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    IMF、米中貿易戦争は世界を「より貧しく、より危険に」

    は、向こう数年は減り続けるだろうとIMFは予測している。 しかし、税収と公的支出の差分を埋めるため、財務省は2023年に約160億ポンド(約2兆3820億円)を借り入れる見通しだ。 (英語記事 US trade war would make world 'poorer and more dangerous')

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    憲法改正はタブー、反安倍カルトよりヤバい「増税ハルマゲドン」

    規律の明示化など、筆者のような経済学者からしても無視することが到底できない条項が入っている。 これは財務省的な緊縮政策を志向する条項であり、防衛費も十分なインフラ整備や防災、教育支出さえも、この条項が入ることで大きな制約に直面するだろう。いわば「日本弱体化条項」である。このような経済関係でもトンデモ条項が入っているのだが、この草案をそのまま出すのか、それとも首相が総裁選で言及した項目だけなのか、それもまだ不透明だ。 さらに憲法改正には、憲法審査会による議決、国会での発議、そして国民投票が必要であり、これら一連の流れを考えても、やはり政治的ハードルが高い。具体的な動きも、早くて来年になる可能性が高い。 今までの反安倍マスコミのやり口では、憲法改正の議論を広く国民に訴えるよりも、何がなんでも言論封殺的な動きに出てもおかしくはない。その一端が、実はモリカケ問題であったはずだ。2018年9月、安倍首相が意欲を示す憲法改正を巡り、批判する立憲民主党の枝野代表 筆者は、憲法改正を政治の最優先課題にするには反対の立場である。だが他方で、国民が広く憲法改正を議論する意義はあると思ってもいる。当たり前だが、憲法改正が言論のタブーであっていいわけはない。しかし、それが長い間認められなかったのが日本のマスメディアの空間だった。 筆者は上記の通り、憲法改正を最優先する安倍政権の戦略は正しいものとは思えない。最優先すべきは、経済の安定と進歩である。これがなければ、どんなに憲法を変えてもわれわれの生活は貧しくなるだけである。 現状の日本経済を見れば、ようやくデフレ停滞の影響からほぼ脱した段階にある。これからが本当のリフレ過程になるのである。消費増税ハルマゲドン リフレ過程とは、バブル経済崩壊後の日本経済が失ってきた名目経済価値(代表的には名目国内総生産(GDP)の損失分)を回復するための動きを指す。具体的には、国民の一人ひとりの名目所得が、前年比4%以上拡大しなければならない。しかも、その期間は何十年にも及ぶものにしなくてはいけないのだ。 現状では、そのリフレ過程にまだいたっていない。金融緩和政策を主軸にし、積極財政政策でアシストすることで、このリフレ過程に乗せる必要がある。安定的にリフレ過程に乗せれば、マクロ経済政策の優先度は自然と後退していくだろう。だが、今の日本で政策優先度は第1位である。 そのためには、来年の消費増税について、事実上の凍結を狙うことが最優先であろう。だが、今のところ消費税凍結などの動きは、安倍政権には見られない。デフレ脱却完遂を目前にしながらの増税などという、緊縮政策への転換はどんな事態を引き起こすか、言うまでもないだろう。 ところで、最近「消費増税したら日本経済終焉=ハルマゲドン」という極端に悲観的なトンデモ論をよく目にする。この説がもし正しければ、税率を8%に引き上げた2014年4月で終焉していただろう。 もちろん、消費の大幅な落ち込みとその後の経済成長率の鈍化、インフレ目標達成の後退(金融政策の効果減退)が消費増税でもたらされたことは確かだ。しかし、この「消費増税したら日本経済終焉」論者たちは、その後も雇用改善が持続していることを無視しているか、「雇用改善は人口減少のおかげ」といったよくある別なトンデモ論を信奉しているだけである。 では、なぜ消費増税の悪影響が出ても、日本経済は「終焉」せずに、歩みが後退しながらも持続的に改善していったのか。その「謎」は、そもそも日本の長期停滞が日本銀行の金融政策の失敗によって引き起こされたことを踏まえていないからだ。 現状では、改善の余地は多分にありながらも、日銀の金融緩和は継続している。つまり、問題があるとはいえ、長期停滞脱出の必要条件を満たしている状況を、このハルマゲドン論者たちは見ていないのだろう。もちろん消費増税に筆者も全力で反対である。だが、それは消費増税を日本破滅のように信じている極端論者(それは事実上、金融政策を無視し財政政策中心主義に堕しているに等しい)とは一線を画すということもこの際、マイナーな論点だが注記したい。買い物客でにぎわう心斎橋筋商店街。2019年10月に予定される消費税率引き上げで、個人消費への影響が懸念される=2017年11月(門井聡撮影) では、消費増税をわれわれでは阻止することができないのか。そんなことはない。今の政治家やマスコミ、官庁もみなインターネット上の世論の動きを見ている。 例えば、官僚組織の一部では、識者のネット上の発言でリツイートの多いものを幹部で回覧しているという。彼らはネット世論を無視できないのだ。識者の発言へのリツイートや「いいね」をするコストなどないに等しいだろう。つまり、誰でも簡単に行うことができるレベルでも、国民が消費増税に抗する手段になるのである。

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    「アベ栄えて国滅ぶ」面従腹背の自民党議員よ、今こそ声を上げよ

    あらずなのである。そのような視点で今回の総裁選を眺めるとき、私は大きな失望を禁じ得ない。 私は長年、財務省(旧大蔵省)で働いていたが、そもそもアベノミクスの核とも言えるリフレ政策に反対である。そしてまた、森友・加計疑惑に関する安倍晋三首相や政府の弁明に全く納得しておらず、その意味でも安倍首相が総裁選に出馬していること自体、反対である。 その一方で、安倍首相の下で自民党が国政選挙で勝利し続けているのは事実だ。政権奪回を実現した総裁でもある。だから、自民党の議員の多くが安倍首相を支持するのも分からなくはない。 しかし、本当にアベノミクスは成功しているのか、あるいは外交面での成果はどうなのか。そしてまた、森友・加計疑惑で特に露呈したとも言える安倍首相の人間性はどうなのか。そのような問題を考えるとき、安倍首相を心底支持する自民党議員がどれほどいるのかと思ってしまう。 現在、安倍首相に票を投じるとされている議員のうち、その大半は信念というより打算に基づいて行動しているだけなのではないだろうか。確かに今、安倍首相に反旗を振りかざせばつぶされてしまうリスクが大きい。心底支持するわけではないが、安倍首相に楯突(たてつ)いている風には見られたくないと思っているだけだろう。 だが、もし安倍首相が党のリーダーとして必要とされる素養や資格がないと思っているにもかかわらず、そうした打算で首相を支持するというのであれば、自民党にとっても日本にとっても不幸なことになるのではないのか。演説会に臨む安倍晋三首相=2018年9月10日、東京都千代田区・自民党本部(納冨康撮影) とはいえ、今のところ、安倍政権の支持率には底堅いものがある。しかし、読者諸氏もお気づきの通り、国民の安倍首相に対する支持率がそれほど高いものでないことは「首相の人柄が信じられない」との回答が世論調査などで多いことからも察せられる。 言い換えれば、現政権や自民党の支持率の高さは、単に野党支持率の低さの裏返しでしかない。であるとすれば、「人柄が信じられる」と国民が思うような議員が総裁の座に就くことが望ましい。政策論争を避ける安倍首相 また、ゼロ金利やマイナス金利政策をいつまでも続けるのではなく、真っ当な金融政策に戻ることを主張するリーダーの方が望ましいのではないのか。財政政策に関しても、財政再建という言葉を口にはするものの、実際には将来の世代にツケ回しする放漫財政を続けるのがどれほど危険なことか分かっているのか、と不安になる。 一方、地球温暖化対策についても、トランプ米大統領ほど支離滅裂ではないとはいえ、首相にもそれほど関心があるとは思えない。9月4日に台風21号が日本に上陸し、特に近畿地方には甚大な被害をもたらしたが、あのとき首相は何を考えただろう。 風速50メートルもの強風がどれほど恐ろしいか。それを被災地の人々は身をもって体験したが、そうした自然災害の多発化と地球温暖化の関係を首相はどのように考えているのだろうか。地球温暖化の影響の深刻さを身に染みて感じているのであれば、もっと対策に熱心にならなければおかしい。 もう一度言うが、自民党議員の多くが、本当に安倍首相を支持しているか疑問である。もし、自民党議員の多くが首相の政策を支持し、リーダーとしてふさわしいと考えた結果、石破茂元幹事長以外に対抗馬が出てこないというのであれば理解できる。 しかし、本音はそうではないだろう。自分が総裁候補として出馬したり、あるいは安倍首相以外の候補者を支持したりすると自分に不利益が及ぶと考えた結果、現在のような「安倍一強」になっているだけではないのか。 国民のために尽くすことが政治家としての最大の任務だと考えるのであれば、そして自民党がその名が示すように自由と民主主義を尊重する政党であるというのであれば、総裁選に打って出る候補者がもっと出現し、かつ活発な政策論議が行われなければおかしい。 少なくとも、一人でも多くの総裁候補が現れ、政策論争が展開されるのであれば、自民党員だけではなく、一般国民の中にも自民党の政策に関心を示す人が増えるはずだ。 だが、現状は首相自身がそのような政策論争を極力避けているようにしか見えない。それどころか、政策論争には関係なく、総裁選で圧勝すべく議員に「誓約書」を書かせることばかりに専念しているようだ。 安倍首相は、総裁選での勝利は間違いないと言われているにもかかわらず、なぜそこまで圧勝することにこだわるのか。その理由はひとえに森友・加計疑惑を過去のものとして葬り去りたいからだろう。自民党総裁選の立候補者討論会に臨む安倍晋三首相(左)と石破茂元幹事長=2018年9月14日、東京都千代田区・日本記者クラブ(納冨康撮影) しかし、政策論争抜きで単に圧勝を目指す首相の姿勢は、国民をしらけさせるだけである。だとしたら、総裁選によって政治家としての命は長らえるであろうが、自民党という政党は国民からますます遠ざかってしまうに違いない。 そして、そんな首相をリーダーの座に据えるわが国の国力は低下の一途をたどるだけではないだろうか。要するに、「アベ・シンゾウ」を守るために自民党、あるいは日本全体が犠牲になっているとしか思えないのである。

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    「支持率ゼロ」国民民主党がそっぽを向かれる理由はこれだった

    フレ脱却国民会議」に参加して陳情活動などを行ったが、その声はまったく届かなかった。財政政策は、いわば財務省の主導する「財政再建」という美名の増税政策だったし、金融政策も当時の日本銀行の何もしないデフレを受容した政策が続けられたのである。2018年9月、国民民主党代表選の街頭演説会を行った玉木雄一郎共同代表(左)と津村啓介元内閣府政務官(酒巻俊介撮影) そして民主党がリードし、自公も巻き込んだ消費増税法案は、今も日本経済の先行きに暗くのしかかっていて、「民主党的なるもの」の呪縛をわれわれは脱却しきれていない。 今回の代表選に候補した2人、玉木氏と津村氏はそれぞれ元財務省と元日銀の出身である。いわば民主党政権時代の経済停滞を生み出した「二大元凶」の出身者である。 帰属していた省庁や組織の考えがそのまま本人たちに表れるとは思わない。だが、日銀出身の津村氏は、アベノミクス以前の日銀の政策思想そのものに見える。2人とも逃れられない「あしき呪縛」 彼の政策提言では、「インフレ目標2%とマイナス金利の取り下げ」「民主党政権後期の『税と社会保障の一体化』のバージョンアップ」「消費税軽減税率の導入反対」がマクロ経済政策において強調されている。つまり、金融緩和政策には反対だというのがその趣旨であろう。そして消費増税については、民主党政権時代のバージョンアップとあり、具体的なことは書いていないが、さらなる消費増税の提言もありえるかもしれない。 財務省出身の玉木氏もやはり財務省的である。かつての小泉純一郎政権による構造改革と似ているが、構造問題を強調し、特に人口減少が問題だと指摘している。 ちなみに、人口減少であってもそれは長期間に生じる現象であり、いきなり社会の購買力が減少して不況に陥るわけではない。人口がゆるやかに減少しても、社会的な購買力が順調に伸びていけば不況は生じないからだ。 だが、玉木氏はそう考えないようだ。「コドモミクス」と称して、子育て支援政策を打ち出している。その趣旨はいい。しかし民主党政権と同じように、財政拡大ではなく、既存の財政規模の中から分配の仕方を変更しようという意図がみられる。 政府の海外援助や消費税の複数税率を取りやめて1兆円を捻出するという発想がそれである。ちなみに消費税の複数税率とは、10%引き上げ時点での軽減税率のことを指すのだろう。つまりは消費税10%引き上げを前提にしているのである。 この点は津村氏と大差ない。実際に、両者は消費税10%への引き上げを予定通り実施すべきだ、と記者会見で発言している。 また玉木氏は「こども国債」の発行での財源調達を主張している。もし、新規国債を発行する形で財政規模を拡大すれば、現状の日銀における金融政策のスタンスからいえば、それは金融緩和として自然に効果を現す。もしそのような形で「こども国債」を利用するならば筆者は賛成である。だが、玉木氏には現状の金融政策についての積極的な評価も、それに代わるような金融政策についての具体的な見通しもない。際立つのは、消費増税や財源調達でのゼロサム的発想である。 要するに、代表候補の彼らは現状の雇用改善などを実現した金融緩和政策に、消極的ないし否定的である。そして財政政策のスタンスも、増税志向で緊縮スタンスが鮮明だったのである。すなわち、津村氏が勝っても、経済政策の方針に変わりはなかっただろう。まさに「民主党政権なるもの」の正しい継承者である。 だが、国民民主党の経済政策を批判しても、問題が終わるわけではもちろんない。今回、支持率0%台の政党の代表選を取り上げたのは、この代表選を戦った2人の候補に、まさに日本を長期停滞に陥れてきた経済政策の見方が典型的に出ているからである。2018年7月、国民民主党本部が入るビルの屋上に新たに設置された党名看板(春名中撮影) 一つは、金融緩和政策への否定的態度、もう一つは構造問題などを理由にした財政再建的な発想(消費増税、ゼロサム的発想など)である。この二つの考え方は、与野党問わず広範囲に存在する「悪しき呪縛」だ。 国民民主党に意義があるとしたら、日本経済をダメにしてきた悪しき呪縛を最もよく体現する政党である、ということだろう。支持率0%台は、その意味で日本国民の良識の判断であるかもしれない。世論調査には懐疑的な筆者だが、この結果だけは納得してしまうのである。

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    首相3選は確実でも「アベノミクス殺し」日銀の刺客が黙ってない

    に耳を傾けながら、信用していいのか相手の人格まで評価に組み込みつつ、判断していった。その中で、日銀、財務省の二大権威が言うことを、そのまま鵜呑みにしてはいけないという強い認識を育てていったのでしょう。谷口智彦『安倍晋三の真実』(悟空出版) そして谷口氏は、安倍首相は、日銀がデフレ脱却の責任を取らない本性を見抜いていたと指摘している。もし、谷口氏の評価が正しければ、安倍首相は、黒田総裁の後ろで権威を高めつつある「雨宮的日銀」の無責任な官僚たちの姿を見抜くべきである。 しかも、雨宮的日銀は、増税志向の財務省や、「ポスト安倍」のさらに次を狙う若い政治家たちとも連携している可能性がある。消費増税を実行すれば、金融政策の効果は大きくそがれる。 その効果を、今の雨宮的日銀が「今の金融緩和政策が限界である」と都合よく解釈する可能性がある。それが今回の官僚文学的な政策決定の持つ方向性でもある。つまり、消費増税による財政面での「アベノミクス殺し」のついでに、金融政策も抹殺しようとしているのではないか。2018年7月、金融政策決定会合後に記者会見する日銀の黒田東彦総裁(宮川浩和撮影) 安倍首相が3選しても、雨宮的日銀が刺客として、その政治的レームダック化を狙うかもしれない。首相はだまされてはいけない。 これは真剣な提言だが、安倍首相はぜひ日銀内のリフレ派を外野から後押ししてほしい。具体的な方策はお任せしたいが、首相の「応援」があるだけで、雨宮的日銀の官僚には大きな脅威になるはずだ。そして、安倍政権の基盤強化につながることは間違いないからである。

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    英政府、「合意なしブレグジット」対策発表 クレジットカード手数料値上げも

    失敗した」ことを意味するだろうと批判している。 対策発表の直後、フィリップ・ハモンド英財務相は下院の財務省特別委員会宛ての書簡で、合意なしでEUを離脱した場合、英国の国内総生産(GDP)は向こう15年で7.7%縮小するとする財務省の警告を改めて示した。 合意なしブレグジット対策とは 24の文書にまとめられた対策は、医薬品や金融、農業といった産業にまたがっている。主な対策は以下の通り。 英・EU加盟国間のクレジットカード決済費用は「おそらく上昇」する。この上昇分は追加手数料禁止の対象にならない EU加盟国と取引のある企業は新たな税関検査に向けた準備を始める必要がある。新しいソフトウエアや人員・機材などの導入に費用がかかる場合もある 在欧英国民は、EUが対応しなければ、英国の銀行や年金サービスへのアクセスを失う可能性がある 英国のオーガニック食品メーカーは、EUへの輸出が困難になる可能性がある 医薬品メーカーは、「円滑な」供給継続のために6週間分の在庫を確保しておくよう指導された 英国は、EUで検査済みの新薬を今後も認可していく方針 EU加盟国からの低価格の小包は今後、VAT(付加価値税)免除の対象にならない 現在たばこのパッケージに掲載されている警告画像は、EUが著作権を保有している。このため、英国では新しい画像が必要になる ラーブ・ブレグジット担当相は、EUとの合意形成は「最重要の優先事項」であり、「最もあり得る展開」だと述べた上で、「別の可能性を検討する準備も必要だ」と話した。 また、合意なしブレグジットになれば、英国で食糧が不足し、「サンドイッチ飢きん」に陥るなどとする懸念を「突拍子もない意見」だと退けた。 「これだけは保証するが、突拍子もない意見とは裏腹に、ブレグジット後もBLTサンドを楽しむことができるし、食品の供給を維持するために陸軍を派遣する計画はない」 <関連記事> ブレグジット合意なくても「EU市民追い返さない」=英担当相 メイ英首相、関税同盟めぐる親EU派攻勢かわす 下院で修正案否決 トランプ氏、英のEU離脱計画は「貿易協定締結をだめにする可能性高い」 英国は2019年3月29日にEUを離脱する予定。 EUとの交渉で懸案がいまだ残る中、離脱後の関係について合意に至らない場合に何が起こるか、議論されてきた。 たとえば警察・犯罪コミッショナー協会が、英国がEUの犯罪データベースにアクセスできなくなった場合のリスクについて警告したほか、マーク・カーニー・イングランド銀行(中銀)総裁も合意なしブレグジットは「非常に望ましくない」と述べた。 これに対してEU離脱派はこうした警告について、「恐怖を煽る作戦」と反発。EUと通商協定がないまま離脱しても、世界貿易機関(WTO)ルールを適用すれば済むことだと主張している。 保守党のジェイコブ・リース=モグ下院議員はBBCラジオ4の番組「トゥデイ」で、WTOのルールは「十分」で、合意なしの離脱のリスクは「馬鹿らしいほど誇張されている」と語った。 同じく離脱派のジョン・レッドウッド下院議員も、6週間分の医薬品を確保しろという要求は「少しやりすぎ」だが、政府は「極端に慎重」になっていると批判した。 対策への反応は? EUの欧州委員会は、ブレグジットは「合意があってもなくても」混乱を引き起こすとしている。 「だからこそ全員が、特に経済の担い手が、準備する必要がある」 欧州委員会はすでに、合意に至らなかった場合についてのアセスメントを公表しており、在英EU市民にも在EU英国民にも「特別な措置がない」ままの状態になり、国境で「深刻な遅れ」が発生すると警告した。 英労働党の影のEU離脱担当相、キア・スタ-マー氏は、ラーブ氏の演説は「詳細に欠け、内容に欠け、合意なし離脱による深刻な影響を、政府がどのように抑えるつもりか、なんの答えも出していない」と指摘した。 ウェールズ自治政府のカーウィン・ジョーンズ首相は、合意なしブレグジットは「大きな混乱と、深刻で長期にわたる経済的・社会的ダメージ」の原因となると述べた。 業界団体からも批判の声が上がっている。全国農業労働組合は、この対策は英国の食品サプライチェーンにとって「壊滅的な」崖っぷちシナリオだと警鐘を鳴らした。 英産業連盟(CBI)は声明で、「WTOのルールをよりどころにEUと決裂しても大丈夫だと主張する人たちが、いかに幻想の世界に生きているか、客観的事実をもってしてもイデオロギーは変えられない世界に生きているか、あらわになった」と、政府の対策発表を批判した。 (英語記事 Credit card warning in UK's 'no-deal' plans)

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    「55年体制の劣化コピー」安倍政権が倒れない七つの理由

    相は麻生、二階の両氏に媚びへつらうのか、他の派閥ではダメなのかである。理由は、麻生、二階の両氏には、財務省と創価学会がもれなくついてくるからである。 麻生氏は言わずと知れた財務省、特に主計局の走狗(そうく)である。自身の総理大臣時代から消費増税への道筋をつけ、常に増税を迫り、金融緩和への懸念を示す。アベノミクスがどうなろうが知ったことではないのだろう。それが財務省の総意ならば。 麻生氏が罪深いのは、財務省増税原理主義派の走狗として消費増税8%を押し付けてきたことだ。あの時は、霞が関官僚機構の頂点に位置する時の財務事務次官、木下康司氏の号令により、自民党の9割、公明党の全部、民主党幹部、財界と労働界の主流派、6大新聞と地上波キー局のすべてが、消費増税8%を迫り、安倍首相は無残にも屈した。 結果、「2年で景気回復」の約束はどこへやら、いまだにデフレから脱却していない。安倍首相も学習したのか10%への増税は延期したが、来年の10月には予定通り増税すると公言している。何が怖いのか知らないが、安倍首相も財務省を敵に回したくないらしい。 二階氏の権力の源泉は創価学会と公明党との人脈である。先の新潟県知事選挙でも、二階氏が頭を下げたので、投票日直前に創価学会に動いたと報じられる。これまで安倍首相は、あらゆる国政選挙で勝利してきた。ゆえに、安倍首相は「一強」と呼ばれる。しかし、すべては創価学会のおかげである。 今や昔となったが、昨年の秋までは小池百合子東京都知事が率いる都民ファーストが日の出の勢いだった。たった1年前の都議会議員選挙で自民党は大敗した。特に無残だったのが1人区である。自民党は1勝6敗だった。都議選で当選を決めた都民ファーストの会の候補者名に花を付ける小池百合子都知事=2017年7月、東京都新宿区(大西正純撮影) 唯一の勝利は、島嶼(とうしょ)部。新党が絶対に勝ちようがない地区だけである。なぜ、ここまでの大敗を喫したか。創価学会の支援が得られなかったからである。東京も西部は電車も走っていないような超田舎だが、そのような地域ででも創価学会の支援を得られないと勝てない。自民党の組織力とはその程度のものであり、「一強」とは砂上の楼閣なのだ。 自民党が過半数を得る組み合わせなど、いくらでもある。その中で麻生派と二階派を主流派としたい理由は、財務省と創価学会・公明党との協調を維持できるからなのだ。 第三の理由は、政策で無理をしていないことだ。自ら各界からブレーンを集めて「日本のグランドデザイン」を描いた池田勇人内閣まではともかく、佐藤栄作内閣以降の自民党は、官僚機構をシンクタンクとして活用してきた。愚行である。 一般に、近代政党は独自のシンクタンクを有する。行政権力を握る官僚機構に対抗する知見を身につけ、立法府としての役割を果たすためだ。要するに、官僚に騙されないようにするためだ。また、官僚は生態的にポジショントークから絶対に離れられないから、官僚と話す前に勉強しておく。ところが、自民党のように官僚機構をシンクタンクとした場合、官僚が間違えたらどうするのか。政治そのものが間違う。 安倍首相もご多分にもれず、官僚機構に依存しきっている。それでも財務省に対しては、それなりにモノ申す姿勢はある。消費増税10%とて、二度の国政選挙での信任を得て延期するという大仰かつ意味不明なやり方であったが、延期した。 ところが、法律を握る内閣法制局に対しては、最初からお手上げである。嘘だと思うなら、安倍自民党がまとめた「憲法改正案」を一読してみるといい。内閣法制局の解釈を条文化しただけである。内閣法制局とは、日本国憲法の解釈を一手に握ってきた、戦後レジームの総本山である。その法制局の解釈を条文化する案を提示するなど、何の冗談だろうか。「三木武夫の劣化コピー」 だが、見方を変えれば、自分が決して危険な人物ではないと必死かつ巧妙にアピールしているとも評せる。過去の支持者の一部保守層に対し「戦後レジームからの脱却を決して忘れていない」と旗を立てつつ、本気で戦う気はない。タカ派を気取り「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘が5年の長期政権を築いた手法の焼き直しだ。「保守など時々ガス抜きしておけばよい」とするリアリズムである。 もう一つ政策を挙げれば、防衛費増額がある。マスコミは右も左も「戦後最高の防衛費増額」と書き立てる。右は称揚し、左は懸念を示す。しかし、安倍政権は毎年0・8%ずつ上げているにすぎない。 そして見事にGDP0・92~0・95%枠を守っている。言うなれば、「三木武夫の劣化コピー」である。当時は自民党史上最大のリベラル政治家と言われる三木内閣ほどの防衛努力もしていないのに自らをタカ派と演出しているのも、政権維持の知恵であろうか。 選挙は創価学会、予算は財務省主計局、法律は内閣法制局。この三つに依存している限り、「一強」なのである。「戦後レジームからの脱却」など捨ててしまえば、安泰である。 第四に、国際環境が幸運に左右していることである。日本の歴代内閣は、アメリカ大統領に左右されてきた。アメリカの民主党政権は、反日の傾向が強い。逆に共和党政権は、「番犬」としての役割を求め、種々の圧力を加えてくる傾向がある。 だが、前任のバラク・オバマは反日の姿勢が極めて弱かった。ウッドロー・ウィルソン以来、最も反日的ではないアメリカ民主党政権だった。代わったドナルド・トランプは、戦後初めて日本に対等の同盟国になる道を差し伸べてきた。極めて幸運である。 トランプは第二次大戦後の秩序を本気でひっくり返そうとしている。中国が台頭する世界の中で、アメリカの国益を追求する。その同盟国として日本を選んだ。そして、大統領選挙の最中から、東アジア情勢の緊張を鑑みて日本に防衛努力を求めてきた。共同記者会見で、手を差し出す安倍首相(左)とトランプ米大統領=2018年6月 では、この状況に安倍首相はどうしたか。ここでも政策で無理をしない、である。「間違ってもトランプの口車に乗って自主防衛や核武装だの、するものか」と決意しているかのようである。世界中のエスタブリッシュメントとけんかしているトランプに本気で付き合う気はない。 また、核武装や自主防衛など、法制局・主計局・創価学会を敵に回す。考えたくもない。それならば、世界中で嫌われているトランプを各国の首脳と取り持てば、面倒な努力をしなくても恩が売れる。「トランプ内閣の外務大臣」である。 世の中には安倍首相を「トランプの参謀総長」と誇張する御仁もいるようだが、わが国がいつ軍事努力をしたのか。語るに値しない野党 第五は、敵がいないことである。これまで述べてきたように、内閣法制局や財務省主計局、創価学会を怒らせなければ、麻生派や二階派、公明党が応援してくれる。自民党内反主流派がこれを崩すのは容易ではないだろう。 野党に至っては、語るに値しない。海江田万里、岡田克也、蓮舫、枝野幸男…。安倍内閣を「支える」人材が豊富である。彼らが野党第一党の党首を続けてくれる限り、安倍自民党内閣は安泰であろう。 たとえ中途半端でも、景気は回復している。何かの一つ覚えのように「モリカケ」を繰り返すだけの野党に、国民は政権を渡す気はないだろう。安倍自民党に不満が充満しても渡す気にはなれないだろう。「いくらモリカケを騒いでも、野党がザルだから大丈夫」…くらいのことは誰でも言えるが、ではなぜ安倍自民党に対抗できる野党が存在しないのか。 仮に去年の衆院選の際、人気絶頂だった小池百合子氏が「首相を3日やれば死んでもよい」と決心して、後先考えずに全野党を結集していたら安倍内閣は即死だっただろう。だが、できなかった。それを小池氏個人の力量に帰すのは簡単だが、組織の裏付けがないと野党結集など不可能だ。 では、創価学会に対抗できる組織とは何か。労働組合の連合である。現在の連合の首脳は、神津里季生会長と逢見直人会長代行(前事務局長)は、旧民社系で保守色が強い。この2人が「別に安倍内閣が続いてもらってよい」と考えているのではないか。そう考えないと説明がつかないことが多いのだ。 枝野幸男立憲民主党代表にしろ、玉木雄一郎国民民主党代表にしろ、安倍内閣以上の政権運営ができるのか。小池氏にしても然り。すなわち、彼らが政権を獲るよりも、安倍政権に存続してもらった方がアベノミクスで労働者の賃金は上がり、雇用は改善されるのである。立憲民主党の枝野幸男代表(酒巻俊介撮影) もちろん、金融緩和を中核とするアベノミクスとて、消費増税の影響で中途半端だ。しかし、安倍首相以上に景気を回復できそうな総理大臣候補はいない。ならば、何が何でも安倍政権を倒すなどという野党結集など、邪魔した方が合理的だ。 ついでに言うと、連合は組織内に自治労と日教組を抱えている。彼らは景気回復には反対だ。デフレを脱却しなければ民間の賃金は上がらず、公務員の給料は相対的に上がる。神津、逢見の両氏も自治労や日教組を敵に回す度胸はあるまい。安倍首相が、法制局や主計局、創価学会を敵に回す度胸がないように。 ここに、安倍首相と連合首脳の思惑が一致する。口では保守を唱えながら労働者に優しい総理大臣を引きずり下ろす必要など、どこにあるのか。 しばしば「マトモな野党が存在しない」との慨嘆が聞かれるが、組織論からの考察がほとんどなされないのは、どういうことか。しょせん議員の数合わせなど、組織の意向で決まるというのに。復活した「55年体制」 第六が、55年体制が復活していることである。この場合の55年体制とは、「常に衆議院の過半数を自民党が占め、野党第一党が“やられ役”を演じる政治運営」のことである。自民党は与党でいることが唯一の存在意義である。 対して、戦後政治において野党第一党の座を占めてきた、社会党~民進党~立憲民主党の系譜には共通点がある。政権を獲って国政を担う責任感は皆無だが、野党第一党の座は死守したい。そうすれば他人の批判だけで飯が食えるからである。 この意味では、上にあげた三党よりは、旧民主党はマシである。政権を獲る意思があったという一点で。ところが、民進党や立憲民主党は、すっかり社会党に先祖返りした。当選回数が若い議員はともかく、地盤が安定している幹部たちは落選の心配がないのだから、野党第一党の座さえ守れば党勢拡大のような面倒くさいことは考えてもいないのだ。 かつて、「まさか社会党に政権を渡すような非常識はできない」という理屈がまかり通り、自民党の腐敗が悪化し続けた。今はどうか。まったく同じ構造ではないか。 そして、55年体制で忘れられがちな側面がある。政界では保守政党の自民党が与党で、リベラル(昔は革新を名乗った)が“やられ役”だった。その反面、言論界では革新が多数派で、保守は「やられ役」だったのだ。かつては、自民党を革新の立場から論評するのがインテリであるとの風潮さえあった。 では、今はどうか。確かに、インターネットの普及で保守側の言論の発信も可能になった。ネットは右翼的言論が強いから「ネトウヨ」、テレビを見ている層は左翼的言論に影響されるから「テレサヨ」と呼ばれる。 言論界の主流であるテレサヨは「安倍政権は0点だから、何にでも反対しなければならない」と主張し、ネトウヨは「安倍政権は100点なのだから、保守は安倍政権を全肯定しなければならない。一つでも批判する奴はサヨクだ」と罵る。結局、テレサヨは「安倍政権にケチをつけているだけ」であり、ネトウヨは「安倍政権にケチをつけている勢力にケチをつけているだけ」ではないか。安倍晋三首相 しかし、人間界で起こることの評価に100点や0点があるだろうか。1~99点の間の膨大な中間地帯にこそ、正解があるのではないか。結果、冷静な議論はかき消される。 真の権力を握る勢力、すなわち法制局や主計局、創価学会―の既得権益を脅かさないという条件で安倍政権は長期化を認められ、国民からも消去法で選ばれる。「別に安倍でいいではないか?」と。結果、55年体制の劣化コピーの出来上がりである。 こうした言論は、熱心すぎる安倍支持者の怒りを買うだろうが、知ったことではない。安倍政権を支えてきたのは積極的な安倍支持者ではない。そのような勢力は「ノイジーホシュノリティー」にすぎない。安倍政権は、消極的な支持を得ることがてきたからこそ、これまで存続できたのである。それが、安倍政権が倒れない「唯一の積極的な理由」ではなかろうか。 安倍政権には、勝利の方程式がある。すなわち、「日銀が金融緩和をする→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→誰も引きずりおろせない」である。「株価連動政権」と呼ばれるゆえんである。支持者は政治に興味がない国民 要するに、黒田さんがお札を刷っている限り、安倍政権は倒れないのである。黒田さんとは、もちろん黒田東彦日銀総裁のことである。この人物は今年3月と5年前の人事で安倍首相が押し込んだ。日銀の政策は、1人の総裁と、2人の副総裁、6人の委員が決める。安倍首相は政権発足以来、この9人の人事で勝ち続けた。 旧民主党政権のみならず安倍首相以前の歴代自民党内閣は、お札を刷るのを拒否し続けた。麻生内閣に至ってはリーマンショックで世界中が増刷競争を始めた時に、頑(かたく)なに増刷を拒否し続けた。結果、何の関係もない日本が地獄絵図の惨状に陥った。 アルバニア並みの経済政策である。アルバニアとは、政府主催のねずみ講で国家崩壊に至った国のことである。その張本人のラミズ・アリア大統領は、後に首相に返り咲いている。 リーマンショックの責任者である麻生太郎が副総理兼財務大臣として返り咲くなど、ラミズ・アリアを笑えまい。どこの愚か者が、このようなタワケた人事を行ったのかと糾弾したくなるが、自分の国の自分の総理大臣のやらかしたことだから呑み込もう。 とはいうものの、このような失敗をしつつも、安倍首相は日銀人事で勝ち続けた。そして「勝利の方程式」につながっている。これが、安倍政権が倒れない唯一の積極的な理由である。そして、消費増税の悪影響で緩やかでしかないが、景気は回復してきている。これまで上げてきた理由が重なり、安倍政権が長期化したことで多くの人が救われた。 大多数の国民は、自民党に憲法改正などと言う夢物語を期待していない。くどいが、安倍自民党改憲案は夢としても、まったく魅力がない。 最後に。安倍首相は総裁3選を目指すという。戦後、3期やり遂げた総理大臣と言えば、吉田茂と佐藤栄作しかいない。そして2人とも晩節を汚し、心ある側近は「2期でやめておけば」と後悔した。当たり前の話だが、政権が長く続きすぎること自体が悪なのだ。権力には自浄作用が必要であり、長すぎる政権は硬直化して歪が生じる。 では、安倍首相は3選を目指すにあたり、何を目指すのか。これまでのように政治家ではなく行政官に徹するつもりか。もし、これが「一日でも長く総理大臣を続けたい」だけの愚劣な人間なら巧妙な政争術だ。ただし、その場合は「二度と戦後レジームからの脱却などと生意気なセリフを吐くな!」との批判を甘んじて受ける覚悟だろうが。約1年半ぶりに開かれた党首討論で安倍晋三首相(右手前)に質問する立憲民主党の枝野幸男代表=2018年5月、国会 現時点で安倍政権がやろうとしている政策は、消費増税10%くらいなのである。それも別に安倍首相でなければできない話ではない。むしろ景気回復前の増税阻止ならともかく、増税を公約に3選を目指すのか。さらに来年は統一地方選と参議院選挙がある。増税と9条改正を掲げて選挙に勝てると思っているのか。その場合、安倍首相が勝とうが負けようが、日本人は地獄に落ちる。 安倍政権が安泰なのは、景気回復について、多数の政治に興味がない国民が支持してくれるからであり、本質的には無難な政治しかしていないからである。安倍政権こそ、戦後レジームの護持者として長期政権化しているのである。

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    新聞記者たちがあっさり騙される安倍首相「信号無視話法」

    “信号機”のように色分けしてみた。するといきなり問題の本質が見えてきた。「首相夫人が公務員を使って、財務省に(森友学園への)優遇措置を働きかけるのはいいことか」などと質問した枝野幸男・立憲民主党代表への答弁では、首相は枝野氏の持ち時間19分のうち12分も喋り続けたが、犬飼氏が文字数を計算すると「青」答弁はわずか4%、しかも「政府はコメントする立場にはない」と、内容的にはゼロ回答だった。 志位和夫・日本共産党委員長の「モリカケ問題で文書の改竄、隠蔽、廃棄、虚偽答弁という悪質な行為が起きた理由をどう考えるか」という質問に対しては、なんと「青」答弁がゼロという結果になった。2018年4月、「桜を見る会」を終え、記者の質問に答える安倍晋三首相(中央)=東京・新宿御苑(代表撮影) 6月27日に行なわれた2回目の党首討論でも、首相は志位氏の「加計学園が総理の名前を使って巨額の補助金を掠め取ったのではないか」という質問に、約6分間も「赤」「黄」答弁を繰り返した挙げ句、「私はあずかり知らない」とゼロ回答だった。説明責任? 何それ?説明責任? 何それ? 新聞記者と同じく追及する側の野党党首の実力不足もあるにせよ、この「黄」「赤」ばかり点灯させる信号こそ、真相解明という“車”が立ち往生し、1年以上も国会で堂々めぐりの議論が続いている原因なのだ。「この視覚化で再認識したのは安倍首相がたいへん不誠実な答弁を続けているということです。メディアは今の政治についてもっとわかりやすく報じてほしい」(犬飼氏) 新聞各紙はさすがに30日の党首討論について、「安倍論法もうんざりだ」(朝日)、「政策を競う場として活用せよ」(読売)、「もっと実のある中身に」(日経)と翌31日付の社説で注文を付けているが、“自民党支持者は新聞を読んでいない”とバカにしているから何と言われても響かない。 そればかりか、6月19日、初めて記者会見に応じた首相の「腹心の友」加計孝太郎・加計学園理事長まで、記者の質問に議論のすり替えや「記憶も記録もない」という首相と同じ「信号無視話法」を駆使し、わずか25分で一方的に打ち切った。 安倍首相を筆頭に、佐川宣寿・前国税庁長官、柳瀬唯夫・元総理秘書官、そして加計理事長と“安倍一味”に共通する態度からは、これからこの国の政治腐敗がどれだけ広がろうと、「総理の友人ならおかまいなしで、国民への説明責任もいらない」という信号無視の暴走政治が始まることを示唆している。 安倍首相は今国会2回目の党首討論でついにこんな言葉まで繰り出した。「(党首討論の)歴史的な使命が終わってしまった」 信号無視どころか、信号機を壊し始めたのだ。そして政治の暴走は止まらなくなる。関連記事■ 信頼失った朝日新聞 安倍―麻生の印象操作の餌食に■ 朝日新聞の信頼度は日本の有力紙の中で最下位 英調査■ 右派系まとめサイトの管理人に「目的」を直撃してみた■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ 麻生氏が「悪いのは昭恵だろう!」と怒鳴る声が役人に話題

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    工作員の疑いで逮捕のロシア人女性、米団体就職のため性行為を提供か

    トルシン氏はプーチン大統領率いる与党「統一ロシア」の元上院議員で、幅広い人脈を持つ。 今年4月には米財務省による制裁対象となった。 ブティナ容疑者は数年前から、トルシン氏と写った写真を何枚かソーシャルメディアに投稿していた。ビザ申請書類には、かつてトルシン氏の特別助手だったと記入している。 米CBSニュースは消息筋の話として、司法省がブティナ容疑者と一緒にトルシン氏を訴追しなかったのは、ロバート・ムラー特別検察官がブティナ容疑者の協力を得て、トルシン氏や他のロシア政府高官について供述を得ようとしている印だと伝えた。 ホワイトハウスのサラ・サンダース報道官は18日の定例記者会見で、「その点にも注目しているが、時間のかかる手続きになる」と述べた。 (英語記事 Maria Butina: Alleged Russia agent 'offered sex for job')

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    大阪直下地震で思い出す「増税なくして復興なし」のペテン

    停滞への脱出と、震災復興の両方を支援できる経済政策だというのが当時のわれわれの主張であった。 だが、財務省を中心とする増税勢力にはそんな論法は通じなかった。彼らのやり口は実に巧妙であり、「復興増税」を民主党、そして当時は野党だった自民党と公明党で実現させたのである。さらに、この三党協調をもとに、おそらく当初からその狙いであった消費増税の実現にまで結び付けた。当時の日本経済からすればまさに人災に等しい「大緊縮路線」の成立である。「最悪の人災」=増税 緊縮政策が、不況もしくは不況から十分に脱出できないときに採用されれば、人命を損ねる結果になる。職を失い、社会で居場所を失った人たちなど、自殺者数の増加など負の効果は計り知れない。その意味では、天災を口実にした「最悪の人災」=増税という緊縮政策の誕生であった。ちなみに、民主党は現在、国民民主党や立憲民主党などに分裂しているが、経済政策は全く同じ発想である。 このような緊縮路線は今日も健在どころか、最近はその勢いを強めている。消費増税をはじめとする緊縮政策の一番の推進者は、言うまでもなく財務省という官僚機構である。財務官僚とそのOBたちのゆがんだエリート意識とその醜い利権欲は、いまや多くの国民が知ることだろう。 セクハラ疑惑によるトップの辞任、財務省の局をあげての文書改ざん、何十年も繰り返される「財政危機」の大うそ、社会的非難が厳しくても繰り返される高額報酬目当ての天下りなど、ブラック企業も顔負けである。このようなブラック官庁がわれわれの税金で動いているのも、また日本の悲劇である。 しかも財務官僚だけではなく、増税政治家、経団連や経済同友会などの増税経済団体、増税マスコミ、増税経済学者・エコノミストなど、緊縮政策の軍団は実に広範囲である。しかも、グロテスクな深海魚がかわいらしくみえるほどの奇怪な多様性を持っている。 例えば、反貧困や弱者救済を主張する社会運動家が、なぜかその弱者を困難に陥れる増税=緊縮路線を支持しているのも、日常的な風景である。増税したその見返りが、自分たちの考える「弱者」に率先して投入されるとでも思っているのだとしたら、考えを改めた方がいいだろう。 日銀の岩田規久男前副総裁は、メディアの最近の取材や筆者との私的な対話の中で、日本が20年も長期停滞を続けたため、非正規雇用など低所得者が増えたと指摘している。さらに、岩田氏によると、年金世代が全世帯の3割以上に増えたことで、消費増税による経済への悪影響を強めているという。 つまり、増税、特に低所得者層に強い影響が出る消費増税は、日本において最悪の税金である。「弱者救済」を唱える人たちが財務省になびくのは、まるで冗談か悪夢のようにしか思えないのである。電車のダイヤが乱れ、阪急梅田駅前の階段に座る人たち=2018年6月18日、大阪市北区(安元雄太撮影) 最近、この消費増税、緊縮政策路線が、政府の経済財政諮問会議により提起され、閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」にも強く採用され続けている。経済活動が活発化し、その結果として財政が改善していくのが、経済学で教わらなくても普通の常識であろう。 だが、財務官僚中心の発想は違う。まず財政再建ありきなのである。財政再建が目的であり、われわれの経済活動はその「奴隷」でしかない。これは言い方を変えれば、財務省の奴隷として国民とその経済活動があることを意味する。恐ろしい傲慢(ごうまん)な発想である。財務省の目論み 例えばしばしば「財政健全化」の一つの目標のようにいわれる基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化。この概念は、そもそも経済不況を根絶するために積極的な財政政策を支持した経済学者、エブセイ・ドーマーによって主張されたものである。 つまり、緊縮財政を唱える論者を否定するために持ち出した概念が、なぜか財務省的発想で緊縮財政のために利用されているのである。まさにゆがんだ官僚精神をみる思いで、あきれるばかりである。 PBは、経済が停滞から脱出し、経済成長率が安定すれば、それに見合って財政状況も改善するということを言いたいのが趣旨だ。何度もいうが、これが逆転して、増税勢力に都合のいい「財政再建」や「社会保障の拡充」という緊縮政策に悪用されてしまっている。 しかも経済学的には意味を見いだしがたいPBの黒字化目標を、2020年度から25年度にずらしたところで、緊縮病から抜け出せるわけではない。あくまで目標にするのは経済の改善であって、PB目標などどうでもいいのだ。 だが、PB先送りについて、朝日新聞の論説にかかると「骨太の方針 危機意識がなさ過ぎる」んだそうである。まずは、この朝日新聞の論説を書いた人の経済認識こそ、危機意識が足りないと思う。地震で崩れた外壁=2018年6月18日、大阪市淀川区(渡辺恭晃撮影) また、国債市場では取引が不成立なことがしばしば起こることをもって、「国債危機」的な煽り記事もある。これは、単に日本銀行が「今の積極的な金融緩和を続けるためには、もっと政府が新規の国債を発行することを求めている」、市場側のシグナルの一つでしかない。つまり経済は、緊縮よりももっと積極的な経済政策を求めている。だが、全ては「財政危機」「社会保障の拡充」という上に書いたようなゆがんだ経済認識に利用されているのが実情だ。 数年前、いや今も天災さえも利用して自らの増税=緊縮政策を貫いた財務省を核とした「ブラックな集団」が日本に存在していること、これこそが日本の「最大級の人災」である。そして対策は、このブラック企業顔負けの集団の核である、財務省の解体しかないことを、世間はより強く知るべきではないだろうか。

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    「放言連発」「上から目線」でも麻生大臣はなぜ逃げ切れたのか

    学校法人「森友学園」(大阪市)との国有地取引に関する決裁文書の改ざんが発覚してから3カ月近くたった。財務省は6月4日になって、ようやく調査報告書を発表した。 麻生太郎副総理兼財務相は大臣談話として「決裁を経た行政文書を改ざんし、それを国会などに提出するようなことは、あってはならないことであり、誠に遺憾である」「応接録についても、国会などとの関係で極めて不適切な取り扱いがなされていたものと認められる」と謝罪し、閣僚給与12カ月分の自主返納を表明した。結局、財務省では関係者20人に及ぶ処分者を出した。 この3カ月、国民は嫌というほど、森友問題に関する麻生氏の国会答弁や記者会見を聞かされてきた。テレビ朝日の女性記者へのセクハラ問題で、福田淳一前財務次官の更迭に伴うコメントにしてもそうだ。まさに、部下を一瞬にして悪者扱いする「君子豹変」と、自分は悪くないという姿勢を貫き通す「小人革面」の「麻生劇場」が繰り広げられたのである。 2018年2月13日、麻生氏は衆院予算委員会で、佐川宣寿(のぶひさ)国税庁長官(当時)を「国税庁長官としては適任だと判断したもので、事実、国税庁長官としての職務を適切に行っている」と持ち上げた。3月に朝日新聞が決裁文書書き換えの可能性について報じても、参院予算委で「答えることが捜査にどのような影響を与えるか予見し難い。答弁は差し控える」と突っぱねた。2017年2月、衆院財務金融委で答弁する財務省の佐川宣寿理財局長。左は安倍首相、右は麻生財務相=国会 3月9日、佐川氏の辞意表明後の会見でも、麻生氏は「彼が途中で辞めるということになったことに関しては、少々残念な気がする」と、佐川氏が適任であったという認識を変えなかった。それどころか、質問した記者の所属社をわざと「なんとか新聞」と述べ、当てこする始末だった。 それが一転、文書書き換えを認めた3月12日の記者会見で、麻生氏は「極めてゆゆしきことなのであって、誠に遺憾。私としても深くお詫びを申し上げる次第です」とようやく「お詫び」を口にした。それでも頭を下げるようなことはせず、「行政の長として深くお詫び申し上げる」と頭を下げた安倍晋三首相とは対照的に、麻生氏の「傲岸(ごうがん)不遜」を印象付けた。パーソナリティ、三つの特徴 確かに、麻生氏は佐川氏を「職務を適切に行っている」と持ち上げてはいたものの、行政文書の書き換えを認める会見では「佐川の答弁に合わせて、書き換えたというのが事実だと思っています」と文書書き換えが理財局長当時の佐川氏の答弁に合わせて行われた認識を示した。 さらに、「最終責任者が理財局の局長である佐川になると思う」と、理財局トップだった佐川氏に責任があると、「佐川」と呼び捨てにして言ってのけたのである。ただし、「私としては財務省全体の組織が問題とは考えていない」と、財務省全体への責任を否定するのを忘れなかった。 3月16日の参院予算委では、答弁中のヤジに業を煮やし、答えるのをやめて「やかましいなあ。聞きたい? じゃあ静かにしていただけますか」といらだちをあらわにするなど、相変わらず挑発的な姿勢を見せた。 こうして麻生氏は「悪いのは佐川と理財局」という「君子豹変」ぶりを見せ、最終的に佐川氏が主導して理財局が決裁文書の改ざんを行ったという報告書がまとめられたのである。 その財務省本体が、事務次官のセクハラ問題でも揺れた。発端は、女性記者に対する福田氏の「セクハラ発言」を『週刊新潮』が報じたことだが、財務次官の発言としては耳を疑うような内容が並ぶ記事は世間に衝撃を与えた。そのうえ、翌日には記事の元になった音源の一部も公開された。 だが、財務省のヒアリングに対して福田氏はこれを否定した。財務省は、事実関係を明らかにするために、財務省側の弁護士にセクハラ被害を申し出るよう求めた。 4月17日、麻生氏は音源について「俺聞いて、福田だなと感じましたよ。俺はね」と答える一方で、財務省側の弁護士にセクハラ被害を申し出るよう求めた件については「こちら側も言われてる人の立場を考えてやらないかんのですよ。福田の人権はなしってわけですか?」と、一方的に福田氏の側に立った上から目線の発言に終始した。財務省の外観・看板=2018年3月(桐原正道撮影) しかし翌日、事態は急展開する。麻生氏は記者団に対し、福田氏から辞任の申し出があり、認めたと発表した。この間、麻生氏からは「(福田氏が)はめられたという見方もある」「セクハラ罪はない」などいった発言も飛び出している。 この3カ月で、他の政治家には見られない麻生氏のパーソナリティーが遺憾なく発揮されたわけだが、それには三つの特徴がある。 一つ目は、マキャベリの『君主論』よろしく、自らの責任に累が及ばないように、「適材適所」と認めていた部下でもサッと切って捨てる冷酷さだ。「上から目線のお殿様」と揶揄(やゆ)されることもあるが、企業でもお人よしでは組織のトップは務まらない。麻生氏はそれを分かりやすい形で体現しているともいえる。安倍3選失敗で「君子豹変」? 二つ目は、マスコミに対して、ことさら挑発的な姿勢を見せることだ。「なんとか新聞」発言はその際たるものだろう。麻生氏は、米国を除く11カ国の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP11)が署名されたときにも、TPP11のことは一行も書かないで森友問題ばかり報道していたと、「日本の新聞のレベルが低い」と批判してみたりする。マスコミに遠慮して批判を控える政治家が多い中で、ここまでマスコミと事を構える政治家は、一部の有権者にはカタルシスにつながるだろう。 三つ目は、歯に衣(きぬ)着せぬモノ言いで「自分は悪くない」という「小人革面」を変えないが、「麻生さんだから仕方ないな」と思わせるレベルを自らコントロールしたことだ。「それを言ったらおしまいだろう」というグレーゾーンの発言に対して、野党は怒って麻生氏を批判するが、それで終わらせてしまうのである。 あれだけ好き放題に発言して、麻生氏への辞任要求が野党から出ても、辞めずに「逃げ切った」背景には、キレて冷静さを失ったように見せかけた絶妙のコントロールがあったのである。 企業社会に生きる人たちの中で、麻生氏の型破りな言動に快哉(かいさい)を叫びたくなる人も少なからずいるのかもしれない。だからこそ、麻生氏はプロレスのマイクパフォーマンスよろしく、野党やマスコミを挑発して、「俺にかかってこい」と言わんばかりの態度を貫きながら、辞任を逃れたのだろう。 もっとも、麻生氏が辞任してしまっては、さまざまな批判が安倍首相に集中してしまう。麻生氏に報道がフォーカスされるということは、世論の関心が麻生氏に向くので政権の「防波堤」になる、という見方もある。確かに、麻生氏は「絵になる」ので、麻生氏がマスコミにかみつくと、安倍首相や財務省もかすみがちになる部分はある。 ここまで来たら「死なばもろとも」、麻生氏は安倍首相と一蓮托生(いちれんたくしょう)で進んでいくしかあるまい。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界では、9月の自民党総裁選もにらんだ動きが既に繰り広げられている。 自民党の中にも、追及する野党やマスコミに迎合するかのように、安倍批判のトーンを上げる政治家もいる。とはいえ、彼らは「あわよくば」という魂胆がミエミエで、ひんしゅくも買っている。2018年3月、参院予算委で安倍晋三首相(左)と話す麻生太郎副総理兼財務相(斎藤良雄撮影) では、麻生氏は「安倍3選」が果たせなかったときに「君子豹変」してしまうのだろうか。一連の不祥事でも「上から目線」発言を貫いたことを考えれば、「やっぱり安倍には問題あったからね」と切って捨てるように、私には思える。 誰が次の自民党総裁に選ばれても、政治家のパフォーマンスに踊らされ、重要な法案の審議も含め、政治の本質がますます見えにくくなっていく悲劇を繰り返してはいけない。

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    「羽生結弦に国民栄誉賞」舛添要一が素直に喜べない理由

    め尽くされており、国会開催中でも、国内政治のことは話題にすらならなかった。終わったとたんに、厚労省や財務省の資料の問題が出てきたのも不思議ではない。 今回の平昌五輪でも、カーリング女子選手に対する熱狂ぶりは異常であり、同じ銅メダリストのモーグルの原大智(だいち)がかわいそうなくらいである。これがポピュリズムというものである。 ちなみに、北見市へのふるさと納税が増えているというが、これも変な話だ。北見市へ納税した者が住んでいる自治体は、その分減収となる。自分の財布から寄付金を出すなら大歓迎だ。だが、返礼品も含めて問題が多すぎる。ふるさと納税制度をこのように「悪用」してほしくはない。「立ち小便もできなくなる」 第二の問題は、受賞者にも重荷になるということである。こんな賞をもらうと、国民の模範となるべく品行方正に努めなければならなくなる。特に若いころに受賞すると、その後の人生に「栄誉」を背負っていかねばならなくなる。息苦しい限りだ。プロ野球の盗塁王、福本豊は「立ち小便もできなくなる」と言って辞退したという。 スポーツ選手にとっては、五輪であれワールドカップであれ、メダルだけで結構だ。どこまで記録を伸ばせるか、世界の一流選手と闘って勝てるか、それが最大の問題で、そのために厳しい練習をする。その結果が歴史に残る記録になる。それだけで十分だ。 つまり、純粋にスポーツだけで勝負しているのであって、だからこそドーピングを絶対に許してはならないのである。国民栄誉賞をもらおうなどと思って練習に励む者はいない。記録やメダル以外の「不純物」は不要である。 また、国民に感動を与えるために練習しているのではないし、その過程でけがをしたり、リハビリに励んだりするのは、ひたすら勝つためである。けがを克服したことが国民に感動を与えたなどといわれても、そんな道徳教育の話と勝負の世界は別である。お上に栄誉賞を授けてもらわなくても、国民の喝采があれば、選手には国民が喜んでいることは分かる。スポーツ選手を政治の道具にしてはならない。 極端な想定をすると、引退後に人生を間違えて犯罪者になろうとも、現役時代の記録は不滅である。下手に国民栄誉賞など受賞していたら、それこそ全人格的に否定されて、金メダルまで剝奪しようという暴論すら出てくるかもしれない。 若いころ、スポーツ選手だった人間が、年月を経て政治家や経営者になることはあるが、そのような職業には毀誉褒貶(きよほうへん)がつきものである。国民栄誉賞などを背負っていれば、リスクを冒したくないので、政治活動や経営をのびのびと実行することが不可能となろう。つまり、現役引退後の長い人生で、憲法で定められた基本的人権である「職業選択の自由」すらなくなってしまうのである。フィギュアスケート男子で2連覇を果たし、安倍首相(左、代表撮影)から電話で祝福される羽生結弦選手=2018年2月(共同) 以上のような問題は、すべての「栄典」について共通して言えることである。中でも勲章については、かねてから賛否両論があるし、実際に辞退する者もいる。しかし、国民栄誉賞と違って、勲章は年を取ってから受章するので、いわば「冥土の土産」であり、その後の人生を左右するといったことはない。 勲章については、栗原俊雄の『勲章-知られざる素顔』(岩波新書)に詳しいが、この中で「憲政の神様」尾崎行雄(咢堂・がくどう)の例が紹介されている。尾崎は文部大臣、東京市長、司法大臣などの業績で、1916年7月に勲一等旭日大綬章を受ける。しかし、1942年の翼賛選挙を批判したことから、不敬罪で巣鴨拘置所に留置された。 戦後、「憲政の神様」として一躍時の人となった尾崎は、1945年12月に宮中に召されたが、その際に「けふ(今日)は御所 きのふ(昨日)は獄舎(ひとや) あすはまた 地獄極楽いづち行くらん」という自作の狂歌を昭和天皇に見せたそうだ。そして、翌年5月には勲章を返上している。 私は、モロッコ王国より、2008年11月にアラウイ王朝勲章グラントフィシェに、また2016年3月にフランス共和国より、レジオン・ドヌール勲章コマンドゥールに叙せられている。これらは、モロッコやフランスとの交流に貢献したことが認められたものであり、光栄に思っている。 ところが、2年前の「舛添バッシング」のとき、この勲章にまでケチをつける者が出てきた。大衆迎合主義(ポピュリズム)の怖さである。五輪で優秀な成績を収めたメダリストたちには、同じような嫌な思いをさせたくない。国民栄誉賞は廃止すべきである。

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    鳩山由紀夫手記「安倍総理、ご自身の判断でお辞めになればよろしい」

    る。 安倍総理が森友学園問題に関係するということは、必ずしも国有地を森友学園のために安く売ってやれと財務省に働きかけたか否かとか、文書の改ざんを指揮したか否かということを問うているのではない。単純に言えば、森友学園の籠池理事長夫妻と安倍総理夫妻(のいずれか)にはそれなりのお付き合いがあったか否かということである。 そのことに関しては、総理自身はともかく、昭恵夫人が総理に代わって森友学園を訪問した際に、学園の教育方針に感涙したとの報道があった。さらに昭恵夫人のフェイスブックにも、籠池夫妻との写真付きで、日本人の誇りや日本の教育について意見交換させていただきましたと書かれている。昭恵夫人は森友学園が開校予定の小学校の名誉校長を務めることになっていたことからも、関わりは明らかである。 それだからこそ、官邸に人事権を握られた官僚たちが、特に財務官僚たちが必死になって「アベ友」の森友学園に国有地を事実上タダ同然に払い下げしようとし、そのために事実を曲げ、隠蔽(いんぺい)し、揚げ句の果ては改ざんまでして安倍総理を守ろうとしたのである。 公務員が法律まで破り改ざんを行ったのは、時間的にみても、決して佐川宣寿理財局長(当時)の答弁に合わせるために行ったのではないだろう。安倍総理の「関係していたら総理も議員も辞める」との発言があったため、関係していたと見られる恐れがある箇所を改ざんせざるを得なかったのである。「森友」文書書き換え問題で、陳謝する安倍晋三首相=2018年3月12日、官邸(飯田英男撮影) そして、その過程において、自殺者まで生んでしまった。自殺した財務省近畿財務局の男性職員は、財務省上層部の指示で文書の改ざんに関与したことを示唆する内容のメモを残していた。安倍総理の意向を忖度(そんたく)した財務省幹部の指示で文書の改ざんに関与した職員が自殺したのである。 最低限明らかなことは、もし安倍総理夫妻が森友学園の籠池夫妻と知り合いでなかったのならば、森友学園へのタダ同然での国有地売却は起こっておらず、したがって改ざんなどもなされることはなく、職員の自殺は起きなかったということである。日本が真に独立するために 安倍総理がいなければ職員の自殺はなかったのである。もし私が総理であったならば、とてもいたたまれない。総理を続けることなどできない。自分が一人の人間を殺してしまったのだから。この事実の重さを安倍総理はどのように感じているのだろうか。 問題は森友学園にとどまらない。学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設は、加計孝太郎理事長と安倍総理の親密な関係によって無理が通ったのであるが、そのことを隠すために安倍総理は獣医学部新設についてはギリギリまで知らなかったと答弁している。 しかし、はるかそれ以前に愛媛県職員らが官邸で柳瀬唯夫総理秘書官(当時)と面談した際に、柳瀬秘書官が「獣医学部新設は総理案件」と述べていたことが明らかとなった。安倍総理は虚偽の答弁をしたことになる。決して許されることではない。 さらには防衛省による自衛隊の南スーダンやイラク派遣時における日報の隠蔽(いんぺい)問題、福田財務事務次官のセクハラ辞任問題など官僚の不祥事が絶えない。長期政権は必ず腐敗するのはまさに真理である。 政権交代はしばしば、かような内政のスキャンダルによる国民の怒りがもたらすものだが、私が最も不満に思うのは、安倍総理の「対米追随」の外交姿勢である。 日本総合研究所会長の寺島実郎氏が指摘するように、安倍外交は周辺の中国、韓国、北朝鮮、ロシアなどとうまく行っていない。今年に入り、ようやくわずかばかり改善の兆しを見せているが、それまで不毛な「中国脅威論」を振りかざして、アメリカに倣いアジアインフラ投資銀行にいまだに参加していない。インタビューに答える鳩山由紀夫元首相=2017年7月19日午後、東京(酒巻俊介撮影) 韓国とも米国の指示の下に慰安婦問題の解決を図ったが、いまだに韓国民の理解を得られていない。ロシアについても、クリミア問題の歴史と現実を直視せず、経済制裁に加わる愚を犯して北方領土問題の解決を遠のかせた。 北朝鮮問題に関しては、対話の時代は終わったと繰り返して、世界の対話の波に乗り遅れた。そしてトランプ大統領でさえ、安倍総理に笑顔を振りまきながら、日本に必要性を感じない高価な武器を売りつけ、日本によって貿易赤字が拡大したと鉄鋼などに高い関税を設けた。 アメリカに諂(へつら)っても、日本はアメリカの尊敬の対象になり得ていないのだ。日本の外交姿勢を根本的に見直して、日本を真に独立させねばならない。 確かに自民党の支持率は安定しているが、それは自民党に代わる野党が存在していないからであり、ある意味で日本にとって最も不幸なことは、安倍政権が内政、外交ともに大きく国益を損なってきたにもかかわらず、国民の信頼に足る野党がいないことである。 民主党が民進党となり、分裂をしたことで大きく信頼を失った。しかし、だからと言って数合わせの合流はさらに信頼を失うことになりかねない。今、野党がやるべきは拙速を避け、安倍政権、いや自民党政権に代わって、日本の未来の姿を指し示すことである。 日本の国体は断じてアメリカであってはならない。天皇制の下に国民が国体となる日本を描き切ることだ。安倍政権の数代後に、そのような日本が誕生することを切に願う。

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    「安倍退陣論」私はこう読む

    「安倍総理はご自身の判断でお辞めになったらよろしいと思う」。第93代内閣総理大臣、鳩山由紀夫氏がiRONNAに寄せた手記の一節である。モリカケ、公文書改ざん、官僚トップのセクハラ…。相次ぐ不祥事で苦境に立つ安倍政権。与党内にもくすぶる「安倍退陣論」を真正面から考える。

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    「DV政治、安倍晋三」福島瑞穂が綴った内閣退陣6つの理由

    にするのである。これらを当然のことのように行い、セクハラやパワハラを指摘されても認めようとしない。 財務省のセクハラ問題への対応を見ていると、安倍政権は被害者に思いを寄せることができない政権と言わざるを得ない。参院予算委員会集中審議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=2018年5月28日、国会・参院第1委員会室(春名中撮影) 以上、6つの理由を挙げたが、こうした安倍政権とはいったい何であろうか。かつて、森友学園理事長だった籠池泰典氏のように、自分と同じ思想・信条の人や腹心の人、自分をヨイショしてくれる人は優遇し、便宜を図るのが安倍政権なのではないか。 一方で、政策に反対する、沖縄の辺野古新基地建設反対運動の参加者や、都合の悪いことを言う前川前文科次官などは弾圧をする。そして、その中間の人々は、虚偽文書や虚偽答弁でだませばいいと考えているのではないか。まさに強権政治である。 歯向かえば、飛ばされるか、弾圧されるのであれば、誰もが萎縮し、忖度(そんたく)し、服従していく。主権者は国民なのに、権力によって操られる客体に成り下がってしまう。 かつて自民党は国民政党だったのかもしれない。しかし、今や自由競争秩序を重んじる「新自由主義」に傾倒し、大企業のための政党に成り下がっている。現場のひずみや苦労、そして悲鳴や悩みを見ようとも聞こうともしていない。こんな安倍政権に国民への愛があると言えるのか。 もうこんな政治は終わりにしなければならない。民主主義を信じることができなくてどんな未来があるだろうか。安倍政権の退陣こそがスタートである。

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    なぜ安倍政権は「戦後最強の内閣」になったのか

    くことで権勢を維持してきた。しかし、目下、安倍内閣の「強靭性」にも陰りが見え始めた感がある。 現下の財務省や防衛省を舞台にした政官関係に絡む混乱が軒並み、安倍内閣の政権運営の「歪み」として語られ、それを安倍内閣の責任として詰問する声が高まっているのである。数刻前まで既定のものとして語られた今秋の自民党総裁選挙に際しての「安倍三選」も、予断を許さなくなったと指摘する向きもある。 既に幾度も指摘してきたように、筆者が下す内閣評価の基準は、第一が「外交・安全保障政策を切り回せるか」であり、第二が「経済を回せるか」である。この評価基準に照らし合わせれば、安倍内閣の政権運営は「上手く切り回している」と観るのが順当であろう。 事実、例えば米誌『タイム』(2018年4月30日号)は、毎年恒例の「世界で最も影響力のある100人」を発表し「指導者」部門で2014年以来4年ぶりに安倍首相を選出した。オーストラリアのマルコム・ターンブル首相は選評中、「安倍氏の自信に満ちた力強いリーダーシップは日本の経済と先行きへの期待をよみがえらせた」と評した。 また、ロイター通信(4月23日配信)が伝えた「4月ロイター企業調査」の結果によれば、「安倍晋三首相が自民党総裁に3選されることが望ましいか」という問いに「諾」と答えた大手・中堅企業は73%に達した。加えて、この記事は「次の政権も安倍首相続投による与党政権継続が望ましいとの回答が6割を占めた。次期首相も5割が安倍首相を支持した」と伝えている。 こうした安倍内閣への評価を前にして、湧き上がる「安倍、辞めろ」の声には、日本の政治風土に根づく悪しき気風が反映されている。それはすなわち、「対外意識の希薄」と「民主主義理解の貧困」である。1989年6月3日、組閣後に記者会見をする宇野宗佑新首相 振り返れば、昭和中期以降、すなわち冷戦期の「55年体制」下、日本政界では金銭や女性に絡むスキャンダルが頻発した。リクルート事件や東京佐川急便事件といった金銭絡みのスキャンダルが相次ぐ一方で、女性スキャンダルで地位を追われた宇野宗佑元首相や山下徳夫元官房長官の姿は、そうした「55年体制」崩壊前夜の政治様相を象徴していたといえよう。国際環境が激変でも「モリカケ」 もっとも、こうしたスキャンダルが日本の国益上、大した損害を与えていると認識されなかったのは、それが「経済力だけは大きいが対外影響力は乏しい」国の出来事であったからである。しかも、往時は「『永田町』が混乱しても『霞ヶ関』がしっかりしているから、大した問題ではない」という理解は、半ば自明のように受け入れられていたのである。 しかしながら、平成に入って以降の日本が直面したのは、「バブル崩壊」後の長期にわたる経済低迷の一方で、「国際貢献」の名の下に一層の対外関与が要請される状況であった。そして、現在に至って、日本の立場は「経済力の減退を対外影響力で補わなければならない」というものに変質しているのである。 筆者が指摘する「対外意識の希薄」とは、「経済力の減退を対外影響力で補わなければならない」日本の立場を顧慮せずに、専ら国内統治案件の議論に熱を上げる様子を指している。北朝鮮情勢の展開次第では、日本を取り巻く国際環境が激変するかもしれない局面で、「森友・加計」問題の議論に過剰な精力が費やされている現状は、その典型的な事例であるといえる。 しかも、「対外影響力」を担保する条件の一つが、政治指導者が築いた人的ネットワークの豊かさである以上、こうした国内政局の紛糾の結果として、安倍首相が国際政治の舞台から退場することになれば、それが日本の国益に及ぼす影響は甚だしいものになるであろう。 また、筆者が指摘する「民主主義理解の貧困」とは、民主主義体制下であればこそ政治人材の発掘と養成は重大な課題であり、政治人材は「取り換え引き換え」のできる存在ではないという理解が浅いという様子を指している。 日本では、なぜか政治人材に関してだけは、「使い切る」とか「もったいない」という感覚が働かないようであるけれども、そうした様相は、民衆の当座の感情で政治が直接に左右されるという意味での「ポピュリズム」や「モボクラシー(衆愚政治)」の傾向を加速させるのである。2018年4月、米フロリダ州パームビーチで行われた会談で、トランプ米大統領と握手する安倍首相(共同) 世間には、筆者を「安倍応援団」の一人だと観る向きがあるかもしれないけれども、筆者は、そのように自ら思ったことは一度もない。筆者が支持し応援しているのは、あえて言えば「安倍内閣下の対外政策展開」や「日本の外交」であって、安倍晋三という政治家お一人ではない。当節、「何が重要か」を見誤らない議論が大事であろう。

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    そもそも「安倍退陣論」は間違っている

    政治の継続となるのであれば、首相が退陣してもしなくても、日本の国家戦略は変わらないからだ。 しかし、財務省による行政文書改ざんやセクハラ疑惑、防衛省の日報隠ぺい疑惑、幹部自衛官による野党議員への暴言など、首相を頂点とする行政機構の不祥事が同時多発的に起きている現状を見ると、指揮官の統率力の問題を考えないわけにはいかない。 組織が弛緩(しかん)して問題が噴出すると、組織は問題処理に追われてエネルギーを浪費し疲弊する。その疲弊が新たな問題を生んで、負のスパイラルが無限に続いていく。組織の構成員は責任を押し付け合い、自己保身に走る。これは「負け戦(いくさ)」のパターンである。 「負けること」自体が問題なのではなく、負けが士気を阻喪(そそう)させることが問題なのだ。それを食い止めることこそ、指揮官の最大の役割となる。そのためには、一時の負けが次の勝利に結びつくことを納得させ、自軍の精神的優位を信じさせなければならない。 森友問題について言えば、国有地を安価に払い下げたことが法律上適切だったかどうかを論じるのではなく、日本全体にとって安ければ安いほどよかったという道義的確信を持たせなければ、何のために現場が無理をして値下げしたのかが分からない。 国民に分からせる以前に、動いた現場が納得しなければならない。そうでなければ、「危ない橋」を渡る現場の士気が上がるはずはない。 「所詮は上が決めることだから言う通りにしておけ」という気分で仕事をすれば、誰だってミスをする。その責任を現場に押し付けられれば、現場は中央を信用しなくなる。安倍首相は「最終的責任は内閣の長たる自分にある」と言っている。 だが、その責任とは「膿(うみ)を出し切って信頼を回復すること」だ。「膿」は現場にあって、首相自身にはないことを前提としている。 もちろん、ヘマをやった実行者は罰せられるべきだ。だがそれは、取り締まりの原理であって、組織統率の原理ではない。首相辞任か担当大臣の辞任かはともかく、「現場のミスがこんなに大きな結果を招く」ことを思い知らせてこそ、組織の緊張感がよみがえる。 クラウゼヴィッツは、戦争を政治目的達成の手段と位置付けている。戦略とは、実現しようとする目標達成のために個々の戦闘をいかに組み合わせるかを考えることだ。それは、使うものが戦闘か外交か、あるいは法律、司法、マスコミなど、その手段に違いはあっても複雑な組織を使って目的を達成する「術」である政治戦略にも適用できる。 クラウゼヴィッツの「戦争論」は、戦争が人類の事業の中で最も錯誤に満ちた営みであることを強調している。組織が大きくなり、相互の連携が複雑化するほど、一つの錯誤が全体に影響する。 戦争でも政治でも、指揮官が自らの意図を正確に伝えず、各部署が勝手に忖度(そんたく)して動くならば、錯誤は必ず起きる。現場は自らの役割を理解できず、何もしないか余計なことをするか、右往左往してやがて疲弊し、機能を停止する。誰が首相かは「手段」にすぎない 指揮官の役割は、達成可能な目標を明確に定め、そのために投入する十分な資源を配分することだ。思い通りにいかない場合には速やかに目標を変更すると同時に、その時々の目標を全軍に徹底しなければならない。 クラウゼヴィッツは、戦争は3つの要素で構成されると言っている。「戦争の三位一体」すなわち、感情の主体である国民、戦場の錯誤を乗り越えるアートを備えた将帥、そして戦争の目標を合理的に判断する政府がそれだ。 これを戦争ではなく政治目標の達成という観点で言い換えれば、政治を構成する「三位一体」は、国民の支持、難局を乗り切る指導者のアート、そして合理的に設定された政治目標ということになる。 指導者のアートに属する官僚機構の統率が上手くいっていないことは、すでに見てきた。また、国民の支持が低迷していることも疑いようのない現実となっている。問題は、達成すべき政治目標が分からないことだ。 安倍政権は、秋の自民党総裁選を控えて支持率の回復を目指しているが、「安倍政権の維持」は目標達成の手段であって、日本という国にとっての政治目標ではない。 だから、「安倍首相は退陣すべきか」という問題の立て方が、やはり間違っている。日本の政治目的は、人口構成の変化に応じた日本社会の持続可能な再生と、変転する国際社会の力関係に合わせた安全保障目標の再定義でなければならない。誰を首相にするかは、そのための手段にすぎないからだ。 今、議論すべきは企業の国際競争力や物価上昇率に着目するアベノミクスか、貧富の格差是正と負担と分配の公平に着目した新たな福祉国家的経済政策か、という大きな経済・社会のビジョンである。 安全保障について言えば、中国や北朝鮮の脅威にどう対抗するかが問われている。脅威は、能力と意志の掛け算で定義される。中国・北朝鮮の軍事能力を止められない現実を前に、軍事バランスの観点から、力不足をもっぱらアメリカに頼る日米同盟強化路線がとられている。 それはどこまで可能なのか。むしろ、相手の能力よりも意志に着目して、軍事力ではなく政治力をもって侵略の意志をなくす、そのためにはアメリカとの意見の違いも覚悟する方向に舵(かじ)を切るかが問われている。 そういう大きな政治目的の絵柄を考えておかなければ、経済・社会の強靭性、安全保障の柔軟性が失われ、変転する世界の中で生き残れない国になってしまう。安倍首相以外に選択肢があるかどうかが問題ではない。「安倍的な政策」以外の選択肢があるかないかが問題なのである。

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    安倍vs麻生vs菅 次の財務次官人事めぐりパワーゲーム展開

    をみてほくそ笑んでいるのが、バッシングを浴びていた麻生氏だ。安倍首相の「加計問題」に注目が集まれば、財務省が舞台の「森友文書改竄問題」が霞み、失言続きの麻生氏への批判も薄まる。“加計は俺の友達じゃねーからな”というわけだ。2018年4月、政府与党連絡会議に臨む(左から)麻生太郎副総理兼財務相、安倍晋三首相菅義偉官房長官ら(斎藤良雄撮影) だが、それも束の間、財務省が「廃棄した」と説明してきた森友との交渉記録の存在が発覚し、国会に提出されると、再び麻生氏が批判の矢面に立たされた。それをかわすためなのか、麻生周辺からはこんな声もあがっている。「入邸記録を確認できなかったなんて、菅さんはあんなこと言って本当に大丈夫かね」 財務省は“首相をかばって証拠を隠してもバレたら致命傷になる”ことを思い知らされた。「次に批判が向かうのは菅だ」というニュアンスが感じられる。 本来なら、結束して批判の火消しにあたらなければならない安倍首相、麻生氏、菅氏の3人が、互いに団扇を持って“批判の火の手はあっちに行け”と煽り合いを始めている光景である。 それには理由がある。「最強の官庁」と呼ばれる財務省の次期次官人事を巡るパワーゲームだ。現在、財務省では改竄問題で佐川宣寿・国税庁長官が辞任したのに続いて福田淳一・事務次官もセクハラ問題で辞任。国会会期中にトップ2人が1か月以上にわたって空席という異常事態が続いている。霞が関を揺さぶる報道の情報源は誰だ霞が関を揺さぶる報道の情報源は誰だ「後任は今国会中に決める」 任命権者である麻生氏はそう語っているが、霞が関の幹部人事は大臣からあがってきた人事案を官邸の「内閣人事局」でチェックする仕組みになっており、首相や官房長官が「ノー」を出せばひっくり返される。その人事が3人の綱引きで調整がついていないのだ。 そこに政界、霞が関を揺さぶる報道が出た。〈傷だらけの財務省 次官誰に〉 産経新聞が5月21日付朝刊トップで報じた署名記事で、次期次官の本命とみられていた岡本薫明・主計局長の昇格が見送られ、代わりに国際金融の責任者である浅川雅嗣・財務官、もしくは森信親・金融庁長官の起用が浮上している──という内容だった。 浅川氏は財務官3年目、「金融行政のドン」と呼ばれる森氏も長官在任3年の実力者で、どちらが次官に就任しても辞任した福田氏より入省年次が上になる。「年次の逆行はさせない」という霞が関全体の人事の鉄則を覆すことになる。2018年5月28日、参院予算委の集中審議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相(春名中撮影) 予期せぬ人事構想に政界も各省庁の中枢幹部たちも「情報源は誰だ」と確認に走っている。経産省幹部が語る。「浅川財務官は麻生さんの“懐刀”として知られる人物。麻生内閣の総理秘書官を務め、麻生さんが第2次安倍内閣で副総理兼財務相に返り咲くと、国際局次長を兼務したまま副総理秘書官に起用されたほど信頼が厚い。“浅川次官構想”は間違いなく麻生人事だろう」 麻生氏は文書改竄問題で近く省内処分を行なうが、次期次官の本命の岡本氏は改竄が行なわれた当時に文書管理責任者の官房長だったため処分は免れないと見られている。麻生氏としては処分した本人を次官に昇格させるわけにはいかない。「そこで腹心の浅川氏をワンポイントで次官に起用し、ほとぼりがさめた1年後の人事で本命の岡本主計局長を次官に据えるレールを敷く。この記事はそのための地ならし、情報源は麻生周辺だと見ている」(同前) この麻生人事が実現すれば、麻生氏は同省の「守護神」として影響力をふるうことができる。関連記事■ 大麻解禁派にのめり込む安倍昭恵夫人 官邸は危うさを心配■ 失言王・麻生氏vs断言王・安倍氏、タチが悪いのはどっち?■ 麻生氏が「悪いのは昭恵だろう!」と怒鳴る声が役人に話題■ 森友学園問題と酷似 「麻生グループ」への土地無償貸与問題■ 昭恵夫人 安倍家の親族会議で「離婚しない!」と叫ぶ

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    新聞、テレビの受け売り「モリカケ安倍陰謀説」の無責任

    、なぜか安倍政権批判の文脈で解釈する人たちも多い。本当におかしな話である。「モリカケ問題」の問題点 財務省が公開した文書改ざん前の、森友学園と近畿財務局との交渉過程の記録は重要である。それを見ると、森友学園側と近畿財務局側との熾烈(しれつ)ともいえる交渉が明らかになっている。そして、交渉経過を簡単に述べると、財務省と近畿財務局側の「交渉ミス」で終わっているのである。 交渉そのものは違法ではない。下手を打っただけである。最大の交渉ミスは、学園との相対取引ではなく、最初から公開入札を採用すべきだったということだ。もちろん、その後の財務省による文書改ざんは言語道断であることは言うまでもない。 「モリカケ問題」の問題点は、総じてみると、官僚と政治家の政策の割り当てがいかに難しいかということ、そしてメディアが公平なプレーヤーではなく、時にノイズとなり、時に政治的にふるまうことで世論が扇動されがちなこと、この2点に集約される。 前者は、官僚は行政上の情報や特別な知識を保有しているので、効率性を追求して経済や社会のパイの大きさを拡大していく役割が期待される。そして、政治家はそのパイをどのように配分するかを考えて再分配政策を進める役割を持つ。政治主導とは、この意味での効率性を考える官僚と、再分配政策を行う政治家を政策的にきちんと割り当てることにあるのである。 だが、実際にはモリカケをみても難しいものがある。加計問題では、獣医学部の申請自体を日本獣医師会や獣医師会に支持された政治家といった既得権側が反対していた。そして獣医学教育サービスの効率化を目指すべき文部科学省の官僚は、申請すら受け付けない形で抵抗していた。 官僚が効率性の追求に特化できずに、既得権益を保護する側に強硬に立った結果が、今回の問題がこじれている背景にある。それを端的に表すのが、前川喜平元文科事務次官による「行政がゆがめられた」をはじめとする一連の発言だろう。加計学園から報道機関に送られたファクス また森友問題についていえば、公開入札というスキームではなく、学園側との相対取引を採用したため、官僚側が効率化に徹しきれずに、交渉の不備をもたらしていったわけである。 しかも、より深刻なのは、今のメディアの多くが事実を追求せずに「安倍批判ありき」を繰り返し、無理筋の「安倍陰謀説」めいた話で世論をあおり続けることにある。また、あおりを真に受けて、「疑惑がいよいよ深まった」と思い込んでいる世論にも大きな責任がある。だが、問題の真因は、やはり思い込みをもたらすメディアや政治、官僚のあり方にあることを忘れてはならない。

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    米山隆一独占手記、知事失格「自責の念」

    米山隆一前知事の辞職に伴う新潟県知事選が告示された。週刊誌が報じた女性スキャンダルが引き金となった米山氏だが、辞職後は沈黙を貫く。その米山氏が自責の念をつづった独占手記をiRONNAに寄稿した。「知事失格」という世間の厳しい目にさらされる米山氏は今、何を思う。

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    スーパーエリート知事「米山辞職劇場」が残した多くの教訓

    山氏は権力基盤が弱く、バックサポートしてくれる組織もなかったからである。 また、「セクハラ辞任」した財務省の福田淳一前事務次官のように、完全否定するという厚顔無恥ぶりも持ち合わせていなかった。なにしろ、米山氏は記者会見で「自由恋愛のつもりだった」と説明したのである。-金品を渡した意図は?「歓心を買おうと思った。それによって、より好きになってもらおうと思っていた」-体の関係を持つために金銭の授受をしたのか?「言いづらいが、好きになるというのは、最終的には多少なりとも肉体関係を持ちたい気持ちと重なる。より好きになってほしいと思っていた」2018年4月18日、自らの女性問題をめぐり記者会見で辞職を表明し、謝罪する新潟県の米山隆一知事 この説明では、これ以上ツッコミようがない。モテない中年独身男性が、ネットの出会い系サイトにコンタクトし、そこで「パパ活」をしていた女子大生に3万円払って関係を持った。それを恋愛と信じようとしていた。これを記者の前、つまりに世間に向かって言ってしまったのである。しかも、その女子大生には彼氏がいた。つまり、問題は、モテない中年独身男性が新潟県知事だったことである。-知事就任後も女性との関係を続けた理由は?「よくわからない。バカだったと思う。(知事に当選後、女性からの)連絡で『すごいですね』と言われて、ちょっとうれしかった」不祥事のたった一つの解決法 これでは「売買春」であろうとなかろうと、辞職するほかないだろう。 米山氏の華麗な経歴から見て、「エリートほど下半身スキャンダルに弱い」「危機管理がなっていない」という意見があるが、これは的を射ていないと思う。最近は、不祥事があるとすぐ「危機管理」が問われるが、そもそも不祥事を起こさないことが大事だ。それに、起こった後の対応について、本当の解決法は一つしかないのである。 それは、ウソをついたり言い逃れしたりせず、正直に話して謝罪することである。しかし、「森友・加計問題」にしても、これだけ長引いているのはウソや言い逃れが横行しているからだ。 ところが、米山氏は正直だった。哀れだが、すがすがしかったことも事実だ。ひょっとして、彼は50歳になるまで、本当の恋愛をしたことはなかったのかもしれない。 米山氏については、いろいろなことが言われている。なんといっても話題になるのは、その華麗なる経歴だ。 灘高から最難関の東大医学部に進み、1992年に医師免許を取得し、97年には司法試験にも合格している。このとき30歳。医師でありながら弁護士であるという「偏差値エリート」の典型的な人物、というよりトップ人材といえる。その後の経歴もまたすごい。 1998年には東大大学院経済学研究科、2000年には東大大学院医学系研究科で、それぞれ単位を取得した後、放射線医学総合研究所やハーバード大学付属マサチューセッツ総合病院に在籍し、03年には、東大から博士号(医学)を取得している。そして、05年からは京大先端科学技術研究センターで特任講師も務めている。 これだけのスーパーエリートなら、女性にモテるはずだ。ところが、なぜかまったくモテなかったと言う。2005年9月、衆院選で長島忠美・旧山古志村長(右)の応援を受ける米山隆一候補(左) それもあったのだろうか、彼はその後、政治家を目指した。最初の立候補は2005年の衆院選、自民党の公認を受けた。このときは無所属の田中眞紀子候補に敗れ、09年に再挑戦するもまたも落選した。そして12年、今度は日本維新の会から立候補したがまた落選。そこで、13年には参院選に出たがこれも落選した。 つまり、ここまでは「万年落選候補者」だったのである。これはエリートとして耐えがたいことだろう。政治家として再起を目指すなら しかし、ここから米山氏に運が巡ってくる。16年、新潟県知事選で現職の泉田裕彦知事が不出馬を表明し、野党が候補者選びに難航していると、米山氏は民進党を離党して無所属で立候補したのである。ちなみに、この時点で維新の党が民主党と合流したため彼は民進党籍だった。 野党候補は、前長岡市長であった森民夫氏だ。相手としては弱い。そこで、米山氏はなんと、持論だったはずの原発再稼働を捨て、「反原発」を訴えたのだ。応援演説に、前原誠司氏、江田憲司氏、蓮舫氏、橋下徹氏などが入ったこともあり、6万票以上という大差をつけて当選した。 私は米山氏を直接知っているわけではない。メディアを通して知っているだけだ。だから、これは言い得ていないかもしれないが、こうした米山氏の経歴から言えるのは、彼が「キャリア・コレクター」ではないかということだ。常に高いキャリアに挑戦し、その資格を得ることを繰り返す。頭のいい人間にとって、これは何にも代えがたい快感だからだ。 しかし、キャリアそのものには、それほど意味がない。問題は、そのキャリアを得て、何をするかだ。残念だが、米山氏にはこれがないように思える。医者として何をするか。弁護士として何をするか。政治家として何をするか。 そのような志(こころざし)、思想、信条に基づいて行動すべきなのに、彼はそうしてこなかったように思える。 知事選での演説を聴いた人によると、演説は上手ではなかったと言う。反原発は言っても、支持者の心をグイグイつかむような話はなかったと言う。そのため、もっとも受けたのは、ミカン箱の上でやった「バック宙返り」だったと言うのだ。2017年9月、プロ野球DeNA-巨人戦の始球式で宙返りをする新潟県の米山隆一知事(左)=横浜スタジアム(吉澤良太撮影) もし、今後、米山氏が政治家として再起を目指すなら、もう「バック宙返り」はやめにしてほしい。それよりも、もっと人間について深く学んでほしい。エリートでない一般の人間がなにを考えて生きているのか。そして、彼が苦手とする女性たちが、何を考えて生きているのか。「人間学」を怖がらずに学んでほしい。 「米山辞職劇場」は、さまざまな「遺産」を残した。ネットの出会い系サイトでは、本当に3万円で交際してくれる女子大生と知り合えること。しかし、もっと高い報酬を要求される「高級クラブ」なら、こんなことは起こらないということ。 また「#MeToo運動」が世界的にトレンドになっている今、女性側から訴えがあったら、どんなことであろうと職を辞さなければ収まらないこと。例外は、ポルノ女優ストーミー・ダニエルズとセックスして口止め料13万ドルを払ったトランプ米大統領だけである。 さらに、反原発運動などと言うのは、それほど深い動機があるわけではないこと。経済的、科学的な理由などどうでもよく、単に「原子力は怖い」という素朴な感情に基づいているということだ。まあ、これ以外にもまだあるが、米山氏の辞職劇は多くの教訓を残し、今あっという間に風化しようとしている。

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    角栄が気を使った東大卒のエリート集団“官僚”の操縦術

    けて政策を指南し、手とり足とり面倒をみて出世させるシステムがあるからだ。 角栄の周囲には、大蔵省(現財務省)、通産省(現経産省)などの気鋭の官僚が集まり、ブレーンとなって「日本列島改造論」をはじめとする田中政権の政策を練り上げていった。現在の自民党の中堅若手の中で“官僚が寄ってくる政治家”は進次郎くらいだ。 本誌・週刊ポストは財務省と経産省が競い合うように進次郎を囲む勉強会を開き、政策から選挙応援演説の内容、立ち居振る舞いまで指導していることを報じた(11月10日号)。当選4回で霞が関の“総理養成講座”を受ける存在は他にはいない。 表面的にはこれも「角栄の道」と同じに見える。だが、政界サラブレッドの進次郎と違って、高等小学校卒業の角栄が最も苦労し、気を使ったのが、官僚という東大卒のエリート集団の操縦術だった。 角栄の時代は官僚全盛期。ヒラ議員は相手にされない。そこで官僚の入省年次から、家族構成、閨閥まで暗記し、夫人の誕生日には花を贈る気配りを見せた。派閥の子分だった渡部恒三は「東大法学部の同窓会事務局長みたいだ、と言ったら角さんにひどくどやされた」と本誌に述懐した。角栄が「人たらし」と呼ばれた所以だ。1976年7月、報道陣のフラシュライトを浴び、緊張の面持ちで東京地裁に入る田中角栄前首相 ただし、田中角栄の写真を2万枚も撮ったカメラマンの山本皓一氏がレンズ越しに見た実像はそんな“伝説”とは違う。「田中邸を訪れた官僚に、角さんが『おい、そういえば今度息子が受験だな』と声をかける。近所のおせっかいなおじさんのような愛嬌たっぷりの表情だったが、言われた官僚の顔は真っ青になった。そこまで情報を知られているのかと肝を冷やすわけです。 しっかり政界と霞が関に情報網を張り巡らせ、“誰がどこで何を言ったかわかるぞ”と凄味を利かせていたからこそ、官僚になめられる太鼓持ちにはならず、官僚はついてきた。進次郎が掲げたこども保険などの政策には財務省の知恵者の影がちらついているが、官僚に頼るだけでは、霞が関の傀儡にされるリスクがある」関連記事■ 小泉進次郎と田中角栄 卓越した話術持つという共通項あり■ 田中角栄の言葉は人間心理の機微を知り尽くした行動伴ってた■ 小泉進次郎氏 首相の座を意識し官僚集めた勉強会立ち上げる■ 山路徹 矢沢永吉マニアの操縦術伝授「永ちゃんなら…」でOK■ モンテネグロで拘束のオウム信者は東大・京大卒の超エリート

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    「優れた経済人」織田信長だったらデフレ脱却にどう挑むか

    できたとは言いにくいのではないか。例えば「機動的な財政政策」は、首相が積極的であったとしても、国会や財務省の協力なしには進められない。 「民間投資を喚起する成長戦略」も国会や財務省に加え、関係省庁や地方自治体の協力が必要である。「民間投資を喚起する成長戦略」は、行政側の協力が得られたとしても、民間側の意欲が湧くようなものになっていなければ、前には進まない。 前述したように、信長も朝廷や家臣団、あるいは宗教勢力や町衆などとの調整を全くせずに政策を実施できたわけではないだろう。 しかし、各施策についての最終決裁者であるという強力な立場、直属の実戦部隊を持っていること、さらに彼自身が当時の言葉では傾奇者(かぶきもの)や婆娑羅(ばさら)といった「新人類」であったこともあって、これからを担う世代の民衆や家臣の強力な支持があり、多くの施策を積極的に進めることができたのだと推測される。信長ならデフレ脱却を成し遂げる 信長の凄(すご)みは徹底したリアリズムと愚直な実践にあると考える。与件の中でいかに効果を最大化するか、さらに与件をどう変えるか、を徹底的に追及し、できる所から愚直に実践し続けるのが彼の生涯であった。その際、民(たみ)のために天下を静謐(せいひつ)にするという明確な将来への意志があったからこそ、たゆまず努力を続けられ、人もついてきたのであろう。 与件の中でいかに効果を最大化するかの例としては、1578(天正6)年の御所周辺の築地塀の修理が挙げられよう。信長自身が全面的に請け負うこともできたが、京都の町人が請け負う方式が良いのではと、京都の町々に持ちかけた。 町ごとに組を編成させ、区分された築地塀の修理を担当させ、競争の原理を持ち込んだ。さらに当時は「風流踊り」という群衆音楽舞踊パフォーマンスの全盛期だったそうで、町々は自慢の歌手や踊り子を繰り出し、自分の街の分担区域の修理人員の士気を上げたそうである。 「即時にできた」といった内容が『信長公記』(太田牛一著)に記されているそうだが、最初から信長自身が全面的に請け負っていたら、そこまで早くはできなかったであろう。天皇や宮廷の女性たちも見物に来て楽しんだというから、単なる修理が明るい雰囲気の中で進んだことになる。 近年の日本経済では、安倍政権発足当初の「三本の矢」を打ち出し、実践に移していったことが、株式市場をはじめとする日本経済の雰囲気を明るく転換させたことが該当するであろう。 与件をどう変えるかの例としては、地味ではあるが長きにわたって継続してきた朝廷工作が挙げられよう。朝廷を味方につけることができれば、戦国大名の一人に過ぎない状況(実力はあるが公的な存在とは認められていない)から、国家の承認を得た立場となる。福井県越前町織田の「一族発祥の地」に立つ織田信長像(関厚夫撮影) 信長の父、織田信秀は、信長がまだ少年であった1543(天文12)年に朝廷の内裏の修理費用を献納している。信長も朝廷との交渉を早いうちから始めており、1568(永禄11)年の足利義昭を奉じての入京は、既に朝廷との間の了解事項であった。 朝廷から御所の建物の修理を要請されているという形で、信長が入京する手はずは整っていたのである。そこにたまたま足利義昭が頼ってきたタイミングが重なった。近年の日本経済で考えれば、今まさに取り組んでいる「夢をつむぐ子育て支援」などが与件を変えようとすることに該当するであろう。しかし、こうした与件を変えようとすることは地道な努力を長期にわたって続けることが必要であり、すぐに効果が出るものでもない。 信長が現代日本のデフレ脱却という課題にどう立ち向かうかということでは、大きな方針としては、現政権が打ち出している方向とあまり変わらないであろうと想像される。それを民衆の支持を維持しつつ、具体的に何をやるべきかを徹底的に追求し、愚直に実践し続けるということになろう。 ただし、当時のように「天下人」というポジションは存在しない以上、関係者の調整に多くの労力を費やすことになる。信長は理想を掲げて努力を惜しまないであろうから、不慮の死や失脚などがない限り、デフレ脱却をやり遂げるのではないだろうか。

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    消費増税廃止、マハティールにできて安倍首相にできない道理はない

    消費税のあり方についても、筆者は反対である。ただし今回は、来年の消費増税のみに議論を絞りたい。最近、財務省の宣伝工作と思われるが、新聞などで消費増税による悪影響への対案が報じられている。 このような悪影響がはっきりしているのであれば、対案を出すよりも、まず消費増税をやめることが第一である。ところが、財務官僚とそのパートナーである「増税政治家」と「増税マスコミ」には、そんな常識は通用しない。彼らにとっては「増税ありき」であり、理由などもはやどうでもいいのだ。 経済が安定化しつつある現状でさえ、税収の増加が顕著である。それをさらに軌道に乗せ、税収も安定すれば、財政再建の必要条件が満たされるだろう。だが、増税政治家と財務省にとってはそんな理屈はどうでもいいのだろう。消費税を上げるのは偏狂的な政治的姿勢が生み出した妄執であろう。そんな妄執は、国民にとって「経済災害」以外のなにものでもない。 与党だけではなく、対抗勢力である枝野幸男代表率いる立憲民主党、支持率が1%にも満たない国民民主党などの野党も含め、国会議員の大半がこの「消費増税病」にかかっている。ちなみに、日本共産党は消費増税に反対だが、経済回復の大前提である金融緩和に否定的なのでお話にならない。このように、国会議員ほぼ全員が消費増税病という事態は、本当に日本の深刻な危機である。2018年5月、立憲民主党の枝野幸男代表(右手前から4人目)ら幹部にあいさつする国民民主党の(左手前から)玉木雄一郎、大塚耕平両共同代表 最近、自民党のLINEを使ったアンケート結果を見たが、そこには経済対策を求める声が大きい。だが、その対策に消費増税が入っているとは思えない。ということは、自民党議員の多くは支持者を裏切るスタンスを採用しているともいえる。 そのような支持者たちを裏切る政治的背反はやめたほうがいい。そして何よりも、経済が安定化していない段階での消費増税は過去の失敗を見てもわかるように、いいかげん放棄すべき愚策である。 それを理解できない議員を政治的に排除していくことこそ、国民が選挙などで求められる視線かもしれない。その意味では、マレーシアのように、消費増税廃止を公約に掲げて国政選挙を行ってもいいぐらいだろう。 現状では、安倍晋三首相もこの消費増税路線を堅持している。首相の本音がどこにあるのかはわからない。過去2回延期したという貢献があるにせよ、今のところ消費増税路線を維持している限り、安倍政権もまた批判を免れることはできない。安倍政権には経済を安定化させる義務がある。それが対中安全保障を含め、この長期政権に今までも求められてきた最重要課題だからである。

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    政治的娯楽「モリカケショー」があまりにバカバカしい

    大切なお得意さまなのかもしれない。2018年5月8日、閣議後、記者の質問に答える麻生財務相 例えば、財務省で立て続けに明らかになった文書改ざん問題やセクハラ問題は、財務省の体質や制度そのものに起因する悪質なものである。ところが、マスコミの多くは麻生太郎副総理兼財務相の「クビ」しか関心がない。財務省自体に損失を与えると、自らにとっても「マイナス」になるかのように、彼らの批判の矛先は麻生氏に向けられたままだ。「モリカケ問題」今後は? さらにマスコミは、政府が「悪」、それに対抗する勢力は「善」、と勧善懲悪的に描かれる。今回の加計学園問題においても、政府側は悪役であり、くめども尽きない「疑惑の泉」でもある。 筆者の知る人気のサブカルチャー識者の中にも「常に政府に反対するのが正しい」と主張する人もいる。あまりにも薄っぺらい見方だが、国民の一定割合の支持を受けているだけに侮れない。 一方で、ワイドショーをはじめとするテレビ・新聞の報道を真に受けない人たちも増えてきている。これらのマスコミの情報を踏まえながらも、ネットでの代替的・補完的な情報や意見を参考にする人たちである。 もちろんネットの情報には多くの深刻な間違いがある。また、ネット上の意見の多くがマスコミの意見や分析の焼き直しであることも多い。ただ、これらのマイナス面を割り引いても、インターネットの進歩が、既存のメディアが好んで作り出す「娯楽としての報道の危険性」に一定のブレーキをかけていることは間違いない。 ところで、モリカケ問題はこれからどのような動きを見せるのだろうか。真実の追求よりも娯楽の追求が問題の「真相」だとすれば、答えは一つしかない。テレビであれば他の番組にチャンネルが変わること、新聞であれば他の重大問題に一面が変わることである。 つまり、より「楽しい」娯楽が提供されるまでは、この問題に関する「疑惑」は生産され、消費され続けるしかないのである。経済学のゲーム理論を応用すれば、これはゲームのルールが変更されることを待つしかない。悲観的な見方ではあるが、実はそれほど絶望的でもない。娯楽はすぐに飽きられる面もあるからだ。2018年5月10日、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致を伝える東京・秋葉原の大型モニター 実際、一部の世論調査では、内閣支持率も下げ止まりをみせて微増に転じているようだ。これは北朝鮮などの外交問題といった違う娯楽を求め始める動きや、消費者の飽きを示すものかもしれない。もちろん、真実を望む多くの人たちの、ネットなどを中心とした言論活動の成果かもしれない。 いずれにせよ、既存のマスコミが真実を追求する報道ではなく、娯楽としての報道を提供する限り、それを国が保護する何の理由もない。今後、マスメディアに対する規制緩和、特に放送法の改正などが重要な課題になっていくであろう。

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    山口達也「アルコール依存とセクハラ」はどれほど深刻だったのか

    斉藤章佳(精神保健福祉士・社会福祉士) 最近、日本の本丸といえる財務省と、芸能界の本丸といえるジャニーズ事務所が炎上している。いずれも、共通しているのは「男性優位社会」の中で起きたアルコール問題に関連する性暴力(セクハラ)である。 世界保健機関(WHO)は1979年に健康問題、職業問題、事故、家族問題、犯罪を引き起こす飲酒を問題飲酒と定義している通り、問題飲酒と犯罪には古くから親和性があり、これは影山任佐氏の名著『アルコール犯罪研究』(金剛出版)に詳しい。 特に、筆者は性犯罪者の地域社会内での治療を日本で先駆的に実践してきた経験から、アルコールが引き金になる性犯罪のケースを数多く見てきた。本稿では、この「アルコール関連問題」と「性暴力」という二つの観点から、TOKIOのメンバーだった山口達也の件について私論を述べたい。 まず、アルコールに関する治療(恐らく内科治療)目的で約1カ月入院したことを山口本人が明らかにしているため、アルコール依存症の診断基準を見ながら彼の深刻度について考えたい。尚、本稿ではアルコール依存症を「アルコール使用障害」と同等の意味で用いることを最初に断っておく。 そもそもアルコール依存症の定義はさまざまだ。筆者は「酒をやめざるえない状況に追い込まれた人」という、精神科医で評論家だった故なだいなだ氏の定義を用いるが、精神科の依存症治療で使われている最新の診断基準であるDSM-5(精神疾患の分類と診断の手引き)によると、アルコール使用障害は、11ある項目の中で2つ以上が12カ月以内の間に当てはまる場合に診断される。※写真はイメージ(iStock) 以下、参考までに診断基準を掲載する。① アルコールを意図していたよりもしばしば大量に、または長い期間に渡って使用する。② アルコールの使用を減量または制限することに対する、持続的な欲求または努力の不成功がある。③ アルコールを得るために必要な活動、その使用、またはその作用から回復するのに多くの時間が費やされる。④ アルコールの使用に対する渇望・強い欲求または衝動。⑤ アルコールの反復的な使用の結果、職場・学校または家庭における重大な役割の責任を果たすことができなくなる。⑥ アルコールの作用により、持続的あるいは反復的に社会的、対人的問題が起こり、悪化しているにもかかわらずその使用を続ける。⑦ アルコールの使用のために、重要な社会的、職業的または娯楽的活動を放棄、または縮小させていること。⑧ 身体的に危険のある状況においてもアルコールの使用を反復する。⑨ 身体的または精神的問題が、持続的または反復的に起こり、悪化しているらしいと知っているにもかかわらず、アルコール使用を続ける。⑩ 耐性、以下のいずれかによって定義されるものa. 中毒または期待する効果に達するために、著しく増大した量のアルコールが必要。b. 同じ量のアルコールの持続使用で効果が著しく減弱。⑪ 離脱、以下のいずれかによって定義されるものa. 特徴的なアルコール離脱症候群がある(アルコール離脱の基準AとBを参照)。b. 離脱症状を軽減したり回避したりするために、アルコール(またはベンゾジアゼピン等の密接に関連した物質)を摂取する。 以上の全11項目を見る限り、山口には複数の項目が該当するのが分かる。具体的には、山口は飲みすぎて仕事などに支障をきたしており(①に該当)、周囲からアルコール問題を指摘されていた(②に該当)。退院してすぐの大量飲酒(④に該当)。アルコール性肝障害の診断もあり(⑨に該当)、焼酎を相当量飲んでいたということから、以前と同量の飲酒量では酔えない「依存物質への耐性」がみられる(⑩に該当)といったものだ。「イネーブラー」の落とし穴 筆者は精神科医ではないため、診断や処方をすることが仕事ではないが、客観的に見て山口が診断基準を満たしているのは明らかである。ただ、ここで不可解なのは、TOKIOメンバーの松岡昌宏も記者会見で述べていたように、「メンバーから見ても明らかに『アルコール依存症』だと思ったが、どの病院でもそのような診断がされなかった」という点である。 筆者はTOKIOメンバーの一連の発言を聞いてピンときた。アルコール依存症治療の現状として、専門的な治療につながるまで「アルコール依存症」という診断がつかず、内科などの病院から紹介されてくる例が多いからだ。 そのほとんどは、アルコール性肝障害やアルコール性膵(すい)炎、肝機能障害などの内科疾患病名がついている。そして、その多くが長い間内科病院の入退院を繰り返している。つまり、内科医療機関が「イネーブラー」(何らかの依存症にある人物に対して、その依存状態を支えてしまう人)の役割をしてしまっているというパターンだ。 例えば、一般的な医療機関では、仕事を普段通りしている人にアルコール依存症と診断しないことが多い。内科医なら上記の病名で、一般精神科なら「鬱病」「適応障害」「不眠症」になったりすることがある。このようなアルコール問題への適正診断ができない理由は以下の通りである。 まず、アルコールを含む依存症全般について、医師の理解不足が上げられる。内科では、身体疾患や臓器を治すことが中心となり、就労を継続できているならまだ依存症ではないと認識されることが多い。 そこでのアドバイスは「しばらく酒を控えるように」「肝機能の数値がよくなるまで酒はやめてください」という内容が多く、筆者の経験では飲酒する習慣のある医師ほどアルコール問題に寛容な傾向があると感じている。 また、本人が診察で実際の飲酒量や、飲酒に起因する身体的症状を過少申告するため、問題飲酒の正確な実態が明らかになりにくい事情もある。アルコール専門医療機関では、本人が酒をやめなければならない状況に追い込まれているため、かなり進行した状態で家族や関係者が引っ張って受診させることが多く、そこで正確な飲酒実態が明らかになる。何らかの問題が表面化することで本人も問題飲酒を自覚する、つまり治療への説得がしやすくなるのである。※写真はイメージ(iStock) さらに、「アルコール依存症」という診断名をつけてしまうと、昔からある「アル中イメージ(意志が弱い、だらしない)」から、社会的な偏見や不利益を考慮して、内科医がアルコール依存症と診断することに躊躇(ちゅうちょ)してしまい、本来のアルコール問題に介入できないという構造的な課題もある。 このように、援助者がイネーブラーの役割を担ってしまうことを「プロフェッショナル・イネーブラー」と私たちは呼んでいる。本来は、患者の治療やケアのための行為が、実は依存症の実態を知らないために病気の進行のお手伝いをしてしまうという逆説的な状況になる。誰のための支援なのか、ということをわれわれは自戒する必要がある。 以上の点を踏まえれば、山口にアルコール依存症という診断がなされなかったのは間違いないようだ。「酒の席だから」は許されない また、今回の一件で筆者が特に懸念していることがある。それは、この一連の事件が山口のアルコール問題に矮小(わいしょう)化され、飲酒して病的酩酊(めいてい)だったから強制わいせつにあたる行為は仕方ないという論調の報道が一部でみられたからである。 いわゆる「酒の席だから…」という日本古来の発想であり、そこに飲酒者の行為責任や被害者は存在しない。また、男性(上司)からのセクハラ行為に関しても「酒の席だから…」という言い訳が肯定されがちで、翌日問い詰めると飲んでいたから覚えていないというエピソードも多い。 酒席での男性(上司)から女性へのハラスメントは、酒を理由にあたかもその行為が容認されるという価値観がいまだに存在している。これは、女性への性差別の問題とも関連しており、性犯罪を性欲の問題に矮小化することで、性暴力の本質が見えなくなる構造と非常によく似ている。 ここに、この問題の難しさがある。つまり、社会に存在する偏見や歪んだ捉え方(認知の歪み)に同調することで、自らの責任性を追及される恐怖を回避したいという多くの人の願望が集約された心理が読み取れる。 だが、コントロール障害をきたしている要因は飲酒の仕方であり、そこから派生する問題が今回の性暴力であって、同質のものではない。そして、言うまでもなく過剰な病理化は本人の行為責任を隠蔽する機能を持っている。 そもそも、嗜癖モデルには被害と加害のパラダイムはなじみにくい。アルコール依存症という疾病モデル(ケア)と、性犯罪やDV(ドメスティックバイオレンス)の加害者更生という司法モデル(行為責任)を統合した捉え方が必要になるだろう。 つまり、病気のケアという視点に加えて、加害行為に責任を取るという視点が不可欠である。加害者更生プログラムにおける「加害行為に責任をとる」とは、①再発防止責任、②説明責任、③謝罪と贖罪(しょくざい)の3点を含んでいる。これは、企業内のセクハラやその他のハラスメント研修にも応用できる視点である。 本稿では文字数の関係から3点の詳細な説明は避けるが、詳しくは筆者が執筆した日本初の痴漢の実態を明らかにした専門書『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)を参考にしてもらいたい。 では、上記の3点を踏まえ、山口は「加害行為に責任をとる」ということを前提にこの問題に向き合おうとしているだろうか。また、親であると公言しているジャニーズ事務所は、このような視点を持って今回の問題に対処しようとしているだろうか。答えはすぐに出るものではないが、これから被害者と向き合っていく上で参考にしてもらいたい姿勢である。記者会見する山口達也=2018年4月、東京・紀尾井町 結果的に、山口はTOKIOメンバーと話し合った末、事務所を退所するという選択をした。これ以上、TOKIOの仲間や育ててくれたジャニーズ事務所に迷惑をかけたくないという中での決断だったのだろう。 そこで最後に考えたいのは、果たして山口は事務所を辞める必要があったのかということだ。この質問には賛否両論あるだろうし、外野の筆者がとやかく言うことでもないかもしれない。 ただ、重要なのは、元財務事務次官のセクハラ問題のように「辞職」だけでは加害行為の責任を取ったことにはならない点である。ましてや、本件には未成年の被害者がいる。山口がアルコール依存症かどうか、つまり病気かどうかは被害者にとっては関係ない。今後、山口に求められるのは、本格的なアルコール治療に取り組むことはもちろん、「加害行為に責任をとる」ことに向き合いながら、被害者が納得のいく生き方を模索していくことだろう。

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    偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!

    のでは、という議論は、日本でも当時からあった。 今回そんな古い話を出してきた最大の理由は、森友問題(財務省の文書改ざん問題)や安倍昭恵問題にイラ立つ安倍首相の「焦り」だろう、と筆者は見る。将棋に「不利なときは戦線拡大」という格言がある。野党の質問攻勢、マスメディアの政府批判、それに影響された(と首相が思っている)内閣支持率の下落などを受けて、新しい争点を掲げて戦線を拡大し、局面を複雑化したかったわけだ。 そのネタが放送改革ならば、テレビはビビって政権批判に二の足を踏むかもしれない。特に安倍首相は、新聞では朝日新聞、テレビではTBSとテレビ朝日を、昔から蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っているから、彼らにダメージを与えることになれば好都合。NHKは基本的に意のままだし、日本テレビとフジテレビは賛成してくれるに違いない、といった判断だっただろう。自分の女房すら満足にコントロールできないくせに、民放番組をコントロールしたいというのもふざけた話だ、と筆者は思うが。閣議を終え会見する野田聖子総務相=2018年2月9日、首相官邸(斎藤良雄撮影) もう一つの理由は、総務省の改革の遅れである。2017年6月に出た安倍政権の経済財政政策は「経済財政運営と改革の基本方針 2017~人材への投資を通じた生産性向上~」で、目玉は「働き方改革」だった。所管は厚生労働省で、同省の労働時間の実態調査データに疑義が生じるなどぎくしゃくし遅れに遅れたものの、3月には働き方改革関連法案の国会提出にメドがついた(4月6日に提出)。 対して総務省は、これはという改革案を出していない。しかも総務大臣は、9月の自民党総裁選をにらんで、超党派「ママパパ議員連盟」の会長に就任、地元で立ち上げた「岐阜女性政治塾」の全国展開といった動きを見せはじめた野田聖子氏。その総務省に改革案をまとめさせ、6月に出す経済財政政策の目玉にしたかったようだ。放送制度「改悪」の何が問題か 官邸の動向に詳しい放送界の事情通は、こうため息をつく。「どうやら安倍さんは、放送法第4条の『政治的に公平』規定さえなくせば、自分を応援してくれるテレビ局や番組が増える、と本気で信じ込んでいたようなのです。放送改革によって、政権の意向を代弁し、礼賛する放送局ができると。でも、自分をもっと厳しく批判する局が番組も増えるだろう、とは思っていなかったんですよ」 事情通は、「蚊帳の外だった総務省は『できるはずがない』という立場だし、国会の総務委員会(旧・逓信委員会)委員たちにも『頭越しになんだ』と不評だった。熱心な政治家は安倍首相だけで、安倍─今井尚哉・首相秘書官(経済産業省出身)─原英史・規制改革推進会議委員(2016年9月~、経済産業省出身、株式会社政策工房社長)のライン以外は、鼻白んでいた」と続けた。 首相本人は、無理筋とは思っていなかったようだが、実現は難しいと思っているスタッフは、大きな花火を打ち上げて国民の耳目を集め、少なからぬ項目のいくつかでも実現に向けて検討が始まればよい、と考えていたのかもしれない。 では、安倍政権が水面下で検討し、結局は引っ込めた放送制度「改悪」の何が問題なのか? まず放送法第4条だが、次のような内容である。(国内放送等の放送番組の編集等)第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。一  公安及び善良な風俗を害しないこと。二  政治的に公平であること。三  報道は事実をまげないですること。四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。2  放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。 『選択』2018年4月号記事〈安倍が画策「放送法改悪」の真相〉によると、安倍首相は3月9日夜に大久保好男・日テレ社長と会食し(今井秘書官と粕谷賢之・日テレ解説委員長も同席)、「4条は現実には守られていないので、この際撤廃するべきだ」と主張したという。日本テレビ放送網の大久保好男社長=2011年11月29日、東京都港区六本木(瀧誠四郎撮影) しかし、「公安及び善良な風俗を害しないこと」が日本の放送で守られていないとは、到底いえない。「政治的に公平であること」については、安倍首相は自分や妻や政権や政府批判ばかりするテレビは「公平でない」と思っているようだが、メディアが権力者や権力を批判するのは当たり前だ、としかいいようがない。 安倍首相は内閣官房副長官だった2001年1月29日、放送前日のETV2001特集『問われる戦時性暴力』に関してNHK幹部らを呼び、内容が明確に偏っているとして番組に注文をつけたことがある。つまり、放送前の番組に政府高官として政治的な介入をし、結果、番組はギリギリドタバタで改変のうえ放送された。 政治家や政府高官が、放送局幹部に会い、放送前で制作中の特定の番組について、明確に偏向した内容と判断したうえで、「~すべきではないか」と意見を述べることを、日本国はじめ民主主義社会では「放送番組に対する干渉」と呼ぶ。そして、政治家や政府高官が放送番組に干渉することを、日本国はじめ民主主義社会では「政治介入する」「政治的圧力をかける」などと言い習わしている。安倍首相は民主主義が分かってない だから、当時の安倍晋三氏がやったことは、放送法の第2章(注:当時は第1章)「放送番組の編集等に関する通則」の「(放送番組編集の自由)第3条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」という条文に抵触する放送法違反だ。ついでにいえば、日本国憲法「第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」にも抵触する憲法違反でもある。 私たちの社会は、北朝鮮や中国でも戦前の日本でもない自由な社会だから、放送局がまだ放送すらしていない番組を政府高官が偏向と決めつけ、ああしろこうしろと注文することが許されるはずがない。ところが、安倍首相は平気でそのような注文をしてしまう。 ようするに、言論報道の自由や民主主義の手続きといったことが、全然わかっていないのだ。 なお、筆者は『問われる戦時性暴力』を極めてエグい内容の番組と考えており、よい番組とはまったく思わない。それでも政府高官の事前介入はダメだ、と主張する。安倍首相は、悪い番組だから政府高官が事前介入するのは当然だ、と考えている。当然、間違いである。それを許せば、政府高官が番組のよし悪しを決めることになるからダメなのだ。 テレビが新聞と違って、放送法で特に「政治的に公平」を求められているのは、限られた者たちが従事する放送局が限られた国民の共有財産である電波を独占的に使い、流す放送番組が直接家庭のテレビ受像機に映し出されて大きな影響力を持つから、である。 突き詰めていけば放送法第4条は、憲法第21条が強くうたう「一切の表現の自由は、これを保障する」と矛盾することになりかねない、実は危うい規定である。万万が一、ヒトラー政権のような独裁政権が登場し、第4条「政治的に公平であること」違反として放送電波を止めるようなことがあれば、独裁者が国民を支配するツールと化してしまう。だからこそ、放送法第4条は一種の倫理規範であり、これを根拠として放送電波を止めることは許されない、と考えられている。これが大方の憲法学者の見解だ。 また、ある個別の番組を見ただけで放送法第4条「政治的に公平であること」違反と決めつける人が少なからずいるが、これも間違い。放送の政治的な公平は、一定期間あるチャンネルを継続して見なければ判断できないというのが、何十年も前から政府の公式見解である。 そして、当のテレビは、実は選挙の時期には政府広報CMを断る、討論番組で政治家の露出時間を公平にする、しつこく両論を併記するなど、視聴者が考える以上に公平や中立に気を配っている。公平規定の撤廃で政権批判が収まるといったバカげたことは考えにくく、撤廃してよいことが増えるとも思えない。家電量販店では解散表明のテレビ画面に来店客が見入っていた=2017年9月25日、横浜市(内藤怜央撮影) 「報道は事実をまげないですること」も、世界的にフェイク・ニュースやヘイトスピーチが横行するいま、なくさなければならない規定ではなかろう。「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は、日本の放送では全然、守られていない。筆者は2011年以前に、地上デジタル放送の進め方はよくないと主張したが、そのような論点を取り上げる放送局は皆無だった。しかし、守られていないから撤廃すべきとは筆者は思わない。守れ、というほかはない。 安倍首相や規制改革推進会議の委員たちは、以上のような事柄もやっぱりわかっていない、と考えるほかはない。AbenoTVならぬAbemaTV 「マスメディア集中排除原則」「外資規制」の緩和といった経済的・産業的側面については、ある程度、検討する余地があるだろう。 日本ではテレビ放送と大手新聞紙の資本系列が存在しており、すでに集中排除原則が骨抜きとなり、形骸化している事実もある。少子高齢化が進み、地方が疲弊して人口減がさらに深刻になれば、地方局やラジオ局の再編は必至で、この点からも集中排除原則の見直しが求められる恐れが強い。 放送局の資本を100%外資が押さえることは、電波が国際的な取り決めで日本国に割り当てられ、それが各産業や企業に割り当てられていることから、そもそも筋が違う。放送局は重要インフラであって、安全保障など危機管理上も問題だ。ただし、外資規制(現在は国内放送局への外国企業の出資割合が20%未満)をある程度緩和することは、グローバル化の進む現在では避けられないように思われる。 放送事業への新規参入ももっとあってよいし、放送におけるハード・ソフト(放送設備部門と番組制作部門)分離も、放送がよくなるものであれば検討すればよい。筆者は、放送は現状維持するのがもっともよい、などとはまったく考えていない。 もっとも、電力が発電と送電で分離したから、同じように放送や通信もハード・ソフトを分離すべき、といった荒っぽい議論は願い下げだ。電気は誰が発電しても送電線に乗せて送ることができる電気だが、番組は誰が制作しても電波に乗せて送ることができる番組という話にはならない。当たり前である。 産業界・財界の経営者や、経済産業省出身の規制改革推進会議委員あたりには、放送の経済的・産業的側面だけに着目し、同じ四角い画面に表示されるのだから放送と通信(インターネット)は垣根をなくして一本化すればよいと思っている人が結構いる。だが、そんな考え方に筆者は、直ちには賛同しかねる。放送と通信を一緒くたにし、さまざまな事業者に自由にやらせて経済効率を追求すれば、現在の放送も通信もどちらもよくなる、という話にはなりそうもないからだ。規制改革推進会議であいさつする安倍晋三首相(右から2人目)=2017年9月11日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影) 第1に、経済効率一辺倒では、放送でも通信でもあまり儲かりそうにない分野が見捨てられていく。例えば、地方に住む少数の視聴者・ユーザー、障害者など絶対数が少ない視聴者・ユーザー、限定的な地域で甚大な災害に見舞われた少数の視聴者・ユーザー、高齢者や若年者・幼児など機械にも情報リテラシーにも弱い視聴者・ユーザーなどを対象とする分野である。放送と通信を一緒くたにすれば、彼らにとって現在よりよい情報が送られるという保証はなく、むしろ切り捨てられる恐れが強い。 例えば、視覚障害者むけの音声放送や聴覚障害者むけの字幕放送はどうなるのか?「AbenoTV」ならぬAbemaTV(2017年の衆院選直前に出演して言いたい放題できたので、安倍首相の大のお気に入り)だのニコ動だのが、どんどん放送事業に入ってくるのはよいとして、彼らはまともな政治報道や災害報道や緊急警報をどこまでやる用意があるのか? 第2に、放送と通信の一元化によって電波からインターネットへの転換が進み、放送に割り当てられた電波に余裕ができ、その利用者をオークション方式で決めるという方向だが、電波からネットへの転換は、一言でいうほど簡単ではない。 そもそも、なぜ放送はラジオを電波で始め、次にテレビを電波で始めたかといえば、電波を使うことが、不特定多数の家庭や事業所に届けるにはもっとも安く、効率的だったからだ。忖度だらけのNHK 現在でも、大規模災害などの発生時はネットは(電話も)つながりにくくなる。ある人がネットを使えるということは、その人(の端末)と事業者が有線であれ無線であれ双方向でつながることだが、大部分の人は大部分の時間、一方通行でよい。だから一方通行の放送に満足している。 これを双方向回線にすれば当然、一方向よりもコスト高になる。このコストは、離島や僻地(へきち)など地域によって大きく違う。規制改革推進会議が、通信事業者によって異なるコストを、どこまでまともに計算したのか、現時点ではよくわからない。ユーザーも、民放だけ見るぶんには無料だったのに対して、通信はインターネットに接続するだけで有料となる。いまネットを使っている人びとはさておき、高齢者や貧困層がそう簡単に納得できる話とは思えない。 第3に、放送のとりわけ報道番組は、通常はあまり儲からないが、いったん事が起こると人々が集中的に注目し、時に人の生死に関わるような重大な選択肢を示すことすらある。ところが、当面は何事も起こっていないから、ある場所に特派員なりクラブ記者なり通信員を配置するのはやめておこう、といった融通がきかないのが報道なのだ。つまり報道には、普段から人もカネもかかる。 放送からさまざまな規制を撤廃し、教養・報道・娯楽など番組ジャンルの調和を求める規定も撤廃して自由にやらせ、儲かりそうにない報道部門が縮小していくと、日本の言論報道空間そのものが縮んでいくことになりかねない。 安倍首相あたりは、報道はコントロールの効くNHKだけに任せればよい、と思っていたようである。というのは、改悪が実現すると、放送法はNHK設置法となり、第3章(目的)「第15条 協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。」の次あたりに、現・第4条の内容が挿入されると思われたからだ。 現在のNHKの報道を見れば、政権に対して忖度(そんたく)を繰り返し、完全に腰が引けた情けないものになっていることは明らかである。そんなNHKの報道だけでよいのか、と思わない国民は、どう見ても少数派に違いない。インタビューに答えるNHKの上田良一会長=2018年2月5日、東京都渋谷区(飯田英男撮影) NHK内部の声を聞くと、NHKと民放の二元体制が重要と思っているのは、NHK会長と役員(理事)くらい。現場では「民放がなくなるだけならば、うちには関係ない話」と思っているようである。 だが、安倍政権の放送制度「改悪」で、万が一民放がなくなる(大手ネット事業者と区別がつかなくなる)のであれば、民放とバランスを取っている現在のNHKの規模は、見直されて当然だ。すると、毎年の予算規模7000億円といった巨大放送局は必要なくなる。当然、受信料は下がる。月額1000~1200円でもまだ高い、という話になりかねない。もちろんNHK職員の数も減るだろう。 以上のことにNHK職員の大部分が気づかないまま、安倍政権の「放送制度改革」はいったん頓挫した。しかし、いつまた同じようなプランが浮上しないとも限らない。今回は新聞紙が水面下の動きを伝えたところで、派手な打ち上げ花火が消えてしまったから、NHKや民放は問題があったと報道すらしておらず、現場には危機感も薄い。 しかし、繰り返すが、放送は現状維持がもっともよいわけではない。放送関係者は、今回のような問題をもっと切実に、自分たちに突きつけられた問題ととらえ、対応を考える必要があるだろう。

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    テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情

    われた政府の規制改革推進会議(大田弘子議長)では、放送法4条撤廃について明示されなかった。それでも、財務省の決裁文書改ざん問題でテレビ報道が安倍政権への批判を強めているタイミングで、放送事業の構造やルールを大きく変える案を検討していたのは、テレビ各局に対する「牽制(けんせい)球」のようなものであろう。 こう書くと、「裏付けはあるのか?」「印象論にすぎない」といったツッコミがありそうだが、これまでに政府や自民党は、現政権に批判的な報道があった場合、何度もテレビ局に「牽制球」を投げてきた経緯がある。今回も同じ意図があったと推測するのは当然である。 例えば、2014年11月18日の衆院解散後、TBS系ニュース番組『NEWS23』に出演した安倍首相は、アベノミクスに対する一般市民の厳しい声が放送されると、「これ全然、声が反映されていません」と気色ばんだ。後日、自民党は在京のテレビ各局に対して、選挙報道の公平中立を求める文書を送付した。出演者の発言回数や時間、街頭インタビューの使い方など、こと細かに配慮を求めることで露骨に牽制したのである。 これだけではない。2015年4月、自民党の情報通信戦略調査会がテレビ朝日とNHKの幹部を呼んで、番組内容に関して事情聴取を行った。2016年には、放送事業を所管する高市早苗総務相(当時)が政治的な公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性にも言及した。政治的な公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性に言及した高市早苗総務相=2016年2月(酒巻俊介撮影) 政府・自民党は、ことあるごとにテレビの報道内容にくぎを刺してきたのである。その経緯を踏まえると、財務省の決裁文書改ざん問題でいらだった安倍首相が、放送制度改革案でテレビ局に揺さぶりをかけるため、総務省内でまだコンセンサスがない放送事業見直しに言及したと考えるのは決して不自然ではない。 テレビ局への苦言は、主に報道の公正や中立を求めるもので、法的根拠としては放送法4条に規定されている「政治的公平性」の原則などが挙げられる。しかし、法律専門家の多くは、この4条を行政処分などが可能な「法規範」ではなく、テレビ局が自律的に努力する「倫理規範」ととらえている。これまでのように、4条を根拠に政府や自民党が番組内容にモノ申すことは言論介入であり、極めて不適切だとするのが大勢の見方なのである。安倍政権もメディア不信を利用する? 驚いたことに、この放送事業見直し案では、テレビ報道を牽制するためにフル活用してきた放送法4条の撤廃も視野に入れている。180度の方向転換である。 米国では1987年、日本の「政治的公平性」に相当する「フェアネス・ドクトリン」(公平原則)が撤廃された。その結果、イデオロギーを前面に押し出して人々の感情に直接訴えかけるような偏った報道が増えた。 次第に米国民の議論は過激なものになり、互いに激しい批判を繰り広げるうちに社会は分裂し、メディアへの信頼も低下した。そんな中、トランプ大統領は主要なテレビ局などをトランプ支持者にとっての「共通の敵」として設定することで政治的求心力を高めようとしている。 日本でも放送法4条を廃止した場合、米国と同様にテレビ報道が分極化を強め、極端な言説やフェイクニュースがあふれかえり、テレビへの不信感が一層強くなる可能性がある。安倍政権は、トランプ大統領のように「メディア不信」を利用して自らの支持基盤を強化することを狙っているのかもしれない。勝手な推測かもしれないが、安倍首相の朝日新聞への批判や、麻生太郎副総理兼財務相の「森友の方がTPP11より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」といった発言などを考慮すると、かなり現実味を帯びてくる。 また、安倍首相は2013年6月、インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に出演し、動画を見て書き込みをする層を「保守派が圧倒的ですから」とも発言したという。この発言から考えると、通信事業者が放送に新規参入すれば、現政権の支持者を増やすことができるというしたたかな計算があったのではないか。 放送事業見直し案に関しては、在京民放キー局5社の経営トップが反対姿勢や疑念を示した。しかしながら、この問題に関する現場レベルの反応は鈍く、テレビニュースで積極的に取り上げているようには思えない。 公共性が高い情報なのに、なぜ伝えないのか。テレビ報道の現場社員であれば、こんな言い訳が考えられる。2017年9月、横浜市内の家電量販店では安倍首相の解散表明会見を報じるテレビに来店客が見入っていた 業界構造全体が変わるようなニュースは自分の手に余る。幹部の指示がないと放送できない。指示がないのだから放送しなくても自分の責任は問われないだろう。下手に放送すべきと進言すれば、空気が読めないダメなやつと思われるかもしれない。ひとまず他局の動きを見よう。他局も報道しないならば、このニュースは無視しよう。 私がいまだに現役テレビマンだったとしても、こう考えただろう。財務省の決裁文書改ざん問題で「忖度(そんたく)」の有無について、まるで他人事のように報道しているが、安倍政権の顔色をうかがう体質はテレビ業界も同じだからである。進んで自主規制するテレビマンの弱腰 安倍政権の意向に反したことを放送すれば、政府や自民党から「牽制球」を投げ込まれる。そうなれば、テレビ局によって対応の差はあるものの、社内で対応に苦慮し「面倒なことに巻き込まれる」という恐怖感が番組スタッフや記者の萎縮につながっているのではないだろうか。 放送内容の是非は考慮されず、社内で「面倒なこと」を生じさせた責任を問われる可能性さえある。だから、テレビマンは見て見ぬふりをして自主規制するのである。 例を一つ挙げよう。前述したように、2014年の衆院選の際、自民党は在京のテレビ各局に選挙報道に公正中立の配慮を求める文書を送った。その後、衆院選を伝えるテレビ報道が激減したのである。テレビ番組の内容を分析するエム・データ社によると、2012年の衆院選と比べて放送時間が約3分の1に減っていたという。 テレビ局の「触らぬ神にたたりなし」の「事なかれ主義」がはびこり、自主規制につながった可能性が高い。報道の自由という観点からも、番組内容を牽制する自民党の姿勢は問題だが、それにひるんで自主規制してしまうテレビ局も弱腰すぎてフォローのしようがない。 放送法4条はテレビ各局にとって「もろ刃の剣」である。政府・自民党からの「牽制球」にもなるし、「偏向報道の抑止力」として機能する場合もある。メリットがあればデメリットもある。 だからこそ、4条撤廃は軽々に判断されるべきものではなく、慎重な議論が必要である。撤廃したとして、行政当局が表現を規制をするのか。放送倫理・番組向上機構(BPO)のように表現の自由を確保しながら、苦情や放送倫理上の問題に対応する第三者機関も廃止になるのか。他にも、報道の自由を守るための論点は多い。 にもかかわらず、これまでテレビ報道の現場は「事なかれ主義」で、安倍政権がこれまでにテレビ局を牽制してきたことをほとんど報じていない。だから、多くの視聴者は政府とテレビ局の間で何が起きているのか、さっぱり理解していない。規制改革推進会議の作業部会に臨む民放連やNHKの役員ら(右側)=2018年4月26日、東京都千代田区 放送法4条を撤廃することの重大さを考えると、テレビ局の役員や幹部、現場の報道担当者はここで覚悟を決めて、視聴者にこの問題をきちんと伝えるべきだと思う。各民放の経営トップが放送事業見直し案に反対を表明するだけでは、新規参入業者を拒み既得権益を守ろうとする「オールドメディア」という印象を残してしまうかもしれない。 むしろ、これをきっかけにニュース番組で、これまで安倍政権がテレビ各局にしてきたことをつまびらかにした上で、放送への新規参入や放送法4条撤廃の是非を問うのはどうか。これまでの「事なかれ主義」を打破して、政府とテレビ局のまっとうな関係とはどういうものなのか、今こそ問題提起するタイミングである。

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    高須院長がマスコミに注文「先に反日ですと宣言して」

    院長が世の中の様々な話題に対して、自由気ままに提言するシリーズ企画「かっちゃんに訊け!!」。今回は、財務省の決裁文書改ざん問題に関する報道について語っていただきました。* * *──現在、日本国内では森友学園への国有地売却に関する決裁文書改ざん問題が大きく取りざたされています。焦点としては、官邸サイドから財務省へ何らかの働きかけがあったのか、あるいは財務省から政権への忖度があったのか、という部分にあります。高須:もちろん、公文書を改ざんするということは、あってはならないことだよ。どういう経緯で、そして誰の判断で改ざんすることになったかを解明することは必要だと思う。でも、ちょっと気になるのが、一部のマスコミの報道だね。こういった事件は、あくまでも事実のみをベースとして、公平に報じなければいけない。それが報道機関の役割だよ。でも、一部のマスコミは、政権批判の材料として改ざん問題を利用しているわけだ。政権が有利になるような事実は報じずに、政権がすべての元凶であるかのような流れを作って、都合のいい情報だけを垂れ流しているように感じるんだな。少なくとも、そんなことは大手マスコミのするようなことではないと思うね。──文書改ざん問題が発覚してから、安倍内閣の支持率は低下しています。高須:残念だよ。個人的には外交政策もいいと思うし、景気も決して悪くないと思う。そりゃあ完璧な内閣ではないだろうけど、いろいろな批判を浴びながら、ものすごく頑張っている政権だと思う。憲法改正とか消費増税とか、誰もやりたがならないけど、いつかは誰かがやらなければいけないことに率先して取り組んでいるんだから、安倍さんは本当に立派な総理大臣だと思うけどね。そのあたりをしっかり評価するマスコミがもっとあってもいいと思うなあ。──しかし、現在は主に安倍内閣の疑惑を追及するような報道が多いですね。高須クリニックの高須克弥院長(納冨康撮影)高須:特にテレビのニュースに顕著だけど、何か注目の的となるニュースがあると、それに対してあるひとつの結論を仮定して、全体がそこに向けて、報じていくという傾向があると思うんだよ。結論ありきで、そこに導くような情報ばかりを出して、そうではない情報は闇に葬り去られてしまう。別にとても重要なトピックがあったとしても、無視されることさえある。それは健全ではないと思うね。「改ざん問題もいいけど、北朝鮮情勢は忘れていないかい?」って素直に思っちゃうなあ…。 あと、テレビなんかでは安倍首相が関与しているかのような報道も多いけど、SNSなんかをよく見ていると、文書改ざん問題について「政治の関与はありえない」といった意見を発信している専門家は少なくないんだよね。でも、地上波ではあまりそういう意見は使われず、マスコミ側が想定した意見ばかりが使われがち。なんとも気持ち悪い状況だ。安倍政権崩壊で儲かる?──実際問題として、多くのマスコミが“アンチ安倍内閣”なのでしょうか。高須:ご存じの通り、完全にアンチ安倍内閣のマスコミもいるよ(笑い)。でも、ただ単に“今の空気”に乗っているだけのマスコミも多い。「アンチ安倍色を出したほうが視聴率が取れる」という判断なのかもしれないね。とはいっても、正しい意見を発信しても無視されてしまう状況があるのは事実であって、これは本当に由々しき問題だよ。 でも、どうしてマスコミはわざわざアンチ安倍のほうに流れていくのか、それが不思議で仕方ない。だって、ネットを見ていると安倍首相も麻生財務大臣も「辞任しなくていい」という声がけっこう多いし、そもそも安倍政権の支持率は高かったわけだからね。もしも視聴率がほしいのであれば、保守寄りの報道をしたほうがいいと思う。それなのに、アンチ安倍の方向へ進んでいるというのは、なんだか気持ち悪いなあ。誰かが裏で糸を引いているのか? 安倍政権が崩れたら儲かる人でもいるんじゃないの? …って、ちょっと陰謀論めいてきちゃったな。これはいけない(笑い)。 まあ、陰謀論はばかげた冗談だけど、安倍政権に関係ないところでも、不自然に報じられない話題はいくらでもある。例えば、中国政府によるチベット弾圧もそう。深刻な人権侵害なのに、世の中の人権派の皆さんはどうしてそこをもっと取り上げないのか? 疑問しかないよ。 仮に偏った報道をするのであれば、最初に「反安倍です」とか「反日です」とか宣言してから、やってほしいね(笑い)。そうすれば仮におかしな報道があったり、人権侵害する国を擁護するようなことがあったりしても、「偏ってるんだから仕方ないか」って思えるもん(笑い)。もちろん、その逆もしかりだよ。「保守です」って宣言して報じていれば、僕も「なるほど~」って安心しながら見ることができるからね(笑い)。 ただ、そうなったらもう報道ではなく、イデオロギーの発信ということになる。でも、そのほうが双方とも意見をぶつけやすくなって、意外と建設的な議論ができるような気もするなあ。少なくとも、報道という姿を借りて、民衆を愚弄しつつ、おかしな方向へ導こうとする卑怯なまねがまかり通るよりは健全だよ。* * * 公平性・客観性に欠ける一部のマスコミへの不満をぶちまけた高須院長。ネットで様々な情報をキャッチできるこの時代だからこそ、正しい報道が必要となるのはもちろんだが、同時に正しい報道を見極める力も必要となりそうだ。【プロフィール】高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。脂肪吸引手術をはじめ、世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。昭和大学医学部形成外科学客員教授。医療法人社団福祉会高須病院理事長。高須クリニック院長。人脈は芸能界、財界、政界と多岐にわたり幅広い。金色有功章、紺綬褒章を受章。著書に『ブスの壁』(新潮社、西原理恵子氏との共著)、『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)、『行ったり来たり 僕の札束』(小学館)、『ダーリンは71歳・高須帝国より愛をこめて』(小学館)など。関連記事■ 安田浩一氏「ネトウヨの安倍氏支持はマスコミとの対決姿勢」■ 安倍礼賛のマスコミ 報道ダンゴ虫の心象は囚人のジレンマ的■ 韓国マスコミの日本報道 保守系より左派系のまともさ目立つ■ STAP細胞事件 いい大人がやや美人に惑わされたとすら言える■ 室井佑月 雑誌特集の「輝く女」に「私達は蛍光灯じゃない」

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    テレ朝記者「セクハラ告発」と報道倫理

    テレビ朝日の女性記者に対するセクハラ疑惑で、財務省の福田淳一事務次官が辞任した。「セクハラ告発」をめぐっては、官僚の資質や政治家の道義的責任、記者の報道倫理まで、議論はさまざまな方面に飛び火した。今回、iRONNAでは記者経験を持つ識者の論考を集めた。賛否が渦巻くこの議論を正面から考えてみたい。

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    テレ朝記者「セクハラ告発」に舌打ちしたオンナ記者もきっといる

    で密談する上司なんかを尻目に、おっぱいの一つももめなきゃ出世なんてできないぜ的価値観を押し付けられ、財務省という海を泳いできて、ここにきて「おっぱい触っていい?」と聞いたら社会での立場も大人としての威厳も全て失う。 かといって別に同情する気にもならないのは、彼が日本のエリートの代名詞のような立場にありながら、そして財務省では鋭い勘を頼りに出世してきたにもかかわらず、時代の空気を読む勘がごっそり抜けていたところが、どうにも間抜けだからだ。どうしてもみだらな言葉を挟み込んで死んでいきたいなら、村西監督よろしく実社会とやや隔たりのある動物園で過ごしていればいいのにというのが率直な感想だ。 しかし、自分の所属するメディアや自分のジャーナリズム精神を使うのではなく、週刊誌に頼ってまでセクハラオヤジを駆除しようとした勇気ある女性記者、ノーパンしゃぶしゃぶの時代から抜けきれずになんとか勝ち抜けようとしたら最後の最後で捕獲されたバブルおやじ、そんなこの時代らしい登場人物に埋もれて声を失っている者がいることについてはあまり考慮されていない。私は一点、まさにそこだけにこの女性暗躍時代、じゃないや女性活躍社会の闇を感じないでもない。 オンナだって一枚岩ではないのだ。男並みに実力とロイヤルティーで働きたい女性、女なりに活躍したい女性、女ならではの活躍をしたい女性。そんな中、女の武器などなかったことにして、勉学や労働に勤しみ、あたかも乳も足の付け根もついていないかのように振る舞い、かといって女性らしい美しさを失わない、きれいで清廉潔白な女性はどんどん発言の場が広がり、汚いものが駆除されて働きやすい時代が間近に迫っているのかもしれない。 しかし、清廉潔白でもきれいでもない女たちは、つるし上げられるバブルおやじたちを横目に、ちょっと本音でも漏らせば、おじさんに向けられている矛先がすぐにでも自分の眉間を目指しそうな、嫌な緊張感のもとにいる。辞意を表明した財務省の福田淳一事務次官=2018年4月18日午後、東京都千代田区(桐山弘太撮影) 許可を得ずに録音した本来の取材とは関係のないテープを週刊誌に横流す女性記者をみて、心強いと感じた女性がいるであろう反面、自分を担当している愛想の良い、手練手管の女性記者の取材を急に恐ろしく感じた男もいるであろう。 同時に、いい感じにあほなおやじを手のひらで転がしてうまいことやっていたのに、と舌打ちしているオンナだっている。おじさんに、警戒心と恐怖心を抱かれた時点で自分が女性ならではのやり方で積み上げてきた仕事のやり方が一気に崩壊するからだ。生きづらいのはおじさんだけじゃない オンナを使って出世する、なんていう事態を世間は非常に冷ややかな目で見るが、生理の時には痛み止めを飲んでナプキン変えて、男より人生のうちに仕事に費やせる時間が少ない。 ましてや、もし子供を持とうと思えば長期のインターバルを余儀なくされる女が、会社の中でそれなりに自分の存在意義を認めたいとすれば、女の自分に使えて男のあいつらには使えないものを惜しみなく使い、男以上の価値を発揮するのだって、ある意味ではいじらしい努力である。国会内で開かれた「セクハラ被害者バッシングを許さない」とする緊急集会。女性団体の代表や国会議員、市民が参加した=2018年4月23日 だって一部の(と言わないと怒られそうなので一部の)おじさんたちって結構おバカで、私たちが谷間の見えるワンピでも着て上目遣いで涙を浮かべると、さっき質問に来たうだつの上がらない男性記者には渡さなかった紙の一枚くらいはくれるものだから。 もっと次元を落とせば、単に女性としてみられていないと機嫌が悪くなる女だっているし、官僚とのラブロマンスを望んで記者になる女だっているし、容姿に恵まれず殿方と縁がない人生を歩んできたものの、男ばかりの会社で記者になったらこんな私でも女の子扱いしてもらえる、なんて悦に入っている女もいる。胸を見せたくらいでネタが取れるならそんなにラクなことはない、と思っている元AV記者だっている。 そういった女ならではの感情を持たずに生きるのが正しいなんて誰が決めたんだろう、とちょっと思う。 何事にも清廉潔白を求める空回りの正義感によって生きづらくなっているのが、おっぱいもみながら日本経済を支えてきたバブルおやじだけだと思っているならば、それはおじさんの被害妄想だ。 女性活躍をうたう政府のもとで、おっぱいとか縛るとか言っているトップ官僚がいることにみんなが辟易(へきえき)としているのは事実だが、こんな騒動を見ながら、活躍の場を失っている女性だっていることも、もうちょっと知ってほしいと思うのは、女性が差別されたり侮蔑されたりすることなく働ける社会を望んでいないから、というわけでは絶対にない。

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    女性記者の「セクハラ告発」でテレビ朝日が犯した二つの過ち

    上谷さくら(弁護士、元毎日新聞記者) 財務省の福田淳一事務次官によるテレビ朝日の女性社員へのセクハラ問題は、福田氏が辞任表明したことで、テレ朝の対応や女性社員の個人情報に関心が集まるようになった。私は大学卒業後、毎日新聞社で記者をしており、刑事事件から行政、選挙の取材などを一通り経験した。その後、弁護士となって犯罪被害者支援をライフワークとし、性犯罪被害の相談を多く手掛けている。その経験を踏まえ、テレ朝の問題点や同社女性社員の保護について考えたい。 テレ朝の記者会見によると、女性社員からセクハラ相談を受け、自社で報道してほしいとの要望を聞いた上司は、報道すると女性社員が特定されて二次被害に遭うので報道しない、と答えたという。 詳細は不明だが、「報道しない」と回答するだけで終わったのだろうか。もし、そうだとすれば、女性社員のセクハラ被害を放置し、結果的に福田氏のセクハラ行為を継続させたテレ朝の責任はあまりにも重い。 確かに、自社で報道すると個人が特定されやすく、被害者が二次被害に遭う恐れは十分にある。女性社員が報道を望んでいたとはいえ、覚悟のうえの申し出だろうから二次被害に遭っても構わないというのは、あまりにも短絡的であり、この上司が女性社員の二次被害を心配したこと自体は評価されるべきである。 その際、具体的にどのような二次被害が想定されるのか、福田氏が全面否認した場合はどうするのか、今後も女性社員は財務省の取材を続けたいという希望があるのかなど、十分な話し合いがなされたのであろうか。 このような相談がなされ、相談者が明確に「こうしたい」という希望を持っている場合でも、その希望自体がそもそも無理な場合や、希望が実現するとかえって相談者が傷つく結果を招くケースは多い。 ゆえに、相談者の希望とは少し異なる方法だが、相談者にとってメリットが大きく、被害回復に資する手段をいくつか考えて提案し、どの方法を選ぶのがいいのか一緒に考えるプロセスが重要である。 今回の場合、女性社員があくまで自社による報道にこだわり、それ以外の選択肢については断ったのかもしれない。だが、例えば、テレ朝として財務省か福田氏個人に抗議したり、女性社員を福田氏の担当から外したりする方法もあっただろう。2018年4月16日、財務省を出る福田淳一事務次官(中央)。女性記者へのセクハラ疑惑を否定した マスコミ各社は多くの場合、このような手段を取っているはずで、そんなことでは女性記者が置かれた劣悪な労働環境は改善されないが、一定の歯止めにはなるはずだ。会社が「何もしない」ことは「被害者を見捨てた」も同然で、被害者を傷つけることは間違いない。一緒に考えて手を尽くすこと自体が、被害回復にとって非常に重要なのである。 テレ朝が記者会見で、女性社員が『週刊新潮』に今回の事件のことを持ち込んだことについて「遺憾である」と表明した。私は、この一言が一部の人たちから女性社員が激しくバッシングされる流れを決定づけたと思っている。テレ朝はこのようなことを絶対に言うべきではなかった。その理由は二点ある。 一点目は、この期に及んでテレ朝が女性社員を守る視点に欠けていたことである。女性社員が週刊新潮に情報を持ち込んだのは、テレ朝が女性社員の訴えにきちんと対応せず、このままでは福田氏のセクハラ行為や同じような立場に置かれた女性記者の苦しみが続いてしまうと考えたための苦肉の策であろう。新聞・テレビの「よくある慣習」 つまり、やるべきことをやらなかったテレ朝の態度が、女性記者にそのような行動を取らせたのである。それを「遺憾」と言い放ったのは、今回は例外的なことであって、テレ朝の他の記者はそんなことはしないから安心してほしい、という対外的なアピールだったと思う。全力で女性社員を守らなければならないテレ朝が、そのことよりも会社としての体面や取材先との関係を優先した結果、被害者の傷を深くしたのではないか。 二点目は、大手新聞社やテレビ局が、ネタを週刊誌に持ち込むことはよくある慣習という点だ。新聞社やテレビ局の記者があるネタをつかんだ時、そのメディアの性質上、報道に適していないと判断されたり、取材先との関係を重視して自社では報道できないなどの理由で、報道を断念することがある。 しかし、何らかの方法で世に知られるべきだと思われる場合などに、その記者個人や、時には上司の判断で、週刊誌に情報提供して報道してもらう。報酬が発生するかどうかはケースバイケースのようだが、小遣い稼ぎ感覚の記者もいる。 そこで、取材源まで明かされているかどうかは分からないが、少なくとも大手新聞社やテレビ局の記者が、週刊誌に情報提供するのが普通に行われていることは明らかである。 テレ朝の女性社員は、メディアに身を置くものとして、そのような実態を熟知していたはずだ。なにしろ、財務省事務次官という強大な権力を持つ者による悪質なセクハラ行為が、テレ朝によってなかったことになりかけていたからだ。 それを防ぐために、女性社員が週刊新潮に情報提供したことは自然な思いつきだったであろう。そのことについて、大手メディアに所属する人間が、さも悪であるかのように評価するのはお門違いであるし、偽善である。 大手メディアと週刊誌とのそのような関係は、一般的には知られていない。それにも関わらず、テレ朝が上記のような言い方をしたために、この女性社員がことさらに悪いことをしたように誤って評価され、それがバッシングの一因となった。 テレ朝は、「結果的に取材源の秘匿という問題に不安を抱かせることになったかもしれない。それも全てわが社の対応が悪く、女性社員を追い詰めた結果である。彼女に責任はない」と言って頭を下げるべきだったと思う。2018年4月18日、女性社員が福田淳一財務事務次官のセクハラ被害を受けていたと明らかにしたテレビ朝日の記者会見 テレ朝の記者会見後、テレ朝がことさらに悪者のように言われている。しかし、テレ朝だけの問題ではない。テレ朝を悪者にして終わりにしていい話ではない。 新聞社やテレビ局の人であれば、現場の記者がセクハラやパワハラに日常的にさらされていることは常識として知っている。ただ、被害に遭っている記者は、それを言い出すと同僚や上司、会社に迷惑をかけると思っているのであまり口にしない。忙しすぎて、そういうことを相談する時間もない、という現実もある。 誰に相談するのかも迷う。誰を信頼していいのか、その人に相談して対処してくれるのか、という悩みもある。つまり、誰かに相談するというのは、よほど耐えられないと感じた場合が多い。大手マスコミの女性記者たちよ、立ち上がれ そして実際に記者から相談があった場合、会社としてどう対応しているか。相談者の要望としては、取材先に内々で抗議してほしいとか、担当を変えてほしいというのが一般的だろう。会社は、そのくらいの対応はしていると思う。 しかし、今回のように「自社が報道すべきだ」と訴えられた時、その望み通りに報道したメディアはあっただろうか。世間には、「女性社員の望む通りに報道すればよかったのだ」という向きもあるが、今回のケースが自社だった場合、「それは出来ない」と断ったメディアがほとんどだったのではないか。各社の見解を聞きたいところだ。 また、全国的に「その女性記者は誰だ」という注目が集まっている中で、最悪な形でほぼ個人が特定されてしまった。インターネットには、特定した情報が流れているし、取材源の秘匿を守らずに週刊誌にネタを売ったけしからん人間である、と公然と批判する人もいる。 しかし、福田氏の言動がセクハラであり、大多数の女性が不快感を覚えることは明らかであるし、福田氏に共感する男性が少ないこともまた明らかだ。 テレ朝の女性社員は、公表によって自らがバッシングを浴びることを予想していただろう。それでも泣き寝入りしなかった彼女に敬意を表したい。今後は、彼女の尊厳を回復することに全力を注がなければならない。 これまで、セクハラ問題は、告発した女性がバッシングされ、居場所がなくなる現実が多くあった。会社内でセクハラした人が配置転換され、被害者が不利益的な扱いを受けなかったとしても、何年も「あいつのせいで〇〇は飛ばされた」などと後ろ指を指される様子を多くの女性たちが見てきた。 その結果、「あんな目に遭うなら泣き寝入りしよう」ということになり、いつまでもセクハラがなくならない、男性の意識も変わらないという悪循環が続いている。今回もこれまでのところ、全く同じ構造だ。 まず、大手マスコミの女性記者たちに立ち上がってほしい。沈黙はセクハラをしているのと同罪だ。テレ朝の女性社員は、女性記者みんなの声を背負って自分が犠牲となったのだ。最近は女性記者の数も多い。会社の垣根を超えて団結し、どうしたらこのような問題がなくなるのか真剣に考えてほしい。この機会を逃したら改善される機会はなくなるかもしれないのだから。2018年4月23日、国会内で開かれた「セクハラ被害者バッシングを許さない」とする緊急集会 また、セクハラの話になると、男性が全く当事者意識を持てないのも問題だ。問題意識を抱いている男性も多いと思うが、「女性は大変だね。頑張ってね」と他人事で済ましていると感じる。それではこの問題はいつまでたっても終わらない。 セクハラはパワハラとセットになっていることが多い。男性にとっても自分の問題でもあるはずだ。真剣に考えてどうすればいいのか方法を考えてほしい。自分が感じた苦い気持ちを思い出してほしい。 テレ朝の女性社員の二次被害をどう食い止め、彼女の尊厳を回復するか。今となっては非常に難しい。ただ、世の中が少しでも変わるのであれば、それが彼女の被害回復に資すると思う。

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    「福田さん、あんたはエライ!」テレ朝記者セクハラ告発、私の本音

    たからだ。さすが、日本の最高学府東京大学出身、大蔵省入省トップ、エリート街道を驀進(ばくしん)して、財務省事務次官に上り詰めただけのことはある。全省庁を代表する財務官僚の「体質」が骨の髄まで染み込んでいる。 財務省といえば、「捏造(ねつぞう)」「隠蔽(いんぺい)」「虚偽答弁」「真っ赤な嘘だらけ」、いわば「嘘のデパート官庁」であることは、この1年余りの森友・加計問題で、国民の大多数が知るところとなった。その事務方の頂点に立つのが福田さんである。 彼こそ偉大な官僚である。まるで、去りゆく日まで、後輩たちに「嘘をついたら突き通せ、恥も外聞も関係ない。痛痒(つうよう)を感じる必要はない。知らぬ存ぜぬ、木で鼻をくくったような対応をせよ。良心の呵責(かしゃく)にさいなまれるな。時がたてば沈静化する」と教えているようだ。これぞ財務省の「一番星の一番星」たるゆえんだろう。やっぱり「福田さん、あんたはエライ!」 こういう精神構造の人について考えるとき、彼は本気で「セクハラをやっていない」と信じ込んでいるのではないかと思ってしまう。つまり、彼の「セクハラ」の定義は世間一般と大きく隔たりがあるのではないか。 彼にとって、「縛っていい?」「おっぱい触っていい?」は日常会話の延長で、女性にこうした発言をすることが「セクハラ」と捉えていないのだろう。これまでも省内の女性に同様の発言を繰り返してきて誰もとがめることなく、それが通用してきたのではないか。 彼の「セクハラ」は、実際にタオルやベルトで相手を縛って無抵抗にしたり、嫌がる相手にキスをしたり、無理やりおっぱいをわしづかみしたり、触ったりしたときに、初めて成立すると思っているのではないか。私はテレビに映し出されたアップの顔を眺めながら、そう思えてきた。 今回、福田さんの問題がクローズアップされているが、実は、日本の社会には日常的にこうした「セクハラ」がまかり通っている。私も多くの男性と同様、きれいな、かわいい、癒やされる女性と一緒にいれば、心弾むし、二人っきりなら福田さんと同じ気持ちになることもあるだろう。 いや、私のように「下心」がスーツを着ているような男は、こういう思いが実際に何百、何千とあった。しかし、許容範囲を予測できるから、相手に「危険だから録音しておこう」とまで思わせることはなかったから、どうにかこの年までやってこられた。2018年4月18日、辞意を表明した財務省の福田淳一事務次官(春名中撮影) 今年は「明治150年」と言われているが、日本男性の「男尊女卑」観は、明治維新でも大正デモクラシーを経ても改革されず、先の敗戦を経てようやく「男女同権」がうたわれるようになった。福田さんをかばう麻生太郎財務相も発言を聞く限り、明治的な「男尊女卑」感覚がいまも息づいているのではないだろうか。 福田さん、いや日本の官僚の中でもタチが悪い人間は、この「男尊女卑」に加えて「官尊民卑」の明治以来の伝統のごとく、傲岸(ごうがん)不遜、理不尽、高圧的、尊大、横柄、居丈高、高飛車、威圧的、上から目線の官僚体質が染みこんでいる。だから、「何をやっても許される」「嘘は突き通せ」「俺たちが日本を動かしている」という傲慢(ごうまん)な自負があるのではないか。堪忍袋の緒を切ったら生きていけない 一方で、深刻なのは福田さんのセクハラを告発したテレビ朝日の女性記者のほうだ。彼女が告発に踏み切った理由は、テレ朝の篠塚浩報道局長の会見でおおむね分かった。彼女について、少なくとも三つの点について考えてみたい。 まず、自分が告発したことについては、堂々と「私がやらずに誰がやる!」くらいに構えておけばよい。公開中の映画『ペンタゴン・ペーパーズ』では、ベトナム戦争を分析した極秘文書をスクープしたニューヨーク・タイムズが発行停止になると、すぐさまワシントン・ポストが書き始めた。ポストも発行停止になると、今度はシカゴ・サン・タイムス、ロサンゼルス・タイムズなどが続々と後を追う。 今回のケースでいえば、「私も被害を受けました」と他の女性記者たちが次々と名乗りを上げるのが健全な姿だと思う。だが、それは日本では望むべくもないのかもしれない。「各社の思惑もあって難しいだろう」と考えるのは、私が古いのかもしれない。 ただ、このニュースを知ったとき、最初に頭に浮かんだことは「この女性記者は、これから大変だな」という思いだった。まずは、秘匿である取材源を明らかにしたことから、今後「記者」としてやっていくのは難しいだろうということである。 私が学生時代、毎日新聞の西山太吉記者による、沖縄返還の日米「密約」に関する外務省の機密文書漏えい事件、いわゆる「西山事件」が起きた。そして、西山氏は女性事務官とともに国家公務員法違反で逮捕された。この問題について、毎日新聞記者だった父は「相手(の女性)が認めても、記者のほうは明かしちゃいかんな」と残念そうに言ったのをよく覚えている。 今回の場合、テレビ朝日の会見から察するに、女性記者と福田さんが、彼の主計局長時代からサシで飲めて話が聞ける関係だとわかる。財務省担当になったことがないので想像するしかないが、官庁のトップやナンバー2とそこまで懇意にできることは、なかなか難しいのではないか。 私が記者当時に在籍していた司法記者クラブでも、トップの検事総長やナンバー2の東京高検検事長とサシで飲める女性記者は皆無だったと思う。それほど難しいことであり、変な表現になるが「身に余る光栄」とも言える。「明治の尻尾」が残る私などは、もしセクハラ相談を受けたら、「本当にキスしたり、触ったりするんじゃないのなら、聞き流してネタをとれ!」とハッパをかけてしまいそうだ。2014年7月、沖縄密約訴訟の上告審判決で、原告側の上告が棄却され敗訴が確定。記者会見する元毎日新聞記者で原告の西山太吉氏(手前、大里直也撮影) しかし、彼女は我慢に我慢を重ねて1年半、堪忍袋の緒が切れたのだろう。ただし、堪忍袋の緒を切った以上、非難を承知で言えば、記者を続けることは厳しいと思う。「取材源は自分から明かしてはいけない」ことは、記者の鉄則だと思う。 私は怪文書や月刊誌『噂の真相』に、よく「NHK司法キャップOのネタ元は誰々」と名指しやイニシャルで書かれたことがある。しかし、そういう場合は涼しい顔をして笑って無視した。 中には、特捜部長自ら「小俣ちゃんのネタ元は○○だろう。俺にだけ明かしてくれよ」と迫られたこともある。こんな場合も常に「そんな馬鹿な。名前は知っているけど、話したこともないのに、誰がそんなこと言うんですか」と徹底して否定し続けた。だから、ネタ元のヒラ検事は、笑いながら「お前は大丈夫だから」と言ってくれた。ジャーナリズムは綺麗事の世界じゃない たとえ、ズバリ言われても、自分から認めない限りは、しょせん「噂話」にすぎない。記者を長く続けていれば、こんなことは日常茶飯事だ。それどころか、至る所に「落とし穴」まで仕掛けられている。だいたい、他社が耳打ちしてネタ元をつぶそうとするために動くからだ。それほど取材源を確保し、維持し続けることは難しく、厳しいのである。 それを分かった上で、女性記者が告発した以上、たとえ「記者」を続けても、他の記者クラブに行けば「あれが次官を葬った女性記者だ」とライバル社が告げ口するだろう。遊軍記者になっても、今度は「テレ朝には、取材源を平気で売るような記者がいる」と悪意の干渉が行われる恐れがある。もちろん、女性記者にとっては、悩みに悩んだあげくの行動なのだが、他社はそうは言わない。ジャーナリズムというのは、綺麗事の世界ではないのである。 次いで、テレ朝ではなく『週刊新潮』に持ち込んだことについての問題がある。意見の分かれるところだが、私は大いに結構だと思っている。実は、私もNHKで使ってもらえないネタは、『文藝春秋』に持ち込んで記事にしてもらったことが何度もある。 もちろん、彼女同様、取材協力謝礼をもらったことはない。散々怪文書で「司馬遼太郎より文春から金をもらっている」と書かれたことがあるが、とんでもない話だ。さすがに辟易(へきえき)したけれど、考えは変わらなかった。 では、なぜ他に持ち込むかといえば、自分が獲ってきたネタを大事にしないと、ネタ元から「小俣にせっかく教えてやっても意味がない」と思われるからである。また、とにかく世の中に明らかにしなくては「事実が埋もれてしまう」という思いも強かったからだ。特に、女性記者とはその点で合致していると思う。 それにNHKの場合、政治家絡みの事件では、ネタがなかなか日の目を見ることが少ない。中にはとんでもないデスクがいて、「ネタ元を明らかにしろ。その人が信頼できるかどうかで出す出さないを判断するから」と、ロクな取材もしてこなかったような先輩に問いただされたものだ。そういう場合の発信場所を文藝春秋に求めていたのである。その時の「相方」は、いまや社長や常務になったが、この2人の編集者なら絶対の信頼が置けたからだ。だから、私は2人と当時の編集長以外、文藝春秋の編集者をほとんど知らない。 おそらく、女性記者も同じ気持ちだったのだろう。会社の上司にセクハラを報告しても相手にしてくれないのなら、他の媒体に持ち込む方法しかないと思うのは自明の理である。むしろ、彼女をここまで追い詰めたテレ朝の上司や幹部は、反省や遺憾の意を表すどころではなく、厳しく処分されるべきである。「お前ら涼しい顔して逃げるんじゃねぇ」と私が怒鳴りつけたい気分だ。2018年4月、福田財務次官のセクハラ問題について会見に臨むテレビ朝日の篠塚浩報道局長(右)と長田明広報局長(佐藤徳昭撮影) 最後は女性記者に対する今後の処遇の問題である。一つ目でも触れたように、彼女が望もうが、記者としては残念だが活動しづらいと思う。綺麗事で言えば「正義のセ」なのだから、何ら臆(おく)することはないのだろう。しかし、現実に戻れば、そう簡単にはいくまい。 だからこそ、社を挙げて彼女を守ることが重要なのである。年齢を問わず、こうした過酷な事態の渦中にあって、精神的にボロボロになっているはずだ。彼女が「よくやった」ことは動かぬ事実であり、称賛すべきことだと思う。それだけに、代償が大きすぎてはいけない。 余計なお世話だが、彼女には、ぜひ人権や弱き側の心をくみ取ったドキュメンタリーを作れるようなディレクターに新天地を見つけてほしい。こういう発想が、まだまだ私に「明治の尻尾」が残っているからかもしれない。むしろ、今の人なら、平然とそのまま取材記者を続けるのかもしれない。それができるメディアの世界であってほしいが…。

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    「財務官僚が不祥事連発する理由」を竹中平蔵が斬る!

    惑」を受け、麻生太郎財務大臣より福田淳一事務次官の辞職が発表された。このところ、不祥事が連発している財務省。書類隠ぺいに書き換え、果てはセクハラ疑惑による次官辞職まで-。世間を大いに騒がせ、「官僚体質」が大問題となった大蔵省接待汚職事件(通称ノーパンしゃぶしゃぶ事件)から早20年が経過。その間さまざまな「省庁改革」が断行されたはずだが、そこに来て今回の一連の不祥事。官僚制度の何がこのような事態を招いているのか?竹中平蔵×ムーギー・キムの新刊『最強の生産性革命 時代遅れのルールに縛られない38の教訓』から、昨今話題の“変わらない官僚体質”の本質を抜粋。元大臣として官僚を知り尽くした竹中氏と、「グローバル・エリート」ことムーギー・キム氏が徹底解説する。(冒頭 ムーギー・キム)寝ても覚めても財務官僚の不祥事問題で話題が持ちきりの最近だが、はたして官僚はなぜ、国民から程遠く離れた不祥事を繰り返してしまうのか? 私には立派な尊敬する官僚の友人も複数いるので全部がそうだということはできないが、それでも「官僚的」「官僚体質」という単語の由来になるくらいだから、官僚組織には特定の行動を運命づけられる制度的問題点があるのである。 そこで以下では、「不祥事隠ぺいでバレる!!官僚組織の本質的問題点」を『最強の生産革命 時代遅れのルールにしばられない38の教訓』から抜粋し、官僚組織との戦いと改革に取り込んでこられた竹中平蔵氏に、超わかりやすく、解説していただこう。竹中 政治がなかなか変われない最大の理由は、政策が官僚終身雇用制度の上で作られているからだと思います。キム どういうことですか。竹中 官僚は政権が代わろうがどうしようが、クビになりません。公務員なので、不利益処分を受けるときはいろいろ条件がつく。公務員には団結権がないので、ストをしてはいけないことになっている。その分、しっかり守られているんですよ。 それに、官僚は終身雇用制で、東大を何番で卒業して公務員試験に何番で受かったか、そしてどういうキャリアを積んだかがずっとついて回る。そういう人たちが、政府の政策をずっと継続させているわけです。 だから業界団体等としては、ある時点でお上の言うことを聞いていれば、次も安心なんです。逆に逆らったりすると、その時点ではうまくいったとしても次で仕返しを食らう。「江戸の仇を長崎で討つ」という言葉がありますが、それを官僚たちはやるんです。だからお上はすごい力を持っている。その力の最大の要因が、終身雇用・年功序列なんですよ。事実上更迭され、記者の質問に答える財務省の福田淳一事務次官=2018年4月18日キム 官僚には終身雇用と年功序列が保障されているため、そういう人に一度でも逆らうと、ずっと恨まれてどこかで復讐されると。だから国民や業界団体は省庁に対して恐れを持っていて逆らえないということですか?竹中 そうです。経団連をはじめとする業界団体は、みんなそれをわかっています。だから経団連の事務局というのは、同じく年功序列で霞が関理論に追従する官僚的組織になっているわけです。いわば「民僚」です。誰かがお上に逆らって改革をやろうとしても、だいたい裏切るのは経団連なんですよ。上からの近代化も時代遅れキム つまり財界は官僚に従い、官僚は議員に「先生、先生」と擦り寄り、議員は財界からお金を恵んでもらう。そういうトライアングルになっているわけですね。竹中 そのとおり。その鉄のトライアングルは強力で、お互いにもたれ合う仕組みになっている。官僚は国会議員の先生に自分たちが作った法案を通してもらわなきゃいけない。議員先生は財界からお金をもらわなきゃいけない。財界は官僚に支配される立場にあるから、いろいろお伺いを立てなきゃいけない。そういうジャンケンのような形になっているんです。 このトライアングルはすごいですよね。アメリカだとコインの裏と表だから、勝つか負けるかなんだけど、日本はジャンケンだから明確な強者がいないんですよ。 ついでに言うとね、これまでの官僚制度というのは、要するにエリートの促成栽培制度なんですよ。国家公務員の上級試験というのがありますよね。しかし、その試験を通っただけで高級官僚になれるというのは、どう考えてもおかしいでしょ。そんな大した試験じゃないんだから。キム そうですよね。こんな試験で「真の公僕」に必要な能力を測れるんですかっていう感じです。竹中 近代国家を作るとき、とにかく誰かをエリート官僚にしなきゃいけなかった。だから促成栽培制度を作ったんですよ。それが今日でも残っている。 大学入試というのも、促成栽培の一環のようなものですよね。あんなもので人間の能力を測れるわけがない。結局、ものすごく安上がりな制度なんです。竹中平蔵・慶応大学教授=2014年12月5日 (野村成次撮影)竹中 実はこの原点は明治維新後の大久保利通に遡ると思います。明治新政府の発足早々、大久保は岩倉使節団の副使節団長としてアメリカとヨーロッパを回っています。 実はそのとき、ドイツでビスマルク首相の自宅に招かれているんです。そこでビスマルクは、大久保たちを相手に熱弁をふるったと言われている。曰く、ドイツというのは、小国プロイセンを中心としてようやく統一された国家であるわけです。 しかしヨーロッパではイギリスとフランスが先行している。ドイツが彼らに追い付くためには、上からの近代化じゃないとダメだ、と。 つまりイギリスやフランスでは、ブルジョアジーが育ち、啓蒙思想が育ち、それで市民革命が起きて近代化が進んだわけです。しかしドイツとしては、そんなプロセスを待っていられないと。そこで上からの近代化が必要と説いたんです。 大久保は、ビスマルクの話にすっかり感化されたらしい。帰国後に内務省を作って初代の内務卿に就任すると、殖産興業を徹底しながら上からの近代化を強引に推し進めていくわけです。 そのために内務省の中には警察も入れました。時には警察権力を使ってでも、国民に言うことを聞かせようとしたんですね。 だから大久保は日本の近代化にたいへん貢献したことは間違いありませんが、庶民からはすごく恨まれたそうです。それで結局、47歳の若さで6人の士族にめった刺しにされた。これがいわゆる「紀尾井坂の変」です。いかに恨みを買っていたかということでしょう。「組織を護ること」が至上命題(ムーギー・キム)以上では、『最強の生産革命 時代遅れのルールに縛られない38の教訓』から、官僚組織の問題点に関して論じられている部分を一部抜粋して紹介した。ところで私は重ね重ね立派な官僚の皆さんがたくさんいらっしゃるのは知っているし、めったやたらな批判はできない。財務省の外観・看板=2018年3月26日、東京・霞が関(桐原正道撮影) ただそんな優秀な官僚の皆さんと「なぜ官僚組織は官僚的なのか」という議論をしていると必ず指摘される弊害が、「一度省庁に入ったら、他の省庁に移れないので、省庁の権益確保が至上命題になってしまう」という悲しい二流な時代遅れの人事システムである。 とある上級官僚に今後の組織改革の方向性を聴いたら、「もっと官僚も民間に出て、相互に中途採用の交流をはかるべき」だというし、他の省庁へのキャリアパスを用意することの大切さを語っておられた。確かに、今時どこの民間企業でも終身雇用は崩壊しているのに、官庁だけ「一度入ったらその省庁で一生出世を目指す」というコースしかなければ、どうなるだろうか? 国や社会のための全体最適ではなく、所属する省庁の利益の最大化と、そこでの出世という、「極めて視野の狭いキャリアパス」しか描けない。そうすると、「出世の鍵を握る官邸を忖度することでしか上に登れない二流の官僚」が、官邸ズブズブ官僚として、政官のもたれあいを強めることは避けられないのである。 そういえば私の友人も某省庁での官僚歴が長いが、「なぜこの人が」という尊敬できない人に限って出世していくのがいたたまれない、と語っていたものである。「官僚の無謬(むびゅう)性」への拘泥(こうでい)が問題視されて久しい。よくコーポレートガバナンスの改革をなどと政官が唱えているが、まずその前に、自分の組織のガバナンス改革から始めなければならないのは、一連の官僚不祥事が次期首相に課した最大の課題の一つなのである。(本記事は『最強の生産性革命 時代遅れのルールに縛られない38の生き方』より一部を抜粋し、加筆のうえ編集したものです)たけなか・へいぞう 東洋大学教授・慶應義塾大学名誉教授。1951年、和歌山県生まれ。1973年、一橋大学経済学部卒。2001年、経済財政担当大臣に就任。以後、金融担当大臣、総務大臣などを歴任する。2013年、安倍政権で産業競争力会議有識者委員に就任。著書に、『竹中流「世界人」のススメ』(PHPビジネス新書)ほか多数。ムーギー・キム 投資家、『最強の働き方』『一流の育て方』著者。1977年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。INSEADにてMBA(経営学修士)取得。大学卒業後、外資系金融機関の投資銀行部門にて、日本企業の上場および資金調達に従事。その後、大手グローバル・コンサルティングファームにて企業の戦略立案を担当し、多くの国際的なコンサルティングプロジェクトに参画。2005年より世界最大級の外資系資産運用会社にてバイサイドアナリストとして株式調査業務を担当したのち、香港に移住してプライベート・エクイティ・ファンドへの投資業務に転身。ベストセラー作家としても知られ、近著に、『最強の健康法―世界レベルの名医の本音を全部まとめてみた』(SBクリエイティブ)と、『最強のディズニーレッスン―世界中のグローバルエリートがディズニーで学んだ、50箇条の魔法の仕事術』(三五館シンシャ)がある。関連記事■竹中平蔵 × ムーギー・キム 大企業エリート信仰は時代遅れ■竹中平蔵 × ムーギー・キム 日本の政治が変わらない理由■高橋洋一 前川喜平氏の「大活躍」

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    テレビ朝日が「セクハラ被害会見」で守りたかったのは誰?

    いたため、これ以上黙っているわけにはいかなくなったという判断もあったはず」(テレ朝関係者) 一方で、財務省への“配慮”もうかがえる。「局内には、『今回の件で官僚を敵に回して、記者クラブから爪弾きにされ、情報が取れなくなるような事態は避けたい』という意見もある。次官が辞めてからなら『抗議する相手は財務省じゃなく前次官』という体裁が取れると考えたのではないか」(同前)福田事務次官のセクハラ問題について会見する篠塚浩取締役報道部長(右)と長田明・広報局長=2018年4月19日、東京都港区(撮影・佐藤徳昭) 事を荒立てたくないという本音は、「女性記者を守る」と言いながら、新潮に情報を“リーク”したことに関して「不適切な行為だった」と突き放した点にも透けて見える。スクープしたのは『週刊新潮』なのに週刊誌を排除して会見を開き、自局で生中継すれば話題必至のはずなのにそれすらしない。「記者クラブに向けた会見だったため週刊誌は対象ではなかった。会見の中継については総合的な判断によるものです」(広報課) テレビ朝日が守ろうとしているのは、勇気ある告発をした女性記者か、それとも記者クラブ利権か。関連記事■ 大下容子アナ、足を組み替えるたび現場で「オー」と歓声■ 年上の女性上司に「パワハラ」された男性会社員たちの告白■ 堅物官僚から情報を取るべく、各局が送り込む才媛記者■ 「新しい痴漢」の悪辣な手口 女性スタッフの盗撮も横行■ 福田元事務次官のセクハラ疑惑会見に心理士がツッコミ

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    堅物官僚から情報を取るべく、各局が送り込む才媛記者

    た女性記者の方がいらっしゃれば、調査への協力をお願いしたい》 森友学園問題で国会が紛糾する中、渦中の財務省トップに持ち上がった新たな騒動。辞任した福田淳一元事務次官(58才)が複数の女性記者にセクハラ発言を繰り返していたと『週刊新潮』(4月19日号)が報じた。これに対し、福田氏はセクハラを否定した上で、新聞やテレビ局などの記者クラブ加盟各社に、冒頭のような異例の協力要請を出したのだ。 報道各社にとって、“霞が関の中枢”である財務省への取材は超重要。それだけに、エース級の記者がしのぎを削っている。「超堅物の官僚からスクープ情報を取るのは至難の業。そこでテレビ各局は、少しでも印象をよくするためなのか、たまたまなのか、選りすぐりの美人記者を財務省の記者クラブに送り込んでいます。もちろん外見だけでなく、財務官僚と渡り合えるだけの頭脳も必須です」(全国紙記者)『週刊新潮』の記事によると、福田氏に夜中呼び出された女性記者は、パジャマから着替えてバーに駆けつけた。酒席につきあい、森友問題について聞き出すのが彼女らのミッション。福田氏はそんなやり取りの中、「おっぱい触っていい?」「キスしたい」としつこく言い寄ったという。「福田さんはお酒が弱くて、酔って記憶がないなんてことはたまにあるそうです。記事には日頃からセクハラを連発することで有名だったと書かれていましたし、担当の女性記者は呼び出されるたびにビクビクしていたんでしょうね…」(前出・全国紙記者)画像はイメージです(iStock) 小さい時から神童と呼ばれ、東大をトップに近い成績で卒業したスーパーエリートの財務官僚は、ちょっと変わった人ばかり。そんなオジサンたちを相手にしなきゃいけないのだから、彼女たちの苦労は推して知るべし。若手の財務官僚が言う。「省内でも、“あの記者は目を引く”と評判になる人がいつも何人かいます。最近では、テレビ朝日の進優子記者は女子アナと見紛うような美形ですし、フジテレビの石井梨奈恵記者は上智大学から仏パリ政治学院に留学した経験のある才媛。NHKの山田奈々さんは突っ込んだ取材をする優秀な記者だと評判です。ぼくたち若手はほとんど相手にされませんが、一癖も二癖もある幹部たちから直接、携帯で呼び出されるのを見るとホントに大変そうです」 冒頭の通り、財務省は血眼になって報じられた女性記者を探している。「音源を全部聞いたわけではないので状況はわかりません。福田氏の言う通り、クラブでホステスとの会話という可能性がないわけではない。それにしても被害を受けたという記者に“名乗り出て”というのはおかしな話。情報を握るために必死の記者が自ら名乗り出られるはずがないし、セクハラを受けた女性が被害を訴えることに抵抗があるのは当然のこと。誰が相手だとしても、音源があるのだから、福田氏を徹底的に調査すべきです」(前出・全国紙記者) 福田氏は新潮社を名誉棄損で提訴するというが、向かう新潮社も記事に絶対的な自信を見せている。関連記事■ 総理執務室撮影したNHK美人解説委員に局内部から痛烈な批判■ NHK記者 “官邸の最高レベル”スクープを不発弾にされ不満■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ 安倍首相、「昭恵抜きで訪米したい」の打診却下されガックリ■ 安倍首相の「悪だくみ人脈」 始まりは昭恵さんだった

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    #MeTooに便乗した枝野幸男のセクハラ追及は「限りなくアウト」

    ければいけないとしたら、あまりにも行き過ぎた要求だと思う。 それでも、セクハラ問題が報道された直後、財務省が、被害者の身元を財務省の窓口に自己申告してほしいという姿勢を採ったことは確かに傲慢(ごうまん)である。セクハラ問題の対象者が財務省の事務方トップであるならば、財務省とは別の官庁、例えば、厚労省や内閣府を窓口とすることを考えなかったのだろうか。 ただし、財務省の指定した弁護士事務所の対応細目はあまり注目されていないが、かなり丁寧なものだ。もちろん、それが被害者にとって十分な対応かは、別途議論の余地がある。だが、財務省にはセクハラを隠蔽する意図があるとは社会常識的に思えない。そもそも、問題がここまで公然化しているので不可能である。 また、被害者のプライバシー保護を無視することも難しい。要するに、自省の人間がセクハラを起こしたとき、しかもその相手が報道機関を利用して匿名で告発したときの初期対応が「傲慢」な印象を与えた。だが、これをもって麻生氏の辞任の口実にするにはあまりにも行き過ぎである。 筆者はいままで財務省や、場合によっては財務次官個人への批判を20年近く行ってきた。時には財務相の辞任を願うこともあった。だが、それはあくまでも財務省の仕事に関連した話である。 もちろん今後、財務省のセクハラ疑惑の解明が独自に進められると思う。その過程で、疑惑ではなく「真実」だと財務省が判断すれば、当該職員にペナルティーが課せられる可能性が大きいのではないか。この解明作業が不十分であり、社会的に見てもあまりにずさんであれば、そのときは別の批判を財務省に向ければよい。2018年4月20日、財務事務次官のセクハラ疑惑を受け「#MeToo」と書かれた紙を手に財務省へ抗議に訪れた野党議員ら だが、まだ被害者本人に財務省はおそらくコンタクトしていないだろう。これからの過程を静かに見守ることが、このようなセクハラの事象には必要ではないだろうか。物事を拙速に決めつけて進むべき問題ではないように思う。 だが、野党の姿勢は、この私的なセクハラ問題をむしろ「政治闘争」の素材にしてしまっているのではないか。中でも一部の野党議員は「#MeToo(私も)」運動を標榜(ひょうぼう)し、黒いスーツを着用して国会を中心にパフォーマンスを展開している。「身内」と矛盾する立憲民主党2018年4月22日、松山市内で取材に応じる立憲民主党の枝野代表 今回のセクハラ問題に対して、本当に野党6党が共同で抗議するのであれば、まずはセクハラ問題を起こした野党議員への対処をしたらどうか。例えば、J-CASTニュースによれば、立憲民主党のセクハラ問題を起こした2人の衆院議員について、同党の枝野幸男代表らは双方で話し合いや和解が済んでいることを理由にして、現状以上の処分を避けている。むしろ、野党6党が今、麻生氏に退陣要求している理屈を援用すれば、枝野氏自らの進退にもかかわるのではないか。 もし、現状の立憲民主党と同じ方針を採用するのであれば、財務省のケースも、まずは双方による調停や、また財務省が行っている調査や処分の経過を見守るのが正しいのではないか。今の立憲民主党による麻生氏への辞任要求は、さすがに「身内」への態度とあまりにも矛盾している。 だいたい、現在の世界情勢を考えると、国際的な情報収集のために、今こそ政治家たちが与野党問わず、奮闘すべきときだと思う。確かに、セクハラ問題の解明も重要であるが、現在は財務省の今後の対応を見守るべき段階であろう。むしろセクハラ問題を、見え透いた倒閣目的での利用に走る野党が残念で仕方がない。 マスコミにも問題はある。特に女性記者が在籍しているテレビ朝日である。自社の女性記者が上司に相談したとき、セクハラの訴えを事実上抑圧してしまっているからだ。そのため、女性記者は『週刊新潮』に身に起きた事態を告げたのだろう。また自社の記者がセクハラ被害をうけたときの社内対応が全くできておらず、それが1年以上続いたことで問題の長期化を招いた疑いもある。 だが、テレビ朝日の報道・情報番組では、自社の対応への反省よりも、ともかく安倍政権批判にが優先であるように思える。その一端が、問題発覚直後に放送された『報道ステーション』の一場面に現れている。 4月19日の番組内で、コメンテーターの後藤謙次氏は「テレビ朝日が最初、女性記者から相談を受けたときの対応は大いに反省してもらいたい」としつつも、「ただ今回、記者会見をして事実公表したことで、ギリギリセーフ」と述べた。 この見解はさすがにおかしい。女性記者の訴えが上司によって事実上握りつぶされてしまっていたからだ。また、女性記者がセクハラを長期間耐え忍んだことに、セクハラを事実上許してしまう会社の体質や、セクハラに対して不十分な態勢が影響していたのかどうか。それらの疑問点が番組では全く明かされることはなかった。 むしろ「ギリギリセーフ」どころか「限りなくアウト」としか筆者には思えない。また、多くのマスコミも一部を除いて、テレビ朝日の対応に批判的な声が上がっているようには見えない。これも実におかしなことである。テレビ朝日をはじめとするマスコミや、野党による今回のセクハラ問題をめぐる対応には、いろんな点でますます疑惑が深まるばかりである。

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    財務次官セクハラ疑惑 「被害者」テレ朝記者の行動も問題である

    舛添要一(前東京都知事、元厚生労働大臣) 18日夕方、財務省の福田淳一事務次官が辞任を表明した。『週刊新潮』で報じられたセクハラ疑惑について、福田氏は事実でないと否定し、裁判で黒白をつけるという。しかし、報道以来、職責を果たせるような状態ではなくなったので、これ以上の混乱を避けるために辞表を提出したと説明した。2018年4月18日、辞任を表明し、記者の質問に対して、なぜか笑顔で答える財務省の福田淳一事務次官 何となく、すっきりしない結末である。森友・加計学園問題、官僚による忖度(そんたく)や公文書改ざん、データ管理の不備など政権を揺るがす問題が続出している中で、佐川宣寿(のぶひさ)国税庁長官が辞任し、それに加えて、この「福田セクハラ疑惑」が出てきた。野党は、政府攻撃の道具として、この問題を最大限に活用しようとしている。 事実がどうなのか。私は「被害者」である女性記者が正々堂々と告発すべきだと繰り返し主張してきた。実際に、米有力紙ニューヨーク・タイムズと雑誌ニューヨーカーは、ハリウッド映画界の大物プロデューサーのセクハラ疑惑を追及し、ピュリツァー賞を受賞した。 メディアを通じてカミングアウトした勇気ある女優らの告発が発端となり、その後、セクハラ被害を訴える「#MeToo(私も)」運動が欧米を中心に盛んになった。また韓国の安煕正(アン・ヒジョン)忠清南道知事も、女性秘書が性暴力をテレビで告発したため、職を辞している。 ところが、女性記者の対応については、私のような主張を批判して、「被害者に酷だ」「仕事がなくなる危険性がある」などと弁護する意見ばかりがマスコミを賑(にぎ)わせている。しかし、フリーならともかく、記者なら、まずは自分の所属しているメディアを使うのが筋だろう。 もしカミングアウトすれば、失職するどころか「英雄」としてたたえられる。所属するメディアも、告発者を「自慢の種」として大事にするから、左遷などできないだろう。テレビ朝日の説明以上に裏はないのか ところが、この日の深夜になって、テレビ朝日が記者会見を行い、「被害者」がテレ朝の女性社員であったことを公表した。記者が週刊新潮に取材活動で得た情報を渡したことについては、「報道機関として不適切な行為」で反省しているという。女性記者は取材のため、約1年半前から1対1で数回食事をしたと説明しているが、これが本当なら次官も記者も問題である。 私は、厚生労働大臣のときも、東京都知事のときも、取材であっても1対1で女性記者と会食することなどなかった。仮に、そのような可能性があるときは必ず秘書官を同席させたものである。次官側、財務省側の反論もあろうが、結局この問題はワイドショーが好んで取り上げるテーマとなり、さらに尾を引く可能性がある。 では、福田次官の酒席での「狼藉(ろうぜき)癖」は今に始まった話ではないのに、なぜ、この時期に週刊誌報道が出てきたのか。それは件(くだん)の女性記者の週刊新潮への「タレコミ」がきっかけだというのが、テレビ朝日の会見の内容である。しかし、1年半前から2人で会食していたのに、なぜ、今になって週刊誌にネタを売ったかについては、十分な説明はない。 そこで、本当にそれ以上の裏はないのか疑いたくなるのである。政治家と官僚の関係が、忖度、公文書改ざんなど、さまざまな点から問題になっている。うがった見方をすれば、今回のセクハラ疑惑報道は、政治家側、つまり自民党、首相官邸側の「高等戦術」ではないかとすら思いたくなる。 なぜなら「悪いのは、財務省であり官僚であって、政治家ではない」というイメージを世間に拡散させるには、次官のセクハラ・スキャンダルは格好の材料になるからである。佐川国税庁長官(前理財局長)が辞め、今度は次官がやり玉に挙がるとすれば、「財務省悪玉論」が定着する。森友・加計問題も、政治家の関与などはなく、すべて悪いのは官僚だというイメージ操作に有力な材料を与えるであろう。 知ってか知らずか、野党は鬼の首でも取ったかのように、政権批判に「大はしゃぎ」している。自らの調査でもなく、マスコミ報道に依拠して追及しているだけで、政権奪取の気概も何もない。国会では、国民のために必要な法案を審議するなど、他にやることが山積しているのではないのか。テレビ朝日の女性社員が福田淳一財務事務次官のセクハラ被害を受けていたと明らかにする同社の篠塚浩報道局長=2018年4月19日未明 権力闘争に明け暮れる一方で、解散総選挙を恐れる戦略の無さは、政党支持率が低迷し、一向に改善しないことにも現れている。野党の無策に、国民も閉口していることに気づくべきである。財務省の行為は万死に値する しかしながら、安倍政権にとっても、事態は決して楽観できるような状況ではない。NNNが4月13~15日に実施した世論調査では、内閣支持率はこれまで最低の26・7%、不支持率はこれまで最高の53・4%になった。ついに支持率が2割台に下落し、不支持率は支持率の2倍となった。これは政権維持に黄信号が灯りはじめたことを意味する。 同じ週末に行われた共同通信の世論調査では、内閣支持率は5・4ポイント減の37・0%、不支持率は52・6%であり、女性の支持率は29・1%と初めて30%を割っている。朝日新聞の調査でも、支持率31%、不支持率52%と、支持率の下落・低迷の傾向は変わっていない。 このような結果になったのは、財務省の役人による公文書の改ざんが明らかになったときに、組織のトップである麻生太郎財務相が責任を取って辞任しなかったからである。公文書は絶対に改ざんしてはならない。それは、官僚の職務規律であり、民主主義の基礎である。そのルールがいとも簡単に破られたことは、国権の最高機関である国会に対する反逆であり、万死に値する。 しかも、それは財務省という組織ぐるみの行為であり、このような場合には、組織のトップが引責辞任するのが筋である。その組織存続の基本が守られなかったことが、財務省にもろに跳ね返ってきたのである。そして、それは安倍首相批判の声をさらに高めることにつながった。 安倍政権は、安倍首相、麻生副総理兼財務相、菅義偉(よしひで)官房長官のトロイカ体制で安定しており、派閥の力学もそれを軸に形成されていた。それだけに、麻生氏の辞任だけは何としても避けたいというのが、政権側の意向であった。麻生氏は19、20両日にワシントンDCで行われる20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議に出席のため訪米し、22日に帰国する。 安倍首相は、フロリダでの日米首脳会談を終えて、間もなく帰国の途につく。帰国後、総理自身が国内政局をどう判断するかによるが、「麻生更迭」という苦渋の決断を迫られる可能性がある。麻生氏帰国後の「初仕事」が財務大臣辞任ということになるかもしれないのである。財務省をバックに、セクハラ疑惑が報じられた同省の福田淳一事務次官(奥)と、麻生太郎財務相(左)安倍晋三首相(右) 日米首脳会談では拉致問題で一定の成果を上げたが、そのことが内閣支持率の回復に寄与することはあまり期待できない。野党の抵抗が続いて国会が正常化できないならば、予算を人質にとられたリクルート事件の際の竹下登内閣と同様な雰囲気になるだろう。「空気」が支配する日本で、それに抵抗して政権を維持していくのは、不可能に近いと言わざるをえない。

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    ポチ外交が染み付く安倍首相は「天才老人」トランプの金髪を逆立てよ

    イトハウスでのトランプ発言を報道で知って、世耕弘成経済産業相は青ざめたという。また、安倍首相自身も「財務省文書改ざん問題」との「ダブルパンチ」に頭を抱えたという。では、トランプ氏はなんと言ったのか、ここで振り返ってみよう。《And I will say, the people we're negotiating with ―smilingly, they really agree with us. I really believe they cannot believe they've gotten away with this for so long.》(もう一つ言ってやろうか。われわれの交渉相手はいつもニコニコしながらわれわれと合意する。しかし、ずっとごまかし続けられると信じているとしたら間違いだ)《I'll talk to Prime Minister Abe of Japan and others ―great guy, friend of mine ―and there will be a little smile on their face. And the smile is,“I can't believe we've been able to take advantage of the United States for so long." So those days are over.》(日本の安倍首相とそのほかの人たちに言ってやろう-まあ、彼はグレートでオレの友人だがね。彼らはいつもほほ笑みを浮かべている。そのほほ笑みは「こんなに長くアメリカを出し抜けると思ってなかった」っていうほほ笑みだね。でも、もうそんな日々は終わりだ) ここまでコケにされたら、普通は中国のように報復措置を発動させると息巻くものだが、「ポチ外交」が染み付いてしまった日本にはこれができない。「安倍首相はほほ笑みだけ」発言の謎 トランプ氏が安倍首相を名指しして、「いつもほほ笑みを浮かべて何もしない」という趣旨の発言をした背景には、日米自由貿易協定(FTA)の交渉が一向に進まないことがある。「天才老人」トランプ氏は不動産屋だけに、「相対取引」しかできない。そのため、多国間交渉が苦手で、これまでに環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)からもNAFTAからも離脱してしまった。おまけに、地球温暖化対策の国際枠組みである「パリ協定」からも離脱を表明してしまった。いっぺんにいろいろなことを考えられないのだ。 FTAのような2国間交渉は、TPPのような多国間交渉と比べれば、力関係がそのまま反映する。弱い相手は脅かすことで言うことを聞く。これは、トランプ氏の自尊心をいたくくすぐる。だから、トランプ氏はFTAが大好きなのだ。 2017年11月、トランプ氏は日本にやってきて、安倍首相と3度目の日米首脳会談に臨んだ。このとき、北朝鮮情勢などとともに日米FTA交渉が取り上げられたが、日本側はのらりくらりと交わし、交渉開始時期すら決めることをはぐらかした。トランプ氏の「ほほ笑みだけ」発言は、このときの安倍首相の態度を揶揄(やゆ)しているに違いない。 トランプ氏にレクチャーペーパーを上げている米通商代表部(USTR)や商務省は、1970年代から始まった「日米貿易摩擦」(当時は貿易戦争と言わず貿易摩擦と言った)以来、一貫して強硬に「ジャパンバッシング」(日本たたき)を行ってきた。ロバート・ライトハイザーUSTR代表やウィルバー・ロス商務長官は、自由貿易主義者にもかかわらず、日本の対米貿易黒字、つまり米国の対日貿易赤字を以前から問題視してきた。 日本にFTAを持ちかけているのはひとえに貿易赤字解消のためであり、「FT」(Free Trade=フリー・トレード、自由貿易)などと言ってはいるが、本質は自国産業を保護する「保護主義(Protectionism)」なのである。 米国のFTA圧力に日本がのらりくらりかわせたのは、米国が韓国とのFTA修正協議や中国との貿易交渉を優先していたからだ。ところが、韓国はトランプ氏の圧力に負けてFTA修正に応じたため、鉄鋼・アルミ関税の適用から除外された。2018年3月、鉄鋼とアルミニウムの輸入制限に関する文書に署名後、掲げるトランプ米大統領。周囲にいるのは鉄鋼とアルミの業界関係者(UPI=共同) そのため、鉄鋼・アルミ関税が発効した3月23日、トランプ氏は「韓国との貿易交渉(trade deal with South Korea)がワンダフルだ」と言い、「じきに成果が出る」と自慢しまくった。となると、日本が鉄鋼・アルミ関税から逃れるには、安倍首相が韓国以上の「手土産」、つまり、日米FTA交渉入りを持参するしかないことになる。 一方で、思いつきも人並みではないトランプ氏は突如「TPP復帰を考える」と言い出した。だが、これは日米FTA締結に向けての「まき餌(ground bait)」だという見方もある。「歴史の教訓」を知らないトランプ(iStock) ホワイトハウスは、今回の関税に除外を認めたのは「安全保障上の理由」と表明した。しかし、これは方便にすぎない。なぜなら、世界貿易機関(WTO)のルールでは、安全保障上の理由がない限り貿易制限は認められないからだ。 ただし、これは戦時の場合であって、平時で貿易制限をすることは異例とされている。もしこれが許されるなら、貿易戦争が際限なく続き、世界貿易そのものが成り立たなくなってしまうからである。 保護主義と貿易戦争が何を招くか、歴史の教訓がある。1930年、大恐慌後の米国では、国内産業を保護するために関税を大幅に引き上げる「スムート・ホーリー法」(Smoot-Hawley Tariff Act)が成立した。だが、法律をきっかけに、欧州各国も一斉に関税を引き上げることになり、世界は貿易戦争に突入してしまった。その結果、ブロック経済圏が成立し、最終的に第二次世界大戦を引き起こしてしまったのである。 しかし、トランプ氏はこんなことを全く理解していないから、1962年に成立した「通商拡大法(the 1962 Trade Expansion Act)」に第232条の安全保障条項があると教えられ、これを利用した。そうして、なんでもかんでも「大統領令(Executive Order)」で実行できると誤解しているから、得意がってサインするのである。 この条項は「安全保障上の懸念がある場合」に、米政府が輸入の制限を決定できると定められている。ただし、この条項は、1982年にレーガン政権下でリビア産原油を禁輸して以来、発動されていない。しかも、これはあくまで米国の国内法であり、国際ルールと整合していない。 シンプルヘッド(単純アタマ)のトランプ氏は、ともかく関税をかけて輸入品を減らせばいい。そうすれば貿易赤字が減る。そうすると、かつて世界一だった米国の製造業が復活する。その結果、「MAGA」(Make America Great Again)のロゴ入りブラックTシャツを着たラストベルトのプア・ホワイトたちが職にありつける。そうすれば、オレさまは「偉大な大統領」として、感謝されるに違いない。そんな風に考えているだけだ。 これは完全な時代錯誤である。もちろん、鉄鋼・アルミ関税の発効と同時に、中国製品への関税が発表されたので、今回の措置は明らかな「中国叩き」(中国封じ込め)であるのは明白だ。 しかし、中国を封じ込めたいなら、ほかにも方法がある。関税をふっかけるなどという時代錯誤の方法を採るのは、国境の壁(現代版「万里の長城」)をつくるのと同じくらい愚かではないだろうか。ただし、中国封じ込め自体は、日本にとっては大歓迎である。時代錯誤の「トランプ交渉術」 時代錯誤のトランプ氏のアタマの中には、自分がビジネスマンということもあって、貿易赤字が企業の赤字と同じで「悪」であるという発想がこびりついている。しかし、国家の貿易赤字と企業の営業赤字は本来違うものだ。なぜなら、世界一の経済大国である米国の景気がよくなれば、その分消費が拡大し、世界中からモノとサービスを輸入することで、貿易赤字が拡大することは必然だからである。 しかもこれで世界は潤い、米国の繁栄も持続する。さらに、その輸入代金はすべて自国通貨のドルで決済できるのだから、赤字はむしろ歓迎すべきことなのである。つまり、米国の貿易赤字というのは、米ドルが基軸通貨(キーカレンシー)である限り、痛くもかゆくもないのだ。トランプ氏はこの辺のところを全く分かっていない。 ところで、このような時代錯誤のトランプ氏の交渉術は、これがまたとんでもなくシンプルだ。トランプ氏は政治交渉もビジネス交渉も同じで、「ディール」(取引)の一つだと考えている。米東部の名門、アイビーリーグの「Uペン」(ペンシルベニア大学)ウォートン校の卒業生で、MBAホルダーのトランプ氏に対して、日本の二流大学の学部しか出ていない私がこんなことを書くのはおこがましいが、トランプ氏の交渉術は本当に「バカの一つ覚え」である。 それは「BATNA」(バトナ)と呼ばれるやり方で、どこのビジネススクールでも真っ先に教えているものだ。「BATNA」とは「Best Alternative to a Negotiated Agreement」の略だ。「不調時対策案」と訳されている。簡単に言うと、交渉が不調に終わっても、最低限の妥協できる代替案をあらかじめ決めて交渉するというやり方である。 この交渉術では、まず相手にふっかける。ふっかければふっかけるほどいい。そうすると、その条件、特に数字なら、その数字が相手の頭の中にこびりつく。これは一種の印象操作で、これを「アンカリング(Anchoring)」あるいは「アンカリング効果」と呼んでいる。そうすると、そのふっかけ自体にはなんら根拠がないのに、相手はそこから譲歩を引き出そうとしてくる。 このとき、「RV」(Reservation Value:留保価値)といって、「BATNA」を行使した際に得られる価値をあらかじめ決めておく。例えば、1万円ふっかけても留保価値が5000円なら、最終的に5000円で決着すれば、それで交渉は成功したことになる。もちろん、7000円なら大成功である。(iStock) トランプ氏はいつもこれをやっている。なにしろ、なぜ、鉄鋼の関税が20%でアルミの関税が5%でなければならないのか。その根拠は希薄だ。要するに「ふっかけ」である。 しかも、そもそも、これまでそんな関税など存在しなかったのである。したがって、カナダ、メキシコ、オーストラリア、EUなどが憤慨すると関税対象から外す。そうすると、何も状況は変わっていないのに、相手は何かトクした気分になる。トランプの「罠」から逃れる秘策 トランプ氏には「自伝」とされる著書『トランプ自伝―不動産王にビジネスを学ぶ』(Trump: The Art of the Deal、1987年)がある。もちろんゴーストライターが書いたものだが、この本の中で、自分の交渉スタイルを自慢している。 それはまさに「ふっかけ」で、まず何かとんでもないことを提案する。そして、相手がそれにこだわって、妥協を重ねれば大成功というものだ。また、トランプ氏の「オレさま自慢」は昔からで、ビジネス誌のインタビューでは、不動産取引の成功の秘訣(ひけつ)をこのように言っている。 部下から、建築費用の見積もりが、例えば5000万ドルになると報告を受ける。そこでクライアントには1億ドルかかると伝える。そして、最終的に7500万ドルで建てる。こうすると、クライアントはいい仕事をしてくれたと感謝してくれる。 要するに、これは「ぼったくり」だ。それでは、このような「BATNA」の罠から逃れるにはどうしたらいいのだろうか。 ビジネス書が教えているのは、相手の提案や提示額がとんでもないものだったら、具体的交渉に入らず、いったん席を立つということだ。そうして時間を置いて、改めて交渉を行う。こうすれば、最初の提案や提示額の影響を受けずに済むという。さらに、相手の提案を倍返しにして、こちらもとんでもない提案や提示額を示すという方法もある。 今回の日米首脳会談では、鉄鋼・アルミ関税の適用除外と、米朝会談を見据えて拉致問題の解決を要請するという。しかし、これは要請でも交渉でもなく、単なる「懇願」だから「まあ考えておく」で終わりだろう。 現在、日本は米国産牛肉の大口輸入国だから、鉄鋼・アルミ関税の報復として牛肉に100%関税をかけることを表明したらどうか。米国産牛肉の関税は38・5%で、緊急輸入制限(セーフガード)発令時は50%になる。これ以上、ホルモン剤漬けの米国産牛肉を輸入する必要があるだろうか。よく考えてみてほしい。(iStock) ともかく、安倍首相もたまにはトランプ氏の金髪を逆立てない限り、いくら一緒にゴルフをやっても無駄だ。またバンカーに落ちて、置いてけぼりにされるかもしれない。 それに、トランプ氏が「オレさま」でいられるのは、あと数カ月かもしれない。今年11月の中間選挙で、共和党は地滑り的大敗を喫する可能性がある。事実、先日のペンシルベニア下院補選では負けたではないか。もっとも、その前に安倍退陣という可能性もある。いずれにせよ、日本はもういい加減、トランプ氏と正面から真面目に交渉することを止め、米国の本当の中枢と確固たる外交関係を築いていく必要がある。

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    小ネタの波状攻撃「安倍政権撲滅キャンペーン」にモノ申す

    現段階でまとめられることと批判を書いておきたい。 まず問題の局面は三つに分かれる。「森友学園をめぐる財務省の文書改ざん」「自衛隊イラク派遣時の日報問題」「加計学園に関する『首相案件』メモ」である。これにおまけとして「安倍晋三首相や麻生太郎副総理兼財務相などの発言や態度」「福田淳一財務事務次官のセクハラ疑惑」などが挙げられる。 こう列挙するといろいろな話題があったが、安倍内閣に総辞職に値するほどの責任があるかといえば、よほど政治的な思惑がない限り、答えはノーであろう。 もっとも、「安倍政権撲滅キャンペーン」の一番の狙いは、今秋に行われる自民党総裁選での安倍首相の3選阻止だろう。そのためには、一撃で辞任に値するほどの責任など必要はない。「小ネタ」を何度も繰り出して波状攻撃をかけていけば、それだけ世論は安倍政権への支持を下げていく。これがおおよそ、反安倍陣営の描いているシナリオではないだろうか。 事実、連日のようにテレビや新聞では、安倍政権への批判が盛んである。今のところ、反安倍派の狙いはかなり当たっており、言い換えれば視聴者や読者に安倍批判報道が好まれていることを意味している。何せ、米英仏によるシリア空爆という国際的な大ニュースよりも、日本の報道番組が上記の五つのニュースに割く時間の方が圧倒的に長い。 そのことだけで、いかに「安倍政権撲滅キャンペーン」がうまくいっているかを端的に表している。もちろんあらかじめ明言しておくが、そのような事態を好意的に評価しているわけでは全くない。むしろ、真に憂うべき状況なのである。獣医学部新設を巡り、愛媛県の職員が作成したとされる記録文書 さて、上記の五つの問題の現状について簡単にみていく。まず、「森友学園をめぐる財務省の文書改ざん」である。森友学園問題は、簡単にいうと財務省と学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐる公有地売却に関係する問題であり、その売却価格の8億円値引きに安倍昭恵首相夫人が関わっていたかどうかが焦点である。現状ではそのような事実がないばかりか、安倍首相自身が関与したという決定的証拠もないのである。 ただし「反安倍的な見解」によると、「関与」の意味が不当なほど拡大解釈されてしまっている。例えば、文書改ざんでいえば、財務省の文書には森友学園前理事長の籠池泰典被告と近畿財務局の担当者の間で、昭恵夫人の名前が出たという。昭恵夫人の名前が籠池被告の口から出ただけで大騒ぎになったのである。森友は政権撲滅への「持ち駒」 ところが、それで財務省側が土地の価格交渉で何らかの有利な働きかけを森友学園側にしたという論理的な因果関係も、関係者の発言などの証拠も一切ない。それでも、印象報道の累積による結果かどうか知らないが、筆者の知るリベラル系論者の中には、「首相夫妻共犯説」のたぐいを公言する人もいて、老婆心ながら名誉毀損(きそん)にならないか、心配しているほどである。 また、文書改ざん自体は、筆者は財務省の「ムラ社会」的な体質が生み出したものであると発覚当初から批判している。ただし現在、佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官ら関係者の立件を検察側が見送るとの報道が出ている。だが、法的には重大ではないとはいっても、財務省の改ざん行為が国民の信頼を大きく失墜させたのも確かだ。 政府側は、この機会に財務省改革を進めるべきであろう。識者の中でも、ブロックチェーン導入などによる公文書管理の在り方や、歳入庁創設に伴う財務省解体、また消費増税の先送りなどが議論されている。 だが、野党側やマスコミには政権側への責任追及が強くても、一方で財務省への追及は全くといっていいほど緩い。なぜだろうか。それは森友学園問題も文書改ざんも、あくまで安倍政権を降ろすことが重要であり、そのための「持ち駒」でしかないからだ。だからこそ、財務省改革など、多くの野党や一部マスコミの反安倍勢力には思いも至らない話なのだろう。 ちなみに、文書改ざんについて、麻生財務相や安倍首相の責任を追及し、辞任を求める主張がある。確かに、麻生氏が財務省改革について消極的ならば、政治的な責任が問われるだろう。その範囲で安倍首相にも責任は波及するが、あくまで今後の政府の取り組み次第である。とはいえ、官僚たちが日々デスクでどんな作業をし、どんな文書を管理し、どんな不正をしているかすべて首相が知っていて、その責任をすべて取らなければいけないとしたら、首相が何人いても足りない。今、安倍首相に辞任を迫るのは、ただのトンデモ意見なのである。 さて、「自衛隊イラク派遣部隊の日報問題」は安倍政権に重大な責任があるのだろうか。そもそもイラク派遣は2003年から09年まで行われており、第2次安倍政権発足以前の話である。日報そのものも、小野寺五典防衛相が調査を指示して見つかったという経緯がある。確かに、この問題は防衛省と自衛隊の間の関係、つまり「文民統制」にかかわる問題である。東京・霞が関の財務省の外観・看板=2018年3月(桐原正道撮影) だが、日報が現段階で見つかった過誤を、安倍首相の責任にするのは論理的にも事実関係としても無理がありすぎる。どう考えても、第一に日報を今まで提出しなかった自衛隊自体の責任であろう。この問題も今後の調査が重要であり、また文書管理や指揮系統の見直しの議論になると思われる。 この問題についても、リベラル系の言論人は「小野寺防衛相は責任をとって辞任せよ」という珍妙な主張をしている。文書の存在を明らかにした大臣がなぜやめなければいけないのか、甚だ不可思議だが、反安倍の感情がそういわせたのか、あるいは無知かのいずれかとしか思えない。加計問題、首相「介入」の意味はあるか 次に最新の話題である「加計学園に関する『首相案件』メモ」に移ろう。2015年4月に当時首相秘書官だった柳瀬唯夫経済産業審議官が愛媛県職員らと面会し、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設についての助言を求めた事案である。 そのときの面会メモに「首相案件」という柳瀬氏の言葉が記載されている。メモの存在は、当初朝日新聞などが報道し、その後、愛媛県の中村時広知事が職員の備忘録として作成したと認め、農林水産省にもメモの存在が確認されている。 柳瀬氏は国会での答弁で、何度も加計学園関係者との面談の記憶がないと言い続けてきた。だが、その愛媛県職員のメモには、柳瀬氏の発言として「本件は、首相案件となっており、内閣府の藤原(豊地方創生推進室)次長(当時)による公式のヒアリングを受けるという形で進めていただきたい」とあった。 面会の記憶は本当になかったのか、それとも、国会答弁をろくに調べもせずに答えたり、あるいは隠したりしたような違う事情があるのか、今後の進展をみなければいけない。いずれにせよ面会の事実はあるわけだから、柳瀬氏は反省すべきだろう。ちなみに、柳瀬氏が面会の記憶がないとコメントしたことを安倍首相が「信頼する」と述べたことを問題視する勢力がある。そもそも反証の事実が確定しないときに、国会の場で自分の元部下の発言を「信頼できない」ということ自体、社会常識的におかしいとは思わないのだろうか。 ところで、柳瀬氏のメモ内での発言である「首相案件」は、果たして安倍首相の「加計学園ありき」の便宜を示すものなのだろうか。いま明らかになっているメモの内容を読み解けば、何十年も新設を認められなかった獣医学部の申請自体をいかに突破すべきなのか、助言が中心である。 では、愛媛県側が首相秘書官に会い、助言を求めたことが大問題なのだろうか。筆者が公表された部分のメモを読んだ限りでは、まったく道義的にも法的にも問題はない。例えば、筆者も複数の国会議員にデフレ脱却のためにどうすればいいか、今まで何度も相談してきた。それが何らかの「利益供与」になるのだろうか。もしそう考える人がいたとしたらそれはあまりにも「ためにする」議論の典型であろう。その「ため」とは、もちろん「安倍政権批判ありき」という心性であろう。記者団の取材に応じる元首相秘書官の柳瀬唯夫経済産業審議官=2018年4月、経産省 加計学園は面会した2015年4月の段階で、内閣府の国家戦略特区諮問会議に獣医学部新設で名乗りを上げる前であった。そもそも、国家戦略特区諮問会議で決めたのは獣医学部の新設ではない。文部科学省による獣医学部新設申請の「告示」を規制緩和することだけだったのである。 獣医学部の設置認可自体は、文科省の大学設置・学校法人審議会が担当する。そして特区会議も設置審も、ともに民間の議員・委員が中心であり、もし安倍首相が加計学園を優先的に選びたいのであれば、これらの民間議員や委員を「丸め込む」必要がある。そんなことは可能ではなく、ただの妄想レベルでしかないだろう。 実際、今まで安倍首相からの「介入」を証言した議員や委員はいない。そもそも首相が「介入」する意味さえ乏しい。なぜなら、加計学園による獣医学部の申請が認められたことで、これ以後、獣医学部申請を意図する学校法人は全て同じ条件で認められるからだ。疑惑を垂れ流す「首相案件」 つまり、制度上は加計学園への優遇措置になりえないのだ。それが国家戦略特区の規制緩和の特徴なのである。この点を無視して、首相と加計学園の加計孝太郎理事長が友人関係であることをもって、あたかも重大な「疑惑」でもあるかのように連日マスコミが報道するのは、まさに言葉の正しい意味での「魔女狩り」だろう。 ちなみに「首相案件」は、言葉そのものの読解では、国家戦略特区諮問会議や構造改革特区推進本部のトップが安倍首相である以上、「首相案件」と表現することに不思議はない。そもそも「首相案件」ということのどこに法的におかしいところがあるのか、批判する側は全く証拠を示さない。ただ「疑惑」という言葉を垂れ流すだけである。 何度も書くが、これを「魔女狩り」と言わずして何というべきだろうか。政府の行動に対して常に懐疑的なのは、慎重な態度かもしれない。しかしそれが行き過ぎて、なんでもかんでも批判し、首相の退陣まで要求するのであれば、ただの政治イデオロギーのゆがみでしかない。ただ単にマスコミなどの「疑惑商法」にあおられただけで、理性ある発言とはいえない。 「安倍首相や麻生副総理兼財務相などの発言や態度」については、論評する必要性もない。この種の意見を筆者も高齢の知識人複数から耳にしたことがある。簡単にいえば、この種の報道は、首相が高級カレーを食べたとか、麻生副総理が首相時代にカップラーメンの値段も知らないとか、今までも散々出てきた話である。 確かに、国会発言が適当か不適当かはその都度議論もあるだろう。しかしこの種の「言い方が下品」系の報道で政治を判断するのは、筆者からするとそれは政治評価ではなく、単に批判したい人の嫌悪感情そのものを表現しているだけにすぎないように思う。 最後は「福田財務次官のセクハラ疑惑」である。これについては事務次官個人の問題であり、現段階では事務次官本人がセクハラ疑惑を否定している。また、セクハラ疑惑を報道した出版社を訴える構えもみせている。セクハラを受けたという女性記者たちと、事務次官双方の話を公平に聴かない限り、何とも言えない問題である。マスコミは、この財務事務次官のセクハラ疑惑も安倍政権批判に援用したいようだが、これで安倍政権の責任を求めるのはあまりにもデタラメな理屈である。財務省を出る福田淳一事務次官(奥中央)=2018年4月13日 筆者は安倍政権に対して、以前からリフレ政策だけ評価し、他の政策については是々非々の立場である。最近では裁量労働制について批判を展開し、消費増税のスタンスにも一貫して批判的だ。だが、上記の五つの問題については、安倍首相を過度に批判する根拠が見当たらない。要するに、これらの事象を利用して、安倍政権を打倒したい人たちが嫌悪感情、政治的思惑、何らかの利害、情報不足による無知などにより、批判的スタンスを採用しているのだろう。 もちろん、まっとうな政策批判、政権批判は行われるべきだ。だが、安手の政治的扇動がマスメディアを通じて日々増幅され、世論の少なからぬ部分が扇動されているのなら、少なくとも言論人は冷静な反省を求めるのが使命ではないだろうか。だが、筆者が先にいくつか事例を紹介したが、リベラル系の言論人を中心に、むしろ扇動に寄り添う態度を強く示すものが多い。まさに日本は「欺瞞(ぎまん)の言論空間」に覆われつつある。

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    「グルが神になる日」死刑執行秒読みの波紋

    オウム真理教をめぐる一連の事件で、死刑が確定した教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)ら13人の死刑執行が秒読み段階に入った。執行には慎重論も根強いが、その最たる理由は「教祖麻原の神格化」である。グルが神になる日はやって来るのか。議論の核心を読む。

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    昭恵夫人喚問は「疑惑のインフレ」 マスコミの洗脳報道を疑え!

    中の問題なので、実証はできない。 また現段階で、森友学園前理事長の籠池泰典被告の証人喚問での証言や、財務省の当事者たちも昭恵夫人の関与を否定している。そして忖度罪も忖度させた罪も日本の法律にはない。だが「関与」も「忖度」も、お化けのように膨れ上がった存在と化している。 このような「魔女狩り」にも似た世論の一部、政治の在り方を批判するのも、マスコミや言論における本来の役目のはずだ。今はどうひいき目にみても、反安倍と安倍支持に分断してしまっている。これは憂うべき事態である。2018年1月、山口県下関市で支援者と談笑する安倍首相(右)。左は昭恵夫人 世論調査の動向によって、安倍政権が万が一レームダック(死に体)化すれば、経済政策や安全保障政策を中心に不確実性が増してしまうだろう。特に経済政策では、「ポスト安倍」を狙う自民党内のライバルは総じて財政再建という美名を利用した「増税・緊縮派」である。 また、消費増税や緊縮財政はマスコミの大好物でもあり「応援団」にも事欠かない。自民党内のポスト安倍勢力が今後、世論の動向でますます力を得れば、日本経済にとって不幸な結果をもたらすだろう。

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    【和田政宗独占手記】森友問題「メディアリンチ」と私は断固戦う

    和田政宗(参院議員) 3月2日の朝日新聞朝刊での財務省による「文書書き換え疑惑」報道から約1カ月。 佐川宣寿前理財局長の証人喚問により、安倍首相や首相夫人、首相官邸が書き換えに関与も指示もしていないことや、学校法人森友学園(大阪市)の国有地取引に全く関与していないことが明確になった。 しかし、依然はっきりしないのは、誰がいつどのような理由で書き換えを指示したのか、なぜ止められなかったのか。また、3月2日の報道以後、書き換えの事実を公表するまで、なぜ10日も時間がかかったのかという点である。 その点を明らかにするため、私は3月19日の参院予算委員会で太田充理財局長に質問を行った。その中でのやりとりの一部が下記のように新聞でも報じられたが、ワイドショーなどでは、私の質問が切り取られた形で放送され、一方的に批判された。 学校法人「森友学園」の国有地売却をめぐる財務省の決裁文書改竄(かいざん)問題について、自民党の和田政宗参院議員は19日の参院予算委員会集中審議で、改竄の経緯などを答弁している太田充理財局長について「まさかとは思うが」と前置きしたうえで、太田氏が旧民主党政権時代に野田佳彦前首相の秘書官を務めていたことを指摘し「増税派だからアベノミクスを潰すために安倍晋三政権をおとしめるため、意図的に変な答弁してるのでないか」とただした。 太田氏は「私は公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事なんで、それをやられると、さすがにいくらなんでもそんなつもりは全くありません。それはいくら何でも、それはいくらなんでもご容赦ください」と色をなして反論した。 (産経新聞 2018.3.19) 太田理財局長に対する個人攻撃とも取られかねない部分については取り消すとともに、3月26日には太田理財局長に会い、率直に私の気持ちを伝えた。この面会は予算委員会前の短い時間であったので、改めて場を設定し太田理財局長とお話をすることになっている。詳細についてお話できるのはその後になると思う。参院予算委で質問する和田政宗議員=2018年3月19日 19日の私の太田理財局長への質問は、以下の点を確認するためのものだった。 書き換え前の文書が存在することは、3月10日未明に大阪地検に押収されていた資料を財務省が持ち帰ってきたことで明確に判明した。つまり、書き換えの事実が分かる客観的証拠は検察が持っていたということになる。2日付朝日新聞朝刊の「森友文書書き換え」報道は、検察リーク説と財務省リーク説が囁かれているが、「よもや財務省のリークではないですね?」という点をあえて確認したのである。 そしてもう一つは、書き換え報道のあった2日朝の時点で、財務省は書き換えを把握していたのではないかという点である。人間性すら否定するメディアリンチ 2日朝、財務省は参院自民党会派に対し、「本省の指示により文書が書き換えられたとの報道について」と説明したが、朝日新聞の報道は「本省の指示によって書き換えられた」とは一行も書いていない。また、書き換えた人物は理財局内に存在する。財務省が使っている文書管理システムで検索すれば文書が書き換えられていることは一目瞭然であり、検索そのものも簡単にできる。パソコンにログインすれば数クリックで該当文書にたどり着くのである。 以上のことから「太田理財局長は一生懸命答弁してくれているが、そこに一部メディアで切り取られかねない発言も入っている」と懸念を述べた上で、「まさかとは思いますが」と留保をつけ、このままでは財務省に意図的に調査を遅らせているように取られかねない、安倍政権に立ち向かっているとも取られかねない、と説明を求めるための質問だった。 太田理財局長の答弁は、これらを否定するもので、さすがだなと思った。ただ、2日朝の時点で書き換えを把握していたかについては依然、財務省は言葉を濁し、明確な答えを述べない。 昨年2月の森友問題の報道から今回の書き換え疑惑が報道された後も、私は一貫して理財局を守る立場で行動してきたし、理財局の職員とも何度も何度も話してきた。しかし、書き換えを行っていたとは私でも想像だにせず、怒りというより「何でこんなことをしたんだ」という失望の方が大きかった。 財務省には徹底的な調査を求めるとともに、佐川前理財局長が「事後報告を受けたが、私は指示していない」と話しているという毎日新聞などの報道もあることから、佐川前理財局長一人に責任を押しつけることなく、誰がどのような理由で書き換えを指示したのか、また書き換えの事実をいつ把握し、なぜ公表が遅れたのか。財務省はその理由をしっかりと説明すべきである。衆院予算委員会での証人喚問で質問に聞き入る佐川宣寿前国税庁長官=2018年3月27日、国会(納冨康撮影) そして、一連のワイドショーの私に対する一方的な批判であるが、私に取材に来た番組は一つもない。なぜ私があのような質問をしたのかについて、自分の意見や説明も紹介されていない。事実に基づいた批判であれば、政治家として甘んじて受けるが、事実に基づかず人間性すら否定する一方的なコメントは、論評の域を超えた誹謗(ひぼう)と中傷でしかない。 まさに「メディアリンチ」ともいう状態であり、名誉を毀損(きそん)した番組や週刊誌に対しては断固たる措置を取るために、名誉毀損訴訟に強い弁護士と協議に入った。 特に、フジテレビ系情報番組『バイキング』については、私に対する汚い言葉や事実に基づかない誹謗中傷が過ぎており、視聴者からも番組内容について批判が相次いでいる。この番組の司会者に関するWikipedia(ウィキペディア)の書き換えがあったことについて、iRONNA編集部よりコメントを求められているが、私は詳細を知らない。ただ、本人に関わる情報で、知られたくなかったり、公表されたくないものについては配慮がなされるべきであると思う。どんな困難があっても安倍政権を支える こうした中、私に対するメディアリンチに便乗したとみられる人物が、私と家族に対する殺害予告、事務所に対する爆破殺害予告を新聞社2社にメールで送ってきた。 その内容は極めておぞましいものであるし、こうした政治に対するテロは絶対に許されるものではなく、断固として戦わなくてはならない。しかも、このメールは細工が施されており、ただの愉快犯ではなく何らかの組織が便乗して私をバッシングするためにやっている可能性も、決してゼロとは言えない。 そして、ワイドショーなどの一部メディアは、物事の本質を無視した「言葉狩り」になっており、ここ最近のメディアの劣化は著しいと言わざるを得ない。国民の知る権利に寄与するという理念より、むしろ視聴率や部数など利益優先になっているからである。 実は歴史上、過去にも同じようなことがあった。満州事変の際の若槻礼次郎内閣の不拡大方針を「弱腰」と批判し、その姿勢を覆させたのは、新聞主要全紙によるリンチにも近い書きぶりだった。私は、民族独立の観点から満州国建国は重要であったと思うが、関東軍、朝鮮軍の越権行動は当時においても許容されるものでなかった。しかし、それを覆したのは「戦争や事変が起これば新聞が売れる」と自らの利益優先で、事態拡大を後押しする新聞であった。 今こそ過去の歴史に学び、メディアはそのあり方を正しい形に変えるべきである。国民も声を上げなければ、メディアの劣化はさらに進む。参院予算委員会で民進党の大野元裕氏(右手前)の質問に答弁する安倍晋三首相。奥前列左は財務省の太田充理財局長 =2018年3月19日、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影) 安倍政権は、家庭の貧富の差によって教育の格差が生まれないようにする、待機児童は徹底的に解消することなど、極めて国民に優しい政策を打っているのに、これまでメディアはほとんど報道せず、強権との印象を強調して批判を繰り返した。森友学園への国有地取引に首相も首相夫人も関与していないことが明確になっても、さも関与しているのではないかと印象報道を連日続けている。  森友問題の焦点は、財務省がなぜどういった理由で文書の書き換えをしたのか、法令に則っているものの、森友学園側と近畿財務局との国有地取引交渉に何があったのか、である。こうした点をなぜメディアは追わないのか。 安倍政権は、民主党政権時代のどん底の経済状況から、デフレ脱却、国民生活を豊かにするために戦っている。安倍首相の外交は、首脳会談国数、会談数においても歴代首相と比べても圧倒的に多く、世界の外交のトップリーダーとして各国と交渉できることによって日本の平和も守られている。 安倍政権がしっかりと続くことが、ひいては国民の幸せにつながる。どんな困難があっても私はしっかりと安倍政権を支えていく。

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    昭恵夫人の国会招致は必要か

    番組で、学校法人森友学園への国有地売却をめぐる問題に触れ、安倍昭恵総理夫人の責任について言及した。元財務省理財局長、佐川宣寿氏の証人喚問だけでなく、昭恵夫人の国会招致を求める国民の声も依然大きい。「日本のファーストレディ」の招致は本当に必要なのか。

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    財務省の倒閣テロ」森友文書改ざんは消費増税中止でケリがつく

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 財務省による公文書書き換え問題はさまざまな方面に影響を及ぼしている。この問題の基本は、財務省による民主主義の根幹を揺るがず「犯罪」行為である。確かに、書き換えは公文書の削除なので、悪質な改ざんにはあたらないという法律意見はある。だが、元公務員の筆者からみれば、あってはならないことであり、「犯罪」にさえみえる。 佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官の証人喚問では、誰が誰に指示したか、その理由を明らかにしてほしい。もっとも、佐川氏は捜査対象になっていることを理由として証言を拒むかもしれない。逆に、官邸に忖度(そんたく)したなどといって、矛先を財務省から首相官邸に向け、倒閣まで持っていくストーリーもありえる。 いずれにしても、佐川氏本人が話さないと、この問題で国民はスッキリしない。もし国会の証人喚問でダメなら、国会での第三者委員会を作り、非公開で質問してもいい。佐川氏への告発は昨秋に受理されているので、捜査当局が逮捕してもいいはずだ。とにかく、事実が解明されることを望みたい。 さて、本件を政治的にみれば、秋に予定されている自民党総裁選への影響が考えられる。あくまで財務省の問題なのだが、麻生太郎副総理兼財務大臣への政治的な責任も避けられない。となると、安倍晋三総裁(総理)の三選に黄信号がともる。 文書書き換え問題が発覚する前、麻生氏と二階俊博幹事長を抑えている安倍氏の三選は揺るぎなかった。一方、対抗馬の岸田文雄政調会長は禅譲を期待し、石破茂元幹事長や野田聖子総務大臣は選挙人を集められることができるかどうか、という状況だった。しかし、ここにきて麻生氏の政治責任を追及されると、安倍氏もうかうかしていられない。2018年3月26日、参院予算委に臨む安倍首相(左)と麻生財務相 先述の通り、財務省による公文書書き換え問題は、あくまで財務省という行政組織での不祥事である。しかし、政局に持っていきたい人たちは多い。一部の野党はもちろん、マスコミの一部も同調している。それに自民党内にもいる。そうした人たちは、森友問題での安倍昭恵首相夫人の関与と、麻生氏の政治責任を追及する。そして、財務省内の問題にとどまらせないように仕向けてくるのである。このため、佐川氏個人のミスには否定的で、少なくとも佐川氏が官邸に「忖度」したはずと主張する。他省庁にない財務省の「三大権限」 そして、佐川氏の国会証人喚問で、政局を期待する人たちは、佐川氏が捜査対象になっていることを理由として証言を拒むと、官邸の関与を隠すためだと批判するはずだ。逆に前川喜平・前文部科学事務次官のように政権に反旗を翻したり、「忖度」に言及したりすれば、一躍英雄扱いにするだろう。要するに、佐川氏の国会証人喚問で事実が明らかになるかどうかはどうでも良く、とにかく「安倍叩き」をしたい人たちなのだ。 確かに、今の安倍首相の在任期間は2284日(3月27日現在)と長い。戦後の一人の宰相の平均在任期間は808日(2・2年)であるが、最長の佐藤栄作元首相の2798日、吉田茂元首相の2616日に次いで第3位である。 しかし、近隣国を見ると、中国では憲法上の国家主席任期をあっさり撤廃し、習近平氏は「皇帝化」しようとしている。ロシアでも、プーチン氏は今回の大統領で4期20年にも事実上「皇帝」の座を確保しようとしている。北朝鮮にいたっては「終身独裁者」を戴いている。 日本はこれらの国と違って民主主義国家であるとはいえ、財務省のごとき国内問題で足をすくわれるのは、隣国からみれば、格好のチャンスになり、日本の国益を大きく損なう結果になるだろう。特に、今の北朝鮮情勢を考えれば、つまらない国内問題で時間を使っている余裕はない。 いずれにしても、政局がらみを期待する人が挙げるのが官邸や昭恵夫人への「忖度」である。だが、元財務キャリア官僚の筆者からみれば、政治家への「忖度」は他省庁とは違ってまずないといいたい。財務省庁舎に掲げられている看板=2018年3月26日、東京・霞が関(桐原正道撮影) なぜなら、財務省には「予算編成権」「国税調査権」、そして「官邸内の人的ネットワーク」という、他省庁にない権限がある。これらのアメ、ムチ、情報を駆使しながら、政治家を手玉にとっていくことができる。他省庁とは事情が違い、「忖度」する必要がまずないのである。 だから、もし佐川氏が証人喚問で、官邸への「忖度」を示唆したら、要注意である。もっとも、「忖度」は内面の話なので、佐川氏の個人的なものとして断定できないが、「忖度」を示唆することによって、世論の関心を財務省から官邸(安倍政権)に誘導していくことも可能だからだ。もちろん、官邸が「忖度」されたからといって、官邸の責任ではない。でも、世間の衆目を官邸に集めることができれば、政局にしたい人たちにとって非常に好都合なのである。「忖度」はしないが「倒閣」には動く ただ、財務省のキャリア官僚は「忖度」はしないが、「倒閣」は行いうる。実際にあった話だが、それは筆者が第1次安倍政権の官邸勤務時に起こった。当時の安倍政権が進める公務員改革が官僚に不評であった。そこで、官僚の事実上の代表である財務省が官邸ネットワークを使ってさまざまな仕掛けを行った。 例えば、筆者が用意した経済財政諮問会議のペーパーを閣僚にレクチャーする前に潰そうとしたりするのは日常茶飯事だった。また、首相や官房長官の国会での想定問答を差し替えることもしばしばあった。そのたびに、筆者は本来の想定問答を用意して、首相、官房長官に上げなければならなかったのである。 そのような中で、ある閣僚が、財務省は「倒閣運動」しているのではないかとこっそり筆者に伝えてくれた。この閣僚は、実際に某官邸高官から「官僚が倒閣運動する」と聞いたといっていた。 また、消費増税の延期を安倍政権が企てると、財務省は平然と妨害したという事実もある。消費増税は財務省の悲願である。2014年4月から消費税率は5%から8%へと引き上げられたが、8%から10%への再引き上げについて、安倍政権はこれまで2度スキップした。1度目の再引き上げは2015年10月とされていたが、2014年11月の総選挙で争点となり、2017年4月の実施に延期された。2度目は、2016年6月の先進7カ国(G7)首脳会議(サミット)後、2017年4月からだったのが2019年10月に延ばされた。2017年3月、参院予算委での質問に挙手する財務省の佐川宣寿理財局長(斎藤良雄撮影) また、2014年11月30日、安倍首相はフジテレビの番組で「財務省が『善意』ではあるが、すごい勢いで(消費再増税にむけて)対処しているから党内全体がその雰囲気だった」と、財務省の「工作」を明らかにしている。決裁文書の書き換え当時、消費増税を行わない安倍政権を、財務省が苦々しく思っていたのは事実だ。このような安倍政権に忖度すれば、財務省内での出世に差し支えるというのが実情に近い。 こうした経験を持つ筆者から見れば、「忖度」という仮説は、「倒閣」「自爆テロ」と同レベルの仮説のように聞こえるのだ。いずれにしても、政局にもっていこうとする人々は多いが、そうした人たちは、今回の話が財務省内の問題になることを嫌う。それが、佐川氏の辞任は「トカゲの尻尾切り」という表現にもつながる。 もっとも、国会の議事録を見ると、佐川氏が国会答弁でミスをして、それを隠すために、近畿財務局の決裁文書を書き換えたとの話は説得力がある。「特殊性」は昭恵夫人のことではない 事の発端は、昨年2月9日に朝日新聞が「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」と報じたことにある。この記事に関して、国会では、2月15日の衆院財政金融委員会で質問があった。共産党の宮本岳志議員の質問を受けた佐川氏は上手に答弁できていなかった。特に、森友学園の売却土地と、隣接した豊中市への売却土地を比較した説明はかなり危うかった。初めての国会答弁はその後の答弁のベースになるので、佐川氏はここでミスしたと思ったことだろう。なお、この財政金融委に安倍首相は出席していない。 佐川氏はその後、2月17日の衆院予算委でも、当時民進党の福島伸享議員から追及を受けているが、その答弁も冴えなかった。佐川氏との質疑の最後に、昭恵夫人が名誉校長をしているという安倍首相への質問が出て、「私や妻が(学校設置認可や国有地払い下げに)関係していたとすれば、間違いなく首相も国会議員も辞める」という発言につながっている。 安倍首相は、佐川氏の答弁の後にこの発言を行ったのである。むしろ、安倍首相は、頼りない佐川氏の答弁を聞き、強気に出たような印象さえ受ける。つまり、佐川氏の国会答弁は、安倍首相の「関与していれば辞める」発言の前からほころびが出ていたのである。 さらに、3年前にも、近畿財務局で決裁文書が書き換えられたことがある。そうした決裁文書の書き換えの常態化がまずあって、佐川氏の答弁ミスも加わり、森友決裁文書の書き換えにつながったという見方が自然である。むしろ、書き換え前の決裁文書をみると、多方面からの政治関与を近畿財務局で排除してきたことが書かれている。この記述は、安倍政権潰しをもくろみ、政局化したい人たちにとっては不都合であろう。2017年11月、東京・銀座のミキモト本店を訪問した安倍昭恵首相夫人(代表撮影) さらに、一部野党からは、問題の決裁文書で「本件の特殊性」という文言を指摘している。それを一部野党は「安倍昭恵さんがいた特殊性」と捉えているがそうではなく、筆者の見るところ三つの特殊性がある。一つは、土地を売り切るのが通常だけれども、当初は貸し付けにしようとしていた特殊性だ。二つ目は、端的には地中にゴミが埋まっていたいわく付きの土地という特殊性である。三つ目が契約相手方である籠池氏という特殊性が考えられる。交渉に当たった担当者は大変だったと思う。そうしたことが、あの決裁文書からにじみ出ていると、筆者はみている。 なお、昭恵夫人の国会招致を一部野党が求めているが、そもそも籠池氏が勝手に昭恵夫人について話していただけであり、昭恵氏が近畿財務局に働きかけをしていたわけではない。しかも、決裁文書の書き換えには何も関係もない。関係のない人を国会招致するのは、国権の乱用ともいえる。 いずれにしても、この問題はあくまで財務省内の問題なのだから、財務省解体、消費増税中止でさっさとけりを付けるべきなのだ。政局にかまけている余裕は今の日本ではない。

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    「昭恵夫人招致で官邸の負け」権力闘争の道具になった忖度の連鎖

    からも、現時点で追加すべき情報はほとんどないといえよう。 役所側はどうかというと、当時の近畿財務局、財務省理財局、財務官房長、財務事務次官のうち誰か、あるいは全員からの証言を得ることができれば、真相解明に向けて大きく前進するだろう。 関係者の死者を出している(近畿財務局の男性職員が自殺)ことからも、最大の被害者は財務省だ。約20年前の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」で崩壊の危機にひんした組織の記憶も消えていない。 そうした意味では、誰よりも真相解明を願っているのは批判の対象となっている佐川氏その人かもしれない。その佐川氏は今回、証人喚問に呼ばれている。 さて、政治側の証人だけが曖昧だ。森友学園の名誉校長を務め、官邸には自分自身の部屋を持ち、最高権力者の配偶者である安倍昭恵氏の証人喚問は本来ならば不可避であるはずだ。しかし、官邸はどうにか首相夫人の証人喚問だけは回避し続けてきた。 ときに「私人」を強調したり、「籠池逮捕」の間に時間稼ぎを行ったり、さらには解散総選挙を打ったりと、すべては首相夫人を表舞台に出さないための方策だともとれる。昭恵夫人に罪の意識なし 約1年前、筆者が運営している報道番組『ニューズオプエド』のライブ放送で、私自身、次のように語っている。「首相夫人を国会に招致できれば野党の勝ち、呼べなかったら安倍官邸の勝ち。単純な構図の権力闘争だ」 官邸がなぜ首相夫人を国会に呼ぶことをそこまで恐れるのか。その理由は案外難しくない。首相夫人の発言をコントロールできる人間が、夫人本人も含めて、この世に存在しない。ただそれだけにすぎない。 首相夫人に罪の意識がないのは事実だ。最近も葛飾区議会議員の立花孝志氏のFacebookに「私こそ真実を知りたいのです。本当になにも知らないのです」とメッセージを寄せている。 ある意味、彼女の他人事のような言動も理解できなくもない。というのも、この問題の根源は大阪府と大阪維新の会、さらには籠池氏による土地用地の取得というそれほど珍しくない陳情がきっかけになっているからだ。 森友学園の用地買収に絡んで、最初に動いたのは鴻池祥肇事務所の秘書だった。次に鳩山邦夫事務所、平沼赳夫事務所のそれぞれの秘書が動く。安倍晋三事務所も本人ではなく、夫人が動いた。 このように森友問題は、国会議員レベルではなく、地方自治体、もしくは秘書レベルの陳情に過ぎなかったのだ。「森友文書」書き換え問題をめぐる集中審議を疲れた様子で臨む安倍晋三首相(左)。右は麻生太郎副総理兼財務相=2018年3月14日 それがここまで大きな問題になったのは巷間(こうかん)言われているように忖度(そんたく)の連鎖が原因だろう。 近畿財務局が財務省本省に忖度し、財務省本省は会計検査院に、あるいは首相官邸に忖度し、自民党は内閣官房に忖度し、財務大臣や官房長官も首相に忖度し、その首相自身も夫人に忖度した。忖度が忖度を呼び、ついにはこうした結果に陥ったのだ。 この騒動の中に国民の姿は見えない。見えるのは、そうしたスキャンダルの中、麻生太郎財務大臣と菅義偉官房長官の内部権力闘争だ。 今年9月の自民党総裁選をにらんだ内部からのリーク合戦も加わり、安倍昭恵夫人の国会招致(証人喚問)というカードは、今や真相解明というよりも、激しい権力闘争の道具に使われているといえるだろう。

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    舛添要一が断言「昭恵夫人の国会招致などあってはならない」

    舛添要一(前東京都知事、元厚生労働相) 学校法人森友学園(大阪市)への国有地売却をめぐる財務省の決裁文書改ざんで、前財務省理財局長、佐川宣寿(のぶひさ)氏の証人喚問が衆参両院で行われる。むろん焦点となるのは、公文書の改ざんがいつ、誰の指示で行われたのか、ということだ。 そもそも一連の問題は、公文書の改ざんという事件性をはらんだ疑惑と国有地の森友学園への払い下げに不正があったかどうか、この二つの問題からなる。 公文書の改ざんについては、前代未聞の不祥事であり、政権の立場を考えて財務省の役人が「忖度(そんたく)」して書き換えたものとされている。この問題は、大阪地検特捜部が任意で財務省の役人の聴取を行っている。つまり、これは捜査中の案件で、佐川氏が証言拒否することも可能であり、真相がどこまで明らかになるかは分からない。 改ざん前の決裁文書を見ると、記述が詳細すぎて驚くが、そこには役人の魂胆が垣間見える。それは政治家案件であるために、事後に問題が起こったときには「自分(役人)の責任ではない、政治家の存在が無言の圧力となった」と逃げ道を作るためだったようである。 このあまりに詳しすぎる決裁文書が近畿財務局、そして財務省本省で問題になるのが、昨年2月以降である。 昨年の2月17日には、衆院予算委員会で、安倍首相が「私や妻が払い下げに関与していれば首相も国会議員も辞める」と答えている。また、2月24日には佐川氏が「学園との面会記録は破棄している」「国会議員らの不当な働きかけは一切なかった」と答弁。さらに、3月15日には「価格を提示したことも、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と発言している。「森友文書」書き換え問題をめぐる集中審議を実施され、疲れた様子で臨む安倍晋三首相(左)。右は麻生太郎副総理兼財務相=2018年3月14日(共同) 佐川氏は、まずは首相答弁と整合性を取るため、つまり首相辞任といった事態に陥らないように、国有地取引の内容を熟知しないまま、そのような答弁をしたと考えられる。 そして、部下たちが理財局長の発言と矛盾するような文言を決裁文書から削除したと考えるのが最も事実に近いのではないだろうか。文書の改ざんが行われたのは、昨年2月下旬から4月にかけてである。 野党は、役人が「安倍昭恵夫人」の名前を削除したのは、この首相答弁を忖度したからではないかと疑問を呈している。 しかしながら、以上の経緯を見ても、役人レベルの決裁文書そのものについて、首相や首相夫人が知るわけがないし、まして改ざんするように圧力をかけることなど有り得ない。したがって、この公文書改ざんについて昭恵夫人を証人として国会招致するなどあってはならないことである。 次に、国有地払い下げ問題については、特例での取引に不正があったのか、なかったのか、そしてそこに安倍首相や昭恵夫人、あるいは鴻池祥肇氏や平沼赳夫氏ら政治家の関与があったのかどうかが焦点になっている。昭恵夫人は利用された 3月23日と26日には、野党議員が大阪拘置所で森友学園前理事長の籠池泰典被告と接見し、昭恵夫人から「いい土地ですから前に進めてください」と言われたということなどを再確認したという。しかし、籠池被告が本当のことを言っているのかどうかは確認する証拠がない。 ところで、籠池夫妻はなぜ今も拘置所に入っているのか。昨年7月31日に逮捕されたのは、小学校への国の補助金を不正受給したという補助金適正化法違反である。しかし、特捜部は国有地売却をめぐる財務省職員の背任容疑についても告発を受理しており、いわばこちらが「本丸」であり、国有地の払い下げが不正なものであったかどうかの捜査を進めていると思われる。 この件の真相を明らかにするためには、佐川氏の前任者たちの証人喚問が必要である。佐川氏が理財局長だったのは、2016年6月17日から2017年7月5日までであり、国と森友学園との間で件(くだん)の土地について売買契約が成立したのは2016年6月20日である。つまり、実際の売買交渉は迫田英典理財局長(在任期間2015年7月7日〜2016年6月17日)、中原広理財局長(同2014年7月4日〜2015年7月7日)、林信光理財局長(同2013年3月29日~2014年7月4日)時代に行われたものである。 この交渉で籠池被告が昭恵夫人の名前に言及するのは、2014年4月28日であり、近畿財務局との打ち合わせの場で、籠池夫妻が昭恵夫人と一緒に写った写真を見せながら、「安倍昭恵総理夫人から『いい土地ですから前に進めてください』とのお言葉をいただいた」と述べている。 もし、籠池被告の言っていることが正しいとしても、大臣や都知事としての私の経験を振り返っても、毎日のように多くの人と会い、写真も一緒に撮られ、またいろんな場所に視察に行くため、4年前にどこでどのような言葉を話したかなど覚えてもいない。また、「いい土地ですね」「いい絵ですね」「いい本ですね」などと社交辞令を連発することも決して珍しくはない。 昭恵夫人を証人喚問に呼んだところで、安倍首相が言ったように「そんなことは言っていない」としか言わないであろう。そして、発言内容について、録音などの証拠もない。スリランカのシリセナ大統領との晩さん会で、笑顔を見せる安倍昭恵首相夫人=14日午後7時30分、首相公邸(代表撮影) 国有地の不正払い下げを問題にするのならば、近畿財務局の関係者を証人喚問に呼ぶことが先決である。籠池被告は昨年3月28日に証人として国会で喚問されている。 そのとき、籠池被告は総理夫人付きの政府職員、谷査恵子(さえこ)氏から国有地借り受けに関して、ファクスをもらって「現状では希望に沿えない。なお、昭恵夫人にも既に報告している」と述べている。この真相については、谷氏を証人喚問して問いただせば済む話である。 いずれにしても、昭恵夫人は籠池被告に利用されたのであろう。彼女を証人喚問しても、真相が分かるはずがない。真相解明のために証人喚問すべきは、まずは歴代近畿財務局長、そして担当の役人たちである。

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    エリート官僚のミスを誘った昭恵夫人「お節介な行動力」

    意味を持つことは間違いない。この地位と役割が今回の森友学園問題を大きくしている。 「官庁の中の官庁」財務省といえども、一省庁が国会の議論に合わせるために公文書を改ざんすることは考えにくい。とすれば、何らかの理由があるだろう。一般的に知られているのは、「交渉記録はない」「事前に価格提示もしていない」といった佐川宣寿(のぶひさ)前理財局長による一連の国会答弁との矛盾を解消するためだというものだ。だが、決裁が下りて一度は確定したものを、わずかな期間で改ざんすることがあるのだろうか。たとえ省益や政権を擁護するためであっても、改ざんの合理的な理由にはならない。 なによりもまず話をややこしくしたのが、安倍晋三首相による昨年2月の衆院予算委での発言である。趣旨は、首相や安倍昭恵首相夫人が森友学園の小学校設置認可や国有地払い下げに関わっているようであれば、首相も国会議員も辞職する、というものである。 そもそも、「官高政低」といわれる日本政治において、政治主導を示すために、内閣人事局や国家戦略特区を設置したのではなかったか。関係の有無はいまだ明らかではないが、内閣人事局の存在が忖度(そんたく)を生んだ可能性が指摘されている。また、加計学園問題についても、政治主導の最も象徴的な会議に、諮問会議の議長である首相が関与していないというのは、事実であれば、職務怠慢と言わざるを得ない。こうした二つの官高政低にあらがった設置がさまざまな疑問を生み出している。 さらに問題が複雑化したのは、昭恵夫人を巻き込んだことである。夫人は森友学園の教育方針に賛同し、3回も講演を行ったり、小学校の建設予定地に足を運んでいる。その結果、新しくできる小学校の名誉校長に一時就任していたことを考えれば「関与していない」という言葉は空虚に聞こえる。言葉遊びのレベルでいえば、設置には直接関与していないので問題ない、という答えは納得しがたいものがある。2018年1月、杉原千畝の記念館を訪れ「命のビザ」のパネルなどの展示を見る安倍首相と昭恵夫人=リトアニア・カウナス(共同) 政治家の対応に慣れているはずの高級官僚がミスを犯すとは思いたくはない。仮にミスしたとすれば、官僚が今まで慣れていない首相夫人への扱い、歴代でもとりわけ行動的な昭恵夫人とはいえ、政治に口を出すことは想定外であったのだろう。もちろん、その背景は「安倍一強」体制が盤石であることなどが挙げられるものの、それだけではないはずだ。やはり、昭恵夫人と森友学園前理事長の籠池泰典被告夫妻との付き合いが挙げられよう。規定のない首相夫人の「地位」 夫人の籠池諄子(じゅんこ)被告の話によると、メールや電話は数多く残されているという。そうであるなら、名誉校長がお飾りにすぎないとしても、新設の小学校に関して全く言及がなかったというのは考えにくい。改ざん前の決裁文書には籠池泰典被告の発言として、昭恵夫人から「いい土地だから前に進めてください」という小学校建設を促進するような言葉もあったと記されている。2018年3月23日、大阪拘置所前で籠池泰典被告と妻諄子被告の収監に抗議する人たち=大阪市都島区 この発言が正確なものかどうかは本人しか分からない。実際に安倍首相が夫人に確かめて「そのような意見は言ってはいない」と答弁していたが、定かではない。なにせ、財務省の文書改ざん、厚生労働省の裁量労働に関する調査のいい加減さを目の当たりにした国民には、国会で「証拠は示せないけど信用してください」と言われても、信じることは難しいからである。 また、経済産業省から内閣府に出向し、昭恵夫人付きとなった谷査恵子(さえこ)氏の存在も、夫人との関係で触れないわけにはいかない。彼女は常に昭恵夫人に同行していたようである。しかも、谷氏は財務省理財局、田村嘉啓(よしひろ)国有財産審理室長に対して、契約状況などについて問い合わせをしていたという。籠池被告も野党議員との接見で、小学校開設の進捗(しんちょく)を夫人や谷氏に随時報告していたと改めて主張している。 こうなると、昭恵夫人と谷氏との間で、この問題についてどのような会話をしていたのかも気になるところである。2人の間の会話は2人のみが知るところであるが、この問題、とりわけ昭恵夫人の関与の度合いが明らかになるであろう。現在は在イタリア日本大使館に異動しているが、政治的都合の「海外逃亡」に思える。 昭恵夫人の行動は、やはり脇が甘かったと言わざるを得ない。森友学園への対応も実態を把握できなかった。この問題がなければ、今でも名誉校長を続けていたのかもしれない。財務省の改ざん文書で氏名が削られていることからも、一定の力は持っていると考えられる。 今回の問題を総括すると、日本においても首相夫人の地位について規定する必要があろう。そうでなければ、官僚を秘書につける必要があるとは思えない。警護対象であっても、税金で雇われている官僚を秘書につけることとはまた別の話である。 今回の問題は、官僚による忖度の結果と思われるが、首相の国会発言に端を発した以上、なぜ首相夫人の地位を守る必要があったのか政治的に明らかにすべきだ。また、昭恵夫人も官僚を秘書に付けて行動していた以上、証人喚問は無理筋にしても、必要であれば参考人招致に応じたり、会見を開く責任がある。

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    ウラ社会の視点でみれば「昭恵カード」の無意味さがよく分かる

    らといった顔で、憤然として言う。 「昭恵夫人が籠池さん(森友学園前理事長)を贔屓(ひいき)したから、財務省は国有地を安く売ったんじゃないの。国会に呼んで問い質すべきよ」 「なるほど。昭恵夫人が『安く売れ』と財務省に命じたわけだ」 「いくらなんでも、そこまではしないんじゃない。忖度(そんたく)がどうとかテレビが言ってるから、官僚が気をまわしてやったんでしょう」 「じゃ、昭恵夫人を国会に呼んで何を聞くんだろう」 愚妻は一瞬、言葉に詰まったものの、「でも、総理夫人なのよ。その人が肩入れしているんだから、無言の圧力になるじゃないの」と、譲らないのだ。 そこで、私はさらにこう問うてみた。 「おまえが町内会長をやっていて、通りが暗いので外灯を設置して欲しいと、町内会の人に相談されたとする。どうする?」 「必要なものなら市役所にお願いするわ」 「当然だな。でも、設置してくれるかな?」 「手続きやら審査やら、市の予算もあるから難しいかも」 「どうする?」 「地元の××市議に話してみる」 「それって籠池被告の手法と同じだろ?」 「……」 そして外灯設置が問題化した場合、××市議が行政を恫喝(どうかつ)したとすれば即刻アウトとなるが、行政のほうで忖度したとすれば責任は誰にあるのか。 「おまえ、経緯を知りたいから議会に証人として出てこいと言われたらどうする?」 「いやよ。私は悪くないもの。だって、暗い通りに外灯は必要だと思ったから、そう言っただけよ」 「昭恵夫人の場合は?」 「……」 こんな問答を愚妻と茶飲み話にするのだ。利用され過ぎた「昭恵カード」 さらに視点を変え、ウラ社会から森友問題を見ればどうか。「籠池被告は昭恵夫人をうまく引っかけた」ということになる。不謹慎な言い方だが、それがウラ社会の視点から見た本質だ。 トラの威を借りるのはウラ社会の常套(じょうとう)手段で、借りられるものであれば、トラだろうがゾウだろうがワニだろうが何でも借りる。威を借り、相手を威圧して意を通す。籠池被告にそういう意図があったかどうか私は知らないし、実際にそうしたどうかも知らない。ただ、ウラ社会の視点から森友問題と昭恵夫人の関係を見れば、そう読み解けるということなのである。 そして留意すべきは、非は「威」にあるのではなく、それを利用した人間にあるということを見落としてはなるまい。 では、財務省はどうか。麻生太郎財務相が、決裁文書の改ざんは「一部の職員が行った」と繰り返し発言したことで、メディアは財務省に責任をかぶせるものだと批判した。さらに、さわやかイメージの小泉進次郎筆頭副幹事長が「自民党という組織は、官僚のみなさんだけに責任を押しつけるような政党じゃない」と述べたことで、財務官僚が「被害者」であるかの印象を世間に与えた。 だが、それは違う。事情がどうあれ、財務官僚が行った忖度の本質は、相手のためでなく、わが身可愛(かわ)いさのものであって、彼らは決して被害者ではない。そうした処し方に葛藤し、苦悩した官僚が、気の毒にも自ら命を断つケースにつながっていくことを思えば、財務官僚の行為について是非を問うまでもあるまい。 そもそも森友問題の特徴は、これに関わるすべての人間に「言い分」があることだ。籠池被告は「私は理想の学校づくりに邁進(まいしん)しただけ」と主張するだろうし、昭恵夫人は「私はその理念に賛同しただけ」と言うだろう。 財務官僚は公言できないにしても、「総理夫人の案件として、土地払い下げに忖度するのは当たり前」という思いがあるだろうし、野党は「安倍政権の驕(おご)りである」「民主主義の根幹を揺るがす大問題だ」「内閣総辞職すべし」と当然ながら攻撃する。 そしてメディアは「国政批判は使命である」と進軍ラッパを吹き、国民は玉石混交のメディア情報によって「昭恵夫人を証人喚問せよ」という世論を形作っていく。自民党の安倍サイドは、揚げ足取りによる倒閣を懸念して、昭恵夫人の証人喚問を突っぱねる。みんな「言い分」があり、それぞれにおいてこの言い分は「正義」なのだ。 そこで、昭恵夫人の証人喚問である。昭恵夫人から直接的な働きかけがなく、森友問題が財務官僚の忖度に起因するものであるとするなら、昭恵夫人を証人喚問しても、「隠された事実」が出でくることは考えられない。講演する安倍昭恵氏=2016年6月、福岡市博多区 「私が真実を知りたいって本当に思います。何にも関わっていないんです」と、福岡で語った昭恵夫人の発言が批判的に報道されたが、第三者がこの発言をどう解釈するかということとは無関係に、昭恵夫人が本当にそう思っているのだとすれば、証人喚問されても「語るべき話」がないと当惑するのは当然だろう。 「昭恵夫人が全否定しても、否定する姿をみれば国民はわかる」と、したり顔で言う意見もある。だが、証人喚問して得られるものがそんな情緒的で不確かな推測でしかないとしたら、まったく無意味であり、これほどの茶番はあるまい。 「昭恵カード」は政局に利用され、野党議員のパフォーマンスに利用され、メディアのバッシングに利用され、財務省の批判かわしに利用され、茶の間の慰みにされるとしたら、証人喚問とはいったい何なのだろうか。 喚問する理屈をどれだけみつくろうとも、私の目には寄ってたかって「魔女狩り」を楽しんでいるようにしか見えないのである。

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    デタラメ籠池氏を持ち上げる「野党とマスコミ」こそおかしい

    身があたかも「真実」であるかのごとく話す野党の面々を見て、私はそう感じている。 いよいよ佐川宣寿・前財務省理財局長の証人喚問がおこなわれる。どこの世界にも、籠池氏のような人間はいる。著名人の名前を出したり、政治家の名前をひけらかしたり、訴訟を起こすことをチラつかせたり、ありとあらゆることをやって、自己の「願望」を実現すべく“ゴリ押し”する人間だ。 日本は今、「クレーマー国家」と化しつつある。たとえば教育界を混乱させているモンスター・ペアレントと呼ばれるクレーマーたちや、また、飲食店や小売店で、あれやこれやと文句をつけて、従業員や経営者を困惑させている人間……籠池氏はそんな日本の“代表”とも言える人物である。 資金がショートしたまま、学校を建てようと企てたこの人は、国有地を安く取得するために、自分が近づいていった政治家や著名人の名前を出し、嘘を並べ立てた。 こんな御仁のために「安倍首相が国有財産を8億円も値下げさせた」ということが本当なら、私は一刻も早く「総理の職」を辞して欲しいと思う。「森友学園」前理事長、籠池泰典容疑者=2017年7月31日、大阪府豊中市(前川純一郎撮影) しかし、明らかになった財務省の改竄(かいざん)前の公文書を見ても、安倍夫妻が当該の土地を8億円値下げさせるべく動いたことなど、どこにも出てこない。 いや、それどころか、改竄前の文書には、鴻池祥肇、鳩山邦夫、平沼赳夫、北川イッセイという四人の政治家が近畿財務局へ働きかけをおこなっていたことが記述されていた。 安倍昭恵氏に関しては、籠池氏が近畿財務局に対して、「いい土地ですから、前に進めてください」と言ったと、改竄前の公文書には記述されていた。私は呆れてしまった。1年前の証人喚問(2017年3月23日)で、当の籠池氏は昭恵氏のこのときの発言を「いい田んぼができそうですね」と言ったと証言していたからだ。 国会ではそう証言し、しかし、近畿財務局へは、まったく違うことを言っている。つまり、言うことがコロコロ変わるし、自分に都合よくいくらでも言い換える人物なのである。 しかし、野党は、詐欺罪で収監されているこの人物を、あたかも「真実を語っている」かのようにマスコミとタッグを組んで“持ち上げる”のである。 いったい籠池という人物のデタラメに、国民はいつまでつき合わなければいけないのだろうか。それは、安倍政権を倒すためには、どんなことでもやる日本の野党とマスコミに、いつまで国民はつき合わなければいけないのか、という意味である。野党は潔く謝罪すべき 何度も書いてきたように、当該の土地は、かつて、大阪空港騒音訴訟の現場だった。伊丹空港の航空進入路の真下で、騒音は大きく、また建物には高さ制限もつくといういわくつきの物件だ。 国は、やっと現われた“買い主”を逃したくなかったし、四人の政治家が絡んだ政治案件でもあった。いま「野田中央公園」になっている隣地は、国が補助金をぶち込んで、実質98・5%もの値下げになっていることでも、この土地の特殊性がわかる。 そんな土地を「値切る」ために、籠池氏はありとあらゆることをおこなった。名前を利用された人間は数多い。安倍首相もそのひとりだ。では、勝手に名前を使われただけで時の総理は、職を辞さなければならないものなのだろうか。敢えて、なにが狂っているのかと言わせてもらえば、私は「野党」と「マスコミ」であろうと思う。 お隣の韓国では、朴槿恵・前大統領につづいて李明博・元大統領も逮捕された。国のトップ、すなわち大統領を務めた人間が逮捕されていくのが、韓国という国である。 そのニュースは、彼(か)の国が完全な“つるし上げ国家”であり、事実の特定よりも、「国民感情がすべて」であることを示している。そこにあるのは、「ファクト(事実)」の積み上げではなく、「懲らしめ」、あるいは「つるし上げ」といった“感情の優先”にほかならない。 日本の国会でも最近、野党が官僚に対して、ヒアリングと称する“つるし上げ”をやっている場面がニュースによく登場する。それは、絶対に年端もいかない子供たちだけには「見せたくない」ものである。 なぜ、野党の議員たちは、ここまで居丈高になれるのか。なんの権利があって、あれだけの物言いを人に対してできるのか、私には不思議でならない。 あんな態度で責められれば、誰だって公文書を改竄してでも、逃れたくなるだろう。あの公文書改竄の真の原因は「野党の皆さん、あなたたちではないのか」とさえ思う。大阪拘置所で籠池泰典被告との接見を終え、囲み取材に応じる希望の党の今井雅人氏(左)、共産党の宮本岳志氏=2018年3月23日、大阪市都島区(志儀駒貴撮影) 野党の皆さんに言いたい。「もう1年以上にわたってこれだけ騒いできたのだから、安倍首相が籠池氏のために8億円の値下げをやってあげたことを一刻も早く証明してください」と。 佐川氏の証人喚問で、官邸が真実を隠蔽するために財務省に公文書を改竄するように指示したというのなら、是非、そのことも証明していただきたい。 そして、できなければ、潔く、「1年間も、こんないい加減な話に膨大な国費を浪費してしまい、申し訳ありませんでした」と、野党ははっきり国民に謝るべきだろう。 激動する2018年は、北朝鮮情勢や、貿易問題、南シナ海問題、少子化問題など、多くの重要案件が目白押しだ。これ以上の国政の停滞が許されないことを、いい加減に自覚していただきたい。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2018年3月26日分を転載)