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    女子サッカーの同性愛者、なぜ男子より多い?

    ム大学スポーツ運動科学部のステイシー・ポープ准教授は、こう話す。 「一方、男子選手の場合、サッカーは歴史的に『男らしさの要塞』とされてきたし、過去の経験が(カミングアウトに対して)負の認識を生んでいる」 ポープ氏が言う「過去の経験」とは、ジャスティン・ファシャヌ氏のことだ。ファシャヌ氏は1990年、イギリスのトップレベルのサッカー選手として初めて、自分は同性愛者だと公表したが、それから世間に嘲笑され続けた。 スポーツにおけるジェンダーとセクシュアリティが専門の、米ニューヨーク州立大学バッファロー校のスーザン・カーン教授は、「男子サッカーのほうがずっと不寛容だ。同性愛の男性はスポーツに必要な男らしさが足りないと思われているからだ」と話す。 女子選手の場合は、「偏見」が一役買っているとの見方もある。 女子選手はそもそも、「ボールを蹴り回しているような女性には同性愛者が多い」といった偏見など、多くの障壁を乗り越えた上でサッカーに取り組んでいる。その影響で女子サッカー界には多様性を受け入れる文化が育ち、それがカミングアウトしやすい環境へとつながっていると、ポープ氏は説明する。 一方、カーン氏は、他のスポーツでも近年、カミングアウトする女子選手が現れ、社会的な驚きが弱まっていると指摘。女子サッカー選手にとって、自分の性的指向を公言しやすい状況がつくられていると分析する。 LGBT活動家は、同性愛嫌悪の風潮に対するサッカー界の取り組みは不十分だと批判する。差別問題に取り組む慈善団体「Kick It Out(蹴って追い出せ)」によると、2018年のイングランドのスタジアムでは同性愛差別の事例が前年比9%増えたという。 女子サッカー界でも、「女がサッカーをやるなんて」という差別や偏見を多くの選手が経験している。 国際サッカー連盟(FIFA)はかつて、ファンが同性愛差別行動をとった国について、その国のサッカー協会に罰金を科したこともある。たとえば、2018年ワールドカップでメキシコのサポーターたちが、相手チームがゴールに向けてシュートするたびに同性愛差別的な罵声を浴びせたときがそうだった。ただし、FIFAの罰則では、人種、肌の色、言語、宗教、出身による差別は明確に禁止しているが、禁止対象として性的指向を差別理由にした問題行動を明示していない。 サッカー界のこうした風潮を、女子サッカーは変えられるのだろうか? 有力なLGBT権利団体「ストーンウォール」のスポーツ担当、ロビー・デ・サントス氏は、「LGBTを受け入れる包摂性という意味で、女性が先頭に立っているのは素晴らしい。自分らしい自分でいていいんだと支えられた方が、チーム全体のためになる」。

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    安倍総理が断行すべき5つのニッポン大改革

    な緊縮財政論者である。また野党の中に正論を主張しているところが見当たらない。彼らは多忙だろうが過去の歴史の勉強をしっかりしてもらいたい。 もともと、アベノミクスでは金融政策だけではなく「第二の矢」として財政政策の出動が予定されていた。そして2013年度においては財政の出動もあった。一時はこのデフレもいよいよ収束するかと見られた。しかし、その後財政は眠ったままで今日に至っている。 このところ盛んに議論されている現代貨幣理論(MMT)に対して守旧派の面々は必死で抵抗・否定を繰り返している。まさに喜劇の様相を呈している。そろそろ議論を終りにして実行に移るべきときなのにである。 わが国にとって今最も大切な経済政策は、財政の大幅かつ持続的な出動である。その根拠はMMTなどの場で散々議論されている通りである。民間に需要がないのだから政府がその需要を担うのである。財源に懸念はない。幸いインフラ、医療、福祉・介護、技術開発、学術・文化振興、防衛など重要な需要分野は多岐にわたっており、また、その規模は大きい。財政が本格的に出動すれば国富は飛躍的に成長することは確実である。 ところで、わが国は近世以降、二度にわたって根底からの革命的変革を経験してきた。明治維新と大東亜戦争の敗北である。そしてそれを契機として支配階層が交代を余儀なくされた。わが国は新しい体制のもとで、復活・発展・成長を遂げてきた。 しかし、そろそろ再び変革が必要な時期に来ているのではなかろうか。各界の中枢は老齢化・保守化しており、彼らは「明日も今日のごとくあれかし」と思っている。それが彼らにとって至極快適だからだ。残念だが、変革の兆しはほとんどみられない。 一方、世界の諸情勢は急速に変化している。米中の貿易戦争の妥協点がいずれに落ち着くか不明であるが、双方必死であり、長期化することは間違いない。この間中国はメンツを賭けて猛烈に経済発展・改革を進めるであろう。そうして建国100年の2049年には世界の覇権を握ることを目標としている。G20大阪サミットで、習近平国家主席(右)と握手する安倍晋三首相=2019年6月、大阪市北区(代表撮影) その推進体制は共産党独裁の強権的手法によっており、極めて強力である。重要なテーマに関しては政府中枢が先頭に立って迅速に決定し実行に移している。このまま推移すればわが国と中国との経済的・軍事的格差はさらに拡大していくであろう。 その結果、対等の関係を維持するのが困難になる懸念が強い。わが国が中国の属国に堕してしまう懸念である。われわれはそんな悲劇に耐えるべきなのだろうか。チベットや新彊ウイグル地区の惨状を見よ。答えは否である。中国に勝つために こうした事態を阻止するには、まず早急にわが国経済の停滞を脱し、次に中国と比肩できる成長を目指していくことが絶対に必要である。先方は独裁の国だ。当方は何事もまず話し合い民主的に進めねばならない国柄である。こうした体制上のハンデを背負いつつ戦うのは容易なことではない。政策課題に関して重点を絞りかつスピード感をもって取り組むことが必須の要件と言えるだろう。 そのためにわが国は戦後75年となる2020年を期し再び抜本的な改革を実行し、生まれ変わらねばならない。そこで、改革の手始めとして、まず以下の5点を提案したい。 一つ目は、基本テーマとして、各方面における優れた人材の育成と人工知能(AI)などの高度かつ先端技術の開発に向けて、保有する資源を集中的に活用する。 二つ目は、各界の幹部は60歳で引退し、50代の若手(?)に任せる。 三つ目は、立法府において国会を一院制とするとともに、行政府は大統領制に移行させ、大統領府は東京に置くが、国会は南東北(福島県)に置く。そして南関東、北関東、南東北の3地区を有機的に融合し国土発展の核とする。 四つ目は、緊縮財政主義を放棄する。 五つ目は、財務省・日銀、経済産業省などの経済官庁の政策・企画部門を統合し、大統領直轄の組織とする。各省・日銀はこの新組織が策定した政策(歳出予算を含む)を実行するための組織とする。新組織の構成員の選抜は主として官界・経済界から行う。選抜に際しては特に人品を重視する。そして彼らは古巣に帰還することはない。 安倍首相に残された時間は少ない。この5つの改革の実現にぜひ着手してもらいたい。■「異次元金融緩和は成功した」数字が語るアベノミクスの5年間■前原誠司のアベノミクス批判はあながち間違っていない■骨抜きの働き方改革をみれば「アホノミクス」批判も納得できる

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    信長が恐れた「凶星」本能寺の変はここから始まっていた

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 『信長公記』の「客星」というのは、ほうき星を「普段の空では見かけないよそから来た不審な星」と表現する言葉だ。当時の公家、吉田兼見はこれを現代同様「彗星(すいせい)」と10月11日付けの日記に記した。そして「御祈一七ヶ日也(なり)」と続けている。『信長公記』は9月29日にほうき星出現としているが、実際にはそれより早く9月25日頃から観測されたのだろう。朝廷では彗星出現当初から連日祈祷をおこなわせ、17日に及んだということだ。 ではなぜ、朝廷は祈祷を続けさせたのか。 当時、彗星は洋の東西を問わず「災いをもたらす魔物の使い」と信じられ、恐れられていたのだ。例えば、鎌倉時代に法華宗を興した日蓮は文永元(1264)年の彗星出現を未曾有(みぞう)の国難がやってくる「大凶兆」とし、4年後に蒙古から脅迫めいた国書が届いたことでその予言が当たったと自負している。 そんな次第だから、朝廷は日食などと同様に彗星を「ケガレ」として忌んだ。特に、彗星の尾の部分が天空から朝廷の方向へと垂れるのを凶兆とし、祈祷によって彗星がもたらす災厄から逃れようとした。 これに対して、面白い逸話が残っている。彗星出現のひと月あまり前に、松永久秀が信長から離反して天王寺砦を勝手に退去し、居城の大和・信貴山城にこもってしまった話は前回に紹介した。安土城天主跡。彗星はこの方角の上空に見えたと考えられる(筆者提供) 久秀は越後の上杉謙信が上洛(じょうらく)戦を開始するから、信長の命運も尽きたと考えて反旗をひるがえしたのだが、肝心の謙信は9月23日に加賀・手取川の戦いで柴田勝家らの織田軍を簡単に撃破はしたものの、そこで引き返してしまったあげく翌年3月に急死し、上洛戦は永遠に実行されることはなかった。久秀の決断は早すぎたのだ。 10月3日、織田信忠(信長の嫡男)が率いる4万の大軍が信貴山城を包囲すると、さすがの峻険(しゅんけん)な山城も10日には最後の時を迎える。城内の味方が寝返ったとも、本願寺の援軍と偽って城に入った佐久間信盛(織田家重臣)の兵が内から攻撃したともいうが、いずれにしても城は天守を除いてすべて織田軍に制圧されてしまった。信長が引きこもったワケ 信貴山の頂きからも、夜空に輝く彗星はクッキリと見えたという。久秀の家来が、彗星を見上げて主人にこう話しかけた。「京の卑しい者たちがあの星を『弾正星』などと呼んで殿の滅亡を天が告げているなどと申しておりましたが、その予言が当たってしまいましたな」 久秀の官途名は「弾正少弼(だんじょうしょうひつ)」。しかし、久秀は西の空に輝く彗星をチラリと眺めると大笑いしてこう言い放ったという。「ばかな。彗星が現れるのは天文自然の理に従っているからに過ぎぬ。わしも信長も、天の摂理には何の関係もない。わしが死のうと生きようと、彗星の運行に影響などあるものかよ」 直後に天守も陥落、久秀は炎の中で自刃して果てたが、当時の一般人のレベルからはかけ離れた合理主義、科学的思考法には感心するほかない。 では、対する信長はどうだっただろうか。合理主義の代表のように言われる信長のこと、さぞや彗星など一顧だにしなかったかと思われるのだが、実はそうでもなさそうだ。京都市妙恵会墓地の松永久秀・久通父子墓(筆者提供) 彗星出現の期間中、信長は安土から出ていない。いや、9月28日と29日の2日間だけ出るには出たが、それは安土の内の丹羽長秀の屋敷だった。安土の山頂に近い御殿から長秀屋敷に移ったのは、実はこういうことではないだろうか。 朝廷は日食のケガレを避けるために御所をムシロで包んだり、祈祷をさせたりする。そして、この彗星出現に際しても祈祷をおこなわせた。信長も、彗星をケガレとして避けるため、自分の御殿より低いところにある長秀の家に逃げ込んだのだ。その上で、彼は自分が大和国におもむいて軍勢を指揮することもなく、信忠に久秀退治を任せてしまった。ようやく彼が安土を出、京に向かったのは11月になってからのことだ。 『信長公記』は久秀滅亡について「10年前の10月10日夜に東大寺の大仏殿を焼き討ちした久秀が同じ10月10日夜に死んだのは、因果応報だ。客星が出て来たのも、春日大社のおぼしめしか」と論評している。前半はどうも久秀の最期をリアルタイムに記録した『多聞院日記』を参考にしているようだが、それに織田方の都合の良いように彗星の件をプラスしているあたり、その親分の信長本人が彗星を怖がっていたとすればちょっと笑える話ではある。信長の死は彗星から始まった ところで、この彗星は信長と朝廷の関係にある影響を及ぼした可能性もある、と言ったら皆さんはどう思われるだろうか。日本では古代から現代に至るまで、おおよそ75年前後の周期で彗星が観測されている。これがハレー彗星だ。 周期を持つ彗星があるという認識が、久秀の「彗星は天文自然の理で動くのだ」というセリフにも結びつくわけだが、周期があるものなら予測ができる。予測ができれば、それが暦にも反映できたはずだ。 ところが残念ながら、この天正5(1577)年の彗星はハレー彗星ではなく、突発的に起こった非周期のものだったようで、当然ながら朝廷の天文方はその予測ができなかった。彗星を恐れた信長としてはこれに納得しなかったのだろう。5年後、朝廷の天文方が日食の予測も外すともう許せないとばかりに改暦を朝廷に申し入れることになる。同年に発生する本能寺の変の一因にもなったのではないかといわれる改暦問題が、この彗星一件に端を発していると考えるのは、決して無理な話ではない。 こうして二条新屋敷の竣工と彗星のショックで天正5年は終わった。明けて天正6(1578)年。2月29日の安土山は人々の喚声にあふれていた。「近江の国中から300人の相撲取りを呼び集め、安土山で相撲をとらせてそれを見物された」のだ(『信長公記』)。信長の御前で相撲をとるとあって、力自慢の相撲巧者たちはこぞって張り切り、勝負は熱を帯び、信長以下の見物者たちも大いに盛り上がった。 ちなみにこの日の行司は木瀬蔵春庵(きのせ・ぞうしゅんあん)と、その子だろうか、木瀬太郎大夫(きのせ・たろうだゆう)の二人だった。蔵春庵はこの8年前、安土山下町の常楽寺で行われた相撲大会でも行司を務めている。ちなみに、現代の大相撲の行司、木村家は木瀬太郎大夫の孫を初代とするといわれているから、信長以来の相撲行司の系譜は540年続いているわけだ。 まぁ、これだけなら信長は相撲好きだった、だけで終わる話なのだが、この半年後の8月15日、彼はさらに輪を掛けた大きな規模で相撲大会を再度挙行している。今度は近江だけでなく京などからも都合1500人にのぼる力持ちと技自慢がわれこそはと集まり、辰刻から酉刻まで(午前8時~午後6時)熱戦がくりひろげられた。織田信長の上覧相撲(相撲協会提供) 永田景弘と阿閉貞大(あつじ・さだひろ)という国人領主・城主クラスの外様家臣同士も取り組み、堀秀政、蒲生氏郷ら信長気鋭の側近衆も参戦。安土山は1日中喚声に包まれていた。その音は、おそらく遠く街道を行く人々にも聞こえたことだろう。特に見事な相撲を披露した14人の者は信長の前に召し出され、褒美を与えられ家臣として取り立てられたという。このときも行司は木瀬蔵春庵、太郎大夫の二人だった。相撲大会「本当の狙い」 2度にわたる大規模な相撲大会。300人、1500人と部外者を城内に入れてしまえば、セキュリティーの維持も難しいし、何より城の構造がダダ漏れになってしまう。戦国の常識ではおよそ考えられないイベントではあったが、信長はあえてそれを強行した。 信長自身が相撲好きだったのは間違いない。江戸時代の書物には土俵を考え出したのも信長だとあるほどだ。完成に近づきつつある安土城に多くの人々を集めて一大スポーツイベントを打てば、城の威容を見せて信長の威信を高めるとともに、急速にふくらんで一体感を失った家臣間の交流が進み織田家への従属意識も強くなる。これはリスクを差し引いてあまりある効果だろう。 だが、信長が狙ったのは果たしてそれだけだったか、というとこれがどうもまだ理由がありそうだ。 この前後2回の相撲大会のちょうど真ん中の時期、近畿から東海地方が災害に見舞われている。5月11日から大雨が降りはじめ、13日の昼まで激しく降り続いたために各所で洪水が発生した。賀茂川・白川・桂川が氾濫し、上京の舟橋町では濁流に流されて死者が多数出た。京都所司代の村井貞勝が新しく架けた四条の橋も流されてしまった『信長公記』 この豪雨は、織田軍の作戦計画にも重大な影響を及ぼした。信長は毛利の大軍に包囲された播磨の上月城を救援すべく武将たちに出動の号令をかけ、自身も5月13日に出陣する予定だったのだが、ちょうどその13日が水害のピークとなってしまったのだ。 信長の親征となればその兵数は大きいものになる。複数の道路を使い整然と行軍する必要があるが、その道筋はことごとく雨によって分断されていたから、どうにもならない。海上を移動しようにも、大坂湾に出るのも困難な状況だ。結局信長は出陣をあきらめ、上月城にこもった尼子勝久ら3000は孤立したまま降伏、勝久は切腹して果てることになる。「木造織田信長坐像」=大徳寺総見院所蔵(中田真弥撮影) 水を利し、雨を制して過去の合戦を勝ち抜いてきた信長が、ここにきて水に妨げられて大きな失点を喫してしまった。これには、信長もショックを受けたに違いない。「先日の相撲大会ではまだ足りなかったか。もう一度行うべし」 豪雨災害を挟んでの2度の相撲大会に潜んだ信長の目的とは、何だったのか。■信長を「天下人」に導いたオカルト朱印■安土城「蛇の巨石」に隠された信長の仰天プラン■「龍宮に続く橋」信長のオカルト願望を叶えた御用建築家

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    トランプ氏訪朝は 「驚異的」 北朝鮮メディアが伝える

    か?」と問いかけ、それを受けて金氏が米大統領を北朝鮮側に招き入れたという。 <関連記事> 歴史的会談か、それとも……3度目の米朝会談をどうみる トランプ氏と金正恩氏、板門店で急きょ会談 現職米大統領として初めて北朝鮮側に 金正恩氏、トランプ氏から「素晴らしい」親書受け取る 「並外れた勇気」と称賛 休戦66年目の出来事 北朝鮮の国営・朝鮮中央通信(KCNA)は1日、この前例のない会談の模様を詳報。会談について、「トランプ氏の呼びかけによるもの」と説明した上で、「歴史的」と表現した。 そして、朝鮮戦争の休戦協定から66年目に、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とアメリカの首脳が、分断を象徴する場所となってきた板門店で歴史的な握手を交わすという、驚異的な出来事が起きた」と伝えた。 「前日の通知だったが会談」 同通信はまた、金氏が、「トランプ大統領との良好な私的関係が、わずか1日前の通知にもかかわらず、こうした劇的な会談を可能にした」と述べたと伝えた。 さらに、両首脳が「他の人々には予想もできないよい結果を生み出し続け、今後のさまざまな困難な障壁を乗り越える不思議な力として協力する」だろうと報じた。 加えて、トランプ氏のコメントを引用する格好で、両首脳が「今後緊密に連絡を取る」ことと、「朝鮮半島の非核化と2国間関係における新たな突破口をつくるため、生産的な対話を再開し推進する」ことで合意したとも伝えた。 米は憎むべき敵国 北朝鮮の国民が国外のニュースに触れることはめったにない。厳しい統制下にある国営メディアはこれまで何十年にもわたり、アメリカのことを最も憎むべき敵国として描いてきた。 そのため、米大統領が金氏の友人として北朝鮮国内に歩いてやって来た映像は、ふつうの北朝鮮国民にとって、まったくふつうではないものになる。 (英語記事 North Korea media hail 'amazing' Trump visit)

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    歴史的会談か、それとも……3度目の米朝会談をどうみる

    アメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との首脳会談。歴史的会談による米朝関係の前進なのか、それとも注目狙いの茶番なのか――。 トランプ氏は30日午後、韓国側から軍事境界線をまたいで、現職の米大統領として初めて北朝鮮の地に足を踏み入れた。軍事境界線は朝鮮戦争が休戦した1953年から存在している。 トランプ氏によると、境界線を挟んだ状態で自分から金氏に、「私に線を越えてもらいたいですか?」と問いかけ、それを受けて金氏が米大統領を北朝鮮側に招き入れたという。 スーツ姿で歩いて越境 過去の米大統領の中に、この境界線付近まで足を運び、韓国への支援を示してきた人は何人もいる。例えばバラク・オバマ氏は、軍用ジャンパーを着て境界線近くを訪れ、双眼鏡をのぞいて現地を視察した。 平壌を訪れた人もいる。ジミー・カーター氏とビル・クリントン氏はともに、航空機で北朝鮮の首都を訪問した。ただ両者とも、大統領を退任した後のことだった。 現職の米大統領がスーツ姿で歩いて北朝鮮に入るというのは、まったく異例なことだった。 いくら仲よしでも わずか1年ちょっとで3回目となったこの日の米朝会談については、「政治劇」に過ぎないとの見方が出ている。北朝鮮は核兵器削減に真剣に取り組む姿勢を示す必要があるとの指摘だ。 韓国・釜山大学のロバート・ケリー教授(政治学)は、「トランプ氏がまた、でたらめをうまく見せているだけ。トランプ氏と仲がいいからと、金氏がミサイル弾頭を1つでも放棄するなんて、誰が信じるだろうか?」と話す。 一方、米国家安全保障会議の元補佐官で、朝鮮問題を担当していたスー・ミー・テリー氏は、首脳会談は米朝関係の前進となり得ると分析。そのためには、トランプ氏が北朝鮮に対し核関連施設の完全廃棄を求め続けるのではなく、部分的な廃棄を評価することが条件だとする。 ローマ法王もコメント テリー氏は米紙ニューヨーク・タイムズに、「金氏はトランプ氏と暫定的な合意を結び、経済制裁をいくらかでも緩和させるため、寧辺(ヨンビョン)核施設と、核開発をしている疑いがある別の施設を、協議の対象として提案するかもしれない」と述べた。 ローマ法王フランシスコ1世は、「出会いを大切にする文化の好例だ」と首脳会談を称賛した。 <解説>テレビ向けの瞬間、だが何のため?――ニック・ブライアント、北米担当編集委員 ドナルド・トランプ氏はかつてホワイトハウスのウェスト・ウィング(執務棟)スタッフに、毎日をリアリティー番組のエピソードのように扱うよう指示したことがある。しかし大統領は、自分の政権運営の振り付けは自己流を好んでいる。金氏との会談はいかにも典型的なトランプ流演出だった。G20の場から早朝にいきなりツイートした外交特番が、普通なら準備に何カ月もかかるような会談の実現に至ったのだ。 非武装地帯という舞台設定は、めったにないほど意味深いものだった。そしてトランプ氏は大いに喜んで、就任以来かつてないほど「テレビ向け」と言える場面のひとつを演じて見せた。北緯38度の軍事境界線を歩いて越え、長年の敵地に足を踏み入れるという、どの現職米大統領もしたことがなかったことを実現したのだ。 確かに、見る者を釘付けにする光景だった。しかし、何のためだったのか? トランプ氏の型破りの外交が朝鮮半島の緊張を減らしたのは間違いないが、北朝鮮の核開発を止めるには至っていない。 両首脳の関係は笑顔と握手を生み出したが、朝鮮半島の非核化をもたらしてはいない。トランプ氏の北朝鮮訪問は、1分をわずかに超えた程度だった――だが、地球上で最悪レベルの人権侵害をしてきた全体主義体制の国をまともな国として見せるには十分過ぎる時間だったと、トランプ氏に批判的な人たちは言うだろう。 (英語記事 Trump steps into North Korea in historic meeting)

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    映画『主戦場』で語られなかった慰安婦問題の核心

    るところなど、その一例である。さらに、彼らの最大の錯誤は、まだ当事者が存命である人権問題を、あたかも歴史認識の問題のように取り扱うところにある。さまざまな事情がある慰安婦に対して、「売春婦にすぎない」というのは、「人道開明」の世の中、さすがに理解されるのは難しいのではないか。 歴史であるからには多面的な見方が必要であり、現代の人権意識で判断されるべきではない。当時の認識から言えば、あれは致し方なかったことだ。恥じる必要はない。そもそも日本が先の戦争は正義の戦争であったし、その一部として理解するべきだ。それに彼らが申し立てていることはウソばかりじゃないか。こういう思いが否定派の根底にあるのだろう。 私はこの見方にほとんど賛成はできない。それでも歴史は多面的に見なければならないという部分については同意せざるをえない。 一例として、慰安婦問題について、私たちの政府はどのように対応してきたかと言えば、それは必ずしも現在韓国側が責め立てるほどに酷いものとはいえないという事実がある。 映画にも少しだけインタビューされている世宗大学教授の朴裕河(パク・ユハ)氏(『帝国の慰安婦』朝日新聞出版)やジャーナリストの松竹伸幸氏(『慰安婦問題をこれで終わらせる』小学館)は、日本政府によってこれまで繰り返しなされてきた謝罪や事実上の賠償の方法について、そこまで非難を浴びるようなものではないと論じている。 私はこの見方を妥当なものとする。慰安婦問題が政治問題として動き出したのは1991年のことだが、この日本軍関与の責任を認めた、いわゆる93年の「河野談話」の見解を歴代、引き継いできている。国際世論を考えると今後も変更することは当面あり得ないだろう。(参考:「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」外務省) 補償問題にしても、日韓基本条約の枠組みを維持しながら事実上の政府補償を行った「アジア女性基金」を河野談話の翌年には早々に立ち上げている。アジア女性基金は、日本と同じように「戦時補償は解決済み」とするドイツが、かつてアメリカ在住の戦時強制労働者への補償を行った際の方法と同じものだ。こうして詳細に見ていけば、日本政府は解決に向けて、いたずらに冷淡な態度に終始してきたわけではないことが分かるはずだ。 ところが、これは韓国ではまったく響かない。そればかりか、ますます問題が悪化するばかりである。そしてそこには韓国側の持つ、解決することができない因子、ナショナリズムの存在が見え隠れしてしまう。 世界中を見渡せば、隣り合った国で歴史問題や領土問題が存在しない方が珍しいことではある。ましてや「植民地」に(朝鮮は植民地ではないという右派の議論があるようなので、「併合」と言い換えてもいい)した国とされた国の間で、非難の応酬があるのは全く当たり前のことだ。 よく韓国の「反日感情」だけが特殊であるかのような議論を見かけることもあるが、いたって「井の中の蛙(かわず)」の議論であると言わざるをえない。イギリスとアイルランド、セルビアとクロアチア、ギリシアとマケドニア、インドとパキスタン、タイとミャンマー、フィリピンとインドネシア…と例をあげていけばキリがない。そうして、双方が歴史の中でどちらが正当な歴史観を持つか、延々とさや当てを続け、それは時に流血の惨事にまで発展する。戦争にもなる。 特に歴史上弱い立場にあり、征服されたり同化されそうになったりした経験のある国家は被害感情を露骨に表に出す。その被害感情は隣国に再び自由を奪われるような事態が起きるのではないかという恐怖を核にして、国民の統一した意思を紡ぎ出していく。犠牲者のナショナリズムと呼ぶべきか、被害感情のナショナリズムというべきか、そのような弱者として自分たちをとらえて国民統合を図る。映画『主戦戦』(C)NO MAN PRODUCTIONS LLC なお、日本の原爆文学や空襲や飢えなどの戦争体験も、このような被害者ナショナリズムの一つだということができるだろう。ただし日本の場合はこれがいたって内向的な風景に収斂(しゅうれん)されてしまうのだが。一方の韓国はどちらかというと、これが世界的には普通と言えるように日本の過去を断罪し、これでもかと追及し続ける。 私はこれを二つの側面から理解する。 つまり慰安婦問題は、人権問題として解決するべき必要があり、それは繰り返してはならない歴史として日本は認識すべきものだというのが一つ。 かたやもう一つは、これが被害者のナショナリズムとして過大に扱われる危険性についてである。ナショナリズムの高揚は、もう一つのナショナリズムにぶつかり合うことで、そちらも激しくさせてしまうからだ。日本の慰安婦否定論の跋扈(ばっこ)はこれが原因といっても過言ではない。『主戦場』に足りないもの 『主戦場』では、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協、現在の略称は「正義連」)という慰安婦支援の活動団体代表のインタビューもあった。「これは『反日』という話ではなく、あくまでも人権問題なのだ」と、これがナショナリズムとは関係ないことのように否定するのだが、これには過去の挺対協のふるまいを知っている私は素直に聞くことができなかった。 2017年、『主戦場』に先立ち、日本で公開された『沈黙-立ち上がる慰安婦』というドキュメンタリー映画があった。これも日本の右翼勢力からの批判を浴びたということだが、この映画に一つ注目するべきポイントがあった。 この映画で取り上げられている慰安婦支援団体は、先の挺対協と分裂して出て行ったグループのことを扱った映画なのである。 どうしてこの団体が挺対協と対立することになったかと言えば、日本政府が関与した「アジア女性基金」からの「償い金」を、この団体が支援する元慰安婦たちが受け取ったからである。これを挺対協は「民族の裏切り者」として非難し、のちにさまざまな嫌がらせとも言える活動で追い込んでいる。支援者団体の代表はこれがために韓国に入国拒否されかかっている。挺対協からすれば、日本政府の謝罪や「補償」はまやかしのものであり、これを受け入れるのは、娼婦が金銭をもらうのと同じこと、というような論旨を展開する。 「民族の裏切り者」? 補償金を受けとるか受け取らないかは本人の自由意志のはずで、ましてやそれが「民族」という名前で非難されるのは、首をひねらざるをえない。さらには、個人を犠牲にして全体のために尽くすという押し付けが、悪しきナショナリズム以外の何ものでもないとも思わざるをえない。 私はソウルの慰安婦像も、釜山のそれも、さらには香港にも最近できた慰安婦像も見てきた。韓国第三の都市である大邱(テグ)では慰安婦歴史館も訪れたことがある。慰安婦像の横には誰も座っていない椅子がある。それはまだ未解決の名もなき慰安婦たちの存在を意味するという。 韓国の人たちはそこに腰かけて笑顔で記念撮影をする。悲劇や悲壮感は感じられない。日本で広島や長崎や沖縄の戦跡でそのような記念撮影の仕方をしたら不謹慎だと一喝されるのは間違いないだろう。そこで感じられたのは、あっけらかんとした被害者との連帯意識である。これは、よく韓国通と言われる人たちが言う「恨」の感情とは無縁のものだ。私はこの光景に私たちが理解できず、かつ慰安婦問題が決して解決に向かうことがない理由の一つが隠されているような気がしてならない。 映画『主戦場』には、そうした慰安婦問題に秘められた韓国ナショナリズムの謎を解く材料は一つもなかったと言ってもいい。映画『主戦戦』(C)NO MAN PRODUCTIONS LLC たしかに人権問題としての慰安婦を論じる素材としては優れているかもしれない。この映画は「歴史修正主義者」による戦前回帰について警鐘を鳴らしている。安倍政権批判にこれが収斂されていくのだが、自分はなにをか言わんやの気持ちとなり、映画館を出ていくことになった。慰安婦問題で否定派と慰安婦支援派の間にある溝を埋めるのに、これでいいのかといいう鬱屈した気持ちにならざるをえない。 『サンダカン八番娼館』の物語に戻ってから本稿を閉じたい。この作品には、人身売買された、からゆきさんと著者の出会いから別れまでが綴られているのだが、これに後日談というのもある。 サンダカンには、多くは人身売買された、韓国の従軍慰安婦と同じ境遇のからゆきさんの墓があるというのだ。ボルネオの南洋の山の中に、著者はこの墓を探し当てるのだが、その墓はこぞって日本の方向を向いていなかったというのだ。国家は無縁のまま死んでいった彼女たちに何もしなかった。韓国は慰安婦問題を国をあげて支援し続けるという。ただし、個人の自由意志は国家によって許されない。私はこういう対照的に見えて、相似的な輪郭を描く光景を、映画『主戦場』のように善悪二元論に単純化して説明することはできない。■徴用工「残酷物語」は韓国ではなく日本が生んだイメージだった■悲しくも滑稽な映画『軍艦島』にみた韓国人の心の奥■慰安婦を「ゲスな演出」でアピールする韓国に反論してもムダである

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    トランプ氏と金正恩氏、板門店で急きょ会談 現職米大統領として初めて北朝鮮側に

    ランプ氏が初めて米大統領として初めて軍事境界線を越えたと強調。トランプ氏は境界線を越えたのは「本当に歴史的」で、「素晴らしい名誉なことだ」と述べ、2人はあらためて握手を交わした。 米朝首脳会談は2018年6月のシンガポール、今年2月のハノイに続き3回目。ハノイ会談は、朝鮮半島の非核化について進展がないまま物別れに終わった。 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領も、板門店へトランプ氏に同行。金氏は文氏とも握手した。 大阪で開かれたG20に出席していたトランプ氏は29日、あらかじめ予定されていた訪韓を前にツイッターで、「もし北朝鮮の金委員長がこれを見ているなら、境界・非武装地帯で会ってもいいが。ただ握手して、こんにちはって言うだけ(?)!」と提案していた。 専門家の間には、たとえ会談が実現しても内実は伴わない「劇場」に過ぎないと一蹴する見方もあるが、今後の協議進展に向けた地固めになるという意見もある。 「自由の家」で並び 両首脳は続いて、板門店南側にある韓国側の施設「自由の家」で、記者団を前に並んで座った。 金委員長は自分たち2人が会えることは「非常に意義深い」と述べ、「これはつまり、自分たちが楽な気持ちで、前向きな答えと共に会えるということだ」と話した。さらに、「このことは、今後の我々のあらゆる話し合いに、前向きな影響を与えるはずだ」と述べた。 トランプ氏は、境界線を挟んで金氏と向き合った時点で、金氏から境界を越えるよう招かれたと明らかにした。 また、自分がツイッターでこの会談を呼びかけたことに言及。金氏に向かって、「もしあなたが来てくれなかったら、マスコミは僕が面目を失ったと批判したはずだ。あなたのおかげで2人とも面目が立った。ありがたいことです」と述べた。 さらにトランプ氏は、「我々は素晴らしい関係を築いた。本当に2年半前を振り返り、私が大統領になる前がどうだったか見てみれば、とても悪い状況で、韓国にとって、世界にとって、北朝鮮にとってとても危険な状況だった」と述べた。 トランプ氏は、軍事境界線を越えて北朝鮮側に入ったことを「誇りに思う」と言い、「あなたといるのは楽しい」と金委員長に語りかけた。 また、記者と政府関係者が入り乱れた現場の映像をBBCの記者たちが確認したところ、トランプ氏は報道陣がいる前で金委員長に「今この場でホワイトハウスに招きたい」と語りかけた様子。トランプ氏は首脳会談後にこの点について記者団に質問されると、金氏をホワイトハウスへ招いたことを認め、「なにもかもうまくいけば、いずれいつかはなにもかも実現する」と述べた。 予定を大幅に超え 事前の実務者協議がないままの首脳会談は、実現しても記念撮影の機会にしかならないという否定的な見方もあった。しかし、わずか数分で終わるかと思われた非公開の首脳会談は、約50分にわたり続いた。 会談後に文大統領と記者団を前にしたトランプ氏は、「とても良い会談だった。とても強力で、しっかりした内容だった」と話した。さらに、「速さが目的ではなく」、米朝ともに「包括的な良い合意」を目指して、「詳細を取り決めるため」に2、3週間の内に実務者協議を再開すると、金委員長と合意したと明らかにした。 軍事境界線を北側へまたいだ経緯については、境界を越えてもらいたいか自分から金委員長に尋ねたところ、金氏が「光栄です」と回答したため、応じたのだと説明した。 交渉団には誰が参加するのか聞かれると、トランプ氏は北朝鮮側の交渉団について、「中心人物はまだ生きているし、ほかの人たちもそのはずだと期待する」と述べた。北朝鮮の交渉団については、韓国の朝鮮日報が、金赫哲(キム・ヒョクチョル)対米特別代表がハノイ会談破綻の責任を問われて銃殺刑になったと伝えていた。 トランプ氏はさらに、北朝鮮への制裁について聞かれると、いずれは解除したいが今は継続すると述べた。北朝鮮側はこれまで、非核化協議進展の前提として制裁解除を要求してきた。 一方で文大統領は、非核化と平和について朝鮮半島の8000万人が希望を与えられたと会談の成果を評価した。 (英語記事 Trump and Kim in symbolic meeting / US-North Korea: Trump and Kim Jong-un in historic handshake)

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    ジョナサン・アイヴ氏がアップルを退職 iPhoneなど設計

    シから設計の仕事を始めた男は、史上最も利益を生み出す製品を世に送り出した。アイヴ氏の名前は間違いなく歴史に刻まれるだろう。 (英語記事 iPhone designer Jony Ive to leave Apple)

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    安倍首相、習主席に国賓訪日を招請 G20前に日中首脳が会談

    会談した。安倍氏が習氏に国賓としての再来日を招請するなど、両国関係の改善をうかがわせた。 日中関係は歴史的にこじれがちだが、最近は対米貿易や北朝鮮の核開発をめぐる共通の懸念を抱えていることから、両国の距離が縮まっている。 安倍氏は会談の冒頭、記者団を前に、「習近平主席と手を携えて日中新時代を切り開いていきたい」と発言。 さらに、「来年の桜の咲くころ、習主席を国賓として日本にお迎えしたい」、「日中関係を次の高みに引き上げたい」と語った。 これに対し習氏は、「いいアイデアだ」と応じた。 日本政府の関係者によると、両首脳は「とてもくだけたやりとり」をし、「自由で公正な貿易」を推進することで合意したという。 北朝鮮問題でも意見交換か 会談では、北朝鮮についても意見が交わされたとみられる。中国は北朝鮮にとって最大の貿易相手である一方、中国も日本も北朝鮮に核開発の断念を求めている。 安倍氏は北朝鮮問題ではごく限られた影響力しかもっていない。そのため、アメリカと中国に日本の意向を伝え、両国が北朝鮮と交渉する際に、日本の意向が反映されることを狙う。 習氏の来日は2013年の国家主席就任後、これが初めて。 安倍氏は昨年、中国を訪れ、日中関係が歴史的な転換点を迎えたと述べた。以来、両国首脳は前向きで建設的な関係の構築を約束している。 2国間の会談も多数開催 G20サミットは28日、2日間の日程で開幕する。経済や環境問題について意見を交わし、議長国の日本は28日に首脳宣言のとりまとめを目指す。 この間、アメリカと中国や、アメリカとロシア、日本と韓国など、2国間の首脳会談も数多く開かれる見通し。 (英語記事 Japan and China bolster ties amid trade war fears)

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    北朝鮮でオーストラリア人学生、拘束か 豪政府が確認急ぐ

    余る人権侵害の中で」生活していると指摘している。 昨年からはアメリカや韓国との首脳会談が実現するなど歴史的な変化もあるものの、核開発をめぐる緊張は収まっておらず、北朝鮮はなお世界から隔絶した状態にある。 (英語記事 Australian student 'arrested in North Korea')

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    すでに「移民国家・日本」、どこへ向かうのか

    々に移行していきました。在日コリアンの方たちなど、制度の対象外とされてきた人々による分厚い社会運動の歴史も非常に重要です。 時折「生活保護を外国人に支給するのは違法だ」という記事が拡散していますが誤りです。現在、外国人は生活保護の対象外とされているのは事実ですが、実際には永住者や定住者など特定の在留資格をもつ外国人に関して、厚労省からの通知にもとづき生活保護の準用が行われています。移民政策の新展開――昨年の入管法改正により、「特定技能」を持つ外国人の受け入れが決定しました。日本の移民政策は新しい段階に入っていくのでしょうか?望月:今回の新制度導入で、政府は2019年からの5年間で最大34.5万人の外国人を新たに受け入れるとしています。「大きな転換点」だという声もありますが、すべてが新しいわけではなく、以前の政策から引き継がれている部分も多く残っていることに注意が必要です。すでにお話した通り、外国人を低賃金の労働者として活用していく構造は少なくとも30年以上続いています。これまでの「いわゆる単純労働者」は、技能実習生や留学生など表向きは「労働者」ではなかった。新たな「特定技能」は就労目的の在留資格なわけですが、技能実習からの移行を前提とするなど古い制度との関係性に目を向ける必要があります。――たとえばどのような「移民政策」をお考えですか?望月:方向性としては労働面と生活面の大きく2つにわかれます。まず労働面ですが、人権侵害が度々指摘されている建前と現実の乖離した「事実上の外国人労働者」の受け入れの構造を変える必要があります。技能実習生や留学生の中には日本に渡航する費用を多額の借金で賄っている方も少なくないために、仮に約束より低い賃金での重労働や様々なハラスメントに直面してもなかなか逃げ出すことができない。最悪の場合は人身売買にも接近するリスクのあるこうした構造を解消しなければなりません。そのためには、労働者を労働者として受け入れる人権に配慮した制度をしっかり整備し、それ以外の受け入れ口を畳んでいくことが必要です。 次に生活面ですが、すでに日本で暮らす数多くの外国人について、これまで国として本格的に取り組んでこなかった日本語に関する支援など、社会的に包摂するための仕組みの構築が急務です。これまではNPOや自治体に丸投げされてきた部分について、国としても本腰を入れて取り組んでいく必要があります。 この2つを実行するとなれば予算も含めて大変なこともたくさんあるでしょう。しかし、新たな外国人労働者の受け入れを議論する際にはこれらの点を含めて議論する必要がありますし、そもそもこれから受け入れるかどうかということではなくてすでにこの国で暮らしている300万人近い外国人の存在を忘れてはいけません。『ふたつの日本 「移民国家」の建前と現実』(望月優大、講談社)――出版後、さまざまなメディアに出ていますが、反響はいかがですか?望月:新聞やテレビなどの報道では「留学生が所在不明」「技能実習生の失踪」などそれぞれバラバラのトピックスとして出てくることが多いので、日本の移民問題や外国人労働者に関する情報の全体像はなかなかわかりづらいと感じていた方は多いと思います。そうした方から「はじめてこの問題の見取り図を得ることができた」といった感想をいただけるのは嬉しいですね。ほんだ・かつひろ 1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。

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    下着ブランド名に「キモノ」、日本文化への侮辱と批判が殺到 米タレント

    Kimono』という名前で使用されていることに悲しさを覚える。着物は日本の伝統服であり、私たちはその歴史と文化にとても誇りを持っている。彼女には申し訳ないが、この名前のチョイスは、それらを無視した無知から来ているように感じてしまう」とツイートした。 https://twitter.com/bunkaiwa/status/1143680497668653057 kasumiさんは、カーダシアン・ウェストさんに対し、「日本の文化を滅茶苦茶にしてくれてどうもありがとう!」と皮肉った。 「私の文化はあなたのおもちゃではない。あなたはご自身とご家族以外の方には敬意を一切払わないのか?」 https://twitter.com/kasumihrkw/status/1143688589827432448 中には、自分の祖母の着物の写真を載せ、思い出を投稿する人も。 Ginjiさんは、「この内のいくつかは祖母自身が染め、刺繍をした。私は子供の頃、祖母が刺繍をしているのを眺めているのが大好きだった。一針ずつ美しい刺繍を完成させていく祖母の姿もまた美しく、私はいつも魔法を見ている気分だった」とツイートした。 https://twitter.com/Ginji_GoldFish/status/1143682045903699969 着物のスタイリストや、着付け教室の先生として活動するさとさんは、BBCに対し、文化を盗まないで欲しいと話す。 「キム・カーダシアンの下着は着物とは全くの無関係で、名称のみを商品に使用する事に関して、着物という日本特有の文化を軽視していると考える。また、日系企業が『Kimono』という名称を使用してビジネスができなくなってしまう事に関しても危惧を抱いている」 さとさんはツイッターに着物を着た写真を投稿し、「私の文化を盗まないで」と訴えた。 https://twitter.com/sato_kimono/status/1143656304528912384 大石さんは、世界中の人々が「キモノ」という名称を、日本文化とではなく、カーダシアン・ウェスト氏と結びつけて考えるようになってしまうのではないかと、懸念している。 「キム・カーダシアンは、アメリカだけでなく世界的に影響力が非常に高く、彼女のブランド名としてKimonoという言葉が使われることで、日本の着物ではなく、キム・カーダシアンのKimonoとして認識する人が増えると思う。検索エンジンの結果や、SNSのハッシュタグで上がってくる結果などにも影響が出てもおかしくない。すでに現時点でインスタグラムの #kimono のカバーフォトはキムの下着の写真になっている」 十文字学園女子大学のシーラ・クリフ教授は、「着物の美学は優美さ、上品さ、穏やかさにある。肌を露出したり身体の線が出るものではない。着る人を包んで見せないものだ」と指摘する。 「もし私がサリーという名前のブラジャーを作ったら(中略)とても怒る人がいるだろう。非常に無礼なことだし、(中略)着物は日本のアイデンティティー表現だ。キム・カダーシアンに属する言葉ではない」 (英語記事 Kim Kardashian West's 'Kimono' range riles Japan)

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    ハント英外相、次の首相は「信頼できる人に」 BBC独占インタビュー

    と思う。正しい人物を(首相としてブリュッセルに)送れば、ブレグジットを解決できるだけでなく、わが国の歴史に全く新しい、ワクワクするような幕が開けるかもしれない。それが私のやりたいことだ」 <分析>ローラ・クンスバーグ政治編集長 ジェレミー・ハント外相はこの党首選では劣勢だが、形勢逆転のチャンスをどこで見いだすのか? 答えは、人柄について話すことだった。 多くの保守党員が、下院議員が、そして国民が、ボリス・ジョンソン前外相が首相官邸に入るに足る人物なのか疑っていることを、ハント氏はよく知っている。 どんなにジョンソン氏を信頼できないとは言っていないと言っても、どんなに一生懸命それを否定しても、ハント氏が自分こそは信頼に値し、信頼できる人物を首相に選べば離脱協定の再交渉ができると繰り返していることが、全てを物語っている。 ジョンソン氏の首相としての適性や気質、人柄について大勢が抱く疑念を、ハント氏は明らかにこの党首選で繰り返し突こうとしている。 2人の政治家としての資質はかなり違う。片方はショーマンで、もう片方は自分こそ堅実な人間だと打ち出そうとしている。 だが、政治家としての資質の違いの裏で、EUについて2人が約束する内容には大差ない。このことを理解しておくのは大事だ。 ブレグジット騒ぎからイギリスを脱出させるための両者の提案はどちらも、「協定の再交渉」に基づいている。これは、EUが繰り返し却下してきたことだ。 (英語記事 Hunt: Next PM must be trustworthy)

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    【女子W杯】 日本、新ルールのPKに涙 オランダに敗れる

    リアと対戦する。 「日本はいいチームだ」 サリナ・ウィーフマン監督は、「とても幸せだ」、「みんなで『歴史を記し続けよう』と盛り上がった」と喜んだ上で、こう加えた。 「後半は本当に苦労した。そうなった大きな原因は日本が質の高いプレーをしたからだった。日本がどれだけいいチームかわかる」 チャンスは続いたが… メンバーのうち17人がW杯初出場の日本は、反則がきっかけとなった敗退を受け止め難いかもしれない。さらに、後半にいくつかあった好機を得点につなげられなかったことも悔やむだろう。 <関連記事> 【女子W杯】 日本、無得点でイングランドに敗れる 決勝Tに2位通過 【女子W杯】 日本、スコットランド破りグループ2位に 【女子W杯】 日本と0-0の引き分けに 「大穴」アルゼンチン大喜び この試合、まず主導権を握ったのはオランダだった。前半17分、オランダはコーナーキックをマルテンスがかかとで合わせ、後ろに送った。FW菅澤優衣香が触れてわずかにコースが変わったが、ボールはそのままゴールに転がり込み、先制点となった。 これが2011年ドイツ大会の王者の目を覚まさせた。直後に菅澤が蹴り込んだシュートが同点弾となるかに見えたが、右ポストにはじかれた。 前半終了2分前、快活なMF長谷川唯が、滑らかな動きから今大会きっての素晴らしいシュートを放った。ボールは相手GKの上を越えてゴールネットを揺らし、日本は同点に追いついた。 後半に入ると、日本が優勢な時間が多くなった。長谷川がシュートを放ったが、ゴールポスト右にわずかに外れた。MF杉田妃和の勢いのあるシュートは、ゴール上部のバーに当たってはじかれた。MF籾木結花の強烈なシュートも、GKサリ・ファンフェーネンダールにブロックされた。 そして勝ち越し点をあげられないまま、試合終盤にPKを献上してしまった。 アジア勢は姿消す 日本の敗退により、アジア勢は今大会から姿を消した。アジアのチームがベスト8に残れなかったのはW杯史上初めてだ。 高倉麻子監督は試合後、「後半チャンスを作れたが、決められなかったのは残念だ」と話した。 <試合データ> オランダはW杯で4連勝となった。それまでの4試合ではわずか1勝しかしていなかった 日本がW杯の決勝トーナメントで敗れたのはこの試合を含め3回しかない。1回目は1995年スウェーデン大会の準々決勝、2回目は2015年カナダ大会決勝で、相手はともにアメリカ オランダ、日本とも最初のシュートで得点した 試合開始から16分2秒でのマルテンスのゴールは、オランダにとってW杯で最速得点 マルテンスは日本を相手に通算6得点。他のどの国よりも日本との試合で多く得点している (英語記事 Martens' late penalty sends Dutch through)

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    「辞めるに辞められない」香港行政長官を悩ます習近平の叱責

    け市民の反対の強い案件で目立ちたくはない(2003年秋の区議会選では、国家安全条例に賛成した親中派が歴史的大敗を喫した)。表面上は支持せざるをえないが、心の中では政府が撤回してくれないかと期待しているのである。体を張って長官を守るべき側近はその答弁能力を見ても何とも頼りない。香港の政府本部庁舎で記者会見を終え、退出する林鄭月娥行政長官=6月18日(共同) こうした戦意の乏しい兵を率いながら林鄭行政長官は9日のデモ後も強気な発言に終始した。月末の20カ国・地域首脳会合(G20)前に決着をつけておくことが必要とされたのだろう。予定通りに審議強行を表明していたが、行政会議(行政長官の諮問機関)トップや政府OBが再考を進言するなど情勢判断の誤りが誰の目から見ても明らかになった。 任期を3年残して完全に求心力を失った長官に対し、勢いづく批判勢力はその首に狙いを定める。しかし、中国も行政長官の執政能力に疑いを抱きながらもここでやすやすと首を差し出すわけにはいかない。国家安全条例を成立させるまでは退くことも許されないのである。■習近平はなぜ金正恩に6年間の「借り」を返す気になったのか■習近平独裁に痛撃、中国経済「大失速」が意味するもの■習近平「終身独裁」で中国の自滅は確実になった

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    香港「雨傘運動の女神」が語る「200万人デモ、そして未来」

    く、政治的なストライキというのは珍しい。 だから、今日の香港を自分の目で見たいんです。“香港にとって歴史的な日なのに、私は日本にいる”ということが、本当にもどかしいです」日本のアニメやアイドル好きの顔を持つ周さん──今回の改正案の危険性は、どんな点にあるのでしょうか?「可決されたら、中国共産党に批判的な香港人が中国に引き渡されるかもしれません。中国は公平透明なシステムもないし人権も命の保証もないので、みんなはそれを心配しています。中国では民主化を求める弁護士や運動家が、ある日突然、重い身体障害が一生残る状態になったり、亡くなってしまうことが少なからずありますから。 香港に来た外国人の安全にも大きく影響します。もともと香港は多くの海外企業が拠点を置く国際金融都市ということもあり、自由も人権の保障も公平な法律制度もありました。だけど、今後はそれが脅かされることになります。 日本人が当たり前に持っている権利を、私たちはどんどん失っていくことが悲しいですし、可決されたら香港はもう香港じゃなくなってしまう……」残るのは「絶望感」だけ残るのは「絶望感」だけ──5年前、あなたは「雨傘運動」のシンボル的な存在になった。「雨傘運動は、香港に今までなかった『普通選挙』という“新しいもの”を求める運動でした。デモ参加者の間でも“普通選挙って一体どういうものなのかわからない”という状態だったので、考え方には、それぞれ少しずつ違いがあったようにも思います」──79日間に及ぶデモは、具体的な成果を残せなかった。「でも今回は、何か新しいものを求めるわけではなく、“すでに存在している自由”が奪われようとしていることに対して立ち上がった。逃亡犯条例案を撤回させ、反対するという目標がはっきりしている。みんなが同じ目標を見ている分、熱気も団結力も違います」──もし改正案が可決されたら、その後には何が残りますか。「……絶望感です。もう誰もデモに参加しないという空気になるかもしれません。参加するだけで、中国に引き渡されるかもしれないわけですから」──周さんは2014年の雨傘運動の際に逮捕された経験がありますが、改正後に再び逮捕されるようなことがあったら?「収監されるだけならまだしも、中国に引き渡されたら……想像できないです。生きて出られるかすらも、わかりません。怖いですね」 香港政府は15日、逃亡犯条例の改正審議の「延期」を発表した。しかし、条例の「完全撤回」を求めて、16日には香港返還以来最大となる200万人近い市民が集まった。周さんは、激化する運動の先の未来を案じていた。関連記事■火炎瓶投げ込まれた香港デモ 警察はマフィアの関与示唆■香港と台湾 学生たちが戦っている真の相手は中国の権力者達■中国富豪男の夢「蒼井そらを1晩300万円でセッティングしろ」■中国でケシの殻使った料理店が野放し、客は陽性反応&常連化■中国人が接待で「女体盛り」を要求、要した費用は32万円

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    【解説】 香港デモ、急進派の若者たちはどうやって政府を動かしたのか

    19日 17:32 公開 ヘリエ・チュン、BBCニュース(香港) 香港ではたった1週間のうちに、その歴史上最大規模のデモが2度も、そして過去数十年で最も暴力的なデモが1度、相次いで起こった。最前線にいたのは若者たち、それも20歳になるかかならないかの若い世代だった。なぜ彼らは抗議デモに参加し、政府を動かすことができたのだろうか。 「みんなに逃げるよう叫んだ」 「デモに参加した後、親に家を追い出された」 「生まれて初めて催涙ガスを浴びた。目から涙があふれて止まらなかった」 「本名を明かすのが怖い」 こうした言葉が香港市民から出てくるとは誰も思っていなかった。ましてや、17~21歳の若者から。 つい最近まで、香港の「一般的な」10代は、政治運動や創造的思考よりも勉強や稼ぐことに熱心だと思われていた。それがステレオタイプ(世間的固定概念)だった。 しかし先週、香港の立法会(議会)ビルの周辺を占拠した若者たちはマスクを着け、バリケードを築き、カセットボンベを警察に投げていた。 その多くは、2014年の反政府デモ「雨傘運動」に参加するには若すぎた。当時は数万人の市民が数週間にわたり野宿し、政府に普通選挙の実施を求めた。 「中国になる未来」という恐怖 「オキュパイ・セントラル(占領中環、中心部を占拠しよう)」とも呼ばれた2014年の抗議デモは結局、政府の譲歩を引き出せなかった。 しかし、刑事事件の容疑者を中国本土へ引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案に抗議した今回のデモの結果、政府は謝罪し、改正案の審議を取り止めた。多くのアナリストは、事実上の計画棚上げになったと分析している。 今回は何が違ったのだろう。そして、催涙ガスやゴム弾、逮捕(ましてや将来の就職)といったリスクを負いながらもデモに参加した若者たちは、一体どんな役割を果たしたのだろうか? <関連記事> 香港の行政長官、改正案成立は「可能性低い」 会見で謝罪 【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景 【写真で見る】 香港デモの規模とルート 香港政府、逃亡犯条例の改正を中断 「説明不足」認め 香港の若者たちは、ここ20年で政治的覚醒を経験している。2000年には18~35歳の58%しか有権者登録をしていなかったが、2016年には70%に達した。 香港ではイギリスからの返還以降、「一国二制度」という特別な制度の下で人権や各種の自由が保障されている。 しかしこの制度を支える香港特別行政区基本法は、2047年に失効する。その後の香港がどうなるのかは、誰にも分からない。 香港の今の若者にとって、2047年はすぐ目前に迫っている。この不安感、そして何はどうあれ中国政府が迫り来ているという感覚が、若者たちを駆り立てた。 政治システムが自分たちを守ってくれる確信が持てなくなったデモ参加者たちは、抗議方法を改善し、より洗練された異議の唱え方を学習しつつある。 12日に行われた非認可の抗議デモを取材した際、私が話を聞いた人たちは全員、逮捕を避けるために身元を隠してほしいと言った。 学生のダンさん(18)は、「抗議の最中はずっとマスクを着けていたし、その後は携帯電話やグーグルマップから履歴を消そうとした」と話した。ダンさんはこのデモでバリケードを組み立てる手伝いをしていた。 電車に乗るのにICカードを使わず、紙の切符を購入する人たちもいた。ICカードを使うと、自分たちの行動を当局に追跡されやすいと考えてのことだ。 さらに、参加者の多くは、ソーシャルメディアでは慎重に発言するようになった。互いのやり取りには、「テレグラム」など自動消去機能が付いているメッセージアプリを使っていた。 デモの学生リーダーを務めたジャッキーさん(20)は、「雨傘運動の時は、自分を守るという発想のない人がほとんどだった。フェイスブックやインスタグラム、ワッツアップを使ってメッセージを拡散した。しかし今年は、表現の自由が侵害されているを目の当たりにした」と話した。 警察当局への不信 今回のデモを受け、香港の高等教育機関に務める教員や学生など複数人が逮捕された。中には手当てを受けていた病院で逮捕された人もいた。 メッセージアプリ「テレグラム」で抗議行動の情報を共有したグループ管理者として特定された22歳も、「公的不法妨害」で逮捕された。 12日のデモに関わった学生リーダーたちは特に注目度が高いため、当局の標的にされるのではないかとジャッキーさんは懸念している。 「家に帰ったら拘束されるかもしれないので、学生会館の事務所に寝泊まりしている」 警察・司法当局と、市民の関係が壊れているのだ。以前のデモに比べ、今回の参加者たちは警察への不信を募らせている。 12日には香港大学の学生2人が逮捕され、翌日には警察が学生寮を捜査しようとしていると、うわさが流れた。 香港フリープレスはツイッターで、「香港大学の学生寮は、12日の衝突で学生2人が逮捕されたことを認めた。大学当局によると2人は警察によって保釈されたという。一方、学生寮が警察の捜査の対象になるかどうかについては明言しなかった」と報じた。 https://twitter.com/HongKongFP/status/1139192650723028993 混乱の中、学生たちはすぐに地元の議員や弁護士に連絡し、学生寮の建物を囲んでもらった。最終的には、寮への家宅捜索は行われなかった。 ダンさんは、雨傘運動の時の警察の行動から、当局への信頼がなくなったと語った。この時には多くの警官が参加者を殴り、後に逮捕されている。 「その前まで、警察は法を守り市民を守る存在だと思っていた。(中略)でも今は、一部の警官は個人的感情をむきだしにするかもしれないと気づいた」 今回のデモに参加した学生や若い社会人は、ひと世代前の参加者よりも公共の場での集会にまつわる法律を破ることにためらいがなく、目的のためなら逮捕もいとわない傾向にあるように見える。 より不安定な政治環境に生まれた身として、戦って守るべきものが沢山あるからだというのが、彼らの言い分だ。 トムさん(20)は12日のデモで物資の供給を担当した。自分が活動家になったのは「育ってきた時代のせいだ」と話す。 トムさんの世代は数々の政治的なあつれきを目の当たりにしてきた。2012年には政府が中国の「愛国教育」を義務化しようとしたが、これは就学児童を「洗脳」し、中国の人権侵害をごまかすものだという批判が相次いだ。 「子供の頃からあった自由を、政府が様々な政策や措置で抑圧しようとするのを見てきた。だからこそ、香港がその核となる法治主義と自由を失っていけないと強く思う」 中国の国歌に敬意を表さないと罰せられる最近の法律や、民主派および独立派の議員の資格はく奪、独立派活動家の拘束といった政府の動きを批判する若者もいる。 2014年の雨傘運動は今回のデモに、複雑ながらも明確な影響を与えている。 12日のデモに参加した若者の多くは、雨傘運動に参加するには若すぎたが、雨傘運動を心のよりどころにすると同時に反面教師にもしている。 ベンさん(20)は、2014年には親に抗議デモへの参加を禁じられたという。 しかし大学生になった今、ベンさんは先頭に立って抗議活動を計画し、逮捕されそうな学生への法的支援もまとめている。 ベンさんは、雨傘運動は「失敗」だったと言う。抗議する側がその最終目的だった「普通選挙」の定義などで仲たがいしたからだという。 今回のデモが要求するのは民主主義の拡大ではなく、香港が現在持っている権利の維持だ。そこが、雨傘運動と今回で決定的に違う。 ベンさんによると、デモ参加者は「今ある自由を失わないために戦った」ため、一致団結しやすかったという。 雨傘運動は学生を政治運動へと駆り立て、公道でデモを行う自信を与えた。 12日のデモで救急ステーションの運営を手伝ったジャッキーさんは、雨傘運動が自分を「政治的に目覚めさせた」と語った。 「私はそれまで政治にはあまり関わっていなかった。しかし政治参加がいかに大事なものか雨傘運動が教えてくれた」 雨傘運動の功績は、今日の香港の若者に警察とのにらみ合いにどう備えるかというノウハウを与えたことにもある。 ある大学のキャンパスでは、学生たちが医薬品を詰め込んだ袋や段ボール箱を何十個も用意していた。中には催涙ガスを浴びた人のための吸引薬や、催涙スプレーを洗い流すための塩水などが入っていた。 学生によると、これ以外にもたくさんの物資が一般市民から寄付されたという。 つまりデモの最中に警察と衝突が起きた時点で、デモ参加者たちはこれまでよりずっと準備万端で、効果的に動くことができたというわけだ。 こうした学生たちの動きを、親たちはどう思っているのだろうか。その反応はさまざまだ。 イングリッドさん(21)はこの日、仕事が終わってから抗議デモに参加し、前線に応急処置の医薬品を運ぶ手伝いをした。 イングリッドさんの両親は警察を支持しており、デモから帰宅すると家を追い出されたという。ただし、その数日後には家に戻ることが許された。 ジャッキーさんは、自分が抗議活動の運営にどう関わっていたのかを両親や祖父母に「話すつもりもなかった」。しかしニュースでジャッキーさんの参加を知った後、家族は協力的で、危ないことはしないようにと伝えてきたという。 もちろん、一連の抗議運動を、若者のみの純粋な学生運動として扱うのは間違いだ。 香港政府の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は企業団体や、所属するキリスト教カトリック教会、さらには母校からも改正案に対する圧力を受けた。 改正案に反対する署名活動を行った団体の中には、林鄭長官が通っていた聖フランシス・カノッサ小学校(嘉諾撒聖方済各学校)もあった。卒業生の影響力が強く、プライドも高い香港の一流校としては非常に大きな動きだった。 署名した卒業生のオーブリー・タオさん(22)によると、林鄭長官は頻繁に同校の校訓を引用しているという。その上で、「同校の卒業生として、このような政権運営をすべきではない」と伝えたいと話した。 しかし、12日のデモは、若者主導の不認可の抗議行動だった。若者は大勢で野宿し、統率のとれた行動をとり、警察に対応を余儀なくさせた。若者ならではのこの力があったからこそ、政府は改正案の審議を中断せざるを得なかったのだと、大勢が受け止めている。 世間が学生たちを非難する側に回る可能性も、十分にあった。暴力沙汰になった過去の抗議行動では、そういう展開が多かった。 しかし今回に限っては、世間も一線を越えたのは警察の方だと感じているようだ。 12日の衝突では、武装警官がゴム弾やビーンバッグ弾、そして150個もの催涙ガス円筒で対応した。これは、79日間続いた雨傘運で使われた催涙ガスの数よりも多い。 警察は、「暴徒」に対応するには必要な措置だったとして、デモ参加者がレンガや鉄棒で警官を攻撃したと主張した。 BBCが取材した中でも、抗議者がペットボトルや棒を警官に投げていたという証言が得られた。 それでもなお、若いデモ参加者が催涙ガスや催涙スプレーを浴びる映像を見た大勢が、警察当局と、警察を擁護した林鄭長官に怒りを向けた。 ソーシャルメディアなどで拡散された動画の中には、中年女性が警官に向かって「貴方たちもいつか父親になる!」と叫んでいるものもあった。 12日の衝突を受けてキリスト教団体がデモに加わり、警官に向かって何時間も聖歌「ハレルヤ」を歌い続けた。 また、「母親のデモ行進」には何千人もの女性が参加し、「子どもたちを撃たないで」などと書かれたプラカードを掲げた。 一般市民からの圧力が強まるにつれ、議論が白熱する中で改正案の審議を急ぐべきではないと林鄭長官をさとす発言が、政府の元高官から出るようになった。 親中派の議員や政府高官も、審議を遅らせるべきとの訴えを始め、法案に対する市民の反応を過小評価していたと認めた。 約半数しか公選で選ばれず、親中派が過半数を占める議会としては大きな動きだった。 香港が次にどこに向かうかは定かではない。林鄭長官は15日、改正案の審議中断を発表したが、翌16日には益々大勢の人が完全廃案を求めて香港の主要道路を埋め尽くした。 16日には、デモに参加するのは初めてだという人たちもいた。警察暴力に抗議し、若者を支援したいからだという声も多く聞かれた。 一連の出来事で、香港におけるデモへの見方が変わった。これははっきりしている。 トムさんは、「逃亡犯条例」改正案への反対運動が「過去30年の抗議の伝統を打ち砕いた」と語った。 「警官の前で何時間も聖歌を歌ったり、母親たちが抗議のために集まったり、記者が記者会見でヘルメットやマスクを着けて無言で抗議したりする。こうした活動が結果につながるなど、まったく予想外だ」 12日のデモで生まれて初めて催涙ガスを浴びたイングリッドさんは、本当につらい体験だったと話す。 「刺すような痛みで何も見えなくなった。私はワンピースにブーツを履いただけだった。水を浴びると、催涙ガスのかゆみがどう反応するのかも知らなかった。シャワーを浴びるとやけどしそうに熱くて、まるで地獄だった。もう二度と、ガスの筒が開く音、あの『ポン』という音は聞きたくない」 それでも、イングリッドさんは抗議活動を続けるという。 「この街は私のふるさと。自分の身の安全を心配するより、この街がどうなるかの方がはるかに心配だ」 (文中の名前は一部仮名) (英語記事 Young, radical and ready for tear gas )

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    久保建英ら五輪世代を救う森保ジャパン「10番中山雅史」の記憶

    す類いの選手であり、この2人の姿こそ、中山や秋田、川口の系譜に連なる。森保監督は『10番中山雅史』の歴史を紡いだ。コパ・アメリカが楽しみである。■ 森保ジャパン新エース、中島翔哉に代わる「サッカー小僧」を探せ■ 日本人はなぜ「4年に一度の祭り」としてサッカーを消費するのか■ 昌子源が届かなかった「50センチ」に世界との差を見た

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    世界は漫画を通して日本を見ているのか

    も関係している。日本の「マンガ」と韓国の「マンファ」の競合も、ライバル関係の一部だ。 植民地支配の歴史というキーワードは、アジアから遠く離れた場所でも漫画の受け取られ方に影響を与えている。米スワースモア・カレッジでフランス語圏を研究するアレクサンドラ・ギーダン=トゥレク准教授は、かつて植民地だった国が自分たちの文化アイデンティティーに正面から取り組む手段として、マンガが有用だと語る。 ギーダン=トゥレク氏は、北アフリカのアルジェリアで「DZマンガ」というジャンルが生まれた理由について、2つの傾向があると指摘する。 「西洋の絵画とも、伝統的なイスラム芸術とも違う異国化。それから若いアルジェリアの読者に訴求する現地化(ローカリゼーション)の要素だ」 つまり、伝統的にフランス文化が圧倒的な地位を占めるアルジェリアにおいて、日本は歴史的にも地理的にも、別の選択肢になり得るほど遠かったというわけだ(アルジェリアでは他のアラビア語圏と同様、「キャプテン翼」が大ヒットしている)。ギーダン=トゥレク准教授はこの現象を、文化の新たな可能性を開くものだと前向きに捉えているが、日本そのものは必ずしも関係していないと見る。 「DZマンガが人気なのは、読者が日本文化に惹かれているからというより、漫画が柔軟で世界的に人気の文化商品だからだ」 アルジェリアの漫画出版社Z-Linkのサリム・ブラヒミ社長も、アルジェリア人にとって「漫画は、アルジェリアから遠いところにある文化を見つける手段だ」と語る。 ビデオゲームや日本食といった日本文化もアルジェリアに入っているが、「アルジェリア人が日本の文化を発見し、それを体験する最大の手段は漫画だ」という。 Z-Linkはアラビア語とフランス語、ベルベル語でDZマンガを出版する。さらに、日本の漫画やアニメ、ゲームに特化した雑誌「Laabstore」も発行している。 漫画好きはフランス仕込み? アルジェリアの人が漫画に興味を持った一端には、旧宗主国フランスの長きにわたる日本文化びいきが反映されている。17世紀末には、フランスのコレクターは「中国様式」と間違って呼ばれた漆塗りのたんすなどの日本製品を買い集めた。次に流行したのは浮世絵で、欧州にジャポニズム熱が広まるひとつのきっかけになった。 浮世絵は、現在の漫画の原型でもある。 現代のフランスでは、フランスやベルギーで長年育ってきた「バンド・デシネ」と呼ばれる独自の漫画文化に、長年の日本文化好きが混ざり合っている。 「今のフランスの漫画人気は、テレビ局が1970年代半ばから1980年代にかけてアニメの放送を増やしたのがきっかけだ」と、ギーダン=トゥレク氏は説明する。 しかし、これは非常に有名な漫画に限られ、日本文化への視点を「単純にし、歪めた」という。 その結果、「『はだしのゲン』に見られるような、芸術的・文学的なニュアンスを含んだ重層な絵画表現」よりも、「kawaii(可愛い)」要素、あるいはある種の暴力的な美意識表現などが、「日本らしい」「日本文化」だと広く認識されるようになった。たとえば、猫を題材にした「チーズスイートホーム」は、フランスでもっとも親しまれている漫画のひとつだ。 一方でギーダン=トゥレク氏は、フランスやベルギーのバンド・デシネのアーティストと日本の漫画家を結びつけるのが、「ヌーベルまんが(la nouvelle manga)」だと指摘する。複数の文化をハイブリッドに取り入れた、メインストリームから少し外れた代替の表現になっているという。 フランスでは今も昔も、漫画は外国につながる手段だったし、アルジェリアではフランス文化に代わるものとしての役割を果たしている。だとするなら、「美少女戦士セーラームーン」が大ヒットしたロシアでは、漫画はアメリカ的価値観への対抗手段になっているといえる。 ロシアでは旧ソ連に漫画が広まり、共産主義の抑圧からも過剰な資本主義からも逃げたいと思っていた若い知識人たちの心の拠り所になった。ロシアの若者にとって漫画は、「守られたニッチ市場」としてのオタク・サブカルチャーの重要な一部分となった。 もっと一般的な話をすると、多くの人は若くて多感な時期に漫画に初めて触れる。その分だけ、漫画が読者とその価値観に与える影響は大きくなる。 2006~2007年に欧州4カ国で行われた調査によると、回答者の15%が10歳未満で漫画を読み始めた。10~14歳が45%、高校生以上と答えたのは29%だった。他の国についての視点を形成するにせよ、若者に日本文化を知るきっかけを与えるにせよ、アイデンティティー形成に最も重要な時期だ。イギリスのティーンエイジャーにも同じことが言える。 アメリカのタフツ大学で日本研究を教えているスーザン・ネイピア氏は、漫画に対するこうした傾向を数十年にわたって追跡してきた。昨年にはアニメ監督の宮崎駿氏に関する本を出版している。 漫画とアニメで初めて日本文化に触れたアメリカの学生、その第1世代がまずイメージするのは侍と女子高生だ。ネイピア氏は特に、後者のイメージを問題視している。漫画に登場する多彩なキャラクターを代表しないまま、アジア女性は従順だという幼稚なステレオタイプを拡散するからだ。 ジェンダーの問題 私たちの人生と同様、性の問題は漫画でも複雑なものだ。 何人もの魅力的な女性が1人の男性を囲むハーレムジャンルは男性の願望の体現したもののようで、これがアジア女性とは簡単にセックスできるという間違った考えを世界に広めてしまっているかもしれない。触手ものと呼ばれるポルノ漫画など、一部の「変態漫画」のことは言うまでもない。ネイピア氏はこうした漫画を、性的に偏向した「権力妄想」の表現だと見ている。 しかし漫画はその発明以来、他のメディアと比べるとジェンダーやセクシャリティーについて遊ぶ余裕を持っていたといえる。手塚治虫氏は「メトロポリス」や「リボンの騎士」といった作品で流動的な性を持つキャラクターを生み出した(手塚氏は一方で、ディズニーやベティー・ブープといったアメリカ産キャラクターの影響を受けた、大きな瞳でかわいさが強調されたキャラクターも生み出している)。 また、男性同士の恋愛関係を描く「やおい」や「ボーイズラブ」と呼ばれるジャンルは、主に異性愛の女性たちに自らのセクシャリティーを模索する機会を与えた。 ネイピア氏は、同性愛に優しくない日本文化全般において、そして西洋人が日本人の性に対する態度を勝手に型にはめているにも関わらず、「漫画とアニメはある意味でとても前進的なモデルになっている」と説明する。ネイピア氏が取材したコスプレイヤーの中には、アメリカのポップカルチャーから自由になれる別の選択肢として、「やおい」漫画があるという人もいた。 「漫画とアニメの世界は日本的な世界であると同時に、ファンタジーの世界だ。かたや実在する文化の記録なので、読者は実際に日本に行くことができる。一方でゴッホのような人たちに典型的な、頭の中で展開する全く別の文化の記録でもある」 漫画がさまざまな形で国境を越えているのは、この文化的な柔軟性のためだろう。 英イースト・アングリア大学の日本美術文化教授で、大英博物館の学芸員として日本美術を担当するニコル・クーリッジ=ルマニエール氏は、「漫画はいまや国際的な言語になりつつある」と話した。 今回の漫画展の共同キュレーターでもあるクーリッジ=ルマニエール氏は、漫画の広がりを寿司に例えた。世界中で一気に人気となり、国際化した寿司だが、西側諸国の寿司チェーンに並ぶメニューは必ずしも日本の寿司と同じではない(ちなみにカリフォルニア・ロールは日本産でもアメリカ産でもなく、カナダが発祥だという)。 非常に日本的でありながら、究極的には世界中の文化に適応するアート様式として、漫画の国際化はこれから一層広がっていきそうだ。 (大英博物館の漫画展は、2019年8月26日まで開催) (英語記事 Did Manga shape how the world sees Japan?)

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    【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景

    場所 思い出して欲しいのは、香港が他の中国の都市と大きく違う場所だということだ。これを理解するには、歴史を振り返る必要がある。 香港はかつて、150年以上にわたってイギリスの植民地だった。香港島は1842年のアヘン戦争後にイギリス領となり、その後、イギリスは当時の清朝政府から「新界」と呼ばれる残りの地域を99年間租借した。 それからの香港は活気ある貿易港となり、1950年代には製造業のハブとして経済成長を遂げた。また、中国本土の政情不安や貧困、迫害などを逃れた人たちが香港に移り住むようになった。 99年の返還期限が迫った1980年代前半、イギリスと中国政府は香港の将来について協議を始める。中国の共産党政府は、返還後の香港は中国の法律に従うべきだと主張した。 両国は1984年に、「一国二制度」の下に香港が1997年に中国に返還されることで合意した。香港は中国の一部になるものの、返還から50年は「外交と国防問題以外では高い自治性を維持する」ことになった。 返還後の香港は香港特別行政区となり、独自の法制度や国境を持つほか、表現の自由などの権利も保障されている。例えば、中国国内にありながら1989年の天安門事件について市民が追悼できる、数少ない場所となっている。 ……だが、状況は変わってきている 香港にはなお、中国本土にはない自由がある。しかし、それも徐々に減っていると指摘する声もある。 人権団体は、高等法院が民主派議員の議員資格を剥奪(はくだつ)したなどの事例を挙げ、中国政府が香港の自治に介入していると批判する。香港の書店員が次々と姿を消した事件や、ある富豪が中国本土で拘束されていることが分かった事件なども懸念を呼んでいる。 アーティストや文筆家は、検閲の圧力にさらされていると話す。英経済紙フィナンシャル・タイムズの記者が香港独立を目指す活動家を招いたイベントの司会をしたところ、香港への入国を拒否された。 もうひとつ問題となるのが、民主化だ。 香港政府トップの行政長官は現在、1200人からなる選挙委員会で選出される。この人数は有権者の6%に過ぎず、その構成はもっぱら中国政府寄りだ。 立法会の70議員全員が香港の有権者に直接選ばれているというわけではない。議席の大部分は、親中派の議員が占めている。有権者によって選ばれた議員の中には、忠誠の誓い(「中華人民共和国香港特別行政区への忠誠」というもの)を正しく述べることを拒否したり、「香港は中国ではない」と書かれた旗を掲げたりしたことで、議員資格を剥奪された者もいる。 香港の憲法ともいえる「香港特別行政区基本法」では、行政長官は究極的にはこれよりも民主的な方法で選ばれるべきだとしている。しかし、もっと民主的な方法とはどうあるべきかについては、様々な意見がある。 中国政府は2014年、親中的な選挙委員会が選んだ候補者の中から有権者が行政長官を選ぶ案を発表したが、「見せかけの民主主義」だという批判が集まり、議会で却下された経緯がある。 基本法の期限が切れるのは28年後の2047年。それ以降に香港の自治がどうなるのかは不透明だ。 香港人は自分たちを中国人とは思っていない 香港に住む人の大半は民族的には中国人で、香港は中国の一部だが、香港人の大半は自分たちを中国人とは思っていない。 香港大学が行った調査によると、ほとんどの人が自分は「香港人」だと考えており、自分は「中国人」だという人はわずか15%だった。 この差は世代が若くなるほど大きくなる。2017年の調査では、18~29歳の回答者うち自分は中国人だと答えたのはたった3%だった。 なぜ中国人だと思わないのかという質問には、自分たちは法的にも、社会的にも、文化的にも違うという答えが寄せられた。また、香港は150年もの間、中国とは切り離された植民地だったという事実も理由に挙がった。 さらに、近年では中国本土に対する反感が高まっている。失礼な中国人観光客が地元のルールを無視したり、観光客の増加で物価が上昇したことなどへの反発だ。 中国からの独立を訴える若い活動家もおり、これが中国政府を警戒させているようだ。 今回の抗議デモの参加者は、逃亡犯条例の改正案が通ってしまえば、中国政府による香港統治が迫ると考えている。 抗議運動に参加したマイクさん(18)はBBCの取材に対し、「この改正案が可決されれば、香港は他の中国の都市と同じになってしまう」と話した。 香港の人々は抗議の方法を知っている 2014年12月に発生した反政府デモ「雨傘運動」の残党を警察が排除した時、参加者たちは声をそろえて「私たちは戻ってくる」と宣言した。 実際、こうして抗議デモが再び行われていることは驚くに値しない。香港には抗議の歴史がある。それはここ数年という短い期間ではなく、もっと長い歴史だ。 1966年には、香港のヴィクトリア・ハーパーで運航されているスターフェリーの値上げをめぐって抗議デモが行われた。参加者はやがて暴徒化し、夜間外出禁止令が敷かれ、何千人もの警察官が街に配備された。 返還後の1997年以来、抗議運動はたびたび行われているが、最近では政治的なものほど規模が大きくなる傾向にあり、参加者と中国政府の間にあつれきが生まれている。 香港人はある程度の自治を持っているものの、選挙では自由が制限されている。デモは自分たちの声を聞いてもらう数少ない手段だ。 2003年には50万人が参加したデモで安全保障法案が却下された。普通選挙権を求めるデモや天安門事件の追悼集会は、毎年の恒例行事となっている。 2014年のデモは数週間にわたって続き、香港人が自分たちで行政長官を決める権利を求めていることが浮き彫りになった。しかし中国政府からの譲歩はなく、このデモも失敗に終わった。 (英語記事 The background you need on the Hong Kong protests)

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    米・イランの仲介役? 選挙前のイメージアップ? 安倍首相がイランへ

    可能性はゼロに近いと思っている」と話した。 キングストン教授も、日本は西側諸国とは違いイランに対する歴史的・宗教的な問題がないにも関わらず、「イラン政府は安倍首相を誠実な仲介役とは見ていない」と指摘している。 良い仲介役の条件は、双方への偏りがないことがだが、安倍首相はつい最近トランプ氏と会ったばかりで、その友情を誇っている。 「アメリカ政府との緊密さを見れば、イランが安倍氏を客観的と認めるわけがない」とキングストン教授は説明した。 「イランは、日本には明らかにトランプ大統領やアメリカの同盟国とつながりがあると見るだろう」 そのため、多くの専門家は今回の訪問での成果はあまり期待していない。外務省関係者も、イラン訪問で重要な役割を果たすことへの期待をトーンダウンさせている。 日本メディアは外務省筋の話として、安倍首相は仲介役としてイランに行くのではなく、米・イラン関係の危機を早急に終わらせる計画もないと報じている。 イラン訪問で安倍首相の支持率は上がるのか 多くのアナリストは、イラン訪問の本当の目的は国内政治にあるとみている。 米・イラン関係では大きく実を結ばないかもしれないが、それでも「安倍氏には好材料だ」とデュジャリック所長は説明する。 「有権者に、世界的な政治家だと印象付けられる」 それが安倍首相にとって重要なのだ。7月には参議院選挙が行われる予定で、勝利を確信すれば衆議院でも解散総選挙を求めるのではとの憶測が出ている。 「安倍氏にとって国際外交は政治劇場の一環で、彼はそれがうまい」とキングストン教授は話す。 安倍首相は、日本経済が低迷し最高の時代が終わってしまったという雰囲気の中、日本を復興させるという約束を掲げて政権に就いた。 それからは自身を、経済を復興させ、国際社会での地位を向上させる首相と形容している。 しかし専門家は、国際外交での成果はほとんど上がっていないと指摘する。 日本は北朝鮮との交渉には関わっておらず、北方領土をめぐるロシアとの協議もこう着している。 一方、中東の緊張を含むこれらの外交問題はどれも非常に複雑だが、安倍首相にとってはリスクが少なく、否定的な側面も少ないという。 「安倍氏は(今回のイラン訪問後)外交問題の解決に失敗したとは見られず、代わりに何か頑張ろうとしたと見られるだろう」とキングストン教授は説明する。 「外交政策では選挙に勝てないが、安倍氏を実際より影響力のある人物に見せることはできる」 (取材:アンドレアス・イルマー、BBC) (英語記事:Japan PM heads to Tehran amid US-Iran tensions)

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    所功手記「皇位世襲の持続方法を考え直す」

    血縁者であることが大前提であり、それには男系の男子、男系の女子、女系の男子、女系の女子も含む。ただ、歴史的に男系が長く続き、男子が多いことを重視して、「男系の男子」に絞ったのである。 しかし、戦後七十数年間に、連合国軍総司令部(GHQ)の皇室縮小(弱体)化政策や少子高齢化の進行などにより、皇室構成者が漸減してきた。側室庶子も養子縁組も認めない現行典範の制約などにより、令和元(2019)年現在、若い男系男子は悠仁親王お一人しかおられない。また、今は皇族の女子9名(内親王3名、女王6名)も、一般男性と結婚すれば皇籍を離れるほかない(皇室典範12条)から、やがて皆無となる恐れがある。 そこで、一昨年6月に成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」は、特に付帯決議を加え、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等」を、「皇族方の御年齢からしても先延ばしすることのできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方の御事情等を踏まえ、全体として整合性がとれるよう」、政府も国会も検討することを、与野党合意で明確に求めている。 これによって、平成17(2005)年の小泉純一郎内閣に始まり、同24(2012)年の野田佳彦内閣に受け継がれながら、ほとんど動かなかった「皇室典範改正準備」が、ようやく再開されることになる。ただ、この十数年間で事態は一層深刻化しており、今度こそ政府で実現可能な具体策を練り上げて、国会で与野党合意により改正法案を成立させてほしい。 この事態を建設的に前進させる一助として、ここでは甲案と乙案を分けて、各々に若干の具体案を提示するので、議論の叩き台にしていただきたい。まず甲案とは、現行典範の男系男子に限る継承原則を厳守する場合である。また乙案とは、その原則を残しながら、当代の特例として、男系女子の継承(女性天皇)も一代限りで可能とする場合である。 なお、歴史上に前例のない女系天皇は、当面現実にあり得ないことだから、議論を次世代に委ねて、当世代は対象としないことにすべきであろう。 甲案では、三つの具体案が考えられる。まず(イ)は、現行の典範と特例法にのっとって「男系の男子」のみで継承する場合である。「特例」男系女子の継承案 今上陛下が、やがて高齢を理由として上皇陛下と同様に退位される場合、仮に26年後ならば、85歳の今上陛下から79歳の皇嗣(こうし)、秋篠宮殿下に譲位される。ただ、その段階で、38歳の悠仁親王はようやく皇太子となられるが、そのころまでに結婚されるとしても、その妃(きさき)は必ず男子を産まなければ先が続かない、という重圧を背負うことになる。 ついで甲案の(ロ)だが、皇嗣の秋篠宮殿下ご自身が、およそ21年後、80歳の兄君が退位されても、74歳で即位して象徴天皇の役割を果たすことは現実的に難しい、と自ら語っておられると報じられている(「朝日新聞」4月21日朝刊)。もしそうであるならば、今上陛下の次は甥(おい)の悠仁親王が継がれることになるほかないから、例えば、6年後に18歳で父君から皇嗣の地位を譲り受けて成年式と立太子の礼を行い、およそ10年後の28歳ごろに結婚され、やがて33歳ほどで即位されるということになれば、世代交代としてはノーマルになる。 念のため、前近代には、当帝に皇子がない場合、その兄弟や宮家の王(親王の子)を養子、つまり猶子(ゆうし)に迎えて、親王に引き上げて後継者とした例が多い。また、宮家の後継王も当帝の仮養子として親王になるから宮家を相続することができた。 さらに、甲案の(ハ)は、一世代後の将来を考えてみると、(イ)でも(ロ)でも、皇位を継承される悠仁親王の後に必ず男子が生まれるとは限らない。とすれば、万一に備えて男系男子を確保しておくため、旧宮家子孫の中から適任者を選び出し、やがて皇族に迎える案も検討するような必要があろう。 ただ、旧11宮家でも男系男子の相続が原則のため、既に7家が若い男子の不在で続かず、これからも残るのは久邇(くに)、賀陽(かや)、東久邇、竹田の4家しかない。そのうち一般国民として生まれ育った当代の若い男子が、やがて皇族となれる要件を具備するのは相当難しいと思われる。2019年4月8日、お茶の水女子大付属中の入学式に臨まれる秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さま 一方、乙案にも、三つの具体案が考えられる。前述の通り、男系男子の原則を残しながら、当代の特例として男系女子の継承を一代限りで容認する案である。ここでは失礼ながら、高齢の常陸宮殿下と、将来高齢になれば即位困難と自認されている秋篠宮殿下を議論の対象外として考察する。 まず、乙案の(a)は、男系の男子を優先するが、男系の女子も可能とするものである。仮に21年後を想定すれば、80歳の今上陛下から33歳の悠仁親王が即位され、その段階で悠仁親王に王子が誕生していれば、その男子を皇太子とする。 しかし、もし女子か無子であるならば、38歳の愛子内親王が皇嗣となり、それから仮に20年後か30年後、悠仁天皇(53歳か63歳)の後を、愛子内親王(58歳か68歳)自身が即位される。もしくは、それまでに結婚して王子をもうけておられたら、その男子が即位されるようなケースも考えられる。 ついで乙案の(b)は、男系の男子を優先するにしても、直系・長系の長子を優先する場合である。今上陛下の次は長女の愛子内親王であるから、その愛子内親王が早めに(成年となられる2022年)、皇嗣の地位を57歳の叔父、秋篠宮殿下から譲り受けて、皇太子となられる。若い適任者を探し出す やがて仮に18年後、80歳の父君の後を承(う)け、38歳で女性天皇となられ、33歳の従弟、悠仁親王を皇嗣とされる。それから、仮に20年後か30年後に愛子天皇(仮称)が譲位されたら、皇嗣の悠仁親王自身が即位されるか、またはそれまでに悠仁親王が結婚して王子をもうけておられたら、その男子が皇嗣を譲り受けて、即位されるようなケースも考えられる。 さらに乙案の(c)は、もし万々一、悠仁親王にも愛子内親王にも御子が生まれないような場合まで想定している。旧11宮家のうち、現存する前述の4家の中に、若い男子で将来皇室に迎えられるほどの若い適任者たちがいたとしよう。 その場合は例えば、専任でも臨時でもよいが、宮内庁職員として勤めながら現皇室との関係を深めることが望ましいと思われる。また、もしそのような適任者の中から、皇族女子と結婚されることが可能になるならば、その間に生まれる王子に皇位継承の資格を認められやすくなるとみられる。 なお、天皇と内廷皇族を支える宮家は、皇位に準じて男系男子が相続すべきものと考えられ、行われてきた。しかし、男系女子による相続を否定する明文は見当たらない。事実、近世の桂宮家は皇女が養子に入り当主となった。しかも、現在の宮家の実状を正視すれば、常陸宮家には御子がなく、また他の三家も女子しかない。 したがって、現存の宮家を残すには、少なくとも三笠宮家の彬子(あきこ)女王(37)か瑤子(ようこ)女王(35)、高円宮家の承子(つぐこ)女王(33)、及び秋篠宮家の眞子内親王(27)か佳子内親王(24)の各お一人は、一般男性と結婚しても当家を相続できるようにする必要があろう。 その場合、当主と同様に夫君も子供も皇族の身分とすべきであるが、その夫君は当然皇位継承の資格を持ち得ず、その子供も同様とする。皇族の身分とするのは、そうしなければ家族として一体になれないと考えるからである。ただ、万が一、内廷に皇子も皇女もいないような極限状態に至るなら、女子を当主とする宮家の子孫にも皇位継承の資格を認めることも検討しなければならないが、それは次世代に委ねるほかない。 以上、皇位の世襲継承を持続する現実的な方法についての管見を略述した。今必要なことは、従来の原理原則に固執することが無理な現状を直視して、何とか実現可能な具体案を出し合って総合的に検討を加え、多くの国民に理解と共感が得られる合意の形成に全力を尽くすことであろう。皇居に入られる天皇陛下と愛子さま=2019年5月11日、皇居・半蔵門(川口良介撮影) 長らく放置されてきた諸問題を一挙に解決することは難しい。それゆえ、当面(20~30年)の対応策を練り上げて実施し、その先で新たな問題が生じたら、改めて検討し、修正を加えていくような努力を着実に続けていくことが望ましい。 なお、議論を少しでもわかりやすくするため、皇族の実名も年齢も、20年、30年後の予想までもあげた。非礼にわたることと思われるが、あらかじめ平にお詫びしておきたい。■ 女性宮家以外にも「皇統の断絶」を防ぐ手立てはある■ 「愛子天皇」待望論者たちよ 、もう一度壬申の乱を起こしたいのか■ 元東宮侍従手記「秋篠宮殿下は皇室の意思を代弁するにふさわしい」

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    【検証】 女子W杯、男女の賞金格差をめぐる現状

    取材した別の複数のサッカー協会は、特定の財政問題について話したがらなかった。 アメリカの女子チームの歴史に関する著作のあるケイトリン・マリー氏は、「結局のところ、女子選手に与えられる賞金は男子選手に比べて非常に少ない。そのため、スポンサー料や所属チームからの給与、あるいは協会や連盟から支払われる給与への依存度が、女子は男子より高くなる」と指摘する。 国際プロサッカー選手会(FIFpro)によると、西ヨーロッパの女子サッカー選手が所属チームから支払われる月収は約1000ユーロ(約12万円)~2000ユーロ(約24万円)だとされる。これに加えて、国の代表チームに所属すると、サッカー連盟や協会側から1日あたり50ユーロ(約6000円)~100ユーロ(約1万2000円)程度の手当てが支払われるという。一流選手はさらに稼いでいるとみられる。 一方で貧しい国の選手の場合は、協会側から支払われる額は非常に少ない可能性がある。 (2007年から授与が始まった女子W杯の賞金総額、2019年は3000万ドル。出典:FIFA) マリー氏は、男子と女子の大会賞金における格差は実際には大きくなってきているが、今年の女子大会の賞金が前回大会の2倍になったことは「正しい方向への重要な一歩」だと話す。 FIFA側は、女子大会の促進において重要な進展をもたらしているとしている。 FIFAで女子サッカーの主任責任者を務めるサライ・バラマン氏は、賞金は「FIFAが世界中の女子サッカーの発展のために行なっている投資のほんの一部に過ぎない」と話す。 今後3年間で、FIFAは約4億ドル~5億ドルを女子大会に直接投資する予定だ。 最新の財務報告書によると、FIFAは女子サッカーの促進のために2800万ドルを投資したという。 より公平な契約を求める声 アメリカでは女子サッカーチームが賃金問題をめぐり、同国のサッカー連盟を提訴した。また、オーストラリアの選手会はFIFAに対し、男子と女子に平等な報酬を与えるよう求めた。 2016年には、アフリカ女子ネイションズカップで優勝したナイジェリアのチームが、未払い金があるとしてホテルで座り込みの抗議を行なった。 一方、ニュージーランドでは2018年に、男女の同国代表選手に平等の報酬と賞金が支払われることが決まったほか、ノルウェーでも2017年から同国代表選手には男女問わず同額が支払われている。 (英語記事 Women's World Cup: What is the pay gap?)

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    日本と0-0の引き分けに 「大穴」アルゼンチン大喜び 女子W杯

    げる自信をみせている。日本も同日、スコットランドと対戦する。 <試合データ> 女子W杯の歴史で、0対0の引き分けに終わった試合は、これが7試合目と非常に少ない。 女子W杯では過去40試合すべてで、少なくとも一方が得点していた。最後に0対0だったのは、2015年大会予選リーグのアメリカ対スウェーデン戦。 アルゼンチンが失点しなかったのはこれが初めて。この試合の前までは、1試合平均5.5点を失点していた。 アルゼンチンがゴール枠内に放ったシュートは1本だけ(73分)。 アルゼンチンは65分に初めて、日本のペナルティエリア内に攻め込んだ。 FW岩渕真奈は日本代表として11試合目の出場。すべて交代メンバーとしての出場で、交代メンバーの最多記録となった。 アルゼンチンMFマリエラ・コロネルは37歳355日目の出場で、同国最高齢のW杯選手となった。 (英語記事 Argentina hold Japan for first point)

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    「先住民族」アイヌの次は沖縄だ!

    アイヌを「先住民族」と初めて明記した新法が先月施行された。閣議決定から3カ月、議論が深まらないまま成立した感があり、批判の声も根強い。国連は沖縄の人々も先住民族と認めるよう勧告しているが、沖縄では「独立論」もはびこる。それだけに、振興は重要とはいえ、安易な先住民認定は国家の分断を助長しかねない。

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    日本のアイヌ政策は世界の常識からこんなにズレている

    として初めて認める所信を行いましたので、国会決議でアイヌ民族が「差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない」と述べていることを踏まえると、新法も含めた施策の抜本的拡充とともに緊急課題を国の責任で解決することが求められました。なぜ10年もかかったのか 歴史的にみれば、江戸時代、北海道はアイヌが住む地域と和人が住む地域に区分されていました。和人地は渡島半島西南地域で、それ以北はアイヌ民族が住む蝦夷島でした。明治政府は、アイヌ民族を日本国民に編入し、アイヌ民族が生活していた土地を取り上げ、サケ漁などを禁止したうえ、学校教育で和人社会への同化を押しつけ、1899年には差別法である「北海道旧土人保護法」を制定したのです。この法律が廃止されたのが100年後の1997年です。 しかし、代わって制定された「アイヌ文化振興法」もアイヌ民族の権利を骨抜きにし、アイヌ民族の「先住権」は言うまでもなく、アイヌ民族の経済生活を保障する施策は何一つ記されず、「アイヌ文化の振興」策のみをうたったものでした。 政府は、今年、アイヌ新法を成立させましたが、国連宣言や衆参両院で国会決議をあげても、10年近く動かず、ようやく重い腰をあげたと言わざるを得ません。あまりにも時間がかかりすぎていることを反省すべきです。 日本共産党は73年に行われた12回党大会で「少数民族としての権利を保障しアイヌ文化の保護と一切の差別の一掃、生活に対する特別の対策を実施する」と提起しました。それ以来、情勢の変化やアイヌの意見を反映させて発展させ、2007年の国連先住民族権利宣言を受けて策定した政策提言などをもとに、取り組んで来ました。 アイヌ新法に「先住民族」と言う言葉は入りましたが、アイヌの方々が事前説明会で出した意見要望がどのように扱われたのか、詳細に公表すべきです。明治政府がアイヌから土地や生業(なりわい)を奪い、同化を強要したり、長年にわたり行ってきた差別政策への謝罪もありません。 また、国連の宣言を踏まえて権利回復の手立てを実効性のあるものにすることや、北海道が行った調査により、大学進学率や所得に著しい格差があるなど、アイヌ世帯が厳しい生活環境に置かれていることが明らかになっていますので、経済的・社会的な苦難を解消する生活・教育支援が必要です。アイヌ民族の集落で代表者らと意見交換する菅義偉官房長官(左側の前列左から3人目)=2018年8月20日、北海道釧路市(田村龍彦撮影) 文化や歴史の保護、伝承と合わせて古老・高齢者の生活保障、アイヌ女性が気軽に相談できる窓口の拡充、給付制奨学金の創設が求められていますが、新法にはそれらが排除されています。アイヌ民族の権利や歴史を正しく教えることにより、アイヌ民族の存在や歴史について正しい理解を広げ、奪われた先住民族としての権利や、民族としての尊厳を回復できるよう、教育をはじめあらゆる施策を強めることが必要です。 また、明治期よりアイヌ人墓地から研究目的と称して遺骨が持ち持ち出され、いまなお返還されていない遺骨もあります。これはアイヌ民族に対する差別的処遇の象徴です。アイヌは土から生まれて土に帰るのが幸せとされている、と聞きました。巨大なコンクリート慰霊施設への集中は適当ではありません。アイヌ遺骨は地域受け入れ先と協議のうえ、元に戻すことを基本に、返還する必要があります。※「土人」は、現代では不適切な表現ですが、かつて存在した法律名として記載しています。■小林よしのり×香山リカ アイヌと差別をめぐる対決対談■アイヌ民族の「権利確立」を 鈴木宗男の10年■朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない

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    アイヌ新法成立で大きくなる「琉球独立工作」の火種

    報道した。 そこでは、独り歩きした「7割の民意」が国際発信されている。さらに「琉球処分」などの沖縄の歴史解説などを加えると、「日本の先住民族たる琉球民族の人々の7割が、日米両政府による米軍基地の押し付けに反対している」という認識が国際的に広がっていくことにつながる。 つまり、県民投票は県民の意識調査ではなく、琉球差別の「国際世論戦のツール」だったのだ。「沖縄県民が先住民族だ」という認識ほど、簡単なプロパガンダは無い。日本国内も「琉球王国」の存在を認めているからだ。辺野古埋め立ての是非を問う県民投票の結果を安倍晋三首相へ手渡す玉城デニー沖縄県知事(左)=2019年3月1日(春名中撮影) 逆に、外国人に対して、琉球王国が日本から独立した外国だったと認めながら、その子孫である沖縄の人たちは先住民族ではないと説得することのほうが、不可能なぐらい困難なのだ。 そのような国際世論が広がったとき、筆者は一つの懸念がぬぐえない。「アイヌを先住民族として認めながら、琉球王国という独立した国家と文化と歴史を持つ琉球の人々を先住民族として認めないのはおかしい!差別だ!」 このようにアイヌ新法をてことして、琉球独立運動家やその支持団体が琉球独立運動に利用した場合、日本政府はどのように反論するのだろうか。■ 沖縄で騒がれ出した「独立論」の正体■ 沖縄「反基地ヒーロー」に担がれたウーマン村本が気の毒である■ 石平が警告、玉城デニー「中国一帯一路に沖縄活用」提案の危険度

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    真のアイヌを知らないニッポン、私が反新法を訴えるこれだけの理由

    人としての生活に事欠く状況なのでしょうか? いえ、そんなこともありません。いろりを囲み、アイヌ民族の歴史や文化を伝承するポロトコタンの夜 昭和43年の内閣委員会の席上、それまで適用されていた「北海道旧土人保護法」に対する答弁として以下のように語られています。 「この支給規定は昭和11年ごろまでに適用したのであって、その後はもう現実に死文化されておると私は聞いておるのです。それ(北海道旧土人保護法)に代わって生活保護法の制度による教育扶助、住宅扶助、あるいは不良環境の改善というようなところへ目標を変えておられるわけです」 つまり、たとえ個人としてあるいは世帯として貧しい方がおられたとしても、等しく日本国民として「生活保護の適用対象」であり、北海道旧土人保護法は既に死文化しているという説明の通り、独自の保護・保障は必要ないという見解が、すでに50年前に示されています。客観的資料のないアイヌ ところで、こうした「独自の保護・保障」を行政として日本人の一部に対してのみ供与することは、憲法14条に定められた「法の下の平等」に反していないでしょうか。条文にも「社会的身分又は門地により(中略)差別されない」と記載されている通り、門地(出自・血統)での特別扱いは憲法の条文に違反するという指摘もあります。 ただ、これについては、実際は「合理的な理由が有れば必要に応じて支援を行うことは憲法違反ではない」という判断があるようです。 例えば、原爆訴訟などをご存じの方は分かると思いますが、目に見えない被爆の影響が「ある」と「法的に認められた」場合は、「原爆被爆者」として公費での医療助成などが受けられます。ただし、その認定は非常に厳密かつ客観的に判断されるため、依然として認定を求める訴訟が続くのは、それだけ「客観的な資料」と「法的基準」の狭間で「いかに合理的か」を判断すべく行われる論争があるわけです。 さて、ここで「アイヌ」について考えてみると、前述の「独自の保護・保障は必要ない」という見解が示された以降も、自治体として住宅購入支援から免許取得支援、修学助成金、就労支援など、数多くの支援が行われており、それらは北海道の平均よりも高い世帯所得があってさえも「アイヌ支援」としての受給資格が認められています。 では、それだけの福祉施策が受けられるのなら、どれだけ厳しい公的な認定基準があるのでしょうか。認定を求めて訴訟も辞さない覚悟が必要でしょうか。いえ、認定を求める訴訟など必要ありません。 「アイヌ協会」が、希望者に対して独自の認定基準で判断して「アイヌ」として認め、さらには「アイヌ協会」が推薦状を出すことで、北海道や札幌市からの支援が受けられるのです。また、アイヌ協会の認定ルール上は「戸籍等の客観的な資料」および「家系図などの系譜を示すもの」で「判断する(アイヌ協会が)」とありますが、実際には、既に閲覧禁止となっている壬申戸籍の時代ならばともかく、今現在の戸籍制度上はかつての身分を確認することはできません。参院本会議で「アイヌ民族支援法」が可決、成立し、傍聴席で喜ぶアイヌの人たち=2019年4月、国会 これは「壬申戸籍オークション騒動」の際に、法務省から「身分などが分かる」ことを理由に改めて報道発表された通り、実際には「身分が分かる戸籍」を公的に入手することは不可能です。 つまりは、公的な資料はなくても、アイヌ協会が認定すればアイヌであり、アイヌ協会が推薦状を出せば助成の受給資格を満たせる、という図式です。 そしてまた、今年2月の予算委員会で丸山穂高衆院議員が指摘した通り、「アイヌ支援」の前提となっている「アイヌ生活実態調査」も、これもアイヌ協会が「協力」して行うものです。 つまりは公的な「アイヌ基準」がないから行政としては「どこの誰の世帯を調査すべきか」をアイヌ協会に依頼するよりほかなく、結局はアイヌ協会による「機縁法」つまりは「有為抽出法」ですから、これを「実態調査」と称するのは統計的に正しくないでしょう。「特別な支援は不要」 ましてや実施団体が利害関係のある「身内組織」ですから、なおさらバイアスが加わる可能性を否定できません。結果、アイヌ協会が認定したアイヌの「生活が苦しい」「進学率が低い」といった「生活実態」に基づいて、まだまだ助成が足りていない、という主張に繋がっています。 こうした状況の中、とうの昔に国会では「今後は特別な支援は不要である」と説明されたはずのものが、自治体レベルでは支援が継続して行われているという、どこかで見覚えのある構図が存在しているわけです。 さて、やっとここで本題の「アイヌ新法」です。正式名称は「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」。国会に政府提出され、可決された法案であり、その問題点に気が付いておられる方々は決して多くはありません。 まず、正式名称に掲げられている「アイヌの人々」。これ、どういう意味でしょうか。むろん、一般的にイメージされる「アイヌ」の方々を指していることは分かりますが、では「法律」として考えたときに、かつての「北海道旧土人保護法」はすでになく、現状、自治体レベルで「支援を希望する者」への受給要件に「アイヌ協会の推薦状」が必要とされているだけで、法的には「アイヌの人」を区分する法律・法制度はありません。 さらに、第1条には「この法律は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々の…」とあります。先の通り「アイヌの人々」が定義できないうえに、今度は「先住民族」です。 日本列島は、沖縄から北海道まで、当時の縄文人が北から南まで交流していました。その後、ロシア北東部から北海道東部に渡ってきたと考えられるオホーツク文化人や、さらに続いていくつかの部族ごとに渡ってきた方々との混交の末にアイヌ文化が成立したとされています。アイヌ民族の集落で代表者らと意見交換する菅義偉官房長官(左側の前列左から3人目)=2018年8月、北海道釧路市(田村龍彦撮影) つまり、先住性でいえば、元から日本中に住んでいた縄文の血統こそが先住民であり、大陸北東部から渡ってきた方々との混交で生じたアイヌは、むしろ「後発」なのです。 これは縄文期の遺跡から発掘された人骨や、その後の時代のアイヌの方々の遺跡の人骨、それから遺骨、さらに大陸北東部の諸部族の方々のDNAを比較分析することで判明した科学的な事実であり、北海道には最初からアイヌが住んでいたという主張は幻想に過ぎません。 また「先住民族」というワードは、特に国際社会においては「先住民族の権利に関する国際連合宣言」とセットで用いられるため、非常に危険です。 これはつまり、オーストラリアのアボリジニやニュージーランドのマオリ、北米のネイティブアメリカンや南米のインカなど、それまで白人(異民族)文明とは無縁に過ごしていた「先住民族」を、大航海の末にたどり着いた白人が蹂躙(じゅうりん)し、土地や財物を略奪し、虐殺したうえに勝手に住みついて、その揚げ句に、今度は「保護が必要だ」として「彼らは元から住んでいた『先住民族』だ。その権利を守り、彼らの文化を維持するための義務(略奪者の責任)を負う」ための宣言です。不十分な議論 こうした観点から見れば、日本におけるアイヌの存在は、その当初から交流・混交による成立であり、またその後も常に交易を行っていた(それも日本だけではなく、ロシアや中国とも交易していた記録があります)のですから、無縁の異民族による突然の侵略といった歴史もありません。 そして「アイヌは先住民族」を法律上に明記することは、世界の先住民族の虐げられ、滅ぼされた歴史と同じことを、日本がアイヌに対して行ったものと解釈される危惧があります。 しかも、国会で行われた予算委員会における安倍晋三総理の発言がこれです。 「アイヌであることの確認に当たり、北海道アイヌ協会理事長等の推薦書の提出を求めているところでありまして、同協会においては、戸籍等の客観的な資料をもとにしながらアイヌであることを確認した上で推薦書を作成しているものと承知をしております」 安倍総理に、アイヌであることは「アイヌ協会が確認」し、かつ、法的には旧身分が分かるはずもない「戸籍」を資料にしている、と語らせてしまいました。 「戸籍等」とあるから戸籍だけで判断しているわけじゃない、というのは詭弁(きべん)でしょう。合理的な客観資料が存在するのならば、それを筆頭に挙げれば良いだけであって、それを語らずに「戸籍等」と記載する必要があるとは言えません。 むろん、失われつつある文化の保護や継承は大切ですし、日本の郷土文化の一つとして尊重し、伝統を未来に繋げていく必要性は誰も否定できない「文化事業」でしょう。大阪府吹田市の国立民族学博物館で展示されたアイヌの家=2002年12月(朝田康嗣撮影) けれども、このような状況の中、誰がアイヌかも、どのようなアイヌ差別が今なおあるのかも、そうした認定や統計調査をアイヌ協会が担ったままで策定された政策を基に、新たな法律を制定して良いものでしょうか。 批准済みの「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の再検討も含め、国会においてはアイヌ新法への議論を充分に尽くしたうえで、国策としてどのように判断すべきであるかを是非とも検討していただきたいと願います。※「土人」は、現代では不適切な表現ですが、かつて存在した法律名として記載しています。■アイヌ民族の「権利確立」を 鈴木宗男の10年■沖縄の基地集中は「人種差別」危険な国連勧告の裏側を読む■沖縄知事選は反差別の理不尽と戦う「日本解体闘争」である

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    北方領土は返さない! ロシア「反日アイヌ民族」の正体

    リル諸島の返還を要求していることに全面的に反対しています。実は、アイヌ民族と日本人との間には悲劇的な歴史があるのです。ずっと昔のことですが、日本人はクリル諸島に住んでいたアイヌ民族を殺害しました。アイヌ民族の釣り道具や漁船を奪い取り、日本人の許可なくして漁業にでることを禁止しました。いわば日本人によるジェノサイドがあったのです。このためにアイヌ民族の歴史は損なわれ、日本と一緒に行動することが嫌になりました」  ナカムラ氏の語意は、日本批判をにじませている。ロシアのアイヌ民族は日本人に財産を略奪され、民族差別を受けたと訴えている。自分たちが先住民族なので、北方領土の返還を求める日本政府に真っ向から反対している。 歴史をさかのぼると、江戸時代の松前藩は歯舞諸島から色丹島、国後島、択捉島まで本格的に進出し、先住民族のアイヌ民族と接触した。ただナカムラ氏が声を荒げるほどに、日本人によるアイヌ民族への迫害があったのかどうか、真偽のほどは不明な点が多いが、当初、北方領土に約2000人のアイヌ民族が住んでいた。 いずれにしてもアイヌ民族は、北方領土をめぐる激動の歴史に翻弄された。1855年の日露和親条約で、択捉島と得撫島(ウルップ島)の間に初めて国境線が引かれた。この結果、北方領土のアイヌ民族は日本、得撫島以北のアイヌ民族はロシアの支配権に入った。アイヌ民族博物館では民族伝承の踊りを披露する=2017年3月7日(川端信廣撮影) 1875年の樺太・千島交換条約では、千島列島の全域が日本に編入された。得撫島以北のアイヌ民族も日本の支配下に移り、かれらの多くは色丹島に強制移住させられた。ナカムラ氏のインタビューでは、この強制移住を「日本人によるジェノサイドだ」と非難している。ただ、樺太がロシア領土に編入された際に、樺太に住む多くのアイヌ民族が北海道に移住した。 1905年のポーツマス条約で千島列島に加えて樺太の南部が日本領土になり、北海道に渡ったアイヌ民族の一部は故郷の樺太に帰還できた。でも、第2次世界大戦で侵略してきたソ連軍から逃れるために、ほとんどのアイヌ民族が日本人といっしょに北方領土と樺太から北海道に避難した。このようにアイヌ民族は日露の攻防のなかで居住地の変更を余儀なくされたが、彼らの日本への帰属性は強いのは間違いない。プーチンの算段 他方で、第2次世界大戦の直後に少数のアイヌ民族は侵攻してきたソ連側につき、カムチャツカ半島に移り住んだ。だが、戦後のソ連社会で不遇の時代を迎えることになった。彼らは「ソ連人」に統合され、1953年にはソ連の刊行物からアイヌの民族名が消されてしまった。日本に移住した多くのアイヌ民族はソ連を裏切ったと見なされることが多く、ソ連国内にとどまったアイヌ民族はほかの少数民族と結婚するケースが相次いだ。アイヌ民族を名乗る人は減少し、すでに紹介したように109人ほどにすぎない。 ロシアの市民団体「アイヌ」は北方領土返還を求める日本政府への不信感を強めており、日本国内のアイヌ団体との交流はないようだ。  私が強調したいのは、アイヌ民族をロシアの先住少数民族に加えるプーチン政権の動きは日本政府との北方領土交渉のなかで浮上してきた点にある。ロシア政府の狙いは、領土交渉をより複雑化することにあるのは確かだ。 ロシア政府は、北方領土に進出した日本人がロシアのアイヌ民族を虐待したと言い立て、ロシア世論を領土返還反対の方向により強硬に誘導したいのだろう。外交的には日本政府が唱える「わが国固有の領土」の見解に対抗するために、ロシアのアイヌ民族を北方領土の先住民族に仕立てようとするもくろみも感じられる。 だが本来、北方領土は国家主権にかかわる問題であり、日本外務省の指摘するように「今日に至るまでソ連、ロシアによる法的根拠のない占拠が続いている」といえる。領土主権の問題は、プーチン政権が提起する「北方領土の先住民族」のテーマとは根本的に次元が異なる。日本政府は、「北方領土の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という従来の方針(2001年、森喜朗首相とプーチン大統領が合意したイルクーツク声明)を変更する必要はない。ウラジーミル・プーチン露大統領=2018年10月24日、露モスクワ(タス=共同) 先住民族と国家主権の問題を絡めて議論すれば、世界各地で主権の獲得にむけて民族紛争が噴出し、収拾のつかない、まさに「パンドラの箱」を開けることになる。 日本政府はアイヌ民族を先住民族と明記する「アイヌ法案」を成立させた。これにより「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現」を目指すことになる。これを契機にアイヌ民族に対する日本世論の関心が高まるだろう。これをテコに、アイヌ民族と元島民が共同して「日本の国家主権」を回復させる北方領土返還運動をより促進すべきである。■首相は正気か、北方四島「固有の領土」となぜ言えないのか■北方領土はトランプ・プーチン・習近平「裏サークル」の出方次第■「プーチンは一島も返さない」最悪シナリオは中国への北方領土売却だ

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    DNA分析で縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明

     われわれの祖先はどのように日本に渡り、どのように変貌したのか。最先端のDNA分析により得られた新事実を、ヒトゲノムによって日本人の起源を探る研究の第一人者、国立遺伝学研究所の斎藤成也教授が明かす。* * * DNA分析という手法の開発により、分子生物学によって日本人のルーツを探る研究は劇的に進歩した。 DNAは「たんぱく質の設計図」とされる物質で、親から子に遺伝情報を継承する。 人体を構成する約60兆個の細胞は、すべて最初の1個の受精卵が起源であり、細胞増殖によって体が作られる。この増殖でDNAが複製されるとき、稀にDNAが部分的な突然変異を起こすことがある。変異が精子や卵子などの生殖細胞で起きると、部分的に変異したDNAはそのまま子や孫へと引き継がれていく。 アフリカで誕生した人類は7万年前から世界に拡散していったが、特定の集団のなかで誰かの生殖細胞に変異が起き、集団内でそれが広まり蓄積することがあった。また、別の集団との交流により、混血で変異が共有されることもあった。 つまり、現代人と遺跡から出土する人骨のDNAを分析し変異の痕跡を比較すれば、どこで変異が発生し、どう受け継がれてきたかが分かり、人類がアフリカからどのようなルートを辿って拡散したかが見えてくるのだ。 では、日本人はどこからやってきたのか。若干の想像を交えて、最新のDNA分析の結果から推定されるルートを提示してみよう。 およそ7万年前に我々の祖先がアフリカを出たことはすでに判明している。数度に亘る「出アフリカ」の何回目かにアフリカを出た人々がアラビア半島を渡り、ユーラシア大陸の南側に進出。5万年ほど前に台湾や琉球諸島を経て、日本列島の地を踏んだと考えられる。これがいわゆる「縄文人」だ。1万年前までは最終氷河期で、海面は今より70m低かった。氷河にも覆われていたので、台湾、琉球からの渡来はそう難しくはなかっただろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 一方、7万年前にアフリカを出て東アジアに渡った人々は、小麦農耕の技術を身に付け、今でいう中国の中原と呼ばれる地域で人口を爆発的に増やした。そこからあふれ出た人々が稲作の技術を携えて移動し、およそ3000年前に朝鮮半島を経て、北九州に渡った。それが「渡来系弥生人」と考えられる。 実はこの説は、DNA分析が行なわれる前からあったが、従来は、農耕民の弥生人により狩猟採集民の縄文人が駆逐され、北海道に追いやられたのが「アイヌ人」、南に追いやられたのが「沖縄人」と考えられていた。しかし、現代日本人のDNA分析によって縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明し、両者の間で交流があったことが認められた。関連記事■終の棲家探し どこで生きるかより、どう生きるかが重要■ボーっと運転しているクルマが渋滞を拡大させている根拠■認知症の予防には10~15才の記憶を意識的に思い出すと良い■セウォル号事故「空白の7時間」を現地取材 口をつぐむ人々■中国がAI活用のテロ対策 6兆8000億円投入の狙い

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    ハイヒールの終わりが来たのか

    フェティシズム産業によると、ハイヒールは常にセックスのための靴とみなされてきた」 ハイヒールと権力の歴史的関係は、時代と場所によって異なる。実をいえばヒールはそもそも、男性性を強調するためのものだった。16世紀後半にアジアから欧州に伝来した当初、最初に取り入れたのは男性だった。乗馬の際にあぶみのなかで足を安定させるのに便利だったからだ。ヨーロッパ人の頭の中で高いかかとは、ペルシャ軍の勇壮な武力と結びついて認識されたため、男たちがこぞってかかとの高い靴を履くようになった。女性や子供が履くようになったのは、それより後のことだ。1643年から1715年にかけてフランス国王だったルイ14世が、初期のヒール・インフルエンサーの1人だった。派手に装飾されたきらびやかな靴は、肉体運動にはまったく不向きで、それゆえに国王の強力な権威を強調する役割も果たした。 現代では今なお、女性がオフィスでハイヒールをはかなくてはならない業界もある。2016年にはロンドンの会計事務所で受付として働いていたニコラ・ソープが、ハイヒールを拒否したため帰宅を命じられた。これは会社にとって大きなスキャンダルとなり、職場でのハイヒール強制を禁止する法律の立法を求める請願に15万人以上が署名した。その結果、英議会は性差別的なドレスコードを調査することになったが、今のところは法律に変化はない。 ハイヒールは今も、レッドカーペットを歩く女性にとっての標準的なドレスコードだ。しかし、フランスのカンヌ映画祭は2015年、これが理由で批判にさらされた。ヒール着用のルールを無視してスパンコールのついたフラットシューズを履いた女性たちが、レッドカーペットから上映会場に入るのを制止されたと明らかになったためだ。これまでに、エミリー・ブラントやベニシオ・デル・トロといった俳優たちが、映画祭の強圧的な服装規定を表立って批判している。2018年にはクリステン・スチュワートがレッドカーペットをあえてはだしで歩き、映画祭のルールを笑い飛ばした。 しかし、ファッションはそもそも気まぐれなものだ。トレンドがいざメインストリームになって一般化してしまえば、何がおしゃれかという振り子は正反対に振れる。今の時点でこれだけスニーカーがはやっているからには、ヒールの復権はもうすぐそこまで来ているに違いない。 実際のところ、最近の各地のファッションウィークでは、デザイナーたちはスニーカー人気から距離を置き始めているように思えた。バレンシアガのクリエイティブ・ディレクターで、高級おじさんスニーカーの流行のさきがけとなったデムナ・ヴァザリアは最新の秋冬コレクションに、スニーカーを使わなかった。 たとえ、高級スニーカーのトレンドはやがて廃れるとしても、職場などきちんとした服装が求められるTPOでスニーカーが受け入れられる状況は、長期にわたり続く女性のライフスタイルの変化の表れだ。調査会社NPDグループでファッション・ブランドの履物やアクセサリーのトレンドを担当するベス・ゴールドスタインはこう言う。 「一過性のものではないと思う。もうかなり長いこと続いているので。忙しい毎日を送る消費者は、『楽かどうか』を重視している。そして、ファッションとしてのアスレチック・ウェアは進化し続けている。成長基調はもちろん緩やかなものになるが、スニーカーは今後も市場を動かし続ける」 調査会社ミンテルの2018年調査によると、米市場で「履いていて楽か」を基準に靴を選ぶ可能性が最も高い(37%)年齢層は、18~34歳だった。 高級ブランドサイト「マッチズ・ファッション」の買い付け担当、ナタリー・キンガムは、「誰か他人のために靴を選ぶのではなく、履いていて楽で機能的でデザインが面白いかが、靴選びでは大事だ。間違いなく。色々なフラットシューズが登場して、次々と人気を得ている。装飾性の高いがっしりしたブーツから、スポーティーなサンダルまで」と話す。 キンガムによると、ハイヒールを選ぶ人の間でも、低めで楽な靴が好まれるようになっている。 「面白いことに、売れるハイヒールのほとんどは9センチ以下だ。ワンドラーのような新しい靴ブランドや、ボッテガ・ヴェネタのようにデザイナーが交代してデザインの方向性が新しくなったブランドは、9センチより高いヒールをコレクションに加えていない」 キンガムが好む新しい靴メーカーは、ローヒールが得意な「Gray Matter」。「球形のかかとなど、造形のディテールがまるでインテリア・オブジェ」とも言われるデザインが揃っている。 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のサヴィ学芸員は、私たちがまったくハイヒールを履かなくなることはないだろうが、関係性が進化していると考えている。「何百年も前から世界各地の様々な文化で、人の身長というものには一定の役割があった。それはすぐには消えないと思う。長身かどうかは今後も意味をもち、その文脈の中でピンヒールはこれまでとは違った形に変化するかもしれない」。 近年では男性用のハイヒールが、ファッションショーのキャットウォークや映画プレミアのレッドカーペットを闊歩(かっぽ)し始めている。社会とヒールとの関係が、またしても変化しつつあるかもしれないのだ。グッチやカルバン・クライン、サンローラン、バレンシアガといったブランドは、男性用コレクションにハイヒールのブーツや靴を取り入れ、ラメや大胆なプリントで飾っている。 2018年にはイタリア高級ブランドのデザイナー、フランチェスコ・ルッソが日本で言う23センチから27.5センチのサイズで、ユニセックスのピンヒール靴をラインで提供し始めた。ルッソはヴォーグ誌に、「何か議論したいわけでもなければ、政治的な発言でもない」と説明。「ただ単に、社会が進んでいく方向を反映しただけだ。自分たちには、世界に反応した商品を作る義務があると思う」と述べた。男性用ピンヒールは限定版として発売されたが、あまりに人気が集まり、定番コレクションに加えられた。 高いかかとの伝統的なシンボリズムをひっくり返しているブランドとしては、ほかに米ブルックリンを拠点とする「Syro」がある。この会社はハイヒールやブーツを男性サイズでも作り、男性、トランスジェンダー、ノンバイナリー(性別の男女二元論に限定されない人)の顧客に販売している。 Syroの靴はおしゃれで、流動的なファッションセンスを推奨している。「可視化を通じて多様性」を推進し、「コミュニティーを通じた力の獲得」を実現することが、ブランドの方針だと宣言している。 要するに、そういうことなのかもしれない。ハイヒールを禁止するのではなく、どの性だからどうと社会が押し付ける期待や社会規範から、ハイヒールを解放するべきなのだ。そうなればハイヒールは、単なる靴、それだけのものになる。 ハイヒールを履くかどうかは究極的に、個人の選択であるべきだ。高いかかとの靴を父権的な、あるいは身体的な抑圧と感じる人がいる一方で、力強い自己解放の手段だと感じる人もいるのだから。 (英語記事 Is it the end for high heels?)

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    元メンバーの「悪行」が分けたKAT-TUNとSMAPの明暗

    メント手法だった。 こうした輝かしい実績とは裏腹に、元メンバーが2人も薬物事件で逮捕されるといった黒歴史を刻んできたのもKAT-TUNなのだ。ただ、これだけ負のイメージがつきまといながらも、グループが存続している理由は、繰り返しになるが、ジャニーズのアイドルグループの中でも稀有な実力を持ち、根強い人気を誇っているからだ。逮捕された元KAT-TUNメンバーの田口淳之介容疑者=2019年5月、東京都千代田区(納冨康撮影) では、なぜKAT-TUNは稀有な実力を持ち合わせていると言えるのか。その一方で、KAT-TUNならではの黒歴史はどのように刻まれてきたのか。脱退したメンバーも含めて軌跡を追ってみよう。 そもそも、現メンバーである亀梨は、ジャニーズ所属タレントの人気投票で2連覇している。端正な顔立ちやスタイルはもちろん、ステージパフォーマンスの技術、さらに出演番組での扱いなどから、幅広い年齢層に圧倒的な支持を受けている。スポーツ(特に野球)番組での丁寧でストイックさもさながら、脱退騒動が相次ぐKAT-TUNを最後まで守ろうとする姿勢も人気を支える要因と言えるだろう。 一方、現メンバーながら、KAT-TUNの活動以外の舞台でも高い評価を得ているのが上田だ。他のメンバーがいろんな意味で「濃い」だけに、一般的には印象が薄いキャラだが、作詞や作曲も手がけるアーティストで、ソロコンサートで5万人を動員する実力派でもある。ビジュアル系のようなスタイルが「やや難」だが、現メンバーの中丸と並ぶ年長者で、意外にもシッカリ者として知られ、KAT-TUNを引っ張ってきた。異質なメンバー そして最年長の中丸だが、彼は安定的に露出が最も多い。コンスタントに出演しているドラマのほか、情報番組のレギュラーまで自らのポジションをそつなくこなし、イラストデザインの才能もある。 また、アイドルとして活動しながら5年もかけて早稲田大の通信教育課程を卒業した努力家で、人間性も高くメンバーのまとめ役でもあった。それだけに、メンバーの相次ぐ脱退に最も苦しんでいたようだ。 次は脱退したメンバーだ。 「世界で最もハンサムな顔100人」や「最も影響力あるアーティスト賞」などを手中に収め、世界を舞台として活躍しているのが赤西だ。メンバー時代は、亀梨とのツートップでKAT-TUNのデビュー前からの爆発的な人気の立役者だったことはまちがいない。 だが、デビューの年から突然渡米し、活動を休止するなど「異端児」ぶりを発揮する。結果的に最初に脱退したのが赤西で、立役者である反面KAT-TUNメンバーの「脱退ドミノ」のきっかけを作ったのも事実だ。 異端児と言えば、田中もそうだろう。度重なる事務所のルール違反を理由にジャニーズを追われる形で脱退したが、このような理由で契約解除されたのは、後にも先にも田中だけ。太り過ぎてポジションを奪われた「忍者」の古川栄司という面白い過去もあるが、田中のケースは異例中の異例だった。大麻の所持量が微量だったため、結果的に不起訴処分となったとみられるが、ジャニーズが先に契約解除していたのは、まさに「先見性」と言えるだろう。 そして、田中と同い年で、今回逮捕された田口だ。KAT-TUNを脱退する際は「何のビジョンもなく白紙」として確たる理由もなく去っていったが、10年以上の交際を続けてきた元女優の小嶺麗奈(大麻取締法違反罪で起訴)との関係が原因とも言われていた。逮捕された元女優の小嶺麗奈容疑者=2019年5月、東京都千代田区(納冨康撮影) 一部報道でもあるように、田口の大麻使用は「10年前から」とされており、真相は今後の捜査などで明らかになると思うが、小嶺とのつながりが転落の始まりと言ってもいい。ジャニーズからすれば、胸をなでおろしていることだろうが、昨年末にレコード会社も契約解除されていることから見ればその「危険性」は高まっていたとみるべきだ。 このように見てくると、KAT-TUNがいかに異質なメンバーで構成されたグループであることが改めて実感できただろう。 ただ、KAT-TUNについては、逮捕者まで出る不祥事とはいえ、いずれも脱退後の話だ。よくよく考えてみれば、「国民的アイドル」として伝説と化したSMAPは、2001年に稲垣吾郎が道交法違反容疑などで逮捕され、草彅剛も09年に公然わいせつ容疑で逮捕されている。 逮捕容疑に違いがある以上、単純比較はできないとしても、KAT-TUNとSMAPの「罪深さ」にさほど差があるとは思えない。一方で、メンバー個々人の実力もこの二つのグループに大きな差はなく、相次ぐ脱退やその後の事件などがなければ、KAT-TUNもSMAP同様に国民的アイドルの地位を得ることができたかもしれない。 SMAPの解散、そして嵐の活動休止のように、ジャニーズの大御所グループが一線を引く風潮の中、元メンバーの所業とはいえ、負のイメージがぬぐい切れないKAT-TUNにどのような「終末」が待っているのだろうか。■文春砲「関ジャニ錦戸脱退」にジャニーズが沈黙を続ける理由■あえて振り返る俳優「ピエール瀧」とは何だったのか■AKBに「トドメ」を刺すのは韓国かもしれない

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    香港で天安門事件の追悼集会 「忘れることを拒む」

    さんのような人もいる。 ゼンさんの娘は、目を開かされるような思いだと言う。「私はここで、中国の本当の歴史を学んでいます。もう、中国が他の国より優れているようには思えません」 (英語記事 Tens of thousands hold Tiananmen Square vigil)

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    【解説】 権力のバロメーター トランプ氏の英公式訪問

    に」 ファラージ氏を支持 第2次世界大戦の行方に決定的な影響を与えたノルマンディー上陸作戦など、歴史的に重要な日々から今に至るまでの時間の経過を、私たちはこれからしばらく振り替えることになる。 連合軍の勇気や犠牲を称える行事が相次ぎ、米英両国にとって不可欠な二国間の関係を今後も重視し維持していこうという約束が、両国から繰り返されるだろう。 しかし、イギリスとアメリカの関係がどれだけうまくいくかには、政治の顔ぶれが常に大きく影響する。 テリーザ・メイ英首相とトランプ大統領が揃って登場するときの様子は決まって、少なくとも表向きは、きわめてぎこちないものだった。大統領は毎回イギリスに到着する前に、メイ政権について忌憚(きたん)のない意見を決まって公言していた。訪英直前に必ず英政府について言いたい放題して、派手に物議を醸し、明らかにそれを楽しんでいた。トランプ氏のそういう振る舞いも、ぎこちなさの理由だった。 加えて、2人はあまりに対照的だ。トランプ氏は、政治のルールを破るのが大好きに見える大金持ちで、アメリカのエスタブリッシュメントの意表を突くことで大統領執務室に飛び込んだ。 対するメイ氏は、慎重な政治家だ。愛する政党の仕組みの中で少しずつじわじわと地位を固め、守りたいと思っていた党のトップまで上り詰めた。 トランプ氏はメディアを嘲笑し、自分と意見の異なる相手を挑発するのが大好きだ。対するメイ氏は、できることならメディアや他人と関わりたくない、そっとしておいてもらいたい、公文書の入った閣僚専用の赤い箱さえあれば満足だという印象を与える。 2人の対比は、今回の訪問においていっそう際立っている。メイ首相は間もなく職を離れるが、トランプ大統領は再選を目指しているので。 両首脳はもちろん、4日に多少は話し合いもするだろう。首相官邸はホワイトハウスに対し、気候変動の問題をもっと真剣に受け止めるよう説得しようとする見通しだし、イラン政策ももっと慎重に検討するよう促す予定だ。 その一方でアメリカは、中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)がイギリスのインフラ構築に関わっていることを問題視し、そう指摘するだろう。そしてもちろん、ブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)意向の貿易関係について、すでにそろそろと始まっている二国間協議も続くはずだ。 しかし、何か劇的な共同声明が4日に発表されるとは、期待しないほうがいい。政治的な展開が権力のバロメーターなのだとしたら、メイ首相の権力は衰えつつある。それが真実だ。そしてトランプ米大統領は、誰が後任になるのか、少なくとも多少は気にしているはずだ。 (英語記事  Trump visit: A barometer of political power)

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    川崎20人殺傷「一人で死ねば」の前に迫られる社会の決意

    38年の津山事件も、近隣の村人約30人を殺傷した後に容疑者は自殺している。 無理心中を見ても、日本の歴史上枚挙にいとまがない。現代の事例を見れば、先述の宇都宮連続爆発事件や、2015年の列車内で焼身自殺を図り女性客を巻き込んだ東海道新幹線放火事件は、容疑者の残した記録や犯行の状況から考えても、殺人自殺型(homicide suicide)の拡大自殺と呼ぶことができるだろう。 今回の川崎殺傷事件が、最初から容疑者が自殺する目的を持っていたかどうかは不明であり、今後も判明することはないかもしれない。確かに、自殺が目的で、その自殺に他人も巻き込んで大量殺傷を行ったのであれば、今回の事件は明確に拡大自殺と呼ぶことができる。 しかし、当初は大量殺傷だけが目的で、それを実行した後に、状況によって感情的かつ発作的に自殺したのであれば、それは拡大自殺には当てはまらないともいえる。容疑者が事前に記した自殺をほのめかすような遺書などが見つからない限り、そのいずれかは推測の域を出ず、判明しないであろう。爆発物で自殺した元自衛官の焼死体が発見された木製ベンチ周辺を捜索する警察官=2016年10月、栃木県宇都宮市の宇都宮城址公園 今回の殺傷事件において、被害に遭った児童たちの通う私立カリタス小学校による防犯体制は、記者会見や報道などから分析しても、一般的な小学校の防犯体制よりも十分に手厚いレベルであったことがうかがえる。それでも今回の事件を防ぐことはできなかったわけである。 小学校の防犯体制が強化されるきっかけとなったのは、2001年に発生した「付属池田小事件」である。大阪教育大付属池田小学校に包丁を持って侵入した男が教室や廊下で児童を襲い、8人の児童が死亡、児童13人と教員2人が負傷した。困難な「リスクゼロ」 池田小の事件以降、小学校や中学校では、正門など出入り口の一元化や警備員の配置、監視カメラの設置、教員の防犯指導強化や刺又(さすまた)の導入など、防犯体制が強化されてきた。外部者による学校への自由な侵入はより困難になったのである。 それでも、今年4月には秋篠宮家ご夫妻の長男、悠仁さまの通うお茶の水女子大付属中に侵入し、悠仁さまの机の上に刃物が置かれた事件が起きた。このときは、監視カメラなどにより、容疑者が素早く特定され、逮捕されている。 確かに、児童や生徒の学校内での安全対策は強化されてきた。だが、学校を一歩でも出ると、道路や駅、電車内、店舗など街中のいたるところに犯罪や事故のリスクは潜んでいる。 これらのリスクをゼロにすることは極めて困難である。特に、自分が逮捕されることも、死ぬこともいとわない自暴自棄犯であれば、どのような状況であっても、包丁やバットなどの凶器や車などを使って、子供たちを襲うことは容易である。 では、このような状況において、こうした自暴自棄犯による大量殺傷事件に対する予防策はありうるだろうか。 今回の川崎殺傷事件のような事例は、発生段階またはその直前で事件の被害を防ぐことは極めて困難である。こうした包丁などの凶器を持って襲ってくる自暴自棄犯を止めることができる防具や武器を持った警備員や警官を街中に配置することは、現実的ではない。容疑者の自宅から段ボール箱などを運び出す神奈川県警の捜査員=2019年5月29日、川崎市麻生区 危機管理において求められるのは、事件発生時や発生後に行うクライシス・マネジメント(crisis management)だけではない。事件が発生していない平常時に行うリスク・マネジメント(risk management)によって、こうした自暴自棄犯を出さない、事件を起こさない予防、防止策が必要なのである。 その予防や防止のための主流アプローチが二つある。地域社会などのコミュニティーにおける「社会福祉的アプローチ」と、インターネットや会員制交流サイト(SNS)、監視カメラなどテクノロジーを用いた「監視的アプローチ」だ。「安心・安全」と「自由・人権」 今回の川崎殺傷事件は、容疑者の自宅を中心として周辺地域の中で発生した、極めて狭い生活空間の中で実行される「コミュニティー密着型」の自暴自棄犯罪であった。容疑者は長い間ひきこもりの状態にあり、世話をしていた伯父夫婦は地域の介護サービスセンターに家庭の状況を相談していた。 こうした問題を抱える家族や個人の状況を、地域社会などのコミュニティーで共有し、地域全体で孤立する個人を救う社会福祉的アプローチによって、個人の自暴自棄化や過激化を防ぐセーフティーネットを構築することが重要である。自暴自棄犯の多くは、地域や社会において取り残される弱者であることが多い。 今回の事件後に、ネットやSNS上で「一人で死ねば」という言説が数多く発生した。そういう意味では、人質テロ事件における自己責任論に近いものであり、こうした自暴自棄犯を発生させる状況や背景の問題の根本的解決を遠ざけるものと言わざるを得ない。 もう一つの監視的アプローチは、既に警察や公安当局などによって推進されている。先述した秋葉原無差別殺傷事件や宇都宮連続爆発事件の容疑者は、犯行前に自分の恨みや怒りをネット上に書き込んでいた。 ネットやSNSの普及により、こうした事件を起こす犯罪者予備軍をネット上で監視する活動が、公安当局でも一般的となった。2018年のハロウィーン直前の東京・渋谷で軽トラックが横転させられた事件で、十数人の若者を摘発したのが、その代表例だろう。 この事件の捜査では、警視庁捜査支援分析センター(SSBC)による渋谷の監視カメラの「リレー方式」画像分析に加え、それと連動して行われたツイッターやインスタグラムなどSNSの投稿を分析するビッグデータ解析が行われた。今後も、犯行の防止・予防や、事後の犯罪捜査において、こうしたネットやSNSの監視活動、監視カメラの分析はより技術的に高度化しながら、社会の監視レベルを上げていくことになるだろう。 こうした地域社会における社会福祉的アプローチや、ネットやカメラによる監視的アプローチは、犯罪やテロに対する「安全」や「安心」を高めるために求められる方向性である。反対に、こうしたアプローチは社会における人間の「自由」や「人権」を損なう恐れのある活動である。ハロウィーンの騒ぎの中で車の上に乗る男性=2018年10月29日未明、渋谷センター街 テロ対策の文脈ではこれまで、「安全」や「安心」のためのテロ対策を高めるほど、「自由」や「人権」は損なわれるという、トレードオフ(相殺関係)が指摘されてきた。それは犯罪対策においても同じである。 自暴自棄犯による大量殺傷の予防や防止のために、社会政策としてどこまですべきか、またどこまで行ってよいのか。今回の川崎殺傷事件のような犯行を起こさせないためには、「安全」「安心」と「自由」「人権」の価値のバランスをとりながら議論し、社会の中で合意形成されることが不可欠なのである。■ 2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ■ 性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ

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    醜態よりも救いがたい丸山穂高に抜けている「基礎知識」

    際には軍事力を投入して奪い取ったと言ってもよい。ロシアにはロシアの言い分があり、旧ソ連時代も含めての歴史的経緯を見ると理解できないわけでもない。しかし、武力によって他国から領土を奪い取るのは、第2次世界大戦後の国際社会のルールに違反している。 丸山議員の言うように「軍事力で北方領土を取り返す」というのは、まさにロシアと同様の行動をするということである。ロシアに言わせれば、「戦争の結果手に入れた領土を戻してもらいたければ、戦争で取り返してごらん」ということになり、対話による交渉など行うに値しないことになる。ツイートするぐらいなら… これは、現に進行している日露交渉を無意味にするものである。つまり、日本政府の立場を弱めることになる。国益という観点からは許しがたい。 第四は参院選が近いからか、日本維新の会をはじめ、各党がポピュリズム(大衆迎合主義)に走りすぎている。非常識な発言を理由に、安易に議員辞職を勧告してはならない。 維新にしてみれば、傷口を早くふさぐために大衆受けのする手段を採ったのであろう。しかも、維新の幹部がロシア大使館に謝罪に行っているが、通常の外交常識だと、こういう行動はありえない。ほとんど自虐趣味で、国内世論向けのパフォーマンスであり、日本人をねじ伏せるのは容易だとロシア側に思わせるだけだ。 そして、自民党も公明党も、何にもせずに有権者の反発を買うことを恐れて、けん責決議案を提出した。これも前代未聞で、全てが選挙対策であり、政策や憲法規範など考慮すらされない選挙至上主義である。 もし、目の前に参院選が控えてなければ、もう少し違った対応ができたであろう。大阪で、公明党が豹変して都構想賛成に回ったのも参院選対策であり、それ以外の何物でもない。いつまで大衆迎合の愚民政治を続けていくのであろうか。 最後に指摘したいのが国会、特に議院運営委員会の対応の甘さである。言うまでもなく、国会は「国権の最高機関」であり、議運委は国会運営で大きな役割を果たす常任委員会の一つだけに、国会として自浄作用を働かせる重要な機会だったはずだ。衆院本会議を欠席し、倒れたままの丸山穂高氏の氏名標=2019年5月21日 ところが、「2カ月の休養が必要」という診断書を提出した丸山議員に、衆院議運委理事会は事情聴取を拒否されてしまった。裁判でも病気などの場合では出張尋問を行えるわけだから、本人が意識不明など重篤な状態ならともかく、議運も病室に出張して聴取する可能性を探れなかったのだろうか。 また、丸山議員にしても、ツイッターで主張するのも結構だが、議員である以上、一番ふさわしい反論の場は、やはり国会である。病状について私が知りようもないが、自身への辞職勧告決議案について「言論府が自らの首を絞める」とツイートするぐらいなら、むしろ、言論府たる国会で「やっと反論できる絶好の機会を得た」とばかりに、議運の聴取に積極的に応じるべきだったのではないか。診断書1枚で逃げおおせるという印象を有権者に与えかねないからである。■ 「超傲慢エリート」元官僚議員はなぜ量産されるのか■ 安倍政権に朗報! こうすれば「モンスター議員」はいなくなる■ 派閥議員スキャンダル連発でも二階氏が「安倍政権の要」たる理由

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    オーストラリア新内閣、先住民問題相に初のアボリジニ

    数が少ない要因は、マイノリティー(人種的少数派)ということだけではないという。 それは、植民地時代の歴史や、政策による組織的な先住民族の公民権剥奪に根づいていると、チャールズ・スタート大学のドミニク・オサリヴァン教授は指摘する。 同国の連邦議会選挙の投票権は、1962年まで先住民族には与えられなかった。 オサリヴァン教授は、「先住民族の人々は長い間、意図的に政治の末端に追いやられていた」と述べた。 今回のワイアット氏の先住民問題相への任命は、歴史的に重要であり、祝福すべきことだと教授は話す。 「一方で、先住民族排除の問題の深さも示している。1901年のオーストラリア連邦の成立以降、(先住民族の閣僚誕生まで)これだけの長い時間がかかり、我々はまるで新奇で珍しいことであるかのように、この瞬間を喜んでいるのだから」 和解を求める声は? 国内の先住民族の反応は、圧倒的に好意的だ。ワイアット氏が先住民族の生活改善を実現できると期待し、同氏のこれまでの先住民の健康や高齢者福祉、教育における実績を挙げている。 先住民族は、平均余命や雇用率、学校教育や刑務所服役など様々な側面で、過度に不平等な扱いを受けている。 オーストラリア先住民族のアボリジニとトレス海峡諸島民の代表機関である「ナショナル・コングレス・オブ・オーストラリアズ・ファースト・ピープルズ」のロッド・リトル氏は、「我々が取り組む問題について、中にはケンが自ら経験してきたものもある。それだけに、これまでの閣僚たちよりもはるかに信頼できる」と期待感を示した。 オーストラリアは、先住民族との間で条約を締結していない唯一の英連邦国家で、この点はしばしば議論されてきた。憲法が先住民族の存在を明記し承認するよう活動してきた人たちは、その意味でもワイアット氏の閣僚就任に期待しているという。 2017年に当時のターンブル首相は、議会に助言ができる先住民族の代表組織の設立を盛り込んだ、「議会への声」(Voice to Parliament)として知られる画期的な提言を、実践的ではないとして却下した。 政府は現在でもこの提言に反対の立場だが、モリソン首相は、自分は憲法改正の実現に向けて努力しているとしている。首相は先日、オーストラリア先住民族の問題を管轄する機関を新設すると表明した。 先住民族と非先住民族との和解を促進する団体「リコンシリエイション・オーストラリア」のキャレン・マンディン代表は、ワイアット氏の起用は「自信を後押しするもの」だと述べた。 「『議会への声』をこの会期中に進め、そしてこのプロセスを国民投票へと導くために、首相が先住民族と連携することが重要だ」 (英語記事 Australia's first Aboriginal cabinet minister)

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    性的表現にも演出と合意形成を 「#MeToo」時代の映画・ドラマ撮影

    マ「ジェントルマン・ジャック」で初めて性的表現の演出家を起用した。 オブライエンさんはこのドラマで、歴史上の女性アン・リスターを演じる主演のスラン・ジョーンズが、性的なシーンを居心地よく撮影できるようサポートした。 動画制作:エミリー・ウォルステンクロフト、クラウディア・レッドモンド、ジェイド・ピアソン

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    【欧州議会選】 中道左右両派が過半数失う リベラル派、ナショナリスト党が台頭

    て、保守党と社会党という伝統的な政党が過半数を割った。欧州議会に新しいバランスが生まれることになる。歴史的な夜になることは明らかだ」と述べている。 出口調査によると、緑の党も50議席から67議席へと議席を増やす見込み。 一方、フランスやイタリアなどでは極右のナショナリスト政党が躍進し、EU懐疑派も勢力を伸ばした。 イタリアの極右与党・同盟を率いるマッテオ・サルヴィーニ副首相は、各国の少なくとも12党をまとめて会派を作るとみられている。 ポピュリスト政党もいくつかの国で票を伸ばしたものの、予想されていたほどの躍進には至らなかった。 主要国の結果は? イギリスでは、ナイジェル・ファラージ氏率いるブレグジット党が開票序盤での得票率を32%としており、第1党となる見通し。自由民主党も票を伸ばした一方、2大政党の保守党と労働党は議席を大きく減らすとみられている。 ドイツでは、中道政党が生き延びた。しかしアンゲラ・メルケル首相のキリスト教民主同盟(CDU、中道右派)は得票率を前回の35%から28%に下げ、中道左派の社会民主党(SPD)も27%から15.5%に落ち込んだ。 極右ポピュリスト政党の「ドイツのための選択肢(AfD)」も予想ほど票を伸ばさず、出口調査では得票率10.5%との結果が出た。ただ、初めて欧州議会選挙に出馬した2014年からは上昇している。 極右政党は各国で明暗が分かれた。 フランスではマリーヌ・ル・ペン氏が率いる国民連合(RN)が得票率24%で、マクロン大統領の共和国前進(22.5%)を破って第1党となった。 また、イタリアではサルヴィーニ氏の極右政党・同盟が30%の得票率を確保している。 ハンガリーでは、反移民を掲げる与党の右派フィデス・ハンガリー市民連盟が52%と大勝し、ハンガリーに割り当てられた21議席中13議席を獲得した。 オルバン・ビクトル首相は「ハンガリーは小さい国だが、欧州を変えたい」と述べ、今回の選挙は「反移民の新しい時代の始まりだ」と語った。 スペインでは与党スペイン社会労働党(PSOE)が得票率32.8%で第1党。極右のVOXは6.2%と5位だったが、3議席を獲得している。 投票率が高かったのは? 今回の欧州議会選の投票率は51%弱と、1979年の初めての議会選以来の数字を記録した。前回2014年の43%から大きく伸びている。 特に高かったのはデンマークで63%。ハンガリーとポーランドでは前回から投票率が2倍に上昇した。 アナリストは、気候変動への意識が高くなったことや、ポピュリスト政党の台頭が高い投票率につながったとみている。 <分析>現状の否定 ――カティヤ・アドラー欧州編集長 今回の欧州議会選挙の結果は、すでに欧州各国の総選挙で明らかになっていた傾向を反映している――現状の否定だ。 フランスで中道右派と左派が敗れ、ドイツではメルケル首相率いるCDUと連立相手のSPDが敗れ、イギリスでは2大政党の保守党と労働党が敗れた。 欧州の有権者は、他のところに答えを求めている。自分達の価値や優先事項を代表してくれていると思えるような政党や政治家のところに流れてしまった。 極右のナショナリスト政党は移民問題を解決し、EUよりも本国の議会に権力を戻そうとしている。イタリアのサルヴィーニ副首相やハンガリーのオルバン首相は良い成功例だ。 緑の党やリベラル派は、親EU派の別の選択肢として台頭した。彼らもまた、今回選挙で議席数を伸ばしている。 (英語記事 Europe's biggest blocs lose grip on power)

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    【欧州議会選】 スコットランド国民党が躍進、反ブレグジット掲げ

    果発表はまだだが、SNPが欧州議会選挙を圧勝したのは明らかだ。6議席中3議席を確保しようとしている。歴史的な勝利だ。スコットランドはまた、ブレグジット(イギリスのEU離脱)を否定した」と述べた。 https://twitter.com/NicolaSturgeon/status/1132791160328675334 SNPの立候補者名簿1位のアリン・スミス氏は、今回の結果でスコットランドがブレグジット党が第1党になろうとしているイギリスとは、「別の国」だということがはっきりしたと述べた。 BBCスコットランドの取材に対しスミス氏は、「スコットランドは欧州派だ。これは明らかだ。我々はEU残留を再び支持した。この結果は無視できない」と語った。 「有権者はさまざまな理由からSNPに投票した。票を貸してくれただけの人から、熱心なSNP支持者まで、あらゆる層の人がSNPを支持してくれた。私たちのEUに残りたいという意思をイギリス政府に証明する結果だ」 一方、1984年から欧州議会議員を務めていたスコットランド労働党のデイヴィッド・マーティン氏は、同党の敗北はブレグジットについて「立場を明確にしていなかったからだ」と語り、「スコットランド労働党は残留派だというメッセージを広めるべきだった」と述べた。 しかしリチャード・レナード党首は、スコットランド労働党はこれまで「イギリスとスコットランド両政府のナショナリズムによる分裂」に反対し、イギリスをひとつにまとめるために戦ってきた唯一の政党だと話している。レナード氏はジェレミー・コービン労働党首の側近。 BBCのスコットランド政治担当、フィリップ・シム・スコットランド記者は、今回の選挙では残留派も離脱派も、立場を鮮明に打ち出して力強いメッセージを発した政党が議席をつかんだと分析している。 (英語記事 SNP to increase its MEPs as Labour collapses)

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    【解説】 テリーザ・メイ氏の物語 ブレグジットに倒れた保守党党首

    ただし、メイ氏はサッチャー氏と異なり、イギリス史にその名を深く刻む指導者の1人とはならないだろう。歴史に名を残すとしても、少なくとも2016年7月に首相に就任したときに、メイ氏自身が望んだとは違う形になるはずだ。 メイ氏は首相として、国内でないがしろにされた地域に手を差し伸べ、社会の「ひどい不正」を正したいと、そう願っていたのかもしれない。しかし、どういう意欲を抱いていたにせよ、メイ氏の首相としての3年弱を語る言葉はたったひとつ、「ブレグジット」だった。 前任者のデイヴィッド・キャメロン前首相が実施を決めた国民投票で、イギリス国民は欧州連合(EU)を離脱すると選択した。その決定の実現にメイ首相は乗り出し、全方位から押し寄せる波状攻撃を受け止め続けた。どれだけ声高に首相を批判する人でも、驚嘆するほどのたくましさだった。 <関連記事> 【解説】 メイ首相、ともかくもいっぱいいっぱいだった メイ英首相、6月7日に辞任 涙声で表明 メイ英首相に非難集中 EU離脱協定の修正案で 閣僚たちの相次ぐ辞任や議員たちの反乱は、普通なら首相退陣につながってもおかしくないことだが、メイ氏は動じなかった。周囲の混乱など気にしていないかのように、「何も変わりない」と議員たちに語り、英国民の「意思」を実行に移すと誓い続けた。議会での権威や、与党・保守党における統率力が失われていく中でも、その姿勢は変わらなかった。 2017年6月の総選挙で勝利していれば、状況は違っていたかもしれない。 だが現実には、メイ氏が望んだような幅広い信任は得られなかった。保守党は下院で過半数を得られず、北アイルランドの民主統一党(DUP)と連立を組まざるを得なかった。 この傷から、メイ氏は回復することができなかった。「メイ氏はブレグジットまでで、その後はもっと国民の人気を得やすい人物が首相になるべきだ」といった感覚が、身内の保守党議員たちにも広がった。 その身内の議員たちは昨年暮れ、メイ氏に対して党首不信任投票を実施。メイ氏は続投する代わり、2022年に予定されていた次の首相選の前に辞任することを約束させられた。 首相は首相で、ブレグジットをめぐる行き詰まりの責任は議員たちにあると批判し、多くの議員を敵に回した。そして遂には、党内の退任要求を受け入れざるを得なくなった。 <関連記事> 振り返るブレグジットの6年間 世間ではブリトニー、アリアナ、ポケモンが…… 英下院、ブレグジット協定を歴史的大差で否決 次の英首相にテリーザ・メイ内相 「より良い英国を作る」 キャメロン首相辞意表明 EU離脱支持の勝利で 【英国民投票】開票開始から離脱確実まで 開票特番の場面から 党内の敵に対し、メイ氏はEU離脱法案に賛成してくれるなら首相を辞任すると宣言し、自らの首を犠牲にする覚悟を示した。 そういうメイ氏を、保守党重鎮のケネス・クラーク元財務相が「どうしようもない面倒な女」と評したことがある。 メイ氏はその形容を、誇らしい勲章として受け止めていた。 プライベートではドライなウイットの持ち主だと言われているが、公の場では、気さくに振る舞おうとしている時でさえ、ぎこちなく不自然な印象を与えた。メイ氏の本心を読み取るのは、側近たちですら難しかったとされる。 メイ氏が保守党員になった1970年代後半には、恵まれた環境で育った男性が党内で頭角をあらわすのが同党の伝統だった。しかしメイ氏は、ひたむきで目立とうとせず、勤勉な態度で政治に臨み、党内の階段を上り詰めた。 今はまだメイ氏といえばブレグジットのような感じもするが、政治家テリーザ・メイの墓碑銘に刻まれるのはブレグジットだけではない。 テリーザ・メイとは 1956年10月1日に英国教会の牧師の娘、テリーザ・ブレイジアとして英南部イーストボーンに生まれ、オックスフォード州で育つ。彼女が25歳のときに交通事故で死亡した父からは、「すべての人を平等に扱うように」と教わったという。 趣味は料理で、100冊以上のレシピ本を持っているという。2014年にはBBCラジオで、無人島に持っていきたい音楽として、アバの「ダンシング・クイーン」やモーツァルト、エルガーの曲を選んだ。ファッション好きで、ファッション誌「ヴォーグ」を長年購読しているという。 幼いころから、イギリス初の女性首相になるという目標を口にしていたメイ氏は、オックスフォード大学の弁論部(オックスフォード・ユニオン、政界志望の学生が多く集まる)会長だった2歳年下のフィリップ氏と、保守学生の集まりで出会う。お互いに「一目ぼれ」だったという2人は、1980年に結婚した。 地理学の学位を得た後、イングランド銀行に就職。1992年に初めて下院議会選に出馬し、1997年に南東部メイデンヘッド選挙区で初当選。その後ずっと、同選挙区で当選を重ねてきた。 保守党が野党だった1999年に影の教育相となり、2002年には保守党初の女性幹事長になった。 労働党政権の間、党内の権力闘争が続く保守党内で数々の要職を重ねる一方、キャメロン氏やジョージ・オズボーン元財務相といった若手リーダーたちとは一線を画し続けた。 2010年5月の総選挙で労働党が敗れ、70年ぶりの連立政権を保守党が自由民主党と組むことで政権を奪還すると、メイ氏は内相のポストを与えられた。内務大臣は、多くの野心的な政治家に不人気な地位だが、メイ氏は近年最長の6年間にわたり内相を務め、テロ対策や治安対策、移民対策などにタフに取り組む実務家としての評価を固めると同時に、リベラル層からは厳しく批判された。 不法移民取り締まり強化のため、国民医療保険(NHS)や住居の使用を制限したり、「まずは国外退去させてから不服申し立てを聞く」などの強硬策も批判された。 移民問題では、第2次世界大戦後に英連邦諸国から移民した「ウィンドラッシュ世代」の強制退去問題が首相就任後に浮上し、側近のアンバー・ラッド内相(当時)の辞任につながるなど、移民対策はメイ氏の評価に影を落とし続けた。 2016年6月の国民投票の結果を受けて、キャメロン前首相が辞任した後、総選挙を経ずに保守党の党首選で党首となり、首相になった。国民投票前はEU残留派だったが、ことさらに残留を呼びかけて運動することもしなかったため、欧州懐疑派も受け入れられるリーダーとして浮上した。 首相就任後は、「ブレグジットとはブレグジットのことです」を合言葉に、国民投票で決まったブレグジットの実現は政府の義務だと繰り返した。 59歳の首相就任は、1976年のジェイムズ・キャラハン以来、最年長で、子供のいない首相は独身だったエドワード・ヒース(1970~74年)以来だった。 メイ氏はめったに自分の私生活を語らないが、2013年に1型の糖尿病と診断されていて、毎日2回のインスリン注射を生涯続けなければならないことを公表した。メイ氏は、自分の健康問題とは折り合いをつけており、政治活動には影響しないと説明していた。 首相就任の直前には、英紙デイリー・メール日曜版のインタビューで、自分たち夫婦には子供ができないと医師に告げられたことや、夫婦でその悲しみを乗り越えて受け入れたことなどを話していた。 首相就任後には、イギリス内でないがしろにされてきた地域や低所得世帯を支援する方針を強調し、最大野党・労働党の支持基盤を揺るがそうとしていると見られていた。 また、自分自身の首相としての信任を得るために総選挙を実施するのは国益に反するという立場を示していた。 それだけに、2017年4月にいきなり解散・総選挙を発表した際には、英政界に激震が走った。 この方針転換は、南西部ウェールズで休暇中に夫フィリップ氏と散策しながら思いついたものと言われている。当時は労働党に対して20ポイントも支持率でリードしていただけに、EU指導部との離脱交渉を前に、自分の権力基盤を強化し、EUとの交渉を有利に運ぼうとしたのだとされる。 メイ首相は総選挙で、労働党のジェレミー・コービン党首とのテレビ討論を拒否した。自分の人間らしい側面をインタビューで強調しようとすると、そのぎこちなさが際立つ結果に終わった。英ITVの取材で、子供時代の一番のいたずらは何かと聞かれ、「麦畑を中を走ったこと」と答えると、ソーシャルメディアは容赦なくこれをからかった。 それでも、誰もまさか保守党が総選挙で敗れるとは思っていなかっただけに、単独過半数の党がない宙吊り議会の結果が明らかになると、保守党指導部に衝撃が走った。 とはいえ保守党の得票率は、1983年以来最高だった。サッチャー首相がフォークランド紛争直後の総選挙で圧勝して以来の成果だった。しかし、労働党には反・保守党の票が集中し、1945年以来最大の得票の伸び率を記録。保守党は第一党だが過半数ではないという状態になり、政権維持のためにメイ氏は、北アイルランドの少数政党、民主統一党(DUP)との閣外協力を余儀なくされた。 10議席のDUPは強硬なブレグジット支持政党で、そのDUPの支持を必要としたことから、メイ首相がEUとまとめた離脱協定の下院承認を得ようとする過程において、イギリスにおける北アイルランドの地位や、北アイルランドとアイルランドの間の国境の扱いが、大きな難問として際立つようになった。 EU離脱を通告するリスボン条約第50条を発動させ、2019年3月29日までに離脱すると立法へ持ち込んだのはメイ首相だったが、EUと離脱協定は3回も採決にかけたにもかかわらず、下院の支持を得られなかった。ブレグジット交渉を担当した閣僚2人や、ブレグジット推進の「顔」だったボリス・ジョンソン前外相は、次々と辞任した。 党内の離脱強硬派が党首不信任の動議を、そして労働党が首相不信任案を次々と提出。メイ氏はその難局は乗り越えたものの、離脱協定可決に必要な票数だけは、確保できなかった。 メイ氏が就任当初、掲げていた国内活性化の取り組みは多くが後回しになり、ブレグジットが政府や政界の日常を支配するようになった。 それでも3月29日の離脱は実現せず、メイ氏が長く反対していた6月の欧州議会選への参加などを条件に、ブレグジット期限は10月31日に延長された。 与党内の離脱強硬派の抵抗を前に、保守党だけでは離脱協定を下院通過させられないことが再三、明らかになり、メイ首相は4月についに労働党との協力に乗り出した。 その結果、発表された離脱協定の修正案には、EU残留派が強力に求め、離脱派が強力に反対してきた、2度目の国民投票の実施が可能性として盛り込まれていた。 これが最後の決め手となり、閣僚を含め党内の離脱派の支持をことごとく失ったメイ氏はついに24日朝、6月7日に党首を辞任すると発表した。 保守党内の党首選はその翌週から始まり、次期党首すなわち次期首相は7月末までに決まる見通しとなっている。 (英語記事 The Theresa May story: The Tory leader brought down by Brexit)

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    インド総選挙、モディ首相が勝利宣言 与党圧勝の見込み

    るインド人民党(BPJ)が圧勝する見込みだと伝えた。モディ氏は、今後5年間のインドの舵取りに対する「歴史的な信任」を受けて感謝すると勝利宣言をした。 下院定数543議席のうち、BJPは2014年の前回総選挙を上回る300議席近くを獲得すると予測されている。BJPを中心とした与党連合の合計は、最大で350議席に上るとの見方も出ている。 「新しいインドに期待」 モディ氏は23日夕、支持者たちに向かい、「みんな新しいインドを期待している。みなさんにお辞儀をして感謝する」と述べた。 そして、「この選挙は政治家ではなく国民が闘った。そして国民が勝利した」、「私たちは決して理想や謙虚さ、文化を捨てることはしない」と呼びかけた。 一方、最大野党・国民会議派は60議席に到達しないとみられている。ラフル・ガンジー総裁は敗北を認めた。 「世界最大の民主国家」と呼ばれるインドでは、有権者数は6億人を超える。6週間にわたり7回に分けて投票された今回の総選挙は、モディ氏のヒンドゥー国家主義的な政治に対する信任投票と位置づける見方が一般的だった。失業者の増加や景気後退への不安、工業生産の落ち込みなどの問題が山積する中での、現職モディ氏の勝利となった。 5年前の前回総選挙では、BJPは282議席を獲得。これは、1つの政党による獲得議席数としては1984年以降最多だった。与党連合では合計336議席を占めた。 国民会議派は前回、過去最低のわずか44議席しか獲得できなかった。野党連合でも合計60議席にとどまった。 海外の反応は? BJPの勝利が確実視されていることを受け、各国首脳からモディ氏への祝福の言葉が続いている。 アメリカのドナルド・トランプ大統領はツイッターで、「モディ政権が続くことで、アメリカとインドの協力関係は素晴らしいものとなるだろう」と述べた。 パキスタンのイムラン・カーン首相も、「モディ首相と協力して南アジアの平和と進歩、繁栄を築いていくのを楽しみにしている」とツイートした。 モディ氏の課題 モディ氏は勝利宣言で、インドには現在、2つのカーストしかないと主張。「貧者と、貧困から抜け出すために働きたいと願っている人々だ。我々はそのどちらも支援する必要がある」と述べた。 世界第6位の経済大国であるインドは、モディ政権1期目の間に勢いを失った。失業率は1970年代以降で最悪レベルにある。特に就職先の見つからない若者が多数いるのが問題となっている。 農作物の供給過剰により価格が下落し、収入が減っている農家たちには、モディ氏が農業政策に力を入れることへの要求が高まっている。 過去5年間で、騒々しく、時に暴力的なヒンドゥー国家主義が、インド政治の主流となった。牛を盗んだとされる多数のイスラム教徒がリンチを受けるなど、少数派に対する攻撃が増えている。 今年2月には、インドが実効支配するパキスタン・カシミール地方で、パキスタンに本拠を置く武装グループが自爆攻撃を仕掛け、警官隊40人以上が殺害される事件が起きた。 この事件を受け、インドはパキスタンに空爆を実施。両国は一触即発状態にある。 (英語記事 Modi thanks India for 'historic mandate')

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    北朝鮮ミサイル発射でトランプが用いた「情報フレーミング」

    問題とみており、誰も喜ばしいとは思っていない」と不快感を示した。 不快に感じて当然だろう。昨年6月の歴史的な米朝会談の2か月前、金委員長はミサイル発射と核実験中止を表明。トランプ氏は「北朝鮮と世界にとって、とても良い知らせだ。すいごい進展だ」とツイートした。今年2月に行われた2回目の米朝首脳会談が決裂したといっても、ミサイルや核実験停止を継続すると約束し、現に発射や実験がなかったことが、トランプ大統領にとっての外交的成功でもあったのだから。 1度目に飛翔体を打ち上げた時、トランプ大統領は「金委員長は、私との(核廃棄の)約束を破りたくない」とツイートし、冷静に反応。だが、立て続けの発射となるとそうはいかなかったようだ。加えて、米国の国防総省は、この飛翔体を複数の弾道ミサイルと断定した。こうなると話は別。国連の北朝鮮制裁決議に違反するため、トランプ大統領も何らかの対応を迫られる可能性が出てくる。 弾道ミサイルだったと聞かされたトランプ大統領は、どんなツイートや発言をするのか。そう思っていた翌日、米政治専門サイト「ポリティコ」のインタビューで「短距離ミサイルで、非常にありふれたものだ」と述べた。その上、「信頼を裏切ったとは考えていない」と答えたのだ。 もう少し不快感を露にするかと思いきや、現実に目をつぶったとも取れる発言にちょっとだけ驚いた。だが、人は自分の信念や目指している結果と一致しない情報は、客観的に評価するのが苦手である上、情報の価値を軽減して捉える傾向があるといわれる。 控えめな発言に変わった裏には、トランプ政権の思惑やら国際情勢やら、諸々の事情があるだろうし、トランプ大統領が目指しているのは非核化の実現ということに変わりはない。そこで、トランプ大統領が用いたのが「情報フレーミング」だ。2019年5月9日、北朝鮮が発射した短距離弾道ミサイルとみられる飛翔体(朝鮮中央通信=共同) 情報フレーミングとは、同じ情報でも、枠組み(フレーム)の捉え方によって意味が変わることだ。同じミサイルでも「短距離ミサイル」とするか「弾道ミサイル」と呼ぶか、重大な問題と言うかありふれた普通のものと言うか、表現や説明が変わるだけで、人々に与える印象はがらりと違ってくる。 それだけではない。自分自身がそれをどう捉えるかも変わってくる。トランプ大統領は自らが表現を変えることで、「信頼を裏切る行為ではない」と自分にも言い聞かせたのかもしれない。また、人は矛盾した情報に触れた後ほど、それまでの自分の思いや信念を強くするものだという。 ミサイル発射を「ありふれたもの」と言われた金委員長は、さらなる行動に出る危険があると分析する専門家らもいる。米朝対話の継続を目指すトランプ大統領が、金委員長に裏切られたと思うラインはどこなのか。計算できない怖さがある。関連記事■女性天皇容認論、皇族以外の「男系男子」リストアップ必要か■安倍─金正恩会談 実現しても金づるにされるだけとの声■吉高由里子主演「わたし、定時で」で考える「仕事とは何か」■山田邦子騒動から考える芸能界のマネジメントの重要性■一般参賀での紀子さまのドレス「雅子さまと同系色」に驚き

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    安倍-金正恩会談 実現しても金づるにされるだけとの声

    市内の中央階級教育館に多くの市民が参観する様子を伝え、同教育館を〈日帝の永遠の罪悪を全世界に暴露する歴史の告発場〉と伝えた。 これ以降も、参観が相次いでいるとのニュースを連日報じ、10日には〈日本は不誠実な姿勢を捨て過去の罪悪を反省して徹底的に補償すべきだ〉との市民の声を紹介している。さらに、『労働新聞』も「百年の宿敵、日帝の罪悪を必ず清算する」との連載を開始した。 過去の植民地問題をめぐっては、2002年の日朝平壌宣言で、国交正常化後に日本が経済協力を実施するのと引き換えに〈1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国およびその国民すべての財産および請求権を相互に放棄する〉と明記されていたのだが、日朝共同宣言はまったく無視されていたのである。 さらに、訪朝直前(2004年5月)に「日本は歴史的に、わが人民にあらゆる苦痛と災難を負わせた不倶戴天の宿敵である」と題した内部文書を朝鮮人民軍出版社が発行している。 2004年5月、会談前に握手する小泉純一郎首相(左)と金正日総書記=北朝鮮・平壌、大同江迎賓館(代表撮影) この文書では、冒頭で〈日本軍国主義は、歴史的にわが国を侵略し、罪の無い人民を殺戮し、わが国の資源を略奪していった不倶戴天の敵である〉という金正日の言葉を紹介し、実に12世紀から現在までの日本の「軍国主義化」について解説している。 つまり、2度目の首脳会談に北朝鮮は前向きではなかったのだ。とはいえ、北朝鮮は首脳会談で拉致問題解決に前向きな姿勢を国際社会に示し、小泉首相から日朝平壌宣言を順守する限り制裁措置を発動しないという言質や、コメ、医薬品など人道支援を得た。北と対等に交渉していいのか北朝鮮と対等に交渉していいのか 果たして、過去2回の日朝首脳会談に関連して、このような宣伝を公然と行っている国を、日本は対等な交渉相手と見て良かったのだろうか。「総理野郎」「白旗を掲げて……」とまで馬鹿にされたにもかかわらず、日本はこれに対する何の抗議も行わないばかりか、北朝鮮の言いなりになっていたのである。 北朝鮮にとって日本は、国内向けには「体制維持」のための「敵」として利用できるうえ、“金ヅル”としても利用できる、全く好都合な国に映っているのだろう。 日本が金ヅルにされていることを証明する証言がいくつかある。2016年に韓国に亡命した北朝鮮元駐英公使の太永浩(テ・ヨンホ)氏は、2002年の日朝平壌宣言を巡り、当時の北朝鮮指導部に日本から100億ドル(約1兆円)規模の経済協力を期待する声があったと証言している。 太永浩氏以外にも、「少なくとも100億ドル」という証言が、韓国へ亡命した複数の朝鮮労働党幹部からも出ており、114億ドル(約1兆3600億円)という証言もある。第3回日朝首脳会談は開催できるのか 第3回日朝首脳会談は果たして実現するのだろうか。筆者は、北朝鮮は首脳会談に前向きではないと考えている。冒頭で述べたように、日本から要求を突き付けられるばかりで一文の得にもならない会談だということが分かっているからだ。もっとも、これは北朝鮮側に問題があるからなのだが。 最近、北朝鮮は弾道ミサイルを立て続けに発射しているが、射程距離が200キロ程度のものなら韓国を攻撃するためのものと断言できる。しかし、400キロ以上の弾道ミサイルとなると、単に「韓国に対する脅し」とは言えなくなる。中距離弾道ミサイルの射程を短くして発射している可能性があるからだ。 筆者は今後も弾道ミサイルの発射は続くと考えている。そのなかには、日本を標的とする準中距離ミサイル「ノドン」も含まれるだろう。もし、日本のEEZ(排他的経済水域)内に落下した場合、安倍首相が言っているように「条件を付けずに日朝首脳会談を模索」している場合ではなくなるだろう。 第3回日朝首脳会談を開催するためには、北朝鮮を納得させる規模の「手土産」が必要となるのだが、北朝鮮を利することは日本の世論が許さないだろう。せめて、水面下で北朝鮮外務省との極秘折衝が続けられているのなら、日本に有利な形での会談が実現する可能性があるのだが……。関連記事■もし日韓戦わば… 軍事力の差は歴然だった■韓国が自国の経済成長「漢江の奇跡」を教科書から消した意図■金正恩「ベトナム行き列車」 スナイパー同乗でカラオケ完備■金正恩氏の政策矛盾が露呈、平壌や新義州のマンション暴落■米朝首脳会談 日本は北朝鮮非核化の「資金援助役」か

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    秀吉禁止令も頬被り、朝鮮出兵で横行した理性なき「奴隷狩り」

    渡邊大門(歴史学者) ここまで、豊臣秀吉の人身売買に関する政策、そしてポルトガル商人によって日本人奴隷が海外に輸出された状況を確認してきた。日本と海外との通交が盛んになるに連れ、人身売買の規模もよりワールドワイドに展開したことが分かる。次に、状況が変化したのは、文禄・慶長の役だった。 天正18(1590)年に小田原征伐により北条氏が滅亡すると、国内における大戦争は終結し、平和な時代を迎えた。秀吉の支配欲は海外へと向けられ、それが現実のものとなる。秀吉は中国や朝鮮へ侵攻し、そこに天皇を移して、諸大名に領土を分け与える構想を持っていた。その戦争こそが、文禄・慶長の役なのである。 文禄・慶長の役とは、豊臣秀吉が文禄元(1592)年から自身が亡くなる慶長3(1598)年にかけて、中国の「明」征服を目指し、朝鮮半島に出兵した一連の戦争である。当時の日本では、「唐入り」または「高麗陣」と呼ばれていた(朝鮮側では「壬辰・丁酉の倭乱」と呼んだ)。 秀吉は関白に就任した天正13(1585)年ごろから、明の征服構想を持っていたといわれている。その構想が具体化したのは、天正15年における薩摩・島津氏征伐直後のことである。秀吉は対馬の宗義智(そう・よしとし)が朝鮮と交流があったことから、対朝鮮交渉を命じた。その内容とは、第一に朝鮮が日本に服属すること、第二に日本が明を征服するに際して、その先導役を務めさせるというものだった。 日ごろ、朝鮮と通交のある義智にとって、秀吉の命令は実に大きな難題であった。以後、義智はこの問題をめぐって、苦悩することになった。 朝鮮との関係を憂慮した義智は、秀吉の意向をそのまま伝えなかった。義智は家臣を日本国王使に仕立て上げ、第一に秀吉が日本国王に就任したこと、第二にその祝賀のため通信使を派遣するよう朝鮮サイドに依頼した。義智の考え抜いた対応が、のちに大きな誤解を生んだのである。 朝鮮サイドはこの申し出を断ったが、強硬な態度で臨んだ秀吉は、決して納得しなかった。そこで義智は、改めて博多の豪商・島井宗室らと朝鮮に渡航し、再び通信使の派遣を要請したのである。 天正18年、再び要請を受けた朝鮮側は、通信使を派遣し秀吉との謁見に臨み、事態の収拾を図ろうとした。交渉の席には、秀吉をはじめ菊亭晴季(きくてい・はれすえ)らの公家も参列した(『晴豊記』)。朝鮮側の意向にかかわらず、秀吉が通信使に改めて命じたのは、明征服のための先導役だったが、それを知らない朝鮮通信使は秀吉の祝賀のため来日したのである。豊臣秀吉像 秀吉の明征服の先導役を命じるという要求は、通信使から朝鮮国王にも伝えられた。同時に翌天正19年、秀吉は明征服のための拠点を作るため、肥前名護屋(佐賀県唐津市)に城郭を築城した。一方、朝鮮との交渉は難航を極め、交渉役の宗義智と小西行長は対応をめぐって頭を抱えていた。 2人は考え抜いた揚げ句、朝鮮に明攻略の先導役を務めるのではなく、明征服のために道を貸して(開けて)欲しい、と交渉内容をすり替えた。しかし、最終的に両者の交渉は決裂し、日本は朝鮮半島に侵攻する。禁止された「乱取り」 文禄・慶長の役においては、日本の戦国大名がこぞって参加し、朝鮮半島へ侵略行為を行い、いわゆる乱取り=奴隷狩りが行われていた。 日本軍は朝鮮半島での戦争の際、日本での慣例に習い、多くの女や子供を連行した。その様子は、奈良・興福寺の多聞院主が書き継いだ日記『多聞院日記』に描かれており、奈良に連行したことが知られている。 島津軍などは、朝鮮から薩摩へ帰る際、奴隷を連行するための手形を船頭に与えている。のちに、日本と朝鮮が和平を行ったとき、日本の奴隷連行が大きな障害となったほどである。以下、人身売買や拉致などの問題を中心に述べることにしよう。 日本国内の戦場において、人や物資が略奪(乱取り)されたことはここまでに触れた通りである。乱取りは雑兵たちの戦利品となり、彼らの懐を潤した。あるいは、戦争に出陣する目的が乱取りにあったのではないかと思うほどである。 秀吉が朝鮮出兵の際に出した方針は、次に掲げるものだった(「毛利家文書」)。天正20年4月26日付のものである(主要なものを抜粋)。 ①還住した百姓や町人に米銭金銀を課してはならない。 ②飢餓に苦しむ百姓を助けること。 ③あちこちで放火をしてはならない。(以下、補足として)今度の朝鮮出兵で人を捕らえた場合は、男女によらず、それぞれのもといた居住地に返すこと。 ④法令順守の徹底。 主に現地支配にかかわるものを抜粋してみた。まず①について。秀吉は同じような趣旨の命令を日本国内でも発している。たとえば、織田重臣時代の天正8(1580)年1月に三木合戦で別所氏が滅亡すると、荒廃した三木(兵庫県三木市)に百姓や町人の還住を促した(「三木町有古文書」)。戦争で荒廃した村や町を復興するための政策である。 ②についても、同様の趣旨と捉えてよいであろう。せっかく占領しても、百姓が飢えてしまい、占領地が荒れ果てていると意味がない。そう秀吉は考えていたのだろう。 注目すべきは、③である。冒頭の放火の禁止は、町や村の荒廃を避けるための方策である。重要なのは補足として、男女にかかわりなく生け捕りにした場合は、それぞれのもとの居住地に返すことが規定されている点である。 つまり、秀吉は戦場における乱取りを禁止していたことになろう。④における法令順守は、その延長線上にあり、数多くの禁制が発給されていた(「鍋島家文書」など)。秀吉は、朝鮮の百姓に危害を加えないように配慮していた。無視された秀吉命令 しかし、日本を遠く離れて朝鮮半島に出陣した雑兵に対して、秀吉の意図が十分伝わったのか大いに疑問である。雑兵の戦場における目的は、やはり「乱取り」にあり、それが第一義にあった。案の定、秀吉の方針は無視され、朝鮮半島の各地で「乱取り」が行われた。次に、その実態を概観することにしよう。 戦場において、人間はなかなか理性をコントロールできないものである。いざ朝鮮半島で戦いが始まると、秀吉の命令は無視され、雑兵は「乱取り」に夢中になった。 文禄元(1592)年、日本軍が朝鮮半島に上陸すると、佐竹氏の家臣・平塚滝俊が肥前名護屋城で留守を務める小野田備前守に宛てて書状を送っている。滝俊の生没年や出身地は不明であるが、佐竹氏家臣団の中では、中級クラス以上の地位にあったと考えられている。この書状は、歴史学者の岩沢愿彦(いわさわ・よしひこ)氏が紹介したものである(「肥前名護屋城図屏風について」)。書状の概要を次に示しておきたい。高麗で二・三の城を攻め落とし、男女を生け捕りにして、日々を送ってきた。(朝鮮人の)首を積んだ船があるようだが、私は見たことがない。男女を積んだ船は見た。 日本軍は朝鮮の城を攻め落とすと、戦利品とばかりに男女を生け捕りにし、船に積んで日本へ送った。また、討ち取った朝鮮人の首も運ばれていた。 朝鮮人の首が秀吉のいる肥前・名護屋城に送られたのは、出陣した武将が軍功を認めてもらうためである。いわゆる「首実検」のためだった。おそらく船が満杯の状態で運ばれたのであろうが、実におびただしい分量になったと思われる。「名護屋城」城跡の石垣。秀吉の朝鮮出兵の兵站基地だった=佐賀県唐津市 これだけの分量になると、本当に正しい検分ができたのかどうか、非常に疑問である。参考までにいうと、首は非常に重量があるので、のちに首でなく耳や鼻が持ち帰られた。それを供養したのが耳塚(鼻塚)であり、京都市東山区の豊国神社前にある。 耳や鼻を削いで持ち帰る際、日本軍により残酷な行為が行われていた。慶長3(1598)年10月に泗川(サチョン)新城で戦いが行われると、島津軍が明・朝鮮の連合軍の兵3万3700人を討ち取り、城の外に大きな穴を掘って埋めたという。そして、その遺体から鼻を削ぎ取り、塩漬けにして日本に送ったのである(『島津家記』)。 加藤清正の武将・本山豊前守の手になる『本山豊前守安政父子戦功覚書』には、男女や生まれたばかりの赤ん坊も残らず撫で切りにし、鼻を削いで毎日塩漬けにした、と記されている。塩漬けにしたのは、腐敗を避けるためだろう。もはや戦闘員・非戦闘員を問わず、鼻をどれだけ獲ることができたのか競った感がある。その数は、一度に2、3万に及んだこともあった。 問題になるのが、朝鮮半島で生け捕った男女も船で肥前・名護屋城に送られたことである。これは、先に示した秀吉の方針と相反する行為である。秀吉の意向とは裏腹に、現地では日本の慣習にならって、「乱取り」が行われた。崩壊した秩序 実のところ、各大名にとって朝鮮への出兵は、多大な経済的な負担であった。第一に、多くの軍兵が動員されたうえに、半農半兵の土豪たちも出陣を余儀なくされた。出陣は長期間にわたったので、必然的に農業の担い手を失うことになる。同時に、農地が放棄される状態にあった。薩摩の島津氏は、戦費の捻出に苦労したという。 とりわけ捕らえられた人々は、老人、女、子供が多かったといわれている。彼らは屈強な男性とは異なり、反抗することが少なかったと考えられ、奴隷としては最適であったからだろう。 雑兵たちにとっての戦争は、極端に言えば勝ち負けが問題ではなく、いかに戦利品を得るかが重要であった。そうなると、秀吉の指示をまともに聞いていれば、何ら見返りのない「ボランティア」になってしまう。実際、略奪は多くの大名が黙認し、幅広く行われていた。 文禄2年に推測される8月23日付の「石田三成覚書」によると、三成は薩摩・島津氏に対して種々の命令を伝えているが、その中に船を使って乱妨・狼藉を働かないように指示を行っている(「島津家文書」)。 こうした指示が与えられるところを見ると、実際に乱取りが行われており、島津氏は黙認していたのであろう。同様の事例は、普州(チンジュ)城で戦っていた加藤清正軍にも見られる。この場合は、清正に知られないようにして、配下の武将が雑兵たちに略奪行為をさせたという。もはや秩序は、完全に崩壊していた。 こうした状況が秀吉の耳に入ったのか、あるいは別の事情があったのか、秀吉自身も人身売買や生け捕りについて容認したと受け取られかねない命令を発する。その命令こそが、次に示すものである(「島津家文書」ほか)。急ぎ仰せを伝えます。捕らえた朝鮮人の中で、細工のできる者、縫官、手先の器用な女性がいれば、進上すること。召し使うようにする。家中を改めて、こちらに遣すこと。 この秀吉の朱印状は島津家だけでなく、多くの大名家に伝わっている。つまり、秀吉は自身が召し使うため、さまざまな技量を持つ女性を集めていたことになる。ただし、この史料はいずれも年次を欠いており、文禄2年あるいは慶長2年のいずれかが該当すると考えられている。前者なら出兵直後、後者なら二度目の出兵の時期となる。「壬辰倭乱図」(和歌山県立博物館提供) 当初と異なり、秀吉は大きく方針を転換したが、各大名たちが朝鮮から人々を連れ去った事実は当然把握していたことであろう。むしろ、そうした事実を知っていたので、優秀な人材を確保しようと考えたのかもしれない。 文禄・慶長の役において、多くの朝鮮人が日本に連れ去られ、売買されることになった。それらの経緯を確認しよう。転売された朝鮮人奴隷 東洋史家の内藤雋輔(ないとう・しゅんぽ)氏が紹介した『月峯海上録(げっぽうかいじょうろく)』には、朝鮮人奴隷の様子が詳細に記述されている(翻刻は『文禄・慶長役における被擄人の研究』)。内藤氏の研究成果を交えつつ述べておくと、文禄の役と慶長の役とでは、後者の奴隷狩りが圧倒的に多かったという。 しかも、その被害は圧倒的に朝鮮半島南部に集中していた。文禄の役では朝鮮半島の奥地まで侵攻したが、慶長の役ではそこまで侵攻できなかったのが要因であろう。慶長の役は長期化したものの、勝利の可能性が乏しかったため、奴隷狩りに注力したと考えられる。 強制的に奴隷として日本に連行された朝鮮人は、主に九州各地に住んでいたが、薩摩・島津氏の領内では、その数が3万7千人にも及んだという。彼らは苗代川(鹿児島県日置市)に集住し、陶工・朴平意(ぼく・へいい)らを中心にして、陶磁器の製造を行った。苗代川窯は白釉と黒釉を用いて、日常的に使用する陶器を製造した。技能集団が日本に根付いた一例である。 この頃、平戸や長崎は朝鮮半島から連行した朝鮮人を売買するなど、世界でも有数の奴隷市場として知られていた。 日本人の人買商人のうち、ある者は自ら朝鮮半島に渡海して奴隷を買い漁り、またある者は日本国内でポルトガル商人に転売して巨万の富を得た。彼らはポルトガル商人が持っていた鉄砲や白糸の代価としていたのである。 ほとんどの奴隷は捨値で売られたというので、薄利多売の様子がうかがえる。日本を窓口にして、多くの奴隷が世界に渡っていったのである。それは朝鮮人だけではなく、多くの日本人が含まれていたことが指摘されている。 日本人が朝鮮半島で行った奴隷狩りは、どのような形で行われたのであろうか。その点は、次回に触れることにしよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎■川中島の戦いは略奪が目的だった? 信玄も黙認した「乱取り」の真実■「極悪の欲情」女好き秀吉、フロイスの目にはどう映ったか

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    有権者9億人 世界最大のインド総選挙、23日開票

    相は、ヒンドゥー国家主義を掲げるインド人民党(BJP)を軸にした連合を率いて、前回の2014年選挙で歴史的大勝を実現した。 モディ氏は熱烈な支持を集める一方で、国内に宗教対立を権力掌握に利用しているとも批判される。 モディ政権が続投するか、最大野党・国民会議派が返り咲くのか、注目されている。

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    卵にネコ、ミルクシェイク……なぜ人は政治家にモノを投げつけるのか

    てきた。卵や靴、ネコ、ミルクシェイク……。 英エクスター大学の犯罪学者、マット・クレメント博士がその歴史を紹介する。

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    学費ローンがいきなり全額消えたら……篤志家の寄付に卒業生は

    (約11億円)にはなるという。 アメリカの黒人篤志家として高名なロバート・F・スミスさん(56)は、歴史的に黒人男子が通うモアハウス・カレッジの卒業式で挨拶をしていた。 2019年の卒業生と教員たちは、スミスさんの申し出に一瞬あっけにとられたのち、大きな歓声を上げて拍手した。 スミスさんは2000年、ソフトウエア開発会社に投資するため投資会社ヴィスタ・エクイティ・パートナーズを創業。米誌フォーブスによると、個人資産は約50億ドル(約5500億円)相当で、人気司会者オプラ・ウィンフリーさんを抜いて最も裕福なアフリカ系アメリカ人だという。

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    米富豪、約400人の学費ローンを全額肩代わり 大学卒業式で宣言

    (約11億円)にはなるという。 アメリカの黒人篤志家として高名なロバート・F・スミスさん(56)は、歴史的に黒人男子が通うモアハウス・カレッジの卒業式で挨拶をしていた。 2019年の卒業生と教員たちは、スミスさんの申し出に一瞬あっけにとられたのち、大きな歓声を上げて拍手した。 大学のマーケティング責任者、ホセ・マラボさんは、スミスさんの申し出を聞いた直後の学生たちの様子をツイートした。 https://twitter.com/JoseMallabo/status/1130161241899577344 スミスさんは2000年、ソフトウェア開発会社に投資するため投資会社ヴィスタ・エクイティ・パートナーズを創業。米誌フォーブスによると、個人資産は約50億ドル(約5500億円)相当という。 スミスさんは19日の卒業式で、「私の家族は8代にわたりこの国で暮らしてきた。家族を代表して、みなさんのバスに少し燃料を入れることにします」と切り出し、「今年の卒業生たち、2019年の皆さんが、私の代だ。うちの家族の寄付で、皆さんの学費ローンを帳消しにするつもりです」と述べた。 スミスさんは名誉博士号を受けるために卒業式に出席しており、すでに大学には150万ドル(約1億6500万円)を寄付していた。 今年の卒業生全員の学費ローンが総額いくらになるのかは、大学がまだ計算中のため確定していないが、少なくとも1000万ドルにはなり、実際にはそれよりはるかに高額になる可能性もあるという。 泣き出す学生たち AP通信によると、財政学の勉強のために借りた20万ドル(約2200万円)を返済しなくても済むと知ったアーロン・ミッチョムさん(22)は、涙を流し、「衝撃だった」と話した。 「心臓が止まった。みんなして大泣きして。肩にのしかかっていたものが、一瞬にしてなくなったみたいだった」 モアハウス・カレッジのデイヴィッド・A・トマス学長はCNNに対して、「借金を抱えていると、社会に出て何ができるか、選択肢が限られている。この寄付によって卒業生たちは、自分の夢、自分の情熱を追いかける自由を手にした」と喜んだ。 (英語記事 Billionaire Robert F Smith to pay entire US class's student debt)

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    「BANされて当然」衰亡の一途をたどるネトウヨの自業自得

    の域を脱していない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) つまり、著しく激しい嫌韓国、反中国、歴史修正主義、国家神道や復古的天皇制への帰依など、特段目新しいものはない。ただし、短時間でユーザーの耳目を引く動画を投稿してきたユーチューブの「竹田恒泰チャンネル」アカウント自体には、明確な事実誤認などが跋扈(ばっこ)していたため、「ネトウヨ春のBAN祭り」によってユーチューブ運営側もBAN(停止)を決定せざるを得なくなった。 当然ながら、竹田氏はこの措置に反発したが、BANが解除されることはなかった。現在、竹田氏は「竹田恒泰チャンネル2」アカウントを開設して、差別的な表現や憎悪感情を抑制した動画を投稿するに至っている。もはや「衰亡一途」 もう一例は、ユーチューバーとして「KAZUYAチャンネル」を運営するKAZUYA氏(本名京本和也、以下京本氏)である。京本氏の運営するアカウント「KAZUYAチャンネル」では、概ね2~5分という短時間で政治や時事問題を扱う動画を投稿している。 ネット右翼の中でも最も底辺ともいえる低リテラシー層に訴求することで、一定数の視聴者(ファン)を確保したのが京本氏の動画の特徴である。この層は、たとえ「保守論壇」による右傾偏向のコンテンツであっても、4千文字や5千文字程度の論考や、20~30分以上にわたる長時間のトーク番組の視聴には、教養水準的に耐えられないからだ。 主張自体も、前述の竹田氏よりも非体系的で、稚拙である。テーマもやはり、嫌韓や反中、歴史修正主義、沖縄デマ、軍国主義的傾向の礼賛(教育勅語への偏執的固執)など、ネット右翼にとって古典的な色彩を帯びている。ただ、知名度において、竹田氏より圧倒的に劣後するため、「ネトウヨ春のBAN祭り」運動のターゲットとしては後発になったわけである。 「ネトウヨ春のBAN祭り」が開始されてから、京本氏は差別的、憎悪的傾向のある動画を自ら削除することによって、BANを回避する戦術を採った。しかし、結果は竹田氏と同じくBANを食らった。ところが理由は不明だが、竹田氏とは違い、数日後に運営側からBANが解除され、「KAZUYAチャンネル」自体も存続している。 BANを受けた後、京本氏は可能な限り、差別や憎悪表現を抑制した動画を投稿しているようだ。ただ、京本氏については、体系的知識量が低いままの状態なので、動画水準は未だに稚拙なまま推移している。しかし、それがゆえに、再びBAN指定を受けていない。 以上、「ネトウヨ春のBAN祭り」で永久、あるいは一時的にBAN指定を受けた2例を見てもわかるように、いずれにせよ、ユーチューブ上における差別動画の繁茂に業を煮やした良心の人たちが、2018年以降、そのイデオロギーや党派性を超えて実効的に動き出したことは間違いない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) この「ネトウヨ春のBAN祭り」運動は、「夏の~」「秋の~」「冬の~」と季節を変えながら、現在も続いている。その一方で、投稿者自体も、現実的にBANが行われる事実を鑑みて差別動画の投稿に委縮する傾向が顕著に表れている。 動画を最大の門戸として、また最大のプロパガンダツールとして利用してきたネット右翼や、それを利用して広告収入を得たいアカウントの開設者たちは、今大きな岐路に立たされるどころか、衰亡の一途をたどっているのである。■ なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない■ 「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ■ バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す