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    記者殺害、サウジ皇太子の指示はあったか

    サウジアラビア人記者、ジャマル・カショギ氏がトルコのサウジ総領事館で殺害された事件で、トルコのエルドアン大統領が米紙ワシントンポストへの寄稿で「サウジ政府の最高レベルの指示」と指摘した。事件の黒幕とされるムハンマド皇太子の関与は本当にあったのか。深層を読む。(写真はAP=共同)

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    サウジ記者殺害「事件の黒幕」ムハンマド皇太子とは何者か

    黒井文太郎(軍事ジャーナリスト) 10月31日、トルコ検察はサウジアラビア人記者、ジャマル・カショギ氏が同国のサウジ総領事館入館直後に、最初の計画通りに絞殺されたことを公式に発表した。これまでリークの形でトルコメディアが報じてきたが、トルコ当局が認めたのは初めてだ。 遺体も発見されていない状況で、トルコが殺害の経緯を断定したというのは、やはりリーク報道されてきたように、犯行の様子を記録した何らかの音声データなどが存在したということなのであろう。 そもそも、そうした有力な証拠がなければ、サウジ当局は最後まで「自分たちは無関係」で押し通したはずだ。つまり、トルコ側は早い段階で、表向きには決定的証拠を開示しないまま、サウジにはそれをおそらく突きつけていたということになる。 トルコはこの件ではサウジを強く非難し、容疑者をトルコで裁くことや、誰の指示によるものかを明らかにすることを主張している。エルドアン大統領は11月2日付のワシントンポスト紙への寄稿で、殺害が「サウジ政府の最高レベルの指示によるもの」との見解を示したが、それでも有力視されているムハンマド・ビン・サルマン皇太子の指示疑惑については、言及を避けている。そこを突くと、サウジ当局が全力で反発することが必至なため、手加減しているという構図である。 しかし、カショギ記者殺害にムハンマド皇太子が無関係など考えられない。サウジ当局はこの犯行を情報機関である「総合情報庁」(GIP)の一部の暴走として幕を引きたい考えだが、そのストーリーには無理がある。既に明らかになっている実行グループには、このGIP要員に加えて、王族警備を担当する「王室警備隊」のムハンマド皇太子護衛チームの兵士が多数加わっていたことがわかっている。 つまり、GIPと王室警備隊皇太子護衛チームの混成部隊だったわけだが、GIPには自分たちとは全く系統が違う別組織であり、しかも自分たちより発言力が強い皇太子護衛チームを取り仕切る権限はない。そこは、ムハンマド皇太子もしくはその最側近による承認・指示がなければ、こうした編成にはならないのだ。 そして、仮に側近が指示したとしても、皇太子の了承を得ずに勝手に動くことはまず考えにくい。結局のところ、決定的な証拠はないとはいえ、誰が見てもムハンマド皇太子のカショギ記者暗殺命令があった可能性は高いと言うしかない。2018年10月、トルコ・イスタンブールにあるサウジアラビア総領事館前で、行方不明になったジャマル・カショギ記者のポスターを手に抗議デモを行う人たち(共同) 今回の殺伐とした事件を機に、2017年6月に皇太子ポストに就いて次期国王の座を公式に射止めたムハンマド皇太子が、他の王族を追放して強権的な恐怖支配を進めている実態が次々と報じられている。 この33歳の若き皇太子はこれまで、脱石油を目指して新たな産業構造への転換を図ったり、女性の権利を広げたりするなど、国際メディアでも「改革派の旗手」のようなプラスなイメージで紹介されるケースが多かった。「逆らう者は許さない」鉄の掟 しかし、国内統治に目を向けると、2017年11月にライバルだった王族多数を汚職容疑で逮捕するなど、権力層への粛清を断行。外交でも、イランとカタールを極端に敵視し、特にカタールとはイランやイスラム・テロ人脈との関係を口実に、2017年6月に断交するなど、強硬な姿勢を打ち出している。 もっとも、サウジにおける王家体制の恐怖支配は、ムハンマド皇太子がいきなり始めたわけではない。もともとサウジは徹底した警察国家であり、政治的な自由は全くない国だった。少しでも王家に批判的と判断されれば生き残ることは難しい。事実上、王家批判は存在を許されないと言っていい国家である。 反体制派としては、イスラム過激派「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」、あるいは東部に居住する少数宗派のシーア派の指導者、あるいは民主改革派ブロガーなどは、王家に反逆する者として激しい弾圧を受けた。ムハンマド皇太子の強権的な手法は、その伝統を受け継いでいるということになるが、彼の場合はそれだけでなく、ライバル関係にある有力な王族メンバーへの弾圧まで乗り出したというところまで、専制的な姿勢が徹底している。 こうしたムハンマド皇太子の強権的な統治に対しては、サウジのエスタブリッシュメント層からも批判が出ている。王族のメンバーからの批判もあるが、カショギ記者の批判もその流れにある。 カショギ記者自身はもともと王族と親しい関係だったが、ムハンマド皇太子の強権的な統治手法を批判して国外に出た。ただし、身の危険から「王室批判ではない」ことを本人はかねてより強く主張していた。 それでも、逆らう者は許さないのがサウジ王家だ。ムハンマド皇太子はそうした伝統にのっとって、批判者を「処刑」したのだろう。 もっとも、ムハンマド皇太子の暴虐は、こうしたサウジ国内の反皇太子派などに向けたものにとどまらない。実は、国外ではそれよりずっと大掛かりに「殺戮(さつりく)」を行っている。隣国イエメンでのサウジ軍による空爆がそれだ。 イエメンでは2015年から内戦が本格化した。同年1月、少数宗派シーア派系のフーシ派というグループがクーデターを実行。ハディ大統領の政権が崩壊し、同年2月にはフーシ派が首都サヌアを制圧し、政権を掌握した。2018年3月、ロンドンを訪問したサウジアラビアのムハンマド皇太子(AP=共同) それに対し、シーア派の勢力拡大を敵視するサウジが主導し、同年3月、湾岸諸国が参加する有志連合が組織された。そして、サウジ空軍を主力として、フーシ派制圧エリアへのすさまじい無差別空爆を開始したのだ。 サウジは米国から大量の新式兵器を購入しているが、そうして整備された強力な空軍による空爆により、フーシ派エリアでは一般住民の被害が激増した。民間人居住地への無差別攻撃は明白な戦争犯罪だが、こうしてサウジは非道な戦争犯罪を極めて大規模に、現在に至るも継続している。欧米も「ムハンマド離れ」 ロンドンを拠点とする中東ニュースウェブメディア「ミドルイースト・アイ」の10月29日のリポートによると、サウジの空爆が始まった2015年3月から今年末までの予想犠牲者(武力攻撃によるもの。食料・医薬品不足など人道問題での死亡は含まない)は7~8万人で、その最大の犠牲者が、サウジ主導の無差別空爆による民間人の殺戮という。 しかも、その殺戮のペースは2015年に比べて、2016年以降に急激に上がっている。2016年1月から2018年10月までの数字だけ見ても、5万6000人以上の犠牲者がカウントされているが、これは紛争初年に比べて5倍以上のペースとなる。 この殺戮のペースの急増も、原因はサウジ軍の無差別空爆の強化だ。その戦争犯罪度もより悪質になっており、病院、バスなどの交通機関、インフラ施設なども狙われていることが報告されている。 こうした非道なサウジ軍の無差別空爆を実行している張本人こそ、ムハンマド皇太子である。 彼は皇太子になる前、2015年1月にアブドラ前国王が死去して、実父のサルマン国王体制が誕生すると同時に、国防相に就任していた。前述したイエメン内戦激化は、ムハンマドの国防相就任とほぼ同時の出来事であり、同年3月のイエメンへの軍事介入を決めたのは、ムハンマドにほかならなかった。 サウジの過剰なイエメンへの軍事介入は、殺害されたカショギ記者も批判していた。ムハンマド皇太子としては、自分が最初から強引に進めてきた「政策」への批判は、もっとも許せないことだったろう。 ただし、今回のカショギ記者殺害を機に、欧米主要国もムハンマド皇太子に距離を取り始めた。イエメンでは空爆だけでなく、コレラなどの伝染病のまん延、さらには飢餓まで広く発生しつつあり、地獄のような状況になっている。 そうしたニュースを欧米の主要メディアも、ショッキングな画像とともに報じており、10月30日には米国のマティス国防長官とポンぺオ国務長官が「30日以内の停戦」を呼びかけるなどの反応をようやく示し始めている。2018年10月、トルコ・イスタンブールのサウジアラビア総領事館の入り口付近に設けられた警察のバリケード(ゲッティ=共同) サウジの軍事戦略はいまだにムハンマド皇太子の掌中にあるが、非人道的な無差別空爆に対する批判が国際社会で高まった場合、国際社会でのイメージが悪化している彼が、どのような対応をするかが注目される。 直近のサウジ軍の作戦行動を見ると、10月の空爆回数そのものは9月に比べて半減したが、標的のほとんどが民間施設で、民間人の被害は一向に収まっていない。また、大規模な地上部隊を送り込み、特に航海沿岸の港湾都市ホデイダの制圧に乗り出している。停戦協議の再開も見据えて、いまだ攻撃の手を緩める兆候はない。

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    文在寅外交は「金正恩のパシリ」と批判されても仕方ない

    重村智計(東京通信大教授) 隣国の大統領の施政に干渉する権利は、日本人にはない。それが国際政治の原則である。ところが、在日の評論家を含む韓国人は、安倍晋三首相や日本の内政、憲法問題に激しく干渉する。何か不公平だ。 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党書記長との南北首脳会談後に「ローマ法王の訪朝要請」「対北制裁緩和を欧州各国に提案」など、北朝鮮「パシリ」外交に懸命だ。この背景には、金委員長のソウル訪問実現でノーベル平和賞を目指し、大統領再選を狙う野心がある。 現行の韓国憲法で、大統領の任期は1期5年。つまり、文大統領は2022年までの任期となる。文政権は今年3月に、大統領任期を4年とする代わりに、2期まで再選可能な憲法改正案を発表した。ただし、文大統領には適用されないという。 だが、この改憲案には反対も多く、関連法案が成立しないため、国民投票にかかっていない。なお、成立した場合、文大統領にも再選の可能性は残されている。文大統領がノーベル平和賞を受賞すれば、「再選可能にすべき」の声が世論から上がる、と期待しているからだ。 文大統領は、そのためにも「ローマ法王訪朝」を実現したいと考えた。9月の南北首脳会談で、文大統領はローマ法王の平壌訪問を提案し、金委員長も同意した。これは、対北経済制裁の緩和のための環境作りで、そうなれば、金委員長のソウル訪問も可能になると期待している。 文大統領は10月18日にバチカンでローマ法王フランシスコと会見し、金委員長の「訪朝招請」を伝えた。韓国の報道機関は「法王 訪朝に前向き」と一斉に報じた。しかし、ローマ法王庁の公式声明は必ずしも「前向き」ではなかったのである。 日本のメディアも韓国の報道をそのまま引用し、「ローマ法王 訪朝に前向き」(毎日新聞)と報じた。だが、この取材と報道姿勢には、首をかしげざるを得ない。韓国の報道機関は、大統領府や政府の意向を受けた記事を報じがちだ。それに乗せられてはいけない。 日本のメディアは、ローマ法王庁に取材するか、法王庁の公式見解とイタリアでの受け止め方を報道すべきだった。明らかな取材不足だ。それでも、産経新聞だけが「北朝鮮 宗教弾圧続く」と報じた。報道の背景には、日本の特派員が北朝鮮の宗教事情を知らなかった事実がある。2018年10月、バチカンでローマ法王フランシスコ(左)と会談する韓国の文在寅大統領(聯合=共同) 北朝鮮は、憲法で「宗教的信念の自由」を明記しているが、「宗教活動の自由」は認めていない。平壌には、カトリック系の長忠大聖堂とプロテスタント系のチルゴル教会、ボンス教会がある。長忠大聖堂には、司祭はいないという。プロテスタント系の教会には「自称」牧師が存在するが、本格的な神学校を卒業したわけではない。 北朝鮮のキリスト教会幹部と信者は、ほとんどが工作機関の統一戦線部の職員である。1988年ごろ、統一工作のために、西欧と日韓のキリスト教界への浸透を目的に設立された。こうして、日本や韓国の教会は、工作員を韓国や日本に侵入させるルートとして利用されていった。文在寅が気づかない教訓 9月の南北首脳会談には、韓国カトリック教会の金喜中(キム・ヒジュン)大主教が同行し、「ローマ法王庁に南北和解と平和を伝える」と金委員長に述べた。だが、カトリック教会の大幹部なら、北朝鮮に人権弾圧と政治犯収容所の解放を求めるべきだろう。宗教活動の自由も要求してほしかった。北朝鮮では、聖書の所持は逮捕され、布教も禁止されているからだ。 北朝鮮では、多くのキリスト教指導者と信徒が処刑された。また、朝鮮戦争の際には、韓国のキリスト教指導者が北朝鮮軍に虐殺された。その責任追及と被害者への関心を、韓国のキリスト教会は忘れている。なぜか。 ところが、北朝鮮に同情する韓国のカトリック神父が少なくない。かつて当局に追われた左翼の学生や活動家の多くが「隠れみの」としてカトリック教会に入信し神父になった。 文大統領は、10月下旬にベルギーで行われたアジア欧州会議(ASEM)の席上、英仏首脳に「対北経済制裁の緩和」を呼びかけた。これはイギリスとフランスが国連安全保障委員会の常任理事国で、「国連制裁」緩和の権限を握っているからだ。北朝鮮は23日に中国とロシアを通じて、「対北朝鮮制裁緩和」の動議を安保理に提出したが、文大統領はこの動きを知り、協力したわけである。 こうした一連の動きは、文大統領が北朝鮮と連携している事実を確認させることになり、日米は不信感を深めた。これでは、文在寅外交が「金正恩のパシリ」と批判されてもしかたがない。 文大統領の「努力」にもかかわらず、ASEM議長声明では北朝鮮に「完全非核化」を求めた。また、英仏独の首脳は文大統領の要請に応じず、安倍首相の求めに応じ「対北国連制裁維持強化」を表明したのだった。この事態に、韓国の新聞も「文在寅外交失敗」と報じた。2018年9月、平壌での南北首脳会談を前にソウル中心部に展示された、4月の会談で抱き合う韓国の文在寅大統領(右)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の写真(共同) 文大統領は、なぜ「北朝鮮の代理人」にこだわるのか。支持率が低下し、大統領の求心力を失っているからだ。 憲法改正が実現しなければ、大統領任期は2022年で終わる。次の大統領を狙う与党の政治家たちにとって、文大統領再選への道を完全に断つには、現憲法の規定に従い、任期を終える方がいい。たとえ憲法改正しても、万が一にも再選の可能性を残したくない。それには次期大統領選直前に憲法改正し、文大統領には適用されない方が安全だ。 権力者は、自分が退任する時期を明らかにすると、死に体になる。この教訓を文大統領は実感していなかったようだ。 与党内では、すでに次期大統領候補を巡る思惑と駆け引きが展開されている。ローマ法王訪朝と国連制裁緩和により「金正恩ソウル訪問」を実現し、憲法改正が実現すれば「統一が近いから、大統領を変えるべきでない」と世論を操作でき、大統領再選も可能になる。文大統領の野望と「パシリ」が、北朝鮮の非核化と経済制裁の足並みを乱しているのである。

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    「プラ製ストローは害」という欺瞞に日本人が付き合う道理はない

    武田邦彦(中部大学特任教授) 環境省は「日本近海にプラスチック廃棄物が多い」と発表し、プラスチック・ストローの環境破壊を改善するため、紙製ストローを製造する企業に補助金を出すという。ちなみに、紙製のストローには防水加工のため塗料が使われており、この塗料による環境汚染については、語られない。 筆者の友人で新潟の海岸線に住んでいる方からのメールによると、「確かに海岸に漂着するプラスチックごみは多いが、その大半は中国で捨てられたことが明らかだ。また、私は一度もストローは見たことがない」という。 日本は科学技術立国と言われるが、「科学」というのは「思想」を後退させて、まずは事実を整理し、考えること、そして自分の考えを他人に押し付けないことが基本だ。だが、「環境問題」は常に他人を押さえつけるために使われてきた。 これらのことを頭に入れて論を進めていきたい。  環境省などによると、石油などから作られるプラスチックは年間約4億トン近く製造され、そのうち、約800万トンが海に放出されているという。だが、特殊で高価な工業部品以外のプラスチックは比重が1・0以下で軽く水に浮くので、もし分解されなければ海の表面を覆うはずである。すでに40年ほど前からプラスチックは大量に使われているので、海に放出されたプラスチックがそのまま漂流を続けていたら、海水面はプラスチックで覆われている計算になる。 しかし、現実はそうなっていない。ならば、プラスチックが海に流れることは道徳的には望ましくはないが、科学的にはプラスチックによる海洋汚染は当面は考えなくてもよいことになる。これは以下に示す科学的原理や、長年の実績とも合っている。 そもそも、プラスチックは油性だから海に存在する有害な有機性化合物が付着すると言われているが、魚もプランクトンもプラスチックと同じ油性である。プランクトンや魚の存在量は明確ではないものの、40億トン程度とみられ、それからみると、プラスチックの流出量は0・2%に過ぎない。ゆえに、大量の油性生物に対し、プラスチックが環境を汚染することはあり得ない。 一方、地上の生物の食料はすべてCO2(温暖化ガス)が原料であり、それを還元して作る「炭素-炭素結合(C-Cボンド)」が生物の体を作り、エネルギーを供給する。したがって、生物の死骸である石油はC-Cボンドの化合物からなり、それは人間にとっても生物にとっても最も大切なエネルギー源である。 人間はC-Cボンドをすぐに分解できないので、食料にすることはできないが、多くの生物はこの貴重なエネルギー源を利用する。海洋に流出したプラスチックは一部の微生物にとって貴重な食料であり、分解して自分の体にしたりエネルギーにしたりする。これが海洋に流出するプラスチックが減少する理由である。プラスチック製に代わり、ヒルトン大阪で使われている紙製のストロー=2018年7月29日、大阪市北区(柿平博文撮影) 環境問題でよく出される写真に「海底でのペットボトル」などがあるが、これは実に不思議である。ポリエチレンやポリプロピレンなどのポリオレフィン類ならともかく、エステル結合を持つポリエステルが海底でそのまま分解せずに存在することは不可能だからである。おそらく、この手の写真は「投下されたばかりのもの」を選択して撮影していることは間違いない。 筆者は20年にわたって多摩美術大学でデザインを教えてきたが、デザインや映像でやってはいけないことは自らの才能を生かして「事実ではないこと」を強く印象付ける手法をとることである。これは絶対「NO!」である。環境問題のほとんどがウソ 筆者の著書『生物多様性のウソ』(小学館101新書)や『科学者が読み解く環境問題』(シーエムシー出版)で詳しく書いたが、1990年から吹き荒れているリサイクルの破綻、ダイオキシンや環境ホルモンの害の他、生物の絶滅が早くなっていること、温暖化で海水面が上がっていること、森林がCO2を吸収すること、アルプスの氷が解けていること、などはいずれも一部の科学者の見解であって根拠がない。 リサイクルについては、「リサイクルしなければ8年で廃棄物処理場が満杯になる」という宣伝は、筆者が正確に計算したところ150年だった。また、「ダイオキシンは猛毒だ」と言われたときだけテレビに患者が出て、テレビが報道しなくなったら世界で一人の患者も出なくなった。今の若い人たちは「ダイオキシン」という名前すら覚えていないだろう。ゆえに、当時ダイオキシンが猛毒だと思っていた人がどういう情報ソースを持っていたかを検証することは意味がある。 さらに、環境ホルモンについては、生物の多くがオスとメスが入れ替わる事実を大衆が知らないことを狙った全くのウソであった。これは質の悪い誤報にすぎなかった。他にも、温暖化はアルキメデスの原理や相平衡の温度など中学校で教える理科でも分かる非科学的な結論ばかりである。 なぜ、こんなウソに大人がウロウロするのかというと、「科学オンチ」、「感情優先」、さらには「環境利権」がキーワードだが、もっと端的に言えば「日本人の幼児化」だろう。 プラスチックは年間4億トンも使っているから、汚染の可能性はあるが、現実には800万トン程度しか海に流出しておらず、さらにプラスチックが大量に使用されてから数十年も経て、今ごろ「海洋がプラスチックで汚染されている」という事実もないのに騒ぎだけが始まる。 特に、日本の環境省はひどい。日本近海のプラスチックのほとんどが中国で流され、それが海流に乗ってきていることを知っていて、国際的に「日本近海が多い」と表現するのだからはっきりした反日官庁である。 環境汚染を防止するというのは「まじめな活動」でなければ意味がない。「事実として海洋を汚染していること、海洋におけるプラスチックの分解が遅いこと、特にポリエチレン、ポリプロピレンの分解がどうなっているか」など重要な環境科学は研究の必要はあるが、緊急性はない。 まして、プラスチック・ストローなどは海洋に放出されるプラスチックの1万分の1にもならないことは明白だ。それを問題にするのだからまさに「幼児」と言えるだろう。東京農工大のチームが東京湾で採取したマイクロプラスチック=2015年1月 そもそも、ヨーロッパの北西に居住するアングロサクソン、ノルマン、ゲルマンというアーリア民族はややこしい。世界中で侵略を繰り返し、自分たちだけ豊かな生活をしながら、やれリサイクルだ、たばこやストローが害だと言い出して他人の生活を制限する。 でも、そんな民族が「震源地」の誤った環境問題に右往左往する日本人も魂を失ったものだ。この際、ダイオキシンやたばこの錯覚に思いを致し、日本人の誇りを取り戻してほしいものである。

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    『新潮45』最後の編集長、若杉良作さんへ

    福田ますみ(ノンフィクション作家) 2018年9月25日、36年にわたりわが国の言論界の一翼を担った月刊誌が唐突に、あまりにも唐突にその歴史を閉じた。わが国屈指の文芸出版社、新潮社が発行していた『新潮45』である。ほんの1カ月前まで、この事態を想定した者はいなかっただろう。 私は同誌に17年ほど前から寄稿している。初めて執筆したのは、確か自ら企画として持ち込んだ「狂言犯罪」についてのルポルタージュである。このときの担当者が、今回の騒動で心ならずも最後の編集長になってしまった若杉良作氏である。当時は、『新潮45』の一編集者だった。 彼とは、このときからの付き合いである。いつも原稿を丁寧に読み込んでくれ、適切なアドバイスをくれた。今回のことについて、日ごろから若杉氏に近いところにいた者として、思うところを書こうと思う。 同誌8月号で、「生産性」の記述をめぐり、杉田水脈衆院議員の論文が炎上した。確かにマイノリティーを巡る論において、この言葉を使うのはいささか配慮を欠いたとは思う。しかし、だからといって、この「3文字」だけをあえて切り取って、杉田氏を執拗(しつよう)に糾弾、攻撃し、彼女の所属する自民党本部の周りを大勢で取り囲んで「議員を辞めろ」とシュプレヒコールをし、家族への脅迫まで飛び出す事態に至るとは、どう考えても異常である。 批判も反論も、もちろんあっていい。しかし、あくまで言論の場にとどめるべきだ。ここまでの騒ぎになったのは、杉田氏が科学研究費の問題で左派系の教授を追及したり、慰安婦問題でも国連に乗り込んで、いわゆる「クマラスワミ報告」の撤回を訴えるなど、保守派として活発に活動していたことも影響していると思われる。 つまり、日ごろから彼女の活動を苦々しく思ってきた左派界隈(かいわい)が、ここぞとばかり彼女を叩くとともに、安倍政権批判にまで持っていきたかったのではないか。その証拠に、自民党本部前の抗議デモは、最後には「安倍辞めろ」の大合唱になった。 「政治家であるからには、一部の国民をないがしろにするような発言は良くない」という批判もあった。だが政治家だからこそ、少子化という、国家にとってまさに喫緊の課題に取り組む必要があり、どこに支援の重点を置くか、その優先順位を説明するために「生産性」という言葉を使ったのだと思う。休刊した新潮社の月刊誌『新潮45』2018年10月号 しかし、休刊の決定打となったのは、10月号に掲載された反論企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」が、杉田論文以上に猛烈な批判を浴びたからである。ゲイの当事者2人を含む7人の論文のうち、大きな物議を醸したのは、文芸評論家の小川榮太郎氏の「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」という論文であった。次の依頼も来ていた その中に「痴漢の触る権利も認めろ」というくだりがあったと、またこの部分だけ抜き出して猛バッシングが始まったのである。しかし、全文を通して読めば、文芸評論家独特の逆説的で皮肉を効かせた表現であり、問題となった部分ももちろんレトリックにすぎない。小川氏は「『弱者』を盾にして人を黙らせるという風潮に対して、政治家も言論人も、皆非常に臆病になっている」と言う。 LGBTに対しては、この欧米由来の概念がうさんくさいと説く。欧米のキリスト教世界やイスラム世界で、同性愛者は、つい最近まで宗教的異端者とされ、刑事罰の対象であった。あのイスラム国では殺害されていたのである。 対して日本では、歴史上、彼らに対してこのような差別はなく、かなり寛容であった。そのわが国に、欧米のムーブメントをそのまま輸入することの疑問を呈している。 今回の執筆者の一人で、ゲイを公表している元参議院議員の松浦大悟氏によれば、「国際レズビアン・ゲイ協会」は国連に加盟するにあたり、これまでともに活動してきた「米国少年愛者団体」を切り捨てたという。変えられないセクシュアリティを持つという点では、ゲイも少年愛も同じだそうだ。 つまりは、特殊な性的指向のどこまでを公に認めて支援対象にするか、その線引きが恣意(しい)的になされているわけで、LGBTという概念が曖昧(あいまい)なままであることがわかる。 その松浦氏は、論文発表後、朝日新聞の取材に答えて、杉田氏の文章には間違いもあったが、彼女を差別主義者だとは思わないと言っている。また、もう一人、ゲイをカミングアウトしている、かずと氏も杉田氏の主張に反対せず、LGBTのうちTの一部を除いたLGBは社会的弱者ではない、Tの一部以外は社会的支援の必要がないと書いている。 当事者2人がこのような主張をしているのである。「差別だ!」と決めつける人たちが彼らの論文をどう読んだのか、ぜひとも聞いてみたいところである。LGBTに関する論文掲載をめぐり、月刊誌『新潮45』の休刊を発表した新潮社(納冨康撮影) 休刊前後の話に戻る。私はこの10月号が大炎上しても、まさか休刊はないだろうとみていた。もちろん不安にはなったが、『新潮45』の編集者から「休刊も編集長更迭もない」とはっきり告げられており、編集部からは、次の仕事の依頼も来ていたからだ。 ところが9月21日の夕方、事態が動いた。それまで静観の構えだった佐藤隆信社長が、異例の声明を出したからだ。 「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」。ああこれは、編集部ははしごを外されたな。そう思った。そして、3日間の連休を経た25日の夕刻、休刊が決まった。心底雑誌が好きな男 午後5時ごろ、若杉氏直々に、私の携帯に連絡があった。「休刊になりました」。抑揚のない沈んだ声に「今までお疲れさまでした」と、私もただそう返事をするしかなかった。 社長の異例の声明と休刊に至る背景には、新潮社が抱えている作家や文芸評論家たちの、執筆拒否を盾にした抗議があったからである。作家たちは自分たちを、絶対の正義の側にいると見なしているのだろう。結局、同社は彼らの圧力に屈したのだ。 私は若杉氏と長い付き合いとはいえ、彼のプライベートを知らないし、仕事に関しても、編集部内がどうなっているのか、編集方針や企画の立て方などについても知る立場にない。私が語ることができるのはあくまで彼の一部、記事を共同で作り上げる編集者としてだけである。 「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」の7人の執筆者のうちの一人である藤岡信勝氏が、iRONNAで編集者としての彼の仕事ぶりを称賛しているが、これはいつものことである。 彼は、ライターが仕事のしやすいように、極力バックアップを欠かさない。企画が通り、一つのテーマを割り振られると、すぐさま必要な資料を過不足なく用意してくれる。その資料を読み込む中で、さらに「ここのところの資料がないかな」とつぶやくと、すぐにどこからか探し出して届けてくれる。 かなり遠方の地方取材などにも、可能な限り付き添ってくれた。2人で厳寒の秋田で何時間も、北朝鮮のスパイと疑われた人物の張り込みを続けたことは、今となっては貴重な思い出だ。 ああ、この人は心底雑誌が好きなんだな。雑誌の持つパワーを信じている。そう思わせる熱意を感じた。だから、編集実務においても一度としてミスはなかった。彼に任せておけば安心だった。 「なんだこのゴマスリは」。そう思われるかもしれない。だが、いまさら彼にゴマをすったところで何も出てこない。彼はもはや何の力も持っていないのだ。だから私は本当のことを書いている。月刊誌「新潮45」 私は、彼の名前でネット検索をすることはしていないが、今回の事件について調べているといや応なく、同誌で仕事をしていたと思(おぼ)しき人たちが、彼の過去暴きをしているのに出くわす。水に落ちた犬を叩く行為だ。そしてその多くがデマである。 雑誌『噂の真相』の後継をうたう、なんとかいうニュースサイトがある。今回の事件について、いかにもこれが「真相だ」とばかり、新潮社の社員(?)にこう語らせている。若杉良作編集長は、右派思想の持ち主でもなんでもない。上の命令に従順に従うタイプ。最近のネトウヨ路線も、売れ行き不振の挽回策として、担当取締役の酒井逸史氏から命じられていた感じだった。酒井取締役は元『週刊新潮』の編集長でイケイケタイプですからね。10月号の擁護特集も酒井取締役が事前にGOを出している。会社は役員が読んだのは発売当日になってからという意味のことを言っていたが、そんなわけがない。少なくとも酒井取締役は事前にゲラも読んでいると思いますよ。それどころか、『ここで反論すれば売れる』と企画そのものを焚きつけた可能性もある。新潮社の「不文律」 全くのフェイクニュースだ。これでは編集長はロボットかでくの坊である。そもそも新潮社には、互いの編集権には干渉しない不文律があり、各編集部は完全に独立している。役員があれこれ指示することはできないし、第一、編集部は人手不足で、部外者が事前にゲラをチェックする時間的余裕もない。 このニュースサイトは結局、責任は一編集部などにはなくもっと上の方にある。社長以下、社員全員で土下座でもしろということなのだろう。 ここでも触れているが、「16年9月号から若杉編集長が就任以来、『新潮45』は極右路線、過激路線に大きくかじを切った」という批判がある。そしてこの路線を突っ走った揚げ句に、今回の「差別事件」を引き起こしたというのだ。 しかし、新潮社の報道姿勢は本来、いわゆる「新潮ジャーナリズム」という言葉があるくらい、偽善を嫌い、建前の裏に潜むどす黒い本音を抉(えぐ)り出すというものだ。『新潮45』も例外ではない。間違っても、ポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)を忠実に守る左派的な優等生雑誌ではなかった。 確かに、部数低迷は深刻な問題だっただろう。しかし、誰が編集長を引き受けても、この状況に歯止めをかけるのは無理だったと思う。 若杉氏がこれをどのくらいプレッシャーと感じていたかはわからない。ただ、あれこれ試行錯誤をした結果、ある程度手応えをつかんだのが朝日新聞批判であり、野党批判だったということだ。もともと、朝日叩きなどは『週刊新潮』のお家芸であり、それが系列雑誌に移行したにすぎない。 若杉氏自身が戦後民主主義に対する懐疑派であり、自身の思想信条を曲げて、売り上げのために「悪魔に魂を売った」なんてことは間違いだ。東京都新宿区の新潮社 ただし彼は、右派も左派もぶっ飛ばすユニークな言論で売り出し中の評論家の古谷経衡氏や、「安倍政権の本質はカルトである」と主張する哲学者の適菜収氏をも重用する柔軟性も持ち合わせている。他の連載執筆陣にもリベラル派がいる。 つまり、読者は、特集で安倍政権を持ち上げる言説を読んだ後、連載執筆陣の安倍叩きを読まされるわけで、極端に走ったといえるほどの紙面構成には実際はなっていない。 それだけ言論に幅があるとも、過激さが中和されるともいえるが、中途半端であることは否めない。その点で、右派論客で固められた『月刊Hanada』や『WiLL』などには売り上げで及ぶべくもなかった。若杉氏にも物申したい また、ある評論家が「かつてはノンフィクション路線の雑誌で取材費もかかったけど今のやり方なら取材費ゼロ」などと訳知り顔で語っているが、もしそうなら、ノンフィクション専門の私など、とうにお払い箱になっている。 若杉氏がノンフィクションにも力を入れる姿勢は全く変わっていなかった。私はつい最近まで、同誌でルポを何本も書いている。時間も金もかかる厄介なテーマだったが、若杉氏は取材費に全く上限を設けず、あらゆるサポートを惜しまなかった。 杉田氏の論文が掲載された8月号にも、福島県における子供の甲状腺ガン「多発」のタブーに切り込んだノンフィクションライターの上條昌史氏による「放射能不安を煽って生まれた福島『甲状腺がん災害』」という良質なルポを掲載している。残念ながら反響はさほどなかったようだが、こうした意欲作さえ、あの「ヘイト雑誌」に載ったというだけで葬り去られるとしたら残念である。 しかし、今回のことで若杉氏に物申したいこともある。結局、『新潮45』は雑誌としてLGBTの問題をどう捉えているのか、編集部の見解を聞く機会がなかったことだ。10月号で、「そんなにおかしいか『杉田水脈論文』を掲載した際、7人の論文の頭に堂々と、「編集部はこう考える」という一文を掲げるべきだったと思う。 私事で恐縮だが、私は若いころから10年ぐらい前まで、よく新宿の2丁目に通っていた。常連の店が何軒もあった。すべて店を仕切っていたのはオカマのママである。彼女(彼?)たちの毒舌を聞くのは刺激的で楽しく、こちらも負けずに舌戦に加わった。でもとても仲が良かった。 今振り返ってみて、彼らは弱者であろうか。支援が必要な差別の被害者であったろうか。もちろん、生きていく上でつらいことも多かったとは思う。しかし彼らはたくましく生き抜いていた。おそらく、自らを弱者だと思ったことはないだろう。結局みな同じ人間ではないか。 ちなみに私も、杉田氏流に言う「生産性がない」人間である。結婚もしない、子供も持たない私は、彼らと飲み交わすうちに、互いの持つ孤独感に似通ったものを感じ、まったく勝手な連帯感を抱いたこともあった。新潮社本館の銘板 杉田氏の論文が「差別文書」として事実上封印されてしまった以上、今後、LGBT支援を巡る自由な意見交換はしにくくなるだろう。誰も「差別者だ」と糾弾されたくないからだ。しかしそういう状況が、LGBTの当事者にとって決して良いこととは思われない。今回の弱者は、たった1万6千部しか発行していない、不当なバッシングに対抗するすべもない『新潮45』と、当事者なのに全く意見を汲み取ってもらえなかった俺ら普通の性的マイノリティーだよ。 こんなツイートが私の目に留まった。私は、『新潮45』で仕事ができたことを誇りに思う。

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    ファン・ビンビン巨額脱税、中国当局が狙い撃つ人気女優の利用価値

    富坂聰(ジャーナリスト、拓殖大学海外事情研究所教授) ファン・ビンビン(范冰冰)は政争に巻き込まれてしまったのか、それとも軍の陰謀に利用されているのか―。杳(よう)として行方が分からなくなった女優をめぐり、中国のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では8月ごろから盛んに怪情報が飛び交った。 もっとも、ファン・ビンビンという名前を聞いても多くの日本人にはピンとこないかもしれない。だが、ハリウッド映画『X-Men:フューチャー&パスト』や『アイアンマン3』に出ていたアジア系の女優といえば、何となく顔が思い浮かぶのではないだろうか。 その国際派女優、ファンの問題が、今では日本のお茶の間でも身近な話題となった。失踪の理由が脱税であること、欧米メディアが先行して報じ始めたからである。 ファンの年収が50億円近いということも衝撃を与えたに違いないが、中国のメディア関係者によれば、「本当はその3倍、4倍であっても不思議ではない」という。 いったい何が起きたのか。「今年6月2日を最後に彼女の微博(ウェイボー)が更新されなくなり、8月から騒ぎになり始めました。同じころ彼女のパートナーでやはり有名男優のリー・チェンのアカウントまで更新されなくなったのです。犯罪絡みであれば警察が放置するはずはなく、やはり当局の何かしらの捜査対象となったと見るのが自然でしょう」(同前) 結局10月に入り、当局がファンと関連会社による約1億4千万元(約23億円)の脱税を認定、追徴金など約8億8千万元(146億円)の支払いを命じたと、国営新華社通信が報じた。ファンも微博で「法律を尊重すべきだった」と6000万人のフォロワーに向けて謝罪した。 では、なぜこの時期に彼女がピンポイントで狙われたのか。まず飛び交ったのが政争への巻き込まれや軍の関与だった。だが、そんな大げさな話ではなかったのである。中国の人気女優、ファン・ビンビン(范冰冰) というのも、彼女を名指しこそしていないが、実名で脱税を告発した人物が存在し、その影響がファンに及ぶことは早くからSNSで話題となっていたからだ。 前出のメディア関係者が語る。「元CCTV(中国中央テレビ)の人気キャスター、崔永元氏の告発です。彼はCCTVに在籍中から、メディアの中で芸能界に横行する不正なお金の流れを告発するための資料を大量に保管していて、今回、その一部を暴露したといわれています。告発の動機は芸能界への恨みです」習近平が意識した「相手」 また、関係者はこうも語った。「崔氏は、もともと『国民的』とも称される人気キャスターだったのですが、キャスターをスキャンダラスに描いた映画『手機』のモデルにされたことで精神をやられ、最終的には職を辞すことになってしまった。それだけでも恨み骨髄なのに、そのグループが新たに続編の『手機2』を制作する予定だと知り、怒りが爆発したようです。攻撃の本命は映画監督の馮小剛(フォン・シャオガン)と、エンターテインメントビジネス界の雄、華誼兄弟伝媒(フアイー・ブラザーズ・メディア)グループの王兄弟ですが、彼女も一味と見なされたのでしよう」 SNSでは、告発直後の6月にファンが崔氏に「あなたがそんなに傷ついていたとは知らなかった」と泣いて電話があり、それに対し崔氏が「知らないはずないだろう」と冷たく突き放したという話も流れている。いずれにせよ、これほど堂々と不正が告発されれば、ただで済むはずはなかった。 しかも崔氏の告発は、後付けながら当局にとって実に利用価値のあるものとなったという。別のメディア関係者が語る。 「中国はちょうど各地の税務局を国税局と一体化させる組織改革方案を7月20日付で発出したばかりで、新組織の船出に勢いをつける材料を探していた。そこに降って湧いたのがファンの事件ということです。組織改革の目的は、中央のコントロールの強化ですから、北京は勢いづくことでしょう」 また、高額所得者の象徴である芸能界のスターからきっちり税金を取り立てたことは、中国がさらに力を入れる所得の再分配にも追い風となる。 中国は今後の社会と経済の安定のために中小企業への手厚い保護と中間所得層の拡大を目標として定めている。前者の目的のため、8月20日には第1回となる中小企業発展促進会議を行っていて、また後者については低所得者のために大幅な減税に着手している。 中国の納税者を可処分所得に従って5分割して、下から3段階を対象に減税を行っているのだ。「中国を過去に逆戻りさせた」と表現される習近平国家主席の政策は、常に「持たざる者」を意識して進められてきたが、その大きな流れから見た通り、ファンの脱税にも厳しい裁きが下されたわけである。中国の人気女優、ファン・ビンビン(范冰冰) ただ、問題はファン一人が断罪されても収まらないという。 「告発は芸能界の裏の体質を白日の下にさらしてしまった。当然類は他のスターたちにも及ぶでしょう。芸能界をはじめすべてのエンターテインメントビジネスにかかわる人々は、今やもう戦々恐々です。飛ぶ鳥を落とす勢いだった華誼兄弟も、当初こそ崔さんに反論していましたが、もうすっかり静かです」 中国では映画の興行収入が日本の4倍を超え、数年で米国をも追い抜くと騒がれてきたが、その絶好調の映画界では、これから非常に冷たい風が吹き荒れることになるのだろう。

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    創価学会「最後の夢の国」池田大作はなぜ沖縄にこだわり続けるのか

    島田裕巳(宗教学者) 創価学会の池田大作氏は、第3代の会長を退いて以来、長く名誉会長と呼ばれてきた。ところが、最近、名誉会長から退いたわけではないようなのだが、「池田大作先生」という呼称が使われるようになっている。 池田氏が会長に就任したのは1960年のことで、そのときまだ32歳だった。その若さで巨大な新宗教教団を率いるのは容易なことではないが、若きリーダーの下、創価学会は、少なくとも1960年代いっぱいは、その勢力を拡大し続けた。 池田氏が初めて沖縄を訪れたのは、会長に就任してわずか2カ月後のことである。沖縄に初めて創価学会の会員が生まれたのは1954年のことだが、当時の最小単位の班はあっても、まだ支部はなかった。そこで、池田氏の提案で沖縄支部が結成される。 それ以来、池田氏は、2000年までの間に沖縄を17回訪れている。池田氏の会長としての主な仕事は、国内外を訪れ、現地の会員を励ますことにあった。 池田氏が、沖縄のことをいかに重視していたかは、ごく最近『聖教新聞』での連載が終わった『新・人間革命』の正編、『人間革命』の執筆を、1964年に沖縄の地で始めたことに示されている。 池田氏の基本的な認識は、沖縄が第2次世界大戦において悲惨な戦争の犠牲になり、なおかつ戦後は、在日米軍の基地を抱えていることを踏まえ、本土の「捨て石」になっているというものだった。その上で、基地問題を解消し、沖縄に本当の平和をもたらすべきであることを訴えてきた。1970年5月、創価学会第33回本部総会であいさつする池田大作会長=両国・日大講堂 この池田氏の主張は、沖縄の多くの人々の共感を集めるもので、その点では、平和の実現ということに力を入れてきた創価学会の指針としては重要なものということになる。ただ、なぜ池田氏が沖縄に力を注いできたのかということになると、平和の問題だけでは理解できないように思われる。 創価学会の組織は基本的に、地域別、年齢別に組織されている。地域では、現在の最小の単位はブロックで、それが地区、支部、本部、圏、分県、県へと範囲が広がっていく。性別では、性と年齢に応じて「青年部」「婦人部」「壮年部」に分かれる。沖縄の人々の生活にある「空白」 ただ、そうしたものとは別に、医者だけの集まりである「ドクター部」などというものもあるし、芸能人の入っている「芸術部」もある。さらには「団地部」や「離島部」というものもあり、創価学会ではこの二つの部の活動にかなり力を入れてきている。 団地は住民が近接して暮らしているために、人間関係は密である。そこに入り込めば、創価学会は会員を増やしていくことができる。東京都であれば、都営団地の中に創価学会の会員が多いところがあり、そうしたところでは自治会の役員なども積極的に務めている。 離島の場合も地域社会の結束が強く、その点は団地と似ている。ただ、離島は外界から閉ざされている面があり、創価学会の会員が伝統的な信仰を否定するようなことになると、住民との間でトラブルになりやすい。 ところが、沖縄の場合には、宗教をめぐる状況は本土とは大きく違う。近代以前には、沖縄独自の祭政一致の信仰体制が確立されていたものの、それは日本に組み込まれる過程で崩壊し、失われてしまった。神道や仏教も入ってはいるが、正月や盆などの伝統的な行事だと、神道や仏教と無縁な沖縄独自の信仰が今も生き続けている。 つまりそれは、沖縄の人々の信仰生活に空白の部分があることを意味する。そして、創価学会の信仰を広めるには状況として都合がいい。実際、沖縄の離島では、創価学会の会員が増えている。そのことは、公明党の選挙結果に反映されている。 前回の衆議院議員選挙は昨年10月に行われた。その際、沖縄県全体での比例代表の得票数は第1位の自民党が14万960票だったのに対して、公明党は第2位で10万8602票だった。立憲民主党でさえ、10万票を獲得できなかった。ここからも沖縄における公明党、創価学会の強さがうかがえる。 この公明党の得票数から、沖縄の創価学会員の数を推測することができる。大阪商業大にあるJGSS研究センターでは、毎年詳細な世論調査を実施しており、その中には、信仰について聞く部分も含まれている。米軍普天間飛行場の移設工事が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部=2018年8月(小型無人機から) その中で「自分は創価学会の会員である」と回答している人間は、毎年およそ2・2%である。この数は年によってほとんど変わらないので、現在、創価学会の会員は人口の2・2%と考えていいだろう。 人口の2・2%ということは、それはおよそ280万人を意味する。つまり、現在の創価学会の会員数は約280万人なのである。乳児ばかりの新入会員 前回の衆院選で、公明党は比例代表でおよそ698万票を稼ぎ出した。これは、280万人よりはるかに多いが、創価学会の会員は選挙のたびに友人知人にアプローチし、公明党への投票依頼を行っている。 698万を280万で割ると、2・5という数が出てくる。創価学会員は、衆議院議員選挙において1人が2・5票を稼ぎ出しているわけである。 これを沖縄県に当てはめてみると、創価学会員は4万3500人程度ということになる。これは、沖縄県の人口の3%にあたり、日本全体の平均よりも高い。さらに、沖縄の離島に目を移すと、本土から遠い島であればあるほど、創価学会が深く浸透していることが分かる。 石垣市では、自民党が4061票であるのに対して、公明党は5171票で、政党の中でもっとも多い。さらに西の竹富町では、481票に対して619票とかなりの差をつけている。与那国町でも278票に対して290票である。 沖縄本島より東の南大東村になると、なんと91票に対して343票と、公明党が自民党を圧倒している。しかも、全体の得票数が681票だから、公明党は過半数に達している。 もちろん、南大東島の選挙結果が国政選挙全体に影響を与えるわけではない。だが、公明党の得票数が半数を超える島の存在は、選挙活動に邁進(まいしん)する創価学会員にとっては大いに励みになる。日本全体がこの島のようになれば、公明党は第1党となり、単独で政権を獲得できるのだ。 池田氏が会員の前に姿を現さなくなってから、すでに8年の歳月が流れた。時折『聖教新聞』などに近影が掲載されるが、そこに笑顔はない。姿を現さなくなるようになる前から、本部幹部会でのスピーチからは迫力がすっかり失われていた。池田氏が、再び会員の前に姿を現し、会員全体を鼓舞することはありそうにない。中国の王岐山国家副主席(右)と会談を前に握手する創価学会の原田稔会長=2018年9月25日、北京の中南海(共同) 現在の原田稔会長も77歳になろうとしている。他の幹部も高齢化が進み、組織の刷新は図られていない。かつては「折伏(しゃくぶく)」によって信者を伸ばしていったものの、現在の新入会員は、会員宅に生まれた乳児ばかりである。 その中で沖縄の状況は突出している。沖縄は創価学会にとって、最後の「夢の国」なのかもしれない。果たして、公明党はその夢の国に平和をもたらすことができるのだろうか。それは、公明党が自民党との連立を解消しない限り、相当に難しいことであるように思われる。

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    飲酒ひき逃げ、吉澤ひとみは「孤独の病」を克服できるか

    原田隆之(筑波大教授) 人気アイドルグループ「モーニング娘。」元メンバーでタレントの吉澤ひとみ容疑者が、酒気帯び状態でひき逃げしたとして、自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反の罪で起訴された。酒を飲んだ後にひき逃げをしたというだけでも十分ショッキングな事件だが、その後の報道でさまざまな事実が明らかになるにつれ、ショックを通り越し、怒りを禁じ得なかった人も多いのではないだろうか。 まず、吉澤被告は事件の15分後に自ら110番通報したというが、すぐに停止しなかったのは、停車するスペースがなかったからだと言い訳をしていた。また、飲酒量についても過少申告し、後になって供述を変えたという。 さらに、極めつけは、ひき逃げの瞬間の動画が公開されたことだ。これを見る限り、相当なスピードで信号無視をし、横断歩道を渡っている女性をはねたことがはっきり分かる。報道によると、法定速度を約20キロ超える時速86キロで走行していたという。しかも、一度ブレーキランプが点灯したものの、その後は制止しようとした人を振り切って、むしろ加速してその場から逃げていた。 また、路肩にはほとんど停車中の車はなく、止まろうとすればすぐに止まることはできたはずで、嘘をついたのは明白だ。事故の直後で気が動転していたのは分かるが、ひき逃げという悪質さに加え、その後の言い訳や嘘の数々に至っては、醜悪としか言いようがない。 その他にも吉澤被告の行動に関しては、首をかしげたくなる点が多かった。例えば、事故当時、車で仕事に向かっていたとのことだが、朝から仕事だというのに、酒が残るほど深酒をしていたことだ。 また、そんな状態であるにもかかわらず、車で仕事に行こうと考えたことも不思議だ。タクシーを使うなり、マネジャーに連絡するなり、他の手段はいくらでもあるだろう。 しかも、彼女は交通事故で実弟を亡くしているという。そんな痛ましい経験を持つ者が、どうして平気で酒気帯び運転などできるのだろうか。そして、事故後も平気で嘘を重ねることができるのだろうか。 これらの答えは簡単である。それは、彼女が「アルコール依存症」に陥っている可能性が極めて高いからだ。実際、飲酒運転で事故を起こした人の大半が、アルコール依存症だという調査結果もある。道交法違反罪などで起訴された吉澤ひとみ被告 アルコール依存症の簡単なスクリーニングテストとして知られる「久里浜式アルコール症スクリーニングテスト(KAST)女性版」によると、「飲酒しながら仕事、家事、育児をすることがある」、「自分の飲酒についてうしろめたさを感じたことがある」、「せめて今日だけは酒を飲むまいと思っていても、つい飲んでしまうことが多い」などの項目があり、一つでも当てはまると「要注意群」とされている。 吉澤被告の場合、今回の事件を見ると、上記の項目にすべて当てはまる可能性が高いため「アルコール依存症の疑い濃厚」と判断できる。 また、世界保健機関(WHO)のアルコールスクリーニングテスト「AUDIT」では、「あなたの飲酒により、あなた自身や他の人がケガをしたことがありますか」という項目があり、これだけで4ポイント(8ポイント以上が危険性が高い飲酒者)と大きな加算となる。他に本件から簡単に推測できる項目を加算し、飲酒量や頻度などを合わせて集計すると、それらを最低限度に見積もっても、吉澤被告の場合「危険な飲酒レベル」となる。希薄な対人関係 「飲んではいけないときに飲んでしまう」「思っていた以上に深酒をしてしまう」「飲酒が原因で社会的な問題を引き起こしてしまう」「自分の飲酒には問題がないと考える」。これらはいずれもアルコール依存症の症状なのだ。 このように、吉澤被告がアルコール依存症だとすれば、朝から仕事なのに深酒してしまったこと、平気で車を運転して事故を起こしてしまったことなどは何の不思議もない。 そもそも、アルコール依存症の人にとっては、アルコールが何より大事になってしまっており、身内を事故で亡くしたことなどは、二の次、三の次となってしまう。つまり、脳がアルコールに乗っ取られた状態であり、悲しいことではあるが、それがこの病気の恐ろしいところなのだ。 また、重要な点は、アルコール依存症は単に多量の飲酒をするというだけの病気ではないということだ。世の中の大多数の人が飲酒をするのに、しかも相当多量に飲む人も多いのに、大半の人が依存症にはならない。それはなぜだろうか。 アルコール依存症だけでなく、あらゆる依存症は「関係性の病」、「孤独の病」と言われ、依存症の根本には、必ず希薄な対人関係や孤立があるからだ。 報道によれば、吉澤被告は前日、自宅で夫と飲酒をしていたというが、夫は彼女が危険な飲み方をしていることに、これまで気づいていなかったのだろうか。翌朝から仕事だと知らなかったのだろうか。車で家を出たことを知らなかったのだろうか。どれか一つでも知っていたら、この事件は防げた可能性が大きい。 家族や友人の誰もが、彼女の危険な飲み方について注意をしたり、診察を勧めたりしていなかったのだろうか。そうだとすれば、華やかな芸能界にいるように見えて、何という希薄な人間関係、何という孤独な環境だろうかと暗澹(あんたん)たる気持ちになる。 このような重大な事故を起こしてしまえば、ますます周囲から人が離れ、本人も自信や自尊心を失い、孤立を深めていく恐れがある。送検のため警視庁原宿署を出る吉澤ひとみ容疑者(奥)=2018年9月7日 事件について、罪を償うのは当然だが、どれだけ厳しい罰を受けたとしても、アルコール依存症は治らないのが現実だ。そもそも、飲酒運転については厳罰化が進んでいるが、厳罰化はこの種の事件を抑制できないというエビデンス(臨床的根拠)があり、今や常識となっている。 吉澤被告の事件を踏まえ、最も重要なことは、治療につなげることである。そして、その中で新たな人間関係を築き、これ以上自分の体や心を傷つけないようにすることだ。さらに、自尊心を取り戻し、社会生活を取り戻すことが何より大切になる。 また、その一方で、われわれ社会の側も立ち直ろうとする人を受け入れ、バックアップすることが必要だろう。自分を大切にできない人が、他人を大切にできることなどありえない。本当の償いや再出発は、そこからスタートする。

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    「力ずくでも拉致解決」覚悟なき安倍総理も河野洋平と大差なし

    荒木和博(拓殖大学海外事情研究所教授、特定失踪者問題調査会代表) 最初に河野洋平という政治家を見たのは、新自由クラブの街頭演説だった。いつだったかも、どこだったかも覚えていないが、街宣車の上に新自由クラブの幹部たち、おそらく田川誠一氏や西岡武夫氏、山口敏夫氏といった面々が並んでいた。 皆、長袖ワイシャツネクタイ姿で、なおかつワイシャツの袖はまくり上げていた。若々しい印象を与えようというドレスコードだったのだろう。 そのとき、どんな演説だったかは記憶にないのだが、熱弁を振るう河野氏の姿は今も記憶に残っている。新自由クラブは、私の所属した民社党、公明党および社会民主連合と「中道4党」と呼ばれる勢力だったので、その点でも親近感はあった。 そのときから恐らく20年ぐらいして、私は外相になった河野洋平氏と会うことになった。平成11(1999)年の、年の瀬も押し迫った12月27日のことだ。私は、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の一員で、このときは北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)のメンバーとともに面会した。 当時、政府は北朝鮮へのコメ支援を画策しており、もともと家族会や救う会との面会には消極的だった。しかし、「座り込みも辞さない」と明らかにしたところ、年末になって面会が実現したのである。このとき、河野外相はこう言った。  「外務省が表に出て第一線で当たるのに大事なことが二つある。一つは力ずくではダメ、話し合いでやらなければいけない、ということ。(中略)もう一つは国交がない。話し合いの場がない、ということ。どうやって話し合いで解決するか。一生懸命どうやれば話し合いができるか考えている」  「皆さんの気持ちを理解して、北との交渉に臨む。先方は簡単な相手ではない。政府が決めればその通りになる、というなら簡単だが、そうはいかない。先方をそういう気持ちにさせないと」2000年3月、北朝鮮に拉致された疑いのある日本人の家族らが河野洋平外相に面会。有本恵子さんの両親、嘉代子さんと明弘さん(浜坂達朗撮影) 私はこのときあまり深く考えなかったのだが、「力ずくではダメ」という言葉は何かひっかかるものがあった。今さら植民地問題 そして、それから19年たった今年の6月13日、つまり米朝首脳会談の翌日に都内での講演で河野氏は「植民地問題の処理もできていない国に、ただ(拉致被害者を)『返せ、返せ』と言っても問題は解決しない。国と国の関係を正して、返してもらうという手順を踏まざるを得ない」と言った。 北朝鮮は、暴力的あるいは騙して日本国民を北朝鮮に送り込んでいるのである。その相手から力ずくでも取り返せず、取り返すためには北朝鮮に「植民地問題の処理」なるものをして礼を尽くして返していただく、というのである。 平成11年のときはさすがに「植民地問題の処理」とは言わなかったが、「テーブルに着いて話し合わなければ、糸口がつかめない。どうしたら話し合いの場をつくれるか…」と述べ、ともかく話し合いで、という点は変わらなかった。結局、この人には政治家としての根本的なものが欠けているのだ。そのことは次の言葉からも分かる。  「外務省も皆さんと同じ気持ちでやるのだから、座り込みなどはやめて、外務省にはっきり言ってくれ。いい加減な交渉はやらない。一生懸命やる。座り込みはやめてくれ」 要は、外務大臣として拉致被害者家族に会ったのは、その問題が重要だったと思ったからではない。座り込みをされて内閣支持率や自分の威信に傷がつくのを恐れたということだ。2018年9月、浅利慶太さんのお別れの会に参列した森喜朗元首相(左)と河野洋平元衆院議長(斎藤良雄撮影)  今、こういうときに「植民地問題の処理」を持ち出すというのは加齢による判断力の低下もあるのだろうが、逆に言えば本音であるとも言えよう。しかし、「力ずくではダメ」という意味で言えば与野党含め現在の国会議員の大部分は河野氏と大差ない。 平成14(2002)年9月の小泉訪朝で金正日(キム・ジョンイル)が拉致を認め謝罪するまでは、日本の中に多数の「北朝鮮は拉致などしていない」という勢力がいて、国会議員でも動いてくれていた人はごく一部にすぎなかった。 中山正暉(まさあき)第1次拉致議連会長のように最初は威勢が良かったが、平壌に行って戻ってきたら180度言うことが変わって、「元工作員の言っていることは信用できない」とか、北朝鮮の代弁をするような発言をしていた人もいた。そういう勢力はほとんどいなくなったが、「拉致被害者を力ずくで取り返せない」という現状を認めている点では、今の国会議員も河野洋平氏と大同小異なのではないか。安倍総理も大差なし 「拉致された国民を力ずくでも取り返す」ことこそ国家の責務である。また、「シビリアンコントロール(文民統制)」を誇るなら、国会議員はそれを先頭に立って進めなければならないのに、国会でその議論はほとんどなされていない。 さらに言えば、米国の軍事的圧力に依存して米朝会談で拉致問題を出して「もらった」安倍晋三総理もその意味で大差ないといえる。日本全体が米国頼みであり、河野洋平氏の発言はある意味、そのような「戦後政治」の象徴とも言えるのではないか。 もちろん、この期に及んで「植民地問題の処理が先」というような彼の発言は、家族も含め拉致問題に関わっている人々の反発を生んでいる。個別には批判していくべきだろう。しかし永田町には「河野洋平的なもの」が蔓延(まんえん)しているのである。彼はその一つの象徴でしかない。 私は19年前、河野洋平外相の「力ずくで取り返せない」という言葉に、反論もしなかった。正直な所、「そんなものなのかな」とすら思ったように記憶している。 しかし、何となく心にひっかかるものがあったのも確かだ。その後は、拉致問題が安全保障上の問題であり、「力ずくで取り返す」努力をしなければならないと思うようになった。 もちろん、拉致被害者救出にはさまざまな方法があってよいだろう。まずは救出が優先であり、1人でも2人でも、一刻も早く取り返さなければならない。2018年4月、拉致被害者家族との面談であいさつする安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) だから「力ずく」でなければならないというつもりはない。しかし、国家として国民を救うという覚悟は、最終的には「力ずく」でなければならないはずである。 国家としての根本を失った、わが国の醜さの象徴が拉致問題である。河野氏の発言がそれを改めて考えさせてくれたという意味では、彼の存在価値もあると言えるのかもしれない。

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    「日朝極秘接触」元テレ朝記者の筋読みは甚だ的外れ

    重村智計(東京通信大教授) 北村滋内閣情報官と北朝鮮の金聖恵(キム・ソンヘ)氏が7月に秘密会談していた。日本のテレビでは、事実関係を確認していないのに、とんでもない分析や解説が流される。しかも、北朝鮮の基礎知識を無視して勝手な「妄想」が語られる。 外務省に忖度(そんたく)してか、「二元外交」などと根拠もなく批判し、日朝交渉時のアジア大洋州局長を弁護する主張まであった。本稿では日本のメディアで横行する、国民をミスリードする解説を正しておきたい。 始まりは「特オチ」だった。メディアと取材記者が、米ワシントン・ポスト紙に抜かれた。同紙は8月28日に「北村情報官、北朝鮮の金聖恵氏と秘密会談、米政府不快」と報じた。 実はこの記事、日朝秘密接触を報じたのではなかった。見出しは「トランプ、パールハーバー(真珠湾)を忘れないと発言。安倍首相との(冷めた)関係」で、あくまでトランプ米大統領に対する批判記事だ。日朝秘密接触には数行しか触れていない。 米国の新聞と読者は、日朝の秘密接触には関心がない。あくまでトランプ大統領と安倍晋三首相の関係が悪化した、と強調するために使った事実に過ぎない。「米国は日本に米朝接触の内容を教えているのに、日本は日朝接触を教えなかった」との当局者の不満を強調して、日米関係悪化の「証拠」に使ったのだが、記事は間違いだった。 実は、北村氏と安倍首相は、米政府高官に日朝接触の事実を伝えていたのである。というのも、「北村と接触すべき」と北朝鮮に推薦したのは、ポンペオ米国務長官だったからだ。2018年7月、訪日したポンペオ米国務長官(左)と握手する安倍晋三首相(宮崎瑞穂撮影) ポンペオ長官は米中央情報局(CIA)長官時代の3月末に訪朝した際に、北朝鮮側から「日本政府で安倍首相に直接繋がる人、信用できる者は誰か」と聞かれた。長官は「北村情報官しかいない。安倍首相が最も信頼している」と教えた。ポンペオ長官は、北村氏にこの事実を伝えた。思わず吹き出したコメント 北朝鮮は、長官の「推薦」で5月ごろから北村氏に関する身元調査をひそかに始めた。北村氏は2002年、小泉純一郎首相の日朝首脳会談の際に、先遣隊として平壌に乗り込み国家保衛部の幹部と打ち合わせしていたのである。当時の打ち合わせ記録と名刺も出てきたという。 ところで、北村氏と会談した金聖恵氏は「統一戦線部戦略室長」と報じられた。まず、この肩書がおかしい。取材記者は金氏本人に確認したのか、あるいは北村氏に聞いたのだろうか。金氏の所属と役職がおかしい、と気がつかなければ北朝鮮問題を語る資格はない。 特に、元テレビ朝日記者の川村晃司氏のテレビ発言には、思わず吹き出してしまった。官僚や外務省関係者の話を疑いなく信じる人の良さがうかがえる。旧知の仲なので、名指しの指摘をお許しいただきたい。 いったい何が問題なのか。統一戦線部は工作機関であり、日本の政治家や学者、新聞記者を「包摂」するのが仕事だ。また、朝鮮総連の監督機関でもある。 名前の通り、南北関係の工作と交渉を担当している。だから、日本政府と交渉する権限は与えられていないのである。韓国との交渉も、今は祖国平和統一委員会が担当している。この委員会は統一戦線部所属だったが、2年前に政府組織に格上げされた。 では、日本との交渉権限は、誰が持っているのか。昔も今も秘密警察の「国家保衛省」である。2002年の日朝首脳会談の秘密交渉で活躍した「ミスターX」は所属も本名も明らかにせず、偽名を使い「金正日(キム・ジョンイル)総書記の側近」と名乗った。のちに処刑されたが、本名は「柳京(リュ・ギョン)」で国家安全保衛部(当時)の第一副部長だった。2002年9月、日朝首脳会談を前に、北朝鮮の金正日総書記(右)に握手を求め歩み寄る小泉純一郎首相(代表撮影) この基礎知識があれば、金聖恵氏の所属と肩書に疑問を持つはずだ。取材は、官僚や政治家の発言への疑いから始まる。「韓国情報機関が入手した名前は偽名かもしれない」「韓国情報機関の情報を信用するのは危ない」と考えるのが朝鮮問題を担当する記者の初歩だ。南北の情報工作機関は、日本人記者をだましかねないとの疑いを持ってほしい。 それでは、金聖恵氏はどこの所属なのか。本属は「国家保衛省」の可能性が高い。おそらく偽名を使っていたのだろう。北朝鮮代表団の中には、国家保衛省第一副部長などの幹部がいたはずだが、彼らも偽名を使い所属は明らかにしなかっただろう。「金正恩(キム・ジョンウン)委員長の指示で来た」と述べたはずだ。北朝鮮の外交交渉団には、必ず国家保衛部の要人が加わっているのである。指導者に報告するためだ。日米同盟「本当の危機」 金委員長が、最近まで「安倍とは会わない」と側近に語っていた事実を取材していれば、日朝秘密接触が重大な「対日外交の変化」と理解できる。金委員長が日朝秘密接触を許可したのは、事情が変わったからだ。明らかに日朝首脳会談を模索している。 中国の習近平主席は、金委員長に毎年1兆円を超える支援を約束した。ところが、国連の対北制裁が解除されなければ、この支援は実行されない。国連の制裁解除に強く反対しているのは安倍首相であるため、直接の話し合いが必要になったのである。 また、日朝が秘密接触すれば、トランプ政権が慌てて北朝鮮に譲歩するだろうと考えるのが、北朝鮮外交だ。日米の協力関係を揺さぶり、対立させようとのいつもの手口だ。 かつて、日米同盟が危機に直面したことがあった。2002年に「ミスターX」と秘密交渉した田中均アジア大洋州局長(当時)は、日朝首脳会談合意を事前に米政府に通知しなかった。パウエル国務長官らは、「日米同盟を危うくする行為」と激怒したが、ジョージ・W・ブッシュ大統領が「小泉首相にも事情があるだろう、行くだけならいい。資金供与と正常化はだめだ」と、パウエル長官をなだめた。 この事実を、私は『外交敗北』(講談社)で詳しく書いた。産経新聞の古森義久記者も繰り返し報じ、阿比留瑠比記者は「秘密交渉記録を田中氏が意図的に消失した」と何度となく指摘しているのに、川村氏らはテレビ番組で田中氏の「名誉回復」と受け取られる、事実と違う説明を述べた。よく取材してほしい。東京・港区のテレビ朝日社屋=2018年1月(大橋純人撮影) 北村氏の日朝秘密接触に「二元外交」という批判もあるが、これも間違いだ。政府高官の接触は安倍首相の指示に基づくもので、あくまで安倍政権による「一元外交」である。 二元外交とは、外交権限もない政治家や政府以外の人間が、勝手に北朝鮮と交渉し、約束することだ。かつては、自民党の実力者が勝手に北朝鮮と合意した。これこそ非難されるべき「二元外交」である。 米国では、この行為は厳しく規制される。それは、トランプ政権関係者が、大統領当選前のロシア疑惑で「二元外交」を罪に問われたことでも明らかである。

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    沖縄知事選は反差別の理不尽と戦う「日本解体闘争」である

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 平成30年8月31日の琉球新報1面に「沖縄への基地集中は『人種差別』国連が日本政府に勧告」というタイトルで次の記事が掲載された。 国連人種差別撤廃委員会は30日、対日審査の総括所見を発表した。日本政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告した。米軍基地に起因する米軍機事故や女性に対する暴力について「沖縄の人々が直面している課題」と懸念を示した。その上で「女性を含む沖縄の人々の安全を守る対策を取る」「加害者が適切に告発、訴追されることを保証する」ことなどを求めた。同委員会が勧告で、差別の根拠として米軍基地問題を挙げたのは2010年以来。(以下省略) 前回の寄稿「沖縄の基地集中は『人種差別』危険な国連勧告の裏側を読む」では、筆者がスイス・ジュネーブまで足を運び、国連人種差別撤廃委員会の対日審査に先立ち、「沖縄県民は先住民族としての自己認識を持っておらず、日本人である」とスピーチしたことを報告したが、それを全く無視し、このような勧告が出されたのだ。沖縄県民を先住民族と断定した勧告は、2008年の自由権規約委員会以来、これで5回目である。 さて、前知事の翁長雄志氏急逝に伴い9月30日に投開票が行われる沖縄県知事選で、翁長氏を支援してきた「オール沖縄」は、後継候補として自由党幹事長の玉城デニー前衆院議員の擁立を決めた。オール沖縄は「イデオロギーではなくアイデンティティー」をスローガンにして米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を掲げてきた。 このスローガンは、基地問題が保革の対立問題ではなく、国際的人種差別問題にエスカレートさせる一つの罠(わな)であり、玉城氏もこのスローガンを引き継いでいる。沖縄県民が全く望まないのに、国連で先住民族と認識されるからくりと、その目的が米軍基地撤去であることについては、すでに「沖縄・翁長知事の国連演説は本当にヤバい」(月刊正論2015年10月号)で述べたので詳細は、そちらを参照いただきたい。沖縄知事選で支持を呼び掛ける玉城デニー氏=2018年9月13日 ここで、先住民族勧告に関する沖縄選出の国会議員全員の姿勢が明らかになった報道を紹介したい。まず、平成28年4月27日、国連の各委員会による先住民族勧告を問題視した沖縄選出の宮崎政久衆院議員が内閣委員会の質疑で勧告の撤回を働きかけるよう政府に求めた。 これに対し、木原誠二外務副大臣は「事実上の撤回、修正を働きかけたい」と答弁し、それを問題視した琉球新報は、翌日の新聞1面で取り上げ、別稿記事で沖縄選出の全ての衆参両議員に賛否を問うアンケートの結果を掲載した。 それによると、自民党所属議員5人と、おおさか維新の儀間光男議員は「沖縄県民は日本人であり勧告は不適切だ」との主旨の回答をした。また、おおさか維新の下地幹郎議員は「政治家の領分ではない」と判断を回避。問題のオール沖縄の議員5人は、「勧告は人権を尊重したもの」や「その撤回は侮辱」などと勧告を評価、肯定する主旨の回答をした。そして玉城氏も「差別を否定する勧告は政府も尊重すべき」と答えたのである。 沖縄では差別とか自己決定権という言葉で覆い隠してはいるが、結局のところ、オール沖縄とは「オール先住民族」だったのである。つまり、現在行われている知事選は辺野古移設阻止を問う選挙ではなく、沖縄県民はこれまでのように日本人として生きていくか、日本のマイノリティーである先住民族として生きていくのか、を問う選挙なのである。民意を無視した地元紙 沖縄の米軍基地撤去運動は「安保闘争」から国連を利用した「沖縄反差別闘争」にシフトしていることも前回の寄稿で説明した。先住民族の権利を利用して米軍基地を撤去する方向に動いているのだ。今さら驚く必要もないが、琉球新報は8月30日の国連勧告を重要視し、9月3日の社説でも以下のように取り上げている。「国連の沖縄基地勧告 政府は差別政策改めよ」 過重な米軍基地負担によって県民が差別的処遇を受けていることを国際社会が認めた。国連人種差別撤廃委員会が、米軍基地の沖縄集中を差別の根拠として挙げ、沖縄の人々の権利を保護するよう日本政府に勧告した。勧告に法的拘束力はないが、実情を真摯(しんし)に受け止め沖縄に寄り添った内容だ。世界標準で見ても、政府の新基地強行がいかに理不尽であるかが改めて浮き彫りになった。政府は勧告を受け入れ、直ちに辺野古の新基地建設を断念し、沖縄に対する差別政策を改めるべきだ。(以下省略) その後の内容も社説というよりは、被差別意識をあおるような言葉が続く。◎「戦後70年余も米軍基地に反対し続けてきた沖縄の訴えには一切耳を貸さず、本土の『民意』にはすぐに理解を示す。これを差別と言わずして何と言おう」◎「日本政府は勧告を受け入れてはいない。むしろ逆に、沖縄に対する圧政の度合いを強めている」◎「政府は国際社会の指摘に頰かむりせず、きちんと向き合うべきだ。県民の人権、自己決定権を踏みにじることは許されない」 筆者は、多くの沖縄県民がこの社説のように思っているとは思わない。また、先住民族の権利を理解しているとも思わない。問題は、この社説が沖縄県民の代弁として国際発信されることだ。筆者は、国連の人種差別撤廃委員会で休憩時間中に日本語で書かれた琉球新報を広げて読んでいる委員を見た。彼は委員会でもたどたどしい日本語でスピーチするなど非常に日本に好意を持っている人物である。しかし、琉球新報に書かれていることが「沖縄県民の世論だ」と勘違いしていることは間違いない。 一方、沖縄反差別闘争の特徴に日米同盟容認があることも述べたが、それを裏付ける動きがあった。8月29日、立憲民主党の沖縄県連設立を受けて、那覇市内で記者会見を行った枝野幸男氏は「辺野古に基地を作らせない」「普天間を返還させる」とした上で、「日米安全保障体制の堅持」を方針として掲げた。 これには、すでに巧みな罠が仕掛けられている。それは、沖縄の米軍基地を全国で引き取る運動だ。言い換えれば「日米安全保障体制は重要だ。しかし、沖縄にばかり基地負担をかけているので、公平にするため全国で引き取ろう」という考えである。 これは、日米同盟を重要視する自民党系の首長も賛同してしまいそうな主張とも思える。だが、訓練移転は実現できても、実際に沖縄の基地負担を大幅に減らす移設を実現する可能性はゼロだ。なぜなら、これまでの日米両政府の合意を覆すことであり、交渉を振り出しに戻すようなものだからである。 仮に合意したとしても今度は、受け入れ先の自治体が基地反対の活動を起こして、失敗させることを目論んでいる可能性があるからだ。結局、基地引き取りに失敗して、琉球新報や沖縄タイムスに「沖縄差別!」という大きな見出しが掲載されることになり、国連に報告する具体的な材料が増えるだけだ。 もう一つ、新たな「沖縄差別運動」が始まろうとしている。前述した立憲民主党の沖縄県連が設立され、その県連会長に反ヘイトスピーチ運動の先頭を走ってきた参院議員、有田芳生氏が就任した。彼は、参院議員の糸数慶子氏がジュネーブの国連人種差別撤廃委員会に参加した際も会場で常に隣りに座っていた。この2人は、反ヘイトスピーチ運動と沖縄の米軍基地問題という、一見異なる領域で活動しているように見えるが、実態は「反差別闘争」という日本解体運動をともに戦う同志でもある。国連人種差別撤廃委員会の対日審査会合後、記者会見する参院議員の有田芳生氏(右)と糸数慶子氏=ジュネーブ 有田氏を県連会長に送り込んだ立憲民主党の狙いは、国連勧告を錦の御旗にして、沖縄発の反基地運動、独立運動に対して、全ての批判をヘイトスピーチとして阻止するためではないだろうか。 それを許してしまうと、「沖縄県民は日本人ですから独立なんてバカなことを言わないでください」という発言も、「琉球人の尊厳を踏みにじった! ヘイトだ!」とされてしまうことになる。要するに、沖縄の反日反米闘争批判の「言葉狩り」がこれから始まるのである。 このように、反差別闘争とは偽装マイノリティーの力を最大化し、マジョリティー(日本人)の発言を封印する日本解体闘争なのである。政府も国民も早急に沖縄反差別闘争に備えなければならない。

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    北海道地震、未曽有の大停電は菅直人にも責任がある

    澤田哲生(東京工業大学先導原子力研究所助教) 9月6日深夜3時8分、北海道を襲った最大震度7の地震は、道内全域をブラックアウト(停電)に陥れた。私たちは広域停電の恐怖をまざまざと見せつけられたのである。295万戸が停電し、発生から丸1日たっても約131万戸分しか電源は回復しなかった。完全復旧には1週間以上かかる見通しだ。 道内全域の長時間にわたるブラックアウトの原因は意外なものだった。それは、震源地に近い北海道電力苫東(とまとう)厚真火力発電所(厚真町、165万キロワット)が大きなダメージを受け、一時停止せざるを得なくなったからである。この火力だけで道内の電力の約半分を担っていた。苫東厚真の脱落の結果、電力網全体で需給バランスが一気に不安定化した。そして道内の他の火力発電所が次々に停止し、道内全域停電という事態に陥った。 電力安定供給を至上使命としてきた電気事業者にとっては、まさにほぞをかむ事態である。この事態を招いた原因として、強大な権限を背景に科学的判断を避け続けた原子力規制行政がある。 泊原子力発電所(泊村)の3基の原子炉の総出力は207万キロワット。苫東厚真火力の出力を補って余りある。しかし、泊原発は3・11後にいったんフル稼働運転をしたものの、2012年5月5日に定期点検に入り、今日に至るまで停止したままだ。そう、日本は「原発ゼロ」になったのである。 今、泊原発の原子炉内の燃料棒は全て引き抜かれ、使用済み燃料プールにおいて冷却されている。今回の地震で泊村の最大震度は2であった。そもそも、原子炉は強固な岩盤に直付けされている上に、一般の建造物に比べてはるかに厳しい耐震強度が、昔から課せられてきた。2018年9月6日午後、停電で明かりが少ない札幌市中心部の大通公園付近。手前中央にさっぽろテレビ塔がある(共同通信社ヘリから) つまり、この震度2程度の揺れでは、何ら影響を受けずに運転を続けていたはずである。そうすれば、今次の「全道大停電」は回避できた可能性が高い。ただし、「もし泊原発が再稼働していたならば」という仮説ではあるが。 では、なぜ3・11から7年以上もたっているのに、いまだに原発が再稼働していないのか。そこには東日本大震災当時の首相、菅直人氏の深謀がある。2011年5月、菅氏は首相の立場を最大限に利用し、首都圏に最も近い静岡県の中部電力浜岡原発を、その非望のもとに停止させた。権力を持ってすれば、理にかなわない原発停止要請も事業者に強いることができることを天下に示したのである。 続いて菅氏は、原発が「トントントンと再稼働しない」ための奇手を次々に打っていくことになる。最も強力な手段が2012年9月に発足した原子力規制委員会である。巧妙に仕組まれた「脱原発装置」 規制委は「ザル法」と言われる原子力委員会設置法により、強大な権限を持つ「3条委員会」として発足した。そして、その長である原子力規制委員長は絶大なる権力を一身に集めている。そのことを菅氏は2013年4月30日付の北海道新聞に臆面もなく吐露している。 原発ゼロに向けた民主党の工程表は、自民党政権に代わり白紙に戻されました。「トントントンと元に戻るかといえば、戻りません。10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が原子力安全・保安院をつぶして原子力規制委員会をつくったことです(中略)独立した規制委の設置は自民党も賛成しました。いまさら元に戻すことはできない」「北海道新聞」2013年4月30日19面、特集『幻の原発ゼロ』 このように巧妙に仕組まれた「脱原発装置」である原子力規制委の委員長に就いた田中俊一氏は、政権を去った菅氏の「意志」を見事に受け継いだ。菅氏の北海道新聞への吐露に先立つこと1カ月余り、2013年3月19日に俗称「田中私案」なるものを委員会に示したのである。 その文書のタイトルは「新規制施行に向けた基本的な方針」。この文書は暴論極まりない。つまり、文書を作成した責任者の明記がないばかりか、一体この文書が最終的にどのように取り扱われたのか、杳(よう)として知れないのである。 とどのつまり、何ら法的根拠に基づかない私案にもかかわらず、それが大手を振ってまかり通る状況ができたのである。しかも、この私案にはまさに「奸計(かんけい)」が巡らされていた。その最たるものが、国内すべての原子力発電所をいったん全て停止し、運転再開の前提条件となる安全審査を異様に厳しい規制基準の下でゼロからやり直すというものだった。 つまり、菅氏が放った「浜岡原発停止要請」の見事なまでの水平展開を成し遂げたのである。そのことを見届けた上で、上記の北海道新聞紙上での「勝利宣言」と相成ったということになる。「愚相」と揶揄され続けた中での完勝劇であった。 ところで、泊原発の3基の原子炉は加圧水型軽水炉(PWR)である。3・11で重大アクシデントを起こした福島第1原発はいずれも沸騰水型軽水炉(BWR)だった。2011年5月、会見で浜岡原発の運転停止を要請したことを発表する菅直人首相(大西正純撮影) 両者は、その仕組みにいささかの違いがある。現在、国内で安全審査を通過して稼働している原子炉は9基ある。内訳は九州電力4基、四国電力1基、関西電力4基。いずれもPWRである。 では、他の電力各社のPWRが再稼働にこぎつけている中で、なぜ北海道電力の泊原発は再稼働していないのであろうか。その最大の理由は審査の基準とすべき地震動がなかなか策定されないことにある。2015年12月には、それまでの550ガルから620ガルに引き上げることでいったん決着したかに見えた。しかし、事はそうたやすくはなかった。迫られた「悪魔の証明」 基準地震動の策定の際に、これまで必ず問題にされてきたのが「活断層の有無」である。北海道電力の泊原発は他の電力各社のPWRと歩調を合わせるかのように新規制基準に合わせるべく追加的な安全対策を進めてきた。ところが、2017年4月になって、規制委員会から泊原発のある積丹半島西岸の海底に「活断層の存在を否定できない」という判断が下された。 このことによって、泊原発の再稼働は全く先が見通せなくなり、窮地に追い込まれた。なぜか。「活断層の存在を否定できない」という規制委は、北海道電力に「活断層がないことを証明してみよ」と迫っているのである。これはいわゆる「悪魔の証明」であり、立証不可能だ。積丹半島西岸の海底をくまなくボーリングし、活断層がないことを証明するのは現実的ではない。 つまり、非合理極まりない非科学的なことを規制権限を盾に事業者に強いているのである。事業者はその対応に苦慮し、多大な労力と時間を費やすことを強いられているのが現実だ。 もっと言えば、規制委は自ら科学的判断を避けているとも言えるが、これは今に始まったことではない。規制委発足間もない2012年12月、委員長代理の島崎邦彦氏が、日本原電敦賀原発2号機の敷地内の破砕帯について「活断層の可能性が高い」と指摘した。 しかしその後、内外の専門家が科学的に慎重な検討を重ねた上で、この破砕帯は「断層ではない」と報告されている。この活断層の有無をもって、事業者を手玉にとる「島崎ドグマ(偏見)」は、氏が委員会を去った後も亡霊のように生き続けているのである。 ちなみに、震度7に相当する目安の地震動は400ガル以上とされている。よって、仮に620ガルを基準地震動とすれば、泊原発は震度7にも十分耐え得る強度を持つ。もっとも、今回の地震では震源地近くで1505ガルが観測されている。2007年の中越沖地震の際、東京電力柏崎刈羽原発では当時の基準地震動の数倍程度の地震動に対して原子炉は安全に停止した。泊原発では、100〜300ガル程度の地震動を検知すれば自動停止する仕組みになっている。北海道電力泊原発 なお、泊原発1〜3号機で実際に検知された地震加速度はいずれも10ガル以下であった。つまり、もし今回の地震発生時に泊原発が稼働していれば、全道大停電は防げた公算が大きいのである。 規制委発足から間もなく6年。原子力規制委は一体、いつになれば科学的、技術的リテラシーに欠ける集団から脱皮できるのであろうか。さもなくば、全道大停電のような悲劇がまたいつ国民を襲うかもしれない。言い換えれば、原子力規制自体が「社会リスクを生む」という、国民への背信行為をもうこれ以上許してはならない。

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    沖縄の基地集中は「人種差別」危険な国連勧告の裏側を読む

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) スイスのジュネーブで8月16日から2日間開催された国連人種差別撤廃委員会の対日審査に合わせ、筆者は英語でスピーチを行った。まず、そのスピーチ内容を日本語訳でごらんいただこう。 私は日本沖縄政策研究フォーラムの仲村覚です。日本国沖縄県に生まれ育った者の代表として発言させていただきます。 まず、沖縄県に生まれ育ったすべての人々は、日本人として生まれ、日本語で会話をし、日本語で勉強し、日本語で仕事をしてきました。ゆめゆめ日本の少数民族などと意識したことはありません。沖縄は第2次大戦後、米軍の占領支配下におかれましたが、沖縄では激しい祖国日本への復帰運動が起こり、わずか27年後には沖縄は日本に返還されました。 祖国復帰運動の最大の情熱の根源は、沖縄の子供たちに日本人としての教育を施したいということでした。沖縄は日本の中では複雑な歴史を持つ地域ですが、一度たりとも日本からの独立運動が起きたことはありません。独立を公約として立候補して当選した政治家も一人もいません。 また、過去一度たりとも、沖縄から先住民族として認めるよう保護してくれという声があがったことはありません。議会で議論すらされたことはありません。沖縄で独立を標榜(ひょうぼう)する団体がありますが、それは沖縄ではごく少数の団体です。 委員会は、数百人の意見を根拠に、140万人の運命を決する判断をしたようなものです。日本人である沖縄県民に先住民族勧告を出すことは、国際社会に誤解を与え、沖縄県民に対する無用な差別や人権侵害を生み出すことになります。それは、委員会の存在意義に反します。早急に撤回すると同時に、同じ過ちを繰り返さないように、なぜ誤認識したのか原因を調査し、再発防止策を講じるようお願い致します。 沖縄県民が日本人であることは、当たり前である。ほとんどの日本国民も、当事者の沖縄県民や全国各地および海外在住の沖縄県出身者も、自らを日本人だと認識している。 それにもかかわらず、なぜわざわざジュネーブまで行って、「私は日本人です」と言わなければならないのか。それは、裏でコソコソ隠れて、「沖縄の人々は日本に植民地支配されている先住民族であり、日本政府はその権利を守るべきだ」と訴え続けた勢力がいるからだ。実際、当日もその勢力に属する人物が姿を見せていた。その人物が8月17日付の琉球新報の26面に小さく掲載されていた。「糸数氏基地問題は差別 国連対日審査で訴え」 国連人種差別撤廃委員会の対日審査が16日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で始まった。審査に先立ち、沖縄から糸数慶子参院議員がスピーチした。糸数氏は沖縄の人々に対する差別の事例として、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設をはじめとする基地問題をあげた。日本政府に差別的な政策をやめさせ、先住民族としての権利を守らせるよう訴えた。(以下省略、『琉球新報』2018年8月17日付) 日本国内でほとんど知られていない国連の実態に、「沖縄県民は先住民族だという認識がほぼ固まっている」ということがある。実は、自由権規約委員会と人種差別撤廃委員会でそれぞれ2回、計4回も勧告が出されているのである。 これらの勧告に対して、日本政府は毎回「日本にはアイヌ以外の先住民族はいない」ときっぱり拒否しているし、そもそも国連の勧告に法的な拘束力はない。それでは、問題がないかというとそうではない。日本政府の拒否が、委員会の勧告をより厳しいものにしているのである。2018年8月、国連人種差別撤廃委員対日審査のランチミーティングブリーフィングにおいて、スピーチを行った筆者 2回目以降の勧告には、「前回勧告を出したにもかかわらず、現時点も沖縄の人々を先住民族として認めていない」という趣旨の文言が加わっていた。国連の委員会にとって、政府というのは弱者を弾圧している被告人であって、どのような説明をしても独裁権力の言い訳にしか聞こえないようだ。国連を利用した「反差別闘争」 そのため、勧告と拒否が繰り返されるたびに「沖縄県民は先住民族」「日本政府は非人道的」というイメージが作られていく。その結果、沖縄県民は政府から虐待的差別を受けているかわいそうな先住民族だという認識が独り歩きし、国際社会に誤解を与え、沖縄県民に対する無用な差別や人権侵害を生み出すことになる。将来、沖縄の子供たちが海外に留学した場合、「あなたは日本国籍を持っているけど日本人ではなく琉球人なんですね」と言われかねないのである。 この流れを止めるには、糸数氏や県外でそのおぜん立てをしている仲間と全く反対のことを主張する非政府組織(NGO)の情報提供と発言以外にはない。 ところで、そもそも、どのような目的をもって、沖縄県民が全く預かり知らぬところで、沖縄県民を先住民族にしたのだろうか。最初にその目的を確認してみたい。 日本復帰前から沖縄の革新政党の至上命題は「日米安保破棄」と「在沖米軍の撤去」であった。拙著『沖縄はいつから日本なのか』(ハート出版)にも記しているが、日本共産党を中心とした70年安保や沖縄復帰闘争の背後には、中国共産党の存在があった。そのころから一貫して、日本の非武装弱体化工作と、アジアから米軍を追い出す政治マスコミ工作を続けている。 中国はその後、西太平洋の覇権獲得を目指して、海軍、空軍の近代化を推し進め、米国と対峙(たいじ)できる軍事力を備えつつある。現在では、爆撃機を含む中国空軍の編隊が宮古海峡を突破し、台湾を軍事占領する訓練を日常的に行うようにまでなった。平時とはいえ、第一列島線を突破したのである。 中国の台湾占領計画において、第一列島線と第二列島線の間の海域はハワイやグアムからの米国の増援阻止エリアで、宮古海峡はその東シナ海に米軍が侵入するのを封鎖する関所にあたる。このシナリオで最も邪魔になるのが在沖米軍だ。中国はこれを戦わずに追い出すための、政治工作を続けてきたが、先日亡くなった翁長雄志知事の誕生から大きな路線変更が行われた。 意外と思うかもしれないが、知事時代の翁長氏は日米同盟に賛成していた。事実、「私は日米安保体制を十二分に理解している」と発言し、オスプレイ配備に反対する理由を「墜落事故が起きると日米同盟に亀裂が入るから」と説明していたのである。 今となっては本音かどうか分からないが、この発言には、先住民族勧告と深い関係がある。つまり、辺野古移設に反対する「オール沖縄」が、日米同盟賛成論者の翁長氏を反米運動のリーダーとして担ぐという奇策に出たということだ。その理由は「安保反対」では多数派形成が無理だと判断したことにある。 そこで、多数派形成の軸を辺野古移設阻止とオスプレイ配備反対の2点に絞り、それを争点に国連を利用した「反差別闘争」により、米軍基地の全面撤去を狙う方針に切り替えた。これから、「私は日米安保賛成だけれども、沖縄に米軍基地の7割を押し付ける差別は許さない」という理論が可能になったのである。 そのころから、オール沖縄の運動や地元新聞の解説や見出しに「差別」という言葉が多用されるようになった。さらに、これに国連の先住民族勧告が加わると、沖縄の米軍基地問題が、一気に国際的人種差別問題にエスカレートする。国連では先住民族の土地の権利を保護しなければならないというルールがあるからだ。 現在の勧告には強制力はないが、それを持たせるのは、ILO169と呼ばれる「独立国における原住民及び種族民に関する条約」である。その条文には、「関係人民が伝統的に占有する土地の所有権及び占有権を認める」「関係人民の土地に属する天然資源に関する関係人民の権利は、特別に保護される」とある(※上の表の2014年の自由権規約委員会の勧告を参照)。 つまり、土地の所有権により、米軍基地を撤去する権利や、尖閣諸島の油田やレアメタル権利が特別に守られる権利があるということだ。日本は幸いこの条約を批准していないが、今後も批准してはならないと思う。 こうして、沖縄の米軍基地撤去運動は、「安保闘争」から、国連を利用した「反差別闘争」に変貌したのである。当然、この主張への反論も「日米安保賛成の世論」ではなく「沖縄県民は日本人だ!」という国際発信に切り替えなければならない。2018年8月17日、ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会で報告する日本政府代表の大鷹正人・国連担当大使(中央) このような背景の下で、冒頭に紹介した筆者のスピーチは行われた。だが、8月30日に発表された対日審査の総括所見では、沖縄の人々が「先住民族」だとして、その権利を保護するよう、日本政府に勧告したのである。ところが、この勧告に対して、沖縄県民は反論できる状況にはない。これまで、日本外務省は県民や県選出の国会議員に勧告を直接伝えていなかったからだ。政府は広報予算をつけてでも「先住民族」勧告を周知する必要がある。 われわれは政府に対し、勧告撤回の要請以外にも、「沖縄県民の創意」を利用して国連に「先住民族」を働きかける人々への、再発防止のための法整備を求めていきたい。人種差別撤廃委の勧告を受け、戦いの場は、生前の翁長知事による辺野古埋め立て承認撤回を引き継いだ、9月30日投開票の沖縄県知事選に移ってきている。

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    バスケ買春「さらしもの」で幕引き、大御所の存在光る危機対応

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) インドネシアのジャカルタで開催されているアジア大会に出場していたバスケットボール男子日本代表4選手が代表認定を取り消され、8月20日に帰国した。当該の4選手は、日本代表の公式ウエアを着用した上で市内の歓楽街を訪れ、買春行為に及んだことが問題となった。 日本バスケットボール協会(JBA)は、選手の帰国当日に東京都内で記者会見を行い、永吉佑也、佐藤卓磨、橋本拓哉、今村佳太の4選手とともに謝罪した。また、日本選手団の山下泰裕団長は、現地ジャカルタで同日会見を行い、買春行為があったことを認めつつ、遺憾の意を表した。さらに各競技の指導陣に対して、規範順守と再発防止を伝達した。 今回の一件では、JBAの三屋裕子会長をはじめ、管理者として責任を担う幹部の判断は、危機管理として迅速に先手を打った印象が強い。つまり、選手ら本人をも率直に世間にさらすことによって、イニシアチブを取ったのである。 これは、報道する側のマスコミとの関係性や世論をコントロールして、アジア大会の盛り上がりに水を差したり、他の競技に参加している選手に余計な雑音を与えないようにしたりする意図に他ならないだろう。 これは結果的には、三屋会長が言及していたような、当該の選手が「自力で立ち直る」ための近道になる可能性がある。なぜならば、現在のところ傷口は最小限に抑えられていると考えられるからだ。 いくつかのポイントがある。まず、今回の一連の動きは、今年起こったその他のスポーツにまつわる不祥事に比べて、今回の問題の中心にいる選手が世間に顔をさらし、自らの言葉で謝罪するまでの時間が非常に短い。ここに、心理学でいう「ギャップ効果」が生じる。2018年8月、会見の冒頭、頭を下げる(左から)永吉佑也、橋本拓哉、日本バスケットボール協会の三屋裕子会長、東野智弥技術委員長、佐藤卓磨、今村佳太(川口良介撮影) 事件を知った世間からすれば、「スポーツ界、またか!」という印象が強い出来事ではある。だが、他の事例では見られない主体的な素早い動きを取ることで差別化され、その動き、つまり謝罪自体が特異化され、「素直に謝った」という印象が非常に強まりやすいのである。 また、マスメディアに対しても先手を取ったといえるだろう。通常、スポーツに関わる不祥事の報道は分かりやすい分、世間の興味関心が強い一方で、事実としての情報はそれほどのボリュームがあるわけではない。テレビのワイドショーであれば、事件の中身自体は1回の、しかもほんの数分で伝えきれる内容であることが少なくない。「大御所」による鎮静効果 しかし、当事者がすぐに前に出てこないとなれば、話は別である。事態の本質に確証が持てない分、臆測ベースの話が展開されたり、関係者からの聞き取りや、関連する識者が露出することで、報道が形成されたりする。 そうすると、内容はともかく「連日放送されている」という強い印象が、世間では「非常に重大な問題だ」と見る向きに転化されていく。さらに「関係者雲隠れ」などといわれ、マスコミに追われる当事者という構造が作られやすい。 ただでさえ、逃げているように見えれば、ネガティブな印象が作られる。その上、追われながら取材に対応するとなれば、追う側の論理に沿って返答せざるを得なくなり、まさに後手後手に回ってしまうのである。 今回は、新事実が出てこない限り、おそらくこのような構造にはならないはずだ。もちろん今後協会内での処分や、場合によってはインドネシアの国内法に基づく法的措置の可能性は残されるものの、少なくともネガティブな世論は大きくなり得ないだろう。 もう一つは、日本選手団の山下泰裕団長の存在である。山下団長は、言わずと知れた柔道家であり、その卓越した選手成績により国民栄誉賞まで受賞した人物である。引退からさかのぼると203連勝、また対外国人には生涯無敗と、他に類をみない大記録を打ち立てた。 指導者に転じてからも全日本柔道の要職を担うのみならず、東海大学教授・副学長や、日本オリンピック委員会理事など、後進育成の現場を牽引(けんいん)してきた。2018年8月、ジャカルタ・アジア大会のバスケ男子日本代表選手の問題で、記者会見で厳しい表情を見せる日本選手団の山下泰裕団長(共同) 業界ではいわば「大御所」とも呼べる人物が、即座に会見の場を開き、事情説明を行った上で「大変なご迷惑をかけた。期待を裏切ってしまって申し訳ない」と謝罪した。さらに、山下団長はこのようにも述べた。「言い訳になってしまうが、選手たちは『歓楽街ということを知らなかった』と話している」「(選手が移動する際は公式ウエアの着用が奨励されており)食事をとるためだけだったので、ウエアを着用したままだったと思う」「自分たちの軽率な行為だった、とんでもないことをした、と。全員、深く反省している。不服申し立てもなかった」山下氏の「ホランダーの法則」 文言だけをみれば、本人が言及しているように言い訳とも取れる言説であり、買春というイリーガルな行為が擁護される余地は全くない。しかし、この山下団長の謝罪と説明は、事態の沈静化に一定の効果があるだろう。 心理学では「ホランダーの法則」といって、「過去に組織や世間で大きな功績を残したリーダーの発言は、『この人が言うなら間違いないんだろう』という印象を与えやすく、信頼度が相対的に高くなりやすい」という傾向がある。 加えて、山下団長はいわゆる「スネに傷のない人物」である。現代の日本では、ある人物の過去の履歴はインターネット媒体を中心に簡単に照会でき、仮に不祥事やスキャンダルがあれば、何年前のことであっても事あるごとに取り上げられ、世間にさらされてしまう。 「過去に何かあった」人物は、仮に過去と今の事案には全く関係がなくとも、その人が前に出るだけで、批判の対象となったり、いわゆる「炎上」を長引かせる結果にもなり得る。山下団長には、それがないといってよい。 過去の失点が少ないということは、その人物の今の好印象につながり、ひいては発言の信頼性を高めるのである。実際、山下団長の会見自体や発言内容に批判的な見方や報道はほとんどない。その意味では、組織マネジメントや指導者としての競技への影響力のみならず、危機管理・回避の面からも、山下氏を団長に据えた人事は、有用であったと考えられる。 今回のバスケ4選手の愚行は、不法なものであり、到底容認できるものではない。しかしながら、心理学者である私の立場からいえば、アスリートにおけるマインドセット(意識づけ)のマネジメントには、実はまだまだ改善の余地がある。2018年8月、アジア大会男子バスケットのカタール戦第1クオーター、パスを出す橋本拓哉(中央)=ジャカルタ(共同) ましてや、東京五輪の開催国枠獲得を目指すバスケ男子代表には、プレッシャーやストレスをうまくコントロールしながら、コート外でも逸脱しない意識や心理的状態を自分で作り出す術を教授できるような環境が、一層求められたはずだ。 単に、トップダウンで選手として順守すべき事項を伝え、意識の向上を意図するだけのケアにとどまらない、アスリート組織の運営を期待したい。

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    SNS世代の女性が「シンデレラ体重」に心奪われるのはなぜか

    早見直美(大阪市立大講師) ダイエットは日本をはじめ、多くの国で常に人々の関心事であり、若い女性を中心にダイエットを取り巻くさまざまな情報に翻弄されている。2018年2月ごろにソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で話題となった「シンデレラ体重」もまた、若い女性を中心とした「やせたい」気持ちが投影された理想体重の一つである。 シンデレラ体重は、身長(メートル)×身長(メートル)×20×0・9という計算式で算出されるという。通常、標準体重を算出する際に使用するのは、最も死亡率や病気の罹患(りかん)率が低いとされる体格指数(BMI)=22を基準とした身長(メートル)×身長(メートル)×22である。 そのため、仮に身長160センチの女性の場合、標準体重は1・6×1・6×22=56・3キロであるのに対し、シンデレラ体重は1・6×1・6×20×0・9=46・1キロとなり、健康的な標準体重からすると、その差は歴然としている。 シンデレラ体重はBMIでいう18を基準とした体重であり、この体重になった場合、BMI18・5未満の「やせ」に分類される。若い女性がやせになると、貧血や月経不順、ホルモンバランスの乱れ、免疫力の低下、骨粗鬆(こつそしょう)症、低出生体重児の出産など、さまざまな健康障害につながることが危惧される。 また、シンデレラ体重に近づこうとして無理なダイエットを続けた結果、摂食障害を発症するリスクも高く、決して推奨されるものではない。 シンデレラ体重をいつ、誰が提唱したかについては、エステティック業界やメディアによるものではないかなど諸説あるが、定かではない。しかし、シンデレラ体重は今に始まった話ではなく、これまでも何度か話題になったようである。 また、名前は違えど、美容体重、モデル体重など、標準体重よりもさらに軽い、女性が憧れる体重の指標は以前より話題になってきている。今回、シンデレラ体重が改めて話題になったのは、このシンデレラという響き、シンデレラのように夢をかなえることができるのではという、ある種、自身の願望を投影させるようなネーミングが、改めてSNS世代の若い女性の心をつかんだのかもしれない。 やせ願望は日本人に限らず、多くの女性が抱くものである。しかし、実際の体形を考えると、日本人の20代女性のうち20・7%がすでにやせに分類される。これは先進国において非常に高い割合であり、肥満が健康課題となる他国とは状況が異なる。(ゲッティイメージズ) 3月末に国立青少年教育振興機構が報告した高校生対象の国際比較調査によれば、日本の高校生はBMIの判定で普通体重の割合が7割を超え、比較した米国・中国・韓国より高かった。それにもかかわらず、女子の半数以上が「太っている」「少し太っている」と感じており、この割合も日本が最も高かった。さらに、自身の体形に「満足している」「まあ満足している」女子の割合は2割強にとどまり、4カ国の中で最も低かったことが報告されている。 ではなぜ、日本の若年女性はこうもやせたがるのだろうか。体形に関する認識や感情に影響を与える要因の一つに、自己肯定感がある。かねてより自己肯定感が低いことはやせ願望や危険なダイエット行動にかかわっていることが指摘されており、先の調査においても、日本の高校生は他国と比較して自己肯定感が最も低かったことから、その関連性がうかがえる。 思春期以降、体形の変化を経験する中で、他者からどう見られているかを気にするようになり、人と違うことへの不安が募りやすい。異性への関心の高まる年代であることからも、見た目を重視するようになる。「万年ダイエッター」の恐怖 それに加えて、日本では、今でこそ個性を尊重する時代の流れにあるものの、いまだ人と同じことで安心する、人と違うこと、目立つことを好ましくないと捉える文化がある。このような背景から、自分の体形や見た目に不満を持つ人、自分自身を好きだと胸を張って言えない人が多く存在するのかもしれない。 このほかにも、影響力の大きな外的要因として、社会文化的要因が挙げられる。これは大きく家族や友人、そしてメディアにかかわるものとされる。「家族に太ったと言われた」「友人がやせていてうらやましいと思った」「体形のことをからかわれた」「やせた芸能人のようになりたい」など大なり小なり誰もが体形に関するメッセージを受け取った経験があるのではないだろうか。 とりわけ、近年インターネットやSNSが普及し、情報量が一気に増えた。SNSの中で彼女たちが見るのは、やせて成功したように見える人たち、やせていてオシャレな服を着て、毎日が充実していそうな女性たちだ。 さらには自身の日常の写真をアップする人が増える中、常に自分自身が人にどう見られているかを意識せざるを得ない状況にある。女性は「上方比較」と言われる、自分よりも優れていると思う対象と自分自身を比較し、自身をダメだと考える傾向にあるという。 つまり、現代の若年女性は常に他者との比較を強いられているとも言え、やせ願望をより抱きやすい。また、ダイエットに関する情報も氾濫していることから、容易にダイエットに踏み切ってしまうのである。また、やせていて「かわいい」女性が好まれると思い込んでいる、またはそのようなイメージが伝えられているのかもしれない。 やせると男性にモテると思う女性は多い。実際には、男性はやせすぎの女性を好まないと回答している調査が多いものの、一方で太っている女性は好まない。これをやせている方がモテると解釈し、ダイエットをすれば素敵な男性に出会えると考える女性もいるのだろう。 若年女性に限らず、日本社会全体として「やせることを良し」とする風潮があることも否めない。「メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)」という言葉が多くの人に認知される中、「太っている=メタボ」、自己管理ができていないなどの否定的なイメージを持つ人も多い。健康管理の観点から、肥満解消のために減量しようとすることそのものは良いことである。 しかし、肥満によるデメリットの認知度と比較して、女性や高齢者におけるやせによる健康リスクは十分に理解されていない現状がある。メディアでは、ダイエットをしていることがまるでステータスかのように称賛される情報が伝えられることも多い。そのような風潮の中、必要でないにもかかわらず「万年ダイエッター」となっている人もいる。(ゲッティイメージズ) 個人がメディアリテラシーを持つことはもちろん重要であるが、わが国における正しい情報発信の在り方について検討がなされるべきである。国際的に見ても、フランスやスペインのファッション業界ではやせたモデルを起用しないことが制度化されるなど、やせすぎへの対策が積極的に採られている。 やせているからではない、その人自身の魅力を受け止めることで、健康的な本来の美しさが引き出されるのである。日本人の若年女性は、シンデレラ体重を目指しても、待っているのは必ずしもハッピーエンドではないことに気づくべきである。

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    「高校野球の聖地」甲子園を今こそ見直そう

    川上祐司(帝京大経済学部准教授) 日大アメリカンフットボール部の悪質タックル問題や、日本ボクシング連盟の不祥事が朝日新聞の紙面を飾る。記事では、わが国のアマチュアスポーツ界を取り巻く問題を鋭く論じている。その隣を見ると、同紙主催の「夏の甲子園」全国高校野球選手権大会の「告知」を大きく宣伝している。 筆者はこのコントラストにどうしても違和感を覚えてしまう。炎天下の中、勝ち進むにつれて連投を余儀なくされる超過密日程は、高校生にとって過酷すぎる大会である。 今大会でも、済美(愛媛)の山口直哉投手が延長十三回を投げきったが、1人の投手が200球近く投げ抜いて、体に負担がかからないわけがない。これでは「勝利至上主義」と言われても仕方ない。 しかし、この事実を隠蔽(いんぺい)するかの如く『本気の夏、100回目。ありがとう これからも』をキャッチコピーに、アイドルによるPRや球界のレジェンドを起用した始球式、過去の名シーンを伝説のように紹介するありさまだ。 歴史ある甲子園大会へのあこがれは強いだろうが、そもそも中学校の野球部では軟式ボールを使用するため「本気」で甲子園を目指す子供たちは野球部に所属しないことが多い。 ゆえに、かつて巨人軍の練習場だった多摩川グラウンドは、今や週末になると硬式ボールを使用するリトル・シニアリーグのチームに所属する中学生たちが練習に励む。そしてグラウンドには常に甲子園常連校の監督やコーチが視察に訪れ、金の卵たちの姿を追っている。 また、高校にとって、甲子園出場は、進学率向上と出願者の獲得に高い効果が期待される。そのためか、近年では、各校のユニホームの学校名表記に工夫を凝らしており、漢字で大きく記されている出場校が増えている。100回大会の出場校は過去最多の56校だが、そのうち大きく漢字で学校名を記した高校は22校に及ぶ。しかも1校を除いて全て私立高校である。2回戦の星稜(石川)戦で、済美(愛媛)先発の山口直哉投手は延長13回184球を1人で投げきった=2018年8月12日、甲子園球場(林俊志撮影) ローマ字表記でも、これまでよりも一回りも二回りも大きくした高校が6校あり、4校が私立高であった。校名は連日全国ネットで生中継されるテレビでも十分に認識することができるから、経済効果は計り知れない。 その一方で、地方大会で優勝し、代表の座を勝ち得た場合の経済的負担はどれぐらいだろうか。まず、主催者の朝日新聞社が発表した昨年の大会収支決算を見てみよう。米国人には仰天「夏の甲子園」 収入はチケット売り上げだけで約4億4千万円。支出は約3億8千万円で、その内訳は大会準備費、出場選手費、大会役員関係費、大会費、大会史作成費、地方大会費、本部運営費となっている。これらを差し引いた剰余金として約6400万円を計上している。 本来であれば、出場する高校の負担軽減のために「出場選手費」が充てられるはずである。だが、第98回大会の開催要項によると、大会本部がベンチ入り選手や監督、部長の交通費や宿泊費の一部として支給されるのは1日1人わずか4千円。3億8千万円の支出のうち実際に約9300万円がこれに充てられているが、焼け石に水だろう。 なぜなら、甲子園では1試合ごとに約1200万円かかるといわれ、代表校は出場決定と同時に寄付金集めを始めなければならないからだ。 そもそも大会開催期間中の関西圏内のホテル料金は高騰する。それに、選手の家族関係者も試合のたびにマイクロバスをチャーターし、甲子園までの往復と祝勝会を敗戦まで続けるという。その費用たるや相当な金額で、勝てば勝つほどコストがかかる。 こんな現状は、「スポーツ先進国」米国と比較しても異例である。甲子園大会について、米国人に説明すると「高校生が全国選手権大会? 連日全国ネットで生中継するの?」と仰天する。米国では国技であるアメフトやバスケットボールでさえ、高校生の大会は州レベルの選手権にとどまるからだ。 米国で、甲子園大会に似たものとしては、おそらく「マーチ・マッドネス(3月の狂乱)」と呼ばれる全米大学バスケット選手権(NCAAトーナメント)だろう。3月の春休みに行われるNCAA1部に所属する全米各カンファレンス上位校68校が出場するトーナメント戦である。試合会場はもちろんのこと、テレビを通じて全米が熱狂する。 だが、開催地は甲子園球場のような固定ではなく、毎年持ち回りだ。大会のシステムは、トーナメント1回戦と2回戦は「ラウンド1」として米国内8カ所で開催され、8大学がホスト校として自校アリーナを提供する。 各地区の準決勝と決勝は、ロサンゼルス、アトランタ、ボストン、オマハの4都市で開催される。それぞれ勝ち抜いた4チームは「ファイナル・フォー」と呼ばれる準決勝と決勝のために1都市に集まり、アメフト専用の巨大ドームスタジアムで試合を行うのである。バスケットボールの全米大学選手権出場を優勝で決め、チームメートと喜ぶゴンザガ大の八村塁(中央)=2017年3月、ラスベガス(共同) 2018年はテキサス州サンアントニオのアラモドームで行われ、約7万人の観客が埋め尽くした。ファイナル・フォーの開催地は毎年全米を回り、開催都市にも大きな経済効果を及ぼしている。しかし、選手たちは「聖地」甲子園のように、開催都市や巨大ドームでのプレーを夢見ているわけではない。 現在、その放映権は米四大ネットワークのCBSとターナーが14年間108億ドル(約1兆2000億円)で獲得しており、NCAAの収益の約80%がマーチ・マッドネスの放映権収入である。教育的役割はもはや「伝説」 しかしながら、放映権料を含めたNCAAの収入は加盟する全大学に配分されるシステムが確立されており、スチューデント・アスリート(選手)たちの教育的資金に充当されている。その考え方は、高校野球はもちろんのこと、現在わが国で創設が取り沙汰される「日本版NCAA」とも大きく異なる。 そもそも、高校野球や箱根駅伝に代表されるわが国のスポーツイベントの多くは、メディアが主催者となって運営されている。もちろん、前者は朝日新聞社と毎日新聞社で後者は読売新聞社、ともにわが国を代表するメディアである。 主管する競技団体から見れば、主催メディアとのタッグは大会PRには都合のいい存在だ。しかしながら、メディアの事情による過密スケジュールや過剰なドラマ化により、さまざまなリスクが生じているのも事実である。 今こそ、競技統括団体である日本高校野球連盟の「自立」と、非営利組織としてのマネジメントが問われている。例えば、先述の「マーチ・マッドネス」のような地域分散型トーナメント方式にして、ベスト4の高校だけ1カ所に集結して試合するようなシステムはどうだろうか。 聖地化された甲子園球場も、数年に1回の開催でいいのではないだろうか。全英オープンゴルフでも、「聖地」セント・アンドリュースゴルフ場では5年に1回の開催であり、かえって聖地としてのブランドをさらに高めている。 また、米国のような放映権ビジネスが成り立たないといった、わが国のスポーツビジネスの発展にも大きな弊害を及ぼしてきた。甲子園を頂点とした高校野球も、スポーツビジネスの視点で考えれば、どのプロスポーツイベントよりもはるかに大きな収益が見込まれるはずだ。 日本高野連が、非営利団体の本分であるリソース(資源)の還元と循環を目的に放映権やスポンサービジネスなど収益強化に努める。そうして上げた収益を分配することで、各地域への経済的支援と、教員や指導者、選手などスポーツ環境の支援が可能になる。日本高野連の八田英二会長=2018年6月撮影 そうなれば、一メディアや資金力のある学校法人だけではなく、大会に集う全ての人々が多様な恩恵を享受することができる。それが本来のスポーツの目的であり、機能なのである。 筆者は、甲子園大会が日本の野球の高度化と大衆化に貢献してきたことについて否定するつもりはない。しかし、主催メディアが100年かけて築き上げた甲子園という「疑似的聖地」で、故障や燃え尽き症候群の影響により、将来有望なアスリートの競技生活を終わらせてきたことも事実である。つまり、高校野球が選手たちのキャリア形成にも大きな影響を及ぼしているのである。 これらを鑑みれば、甲子園大会が掲げてきた教育的役割など、もはや「伝説」としかいいようがない。100回も続けたこの大会もそろそろ変革が必要ではないだろうか。

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    「慰安婦は誰が強制したのか」曖昧な英文記事、朝日のヘリクツ

    山岡鉄秀(AJCN代表) 平成30年7月6日午前10時。都営地下鉄大江戸線の築地市場駅を出ると、巨大なレンガ色の建物が降りしきる雨に煙っていた。朝日新聞東京本社。都心の一等地にそびえる重厚なビルが、この新聞社が長年、日本の言論界に支配的な存在として君臨してきた歴史をしのばせる。雨をよけながら、ケント・ギルバート氏の到着を待つ。報道陣も集まり始めた。 「慰安婦強制連行・性奴隷説」を流布するかのような朝日新聞電子版に掲載された英文記事の修正をめぐり、ついに朝日新聞に直接申し入れる日が来たのである。一般の国民が気づかないところで、連綿と続く英文記事による「印象操作」でどれだけ国益を損ねたか、計り知れない。 1980年代から90年代にかけて、吉田清治の「つくり話」が信じられていたころ、朝日新聞が英語版で「性奴隷(Sex Slaves)」という言葉を躊躇(ちゅうちょ)なく使っていたことを私は知っている。国立国会図書館で、フィルム化された記事をリールでくるくると回しながら、当時何が世界に発信されたかを見て暗然とした。「11歳の小学生が日本軍の慰安婦にされた」という衝撃的な記事まであった。朝日新聞は吉田証言が虚偽だったと判明した後も、ずっと放置してきた。その間に「慰安婦=性奴隷」という固定概念が世界中にまき散らされ、浸透したのである。 2014年8月、とうとう吉田証言の虚偽を認めた後、朝日新聞は英語版でも性奴隷という言葉を使わなくなった。その代わりに使い始めたのが、次の表現だ。Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II.第二次大戦前、および大戦中に、日本兵に性行為を強制された慰安婦Comfort women is euphemism for women who were forced to provide sex to Imperial Japanese troops before and during the war. Many of the women came from the Korean Peninsula.慰安婦とは戦前および戦中に日本軍部隊に性行為を強制された女性たちの婉曲(えんきょく)表現である。女性たちの多くは朝鮮半島から来ていた。 慰安婦に関する記事であれば、これらのフレーズやセンテンスが文脈に全く関係なく、機械的に挿入される。たとえ、日本政府が国連で慰安婦の強制連行や性奴隷化を否定したことを伝える記事であってもだ。 今回、朝日新聞側でわれわれ「朝日新聞英語版の『慰安婦』印象操作中止を求める有志の会」に対応したのは、及川健太郎編集局ゼネラルマネジャー補佐、後田竜衛広報部長、河野修一広報部長代理の3人だった。大西達夫弁護士を加えたわれわれ3人は小さな応接室に通され、向かい合って座った。われわれは印象操作中止を求める1万411筆の署名を手渡し、努めて穏やかにこちらの論点を説明した。一方の朝日側も紳士的に対応していた。2018年7月、朝日新聞英語版の慰安婦記事に対する訂正などを求める署名と申し入れ書を提出するため、東京本社を訪れたケント・ギルバート氏(左)とAJCN代表の山岡鉄秀氏 しかし途中、ギルバート氏の語気がやや荒くなる局面があった。ギルバート氏は、受動態を使用して印象操作を狙う姑息(こそく)さを指摘していた。 「Were forced」と受動態で書かれているから、強制されたのは明らかである。しかし、「By XXX」という部分がないから、誰が強制したのか明示されていない。性奴隷や強制連行という言葉もどこにも書いていない。あぜんとさせられた朝日の回答 しかし、これまで日本軍による強制連行が散々流布されてきた事実や、日本兵に対して性行為を提供させられた、という文脈から判断して、読者は当然「日本軍が組織的に強制連行して性奴隷にした」と思い込んでしまう。実に姑息な印象操作の手法だとギルバート氏は憤る。 ここで肝心なことは、私のような英語を日常使用する日本人だけではなく、米国人で弁護士でもあるギルバート氏がそう断言した、という事実だ。もちろん、他にも多くのネイティブスピーカーが賛同している。この点は議論の余地がないと言っていい。 われわれは次の4点を申し入れた。1.今後、前記の表現(forced to provide sex)を使用しないこと2.吉田証言が虚偽であり、記事を撤回した事実を改めて英文で告知すること3.もし、前記表現が軍隊による物理的強制連行や性奴隷化を意味しないと主張するなら、具体的に、「性行為を強制された(forced to provide sex)」とは何を意味するのか明確に説明すること。4.今後慰安婦の説明的表現を追加するなら、comfort women who worked in brothels regulated by the military authoritiesなどの表現を使用すること。 われわれは、朝日が「forced to provide sex」という表現が、軍隊による物理的な強制を意味しないと強弁することを想定して、3番目の質問も加えた。われわれの主張を否定するならば、実際に何を意味しているのか明確に説明すべきである。後田広報部長の「重く受け止めて真摯(しんし)に回答する」という言葉を受けて、われわれは朝日新聞本社を後にした。 回答期限の7月23日。夕方になって後田広報部長名で朝日からの回答が届いた。その中身については朝日がウェブで公開した回答全文を見ていただくとして、私は上記3番目の質問への回答を見て唖然とした。「forced to provide sex」という表現について、英語ネイティブスピーカーが読めば、「軍隊による物理的な強制で性行為を強いられた」という印象を受けると指摘されていますが、当該表現は「意に反して性行為をさせられた」という意味です。 受動態で行為者を曖昧にするのは、公正ではないという指摘に対し、「意に反して性行為をさせられた」と受動態で答えている。これでは全く答えになっていない。「forced to provide sex」という表現を用いた2018年1月10日付の朝日新聞デジタル英語版の記事 「forced」と書いているのだから、意に反しているのは当たり前である。強制性を前提としながら、行為者を明示しないという無責任な行為を止めようとしない強い意志を感じる。 恐らく朝日は理由が何であれ、本人の意に反していたらそれはすなわち「強制」であり「性奴隷」である、と言いたいのだろう。いわゆる「広義の強制」というスタンスである。朝日に載った「終戦後秘話」 しかし、「広義の強制」という捉え方なら、強制した行為者もさまざまだ。昔は、前金をもらって子供を奉公に出す習慣があった。売春などの醜業もこれに含まれた。 その場合は貧困に強いられたと言える。また、そのような契約を結ぶ権利は親にしかなかったから、親に強いられたともいえる。娘が嫌がっても、人身売買を生業とする女衒(ぜげん)が強引に連れ去ったケースもあったそうだから、女衒も強制の行為者である。 朝日新聞の回答があまりにも曖昧であったため、われわれは追加質問をすることにした。この「強制の行為者」をめぐる問題に関しては次のように質問した。 Forced to provide sexという表現の意味は「意に反して性行為をさせられた」という意味だとのことですが、forcedと書けば、意に反していたのは当然で、この表現の読み手、とりわけ英語を母語とする読者の通常の言語感覚からすれば、たとえby XXXという受動態の構文における行為者の明示がなくとも、私どもが指摘している「軍隊による物理的な強制で性行為を強いられた」という印象と何ら変わりがありません。そこで改めてご質問いたします。御社が使用するforced to provide sexというフレーズにおいて、「女性の意に反して性行為をさせた」のは誰なのでしょうか?明確にお答え願います。 私の手元には国会図書館で見つけた一本の記事がある。昭和30年8月15日発行の朝日新聞朝刊だ。終戦10周年特集として東京本社で開催された座談会の記録である。タイトルは「終戦直後の苦心」「調達命令乱れ飛ぶ」とある。占領下で連合国軍総司令部(GHQ)の命令を受け、東奔西走した人々の苦労話披露会という趣だ。参加者は以下の通りである。田中栄一 内閣官房副長官与謝野光 東京都衛生局長福田赳夫 民主党衆議院議員曽禰 益 右社参議院議員大池 真 衆議院事務総長昭和30年8月15日の朝日新聞朝刊に掲載された終戦10周年特集の座談会 与謝野光は与謝野晶子の長男で、終戦時は東京都防疫課長だった。座談会で与謝野は次のように語っている。 9月の14、15日だったか、マックアーサー司令部から呼び出しがかかったので、行ってみると実は君を呼んだのはこういうわけだといって大きな東京の航空写真を出して、実は折いって頼むのだけれど兵隊のために女の人を世話してくれという。(笑)よく調べたものでそういう場所は地図にちゃんと点が打ってある。将校にはどこ、白人兵にはどこ、黒人兵にはどこがいいだろうか相談に乗ってくれという。将校はいいけれども、黒人兵には僕も弱った。後で恨まれるだろうと思って。(笑)仕方なしにある場所を考えたんだが……。そのとき性病でもうつされては困るから予防措置をやれといわれたが薬がないから責任が持ち切れないというと、よろしい、薬は必要なだけやろうといってダイヤジン、ペニシリンなどを幾らでも無料でくれて、こういう方式で検診治療をやれ、責任は都知事が持てといったから仕方なしに花柳界に診療所をつくって都の職員の手で検診治療をやった。わざと曖昧にする欺瞞 与謝野の別の手記によれば、この時、与謝野に依頼したのはGHQ軍医総監のウエブスター少将だった。慰安用に指定された場所というのは、将校用が向島、芳町、白山、白人兵士用が吉原、新宿、千住、黒人兵士用が亀戸、新小岩、玉の井だったという(『新潮45』1990年5月1日号、敗戦秘話・「占領軍慰安」防備録)。 この与謝野の発言を裏付ける公文書までは見つけられなかったが、当時の朝日新聞も裏取りはしていただろう。この場合、ほとんどの女性が意に反して米軍兵士の相手をさせられたと考えられるが、強制したのはGHQではないのか。 このように、広義の強制などという曖昧な定義をすれば、強制の行為者もまた多様になるのである。それにもかかわらず、「forced to provide sex」とだけ書けば、読者は狭義の強制、すなわち日本軍による強制連行を連想する。「広義の強制」などと言いながら、わざと行為者を曖昧にし「狭義の強制」としか受け取れない表現を繰り返し使うことは、誠に欺瞞(ぎまん)的と言わざるを得ない。 8月3日、われわれの追加質問に対する朝日新聞からの回答が再び届いた。冠省 今回いただいたご質問については、基本的には前回お送りした回答で意を尽くしていると考えております。 今後も、記事でどのような表現を使うかについては、国内外のさまざまな立場の意見や歴史研究の蓄積なども考慮しながら、個々の状況や文脈に応じてその都度、判断してまいりたいと考えています。草々 結局、朝日新聞は「強制の行為者」を明示することを拒否したのである。 そして、「今後は」ではなく「今後も」と書いているということは、これまでも「様々な要素を考慮し、その都度の判断でforced to provide sexを使用してきた」という意味にも読める。そうであれば、これからも「forced to provide sex」を使い続けるという宣言なのであろうか。朝日新聞東京本社の外観=産経新聞社チャーターヘリから(桐原正道撮影) これはもう「反社会的行為の域に達している」と考えるのは筆者だけであろうか。朝日新聞は「社会の敵(public enemy)」として生きることを決意したのだろうか。

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    「トランプに2期目はない」中朝蜜月で変わる非核化ゲームの行方

    重村智計(東京通信大教授) トランプ米大統領は8月1日、中国製品への経済制裁「第3弾」の発動を指示した。北朝鮮はこの「米中貿易戦争」泥沼化を歓迎している。米中首脳による「戦争ゲーム」が北朝鮮への制裁を減圧し、米中朝の「非核化ゲーム」を大きく変質させたのである。 金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は、朝鮮戦争休戦65周年(7月27日)を記念し、中国人民志願軍烈士陵園に参拝した。金委員長の訪問は2013年以来5年ぶりだ。中朝関係が好転すると、北朝鮮の指導者は地方にあるこの墓苑を訪問し、平壌の記念碑も整備する。反対に、関係が悪化すると放置した。実にわかりやすい。 北朝鮮は「中ソ・イデオロギー戦争」時代に、中国と旧ソ連の間を行き来して支援を得る「振り子外交」を得意とした。この戦略を「米中貿易戦争」でも展開しようとしている。 米朝関係は、3月末の中朝首脳会談までは、トランプ大統領が主導権を握り、「北朝鮮の『完全な非核化』」への期待が高まった。ところが、中朝首脳会談後に北朝鮮の姿勢が急変した。トランプ大統領は「中朝首脳会談後に北の姿勢が変化した」と批判し、一度は米朝首脳会談の中止に踏み切った。 最近の中国は、北朝鮮の石油密輸の「瀬取り」への制裁に反対するなど、それまでの米中協力の姿勢を変えた。米朝関係と米中関係が明らかに変わったのである。トランプ大統領は、中国が「米中貿易戦争ゲーム」で北朝鮮を利用している証拠を握ったという。そこで中国は、貿易戦争を緩和すれば、北朝鮮への追加制裁にも協力するとの駆け引きを見せたのである。中国の習近平国家主席(左)と握手する金正恩朝鮮労働党委員長=北京・釣魚台国賓館(朝鮮中央通信=朝鮮通信) 中国は「瀬取り」を明らかに放置している。その背後に何があったのか。米国務省の高官は、3回にわたる中朝首脳会談で、習近平主席は「トランプへの非協力」に姿勢を変えたという。その証拠に、米国は中朝首脳会談の内容を入手しているというのである。 それによると、習主席は「金正恩体制の維持は保証する。そのため、10年間に1千億ドル(約11兆円)の支援を実施する」と約束した。韓国政府によると、北朝鮮の国内総生産(GDP)は約3兆円であり、中国は毎年その3分の1の支援をすることになる。 裏にあるのは、日米が制裁を強化しても心配するなとの中国の「保証」だ。つまり、「瀬取り」密輸こそが支援の始まりだったのである。さらに、中朝国境の人の往来や北朝鮮労働者の移動も黙認された。 また、中朝首脳がすでに合意した「朝鮮半島の非核化」について、「確実に実現してほしい」と伝えた上で、「10年の時間をかけてもいい」と述べた。要するに、習主席が退任するまでに非核化すればいいという意向だろうか。 習主席は「北朝鮮が数年で非核化できない事情はわかる」と語り、「数年内の非核化には、北朝鮮軍が納得せず、クーデターの危険がある」との理解を示した。また「中国は決してクーデターを支持しない」とも伝えていた。 米メディアは7月末に、北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の製造を継続しているとし、「北朝鮮に非核化の動きはない」と報じた。これは「非核化」に反発する北朝鮮軍部の「不満」を抑えるための「製造継続」の妥協策だろう。「トランプの2期目はない」 習近平発言は、金委員長と朝鮮人民軍の関係について、「完全非核化」をめぐり緊張関係にある事実は知っている、との脅しだ。知った上で、金委員長を支持するとの立場を表明したのである。 また、中朝の首脳は「トランプ大統領の2期目はない」との見通しで一致し、「あと2年半時間稼ぎすればいい」との判断を確認したという。金委員長は中国の巨額支援と体制保証で安心したのか、対米姿勢を変えたわけである。 6月12日、トランプ大統領は金委員長との首脳会談後の記者会見で、ポンペオ国務長官が直ちに平壌に向かい、非核化の具体的な交渉を始めると明らかにした。 ところが、国務長官の訪朝までおよそ1カ月の時間がかかった上、金委員長と会見できなかった。さらに悲惨だったのは、北朝鮮外務省の報道官は国務長官訪朝直後に談話を発表し「ポンペオ長官の態度は強盗的だった」と非難した。なんとも失礼な対応である。 北朝鮮の姿勢変化を受け、トランプ大統領は「非核化交渉に期限は設けない」と述べ、ポンペオ長官も「交渉には時間がかかる」と議会で証言した。これは、習主席の「非核化を急がなくていい」との発言を、米首脳が入手していた事実を示唆するものである。 そして習主席は、金委員長が9月の国連総会に出席し、世界に向けて演説すれば「制裁解除」の空気が生まれるとアドバイスした。その際に第2回米朝首脳会談を行うように勧め、米朝関係改善も支持したという。理由として「北朝鮮は、中国の属国にはなりたくないだろう。そのために、米国との関係改善を必要とするのは理解できる」と述べ、金委員長を感激させた。中国の習近平国家主席(右)と談笑する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=5月、遼寧省大連(朝鮮通信=共同) 中朝蜜月化と「非核化交渉」の停滞は、日朝関係と拉致問題解決にも影響を与えそうだ。北朝鮮が日朝関係改善を必要とするのは、1兆円とみられる経済協力資金が狙いだ。ところが、中国が毎年1兆円以上の支援をすると、日本の資金への期待が失われてしまう。 北朝鮮の朝鮮労働党機関紙、労働新聞は最近「拉致問題は解決した」との論評を掲載した。拉致問題の解決よりも日朝国交正常化を優先させようとの戦略だ。これに呼応するように、日本でも超党派の「日朝国交正常化推進議員連盟」が活動を活発化している。北朝鮮からの工作に呼応している、とみられても仕方がないだろう。 北朝鮮が中国から多額の資金を導入すれば、現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」のようにいずれ膨大な借金となり、中国に従属せざるをえなくなる。それを避けるためにも、日朝国交正常化が必要だからこそ、「拉致問題は解決した」と主張しているのである。北朝鮮の手口に決して騙されてはいけない。「拉致より国交正常化」と主張する政治家や日本人は北朝鮮の手先で、「売国奴的」と非難されても当然なのである。

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    むしろ避難しない方が安全? 「防災マップ」はこんなにもヤバい

    高橋学(立命館大学環太平洋文明研究センター教授)  6月の大阪府北部地震以来、記録的な大雨などの災害が頻発している。テレビのアナウンサーは、災害危険性を声高に伝え、避難場所への避難を呼びかけたが、西日本豪雨は結局、死者200人を超える甚大な被害をもたらした。 ここで、ちょっと考えてほしい。あなたが避難しようとした場所は本当に安全なところなのであろうか。また、避難場所へ至る経路は本当に大丈夫だったのだろうか。それ以前に、避難する必要があるのだろうか。 象徴的な例がある。名古屋市教育委員会などは、津波の際に臨海部の小中高に校舎の屋上への避難を指示している。だが、校舎は3階建て程度であり、津波の避難場所には不十分な高さだ。 2011年の東日本大震災を思い出してほしい。石巻市立大川小学校(宮城県)では、児童や教職員の8割以上が犠牲となった。ここの小学校の場合、不適切なハザードマップ(災害危険予測地図)の存在と教職員の判断の悪さが、被害を大きくする一因となったと考えられる。 宮城県が作成した津波のハザードマップによれば、大川小学校は津波の被害に遭わない場所と記されていた。それを信じた教職員たちは、津波の到達までに避難するのに十分な時間があり、避難できる場所もあったのに、児童を安全な場所に避難させなかったのである。阪神大震災で倒壊した阪神高速神戸線=1995年1月17日、神戸市東灘区(産経新聞社ヘリから) ハザードマップは1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後に、急速に地方の行政組織に取り入れられ住民に配布された。ところが、このハザードマップには、大きな問題点があったのだ。 その問題点とは、死者が約4700人に上った1959年の伊勢湾台風以降、1995年の阪神・淡路大震災までの36年間、日本の根幹を揺るがすような大災害はほとんど発生しなかったことだ。 ちょうど、この時期の日本は高度経済成長期だった。そのため、「災害研究」や「リスクマネージメント」が真剣に考えられることはなく、教育も対策もほとんど行われることがなかった。ゆえに、ハザードマップを作成しようとした場合、都道府県や市町村の行政、警察、消防、自衛隊にも、それをできる人材がほとんどいない状況が生まれたのだ。 ハザードマップの作成や、避難場所の選定、避難経路の検討などは、コンサルタントに依頼したり、外部に「専門委員会」を作ったりして、作成が委託された。しかし、コンサルタントや専門委員会に召集された人々でも、ハザードマップの作成や避難に関して専門といえる人材が少ない。 また、ハザードマップは「時間・労力・資金・専門的知識」を駆使して、より精度の高いものを作成しても、地方行政体や地域の住民には歓迎されないことが多い。なぜなら、精度の高い地図を作れば作るほど危険と分類される地域が広くなるからだ。歓迎されない「防災マップ」 専門委員会の場合はともかく、コンサルタントにとっても、作成に時間や労力をかけ精度を上げたハザードマップが歓迎されないのであれば、最初から労力やコストをかけないものを作成することになる。 そうすれば、作成費用の見積もりが安くて受注しやすい上に、利益率も高くなる。仮に役に立たなくても場合によっては「想定外」という言い訳もできる。このような構造の中で、精度の低いハザードマップが作成され流布しているのが実態なのだ。 また、ハザードマップで避難場所に指定された場所が安全性に欠けるケースもよくある。それ以前に、避難場所に行くための経路の安全性が考慮されていることがほとんどないのも現状だ。 そもそも、ハザードマップで避難場所とされている学校、公園、公民館などは、一般的に、安くて広い土地が手に入る場所に立地していることが多い。また、避難路とされているにもかかわらず、住宅の倒壊やブロック塀の倒壊、液状化などの理由で道路が寸断され、避難場所に行くことすらままならないケースもある。 さらに、住民は不安な夜を体育館(公民館)で過ごしているというマスコミの定式化した災害報道により、本来、災害危険度の低い自宅からわざわざ危険なところに「避難」していることさえある。こうした現状を踏まえれば、むしろ避難しない方が安全といえる場合もあるということだ。冠水した岡山県倉敷市真備町地区を歩く女性=2018年7月 ゆえに、行政に頼ったハザードマップの作成や避難計画は役に立たないといっても過言ではない。避難訓練も春や秋の天気のいい日に、ピクニック気分で実施されていることもしばしばである。 特に地震の場合は、余震によって建物が倒壊して道路をふさいだり、火災のほか、路面の液状化で歩くことすらままならないなど、避難行動がかえって被害を拡大させる可能性が高い。行政やマスコミは「災害の教訓」を声高に訴えるが、日本の災害対策を根本的に見直すべき、大きな転換期を迎えているといえよう。

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    オウム擁護の「前科」を隠したサヨクの邪悪な本質

    中宮崇(サヨクウォッチャー) サヨクは平気でウソをつく。サヨクは自分たちのたわごとに少しでも異を唱える人間を「ネトウヨ」「反知性主義者」「歴史修正主義者」などと批判し、あの政治学者、山口二郎氏のように「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」とデモで殺害宣告をすることに何の躊躇(ちゅうちょ)もない。 そもそも「ネトウヨ」「反知性主義者」「歴史修正主義者」と、どの言葉を見ても、本来の用法とは全く異なる自分勝手な定義づけ、いやウソであるところが彼らの邪悪な本質を表している。 その呆れた邪悪さは、今回のオウム真理教元教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の死刑執行においてもいかんなく発揮された。 オウムが1995年に地下鉄サリン事件という世界でもまれに見る大規模で凶悪な化学兵器テロを起こすまで、サヨク学者やマスコミ連中がどれほどオウムを「これこそ真の宗教だ」などと持ち上げていたかはここで繰り返すまでもない。そればかりか地下鉄サリン事件後でさえ、評論家の佐高信氏らのサヨク連中はオウムへの破壊活動防止法適用に反対し、「殺人テロ集団」の擁護に回った。 興味深いことに、このようにオウムを持ち上げたり擁護したりした連中は、北朝鮮による拉致犯罪を「日本やアメリカによるねつ造だ」「共和国(北朝鮮)は地上の楽園」などとテロ国家を持ち上げてきた、いや現在も擁護している連中とかなり重なっている。 かつて『筑紫哲也NEWS23』などで毎週のように北朝鮮擁護報道を行ってきたTBSに至っては、オウムのために便宜を図り幹部信者に取材テープを見せ「坂本弁護士一家殺害事件」という凶悪犯罪に加担した過去がある。 これほどのことをやらかした彼らが、今インターネット上で歴史のねつ造によって自分たちの「オウム加担の罪」をごまかすことに大忙しである。そうした症例の一つとして、ツイッター上にこのような投稿がある。@C4Dbeginner: あと保守の人はオウム真理教をなぜか無理矢理「左翼」として分類する傾向があるんだけど、どう考えてもあれって左翼過激派より日本会議みたいな宗教右派に近い人たちではないのか。オウムが「サムシンググレート」と「マルクス主義」のどっちに親和性が高いかなんてアホでもわかるだろ。 サヨクどものオウム加担の「前科」を隠ぺいするだけでなく、なんと「たたっ斬る」べき敵である「ネトウヨ」に責任をかぶせようとする超ウルトラCには、もはや呆れを通り越して感心させられる。 まさに「ああ言えば上祐」、平気で過去をねつ造する「歴史修正主義」以外の何ものでもないことはアホでもわかるだろうから、サヨクというものはアホなのではなく、卑劣なウソつきなのであろう。画像:Getty Images しかし、このツイートには一片の真理がある。以前iRONNAでも書いた「サヨクどもが『サイコパス』だと言える数々の症例」のように、私はすでに20年ほど「サヨクは左右のイデオロギーや政治思想の違いとして理解すべき存在ではない。彼らは人権、平等、反差別などの左翼思想を装ったただのサイコパスのテロ集団である」と言い続けてきた。 本来、精神科医でもなんでもない私が「サイコパス」という専門用語を使うことにはためらいもあるが、記事にもあるようにサヨク連中自身が「安倍支持者はネトウヨでありサイコパスだ!」などと何のためらいもなく、平気で使っているために敢えてこの言葉を使う。本物の左翼に失礼 最近でも、作家の島田雅彦氏がなんと村田沙耶香氏の芥川受賞作『コンビニ人間』の選評において「巷には思考停止状態のマニュアル人間が自民党の支持者くらいたくさんいるので、風俗小説としてのリアリティはあるが、主人公はいずれサイコパスになり、まともな人間を洗脳してゆくだろう」と、それこそ「むしろお前がサイコパス以外の何ものでもないだろう」と言いたくなるような貶(けな)し方で受賞に猛反対した。 こうした症例から見ても分かるように、ツイート主の「保守の人はオウム真理教をなぜか無理矢理『左翼』として分類する傾向があるんだけど」という言葉には、確かに「盗人にも三分の理」ほどの真実が含まれている。オウムは左翼などではない。そんな雑な分類をしてしまったら、真面目に人権平和などに取り組んでいる本物の左翼に失礼だ。 左翼はサヨクとは違う。左翼のふりをしたただのサイコパスであり、テロ集団なのである。イデオロギーはただのコスプレであり、単に自らの卑しい支配欲求や暴力衝動を満たすための手段として人権だの反差別だのを悪用しているに過ぎないのである。 そのことは、朝日新聞や「進歩的文化人」が戦前戦中は敵を「鬼畜米英」「非国民」と罵(ののし)るバリバリの軍国主義者であったにもかかわらず、敗戦後手のひらを反すように平気で平和だの人権だのを騙(かた)り、北朝鮮や中国、旧ソ連による核兵器やテロを擁護する「平和主義者」(自称)に転向した事実を見ても明らかだ。 サヨク連中が「オウム真理教は日本会議と同類」などと言いつつ、なぜかオウムの味方はするのに日本会議のことは「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」とまでわめき散らす理由も明らかだ。宗教かどうか、左右どちらかなんて全く関係ないのだ。単にオウムが、自分たちサヨク同様の反政府暴力テロ集団だからこそシンパシーを持ったに過ぎない。 サヨクが左翼過激派を応援し、時に連携協力する理由も、「思想が同じ」だからなどではない。単に自分たちサヨク同様の反政府暴力テロ集団だからである。ゆえに予言しておくが、例えば今まさに「ネトウヨ死ね」などと口汚く罵っている人間がもし仮に政府要人に暗殺などのテロを仕掛ければ、サヨクは躊躇なく「よくやった!」と礼賛するに違いない。緊急停止した東海道新幹線「のぞみ225号」の車内でしゃがみ込む乗客(左)=2018年6月30日、神奈川県小田原市 実際、東海道新幹線車内で乗客3人が切りつけられ死傷した事件でもそうだが、その種の無差別殺傷事件が起きるたびにツイッター上には「なぜ弱者ではなく、安倍やネトウヨをを殺さなかったのか」という恐るべきツイートであふれ返っている。サヨクフェミニストたちが東京都知事選の最中にセクハラ問題が浮上したジャーナリスト、鳥越俊太郎氏をこぞって支持したことも記憶に新しい。サヨクの差別意識 もう一つ、麻原元死刑囚の死刑執行で観測されたサヨクの歴史修正主義として、「オウムはサヨクではなく、オタクが支持したテロ組織である」というものがある。例えば反安倍の急先鋒で知られる作家、瀬川深氏によるこのツイートだ。@segawashin: オウムとオタクの親和性は忘却しちゃイカンと思っています。漫画にアニメにアイドルに秋葉原と、今のオタク要素が90年代初頭で出揃ってたんだよ。そして当時のオタクはそれを面白がりながら消費してた。 瀬川氏と言えば、核兵器開発に邁進(まいしん)する北朝鮮への擁護が高じて敵対者の「ネトウヨ」を憎む余り、「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」どころか「大阪に戦術核を落としたい」と発言した御仁であるが、彼らがここまでオタクを憎むには理由がある。いささか複雑なので強引に一言でまとめてしまうと、副総理兼財務相の麻生太郎氏が漫画などのオタク文化に詳しく、オタクからの人気が比較的高いためだ。それゆえ、「しばき隊」などのサヨク組織は「オタク=ネトウヨ」と決めつけ、かねてよりヘイト、バッシングに忙しい。 ■「旧名しばき隊」の連中とか「オタクは犯罪者予備軍か」「オタク差別のあるなし」とかの話(togetter) 上記のまとめを見てもわかるように、サヨクにとって敵である「ネトウヨ」は、サイコパスで低学歴低収入のキモイオタクであって、「たたっ斬って排除すべき」邪悪な存在なのである。かつてサヨクが民主党支持のためにばらまいたこんなプロパガンダ漫画が彼らの差別感情をよく表している。漫画画像 サヨクにとって、自民党支持者はサイコパスなのだから、当然選挙権もはく奪すべきだと考えているのだろう。映画監督の森達也氏のこの発言こそが、偉そうに人権だの反差別だのを騙るサヨクの本音なのである。 ■映画監督・森達也が新有権者へメッセージ「棄権していい。へたに投票しないでくれ」(週プレNEWS) ■【総選挙2014】もう投票しなくていい(ポリタス) これが決して森氏だけの特殊な発言ではなく、サヨク全体に共通する卑しい本音であることは明らかだ。現に、かつて選挙のたびにあれほどサヨクマスコミらが「とりあえず若者は選挙に行け、投票しろ(当然自民党以外に投票してくれるだろうから)」とやかましくプロパガンダしていたが、その若者が実は「サヨク嫌いで自民党支持者」であると判明した途端、最近はほとんど「投票所へGO!」の声がサヨクマスコミらから聞かれなくなったではないか。サヨクとオウムの共通点 ある反安倍サヨクの母親が最近こんなツイートを投稿した。 @touhyou5969: 私の息子は、私が安倍晋三の批判をすると嫌な顔をする。息子は安倍晋三が好きな訳ではない。批判等のマイナスの感情に触れるのが嫌なのだそうだ。自分の心の中だけで思っていればいい、と言う。そうだろうか? その様な考え方こそが、アベ政治を容認してのさばらせているのではないか?そう思った。 なんと恐ろしい家庭だろう。ほとんど洗脳、いやこれはもう虐待である。まるでオウムそのものではないか。これがサヨクの実態なのだ。 サヨクはイデオロギーでも政治思想でもない、サイコパスなのであり、本来精神医学や犯罪学の分野で扱うべき対象である。その点においてオウムとの繋がりが深いとも言える。オウムは1990年の衆院選に打って出て、奇妙な踊りなどのパフォーマンスで話題になったにもかかわらず、惨敗した。彼らにしてみれば、「勝てる」と確信していた戦いで敗北したのである。自分たちを「裏切った」大衆への怒りが、その後の地下鉄サリン事件などの凶悪テロを正当化した。 そういえば、サヨクもしばき隊やSEALDSが「国会前デモ」と称して踊りまくり話題を集めるも、いざ選挙となると敗北が続いている。そしてそのたびに「不正選挙だ」「民主主義は死んだ」などと繰り返し、当然大衆への憎悪はオウム同様、テロを正当化するほどに高まっている可能性もある。既に米同時多発テロの際やスペースシャトル墜落事故の際などにおいても社民党議員やサヨク雑誌『週刊金曜日』が「ざまー見ろ」と放言して憚(はばか)らなかった事実が、サヨクによる敵への歪んだ憎悪、ヘイト感情をよく表している。移送されるオウム真理教教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)被告※当時=1995年9月、警視庁 サヨクがオウムと異なり、「まだ」地下鉄サリン事件のような大規模テロを行っていないのは、なぜだろうか。「ネトウヨは低学歴低収入の引きこもり」などとあからさまな差別、ヘイトを行っているサヨク連中自身が、実はマルクスさえ読んだこともなければ、小学校理科レベルの知識もないオカルト信者であったという事実は、東日本大震災の際に白日の下に晒(さら)された。これほど見事なブーメランも珍しい。 もはや彼らサイコパスが、かつての朝日新聞などのように「放射能で鼻血が出た」などと大衆を騙し続けることは不可能である。 サヨクが怒りの矛先を大衆に向けないことを祈り続けようではないか。そう人類の平和のために。

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    女性装の東大教授が警鐘「心の性に門戸を開くお茶大には矛盾がある」

    安冨歩(東京大学教授) 日本の大学の女性差別は、世界最高水準である。例えば、私が勤務する東京大学の女性教授の割合は、20世紀末の段階で1%を切っていた。その後飛躍的に改善したが、2017年5月1日時点で、教授1268人のうち、女性は86人、約6・8%にすぎない。准教授でも、941人のうち112人、11・9%にとどまる。つまり、今後、20年くらいたっても1割程度にとどまる可能性が高い。 そもそも学部学生の女性比率がいまだに、1万4002人に対して2711人、19・4%となっており、どんなに頑張っても2割を超えることはなかろう。 これは東大に限ったことではなく、日本全体で見てもそうである。文部科学省科学技術政策研究所の発行した『日本の大学教員の女性比率に関する分析』(2012年5月)によれば、2007年時点までのデータであるが、大学の本務教員の女性比率は人文科学では何とか2割から3割近くに達しており、また社会科学の分野は従来、理工系より少なかったものが、急速に改善している。 しかし、理系は相変わらずであり、特に工学系の伸びが悪く、数%の域を出ない。国立大学では、工学系や医学系の教員が圧倒的に多いので、全体としての改善が遅くなっている。 もちろん、大学教員は主観的には女性を差別しているつもりはなく、それどころか、教員採用では多少無理をしてでも女性を採用しようとしていて、にもかかわらずこのありさまなのである。ということは、これは、社会構造に起因する差別であって、大学関係者の努力だけでどうにかなることではない、と私は考えている。 ここで「構造」と言っているのは、人々の行動の「前提」として機能し、かつ、人々の行動によって支えられているものである。誰もが、「世の中は当然こうなっている」と考えて、それを前提として行動し、その結果として、「当然こうだ」と思っていることが維持されると、それが構造となる。当然こうだ、ということは、無意識に刷り込まれていて、意識化されることすらない。東大東洋文化研究所の安冨歩教授  例えば、「女が無理していい大学に行ってもいいことはないし、研究者になろうとしたら苦労するだけだ」と多くの人が前提にし、それにあわせて意思決定しているなら、その結果として前提が維持される。日本社会は、その罠から抜け出せていないのである。その前提を打ち破らない限り、いかなる制度改革や政策も効果がない。 この悲惨な状況を前提とするなら、女子大学の存在意義は全く衰えていない。かつて女子校は「良妻賢母」というような、女性差別を前提としてそれに順応する教育を期待されていた。しかしそれを逆手にとって、性にもとづく差別と戦うための拠点として自らを位置づけるなら、その意義はますます大きいとさえいえるだろう。「性的少数者」など存在しない 一方、かねてから私が主張しているように、「性的少数者」などというものは、言葉の上にしか存在しないのであって、現実に存在するのは、性的指向や性自認を口実にした差別だけである。他人を差別することで自分の存在を正当化したいという卑しい心根に支配された人が数多くいる、ということのみが現実に存在する問題なのである。その意味では、女性ということを口実にして行われる差別と、性的少数者に対する差別に、本質的な違いはない。 それゆえ私は、お茶の水女子大学がトランスジェンダーの女性を受け入れる決断をしたことは、全く正しいと考えている。女子大学が、性というものを口実とした差別と戦う研究教育機関と自らを位置付けるのであれば、その口実の範囲を「戸籍上」の女性性に限定せず、より多様な女性性に拡大することは、自然なことだからである。 お茶の水女子大の室伏きみ子学長は、記者会見で以下のように述べた。まず、「学ぶ意欲のあるすべての女性にとって、真摯(しんし)な夢の実現の場として存在するという、国立大学法人としての本学のミッションに基づき判断した」として、判断の根拠を明確にする。 ここに言う「ミッション」とは、お茶の水女子大の憲章に掲げられているものであり、この原則から判断した、という点が重要だと思う。日和見主義ではなく、こういう原則主義のみが、学術的機関の存在を正当化する。 その上で、「今回の決定を『多様性を包摂する女子大学と社会』の創出に向けた取り組みと位置づけて」いるとしている。この言葉は、女子大学の存在意義を、差別との戦いを通じた社会変革に設定し、そのための具体的行動としてトランスジェンダー女性の受け入れを決定した、ということを意味している。 さらに、次のように述べる。「今後、固定的な性別意識にとらわれず、ひとりひとりが人間としてその個性と能力を十分に発揮し、『多様な女性』があらゆる分野に参画できる社会の実現につながっていくことを期待している」 つまり、女子大学が戸籍上の男性を女性として受け入れることにより、固定的な性別意識を動揺させ、そのことを通じて私たちが等しく取りつかれている卑しい差別意識と戦い、誰もがあらゆる分野で活躍できる、開かれた社会づくりを目指す、ということである。なんという崇高で挑戦的な言葉であろうか。会見を行うお茶の水女子大・室伏きみ子学長=2018年7月10日(中田真弥撮影) 説明の最後に、室伏学長が次のように述べているのが興味深い。「はるか以前の社会と比べると格段に進歩したが、それでも様々な場で女性が職業人として活躍するには困難がある。その現状を変え、女性たちが差別や偏見を受けずに幸せに暮らせる社会を作るために、大学という学びの場で、自らの価値を認識し、社会に貢献するという確信を持って前進する精神を育む必要があると考える」 この部分は、いわゆる女性差別についての言及であって、一見すると、トランスジェンダー女性の受け入れと関係ないように見える。「二枚舌」だけは勘弁願いたい しかし、私が前述したことを踏まえれば、意味は明確である。お茶の水女子大は、トランスジェンダー女性の受け入れによって、固定された女性概念を動揺させ、女性性の多様化を推進する事で、社会にまん延する「性に基づく差別」全体と対峙(たいじ)することを自覚的に示したのである。つまり、トランスジェンダー女性の受け入れという戦術によって、女性差別と戦う、という戦略を示しているのであって、単なる制度改革ではない。 私は、今回の決定が発表された当初、iRONNAから寄稿を依頼されたのだが、どのような意図で今回の決定が行われたのか全く分からなかったので、一旦お断りした。しかし、その後の記者会見の報道を見て大いに驚き、お引き受けした次第である。 なぜ驚いたのかというと、昨今の国立大学を巡る状況は非常に悪く、ほとんど絶望していたからである。例えば私の母校である京都大学は、学生が出す立て看板(通称・タテカン)を強制的に撤去してしまった。これは、京都市の景観条例にひっかかって、市役所から𠮟られたのが理由なのだが、あのタテカンこそが、京大の自由な学風を象徴する伝統的景観であって、それを自ら破壊するのは、全くの愚挙である。 私の勤務する東大に至っては、画家の宇佐美圭司の大作「きずな」という貴重な美術作品をよくわからない理由で破棄してしまうという、不気味な処置をしている。日本国の知的文化的資産を守り育てる任務を負っているはずの中核的国立大学のこの知的貧困に、私は恐怖を感じている。 この状況で、お茶の水女子大が、世間の偏見やしがらみや抑圧をはねのけるための挑戦的行動に踏み出したことに、驚嘆したのである。私は微力ながら、本年6月3日に東大安田講堂で「ファッションポジウム」を開催した。これは男女の垣根を越えた自由なファッションを目指すことで、性的指向や性自認を口実とした差別と戦うためのものであった。その直後に、このような大きな決断が下されたことに、実に心強い思いがした。トランスジェンダーの学生を受け入れる方針のお茶の水女子大=7月10日、東京都文京区 ただ、ひとつ、気になることを申し添えておかねばならない。それは、多くの大学が、学生のLGBTの支援を打ち出し、そのカミングアウトを支援し、差別をしないように呼びかける政策をとっている一方で、大学の教員でカミングアウトする人が、非常に限られている、という現状についてである。日本中の大学教員全体を見ても、本当に数えるくらいしかいないのである。これは一体、どうしたことなのであろうか。 お茶の水女子大はこの重大な決断を機会に、教職員が何の不安を感じることもなく、自らの性的指向や性自認を自然に明らかにできる環境を整えてほしいと切望する。トランスジェンダー女性の学生は受け入れるけど、教職員には周囲への「配慮」を無言で要請する、などという二枚舌だけは、どうかご勘弁願いたい。

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    「点滴殺人」元看護師の病的心理を読み解く3つの視点

    原田隆之(筑波大教授) 横浜市の旧大口病院(現横浜はじめ病院)で、点滴に界面活性剤を主成分とする消毒液ヂアミトールが混入され患者が死亡した事件は、2年近くが経過し、ようやく容疑者が逮捕された。逮捕された久保木愛弓(あゆみ)容疑者は、同病院の看護師だった。 ただ、今回の事件は、当初から容疑者は病院関係者との見方が大勢を占めていた。その理由は、点滴袋が保管されていたナースステーションに容易に出入りでき、その周辺にいても怪しまれることがなく、注射器や点滴袋の扱いに慣れた人物である可能性が高いという状況があったからだ。 さらに、被害者の1人は当初は病死と判断されていたことから、直ちに毒殺が疑われるような劇的な症状を呈することのない薬物を選び、点滴という緩慢な方法での投与を選んだという点に、医学的な専門知識がうかがわれたことも挙げられる。 そもそも、命を預ける病院で、医療関係者によるこのような事件が起きてしまったこと、そして事件が想像もつかないほど大規模なものである可能性があることに、慄然とせざるを得ない。 医療は、医学的専門知識の上だけに成り立っているのではない。「害をなすことなかれ」という古代ギリシャの医者、ヒポクラテスの誓詞を引くまでもなく、患者と医療提供者との信頼関係の上に成り立っている。 いくらインフォームドコンセント(患者への十分な告知と同意)を得るなどの手続きを着実に行ったとしても、ひとたび処置を任せば、患者はある意味「まな板の上の鯉」も同然である。 では、なぜ本来患者を守り、命を救うはずの看護師がこのような凶行に出たのだろうか。旧大口病院では事件発覚前、看護師の服が切られたり、飲み物に異物が混入されたりする事件が頻発していたという。 同一人物の仕業かどうか現時点では分からないが、同じ病院にこのようなことをする人物が同時期に複数いるとは考えにくく、一連の事件は同一犯である可能性が大きい。 そもそも、久保木容疑者は警察の調べに対し、「勤務中に患者が亡くなると遺族に説明しなければならず、面倒だった」と動機を供述しているようだが、これが真意かどうかはまだ分からない。送検された久保木愛弓容疑者=2018年7月、横浜市(桐原正道撮影) これらを踏まえれば、当初のいわば嫌がらせ的な「小さな事件」は、直接病院のスタッフに向けられており、病院内での人間関係や処遇をめぐっての恨みが動機として考えられる。 とはいえ、これら「小さな事件」と今回の連続殺人事件との間には、とてつもなく大きなギャップがある。一つは人の命を奪ったという点、そしてもう一つはそれが容疑者の「恨み」とは直接関係ないであろう相手を狙った無差別殺人の可能性が高いという点である。 たとえ病院や病院関係者への恨み、そして病院の評判を貶めたいという動機が出発点であっても、そこからの無差別大量殺人という帰結には飛躍がありすぎる。 それを埋めるものとしてまず考えられるのは、やはり久保木容疑者のゆがんだ心理である。「小さな事件」を起こしても、病院側の態度に変化が見られないと思ったのか、それとも仕返しがまだ不十分だと思ったのか、いずれにしろ恨みを募らせた挙句、犯行が大きくエスカレートした可能性がある。心理的ブレーキが効かなかった容疑者 だが、普通は「ここから先はやってはいけない」というブレーキが働くものだ。そのブレーキとなるものの一つ目は、想像力や共感性である。人間は、何か大きな決断をするとき、「こんなことをすれば、このような結果を招いてしまう」と想像する能力を有している。これが想像力である。そして、その決断が他人を巻き込むものであれば、相手の立場に身を置いて想像する能力も有している。さらに、その行為が重大な結果を招くことが予想されれば、不安という心のシグナルが鳴る。 したがって、重大な結果を招くことが想像できたり、他人に苦痛を負わせるものであることが想像でき、その痛みを共有することができたりすれば、実行を思いとどまるだけの心理的な装置が備わっており、これがブレーキの役目を果たす。 しかし、久保木容疑者はその心理的装置が壊れてしまい、ブレーキにならなかったということである。このような心理の持ち主であれば、おそらく事件について反省もできないであろう。 もう一つ、事件の「間接性」を指摘しておきたい。直接被害者に異物を注射したり、延命装置のスイッチを切ったりすることは、おそらく久保木容疑者もできなかったのだろう。目の前の相手は、何の恨みもない患者だからである。 しかし、前もって点滴袋に異物を混入させておくという行為は、直接自分の手を下して殺すという行為よりは、かなり間接性が増大している。このことがまたこの事件の実行を後押しした要因であろう。 そして、三つ目の理由として考えられるのは、人命軽視という価値観である。2016年7月に起きた相模原市の障害者施設の大量殺人事件は記憶に新しいが、あの容疑者同様の弱者に対するゆがんだ考えが久保木容疑者にも共通しているように思えてならない。 相模原事件の容疑者は、「障害者は生きていても仕方ない」というゆがんだ考えから犯行に至ったと報じられている。旧大口病院には終末期の高齢者が多く入院しており、そのような弱者の生命を軽視し、ためらいもなく標的にした背景には、相模原事件の容疑者と同様のゆがんだ考えはなかっただろうか。 最後に病院側の問題点についても触れておきたい。本件に至るまで、先述の通りたくさんの兆候があった。そして、いくら終末期の患者が多いとはいえ、たくさんの患者が次々に不審死するという異常事態だったにもかかわらず、病院側はほとんど何の手も打っていなかった。点滴を受けた男性入院患者2人が中毒死した旧大口病院=横浜市神奈川区 さらに、最初の被害者が明らかになった後ですら、院長は「職員を信じている」と呑気なコメントをしていた。われわれは何か異常な事態が身の回りに起こっていても「何かの間違いだろう。大丈夫だ」と考えてしまう思考の偏りを有している。それは心理学用語で「正常性バイアス」と呼ぶ。 この事件がかくも拡大してしまった背景には、この正常性バイアスが大きく影響している。正常性バイアスはわれわれに起こりやすい思考のエラーであるが、そうは言っても、人の命を預かる病院にあって、この危機意識の欠如には愕然とせざるを得ない。 このように、さまざまな観点から、久保木容疑者の心理や事件の背景を探ってみたが、現時点では容疑者の供述が転々としており、あくまで推測の域を出ない部分もある。たとえば、点滴袋に毒物を注入したのではなく、点滴の管に注射器で一気に注入したとも報じられている。また、容体の悪い患者だけでなく、比較的安定した患者も標的にされたとの報道もある。まだ事件の全容解明にはほど遠い。 とはいえ、事件の一端が少しずつ明らかになるにつれ、私は暗澹(あんたん)とした気持ちになる。旧大口病院で「老衰」「自然死」として取り扱われていた何十人もの人々の死が、実は殺人であったかもしれないのならば、これは世紀の無差別連続殺人事件である。 だとすれば、本来なら命を救う職業であった久保木容疑者は、何を考え、どんな顔をして、何十もの点滴袋に異物を混入していったのだろうか。そして、なぜ次々と死者が出ても平気でいることができたのだろうか。彼女の中には、われわれの理解をはるかに超えた闇が広がっているのかもしれない。

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    平成の終わりとオウム死刑執行 「第二の麻原彰晃」はもう生まれない

    島田裕巳(宗教学者) オウム真理教の教祖だった麻原彰晃をはじめ、7人の死刑囚の死刑が執行された。死刑制度の是非はあるものの、日本がその制度を堅持している以上、執行は当然のことである。これで、世界を驚愕させたオウム真理教の事件に一つの大きなけじめがついたことは間違いない。 一連のオウム事件で逃亡していた3人が逮捕され、その裁判が終結した以上、いつ死刑が執行されても不思議ではなかった。ただ、宗教団体の教祖を死刑に処するということは、近代の日本社会では初めてのことである。 とはいえ、オウム真理教が「Aleph」(アレフ)や「ひかりの輪」といった形で残存しているため、死刑によってどういうことが起こり得るか、法務省は慎重に検討を進めたようである。 死刑囚の移送が行われ、麻原らの死刑が近づいていると報道された段階で、麻原は法廷で事件の真相を十分に語っていないため、法廷での奇行の原因となった精神的な病を治療し、その上で証言をさせてから、死刑を執行すべきだという見解を示した人たちがいた。麻原が語らなければ事件の真相は明らかにならないというわけである。 だが、麻原は自らの手で犯行に及んだわけではなく、弟子たちに指示してそれを行わせた。そして弟子側は、法廷で事件の経緯について詳しく証言しており、どういった形で事件が起こったかは明らかになっている。 分かっていないのは、地下鉄サリン事件の実行を最終的に誰が決めたかであり、麻原とそれを協議したと思われる教団幹部だった村井秀夫が殺されたことで、その点は明確になっていない。村井がなぜ殺されなければならなかったのかも、謎に包まれている。しかし、その他のことはあらかた明らかにされているのではないだろうか。会見するオウム真理教の教祖、麻原彰晃死刑囚=1990年、静岡県富士宮市 もう一つ、法廷で明らかにされなかったのは、教団の資金力である。事件の背景に、教団が相当な資金力があったことは間違いない。 その点について、最近私は、オウムの元幹部で、現在はひかりの輪の代表である上祐史浩氏と対談する機会があり、以下のような注目すべきことを聞いた。 オウム真理教は1992年にロシアに進出したが、その際、1億円を支払えば、大統領のエリツィンに会えると話をもちかけられ、実際に1億円を支払ったという。大統領には結局会えなかったが、それがロシア進出の大きなきっかけになった。 当時のオウムは、信者からの献金やパソコンの廉価販売で莫大な収入を得ていた。1億円を出すことができたのも、それだけの収入があったからだ。オウムの背景にあったバブル そこには、バブル経済という特殊な時代状況がかかわっていたようだ。信者から多額の献金が集まったのも、金余りの時代風潮があったからだ。また、信者がオウム真理教に興味を持ち、入信していったのも、そうした時代風潮に虚しさを感じ、修行による解脱を目指したからだった。 逆に、今はそうした時代ではない。アレフやひかりの輪という形でオウムの教団が残存していても、それがさほど拡大していかないのも、そのときとは時代が違うからだ。富士山麓にオウム王国を築き、サリンの大量製造を行うための大規模なプラントを作ることができたのも、豊富な資金力があってのことだ。 さらに、現在との時代の違いということでは、「終末観」があげられる。オウムの信者となった人たちは、「オウム世代」とも呼ばれたが、彼らは、1970年代のはじめにはまだ子供で、1999年に世の中が終わるとする「ノストラダムスの予言」を信じた世代である。 その時代には、小松左京の小説『日本沈没』がベストセラーになり、超能力者を称するユリ・ゲラーという人物がブームを巻き起こした。 そのとき、大人になっていた人たちは、そうした事柄を真に受けなかったが、子供たちは違った。1999年までしか人生は続かないと信じていた人たちは、実際かなり存在した。 1999年に世界が終わるという予言は、実際にその年が訪れ、世界が終わらなかったことで効力を失った。そのため、今では、そんなことを信じていた人たちがいたことについて想像力が及ばなくなっているが、それがオウムの事件の背景にあったことは間違いない。解体を前に報道陣に公開された山梨県上九一色村の第7サティアン=1998年9月 そして平成の終わりに、オウムの事件は最終的な決着を迎えようとしているが、そもそもオウムの存在が一般に知られるようになったのは、平成の最初の年だった。 31年続くはずの平成の時代は、その始まりと終わりでは、状況が大きく変化した。その間には、オウムの事件もそうだが、米同時多発テロや、東日本大震災による福島第一原発の爆発事故など、世の終わりを思わせるような事件がいくつも起こった。 逆に、そうした想像もできなかった事件が起こったことで、世の終わりに対する想像力が働きにくくなったという面はある。バブルが過去のことになった今、オウムが起こしたものと同種の事件が、それほど遠くない将来に起こることは考えられないのではないだろうか。

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    RADWIMPS「愛国ソング」の何が悪い!

    中宮崇(サヨクウォッチャー) 人気ロックバンド、RADWIMPSの新曲『HINOMARU』がネットで炎上した。歌詞に「さぁいざ行かん 日出づる国の御名のもとに」「気高きこの御国の御霊」といった愛国的な表現があったためだ。ネットではサヨクから「軍歌だ」とする批判が殺到し、ボーカルの野田洋次郎氏がツイッターなどで謝罪する「言論弾圧事件」に発展した。こういう流れなのか。野田「新曲です、HINOMARU。みんな聴いてね」左翼「愛国的でけしからん」野田「え? 傷つけたらごめんなさい」左翼「謝罪するなよバカ」野田「え? じゃあ、日本が好きだと言って何が悪い!(とライブで叫ぶ)」左翼「うぉ許さん!」どう考えても左翼が意味不明な気が RADWIMPSの新曲をめぐる言論弾圧事件を踏まえたツイッターのあるつぶやきである。まあ、これがごく一般的な市民感情であろう。 そもそもRADWIMPSは大ヒットアニメ映画『君の名は。』のオープニング曲を提供したグループで知られる。朝日新聞が何度も紙面に登場させてきた「レイシストをしばき隊」は、普段からオタクを「危険で有害で、犯罪者予備軍」と言ってはばからぬ差別集団だが、そんな連中はRADWIMPSに以下のように言いたいのだと思われる。 「危険で有害で、犯罪者予備軍が見るようなアニメ映画の歌い手ごときが愛国ソングを歌いやがった」と、これは法政大教授の山口二郎氏がかつて安保法制反対デモで叫んだように「お前は人間じゃねぇ! たたっ斬る!」ということになるのだろう。 しかし、思考回路が「意味不明」なのがサヨクのサヨクたるゆえんである。普通、それは分かりやすい言葉で言えば「嘘つき」「二枚舌」「ダブルスタンダード」であり、今回の事件を「そもそも言論弾圧などではない」とおっしゃるサヨクまでいる。人気ロックバンド、RADWIMPSのボーカル・ギターの野田洋次郎。ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲も担当する 例えば、コラムニストの小田嶋隆氏である。彼はツイッターで「弾圧という言葉は、行政当局なり警察組織なりの公権力が介入した場合に限って使うのが普通だと思う」と発言し、「RADWIMPSが謝罪に追い込まれた事件はサヨクによる言論弾圧などではない」という。これまた意味不明な二枚舌で、サヨク差別組織による言論弾圧を正当化しておられるのだ。 6月3日に川崎市で行われる予定だった男性弁護士の講演会に、反ヘイトスピーチの市民団体などが大挙して押しかけ演者の入場を妨害し、中止に追い込んだ。この「悪質なテロ」も小田嶋氏の定義によれば「言論弾圧などではない」と言うことなのか。サヨクによる言論の自由に対するテロを正当化する恐ろしいロジックである。 中国や韓国、北朝鮮が日本のサヨクを手先として使い、日本人の表現の自由を踏みにじる「言論テロの民間委託」が今後もさらに増えることになるだろう。 私が小田嶋氏を「二枚舌」と言ったことにはワケがある。なぜなら彼は、2年前に全く逆のことを言って、「安倍」や「ネトウヨ」による「批判」を「言論弾圧である!」と決めつけていたからだ。 言論の自殺幇助でいえば言論弾圧って、憲兵がやってきて、言論の自由を掲げる闘士をしょっぴくみたいなイメージがあるじゃないですか。でも、実際は違って、公安や警察が直接手を出すことなんてまずあり得ない。戦前もそうだったけど、自主規制なんですよ(「日刊ゲンダイDIGITAL」2015年11月2日) こうやって都合のいいように舌を使い分ける卑劣なダブルスタンダードこそが、サヨクの本質である。実にダサい。実際、この二枚舌は小田嶋氏だけでなく、サヨク全体に普遍的に見られる症状である。 今回の「RADWIMPS言論弾圧事件」も朝日新聞らサヨクマスコミは「表現の自由に対する悪質な挑戦」などとは一切報じていないのがその証拠だ。その一方で、例えば2008年に起きた、たった一人の自称右翼青年の抗議により映画『靖国』が上映中止に追い込まれた際の朝日新聞の社説を見てみよう。「靖国」上映中止―表現の自由が危うい「これは言論や表現の自由にとって極めて深刻な事態である。 中国人監督によるドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』の今月公開を予定していた東京と大阪の5つの映画館が、すべて上映中止を決めた。来月以降の上映を準備しているところも数カ所あるが、今回の動きが足を引っ張ることにもなりかねない」(「朝日新聞」社説2008年4月3日) かつてサヨク連中は「中国の核はきれいな核」という呆れたたわごとをほざいていたぐらいなので、彼らにとって「自分たちの抗議はきれいな抗議、ネトウヨによる抗議は言論弾圧」と卑劣な二枚舌を弄(ろう)することに良心の呵責(かしゃく)など全くないのであろう。都合の悪いことは忘れる朝日新聞 ついでに言えば、この社説は「自由にものが言えない。自由な表現活動ができない。それがどれほど息苦しく不健全な社会かは、ほんの60年余り前まで嫌と言うほど経験している」などとして安倍政権と「ネトウヨ」を批判しているが、戦前の「息苦しく不健全な社会」を作ったのは、あなたたち朝日新聞だという事実は都合よくお忘れのようだ。 今回の事件についても、朝日新聞は6月14日付紙面で「RADWIMPS新曲が投げかける『愛国』」とのタイトルで報じている。その中でサヨクによる妨害活動を「ライブ会場での抗議運動」とのみ触れているが、それを「言論弾圧」や「表現の自由が危うい」などと批判してはいない。 ちなみに朝日新聞が言うところの「ライブ会場での抗議運動」の主催者や関係者のツイッターでの発言を引用してみよう。「同曲を廃盤にし、二度と歌わないと表明を」 朝日新聞にとって、たった一人の自称右翼少年が映画館に抗議に訪れたことは「表現の自由が危うい」ことであっても、サヨクが大挙して気に入らぬコンサートに押しかけて「廃盤にしろ! 二度と歌うな!」とわめくことは平和なデモに過ぎない、ということらしい。 朝日新聞だけではない。マスコミの見解は、小田嶋氏の「オレ様の定義こそ普通だぜ!」という思い込みと異なるようだ。例えば、2008年5月7日放送のNHK『クローズアップ現代』のタイトルは「問われる“表現の自由” ~映画『靖国』の波紋~」である。2008年5月、大阪・十三の第七芸術劇場で公開を迎えた映画「靖国 YASUKUNI」 また、2015年4月7日付毎日新聞は「言論の自由は、新聞記者や作家が書く自由のみでなく、新聞を運ぶ運転手さんや本を販売する書店員の方たちを含めて社会全体で自由が確保されるように支えていかなければならない」としている。 今年に入ってからだけでも、サヨクの組織的な「抗議」によって「ネトウヨ」とレッテルを貼られた作家や関係者が脅迫まで受けたライトノベル『二度目の人生を異世界で』のアニメ化が中止されるという事件も発生している。 朝日新聞が偉そうに言うところの「息苦しく不健全な社会」は、既に作り上げられているのである。にもかかわらず、小田嶋氏のような人たちにとっては「RADWIMPSへの抗議はきれいな抗議」である、ということらしい。 今回のRADWIMPSやラノベ『二度目の人生を異世界で』への攻撃を「言論弾圧などではない」というのは、それはそれであり得る意見の一つだろう。 しかし、彼らは「中国の核はきれいな核」という幼稚園児にも見破られてしまう、それこそ幼稚な二枚舌で一般大衆の支持を得ることができると思い込んでいる。しかも、その先に安倍政権を倒すことができると本気で思い込んでいる姿は、端から見ていて本当にダサい。 RADWIMPSを攻撃することで若者にそうしたダサさをうっかり知らしめてしまった失策は、この先彼らにとって取り返しのつかぬしっぺ返しをもたらすであろう。私はそう断言する。

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    殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

    梅原淳(鉄道ジャーナリスト) 2018年6月9日、東海道新幹線の東京発新大阪着「のぞみ265号」の車内で殺傷事件が発生し、乗客の男性1人が死亡し、女性2人が負傷した。このたびの事件で亡くなられた方とご遺族には謹んでお悔やみを申し上げるとともに、けがをされた方が心身ともに1日も早く回復されますようお祈り申し上げたい。 新幹線約50年の歴史において、車内での犯罪によって死者が生じたケースは、今回の殺傷事件を含めて4件存在する。中でもよく知られているのは、3年前の2015年6月に同じ東海道新幹線の新横浜-小田原駅間で起きた放火事件であろう。 この事件では焼身自殺した70代の容疑者と、火災に巻き込まれた乗客1人の計2人が死亡、乗客2人が重傷を負い、そのほか乗客23人と乗務員3人の計26人が軽傷を負った。 この放火事件後、東海道新幹線を運行するJR東海は数々の対策を打ち出した。正確を期すために、運輸安全委員会が2016年6月に公表した鉄道事故調査報告書に掲載されている該当箇所を引用したい。(1) 乗客に対して、次の①及び②のとおり、啓発活動を実施した。① 注意喚起の強化 a 車内テロップや駅の発車標テロップの注意喚起文の変更 b 注意喚起放送の内容の変更 ② 危険物持込禁止、不審な物、行為発見時に対する啓発ポスターの変更(2) 乗務員室等に「乗務員用防煙マスク・耐火手袋」を搭載した。 (3) 鉄道車内へ持ち込める手回品について、平成28年4月28日から旅客営業規則で、ガソリンをはじめとする可燃性液体そのものの持込みを禁止することとした。(4) 車内の防犯カメラに関する増設及び機能強化の計画を次のとおり策定した。① 平成29年度末までに700系を除く全編成の客室内及びデッキ通路部に車内防犯カメラを増設(筆者注、今回の「のぞみ265号」には完備されていた)② 非常ブザーと車内防犯カメラを連動させ、乗務員室で即座にブザーが扱われた車両の状況を確認できるように改良する。(5) (4)②に伴い、非常ブザーが扱われたときの取扱いについて、ブザーが扱われた車両の状況を防犯カメラの映像で確認し、火災発生を判断する取扱いを追加した。「鉄道事故調査報告書 東海旅客鉄道株式会社 東海道新幹線 新横浜駅~小田原駅間 列車火災事故」(運輸安全委員会) 一見して分かるのは、いま挙げた対策の中に車内のパトロールに関する項目が存在しないということだ。車内巡回に関して、JR東海は火災事故後から、人員や頻度を増やす施策について、前向きに検討していると述べている。 事実、プレスリリースでも「当社では、お客様の安全を確保するため、ハード・ソフト両面においてセキュリティ強化に取り組んできました」と、実際に取り組んでいるかのように発表していた。2018年6月10日、東海道新幹線の車内で乗客が刺され、小田原駅構内を行き来する警察官(吉沢良太撮影) だが、現実にはJR東海は2018年3月から「のぞみ」に乗務する車掌の数を3人から2人に減らしてしまった。ならば、一部の列車で実施されている警察官や警備員によるパトロールの拡充を望みたいところだが、いまだすべての列車に導入されていないというのが現状だ。 実際、今回の殺傷事件が起きた「のぞみ265号」も警察官や警備員は乗務していなかった。当時、車掌2人と主にグリーン車での案内を担当するパーサー2人が車内の巡回担当者として乗務していただけだったという。新幹線のセキュリティー対策は? さて、新幹線車内で死者が生じた残る二つの事件のうち、一つは1988年9月に発生した。東京駅で出発を待っていた「こだま485号」の車内で飲食店の経営者が果物ナイフで刺された殺人事件で、被害者は容疑者を追ってホームに出たところで死亡した。この犯人はいまだに逮捕されていない。 実は、93年8月に起きたもう一つの事件が、今回の殺傷事件と内容が似通っている。事件の詳細は、JR東海の新幹線鉄道事業本部が95年2月に発行した『新幹線の30年-その成長の軌跡』に詳しい。今回の事件の課題、そして今後の防犯対策を探る上で極めて有益な資料であると筆者は考えるので、該当箇所を以下に引用しよう。 平成5(1993)年8月23日20時過ぎ、掛川~静岡間を走行中の博多発東京行『のぞみ24号』の車内で殺人事件が発生した。 犯人は、覚醒剤を常用している奈良県に住む27歳の男性(元モデル)で、9号車(グリーン車)の車内で埼玉県に住む出張帰りの会社員(40歳)に『うるさい』と言い、その約1時間後、持っていた刃渡り30cmのサバイバルナイフで刺し殺した。 これで車内は騒然となり、犯人の『次はどいつだ』の声に、9号車にいあわせた旅客は顔を引きつらせて逃げまどった。中には隣の10号車に逃げたり、子供と一緒にトイレに逃げ込み錠を掛けた人もいた。更に、駆けつけた車掌の『逃げろ』の声に犯人は怒り狂い、今度は車掌に切りかかった。 8時41分(筆者注:20時41分)、『のぞみ24号』が新富士駅に臨時停車すると、今度は待ち構えていた警察官を見て、犯人は前方の車両へ逃走した。11号車付近で追い付いた4人の富士署員に取り押さえられたが、この際、巡査部長1人が犯人にナイフで切りつけられ、重傷を負った。ホームにいた乗降客もこれを見て逃げまどい、新富士駅はこの捕り物に一時パニック状態となった。 新幹線にとって、走行中の車内での殺傷事件は昭和39(1964)年10月の開業以来初めてであった。 では、実際に新幹線のセキュリティー対策はどうあるべきか。筆者は、車内のパトロールを充実させるといっても限界があると考える。 仮に、各車両に1人ずつ巡回担当者を配置したとしても、今回の殺傷事件のように乗客がバッグから物を取り出そうとする動き自体を止めることはできないからだ。万全を期すというのなら、「新幹線の車内では乗り降りの際以外はバッグに触れてはならない」という規則を設けて徹底順守させるしかないわけだが、これは事実上不可能であろう。 一方で、列車内に凶器を持ち込めないよう、駅の改札口などに保安検査場を設置し、金属探知機で乗客自身を、エックス線検査装置で手荷物をそれぞれ検査してから乗車させる方策は効果が高く、犯罪の抑止効果も期待できる。筆者は、保安検査の導入を検討すべき時期に来ていると主張したい。 とはいえ、空港と同じような保安検査を実施することは極めて困難と言わざるを得ない。理由はいくらでも思いつくが、中でも大きなものを二つ紹介しよう。事件が起きたのぞみ265号の車内で待つ乗客=2018年6月9日(乗客提供) 一つは乗客の数が多いにもかかわらず、もともと駅舎内の空間が狭く、保安検査を行うことができないという点だ。実は東海道新幹線の東京駅から乗車する旅客数と、羽田空港の国内線ターミナルの搭乗者数はどちらも1日平均約10万人である。 ところが、羽田空港の国内線ターミナルビルの延べ床面積は第1、第2ターミナルを合わせて約54万平方メートルもある。しかし、東京駅の駅舎面積は、JR東日本が所有する部分を含めても地上部分は約21万平方メートルしかない。羽田の国内線ビルの面積は商業施設が含まれているとはいえ、東海道新幹線の東京駅の駅舎は明らかに狭いのである。 もう一つは「次を待たずに乗車できる」新幹線の利便性を損なうという理由だ。列車の出発時刻ぎりぎりに乗車するという芸当は、新幹線だからこそできることだ。空港での保安検査を嫌って、新幹線を利用する人も多いという点からも明らかであろう。もし、保安検査を実施するとなると、空港のように列車の出発時刻の15分前が乗車の締め切りとなってしまうだろう。JR各社の「所詮は犯罪」 理由はほかにも挙げられる。例えば、検査によって車内に持ち込めなくなった手荷物をどのように扱うかも検討しなければならない。現状では新幹線の車両には荷物室が存在しないため、新たに設置するか、該当の手荷物を放棄してもらうか、旅客に乗車自体をあきらめてもらうほかない。 そもそも、「なぜ新幹線ばかりセキュリティーを強化しなくてはならないのか」という意見だってある。同じ乗り物であれば、在来線や私鉄、地下鉄やバスも対象にすべきであろうし、さらに対象を広げればエレベーターも当てはまるであろう。この点においては、やはり密室になる時間が長く、なおかつ救助が期待される場所、つまり駅に停車できるまで他の乗り物と比べて時間を要するという点を理解してもらう必要がある。 言うまでもなく、筆者も今すぐ新幹線で保安検査を導入できるとは考えていない。最初は抜き打ちや、サイズや重量で明らかに突出した手荷物に対して検査を実施するという具合に段階的に開始し、車両や設備の改良を待つほうが現実的だ。 利便性の低下については一言で言えば、慣れの問題と考える。かつて地下鉄サリン事件が発生した後、地下鉄での保安検査は導入されなかったが、その代わりにより密閉された空間となるドーム球場などで手荷物検査が行われるようになった。導入当初は混乱もあったものの、今では当たり前のこととして人々に認識されている。 痛ましい殺傷事件が起きた今だからこそ、そしてラグビーのワールドカップや東京オリンピック・パラリンピックといった国際的なイベントが控えている今だからこそ、新幹線での保安検査に理解が得られるのではないだろうか。 では、実際に新幹線での保安検査を鉄道事業者が導入するだろうか。結論から言うと、国から強い指導を受けない限り、保安検査が導入される可能性はないと筆者は考える。膨大な手間と費用を要する上に、言葉は悪いが「所詮は犯罪」という鉄道事業者自体に責任のない事象を予防するに過ぎないからだ。 放火事件の場合、責任の所在を問わず、鉄道事業における「列車火災事故」となって、国には改善策を示さなくてはならないが、殺傷事件にはその必要もない。今までの事例から考えれば、一定の頻度で犠牲者が生じるのはやむを得ないと、鉄道事業者が考えているとさえ言える。2015年6月、車内で放火事件が発生し、小田原駅手前で停車する東海道新幹線の車両(川口良介撮影) また、保安検査を導入するにしても、JR東海、そして東海道新幹線の列車が乗り入れるJR西日本の山陽新幹線だけに限定されそうだ。新幹線は2社に加え、JR東日本とJR九州、JR北海道も営業を実施しているが、残りの3社は乗客数の少なさや鉄道事業者の経営状況が悪いことを理由に、頑として導入しないだろう。新幹線の中にも安全に格差が生まれるのである。 利用客も、そして世論もこういった鉄道事業者の考え方に同調するのであれば、それでもいいだろう。しかし、何の落ち度もない人間が、ただ単に新幹線を利用していただけで命を落とし、その教訓がほぼ全く生かされないという事実を、未来の人々が見たらどう思うであろうか。 「新幹線の安全神話」とは、素晴らしい伝統を命懸けで守っていくことではないのか。これこそが正しい保守主義だと筆者は考えるが、世論から間違っているといわれるのであれば、それも致し方あるまい。

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    「放言連発」「上から目線」でも麻生大臣はなぜ逃げ切れたのか

    川上和久(国際医療福祉大学教授) 「君子豹変(ひょうへん)」は、中国の五経の一つ、『易経』に原文が見られる。その原文では「君子豹変、小人革面」と対句になっている。 立派な人物は、自分が間違っていると知れば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心も態度も入れかえる。反対に、つまらぬ人間は表面上は変えたように見えても、内容が全然変わっていない、という意である。 対になっているということは「君子豹変」と「小人革面」は好対照を成すということだろう。ある人は政治家の「君子豹変」と官僚の「小人革面」のせめぎあいの歴史が繰り返されていると捉えたりするだろうが、同じ人物に両面を見ることも時にはあるものだ。 学校法人「森友学園」(大阪市)との国有地取引に関する決裁文書の改ざんが発覚してから3カ月近くたった。財務省は6月4日になって、ようやく調査報告書を発表した。 麻生太郎副総理兼財務相は大臣談話として「決裁を経た行政文書を改ざんし、それを国会などに提出するようなことは、あってはならないことであり、誠に遺憾である」「応接録についても、国会などとの関係で極めて不適切な取り扱いがなされていたものと認められる」と謝罪し、閣僚給与12カ月分の自主返納を表明した。結局、財務省では関係者20人に及ぶ処分者を出した。 この3カ月、国民は嫌というほど、森友問題に関する麻生氏の国会答弁や記者会見を聞かされてきた。テレビ朝日の女性記者へのセクハラ問題で、福田淳一前財務次官の更迭に伴うコメントにしてもそうだ。まさに、部下を一瞬にして悪者扱いする「君子豹変」と、自分は悪くないという姿勢を貫き通す「小人革面」の「麻生劇場」が繰り広げられたのである。 2018年2月13日、麻生氏は衆院予算委員会で、佐川宣寿(のぶひさ)国税庁長官(当時)を「国税庁長官としては適任だと判断したもので、事実、国税庁長官としての職務を適切に行っている」と持ち上げた。3月に朝日新聞が決裁文書書き換えの可能性について報じても、参院予算委で「答えることが捜査にどのような影響を与えるか予見し難い。答弁は差し控える」と突っぱねた。2017年2月、衆院財務金融委で答弁する財務省の佐川宣寿理財局長。左は安倍首相、右は麻生財務相=国会 3月9日、佐川氏の辞意表明後の会見でも、麻生氏は「彼が途中で辞めるということになったことに関しては、少々残念な気がする」と、佐川氏が適任であったという認識を変えなかった。それどころか、質問した記者の所属社をわざと「なんとか新聞」と述べ、当てこする始末だった。 それが一転、文書書き換えを認めた3月12日の記者会見で、麻生氏は「極めてゆゆしきことなのであって、誠に遺憾。私としても深くお詫びを申し上げる次第です」とようやく「お詫び」を口にした。それでも頭を下げるようなことはせず、「行政の長として深くお詫び申し上げる」と頭を下げた安倍晋三首相とは対照的に、麻生氏の「傲岸(ごうがん)不遜」を印象付けた。パーソナリティ、三つの特徴 確かに、麻生氏は佐川氏を「職務を適切に行っている」と持ち上げてはいたものの、行政文書の書き換えを認める会見では「佐川の答弁に合わせて、書き換えたというのが事実だと思っています」と文書書き換えが理財局長当時の佐川氏の答弁に合わせて行われた認識を示した。 さらに、「最終責任者が理財局の局長である佐川になると思う」と、理財局トップだった佐川氏に責任があると、「佐川」と呼び捨てにして言ってのけたのである。ただし、「私としては財務省全体の組織が問題とは考えていない」と、財務省全体への責任を否定するのを忘れなかった。 3月16日の参院予算委では、答弁中のヤジに業を煮やし、答えるのをやめて「やかましいなあ。聞きたい? じゃあ静かにしていただけますか」といらだちをあらわにするなど、相変わらず挑発的な姿勢を見せた。 こうして麻生氏は「悪いのは佐川と理財局」という「君子豹変」ぶりを見せ、最終的に佐川氏が主導して理財局が決裁文書の改ざんを行ったという報告書がまとめられたのである。 その財務省本体が、事務次官のセクハラ問題でも揺れた。発端は、女性記者に対する福田氏の「セクハラ発言」を『週刊新潮』が報じたことだが、財務次官の発言としては耳を疑うような内容が並ぶ記事は世間に衝撃を与えた。そのうえ、翌日には記事の元になった音源の一部も公開された。 だが、財務省のヒアリングに対して福田氏はこれを否定した。財務省は、事実関係を明らかにするために、財務省側の弁護士にセクハラ被害を申し出るよう求めた。 4月17日、麻生氏は音源について「俺聞いて、福田だなと感じましたよ。俺はね」と答える一方で、財務省側の弁護士にセクハラ被害を申し出るよう求めた件については「こちら側も言われてる人の立場を考えてやらないかんのですよ。福田の人権はなしってわけですか?」と、一方的に福田氏の側に立った上から目線の発言に終始した。財務省の外観・看板=2018年3月(桐原正道撮影) しかし翌日、事態は急展開する。麻生氏は記者団に対し、福田氏から辞任の申し出があり、認めたと発表した。この間、麻生氏からは「(福田氏が)はめられたという見方もある」「セクハラ罪はない」などいった発言も飛び出している。 この3カ月で、他の政治家には見られない麻生氏のパーソナリティーが遺憾なく発揮されたわけだが、それには三つの特徴がある。 一つ目は、マキャベリの『君主論』よろしく、自らの責任に累が及ばないように、「適材適所」と認めていた部下でもサッと切って捨てる冷酷さだ。「上から目線のお殿様」と揶揄(やゆ)されることもあるが、企業でもお人よしでは組織のトップは務まらない。麻生氏はそれを分かりやすい形で体現しているともいえる。安倍3選失敗で「君子豹変」? 二つ目は、マスコミに対して、ことさら挑発的な姿勢を見せることだ。「なんとか新聞」発言はその際たるものだろう。麻生氏は、米国を除く11カ国の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP11)が署名されたときにも、TPP11のことは一行も書かないで森友問題ばかり報道していたと、「日本の新聞のレベルが低い」と批判してみたりする。マスコミに遠慮して批判を控える政治家が多い中で、ここまでマスコミと事を構える政治家は、一部の有権者にはカタルシスにつながるだろう。 三つ目は、歯に衣(きぬ)着せぬモノ言いで「自分は悪くない」という「小人革面」を変えないが、「麻生さんだから仕方ないな」と思わせるレベルを自らコントロールしたことだ。「それを言ったらおしまいだろう」というグレーゾーンの発言に対して、野党は怒って麻生氏を批判するが、それで終わらせてしまうのである。 あれだけ好き放題に発言して、麻生氏への辞任要求が野党から出ても、辞めずに「逃げ切った」背景には、キレて冷静さを失ったように見せかけた絶妙のコントロールがあったのである。 企業社会に生きる人たちの中で、麻生氏の型破りな言動に快哉(かいさい)を叫びたくなる人も少なからずいるのかもしれない。だからこそ、麻生氏はプロレスのマイクパフォーマンスよろしく、野党やマスコミを挑発して、「俺にかかってこい」と言わんばかりの態度を貫きながら、辞任を逃れたのだろう。 もっとも、麻生氏が辞任してしまっては、さまざまな批判が安倍首相に集中してしまう。麻生氏に報道がフォーカスされるということは、世論の関心が麻生氏に向くので政権の「防波堤」になる、という見方もある。確かに、麻生氏は「絵になる」ので、麻生氏がマスコミにかみつくと、安倍首相や財務省もかすみがちになる部分はある。 ここまで来たら「死なばもろとも」、麻生氏は安倍首相と一蓮托生(いちれんたくしょう)で進んでいくしかあるまい。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界では、9月の自民党総裁選もにらんだ動きが既に繰り広げられている。 自民党の中にも、追及する野党やマスコミに迎合するかのように、安倍批判のトーンを上げる政治家もいる。とはいえ、彼らは「あわよくば」という魂胆がミエミエで、ひんしゅくも買っている。2018年3月、参院予算委で安倍晋三首相(左)と話す麻生太郎副総理兼財務相(斎藤良雄撮影) では、麻生氏は「安倍3選」が果たせなかったときに「君子豹変」してしまうのだろうか。一連の不祥事でも「上から目線」発言を貫いたことを考えれば、「やっぱり安倍には問題あったからね」と切って捨てるように、私には思える。 誰が次の自民党総裁に選ばれても、政治家のパフォーマンスに踊らされ、重要な法案の審議も含め、政治の本質がますます見えにくくなっていく悲劇を繰り返してはいけない。

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    「羽生結弦に国民栄誉賞」舛添要一が素直に喜べない理由

    舛添要一(前東京都知事) 平昌五輪フィギュアスケートの金メダリスト、羽生結弦に国民栄誉賞が贈られることが決まった。また、すでに北海道幕別町がスピードスケート女子で金メダルをとった高木菜那、美帆姉妹に栄誉賞を贈り、カーリング女子で銅メダルだったロコ・ソラーレ北見の選手たちにも、北見市が栄誉賞を贈っている。 平昌五輪での日本人選手の活躍はうれしい限りだし、心から祝福したいが、このような「栄誉賞ラッシュ」、私は素直に喜べない。 そもそも国民栄誉賞は、プロ野球の本塁打世界記録を達成した巨人の王貞治をたたえるために、1977年に福田赳夫首相によって創設された。その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」にある。対象者は「民間有識者の意見」を聞いて、内閣総理大臣が決める。さらに、対象者の受賞の意思を確認することも前提となっている。 既存の内閣総理大臣顕彰は学術文化、防災、社会福祉など6分野で全国民の模範となる者が対象でスポーツが含まれていないこと、また当時37歳であった王は叙勲には若すぎたこと、この二つの理由で国民栄誉賞が作られた。 第一号の1977年から2012年までの受賞者は19人と1団体。安倍政権になってからは、すでに6人にのぼる。これに羽生が加われば7人となり、多すぎるのではないかとの声も上がっている。 第一の問題は、明確な基準がないことである。「民間有識者」の意見は聞くが、最終的には内閣総理大臣が決めるので、首相個人の意向次第になる。首相とて「神ならぬ身」であり、公平な判断ができるわけがない。 また、そのときの「空気」、世論の動向に左右される危険性が大きい。それだけに、時の政権によって人気取りの政治的目的に使われるのではないかという疑問が呈されることになる。 例えば、生存中か死後か、また、現役か引退後かでも大きく変わる。歌手の美空ひばりのように、生きているときに贈るべきだったという批判もあるし、大リーグのイチローは現役中ということで、自ら辞退した。 さらに、羽生はフィギュアとして66年ぶりとなる五輪連覇が理由といわれるが、五輪連覇以上が基準なら、柔道の野村忠宏、水泳の北島康介、体操の内村航平は、それを満たしているのに受賞していない。この不公平の理由を誰も説明できない。五輪2連覇達成を祝い行われたパレードで、沿道に集まった大勢の人たちに笑顔で手を振る羽生結弦選手=2018年4月、仙台市 要は、そのときの大衆のフィーバーの度合い次第であり、それに政治家が便乗するのはポピュリズム(大衆迎合主義)以外の何ものでもない。まさに、「パンとサーカス」の劇場型政治である。パンとサーカスは、為政者が自らの失政を隠し、国民に政治への関心を持たせないようにするための道具である。 実際に平昌五輪の開催中は、テレビ放映の大半が中継で埋め尽くされており、国会開催中でも、国内政治のことは話題にすらならなかった。終わったとたんに、厚労省や財務省の資料の問題が出てきたのも不思議ではない。 今回の平昌五輪でも、カーリング女子選手に対する熱狂ぶりは異常であり、同じ銅メダリストのモーグルの原大智(だいち)がかわいそうなくらいである。これがポピュリズムというものである。 ちなみに、北見市へのふるさと納税が増えているというが、これも変な話だ。北見市へ納税した者が住んでいる自治体は、その分減収となる。自分の財布から寄付金を出すなら大歓迎だ。だが、返礼品も含めて問題が多すぎる。ふるさと納税制度をこのように「悪用」してほしくはない。「立ち小便もできなくなる」 第二の問題は、受賞者にも重荷になるということである。こんな賞をもらうと、国民の模範となるべく品行方正に努めなければならなくなる。特に若いころに受賞すると、その後の人生に「栄誉」を背負っていかねばならなくなる。息苦しい限りだ。プロ野球の盗塁王、福本豊は「立ち小便もできなくなる」と言って辞退したという。 スポーツ選手にとっては、五輪であれワールドカップであれ、メダルだけで結構だ。どこまで記録を伸ばせるか、世界の一流選手と闘って勝てるか、それが最大の問題で、そのために厳しい練習をする。その結果が歴史に残る記録になる。それだけで十分だ。 つまり、純粋にスポーツだけで勝負しているのであって、だからこそドーピングを絶対に許してはならないのである。国民栄誉賞をもらおうなどと思って練習に励む者はいない。記録やメダル以外の「不純物」は不要である。 また、国民に感動を与えるために練習しているのではないし、その過程でけがをしたり、リハビリに励んだりするのは、ひたすら勝つためである。けがを克服したことが国民に感動を与えたなどといわれても、そんな道徳教育の話と勝負の世界は別である。お上に栄誉賞を授けてもらわなくても、国民の喝采があれば、選手には国民が喜んでいることは分かる。スポーツ選手を政治の道具にしてはならない。 極端な想定をすると、引退後に人生を間違えて犯罪者になろうとも、現役時代の記録は不滅である。下手に国民栄誉賞など受賞していたら、それこそ全人格的に否定されて、金メダルまで剝奪しようという暴論すら出てくるかもしれない。 若いころ、スポーツ選手だった人間が、年月を経て政治家や経営者になることはあるが、そのような職業には毀誉褒貶(きよほうへん)がつきものである。国民栄誉賞などを背負っていれば、リスクを冒したくないので、政治活動や経営をのびのびと実行することが不可能となろう。つまり、現役引退後の長い人生で、憲法で定められた基本的人権である「職業選択の自由」すらなくなってしまうのである。フィギュアスケート男子で2連覇を果たし、安倍首相(左、代表撮影)から電話で祝福される羽生結弦選手=2018年2月(共同) 以上のような問題は、すべての「栄典」について共通して言えることである。中でも勲章については、かねてから賛否両論があるし、実際に辞退する者もいる。しかし、国民栄誉賞と違って、勲章は年を取ってから受章するので、いわば「冥土の土産」であり、その後の人生を左右するといったことはない。 勲章については、栗原俊雄の『勲章-知られざる素顔』(岩波新書)に詳しいが、この中で「憲政の神様」尾崎行雄(咢堂・がくどう)の例が紹介されている。尾崎は文部大臣、東京市長、司法大臣などの業績で、1916年7月に勲一等旭日大綬章を受ける。しかし、1942年の翼賛選挙を批判したことから、不敬罪で巣鴨拘置所に留置された。 戦後、「憲政の神様」として一躍時の人となった尾崎は、1945年12月に宮中に召されたが、その際に「けふ(今日)は御所 きのふ(昨日)は獄舎(ひとや) あすはまた 地獄極楽いづち行くらん」という自作の狂歌を昭和天皇に見せたそうだ。そして、翌年5月には勲章を返上している。 私は、モロッコ王国より、2008年11月にアラウイ王朝勲章グラントフィシェに、また2016年3月にフランス共和国より、レジオン・ドヌール勲章コマンドゥールに叙せられている。これらは、モロッコやフランスとの交流に貢献したことが認められたものであり、光栄に思っている。 ところが、2年前の「舛添バッシング」のとき、この勲章にまでケチをつける者が出てきた。大衆迎合主義(ポピュリズム)の怖さである。五輪で優秀な成績を収めたメダリストたちには、同じような嫌な思いをさせたくない。国民栄誉賞は廃止すべきである。

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    「米朝首脳会談中止」トランプの揺さぶりは正しい交渉術である

    重村智計(東京通信大教授) 米国のトランプ大統領は5月24日、米朝首脳会談の中止を表明し、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に書簡を送った。これに驚愕(きょうがく)した北朝鮮は「どんな方法であれ、対座して問題を解決する用意がある」との立場を表明し、米国に会談の再考を求めた。さらに、26日に急遽行われた2度目の南北首脳会談で、金委員長は「朝鮮半島の完全な非核化」の意思を韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に伝えていたことが明らかになった。これで「トランプ大統領の勝利、金委員長の敗北」であることがはっきりした。 北朝鮮との交渉には一つだけ秘訣(ひけつ)がある。それは、交渉する側に「決裂してもいい」という覚悟がないと、北朝鮮に外交敗北を喫してしまうことだ。北朝鮮は、「成果を挙げたい」と焦る交渉相手のスキを突いて揺さぶりをかけ、譲歩を引き出すのである。 かつて1990年代に米朝核交渉で、北朝鮮の金桂寛(キム・ゲグァン)第一外務次官が、内容のない米国非難の「演説」を2日続けて行ったことがある。それを聞いていた米国のガルーチ元朝鮮半島担当大使は「交渉を打ち切る。大統領府と相談する」と述べ、席を立った。すると、金次官は出口の扉の前まで追いかけ、ガルーチ氏に「譲歩するから、もう1日交渉してほしい」と哀願し、翌日合意に至ったのである。 この経験から、北朝鮮との外交交渉は「会談を打ち切る」と断言できれば、北朝鮮は譲歩するという教訓が残った。だから、トランプ氏の「首脳会談中止」は正しい交渉術といえる。 「米朝首脳会談中止」の第一の原因は、北朝鮮がトランプ政権を甘く見て、からかい過ぎてしまったことにある。もう一つの原因は北朝鮮軍部の反発にある。軍の反発がなぜ中止につながったのか、北朝鮮の国内事情が分からないと謎は解けない。 トランプ大統領はこれまで「非核化に同意しなければ会談を中止するし、途中で席を立つ」と何度も明言してきた。北朝鮮は、このトランプ発言を「駆け引きにすぎない」と軽んじてしまったのである。実際、トランプ大統領は会談中止を決めた直接の理由について「(北朝鮮の)直近の声明で示された怒りとむき出しの敵意」であると、金委員長への書簡で明らかにしている。2018年5月25日、米朝首脳会談の中止に関するニュースを伝えるソウル駅の街頭テレビ(共同) 「直近の声明」とは、朝鮮中央通信が報じた、北朝鮮外務省の崔善姫(チェ・ソニ)外務次官による24日の「談話」を意味する。崔次官は、ペンス米副大統領が21日に「北朝鮮への軍事攻撃の選択を排除しない」と述べたことを非難し、「われわれは米国に対話を哀願しない」と表明した。 また、朝鮮中央通信は16日、金第一次官がボルトン大統領補佐官を名指しで非難し、北朝鮮の核施設やミサイルなどの解体が終了した後に制裁を解除する「リビア方式」の放棄を求め、「核、ミサイル、化学兵器の完全廃棄要求」に応じられないとの談話を報じた。相次ぐ強気の「談話」のウラ 相次ぐ強気の談話の背後には、平壌(ピョンヤン)で軍部が反発していた事実がある。その軍部を納得させるために「リビア方式」と「軍事攻撃」を非難する必要があったのである。 一方、米国の指導者は「やると言ったら実行する」人の集まりだ。だから、「非核化に応じなければ、首脳会談を中止する」「軍事攻撃も辞さない」という発言は、彼らの本音なのだ。米国の指導者や政治家は、嘘をついて国民をミスリードすると、責任を問われる文化がある。米国の政治文化を北朝鮮は理解できなかったのである。 さらに、「北朝鮮の外務次官風情が格上のペンス副大統領とボルトン補佐官を非難し、暗に更迭を画策するのは失礼にもほどがある」とトランプ大統領は怒ったのだ。こうして、北朝鮮の外交宣伝と工作戦術は自爆してしまったのである。 一連の「談話」問題の背景には、北朝鮮外務省の誤算があった。北朝鮮の2人の外務次官は、外務省の次官として「公式声明」を出したわけではない。権限も持たない「宣伝工作機関」の朝鮮中央通信が、2人の「談話」として報道しただけだ。 北朝鮮において「談話」とは、私的な主張や取材への回答を意味する。そこで、北朝鮮外務省は公式なものではないと言い訳できる余地を残していたのである。だから、まさか米国が談話を「公式声明」として対応するとは考えていなかった。 交渉相手が韓国や日本ならば「談話」でも動揺するが、北朝鮮は、トランプ政権がそんなヤワな相手ではないと思ってもみなかったのだ。つまり、「トランプ政権という異文化」への理解不足である。2018年5月24日、トランプ米大統領が北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長に宛てた、米朝首脳会談中止を通告する書簡(ロイター=共同) ところで、トランプ大統領の書簡に気になる表現があった。各紙の日本語訳が異なるので、どれが正しい訳かはわからない。「私たちは会談は北朝鮮が求めたものだと伝えられたが、それが見当違いだったということが分かった」(共同通信5月24日配信)。「我々は、会談は北朝鮮からの要求だと知らされていたが、それは全く関係ないことだ」(読売新聞5月25日) この2つの翻訳を比べると、共同通信の方が日本語になっている。読売は、意味がよくわからない。共同の翻訳通りなら、間に立った韓国が「首脳会談」に関して、何らかの嘘を伝えたのではないか、との意味になる。トランプ大統領「書簡」のナゾ つまり、金委員長が「首脳会談したいとトランプ大統領に伝えてほしい」と言ったのではなく、韓国側が「米朝首脳会談をしたらいかがですか」と持ちかけ、「それもいいね」と答えた可能性がある。その返事を、韓国側が「金正恩委員長がトランプ大統領と会談を望んでいます」と伝えたのかもしれない。 では、米朝首脳会談は今後どうなるのか。近い将来、開催されるのは間違いない。実際にトランプ大統領も、当初の予定通り、6月12日に行う可能性に言及している。 何よりも、首脳会談が開催されなければ、金委員長は苦境に立たされてしまう。ただでさえ、首脳会談開催のために核廃棄で譲歩しても、朝鮮人民軍は反発する。首脳会談が実現しないのに、核実験場を廃棄したのか説明がつかないため、軍が激しく反発するのは確実だからだ。 実は、こうした事情を考慮して、トランプ大統領は金委員長を全く批判していない。それどころか「時間を割き、忍耐と努力を示してくれたことに感謝している」と感謝を表明したのである。 さらに「拘束されていた人々を釈放してくれたことには、お礼を言いたい。感謝している」と北朝鮮で拘束された米国人3人の解放に謝意を述べている。そして「遠慮なく私に電話するか、書簡を送ってほしい」と、最大限の敬意を示している。 つまり、今回のトランプ大統領の書簡は、金委員長の体面を傷つけないように配慮し、称賛する内容になっている。あくまで、北朝鮮の指導者を決して非難せず、部下の外務次官を批判しているにすぎないのである。外交テクニックを駆使したトランプ大統領はなかなかの交渉上手といえる。2018年4月27日、板門店宣言に署名後、共同発表に臨む韓国の文在寅大統領(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(韓国共同写真記者団・共同) 今回の「会談中止」の決断は、実は中国に向けられたメッセージでもある。トランプ大統領は、北朝鮮の態度が5月8日の中朝首脳会談後に硬化したと述べている。だから、中国に北朝鮮の非核化に協力しないと、米中貿易戦争で譲歩しないとの意向も表明している。 一方で、トランプ大統領は安倍晋三首相と韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に対し、北朝鮮が非核化に応じない場合には軍事攻撃する方針を明らかにしたと述べている。北朝鮮と関係諸国は今、「戦争」か「首脳会談」かの別れ道に立たされている。

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    「醜悪、保身、責任回避」日大広報部のおバカ対応に思う

    小俣一平(武蔵野大学客員教授) 今回の日本大学アメリカンフットボール部、内田正人前監督、井上奨(つとむ)コーチが出席した記者会見を見ていて思ったことがある。2人の記者会見は大人の醜悪さ、保身のための言い繕い、責任回避に終始していた。それは、前日の潔く、真摯(しんし)に記者会見に臨んだ宮川泰介選手の態度とはあまりにかけ離れたものだった。 それだけに、アメフト部だけでなく、日大全体のイメージを失墜させるものだった。くしくも日大は来年、創設130周年を迎える。卒業生114万7千人、在校生7万3千人にとって、日本最大の学園の記念祝典に泥を塗った格好となった。  日大は、どこで重大な間違いを犯してしまったのか。それは初動対応のまずさに他ならない。本来、まずケガをした関西学院大の選手や家族、監督、学校関係者に公式の場で謝罪する。何よりも入院中の選手を見舞い、直接謝り、家族やアメフト部、大学にも同様の対応をすべきであった。つまり「即謝罪」という根本原則を見失って、後回しにしている点にある。 それがとうとう最後まで悪あがきをしたあげく、嫌々謝罪に行ったと多くの人の目には映った。日大側の対応に全く誠意が感じられないと受け止めたのは、関学大関係者ならずとも多くの国民が感じたことだろう。しかも監督、コーチの2人は言い訳に終始するばかりで、心から謝罪をしている姿はただの1度もない。これでは、関学大関係者の神経をさらに逆なでするのは当然であろう。 次に広報部門の対応のまずさである。この間の日大広報部の傲岸(ごうがん)不遜、横柄さ、木で鼻をくくったような対応は、大学のイメージダウンを増幅させるものがあった。とりわけ23日の監督、コーチの会見終盤に突然横やりを入れた日大職員の対応は酷かった。本来、「主役」であるはずの監督、コーチそっちのけで報道陣に逆ギレした対応は「素人広報」の感さえあった。 調べてみると、この傲慢(ごうまん)な広報担当、米倉久邦氏は共同通信社の論説委員長を務めたことのある人物だという。それに引き換え、関学大アメフト部ディレクターは元大手新聞の出身で、そのシャープさ、歯切れの良さ、対応の堅実さ、終始理路整然とした追及、どれをとっても秀逸であった。それだけに日大広報のアラ、ひどさが余計目についた。2018年5月23日、日大アメリカンフットボール部の内田正人前監督らの会見後、報道陣に囲まれる司会を務めた広報部の米倉久邦氏(松本健吾撮影) それにしても、日大は2016年に「危機管理学部」を新設して、こうした案件も対応できそうなはずだが、これが機能していないとすると「紺屋(こうや)の白袴(しろばかま)」のそしりを免れまい。いや、むしろ「宝の持ち腐れ」なのかもしれない。優秀な教授、准教授陣を結集しているのにもったいない。  さて、私たちは、過去の事例から、こうした後味の悪い対応を幾度となく見てきた。企業の不正行為や隠蔽(いんぺい)が露見したときの対応一つとっても、ずるずる引っ張ってよかったためしはまずないと断言していいだろう。「ゴネ得」狙う筆頭への情けなさ つい先ごろも、セクハラ問題を指摘された東京都狛江市長が知らぬ存ぜぬの一点張りだったが、被害者が実名で現れた途端、万事休すと辞任する始末だ。先般、iRONNAで論じた福田淳一前財務事務次官も同様、こうした事例は枚挙にいとまがない。 どうして素直に謝らないのか、非を認めないのか。孔子の教えに「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」がある。言い繕いやしらばっくれず、過ちを素直に認め、サッサと謝罪してやり直すというのが、日本人の美徳の一つでもあったはずだ。いつから「ゴネ得」を狙う輩が増えたのか。 私たちは今、その典型を日本の総理大臣に見る不幸を共有している。こうした往生際が悪い筆頭が、あろうことか日本の総理大臣というのは情けない。安倍晋三総理が加計学園の獣医学部新設に口利きしていることは、愛媛県の資料公開によって明々白々となった。 利害関係のない愛媛県が、ワザワザ「ウソの報告」を書く必要がどこにあるのか。しかも、前回の愛媛県の資料でも、柳瀬唯夫元総理秘書官のウソが後日覆された事実からして、同様のケースであることは論をまたない。「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」の例え通り、いずれ世論に抗しきれず、ウソでは逃げおおせなくなるだろう。 不幸なのは、総理のウソによって有能な日本の官僚たちが、軒並み保身のためとはいえ、ウソの連鎖を繰り返さざるを得なかったことだ。さらに不幸なのは家族である。「お父さんはウソと分かっていても、私たち家族のために(ウソを)ついているのよ」と、母親が子供たちを説得しているのかもしれない。 総理の100倍も1000倍も優秀なお父さんを「嘘つき」にした安倍総理の行為は、家族にとっては犯罪的とも言える。国のトップリーダーであるべきはずの総理大臣が、この1年言い逃れに終始し続けていては、国民もそれをまねてしまう。2018年5月、参院予算委に険しい表情で臨む安倍首相(左)と麻生財務相 これが子供たちにも伝播(でんぱ)して、証拠を並べられてもガンとして嘘を突き通すことが最良、最善の策と思わせてしまうのではないか。かつて「嘘つきは泥棒の始まり」と戒められたものだが、今や…もう止めよう、これ以上は蛇足である。 今真剣に日本の将来を考える若者たちは、ますます政治不信を深めている。どの世界でも、リーダーは引き際が肝心である。内田前監督が大学を去ることと同じように、安倍総理も公約通り国会から去る時期を迎えているのではないか。

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    フィリピン慰安婦像撤去、中国「静かなる侵略」を阻止した意味

    山岡鉄秀(AJCN代表) 4月末、フィリピンの首都、マニラにある「慰安婦像」が撤去された。2017年12月に設置されて以降、日本政府は再三懸念を示していた。撤去後、ドゥテルテ大統領は「日本の償いは何年も前に始まった。侮辱するのはもうやめよう」と述べ、公共の場への設置に反対する考えを明らかにした。 今回は北米に置かれた慰安婦像とは違い、大統領が行政を直接動かしたことや、日本の影響力が相対的に高かったことが撤去を可能にしたと言えるだろう。おそらく、一度設置された慰安婦像が撤去された初めてのケースであろう。 この知らせに、胸をなでおろした人も多かったに違いない。雨後の竹の子のように建てられる慰安婦像には、明らかに反日的な意図が込められており、多くの日本人がウンザリしていたはずだからだ。一方で、今回の撤去に異論を唱える識者の記事もインターネット上で見受けられた。代表的なのは、ジャーナリストの江川紹子氏や毎日新聞の澤田克己元ソウル支局長だろうか。 2人の主張はおおむね同じである。要するに「日本政府がフィリピン政府に対して、懸念を伝達したことは筋違いだ」というのである。その理由は、韓国とフィリピンの違いにあるという。 例えば、ソウルの日本大使館前に建てられた慰安婦像は、2015年末に結ばれた「日韓合意」の精神に明らかに反し、ウィーン条約に違反するだけに、日本政府が抗議することには正当な根拠があると指摘する。しかし、マニラのケースは、大使館前に設置されたわけではなく、日本軍の現地女性に対する性暴力があったことは事実であり、「日本政府の撤去要請はご都合主義で横暴であり、かつてのアジア女性基金の趣旨をないがしろにするものだ」との批判を展開した。 筆者は、慰安婦像の設置計画案に立ち向かう在豪日本人の母親たちをシドニーでサポートするため、4年前に非政府組織(NGO)を立ち上げたが、たとえ設置阻止に成功しても日系住民の過酷な現実は変わらない。そのNGOの代表として彼らの批判に一言申し上げたい。慰安婦問題は、もはや女性の人権問題とはかけ離れた「安全保障上の問題」と化しているのである。2017年12月、フィリピンのマニラ湾に面した遊歩道に建った慰安婦像 だからこそ、女性の人権を隠れみのにする「国家ぐるみの政治工作」に嫌悪と脅威を感じている。その実態は本来、民間の市民団体の手に負えるものではない。それでも、今回のマニラの慰安婦像を建てたのが「華人系」と聞いてピンと来なかったら、この問題の本質が理解できていない。 軍事ジャーナリストのマイケル・ヨン氏が「『手袋』が韓国で『中の手』が中国だ」と指摘した通り、慰安婦問題の背後には中国がいる。中国は従来の「南京大虐殺」に「慰安婦問題」を反日情報戦のネタとして加えたのである。 昨年建てられた米サンフランシスコの慰安婦像は最たるもので、完全に華人の主導だった。中国は最近になって「慰安婦の総数は40万人で、その半数は中国人だった」などと突然言い出し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録を目指している。 慰安婦像の設置を阻止したシドニー郊外のストラスフィールド市のケースでも、華人による日本の戦争犯罪を糾弾する会が突然結成され、韓国側に呼び掛ける形で運動が始まったのである。こんなことは工作なしには起こり得ない。事実、筆者はこの件に工作員が活動していたことを把握している。 しかし、像の公有地への設置に失敗すると、華人と韓国人はお互いを非難し合って分裂してしまった。「韓国人と組んだり、任せたりすると失敗する」と踏んだ華人が、韓国人を当てにせず運動を世界展開しているのが現状だ。中国に乗っ取られたオーストラリア さらに、慰安婦像を建てて「それで終わり」ということはない。次に始めるのが、慰安婦像を使った「洗脳教育」である。子供たちを像の前に連れて行き、日本はこんなひどいことをした民族だと教え込むのである。 筆者の手元に『南京虐殺とその他の日本軍の蛮行、アジア-太平洋戦争 1931-1945』という分厚い英文教材の1巻と2巻がある。これらは、高校の教師向けに、いかに効果的に日本の戦争犯罪を生徒に教えるかを指南する教材である。 慰安婦問題に特化した教材もある。始めは「偏見とは何か?」というような、いかにも教育的な内容である。だが、読み進めていくと南京事件や慰安婦制度をナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)と同列に格上げし、批判することも否定することも不可能にしてしまう。北米にはこういう教材を作成し、学校関係者に流布することを目的とする華人組織が複数存在する。 なぜそんなことをするのか。それは中国の覇権にとって日本が邪魔だからである。実はこれらの教材を読み込むと、「米国は講和条約にも中国を含めず、常に中国を弱体化させようとする政策をとっており、そのために日本を利用している」という認識を持っていることが分かる。 だから中国は、米国の敵視政策を改めさせ、日本との同盟を分断することを戦略的な目標としているのである。「主戦場」は北米だが、東南アジアやオーストラリアでも、同じようなスキームを可能な限り適用している。当然、韓国人の「反日感情」も利用できそうなところでは使う。あくまで慰安婦像の設置は、このような戦略的展開の一端に過ぎないのである。 ところで今、オーストラリアで「サイレント・インベージョン(静かなる侵略)」という本が話題になっている。チャールズ・スタート大学のクライヴ・ハミルトン教授が、中国がいかに合法的にオーストラリアを実質的な属国にしようとしているかを調査、告発した本である。その内容は衝撃的だ。 2008年、ハミルトン教授は、キャンベラの国会議事堂の外で、北京五輪の聖火リレーが通過するのを待っていた。そこで、チベットの自由を訴える小団体を、何千人もの中国人学生が暴力で圧倒する光景を目の当たりにしたという。だが、オーストラリア当局は何もできなかったのである。この光景は、まさに2008年に長野県で日本人が目撃したものと同じであり、明らかに組織的な行為だ。それがハミルトン教授の心に大きな疑念を抱かせた。「台湾は中国の一部ではない」と言っただけで台湾人女性アルバイトが解雇されたという豪シドニーにある華人経営の火鍋店 そして2016年、中国共産党とつながりの深い裕福な中国人ビジネスマンが、自由党と労働党というオーストラリア二大政党に対する最大の献金者であったことが発覚した。そこで、水面下で何か大きなことが進行していると確信したハミルトン教授が調査を始めると、驚愕(きょうがく)の事実が判明した。オーストラリアの政策、文化、不動産、農業、大学、組合、そして小学校に至るまで、全て中国共産党の影響が及んでいたのである。 オーストラリアは「経済には中国の存在が重要だ」と歓迎し、資源バブルに浮かれている間にすっかり取り込まれてしまった。今ではオーストラリアを最初に発見したのが、キャプテン・クックでもアベル・タスマンでもなく、なんと明代の武将である鄭和(ていわ)だったとまで公然と主張されているという。 オーストラリアの自由主義と多文化主義を逆手に取った、中国による「静かなる侵略」が深く進行しているのである。2005年にオーストラリアに政治亡命した元中国シドニー総領事館の一等書記官、陳用林氏は「オーストラリアは中国の浸透工作が最も成功した例だ」と述べている。 確かに、女性の人権をうたう人は、往々にしてこの手の話が嫌いだ。数年前、アジア女性基金を主導した元理事に「慰安婦問題を語るには中国の活動も視野に入れるべきではないか」と進言したら、「あなたとは建設的な議論はできない。あなたの言うことは出来レースだ」と意味不明の暴言を吐かれたことがある。「慰安婦像いじめなど都市伝説にすぎない」 純粋に女性の人権尊重という「美しいテーマ」を見つめていたいのか、醜悪な国際政治の現実などはその瞳に映したくないのだろうか。慰安婦像を建てる活動家たちは皆、純粋に女性の人権を守り、記憶を引き継ぐために活動している、と信じたいのである。 それなら、フィリピンも含めて、慰安婦像はなぜ日本人の裏をかくように、不意打ちのように建てられるのか。これまで「こういう像を建てたいと思いますが、決して反日ではなく、女性の人権全般に関しての意識向上が目的です。どうしたら民族間の対立につながらず、平和的なものにできるか、相談させてください」と一度たりとも申し出てきたことがあるだろうか。皆無である。 活動家たちは、いつも後から言い訳がましく「これは反日ではない」などと主張するが、実際には何も知らない子供たちに「日本人はひどい民族だから憎んでもよい」と教えているのも同然だ。決して「これは歴史の教訓だから、日本人を憎んだり敵視したりしてはいけない。これは全人類の問題だ」とは教えていない。 だから、特に主戦場である北米では、反日教育が浸透するにつれて、圧迫を受ける日系の子供たちが増えている。泣いて帰って来た子供の姿にショックを受けた母親たちからの悲痛な訴えをつづった手紙を筆者は何通も読んでいる。 ある米国の中学校では、韓国系の生徒たちがだまされて慰安婦にされた韓国人女性が逃亡を企て、日本兵に刺殺される劇を演じ、動画にしてインターネットで公開している。それも学内コンテストの参加作品だったという。 念のため断っておくが、筆者は慰安婦の存在を否定したり、東南アジアで朝鮮半島のような統制が効かずに戦時性暴力が発生した例があることを否定しているのではない。事実、日本人女性も実に甚大な被害を受けている。 言うまでもなく、戦時下における女性の人権侵害は、すべての国を含む普遍的な問題である。だからこそ、誰も反対できないようなテーマを隠れみのにし、政治的工作を仕掛ける勢力が存在することを見逃してはならない。慰安婦像を支持する日本人活動家たちは、そのような政治的工作によって被害を受ける日系の子女や母親の人権は全く顧みない。ジャーナリストの江川紹子氏 それどころか、彼らは波風を立てたくない日本人が被害届を出さないことを逆手にとって「いじめなど都市伝説にすぎない」などと平気で主張する。筆者にはそのメンタリティが理解できない。しかし、被害は確実に広がっている。 このような背景があるだけに、日本政府がドゥテルテ大統領に懸念を表明し、像の撤去を求めたことは当然であろう。戦時中に被害にあった女性たちへの同情や記憶の継承への誓いと何ら矛盾しない。それとは全く次元が異なる問題である。 だからといって、大使館前でなければ像を建てても問題ない、ということにもならないし、フィリピンの慰安婦像だけが純粋な動機に基づいているとも言えない。慰安婦像撤去を非難する人々は、歴史認識を利用した「謀略戦」の矢面に立たされる日系住民の恐れと苦悩を理解していないのだろう。中にはストレスで病気になってしまった人も少なくない。 そして、たとえ江川氏や澤田氏が純粋に善意に基づいた主張をしていたとしても、そのような主張は歴史問題を利用する勢力にとって非常に好都合なのだ。それは冷戦時代に西側の左派リベラル系の学者やジャーナリスト、活動家の言動がコミンテルンをはじめとする共産主義勢力に利用されてきた歴史と重なるからである。

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    漫画村と政府が「同じ穴のムジナ」と言える3つの理由

    曽我部真裕(京都大学大学院教授)  4月13日、政府の知的財産戦略本部(知財本部)・犯罪対策閣僚会議において、「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」が決定された。 そこでは、コミックなどを中心に、無断でコンテンツを無料配信する海賊版サイト「漫画村」をはじめ3サイトが名指しされた。 その上で、被害が深刻であることから、「法制度整備が行われる間の臨時的かつ緊急的な措置」として、一定の要件のもと、インターネット接続事業者(プロバイダー、ISP)がこれら3サイトへのアクセスを遮断する措置(ブロッキング)を行うことが必要であり、法的にも可能であることが示された。今後は、知財本部の下で法整備が検討されることになる。 また、この決定を受け、業界最大手のNTTグループのうち、インターネットプロバイダー(接続業者)を運営する主要3社が3サイトを遮断する方針を発表している。 この問題については、事前に政府がプロバイダーに対してブロッキングを要請することまで検討されているといった報道もあり、関係事業者やこの問題に関心を寄せる法律家から批判の声が上がっていた。 政策研究・提言団体の「情報法制研究所(JILIS)」でも、筆者を中心とするタスクフォースにおいて、4月11日に「著作権侵害サイトのブロッキング要請に関する緊急提言」を発表した。そのほかにも多くの声明・提言類が公表され、大きく報道されている。 その効果があってか、13日に決定された「緊急対策」では、政府による「要請」までは含まれずトーンダウンがあった。しかし、基本的な問題点は変わっていない。海賊版サイトへの対策を決めた会議に臨む安倍首相(手前右)と、 「漫画村」のトップページ(奥)のコラージュ(共同) では、今回の決定の問題点はどのようなところにあるのだろうか。一般市民の目線からは、海賊版サイトが違法なことは明らかであるから、アクセスできないようにしても問題ないと感じられるかもしれない。 確かに、この点については専門的な知識が必要で、分かりにくいところがある。テクニカルな話を省き、今回の決定の主な問題点を述べるとすれば、①サイトの内容が違法かどうかを政府が判断していること②立法なしにプロバイダーにブロッキングを事実上強制しようとしていること③ブロッキングという措置が本当に必要かどうかの議論が尽くされていないこと、にある。 まず、①「サイトの内容が違法かどうかを政府が判断していること」について説明しよう。 ブロッキングは、すべてのインターネットユーザー(つまり、この文章を読んでいるあなたも含まれる)のアクセス先、閲覧先をプロバイダーがチェックをし、問題のあるサイトにアクセスしようとしている場合にアクセスを遮断するというものである。 一般に、ユーザーがどのようなサイトを閲覧しているのかという情報は、例えばその人の思想信条を推測する材料にもなりうるなど、プライバシー性が高い。そこで、こうした情報は、通信の内容そのものと並んで、「通信の秘密」として憲法や法律(電気通信事業法)によって保障されている。ブロッキングは、この「通信の秘密」を侵害するのである。日本は法治国家じゃないのか 他方、対象サイトに接続できなくなるため、ブロッキングはユーザーの「知る権利」の侵害にもなる。知る権利も、表現の自由の一部として、憲法に由来する保障を受ける。 もちろん、憲法に由来する保障を受けるとしても、例外的に制限が許される場合はありうるが、そのためには慎重な考慮が必要である。この点については②との関係で述べるが、①との関係では、政府があるサイトの内容を違法であると決めつけてブロッキングをさせることが許されるとすれば、政府が自分たちにとって不都合なサイトをブロッキングすることを防ぐ論理が成り立たなくなる。政府によるネット検閲に途(みち)を開くおそれがあるのだ。 次に、②「立法なしにプロバイダーにブロッキングを事実上強制しようとしていること」についてだが、前述の通り、「通信の秘密」「知る権利」にも限界があり、極めて例外的な場合には、プロバイダーにブロッキングを義務付ける(あるいは許容する)ことが許される場合があるかもしれない。 しかし、そのためには立法が必要であり、国民の代表が集う国会でのオープンな議論を通じて、ブロッキングの是非が判断される。また、立法の内容としても、ブロッキングは必要最小限のものとなるような規制であることが求められるだろう。立法に問題がある場合、裁判所が違憲立法審査権によってチェックを行うこともありうる。 今回の決定は、はっきりと「要請」をしたわけではないとしても、プロバイダーに対して事実上強い圧力をかけるもので、立法によって義務付ける場合に生じる上記のようなプロセスやチェック過程を回避しようとする点で、法治主義からの逸脱だと言わざるを得ない。 ③「ブロッキングという措置が本当に必要かどうかの議論が尽くされていないこと」については、4月22日にJILISなどが主催して行われたシンポジウムで、さまざまな指摘がなされた。「海賊版サイト」問題でネットの接続遮断に反対し、意見を交わすシンポジウムの出席者ら=2018年4月22日午後、東京都千代田区(共同) 著作権侵害はもちろん違法であり、コミックスを発行する出版社などは差し止めや損害賠償請求といった民事上の手段がとれるほか、告訴をして刑事事件として対応することを求めることもできる。ところが、実際にはこうした手段が尽くされていないのではないか。 さらに別な観点からみれば、ブロッキングという手法自体が、コストがかかる割に回避が容易なため効果は非常に限定的であり、必要性が感じられないという指摘もなされている。また、海賊版サイトへの広告出稿を抑止する取り組みにも改善の余地があるという指摘もある。 以上のように、今回の政府の決定には問題点が多く、支持することができない。他方で、海賊版サイト対策自体は非常に重要であり、今後、政府において議論がなされることになる。 適切な著作権保護を通じて良質なコンテンツが継続的に生み出され、楽しめるような環境を、出版社、ネット関係事業者、広告関係事業者らがどのようにして作っていくのか。オープンな議論の中で知恵を出し合うことが必要であるし、国民としても注視していくことが求められる。

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    山口達也「衝撃キッス」はジャニーズ失墜を象徴する

    平本淳也(作家、元ジャニーズ所属タレント) 『うわさのキッス』がとんでもない「衝撃のキッス」になってしまった。TOKIOメンバー、山口達也が女子高生に無理やりキスをしたとして強制わいせつ容疑で書類送検された事件は、レギュラー番組やCM、ファンの心理などを鑑みれば、ジャニーズ史上類を見ない危機といえるだろう。 かつてジャニーズ所属タレントだった筆者も、数々の不祥事を目の当たりにしてきたが、今回の事件は取り返しがつかない事態という感が強い。芸能界に長く君臨するジャニーズがこの危機をどう乗り切るかは実に興味深く、注目に値する。 とはいえ、ジャニーズだけでなく男性アイドルにとって「よくある」トラブルであることは言うまでもない。「自宅に呼んだ女性を酒の勢いで…」という山口達也のような行為は、男性アイドルだけではなく、お笑い芸人や俳優などの周辺ではごく日常的な話であり、別段驚きもない。不謹慎な言い方だが、驚きといえば、なぜ刑事事件に発展する事態を招いてしまったのか、という点である。 具体的には記載できないが、同様のトラブルが起きた場合、ジャニーズの人気アイドル級になれば、和解のための示談交渉などに億単位のカネが動くことはざらにある。たとえ「実弾」(カネ)が動かなくても、内々に解決する方法もあったはずだ。 では、なぜこのような事態に発展したのか。一言で言えば、これは山口達也の人間性に行き着く。つまり、もう46歳にもなった山口達也が「事の重大さ」を理解できなかったことに他ならない。だが、山口達也という人間を少しでも知っていれば、「やっぱり」という印象を持つ人もきっと多いだろう。 筆者からすれば、事の重大さを理解できなかっただけでなく、人気アイドルとしての危機意識があまりに薄い、甘さが露呈したと思っている。この件について関係者に聞くところでは、事務所への報告どころか、当時は泥酔していてメンバーにさえ相談もしていなかったようだ。 ただ、山口達也といえばアイドルの中でも「ベテラン」だ。当たり前だが、ジャニーズタレントが女性にモテることは、身を持って知っている。一度でも経験すれば、嫌というほど分かるが、日ごろから多くの誘惑に囲まれる。記者会見するTOKIOの山口達也メンバー=2018年4月、東京都千代田区(松本健吾撮影) よくある話だが、デビューした後、急に親戚や友人が増えたり、よく分からない組織や団体に誘われたり、安倍首相の昭恵夫人ではないが「利用」されることも珍しくない。 こうした中で、最も危機意識を持たなければならないのが「異性」であることも承知の上だろう。ジャニーズの場合は「同性」という相手もいるが、スキャンダルの基本は異性関係である。 とはいえ、アイドルと言えども生身の人間だ。プライベートはガチガチに管理され、世間の目から逃れられない生活はストレスも人一倍大きい。山口達也の行為も理解できないわけではない。 ただ、日ごろから「ご飯、連れて行ってください」「飲みに行きましょう」「お家に遊びに行っていいですか?」といった類の誘いは後を絶たない。年齢を問わず、女性からの誘いもあまたあり、もちろん「すべてOK!」ということではなく、「選別」することもしばしばある。変わり始めたジャニーズ事務所 アイドルはモテるのに、大っぴらには「遊び」ができないだけに、必然的に自宅での飲み会や食事、パーティーといったケースが多くなる。それだけに、自分がスキャンダルの対象にならないよう、常に慎重かつ熟慮しながら行動するのだが、時としてこの予見が大きく裏切られてしまうこともある。良い例が、10代の少女に性的暴行して吉本興業を解雇されたお笑いコンビ「極楽とんぼ」の山本圭壱だろう。 もちろん、いかなる事情があっても違法行為は許されないが、交通違反やちょっとした暴力沙汰なら、多少なりとも取り返しがつく。だが、芸能人の場合、特に危機意識を持たなければならないのは、未成年を巻き込んだスキャンダルである。 4月26日の記者会見で、山口達也は「無期限謹慎処分」でありながら、復帰を望む発言も飛び出したが、筆者の考えでは、女性ファンらの「裏切られた感」は半端なかったと思う。衝撃の大きさを考慮すれば、もはや復帰は不可能に近いだろう。 山口達也に同情の余地はないが、一人の大人として自らが起こした不祥事を「自分一人の責任」として腹をくくったのは、決して悪いことではない。恥も外聞もなく、すぐに親や事務所を頼ろうとする今どきの若い連中に比べると、その責任の取り方は雲泥の差である。 謝罪会見を見る限り、「被害者」へのお詫びの言葉や示談、和解に向けた行動は決して間違っていない。「自分の力で解決できるなら、事務所への報告は要らない」と判断したことをもって、山口達也が「隠蔽」したというのも違うだろう。 ただ、今回の事件をめぐって特筆すべきは、人気グループ「関ジャニ∞」の渋谷すばる脱退の際にも述べたが、ジャニーズ事務所の対応の変化だ。一般企業であれば、社員が起こした不祥事に対し、最大限注力してマスコミ対応するが、なにせ「芸能界の帝王」ジャニーズである。 事件の第一報がメディアに取り上げられた直後、素早く報道各社にファクスを流し、一夜明けて約45分間もの「涙の会見」を行ったことは、芸能マスコミの関係者にとっては「おいしいネタ」になったに違いない。 これまで何があっても「代表が出てこない企業」を貫き、経緯の説明や謝罪の意思を求められても「責任者不在」で押し通すマスコミ対応がジャニーズの常識だった。これは本来、許されるはずもないのだが、マスコミや世間から有無をも言わせない影響力を持っていたのが、ジャニーズだったのである。 今回の場合、レギュラー番組を多数抱えるTOKIOメンバーの不祥事であり、大方の予想通りワイドショーや週刊誌にとっては「数字を稼げる」ネタになった。にもかかわらず、ジャニーズがある意味、申し分ないのメディア対応を徹底したことで、特にテレビでは山口達也やジャニーズへのバッシングよりも、擁護論の方が大きいように感じる。事実、筆者が親しくする芸能記者の多くは、一様に安堵している。記者会見するTOKIOの山口達也メンバー=2018年4月、東京都千代田区(松本健吾撮影) ただ、一連のジャニーズの変化は、逆に言えば事務所の権威で「スキャンダル逃れ」を続けてきた所属アイドルにとって、もう通用しないことを示唆しているとも言える。 そこで注目されるのが、山口達也の最終的な処遇だろう。天下のジャニーズとはいえ、守らなければならない優先順位はあるだけに、「山口切り」も十分有り得るのではないか。結果的に被害者の女子高生が、被害届を取り下げたとしても、今回の事件が社会通念上、許されないことはジャニーズも百も承知だろう。 スポンサーへの配慮だけでなく、NHKや2020東京五輪、被災地の復興支援といった「カネでは解決できない」諸案件を抱える山口達也の処遇については、TOKIOの脱退、いや除名といった厳しい処分しか、ジャニーズ事務所の今後を考えれば、この難局を乗り切る手立てはない気がする。 かつて、筆者は「ジャニーズの危機管理」について事務所幹部に進言したことがあるが、このときはいかなる「難敵」が相手であろうと、「恐るるに足りず」といった強気の姿勢だったと記憶している。だが、その強さが通じない「事件」に見舞われた今、山口達也だけでなく、ジャニーズ事務所はどのような方法でケジメをつけるのか、しっかり見届けたい。

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    財務次官セクハラ疑惑 「被害者」テレ朝記者の行動も問題である

    舛添要一(前東京都知事、元厚生労働大臣) 18日夕方、財務省の福田淳一事務次官が辞任を表明した。『週刊新潮』で報じられたセクハラ疑惑について、福田氏は事実でないと否定し、裁判で黒白をつけるという。しかし、報道以来、職責を果たせるような状態ではなくなったので、これ以上の混乱を避けるために辞表を提出したと説明した。2018年4月18日、辞任を表明し、記者の質問に対して、なぜか笑顔で答える財務省の福田淳一事務次官 何となく、すっきりしない結末である。森友・加計学園問題、官僚による忖度(そんたく)や公文書改ざん、データ管理の不備など政権を揺るがす問題が続出している中で、佐川宣寿(のぶひさ)国税庁長官が辞任し、それに加えて、この「福田セクハラ疑惑」が出てきた。野党は、政府攻撃の道具として、この問題を最大限に活用しようとしている。 事実がどうなのか。私は「被害者」である女性記者が正々堂々と告発すべきだと繰り返し主張してきた。実際に、米有力紙ニューヨーク・タイムズと雑誌ニューヨーカーは、ハリウッド映画界の大物プロデューサーのセクハラ疑惑を追及し、ピュリツァー賞を受賞した。 メディアを通じてカミングアウトした勇気ある女優らの告発が発端となり、その後、セクハラ被害を訴える「#MeToo(私も)」運動が欧米を中心に盛んになった。また韓国の安煕正(アン・ヒジョン)忠清南道知事も、女性秘書が性暴力をテレビで告発したため、職を辞している。 ところが、女性記者の対応については、私のような主張を批判して、「被害者に酷だ」「仕事がなくなる危険性がある」などと弁護する意見ばかりがマスコミを賑(にぎ)わせている。しかし、フリーならともかく、記者なら、まずは自分の所属しているメディアを使うのが筋だろう。 もしカミングアウトすれば、失職するどころか「英雄」としてたたえられる。所属するメディアも、告発者を「自慢の種」として大事にするから、左遷などできないだろう。テレビ朝日の説明以上に裏はないのか ところが、この日の深夜になって、テレビ朝日が記者会見を行い、「被害者」がテレ朝の女性社員であったことを公表した。記者が週刊新潮に取材活動で得た情報を渡したことについては、「報道機関として不適切な行為」で反省しているという。女性記者は取材のため、約1年半前から1対1で数回食事をしたと説明しているが、これが本当なら次官も記者も問題である。 私は、厚生労働大臣のときも、東京都知事のときも、取材であっても1対1で女性記者と会食することなどなかった。仮に、そのような可能性があるときは必ず秘書官を同席させたものである。次官側、財務省側の反論もあろうが、結局この問題はワイドショーが好んで取り上げるテーマとなり、さらに尾を引く可能性がある。 では、福田次官の酒席での「狼藉(ろうぜき)癖」は今に始まった話ではないのに、なぜ、この時期に週刊誌報道が出てきたのか。それは件(くだん)の女性記者の週刊新潮への「タレコミ」がきっかけだというのが、テレビ朝日の会見の内容である。しかし、1年半前から2人で会食していたのに、なぜ、今になって週刊誌にネタを売ったかについては、十分な説明はない。 そこで、本当にそれ以上の裏はないのか疑いたくなるのである。政治家と官僚の関係が、忖度、公文書改ざんなど、さまざまな点から問題になっている。うがった見方をすれば、今回のセクハラ疑惑報道は、政治家側、つまり自民党、首相官邸側の「高等戦術」ではないかとすら思いたくなる。 なぜなら「悪いのは、財務省であり官僚であって、政治家ではない」というイメージを世間に拡散させるには、次官のセクハラ・スキャンダルは格好の材料になるからである。佐川国税庁長官(前理財局長)が辞め、今度は次官がやり玉に挙がるとすれば、「財務省悪玉論」が定着する。森友・加計問題も、政治家の関与などはなく、すべて悪いのは官僚だというイメージ操作に有力な材料を与えるであろう。 知ってか知らずか、野党は鬼の首でも取ったかのように、政権批判に「大はしゃぎ」している。自らの調査でもなく、マスコミ報道に依拠して追及しているだけで、政権奪取の気概も何もない。国会では、国民のために必要な法案を審議するなど、他にやることが山積しているのではないのか。テレビ朝日の女性社員が福田淳一財務事務次官のセクハラ被害を受けていたと明らかにする同社の篠塚浩報道局長=2018年4月19日未明 権力闘争に明け暮れる一方で、解散総選挙を恐れる戦略の無さは、政党支持率が低迷し、一向に改善しないことにも現れている。野党の無策に、国民も閉口していることに気づくべきである。財務省の行為は万死に値する しかしながら、安倍政権にとっても、事態は決して楽観できるような状況ではない。NNNが4月13~15日に実施した世論調査では、内閣支持率はこれまで最低の26・7%、不支持率はこれまで最高の53・4%になった。ついに支持率が2割台に下落し、不支持率は支持率の2倍となった。これは政権維持に黄信号が灯りはじめたことを意味する。 同じ週末に行われた共同通信の世論調査では、内閣支持率は5・4ポイント減の37・0%、不支持率は52・6%であり、女性の支持率は29・1%と初めて30%を割っている。朝日新聞の調査でも、支持率31%、不支持率52%と、支持率の下落・低迷の傾向は変わっていない。 このような結果になったのは、財務省の役人による公文書の改ざんが明らかになったときに、組織のトップである麻生太郎財務相が責任を取って辞任しなかったからである。公文書は絶対に改ざんしてはならない。それは、官僚の職務規律であり、民主主義の基礎である。そのルールがいとも簡単に破られたことは、国権の最高機関である国会に対する反逆であり、万死に値する。 しかも、それは財務省という組織ぐるみの行為であり、このような場合には、組織のトップが引責辞任するのが筋である。その組織存続の基本が守られなかったことが、財務省にもろに跳ね返ってきたのである。そして、それは安倍首相批判の声をさらに高めることにつながった。 安倍政権は、安倍首相、麻生副総理兼財務相、菅義偉(よしひで)官房長官のトロイカ体制で安定しており、派閥の力学もそれを軸に形成されていた。それだけに、麻生氏の辞任だけは何としても避けたいというのが、政権側の意向であった。麻生氏は19、20両日にワシントンDCで行われる20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議に出席のため訪米し、22日に帰国する。 安倍首相は、フロリダでの日米首脳会談を終えて、間もなく帰国の途につく。帰国後、総理自身が国内政局をどう判断するかによるが、「麻生更迭」という苦渋の決断を迫られる可能性がある。麻生氏帰国後の「初仕事」が財務大臣辞任ということになるかもしれないのである。財務省をバックに、セクハラ疑惑が報じられた同省の福田淳一事務次官(奥)と、麻生太郎財務相(左)安倍晋三首相(右) 日米首脳会談では拉致問題で一定の成果を上げたが、そのことが内閣支持率の回復に寄与することはあまり期待できない。野党の抵抗が続いて国会が正常化できないならば、予算を人質にとられたリクルート事件の際の竹下登内閣と同様な雰囲気になるだろう。「空気」が支配する日本で、それに抵抗して政権を維持していくのは、不可能に近いと言わざるをえない。

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    渋谷すばるに脱退を決断させた「関ジャニ∞」の悲しき事情

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント) 4月15日、「関ジャニ∞(エイト)」が記者会見し、メインボーカルの渋谷すばるが脱退、ジャニーズ事務所からも独立することが発表された。このニュースは大きく報じられたが、筆者からすれば、2年ほど前から聞いていた話であり、「ようやくか」という思いしかない。 雑誌などで渋谷脱退の可能性が報じられて以降、相変わらずメディアは「ジャニーズ王国の崩壊」といった憶測や妄想を膨らませているが、これは的を射ておらず、渋谷の決断の理由はもっと単純だ。 ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏がよく言っていたことがある。「タイガース」や「ドリフターズ」は、メンバー全員の名前を全国民が答えられるほどの知名度があり、それこそがスーパースターの証左だと。 では、関ジャニ∞はどうか。渋谷すばる、横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義、この中で知名度が高いといえるメンバーは、かろうじて村上ぐらいだろう。コンサートツアーで国内最大規模の動員数を誇るとはいえ、現実はその程度のもので、SMAPや嵐にはあって関ジャニに足りないのもそこだ。 そもそも関ジャニは知っていても「渋谷すばる」を知っている人はどれだけいるのか。村上はバラエティー番組の出演も多く、そこそこ有名だろうが、他のメンバーは、顔は知られていても名前までとなると、ファン以外はさほど知らないだろう。 NHKの大河ドラマ「西郷どん」に出演している錦戸にしても、関ジャニを離れたら「誰だっけ」となっても不思議はなく、本人たちもそれを理解している。関ジャニはSMAPや嵐より稼ぐと言っても、個々のネームバリューは極端に低いのだ。となると、「このままでいいのか」という不安は日々増幅していくものだ。 渋谷は10年も前からアーティストとして本格的な音楽に取り組み、ソロやバンドの活動も行ってきた。もちろん、関ジャニやジャニーズの看板があってできることだが、逆に「足かせ」になってできないことも多々ある。記者会見に臨んだ「関ジャニ∞」の渋谷すばる=2018年4月、東京都港区 あくまでも関ジャニとしてのグループ活動が優先であり、スポーツでいえば個人の成績よりチームの勝利が重要だからだ。関ジャニに帰属する個々の活動はできるが、そうでない場合は許されない。 やりたいことができないわけではないが、物理的に時間がないのだ。普通の会社に置き換えれば、1日8時間の就労と往復の通勤時間、加えて家に仕事を持ち帰ることもあり、それ以上別の仕事をやろうと思えば難しい。 グループでの活動は歌やダンスに楽器など、「仕事」は膨大にある。さらにテレビやラジオ出演があり、ツアーもある。この繰り返しの中で、年齢の問題が刻々と迫ってくる。 当たり前だが、30代後半となれば人生の岐路だ。新たなことにチャレンジするにはギリギリだと思ったのだろう。安定を求めて関ジャニで活動するか、過酷ではあるが本当に自分の能力が生かせる仕事を追求するか。 こうした現状がある中で、渋谷も36歳の大人として一つの決断をしただけだ。確かに関ジャニというグループの存在は大きいが、現状以上はもう期待できない。そこから脱皮したいなら、関ジャニを卒業するしかなかったのだ。「高齢化」する人気ジャニーズタレント では、なぜこのタイミングかを考えれば、関ジャニが絶頂期にある時を選択したにすぎない。先にも述べたが、関ジャニは知られていても「渋谷すばる」個人では限界がある。コンサートツアーも決まった中での脱退といった注目度が高い分「今」というタイミングは申し分ない。 渋谷個人に限界があるとはいえ、2億円を超える年収があり、ブレーンやスポンサーの算段も背景にあることは間違いない。ただ、こうした環境が整っているからといって、アイドルグループからの脱退のタイミングは思うほど簡単ではない。他のジャニーズ所属のグループにもよくあるが、メンバーの不祥事などで逆風がいつ何時吹くかわからないというリスクもあるからだ。 ではなぜ、渋谷はジャニーズ事務所に残った上でのソロ活動を選択しなかったのか。それは、ジャニーズでソロは売れないし、売る気もないのが90年代からのポリシーになっているからだ。 光GENJIの絶頂期を経てソロデビューした諸星和己もそうだったが、いずれも売れているといった域に達しておらず、むしろジャニーズのブランドレベルでは失敗例だろう。 最近で言えば、NEWSから離れてソロに転じた山下智久もよい例だ。今一つといった感がぬぐえない状況に、「山下のようになりたいか?」という思いが強いのだ。もちろん、キムタクや中居正広らは別格であり、同格で考えるわけにはいかない。 そして、今回の渋谷脱退騒動で興味深いのは、やはり関ジャニメンバーそろっての記者会見だろう。 ただ、これはジャニー喜多川氏が明言している「大人の決断を尊重する」といった企業としての姿勢の表れだ。もちろん、SMAPの時のようなゴチャゴチャした面倒にならぬよう最善を尽くした結果ではある。渋谷すばるの脱退について会見する関ジャニ∞のメンバーら=2018年4月、東京都港区 ゆえに、冒頭でも記したが、今回の騒動に「ジャニーズ王国の崩壊」といった意味合いはない。そしてSMAPの解散であったようなメンバー同士の衝突や不仲があるわけでもない。 不仲があったとしても、グループ内のいざこざは少なからずあり、それが脱退まで発展したと報じるメディアは無責任な憶測だ。ただ、あてえジャニーズに課題があるとすれば、人気グループの「高齢化」だろう。 当然だが、人気グループのメンバーらはいつまでも子供じゃない。長年続けていれば、立場や将来を考えるようになる。ジャニーズやグループでずっと安定を求めるか、自分の才能を信じてステップアップするか、どちらを取るかメンバーそれぞれで考えが分かれるだろう。 筆者は関ジャニ以外のグループでも、渋谷同様の決断を模索しているメンバーがいると聞いている。この状況を鑑みれば、再び渋谷のような騒動が起きても、不思議ではないのである。

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    【太田房江特別寄稿】大相撲「女人禁制」 私の解決策

    太田房江(参院議員) 京都府舞鶴市で4月4日に行われた大相撲春巡業の際に起きた、土俵の「女人禁制」問題は今も尾を引き、日々ワイドショーで取り上げられている。これは、私が大阪府知事に就任した2000年から8年間、「大阪場所での府知事賞は自分の手で優勝力士に渡したい」と発言したことが発端になっている。また現在、私が自民党女性局長を務めている立場から、この問題について改めて再考したい。 今回の問題は、舞鶴市の多々見良三市長が土俵上で倒れ、観客と思われる女性数人が心臓マッサージなどを施し、必死の救命措置が行われている最中に起きた。その際、繰り返し流れた「女性の方は土俵から降りて下さい」という場内放送が不適切であったことは、直後に日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)が謝罪した通りであり、この相撲協会の対応は的確だったと評価している。「人命」と「伝統」とでは、「人命」が重いことに疑う余地はない。 私は、この件に関するマスコミの取材には「勇気を持って土俵に上がり、『降りて下さい』のアナウンスが何度も流れる中で、必死に人命救助に当たられた女性を、同じ女性として誇りに思い、拍手を送る」と答えた。これは正直な感想である。 ただ、表彰などで女性が土俵に上がって良いかどうかは、こうした緊急時の対応とは別に熟考すべき問題である。大阪府知事として8年間、8回にわたって、相撲協会に「今回はいかがでしょうか」と問いかけを行ったのも、「日本の伝統」と「女性活躍」という社会の変化について、多くの方に考えていただく契機にしてもらいたいと思ったからであり、どうしても土俵に上がりたかったという訳ではない。 横綱審議委員も務め、東北大学大学院で大相撲の研究をした脚本家の内館牧子氏によれば、「土俵は聖域」であり、そこが「女人禁制」であることを理解する知性と品性が必要、と述べている。もともとは、中国において仏教徒の修行の場を囲み、修行僧の心を乱す障害物が入らないように「区切った」ことが始まり、とも説明していた。女人禁制の寺院が、日本で今も残っているのは、その流れだろうか。大阪場所で優勝した貴闘力関に楯を贈呈する太田房江・大阪府知事(当時)= 2001年2月28日  この他にも、昔は炭鉱で石炭を掘るための坑道や、石油を採取する海上のリグ(掘削装置)などにも女性は立ち入りできなかった。私は旧通産省(経済産業省)の出身だが、1986年、初の女性局長として札幌通商産業局長となった先輩の坂本春生(はるみ)氏が、その伝統を変えて仕事のために坑道に入った時には、心の中で拍手を送ったものだ。 このように、「男性が命を懸けて戦う」、あるいは「男性が集中力を絶やしてはいけない区域」には、女性が入ることができない歴史は、様々な分野に存在してきた。これらを前提に、女性が表彰のために土俵に上がることを、女性総理が近い将来誕生するかもしれない現代にどう考えるべきか。伝統と女性を両立させる方策があった 内館牧子氏は、ある取材(2007年2月)にこう答えている。「どうしても女人禁制を止めるなら、力士、親方、行司、呼び出し以外の人間は、男女とも神送りの儀式を済ませた後の土俵に上げることです。千秋楽の式次第を変え、神送りの後に表彰式セレモニーとする案です。でも、私はそこまでする必要はないと思っています」 私が大阪府知事時代、部下の女性が、解決の道がないか調べてくれたことがあるが、同じような答えだったと記憶している。千秋楽の弓取り式が、内館氏の言う「神送り」に当たると彼女は言っていた。従って、弓取り式の後は女性が土俵に上がっても問題はない。神は天上にお上がりになって、土俵には宿っておられないから、というものだったと思う。京都府舞鶴市の大相撲春巡業で、倒れた多々見良三市長を救おうと土俵で救命処置を行う女性 (ユーチューブより)  あの時は、それを相撲協会に提案する勇気はなかったが、あれから10年たって、女性総理も現実味がある時代を迎え、改めて「伝統」と「女性」を両立させる方策はこれしかないのか、と思い始めた。「緊急時」と「知事や市長など国民が選んだ女性が、力士の表彰を行う場合」には、神送りの後に一定の間「女人禁制」を解く、というものである。 舞鶴市での様々な状況を見ると、「女人禁制」は相撲界に永く、深く浸み入った伝統であり、そう簡単に変えられる問題ではないということはよく分かっている。 ただ、今、多くの課題に取り組もうとしている相撲協会は、常に国民の目線を忘れず、一つ一つの問題に説明責任を果たしていく必要がある。もちろん、それが「こういう理由で出来ません」というものであっても良い。国民に向かって説明する、明らかにすることが大事だ。 大相撲は、①神事であり、②スポーツであり、③伝統文化であり、④興行であり、⑤国技であり、⑥公益財団法人である。この6つを認識しバランスを取りながら、一つ一つ丁寧に説明していく。その姿勢が大相撲に対する国民からの信頼を取り戻すことにつながるのではないだろうか。一相撲ファンとしても、そう願いつつ、「勇気を出して」提案する次第である。

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    「首相の訪朝を実現する」詐欺師と同じ日本置き去り論に警戒せよ

    重村智計(東京通信大教授) 南北首脳会談が4月27日に開催されることが決まった。5月中には米朝首脳会談が行われる予定である。これに先立つ形で、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は3月末に中国を訪問し、習近平国家主席と首脳会談を行った。 この動きを受けて、日本政府の「置き去り」「乗り遅れ」を主張する報道や論調が多い。中には、便乗して「私が平壌につなぐ」「首相の訪朝を実現する」と売り込み、首相官邸周辺を徘徊する「詐欺師」まで現れた。 しかし、日本で金委員長に直接つながる個人や組織など99%いない。そんなチャンネルがあれば、とっくに機能しているだろう。北系団体や親北政治家、運動組織の多くは嘘つきだ。民主党政権時代、官邸はこの手の「詐欺師」に多額の「機密費」を騙し取られてしまった。 「置き去り」や「乗り遅れ」を唱える論者は、真実を隠す「北の手先」なのだろうか。さもなくば「朝鮮半島の国際政治」を知らず、「日本への愛情」もない人たちといわざるを得ない。 かつて、1990年の「金丸訪朝団」をはじめとして、渡辺美智雄氏(95年)、森喜朗氏(97年)、飛鳥田一雄氏(77年)など与野党の指導的政治家が、北朝鮮を競って訪問した。だが、結局コメなどを北朝鮮に「援助」として奪われただけで、日本の成果は何も残っていない。その「成果なき訪朝」を動かしたのは「乗り遅れ」と「置き去り」の声だったのである。だから「置き去り」論は「戦略的歴史観」に欠けている。 朝鮮半島に軍事的、政治的に深く関与すると、日本は必ず大敗北することを歴史は教えてくれた。7世紀の白村江の戦いや、豊臣秀吉による文禄・慶長の役は歴史的大敗北に終わった。中国が必ず介入するからだ。近代に入っても、日清、日露の戦勝後は帝国主義的植民地化の失敗により、韓国と北朝鮮からいまだに恨まれ、日韓・日朝外交も混迷したままだ。1990年9月、会談の冒頭、「金丸訪朝団」の金丸信元副総理(左)と田辺誠・社会党副委員長と握手する北朝鮮の金日成主席 しかしながら、朝鮮戦争に直接参加しなかった戦後の日本は、「朝鮮特需」により経済復興という利益を手にしたのである。この教訓は非常に重い。 実は、中朝首脳会談において、報道も専門家も見落とした一節がある。「朝鮮半島情勢は重要な変化も起きている。情義の上でも道義の上でも、私は時を移さず、習近平総書記同志と対面して状況を報告すべきだった」。中国外務省の公表文には、金委員長のこの発言があった。 この発言は「これまで中国を訪問せず申し訳なかった」という金委員長の謝罪である。「情義」「道義」という言葉にも、「義理と人情を忘れていた」とのお詫びが込められている。「時を移さず、状況を報告すべきだった」ということから、北朝鮮が南北首脳会談と米朝首脳会談を中国側に事前説明しなかった事実が読み取れる。 また、夕食会でのあいさつで、金委員長はこうも述べている。「両国関係を継承・発展させる一念で、中国を電撃的に訪問した。我々の訪問提案を快諾した習近平国家主席に感謝する」。特に「訪問を受け入れた習近平主席に感謝する」との言葉には、中国がようやく訪問を許した、との真実がうかがえる。中国は「核放棄を約束するまで訪問させない」との方針を示していたとされるが、金委員長の言葉により、くしくも裏付けられた格好である。「巻き込み外交」の天才 では、習主席はなぜ「金正恩電撃訪中」に応じたのか。それはひとえに「トランプの背信」にある。トランプ大統領は、大統領選中に中国に対して激しい非難を繰り返したが、就任後は一転して「米中友好」に切り替えている。 それが、中国製品への大幅な関税引き上げで「貿易戦争」に方針を変えた。中国はトランプ大統領の「敵対政策」復活を敏感に受け止め、「対北朝鮮政策では協力できない」と米国に反撃に出たのである。 一方で、トランプ大統領は、大統領選でのロシアによる選挙干渉疑惑の捜査の行方を心配している。メディアと世論の関心を他に向けるために、米朝首脳会談に即座に応じたわけである。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領にしても、支持率回復と憲法改正によって政権の延命を図り、北朝鮮を支援するために南北会談の求めに応じた。言い換えれば、米朝の「仲介役」を演じているのである。要するに、金委員長や習主席をはじめ、トランプ大統領も文大統領も、それぞれが政治的問題を抱えているから首脳会談に応じたのである。 とりわけ、朝鮮半島の国家は「乗り遅れ」論を流すことで、周辺の大国を外交競争に引きずり込む戦略を展開する。まさに「巻き込み外交」の天才だ。例えば、米ソ冷戦が終結した1990年9月に、旧ソ連は密かに「ソ韓国交正常化」を北朝鮮に伝えていた。 何も知らない日本は、金丸信元副総理を団長、田辺誠社会党副委員長を副団長として訪朝し、日朝国交正常化や経済支援を約束する羽目になった。国家崩壊を恐れた北朝鮮が日本に画策した「巻き込み外交」が成功したのである。 北朝鮮は冷戦時代、大国の対立を利用し、中ソの間を行き来する「振り子外交」を得意としていた。だから、今でも周辺諸国に「乗り遅れ懸念」を撒き散らす。南北関係が悪化すれば米朝交渉に向かい、米朝がダメとなれば日本に秋波を送ることを繰り返したのである。 南北関係と米朝関係、中朝関係、露朝関係が同時に友好であることはなかった。つまり、南北首脳会談も米朝首脳会談も「簡単に成功するとは限らない」、この戦略的視点が大切である。米朝首脳会談の焦点は「北朝鮮の核放棄」「在韓米軍撤退」「米朝平和条約」「対北制裁の解除」、この4つの外交カードをどのように組み合わせた合意ができるかだ。極めて難しい交渉であり、決裂の可能性もある。2018年3月26日、北京の人民大会堂で中国の習近平国家主席(右)と握手する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(朝鮮中央通信撮影・共同) ただし、日本にとって朝鮮半島に関わらない政策が「戦略的」だとしても、拉致された日本人の救出は急務だ。そのためには日朝首脳会談が欠かせない。日本は、拉致問題と核問題を切り離した交渉に持ち込むのが望ましい。安倍晋三首相は4月中旬の訪米でトランプ大統領に対し、米朝首脳会談で拉致問題の解決を議題にさせ、核問題と切り離した日朝首脳会談の実現を改めて求める必要がある。 拉致問題はなぜ解決しないのか。2002年、当時の小泉純一郎首相と金正日(キム・ジョンイル)総書記の間で行われた日朝首脳会談で、日本側が「拉致被害者全員の帰国」「北朝鮮の主権侵害」を主張しなかったからだ。北朝鮮高官によると、日本の交渉責任者は「拉致被害者の安否情報」だけを求め、「全員帰国」を要求しなかったという。「国交正常化後の拉致被害者の段階的帰国でいい」という方針だったらしい。 過去の国際政治から、北朝鮮は必ず「日本に近づく」という教訓を残した。日本は拉致問題解決のために、日朝首脳会談を、欧米の首脳やプーチン大統領、習主席など大国の首脳に常に働きかけ、国連決議に盛り込むことが大切である。

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    【和田政宗独占手記】森友問題「メディアリンチ」と私は断固戦う

    和田政宗(参院議員) 3月2日の朝日新聞朝刊での財務省による「文書書き換え疑惑」報道から約1カ月。 佐川宣寿前理財局長の証人喚問により、安倍首相や首相夫人、首相官邸が書き換えに関与も指示もしていないことや、学校法人森友学園(大阪市)の国有地取引に全く関与していないことが明確になった。 しかし、依然はっきりしないのは、誰がいつどのような理由で書き換えを指示したのか、なぜ止められなかったのか。また、3月2日の報道以後、書き換えの事実を公表するまで、なぜ10日も時間がかかったのかという点である。 その点を明らかにするため、私は3月19日の参院予算委員会で太田充理財局長に質問を行った。その中でのやりとりの一部が下記のように新聞でも報じられたが、ワイドショーなどでは、私の質問が切り取られた形で放送され、一方的に批判された。 学校法人「森友学園」の国有地売却をめぐる財務省の決裁文書改竄(かいざん)問題について、自民党の和田政宗参院議員は19日の参院予算委員会集中審議で、改竄の経緯などを答弁している太田充理財局長について「まさかとは思うが」と前置きしたうえで、太田氏が旧民主党政権時代に野田佳彦前首相の秘書官を務めていたことを指摘し「増税派だからアベノミクスを潰すために安倍晋三政権をおとしめるため、意図的に変な答弁してるのでないか」とただした。 太田氏は「私は公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事なんで、それをやられると、さすがにいくらなんでもそんなつもりは全くありません。それはいくら何でも、それはいくらなんでもご容赦ください」と色をなして反論した。 (産経新聞 2018.3.19) 太田理財局長に対する個人攻撃とも取られかねない部分については取り消すとともに、3月26日には太田理財局長に会い、率直に私の気持ちを伝えた。この面会は予算委員会前の短い時間であったので、改めて場を設定し太田理財局長とお話をすることになっている。詳細についてお話できるのはその後になると思う。参院予算委で質問する和田政宗議員=2018年3月19日 19日の私の太田理財局長への質問は、以下の点を確認するためのものだった。 書き換え前の文書が存在することは、3月10日未明に大阪地検に押収されていた資料を財務省が持ち帰ってきたことで明確に判明した。つまり、書き換えの事実が分かる客観的証拠は検察が持っていたということになる。2日付朝日新聞朝刊の「森友文書書き換え」報道は、検察リーク説と財務省リーク説が囁かれているが、「よもや財務省のリークではないですね?」という点をあえて確認したのである。 そしてもう一つは、書き換え報道のあった2日朝の時点で、財務省は書き換えを把握していたのではないかという点である。人間性すら否定するメディアリンチ 2日朝、財務省は参院自民党会派に対し、「本省の指示により文書が書き換えられたとの報道について」と説明したが、朝日新聞の報道は「本省の指示によって書き換えられた」とは一行も書いていない。また、書き換えた人物は理財局内に存在する。財務省が使っている文書管理システムで検索すれば文書が書き換えられていることは一目瞭然であり、検索そのものも簡単にできる。パソコンにログインすれば数クリックで該当文書にたどり着くのである。 以上のことから「太田理財局長は一生懸命答弁してくれているが、そこに一部メディアで切り取られかねない発言も入っている」と懸念を述べた上で、「まさかとは思いますが」と留保をつけ、このままでは財務省に意図的に調査を遅らせているように取られかねない、安倍政権に立ち向かっているとも取られかねない、と説明を求めるための質問だった。 太田理財局長の答弁は、これらを否定するもので、さすがだなと思った。ただ、2日朝の時点で書き換えを把握していたかについては依然、財務省は言葉を濁し、明確な答えを述べない。 昨年2月の森友問題の報道から今回の書き換え疑惑が報道された後も、私は一貫して理財局を守る立場で行動してきたし、理財局の職員とも何度も何度も話してきた。しかし、書き換えを行っていたとは私でも想像だにせず、怒りというより「何でこんなことをしたんだ」という失望の方が大きかった。 財務省には徹底的な調査を求めるとともに、佐川前理財局長が「事後報告を受けたが、私は指示していない」と話しているという毎日新聞などの報道もあることから、佐川前理財局長一人に責任を押しつけることなく、誰がどのような理由で書き換えを指示したのか、また書き換えの事実をいつ把握し、なぜ公表が遅れたのか。財務省はその理由をしっかりと説明すべきである。衆院予算委員会での証人喚問で質問に聞き入る佐川宣寿前国税庁長官=2018年3月27日、国会(納冨康撮影) そして、一連のワイドショーの私に対する一方的な批判であるが、私に取材に来た番組は一つもない。なぜ私があのような質問をしたのかについて、自分の意見や説明も紹介されていない。事実に基づいた批判であれば、政治家として甘んじて受けるが、事実に基づかず人間性すら否定する一方的なコメントは、論評の域を超えた誹謗(ひぼう)と中傷でしかない。 まさに「メディアリンチ」ともいう状態であり、名誉を毀損(きそん)した番組や週刊誌に対しては断固たる措置を取るために、名誉毀損訴訟に強い弁護士と協議に入った。 特に、フジテレビ系情報番組『バイキング』については、私に対する汚い言葉や事実に基づかない誹謗中傷が過ぎており、視聴者からも番組内容について批判が相次いでいる。この番組の司会者に関するWikipedia(ウィキペディア)の書き換えがあったことについて、iRONNA編集部よりコメントを求められているが、私は詳細を知らない。ただ、本人に関わる情報で、知られたくなかったり、公表されたくないものについては配慮がなされるべきであると思う。どんな困難があっても安倍政権を支える こうした中、私に対するメディアリンチに便乗したとみられる人物が、私と家族に対する殺害予告、事務所に対する爆破殺害予告を新聞社2社にメールで送ってきた。 その内容は極めておぞましいものであるし、こうした政治に対するテロは絶対に許されるものではなく、断固として戦わなくてはならない。しかも、このメールは細工が施されており、ただの愉快犯ではなく何らかの組織が便乗して私をバッシングするためにやっている可能性も、決してゼロとは言えない。 そして、ワイドショーなどの一部メディアは、物事の本質を無視した「言葉狩り」になっており、ここ最近のメディアの劣化は著しいと言わざるを得ない。国民の知る権利に寄与するという理念より、むしろ視聴率や部数など利益優先になっているからである。 実は歴史上、過去にも同じようなことがあった。満州事変の際の若槻礼次郎内閣の不拡大方針を「弱腰」と批判し、その姿勢を覆させたのは、新聞主要全紙によるリンチにも近い書きぶりだった。私は、民族独立の観点から満州国建国は重要であったと思うが、関東軍、朝鮮軍の越権行動は当時においても許容されるものでなかった。しかし、それを覆したのは「戦争や事変が起これば新聞が売れる」と自らの利益優先で、事態拡大を後押しする新聞であった。 今こそ過去の歴史に学び、メディアはそのあり方を正しい形に変えるべきである。国民も声を上げなければ、メディアの劣化はさらに進む。参院予算委員会で民進党の大野元裕氏(右手前)の質問に答弁する安倍晋三首相。奥前列左は財務省の太田充理財局長 =2018年3月19日、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影) 安倍政権は、家庭の貧富の差によって教育の格差が生まれないようにする、待機児童は徹底的に解消することなど、極めて国民に優しい政策を打っているのに、これまでメディアはほとんど報道せず、強権との印象を強調して批判を繰り返した。森友学園への国有地取引に首相も首相夫人も関与していないことが明確になっても、さも関与しているのではないかと印象報道を連日続けている。  森友問題の焦点は、財務省がなぜどういった理由で文書の書き換えをしたのか、法令に則っているものの、森友学園側と近畿財務局との国有地取引交渉に何があったのか、である。こうした点をなぜメディアは追わないのか。 安倍政権は、民主党政権時代のどん底の経済状況から、デフレ脱却、国民生活を豊かにするために戦っている。安倍首相の外交は、首脳会談国数、会談数においても歴代首相と比べても圧倒的に多く、世界の外交のトップリーダーとして各国と交渉できることによって日本の平和も守られている。 安倍政権がしっかりと続くことが、ひいては国民の幸せにつながる。どんな困難があっても私はしっかりと安倍政権を支えていく。

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    習近平先生の怒りを買った「悪ガキ」金正恩の大チョンボ

    重村智計(早稲田大名誉教授) 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が突然、中国を訪問した。メディアは電撃訪問に驚き、「中朝関係改善」「(米朝首脳会談へ)中国の支援確保」といった北朝鮮の「外交勝利」とみるコメントや報道を並べた。だが、外交問題は双方の立場を確認しないと危険だ。同じ報道や解説を掲げるのは、ただの「大本営発表」である。他とは違う報道や解説をしないと専門家の意味はない。 中朝双方の報道機関は、28日午前に「中朝首脳会談」を報道した。中国国営新華社通信は「(金委員長は)非核化への努力を約束した」と報じた。一方で北朝鮮は「非核化の約束」を報じなかった。それどころか、政府の公式発表もない「冷たい中朝首脳会談」だった。 中国側の報道映像は、習近平国家主席が余裕を持って対応し、金委員長がメモを取る姿を映し出した。この映像は「先生」のように指示する習主席の言葉に、「生徒」のような北朝鮮指導者が聞き入る姿を強調していた。 日本の新聞、テレビは28日の朝刊で「金正恩訪中」を確認できなかった。産経新聞だけが「電撃訪中」の見出しを掲げた。「正恩氏? 突然の訪中」(朝日)「訪中の情報」(日経)「訪中の要人 金正恩氏か」(毎日)「初の訪中か」(読売)と、いずれも曖昧な見出しだった。別の言い方をすれば、産経以外は「特オチ」である。日本メディアの確認取材の能力が欠如しているというしかない。 最近の日本メディアは、韓国の報道や韓国政府発表に頼りすぎている。独自の取材源を持っていないようだ。かたや、中国の報道関係者や当局者は知っていた。中国の対応からは、誰が見ても「金正恩訪中」しかないと判断できたはずである。北京駅(奥)に入る北朝鮮の要人を乗せたとみられる車列=2018年3月27日(共同) 電撃訪中の焦点は「中国に呼びつけられた」のか、「中国がお願いして来てもらったのか」である。朝鮮問題の専門家や記者は「中国が頭を下げた」との見方が大勢を占めるが、これまたおかしな話だ。最近の北朝鮮に対する中国の怒りや、中朝関係の過去の経緯を知らないはずもあるまい。北朝鮮は、南北首脳会談や米朝首脳会談について、事前に中国に説明してこなかった。中国はメンツを傷つけられ、怒っていたのである。 最近の中朝関係は最悪の状態だった。中国は、北朝鮮による昨年の核実験に失望し、国連制裁に同調して多量の石油禁輸を実行していた。北朝鮮の報道機関は、あからさまに中国を非難していた。 中国は東アジアの超大国であり、北朝鮮は小国だ。中国が北朝鮮に頭を下げたのではなく、北朝鮮が中国に呼びつけられたと考える方が真実に近いだろう。この判断をテレビで示したのは、元外交官の宮家邦彦氏ぐらいであり、さすがは中国外交を知り尽くす専門家である。 今回の電撃訪中でまず考えるべきは、それが公式訪中か非公式訪中か、という判断だが、今回は明らかに非公式だった。仮に公式訪中であれば、中国は歓迎式典を行うだろうし、メディア向けに報道文も発表し、中国メディアも大きく報道していたはずである。そして、最後に中国は「お土産」を準備し、北朝鮮側はそれを誇示する。しかし、今回の場合、金委員長の訪問は秘密裡に行われ、北京を出発した後も公式発表は行われていない。 中国と北朝鮮は、ともにメンツを重んじる国である。習主席と会談したのに、石油などの経済支援を獲得できなければ、指導者は大義名分とメンツを失う。首脳会談を前に、日米韓三国への中国による牽制(けんせい)と北朝鮮への支援確保が目的、との解説もあった。仮にそうならば、大々的に公表して報道しなければ意味がない。「非核化に努力する」の意味 また、メディアは「北朝鮮の指導者が中国を電撃訪問したのは2000年以来18年ぶり」と歴史的意義を強調した。実は2000年以降にも、電撃訪中を繰り返している。例えば、2005年の米国による金融制裁を受けて、北朝鮮はマカオの銀行の秘密口座から資金を引き出せなくなった。それに慌てた金正日(キム・ジョンイル)総書記が電撃訪中し、マカオ近くまで長時間列車で移動した。このときは、中国当局と交渉したが失敗したと報じられた。要するに、北朝鮮は困り果てたから電撃訪中したのである。 中国は、金委員長の訪中を北朝鮮に帰国するまで発表しなかった。指導者が国を空けてといると分かると、クーデターの危険があったからだ。また、列車の往来で爆破テロの恐れもあった。これは北朝鮮内部が決して安定していない事実を示唆している。 北朝鮮は南北首脳会談の合意と米朝首脳会談の提案を事前に中国に説明していなかった、と中国政府筋は明らかにしていた。国際関係が大きく変化する際には、事前に説明するのが外交上の礼儀である。中国は当然、説明のための特使派遣を求めた。一方で、北朝鮮筋によると、平壌では「中国側から特使を派遣したいとの申し入れがあった」との噂が意図的に流されたという。事実はまったく逆であったようだ。 普通に考えれば、南北首脳会談と米朝首脳会談の発表直後に、中朝首脳会談が実現するのが理想である。それが発表から1カ月もかかったというのは、中朝の調整がうまくいかなかった証左であろう。では、なぜ金委員長は電撃訪中をせざる得なくなったのか。中国政府筋によると、中国は北朝鮮に「送油施設の故障で、半年ほど原油を送れない」と通告したという。石油供給を中断したのである。 さらに、北朝鮮は米朝首脳会談の事前接触がうまくいっていない事実にも困り果てていたという。トランプ米大統領は、軍事攻撃を主張していたボルトン元国連大使を国家安全保障担当の大統領補佐官に任命するなど、その後も軍事攻撃を示唆する言動を続けていたからである。 北朝鮮の歴代指導者は、就任前と就任後には必ず訪中していた。ところが、金委員長は就任以来一度も訪中できなかった。習主席が金委員長を快く思っていなかったことが原因らしい。北京の人民大会堂で握手する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(左)と中国の習近平国家主席(新華社=共同) そのため、中国は国連制裁に従い、石油供給を減少させた。その上で、北朝鮮に「非核化」を約束しないと首脳会談は難しいと伝えていた、と中国政府高官は述べている。 中国メディアは会談で「朝鮮半島の非核化に努力する」と約束したと報じた。しかし、かつて金日成(キム・イルソン)主席も金総書記も用いたこの表現は、韓国の非核化も意味する。だが、韓国に核兵器はないので実効性を伴わない。実は、会談の中で金委員長が一歩踏み込んで「朝鮮半島」の言葉を外し、単に「非核化に努力する」と言及したのではないだろうか。これは北朝鮮の非核化を約束したに等しい。つまり、北朝鮮指導者の「最大限の譲歩」を意味しているのである。

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    「ポンキッキ、やめるのやめた!」と言えないフジテレビの苦悩

    影山貴彦(同志社女子大メディア創造学科教授) 『ポンキッキ』が終わってしまった。「ガチャピンやムックにもう会えないのか?」と一瞬不安になったが、版権はフジテレビが今後も所有するということで、イベントやCMを通して、これからも姿は見られるようだ。 ただ、私は同番組の放送終了について強く反対である。何より視聴者のため、そして今後のフジテレビのためにも、番組としての『ポンキッキーズ』の看板を残すべきだと思う。 フジの看板番組として長く続いた『めちゃ×2イケてるッ!』や『とんねるずのみなさんのおかげでした』をこの春で幕引きしたことと、『ポンキッキーズ』の件を同列で語るべきではなかろう。むろん、『めちゃイケ』や『みなさん』についても、その終了を惜しむ声は多く聞かれる。 私自身、両番組を楽しんできた視聴者の一人であるし、自らの青春時代を懐かしく思い出したりもする。だが、そうした感情とともに、新しい時代を創り出すために幕を引く必要性の強いものがある。また、その一方で時代を超えて守り続けることが組織にとって何より大切なこともある。『めちゃイケ』と『みなさん』は前者、『ポンキッキーズ』は後者であろう。『ポンキッキ』の人気キャラ、ガチャピン(左)とムック=2014年4月撮影 ここで、筆者のプロデューサー時代のささやかな経験を少しお話ししたい。かつて仕事柄、何人もの出演者に「卒業」を打診した。「卒業通知」といえば響きはいいが、「降板通告」である。プロデューサーの仕事として最もつらいのは、出演者やスタッフのクビを切ることだ。その際、常に心掛けていたことがあった。マネジャーと話すだけではなく、必ず本人と向き合う時間を設けてきた。大多数が素直に受け止めてくれたが、時に不平不満や嫌味なことを言う人、ひたすら涙を流す人もいた。 随分前の話になるが、あるタレントに「降板通告」した数日後、「夜道を歩くときは気ぃつけろと、ダンナに言うとけっ!」と脅迫まがいの電話が自宅にかかってきたことがあった。このとき私は不在だったが、電話に出た妻は放送、芸能の世界と全く関係ない人間ということもあり、少し動揺していた。「大丈夫やからっ!」と少々大きめの声を出し、心配する妻を安心させたことを今でもよく覚えている。本来の仕事から「逃げる」プロデューサー 幸い、その電話以降何事もなかった。「降板通告」したタレントが所属する事務所関係者が電話してきたのか、全く関係のないイタズラ電話だったのか、今となっては定かではない。出来の悪いプロデューサーだったが、厄介なことから「逃げ」なかったという少しばかりの自負はある。2014年11月、東京・大手町のイベントで、「スパリゾートハワイアンズ」からやってきたフラガールズと一緒にフラダンスを披露したガチャピン(寺河内美奈撮影) タレントたちとあまり密なコミュニケーションを取らない局の社員プロデューサーが、昨今テレビ界に少なからずいるという。それが事実であるならば、今後は一層、一部のプロダクションの人間や放送作家のみが大物タレントと密な関係を持つことになりかねない。それはフジテレビに限らず、テレビ局全体にとって決して好ましいことではない。 局のプロデューサーでありながら、出演者や芸能事務所との人間関係も希薄となれば、大物出演者を切ったり、番組を終了させる作業もスムーズに進まない。ただ、言うまでもなく、出演者や番組は杓子(しゃくし)定規に変えればいいというものではない。 演者やスタッフたちとしっかり人間関係を構築した人間が、その局にどれほどいるかによって番組作りはうまく流れてゆく。作り手と演者がなれ合いになってしまうことと、人間関係を構築させることとは異質のことだ。もちろん、大物タレントの「イエスマン」でしかない局プロデューサーも時にはいる。それは仕事をしているのではない。本来の仕事から「逃げ」ているのである。 さて、フジテレビである。フジが少々長めの苦戦を強いられている理由はいくつかあるだろうが、その一つは番組改編のタイミングを誤ってきたからであろう。「まだいける」「もう少し大丈夫」というファジーな思い込みと、波風を立てたくないという消極的な「逃げ」の姿勢が重なり合い、傷が深くなってしまった感は否めない。 時代を先取り、流行を作り上げたイケてるテレビ局だったはずが、いつの間にか多くの人々から、時代の空気を読むことが苦手で、ブームの後追いをする局というイメージが色濃くついてしまった感がある。テレビに限らず、組織にとってイメージは驚くほど重要である。「分からないから、やらない」からの転換 今、優秀な若手社員たちの「攻めたい姿勢」に対し、トップが「ストップ」をかけてはいないか気になっている。攻めの姿勢で成果を上げ続けた人が、地位を得た途端に保身に走るという単純な図式ではないかもしれない。でも、社会の経済状況やコンプライアンスを隠れみのに、冒険を好まなくなってはいないだろうか。口先では「新しいことにチャレンジしろ!」と言いながら、若手からの企画・提案を受け止められずにいるのではないか。体力のみならず、感性も年老いたことを認めたがらない上層部が少なくないのではないか。 もうお気づきだろうが、これらもフジだけの話ではない。実は各局に当てはまることだ。「分からないから、やらない」ではなく、「自分が分からないからこそ、面白そう」と発想を転換させることが今、テレビのトップに求められる資質だろう。 最後に話を冒頭の『ポンキッキ』に戻す。なぜ『ポンキッキ』は終了させるべきではなかったのか。それは現在の視聴者たちの反応を見て分かるように、「文化」の色合いが極めて強いからである。フジテレビにとって同番組は、ランドマークのような存在なのである。 正直なところ、今この文章を読んでいる人の多くも、ここしばらく日常的に『ポンキッキ』を見ていた人は多くないかもしれない。それでも、番組終了を耳にし、この上ない喪失感を抱いていることだろう。「文化」とはそういうものだ。前述の通り、フジテレビがいま最も大切にしなければならないのは、ステーションイメージだ。コストカットのみを優先し、イメージを落としては元も子もないし、ガチャピンもムックも報われまい。守ることでイメージを維持し、アップさせられることもある。 今からでも間に合う。『ポンキッキ』は放送終了ではなく、しばらくの休止扱いとすべきである。そして、秋辺りからフジテレビ制作陣が力を結集し、『ポンキッキーズ』を地上波で復活させてはどうだろう。視聴者のニーズとの乖離(かいり)が進み、苦戦を強いられているフジテレビだが、こうした状況がこれほど長く続くほど脆弱(ぜいじゃく)なステーションではないはずだ。メディアの世界にかかわる人間の中には、「フジテレビに元気でいてもらわないと!」とエールを送る人々が数多い。フジの苦しみは、他局にも通じている。2017年3月、神戸市消防局の特別隊長に任命されたガチャピン あっと驚くことを成し遂げるのが同局の持ち味だったはずだ。「ポンキッキーズ、やめるのやめました!」そんな元来のフジらしい発表を筆者は心待ちにしている。

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    「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか

    鈴木朋子(ITジャーナリスト) 「#韓国人になりたい」――若い女性に人気のSNS「インスタグラム」で、こんなキーワードが流行していることをご存じだろうか。「#○○」という風に、「#(半角シャープ)」に続いてキーワードを付ける「ハッシュタグ」は、SNSでキーワード検索をする際に使用できる機能なのだが、執筆時点で「#韓国人になりたい」を付けた投稿は9951件にも上る。一方で、「#アメリカ人になりたい」は256件、「#フランス人になりたい」は158件だ。 この違いは何なのか。彼女たちは本当に韓国人になりたいのか。 政治的な側面から見れば、慰安婦問題や竹島問題などを抱える日韓関係は冷え込んだままだ。その韓国に国籍を移したいのか、あるいは韓国に移住したいのかと疑問を感じる人もいるだろう。 しかし、彼女たちがイメージする韓国は、大人のそれとはまったく異なるのだ。 振り返れば、大ヒットした韓国ドラマ『冬のソナタ』に代表される第1次韓流ブーム、少女時代や東方神起などK-POPアイドルによる第2次韓流ブームがあった。ドラマ、ミュージックと韓流ブームには中心となるカルチャーがあるのだが、現在は韓国のファッションを基点とした韓流ブームが巻き起こっている。韓国女性9人組、少女時代=2012年11月13日、東京・代々木第一体育館( 栗原智恵子撮影) 10代を中心とした若い女性たちにはやっているのは、「オルチャンメイク」だ。「オルグル(=顔)」に「チャン(=最高)」を組み合わせた「オルチャン」がしているメークという意味で、数年前から高い支持を得ている。オルチャンメイクの特徴は、平行した太めの眉、垂れ目風に仕上げたアイライン、涙袋の強調、赤い口紅、陶器のように真っ白な肌だ。さらにシースルーバングと呼ばれる、おでこが少し見える薄めの前髪で、韓国語で「タンバルモリ」というショートヘアやおかっぱ頭との組み合わせが多い。 オルチャンメイクの方法を指南したYouTube(ユーチューブ)動画は多数アップロードされており、ある女子高生は毎日チェックしているという。韓国コスメも「安くて質がいい」と人気が高い。 服装に関しても同様で、自身のファッションコーディネートを投稿する「WEAR」というアプリ内では、「韓国ファッション」をキーワードにしたコーディネートが3万件以上存在する。韓国ファッションはK-POPのアイドルがしていそうな、体の線が出るミニスカートやパンツスタイルが多く、若い男性の投稿も多い。 さらに、先ほど「K-POPは第2次韓流ブーム」と書いたが、現在もK-POPアイドルの人気は高まっている。昨年、NHK紅白歌合戦に出演した「TWICE」をご存じだろうか。韓国で結成された9人組の女性グループで、メンバーには韓国人のほかに日本人と中国人が含まれている。彼女たちは小学生女子や中学生男子にも人気があり、彼らのSNSにはTWICEのポーズである「TTポーズ(手をアルファベットのTにして泣き顔にする)」や指を重ねる小さなハートポーズを撮った自撮りが並ぶ。女子高生が韓国に熱狂するワケ 先日取材した女子高生は、「防弾少年団(ぼうだんしょうねんだん)」という、韓国のヒップホップアイドルグループが好きだと言っていた。他には、「exo(エクソ)」という男性アイドルグループや、女性グループ「BLACKPINK」が人気だという。韓国語でファンのことを「ペン」というので、防弾少年団(韓国語でバンタンソニョンダン)のファンは「バンタンペン」となる。10代の利用率が高いTwitter(ツイッター)で「バンタンペン」を検索すると、ハングルで自分の名前を表記している若い女性のアカウントが多数ヒットする。 彼女たちはハングルをネットで勉強するそうだ。韓流好きの女子高生に聞いたところ、ハングルは○などが入っていて「かわいい」と感じるようだ。「推し(好きなアイドル)が同じ」人とはTwitterで知り合い、韓国関連のショップが多い新大久保で待ち合わせて、ショッピングやおしゃべりを楽しんでいる。 韓国へ友人同士で旅行に行く女子高生もいる。韓国はアルバイト代をためればすぐに行ける国だからだ。ネットの動画で韓国語を学んでいるため、現地でも苦労することはない。韓国グルメを味わい、コスメや服を購入して帰路につく。 これほどまでに若い女性たちが韓国に熱狂する理由のひとつは、「センスが近しい」からだろう。「オルチャンメイク」は、日本で爆発的に人気になった「SNOW」や「BeautyPlus」といった自撮りアプリの加工後の顔と似たような、幼いかわいらしさを強調しており、日本人の「カワイイ文化」にも共通する。昨年12月2日、香港で、音楽授賞式「2016 Mnet Asian Music Awards」に参加し、ポーズをとるK-POPグループ「Twice」(AP) インスタグラム人気も相乗効果を上げている。「インスタ映え」が流行語大賞を取った日本では、若い女性のインスタグラムユーザーが急増している。インスタグラムには使っているコスメを並べて写真を撮る文化があるのだが、韓国のコスメはプリンセス感があふれる外装で、インスタ映えするのだ。また、韓国の街にはインスタグラム向けのスポットも多いそうで、インスタ女子の人気を集めている。ファッションに関心が高いユーザーが集まるインスタグラムでの韓流ブームが、彼女たちをさらに盛り上げているのだ。 外国という神秘感と、それでもまねしやすいカルチャーが、若い世代の心をつかんでいるのだろう。国家間の思惑と別の潮流が、日韓の間を進行している。

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    『コロコロコミック』販売中止、サヨクに屈した外務省は恥を知れ

    中宮崇(サヨクウォッチャー)ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は共産主義者ではなかったから社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった私は社会民主主義ではなかったから彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった私は労働組合員ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった 反ナチス運動指導者マルティン・ニーメラーの有名な詩である。今まさに日本で、ナチスならぬサヨクから、共産主義者ならぬ漫画がそうした攻撃を受けている。 小学館の子供漫画雑誌『コロコロコミック』におけるチンギス・ハーン落書き事件に関して、主にサヨク諸氏からの言論弾圧、いや中国顔負けの人権抑圧が目に余る。もっとも、しばき隊、SEALDsなど、彼らサヨクが「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」と本屋に押しかけ、気に入らない本を「焚書(ふんしょ)」するという姿を普段から散々見せられている者としては、当然の反応と言うべきか。 彼らは人権等の正義を騙(かた)る、その実ただの中国政府そっくりな弾圧者にすぎない。「やりすぎイタズラくん」が掲載されている月刊コロコロコミック3月号 しかし、そういったエセ左翼にすぎない人々と違い、まじめな左翼は今回の事件に関してまっとうな見解を表明している。例えば「『丸山眞男』をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争」で知られる赤木智弘氏は「チンギスハン揶揄は守られるべき」と題した論考を発表し、この問題を主に人権面から丁寧に分析している。左右を問わず、まともな人権感覚をもつ現代人であれば、文句のつけようのない内容であろう。 ところが、このようなまともな人権感覚を持たないのが一部のサヨクである。 彼らは戦後一貫して現在に至るまで「外患誘致」「告げ口プロパガンダ」戦法がお得意である。反日のためにフェイクニュースを垂れ流し、息を吐くように嘘をつく「ならず者」をまともに相手にする日本人なんてそうそういない。一線を越えた外務省 そのことは彼ら自身がよく分かっているので、海外の非政府組織(NGO)やマスコミ、国連、そして中国や韓国、北朝鮮などの人権抑圧国家を利用し、「世界市民様は愚かな日本人どもをこう言って批判しておられますぞ!」という錦の御旗、いやフェイクニュースをクリエイトし、それを口実にして日本人を攻撃し、寄付を集め活動資金とする。 慰安婦問題などはその典型であるし、最近では「秋葉原には児童ポルノや児童買春があふれている」というデタラメを海外に垂れ流して国連組織などを悪用し、漫画規制や言論弾圧を図る団体も話題になった。 こうした事実からすると、今回の事件のポイントは、外務省の対応である。朝日新聞の報道をみる限り、外務省は「日本国民の権利を擁護する」という職責を放棄し、海外政府の出先機関、いや手先機関に堕したとしか言いようがない。 記事によれば、日本外務省によると、来日中のモンゴル外相と日本の国会議員による23日の会合に同行した外務省職員に対してモンゴル側から抗議があり、同省は小学館に連絡した。 朝日新聞 2018年2月23日 と言うのだ。なんと外国の政府による一民間組織に対する「抗議」に対し、外務省は「うちは自由と民主主義の国なんで、そんな筋の通らんこと言われても知りまへんで」とはねつけるどころか、唯々諾々(いいだくだく)としてその抗議を小学館に伝え、いわば言論弾圧に加担したということらしい。小学館前で「月刊コロコロコミック」にチンギスハンを侮辱する漫画を載せたとして、抗議する在日モンゴル人ら 2018年2月26日、東京都千代田区 どこの国に、そんな手先機関の役所が存在するというのか。考えてみれば、外務省はこれまでもそうであった。特に「チャイナスクール」(外務省の中国語研修組出身者)と呼ばれる中国シンパの存在は、かつて慰安婦問題や南京大虐殺、政府開発援助(ODA)などにおいて日本の国益をむしばみ、中国や北朝鮮などの利益のために活動してきた外務省の象徴という批判もあった。 かつて外務省アジア大洋州局長だった槙田邦彦氏が拉致問題に対して「たった10人のことで国交正常化が止まっていいのか」と発言し、問題になっただけではない。左翼はチャンスを見逃さない 2002年に中国で発生した「瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件」、いわゆる「ハンミちゃん事件」においては、中国武装警察がウィーン条約を無視して日本領事館に押し込み、ハンミちゃん一家を乱暴に連れ去ったのに対し、なんと外務省職員は抗議するどころか武装警察の帽子を拾い、媚(こび)を売るような姿が放映されて批判を受けた。 こんな組織であるから、中国や韓国政府等がこれまで日本の「右派」を名指しで弾圧してきた際にも、日本人の生命や権利を擁護するどころか、冷淡極まりない態度に終止した例が多数見られた。そこに今回の「抗議口添え」である。 外務省は一線を越えた。これまでも十分、日本人のことなど眼中にない、結構とんでもない組織であったが、完全に常軌を逸したのだ。従来から海外に「告げ口プロパガンダ」をしてきた一部のサヨクは、このチャンスを見逃さないであろう。彼らは自分たちの気に入らない「ネトウヨ」「右翼」を弾圧するために、中国や韓国を焚き付けて日本の外務省に「抗議」させ、今回のような出版中止等の営業妨害に悪用するかもしれない。いや、このままでは必ずそうなる。 もし、こんな人権侵害が許されるというなら、立場を置き換えて考えて見るとよい。 日本も韓国外務省に対し「日本大使館前に慰安婦像を設置するなど言語道断だ!」として抗議し、それを韓国外務省が突っぱねず、ソウル市や韓国挺身隊問題対策協議会に唯々諾々と伝えたらどうなるか。ただでさえ反日で有名な韓国のこと、必ずや日本人の生命財産が危険にさらされることになるだろう。そして、もし10人の日本人が殺されても、日本の外務省はそれを冷淡に「たった10人のこと」と言い放つのかもしれない。外務省庁舎=東京・霞が関 われわれ日本人が今回の問題を看過し、外務省の体質を改めずにサヨクの横暴を放置すれば、将来必ずこんな詩が囁(ささや)かれることになるであろう。サヨクが漫画家を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は漫画家ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

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    新燃岳噴火は前兆か 「スーパー南海地震」は2年以内に起こる

    高橋学(立命館大環太平洋文明研究センター教授)                       2011年3月11日に東北日本を襲った東北地方・太平洋沖地震(東日本大震災)から7年が経過した。ゆえに東日本大震災は過去のものとして、メディア、行政、住民などの間では「復興」に話題の中心がシフトしてきている。だが、本当にそれだけでいいのだろうか。筆者には、はなはだ疑問に思われる。 なぜならすでに新燃岳の火山活動が活発化しており、筆者は、直下型地震、プレート型地震、火山噴火との間に密接な関係があると考えているからだ。そもそも、これら3つの現象を引き起こすのは、東北日本の場合、北米プレートとその下にもぐり込む太平洋プレート、西南日本の場合にはユーラシアプレートとその下にもぐり込むフィリピン海プレート4枚のプレートの動きがカギを握っている。そこから導き出せる結論は、新燃岳の噴火などは、筆者が「南海トラフ地震」を四国沖—東海沖地震に範囲を限定せず、「スーパー南海地震」と呼ぶ巨大地震の前兆であり、2020年の東京五輪までに起きる可能性が極めて高いということだ。 「スーパー南海地震」は名古屋や大阪などの大都市に津波がおよぶため、筆者の推計では、津波などによる死者と行方不明者が47万人以上にのぼるとみられ、日本はこの巨大地震に備え、その到来を覚悟しなければならない。 では、これらのプレートや火山の動きを5つのステージごとに確認し、「スーパー南海地震」や火山の大規模噴火が起きるメカニズムを検証してみよう。 まず、「ステージ1」である。相対的に上にあるプレート(東北日本の場合=北米プレート、西南日本の場合=ユーラシアプレート)が、もぐり込むプレート(東北日本の場合=太平洋プレート、南西日本の場合=フィリピン海プレート)の圧縮で歪(ひず)み、限界を超えると直下型地震が発生する。直下型地震では揺れの周期が約1秒であり、一戸建て住宅が倒壊しやすく「キラーパルス」ともいわれる。 1896年に岐阜県根尾谷を震源として発生した濃尾地震では、岐阜市、大垣市、一宮市周辺において、住宅倒壊率が80~100%であった。このステージに発生した直下型地震として、1995年の兵庫県南部地震(阪神大震災M7・3)や、2000年の鳥取県西部地震(M7・3)などがある。 「ステージ2」は、もぐり込むプレートが相対的に上にあるプレートのマグマだまりを圧縮し、火山が噴火する。この時、マグマが噴出したり、水蒸気爆発が起きたりする従来知られている火口からかは定かでない。このステージではマグマだまりにあるマグマが出きってしまえば、噴火は休止する。噴火は比較的短期間で小規模である。 ただし、噴火口近くに観光客などがいて被害がでる恐れはある。地震とその被害である震災とが違うように、噴火と火山災害も同じではない。今年起きたフィリピンのマヨン山噴火や2011年前後からの阿蘇山、霧島新燃岳、桜島の噴火、14年の木曽御嶽山噴火などがこれにあたる。噴煙を上げる宮崎、鹿児島県境の霧島連山・新燃岳=2018年3月2日 桜島の噴火活動に注目すると、波打ちながらも2005年まで減少し一時ほとんど停止した。しかし、その後反転し、東日本大震災の起きた11年に噴火回数が観測史上最多の1355回に達した。ただ、15年10月にはユーラシアプレートの中のマグマたまりにマグマがほとんど無くなり噴火が停止した。そして、17年3月になると再び噴火が起きるようになったのである。 これまで、西南日本が位置するユーラシアプレートでは、フィリピン海プレートの影響を受けるだけで、太平洋プレートの影響を受けるとは考えられていなかった。しかし、上記のようにフィリピン海プレート自体の動きも太平洋プレートの影響を受けているし、ユーラシアプレートの火山活動にも間接的に関与していると思われる。「スーパー南海地震」は近い 次に「ステージ3a」であるが、表1に示したように、相対的に上にあるプレートで歪に耐えかねて、比較的大規模な直下型地震が発生する。1943年の鳥取地震、2008年の岩手・宮城内陸地震、16年の熊本地震、鳥取県中部地震などがこれにあたる。同年に韓国で起きた慶州地震、17年の浦項(ポハン)地震はユーラシアプレートの歪が大きく、通常、地震の少ない韓国においてすら活断層が活動したことを示している。また、フィリピン海プレートの圧縮を受けるフィリピン地震(17年)、台湾地震(18年)も同様なメカニズムによる地震である。 さらに、熊本地震を、東アジアという視点でみるならば、アリューシャン列島、カムチャッカ半島などから熊本を経てフィリピン、パプアニューギニア、ソロモン諸島方面まで、同日に規模の比較的大きな地震が発生したことは意外に知られていない。この日の地震は熊本にとどまるものではなかったのである。 しかし、メディアは、熊本と大分に限定して地震の状況を発表していた。阿蘇山を挟んで西側と東側に震源を持つ地震は、日本最大の活断層である中央構造線と関係することは明白であった。放送する映像の範囲をやや広域にとるだけで、西は鹿児島県の川内(せんだい)原発が、東は愛媛県伊方原発が視野に入ってくるのを意図的に避けたと思わざるを得ない。現在の西南日本はこのステージに属する。 筆者が「南海トラフ地震」を「スーパー南海地震」と呼んでいるのは、フィリピン—台湾—琉球列島—南海—東南海—東海に広がるフィリピン海プレートとユーラシアプレートの接触する範囲全体を視野に入れているからである。1944年の昭和東南海地震(M8・2)や46年の昭和南海地震(M8・0)というプレート型地震の前に43年に発生した昭和鳥取地震(M7・2)や45年に発生した昭和三河地震(M6・8)などがこのステージにあたると考えられる。 東日本大震災の3年前に起きた岩手・宮城内陸地震や、その後の熊本地震、韓国の慶州(キョンジュ)地震、鳥取県中部地震、韓国の浦項地震などは、「スーパー南海地震」の前段階にあたる。ユーラシアプレートの歪は、すでに韓国南東部まで及んでいる。ゆえに、経験則によれば、「ステージ3a」からプレート型地震まではおよそ3年。「スーパー南海地震」は、2020年の東京五輪までに発生する可能性が高いのである。 次に「ステージ3b」をみてみよう。東日本大震災のように、太平洋プレートに引きずり込まれていた北米プレートが跳ねあがり、巨大地震と津波を生じさせるのがこのステージだ。西南日本では、1944年に昭和東南海地震、46年に昭和南海地震が発生したが、この時、東海沖地震は発生しなかった。長年にわたって東海地震が注目され続けたのは、これがいつか起きると想定されていたためである。 しかし、地震考古学者、寒川旭氏の研究によれば、南海地震、東南海地震、東海地震の3つが常に起きていたわけではないことが明らかにされている。南海、東南海しか地震が起きない場合と、全部が地震を起こす場合が交互に繰り返してきたらしい。この次は西南日本で少なくとも3つの地震が連動する可能性が高いという。 ただ、プレート型地震は揺れの周期が約5秒と長く、高層・超高層ビルは大きく揺れるが、一戸建住宅の倒壊は少ない。1944年の昭和東南海地震の場合、濃尾平野の南西端の最も軟弱地盤が約90メートルと厚いところでも倒したのは5~10%であった。プレート型地震の被害は津波によるものが大部分を占めるのである。見過ごしがちな前兆 そして「ステージ4a」は、現在の東北日本の状態である。陸側プレートの跳ね上がりにより、プレート間の固着域が少なくなり、海側プレートの沈み込む速度が速くなる。東日本大震災の場合、太平洋プレートの沈み込み速度は地震前の年間10センチから、年間30~40センチに加速した。そして、太平洋プレートは深さ200~500キロに到達し、溶けて大量のマグマが生成されている。 このステージでは火山の噴火が再び生じるが、今度の噴火はマグマが大量に生成されているために、噴煙が1万メートルの成層圏まで達する爆発的噴火になると考えられる。プレート型地震であった明治三陸地震(1886年)の後には会津磐梯山(1888年)が大噴火した。また、東北地方・太平洋地震の影響で、カムチャッカ半島から千島列島にかけてシベルチ山、クリュチュシュコア山、ベズイミアニ山、カンバルニー山、エベコ山など5つの火山が爆発的噴火を起こしている。 現在、東北日本では、浅間山、草津白根山、蔵王などで火山活動の活発化が認められるものの、まだ、本格的な火山活動は起きていない。しかし、これまでに観測されたM8・5以上のプレート型地震のほとんどで大規模な火山活動を伴っていることを忘れてはいけない。前述した熊本地震のように、日本という国の範囲だけで地震や火山活動などをみていると、重要なポイントを見過ごしかねないのである。草津白根山の本白根山が噴火し、火山灰で覆われた山頂付近=2018年1月、群馬県草津町 たとえば、1960年のバルデビア地震では地震の2日後に、コルドン・カウジェ山が、49日後にはペテロア山、54日後にはトゥプンガティト山、7カ月後にカルブコ山が次々と噴火し風下のアルゼンチンで大きな被害が生じた。また、2010年2月にチリ中部のビオビオ州で発生したマウレ地震(M8・8)でも、最大到達標高30メートルの津波が発生し、同年6月にはコルドン・カウジェ山、11年6月にはプジェウエ山、15年3月にはビジャリカ山、4月にはカルブコ山などが噴火し、巨大地震と火山活動との間に密接な関係があると推測される。 最後に「ステージ4b」では、太平洋プレートの沈み込み速度が数倍にも加速したことで、東側に続くプレートが追従できず正断層が生じる「アウターライズ型」地震が起きる。東北日本では、もう一度発生し大きな揺れとともに津波が発生する可能性がある。明治三陸地震(1896年)に対して昭和三陸地震(1933年)はアウターライズ型地震であった。巨大地震は予知できる この時は、37年と長い時間がかかった。しかし、インド洋大津波を起こしたスマトラ・アンダマン地震(2004年)の場合、8年後にアウターライズ型地震が生じている。東日本大震災から7年たち、カムチャッカ半島や千島列島で火山の爆発的噴火が起きている状況の中で、東北日本でアウターライズ型地震が発生するのは時間の問題であろう。 仮に、このアウターライズ型地震で津波が東京湾に来た場合、東京駅、有楽町駅、品川駅周辺や銀座、築地、豊洲をはじめ下町地域を中心に水没の恐れが高い。その範囲は群馬県館林まで及ぶ可能性がある。また地上から地下街や地下鉄への階段の傾斜は約30度であり、深さ10センの水が流入するだけで年配者や女性は手すりにつかまっても階段を登れない。30センチの水では屈強な青年男性でも階段を上ることは不可能となる。 大阪でも中心市街地は津波におそわれる地域である。また、東京ディズニーランドや大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン、名古屋のレゴランドなど多くの観光客が集まるところでの津波に襲われやすい場所での対策は極めて重要である。 これまでステージごとに関連性を見てきたが、巨大地震は突然起きるものではないことがわかるだろう。約2万人の人命を奪った津波が起きた東日本大震災の発生前に注目すれば、2008年6月に岩手・宮城内陸地震が発生。10年9月からは福島県中通りで、10月からは上越地方で直下型地震が頻発した。そして、11年3月9日から三陸沖を震源とした地震が連続的に起きていた。地元の研究者はこれが本震であると誤解しメディアを通して情報が流れた。 ところが、3月11日にM9・0の地震が起き、大規模な津波が東北地方太平洋岸を中心に発生したのである。また、宮城県栗原市で震度7の揺れが記録され、揺れは非常に広域に及んだ。しかし、その周期は約5秒と長かったため、地震そのものによる住宅倒壊は少なかったのだ。他方、臨海部の地盤沈下(約50センチ)と高さ21・1メートルの津波(最大遡上高43・3メートル)が生じ、臨海部で人口の1%から最大9%の死者と行方不明者が出た。東日本大震災 津波で流された住宅 =2011年3月、仙台市若林区(本社ヘリから) そしてその総数は約2万人を数えた。その後、震源は茨城県沖や福島県沖へと移動し、東京電力福島原発での事故などが問題をより深刻なものにしたのである。さらに、3月12日になると、震源は長野県北部や新潟県上・中越地方へと移っていった。このような震源の移動は、この地域で発生する地震のクセのようなものである。 東日本大震災はしばしば869(貞観11)年に似ており、千年に一度の地震であったと言われるが、1896年に発生したプレート型地震である明治三陸地震の場合も死者と行方不明者は約2万2千人であり、大船渡市綾里湾で津波の遡上高は38・2メートルであった。震災の規模としては明治三陸地震もよく似ている。決して千年に一度の地震ではない。 なお、1960年のチリ・バルデビア地震も、本震の前にM8・2とM7・9の地震が発生しており、突然、M9・5の地震が起きたわけではなかった。地震記録を詳細に検討すると95年の阪神大震災、2004年の中越地震、16年の熊本地震や鳥取県中部地震においても約60日前と、3日~半日前の2度にわたって、巨大地震と大地震の発生する地点で前兆となる地震がみられる。要するに巨大地震と大地震は突然起きてはいないのである。この前兆をつかまえることができれば、発生を予測・予知できるのだ。

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    「金正恩の敗北」トランプ電撃会談の舞台裏を読む

    重村智計(早稲田大名誉教授) 米朝首脳会談が開催の方向に動き出した。これは「安倍・トランプ外交」の成功を意味する。実現すれば、朝鮮半島情勢を大きく変える可能性がある。それでも、北朝鮮は核放棄を約束しないだろう。苦境打開を狙った金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長のサプライズ戦略とも言えるが、成功するのはラクダが針の穴を通るより難しい。米朝の指導者はともに行き詰まった国内情勢を打開するため、「同床異夢」ながら首脳会談を急いだとみるのが自然だろう。 サプライズ外交は、金正日(キム・ジョンイル)総書記の得意技だった。予想外の提案や行動に出て、相手を翻弄(ほんろう)して成果を挙げる。過去にも米朝の枠組み合意で、世界は希望を抱かされたが、あっさり覆された。核開発を放棄すると約束して、原子炉の冷却塔を破壊する芝居に、米国はまんまと資金をだまし取られた。 トランプ米大統領との首脳会談提案は、金委員長としては初めてのサプライズ外交である。外国首脳とは初の会談だ。歴代の北朝鮮首脳は、最初に中国首脳と会談した。そして、中朝関係が悪化すると、今度はロシアに傾斜した。いずれも北朝鮮の友好国である。2018年3月9日、米国のトランプ大統領が北朝鮮の要請を受諾し、金正恩朝鮮労働党委員長との首脳会談が実現する方向に動いたことを伝える街頭テレビ(寺河内美奈撮影) その慣例を破る米首脳との会談は、言い換えれば中国へのあてつけである。中国が国連や米国主導の制裁に協力する姿勢に対する不満の表明だ。北朝鮮が米朝首脳会談を呼びかけたのも、中国の気を引くためだったとみていいだろう。中国は水面下で相当の圧力をかけるだろうから、米朝首脳会談がトランプ大統領の思惑通り開催できるかは、なお不透明だ。 米国は、韓国側からの伝達内容が本当かどうか、北朝鮮に確認しないと話に乗れない。北朝鮮の思惑は裏読みしないと見えない。たとえ公式報道で「人民は党に従い、思想の学びを徹底し帝国主義の策動に立ち向かっている」と伝えていても、実際は党に従わない人民の方が多く、むしろ韓国のビデオや音楽が人民の間で流行っているのが実情である。首脳会談提案からは、金委員長が相当な苦境に立たされている事実が読み取れよう。 一方、トランプ大統領もサプライズが好きだ。金委員長の提案を逆手に取り、「5月までにやろう」と逆サプライズを仕掛けた。北朝鮮はまさかそんなに早い実現を予想していなかっただろう。日程と首脳会談の場所が最初の関門になる。実は北朝鮮では首脳会談について一切報じられていない。これはおかしな話だ。北朝鮮の本気度が問われる。 なぜトランプ大統領は「5月までの会談」を提示したのか。一言で言えば、北朝鮮が相当に困り果てている現実をよく理解していたからだ。つまり、北朝鮮への制裁が効果を挙げているのである。首都・平壌では最近、米や食料品の価格が上昇しているという。石油の値上がりも伝えられている。国民生活は圧迫され、軍隊は石油が底をつき、演習や訓練がまともにできない。空軍の飛行時間は極端に減った。 こうした状況は、トランプ大統領に詳細に報告されており、「制裁は効果を挙げている」との大統領発言の裏付けになっている。トランプ大統領が平昌五輪への北朝鮮参加や、南北首脳会談の合意について「俺のおかげだ」と述べたのは理由がある。制裁の成果が確認できたからだ。このため、制裁を続けていれば、金委員長は必ず譲歩すると読んでいたのである。米朝首脳会談は成功するのか トランプ大統領が首脳会談に臨む真の目的は「支持率の上昇」「秋の中間選挙への利用」「次期大統領選挙への野望」の三つだ。 言わずもがな、トランプ外交は内外で批判され続けている。特に欧州各国は彼をまったく尊敬していない。戦後、これほど欧州で不人気の米大統領は初めてだ。教養がなく知性と品格に欠けるとみられている。歴史と文化の教訓に学ぼうとしない態度を欧州はもはや我慢できないのである。 この不人気を打破するために、金委員長との会談を利用しようとしている。「金正恩に最初に会う外国元首」としてメディアに大きく扱わせる。特に、金委員長をワシントンに招待できれば、世界中の話題を独占して、中国やロシアの鼻を明かすこともできる。支持率は上昇し、その勢いで中間選挙も乗り切りたいとの思惑はみえみえである。2018年3月8日、ホワイトハウスで会談する韓国大統領府の鄭義溶国家安保室長(左)とトランプ米大統領(韓国大統領府提供・共同) とはいえ、米朝首脳会談は本当に成功するのか。はっきり言って、乗り越えるべき難問が余りに多すぎる。まず、北朝鮮は絶対に核放棄を約束できない。金委員長は朝鮮人民軍を掌握はしたが、核放棄を宣言すれば軍が反乱を起こしかねない。クーデターに直面するリスクをはらんでいるのである。不満を抱く中国やロシアも、裏でクーデターを画策する可能性もある。 さらに、会談場所をどうするのか。北朝鮮の指導者は海外に出掛けるつもりはない。これに対し、トランプ大統領は是が非でも米国に呼びたい。ただ、金委員長にとっては訪問の隙を突いて、北朝鮮国内でクーデターが起きるかもしれない。もし第三国でやるのであれば、北朝鮮側は中国の顔を立てて、北京を提案するかもしれない。 一方で、トランプ大統領が北朝鮮を訪問すれば、米国内で批判が高まるのは必至だ。かつてのオルブライト国務長官の訪朝時のように、マスゲームを見せられ、人権問題に言及しなければ「失敗」と非難される。 金委員長は、首脳会談を盛り上げて少しでも制裁を緩和させ、今年9月の建国70周年の式典を盛り上げたい。米国に近づき、中国とロシアの気も引き、ひそかに支援を得る戦略だ。韓国も協力するとみている。 この北朝鮮の戦略と作戦に乗せられると、トランプ大統領は必ず失敗する。トランプ大統領は安倍晋三首相と協力し、「成功しなくてもいい」と腹をくくり、これまでの強硬政策を継続しないと足をすくわれる。 トランプ大統領に「石油制裁が最も効果的だ」と伝えたのは他ならぬ安倍首相だった。トランプ大統領も、北朝鮮政策をめぐる安倍首相の判断力を信頼している。「制裁を継続すれば北朝鮮は譲歩する。もう少しだ」との理解を二人は共有している。 だからこそ、トランプ大統領が安倍首相を出し抜いて、米朝正常化に踏み切る恐れはまずないと断言できる。北朝鮮は米韓合同軍事演習に反対し、核実験を続けた。その上、米国とトランプ大統領を激しく罵(ののし)った。これまでの対応を180度転換した金委員長の譲歩は、結果的に「北朝鮮外交の敗北」を意味するのである。 日本は米朝首脳会談で拉致被害者の帰国を強く訴えるだろう。「拉致被害者の帰国なしには、米朝国交正常化はない」との立場を共有しなければならない。拉致被害者の帰国を、日米同盟の基本的な価値として改めて確認すべきだ。

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    南北首脳会談、なぜこのタイミングだったのか

    重村智計(早稲田大名誉教授) 韓国と北朝鮮は6日、4月末に板門店で3回目の南北首脳会談に合意した。合意は、会談場所と米韓合同軍事演習の「是認」、南北首脳のホットライン以外は目新しいものはない。北朝鮮は核放棄への明確な言及を避けた。資金獲得と制裁緩和を狙ういつもの「目くらまし戦略」だ。トランプ米大統領は首脳会談を歓迎しながらも「希望は裏切られるかもしれない」と慎重だ。 韓国と北朝鮮は、首脳会談を4月末とすることで軍事演習の短縮を目指している。まさか首脳会談中に演習はあるまいと期待している。そうすると、北朝鮮は5月の田植えの時期に兵士を動員できる。建国当初から兵士の動員なしに田植えは困難だからだ。 日米両政府は最近、北朝鮮の海上での「瀬取り」による密輸を摘発し、シリアへの化学兵器の闇ビジネスを報道させ、南北首脳会談をけん制してきた。米国は米韓合同軍事演習を4月から行うと首脳会談の「妨害」に動いた。 それに挑戦するように、韓国と北朝鮮は特使を派遣し合い、首脳会談に合意した。首脳会談をめぐり、「南北対日米の戦争」が展開された。米国は平昌五輪の開会式にペンス副大統領を派遣し、金正恩(キム・ジョンウン)委員長の妹の与正(ヨジョン)氏との会談との北朝鮮提案を受け入れたが、直前に北が拒否した。これは、明らかに「北の外交敗北」であった。 それでも南北は首脳会談実現に突っ走った。北朝鮮は、平昌五輪の閉会式に金英哲(キム・ヨンチョル)統一戦線部長を派遣し、秘密会談を行った。ここで特使派遣と首脳会談の条件が話し合われた。最大の懸案は米韓合同演習の継続問題であった。韓国側は、パラリンピック後の軍事演習開始を伝えた。 金委員長は、それでも特使派遣を受け入れ、米韓合同軍事演習を「理解する」と述べた。これは、「軍事演習」を理解すると言ったのではなく、軍事演習中止に努力した「韓国側の立場」を理解すると述べたのだろう。この発言を、韓国側は米国の気を引いて米朝対話につなげるために、意図的にミスリードしたのではないか。会談し握手を交わす韓国大統領府の鄭義溶国家安保室長(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長。金委員長が抱えているのは文在寅大統領からの親書=2018年3月5日、平壌(韓国大統領府提供・共同) なぜ首脳会談を急いだのか。北朝鮮は米国の軍事攻撃を最も恐れており、それを阻止したい。そのためには南北首脳会談が一番だ。北朝鮮への制裁が相当な効果をあげている事実がある。石油制裁が北朝鮮軍を追い詰めている。日本での論議は、北朝鮮の深刻な石油不足を理解していない。 国連によると、一昨年までの北朝鮮の石油輸入量は原油50万トン、石油製品約70万トンで合わせて120万トンであった。密輸を合わせても最大150万トンだろう。日本の石油輸入量は2億トンだ。北朝鮮軍は「世界で最も石油の乏しい軍隊」である。それなのに、今年は原油と製品合わせて70万トンに減らされる。海上での密輸も発見された。 これでは軍は戦闘能力を失い、崩壊の危機に直面する。現在の体制を維持しているのは、軍と秘密警察だから事態は深刻だ。北朝鮮の譲歩は、国連や日米の経済制裁が効果をあげた結果である。特に石油製品の輸入禁止は、体制の崩壊につながりかねないとの危機感がある。「同盟より民族を選んだ」文在寅 この危機を回避するために、北朝鮮は「韓国からの経済支援」「開城工業団地の再開での外貨収入回復」「石油制裁緩和」を狙っている。外交敗北とみられるほどの譲歩の背景には、北朝鮮国内の苦境がある。 北朝鮮は、公式には韓国の存在を認めていない。今回も「大韓民国」の表現を使わず、「南側の文在寅大統領」との表現に終始した。北朝鮮の指導者が韓国側に足を踏み入れれば、初めてのことになる。北朝鮮が主張する「朝鮮半島における唯一正統性ある国家」との「正統性」で譲歩したことになる。 それ以外は新しいものはない。核実験の中止は以前もあったが、反故(ほご)にされてきた。「体制の安全が保証されれば、核保有の理由はない」との表現も目新しいものではない。金日成(キム・イルソン)主席も金正日(キム・ジョンイル)総書記も「朝鮮半島の非核化」について公言していたからだ。 北朝鮮の報道機関は、韓国政府の発表内容をいまだに報じていない。「満足いく合意」「首脳会談合意」を伝えたにすぎない。ただ、金委員長の「米韓合同軍事演習を理解する」との発言は、軍を完全に掌握した事実を物語る。軍は、米韓合同軍事演習の中止を強く求めてきた。「理解する」との発言は、軍を掌握した金委員長の自信を示している。北朝鮮の核放棄には軍が絶対に応じない。少なくとも軍を押さえないと核放棄はできないからだ。 金委員長は、人民軍記念日を2月8日に変更し、軍事パレードを行っていた。これは、軍を党の指導下に置いた事実を誇示する行事だった。金委員長はパレードの演説で「軍は党に従え」と強調した。 文在寅(ムン・ジェイン)政権の「北朝鮮支援」方針は「同盟より民族を選んだ」と説明される。米韓同盟が崩壊に向かい、北朝鮮に取り込まれると国内の保守派から憂慮の声が上がる。韓国政府は金委員長にどのような提案を行ったのか明らかにしていない。韓国のメディアは取材記者を同行させなかった事実を批判している。韓国内では前2回の首脳会談のように、多額の外貨資金を運んだのではないか、という疑惑も生まれている。2018年3月6日、ソウルの韓国大統領府で、特使としての訪朝を終えた鄭義溶国家安保室長(手前左)と握手する文在寅大統領。左奥は徐薫国家情報院長(大統領府提供・聯合=共同) 韓国は、米韓軍事演習の延期や縮小を求めていたが、米国は断固として拒否した。韓国側が米韓軍事演習への了解を求めたため、金委員長は「理解する」と述べた。韓国は、支援の再開と韓国企業が操業する開城工業団地の再開、外貨送金の問題も提示したのだろう。韓国側からの何らかの提案なしに、金委員長が「リップサービス」をするわけがない。韓国側の提案を明らかにすべきだ。 北朝鮮が南北首脳会談を急ぐのは、体制動揺の危機に直面したからだ。一方、文在寅大統領も、平昌五輪後の支持率低下に悩んでいる。支持率を回復し、憲法改正に踏み切るためには、首脳会談での支持率上昇が必要だ。現在の憲法で規定されている大統領任期を、1期5年から2期8年に改正し、長期政権を目指す文大統領の野心もまた見え見えである。