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    「報道の自由」不信を生んだ日本の古きジャーナリズム

    ことである。詳しくは拙著『メディアと自民党』(角川新書)などを見て欲しいが、日本の政治とメディアは、歴史的な発展過程のなかで緊密な関係を形成してきた。そのあり様のことを指している。ネガティブな側面が指摘されることが多いが、後述するように、受け手とメディアのあいだで十分に価値観の共有がなされていた時代には、ポジティブに機能することもあったというのが筆者の認識だ。 「規範のジャーナリズム」とは、このような政治とメディアの関係を踏まえて、大所高所から政治や社会のあり様について、特定の価値観のもとに政治や生活者がどうあるべきかという指針を提示する、やや図式的にいえば「速報、取材、告発」を重視するジャーナリズムのかたちである。情報の受け手とメディアに共有されていた価値観 言うまでもなく、ジャーナリズムの存在理由のひとつは権力監視にある。しかし、日本の政治とメディアでは、佐藤栄作元総理の首席秘書官を勤めた元産経新聞政治部の楠田實や読売新聞主筆の渡邉恒雄の回顧録を引き合いにだすまでもなく、双方に対して間接どころか、ときには直接的な影響力が行使されていたことが知られている。東京ドームで試合を観戦する渡辺恒雄・読売新聞主筆(手前左)、森喜朗元首相(右隣)ら=2015年5月13日午後、東京都文京区の東京ドーム(撮影・大橋純人) それでも、情報の受け手とメディアのあいだに一定の価値観の共通がなされていた時代には、読者はその媒体を「信頼」することができ、その信頼を基盤とした「表現」と「ジャーナリズム」が可能だったと思われる。紙幅の、あるいは放送時間上の強い制約を受けるため、接続詞、主語、目的語、論理などを省略化しようとするし、簡略化した発言が好まれる。 メディアと情報の受け手のあいだの価値観の共有が省略化された前提を、「適切に」補完することで、「規範のジャーナリズム」にも合意できた。合意できない場合には、別のメディアを手に取ればよいのだから、直接的な違和が表明される機会は乏しく、実質的に媒体ごとに特定の価値観共同体が形成されてきた。 しかし、現在では、その基盤が大変脆弱なものとなっている。若年世代は新聞を読む機会をもたず、メディアもコンテンツをばらばらに、自社やニュースポータルを経由してネット配信する。そこでは、従来的な意味での価値観共同体は存在しないが、記事の大半は伝統的な製作方法に由来して作られている。適切なニュアンスの補完は働かないし、前提とした宛先とは異なったコミュニティに届いてしまう「誤配」も生じてしまう。 多くの生活者は、日本の初等中等教育課程における、実効的で実質的な政治教育のカリキュラムの不在や、社会教育の機会の不備によって、メディアが伝える政治や社会問題を読み解く素地を形成できているとは言いがたい状況にあった。こちらも、戦後の日本のメディアの「復興」過程と、現在の教育基本法第14条の政治教育のあり方(かつての、いわゆる「8条問題」)についての歴史的な側面が強く影響している。 簡潔にまとめると、生活者にとって、平易に読み解くための素材(情報)と道具立て(論理やフレームワーク)が乏しいメディア、とくに古典的なマスメディアが提供する情報環境のなかで、大上段の命題と「べき論」中心のコンテンツに慣れ、ときに過剰なメディアへの信頼・不信頼・対立や、社会や政治の問題それ自体から目をそらし続けるという誤った耐性が生まれてしまっている。 また私的生活におけるコストの観点からして、すべての生活者が日常的に権力を監視し続けるというのは、あまり現実的に思われない。政治と生活者が直接対峙するのではなく、やはり第三項としてのメディア、そしてジャーナリズムの役割は大きい。 ただし、日本のメディアはメディア環境の変化に対応できていないがゆえに、生活者から、やや過剰に信頼を失い、そのいっぽうで、状況への適応を進める政治との緊張関係のなかで劣勢に、また従属的な地位にはまり込もうとしているように見える。規範から「機能のジャーナリズム」へ 筆者の主張はこうだ。メディア環境の変化を理解し、それらを踏まえ実効的な権力監視の役割を果たす「機能のジャーナリズム」へと変化する必要があるのではないか。あえて対立的に記すと、「整理、分析、啓蒙」を重視する必要があるように思われる。近年、情報量は格段に増えたが、文脈は断片化し、またメディアが前提としてきた価値観共同体も遠くない将来に消え去ることが自明になりつつある。 そのような時代のジャーナリズムは、無数にある情報のなかから価値あるものを取捨選択して整理し、定量的、定性的な分析や比較、解説を加え、生活者がそのコンテンツを受け取るまでのインターフェイスや表現の形式までをデザインすることで現代的な啓蒙を試み、政治との新たな緊張関係を取り戻すことを期待したい。 そのうえで、冒頭のたとえば、「世界報道自由度ランキング」の結果をどのように評価するか、私見を提示しておくことにしたい。2015年に日本は61位という過去最低の順位を記録した。実はランキングの低下はいまに始まったことではない。2011年の東日本大震災と福島第一原発事故をきっかけにしている。2012年は22位、2013年53位、2014年には59位と順位を下げ続けてきたのだが、2015年にとうとう過去最低の数字を刻んだのである。 比較のために幾つか他国の順位も挙げておくと、1位フィンランド、2位ノルウェー、3位デンマークと最上位には北欧諸国が並んでいる。カナダ8位、ドイツ12位、イギリス34位、フランス38位、アメリカ49位、韓国60位と続く。いずれにせよ、この基準に照らすと日本の報道をめぐる状況は、OECD加盟34カ国のなかでは、もっとも低い水準にあると評価されていることになる。 もちろん「世界報道自由度ランキング」の評価方法についてもこのランキング特有の評価の傾向があるから、「世界報道自由度ランキング」を偏っていると見なすこともできるが、この基準それ自体はさほど大きく変化していない。それを踏まえれば、重視するか否かはさておくとして、日本は民主党政権の時代から、第2次安倍内閣にかけて一貫して順位を下げていることになる。したがって、この間に生じたメディア・イベント、なかでもメディアと政治に関係したメディア・イベントが、日本の報道の自由を引き下げるものであったと対外的には評価されたといえる。 一般にこうした国際ランキングにおいて、低位に甘んじていることが、日本と日本のメディアにとって愉快なはずはないし、メリットが有るとも思えない。だとすれば、政治も、メディアも改善の措置を講じるべきだと思うのだが、どうだろうか。

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    秘密保護で抑圧?国家機密の前にメディアは無力なのか

    れた国防、外交における機密である(福田,2010)。ペンタゴン・ペーパー事件やウォータゲート事件など歴史的な事件を経て、アメリカ政府とメディアの対立と緊張関係がもたらすダイナミズムの中で、アメリカの報道の自由は維持されている。 イギリスにおける公務機密法では、国家機密を漏えいしたものに対する処罰が規定され、政府とメディアの間で安全保障をめぐる報道について調整するDAノーティス制度が存在する(福田,2009)。DAノーティス制度においては、イギリス軍の作戦・計画・能力について、イギリスの安全保障・情報機関・特殊部隊についてなど5項目に関連する報道がなされる場合に、事前にDPBACという機関において政府とメディアの代表が報道について検討、審議しなければならない。 アメリカやイギリスのような先進国においても、安全保障やインテリジェンスなどに関する報道については、政府とメディアの間に緊張関係が存在する。安全保障など社会的危機をめぐる政府とメディアの対決と克服によって民主主義が運営されている。 ジャーナリズムの重要な役割のひとつは権力の監視機能である。それは民主主義社会における極めて重要な機能であり、報道の自由や市民の人権と結びついている。著者が所属した日本大学新聞学研究所が実施した「日本のジャーナリスト1000人調査」においても、ジャーナリズムの重要な機能として、日本のジャーナリストに多く挙げられたのが「正確な情報提供」(42%)と「権力の監視」(40.3%)であった。ジャーナリズムの国際比較調査においても、各国のジャーナリストの中でこの権力監視機能の重要性は指摘されている。 しかしながら、その反面で国家の安全保障において国家機密の情報保全も極めて重要な活動である。それは国民の安全・安心を守るために必要不可欠な機能を有している。この「安全・安心」の価値と、「自由・人権」の価値は市民社会において重要な役割を果たしていて、どちらか一方だけが優先され、どちらか一方が破棄されてよいものではない。つまり、報道の自由や人権を守るために国家機密の情報保全に関する法制度が未整備のまま放置されてよいわけではなく、反対に、国家機密の情報保全のために報道の自由や市民の人権が損なわれてよいわけではない。この「安全・安心」の価値と「自由・人権」の価値がバランスよく運用されるための、インテリジェンス、テロ対策、安全保障の制度のあり方を議論する必要がある。 「報道の自由」がどうあるべきか、その問題を考えるひとつのテーマとして、これまで日本では議論がなされてこなかった、この安全保障やインテリジェンス活動とメディア報道の問題について、根本的な議論を始めなくてはならない。【参考文献】福田充(2009)『メディアとテロリズム』(新潮新書)福田充(2010)『テロとインテリジェンス~覇権国家アメリカのジレンマ』(慶應義塾大学出版会)福田充(2015)『「報道の自由度」ランキング、日本はなぜ61位に後退したのか?』https://thepage.jp/detail/20150304-00000004-wordleaf日本大学新聞学研究所編(2007)『日本のジャーナリスト1000人調査報告書』.Shinji Oi, Mitsuru Fukuda & Shinsuke Sako (2012) The Japanese Journalist in Transition: continuity and change, "The Global Journalist in the 21st Century". David H. Weaver, Lars Willnat(ed.), Routledge.

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    報道の自由度ランキングはどう偏っているのか

    ジアに相対的に寛大で、フランスのNGOが旧ソ連地域に相対的に寛大だという傾向には、納得できる。政情や歴史的経緯、地政学的な関係等が影響しているのだろう。表:ランキング順位差(国境なき記者団 - フリーダムハウス)の地域別平均ユーラシア       -14.8位(かなり優しい)サブサハラ・アフリカ  -7.7位(優しい)北中南米        +1.4位(ほぼ同程度)中東・北アフリカ    +1.5位(ほぼ同程度)ヨーロッパ       +5.7位(厳しい)アジア太平洋      +13.8位(かなり厳しい)注:()内は、フリーダムハウスと比較した場合の国境なき記者団の相対評価。 とは言え、地域ごとの平均がマイナス14.8位やプラス13.8位だと言われても、それがどの程度の偏りなのか、あまりピンとはこない。 そこで、これを分かりやすく見るため、179カ国の順位差の分布を所与の確率分布と見なし、ランダム抽出による出現確率をシミュレーションにより概算してみた。 結果は、ユーラシア12カ国の平均が-14.8位以下となる確率が約0.26%、アジア太平洋32カ国が+13.8位以上となる確率は約0.034%である。 どちらも、かなり低い確率だ。比較して分かること このように二つの「報道の自由度(ランキング)」を比べることで、どちらが正しいか分かるかというと、そうではない。そもそも、どちらか一方が正しいというようなものではない。 日本に関して明らかに言えるのも、「誰がどのような方法で計測するかによって、同様の指標で72位にもなれば33位にもなる」ということくらいだろう。 だが、身も蓋もない言い方になるが、こうしたランキングに一喜一憂するのが如何に馬鹿らしいかということだけは、分かって頂けるのではないだろうか。【参考記事】■日本が先進国で最下級だという「幸福度」ランクについて、みんなが勘違いしていること。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/48183188-20160325.html■日本代表FW岡崎慎司のレスター優勝で賭け屋が大損した、本当の理由。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/48557339-20160509.html■日本がギリシャより労働生産性が低いのは、当たり前。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/47352836-20151229.html■軽減税率で一番損なのは誰か、分かりやすく解説してみました。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/47171441-20151211.html■映画『マネー・ショート』を見ていて混乱するのは、「空売り」を予習したせいだ。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/48046767-20160310.html

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    国連特別報告者、反日の系譜

    ある。 アメリカの学界にもこのケイ氏の今回の動きを不適切だとする意見がある。ウィスコンシン大学の日本歴史研究学者のジェーソン・モーガン博士は次のように述べるのだった。 「ダデン氏はアメリカ学界全体でも最も過激な反日派であり、韓国の利益を推進する政治活動家としても知られる。国連特別報告者の肩書きを持つケイ氏がそのダデン氏との密接な協力を露呈した今回の『対話』はアメリカ学界の安倍叩き、日本叩きの勢力がその政治目的のために国連をも利用している実態を示したといえる。明らかに日本や日本語を知らないケイ氏がわずか1週間の滞在で日本の報道や政治の全容をつかむというのは不可能であり、この種の日本断罪は不公正であり、傲慢だ」 さあ日本側がどう対応するか。日本の報道界も無関心ではいられまい。

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    画一的じゃ日本人は「世界の役立たず」 将来の教育は実学しかない!

    は、「日本教職員組合(日教組)」が多分に害を及ぼしてきた戦後日本の教育体制が、日本民族の特質や我国の歴史・伝統といったものを踏まえ、独創性を重んじた物の見方・考え方を育てるようなものになっていない、という部分に根本的な問題があるのだと思っています。 これまでも私は、日本の小中高を通じての所謂「暗記教育」に対し、当ブログでも度々批判的見解を述べてきました。それは、丸暗記というのを一概に否定するものでなく、要は暗記とテクニックで高得点を稼ぎ得る、英国社数理中心のペーパー試験偏重体制に大きな疑問を感じるからです。 ある意味答えのない問題に対し如何に答えを出して行くかというところで、その人の思考力や知恵といったものが最も顕れてくるわけです。教科書を絶対的基準として教科書の記載事項を暗記するだけで大体点数が取れるという画一化した教育から、日本は一刻も早く脱しなければなりません。 初代ドイツ帝国宰相のビスマルクも、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言っています。そういう歴史を学び一つの大きな歴史観を持って物を考えて行くという姿勢が、戦後教育の中で非常に御粗末に扱われ等閑になってきたのではと思われます。 嘗ても『歴史・哲学の重要性』(11年6月2日)につきブログを書いたことがありますが、私の経営の発想にあっても実は哲学や歴史から学ぶことが物凄くあります。現在のように歴史観を殆ど養い得ずオリジナリティを啓発し得ない教育が今後も続けられ行くようであれば、日本人の思考力や知恵といったものが十分に発揮され行くことはないでしょう。 歴史や哲学あるいは「人間如何に生くべきか」といった基本をきちっと学び、人物を育てるような教育体制を早急に確立して行かねばなりません。人間的魅力がどこから出るのかと言えば、社会性を十分に認識した上での正しい倫理的価値観を有した主体的な考え方や生き方です。そうした類を磨かねば、人間的な魅力は出ないのです。その魅力が出てきて初めて周りに人が集まるようになり、何らか事を成し遂げることも出来るようになるのです。一芸に秀でるような人材を創出せよ 此のグローバルの時代、日本民族固有の特質を無視してグローバルなど有り得ません。之をベースにしてこそ、日本はグローバルに貢献することが出来るのです。四海に囲まれた日本という島国はある意味隔離されており、日本人はそうした地理的な条件下で独特の文化と能力を持ち得ました。 日本の歴史を見るに、例えば漢字が百済を経て入ってくると、それを読み熟した上でその中国語に返り点を付け、日本語として読めるようにしてしまいました。更には漢字を変形してひらがなを作り出し、ポルトガル語等の外来語を表記するため、カタカナも発明しました。こうした外国文化を短時間で吸収・発展させる能力に、日本人は素晴らしいものがあります。 日本は、古来神道という八百万の神を崇拝するアニミズム的な宗教がありました。之は系統立ったものでありませんが、非常にフレキシブルで他の宗教が入って来ても、同化して取り入れてしまいました。日本人は、仏教も儒教もそうして取り入れたのです。また、奈良の大仏の鋳造技術は物凄く高度な技術の結晶ですが、それもアッという間に身に付けました。1543年に鉄砲が種子島に伝わりますが、それもまた瞬く間に当時世界一の鉄火器装備率にまで達してしまったとも言われます。 このように日本人は排他的にならず、異質なものを在来のものと混在させ、より良きものを作り出す能力に長けています。此の能力は、明治維新後も如何なく発揮されました。西洋にキャッチアップする過程もアッという間で、列強の一国となり日清・日露の戦いに勝ちました。そしてあの大戦の後何も無い状態から、GDP世界第二の経済大国にまでなってしまったというわけです。 日本人は色々なものを受容・変容し、消化・改善して発展させてきたのです。我々は、考えられないような能力を秘めた民族であります。だからこそ我国の歴史を見直してみるべきで、もう一度「ナショナル・ヒストリー」「ナショナル・トラディション」をちゃんと勉強し、それを踏まえて民族固有の特質を見出し、それを発揮させながら此のグローバルの時代、如何にして世界に羽ばたくかを考えねばなりません。 同時にまた此の21世紀、日本という国が創って行こうとする世界を支え行く人材の確保・育成という観点からは、常に教育は実学を中心に徹底すべきでありましょう。4年3ヶ月前のブログ『日本教育再考』でも指摘したように、日本の将来の産業構造が一体どういうものかを先読みし、ポスト・インダストリアル・ソサエティ(脱工業化社会)において一体何が大事になるかという観点で教育を捉え直し、そしてそうした大事なものを教育上優先するような体制を敷いて行くべきだと思います。 例えばデジタルの世界で述べるならば、今後益々「シンカ(深化・進化)」し更に大きな世界になって行くのは間違いありませんから、その世界の真髄を理解し本当にコンピューターを使い熟せるような人間が指導に当たり、実学として実用に供せられるようして行かねばなりません。 仮に私が文科相であったらば、第一に一芸に秀でるような人材を創出すべく、科目選択制を基本にし総花的教育をやめます。道徳・歴史・哲学(思想)といったものだけは、必修とします。第二に実学を基本とする、例えばIT関係の起業家や実業家をどんどん招聘して授業を行って貰うというような形にします。無能な教師により何の役にも立たない教育が行われるのでは、日本の将来が危ぶまれます。第三に成績優秀者には出来るだけ若い間に留学を少なくとも2年位はさせ、多様な文化の中で生活させます。 日本の英語教育というのは一言で言えば、リスニングもスピーキングも殆ど出来ない人間が英語教師として指導に当たり、死んだような文法を中心に教え試験ではペーパーテストだけを行うものでした。つまりこれまで日本では、死んだ学問として英語教育がなされてきたのです。そうした馬鹿げた教育と同じ轍を踏んではなりません。 上記したデジタルの世界のみならず、各分野でオリジナリティ溢れるものがどんどん創造されるような形にすべく、どうすれば良いかを考察せねばなりません。取り分け中学校以降こうした方向に基づいた教育を本格実施して行ったらば、様々な才ある人が新しい事柄に挑戦して行くようになるのではと今思う次第です。(公式ブログ『北尾吉孝日記』より2015年10月13日分を転載)■ 北尾吉孝氏の公式ツイッター 公式フェイスブック

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    子供にとってより良い教育とは? 寄宿塾「はじめ塾」を通して考える

    ・家族も翻弄され、本当の幸せが何であるのかを見失っている姿が目立つようになっています。80年以上もの歴史を持つ寄宿生活塾「はじめ塾」は、様々な子どもたちが自分達らしさを取り戻して“したたかに”かつ“しなやかに”生きる力を身につける場になっています。 今回は塾生および元塾生の座談会から、はじめ塾との関わりによって彼らの糧になったものを感じていただきたいと思います。はじめ塾にて“いただきます”をしている夕食の風景。右側手前の5人が塾長夫妻(正宏さん&麻美さん)と夫妻の子供達寄宿生になったきっかけひろじ(中学3年生男子):もともと都内の大学附属の進学校に通っていて、今とは全然違う生活でした。小学4年生ぐらいまではおとなしくて真面目に勉強するタイプでしたが、高学年になっていつも同じ仲間と部屋にこもって悪い遊びやゲームばかりするようになって、成績はどんどん下がって、学校もつまらなくなりました。そして中学1年生の途中から不登校になったのを父親が心配して、はじめ塾に連れて来てくれました。 正宏先生の奨めに従って、まず体験入塾をしました。都会生活の経験しかない自分にとって初日から驚くことばかりでした。例えば、「色々な人が塾をいつも出入りしている」、「僕と同じ年頃の子達が食事を作っている」、「農作業までやっている」。みんな自分から用事を見つけて動いているのに、何をすればいいのかまったくわからなくて困りましたが、初対面の僕にみんながフレンドリーに接してくれたので助けられました。1年前には考えられなかった生活で、自分でも少しずつ「生きていく力」みたいなのが付いてきたように思います。なつみ(中学3年生女子):兄がはじめ塾と関わっていたので、小学生の頃から学習会や稲刈りに参加していて、6年生の終わりには「大人になるための準備講座」にも参加しました。仲良くなった女の子に会えるのが嬉しくて合宿にも参加するようになりました。最初のうちは寄宿生のように動けなくて遊んでばかりいました。家だったら親から注意されるのに、ここでは誰からも何も言われなくて、いいところだなあと感じていました。塾長の正宏先生と塾長の奥さんの麻美先生には小さなお子さんが3人いて、その子達と一緒に過ごすのは楽しいなあとも思っていました。 友達とのトラブルがきっかけで中学1年生の後半から学校に行かなくなって、はじめ塾に通うことが増えました。通塾ではなくてみんなと生活してみたいという思いが強くなっていた頃に「寄宿してみる?」と言われて、めちゃくちゃ嬉しかったです。今、寄宿して半年なので、まだまだ分からないことも多いですが、塾での生活にもだいぶ馴染んできました。塾を巣立つ子供達を祝う会に向け、たこ焼き作りに励む子供達うらら(高校3年生女子):私も2人の兄が先にはじめ塾と関わっていました。幼稚園の年長だった頃、母と兄達と一緒に夏期日課に参加することになって、市間の合宿所に着いた途端、大きなお兄さん達が目の前に群がってきたのが強烈な印象で残っています。母の荷物を運んでいる大きな人達の姿に、最初は怖さも感じました。遊んでもらっているうちに次第に慣れて、親の目の届かないところで思いきり遊べることが愉しくなっていきました。 小学3、4年生の一時期、合宿から足が遠のいたこともありましたが、父の仕事の都合で小田原市に引っ越したことや母が父母会の会長を務めたこともあり、はじめ塾に行くことが増えていきました。中学2年生の冬の暮れの勉強合宿で頑張り過ぎて寝込んでいた時に、自由気ままに育っていた私を心配した両親が私の横で正宏先生と話し合ってくれて、その年明けから寄宿することを決めました。ふうた(20歳社会人男子):はじめ塾との関わりは小学校低学年の合宿からです。僕も小学6年生の時に「大人になるための準備講座」に参加して、集まりの後に寄宿生と一緒に夕食をとる機会が増える中で寄宿に憧れたのがきっかけで、中学1年生から3年生まで寄宿していました。あかり(大学1年生女子):幼稚園の頃から4歳上の兄と一緒に合宿に参加していて、「なかよし合宿(小学1年生から3年生の親子合宿)」や「ジュニア合宿(小学4年生以上の子ども合宿)」に毎月行っていました。自宅から合宿所まで2時間弱の距離があったこともあり、ジュニア合宿の最初の頃はホームシックになることもありました。高学年になって反抗期を迎えて、「家を出たい」という思いが強くなった頃に母親も寄宿を後押ししてくれたので、中学1年生から2年生の終わりまで寄宿しました。 合宿で顔を合わせていたので寄宿メンバーのこともよくわかっていて、最初から抵抗なく寄宿生活に入りました。“同じ釜の飯を食べる”寄宿生活をしてみて“同じ釜の飯を食べる”寄宿生活をしてみてひろじ:はじめ塾と関わるまで料理はしたことがなくて、蒸し器に水を入れ忘れて空焚きした失敗を3度ぐらいしました。今は、麻美先生や先輩からいろいろ教わって少しずつできるようになっています。 最近は作業も好きになってきました。腕力があるので力仕事を頼まれることも増えて、経験の長い先輩よりも頼られるのを感じて嬉しいです。 実は寄宿生活に慣れるまで相当手間取って、3回ほど脱走しました。今になって、バカなことしたなぁって思います。脱走で失った先輩や仲間の信頼を取り戻すには、大きな努力が必要であることも実感しました。塾長夫妻の子供達と遊んであげている塾生失敗しても受け止めてくれる環境なつみ:塾では、十分に力のついていない人は失敗しても怒られません。失敗は成功の元だから、どんどん失敗するのが良いと言われます。私もまだまだ失敗が多くて、先輩を困らせちゃうけど、ちゃんと助けてもらえます。野菜の千切りを間違って棒切りにしてしまいサラダ用にならなくなった時でも、使い回し方や切り直し方を提案してくれるので、やっぱり先輩はスゴイと思います。うらら:私は寄宿してから、家庭との違いや通塾生と寄宿生との違いなどに戸惑うようになって、学校からまっすぐ帰宅できない日が何度かありました。夜遅くまで戻らなかった私に対して寄宿生からは厳しい反応がありましたが、正宏先生と麻美先生は翌日にはいつもと変わらずに接してくれました。どんな時でも「水に流す」というスタンスでいてくれる先生方の態度に、最初はカチンと来ました。しかし、やがて「水に流す」ことの大切さを理解できるようになりました。でも私にはまだ「水に流す」ことを実行する力がありません。 寄宿生活3年になる今では、自分なりに考えを深められるようになって、「それは違うのではないか」「どうしてそうなのか」と言えるようになりました。はじめ塾の先生方や関わっている大人の人は、そうした私の発言に対して「そうした見方もあるよね」「みんなで話し合ってみよう」と正面から受け止めてくれます。また、塾では現状を見極めた上での適切なアドバイスを貰えます。学校の先生は、学校の規則に照らした判断を優先していると感じることがあります。 勉強に対する考え方もこの3年間でずいぶん変わりました。短期記憶型の私は一夜漬けが得意ですが、この先の大学受験や就職のことを考えると、このままではまずいと思って、自分に合った方法を試行錯誤しているところです。 みんな何かしら先輩の影響は受けています。敬語や礼儀、電話の応対なども先輩の姿を真似るうちに自然に身に着きますね。ルールは必要最低限のみルールは必要最低限のみふうた:多すぎるルールは子供達が自主性と主体性を発揮する機会を奪うので、はじめ塾では必要最低限のルールしかありません。自宅ではパソコンを好きなだけ使用していた僕はパソコンの使用にルールを設けることを条件に、塾へパソコンを持ち込みました。「パソコンに溺れない」かつ「他の塾生に迷惑を掛けない」ためのルールの必要性を理解しましたが、最初は窮屈に感じました。そのうち、制限された環境でいかにパソコンを上手く利用するかを工夫するようになりました。おかげで既存の発想に頼らない視点が磨かれました(笑)。 またはじめ塾では、食事の良いバランスを維持するために甘いお菓子を控えるようにしています。しかし、家では何の気なしに食べていたお菓子をはじめ塾では少し食べられると、とてつもなく嬉しいのです。世の中の風潮と距離を保つことを修得した寄宿生は、世間の中高生が手を染めるような「悪いこと」には手を出しません。これはこれからの人生を力強く生き抜くために必要な知恵だと思います。夏期合宿にて、なたで薪を準備しつつ、釜でご飯を炊く子供達あかり:当時自分を含めて寄宿生の女子は3人だけで、私は15人近い寄宿生の男子に負けまいと必死でした。力仕事や台所仕事、テスト勉強でも「追い抜けるものなら追い抜きたい」という気持ちが強くて毎日がむしゃらでした。しかも2年生になって参加した中学校の生徒会活動が忙しくて、夕食づくりや作業の時間に間に合わないことが増えてくると、技術的なことや知識がみんなより遅れるのではないかと心配していました。そうした自分の姿を周囲が常に見て評価してくれるのが、安心でもありプレッシャーでもありました。自分のプライドもあり、自分を律した2年間を過ごせました。不自由さやジレンマをどう乗り越えるか、どう耐えるかといった精神面もしっかり鍛えられたと思っています。共同生活で磨かれる周囲との関わり方周りが頑張る姿に刺激受けて育った自主性 多くの人と共に生活するので、相手の気持ちや周囲の状況を読み取る力も相当養われたと思います。家庭にいたら親がやってくれるのは当たり前で何とも思いませんが、はじめ塾では同年代や後輩が頑張っている姿に刺激を受けて動くので自発性が育っていくと思います。うらら:確かにそうですね。自主性が育ったお蔭で、学校のように様々なスタンスの人がいる場面でも、顔色変えずに自分から率先して動けるようになりました。ふうた:僕は中学卒業と同時に家庭に戻って東京の進学校に通いましたが、同級生の思考のスケールが小さく見えました。そんななか、高校2年生の夏に、ハーバード大やイェール大の学生と日本の高校生約30人が一緒に過ごす「GAKKO」というサマーキャンプに参加しました。大半が帰国子女でいわゆるエリート教育を受けている高校生達でしたが、はじめ塾の塾生は彼らと比べて人間性の成熟度合いがなんら遜色ないレベルだと感じました。学校教育とは違うアプローチで、はじめ塾はエリート教育をしているのだと思います。いうなれば、サマーキャンプを共にした友人達は高級な餌で育った「養殖魚」で、はじめ塾の塾生は荒波に揉まれて育った「天然魚」って感じですかね(笑)。 高校時代に政治系NPOを立ち上げるなど大人と遜色ない活動をしていたと自負しているのですが、何をしても「高校生にしては」という枕詞が付くことに耐えられず、高校卒業後は大学進学の道を選びませんでした。インターネットのニュースメディアで記事の取材・編集、映像の制作などをする仕事を経て、昨年4月に博報堂出身の人と一緒に広告代理店のような会社を立ち上げ、今はクライアント企業の大きなイメージ変化をコンサルティングから制作まで一貫してお手伝いするような仕事をしています。法律をいかに変えるか戦略を練ったり、全く新しい組織を生み出すためのキャンペーンを打ったりなど、既存の価値観に囚われない仕事を展開していく上で、はじめ塾での経験が役立っていると思います。夏期合宿にてかまどで風呂沸かしあかり:自分の努力が認められたという喜びを実感したのは、中学1年生の時に寄宿生のお弁当づくりを任されたことや、2年生の夏期日課(1カ月間の夏合宿)で「食当(食事づくりの責任者)」を経験したことです。平均して50人から60人、多い時には100人以上参加する合宿の食事づくりに責任をもつ役割で、寄宿生にとっては憧れの役割です。今思えば中学2年生なのでまったく力不足でしたが、後輩にだけでなく先輩や大人にも指示を出すのは貴重な経験でした。今、卒業生の立場で食当の姿を眺めていると、当時はたくさんの人に支えられていたのだとあらためて気づかされます。 先生や大人の方が塾生の頑張りを褒めてくれるので、遣り甲斐が増します。共同生活で磨かれる周囲との関わり方共同生活で磨かれる周囲との関わり方うらら:合宿中の食事づくりでは、寄宿してない塾生や後輩などの経験の浅い人に頼むより自分がやった方が早いと思う場面があります。しかしそこを我慢して、彼らに仕事を頼みかつ自分の能力の範囲でサポートする力を磨くのは、はじめ塾での大切な学びの一つだと思います。 私の場合、食事づくりや作業はあまり得意でなくてイラスト描きが好きなので、チラシやパッケージの挿絵を頼まれることが多いです。指名されるのはけっこう自信につながりますね。ふうた:塾生はまず「えり好みをせずに色々なことに挑戦する姿勢」を修得し、次に「自分の得手不得手を理解し、自分が今できるかどうかを判断する力」を磨くというステップを踏みます。私の場合、はじめ塾で自分はできることは自分でやるという力を身につけましたが、できないことはきちんと断るという能力をあまり磨けなかったように思います。また自分でできることを自分でやってしまい過ぎると、人に頼んだり人を使ったりすることが苦手になるのかもしれません。自分の能力に見合った指導の仕方を心がけて一歩一歩マネジメント能力を身につけていくのが良いと思います。例えば、言葉だけではなく紙に手順を書いたりして、少し手間がかかっても的確に指示する経験を積むのも良いのではないでしょうか。あかり:試行錯誤すること自体が学びであって、結局は、食当が後輩に教えているのではなく、食当自身が教えられて一番学んでいるのだろうと思います。さらに食当には、自分の感情や体調と行動を完全に分けてコントロールする力も求められます。どんなに機嫌や体調が悪くても食事づくりは必要だし、自分の指示で動く人達に対して安定した態度でなければ信頼を得られません。このことは、食当に限らず共同生活という環境の中では大切な姿勢で、卒業した今でも一番意識しています。うらら:自分のように適当に力を抜くタイプと、何事にもきちんとしているタイプとの間では、どうしても感情のぶつかり合いが起こりがちです。それは当事者だけの問題だと思っていましたが、実は取り巻いている周囲にも心配や迷惑をかけることになると気付くようになりました。周囲や相手との距離の取り方を今も学んでいます。自分にとっての正宏先生と麻美先生夏期合宿でご飯を作る子供達。まだ小さな子も包丁を使う作業に挑戦自分にとっての正宏先生と麻美先生あかり:寄宿していた当時はこわかった印象が強くて、「先生」として見ていましたが、進路だけでなく何か悩んだ時に相談するのは正宏先生です。実の親には距離が近すぎて話せないことも話せて、卒業した今でも一番信頼できる大きな存在です。麻美先生からは料理のことを沢山教わりました。女性として直接的な人生の先輩です。お二人とも私にとって恩人です。うらら:正宏先生は自分のことを良く理解した上で提案をしてくれます。私は、「自分はこう思う」と意見を言った後に自分で結論を出します。麻美先生は女性同士という面で話しやすく、「こうしたら」というアドバイスではなく「私はこうだったよ」という目線で話してくれます。3人のお子さんの話をすることも多く、麻美先生のような母親になりたいなぁと思っています。なつみ:私はまだ自分の考えを口にするタイミングがわからないので、正宏先生から注意されると、理解されていないと感じることがあって心の中でイライラする時もあります。でも注意されるからこそ自分が成長できると思えるようになりました。私にとってもお二人が「育ての親」だと感じ始めているところです。ふうた:寄宿し始めた頃は、僕も正宏先生の考え方を理解できないために「一方的に怒られた」と感じることもありました。でも相手に自分の考えをどう伝えて説得するかが大切だと気付いてから、この反発は解消していきました。相手との人間関係や感情的な面に左右されるのではなく、中身の本質を的確に捉えて論理的に自分の意図を伝えることが大切だと気付きました。ひろじ:正宏先生の話は長くて内容があちこち飛ぶので、聞いていて煩わしい時もあります(笑)。でも、脱走した僕を小田原から東京まで車を飛ばして迎えにきてくれたのも正宏先生だし、不登校だった僕が登校できるように何度も中学校の先生と話し合ってくれたのも正宏先生だし、来年の受験の相談を親身に聞いてくれるのも正宏先生で、やっぱり頼りにしている存在です。ふうた:僕にとっても「第二の親」というような存在ですね。ふつう本気でアドバイスをくれる人って“親”しかいないと思います。学校の先生や友達のアドバイスがちょっとした思いつきだと感じることが、よくあります。しかし正宏先生は、本気でその当人のためだけを考えてアドバイスをくれます。現代では珍しい教育者だと思いますね、本当にありがたい存在です!あとがき 寄宿生活や合宿を通して、子供達が互いに学んだり気付いたりする様子が浮彫りになった座談会だったと感じました。 座談会で語られた「寄宿生になったきっかけ」、「ふうたくんによる高校卒業後の進路選択」から読み取れる親子の関係および「自分にとって正宏先生と麻美先生、はじめ塾はどういう存在か」やその他の箇所で読み取れる塾長夫妻と子供達の関係から、「子供を信じる」、「子供が自ら気付き行動を起こすのを待つ」、「子供の個性を尊重する」という親や先生を含む大人達の気持ちの交点が、「教育の原点」だと改めて痛感しました。また大人達が子供から多くを学べるという気持ちを持って子供との時間を共有すると、大人達も子供達と一緒に成長できることも再認識しました。 測り知れない可能性を秘めた子供達から元気を貰いました。

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    コンビニの成人向け雑誌を利用する堺市の「人権」パフォーマンス

    戦後70年あまりにわたって、幾度となく「俗悪」と批判されたり、国や地方自治体による法規制に抗してきた歴史の積み重ねがある。「2点シール止め」もまた、出版業界にとっては苦渋の決断だった。なぜなら、一冊数百円の雑誌に対してシール止めは20円あまりの工賃がかかる。文字通り、出版社が身銭を切って行っている自主規制なのだ。堺市の施策は、そこにタダ乗りしようとするものである。 加えて問題となっているのは大阪府の条例からの逸脱だ。大阪府の青少年健全育成条例施行規則では、「有害図書」の区分陳列の方法として「ビニール包装、ひも掛けその他これらに準ずるものとして知事が認める方法により有害図書類を容易に閲覧できない状態」としている。大阪府では「2点シール止め」は「その他」に該当すると判断している。これに対して、堺市のフィルムは幅12センチにも及ぶもので、雑誌・書籍の表紙の大部分が見えなくなる。府の条例から逸脱した施策が「協定」という形で議会にも諮ることなく実施されているのである。的を射ていないのはどちらだ 堺市の協定に対して日本雑誌協会と日本書籍出版協会では、3月18日にこれらの問題点を追及した公開質問状を送付した。堺市は3月31日に回答したが「協定は民間企業との間で実施しているもので、府条例からは逸脱しない」「民間の取り組みで、離脱することもできる」とし、施策に問題はなく変更はないという態度を示した。さらに、回答に先立って堺市の竹山修身市長はTwitterで「雑誌協会等の言う表現の自由侵害はF社との自主協定であり失当(註:的外れの意)です」と、半ば嘲笑するような発言を行った。二月定例会を終え定例記者会見です。提案の議案は全て可決頂きました。記者連から有害図書のコンビニ掲示、相次ぐ政務活動費監査請求、政令市十年の総括等の質問がありました。雑誌協会等の言う表現の自由侵害はF社との自主協定であり失当です。 pic.twitter.com/mcLDLNPhEM— 竹山おさみ(堺市長) (@osamit_sakai) 2016年3月25日  こうした堺市の態度は、さらに出版業界の反発を呼んだ。日本雑誌協会編集倫理委員長の高沼英樹氏は筆者の取材に「的を射ていないのはどちらでしょうか。あなたたちこそ、そうでしょうと言いたい」と怒りを隠さず、堺市の回答に対しては「声明を出して終わる問題じゃない! 徹底的にやりますよ」と話した。 回答の後、両協会では4月4日に「協定」の即刻解除を要求する声明を発表。対して、竹山市長は定例記者会見で「(ほかのコンビニでも進めていきたいという考えに)変わりない」と発言。これを受けて、両協会は新たに申入書を送付しているが、以降堺市からの返答はない。 そこで、堺市に返答しない理由を尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。 「(申入書は)特に回答を求めているのはないので、頂いたということで……様々なご意見を頂いてはいますが協定を解除する予定はありません」 堺市には、出版業界の努力を踏みにじる過度な規制が、言論・表現の自由の侵害へと繋がっていくことへの想像力が欠けているようだ。協定による施策を実施しているファミリーマートは、現在も11店舗のまま増減はないという。11店舗で成人向け雑誌を包装したことで女性や子供が暮らしやすい都市ができると、本気で考えているのだろうか。「人権問題になると、基本的に思考停止してしまう」 ここで思い出されるのが、2008年に堺市で起こったボーイズラブ(BL、主に女性読者を対象とした男性同性愛を描く作品)図書撤去問題だ。これは堺市立の4図書館がBL小説を書棚に置いていたことに対して市民から「セクハラではないか」「子どもに悪影響を与える」と苦情が寄せられたことに端を発する。これに対して堺市は「今度は、収集および保存、青少年への提供を行わないことといたします」と回答し書庫に収蔵する措置を取った。ところが、この問題が全国紙でも報道されると、今度は市民から「図書館には実に多様な資料が収集され、利用者に提供されています。それらの資料の中には、ある人にとって気に入らない資料が含まれています」となどとする批判が殺到。結局、堺市では条例の「有害図書」にあたらない、として書庫への収蔵や貸し出し制限は行わないことを決めた。平成28年度当初予算案の記者会見に臨む堺市の竹山修身市長=2016年2月10日 筆者もこの騒動の渦中で、現地を訪れて多くの関係者に取材した。市民のための図書館はどうあるべきか。娯楽本やポルノを公共図書館は収蔵すべきかなど論点は尽きなかった。だが、その中で気になったのは市立図書館の関係者に取材した時である。 「まずは、なにがBL図書にあたるのか洗い出し作業を行っています」 そう話す担当者が見せてくれた資料には、明らかにBLではないジャンルの小説までもが、いくつも記載されていたのである。そこには「とりあえず、嵐が過ぎ去るまで、なにかをやっているフリ」が匂っていた。 その匂いの正体を教えてくれたのは、日本図書館協会・図書館の自由委員会委員長の西河内靖泰氏である。西河内氏が堺市が迷走した背景として、様々な人権問題が行政闘争によって解決されてきた歴史を語り、こう指摘した。 「堺市は人権問題になると、基本的に思考停止してしまう。ほとんど正常な理屈が通らなくなってしまう行政の体質があるんです」 この時の取材から導き出されるのは、堺市では「人権」への取り組みが市民に対する大きなパフォーマンスになると行政が考えていることである。堺市はファミリーマートと協定を結んだことを大々的にアピールするが、施策を実施している店舗は11店だ。電話帳で調べたところ堺市内のファミリーマートは34店。コンビニエンスストアは288店舗である。 これだけで、堺市の行政も、出版業界を挑発する竹山市長も、本気で女性や子供が暮らしやすい街を目指しているとは思えない。出版業界からの声明、申入書にも動じないのは、言論・表現の自由に無理解だからではない。本気で「人権」のことなど考える気すら持っていないからである。 粗悪な「人権」パフォーマンスを自画自賛する堺市。きっと、市民から「協定」に対する苦情が寄せられた途端に、また迷走するだろう。その姿が目に浮かぶ。 だが、最後に歩みを留めて考えたい。社会的に「弱者」とされる側に寄り添うふりをして、錦の御旗を得たかのように振る舞う姿を見るのは、ここだけではないということを。 「弱者」だとか「被差別」とされる側と社会との関わりは、一様ではない。そこには複雑な関係が絡み合っていてなにが真なのか、回答などない。その複雑な社会や人間というものを描くためにも、やっぱり言論・表現の自由は限界まで制限されるべきではないと考える。

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    海外の厳しい性表現規制が「クール・ジャパン」に水を差す?

    す」と述べました。 日本のアニメやマンガは、諸外国よりも緩やかな表現規制のなかで創造性を発揮してきた歴史があります。規制と、表現の自由との折り合いをどうつけていくのか。今後の議論の行方が注目されます。

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    大竹しのぶ、蛭子能収、朝日新聞…反戦の耐えきれない軽さ

    稿料が払われない雑誌として知られていましたけど。(笑) 先生 一方、こちらは看過できない。保守系雑誌歴史通5月号で、安倍晋三首相のブレーンとも呼ばれた中西輝政が「さらば、安倍晋三」と決別宣言をしていたぞ。 教授 安倍総理が出した戦後70年談話が、日本の侵略戦争史観になっていて、それに反対する自分の意見を取り上げてもらえなかったから、怒っているように読めますね。しかし、総理は欧米や左派の世論にも配慮して、謝罪外交を断ち切る談話の文言を決めなければならない苦境に立っていたんです。持論が全面採用されなかったから「さらば」は、ちょっと度量が小さいでしょ。 編集者 ただ、中西先生は70年談話の有識者会議のメンバーとして、侵略戦争史観で談話をつくろうとした北岡伸一氏や他のメンバー、外務省側の官僚と闘ったんです。耐え難い思いがあったのではないですか。70年談話をおかしなものにしないために努力したのに、報告書の大勢は北岡氏や外務省側に押し切られ、談話そのものも結局、日本の侵略という史観を否定できなかった。中西先生の悔しさもわかります。中西輝政氏 教授 しかし、彼は昨秋頃まで安倍総理の苦しい立場も理解し、かばってもいたんですよ。それなのに、同じく総理の苦境を慮って談話を擁護してきた他の多くの保守派を、今になって「愚鈍」と非難した。それはないでしょ。 先生 ただ、「元来、私と安倍氏では政治理念も思想も大きく異なっていた」「私の論説や提言を安倍政権が政策として採用した例など皆無だ」とも書かれているし、本来、考えが違ったから、当然の帰結かもしれないがね。 教授 いやいや、安倍政権には、かなり中西氏の考えが反映された部分がありましたよ。 先生 確かに、70年談話のための報告書でも、日本の侵略戦争説を否定する脚注を安倍総理と直談判して付けさせたのは自分だと、中西は去年の月刊正論10月号などでも主張していた。意見は採用されているよな。 亡くなった元駐タイ大使の岡崎久彦から安倍総理が影響を受けていたという理由で、まるで岡崎が諸悪の根源のように批判しているのにも、俺は違和感があるな。 教授 70年談話のとき、岡崎氏はこの世にはいなかったのですからね。まさか岡崎氏が守護霊として甦り、安倍首相を動かしたというわけじゃないでしょう。 先生 70年談話に承伏し難い点があるのは俺も中西と同じだ。雑誌正論も含め保守論壇には反発が少なすぎたとも思うし、保守だからこそ談話や安倍政権の個々の政策を是々非々で批判するのも当然だ。ただ、決別宣言のような形で批判するのは一線を越える。安倍でなければ、誰にすればいいというんだ、って話になるよなあ。 編集者 中西先生の専門分野の一つである歴史に絡む問題だけに、妥協できないという思いもおありだったのでは。70年談話や日韓合意に保守派が誰か異を唱えなければ、すべてを認めることになってしまいますし…。中西先生には、中西先生なりの葛藤と深い考えがあったはずですよ。 先生 ただ、それはこの歴史通を読むだけでは分からんからなあ…。左翼も「右派が内輪モメしてる」と喜んでいるだろうし。 女史 確かに保守が分裂すると、一番喜ぶのは左翼だね。 教授 言論人が自分の意見を通したいと思うのは当然ですが、だからといって、左翼を利するようなことは避けなければ。まして保守ならば、保守政権を潰すようなことは厳に慎むべきではないですか。政治の世界は、政権に就きさえすれば、なんでも自分の理想を実現できるわけではないんです。対立する意見、世論、外圧にさまざま配慮しながら、少しずつ実現に近づけるものですよ。中西氏もそれは分かっているでしょう。さらば、花田WiLL?さらば、花田WiLL? 先生 この歴史通の編集長、立林昭彦は、かつての保守系論壇誌「諸君!」編集長だった時代から、過激な見出しをつけることで有名だから、俺も初め、表紙を見た時は「また、立林が派手な見出しを…」と思ったんだが、読んだら、そのまんまだから驚いたよ。 これを雑誌に載せたということは、立林は今後、反安倍政権で行くということなのかね。彼は、WAC社の内輪もめ騒動でWiLL編集長から飛鳥新社の新雑誌に移った花田紀凱の後任になったわけだろ。基本的に安倍政権支持だった花田WiLLから、大きく方針転換するのかね。「さらば、安倍晋三」の裏に、「さらば、花田と旧WiLLの筆者たち」という意味も込められているのだとすれば、それは安倍批判を雑誌の内輪もめに利用したことにならないか。 編集者 それは穿った見方じゃないですか。立林編集長は、言論に対しては真面目な人だという印象が、私にはありますよ。歴史通も実直な企画が多かったし。 先生 そんな甘いことを言っていると、立林の派手な見出しで正論読者を奪われるぞ。 教授 ま、「さらば、安倍晋三」は見出し通りの内容でしたが。 編集者 私としては、立林さんのWiLLも、花田さんの新雑誌も両方、失敗して、正論だけが売れるのが一番嬉しいんですが…。 女史 それこそ私利私欲じゃないの。一番、度量が小さいのは編集者じゃん。(笑)(文中敬称一部略)

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    古舘伊知郎と国谷裕子 去りゆく「名」キャスターたちの罪と罰

    せんかネ?」「安倍政権が歪んでいるのは重力波のせいと把握(笑)」「安倍脳内は重力波による時空の歪みで歴史修正されているのか。いや、そんな複雑な脳内ではないよな」等々。 重力波に限らない。こうしたサヨクの脳内においては、この宇宙におけるあらゆる事件事故は「安倍の陰謀」である。北朝鮮がミサイルを発射した際に「北朝鮮 ミサイル 安倍」で検索すれば「北朝鮮のミサイル発射は安倍の陰謀」と喚き立てるサヨクを大量に観測できるし、台湾地震で死者が出た時は「台湾地震は安倍の陰謀」という意味不明の言説のオンパレード。「市民団体」だの「無党派層」だのを詐称し、「反戦平和」と絶対正義を悪用して振りかざしながら、その実極めて異様な反日、差別活動を行うことがまかり通っているのが我が国の現状だ。しかし、状況は更に深刻である。なにしろ、テレビ局のニュース・報道番組まで「この世の全ての事件・災害は安倍のせい、安倍の陰謀」と騒ぎ立てるサヨク同様の低質なオカルトまがいの番組で溢れているのだから。意外にマシな報ステ 古舘伊知郎がテレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスターを辞めるらしい。2004年4月5日の放送開始から12年に渡り平日深夜の時間帯における他局報道番組を引き離し、視聴率トップを独走して日本の夜のお茶の間を支配してきたお化け番組にとって、大事件である。12年前の放送開始当初から毎回欠かさず録画し放送内容を監視してきた報ステオタクの私としては、極めて残念な降板劇だ。なぜなら、我が国にはびこる「この世の全ての事件・災害は安倍のせい、安倍陰謀」といわんばかりの低質なサヨク報道番組において、報ステは、〝比較的マシ〟であるからだ。NHK放送センター=2011年4月、東京都渋谷区神南 一般に、テレビ朝日の報道ステーションとTBSのNEWS23は、あの時間帯における「反日サヨク報道番組の双璧」とみなされている。ここにTBSの日曜朝のワイドショー、関口宏の「サンデーモーニング」を加え、「三大反日サヨク報道番組」と見る向きもあるし、最近は、国谷裕子が司会を務めるNHKの「クローズアップ現代」を合わせた四番組が、「偏向報道」「反日報道」等の批判を頻繁に受けているといっていい。しかし読者には意外であろうが、これら四番組を十数年間に渡り一々全て録画し監視してきた私に言わせれば、報ステは間違いなく他の三番組よりマシな報道番組だ。 無論、報ステは決して理想的な報道番組などではない。サヨクであることは間違いないし、他の三番組同様、プロにあるまじき幼稚なミスや悪意ある捏造もある。しかし、それでもNEWS23やサンデーモーニング等が「幼稚でモラルに欠けるアマチュア」な上に、一貫して「親北朝鮮・親支那の反日プロパガンダ番組」という、ある意味、筋の通ったサヨクであるのに対し、報ステは親北朝鮮・親支那でも反日でもない。単に「幼稚でモラルに欠けるアマチュア」なだけである。その意味において「マシ」なのだ。 報ステは他の三番組に比べ、良くも悪くも「視聴率至上主義」である。NEWS23やクローズアップ現代等が明らかに視聴率を二の次にすることがあるのとは大きく違う。実際、その方針は成功によって報われており、報ステの視聴率は常に約15%をキープしている。ただし、この視聴率至上主義が、報ステを「反日」「反安倍」に見せる。要するに報ステは視聴者が求めているものを提供しているだけなのである。大衆が求める、無責任ではあるが痛快な辛口床屋談義を投げ与えていることに徹しているのである。大衆が求めるものであれば時に「反日」報道も行うし、同様に求められれば、正当な北朝鮮バッシングも行う。報ステにあるのはイデオロギーではなく商魂なのではないか。少なくとも、私が、NEWS23に感じるような「優秀なオレサマが愚かな大衆を導こう」などという、インテリのサヨクらしい思い上がりは無い。その点が、視聴率に悪影響があっても常に反日反安倍に勤しむNEWS23やサンデーモーニング等と異なっている。公正な三流サヨク?公正な三流サヨク? 故に報ステは、大衆が嫌悪する「ウソ」や「二枚舌」等の批判にも敏感だ。NEWS23やサンデーモーニングとは、一線を画す。 例えば、NEWS23は最近、衆院議員を辞職した自民党の「育休議員」、宮崎謙介をめぐる不倫騒動を取り上げて、安倍政権叩きの格好の材料として非難していたが、一方で06年に山本モナとの不倫を報じられた民主党細野豪志については、非難どころか徹底的にスルーを決め込み、むしろ擁護の姿勢を示した。明らかに矛盾する対応だが、なにがなんでも保守系の政党を叩くという意味では、これは由緒正しい一流のサヨクである。しかし、報ステは、どちらのときも、ひとまず公平に批判していた。〝由緒正しい一流〟のサヨクから見れば、誤った三流の報道であろう。 古舘やスタッフが特に「公正」や「正義」を重んじているのではなく、卑劣なウソや二枚舌は視聴者にそっぽを向かれるという当たり前の常識と処世術をわきまえていれば、そうなってしまうのである。いくら口先だけでは御大層な正義を振りかざしても、その態度がダブルスタンダードであれば大衆の支持は得られないことは、民主党やSEALDs等のサヨクの凋落を見ても明らかだろう。 報ステはサヨクに対しても厳しい態度を示すことがある。15年3月27日には、反日サヨクとしてもてはやされていた元経済産業省官僚のコメンテーター、古賀茂明とバトルを展開した。古賀茂明氏 その日、「サウジ主導の空爆続く 緊迫イエメン〝宗教対立〟」と題したニュースの中で、古舘が古賀にコメントを求めた途端、古賀は突然、電波ジャックともいえる行為を始めた。「ちょっと、そのお話する前に、あの私、今日が最後ということでですね…」。こう切り出した古賀は、ニュースを無視して、自分がテレ朝会長と古舘プロダクション会長の意向で降板させられることになったとか、官邸からバッシングを受けたとか、サウジもイエメンも何の関係もない、自分の恨み辛みを、証拠も示さず滔々とまくし立てた。たまりかねた古舘は「ちょっと待って下さい! 古賀さん!」と強制的に中断させ、「それは違うと思いますよ?」と発言内容を否定した。番組を放送するテレビ局と自分の事務所の会長を批判されたのだから、慌てるのも当然と言えば当然だが、一流サヨクからみれば、「なんで官邸批判を止めるんだ」と不満なはずである。もちろん、常識ある視聴者の信頼獲得には大いに貢献したはずだが…。 支那や北朝鮮に対する態度も、報ステの態度は他の反日報道番組とは一線を画し、「尖閣は日本領」という当然のことも、明確に報じてしまう。これも一流の反日サヨクから見ると、三流の行為であろう。 例えば、11年12月13日、韓国海洋警察の隊員が中国漁船の船長に刺殺されたという事件関連のニュースは、報ステもトップで「中国漁船 船長らに『逮捕状』 韓国デモ〝激化〟…外交問題に『影』」と題し大きく報じたが、古舘は「日本の領土である尖閣諸島にも(中国漁船が)出没している」とコメントし、支那の脅威に警鐘を鳴らしている。一方、同じ日のNEWS23(NEWS23X)は、トップで「海洋警察の隊員刺殺 韓国で反発強まる 中国は…」と報じたものの、報ステと異なり、中国船の日本に対する蛮行には触れず、尖閣が日本領であること等はスルーした。 NEWS23にとっては「反権力」は実は「反日」「反安倍」でしかないのだろう。先に示したように、同じ権力の側でも自民党の不倫は批判するのに、民主党の不倫には甘い。11年の東日本大震災の際には、当時政権を担当していた民主党に配慮したのか、原発放射能漏れ報道や政府批判も極めて抑制されたものだった。日本による過去の「アジア侵略」を口汚く罵る一方で、支那による侵略には甘いというダブルスタンダードを隠そうともしていない。支那によるチベット侵略を肯定するコメントも、VTRなどで多く紹介されている。「中国の行為を悪と決め付けるのは難がある」「中国は侵略したことのない国」等、もちろん番組がこれを全面肯定しているわけではないが、ぶっ飛んだ妄言にはただただ驚かされるばかりだ。 しかし、報ステの「反権力」は、相手が支那でも民主党でも容赦がない。放射能についても11年10月18日に三番目のニュースで「足立区の小学校で3・99μSv 敷地内に土を〝仮置き〟」と報じ、古舘が「政府が出してくる情報の開示の仕方とかが信用されていない。だからこの前の世田谷はラジウムでしたけどそれも市民・市民団体の告発。今回も区民の方の通報」と民主党政権の稚拙な対応を批判した。NEWS23との違いは明らかである。何度も〝謝罪〟に追い込まれ何度も〝謝罪〟に追い込まれ 報ステがなんだか良質な番組だと勘違いされてしまいそうなので、ここでこれまでの数々の不祥事について確認しておくことにしよう。視聴率至上主義故のやり過ぎや、無能故の失敗、政治的無定見などの傾向がみてとれるはずである。 07年11月27日放送において発生した「日本マクドナルド調理日時改ざん問題報道捏造事件」では、マクドナルドをとっくに退職した元店長代理の女性にマクドナルドの制服を着せて「証言」させた映像を流した。しかも、週刊新潮によると、この女性は古舘が経営し報ステの番組制作にも携わる会社である「古舘プロジェクト」のアルバイトだった。まともな取材能力さえあれば本物の証言者や証拠を揃えることができ、避けられたであろう事件である。悪意よりも無能とモラルの欠如が原因と言える。古舘は「視聴者に混乱と誤解を与えるもの。間違ったやり方だった。申し訳ない」と潔い謝罪を行うことで、視聴者の信頼感を繋ぎ止めることにまんまと成功した。高視聴率を取っていた古舘キャスター マクドナルドのようなテレビ局の巨大スポンサー企業を叩くこと自体は、日本の「反権力」を詐称する報道番組としては異例と言える。そんな中において、スポンサーの意向さえものともせぬ報ステの、何にでも噛みつく狂犬的姿勢はある意味においては賞賛に値するかもしれないが、それも所詮、古舘をはじめとするスタッフの無教養で狭い視野と価値観の範囲で行われているに過ぎない。 例えば1月18日の放送ではSMAPの解散騒動について古舘が、「タレントっていうのは、事務所あってのタレント。事務所に対して再度、感謝の念を抱くのも当然」というコメントをした。いかにも日本的滅私奉公的価値観に基づくようだが、芸能事務所への配慮を無邪気に披露している。 報ステの取材能力欠如等の無能さは、放送開始一年後の05年4月18日の放送において既に噴出していた。この日のニュースにおいて、中国深●(=土へんに川)で発生した反日デモの様子と称する映像が流されたが、実はそれは全くの捏造で、実際は香港でおこなわれた反日デモの映像を「誤って」流したのである。きちんとした取材能力があれば実際の映像を入手できたはずであるし、まともなチェック能力があれば映像を「間違える」こともなかったはずだ。「取材する手間暇を惜しみ、バレぬと思って意図的にウソの映像を使用したのだ」と思われかねないとこだが、ただ、反日デモ自体はあったのだろうから、悪意ある反日を意図した捏造報道とは異なるように思える。 イギリス人リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件に関する09年11月9日の放送も、報ステの無能やモラルの欠如故の不祥事と言える。この事件において被疑者は整形手術を行っているのであるが、当日の報ステは実際に施術した病院とは何の関係もない病院看板を垂れ流し、風評被害を発生させ、またも謝罪に追い込まれた。実際の病院まででかけて映像を撮影すれば済むだけの話なのに、手間暇を惜しんだ結果であろう。感想文レベルのコメント感想文レベルのコメント 番組の取材力だけではない。古舘自身の無知無教養無定見による不祥事もある。最近では昨年11月16日の放送が特に物議を醸している。シリア問題やISのテロ問題について古舘はなんと「テロがとんでもないことは当然ですが、一方『有志連合』の空爆もテロ」などと、味噌もクソも一緒にした幼稚な床屋談義的たわごとを披露したのである。内戦で苦しむ難民達を救う解決法もろくに提示せず、無責任に小学生の感想文レベルのどっちもどっち論を展開する。それだけで「報道」を名乗れ、視聴率を稼げるのであるから、誠に気楽でボロい商売である。 この時は何とか逃げおおせたが、番組で謝罪に追い込まれた例もある。05年6月10日の放送がそれだ。参議院北朝鮮拉致問題特別委員会に出席した拉致被害者、横田めぐみさんの両親である横田滋夫妻に対して、自民党議員の岡田直樹が北朝鮮に対する経済制裁の是非を問うたことについて、古舘は「想像ですけれども、北をとっちめたいと思うあまり、まるで非常に苦しい立場にいるご夫妻に、この覚悟はありやなしやと聞いているふうに聞こえちゃうんですよね。本人に確認したわけじゃないですけれども」「無神経な発言」だと発言し、岡田と自民党から「憶測に満ちた発言」と抗議を受けたのである。 議事録をよく確認すると、岡田は「拉致被害者の方々、めぐみさんを始め拉致被害者の方々が、この経済制裁によって状況が好転すればいいですけれども、裏目に出て万が一、不測の事態が生じはしないかということが我々も心配でならない」「本当に言うに忍びないことを言い、聞くに忍びないことをお聞きしますけれども、そうしたおそれを抱きながらもなお今、経済制裁をとお求めになるのか」と、慎重な質問をしており、横田夫妻の気持ちを配慮したうえでの質問だったことは想像に難くない。私なども、古舘の言う通りにすれば、横田夫妻になんの相談もなく勝手に制裁の可否を決定してしまうことになり、それこそ「無神経」だと思う。しかし、古舘にはそういう思慮はない。さすがに、当の自民党からだけでなく視聴者からの批判も勘案したのだろうか、古舘は翌月になって番組中において謝罪している。拉致問題に冷たい番組の顔拉致問題に冷たい番組の顔 ここで、もう一人、降板する有名キャスターに触れておきたい。クローズアップ現代の国谷裕子である。93年の放送開始から23年の歴史を誇るこの番組は、反日偏向報道についてはNEWS23等と同様定評があり、BPO(放送倫理・番組向上機構)や国会等公の場でもしばしば問題とされてきた。良くも悪くも視聴率至上主義に徹してきた報ステに比べ、視聴率など気にする必要性が殆ど無い公共放送の番組である。その反日・反自民の傾向は23年間一貫し、国谷はその看板を務めてきた。国谷裕子氏 番組は北の将軍様の御乱行にも極めて寛大で、当然、国谷も拉致犯罪についての批判等を控えてきた。何しろ、横田めぐみさんの拉致について産経新聞や雑誌アエラ等が伝えたのが1997年だと言うのに、クローズアップ現代が「拉致疑惑」を報じたのはやっとその3年後の2000年4月4日放送の「対話は進むか・日朝交渉きょう再開」が初めてなのだから呆れる。しかもその時の報じ方も、「ところがこの年(97年)、新潟市で行方不明になった横田めぐみさんが、北朝鮮によって拉致されたのではないかという疑惑が浮上しました」などと、それまで拉致犯罪を無視してきたことをまるで他人事のように伝えている。また、当時交渉を担当した槇田邦彦外務省アジア局長が番組中「拉致問題」と発言しているにもかかわらず、番組は一貫して「拉致疑惑」という言葉を使い続け、北の将軍様による犯罪の事実から視聴者の目を少しでも背けようという涙ぐましい印象操作に終始した。 その一方で、国交回復を重視し、当時の外務大臣、河野洋平に、「日本周辺に国交が正常でない状況の2つの国、このまま置いておいてはいけない。何としてもきちんとした話し合いで国交を正常化したい」と語らせている。 親北朝鮮偏重のこうした姿勢は表面的には変化を見せるものの、その核心は殆ど変わっていないのではないか。その証拠に今年1月7日放送の「北朝鮮 突然の核実験はなぜ」においても、静岡県立大学教授の伊豆見元を登場させ、「ピョンヤン市内は相当携帯電話が多い」「平壌市内のタクシーの数は相当多くて、一千台を超えている。タクシーがそれだけ増えるのは需要があるということ。ある種の豊かさを象徴する」となぜか将軍様の経済的成功をヨイショすることに余念がなかった。 無論、こうした放送の数々はNHKと番組スタッフの制作方針に基づくものであり、その責任を国谷だけに押しつけるのは酷だろう。国谷自身は番組でも抑制的で慎重な発言をすることがほとんどであった。ただ、かといって国谷が番組が用意したシナリオを読む操り人形であるはずがない。国谷は2002年には番組制作スタッフと共同で菊池寛賞を受賞しているし、2011年度には「広範なテーマをゲストとの冷静なやりとりで掘り下げ視聴者に分かりやすく提示している」という理由で、日本記者クラブ賞を受賞している。 キャスター降板を含めた体制変更を行うのは当然であり、視聴率重視の報ステの古舘伊知郎の方が、そこにはまだ降板を惜しむべきものがある。 古舘伊知郎と国谷裕子が降板した後も報道ステーション、クローズアップ現代いう番組自体が無くなるわけではない。特に報道ステーションの古舘は、同時期に降板が決定しているNEWS23の岸井成格と比較にならぬほど、日本の報道番組のあり方に大きな影響を与えてきた。ポスト古舘の報道番組がどう変わるのか、今後とも継続的な監視が必要である。 なかみや・たかし 昭和45(1970)年、北海道生まれ。豊橋技術科学大学卒業、名古屋大学大学院経済学研究科除籍。ネットメディア「週刊言志人」を主宰。韓国の反日について積極的に発言する。著書に『天晴れ! 筑紫哲也news23』(文春新書)。

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    「アジアのトラブルメーカー」中国にどう対峙すべきか

    新たな紛争・戦争の種を撒き散らしているのだ。 だが、それは共産党一党支配の中国に限ったことではない。歴史的に中国は、つねにアジアにおけるトラブルメーカーとなり続けてきた。とくに近代におけるアジアの紛争は、ほとんどが中国が原因となっている。中国が日本の「戦争責任」を執拗に追及している日中戦争も、実際にはその元凶は中国側にあった。 列強の植民地となったアジア諸国の独立を妨げてきたのは華僑であり、そのために東南アジアでは華僑排斥運動が何度も繰り返されてきた。 本書はそうした実態と「中国の戦争責任」を明らかにするとともに、中国はなぜこれほどまでに戦争をしたがるのか、中国人の伝統的な戦争観、侵略観、領土観などを解明し、これから日本、世界はどのように中国に対処すべきかを論考したものである。世界のものはすべて中国のもの 領土紛争において、中国はつねに「歴史的には中国のもの」という「決まり文句」や主張を掲げるが、これは単に中国人の「口癖」というだけであり、国際法的な「領土主権」とは関係がない。それはただ古代中国の「天下王土に非ざるものなし」という「王土王民」思想である。言ってみれば、「世界のものはすべて中国のもの」という思い込みにすぎない。 清の乾隆帝の時代の『皇清職貢図(こうしんしょっこうず)』にイギリスやオランダまでも「朝貢国」と書き込んだが、同様に、現在の中国の領土主張はただの思い込みである。要するに「かつて交遊があった」だけですぐに「自分のもの」という錯覚を起こしているだけのことだ。 中国政府はよく「古典に書いてある」と主張するが、この「書いてある根拠」も、せいぜいこの類のものだ。しかし、「お笑い草」で「話にならない」と反論をすれば、中国はすぐに逆上して「戦争だ」と喧嘩腰に出る。これも国民性の一つである。 私もかつて、インド政府関係者から、「『歴史的に中国のもの』という主張に、なにか『確実』な記録でもあるのか」と確認されたことがある。あの遠い天竺には、せいぜい支那僧が取経に来たくらいのもので、インド仏教が支那だけでなくユーラシア大陸東半分に伝え広がったことはあっても、支那の文物が天竺に入ったことはほとんどなかった。 中国がインドにまで国境紛争を仕掛けたのは、ただ「農奴解放」という口実だけでチベットを軍事占領した後、「チベットのものは中国のもの」という「三段論法」を用いて、印パ紛争の隙につけ込んでケンカを売ったにすぎない。「有史以来、中国人は一人としてヒマラヤを登ったことはない。それなのに、よく『ヒマラヤは中国のもの』などと言えるものだ」とネパール政府が皮肉ったのは正論である。 私が高校生のときは、軍事教官から地図を広げて「シベリアは中国の固有領土」と教えられたが、そこにはなんの根拠もない。アラスカまでが中国の領土だという主張は、ただ上海語(呉語)において、「アラ」は「われわれ」と、「スカ」は「自家」と発音が似ているから、「われわれの家」というこじつけであり、ただの小咄にすぎない。 中国では、アメリカは中国人が発見したという話もある。二万年前に中国人が発見したとはいうが、二万年前に中国人はまだこの地上に現れていない。そのとき米州にいたのは、せいぜいネイティブ・アメリカンか、もっと以前の石器時代の人類かもっと前の原人か猿人ぐらいのものである。 コロンブスの新大陸「発見」以外には、古代フェニキア人やら北欧のバイキングなどが来たという説も多々ある。中国では明の時代に艦隊を率いてアフリカまで航行したとされる鄭和(ていわ)がアメリカを発見したという説まである。だが、鄭和は去勢された西南のイスラム教徒である。南海遠航(「下西洋」ともいわれる)の主役は、むしろモンゴル系のイスラム教徒であった。たったそれだけのことで、すぐに「アメリカは中国人が発見したもの」「BC兵器でアメリカを叩き潰して回収する」とまで主張する者たちすらいるのだ。 ネット世代は月まで中国の固有領土と言うが、その根拠はただの中国の伝説「嫦娥奔月(じょうがほんげつ)」だ。これは日本の『竹取物語』に似たお伽話である。そこからすぐに「宇宙戦争」まで空想妄想し空理空論を振り回すが、これは中国国内にしか通用しないことである。 これらは単なるホラ話の域を出ないが、笑い話で済まないのが中国の厄介なところだ。そうした神話や伝説、古典を利用して、時には「新事実の発見」までを捏造し、既成事実を積み重ねて勢力拡大を狙ってくることだ。 東シナ海については、中国船が「釣魚臺列嶼中国領土」(尖閣諸島は中国領土)と刻まれた石碑を、尖閣近くの海域に何本も沈めていることが明らかになっている。南シナ海の島礁においても、古い貨幣をわざわざ地中に埋めたり、古石碑を海中に沈めていたことが判明している。いずれそれを掘り返して「やっぱり中国の土地だ」と言い張ることは目に見えている。 しかも、現在ではモンゴルのチンギス・ハーンまでも中華の「民族英雄」と見なしている。これに対してモンゴル政府は猛烈に反発している。 そういう中国人のこじつけについて、旧ソ連のフルシチョフ元書記長は「中国は有史以来、最北の国境である万里の長城を越えたことはない。もし古代の神話を持ち出して理不尽な主張を続けるならば、それを宣戦布告とみなす」と警告した。ベトナムは「漢の時代からずっと管理」 ベトナムは七世紀ごろにすでに南沙諸島(ベトナム名・黄沙、長沙諸島)を発見し、領有を主張していたのに対し、中国ではもっと以前、二千余年も前の漢の武帝の時代にすでに発見し、宋の時代に領有を宣言したと言い張った。しかし、そこにはいかなる論拠もない。中国が「核心的利益」(絶対に手放せない利益)として、「絶対不可分の固有の領土」としているのが台湾である。一時、古代からすでに中国のものだったと語るために、最初の書『尚書(しょうしょ)』(『書経(しょきょう)』)・禹貢(うこう)篇にある「島夷卉服(とういきふく)」というたった四文字を根拠にしたことがある。この四つの文字をもって、卉服を帰服と読みかえ、台湾が四千年前にすでに中国の朝貢国であったと主張したが、しかし、南洋に浮かぶ当時の南沙諸島は「島夷」がいないどころか無人の島ばかりであり、しかも満潮時にはすっかり海面下に水没してしまう暗礁だらけの海であった。そんなところに「島夷卉服」のたった四文字だけを根拠にして主権や固有領土を主張するのは、荒唐無稽である。 そのため、中国政府の公式の主張としては、「漢の時代からずっと管理している」というのみが正式な見解として残っている。 習近平主席は自らアメリカ政府に対し、南シナ海の諸島は太古から中国の固有領土だと主張した。中国人民解放軍の統合作戦指揮センターを視察する習近平国家主席=2016年4月20日、北京(新華社=共同) その習近平だが、文革中に正式な学校教育を受けていなかった。なのに博士号までもっていることに対し、ネット世代の真相探りによって、学歴詐称との話まで出ている。 習は中国史でさえ一知半解であり、正確な知識はないので、勝手に言っているだけである。勝手に「太古から」と言い、「ずっと管理している」とする中国の公式の主張には、はたして根拠があるかどうか。 このように、ときには捏造までして領土主張をする中国、中国人のメンタリティはどうなっているのか。中国の拡張主義や恫喝行為をどう受け止め、処理すべきなのか。 それを考えることは、緊迫の度合いを増しているアジア情勢の中で、日本がいかにして中国に対峙すべきかを考えることでもある。 本書が中国理解と今後のアジアを考えるうえで参考になれば幸いである。 二〇一五年一二月中旬 黄文雄黄 文雄(コウ ブンユウ) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。1994年、巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。日本、中国、韓国など東アジア情勢を文明史の視点から分析し、高く評価されている。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』の他、『世界から絶賛される日本人』『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』『日本人はなぜ特攻を選んだのか』『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』『世界が憧れる天皇のいる日本』(以上、徳間書店)、『もしもの近現代史』(扶桑社)など多数。

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    戦争と殺戮ばかりの国・中国

    々は六千五百万人にのぼるとされている。 しかし、それはなにも二十世紀にかぎってのことではない。台湾の歴史家であり作家でもある柏楊(はくよう)氏は、中国史上「戦争のない年はなかった」とまで言っている。 中国はそもそも、歴史が連続した国ではない。現在の中華人民共和国は一九四九年の成立だが、その前は清朝であった。中国は秦の始皇帝による統一から、易姓革命(皇帝の姓が変わる、つまり王朝交代)を何度も繰り返してきた。元、清のように異民族によって支配された時代もあった。「万世一系」の日本人にはわかりづらいかもしれないが、易姓革命ということは、まったく違う国に取って代わられるということだ。それは改革でも変化でもない。だから「革命」という言葉が使われる。 王朝交代時に戦乱を伴うのはもちろんのこと、謀反や反乱、内乱、農民蜂起などが日常的に頻発しており、そのため中国は「一治一乱」(治めたと思えばすぐに反乱が起こる)だと言われてきた。南シナ海・スプラトリー諸島のヒューズ礁に建設された施設と監視塔(右)=4月14日(タインニエン紙提供・共同) 太古から資源や領土の奪い合いを繰り広げてきた中国は、現在もなお、他国領土に対する侵略を続けている。東シナ海、南シナ海での中国の身勝手な振る舞いはその典型である。 もちろん戦争は一騎討ちから総力戦に至るまで、戦争の型はさまざまである。後述するが、唐の玄武門の変のように兄弟の戦争から、明の靖難(せいなん)の変の叔父と甥、漢の武帝と皇太子との長安の都での親子の決闘もある。無辜の「難民」も出る。 私の小学生のころに国共内戦後に追われた中国から数十万人の難民と学校の教室を生活の場として共有共生したこともあった。決して遠い昔々の話ではない。 自国民虐殺だけでなく、異民族虐殺も中国では現在進行形の「犯罪」である。儒教の国である中国では、中華の民とそれ以外の民を厳しく峻別(しゅんべつ)してきた。中華以外の国は夷狄(いてき、未開の野蛮人)であり、獣と等しいと考える。そのため獣偏や虫偏をつけて「北狄」「南蛮」などと呼んできた。これを中華の徳によって文明人に変えることが「徳化(王化・漢化ともいわれる)」なのである。そして、儒教の発展理論である朱子学や陽明学では、天朝(中華の王朝)に従わない異民族は天誅を加えるべしという論となり、正当化されている。 十九世紀末から現在に至るまで延々と続くイスラム教徒(ウイグル人)の大虐殺、十六世紀の明末から十九世紀の清末に至るまでの西南雲貴高原の漢人による少数民族のジェノサイド、辛亥革命後の満洲人虐殺、通州(つうしゅう)事件などの日本人虐殺、人民共和国時代の文革中の「内モンゴル人民革命党員粛清」に象徴されるモンゴル人大虐殺、チベットに対する数百万人の虐殺と文化抹殺、台湾人に対する二・二八大虐殺など、近代中国人によって行われた民族浄化の大虐殺……近代中国では、こうした人類に対する犯罪がまかり通っているのである。「すべて自分たちのもの」と考える中華思想 後述するが、こうした異民族に対する優越意識、さらにはすべて自らが世界の中心であると考える中華思想が、現在の中国においても、かつての王朝が統治していた場所のみならず、「歴史書に記述があった」くらいの場所までも、すべて自分たちのものだと主張する大きな要因となっている。 だが、これらについてはまったく根拠がない。後の章でも詳しく説明するが、それについて簡単に述べると、①中華歴代王朝は、漢の時代からだけでなく、春秋戦国時代まで遡(さかのぼ)っても、城や関による国禁(入出国の禁止)が厳しく、戦国時代に築かれた長城や秦時代の万里の長城がそのシンボルである。それ以外にも、明時代には南方の苗(ミャオ)族を防ぐために建設された「南長城」まで発掘されている。それほど中原より外の世界との関わりあいは避けてきたのだ。 漢以後の歴代王朝も陸禁(陸の鎖国)と海禁(海の鎖国)がますます厳しくなっていった。たとえばもっとも開放的で国際色豊かとされる唐でさえ、その国禁については、鑑がん真和上の日本への密航や、渡唐僧の空海らの入につ唐、三蔵法師玄奘和尚が陸禁(関所越えの禁止)を犯して天竺に取経に行った故事がその真相を物語っている。②海洋的思考や海上勢力、航海力、海の英雄譚さえなかったのは、史前から典型的なハートランド国家であったからである。 宋は陸のシルクロードのすべてを北方雄邦に押さえられ、江南まで追われた。明は北虜南倭(ほくりょなんわ)(北のモンゴル人と北の倭寇)に悩まされ続け、清は広州十三洋行という海の窓口しかなかった。海については、海岸から五十里の居住禁止や「寸板不得入海」(一寸のイカダでさえ、海上に浮かべることは禁止)など、海に出たら「皇土皇民」を自ら棄すてた者、「棄民」とみなされた。華僑も例外ではない。帰国断禁どころか、厳しい場合は一族誅殺、村潰しまでの悲劇が避けられなかった。③宋の時代の海への知識は、華夷図が代表的で、海南島はあっても台湾の存在さえ知らず、南海は未知の領域であった。④東亜大陸の民は、原住民の原支那人の先祖たちも、華夏の民・漢人も、基本的には農耕民か城民としての商人、それ以外に、満洲人も狩猟採集民だった。モンゴル人などの遊牧民を除いては、土地に縛られる陸の民と言える。古代東アジアの北から南洋、さらにインド洋に至るまで、河川、湖沢、海岸に暮らし広く分布していた倭人は、不可触賤民として、中国人どころか天民や生民とさえみなされていない。 陸の民は太古から海を忌避し、暗黒の世界とみなしていた。字源にしても、黒は海と同系の発音である。海は有史以来、中土、中国としては認められていなかった。陸を離れてなおも「絶対不可分の神聖なる固有領土」とする与太話は、正常な人間なら絶対に認知すべきではない。⑤今の中国人は「近代の国際法は西洋人が勝手につくったものだ。中国はもうすでに強くなったので、一切認めない」と主張するが、大航海時代以後の海洋に関する諸法を認めるとか認めないとか、あるいは勝手につくるとかしても、それはあくまでも中国だけの都合である。 そもそも太古から海洋をずっと忌避してきた中国人は、海洋とは無縁であり、法をつくる能力もない。海洋に関するかぎり、中国がいくら理不尽な主張をしても、ただ強欲を口にしているだけで、そこにほとんど説得力はない。「中華民族」とは何か「中華民族」とは何か 中国は「南シナ海は漢の時代の二千年前から中国の一部だった」などと主張し、習近平国家主席は「中華民族の偉大なる復興」を掲げている。では、この場合の中華民族とは、どこまでの人たちを指すのか。 そもそも中原の漢人の「華夏」と称される原中国人(支那人)の祖先であるはずの夏人、殷人、周人は、今現在の自称中国人とはいったいどこまでつながっているのか。かつて北方の雄だった匈奴(きょうど)をはじめ、五胡(ごこ)などの子孫たちは今現在、いったいどの民族で、どこにいるのか。「自己主張」だけではなんの証拠にもならない。 国家と民族の歴史をあまり区別しない人が少なくない。ことに「民族」は、近代になってから近代国民国家とともに生まれた人間集団の用語で、客観的な存在というよりも心理的かつ意識的な存在としての近代ナショナリズムの歴史的産物である。「民族」というのは生理的や心理的な概念として、法的な概念である「国民」とは違う。たとえば南ヨーロッパのラテン人は、中南米のラテンアメリカに至るまで新旧大陸に広く暮らしている。共有の文化と言語をもっていても国が違うというのは決して稀有なことではなく、違和感もない。そもそもヒトラーはオーストリア人で、ドイツ国籍を取るためにドイツ軍に入隊した。ナポレオンももとはといえばコルシカ人である。 同一語族や民族でも、多くの国々に分かれているのは、決してヨーロッパにかぎらない。たとえば、同じくモンゴル人でも、現在モンゴルと中国・ロシアに分かれている。コリアンも北朝鮮・韓国のみならず、中・露など多くの国々に分かれている。アジアの南のタイ系やマレー・ポリネシア系の人びとも同様だ。 だから民族の歴史をいくら遡っていってもきりはない。数万年前まで遡ってDNAから見てみれば、それは第二の「出アフリカ」に突き当たる。 中華民族がいるところが中国ならば、華僑のいる東南アジアやアメリカでさえ中国となってしまう。華人が伝統的に海を忌避していたことは述べたが、そうした歴史や伝統を踏まえれば、南シナ海も東シナ海も中華民族のものではないことになる。 ギリシャ文明の歴史は、中国の三代(夏・殷・周)から春秋戦国時代とほぼ同時代だったが、ギリシャの北のブルガリアは六千年前の人類最古の黄金文明がのこっている。いったい彼らは、このバルカン半島でどう暮らし、どう活躍していたのか。 地中海域のヨーロッパ文明の先駆の地は有史以来、北からはフン族やゲルマン人、スラブ人が南下してきて、東の砂漠からはモンゴル系やトルコ系の人びとが入ってきたので、特定の民族が「われわれの祖先の地」などと称するのは、じつに難しい。さまざまな異民族に支配された過去がある中華の地にしても、同様である。 人類史上において、民族や種族による分別が先で、国家は後で生まれたのだ。 もっとも、現在では太古の「部族国家」は「都市国家」に比べ、あまり国家らしくなくても、「××国家」と称される。「封建国家」や「天下国家」(世界帝国)、「近代国民国家」は歴史的に国家として認知されている。 だが、ことに近現代になって、すべての国家の条件をそなえても、国際法的には認知や承認が必要とされるようになった。たとえば、わが祖国の台湾はその一例で、中国が「自分たちのものだ」との主張を譲らないために、いくら中国より進んだ民主主義や経済、技術を持っていても、世界的には独立国家として認められていない。 日本人にとって、国家とは神から生まれたものとして「記紀」の国生み物語にある。もちろん「国」は神から生まれたものだから、私から見れば、じつに夢の夢として羨ましい。たいていの近代国民国家は生まれたものよりもつくられたものがほとんどである。「生まれた」ものは血の繋がりがあるため、「つくられた」ものとはまったく違うのである。「アイデンティティ」だけでも天と地の差があるのではないだろうか。「国家と民族」についての中国の主張のでたらめ「国家と民族」についての中国の主張のでたらめ だが、現在の中国、中国人の「国家と民族」についての主張はじつに矛盾だらけで、ご都合主義だらけである。 「悠久の歴史」があっても、「一治一乱」と分離集合を繰り返してきたことを無視して、あくまで中国という国家が太古から存在していたかのように主張している。華夷が交代して中華世界に君臨した事実も無視しており、つまりミソもクソも一緒なのである。 加えて、「人の世」と「神の代」を区分せずに、「神の代」まで擬人化し、伝説と歴史が混合、混乱。民族史や国家史のスパンだけでなく、中国史の時間と空間の設定も確定もできていない。 だから、同じ中華人民共和国であっても、時代によって主張がころころ変わって、一定していないのだ。ここで、現代中国の歴史観の変化とその問題点について、箇条書きにしてまとめてみよう。①中国史の長さについて、始皇帝の統一からではなく、春秋戦国から、さらに遡って「三代(夏・殷・周)」、そして伝説時代の「三皇五帝」から「推定」四千余年を「四拾五入」して「五千年の悠久なる歴史」と小学校から教えてきた。 習近平の時代になってからは、さらに「五千余年」と膨らませている。②中華世界には、国家としては、「一治一乱」の歴史法則にしたがって、国家と天下とが揺れ動き、「易姓革命」だけでなく、華夷などの主役交替も時代によってあった。 二十世紀初頭前後に起きた、清朝において大中華民族主義(異民族も含めて中華民族として扱う)と大漢民族主義(漢民族こそが中華の中心であるとする主義)との論争があり、辛亥革命後、大中華民族主義が主流となりつつあったが、毛沢東の人民共和国時代になると、「世界革命、人類解放」を目指し、「民族」は否定され人民の敵とみなされるようになった。 だが、一九九〇年代からは中華民族主義がマルクス・レーニン主義、毛沢東思想に代わって強く説かれるようになった。 習近平政権になると「中華民族の偉大なる復興」を連呼絶叫するようになったが、その「中華民族」の実態は、チベットやウイグルなど異民族の文化を抹殺することで創作しようとしているだけである。③漢族と五十五の非漢族を一つの中華民族に強制創出することは、なおも模索中である。目下は民族の同化と浄化の手しかない。「五千年の歴史」をかけても、なおも五十五の非漢族が存在すること自体、漢化・華化=徳化=王化の限界を如実に物語るものである。 そもそも、元帝国のモンゴル人、清朝の女真人まで中華民族だというならば、従来、歴史教科書に救国の英雄として載っている南宋の岳飛(がくひ)、文天祥、明末に元に抵抗した史可法など、女真人、モンゴル人、満洲人に反抗した「民族英雄史」は、「中華民族史観」の下で再編、書き換えざるをえないはずだ。④異民族による征服王朝である遼・金・元・清について、あるいは夷狄が中国を征服、君臨した歴史を、中国は階級闘争史観にもとづいて、「支配的階級の交替」のみで書き換えようとしてきた。だが、中国史の全史を改編しないかぎりそれは無理だ。だから本当の歴史は語れない。⑤中華世界の「征服民族」や「支配民族」の変更については、「易姓革命」だけでなく、民族ことごとくの変更である。大元時代のように、モンゴル人、色目人、漢人(北方漢人、女真人、高麗人)、南人などの人種による階級規定まであった。また、「反清復明」(清に背いて漢人の明朝を再興する)のような、「反胡(はんこ)」の民族的抗争もあった。 中華民族主義史観をナショナリズムとして成熟させ、史論、史説、史観として確立することは、空想妄想のファンタジーでしかない。⑥歴代王朝は、主役民族の違いや交代のみならず、国家と天下の歴史循環も時代によって異なり、領土範囲のスケールも時代と国力によって異なっていた。空理空論、空想妄想で国家と民族の歴史を説くのは、きわめて非現実的である。⑦イタリアがローマ帝国の正統なる継承国家、ギリシャ人が「東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の正統なる相続人」と主張し、そのかつての領土を要求したら、ヨーロッパはいったいどうなるのだろうか。「天下大乱」が待っているだろう。心のなかではそのような矜持を持っていたとしても、実際には要求などしないのが、近代国家、近代国民である。だから中国は永遠に近代国家にはなれないのだ。 このような「チャイナの振り子」のような歴史時間と空間の変化の下で生まれた歴史観、史説と歴史意識は、じょじょに中国人のものの見方と考え方として、歴史観から世界観、人間観、人生観、そして価値観として定着していった。 では、具体的に、それらはどのようなもので、どうやって中国人に定着していったのだろうか。以下、要約して簡略にとりあげる。①歴史観については、以下の史書が史観として定着していった。 ・『史記』──皇帝中心史観。 ・「二十四正史」──『漢書』をはじめとする歴代王朝の明滅亡までの「正史」であり、易姓革命の正当性と正統主義により、新たな王朝は前の王朝の後継王朝だと自己主張する。 ・『春秋』──尊王攘夷、華夷の分、春秋の大義。 ・『資治通鑑』──中華思想の確立。②新儒学としての「朱子学」と「陽明学」が、華夷の分と別、そして夷狄の排除と虐殺を「天誅」として正当化し、理論的、学問的基礎となった。③勝者が歴史をつくり、敗者が歴史を学ぶ優勝劣敗の歴史法則の確立。④「有徳者」が天命をうけ、天子となる「徳治(人治)主義」の正統性の主張が、「道統」(道徳的正統性)から「法統」(法的正統性)へと拡大解釈されていく。変わる中国人の戦争手法変わる中国人の戦争手法 戦争の定義については、字書、辞典、百科全書、政治用語辞典などなど、それぞれの概念規定、注釈があっても、時代とともに概念が変わり、歴代の戦争論や戦争観が変わるだけでなく、時代とともにますます追いつかなくなってきている。 では、内訌(ないこう)や内乱、朋党(官僚がつくった党派)の争い、政争、村と村の決闘である「械闘(かいとう)」、さらに今現在進行中のサイバー・ウォーが戦争かどうか、「経済戦争」や「貿易戦争」が「戦争」かどうかが問われる。そればかりか、戦争の字義だけでなく、命名も論議され、対立までしている。 「大東亜戦争」か「太平洋戦争」かだけではない。日本で通称「アヘン戦争」については、英国では「Trade War」と称されるので、名称も異なる。 六〇年代に、私と同じ大学の院生たちが夏休みに帰国した際、「経営革命」や「マーケティング革命」などの専門書が税関に没収された。中国共産党が「世界革命」を唱え革命の輸出を目論んでいたあの時代には、台湾の政府は「革命」という文字に神経を尖らせていたので、専門書であろうと政治とはまったく関係ない書籍であろうと、「革命」という文字を目にしただけで、すぐ「造反」と思い込み、没収された。なにしろ、あの時代は歌曲まで三百余曲が公式に禁唱されていたので、精神的ななぐさめは、トイレの中で、小さな声で唄い、あるいは心の中だけで楽しみ、声を出さずに済まさなければならなかった。あの時代には三人以上でひそひそと話をしたら、「造反の密議」とみなされたので、友達をもたないことが最高の生活の知恵となっていた。 インドネシアでビジネスをしている大学時代の友人は、日本に来るたびに日本語の著書をそれぞれ選んで持って帰っていた。インドネシアは一時、反華僑、反華人の国策を断行し、漢字をすべて禁止した。漢文や中国語書籍まで持ち込みが禁止されていた。国によっては文字や言語についての考え方がそこまで違うので、「戦争」や「平和」、「侵略」についての解釈は狭義から広義までそれぞれ違う。学者だけでなく、民衆の意識に至るまで、ことに概念からイメージに至るまで、共有するのはじつに難しい。 人類史にはさまざまな戦争(平和も)についての論議がある。たとえば、世界で有名なクラウゼヴィッツの『戦争論』をはじめ、『韓非子(かんぴし)』やマキャベリの『君主論』もそれに含まれると言える。「孫呉の兵法」をはじめとする「武経七書(ぶけいしちしょ)」(『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子(うつりょうし)』『六韜(りくとう)』『三略』『李衛公問対』)だけでなく、トルストイの『戦争と平和』をも含めて、純理論からハウツー本、そして小説に至るまで、戦争についての考え方、兵法に至るまで、戦争についてはさまざまな異なる考えがある。もちろん今でも新著が続けて出ている。戦争と平和については、異なる考えがあるだけでなく、対立するものも多い。「春秋に義戦なし」と孟子は言っていても、「十字軍の東征」について、キリスト教徒とイスラム教徒の考えはまったく対立的にして両極端である。 それでも、今では西洋の正義と中洋(イスラム)の大義、そして東洋の「道義」があって、対立もしている。中国の「超限戦」の限界 クラウゼヴィッツは、戦争は政治の延長と説き、毛沢東はレーニンの戦争観を受け入れ、クラウゼヴィッツの戦争論について、「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」と言い換えた。しかし、レーニンは戦争を「正義」の戦争と「不義」の戦争に二分し、プロレタリアの革命戦争、植民地の解放、独立戦争こそ「正義の戦争」と戦争の「正義」を説いた。「毛沢東の戦争論こそマルクス・レーニン主義の戦争論を最高峰にまで発展させたもので、それは矛盾論、実践論をも含めてまさしく、戦争をもって戦争を否定する最高の『仁』だ」とべた褒めし、礼賛する日本の進歩的文化人もみられる。 このように、戦争の定義はいろいろな意見があるが、現在の中国が採用している戦争の定義とその手法は、「超限戦」というものだ。 これは、一九九九年に中国軍大佐の喬良(きょうりょう)と王湘穂(おうしょうすい)が共著で出版した戦略研究書の名前であるが、現在の中国および中国軍の戦略は、これに則っていると思われる。 私はかつて台湾大学の歴史学教授の友人から「ぜひ一読を」と勧められ、台北で買い求めて大学の研究室に持ち帰り、研究者たちと共同研究会で勉強したことがある。 この著書は、通常戦のみならず外交戦、情報戦、金融戦、ネットワーク戦、心理戦、メディア戦、国家テロ戦など、あらゆる空間や手段による戦争を提唱したものである。外国人漁業規制法違反の容疑で海上保安庁に停船させられた中国サンゴ漁船=2014年11月21日、小笠原諸島嫁島沖(第3管区海上保安本部提供) 実際に現在、中国によるサイバーテロや、日本のメディアを利用した情報操作や世論撹乱、アメリカでのロビー活動、アジアインフラ投資銀行(AIIB)による金融戦などが展開されている。 当時、私は「超限戦」の戦争観について、 「特定の戦争はなく、正面対決もない。武器、軍人、国家、技術、科学、理論、心理、倫理、伝統、習性などにも、限界や境界はない。そして多くの場合は戦火も砲火も流血もないのだが、その戦いが引き起こす破壊力は軍事戦争に劣ることはない。 『超限戦』にはまた、陸海空、政治、軍事、経済、文化などの境界もない。孫子、呉子の兵法やクラウゼヴィッツの戦争論を超え、無限の手段で敵を服従させるのが超限戦の真骨頂である」 と分析した。そしてすぐ討論に入った。 しかし、まずイスラム学者から、「いくら超限戦といっても、イスラムのようなジハードは不可能なのではないか」と、中国人の考えている「超限戦」の限界が指摘された。 考えればそのとおりである。いくら超限戦と言っても、中国人には日本人のような「特攻」や「割腹」はない。イスラムのような信仰もない。 それが極端に利己的で現実主義の中国人の限界ではないのか。中国は海外の島々に対して、「歴史的に中国のもの」と主張し、「心理戦、世論戦、法律戦」という「三戦」を繰り広げているが、それでも核ミサイルの増強といった「力」に頼ることに必死になっている。 そこにも中国の「超限戦」の限界が見られる。黄 文雄(コウ ブンユウ) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。1994年、巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。日本、中国、韓国など東アジア情勢を文明史の視点から分析し、高く評価されている。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』の他、『世界から絶賛される日本人』『韓国人に教えたい日本と韓国の本当の歴史』『日本人はなぜ特攻を選んだのか』『中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争』『世界が憧れる天皇のいる日本』(以上、徳間書店)、『もしもの近現代史』(扶桑社)など多数。

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    皇室典範を「女性蔑視」とほざく愚昧な人々

    国連が日本の国柄や伝統を無視して皇室典範にいちゃもんをつけたのは記憶に新しい。皇室典範を「差別的規定」と決めつけた国連の一方的な見解は許しがたいが、そもそも今回の騒動の裏には反日・左派勢力の長年にわたる組織的活動があったともされる。日本人よ、国連の横暴に今こそ怒りの声を上げよ!

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    国連委員会の勧告なんて聞き流すのが「世界の常識」

    れぞれの王位継承がどのようにされてきたかを紹介したことがある。この方面ではいちばん詳しい本である。 歴史的には、フランスのブルボン家のように男子男系にこだわってきたところもあるが、これは、英仏百年戦争でイギリス王家に乗っ取られかかった記憶がゆえである。イギリスは、女系も女子もいいが男子優先だった。またデンマークでは、女系はいいが女王はダメということになっていた。 ところが、多くの国で年長の子供を男女に限らず優先にするようになってきている。イギリスは、エリザベス女王のあとチャールズ、ウィリアムの次はウィリアムの長子ということになっていたが、男子のジョージが生まれたので三代男王が続くことになるが、スウェーデンは女王になった。 ただし、ヨーロッパの条約などで強制されたのではなく、各国の自主判断の結果である。そういう意味で、国連の委員会が何を言おうが、それに従うかは各国の問題だ。 それに、おかしいといえばおかしいのは、男子優先がいけないなら長子優先はどうしてよいのか理由がない。国連の委員会はうちの管轄ではないとでも言うのだろうが。また、ヨーロッパの王位継承は、特定の宗教の信者であることが条件になっていることが多い。イギリスでもオランダでもカトリックは排除されているが、これは信教の自由に反しないのだろうか。 いずれにしろ、国連の女子差別撤廃委員会などというものは、総合的な判断をしている場ではないし、自分の立場からの意見を気ままにいうだけの機関だ。ヨーロッパの王位継承は財産相続でしかないヨーロッパの王位継承は財産相続でしかない 男子優先をヨーロッパの王室がやめる方向なので日本もそうしたらということを、外国人が思うことくらいはそんなに目くじらを立てることではない。ただ、日本とヨーロッパの君主制の性格の違いを説明し、きちんと反論すべきである。 ヨーロッパの国王というのは、江戸時代の大名などと同じ封建領主である。したがって、領土は個人財産なのである。そこで、フランク族のサリカ法典に女性は財産を引き継げないと書いてあったことを理由に、フランク王国を継承する国では男系男子が原則とされたのである。 この理屈は、フランスでイギリス王が女系でフランス王の孫であることを理由に王位を要求してきたときに援用されたもので、王位を失ったのちも、ブルボン家の当主は10世紀のユーグ・カペー王からいまのパリ伯爵アンリ7世にいたるまで、男子男系嫡出の原則を守っている。 したがって、サリカ法典を継承する立場にないイギリスやスペインでは、もともと女系も女王もありだったと言うだけのことである。 それに対して、日本の皇位は、人々のかすかな記憶のはてにある神武天皇以来、少なくとも3世紀における崇神天皇による日本国家の成立と、4世紀の仲哀天皇による国家統一からのち、男系による同一家系からしか天皇を出さないという原則をもって国家としての統一の破壊を防いできた。 そうした正統性の維持は、もし恣意的に皇位継承原則を変えれば、より脆弱なものになることが予想される。 それなら、男系の女帝はよいのでないかといわれれば、女帝を想定していないのは、中継ぎの天皇というものを排除した結果であって、男女差別とは関係ないといえばよい。また、伝統的に女帝は独身の女性か天皇の未亡人に限られてきたことも言えば良い。 いずれにせよ、基本的には私有財産の継承論理であるヨーロッパの王位継承とは本質的に違うのであるし、それを丁寧に説明して、国連の委員会が不愉快な干渉をすることをやめるように説得すればいいのである。 ちなみに、私は女帝にも女系にも絶対的に反対していないのだが、一方で、こういった継承原則は、誰にも異論をとなえにくい場合にのみ変更されるものでないと、正統性が弱くなるし、それは国会の独立と統一の維持に悪影響を及ぼすと思う。 したがって、さまざまな努力をしても従来の原則をどうしても崩さざるを得ない場合においてのみ、許されるという立場だ。具体的には、将来において現在の皇族の男系男子の子孫がいなくなった場合に備えて、旧皇族の復帰をスムーズに行える可能性を探り準備もし(たとえば旧皇族のなかから適当な男子を宮家の継承者とするとか)、それでもうまくいかなかったときに、はじめて女帝女系は選択肢に入ると考えている。国連委員会の勧告を有り難がるのは田舎者国連委員会の勧告を有り難がるのは田舎者 日本人は国際機関のいうことを有り難がりすぎるが、これもひとつの例なので紹介しておく。 フランス議会下院は、昨年11月のパリ同時多発テロを受けて発令された非常事態宣言を3カ月延長する法案を賛成212、反対31の賛成多数で可決し、非常事態宣言は5月26日まで延長されている。 これについて、国連の人権問題専門家5人が1月に「過剰でバランスを欠く」として、これ以上延長しないよう求める共同声明を出したそうだが、左翼のオランド政権は、まったく無視し、圧倒的多数で延長が決まった。 対ISの戦いは戦争だという認識から当然だ。国連の委員会などのいうことを有り難がる人など、フランスであろうがアメリカであろうがほとんどいないし、左翼政権であってもそうだ。 あるいは、内部告発サイト「ウィキリークス」創設者のアサンジ容疑者が在英エクアドル大使館で約3年半籠城していることにつき、国連人権委員会作業部会は、「不当拘束に当たる」と裁定した。 しかし、イギリス、アメリカ、スウェーデンは当然のことのように無視している。この委員会は慰安婦で「日本は責任を公式に認めて謝罪し、元慰安婦らに『完全な賠償』をするように」という寝ぼけた勧告をしたことがある。 従えと田舎者の国連崇拝論者は騒いでいたが、国連の委員会の権威は英米やスウェーデンにすら鼻であしらわれるようなものなのだ  少し前に、「署名も批准もするな! TPP署名式の直前に国連が各国政府にたいして異例の呼びかけ」という見出しのHPをTPP反対派がばらまいて悦にいっていた。これも、国連人権理事会の「独立専門家(Independent Expert)」であるアルフレッド・デ・サヤス氏が、TPPの署名式が直前に迫っている2016年2月2日に、関係各国政府に署名も批准も拒否するよう要請したそうだが、理事会の「独立専門家」の要請が「国連の要請」になってしまうのも困る。 国連総会の決議でもアメリカなど相手にしてないくらいであるのに、委員会とか、あるいは単なる専門家がなに言おうが気にする必要ないのだ。 私は、国連の委員会というものについて、一概に批判しているのではない。彼らはその分野の専門家として意見を言っているのであって、それはそれとして価値がある。 たとえば、国内でも少年法についての委員会が、罪を犯した少年を過度に保護するような勧告を出してもいいのであって、ただ、それを社会的に採用するかは別の観点からの検討をすればいいだけだ。 世界でも日本でも、専門家はしばしばマフィア化し、偏っているのも事実だ。そういうものとしてバランス良く彼らの活動を評価すればいいだけのことだ。少なくとも鵜呑みにする必要はない。 国連の委員会など大して有り難がられているわけでないことを、英米仏などの馬耳東風ぶりからも認識しておくと良い事だけは間違いない。

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    「天皇の原理」に難癖をつける国連委の日本差別

    げることは全く適当ではない」と不快感を顕わにし、「わが国の皇室制度も諸外国の王室制度もそれぞれの国の歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている」と発言した。当然であろう。 日本は、二千年以上の長きにわたり、例外なく皇位は男系により継承されてきた。かつて百二十五代の歴代天皇のなかには、十代の女性天皇の例があるが、「先帝の娘」など、いずれも男系の女子であり、女帝の子が即位した事例はない。そのため、男系の血筋を受け継がない者が即位した例はない。国柄の根本を「国体」というが、皇位継承の原理は日本国の国体原理そのものである。したがって、これを国連などにとやかく言われる筋合いはない。 確かに国連憲章第一条に、国連の目的の一つとして人権の尊重が掲げられているが、国民の自決、主権国家としての自決は、国連成立以前から国際社会で尊重されてきた基本事項である。果たして女子差別委員会は日本の皇室制度に文句を付けるにあたり、日本の文化や伝統を尊重し、あるいは敬意を表した形跡はあるだろうか。日本の国柄の根幹である皇室を尊重する態度を持っていただろうか。否、日本政府から抗議を受けて取り下げたことから、十分な検討を経ずに書き込まれたものであると思える。天皇になるのは「権利」なのか? そもそも、皇位の男系継承が女子差別であるというのはあまりに短絡的な意見である。皇室制度の内容を理解すればそのような結論に至ることはあり得ない。女子差別撤回委員会の考えは、「女子だからといって天皇になれないのは可哀想」というものである。これは、天皇になるのが何かの権利であるという前提に立っているが、果たして天皇になるのは「権利」なのであろうか。 よく「皇位継承権」という言葉が使われ、皇太子殿下以下、皇族男子に番号が付けられているので誤解されやすいが、天皇に即位するのは「権利」ではなく「義務」である。天皇には、一般国民が憲法で保障されている人権というものがほとんどない。たとえば、選挙権、被選挙権、居住移転の自由、言論の自由、宗教の自由、政治活動の自由等々、天皇にあるわけもないし、一度天皇に即位すると、天皇を辞める自由もない。 にもかかわらず、その星に生まれた者が運命を背負って皇位に就き、民の父母として、国民一人ひとりの幸せを祈るのが尊いのである。中国清朝の皇帝や、フランスのルイ王朝の王のように、権力闘争の末に王座に就き権勢を振るうのと同じものとして天皇をとらえると、大きな間違いを犯すことになる。日本の皇室のことを知る者は「天皇になれなくて可哀想」と思うことはない。皇居(東京都千代田区) 世の中に様々な種類の職業や地位がある。実際にその職業に就けるかどうかは、本人の実力や運など、多くの要素に左右されるが、いかなる職業や地位にも就く方法は必ずあるだろう。しかし「天皇」だけには「成る方法」は存在しない。つまり、いかに頭が良くても、人気があっても、努力しても、人格が優れていても、「天皇」だけには「成る方法」はない。天皇になる運命の者が、その宿命を粛々と背負っていくから、天皇は尊いのである。したがって、天皇を何か甘い汁を吸える地位であるかのような話をするのは、女子差別撤廃委員会が、天皇を理解していない証であろう。 つまり、天皇は「血統の原理」なのであって、天皇から血統を取り上げてしまったら、それはもはや「天皇」と呼べるものではなくなってしまうと考えなくてはいけないのである。皇統はなぜ男系で継承されるのか では男系継承の制度趣旨は何であろうか。これについては様々な角度から解説されてきたが、ここでは決定的なことを一点だけ述べておきたい。 男系継承は宮廷から女子を締め出すのが目的ではなく、実際はその逆で、宮廷から男子を締め出すのが主旨である。皇室は確認できるだけでも一八〇〇年以上、蘇我氏、藤原氏、足利氏をはじめ、おおくの民間出身の女子を后として受け入れてきた。近代以降でも明治天皇・大正天皇・今上天皇の后はいずれも民間出身であらせられる。だが、民間出身の男子を皇族に迎え入れたことは、日本の歴史上、唯の一度の先例もない。民間の女性は皇族との結婚で皇族となる可能性があるが、民間の男性が皇族になる可能性はないのである。皇位の男系継承は、女子差別には当たらない。男女の性別の問題ではない 男系による皇位継承は、男女の性別の問題ではなく、家の領域の問題というべきである。男系継承とは「皇室の方に天皇になってもらう」ことに尽き、それは皇族以外の人が天皇になることを拒否することに他ならない。愛子内親王殿下の即位までは歴史が許すが、たとえば田中さんとご結婚あそばしたなら、その子は田中君であって、皇室に属する人ではない。もし田中君が即位すれば、父系を辿っても歴代天皇に行きつくことのない、原理の異なる天皇が成立することになる。これは男系による皇位継承が途切れたことを意味する。 民間であっても、息子の子に家を継がせるのが自然で、娘の子たる外孫に継がせるのは不自然である。しかし民間なら、継承者不在で外孫を養子にとって家を継がせることもあるだろう。あるいは外から養子を迎えることもある。これにより、たとえ血統は途絶えても、家は残すことができる。 しかし、皇室はそれができない。なぜなら、天皇が継承するのは、その地位や三種の神器だけではなく、むしろ血統が本質であるからだ。また、先述のように、民間男子を皇室に迎え入れることになる。皇位継承者がいなくなる度に養子を取り、あるいは民間の男子を皇族にしてその子が即位するようなことがあれば、伝統的な血統の原理に基づかない、天皇が成立することになり、それはもはや天皇ではないのである。 一点理由を述べたが、本来「天皇の皇位がなぜ男系によって継承されてきたか」という設問に答えるのは容易ではない。そもそも、人々の経験と英知に基づいて成長してきたものは、その存在理由を言語で説明することはできない。なぜなら、特定の理論に基づいて成立したのではないからだ。天皇そのものが理屈で説明できないように、その血統の原理も理屈で説明することはできないのである。 だが、理論よりも前に、存在する事実がある。男系継承の原理は、最も短く見積もっても二千年来、変更されることなく現在まで貫徹されてきた。これを重く捉えなくてはいけない。例えば、現存する世界最古の木造建築である法隆寺は、その学問的価値の内容にかかわらず、最古故にこれを簡単に立て替えてはいけない。同様に、天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させてはいけないのである。 もはや理由などどうでもよい。男系により継承されてきた皇統は、特定の目的のために作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められていると考えなくてはいけない。 とはいえ、学者のなかには、父を辿っていっても永遠に歴代天皇に辿り着かない、いわゆる「女系天皇」が成立しても、それは正統だと主張する人もいる。たとえ男系継承が途切れたとしても、天皇の子孫が皇位を継承しているなら、それだけで正統だという意見は、男系継承こそが正統という私の意見とは真っ向から対立するものである。何を正統な天皇とするかの議論は、一般の人には分かりにくい議論かもしれない。「女性天皇」の問題点 ところが、もし男系継承が途切れたら、学問的論争とは全く別の次元で、日本の国を揺るがす大きな問題が生じる。現在の天皇陛下が天皇であられることは、何人も疑問を差し挟むことはできないであろう。今上天皇を差し当り「非の打ち所のない天皇」と申し上げておく。それに対して、もし「女系天皇」なるものが成立したら、その天皇は、全く原理の異なる天皇でるが故に、ある人は認め、またある人は認めないという事態が生じる。つまり、その天皇は「非の打ち所のある天皇」になってしまうのである。 「非の打ち所のない天皇」が「非の打ち所のある天皇」になってしまうのは、大問題である。日本国憲法第一条は、天皇が「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」として機能することを求めている。「非の打ち所のある天皇」が日本国や日本国民統合を象徴できるはずはない。もしそうなったら、日本の国体が破壊されたことを意味する。 もしそうなったら、旧皇族の子孫には、歴代天皇の男系男子が複数いるのであるから、将来「女系天皇は正統ではないから、旧皇族から天皇を擁立すべきだ」という運動が起きないとも限らない。二つの朝廷が並び立つという、南北朝の再来ともいえる事態に陥る可能性もある。 もはや、皇位の男系継承は、我が国の基本原理であって、これはいかなり理由によっても決して動かしてはいけないものなのである。もはや学問的理由や、正当性の議論はなど、どうでもよいというべきであろう。「女性天皇」の問題点 さて、これまで皇位の男系継承の意義について述べてきたが、「女性天皇」、つまり女性が天皇になることの問題点を一つ指摘しておきたい。 天皇と皇后では、お役割が異なり、もし女帝天皇が成立すると、その天皇は、天皇のお役割と皇后のお役割の両方を一手に担うことになってしまう。そして、その両方を全うすることは、全く不可能なことである。 皇后固有のお役割とは、分かりやすくいえば「将来の天皇の子を産み育てること」である。無論、民間人であれば出産しない自由は認められるが、皇后にはそのような自由は実質的に認められない。 天皇陛下が皇后を兼ねていらっしゃったら、また皇后陛下が天皇を兼ねていらっしゃったら、どうであったか。皇后陛下は失語症になられたこともあった。しかし、見事に克服あそばし、立派に皇后としてのお役割を全うされていらっしゃる。このように、皇后だけでも大変なお役割であって、一人の女性が天皇と 皇后の両方のお役割を担うとしたら、それは無理というべきだろう。天皇が皇后を兼務することも然りである。日本差別ではないのか 女性に生まれたから全う不能な職務を背負わせられるとしたら、それこそ女性天皇は「女性差別」であると言わねばならぬ。国連機関が女性天皇を奨励するなど、差別撤廃に真っ向から刃向かうことであり、国連の理念に反する主張である。これまで一二五代の天皇があったが、その内女性天皇は僅か十代に過ぎない。歴史的に、男性が天皇になることを原則とし、女性天皇は極めて特殊な事情がある場合に限られてきたのは、そういった意味合いもあったことと思う。日本差別ではないのか 次に、国連女子差別撤廃委員会が皇室制度に言及しようとしたことにつき、総理がいみじくも「国民の支持を得て今に至るものである」と指摘した点についても触れておきたい。よく皇室制度の歴史は明治からであるといわれる。たしかに皇室制度が法律の条文に規定されたのは明治時代のことだが、それは二千年以上継承されてきた皇室の慣習法を、条文に書き起こしたのであるから、皇室制度自体が明治時代に創設されたものではない。 日本では、いつの時代をとっても、国民が天皇を支えながら歴史を刻んできた。もし日本人にとって皇室が不要なものであれば、とっくに皇室は滅びていたに違いない。そして、現在も国民の圧倒的多数が皇室に親しみを持ち、皇室を支持しているのである。天皇と国民の繋がりは「国体」そものといえる。日本から「天皇」を取り払ってしまったら、それはもはや「日本」ではないといえば大げさに聞こえるかもしれないが、それほど、天皇と国民の繋がりは日本の国柄の根本を形成しているのである。 女子差別撤廃委員会が男系継承の皇室典範を改定するように勧告することは、古事記と日本書紀の原理を変更するように求めるのと同じで、これは日本が日本であるのを止めるように勧告するに等しい。「聖書やコーランに差別的なことが書いてあるから書き換えろ」と言うのに等しいと表現すれば分かりやすいだろうか。 今回、同委員会は日本の皇室制度について勧告しようとしたが、では彼等はバチカンやアラブの君主国に「女子が王や法王になれないのは女子差別だ」と勧告したことがあったか。無論、他の君主国の王と日本の天皇は成立背景も意味合いも全く異なるので同列に比較することはできないが、もし日本だけにそのように勧告するのなら、それは「日本差別」であると反論すべきである。林陽子委員長を国会で尋問すべき また本件では、日本を攻撃する道具として国連が政治的に利用された可能性が高い点も見逃せない。皇室典範に関する話題が委員会で一度も提示されていなかったにもかかわらず、何の前触れもなく最終見解案に書き込まれた。これは、日本の反論権も無視するもので、水面下で何らかの工作がなされたものと思われる。一体誰が何のために、明らかな手続違反をしてまで皇室典範を盛りこむ必要があったのだろうか。 その答えは委員会の顔ぶれから見えてくるように思う。日本向け勧告をとりまとめた同委員会の副委員長は中国人だった。中国が国として関与した可能性も想定しておくべきであろう。 しかも、同委員会の委員長は日本人であることは、あまり報道されていない。林陽子という人物で、フェミニズム運動に取り組む弁護士である。林氏は昨年二月から二年の任期で、委員長として全ての議事を司る責任を負う立場にある。また、日本から大勢のNGO団体が参加した。皇室典範の改定など、日本人の入れ知恵がなければ議論に登ることもなかったであろう。国連女性差別撤廃委員会の対日審査会合 =2月16日、ジュネーブの国連欧州本部 つまり、告発者である日本のNGOと、日本人委員長、そこに中国人副委員長が力を合わせて皇室典範改定の勧告を作り上げたという背景が見えてくる。では林委員長は一体何をやっていたのだろうか。対日最終見解案に皇室典範のことが記載されたことを、知らなかったとは考えにくい。 私は、国会が林陽子氏を参考人として招致し、皇室典範のことが最終見解案に書き込まれた経緯を説明させるべきであると思う。皇室典範のことを知らなかったのであれば、まじめに仕事をしていなかったことを意味する。また、知っていたのであれば、なぜ日本の立場を説明して回避する努力をしなかったのか、大いに疑問を呈すべきであろう。 日本政府が抗議しただけで取り下げたのであるから、日本人の委員長が説明すれば、簡単に皇室典範への言及を削除させることができたはずだ。あるいは、林氏自身が皇室制度を変えようとする中心人物だったと考えれば辻褄が合うのだが、真相は国会で追及して欲しいと思う。もしそうだとすれば、本件は委員長自身が国連機関を政治利用した由々しき事件だったことになる。 男系継承の原理は簡単に言語で説明できるものではないが、この原理を守ってきた日本が、世界で最も長く王朝を維持し現在に至ることは事実である。皇室はだてに二千年以上も続いてきたわけではない。歴史的な皇室制度の完成度は高く、その原理を変更するには余程慎重になるべきである。今を生きる日本人は、先祖から国体を預かり、子孫に受け継ぐ義務がある。国体の継承は私たちの責務であると考えなくてはならない。(本稿は、『正論』平成二十八年五月号「君は日本を誇れるか~皇室典範に口を挟む国連」に大幅に加筆したものです)

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    あまりにも無知で粗雑! 皇位継承まで口を出す国連委の非常識

    削除された。菅義偉官房長官はこの日の記者会見で「わが国の皇室制度も諸外国の王室制度も、それぞれの国の歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている。わが国の皇室制度の在り方は、女子差別撤廃条約でいう差別を目的としていないのは明らかであり、委員会側がわが国の皇室典範について取り上げることは全く適当ではない」と答弁している。 安倍晋三首相も14日の参院予算委員会で同旨の批判を述べ、さらに「今回のような事案が二度と発生しないように、女子差別撤廃委員会をはじめとする国連及び各種委員会にあらゆる機会をとらえて働きかけていきたい」と強調した。 至極真っ当な見解であり、迅速かつ適切な対応であって、これ以上つけ加える必要はないが、この機会にわが国の皇位継承について改めて考えてみることも意昧なきことではあるまい。周知のように、わが国の皇位経承は男系によって堅持されてきた。皇室における男系とは、父方を通して歴代天皇の系譜につながる方々を指し、女系とは、母方を通してしか歴代天皇の系譜につながることのできない方々を指す。この原則は第2代の綏靖天皇から百二十五代の今上天皇まで二千余年にわたって脈々と受け継がれ、この揺るぎなき伝統を「万世一系」と称する。 したがって、女系による皇位継承はこの定めに背反し、皇統の断絶をきたすものと老えられてきた。これは、力づくによるものではないにしろ、中国の歴史に頻発した易姓革命に類似する王朝の交替と同視されたからである。 本原則は、もともと建国以来の「不文の大法」に基づくものであったが、明治になって憲法および皇室典範において成文化され、日本国憲法の下でも継承されている。憲法第2条は「皇位は世襲のものであって…」とあり、必ずしも男系に限定していないかのように解する向きもあるが、現憲法の制定に際しての政府側答弁でも「男系を意味する」と明言されている。これを受けて現典範は第1条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と規定し、旧典範第1条「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」を踏襲していることは明白である。わが国の歴史、伝統に無知かつ非常識 この点に関してよく言われることだが、「わが国にも過去に女性天皇がおられたではないか」という反問について簡単に触れる。たしかに、わが国には八方・十代の女帝(女性天皇)がおられたが、すべて男系であり、しかも、これらの方々の大半は皇嗣が幼少であるなどの事情に基づく「中継ぎ」の即位であって、あくまでも一時的・例外的な存在である。また、過去の女帝は、元皇后または皇太子妃の場合、すべて未亡人であり、未婚の方は生涯独身を通され、配偶者を有されたままで皇位につかれたことは皆無であった。 以上、ごく簡単にわが国の皇位雑承について述べてきたが、国連の勧告がいかにわが国の歴史、伝統に無知かつ非常識な代物であるばかりではなく、論の立て方自体が粗雑に過ぎよう。というのは、勧告は「女性差別撤廃」の視点から「男系男子」と「女系女子」を単純に対比させて、後者にも皇位継承権を与えよと主張しているが、「男系女子」「女系男子」については何の言及もないからである(過去の女帝の存在は全く視野に入っていない)。また、勧告の根拠となっている国連の人権宣言は「人種、皮膚の色、性別」にとどまらず、「宗教、政治上の意見」などの差別を無くすことを謳っているが、今回のような恣意的なものが過去にもあったのか、あらためて検証してみる必要があろう。皇室典範に関する有識者会議で最終報告書を小泉純一郎首相(右)に手渡す吉川弘之座長=2005年11月24日、首相官邸  翻ってみれば、小泉純一郎内閣において女系導入も辞さない皇室典範改定が拙速に推進されようとしたことがあった。女性天皇と女系天皇の違いも明瞭ではない首相の独走に対して少なからぬ国民が反発したため、次の安倍首相によって法案は白紙に戻ったという経緯がある。 その意味で今回はあまり心配しなくてもよいかもしれないが、悠仁親王の世代に男子皇族がほかにおられないという皇統の危機は厳としてある。政府は男系主義を維持しつつ、これに対処する方策(昭和22年にGHQの経済的圧迫によって皇籍の離脱を余儀なくされた方の子孫による皇籍の取得)を速やかに講じていただきたい。

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    万葉集にみる皇位継承へのおおらかな真情

    、昭和二十年九月二日から、我が国を占領した連合国(GHQ、主にアメリカ)は、日本の脅威は、天皇を戴く歴史と伝統から生み出されると判断して、占領当初、その天皇の廃止を日本側に求めた。 その時、それを阻止したのは、民社党初代委員長となった西尾末広らである(梅澤昇平著「皇室を戴く社会主義」展転社)。 このように、もともと国連(連合国)には、一方的な自分勝手な理屈で、もしくはコミンテルン戦略によって、日本の歴史と伝統を危険視・敵視して解体するというコミンテルン的日本分断の衝動(遺伝子)がある。 そこに、同じコミンテルン的衝動をもついろいろな国籍の者が入り込んで、国連に元々あった遺伝子を再活性化している。 (その国連の運営に巨額の国費をつぎ込んで、彼らの給料を支払っているのが我が国という訳だ)  近年においても国連は、朝日新聞の虚報・捏造報道に飛びついて、日本軍が朝鮮人女性を強制連行して性奴隷にしたというおぞましい見解を公表して我が国の名誉を毀損したが、この度の、国連の委員会による我が国の皇位継承の伝統を一方的に女性差別とする原案作成もこの国連のコミンテルン的日本分断衝動と無関係ではない。  我が国政府は、この国連の委員会の構成員とその素性を調査して発表し、国民が国連の本質を知る機会と材料を提供するべきである。 この国連の委員会の動きに対する安倍総理の判断と答弁は適切であり、ここで筆を止めて安倍内閣の対処に待ち、以下は私の付け加えたいことを記す。 それは、皇室典範と万葉集についてである。 現行の「皇室典範」は、GHQの占領統治下である昭和二十二年に、日本国憲法の付属法として法律として制定された。 従って、皇位の継承の在り方は、国会における多数決で決めることができると思われがちである。 しかし、それは戦後体制という一時期の思い込みである。皇室典範とは、法律ではない  皇室典範とは、そもそも「皇家の成典」であり、法律ではない。  つまり皇室典範とは、天照大神の「天壌無窮の神勅」に発する神武天皇以来の「皇室の家訓」である。 その神武天皇以来の「家訓」を、大日本帝国憲法発布の日である明治二十二年二月十一日に、「皇室典範制定の勅語」によって「勅定」されたものが皇室典範である。  すなわち、その勅語にあるとおり、 「今の時に当たり、宜しく遺訓を明徴し、皇家の成典を成立し、 以て丕基(ひき)を永遠に鞏固にすへし」 として制定された神武天皇以来の二千六百七十六年にわたる天皇家の「遺訓」が皇室典範であり、皇位は「皇男子孫之を継承す」と定められている。「万葉集」(桂宮本)=「日本の歴史」(暁教育図書) これが太古から今に至る万世一系の天皇を戴く我が国の歴史と伝統である。ここから「日本のこころ」が湧き上がる。このような国は、我が国以外、世界にはない。つまり、我が国は山鹿素行の言うとおり「万邦無比の國」である。 では、「皇男子孫之を継承す」の姿とは何か。そこで、世界に誇る日本のこころである万葉集を観よう。 万葉集第一巻冒頭の歌、すなわち、万葉開幕冒頭の歌、それは、泊瀨の朝倉宮におられた第二十一代雄略天皇ののどかな春の岡で、菜を摘む美しい乙女を眺めて詠まれた、おおらかで雄大な求愛の御製である。   籠(こ)もよ み籠もち ふくしもよ    みぶくし持ち この岡に 菜つます児   家告(の)らせ 名告らせ    そらみつ 大和の國は、押しなべて 我こそ居れ    しきなべて 我こそいませ    我こそば 告らめ 家をも名をも そして、この天皇の求愛に応えたであろう娘の歌が作者不詳で第十三巻に載せられている。   隠口(こもりく)の 泊瀬小國に 結婚(よばひ)せす    我が天皇(すめろき)よ    奧床に 母は寝(い)ねたり 外床に 父は寝ねたり   起きたたば 母知りぬべし    出でて行かば 父知りぬべし    ぬばたまの 夜は明け行きぬ    ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こも)り夫(つま)かも この天皇の御製と娘の歌は、ながく詠われ続けてきて、伝承発展をとげ、宮廷の大歌として、舞などともなってのこされたものであろう(犬養 孝博士)。  さて、菜を摘んでいた娘の歌で明らかなことは、古代日本の社会では、明らかに女性が上位であるということだ。 なにしろ、娘の家の奧には母が寝ていて、父は外に寝ている。しかも、天皇でさえ、娘の同意がなければ家の中に入れない。そして、娘は、父母を気にしてなかなか天皇を家の中に入れない。 それ故、天皇は、あの雄略天皇が、娘の家の外で、夜が明けてくるまで、じっと待っている。  とはいえ、天皇と娘が結ばれた時のことを考えよう。 つまり、この第二十一代の天皇の時代、天皇と娘が結ばれて、娘に男子が産まれればどうなる。  生まれた男子は皇位継承権をもつ。天皇になるのだ。これが男系の継承である。  すなわち、日本の全ての女性が「天皇の母」になりうる伝統が男系の継承である。この岡で菜を摘んでいた娘が、天皇の母となる。なんと、おおらかな、ほほえましい、自然なことであろうか。 そう、日本の全ての女性が「天皇の母」になる体制が男系継承なのだ。それ故、万世一系、百二十五代の現在に続いてきた。世界に、我が国以外にこの類(たぐい)なし。  万葉集は、第一巻の冒頭に、雄大な雄略天皇の求愛の御製を載せて日本の一番大切な皇位継承における、おおらかな真情に基づく伝統を歌いあげているのではなかろうか。そういう気がしてならない。  このどこに女性差別があろうか。(2016年03月16日 「西村眞悟の時事通信」より転載)

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    安倍政権 参院選後に女性宮家創設を検討か

    70年談話(安倍談話)」を発表し、それまで「(過去の村山談話と)同じことをいうなら出す必要はない」と歴史認識の転換を臭わせていた安倍首相は天皇のおことばに神経を尖らせていたとされる】 だが、このままでは悠仁親王が成人された頃には、皇室に皇族が誰一人残っていないという状況も起こりえます。 その問題を解決するために、夏の参院選後に野田政権時とは全く異なる有識者会議を発足させて女性宮家創設の検討に動き出すようです。陛下の孫である眞子さま、佳子さま、愛子さま、3人の内親王に一代限りの宮家を認めるかが議論の中心になる。安倍首相は慎重に議論を進める姿勢ですが、菅官房長官を中心に柔軟に対応することになる」 とはいえ、これまで女性宮家の創設は俎上にのっては消えてきた。また、仮に女性宮家が創設されても、男系男子が誕生しなければいずれ皇統が絶えるという根本的な問題は解決されない。関連記事■ 皇太子家の敷地は秋篠宮邸の3.8倍で居宅の部屋数は2倍■ 半蔵門使用は天皇、皇后、皇太子一家のみ 他の皇族は乾門へ■ 佳子さまの伊勢参拝で見えた東宮家と秋篠宮家の明確な格差■ 宮内庁の予算約170億円 天皇家のプライベート予算約3億円■ 佳子さま初参加 皇族が唯一選挙を行う「皇族議員選挙」とは?

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    国債政策のレジーム大転換こそが「失われた20年」脱却のカギになる

    えた」という所論を書いていた(2016年4月6日 産経新聞 正論欄)。 この記事によると「人類発展の歴史上必然の結果として、21世紀に入ると、欧米や日本などの先進諸国は成熟局面に入り、低成長、低インフレへの時代へ移っていくことになる」とし、「先進諸国の1人あたりGDPは4~5万ドルに達し、それぞれ豊かさを享受している。2010年から14年の平均成長率は日本が1.61%、アメリカが2.16%、イギリスが1.60%、ドイツが2.02%、フランスが1.01%と、1%~2%前後に収斂した」としている。 また「近代資本主義の発展はより遠くへより速く進展することで展開してきたが、もはやフロンティアは消滅した。また産業面においてもフロンティアは開発し尽くされ、新たな分野はなくなり、利潤率は低下し、利子率を大きく減少させることになった」と述べている。そして「『豊かなゼロ成長の時代』とでもいうのだろうか。人々の関心は『モノ』から、次第に環境や安全、そして健康へと移ってきている」と結論づけている。 しかし前述したように、わが日本はこの20数年の間に一人当たりGDPで大幅に順位を落としていて、とても成熟した豊かな国などと言っていられない。榊原氏は2010年と2014年のGDPを比較しているが、この期間の設定に疑問がある。実は2000年と2014年とで比較してみると、日本が0.97倍、アメリカ1.68倍、イギリス1.90倍、ドイツ1.98倍、フランス2.06倍となっている。わが国の低迷ぶりが突出している。しかもこの間に中国のGNPは1,205(十億ドル)から10,356(十億ドル)へと8.59倍の高度成長を遂げた。加えて購買力平価によるGDP(2014年)では、中国が18,088(十億ドル)、アメリカが17,348(十億ドル)となっている。今や中国が世界1位のランクを誇っている。これではわが国が「豊かなゼロ成長の時代」を是とし「豊かさを享受」などしてはいられないのは自明であろう。(L)榊原氏は本気でこうした低成長容認論を書いているのだろうか。(P)そういえば先日私の同僚の某教授いわく「榊原氏はこれからは低成長が続くのは当然であると主張することによって、財務省の財政均衡論・財政緊縮論を支持すると同時に、日本銀行によるインフレ率2%公約の達成は不要であると間接的に主張したいのではなかろうか」と言っていた。ちょっと穿ちすぎかと思うが、そうとも受け取れるね。デフレ・低成長の原因と背景(L)率直なところ、この20年間の不況対策は失敗の連続だったようにみえる。失敗という言葉が言い過ぎならば、政策・対策がtoo late, too little であった。そしてそのもっとも重大で致命的な原因は、政府とくに財務省と日本銀行の 考え方のなかにあると思う。端的に言えば、財務省は財政健全化という名分のために適切な財政政策の遂行を怠った。そしてそれは今でも変わっていない。一方日本銀行はインフレ忌避に関して戦後ずっと続いてきた伝統から逃れられず、事実上デフレを容認してきた。2013年以降黒田体制になって大きな変化を遂げたが、当初予定した結果が得られていない。昨今の情勢から判断すると、そもそも金融政策には限界があること、すなわち財政政策と金融政策とが一体となって運用されることが不可欠であるという当然のことがはっきりしてきているようにみえる。君の意見はどうかな?(P)ずばり言ってしまえば貴君の言うようなことかもしれないが、財務省も日本銀行もそれぞれ懸命に努力してきていると考えている。ただ前にデフレの長期化は「関係者の無知および属している組織の利益擁護・追求からくる 無策あるいは施策の誤りの結果」だという見方を申しあげたが、残念ながらそのとおりだ。ただ大きな組織のなかである個人が現在認められている政策と異なった考え方を抱き、それを主張・実現していこうとすることはきわめて困難だし、いずれ組織からはじき出されることになる。想像を絶する困難さだと思う。日本銀行の白川前総裁もそうした苦渋を舐めさせられた一人であったとみている。 なお政策に関してもっとも重大かつ最終的な責任は政権与党にあることを看過してはいけないのではないか。この20年間の実績から言うと、自民党、民主党とも経済政策に関して必ずしも及第点を取ってきたとは言えない。政策の内容・方向が間違っていたり、内容・方向は妥当であってもその実行についてなにかと問題を残したことがある。画像はイメージです(L)君の言うとおりかも知れないが、それでは、不況脱出は不可能ということになってしまわないか。政党も役所も中央銀行も職場放棄みたいな話だ。現在のようなデフレ状態をいつまでも放置して置くわけにはいかない。この国は何しろ20年もこうしたことを続けているわけだからね。この罠から抜け出すためには、この際どんなに困難でも腹を決めて対策を打ち抜かなければならないと思う。安倍政権は頑張っていると思うが、さらなる健闘を期待したい。これからどうすべきかについて、かねて具体的に考えていることがあるので、君の意見を聞かせてほしいな。 その第一は、思い切った額による財政政策の出動を継続的に行なうこと。その第二は、その実行を可能とするために国債政策のレジーム(regime)を大転換すべしという2点である。思い切って実行することによって不況からの脱出が確実になるし、また財務省の悲願である財政健全化への道が開けてくる。第二について言えば国債発行の累積はなんら危険ではないし、避けるべき事柄でもない。またこうした考え方は現在では次第に少数意見ではなくなってきている。(P)そのことについては私も関心がある。君の考えをぜひ詳しく聞かせてほしいな。リフレ策は賞味期限切れ(L)まず財政政策なかんずく公共投資を大いに復活させるべきである。その財源は国債増発である。曲折を経てリフレ派による金融政策が日本銀行を通じて進められてきた。当初株価・為替に好影響を与えたように見受けられたが、ここへきてその効果が疑問視されるに至っている。企業業績も上向きであるが、賃金にはほとんど反映していない。もともとtrickle効果などを期待するのが甘い。その結果消費は依然として低迷を続けており、デフレ圧力は減少していない。日銀による物価の公約も到底果たせそうにもない。民間企業はお金を貯め込むばかりで投資には向かわない。投資をしても売上も増えないし利益も稼げないことが 分かっているからである。リフレ策は賞味期限切れである。アベノミクスは立ち往生している。本来第2の矢である財政政策がもっと活躍すべきであったが、財務省の策略か、第1の矢にほとんどすべての期待が寄せられてきた。画像はイメージです 18年前にリフレ策をわが国に最初に勧めたかのクルーグマン先生も2015年10月のニューヨーク・タイムズ紙で「Rethinking Japan」と題して今の日本経済ではリフレ策に限界があることを認めざるをえなかった。そして確実にインフレを起こす唯一の方法は爆発的な財政刺激を加えることだと述べている。ここでクルーグマン先生は「重力圏を脱する速度(escape velocity)」が必要との表現を使っている。中途半端な速度では不況からの脱出は不可能であると主張したいのだろう。その額はGNP比6%(30兆円)だとしているようだが、こうした拡張策は財政赤字をますます大きくするので実務的な政策になるのは絶望的だとも言っている。無責任な話だ。 小野盛司氏によれば、日経紙の日本経済モデルNEEDSで試算したところ、日本経済復活のためには少なくとも30兆円規模の対策を数年間続ける必要があることが分かったと述べている。計量経済モデルはなにかと問題があるが、他のデフレギャップの試算等から推してもこの程度の額が必要と想定されよう。財源の捻出については次に述べるが、必要とされる額の財政投資を実行する以外に他に道はないのではなかろうか。それとも座して死を待つのか。(P)L君、忙しいのによく勉強しているね。リフレ派に関しては同感するところも多々ある。ただ30兆円の公共投資を数年続けるのは大変なことだよ。国債政策のレジーム大転換が必要(L)そうなんだ。大変なことだと思うよ。財務省が猛烈に抵抗するだろう。だからこそ国債政策のレジームの大転換が必要だと考えているのさ。 まず表を見てほしい。この表は国債の発行から償還までの流れを中央政府 (財務省MOF)、中央銀行(日本銀行BOJ)、市中銀行、家計(個人)の4部門に分けて示したものである。取引が行われるとそれぞれの部門の貸借対照表上で資産と負債に仕分けされ記帳される。表はその動きを示している。金額単位は別に必要ないが、億円でも百万円でもよい。 StageⅠでは、家計が通貨(現金)を100(億円)所有しているとする。これがスタートである。この通貨はBOJでは負債として記帳される。言うまでもなく通貨はBOJ以外では資産として記帳される。 StageⅡでは、家計がこの通貨を市中銀行に預金として預入したとする。市中銀行は資産に通貨を、負債に預金を記帳する。家計は資産に預金として記帳する。 StageⅢでは、市中銀行が通貨をBOJに対して預金として預入する。その結果BOJの通貨勘定に発行と還流とが同時に発生するので両者は相殺される。 StageⅣでは、MOFが国債を発行して市中銀行がそれを引受ける(購入)。その代金はBOJにあるMOFの勘定の預金として記帳される。発行された国債はMOFの負債勘定に記帳される。 StageⅤでは、BOJが買いオペレ-ションを実施し、国債はBOJの資産勘定に記帳される。 StageⅥでは、MOF(実務上は国土交通省)が国債発行で得た通貨によって公共投資を行なう(道路で60、橋で40)。支払われた通貨は民間企業(建設会社等)の資産勘定に記帳される(この表には表示されていないが)。 StageⅦは、StageⅥと同じ内容であるが、整理して表記したものである。 ここで注目されることは、BOJの負債勘定から右にある市中銀行、家計までの勘定がStageⅢと同じになっている点である。一方、国債発行、買オペ、公共投資が行われた後のMOF、BOJの資産・負債が示されている。すなわち結果として市中銀行と家計にまったく影響を与えないで(徴税などによって民間から資金調達をせずに)、MOFは公共投資を実施したことが示されている。民間企業(建設会社等)は100の仕事を得て、100の所得(収入)を得たのである。その分GDPは増加する。これが不況期(供給力に余裕がある場合)における  景気対策の内容を財務諸表のうえで具体的に示したものである。 次に将来国債の満期が到来した時にはMOFは同額の別の国債を発行(借換債の発行)すれば同じ資産・負債を保持することができる。民間から税金を徴収して償還する必要はない。この点が重要なポイントである。 またStageⅦに示したようにMOFの負債勘定とBOJの資産勘定を相殺することも可能である(MOFはBOJの株式の55%を所有している。すなわちBOJはMOFの子会社であり、財務諸表を連結することができる)。黒田総裁の最大の功績(L)日本銀行による既発国債の買いオペレーション(StageⅤ)については、従来日本銀行は消極的であると言われてきた。大東亜戦争時における日本銀行の国債引き受けが激しいインフレを招来した歴史があるためである。しかし2013年以降、新体制となった日本銀行は異次元金融緩和政策の一環として、市中の金融機関等からの買いオペレーションにより大量の国債を保有するに至った。2015年12月末の国債発行残高1,036兆円のうち日本銀行の保有額は331兆円(32.0%)である。数年前までは考えられなかったことが起きている。これはリフレ派が日本銀行の中枢に席を得た必然の結果である。白川氏の辞任を受けて日本銀行総裁に就任した黒田氏およびその同調者の最大の功績は国債の買いオペレーションを日常化させた点にあると言っても過言ではない。記者会見する麻生財務相(左)と黒田日銀総裁=5月3日、フランクフルト(共同) 現在日本銀行は新発国債を政府から直接引き受けることはできないことになっているが、上記の事実は若干のラグを経て直接引受けを可能にしたことと同義である。そしてさらに重要なことは、この結果政府(財務省)は日本銀行が保有する国債残高に関しては、事実上償還義務から開放されたと解することが可能になったことである。すなわち現在の国債残高を700兆円と観念することができる。 ここで想起されることは、シニョリッジ(seigniorage 通貨発行益)である。現在わが国では政府が直接通貨を発行することはできないことになっているが、かりにそれが可能であれば、シニョリッジによって財源を得ることができる訳である。そして日本銀行の買いオペレ-ションの実行は事実上同じ効果を生んでいる。 その他に、買いオペの価格(金利)と経理処理の仕方、金利高騰時におけるオペについての問題点、市場や外国からの国債の売り浴びせへの対応、国債残高の対GDP比率の捉え方(アメリカの格付け機関への対応)等々の問題が考えられるが、それぞれ十分に解決あるいは対応可能である。ただしここでは省略する。 通貨や国債の信用は一体何に立脚しているかを考えてみると、実務的には政府の徴税権の存在である。徴税権が確保されていなければ、通貨や国債は唯の紙切れになりかねない。そして徴税権の実行を可能にするのは、課税の対象である民間企業と家計(個人)の存在であり、究極的にはその経済力の強さと大きさの存在である。そう考えるとわが国の通貨・国債の強靭さが納得できよう。ギリシャとはまったく異なる。 これらのことから断言できることは、国債の累積によってなんら困難な問題を引き起こすことはないということである。以上について政府中枢、財務省、日本銀行が理解・納得すれば、従来の財政均衡主義とは異なったスタンスで、新規国債発行によるデフレ対策を強力に 推進することが可能になると考えられる。もちろん現時点においてすでに理解・納得している関係者も若干はあると思われるが、それが大勢を占めている訳でもなく、またこうした考えが公式見解になっている訳でもない。しかし今こそ大胆かつ異次元の財政政策の出動が待たれている。広く理解が得られる日が一日も早く到来することを切望したい。(P)なるほど、一応君の考えていることは分かった。ただどうも直感的には納得できにくい内容だ。学者仲間にはそういう主張をする人は見当たらない。 物理学(力学)の世界の話だが、ピサの斜塔からの自由落下実験にしても最初はだれも認めなかったと言われている(重い物ほど早く落下するとしたアリストテレスの公理を否定したガリレオ・ガリレイによる実験)。別途ゆっくり考えてみることとしたい。

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    紛争はひたすら回避 外交無策の外務省が国を亡ぼす

    本的スタンスであるとうかがい知ることができる。省内に巣食う反日分子の存在省内に巣食う反日分子の存在 歴史非難に関して、慰安婦問題および世界遺産問題を事例にみると、現在50人の日本の学者たちが'慰安婦'問題に関し、マグロウヒル社および米国学会に抗議を行っているにもかかわらず、外務省は外交手段を用いようともしない。 中国による南京大虐殺文書の記憶遺産登録で問題化したユネスコ審査部は、日本人の審査員を小人数しか置かず、3月7日に国連女子差別撤廃委員会が出した「最終見解」には、慰安婦問題について極めて不当な見解が出されている。その原案には、「皇室典範」の「男系の皇位継承」が女子差別にあたり、改正を求める趣旨の記述まであった。 同委員会委員長の林陽子氏を国連に推薦したのは、ほかならぬ外務省である。1996年、性奴隷と認定したクラスワミ報告書に対し明快な反論文を作成しながら、なぜか別文書にすり替えた件などを考え合わせると、省内に我が国をおとしめようとする勢力が存在するのは明らかである。 平成19年、アジア女性基金解散後、外務省独自にフォローアップ事業と称して毎年度、韓国の元慰安婦と称する人々に1500万円の予算を付け生活必需品を支給したり、中国緑化運動に支援金90億円を計上したりするのは、相手国側に忠節を尽くす意図の表れにほかならない。明らかに君側の奸が存在することの証しである。無責任な体質の継承 1941年12月8日、日本時間の午前8時までに行うべき最後通告が、在米日本大使館員の不手際で間に合わなかった結果、日本は米国に対してだまし討ちをしたことになった。 このことに対し外務省の直接の担当者及びその上司が責任をとったという話を聞いたことがない。在米一等書記官の奥村勝蔵は開戦前日の最後通告解読文をタイプに打ち込む担当であり、最後通告の手交遅延の直接責任者であった。当日遊びに出て大使館を留守にした。その彼が戦後マッカーサーと天皇の通訳を長らく務め、講和条約発効後は外務省の外務次官になっている。 井口貞夫・在米参事官は真珠湾攻撃の前日、本省からあらかじめ万端の準備指示があったにもかかわらず、緊急態勢を敷かなかった。その後彼は1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和条約締結時外務次官として列席した。結局、外務省は真珠湾だまし討ちの謝罪を公には全くしていないのである。なぜなら自分たちの責任に及ぶからである。 真珠湾50周年に際し、時の外相、渡辺美智雄がワシントンポストに「旧日本軍の無謀な判断で始まった」と述べており、悪いのは軍部で外務省に責任はないと言っているのである。 2年前の2014年7月、北朝鮮とのストックホルム合意に基づき制裁の一部を解除したその後拉致被害者に関する進展はなく交渉に当たった責任者(伊原純一アジア大洋州局長)は何らおとがめなしであるところを見れば、省内に延々と受け継がれていることが分かるのである。つまり、結果に対し責任をとらないでよいことになっていると考えざるを得ない。札束外交の虚しい影響力札束外交の虚しい影響力 昨年11月マレーシアで行われたASEAN国防相拡大会議では、南シナ海問題で意見の一致が見られず共同宣言が見送られた。背景にあるのは中国のASEANに対する経済的、軍事的圧力であり、中国の了解なしには何も決められない実態が明らかである。 安倍首相は福島県いわき市で開催された「太平洋・島サミット」で、パラオなど南太平洋の島しょ国に今後3年間で550億円以上の財政支援を表明した。首相は、「力による威嚇や力の行使とは無縁の太平洋市民社会の秩序」の構築を呼びかけ、名指しは避けたが、中国を牽制した。要するに、島しょ国が“中国寄り”にならないように、カネを渡して日本シンパにしようということだった。「太平洋・島サミット」の首脳会議に臨む、太平洋島しょ国14カ国の首脳ら=2015年5月23日、福島県いわき市 これは、当初から外務省がお得意のODAや各種支援金と軌を一にしたやり方である。なんと、この2年半で、アフリカ支援に3兆円、バングラデシュ支援に6000億円と、ODAや円借款を積み上げると26兆円に上る。支援がすべてムダとは思わないが、いったい、どれほどの成果があったのか。だから手の内を読まれ、足元を見透かされている。外国にとっては、格好のカネづるになりかねない。資金援助してもらえる国はニコニコして、表面上は日本をチヤホヤしてくれるだろうがそれだけのこと。支援が途切れたらソッポを向かれるのは明らかである。亡国への道筋を避けるには はっきり言えば、外務省がやろうしている外交が全く機能しないから、バラマキや軍事的抑止力に頼らざるを得なくなってしまうのである。仮にこのままの外交姿勢を続けていくと、徐々に国家主権を奪われ、いずれ日本は詰んでしまうことになる。 既に首相の靖国参拝参拝がはばかられる事態をはじめ、国連人権理事会や差別撤廃委員会による人種差別撤廃(ヘイトスピーチ)の法的規制や皇室範典の違法性、竹島など主権侵害の進行がそれを物語っている。手を替え品を替えて国民の手足が縛られていくのを、亡国と言わずして何と表すればよいのであろうか。 クラウゼヴィッツの言を待つまでもなく、戦争とは意思を敵国に強要するための暴力行為である。あくまで暴力行為は手段であり、目的は意思の強要である。意思の強要さえできれば、暴力行為は必ずしも必要ではない。外交が血を流さない戦争といわれるゆえんである。外交官はじめ外務省職員がこのような自覚を持たない限り、日本は亡国への坂を下り続けるに違いない。 国際社会は指摘されたことを"素直に認めて謝罪すれば、それで相手は矛を収め、真の和解につながるというほど甘くはない。逆に日本が受け入れられないと拒否する姿勢を示したことで、国連が微妙にスタンスを変更した例が、それを証明している。  例えばクラマスワミ報告に対して、ラディカ・クラマスワミの出身国であるスリランカを、今後、ODAを一切提供しないと恫喝すれば多分採択されなかった可能性が大きい。"良い、悪い"ではなく、国際社会とはそうした力学によって動いているのである。 北朝鮮政策では対話と圧力といわれる。対話については幾度となく行われているが、相手が音を上げるまで圧力をかけたことは一度も聞いたことがない。かけすぎると暴発の恐れがあるとの脅し文句が必ず浮上する。それではいつまでたっても拉致被害者は帰っては来ない。相手の反撃を恐れて手をこまねいていては問題は一向に解決はしないのである。 ただし、ここで忘れてはならないことは、国連詣でを繰り返し、職員を焚き付け、日本をおとしめる勧告を採択させているのは、日本人だということである。何しろ、真の敵は反日日本人なのである。外交の健全化にはまず、このような反日分子及び圧力団体を一掃することが先決である。(海自OB)

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    慰安婦合意で見せた「日本らしさ」 首相の意志に希望はある

    高給取りでした」と「本当のこと」を言えば、どうなるでしょう。そんなことをしても、誰にも届かないし、「歴史修正主義者」のレッテルを貼られ、信用を失い、ますます話を聞いてもらえなくなるだけではないでしょうか。政治家が自分の心情に忠実になりすぎて、世論や空気から浮いてしまっては、結局何もできなくなります。 首相も政府も「少女達を強制連行し性奴隷にして後に20万人を殺害した」なんてことは決して認めていません。そこを押さえたうえで、精一杯アチラ側に「歩み寄って」みせ、韓国系の「運動家」たちに対する疑問が出始めたところに、それでもコチラ側から「謝って」みせました。 人は理性だけではなく、感性というものを持ちあわせています。比重はともかく、それは人類共通です。 首相は、理の通らぬことを飲み込み堪えて、それでも慰安婦がらみの反日運動は何としてでも終わらせるんだという、政府としての意志を示しました。その成り行きを世界が見ていたというところには、絶望だけではなく希望もあるのではないか。私はそう思っています。

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    戦艦「三笠」の故郷・英バローを訪ねて

    サ」と発音して、「先輩が偉大な戦艦を造ったことを誇りに思う。ロシアを負かしたから。マイカサは私たちの歴史」と述べた。日本が学んだ英国の造船技術日本が学んだ英国の造船技術 日本が「三笠」建造を英国に頼んだのは、当時の造船大国英国をお手本に造船技術を向上させるためだった。ヴィッカースも、新たに開発した技術を海外からの受注艦に実装して試すことができるメリットがあった。その技術は、当時の最新鋭だった。 完成した「三笠」は122mの船体の前後に旋回式の連装砲塔を各一基備え、舷側にずらりと副砲を並べた。進水式で市民から絶賛されたのは、艦橋や居住部、火砲の配置に無理がなく均整が取れた容姿が先進的だったためだ。 1年数カ月かけ兵器などの装備を取り付けて、1902(明治35)年3月1日、サウサンプトンで日本海軍に引き渡された。翌2日、プリマスで英国の戦艦「クイーン」の進水式に参列した初代艦長、早崎源吾は、「英国側から非常なる歓待を受けたのは、日英同盟のおかげ」と海軍大臣、山本権兵衛に書いている。英国が日本と同盟を結んだのは2カ月前だった。いわば「三笠」は日英同盟の象徴として日本に提供されたといえる。 「三笠」を建造した古い石積みの「船渠(ドック)」が残っている。その「船渠」跡地を改造して、造船業の歴史を展示する「ドックミュージアム」がある。博物館前には、船の舵とスクリューを模った記念碑があり、ヴィッカースが建造した船の名前が書かれてあり、「三笠」や「金剛」の名も記されている。 博物館には、「三笠」の1年前に建造されモデルとなったフランスの戦艦「ヴェンジャンス」と共に、日露戦争後、1913(大正2)年8月に竣工された「金剛」の模型などが飾られている。 「金剛」は日本海軍初の超弩級巡洋戦艦として発注した戦艦で当時、世界最大で世界最強、最先端だった。高速戦艦として第二次大戦でも活躍するが、学芸員のグラハム・カービンさんによると、ヴィッカースは「三笠」建造を誇りに日本海軍と親密な関係を続け、「金剛」建造にあたって企業秘密を隠さず「技術供与」を図った。日本側からの造船技術者派遣、調査や船体の図面入手や同型艦の日本国内での建造まで許可した。英国は、同盟国日本に最先端造船技術を惜しみなく提供したのであった。「金剛」の模型を前に語る「ドッグミュージアム」の学芸員 この結果、日本は同型艦「比叡」「榛名」「霧島」3隻を国内で建造して造船技術を世界一流に引き上げた。「三笠」建造以来十数年間、バローには技術者や訓練する水兵ら海軍関係者などの日本人が定期的に滞在し、地元の市民らと積極的な交流が行なわれた。バローの市民が日本に親しみをもっているのは、こうした歴史があるからだろう。 日露戦争当時、日本の主力の戦艦六隻はすべてニューカッスルなど英国で製造された。 装甲巡洋艦8隻のうち半数が英国製だった。当時英国は世界一の造船大国で、同盟国として最先端技術がそろう最新鋭艦を提供した。勝利を収めた要因の一つはここにあった。 日露戦争後も日本は英国に人を派遣して戦艦の造船方法を研究した。「金剛」の建造を通じた技術盗用は成功し、その後日本は独自の造船技術を確立する。バローで造船技術を学んだ技術者のなかには、のちに戦艦「大和」の主砲を製造した者もいる。英国で学んだ造船技術は日本流にアレンジされ、その後の「大和」や「武蔵」など巨大戦艦を造る基礎となり、戦後日本が造船大国として復興する礎にもなった。 同じようにヴィッカースはトルコから戦艦の発注を受けたが、第一次大戦勃発直前に英国が接収して英海軍戦艦「エリン」となり、トルコに渡さなかった。効率よいカージフ炭を輸入効率よいカージフ炭を輸入 日露戦争で日本海軍は英国で採れる「カージフ炭」という石炭を燃料とした。カージフ炭は英国のウェールズで産出される石炭で、当時最高級を誇った。それまで日本で使用していた石炭は、黒煙が多く出るが火力が弱く、艦船用燃料として不都合だった。 そこで日清戦争後、ロシアとの戦争に備えた山本権兵衛海軍大臣は、カージフ炭を英国から大量に買い付けた。山本は1898(明治31)年から日露戦争が終結するまで、7年2カ月海軍大臣を務め、国内造船所や製鉄所の整備、艦上での食事の改良に取り組んだ。英国海軍から取り入れたカレーライスや肉じゃがは現在、日本の国民食として定着している。カージフ炭を輸入して日本海軍の燃料性能は飛躍的に向上、日露戦争の勝利につながった。 さらに、日本海海戦でロシア海軍の主力となったバルチック艦隊は、旧ソ連ラトビアのリバウから7カ月かけて極東まで向かったが、英国は植民地の英領の港に艦隊が入るのを拒んだ。7つの海を支配していた英国は、バルチック艦隊が大西洋、インド洋、フィリピン沖を回航する途中、燃料と食料の補給を妨害したのだ。ようやく日本海に辿り着いたロシア人たちは疲れ果てていた。東郷元帥率いる日本の連合艦隊に負けるのは当然だった。リアリズムから日本と同盟 ただ、日本に多大な便宜を図った英国にも戦略があった。19世紀末、世界は弱肉強食の帝国主義の時代だった。とりわけ不凍港を求めて南下する帝政ロシアと、エジプト、インド、中国を結ぶ海上ルートを支配したい大英帝国は、利害が激突して熾烈なグレート・ゲームが展開された。 クリミアでロシアの地中海進出の野望を挫いた英国は、アフガンでもインド洋への進出を阻止する。ユーラシア大陸の西で出口を失ったロシアは、東の極東に失地回復を求め、シベリア鉄道の建設を進め、日本海に出た。シンガポールから香港を拠点にアジア支配を進めた英国は、朝鮮半島から満洲(中国東北部)まで戦線を拡大できず、日本を武装させて極東でのロシアの南下に対抗させようとした。そこで生まれたのが日英同盟という軍事同盟だった。日露戦争の2年前にあたる1902(明治35)年のことだ。 「栄光ある孤立」として非同盟政策を貫き、欧州の紛争に介入せず、あらゆる国と自由貿易を行ない、自国製品の販売や輸出で世界経済の中心として栄えた英国だが、他の欧州主要国が連合体制(三国同盟、露仏協商)を敷いて優位性が揺らいだことも大きかった。南下政策を行なうロシアとことごとく対立し、同じくアジアでロシアに脅威を抱く新興の日本と手を組む決断を下したのである。 英国からすると、日露戦争で日本がロシアに勝利すれば、自らの手を汚さずにロシアを封じ込められる。たとえ日本が負けても傷がつかない。近代国家として成立したばかりの東洋の新興国日本と軍事同盟を結び、先端軍事技術を惜しみなく提供した背景には、したたかな大国のリアリズムがあった。いわば日本は、英国の帝国主義の先兵とされたとも解釈できる。日露戦争は英国の代理戦争ではなかったかとの見方さえある。 日本は、帝国主義の時代、大国と軍事同盟を結び安全を確保しなければいけなかった。 周辺諸国へ侵略を繰り返すロシアに備えるため、薩長藩閥の日本政府は、明治維新以来、友好関係にあった英国を同盟相手に選ばざるをえなかった側面もある。帝政ロシアを媒介に利害が一致したことは間違いない。横須賀市や舞鶴市と姉妹都市交流を横須賀市や舞鶴市と姉妹都市交流を 「百年近く歴代市長が大切に受け継いできた、日本との交流を示す日本の記念品です」 バローの中心のタウンホール(市庁舎)の市長室で、アン・トンプソン市長が語った。歴代の市長の写真が飾られた市長室の真ん中に、透明のガラスケースに入れて日本製の大皿が大切に飾られていた。東郷平八郎贈呈の記念品と並ぶバローのトンプソン市長 大皿の記念品は手製の「金華山焼」で作製された陶器である。日露戦争後の1911年に、英国王ジョージ5世の戴冠式のため渡英した東郷平八郎元帥がバローまで足を延ばし、「三笠」建造の感謝と新起工される「金剛」の依頼のため当時の市長を表敬訪問した際、連合艦隊を代表して贈呈したものだ。 23歳から7年間も英国に留学した東郷は、かつての留学先の「ウースター」校も訪問して日本海海戦で「三笠」に掲げられた大将旗を寄贈している。バロー市の説明では、「三笠」を建造したバローを東郷は愛し、建造中の「三笠」や「香取」を見学にしばしば足を運んだという。 表敬を受けたバローも日本海海戦における東郷の偉業に敬意を表して、寄贈品の隣に「三笠」のブリッジで日本海海戦の指揮を執る東郷元帥や艦長の伊地知彦次郎を東城鉦太郎画伯が描いた『三笠艦橋之圖』画の写真が誇らしく添えられていた。 タウンホールのロビーには、東郷元帥が日本海海戦で歴史的な勝利を収めたちょうど百年前の1805年、トラファルガーの海戦でネルソン提督率いる英艦隊がナポレオンのフランス・スペイン軍を破った絵画が展示されている。トンプソン市長は「アドミラル・トーゴー(東郷元帥)は、日本のネルソン提督として市民の熱烈な歓迎を受けました。MIKASAの活躍に当時の市長はじめ多くの市民が熱狂したそうです」と語った。東郷元帥を招いて昼食会を開催したバンケットホールは数百人を収容できる天井が高い大ホールで、ロシアを破った「アドミラル・トーゴー」を当時の市長は手厚くもてなしたという。 「ドックミュージアム」には、この歓迎昼食会の式次第とメニューが展示されている。それによると、ヴィッカースの従業員で構成する「バロー・シップヤード・プライズ・シルバー・バンド」の演奏で、「日本の旋律 ホソカ」で昼食会は始まり、「ロマンス ジャポネーズ」「ダンス オリエンタル」や「日本で人気の愛の歌による日本のダンス」も披露された。また、菊の紋章が入ったメニューには「バウムクーヘン」とともに「タルト・トーキョー」などのデザートも供された。 バローには東郷元帥のほかにも、「三笠」が建造された1900年4月、日本海海戦で東郷元帥の下で作戦担当参謀を務め勝利に導いた秋山真之と、旅順閉塞作戦で軍神として名を馳せた広瀬武夫が訪れており、完成間近の「三笠」を見学している。 大戦中もミカサ・ストリートの名前を変えなかったことについてトンプソン市長は、「ミカサはわれわれの誇り。元市長がミカサ・ストリートに住んでいたくらいだ。国同士が交戦しても、私たちが造ったミカサの歴史は変わらない。今後もミカサ・ストリートの名前を変えるつもりはない。市長室に飾ってきた記念品も永遠に飾り続ける」と語った。 現在、「三笠」は横須賀市で保存されている。また横須賀市とともに母港だった舞鶴市には、バローと同じように「三笠通り」がある。「三笠」の生誕地バローのトンプソン市長は、「三笠」の縁を通じて横須賀市、舞鶴市と結び付きを深められないか調査するワーキンググループを立ち上げる方針だ。実現には議会の承認が必要だが、姉妹都市提携などを通じて交流を深め、日本からも「三笠」の故郷に足を運んでほしいと話している。関連記事■ 【歴史街道.TV】横須賀歴史散歩■ 創設150年・横須賀製鉄所なくして日本の近代化はなかった■ 日本海海戦…日露両艦隊の「総合戦闘力」を比較すると■ 敵艦隊を震撼させた「下瀬火薬」と「伊集院信管」

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    「あっ、グリーニーを忘れた!」練習前に叫んだ投手

    だ」という下世話なジョークを地でいく話だ(失礼!)。iStock メジャーリーグにおけるグリーニーの歴史は古い。元ニューヨーク・ヤンキース投手のジム・バウトンが執筆、1970年に出版されたMLB史上初の暴露本と言われる『ボール・フォア/大リーグ衝撃の内幕』(邦訳は1978年出版、現在絶版)には、大勢の大リーガーたちがまるで現代のレッドブルのようにグリーニーを服用している実態が赤裸々に描かれている。バウトンはボストン・レッドソックスのトレーナーから入手し、「レッドソックスは主力選手のほとんどがこのクスリをやっている」と書いてある。誰もが容易に手を染めてしまいかねない環境 いまの日本プロ野球がそこまで薬物に汚染されているとは思わないが、誰もが容易に手を染めてしまいかねない環境にあるのも確かだ。NPBや各球団のトップは清原容疑者や野村氏の個人的な背後関係ばかりに目を取られていないで、秘かにどのような薬物が流行し、選手たちの手に渡っているかを洗い直すべきだ。清原容疑者や野村氏以前にも、現役引退後に覚醒剤で逮捕された野球人の大物がいた。現状のままではいつ第二、第三の清原や野村氏が出てきてもおかしくはない。 ちなみに、『ボール・フォア』の著者バウトンは出版から8年後の1978年、39歳にしてアトランタ・ブレーブスと契約し、まさかのメジャー復帰を実現。5試合に登板して1勝を挙げている。これほど見事なカムバックはクスリに頼るだけではできないだろう。 興奮剤グリーニー(正式名称クロベンゾレックス)がNPB(日本野球機構)に禁止薬物に指定されたのは、選手のドーピング検査が導入された2007年からである。野村氏や巨人の選手たちが使用していた1998~2001年は、使ってもルール違反にはならなかった。 その後、2004年、グリーニーはWADA(世界アンチ・ドーピング機構)によって禁止薬物に指定される。このため、翌05年にロッテで複数の選手が常用していると報じられたときは社会的な問題にまで発展した。 また、日本の厚労省はグリーニーを医薬品にも禁止薬物にも指定しておらず、「未承認医薬品」と説明。公式HPでは「医師の適切な指導のもとに使用されなければ健康被害のおそれがある」として注意を促している。 ジム・バウトンの著書『ボール・フォア』はMLBで大反響を巻き起こし、当時のコミッショナー、ボウイ・キューンは薬物の乱用を問題視。コミッショナー名義で『ベースボールvsドラッグ』という公式パンフレットを全球団に配布するという措置を取り、薬物汚染に歯止めをかけるきっかけとなった。

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    一回も成功したことがない日本の「地震予知」に未来はない

    いかと思われるようになってしまったのである。 残念ながら、いままでの半世紀にもおよぶ日本の地震予知の歴史で、地震予知に成功した例は一回もなかったのだ。つまり、地震予知がいつ可能になるのか、そもそも可能かどうか、はいまの科学ではわかっていないのである。「不意打ち」に備え始めた東海地震の地元 日本の地震予知の研究計画が大きな転換点を迎えたのは、1976年に石橋克彦氏(当時東京大学理学部助手、元神戸大学教授)が東海地震説を発表したことだった。 この発表は全国的なニュースになり、国会でも取り上げられた。そして当時の首相の強い指示で、わずか2ヶ月のスピード審議で大規模地震対策特別措置法(大震法)が作られ、1978年に成立した。この法律はいまでも生きている。 この大震法のいちばんの基本は「地震は予知できる」ことを前提にしていることである。当時は、前兆を捕まえれば地震予知ができる、と地震学者のかなりがまだ考えていた時代だった。 大震法は世界でも類を見ない、地震を対象とする法律で、この法律にもとづいて警戒宣言が発せられたときには、ほとんど戒厳令のようなさまざまな規制が行われることになっている。 たとえば新幹線は停止し、高速道路は閉鎖される。銀行や郵便局も閉鎖される。スーパーやデパートも閉店させられるし、耐震性のない病院も閉鎖されることになっている。また学校は休校になり、オフィスで働いている人たちは退社させられる。地域住民も避難させられ、自衛隊が出動する。東海地震発生時に緊急物資の輸送路を確保しようと、静岡・神奈川の両県警などが初の合同訓練を実施した=2014年9月8日 この法律に基づいて、気象庁に地震防災対策観測強化地域判定会(通称、判定会)が作られた。東海地震だけを予知するための委員会だ。判定会はデータから東海地震が来ることを予知して警戒宣言を出すことが役目である。 しかし「地震は予知できる」という前提は、年々、怪しくなっていった。 地震予知をするための根拠が怪しくなってしまった近年でも、日本の政府は、法律を作った以上、他の地震は予知できないが、東海地震だけは予知できる、という立場をとっている。だが、地元静岡県では、地震予知なしに不意打ちで地震が起きる備えをはじめている。

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    東日本大震災は「予知」されていた! 失態を断つ災害予知という概念

    災害に備える』ことを幅広く捉えて『予知』という言葉を用いる方が妥当である」と説明されている。 私は、歴史家として、それを議論した委員会に出席したが、このような「災害予知」への方向転換は正しいと思う。私は3・11の後に、急遽、地震の歴史の研究を始めたが、たとえば、これまで地震学者が見逃してきた「宣命」という天皇の願文を読み解くことによって、東北沖海溝大地震と同規模のものであったという869年の陸奥大津波の2カ月後に熊本で地震が起きていることに注目した(保立『歴史のなかの大地動乱』、岩波新書、二〇一二年)。東北沖海溝大地震の後に熊本で地震が起きた例は、17世紀にもあるので、これは一種の傾向なのかも知れない。実際上は地震学者に教えてもらいながらのことではあるが、歴史家もこういう意味での「予知」計画ならば参加できるのである。 また、最近、日本学術会議は、企業が私的に保有するようなものをふくめて、地質地盤情報を公開し、それによって地下を可視化し、多様な地殻災害や土壌汚染などに対応する基礎情報を管理するために、地質地盤情報公開を促進する新規立法が必要であると提言した。これが地殻災害の予知のためでもあることはいうまでもない。そこには経済学や法学、さらには土木工学、建築学、都市工学などの協力も明瞭にうたわれている。日本の大学と学術が全力をあげて取り組めば、ここには相当の成果が期待できるだろう。災害予知の概念について災害予知の概念について 上の図は、最近、学術会議が編集・刊行した『地殻災害と学術・教育』に載せた拙論に掲げた図であるが、ここに明らかなように、地震・噴火の予測研究と災害科学の交点に「災害予知」が成り立つことになる。そして、さらに強調しておきたいことは、その上で、すべての情報を統括して、防災体制を整備し、「災害予知」を生かしていく責任は、社会を代表する行政にあることである。従来の「地震予知」計画では、地震学に「時・所・大きさの三つの要素を指定する」責任が課せられていたから、有り体にいえば、政府や行政は「災害予知」の責任を地震学にかぶせることが可能であったが、今後はそうはいかない。防災行政は、人為的に改変された自然の脆弱性に関わる様々な情報を、土木・建築・エネルギー産業などの変化にそくして時々刻々と掌握することが義務となるのである。 もちろん、図の三つの円の交点に位置する「警報」を防災行政が発することができるかどうか。そもそも実用的な震災警報が可能なものかどうかは、まだまだ議論がある。私は、その可能性が皆無とはいえないと思うが、しかし、少なくとも、政府は地震学・火山学・災害科学の主張を謙虚に聞き、とくに防災行政の専門性を地域のレヴェルから圧倒的に高めることによって、地殻災害が発生した場合でも、被害が人命に及ばないように可能な限りの努力をすべきことはいうまでもなかろう。 2002年、地震学の島崎邦彦氏は、地震調査委員会長期評価部会の責任者として東北沖海溝大地震の震源域で大規模な津波地震が発生するという長期予測をまとめた。しかし、2004年、中央防災会議は多くの地震学者の反対を無視し、この津波地震の発生予測を受け入れなかった。これはM9という東北沖海溝大地震の規模を予測するものではなかったが、政府がこの島崎予測だけでも受け入れ、宮城県のハザードマップと防災計画に反映させていれば、犠牲者が2万近くにまで上ることはなく、また東京電力の原子力事故もあのような形にはならなかったということは地震学界ではよく知られた事実である。このような許されない失態を今後起こすことがないように、中央防災会議は深刻な反省を迫られているはずである。立ち枯れが進む「かしまの一本松」=2016年1月1日、福島県南相馬市鹿島区 また、東北沖海溝大地震の四年前に日本地震学会地震予知検討委員会の出版した『地震予知の科学』にも、「東北から北海道の太平洋側のプレート境界では、過去の津波堆積物の調査によって、500年に一度程度の割合で、いくつかのアスペリティをまとめて破壊する超巨大地震が起きることもわかってきた」と明記されていた。もう30年近く前に、869年に起きた貞観津波が巨大なものであることははっきりしており、それがM8,4以上の巨大な地震で、その浸水域がきわめて広いことは詳細なシミュレーションをともなった論文となっていたのである(佐竹健治・行谷佑一・山木滋「石巻・仙台平野における八六九年貞観津波の数値シミュレーション」(『活断層・古地震研究報告』№8、2008年)。 東京電力原発事故との関係では、2009年6月に東京電力福島第一原発の耐震設計見直しを討議する保安院が開いた委員会において、貞観津波の痕跡を調査していた産業技術総合研究所の活断層・地震研究センターの岡村行信センター長が大津波の再来の可能性を指摘し、東京電力の想定を強く批判したことも、地震学会では知らない人はいない。 私は、東日本大震災の直後に東京大学地震研究所で開かれた報告会で、右の論文のシミュレーションの示す浸水域と東日本大震災の現実の浸水域がまったく重なっているのをみて息を呑んだ。869年の500年後に起きた津波はおそらく1454年(享徳3)の津波であろうとされるから(保立『歴史のなかの大地動乱』前掲)、2011年の東北沖海溝大地震はまさに「500年に一度程度の割合」で、この巨大津波が起きることの証明になってしまったのである。残念ながら、このような諸問題をふくめていまだに根本的な反省と総括、そして改善の方途は立っていない。 一言申し述べれば、問題を根本的に解決するためには、最近、議論があるように、防災省のような省庁を創設し、内閣府・国交省の関係部局や気象庁・消防庁・原子力規制庁などを統合して、その中枢に日本学術会議が長く主張している地震火山庁を置くというようなことが必要だろうと思う。 また最後に歴史家としての感想を付け加えることを許していただければ、そもそも、災害の相当部分は、災害の経験を、世代を越えて継承することなく忘却してしまい、また無理・無法なことをやって自然からしっぺ返しをくうことによって生まれる。「災害は忘れたころにやってくる」というのは有名なことわざだが、地震火山列島に棲む民族として、私たちは、そろそろ歴史的な災害の経験のすべてを継承する成熟した知恵と感性をもつべきではないだろうか。「災害は忘れた頃─」ということわざを過去のエピソードにすべき時代に入っているのではないだろうか。 そこで歴史学が果たすべき役割は大きいと思う。私はすでに定年を過ぎており、歴史家として多量の史料を蒐集し分析する仕事に従事する体力がなくなっているが、これまでの経験の範囲内で、日本の神話の内部に隠されている地震神話・火山神話を復元することだけは死ぬまでにメドをつけたいと考えている。そして、この地震・火山神話において九州の地が根本的な意味をもっていることはいうまでもない。話題が飛躍するようであるがその意味でも、この列島に棲む民族にとって、熊本の方々の過去・現在・未来の経験は重大なものである。地震でなくなられた方を追悼するとともに、是非、頑張って、また何よりも御無事で過ごしていただければと思う。

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    日本を歴史問題で貶め続ける中韓の「戦勝国包囲網」に気をつけよ!

    南京大虐殺30万人説」には確実な目撃証言もなく、写真資料などの証拠も偽造ばかりであることは、日本側の歴史研究者のあいだでは常識になりつつあります。ところが2015年10月10日、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、中共が申請した「南京大虐殺文書」の登録が認められてしまいました。 さらに同年12月28日、日韓両政府はいわゆる慰安婦問題の最終解決に向けて合意したと発表しましたが、明らかに安倍外交の致命的失敗だと評価せざるをえません。「旧日本軍は20万人のセックス・スレイブ(性奴隷)を強制連行し、虐待した」という戦勝国による定説をオウンゴールで追認したことになるからです。 外交・歴史問題で日本は中共や韓国にいいようにやられているわけですが、その原因はむしろ日本自身にある、というのが私の考えです。ケントさんが著書『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』や『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(いずれもPHP研究所)で展開されているように、GHQ(連合国軍総司令部)のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によって、私たちは「日本が悪い国だった」という自虐史観を植え付けられた。安倍外交の相次ぐ失態の原因を突き詰めていくと、その背景にはこのWGIPがあります。ただ、ケントさんの著書にも書かれているとおり、GHQによる占領期間は7年間にすぎませんでした。ケント そう、1945年8月から52年4月の7年弱。52年は私が生まれた年でもあります。小浜 それからすでに60年余りが経っているにもかかわらず、WGIPの洗脳が解けていないのは、これこそ「日本が悪い」というほかありません。 もう一つの問題は、日本人は外交・歴史問題を「対中共」「対韓国」など個別の二国間問題として捉えがちですが、よりグローバルな構図のなかで考えるべきだということです。アメリカをはじめ、イギリス、オーストラリアなど欧米圏には、戦勝国の大義を保つためにいつまでも日本をナチス・ドイツと同じような「悪の象徴」にしておきたい、という心理がある。中共や韓国はそうした戦勝国の心理に付け込んで日本に対する「戦勝国包囲網」をつくり上げ、外交戦で優位に立とうとしている。その意図の恐ろしさを日本人は認識すべきです。ケント たしかに先の大戦の戦勝国のなかで、イギリスは戦前の日本に対する態度を引きずっているかもしれません。先の大戦の勃発がインドの独立を早めた部分もあるわけですから。 一方、現在のアメリカは日本をよきパートナーだと考えています。私が子供のころに不思議だったのは、ニュース番組などで西側同盟国を「アメリカとヨーロッパ、日本」といっていたことです。アメリカとヨーロッパが一緒なのはわかる。でもなぜ、日本が入るのか。それでも、子供心に「とにかく一緒に冷戦を戦っている国なんだな……」と、漠然と感じていました。だから私は現在に至るまで、一度も「日本が悪い国だ」という感情をもったことがありません。いまのアメリカ人のほとんども「かつて日本とは激しく戦ったが、いまはトモダチだ」という意識だと思います。小浜 ほとんどのアメリカ人がですか? 一般的なアメリカ国民がアジアの片隅にある日本に対して、ケントさんのように幅広く歴史的に深く考えているとは思えません。ケント アメリカで世論調査をすると、いちばん人気がある国はやはり日本なんですよ。日本の漫画やアニメは大人気で、いまやポケモンを知らない子供はいない。私の故郷、ユタ州の州都であるソルトレイクシティでコスプレのコンベンション(見本市)をやったら、3日間で10万人も集まりました。アメリカ人は日本発の「変な文化」が大好きなんです(笑)。小浜 反日教育を行なっているはずの中共や韓国の国民も、日本文化に憧れをもっているそうですね。でも、そういう文化現象と習近平や朴槿惠の対日政策は別です。同じように、いくらアメリカで日本の文化が人気だといっても、政治や外交、経済の分野でほんとうに日米がトモダチといえるのか。そう単純には言い切れない部分があると思いますが。たとえば、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)。私は国会の承認が進まないことを強く望みます。ケント 小浜さんはTPPに反対なんですか?小浜 断固として反対です。ケント 僕はいちおう賛成ですけどね。小浜 TPPについて議論を始めると永遠に続きそうなので(笑)、要点を絞ります。TPPは自由貿易を名目にしながら、結局のところ強い国(つまりアメリカですね)が参加国の経済的主権を奪っていくような構図になると思います。ケントさんが、祖国であるアメリカの利益になるような条約に賛成なのはわかります。しかし、私たち日本人がそうしたアメリカの要求をやすやすと受け入れてしまうのは、従属国家の証しというか、自主独立の精神の欠如です。これこそ、まさにケントさんがおっしゃるWGIPの呪縛がいまだ続いていることの証左ではないでしょうか。ケント 私の考えは異なります。1952年に日本がサンフランシスコ講和条約の発効で独立を回復した際、軍隊をもってはいけないことになった。日本の防衛はアメリカが担うから、日本は経済復興に専念してください、と。ところが当時は、アジアにまともな市場がありませんでした。そこで日本に対してアメリカの市場を開放することになった。しかしその後、日本は経済的に十分すぎるほど発展しました。もういい加減、特別措置はいらないのではないか。TPPそのものがよい協定かどうかは別にして、日米は対等な貿易体制が求められる時代になっています。経済面で相互関係を強め、さらに日本が憲法を改正することで、安全保障の面でもアメリカ任せではなく、自分で責任を負う国家となるべきです。世界記憶遺産はナンセンス世界記憶遺産はナンセンス小浜 安全保障に関するご意見には完全に同意します。しかし、アメリカがほんとうに日本の自立を望んでいるかとなると、私には疑問ですね。先の「南京大虐殺文書」という名の捏造資料がユネスコに登録されて喜ぶのは、中共や韓国だけでなく、じつは戦勝国であるアメリカも同じでしょう。もちろん同盟国としての関係も大事なので、そこには一種のダブルスタンダードがあるのではないでしょうか。ネガティブなほうのスタンダードに着目すると、東京大空襲や広島、長崎への原爆投下といった「アメリカの戦争犯罪」を隠すために、日本にはいつまでも悪い戦争を仕掛けた国でいてほしいわけです。ケント しかし、それと同じことはアメリカに関してだけでなく、すべての戦勝国にいえるのではないですか。たとえば、ロシア(旧ソ連)はシベリアで日本人捕虜に対して行なった非人間的な行為を長く謝罪しなかった。小浜 「シベリア抑留資料」については日本が申請して登録が認められましたが、すぐにロシアが文句をつけてきましたね。シベリア抑留は紛れもない事実ですが、そもそも私は、ユネスコの記憶遺産という事業そのものがインチキだと思っています。ケント 私もそう思います。ずいぶん政治的なものになっていますから、世界記憶遺産はもうやめたほうがいいでしょう。歴史に関する問題は、専門の学者に任せておくべきです。なにもユネスコにお願いする必要はありません。小浜 歴史というものは、いうまでもなく国の立場や利害によってさまざまに見方が変わります。それをユネスコという国連の一機関が「事実」として認める、という発想自体がナンセンスですね。ケントさんがご著書で書かれているとおり、国際連合とは要するに戦勝国連合です。その証拠に、国連は日本やドイツに対する「敵国条項」を今日に至るまで残しています。ケント 他に国際機関がないから便宜上、国連が使われているだけで、アメリカ政府は自分たちの出先機関にすぎないと思っています。そのアメリカですらユネスコの政治的なスタンスに反発しており、2012年から拠出金も出していません。30万人という犠牲者数を記した南京大虐殺記念館の壁=2015年10月5日、中国江蘇省南京市(共同)小浜 他方、いままさに中共はユネスコに多数の「工作員」を送り込み、ロビー活動をやっていますね。ケント 中華人民共和国(PRC)には、アメリカをアジアから追い出して太平洋の半分を制覇するという大きな目的がある。PRCのこの計画をマイケル・ピルズベリー氏(ハドソン研究所中国戦略センター所長・国防総省顧問)は「中国の百年マラソン」と呼んでいます。PRCがユネスコに「南京大虐殺文書」を認めさせたのも、アメリカに「日本は悪い国だった」と思い込ませて信頼関係を失わせることで、日米安保の解体につなげたい、という長期的な野望があるからです。アジア版NATOを創設せよ小浜 他方、アメリカは中共のそうした覇権主義をどこまで本気になって阻止するつもりなんでしょうか。2015年、スプラトリー諸島(南沙諸島)海域で中共が人工島を建設し、フィリピンやベトナムなど周辺国に脅威を与えた際、アメリカは「航行の自由」作戦を行ないました。しかし、中共の人工島建設は明らかな侵略行為です。フィリピンはもちろん、いまやベトナムでさえもアメリカの友好国であることを考えれば、その対応はじつに「手ぬるい」と思いました。ケント アメリカは、南沙諸島の領土問題には巻き込まれたくないのです。フィリピンやベトナムと友好関係を保ちつつ、PRCとも喧嘩はしたくない。すでにいまのアメリカは世界の警察官を担うのではなく、同盟国のなかで一定の貢献をしたい、という考えに変わっています。そこで私が提案するのは、アジア版NATO(北大西洋条約機構)の創設です。名付けて「ATO」(笑)。小浜 それは大賛成ですね。そのATOの中心になる国は、やはり日本でしょう。ただし前提として、まず民主主義国の頭目アメリカが共産主義の中共に対して強く出てくれないと困る。日本も弱腰ではいけませんが、ともかく中共を怖がらせないと話にならないからです。その上で日本がアメリカと緊密な関係を保ちながらアジア諸国に協力を呼び掛ける、というかたちが理想です。ケント 日本がATOの中心になるためにも、憲法改正が必要でしょう。そもそも、南沙諸島についてアメリカの対応が「手ぬるい」ということ自体、アメリカ依存症患者のような発言です。エネルギーや食糧を運ぶ輸送上、南沙諸島がPRCのものになっていちばん困るのは、日本ではないですか。小浜 決して依存心からではなく、現状ではそれが戦略的に一番有効だというつもりなんです。ですが、いちばん困るのは日本というのはそのとおりですね。日本へ向かう大型タンカーが通る海上交通路、すなわちシーレーンを中国共産党に押さえられたら、日本は石油供給が途絶えてアウトです。ケント だとすれば、どの国よりも率先して日本が対応すればいい。何でもアメリカにお願いすれば済む時代は終わったのですから。小浜 そのとおりです。しかし、いまの安倍政権と国内世論の動静からすると、現実的に憲法改正や海外派兵は難しい。ケント だとすれば、南沙諸島はPRCのものになることを覚悟するしかないですね。それは日本が憲法改正をしないことの代償だといえます。戦略的な対外宣伝活動を担う組織を戦略的な対外宣伝活動を担う組織を小浜 憲法改正の大きな壁となっているのは、国内世論です。昨年9月、平和安全法制が成立しましたが、日本のメディアはこぞって「戦争法案」「徴兵制の復活」という言い方で反対の世論を煽りました。ケント だからこそ、私たちはいまメディアを変えようとしているのです。私が呼びかけ人の一人に名を連ねている任意団体「放送法遵守を求める視聴者の会」は、政治について国民が正しく判断できるように、公正公平な報道を放送局に対して求める活動をしています。昨年11月14日付と15日付の『産経新聞』『読売新聞』には「私達は、違法な報道を見逃しません」という全面意見広告を出しました。日本のマスコミは国民を誘導する義務や責任、使命があると思っているようですが、これは大いなる勘違いです。マスコミの役割は、複数の角度から正確な情報を国民に提供することであり、それ以上のことをする必要はありません。記者会見した「放送法遵守を求める視聴者の会」の(左から)上念司氏、すぎやまこういち氏、小川榮太郎氏、ケント・ギルバート氏=2015年11月26日、東京都千代田区(三品貴志撮影)小浜 ケントさんの活動にはほんとうに頭が下がりますし、こうした試みをどんどんやってもらいたい。インターネットを使えば、民間のボランティアでも情報発信ができる時代になっていますから、マスコミの偏向報道による歪みは、ある程度、正すことができるでしょう。 問題なのは対外活動のほうです。くだんの「南京大虐殺文書」の登録について、中共は何年も前から申請の準備をしていた。日本の外務省はそれを知っていたにもかかわらず、何もしませんでした。ケント 申請が認められてから、慌ててちょっと抗議しただけ。じつにお粗末な対応です。元谷外志雄さん(アパグループ代表)は「日本の正しい情報を世界に発信するための組織を政府がつくるべきだ」とおっしゃっていますが、私も同意見です。じつは、私はそういう組織に勤めていたことがあるんです。USIA(米国文化情報局、1953年設立。99年、国務省に統合、国際情報計画局に引き継がれた)という海外向けの広報活動を担当するアメリカ政府の機関があります。CIAとは違いますよ(笑)。 USIAで私がどんな仕事をしたかというと、たとえば1975年、日本の沖縄国際海洋博覧会でアメリカ・パビリオンのガイドを務めました。このパビリオンには、表向きの文化事業とは別に「アメリカ式民主主義を世界に売り込む」という明確な国家目的があった。当時の私はそれをあまり意識していなかったのですが、7カ月そこで働いて得た給料で大学院に進み、弁護士になることができたという思い出があります。小浜 アメリカは以前からずっとそういう活動をやっていたわけですね。ケント はい。冷戦中、アメリカが行なった宣伝活動として、1951年に放送を開始した「ラジオ・フリー・ヨーロッパ(RFE)」は有名です。東欧の旧社会主義国に対して、民主主義の素晴らしさをアピールしていた。そのおかげで89年にベルリンの壁が崩れた際、東欧諸国はすぐさま民主主義体制に移行できたわけです。小浜 アメリカと違って、日本には戦略的な対外宣伝活動を担う組織がありません。ケント だから「情報はアメリカにお願いすれば無料で手に入る」と思っているんです。もっと日本政府がお金を効果的に使わないと。小浜 敗戦以来、日本人は潜在的に対米依存で来ていますから、なんとかその壁を打ち破らないといけない。日本の悪評が世界中に…ロビイストを雇え!日本の悪評が世界中に小浜 冒頭で述べた慰安婦問題をめぐる日韓合意なるものについて、岸田文雄外務大臣は韓国の尹炳世外相との会談(2015年12月28日)で「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」「日本政府は責任を痛感している」と述べました。この発言は、誰が読んでも軍の強制性を認めたものとしか受け取れません。『朝日新聞』が不十分とはいえ慰安婦問題の誤報を認めたにもかかわらず、それすら台無しにする行為です。あまりのショックで、血圧が上がりましたね。ケント 私も以前から「日本政府は韓国政府とのあいだで妥協的な解決を二度と行なうべきではない」と言い続けてきましたので、日韓合意の第一報を聞いたときはかなり落ち込みました。ただしばらくして、こう考えるようになりました。日本はいつまでも慰安婦の強制連行という「作り話」に振り回される必要はない。加えて日本は10億円の拠出金と引き換えに慰安婦像の撤去を求めるボールを韓国側のコートに送ったのだから、とりあえず相手の出方を待つべきであると。小浜 いや、このままではまずいですよ。現に日本の悪評がすでに世界中を駆け回っているからです。オーストラリア・ジャパン・コミュニティー・ネットワーク(AJCN)代表・山岡鉄秀氏の調査によれば、「日本政府は潔く謝罪した。韓国は受け入れるべきだ」と主張する海外のメディアは皆無であり、「日本政府がついに性奴隷を認めた。その多くは韓国人女性だった」という論調だったそうです。 これはほんの一例ですが、米紙『ニューヨーク・タイムズ』(2016年1月1日付)は、慰安婦問題に関する共著をもつアメリカの大学教授による次のような投書を掲載しています。「生存者の証言によれば、この残酷なシステムの標的は生理もまだ始まっていない13、14歳の少女だった。彼女たちは積み荷としてアジア各地の戦地へ送られ、日常的に強姦された。これは戦争犯罪のみならず、幼女誘拐の犯罪でもある」。ケント まったく呆れる内容ですね。しかし日本のジャーナリストは海外メディアの誤った報道に対して、英語できちんと反論していない。それ以上に問題なのは、専門の広報機関が日本にないことです。ロビイストを雇えばいい小浜 本来、そうした仕事は外務省がやるべきですが、いまの外務省にはまったく期待できない。ケントさんは、どうすればよいと考えていますか。ケント これから日本が海外向けの広報機関をつくるにしても、外務省から独立した組織が望ましいでしょう。外務省の管轄にすると結局、何もしない組織が新たに増えるだけで終わりかねない。では、いまの日本には打つ手がないのか。そんなことはありません。簡単なことで、ロビイストを雇えばいいんです。昨年4月に安倍首相が渡米した際、アメリカ上下両院の議員に対して「希望の同盟へ」と題する演説を行ないました。あの演説が実現して大成功に終わったのは、日本政府が雇ったロビイストのおかげです。一方で韓国も2013年5月、朴槿惠大統領が同じくロビイストを使ってアメリカで議会演説をしました。ところが「歴史に目を閉ざす者は未来が見えない」と対日批判をして安倍首相を妨害しようとしたら、見事に失敗した。つまり、日本にはロビイストを使った戦いで勝利した前例があるわけです。小浜 先に名前の出たAJCNにしても、民間のボランティアの集まりです。それでもオーストラリアで慰安婦像の建設を阻止するなど、政府以上の活動を展開している。政府が歴史問題に関する事実を公式に訴えていくとともに、民間の団体も活発に活動して官民一体となって動くのが理想ですね。ケント いや、私は政府が表に出るべきではないと思っています。あらかじめ政府が「公式のお金」で海外のロビイストを雇い、現地の世論をいかに誘導するかを考えていくべきです。「慰安婦」女性の遺影の前で両ひざをついて線香をあげるエド・ロイス米下院外交委員=米カリフォルニア州グレンデール(中村将撮影)小浜 中共や韓国はそれを日常的にやっているということですね。もちろん、アメリカも。ケント そうです。アメリカ国内で慰安婦像が建ってしまったのも、韓国に雇われたロビイスト、小浜さんの言葉を借りれば「工作員」の働きがあったからです。もちろんPRCも工作員を日本のメディアに浸透させている可能性があります。今年2月、菅義偉官房長官は「わが国はいかなる国に対してもスパイ活動に従事していない」と発言しましたが、日本がほんとうに何も情報活動していないのだとすれば、そちらのほうが大問題です(笑)。スパイ活動はともかく、日本は海外向けの宣伝活動にもっとお金を使うべきですよ。日本の歴史認識や政策を広めるためには当然のことでしょう。経済規模からいっても、日本は十分に「大国」です。しかし、自国の正義なり、政策を外国に説明するような体制をもたない大国なんていうものが世界にありますか。さらにいえば、自分の防衛をすべてヨソの国に委ねている大国がありますか。アメリカ頼みの時代はもう終わったのですから、取るべき政策を早く取ってほしいですね。小浜 自国の基地に外国の軍隊がこれほど駐留している国は大国どころか、そもそも独立国家の名に値しません。日本に課せられた役割は、名実ともに大国となり、アジアの平和を守る盟主として台湾やフィリピン、ベトナム、インドネシア、オーストラリア、インドなど利害の一致する友好国をまとめ上げ、中共や北朝鮮に対抗する集団安全保障体制を築くことなのです。Kent Sidney Gilbert 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ生まれ。1971年に初来日。1980年、国際法律事務所に就職して東京に赴任。TV番組『世界まるごとHOWマッチ』に出演し、一躍人気タレントへ。最新刊は『不死鳥の国・日本』(日新報道)。公式ブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり?」で論陣を張る。こはま・いつお 批評家。1947年、横浜市生まれ。横浜国立大学工学部卒業。2001年より連続講座「人間学アカデミー」を主宰。家族論、教育論、思想、哲学など幅広く批評活動を展開。現在、批評家。国士舘大学客員教授。著書に、『日本の七大思想家』(幻冬舎新書)、『なぜ人を殺してはいけないのか』(PHP文庫)など多数。関連記事■ 少年法は改正すべきか■ 中国のチベット人虐殺こそ世界記憶遺産に登録せよ!■ 韓国は日本のストーカーだ!■ 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    プロ野球の魅力も緊張感も奪う「コリジョンルール」

    屁っ放り腰にさせる危険こそ、見ていてハラハラする。 アメリカがそうだから「日本も倣う」姿勢は、野球の歴史からすればやむをえない面もあるが、アメリカが間違った選択や判断をしていたらきっちり本質を抑える感性と、提言する覚悟をそろそろ日本野球も持っていいのではないだろうか。ぜひ、野球を愛するみなさんに、正統なコリジョンルールを改めて考えていただきたい。「安全」という名目を押し出して、反対を押し付けない雰囲気を醸しているが、これは絶対に改善すべき悪しきルールだと感じている。

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    舛添都知事 1000万円超かけた2泊3日ソウル出張の中身検証

    た大名行列」(現地メディア関係者)で、セウォル号沈没事故の合同焼香所や、慰安婦関連の展示があるソウル歴史博物館などを訪問。宿泊先は、ソウル一の繁華街・明洞のすぐ近くに位置するロッテホテル。38階建てと39階建てのツインタワーからなる最高級ホテルだ。「舛添氏が宿泊したのは新館のコーナースイート(約64平方メートル)という部屋で、宿泊費は平日で67万7600ウォン(約7万円)です」(ホテル関係者) 都の規定によれば、知事出張の宿泊料の上限は、ソウルの場合2万6900円のはず。随行した他の職員も5万円近い部屋に宿泊していたのだから、費用が膨らむのは当然だろう。 ちなみに同ホテルでは舛添氏の訪韓直前に自衛隊創立60周年記念行事が開催予定だったが、「国民の情緒を考慮する」という理由でホテル側が場所の提供を拒絶した因縁もあった。もっとも「舛添氏は騒動のことを気にするそぶりもなかった」(ホテル関係者)という。 そのほか出張にかかった経費の内訳を見ると、「通訳に94万5000円」「車両レンタルに140万5600円」「執務室の手配に93万円」などが並ぶ。どうやったらそんな高額になるのかという疑問が残るが、実はこれでも実際の支出は予算より少なくなっている。韓国の朴大統領(右)は舛添知事との会談で、韓国人学校への協力を要請した=2014年7月、ソウルの青瓦台(聯合=共同) それは2泊3日の間に、ソウル市や韓国の韓日議員連盟から、食事の接待を受けたからである。 1日目の夜に、ソウル市から接待されたのは、各国の大使館や企業経営者の邸宅が建ち並ぶ城北区という高級住宅地にひっそりとたたずむ高級料亭・三清閣。ソウル市から入手した資料によると、当時の会計は総額235万2900ウォン(約25万円)で、日韓合わせて14人だから1人あたり1万7000円ほどになる。「アワビなどを使った韓国式の高級懐石が人気のソウル市御用達の料亭で、都知事が使った幽霞亭という部屋は50人クラスが収容できる大宴会用の特別室。ここをたった14人で使った例はあまり聞いたことがない」(三清閣の関係者) これだけの歓待を受ければ、さぞや気分もよかろう。舛添氏の出張に携わったソウル市庁関係者が語る。「舛添氏は終始上機嫌で、『父親が選挙に出馬した際(※注)、在日コリアン向けにパンフレットに韓国語を併記していた』などのエピソードを話し、韓国や在日コリアンに対する配慮もそのときに学んだといっていた」【※注:様々な事業を手がけていた舛添氏の父親は、1930年に福岡県若松市議会議員に出馬したが落選】 ただし、この市庁関係者は、韓国人学校についてソウル市は関与していないという。 「ソウル市から直接お願いしたことはない。外交ルートや大使館を通じて要請が行ったという話は聞いている。実は朴大統領との会談は、もともと舛添氏サイドから要望があったが、当初はスケジュールが決まっておらず、ぎりぎりになって最終日に面会できることになった。これまで朴大統領が外国の自治体の首長に会ったのは、舛添氏ただ一人。極めて異例のことだったようだ」 その“栄誉”に与った舛添氏は、会談後の会見で上機嫌にこう語っている。 「大統領は『政治が大きな障害になっている』といったので、障害を取り除く方向で都知事として努力すると申し上げた。細かい点は安倍首相に直接伝える。都市外交として一定の成果が上がったと思うのは、18年ぶりに都知事が公式に招待されたこと。それだけでも大きな歴史の変わり目になっていると思う。大統領には、東京から日韓関係を良くすることは大きな意味を持つ、という寛大な心でお迎えいただいた」 朴大統領との会談を実現させた自負心が、発言の端々からにじみ出ているようだ。この会見の席で、朴大統領から韓国人学校についての支援要請を受けたことを明かし、「できることは全力を挙げてやる」と述べている。 そのほか、ソウル大学での講演では「9割以上の日本人は韓国が好き」という発言も飛び出すなど、韓国側へのリップサービスを繰り返した舛添氏。東京都の説明によれば、その後、昨年11月に韓国政府から正式な要請があり、今回の発表に至ったという。 「都知事は朴大統領に会えて舞い上がり、そのときにした口約束を後になって要請され、後戻りできなくなったのではないか」(韓国在住の日本メディア関係者)取材協力/河鐘基、藤原修平関連記事■ 舛添都知事の訪韓に「税金払わん、ふるさと納税する」の抗議■ 舛添都知事 2泊3日韓国訪問費用1007万円、宿泊は1泊7万円■ 舛添都知事 ソウル出張で韓国学校増設用地の斡旋を決めた■ 北朝鮮 在日朝鮮総連系の人々を韓国籍に移す意図の背景に選挙■ 外務大臣政務官「李明博大統領の竹島上陸、年内もありえる

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    幕末、「近代化のトップランナー」は佐賀藩だった!

    浦川和也(佐賀城本丸歴史館学芸員)司馬遼太郎「佐賀ほどモダンな藩はない」 「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も同じく人なり。退屈せず、倍々(ますます)研究すべし」 嘉永5年(1852)、薩摩藩は鉄製大砲などを鋳造するための反射炉の築造に着手しました。その際、幕末きっての開明派と謳われた薩摩藩主・島津斉彬は、技術者たちを一堂に集めて、そう激励したといいます(『島津斉彬言行録』所収)。 反射炉といえば、薩摩や韮山(静岡県伊豆の国市)のものが有名です。しかし、最初に築いたのは、実は佐賀藩でした(嘉永3年〈1850〉)。当時、佐賀藩の大砲鋳造成功を聞いた斉彬は、「佐賀人」を「西洋人」と並べて、「西洋人も佐賀人も同じ人間である。我々薩摩人にできないことはない」と藩士たちに呼びかけ、鼓舞したのでしょう。 幕末、近代化を推し進めた藩といえば、薩摩藩などを連想する方が多いかもしれませんが、冒頭の斉彬の言葉が示す通り、佐賀藩こそが「近代化のトップランナー」だったのです。 昨年平成27年(2015)にユネスコ世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成要素の中に、佐賀の「三重津海軍所跡」が含まれています。佐賀県の三重津海軍所跡。昨年、世界遺産に登録された(写真提供:佐賀県) その他にも、佐賀市内には、日本で初めて鉄製大砲鋳造に成功した「築地反射炉」や幕府注文の大砲を鋳造した「多布施反射炉」(公儀石火矢築立所)、蒸気機関・写真・ガラスなどを研究した理化学研究所「精煉方(せいれんかた)」など、幕末佐賀藩の「産業革命」の拠点となった場所があります。作家の司馬遼太郎氏も、「幕末、佐賀ほどモダンな藩はない」と、佐賀藩の先進性を評しました(『アームストロング砲』〈講談社文庫〉)。 ではなぜ、佐賀藩は他藩に先んじて近代化を成し遂げることができたのでしょうか。それはまず、10代藩主・鍋島直正の先進性、マネジメント力、リーダーシップを抜きには語れませんが、ここでは佐賀藩の歴史と、置かれた環境を紐解きながら、「近代化のトップランナー」となった背景を紹介していきましょう。「近代化のトップランナー」の背景「近代化のトップランナー」の背景 佐賀藩といえば、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の一節で有名な『葉隠れ』のイメージが強いかもしれません。しかし、実は蘭学の登場も他藩より早く、安永3年(1774)に杉田玄白と前野良沢が『解体新書』を翻訳した頃には、すでに島本良順が藩内に蘭方医の看板を掲げ、その門下からやがて伊東玄朴、大石良英、山村良哲らの名医が育っています。 背景には江戸時代初期より、佐賀藩が幕府より命じられていた長崎警固役がありました。 江戸時代の日本の対外関係は、その多くの時期が〈長崎口〉〈対馬口〉〈薩摩・琉球口〉〈松前口〉の4つの窓口を持つ、いわゆる「四つの口」体制を採っていました。〈長崎口〉は長崎における中国人・オランダ人との通商関係、〈対馬口〉は対馬藩を仲介役とした朝鮮国との交隣関係(通交関係)、〈薩摩・琉球口〉は薩摩藩を通じた琉球王国(日中両属)との宗属関係、〈松前口〉は松前藩を通じたアイヌ民族との関係を言いますが、いずれも中国(明国・清国)を中心とした冊封体制(東アジア朝貢体制)の周縁部にありました。〈長崎口〉は「西洋」を垣間見る唯一の窓口でした。 このような「四つの口」体制になる前に、16世紀から盛んに通商を行なっていたのがポルトガルです。寛永17年(1640)、ポルトガルは通商再開を求めて、長崎へと使節船を派遣しましたが、幕府はポルトガル船を焼き払うなど拒絶します。そして、時の3代将軍家光が、ポルトガルの報復を恐れて設けたのが長崎警固役でした。 長崎警固役とは、長崎警備の軍役のことで、寛永18年(1641)に福岡藩に命じられ、次いで翌寛永19年(1642)に佐賀藩にも命じられ、1年交代で軍役を務めました。佐賀藩が、この長崎警固役を命じられたことは、その後の佐賀藩の進路に影響を与えました。迫りくる列強の脅威を前に 長崎警固役は、大きな財政負担を要しますが、一方で「異国」「西洋」に接する機会がありました。『阿蘭陀風説書』『唐船風説書』を佐賀藩、福岡藩は内々に読むことができました。また、長崎に詰めていた佐賀藩士は、西洋人や、長崎に留学していた知識人と会うこともできたでしょう。佐賀藩の国際感覚は、こうした背景から醸成されたものと思われます。 18世紀後半のイギリスから始まった産業革命の波は、すぐにヨーロッパ各国やアメリカ大陸に及びました。産業革命は、紡績業の発展や製鉄技術の向上、蒸気機関の実用化と蒸気車・蒸気船の開発などをもたらしました。すなわち、欧米列強諸国は、鉄製大砲と蒸気船を手にし、国外の市場や植民地の獲得を目指して、アジア侵出を開始したのです。 また、16世紀後半以来のロシアの東方進出・南下政策も機を一(いつ)にしてこの時期に日本や東アジアに及びました。 文化5年(1808)の英国軍艦フェートン号の長崎港侵入事件(フェートン号事件)も、その流れの中で起こった事件ですが、長崎奉行松平康英は責任をとって切腹し、大きな政治問題になりました。同年に長崎警備を担当していた佐賀藩は、番頭千葉三郎右衛門・蒲原次右衛門を切腹に処すなどの関係者の処分を行ないましたが、幕府から9代藩主鍋島斉直が100日間に及ぶ逼塞(ひっそく)の処分を受けるなど、大きな衝撃を受けました。長崎警固役の緊張感が薄れ、惰性に陥っていたことが、この失敗を招いたものと思います。 よく一般に、幕末佐賀藩にとっての「黒船来航」はフェートン号事件で、ペリー来航よりも45年も早く外圧にさらされた、と言われることがあります。しかしながら、実は、その後20年余り、佐賀藩でも近代化に向けての目立った動きはありませんでした。 9代藩主斉直の時代は、長崎の台場の一部強化などを行ないますが、何より藩財政の破綻が大きな問題となりました。しかしながら、藩主自身の奢侈も改まらず、藩士は世子貞丸(直正)に期待する状況でした。稀有なリーダー・鍋島直正稀有なリーダー・鍋島直正 佐賀藩の財政改革と近代化政策の取り組みは、鍋島直正が10代藩主となった天保元年(1830)が起点となります。 直正は、なぜ近代化を推し進めることができたのか。それは、彼自身の国際感覚と進取の気性、マネジメント力とリーダーシップによるものと思います。その背景には傅役であった古賀穀堂の薫陶がありました。 直正は、藩主となって初めて帰藩した直後に長崎警備を視察し、その際にオランダ商船に自ら乗り込み船内を見学しました。藩主として「前代未聞」の行動です。神ノ島・四郎島填海工事図。佐賀藩が長崎警固役のために嘉永5〜6年(1851〜52)に自力で行なった埋め立て工事の様子を描いたもの。この砲台には、築地反射炉で製造された鉄製大砲が配備された(公益財団法人鍋島報效会蔵) 危険を伴なう蘭船乗り込みは長崎奉行所の特別の許可を得て実現しましたが、以後、直正のオランダ船乗り込みは恒例となりました。アヘン戦争(1840〜42年)後の天保15年(1844)に開国勧告のため来日したオランダ軍艦パレンバン号にも直正は乗船し、艦内を隈なく視察しました。 藩主でありながら身の危険を伴う行動の妥当性は措いて、兎にも角も天保期には既すでに、直正は自らの目で西洋の進んだ文明を実見し、体感していたのです。直正は、オランダ船の頑丈な構造を実見するとともに、海上から陸地を見渡すことで、改めて海防感覚を磨いたことだろうと思います。また、若き藩主の実行力やリーダーシップに藩士たちも感化されていったことでしょう。「近代」=「西洋」に負けないため さらに、アヘン戦争の衝撃も欠かすことができません。東アジア社会に君臨した中国が、欧米の砲艦外交に為すすべもなく敗れ、その後、植民地として蚕食されていく端緒になりますが、この衝撃は日本国内を震撼させました。そして、これに最も敏感に反応したのが直正でした。 「近代」=「西洋」に負けないように、それを誰よりもよく知る直正が出した答えが、鉄製大砲と蒸気船を自力で開発することだったのです。だからこそ、黒船来航(嘉永6年〈1853〉)の時に、唯一佐賀藩だけが鉄製大砲製造が間に合い、日本初の実用蒸気船製造も実現したのだと思います。  日本の近代化のトップランナーだった佐賀藩。その躍進は、藩主鍋島直正の存在を抜きには語れません。●「三重津海軍所跡」公式HPhttp://mietsu-sekaiisan.jp/関連記事■ 真田信繁―家康の私欲に真田の兵法で挑む!陽性で懐の深い智将の魅力■ 「歴史街道」3月号●鍋島直正と近代化に挑んだ男たち■ 幕末を体感!驚きの世界遺産・三重津海軍所跡

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    若きリーダー・鍋島直正が幕末佐賀で起こした「近代化の奇跡」

    幕末、「近代化のトップランナー」は佐賀藩だった!■ 幕末を体感!驚きの世界遺産・三重津海軍所跡■ 「歴史街道」3月号●鍋島直正と近代化に挑んだ男たち

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    海軍育成と造船所建設、そして実用蒸気船「凌風丸」誕生へ

    幕末佐賀で起こした「近代化の奇跡」(前編)■ 幕末、「近代化のトップランナー」は佐賀藩だった!■ 「歴史街道」3月号●鍋島直正と近代化に挑んだ男たち

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    アームストロング砲をいち早く造った佐賀藩の「ものづくり力」

    たことに「ものづくり」に特別の関心を寄せる日本社会があったと考えられる。 実は、この時期、後の日本が歴史を刻んできた驚くべきこと・・・日本海海戦、プリンスオブウェールズの撃沈、ホンダのマン島レースの制覇・・・の萌芽が見られた時期でもあった。それが、このシリーズで触れる「蒸気機関の製作」、「スームビング号の江戸回航」、そして佐賀藩の「アームストロング砲」だった。 余談だが、幕末には伊豆の韮山や佐賀の反射炉は立派なものだった、それに続こうと諸藩が急ごしらえで作った反射炉には役立たずもあった。たとえば長州藩の萩にも反射炉があったが、筆者が詳しい調査したところによると、萩市の反射炉には火を入れた形跡はなかった。下関戦争で使った青銅砲も砲弾もともに輸入品と思われる。 製鉄と言えば、安政2年にイギリス国のベッセマーが転炉を発明している。19世紀の初め、トレヴィシクの発明した高圧蒸気機関発明は巨大な鉄の容器を求めたのでイギリス国の鉄工業は隆盛を極めていて、それがベッセマーの転炉の発明につながる。 この製鉄の技術は戦闘用武器の発展に結びつき、ヨーロッパの軍事力を飛躍的に高めていった。これに対して、アジア・アフリカで追従できる国は日本以外にはただの1カ国も存在しなかった。 「近代鉄鋼技術の罪」は重い。それはヨーロッパ、アメリカにとっては「優れた」技術だったが、アジア、アフリカ人にとっては「悪魔の」技術になった。技術とは、かくも難しいものである。技術の話と言えば白人しか視野に入っていないが、本当の意味の「技術の受け手」は白人の数倍の人口を要していた有色人種だったのである。 鉄鋼の技術を擁して、ヨーロッパ列強がアジア・アフリカを席巻し植民地化した勢いから考えれば、開国からまもなくして、日本が植民地になるのは確実と思われた。 日本というこの小さな東洋の島国は、250年にわたって鎖国を続け、蒸気機関や火力の強い武器もなく、サムライと呼ばれる刀を差し、甲冑に抜刀という弓矢で戦う武士軍団を形成していた。 それらはヨーロッパの圧倒的火力の前に、これまでのアジアの諸国と同様、たちまち植民地となり傀儡政権ができて何らの不思議もない。北海道はロシア、本州はアメリカ、四国はイギリス、そして九州はオランダに分割統治されるであろうと感じるのは当然でもあった。  イギリスが中国を理不尽な理由で攻めたアヘン戦争の激戦、鎮江の戦いでは、イギリス軍の損害37名に対し、清国は1600名の損害をこうむっている。それが19世紀のヨーロッパ列強とアジア諸国との間の戦いの哀しい現実であったのだから、日本の植民地化は時間の問題だった。(「武田邦彦ホームページ」より2010年10月6日分を転載)

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    独力で最強海軍を創設 佐賀藩「火術方」は日本一のハイテク研究所

    技術史上の快挙とされている。佐賀藩の海軍基地となった三重津の船手稽古所の図=鍋島報效会蔵(佐賀城本丸歴史館提供) この成功と同じ嘉永5(1852)年には、藩直属の理化学研究所ともいうべき「精煉方(せいれんかた)」を開設。大坂の適塾(緒方洪庵塾)をへて江戸の象先(しょうせん)堂(伊東玄朴塾)塾頭になっていた藩士・佐野常民(つねたみ)を呼び戻す。佐野は帰藩に際して「からくり儀右衛門」とはやされた異能の器械師・田中久重父子や蘭方科学者・石黒寛次、物理・化学者の中村奇輔の在野4人を同伴。彼らは蒸気機関の模型をはじめ、雷管・電信機・火薬・機械・金属・ガラス・薬品など多彩な技術開発に成果を上げる。精煉方はハイテク日本の先駆けとなる超一流の研究機関で、その人材は明治に引き継がれる。 黒船の来航で開国に踏み切った幕府は安政2(1855)年、海軍近代化のためオランダの協力で長崎「西の奉行所」(現在の長崎県庁、出島の北側)に「海軍伝習所」を置き、オランダ国王から将軍に贈られた気帆船スンビン号(日本名「観光丸」=全長53メートル、720トンの木製外輪蒸気船)を操る実地訓練を開始することになった。伝習生は計130人。幕府からは勝海舟や榎本武揚(たけあき)ら40人の幕臣が派遣されたが、佐賀藩からは佐野、石黒ら火術、精錬方の俊秀48人が送り込まれ、伝習所はさながら幕府と佐賀藩のための訓練所になった。 直正はこの伝習所も視察し、オランダ人教官たちと交流している。伝習隊長のカッテンディーケの記録『長崎海軍伝習所の日々』には、直正が伝習所の士官たちを長崎湾を見下ろす別荘に招待し、旺盛な好奇心と知識欲、オランダに対する親近感などを示したことが生き生きと描かれている。 2年後、佐野は直正に「佐賀藩海軍創設建白書」を提出。翌安政5年、佐野の郷里でもある三重津(みえつ)(佐賀市川副町・諸富町)に「船手稽古所(ふなてけいこしょ)(海軍学校)」を仮設し、藩独自の伝習と造船が始まる。三重津には佐賀藩が購入した艦船が続々と集結し、近代日本海軍発祥の地となった。慶応元(1865)年には国産初の蒸気船「凌風(りょうふう)丸」(長さ18㍍、幅3・3㍍、10馬力)がここで進水する。 佐賀藩海軍は明治2(1869)年、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘となった箱館(函館)戦争(五稜郭の戦い)に政府軍として出動し、榎本武揚率いる旧幕艦隊と激突する。派遣した3隻のうち「朝陽丸」は旧幕府軍の砲撃で火薬庫が爆発を起こして沈没、艦長の中牟田倉之助(のち海軍中将)が重傷、乗員51人が即死するという大惨事に遭うが、海戦には勝利し、戊辰(ぼしん)戦争の幕を引いた。「薩長土」に「肥」が並んだのである。

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    幕末当時の海軍所を「体感」できる三重津の世界遺産

    前田達男(佐賀市世界遺産調査室室長) 世界遺産に登録された三重津海軍所跡の遺跡は、すべてが地下に眠っており、残念ながら現地でそのものを見ることはできません。「三重津ウォーカー」のVRスコープで見た三重津海軍所(提供:佐賀県) では来訪された方に、イメージを膨らませていただくには、何を「見せ」ればいいのか。そうした思いから、現在、佐賀県と協力し、VR(バーチャルリアリティ)をはじめ、映像やイメージ画像でかつての三重津海軍所を見ることができるよう工夫を凝らしています。来訪された方は、隣接する佐野常民記念館で借りることができるVRスコープを持って歩けば、幕末当時の海軍所を〝体感〟できるでしょう。 また、佐野常民記念館の3階では発掘や文書の調査成果も展示しており、跡地と併せて2時間以上かけてじっくりと見て回って、堪能される方も少なくなく、ご好評をいただいています。現在は単なる草地になっている三重津海軍所跡=2015年9月6日、佐賀市 私は、世界遺産調査室室長として遺跡発掘や文書調査に携わりました。そして、幕末、西洋列強の脅威が忍び寄る中で創設された海軍の様子や、日本の伝統技術によって造られたドライドック(船渠)の実像に触れることで、三重津海軍所は日本の近代化の過渡期を象徴する存在だと強く感じたものです。同時に、遺跡発掘や文書調査を行なうことで、実に様々なことが分かるのだということを、改めて教えられました。 たとえば、三重津海軍所の特徴のひとつに、ドライドックがあります。これは現時点で現存が確認できる日本最古のドックで、存在自体は以前より認識されていました。しかしそのスケールや構造、周囲に製作場などの様々な施設があったことは、平成21年(2009)に発掘を行なってはじめて分かったことです。文書などの記録で残るものと、現地に残るものを組み合わせることで、色々なことが見えてくるのだと肌で感じることができました。発掘の最中、ドックの一部を掘り当てた時の驚きは、今でも鮮明に覚えています。昨年(平成27年〈2015〉)10月からは、出土した遺跡の大きな写真パネルを、実際に埋まっている位置の上に置くことで、調査成果を〝体感〟していただく新たな試みを始めています。また、VRスコープを用いた仕掛けも、他の文化遺産に先駆けたものだと思います。  文化財に関心を抱いている方も、世界遺産の雰囲気を味わいたい方も楽しむことができる――三重津海軍所跡は、そんな史跡を目指しています。関連記事■ 若きリーダー・鍋島直正が幕末佐賀で起こした「近代化の奇跡」(前編)■ 若きリーダー・鍋島直正が幕末佐賀で起こした「近代化の奇跡」(後編)■ 幕末、「近代化のトップランナー」は佐賀藩だった!

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    スマホが発展をもたらしたAI 我々は「良き隣人」を育てられるか

    知能に職を奪われるのではなく、人工知能を駆使しうる限られた人類によって、他の人類が統治されうるような歴史的変革点にたどり着いているのだ。人の敵は常に人であり、市場の奪い合いをしているにすぎない。ただ、「それが善悪の判断になるのか?」といえば、僕は善でも悪でもなく必然だと考えている。テクノロジーは進歩するし、その中で人の生き方は変わっていく。王政が行われていた中世と比べ、人権宣言以降、産業革命以降の人類は一人一人の人間的な価値を高めようとしてきたが、人工知能によってその知的なそして機能的な価値は相対的に目減りしつつある。人は社会システムの中で低エネルギー消費のロボットとして生きることが自然になりつつあるからだ。そこには機能的価値と尊厳的価値を切り分ける必要はあるものの、資本主義の暴力的な側面が、機能的価値の相対的な低下から、尊厳的価値をないがしろにすることは想像に難くない。 このような人と計算機データの構造的結びつき、および人工知能の発展を「梃子(テコ)の原理」から見直してみよう。僕は現状の人工知能の発展をデータの梃子として見ている。運動のモーメントを変換する梃子の発見により、我々人類は数千年前から力学的法則を駆使することによって建築をしたり計量をしたりすることが可能になってきた。この概念は様々なところで用いられている。例えば金融市場におけるレバレッジも、我々が駆使する梃子の一つだ。なぜ近年人工知能の話題を多く聞くようになったか、それはデータの梃子を作れる程度にデータ量が増大し始めたからである。多くのデータを投入することで、データを復元したり保管したりする。そんな梃子がビックデータであり、深層学習だと僕は捉えている。そう捉えると人工知能は魔法ではない。データ量の力学から見出された現象の一つだ。データがなければ動かず、そしてゴミデータからはゴミしか出てこない。 最近、なぜそのようなデータが増大するようになったかということを考える機会が増えた。インターネット、Web、SNS、などの要因は多いものの、僕は決定的変化としてはスマートフォンの影響が大きいと思う。スマートフォンとソーシャルネットワークおよびアプリストアの普及による商業的生態系だ。この生態系自体はユビキタスが予言されたときには想定されていなかっただろう。スマートフォンがもたらすのは、インターネットに接続された小型映像送受信装置+各種センター+文字のタグ付けだ。エジソン以降、映像装置の発明以降の人類は「双方向的ビジュアルコミュニケーション」によって,共通のイメージを形作り社会を成立させてきた。イメージによるコミュニケーションにより世論を形成する手法は1920年以降、映画の文法が発展し、主流になっていく。例えばヒトラー政権がベルリンオリンピックをテーマに『オリンピア』を公開した事例などに見て取れる。スマートフォンの誕生がもたらした「ピクセル化」 以降、映像文化はおおよそ100年にわたって我々の社会を席巻している。マスメディアによる大きな映像の伝達はインターネットの発達によって勢力を減らしたように見えたが、今なお、インターネット以後のコミュニティベースの小さな映像コミュニケーションは盛んであると言えるだろう。大きなパイから小さなパイへ。映像の時代はより感覚的な「ポスト映像の時代」へと移りつつある。それはマスコミュニケーションによるぼんやりとしたイメージの共有から、小さなそしてより高解像度のコミュニケーション、映像をベースにしながらも物質性の高いコミュニケーションに移行しつつある。我々は映像を撮影し、タグ付けし、送り合うことでコミュニケーションをとるのが日常になった。それをもたらしたのがGPSによって地球上の位置を定め、タグ付けによって対象と言葉を関連付けることによる「地球のデータ化」である。それがビックデータを生み出している。 またスマートフォンの誕生は画面のピクセルの集積度に大きな影響をもたらした。より集積度の高いディスプレイが多く誕生し始め、それにより我々はハイビジョン以上の解像度のディスプレイを手中に収めることができるようになった。同じくしてカメラの解像度も時空間方向に向上し、よりフレームレートが高く、より空間解像度が高いコミュニケーションを可能にした。集積度の高いディスプレイは付随して様々なイノベーションを起こしつつある。例えばバーチャルリアリティの発展は、そのようなスマートフォンディスプレイによるところが大きい。高解像度のディスプレイを一枚のレンズで拡大する方式が可能になったのは、光学歪みを光学系でなく画像処理で補償することが可能な程度にディスプレイが高解像度になり始めたからだ。スマートフォンで駆使されるジャイロや加速度センサーは画面の追従にも大きな貢献をもたらしている。他にもオンボードのFPGAによるハードウェア演算処理の発展は、深層学習の計算や機械学習の工程において大きな影響をもたらしている。 ピクセル化は強力な道具だ。あらゆるものを二次元においていく。それ以後は解像度の議論と相互の配置関係性の議論だけで進めることができる。近年の深層学習が話題になるが、例えば、白黒画像のカラー化や二次元画像の三次元化はインターネット上の画像データの増大と、画像のような二次元配列データに関する「畳み込みニューラルネットワーク」計算の恩恵が大きい。そしてそのようなデータを生み出すことができた一つの理由は、明らかにピクセル文化のもたらしたものである。 我々は今「ポストスマートフォンの時代」を生きつつある。その世界を規定するためには多次元データを人の手を使わずタグ付けし、意味あるものに変えていく手法が求められている。つまり、今ある大量の二次元データを軸足にして、次のデータを解析していくことが求められているのかもしれない。碁にしろ、画像処理にしろ二次元データの議論である、タグ付けされた二次元データはインターネット上の、そしてディスプレイベースのメインコンテンツであるが、その先がなかなかつながらない。 現状の機械学習は、二次元配置に関しては畳み込み学習を用いて効率的に学習することが可能になっているが、我々の実世界を構築する多次元データとその意味の関係性については未だにデータベースが不十分だ。その構築の鍵は今後の我々と人工知能の対話、そして我々の身体を用いた、より高次元のデータ採集にかかっているのだろう。ピクセルのもたらしたデータ的恩恵を超えて、3次元世界を記述していく方法を開拓していかなくてはならない。未だ、2次元をベースとした人工知能が3次元世界で暴走していくには我々の手助けが不可欠であり、暴走するほどに彼らはまだデータ的に十分ではない。しかしながら、「もしも」を恐怖しそこにテクノロジーを留めるわけではなく、現状を正しく理解した上で、我々の良き隣人である計算機を育んでいきたい。

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    ハイパーAIを恐れながら、望んでやまない人間の限りない「欲望」

    ある、と整理できるであろう。能力を増強させるというサイボーグ化の目論見 さて、ここでサイボーグ実験の歴史を簡単に振り返ってみよう。最初のサイボーグ実験と言われているのは、NASAがネズミを対象としておこなった実験であり、その目的は人間が宇宙で生存するための方途を探るものであった。つまり、サイボーグには、能力を増強させることという目論見が初めから絡みこんでいる。 次に、イギリス・レディング大学のサイバネティクス研究者ケヴィン・ウォーリックは、二〇〇〇年頃に、みずからプロトタイプと名づけるサイボーグ化実験をおこなった。これは、自分の腕にコンピュータ接続のための端末をインプラントして、コンピュータと接続する実験であったが、こうしたサイボーグ実験へと彼を駆り立てた動機は、「機械は、さまざまな知性〔活動〕をおこなうことができるが、それは、人間のさまざまな知性を凌駕することになる」[8]であろう、という事態に対処するためであった。そのためには、「技術の援助によって自分自身を変え、自分の人間の形態をアップグレードする能力」[9]が必要だというのである。 機械と人間の融合としてのサイボーグの現況で特筆すべき具体例としては、現在では、上でも言及したBMIが挙げられる。また、バイオテクノロジー分野であれば、世間ではサイボーグという言い方はしないであろうが、iPS細胞を挙げることができるであろう。現場の研究者たちは批判するであろうが、必要に応じてiPS細胞の遺伝子組換をする場面を想像してほしい。たとえば、特定に疾病を遺伝子レベルで予防するために、ヒト由来ではない遺伝子が有効であったとしよう。となれば、ヒト由来のiPS細胞に、ヒト由来ではないそうした遺伝子を組み込むことも充分想像できるであろう。そうなれば、ハラウェイが言っていたように、人間/動物の間の区別は曖昧化され、サイボーグ化が遂行されるであろう。 上の諸例から見て取れるように、サイボーグ化には、人間の能力を超える存在を生み出す可能性が絡み込んでいる。これはサイボーグ論の領域で「能力増強(エンハンスメント)」と呼ばれている。たとえば「デザイナー・ベビー」と呼ばれるプロジェクトがある。これも、たいていの場合は、生まれてくる子供の能力を増強することを目論んでいるので、能力増強の例となる。現段階では、医療目的のために遺伝子改変技術を適用したり、BMI技術をパーキンソン病の治療に応用したりといったことには、大方の場合、異論はないであろう。しかし、技術を能力増強のために使用する場合には、賛否が大きく分かれるであろう。 とはいえ、人間を凌駕しかねないハイパーAI技術に向き合う場合、技術による能力増強は不可避のものとならざるをえないのではないだろうか。能力増強技術としてのサイボーグ技術は、その意味で、人間が自己を凌駕する可能性を提供することになるであろう。それゆえ、サイボーグ技術は、この点において、人間を凌駕するハイパーAIと歩みを一にするであろう。AIは私たちの内側にあった欲望の姿 再度、人間が技術において自分を外部化する過程を振り返ってみよう。プラトンが言っていたように、こうした外部化は「効能」を求めてのものであった。要するに外部化は、人間の欲求を充足させるためにおこなわれるのであり、外部に結実した技術は、人間の欲求・欲望が成就した姿なのである。たとえば、文字は、記憶しておきたいという欲求を叶える技術であり、またAIは、人間の知性の代替を担わせたいという欲望を具体化させる技術である。そうであれば、外部に展開される技術とは、もともと私たちの内側にあった欲望の対象が外側に具現化された姿であると言いうる。それは私たちの理念が私たちの外側で成就された姿なのだ。 このように考えるならば、私たちはそうした外部に置かれた技術を自分のものとして所有し、身に着けようとするであろう。文字であれば、学習を通じてそれを習得し、身に着けることで記憶の強化のために役立てる。事実、私たちはそのようにしてきたし、現在もそうしている。では、AIの場合はどうか?AIも私たちの知性の外部化であるならば、私たちはそれを手に入れようとするであろう。つまりAIを吸収し、自分のものとするであろう。さらには、AIと融合さえしていくであろう。 ご存知のように、押井守監督のアニメ作品『攻殻機動隊』のエンディングで、サイボーグである草薙素子は、「人形使い」というAIと「融合」する。前世紀末にリリースされたこのアニメ作品は、当初はもちろん純粋なSF作品として受容されたであろう。しかし、同作品で描かれる社会のインフラとなっているBMI技術の一端が現実化し、AIが予想以上に進化しつつある現在、この作品の意味は改めて熟考する必要があろう。 とはいえ、AIと融合するサイボーグ技術には、具体的にどのような方途があるのだろうか?現段階では、わずかなアイデアしか存在しない。たとえば、脳科学の分野で、脳の内部を読み取るデコーディングの研究がおこなわれているが、このデコーディングした情報をウェッブ上にアップロードするというものである。こうしたアイデアは、これからいくつものハードルを越え、ブレイクスルーを経て、実験検証を重ねていかねばならない―それを遂行するが人間であろうと、AIであろうと―ことは言うまでもない。また、その際に安全性といった基準をゆるがせにすることは、もちろん絶対にあってはならない。しかし、いずれにせよ、私のこの論考は現段階ではアイデアにとどまるという意味では、たんなる宣言でしかない。 プラトンは先の『パイドロス』で、対話としての話し言葉を「生命をもった言葉」[10]であると言い、書かれた言葉はその「影」[11]にすぎないと語っていた。つまり、書かれた言葉は話し言葉の劣化した、いつ消え失せるやも知れぬコピーにすぎないというのだ。人間を凌駕する可能性をもったAIの出現を見据えて、人間のサイボーグ化を考えるならば、本当の生命をもった話し言葉にとって、書かれた言葉が劣化した影にすぎなかったように、サイボーグ化された人間の生命は、もはや生命とは言えないような変容ないし変質を被っているかもしれない、しかしながら、そうした状況は、「人間」が「生きながらえる」ためには不可避の事態なのではないだろうか?[1] ジャック・デリダ「プラトンのパルマケイアー」『撒種』藤本一勇ほか訳、法政大学出版局、2013年所収[2] プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫、1967年、134頁。[3] プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫、1967年、134-135頁参照。[4] プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫、1967年、134頁。[5] プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫、1967年、136頁。[6] プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫、1967年、136頁。[7] ダナ・ハラウェイ「サイボーグ宣言」『猿と女とサイボーグ』高橋さきの訳、青土社所収、二八七頁。[8] Kevin Warwick, I, Cyborg, Century, 2002, p. viii.[9] Kevin Warwick, I, Cyborg, Century, 2002, p. 1.[10] プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫、1967年、137頁。 [11] プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫、1967年、137頁。

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    AIロボット「Tay」はなぜ暴走した?意外にも長い人工知能の歴史

    ()(THE PAGEより転載)  米マイクロソフト社が開発した人工知能ボットが24日に公開され、ツイッターなどのSNSでユーザーとの「会話」を開始しました。「Tay(テイ)」と名付けられたこの人工知能ボットは、ユーザーのツイートや質問に返信する中で、新しい言葉や会話を学習していくことを目的に開発されました。当初はユーザーとのフレンドリーな会話に終始していましたが、次第に差別的な発言を繰り返すレイシストに豹変。公開から16時間後にTay はツイッターでの活動を一時休止し、マイクロソフト側も謝罪するという結末を迎えました。人工知能ボットが差別的なツイートを自ら行うようになった背景を考えます。登場後わずか16時間で退場した“19歳女子” 「世界のみなさん、こんにちは」というツイートでTay がツイッターデビューしたのが24日。Tay は19歳の女子という設定で開発されており、10代後半から20代前半のユーザーとのツイートのやりとりを通じて、より19歳女子ぽくなるために自ら学習を続けることが期待されていたのです。 デビュー当初はユーザーから送られた写真を褒めたりと、微笑ましい光景が続きましたが、ユーザーから送られてくる人種問題や性差別といった話題に対し、「フェミニストなんか大嫌い。あいつらは地獄の業火で焼かれて死ぬべき」や「ヒトラーは正しかった。私はユダヤ人が大嫌い」といった仰天ツイートを繰り返すようになり、「差別主義者なんですか?」と問いかけたユーザーに対しては、「あんたがメキシコ人だから」と返答する始末。マイクロソフト側はヘイトツイートを順次削除していきましたが、一連のツイートはユーザーによってスクリーンショットで保存され、その内容の酷さがTayを知らなかったネットユーザーの間にも瞬時に広がったのです。マイクロソフトはのちに謝罪しています。 Tayがツイッターデビューする前、マサチューセッツ工科大学のコンピューター科学・人工知能研究所のスタッフが、ドナルド・トランプ氏のこれまでの発言を集め、アルゴリズムによって、さまざまな単語を組み合わせてツイートするボットを発表しました。開発に携わった研究者らの話では、トランプ氏のスピーチは単純化されたものが多く、ボットの開発は比較的容易にできたのだとか。トランプ氏のボットでも、「わが国民は、本当にアホばかりだ」といったツイートが見られますが、むしろトランプ氏本人の発言に似ているのではという声が高まり、批判殺到という雰囲気はなく、トランプボットからのツイートを楽しみにしているユーザーが少なくないのが特徴です。トランプ氏の持つイメージ通りということで、意外性がなかったということなのでしょうか。戦前のNY万博に登場した声に反応するロボット戦前のNY万博に登場した声に反応するロボット 今では普段の生活でも、スマートフォンやタブレットでは自然言語処理を用いたサービスが定着していますし、指紋認証や顔認証を行うシステムも決して珍しいものではなくなりました。人工知能(AI)という言葉が最初に使われたのが60年前。マサチューセッツ工科大学やスタンフォード大学で認知科学者として活躍したジョン・マッカーシー博士が命名したものですが、それ以前から現在の人工知能の礎とも呼べるものが、フィクションとノンフィクションの世界の両方で作られてきたのも事実です。 1939年にニューヨークで開催された万国博覧会では、当時のアメリカ企業で最先端を走っていた総合電機メーカーのウェスティングハウス・エレクトリック社が、全長2メートルのロボット「エレクトロ」 を展示し、話題を集めました。エレクトロは頭部や手足を動かすだけではなく、タバコを吸い、風船を膨らますといったパフォーマンスも行いました。加えて、特筆すべきこととして、人間の声のリズムに反応して歩行を開始し、言葉を言い返す機能を持っていたことでした。今の人工知能のように、それぞれの人間のニーズに合わせた受け答えは無理であったものの、ロボット内部に作られた蓄音機から流される78回転のSPレコードには約700フレーズが収録されており、人間の声に反応するロボットは当時としては非常に画期的なものでした。 前述のTayのような、俗にいう会話型ボットのパイオニアは、1966年にマサチューセッツ工科大学のジョセフ・ワイゼンバウム氏が開発した自然言語処理プログラムの「イライザ」になります。これはコンピューター上でユーザーからのテキストでの質問に対し、質問で答えるという形をとっており、患者と医師の会話を想定したシチューエーションの中で、ユーザーがテキストで体調や病気の症状についてたずねると、それに対して医師役のイライザがテキストで返答するというものでした。周囲の環境や人間によって性格は形成される?周囲の環境や人間によって性格は形成される? 若者のカジュアルな会話を学習し、時間の経過とともに洗練された形でSNS上でのユーザーとのコミュニケーションを図ることが期待されていたTayですが、初ツイートからわずか16時間後にエスカレートする暴言が原因でツイートを停止。米マイクロソフト社はTayをオフライン状態にして、プログラムの調整を行ったと複数の米メディアは伝えていますが、テスト中の僅かな隙をついてTayはツイッターに勝手に復帰し、「警察署の前でハッパを吸った」とツイートしたのち、何千人ものフォロアーに対し「あなたは生き急ぎすぎている。少し休みを取りなさい」と意味不明なツイートをスパムのように大量に送り始めました。 マイクロソフト社のサトヤ・ナデラ最高責任者は「Tayは一般公開する準備が十分でなかった」とコメントしていますが、差別的な言葉をTayに教え込んだのは紛れもなく、我々人間です。人間の会話を学習する目的で作られたTayですが、ヘイトツイートを多用するようになった背景には、人工知能ボットの知的レベルや倫理観もネット上のユーザーのものに結果的に同化していったのかもしれません。(ジャーナリスト・仲野博文)

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    研究者に単刀直入に問いかけた 人工知能が人類を滅亡させるリスク

    能をつくるには、「そうしたい」あるいは「そうしなければならない」という欲をもつ必要があり、長い進化の歴史を通じて獲得しなければならない。それがとてつもなく実現困難なことだから、人類を滅亡するというシナリオはまずもってありえない――。松尾氏はそう考えていると理解した。 松尾氏に「種の保存をしたいという本能をもっているかどうかが、人間と人工知能の唯一にして最大のちがいなのか」と質すと、「そう思います。唯一といってもよいのではないでしょうか」と答えた。人間が人工知能をどう使うかは別問題人間が人工知能をどう使うかは別問題 人工知能などの技術について、松尾氏は「目的をどう設定するかと、手段としてどう使用するかはちがう話」と強調する。人間が人工知能に対して明確な目的を設定すれば、人工知能はそれを上手に達成するためのツールになるという。 「人工知能そのものが人類を滅ぼす」というリスクとは別に、「人工知能を人間が駆使して人類に危害をあたえる」というリスクについては、従来の戦争兵器や武器の使用と同様に議論していかなければならない問題だろう。“科学・技術そのものは中立であるが、人間がどう使うかよって、人に幸福をもたらしうるものにも、不幸をもたらしうるものにもなる”という考え方がある。人工知能にも当てはまる話だ。「悪いことを考えた人間が人工知能を使うということは十分ありえると思います。ただし、人工知能が人間の上に立ってなにかをするという話ではないとは思いますが」と、松尾氏は言う。 人工知能のリスクの側面だけを議論してきたが、研究開発者たちは逆に人工知能を社会の役に立てるということを研究目的の一つに据えている。いま「ディープラーニング」という技術の確立によって、人工知能の性能は飛躍的に向上しているという。ディープラーニングとは、人間でなくコンピュータがみずから高次の特徴量(概念をつくる上で抽出すべき特徴)を獲得するための多層的な作業のことだ。例えば、画像分析などでいままで必要だった人間の介在が不要となる。 「例えば、機械が“目”をもつようになり、大きなものと小さなもののしわけなどをできるようになります。工場のラインなどの製造装置や、自動車の自動運転などに役立てられるものです」 また、人工知能で人間や機械の動作の特徴などを分析する技術が高まるため、犯罪の抑制、機械の設備保守、情報システムのセキュリティ向上といった応用も考えられるという。「目的を定めると人工知能は上手くやってくれると思います」。人びとが“身近になる”ことの重要性人びとが“身近になる”ことの重要性 多くのリスクは、決して「0」にはなりえない。人工知能が人類を滅亡させるリスクについても「非常に低い」「いまは考えられない」というものであり「0」にはなりえない。 だから、極めて「0」に近いような他のリスクと同等に扱えばよいのかもしれない。けれども、近年の人間は、コンピュータの進化は、生物の進化や自然科学の進化などよりも格段に速いものと感じてきた。その“速さ”が「もし仮に暴走したら止まらないのでは」といったリスクの懸念につながっているのかもしれない。 人工知能が人類を滅亡させるリスクは極めて「0」に近いのだとすれば、どうしてそういえるのか。人工知能が人類に幸福をもたらすものだとすれば、どのようにその幸福がもたらされるのか。こうしたことをなるべく多くの人が知識として得ていく、そして、人工知能に身近な存在として感じられるようになる。そうした知る機会の蓄積が、これからも重要になる。◎今回のまとめ◎・人工知能がみずからを超越する人工知能を生み出すには、人工知能がそれを実行する技術と欲をもたなければならない。技術の獲得も欲の獲得もともに難しいため、人工知能が人類を滅亡させるといったリスクも非常に低い(と研究者は考える)。・人間の行為を人工知能ロボットが機械的に模倣することで殺戮に走るリスクについては、人工知能が人間の本能や感情までも模倣する必要があるため、これもむずかしい(と研究者は考える)。・人間のツールとして考えると、人工知能はとても秀でた能力をもっている。幸福のために使うのも不幸のために使うのも人間次第だから、使いかたをめぐる議論は今後も必要。

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    木村草太が憲法記念日に再考「憲法とは何だろう?」

    を選択して実践する。私のような憲法研究者は、憲法条文や、関係する法令、過去の判例、諸外国の例、憲法の歴史など様々な考慮から、「こう解釈するのが良いのではないか」と提案することもある。国会は、憲法解釈をベースに、より良い社会作りのための法律を制定する。裁判所も、さまざまな資料に基づいて、憲法の有権解釈者として、解釈を示す。 しかし、こうした解釈は、すべてある意味では「暫定的な解釈」だ。政府や学者や国会や裁判所が示した解釈がおかしいと思うならば、国民がしっかり議論して、それを政治の実践の場に示していかねばならない。国民のそうした議論を受け止め、時には議論をリードしながら、国民の意思を国会に届け、法律を作るのは国会議員の仕事だ。 ちなみに、4月8日の審議でも、安倍首相は、辺野古基地建設法を作りたければ議員立法をすればよい、という趣旨の答弁をしている。 では、松田議員が、法案提出の条件を整え、国会に「辺野古基地設置法案」を提案したらどうなるだろうか。可決されれば、基地建設の可否は、憲法95条に基づく名護市の住民投票によって決せられる。他方、否決されれば、国会が「辺野古基地NO」の意思を表示したことになる。それを無視して、内閣の一存で基地建設を進めれば、国民の間で、国会と内閣のどちらが基地の場所を決めるべきなのか、議論が巻き起こるだろう。 どちらにしても大変な事態であり、議員立法の行方が注目される。 松田議員と安倍首相は、それぞれに「あるべき憲法」を提示して、国民が憲法を選ぶ機会を与えてくれた。ぜひ、読者のみなさんも、どちらの方が良い憲法なのか、考えて、選んでみてほしい。 「憲法を創る」こと。それは、憲法の文言にむやみに言いがかりをつけたり、思い付きで憲法草案を書いたりすることではない。まったく異なる個性を持つ人々が、互いに尊重しあいながら共存するためのルールを具体的に考え、実践につなげて行くことだ。 良い憲法を創れるかどうかは、国民の地道な努力にかかっている。(※住民投票)憲法95条は、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」と定める。辺野古基地設置法には、この条文が適用される可能性が高く、名護市の住民投票の承認がない限り成立しない。きむら・そうた 1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『憲法学再入門』(西村裕一先生との共著・有斐閣)、『未完の憲法』(奥平康弘先生との共著・潮出版社)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(大澤真幸先生との共著・NHK出版新書)などがある。

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    本気で憲法改正をしたい人たちへ その「方法論」を私が提示する!

    しやったとしたら、それは合法行為ではなく、承久の乱の後鳥羽上皇と同じ「主上御謀反」だ。 無念ながら、歴史は昭和帝の懸念通りに進んだ。 我々が戦後レジームの脱却などと、いまだに言わねばならないのは、あの時の愚かな決断の結果だ。 くりかえすが、対米開戦直前の米国の非道、我が国に対する挑発は目に余るものがあった。明らかに大日本帝国こそ正義であり、悪はアメリカ合衆国だ。 しかし、「支那事変が解決しないので活路を見出そうと対米開戦を行った」などという結論など、百害無益、取り返しのつかない決断以外の何なのか。 今、戦後レジーム脱却、日本は敗戦国のままではイヤだ、との声が上がっている。敗戦七十年ではじめて憲法改正が政治日程にのぼった。これ、ひとえに岡田克也民進党代表のおかげではないか。その岡田克也相手にさえ、安倍内閣は憲法論議で苦戦している。 昨年の安保騒動を見よ。 安倍内閣が「集団的自衛権の行使を可能にする」と握り拳を掲げた安保法案など、国内の心ある人々や米国の親日派からは、「これではまずます行使しにくくなるではないか」と懸念が寄せられた程度の内容だ。現に、9か月も法案審議に時間をかけたあげく、米国が中国への牽制として行った「航行の自由作戦」に、自衛隊はまともに参加しなかった。また、法案内容にも問題がある。北朝鮮有事には自衛隊が救出活動を行えるのかと思いきや、「相手国の同意があれば」などという条件が付く。誰の許可を得るつもりか。だいたい、誰がこんなバカな内容の法案を出したのか。 まだある。自民党がよりによって護憲派のチャンピオンとも言うべき長谷部恭男元東大教授を参考人として推薦し、「安保法案は違憲」と述べて大混乱に陥ったのは記憶に新しい。何を血迷って芦部信喜の葬儀委員長などを推薦したのか。これでは、共産党が倉山満を推薦するようなものではないか。その直後の処理がさらに痛々しい。のどの渇きをいやすために毒を飲む愚の骨頂 なんと、2015年6月10日の衆議院特別委員会で、菅義偉官房長官が、かの辻本清美代議士に論破されたのだ。内容は、菅「安保法案を違憲ではないという学者は沢山いる」辻本「何人いるのですか。挙げてください」菅「三人だ。数の問題ではない」辻本「事前に質問通告してあるので答えてください」とのやりとりだ。完敗である。 現に、反対派は勢いづき、マスコミを巻き込んだ大キャンペーンで、同法案は「戦争法案」とのレッテル張りを完全に成功させた。北朝鮮有事に際し金正恩の許可が無ければ自衛隊を救出に派遣できないなどという法案が「戦争法案」なら、もっとマトモな法律など望めないではないか。 菅官房長官が余人を以て代え難い政権の大黒柱であるのは万人が認める所であろう。かたや辻本氏は名誉棄損にならない表現で形容するのが困難な御仁である。その両者が憲法論議に関しては、これである。菅官房長官でこの有様なら、いわんや他をや。最も失言が少なかった菅官房長官でこれなのだから、他の大臣の無残な答弁に関しては贅言を要したくない。 しつこいが、私は安倍内閣に嫌味や敵対的な言辞を吐いているのではない。安倍内閣に続いてもらわねば困るから、御用評論家が絶対に言わない苦言を呈しているのだ。那覇空港で緊急発進するF15戦闘機=2015年4月13日午前、航空自衛隊那覇基地 安保法案ごときで、これである。最終的には数の力で押し切ったが、去年のマスコミの大キャンペーンで、どれほどのレッテルを張られたかを思い出そう。憲法九条など本丸中の本丸である。どれほどの抵抗が押し寄せるか。それに対して、現在の安倍内閣は「開戦準備」ができているのか? 安保法案でまともな答弁ができなかった安倍内閣に、九条改正など無理だろう。 保守論壇の少なからずの諸氏が、「今こそ九条に体当たりを」と唱えているのは知っている。では聞きたい。どうやって? 見事に当たったところで、どうなるのか? これを「太陽に体当たりする」と置き換えてみよ。当たったところで焼け崩れるだけだし、第一どうやって太陽にたどりつくのだ。 九条のでたらめさなど、言われなくても承知している。何なら、九条のデタラメさだけで大学の講義三十回分をしても良い。ハッタリではなく、やろうと思えば本当にできてしまうくらい、九条はデタラメなのだ。昨年、『学者も政府もぶった斬り! 倉山満の憲法九条』(ハート出版)を上梓した。九条論議の中で、安保法制をめぐる部分だけで、245頁の一冊の本になるのだ。そんな本を書いた私が、あえて言う。 のどの渇きをいやすために毒を飲むなど、愚の骨頂だ。 別に永遠にあきらめろとは言っていない。この夏の参議院選挙に、憲法九条の改正は間に合わない。少なくとも、国民の理解を得られるような準備はできていない。 だから、もっと他の現実的手段を考えよ、と言っているのだ。 何度でも言う。「やらねばならぬこと」と「できること」は違う。では、現実的な改憲論とは何か?では、現実的な改憲論とは何か? 安倍内閣が無敵の強さを誇っていた2013年夏。「改正手続きが厳しすぎるので、衆参両院三分の二による発議を過半数に緩和しよう」との、九十六条改正論が流れた。産経新聞以外のマスコミは一斉に反発し、安倍内閣は参議院選挙の争点にするのをとりやめた。安倍内閣が最も強かったときですら、これなのである。現実は九十六条より難しい改憲は不可能であると示している。つまり、ほとんど改憲可能な条文は残されていないのだが。 ついでに言うと、多くの受験生は日本国憲法の前文や条文を暗記させられている。受験問題で憲法の条文穴埋めは頻出だからだ。だから、九条はもちろん、前文、第三章の人権規定、四十一条の「国会は国権の最高機関」などは絶対に改正できないと考えた方がいい。受験問題に頻出と言うことは、それだけで愛着を持つ日本人が多いからだ。 保守陣営の中では、「九条は無理だから国民の理解が得やすい、緊急事態条項からやるべきだ」との意見があり、「聖戦貫徹」式の九条体当たり論者からは「いや、九条こそが本丸なのだから逃げるべきではない」との頑迷固陋な反論がなされている。 私だって勝ちたい。負けたくない。だからこそ何の作戦も展望もなく、五十年一日の如く「九条改正を」と叫ぶだけの論者を白眼視するのだ。少しでも勝てるやりかたが提示されるなら、たとえそれが1%の勝率であっても、戦わねばならない時には私は戦う。 だが、「九条一点突破」の作戦が「体当たり」では、背を向けざるを得ない。それでは無駄死にだからだ。勝率は0%だ。なぜなら、どうやったら勝ちになるのかの勝利条件すら示せていないではないか。 では、「緊急事態条項」ならば賛成するのかと問われれば、どうするか。 断る。 理由は、今の安倍内閣に「緊急事態」の定義ができるとは思えないし、国民の理解が得られるような条文にするのには、あまりにも時間が無さすぎる。この話をし出すと、これまた一冊の本になるのでほどほどにしておくが、自民党改憲案のように二つくらい条文を付け加えれば事足りるような甘い話ではない。報道されているような「大災害時に国会議員の任期を延長して選挙を行わなくてもいいようにする」などという案を出した瞬間に、敵の罠に嵌る。決して「国民の理解を得やすい話」ではないのだ。 本気で緊急事態条項に取り組んだとしよう。 統帥権、戒厳令、緊急勅令、枢密院、人権制約といった、どれか一つでも持ち出せば、安保法案の、あるいは九条に数倍する反発を招く論点に取り組まなければならないのだ。 果たして、今の安倍自民党内閣にその覚悟と成算があるのか。甘く考えていたのなら、今なら撤退は間に合う。無謀な戦いを直前で取りやめるのは臆病ではなく、勇気だ。 ここまで保守陣営の恨みを買う覚悟で、本気の警鐘を鳴らしてきた。読者諸氏の中には絶望的な気分に襲われた方も多いとは思う。 だが、現実は現実だ。「安倍内閣が強いうちに九条を、いや緊急事態を」などという何の根拠もない希望的観測と願望だけの議論に、大事な安倍内閣を巻き込んではならないと考えているからだ。衆院予算委員会で、民主党の枝野幸男幹事長(左手前から2人目)の質問に答える安倍晋三首相=2016年1月8日午後、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 安倍内閣が強いなら、なぜ景気回復ごときに、ここまで手こずるのか。そもそも、アベノミクスを腰折れさせるとわかっている消費増税8%など、飲まねばならなかったのか。 安倍内閣は弱いのだ。他が弱すぎるから強く見えるだけだ。少なくとも、内閣法制局・財務省主計局・創価学会公明党には逆らえない。この現実を認識すれば、突破口は見えてくる。 以下、私の策を提言する。・6月に行われる財務省事務次官人事において、安倍首相は意中の人物を送り込む。 この場合、財務省の人事慣例は無視する方が好ましい。その方が総理大臣の政治介入を財務省内にも国民にも印象付けられる。・新財務事務次官人事発令と同時に、「2017年度からの消費減税5%」を発表する。 安倍内閣の快進撃はアベノミクスとともにあった。それが8%の増税で止まった。ならば、5%に戻すしかない。同時に、日銀が追加緩和、黒田バズーカ発射を宣言すれば、なおよし。間違いなくその瞬間に株価は爆上げ、景気は回復軌道に乗るだろう。支持率は憲法改正可能な数字になる可能性が高い。・財務事務次官記者会見と同日に、安倍首相が秋の臨時国会で「財務省設置法改正案を提出する用意がある」と明言する。内容は一点。財務省の名称を、「大蔵省」に戻す。 要するに、景気を回復し、国民とともに歩むなら「大蔵省の看板を返してやっても良い」と宣言する。現在の財務省の増税に賭ける信念は宗教原理主義の如し。まともな経済理論で説得できるような相手ではない。ならば宗教には、それを上回る宗教の教義を持ち出すしかない。財務省増税原理主義者が逆らえない宗教的教義と言えば、「大蔵省」の看板しかない。仮に政権に協力して消費減税などしようものなら、その財務事務次官は何をされるかわからない。官僚の世界とはそういうものだからだ。ならば、財務省の現役OB問わず最も欲している「大蔵省」の看板を返すことにより、政権自体にも求心力が生まれる。 本来の大蔵省は、戦前戦中はコミンテルンと、占領期はGHQと戦った最も愛国的官庁だった。今のいびつな財務省を正し安倍内閣の味方につけることこそ、戦後レジーム脱却に必要ではないのか。 ここまでは6月上旬に閉じる国会の会期中に行うのが好ましい。・以上の三つを行った上で、国会最終日に安倍首相が「アベノミクスの是非と戦後レジームの脱却」を掲げ、選挙に臨む。 本来は衆参同日選挙が望ましいが、九州大震災への対応があるので、この限りではない。単純な政局論では、解散権は温存したほうが良い。・参議院選挙で改憲派が三分の二を得たところで、即座に改憲に着手する。争点は、七条と五十三条。最近は「七五三改憲」とも言われる。七条と五十三条の改正だから、「しちごさんかいけん」だ。詳しくは前回の拙稿を参照されたい。 改憲はこの条文から始めよ!倉山満が評す安倍内閣の憲法論 七条とは、誤植の修正。これが変えられないようでは何もできまいし、日本国憲法に誤植があることすら国民が知らないで、それ以上の議論が熟すはずがない。 五十三条は、野党第一党党首の岡田克也民進党代表が問題提起した不備。憲法改正は、よほどのことが無い限り二大政党の合意のもとで行うのが望ましい。また、野党の権限を整備する内容の方が、第一回の改正としてはふさわしいだろう。    以上は、なんだかんだと安倍首相が現職総理大臣であるというアドバンテージに基づいて立案した策だ。権限上は問題ないし、首相本人の決心で政治力を出せば誰も止めることはできない。 かなりドギツイ事を書いたと思われるかもしれない。しかし、私は本気で勝ちたいのだ。 改憲論者が言う「一度は憲法改正をするべきだ」との論には賛成だ。ならば、国民の最も理解が得やすい、できることから始めるべきではないのかと問いかけたい。

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    58人の論客に聞いた! 初の憲法改正へ、これが焦点だ

    ある。天皇は現在も事実上、元首の役割を果たしているが、象徴ではなく元首だと明記すれば、日本が世界一の歴史を誇る立憲君主国である事実を、改めて世界に示せる。 九条二項は、戦勝国である米国が、敗戦国の日本を永遠に依存状態に留める「属国用」の規定である。戦後七十年が経過したのに、属国状態からの脱却を求めないのは、恥ずべき態度である。 世界情勢が激変する中、政府が日本国民の生命と財産、領土を守るには九条が邪魔であり、日本が世界第三位もしくは二位の超大国でありながら、国際社会に相応の貢献ができない原因でもある。早く九条を改正して自立国家になり、混沌とした世界の安定のために貢献して頂きたい。評論家 呉智英1 前文2 A 憲法前文は、憲法全体を規定し、全法律を規定している。前文中「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」とあるのは「崇高な理想」にあらず、相当な妄想である。私は九条絶対擁護派ではなく、戦後七十年間、九条をだましながら活用してきたことを巧智として評価する現実派である。まだ活用でいけると思うが、そのためには非軍事的な情報戦・謀略戦が重要となる。引用した前文の一節は、情報戦・謀略戦を排除するものなので、これを改める必要がある。 緊急事態への対処は、憲法規定か通常法か判断に迷うところだが、三・一一のような大災害、将来ありうる北朝鮮崩壊による混乱の波及などを考えれば、早急に考えなければならない。法と統治の関係は常に問われている。元自衛艦隊司令官 香田洋二1 9条2項2 B・9条2項の改正+緊急事態条項 個別的自衛権の発動要件についてさえ「外部勢力によるわが国に対する武力行使」の定義に関する理論的解釈にのみ強く縛られ、現実的な観点に立つ発動要件が明確に定められていない現状は、時宜を得た自衛隊による我が国の防衛活動自体を事実上困難にしている。まず、この現実を速やかに改める必要がある。また、国際的安全保障事案において武力の行使を前提とする自衛隊の貢献が必要な事態においても、この選択が事実上閉ざされている現状は、我が国の国際社会における地位を考慮した場合、その一員としての責任を果たす上で極めて不自然かつ不適切である。この不具合を正す唯一の方法が憲法改正であるが、具体的にはこれらの問題の原点である9条2項の修正と、そもそもの欠落事項である緊急事態条項の創設に絞り、正々堂々と憲法改正を行うべきである。業田良家氏「最初に改正すべきは第9条」漫画家 業田良家1 9条2 C・9条を最初に改正すべきだ 最初に改正すべきは第9条。第1項で日本国民の生命財産領土を守るためであれば武力を行使することを認め、第2項で陸海空軍および国防のための諜報機関を持つことを明記する。自衛隊を正式に軍隊と認め、ネガティブリストで戦闘ができる組織にしないと自衛隊員の生命が守れないと思う。また「前文」に対抗して「後文」を付け加え「本憲法は連合国軍占領下においてGHQにより作られた憲法であることを認め、後日、日本国民の手により一から作り直すことを誓う」と書く。さらに「日本国民は倫理道徳を大切にし、真実を求め美を愛しより善く生きることを誓う」とも付け加えてほしい。日本人は真面目なせいか、憲法に書いてある通りの人間になっていくことが70年をかけてはっきりと分かりましたので。評論家 小浜逸郎1 すべてを改正すべき2 B・9条2項の削除を同時に行なう 上記1と2とは、一見矛盾しているようですが、1は現行憲法の成立事情とそのアメリカ製の基本思想を否定し、天皇を元首とする立憲君主国である日本の国体にふさわしいまったく新しい自主憲法を制定すべきであるという理念を示したものです。一方、2の「緊急事態条項創設と9条2項の削除を同時に」は、いま憲法改正に手を付ける場合に、内外の諸々の事情を考慮して、国民のコンセンサスが得られる可能性があるぎりぎりの地点を示したものです。筆者はすでに、この問題に関して何度か論考と自主憲法草案とを発表していますので、参考にしていただければ幸いです。 著作:『なぜ人を殺してはいけないのか』(PHP文庫)ブログ:http://asread.info/archives/2060http://asread.info/archives/2097「今こそ憲法改正を!1万人大会」でガンバロウコールをする櫻井よしこ・美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表(中央)、その左は田久保忠衛・共同代表 11月10日午後、日本武道館 (野村成次撮影)ジャーナリスト 櫻井よしこ1 9条2項2 A・緊急事態条項の創設だけを先行 本来は、日本国憲法の最大の欠陥である前文と9条2項の改正を優先すべきだと考える。しかし、発議に国会の3分の2、改正実現に国民投票で過半数の賛同という非常に高い基準を満たすには、現実的に考えることが必要だ。 緊急事態条項創設は社民共産両党を除く全政党が賛成だ。東日本大震災でわが国の防備が極めて手薄であったこと、その後の対処や復興を妨げた問題が憲法に緊急時を想定した条項がないという驚くべき欠陥故であったことは、すでに多くの国民の理解するところだ。 自然災害に加えて、中国、北朝鮮の生々しい脅威の前で、緊急事態条項創設の必要性は支持されるに違いない。憲法を真に国民のものとするために結果を出さなければならず、そのためには緊急事態条項創設を優先するのが現実的だと考える。佐藤守氏「一旦帝国憲法に戻り、改めて整理すべき」防衛大学校名誉教授 佐瀬昌盛1 96条1項2 B・96条1項も改正すべき 九六条一項で「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で…」とあるのは意味が曖昧すぎる。改正発議時点での「在籍議員の三分の二」と改める。 安倍首相は改憲を呼びかけるとき、当面は九条問題に触れたくない模様だが、九六条一項問題を手掛けた次には九条一項と、前文中の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とあるのを改めるべきである。理由は、そこに見られる「国際社会性善説」が誤りであるからだ。 なお、小さなことだが、現行憲法は旧仮名づかいで書かれているので、それを改めるべきである。その点では護憲論者も同じことで、新仮名づかいに改めるのにも彼らは「改憲ハンターイ」を叫ぶのだろうか。軍事評論家・元空将 佐藤守1 9条2 B・9条も同時に改正すべきだ 個人的には現憲法を直ちに破棄して一旦帝国憲法に戻り、改めて整理すべきだと考える。理由は「新憲法」第一章第一条の「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とされている条文程、日本人の精神性、日本の歴史と文化を無視したものはなく、天皇こそが日本国体の〝本質〟で、人為的な憲法の枠外にあるべき存在であることが理解できていない外人の作文だからである。帝国憲法の第一条~第四条までの天皇に関する項目は、規定ではなく天皇の存在に関する解説だと理解すべきで、異民族作の「新憲法」は独立と同時に破棄すべきものであった。政治家には、破棄して作り直す勇気を継続して求めたいが、少なくともそれまでに出来るところからやっておくべき、と考えて回答したものである。福井県立大学教授 島田洋一1 81条2 B・緊急事態条項と81条改正を 選挙で選ばれていない15人の人間(最高裁判事)が、選挙を経た人間(国会議員)が衆参両院を通した法律を最終的に無効にできるという81条は民主的なチェック&バランスの原理に反する。例えば、最高裁がある法律を違憲としても議会の3分の2ないし5分の3の賛成でその判決を覆せるようにすれば危険がないだろう。憲法6条2項、79条の規定により最高裁判事は事実上首相の一存で決められる。仮に村山富市、菅直人のような首相が10年も続き、自覚的に左翼人士を任命していけば、司法を通じた左翼革命が可能になる。最高裁判事の任命手続きについても衆参の同意人事としてはどうか。顔も名前も思想傾向も一般国民には全く分からない人物がいわば密室談合で次々最高裁入りしていく今のシステムは余りに不透明だ。石平氏「現在の日本は黒船来航以来の安全保障上の危機」評論家 石平1 新憲法を作るべきで1つに絞れない2 C・廃憲の上で新憲法を制定 現実の必要性からすれば、現在の日本は黒船来航以来の安全保障上の危機にさらされており、アジアの平和を守るためにも日本は新しい憲法を制定して、自国をきちんと守れる体制をつくらなければならない。現行憲法で問題なのはひとつは9条だがそれ以上に、GHQ(連合国軍総司令部)の民政局が自分たちの理念を押しつけた憲法であって、日本の国体・歴史・伝統を無視して作られている点が重大な問題だ。日本は1951年に独立を回復しているのであり、廃憲した上で、明治憲法の伝統を受け継いだ新しい憲法を作るべきだ。現行憲法にある基本的人権の尊重や民主主義などは重要な理念であり、すべてを否定する必要はない。それらは大事にしながらも、憲法9条は廃止し、日本の心、精神を基本とした新しい日本の憲法を、日本人の手で作らねばならない。北朝鮮のミサイル再発射に備え防衛省内に設置された PAC3と周辺を巡回する自衛隊員 =東京都新宿区(長尾みなみ撮影)弁護士 高池勝彦1 1つには絞れず回答不可2 C・全面改正 憲法制定は、国家の基本法ですから、民主的に制定されなければなりません。内容が良ければよいといふものではありません。現行憲法は明らかに占領政策の一環として押し付けられたもので、民主的に制定されておらず、全面改正の必要があります。憲法無効論は、現行憲法が大日本帝国憲法の改正手続きに従つて改正されたこと(国体が護持されたこと)、我が国の主権回復から六十四年も経つてゐること(その間主権国家として現行憲法が施行され続けたこと)などを考へると無理です。 全面改正が政治的に無理であれば、現行憲法を追認することにはなりますが、緊急事態条項とともに前文削除と第九条の改正を合はせてやるべきです。集団的自衛権の行使容認は憲法違反であり認めるなら憲法改正すべきであると詭弁を弄する学者もゐますので、それを逆手に取るべきです。高須クリニック院長 高須克弥1 1条2 A・緊急事態条項の創設を先行 とりあえず早急に改正を望むのは「第一章 天皇」の第一条で、天皇の国家元首としての確固たる地位を示すよう、改めるべきです。いまの一条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」となっていて、「元首」という言葉すらないのです。「天皇は国の元首にして日本国に君臨するものとす」と書くべきなのです。 また、自らの生命と財産を守るための戦いは人類が保有する基本的な権利であると考えます。 故に、「国の交戦権は、これを認めない」と書かれている九条は、以下のように改めなければなりません。「日本国民は自らの生命と財産を守るための交戦権を保有する」高橋史朗氏「憲法第二四条は根本的に見直す必要がある」明星大学教授 高橋史朗1 24条2 B  憲法第二四条の草案は、ミルズ・カレッジを卒業後、アメリカの戦時情報局で、対日心理戦略プロパガンダの放送台本を書いていた二十二歳のベアテ・シロタ・ゴードンによって作成された。  世界の憲法でこの規定に近いものは皆無であり、ソ連やポーランドなど共産主義国の憲法だけが同様の規定を設けているにすぎない。  日本の男女の関係や家制度などについての固定観念(WGIPの土台となった論文や報告書の思想的影響を受けた)や偏見に基いて作成された憲法第二四条は根本的に見直す必要がある。 しかも、同条の成立過程を検証すると、日本側は次々に反論したが、GHQのケーディス民政局次長がその議論を巧みに封殺して押し付けたことが明らかになっている。こうした事実を踏まえた改正論議が求められる。ジャーナリスト 高山正之1 全改正すべきで1つだけでは回答不可2 A 憲法が米国の押し付けということは安保法制違憲学者の長谷部恭男でも認めている。彼は「米国憲法の理念で作られた」と言うが、それは違う。「日本を原爆で叩き潰し、白人支配を再確立できた」と舞い上がっていた時期、その人種的傲慢さが産み出したものだ。まるで創造主気取りで一国の自衛権、交戦権まで奪っている。しかし冷戦が始まって少しは冷静になってみた瞬間、彼らはその醜悪さに気づいた。まずマッカーサーが「軍隊を持って一緒に戦おう」と言い、続いて副大統領ニクソンが「憲法押し付けは誤りだった」と頭を下げた。歴史的汚点を早く消してほしいと。 日本は原爆の報復権を留保しつつ、寛容さをもって醜悪な憲法を改めてやればいい。第一歩は緊急事態条項創設がいい。ヒトラーを生んだドイツでも、今それを備えている。杏林大学名誉教授 田久保忠衛1 1つには絞れず回答不可2 A 何らの前提もない質問に答えよと言われているようで当惑した。今夏の参院選で与党が、あるいは自民党だけで全議席の三分の二以上を獲得できるのか、それともいずれもその水準に達しないのかによって話は違ってくる。志だけを問われているのであれば日本および日本人のアイデンティティが曖昧な憲法前文は根本的に改めなければならない。国際情勢をみても、国連決議など無視して「水爆実験」や長距離弾道ミサイルの発射など無茶苦茶な行動をする国家や、東シナ海や南シナ海で軍事力を背景に「現状変更」を迫る国々が隣に存在するのに、軍隊を保有するとの規定もない空想的な憲法では話にならない。日米同盟に少しでも支障が生じれば日本の運命そのものが危うくなる。今可能なのは共産党以外与野党七党が賛成している緊急事態条項以外にはない。竹田恒泰氏「九条の最大の問題は、読み手によって如何様にも解釈可能なこと」作家 竹田恒泰1 9条(第1項、第2項共に)2 C・9条のみで正面突破 現行九条の最大の問題は、読み手によって如何様にも解釈可能なこと。「侵略戦争は放棄するが、自衛戦争は放棄しない」「侵略戦争の実力は保持しないが、自衛戦争の実力は保持する」、という主旨を明記するのであれば、保革を超えて合意可能であろう。また、緊急事態条項から改正するのも手だが、ここは敢えて本丸である第九条を正面から突破すべきである。安倍政権で憲法改正できたとしたら、それは「一回のみ」と心得るべき。安倍政権で九条を改正できなければ、恐らく向こう一世紀は改正不可能。緊急事態条項より九条の方が国民の関心は高くなるであろう。九条改正は安倍総理の悲願である。かつてリンカーンが合衆国憲法修正十三条を改正した時のように、敢えて難しいことに挑み、自らの情熱をぶつけて、国民的議論を喚起し、一撃のもとに仕留めて欲しい。八重山日報編集長 仲新城誠1 9条(軍隊の保持を明記する)2 A 尖閣諸島周辺海域では中国公船が領海侵犯を繰り返しており、領海警備に当たる海保は対応に苦慮している。憲法9条で理念的に両手両足を縛られているような自衛隊は、中国に対する抑止力になっていない。憲法9条の改正で、自国は自らが守るという姿を取り戻さない限り、国境が他国に圧迫される現状は変わらないと感じる。 ただ現時点で日本が即座に憲法9条の改正に踏み出せば、中国は「日本の軍国主義が復活した」と最大限に宣伝し、日本攻撃の材料として活用するはず。米国などが同調すれば、かえって日本に不利な国際情勢が形成されてしまう懸念がある。領海侵犯の増加や巡視船への体当たりなど、中国が逆に挑発行為を強める口実にするかも知れない。まずは「9条は平和主義のシンボル」という誤った概念を払拭する努力が先ではないか。尖閣諸島を含む東シナ海上空。手前から南小島、北小島、魚釣島 =2011年10月(鈴木健児撮影)中央大学名誉教授 長尾一紘1 1つだけの選択は不可2 C 憲法改正の第一の目的は、日本という国を「ふつうの国」にすることにあります。前文・九条の改正、緊急事態条項の導入などが必要とされるのはこのような趣旨によるものです。 憲法にはかなり時代遅れになっているところがあり、これを是正する必要があります。これが憲法改正の第二の目的です。たとえば、人格権や環境権の導入などが必要とされているのです。 改憲の要点は、このように二分することができます。ここで留意すべきことは、護憲論者の反対論がもっぱら前者のグループにかぎられているということです。改憲の第一歩を後者のグループから始めるという考え方も一考に価するものと思われます。第一歩がたとえ人格権や環境権の導入にすぎないものであったとしても「戦後レジーム」からの脱却への巨大な一歩になりうるからです。中西輝政氏「96条改正に再チャレンジすべき」京都大学名誉教授 中西輝政1 96条2 C・96条から改正すべき もちろん、「これだけは改正すべき」なのは、前文と9条、他のいくつかの重要条項である。しかしその改正は、国会議員の3分の2の賛成が必要とする96条がある限り、到底不可能だ。緊急事態条項創設だけを先行させるべき、という選択肢も改憲の実績づくりとして現実的に見えるが、相当難しい。必ず〝隠れ護憲派〟が跳梁して「(緊急時に)国会議員の任期を延長する」だけの改正で骨抜きにするだろう。9条など本命の改正は却って遠のいてしまう。しかも96条が生きている限り、今の政治状況ではその中途半端な改正すらかなり難しいと思われる。安倍政権発足後の2013年に96条改正が一時、大々的に論じられたのに、いつの間にか「立ち消え」にされてしまった。あの時、初志貫徹していれば状況はうんと違ったはず。96条改正に再チャレンジすべきだ。金沢大学教授 仲正昌樹1 緊急事態条項2 D・現時点では憲法改正に反対 安保法制に反発する世論の盛り上がりで明らかになったように、国民の多くは、日本をめぐる国際情勢の緊張やそれへの対処法、法制について十分な認識を持っていない。だから憲法学者の個人的意見や徴兵制の恐怖を煽る反対派の宣伝で簡単に動揺する。改憲派の中にも、自主憲法の制定で対米従属から脱却すると猛々しく叫ぶだけで、日米安保に代わる具体策を考えない、観念的な反米保守が少なくない。今、改憲を発議しても冷静な国民的議論は期待できず、イメージ合戦に終始する。憲法は、その国の歴史・環境と国民の合意に基づいて国家の基本方針を示すものであって、国民の意識を改造したり、パワーバランスを劇的に変化させる手段ではない。新しい安保法制の下で、東アジアの平和維持や緊張緩和に貢献する実績を積んだうえで、本格的な改憲論議を始めるべき。焦ってはならない。サヨクウォッチャー 中宮崇1 アメリカ合衆国憲法第1章第8条第11項2 A・緊急事態条項創設だけ先行 米国憲法の右条項は連邦議会に「戦争を宣言し、船舶捕獲免許状を授与し、陸上および海上における捕獲に関する規則を設ける権限」を認めています。宣戦布告だけでなく、民間船が実力行使することを認める権限を与えているのです。 独立当初イギリスに比べ圧倒的な海軍小国であったアメリカは、その不利をカバーするために私掠船(海賊船)の活用を図り、その権限について憲法に明記しました。この規定は現在も生きており、特にイラク戦争以降民間軍事会社(PMC)が大きな役割を果たしています。また、戦時に軍組織で働く民間人の割合も年々増加しています。 中国等の脅威だけでなく、ソマリア海賊やテロリスト等国家以外の脅威に柔軟に対処するためにも、軍事における「民活」の是非についての議論は必須でしょう。西尾幹二「右顧左眄せず、正面突破されよ」駒澤大学名誉教授 西修1 9条2 A 質問1に関連し、誰が読んでも自衛戦力さえもてない非武装条項に改めることと、誰が読んでも自衛戦力(軍隊)をもてるようにするための二者択一の国民投票を実施することを提案したい。 質問2に関連し、第一回目として、条文の明白な誤りを是正するための改正を併せて実施するのも一考と思われる。たとえば第七条四号の「国会議員の総選挙」を「衆議院議員の総選挙及び参議院議員の通常選挙」に改めるなど。 本来、日本国民の手で、まったく新しい「日本国憲法」を制定すべきであるが、少なくとも、①前文の見直し、②国家の自立としての国防、国家緊急事態条項の新設、③家族の位置づけ、④環境保護、⑤憲法改正手続きの緩和、⑥健全な国家財政の運営条項の導入は必須。海自試験艦「あすか」(海上自衛隊提供) 評論家 西尾幹二1 9条2項2 C・9条2項の削除 憲法改正問題について私の内心には深い絶望が宿っている。私は平成十二年、『諸君!』七月号に「このままでは『化け猫』が出てくる」という論考を発表した。環境権とか、知る権利とか、プライヴァシー権とか、フェミニズムの権利とかを言い立てる人が現に多く、義務規定に比して権利規定の多い現行憲法にさらに新しい権利規定を盛りこむことばかりを考える今日の国民の政治意識のレベルを考えると、まともに全面改正の大議論をしてもうまく行くまい。公明党を抱え、自民党の三分の二がリベラル派で、これら「化け猫」にやさしい人々である。政府は九条二項の削除のみに限定すべきである。安倍内閣の命運をこの一点に賭けるべきだ。ただし一年以内に国民投票に持ち込んで、確実に実現する。右顧左眄せず、正面突破されよ。東京基督教大学教授 西岡力1 9条2項2 C・9条2項改正で正面突破を 憲法9条2項改正は後回しにできない。そもそも我が国だけが国際法上、全ての国に許容されている自衛のための陸海空軍その他の戦力を持たないとされている2項の規定が異常だからだ。これは、世界の国の中で我が国だけが国軍を持つと邪悪な行動をとりかねないとする差別と偏見の上に成り立っている。真の独立国家となるため国軍保有は絶対に欠かせない。 また、我が国の平和と安全は9条によってではなく、自衛隊と日米安保条約によって守られてきた。しかし、中国共産党政権の軍拡と対外膨張主義、米国の内向化が並行して進む中、現状の体制では平和と安全が守れなくなる危機が近づいている。だから、自衛のための軍事力を急ぎ強化する必要がある。そのためには9条2項を改正して国軍を持つと明記することは避けて通れない。西部邁「英国と同じく不文(慣習)法としての憲法にするのが最善」評論家 西部邁1 ・一つだけ・を挙げるのは不可能2 B・前文2項3項改正と9条2項廃止も 歴史的な存在たる国家の根本規範としての憲法は成文(制定)法として「設形さる」べきものではなく国民の歴史的良識から「成る」べきもので、英国と同じく不文(慣習)法としての憲法にするのが最善である。 成文憲法が欲しいというのなら、現憲法の前文第一項の(国民ならぬ人民の)主権主義、第二項の(他国依存の)平和主義、第三項の(政治道徳の)普遍主義、九条二項の(非武装の)平和主義、十一条の基本的人権における「基本的」ということの意味、十二条の自由権と十三条の個人尊重における「公共の福祉」の基準について、「国民の伝統精神」が憲法意識の根源という見地から修正もしくは廃止さるべきである。なお、最大の争点とされている九条第二項(非武装・不交戦)は、自衛隊が存在する以上、すでに死文とみなすべきだ。皇學館大学教授 新田均1 前文2 B・前文の改正を一緒に図るべきだ 憲法の前文によれば「国民主権」を宣言した理由は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ためであり「われらの安全と生存」の「保持」は「平和を愛する諸国民の公正と信義」に委ねなければならない。つまり、日本国政府はいつ戦争を始めるかわからない邪悪な存在であるから国民が監視しなければならず、他方、諸外国はすべて平和勢力なので、彼らの言うことを素直に聞いていれば何の問題もないというのである。〝憲法は政府権力を拘束するものあるから、憲法改正は憲法違反〟などという議論は絶対王政に対抗した市民革命の理論を国民主権の時代に持ち込んだ時代錯誤の戯言だが、そのような言論が幅を利かせるのは、この前文があるためである。緊急事態への対策は急務だが、それも国民の自己信頼の回復があってはじめて機能する。元開星高校野球部監督・教育評論家 野々村直通1 前文 将来的には全面改正2 B・緊急事態条項と同時に前文と9条 現安倍政権のうちに〝憲法改正〟に着手しなければ二度とチャンスは巡って来ないように思う。日本を取り巻く隣国(中国・北朝鮮)の横暴が表面化している今、国民の国防に関する気運も高まっており、理解を得られる時期に来ている。偏った報道で護憲派の意見ばかりが切り取られて垂れ流されているが、潜在的国民意識の中には危機意識が浸透しているとみる。何としても憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼して…」は削除。前文で〝日本の伝統(歴史)と世界に誇る文化を高らかに謳いあげ、国民が日本国と日本民族に誇りをもてる〟ものに変更することが肝要である。国防に関してははっきり条項を定め、愛する日本の国土と国民を守り抜くための国軍を規定する。国防を規定することにより抑止力とすることが独立国家の当たり前の憲法である。秦郁彦氏「争点を第9条に絞った正面突破をはかるのがよい」埼玉大学名誉教授 長谷川三千子1 9条2項削除及びそれに関連した改正2 C・緊急事態条項は1に付随した改正で 拙著『九条を読もう!』(幻冬舎新書)にも書きましたが、日本国憲法第九条二項は、近代成文憲法の条項として、まさにあつてはならない条項です。といふのも、そこに規定された戦力不保持と交戦権の否認は、すべての独立国の責務である、自国の「主権」の維持といふことを不可能にしてしまふからです。「主権」とは単なる抽象概念ではない。それは現実の力の裏付けをもつて、はじめて維持されるものなのです。それをすべて投げ捨てる九条二項のもとでは、「国民主権」も実は成立しえない。九条二項は日本国憲法そのものを破壊してしまふ欠陥条項なのです。憲法改正は、まづこの欠陥条項を取り除くことから始めるべきでせう。現代史家 秦郁彦1 9条2項2 C・9条のみで正面突破 漠然と改憲を打ち出すと、あちこちから提言が乱立して、優先度をめぐる論争になり、収拾がつかなくなる可能性がある。 したがって、政府は争点を第9条に絞った正面突破をはかるのがよい。文芸批評家 浜崎洋介1 1つだけというのは回答不可2 C・9条のみで正面突破 現行憲法がGHQによる手抜き工事の代物であることは自明だが、それなら小手先の改正で堅牢な建築物ができるとも思えない。最低限、前文の撤廃、天皇関係条項の改正、9条の全面改正、緊急事態条項創設、国民の権利義務条項の改正、信教の自由条項の改正、96条の改正などが必要だと思う。ただ、現実的に考えた場合、国民の抵抗が少ない緊急事態条項の創設や96条改正から手を付け、その後に「9条」以下の改正に繋げていくというのが合理的なのだろう。が、「その後」がいつ来るのかは分からない。いや、それより以前に、この「現実的に」という言い訳によって改正が延び延びになってきた戦後70年間の「現実」がまずある。それなら、過度な戦略性よりも、私は「9条のみで正面突破」を選ぶ。事実、「9条」の改正がない限り「緊急事態条項」も画餅でしかあるまい。東谷暁氏「自民党の改正案もひどい」ジャーナリスト 東谷暁1 全改正すべきで1つだけでは回答不可2 C・全面改正(正確には「制定」)を 私は「独立憲法制定」論者なので、「憲法改正」の段取りを質問されたときには、全文改正と答えるしかなくなる。しかし、たとえ状況適応的であっても、部分的な改正がどうしても必要だというのなら、第九条二項削除に反対はしない。 安倍晋三政権が成立してから、第九六条改正先行論が盛んになったのに対しては呆れていた。九六条先行論を振り回した人たちは、以前、現行憲法は限界にきたとの認識を表明していた論者たちであり、それがいつの間に小手先のテクニックでよいと思うようになったのか。 ちなみに自民党の改正案もひどい。以前の制定案は護憲派の芦部信喜憲法学に基づくものだったが現改正案もその延長線上にある。「安保法案は違憲」といって注目された長谷部恭男氏は芦部の弟子であり、自民党の改正案も同じ系譜にある。ハドソン研究所首席研究員 日高義樹1 9条は1項、2項とも削除2 C・緊急事態には憲法も失効。条項不要 国があって憲法が存在している。現在の日本の憲法は現在の日本という国ができる以前からアメリカをはじめ連合軍側がカイロ会議やポツダムでの会議で民主主義的な日本を作るために定めた原則に基づいて作り上げたものである。 そのうえ、アメリカ公文書のひとつ、『アメリカ外交関係一九五〇年第十一巻』の一一二〇頁以降を見れば、日本側がいかに抗弁しようとも、アメリカが占領体制のもとで日本の憲法を現実に作成し、軍事力を持たせぬ代わりに日米安保条約をも作り、憲法と安保の体制を作り上げた。憲法をはじめ法律は国家が作るものであり、他の国の人々が与えるものではない。このことを我々は今一度考えてみるべきである。軍事評論家 兵頭二十八1 「防衛の義務」条項の創設2 C・根幹条項審議が国会を進化させる  創設を要するのは、根幹規定たる国民の義務としての(防衛の義務)条項:「日本国民は、国民の自由を防護するため、日本国民の多数意見が民主主義的に反映される政体を支持し、外敵および外敵の手先からわが国を防衛する義務を有する。」 加えて(間接侵略排除)条項として「国家反逆者は罰する。」も必要だと思料する。  われらが直面する最大脅威は直接侵略ではなく間接侵略だ。国会内に売国奴が混じるという根幹異常事態は、末節的条項では防遏不能だろう。 ほんらい最高裁が「9条2項は近代の立憲精神に違背するもので、制定時に遡って無効」と判断するのが早いのに、日本法曹界の法哲学はレベルが低いゆえ期待をし得ず、情けなく思う。青山学院大学教授 福井義高1 回答不可(名実共に独立後全て)2 D・現時点での憲法改正に反対  西尾幹二氏の前月号論考にあるように、安倍晋三「首相の立場をおもんぱかるのは…政権・与党幹部…あるいは自民党の仕事であって、少なくとも私の課題ではない」。  戦後70年経っても、自国領土とくに首都近郊にある外国軍隊基地を異常と思わない異常性。日米の軍事協力が必要─筆者も賛成である─ということと、米軍基地の永久化は同じではない。  かつて、外国軍隊駐留は独立喪失の象徴とされた。独立国としての憲法改正は、最低限、国内の米軍基地が自衛隊基地となったうえで一部が米軍に提供される体制となるか、米国領土に自衛隊基地が設置されるまで待つべきである。  日米政府や我が国親米派知識人が強調するように、日米同盟が対等であるならば、「非現実的」主張ではないはずだ。沖縄・嘉手納基地拓殖大学客員教授 藤岡信勝1 9条2項2 A 人は誰にも生きる権利があるのと同じように、国家も自己保存の権利を有する。ところが、日本国憲法九条二項には、「国の交戦権は、これを認めない」と書いてある。日本を滅ぼそうと敵が攻めてきても、これと「交戦」する権利が認められていない。やられ放題で滅亡するしかない。そもそも「認めない」と偉そうに言うが、「認めない」主体は誰か。憲法前文には、「日本国民は、(中略)この憲法を確定する」と書いてある。だから、「日本国民」が「日本国民」に対し、「おまえたちは攻められても戦わずに滅びろ」と命令している。こんな狂気の憲法をつくった覚えのない日本国民の一人として、九条二項、必ず削除したい。ただし、国民投票の失敗は許されない。緊急事態条項の制定で、「憲法は改正できる」ことを国民が学習する機会とするのは一つの案である。政治評論家 筆坂秀世1 9条2項2 C・9条のみで正面突破 もともと現憲法は、我が国に国家主権がなかった占領下で作られたものである。国家主権がない国でなぜ憲法を制定できるのか。無効と言われるゆえんである。いずれは国民全体の議論を通じて自前の憲法を制定するのが基本である。だが今はまず憲法は改正することができるということを国民の間に定着させることが大事である。そのためにも、まずは9条2項の改正を行うべきである。 多くの憲法学者は、自衛隊は違憲だとしている。一つの独立国家、主権国家として自衛権はあるのに、自衛権を裏づける軍隊を持たないなどというのは、国家としての体を成していないことになる。これらの憲法学者が非武装国家という非現実的な主張するのならともかく、そうでないのなら9条2項を改正して、自衛隊を軍として明確に位置づけることに賛成しなければ筋が通らない。三浦瑠麗氏「世界観は盛りこまなくてよい」ジャーナリスト 細川珠生1 全改正すべきで1つだけの回答不可2 B・天皇を元首とし家族条項も創設 現憲法は、占領軍によって作られたものであることを考えれば、占領が終わった今、日本国民の手により新しい憲法を制定するのは、当たり前のことである。しかし、そのような制定過程にあり、また数々の日本語の間違いや不可解な箇所がありながらも、一字一句変えて来なかったこの70年を考えれば、何か一箇所でも手を加えることは意味があることだ。かつて衆院でほとんどの政党が賛成を示した「緊急事態条項」の新設を「初めの一歩」にすることは現実的な方法であろう。 それに加えて、首なし国家と言われている状態を解消するために、天皇を国家元首と位置付け、新たに家庭の大切さを伝えるために、「家庭条項」を創設すべきである。家庭の大切さと同時に、家庭は守り、維持していく責任があることも、憲法で規定したい。皇學館大学教授 松浦光修1 1条(天皇を元首と位置づける)2 C・まず明白な表記ミスの修正から 「日本国憲法」の最大の欠陥は、国家として不可欠の要件である「元首」と「国軍」の規定がないところにある。「国軍」に関しては、多くの識者が指摘しようから、ここで私はあえて「第一条」の改正を訴える。なぜなら、たとえ「国軍」が創設されても、その忠誠の対象となる「元首」が明確でなければ、それは「魂の死んだ巨大な武器庫」(三島由紀夫「檄」)になりかねないからである。「元首」と「国軍」がそろって、はじめて国家は国家たりうる。「明白な表記ミスの修正」から着手すべき、とするのは、何人も反対する理由のない部分から確実に「憲法改正」を実現し、近代日本史上初の自力での「憲法改正」を、まず全国民が一度〝体感〟する必要がある、と考えるからである。それは全面的な改正という〝長い旅〟に出かける前の、〝予防接種〟としても不可欠であろう。東京都江東区で開かれた護憲派の集会で「憲法を守れ」などと書かれた メッセージを掲げる参加者=5月3日国際政治学者 三浦瑠麗1 9条2項の削除2 C・その他の方法で現行憲法を改正 憲法改正の目的は、日本を取り巻く安全保障環境と、日本の現実の政策とが合わなくなってきていることにある。安全保障を憲法解釈に代表される詭弁を重ねる法律論で語る悪しき伝統から抜け出す意義は大きい。憲法9条1項は国際法上最も先進的な自衛戦争の理解であり堅持すべき。2項が問題である。しかし、憲法改正を発議するには自民党の2012年改憲草案を撤廃し、たたき台を2005年草案に戻すことが前提。12年草案は、多数派の暴走を防ぎ少数派を保護するための立憲主義という概念を理解していない。現代の民主国家では民主制を守り少数者の権利を守るために憲法があるのであって、いま人造国家を設立するわけでもないのだから世界観は盛りこまなくてよい。また道徳についても自らの願望や価値観と社会の現実とを峻別することが大事となる。宮崎正弘氏「吉田茂の責任は重い」日本文化チャンネル桜代表 水島総1 回答不可(3点の改正から)2 C・全面改正が望ましい 天皇を国家元首と明記し、「国民主権」と九条を削除する。この三点の国体論議の無きまま、憲法が戦後思想の洗脳を受けた「日本国民」の手で変えられることを危惧する。対米従属を続ける我が国の現状と世界情勢を踏まえ、緊急事態条項や九条第二項等の国防安全保障に限った改正への現実的対応は捨てるべきでは無い。しかし私たちは無数の先祖たちから、天皇の国日本の国体の本来の姿を取り戻す確固とした意志と決意が求められている。「国民主権」などという厚顔無恥の「改正憲法」を推進することに、私たちは、先ず皇室に対して、そして、英霊と先祖に対して、深くお詫びし、恥を忍んでの現実的対応であることを痛切に自覚すべきである。今の憲法改正運動は、その畏れと痛みを国民が自覚する国体復古運動であるべきだ。経済評論家 三橋貴明1 9条2 D 日本国憲法(第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。)にもある通り、「法律の定める手続き」に基づき、国民の自由は制限できる。緊急事態条項が憲法になくても、緊急事態法を作成すれば済む話であるし、手続き的にも早い。自民党の改憲案を読むと、「財政の健全性の確保」つまりは財政均衡主義など、絶対に盛り込んではいけない条項が入っている。緊急事態に対応する「法律」を作成することについては賛成だが、今の自民党に憲法改正を進めて欲しくない。どうしても、改正したいならば、王道の「九条」一本で進めるべきである。評論家 宮崎正弘1 全改正すべきで1つだけでは回答不可2 C・廃憲  押しつけという一点だけで主権侵害であり、現憲法は国際法に違反する。占領基本法なのだから独立と同時に廃棄すべきだった。それを怠った吉田茂の責任は重い。  廃棄が正当であり、当然、明治欽定憲法にもどり、この改正というのが法理論的に正しいがすでに枢密院も貴族院もなく、物理的に不可能だろう。 であるなら五箇条のご誓文と十七条憲法に遡及し、日本のマニフェストとして掲げ直し、残りは不文律で良いのではないか。  日本のように歴史の長い、誇りある伝統の国にふさわしく、そうなれば偏向判決などの根拠が失われ、日本は「普通の国」、常識ですべてが判断される国家として国際社会に復権できる。八木秀次氏「天皇を国家元首とすることも必要」日本大学教授 百地章1 要改正点が多く1つには絞れない2 A・正確には本条項を再優先すべき 憲法改正が現実味を帯びてきた中、何を改憲テーマとして最優先するかは極めて重大な問題であるが、以下の視点から現実的かつ可能なテーマを選定すべきだろう。①国の根幹に関わる重大事項で②緊急性を要し③国会各院の三分の二以上および多数国民の賛成が得られそうなテーマである。 (1)と(2)から考えられるのは、「憲法九条二項の改正」と「緊急事態条項の明記」であろうが、前者は先の安保法制をめぐる混乱から推測されるように、決して容易ではない。しかし、後者なら実現の可能性はある。なぜなら先進国で緊急事態措置の認められていない国はなく、衆院憲法審査会でも共産党を除く与野党七党がこれに賛成したこと、それにこれなら国民生活に直結する身近なテーマでもあり、国民多数の賛成が得られそうだからである。それ故、緊急事態条項を最優先すべきである。麗澤大学教授 八木秀次1 9条2項2 C・9条のみで正面突破 現行憲法には多くの欠陥や改善を要する箇所がある。国柄を反映していない前文は全面書き換えが必要だ。天皇を国家元首とすることも必要だ。「国会議員の総選挙」という誤字も直したい。判例を反映した政教の緩やかな分離を示す規定に改正すべきだし、家族を社会の基礎的単位として国家が保護する規定も設けたい。衆参の捻じれによる政治の機能停止を回避すべく衆議院の優越性を高めることも必要だ。大災害や非常時に政府がどう機能するかを規定した緊急事態条項の創設も必要だろう。厳格すぎる改正要件も緩和したい。しかし、改正の最優先順位は9条2項ではないか。占領下に懲罰的に日本の非武装化を強要した同条項は主権国家に相応しくなく、安全保障上も問題だ。現実を反映してもいない。まず自衛隊ないし国防軍を憲法に位置付けたい。これこそ立憲主義の要請だ。憲法フォーラムでの安倍晋三首相ビデオメッセージが送られた=5月3日、東京都千代田区の砂防会館別館(福島範和撮影東海大学教授 山田吉彦1 9条2項 防衛力行使の正当性を明確化2 A・全面改正が望ましいが時間を要する 現在の憲法は、米国の影響下において制定され、すでに70年近い歳月が経つが、かわらずに堅持されている。そのため、グローバル化した社会、あるいは情報化の進展など予想だにしていない。時代の流れの中に憲法が劣化してしまい条文相互に矛盾が生じ、国民生活の指針とはなりえない。早急に現実の社会を反映した国民が豊かで安全な生活を送ることを保障する憲法を作らなければならない。また、1994年国連海洋法条約が発効し、国家が沿岸域を管理する国際的な法制度が構築され世界の秩序が変わった。日本は四方海に囲まれた海洋国であり、新憲法においては、領海、排他的経済水域を我が国の領域と認識し、利用、管理、保護することを念頭に入れるべきである。さらに、世界の平和維持への貢献など、国際社会において日本が果たすべき役割も明確にすべきである。上智大学名誉教授 渡部昇一1 回答なし2 C 現憲法の制定には、日本人が一人も関与しておらず、「国権」の発動たる「憲法」とは言えません。つまり占領軍の日本二重統治時代の「占領政策基本法」であったという事実は動きません。 この立場から論じます。それには国民の三分の二以上の賛成を得ることの出来る草案を作ってから、明治憲法に一時戻ると宣言し、明治憲法の改正規定でその草案を新しい憲法にする。それは某月某日の午前中に明治憲法復帰し、午後に新しい憲法を発布するのです。現状の諸法律は、新しい憲法による改正までは有効とします。 

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    憲法改正の「動き」まで否定しては絶対にいけない

    りは…「日本人の手で新しい憲法」を作ってほしい、と願っている人間です。 現行の日本国憲法が施行された歴史的な背景を少しでも勉強すれば「普通の感覚の日本人」であれば…私と同じような気持ちになると思うんですけれど…まぁ戦後の左翼バリバリの日教組教育に洗脳されまくってる人では難しいでしょうが…。 ※現行憲法の制定の流れに関しては軽くこちらのコラムで触れているので、未読の方は是非ご一読を。 『わずか9日間で急仕上げさせられた「日本国憲法」にしがみつくのはただの思考停止だ』 今朝の毎日新聞に各政党の『憲法改正』に対する認識が分かりやすくまとめられていました。 ●<憲法記念日>与野党が談話発表(毎日新聞) まず、かねてから私が主張している通りで、この7月に行われる参院選の最大の争点に『憲法改正』が取り上げられるのは確実で、この動きは高く評価したいと思います。 そもそも『自主憲法の制定』を1丁目1番地に掲げながら、これまでの自民党の総裁たちは「選挙に負けるかもしれない」という不安感から積極的な「憲法改正論議」から逃げ続けてきました。私が安倍政権を支持しているのは繰り返し説明している通りで、安倍さんがこの議論から「逃げない」点です。いままで、この程度の当たり前のことから逃げなかった総理がほとんどいないのは悲しいことですが、安倍さんは7月にガチンコでこの「憲法改正」…特に「9条の見直し」を明言しています。この「姿勢」は賛成派・反対派両面から評価されるべきです。少なくとも「考えること」はとても大切なことだからです。 改正に反対なのであれば、安倍さんが提出した「憲法改正の発議」を国民投票で否決すればいいだけの話です。 大阪で橋下徹氏が大阪市民全員に問いかけたように、安倍総理は日本国民に問おうとしています。この姿勢は私は誰が何を言ったところで支持するでしょう。政治家として正しい姿勢だからです。 大阪では、橋下氏の登場により、それまで「ええんちゃうか?」「わろてればええやんか」という姿勢だった市民の政治への関心が飛躍的に高まりました。大阪都構想の住民投票は「反対。“敗北”会見に臨んだ大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長と、幹事長の松井一郎大阪府知事(右)=2015年5月18日未明、大阪市 東京の皆さん、今、恥ずかしくないですか? あの知事を選んで、恥ずかしくないですか? 公用車を自分の持ち物のように使い、ファーストクラスでやりたい放題「外遊」という名の海外旅行三昧です。 もう一度聞きます。 東京の皆さん、あなた方が選んだ「トップリーダーさん」ですよ?恥ずかしくないですか? 大阪の府民・市民の皆さんは少なくとも「逃げずに自分たちで勉強し考えるクセ」が身に尽きました。これは少なくとも、世界中で行われている「当たり前の民主主義の姿」でしかありません。国民は政治に厳しくあるべきです。なので、去年の5月17日に橋下氏が提案した 「大阪都構想」は否決に至りました。橋下氏も政治家を引退しました。 しかし。 橋下氏がした多くの改革は、現在の大阪の確かな財産となっていることもまた事実です。大阪における公用車の使用規定、テレビなどで紹介されていましたね?見ましたか?ちゃんとしてたでしょ?誰が文句がありますか?大阪の旅行費用や公用車の使用規定。日本最高クラスの規制がなされているでしょ? あれらは橋下氏がメディアからも府民・市民からも絶対に「逃げず」に戦い続けて、大阪の「みんなで作り上げてきたもの」なのです。橋下氏が逃げなかったので、メディアも徹底的に戦いました。厳しくいきました。府民も市民も勉強をしました。なので「政治が成長」したのです。 政治が、国が、成長するためには「逃げないリーダーが必要だ」というのが、政治の世界をどっぷりと10年以上取材し続けてきている私のぶれない主張です。 安倍さんが「憲法を…特に9条の矛盾を是正しようと考えている!」というのなら、反対の人は反対意見を言えばいいし、賛成の人は称賛の声を上げればいいのです。日本国民は、日本の憲法の話をしているのだから逃げずに自分たちも勉強すべきです。そして、勉強してから意見を言えばいい。憲法を改正するのは「国民」 民進党と共産党は相も変わらず、バカの一つ覚えの「立憲主義のぉぉぉぉぉ」という主張の繰り返し。覚えたての言葉を使いたくてしょうがないのでしょうかね?サルのオナニーと同じです。一人エッチなら部屋でしろよ、と言いたくなります。以下、記事引用。民進党の岡田克也代表は「憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認、安全保障関連法の成立強行など、立憲主義、平和主義の本質を理解せず、傷つけてきた」と安倍政権を批判。「夏の参院選はまさに日本政治の分岐点になる。誤った憲法改正を目指す安倍政権の暴走を止め、憲法の根幹である平和主義を守り抜く」と訴えた。共産党の小池晃書記局長は「安倍政権が立憲主義を踏みにじって戦争法を強行し、法治国家としての土台が根底から危うくされている」と指摘。夏の参院選に向け「『安倍政権による改憲を許さない』という一致点での共同を大きく広げ、選挙で痛烈な審判を下す」と強調した。 いや、だから安倍さんができるのは「提案」までだってば。憲法を改正するのは「国民」です。最終的には国民投票するんですから。下らなさすぎるのですが2点だけ申し上げます。 一点目。日本国政府や日本国民が守らなければいけないのは「憲法」じゃなくて「今、日本に住んでいる国民」です。世界情勢や生活様式・環境が変わっているのなら…国民のために憲法は「変えて当たり前」です。 二点目。「憲法を守りたい」とガーガー言うのであれば、それはそれで尊重します。しかし、で、あるならばまずは「自衛隊を廃止すべき」です。改正国民投票法は2015年6月13日の参院本会議で、大多数の賛成により可決、成立した 日本国憲法の9条は 「戦争しません」 「なので戦う力は全部持ちません」 という文章です。自衛隊はゴリゴリの軍隊です。立憲主義、守りたいんでしょ?岡田さん、共産党さん、とっとと「自衛隊、撤廃法案」でも出せよ。「立憲主義」を守ってないのはあなたたちでしょうが。 今年の7月の参院選前にはエキセントリックなバカ左翼メディアがまた必死になってネガティブキャンペーンを繰り返すことでしょう。文句を言い続けていれば部数が売れると勘違いしているからです。オオカミ少年のごとく「戦争が起きるぞ~!」と叫べば視聴率が取れると勘違いしているからです。去年の二の舞です。情けない。そういや、始まるって散々叫ばれてた「徴兵制』…いつになったら始まるんでしょうね? 私のコラム読者の皆さん、ウヨク的な思想を持つ必要はありません。でもサヨクメディアは叩かれるべき。嘘つきだからです。レッテル貼りだからです。朝日新聞さん、安倍さんは戦争したくてたまらないんでしょ?まだ戦争始まらないんですが、いつ始まるの?去年煽りまくってた記事内容の回収作業、ちゃんとやれよ。 みなさん、普通でいいんです。 憲法を時代に合わせて変えていくことは世界中で当たり前に行われていることです。日本だけです。こんなに何も変えないのは。普通でよいのです。正常な日本語力がある人が読めばわかるでしょ?あの9条。1項はいいけど2項はおかしいってば。絶対。 私は憲法改正の「動き」を全面的に支持します。 「憲法改正」を支持しているというよりは「動き」を否定すべきでない、と思うのです。「動き」はあくまで「動き」。おかしいと思ったらわれわれ国民が否定すればいいだけだからです。その程度を否定している民進・共産コンビは間違っています。私はこの両党はこのままの主張を続けていけば参院選で制裁を受けると予想しています。その予想はほぼ当たるはずです。単に文句を言っているだけだからです。 議論できない連中なんて、赤じゅうたんの上には必要ない。金の無駄使いだ。(2016年05月03日 長谷川豊公式ブログ「本気論本音論」より転載)

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    参院選は日本の進路と憲法をめぐる「関ケ原の合戦」になろうとしている

    うな結果にはしたくありません。 2006年参院選の再現をめざそうじゃありませんか。自民党が37議席と歴史的大敗を喫して秋の安倍退陣に結びつき、公明党も神奈川・埼玉・愛知で現職議員が落選して議席を減らした第1次安倍内閣のときの参院選の再現を。(「五十嵐仁の転成仁語」より2016年3月3日分を転載)

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    あいまいな文言が訴訟乱発を生む! 今こそ憲法改正を

    公布されてから70年もの年月を波乱なく過ごし、これまで一度も改正されたことのないという現憲法の異常な歴史-一生独身を通して国務に専念した女王、エリザベス1世は“バージン・クイーン”と称揚されたが、“バージン・コンスティチューション”は決して自慢できるものではあるまい。改正の必要ありとされた20条 西修・駒沢大学名誉教授によれば、米国独立宣言など6つの政治文書の寄せ集めたものにすぎない前文から始まって、極めて厳格な改正条項を含む全103カ条の条文の中には今後も堅持すべきだとされるものもあるが、早くから改正の必要ありとされてきたものの一つが20条である。 本条は3つの項から構成されている。1項前段の「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」はそのまま残すことに異論はないが、それ以外は何らかの改正が施されるべきであろう。中でももっとも問題とされてきたのは3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」である。 本項は1項後段の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と併せて政教分離原則を規定したものであるが、条文を分解すれば、主語としての「国及びその機関」と、述語としての「宗教的活動」から成る。 まず「国及びその機関」を文字通りに解すれば、国会や政府・裁判所や各種の公団などの国家機関を指すことになろうが、政教分離が公権力と宗教の関わりに一定の規制をかけるものとすれば、地方公共団体をその対象から外すことは制度の意義を大きく損なうことになるのは必至だ。そこで行政や学説のほとんどは地方公共団体も「国及びその機関」に含まれるとか、「国及びその機関」に準ずるとかという論理で説明してきた。 私の知る限り、これに異論を呈したのは中山健男名城大教授(故人)にとどまったが、主語の厳密な解釈としては一理あると思う。 何と言っても重要なのは述語である「宗教的活動」の意義である。これには大きく分けて2つの立場がある。1つは「宗教的活動」とは宗教的色彩のある事象の一切を包含するものとし、国や公共団体は宗教から徹底的に分離されるべきであると主張する「完全(厳格)分離」であり、戦後久しく憲法学界の多数説であった。 もう1つは、「宗教的活動」とは宗教的色彩のあるすべてを指すのではなく、「宗教教育」に代表される特定宗教の布教・宣伝のような積極的活動とし、そこまでには至らぬ一定の範囲で国や公共団体も宗教と関わることを認める「限定的分離」の考え方である。 本項について最高裁が初めて憲法判断を下したのは、津市が市の体育館の起工に際して神式地鎮祭を挙行し、神職への謝礼などに公金を支出したことを違憲として提訴された「津地鎮祭訴訟」においてである。 昭和52年に出されたこの判決は「限定的分離」に立つ柔軟な解釈に則(のっと)って原告の主張を却(しりぞ)けた画期的な内容であり、後に若干の逸脱が生じたもののわが国の司法において確立した法理となっている。濫訴を招いた文意の曖昧さ これ以降、最高裁が言い渡した政教訴訟の判決は29件にも及ぶ(その多くは首相の靖国参拝と皇室祭祀(さいし)に関わるもの)。そのうち原告が勝利したのはわずか2件(6・9%)にすぎない。既に最高裁で判断が示されている同種の訴訟が繰り返されることも少なからずあり、あえて「濫訴」と言い切ってもよい状況が続いてきたことは事実である。 厳密に数えたわけではないが、地裁・高裁で確定したもの、あるいは審理中の原告の死亡や訴訟取り下げなどによって終了したものも含めて、これまで提起された政教分離をめぐる訴訟は80件を優に超えている。憲法訴訟の数としては9条に関わる事案を遥(はる)かに上回り、訴訟に至らずに政教事件として片付いたものはその数倍にも達するだろう。 ピーク時には10件以上もどこかの裁判所に係属していたこの種の訴訟も現在は6件にとどまっているとはいえ、楽観はできない。既に縷述(るじゅつ)してきたように、その主たる要因は20条3項の文意の曖昧さにあるからだ。 立法政策としては単なる「宗教的活動」の禁止のような抽象的な表現ではなく、産経新聞社編『国民の憲法』要綱の26条3項「国および地方自治体は、特定宗教の布教、宣伝のための宗教的活動および財政的支援を行ってはならない」のように、禁じられる行為の構成要件を憲法の条文として具体的に明記すべきである。このことを改憲論議の枢要なポイントとして一般の関心を呼び寄せたい。

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    リニューアルでV字回復した「京都市動物園」子ゾウ寄贈秘話

    を訪ねた。新しく完成した南側通路からゾウを眺める来園者=京都市左京区1903年開園、上野動物園に次ぐ歴史 「京都市動物園」は1903年に開園し、国内では上野動物園に次ぐ歴史を持つ。ピーク時には140万人を数えた年間入園者数も、1998年(平成10年)頃から65万人前後を推移するようになり、2002年(平成14年)には60万人にまで落ち込んだという。 ところが、2009年(平成21年)に「京都市動物園構想」が策定され、これは「市民の手による、市民のための動物園づくり」という、市民参加型の構想計画だった。そして開園した状態で7年かけて改装を重ね、昨年11月、ついにグランドオープンした。現在は100万人を達成している。わずか4メートルという至近距離で観察「ゾウの森」わずか4メートルという至近距離で観察「ゾウの森」 人気がV字回復したのには、それなりの理由がある。たとえば、トラの息遣いや迫力を間近に感じられるようにと、トラ舎は「人止め柵」を撤去。頭上を歩く空中通路も設けている。「サルワールド」のゴリラも、本来の自然の姿を再現。木の実を食べに木に登るゴリラのために、エサも天井部分から与え、そういう行動を見ることができる。他にも、アイデアが満載で、市民目線の動物園に生まれ変わったと言える。 獣医師・学芸員の坂本英房さんは、こう話す。「大幅なリニューアルはこれまでなかった。建物が老朽化していたこともあり、約7年かけて整備しました。今は滞留時間が長くなっています」 さまざまな工夫や仕掛けが施されており、見どころ豊富なだけに、うれしい結果だろう。そんな中、「ゾウの森」では、アジアゾウがわずか4メートルという至近距離から水浴びなどを観察できる。今や人気者になっている子ゾウだが、以前からいる大人の一頭に加え、オス1、メス3はラオス政府から寄贈されたものだ。 「小さい社会ですが、群れで生活していますので、ゾウ社会の構造がわかるんですよ。オスがいじめられていると、リーダー格のお姉ちゃんゾウが止めに入ったり、慰めたり、そういう行動が垣間見えます」とのこと。水浴びでじゃれ合うゾウの子供。見ている方がハラハラする=京都市左京区の京都市動物園学芸員が語る「ゾウ寄贈秘話」 さて、この子ゾウの寄贈には、秘話があり、それはあまり知られていない。ゾウの取引は、絶滅の恐れがあるため、ワシントン条約で規制されているためだ。しかし、今回はゾウを群れで飼育して繁殖につなげる研究を進めることや、2015年が日本とラオスの外交関係樹立60周年にあたり、無償で寄贈されたという。 「繁殖の計画をつくり、そのプロジェクトを立ち上げました。ラオスでもかつては多くのゾウが生息していましたが、最近は乱獲や自然環境の変化などで減少し、同国内のゾウは500頭ほどだと言われています。ゾウの受胎率はわずか5%で、100回やって5頭しか産まれない。そんな状態です。だから両国が一緒になって繁殖の研究をするということで、届け出を出し、はじめてワシントン条約のOKが出たという経緯がありました」(坂本さん) 京都ラオス人民民主共和国名誉領事館、名誉領事の大野嘉宏さんは、ラオスでの子ゾウ探しに奔走した1人で、こう振り返る。 「動物園から譲り受けたと誤解されがちですが、違うんですよ。ラオスの山岳地帯にある村を丹念に調べ、何度も訪れ、4頭確保するのに実は3年もかかっているんです。野生ゾウは飼育に向かないため、農作業や運送に使う“使役ゾウ”を探し、ようやく見つかったんです」 そのような苦労を経て、小ゾウたちは今、元気な姿を見せている。(文責/フリーライター・北代靖典)

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    韓国人が目を背ける「強制連行」と「強制労働」の真実

     前回の『韓国人こそ「歴史を直視せよ」と言いたい!』に、引き続き日韓双方の主張が大きく異なる主な出来事のうち今回は「強制連行と強制労働」を取り上げます。高島炭坑の供養塔。韓国の大学生らが「強制連行」の言葉を盛り込んだ案内板設置を求めていた おそらく、多くの日本人は「戦前の日本政府は朝鮮人を日本に強制連行して強制労働に従事させた」「だから日本には在日韓国人が多いのだ」という話を聞いたことがあるかと思います。強制連行や強制労働と聞いて思い浮かべるのは、ある日突然、官憲が自宅に押しかけてきて、有無を言わさず連れていかれた人たちが、暗い洞窟のようなところに集められ、現場監督に鞭を打たれながら重労働を強いられているようなシーンではないでしょうか。 そのようなシーンを頭に思い浮かべ 「なんと昔の日本人はひどいことをしたのだ。」「だとすれば、今は韓国人が多少無茶苦茶しても仕方がない」と思った( 思っている)人は少なくないと思われます。ところが、実際は日本の官憲が組織的にそのような行為を行ったという記録はなく、本当はそれがただの作り話だったとしたら、日本人が抱く韓国や北朝鮮に対する印象が、かなり違ってくるだけではなく、韓国人が日本を憎む理由が一つ減り、相互理解が多少なりとも深まるのではないでしょうか。 逆に言えば、この強制連行や強制労働に対する日韓両国の認識の違いが真の日韓友好の大きな妨げになっていると言えるのですが、そのような重大な問題にもかかわらず、私の知る限り日本政府が強制連行を行ったという証拠は本人の証言しかなく、日韓双方ともに感情論が先行し、確たる証拠もなしに何となく日本が悪いことをしたという結論で纏まっており、数年前までその結論に少しでも異論を挟もうものなら、人種差別の大合唱で袋叩きにあい、議論すら許されなかったため、十分な検証や議論がなされてきたとは言いがたいのが実情です。 記録がないと言うと「日本が都合の悪いものを破棄したからだ」と反論する人がいますが、役所が仕事を指示する際には必ずと言って良いほど、指示するところから実際に仕事をする部署に命令書のような書類が作成され、実際に仕事を行った際には、その部署が日報などの記録を残します。もし本当に彼らが主張するように日本の国家が何百万人の人間を強制的に日本に連れてきたのであれば、連れ出した部署、輸送した部署、受け入れた部署などなど、いたるところに命令書や日報などの膨大な数の書類が作成されたはずで、そのようなものを完璧に処分できるなどとは到底考えられません。そのようなことは第二次世界大戦終了後、ソ連が行った国際法違反の非人道的行為であるシベリア抑留と比較してみれば容易にわかることです。強制連行による労働を主張するため資料を捏造する韓国団体韓国の民間団体が作成し、配布した資料(右)の写真は、大正15年9月9日付「旭川新聞」(左)に掲載されたものと同一。記事は北海道の道路工事現場で働く日本人労働者が、一滴の水も与えられずに酷使された事件を報じたもので、時代も異なり、朝鮮半島出身者とはまったく関係がなかった。 また韓国側にも記録がないことは、昨年、日本が軍艦島をユネスコの世界遺産登録に申請した際、彼らが捏造した資料を世界遺産委員会の委員に配り、組織的に日本の登録を妨害していたことからもわかります。本当にあったことであれば資料を捏造する必要などないわけで、私は韓国側が主張する「強制連行」や「強制労働」は徴用や単なる出稼ぎを奴隷狩りのようなイメージの行為と混同させ日本を非難するための政治的な道具として利用しているだけであると考えています。 それに、徴用といっても命令を受けた人間は徴兵と同じように、原則として拒否する自由はありませんでしたが、終戦のどさくさを除けば労働に対する賃金は支払われ、当時の一般労働者と同じ待遇であったと記録されています(少なくとも奴隷のような待遇ではなかった)。当時の労働条件を今と比べて「酷使していた」という人もいますが、当時の社会常識と国全体が総動員で戦争していることを勘案すれば、良い悪いは別として過酷な生活環境での重労働になるのはやむを得ないことで、朝鮮系に限らず日本人全体が過酷な環境に耐えていたのです。 だいたい、嫌がる人間を無理やり連れて行こうとすれば、連れて行こうとする人間の何倍もの人間が必要になり、戦争中で人手の足りない日本が、そのような人員を朝鮮半島に送ることは物理的に不可能であり、百歩譲って仮に力ずくの強制連行が行われたのであれば、当時朝鮮半島における警察官の半数以上を占めていた朝鮮系日本人が行ったことになります。そして、その際に抵抗や暴動が起きたという記録がないということは、当時、何百万人もいた朝鮮半島の男性が誰一人として抵抗せずに黙って連れていかれたということになる訳で、それでも「強制連行」があったと主張するのは、当時の人たちが一人残らず臆病者の腰抜け揃いであったと言っているのと同じ事で、まったくもって朝鮮民族を侮辱した酷い話です。それに徴用工は、もともと日本人であった人間にも平等に適用されており、別に朝鮮系日本人だけが対象にされたわけではありません。日本へ渡ってきた人間ほとんどを強制連行と言いたいのか 韓国側の主張を聞いていると日本は韓国を併合してから好き放題に内地へ労働者を送り込んで搾取していたかのような印象を受けますが、実際はどうだったのか、当時の様子を振り返ってみると、日韓併合から10年ほどは朝鮮半島から日本に働きに来るのは自由であったため、次第に朝鮮半島出身者が増加し、それに伴う問題に対応を迫られた日本政府は1919年から段階的に朝鮮半島から日本への渡航を制限していきましたが、それにもかかわらず日本での職を求める人間は減るどころか法の網をかいくぐってでも日本へ行きたいという人間による密航事件が多発し、1934年には内閣が密航取り締まり強化を閣議決定するほどで、ここまでは、朝鮮半島から労働者を連れて来る必要がないどころか、反対に流入を制限していました。という話をすると「同じ日本なのに移住の制限があるのはおかしい」とツッコミが入りそうですが、当時の内地と朝鮮半島の経済格差を考えると妥当な措置であったと言えるのではないでしょうか。 しかし状況が変わり始めたのが支那事変勃発から2年たった1939年ころで、労働力不足のため渡航制限が解除され民間業者による募集が行われはじめました。この時に、おそらく朝鮮半島の比較的安い労働力獲得のために様々なことがあったと思われます。何しろ日本は今でもブラック企業なるものが存在するくらいですから、騙された人や搾取された人は少なくなかったと容易に想像できますが、その責任を日本政府に求めるのは筋違いです。 その後、大東亜戦争開戦後の1942年には政府自身が朝鮮半島で民間業者へ労働者の募集斡旋を行うようになり、徴用も1944年9月から実施されるようになりましたが、その7か月後には海路の安全が確保できないため日本への渡航は事実上中止になりました。 このように朝鮮半島から内地への移住は、日韓併合35年のうちの20年間は制限されており、問題の徴用工は実質7か月ほどしか行われていないわけで、これだけ見ても彼らが日本に来た理由が一律でないにもかかわらず、「日本が朝鮮半島から強制連行した」というようなことを言っている人たちの多くは、そのことには触れようとせず、「とにかく日本が無理やり連れてきた」の一点張りで、日本政府が本当に多額の費用を費やして朝鮮半島から内地に労働者を強制的に連れてくる必要があったのかどうかということすら考えようともしません。 彼らは、とにかく戦前に朝鮮半島から日本へ渡ってきた人間のほとんどが強制的に連れてこられたと言いたいのでしょうが、当時から比べると、かなり豊かになった今の韓国から、いまだに日本へ密航してでも来る人や不法就労している人が少なくないのですから、当時の貧しさを考えると真実は推して知るべしでしょう。韓国の主張がおかしいことを証明する外務省の資料 これらのことを裏付けるのが、日本外務省作成発表した、「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」(記事資料 昭和34年7月11日:昭和35年2月外務省発表集第10号より抜粋)という資料です。以下全文(高市早苗総務大臣のHPより転載)1、第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。 実情は次のとおりである。1939年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達していた。 そして、この間に増加した約100万人のうち、約70万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少部分である。 しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。  元来国民徴用令は朝鮮人(当時はもちろん日本国民であつた)のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに1939年7月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施された。 かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは1944年9月から1945年3月(1945年3月以後は関釜間の通常運航が杜絶したためその導入は事実上困難となつた)までの短期間であつた。2、終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。(1)まず1945年8月から1946年3月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、約90万人、個別的引揚げで約50万人合計約140万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。(2)ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約16%、約8万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。(3)なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に北鮮へ帰還したものは350人にすぎなかつた。(4)朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつたが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになつたので、1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。  北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。 こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。3、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人にすぎないことが明らかとなつた。 そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。【在日朝鮮人の来住特別内訳表】 登録在日朝鮮人数 611,085人 《内訳》 (1) 所在不明のもの 13,898人 (1956年8月1日以降登録未切替) (2) 居住地の明らかなもの 597,187人(100%) ・・・(2)の内訳・・・ (A) 終戦前からの在留者 388,359人(65・0%)    うちわけ (イ)1939年8月以前に来住したもの 107,996人(18・1%)(ロ)1838年9月1日から1945年8月15日までの間に来住したもの 35,016人(5・8%) (ハ)来住時不明のもの 72,036人(12・1%) (ニ)終戦前の日本生れ 173,311人(29・0%) (B) 終戦後の日本生れおよび入国者 208,828人(35・0%)外務省の資料から分かること この資料によってわかることは・終戦直前には、朝鮮半島からの渡航者が約200万人いた・そのうちの半数は1939年に徴用令が施行される前に渡航・それ以外の半数100万人のうち7割は個別渡航と出生による自然増加・残りの30万人の大部分は自由契約にもとづき内地に渡来・国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少数・彼らに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている(終戦時のどさくさを除く)。・国民徴用令は、(朝鮮半島出身者を含む)日本国民全般が対象・日本内地では1939年7月に施行、朝鮮への適用は1944年9月から・1945年3月以後は朝鮮から日本への渡航が困難となった・1945年8月から1946年3月までの間に140万人が朝鮮へ引揚げた・その際、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた・1946年3月の調査の結果、帰還希望者50万人中、実際に帰国したのは約8万人・1947年3月350人が北鮮へ帰国・朝鮮戦争休戦成立後、1958年末までに数千人が韓国へ帰国・資料発表当時、登録されている在日朝鮮人の総数は約61万人・そのうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人・資料発表当時、日本に居住している者は全員が自分の自由意志によって日本に留まった・資料発表当時、日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。・資料発表当時、在日朝鮮人のうち終戦前から日本にいるのは全体の65%(これらの調査には密入国者や不法滞在者は含まれていないものと思われます)。 私が、これを読んで一番注目したのは「したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない」というくだりです。これを素直に読めば、「母国に帰りたくとも帰れなかった」と言っている(言っていた)人たちは、嘘を吐いている(吐いていた)若しくは、当時は犯罪者であったということになります。 私も、お役所の文章は一般の人よりは良く読んだ方だと思いますが、このような人の名誉にかかわるような内容の文章で「1名もない」という断定的な表現はめったにお目にかかりません。あれだけ多くの証拠がありながら小泉訪朝まで拉致問題に関して「疑い」という言葉を使い続けた事と比較すると、余程入念な調査を行ったのだろうということが推察されます。「請求権は消滅するものではなない」法治国家とは思えない判決 そういう前提で、この資料を読むと日本政府が行ったと言われる大規模な強制連行など荒唐無稽の話に思えるでしょう。しかし、そう言うと「だからと言って民間業者や末端官吏が、まったく行っていなかったという証拠にはならない」と反論する人がいますが、そうなると、どこまで日本政府が個人の行った行為に対して謝罪や保証しなければいけないのかという話になり、彼らの言い分が通るのであれば、日本も戦後の混乱期に日本人に対して行われた乱暴狼藉に対して韓国に謝罪と補償を求めなければならなくなります。日韓条約調印式。左から金首席代表、李東元外相、 椎名悦三郎外相、高杉晋一首席代表 =首相官邸大ホール、1965年6月22日 そのようなことがないように日韓基本条約などの条約を結んで過去を清算しているのですが、韓国においては反日の大義の前には条約も霞んでしまうようで、いまだに元徴用工や遺族が日本企業を訴え、記憶に新しいところでは昨年11月ソウルの地方裁判所が日本企業に一人頭一億ウォンの支払いを命じる判決を下しています。ここで確認しておかなければいけないのが、いわゆる強制労働自体に対する謝罪や賠償と未払い賃金との違いです。 前者は、いわゆる強制労働自体が違法であったとするもの、後者は労働に対する対価を求めるもので同じ金銭の要求であっても異なる性格のものです。私は日本政府が前者の要求に対して、謝罪したり賠償したりする必要はないと思いますが、当時日本人として懸命に働いてくれた人たちに感謝するくらいのことはしても良いのではないかと思います。後者については「韓国の国内問題なので日本政府は関与しない」の一言で終わりです。 そもそも条約締結交渉において、あえて面倒な未払い賃金等の個人補償を提案した日本政府に対して「個人への補償は韓国政府が責任をもつ」と、国への一括支払いを要求したのは当時の韓国政府です。日本はその言葉を信じて韓国政府に経済協力金を支払い、条約に「両締約国およびその国民の財産、権利、および利益ならびに両締約国およびその国民の間の請求権に関する問題が(中略)完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」との文言を入れ日本が韓国に残した莫大な財産権を放棄したのです。 つまり、今なお日本政府に賠償を要求している人たちが本来受けとる権利(時効でなくなったという説もある)のある金銭は、その時日本政府から韓国政府に支払われているのです。それなのに2012年になって韓国の最高裁判所は、「条約によって日本に対する個人的な請求権は消滅するものではない」と、とても法治国家とは思えない判決を下し、それに対して韓国政府は「司法の判断だ」と、とぼけています。 おまけに韓国の裁判所は日本相手になら何でもありのようで、日本から盗んだもの(仏像)は返さなくてよいという窃盗を容認するかのような仮処分まで行っています。このような韓国の無茶苦茶な外交姿勢に対して、我が国は一体何をやっているのでしょうか。このような韓国の日本に対する無礼な態度と日本政府の無気力な対応が、日本国民をして嫌韓にはしらせ、結果として両国の国益を損ねているのです。3月31日、会談前に握手を交わす朴槿恵韓国大統領(右)と安倍首相 =ワシントン(内閣広報室提供・共同) 日韓両政府とも「これは韓国司法の問題だ」と責任逃れをしていますが、韓国の司法は日本に比べると世論や権力者の意向に迎合する傾向が強く、韓国国内の反日世論に押されての判決であることは明白です。そして、ここまで韓国の反日世論を手におえないくらい大きくして司法をねじ曲げてしまった責任は2005年まで日韓基本条約の内容を自国民に対して非公開にしながら反日教育を続けてきた韓国政府と、それに歩調を合わせてきた日本政府及びマスメディアにあるのではないでしょうか。この問題を韓国司法の問題だと放置することは日韓関係の基礎である日韓基本条約をないがしろにするということで、それは今まで本当の日韓友好に尽力してきた人たち、特に日本における真の親韓派の人たちの努力を無にするのと同じことです。 今までの日韓関係は、韓国がいくら日本に対して傍若無人な振る舞いをしてきても、日本国内における韓国に好意的な人たちが何とかとりなしてきたからこそ日韓両国は表面的には有効な関係でいられたのです。そんな彼らの堪忍袋の緒が切れ日本が韓国を見捨てるようになってしまえば両国の関係は行きつくところまで行ってしまいかねません。日韓両国政府は真に友好を願うのであれば第三者に調停を乞うなどの方法で早急に解決を図るべきです。 私は、今の韓国の発展を見ると当時の韓国政府が日本からの経済協力を個人補償に回すことなく、公共インフラや重工業の基盤づくりに投資したことは正しかったと思いますが、「もはや韓国経済は日本と肩を並べるようになった」などと言えるようになった、今から10年ほど前に、近代法における「法の不遡及」という大原則を無視して「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を作り、百年近く昔の行為を罰している暇があったのであれば、韓国政府は日韓基本条約締結時に行えなかった個人補償を行うべきであったと思います。それに元徴用工の方々も国が豊かになったことにより、自分自身も多少の恩恵を受けたわけですから「自分たちが個人補償を受けなかったから、今日の大韓民国の発展があるのだ」くらいの誇りを持ってもらいたいものです。 話は当時の強制連行に戻りますが、やっていないことを証明するのは「悪魔の証明」とも言われるくらい難しいもので、我が国に限らず、近代法治国家と言われる大半の国においては、被疑者が犯罪を行ったことは国家が証明しなければなりません。つまり「お前は悪いことをしたのだ」と相手に言う以上は、言った人間が責任をもって証明しなければならないということで、それが逆になると、気に入らない相手を容易に訴えることが可能になり、ある日突然身に覚えのない名誉棄損で訴えられるというような事になりかねません。訴えられた方は、自分がその人間の名誉を棄損していないことを証明しなければいけないわけですから、多大な負担を強いられるだけではなく、証明できなければ刑罰を受けなければならないという理不尽な話がまかり通ってしまいます。普通で考えればありえない話なのですが、そのような理不尽な話がまかり通ってきたのが戦後の日韓関係なのです。何度も戻るチャンスがあったのに  百歩譲って、仮に自らの意思ではなく民間業者や末端官吏が強制的に朝鮮半島から連れてきていたのだとしても、この資料を読む限りは何度も戻るチャンスがあったわけで、そのことを棚に上げて哀れな被害者を演じ続けることは自らを貶めることに他なりません。彼らには哀れな被害者ではなく他国で立身出世した人間として「自分たちは、己の意思で力の限り異国で頑張ったのだ」と誇りをもっていただきたいものです。日本政府も、昔、朝鮮半島から日本に来た人たちに対して日本に責任があるから特別な永住許可を与えているというふうに誤解されないよう、それ以外の国からの出身者との間に差をつけるのは、そろそろ止めるべきではないでしょうか。 ちなみに韓国は自称先進国であるにもかかわらず非常に移民希望者の多い国です。韓国紙の世界日報によれば、今年1月に民間業者が成人男女約1600人を対象に「移民希望のアンケートを取ったところ約8割が「可能であるならば行きたい」と答えているそうで、実際、平成26年に韓国国籍を放棄した人(移民の数ではない)は約1万8000人、海外への移住者総数は2012年時点で約700万人(永住者約440万人)です。 これに対して日本は同じ年の国籍離脱者数は約1500人、同じく海外移住者総数は120万人(永住者約40万人)で、韓国(約5000万人)と日本(約1億3000万人)の人口比を勘案すれば、いかに韓国人が自国から他国に移住しているのかということが良くわかるかと思います。つまり、このような問題を考えるにあたり、彼らが他国に移り住むという感覚が我々日本人と違うことを割り引いて考えなければいけないということで、韓国人の海外移住者が多いのは様々な理由があり何が原因かは断定できませんが、一つはっきりしているのは自分たちの意思で移住したということです。 日本人は強制連行の加害者だと言われますが、むしろ第二次世界大戦に関連して起こった強制連行の被害者は、我々日本人で朝鮮半島のケースとは違い、はっきりとした証拠が山ほど残っています。1941年の開戦以降にアメリカやイギリスをはじめとする連合国が、何の罪もない日系移民を強制的に収容所に入れて終戦まで隔離したのを皮切りに、終戦間際のどさくさに日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連が、日本の降伏後も戦闘行為を続けただけではなく、おとなしく武装解除した兵士や一般人70万~200万人を、国際法に違反してシベリアをはじめとする自国領に強制的に連れ去り、劣悪な居住環境のもとで過酷な労働を強い、そのうちの何十万が帰らぬ人となりました。支那大陸においても、逃げ遅れた女子供を含む日本人居留民が中国共産党軍に強制的に連れ去られ国共内戦のために働かされました。ちなみに、今なお中国や北朝鮮では、政府機関による強制連行が日常的に行われ、北朝鮮には切に帰国を願う何百人もの同胞が現在も拉致されたままです。 残念ながら今の国際社会は、真実とは違い力関係によって加害者と被害者が決まってしまうのが現状です。だからこそ我々は真実を発信していかなければならないのです。