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    安倍総理の「皇室軽視」にモノ申す

    御代替わりに伴う「退位礼正殿の儀」で安倍総理の誤読疑惑が浮上したが、その後の説明もなく「皇室軽視」との批判がある。重要な皇室行事だけに単なる言葉尻では済まされないからだ。総理に皇室軽視の認識などないかもしれないが、実は今回の誤読疑惑だけにとどまらない。これこそ「安倍一強」の弊害ではないか。

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    なぜ安倍総理は「皇室軽視」を繰り返すのか

    木村三浩(一水会代表) こんなことでいいのか。4月30日、御代替わりを前に執り行われた「退位礼正殿の儀」で安倍総理が述べた国民代表の辞における、いわゆる「言い直し・誤読」疑惑である。「天皇皇后両陛下には、末永くお健やかであらせられますことを願ってやみません」と読むところが何とも不明瞭で、「願っていません」と聞こえることから、読み間違い疑惑が生じたのだ。 陛下の一世一代の重要な儀式の場において、安倍総理は「あらせられます」を「あられます」と読み間違えて言い直し、それに続く言葉も、滑舌の悪さが理由なのか、「願っていません」と聞き取れてしまい、国民に誤解を与えてしまった。これでは意味が真逆になってしまう。 ネット上では、「漢字が読めなかったため誤読したのではないか」と言われているが、実際のところは分からない。ただ、私自身、何度も視聴してみたが、少なくとも「願ってやみません」とはっきりと聞き取れないことだけは事実である。 しかも、これに対する指摘がなされても総理の口から一切の説明がないばかりか、首相官邸のホームページの「総理の演説・記者会見など」の表示形式を変更し、「関連リンク」から飛んでさらに下へスクロールしなければこの動画が見られないようにした。これはあまりに姑息(こそく)なやり方ではないか。 ちなみに、それ以前の演説や会見の模様は、画面を表示するとまず最初に映像が流れるように作成されている。それが、「退位礼正殿の儀 国民代表の辞」から突然、文面と画像というスタイルに切り替わってしまったのだ。令和元年5月1日から表示方法を新しくしたのなら、時代の節目ということでまだ納得もできるが、4月30日のアップから切り替わっているのは不自然であろう。 ここで考えられるのは、やはりできることなら「例の映像」を見てもらいたくない、という総理の本音ではなかろうか。 この一件について、もちろんいろいろな意見があることは承知している。陛下の一世一代の大事な場とはいえ、読み間違えてしまうことはある。大きな瑕疵(かし)がなければ、おめでたい行事の意図を尊重し、言挙げは控えるべきだという意見もあるだろう。「退位礼正殿の儀」で国民代表の辞を述べる安倍晋三首相=2019年4月30日、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影) たしかに私も、これが天皇陛下の御大典の席でなければ、わざわざ言葉尻を捉えるような指摘はしたくない。「云々」を「でんでん」と読んだとか、「背後」を「せご」と言ってしまったとか、読めない漢字があったとしても、それを理由に安倍氏の総理としての資質に問題があるとは思わない。読めない漢字があれば調べればいいだけのことだ。 私が問題にしているのは、安倍総理がどれだけ、自身が重要な場に臨む立場であることを意識していたか、ということである。しかも、安倍総理は「国民代表の辞」を立場上、述べさせられたのではなく、自ら勇んで「述べさせていただく」と言ったのだ。そうである以上、どんな理由や事情があれ、絶対に粗相があってはならない。あれば大失態だ。大げさに聞こえるかもしれないが、総理に覚悟や緊張感があったのかを問いたいのである。安倍総理は緊張感が欠如 実は、こうした総理の緊張感の欠如は、昨今の政治課題においても散見される。弛緩(しかん)からくる慢心が、憲法改正の先行き、拉致問題解決の方針転換、消費増税といった課題について、まともに議論をしようとしない姿勢に、ありありと出てしまっている。 単に東京オリンピック・パラリンピックまで総理を続けたくて日々の日程をこなしているだけなのではないか、とすら思えてくるのだ。 実際の生きた政治はどこにいったのか。長期政権だけが取りえではない。政治家の使命として、何をやり遂げたかが重要なのだが、昨今の安倍総理の姿勢はあまりに弛緩(しかん)していると言わなければならない。そして、最も緊張すべきところの御大典においても、それが出てしまったのだ。 安倍総理は、「退位礼正殿の儀」に臨む直前まで外遊に出かけ、非常に多忙なスケジュールであっただろう。ようやく帰国してホッとして緊張感が一気に緩んだかもしれない。だが、どれほど過密なスケジュールだったにせよ、「国民代表の辞」の文言に丁寧に目を通し、何度も練習をしておくべきだった。特に、滑舌がよくないことは総理自身も認識しているはずであり、一言一句ゆっくりと発声するように心がけて事前練習をしなければならなかったのではないか。 もちろん、事前にきちんと目を通し、練習もしたのかもしれない。ただ、例えそうであったとしても、結局、本番でトチってしまったらダメなわけで、そういう意味でも総理の自覚と宰相としての覚悟が欠けていたのではないかと思うのだ。 そしてもう一つ、実際に読み間違い疑惑が浮上しているのだから、陛下にご無礼を謝罪し、国民に対しても潔く説明をすべきではなかったか、と言いたいのである。 私は、安倍総理も天皇陛下や皇室に向き合うときは、軽々しい態度で向き合っていないと信じたい。むしろ、尊敬の念も強く感じられるとは思う。ただ、その一方で自らへの権威付けに皇室を利用しているようにも感じられるのだ。 5月14日には、安倍首相が天皇陛下に行った内外の情勢などを報告する「内奏」の様子を撮影した映像が公開された。宮内庁は「国事行為を広く知ってもらうため」と説明しているが、内奏は、内において行われるもので、無暗(むやみ)に公開するものではない。これこそ皇室を軽視した政治利用であり、「退位礼正殿の儀」での不敬を挽回したいという思いも感じられる。安倍晋三首相から「内奏」を受けられる天皇陛下=2019年5月14日、皇居・宮殿の「鳳凰の間」(宮内庁提供)  さらに、さかのぼること平成25年4月28日、憲政記念館で「主権回復の日」を記念する政府主催の式典が行われた。現行憲法は米軍占領下で作られた憲法であるが、本来ならば手続き上、占領下での憲法の制定は国際法違反に当たる。さらに、講和条約とともに締結された日米安保条約によりわが国には米軍基地が今なお存続できる権限を有し、この存在により日本の主権は制限されたままの状態である。 そんな状況下で、そもそも「主権回復」などという認識自体が間違っているわけだが、そこに天皇皇后両陛下の御臨席を賜り、記念式典を開催したのである。これは明らかに、安倍総理が自己の政治的主張に皇室という権威を付加するための行為であったと言わなければならない。トランプ会談の問題発言 先だっては、今上陛下と面会する最初の外国元首としてトランプ米大統領が5月下旬に来日することについて、同大統領は、安倍総理に「スーパーボウルと比べて、日本人にとってどれくらい重要なイベントか」と質問し、総理から「百倍重要」との説明を受け訪日を決断した、と明かした。 スーパーボウルというのは米プロフットボールの年間王者決定戦のことだが、いやはや、「スーパーボウルの百倍の価値」とは一体何なのか。 安倍総理としてはとっさに機転を利かせて数値化したのかもしれない。ディール(取引)の王様である米大統領にとっては分かりやすい返答だっただろう。だが、本来は日本人にとって皇室が何ものにも比較できない尊崇(そんすう)の対象であることをきちんと伝えるべきではなかったか。あえて数字を絡ませるなら、「プライスレスだ」ぐらいの発想がほしかったところである。 こうした事例から分かるのは、安倍総理の姿勢が場当たり主義で、「戦後レジームの脱却」「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」などというキャッチフレーズばかりが目立っているということである。 しっかりとした思想と哲学、使命感に裏打ちされた何かを成し遂げるというものではなく、昨今は自己保身のためのパフォーマンスに流れているといわざるを得ないのだ。 ところで、今回の一件で醜悪なのは、総理の「事前の準備」と「事後の対応」だけではない。この国の言論空間を見事に証明してしまっているマス・メディアの姿勢である。安倍総理の誤解を招く発言に、メディアがほとんど何も反応しないというのはいかがなものか。 それも、総理が「願っていません」と述べたとすれば、本人の意図ではないにせよ、本来、陛下にささげるべき内容と真逆の意味になってしまうにもかかわらず、一部夕刊紙がこれを指摘しただけで、大手メディアはほとんど沈黙の状態であった。米ワシントンのホワイトハウスで握手するドナルド・トランプ大統領(右)と安倍晋三首相=2019年4月26日、(共同) あるテレビ局などは「願ってやみません」と、わざわざご丁寧にテロップまでつけて安倍発言をフォローしていた。これは、明らかにマス・メディアの安倍総理への「忖度(そんたく)」であろう。疑問点を疑問点としてただしていく是々非々の姿勢がなくなったならば、それはメディアの自殺行為ではないのか。この点も一言付け加えておきたい。 ともあれ、私は皇室を尊崇し敬愛する一国民として、率直に今回の一件の疑問を問うとともに、頰かぶりを続け、政治課題に緊張感を欠く安倍総理の慢心に対して猛省を促したい。■新元号「令和」公表にチラつく支配欲と主導権争い■禍根を残す「やったふり外交」安倍首相の評価は65点止まり■日本人に覚悟を問う「皇室は民主主義のロボットではない」

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    高齢ドライバー対策、ヒントは「ジリ貧教習所」活用にあった!

    志堂寺和則(九州大大学院教授) 東京・池袋で乗用車が暴走し、母子2人が死亡、8人が負傷した事故は、ドライバーが87歳だったために、改めて高齢ドライバーの問題が浮き彫りになった。今後も高齢化がさらに進むと予測されている日本では、緊急の対策が必要な重要課題の一つと言えよう。 公共交通システムの充実や高齢者向け車両の開発と普及など、さまざまな方策が必要であるが、本稿では、高齢ドライバーが起こす事故の状況や現在の免許更新手続きについて確認した上で、免許更新の在り方について考えてみたい。 ここ10年ほど日本の人身事故件数、死亡事故件数はともに減少傾向にある。しかしながら、65歳以上の高齢ドライバーが起こす人身事故件数は多少減少しているものの、死亡事故件数はほぼ横ばい状態である。 その大きな原因は高齢ドライバーの増加にある。警察庁の統計によると、この10年間で免許人口全体ではほとんど増加していない中で、免許を保有する65歳以上の高齢者は1・6倍に増加した。しかもこの増加割合は年齢が上がるに伴って増えており、85歳以上は2・8倍にもなっている。 免許を保有しているからと言って日常的に運転をしているとはかぎらないが、以前と比較すると、道路を走っている高齢ドライバーは確実に増加し、しかも、85歳以上、90歳以上という高年齢のドライバーも運転を継続している。 多くの統計資料における高齢者の定義は65歳以上である。これは、1950年代、60年代に国連や世界保健機関(WHO)が用いた分類が踏襲されているためである。しかし、当時と比較して、健康で活動的な高齢者が増加した現在では、65歳以上を高齢者とすることは現実に合わなくなってきている。 交通事故の発生比率を元にしてドライバーの年齢による危険性を比較すると、75歳くらいまでは特に事故が多いというわけではない。だが、それ以降は加齢とともに次第に事故が増えてくる。原付以上運転者(第1当事者)の免許保有者10万人あたりの交通事故件数で50~54歳と比較すると、70~74歳は1・1倍であるが、75~79歳では1・3倍、80~84歳は1・5倍、85歳以上は1・6倍と増加する。東京・池袋で起きた事故で、現場検証する捜査員ら=2019年4月(佐藤徳昭撮影) そして、免許保有者10万人あたりの死亡事故件数でも同様に50~54歳と比較すると、70~74歳は1・2倍であるが、75~79歳では1・7倍、80~84歳は2・6倍、85歳以上は4・6倍と大きく増加する。高齢ドライバーの事故の場合、事故を起こしたドライバー本人が死亡してしまうケースが多く見られる。 75歳以上のドライバーの死亡事故の場合、60%はドライバー本人の死亡であり、これは、若年ドライバーを除くと他の年齢層の場合の倍の数字である。また、同乗者が亡くなる場合も11%ほどあり、合わせると71%が事故を起こした車内において死亡していることになる。免許取り上げは暴論 また、高齢ドライバーの事故の内容は他の年齢層とは異なる。事故の原因となった違反を見ると、高齢ドライバーの人身事故では、わき見運転や動静不注視の割合が少なく、信号無視や優先通行妨害、一時不停止の割合が多い。事故類型としては、追突事故が少なく、出合い頭事故が多い。 一方、死亡事故では、わき見運転、漫然運転、安全不確認の割合が少なく、運転操作不適、一時不停止の割合が多い。事故類型では、道路横断中の歩行者事故や追突事故は少ないが、出合い頭事故、正面衝突事故、工作物衝突事故が多い。 こうした中、最近の高齢ドライバー事故を伝える報道の影響を受けて、ある年齢に達すると免許を取り上げるべしという意見もあるようだが、これはエイジズム(年齢差別)であり暴論と言えよう。では、どうすれば高齢ドライバーの事故を防ぐことができるだろうか。 政府は1998年に免許更新時の高齢者講習を導入した。その内容は2018年に改正され、現在の高齢者の免許更新の手順は次のようになっている。 70歳以上の高齢者は、免許更新前に指定自動車教習所あるいは警察施設で高齢者講習を受講する。この高齢者講習は合理化講習と呼ばれるもので、双方向型講義30分、運転適性検査(動体視力、夜間視力、水平視野)30分、実車による指導60分の計2時間程度の講習である。実車走行は2、3人一緒に実施するため、実際に運転している時間は15~20分程度であることが多い。実車指導は試験ではないため、運転内容により免許更新ができなくなるようなことはない。 75歳以上になると30分程度の認知機能検査(講習予備検査)が追加となる。この検査は記憶力ならびに判断力の低下具合をみるものであり、検査結果により3つに分類される。認知機能の低下のおそれがみられない第3分類(受講者全体の73%程度)は合理化講習を受けるが、認知機能の低下のおそれがある第2分類(24・5%程度)は、合理化講習に個人指導など60分が追加された計3時間の高度化講習を受講する。 この個人指導は実車走行時のビデオ映像などを見ながら個別に助言を受けるものである。認知症のおそれがある第1分類(2・5%程度)の場合は、認知症の専門医もしくはかかりつけ医による診断を受ける必要がある。認知症と診断されなければ、高度化講習を受けて免許を更新することができるが、認知症と診断されれば、公安委員会が運転免許の取り消しなどの処分を判断することになる。教習所で高齢者講習を受けるドライバーら。シミュレーターを使った反応速度などの確認も行われている=2017年1月、山梨県甲府市 第1分類と判定された高齢者の60%は免許を自主返納したり更新をせずに免許を断念したりしているが、35%は医師の診断を経て運転を継続しており、取り消しなどの処分となるのはわずか5%である。 このように、交通事故防止という視点から考えると、現在の免許更新手続きには大きな問題がある。それは、運転技能の評価を一切行っていない点である。一度、運転免許を取得すると、免許取消処分を受けたり、不適格者となったりしない限りは更新可能である。そこには一度獲得した運転技能は一定レベルが維持されるという想定がある。昭和の時代までは高齢ドライバーの数も少なく、この想定もさほど間違いではなかった。 しかし、現在のように高齢ドライバーの数が増えてくると、この想定は妥当なものとは言えず、想定に基づいた免許更新制度で問題ないと考えることはできなくなってきている。心身能力や運転技能は次第に低下していくものであり、人により早い遅いという違いはあるが、いつかはきちんとした運転ができなくなってしまう。教習所にもメリット そして、人は権利を失うことを嫌う傾向や運転能力を過信する傾向があるため、客観的に運転能力があるかどうかを自分で判断することは難しい。そうであれば、免許更新時に運転技能が維持されているかどうかを確認することは至極当然のことである。 本当は年齢に関係なく免許更新者全員に対して運転技能の確認をすべきであるが、さすがに無駄が多く、現実性に乏しい。このため、加齢の影響が大きくなってきていると思われる年齢に達したときから運転技能の確認をせざるを得ない。 1回の試験で合否を決定するというような形態での実施もまた現実的ではない。高齢者は長らく試験というものから遠ざかっていることもあり、緊張のため普段通りの運転ができない者や体調を崩す者が続出するおそれがある。 免許の有効期限までであれば、何度でも試験(以下では、運転技能の確認)を受けることができるようにしておくのが実施可能で有効な方法であるように思える。そして、レベルに達しなかった高齢者が運転を学び直すことができるようにして、可能な限り運転が継続できるような手段も提供することが必要である。また、判定基準も運転技能の確認向けの判定基準を設ける必要があるであろう。 学び直す場としては、教習のノウハウを持つ自動車教習所が最も適している。ところが、現在、自動車教習所は高齢者講習で苦労している。高齢者講習業務が、免許取得のための教習業務を圧迫するため、高齢者講習を引き受けていない自動車教習所もあるぐらいだ。これは高齢者講習がもうからないためである。 その一方で、少子化の影響で経営の危機に瀕している自動車教習所が増えてきており、年々、自動車教習所の数が減ってきている。高齢者に対する研修などのサービスが自動車教習所の重要な収入源となるような制度設計を施し、高齢ドライバーと自動車教習所がお互いに支え合うような関係を構築できれば「一石二鳥」だ。 現在でも高齢者講習は高いとクレームをつける高齢者がいると聞くが、運転技能の確認や学び直しなどではかなりの経費が必要となる。高齢ドライバーからは大きな反対の声が上がるであろう。しかし、事故を起こす危険性を少しでも下げることができるのであれば、決して高いものではない。低下した運転技能を補償するような運転方法を教えてもらうなど、学び直しは高齢ドライバーにとっては非常に有益な機会となるはずである。自動車保険と同じく、自動車を運転するための必要な出費と考えるべきである。高齢者を対象にした教習で、ポールで狭まれたコースを運転する参加者=堺市 一連の仕組みをうまく機能させるにはいろいろと課題があるが、最初はかなり高い年齢から開始して、徐々に下げていくようにすれば、導入は不可能ではないように思える。そして、その間に自分がその年齢に到達したときにどうするかを考えることもできる。 運転技能の確認や学び直しにかかる時間や経費などを考えて免許返納を決断するのも一つの選択肢であるし、運転継続を選ぶのも自己判断だ。一定のレベルの運転技能を持ち、責任を持てるドライバーのみが運転を行える社会に変えていかなければならない。■強制力がなければ防げない! 高齢者の自動車免許返納を制度化せよ■身近に潜む「あおり運転」危険ドライバーの深層心理■こんなクルマ本当にいるの? 実は誰も望まない「完全」自動運転車

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    石平が警告、玉城デニー「中国一帯一路に沖縄活用」提案の危険度

    石平(評論家) 沖縄県の玉城デニー知事は4月26日の定例記者会見で、中国を訪問した際に行った胡春華(こ・しゅんか)副首相との会談内容を明らかにしたが、これはとんでもない問題発言である。 玉城知事は、河野洋平元外相が会長を務める日本国際貿易促進協会の訪中団の一員として同月16~19日に訪中し、会談した胡副首相に対し「中国政府の提唱する広域経済圏構想『一帯一路』に関する日本の出入り口として沖縄を活用してほしい」と提案したというのだ。そしてそれに対し、胡副首相は「沖縄を活用することに賛同する」と述べたという。 この玉城知事と胡副首相のやり取りを新聞報道で知ったとき、筆者はまず大きな違和感を覚えた。なぜなら玉城知事は言うまでもなく、沖縄という日本の一地方自治体の長である。 一方の胡副首相は当然、中国の副首相であり国を代表して日本の訪中団と会談している。このような席で、日本の一自治体の長が中国の副首相に対して何かを提案すること自体、すでに一般的な外交儀礼あるいは外交ルールから大きく逸脱している感じもする。そこでさらに問題となっているのは、玉城知事が胡副首相に対して「提案」した中身だ。日本の一地方である沖縄の「活用」を、外国政府に提案したからである。 このような「提案」はどう考えても、憲法に定められた地方自治権から大きく逸脱したものであろう。沖縄県は一自治体ではあるが、そもそも日本国の領土であり、日本国の一部である。沖縄県知事が日本の領土である沖縄の「活用」を外国政府に提案したり、相談したりするようなことは尋常ではない。それは軽く言えば悪質な越権行為だが、重く言えば自国の一部を外国に売り飛ばすような「売国行為」そのものではないか。中国の胡春華副首相(右)と会談する日本国際貿易促進協会会長の河野洋平元衆院議長(中央)、沖縄県の玉城デニー知事=2019年4月18日、北京の人民大会堂(共同) そして、よりによって玉城知事が提案したのは、中国の「一帯一路構想」における沖縄の「活用」だが、それはなおさら、危険な「売国行為」なのである。 悪名高い「一帯一路」は今、国際社会から「新植民地主義」あるいは「中国版植民地主義」として厳しく批判されている。欧米諸国の大半にそっぽを向かれ、アジア諸国の強い反発をも受けている。「玉城提案」の危険度 習近平政権肝いりのこの壮大な構想の一貫した手法と戦略的目標は、要するに、アジア地域などの発展途上国において中国政府主導の投資プロジェクトを展開し、これによって広範な地域を中国が頂点に立つ「中華経済圏」に取り込むことだ。 その一方、投資を受ける国々を借金漬けにした上で債権をチャラにするのと引き換えに、それらの国々の持つ戦略的拠点や一部の国家的主権を奪い取って我がものにしていくのである。 5月2日に米国防省が議会に提出した年次報告書で、中国が大経済圏構想「一帯一路」への投資を保護するため、世界各地に新たな軍事拠点を建設していくとの見通しを示したことからも分かるように、「一帯一路構想」の推進は中国の軍事戦略とも連携しており、「一帯一路」による「新植民地支配」は、中国による世界各地の軍事支配の確立にもつながるのだ。 このような覇権主義的な「一帯一路構想」を進めている中国政府に対して、沖縄の玉城知事が構想への「沖縄の活用」を申し出たことがどれほど危険な行為か、よく分かるであろう。 また、沖縄の特別な地政学的な位置と安全保障における重要性を鑑みれば、いわば「玉城提案」の危険度は深刻さを増すのだ。 地図を開けば分かるが、沖縄は台湾と並んで中国が完全突破しようとする第一列島線の中核をなす島である。そして沖縄には、中国の軍事的膨張と海洋侵略に対する最大の防波堤である米軍基地がある。 中国からすれば、沖縄から米軍基地さえ追い出すことができれば、自国のアジア支配戦略の最大の邪魔はこれで取り除かれる。その上で、沖縄を自国の海洋進出の拠点として「活用」できるのならば、それに越したことはないのであろう。巨大経済圏構想「一帯一路」をテーマにした国際会議の開幕式を終え、笑顔を見せながら引き揚げる中国の習近平国家主席(中央右)=2019年4月26日、北京(共同) こうして見ると、「沖縄を一帯一路に活用してほしい」という玉城知事からの提案ないし申し出は、本人はどういう意図であるかは関係なく、客観的に見れば中国政府の戦略的意図と全く合致しており、まさに沖縄知事の、沖縄知事による、中国のための「提案」でしかない。 もし、この危うい「提案」が現実なものとなれば、玉城知事と沖縄は確実に、中国の覇権主義的海洋戦略の推進に大いに貢献することになるだろう。そしてその結果、日本の安全保障とアジア太平洋地域の平和秩序が大きく損なわれることは間違いない。そんなことを許して良いのかと、私は一日本国民としては大いなる疑問を感じ、大きな危機感を覚えているのである。■米露を呑み込む中国の「一帯一路」 巨大利権に潜む習近平の大戦略■2049年「習近平の夢」は96歳で完成する■稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」

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    日本でLGBTが「市民権」を得ても同性婚議論が煮詰まらないワケ

    高橋知典(弁護士) 同性婚をめぐり全国13組の同性カップルが今年2月、一斉提訴した。今回の訴訟において原告らは、男女の結婚しか認めていない民法や戸籍法について、憲法が保障する「婚姻の自由」や法の下の平等を定める憲法に違反するものであるとしている。同性婚を認めない法律は憲法違反だと主張しているのだ。 一方、同性婚に反対する人たちは、現行憲法は同性婚を想定しておらず、同性婚を認めるには憲法改正が必要だと主張している。安倍首相も2015年2月18日の参院本会議において、「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」「同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、わが国の家庭のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」との見解を示した。 その根拠になる条文が、憲法24条1項だ。日本国憲法第二十四条1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 同性婚に反対する立場の者は、この憲法の文言の字面を強調する。すなわち「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」の「両性」という言葉は、通常「男性と女性。雌性と雄性。(大辞林第3版)」の意味として使われることからも、憲法は「婚姻は男性と女性の合意のみに基づいて成立する」と考えているのだ。また、続く「夫婦」という文言からも、あくまで婚姻は男女間でするもので、憲法は明文で同性婚を想定していないどころか否定しており、それでも日本で同性婚を認めるには、改憲も必要ではないかと主張している。 これには単純に疑問がある。本来人権を保障している憲法からすれば少々不思議な議論であるとも思うが、議論を整理すると、憲法の態度は、簡単に言えば三つ考えられる。①権利として保護し価値を推奨している態度(個人の尊厳や表現の自由などに対する態度)、②禁止する態度(戦争に対する態度のようなもの)、③憲法上は何も言わない態度(どっちでも気にしない態度)だ。同性婚を求め全国13組のカップルが一斉に提訴、東京地裁で提訴の手続きを終え支援者と会見に臨む原告団=2019年4月、東京都千代田区(桐山弘太撮影) 実際には、憲法が同性の婚姻を明確に「禁止(②の態度)」していると読めないならば、憲法改正は不要であり、少なくとも③のどちらでもいいと思っている態度ならば、国会で立法して憲法では保証していない制度を用意してよいことになる。安倍首相の発言を読み解く 先述した安倍首相の発言からは、同性婚を認めるにあたって改憲を必要とする立場か否かは判然としない。しかし同性婚を認めるにあたって改憲が必要だと主張するということは、憲法24条1項には「男性と女性の組み合わせ以外に婚姻はさせてはいけない」とまで記載しているという解釈、すなわち憲法が同性婚をあえて禁止している態度(②)だと読んでいることになる。 一方で、訴訟を提起した原告側は、憲法の解釈について、いくつかの理由から①の「同性婚の自由は憲法上保護される自由である」と主張することになると考えられる。逆にこれができず、②の禁止や、③の憲法は保障も禁止もしていないという結論であれば、訴訟は敗訴になり、同性婚は立法(もしくは改憲)を待ってくださいということになる。 原告側・同性婚賛成側からすれば、例えば、憲法24条1項は、「男性と男性、女性と女性」という同性の組み合わせであっても、「独立」した個人の「性」が「二つ」の意味で、「両性」と読める。また「夫婦」との表記は、戦前の婚姻では女性が軽視されていたことに対する反省としてあえて記載したにすぎないといった考え方をとることで、憲法24条1項における婚姻は同性間でも「当人ら」の「意思」があれば成立することを保障していると主張することになるだろう。 このような解釈に無理があるとなれば、賛成側は先述のように憲法24条1項は少なくとも同性婚を否定してはいないものとし(③の無関心の態度)、他の憲法上の規定、例えば個人の尊重(13条)や、平等権(14条)に照らし、同性同士のパートナーは、結婚という自由な選択を阻害されているとか、異性同士のパートナーに比べて不平等であるといった主張をすると考えられる。 法律上の主張の内容には、これ以外にも無数の解釈の仕方や解釈の理由が実際にあり得る。今後の判決にも注目したい。発足会見を行ったLGBT自治体議員連盟の世話人5人=2017年7月6日、都庁 しかし、今回裁判所が判断するときには、究極的には現在の日本において「婚姻とは何か」「同性同士のパートナー関係を社会がどう思っているか」または「どう思うべきか」といったことに話が煮詰まっていくものと考えられる。憲法の解釈も時代とともに変わっている。だからこそ今の時代の価値観、結婚観が問われるのだ。仏教国の同姓婚 結婚観や同性婚について、これまでの日本はどうだったのだろうか。 宗教的な関係と、同性婚や同性愛に対する考え方は、かなり関係性があるように考えられる。というのも、主要な宗教と同性婚や同性愛に対する国家の姿勢に一定の関連があるように考えられるからである。 例えば、キリスト教、イスラム教では、一般的に同性愛というものを否定する考えがあるといわれる。実際にイスラム教国では、現在でも同性愛を極刑にしている国がある。 一方で、キリスト教国でいわゆる先進国といわれている国では、同性婚制度かまたは婚姻とは別のパートナー制度が整備されている。キリスト教自体の考え方は同性愛に否定的であっても、結婚という制度が個人の自由のもとになされるという意識が、度重なる議論を超え、こうした同性婚制度などの成立に力を発揮させているものと考えられる。 では、日本も含まれる仏教の影響の強い国においてはどうか。 仏教では一般に、同性同士の性行為が「悪」であるというような考え方はなく、「欲」そのものの持ち方を問題視する考え方があるようだ。「邪淫」という考え方である。 この考えには、男性女性の組み合わせを問わず、「性的な欲に溺れること」が問題であり、別段同性同士の性行為を禁止しない一方で、欲に溺れているならば男女の性行為であっても問題になる。 このためか、仏教国では、同性婚について賛成も反対とも判断していない国が多い。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) こうした背景から考えると、仏教的な考え方が強い地域では、同性愛について賛成も反対もしない、ある意味「無頓着」さがある。実際、日本の多くの方にとって一番近い感覚がこれだと思う。このために、一人一人に答えもなく、社会の中での大きな対立も(少なくとも今までは)ないから深い議論もない。 一方で、婚姻制度について日本は家父長制度を前提とする「家を存続させるため」の制度をとってきた。家父長制度のもとでは婚姻は個人の感情や人生の選択の延長線上にはなく、あくまでも「家」という単位を存続させるための判断によってされるもので、個人の自由で婚姻するということはできない。 今でも結婚しようとしたときに家同士の格を比べる地域や家庭があり、そのことで悩む方から相談を受けることもあるのだから、その影響は根強いと感じる。同姓婚反対派の矛盾 日本では「個人の意思に基づく自由な婚姻」という結婚観は、70年前の日本国憲法によって明確にさせられた、比較的新しい考え方であるといえる。特に年齢によって、その感じ方にかなりのばらつきがあると感じる。 同性婚反対派は「婚姻は個人の意思でする」と言いつつ、「同性婚では子供ができる可能性がない」ことなどを指摘して「自然ではない」から反対だと言う。 しかし、男女の夫婦の場合、子供を産むか産まないか選択ができる。さらに、そもそも男女の場合、生殖年齢を超えた60代になっても自由に結婚できる。こうした自由な結婚制度がある一方で、子供ができるかできないかによって同性婚を認めないのは矛盾であると言える。こうした反対派の発言は明らかに現在の結婚制度と矛盾しているが、依然として撤回される様子はない。 この反対派の矛盾しているように見えるのに撤回されない(自信満々な)主張について、その根底にある考え方を「婚姻は個人の意思でする」から、「婚姻は家の存続のためにする」に変えると非常に分かりやすくなる。同性婚では「家の血のつながりを残す」ことが難しく、「自然」ではないからである。 このように、日本では宗教倫理的には無頓着で話し合いの集積がなく、かつての結婚観はそもそも今の婚姻制度と離れすぎて参考にならない。そうした意味で、過去の日本の事柄は同性婚制度をどう考えるべきかに答えを提供してくれない。 このために、同性婚をどう考えるべきかは、賛成派も反対派も、過去の日本の在り方に答えを探せず、今を生きる私たちが考え、私たちが答えを出すほかないと考えられるのだ。 確かに、欧米諸国をはじめとして、同性婚やそれに類するパートナー制度を用意している国は多いが、それはさまざまな議論を経てのものである。結婚は当事者2人の自由でできるが、解消に関する離婚の制度、結婚後の子供についてなど、諸制度との関わりの中で考えるべきことがあると思う。オーストラリアで行われた同性婚合法化の是非を問う郵便投票で、賛成多数の結果に喜ぶ人々=2017年11月、メルボルン(ゲッティ=共同) 今回の訴訟では、先に見たような宗教倫理的な無頓着と、まだ慣れない「自由意思に基づく婚姻制度」の中で、なかなか煮詰まらず、進まない議論に対し、実際に今の時代を生きて、愛する人と結婚をしたいと願う人たちからの、世の中に対する問いかけであると考えられる。この訴訟は、本当は性的少数者だけのことではなく、この国の「結婚観」や「家族観」を再度問うものであると言えるのではないだろうか。■私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない■「LGBTなんて言葉なくなればいい」元女子高生の僕が伝えたいこと■稲田朋美手記「杉田さん、LGBTを尊重するのが保守の役割です」

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    元宮内庁長官、羽毛田信吾手記「今上陛下に象徴天皇の極致を見た」

    羽毛田信吾(元宮内庁長官) 「平成」から「令和」へ、御代替わりの時を迎える。平成の後半、11年間を天皇陛下のお側近くで勤務した者としては、さまざまな困難を乗り越えてご在位の最後まで誠心誠意を貫き通されたお歩みを思い、感慨ひとしおである。 平成は、世界的にはベルリンの壁の崩壊とともに明けたが、その後の展開は必ずしも協調と平和には向かわず、民族、宗教などの対立が支配する複雑な様相を呈している。 わが国も、少子高齢化が進む中、バブル経済がはじけて「平成不況」に見舞われ、さらに地震、豪雨など大規模な自然災害が多発した時代でもあった。平成もまた平坦(へいたん)ならざる苦難の時代だったと言えよう。この苦難の時代にあって、陛下は象徴としての望ましい在り方を常に自らに問いつつ、務めに身をささげてこられた。また、陛下のお考えの最も良き理解者として一心に支えてこられたのが皇后陛下であった。 陛下がどのような思いと覚悟で務めを果たしてこられたかは、平成28年8月8日のビデオメッセージ「象徴としてのお務めについてのお言葉」に凝縮されているように思う。「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」その模索の中から、象徴天皇の道を、国民の幸せや平和を祈ると同時に、積極的に人々の傍らに身を置き喜び苦しみに心を寄せることにあると思い定め、全身全霊を傾けてその実践に努めてこられたのである。 私が宮内庁在勤中、最も印象深かったことを二つあげるとすれば、一つは、平成23年の東日本大震災における両陛下のなさり様であり、いま一つはサイパンへの慰霊の旅である。いずれについても私は、平成における象徴天皇の道の極致のように思った。山田町役場に到着し、出迎えた人たちに声をかけられる天皇、皇后両陛下=2016年9月、岩手県山田町(代表撮影) 平成23年3月11日に東日本を襲った未曾有(みぞう)の大災害に際して、両陛下は7週間連続して自衛隊機とヘリコプターを乗り継いでのお見舞い行脚を続けられた。避難所で、膝をついて一人一人丁寧に見舞われる姿、がれきの山と化した街並みに黙祷(もくとう)される姿、ヘリコプターから眼下に広がる無残な津波の傷跡を悲痛な面持ちで見入られる姿、実に気の重い随行であった。同時に、人々の身の上を案じられる両陛下と、立ち直ろうという気持ちでそれに応える被災者との心の交流を間近に見る感銘深い随行でもあった。 被災者のお見舞いに限らず、陛下と国民の関係は、一人一人の喜び悲しみに心を通わされ、その積み重ねの先に国民全体がある、そういう有り様ではないかと思う。個を通じて全体を見ると言ったらよいのだろうか。衝撃を受けた陛下のお考え 陛下が心をこめてなさってきたことのもう一つの柱が、平和への願いである。在任中の代表例としてサイパンへの随行を印象深く記憶する。陛下は、戦争の惨禍を繰り返してはならない、平和を守らねばいけないという願いを強く持ち、戦後生まれが80%を占める今、戦争の記憶が風化することへの心配を繰り返し述べておられる。 国の内外を通じて戦争犠牲者に対する慰霊の旅を重ねてこられたが、平成17年、6万人近くが犠牲になったサイパンに赴かれた際には私もお供をした。多くの人が身を投げたバンザイクリフやスーサイドクリフで海に向かって黙祷される姿を拝しながら、これは慰霊の旅であると同時に、激戦の地に身を置くことによって自らの姿で平和の尊さを訴えておられるのだと思った。 在位中では最後となった昨年の全国戦没者追悼式にて、陛下は「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」というくだりを加えられた。昨年は明治維新150年、同時に先の大戦までが73年、4年の大戦をはさんで戦後が同じく73年という節目でもあった。戦前の73年が何度かの戦争を経たのに対し、戦後の73年は戦なき世であった。さらに言えば、平成時代は明治以降、日本が干戈(かんか)を交えなかった唯一の時代として記憶されることになるだろう。戦後そして平成の平和を後の世にもしっかりと引き継いでほしいという、万感の思いをこめたお言葉だったように思う。 私事だが、今、昭和館という展示館の館長として、戦争により、庶民がどう苦しみ悲しみ、どんな生活を強いられたか、戦争の狂気にどう巻き込まれていったかといったことを後世に伝える仕事に携わっている。陛下の戦争と平和に関するお考えを日々思い起こしながら、若い世代にいかに実感を持ってこれを伝えるかに腐心する毎日である。 ご譲位は、突き詰めていえば、全身全霊を傾けてお務めを果たすという象徴天皇の在り方と、ご高齢に伴う体力面などの避けられない制約の二つを前提に、いかに円滑に皇位を引き継いでいくかという命題だと思う。それを考え抜かれての平成28年のお言葉だったのではあるまいか。在任中、最初に陛下のお考えをうかがったときは、正直言って強い衝撃を受けた。しかし、陛下の深い考えを理解するにつれ、これは陛下お一人のことではなく将来の天皇にも通ずる普遍的課題だと思うに至った。 85歳の誕生日を前に、涙で声を詰まらせながら記者会見で話される天皇陛下=2018年12月、皇居・宮殿「石橋の間」(代表撮影) 令和の時代を迎え、改めて将来にわたって国民から敬愛される皇室、国民の心の支えとなる皇室であり続けてほしいと願う。民主主義はともすると「自分さえ良ければ」「自分の国さえ良ければ」という思考に堕する危うさを内包していることを考えると、政治的な思惑や利害を超えて人々のために祈り活動される公平無私な存在が、一層重要に思えるのである。■釜石市長手記「被災地を照らし続けた両陛下のお姿」■語り継がれる「天皇の旅」 批判はあっても膝をつかれた陛下のスタイル■所功手記「新元号『令和』は想定外なれど、感服するほかない」

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    「令和おじさん」菅義偉、そろい始めたポスト安倍の3条件

    川上和久(国際医療福祉大学教授) 「亥(い)年選挙のジンクス」と言われている現象がある。亥年は、春の統一地方選と参院選が12年に1度重なる。統一地方選で地方議員が「選挙疲れ」することで、参院選で地方組織がフル回転せず、自民党が議席を思ったように取れない、というジンクスだ。 過去の亥年選挙は、比例代表制が初めて実施された1983年の参院選では自民党が68議席を獲得しているものの、95年の参院選では46議席、2007年の参院選では37議席と惨敗している。特に、07年は第1次安倍内閣の下で行われ、安倍晋三首相退陣の引き金ともなった。 選挙は歴史であり、その時々の政治事情が色濃く反映する。地方組織がフル回転しないで自民党の議席が伸び悩む、という仮説に対しては、「言い過ぎではないか」との批判も寄せられている。 2019年、統一地方選の前半戦では、41道府県議選で自民党が1158議席を獲得した。過半数に達し、15年の前回選挙の獲得議席を上回った。だが、「大乱の前兆」を感じ取った人も少なくないのではないか。 統一地方選で、本人が意識していたかどうかはともかくとして、「令和(れいわ)効果」を見せつけたのが菅義偉(よしひで)官房長官だ。11道府県知事選で唯一の与野党激突となった北海道知事選。自らの主導で38歳の鈴木直道前夕張市長を担ぎ出し、反発して他の候補を模索した自民党の道議会議員らをねじ伏せた。結果は鈴木氏が約162万票を獲得し、野党統一候補となった石川知裕元衆院議員に60万票以上の大差をつけた。 特筆すべきは投票日前日の4月6日、札幌市で行われた演説会に菅氏が登場した時だ。「あ、令和おじさんだ!」と観衆の大注目を浴び、スマートフォンのシャッターがひっきりなしに切られていたという。 もちろん、官房長官としての在任期間は2012年12月26日に就任してから既に6年半になろうとしており、記者会見でのやりとりがしょっちゅうニュースになる。東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者とのバトルでも、ポーカーフェースで淡々とこなす印象が強かった。2014年8月1日、閣議前の写真撮影で、安倍首相、麻生副総理らが不在のため、首相臨時代理として中央に座り、談笑する菅義偉官房長官(酒巻俊介撮影) しかし、「令和」発表記者会見での笑顔がそれを一気に覆した。ふだん官房長官の記者会見を見る人の数とは次元が違う。官房長官が「令和」を掲げた写真の号外は奪い合いの人気となり、「令和おじさん」の名前が一気に広がった。 4月13日に新宿御苑(ぎょえん)で行われた内閣主催の「桜を見る会」でも、菅官房長官との記念撮影のために並ぶ行列がひときわ目立った。政権支える重鎮の失態 それにひきかえ、この間、菅氏と並び「岸破義信」と言われたポスト安倍と目される自民党の岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長、加藤勝信総務会長は「令和おじさん」の前に、圧倒的に存在感を欠いた。石破氏は「令和には違和感がある」というようなコメントをして、「これだから、『安倍政治ノー』などと言い続けている左派の連中から支持される野党政治家に成り下がったと言われるんだ」と、党内からもさらに顰蹙(ひんしゅく)を買った。 一方、菅氏と安倍政権を支える「三羽ガラス」麻生太郎副総理・財務相、二階俊博幹事長はどうか。麻生氏は、自らの地元、福岡県知事選で、現職の小川洋知事の対抗馬として元厚生労働省官僚の武内和久氏をぶつけ、安倍首相に直談判して自民党の推薦までもぎ取った。小川氏には、8年前に自分が主導して知事にしたにもかかわらず、補選の際に自分が立てた候補を応援してくれなかった意趣返しといわんばかりだ。 あげくの果てに、麻生氏の元秘書で麻生派所属の塚田一郎前国土交通副大臣が地元の道路建設をめぐり、安倍首相と麻生氏に「忖度した」と発言し、同5日に副大臣辞任に追い込まれた。 結果は小川氏が約129万票に対し、武内氏は約35万票とトリプルスコアで惨敗した。これでは、さすがに傲慢(ごうまん)な麻生氏も「自らの不徳の致すところ」と頭を下げざるを得なかった。 二階幹事長は、統一地方選前半で道府議選で自民党候補が過半数を得た。ところが、地元の和歌山県議選の御坊市選挙区で、鉄壁の当選8期を誇った自らの元秘書の現職が共産党新人の元同市議に敗北するというまさかの結果となった。3年前の御坊市長選で、二階氏が現職に対して長男を立てて敗れたこともあり、地元での対立が共産党候補に敗れるという結果になってしまった。 それに追い打ちをかけたのが、二階派の櫻田義孝五輪相の失言による辞任だ。岩手県選出の高橋比奈子衆院議員のパーティーのあいさつで、「復興よりも高橋さんが大事」と口を滑らせ、事実上の更迭となった。 元はといえば、櫻田氏を閣僚に推挙したのは派閥領袖(りょうしゅう)の二階氏だ。安倍首相は「任命責任は私にある」と殊勝に頭を下げたが、櫻田氏を押し込み、かばい立てした挙げ句にしりぬぐいさせられた二階氏への屈託は察するに余りあるものがある。 麻生、二階の両氏が傷つき、他のポスト安倍候補が存在感を示せない中にあって、菅氏が「令和効果」でダントツのポスト安倍候補に躍り出た。2013年10月、衆院予算委員会に臨み、二階俊博委員長(右)に話しかける麻生太郎副総理・財務金融相(酒巻俊介撮影) 産経新聞社とFNNが2019年4月に実施した合同世論調査では、次期首相にふさわしいとして、菅氏が5・8%の支持を集めた。自民党の小泉進次郎厚生労働部会長の25・9%、石破氏の20・7%らに次ぐ4位に浮上した。昨年10月の調査では、菅氏への支持は2・7%で、全体の6位にすぎなかった。しかも、自民党支持層に限ると、菅氏は9・4%の支持を集めている。 そこで思い起こされるのが、長く官房長官を務めて、首相に駆け上がった福田康夫氏の例だ。福田氏は、2000年10月27日から04年5月7日まで、森喜朗内閣、小泉純一郎内閣の二つの内閣にまたがって1289日間官房長官を務め、第1次内閣での安倍首相の退陣に伴って首相となった。官房長官が首相になれる三条件 官房長官は基本的に、首相官邸から離れることがほとんどできない。したがって、外務大臣のように、外交で華々しい脚光を浴びることもないし、幹事長のように、選挙を仕切って党内からその実力を認められることも難しい。最低限、三つの条件がかみ合わないと、たとえ官房長官を長く務めても、首相になるのは至難の業だ。 その三つの条件は「前職が、かなり急な形で首相の座を降りる形になった」「前職の首相の後を継ぐ政治家として、適材がいない」「官房長官としての手腕を認められており、幹事長経験や重要閣僚の経験がなくても、周囲がその手腕で政権を運営することを期待される」というものだ。 菅氏は5月9日から異例の訪米を行う。もちろん、安倍首相の指示による訪米だが、「安倍首相は、自分が万が一のときに備え、米国に『この政治家もよろしく』とサインを送っている」との見立てもある。当然、米国も菅氏が自らの国益に合致する人材かどうかを徹底的にマークし始めるだろう。 ポスト安倍として実績を伴う存在感がある政治家はいないし、菅氏は官僚への抑えも効いている。第2、第3の条件は整っていると見ていいだろう。そこに、「亥年ジンクス」で自民党の参院選大敗、安倍首相の退陣などという事態になれば、野党支持層に人気の高い石破氏などに絶対に政権は渡せない、という思いが安倍首相にはあろう。 菅氏は秋田県湯沢市の出身だ。これまでの歴代首相の中で、東北出身の首相は岩手県に偏っている。原敬(第19代)、斎藤実(第30代)、米内光政(第37代)、鈴木善幸(第70代)と4人の東北出身の首相はいずれも岩手県出身だ。 「秋田県から初の首相を」という期待は地元ではいやがうえにも高まっている。令和への改元効果と統一地方選による実力者の蹉跌(さてつ)で、菅氏の存在感は高まるばかりだ。 だが、当の菅氏は「絶対にない」とポーカーフェースを貫いている。おそらく、安倍首相が首相である限りは安倍首相を支え続ける、というスタンスを貫き続けながら、ここまで支えてくれた菅官房長官なら、自分の政治を引き継いでくれる、と思ってくれるような安倍首相との信頼関係を何より大事にしているのだろう。 天の時、地の利、人の和。「令和おじさん」への大きな流れができつつある。後継首相として解散・総選挙を打っても、「令和おじさん」のプラスのイメージは計り知れないだろう。選挙に強い、となれば、自分が落選したくない議員たちはますます「令和おじさん」に右に倣(なら)えとなる。2018年3月31日、衆院予算委で自らの携帯電話を楽しそうに安倍晋三首相(左)に見せる菅義偉官房長官(春名中撮影) しかし、菅氏は、こういうときこそ拙速を戒め、自らに課せられた使命を淡々と果たしていくしかないと、自らに言い聞かせているのではないか。一歩一歩、邪心なく安倍首相に仕え続けることが、さらに周囲の期待を高めることも織り込みながら、目立たないようにその時を待つ。 「令和」を掲げたとき以来の笑顔を見せるのは「その時」と、心に秘めているのかもしれない。■「節操のない裏切り者」政治家、細野豪志に同情する■「今の記者クラブはバカの集まり」官邸vs望月記者、舛添要一の苦言■「安倍時代の終焉」が現実的とは言えない理由

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    「子供部屋おじさん」61万人はニッポンの恥ずべき現象なのか

    荻野達史(静岡大学教授) 内閣府が3月末に公表した調査によると、40~64歳までの「ひきこもり人口」は61万人を超えるという。このことは多々報道され、既にさまざまな反応が示されているが、われわれはこの調査結果のどこにひとまず注目すべきなのだろうか。ひきこもり支援現場での調査を15年以上続けてきた一研究者として思うところを述べてみたい。 半年以上、身体的な病気というわけではないが、社会的交流からかなり遠ざかっている場合、この調査では「広義のひきこもり」とカウントされた。具体的には、趣味のときだけ出かける、近所のコンビニなどには出かける、さらには自宅・自室からほとんど出ないといった場合である。それに該当する人が47人で、これを全国推計数に計算すると61万人になるというわけだ。 この調査結果が報道されると、男性がほぼ75%ということもあり、ネット上では「子供部屋おじさん」という表現も散見された。こうした言葉が即座に用いられるところにも、私には61万人が意味する問題が現れているように思われる。それについては最後に論じよう。 また、47人について5歳刻みの年齢区分で見てみると、40~44歳(12人、26%)、45~49歳(6人、13%)、50~54歳(7人、15%)、55~59歳(10人、21%)、60~64歳(12人、26%)となっている(内閣府ホームページに掲載された報告書を参照)。 これは定年退職後の問題もあるのではないかと思われる。つまり、もっぱら趣味を楽しんでいるという人(あるいは退職してからすっかり孤立した人?)もある程度いるのではという見方もありえたが、その年齢層が多数派というわけではない。 この調査結果を受けて、根本匠厚生労働相が「大人のひきこもりは新しい社会問題だ」と述べたと報じられている。しかし、支援体制や方法が不十分であるがゆえに「取り残されてきた問題」という側面もあるのではないだろうか。詳細な分析が待たれるところだが、報告書の集計値からもその点は伺われる。私が注目するべきと考えるのはこの点だ。参院本会議で答弁する根本匠厚生労働相=2019年1月(春名中撮影) 例えば、「初めて現在の状態になったのは何歳頃か」という質問に対して、40~44歳の層では、30代までにと答えている人の合計は実に83%(20代までは67%)、45~49歳では50%(20代までは33%)である。 30代ということは、10~15年前の期間である。つまり、ひきこもりに関わる支援政策が開始されて以降の時期と重なるのだ。このことの意味は重い。政策的取り組みが開始されたのは2000年からであり、旧ガイドラインは03年に発表され、地域精神保健の中にひきこもり支援を位置づけることが明記された。ひきこもりの「死角」 そして2006年には就労支援機関として地域若者サポートステーション(以下、サポステ)が設置されはじめ、現在では全国170カ所以上ある。09年には厚労省がひきこもり対策推進事業としてひきこもり地域支援センターを都道府県、政令指定都市に設置を開始し、翌年には新ガイドラインも発表された。 つまり、ひきこもりになった40代がまだまだ「若者」として支援対象となりうる年齢にありながら、支援とつながらなかったか、あるいはつながっても相応の効果が得られないまま今日に至るということになる。 実際、相談経験についても質問されており、47人の中で「相談する意思はもっている」と答えた36人について見ても、その半数以上は「関係機関に相談したことはない」と答えている。40代前半の11人については相談経験有りが7人と60%を超えるのだが、その中で利用されたのは病院・診療所が主であり、その他の支援機関を利用したのは1人のみである。 もとより「ひきこもり」該当者50人足らずの中で、さらに年齢層で分ければごくごく少ないケースとなり、それに依拠して全体の傾向を推測するには無理もある。その限界は踏まえなければならない。 とはいえ、大方は30代までに現在の状態が始まったという40代前半の層で、サポステも含め、ひきこもり支援を掲げて設置されてきた機関や相談窓口が、あまり機能してこなかった可能性を示唆する結果であろう(ただし、利用という点では親など同居者の相談経験にも注目すべきではある)。 私はある支援機関で2001年からいわば定点観測をしてきたことになるが、当初は10年以上ひきこもってようやく支援機関につながったという人はまったく珍しくなかった。しかし、近年では、ひきこもりが始まった後、親が支援機関にアプローチするまでの時間は短くなり、本人が20代までである場合などは、ひきこもっていた期間もせいぜい数年というパターンが多くなっているようだ。そして本人が出てくるのも、その後の展開(さまざまな活動への取り組み)も早くなっている。橋本市「若者サポートステーションきのかわ」開設に向けた打ち合わせをするサポステきのかわのスタッフ=2013年9月、橋本市(成瀬欣央撮影) 特に親自身が30~40代ぐらいであれば、ネットなども使った情報収集能力が高くなっていることも伺え、個人的には、ひきこもり支援についての情報がそれなりに浸透してきたことの効果は生じているとも感じてきた。しかし、それは甘すぎる認識であったと反省せざるを得ない。サポステの設計ミス 調査の40~50歳代について見ると、ひきこもり継続期間が5年以上という人が6割程度にもなる。ひきこもりには、長期化することで、往々にして家族全体が疲弊し、援助を求める力がさらに低下する側面がある。親や兄弟が高齢化すればなおさらだ。支援現場では確かに懸命な取り組みが行われてきたのではあるが、政策的には多くの人を取り残してきてしまったというよりない。この点ついては、どのあたりに問題があるのだろうか。 まず、支援資源について地域格差が非常に大きいことが指摘できよう。ひきこもり地域支援センターは都道府県と政令指定都市のレベルに設置されるものであり、誰でも通える範囲にあるわけではない。 また、相談やカウンセリングだけでなく、家族や本人が継続的に通うことができ、社会的交流を取り戻していく場が、ひきこもり支援には不可欠である。 だが、そうした実質的な受け皿が存在する地域は決して多くない。不登校支援以来の集積がある大都市部や、地方都市ではあるが一定の経験と規模を備え、さまざまな支援メニューをそろえた民間支援団体が存在するようなところは、比較的資源に恵まれた地域といえる。あとは、地域の保健所や社会福祉協議会が極めて積極的になんらかの取り組みを行っている場合でもない限り、支援につながることは物理的にも難しい。 また、支援方法や予算配分のあり方にも見直しが必要であろう。サポステは全国170カ所以上と相対的に多い機関である。2006年から10年ほどは、ひきこもり支援も期待され、彼ら彼女らも含めた就労困難層を受け止めるために、受託団体によっては持ち出しで「居場所」を用意することなども行ってきた。広島市で開かれた「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の全国大会=2018年11月(共同) しかし、特に2015年度以降、短期的に一般就労に結びつきそうな層に対象が限定され、現在ではひきこもりは対象外とされている。当然のことではあるが、あくまでも就労支援が中心課題となる機関である以上、少なくともひきこもり状態にある本人や家族を支援する機能には大きな限界があった。サポステについては、「積み過ぎた箱舟」と表現されたこともあったが、そもそも設計上、「積み残された」層もまた大きかったことが、この度明らかになったということであろう。ひきこもり政策は失敗だった こうした現状について、大阪の支援実践者としても経験の長い田中俊英氏が、「サポステは失敗だった」と題する記事をweb上に発表している(3月30日 ヤフー個人)。サポステが一定の役割を果たしてきたことは認めつつも、まだ就労には踏み出せないと感じた若者たちは、サポステに数回通った後に離脱し、潜在化してしまう。ならば、「日常生活支援」を経験すべき段階にある多くの人々をすくい上げるために、サポステを縮小し、その分の予算を「居場所」の設置や運営に投入すべきであると、明瞭に論じている。卓見である。 ひきこもりとは、本人に出会うことそのものが困難であり、また、その背景が非常に多様で、より時間をかけて当人や家族の困難を把握していく必要性の高い問題である。すぐには変わらない状態においても、家族や本人をつなぎ止め、もろもろの回復や生きる場の探索に、伴走的に支援していくことが求められる。いずれ就労に結びつく場合でも、その前にそれとはまた異なる方法と経験を備えた支援の場や過程が必要だ。単に現行支援機関の利用年齢制限を取り外せば済むというものではない。 以上のように支援政策について、早急に問い直すべきことが、この調査結果から読み取るべき課題であると思われる。しかし、政策のあり方だけが、こうした長期化した中高年のひきこもりを生み出してきたわけではなかろう。冒頭でも触れたが、今回の報道後、中高年のひきこもり者を「子供部屋おじさん」と呼ぶ書き込みがネット上で散見された。 「子供部屋おじさん」という表現は、中立的に解釈すれば、実家から離れることなく自室を使い続けながら暮らしている中年男性ということになろう。そうした「離家」がなされないことについては、一人暮らしがしたくてもできない経済的理由も大きいことが、社会調査の結果として既に明らかにされている。そしてこうした状況にある中年男性が、すべからく「ひきこもり」的生活をしているわけではないことはいうまでもない。 しかし、問題は「子供部屋おじさん」という表現が、決して中立的なものではなく、蔑称であることだ。「いい年をして子供のように実家に寄生する中年男」といった侮蔑(ぶべつ)的な意味が込められていることは、その使われ方をみれば明らかであろう。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ある雑誌記事では、働かず、人を避け、アニメに浸りながら、高齢の親には暴君として振る舞い年金を巻き上げる、そんな事例が「子供部屋おじさん」として紹介されていた。長期のひきこもり者が時にこうした暴君となってしまうケースもあることは、関係専門家や支援者は知るところであり、私もこうした人などいないといった反論をするつもりはない(ただ、もちろんこうした人が多いという根拠もないことは確認しておきたい)。「ひきこもりが許せない」 とはいえ、一定年齢を過ぎても実家で暮らしているという一事をもって、あるいはたとえそうした暴君であれ、なぜそのようになったのか、なぜそのようにしか生きられなかったのか、問うことも想像することもないまま、侮蔑の言葉やまなざしを投げかけるとすれば、それは問題であろう。 調査結果で、就職氷河期世代にあたる40代前半の層では、20代前半にひきこもり始めた人が33%と突出して多い。40代後半では17%、バブル世代といわれる50代前半では0%である。もちろん他の要因も検討されるべきであろうが、社会的な状況や個々人のさまざまな事情が折り重なって、ひきこもりという状態が生み出されることは繰り返し確認すべきところである。 そして、そうした背景や事情をなんら考慮しない「子供部屋おじさん」といった言葉が、当人とその家族をさらに孤立させることは容易に想像できよう。一方的に「恥ずべき存在」として侮られ批判されることが十分に予測できてしまう。そして実際にそうした経験もしやすい社会の中で、自分や自分たちの苦境を明らかにしながら支援を求めることは非常に困難だ。支援に結びつくこともなく、事態が悪化していくことをもたらしたのは、世の中のこうした悪意ある言葉やまなざしも影響してのことではないだろうか。 そうした言葉やまなざしを投げつける人々は、もとより当事者を孤立させることこそ望んでいるようにすら見えてしまう。ひきこもり中年やその家族が支援されることなく、苦境に陥っていくことこそ望んでいるのかもしれない。その暗い期待にもそれなりの背景があるようにも思われる。 私が講義でひきこもり支援の話をした際、「いじめや周囲からの暴言にも耐えてここまできた自分と、逃げて自室にひきこもった人間が、同じようにこの世で生きていけるなど許せない」というコメントを寄せた学生がいた。出口無しの感も否めない。 しかし、この学生が激しい痛みを経験したときに、適当な避難場所があったのであれば、違っていたのではないか。この学生を受け止め、ともにその状況に向き合ってくれる存在がいたのであれば、他者への想像力や公的支援についての見方もまた異なるものになりえたのではないだろうか。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ひきこもり問題に限らず、自分や家族だけではどうにも対応できない状況について、より抵抗なく相談でき必要な支援も受けられる社会を求めるか、一度歯車が狂ったら最後、一人でもがき続けるしかない社会を是とするか。後者のイメージも強い日本社会から、前者の社会への転換は、コンセンサスを形成すること自体、困難ではあろう。当面は、各種問題への局所的取り組みや部分的制度変更を通じて、人々の人生や社会についての体験のされ方が変わっていくことに希望をつなぎたい。■老老介護は「セカンドハネムーン」という考え方■「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!■NHK「老人漂流社会」プロデューサーが見た親子共倒れの現実

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    米朝に「田舎芝居」を打つ文在寅の安倍コンプレックス

    重村智計(東京通信大教授) 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の支持率が41%に下落した。韓国の世論調査は政権に忖度(そんたく)するため、実質的には30%台といわれる。 国民の支持を失った文大統領が、11日に米ワシントンでトランプ大統領との首脳会談に臨む。10日、11日の訪米とはいえ、実質的にわずか1日の訪問で、米国の扱いは冷たい。 韓国で40%台に落ちた支持率を回復した大統領は一人もいない。これ以上の支持率下落を食い止めるため、文大統領が狙ったのが「安倍より先の訪米」だった。 背景には「米韓関係の悪化」「南北関係の悪化」「日韓関係の悪化」「中韓関係の悪化」「第3回米朝首脳会談への対応」「日朝首脳会談の動き」「良好な日米関係に対する牽制(けんせい)」「欧州と東南アジア外交の失敗」と数え上げればきりがない。日米中朝だけでなく、欧州や東南アジア諸国にも自らの失態で見放され、文大統領はまさに「六面楚歌」である。 米韓関係は、懸案だった在韓米軍の駐留経費増額問題で一応は合意したが、トランプ大統領はなお不満を募らせている。米国は、物別れに終わった第2回米朝首脳会談における文大統領の動きに不信感を強めている。首脳会談直前に、ハノイでの南北首脳会談を画策したが拒否され、米韓朝の3国首脳会談も打診したが、全く相手にされなかった。 さらに韓国は、洋上で積み荷を移し替え、石油精製品などを密輸入する北朝鮮の「瀬取り」を黙認した「証拠」を米国から突きつけられ、厳しい取り締まりを求められた。こうした問題に対する弁明の機会をつくることが、米韓首脳会談の理由だ。2018年5月、ホワイトハウスでトランプ米大統領(右)と話す韓国の文在寅大統領(ゲッティ=共同) 米国は、北朝鮮融和策を進める文大統領を「邪魔者」と考えている。それでも、同盟国として北朝鮮への圧力強化に必要なので我慢しているだけだ。米国のマスコミが文大統領を「北朝鮮の手先」と酷評した背景には、ホワイトハウスの意向がある。失敗続きの韓国外交 一方、北朝鮮も第2回米朝会談の決裂後に、崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官が文大統領を「米朝の仲介者ではない」と批判し、韓国に裏切られたとの感情を示した。文大統領は金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に「開城(ケソン)工業団地が再開できる」「朝鮮戦争終戦宣言が出せる」「韓国の支援も可能になる」「資金も送る」「在韓米軍が撤退する」「瀬取りの密輸は黙認する」と、甘い見通しを並べ立てていたから、怒り心頭になるのも無理はない。 韓国の外交は失敗続きだ。日米中朝という北東アジアの関係4カ国に加え、昨秋のアジア欧州会議(ASEM)に伴う欧州訪問や3月の東南アジア歴訪も、文大統領自らの「外交的欠礼」で批判された。もはや各国の信頼を失っている。それでいて、安倍晋三首相が6月までトランプ大統領と3回も首脳会談を行うのは耐えられない。 安倍首相の動きに、文大統領は韓国民から「日本に後れを取った」と批判され、さらに支持率も下がることは確実だ。それを阻止するために考えたのが、安倍首相より先にトランプ大統領に会う「田舎芝居」だ。 これまで、文大統領は「米朝の仲介役」を公言してきた。それが第2回米朝会談の決裂により完全に崩壊した。米朝両国からも信頼されていない事実が明らかにされたのである。 面目を失った文大統領は米国の意向を探り、北朝鮮に伝えようとしている。探りたい問題は「スペインの北朝鮮大使館襲撃は『トランプの意図』なのか」「第3回米朝首脳会談はいつやるのか」だ。この二つの問題をトランプ大統領から聞き出し、金委員長に伝えることで失地を回復しようとしている。 北朝鮮の首都、平壌(ピョンヤン)は今、在スペイン大使館襲撃事件の衝撃に揺れている。盗まれたコンピューターには暗号解読の文書が入っていた。このため、海外公館や工作員に暗号文書を送れない状態にある。さらに、これまでの文書や指示が全て米国に解読されたと考えている。2018年4月、板門店宣言に署名後、共同発表に臨む韓国の文在寅大統領(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(韓国共同写真記者団・共同) この襲撃事件は、単に反北朝鮮団体のハプニングか、米中央情報局(CIA)の仕業か、それともトランプ政権が北朝鮮崩壊を狙ったいわゆる「金正恩斬首作戦」の一環なのか。北朝鮮首脳部は判断に苦しんでいる。 もしトランプ政権による意図的な「作戦」なら、米朝首脳会談を中止して、核とミサイル実験を再開するしかない。だが、実験再開はより強硬な対北朝鮮制裁を招くと苦悩を深めている。文在寅、最大の「心配の種」 平壌の混乱を知らされた文大統領は、「米朝仲介役」である自分の出番と誤解し、トランプ大統領に「スペイン大使館襲撃」の真実を聞き出し、金委員長にその回答を伝えることで、恩義を売ろうとしているわけだ。でも、トランプ大統領は「知らない」と答えるだろう。 また、文大統領は、米朝両国がひそかに第3回の首脳会談の準備や接触をして、「韓国外し」を行っているのではないかと憂慮している。そのために米朝の動きを聞き出そうとしている。 文大統領がもう一つ心配しているのは、日朝首脳会談の動きだ。拉致問題を担当する菅義偉(よしひで)官房長官の5月訪米に、韓国が強い関心を寄せている。 韓国に、日本の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者から「自分たちが日朝首脳会談の準備をしている。菅と接触している」との連絡も来たが、たぶん偽情報だと思われる。平壌からは、高官の間で「米朝がダメなら、日朝首脳会談がある」との意見もある、との動きも入った。「内閣官房参与が近く訪朝する」との情報も東京の韓国大使館から届いた。 韓国は、南北関係より先に日朝関係が前進するのを常に妨害してきた。韓国の大統領が訪朝できないのに、日本の首相に訪朝されてはメンツを失う。このように、「文在寅訪米」の背後では多くの情報工作が展開されているのである。 公安関係者によると、北朝鮮の工作機関につながる組織が平壌に「安倍はいつでも動かせる。われわれの思うままだ。安倍が膝をかがめ、日朝首脳会談をわれわれにお願いしてきた」と連絡している、という。2018年5月、日中韓サミットを前に記念撮影に臨む安倍晋三首相と韓国の文在寅大統領(代表撮影) 平壌では、金委員長が朝鮮総連の情報を信用せず、「総連幹部は、金日成(キム・イルソン)主席と金正日(キム・ジョンイル)総書記にウソの報告ばかりしてきた」と述べている事実が知られている。北朝鮮問題では「百鬼夜行」の工作が展開される。官邸の内外に、北朝鮮工作機関の手先がいるのではないかと、危惧する声も出ている。■ 米朝決裂もアベガー 「日本軽視」韓国より重視すべき隣人■ 「親日清算」も政治ショー? 文在寅はいずれ「歴史の罪人」となる■ 「日本を奴隷扱い」文在寅の外交ゲームを攻略するベスト戦術

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    朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない

    山岡鉄秀(AJCN代表) 2018年、私はケント・ギルバートさんとともに朝日新聞を追及し、その結果を『朝日新聞との対決全記録』という一冊の本にまとめた。 われわれが当初追及したのは、朝日新聞が英語版でひそかに続ける「慰安婦強制連行プロパガンダ」だった。2014年8月、朝日は吉田清治証言に基づく「虚報」を撤回して謝罪した。ところが、iRONNAでも指摘したように、英語版では「強制連行と性奴隷化」を想起させる表現を使い続けていたからだ。(Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II. 第二次世界大戦前と最中、日本兵に性行為を強要された慰安婦) 朝日新聞はわれわれの問いかけに対し、「慰安婦とされた女性の訴えは人によって、あるいは時期や場所、戦況によって大きなばらつきがあり、個々の状況全体を総合して具体的に説明するのは困難です」と回答した。「慰安婦の多様性」を認めながらも、前述の画一的な表現を改めることは拒否したのである。 その後、同様の表現を使用していた英字紙ジャパン・タイムズが編集方針を改め、そのような表現を今後は使用しないと宣言した。しかし、朝日新聞はわれわれとの交信で自己矛盾を露呈しながらも、方針変更についてはかたくなに拒否した。 そんな朝日新聞は、まるでウルトラセブンに追い詰められ、隠密行動を放棄した宇宙人が巨大化して街を破壊するような行為に打って出てきた。いよいよその暴力性を隠す気も無くしたようだ。最新の例を二つ挙げよう。 韓国が慰安婦に関する日韓合意を事実上破棄したことを受けて、朝日新聞は「慰安婦財団、残したものは」という記事を掲載した。これは日韓合意を受けて韓国側が設立した「和解・癒やし財団」の活動を振り返る記事だが、慰安婦に関する説明が添えられている。そこには次のような記述がある。 戦時中、日本軍の関与の下でつくられた慰安所で、朝鮮半島出身の女性が将兵の性の相手を強いられた。(筆者注:強いられた=forced to provide sex)「慰安婦財団、残したものは」2019.01.28 朝日新聞東京本社版朝刊 6ページ われわれの追及の過程で、朝日新聞が虚報を撤回したことを認めた記事を、利用者が特定のウェブページを訪問することを防ぐようにする「メタタグ」などを使用して検索できないようにしていたことが発覚した。朝日新聞は慰安婦問題に関してはもはや逃げ隠れせず、日本語の世界でも「強制性」を事実として流布することを決めたようである。どんなことをしてでも、日本と日本人を貶(おとし)めたい朝日新聞の執念が感じ取れる。朝日新聞東京本社ビル=2018年10月(宮崎瑞穂撮影) しかし、日本語版では無難な記事を書きながら、英語版で徹底的に日本を貶めるという、朝日新聞の作戦は終了していない。先般閣議決定された、いわゆる「アイヌ新法案」をめぐる記事の日本語版と英語版の齟齬(そご)には驚きを禁じ得なかった。日本語と英語「凄まじい違い」 ここで、2019年2月18日に朝日新聞デジタルで配信された日本語記事を紹介する。先住民族の明記評価 自治体「格差」懸念もアイヌ新法案 閣議決定 国のアイヌ政策の基本となるアイヌ新法案が15日、閣議決定された。アイヌ民族を「先住民族」と明記し、差別禁止やアイヌ文化にかかわる特例措置などを盛り込んだ。法案を評価する声が聞かれる一方、自治体により「格差」が生じると心配する声もある。政府は今国会の成立を目指す。 次に英語版を見てみよう。英語表記と和訳を併記する。こちらは一足早く2月6日に配信されている。Bill finally recognizes Ainu as indigenous people of Japan(法案はついにアイヌを日本の先住民だと認める)After more than a century of forced assimilation and discrimination that nearly blotted out their culture, the Ainu are finally to be recognized as indigenous under legislation to be submitted to the ordinary Diet session. (アイヌの文化をほぼ壊滅させた1世紀以上にも及ぶ強制的な同化政策と差別の果てに、ついにアイヌ民族を法的に先住民族と認める法案が通常国会に提出される) このすさまじい違いは何を意味するか。 この表現では、日本政府が今回の「アイヌ新法」でアイヌを先住民と正式に認めることが、「アイヌ侵略史観」まで公式に認めたと受け取られかねない。「そんなつもりはない」と日本政府が言っても、明確に説明(立論)しなければ、自動的にそうなる。これに朝日新聞が食らいつかないはずがない。それが前述の英語記事につながるわけだ。 日本政府は、アイヌを正式に先住民と認め、さらに手厚く支援することで国際社会の心証が良くなることを期待しているのだろうか。ひょっとしたら、人気漫画『ゴールデンカムイ』のイメージを利用して観光資源になることまで考えているのかもしれない。 2018年12月末、いつの間にか「アイヌ担当大臣」という新たなポストが設置され、公明党の石井啓一国土交通相が指名されたことを知らない人も多いだろう。そして2020年4月には北海道白老町の8600平方メートルの敷地に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園がオープンする予定だ。このように、東京五輪に合わせて海外向けの情報発信が急ピッチで進んでいることもあまり知られていない。2018年12月、北海道庁赤れんが庁舎の外壁に浮かび上がる、アイヌ文化を紹介する「プロジェクションマッピング」 日本政府は、この政策によって「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」「徴用工」などに続いて、「アイヌ侵略」が日本政府公認の歴史的犯罪として世界に拡散される危険性を理解していない。慰安婦に関する日韓合意によって、「慰安婦性奴隷説」は世界で定着した。今後、前述の朝日のような「日本人の犯罪としてのアイヌ侵略」を強調する英語記事が世界中にますますあふれてしまえば、日本人は永遠に税金を使って償い続けることを余儀なくされるだろう。 政府は慰安婦問題で、あれほど日本の名誉を貶められ、国益を損ねながら、またもや進んで情報戦の餌食になってしまった。ここぞとばかり牙をむく朝日新聞の高笑いが聞こえてきそうである。■「慰安婦は誰が強制したのか」曖昧な英文記事、朝日のヘリクツ■慰安婦を「ゲスな演出」でアピールする韓国に反論してもムダである■慰安婦問題で韓国に「無条件降伏」し続ける外務省のホームページ

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    金正恩「クーデター失脚」発言はなぜ黙殺されたか

    重村智計(東京通信大教授) ベトナムの首都、ハノイで行われた第2回米朝首脳会談(2月27、28日)は、なぜ決裂したのか。その謎を解くカギが明らかになった。実は会談後に、米情報機関が次のような情報を入手していたのである。 「北朝鮮軍は核とミサイル実験の中止、非核化に反対している。北朝鮮の指導者は軍をコントロールできていない。クーデターの可能性がある」 3月15日、この情報を北朝鮮の外務次官が公式に認めた。各国の情報関係者に衝撃が走り、「金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と軍部は緊張関係にある」との分析が広がった。 問題の発言は、15日に行われた北朝鮮の崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官の記者会見で明らかにされた。この記者会見は、米AP通信が「米朝非核化交渉中断」「近く指導者が重大声明」などの見出しで世界に報じたが、取材記者や専門家に見過ごされた「重大発言」があった。 崔次官は首都、平壌(ピョンヤン)での会見で、次のように述べていた。ちなみに、北朝鮮の外務次官は数人おり、崔氏は筆頭次官ではない。 「人民と軍、軍需工業の当局者数千人が決して核開発を放棄しないように、との請願を金正恩委員長に送った。それにもかかわらず、金正恩委員長は米朝首脳が合意した約束に互いに取り組み、信頼を築き、(非核化を)一歩一歩、段階的に推進するつもりだった」(AP通信) ここで言う「人民」とは、核開発に携わる科学者などの軍事関係者を意味する。「軍需工業」は、党の軍需工業部を中心とした組織を指し、ミサイルや核兵器を製造している。これらの人々が個別に請願書を送ったか、連名で伝えたかは明らかにされていないが、恐らく「連名」での請願書であろう。2019年3月15日、平壌で記者会見する北朝鮮の崔善姫外務次官(中央)(AP=共同) 崔次官の発言は、独自で勝手に行ったものではない。あくまでも金委員長の指示で行われたこの声明は、北朝鮮の現状と金委員長を取り巻く平壌の空気を、かなり正直にかつ雄弁に物語っている。平壌で広がる「会談決裂」 指導者と軍の「緊張関係」が、ここまで明らかにされたのは初めてだ。軍に関する情報は常に秘匿されてきたからだ。 北朝鮮を知る専門家の中には、数千人の軍関係者が指導者に「非核化反対」の意思を表明した事実に疑問を感じ、この発言を「黙殺」したようだ。反対する軍幹部を次々処刑した独裁者に、軍人が「反対」を表明できるはずがない、と受け止めたのかもしれない。 だが、「数千人の軍人の請願」はまず事実であるという。昨年、韓国に亡命した脱北軍人たちは「軍が非核化に反対し、金正恩を批判している」と証言していた。平壌でもそうした噂が流れていた。 それに、公式声明で「数千人が請願」と記録しておきながら、後で嘘だと分かると、指導者の信頼は失われる。だから、各国の情報関係者は嘘ではないと判断したのである。 崔次官の声明は外国人に向けられたもので、国内では報道されていない。しかし、既に平壌では噂が広がっているという。最近では、こうした情報が中国から携帯電話を通じ、瞬時に平壌に広がる。 北朝鮮の報道機関は「米朝首脳会談成功」を大々的に報じたにもかかわらず、「会談決裂」の噂が平壌で広がっているという。しかも、話に尾ひれがついて、「ハノイから帰国の列車内は、お通夜のようだった」との流言まで飛び交っているらしい。2019年3月5日、平壌駅で出迎えを受ける北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(朝鮮中央通信=共同)金正恩氏が帰国 北朝鮮は公式には、指導者が軍を掌握し、軍も完全に従っている、と説明してきた。また、軍の反乱やクーデター計画の報道もはっきり否定してきた。 それなのに、なぜこのタイミングで「非核化反対請願」を明らかにしたのか。軍が指導者の決断に反対を表明すれば、やがてはクーデターにも発展しかねない。 崔次官の記者会見は、民主主義国で行われる普通の会見ではない。一方的な「声明発表」であり、参加者の質問を受け付けなかった。それに、平壌駐在の外交官や報道機関は北朝鮮側の要請で集められている。つまり、どうしてもこの時期に声明を発表する必要に迫られたということが分かる。会談5日前の襲撃事件 ところが、「会見」は最悪のタイミングで行われた。中国は、全国人民代表大会(全人代=国会)の最終日であり、当日は李克強首相の会見が予定されていた。当然、中国は「北は失礼だ」と怒る。また、米ワシントンでは、議会がトランプ大統領の緊急事態宣言を否決した直後だった。 結局、米国も中国も大きな関心を示すことはなかった。韓国の報道機関でさえ「軍関係者数千人の請願」を全く伝えなかったのである。 実は、金委員長は昨年、シンガポールでの米朝首脳会談の冒頭で「ここまで来るのは大変だった、多くの困難や妨害を克服した」と述べていた。当時から、軍部の強い反対に直面していたわけだ。 さらに「軍の反対を抑えながら非核化を進めるには、段階的な交渉と解決しかない」と、金委員長は第1回首脳会談で繰り返し強調していたという。トランプ大統領も一時は「非核化は時間をかけてもいい」と発言し、北朝鮮の指導者の立場を理解する様子も見せていた。それなのに、第2回首脳会談でトランプ大統領が突然態度を変えた、というのが北朝鮮の「責任回避」の理屈のようだ。 この記者会見に関連して、各国の情報機関が注目する事件があった。米朝首脳会談5日前の2月22日、スペインの北朝鮮大使館が何者かに襲撃され、コンピューターや携帯電話が持ち去られた事件である。 ところが、北朝鮮大使館は被害届を出さず、スペイン警察の捜査は進んでない。不思議なことに、北朝鮮政府も公式の抗議声明を今も出していない。2019年2月、ソフィテル・レジェンド・メトロポール・ハノイでの夕食会で談笑する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(左)とトランプ米大統領(ホワイトハウス提供・ゲッティ=共同) このため、盗まれたコンピューターや携帯電話の中に、核開発に関する秘密情報があったのではないか、との推測が広がっている。この秘密情報に怒ったポンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官が、これまでの方針を変更し「全面的な核放棄が、制裁解除の条件」と強硬策に転じたのではないかというのだ。 米国との交渉を担当した国務委員会の金革哲(キム・ヒョクチョル)対米特別代表が、ハノイ首脳会談前までスペイン大使を務めていたこともあり、さらなる謎を呼んでいる。■ 米朝決裂もアベガー 「日本軽視」韓国より重視すべき隣人■ 米朝再会談、非核化の先にある金正恩独裁「崩壊へのカウントダウン」■ 金正恩が「完全な非核化」に初めて言及した意味

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    自衛隊「萌えキャラ」ポスター、セクハラ批判の偏見こそ異常である

    藤本貴之(東洋大学教授) 自衛隊滋賀地方協力本部が人気アニメ『ストライクウィッチーズ』のキャクラターを起用して制作した自衛官募集ポスターに対し、「セクハラである」「児童ポルノである」として批判が起きた。3月1日には、同本部は掲示していた全てのポスターを撤去し、ホームページからも削除されている。 今回の騒動は「セクハラが指摘される萌えキャラ(アニメ絵)を利用した自衛隊は不謹慎」という流れで収束しつつある。しかし、その批判には偏見と先入観に基づいた「不謹慎狩り」や、「自衛隊=不謹慎」という印象操作のためのミスリードともとれる動きも散見され、本質から大きくズレた展開となっている。 本稿では今回の騒動を整理しつつ、「自衛隊ポスター=セクハラ」批判が持つ問題点について考えたい。 自衛隊に限らず、税金を使った公的な組織の広報でアニメとのコラボや「いわゆる萌えキャラ」を使うことに対する批判的な論調は少なくない。公的な組織の広報にはアニメや漫画のようなものではなく、より真面目な印象の素材を利用すべき、という発想だ。 この背景にあるのは、萌えキャラ的な素材を使うことで受ける「軽さ」である。「何がマジメか」という議論はさておき、萌え絵やアニメ・漫画を用いることで、親近感とともに「軽さ」は必ず発生する。そしてこの「軽さ」には、暗に「不謹慎」というメッセージも含まれているだろう。 一方で、若者への訴求力から、公的な組織の広報にもアニメや漫画といった身近なポップカルチャーが利用されることも近年では一般化している。もちろん、それらは通常の広報手法の範囲内であると考えられ、今回のように大きな批判の対象となるようなことはまれである。 何よりも、今日の若者層にとって、アニメ調の萌えキャラは極めて身近で、強いアイキャッチを持つ。実際、若者向けのサービスや商材に描かれるキャラクターで萌えキャラになっているものは分野を問わず多い。 例えば、文学作品(古典や文豪の作品でさえ)の文庫本などは、以前であれば、古めかしい和柄や幾何学文様などで装丁されたものが多かったが、今日ではカバーの多くにアニメ調の絵や萌え絵が採用されている。教科書や参考書、宗教関連の書籍でさえ、萌えキャラが積極的に利用されているのが現実だ。鮮やかな表紙が目を引く「新潮文庫nex」。シリーズ名には、漫画やライトノベルの読者が「次」に手に取る小説、といった意味が込められているという=2014年9月1日 その傾向は企業や公的な組織に限ったことではない。例えば、日本共産党が人気アニメ『アンパンマン』や原作者、やなせたかし氏を広報に利用してきたことは有名である。これも組織広報のマーケティングとしては正しい。共産党のどんなメッセージよりも『アンパンマン』の訴求力の方が強いことは明らかであるからだ。 他にも、2017年に『文豪とアルケミスト』という芥川龍之介や太宰治、夏目漱石といった日本の文豪たちを美少年キャラとして描いている人気ゲームを、日本共産党が広報利用して批判されたことは記憶に新しい。 日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が、ゲームに登場する「美少年」のプロレタリア作家、小林多喜二の特集を組み、ゲーム人気と党への理解を重ね合わせてミスリードする手法が、ゲームファンたちから「ゲームを政治利用するな」と批判された、あの騒動である。自衛隊=不謹慎との印象操作 ゲームファンたちの想いはさまざまにあるとは思うが、組織の広報としては、人気ゲームに関係者が採用されていれば、政治利用でもビジネス利用でもするのが賢明な判断である。日本共産党も若手党員の確保は最重要課題であろうから、少しでも若者層にコミットできるチャンスがあれば、批判を覚悟してでも、それを最大限に利用するのは当然のことだ。 そういった事例からみても、自衛隊が若手人材の確保のために人気アニメを起用した広報をすることは、費用対効果や訴求力を考えれば妥当であり、その営業努力に敬服こそすれ、なんら批判すべき対象にはなり得ない。誰にも読まれることなく公民館などに山積みされている「ありふれた広報誌」より、はるかに税金の有効活用だろう。まずはこの前提に立つことが重要だ。 さて、今回の騒動で最大のポイントと言えば、自衛官募集ポスターに描かれたキャラクターのミニスカート姿が、見方によっては「下着が見える」という批判である。これが「セクハラだ」「児童ポルノだ」と接続されて炎上が広がった。「アニメでの設定は下着ではなくズボン」という同本部の説明に対しても、まだ批判が鳴り止まない状況だ。 例えば、大阪大の牟田和恵教授(ジェンダー論)は「自衛隊が性的なメッセージを含んだ幼い女の子を使っているのが問題(中略)女性自衛官も募集しているはずだが、誰に向けてメッセージを発しているのか」(京都新聞)と指摘した。 しかし、一見まっとうに思えるこういった指摘も、その実態は萌え文化への偏見を踏み台にしつつ、「自衛隊=不謹慎」という印象操作のために単なるミスリードを展開しているにすぎないように感じる。 設定を超越した「下着に見える、ズボンには見えない、性的だ」などは個人の主観に過ぎず、批判の争点には決してならないからだ。 コンテンツがどう見えるか、という「見え方の問題」と、作り手がどういう設定で作ったか、という「設定の問題」の関係性においては、設定の側にしか正解はない。もちろん、コンテンツによっては「見え方」と「設定」の解釈論争としての議論はあるだろう。しかし、今回のようなセクハラ問題に置換されるような議論ではない。 例えば、宮崎駿監督のアニメ『風の谷のナウシカ』は「世界自然保護基金(WWF)推薦」「文化庁優秀映画製作奨励賞」なども受賞した老若男女に愛される名作だ。しかし、一部で「ナウシカの描写は性をイメージさせる」と指摘されたことがある。スタジオジブリのアニメ映画監督・宮崎駿さん(漫画家、アニメーター)=2016年11月13日、京都市中京区(寺口純平撮影) 具体的には主人公の少女、ナウシカがメーヴェ(小型飛行機)に乗って空を滑空するシーンでスカートの中が頻繁に見える。タイツを履いている設定ではあるが、それが「下着をつけていないように見える」ということが物議を醸したのである。 この時は「タイツを履いている設定であり、うがった見方をする方がおかしい」というまっとうな反論によって笑い話として収束した。しかし、「下着を履いていないように見える」という指摘も事実ではあった。いずれにせよ、それに対する「タイツを履いている=裸ではない」という根拠も、制作上の設定に過ぎないのである。無理解を通り越した冒涜 今回の自衛隊ポスターの「下着か、ズボンか」という議論も、『風の谷のナウシカ』の「裸か、タイツか」の議論と本質的には同じであろう。にもかかわらず、ナウシカが「当然、タイツ」であり、一方で自衛隊ポスターが「下着に見える」として批判されてしまう違いはどこにあるのか。偏見と先入観であるとすれば、制作母体によって扱いが変わるダブルスタンダードであり、不謹慎狩りの亜流でしかない。 それがもし、自衛隊批判を盛り上げるための「自衛隊=不謹慎」という印象操作のためのミスリードであるとすれば、ポップカルチャーを踏み台にしたイデオロギー論争に他ならず、日本を代表するポップカルチャーである萌えキャラ文化への無理解を通り越した「冒瀆(ぼうとく)」でもある。言うまでもないが、自衛隊以外にも、美少年・美少女アニメや萌えキャラを利用した広報などはいくらでもある。(コンテンツの扱われ方については、拙著『パクリの技法』もご参考ください) 牟田氏らに象徴される前述の指摘は、現状の若者文化への乏しい理解と、絶えて久しいステレオタイプなオタクイメージの中で、「萌えキャラ=美少女キャラ=性的イメージ」をつなげている。これは、日本のポップカルチャーを貶める非常に危険な理解と感性だ。「美人は性格が悪い」という偏見と何ら変わらない。 実際の自衛隊ポスターを見る限り、描かれているのは、よくある、どこにでもある「萌えキャラ」でしかない。むしろ、近年の流行を踏まえれば清楚(せいそ)で地味なくらいだ。少なくとも筆者にはポスターから「性的なメッセージを含んだ幼い女の子」が強調された印象を感じることはできない。 そもそもアニメ調の萌えキャラを好むのは男性だけではない。若い女性層も男性以上に好み、消費している。同人活動などの現場で萌えキャラ文化をけん引しているのは、女性作家や女性ファンたちである。萌えキャラの受容対象として20世紀末型のステレオタイプな「オタク像」を一般化させた認識は偏見でしかないのだ。 むろん「自衛隊のような組織は、若者に迎合したポップなデザインは利用せず、地味でも堅い印象のものを起用すべき」という主張はあり得るし、そこから撤去やデザイン変更の議論が起きることもあるだろう。そういった議論が起きることには筆者も異論はない。※写真はイメージです(GettyImages) しかしながら、自衛隊が広報に起用したアニメキャラクターの中に、設定外の「下着」を見つけ出し、「セクハラである」「児童ポルノである」という批判を展開し、撤去にまで至らしめる今回のケースはそれと大きく異なる。表現の是非、ワイセツか否か、といったものとは違う次元からのアプローチであり、これはコトの本質や論点を大きくゆがませる。 もちろん、自衛隊に限らず、税金を利用している以上、度を過ぎた表現は許されない。しかし、今回のケースが、ポスター撤去にまで至らしめるまでの「度を過ぎた表現」なのか、についても改めて考えてみてほしい。

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    「24時間はもう限界」ブラック就労、店主の叫びはセブンに届くか

    木下徹郎(弁護士) 2月からフランチャイズ契約に反して24時間営業を止めたコンビニ最大手、セブン-イレブン・ジャパンフランチャイズ加盟者の松本実敏(みとし)さんは、19時間営業となった今も1日13時間、大阪府東大阪市内の店舗で働いている。24時間営業をしていたときは1日16時間も就労していたという。 筆者は中央労働委員会で、コンビニフランチャイズ加盟者を組織した労働組合が、労働組合法の適用を受けるかが争われている事件の組合側代理人として、複数の加盟者の就労実態に触れてきた。その経験から、松本さんが店舗運営上置かれている状況は、彼特有のものではなく、決して珍しくないものであると言える。またセブン-イレブンのみの問題でもなく、他のコンビニフランチャイズの加盟者に共通する問題である。 なぜ松本さんのような就労実態が加盟者の間で多くみられるのか。全国の松本さんたちのような店舗の「運営の仕方」に問題があるせいなのか。確かに複数店舗を運営し、発注、接客、商品の検品、陳列、清掃等店舗実務はスタッフに任せ、自身はこれらに直接は携わらないという加盟者もいる。しかしその数は加盟者全体で見れば少ない。店舗運営の巧拙だけでは片付けられないフランチャイズシステムの構造的な問題に大きな原因があると考える。 コンビニフランチャイズでは、フランチャイザーがコンビニシステムを提供し、加盟者は店舗の粗利益の一定割合をその対価(ロイヤルティー)として支払う。その割合は、フランチャイズの契約タイプによって異なるが、店舗の土地建物や什器(じゅうき)を所有しない加盟者だと、相当高いものである。 他方で、加盟者はロイヤルティーを支払った残りから、人件費をはじめとする店舗運営にかかる営業費用を捻出し、残ったものが自身の収入となる。多くの場合、この収入は加盟者とその家族の生活を支える糧となる。セブンーイレブンのスタッフ(佐久間修志撮影) 営業費用がかさみ、その結果収入が足りない状況に陥った場合、加盟者はその生活を支えることができない。他方、自身やその配偶者が店舗実務にあたることで人件費が抑えられ、結果自身の収入につなげることができる。多くの加盟者が松本さんのように相当長時間店舗で就労をするのは、自身の収入、そして多くの場合生活の糧を確保するためであると考えられる。 加盟者の収入を決める要素は複数ある。店舗の売り上げ、人件費をはじめとする営業費用、商品の廃棄量、ロイヤルティーの割合などである。店舗によって売り上げや営業費用はそれぞれ異なるが、多くの加盟者が松本さんのように店舗運営のために長時間就労していることからすると、そのフランチャイズシステム上の大きな構造的要因は、加盟者間に共通する要素であるロイヤルティーの割合に求められる。24時間営業の悪循環 そして今、一つの構造的な原因が、話題になっている24時間営業である。24時間営業するためには深夜も開店していなければならないが、その分スタッフの深夜割増賃金をはじめとする固定費が加盟者に重くのしかかる。他方深夜帯の日中に比べた売り上げは限定的である。 加盟者にとっては収入につながりにくい一方、専ら自分で負担しなければならない営業費用がかさみ、収入を浸食する。収入と生活の糧を確保するために、深夜帯にシフトに入り、就労する加盟者は多い。いわゆる「ワンオペ」で接客、清掃、商品の検品・陳列を行う加盟者もいる。 これに加えて、近時は人手不足により加盟者がスタッフを確保できず、この穴を埋めるために就労しなければならないようになっているという指摘もある。人手不足の原因も複数あるが、上記の構造的問題と無関係ではない。フランチャイズ契約上、人件費を一手に負担することとなっており、その多寡が自らの収入、そして多くの場合生活の糧に響いてくるような加盟者は、最低賃金またはそれに近い水準でしかスタッフを雇用することができない場合が多い。加えて、社会保険が完備されていない店舗もある。これでは人は集まりにくい。そしてこれが加盟者の就労時間の伸長に拍車をかける。 24時間いつでも開いており、欲しいものが欲しいときに手軽に手に入るコンビニの利便性は疑いようもなく、また地域の安全への貢献も指摘されるところである。しかし、このようないわゆる「社会インフラ」としての価値の代償を、加盟者が不相応に払わされているというべきケースが残念ながら、無視することのできない数の店舗で存在する。これを放置したままではいけない。政府が働き方改革を進め、長時間労働を是正することが政策として掲げられている今日ではなおさらである。 松本さんの問題が広く知られるようになったのと時を同じくして、セブン-イレブンは、直営店舗と加盟店舗とで、時短営業を試行することを発表した。これが全国の松本さんと同じような加盟者の問題を解決する糸口になることを願う。しかしながら、同社は24時間営業の方針を変更したものではないという。セブンーイレブンの店舗(竹村明 撮影) また、長時間就労をもたらす構造的な問題は24時間営業にのみ存在するものではなく、先に述べたようにロイヤルティーの構造やそれがフランチャイザーにより一方的に決められるところにもある。これを機に、24時間営業の是非のみならず、その他の問題になり得る点を洗い出し、コンビニフランチャイズシステム全体の検討がされるべきである。 そしてその検討を充実させ、真に問題に対処できる答えを導くためには、フランチャイザー主導によるトップダウンの検討ではなく、全国に2万以上あるという店舗の加盟者、スタッフ、利用者など各関係者による対話が必要不可欠であろう。セブン-イレブンは松本さんと今後もしっかり話し合うことを表明しているが、より広く対象を広げ、しっかりと話し合う姿勢を取ることを切に期待したい。

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    トランプにノーベル平和賞、安倍首相は「世界の笑い者」と言えるか

    川上和久(国際医療福祉大学教授) 毎年、10月になると「ノーベル賞の季節」がやってくる。ノーベル賞は、言うまでもなく、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的に権威ある賞だ。 テレビの視聴率が安定して取れる話題なのだろうか。「今年は日本人のノーベル賞受賞があるのか?」という話題は、今や「年中行事」化していると言っていいだろう。 特に、近年は日本人のノーベル賞受賞が続いている。2014年からの5年間だけでも、14年の赤崎勇、天野浩(物理学賞)、15年は梶田隆章(物理学賞)、大村智(医学・生理学賞)、16年は大隅良典(医学・生理学賞)、そして18年の本庶佑(医学・生理学賞)と6人の受賞者を出している。 日本人は物理学と化学、医学・生理学の三つの自然科学分野で多数の受賞者を輩出してきたが、ノーベル賞には他に三つの分野がある。1968年に川端康成、94年に大江健三郎が受賞した文学賞と、74年に佐藤栄作が受賞した平和賞、それに経済学賞だ。 自然科学や文学と比較して、平和賞はいかにも異質に映る。実は、平和賞はノーベルがスウェーデンとノルウェー両国の平和友好を祈念して、ノルウェーで授与を行うことにしたため、授与主体がノルウェー政府になっており、その点でも他の分野と異なる。オスロでのノーベル平和賞授賞式で演説するナディア・ムラド氏。「イスラム国」(IS)の性暴力を告発し、2018年の平和賞を受賞した(AP=共同) ちなみに、いまだ日本人受賞者がいない経済学賞は、正式名称を「アルフレド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞」といい、スウェーデンの中央銀行が1969年に始めたものだ。ノーベルの遺言に基づく五つの賞とは明らかに成り立ちが異なる。 そのノーベルの遺言で、平和賞は「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与することになっている。トランプ氏の「対抗心」 国別で見ると、最も多く受賞しているのは、やはり米国だ。日露戦争の際、ポーツマス講和会議を開催して日露の講和を仲介したセオドア・ルーズベルトが1906年に受賞、国際連盟創設に貢献したウッドロウ・ウィルソンも1919年に受賞している。 そのほか、米国の大統領としては、2002年にカーター元大統領も受賞している。カーター氏の受賞理由は「数十年間にわたり、国際紛争の平和的解決への努力を続け、民主主義と人権を拡大させたとともに、経済・社会開発にも尽力した」とある。 だが、1994年に北朝鮮の核開発で米朝関係が緊張した際、特使として北朝鮮入りしたことを忘れてはならない。会談した金日成(キム・イルソン)主席が、国際原子力機関(IAEA)査察官の駐在継続に同意し、米朝協議が続いている間、使用済み燃料の再処理を凍結すると約束した。 要するに、カーター氏は国連安全保障理事会による北朝鮮への制裁回避に動いたのである。言い換えれば、「北の核開発を結果的に止められなかった元大統領」なのである。 このとき、きちんと北朝鮮への制裁を実行していれば、北朝鮮の核ミサイル開発は今日のような深刻な事態にはならなかったろう。この一事をもってしても、平和賞の選考には毀誉褒貶(きよほうへん)がつきまとう。 これまでノーベル平和賞を受賞した米国大統領は4人いる。最後の一人が2009年に受賞したオバマ前大統領だ。「国際的な外交を強化し、市民の間の協力を高めることに、特別な努力を傾けた」というのが受賞理由であり、その年の4月にチェコ共和国の首都、プラハで「核なき世界」に向けた呼び掛け、「プラハ演説」を行ったことも評価された。そんなオバマ氏へのトランプ大統領の対抗心は、並々ならぬものがある。米国のオバマ前大統領のポスターを掲げる支持者(ゲッティイメージズ) 「カーターなんて、北朝鮮の核開発を助長した張本人じゃないか、オバマだって、オレ以上の『言うだけ王子』だ。オレは、実際に金正恩(キム・ジョンウン、朝鮮労働党委員長)とサシで会談して、核開発を止めさせているし、ミサイルだって発射させてない。行動を伴っているのだ。ノーベル平和賞くらい、オバマにやるくらいなら、オレだってもらったっていいだろう」。邪推かもしれないが、トランプ氏の思いを勝手に推察してみれば、これぐらいは考えているのかもしれない。 韓国の金大中(キム・デジュン)元大統領も、2000年の南北首脳会談で北朝鮮に甘い顔を見せただけで、ノーベル平和賞を受賞した。パフォーマンスとロビー活動での受賞と揶揄(やゆ)されたが、「実質を伴わなくてもパフォーマンスで受賞できる」というノーベル平和賞は、パフォーマンス好きのトランプ氏にはふさわしい、と見るべきか。実害のない「手土産」 しかし、わが国にとっては、北朝鮮がいまだに核・ミサイル開発を中止せず、拉致問題も解決していない現状、韓国があからさまな親北・反日姿勢を強めている状況の中にある。米朝首脳会談という「パフォーマンス」だけで終わられては、日本国民にとってはたまったものではない。 安倍晋三首相がトランプ氏をノーベル平和賞に推薦したかどうかは定かではない。それでも、トランプ氏が国連安保理による北朝鮮に対する制裁をきっちりと継続させ、韓国による「制裁逃れ」への加担を許さないよう強い姿勢で臨んだ場合はどうだろうか。そして、最後のトドメとして米朝首脳会談で、透明性がある形で実効ある核ミサイル開発の断念が保証され、拉致問題が解決に向かえば、「トランプ氏のノーベル平和賞の価値も認めよう」というのが日本国民としての切なる思いだろう。 今回はたまたま、トランプ氏が「安倍首相からノーベル平和賞に推薦された」と暴露し、想定外のパフォーマンスとなってしまった。それでも、反日政策に凝り固まった韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領や、わが国固有の領土である北方領土の返還交渉に後ろ向きの姿勢を鮮明にしているロシアのプーチン大統領だったら「推薦に値しない人物」という激しい反発が湧き起こっただろう。 中距離核戦力(INF)全廃条約からの脱退を表明するなど、米朝会談以外の政治姿勢は、ノーベルの遺言から考えれば、平和賞にほど遠い。もし本当に推薦したとするならば、今のノーベル平和賞の価値から考えると、安倍首相にとっては実害のない「手土産」くらいの感覚だったのだろうか。 実は、安倍首相の祖父である岸信介元首相も、1960年に日米安保条約を締結したことの評価だろうか、ノーベル平和賞に推薦されたことがある。「かつて祖父が推薦された」という意味で、推薦のハードルも下がったのかもしれない。 朝日新聞が社説で「外交辞令では済まされぬ、露骨なお追従」と批判しようとも、野党が「(推薦が)世界の笑い者」とバカにしても、北朝鮮が核ミサイル開発を断念し、拉致問題を解決すれば、「こういう結果を見越して私は推薦した」と胸を張って言うだろう。また、相変わらず北朝鮮が核ミサイル開発を続け、拉致問題が解決せずに、米朝首脳会談がパフォーマンスに終われば、ダンマリを決め込めばいいだけの話である。2018年4月、米フロリダ州パームビーチでの首脳会談前にトランプ米大統領の出迎えを受ける安倍首相(共同) 「政治は結果責任」とは言うものの、「推薦」という結果責任を問われない行為は、内外に課題が山積している安倍首相にとっては、些末(さまつ)な出来事かもしれない。しかし、内外の課題に対応し、トランプ氏へのノーベル平和賞推薦が些末な出来事だと国民から評価されるような政治に邁進(まいしん)できるのか。 郷里の長州藩士、桂太郎を超える憲政史上最長の通算首相在任日数のカウントダウンが始まり、来年の東京五輪・パラリンピックも控える中、最大の「落とし穴」は7月に予定されている参議院選挙だ。今回の推薦は、トランプ氏のパフォーマンスが自らの支持率に響かないように、と水面下で行っていた可能性が高い。安倍首相にとってはバラされたくなかった事実かもしれないが、それでも野党やマスコミの批判など「痛くもかゆくもない」と高をくくっているに違いない。(一部敬称略)■ 安倍三選に支配された自民党の空気が「悪しき記憶」と重なる■ 「反トランプ」のうねりはなぜ起こらなかったのか■ 政治利用される「ノーベル平和賞」 憲法9条は道具に過ぎない

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    竹島の日「ほとほと嫌になった」日本人の韓国疲れ、原因はこれだった

    重村智計(東京通信大教授) 2019年3月1日、韓国は日本統治からの独立を目指した「3・1独立運動」から100年目を迎える。その直前の2月27、28日には、2回目の米朝首脳会談がベトナムのハノイで開かれる。 その場で、両首脳ともに会談成功を世界にアピールすることは間違いない。韓国では、米朝首脳会談と南北首脳会談への期待から、「3・1独立運動」記念の反日式典は盛り上がらないだろう。 そのような中で、今後の朝鮮半島情勢はどうなるのか、島根の報道関係者が私のもとに取材に来た。最近の日韓関係の悪化や自衛隊機へのレーダー照射問題、米朝首脳会談の行方、拉致問題など、一連の朝鮮半島問題について聞かれた。特に気になったのは、やや奥歯に物が挟まったような口調で「『竹島の日』記念式典はどうしたらいいですかね?」と最後に尋ねられたことだった。 その言葉には、公(おおやけ)には言いにくい思いが伝わってきた。私も新聞記者だったので、気を使いながら率直に質問の理由を聞いた。 実は、島根県内で「竹島の日式典をもうやめたらどうか?」との空気があるという。県外ではうかがい知れない「竹島の日疲れ」のようだ。でも、私は竹島の領有権を主張する根拠を失うから、「式典を続けるしかない」と伝えた。「竹島の日」記念式典は島根県の歴史的使命と思わなければならない。 竹島問題は複雑だ。日本国民や島根県民全てが「竹島評論家」であり、一家言ある。一方で韓国政府の反発も強い。ひとたび発言すると、誹謗(ひぼう)中傷の嵐に巻き込まれ、韓国側の抗議も毎回受けることになる。式典実施が「ほとほと嫌になった」という島根の感情は理解できる。 この現象は、私が朝鮮問題に取り組み始めた1970年代初めから続く「韓国病」「朝鮮病」に連なるものだ。1975年に韓国に留学した私は「韓国経済は発展する」「北朝鮮は経済危機」と書いたら、「韓国の手先」という非難や誹謗中傷の嵐が、88年のソウル五輪のころまで続いた。一方、94年には「北朝鮮は石油がないから戦争できない」と書くと、「北朝鮮の手先」と批判された。「工作国家」である韓国と北朝鮮、一方の立場を代弁しながら「敵」を非難し合う、まるでエージェントのような人間が日本国内にも大勢いたからである。2018年6月12日、会談で握手する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(左)とトランプ米大統領(AP=共同) だが、誤った「世論」との戦いは新聞記者の「生きがい」だった。報道の自由を守る新聞社と先輩記者、友人に支えられながら主張を続けた。 周知のように、竹島の帰属は日韓基本条約では「棚上げ」された。もし、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が「日本の領土」と認めていたら、朴政権は崩壊しただろう。「竹島の日疲れ」の根元 韓国は、国民をあげて竹島にこだわった。この感情と世論は日本人には理解できない。国家を失った民族の「国土侵略阻止」への信念である。 1965年に日韓基本条約交渉に合意し帰国した韓国側の代表は、空港で「竹島は韓国の領土と認められた」と宣言した。これが韓国民の原点である。しかし、日本政府が抗議することはなかった。 日韓両政府は、それぞれの政府が「自国の領土」と国内に説明することを「黙認」した。また、日韓閣僚会談などで双方が「竹島(独島)は、わが国の領土とそれぞれ主張し、記録に残す」儀式を行うが、公表しないことにした。ところが、この儀式による「棚上げ方式」は、1979年の朴政権の崩壊で忘れ去られてしまった。 「竹島の日疲れ」の根元は、単なる県レベルの問題ではない。日本の将来と国際的な地位や役割と直結する問題であると考える必要がある。 では、最近の日韓対立と、「韓国に軽く見られる」最大の原因は何か。それは、日本が20年以上も経済成長しなかった事実にある。 日本の国内総生産(GDP)は1994年からほとんど成長していない。約500兆円のままだ。バブル崩壊で生じた「経済成長は悪」「量より質」の世論もあってか、日本政府はあまり成長政策に乗り出すことはなかった。 一方、韓国のGDPは94年の約5倍に成長した。何よりも、一人当たりの名目GDPが日本に接近している。日本は約4万ドル(約400万円)前後で推移しているのに対し、韓国は3万2千ドル(約320万円)に激増している。2018年2月22日に松江市で開かれた「竹島の日」記念式典(宮沢宗士郎撮影) 20年前は、日韓の格差がおよそ4倍であった。韓国民は確実に豊かになっているのに、日本国民の生活は停滞したままだ。5年前には、国際通貨基金(IMF)が、やがて韓国の一人当たりの国民所得(GNI)が日本を追い抜くとの分析も出していたほどだ。 一人当たりのGDPは、その国の大卒初任給と一致するという。その格差が大きいと「貧富の格差の激しい国」と言われる。議長の「妄言」も茶飲み話 この現実の前に、韓国民に「日本から学ぶものはなくなった」という感情が生まれ、日本への尊敬の念が消滅した。単なる「反日感情」のみを原因にすると、日韓の真実から目を背けることになる。 韓国と韓国民には「長い間、日本に我慢した」という思いがある。経済面では、日本からの投資に頼り、企業経営を学んできた。冷戦下では、安全保障面でも日本に頼らざるを得なかった。冷戦崩壊と南北融和の進展により、韓国民は安全保障上の脅威がようやく消えたと感じている。 さらに、経済や安全保障面で「中国依存」が高まり、日本の必要度は急速に低下した。これが、日本にとっての「不都合な現実」なのだ。 米紙のインタビューで飛び出した文喜相(ムン・ヒサン)国会議長の「天皇が元慰安婦の手を握って謝れば解決する」という発言は、普通の韓国民が「お茶飲み話」でよく語る話だ。「普段からの持論で、10年前から話してきた」と発言撤回を拒否した文議長も、そうした茶飲み話を日本の政治家に語っていたのかもしれない。もしそうならば、日本側も「それは無理です」と反論し、日本人の「天皇への思い」を説明しなくては、「日本側も受け入れた」と勘違いする。 韓国では、戦後の日本の変化や天皇の地位について学ぶことはない。日本国憲法に関する説明もない。「歴代首相や天皇の謝罪」についても、教科書には全く書かれていない。 これは、日本の教科書や教育でも同じだ。両国の戦後の社会変化と文化理解への教育と教科書がないのも「不都合な現実」だ。「日本が何度も謝罪した」という事実は、韓国民と日本人の常識になっていないのである。 米朝首脳会談は、世界の視聴者に向けた両首脳の「テレビ・ショー」である。トランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は成果があったように演出する「天才」だ。2人は演出と演技による「成功」では、完全に一致している。だから、トランプ大統領は「良い関係だ」というのだ。2019年2月、米ワシントンにある大韓帝国時代の施設を訪れた韓国の文喜相国会議長(聯合=共同) トランプ大統領としては、米国との戦争も辞さなかった国際的な「問題児」に市場経済と経済発展を教え、平和に導いたという「感動的なドラマ」を米国民に示せば大成功なのだ。 その裏には、核とミサイル実験中止を継続できれば、米国民が「非核化の遅延を問題にしない」というトランプ大統領の判断がある。米朝首脳会談の成功と南北関係の進展により、韓国の対日関心がますます「低下」することは避けられない。■ 日韓ガチンコ勝負、竹島問題「へそ曲がり」のススメ■ 韓国に竹島を売った元日本人「保坂祐二」なる人物を知っているか■ 韓国に奪われた竹島を取り戻すために日本がやるべきこと

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    『日本国紀』論争、久野潤「呉座氏は私の問いに真摯に答えよ」

    久野潤(大阪観光大学講師) 先月、iRONNAで百田尚樹著『日本国紀』への批判に対する論稿(以下「1月拙稿」)を執筆した。それに対して言論サイト「アゴラ」上で、歴史学者の呉座勇一氏から思いも寄らぬ激しい口調での反応があった。・「『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える①」(以下「再反論①」)・「『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える②」 本稿は批判内容に対する再反論よりも、「反論に応える」のならば、ちゃんと1月拙稿(執筆時点では特に回答を求めるものではなかった)で提示した問いかけに答えてほしい、そして悪質な匿名ネットユーザーを巻き込んで展開するのが果たして建設的議論になるのかということを問うものである。 そして、著者ではなく監修としてお手伝いした私が個別の記述について反論するのは本来僭越(せんえつ)であろう。一つの著書をめぐって、そんな構図で大々的に行われた議論を私も寡聞にして知らない。とはいえ、呉座氏が再反論①でこだわって指摘する以下の点にだけは念のため回答しておかねばなるまい。 太平洋戦争で日本が「ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランス」を相手取って戦った、という記述(初版本、391p)は些細なミスでは片づけられない致命的な錯誤である。 『日本国紀』自身が記しているように(381p)、ナチスドイツに敗れたフランスでは親独傀儡のヴィシー政権が成立しており、日本はヴィシー政権の了解を得た上で北部仏印、さらには南部仏印に進駐している。これを見たアメリカは1941年8月に対日全面禁輸に踏み切った。南部仏印進駐は日米関係を決定的に悪化させ、日米開戦を不可避のものとしたのである。 そして下記サイト(「『日本国紀』、日本が「友好国」に戦争を仕掛けてしまう」)で指摘されているように、太平洋戦争開戦後も日本はヴィシー政権による仏印植民地統治を容認している。日本が仏印で軍事行動を起こすのは、大戦末期にヴィシー政権の崩壊を受けて仏印駐留のフランス軍が連合国寄りになってからであり、植民地解放を目的とするものではない。 「日本が植民地解放のためにフランスと戦った」という説明は『日本国紀』381pの記述と矛盾するし、南部仏印進駐、ひいては太平洋戦争を正確に理解できないので、「うっかりミス」では済まされない。 周知の通り、昭和26(1951)年に締結された連合国と日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)にはフランスも調印しており、「日本はフランスとは戦っていない」などという弁は通用しない。著者の百田氏も、具体的にどういう戦闘が起こったといった言及をしているわけではない。 呉座氏が連合国側のいわゆる東京裁判史観に与するとすれば、大東亜戦争全体の構図としても「植民地解放を目的とするものではない」と主張するのは分かる。『日本国紀』の監修を務めた大阪観光大講師の久野潤氏 しかし、百田氏は「(フランスの植民地であった)ベトナムとカンボジアとラオスを相手に戦争をしていたわけではない」という文脈で述べているのであるから、それを勝手に「南部仏印進駐」や「大戦末期」の軍事行動に論点を狭めて批判するのは牽強付会(けんきょうふかい)であろう。 ともすれば呉座氏は「匿名ネットユーザーの議論も傾聴に値する」と主張するために当該トピックを提起したのかもしれないが、それについては読者諸賢の判断に委ねたい。感覚は嫌がらせ 1月拙稿には「百田尚樹『日本国紀』をコンナヒトタチに批判されたくない」というタイトルがついていたが、ある筆者がお世話になっている方いわく「呉座さんは、自分も『コンナヒトタチ』扱いされたって思ったんじゃないの?」。1月拙稿において、同じくその批判記事について筆者が取り上げた秦郁彦氏(現代史家)の従来の研究については「大いに敬意を表したい」と書いた。 呉座氏については1月拙稿の記事中に大きな写真が掲載されているものの、氏自体については言及しなかった。ただ、呉座氏の著作や論文を通して、氏が膨大な文献調査や先行研究整理について大変な労力をかけていることはそれなりに分かっているつもりである。少なくとも、(主にツイッター上の)悪質な匿名ネットユーザーと同列に捉えることなど思いも寄らない。 話を戻すと、1月拙稿では自身の『日本国紀』とのかかわりを述べた上で、(1)ネット上での匿名ユーザーが悪意をもって流布している虚偽あるいは事実誤認に対する訂正 (2)匿名によるネット上の批判に対する見解、そして(3)実名の批判者に対する見解、を記した。  (1)では、たとえば「監修者を名乗る久野は、原稿をちゃんと読んですらいない」といった趣旨で揶揄されていることを踏まえて、 「2週間かけてゲラをチェックしていった。筆者の専門は昭和戦前期の政治外交だが、他の時代も合わせて、ほぼ全ページに赤(実際のペンの色は、他の編集工程をはばかって青であったが)を入れさせていただいた。幻冬舎側のチェックも、相当細かいところまで行われていたことを付記しておく。自分の研究室での作業だけでなく、移動中も膨大なゲラを持ち歩いてチェックしたものである。そしてその後のやり取りも経て、校了となった」と書いた。 ところが、なんと呉座氏は上記(3)ではないこの部分を再反論①であげつらって、小学校の夏休みの宿題ではないのだから、「どれだけがんばったか」ではなく結果が重要である。と書いたのだ。 筆者が「こんな時間かけてスゴイやろ」と自慢したわけではないことくらい、普通に読めば理解できるはずである。呉座氏に悪意はなく、単なる誤読か、先述の情念に基づくちょっとした思い込みだったと信じたい。ただ結果として、匿名ネットユーザーたちが大喜びでこの行を引用(コピペ?)してツイートすることになった。百田尚樹氏の著書『日本国紀』  ここで改めて上記(2)の補足を兼ねて、匿名ユーザーの厄介さ―彼ら自身が自覚しているかどうかは別として―を確認しておきたい。本名も名乗らず氏素性も告げない人間が、議論らしきものを展開したとしても、こちらからは一つのアカウント=一人の人間かどうかさえ確認する術はない。 実在のこの人、と特定できない存在複数(人間/アカウント)から同時多発的にツイッターで不快な表現のコメントをされたり返答を求められたりしても、はっきり言って時間を割く価値を見いだせない。仮に彼ら自身が「いいことをやっている」つもりでも、こちらにとっては得体の知れない匿名ユーザー群とでも言うべき集団から、相手が何者かも分らぬまま嫌がらせを受け続けている感覚となる。 仮に時間を使って誠実に返答したとしても、その次のターンさえ保証されないというリスクがある(一方、彼ら側は正体さえバレなければリスクほぼゼロである)のも言うまでもない。 ここまでは一般論として捉えていただきたいが、もちろん不快だと思った時点で匿名に限らず無視するという選択肢も存在する。ただ私は、歴史論議そのものから逃げているのではありませんよという意思表示として、フェイスブックで、「仮に所属・姓名を明示したうえで問い合わせがあれば、私個人の歴史観や史実認識についてお答えすることもあるでしょう」と表白した(1月拙稿でも引用)。 「お答えすることもあるでしょう」という表現は、匿名でなくとも揚げ足取り系や、こちらの文章を曲解したまま議論を繰り返そうとする手合いには必ずしも対応できませんよという常識的な感覚によるものである。附言して、「ファンだったら匿名でも好意的に対応するだろう」といった一部の指摘は、まったく意味のない言いがかりとしか評しようがない。呉座氏こそ答えよ そして再反論①において呉座氏は、『日本国紀』内容批判の際に、匿名ネットユーザーの記事を引用している。その匿名記事が参考になったという判断もさることながら、再反論①の締めくくりの以下の行との関連があろう。久野氏は歴史研究者として己の力不足を反省すべきであって、批判者に対して匿名だの罵詈雑言だのと難癖をつけるのは筋違いであろう。 確かに、私はフェイスブック記事において「『日本国紀』へのインターネット上の一部匿名者による批判(とさえ言えぬような罵詈雑言)」という表現を使った。それは私個人に対してのみならず、私の勤務する大学や、果ては私が『日本国紀』を奉納した神社の宮司に対しての引用も憚(はばか)られるような揶揄(こうした所作も匿名ユーザーならでは)を指しているわけだが、それが「難癖」「筋違い」だと言うつもりであろうか。 結論として、呉座氏は何かの必要があってか筆者を過剰に批判しようとする余り、1月拙稿の中でも明らかに氏が名宛人ではない箇所にわざわざ噛み付き、再反論①の冒頭から不穏当な修辞を繰り返しているのである。研究者としての日頃の研鑽には敬意を表するが、こういう姿勢はちょっといただけない。 ネット上の匿名ユーザー、特に悪意あるユーザーの問題点は先述の通りだが、1月拙稿で彼らについて述べた部分をあたかも呉座氏に対する攻撃のように見立て、さらに曲解した上で、通常の議論には不要な「小学校」「難癖」といった表現を使った。ここで呉座氏にとって幸か不幸か、悪意あるユーザーと氏との奇妙なアライアンス(連携)が生じている。そうしたユーザーたちが、ツイッターで呉座氏のとりわけ不穏当な表現部分をすすんで引用しているのが象徴的であろう。 匿名ユーザーたちそれぞれをアイデンティファイ(特定)できない以上、こちら側は匿名ユーザー個人個人とではなく、あくまで「匿名ユーザー群」との対峙になってしまう。それゆえ、悪意ありと判断できるコメントやメッセージは放置せざるをえない。実際、匿名ユーザーは実名ユーザーよりも、事実に反すること(まったくの妄想含む)や口を極めて罵るようなツイートをするハードルがはるかに低いことは呉座氏にも分かっているはずである。 自分たちが相手にされない理由を理解できず、(あるいは理解しつつもあえて)罵詈雑言を性懲りもなく繰り返す。その中でたまにまっとうな議論ぶっている投稿を勝手なタイミングで織り交ぜているとしても、対応する気も起こらないのは言うまでもない。学問的作法を重視する呉座氏は再反論①において、あたかも傾聴に値するかのように匿名ユーザーのツイートを引用しているが、その前後の経緯を無視した「切り貼り」では困る。 匿名ユーザーに比較的寛容な評論家、八幡和郎氏による同じく『アゴラ』の記事「『日本国紀』をめぐる久野・呉座論争とは何か」でも、「ネット上での議論は罵詈雑言、そして何より困ることは、両者の書いてないことをあげつらうようなものが多く、せっかくのまっとうな議論を台無しにしている」と指摘されている通りである。筆者も呉座氏が氏素性のはっきりした人物(研究者かどうか、そして高名かどうかはここでは関係ない)だからこそ、こうして筆をとっているのである。呉座勇一氏=2018年3月、京都市西京区(寺口純平撮影) さて、改めて確認するが、もし呉座氏が1月拙稿に「応える」というのであれば、私が文中で提示した「さぞかし過激な内容だろうと予想していた私は正直、拍子抜けした」とあるが、はて一体どのような内容を「予想」したのであろうか。 そして「学界の通説と作家の思いつきを同列に並べるのはやめてほしい」とのことだが、戦前日本が他国を一方的に侵略していたかのように断ずるかつての「学界の通説」がいかに実情を無視したものであるか。あるいは呉座氏の主張と違うところが多い、戦前の「学界の通説」についてはどう捉えているのか。 という問いにこそ、答えていただきたい。それに対してはもちろん私も、重ねて表白した通り私個人の歴史観や史実認識についてお答えするつもりである。 議論の錯綜を避けるため、歴史認識の議論については別項を期したい。■百田尚樹『日本国紀』を読んで「がっかりした」理由■百田尚樹『日本国紀』はなぜ支持されるのか■【百田尚樹独占手記】私を「差別扇動者」とレッテル貼りした人たちへ

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    「親の苦情と戦えない」小さな命を救えなかった虐待現場の叫び

    山脇由貴子(心理カウンセラー、元児童心理司) 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さんが自宅浴室で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕される事件が起きてしまった。この事件の経過を分析すると、「事件を防ぐことができた」「救える命だった」と私は確信する。本稿では、今後二度と同じような事件が起きないためにも、今回の事件での児童相談所や学校、教育委員会など各機関の問題点を検証したい。 きっかけは、心愛さんの通う小学校が2017年11月6日に実施した、いじめに関するアンケートだ。心愛さんは、氏名を記入した上で「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と答え、父親からの虐待を訴えたのである。 学校は翌日、当時の担任が心愛さんから聞き取りした上で千葉県柏児童相談所に通告、通告を受けた児童相談所も一時保護を決定した。ここまでは良い対応だったといえる。 問題はその後だ。一時保護した児童相談所は今年1月28日に記者会見しているが、17年12月27日に行った一時保護解除の判断について「重篤な虐待ではないと思い込んでいた」と述べている。児童相談所はなぜ「重篤な虐待ではない」と判断したのだろうか。 アンケートには、本人の訴え以外にも、担任が聞き取ったメモ書きが残っていた。そこには「叩かれる」「首を蹴られる」「口をふさがれる」「こぶしで10回頭を叩かれる」といった内容が書かれており、明らかに重篤な虐待といえる。 さらに、児童相談所は一時保護中に、心愛さん本人からも虐待について聞き取りしていると考えられる。加えて、心理の専門家が心愛さんの「心の傷」の度合いなども検査しているはずだ。 学校で虐待について話すことができた子供だから、児童相談所で話していないとは考えづらい。その内容について一切公表されていないが、「重篤な虐待ではない」という判断から分かるのは、「心愛さんの訴えをなかったことにした」ということである。結局、児童相談所は、最終的に父親からの恫喝(どうかつ)に負け、心愛さんを帰してしまったのだろう。千葉県野田市が公開した、栗原心愛さんが父からの暴力被害を訴えた学校アンケートの自由記述欄 私も、児童相談所に児童心理司として勤務していたころ、虐待を受けて来た子供に対して、聞き取りや心理テストを数多く行ってきた。子供からの聞き取り内容は最優先であり、子供が「父親が怖い」と言えば、会わせることはしなかった。 今回の事件では、心愛さんを児童相談所が一時保護した際に、医師が心的外傷後ストレス障害(PTSD)の疑いがあると診断していた、という報道もある。虐待によって心に傷を負った子供を、家に帰すことなんて考えられるはずはない。 17年12月、児童相談所が一時保護を解除した際に、父方の親族に帰すことを条件にしたのも問題の一つだ。自宅ではないといえども、父方である以上、父親の味方である可能性が高い。その場に心愛さんを帰せば、すぐに父親の所に戻されることは容易に想像できる。 実際、児童相談所は会見で「2カ月程度で自宅に戻す予定だった」と述べている。しかし、その戻し方も問題だ。 昨年2月26日、児童相談所は親族宅から自宅に戻すかどうか判断するために父親と面談したとき、父親から心愛さんが書いたという手紙を見せられている。だが、文面を見て「おそらく父親に書かされたのだろう」と認識しながらも、父親が心愛さんを家に連れて帰るのを許してしまったのである。少女を「放置」した児相 そもそも、父親は一貫して虐待を認めていない。前述の通り、「重篤な虐待ではない」と判断して一時保護を解除し、父方の親族宅に帰した時点で不適切である。ましてや、父親の要求に従って自宅に戻すなど、絶対にあってはならないことだ。虐待だけでなく、ドメスティック・バイオレンス(DV)もある家庭だったからである。 この時、父親は児童相談所に対して「これ以上引っかき回すな」と言っており、児童相談所による今後の関わりを一切拒絶している。児童相談所の役割とは、虐待再発を防ぐために、定期的に家庭訪問し、親子の様子を確認しながら、学校訪問も重ね、子供の本心を聞くことにある。 その児童相談所の指導に「従わない」と父親は言っているのだから、父親の要求の全てを、児童相談所は拒絶しなくてはならなかったのだ。だが実際は、父親との面会以降、児童相談所は自宅訪問せずに、心愛さんを「放置」している。 心愛さんが自宅に戻った後の昨年3月19日、児童相談所は学校で心愛さんに会い、手紙は「父親に書かされた」と打ち明けられ、自分の意思で書いたものではないことを確認している。ただ、この時に、本人からの虐待の訴えがなければ、一時保護は難しいだろう。 しかし、それでも児童相談所は定期的に会いに行かなければならなかった。もし叩かれているのなら、「今度は必ずあなたを守る」「絶対に家に帰さない」と心愛さんに伝え続け、そして訴えの機会を待ち、保護すべきだった。 厚生労働省は児童相談所運営指針で、児童相談所が親の同意なく子供を一時保護する権限を有するという方針を掲げている。とはいえ、同意もなしに学校や保育園から子供を保護するわけだから、親が激高するのも当然だ。私も親権者から「訴えてやる」と何度も言われたり、「つきまとって人生滅茶苦茶にしてやる」と脅されたこともある。 時には親と敵対してでも子供を守るのは児童相談所の責任だが、職員も人間である以上、脅しや恫喝に恐怖を感じるのは無理からぬ話だ。私自身も「全く怖くなかった」と言えば嘘になるし、恐怖心を抱いたことは多々あった。本当に後をつけられているのではないか、と家への帰り道に不安になったこともある。 それでも戦わなくてはならないのだが、経験の浅い同僚の児童福祉司が親との面談で恐怖心を抱き、本当に辞めようかと悩んでいた姿を見たことがある。激しい攻撃をしてくる親と「もう関わりたくない」「あの父親には二度と会いたくない」と思ってしまう福祉司もいた。 一度でもそのように思ってしまうと、子供に会って、虐待が再発していないかどうか確認をすることもためらわれてしまう。児童福祉司は裁量が大きい分、心理的な負担も大きい。その負担の大きさもこの事件の原因の一つと言えるだろう。2019年2月、千葉の小4女児死亡事件で会見する柏児童相談所の二瓶一嗣所長(右)と千葉県健康福祉部児童家庭課虐待防止対策室の始関曜子室長(桐山弘太撮影) むろん、不適切な対応だったのは児童相談所だけではない。昨年1月15日に野田市教育委員会が、心愛さんが虐待を訴えたアンケートのコピーを父親に渡してしまったのも大きな問題だ。同市は、情報公開条例違反に当たり、関係者の処分を検討しているという。 だが、それ以前にアンケートを渡してしまえば、虐待が再発・エスカレートすることは、当然予測できたはずだ。それなのに、市教委の担当者は「威圧的な態度に恐怖を感じた」と述べており、つまりは父親の攻撃に屈した、ということだ。自分の身を守るために、心愛さんを「犠牲」にしたということになる。クレーム対応の知識がなさ過ぎるとしか言いようがない。 しかしながら、学校も児童相談所と同様、親との信頼関係を維持しなくてはならないため、「クレームに断固として戦う」という慣習がないのも事実である。私も、児童心理司時代に、学校から「親のクレームに困っている」という相談を何度も受けたことがある。 本来、学校や教育委は一時保護に関するクレームを引き受ける必要はない。一時保護の決定を児童相談所が行うのは、児童虐待防止法で定められている通りだ。 そこで私は、「一時保護に対する不満は児童相談所に言ってください」と学校から親に伝えてもらうようにお願いすることで対応していた。学校や教師を児童相談所が守らなければ、学校は虐待に関する通告をためらってしまうかもしれない。長期休暇後「欠席」のサイン そして、学校と児童相談所の連携が不十分だったことも大きな問題だ。心愛さんは冬休み明けの今年1月7日から小学校を欠席し、父親から学校に「沖縄の妻の実家にいるために休む」と連絡があったという。 父親の虐待が疑われる子供に対しては、夏休みや冬休み、長期休暇後の欠席を絶対に放置してはいけない。長期休暇中は、虐待がエスカレートするリスクが非常に高いからである。 「欠席の理由は傷やあざを隠すためかもしれない」と常に疑いの目を持つことが必要だ。子供が長期休暇明けに欠席した場合、学校は直ちに児童相談所に連絡すべきであり、児童相談所はすぐに姿を確認しなければならない。 もし、父親から「沖縄の母方親族の所にいる」と言われたら、児童相談所は沖縄の児童相談所に心愛さんの確認を依頼すべきだった。「親族宅にいる」「親族の具合が悪い」というのは虐待加害者が子供の姿を見せないために使う常套(じょうとう)句である。その言葉を疑い、沖縄での確認、そして家庭訪問を行っていれば、心愛さんの命は助かったかもしれない。 この事件は、児童相談所も学校も市教委も、全ての組織が父親の攻撃に屈し、言いなりになってしまったために起こった事件といえるだろう。学校や市教委にも問題はあるが、子供を虐待から守る権限は児童相談所にしかなく、その責任は重い。 同様の事件を繰り返さないように、児童相談所の改革は必須の課題だ。特に求められるのが児童福祉司の育成だ。警察や国税専門官、家庭裁判所調査官のように、年単位の研修期間を経て、児童福祉司として児童相談所に配属されるシステムを作る必要がある。 虐待する親の心理をはじめ、親との面接や子供からの聞き取りスキル、攻撃してくる親への対応を丹念に学ぶ。さらに、先輩福祉司の面接や訪問に同行し、失敗も成功も全て目の当たりにしながら、現場での判断の仕方を学んだ上で、現場に立つ。 子供の命、そして家族の人生の責任を負う仕事だから、専門家としての育成は急務である。また、福祉司本人にとっても、最初の着任前に知識とスキルが身に付いていれば、負担も減るはずだ。 また、現在の児童相談所は、子供を親から強権的に保護する役割と、親との信頼関係を築きながら子供を家に帰す役割、という矛盾する業務を行っている。しかも、この二つの役割を一人の児童福祉司が担当している。 そこで、虐待の再発可能性を疑い続けるチームと、親との信頼関係をもとに話し合いを続けるチームを分ける。自治体によっては既に実施されている役割分担を、全国的に広げることも重要だ。 児童相談所は子供を守るための強い権限を持っている。それでも救えない子供がいる。2019年1月、亡くなった栗原心愛さんの自宅がある千葉県野田市内のマンション 安倍晋三首相は、2019年度に児童相談所の専門職員を1千人増員して、5千人体制に拡充する方針を打ち出したが、今まで繰り返されてきた強化策ではなく、児童相談所という組織そのものの変革が必要である。何より、この事件の問題点を丁寧に検証し、幼い命を救うことができるように、全国の児童相談所で共有することが求められる。■ 「南青山は成金趣味の街?」児童相談所建設、反対派の困った論理■ 「受動喫煙はまさに児童虐待だ!」私が都の禁煙条例を草案した理由■ 三橋貴明DV事件を機に考えたい「家庭内暴力の経済学」

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    小西寛子告発手記「私が見た声優業界の伏魔殿、全部書きます」

    小西寛子(声優、シンガーソングライター) 明代の中国に書かれた伝奇小説「水滸伝」に、魔王が封印された祠(ほこら)が登場する。 周囲を赤い土塀で囲み、軒先には金文字で「伏魔之殿」と書かれた看板が掲げられてあった。正面の扉には護符が何枚も張られ、銅で固めた錠前が付いており、中の社殿には3メートル四方の巨大な一枚岩が鎮座し、その下は底なしの深い穴になっていたという。唐の昔、道士、洞玄国師がこの穴に魔王を封じ込め、そこに建立したのが「伏魔殿」だった、という有名な逸話である。 魔王が封印された場所ということから、伏魔殿は「悪魔がひそむ殿堂」の意、転じて「陰謀・悪事などが絶えず企まれている所」などとされ、過去には田中真紀子元外務大臣や石原慎太郎元東京都知事がこの言葉を引いて、政治発言したことでも知られる。昨今では、PTAを「伏魔殿」になぞらえて報道するメディアもある。 ちなみに水滸伝は、都から来た官僚がこの祠を強引にこじ開け、魔王が世に解き放たれるシーンから始まる。後に悪徳官吏の打倒を目指し、梁山泊に集った108人の豪傑もここから生まれたが、現代社会では世に害をなす魔王は、むしろ「世に放つべき」モノとして、その悪事を世に広く知らしめる動きが盛んだ。セクハラや性暴力を告発する「#MeToo運動」が欧米で席巻したのは、その象徴とも言えるだろう。 日本では今ひとつ盛り上がりに欠ける#MeToo運動だが、かくいう筆者も過日、「NHKおじゃる丸降板騒動」で、#MeTooに絡めた問題として記事に取り上げられたことがある。とはいえ、欧米と比べ、日本では弱い立場の女性に対するハラスメントの温度差の違いをまざまざと痛感することが多い。 筆者の仕事は、アニメーションなどのキャラクターに声を当てたり、ナレーションを吹き込んだりする、いわゆる「声優」という職業である。自分で言うのもなんだが、筆者が声優として全盛だったのは二十歳前後の頃であり、この話は今から20年も昔の話だが、実は声優業界でも会社の飲み会や慰安旅行のようなものがあり、番組スタッフや共演者などと飲み会や旅行に行くことがしばしばあった。声優、シンガーソングライターの小西寛子氏 信じてもらえないかも知れないが、筆者はどちらかと言えば口下手で人付き合いは苦手な方である。それなのに役者や音楽をやっており、何を血迷ったかテレビの司会やバラエティー番組のレギュラーまで担当した経歴を持つ。読者の皆様にはちょっと理解できないかもしれないが、本当は人前に出るのは苦手で、番組出演はいつも「度胸試し」のような感覚だった。 さて、今から20年前の当時、どの現場でも筆者がほぼ最年少だった。にもかかわらず、急にスタッフとの慰安旅行に誘われても、「どうすりゃいいの?」という感じだったが、それでも周りの雰囲気というか、見えない重圧をひしひしと感じて、せめて「お世話になっている方々への感謝の気持ちから、顔だけでも出さなければ」と何度か顔を出したことがある。「自分で営業しないと」 筆者にとってはアルコールもタバコもまるで無縁であり、お酒の割り方も、お酌や気の利いた話をしたりするのもとにかく苦手だった。TVドラマの一シーンのように自然にお酌して回り、場を盛り上げている人を羨ましいと思ったものである。 そんな宴席に何度か呼ばれた折、あるベテランの男性声優に呼び止められた。「なんで○○(某人気女性声優)に仕事がくるのか教えてやろうか?」「役者は河原乞食の世界なんだよ」。今なら確実に#MeTooで拡散しているであろう、こんな話を唐突に聞かされたのである。しかも、当時の所属事務所元社長のX氏からは「自分で営業しないと…」と言われ、同じ事務所にいた女性声優からも「がんばって演じてるだけじゃダメなのよ!」などと謎の囁きもあった。声優や俳優の世界こそ実力勝負だ、と信じて足を踏み入れた筆者にとって、深い悩みの種になったのは言うまでもない。 とはいえ、付き合い下手ではあっても、当時はそれなりにまだ仕事のオファーがあった。仕事の多忙さも相まって、宴席に参加することも少なくなったある日、アニメ監督のA氏率いるスタッフとの慰安旅行に誘われた。 その日は夕方まで仕事が入っていたが、終わるとすぐに当時のマネジャーB氏の車で宿泊先に向かった。その車中のことである。B氏から「ところで、水着持ってきた?」と尋ねられた。そう言えば、事務連絡のミーティングの時に「露天風呂で水着がどうの」というような話があったのを思い出した。「あれってジョークじゃなかったの?」と嫌な予感が脳裏よぎったが、「なんで水着がないとダメなんですか?」と真正面から問いただすと、「もちろん、なくても入れるだろうけど…。いつもお世話になってるんだから、ちょっとくらいサービスするもんでしょ? Aさんにはお世話になってるんだし、少しくらい一緒に入ってよ!」と一瞬殺気だった感じでB氏から威圧的に言われた。 「いやいや、たとえお世話になっていると言っても、なぜ一緒に露天風呂に入らなければならないのか。2時間ドラマじゃあるまいし、あり得ないでしょう」。あまりに唐突な話に、「これはB氏の悪い冗談だ」と自分に言い聞かせながら、そのときはぼんやりと車窓を眺めた。※写真はイメージです(GettyImages) どれくらい車に揺られただろうか。詳細は憶えていないが、ようやく旅館に到着し、最初に目に飛び込んだのが「混浴露天風呂」の看板だった。嫌な予感は現実となり、「騙された?」という思いが脳裏をかすめつつ、今さら帰ると言えるはずもなく、そそくさとツインルームに案内された。部屋には先に到着していた女性声優が一人で待っており、なぜだか少しほっとした。どうやら、先行グループは既に温泉に向かったらしく、彼女は筆者の到着を待つように言われていたらしい。そして、彼女に案内されるまま一緒に浴場へと向かった。混浴露天風呂から声が 女湯に入ると、「あれ? 誰もいない」。内風呂は静まり返り、水の流れる音がする。暗がりの奥の混浴露天風呂の方からは、聞き覚えのある男女の談笑する声が聞こえてきた。「私、水着持ってきてないので…」。彼女にそう打ち明けると、「そうなんですか」と素っ気ない返事。そして彼女は無言のまま、ススーッと女湯の奥へ吸い込まれるかのように進み、露天風呂へ消えて行った。 「本気? 本当にみんな混浴してんの?」。筆者は一人、罪悪感に近い気持ちを抱えたまま内風呂に浸かり、突如襲ってきた悪寒に耐えながら適当に体が温まったところで部屋に戻った。 「なんで露天風呂来なかったの?」。お風呂の後に始まった宴会の席でスタッフにこう聞かれた。「水着持ってなかったので」と言うと「水着なんかなくていいよー。わはははは」。その傍らでマネジャーのB氏が、引きつり笑いでお酌をして回っていたのを今でも忘れない。 後に別のスタッフから聞いた話だが、このアニメ監督A氏率いる慰安旅行はたびたび開催されているらしく、当時の営業熱心なマネジャーB氏が「業界のお作法を学ぶために連れて行った」らしい。宴の後、「小西なんか呼ぶんじゃなかった」とB氏が必死に頭を下げている姿が目に浮ぶようである。こうして当時を振り返ると、筆者が場違いなところに出向き、その場を盛り下げてしまったことは心から反省したい。ただ、当然ながら、その後一切、こうした宴会や慰安旅行に呼ばれなくなったのは言うまでもない。 さて、「温泉」「風呂」「混浴」というワードがいくつも登場したが、そういえば昨年、過去の国会答弁で籾井勝人・元NHK会長の後ろから文書を差し出す、通称「二人羽織」で一躍有名になったNHK佐賀放送局長が女風呂に乱入した、というニュースが報じられた。筆者が先に述べた経験は、男が乱入するという破廉恥な事件ではなかったものの、混浴露天風呂が売りの温泉宿にわざわざセッティングし、集団心理や下請け的立場の弱みに乗じて半ば強制的に混浴させられそうになった、というものである。 監督を含む製作現場と筆者のような役者との間には直接的な雇用関係はないものの、慰安旅行はそれに近似した関係にある人たちが集まる場であり、仮に「参加は自由だ」「混浴は強制ではない」と主催者側が主張しても、これを拒否すれば「仕事がなくなる」「嫌われる」などと何らかの不利益な扱いを受けるのではないか、という不安にかられる人もいる。いや、むしろ精神的に追い詰められ、拒絶することさえままならないというケースの方が多いかもしれない。努力よりアピール こと、声優という仕事は「自らの声が商品」であるため、実力(演技力)以外の「プッシュして貰うためのアピール」が必要だと考える人が多い。もちろん、どの業界であっても、自己アピールは局面に応じて求められる能力ではあるが、声優業界のこうした節度を超えた、あるいは本来の趣旨や目的を逸脱したハラスメント行為が横行する背景には、声優のフリーランス的な仕事の請け負い方とも密接に関係する。ただ事務所に所属しても、黙って仕事が回ってくるわけではないからだ。そのため、「混浴を拒否する」ことはもちろん、混浴というセッティング自体のハラスメントに対しても、「ノー」と言いづらいのである。 それにしても昨今の声優業界は、表現力や感受性を培うことを没却し、本来の職務である実力(演技力)部分の努力を軽んじる役者が増えた気がしてならない。もっと言えば、声優たちによるアピール一辺倒の傾向は、もはや度を超えた品格のないものとなり、まるで異国のアングラ産業かと見紛うような世界である。 その原因の一つには、子供の娯楽だったはずのアニメや漫画が、いつしか「大人をターゲット」にしたサブカルチャーとして発達し、声優が今で言う「ネットアイドル的な人気」を得るようになり、声優専門誌のグラビアや音楽CDの発売、アニメやゲームのイベントパフォーマンスなど、「役者志望」というよりもアイドルを目指して志願する人が増えたからであろう。 そして、このアニメ産業の変遷に乗じて、声優のプロダクションや養成所、専門学校などが乱立し、大人をターゲットにしたアニメ・声優産業は一大サブカルチャービジネスとして成功した。しかしながら、その成功の礎には最初に述べた「大きな伏魔殿」が隠されているのである。※写真はイメージです(GettyImages) かつて筆者が知人の妻から個人的に相談を受けた一つのケースだが、業界人である彼女の夫は、ある人気女性声優と不倫関係にあった。ところが、この声優から「そんなの(不倫であろうと裏接待)はこの業界では常識ですよ」と直接言われたことがあったという。彼女はその後、夫が他にも複数の女性声優と不倫関係にあったことを突き止め、過去にドメスティック・バイオレンス(DV)を受けていたことなどと合わせ、裁判を経て離婚した。彼女は今、成長期の子供たちを連れ、たった一人で育児と仕事に追われている。携帯電話で頭を殴られて 再び筆者の話に戻るが、少し声優と事務所の立場について触れてみたい。あるゲーム音声の仕事の顔合わせで、当時の事務所マネジャーC氏と駅で待ち合わせをした時のことである。当時は携帯電話を持っている人はまだ珍しく、筆者はポケットベルで事務所デスクを通じて連絡を取り合っていた。ところが、待ち合わせ時間になってもC氏は現れず、公衆電話から事務所に電話をしたところ、「改札口じゃなくて、階段を上がった外の出口で待っているはずです」とスタッフに言われ、慌てて階段を駆け上がった。 地上に出ると、C氏から「遅せえよ!」と叱責され、「改札口で待ってたんですけど…」という筆者の言い分にはまったく耳を貸さず、後輩の女性声優たちがいる面前で持っていた携帯電話でいきなり頭を殴られたのである。 翌日、当時の事務所社長X氏にこの事実を告げ、公衆の面前で殴打された行為の釈明をC氏に求めた。ところが、C氏は「分相応の扱いってのがあるだろう」と開き直り、X社長も「これから行くところがあるから」と我関せずとばかりに逃げ出す始末。結局、最後までこの件はうやむやにされ、筆者はその後事務所を退所した。 C氏が述べた「分相応」という言葉こそ、声優がまさしく「河原乞食」の扱いであることを示唆するに等しい。役者が「河原乞食」と呼ばれる所以には、前述のように努力もなしに「目的のためなら手段は選ばない」「1円でもいいから仕事が欲しい」「有名になりたい」という、物乞いのような発想の太鼓持ちが巣食っているからに他ならない。しかも、それにつけ込んだ「伏魔殿」に棲む御上とは「良きに計らってくれる者に褒美を取らす」と言わんばかりの関係にある。 他にも暴露したい話は山ほどあるが、これはまた次回、どこかで執筆させていただける機会に取っておくとして、これが声優に対する現実の評価であり、事務所はもとより製作会社やテレビ局、代理店、レコード会社などとの関係も同様である。「分相応の扱い」。これは声優業界だけの話ではないかもしれないが、少なくとも筆者の経験に基づけば、エンタメ業界の中でもかなり閉鎖的な方だと思う。ハリウッドから音楽シーンへと波及し、様々な方面から「#MeToo」を付した告発がなされているが、これらは芸能界のハラスメントに限られたものではなく、あらゆる人間関係において生じる「不利益な取り扱いをなくそう」「不公正な取引をやめて、健全な社会を作ろう」という趣旨で広まった運動であると理解している。※写真はイメージです(GettyImages) むろん、告発する際には、人権侵害の恐れがあり、それこそ細心の配慮が必要だが、長きに渡る悪しき慣習を正し、社会を変えていこうする#MeTooの波を止めて欲しくない。「いつ、どこでこんな体験をした」だけでもいい、それをみんなで共有することで「あなたにとっての魔王」、つまり伏魔殿を吹っ飛ばすことだってできるかもしれない。 さて、次に世に放たれる大魔王は誰か。■元おじゃる丸声優、小西寛子手記「私を降板させたNHKに告ぐ!」■埼玉新聞に突撃取材「韓国との交流事業中止はネトウヨのせい?」■モデル西山茉希「13年間の奴隷契約」に通じるヤクザな慣習

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    「節操のない裏切り者」政治家、細野豪志に同情する

    上久保誠人(立命館大政策科学部教授) 細野豪志衆院議員が、自民党の二階俊博幹事長が率いる二階派(志帥会)に「特別会員」として入会する。選挙区の静岡5区には岸田派(宏池会)の自民党元職がいるため、今すぐではないが、将来的には自民党入りを目指すという。 細野氏は、民主党政権で環境相や首相補佐官を務め、野党転落後も民主党幹事長や、後継政党の民進党で代表代行を歴任してきた。2017年に離党した後は、東京都の小池百合子知事らと希望の党を立ち上げたが、希望の党は先の総選挙で惨敗した。 18年5月に希望の党と民進党で結党した国民民主党には参加せず、無所属となっていた。その経歴から、細野氏の「事実上の自民党入り」は「節操がない」と厳しく批判されている。 また、「来るもの拒まず」のスタンスで自民党議員でない人を「特別会員」にして、次の選挙で当選すれば自民党議員に鞍替えさせる手法で勢力を拡大してきた二階派に対しても、党内から反発が集まっている。 かくいう筆者も、細野氏と二階氏の「節操のなさ」には閉口している一人である。一方で、細野氏を「かわいそうだな」とも思っているし、二階氏についても「生き馬の目を抜く政界で、そういう情のかけ方があってもいい」とも考える。 細野氏のこれまでの言動を振り返ると、「行き場のない状態」になって節操なく迷走を繰り返した挙げ句に自民党に走ったという指摘は、まさにその通りである。だが、それ以前の問題として、細野氏はずっと自民党に入りたかったのではないだろうか。 細野氏はサラリーマンから政界に転じ、2000年の衆院総選挙では、旧静岡7区で自民党の現職と保守系無所属の候補者などを破って初当選した。03年の総選挙では、区割り変更で静岡5区となったが、ここでも自民党現職を破った。それ以降も連続当選を重ねて「民主党のホープ」として政界の出世街道を駆け上がった。 細野氏の政界入りには、京都大学の先輩である前原誠司元外相が関わっている。だが、もし細野氏が立候補しようとした選挙区に自民党系候補者が2人も立たず、かつ自民党の公認を得られる可能性があったならば、細野氏は前原氏との関係にかかわらず、自民党からの出馬を模索したのではなかったか。2017年10月、衆院選の開票で記者会見に臨む希望の党の細野豪志氏(酒巻俊介撮影) そもそも、細野氏を政界に引っ張った前原氏自身が、保守派論客として知られている。しかし、彼の政界入りも、実は自民党からの立候補が叶わなかったため、細川護熙元首相が立ち上げた日本新党から出馬したという経緯があった。 前原氏が政界入りしたのは1993年の総選挙で、自民党の38年間の長期政権に幕を下ろし、非自民の連立政権である細川政権が誕生した時であった。当時、自民党の長期政権に対する批判が高まり、「政治改革」が一大ブームを巻き起こした。若者を悩ます「選挙区事情」 そのブームに乗って、政界入りを目指す若者も多かった。それは、旧社会党や旧民社党、市民運動系だけではなく、前原氏や野田佳彦元首相ら「松下政経塾出身者」が中心の保守的な政策志向を持つ若者も少なくなかったのである。 政界を目指す保守系の若者にとって、大きな壁になったのが「選挙」だった。日本の選挙では「地盤・看板・カバン」の三バンが重視され、それを持たない新人が政治家になるのは難しかった。また、自民党が長期政権化する中で、戦後の混乱期から高度成長期に保守政治を支えた議員たちが引退し、その後を継ぐ世襲議員が増えてきた時期だったことも、政治を志す若者にとっては困難となった。 保守系の若者が議員になりたくても、地元選挙区には自民党現職がいるだけではなく、その後継者まで既に決まっていることが多かった。そういう若者の受け皿となったのが、細川氏が立ち上げた日本新党をはじめとする「新党ブーム」であったことは言を俟たない。 そして、保守系新人の発掘や受け入れという点では、実は自民党と新党は水面下でつながっていた部分がある。細川氏は元々、自民党参院議員であり、その後は熊本県知事を歴任した保守系の政治家であった。その細川氏に、かつて自民党の森喜朗元首相が相談を持ち掛けたという逸話がある。 昨年、加計学園問題でメディアに頻繁に登場した愛媛県の中村時広知事は、松山市長だった父親の縁で自民党清和会(現清和政策研究会)を通じ、当初は衆院で立候補しようとした。ところが、選挙区には世襲議員でハーバード大卒・日本銀行出身の塩崎恭久元官房長官と、同じく世襲議員の関谷勝嗣元建設相が顔をそろえ、自民党の公認が取れなかった。 そこで、清和会幹部だった森氏が細川氏に「中村の面倒を見てやってくれ」と頼んだという。その結果、中村氏は93年に日本新党から立候補して当選した。要するに、保守系新人がどの党から立候補するかは、政策志向や思想信条の違いではなく、単に選挙区の事情だったのである。 当時、新党から政界入りすることになった保守系議員は、自民党から離党したグループと合流した。その一方で、旧社会党や旧民社党、市民運動出身者の「リベラル派」とも同じ党として活動することになった。自民党の二階俊博幹事長 その後、「反自民」を旗印に政権交代に向けて98年に結成した民主党は、彼らを取り込むことで党勢を拡大し、憲法・安全保障という基本政策をめぐる党内対立に常に苦しみ、「寄り合い所帯」と批判され続けていくことになる。細野氏もまた、この過程で民主党に合流した保守系の若者の一人だった。 2009年、総選挙で圧勝した民主党は悲願の政権交代を実現した。しかし、リベラル派を中心に打ち出した「子ども手当」「高校無償化」「高速道路無料化」「農家戸別所得補償制度」の「バラマキ4K」と呼ばれた社会民主主義的な政策は、そもそも細野氏ら保守派が心から望んだものではなかった。 財政赤字が拡大する中、財源を確保できずにバラマキ4Kが次第に撤回に追い込まれ、民主党政権は財政再建路線にかじを切った。保守派の野田政権は、党内から多数の造反者を出しながらも、自民党・公明党と「三党合意」を結び、消費増税法案を成立させた。しかし、その代償として、12年の総選挙で敗北し、民主党は政権の座を追われてしまった。野党保守派の「無茶な行動」 政権陥落後、民主党内の保守派は、より苦境に追い込まれていく。保守的な政策志向の安倍晋三政権に対抗するため、民主党は共産党などとの「野党共闘路線」を選び、急速に左傾化していったからである。 特に、2015年に「安全保障法制」が審議された際、野党側は法案の廃案を求める戦術を採った。細野氏ら保守派も、国会を取り巻くデモに参加し、徹底的に反対した。 だが、それは保守派の本意ではなかっただろう。民主党の保守派は、集団的自衛権の限定的行使など安全保障政策に関して、政権担当経験もあったために、現実的な政策志向を持っており、自民党と考え方に大きな差異はなかった。しかし、徹底的な反対路線を貫く党方針によって、安倍首相率いる自民党との間にあった「議論のパイプ」さえも失ってしまったのである。 2017年8月、細野氏は民主党の後継であった民進党を離党し、同年9月には、かつて日本新党から国会議員となった経歴を持つ東京都の小池知事らと希望の党を結成した。そして、同年10月の解散総選挙の直前に、民進党代表に就任した前原氏が「何が何でも安倍政権を倒す」と宣言し、党内分裂の引き金になった「荒業」が希望の党への合流だった。それは、結果的に立憲民主党というリベラル政党の結成を促し、衆院選は大惨敗に終わった。 細野氏や前原氏らが主導した無謀な行動の背景には、「野党の左傾化」による孤立という強いストレスがあった。結局、細野氏が迷走を続けた末に、とうとう自民党に走った背景には、自民党に入りたくても入れなかった「新党保守派」としての運命があったに違いない。言い換えれば、政治家の苦闘と迷走の歴史が後押ししたとも言える。 だが、自民党に移ったとしても、細野氏には明るい将来はないだろう。石破茂元幹事長や船田元(はじめ)元経企庁長官など、自民党は離党しての「出戻り組」にさえ冷たくて厳しい不文律がある。自民党所属経験のない細野氏が自民党に入っても冷遇されるのは目に見えている。 ましてや、次の選挙も危ないだろう。同じ選挙区には自民党・岸田派の元職がいて調整は難しい。分裂選挙になる懸念がある上に、「裏切り者」のそしりを受けかねない細野氏に対しては、野党も絶対に対立候補を立ててくるだろう。加えて、細野氏は選挙に強いとされてきたが、これまでの支持者が今回の行動を理解してくれるかどうか分からない。 しかし、この件について細野氏を「節操がない裏切り者」とバッシングして終わっていいのだろうか。そもそも、安倍首相や麻生太郎副総理・財務相、甘利明選対委員長、世耕弘成経産相ら「保守派世襲議員」がどれだけ立派な政治家だと言うのか。2018年6月、証券会社から5千万円の提供を受けた問題で、記者の質問に厳しい表情の細野豪志元環境相 親の地盤を引き継ぎ、若くして議員になって、自民党の「当選回数至上主義」という年功序列システムの中で早く出世できる世襲議員よりも、一代で政治家になった人物の方が、時に「節操がない」「裏切り者」とされる行動を取ってでも、「生き馬の目を抜く」政界で生き残りを図るのが難しいのは明らかである。 もちろん、自民党など多くの政党が「候補者公募」を実施するようになって、政界入りの障壁は以前と比べると随分と低くなったように見える。とはいえ、今の自民党を見渡しても、若手のリーダー格で次期総裁候補と呼ばれるのは「四世議員」の小泉進次郎氏であり、世襲議員は小泉氏以外にもまだまだいる。 「地盤・看板・カバン」を持たない若者にとって、政界入りはいまだ高いハードルである。また、入っても出世するには大きなハンデがあると言わざるを得ない。細野氏の二階派入りは、選挙制度、有権者の政治意識、自民党のキャリアシステム、未熟な野党など、日本政治の構造的な問題を考える契機にすべきである。■ 派閥議員スキャンダル連発でも二階氏が「安倍政権の要」たる理由■ 前原誠司のアベノミクス批判はあながち間違っていない■ マスコミの掌返し「小池バッシング」が浅ましい

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    金正恩が「完全な非核化」に初めて言及した意味

    李相哲(龍谷大教授) 北朝鮮の「非核化」をめぐり、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長とトランプ大統領の2回目の首脳会談が2月下旬に行われる見通しとなった。だが、金委員長の「新年の辞」を読み解けば「対内的には自立経済を強調、対外的には既存の核を保有した状態でアメリカとの関係改善を図る」ことを宣言したようなものだ。 対内的には「自力更生の社会主義建設の新たな進撃路を拓(ひら)いていこう」と呼びかけ、当面は国際社会の制裁が緩和されることはなく、厳しい状況が続くことへの予防線を張ったとみるべきだ。 金委員長にとって2018年は大変な年だったのだろう。中国税関の統計を基にすれば、昨年1年間の北朝鮮の対外向け輸出総額は2億ドルに満たなかった。猛暑や集中豪雨などで農作物の作況もよくなく、この先2~5月をどう凌(しの)ぐかを心配しなければならない状況だ。 ソファに座り、新年の辞を読み上げるという「余裕」を見せたのは、困窮した国内状況を隠し、焦りを見せまいとの演出だったのかもしれないが、金委員長は今、対内的にも対外的にも難しい状況に直面している。 関係者の間では、200万人に上る餓死者を出した90年代後半の「苦難の行軍」と似た第二の「苦難の行軍」が始まるのではないかとささやかれているという。このような難局を打開し、一気に国内外の問題を解決するには、対外関係で突破口を開く必要がある。 金委員長は、対外関係では三つの目標を挙げた。それは、①事実上の核保有国としての地位を国際社会に認めさせること②制裁の緩和③外来勢力の干渉を排除し韓国との経済交流の実現、である。 では、この三つの目標を金委員長はどう実現するつもりだろうか。まず、核保有国としての地位について、金委員長は「完全な非核化へ向かっていくのは、わが党と共和国政府の不変の立場であり私の確固たる意思だ」と述べた。世界が注目した金委員長のメッセージの中で最も重要な部分と言っていい。 金委員長が初めて肉声で「完全な非核化」に言及したとして、本当に非核化へ向けて動き出そうとしているのではないかと見る向きもあるが、このメッセージを誤って受け取ってはならない。 実は、金委員長の非核化に対する姿勢は全く変わっていないのだ。金委員長は「われわれはもうこれ以上、核の武器をつくることも実験もせず、使用も伝播(拡散)もしないことを内外に宣布」したと述べている。だが、過去に製造したとみられる核の武器をどうするかについては触れていない。むしろ、過去の核については、使用しないこと、拡散しないことを約束しておらず、廃棄についても言及していない。 北朝鮮の核は、既に保有しているとみられる「過去の核」と、現在なお能力の向上を目指して核物質を増やし、高度化を図っている最中の「現在の核」(国際原子力機関=IAEAやアメリカの研究機関の報告によれば、北朝鮮は核活動をやめていない)、核施設やミサイルエンジンの実験台など核能力を増強できる「未来の核」に分けられるが、金委員長が新年の辞でやめることにしたと言及したのはあくまで「未来の核」である。 金委員長は、このような「複雑に絡んだ問題」を解決するために、トランプ大統領と2回目の会談に臨む意思を示したが、未来の核をなくすことについても、既に前提条件をつけている。つまり、アメリカが先に核の脅威をなくすべきだと主張しているのだ。実際、金委員長は新年の辞で「アメリカが(トランプ大統領が)世界の前でした約束を守るべきだ」と述べている。 そもそも、昨年6月のシンガポールにおける米朝首脳会談で、トランプ大統領が金委員長に約束した事項は二つあった。「北朝鮮の体制の安全を保障すること」と「朝鮮半島の完全な非核化」だ。「これ以上の譲歩なし」 ただ、今まで「非核化」について、米・朝・韓・国際社会では各自が異なる解釈をしてきた。特に米朝の間では決定的に違う解釈をしている。非核化とは、当然ながら「北朝鮮の非核化」だ。しかし、最近になって金委員長が約束したのは「朝鮮半島の非核化」であり、アメリカが言う「北朝鮮の非核化」は誤りだと主張する(2018年12月20日付、朝鮮中央通信の論評)。 北朝鮮は米軍の「朝鮮半島を狙っている周辺からの全ての核の威嚇の要因を除去すること」を前提にしている。朝鮮半島周辺に米軍が原子力空母や核潜水艦、核弾頭を搭載可能な爆撃機など戦略武器を展開することをやめなければならない。 また、金委員長は「韓国は外勢(アメリカを指す)との合同軍事演習をこれ以上許容してはならず、外部からの戦略資産をはじめとする戦争装備の搬入も完全に中止されなければならない」と新年の辞で主張した。 そして、昨年から北朝鮮が講じてきた非核化の措置にアメリカが応える番との認識を示した。北朝鮮が非核化のための一環として豊渓里(プンゲリ)の核実験場を爆破し、ミサイル発射台、実験場の解体に動いた「誠意ある先導的な措置」に対し、アメリカがそれ相応の措置を講じなければならないと述べた。 さらに、金委員長は、アメリカに「何かを強要し、依然共和国に対し制裁と圧迫を続けるのであれば、新しい道を模索する」としながら、「正しい姿勢で対話に臨むべきである」と、一方的な制裁には屈しない姿勢をみせた。要するに、これ以上の譲歩がないことを表明したのだ。 北朝鮮はこれから、最高指導者の言葉を実現すべく、アメリカが先に相応の措置を講じない限り、一歩も引き下がらないだろう。アメリカが北朝鮮の要求に応じない限り、非核化交渉は進展しないとみるべきだ。 そしてその次は、制裁緩和を狙って硬軟両面戦術を駆使するだろう。「朝鮮半島と地域の情勢安定は決してたやすくつくられたものではない。周辺の国と国際社会は朝鮮半島の肯定的な情勢発展を推進しようとする北朝鮮の誠意のある立場と努力を支持すべきだ」とし、まずは国際社会が北朝鮮を評価し、「制裁緩和」に踏み切るべきだとする。 韓国との関係については、アメリカや国際社会の干渉や圧迫を排除し、北南関係を発展させるべきだと強調する。具体的に、開城(ケソン)工業団地の事業、金剛山観光事業再開を促している。ただ、これらの事業では「代価を求めない」「条件をつけない」と言ったが、制裁突破のための手段として、なんとしても2019年にはこの二つの事業は再開させたいのではないか。 狙いは、国際社会の制裁を無力化し、韓国との経済交流で突破口をつくり、平和と協力の雰囲気を維持しながら、国際社会の圧迫をはねつけるためとみられる。 非核化交渉において北朝鮮の本音は以下の三つだ。①核施設の無力化、例えば寧辺(ミョンビョン)の核施設の凍結については、査察の段階でアメリカ、日本、韓国などが独自で科している制裁の解除を求める②核能力の廃棄、すなわち核物質の廃棄、施設の廃棄を引き換えに国連制裁を解く③保有している核については、アメリカに核保有(国)を認めさせた上で、駆け引きを続けつつ、段階を踏みながら軍縮会談に持ち込む。ドナルド・トランプ米大統領(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=2018年6月、シンガポール(AP=共同) この三つのうち、トランプ大統領は①だけについては、応じる可能性はあるかもしれない。なぜなら、トランプ大統領は金委員長との2回目の会談に意欲を示し、完全な非核化の意思を一応は歓迎する意向を表明しているからだ。 ただ、金委員長は今まで、2018年4月20日の労働党中央全体会議で採択した決定(核実験場は使命を終え、ミサイル発射実験はもはや必要ない)内容を超える非核化の措置を講じていない。それ以上の行動に踏み切るのは北朝鮮内部でのコンセンサスが必要で、形式だけでも党内の手続きを踏む必要があるが、今のところそのような気配はない。迫られる二者択一 非核化交渉で進展を見るためには、トランプ大統領がまず一定の譲歩をするしかないが、トランプ大統領の立場がそれを許すか否かが問題だ。アメリカ議会の動向が影響するからだ。 2回目の米朝首脳会談は、トランプ大統領の政治的計算によって、妥結できるか否かが決まると思うが、トランプ大統領も容易に金委員長に譲歩できないだろう。 結果的に、非核化の交渉は困難を極めることが予想され、結果的には北朝鮮を「核保有国」として認めるか、決裂するかの二者選択に帰結されるのではないか。それを占う試金石が2回目の米朝首脳会談だが、スムーズにいくとは思えない。 では、日本との関係はどうなるだろうか。金委員長は、周辺国家との関係を再構築する突破口として、まずは休戦協定を終戦協定とし、ひいては平和協定を結ぶことだが、実現するには南北だけでは無理なことは分かっている。そのためには中国の協力が必要だが、既に中国は北朝鮮にその際の立場を伝えているのではないかと思われる。 新年の辞で金委員長は、韓国に対し、米韓合同軍事演習の中止のほか、戦略資産および高高度ミサイル防衛システム「THAAD」(サード)のような戦争装備に関する武器の持ち込み中止を求めたが、それは中国の立場を一部代弁しているものとみられる。 さらに、休戦協定締結当事国との間で終戦協定を結ぶべきだという要求も突き付けているが、これも中国の意向を反映しているものとみるべきだ。 要するに、金委員長は中国という後ろ盾との関係が最も大事だという認識を持っているのだろう。新年早々に中国を訪問したが、今年は中国との関係、特に経済面での関係改善に全力を挙げるはずだ。北京の人民大会堂で歓迎式典に参加する金正恩委員長(右)と習近平国家主席=2019年1月8日(新華社=共同) ただ、中国はアメリカと北朝鮮との間で二者択一を迫られており、中国の動きによっては北朝鮮問題で大きな転換(北朝鮮がやむを得ず中国の圧迫でアメリカの要求の一部を受容)をする可能性も否定できない。 日本との関係は、非核化交渉、米朝関係の改善、南北経済交流の次に考慮すべき問題で優先順位から外れている。 ただ、アメリカとの交渉が思う通り進まなかったり、決定的に破局を迎えそうになったりした際は日本との関係改善に動くのではないか。また、拉致問題や日朝国交問題を持ち出す可能性もある。いずれにせよ、日本との関係では、米朝の結果が見え始めたタイミングで動きを見せるはずだ。■北朝鮮非核化「トランプの財布」に日本が甘んじてどうする■感情論を捨てれば見えてくる、日本「北非核化」負担のメリット■金丸信「1兆円の約束」 日本が北朝鮮を支援する道理はない

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    ゴーン事件の報復? 憶測呼ぶ五輪疑惑、日本の「人質司法」は変わるか

    舛添要一(前東京都知事) 2020年東京五輪招致を巡る贈収賄疑惑で、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長がフランス当局の捜査対象となっていることが判明した。具体的には、竹田氏が理事長を務めた五輪招致委員会が、シンガポールのコンサルタント会社「ブラックタイディングス(BT)」に計180万ユーロ(約2億3千万円)を支払ったという点について、昨年12月にフランス当局が竹田氏に事情聴取を行ったという。 フランス当局は、BTのイアン・タン代表が、国際陸上競技連盟(IAAF)のラミン・ディアク前会長の息子、パパマッサタ・ディアク氏と関係が深く、招致委が支払ったコンサルティング料は、東京開催に向けた票の取りまとめのためのディアク氏親子への賄賂だったのではないかという疑いを持っている。ディアク前会長は2013年まで国際オリンピック委員会(IOC)の委員も務めていたし、息子のパパマッサタ氏もIAAFコンサルタントで、五輪招致には大きな影響力を発揮できる立場にあった。 大きな捜査権限を有する予審判事が手続きを始めたということは、重大な事件であることを意味し、ほぼ公判に向かうということを予想せざるを得ない。 都知事在任中、私は東京五輪の準備のために多くのIOC委員と会ったが、金銭感覚も雰囲気もそれまで私の経験したことのないものだった。また、過去の招致についてさまざまな黒い噂も聞いたが、このディアク氏親子についてもそうである。最近は随分改善されたと思うが、今でもさまざまな疑惑が話題に上ることがある。 予審判事による今回の贈収賄疑惑の捜査について、竹田氏は15日午前に会見を行い、「コンサルタント契約に基づいた正当な対価だ」と従来の主張を繰り返した。ところが、会見は約7分間で終わり、「フランス当局が調査中の案件のため」との理由で質疑には応じなかったため、詰めかけた内外のマスコミの不興を買った。 そもそも、この「事件」については3年前に話題になり、国会でも取り上げられたが、JOCの調査チームは2016年9月に、日本の法律やフランスの刑法、IOCの倫理規定に違反しないと結論づけている。日本ではこの問題が解決済みと認識されていたのであり、今になって再浮上したことは驚きをもって受け止められたようだ。 そこで、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告の逮捕劇と何らかの関係があるのではないか、「フランス側の報復か」「ゴーンと竹田の取引か」「意趣返し」だといった臆測が内外で流れている。そのような臆測を呼んだのは、二つの「事件」の展開のタイミングが絶妙だからである。私もその「偶然の一致」には驚いた。2018年1月、2020年東京五輪誘致を巡る贈収賄事件に関する会見に臨む日本オリンピック委員会の竹田恒和会長(川口良介撮影) まず、ゴーン被告が逮捕されたのが昨年11月19日で、フランス当局が竹田氏を聴取したのが12月である。年が明けた1月11日に、東京地検がゴーン被告を追起訴し、弁護人は保釈を請求した。この日、フランス紙ルモンドは、フランス当局が竹田氏を捜査対象にすることを報じたのである。 この流れを見ると、これ以上ゴーン被告の勾留を続けるならば、フランスは竹田氏を標的にするというメッセージだと思わざるを得ない。あまりにもタイミングが合いすぎる。日産の親会社であるルノーの筆頭株主はフランス政府であり、百戦錬磨の外交巧者であることはよく知られている。フランス流の司法を貫く 実際には、ゴーン逮捕の数カ月前から竹田氏の事情聴取の日程が決まっていたので、「意趣返し」というのは間違っているという報道もある。しかし、フランスの新聞が捜査状況を報道した1月11日というタイミングに何か裏があるように感じる。捜査の進展具合をマスコミにいつ発表、あるいはリークするかを決めるのは司法当局の裁量だからである。 ゴーン逮捕劇の「副産物」は、欧米先進国から見た日本の司法制度の「異質性」に国際的焦点が当たったことである。長期の勾留、取り調べに弁護士が同席できないことなどが挙げられる。 これまで、わが国では司法だけは聖域で、いかなる批判も許されないという空気が強かった。だが、こうして海外からの批判に晒(さら)されると、国民の間に制度の見直しを検討してもよいという意見が強まる可能性がある。そして、それは悪いことではない。 ゴーン被告の家族からも、検察の「非人道的な」取り扱いに批判の声が上がっている。 1月8日の勾留理由開示手続きにゴーン被告が出廷する前に、息子のアンソニー・ゴーン氏は、1月6日のフランスの日曜紙ジュルナル・デュ・ディマンシュのインタビューで「愛する人が世間から完全に隔絶され、そこから出る条件が自白しかないとすれば、悪夢を終わらせる方法を見つけたいと思うだろう」と述べた。これは、長期勾留を可能にし、それをてこにして自白に追い込む日本の司法制度に対する痛烈な批判である。 また、妻のキャロル・ゴーン氏は、夫が日本の拘置所で「過酷な扱い」を受けていると、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチに書簡を提出して訴えた。その中で彼女は、長期勾留によって自白を引き出そうとする手法や弁護士の立ち会いが認められない取り調べについて言及し、「夫のような扱いは誰も受けるべきではない。日本のような先進国ではなおさらだ」と主張している。また、同団体も、ゴーン逮捕劇のおかげで長年看過されてきた日本の「人質司法(hostage justice)」制度に世界の注目が集まるようになったと指摘している。 このように日本の司法制度に対する国際的批判が強まっている中で、竹田氏がフランス当局の捜査対象となったのである。単純な比較はできないが、ゴーン被告は長期勾留され、竹田氏は勾留されないままフランス当局に事情聴取されている。日仏の司法制度の相違が見事に浮かび上がったという他はない。 15日、東京地裁はゴーン被告の保釈を認めない決定をした。証拠隠滅の恐れがあると判断したようである。保釈請求が却下されたことで、あと少なくとも2カ月間は勾留が続くとみられ、この勾留の長期化は、世界から批判を浴びそうである。東京地裁は、保釈を認めなかった理由をきちんと世界に説明しなければならない。カルロス・ゴーン日産前会長(中央)の保釈請求を認めなかった東京地裁(左)と、東京地検特捜部の入る法務・検察合同庁舎(右) これまでも、日本の司法は対外的に十分な発信をしてこなかった。しかし、ゴーン被告の逮捕によって、世界から日本の司法制度が注目されるようになってしまった。国内向けには「聖域」として批判を排除できたかもしれないが、もはや国際的にそれが可能な時代は去ったと言ってよい。 日本が日本流の司法を貫くように、フランスもフランス流の司法を貫く。フランスの刑法に従えば、公務員でなくても竹田氏とディアク前会長の間で贈収賄罪が成立する可能性がある。今後の展開は予断を許さない。■「階級社会フランスへの挑戦」ゴーンの原点はここから始まった■ゴーン氏逮捕の決め手「内部通報」はどういう制度か■東京地検特捜部、ゴーン会長逮捕に「米国の陰謀」はあったか

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    拝啓、ZOZO前澤友作様「1億円バラマキ、本当に下品です」

    藤田孝典(NPO法人ほっとプラス代表理事) 衣料品通販大手ZOZO(ゾゾ)の新春セールが史上最速で取扱高100億円を突破したとして前澤友作社長が私財から100人に100万円ずつ総額1億円を配る「お年玉」企画をツイッター上で行い、話題をさらった。 企業拡大の一方で低賃金労働者を利用し、貧困や生活困窮を生み出しておきながら、このような「お年玉企画」で人々に夢を見させて、夢を語らせ、成金経営者の承認欲求や満足のために利用する姿は見るに堪えない下品さがある。 私は昨年、コミュニケーションデザイン室長、田端信太郎氏とAbemaTVやツイッターなどで議論を続けてきた。さらに前澤社長ともツイッターでやり取りを行い、彼らの欺瞞(ぎまん)性を指摘し続けてきた。なぜなら、同社は社員が働きやすい企業、従業員が楽しく働ける企業であるという「ウソ」を喧伝(けんでん)してきているためだ。 近年、東証に上場する企業、急成長する企業は、派遣労働者、非正規雇用を大量に利用して利益をあげてきた。彼らの富の源泉は、低賃金労働者への労働力搾取に起因している。その成長や利益の背後には、大量の派遣労働者が存在している。彼らの言う社員や従業員のなかに派遣労働者は含まれていないばかりか、正社員との待遇差別も著しい。 派遣や非正規は好きでやっているのではないか、という意見もあるが、「不本意非正規の状況」(厚生労働省)によれば、正社員として働く機会がなく、非正規雇用で働いている者(不本意非正規)の割合は、非正規雇用労働者全体の14・3%(平成29年平均)である。相変わらず、不本意非正規の数も多い。記者発表会でプレゼンテーションするスタートトゥデイの前澤友作社長=2018年7月3日、東京都港区 これは大きな問題である。日本の相対的貧困率は15・7%(平成27年)と主要先進国の中でも高い。日本は貧困に苦しむ国民が多い国である。なかでも働く労働者の貧困であるワーキングプアは大きな社会問題となっている。 子供の貧困も働く親の所得の低さに原因があり、その背景にはワーキングプア問題がある。特にシングルマザーの貧困は、先進諸国最悪の相対的貧困率を記録するほど深刻であり、女性のひとり親の多くが非正規雇用で働いている。 ZOZOの倉庫作業などを担う派遣労働者のなかにも、生活苦を抱える人々が含まれていることは容易に想像できることだ。要するに、ZOZOの利益の源泉は、大量の派遣労働者や非正規雇用を抱え、ワーキングプア問題と不可分であり、多くの犠牲を強いながら生み出されたものなのだ。ZOZOで働く労働者の声 同社は、これら低賃金労働者の存在に甘えて、株価の高騰や企業の成長を維持しているにすぎない。どれだけ株価高騰、企業価値の向上は経営陣の手腕だと言おうが、現場の労働者がいなければ生産や流通を担えないし、富は絶対に発生しない。古くはカール・マルクスが19世紀に大著『資本論』において喝破した内容である。 このような背景があるからこそ、私たちは昨年12月31日に労働組合のメンバーとZOZO新習志野の倉庫付近で派遣労働者に対し、街宣活動を行った。そこでは、大量の派遣労働者が「ZOZOBASE」と書かれたバスでピストン輸送されて、工場の配送作業を支えていた。 この街宣活動に至った理由は、私の元に派遣労働者から匿名で相談が寄せられたからでもある。相談は業務内容に比例して賃金があまりにも安いというものだ。正社員の賃金や待遇は一定程度担保されているが、派遣労働や非正規の現場は凄惨(せいさん)だというのである。 彼女の訴えによれば、時給は3年間働いても1000円のままであり、責任をもって顧客の配送先である住所や名前など個人情報を扱うにしては低すぎるというものだ。これらの信ぴょう性を確認するための行動だった。 新習志野で多くの派遣労働者と話をすることができた。前澤社長や田端氏は現場の倉庫には足を運んで派遣労働者の声を聞いていないことも理解できたし、匿名の彼女の訴えは真実だとも理解できた。実際に新習志野で話した20歳代前半男性の派遣労働者は「僕の時給は1000円です。個人情報を大量に管理していますし、この賃金では安いと思います。社長が1000億円もかけて月に行くというなら僕らの賃金を上げてもらいたいというのが正直なところです」と語った。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 彼の職務内容を聞けば、責任ある正社員が行うべき業務を派遣労働者が低賃金で担っている。ZOZOのインターネットのサイトではこのような労働者の姿は見えてこない。しかし、皆さんのもとに届く注文品は、派遣労働者が低賃金で配送作業に関わっているものだ。安いものには誰かの犠牲が必ず生じている。注文する前にどのような工程で商品が届くのか、再度検討してみてほしい。 それでもZOZOの田端氏は派遣労働者を酷使しているくせに、ツイッターなどで「過労死は自己責任」や「誰にでも出来る仕事の給料は上がらない」といった上から目線で労働者を蔑視する主張を繰り返してきている。不都合な真実は隠す さらに、顧客に対してZOZOに取り入るように、モバイル決済アプリ「LINEpay」を通じて、個別にクーポンを配布することを展開してきている。現金配布ではないが、それに近いことは過去に行ってきたのである。 そしてその延長線で、前澤社長は「お年玉企画」と称した行為に至った。企業経営者が現金配布をなぜしなければならないのか。過去にそのような愚行に及んだ企業があっただろうか。 私たちはこのような現金による無作為な配布を要求することは一切していない。利益を上げているのであれば、派遣労働者や非正規労働者の賃金を引き上げるべきだと述べてきた。それらはいまだに実現していない。 末端の労働者を重視しない企業であれば、株価にも影響するだろう。実際にZOZOの株価はピーク時(5000円弱)と比較して、直近では2000円程度まで下げている。私たちは企業の敵ではなく、適正な経営を促していきたいと思っているのだが、一向に聞く耳を持たないことは残念である。引き続き現場の労働者の声と共に改善要求をするまでである。 そもそもZOZOはなぜここまで短期間で利潤を追求できて、成長も続いてきたのだろうか。社長の手腕なのだろうか。そんなわけないだろう。低賃金の労働者が大量に役割を担ってきてくれたからではないか。それらの人々への敬意や感謝の念が感じられれば、ここまでわれわれが問題視することもなかったであろう。 要するに、首尾一貫して、ZOZOの急成長や膨大な利益を生んできたのは、派遣労働者や非正規雇用を大量に利用し、労働者を搾取してきた構造ではないか、ということである。月旅行を契約し、記者会見でポーズをとるZOZOの前澤友作社長=2018年10月9日、東京・有楽町の日本外国特派員協会 これに対して、ZOZOは派遣労働者を含む非正規雇用が自社でどれだけあるのか、一貫して開示していない。不都合な真実はあくまで隠したいようだ。 私はブラック企業ユニオン、首都圏青年ユニオン、プレカリアートユニオン、エキタスなどの労働組合や市民団体と共に、「お年玉企画」といった煙幕に巻かれることなく、企業の利益の源泉を追求し、貧困や格差の原因にメスを入れていきたいと思っている。 まともな改善要求を受け入れるのか、それとも批判とともに沈みゆく企業として汚名を残すのか、2019年はその真価がZOZOに問われることとなるだろう。ぜひ消費者、投資家は引き続き厳しい視線でZOZO関係者の言動を注視していただきたいものだ。■剛力彩芽はきっとZOZO前澤友作氏を踏み台にする■2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」■母子家庭の子供は「問題行動を起こす」という言説の欺瞞

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    「南青山は成金趣味の街?」児童相談所建設、反対派の困った論理

    舛添要一(前東京都知事、元厚生労働大臣) 東京都港区が南青山に児童相談所を建設する計画が公表され、一部住民が反対の声をあげて、大きな話題となっている。この問題は、テレビのワイドショーなどで取り上げられて全国規模の話題となり、芸能人をはじめ、さまざまな立場の人たちがコメントするに及んでいる。今のところ、反対派住民に対する痛烈な批判が圧倒的に多くなっている状況である。 ある事やある人物が問題になり、そこに焦点が当たると、全マスコミが集中して報道し、標的にされた者のほとんどは「討ち死」にしてしまう。2018年を振り返ると、スポーツ界のパワハラ問題がそうであり、引退する力士や辞任する監督が相次いだ。 テレビは視聴率、週刊誌は部数が命であるから、それが稼げるネタを探しまくる。そのような材料として、あるテレビ局が取り上げたのがこの青山の児童相談所建設問題だったのである。10月中旬のことである。 都知事を辞めて2年以上が経過し、しかも都ではなく、港区が行う事業なので、私も話題を知ったのはそのテレビ番組がきっかけだった。とにかく「青山ブランドの一等地に迷惑施設を造られるのは困る」、「地価が下がる」、「港区からの説明がない」、「事業費が高すぎる」など、反対派住民の言い分通りの番組作りであった。 反対派の火種に油を注いだつもりだったのであろう。港区は10月12日と14日に住民説明会を行っていたが、番組は会に集まった反対派住民の意見を反映させたものにすぎない。この住民説明会はテレビで中継されたわけでもなく、賛成派の意見が紹介されることもなかった。そもそも、賛成派はこの説明会には参加していなかったのではなかろうか。 その後、他のマスコミ、特に朝日、読売といった全国紙がこの話題を取り扱うに及んで、少しずつ風向きが変わってきた。さすがに、新聞記事はテレビ電波と違って活字が残るので、データも間違いないように注意してあるし、賛否両論を併記するようにしてある。また、テレビのワイドショーのように、芸能人が思いつきで述べたコメントではなく、専門家、有識者によるきちんとした見解が掲載された。 その後、児童虐待や不動産鑑定の専門家もテレビのゲストとして招かれるようになり、反対派住民などの無知や誤解を正していったのである。10月中旬に偏見に満ちた内容の放送を流した番組も、今では反対派住民の批判を展開している。確かに、誤りを正すことは悪くないが、テレビの安易な番組作りの実態がよく分かる。 そもそも、番組作りに当たるテレビ局や下請けプロダクションのスタッフは、児童相談所とはどういう施設かということも調べずに作業をしていたのではないか。もしそうならば、反対派住民と五十歩百歩である。都立青山公園(ゲッティイメージズ) 青山での児童相談所建設計画に反対するのなら、児童相談所に関する基本的な事実くらいは調べてから、発言したらどうなのか。インターネットで調べれば、情報はすぐに入手できるはずなのに、それも行わないで発言するのならクレイマーの資格もないと言わざるをえない。 私は若いころ、表参道交差点の近くに住んでいたことがあるが、そこは今回の建設予定地、南青山5丁目の近くである。青山通りや骨董(こっとう)通りから一歩奥に入ると静かな住宅地となる。地下鉄の便利がよいことは最高であったが、日常生活に必要な買い物などは不便である。「反対派の怒号が地価下げる」 もともと、青山という地名は徳川家康の家臣、青山忠成の下屋敷地だったことに由来する。1920(大正9)年に明治神宮が創建され、表参道も整備される。戦後は、1964(昭和39)年の東京五輪を前に、青山通りが拡張され、その後70年代から80年代にかけてファッションの街として有名になった。 確かに、ファッションの街としてのブランドはあるかもしれないが、もともとは中流階級の住む落ち着いた街であった。五輪後に移住してきた人たちには、「成金趣味」と言ってよい人もいる。 私は、その後、大田区の田園調布に移り住んだが、ここは1918(大正7)年に渋沢栄一らが開発した街であり、大きな屋敷も多く、青山よりも風格がある。ブランドかどうかは他人が判断するものであり、そこに住む者が、それを理由に他者を排除しようとすると、傲慢(ごうまん)だとの誹(そし)りを免れない。 マスコミが賛否両論を公平に伝えるようになった後の12月14、15日に、多くのテレビカメラが取材する中で、住民説明会が開かれた。会は、賛成派も含めて約300人が参加する大盛況だったが、これはマスコミ報道の影響であろう。 そして、この説明会で反対派住民は致命的な失敗を犯したのである。彼らは、「南青山には児童相談所は似合わない」と青山ブランドを鼻に掛けたり、「周囲には高級マンションがたくさんあり、子どもが泣いたら近所迷惑になる」と児童相談所についての無知を晒(さら)したり、「なぜ青山に造るのか」と説明済みのことを蒸し返したりしたのである。 このような発言が全国に放送されると、一斉に非難の的となった。テレビにネタをタレ込むのと同じ手法が、何千万もの人が見ている全国放送で通用するはずはない。「児童相談所建設で地価は下がらない。反対派住民の怒号こそ地価を下げる」という不動産鑑定士のコメントが、反対派住民の敗北を象徴的に物語っている。 香川県から目黒区に転居した5歳の女児が虐待されて、昨年3月に死亡した事件はまだ記憶に新しい。この事件のような児童虐待が大きな社会問題になっているときだけに、虐待された子供たちを救う施設の建設には反対する理由はないのである。児童相談所設置を巡り東京都港区が開いた住民説明会=2018年12月14日夜 港区側の説明にも不十分な点があったかもしれないが、少なくとも児童相談所は産業廃棄物最終処分場とは違うのであり、青山ブランドを傷つけることにはならない。逆に、虐待された子供を救出するための施設があることが、かえって街の価値を上げることにもつながる。 児童相談所については、東京都と特別区がどのような役割分担をするのかが大きな問題となる。例えば、世田谷区は2020年度に児童相談所を開設する予定であるが、世田谷区には都の世田谷児童相談所が既にある。二つ併存する理由を見つけるのは困難である。世田谷以外の区で都の児童相談所があるのは、足立、江東、北、品川、杉並、新宿の6区であるが、ここに区の児童相談所を造らねばならない理由をどう説明するのであろうか。 さらには、地方自治体は国有地の払い下げを優先的に受ける権利があるが、その活用方法については、広範なコンセンサスを得る努力が必要であろう。今回の児童相談所の建設問題は、青山ブランド騒動を超えて多くの議論すべき問題を内包していることを指摘しておきたい。■アパマン爆発事故「不動産屋はぼったくり」は本当か?■「プラ製ストローは害」という欺瞞に日本人が付き合う道理はない■むしろ避難しない方が安全? 「防災マップ」はこんなにもヤバい

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    アパマン爆発事故「不動産屋はぼったくり」は本当か?

    門傳義文(ラインズマン代表取締役) 「やっぱり不動産屋はぼったくり?」。こんな声が聞こえてきそうな問題が平成最後の師走に起きました。 12月16日、札幌市豊平区の不動産仲介「アパマンショップ平岸駅前店」で爆発事故が発生しました。負傷も多数出ましたが、隣接する居酒屋や周囲の建物のガラスが割れるなど、火元から数百メートル離れたところでも被害が確認された爆発事故となりました。第一報を聞く限り、きっと多くの人が居酒屋内のガスボンベが爆発の原因だと思ったことでしょう。しかし、捜査当局や消防当局のその後の調べで、原因はアパマンショップ社員が大量の消臭剤スプレー缶を処分中に起きた爆発事故だったことが明らかになりました。この報道がきっかけとなり、今度は賃貸物件仲介業者のずさんな実態に批判の声が上がりました。 かくいう筆者も不動産を扱う仕事をしているのですが、不動産関係者が集まった忘年会では、この話題で持ち切りになったことは言うまでもありません。そこで本稿では、今回の爆発事故を機に不動産業者からの目線で、あまり知られていない賃貸物件仲介の実態や問題点などを解説していきたいと思います。 まず、大爆発を引き起こすほどの消臭剤がなぜ不動産屋にあったのか。ここが最も疑問に感じた部分でしょう。そもそも、賃貸物件の契約時の付帯商品には「消臭代」というものがあります。要は、入居前に行う消臭や除菌、抗菌にかかる作業工賃のことです。 不動産の募集要項では以下のように、備考欄に小さく記載されています。ただし、これはすべての賃貸物件に付いているわけではありません。後述しますが、一部の賃貸物件だけです。 この消臭代は、借主がリクエストするものだと思う人もいるでしょうが、実際には半ば強制的に抱き合わせとして販売されるケースがほとんどです。 不動産賃貸の契約における「抱き合わせ商法」は、本来NGなのですが、グレーゾーンとして一部の不動産業者では慣例化しているのが実態です。この抱き合わせ商品の在庫こそ、件の爆発事故が起きた店舗に大量の消臭剤があった理由だと思われます。 では、東京都内ではどのくらいの物件に消臭代の抱き合わせ物件があるのでしょうか。私たちが活動するエリアで調査したところ、対象になっていたのは以下の地域でした。新宿、目黒、世田谷、渋谷、中野、杉並、豊島、板橋、練馬の9区です。 上記の表が示す通り、募集物件の約3%で消臭代が付いているのが実態です。これは、賃料が安い物件のほか、敷金や礼金が無しの場合に多い傾向があります。不動産賃貸業の主な売り上げには、管理費や仲介手数料、リフォーム関連、アパート建築、付帯商品(保険など)があります。 もちろん、各不動産業者の営業スタイルによって内訳もさまざまです。今回、問題となったアパマンショップは、運営会社が「アパマンショップリーシング北海道」で、名前に「リーシング」も付いていることから、入居者あっせんによる仲介手数料が主な売り上げだったと考えられます。 賃貸の仲介手数料というのは、成約時に賃料の1カ月分というのが一般的です。なぜなら、ルールである宅地建物取引業法(宅建業法)では、借主もしくは貸主からそれぞれ賃料の0・5カ月分以内が原則ですが、依頼者の承諾があれば、1カ月分を上限に借主、貸主のどちらか一方からも受け取れると定めています。ゆえに、借主から1カ月分というのが慣例となっています。 実は、この仲介手数料の上限が賃料の1カ月分という決まりが、不動産賃貸業を難しくしている一面でもあります。同じ仲介の仕事であっても、賃料の1カ月分という不条理な実態があり、これが今回の問題の大本(おおもと)になっていると考えられます。 爆発事故が起きたアパマンショップのエリアでは、一室10帖(じょう)の賃貸マンションの家賃相場が約4万円だったそうです。東京都内で同じスペックの物件となると、10万円前後の家賃になりますから、仲介業者が同じ仕事をしても1回の契約当たり6万円程度の差が出てしまうことになります。仲介手数料を上げるべきか また、件のアパマンショップのサイトを見てみると、仲介手数料が無料という物件も多く掲載されています。では、その差額や無料サービス分をどうやって補填(ほてん)しているでしょうか。実はこれこそが前述した「付帯商品」のカラクリなのです。 つまり、仲介手数料だけではビジネス的には成り立たなくても、付帯商品などを多く販売することで売り上げをかさ増ししているのが実態なのです。「仲介手数料無料」の宣伝はインパクトが大きいだけに、最近ではこのようなビジネスモデルの不動産業者が確かに増えています。 もう少し付帯商品の例を紹介してみると、入居前の消臭代の他に、簡易消火器や24時間サービス、更新事務手数料などがそれに当たります。むろん、いずれも割高なケースがほとんどです。 また、更新料がある地域は限られますが、これまでは「1カ月」という金額が一般的でした。最近は更新料1・5カ月、さらに事務手数料も上乗せして徴収されるような物件も増えているようです。「仲介手数料だけでは十分な利益が得られず、ビジネスとして成り立たない」。募集図面に記載された備考欄はそれを如実に表わしているメッセージと言えるでしょう。 次に賃貸の成約件数が下降しているという背景が分かる下記のデータ(2018年12月発表「日管協短観2018年上半期4月から9月」公益財団法人日本賃貸住宅管理協会日管協総合研究所)を見ていただきましょう。 日管協総合研究所が年2回発表している日管協短観で、不動産賃貸の市場を分析し分かりやすくまとめてあります。同研究所のコメントによると、「賃貸の成約件数は下降しており、賃貸仲介の売り上げは横ばい、付帯商品の売上は下降」とあります。 このデータから今回の爆発事故を考えると、目標とする成約数に達しなかったために、付帯商品である消臭剤が大量に余り、自ら処分せざる得ない状況に追い込まれた可能性があります。 こうした問題の本質としては、賃貸の仲介手数料が時代に合わなくなっていることも要因の一つでしょう。賃貸の場合、特に地方は賃料も安く、仲介手数料では割に合わなくなっているからです。付帯商品で補填するか、物件情報を囲い込んで手数料を上げるしか売り上げを増やす方法がないのです。 そもそも論ですが、なぜ賃料の1カ月分が仲介手数料の上限なんでしょうか。先にも記しましたが、仲介の仕事はケースよっては楽な場合もあり、逆に時間やコストがかかり、賃料1カ月分では割に合わないこともあります。もっと良い決め方があるのではないかと個人的には思います。 この実情を踏まえれば、今回の事故でイメージがついた「アパマンショップ=悪質」ではなく、所管官庁である国土交通省の一部マーケティング不足による、末端業者へのしわ寄せの方が事の本質と言えるのかもしれません。宅建業法で定められた仲介手数料の上限が「賃料の1カ月分」という時代遅れとも言える規制の見直しが進めば、今後の不動産賃貸市場は良い方向に向かうのではないでしょうか。 実際、空き家急増に対処するため売買物件の仲介手数料を上げたように、賃貸の安い物件にも何かしら手を打っても良いのではないかと思います(売買では2018年4月から、400万円以下の物件の手数料上限が緩和されました)。記者会見で謝罪するアパマンショップリーシング北海道の佐藤大生社長。手前右は消臭スプレー缶=2018年12月18日、札幌市北区 人生で不動産取引を経験する回数は、指で数えるほどという人がほとんどだと思います。それゆえ、不動産業者の言われるがまま、何が正しいのか分からないまま契約してしまうケースが多いのでしょう。賃貸では、火災保険の選択肢が顧客側になく、不動産業者の勧めるプランしか選べないという実態もあります。 今回の問題を受けて、自分の不動産契約を振り返り疑問に思った人は少なくないでしょう。成約済みの物件を広告に載せて客を呼び寄せる「おとり広告」、スルガ銀行のシェアハウスをめぐる不正融資問題もあり、カモにされ、被害を受けるのはいつも一般消費者です。 重ねて強調しておきますが、業者側だけでなく一般消費者もきちんと守られるシステムになるよう、そろそろ不動産賃貸に関する規制の見直しを進めるべきではないでしょうか。今回の件をきっかけに、不動産を取り巻く環境が少しでも良くなることを節に願います。■ 廃墟か建て替えか、それとも延命か…老朽マンション「重い決断」■ 放置された「限界マンション」は公費で解体するしかない■ 残ったのは空室アパートとローン、高齢者を騙すサブリース契約の罠

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    崖っぷちの金正恩、万策尽きた文在寅「南北首脳の叫び」

    重村智計(東京通信大教授) 北朝鮮の報道や声明をそのまま信じると騙される。真実は常に隠されており、裏読みが大切だ。筆者が繰り返し唱えるこの真理を、日本のメディアや専門家はなかなか理解しない。東京都美術館では、ノルウェーの画家ムンクの作品展が開催されている。彼の代表作『叫び』は、南北首脳の現在の心境を表現しているように思える。 北朝鮮は12月17日、金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去から7年を迎えた。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は幹部を従え、父親の遺体安置廟(びょう)を訪問し「(父親の)路線を固守した」と述べた。前日には、北朝鮮外務省の米国研究所が「非核化への道が閉ざされる」との談話を出した。 これらの発言は、事態が好転しないことへの痛々しい悲鳴だ。一方で、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の支持率も40%台に突入し、なおも下降を続けている。 今、北朝鮮の指導部で何かかが起きている。ここ数カ月、日米韓の情報機関は2人の高官の動静を注目していた。1人は、統一戦線部長を兼ねる金英哲(キム・ヨンチョル)党副委員長。米朝交渉の責任者だが、2カ月以上姿を見せなかった。米国のポンペオ国務長官は交渉相手の「金英哲」と連絡がつかない、と更迭の可能性に言及していた。 もう1人は、朴光浩(パク・クァンホ)党副委員長だ。金委員長の妹の与正(ヨジョン)女史の側近とされ、大出世した。さらには、党の宣伝扇動部長を兼ね「実力者」と言われていた。それが、金総書記「七回忌」の写真に姿が見られなかった。 朝鮮中央通信は12月17日、幹部を従えた金委員長が父親の遺体が安置される錦繍山(クムスサン)太陽宮殿に参拝する写真を公開した。早速、各国の情報機関はこの写真を徹底して分析した。2018年12月17日、錦繡山太陽宮殿を訪れた金正恩朝鮮労働党委員長(奥の前列左から6人目)ら=平壌(朝鮮通信=共同) ところが、金副委員長の名前と顔は確認されたが、朴副委員長の名前と顔は発見できなかった。朴副委員長は12月10日に、北朝鮮の人権侵害や言論封殺に関与したとして、米国の制裁対象に指定されたばかりだった。核実験再開「脅し」のウラ この事実を踏まえ、金委員長の言葉や北朝鮮外務省研究所の声明を読み解くと、金委員長の苦境と「叫び」が理解できる。 金委員長は、金総書記「七回忌」に「党は7年間、将軍の思想と路線を固守し、遺訓を貫徹するために闘争してきた」と述べた。だが、この指摘は事実ではない。父親が掲げた「先軍政治」を「使命を果たし、勝利した」との理由で廃止したからだ。 その代わり、「核開発と経済建設」の「並進路線」を宣言した。軍部を納得させるために「核開発」のスローガンは降ろせなかったのである。ところが、昨年末には「核武力完成」を理由に並進路線をやめ、「経済優先」に変更した。確かに、北朝鮮が直面する「経済停滞」を打開するには正しい政策転換だが、軍部エリートの反発は強い。 その反発を意識して「金正日総書記の指示通り実行してきた」と強調し、自身の責任を回避しようとする意図がありありだ。つまり、経済開発がうまくいっていない現実を雄弁に物語っているのだ。 昨年11月末、北朝鮮は「核武力を完成させた」と宣言し、核とミサイルの実験中止を宣言した。これを受け、米国のトランプ大統領は米朝首脳会談に応じた。ところが、北朝鮮への制裁は全く緩和されず、経済も停滞したままだ。この状況に、軍エリートの間では「実験中止は早すぎた」との批判の声が聞かれるという。 そのような中で、北朝鮮外務省の米国研究所は12月16日に「制裁圧迫と人権騒動で核を放棄させられると計算したのなら、大きな間違いだ。非核化への道が永遠に閉ざされる」との声明で、核実験を再開すると「脅し」をかけた。この声明は「北朝鮮軍部の批判」を意識したもので、軍をなだめるためのものだ。2018年12月17日、北朝鮮の金正日総書記死去から7年を迎え、平壌の同氏の銅像(右)が立つ「万寿台の丘」を訪れた市民ら(共同) 北朝鮮が、米国を刺激しないように神経を使っている様子がよくわかる。もし、外務省が自ら声明を出せば、米国が反発する。それを避けるために「米国研究所政策研究室長」という低いクラスの肩書を使った。だいたい「米国研究所」が実在するかどうかも疑わしい。看板だけの存在だろう。 北朝鮮経済は、韓国の経済学者によると「17年の経済はマイナス5%成長で、18年もマイナス成長」という。経済は良くなっていない。米国の経済制裁が効果を上げているのである。金正恩「ソウル訪問」の実現度 それに加え、日米中露との外交関係も打開できていない。平壌では、金委員長が18年10月にロシアを訪問して朝露首脳会談を行い、中国の習近平主席の北朝鮮年内訪問で中朝首脳会談が実現し、その後に米朝首脳会談だとの見通しが語られていた。ところが、三つの首脳会談は全て実現しなかった。どの首脳も金委員長を相手にしてくれないのだ。 トランプ大統領は、既に北朝鮮への関心を無くしている。2019年、米国の関心は一気に次期大統領選挙へと向かう。非核化に応じない北朝鮮を相手にする余裕はない。 一方、韓国では年末に入って「金委員長の韓国訪問」の噂が意図的に流された。支持率低下が止まらない文陣営が、支持率アップを狙った「世論操作」だろう。韓国の歴代政権で、50%以下の支持率に低下した後に回復した例はない。1年後の2019年末には30%台まで落ち込むと、ソウルの政界ではもっぱらの噂だ。 文大統領は、金委員長の訪韓に期待をかけているようだが、来るわけがない。訪韓のためには、南北鉄道の開通や開城(ケソン)工業団地の再開など、国連の経済制裁解除や緩和が必要だが、米国は決して認めないだろう。 また、仮に訪韓が発表されても、韓国内で大反対運動が起こり、金委員長の写真や北朝鮮国旗が焼かれるのは避けられない。金日成(キム・イルソン)主席や金総書記の写真も踏みつけられるだろう。そうなれば、金委員長の訪韓は中止される。北朝鮮国内でも、側近が「訪韓すれば暗殺されます」と忠義顔をして反対する。 文大統領が期待する支持率回復の夢は幻でしかない。2019年からは与党や左翼勢力の中で、次期大統領候補を巡る政争がさらに激化するからだ。2018年9月、白頭山(ペクトゥサン)のカルデラ湖「天池」で、つないだ手を上げる北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(中央左)と韓国の文在寅大統領(同右、平壌写真共同取材団) 既にソウルの政界では、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長のスキャンダルの噂や逮捕の見通しが語られている。次の大統領を狙う任鍾晳(イム・ジョンソク)大統領秘書室長と朴市長の対立はソウルでは常識だ。 2019年の韓国では、左翼政権内の政争やスキャンダルが噴出し、文政権の支持率も低下、左翼政権への失望が高まるだろう。南北朝鮮ともに激動の年になるのは間違いない。■ 「同情するならカネをくれ」金正恩がプーチンを見限った理由■ 漂流する日韓関係 「ニッポン軽視」文在寅が抱えた政治リスク■ 習近平先生の怒りを買った「悪ガキ」金正恩の大チョンボ

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    埼玉新聞に突撃取材「韓国との交流事業中止はネトウヨのせい?」

    小西寛子(声優、シンガーソングライター) 埼玉県秩父市が12月から実施予定だった同市の姉妹都市である韓国・江陵(カンヌン)市との職員相互派遣事業について、市役所に抗議が殺到し、久喜邦康市長が中止を決めたという、11月28日配信の埼玉新聞のネット記事が目に留まった。 秩父市と江陵市は昭和58年に姉妹都市になり、職員派遣による交流は35年間続いている。秩父市は今年10月、一層の友好関係の発展につなげる目的で「姉妹都市間の職員相互派遣に関する協定書」を締結。職員研修の一環として毎年相互に職員1人を半年間派遣し、行政の実務研修を受けさせる計画だった。 秩父市としては韓国人観光客の誘致を狙うインバウンド事業を推進するために観光課海外戦略担当職員を12月初旬に派遣し、一方の江陵市からも12月下旬から来年1月にかけて職員の受け入れを予定していたらしい。 このニュース自体は特に気になるものではなかったが、私がやや違和感を覚えたのは記事中のある表現だった。 記事によれば、秩父市が今月5日に職員派遣を発表した後、同市にはインターネット上で右翼的な発言をする「ネット右翼」とみられる人々から、「江陵に慰安婦像があるのを知っているのか」「秩父は好きだったけど、秩父には絶対に行かない」などといった抗議のメールや電話が約50件以上寄せられたという。江陵オリンピックパーク近くの鏡浦湖のほとりにたたずむ慰安婦像=2018年2月14日、韓国・江陵(桑村朋撮影) この記事の下りで、特に気になったのが「インターネット上で右翼的な発言をする『ネット右翼』とみられる人々」という表現である。 記事の流れからみると、市役所の広報担当や同事業の担当者が取材に答えたようにも見える。もし、これが行政側の発言であったとしたら、いささか問題ではないだろうか。つい先日も、埼玉県鴻巣市のショッピングモールで開催予定だった自衛隊関連のイベントが「市民団体」の抗議で中止になったという報道があったばかりである。しかも、秩父市と同じ埼玉県内で起きた問題だった。 このときは抗議の主が「市民団体」や「市民」という表現が使われていたが、今回のケースは「ネット右翼」。しかも、この「ネット右翼」という言葉は、一般的に侮蔑的な意味合いで使われることが多い形容表現である。秩父市の職員派遣中止は本当にネット右翼による抗議が原因だったのか。どうしても真相が気になった筆者は直接、秩父市役所など関係各所に取材をしてみた。ネット右翼は新聞社の判断? 11月28日午後、秩父市役所に電話取材を申し入れ、秘書広報課を通じて以下の2点を問い合わせたところ、人事課長から下記のような回答が得られた。質問① 本件の記事について経緯を知りたいのですが、どのような流れで職員相互派遣の中止を発表されたのでしょうか。 「12月定例市議会の開会初日に、市長自らが「職員の派遣を中止した」と言及し、明らかになりました。それを受けて、地元紙である埼玉新聞記者が秘書広報課に取材に来られ、記事になったということです」質問② 記事中にあった「ネット右翼」という表現について、市がそういう表現を使って発表した事実はあるのか。 「そういう表現を市側が使ったのかどうか、ということですよね? (その前に)まず、今回の件に関しては多少誤解もあるようなんですが、江陵市との姉妹都市協定は、既に昭和58年からやってます。今年は35周年という節目でもあり、6月には江陵市の市長さんがこちら(秩父市)に来られ、その際両市長が相互派遣をやろうと合意したんです。こちらとしては市長からの指示を受け、相互派遣の事務を進めていました。 埼玉県内の自治体でも珍しい事業であり、11月5日に地元記者クラブに投げ込みの資料提供を行いました。その後、19日くらいから市のホームページ内のメールサイトを通じて、相当数の苦情が寄せられたことは事実です。 その内容は言葉に出せない誹謗中傷のようなものもありました。ちょっと大げさかもしれませんが、両市を行き来する職員に身の危険があるとか、不快な思いをする可能性は拭いきれないということから、市長が急遽中止という判断を下しました。 当然ながら、私どもから「ネット右翼」などの表現を使って説明した事実はありません。正直、こちらも驚いております。そういった状況を踏まえて再度、秘書広報課につなぎますので(そちらでも)ご確認ください」 再度、人事課長から秘書広報課につないでもらうと「担当課長が申し上げた通り、こちらでも一切そういった表現は使っていません」との回答を得た。 であるならば、記事中の「ネット右翼」という表現は、新聞社が独自の判断で使ったのだろうか。 双方から事情を聞きたいと思い、筆者の事務所を通じて同じように埼玉新聞報道部を名乗る関係者に電話で取材した。自分の名前は最後まで名乗らなかったが、この人物によれば、「まあ、その…舌足らずというか。当該部分は慌てて削除したんですけど、ちょっとネットに出てしまって…」というような状況だったらしい。 はっきり言って、この説明だけではどうにも腑に落ちない。関係者個人の見解ではなく、より正確な事実を知るために、改めて書面で埼玉新聞社に取材を申し入れた。その後、埼玉新聞からは30日午後になって、筆者の事務所宛てに下記の回答メールが届いた。質問及び回答内容は下記の通りである。質問①   秩父市役所広報課及び人事課担当者によると、「ネット右翼などの表現を用いて発表していない。埼玉新聞が勝手に書いた」とのことだが、なぜ「ネット右翼」という表現を使ったのか。 「記事作成段階で、当該表現を使用してしまいましたが、最終的には社の判断で削除しました。紙面制作工程上で削除された表現が、ネット用の原稿配信ミスでネット記事のみに残ってしまいましたが、同29日に記事を修正いたしました」質問②   「ネット右翼」について、どうお考えか。 「社としての見解はございません」 埼玉新聞社総務部からの回答は大ざっぱに言えば以上である。回答の通り、確かに当該記事は「ネット右翼」の部分が削除、訂正されている。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 原稿の配信ミスとはいえ、この記事を読んだ多くのネットユーザーは、あたかも「ネット右翼」による抗議が原因で、秩父市の職員派遣が中止になったと思ったに違いない。もっと言えば、取材記者や埼玉新聞に印象操作の意図は本当になかったのか。筆者の取材の限りでは、それは明らかにならなかったが、新聞が公共メディアである以上、明確な裏付けもないままに「ネット右翼、ネトウヨ」などと安易に用いるべきではないと思う。 いずれにせよ、秩父市の職員派遣中止は、筆者の出身地(同県川越市)とも関係するネタであり、特に気になる記事だったことには変わりない。■姑息な言論テロ『竹田恒泰チャンネル』停止祭りの内幕■「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■【長谷川幸洋独占手記】異論を封じる東京新聞と私は断固闘う

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    派閥議員スキャンダル連発でも二階氏が「安倍政権の要」たる理由

    川上和久(国際医療福祉大学教授) まずはクイズから。 次に挙げる9人の国会議員、元国会議員の共通点をあげなさい。 中川郁子、門博文、宮崎謙介、金子恵美、今村雅弘、福井照、鶴保庸介、桜田義孝、片山さつき  いずれも自民党の国会議員、元国会議員だが、彼らは不倫疑惑や女性スキャンダル、失言、政治資金疑惑などで週刊誌を賑(にぎ)わせた政治家だ。それだけではない。9人の政治家は「なぜか」という言葉を冠するのが適切かどうか分からないが、いずれも「二階派(志帥会)」のメンバーなのである。 もちろん、自民党の他の派閥でスキャンダルや失言を週刊誌に書き立てられた国会議員、元国会議員もいる。すぐに思いつくだけでも、豊田真由子氏、稲田朋美氏、今井絵理子氏など数人は挙がる。野党でも、山尾志桜里氏を筆頭に、青山雅幸氏や初鹿明博氏など、不倫やセクハラなどで週刊誌に書かれた国会議員が何人もいる。 しかし、二階派の「スキャンダル発生率」は、それと比較しても群を抜いていると言っていいだろう。それは偶然なのか、あるいは必然なのか。  中川郁子氏は衆院議員時代、同僚議員で既婚者である門博文氏と東京・六本木の路上でキスをしている写真を、2015年3月に『週刊新潮』で報じられた。折悪く「路チュー」を撮影されたのは、同じ二階派の西川公也農水相が、自身の政党支部が国の補助金を受けた企業などから献金を受けていた問題で辞任したその日だった。結局、2017年の衆院選で中川氏は落選した。 宮崎謙介氏は衆院議員時代、ともに衆院議員であった妻の金子恵美氏が出産のため入院している中、女性タレントを自宅に呼んで宿泊し、不倫していたことを2016年2月に『週刊文春』にスッパ抜かれ、議員辞職した。金子氏は2017年の衆院選で落選している。 今村雅弘氏は、2005年郵政選挙の「造反組」であり、いったん自民党から離れていた。復党後は谷垣グループに所属した時期もあったが2015年11月、二階派に入会。翌16年8月の第3次安倍第2次改造内閣で、復興相として当選7回で初入閣した。ところが17年4月、二階派のパーティーで東日本大震災に言及し「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」などと失言、この翌日に閣僚辞任に追い込まれた。2018年11月、新型インフルエンザ政府対策本部会合に臨む(手前から)片山さつき地方創生相、桜田義孝五輪相(春名中撮影) 福井照氏は、16年9月に岸田派から二階派にくら替え。18年2月に当時の沖縄・北方相だった江崎鉄磨氏が脳梗塞を発症して辞任したため、当選7回で後任大臣の座を射止めた。ところが就任後わずか1週間で、週刊文春と週刊新潮にそろって元赤坂芸者の告発や、地元選挙区での女性スキャンダルが「待ってました」とばかりに報じられた。 鶴保庸介氏は、1998年7月の参院選和歌山選挙区で初当選。以来、二階氏の側近となり、2016年8月に沖縄・北方相で初入閣した。一時は野田聖子氏と事実婚関係にあったが、大臣になってすぐに元妻からの告発が『週刊ポスト』に報じられた。今や「閣僚請負人」 桜田義孝氏は1996年に初当選した後、落選した時期もあったが当選回数は通算7回。当初、額賀派だったが、無派閥を経て2016年10月に二階派に入会、今年10月の第4次安倍改造内閣で五輪担当相となった。しかし、今や「しどろもどろ答弁」で時の人となった感がある。 片山さつき氏は、2005年の郵政選挙で衆院議員となったが、09年に落選して翌10年には参院議員にくら替え。無派閥の時期が続いたが、後に二階派に入会し、地方創生担当相の座を射止めた。ところが、就任早々、週刊文春が片山氏の口利き疑惑を報じ、続報で政治資金収支報告書の不備も突かれ、記入漏れなどを約40カ所訂正した。 ここまで書けば、「なぜ二階派ばかりなのか?」との疑問が生じるのは当然だろう。他党からの人材も「客員会員」として引き抜き、言葉は悪いが「大臣になることも難しかった人材」でさえも大臣ポストに就ける実力者が二階氏なのである。その手腕はまさに「閣僚請負人」の異名にふさわしい。しかし、当の二階氏自身も終始一貫、自民党の中で実力をつけたわけではなく、過去には自民党を飛び出した経歴を持っている。 二階氏は1983年の当選組だ。初当選後、田中派から竹下派に参加し、小沢一郎氏の側近として、93年の「政治改革」をめぐる政局では、小沢氏とともに自民党を離党して新生党に移った。 その後、新進党、自由党と党を変えていく中で、「自自公」連立政権から離脱した小沢氏と決別して保守党に加わった。後に熊谷弘元官房長官と保守新党を結成したが、2003年の衆院選で保守新党が4議席と惨敗すると、自民党に吸収され、二階氏自身は10年ぶりに自民党に復党した。 復党時の二階派は旧保守新党の4人を中心に、衆参計7人の微々たる勢力に過ぎなかった。しかも、09年の衆院選では、二階氏を除く全議員が落選し、衆参3人で伊吹派に合流。二階派は「消滅」の憂き目にあっている。 しかし、伊吹派会長の伊吹文明元財務相が2012年の衆院選後、衆院議長に選出されると、二階氏は後任会長となり、再び派閥の領袖(りょうしゅう)となった。一度は自民党を飛び出し、少数グループの「出戻り」だったにもかかわらず、である。 14年の総務会長就任に伴い、二階氏自身は派閥を退会したものの、今も実質的な派閥の領袖であり、グループは「二階派」と呼ばれている。2000年4月3日、自由党全議員懇談会に臨む二階俊博運輸相(奥左)奥の右から2人目は小沢一郎党首 二階氏のさらなる飛躍への転機になったのは「棚からボタモチ」的な幹事長就任だ。16年8月、当時幹事長だった谷垣禎一氏が自転車事故で退任を余儀なくされ、二階氏が幹事長となった。これで二階派は勢いを増し、他派閥・無派閥議員や無所属議員、他党からの引き抜きなども含め、今や二階派は44人の大所帯である。 「入閣待機組」を強引に押し込む手法に対し、他派閥で入閣できなかった議員からは「二階氏の手法は強引だ」との怨嗟(えんさ)の声が当然上がる。しかし、二階氏は全く意に介さない。「お前の派閥のボスの迫力が足りないだけだろう」とばかりに、所属議員の押し込みに成功した。安倍首相、三つの「プラス」 当然のことだが、入閣に際しては、スキャンダルなどで内閣の足を引っ張ることがないか「身体検査」が行われる。他派閥からの推薦であれば、閣僚になった途端に「文春砲」がさく裂するリスクもある。それでも二階氏は「この人はスキャンダルがあるからダメですよ」とすげなく断られたかもしれない人物を強引に押し込んでいる。安倍政権にとっては、支持率にも影響しかねないマイナス要因ではある。 だが、安倍首相にとって、二階氏が幹事長ポストにあることのプラス、マイナスを考えると、スキャンダルを抱えた入閣待機組を押し込まれるマイナス以上のプラスがあると思っているからこそ、二階幹事長の続投を黙認しているのである。では、「マイナスを上回るプラス」とは何なのか。 第一は「二階氏以外の幹事長では、政権が一挙に不安定化しかねない」というリスク管理である。最近、マスコミでは「岸破義信」(岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長、菅義偉(よしひで)官房長官、加藤勝信総務会長)などと、ポスト安倍の候補者として4人の実力者の名前が取りざたされている。 しかし、現状では二階氏に代わって、この4人のうち誰が幹事長になったとしても、その人物がポスト安倍の一番手に躍り出るのは難しい。もっと言えば、石破派などを除き自民党内で安倍政権を支える結束が一気に崩れてしまいかねない。次の総理総裁の座を脅かす心配がない二階氏が幹事長でいることが、安倍一強の「微妙な安定」のプラス作用をもたらしているのである。 第二は「参院選への盾、安倍首相の隠れみの」になり得るという点だ。2019年の参院選に向けて、安倍首相に敗戦の累が及ぶのを避ける可能性も期待できるからだ。 6年前の参院選では、自民党が選挙区47議席、比例18議席で合計65議席を獲得したが、この獲得議席は現行制度下では最多議席であり、次期参院選では自民党が議席を減らす可能性が極めて高い。誰もがこのタイミングで幹事長として敗戦の責任を取るのは避けたいところだろう。ましてや、安倍首相の責任論に発展するのは何としても避けたい。二階氏が泥をかぶって勇退するかどうかは「一寸先は闇」で何とも言えないが、来夏の参院選に向けて、ここでも「微妙な座りのよさ」があるのは確かだ。 第三は、小沢一郎氏の手の内を知り尽くした「策士」としての期待感だ。その小沢氏は来夏の参院選で野党を糾合して「最後の勝負」をかける策動が取りざたされている。特に焦点となるのは改選数1のいわゆる「1人区」、その選挙区の数は31に及ぶ。 小沢氏は、共産党も含めて野党統一候補を立て、1人区で自民党を圧倒することを狙っているとも言われる。二階氏はかつて、小沢氏とともに自民党から飛び出し、小沢氏の選挙戦術を知り尽くしている。小沢氏の裏の裏をかいて参院選勝利とまではいかなくても「敗北」を最低限にとどめることができれば、という思いもあるだろう。2018年7月、自民党の二階幹事長(中央左)から要望書を受け取る安倍首相(同右) だからこそ、「問題を起こすような閣僚を送り込んだりしたが、結果オーライだったじゃないか」というような評価を二階氏が得られれば、最後の総裁任期となった安倍首相にとっても今後の政権安定につながるのである。二階氏の幹事長続投ということになれば、ポスト安倍争いでの不安定化も避けられるだろう。 いや、それどころか、二階氏得意の権謀術数で、さらに総裁任期を伸ばす「ウルトラC」が飛び出すかもしれない。ポスト安倍の面々にとっての「利用価値」もちらつかせながら、二階派44人の「お騒がせ軍団」は、しばらくは世をはばからずに跋扈(ばっこ)することになりそうだ。

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    サウジ記者殺害「事件の黒幕」ムハンマド皇太子とは何者か

    黒井文太郎(軍事ジャーナリスト) 10月31日、トルコ検察はサウジアラビア人記者、ジャマル・カショギ氏が同国のサウジ総領事館入館直後に、最初の計画通りに絞殺されたことを公式に発表した。これまでリークの形でトルコメディアが報じてきたが、トルコ当局が認めたのは初めてだ。 遺体も発見されていない状況で、トルコが殺害の経緯を断定したというのは、やはりリーク報道されてきたように、犯行の様子を記録した何らかの音声データなどが存在したということなのであろう。 そもそも、そうした有力な証拠がなければ、サウジ当局は最後まで「自分たちは無関係」で押し通したはずだ。つまり、トルコ側は早い段階で、表向きには決定的証拠を開示しないまま、サウジにはそれをおそらく突きつけていたということになる。 トルコはこの件ではサウジを強く非難し、容疑者をトルコで裁くことや、誰の指示によるものかを明らかにすることを主張している。エルドアン大統領は11月2日付のワシントンポスト紙への寄稿で、殺害が「サウジ政府の最高レベルの指示によるもの」との見解を示したが、それでも有力視されているムハンマド・ビン・サルマン皇太子の指示疑惑については、言及を避けている。そこを突くと、サウジ当局が全力で反発することが必至なため、手加減しているという構図である。 しかし、カショギ記者殺害にムハンマド皇太子が無関係など考えられない。サウジ当局はこの犯行を情報機関である「総合情報庁」(GIP)の一部の暴走として幕を引きたい考えだが、そのストーリーには無理がある。既に明らかになっている実行グループには、このGIP要員に加えて、王族警備を担当する「王室警備隊」のムハンマド皇太子護衛チームの兵士が多数加わっていたことがわかっている。 つまり、GIPと王室警備隊皇太子護衛チームの混成部隊だったわけだが、GIPには自分たちとは全く系統が違う別組織であり、しかも自分たちより発言力が強い皇太子護衛チームを取り仕切る権限はない。そこは、ムハンマド皇太子もしくはその最側近による承認・指示がなければ、こうした編成にはならないのだ。 そして、仮に側近が指示したとしても、皇太子の了承を得ずに勝手に動くことはまず考えにくい。結局のところ、決定的な証拠はないとはいえ、誰が見てもムハンマド皇太子のカショギ記者暗殺命令があった可能性は高いと言うしかない。2018年10月、トルコ・イスタンブールにあるサウジアラビア総領事館前で、行方不明になったジャマル・カショギ記者のポスターを手に抗議デモを行う人たち(共同) 今回の殺伐とした事件を機に、2017年6月に皇太子ポストに就いて次期国王の座を公式に射止めたムハンマド皇太子が、他の王族を追放して強権的な恐怖支配を進めている実態が次々と報じられている。 この33歳の若き皇太子はこれまで、脱石油を目指して新たな産業構造への転換を図ったり、女性の権利を広げたりするなど、国際メディアでも「改革派の旗手」のようなプラスなイメージで紹介されるケースが多かった。「逆らう者は許さない」鉄の掟 しかし、国内統治に目を向けると、2017年11月にライバルだった王族多数を汚職容疑で逮捕するなど、権力層への粛清を断行。外交でも、イランとカタールを極端に敵視し、特にカタールとはイランやイスラム・テロ人脈との関係を口実に、2017年6月に断交するなど、強硬な姿勢を打ち出している。 もっとも、サウジにおける王家体制の恐怖支配は、ムハンマド皇太子がいきなり始めたわけではない。もともとサウジは徹底した警察国家であり、政治的な自由は全くない国だった。少しでも王家に批判的と判断されれば生き残ることは難しい。事実上、王家批判は存在を許されないと言っていい国家である。 反体制派としては、イスラム過激派「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」、あるいは東部に居住する少数宗派のシーア派の指導者、あるいは民主改革派ブロガーなどは、王家に反逆する者として激しい弾圧を受けた。ムハンマド皇太子の強権的な手法は、その伝統を受け継いでいるということになるが、彼の場合はそれだけでなく、ライバル関係にある有力な王族メンバーへの弾圧まで乗り出したというところまで、専制的な姿勢が徹底している。 こうしたムハンマド皇太子の強権的な統治に対しては、サウジのエスタブリッシュメント層からも批判が出ている。王族のメンバーからの批判もあるが、カショギ記者の批判もその流れにある。 カショギ記者自身はもともと王族と親しい関係だったが、ムハンマド皇太子の強権的な統治手法を批判して国外に出た。ただし、身の危険から「王室批判ではない」ことを本人はかねてより強く主張していた。 それでも、逆らう者は許さないのがサウジ王家だ。ムハンマド皇太子はそうした伝統にのっとって、批判者を「処刑」したのだろう。 もっとも、ムハンマド皇太子の暴虐は、こうしたサウジ国内の反皇太子派などに向けたものにとどまらない。実は、国外ではそれよりずっと大掛かりに「殺戮(さつりく)」を行っている。隣国イエメンでのサウジ軍による空爆がそれだ。 イエメンでは2015年から内戦が本格化した。同年1月、少数宗派シーア派系のフーシ派というグループがクーデターを実行。ハディ大統領の政権が崩壊し、同年2月にはフーシ派が首都サヌアを制圧し、政権を掌握した。2018年3月、ロンドンを訪問したサウジアラビアのムハンマド皇太子(AP=共同) それに対し、シーア派の勢力拡大を敵視するサウジが主導し、同年3月、湾岸諸国が参加する有志連合が組織された。そして、サウジ空軍を主力として、フーシ派制圧エリアへのすさまじい無差別空爆を開始したのだ。 サウジは米国から大量の新式兵器を購入しているが、そうして整備された強力な空軍による空爆により、フーシ派エリアでは一般住民の被害が激増した。民間人居住地への無差別攻撃は明白な戦争犯罪だが、こうしてサウジは非道な戦争犯罪を極めて大規模に、現在に至るも継続している。欧米も「ムハンマド離れ」 ロンドンを拠点とする中東ニュースウェブメディア「ミドルイースト・アイ」の10月29日のリポートによると、サウジの空爆が始まった2015年3月から今年末までの予想犠牲者(武力攻撃によるもの。食料・医薬品不足など人道問題での死亡は含まない)は7~8万人で、その最大の犠牲者が、サウジ主導の無差別空爆による民間人の殺戮という。 しかも、その殺戮のペースは2015年に比べて、2016年以降に急激に上がっている。2016年1月から2018年10月までの数字だけ見ても、5万6000人以上の犠牲者がカウントされているが、これは紛争初年に比べて5倍以上のペースとなる。 この殺戮のペースの急増も、原因はサウジ軍の無差別空爆の強化だ。その戦争犯罪度もより悪質になっており、病院、バスなどの交通機関、インフラ施設なども狙われていることが報告されている。 こうした非道なサウジ軍の無差別空爆を実行している張本人こそ、ムハンマド皇太子である。 彼は皇太子になる前、2015年1月にアブドラ前国王が死去して、実父のサルマン国王体制が誕生すると同時に、国防相に就任していた。前述したイエメン内戦激化は、ムハンマドの国防相就任とほぼ同時の出来事であり、同年3月のイエメンへの軍事介入を決めたのは、ムハンマドにほかならなかった。 サウジの過剰なイエメンへの軍事介入は、殺害されたカショギ記者も批判していた。ムハンマド皇太子としては、自分が最初から強引に進めてきた「政策」への批判は、もっとも許せないことだったろう。 ただし、今回のカショギ記者殺害を機に、欧米主要国もムハンマド皇太子に距離を取り始めた。イエメンでは空爆だけでなく、コレラなどの伝染病のまん延、さらには飢餓まで広く発生しつつあり、地獄のような状況になっている。 そうしたニュースを欧米の主要メディアも、ショッキングな画像とともに報じており、10月30日には米国のマティス国防長官とポンぺオ国務長官が「30日以内の停戦」を呼びかけるなどの反応をようやく示し始めている。2018年10月、トルコ・イスタンブールのサウジアラビア総領事館の入り口付近に設けられた警察のバリケード(ゲッティ=共同) サウジの軍事戦略はいまだにムハンマド皇太子の掌中にあるが、非人道的な無差別空爆に対する批判が国際社会で高まった場合、国際社会でのイメージが悪化している彼が、どのような対応をするかが注目される。 直近のサウジ軍の作戦行動を見ると、10月の空爆回数そのものは9月に比べて半減したが、標的のほとんどが民間施設で、民間人の被害は一向に収まっていない。また、大規模な地上部隊を送り込み、特に航海沿岸の港湾都市ホデイダの制圧に乗り出している。停戦協議の再開も見据えて、いまだ攻撃の手を緩める兆候はない。

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    文在寅外交は「金正恩のパシリ」と批判されても仕方ない

    重村智計(東京通信大教授) 隣国の大統領の施政に干渉する権利は、日本人にはない。それが国際政治の原則である。ところが、在日の評論家を含む韓国人は、安倍晋三首相や日本の内政、憲法問題に激しく干渉する。何か不公平だ。 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党書記長との南北首脳会談後に「ローマ法王の訪朝要請」「対北制裁緩和を欧州各国に提案」など、北朝鮮「パシリ」外交に懸命だ。この背景には、金委員長のソウル訪問実現でノーベル平和賞を目指し、大統領再選を狙う野心がある。 現行の韓国憲法で、大統領の任期は1期5年。つまり、文大統領は2022年までの任期となる。文政権は今年3月に、大統領任期を4年とする代わりに、2期まで再選可能な憲法改正案を発表した。ただし、文大統領には適用されないという。 だが、この改憲案には反対も多く、関連法案が成立しないため、国民投票にかかっていない。なお、成立した場合、文大統領にも再選の可能性は残されている。文大統領がノーベル平和賞を受賞すれば、「再選可能にすべき」の声が世論から上がる、と期待しているからだ。 文大統領は、そのためにも「ローマ法王訪朝」を実現したいと考えた。9月の南北首脳会談で、文大統領はローマ法王の平壌訪問を提案し、金委員長も同意した。これは、対北経済制裁の緩和のための環境作りで、そうなれば、金委員長のソウル訪問も可能になると期待している。 文大統領は10月18日にバチカンでローマ法王フランシスコと会見し、金委員長の「訪朝招請」を伝えた。韓国の報道機関は「法王 訪朝に前向き」と一斉に報じた。しかし、ローマ法王庁の公式声明は必ずしも「前向き」ではなかったのである。 日本のメディアも韓国の報道をそのまま引用し、「ローマ法王 訪朝に前向き」(毎日新聞)と報じた。だが、この取材と報道姿勢には、首をかしげざるを得ない。韓国の報道機関は、大統領府や政府の意向を受けた記事を報じがちだ。それに乗せられてはいけない。 日本のメディアは、ローマ法王庁に取材するか、法王庁の公式見解とイタリアでの受け止め方を報道すべきだった。明らかな取材不足だ。それでも、産経新聞だけが「北朝鮮 宗教弾圧続く」と報じた。報道の背景には、日本の特派員が北朝鮮の宗教事情を知らなかった事実がある。2018年10月、バチカンでローマ法王フランシスコ(左)と会談する韓国の文在寅大統領(聯合=共同) 北朝鮮は、憲法で「宗教的信念の自由」を明記しているが、「宗教活動の自由」は認めていない。平壌には、カトリック系の長忠大聖堂とプロテスタント系のチルゴル教会、ボンス教会がある。長忠大聖堂には、司祭はいないという。プロテスタント系の教会には「自称」牧師が存在するが、本格的な神学校を卒業したわけではない。 北朝鮮のキリスト教会幹部と信者は、ほとんどが工作機関の統一戦線部の職員である。1988年ごろ、統一工作のために、西欧と日韓のキリスト教界への浸透を目的に設立された。こうして、日本や韓国の教会は、工作員を韓国や日本に侵入させるルートとして利用されていった。文在寅が気づかない教訓 9月の南北首脳会談には、韓国カトリック教会の金喜中(キム・ヒジュン)大主教が同行し、「ローマ法王庁に南北和解と平和を伝える」と金委員長に述べた。だが、カトリック教会の大幹部なら、北朝鮮に人権弾圧と政治犯収容所の解放を求めるべきだろう。宗教活動の自由も要求してほしかった。北朝鮮では、聖書の所持は逮捕され、布教も禁止されているからだ。 北朝鮮では、多くのキリスト教指導者と信徒が処刑された。また、朝鮮戦争の際には、韓国のキリスト教指導者が北朝鮮軍に虐殺された。その責任追及と被害者への関心を、韓国のキリスト教会は忘れている。なぜか。 ところが、北朝鮮に同情する韓国のカトリック神父が少なくない。かつて当局に追われた左翼の学生や活動家の多くが「隠れみの」としてカトリック教会に入信し神父になった。 文大統領は、10月下旬にベルギーで行われたアジア欧州会議(ASEM)の席上、英仏首脳に「対北経済制裁の緩和」を呼びかけた。これはイギリスとフランスが国連安全保障委員会の常任理事国で、「国連制裁」緩和の権限を握っているからだ。北朝鮮は23日に中国とロシアを通じて、「対北朝鮮制裁緩和」の動議を安保理に提出したが、文大統領はこの動きを知り、協力したわけである。 こうした一連の動きは、文大統領が北朝鮮と連携している事実を確認させることになり、日米は不信感を深めた。これでは、文在寅外交が「金正恩のパシリ」と批判されてもしかたがない。 文大統領の「努力」にもかかわらず、ASEM議長声明では北朝鮮に「完全非核化」を求めた。また、英仏独の首脳は文大統領の要請に応じず、安倍首相の求めに応じ「対北国連制裁維持強化」を表明したのだった。この事態に、韓国の新聞も「文在寅外交失敗」と報じた。2018年9月、平壌での南北首脳会談を前にソウル中心部に展示された、4月の会談で抱き合う韓国の文在寅大統領(右)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の写真(共同) 文大統領は、なぜ「北朝鮮の代理人」にこだわるのか。支持率が低下し、大統領の求心力を失っているからだ。 憲法改正が実現しなければ、大統領任期は2022年で終わる。次の大統領を狙う与党の政治家たちにとって、文大統領再選への道を完全に断つには、現憲法の規定に従い、任期を終える方がいい。たとえ憲法改正しても、万が一にも再選の可能性を残したくない。それには次期大統領選直前に憲法改正し、文大統領には適用されない方が安全だ。 権力者は、自分が退任する時期を明らかにすると、死に体になる。この教訓を文大統領は実感していなかったようだ。 与党内では、すでに次期大統領候補を巡る思惑と駆け引きが展開されている。ローマ法王訪朝と国連制裁緩和により「金正恩ソウル訪問」を実現し、憲法改正が実現すれば「統一が近いから、大統領を変えるべきでない」と世論を操作でき、大統領再選も可能になる。文大統領の野望と「パシリ」が、北朝鮮の非核化と経済制裁の足並みを乱しているのである。

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    「プラ製ストローは害」という欺瞞に日本人が付き合う道理はない

    武田邦彦(中部大学特任教授) 環境省は「日本近海にプラスチック廃棄物が多い」と発表し、プラスチック・ストローの環境破壊を改善するため、紙製ストローを製造する企業に補助金を出すという。ちなみに、紙製のストローには防水加工のため塗料が使われており、この塗料による環境汚染については、語られない。 筆者の友人で新潟の海岸線に住んでいる方からのメールによると、「確かに海岸に漂着するプラスチックごみは多いが、その大半は中国で捨てられたことが明らかだ。また、私は一度もストローは見たことがない」という。 日本は科学技術立国と言われるが、「科学」というのは「思想」を後退させて、まずは事実を整理し、考えること、そして自分の考えを他人に押し付けないことが基本だ。だが、「環境問題」は常に他人を押さえつけるために使われてきた。 これらのことを頭に入れて論を進めていきたい。  環境省などによると、石油などから作られるプラスチックは年間約4億トン近く製造され、そのうち、約800万トンが海に放出されているという。だが、特殊で高価な工業部品以外のプラスチックは比重が1・0以下で軽く水に浮くので、もし分解されなければ海の表面を覆うはずである。すでに40年ほど前からプラスチックは大量に使われているので、海に放出されたプラスチックがそのまま漂流を続けていたら、海水面はプラスチックで覆われている計算になる。 しかし、現実はそうなっていない。ならば、プラスチックが海に流れることは道徳的には望ましくはないが、科学的にはプラスチックによる海洋汚染は当面は考えなくてもよいことになる。これは以下に示す科学的原理や、長年の実績とも合っている。 そもそも、プラスチックは油性だから海に存在する有害な有機性化合物が付着すると言われているが、魚もプランクトンもプラスチックと同じ油性である。プランクトンや魚の存在量は明確ではないものの、40億トン程度とみられ、それからみると、プラスチックの流出量は0・2%に過ぎない。ゆえに、大量の油性生物に対し、プラスチックが環境を汚染することはあり得ない。 一方、地上の生物の食料はすべてCO2(温暖化ガス)が原料であり、それを還元して作る「炭素-炭素結合(C-Cボンド)」が生物の体を作り、エネルギーを供給する。したがって、生物の死骸である石油はC-Cボンドの化合物からなり、それは人間にとっても生物にとっても最も大切なエネルギー源である。 人間はC-Cボンドをすぐに分解できないので、食料にすることはできないが、多くの生物はこの貴重なエネルギー源を利用する。海洋に流出したプラスチックは一部の微生物にとって貴重な食料であり、分解して自分の体にしたりエネルギーにしたりする。これが海洋に流出するプラスチックが減少する理由である。プラスチック製に代わり、ヒルトン大阪で使われている紙製のストロー=2018年7月29日、大阪市北区(柿平博文撮影) 環境問題でよく出される写真に「海底でのペットボトル」などがあるが、これは実に不思議である。ポリエチレンやポリプロピレンなどのポリオレフィン類ならともかく、エステル結合を持つポリエステルが海底でそのまま分解せずに存在することは不可能だからである。おそらく、この手の写真は「投下されたばかりのもの」を選択して撮影していることは間違いない。 筆者は20年にわたって多摩美術大学でデザインを教えてきたが、デザインや映像でやってはいけないことは自らの才能を生かして「事実ではないこと」を強く印象付ける手法をとることである。これは絶対「NO!」である。環境問題のほとんどがウソ 筆者の著書『生物多様性のウソ』(小学館101新書)や『科学者が読み解く環境問題』(シーエムシー出版)で詳しく書いたが、1990年から吹き荒れているリサイクルの破綻、ダイオキシンや環境ホルモンの害の他、生物の絶滅が早くなっていること、温暖化で海水面が上がっていること、森林がCO2を吸収すること、アルプスの氷が解けていること、などはいずれも一部の科学者の見解であって根拠がない。 リサイクルについては、「リサイクルしなければ8年で廃棄物処理場が満杯になる」という宣伝は、筆者が正確に計算したところ150年だった。また、「ダイオキシンは猛毒だ」と言われたときだけテレビに患者が出て、テレビが報道しなくなったら世界で一人の患者も出なくなった。今の若い人たちは「ダイオキシン」という名前すら覚えていないだろう。ゆえに、当時ダイオキシンが猛毒だと思っていた人がどういう情報ソースを持っていたかを検証することは意味がある。 さらに、環境ホルモンについては、生物の多くがオスとメスが入れ替わる事実を大衆が知らないことを狙った全くのウソであった。これは質の悪い誤報にすぎなかった。他にも、温暖化はアルキメデスの原理や相平衡の温度など中学校で教える理科でも分かる非科学的な結論ばかりである。 なぜ、こんなウソに大人がウロウロするのかというと、「科学オンチ」、「感情優先」、さらには「環境利権」がキーワードだが、もっと端的に言えば「日本人の幼児化」だろう。 プラスチックは年間4億トンも使っているから、汚染の可能性はあるが、現実には800万トン程度しか海に流出しておらず、さらにプラスチックが大量に使用されてから数十年も経て、今ごろ「海洋がプラスチックで汚染されている」という事実もないのに騒ぎだけが始まる。 特に、日本の環境省はひどい。日本近海のプラスチックのほとんどが中国で流され、それが海流に乗ってきていることを知っていて、国際的に「日本近海が多い」と表現するのだからはっきりした反日官庁である。 環境汚染を防止するというのは「まじめな活動」でなければ意味がない。「事実として海洋を汚染していること、海洋におけるプラスチックの分解が遅いこと、特にポリエチレン、ポリプロピレンの分解がどうなっているか」など重要な環境科学は研究の必要はあるが、緊急性はない。 まして、プラスチック・ストローなどは海洋に放出されるプラスチックの1万分の1にもならないことは明白だ。それを問題にするのだからまさに「幼児」と言えるだろう。東京農工大のチームが東京湾で採取したマイクロプラスチック=2015年1月 そもそも、ヨーロッパの北西に居住するアングロサクソン、ノルマン、ゲルマンというアーリア民族はややこしい。世界中で侵略を繰り返し、自分たちだけ豊かな生活をしながら、やれリサイクルだ、たばこやストローが害だと言い出して他人の生活を制限する。 でも、そんな民族が「震源地」の誤った環境問題に右往左往する日本人も魂を失ったものだ。この際、ダイオキシンやたばこの錯覚に思いを致し、日本人の誇りを取り戻してほしいものである。

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    『新潮45』最後の編集長、若杉良作さんへ

    福田ますみ(ノンフィクション作家) 2018年9月25日、36年にわたりわが国の言論界の一翼を担った月刊誌が唐突に、あまりにも唐突にその歴史を閉じた。わが国屈指の文芸出版社、新潮社が発行していた『新潮45』である。ほんの1カ月前まで、この事態を想定した者はいなかっただろう。 私は同誌に17年ほど前から寄稿している。初めて執筆したのは、確か自ら企画として持ち込んだ「狂言犯罪」についてのルポルタージュである。このときの担当者が、今回の騒動で心ならずも最後の編集長になってしまった若杉良作氏である。当時は、『新潮45』の一編集者だった。 彼とは、このときからの付き合いである。いつも原稿を丁寧に読み込んでくれ、適切なアドバイスをくれた。今回のことについて、日ごろから若杉氏に近いところにいた者として、思うところを書こうと思う。 同誌8月号で、「生産性」の記述をめぐり、杉田水脈衆院議員の論文が炎上した。確かにマイノリティーを巡る論において、この言葉を使うのはいささか配慮を欠いたとは思う。しかし、だからといって、この「3文字」だけをあえて切り取って、杉田氏を執拗(しつよう)に糾弾、攻撃し、彼女の所属する自民党本部の周りを大勢で取り囲んで「議員を辞めろ」とシュプレヒコールをし、家族への脅迫まで飛び出す事態に至るとは、どう考えても異常である。 批判も反論も、もちろんあっていい。しかし、あくまで言論の場にとどめるべきだ。ここまでの騒ぎになったのは、杉田氏が科学研究費の問題で左派系の教授を追及したり、慰安婦問題でも国連に乗り込んで、いわゆる「クマラスワミ報告」の撤回を訴えるなど、保守派として活発に活動していたことも影響していると思われる。 つまり、日ごろから彼女の活動を苦々しく思ってきた左派界隈(かいわい)が、ここぞとばかり彼女を叩くとともに、安倍政権批判にまで持っていきたかったのではないか。その証拠に、自民党本部前の抗議デモは、最後には「安倍辞めろ」の大合唱になった。 「政治家であるからには、一部の国民をないがしろにするような発言は良くない」という批判もあった。だが政治家だからこそ、少子化という、国家にとってまさに喫緊の課題に取り組む必要があり、どこに支援の重点を置くか、その優先順位を説明するために「生産性」という言葉を使ったのだと思う。休刊した新潮社の月刊誌『新潮45』2018年10月号 しかし、休刊の決定打となったのは、10月号に掲載された反論企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」が、杉田論文以上に猛烈な批判を浴びたからである。ゲイの当事者2人を含む7人の論文のうち、大きな物議を醸したのは、文芸評論家の小川榮太郎氏の「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」という論文であった。次の依頼も来ていた その中に「痴漢の触る権利も認めろ」というくだりがあったと、またこの部分だけ抜き出して猛バッシングが始まったのである。しかし、全文を通して読めば、文芸評論家独特の逆説的で皮肉を効かせた表現であり、問題となった部分ももちろんレトリックにすぎない。小川氏は「『弱者』を盾にして人を黙らせるという風潮に対して、政治家も言論人も、皆非常に臆病になっている」と言う。 LGBTに対しては、この欧米由来の概念がうさんくさいと説く。欧米のキリスト教世界やイスラム世界で、同性愛者は、つい最近まで宗教的異端者とされ、刑事罰の対象であった。あのイスラム国では殺害されていたのである。 対して日本では、歴史上、彼らに対してこのような差別はなく、かなり寛容であった。そのわが国に、欧米のムーブメントをそのまま輸入することの疑問を呈している。 今回の執筆者の一人で、ゲイを公表している元参議院議員の松浦大悟氏によれば、「国際レズビアン・ゲイ協会」は国連に加盟するにあたり、これまでともに活動してきた「米国少年愛者団体」を切り捨てたという。変えられないセクシュアリティを持つという点では、ゲイも少年愛も同じだそうだ。 つまりは、特殊な性的指向のどこまでを公に認めて支援対象にするか、その線引きが恣意(しい)的になされているわけで、LGBTという概念が曖昧(あいまい)なままであることがわかる。 その松浦氏は、論文発表後、朝日新聞の取材に答えて、杉田氏の文章には間違いもあったが、彼女を差別主義者だとは思わないと言っている。また、もう一人、ゲイをカミングアウトしている、かずと氏も杉田氏の主張に反対せず、LGBTのうちTの一部を除いたLGBは社会的弱者ではない、Tの一部以外は社会的支援の必要がないと書いている。 当事者2人がこのような主張をしているのである。「差別だ!」と決めつける人たちが彼らの論文をどう読んだのか、ぜひとも聞いてみたいところである。LGBTに関する論文掲載をめぐり、月刊誌『新潮45』の休刊を発表した新潮社(納冨康撮影) 休刊前後の話に戻る。私はこの10月号が大炎上しても、まさか休刊はないだろうとみていた。もちろん不安にはなったが、『新潮45』の編集者から「休刊も編集長更迭もない」とはっきり告げられており、編集部からは、次の仕事の依頼も来ていたからだ。 ところが9月21日の夕方、事態が動いた。それまで静観の構えだった佐藤隆信社長が、異例の声明を出したからだ。 「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」。ああこれは、編集部ははしごを外されたな。そう思った。そして、3日間の連休を経た25日の夕刻、休刊が決まった。心底雑誌が好きな男 午後5時ごろ、若杉氏直々に、私の携帯に連絡があった。「休刊になりました」。抑揚のない沈んだ声に「今までお疲れさまでした」と、私もただそう返事をするしかなかった。 社長の異例の声明と休刊に至る背景には、新潮社が抱えている作家や文芸評論家たちの、執筆拒否を盾にした抗議があったからである。作家たちは自分たちを、絶対の正義の側にいると見なしているのだろう。結局、同社は彼らの圧力に屈したのだ。 私は若杉氏と長い付き合いとはいえ、彼のプライベートを知らないし、仕事に関しても、編集部内がどうなっているのか、編集方針や企画の立て方などについても知る立場にない。私が語ることができるのはあくまで彼の一部、記事を共同で作り上げる編集者としてだけである。 「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」の7人の執筆者のうちの一人である藤岡信勝氏が、iRONNAで編集者としての彼の仕事ぶりを称賛しているが、これはいつものことである。 彼は、ライターが仕事のしやすいように、極力バックアップを欠かさない。企画が通り、一つのテーマを割り振られると、すぐさま必要な資料を過不足なく用意してくれる。その資料を読み込む中で、さらに「ここのところの資料がないかな」とつぶやくと、すぐにどこからか探し出して届けてくれる。 かなり遠方の地方取材などにも、可能な限り付き添ってくれた。2人で厳寒の秋田で何時間も、北朝鮮のスパイと疑われた人物の張り込みを続けたことは、今となっては貴重な思い出だ。 ああ、この人は心底雑誌が好きなんだな。雑誌の持つパワーを信じている。そう思わせる熱意を感じた。だから、編集実務においても一度としてミスはなかった。彼に任せておけば安心だった。 「なんだこのゴマスリは」。そう思われるかもしれない。だが、いまさら彼にゴマをすったところで何も出てこない。彼はもはや何の力も持っていないのだ。だから私は本当のことを書いている。月刊誌「新潮45」 私は、彼の名前でネット検索をすることはしていないが、今回の事件について調べているといや応なく、同誌で仕事をしていたと思(おぼ)しき人たちが、彼の過去暴きをしているのに出くわす。水に落ちた犬を叩く行為だ。そしてその多くがデマである。 雑誌『噂の真相』の後継をうたう、なんとかいうニュースサイトがある。今回の事件について、いかにもこれが「真相だ」とばかり、新潮社の社員(?)にこう語らせている。若杉良作編集長は、右派思想の持ち主でもなんでもない。上の命令に従順に従うタイプ。最近のネトウヨ路線も、売れ行き不振の挽回策として、担当取締役の酒井逸史氏から命じられていた感じだった。酒井取締役は元『週刊新潮』の編集長でイケイケタイプですからね。10月号の擁護特集も酒井取締役が事前にGOを出している。会社は役員が読んだのは発売当日になってからという意味のことを言っていたが、そんなわけがない。少なくとも酒井取締役は事前にゲラも読んでいると思いますよ。それどころか、『ここで反論すれば売れる』と企画そのものを焚きつけた可能性もある。新潮社の「不文律」 全くのフェイクニュースだ。これでは編集長はロボットかでくの坊である。そもそも新潮社には、互いの編集権には干渉しない不文律があり、各編集部は完全に独立している。役員があれこれ指示することはできないし、第一、編集部は人手不足で、部外者が事前にゲラをチェックする時間的余裕もない。 このニュースサイトは結局、責任は一編集部などにはなくもっと上の方にある。社長以下、社員全員で土下座でもしろということなのだろう。 ここでも触れているが、「16年9月号から若杉編集長が就任以来、『新潮45』は極右路線、過激路線に大きくかじを切った」という批判がある。そしてこの路線を突っ走った揚げ句に、今回の「差別事件」を引き起こしたというのだ。 しかし、新潮社の報道姿勢は本来、いわゆる「新潮ジャーナリズム」という言葉があるくらい、偽善を嫌い、建前の裏に潜むどす黒い本音を抉(えぐ)り出すというものだ。『新潮45』も例外ではない。間違っても、ポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)を忠実に守る左派的な優等生雑誌ではなかった。 確かに、部数低迷は深刻な問題だっただろう。しかし、誰が編集長を引き受けても、この状況に歯止めをかけるのは無理だったと思う。 若杉氏がこれをどのくらいプレッシャーと感じていたかはわからない。ただ、あれこれ試行錯誤をした結果、ある程度手応えをつかんだのが朝日新聞批判であり、野党批判だったということだ。もともと、朝日叩きなどは『週刊新潮』のお家芸であり、それが系列雑誌に移行したにすぎない。 若杉氏自身が戦後民主主義に対する懐疑派であり、自身の思想信条を曲げて、売り上げのために「悪魔に魂を売った」なんてことは間違いだ。東京都新宿区の新潮社 ただし彼は、右派も左派もぶっ飛ばすユニークな言論で売り出し中の評論家の古谷経衡氏や、「安倍政権の本質はカルトである」と主張する哲学者の適菜収氏をも重用する柔軟性も持ち合わせている。他の連載執筆陣にもリベラル派がいる。 つまり、読者は、特集で安倍政権を持ち上げる言説を読んだ後、連載執筆陣の安倍叩きを読まされるわけで、極端に走ったといえるほどの紙面構成には実際はなっていない。 それだけ言論に幅があるとも、過激さが中和されるともいえるが、中途半端であることは否めない。その点で、右派論客で固められた『月刊Hanada』や『WiLL』などには売り上げで及ぶべくもなかった。若杉氏にも物申したい また、ある評論家が「かつてはノンフィクション路線の雑誌で取材費もかかったけど今のやり方なら取材費ゼロ」などと訳知り顔で語っているが、もしそうなら、ノンフィクション専門の私など、とうにお払い箱になっている。 若杉氏がノンフィクションにも力を入れる姿勢は全く変わっていなかった。私はつい最近まで、同誌でルポを何本も書いている。時間も金もかかる厄介なテーマだったが、若杉氏は取材費に全く上限を設けず、あらゆるサポートを惜しまなかった。 杉田氏の論文が掲載された8月号にも、福島県における子供の甲状腺ガン「多発」のタブーに切り込んだノンフィクションライターの上條昌史氏による「放射能不安を煽って生まれた福島『甲状腺がん災害』」という良質なルポを掲載している。残念ながら反響はさほどなかったようだが、こうした意欲作さえ、あの「ヘイト雑誌」に載ったというだけで葬り去られるとしたら残念である。 しかし、今回のことで若杉氏に物申したいこともある。結局、『新潮45』は雑誌としてLGBTの問題をどう捉えているのか、編集部の見解を聞く機会がなかったことだ。10月号で、「そんなにおかしいか『杉田水脈論文』を掲載した際、7人の論文の頭に堂々と、「編集部はこう考える」という一文を掲げるべきだったと思う。 私事で恐縮だが、私は若いころから10年ぐらい前まで、よく新宿の2丁目に通っていた。常連の店が何軒もあった。すべて店を仕切っていたのはオカマのママである。彼女(彼?)たちの毒舌を聞くのは刺激的で楽しく、こちらも負けずに舌戦に加わった。でもとても仲が良かった。 今振り返ってみて、彼らは弱者であろうか。支援が必要な差別の被害者であったろうか。もちろん、生きていく上でつらいことも多かったとは思う。しかし彼らはたくましく生き抜いていた。おそらく、自らを弱者だと思ったことはないだろう。結局みな同じ人間ではないか。 ちなみに私も、杉田氏流に言う「生産性がない」人間である。結婚もしない、子供も持たない私は、彼らと飲み交わすうちに、互いの持つ孤独感に似通ったものを感じ、まったく勝手な連帯感を抱いたこともあった。新潮社本館の銘板 杉田氏の論文が「差別文書」として事実上封印されてしまった以上、今後、LGBT支援を巡る自由な意見交換はしにくくなるだろう。誰も「差別者だ」と糾弾されたくないからだ。しかしそういう状況が、LGBTの当事者にとって決して良いこととは思われない。今回の弱者は、たった1万6千部しか発行していない、不当なバッシングに対抗するすべもない『新潮45』と、当事者なのに全く意見を汲み取ってもらえなかった俺ら普通の性的マイノリティーだよ。 こんなツイートが私の目に留まった。私は、『新潮45』で仕事ができたことを誇りに思う。

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    ファン・ビンビン巨額脱税、中国当局が狙い撃つ人気女優の利用価値

    富坂聰(ジャーナリスト、拓殖大学海外事情研究所教授) ファン・ビンビン(范冰冰)は政争に巻き込まれてしまったのか、それとも軍の陰謀に利用されているのか―。杳(よう)として行方が分からなくなった女優をめぐり、中国のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では8月ごろから盛んに怪情報が飛び交った。 もっとも、ファン・ビンビンという名前を聞いても多くの日本人にはピンとこないかもしれない。だが、ハリウッド映画『X-Men:フューチャー&パスト』や『アイアンマン3』に出ていたアジア系の女優といえば、何となく顔が思い浮かぶのではないだろうか。 その国際派女優、ファンの問題が、今では日本のお茶の間でも身近な話題となった。失踪の理由が脱税であること、欧米メディアが先行して報じ始めたからである。 ファンの年収が50億円近いということも衝撃を与えたに違いないが、中国のメディア関係者によれば、「本当はその3倍、4倍であっても不思議ではない」という。 いったい何が起きたのか。「今年6月2日を最後に彼女の微博(ウェイボー)が更新されなくなり、8月から騒ぎになり始めました。同じころ彼女のパートナーでやはり有名男優のリー・チェンのアカウントまで更新されなくなったのです。犯罪絡みであれば警察が放置するはずはなく、やはり当局の何かしらの捜査対象となったと見るのが自然でしょう」(同前) 結局10月に入り、当局がファンと関連会社による約1億4千万元(約23億円)の脱税を認定、追徴金など約8億8千万元(146億円)の支払いを命じたと、国営新華社通信が報じた。ファンも微博で「法律を尊重すべきだった」と6000万人のフォロワーに向けて謝罪した。 では、なぜこの時期に彼女がピンポイントで狙われたのか。まず飛び交ったのが政争への巻き込まれや軍の関与だった。だが、そんな大げさな話ではなかったのである。中国の人気女優、ファン・ビンビン(范冰冰) というのも、彼女を名指しこそしていないが、実名で脱税を告発した人物が存在し、その影響がファンに及ぶことは早くからSNSで話題となっていたからだ。 前出のメディア関係者が語る。「元CCTV(中国中央テレビ)の人気キャスター、崔永元氏の告発です。彼はCCTVに在籍中から、メディアの中で芸能界に横行する不正なお金の流れを告発するための資料を大量に保管していて、今回、その一部を暴露したといわれています。告発の動機は芸能界への恨みです」習近平が意識した「相手」 また、関係者はこうも語った。「崔氏は、もともと『国民的』とも称される人気キャスターだったのですが、キャスターをスキャンダラスに描いた映画『手機』のモデルにされたことで精神をやられ、最終的には職を辞すことになってしまった。それだけでも恨み骨髄なのに、そのグループが新たに続編の『手機2』を制作する予定だと知り、怒りが爆発したようです。攻撃の本命は映画監督の馮小剛(フォン・シャオガン)と、エンターテインメントビジネス界の雄、華誼兄弟伝媒(フアイー・ブラザーズ・メディア)グループの王兄弟ですが、彼女も一味と見なされたのでしよう」 SNSでは、告発直後の6月にファンが崔氏に「あなたがそんなに傷ついていたとは知らなかった」と泣いて電話があり、それに対し崔氏が「知らないはずないだろう」と冷たく突き放したという話も流れている。いずれにせよ、これほど堂々と不正が告発されれば、ただで済むはずはなかった。 しかも崔氏の告発は、後付けながら当局にとって実に利用価値のあるものとなったという。別のメディア関係者が語る。 「中国はちょうど各地の税務局を国税局と一体化させる組織改革方案を7月20日付で発出したばかりで、新組織の船出に勢いをつける材料を探していた。そこに降って湧いたのがファンの事件ということです。組織改革の目的は、中央のコントロールの強化ですから、北京は勢いづくことでしょう」 また、高額所得者の象徴である芸能界のスターからきっちり税金を取り立てたことは、中国がさらに力を入れる所得の再分配にも追い風となる。 中国は今後の社会と経済の安定のために中小企業への手厚い保護と中間所得層の拡大を目標として定めている。前者の目的のため、8月20日には第1回となる中小企業発展促進会議を行っていて、また後者については低所得者のために大幅な減税に着手している。 中国の納税者を可処分所得に従って5分割して、下から3段階を対象に減税を行っているのだ。「中国を過去に逆戻りさせた」と表現される習近平国家主席の政策は、常に「持たざる者」を意識して進められてきたが、その大きな流れから見た通り、ファンの脱税にも厳しい裁きが下されたわけである。中国の人気女優、ファン・ビンビン(范冰冰) ただ、問題はファン一人が断罪されても収まらないという。 「告発は芸能界の裏の体質を白日の下にさらしてしまった。当然類は他のスターたちにも及ぶでしょう。芸能界をはじめすべてのエンターテインメントビジネスにかかわる人々は、今やもう戦々恐々です。飛ぶ鳥を落とす勢いだった華誼兄弟も、当初こそ崔さんに反論していましたが、もうすっかり静かです」 中国では映画の興行収入が日本の4倍を超え、数年で米国をも追い抜くと騒がれてきたが、その絶好調の映画界では、これから非常に冷たい風が吹き荒れることになるのだろう。

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    創価学会「最後の夢の国」池田大作はなぜ沖縄にこだわり続けるのか

    島田裕巳(宗教学者) 創価学会の池田大作氏は、第3代の会長を退いて以来、長く名誉会長と呼ばれてきた。ところが、最近、名誉会長から退いたわけではないようなのだが、「池田大作先生」という呼称が使われるようになっている。 池田氏が会長に就任したのは1960年のことで、そのときまだ32歳だった。その若さで巨大な新宗教教団を率いるのは容易なことではないが、若きリーダーの下、創価学会は、少なくとも1960年代いっぱいは、その勢力を拡大し続けた。 池田氏が初めて沖縄を訪れたのは、会長に就任してわずか2カ月後のことである。沖縄に初めて創価学会の会員が生まれたのは1954年のことだが、当時の最小単位の班はあっても、まだ支部はなかった。そこで、池田氏の提案で沖縄支部が結成される。 それ以来、池田氏は、2000年までの間に沖縄を17回訪れている。池田氏の会長としての主な仕事は、国内外を訪れ、現地の会員を励ますことにあった。 池田氏が、沖縄のことをいかに重視していたかは、ごく最近『聖教新聞』での連載が終わった『新・人間革命』の正編、『人間革命』の執筆を、1964年に沖縄の地で始めたことに示されている。 池田氏の基本的な認識は、沖縄が第2次世界大戦において悲惨な戦争の犠牲になり、なおかつ戦後は、在日米軍の基地を抱えていることを踏まえ、本土の「捨て石」になっているというものだった。その上で、基地問題を解消し、沖縄に本当の平和をもたらすべきであることを訴えてきた。1970年5月、創価学会第33回本部総会であいさつする池田大作会長=両国・日大講堂 この池田氏の主張は、沖縄の多くの人々の共感を集めるもので、その点では、平和の実現ということに力を入れてきた創価学会の指針としては重要なものということになる。ただ、なぜ池田氏が沖縄に力を注いできたのかということになると、平和の問題だけでは理解できないように思われる。 創価学会の組織は基本的に、地域別、年齢別に組織されている。地域では、現在の最小の単位はブロックで、それが地区、支部、本部、圏、分県、県へと範囲が広がっていく。性別では、性と年齢に応じて「青年部」「婦人部」「壮年部」に分かれる。沖縄の人々の生活にある「空白」 ただ、そうしたものとは別に、医者だけの集まりである「ドクター部」などというものもあるし、芸能人の入っている「芸術部」もある。さらには「団地部」や「離島部」というものもあり、創価学会ではこの二つの部の活動にかなり力を入れてきている。 団地は住民が近接して暮らしているために、人間関係は密である。そこに入り込めば、創価学会は会員を増やしていくことができる。東京都であれば、都営団地の中に創価学会の会員が多いところがあり、そうしたところでは自治会の役員なども積極的に務めている。 離島の場合も地域社会の結束が強く、その点は団地と似ている。ただ、離島は外界から閉ざされている面があり、創価学会の会員が伝統的な信仰を否定するようなことになると、住民との間でトラブルになりやすい。 ところが、沖縄の場合には、宗教をめぐる状況は本土とは大きく違う。近代以前には、沖縄独自の祭政一致の信仰体制が確立されていたものの、それは日本に組み込まれる過程で崩壊し、失われてしまった。神道や仏教も入ってはいるが、正月や盆などの伝統的な行事だと、神道や仏教と無縁な沖縄独自の信仰が今も生き続けている。 つまりそれは、沖縄の人々の信仰生活に空白の部分があることを意味する。そして、創価学会の信仰を広めるには状況として都合がいい。実際、沖縄の離島では、創価学会の会員が増えている。そのことは、公明党の選挙結果に反映されている。 前回の衆議院議員選挙は昨年10月に行われた。その際、沖縄県全体での比例代表の得票数は第1位の自民党が14万960票だったのに対して、公明党は第2位で10万8602票だった。立憲民主党でさえ、10万票を獲得できなかった。ここからも沖縄における公明党、創価学会の強さがうかがえる。 この公明党の得票数から、沖縄の創価学会員の数を推測することができる。大阪商業大にあるJGSS研究センターでは、毎年詳細な世論調査を実施しており、その中には、信仰について聞く部分も含まれている。米軍普天間飛行場の移設工事が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部=2018年8月(小型無人機から) その中で「自分は創価学会の会員である」と回答している人間は、毎年およそ2・2%である。この数は年によってほとんど変わらないので、現在、創価学会の会員は人口の2・2%と考えていいだろう。 人口の2・2%ということは、それはおよそ280万人を意味する。つまり、現在の創価学会の会員数は約280万人なのである。乳児ばかりの新入会員 前回の衆院選で、公明党は比例代表でおよそ698万票を稼ぎ出した。これは、280万人よりはるかに多いが、創価学会の会員は選挙のたびに友人知人にアプローチし、公明党への投票依頼を行っている。 698万を280万で割ると、2・5という数が出てくる。創価学会員は、衆議院議員選挙において1人が2・5票を稼ぎ出しているわけである。 これを沖縄県に当てはめてみると、創価学会員は4万3500人程度ということになる。これは、沖縄県の人口の3%にあたり、日本全体の平均よりも高い。さらに、沖縄の離島に目を移すと、本土から遠い島であればあるほど、創価学会が深く浸透していることが分かる。 石垣市では、自民党が4061票であるのに対して、公明党は5171票で、政党の中でもっとも多い。さらに西の竹富町では、481票に対して619票とかなりの差をつけている。与那国町でも278票に対して290票である。 沖縄本島より東の南大東村になると、なんと91票に対して343票と、公明党が自民党を圧倒している。しかも、全体の得票数が681票だから、公明党は過半数に達している。 もちろん、南大東島の選挙結果が国政選挙全体に影響を与えるわけではない。だが、公明党の得票数が半数を超える島の存在は、選挙活動に邁進(まいしん)する創価学会員にとっては大いに励みになる。日本全体がこの島のようになれば、公明党は第1党となり、単独で政権を獲得できるのだ。 池田氏が会員の前に姿を現さなくなってから、すでに8年の歳月が流れた。時折『聖教新聞』などに近影が掲載されるが、そこに笑顔はない。姿を現さなくなるようになる前から、本部幹部会でのスピーチからは迫力がすっかり失われていた。池田氏が、再び会員の前に姿を現し、会員全体を鼓舞することはありそうにない。中国の王岐山国家副主席(右)と会談を前に握手する創価学会の原田稔会長=2018年9月25日、北京の中南海(共同) 現在の原田稔会長も77歳になろうとしている。他の幹部も高齢化が進み、組織の刷新は図られていない。かつては「折伏(しゃくぶく)」によって信者を伸ばしていったものの、現在の新入会員は、会員宅に生まれた乳児ばかりである。 その中で沖縄の状況は突出している。沖縄は創価学会にとって、最後の「夢の国」なのかもしれない。果たして、公明党はその夢の国に平和をもたらすことができるのだろうか。それは、公明党が自民党との連立を解消しない限り、相当に難しいことであるように思われる。

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    飲酒ひき逃げ、吉澤ひとみは「孤独の病」を克服できるか

    原田隆之(筑波大教授) 人気アイドルグループ「モーニング娘。」元メンバーでタレントの吉澤ひとみ容疑者が、酒気帯び状態でひき逃げしたとして、自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反の罪で起訴された。酒を飲んだ後にひき逃げをしたというだけでも十分ショッキングな事件だが、その後の報道でさまざまな事実が明らかになるにつれ、ショックを通り越し、怒りを禁じ得なかった人も多いのではないだろうか。 まず、吉澤被告は事件の15分後に自ら110番通報したというが、すぐに停止しなかったのは、停車するスペースがなかったからだと言い訳をしていた。また、飲酒量についても過少申告し、後になって供述を変えたという。 さらに、極めつけは、ひき逃げの瞬間の動画が公開されたことだ。これを見る限り、相当なスピードで信号無視をし、横断歩道を渡っている女性をはねたことがはっきり分かる。報道によると、法定速度を約20キロ超える時速86キロで走行していたという。しかも、一度ブレーキランプが点灯したものの、その後は制止しようとした人を振り切って、むしろ加速してその場から逃げていた。 また、路肩にはほとんど停車中の車はなく、止まろうとすればすぐに止まることはできたはずで、嘘をついたのは明白だ。事故の直後で気が動転していたのは分かるが、ひき逃げという悪質さに加え、その後の言い訳や嘘の数々に至っては、醜悪としか言いようがない。 その他にも吉澤被告の行動に関しては、首をかしげたくなる点が多かった。例えば、事故当時、車で仕事に向かっていたとのことだが、朝から仕事だというのに、酒が残るほど深酒をしていたことだ。 また、そんな状態であるにもかかわらず、車で仕事に行こうと考えたことも不思議だ。タクシーを使うなり、マネジャーに連絡するなり、他の手段はいくらでもあるだろう。 しかも、彼女は交通事故で実弟を亡くしているという。そんな痛ましい経験を持つ者が、どうして平気で酒気帯び運転などできるのだろうか。そして、事故後も平気で嘘を重ねることができるのだろうか。 これらの答えは簡単である。それは、彼女が「アルコール依存症」に陥っている可能性が極めて高いからだ。実際、飲酒運転で事故を起こした人の大半が、アルコール依存症だという調査結果もある。道交法違反罪などで起訴された吉澤ひとみ被告 アルコール依存症の簡単なスクリーニングテストとして知られる「久里浜式アルコール症スクリーニングテスト(KAST)女性版」によると、「飲酒しながら仕事、家事、育児をすることがある」、「自分の飲酒についてうしろめたさを感じたことがある」、「せめて今日だけは酒を飲むまいと思っていても、つい飲んでしまうことが多い」などの項目があり、一つでも当てはまると「要注意群」とされている。 吉澤被告の場合、今回の事件を見ると、上記の項目にすべて当てはまる可能性が高いため「アルコール依存症の疑い濃厚」と判断できる。 また、世界保健機関(WHO)のアルコールスクリーニングテスト「AUDIT」では、「あなたの飲酒により、あなた自身や他の人がケガをしたことがありますか」という項目があり、これだけで4ポイント(8ポイント以上が危険性が高い飲酒者)と大きな加算となる。他に本件から簡単に推測できる項目を加算し、飲酒量や頻度などを合わせて集計すると、それらを最低限度に見積もっても、吉澤被告の場合「危険な飲酒レベル」となる。希薄な対人関係 「飲んではいけないときに飲んでしまう」「思っていた以上に深酒をしてしまう」「飲酒が原因で社会的な問題を引き起こしてしまう」「自分の飲酒には問題がないと考える」。これらはいずれもアルコール依存症の症状なのだ。 このように、吉澤被告がアルコール依存症だとすれば、朝から仕事なのに深酒してしまったこと、平気で車を運転して事故を起こしてしまったことなどは何の不思議もない。 そもそも、アルコール依存症の人にとっては、アルコールが何より大事になってしまっており、身内を事故で亡くしたことなどは、二の次、三の次となってしまう。つまり、脳がアルコールに乗っ取られた状態であり、悲しいことではあるが、それがこの病気の恐ろしいところなのだ。 また、重要な点は、アルコール依存症は単に多量の飲酒をするというだけの病気ではないということだ。世の中の大多数の人が飲酒をするのに、しかも相当多量に飲む人も多いのに、大半の人が依存症にはならない。それはなぜだろうか。 アルコール依存症だけでなく、あらゆる依存症は「関係性の病」、「孤独の病」と言われ、依存症の根本には、必ず希薄な対人関係や孤立があるからだ。 報道によれば、吉澤被告は前日、自宅で夫と飲酒をしていたというが、夫は彼女が危険な飲み方をしていることに、これまで気づいていなかったのだろうか。翌朝から仕事だと知らなかったのだろうか。車で家を出たことを知らなかったのだろうか。どれか一つでも知っていたら、この事件は防げた可能性が大きい。 家族や友人の誰もが、彼女の危険な飲み方について注意をしたり、診察を勧めたりしていなかったのだろうか。そうだとすれば、華やかな芸能界にいるように見えて、何という希薄な人間関係、何という孤独な環境だろうかと暗澹(あんたん)たる気持ちになる。 このような重大な事故を起こしてしまえば、ますます周囲から人が離れ、本人も自信や自尊心を失い、孤立を深めていく恐れがある。送検のため警視庁原宿署を出る吉澤ひとみ容疑者(奥)=2018年9月7日 事件について、罪を償うのは当然だが、どれだけ厳しい罰を受けたとしても、アルコール依存症は治らないのが現実だ。そもそも、飲酒運転については厳罰化が進んでいるが、厳罰化はこの種の事件を抑制できないというエビデンス(臨床的根拠)があり、今や常識となっている。 吉澤被告の事件を踏まえ、最も重要なことは、治療につなげることである。そして、その中で新たな人間関係を築き、これ以上自分の体や心を傷つけないようにすることだ。さらに、自尊心を取り戻し、社会生活を取り戻すことが何より大切になる。 また、その一方で、われわれ社会の側も立ち直ろうとする人を受け入れ、バックアップすることが必要だろう。自分を大切にできない人が、他人を大切にできることなどありえない。本当の償いや再出発は、そこからスタートする。

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    「力ずくでも拉致解決」覚悟なき安倍総理も河野洋平と大差なし

    荒木和博(拓殖大学海外事情研究所教授、特定失踪者問題調査会代表) 最初に河野洋平という政治家を見たのは、新自由クラブの街頭演説だった。いつだったかも、どこだったかも覚えていないが、街宣車の上に新自由クラブの幹部たち、おそらく田川誠一氏や西岡武夫氏、山口敏夫氏といった面々が並んでいた。 皆、長袖ワイシャツネクタイ姿で、なおかつワイシャツの袖はまくり上げていた。若々しい印象を与えようというドレスコードだったのだろう。 そのとき、どんな演説だったかは記憶にないのだが、熱弁を振るう河野氏の姿は今も記憶に残っている。新自由クラブは、私の所属した民社党、公明党および社会民主連合と「中道4党」と呼ばれる勢力だったので、その点でも親近感はあった。 そのときから恐らく20年ぐらいして、私は外相になった河野洋平氏と会うことになった。平成11(1999)年の、年の瀬も押し迫った12月27日のことだ。私は、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の一員で、このときは北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)のメンバーとともに面会した。 当時、政府は北朝鮮へのコメ支援を画策しており、もともと家族会や救う会との面会には消極的だった。しかし、「座り込みも辞さない」と明らかにしたところ、年末になって面会が実現したのである。このとき、河野外相はこう言った。  「外務省が表に出て第一線で当たるのに大事なことが二つある。一つは力ずくではダメ、話し合いでやらなければいけない、ということ。(中略)もう一つは国交がない。話し合いの場がない、ということ。どうやって話し合いで解決するか。一生懸命どうやれば話し合いができるか考えている」  「皆さんの気持ちを理解して、北との交渉に臨む。先方は簡単な相手ではない。政府が決めればその通りになる、というなら簡単だが、そうはいかない。先方をそういう気持ちにさせないと」2000年3月、北朝鮮に拉致された疑いのある日本人の家族らが河野洋平外相に面会。有本恵子さんの両親、嘉代子さんと明弘さん(浜坂達朗撮影) 私はこのときあまり深く考えなかったのだが、「力ずくではダメ」という言葉は何かひっかかるものがあった。今さら植民地問題 そして、それから19年たった今年の6月13日、つまり米朝首脳会談の翌日に都内での講演で河野氏は「植民地問題の処理もできていない国に、ただ(拉致被害者を)『返せ、返せ』と言っても問題は解決しない。国と国の関係を正して、返してもらうという手順を踏まざるを得ない」と言った。 北朝鮮は、暴力的あるいは騙して日本国民を北朝鮮に送り込んでいるのである。その相手から力ずくでも取り返せず、取り返すためには北朝鮮に「植民地問題の処理」なるものをして礼を尽くして返していただく、というのである。 平成11年のときはさすがに「植民地問題の処理」とは言わなかったが、「テーブルに着いて話し合わなければ、糸口がつかめない。どうしたら話し合いの場をつくれるか…」と述べ、ともかく話し合いで、という点は変わらなかった。結局、この人には政治家としての根本的なものが欠けているのだ。そのことは次の言葉からも分かる。  「外務省も皆さんと同じ気持ちでやるのだから、座り込みなどはやめて、外務省にはっきり言ってくれ。いい加減な交渉はやらない。一生懸命やる。座り込みはやめてくれ」 要は、外務大臣として拉致被害者家族に会ったのは、その問題が重要だったと思ったからではない。座り込みをされて内閣支持率や自分の威信に傷がつくのを恐れたということだ。2018年9月、浅利慶太さんのお別れの会に参列した森喜朗元首相(左)と河野洋平元衆院議長(斎藤良雄撮影)  今、こういうときに「植民地問題の処理」を持ち出すというのは加齢による判断力の低下もあるのだろうが、逆に言えば本音であるとも言えよう。しかし、「力ずくではダメ」という意味で言えば与野党含め現在の国会議員の大部分は河野氏と大差ない。 平成14(2002)年9月の小泉訪朝で金正日(キム・ジョンイル)が拉致を認め謝罪するまでは、日本の中に多数の「北朝鮮は拉致などしていない」という勢力がいて、国会議員でも動いてくれていた人はごく一部にすぎなかった。 中山正暉(まさあき)第1次拉致議連会長のように最初は威勢が良かったが、平壌に行って戻ってきたら180度言うことが変わって、「元工作員の言っていることは信用できない」とか、北朝鮮の代弁をするような発言をしていた人もいた。そういう勢力はほとんどいなくなったが、「拉致被害者を力ずくで取り返せない」という現状を認めている点では、今の国会議員も河野洋平氏と大同小異なのではないか。安倍総理も大差なし 「拉致された国民を力ずくでも取り返す」ことこそ国家の責務である。また、「シビリアンコントロール(文民統制)」を誇るなら、国会議員はそれを先頭に立って進めなければならないのに、国会でその議論はほとんどなされていない。 さらに言えば、米国の軍事的圧力に依存して米朝会談で拉致問題を出して「もらった」安倍晋三総理もその意味で大差ないといえる。日本全体が米国頼みであり、河野洋平氏の発言はある意味、そのような「戦後政治」の象徴とも言えるのではないか。 もちろん、この期に及んで「植民地問題の処理が先」というような彼の発言は、家族も含め拉致問題に関わっている人々の反発を生んでいる。個別には批判していくべきだろう。しかし永田町には「河野洋平的なもの」が蔓延(まんえん)しているのである。彼はその一つの象徴でしかない。 私は19年前、河野洋平外相の「力ずくで取り返せない」という言葉に、反論もしなかった。正直な所、「そんなものなのかな」とすら思ったように記憶している。 しかし、何となく心にひっかかるものがあったのも確かだ。その後は、拉致問題が安全保障上の問題であり、「力ずくで取り返す」努力をしなければならないと思うようになった。 もちろん、拉致被害者救出にはさまざまな方法があってよいだろう。まずは救出が優先であり、1人でも2人でも、一刻も早く取り返さなければならない。2018年4月、拉致被害者家族との面談であいさつする安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) だから「力ずく」でなければならないというつもりはない。しかし、国家として国民を救うという覚悟は、最終的には「力ずく」でなければならないはずである。 国家としての根本を失った、わが国の醜さの象徴が拉致問題である。河野氏の発言がそれを改めて考えさせてくれたという意味では、彼の存在価値もあると言えるのかもしれない。

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    「日朝極秘接触」元テレ朝記者の筋読みは甚だ的外れ

    重村智計(東京通信大教授) 北村滋内閣情報官と北朝鮮の金聖恵(キム・ソンヘ)氏が7月に秘密会談していた。日本のテレビでは、事実関係を確認していないのに、とんでもない分析や解説が流される。しかも、北朝鮮の基礎知識を無視して勝手な「妄想」が語られる。 外務省に忖度(そんたく)してか、「二元外交」などと根拠もなく批判し、日朝交渉時のアジア大洋州局長を弁護する主張まであった。本稿では日本のメディアで横行する、国民をミスリードする解説を正しておきたい。 始まりは「特オチ」だった。メディアと取材記者が、米ワシントン・ポスト紙に抜かれた。同紙は8月28日に「北村情報官、北朝鮮の金聖恵氏と秘密会談、米政府不快」と報じた。 実はこの記事、日朝秘密接触を報じたのではなかった。見出しは「トランプ、パールハーバー(真珠湾)を忘れないと発言。安倍首相との(冷めた)関係」で、あくまでトランプ米大統領に対する批判記事だ。日朝秘密接触には数行しか触れていない。 米国の新聞と読者は、日朝の秘密接触には関心がない。あくまでトランプ大統領と安倍晋三首相の関係が悪化した、と強調するために使った事実に過ぎない。「米国は日本に米朝接触の内容を教えているのに、日本は日朝接触を教えなかった」との当局者の不満を強調して、日米関係悪化の「証拠」に使ったのだが、記事は間違いだった。 実は、北村氏と安倍首相は、米政府高官に日朝接触の事実を伝えていたのである。というのも、「北村と接触すべき」と北朝鮮に推薦したのは、ポンペオ米国務長官だったからだ。2018年7月、訪日したポンペオ米国務長官(左)と握手する安倍晋三首相(宮崎瑞穂撮影) ポンペオ長官は米中央情報局(CIA)長官時代の3月末に訪朝した際に、北朝鮮側から「日本政府で安倍首相に直接繋がる人、信用できる者は誰か」と聞かれた。長官は「北村情報官しかいない。安倍首相が最も信頼している」と教えた。ポンペオ長官は、北村氏にこの事実を伝えた。思わず吹き出したコメント 北朝鮮は、長官の「推薦」で5月ごろから北村氏に関する身元調査をひそかに始めた。北村氏は2002年、小泉純一郎首相の日朝首脳会談の際に、先遣隊として平壌に乗り込み国家保衛部の幹部と打ち合わせしていたのである。当時の打ち合わせ記録と名刺も出てきたという。 ところで、北村氏と会談した金聖恵氏は「統一戦線部戦略室長」と報じられた。まず、この肩書がおかしい。取材記者は金氏本人に確認したのか、あるいは北村氏に聞いたのだろうか。金氏の所属と役職がおかしい、と気がつかなければ北朝鮮問題を語る資格はない。 特に、元テレビ朝日記者の川村晃司氏のテレビ発言には、思わず吹き出してしまった。官僚や外務省関係者の話を疑いなく信じる人の良さがうかがえる。旧知の仲なので、名指しの指摘をお許しいただきたい。 いったい何が問題なのか。統一戦線部は工作機関であり、日本の政治家や学者、新聞記者を「包摂」するのが仕事だ。また、朝鮮総連の監督機関でもある。 名前の通り、南北関係の工作と交渉を担当している。だから、日本政府と交渉する権限は与えられていないのである。韓国との交渉も、今は祖国平和統一委員会が担当している。この委員会は統一戦線部所属だったが、2年前に政府組織に格上げされた。 では、日本との交渉権限は、誰が持っているのか。昔も今も秘密警察の「国家保衛省」である。2002年の日朝首脳会談の秘密交渉で活躍した「ミスターX」は所属も本名も明らかにせず、偽名を使い「金正日(キム・ジョンイル)総書記の側近」と名乗った。のちに処刑されたが、本名は「柳京(リュ・ギョン)」で国家安全保衛部(当時)の第一副部長だった。2002年9月、日朝首脳会談を前に、北朝鮮の金正日総書記(右)に握手を求め歩み寄る小泉純一郎首相(代表撮影) この基礎知識があれば、金聖恵氏の所属と肩書に疑問を持つはずだ。取材は、官僚や政治家の発言への疑いから始まる。「韓国情報機関が入手した名前は偽名かもしれない」「韓国情報機関の情報を信用するのは危ない」と考えるのが朝鮮問題を担当する記者の初歩だ。南北の情報工作機関は、日本人記者をだましかねないとの疑いを持ってほしい。 それでは、金聖恵氏はどこの所属なのか。本属は「国家保衛省」の可能性が高い。おそらく偽名を使っていたのだろう。北朝鮮代表団の中には、国家保衛省第一副部長などの幹部がいたはずだが、彼らも偽名を使い所属は明らかにしなかっただろう。「金正恩(キム・ジョンウン)委員長の指示で来た」と述べたはずだ。北朝鮮の外交交渉団には、必ず国家保衛部の要人が加わっているのである。指導者に報告するためだ。日米同盟「本当の危機」 金委員長が、最近まで「安倍とは会わない」と側近に語っていた事実を取材していれば、日朝秘密接触が重大な「対日外交の変化」と理解できる。金委員長が日朝秘密接触を許可したのは、事情が変わったからだ。明らかに日朝首脳会談を模索している。 中国の習近平主席は、金委員長に毎年1兆円を超える支援を約束した。ところが、国連の対北制裁が解除されなければ、この支援は実行されない。国連の制裁解除に強く反対しているのは安倍首相であるため、直接の話し合いが必要になったのである。 また、日朝が秘密接触すれば、トランプ政権が慌てて北朝鮮に譲歩するだろうと考えるのが、北朝鮮外交だ。日米の協力関係を揺さぶり、対立させようとのいつもの手口だ。 かつて、日米同盟が危機に直面したことがあった。2002年に「ミスターX」と秘密交渉した田中均アジア大洋州局長(当時)は、日朝首脳会談合意を事前に米政府に通知しなかった。パウエル国務長官らは、「日米同盟を危うくする行為」と激怒したが、ジョージ・W・ブッシュ大統領が「小泉首相にも事情があるだろう、行くだけならいい。資金供与と正常化はだめだ」と、パウエル長官をなだめた。 この事実を、私は『外交敗北』(講談社)で詳しく書いた。産経新聞の古森義久記者も繰り返し報じ、阿比留瑠比記者は「秘密交渉記録を田中氏が意図的に消失した」と何度となく指摘しているのに、川村氏らはテレビ番組で田中氏の「名誉回復」と受け取られる、事実と違う説明を述べた。よく取材してほしい。東京・港区のテレビ朝日社屋=2018年1月(大橋純人撮影) 北村氏の日朝秘密接触に「二元外交」という批判もあるが、これも間違いだ。政府高官の接触は安倍首相の指示に基づくもので、あくまで安倍政権による「一元外交」である。 二元外交とは、外交権限もない政治家や政府以外の人間が、勝手に北朝鮮と交渉し、約束することだ。かつては、自民党の実力者が勝手に北朝鮮と合意した。これこそ非難されるべき「二元外交」である。 米国では、この行為は厳しく規制される。それは、トランプ政権関係者が、大統領当選前のロシア疑惑で「二元外交」を罪に問われたことでも明らかである。

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    沖縄知事選は反差別の理不尽と戦う「日本解体闘争」である

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 平成30年8月31日の琉球新報1面に「沖縄への基地集中は『人種差別』国連が日本政府に勧告」というタイトルで次の記事が掲載された。 国連人種差別撤廃委員会は30日、対日審査の総括所見を発表した。日本政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告した。米軍基地に起因する米軍機事故や女性に対する暴力について「沖縄の人々が直面している課題」と懸念を示した。その上で「女性を含む沖縄の人々の安全を守る対策を取る」「加害者が適切に告発、訴追されることを保証する」ことなどを求めた。同委員会が勧告で、差別の根拠として米軍基地問題を挙げたのは2010年以来。(以下省略) 前回の寄稿「沖縄の基地集中は『人種差別』危険な国連勧告の裏側を読む」では、筆者がスイス・ジュネーブまで足を運び、国連人種差別撤廃委員会の対日審査に先立ち、「沖縄県民は先住民族としての自己認識を持っておらず、日本人である」とスピーチしたことを報告したが、それを全く無視し、このような勧告が出されたのだ。沖縄県民を先住民族と断定した勧告は、2008年の自由権規約委員会以来、これで5回目である。 さて、前知事の翁長雄志氏急逝に伴い9月30日に投開票が行われる沖縄県知事選で、翁長氏を支援してきた「オール沖縄」は、後継候補として自由党幹事長の玉城デニー前衆院議員の擁立を決めた。オール沖縄は「イデオロギーではなくアイデンティティー」をスローガンにして米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を掲げてきた。 このスローガンは、基地問題が保革の対立問題ではなく、国際的人種差別問題にエスカレートさせる一つの罠(わな)であり、玉城氏もこのスローガンを引き継いでいる。沖縄県民が全く望まないのに、国連で先住民族と認識されるからくりと、その目的が米軍基地撤去であることについては、すでに「沖縄・翁長知事の国連演説は本当にヤバい」(月刊正論2015年10月号)で述べたので詳細は、そちらを参照いただきたい。沖縄知事選で支持を呼び掛ける玉城デニー氏=2018年9月13日 ここで、先住民族勧告に関する沖縄選出の国会議員全員の姿勢が明らかになった報道を紹介したい。まず、平成28年4月27日、国連の各委員会による先住民族勧告を問題視した沖縄選出の宮崎政久衆院議員が内閣委員会の質疑で勧告の撤回を働きかけるよう政府に求めた。 これに対し、木原誠二外務副大臣は「事実上の撤回、修正を働きかけたい」と答弁し、それを問題視した琉球新報は、翌日の新聞1面で取り上げ、別稿記事で沖縄選出の全ての衆参両議員に賛否を問うアンケートの結果を掲載した。 それによると、自民党所属議員5人と、おおさか維新の儀間光男議員は「沖縄県民は日本人であり勧告は不適切だ」との主旨の回答をした。また、おおさか維新の下地幹郎議員は「政治家の領分ではない」と判断を回避。問題のオール沖縄の議員5人は、「勧告は人権を尊重したもの」や「その撤回は侮辱」などと勧告を評価、肯定する主旨の回答をした。そして玉城氏も「差別を否定する勧告は政府も尊重すべき」と答えたのである。 沖縄では差別とか自己決定権という言葉で覆い隠してはいるが、結局のところ、オール沖縄とは「オール先住民族」だったのである。つまり、現在行われている知事選は辺野古移設阻止を問う選挙ではなく、沖縄県民はこれまでのように日本人として生きていくか、日本のマイノリティーである先住民族として生きていくのか、を問う選挙なのである。民意を無視した地元紙 沖縄の米軍基地撤去運動は「安保闘争」から国連を利用した「沖縄反差別闘争」にシフトしていることも前回の寄稿で説明した。先住民族の権利を利用して米軍基地を撤去する方向に動いているのだ。今さら驚く必要もないが、琉球新報は8月30日の国連勧告を重要視し、9月3日の社説でも以下のように取り上げている。「国連の沖縄基地勧告 政府は差別政策改めよ」 過重な米軍基地負担によって県民が差別的処遇を受けていることを国際社会が認めた。国連人種差別撤廃委員会が、米軍基地の沖縄集中を差別の根拠として挙げ、沖縄の人々の権利を保護するよう日本政府に勧告した。勧告に法的拘束力はないが、実情を真摯(しんし)に受け止め沖縄に寄り添った内容だ。世界標準で見ても、政府の新基地強行がいかに理不尽であるかが改めて浮き彫りになった。政府は勧告を受け入れ、直ちに辺野古の新基地建設を断念し、沖縄に対する差別政策を改めるべきだ。(以下省略) その後の内容も社説というよりは、被差別意識をあおるような言葉が続く。◎「戦後70年余も米軍基地に反対し続けてきた沖縄の訴えには一切耳を貸さず、本土の『民意』にはすぐに理解を示す。これを差別と言わずして何と言おう」◎「日本政府は勧告を受け入れてはいない。むしろ逆に、沖縄に対する圧政の度合いを強めている」◎「政府は国際社会の指摘に頰かむりせず、きちんと向き合うべきだ。県民の人権、自己決定権を踏みにじることは許されない」 筆者は、多くの沖縄県民がこの社説のように思っているとは思わない。また、先住民族の権利を理解しているとも思わない。問題は、この社説が沖縄県民の代弁として国際発信されることだ。筆者は、国連の人種差別撤廃委員会で休憩時間中に日本語で書かれた琉球新報を広げて読んでいる委員を見た。彼は委員会でもたどたどしい日本語でスピーチするなど非常に日本に好意を持っている人物である。しかし、琉球新報に書かれていることが「沖縄県民の世論だ」と勘違いしていることは間違いない。 一方、沖縄反差別闘争の特徴に日米同盟容認があることも述べたが、それを裏付ける動きがあった。8月29日、立憲民主党の沖縄県連設立を受けて、那覇市内で記者会見を行った枝野幸男氏は「辺野古に基地を作らせない」「普天間を返還させる」とした上で、「日米安全保障体制の堅持」を方針として掲げた。 これには、すでに巧みな罠が仕掛けられている。それは、沖縄の米軍基地を全国で引き取る運動だ。言い換えれば「日米安全保障体制は重要だ。しかし、沖縄にばかり基地負担をかけているので、公平にするため全国で引き取ろう」という考えである。 これは、日米同盟を重要視する自民党系の首長も賛同してしまいそうな主張とも思える。だが、訓練移転は実現できても、実際に沖縄の基地負担を大幅に減らす移設を実現する可能性はゼロだ。なぜなら、これまでの日米両政府の合意を覆すことであり、交渉を振り出しに戻すようなものだからである。 仮に合意したとしても今度は、受け入れ先の自治体が基地反対の活動を起こして、失敗させることを目論んでいる可能性があるからだ。結局、基地引き取りに失敗して、琉球新報や沖縄タイムスに「沖縄差別!」という大きな見出しが掲載されることになり、国連に報告する具体的な材料が増えるだけだ。 もう一つ、新たな「沖縄差別運動」が始まろうとしている。前述した立憲民主党の沖縄県連が設立され、その県連会長に反ヘイトスピーチ運動の先頭を走ってきた参院議員、有田芳生氏が就任した。彼は、参院議員の糸数慶子氏がジュネーブの国連人種差別撤廃委員会に参加した際も会場で常に隣りに座っていた。この2人は、反ヘイトスピーチ運動と沖縄の米軍基地問題という、一見異なる領域で活動しているように見えるが、実態は「反差別闘争」という日本解体運動をともに戦う同志でもある。国連人種差別撤廃委員会の対日審査会合後、記者会見する参院議員の有田芳生氏(右)と糸数慶子氏=ジュネーブ 有田氏を県連会長に送り込んだ立憲民主党の狙いは、国連勧告を錦の御旗にして、沖縄発の反基地運動、独立運動に対して、全ての批判をヘイトスピーチとして阻止するためではないだろうか。 それを許してしまうと、「沖縄県民は日本人ですから独立なんてバカなことを言わないでください」という発言も、「琉球人の尊厳を踏みにじった! ヘイトだ!」とされてしまうことになる。要するに、沖縄の反日反米闘争批判の「言葉狩り」がこれから始まるのである。 このように、反差別闘争とは偽装マイノリティーの力を最大化し、マジョリティー(日本人)の発言を封印する日本解体闘争なのである。政府も国民も早急に沖縄反差別闘争に備えなければならない。

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    北海道地震、未曽有の大停電は菅直人にも責任がある

    澤田哲生(東京工業大学先導原子力研究所助教) 9月6日深夜3時8分、北海道を襲った最大震度7の地震は、道内全域をブラックアウト(停電)に陥れた。私たちは広域停電の恐怖をまざまざと見せつけられたのである。295万戸が停電し、発生から丸1日たっても約131万戸分しか電源は回復しなかった。完全復旧には1週間以上かかる見通しだ。 道内全域の長時間にわたるブラックアウトの原因は意外なものだった。それは、震源地に近い北海道電力苫東(とまとう)厚真火力発電所(厚真町、165万キロワット)が大きなダメージを受け、一時停止せざるを得なくなったからである。この火力だけで道内の電力の約半分を担っていた。苫東厚真の脱落の結果、電力網全体で需給バランスが一気に不安定化した。そして道内の他の火力発電所が次々に停止し、道内全域停電という事態に陥った。 電力安定供給を至上使命としてきた電気事業者にとっては、まさにほぞをかむ事態である。この事態を招いた原因として、強大な権限を背景に科学的判断を避け続けた原子力規制行政がある。 泊原子力発電所(泊村)の3基の原子炉の総出力は207万キロワット。苫東厚真火力の出力を補って余りある。しかし、泊原発は3・11後にいったんフル稼働運転をしたものの、2012年5月5日に定期点検に入り、今日に至るまで停止したままだ。そう、日本は「原発ゼロ」になったのである。 今、泊原発の原子炉内の燃料棒は全て引き抜かれ、使用済み燃料プールにおいて冷却されている。今回の地震で泊村の最大震度は2であった。そもそも、原子炉は強固な岩盤に直付けされている上に、一般の建造物に比べてはるかに厳しい耐震強度が、昔から課せられてきた。2018年9月6日午後、停電で明かりが少ない札幌市中心部の大通公園付近。手前中央にさっぽろテレビ塔がある(共同通信社ヘリから) つまり、この震度2程度の揺れでは、何ら影響を受けずに運転を続けていたはずである。そうすれば、今次の「全道大停電」は回避できた可能性が高い。ただし、「もし泊原発が再稼働していたならば」という仮説ではあるが。 では、なぜ3・11から7年以上もたっているのに、いまだに原発が再稼働していないのか。そこには東日本大震災当時の首相、菅直人氏の深謀がある。2011年5月、菅氏は首相の立場を最大限に利用し、首都圏に最も近い静岡県の中部電力浜岡原発を、その非望のもとに停止させた。権力を持ってすれば、理にかなわない原発停止要請も事業者に強いることができることを天下に示したのである。 続いて菅氏は、原発が「トントントンと再稼働しない」ための奇手を次々に打っていくことになる。最も強力な手段が2012年9月に発足した原子力規制委員会である。巧妙に仕組まれた「脱原発装置」 規制委は「ザル法」と言われる原子力委員会設置法により、強大な権限を持つ「3条委員会」として発足した。そして、その長である原子力規制委員長は絶大なる権力を一身に集めている。そのことを菅氏は2013年4月30日付の北海道新聞に臆面もなく吐露している。 原発ゼロに向けた民主党の工程表は、自民党政権に代わり白紙に戻されました。「トントントンと元に戻るかといえば、戻りません。10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が原子力安全・保安院をつぶして原子力規制委員会をつくったことです(中略)独立した規制委の設置は自民党も賛成しました。いまさら元に戻すことはできない」「北海道新聞」2013年4月30日19面、特集『幻の原発ゼロ』 このように巧妙に仕組まれた「脱原発装置」である原子力規制委の委員長に就いた田中俊一氏は、政権を去った菅氏の「意志」を見事に受け継いだ。菅氏の北海道新聞への吐露に先立つこと1カ月余り、2013年3月19日に俗称「田中私案」なるものを委員会に示したのである。 その文書のタイトルは「新規制施行に向けた基本的な方針」。この文書は暴論極まりない。つまり、文書を作成した責任者の明記がないばかりか、一体この文書が最終的にどのように取り扱われたのか、杳(よう)として知れないのである。 とどのつまり、何ら法的根拠に基づかない私案にもかかわらず、それが大手を振ってまかり通る状況ができたのである。しかも、この私案にはまさに「奸計(かんけい)」が巡らされていた。その最たるものが、国内すべての原子力発電所をいったん全て停止し、運転再開の前提条件となる安全審査を異様に厳しい規制基準の下でゼロからやり直すというものだった。 つまり、菅氏が放った「浜岡原発停止要請」の見事なまでの水平展開を成し遂げたのである。そのことを見届けた上で、上記の北海道新聞紙上での「勝利宣言」と相成ったということになる。「愚相」と揶揄され続けた中での完勝劇であった。 ところで、泊原発の3基の原子炉は加圧水型軽水炉(PWR)である。3・11で重大アクシデントを起こした福島第1原発はいずれも沸騰水型軽水炉(BWR)だった。2011年5月、会見で浜岡原発の運転停止を要請したことを発表する菅直人首相(大西正純撮影) 両者は、その仕組みにいささかの違いがある。現在、国内で安全審査を通過して稼働している原子炉は9基ある。内訳は九州電力4基、四国電力1基、関西電力4基。いずれもPWRである。 では、他の電力各社のPWRが再稼働にこぎつけている中で、なぜ北海道電力の泊原発は再稼働していないのであろうか。その最大の理由は審査の基準とすべき地震動がなかなか策定されないことにある。2015年12月には、それまでの550ガルから620ガルに引き上げることでいったん決着したかに見えた。しかし、事はそうたやすくはなかった。迫られた「悪魔の証明」 基準地震動の策定の際に、これまで必ず問題にされてきたのが「活断層の有無」である。北海道電力の泊原発は他の電力各社のPWRと歩調を合わせるかのように新規制基準に合わせるべく追加的な安全対策を進めてきた。ところが、2017年4月になって、規制委員会から泊原発のある積丹半島西岸の海底に「活断層の存在を否定できない」という判断が下された。 このことによって、泊原発の再稼働は全く先が見通せなくなり、窮地に追い込まれた。なぜか。「活断層の存在を否定できない」という規制委は、北海道電力に「活断層がないことを証明してみよ」と迫っているのである。これはいわゆる「悪魔の証明」であり、立証不可能だ。積丹半島西岸の海底をくまなくボーリングし、活断層がないことを証明するのは現実的ではない。 つまり、非合理極まりない非科学的なことを規制権限を盾に事業者に強いているのである。事業者はその対応に苦慮し、多大な労力と時間を費やすことを強いられているのが現実だ。 もっと言えば、規制委は自ら科学的判断を避けているとも言えるが、これは今に始まったことではない。規制委発足間もない2012年12月、委員長代理の島崎邦彦氏が、日本原電敦賀原発2号機の敷地内の破砕帯について「活断層の可能性が高い」と指摘した。 しかしその後、内外の専門家が科学的に慎重な検討を重ねた上で、この破砕帯は「断層ではない」と報告されている。この活断層の有無をもって、事業者を手玉にとる「島崎ドグマ(偏見)」は、氏が委員会を去った後も亡霊のように生き続けているのである。 ちなみに、震度7に相当する目安の地震動は400ガル以上とされている。よって、仮に620ガルを基準地震動とすれば、泊原発は震度7にも十分耐え得る強度を持つ。もっとも、今回の地震では震源地近くで1505ガルが観測されている。2007年の中越沖地震の際、東京電力柏崎刈羽原発では当時の基準地震動の数倍程度の地震動に対して原子炉は安全に停止した。泊原発では、100〜300ガル程度の地震動を検知すれば自動停止する仕組みになっている。北海道電力泊原発 なお、泊原発1〜3号機で実際に検知された地震加速度はいずれも10ガル以下であった。つまり、もし今回の地震発生時に泊原発が稼働していれば、全道大停電は防げた公算が大きいのである。 規制委発足から間もなく6年。原子力規制委は一体、いつになれば科学的、技術的リテラシーに欠ける集団から脱皮できるのであろうか。さもなくば、全道大停電のような悲劇がまたいつ国民を襲うかもしれない。言い換えれば、原子力規制自体が「社会リスクを生む」という、国民への背信行為をもうこれ以上許してはならない。

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    沖縄の基地集中は「人種差別」危険な国連勧告の裏側を読む

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) スイスのジュネーブで8月16日から2日間開催された国連人種差別撤廃委員会の対日審査に合わせ、筆者は英語でスピーチを行った。まず、そのスピーチ内容を日本語訳でごらんいただこう。 私は日本沖縄政策研究フォーラムの仲村覚です。日本国沖縄県に生まれ育った者の代表として発言させていただきます。 まず、沖縄県に生まれ育ったすべての人々は、日本人として生まれ、日本語で会話をし、日本語で勉強し、日本語で仕事をしてきました。ゆめゆめ日本の少数民族などと意識したことはありません。沖縄は第2次大戦後、米軍の占領支配下におかれましたが、沖縄では激しい祖国日本への復帰運動が起こり、わずか27年後には沖縄は日本に返還されました。 祖国復帰運動の最大の情熱の根源は、沖縄の子供たちに日本人としての教育を施したいということでした。沖縄は日本の中では複雑な歴史を持つ地域ですが、一度たりとも日本からの独立運動が起きたことはありません。独立を公約として立候補して当選した政治家も一人もいません。 また、過去一度たりとも、沖縄から先住民族として認めるよう保護してくれという声があがったことはありません。議会で議論すらされたことはありません。沖縄で独立を標榜(ひょうぼう)する団体がありますが、それは沖縄ではごく少数の団体です。 委員会は、数百人の意見を根拠に、140万人の運命を決する判断をしたようなものです。日本人である沖縄県民に先住民族勧告を出すことは、国際社会に誤解を与え、沖縄県民に対する無用な差別や人権侵害を生み出すことになります。それは、委員会の存在意義に反します。早急に撤回すると同時に、同じ過ちを繰り返さないように、なぜ誤認識したのか原因を調査し、再発防止策を講じるようお願い致します。 沖縄県民が日本人であることは、当たり前である。ほとんどの日本国民も、当事者の沖縄県民や全国各地および海外在住の沖縄県出身者も、自らを日本人だと認識している。 それにもかかわらず、なぜわざわざジュネーブまで行って、「私は日本人です」と言わなければならないのか。それは、裏でコソコソ隠れて、「沖縄の人々は日本に植民地支配されている先住民族であり、日本政府はその権利を守るべきだ」と訴え続けた勢力がいるからだ。実際、当日もその勢力に属する人物が姿を見せていた。その人物が8月17日付の琉球新報の26面に小さく掲載されていた。「糸数氏基地問題は差別 国連対日審査で訴え」 国連人種差別撤廃委員会の対日審査が16日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で始まった。審査に先立ち、沖縄から糸数慶子参院議員がスピーチした。糸数氏は沖縄の人々に対する差別の事例として、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設をはじめとする基地問題をあげた。日本政府に差別的な政策をやめさせ、先住民族としての権利を守らせるよう訴えた。(以下省略、『琉球新報』2018年8月17日付) 日本国内でほとんど知られていない国連の実態に、「沖縄県民は先住民族だという認識がほぼ固まっている」ということがある。実は、自由権規約委員会と人種差別撤廃委員会でそれぞれ2回、計4回も勧告が出されているのである。 これらの勧告に対して、日本政府は毎回「日本にはアイヌ以外の先住民族はいない」ときっぱり拒否しているし、そもそも国連の勧告に法的な拘束力はない。それでは、問題がないかというとそうではない。日本政府の拒否が、委員会の勧告をより厳しいものにしているのである。2018年8月、国連人種差別撤廃委員対日審査のランチミーティングブリーフィングにおいて、スピーチを行った筆者 2回目以降の勧告には、「前回勧告を出したにもかかわらず、現時点も沖縄の人々を先住民族として認めていない」という趣旨の文言が加わっていた。国連の委員会にとって、政府というのは弱者を弾圧している被告人であって、どのような説明をしても独裁権力の言い訳にしか聞こえないようだ。国連を利用した「反差別闘争」 そのため、勧告と拒否が繰り返されるたびに「沖縄県民は先住民族」「日本政府は非人道的」というイメージが作られていく。その結果、沖縄県民は政府から虐待的差別を受けているかわいそうな先住民族だという認識が独り歩きし、国際社会に誤解を与え、沖縄県民に対する無用な差別や人権侵害を生み出すことになる。将来、沖縄の子供たちが海外に留学した場合、「あなたは日本国籍を持っているけど日本人ではなく琉球人なんですね」と言われかねないのである。 この流れを止めるには、糸数氏や県外でそのおぜん立てをしている仲間と全く反対のことを主張する非政府組織(NGO)の情報提供と発言以外にはない。 ところで、そもそも、どのような目的をもって、沖縄県民が全く預かり知らぬところで、沖縄県民を先住民族にしたのだろうか。最初にその目的を確認してみたい。 日本復帰前から沖縄の革新政党の至上命題は「日米安保破棄」と「在沖米軍の撤去」であった。拙著『沖縄はいつから日本なのか』(ハート出版)にも記しているが、日本共産党を中心とした70年安保や沖縄復帰闘争の背後には、中国共産党の存在があった。そのころから一貫して、日本の非武装弱体化工作と、アジアから米軍を追い出す政治マスコミ工作を続けている。 中国はその後、西太平洋の覇権獲得を目指して、海軍、空軍の近代化を推し進め、米国と対峙(たいじ)できる軍事力を備えつつある。現在では、爆撃機を含む中国空軍の編隊が宮古海峡を突破し、台湾を軍事占領する訓練を日常的に行うようにまでなった。平時とはいえ、第一列島線を突破したのである。 中国の台湾占領計画において、第一列島線と第二列島線の間の海域はハワイやグアムからの米国の増援阻止エリアで、宮古海峡はその東シナ海に米軍が侵入するのを封鎖する関所にあたる。このシナリオで最も邪魔になるのが在沖米軍だ。中国はこれを戦わずに追い出すための、政治工作を続けてきたが、先日亡くなった翁長雄志知事の誕生から大きな路線変更が行われた。 意外と思うかもしれないが、知事時代の翁長氏は日米同盟に賛成していた。事実、「私は日米安保体制を十二分に理解している」と発言し、オスプレイ配備に反対する理由を「墜落事故が起きると日米同盟に亀裂が入るから」と説明していたのである。 今となっては本音かどうか分からないが、この発言には、先住民族勧告と深い関係がある。つまり、辺野古移設に反対する「オール沖縄」が、日米同盟賛成論者の翁長氏を反米運動のリーダーとして担ぐという奇策に出たということだ。その理由は「安保反対」では多数派形成が無理だと判断したことにある。 そこで、多数派形成の軸を辺野古移設阻止とオスプレイ配備反対の2点に絞り、それを争点に国連を利用した「反差別闘争」により、米軍基地の全面撤去を狙う方針に切り替えた。これから、「私は日米安保賛成だけれども、沖縄に米軍基地の7割を押し付ける差別は許さない」という理論が可能になったのである。 そのころから、オール沖縄の運動や地元新聞の解説や見出しに「差別」という言葉が多用されるようになった。さらに、これに国連の先住民族勧告が加わると、沖縄の米軍基地問題が、一気に国際的人種差別問題にエスカレートする。国連では先住民族の土地の権利を保護しなければならないというルールがあるからだ。 現在の勧告には強制力はないが、それを持たせるのは、ILO169と呼ばれる「独立国における原住民及び種族民に関する条約」である。その条文には、「関係人民が伝統的に占有する土地の所有権及び占有権を認める」「関係人民の土地に属する天然資源に関する関係人民の権利は、特別に保護される」とある(※上の表の2014年の自由権規約委員会の勧告を参照)。 つまり、土地の所有権により、米軍基地を撤去する権利や、尖閣諸島の油田やレアメタル権利が特別に守られる権利があるということだ。日本は幸いこの条約を批准していないが、今後も批准してはならないと思う。 こうして、沖縄の米軍基地撤去運動は、「安保闘争」から、国連を利用した「反差別闘争」に変貌したのである。当然、この主張への反論も「日米安保賛成の世論」ではなく「沖縄県民は日本人だ!」という国際発信に切り替えなければならない。2018年8月17日、ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会で報告する日本政府代表の大鷹正人・国連担当大使(中央) このような背景の下で、冒頭に紹介した筆者のスピーチは行われた。だが、8月30日に発表された対日審査の総括所見では、沖縄の人々が「先住民族」だとして、その権利を保護するよう、日本政府に勧告したのである。ところが、この勧告に対して、沖縄県民は反論できる状況にはない。これまで、日本外務省は県民や県選出の国会議員に勧告を直接伝えていなかったからだ。政府は広報予算をつけてでも「先住民族」勧告を周知する必要がある。 われわれは政府に対し、勧告撤回の要請以外にも、「沖縄県民の創意」を利用して国連に「先住民族」を働きかける人々への、再発防止のための法整備を求めていきたい。人種差別撤廃委の勧告を受け、戦いの場は、生前の翁長知事による辺野古埋め立て承認撤回を引き継いだ、9月30日投開票の沖縄県知事選に移ってきている。

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    バスケ買春「さらしもの」で幕引き、大御所の存在光る危機対応

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) インドネシアのジャカルタで開催されているアジア大会に出場していたバスケットボール男子日本代表4選手が代表認定を取り消され、8月20日に帰国した。当該の4選手は、日本代表の公式ウエアを着用した上で市内の歓楽街を訪れ、買春行為に及んだことが問題となった。 日本バスケットボール協会(JBA)は、選手の帰国当日に東京都内で記者会見を行い、永吉佑也、佐藤卓磨、橋本拓哉、今村佳太の4選手とともに謝罪した。また、日本選手団の山下泰裕団長は、現地ジャカルタで同日会見を行い、買春行為があったことを認めつつ、遺憾の意を表した。さらに各競技の指導陣に対して、規範順守と再発防止を伝達した。 今回の一件では、JBAの三屋裕子会長をはじめ、管理者として責任を担う幹部の判断は、危機管理として迅速に先手を打った印象が強い。つまり、選手ら本人をも率直に世間にさらすことによって、イニシアチブを取ったのである。 これは、報道する側のマスコミとの関係性や世論をコントロールして、アジア大会の盛り上がりに水を差したり、他の競技に参加している選手に余計な雑音を与えないようにしたりする意図に他ならないだろう。 これは結果的には、三屋会長が言及していたような、当該の選手が「自力で立ち直る」ための近道になる可能性がある。なぜならば、現在のところ傷口は最小限に抑えられていると考えられるからだ。 いくつかのポイントがある。まず、今回の一連の動きは、今年起こったその他のスポーツにまつわる不祥事に比べて、今回の問題の中心にいる選手が世間に顔をさらし、自らの言葉で謝罪するまでの時間が非常に短い。ここに、心理学でいう「ギャップ効果」が生じる。2018年8月、会見の冒頭、頭を下げる(左から)永吉佑也、橋本拓哉、日本バスケットボール協会の三屋裕子会長、東野智弥技術委員長、佐藤卓磨、今村佳太(川口良介撮影) 事件を知った世間からすれば、「スポーツ界、またか!」という印象が強い出来事ではある。だが、他の事例では見られない主体的な素早い動きを取ることで差別化され、その動き、つまり謝罪自体が特異化され、「素直に謝った」という印象が非常に強まりやすいのである。 また、マスメディアに対しても先手を取ったといえるだろう。通常、スポーツに関わる不祥事の報道は分かりやすい分、世間の興味関心が強い一方で、事実としての情報はそれほどのボリュームがあるわけではない。テレビのワイドショーであれば、事件の中身自体は1回の、しかもほんの数分で伝えきれる内容であることが少なくない。「大御所」による鎮静効果 しかし、当事者がすぐに前に出てこないとなれば、話は別である。事態の本質に確証が持てない分、臆測ベースの話が展開されたり、関係者からの聞き取りや、関連する識者が露出することで、報道が形成されたりする。 そうすると、内容はともかく「連日放送されている」という強い印象が、世間では「非常に重大な問題だ」と見る向きに転化されていく。さらに「関係者雲隠れ」などといわれ、マスコミに追われる当事者という構造が作られやすい。 ただでさえ、逃げているように見えれば、ネガティブな印象が作られる。その上、追われながら取材に対応するとなれば、追う側の論理に沿って返答せざるを得なくなり、まさに後手後手に回ってしまうのである。 今回は、新事実が出てこない限り、おそらくこのような構造にはならないはずだ。もちろん今後協会内での処分や、場合によってはインドネシアの国内法に基づく法的措置の可能性は残されるものの、少なくともネガティブな世論は大きくなり得ないだろう。 もう一つは、日本選手団の山下泰裕団長の存在である。山下団長は、言わずと知れた柔道家であり、その卓越した選手成績により国民栄誉賞まで受賞した人物である。引退からさかのぼると203連勝、また対外国人には生涯無敗と、他に類をみない大記録を打ち立てた。 指導者に転じてからも全日本柔道の要職を担うのみならず、東海大学教授・副学長や、日本オリンピック委員会理事など、後進育成の現場を牽引(けんいん)してきた。2018年8月、ジャカルタ・アジア大会のバスケ男子日本代表選手の問題で、記者会見で厳しい表情を見せる日本選手団の山下泰裕団長(共同) 業界ではいわば「大御所」とも呼べる人物が、即座に会見の場を開き、事情説明を行った上で「大変なご迷惑をかけた。期待を裏切ってしまって申し訳ない」と謝罪した。さらに、山下団長はこのようにも述べた。「言い訳になってしまうが、選手たちは『歓楽街ということを知らなかった』と話している」「(選手が移動する際は公式ウエアの着用が奨励されており)食事をとるためだけだったので、ウエアを着用したままだったと思う」「自分たちの軽率な行為だった、とんでもないことをした、と。全員、深く反省している。不服申し立てもなかった」山下氏の「ホランダーの法則」 文言だけをみれば、本人が言及しているように言い訳とも取れる言説であり、買春というイリーガルな行為が擁護される余地は全くない。しかし、この山下団長の謝罪と説明は、事態の沈静化に一定の効果があるだろう。 心理学では「ホランダーの法則」といって、「過去に組織や世間で大きな功績を残したリーダーの発言は、『この人が言うなら間違いないんだろう』という印象を与えやすく、信頼度が相対的に高くなりやすい」という傾向がある。 加えて、山下団長はいわゆる「スネに傷のない人物」である。現代の日本では、ある人物の過去の履歴はインターネット媒体を中心に簡単に照会でき、仮に不祥事やスキャンダルがあれば、何年前のことであっても事あるごとに取り上げられ、世間にさらされてしまう。 「過去に何かあった」人物は、仮に過去と今の事案には全く関係がなくとも、その人が前に出るだけで、批判の対象となったり、いわゆる「炎上」を長引かせる結果にもなり得る。山下団長には、それがないといってよい。 過去の失点が少ないということは、その人物の今の好印象につながり、ひいては発言の信頼性を高めるのである。実際、山下団長の会見自体や発言内容に批判的な見方や報道はほとんどない。その意味では、組織マネジメントや指導者としての競技への影響力のみならず、危機管理・回避の面からも、山下氏を団長に据えた人事は、有用であったと考えられる。 今回のバスケ4選手の愚行は、不法なものであり、到底容認できるものではない。しかしながら、心理学者である私の立場からいえば、アスリートにおけるマインドセット(意識づけ)のマネジメントには、実はまだまだ改善の余地がある。2018年8月、アジア大会男子バスケットのカタール戦第1クオーター、パスを出す橋本拓哉(中央)=ジャカルタ(共同) ましてや、東京五輪の開催国枠獲得を目指すバスケ男子代表には、プレッシャーやストレスをうまくコントロールしながら、コート外でも逸脱しない意識や心理的状態を自分で作り出す術を教授できるような環境が、一層求められたはずだ。 単に、トップダウンで選手として順守すべき事項を伝え、意識の向上を意図するだけのケアにとどまらない、アスリート組織の運営を期待したい。

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    SNS世代の女性が「シンデレラ体重」に心奪われるのはなぜか

    早見直美(大阪市立大講師) ダイエットは日本をはじめ、多くの国で常に人々の関心事であり、若い女性を中心にダイエットを取り巻くさまざまな情報に翻弄されている。2018年2月ごろにソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で話題となった「シンデレラ体重」もまた、若い女性を中心とした「やせたい」気持ちが投影された理想体重の一つである。 シンデレラ体重は、身長(メートル)×身長(メートル)×20×0・9という計算式で算出されるという。通常、標準体重を算出する際に使用するのは、最も死亡率や病気の罹患(りかん)率が低いとされる体格指数(BMI)=22を基準とした身長(メートル)×身長(メートル)×22である。 そのため、仮に身長160センチの女性の場合、標準体重は1・6×1・6×22=56・3キロであるのに対し、シンデレラ体重は1・6×1・6×20×0・9=46・1キロとなり、健康的な標準体重からすると、その差は歴然としている。 シンデレラ体重はBMIでいう18を基準とした体重であり、この体重になった場合、BMI18・5未満の「やせ」に分類される。若い女性がやせになると、貧血や月経不順、ホルモンバランスの乱れ、免疫力の低下、骨粗鬆(こつそしょう)症、低出生体重児の出産など、さまざまな健康障害につながることが危惧される。 また、シンデレラ体重に近づこうとして無理なダイエットを続けた結果、摂食障害を発症するリスクも高く、決して推奨されるものではない。 シンデレラ体重をいつ、誰が提唱したかについては、エステティック業界やメディアによるものではないかなど諸説あるが、定かではない。しかし、シンデレラ体重は今に始まった話ではなく、これまでも何度か話題になったようである。 また、名前は違えど、美容体重、モデル体重など、標準体重よりもさらに軽い、女性が憧れる体重の指標は以前より話題になってきている。今回、シンデレラ体重が改めて話題になったのは、このシンデレラという響き、シンデレラのように夢をかなえることができるのではという、ある種、自身の願望を投影させるようなネーミングが、改めてSNS世代の若い女性の心をつかんだのかもしれない。 やせ願望は日本人に限らず、多くの女性が抱くものである。しかし、実際の体形を考えると、日本人の20代女性のうち20・7%がすでにやせに分類される。これは先進国において非常に高い割合であり、肥満が健康課題となる他国とは状況が異なる。(ゲッティイメージズ) 3月末に国立青少年教育振興機構が報告した高校生対象の国際比較調査によれば、日本の高校生はBMIの判定で普通体重の割合が7割を超え、比較した米国・中国・韓国より高かった。それにもかかわらず、女子の半数以上が「太っている」「少し太っている」と感じており、この割合も日本が最も高かった。さらに、自身の体形に「満足している」「まあ満足している」女子の割合は2割強にとどまり、4カ国の中で最も低かったことが報告されている。 ではなぜ、日本の若年女性はこうもやせたがるのだろうか。体形に関する認識や感情に影響を与える要因の一つに、自己肯定感がある。かねてより自己肯定感が低いことはやせ願望や危険なダイエット行動にかかわっていることが指摘されており、先の調査においても、日本の高校生は他国と比較して自己肯定感が最も低かったことから、その関連性がうかがえる。 思春期以降、体形の変化を経験する中で、他者からどう見られているかを気にするようになり、人と違うことへの不安が募りやすい。異性への関心の高まる年代であることからも、見た目を重視するようになる。「万年ダイエッター」の恐怖 それに加えて、日本では、今でこそ個性を尊重する時代の流れにあるものの、いまだ人と同じことで安心する、人と違うこと、目立つことを好ましくないと捉える文化がある。このような背景から、自分の体形や見た目に不満を持つ人、自分自身を好きだと胸を張って言えない人が多く存在するのかもしれない。 このほかにも、影響力の大きな外的要因として、社会文化的要因が挙げられる。これは大きく家族や友人、そしてメディアにかかわるものとされる。「家族に太ったと言われた」「友人がやせていてうらやましいと思った」「体形のことをからかわれた」「やせた芸能人のようになりたい」など大なり小なり誰もが体形に関するメッセージを受け取った経験があるのではないだろうか。 とりわけ、近年インターネットやSNSが普及し、情報量が一気に増えた。SNSの中で彼女たちが見るのは、やせて成功したように見える人たち、やせていてオシャレな服を着て、毎日が充実していそうな女性たちだ。 さらには自身の日常の写真をアップする人が増える中、常に自分自身が人にどう見られているかを意識せざるを得ない状況にある。女性は「上方比較」と言われる、自分よりも優れていると思う対象と自分自身を比較し、自身をダメだと考える傾向にあるという。 つまり、現代の若年女性は常に他者との比較を強いられているとも言え、やせ願望をより抱きやすい。また、ダイエットに関する情報も氾濫していることから、容易にダイエットに踏み切ってしまうのである。また、やせていて「かわいい」女性が好まれると思い込んでいる、またはそのようなイメージが伝えられているのかもしれない。 やせると男性にモテると思う女性は多い。実際には、男性はやせすぎの女性を好まないと回答している調査が多いものの、一方で太っている女性は好まない。これをやせている方がモテると解釈し、ダイエットをすれば素敵な男性に出会えると考える女性もいるのだろう。 若年女性に限らず、日本社会全体として「やせることを良し」とする風潮があることも否めない。「メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)」という言葉が多くの人に認知される中、「太っている=メタボ」、自己管理ができていないなどの否定的なイメージを持つ人も多い。健康管理の観点から、肥満解消のために減量しようとすることそのものは良いことである。 しかし、肥満によるデメリットの認知度と比較して、女性や高齢者におけるやせによる健康リスクは十分に理解されていない現状がある。メディアでは、ダイエットをしていることがまるでステータスかのように称賛される情報が伝えられることも多い。そのような風潮の中、必要でないにもかかわらず「万年ダイエッター」となっている人もいる。(ゲッティイメージズ) 個人がメディアリテラシーを持つことはもちろん重要であるが、わが国における正しい情報発信の在り方について検討がなされるべきである。国際的に見ても、フランスやスペインのファッション業界ではやせたモデルを起用しないことが制度化されるなど、やせすぎへの対策が積極的に採られている。 やせているからではない、その人自身の魅力を受け止めることで、健康的な本来の美しさが引き出されるのである。日本人の若年女性は、シンデレラ体重を目指しても、待っているのは必ずしもハッピーエンドではないことに気づくべきである。

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    「高校野球の聖地」甲子園を今こそ見直そう

    川上祐司(帝京大経済学部准教授) 日大アメリカンフットボール部の悪質タックル問題や、日本ボクシング連盟の不祥事が朝日新聞の紙面を飾る。記事では、わが国のアマチュアスポーツ界を取り巻く問題を鋭く論じている。その隣を見ると、同紙主催の「夏の甲子園」全国高校野球選手権大会の「告知」を大きく宣伝している。 筆者はこのコントラストにどうしても違和感を覚えてしまう。炎天下の中、勝ち進むにつれて連投を余儀なくされる超過密日程は、高校生にとって過酷すぎる大会である。 今大会でも、済美(愛媛)の山口直哉投手が延長十三回を投げきったが、1人の投手が200球近く投げ抜いて、体に負担がかからないわけがない。これでは「勝利至上主義」と言われても仕方ない。 しかし、この事実を隠蔽(いんぺい)するかの如く『本気の夏、100回目。ありがとう これからも』をキャッチコピーに、アイドルによるPRや球界のレジェンドを起用した始球式、過去の名シーンを伝説のように紹介するありさまだ。 歴史ある甲子園大会へのあこがれは強いだろうが、そもそも中学校の野球部では軟式ボールを使用するため「本気」で甲子園を目指す子供たちは野球部に所属しないことが多い。 ゆえに、かつて巨人軍の練習場だった多摩川グラウンドは、今や週末になると硬式ボールを使用するリトル・シニアリーグのチームに所属する中学生たちが練習に励む。そしてグラウンドには常に甲子園常連校の監督やコーチが視察に訪れ、金の卵たちの姿を追っている。 また、高校にとって、甲子園出場は、進学率向上と出願者の獲得に高い効果が期待される。そのためか、近年では、各校のユニホームの学校名表記に工夫を凝らしており、漢字で大きく記されている出場校が増えている。100回大会の出場校は過去最多の56校だが、そのうち大きく漢字で学校名を記した高校は22校に及ぶ。しかも1校を除いて全て私立高校である。2回戦の星稜(石川)戦で、済美(愛媛)先発の山口直哉投手は延長13回184球を1人で投げきった=2018年8月12日、甲子園球場(林俊志撮影) ローマ字表記でも、これまでよりも一回りも二回りも大きくした高校が6校あり、4校が私立高であった。校名は連日全国ネットで生中継されるテレビでも十分に認識することができるから、経済効果は計り知れない。 その一方で、地方大会で優勝し、代表の座を勝ち得た場合の経済的負担はどれぐらいだろうか。まず、主催者の朝日新聞社が発表した昨年の大会収支決算を見てみよう。米国人には仰天「夏の甲子園」 収入はチケット売り上げだけで約4億4千万円。支出は約3億8千万円で、その内訳は大会準備費、出場選手費、大会役員関係費、大会費、大会史作成費、地方大会費、本部運営費となっている。これらを差し引いた剰余金として約6400万円を計上している。 本来であれば、出場する高校の負担軽減のために「出場選手費」が充てられるはずである。だが、第98回大会の開催要項によると、大会本部がベンチ入り選手や監督、部長の交通費や宿泊費の一部として支給されるのは1日1人わずか4千円。3億8千万円の支出のうち実際に約9300万円がこれに充てられているが、焼け石に水だろう。 なぜなら、甲子園では1試合ごとに約1200万円かかるといわれ、代表校は出場決定と同時に寄付金集めを始めなければならないからだ。 そもそも大会開催期間中の関西圏内のホテル料金は高騰する。それに、選手の家族関係者も試合のたびにマイクロバスをチャーターし、甲子園までの往復と祝勝会を敗戦まで続けるという。その費用たるや相当な金額で、勝てば勝つほどコストがかかる。 こんな現状は、「スポーツ先進国」米国と比較しても異例である。甲子園大会について、米国人に説明すると「高校生が全国選手権大会? 連日全国ネットで生中継するの?」と仰天する。米国では国技であるアメフトやバスケットボールでさえ、高校生の大会は州レベルの選手権にとどまるからだ。 米国で、甲子園大会に似たものとしては、おそらく「マーチ・マッドネス(3月の狂乱)」と呼ばれる全米大学バスケット選手権(NCAAトーナメント)だろう。3月の春休みに行われるNCAA1部に所属する全米各カンファレンス上位校68校が出場するトーナメント戦である。試合会場はもちろんのこと、テレビを通じて全米が熱狂する。 だが、開催地は甲子園球場のような固定ではなく、毎年持ち回りだ。大会のシステムは、トーナメント1回戦と2回戦は「ラウンド1」として米国内8カ所で開催され、8大学がホスト校として自校アリーナを提供する。 各地区の準決勝と決勝は、ロサンゼルス、アトランタ、ボストン、オマハの4都市で開催される。それぞれ勝ち抜いた4チームは「ファイナル・フォー」と呼ばれる準決勝と決勝のために1都市に集まり、アメフト専用の巨大ドームスタジアムで試合を行うのである。バスケットボールの全米大学選手権出場を優勝で決め、チームメートと喜ぶゴンザガ大の八村塁(中央)=2017年3月、ラスベガス(共同) 2018年はテキサス州サンアントニオのアラモドームで行われ、約7万人の観客が埋め尽くした。ファイナル・フォーの開催地は毎年全米を回り、開催都市にも大きな経済効果を及ぼしている。しかし、選手たちは「聖地」甲子園のように、開催都市や巨大ドームでのプレーを夢見ているわけではない。 現在、その放映権は米四大ネットワークのCBSとターナーが14年間108億ドル(約1兆2000億円)で獲得しており、NCAAの収益の約80%がマーチ・マッドネスの放映権収入である。教育的役割はもはや「伝説」 しかしながら、放映権料を含めたNCAAの収入は加盟する全大学に配分されるシステムが確立されており、スチューデント・アスリート(選手)たちの教育的資金に充当されている。その考え方は、高校野球はもちろんのこと、現在わが国で創設が取り沙汰される「日本版NCAA」とも大きく異なる。 そもそも、高校野球や箱根駅伝に代表されるわが国のスポーツイベントの多くは、メディアが主催者となって運営されている。もちろん、前者は朝日新聞社と毎日新聞社で後者は読売新聞社、ともにわが国を代表するメディアである。 主管する競技団体から見れば、主催メディアとのタッグは大会PRには都合のいい存在だ。しかしながら、メディアの事情による過密スケジュールや過剰なドラマ化により、さまざまなリスクが生じているのも事実である。 今こそ、競技統括団体である日本高校野球連盟の「自立」と、非営利組織としてのマネジメントが問われている。例えば、先述の「マーチ・マッドネス」のような地域分散型トーナメント方式にして、ベスト4の高校だけ1カ所に集結して試合するようなシステムはどうだろうか。 聖地化された甲子園球場も、数年に1回の開催でいいのではないだろうか。全英オープンゴルフでも、「聖地」セント・アンドリュースゴルフ場では5年に1回の開催であり、かえって聖地としてのブランドをさらに高めている。 また、米国のような放映権ビジネスが成り立たないといった、わが国のスポーツビジネスの発展にも大きな弊害を及ぼしてきた。甲子園を頂点とした高校野球も、スポーツビジネスの視点で考えれば、どのプロスポーツイベントよりもはるかに大きな収益が見込まれるはずだ。 日本高野連が、非営利団体の本分であるリソース(資源)の還元と循環を目的に放映権やスポンサービジネスなど収益強化に努める。そうして上げた収益を分配することで、各地域への経済的支援と、教員や指導者、選手などスポーツ環境の支援が可能になる。日本高野連の八田英二会長=2018年6月撮影 そうなれば、一メディアや資金力のある学校法人だけではなく、大会に集う全ての人々が多様な恩恵を享受することができる。それが本来のスポーツの目的であり、機能なのである。 筆者は、甲子園大会が日本の野球の高度化と大衆化に貢献してきたことについて否定するつもりはない。しかし、主催メディアが100年かけて築き上げた甲子園という「疑似的聖地」で、故障や燃え尽き症候群の影響により、将来有望なアスリートの競技生活を終わらせてきたことも事実である。つまり、高校野球が選手たちのキャリア形成にも大きな影響を及ぼしているのである。 これらを鑑みれば、甲子園大会が掲げてきた教育的役割など、もはや「伝説」としかいいようがない。100回も続けたこの大会もそろそろ変革が必要ではないだろうか。

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    「慰安婦は誰が強制したのか」曖昧な英文記事、朝日のヘリクツ

    山岡鉄秀(AJCN代表) 平成30年7月6日午前10時。都営地下鉄大江戸線の築地市場駅を出ると、巨大なレンガ色の建物が降りしきる雨に煙っていた。朝日新聞東京本社。都心の一等地にそびえる重厚なビルが、この新聞社が長年、日本の言論界に支配的な存在として君臨してきた歴史をしのばせる。雨をよけながら、ケント・ギルバート氏の到着を待つ。報道陣も集まり始めた。 「慰安婦強制連行・性奴隷説」を流布するかのような朝日新聞電子版に掲載された英文記事の修正をめぐり、ついに朝日新聞に直接申し入れる日が来たのである。一般の国民が気づかないところで、連綿と続く英文記事による「印象操作」でどれだけ国益を損ねたか、計り知れない。 1980年代から90年代にかけて、吉田清治の「つくり話」が信じられていたころ、朝日新聞が英語版で「性奴隷(Sex Slaves)」という言葉を躊躇(ちゅうちょ)なく使っていたことを私は知っている。国立国会図書館で、フィルム化された記事をリールでくるくると回しながら、当時何が世界に発信されたかを見て暗然とした。「11歳の小学生が日本軍の慰安婦にされた」という衝撃的な記事まであった。朝日新聞は吉田証言が虚偽だったと判明した後も、ずっと放置してきた。その間に「慰安婦=性奴隷」という固定概念が世界中にまき散らされ、浸透したのである。 2014年8月、とうとう吉田証言の虚偽を認めた後、朝日新聞は英語版でも性奴隷という言葉を使わなくなった。その代わりに使い始めたのが、次の表現だ。Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II.第二次大戦前、および大戦中に、日本兵に性行為を強制された慰安婦Comfort women is euphemism for women who were forced to provide sex to Imperial Japanese troops before and during the war. Many of the women came from the Korean Peninsula.慰安婦とは戦前および戦中に日本軍部隊に性行為を強制された女性たちの婉曲(えんきょく)表現である。女性たちの多くは朝鮮半島から来ていた。 慰安婦に関する記事であれば、これらのフレーズやセンテンスが文脈に全く関係なく、機械的に挿入される。たとえ、日本政府が国連で慰安婦の強制連行や性奴隷化を否定したことを伝える記事であってもだ。 今回、朝日新聞側でわれわれ「朝日新聞英語版の『慰安婦』印象操作中止を求める有志の会」に対応したのは、及川健太郎編集局ゼネラルマネジャー補佐、後田竜衛広報部長、河野修一広報部長代理の3人だった。大西達夫弁護士を加えたわれわれ3人は小さな応接室に通され、向かい合って座った。われわれは印象操作中止を求める1万411筆の署名を手渡し、努めて穏やかにこちらの論点を説明した。一方の朝日側も紳士的に対応していた。2018年7月、朝日新聞英語版の慰安婦記事に対する訂正などを求める署名と申し入れ書を提出するため、東京本社を訪れたケント・ギルバート氏(左)とAJCN代表の山岡鉄秀氏 しかし途中、ギルバート氏の語気がやや荒くなる局面があった。ギルバート氏は、受動態を使用して印象操作を狙う姑息(こそく)さを指摘していた。 「Were forced」と受動態で書かれているから、強制されたのは明らかである。しかし、「By XXX」という部分がないから、誰が強制したのか明示されていない。性奴隷や強制連行という言葉もどこにも書いていない。あぜんとさせられた朝日の回答 しかし、これまで日本軍による強制連行が散々流布されてきた事実や、日本兵に対して性行為を提供させられた、という文脈から判断して、読者は当然「日本軍が組織的に強制連行して性奴隷にした」と思い込んでしまう。実に姑息な印象操作の手法だとギルバート氏は憤る。 ここで肝心なことは、私のような英語を日常使用する日本人だけではなく、米国人で弁護士でもあるギルバート氏がそう断言した、という事実だ。もちろん、他にも多くのネイティブスピーカーが賛同している。この点は議論の余地がないと言っていい。 われわれは次の4点を申し入れた。1.今後、前記の表現(forced to provide sex)を使用しないこと2.吉田証言が虚偽であり、記事を撤回した事実を改めて英文で告知すること3.もし、前記表現が軍隊による物理的強制連行や性奴隷化を意味しないと主張するなら、具体的に、「性行為を強制された(forced to provide sex)」とは何を意味するのか明確に説明すること。4.今後慰安婦の説明的表現を追加するなら、comfort women who worked in brothels regulated by the military authoritiesなどの表現を使用すること。 われわれは、朝日が「forced to provide sex」という表現が、軍隊による物理的な強制を意味しないと強弁することを想定して、3番目の質問も加えた。われわれの主張を否定するならば、実際に何を意味しているのか明確に説明すべきである。後田広報部長の「重く受け止めて真摯(しんし)に回答する」という言葉を受けて、われわれは朝日新聞本社を後にした。 回答期限の7月23日。夕方になって後田広報部長名で朝日からの回答が届いた。その中身については朝日がウェブで公開した回答全文を見ていただくとして、私は上記3番目の質問への回答を見て唖然とした。「forced to provide sex」という表現について、英語ネイティブスピーカーが読めば、「軍隊による物理的な強制で性行為を強いられた」という印象を受けると指摘されていますが、当該表現は「意に反して性行為をさせられた」という意味です。 受動態で行為者を曖昧にするのは、公正ではないという指摘に対し、「意に反して性行為をさせられた」と受動態で答えている。これでは全く答えになっていない。「forced to provide sex」という表現を用いた2018年1月10日付の朝日新聞デジタル英語版の記事 「forced」と書いているのだから、意に反しているのは当たり前である。強制性を前提としながら、行為者を明示しないという無責任な行為を止めようとしない強い意志を感じる。 恐らく朝日は理由が何であれ、本人の意に反していたらそれはすなわち「強制」であり「性奴隷」である、と言いたいのだろう。いわゆる「広義の強制」というスタンスである。朝日に載った「終戦後秘話」 しかし、「広義の強制」という捉え方なら、強制した行為者もさまざまだ。昔は、前金をもらって子供を奉公に出す習慣があった。売春などの醜業もこれに含まれた。 その場合は貧困に強いられたと言える。また、そのような契約を結ぶ権利は親にしかなかったから、親に強いられたともいえる。娘が嫌がっても、人身売買を生業とする女衒(ぜげん)が強引に連れ去ったケースもあったそうだから、女衒も強制の行為者である。 朝日新聞の回答があまりにも曖昧であったため、われわれは追加質問をすることにした。この「強制の行為者」をめぐる問題に関しては次のように質問した。 Forced to provide sexという表現の意味は「意に反して性行為をさせられた」という意味だとのことですが、forcedと書けば、意に反していたのは当然で、この表現の読み手、とりわけ英語を母語とする読者の通常の言語感覚からすれば、たとえby XXXという受動態の構文における行為者の明示がなくとも、私どもが指摘している「軍隊による物理的な強制で性行為を強いられた」という印象と何ら変わりがありません。そこで改めてご質問いたします。御社が使用するforced to provide sexというフレーズにおいて、「女性の意に反して性行為をさせた」のは誰なのでしょうか?明確にお答え願います。 私の手元には国会図書館で見つけた一本の記事がある。昭和30年8月15日発行の朝日新聞朝刊だ。終戦10周年特集として東京本社で開催された座談会の記録である。タイトルは「終戦直後の苦心」「調達命令乱れ飛ぶ」とある。占領下で連合国軍総司令部(GHQ)の命令を受け、東奔西走した人々の苦労話披露会という趣だ。参加者は以下の通りである。田中栄一 内閣官房副長官与謝野光 東京都衛生局長福田赳夫 民主党衆議院議員曽禰 益 右社参議院議員大池 真 衆議院事務総長昭和30年8月15日の朝日新聞朝刊に掲載された終戦10周年特集の座談会 与謝野光は与謝野晶子の長男で、終戦時は東京都防疫課長だった。座談会で与謝野は次のように語っている。 9月の14、15日だったか、マックアーサー司令部から呼び出しがかかったので、行ってみると実は君を呼んだのはこういうわけだといって大きな東京の航空写真を出して、実は折いって頼むのだけれど兵隊のために女の人を世話してくれという。(笑)よく調べたものでそういう場所は地図にちゃんと点が打ってある。将校にはどこ、白人兵にはどこ、黒人兵にはどこがいいだろうか相談に乗ってくれという。将校はいいけれども、黒人兵には僕も弱った。後で恨まれるだろうと思って。(笑)仕方なしにある場所を考えたんだが……。そのとき性病でもうつされては困るから予防措置をやれといわれたが薬がないから責任が持ち切れないというと、よろしい、薬は必要なだけやろうといってダイヤジン、ペニシリンなどを幾らでも無料でくれて、こういう方式で検診治療をやれ、責任は都知事が持てといったから仕方なしに花柳界に診療所をつくって都の職員の手で検診治療をやった。わざと曖昧にする欺瞞 与謝野の別の手記によれば、この時、与謝野に依頼したのはGHQ軍医総監のウエブスター少将だった。慰安用に指定された場所というのは、将校用が向島、芳町、白山、白人兵士用が吉原、新宿、千住、黒人兵士用が亀戸、新小岩、玉の井だったという(『新潮45』1990年5月1日号、敗戦秘話・「占領軍慰安」防備録)。 この与謝野の発言を裏付ける公文書までは見つけられなかったが、当時の朝日新聞も裏取りはしていただろう。この場合、ほとんどの女性が意に反して米軍兵士の相手をさせられたと考えられるが、強制したのはGHQではないのか。 このように、広義の強制などという曖昧な定義をすれば、強制の行為者もまた多様になるのである。それにもかかわらず、「forced to provide sex」とだけ書けば、読者は狭義の強制、すなわち日本軍による強制連行を連想する。「広義の強制」などと言いながら、わざと行為者を曖昧にし「狭義の強制」としか受け取れない表現を繰り返し使うことは、誠に欺瞞(ぎまん)的と言わざるを得ない。 8月3日、われわれの追加質問に対する朝日新聞からの回答が再び届いた。冠省 今回いただいたご質問については、基本的には前回お送りした回答で意を尽くしていると考えております。 今後も、記事でどのような表現を使うかについては、国内外のさまざまな立場の意見や歴史研究の蓄積なども考慮しながら、個々の状況や文脈に応じてその都度、判断してまいりたいと考えています。草々 結局、朝日新聞は「強制の行為者」を明示することを拒否したのである。 そして、「今後は」ではなく「今後も」と書いているということは、これまでも「様々な要素を考慮し、その都度の判断でforced to provide sexを使用してきた」という意味にも読める。そうであれば、これからも「forced to provide sex」を使い続けるという宣言なのであろうか。朝日新聞東京本社の外観=産経新聞社チャーターヘリから(桐原正道撮影) これはもう「反社会的行為の域に達している」と考えるのは筆者だけであろうか。朝日新聞は「社会の敵(public enemy)」として生きることを決意したのだろうか。

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    「トランプに2期目はない」中朝蜜月で変わる非核化ゲームの行方

    重村智計(東京通信大教授) トランプ米大統領は8月1日、中国製品への経済制裁「第3弾」の発動を指示した。北朝鮮はこの「米中貿易戦争」泥沼化を歓迎している。米中首脳による「戦争ゲーム」が北朝鮮への制裁を減圧し、米中朝の「非核化ゲーム」を大きく変質させたのである。 金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は、朝鮮戦争休戦65周年(7月27日)を記念し、中国人民志願軍烈士陵園に参拝した。金委員長の訪問は2013年以来5年ぶりだ。中朝関係が好転すると、北朝鮮の指導者は地方にあるこの墓苑を訪問し、平壌の記念碑も整備する。反対に、関係が悪化すると放置した。実にわかりやすい。 北朝鮮は「中ソ・イデオロギー戦争」時代に、中国と旧ソ連の間を行き来して支援を得る「振り子外交」を得意とした。この戦略を「米中貿易戦争」でも展開しようとしている。 米朝関係は、3月末の中朝首脳会談までは、トランプ大統領が主導権を握り、「北朝鮮の『完全な非核化』」への期待が高まった。ところが、中朝首脳会談後に北朝鮮の姿勢が急変した。トランプ大統領は「中朝首脳会談後に北の姿勢が変化した」と批判し、一度は米朝首脳会談の中止に踏み切った。 最近の中国は、北朝鮮の石油密輸の「瀬取り」への制裁に反対するなど、それまでの米中協力の姿勢を変えた。米朝関係と米中関係が明らかに変わったのである。トランプ大統領は、中国が「米中貿易戦争ゲーム」で北朝鮮を利用している証拠を握ったという。そこで中国は、貿易戦争を緩和すれば、北朝鮮への追加制裁にも協力するとの駆け引きを見せたのである。中国の習近平国家主席(左)と握手する金正恩朝鮮労働党委員長=北京・釣魚台国賓館(朝鮮中央通信=朝鮮通信) 中国は「瀬取り」を明らかに放置している。その背後に何があったのか。米国務省の高官は、3回にわたる中朝首脳会談で、習近平主席は「トランプへの非協力」に姿勢を変えたという。その証拠に、米国は中朝首脳会談の内容を入手しているというのである。 それによると、習主席は「金正恩体制の維持は保証する。そのため、10年間に1千億ドル(約11兆円)の支援を実施する」と約束した。韓国政府によると、北朝鮮の国内総生産(GDP)は約3兆円であり、中国は毎年その3分の1の支援をすることになる。 裏にあるのは、日米が制裁を強化しても心配するなとの中国の「保証」だ。つまり、「瀬取り」密輸こそが支援の始まりだったのである。さらに、中朝国境の人の往来や北朝鮮労働者の移動も黙認された。 また、中朝首脳がすでに合意した「朝鮮半島の非核化」について、「確実に実現してほしい」と伝えた上で、「10年の時間をかけてもいい」と述べた。要するに、習主席が退任するまでに非核化すればいいという意向だろうか。 習主席は「北朝鮮が数年で非核化できない事情はわかる」と語り、「数年内の非核化には、北朝鮮軍が納得せず、クーデターの危険がある」との理解を示した。また「中国は決してクーデターを支持しない」とも伝えていた。 米メディアは7月末に、北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の製造を継続しているとし、「北朝鮮に非核化の動きはない」と報じた。これは「非核化」に反発する北朝鮮軍部の「不満」を抑えるための「製造継続」の妥協策だろう。「トランプの2期目はない」 習近平発言は、金委員長と朝鮮人民軍の関係について、「完全非核化」をめぐり緊張関係にある事実は知っている、との脅しだ。知った上で、金委員長を支持するとの立場を表明したのである。 また、中朝の首脳は「トランプ大統領の2期目はない」との見通しで一致し、「あと2年半時間稼ぎすればいい」との判断を確認したという。金委員長は中国の巨額支援と体制保証で安心したのか、対米姿勢を変えたわけである。 6月12日、トランプ大統領は金委員長との首脳会談後の記者会見で、ポンペオ国務長官が直ちに平壌に向かい、非核化の具体的な交渉を始めると明らかにした。 ところが、国務長官の訪朝までおよそ1カ月の時間がかかった上、金委員長と会見できなかった。さらに悲惨だったのは、北朝鮮外務省の報道官は国務長官訪朝直後に談話を発表し「ポンペオ長官の態度は強盗的だった」と非難した。なんとも失礼な対応である。 北朝鮮の姿勢変化を受け、トランプ大統領は「非核化交渉に期限は設けない」と述べ、ポンペオ長官も「交渉には時間がかかる」と議会で証言した。これは、習主席の「非核化を急がなくていい」との発言を、米首脳が入手していた事実を示唆するものである。 そして習主席は、金委員長が9月の国連総会に出席し、世界に向けて演説すれば「制裁解除」の空気が生まれるとアドバイスした。その際に第2回米朝首脳会談を行うように勧め、米朝関係改善も支持したという。理由として「北朝鮮は、中国の属国にはなりたくないだろう。そのために、米国との関係改善を必要とするのは理解できる」と述べ、金委員長を感激させた。中国の習近平国家主席(右)と談笑する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=5月、遼寧省大連(朝鮮通信=共同) 中朝蜜月化と「非核化交渉」の停滞は、日朝関係と拉致問題解決にも影響を与えそうだ。北朝鮮が日朝関係改善を必要とするのは、1兆円とみられる経済協力資金が狙いだ。ところが、中国が毎年1兆円以上の支援をすると、日本の資金への期待が失われてしまう。 北朝鮮の朝鮮労働党機関紙、労働新聞は最近「拉致問題は解決した」との論評を掲載した。拉致問題の解決よりも日朝国交正常化を優先させようとの戦略だ。これに呼応するように、日本でも超党派の「日朝国交正常化推進議員連盟」が活動を活発化している。北朝鮮からの工作に呼応している、とみられても仕方がないだろう。 北朝鮮が中国から多額の資金を導入すれば、現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」のようにいずれ膨大な借金となり、中国に従属せざるをえなくなる。それを避けるためにも、日朝国交正常化が必要だからこそ、「拉致問題は解決した」と主張しているのである。北朝鮮の手口に決して騙されてはいけない。「拉致より国交正常化」と主張する政治家や日本人は北朝鮮の手先で、「売国奴的」と非難されても当然なのである。

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    むしろ避難しない方が安全? 「防災マップ」はこんなにもヤバい

    高橋学(立命館大学環太平洋文明研究センター教授)  6月の大阪府北部地震以来、記録的な大雨などの災害が頻発している。テレビのアナウンサーは、災害危険性を声高に伝え、避難場所への避難を呼びかけたが、西日本豪雨は結局、死者200人を超える甚大な被害をもたらした。 ここで、ちょっと考えてほしい。あなたが避難しようとした場所は本当に安全なところなのであろうか。また、避難場所へ至る経路は本当に大丈夫だったのだろうか。それ以前に、避難する必要があるのだろうか。 象徴的な例がある。名古屋市教育委員会などは、津波の際に臨海部の小中高に校舎の屋上への避難を指示している。だが、校舎は3階建て程度であり、津波の避難場所には不十分な高さだ。 2011年の東日本大震災を思い出してほしい。石巻市立大川小学校(宮城県)では、児童や教職員の8割以上が犠牲となった。ここの小学校の場合、不適切なハザードマップ(災害危険予測地図)の存在と教職員の判断の悪さが、被害を大きくする一因となったと考えられる。 宮城県が作成した津波のハザードマップによれば、大川小学校は津波の被害に遭わない場所と記されていた。それを信じた教職員たちは、津波の到達までに避難するのに十分な時間があり、避難できる場所もあったのに、児童を安全な場所に避難させなかったのである。阪神大震災で倒壊した阪神高速神戸線=1995年1月17日、神戸市東灘区(産経新聞社ヘリから) ハザードマップは1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後に、急速に地方の行政組織に取り入れられ住民に配布された。ところが、このハザードマップには、大きな問題点があったのだ。 その問題点とは、死者が約4700人に上った1959年の伊勢湾台風以降、1995年の阪神・淡路大震災までの36年間、日本の根幹を揺るがすような大災害はほとんど発生しなかったことだ。 ちょうど、この時期の日本は高度経済成長期だった。そのため、「災害研究」や「リスクマネージメント」が真剣に考えられることはなく、教育も対策もほとんど行われることがなかった。ゆえに、ハザードマップを作成しようとした場合、都道府県や市町村の行政、警察、消防、自衛隊にも、それをできる人材がほとんどいない状況が生まれたのだ。 ハザードマップの作成や、避難場所の選定、避難経路の検討などは、コンサルタントに依頼したり、外部に「専門委員会」を作ったりして、作成が委託された。しかし、コンサルタントや専門委員会に召集された人々でも、ハザードマップの作成や避難に関して専門といえる人材が少ない。 また、ハザードマップは「時間・労力・資金・専門的知識」を駆使して、より精度の高いものを作成しても、地方行政体や地域の住民には歓迎されないことが多い。なぜなら、精度の高い地図を作れば作るほど危険と分類される地域が広くなるからだ。歓迎されない「防災マップ」 専門委員会の場合はともかく、コンサルタントにとっても、作成に時間や労力をかけ精度を上げたハザードマップが歓迎されないのであれば、最初から労力やコストをかけないものを作成することになる。 そうすれば、作成費用の見積もりが安くて受注しやすい上に、利益率も高くなる。仮に役に立たなくても場合によっては「想定外」という言い訳もできる。このような構造の中で、精度の低いハザードマップが作成され流布しているのが実態なのだ。 また、ハザードマップで避難場所に指定された場所が安全性に欠けるケースもよくある。それ以前に、避難場所に行くための経路の安全性が考慮されていることがほとんどないのも現状だ。 そもそも、ハザードマップで避難場所とされている学校、公園、公民館などは、一般的に、安くて広い土地が手に入る場所に立地していることが多い。また、避難路とされているにもかかわらず、住宅の倒壊やブロック塀の倒壊、液状化などの理由で道路が寸断され、避難場所に行くことすらままならないケースもある。 さらに、住民は不安な夜を体育館(公民館)で過ごしているというマスコミの定式化した災害報道により、本来、災害危険度の低い自宅からわざわざ危険なところに「避難」していることさえある。こうした現状を踏まえれば、むしろ避難しない方が安全といえる場合もあるということだ。冠水した岡山県倉敷市真備町地区を歩く女性=2018年7月 ゆえに、行政に頼ったハザードマップの作成や避難計画は役に立たないといっても過言ではない。避難訓練も春や秋の天気のいい日に、ピクニック気分で実施されていることもしばしばである。 特に地震の場合は、余震によって建物が倒壊して道路をふさいだり、火災のほか、路面の液状化で歩くことすらままならないなど、避難行動がかえって被害を拡大させる可能性が高い。行政やマスコミは「災害の教訓」を声高に訴えるが、日本の災害対策を根本的に見直すべき、大きな転換期を迎えているといえよう。

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    オウム擁護の「前科」を隠したサヨクの邪悪な本質

    中宮崇(サヨクウォッチャー) サヨクは平気でウソをつく。サヨクは自分たちのたわごとに少しでも異を唱える人間を「ネトウヨ」「反知性主義者」「歴史修正主義者」などと批判し、あの政治学者、山口二郎氏のように「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」とデモで殺害宣告をすることに何の躊躇(ちゅうちょ)もない。 そもそも「ネトウヨ」「反知性主義者」「歴史修正主義者」と、どの言葉を見ても、本来の用法とは全く異なる自分勝手な定義づけ、いやウソであるところが彼らの邪悪な本質を表している。 その呆れた邪悪さは、今回のオウム真理教元教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の死刑執行においてもいかんなく発揮された。 オウムが1995年に地下鉄サリン事件という世界でもまれに見る大規模で凶悪な化学兵器テロを起こすまで、サヨク学者やマスコミ連中がどれほどオウムを「これこそ真の宗教だ」などと持ち上げていたかはここで繰り返すまでもない。そればかりか地下鉄サリン事件後でさえ、評論家の佐高信氏らのサヨク連中はオウムへの破壊活動防止法適用に反対し、「殺人テロ集団」の擁護に回った。 興味深いことに、このようにオウムを持ち上げたり擁護したりした連中は、北朝鮮による拉致犯罪を「日本やアメリカによるねつ造だ」「共和国(北朝鮮)は地上の楽園」などとテロ国家を持ち上げてきた、いや現在も擁護している連中とかなり重なっている。 かつて『筑紫哲也NEWS23』などで毎週のように北朝鮮擁護報道を行ってきたTBSに至っては、オウムのために便宜を図り幹部信者に取材テープを見せ「坂本弁護士一家殺害事件」という凶悪犯罪に加担した過去がある。 これほどのことをやらかした彼らが、今インターネット上で歴史のねつ造によって自分たちの「オウム加担の罪」をごまかすことに大忙しである。そうした症例の一つとして、ツイッター上にこのような投稿がある。@C4Dbeginner: あと保守の人はオウム真理教をなぜか無理矢理「左翼」として分類する傾向があるんだけど、どう考えてもあれって左翼過激派より日本会議みたいな宗教右派に近い人たちではないのか。オウムが「サムシンググレート」と「マルクス主義」のどっちに親和性が高いかなんてアホでもわかるだろ。 サヨクどものオウム加担の「前科」を隠ぺいするだけでなく、なんと「たたっ斬る」べき敵である「ネトウヨ」に責任をかぶせようとする超ウルトラCには、もはや呆れを通り越して感心させられる。 まさに「ああ言えば上祐」、平気で過去をねつ造する「歴史修正主義」以外の何ものでもないことはアホでもわかるだろうから、サヨクというものはアホなのではなく、卑劣なウソつきなのであろう。画像:Getty Images しかし、このツイートには一片の真理がある。以前iRONNAでも書いた「サヨクどもが『サイコパス』だと言える数々の症例」のように、私はすでに20年ほど「サヨクは左右のイデオロギーや政治思想の違いとして理解すべき存在ではない。彼らは人権、平等、反差別などの左翼思想を装ったただのサイコパスのテロ集団である」と言い続けてきた。 本来、精神科医でもなんでもない私が「サイコパス」という専門用語を使うことにはためらいもあるが、記事にもあるようにサヨク連中自身が「安倍支持者はネトウヨでありサイコパスだ!」などと何のためらいもなく、平気で使っているために敢えてこの言葉を使う。本物の左翼に失礼 最近でも、作家の島田雅彦氏がなんと村田沙耶香氏の芥川受賞作『コンビニ人間』の選評において「巷には思考停止状態のマニュアル人間が自民党の支持者くらいたくさんいるので、風俗小説としてのリアリティはあるが、主人公はいずれサイコパスになり、まともな人間を洗脳してゆくだろう」と、それこそ「むしろお前がサイコパス以外の何ものでもないだろう」と言いたくなるような貶(けな)し方で受賞に猛反対した。 こうした症例から見ても分かるように、ツイート主の「保守の人はオウム真理教をなぜか無理矢理『左翼』として分類する傾向があるんだけど」という言葉には、確かに「盗人にも三分の理」ほどの真実が含まれている。オウムは左翼などではない。そんな雑な分類をしてしまったら、真面目に人権平和などに取り組んでいる本物の左翼に失礼だ。 左翼はサヨクとは違う。左翼のふりをしたただのサイコパスであり、テロ集団なのである。イデオロギーはただのコスプレであり、単に自らの卑しい支配欲求や暴力衝動を満たすための手段として人権だの反差別だのを悪用しているに過ぎないのである。 そのことは、朝日新聞や「進歩的文化人」が戦前戦中は敵を「鬼畜米英」「非国民」と罵(ののし)るバリバリの軍国主義者であったにもかかわらず、敗戦後手のひらを反すように平気で平和だの人権だのを騙(かた)り、北朝鮮や中国、旧ソ連による核兵器やテロを擁護する「平和主義者」(自称)に転向した事実を見ても明らかだ。 サヨク連中が「オウム真理教は日本会議と同類」などと言いつつ、なぜかオウムの味方はするのに日本会議のことは「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」とまでわめき散らす理由も明らかだ。宗教かどうか、左右どちらかなんて全く関係ないのだ。単にオウムが、自分たちサヨク同様の反政府暴力テロ集団だからこそシンパシーを持ったに過ぎない。 サヨクが左翼過激派を応援し、時に連携協力する理由も、「思想が同じ」だからなどではない。単に自分たちサヨク同様の反政府暴力テロ集団だからである。ゆえに予言しておくが、例えば今まさに「ネトウヨ死ね」などと口汚く罵っている人間がもし仮に政府要人に暗殺などのテロを仕掛ければ、サヨクは躊躇なく「よくやった!」と礼賛するに違いない。緊急停止した東海道新幹線「のぞみ225号」の車内でしゃがみ込む乗客(左)=2018年6月30日、神奈川県小田原市 実際、東海道新幹線車内で乗客3人が切りつけられ死傷した事件でもそうだが、その種の無差別殺傷事件が起きるたびにツイッター上には「なぜ弱者ではなく、安倍やネトウヨをを殺さなかったのか」という恐るべきツイートであふれ返っている。サヨクフェミニストたちが東京都知事選の最中にセクハラ問題が浮上したジャーナリスト、鳥越俊太郎氏をこぞって支持したことも記憶に新しい。サヨクの差別意識 もう一つ、麻原元死刑囚の死刑執行で観測されたサヨクの歴史修正主義として、「オウムはサヨクではなく、オタクが支持したテロ組織である」というものがある。例えば反安倍の急先鋒で知られる作家、瀬川深氏によるこのツイートだ。@segawashin: オウムとオタクの親和性は忘却しちゃイカンと思っています。漫画にアニメにアイドルに秋葉原と、今のオタク要素が90年代初頭で出揃ってたんだよ。そして当時のオタクはそれを面白がりながら消費してた。 瀬川氏と言えば、核兵器開発に邁進(まいしん)する北朝鮮への擁護が高じて敵対者の「ネトウヨ」を憎む余り、「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」どころか「大阪に戦術核を落としたい」と発言した御仁であるが、彼らがここまでオタクを憎むには理由がある。いささか複雑なので強引に一言でまとめてしまうと、副総理兼財務相の麻生太郎氏が漫画などのオタク文化に詳しく、オタクからの人気が比較的高いためだ。それゆえ、「しばき隊」などのサヨク組織は「オタク=ネトウヨ」と決めつけ、かねてよりヘイト、バッシングに忙しい。 ■「旧名しばき隊」の連中とか「オタクは犯罪者予備軍か」「オタク差別のあるなし」とかの話(togetter) 上記のまとめを見てもわかるように、サヨクにとって敵である「ネトウヨ」は、サイコパスで低学歴低収入のキモイオタクであって、「たたっ斬って排除すべき」邪悪な存在なのである。かつてサヨクが民主党支持のためにばらまいたこんなプロパガンダ漫画が彼らの差別感情をよく表している。漫画画像 サヨクにとって、自民党支持者はサイコパスなのだから、当然選挙権もはく奪すべきだと考えているのだろう。映画監督の森達也氏のこの発言こそが、偉そうに人権だの反差別だのを騙るサヨクの本音なのである。 ■映画監督・森達也が新有権者へメッセージ「棄権していい。へたに投票しないでくれ」(週プレNEWS) ■【総選挙2014】もう投票しなくていい(ポリタス) これが決して森氏だけの特殊な発言ではなく、サヨク全体に共通する卑しい本音であることは明らかだ。現に、かつて選挙のたびにあれほどサヨクマスコミらが「とりあえず若者は選挙に行け、投票しろ(当然自民党以外に投票してくれるだろうから)」とやかましくプロパガンダしていたが、その若者が実は「サヨク嫌いで自民党支持者」であると判明した途端、最近はほとんど「投票所へGO!」の声がサヨクマスコミらから聞かれなくなったではないか。サヨクとオウムの共通点 ある反安倍サヨクの母親が最近こんなツイートを投稿した。 @touhyou5969: 私の息子は、私が安倍晋三の批判をすると嫌な顔をする。息子は安倍晋三が好きな訳ではない。批判等のマイナスの感情に触れるのが嫌なのだそうだ。自分の心の中だけで思っていればいい、と言う。そうだろうか? その様な考え方こそが、アベ政治を容認してのさばらせているのではないか?そう思った。 なんと恐ろしい家庭だろう。ほとんど洗脳、いやこれはもう虐待である。まるでオウムそのものではないか。これがサヨクの実態なのだ。 サヨクはイデオロギーでも政治思想でもない、サイコパスなのであり、本来精神医学や犯罪学の分野で扱うべき対象である。その点においてオウムとの繋がりが深いとも言える。オウムは1990年の衆院選に打って出て、奇妙な踊りなどのパフォーマンスで話題になったにもかかわらず、惨敗した。彼らにしてみれば、「勝てる」と確信していた戦いで敗北したのである。自分たちを「裏切った」大衆への怒りが、その後の地下鉄サリン事件などの凶悪テロを正当化した。 そういえば、サヨクもしばき隊やSEALDSが「国会前デモ」と称して踊りまくり話題を集めるも、いざ選挙となると敗北が続いている。そしてそのたびに「不正選挙だ」「民主主義は死んだ」などと繰り返し、当然大衆への憎悪はオウム同様、テロを正当化するほどに高まっている可能性もある。既に米同時多発テロの際やスペースシャトル墜落事故の際などにおいても社民党議員やサヨク雑誌『週刊金曜日』が「ざまー見ろ」と放言して憚(はばか)らなかった事実が、サヨクによる敵への歪んだ憎悪、ヘイト感情をよく表している。移送されるオウム真理教教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)被告※当時=1995年9月、警視庁 サヨクがオウムと異なり、「まだ」地下鉄サリン事件のような大規模テロを行っていないのは、なぜだろうか。「ネトウヨは低学歴低収入の引きこもり」などとあからさまな差別、ヘイトを行っているサヨク連中自身が、実はマルクスさえ読んだこともなければ、小学校理科レベルの知識もないオカルト信者であったという事実は、東日本大震災の際に白日の下に晒(さら)された。これほど見事なブーメランも珍しい。 もはや彼らサイコパスが、かつての朝日新聞などのように「放射能で鼻血が出た」などと大衆を騙し続けることは不可能である。 サヨクが怒りの矛先を大衆に向けないことを祈り続けようではないか。そう人類の平和のために。

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    女性装の東大教授が警鐘「心の性に門戸を開くお茶大には矛盾がある」

    安冨歩(東京大学教授) 日本の大学の女性差別は、世界最高水準である。例えば、私が勤務する東京大学の女性教授の割合は、20世紀末の段階で1%を切っていた。その後飛躍的に改善したが、2017年5月1日時点で、教授1268人のうち、女性は86人、約6・8%にすぎない。准教授でも、941人のうち112人、11・9%にとどまる。つまり、今後、20年くらいたっても1割程度にとどまる可能性が高い。 そもそも学部学生の女性比率がいまだに、1万4002人に対して2711人、19・4%となっており、どんなに頑張っても2割を超えることはなかろう。 これは東大に限ったことではなく、日本全体で見てもそうである。文部科学省科学技術政策研究所の発行した『日本の大学教員の女性比率に関する分析』(2012年5月)によれば、2007年時点までのデータであるが、大学の本務教員の女性比率は人文科学では何とか2割から3割近くに達しており、また社会科学の分野は従来、理工系より少なかったものが、急速に改善している。 しかし、理系は相変わらずであり、特に工学系の伸びが悪く、数%の域を出ない。国立大学では、工学系や医学系の教員が圧倒的に多いので、全体としての改善が遅くなっている。 もちろん、大学教員は主観的には女性を差別しているつもりはなく、それどころか、教員採用では多少無理をしてでも女性を採用しようとしていて、にもかかわらずこのありさまなのである。ということは、これは、社会構造に起因する差別であって、大学関係者の努力だけでどうにかなることではない、と私は考えている。 ここで「構造」と言っているのは、人々の行動の「前提」として機能し、かつ、人々の行動によって支えられているものである。誰もが、「世の中は当然こうなっている」と考えて、それを前提として行動し、その結果として、「当然こうだ」と思っていることが維持されると、それが構造となる。当然こうだ、ということは、無意識に刷り込まれていて、意識化されることすらない。東大東洋文化研究所の安冨歩教授  例えば、「女が無理していい大学に行ってもいいことはないし、研究者になろうとしたら苦労するだけだ」と多くの人が前提にし、それにあわせて意思決定しているなら、その結果として前提が維持される。日本社会は、その罠から抜け出せていないのである。その前提を打ち破らない限り、いかなる制度改革や政策も効果がない。 この悲惨な状況を前提とするなら、女子大学の存在意義は全く衰えていない。かつて女子校は「良妻賢母」というような、女性差別を前提としてそれに順応する教育を期待されていた。しかしそれを逆手にとって、性にもとづく差別と戦うための拠点として自らを位置づけるなら、その意義はますます大きいとさえいえるだろう。「性的少数者」など存在しない 一方、かねてから私が主張しているように、「性的少数者」などというものは、言葉の上にしか存在しないのであって、現実に存在するのは、性的指向や性自認を口実にした差別だけである。他人を差別することで自分の存在を正当化したいという卑しい心根に支配された人が数多くいる、ということのみが現実に存在する問題なのである。その意味では、女性ということを口実にして行われる差別と、性的少数者に対する差別に、本質的な違いはない。 それゆえ私は、お茶の水女子大学がトランスジェンダーの女性を受け入れる決断をしたことは、全く正しいと考えている。女子大学が、性というものを口実とした差別と戦う研究教育機関と自らを位置付けるのであれば、その口実の範囲を「戸籍上」の女性性に限定せず、より多様な女性性に拡大することは、自然なことだからである。 お茶の水女子大の室伏きみ子学長は、記者会見で以下のように述べた。まず、「学ぶ意欲のあるすべての女性にとって、真摯(しんし)な夢の実現の場として存在するという、国立大学法人としての本学のミッションに基づき判断した」として、判断の根拠を明確にする。 ここに言う「ミッション」とは、お茶の水女子大の憲章に掲げられているものであり、この原則から判断した、という点が重要だと思う。日和見主義ではなく、こういう原則主義のみが、学術的機関の存在を正当化する。 その上で、「今回の決定を『多様性を包摂する女子大学と社会』の創出に向けた取り組みと位置づけて」いるとしている。この言葉は、女子大学の存在意義を、差別との戦いを通じた社会変革に設定し、そのための具体的行動としてトランスジェンダー女性の受け入れを決定した、ということを意味している。 さらに、次のように述べる。「今後、固定的な性別意識にとらわれず、ひとりひとりが人間としてその個性と能力を十分に発揮し、『多様な女性』があらゆる分野に参画できる社会の実現につながっていくことを期待している」 つまり、女子大学が戸籍上の男性を女性として受け入れることにより、固定的な性別意識を動揺させ、そのことを通じて私たちが等しく取りつかれている卑しい差別意識と戦い、誰もがあらゆる分野で活躍できる、開かれた社会づくりを目指す、ということである。なんという崇高で挑戦的な言葉であろうか。会見を行うお茶の水女子大・室伏きみ子学長=2018年7月10日(中田真弥撮影) 説明の最後に、室伏学長が次のように述べているのが興味深い。「はるか以前の社会と比べると格段に進歩したが、それでも様々な場で女性が職業人として活躍するには困難がある。その現状を変え、女性たちが差別や偏見を受けずに幸せに暮らせる社会を作るために、大学という学びの場で、自らの価値を認識し、社会に貢献するという確信を持って前進する精神を育む必要があると考える」 この部分は、いわゆる女性差別についての言及であって、一見すると、トランスジェンダー女性の受け入れと関係ないように見える。「二枚舌」だけは勘弁願いたい しかし、私が前述したことを踏まえれば、意味は明確である。お茶の水女子大は、トランスジェンダー女性の受け入れによって、固定された女性概念を動揺させ、女性性の多様化を推進する事で、社会にまん延する「性に基づく差別」全体と対峙(たいじ)することを自覚的に示したのである。つまり、トランスジェンダー女性の受け入れという戦術によって、女性差別と戦う、という戦略を示しているのであって、単なる制度改革ではない。 私は、今回の決定が発表された当初、iRONNAから寄稿を依頼されたのだが、どのような意図で今回の決定が行われたのか全く分からなかったので、一旦お断りした。しかし、その後の記者会見の報道を見て大いに驚き、お引き受けした次第である。 なぜ驚いたのかというと、昨今の国立大学を巡る状況は非常に悪く、ほとんど絶望していたからである。例えば私の母校である京都大学は、学生が出す立て看板(通称・タテカン)を強制的に撤去してしまった。これは、京都市の景観条例にひっかかって、市役所から𠮟られたのが理由なのだが、あのタテカンこそが、京大の自由な学風を象徴する伝統的景観であって、それを自ら破壊するのは、全くの愚挙である。 私の勤務する東大に至っては、画家の宇佐美圭司の大作「きずな」という貴重な美術作品をよくわからない理由で破棄してしまうという、不気味な処置をしている。日本国の知的文化的資産を守り育てる任務を負っているはずの中核的国立大学のこの知的貧困に、私は恐怖を感じている。 この状況で、お茶の水女子大が、世間の偏見やしがらみや抑圧をはねのけるための挑戦的行動に踏み出したことに、驚嘆したのである。私は微力ながら、本年6月3日に東大安田講堂で「ファッションポジウム」を開催した。これは男女の垣根を越えた自由なファッションを目指すことで、性的指向や性自認を口実とした差別と戦うためのものであった。その直後に、このような大きな決断が下されたことに、実に心強い思いがした。トランスジェンダーの学生を受け入れる方針のお茶の水女子大=7月10日、東京都文京区 ただ、ひとつ、気になることを申し添えておかねばならない。それは、多くの大学が、学生のLGBTの支援を打ち出し、そのカミングアウトを支援し、差別をしないように呼びかける政策をとっている一方で、大学の教員でカミングアウトする人が、非常に限られている、という現状についてである。日本中の大学教員全体を見ても、本当に数えるくらいしかいないのである。これは一体、どうしたことなのであろうか。 お茶の水女子大はこの重大な決断を機会に、教職員が何の不安を感じることもなく、自らの性的指向や性自認を自然に明らかにできる環境を整えてほしいと切望する。トランスジェンダー女性の学生は受け入れるけど、教職員には周囲への「配慮」を無言で要請する、などという二枚舌だけは、どうかご勘弁願いたい。

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    「点滴殺人」元看護師の病的心理を読み解く3つの視点

    原田隆之(筑波大教授) 横浜市の旧大口病院(現横浜はじめ病院)で、点滴に界面活性剤を主成分とする消毒液ヂアミトールが混入され患者が死亡した事件は、2年近くが経過し、ようやく容疑者が逮捕された。逮捕された久保木愛弓(あゆみ)容疑者は、同病院の看護師だった。 ただ、今回の事件は、当初から容疑者は病院関係者との見方が大勢を占めていた。その理由は、点滴袋が保管されていたナースステーションに容易に出入りでき、その周辺にいても怪しまれることがなく、注射器や点滴袋の扱いに慣れた人物である可能性が高いという状況があったからだ。 さらに、被害者の1人は当初は病死と判断されていたことから、直ちに毒殺が疑われるような劇的な症状を呈することのない薬物を選び、点滴という緩慢な方法での投与を選んだという点に、医学的な専門知識がうかがわれたことも挙げられる。 そもそも、命を預ける病院で、医療関係者によるこのような事件が起きてしまったこと、そして事件が想像もつかないほど大規模なものである可能性があることに、慄然とせざるを得ない。 医療は、医学的専門知識の上だけに成り立っているのではない。「害をなすことなかれ」という古代ギリシャの医者、ヒポクラテスの誓詞を引くまでもなく、患者と医療提供者との信頼関係の上に成り立っている。 いくらインフォームドコンセント(患者への十分な告知と同意)を得るなどの手続きを着実に行ったとしても、ひとたび処置を任せば、患者はある意味「まな板の上の鯉」も同然である。 では、なぜ本来患者を守り、命を救うはずの看護師がこのような凶行に出たのだろうか。旧大口病院では事件発覚前、看護師の服が切られたり、飲み物に異物が混入されたりする事件が頻発していたという。 同一人物の仕業かどうか現時点では分からないが、同じ病院にこのようなことをする人物が同時期に複数いるとは考えにくく、一連の事件は同一犯である可能性が大きい。 そもそも、久保木容疑者は警察の調べに対し、「勤務中に患者が亡くなると遺族に説明しなければならず、面倒だった」と動機を供述しているようだが、これが真意かどうかはまだ分からない。送検された久保木愛弓容疑者=2018年7月、横浜市(桐原正道撮影) これらを踏まえれば、当初のいわば嫌がらせ的な「小さな事件」は、直接病院のスタッフに向けられており、病院内での人間関係や処遇をめぐっての恨みが動機として考えられる。 とはいえ、これら「小さな事件」と今回の連続殺人事件との間には、とてつもなく大きなギャップがある。一つは人の命を奪ったという点、そしてもう一つはそれが容疑者の「恨み」とは直接関係ないであろう相手を狙った無差別殺人の可能性が高いという点である。 たとえ病院や病院関係者への恨み、そして病院の評判を貶めたいという動機が出発点であっても、そこからの無差別大量殺人という帰結には飛躍がありすぎる。 それを埋めるものとしてまず考えられるのは、やはり久保木容疑者のゆがんだ心理である。「小さな事件」を起こしても、病院側の態度に変化が見られないと思ったのか、それとも仕返しがまだ不十分だと思ったのか、いずれにしろ恨みを募らせた挙句、犯行が大きくエスカレートした可能性がある。心理的ブレーキが効かなかった容疑者 だが、普通は「ここから先はやってはいけない」というブレーキが働くものだ。そのブレーキとなるものの一つ目は、想像力や共感性である。人間は、何か大きな決断をするとき、「こんなことをすれば、このような結果を招いてしまう」と想像する能力を有している。これが想像力である。そして、その決断が他人を巻き込むものであれば、相手の立場に身を置いて想像する能力も有している。さらに、その行為が重大な結果を招くことが予想されれば、不安という心のシグナルが鳴る。 したがって、重大な結果を招くことが想像できたり、他人に苦痛を負わせるものであることが想像でき、その痛みを共有することができたりすれば、実行を思いとどまるだけの心理的な装置が備わっており、これがブレーキの役目を果たす。 しかし、久保木容疑者はその心理的装置が壊れてしまい、ブレーキにならなかったということである。このような心理の持ち主であれば、おそらく事件について反省もできないであろう。 もう一つ、事件の「間接性」を指摘しておきたい。直接被害者に異物を注射したり、延命装置のスイッチを切ったりすることは、おそらく久保木容疑者もできなかったのだろう。目の前の相手は、何の恨みもない患者だからである。 しかし、前もって点滴袋に異物を混入させておくという行為は、直接自分の手を下して殺すという行為よりは、かなり間接性が増大している。このことがまたこの事件の実行を後押しした要因であろう。 そして、三つ目の理由として考えられるのは、人命軽視という価値観である。2016年7月に起きた相模原市の障害者施設の大量殺人事件は記憶に新しいが、あの容疑者同様の弱者に対するゆがんだ考えが久保木容疑者にも共通しているように思えてならない。 相模原事件の容疑者は、「障害者は生きていても仕方ない」というゆがんだ考えから犯行に至ったと報じられている。旧大口病院には終末期の高齢者が多く入院しており、そのような弱者の生命を軽視し、ためらいもなく標的にした背景には、相模原事件の容疑者と同様のゆがんだ考えはなかっただろうか。 最後に病院側の問題点についても触れておきたい。本件に至るまで、先述の通りたくさんの兆候があった。そして、いくら終末期の患者が多いとはいえ、たくさんの患者が次々に不審死するという異常事態だったにもかかわらず、病院側はほとんど何の手も打っていなかった。点滴を受けた男性入院患者2人が中毒死した旧大口病院=横浜市神奈川区 さらに、最初の被害者が明らかになった後ですら、院長は「職員を信じている」と呑気なコメントをしていた。われわれは何か異常な事態が身の回りに起こっていても「何かの間違いだろう。大丈夫だ」と考えてしまう思考の偏りを有している。それは心理学用語で「正常性バイアス」と呼ぶ。 この事件がかくも拡大してしまった背景には、この正常性バイアスが大きく影響している。正常性バイアスはわれわれに起こりやすい思考のエラーであるが、そうは言っても、人の命を預かる病院にあって、この危機意識の欠如には愕然とせざるを得ない。 このように、さまざまな観点から、久保木容疑者の心理や事件の背景を探ってみたが、現時点では容疑者の供述が転々としており、あくまで推測の域を出ない部分もある。たとえば、点滴袋に毒物を注入したのではなく、点滴の管に注射器で一気に注入したとも報じられている。また、容体の悪い患者だけでなく、比較的安定した患者も標的にされたとの報道もある。まだ事件の全容解明にはほど遠い。 とはいえ、事件の一端が少しずつ明らかになるにつれ、私は暗澹(あんたん)とした気持ちになる。旧大口病院で「老衰」「自然死」として取り扱われていた何十人もの人々の死が、実は殺人であったかもしれないのならば、これは世紀の無差別連続殺人事件である。 だとすれば、本来なら命を救う職業であった久保木容疑者は、何を考え、どんな顔をして、何十もの点滴袋に異物を混入していったのだろうか。そして、なぜ次々と死者が出ても平気でいることができたのだろうか。彼女の中には、われわれの理解をはるかに超えた闇が広がっているのかもしれない。

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    平成の終わりとオウム死刑執行 「第二の麻原彰晃」はもう生まれない

    島田裕巳(宗教学者) オウム真理教の教祖だった麻原彰晃をはじめ、7人の死刑囚の死刑が執行された。死刑制度の是非はあるものの、日本がその制度を堅持している以上、執行は当然のことである。これで、世界を驚愕させたオウム真理教の事件に一つの大きなけじめがついたことは間違いない。 一連のオウム事件で逃亡していた3人が逮捕され、その裁判が終結した以上、いつ死刑が執行されても不思議ではなかった。ただ、宗教団体の教祖を死刑に処するということは、近代の日本社会では初めてのことである。 とはいえ、オウム真理教が「Aleph」(アレフ)や「ひかりの輪」といった形で残存しているため、死刑によってどういうことが起こり得るか、法務省は慎重に検討を進めたようである。 死刑囚の移送が行われ、麻原らの死刑が近づいていると報道された段階で、麻原は法廷で事件の真相を十分に語っていないため、法廷での奇行の原因となった精神的な病を治療し、その上で証言をさせてから、死刑を執行すべきだという見解を示した人たちがいた。麻原が語らなければ事件の真相は明らかにならないというわけである。 だが、麻原は自らの手で犯行に及んだわけではなく、弟子たちに指示してそれを行わせた。そして弟子側は、法廷で事件の経緯について詳しく証言しており、どういった形で事件が起こったかは明らかになっている。 分かっていないのは、地下鉄サリン事件の実行を最終的に誰が決めたかであり、麻原とそれを協議したと思われる教団幹部だった村井秀夫が殺されたことで、その点は明確になっていない。村井がなぜ殺されなければならなかったのかも、謎に包まれている。しかし、その他のことはあらかた明らかにされているのではないだろうか。会見するオウム真理教の教祖、麻原彰晃死刑囚=1990年、静岡県富士宮市 もう一つ、法廷で明らかにされなかったのは、教団の資金力である。事件の背景に、教団が相当な資金力があったことは間違いない。 その点について、最近私は、オウムの元幹部で、現在はひかりの輪の代表である上祐史浩氏と対談する機会があり、以下のような注目すべきことを聞いた。 オウム真理教は1992年にロシアに進出したが、その際、1億円を支払えば、大統領のエリツィンに会えると話をもちかけられ、実際に1億円を支払ったという。大統領には結局会えなかったが、それがロシア進出の大きなきっかけになった。 当時のオウムは、信者からの献金やパソコンの廉価販売で莫大な収入を得ていた。1億円を出すことができたのも、それだけの収入があったからだ。オウムの背景にあったバブル そこには、バブル経済という特殊な時代状況がかかわっていたようだ。信者から多額の献金が集まったのも、金余りの時代風潮があったからだ。また、信者がオウム真理教に興味を持ち、入信していったのも、そうした時代風潮に虚しさを感じ、修行による解脱を目指したからだった。 逆に、今はそうした時代ではない。アレフやひかりの輪という形でオウムの教団が残存していても、それがさほど拡大していかないのも、そのときとは時代が違うからだ。富士山麓にオウム王国を築き、サリンの大量製造を行うための大規模なプラントを作ることができたのも、豊富な資金力があってのことだ。 さらに、現在との時代の違いということでは、「終末観」があげられる。オウムの信者となった人たちは、「オウム世代」とも呼ばれたが、彼らは、1970年代のはじめにはまだ子供で、1999年に世の中が終わるとする「ノストラダムスの予言」を信じた世代である。 その時代には、小松左京の小説『日本沈没』がベストセラーになり、超能力者を称するユリ・ゲラーという人物がブームを巻き起こした。 そのとき、大人になっていた人たちは、そうした事柄を真に受けなかったが、子供たちは違った。1999年までしか人生は続かないと信じていた人たちは、実際かなり存在した。 1999年に世界が終わるという予言は、実際にその年が訪れ、世界が終わらなかったことで効力を失った。そのため、今では、そんなことを信じていた人たちがいたことについて想像力が及ばなくなっているが、それがオウムの事件の背景にあったことは間違いない。解体を前に報道陣に公開された山梨県上九一色村の第7サティアン=1998年9月 そして平成の終わりに、オウムの事件は最終的な決着を迎えようとしているが、そもそもオウムの存在が一般に知られるようになったのは、平成の最初の年だった。 31年続くはずの平成の時代は、その始まりと終わりでは、状況が大きく変化した。その間には、オウムの事件もそうだが、米同時多発テロや、東日本大震災による福島第一原発の爆発事故など、世の終わりを思わせるような事件がいくつも起こった。 逆に、そうした想像もできなかった事件が起こったことで、世の終わりに対する想像力が働きにくくなったという面はある。バブルが過去のことになった今、オウムが起こしたものと同種の事件が、それほど遠くない将来に起こることは考えられないのではないだろうか。

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    RADWIMPS「愛国ソング」の何が悪い!

    中宮崇(サヨクウォッチャー) 人気ロックバンド、RADWIMPSの新曲『HINOMARU』がネットで炎上した。歌詞に「さぁいざ行かん 日出づる国の御名のもとに」「気高きこの御国の御霊」といった愛国的な表現があったためだ。ネットではサヨクから「軍歌だ」とする批判が殺到し、ボーカルの野田洋次郎氏がツイッターなどで謝罪する「言論弾圧事件」に発展した。こういう流れなのか。野田「新曲です、HINOMARU。みんな聴いてね」左翼「愛国的でけしからん」野田「え? 傷つけたらごめんなさい」左翼「謝罪するなよバカ」野田「え? じゃあ、日本が好きだと言って何が悪い!(とライブで叫ぶ)」左翼「うぉ許さん!」どう考えても左翼が意味不明な気が RADWIMPSの新曲をめぐる言論弾圧事件を踏まえたツイッターのあるつぶやきである。まあ、これがごく一般的な市民感情であろう。 そもそもRADWIMPSは大ヒットアニメ映画『君の名は。』のオープニング曲を提供したグループで知られる。朝日新聞が何度も紙面に登場させてきた「レイシストをしばき隊」は、普段からオタクを「危険で有害で、犯罪者予備軍」と言ってはばからぬ差別集団だが、そんな連中はRADWIMPSに以下のように言いたいのだと思われる。 「危険で有害で、犯罪者予備軍が見るようなアニメ映画の歌い手ごときが愛国ソングを歌いやがった」と、これは法政大教授の山口二郎氏がかつて安保法制反対デモで叫んだように「お前は人間じゃねぇ! たたっ斬る!」ということになるのだろう。 しかし、思考回路が「意味不明」なのがサヨクのサヨクたるゆえんである。普通、それは分かりやすい言葉で言えば「嘘つき」「二枚舌」「ダブルスタンダード」であり、今回の事件を「そもそも言論弾圧などではない」とおっしゃるサヨクまでいる。人気ロックバンド、RADWIMPSのボーカル・ギターの野田洋次郎。ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲も担当する 例えば、コラムニストの小田嶋隆氏である。彼はツイッターで「弾圧という言葉は、行政当局なり警察組織なりの公権力が介入した場合に限って使うのが普通だと思う」と発言し、「RADWIMPSが謝罪に追い込まれた事件はサヨクによる言論弾圧などではない」という。これまた意味不明な二枚舌で、サヨク差別組織による言論弾圧を正当化しておられるのだ。 6月3日に川崎市で行われる予定だった男性弁護士の講演会に、反ヘイトスピーチの市民団体などが大挙して押しかけ演者の入場を妨害し、中止に追い込んだ。この「悪質なテロ」も小田嶋氏の定義によれば「言論弾圧などではない」と言うことなのか。サヨクによる言論の自由に対するテロを正当化する恐ろしいロジックである。 中国や韓国、北朝鮮が日本のサヨクを手先として使い、日本人の表現の自由を踏みにじる「言論テロの民間委託」が今後もさらに増えることになるだろう。 私が小田嶋氏を「二枚舌」と言ったことにはワケがある。なぜなら彼は、2年前に全く逆のことを言って、「安倍」や「ネトウヨ」による「批判」を「言論弾圧である!」と決めつけていたからだ。 言論の自殺幇助でいえば言論弾圧って、憲兵がやってきて、言論の自由を掲げる闘士をしょっぴくみたいなイメージがあるじゃないですか。でも、実際は違って、公安や警察が直接手を出すことなんてまずあり得ない。戦前もそうだったけど、自主規制なんですよ(「日刊ゲンダイDIGITAL」2015年11月2日) こうやって都合のいいように舌を使い分ける卑劣なダブルスタンダードこそが、サヨクの本質である。実にダサい。実際、この二枚舌は小田嶋氏だけでなく、サヨク全体に普遍的に見られる症状である。 今回の「RADWIMPS言論弾圧事件」も朝日新聞らサヨクマスコミは「表現の自由に対する悪質な挑戦」などとは一切報じていないのがその証拠だ。その一方で、例えば2008年に起きた、たった一人の自称右翼青年の抗議により映画『靖国』が上映中止に追い込まれた際の朝日新聞の社説を見てみよう。「靖国」上映中止―表現の自由が危うい「これは言論や表現の自由にとって極めて深刻な事態である。 中国人監督によるドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』の今月公開を予定していた東京と大阪の5つの映画館が、すべて上映中止を決めた。来月以降の上映を準備しているところも数カ所あるが、今回の動きが足を引っ張ることにもなりかねない」(「朝日新聞」社説2008年4月3日) かつてサヨク連中は「中国の核はきれいな核」という呆れたたわごとをほざいていたぐらいなので、彼らにとって「自分たちの抗議はきれいな抗議、ネトウヨによる抗議は言論弾圧」と卑劣な二枚舌を弄(ろう)することに良心の呵責(かしゃく)など全くないのであろう。都合の悪いことは忘れる朝日新聞 ついでに言えば、この社説は「自由にものが言えない。自由な表現活動ができない。それがどれほど息苦しく不健全な社会かは、ほんの60年余り前まで嫌と言うほど経験している」などとして安倍政権と「ネトウヨ」を批判しているが、戦前の「息苦しく不健全な社会」を作ったのは、あなたたち朝日新聞だという事実は都合よくお忘れのようだ。 今回の事件についても、朝日新聞は6月14日付紙面で「RADWIMPS新曲が投げかける『愛国』」とのタイトルで報じている。その中でサヨクによる妨害活動を「ライブ会場での抗議運動」とのみ触れているが、それを「言論弾圧」や「表現の自由が危うい」などと批判してはいない。 ちなみに朝日新聞が言うところの「ライブ会場での抗議運動」の主催者や関係者のツイッターでの発言を引用してみよう。「同曲を廃盤にし、二度と歌わないと表明を」 朝日新聞にとって、たった一人の自称右翼少年が映画館に抗議に訪れたことは「表現の自由が危うい」ことであっても、サヨクが大挙して気に入らぬコンサートに押しかけて「廃盤にしろ! 二度と歌うな!」とわめくことは平和なデモに過ぎない、ということらしい。 朝日新聞だけではない。マスコミの見解は、小田嶋氏の「オレ様の定義こそ普通だぜ!」という思い込みと異なるようだ。例えば、2008年5月7日放送のNHK『クローズアップ現代』のタイトルは「問われる“表現の自由” ~映画『靖国』の波紋~」である。2008年5月、大阪・十三の第七芸術劇場で公開を迎えた映画「靖国 YASUKUNI」 また、2015年4月7日付毎日新聞は「言論の自由は、新聞記者や作家が書く自由のみでなく、新聞を運ぶ運転手さんや本を販売する書店員の方たちを含めて社会全体で自由が確保されるように支えていかなければならない」としている。 今年に入ってからだけでも、サヨクの組織的な「抗議」によって「ネトウヨ」とレッテルを貼られた作家や関係者が脅迫まで受けたライトノベル『二度目の人生を異世界で』のアニメ化が中止されるという事件も発生している。 朝日新聞が偉そうに言うところの「息苦しく不健全な社会」は、既に作り上げられているのである。にもかかわらず、小田嶋氏のような人たちにとっては「RADWIMPSへの抗議はきれいな抗議」である、ということらしい。 今回のRADWIMPSやラノベ『二度目の人生を異世界で』への攻撃を「言論弾圧などではない」というのは、それはそれであり得る意見の一つだろう。 しかし、彼らは「中国の核はきれいな核」という幼稚園児にも見破られてしまう、それこそ幼稚な二枚舌で一般大衆の支持を得ることができると思い込んでいる。しかも、その先に安倍政権を倒すことができると本気で思い込んでいる姿は、端から見ていて本当にダサい。 RADWIMPSを攻撃することで若者にそうしたダサさをうっかり知らしめてしまった失策は、この先彼らにとって取り返しのつかぬしっぺ返しをもたらすであろう。私はそう断言する。