派遣に踏み切った。 ポーランド人はどうであったか。 ただでさえ流刑人としての厳しいシベリアでの暮らし向きでの帝政崩壊、加えての共産主義への急激な変更、これら変化に伴う内乱、更に他国の出兵による混乱。 これらの皺寄せが一気に最も弱い立場にあったシベリアのポーランド人の身に襲いかかった。孤児への欧米の薄情、日本の厚情孤児への欧米の薄情、日本の厚情 全ての救いから見放された彼等は、食料もなく、医薬品もなく、暴徒より身を守る術もなく、次の四つ、虐殺、病死、凍死、餓死の中から選ぶ他ない生き地獄へと追い詰められた。 一九一九年、同胞の惨状を見るに見かねたウラジオストク在住のポーランド人達によって、ようやく「ポーランド救済委員会」が発足。 しかし、シベリアに出兵している英仏米伊に対する委員会からの窮状救済の懇願はことごとく不調。 各国の、この薄情振りは今日の難民問題処理に重なる。 最後に頼られた日本は、多大なる労力と巨額の費用もものかは、わずか十七日間で救済を決定する。 当時の日本人のフットワークの軽さ、すなわち決断の早さは、武士道に支えられた日頃からの覚悟が背骨にあるように思う。 陸軍の支援のもと、救済活動の根幹を成したのは日本赤十字社で、大正九年(一九二〇)の三百七十五名が東京へ、同十一年の三百九十名の二度に亙るポーランド孤児救出は成った。 孤児達の体調は当然に良好ではなく栄養失調の上に伝染病に冒(おか)され、看護する日本側にも死亡者を出している。 覚悟は途中での自己犠牲も伴うが、日本人は朝野をあげて善意を発揮する。 東京に於いても、大阪に於いても、日本全土からの慰問品や見舞金はひきも切らず、孤児達の為の慰安会も頻繁に催された。 ヒトとしての逆境の限界と云えるシベリアに生まれ落ちて以来、初めて触れる人の温かさに孤児達は精神と体調を回復し、ポーランドへの帰国となる。 言語や習俗習慣が違っても、ヒトとしての善なるものが分母にありさえすれば幼児であっても、意は通じる。 親味に世話してくれた日本人看護婦や保母達との別れを悲しみ、泣いて乗船を拒む孤児も多かったという。 孤児達の心境にはもちろん、看護に当った日本側にも、善意を寄せた当時の全国の日本人にも、今は蒸発しかけたと感じるヒトとしての格を見る。 成したる方、成されたる方を並記すれば、避けたかった〈味方見苦し〉の気配が首を擡(もた)げてしまう。 シベリアから日本を経て、祖国ポーランドへと帰った元孤児の方々も、寿命を迎えて全て亡くなった今、善意の墓標と墓守としての語部(かたりべ)だけが残された。もののふの覚悟の先のDNAもののふの覚悟の先のDNA 数が他国を圧倒するとしても、もちろん善行は日本人の専売などではなく、世界中の歴史に記録され語り継がれているが、ほとんどが平時に多いように感じる。 善行のエッセンスを儒学に探せば、孔子の説く「恕(じよ)」(我事として他人を思いやる)と、孟子の「四端説(したんせつ)」に行き着く。 孟子は、人には先天的に「惻隠(そくいん)(あわれむ心)」「羞悪(しゆうお)(恥じる心)」「辞譲(じじよう)(譲り合う心)」「是非(善悪を判断する心)」の四つの感情が内在すると説く。 孟子の、「惻隠の心は仁の端(たん)なり」の「心」の部分は、『大学』に於いては、「惻隠之情(じよう)」となり、「絜矩(けつく)の道(他人の心を推し量り、相手の好むことをしてやる心情、態度)」と、孔子同様の「恕」の思想を載せる。平時に於いてはこれで結構だろうが、ここに引いた例は、更なる厳しい状況下に於ける判断が求められたのではなかろうか。「義を見てせざるは勇無きなり」は、これまた「論語」であるが、不足の分のエネルギーを日本人は〈武士道〉の覚悟で埋めた。 孟子の、「人の性は本来善なり」と説く「性善説」が正しければ、今少し世界に於ける善行は各人種に散らばっても良さそうではないか。 孔子と孟子に対し浅慮で舌足らずであった。 両先生は、人の素質、素材に就いて云うのである。 玉磨かざれば光なし。 人なる玉の原石を、日本人は〈武士道〉によって磨いた。 トルコの人々も、ユダヤの人々も、ポーランドの人々も、磨いた心を持っての返礼があった。〈武士道〉で押し通す愚説に面喰らった御人もおられようから、他の要素も加えて不足を埋めて、この駄文を閉じようと思う。 不足といっても、遠い先祖に辿り着くような遺伝子にまで至ってはどうかとは思うが、戦さには強かったが、その明け暮れに嫌気(いやけ)がさした一団が日本列島に逃れて土着したとする説がある。 日頃は極めて平和的でありながら、一旦ことあらば負けると判っている戦さでも、素早く覚悟を整えた上で突撃する性癖(せいへき)のような特性は古代より続いている。 土着の逆に、漂流民となっても、ジョン万次郎、浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)、大黒屋光太夫(こうだゆう)など、卓越した学習能力を発揮した確率は異様に高い。 異様な程の優秀性が先の説を支える。 土着したのち、万世一系の天皇制の元、列島に住む者が入れ子状の家族の〝カタチ〟となった。 時代は下って、その生活の窮乏著しい戦国に於いても天皇家が存続し、けして消滅しなかった、或いは消滅させられなかった奇跡のような理由も説明が付く。 日本人の本家と云える天皇家を、分家である武士が滅ぼすなど、考えようも無い訳である。 この、王族を取り捲く関係の質に於いても、対処に於いても、他民族には例を見ない不思議。 宗教面にも顕著に証拠を残している。 神道(しんとう)と仏教の関係、更にキリスト教が加わっても〈八百万(やおよろず)の神〉とタフに構え、一緒に祀(まつ)り続けた。 これまた他民族には例のない不思議。 次に、今日では日本人までが誤解しているようだが、この列島に人種的差別など無かった。 白色と有色の差を問わず、尊敬の念を持って歓迎した。 白色が有色と差別するを見ても、「ならばお主は無色か?」とは言い返さず、近年での「名誉白人」なる無礼な呼称も腹も立てなかったのは、拘る意識すら無いからである。 これらの素質を分母に、覚悟の点を〈武士道〉で磨きに磨いて、典型的な〈日本人像〉が成った。「奇跡」を護って進まん「奇跡」を護って進まん「八絋一宇(はつこういちう)」の意味についても、GHQ(連合国軍総司令部)による「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP=戦争に対する罪悪感を日本人の心に植え付ける為の宣伝計画)」が功を奏してか、日本人まで「侵略戦争を正当化した言葉」と思い込んでいるようだ。 そも、神武天皇の言葉で、「八絋(あらゆる方角=世界)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん」の謂(いい)であり、大東亜戦争時の日独同盟の際、ユダヤ人迫害政策を迫るドイツに対し、時の陸軍大臣、板垣征四郎が「神武天皇の御言葉に反する」と、これを退けている。 日本の国是として先に述べた「猶太人対策要綱」があり、杉原の功績がそれに続いた。 この要綱は、関東軍の安江仙弘(のりひろ)大佐らのユダヤ人擁護を東條英機参謀長が是認して軍の要領としたことが原動力とも言え、ソ満国境のユダヤ難民救援を経て、板垣征四郎が中心となり国策になったものである。 これら、日本人の決断と行動を善とするなら、当時の西洋諸国の思考は悪となる。 東條、板垣、安江、そしてユダヤ人に救いを差しのべた外国人として『ゴールデン・ブック』にその名を載せる〝ジェネラル・ヒグチ〟コト樋口季一郎もいる。〈ユダヤ人救援〉を支えた軍人の名と、その世界唯一の善なる国策は小さくされ、或いは消そうとされ、杉原一人の個人的善行に矮小化せんとの企てあるやに感じるは何故か、何の所為か。 特に、この世界唯一といえる善なる国策から東條英機の名を引き剥がさんとする衝動の源は何処(いずこ)で、何人(なんぴと)の都合に因るものか。 日本がユダヤ人を救っている時、無慈悲にその扉を閉じたアメリカ、イギリス、西洋諸国は、今、何を思うか。 これらの国が日本に歩調を合わせ、ユダヤ難民を受け入れてさえいれば、後のナチスによる数百万人のユダヤ人虐殺は避けられたのではなかったか。紙幅の関係上、名前を挙げるに留めるが、総領事代理、根井三郎、ユダヤ研究者、小辻節三など、「人種平等の思想」を背骨に、西洋の差別主義と闘った日本人は多い。 かくも差別なき国の存在は、珍しかろう。 末尾に慌しく、その特性を並べたが、手前味噌ではなく、如何に日本人が不思議で、特異な存在であるかはご理解戴けると思う。 云わば、人類の理想型といえる。 他国もまた、理想に到達してくれていれば、善意の応酬によってこの世界から貧、愚、悪などは姿を消す筈なのに未だ果たせないのは何故か。 グローバリズムの未来は新たな軋轢を生み、価値観の再構築の為の大混乱が待ち受けるというに、ヒトは止めようとしない。 他国頼みは無理であり、無駄である。 日本人による「天皇制」と「武士道」の獲得は人類史の奇跡と云える。 先輩達から受け継いだ、この奇跡を回復し、維持し、釈迦の申す犀(さい)の角の如く、一人進むの他はない。くろがね・ひろし 昭和二十年高知県生まれ。三十九年武蔵野美術大学中退。四十三年『山賊の唄が聞こえる』で漫画家デビュー。平成九年『新選組』(PHP研究所)で第四十三回文藝春秋漫画賞、十年『坂本龍馬』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門の大賞、十四年『赤兵衛』で第四十七回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。ギャンブル好きで競馬ファンとしても知られるが、政治や国際関係の見識は高く、民主党政権「失われた三年間」のデタラメ政治を痛烈に批判。中韓露の反日プロパガンダに対しても事実を挙げながら、漫画家らしい皮肉たっぷりの反論を展開している。著書に『千思万考』シリーズ、『GOLFという病に効く薬はない』(ともに幻冬舎)、『韓中衰栄と武士道』(角川学芸出版)、『新・信長記』『本能寺の変の変』(ともにPHP研究所)。近著に『刀譚剣記』(同)。

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    日本は今もGHQの占領下 共産党がいまだ党勢拡大できる理由

    まど」の逸話、数多くある「恩返し」の昔話などから、日本という国は太古の昔から、「正直で誠実に、そして慈悲深く仲良く暮らしていれば、きっと良いことがある」と教えられ、それを信じることのできる社会が、現実に存在したのです。 このようななかで、歴代天皇はもちろんのこと、将軍や大名、あるいは武士にせよ、大商人にせよ、農村の長にせよ、世の中のリーダーは民の信頼を決して裏切ってはならないと考え、逆に民は、権威あるリーダーに全幅の信頼を寄せて精進しさえすれば、いつか必ず報われるというコンセンサスがあったのではないでしょうか。 こうした日本人の特性は、GHQにとって、占領政策を実行するうえで予想以上に好都合であったことでしょう。GHQにしてみれば、彼らがやるべき最初の仕事は、自らが「権威」になることでした。その結果、マッカーサーを頂点とするGHQは、天皇陛下に代わって新たな「神」となったのです。 戦後すぐに撮影された、昭和天皇とマッカーサーが一緒に並んで写った写真は、まさに「神の交代」という意味を無意識のうちに日本国民に植え付けたはずです。そして、新しい神であるGHQによる、邪悪で巧妙な日本解体作戦が、あまりにも功を奏した結果、戦後の日本は71年間も自虐史観に苦しめられ、汚名を着せられ、国家は計り知れないほどの損失に苦しんできたのです。なぜ左翼思想が広まったかなぜ左翼思想が広まったか 最近、日本共産党がなぜか人気だそうです。先の参議院議員選挙でも、民進党などの野党が軒並み議席数を減らすなかで、共産党だけは比例区5議席と選挙区1議席の計6議席を獲得。改選前の3議席から倍増を果たしました。共産党本部で開かれた中央委員会総会=9月20日午前、東京都渋谷区 これは、マスメディアが共産党を含む反・安倍政権的な野党連合を擁護するかのような報道スタンスを取ってきたことも影響していると思います。新刊の『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』(PHP研究所)にも詳しく書きましたが、日本の戦後の思想状況を一言で表すと、「GHQが残した負の遺産を左翼が徹底的に利用して、日本人を洗脳してきた」ということに尽きます。 左翼の人々は、日本の過去をすべて否定し、文化や伝統を軽視し、歴史を捏造し、社会のなかの価値観を徹底的に破壊することに専念したのですが、このことを今日になってもまだ、それほど実感していない日本人が多いことに驚かされます。 共産党を支持している人たちのなかには、性格も本当に穏やかで人間的な方もいます。物事の考え方が良心的なのです。そんな人たちと接していると、「まあ、共産党とはいっても、旧ソ連やPRCなんかとは違うのだろうし、この人たちはいい人だから、少しは応援してもいいかな」という気になるわけです。 共産党をそうやって支持する人たちは、非常に良心的であり、また、あまりに純粋無垢であるがゆえに、一部の確信犯的共産主義者(国家解体を目論む者たち)に騙され、利用されているのです。 つまり、良心的な左翼人士の大半は、共産党の正体がわかっていないのです。 良識ある日本人を無意識的で無自覚な左翼思想へと洗脳したのは、戦後のメディアです。GHQがつくり上げた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」を、占領中は全面的に受け入れるしかありませんでした。しかし、GHQの占領が終わったあとも左翼思想を日本に蔓延させたのは、メディアの大罪です。 たとえば、大手メディアは今日も、60万人もの日本人が違法に拘留され、塗炭の苦しみを味わったシベリア抑留や、満洲におけるソ連軍の鬼畜のごとき行動について、ほとんど報道しません。占領時代に報道を禁止されていた事項だからです。それにもかかわらず、やってもいない慰安婦強制連行や、嘘にまみれた南京大虐殺なる問題については、徹底的なキャンペーンを張るのです。 こんなマスコミに71年間も毎日洗脳されつづければ、良心的な人が祖国を愛さず、左翼的になってしまうのは致し方ないことです。そしてじつは、WGIPの実施者たちそのものが共産党と同根なのだ、という点を認識する必要があります。 日本弱体化をめざしたWGIPは、GHQの民政局に入り込み、日本を骨抜きにする日本国憲法をつくった共産主義者たち(ニューディーラーたちを含む)が実施したものです。だからこそ、共産党が狙っていた日本の「国体」の破壊、すなわち皇室制度とそれに由来する日本人の古き良き国民性の破壊と、完全に合致していたのです。 日本国憲法の原案は、昭和21(1946)年2月13日に、松本烝治国務大臣が外相官邸において、GHQ民政局のホイットニー准将らから「マッカーサー憲法草案」として渡されたものが最初ですが、松本はその幼稚な内容に驚愕。さっそく幣原喜重郎首相にその内容を報告し、「総理、じつに途方もない文書です。まるで共産主義者の作文ですよ」 と伝えています。娯楽化した報道番組娯楽化した報道番組 共産主義とか左翼思想とかいわれても、今日のほとんどの日本人は、その実態に対しては無頓着です。そもそも「外来種」である共産主義の思想に日本人の考え方が合致するわけがないのですが、なぜこんな思想が今日もまだ日本国内に残っているのかということを、考えなければなりません。 その最大の原因の一つは、繰り返しますが、マスメディアです。「慰安婦強制連行誤報問題」を引き起こした『朝日新聞』をはじめ、日本の新聞がそうとうに偏向している事実は、ようやく国民の常識となってきましたが、日本人洗脳工作においてメディアを最大の道具として活用したのがGHQでした。NHKを使って『眞相はかうだ』など一連の戦争プロパガンダ放送を流し、その方針をほとんどの民放各局や新聞などのメディアが今日まで維持してきました。そんな71年間の洗脳工作は、GHQが予想した以上の効果を発揮しましたが、そこは共産主義者や、それに影響を受けた左翼人士が跋扈する世界でした。 本来、メディアの最大の役割は、事実を事実として、余計な色を付けずに報道することですが、戦後のメディアの多くはGHQの影響を受けたせいで、そんな基本的な事さえできなくなってしまいました。その理由の一つは、これまで述べてきたようにメディアを左翼人士が牛耳ったからにほかなりませんが、それ以上に報道番組が「娯楽化」したということもあると思います。 報道番組を最初に本格的な娯楽に変えたのは、おそらくは久米宏氏だったと思います。久米氏は1982年から始まった日本テレビ系列の『久米宏のTVスクランブル』で、日本国内のさまざまなニュースを取り上げ、それに笑いを交えることで大きな視聴率を得ました。私もかつて、TBSの『サンデーモーニング』に放送開始から10年間レギュラー出演していました。その当時は、みんなでかなり自由かつ真面目に議論をしていたことは間違いありません。 これはある意味で、テレビ界の革命だったのかもしれません。時代の風雲児のような久米宏さんは、少しでもニュースを面白くさせ、視聴者を楽しませようとしたのでしょう。結果として視聴率が良かったせいもあり、それが同時に、日本の報道番組全体が徐々に娯楽化するきっかけになったのだと思います。 一方、アメリカの主要な報道番組では今日でも、コメンテーターが意見を述べるのは、特定の問題に限ったコーナーの中だけで、基本的にはキャスターだけが粛々とニュースを伝える形態を崩していません。求められる自浄作用 私自身がTBSの『NEWS23』への出演を依頼され、インタビューに応じたのですが、信じられないほど不快な思いをさせられました。詳しくは新刊の『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』を参照していただきたいのですが、この事件をきっかけとして、私は任意団体である「放送法遵守を求める視聴者の会」の呼びかけ人の一人として名前を連ねることになりました。 この団体は、国民主権に基づく民主主義の下、政治について国民が正しく判断できるよう、公平公正な報道を放送局に対して求め、国民の「知る権利」を守る活動を行なう、というのが主な趣旨です。 間違いのないように付け加えますが、この団体には特定の政治的思想はありません。たとえば共産党支持者のように、私や他のメンバーと異なる政治的主張をもつ人であったとしても、フェアに情報が出されることに賛同されるのであれば大歓迎です。 TBSのみならず、日本のマスコミの多くはあまりに偏向しているので、「放送法遵守を求める視聴者の会」の活動はむしろ、いまの日本社会には絶対に必要だと私は信じています。求められる自浄作用 マスコミは「第4の権力」ともいわれるほどの影響力をもっています。だからこそ、反省すべきはきっちりと反省するという自浄作用がなければ、やがてテレビそのものが、その傲岸不遜さゆえに社会から置き去りにされる日がやがて来るだろうと思います。 インターネットとともに、ツイッター、フェイスブックを含むソーシャルメディアの発達で、かつてマスコミが謳歌した言論統制社会は、急速に過去の遺物になっています。いまではもはや、嘘や隠し事が通用しない社会になっているのです。 人間というものは、限られた、一方的な情報にだけ触れていると、結局、それを信じて流されてしまう生き物です。全体主義とは、そういった大衆の無知を利用し、さらなる愚民化政策で社会を牛耳ろうとする考え方です。最近のテレビ番組はあまりにもバカらしく、低俗なものが増えており、日本国民をターゲットとした愚民化政策がますます強化されているような気がしてなりません。 大手テレビ局は視聴率主義に走るのではなくフェアで公正な番組づくりや、教養度の高い内容を日々追い求めてほしいものです。 マスコミが、自らのあり方に大きな疑問をもち、少しでもそれを是正して、もっと真面目に戦えるコンテンツをつくろうということになれば、日本のマスコミの質はもっと上がるでしょう。その結果として、日本国民はソフト面でもっと強い社会をつくることができるはずです。『眞相はかうだ』の検証を『眞相はかうだ』の検証を 私が最初にやってほしいと願っているのは、NHK自身によって行なわれた、『眞相はかうだ』に関する検証ドキュメンタリー番組です。GHQが台本を書き、NHKが流した『眞相はかうだ』の内実をすべて検証してほしいのです。題名は「『眞相はかうだ』の真相」というのが面白いですね。 NHKは台本などの1次資料をすべてもっているわけですし、当時はGHQの命令に抗することができなかったという視点でもまったく構いません。それが事実だったのですから、そういう方向で検証すればよいのです。 しかしその一方で、『眞相はかうだ』が戦後日本人の歴史観に多大な影響を与えたという事実を、しっかりと指摘してほしいのです。『眞相はかうだ』はのちに書籍化されています。それはいま、国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」のデジタルデータになっており、ネットでも内容を読むことができます。本の制作者として、日本放送協会ではなく、「連合軍総司令部民間情報教育局編」ときっちりと書かれていて、誰でも無料で閲覧が可能です。 もし、NHK自身がそんな検証番組などつくれないというのであれば、民放でも構いません。NHKが映像や資料協力をするというかたちでもよいのです。 これができれば、「メディアにおける戦後」は初めて終わりを告げると思います。逆にいうならば、こういったものをつくれないうちは、日本のメディアはまだGHQの占領下にあるのに等しいのです。 まともなメディア人であれば、自分たちがまだ71年前の占領軍に思想を支配されているということに気付くはずです。自分の祖国である日本や、それを命懸けで守ってくれたご先祖様を貶める行為を無自覚のまま続けている事実に愕然とし、それを悔しいと感じるはずです。 WGIPは、メディアが国民に対して平気で嘘を語ることを覚えさせ、またそれを継続させてきました。いまこそ、高い意識をもつメディア人が立ち上がり、自らの意識がいまだにGHQに占領されている事実を悟り、それを克服していただきたいのです。若いプロデューサーのなかには優秀な人も多いのですから、ぜひ、それらをやっていただきたいと思います。ケント・ギルバート(Kent Sidney Gilbert) 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ生まれ。1971年に初来日。1980年、国際法律事務所に就職して東京に赴任。TV番組『世界まるごとHOWマッチ』に出演し、一躍人気タレントへ。最新刊は『不死鳥の国・日本』(日新報道)。公式ブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり?」で論陣を張る。関連記事■ 【危ない!韓国】日韓合意というデタラメ■ 韓国は日本のストーカーだ!■ 中国のチベット人虐殺こそ世界記憶遺産に登録せよ!

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    ナチスを思わせる教育委員の発言、障害者は生まれてはいけないのか

    。無邪気な子供たちにも例外はなく「灰色のトラック」が全国の病院をまわり、「生きる価値の無い人々」を無慈悲に連れ出し、殺戮した。 私が最も衝撃を受けたのは、一枚の写真に付されたコメントだ。車椅子に乗った障害者と一人の健康的でハンサムな青年が映っている写真だ。 この写真自体は、別に驚くような写真ではない。だが、そこに付された言葉が衝撃的なのだ。「この立派な人間が、こんな、われわれの社会を脅かす気違いの世話に専念している。われわれはこの図を恥ずべきではないか」 恥ずべきなのは、こうした言葉を平然と使う側の人間であって、障害者に罪はない。 ナチスとは、本当に恥ずべき存在だったのだが、現在の日本でも、ナチスを髣髴とさせるような発言を平然とする人間が、「教育委員」として堂々としている。過去への反省をいうならば、こうした問題発言を許容すべきではないだろう。 個人的な話で恐縮だが、障害者の問題は、小さいころから、よく考えていた。私の叔父には重度の障害がある。自分で話すことも、歩くことも、食べることも出来ない。小さい頃、疑問だった。何が楽しいのだろう? 生きていて苦痛だけがあるのではないか?本当に小さい頃、色々考えた。 自分は将来、高校、大学に進み、友人と遊び、綺麗な女の子と恋愛し、いずれは結婚するだろう。美味しいものも食べるだろうし、美しい場所にも訪れるだろう。 だが、叔父は自分の意思で何も出来ない。小さい子供には、周りに世話ばかりかける存在としか思えなかった。 いっそのこと死んでしまった方が本人にも楽なのではないか? 今、考えると非常に残酷だった。この残酷な思想に基づいて、障害者を次々に抹殺したのがナチスだ。 今思えば、叔父の存在があるから、家族がひとつになれている部分が大きい。叔父は家族に世話になることによって、家族を家族足らしめている。平和で豊かな日本だから、そう悠長なことを言ってられると思うかもしれないが、それこそが日本のよさではないだろうか。 在日朝鮮人でも、障害者でも、LGBTでも、どんなマイノリティであれ、縁あって、この世に生を受け、日本に育ったわけだ。当然、生きる権利があるし、幸せになる義務がある。存在そのものが否定されてよいはずがない。全ての人が輝く日本こそが、私の誇る日本だ。決してナチスのように「生きる価値」を国家が決めるような国家であってほしくない。(ブログ「岩田温の備忘録」より2015年11月20日分を転載)

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    共産党に食われる民進党

    「自公vs民共」の構図がハッキリしていた今回の参院選。争点はアベノミクスや安全保障関連法、憲法改正などだが、野党は選挙戦を通じて攻めあぐねていた。批判だけで対案がなければ、浮動票も流れない。果たして、野党共闘は吉と出たか、凶と出たか。

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    竹田JOC会長の五輪招致活動をめぐる矛盾した発言

    「ゼウス・ホルキオス(誓いのゼウス)」を捧げ、競技に参加したそうです。 ゼウスは弱者の守護神、正義と慈悲の神、悪者を罰する神。不正を行った者には容赦のない荒ぶる神。経済効果試算や招致活動に不正がなかったことを祈ります。

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    「罰当たり」アマゾンの拝金主義を問う

    ネット通販大手のアマゾンから申し込める僧侶の派遣サービス「お坊さん便」をめぐり波紋が広がっている。宗教行為の「商品化」への反発が仏教界から上がるが、一方で日本人の「お寺離れ」を食い止めるチャンスと期待する声もある。日本人の心をも金儲けのネタにするアマゾンの拝金主義を問う。

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    「注文」される僧侶が明かすアマゾン僧侶派遣サービスの実態

    しみの場に何度も身をおくと、人間の「寄り添い」の限界を感じますし、それを知らされる度に、本当の仏様の慈悲を伝えたいとやはり思うのです。 開教寺院の人もずっと定額のお布施やキックバックという問題に悩んできました。しかしある意味で、仏法を伝えるという大きな使命の前にそのことをあえて「呑んできた」人たちです。名刺を持って葬儀屋さんに営業に出かけて頭を下げて来た人たちです。だから様々な問題は問題として共有しながらも、お互い共感と苦労話は尽きることはありませんでした。 私はある研修会で大寺院の住職さんから「葬儀屋に頭を下げて門徒を増やすようなみっともないマネはしたくない」と言われたことがあります。しかし、みっともなくてももっと大事な事があるからするのです。何もしなくても葬儀法要の依頼が入り、ハイヤーで寺に迎えに来てもらえるような人には、到底わからないでしょうが。 私はこういうお坊さんがいることを知ってほしし、これらの人もまた、一人ひとりの仏道を歩んできた尊い人です。批判する人も、賛同する人も、共に如来に動かされて来た人たちです。僧侶としての歩み 最近知り合ったある住職さんは、「それでも自分にはお布施の額を言わないというのは自分にとっての最後の砦なんだ。やっぱり定額は受け入れられない」といいました。葬儀のお布施を開けたら5,000円だった時も文句ひとつ言わなかったそうです。 私たちは僧侶であるにもかかわらず、出家もしてないし酒は飲むし結婚はするし、自分の生活のことも考えるし子どもを学校にも行かせなければなりません。会社でデスクを並べて仕事をしている人の中にも僧侶がいるかもしれません。もちろん宗派によっては一定期間修行をしたり剃髪したりということもあるでしょうが、普段の生活において僧侶でない人と僧侶にはほとんど差異はありません。 そんな私たちになぜ何万円も払って法事に呼んでくださるのか。それはそこに深い仏教の教えがあるとどこかで感じてくださっているからだろうと思います。 だから私に限って言えば別に商品と思っていただいても構いません。Amazonの「みんれび」をはじめとする僧侶派遣サービスには大きな問題のあることを認めつつ、「でも、求められたら私は行き、出来る限り悲しみに向き合い、その中で仏法を伝えるために最大限の努力をします」という事になります。 それが受け入れられないという人がダメだと言っているのではありません。何処に「僧侶」「住職」としての私を置くかという問題だと思うのです。 そして、こうしたネットでの僧侶派遣サービスというのは、寺院間の固定化された経済格差をある程度解消し、お寺の仕事で生計を立てて仏法を弘めたいと思っていてもなかなか叶わなかった人に、突破口を与える機会になるのではないか、という期待もあるのです。 もちろん上に上げたような問題性や、地域性の問題もありそう簡単には行かないだろうという現実も知っています。しかし世の中のあらゆるサービスがインターネットを窓口とした大資本に収斂されることは、猛烈な勢いで進行中の事実で、お寺だけがそれで無縁でいられるとは思いません。 ならば今度はそのフィールドで自分のできることをするというのも、ひとつの住職としての生き方ではないでしょうか。最後に 最後に、これを読まれている一般の方へ。僧侶から法外なお布施を要求されるなんてことは、話題になりがちですが本当にごく一部の話です。 各宗派の本山に電話してくだされば地元のお寺を紹介してもらえます。敷居が高いのは申し訳ないかぎりですが、amazonでクリックする前にこちらも是非検討してみてください。私の所属する真宗大谷派はこちら。http://www.higashihonganji.or.jp/link/kyoumusho/浄土真宗の法話案内を構成するメンバーは浄土真宗の僧侶ですが、それで良ければもちろんいつでも相談は伺っています。下記メールアドレスまでいつでも連絡ください。support@shinshuhouwa.info(法話案内ブログ「私はAMAZONで「注文」される僧侶【瓜生崇】」を転載しました)

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    日本人にiPhoneがつくれない理由

    かつてソニーがウォークマンをつくり、世界を驚かせたのも今は昔。海外勢とのグローバル競争で劣勢を強いられ、「日の丸家電」という言葉もいまや死語になりつつある。もはや風前の灯になったともいわれる日本のモノづくり。スティーブ・ジョブズを超える日本人が現れる日はいつか。

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    家康の野望に智謀で挑んだ 真田信繁が戦いを求めた理由

    たのが、武田の副将にして信玄の弟、武田典厩信繁でした。典厩は99カ条の家訓を残していますが、そこには慈悲の心の大切さも説かれています。つまり信玄と同じ考え方に立って、「護民官」としての兄を支えていたことが窺えるのです。 後世、「まことの武将」と称えられた典厩は、第4次川中島合戦で自ら上杉軍への盾となり、信玄を守って討死。その合戦が初陣であったという昌幸は、命を捨てて兄のために働いた典厩の姿に、武将としての理想像を見出し、その生き方にあやかる意味で、己の次男に信繁と名付けたのではなかったでしょうか。ちなみに真田信繁の誕生は典厩の死から6年後の、永禄10年(1567)のことでした(異説あり)。そして、「統治者は護民官であれ」という信玄の姿勢は、その後の昌幸や信繁らの生き方にも大きな影響を与えることになります。真田信繁の目を開かせた人質生活 人質の身から信玄に見込まれて重臣に引き上げられた昌幸は、信玄を主君として敬愛し、戦国最強を謳われた武田家を支えることに誇りを抱きました。さらに息子の信繁の代になると、武田家に仕えて3代目となり、もはや新参者というコンプレックスはなく、代々の武田家臣の一人という意識であったでしょう。 しかし、さしもの武田家も天正10年(1582)に滅亡します。時に信繁は16歳。主家を失った真田家は、北条・徳川・上杉という大勢力に囲まれる中、昌幸は三者の間を巧みに泳ぎつつ、一大名として独立を図ります。いずれかの家臣になってしまえば楽だったかもしれませんが、昌幸はそうしませんでした。そこには信玄に仕えた武田重臣としての誇りと、父・幸隆が血のにじむ思いで奪還した信州小県から上州に及ぶ支配地への愛情、そして領民を自ら守り抜くという信玄が示した「護民官」としての意識があったはずです。 そんな昌幸に「表裏比興(ひきょう)の者」といった批評が浴びせられることもありましたが、昌幸にすれば笑止千万でした。小勢力が大勢力に呑み込まれずに対峙するには、手段を選ばず、時に相手を手玉に取るほどの智謀を用いなければ、到底叶うものではないからです。とはいえ信玄の姿勢を範とする昌幸は、後ろ暗い策謀には手を染めていません。状況判断に基づき的確に手を打つことで、大勢力を相手にキャスティングボートを握ってのけるのです。 一方、次男の信繁は、真田の誇りを賭けて肚を据えた父の姿を眺めつつ、昌幸の手駒として、越後の上杉家、次いで大坂の羽柴家( 豊臣家)に人質として出向きました。人質である以上、信繁も多くの苦労を重ねたのでしょうが、信繁の面白いところはそれをあまり感じさせず、むしろ朗らかに、自分にとってのプラスの機会に転じたと思える点でしょう。大乱を策す家康に、真田の兵法で挑む 兄の真田信幸(信之)は信繁を「物ごと柔和忍辱にして強からず。言葉少なにして、怒り腹立つことなかりし」と評しています。人当たりが柔らかく、温和な印象を与える人柄であったことが窺えます。そのためか信繁は、人質として赴むいた先で厚遇されました。越後では上杉景勝から1000貫の扶持を与えられ、大坂では豊臣秀吉の勧めで豊臣家重臣の大谷刑部吉継の娘(一説に養女)を娶るのです。もちろんそこには、真田家を陣営に取り込もうとするそれぞれの思惑があったのでしょうが、信繁自身のキャラクターも大きく影響していたのではと思わずにはいられません。 また信繁は、上杉家では景勝や執政の直江兼続と接し、豊臣家では奉行衆の石田三成や大谷吉継らと親しく交わりました。彼らから学んだことも少なくなかったでしょう。 特に豊臣家においては、重視されるのは家柄ではなく、実力です。その点、信繁は何のコンプレックスも抱かずに、小姓として励むことができました。さらに、天下統一に向かう秀吉を実務面で支える三成や吉継が、何を拠り所どころに働いているのかを知ったことも、信繁の目を大きく開かせたかもしれません。彼らが目指しているのは、乱世を終息させる統一政権の確立でした。そこにあるのは私利私欲ではなく、戦乱をなくすことで日の本の民が安穏に生活できるようにし、それによって国を富ませる志なのです。まさに父・昌幸が信玄から学んだ、「統治者は領民の生活を守る護民官であれ」に通じるものでした。そしてこれらをきっかけに、信繁は真田家を外から客観的に眺め、改めて昌幸が守る真田の誇りの本質が「護民」にあることを再確認したのかもしれません。なお、岳父となる大谷吉継は優れた官僚ですが、同時に秀吉が「百万の軍配を預けてみたい」と評するほどの将器の持ち主でした。信繁が軍略の面でも、吉継から多くを学んだ可能性は十分にあるでしょう。大乱を策す家康に、真田の兵法で挑む 「真田信繁は死に場所を求めて、大坂夏の陣に臨んだ」と時に語られることがありますが、私は信繁を悲愴感に満ちた、悲劇の将だとは全く思いません。むしろ彼には天性の明るさがあり、どんな時でも顔を上げて口笛を吹いているような、不思議な陽性を感じます。 慶長5年(1600)の関ケ原合戦前夜、真田昌幸は家を2つに割る決断を下します。すなわち昌幸と次男の信繁は西軍に、長男の信幸は東軍につくという選択でした。信幸は徳川家康の養女(本多忠勝の娘)を正室にし、一方の信繁は大谷吉継の娘を正室にしていたことからの苦渋の決断とされますが、「たとえどちらが勝っても、我らの本領と領民は真田の手で守る」という、昌幸の固い決意の表われと受け取ることもできるのかもしれません。また信繁にすれば、大坂で三成や吉継が私心なく尽力しているのを見ているだけに、統一政権をあえて崩壊させようとする徳川家康の私欲に与することは、望まなかったでしょう。最後の大戦の場で、鉄槌を下す そして昌幸・信繁父子は上田城に拠り、徳川秀忠の大軍を迎え撃って散々に翻弄しますが、関ケ原では西軍が敗れ、三成も吉継も落命します。昌幸・信繁父子は処刑されるところ、死一等を減じられて高野山に配流となりました。父子にすれば「上田城では勝っていた」という無念の思いはあったでしょうが、目論見通り、昌幸の支配地を信幸が代わって治めることになり、領民を真田が守ることができたのはせめてもの救いだったはずです。 父子はほどなく高野山から麓の九度山に移り蟄居生活を続け、11年後の慶長16年(1611)、昌幸は65年の波乱の生涯を終えました。信繁のもとに豊臣家が大坂入城を要請してきたのは、それから3年後のことです。 さて、信繁は何のために大坂の陣を戦ったのでしょうか。前述したように、単に死に場所を求めたという見方は、私は賛同できません。たとえば信繁は、生前の父・昌幸とともに、遠からず徳川と豊臣は手切れとなると読み、高野山の玄関口である九度山を情報収集に活用したといいます。また情報を集めるべく活躍した忍びたちが、真田十勇士のモデルになったとも…。つまり信繁は、やる気満々だったのです。では、何のために戦うのか。 父・昌幸の場合は真田家当主として、領民を自ら守ることに戦う意味を見出していました。しかし信繁は当主ではなく、領民を守る「護民官」としての役目は、兄・信幸(信之)が果たしてくれています。つまり立場的に信繁はフリーでした。そこへ徳川家康が、かつての信繁の主家・豊臣家に言いがかりをつけ、大戦を引き起こそうと画策し、豊臣家が助けを求めて来た。ならば、これに応えるのが武士ではないのか…。そう考えても不思議ではありません。また信繁にすれば、かつて関ケ原合戦を引き起こして、三成や吉継が支えた統一政権を壊した家康への憤りと、不遇のまま配流先で没した父への思いもあったことでしょう。そして「またも私欲で大乱を策す家康に、戦場でただの一度も徳川に後れを取ったことのない真田の兵法のすべてをもって挑み、天下万民が注目する最後の大戦の場で、鉄槌を下す」ことを期したのではないでしょうか。 もちろんこれはあくまで私の推測であり、信繁自身の真意が奈辺にあったのかはわかりません。しかし、だからこそ後世の私たちは、家康を討ち取る寸前まで追い詰めた信繁に、さまざまな思いや夢を仮託して、人物像を思い描くことができるのでしょう。いわば一人ひとりが、それぞれの信繁像を抱いているといっても過言ではないのです。そんな懐の深さを持つ人物は、日本史上でも稀有であり、それがまた、真田信繁が現在でもまばゆい輝きを放ち続けている所以ではないでしょうか。関連記事■ 真田信繁は何のために戦ったのか■ 幸隆、昌幸…この父子なくして「真田幸村」の活躍はなかった■ 真田昌幸・信繁父子は信長と対面したか

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    厚木の凱旋将軍 「マッカーサーは失禁していた」

    もそれは窺えるし、朝鮮動乱の始まったときにもこの東京で頓珍漢ぶりを発揮している。 そのくせ彼は実に無慈悲で、白人優越主義を振りまき、日本人を本気で滅ぼそうとしてきた。 あの醜悪な憲法がその一端を示すが、それなのに日本人の評価はシャラーらとまったく違う。 彼がクビになったときの朝日新聞は社説で「われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった」(五一年四月十二日)と書く。論説主幹の笠信太郎が書いたのだろうが、この当時から朝日新聞は何にも見えていなかった。 朝日だけでなく、国会も「マッカーサー元帥に感謝する」決議をし、終身国賓待遇まで付与している。ちなみにマッカーサーは昭和三十六年七月、フィリピンにいくために日本の米軍基地に立ち寄ったが、基地の外には出なかった。よほど日本人が嫌いだったのか、自分の薄汚さに比べ、日本人の天真爛漫さが耐えられなかったのか。 民間有志もマッカーサー神社を建てようと言い出し、彼への感謝を伝える国民の手紙五十万通が米国に送られ、それは今もバージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館に陳列されている。 しかし彼が帰国して二週間後に始まった軍事・外交委員会の聴聞会で彼が「日本人は十二歳」と発言したことが分かり、彼の別の一面に気付いたのか、マッカーサー神社建立話は急速にしぼんでいった。 それでもマッカーサーに対する思いはヘンなところに残っていて、例えば九〇年代末に新潟の中小企業主がマッカーサーのブロンズ像を寄贈し、今はゆかりの厚木飛行場に置かれている。米通信社の写真米通信社の写真 こういう善意の人までまだ騙し続けるマッカーサー神話が許せないが、彼が狡猾でケチな男だというはっきり目に見える証拠はなかなか見つからないものだ。 偉大なマッカーサーが歴史に定着するのかと思っていたところに新聞記者時代、警察庁の記者クラブで世話になった共同通信の井内康文氏から『写真で綴る戦後日本史』が送られてきた。「中におもしろい写真があったので」と。公益財団法人・新聞通信調査会発行『写真でつづる戦後日本史』(2014年1月24日発行)に掲載されたマッカーサーの写真(ACME)には、ズボンの股間にはっきりとした染みが写っている それが一九四五年八月三十日、二代目バターン号C54輸送機で厚木に降り立ったマッカーサーの写真だった。例のコーンパイプを咥え、レイバンのサングラスをかけて自信満々にタラップを降りてくる図柄だ。 彼がここに来るわずか四週間前まで米艦船に向けてそれこそ死にもの狂いの特攻機が突っ込んでいた。 二週間前にも降伏を潔しとしない青年将校が決起して、皇居に殴り込み、上官を射殺もしている。そうした恐れを知らない精鋭の将兵が関東一円だけで二十二個師団三十万人もいた。 そのただ中をマッカーサーは丸腰で、コーンパイプを片手に悠然と降り立った。強い米国、「I shall return(必ず帰ってくる)」の言葉を守り、今メルボルンからここに来た。自信と誇りに満ち溢れた威厳ある姿。そういう図。「でもよく見てほしい」と井内氏の手紙は続く。「タラップを降りた彼の股間部を」。 見てちょっと固まった。マッカーサーのズボンの前立ての左側部分にはっきり濡れ滲みが見える。光の加減ではない。 彼の厚木到着の写真は各国記者団に交じって同盟通信の武田明と宮谷長吉が撮っている。武田は「マッカーサーは顔に化粧を施していた」というコメントを残している。ファンデーションにドーランを塗っていたと。 宮谷はタラップから日本の大地に一歩を下した瞬間を狙ったという。恐らくこの写真のことだろうが、ただ、股間の濡れ染みについては語っていない。武士の情けなのだろう。 ほぼ同じアングルで米通信社ACMEの写真がある。別に「米海兵隊撮影」もある。光文社の『米軍カメラマンの秘蔵写真・東京占領1945』も念のため見た。 その表紙の写真は彼を出迎えたアイケルバーガーと語りながら、という図柄だが、それもマッカーサーのズボンの左側部分が変色しているのをはっきり示していた。 彼は強がっていた。誰よりも先にタラップに出た。しかし、心の底ではいつ襲われるか、いつスナイパーの一発が彼の額を撃ちぬくか、不安に打ち震えていたのだろう。 一歩、二歩、降りるごとにその恐怖がいや増していった。いくら強がったって体も交感神経もついていけなかったのか。 これが失禁のシミだと見るべきだと、彼の過去のいくつかのエピソードが語っている。以下、その状況証拠を挙げてみる。 彼が日本軍とまみえることになったフィリピンは、実は彼の父アーサーの代から馴染んできたところだ。 アーサーは米国がここを植民地にした一八九八年当時の陸軍司令官で、独立を目指すアギナルド将軍以下の現地人抵抗者やその家族四十万人を虐殺している。後に息子ダグラスが上陸するレイテ島もそのときに一歳の幼児まで全島民が殺されている。 マッカーサーは父の後を追って駐屯米軍の指揮官として赴任し、民からは「虐殺者の息子」として恐れられた。彼の現地広報官カルロス・ロムロも、自分の見ている前で父を水責めの拷問で殺されている。 彼は三度、ここにきて四度目のマニラ赴任が米陸軍退官後の一九三七年(昭和十二年)だった。米傀儡政権ケソンの軍事顧問がその肩書きだった。表向きは独立を前にしたフィリピンの国軍づくりだが、実際は近く始まる対日戦争用の戦力に仕立てることだった。英軍には弾よけにインド兵がいる。白人米兵にはフィリピン兵というわけだ。 で、その日米戦はいつか。「早ければ四二年春とルーズベルトは読んでいた」(M・シャラー『マッカーサーの時代』)。 日本にどこで戦端を開かせるか。本来は、そして今現在もカリフォルニア州サンディエゴにある米太平洋艦隊基地を、大統領はそれでこの時期に日本軍の手の届く真珠湾に移している。少なくとも四〇年(昭和十五年)春の艦隊訓練が終わったあと、空母を除く主力戦艦を真珠湾に密集して置きっ放しにした。 明らかに日本に襲わせるための囮だった。海軍側がそれを指摘したが、大統領は取り合わなかった。そして一年半後に日本軍はここを襲った。 この米太平洋艦隊の真珠湾足止めと同じ時期に米国は日本への鉄の禁輸を決めた。経済封鎖で苛立たせ、戦争に誘う最終段階がこのときに始まった。日本の攻撃に呆然自失日本の攻撃に呆然自失 一方で、ルーズベルトはフィリピンの軍備に力を入れた。追い詰められた日本が資源豊かな南方に出る。その入り口にあるのがフィリピンだ。だから必ず日本軍はここに来る。現地兵の養成を急ぐ一方で、大統領は米地上部隊と空軍の増強を急いだ。 後にバターン死の行進の被害者と吹聴するレスター・テニーもこのころ戦車隊の一兵員としてマニラに送られてきた。 空軍増強の中心は四発重爆撃機B17。これを四一年秋までに三十五機、送り込んだ。 「空飛ぶ要塞」の異名をとるB17は本当に無敵だった。戦闘機に劣らない機速と厚い防護と十丁の十二ミリ機銃は逆に戦闘機を撃ち落とし、過去に一機も撃墜されたことがなかった。 B17の一機は高速巡洋艦一隻なみの破壊力を持つと評価され、スチムソンは「B17は日米の力のバランスを変えた」と言い、ルーズベルトも日本が対米戦争突入を諦めはしないか、本気で心配したほどだった。 英国も米国に倣う。四〇年に入ると、九龍国境を要塞化し、マレーにもジットラ・ラインを築いた。そして想定開戦に間に合わせるように戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスをシンガポールに送ってきた。 この二艦が入港してすぐ日本軍は真珠湾と香港を襲い、マレー半島に大部隊が上陸した。そしてフィリピンも当然標的になった。 マッカーサーは午前三時過ぎ、側近からの電話で真珠湾攻撃を知った。彼は宿舎のマニラホテルから米極東軍司令部に出向いたが、その時点から丸半日、沈黙する。 午前五時、航空部司令官ルイス・ブレアトン准将が先手を打って台湾の基地奇襲を提案したが、返事なし。准将は夜明け後、再度申し出るが、許可が出たのは昼前だった。空中退避していたB17以下がクラーク基地に降りて出撃準備中に日本軍機が襲来した。 被害は同基地にあった二十一機のB17のうちブレアトンが偵察に出した三機を除く十八機すべてとP40戦闘機五十三機など計百四機が破壊された。施設は焼かれ、整備員の多くが死傷し、フィリピン空軍は事実上壊滅した。 真珠湾から半日たった午後三時五十分、マッカーサーの執務室をセイヤー高等弁務官が訪ねたが、「彼は部屋の中を行ったり来たり」(増田弘『マッカーサー』)ただ狼狽えるだけだった。半日間、彼は何を下命すべきか何も分からずに過ごしたのだ。 しかし回顧録では「真珠湾攻撃があったと聞いたが、もちろん米側が反攻して勝ったと思い込んでいた」と言い訳し、クラーク基地の全滅も「敵軍は七百五十一機の大勢力で攻撃してきた。貧弱な装備のわが軍の二倍以上の兵力だった」から負けたと書いている。実際の日本軍機は百九十一機。対するフィリピン空軍機はB17を含め二百四十機にも上る。この男は平気で噓をつく。リンガエン湾に上陸する本間雅晴中将 おまけに彼の不始末をよく知るブレアトン准将はマッカーサーからジャワに行くように命ぜられ、以後、英空軍に配属され、セイロン、ニューデリー、カイロと回される。 マッカーサーはその後、バターン半島の先、コレヒドール島に逃げ込む。フィリピンが攻められたときの手筈「レインボー5」によればフィリピン軍十個師団と在比米軍三万、B17以下の空軍力で上陸日本軍を水際で抑える。破られればバターンに退き、六カ月間こもる間に太平洋艦隊が救援にくる予定だった。 しかしマッカーサーはただおろおろし、虎の子のB17を失い、なお日本軍主力部隊のリンガエン湾上陸の阻止もできなかった。米国の対日作戦はこの男一人によって崩れた。 尤も、英米側も誤算があった。日本が強すぎた。日本を震え上がらせると思ったプリンス・オブ・ウェールズは開戦二日目に沈められた。チャーチルが震えた。 B17も然り。欧州戦域では最強の機も開戦二日目に日本の零戦に会って即座に落とされ、まさかと思ったらその数日後、ボルネオで二機まとめて落とされた。そして半年後、ニューギニア・ラエ上空で五機のB17の編隊と零戦九機が遭遇し、B17は全機落とされた。 日本相手では「空飛ぶ要塞」もセスナと変わらなかった。若い猛者でも震えた若い猛者でも震えた さてコレヒドールには彼が作らせたマリンタ要塞がある。要塞と言っても高さ六メートルの大きなトンネルで、内部の左右の壁に横穴があって、そこが隠れ場所になる。なぜ頑強な地下要塞にしなかったか。答えは彼の閉所恐怖症のせいだ。 彼はそのトンネルの入り口で半日を過ごし、目の前のバターン半島で戦う部下をよそに毎日、新聞発表を送信していた。まるで米軍が勝ち続けているみたいな内容だった。 三カ月後、バターンの陥落が見えてくると、彼は「I shall return」の一言とすべての将兵を残して魚雷艇で逃亡した。 魚雷艇とはなんと勇気ある行動だと評価されるが、どうして、これも潜水艦が怖くて乗れなかったからだ。 彼はそのマリンタのトンネルでもう一つ悪さをしている。彼は傀儡政権のケソン大統領も連れてきた。 ケソンはこの土壇場でフィリピン人の魂を見せる。「戦争しているのは日本と米国だ。フィリピンは関係ない。私は日本に対して中立を宣したい。米国は出て行って別の場所で戦ってほしい」と。 マッカーサーはそれを無視した。有色人種が生意気を言うな。代わりにケソンに軍事顧問としてフィリピン軍を育ててやった謝礼をよこせと要求した。「ケソンは米国にあるフィリピン政府の口座からニューヨーク・ケミカル銀行のマッカーサーの口座に50万ドルを振り込んだ」(『マッカーサーの時代』)。 彼は「入金を確かめたうえでケソンが日本側の手に落ちないよう潜水艦でオーストラリアに送り出した」(同)。ケソンは二度と祖国に戻ることなく、そしてマッカーサーの恐喝について、祖国のあり方について語る機会をもてずに死んだ。 マッカーサーが敵前逃亡できた最大の理由は英軍司令官パーシバルがシンガポールで日本軍の捕虜となったからだ。これで米軍司令官まで捕虜ではさすがの白人連合も恰好がつかない。ルーズベルトにすればB17を潰され、対日戦の手順もすべて彼によって狂わされてしまった。腹立たしい思いは「それでも彼に勲章を出そう」(C・ソーン『米英にとっての太平洋戦争』)という言葉に表れる。 大統領は彼に脱出を命じ、以後、彼はメルボルンのビクトリア・バラックに一室を与えられ、そこで例のバターン死の行進の噓っぱちを捏ね上げた。半島から収容所まで百二十キロ。半分は貨車で行く。残り六十キロをコーヒーブレイク、海水浴つきで二泊していく。バターン半島を制圧した日本軍 前述のレスター・テニーはそれを「地獄の兵役」の題で書いたが、六十キロは六十キロだ。すぐ歩き終わってしまうから、収容所で「日本軍に水責めの拷問を受けた」という。 水責めは「板の上に大の地に寝かされ、足の方を十インチ上げる。それで汚水を漏斗で無理やり四ガロンも呑ませる」と。それは米国がフィリピンを植民地化するとき、抵抗する者をそうやって拷問した。米上院公聴会には「最後は土人の膨れ上がった腹の上に米兵が飛び降りる。土人は口から六フィートも水を噴き上げて絶命した」とある。 日本人はそんな拷問は知らない。テニーの噓がそれでばれる。こういうのを蛇足という。 マッカーサーの臆病で嫌な性格がこれで十分窺えると思うが、失禁につながるもっと強力な傍証もある。 彼が厚木に降り立つ二日前、先遣隊百五十人がC46輸送機などでここに飛来した。彼らはつい昨日まで最前線で日本軍と渡り合ってきた猛者たちだが、着陸を前に「我々はひどく興奮し、怯えていた」(週刊新潮編集部編『マッカーサーの日本』)と、一番機に搭乗していたフォービアン・パワーズ少佐が語っている。 いかに怯えていたか。同機のラッキー操縦士は南風の吹く厚木に南側から追い風に乗って進入した。 操縦要員は必ず滑走路わきの吹き流しを見る。南の風なら北から向かい風で降りる。機速を絞りながらなお揚力を得るためだ。 そのイロハのイを操縦室にいた全員が失念していた。「機は(失速気味に)六回バウンドしてやっと止まった」とパワーズは言う。脚を折って暴走したか、オーバーランしたか、大事故になるところだった。 若手の猛者でもここまで震えていた。マッカーサーがいくら気張ろうが、彼の生理は正直に作動し、ちびりは止まらず、濡れジミをあそこまで大きくした。 最後にマニラに戻ったばかりのマッカーサーと会ったカメラマン、カール・マイダンスの話を披露したい。彼は朝鮮戦争に戦場カメラマンとして参加し、ライカもなにも凍りつく中で日本のニコンの優秀性を広く知らしめた人だ。 「マッカーサーに会うと本間雅晴へのあてつけにリンガエン湾から上陸してやったと語る。ただ残念なのはその場にカメラマンがいなかった。再現するから撮ってくれという」 マッカーサーは一週間後に本当に部下と何百人もの兵隊まで連れてリンガエン湾再上陸を再現してみせた。  「あの男は自分を美しく飾ることに何のためらいももたない」と。同盟通信カメラマンが「化粧していた」というのも真実味がある。 そんな男が失禁と受け取られかねないシミをつけたままタラップを降りるだろうか。 そんなシミのついた男が書いた憲法を日本はまだ大事に抱えている。もういい加減日本人も目覚めていいころと思うが。たかやま・まさゆき 一九四二年生まれ。六五年、東京都立大学卒業後、産経新聞社入社。社会部デスクを経て、テヘラン、ロサンゼルス各支局長を歴任。九八年より三年間、産経新聞夕刊の辛口時事コラム「異見自在」担当。著書に『「モンスター新聞」が日本を滅ぼす』(PHP研究所)、『変見自在 オバマ大統領は黒人か』(新潮社)、『白い人が仕掛けた黒い罠』(ワック)などがある。

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    なぜ「SEALDs」を目の前にすると左右両極は理性を失うのか

    せざるを得ない。なぜ右も左も理性を失うのか もちろん「SEALDs」のアクションが無意味である、と無慈悲に切り捨てる意図はない。政治的実効性はともかく、声を上げることは重要である、という意見には大きく賛同する。声が届いていないこと=無意味ならば、公民権運動も奴隷制反対も、最初の段階でやめたほうが良かった、ということに成る。 その主張の内容はともかく、声を上げる人を冷笑したり罵倒したりするのは適当な態度ではない。例えば「SEALDs」の背景に既存の政党の支配が見え隠れする、というまことしやかな言説。若者が政治活動をするにあたって、既存の政党から有形無形の援助や影響をうけるのは、右も左も同様だし、その疑いに合理的な証拠が存在していないから無効だ。 或いは、「金をもらってやっているんだろう」という負け惜しみにも似た罵声。こちらはもっと宜しくない。「金をもらってやっているんだろう」という説の裏返しは、「金をもらわなければやらない」という事になるが、現代の政治活動とはそのほとんどが損得を超越した地点での強烈な思い入れ(或いは思い込み)を原初としており、だからこそ、我の強い人たちが一箇所に同居することで、団体内での内紛や軋轢が起こるのだ。損得論ほど無意味なことはないし、いまどきデモの参加者全員に金一封を渡せるほど豊かな財源を持った政党や団体は居ないだろう。 どうも「SEALDs」を目の前にすると理性が吹き飛ぶ人が、右にも左にも多い。大学生の時、貴方はどうだったのか?と少し冷静になって振り返れば、おのずと答えは簡単だ。「政治に興味が無いことはなかったが、そんなことよりもバイトと単位とサークルと麻雀、どうやったら異性にモテるか。そればかりを考えていた」というのが正解だろう。その、怠惰で、永遠に続くかに思える青春のモラトリアムの退屈な日常空間を超えて、国会前に集まる大学生を「優秀」と評するのか、はたまた「異形」と評するのかは、読者の皮膚感覚にお任せしたい。

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    日本人と共に戦った朝鮮人

    大日本帝国による韓国併合が「反日ナショナリズム」の淵源なのだろう。しかし、戦時中、少なからぬ朝鮮人が「日本と共に戦いたい」と入隊を希望したのも事実。朝鮮人としての誇りを忘れることなく、日本軍の一員として戦ったのだ。決して「強制」ではなかったことを知ってほしい。

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    史実に基づく修正までなぜためらうのか

    二次世界大戦中に日本帝国軍隊が性的サービス提供のために「慰安婦」なる美名の下に残酷なシステムの中で無慈悲な目にあった女性についての記述の抹消を日本政府が最近試みたことに対し驚愕の念を表明する。 歴史家たちは性的サービスを強要された女の数が万の単位であるか十万の単位であるか、またその女たちの徴発に際して軍の関与が正確にいかなる程度であったか議論しているが、吉見義明教授が日本政府の資料を綿密に調査した結果、並びにアジア各地の生存女性の証言によって、国家によって後押しされた性的奴隷制度とも呼ぶべきシステムの本質的特性は疑問の余地なく明らかにされたといってよい。〉 As historians, we express our dismay at recent attempts by the Japanese government to suppress statements in history textbooks both in Japan and elsewhere about the euphemistically named “comfort women” who suffered under a brutal system of sexual exploitation in the service of the Japanese imperial army during World War II. Historians continue to debate whether the numbers of women exploited were in the tens of thousands or the hundreds of thousands and what precise role the military played in their procurement. Yet the careful research of historian Yoshimi Yoshiaki in Japanese government archives and the testimonials of survivors throughout Asia have rendered beyond dispute the essential features of a system that amounted to state-sponsored sexual slavery.    そこで本席にお集まりの皆さまにまずおうかがいしたい。一、 この声明文に署名した西洋の学者たちは「慰安婦大誤報」にまつわる『朝日新聞』の謝罪を始めとする2014年の一連の日本の大新聞や『文藝春秋』などの「20万人の性奴隷」という反日プロパガンダ形成にまつわる日本語文章をきちんと読んだと思うか。(  )二、 「慰安婦大誤報」の訂正を余儀なくされて『朝日新聞』の評判が地に落ちたように、このような声明文に署名したアメリカの歴史学者の評判が一挙に地に落ちる日がいつか来ると思うか。(  )三、 「アメリカの日本史学者はなぜ「二十万人の性奴隷」という神話を信じたのか」(Why did American historians of Japan believe in the myths of 200000 sex slaves?)という博士論文を書くアメリカの若手学者が将来あらわれ、アメリカの歴史教科書が「慰安婦大誤報」の訂正を余儀なくされ、その誤りを暴露した若手学者にピュリッツァー賞が与えられる日が来ると期待できるか。(  )四、 世界各地に慰安婦像を建てれば建てるほど韓国の名誉になると思うか。(  ) 心ある韓国人は本当にそう思っているのか。(この質問への答えを韓国の友人に聞いていただきたい)第二問  1946年の実状の一例第二問  1946年の実状の一例 アメリカの日本専門家の日本理解がどの程度であるか、アメリカ人が日本について抱くイメージがどのようなものであるかは、アメリカの最大手の歴史教科書の日本についての記述からも察しがつくであろう。まことに薄ら寒いものである。現在ですらもそのような日本理解であるとするならば、日本の敗戦直後、アメリカ人は戦争をした日本をどのように理解していたか。その理解はどの程度妥当でどの程度不当であったのか、ここで冷静に考え直してみたい。 いま仮りに大学入試に次の問題が出たとする。a、第二次世界大戦に際して日本のA級戦犯を含む極めて少数の人間が自己の個人的意志を人類に押しつけようとした。b、日本のA級戦犯は文明に対し宣戦を布告した。c、 彼等は民主主義とその本質的基礎、即ち人格の自由と尊重を破壊せんと決意した。 d、彼等は人民による人民のための人民の政治は根絶さるべきで彼らの所謂「新秩序」が確立さるべきだと決意した。e、彼等はヒトラー一派と手を握った。 日本の受験生にも現政権の大臣にも野党の議員にも答えてもらいたい。アメリカ人の受験生ならば五つの質問にことごとく○をつけるであろうが、皆さまはいかがお答えか。確実に○がつく正解は日本の指導者が「ヒトラー一派と手を握った」という歴史的事実だけではあるまいか。だが連合国側は日本の東條英機以下少数者は「自己の個人的意志を人類に押しつけんとした」として非難した。米国側の主張を正確に伝えるために冒頭部分は英文も引用する。 A very few ……decided to force their individual will upon mankind. They declared war upon civilization. They were determined to destroy democracy and its essential basis─freedom and respect of human personality.東京裁判の首席検察官、ジョセフ・キーナン 皆さまはこのような主張はどこかピントがずれている、とお感じであろう。だがしかし実はこれが1946年6月4日、東京裁判の冒頭でキーナン首席検察官が日本の指導者を論難した陳述なのである。侵略戦争非難だが、もし事実この通り少数の者の恣意的な決定であったならば日本の開戦時の指導者は悪玉だ、断罪されて当然だ、ということになる。だが昭和21年、中学生の私は「難癖をつけられた」と感じた。平成27年の今も宣戦布告に同意して署名した東條内閣の全閣僚が揃ってこんな誇大妄想狂だったとは思わない。私ばかりか米国でもまともな日本研究者はもはやそうは思っていないであろう。「キーナンの主張はおかしい」と言ったら「ギャング退治で名をはせた検事だが日本の事は何も知らなかった」とプリンストンのジャンセン教授が釈明したことがある。ヒトラーは自己の個人的意志を人類に押しつけようとしたと論難することはできるだろう。ユダヤ人の絶滅を図ったナチス・ドイツが文明に対し宣戦を布告したといえるだろう。彼らについては民主主義とその本質的基礎、すなわち人格の自由と尊重を破壊せんと決意した、といえるかもしれない。日本について知ることの少ないキーナン以下は日本を東アジアにおけるナチス・ドイツに見立てていたからこそこうした非難を口にすることができたのである。 戦争中、米国では敵愾心を煽ろうと反日宣伝を執拗に繰り返した。正確、不正確はもはやたいした問題ではなかったのだろう。だがそうして拵えられた悪者としての昭和天皇や東條英機や山本五十六らに代表される日本イメージは当時の人の脳裡に刷り込まれたばかりか再生産されて今も米国人の根本的な日本認識となっている。キーナン検事の論告が多くの日本人を納得させないのは、キーナンが戦時中の連合国側の反日プロパガンダを鵜呑みにしていたからである。 東條英機は「日本のヒトラー」といえるのだろうか。20世紀の三大独裁者といえばヒトラー、スターリン、毛沢東が後世に記憶されるに相違なく、東條はそのような大物ではない。その差を認識しなければならない。英国で教育を受け戦時下の日本で生活し軍国日本も知り、ナチス・ドイツも知るドイツ人イエズス会士ロゲンドルフはニュルンベルク裁判を模して開かれた東京裁判について、「(積極的に戦争への道を選び組織的にユダヤ人虐殺を行なったナチスの指導者と同様)日本の指導者を、戦争を計画し故意に残虐行為を行なったとして裁判にかけたのは、実にばかげたことだった。連合軍は自分たちで作り上げたウソの反日プロパガンダまでも信じ込むようになったのである」(to put on trial Japanese leaders for a planned war and wilful atrocities was folly. The Allies had become victims of their own propaganda)(注2)と述べている。連合国側は日本の実態についてよく知らぬまま、ナチス・ドイツとの類推で同じような罪をなすりつけ日本帝国を裁こうとしたのは誤りであった、と指摘したのである。史実に基づく歴史の修正 しかし正義感だけが先行して歴史の実態を知らない人の脳裡には第二次世界大戦はデモクラシー対ファシズムの正義の戦争という構図ができあがって固定した。内外の左翼の歴史学者もそう言っている。東京裁判を被告の側からではなく検察の側に肩入れして報道した(ないしは報道することを余儀なくされた)日本の大新聞もその見方に同調して、おかしなことにそのまま今日におよんできた。 するとどうなるか。それを口実に北方四島が露領は当然だ、第二次大戦の結果だとロシアはうそぶく。しかし米国と組んで日本と戦ったソ連や中国が人格の自由を尊重するデモクラシーといえるかどうか。米国がソ連や中国と組んだのは敵の敵は味方だったからだろう。その露中が今年は共同で戦勝七十年を祝おうとし両国は「歴史の修正は許さない」と言っている。 問題は修正主義にも色々あることだ。この点に在日米国大使館も特派員も、もし本席においでなら、とくに注意してもらいたい。ナチス・ドイツが正しかったという修正主義は狂気の沙汰だ。私はまた軍国日本がすべて正しかったと主張するような修正主義は認めない。今の日本には戦後の日本に不満を抱くあまり昔の戦前の日本を良しとするような口吻をもらす人がいるが、つまらぬ人たちである。昭和十年代、解決の目途も立たぬまま大陸で戦線を拡大した軍部主導の日本は愚かだった。ただしだからといって勝者の裁判で示された一方的歴史解釈に私たちが従う必要はあるのか、といえばそれはないと考える。第三問  1941年秋の日本挑発第三問  1941年秋の日本挑発 ハル・ノートをつきつけられて開戦に踏み切った日本を「狂気の侵略戦争」といえるか。それははなはだしく疑問である。ここでまた入試に次の問題が出たとする。一、1941年11月26日、ルーズベルト大統領とハル国務長官は日本に中国とインドシナから軍隊と警察力の全面撤退を求めた。(  )二、 重慶の国民政府以外の政権、いいかえると満洲国や汪兆銘政権の否認を求めた。(  )三、日独伊三国同盟の否認を求めた。(  )四、これは世界外交史上稀に見る挑発的な要求であった。(  )五、イタリアのチアノ外相は1941年12月3日、日本大使から日米交渉が行き詰まったと聞かされ、この事態を説明して「アメリカ国民を直接この世界大戦に引込むことのできなかったルーズベルトは、間接的な操作で、すなわち日本が米国を攻撃せざるを得ない事態に追いこむことによって、大戦参加に成功した」と日記に書いた。(  )  答えはすべて○である。念の為にハル・ノートの要旨を英文で問題に書いておく。1, Immediate and unconditional withdrawal of all Japanese military, naval, air and police forces from China and Indo-China.2, Non-recognition of any regime or government in China than the Chanking Government.3, Abrogation of the Tripartite Pact. ハル・ノートはこのような無法なものであった。そのことを受験生が知らないのも困るが、多くの内外の新聞人も在日大使館員も日本の皇族や政治家も知らないのでは困る。現に次代民主党を担うであろう細野豪志氏などは修正主義の名の下にあらゆる歴史の再解釈に拒否反応を呈している。だがそのような民主党では日本国民の支持は得られまい。軍国日本の大失策の数々を認めた上で、なおかつ戦勝国側の歴史解釈に異議あることを言い、日本を東洋におけるナチス・ドイツと類推する理解の正しくないことをきちんと説得してこそ政治家や学者の責務だと私は思う。その際、外国語でも納得させることが大切だ。本日の講演に英語版を用意させたのはそのためである。過去の歴史は正々堂々と修正せねばならない。 ただし注意せねばならぬのは、歴史の正義不正義を測る上でタイム・スパンの問題があることである。 一日の単位で測るなら、ハワイ奇襲攻撃をした日本に非があるように見える。月の単位で測るなら、1941年11月26日、ハル国務長官が日本側に渡したハル・ノートは世界の外交史上でも稀に見る非道な挑発的なものである。我慢しきれなくなった日本が先にアメリカを攻撃するだろう。攻撃されたらそれを口実に孤立主義的だったアメリカ世論が変わるから、それで米国を参戦させることで対枢軸国戦争に踏み切る、というルーズベルトの計算。それは日本の同盟国のイタリアの外務大臣にもわかった。しかし年の単位で測るなら、シナで4年間、解決の目途も立たぬまま戦線を拡大し、占領地の民衆に被害を与え、フランス領インドシナにも進駐した軍国日本の行動がすべて正しかったとはよもや言えまい。大正から昭和にかけての日本には、明治憲法を改正し、首相に権力を集中させるような政治的イニシアチヴは出なかった。自分自身で憲法を改正する能力のない日本国民であったからこそ自分たちの力で軍部を上手にコントロールできなかったのである。シナ事変も解決できぬまま日本は「自存自衛のため」戦争に突入せざるを得なくなった。 戦争はそのように日本内部の問題もあったが、日本人が勇戦奮闘したことについては、それだけの心理的理由はあった。年の単位でいえば問題のある軍国日本であった。だが世紀の単位で測るなら、白人優位の世界秩序に対する日本を指導者とする「反帝国主義的帝国主義」の日本の戦争ははたしてただ一方的に断罪されるべきものか。私は小学生の時に香港が陥落して英国の「東亜侵略百年の野望」がついに破れたという歌をうたった。いわゆる「大東亜戦争」にアジア解放戦争という一面がなかったとはいえない。和辻哲郎が昭和十八年に書いた『アメリカの国民性』にも、東條英機の遺書にもそのような視点は示されている。世紀の単位で測る危険性 しかし私は歴史の正義不正義を測る上でのタイム・スパンに世紀という単位を持ち出すのは誤りがちで良くないのではないかと考える。この世紀の単位で測ることの危険性は中華人民共和国の習近平主席の就任演説の中にも見てとれる。 〈中国の夢を実現しよう。そのためには中国的特色のある社会主義の道を進まねばならぬ。それは改革開放以来三十余年実践してきた偉大な道であるばかりか、中華人民共和国成立以来六十余年続けて探し求めてきた道である。それはアヘン戦争以来百七十余年の深刻な歴史発展の中から総括して得られた結論であるばかりか、中華民族五千余年の悠久の文明を伝承する中から生まれた道である。歴史的淵源は深厚に現実的基礎は広範である。中華民族は非凡な創造力に富む民族であり、偉大な中華文明を建設してきた。この体制に自信をもち、勇気を奮い、前進せねばならない。中国の夢は民族の夢である。中国精神を弘揚、愛国主義を以って核心となし、全人民心を一にして中国の夢を実現せねばならない。〉 などと言っている。歴史を鑑にして自分に都合のいいことをいう人はどこの国にもいるが、自己中心的発想の強いシナにおいてとくに甚だしい。ハル・ノートで日本を挑発したコーデル・ハル国務長官 紀元二千六百年を祝賀した昭和前期の軍部主導の日本が夜郎自大となり、世界の中の日本をよく認識しなかったからこそ軍国日本は世界を敵にまわす破目に落ちいった。ルーズベルトの術中にはまったのは愚かであった。ではどのようにすれば良かったのか。東條内閣はハル・ノートを世界に向けて公表して米国の要求はこのように不当なものである、という一大宣伝をすれば、米国内にもルーズベルト政権批判の声は高まって米国の対日戦宣戦布告を妨げる要素となり得たかもしれない。しかし当時の内閣の責任ある閣僚としては誰一人そのような奇策は提案し得なかった。日本は昔も今も、国際政治の宣伝戦でも歴史戦争の教科書合戦において劣勢に立たされている。正邪の判断基準 交戦国民が戦争責任者について敵側と見方を異にするのは当然だが、私は日本人として、わが国が先にハワイ真珠湾を攻撃したからと言って、それを口実に降伏意志を外交ルートを通してすでに示しつつあった日本に米国が原爆を投下したことは、戦争犯罪の最たるものと考える。日本海軍はハワイ空襲で攻撃の的を軍艦、軍用機、軍事施設に限った。それだから、死んだアメリカ市民は68人だった。広島長崎の一般市民の死者はその数千倍に及ぶ。それを考えるが良い。爆撃の正当、不当は軍人と市民の殺傷比によって示される。私は米国でも英語講演や英語著書で繰り返しその点にふれた。私はライシャワー教授の講演のディスカサントに招かれて、ライシャワー教授以下のアメリカの日本研究は優れているけれども、しかしそれをもってしても打ち克てないものがある。それは日本が真珠湾を攻撃した直後にアメリカの反日プロパガンダで創られた日本人についての悪いイメージだ。それはアメリカ人の集合意識に深くしみこんでいる。ここにおられるアメリカ人の皆さまも人によって見方は違うと思うけれども、何人かの皆様は、日本人は狡くて(sly)、卑劣で(sneaky)、二心がある(treacherous)、いつ裏切るかわからないとお考えかもしれないが、しかし別様の考え方もできるので、すべては何を比較の基準にするかによって一転する。私にとりあらゆる空襲は、アメリカへの空爆であれ、日本への空爆であれ、ドレスデンの空襲であれ、ハノイ爆撃であれ、爆撃の正当、不当は軍人と市民の殺傷比によって示されると考える。  Everything depends so much on the measure of comparison. To me all air-raids─against the United States or against Japan, against Dresden or against Hanoi─should be measured by the ratio of casualties suffered by civilians and casualties suffered by the military. If we apply this measure of comparison to the Japanese attack on Pearl Harbor, you will be surprised by the extremely low ratio. The Japanese Naval Air Force killed very few American civilians. The target was definitely military. If Americans could be reminded of this aspect of the attack, Pearl Harbor would be remembered in a different way.  1978年のことで反ベトナム戦争の気分がまだ強く残っていたから、インディアナ大学でこのように講演したら拍手喝采鳴りやまず、アメリカの学会誌にも掲載され、日本の新聞にも報道されて面目を施したが、しかしそれ以後、一部のアメリカ人教授からは平川はナショナリストと目されたようである。 なお一言書き添えると、黄色人種の日本に先に手を出させることで米国民を怒らせて米国を参戦させ、連合国を勝利に導いたルーズベルトは悪辣だが偉大な大統領であった、というのが私の歴史認識である。ユダヤ人の絶滅を企んだナチス・ドイツを破るためには米国の参戦は不可欠だったからである。 そしてかくいう私は、時に率直にアメリカ批判はするけれども、日米同盟の支持者である。私はまた現在の、国内的に格差大国と云う矛盾を孕む中国を盟主とする東アジア共同体に加わる気持はない。さらに付言すれば、今日の日本は鎖国して自活はできない。精神的鎖国ともいうべき一国ナショナリズムを説くのは不可であり一国平和主義は不可能である。第四問  2015年の「正論」とは第四問  2015年の「正論」とは ここで今日の日本の言論事情について考える。一、戦前の日本の正義を主張することは結構だが、戦前の日本がすべて正しかったように言い張る日本人は真に愛国者といえるか(ア  )。それとは逆に、日本の悪を指摘することは良心的だが、その悪を誇張して外国に向け宣伝する人は、へつらいを行なっている人ではないのか(イ   )。二、日本国内だけで「正論」を唱える人が多いが、それだけでよいのか(ウ  )。国内の反日気分の人たちだけでなく広く外国人をも説得することが大切なのではないのか(エ  )。三、しかし下手な外国語で抗議して誤解を招くよりは黙っている方がよい(オ  )。いや、下手でも抗議する方がよい(カ  )。日本に好意的な外国人に真意を伝えてその人に外国語で説明してもらう方がよい(キ   )。四、左翼系・右翼系を問わず、新聞や雑誌が、はじめから「結論ありき」の掛け声だけ大きな論客の文章をさかんに印刷するが、はたしてそれだけでよいのか(ク   )。結論 ナチス・ドイツと手を握った軍国主義日本が悪者扱いされたのはやむを得ない。しかし近衛文麿首相にせよ、東條英機首相にせよ、ヒトラー・ドイツによるユダヤ人虐待は知っていたとしてもユダヤ人絶滅計画の実行については、当時の日本人のほとんどすべてと同じく、なにも知らなかったのではないか。昭和日本ではまだ武士道という倫理が説かれ、人種絶滅を実行しようとする政策を容認するはずは全くなかった。しかし相手がいかなる独裁国家であろうとも、敵の敵は味方という論理で同盟は成立する。アメリカがソ連と手を握ったのはソ連が民主主義国であったからではなく、敵の敵は味方という論理によってであろう。 日米戦争直前の日本側の開戦回避の努力が空しかったのは、当時の米国国務省関係者に日本を蔑視し、日本を理解していない者がいたこととも関係があるのではないか。しかし日本についての情報を英語文献に頼る傾向はその後75年経っても必ずしも変わっているとは言えないようである。今回声明を発したようなself-righteous(独善的)な歴史家集団の日本認識は日本語文献にきちんと目を通しておらず判断は政治的先入主に基づくものであり、ほとんど人種差別的といえるものではないか。しかし声明に署名した人々もそのうちに「一抜けた、二抜けた」とマグローヒルの世界史教科書の出鱈目に頭のよい人ほどはやく気づいて声明支持を撤回するであろう。 なお彼らアメリカの史学者たちのために弁明すれば、このような歴史教科書を出まわらせたについては、責任の一半は、いままでの日本国内の『朝日新聞』をはじめとする意図的なミスリーディングの結果にある。しかし政治的情念にひきずられ、あまりにも大きなをふくむ日本批判のプロパガンダを繰り返すうちに『朝日新聞』は信用を失った。『朝日新聞』は誤報の蓄積の重みに耐えかねていわば自壊したのである。 またこの種のバランスを失した日本批判を繰り返すうちに韓国政府も信用を失うであろう。世界各地に慰安婦像を建てようとする人たちの主張は、女性の人権保護の名を借りた反日運動である。かれらの主張がもし普遍的に通用し得るものであるなら、その主張は日本でも歓迎されるはずである。その正義について確信があるならば朝日新聞社社員も少し募金をつのって、日本国内でも朝日新聞社の社屋の正面に慰安婦像と吉田清治像を建てるがいいだろう、そして「二度とこの過ちは繰り返しませんから」という碑銘をそれに添えるがよいだろう。 しかしそのように言われてもなんらの返答もできない大新聞社とは一体何であろうか。 また『朝日新聞社』の支持や庇護を得られなくなった「良心的」な学者や記者が、あたかも言論弾圧の犠牲者のごとく外国で振舞うのは苦々しいかぎりである。そうした人の家の前にも慰安婦像を建てたい気がするが、その人たちの子供や孫ははたしてそうした「良心的」なご先祖の行動を将来よしとするだろうか。そうした人たちこそ女性の人権を救うと称して日本と韓国の関係を深く傷つけた偽善的な人たちなのではあるまいか。その人たちの行動は当初は善意に始まったのかもしれない。しかし「地獄への道は善意で敷き詰められている」(The Road to Hell is paved with good intention)とはこのことであろう。 いまや問題の核心は日本国内でなく外国世界に移った。「二十万人の性奴隷という神話をいかにして打破するか」(How to Debunk the Myths of 200000 Sex Slaves)が肝心だ。それを上手にやらねばならない。アメリカの特派員の中には日本左翼の主張を繰り返して、安倍首相による言論弾圧と喧伝している者もいる。それならば野党代表が積極的に記者会見を開いてアメリカ歴史教科書についての意見をすなおに述べればよいのである。私は鳩山由紀夫、菅直人氏らを切り捨てた後の民主党が再生するには、日本に対する中傷を退ける主張を堂々と行えば内外の多くの人の共感を得るであろう。Honesty is the best policy(正直は最善の策)とはこのことである。(2015年4月14日)注1 それだから私はSukehiro Hirakawa, Japans Love-Hate Relationship with the West(Global Oriental)や『平和の海と戦いの海』でグルーと斎藤實夫妻や鈴木貫太郎について書いたのである。注2 Joseph Roggendorf, Between Different Cultures, a memoir, Global Oriental, 2004, p62. ヨゼフ・ロゲンドルフ『異文化のはざまで』(文藝春秋、一九八三、90頁)。なお日本訳には平川が修正をほどこした箇所がある。※シンポジウム「『歴史戦』をどう闘うか」(日本戦略研究フォーラム主催)基調講演に加筆したものです。ひらかわ・すけひろ 1931(昭和6)年東京都生まれ。1953(昭和28)年、東京大学教養学部教養学科卒業。フランス、ドイツ、イタリアに留学し、北米、中国、台湾などで教壇に立つ。平成4年、東京大学名誉教授。著書に『和魂洋才の系譜』(平凡社)、『アーサー・ウェイリー「源氏物語」の翻訳者』(白水社)、『ダンテ「神曲」講義』『西洋人の神道観』『日本の正論』(河出書房新社)、『竹山道雄と昭和の時代』(藤原書店)『市丸利之助伝』(肥前佐賀文庫)、『日本人に生まれて、まあよかった』(新潮新書)等多数。

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    信長が光秀を折檻した裏に「家康暗殺計画」?

    を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」 慈悲深い仏のような白光秀では、いかに吏僚(りりょう)として優れていても、信長家臣団の首座を獲得するのは難しい。つまりフロイスの描く黒光秀は、かなり実像に近いと思われる。だとすると、ほかの記録との辻褄(つじつま)が合わない。 おそらく「己を偽装するのに抜け目がない」という一節に、光秀の二面性ないしは多面性が示されているのだろう。 さて本能寺の変にまつわる諸説は、大別すると野望説・突発衝動説・怨恨(えんこん)説・黒幕説に分けられる。野望説については、黒光秀の観点からは最も妥当なように思える。しかし、本能寺の変成功後の無計画さから、常に疑問が呈されている。 最近では、怨恨説の一種である四国問題説というものが注目を集めている。すなわち信長が、「四国の儀は元親(もとちか)手柄次第に切り取り候へ」(『元親記』)という約束を反故(ほご)にし、四国進攻作戦を行おうとしたことで、光秀が恨みを抱いたというものである。しかし面子(めんつ)をつぶされたくらいで、謀反に及ぶだろうか。 天正10(1582)年3月11日、信長は武田勝頼を滅ぼし、天下統一まで、もう一歩となった。この時、信濃国の諏訪で行われた祝宴の席上で、「われらも長年にわたって骨を折ってきたかいがあった」という光秀の言葉を聞きつけた信長が、「お前がどれほどのことをしてきたのか」と怒り、光秀の頭を欄干に叩(たた)きつけたという逸話がある(『祖父物語』)。 この話は、史実としての信憑(しんぴょう)性が低いとされるが、常識では考えられない異常な行動だからこそ、真実ではなかったか。武田家を滅ぼした信長の自己肥大化は、この頃、急速に進んでいたからである。 いずれにせよ武田家の遺領は、功を挙げた者たちに分け与えられることになった。この時、徳川家康は駿河一国を拝領する。 甲斐国からの帰途、徳川領を通った信長は、家康を安土城に招いた。駿河一国拝領の御礼もあり、家康は、その誘いを断ることができない。ちなみに武田家が滅亡することで、信長にとって、家康は不要な存在になっていた。 かくして5月15日、家康は安土に伺候(しこう)する。この時、家康の饗応(きょうおう)役に指名されたのが光秀である。しかし饗応方法をめぐって信長と意見の対立があり、激しい折檻(せっかん)を受けたという。 これは仮説だが、この時、自己肥大化の極にあった信長は、安土で家康を殺せ、と光秀に命じたのではないか。しかし光秀は拒否した。それで信長は切れて折檻に及んだ-。 この時、光秀が代替え案を提示したことで、信長は矛を収め、光秀に備中高松城行きを命じる。むろん、信長が合意した秘策があってのことである。 実はこの頃、秀吉が高松城を攻撃しており、苦戦を強いられていた。その救援要請が安土に届いたのは、家康が安土に到着したと同じ15日である。※産経新聞の連載「敗者烈伝」の完全版は月刊「J-novel」(実業之日本社)で連載中です。関連記事■ 突発説、単独犯行説、黒幕説…「主殺し」の真の動機は何か■ 家康は豊臣家を滅ぼすつもりではなかった?■ 安土城 信長の画期的な発想が随所に

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    ジャイアント馬場には戦後が詰まっている

    プロレス興行で儲からなくても、日本テレビからの放映料でやっていけたんです。新崎人生のロープ拝み渡りを慈悲の目差しで受けるジャイアント馬場  1998年5月 1日 東京ドーム ──だけど、山本さんも最後は馬場さんに傾倒していきましたよね。ターザン そうなんですよォ! プロレスファンとして、僕が最後の最後まで望んだこと。仕事なんかどうでもいい、本も売れなくていい。ただ馬場さんと食事をしてみたい、これだったんです。僕は猪木ファンだったために馬場さんの世界に近づけなかったけど、遠くから見て「あっちにはなんていい世界があるんだろう! 俺も入りたい!」、そう思っていたんですよォ!──「いい世界」というのは馬場さんのプロレスではなく、馬場さんという存在ということですか?ターザン そうです。あの存在と雰囲気。葉巻をくゆらせ、のんびりとレストランで食事をしているあの豊かな雰囲気がとにかくいいなぁ、と。 何とか機会を得て、その世界に入ることができた。馬場さんとキャピトル東急の「ORIGAMI」──いつもここで食事をしていた──で食事をしたあの空間が、僕の最高の思い出なんですよォ!──力道山、馬場、猪木のプロレスは時代の空気を凝縮させたもの、時代と合わせ鏡になったものと先ほどからおっしゃっていますが、現在のプロレスもそうですか?ターザン そういう空気は全くないですね。柳澤 猪木さんの引退、馬場さんの死去で変わりましたね。──でも、新日本プロレスは好調です。ターザン 僕から言わせれば、いまの新日はコンビニやファミレス、いわば“ファッション”みたいなものです。試合を見に行っても、すぐに忘れ去られてしまう。だけど猪木さんの試合は記憶に刻まれて、試合のあとは飲み屋で語り明かしたものです。その記憶がトラウマになっちゃったりね(笑)。──柳澤さんは今後もいろいろ書かれていくかと思いますが、山本さんは何か書かれる予定はありますか?ターザン 実は小説を書けという話がきています。柳澤 おお、ついに具体的な動きが! 書いたほうがいいですよ、山本さん。天才なんだから。ターザン もう構想は練ったんで、あとは書くだけ。書けるかな(笑)。ターザン山本!氏と柳澤健氏(撮影:佐藤英明)ターザンやまもと! 1946年、山口県生まれ。立命館大学文学部中国文学専攻中退。77年、『週刊ファイト』のプロレス担当記者になる。80年、ベースボール・マガジン社へ移籍し、87年、『週刊プロレス』の編集長に就任。96年、ベースボール・マガジン社を退社。以後、フリーのライターとして活躍。やなぎさわ たけし 1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。文藝春秋に入社し、『週刊文春』『Sports Graphic Number』編集部などに在籍。03年7月に退社し、フリーとして活動を開始。07年、デビュー作『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)を上梓。関連記事■金沢克彦編集長が語るプロレス誌「ゴング」復刊の真相■男たちの聖域になぜ? プロレス会場に女性が殺到する理由■プロ野球球団は増やせるのか 経済学の「視点」改めて議論■松井秀喜の「真実」 長嶋茂雄との師弟関係■産経さんだって人のこと言えないでしょ?

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    志士の道・みちのく「猛士松陰」覚醒

    日一日と陽気(はるのき)が生ずるに従って草も木も萌(もえ)出づる。この陽気は物を育てる気で、人の仁愛慈悲の心と同様、天地にとっても人間にとっても好ましき気なり。ゆえに陽気が生じて草も木も芽が出たいと思うのが『おめでたい』なり」 これは安政2年元日、獄中から末妹の文(ふみ)-ではなく長妹の千代にあてた手紙。「あけましておめでとう」を説き明かした一節だ。 2歳下の千代は松陰と一番親しかった妹(文は13歳年下)。おそらく『花燃ゆ』の主人公「文」は、文と千代の2人を投影した人物像だろう。でも、「史実と違う」と目くじらをたてるのはやぼというもの。史上の名画『シンドラーのリスト』の名脇役「シュターン」も、実在した何人かの人物の「合作」とされる。 少々横道にそれたが、最後にもう一つ、お正月にちなんだ松陰の別の手紙を。以下は、やはり獄中から千代にあてた一節である。 「神前で柏手(かしわで)を打ち、立身出世や長命富貴を祈るのはみな大間違いなり。神と申すものは正直なる事、清浄なる事を好みたまう。それゆえ神を拝むにはまず己(おの)が心を正直にし、己が体を清浄にしてほかに何の心もなく、ただ謹み拝むべし。これを誠の神信心という」関連記事■ 松陰が魂を込めて遺した『留魂録』とは■ 底知れぬ謙虚さ 松陰の向学心■ 久坂・高杉・伊藤―松下村塾に集まった若者たち■ 幕末の日本人に見る進取の気性

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    「敗北を抱きしめて」などいられない

    て』は書き出される。転んだ朝日新聞 彼は終戦直後の日本に立つ。彼は自分の祖父の代までインディアンを無慈悲に殺しまくり、奴隷を酷使し、黒人女を慰み物にしてきたことも、歯の悪いジョージ・ワシントンが健康な黒人奴隷の歯を抜いて入れ歯をつくってきたこともきれいに忘れ、慈悲の心をもち、民主主義の何かを弁える知的な白人キリスト教徒になりきって日本人を観察する。 そこでまず「日本人は特別だ、ユニークだと言われるが、それは嘘だ」と断じる。 例えば3・11のおりに世界は略奪もない、助け合う日本人に感動した。 シアトルでWTO総会があったとき、デモった米国人は警備が手薄と見るとすぐ街中で略奪に走った。バグダードを攻略した米兵は博物館を荒らしシュメールの文化財を盗んだ。英軍が逃げた九龍は略奪する支那人で溢れ返った。 そんな略奪行為が日本にはなかった。ないどころか阪神淡路大震災ではヤクザが炊き出しをしたとロサンゼルスタイムズ紙のサム・ジェムスンが書いている。 それでもダワーは「日本人にユニークさはない」と断じ、その中に昭和天皇も入れる。「敗戦の詔勅は自分の戦争責任を免れるためだった。『五内為(ごないため)に裂く』と叫んで、国民の同情を買ったのは成功だった」と書く。 米国の植民地戦争時代、仏軍に捕まったジョージ・ワシントンは仏軍捕虜を殺した罪を部下に擦りつけて生き延びた。そのレベルでしか人の行動を測れないダワーの下品さにちょっとたじろがされる。 彼は天皇を軽んじた上で日本人も見下す。『敗北を……』では日本側が接待用に設けたRAA慰安婦施設の話や性病対策にペニシリンが持ち込まれた話やらを特筆する。 「除隊した兵士が手ぶらで郷里に帰ったと責められた」と皇軍の落ちぶれた様も描かれる。どこが高潔でユニークだと。 台湾の蔡焜燦(さいこんさん)『日本精神』に朝鮮人が軍の管理品を盗み出す描写がある。さもありなんとは思ったが、それを日本人の除隊兵がやった、そういう盗品を期待する郷里の家族がいたなどという話はあの時代を生きた者としてはっきり嘘だと言い切れる。 彼は敗戦の日、皇居前に額ずいた「そんなに多くはいなかった」人たちを論ずる。電車も満足に通わない焼け野原の東京で、確かにメーデーほどの人波はなかった。 それがどうしたと思うが、彼はこう続ける。「彼らがそこで流した涙は日本や天皇を想ってではない。不幸と死。騙されたという思いだった」「それは軍国主義者を憎み、戦争を嫌悪し、破壊された国土に呆然とたたずむ民衆の姿なのだ」とまた勝手に決めつける。 さあ哀れな民をどう救うか。これは尋常な手段では民主化は望めない。「病気の木を直すには根も枝も切り落とさねばならない」つまり日本人を枯死させる大手術が必要になる。 「戦争の勝者がそんな大胆な企てに乗りだすことは法的にも歴史的にも前例がなかった」が、マッカーサーは日本改造に乗りだしていく。 この文言には明らかな嘘があるが、まず彼の「大胆な企て」を追う。 彼はまずそれを言論の自由の封殺、検閲から始めた。民主主義がなぜ民主主義と一番遠い方法で行われたか、ダワーの説明はない。 最初の標的は朝日新聞だった。今では信じられないが、この新聞は当時、進駐軍の目に余る略奪や強姦を厳しく非難し、さらに原爆の非人道性を告発する一文(昭和20年9月15日)を鳩山一郎に書かせた。 GHQがバターン死の行進とか、無辜の民を焼き殺したとか、「赤ん坊を放り上げて銃剣で刺した」とか、フィリピンでの日本軍の残虐行為を新聞に書かせたときは「かかる暴虐は信じられぬ」「求めたい日本軍の釈明」(9月19日)とGHQにきちんとした検証を求めている。 マッカーサーはすぐ朝日を発禁にし、GHQの批判も米兵や朝鮮人の犯罪報道も禁じるプレスコードを出した。 朝日はこれを受けてすぐ転んだ。 検閲は手紙や電話まで広げられた。北朝鮮だってそこまでやるかというGHQの横暴をダワーは積極的に評価し、逆に「検閲で言論を封じた日本の軍事政権」の暗黒から日本人を救ったと強調する。 確かに戦前、検閲はあった。支那事変が続く中、軍の行動が分かる表記は墨が入った。当たり前だ。 石川達三の『蒼氓(そうぼう)』にも筆が入ったが、その気になれば消された部分は「乙種合格」とか理解はできた。 しかしGHQのそれは検閲の跡も残さなかった。だれも検閲されていることを知らなかった。 彼らは情報を完全に絶ったうえで日本人に勝手な情報をインプットした。その道具にされたのが「転んだ朝日新聞」だった。 朝日はGHQが望むまま、そしてダワーが書いたように「国民は軍事独裁主義者の犠牲にされ、無謀な戦争に投入された」という日本の中の対立構造を描き続けた。 同時にGHQは「悪い日本」に対する「民主主義でいい国の米国」を朝日に書かせた。発禁を受けた2カ月後の11月11日付紙面には「京都、奈良、無傷の裏」と題して京都や奈良が空襲の標的から外され「人類の宝」が守られたのは「ハーバード大のラングドン・ウォーナーの献身的な努力があった」という記事が載った。 ウォーナーのリストに載った文化財はおかげで守られたと。 真っ赤な嘘だ。京都は原爆投下候補地の筆頭で、原爆の正確な被害を測るため、通常爆弾による空襲を禁じてきた。米公文書には投下地点は京都駅近くの梅小路操車場で、その上空500メートルで原爆は炸裂する予定だった。それで京都市民50万が死に、八坂神社も二条城も西山の金閣寺も消滅していたはずだった。 広島、長崎に先に投下したのは、さすがに一瞬で古都を燃やし尽くし、50万も殺すのに躊躇(ためら)いがあったと想像できる。それが黄色い劣等人種だとしてでも、だ。 そんな恥ずべき大虐殺計画を美談に変える。しかも根拠のウォーナーリストには明治神宮も名古屋城も、原爆で消滅させた広島の太田城も入っている。みな爆撃で燃やした。 もっとましな嘘をつけと思うが、それでも日本人はころっと騙され、奈良には今もウォーナーに感謝する顕彰碑まで立った。徹底した検閲と忠臣、朝日新聞のおかげだ。GHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー最高司令官 マッカーサーもそれで聖人になった。彼はそのころ米共和党の大統領候補になったことがある。朝日は彼の「高潔で気高い人柄」を褒め、彼の偉大さは米大統領の椅子が似合うと書き続けた。日本人は彼が大統領になると信じていた。だってそういう記事しかマッカーサーは許さなかったからだ。 しかし米国人は彼がフィリピンから敵前逃亡したことも、そのときに米傀儡政権のケソン大統領を脅して「五十万ドルもニューヨークケミカル銀行の自分の口座に振り込ませた」(マイケル・シャラー『マッカーサーの時代』)ことも知っていた。彼が大統領から最も遠い男だと知っていた。 実際、共和党大会で一千五百余人の代議員のうち彼は11票を取っただけだった。いかに情報から隔絶されていたにせよ、彼がこんな泡沫だったとは日本人は本当に驚いたと思う。 いま振り返ってみるとマッカーサーのやったことはジョージ・オーウェルの『1984年』の世界とほとんど相似と言っていい。歴史学者ダワーもそれに気づいているはずだが、彼は逆に賛歌を歌い続けた。 イラク戦争後、戦後処理をどうするかという時期、彼はニューヨークタイムズに「日本とイラクの違い」を寄稿した。その中で日本での成功は「マッカーサーのカリスマ性と米軍将兵の紳士的な振る舞いが日本統治を成功させた」と書いている。 調達庁の数字によれば、占領期、米兵によって10万人の女性が強姦され、2536人が殺された。沖縄では6歳の幼女が強姦の果て殺され、小倉市は朝鮮戦争時、一個中隊の黒人兵に占領され3日間、略奪と強姦に蹂躙された。今のイスラム国と似た状況だった。そのすべてが報道規制で闇に葬られた。そんな連中をダワーは紳士だったという。 マッカーサーはもっと悪質だった。終戦間際に米潜水艦が灯火(ともしび)をつけて航行中の阿波丸を緑十字船と知りつつ魚雷で沈めた。1人生き残った。 賠償を払う段になってカネを惜しんだマッカーサーは無償供与だったガリオアエロア援助を有償に切り替えてそのカネで阿波丸賠償を日本政府に出させた。 彼は自分の滞在費も含め駐留米軍の費用もすべて日本政府に出させた。あの東京裁判の費用も、キーナン検事の宿泊から遊興費まですべて日本に出させた。 ダワーの著作を通して感じるのは、ここまであくどいマッカーサーの戦後統治を何としてでも栄光のまま存続させたいという思いが滲み出ていることだ。「カルタゴの平和」 ダワーは歴史学者でなく、むしろ政治屋という印象が強いが、もう一つ、彼が歴史学者でない証拠がある。 日本大手術に当たって彼が「歴史的にも前例がない」と言ったことについて「それも嘘だ」と書いた。 ちゃんと前例がある。紀元前3世紀、世にポエニ戦役と呼ばれるローマとカルタゴの戦いがあった。 カルタゴのハンニバルは日本と同じに正々堂々、戦場で戦った。ローマのスキピオはその点、米国に似ていた。インディアンとの戦いでは戦場に戦士を誘い出し、その隙に銃後の集落を襲って戦士の妻と子を殺した。日本との戦いでもそう。戦場を飛び越して銃後の広島長崎に原爆を落とし、日本軍兵士の妻子を殺した。 スキピオはハンニバルがローマの南ブルティに布陣している間に今のリビアにあったカルタゴを攻めた。ハンニバルは急ぎ駆けつけたが、スキピオに敗れた。 勝ったローマはカルタゴに対し、・膨大な賠償金の支払い・カルタヘナなど植民地の没収・軍の解除と軍艦の焼却・交戦権の放棄 を要求した。 さらにその調印が行われるまで・ローマ軍の略奪、強姦を放置し・丸裸になった海の民カルタゴの交易船も燃やし、農業国化を強いた ローマはこの条件を呑んだカルタゴをその後もいびり続けた。 マルクス・ポルキウス・カトーこと大カトーは演説の最後に必ず「カルタゴを滅ぼさねばならない」と語り続けたのは知られる。 そして隣国ヌミビアが攻め込んだのに対してカルタゴが自衛の戦争を始めると交戦権放棄の違反としてローマが攻め込んで今度こそ攻め滅ぼした。王侯貴族はみな殺しにし、住民は奴隷に叩き売り、最後は塩を撒いて草木が生えることも認めなかった。世に言う「カルタゴの平和」だ。 蒋介石の顧問だったオーエン・ラティモアは日本の戦後処理についてこの「カルタゴの平和」を何度も口にしている。 マッカーサーのGHQの仕事を見ると、まず日本からその統治地域・台湾、朝鮮、南洋諸島を没収し、永世中立国のスイスまで膨大な賠償金を支払わせ、戦力不保持と交戦権放棄を明記したマッカーサー憲法を呑ませた。 カルタゴの交易船に相当する日本の工業力については鍋釜しかつくれないレベルまで落とし、農業国化することがエドウィン・ポーレーの賠償使節団によって計画された。 第1次で昭和初期まで工業力を落とし、重工業は解体され機械類は支那朝鮮などに運び出された。 第2次で明治時代まで落とす予定だったが、朝鮮戦争で中断された。 しかし農業国化はそのまま進められ、NHKは今も「農業の時間」とかあほな番組を作り続けている。 笑えるのはローマに略奪の自由を認めた項目までGHQは実施した。日本中の駅前一等地を不法占拠した在日朝鮮人支那人の跋扈がそれに当たる。 マッカーサー統治がカルタゴのモノマネだということは日本の戦後処理を研究する者にとっては常識だが、ダワーはそれも知らないで「歴史上初めて」と書いて憚らない。 かくも無知と偏見に満ちた『敗北を抱きしめて』はしかし世に出てすぐピューリッツァー賞を受賞し、さらに米国史に貢献した研究に出されるバンクロフト賞も取った。 歴史書の資質も品格もないのになぜ受賞したか。 それは彼が書いたように「日本が理由もなしに発狂し、残忍になり、アジアを血に染めたこと」にしておけば米国の残忍なフィリピン支配も東京大空襲も広島、長崎の原爆投下もすべて正当化される。 そして米国はダワーが書くマッカーサーのように「慈愛深く知的な白人キリスト教徒」でいられるからだ。それで彼に賞を出した。 授賞理由は米国の望む「戦後史観」の総カタログ集という位置づけだ。ここに書いてあることをこれからも真実として語り継ごうというわけだ。おかげで嘘つきダワーもまた形だけは「真実を語る歴史学者」になれた。 ただピューリッツァー賞だって万能じゃない。スターリンを褒め称え続けたニューヨークタイムズ紙のウォルター・デュランティ記者について、ウクライナ系米市民が「彼はウクライナの大虐殺もなかったとばかり書いてきた」と訴えた。今から十余年前のことだ。「こんな嘘つきにピューリッツァー賞は似合わない」と。 コロンビア大のフォン・ハーゲン教授が調査し、「ウクライナの惨劇まで否定して米国に誤ったスターリン像を植え付けた。記者の道を踏み外したことは明らか。賞の撤回がふさわしい」と断じられた。 人の道を踏み外したダワーが第二のデュランティになる日もそう遠くはないと思う。

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    在日外国人はエセ反差別提唱者とは距離を置くべきである

    に毎週路上に出てきてしまうのですから、カウンターデモをせざるを得ない状態になっています。明らかに、無慈悲な鉄槌が下されるべきです。 しかし、一方で「カウンターデモ側」の一部の分子はレイシストを制圧するためにたびたび暴力事件を起こしたり、ネット上で反対意見を持つ人を見つけては「サブカル」などという言葉を用いて言論弾圧するなど過激な手法が目に余るようになり、批判も増えています。一説では最近、在特会との裁判で、在特会側の傍聴人に暴行を加えたという情報もあります。このような、暴力団によって治安が維持されているような状態は健全ではないと思います。ヤクザAをヤクザBが鎮圧したからといって、ヤクザBを素直に支持できるでしょうか? こうした暴力的な方法論については既に多くの人が論理的に指摘をしていますが、私はさらにこのムーブメントに賛同したり関わっている一部の人物の思想について疑問視しています。それは「どっちもどっち論」などという生ぬるいものではありません。「証拠」をもって問いかけたいと思います。 まず前提として在日コリアンは、朝鮮学校通学歴の有無にも大きく左右されるところがありますが、さまざまな民族構成要素(言語、血筋、生活習慣、地域の共通性、共同体意識など)のうち共有するものが少なく、その立場や志向性、自己形成の過程は千差万別です。帰化をしていないだけで内面は日本に帰順している人、またはその逆もいます。ニューカマーもいます。そのため外野が在日コリアン社会について語る場合、その中の一側面だけを抜き出して賛美したり、こき下ろしたりするのは間違いです。 その理由と背景を主に2つ挙げます。 在日コリアンは南にルーツを持つ人が99.9%、北にルーツがある人は0.1%ですが、約2000万人の離散家族を生んだ朝鮮戦争に翻弄され、南出身でありながら北を支持した人、またその逆もいます。長年、北を支持していた人が南の故郷にいる家族が危篤であると聞き、最期を看取るため泣く泣く朝鮮総連を脱退した例もあります。このように在日であっても本国、そして南北を完全に切り離して論じることは不可能です。 アイデンティティの拠り所もさまざまです。国家と民族観は別であるという指摘もありますが、若い世代でも本国の人たちと感情や立場を部分的に共有することで、アイデンティティを保とうとする人も明らかに存在します。本国の人と交流が深まるほど、彼らが大切にしている事柄――例えば政治理念や歴史認識、国家観など――を同意はできないまでも、尊重したいと思うようになります。そこで人間関係が構築されるからです。それは北であろうと南だろうと同じです。 ところがです。 最近、海外にお住まいで「反差別論客」と世間に認識されているであろう方がネットニュース上で、「ヘイトスピーチをぶっ壊せ」と言いつつ「北朝鮮はネタ国家」という意趣のヘイトスピーチを行っているのを目撃したうえ、さらに「カウンターデモ」の指導者からは直接、ネット上で「サブカルライター」「箱庭で生きているのか」などという聞き捨てならない発言を受けたのです。 「正体見たり」と言ったところでしょうか。 仮にも反差別を標榜しておきながら、差別から保護する対象が属する状況や精神世界を否定するような罵りやレッテル貼りを行うのは理解に苦しみます。特に、北朝鮮問題のライターとして活動している私に「サブカルライター」とは「北朝鮮=サブカル」とおっしゃっているも同然ですし、「箱庭」というのも首を傾げます。数十万人の在日コリアンが、数十万通りの努力と方法で自己の地位向上に努めるのは、暴力的カウンター行為に劣るとでも言うのでしょうか? 被差別階級の全員が表に立って「痛み」を一身に引き受けなければいけないのでしょうか?  さて、ここでは実際に「ネタ国家」で「サブカル」であるかどうかは論点ではありません。 互いの違いを尊重するのが、アンチレイシズムの原則です。私も個人的にイスラム教が苦手ですが、アラブ系の人に対し「お前らの宗教はサブカル」だなどと言いません。よく知りもしないのに、「シーア派はいいけど、スンナ派はネタ宗派」なんてことも言いません。 このような人々のいう「在日の友人」とは、一体誰のことでしょう。実在しているのでしょうか? おまけに、レイシストの矢面に立っている朝鮮学校のコンセプトを否定していることにもなりますが。 知識不足から来るものであったとすれば、認識を改めて頂きたいと思います。 後に知るところによると、どうやら彼らにとって「サブカル」の定義は「何も行動しない傍観者」とのことですが、そうやって語彙を歪曲して用いた責任を、相応に取って頂いた次第でございます。日本人なら、もしくは日本で育ったなら、今後は日本語を正く使っていただきたいものです。まあ、日本語じゃないんですけどね。そして私は生まれながらの当事者であり傍観者ではありませんので、いずれにしろ意味が通りません。 そして朝鮮学校および在日コリアン社会でも当然ながら、イジメや差別主義者は存在します。 そんな中「いやいや、あんたも日本人差別してるだろ」と思う場面もありましたし、一部の人たちが同胞に対しソーシャルレイシズムを行う場面も見てきました。私も受けたことがあります。同族であろうとも容姿、職業、性別、学歴、パーソナリティなど差別の下部カテゴリは無数にあることを実体験から学んだだけに、民族・人種差別に「のみ」固執する人を懐疑的に見てしまうのです。「偽善者&レイシストに国境なし、真に粉砕すべき者は誰であるのか皆さんも既にご存知だと思います。もちろん、自分自身にも差別感情がないと言えば嘘になりますので、偽善で隠すのではなく上手く折り合いをつけていきたいと思っています。 ともかく、危険思想を隠し持つ人と共闘するのは正しい生存方式ではありません。特に在日コリアンは1950年代、日本の政争に加わり破壊活動を行った数万人のせいで、その他大勢の普通の人までもが不利益を被りました。「血のメーデー事件」(1952年)で日本共産党の前方部隊として火炎ビンを投げていた在日本朝鮮統一民主戦線の二の舞になることはありません。時代が違っても本質は同じだと思います。そもそも、レイシストなどをまともに相手すると、逆に彼らをますます先鋭化・理論化させ、より立派なレイシストに育成してしまうことになります。 さて、長々と語ってしまいましたが私ごとき一介の旅ライター、リバタリアンの遊び人、このような話題に言及するのは最初で最後とし、通常の活動に戻らせていただきます。ちなみにこの駄文については、賛同などより「お前に言われなくても、とっくに知ってるわ!」という批判をいただけると大変うれしく思います。

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    朝日の責任逃れのお先棒を担いだ「報道ステーション」

    た(以下略)》(14年9月12日) 武士の情けなのか、この産経新聞の記事は、報ステの姿勢に対して実に慈悲深い。そもそも、朝日新聞が慰安婦問題における吉田清治証言を虚偽であり記事は誤報であるとの訂正が8月5日の朝刊に掲載されてから9月11日に報ステがこの特集を放送するまで、実に37日が経過している。その間、各メディアが朝日の責任を厳しく追求する中で、報ステはこの大事件についてただの一言も視聴者に報じてこなかった。司会の古舘伊知郎は、この隠蔽や情報操作と言われてもやむを得ない呆れた番組の姿勢について、その意思決定者についても責任についてもひと言もなかった。古舘は、「『なぜお前は報道しない』と毎日頂きました。毎日取材を続けていました」と、プロの報道関係者とも思えぬまるで幼稚園児のような言い訳だけでお茶を濁し、追求逃れを図ったのである。 テレビ朝日が、報道機関にあるまじきプロパガンダ団体にすぎないことは1993年、テレ朝報道局長椿貞良が「なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」と発言した「椿事件」ですでに明らかだ。報ステの特集に呆れるというのも今更感はある。ジブリアニメ「天空の城ラピュタ」の登場人物である海賊のドーラに「当たり前さね。海賊が財宝を狙ってどこが悪い!」という名言があるが、さしずめ「当たり前さね。朝日が捏造してどこが悪い!」というところだ。 報ステが過去、「捏造」や「偏向」との批判を受けたことはまさに数知れない。07年9月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で、実際の参加者数を数倍に水増しし「11万人が参加」と報じ批判を受けた際には、10月4日に古舘自ら「仮に2万人だったとして、なにがいけないんですかねぇ」と、反日のためなら嘘をついてもかまわぬとのまるで支那や北朝鮮そのままの恐ろしい本音を吐露している。 そもそも、この日「朝日新聞社長が謝罪会見 原発特ダネ記事を取り消し」とのトップニュースから始まった報ステは、朝日新聞の「ガキの使い」とでも言わざるをえない程度の杜撰なシロモノであった。社長の責任問題について古舘は「社長自身に関しては会社内の改革を終えた後に進退を決めるという〝ニュアンス〟を発表」などという戯言が登場する始末。社長への批判など一切なく、新聞社のトップとして責任をどう取るのかどうかの重大事を「ニュアンス」などという曖昧模糊とした言葉でごまかし、それを〝発表〟ともっともらしく取り繕う。とてもではないがニュース原稿とは言えない。2万人の参加者を11万人に水増ししたニュースも「ニュアンス」として垂れ流しただけだったのかもしれない。 08年、報ステの番組関係者が逮捕された際には、同年8月14日の放送で河野明子アナが「東京都内のテレビ番組制作会社の社員らが、社内で大麻を譲り渡しているなどとして逮捕されていた事が分かりました」と、身内が犯人であることを隠蔽して他人事のような態度を貫き通したことさえあった。政府や企業などの他人に対しては異常に厳しく雪印に至っては廃業にまで追い込みながら、自分や身内には甘いという卑劣な体質は、今に始まったことではないのだ。 大体、世間では「あの朝日新聞が、さらにはあの報道ステーションが謝罪した!」と驚く向きもあるようだが、事実は謝罪からは程遠い。報ステの「謝罪」にしても、朝日新聞の「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわび申し上げます」との謝罪文を紹介した程度にすぎない。旧日本兵を強姦魔扱いし、旧日本軍を女衒か置屋であるかのようなプロパガンダを行ったことも、それによって日本人全体の名誉を傷つけ日韓関係を毀損したことにも、なんら謝罪していないのだ。 それどころか、特集中では、いわゆる国連人権委員会の「クマラスワミ報告」(1996年)で知られるスリランカ人の特別報告官ラディカ・クマラスワミにインタビューを行い、彼女のこんな主張を紹介しているのだ。 「吉田証言はほんの一つの証言にすぎません。独自に行った聞き取り調査などに基づき、慰安婦には逃げる自由がなく性奴隷と定義したのは妥当。報告書の修正は必要ありません」 つまり、朝日新聞の誤報など大したことではない、日本人が強姦魔だったという「事実」には何の変わりもないというわけだ。悪質! 印象操作を暴く このような、「ニュアンス」だけで日本を悪魔化し謝罪とも言えない言い訳とごまかしに終始した番組づくりについては多くの批判が出ている。「報ステ・古舘氏の『慰安婦検証報道』批判 論調は朝日が検証記事で主張した中身と同じ」と題した9月12日付のJ‐CASTニュース(ニュースサイト)でも、「番組の論調は、朝日が検証記事などで主張していた通りになっていた。番組では、強制連行があったとまでは言えないものの、広義の意味における慰安婦への強制性はあったということを繰り返し紹介していたのだ。古舘氏は、強制性があったとする河野談話を擁護する立場も明確に宣言しており、これに対し、ネット上では、慰安婦問題はどの国でもあったのになぜ日本だけが悪いということになるのか、などと疑問が出ている」と批判的に報じている。慰安婦問題を取り上げた朝日新聞の記事(手前が昭和58年10月19日付、奥が同年12月24日付)  報ステの謝罪や反省とは無縁な卑劣さは、古舘の「私としても、番組としても、元官房副長官である石原信雄さんの証言は非常に重いという立場を取っております。従って、強制的あるいは強制性と表現できる様々なことがあったという立場を取っております」という発言からも明らかだ。 特集中、「性奴隷」の「強制連行」を事実であると認定したクマラスワミ報告についてクマラスワミ本人の弁明を紹介しその正当化に加担したばかりか、その直後に93年のいわゆる「河野談話」作成に携わった石原のインタビューを持ってきて「最終的には慰安所の運営につきまして深く政府が関わっておったと、それから慰安婦とされた人たちの輸送とかについても政府が関わったと。輸送について安全を図ってほしいとかあるいは慰安所の運営について衛生管理あるいは治安の維持をしっかり頼むという趣旨の文書は出てきたわけですね」との石原の発言を取り上げた。そこに古舘は「強制性があった」と強弁したのだ。あたかも石原が吉田証言そのままの「性奴隷」の「強制連行」を認めて河野談話を作成したかのように視聴者を混乱させようと意図していたような番組構成だ。そればかりかわざわざテロップで、河野談話当時の政府関係者の「河野談話の焦点は〝日本軍が強制連行したかどうか〟ではなかった」との発言を強調した直後、「女性たちが〝意に反して集められたかどうか〟が焦点」と表示した。どのように「意に反して集められたか」については何ら証拠を紹介することなく、あたかも「意に反して日本政府や軍が性奴隷を奴隷狩りのように狩り集めた」と視聴者が勘違いするように仕向けていたのである。 問題はまだある。韓国ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に行われている韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺身協)によるデモを紹介し、挺身協の元代表で慰安婦問題を作り上げた責任者である尹貞玉(ユン・ジョンオク)にインタビュー映像で「吉田氏の著作は読んだし会ったこともあるわ」と語らせた直後、「91年に初めて名乗りでた元慰安婦金学順さん」の映像を流し、さらにインタビュアーの「吉田さんの本が出たことによって慰安婦の方が名乗り出やすくなったか」との質問に、尹が「それは違うと思います」と答えるやりとりを放映したのだ。吉田証言と韓国の慰安婦問題への受け止めはまったく別ものだと視聴者に印象付けるイメージ操作である。吉田の著作は92年7月に韓国政府が公表した慰安婦の実態調査報告書にまで引用されている。吉田証言は韓国の対日非難・攻撃の材料だったのである。この悪質さは、北朝鮮のテレビ番組と見まごうばかりだ。 特集の最後を、朝日新聞論説委員恵村順一郎はこう締めくくった。「朝日新聞の慰安婦報道に誤りがあり、それを長く正してこなかったことについて、私自身もお詫びしなければならないと思っています。同時に、目を背けてはならないことがあると思っています。それは、慰安婦の問題というのは消すことのできない、歴史の事実であるということです。旧日本軍の管理の下で、自由を奪われ、人権や尊厳を踏みにじられた女性がいたことは確かなことなんです」 真摯を装い、会社(朝日新聞)を擁護する。こんな醜悪な言い逃れを真に受ける者は、もはやおられまい。報道ステーション、いや、テレビ朝日に羞恥心だけでも残っているのであれば、「報道」の看板を自ら下ろし、「妄動ステーション」とか「騒動ステーション」とでも改名してはいかがであろうか。