検索ワード:イデオロギー/134件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    大村知事リコール「ハッシュタグ祭り」が手にする禁断の果実

    元慰安婦を象徴した「平和の少女像」や天皇陛下の肖像を用いた作品を燃やした動画などの展示行為を「背後にイデオロギーを背負った宣伝手段の典型」と評している。 この「背後のイデオロギー」の存在、それが芸術という名前を借りて、社会の分断に貢献してしまう可能性があったわけである。この点について、今に至るまで大村知事の認識はあまりに甘いのではなかったか。 検証委が取りまとめた報告書には「会長(編集部注:大村知事)によるこのような実行委員会の不当な運営に対して、事情変更の効果として、3回目として当初予定していた負担金の不交付という形で、名古屋市が抗議の意志を表すということは、必ずしも不適当とはいえず、他に手段がない以上、当委員会はやむを得ないものと考える」と結論付けている。 この報告書を受けて、名古屋市の河村たかし市長は未払いの芸術祭負担金約3300万円の不交付を決定した。委員として報告書を提起した以上、河村市長の決定を全面的に支持するのは当然だ。 だが、この名古屋市の合理的な決定に対して、大村知事が会長である「あいちトリエンナーレ実行委員会」が原告となって、名古屋市に未払金の支払いを行うよう求めて名古屋地裁に提訴した。非常に驚くべきことである。名古屋市の河村たかし市長(右)と面会し握手する、「高須クリニック」の高須克弥院長(左)と作家の百田尚樹氏=2020年6月2日 この点については、裁判で全面的に争われるだろうから、一点の指摘だけにとどめたい。この訴訟への発展にも明らかなように、自らの政治的行動が「社会の分断」を招いている意識が、大村知事に見られないのは、極めて残念である。 単にハッシュタグ祭りでのツイート数の大小を超えて、大村知事の政治的姿勢に対する是非が広く問われなければいけない、と筆者は強く思っている。

  • Thumbnail

    記事

    安倍政権の是非闘争が蔑ろにする森友問題の本質と自死財務職員の無念

    相澤冬樹(大阪日日新聞論説委員・記者) 学校法人森友学園(大阪市)をめぐる事件は不幸な事件だと思う。安倍晋三政権の是か非かに巻き込まれてしまっているからだ。本来、この事件は安倍政権の是非とは関係ないものであるにもかかわらずだ。 そもそも森友事件とは何だろうか。はじめに、事件の整理から始めよう。 まず、森友学園に小学校の用地として国有地が売却された。そしてその価格が9億円余の鑑定価格から8億円以上も値引きされて1億3400万円で売られていた。 「それは正当な値引きなのか?」「国民の財産を不当に安く売ったのではないか?」。これが問題の根源だ。「値引きの是非」に「政権の是非」は本来関係ない。政権を支持しようが批判しようが、正当な値引きは正当、不当な値引きは不当だ。 ところが、この土地に建つ小学校の名誉校長が安倍首相の妻である安倍昭恵さんだったから話はややこしくなる。昭恵さんは森友学園の教育方針を繰り返し賛美していた。しかも昭恵さん付きで、事実上の秘書のような役割をしていた政府職員が、この土地について財務省に照会していたことも明らかになった。 首相は「照会しただけだ。便宜を求めていない」と言うが、首相の妻側から照会があったら役人はそれだけで「忖度(そんたく)」する。それが役所の常識ではないだろうか。だからこそ「やはり首相の妻が名誉校長だから不当に安くしたのではないか?」とか「首相自身は関与していないのか?」という野党の追及が高まった。けれども安倍首相は国会で大見えを切った。 「私や妻が(学校の認可や国有地取引に)関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」 自分も妻も全く関係ないと強調したかったのだろうが、こんなことを言ったら野党は「首相を辞めさせるチャンス」と勢いづくに決まっている。関与の証拠を見つけ出そうと、財務省に対し資料や説明を相次いで要求した。参院予算委員会で証人喚問に臨む佐川宣寿前国税庁長官(当時)=2018年3月27日、国会(納冨康撮影) これに対し、財務省の佐川宣寿(のぶひさ)理財局長(当時)は国会で「資料は廃棄しました。ございません」と突っぱねる。だがその2日後に、関連公文書の「改ざん」がひそかに始まっていた。そして現場で改ざんを押しつけられた、財務省近畿財務局の上席国有財産管理官である赤木俊夫さんはその責任の重さに耐えかね、1年後に自ら命を絶った。 このとき、財務省で改ざんに関する調査報告書の取りまとめにあたった伊藤豊秘書課長(当時)は、このあたりの経緯を指して「安倍首相の答弁と改ざんは関係があった」と赤木さんの妻に説明した。注目された職員の手記 安倍首相の強気の答弁が野党のさらなる追及を招き、改ざんを引き起こしたというのだから「安倍首相は改ざんに間接的に責任がある」と言っているのに等しい。だが、それはあくまで「改ざん」に関してのことだ。改ざんを招く原因になった「国有地値引き」についての是か非かの決着はついていない。 財務省は、これまで「土地の深い部分に埋まっているごみの撤去に8億円かかるから値引きをした。ごみを撤去しないと開校予定の決まっている小学校が開校できず、損害賠償を求められる恐れがあった」と説明してきた。 これは正当な値引きだと、財務省は主張する。しかし、その「深いところのごみ」というのが本当にあるのか、財務省はきちんとした証拠を示すことができていない。さらには、問題の国有地からごみはほとんど撤去されていないのに、既に立派な校舎がほぼ完成している。ごみのあるなしにかかわらず、校舎はできたし、開校できたはずなのだ。 ゆえに、財務省の説明は説得力を失っている。 そういう中で、森友事件はすっかり「色」が付いてしまった。安倍政権への是非という「色」だ。反安倍政権の人々は「値引きは不当、首相の責任だ」と訴える。安倍政権支持の人たちは「値引きは正当、森友はもう決着した」と突っぱね、野党とマスコミが騒ぐことが問題だという。 本来あるべきだった、政権の是非とは関係のない「値引き」について冷静に考えるという空気はない。森友学園の問題は、分断された今の日本社会を象徴するような事件になってしまった。2020年3月18日に公表された赤木俊夫さんの手書きの遺書 そこに現れたのが今回の「赤木俊夫さんの手記」だ。これは、改ざんがどのような指揮命令のもとで行われ、それを現場で押しつけられた赤木俊夫さんの苦悩、財務省や近畿財務局による数々の不当な仕打ちと、それに迫る検察の捜査についてのルポルタージュである。 俊夫さんは全責任を一身に負うようにして追い詰められていった。俊夫さんに寄り添ってきた妻の雅子さんも、深い悲しみと苦しみ、そして夫の死の真相を知りたいと願ってもかなわないもどかしさがあった。だが、今年の3月18日に発売された『週刊文春』の特集記事で克明に記し、こうした事実が初めて明らかになった。真相解明への思い その内容に多くの方が共感を寄せてくれた。その結果週刊文春は完売し、そして雅子さんがインターネット上の署名サイト、Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)で募った「真相解明のための再調査」には33万人もの賛同者が集まった。運営団体によると、これは国内での最多・最速の新記録である。 森友事件の報道でこれほど幅広く、大勢の共感が集まったことはない。では、これまでと何が違うのだろうか? それは、この問題が「政権の是非と関係ない」ことが週刊文春の記事で初めて歴然としたからだろう。 雅子さんは「安倍政権の退陣」など求めていないし、反安倍政権でもない。むしろ若いころから自民党支持者で一時期は自民党員だったこともあり、購読紙は長らく読売新聞だった。 雅子さんが望んでいるのはただ一つ「夫が亡くなった真相を知りたい」という、その一点だ。 ・夫の死を招いた改ざんはなぜどのように行われたのか・改ざんを引き起こした国有地の値引きには本当に問題はなかったのか・問題がなかったなら改ざんする必要もなかったのではないか  雅子さんはただ、こうした疑問への真相を知りたいだけなのだ。この疑問が安倍政権への賛否に関係するはずがない。安倍政権を支持する人も批判する人も、雅子さんの思いを知れば、等しく安倍首相に「どうか遺族の願いをかなえてあげてはどうか」という念を抱くであろう。 だが「新型コロナウイルスへの対応が最優先の今、この問題を蒸し返す時ではない」という意見もある。なので森友事件や改ざんの調査をすると新型コロナ対応の妨げになるか、それも考えてみよう。 雅子さんが望んでいるのは「有識者によって構成される第三者委員会」による「公正中立な調査」だ。役所自体による調査ではない。調査を行うのは第三者委員会だから、役所の手が取られることはない。 もちろん、役所の人は調査対象にはなるだろう。だがこれは強制力のある警察の捜査ではない。任意の調査だから忙しければ「今は無理です。後にしてください」と断ることができる。だから、役所の人の手が取られることはない。参院予算委員会で森友文書改ざん問題について答弁する麻生太郎副総理兼財務相=2020年3月23日、参院第1委員会室(春名中撮影) もし、調査が新型コロナ対応の妨げになるとしたら、調査によって政権に不都合な事実が浮かび上がり、政権が窮地に立つ場合しかないだろう。だが安倍政権を支持している人たちが、調査によって不都合な事実が浮上すると考えているはずがない。 調査によって「政権は何も関係ない」ことがはっきりすれば、政権の関与を主張する人々に対し、疑惑を完全否定できる。政権は新型コロナ対応に専念できるようになり、むしろいいことずくめのはずだ。 それでも再調査を拒否していると、逆に「再調査されると困ることがあるのか?」と勘繰られることになる。安倍政権を支持する方々こそ、再調査への支持を勧めたい。

  • Thumbnail

    記事

    あいちトリエンナーレ、なぜ私は負担金「不払い」に賛同したのか

    の後」で議論の焦点になった少女像や天皇陛下の肖像を用いた作品を燃やした動画などの展示行為を、「背後にイデオロギーを背負った宣伝手段の典型」と評したが、筆者もこの言葉に賛同する。愛知県の大村秀章知事(左)と名古屋市の河村たかし市長=2020年3月 今回の報告書はあくまで公金の使途をめぐる法的解釈が中心であり、展示の解釈には立ち入るものではない。だが、この山崎氏の批評は、この展示の性格について追加の言葉を不要にするものだ、と確信している。 今後、このような社会の分断をあおる政治的イデオロギーに偏った展示が、少なくとも公的支援の下で安易に行われないことを願っている。

  • Thumbnail

    テーマ

    「社会主義ノスタルジー」で変貌する世界

    旧ソ連が共産党独裁を放棄して30年。この間、世界の大半を資本主義が覆い尽くし、事実上、社会主義は淘汰されたといっても過言ではない。ただ、ここにきて広がりつつあるのが「社会主義ノスタルジー」だという。米国でさえ格差社会への疲弊によって芽吹き始めているこの現象、世界を変貌させる原動力となるのか。

  • Thumbnail

    記事

    貧困と格差に知らぬ顔、もう一度「富裕層への革命」を起こせ

    松竹伸幸(ジャーナリスト、編集者) 大学生になって間もない1974年、私はコミュニストになった。当時の大学は、生協の書籍部に入れば、最も目立つところにカール・マルクスの『資本論』が山のように積まれていたものだ。だからコミュニストでなくても、友達同士でマルクスとフリードリヒ・エンゲルスの『共産党宣言』の輪読会をするような雰囲気に包まれていた。 一家4人が6畳一間で暮らすような貧しい家庭に育った。貧しさから解放されて親に楽をさせてあげたい、そのために商社か銀行に勤めたいということが、大学(一橋大)を選んだ最大の動機だった。 だが、共産主義の思想を勉強して感じ取ったのは、自分一人が解放される道を選ぶのではなく、貧しさにあえいでいる多くの人々をともに解放することが大事であり、そのためには共産主義を目指すべきだということだったのだ。 とはいっても、目の前の共産主義国家の体たらくは、目を覆いたくなる惨状である。当時、中国に存在感はなかったが、ソ連はその後もずっと続く一党独裁の国で、1974年に小説『収容所群島』で強制収容所の実態を暴いたノーベル賞作家のソルジェニーツィンを国外追放するなど、世界中からひんしゅくを買っていた。さらに、79年にはアフガニスタンに侵略し、世界の平和を脅かす存在でもあった。 政治体制がダメなのは常識でも、経済が少しは良かったのかといえば、そのようなこともない。忘れられない話が、共産党指導下の青年組織である民主青年同盟の国際部長を勤めた時期(80年以降)にある。「発達した社会主義国」を標榜(ひょうぼう)するソ連の共産主義青年同盟(コムソモール)の代表がやってくると、「全般的危機」にあるはずの資本主義国のわれわれに対し、「シェーバーをプレゼントしてほしい」とおねだりするのである。 そこで日本製を渡そうとすると、「いや、ひげが濃いので、ブラウンでなければ」とごねる。社会主義国の指導的立場にある人でも、自国の体制が優位にあるなど少しも思っていないどころか、外に向かってそれを隠そうとさえしなかったわけだ。それでも、「そもそもの出発点が低かったのだから仕方がない」と思い、貧しいなりに社会主義らしく平等を重視したり、人間を大切にしているところを評価しようとしたりして、私なりに努力してみた。 例えば、妊娠した女性に対する産休や育児休暇の保障などに関して、ソ連は世界でも高い水準にあり、「男女平等の分野では優位なところがある」と宣伝したこともある。確かに、統計の数字上ではそういうことも言えた。しかし、のちに国際労働機関(ILO)の報告などで明らかになったのは、ソ連ではそうやって女性に特化して権利を保障することによって、女性だけが育児や家事に縛り付けられる「不平等社会」が築かれていたということだ。 マルクス主義を知っている人にしか通用しない言葉ではなく、現代の国際政治でも通じる概念に置き換えて言えば、マルクスが唱えた「共産主義」というのは、政治的権利といった国民の自由権も、生存権などの社会権も、等しく高いレベルで保障されている社会のはずであった。ところが、現実の社会主義はそれとは真逆の存在だったわけである。 「もしも」の話になるけれど、自分がソ連や中国、北朝鮮で生まれていたとしたら、そしてコミュニストとしての素養を積んでいたら、その国の体制を容認できるかが問われていた。私は、自分が学んできたコミュニズムの思想と照らして、目の前の体制が社会主義だとは少しも思わないだろうし、その体制を打倒しなければならないと決意するだろうと考えた。 最近、ベルリンの壁崩壊前夜の東ドイツの姿を描いた須賀しのぶの小説『革命前夜』を読み、共産主義体制を倒した後に資本主義でもない新たな体制を望む人々がいたことを知った。ただ、その体制がどんなものかを提起できない状況では、倒れた先に資本主義しか待っていなかったことは歴史の必然だったと考える。1989年11月9日、東西ドイツの国境開放後にベルリン・ブランデンブルク門前の「ベルリンの壁」の上に立つ人々(DPA提供・AP=共同) それでもなお、私はコミュニストであり続けた。なぜなのか。それは何よりも、日本のコミュニストの代表格である日本共産党がソ連の独裁体制や覇権主義と公然と闘っていたからだ。様変わりした批判の鋭さ 1948年の世界人権宣言以来の努力によって、組織的で広範囲な人権侵害は「国際問題」とされ、外部からの批判は内政干渉に当たらないという慣行がつくられてきた。裏を返せば、ソルジェニーツィン一人だけの人権侵害のような場合は国際問題とはみなされないことになる。 日本の共産党は、そうした国際慣行にもかかわらず、「ソルジェニーツィンへの迫害は国際問題だ」としてソ連共産党を厳しく批判してきた。アフガニスタンへの軍事介入や核軍拡路線にも公然と異を唱えてきた。人権侵害も覇権主義も「社会主義の原則に反する」という立場からだ。 当時、私も民青同盟の代表として国際会議などに参加し、ソ連批判を展開することがあったが、相手からどんな反撃があっても屈服してはならないという日本共産党の指導を忠実に守り抜いたものである。 ソ連が崩壊したとき、日本共産党が直ちに「諸手を挙げて歓迎する」という談話を出すことができたのは、そういう過去の実績があったからだ。「ソ連は社会主義ではなかった」という大胆な認定も行った。当時、私は金子満広書記局長(故人)の秘書をやっていたが、後援会の旅行で祝杯をあげ、「ソ連崩壊で万歳をしている共産党は世界の中で日本共産党だけだろう」という金子氏のあいさつを聞いたことを鮮明に覚えている。 ソ連崩壊の直前、少しずつ存在感を増してきた中国で、1989年、あの天安門事件が起きた。これについても日本共産党は厳しく批判し、中国共産党のことを「鉄砲政権党」などと揶揄(やゆ)したりもした。 ちょうど、東京都議会議員選挙が戦われている最中であり、私は八王子選挙区に派遣されていたが、「どのように中国を批判すれば効果的か」夜を徹して仲間と語り合い、宣伝チラシをつくったものである。何カ月かして、欧米が経済制裁を続行している中で、日本政府がいち早くそこから脱落したが、その弱腰ぶりを厳しく追及したのも日本共産党であった。 その当時、60年代に起こった中国共産党による日本共産党への内部干渉の影響で、両党の関係は断切していた。その後、両党関係が正常化したことで、もう中国を批判することはできないだろうという観測も流れた。 しかし、日本共産党は、関係回復したからといって重大な人権侵害を許すわけにはいかないと、天安門事件10年になる1999年には批判論文を出すほどであった。 日本で共産主義の「体制」ができるときは、既存の社会主義国とは別のものになる。日本共産党の批判の鋭さは、そう思わせるに十分であった。 けれども、詳細は書かないが、21世紀になるのを前後して、共産党は中国の人権問題を批判しなくなる。天安門事件20年にあたる2009年では、10年前とは異なり、『しんぶん赤旗』に1行の批判も論評も掲載されなかった。1989年6月、北京の天安門広場に近い長安街で、戦車の前に立ちはだかる男性(左下、ロイター=共同) ソ連のことは「社会主義でなかった」と言い続けながら、中国については「社会主義をめざす国」と肯定的に認定し、積極的に交流を進める。06年に成立した北朝鮮人権法に対しては、北朝鮮の人権問題は国内問題だとして反対することになる。 ソルジェニーツィン一人だけへの人権侵害を「国際問題」として批判していた当時とは様変わりしてしまった。こうしてその直後、根本的な理由は別にあるのだが、共産党の政策委員会に勤務していた私は、小池晃政策委員長に退職を申し出、受理されることになった。コミュニストであり続ける理由 ただし、共産党の名誉のために言えば、天安門事件30周年の昨年、『しんぶん赤旗』は新聞の「社説」にあたる「主張」で、事件を振り返った批判を20年ぶりに掲載した。また、中国を「社会主義をめざす国」とする綱領の規定を削除する改定案を今年1月の党大会で採択している。 話は戻るが、党を退職した私は、それでもコミュニストであり続けている。それはなぜなのか。 そこにあるのが、今回のテーマの共通した題材である共産主義「体制」へのノスタルジーと言えるだろうか。ノスタルジーという言葉の響きがもつ「懐かしさ」とは無縁で、日本語で表現すると「渇望」が近いけれども、共産主義体制が切実に必要性とされていることへの思いである。 共産主義が崩壊し、一人勝ちした資本主義の現状をどう評価すべきか。このままの日本が続けば幸せになれると、どれほどの人が感じているのだろう。 現在の日本は、少し古い言葉を使えば、「負け組」には将来への不安が募るだけの世の中である。正規雇用に就けず、永遠に「負け組」から抜け出せないと言われる40歳前後の「ロスジェネ世代」を再雇用する試みが話題になっているが、その世代が世に出た2000年頃、25%程度だった非正規雇用は、いまや4割程度にも上昇している。 ロスジェネ問題はなくなったのではなく、より普遍的な広がりを持つようになったのである。正規雇用者になれたところで、やれブラック企業だの過労死だの、押し潰されるような暮らしを余儀なくされている者が少なくない。 その一方で、企業の内部留保は400兆円を超え、この10年で3倍以上になっている。2018年1月、国際非政府組織(NGO)オックスファムが公表した報告書も話題をさらった。世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を上位1%の富裕層が独占していること、下から半分(37億人)の貧困層は財産が増えなかったとするものだった。 翌年には、世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているとの報告書を発表した。「負け組」の犠牲で「勝ち組」が肥え太っていく。「勝ち組」には笑いの止まらない世界が広がっているわけだ。 それなのに、肥え太っていく企業や富裕層に対して厳しく向き合い、自分の利益だけでなく、社会全体のことを考えて行動せよと迫る仕組みがない。それが世界規模で顕著に表れているのが気候変動問題だ。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」 科学の見地では、二酸化炭素の排出量を激減させなければ、地球の未来さえ危ないことは明白だ。それでも、資本主義の中核に存在する巨大企業は、いまだに石炭火力発電に頼り(日本は増加させつつある)、科学よりも目の前の自己の利益を優先させ、世界を次第に破滅的危機へと導いているのである。 「わが亡き後に洪水よ来たれ」─。マルクスはフランス王ルイ15世の愛人であったポンパドゥール侯爵夫人のものとされるこの言葉を『資本論』で引用し、資本の醜い本性を暴いた。ルイ15世の治世から250年たっても、資本の本性は変わらないままなのだ。「8時間労働制」という変化 その資本の本性が、歴史上一度だけ挑戦を受け、醜さを覆い隠したことがある。それがロシア革命であり、共産主義「体制」の出現であった。 現代に生きるわれわれが普通に享受しているものとして、8時間労働制がある(日本では制度が脅かされているが)。これは、マルクスらが1866年に創設した第1インターナショナル(国際労働者協会)が呼びかけた課題である。 20年後の1886年5月1日、米国の労働組合が全国的なゼネストを行って要求し、その後、5月1日がメーデーとされることになった。しかし、どの国の資本も、こうして労働者がゼネストをして要求しても、自己の利益を優先させて応じることはなかったのだ。 そこに変化が生まれたのが、今からちょうど100年前、第1次大戦後のベルサイユ平和会議において、1919年に国際労働機関(ILO)が創設されたことだ。ILOの創設後、最初に採択された条約が、1日の労働時間を8時間、週の労働時間を48時間に制限する内容で、その後、この制度が世界に広がっていくことになる。 また、ILOはこうした条約の採択を決める総会で、1国が4票を投じるのだが、うち1票は労働者代表に与えられることになっている(2票は政府、残り1票は使用者)。最近、国際条約の策定にあたりNGOが役割を果たす事例が増えているが、ILOはその先駆けであり、今でも最も先進的な仕組みとなっている。 なぜそんな革命的な変化が生まれたのかといえば、ロシア革命があったからなのである。その秘密をILO関係者と日本の高級官僚に語っていただこう。ILOのガイ・ライダー事務局長 ILOに関する概説書として20世紀を通じて親しまれたのが、1962年刊行の『ILO 国際労働機関』という本である。その著者の1人である労働省(当時)の審議官で、ILO総会の日本政府代表を務めたこともある飼手真吾氏は次のように述べている。 (ベルサイユ)平和会議に臨んだ列国の政治家をして、平和条約において労働問題につきなんらかの措置を講ぜざるをえないと考えせしめるに至った決定的要因は、ロシア革命とその影響であった。日本労働協会『ILO 国際労働機関』改訂版 飼手氏は、本著でこのことを書いた際、第4代事務局長であったエドワード・J・フィーランの同機関創設30周年記念論文を引用している。その記念論文は次のようなものであった。 ロシアのボルシェヴィキ革命に引続いて、ハンガリーではベラ・クンの支配が起った。イギリスでは職工代表運動が多数の有力な労働組合の団結に穴をあけその合法的な幹部達の権威を覆えした。フランスとイタリーの労働組合運動は益々過激に走る兆候を示した。(中略) 平和条約の中で労働問題に顕著な地位を与えようという決定は、本質的にいえば、この緊急情勢の反映であった。平和会議は、条約前文の抽象論や、提議された機構の細目等については余り懸念することなしに労働委員会の提案を受諾したのである。こういう事情でなかったならば、おそらくは、機構の細目における比較的大胆な革新──例えば、国際労働会議において非政府代表者にも政府代表者と同等の投票権や資格を与えるという条項の如き──は、受諾し難いものと考えられたであろう。「ILOの平和への貢献」、『ILO時報』1950年1月号(原典はINTERNATIONAL LABOUR REVIEW,Jun.1949) 当事者自身が、ILO創設はロシア革命の影響だと述べているわけだ。それがなければ、労働者代表にも投票権を与えるような大胆な革新はなかっただろうと認めているのである。「資本の横暴」許すのか これは当時の情勢を考えればよく理解できる。1917年10月に革命を成功させたロシア新政権は、1日の労働時間を8時間とする布告を直ちに発表した。 この中で、「労働時間は『一昼夜に8時間および一週に48時間を超えてはならない』ことが確定された。……同布告によって休息および食事のために労働日の義務的な中断が定められ、休日と祭日が決定され、時間外労働の使用は厳格な枠によって制限された。女子および未成年者の労働に対しては特別な保護が規定され」(『ソヴィエト労働法 上巻』)たという。 その半世紀前から、各国の労働者は1日8時間労働を求めてきた。それに対して各国の資本はそれに耳を傾けず、労働者を酷使してきた。政府も労働者に手を差し伸べなかった。ところが、社会主義を掲げて誕生したロシアで、一挙に8時間労働が実現してしまう。 各国政府の驚きはいかばかりだっただろうか。当時、各国にも強力な労働運動が存在し、共産党を名乗る党もあった。そういう勢力が、ロシア革命の成功を受けて、8時間労働が夢物語ではなくリアルなものであることを実感し、フィーランが書いているように各国で革命を目指した運動を活発化させるのである。それが国民の支持を受けていた。 自ら8時間労働を採用することを宣言しないと革命が起きてしまうかもしれない─。そういう恐怖感の中で、ロシアに続いて17年中にフィンランドが、翌18年にはドイツなど5カ国が、19年にはフランスなど8カ国が8時間労働制に踏み切ったとされる。ILOの8時間労働条約も、そのような動きの中での出来事であった。 ここには、資本の横暴がどのような場合に抑えられるのかということについて、生きた事例が存在しているように思える。今の世界に求められているのも、資本の横暴を許したままにしていては、国民の暮らしが脅かされるにとどまらず、資本が存立している社会、地球さえ脅かされるということへの自覚である。もし、資本がそれに無自覚なままで居続けるなら、「2度目のロシア革命」が現代でも再現される必要があるのだ。 ただしかし、2度目のロシア革命は、同じことの繰り返しであってはならない。新しくできる「体制」は、これまで理解されてきた共産主義体制とは、二つの点で異なるものであるべきだろう。 一つは、既に述べたことだが、それが共産主義体制かどうかを判断する基準は、国民の自由権と社会権が共に高い水準で実現しているかどうかである。その実現を目標に据えるべきである。 ここには2種類の含意がある。まず、自由権さえ不十分な国を共産主義と見なすなど、かつての愚は二度と犯してはならないということだ。同時に、社会権の実現のために必要だからといって、生産手段の社会化を社会主義の目標として位置づけることはしないということだ。多くの人たちを前に演説するレーニン。ロシア革命を成功させ、ソビエト政府をつくった(ゲッティイメージズ) これまで、共産主義運動の中では、生産手段(工場など)が資本家や大株主などにより私的に所有されていることが、社会の利益よりも私的な利益が優先される原因になっているとして、それを社会のものにすることが目標とされてきた。ロシア革命後に実施された国有化が破綻したことをふまえ、働く労働者の共有にするなど、いろいろな模索があったが、社会化の進展具合を共産主義実現の進展具合に重ねる見方は変わらなかった。 しかし、この問題で一番大事なことは、国民の社会権が高い水準で実現することである。生産手段の社会化は必要なことではあるかもしれないが、それは「手段」にすぎない。新しい体制を表す言葉 手段に熱中して目標を脇に置いてしまっては、生産手段が社会化されても国民の権利は保障されなかった共産主義体制の誤りを繰り返すことになる。中国企業で世界に最も影響力のある華為技術(ファーウェイ)が形式的には民間企業であることを見ても、「社会的所有」か「私的所有」かによって、社会への影響が違うとする議論の虚しさを感じる。 もう一つは、その新しい体制を表す言葉だ。私はそれを、「共産主義体制」ではなく、「コミューン」と呼びたい。 共産主義(コミュニズム)の語源はコミューンである。英語のコモン(common)にあたるが、もともとはフランス語で、「共通」「共同」「共有」などを意味する。そこから転じて、中世の欧州では、領主から住民による自治を許された都市を指していた。 つまり、共産主義を生み出した欧州の人々が、共産主義という言葉からイメージするものは、日本人がイメージするものとは根本的に異なっているのだ。現在の世界でコミュニズムという言葉を聞く欧米の人々は、資本の横暴に対して自治を許された住民が共同して立ち向かい、社会を支え合うことをイメージするのではないか。 そうでなければ、あの米国における若者を対象にした世論調査で、「社会主義に好意的」と答えた人が51%にのぼり、「資本主義に好意的」の45%を上回った事実を説明できない。米コロンビア大が、米国やカナダ、英国などの大学の講義要目(シラバス)をチェックし、使われているテキストを自然科学も人文科学も社会科学も併せて調べたことがある。93万件のシラバスの中で、3番目に多かったのがマルクスの『共産党宣言』で、『資本論』も44位に入ったそうである。 日本人の多くは、共産主義と聞いて、「財産の共有」を思い浮かべる。日本のコミュニストにしても、多くも「生産手段の共有」を表す言葉だと信じている。そして、生産手段の社会化の形態や度合いの議論に集中してしまう。しかし、この言葉を生み出した欧米の人々は、今の資本主義では解決できない自治や共同、共存などが実現する社会を思い浮かべる。 これはもう、言葉の問題ではない。求められる体制をどういうものとして構想するのかという問題だ。 だから、新しい社会はコミューンであり、それを実現する革命はコミューン革命である。外来語を使わないで中身を表現するとすれば、新しい社会は「共同社会」とも呼べる。ただ、コミューンの経験のない日本人には「共同社会」と言ってもイメージできないだろうから、それを「支え合う社会」と呼んでもいい。まさに、人が支え合うコミューン=共同体を実現することだ。 この社会にどんなに貧困と格差が広がっても「われ関せず」という富裕層や大資本に対しては、「社会を支える側に立て」と迫っていく国家権力が不可欠だ。どんなに温暖化が進んでも「石炭火力は必要です」という企業に対しては、「目先の利益だけでなく、人類の未来のことも考えよ。地球を支え合う思想を持て」と強制する権力が必要なのだ。 それが「支え合う社会」である。ノスタルジーとしてではなく、現実に不可欠なものなのである。東京都渋谷区の日本共産党本部(桐山弘太撮影) 私が共産党の政策委員会に在籍していたころ、選挙などで問い合わせしてくる共産党の支部長なども、「共産主義は怖い体制だ」と述べるほどであり、「共産主義体制」なるものは、いまや日本のコミュニストでも実現を希望していない。しかし、目指すのが「支え合う社会」なら、米国で社会主義を望む人ほどは日本にも支持者が出てくるのではないだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    国民から見放されたロシア軍がすがるしかなかった「ソ連の栄光」

    レフ144超音速旅客機(ゲッティイメージズ) 93年に成立したロシア連邦憲法第13条は「ロシア連邦はイデオロギー的に多様な国家である」「いかなるイデオロギーも国家的なものではなく、義務ともされない」と謳(うた)っている。それでもなお、ロシア軍はこうした称号を捨てず、「赤旗勲章」、「レーニン記念」、「スターリングラード解放」などの称号が相変わらず冠され続けたのである。「ソ連ノスタルジー」への回帰 一方、2000年に成立したプーチン政権下では微妙な変化が起きた。「強いロシア」を掲げるプーチン政権は、確かに国防予算を増額し、崩壊しかかっていたロシア軍を復活させた。ただ、それはあくまでも経済の負担にならない範囲で、という但し書きのついたものでもあった。 実際、2008年にグルジア戦争が起きるまで、ロシアの国防費増は経済成長率を上回らない範囲に抑制され、その対国内総生産(GDP)比はおおむね2・5%程度に設定されていた。経済力ではるかに勝る米国と軍拡競争を繰り広げ、経済を疲弊させたソ連への反省がそこには明瞭に見て取れよう。プーチン大統領が口癖のように「ロシアは軍拡競争には陥らない」と繰り返すのも、韓国並みの経済力しか持たない現在のロシアの状況を鑑みれば、うなずくほかない。 さらに、プーチン大統領は2007年、軍改革を進めるためとしてアナトリー・セルジュコフ氏を国防相に任命した。軍や情報機関出身者が就任するのが通例であったそれまでの国防相と異なり、家具会社の社長から連邦税務局長を経て国防相に就任したという変わり種である。 セルジュコフ氏は元ビジネスマンらしい経済感覚で軍を徹底的に合理化しようとした。その主眼は、第3次世界大戦のような巨大戦争に備えるのではなく、より蓋然(がいぜん)性の高い小規模紛争への備えを優先した態勢への転換であったが、セルジュコフはこれと並行して、ソ連へのノスタルジーも一掃しようとした。 その一例が前述の名誉称号である。例えば、モスクワ防衛部隊として知られる第2師団は、それまで「十月革命勲章授与・スヴォーロフ勲章授与・カリーニン記念・赤旗第2親衛タマン自動車化歩兵師団」という実に「ソ連的」な名誉称号を冠していた。これが、一回り小さい旅団規模となり、名称も「第5自動車化歩兵旅団」という機能的だが素っ気無いものに変わった。組織改編と同時に、ソ連軍の記憶からの切り離しが進んだのがセルジュコフ時代のロシア軍であった。 ただ、こうした動きは、ロシア軍上層部や保守派からはいかにも苦々しいものとして受け止められた。ソ連の軍事的栄光が忘れ去られていくことに、彼らは感情的なレベルで反発したのである。ソ連時代に米国と戦うことを念頭に軍事教育を受けた旧世代の将軍たちを、セルジュコフ氏が片っ端から更迭していったこともこれに拍車をかけた。2011年5月、ロシア・モスクワの「赤の広場」で対ドイツ戦勝記念日の軍事パレードに参加した兵士ら。背後のスクリーンに映し出された(右から)プーチン首相、メドベージェフ大統領、セルジュコフ国防相(遠藤良介撮影) プーチン政権にしても、ナチスを打倒した歴史は西側諸国との紐帯の証しであり、共産主義イデオロギーが失われた社会をまとめ上げていく上で政治的に一定の利用価値があった。 2011年にセルジュコフ氏が汚職問題とその中心にいた愛人の存在を暴露されて失脚すると、軍の巻き返しが始まった。セルジュコフ氏が合理化によって廃止した大規模な軍事態勢が復活し、それとともに「ソ連的」な名誉称号が再び用いられるようになったのである。前述の第5自動車化歩兵旅団が、再びソ連時代の名誉称号を冠する師団に改編されたのは2013年のことであった。入り混じる「ソ連」と「ロシア」 ナチスへの勝利を記念して毎年5月9日に行われる戦勝記念パレードにも、変化が見られるようになった。勝利の立役者となったT-34戦車などの兵器がきれいにレストア(復元)されて、行進の先頭を飾るようになったことはその一つである。 また、パレード後には、「不滅の連隊(ベススメルトヌィ・ポルク)」と呼ばれる一種の市民行進も催されるようになった。第2次世界大戦に従軍した家族の写真などを掲げて市民が街中を行進するというもので、プーチン大統領も内務人民委員部(NKVD)の破壊工作員として戦った父親の写真を持って、これに加わっている。 何よりも決定的なのは、2014年のウクライナ危機で反米機運が極度に高まったことであろう。対米関係の悪化は、大国を相手に戦える巨大な軍隊の必要性をわかりやすくアピールする機会となり、かつては抑制されていた国防予算も、一時期はGDPの4%以上まで膨れ上がった。 何より、2014年以降の国際情勢は、ソ連が超大国として米国と軍事的覇権を競い合った冷戦期の記憶を、ロシア人一般の間に呼び起こした。こうして、国家を守るロシア軍の姿が、再びソ連軍のそれと重ね合わされるようになったのである。 ただ、現在のロシア軍は、ソ連時代へのノスタルジアのみを威信の源泉としているわけではない。軍事力の復活によってロシアが再び国際政治の表舞台へと返り咲いたこと、ロシア軍の規律が大きく改善されたことなどはロシア軍に対する国民の信頼感を大いに回復させ、世論調査では「信頼のおける政府機関」として大統領の次に名前が挙がるようになった。ソ連軍を持ち出さずとも、ロシア軍は国民の支持をある程度回復したと言える。 また、プーチン政権はソ連崩壊後に息を吹き返したロシア正教会に接近し、近年ではロシア軍にも従軍司祭が置かれるようになった。パラシュート部隊である空挺(くうてい)軍(VDV)には、パラシュート降下資格を持った司祭さえ在籍しているほどだ。 再び軍事パレードに話を戻すと、現在のショイグ国防相は正教式の十字を切ってから赤の広場のパレード会場へと入場するし、パレードを終えて駐屯地へ戻る部隊は国防省前の教会が鳴らす鐘の音で祝福を受ける。モスクワ・赤の広場に建つクレムリンの尖塔(右)と聖ワシリー大聖堂(ゲッティイメージズ) 現代のロシア軍は、その強力な軍事力とソ連時代へのノスタルジー、そしてロシアの民に受け継がれてきた正教への信仰など、さまざまな要素によって支えられていると言えるだろう。「ロシア連邦はイデオロギー的に多様な国家である」という憲法13条の規定は、ここにおいて奇妙な形で実現したと見ることもできないことはない。憲法の起草者たちは夢にも思わなかった形ではあろうが。

  • Thumbnail

    記事

    「右か左か」ではなく「上か下か」が呼び覚ます社会主義ノスタルジー

    小倉正男(経済ジャーナリスト) 今の「グローバリゼーション」が開始されたのは1992年とされている。前年末にソビエト連邦が崩壊し、アメリカを中心とする西側諸国とソ連を中心とする東側諸国との冷戦が終わった。アメリカの単独覇権が確立され、資本主義が社会主義に勝利した。共産党独裁国がいくつか残ったが、全世界のほとんどが資本主義に塗り替えられた。 「グローバリゼーション」によって顕著にもたらされたのは、資本の世界化、ボーダレス化である。資本には、国境がなく、究極的には祖国もナショナリズムもない。資本の「祖国」は、資本であり、利益あるいはおカネということになる。 中国は、ソ連崩壊直後の1992年から“社会主義市場経済”を標榜する転換を行った。中国は、共産党独裁という政治権力構造を残存させながら経済は市場を中心とする資本主義という異形なシステムに移行した。かつてならソ連に「修正主義の極み」と非難されていた変貌だった。 中国は極度に低迷する経済を抱えて貧困や飢餓、失業に喘(あえ)いでいた。社会主義市場経済という“羊頭狗肉の策”まで用いて、閉ざしていた国を開かざるをえなかった。中国もこのままではソ連と同じく体制崩壊が避けられない。中国は背に腹は代えられない行動に出たのである。 過剰なほど豊富な人口による安い労働力、そしてマーケットの巨大な潜在力を睨(にら)んでドイツなどEU(欧州連合)、アメリカ、そして日本、さらに韓国、台湾などからも資本、設備機械、技術が中国に流入していった。最初は恐る恐るというものだったが、2000年代前半あたりからどっと流れ込んでいった。 中国は瞬く間に「世界の工場」となり、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に飛躍をとげた。今では中国を核にして世界の製造業サプライチェーンが網の目状に構築されている(新型コロナウイルスによる今の世界的な経済停止状況は、中国に過剰にサプライチェーンが集中しており、「世界の工場」になり過ぎていることのクライシスを顕在化させた)。 「グローバリゼーション」の恩恵を最大に享受したのは、まぎれもなく中国だった。豊富で安い労働力というものだけで、世界の資本、設備、技術を中国に呼び込んで事実上わがものにしたのである。 この「グローバリゼーション」によってもたらされたものは、世界的な「貧富の格差」だった。当の中国もそうだが、アメリカなどで極端な「貧富の格差」という問題が生じている。中国の安い労働力が、世界の中・低資産階級から仕事を奪い取っていったという事実が否定できない。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) 「右か左か」ではなく、「上か下か」ということが今、世界的に問われている。アメリカでは納税者の上位0・1%の人々が富の20%を握っているといわれている。上位1%で39%の富を握り、90%の人々が貧困に喘いでいる。ドナルド・トランプ大統領は上のクラスにいるのは間違いないが、案外なことに「貧富の格差」という問題が彼を大統領にした側面がある。トランプを勝たせた「ラストベルト」 トランプ大統領は不動産業がビジネス基盤であるためか、「グローバリゼーション」、自由貿易には当初から反対の立場を表明してきた。「アメリカファースト」=「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」がトランプ大統領の立場である。「一国主義」を基本としており、「グローバリゼーション」や自由貿易はアメリカの中・低資産階級にとって災いであると主張している。 トランプ大統領は、米中貿易戦争を引き起こして「中国は長年アメリカの知的財産を奪い、アメリカから雇用、技術など富を盗んでいる」と非難してやまない。中国が「中国製造2025」で巨額補助金を注ぎ込んで半導体などハイテク覇権を奪い取るという行動に出ているとして、「アンフェア」と批判の限りを尽くしている。 「グローバリゼーション」の恩恵を一身に浴びた中国が、世界のハイテク覇権を奪おうと「一国主義」に走っているというロジックになる。ハイテク覇権は、経済覇権のみならず軍事覇権につながる。共和党、そしてトランプ大統領を批判している民主党を問わずアメリカは、中国はアメリカの世界覇権を奪おうとしているという警戒感を強めている。 アメリカの「ラストベルト」では製造業、重工業が衰退して、白人など労働者が仕事を失った。アメリカの中・低資産階級が消滅していった。これは経済のサービス化、あるいは世界競争による産業の新陳代謝でもたらされた衰退という要因が半分だが、中国が人件費コストで圧倒的な優位に立って「世界の工場」になっている事実を要因にする方が誰にも分かりやすい。 前回の大統領選挙では、「ラストベルトはトランプをアメリカ大統領にした」といわれている。トランプ大統領は、見捨てられていたかつての中・低資産階級の票を掘り起こした。 トランプ大統領はアップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)に対して「アメリカで生産すれば関税を心配する必要はない」と、iPhone生産を中国からアメリカに戻せと要求している。こうしたトランプ大統領の発言が、失業して貧困層になっている人々に投票させる誘因になっている。 トランプ大統領は、それ以前にもフォードやハーレーダビッドソンに「工場(雇用)を国外に移すな」と怒ってみせている。 こうしたトランプ大統領の反グロ-バルな「一国主義」は、大統領選挙マーケティングでは勝利を呼ぶ決め手であることは前回で証明済みだ。資本には国境が存在せずグローバルに動いていくが、選挙の投票権はあくまで国境の内側にある。選挙の票は「ローカル」であり、トランプ大統領はそこを外さない。米ホワイトハウスで新型コロナウイルスの対策について記者会見するトランプ大統領=2020年3月(UPI=共同) トランプ大統領のフォード、ハーレー、アップルに対する「工場を国外に移すな」「工場をアメリカに戻せ」というのはアメリカ国内の雇用確保・雇用増への主張である。無理は承知でも、票はローカルであり、有効なメッセージになりうる。米国で深刻化する格差 だが、本来でいえばトランプ大統領(国)がアップルなど民間資本(企業)に口出しするのはルール違反といえる。もともとのアメリカ資本主義の原理原則でいえば、国が民間を統制するものになり、これらは社会主義のレッテルが貼られかねない言動にほかならない。中世、君主(国)が民間に口を出したり手を出したりという人治を嫌悪して、そこから抜け出してきた市民革命の歴史もある。トランプ大統領のケースは、法律によらず、王権のように気ままに民間に口出ししている。 アメリカは資本主義のいわば総本山であるという矜持(きょうじ)が強かった。大統領(国)が民間にいささかでも口出しをすることは一線を超えるものであるとされてきた。それほど敏感な問題だったが、そのアメリカで「社会主義ノスタルジー」、あるいは「社会主義シンドローム」が当たり前に起こっている。トランプ大統領は“何でもあり”にしたわけだ。その背景には「貧富の格差」があり、アメリカでも背に腹は代えられないという現象が起こっている。 民主党の大統領候補を争っているバーニー・サンダース上院議員は、トランプ大統領がアメリカの「貧富の格差」を拡大していると批判している。自らを「民主社会主義者」として、富裕層に重所得税を課して恩典の大半を剥奪し、公立大学の無償化、公的医療保険設立など社会的再配分を行うとしている。 だが、サンダース氏は、「グローバリゼーション」がアメリカ製造業から雇用を失わせたとして環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)には強く反対した経過がある。前回の大統領選挙では、「グローバリゼーション」に肯定的なヒラリー・クリントン氏より、反グローバルを主張する共和党のトランプ氏の方が“現実志向でまし”と評価していた面がある。 サンダース氏は、反グローバルで「一国主義」であることはトランプ大統領とほとんど変わらない。中国の覇権主義を強く警戒しているのも変わるところがない。「一国主義」で海外での戦争などに手を出すことには消極的である。むしろ海外から兵を帰還させる方には傾いている。根底の問題意識はトランプ大統領とかなり通底しているところがある。 アメリカで「民主社会主義者」が大統領候補に名乗りを上げるのは異例のことだ。これもアメリカの貧富の格差が生んだ「社会主義ノスタルジー」、はたまた「社会主義シンドローム」といえる現象である。アメリカの大統領、あるいは大統領候補も誰であれ「乱世の梟雄(きょうゆう)」だ。トランプ大統領もサンダース氏もその最たるもので「グローバリゼーション」が生み出した「乱世の梟雄」にほかならない。 トランプ大統領もサンダース氏もアメリカの「貧富の格差」を俎上に上げている。いわば右と左の両極サイドから「右か左か」ではなく、「上か下か」という問題を提起している。 ひと言だけ触れれば、仮に「サンダース大統領」が実現すれば、アメリカから「資本の逃避」が本格化することは確実である。資本は祖国の国境を容易に越えて、資本の本領ともいうべき行動に出るに違いない。反グローバルで票を獲得できても、従来とは異なる「グローバリゼーション」をさらに拡大する結果を呼び込みかねない。米アイオワ州の集会で支持を訴えるサンダース上院議員=2020年2月(上塚真由撮影) 資本が逃げれば、「上か下か」という貧富の格差を解決する“原資”というべきものを失うことになりかねない。サンダース氏の「社会主義ノスタルジー」現象にはそうしたアイロニー(皮肉)が内包されている。韓国で進む「社会主義」政策 お隣の韓国の文在寅大統領は、社会主義経済政策を連発している。文大統領は、映画『パラサイト』にみられる韓国の極端なほどの「貧富の格差」を解決するということを基本政策として登場している。 3年連続で16%以上の最低賃金アップすると公約して、これはさすがにすべてを実現できずに頓挫しているが、労働時間の大幅短縮、法人税増税などを行っている。文大統領の社会主義政策はサムスン電子などを筆頭に資本(企業)サイドには、大幅な人件費増などをもたらす結果となっている。資本サイドは人件費コスト急増から、当然なことに新しい正規雇用には二の足を踏み、それどころか資本の逃避現象を呼び起こしている。 労働組合など守られた既得権を持つ労働者層には恩恵を与えたが、トータルでは若者の失業者を実体上増大させ、中小企業・個人商店の廃業、資本の海外逃避など「ヘルコリア」を増幅している。 「不平等解消を最高の国政目標にしているが、反対も多く、すぐに成果が現れないので歯がゆい」。文大統領は、『パラサイト』のポン・ジュノ監督らとの昼食会で、韓国の「貧富の格差」が解決していないことを認めて「歯がゆい」と嘆いてみせている。韓国が社会主義経済を実行しているのは大変な実験といえる。 だが、文在寅大統領の過去3年にわたる在職は、韓国の「貧富の格差」をなんら解決できないどころか、むしろそれを増大させている。『パラサイト』はその断面を描いており、これこそ「社会主義ノスタルジー」、いや「社会主義シンドローム」といえるかもしれない。 最後に日本だが、160兆円の年金を運用する「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が民間資本の株式を購入している。これは国が民間資本の株主になるということであり、「超」が付きかねない「社会主義ノスタルジー」「社会主義シンドローム」にほかならない。 やってしまったことは後戻りができないし、マーケットへの衝撃面から辞めることもできない。日本の「社会主義ノスタルジー」はガラパゴスといえばガラパゴス系の進展といえるかもしれない。 「グローバリゼーション」は、日本にも「貧富の格差」拡大傾向をもたらしているのは間違いないが、世界のように「貧富の格差」の極大化は避けられている。「貧富の格差」というファクターとの直接的な関係性はまだみられない。GPIFの株式運用は、これはこれで必要があってこうなっているのだろうが、独自な「社会主義ノスタルジー」「社会主義シンドローム」の道を歩んでいる。年金積立金管理運用独立行政法人=東京都港区 日本のケースは、以前から緩やかな社会主義の優等生といえる面があり、それを自覚していないという特徴があるようだ。中国のように共産党独裁体制ではないわけだが、中央官庁が各業界を監督する一種の“社会主義市場経済”が根付いている面がみられる。GPIFの株式運用も自覚したものではないと推定されるが、資本主義としてはかなり異形であるかもしれない。 ちなみにアメリカは各州ベースの年金ファンドはいまでは株式の運用を組み入れている。低金利の国債運用で、利回りが低下しているためだ。 だが、国の二つの年金ファンドは株式運用には頑として手を染めていない。市場流通性のない「特別国債」、すなわち特別財務省証券で運用されている。国の年金ファンドが、かりそめにも民間企業の株式を運用に組み込んで大株主になれば、それこそ“社会主義統制”に映るからである。 アメリカの国の年金ファンドが、株式運用に手を出していないのはアメリカ資本主義の矜持といわなければならない。ただし、先は分からない。というのも、米連邦準備制度理事会(FRB)が、新型コロナウイルスへの緊急経済対策でリーマンショック時と同様にゼロ金利政策を再採用したからだ。 仮にゼロ金利政策が長期に及ぶことにでもなれば、国の年金ファンドは利回り低下から今の年金給付を維持できない苦境に陥る可能性がある。アメリカ資本主義の矜持も風前の灯火になりかねない状況に直面している。「社会主義ノスタルジー」の亡霊たちはそこまで押し寄せているのである。

  • Thumbnail

    記事

    なぜ今アメリカで「社会主義」が注目されるのか

    西山隆行(成蹊大学法学部教授) 冷戦期、アメリカは社会主義・共産主義と対峙する資本主義圏の盟主としての地位を確立していた。現在、そのアメリカで、社会主義という言葉に大きな注目が集まっている。 ドナルド・トランプ大統領は、2月に行った一般教書演説で、アメリカを社会主義の国にしてはならない、そして、アメリカは決して社会主義の国になる事はないと強調した。冷戦期の国際情勢や社会主義国の状況を知るものからすれば、何を当然のことを言っているのだろうという気がしなくもない。 だが、今日のアメリカでは、社会主義という言葉に対するとらえ方が以前とは大きく変化している。1940年代、アメリカで社会主義と言えば、様々な企業等を国家が管理する考え方だとされた。しかし、今日では、社会主義という言葉は、政府による管理や統制よりも、平等と結びつけて理解されるようになっている。 アメリカで近年、社会主義と言う言葉に好意的なイメージを抱かせるきっかけを作ったのは、2016年大統領選挙で民主党候補となることを目指していたバーニー・サンダースであろう。従来型権力の象徴的存在であったヒラリー・クリントンに対抗し、革命を訴える自称民主社会主義者であるサンダースの主張は、とりわけ若者の心をとらえた。そして、2018年の中間選挙では、サンダースが連邦議会上院で三選を達成したのみならず、ニューヨーク州でアレクサンドリア・オカシオ・コルテス、ミシガン州でラシダ・タリーブら社会主義者を称する人物が当選している。 彼らの当選を可能にした社会的背景としては、近年のアメリカにみられる大きな経済格差がある。アメリカの富の大半が上位1%の富裕層に独占されていると批判し、我々は99%だとのスローガンを掲げて富の偏在を批判したウォール街選挙運動と連続性が見いだせる。 他方、社会主義という言葉にソフトな印象を与えたきっかけは、ひょっとするとティーパーティ運動かもしれない。ウォール街選挙運動とは対照的に、徹底的な小さな政府の実現を主張してバラク・オバマ政権期に登場したティーパーティ運動の活動家は、オバマ政権による医療保障改革を社会主義的医療として、そしてオバマをレーニン(マルクス主義的社会主義者)やヒトラー(国家社会主義者)に並ぶ社会主義者(民主主義的社会主義者)であるとして、強く批判した。 だが、オバマが成立を目指していた国民皆医療保険は、日本やカナダでも実現しており、決して過激な制度ではない。このような主張を受けて、一部のアメリカ人、とりわけ、冷戦を経験していない若い人たちの間に、社会主義とは必ずしも過激な考え方ではないという印象を作り出した可能性があるように思われる。 この点を考える上で興味深いのは、共和党支持者と、民主党内で社会主義を提唱する人たちの間で、社会主義と言って思い浮かべるものが大きく異なっていることである。トランプに代表される共和党の政治家が近年、社会主義を想起させるものとして取り上げるのは、ベネズエラの事例である。 これに対し、サンダースが社会主義の例として出すのは、北欧のスウェーデンやノルウェーである。これらの国々は、社会主義ではなく社会民主主義の国だというべきであろう。これは民主党を支持する若者の間に他国や歴史に対する知識が欠如していることの表れであるが、彼らが提唱している社会主義の概念は世界標準でいえばかなり「穏健」なものなのである。2020年3月4日、米東部バーリントンで記者会見するサンダース上院議員(ゲッティ=共同) では、アメリカ国民は社会主義という言葉をどのようにとらえているのだろうか。2018年のギャラップ社の調査によると、民主党支持者の57%が社会主義に好意的な立場をとっているのに対し、共和党支持者で社会主義に好意的な立場をとるのは16%に過ぎない。共和党支持者は、現在アメリカが社会主義的な方向に進んでいることに対して懸念を示している。同様の調査結果は、フォックス・ニュースの調査等からでも明らかである。 選挙との関連でいえば、2015年6月にギャラップ社が行った調査によれば、社会主義者に投票するかと問われた場合、50%程度の回答者が投票したくないと回答しており、その割合は、イスラム教徒、無神論者、イスラム教徒、同性愛者に投票したくないと回答した人の割合より高い。右でも左でもない「穏健派」 また、2018年8月の、YouGovの調査では、民主党支持者の41%、無党派層の29%が、社会主義者を自称する人物が大統領候補になることに対し好意的な立場を示す一方で、ためらいを感じる、あるいは非常に不愉快であると回答した人の割合は、民主党支持者の59%、無党派層の71%に達しており、民主党支持者の間にも、社会主義者を自称する人に投票したくないという考えが強く残っていることを示している。このような状況を考えると、トランプ大統領が民主党候補のことを社会主義者と批判しているのは、効果的な戦略だと言えるだろう。 実際、この状況は、民主党の政治家の間に大きな分断をもたらしている。アメリカは領土が広大なこともあり、地域によって社会的な構成が大きく異なっている。一般的には、東海岸や西海岸の大都市部では圧倒的にリベラル派が強いのに対し、農村地帯や郊外では保守的な傾向が強い。そして、社会主義者を自称する政治家は、多くの場合、圧倒的にリベラルな有権者が多く、左派的な立場をとっても民主党が負けるとは考えられないような地域から選出されていることが多い。 他方、選挙で二大政党のいずれが勝利するかがわからない激戦の選挙区から出馬している人々は、穏健な有権者の支持を勝ち取らなければ勝利できないこともあり、民主党に社会主義のイメージがつくのを避けようとする。そして、民主党が以後の議会選挙で多数を勝ち取るためには、このような激戦区で勝利を積み重ねることが極めて重要なため、主流派やナンシー・ペロシ下院議長ら指導部は、党の政治家が左派的傾向を示すのに歯止めをかけようと努めている。それが、オカシオ・コルテスら左派的傾向の強い政治家の間で党主流派に対する不信感を生み出す原因となっている。 2020年大統領選挙をめぐって、スターバックスの元CEOであるハワード・シュルツの動向にも注目が集まっている。シュルツは、2020年の民主党の大統領候補と目されている人物たちを、過激な立場をとる者として強く批判している。例えば、富裕層に対する増税を強く提唱している、マサチューセッツ州選出の上院議員であるエリザベス・ウォーレンの主張について、ニュースの良いヘッドラインになるかもしれないが、実現可能性がなく馬鹿げていると一蹴した。なお、大統領選挙に出馬する年齢には達していないが、同様に富裕層増税を提唱しているオカシオ・コルテスについては、勉強不足であり、非アメリカ的な人物だと手厳しく批判している。 シュルツは、カリフォルニア州選出の上院議員、カーマラ・ハリスについても手厳しい。ハリスは、「全ての人にメディケアを(メディケア・フォー・オール)」と呼ばれる立場に賛同している。 アメリカでは国民皆医療保険が公的に制度化されておらず、政府が提供する医療保険は、退役軍人や公務員を対象とするものを除けば、児童向けのもの(CHIP)、貧困者向けのもの(メディケイド)、高齢者や一部の障碍者向けのもの(メディケア)しか存在しない。それ以外で医療保険を必要とする人々は民間医療保険に加入しているのであり、その比率は非常に高い。 このような状況を踏まえて、メディケアの対象を拡大することで、政府が提供する医療保険制度を利用したいと考える人は利用できるようにしようというのが「全ての人にメディケアを」の基本的立場である。だが、ハリスは先日、比較的穏健なそのような立場を乗り越えて、いずれ民間医療保険を全て廃止し、医療保険をメディケアに一元化することも将来的な目標とするべきだと発言した。 シュルツはこの発言をとりわけ強く批判している。シュルツによれば、そのような考え方はアメリカ的でなく、仮にそのようなことが認められれば、他の産業、例えばコーヒー産業等についても、国営化することになってしまうというのである。 このような状況を受け、シュルツは、もし民主党が穏健な立場に立つ柔軟な人物を大統領候補に据えないようならば、自ら第三党候補として立候補すると宣言している。彼が想定している穏健な候補とは、オバマ政権の副大統領であるジョー・バイデンや、元ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグなどである。彼は、民主党が左派的な候補を選出すれば、その左派的な立場にも、右派的なトランプにも賛同したくない、穏健な有権者の支持を集めて勝利できると主張している。ハワード・シュルツ氏は米スターバックスコーヒーの「中興の祖」として知られる 他方、シュルツは、自らが立候補を検討する最大の理由はトランプ大統領の再選を阻止することにあると明言している。民主党の候補が最終的に決定するのは2020年の7月から9月であることを考えると、それまでの間、第三党候補としての立場を維持するには莫大な費用がかかる。だが、たとえその費用が無駄になったとしても、民主党が穏健派候補擁立するならばトランプの再選を阻止することができるため、自らの立候補を取り下げるとしているのである。 2010年の連邦議会選挙前後から、ティーパーティ派が共和党を右傾化させ、党の在り方を大きく変質させたと指摘された。それと同様の現象が現在、民主党の側にも起こっているのであろうか。2020年大統領選挙に向けて、民主党の動向に注目する必要があるだろう。

  • Thumbnail

    記事

    100年前のロシヤ革命、革命と反革命どちらなのか論じるべき

     2017年は、世界で初めての社会主義による国家樹立のきっかけとなった革命からちょうど100年になる。評論家の呉智英氏が、ロシヤ革命(ロシア革命)について、これから様々に現れるであろう論考について、解説する。* * * 今年はロシヤ革命百年に当たる。これから秋にかけてマスコミに愚論が次々に現れるだろう。私はこの連載で逐一これを叩かなければならない。ああ、考えただけで嬉……じゃなかった、面倒くさい。 その序論として、マスコミは1917年にロシヤで起きた政変をどう書くか、考えてみよう。私自身が冒頭に書いたように「ロシヤ革命」だろう。しかし、そうだとしたら、1991年に起きたソ連崩壊は何なのだろう。当然、ロシヤ反革命だろう。74年を経て(1922年のソ連成立からだと69年)、やっと反革命が実現したのだということになる。では、マスコミは1991年の政変を「ロシヤ反革命」とするだろうか。しないだろうな。 今私が書いたように、最もニュートラルに「ロシヤ政変」とするかもしれない。それなら、1789年に起きたフランス革命もフランス政変だろうし、1868年の明治維新も明治政変だろうし、1911年支那の辛亥革命も辛亥政変だろう。 この問題を解決するため便法として、1917年の政変も1991年の政変もともにクーデタと呼ぶ論者も出てきている。半世紀ほど前に受験勉強のために暗記した「645年、大化改新」も、最近は「645年、乙巳のクーデタ(また乙巳の政変など)」と名称変更されている(646年の詔発布を「改新」の始まりとする)。つまり、価値判断の伴う「革命」「改新」という言葉を避けようという意図である。 しかし、大化改新は、クーデタ後に改新は起きたのであり、全体として大化改新である。一方、ロシヤの場合、1917年のクーデタ後の74年間は何だったのか。クーデタ後に地獄の政治が始まったとするなら、1991年のソ連崩壊こそロシヤ革命だろう。 あるいは、1917年の政変はエセ革命であったという解釈もありうる。ソ連共産党内の反スターリン派であったトロツキーの流れを汲む共産主義者なら、そう言うだろう。また、ロシヤ革命直前期の革命勢力のうちの反共産主義の人たち、社会革命党、無政府主義者、さらにメンシェビキたちも、そう言うだろう。 だが、そのエセ革命社会が1991年に崩壊して、その後、トロツキー派や社会革命党が息を吹き返したり注目を集めるようになっているわけではない。ロシヤの民衆がトロツキーの肖像を掲げてプーチン打倒のデモ行進をしたという話は聞いたことがない。 ソ連という地獄の政治への不満や反撥や批判は、民衆からも政治家からも思想家からもずっとあった。しかし、ソ連は約70年間も続いた。これを崩壊させたのは、アメリカのレーガン大統領である。レーガンが核競争を仕掛け、これを受けたソ連も軍拡に走り、経済的疲弊の結果、崩壊に至った。 ロシヤ革命について考えるなら、これらの論点についてこそ考えなければならない。ソ連崩壊後からでも26年経っているんだし。●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。関連記事■朝鮮半島における「礼儀・礼節」 日本とは意味が違う■認知症の初期症状 「面倒くさい」「別にいい」等の口癖増加■奇怪な呼称問題 「石川五右衛門・元死刑囚」と呼ぶべきか■ジャンボ宝くじ 何年買い続けたら1等当せん確率が上がるのか■『正義のYouTube広告』が持つ発信力について考えてみた

  • Thumbnail

    記事

    ロシアにディストピア小説はない、理由はプーチン政権

     現在の「ディストピア小説」は敵が内側にあるが、1970年代、1980年代に流行したディストピア小説は、第三次大戦やソ連の侵攻によって出現していた。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏と思想史研究者・慶應大学教授の片山杜秀氏が、時代や国によるディストピアの違いについて語り合った。佐藤:そこで思い出すのが石原慎太郎の『亡国』(角川書店・1982)です。片山:あれは傑作です。政府与党の対米独立派の策動をきっかけに、日米同盟が揺らぎ、日本は戦争なしでいつの間にかソ連の属国になる。ソ連化する一段手前には真逆ですが右派のクーデターが起きて、共産党の幹部が自衛隊に殺害される場面さえある。佐藤:政治的リアリティの背景には、東西冷戦によるソ連侵攻や核戦争に対する危機感があった。片山:『亡国』が刊行されたのは1980年代初頭、米ソ冷戦が最後に激化してゆく時期ですね。日本では左翼がまだ強く、『亡国』は日本の左翼が手先になってソ連が日本を内部崩壊に導く筋立てです。とにかくその頃からソ連が日本に侵攻し、この国が非常時に陥る小説が増えた。それをパロディにしたのが、筒井康隆の『歌と饒舌の戦記』(新潮社・1987)です。佐藤:今年2月に刊行された古川日出男の『ミライミライ』(新潮社・2018)はその系譜を継いでいるのではないですか。片山:第二次大戦後、北海道がソ連に占領され、本州以南がインドと連邦国家になっているというポリティカルなパラレルワールドが展開される物語でしたね。佐藤:中国の脅威や地政学を考えると、日印連邦は荒唐無稽の話じゃない。しかもソ連領の北海道にはカレーはあるがラーメンがない。その理由は米軍が放出した小麦粉がないから。片山:アメリカに統治された沖縄に対して、ソ連に占領された北海道という対比もよかった。佐藤:それに北海道がファシズム国家に取り込まれたらどうなっていたかという実験小説としても読める。 平成ディストピアは、現在の政権が目指すファシズムが行き着いた近未来の社会とも言える。ただ私は平成に描かれたディストピアにはどこか緩さが残っている気がするのですが、いかがですか?作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏片山:分かります。『橋を渡る』(吉田修一、文藝春秋・2016)にしても徹底的に管理された未来ではない。作家は70年前からタイムスリップしてきた登場人物に「思い描いていたユートピアじゃない。でも、恐れていたディストピアでもなさそうな気がする。(略)熱くもない、ぬるくもない、そんなお湯につかってるみたいな未来……」と語らせている。小説に追いついたプーチン佐藤:私は、それが日本の戦争体験に起因しているのではないかと考えているんです。みんな太平洋戦争中をひどい時代だったと回顧するのですが、本当にひどかった期間は、実はとても短いでしょう。片山:そうですね。1944年までは総動員体制に反対する人もいた。一億玉砕が強く叫ばれたのも東京大空襲があった1945年3月から終戦までの6か月間ですからね。佐藤:結局、国家総動員が中途半端なまま、関東大震災以来のカタストロフとなる無差別爆撃で、日本のファシズムは未完に終わる。片山:日本人は空襲や原爆、地震や津波といった自然災害などのカタストロフとともに生きてきました。そしてカタストロフのたびに、しようがないかと諦めて、それなりに取り返せてきた。ユートピアもディストピアもファシズムも、この国は徹底したものを嫌悪するのですね。ぬるま湯以外はいやなんでしょうね。いまのロシアそのもの佐藤:戦前の未完のファシズムも、平成の中途半端なディストピアもそうした日本の社会構造が生んだとも言えます。私はディストピアが求められる社会には、実は希望があると感じます。片山:なるほど。逆説的にいえば、きっとそうなのでしょうね。佐藤:2011年からロシアで放映された『月の裏側』というテレビドラマがあります。モスクワで連続殺人犯を追う警官が1977年のソ連にワープする。警官を続けながら現代に戻る方法を模索する主人公が、ソ連崩壊を経験し、現代に戻ってくる。片山:面白そうなストーリーですね。佐藤:実際、大ヒットして続編が作られた。セカンドシーズンでは前作で起きたあることが原因で、ペレストロイカが行われず、ソ連が崩壊していない。 地上にはソ連製のボロいクルマが走っているんですが、空中には飛行船が飛んでいる。紙幣は廃止されて電子マネーが使われている一方、コカコーラも西側のラジオも禁止。KGBが絶大な権力を持つファシズム国家として存続している。片山:続編はパラレルワールドものになったわけか。興味深い内容ですね。佐藤:でもセカンドシーズンは、ロシア人にまったく受け入れられなかった。まるでいまのロシアそのものじゃないか、と。片山:ロシアの人たちは、現実を見せられた気分になったのか。佐藤:そこですよ。ロシアにはいまほとんどディストピア小説がありません。なぜならプーチン政権がディストピアそのものだから。片山:だから逆にディストピア小説が読まれる社会にはまだ希望がある、と。佐藤:ええ。ただし、あと一歩進めば、小説を笑えなくなる日が来ることも、この国の作家たちは分かっているから作品を発表し続けているのだと思います。●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。片山杜秀氏との本誌対談をまとめた『平成史』が発売中。●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究者。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『「五箇条の誓文」で解く日本史』。■構成/山川徹、撮影/小倉雄一郎関連記事■佐藤優×片山杜秀 ディストピア小説を読むと日本が見える■佐藤優×さいとう・たかを プーチン大統領を怖いと感じる訳■「北方領土は2島で」 安倍首相は歴史に名を残したいだけか■アリババ総帥をネット民礼賛 プーチン氏に「私は若くない」■佐藤優×片山杜秀対談 2度の粛清でおかしな官僚だけ残った

  • Thumbnail

    記事

    社会常識もかすむ「いつまでも桜を見る会」には、お気の毒です

    が反安倍系の識者たちのあざ笑う対象になるのか、全く理解できない。おそらく、それほどまでに反安倍というイデオロギーというか、認知バイアスが強いのだろう。哀れむべき現象と言わざるを得ない。

  • Thumbnail

    記事

    「京都に共産市長はNO」かっこ悪すぎた門川大作陣営の時代錯誤広告

    どを想起させ、独裁や人権侵害が社会を覆うという根拠のないイメージを植え付けることを目的とする体系的なイデオロギーである。 政策論争よりも否定的レッテルを一方的に貼りつけて拡散することで共産党が推薦する候補者への投票をためらわせることのみが狙いだ。 戦後日本政治にあって、ソ連や中国の社会主義が大きな影響力を持っていた1950~80年代までは、しばしば使われた手法であるが、冷戦終結後にも有効であると判断する認識そのものが時代遅れである。「京都に共産党の市長は『NO』」などと記載された門川大作氏陣営の選挙広告 特に京都は、旧社会党や共産党を与党とする蜷川虎三知事による民主的な府政が28年も続いた地域である。共産党が戦後ずっと強固な地盤を維持してきた歴史は、今も変わっていない。だからこそレッテル貼りの反共宣伝なのだろう。ただ、これは政治手法として、きわめて恥ずかしい。 この広告について、共産党の小池晃書記局長は、ツイッターで「ヘイトだ」と批判した。それに対して共産党に好意的な政治学者が「ヘイト」と評価するのは間違いだと批判したように、捉え方は分かれた。この問題についても触れておきたい。「ヘイト」との批判は妥当 結論から言えば小池氏の指摘は正しい。「ヘイト」という表現は、「ヘイトスピーチ」という言葉を短縮したものとして日本社会に広まっていった。周知のように「ヘイトスピーチ」とは、端的に言ってマイノリティに対する差別の煽動である。 しかし、小池氏が選挙広告を批判する際に使った「ヘイト」とは、文字通り共産党に対する「憎しみ」を選挙広告に見たのだろう。 第二に、京都の有権者=住民に対する侮辱である。蜷川府政については先ほど触れた。小さな個人的体験を紹介したい。私は1970年に京都の公立高校を卒業した。その前年のことだ。蜷川府政の特徴の一つは住民が自ら行動して要求した課題に予算をつけることである。 私たち高校3年生の有志は、卒業を前にして食堂建設運動を行い、在校生の8割から署名を集めることができた。その結果、京都府は食堂建設のための予算をつけてくれた。公立高校で初めて食堂を設置することができたのである。「憲法を暮らしのなかに生かそう」――蜷川府政が掲げたスローガンの精神は、住民が自らの権利を実現するために、自ら行動することを求める生きた民主主義であった。 こうしたかつての京都府政に対しても「独善だ」とするイデオロギッシュな攻撃が常にあったが、それは住民や有権者に民主主義を根づかせる重要な機能を全面的に批判するものである。憲法をはじめとする様々な理念は、世界史の中の人間集団の多大な犠牲も含めた具体的営みを基礎として概念化されたものである。 行政は住民の暮らしに理念を生かすことが目的でなければならない。政党はそれを実現させる媒体であって、何党であろうとも行動の基本としなければならない。門川陣営の選挙広告は、政党の役割に無理解があるのだ。 最後に一言。門川陣営の広告には、門川氏の推薦人が顔写真付きで名前を連ねていた。ところが多くの推薦人は本人が知らないうちにこの広告に掲載されたのである。 たとえば映画監督の中島貞夫氏は「推薦人は了承していたが、広告の掲載や文は聞いていない。共産党だからNOだとか排他するような考え方は間違い」と京都新聞の取材に語った。京都市長選の街頭演説で政策を訴える門川大作氏=2020年1月、京都市下京区 また、日本画家の千住博氏は、自身のホームページで「特定の党を排他するようなネガティブキャンペーンには反対」と述べた。放送作家の小山薫堂氏の事務所もネットで「事前の説明も了承もなかった」としている。 謀略的な手法には、謀略的な内容が伴うものだ。門川氏が勝利をしても、その選挙の内実において反時代的なものである限り、道義的には敗北だと指摘されても仕方ないだろう。フェアプレー精神の完璧な欠如である。

  • Thumbnail

    記事

    ゴーンもイラン司令官もみなヒーロー、薄っぺらいリベラルの「暴走」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 年末から年始にかけて、日本は主に二つの衝撃的な出来事に揺れている。一つは、保釈中の日産自動車元会長、カルロス・ゴーン被告が日本からレバノンに「逃亡」した事件だ。もう一つは、米国のトランプ政権が実行したイラン革命防衛隊のカセム・ソレイマニ司令官らの殺害事件である。 ゴーン被告の起訴内容は、金融商品取引法違反と特別背任という会社法違反であった。これに加え、メディアや日産側から指摘されているさまざまな経費の私的流用があったともいわれている。 ゴーン被告は、逮捕前までは日産を大幅な人員削減や工場の統廃合などコスト削減で経営を立て直し、さらに日産・ルノー・三菱自動車の3社による世界最大級の自動車連合の象徴として、マスコミや財界でもてはやされていた。しかし、上記の事件の内幕が明らかになるにつれて、元山口組系組長で評論家の猫組長が近著『金融ダークサイド』(講談社)で指摘したように、ゴーン被告は日産を利用して国際的なマネーロンダリング(資金洗浄)を行っていたとされている。 日産を中心にした戦後の自動車産業の興亡とその中でのゴーン「改革」の内幕を描いた経済ジャーナリスト、井上久男氏の著作『日産vs.ゴーン』(文春新書)でも「ゴーンが自分の地位を利用して会社を食い物にしようとしていたと見られてもやむをえないだろう」と指摘されている。おそらくゴーン事件を多少でも知る国民の大半の認識は同じだろう。 もちろん、取り調べのために勾留が長期化する「人質司法」の在り方に批判的な人たちもいる。特に、フランスや日本の「リベラル」的なメディアや識者がそのような意見を表明している。 相変わらずの「リベラル仕草(しぐさ)」ともいえる態度だが、仮に日本の司法に問題があるにせよ、別に論議すればいいだけだ。ところが、なぜかゴーン被告を日本の司法の闇と闘うヒーローのようにみなしている人も多く、あぜんとしてしまう。まるで反権力の闘士扱いだ。2019年4月、弁護士事務所を出るカルロス・ゴーン被告(桐原正道撮影) これと似た状況は、リベラル仕草界隈でここ数年のブームになっており、天下りあっせんをした官僚や、補助金詐欺を働いた人物であっても「反安倍」「反権力」というスタンスだけで肯定的評価されてしまう。だが、リベラル仕草の人たちが考えるほど、ゴーン被告は英雄でもなんでもないし、むしろ自己保身のためには映画顔負けのアクションをこなす「スーツアクター」でもあったことが今回分かった。 もっとも、彼の着た「スーツ」は大型の楽器が入る黒いケースであった。報道によれば、関西国際空港の出国審査などはほぼザルのようであり、ゴーン被告が入ったとされるケースは、エックス線検査も行われなかったという。短絡的な「戦争懸念」 また、そもそもプライベートジェットが通常の旅客機と違って、この種の審査は緩いという指摘も見た。ゴーン被告は現在、レバノンの自宅にいるようだが、自宅自体も「日産ブランド」を利用した疑惑が持たれている。 日本の入国管理体制がずさんであることや、海外逃亡を懸念される人物にその実現を許してしまう保釈の在り方、例えばGPS(衛星利用測位システム)の発信機を装着させるべきか否かなど、さまざまな論点が今後議論されるだろう。 しかし、どうもリベラル仕草の人たちは、いまだにゴーン被告の「英雄化」を止めていない気配がある。最近目にしたテレビのワイドショーでは、毎日新聞の論説委員が「ゴーンさん」と呼称して、彼が日本に堂々と戻ってきて身の潔白をすることを期待していた。なんとお花畑な発想なのだろうか。身の潔白を証明するがために、多額の現金を利用して国外逃亡した、言葉の正しい意味での卑怯(ひきょう)者でしかない。 リベラル仕草の暴走は、年明けのソレイマニ司令官殺害事件でさらに目立った。朝日新聞では、司令官を部下の死に涙する人情厚い人物だとする識者のコメントが掲載されていた。さすがに数万人の死者を生み出した組織の司令官であり、米国では「テロリスト」認定もされている人物に「情が厚い」と今言うことかな、と思う。 殺害された多くの民衆を無視して、ここでも英雄扱いである。この場合もまた「反米」のような薄っぺらい反権力意識が作用しているのかもしれない。 東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者は、司令官殺害事件を直線的に米国が始める戦争というシナリオに結びつけていた。今回の殺害事件を契機にしてインターネットで広まった「第3次世界大戦」をあおる発言と、レベルとしては大差ない。この種の短絡的な「戦争懸念」は、リベラル仕草の人たちに共通するものだ。ソレイマニ司令官の殺害を1面で大きく報じるイラン各紙=2020年1月4日(共同) だが、経済学者で米ジョンズ・ホプキンス大のスティーブ・ハンケ教授によるこの事件の見方は全く異なっていて、イランの公定為替レートとブラックマーケット(闇市場)為替レートの差である「ブラックマーケットプレミアム」に注目している。司令官殺害事件が起きても、このブラックマーケットプレミアムに大した変化は見られない。つまり、戦争を懸念すれば、実勢の為替レートであるブラックマーケットレートが大きくイランリヤル安ドル高になるはずだ。 例えば、公定レートでの両替にアクセスすることができるイラン革命防衛隊であれば、ドルを闇レートよりも安く購入して、リヤルを売るはずだということが想像できるだろう。これが上記のブラックマーケットプレミアムを上昇させる。その動きがないということは、革命防衛隊といったイランの既得権層は米国との戦争を、日本のリベラル仕草なメディアや識者ほど真剣に考えていないということだ。映像による印象だけで語るな また、確かに中東諸国の株価は下がったが、それも今のところ短期的変動の可能性が大きい。つまり、こと市場を見れば「戦争」がすぐに起きることはないだろう。 もっとも、米デューク大のティムール・クラン教授が自身のツイッターで指摘しているように、イランと米国の緊張は、周辺諸国や日本にも影響を与える。中には積極的に政治的介入を試みる国もあるだろう。それに、メディアや各国の指導者、影響力にある識者、各国の世論動向など、利害関係は一気に複雑さを増していくだろう。 テレビでは、イラン各地でのソレイマニ司令官を弔う群衆の映像が流されている。だがクラン教授は、ソレイマニ司令官を嫌うイラン市民は同国内ですらもかなり存在していて、今それを口にすることは危険なので静かにしているだけだと指摘している。映像による印象だけで語るのは状況判断を誤りやすい。 筆者は個人的に、イスラム思想研究者の飯山陽(あかり)氏の発言や、また上記のハンケ教授、クラン教授の発言を基軸に今回の事件を分析している。他にも複数の意見を今後も観察していく必要があるだろう。 数年前、中東政治を含む世界を分析した政治アナリスト、ジョシュア・クーパー・ラモ氏の著書『不連続変化の時代』(講談社インターナショナル)に長文の解説を書いたことがある。この本の中で、ラモ氏は予測不可能なリスクに対応するためにセキュリティーの重要性を指摘している。 経済関係でいえば、マクロ経済政策による安定的な経済成長の達成がそれに当たるだろう。今回のような予測不可能なリスクが発生しても、経済に「ため=余裕」があれば、それはリスクへの緩衝になる。イラン革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官らのひつぎを運ぶ人々=2020年1月、イラク中部カルバラ(AP=共同) しかし、現在の日本は米中貿易戦争で景気が後退する中で、わざわざ消費増税を実施した。つまり、ラモ氏の提言とは逆に、わざわざリスク対応の「ため」を失った状態を政府は選んだといえる。 そこに今回の中東情勢の不安定拡大が重なる。かつてのリーマン・ショックのとき、発祥地であった米国や英国以上に、デフレ不況を放置していた当時の日本経済は痛撃を食らい、沈んでしまった。また同じことが起きるのではないか、筆者の大きな懸念が消えることはない。

  • Thumbnail

    記事

    憲法の将来、それは三島由紀夫の「視座」こそが教えてくれる

    三浦瑠麗(国際政治学者) 日米安保条約は、敗戦国日本にとって最大の国論を二分する論点だった。その時代は終わりを告げつつある。三島由紀夫はかつて、こう言っている。 ぼくは自民党の福田赳夫氏にもいったんだが、マイホーム主義者・自民党支持者イコール安保条約支持者と考えるのは間違いだ。両者の間には安保に対する大変な許容量の差がある、そこをよく考えないと自民党は必ず失敗するとね。『文藝春秋』昭和44年1月号 三島は自裁したことからして、暗く思い詰めたイメージを抱かれがちだ。しかし、彼がこの『文藝春秋』や『ポケットパンチOh!』などで語ったり書いたりするときの政治の捉え方はもっと落ち着いていて、普遍的に物事を捉えている感じがする。 今、没後50年を迎える三島の言葉を振り返ったとき、2020年の日本はずいぶんとそのころから変化したのだということがよく分かる。 三島が上記の分析をした1969年は、確かに国民の多くが日米安保に対する抵抗心を持っていたのかもしれない。しかし、現在の自民党の中でも保守寄りの安倍晋三政権は、そのようなナショナリズムによる日米安保への抵抗感というものを持ってはいないし、私の行ってきた世論調査から見ても、世代交代とともに早晩そのような抵抗感は消え去る運命にある。 日米安保が国民を分断し続けるのはせいぜいあと10年から20年であり、その後の日本は数多くの先進国と同じように、内向きかグローバリゼーション寄りかという分断、あるいは社会的な価値観をめぐる分断に寄っていくだろうというのが私の見立てだ。作家の三島由紀夫=1970年1月撮影 三島は、日米安保による安全と独立をめぐるジレンマを、「国連警察予備軍」および「国土防衛軍」の創設と両者の厳密な切り離しを通じて解消しようと試みた。当時の日本社会にとって、米軍の要請によって創設された警察予備隊を前身とする自衛隊が、国内の暴動やデモの鎮圧に使われるのかどうか、あるいは総理大臣ではなく米国の命に従ってしまったらどうするのかは重要な論点だったのであって、三島の懸念は杞憂に終わったが、もっともな点がなくもない。 もしも、日本の統治機関が外国勢力と繋がってしまっていたらどうするのか。この問いは、正面から問われたことはなかったが、当時の日本の知識人からすれば切実な問いであったに違いない。それは、長らく独立国家としてやってきた日本が敗戦国として直面した、自律性をめぐるアイデンティティーの問題だったからだ。 しかし、実際には米国は「正しい」政策志向を持つ帝国であったがために、幾つかの無体な要求はあったにせよ、自由主義や民主主義、人権の概念を強化する方向に働きかけこそすれ、日本はソ連や中国の傘下にあるよりはよほどましであったことには変わりはない。二つの重要な問題提起 三島が提起した国土防衛軍と国連警察予備軍の創設とのすみ分けは、二つの重要な問題提起を含んでいた。 一つは、日米安保という非対称な二国間同盟を、国連憲章のもとでの集団安全保障体制の下部構造として位置付けようとしたことだ。国連憲章が保証する自衛権の行使は、弱小国にとっては救いにならない場合が多い。 しかも、集団安全保障体制のもとで国連軍を形成し、侵略された弱小国の救援に向かった事例がほとんど存在しないことも確かであり、仮に実現したとしても時間がかかり、救援に駆け付けたときまでにはダメージは確定している可能性が高い。だからこそ、国連憲章は集団的自衛権を認めることによって、個別的自衛権による自衛の限界を超えた後の国連軍派遣と救済までの時間的ギャップを埋めようとしたのである。 三島はこの点を正確に理解していたがゆえに、日米安保条約上の取り決めを実行できるような国連警察予備軍を「警察的任務」のために作ろうと考えたのである。日本は現行の憲法下では海外派兵はできない(ことに当時はなっていた)から、国連軍の戦闘部隊として救援に駆け付けることはできないが、例えば朝鮮戦争の再発時には米軍を後方支援するだろうし、また日本が侵攻された場合には米軍に助けられることになる。 翻って、国土防衛軍は三島にとって、ナショナリズムと国防意識を保持するために必要なものであった。確率は低いが、本土が侵攻されたときのために、陸上自衛隊の9割をこちらに移すという提案である。そして、領海と領空を守るための海自、空自の一部をこちらに振り分けるという考え方であった。 これは奇天烈な提案ではない。米国における州兵は、歴史的には大英帝国からの侵攻に備えるための民兵に起源を持つし、メキシコなどの地続きの隣国を蹂躙(じゅうりん)したことはあったものの、基本的には本土防衛やネイティブ・アメリカンとの戦闘のための郷土防衛軍であった。 大英帝国の植民地であった米国にとって、常備軍が治安出動するというのは、大英帝国の赤い制服の陸軍が植民地人である自分たちを抑えつけ取り締ることを想起させる危険な事象であった。だからこそ、今でも米国は、有事には州兵が軍隊に組み入れられるが、平時の治安出動は陸軍ではなく州兵に任されているのである。「楯の会」会員4人と東部方面総監を人質に取り、2階バルコニーから自衛隊員に憲法改正に向け決起するよう呼び掛ける作家の三島由紀夫。この後、総監室に戻り自決した=1970年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地 しかし、現実には日本はそのような綺麗な切り分けをすることなく、自衛隊の治安出動にも防衛出動にも慎重な態度を崩さないことで、問題を乗り越えてきた。ただ、将来的には陸自の存在意義が問われる中で、人口減による人員不足も相まって、陸自の大半の隊員は災害出動とテロ対策を主な任務とする州兵的な存在に移行していくのではないかと私は考えている。 戦争のテクノロジーの変化が、これだけの人員の存在を正当化しなくなったとき、政治は再び三島の言う「作法」「儀礼」を必要とする国家としての軍のあり方、国防意識のあり方に目を向けるだろうからである。実際に、フランスではそうした方向に揺り戻しが起きている。「米国による平和」の終わり 二つ目の、重要な三島の問題提起は、シビリアン・コントロール(文民統制)である。日本は長らく旧軍出身者を排除し自衛隊を抑えつけることが、シビリアン・コントロールの目的となってきた。三島の書く文章の隅々に、そうした時代の雰囲気が顔をのぞかせている。 三島が自衛隊に対する不満を持っていたのも、そのような扱われ方に甘んじていたがゆえだろう。しかし、それは敗戦後しばらくの間必要だったことに過ぎないのであって、現在の日本に三島の懸念した米軍と日本政府のような二重権威は存在しない。 とりわけ安倍政権になってからは、総理や国家安全保障会議が自衛隊に対する統制を強めたところがある。日本は敗戦国特有の課題から、先進国並みのシビリアン・コントロールの課題に移行しつつあるのだ。 三島が生きていたとしたら、今の日本を見て何を思うだろうか。自衛隊の中の雰囲気も、かつてとはだいぶ異なっているだろう。官僚化し、しかし地道に政府の厳正な統制の下で自らの役割を担っている自衛隊のあり方は、中庸な落ち着き先として悪くないのかもしれない。 何よりも、変わったのは日本ではなくて世界だったのである。敗戦後、日本がプライドを消し去ったと考える人は、国際情勢を視野の外に置いた日本についてだけの議論をしがちだ。 20世紀後半から2020年までの世界はパックス・アメリカーナ(米国による平和)の時代であり、西側陣営が提携を強めていく時代であった。その初期を見ていた三島が感じた課題と、パックス・アメリカーナの終わりに差し掛かった現在の私たちが感じる課題は、全く異なるものだ。 戦乱の世の復活とはいかないまでも、パックス・アメリカーナの後退によって、再び日本が自立の度合いを高めなければいけない時代に入ってきたことは確かである。そのとき、日本はどのような「軸」をもって国際平和と国防を考えるのであろうか。2019年10月、和歌山市で行われた憲法改正推進を目指す大規模集会に寄せられた安倍首相のビデオメッセージ 日本国憲法の前文には素晴らしい理念がうたってある。私はほぼ異存はない。 諸国民の公正と信義というのは、言わば西側陣営内の結束と互いに対するフェアネスに読み替えることができるだろう。この憲法を書いたのは米国なのだから、自由主義国としての彼らの理想が詰まっているはずである。 そこに仮に追加するべき思想があるならば、インドのような非同盟諸国が主張してきたように、国家主権を尊重し、互いに中立的で不介入であろうとする態度だろう。日本が取るべきは、米国のイラク戦争のように相手国に侵攻して政権を倒して民主化する態度ではなく、相手に影響を与え続け関与し続けることで理想を実現しようとする態度である。9条1項は、そうした主権平等の原理原則を実現するために不可欠な、侵略戦争の禁止が書いてある。人間性の本当の恐ろしさ しかし、日本の交戦権を否定し、陸海空軍の保持を禁じる憲法9条2項は、乗り越えられてしかるべき条項だと私は思う。日米安保が日本の左右両極に刺さった棘(とげ)であり続けたのは、日本がまさに軍の保有を禁じられたのに、警察予備隊、ひいては自衛隊を創設したからである。 自衛隊を自分たちの持ち物と思わず、米国の道具と見た。それゆえに、自衛隊に対する配慮も統率の意思も欠けていた。 現政権に反対する人は、こんな総理に正規軍を持たせては危ない、と考えるだろう。逆に、今の野党に反対する人は、そこから総理が出たときに、軍をその人が指揮することを見るのは耐え難い、あるいは危ない、と思うだろう。しかし、好悪の感情を超えて機能する軍でなければ、それはきちんとした制度とは言い難い。 民主国家とは、三島が言うように、人間の本性をむき出しにすれば恐ろしいことになるからこそ、制度を通じて縛ろうという考え方なのだ。三島は既出のコラムの中で、「“日大解放区”の恐しさ」を取り上げ、このようなことを言っている。 青年は人間性の本当の恐しさを知らない。そもそも市民の自覚というのは、人間性への恐怖から始まるんだ。自分の中の人間性への恐怖、他人の中にもあるだろう人間性への恐怖、それが市民の自覚を形成してゆく。互いに互いの人間性の恐しさを悟り、法律やらゴチャゴチャした手続で互いの手を縛り合うんだね。 そうした法律やら手続きやらに、人間性の恐しさにまだ気づかない青年が反撥するのは当然といえ当然なんで、要は彼らに人間性の本当の恐しさを気づかせてやりゃあいい。気づいたものと気づかない者、市民と青年――これは永遠の二律背反だね。 このあと、三島は既に気付いたものの中にも青年期へのノスタルジアから青年にシンパシーを寄せるものが出てきたのは困ったことだと苦言を呈するが、問題は年齢ではないことは現在の日本を見れば分かるだろう。三島の中にあるこの大人性は、日本国憲法の将来を考える上で、一番参考にしなければいけないものだと思う。 「儀礼」を重視し、国としての誇りにこだわって自ら抗議の自殺をした三島は、なぜそこまで型にこだわったのか。それは、国家や国民が凶暴な人間性を解放するのではなくて、平和を希求し、有事に備え続ける姿勢を保つために必要なのが「儀礼」だと彼が思い詰めたからだろう。三島由紀夫の告別式に参列し、手を合わせる一般参列者=1971年1月24日、築地本願寺 三島の行動は反動的で短絡的だったが、平静なときの彼の文章を読めば、主権国家を成り立たせる精神の分析において、彼は間違っていない。 没後50年の三島に報いることは、現在の私たちが直面する政治化した課題に三島を利用することではない。彼の持っていた大人性と真摯さをともに私たちが受け取って、激動の時代をどう生きていくかを考えることこそが、彼に対する供養になるだろう。

  • Thumbnail

    テーマ

    三島由紀夫、没後50年目の「遺言」

    作家、三島由紀夫が割腹自殺したのは1970年。そして2020年、あの衝撃的な事件から50年目を迎えた。三島の作品や思想は良くも悪くも世代を超え、多大な影響を与えてきたが、半世紀前、しきりに憂いた現代の日本を彼はどう見ているだろうか。今回は「三島事件」を歴史として捉える識者らが、彼の「遺言」を再考する。

  • Thumbnail

    記事

    「殺したのはオマエだ」滑稽なる三島由紀夫、50年目の実像

    清義明(フリーライター) 美輪明宏が、ある日、何かの用事で都庁に出掛けた折、その当時都知事だった石原慎太郎と出くわしたときのエピソードがある。 部下に囲まれて現れた石原は、美輪を見つけると近づいてきて、喰(く)ってかかるように 「三島(由紀夫)を殺したのはオマエだ」と絡んできたという。 美輪はこれに動じず、「ああそうよ、次はアナタを呪(のろ)い殺してあげるわ」と言い返した由。なかなか圧巻な話である。 三島由紀夫と石原慎太郎が、戦後文学の異端児として盟友であり、同時に、鼻先三寸で切っ先を合わせあうようなライバル関係でもあったことはよく知られている。ともに戦後民主主義に対する「価値紊乱(びんらん)者」としてその存在を誇示し、作品が放つ熱量と衝撃波を追い風にして、映画や週刊誌といった当時の最先端メディアを巧みに利用した。そして、両者は競い合うようにして政治の世界に足を踏み入れた。 一方、美輪も価値紊乱者であった。美少年のバイセクシャルな歌手として、夜の銀座に名を轟(とどろ)かせ、また同性愛者ということも公言していた。やはり自身が同性愛者であることをほのめかすように『仮面の告白』や『禁色』といった小説を発表して話題をさらっていた三島は、美輪にぞっこんとなって、当時の「ゲイボーイ」の美少年が集まるクラブで逢瀬(おうせ)を楽しんだという。 このクラブのバーテンダーだった、まだ世に出る前の野坂昭如は、当時の三島を「末成(うらな)りの瓢箪(ひょうたん)」「額ばかり目立つ虚弱児そのもの」だったと回顧している(野坂はこのクラブで客からの男色の誘いを断りながら、10日勤めて辞めている。後年、野坂もまた、この期に三島、石原と続く、戦後民主主義の価値紊乱者の一人として人気作家となり、メディアのトリックスターとして君臨し、そして後には政治の世界に足を踏み入れることになる)。舞台「黒蜥蜴」の脚本を担当した作家・三島由紀夫(中央)を囲み、歓談する(左から)天知茂、主演の丸山明宏(美輪明宏)、広瀬みさ、戸部夕子=1968年3月11日、東京・高輪の光輪閣 石原が「三島を殺したのはオマエだ」というのは、それなりに当たっているのかもしれない。その一つは、三島の虚弱体質にあからさまな嘲笑を浴びせていたことだ。 あるとき、三島とダンスをしようとクラブのフロアで体を絡めた際、三島の腰に手をまわした美輪は、豪勢なスーツの下に貧弱な体が包まれていることを大げさに言い立てて、「スーツの中のどこに三島さんはいるの?」と笑ったそうだ。三島はそれでショックを受けたようだ。そのままクラブから帰ってしまい、しばらく美輪のもとに現れなかったという。石原慎太郎の批評 三島由紀夫の評論や回想録で異彩を放つものに、石原慎太郎の『三島由紀夫の日蝕』(新潮社 1991年)がある。 雑誌「新潮」に初出掲載時、サブタイトルには「その栄光と陶酔の虚構」とつけられていた。これが発表されたのは出版に先立つ1990年。三島の没後20年の三島の特集号で、今から30年前の話となる。 三島は本人いわく、昭和32年の頃から内なる芸術至上主義と決別したという。ボディービルで鍛錬した肉体を誇示するようにしながら、文武両道を称揚し、ボクシングや剣道や居合抜きなどを始めたのはこの頃だ。そして、周りには自分のことを知りたいなら、そのときの経験を記した自伝的評論『太陽と鉄』を読めと自薦していたという。 肉体による自意識の超克を楽観的に夢想し、そこに生の謳歌(おうか)を語る形而上学的かつ難解な論理が続く『太陽と鉄』に、私は初めて読んだときから困惑し続けている。貧弱な肉体を意識していた三島が、あるときにこれを自ら意識的にコントロールすることに舵(かじ)を切って、己の文学の足場を移動したということは確かに分かる。しかし、逆に何も変わっていないのではないかという疑問も私にはある。壮麗な論理に見えて、実は陳腐な独りよがりを言っているだけなのではないか。 そこを痛烈についたのが石原である。『三島由紀夫の日蝕』で、石原はその『太陽と鉄』を「大仰な嘘」「うさん臭い自己告白」「怪しげなアッピール」と徹底的に揶揄(やゆ)し否定した。理由はある。それは石原が三島の肉体オンチぶりを間近に見てきたからだ。 三島のボクシングのスパーリングでは、子供のようなストレートしか打てず、フックを打つようにアドバイスしても、「フックはまだ習っていない」と弱音を吐かれ、コーチはため息をつく。プールでクロールを習ってもうまく泳げない。 剣道では「面」の掛け声と動作がちぐはぐで、竹刀を振り下ろし続けるうちに、声と動作がますますずれていく。三島本人は剣道五段を自称していたが、これはよくある有名人へのサービス認定の段位で、せいぜい二級か三級程度の実力。どういうわけか、三島は手首をうまく返り返すことができないため、もともと剣道には向かないのだ。さらに真剣を使う居合抜きまで習うが、得意になって披露しようとすれば、振り上げた刃が鴨居(かもい)に突き刺さってしまい、慌てて抜こうとして力加減を間違い、自慢の銘刀の刃先をこぼれさせてしまう。 肉体と官能の優位性と暴走、その残酷さと対峙することを己の文学のテーマとしてきた石原慎太郎は、その作品の値打ちを裏書きするように、自らがスポーツマンであることを誇ってやまなかった。だから、三島の『太陽と鉄』の「陶酔」が「虚構」であると容赦なく言い放つのは当然のことなのだろう。ボクシングの観戦に訪れた三島由紀夫=1964年10月11日、文京区の後楽園アイスパレス 三島はボディービルで肉体を鍛えあげた。しかし、石原はボディービル自体を、何かの目的がない観賞だけのためにあるものとして、素晴らしい身体とは何かの行為を目的として鍛錬されるもので、ことさら誇るためのものではないという。その肉体はいわば虚構ということだ。そして、それは三島の死にしてもそうだった。徹頭徹尾、ナルシシズムが根底にある意識的なもので、目的性とは遊離して発現したのがあの事件だった。三島の壮大なトリック 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に三島の私兵集団である「楯の会」のメンバーとともに乱入し、将官を拘束したうえで、三島と一人の若者が割腹自殺を遂げた1970年の事件は、本来、何か得体のしれない思想に取りつかれた狂人の愚行に過ぎず、週刊誌…現在ならばネットの記事で数日ばかり注目されて、それから何事もなかったかのように忘れさられていく類いのものだ。背後に大きな政治勢力もなく、被害も結果的にはさしたるものはなく、首謀者はその場で自殺するという自己完結した事件である。 この事件が複雑であり、またいまだに語り継がれるのは、彼が当時、当代随一の作家であり、そしてこの凶行に至るまで、壮麗な迷宮のような文学作品をいくつも残し続け、それが結果的に犯行声明となる仕掛けが施されているからだ。 あの事件からおよそ50年経過した今、私はこの事件を全くのペテンで、ナルシシズムに彩られた「手の込んだ自殺」として受け取るのが、差しあたり正しいと思う。 戦争中の死が身近に迫った世界の荒廃に、退廃と夭折(ようせつ)の美学を見いだした戦中派の青年は、戦後に絶望し続けてきたという。しかし、その戦中派の青年すらも、その疎外と孤独を逆転させ、虚構を作り出してきたのではないか。そしてそれを楽しんできたのも本人なのではないか。 三島の生涯は、反動的で人にさげすまれ、軽蔑される存在を一貫して目指していた。三島が作品の中で描き、自らも没入していった被虐趣味と性的倒錯と死。それが忌まわしいものだからこそ崇高な価値を帯びるという逆説を三島は体現し続けてきた。背徳者として後ろ指をさされることを三島は選び、それを演じ続けていた。 三島の出世作『仮面の告白』の主人公の「私」は、殺される王子を夢見、女流奇術師のいで立ちをマネしてはしゃぎ、矢が突き刺さった青年の半死の裸体を見て自慰を始める。 そして三島の最後は「おもちゃの兵隊」と揶揄(やゆ)された、西武百貨店でデザイナーに特注した豪華な軍服に身を包み、自らの私兵集団の王子として、自分の体に刃を突きたてた。こうして、三島の生涯は完璧に作品に一致することになる。現実と虚構が重なり、そして一体のものとて錯視できる。三島が目論んだものはこれなのだ。 だから、天皇論や右翼的な思想なぞはそのために必要とされる舞台回しで、メルヘンにしかすぎない。『太陽と鉄』以上に、虚構が破綻し、支離滅裂とも言える天皇崇拝のステートメントである『文化防衛論』は、現代の右翼勢力でも取り扱いに困惑し、棚上げせざるを得ない状態になっている。石原が嘲笑した、三島の剣道の掛け声のようなものだ。その思想を語れば語るほど現実から三島は乖離していった。 その三島のふるまいを滑稽だと笑うこともできる。虚構だということもできる。しかし、滑稽や虚構は、それだからこそ崇拝されるということもある。それを三島は正しく計算していた。 三島事件は、芸術としてつくられた事件で、「文学的な政治」の極地であった。私たちは、ここから政治的な何かを受け取る必要もない。人生そのものを作品としてしまった壮大なトリックにただ圧倒されればよい。三島の芸当を模倣してはいけないし、それに続くものもいないだろう。ただその孤独の異様さに崇高の念を抱くだけでよいのである。三島由紀夫=1969年4月27日 追記:「三島を殺したのはオマエだ」と石原慎太郎が喰ってかかったのは、美輪明宏が肉体的虚弱をからかって、後の異様な肉体ナルシシズムへの道を開いたことと、もう一つある。それは、ある時美輪が三島に霊がついていると脅したことだ。その霊の顔が見えるという美輪に、三島はどんな顔だと尋ねると、軍服を着ているという。それを美輪は、天皇に弓引いた逆賊とされ刑死した2・26事件の首謀者の一人、磯部浅一と告げた。三島事件の前年のことである。(文中敬称略)

  • Thumbnail

    記事

    色褪せぬ三島由紀夫の檄文、されど「現役装備品」にあらず

    古谷経衡(文筆家) 三島由紀夫と森田必勝が東京・市ヶ谷で自害した1970年、私は精子ですらなかった(小生、82年生まれ)。いわゆる「三島事件」は私の中では昭和史の一ページであり、たとえそれが2020年に50周年を迎えようとも、やはり私の中で皮膚感覚的に理解しがたい時間の乖離がある。しかしながら、三島事件に関する書籍は何千冊も刊行されており、様々な評論家や作家、文筆人がこのことを多角的に検証・評論している。 三島事件当時30歳であった保阪正康氏ですら、「三島由紀夫主導による盾の会事件そのものについて、私は今も評価を与えるという側にはいない。その行為を先駆的だとか憂国の義挙といったようには見ない」というのだから、当時精子ですらなかった私がよめよめこのことに評価を与える立場にないのは自明である。 とはいえ、三島の自害時の檄文(げきぶん)を再度読み直してみた。この檄文は、様々な人が何百万回と読み込んでいるだろうから当然ここでは全文を引用するわけにはいかないが、自衛隊と現行憲法の矛盾を高らかに謳(うた)う三島の文章は、50余年を経た現在でも、確かに色褪せていないように思える。 しかし、日本が西ドイツ(当時)を抜いて世界第2位の経済大国になったのが1968年。その2年後に三島事件が起こったことを考えると、檄文の中にある「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし」の部分は、今考えると三島の想像以上に危うくなった。 現下の日本は国内総生産(GDP)で中国に抜かれ、一人当たり国民所得は経済協力開発機構(OECD)下位のイタリアと同水準にまで落ちた。経済的に「格下」と思って舐めていた韓国の所得と、あと8千ドルしか差がなくなっている。 そう考えると、現在の日本は「経済的繁栄にうつつを抜かす」どころか、凋落と困窮の一途をたどっているのだから、三島の晩年というのは本当に日本経済が恵まれた段階にあったと言える。もはや現下「経済的繁栄」という言葉自体が死語となり、その言葉を使用できるという魂魄(こんぱく)の中には余裕すら感じられる。 かようにして、三島事件は戦後日本の経済的繁栄の、ある種完成点の段階で起こったのであり、このような経済の余裕があったからこそ、檄文には「国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り」と続くわけである。ここには、言外に成金主義となった日本人の精神的堕落への叱咤(しった)が読み取れるわけだが、もはや成金でも何でもない、オーストラリアより断然貧乏になった現在の日本人には、ますます三島の檄文など届かないであろう。在りし日の三島由紀夫=1969年5月 そして三島が最も激しく指弾した現行憲法と自衛隊存在の矛盾である。三島は檄文の中で自衛隊を「警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず」と形容している。確かに、日本国憲法の中では「陸海空軍その他の戦力を保有せず、国の交戦権はこれを認めない」と書いているにもかかわらずに実力部隊としての自衛隊が存在するのは、戦後日本最大の矛盾であることは論を俟(ま)たない。つまり自衛隊は警察権力の大なるものという表現は正鵠(せいこく)を射ており、現在でも全く通用するロジックだ。限りなく軍隊に近い自衛隊 しかし、三島事件の時代、自衛隊は特に世論から、現在では想像できないほど厳しい目で見られていたことも事実である。三島事件以降、特に冷戦崩壊以降の自衛隊とはどうであったのか。簡単に言えば、軍隊としての体裁を着々と整えつつある。 三島時代ではありえなかった、航空母艦保有(いずもの改修によって事実上の空母化)、空中給油機の導入(専守防衛の観点から航続距離延伸には慎重論があった)、水陸機動団の創設(事実上の海兵隊機能)、そしてスパイ衛星(政府は多目的衛星と呼ぶ)の運用等々と、三島時代では考えられないほど自衛隊の軍隊機能は整っている。 そして、三島時代では議論することすらためらわれた集団的自衛権の行使は、現在政府解釈で容認され、限定的にだが行使できると変更されている。三島時代には一切発令されなかった海上警備行動は、1999年の能登半島沖不審船事件の際に、野呂田芳成防衛庁長官が戦後初めて発令したのち、中国原子力潜水艦領海侵犯事件(2004年)、ソマリア沖海賊対処(2009年)と3度発令されている。 つまり、三島時代に「憲法によって手足をがんじがらめに縛られた自衛隊」という姿は、もはやどこにもないのである。来年度の防衛予算は約5兆3千億円と過去最高を更新。1995年の阪神淡路大震災、そして2011年の東日本大震災における自衛隊員の果敢な救援活動などは国民に広く自衛隊に対し好印象を与え、各種世論調査でも「自衛隊に対し好感を覚える」という回答が大きくなっているのも事実だ。 事程左様に、三島事件を肯定的にとらえる人々も、また否定的にとらえる人々も、三島事件の時代の日本と現代の日本の状況が根本的に異なることをまず出発点に置くべきである。そして、三島が檄文の中で執拗に唱えた「憲法改正=自衛隊の目ざめ」というのも、爾来50年が経過し、三島が呪詛(じゅそ)した日本国憲法はただの一文字も変わっていないのに、自衛隊の装備・活動範囲は前述した通り、限りなく軍隊に近いものに置き換わっている。はてさて、1970年時代の三島の檄文が、「ごく普遍的に」現代日本に援用できるかと言われれば、私はそうは思わない。 日本国憲法9条を変えなければ、自衛隊は国軍たりえない、というのは確かに政治的右翼の中からYP体制打破(ヤルタ・ポツダム)の掛け声とともに戦後言われ続けてきたし、現在も言われ続けている。日本国憲法は公布からただの一文字も変わっていないのだから、確かに書類上、自衛隊は国軍ではない。日本には軍隊はいないということになる。 しかし、日本にアーミー(軍)は存在しない、などと外国人に説明して誰が納得するだろうか。世界有数のイージス艦隻数と、最新鋭の制空戦闘機、そして機動的陸上部隊を多数擁しておきながら、自衛隊は書類上軍隊ではないのだ、というのはあまりにも苦しい言い訳だ。海上自衛隊の護衛艦「いずも」=2019年1月、神奈川県横須賀市 ある種の政治的右翼は、現行憲法のせいで、日本は集団的自衛権を行使できず、また空中給油機も持つことができず、航空母艦保有などもってのほかで、スパイ衛星はその運用ができない。「だから憲法を変えるのだ!」という理屈を言い続けてきた。盛り下がる改憲気運 確かに90年代のある時期までは事実そうであった。が、その後たった20年で、自衛隊と日本政府は前記したすべての装備品を手に入れ、集団的自衛権を行使することができるまでになった。 憲法改正なくば国が亡びる! 憲法改正なくば日本は普通の国になれない! みたいな言説は、90年代~ゼロ年代前半に流行った政治的右翼のお家芸だが、現在多くの国民は、「憲法を改正しなくともこれだけのことができるのだから、特段憲法9条をいじる必要はない」と考えている。実際、「これだけのことをやってきた」第2次以降の安倍政権下で、総理の理想とは反比例するかのように、各社の調査で改憲機運は盛り下がっている。 改憲論者の私ですらも、「安倍政権下でこれだけのことができるのならば、わざわざ9条をいじらなくてもよいのではないか」という見解に傾いている。 三島の憂国とは裏腹に、50年経って自衛隊は着々と軍隊化し、いやむしろ軍隊になっている。存在しないのは憲法に規定された特別裁判所(軍法会議)ぐらいで、あとは解釈の仕方で、良い意味でも悪い意味でも何とでもなる。事実、自衛隊の海外での武器使用は必要最低限度とはいえ、許容されている。これが、憲法改正論が現在薄弱となっている理由の核心的本質である。 三島は、日本経済が豊穣の時代に作家活動を行い、国内外に多大な影響を与えた。そしてその死は、戦後日本経済のある種の完成形の瞬間であった。余力の時代の中で起こった大事件であった。確かに、50余年経っても三島の檄文は「理屈上」色褪せていない。だがそれは、色褪せていないというだけで、現代日本に適用できる「現役装備品」ではない。自衛隊員に憲法改正に向け決起するよう呼び掛ける作家の三島由紀夫=1970年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地 三島事件や三島の晩年の思想に現在でも傾斜する人々は少なからずいる。それは全然勝手で自由だと思うが、私にはこの国の最優先課題は、憲法改正を通じた自衛隊の国軍化とか国民精神堕落の矯正とか、国の大本の覚醒とかではなく、給食費を払えない学童の救貧とかデフレーションの脱却とか労働者賃金の急進的上昇であると思えてならない。 ※参考文献『三島由紀夫と盾の会事件』(保阪正康著、筑摩書房)

  • Thumbnail

    記事

    三島由紀夫が文学と割腹自決で遺したかった「見返し」思想

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) 令和2年は三島由紀夫没後50周年に当たる。三島は「自分の思想は50年後に理解されるだろう」と言い残した。その実現のために、三島に多大な影響を受けた私も微力を尽くしたいと考えている。だが、三島の思想はあまりにも複雑で奥が深い。 ただ、単純な極右思想ではなく、ヨーロッパ近代の人間観を超克した、より高度で強靭な、人間の意識を追求する思想であるといえるだろう。そこで三島の思想は、しばしばニーチェの超人思想と比較される。しかし、本来三島の思想はサルトルの思想を超越し、真の「近代の超克」を目指すものなのである。 そのことが理解されていないのは、サルトル(およびパートナーのボーボワール)に三島が言及した文章が、若者向けの読み物の方に多く、本格的な思想論文の中で、サルトルの名前を出したものが、あまり見受けられないからかもしれない。 だが、サルトルの名前を出さなくとも、三島がサルトル思想に言及し、これを批判し超克しようとした文章はある。それは三島の思想の集大成というべき『文化防衛論』である。 この中で三島は、文化とは単に「見られるもの」ではなく、「見返し」てくるものである―と述べている。例えば歴史的名作の美術品は、ただ鑑賞されるものではなく、同じような作品を作ろうとする人に「もっと良いものを作らねば」という強い圧力を加える。 この「見返し」という表現は、日本文化独特のものかもしれない。少なくとも三島は、この「見返し」という言葉を強調することで、サルトル思想を批判し超克しようとしたのだろう。 サルトルの思想は「『見る』=『見られる』の弁証法」と呼ばれることがある。これは例えば障害者の障害のある部位を凝視することは、その障害を強く本人に意識させるので、差別的な言葉を投げかけるのと同じことでよくない―といった考え方であると理解することができるだろう。 いわゆる近代的ヒューマニズムの思想そのものだろう。これは一見、すばらしいことのように思われるが、実は人間の意識を現状の低い次元に繋ぎ止めてしまう思想ではないだろうか。先の美術品の例で言うなら、高度な美術品を見たために、より良いものを作らねばと考えることも、個人の精神に対する抑圧として否定するような考え方であるとも理解できる。昭和を代表する文壇たち。左から三島由紀夫、安部公房、石川淳、川端康成=1967年2月 だが、抑圧がなければ人間は高次元の意識を持ち、意義の高い仕事をすることはできない。例えば「同性愛は治さなければいけない」という思想が一般的だった時代には、同性愛者と噂された芸能人は、非常に優れた芝居などをしていたと思う。ところが、最近の多様性を尊重する思想が広がって以降、同性愛者であることを、むしろ誇示している芸能人らは、かつての同性愛芸能人より優れた芝居などをしていないと、少なくとも私には思えてならない。三島が同性愛を装った理由 そして、三島にも同性愛疑惑はあった。しかし、それには別の深い意味があったように思う。 私は三島の親友だった村松剛教授を慕って筑波大大学院に進学したが、それは三島の没後20年目の年であり、村松教授は20年の沈黙を破って『三島由紀夫の世界』(新潮社)を刊行し、その内容に基づいた授業をされていた。 その授業の中で村松教授は、三島は戦時中に婚約者同然の恋人がいたこと、それが敗戦によって条件が変わったため解消になったこと、その経緯を主人公が同性愛男性だったことにして語ったのが『仮面の告白』という作品であることなどを教えてくださった。 では、三島はなぜ『仮面の告白』の中で、自らをモデルにした主人公を、同性愛者であるという設定にしたのか。そうしなければ文学にならないという意味のことを三島は別のエッセーで明らかにしている。その理由は何であろうか。 ここからは三島も村松教授も言及していない、私の考えである。 三島は『仮面の告白』を執筆後、しばらく同性愛者が好む服装で、同性愛者専用のバーなどに入り浸っていた時期もあった。そこで三島は本当に同性愛者であると思われていた時期もあった(今でも思っている人が多いようだが)。 それは、当時同性愛者という世間から冷ややかに見られる存在として、あるいは愛する女性に去られた惨めな存在として、人々の視線を自らに集めることを意図したのではないか。それによってサルトルが考えたように、低い次元に自らを留めるのではなく、他者の視線によって自らの惨めな外観だけを現状の低い次元に釘付けにした。 そして、そうすることで真の自分は低い次元から脱却し、より高い次元に上昇して、惨めな自分の姿を凝視して低い次元に安住している人々に「見返し」の視線を送る。これこそが、三島が同性愛者を装った理由だったのではないか。作家の三島由紀夫=1969年4月 非常に皮相な次元の説明をすれば、同性愛者を装うことで三島はベストセラー作家になれた。そして去っていった元恋人を「見返し」た。そういうことも意味していると理解してよいだろう。 このように「見返し」とは、必ずしも高級美術品のような高次元のものとの関係性とは限らない。劣等感に満ちた自分自身の姿をあえて人前にさらすことも「見返し」なのである。やはり日本文化とは、本当に奥の深いものだと思う。現代にも受け継がれた「見返し」 こうした「見返し」は現代の大衆芸能にまで受け継がれている。例えばAKB48のプロデュースや楽曲の歌詞を手掛ける秋元康氏にもその片鱗が見られる。中でも『恋するフォーチューンクッキー』は、男性の恋愛対象になりにくいタイプの女性が、奇跡を起こしてナンバー1になるという、「センター」を勝ち取った指原莉乃を巡る状況が歌詞に込められていて、それが大ヒットになった理由の一つではないかと考える。 これは、昨年9月にリリースされた『サステナブル』でも見られた。NGT48の騒動など、スキャンダルが相次ぎ、ファンに去られそうになっているAKBグループ自体の姿を彷彿とさせ、恋人に去られかかった女性を歌った同曲は、逆境にもかかわらず150万枚近いベストセラーになった。こうしてスキャンダルまみれのイメージを乗り越えたAKBは、『NHK紅白歌合戦』への出場を果たした。 逆にスキャンダルで恋人に去られそうになっている女性に、ただ同情するような歌詞にしていれば、どうだっただろうか。ファンは白けてしまい大ヒットとはいかなかったかもしれない。 ところで、最近「寄り添う」という言葉をよく聞く。災害や犯罪などで家族を失い悲しんでいる人を思いやるといった意味だろう。これは、サルトル的ヒューマニズムと言ってよいかもしれない。ただ、思いやることは大切だが、根本的な解決にはならない。 災害や犯罪などで家族を失い悲しんでいる人は、思いやられるよりも、自らの力で克服するしかないからだ。そうすることで彼らは、より強靭で高い次元の精神状態に進んで未来を切り開いていけるのではないだろうか。 例えば、戦死した人の家族の悲しみも、あえて過剰な同情をしないことこそ、互いの精神を強靭にし、高次元に上昇させるという考え方もあるように思う。日本に古くから根付く武士道精神とは、そういう意味かもしれない。それは戦後民主主義、戦後平和主義が、絶対的に否定した考え方だった。三島由紀夫の自決後、作品にブームが起こった=1971年2月 しかし、それは「見返し」という言葉に象徴される日本人の文化や精神、武士道などとは真逆の部分があり、日本人を精神的に弱体化させる要因なのかもしれない。 こうしたことを現代の日本人に伝えたいがために三島は、あのような最期を遂げたのではないだろうか。没後50年目を迎え、三島の奥深い思想を改めて考える一年になればと強く思う。

  • Thumbnail

    記事

    ダブスタに左も右も突っ走る「この国の事情」

    物江潤(著述家、学習塾塾長) 左派と右派、両陣営の識者はなぜダブルスタンダード(二重規範)に陥ってしまうのでしょうか。私の結論を最初に述べてしまえば、「規範がないから」の一言に尽きます。 規範が複数あって、都合よく使い分けているからダブルスタンダードに陥るのではありません。そもそも、明確な規範がないため、その時々の状況によって言動が変わり、結果として規範が変わっているように見えるわけです。 この結論の理由を示す前に、ダブルスタンダードだと批判を受けそうな事例を紹介します。まずは、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に関する社説を見てみましょう。 萩生田光一文部科学相は「検閲には当たらない」と言う。しかし「退廃芸術」を排除しようとしたナチス・ドイツを持ち出すまでもなく、政治が芸術に介入するのは危険極まる。政策の基本的な計画で「文化芸術の『多様な価値』を活(い)かして、未来をつくる」とうたう文化庁が、多様な価値観を持つ芸術家の表現活動を圧迫し、萎縮させる結果になるのではないか。社説「補助金の不交付 明らかな権力の検閲だ」 東京新聞 2019.09.28 もう一つは、小学館『週刊ポスト』の特集記事「韓国なんて要らない」に関する社説です。 日本と韓国の関係が悪化している中、韓国への批判はあって当然だ。しかし、韓国人全体への差別を助長し、憎しみを煽(あお)るような記事は、「報道」とは程遠い。深刻な反省と再発防止を求めたい。(中略)ポスト誌は謝罪談話を出したが、真の謝罪とするためには、当該号の回収も検討すべきだ。社説「韓国特集で謝罪 批判にも節度が必要だ」 東京新聞 2019.09.04 最初の記事からは、表現活動への圧力は許されないと読めます。しかし、もう一方の記事を読むと、週刊ポストの回収を検討すべきと主張しており、場合によっては表現活動に対する圧力もやむを得ないと解釈できます。「あいちトリエンナーレ2019」のチケット売り場に掲示された、企画「表現の不自由展・その後」の中止を知らせる案内=2019年8月4日、名古屋市の愛知芸術文化センター 紙幅が限られているという事情は分かりますし、あらゆる表現活動が許されるわけではないことも同意します。しかし、東京新聞が考える「表現の自由に関するルール(規範)」が見えにくい状況であることは確かです。表現活動に対する圧力は最終手段のはずなので、それを自らが行使する場合には、もっと明瞭な規範を提示すべきではないでしょうか。規範を持つのが苦手 こうした規範が曖昧な状態は、何も東京新聞に限った話ではありません。私たち日本人は、とにかく規範を持つことが苦手なのです。 「在野の天才学者」とも評された評論家の小室直樹氏は、日本人は規範を持てないため、最も規範から遠い存在である「空気」が規範の代替物になるという摩訶不思議なことが生じていると主張します。 なんとなれば、「空気」(Anima, pseuma)はその内容が一義的に明示されず、なんらの原則を有しないという意味で、組織神学的にはこれほど教義から遠いものはない。また、常に社会状況や人間関係にも依存しており、それから析出された存在になることはできませんから、この意味でもキリスト教的な教義とは正反対である。ところが、構造神学的にいえば、「空気」は規範的に絶対であって所与性をもちます。「それが空気だ!」ということになると誰も反対はできず、「空気」に逆らうことは、とんでもなく悪いことだとされる。山本七平、小室直樹『日本教の社会学』講談社 同様の主張は、外国人である識者からも寄せられています。 日本人は、日本の社会・政治秩序を評価する手段として、法律や、宗教、あるいは体系的に理路整然とした知的探求法といったものを一貫して用いることはしないから、それを評価するためには結局身近な社会環境から発生する要求やその命ずるものにもとづく日常生活上の“諸現実”を用いるほかない。カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎〔下〕』早川書房 要するに、一神教が示すような、明確な規範が見当たらないわけです。だから、その場に流れる空気や、その時々の状況が重要になってきます。 こうなると、規範ではなくて、所属している集団の何となくの政治的スタンスや空気、状況といったものが主張の内容を決定づけることになりかねません。評論家の小室直樹氏=2002年2月撮影 それは主張を発する側だけの話ではありません。日本人は規範を持つことが苦手な以上、その主張を受け止める人たちも一緒です。良し悪しの基準となるはずの規範を用いて、ある主張の賛否を決定することができないのですから、主張の内容の検討は困難になります。 結果、主張の内容ではなく、「誰が主張しているのか」や「周囲の空気」といった、内容以外の要素によって賛否が決まりがちになるわけです。言うまでもなく、政治思想が違う相手であったとしても、確固たる規範に照らし合わせた結果、時には賛意を表明するのが言論というものでしょう。ですから、こうした姿勢はいかがなものかと言わざるを得ません。いい加減な分け方 それに、日本人全体が規範を有することを苦手としているわけですから、左派の話だけではありません。左派と右派、両陣営の基本的な規範を明確にすることが、あるべき言論の第一歩でしょう。保守思想の場合、厳密な意味での規範設定は難しいでしょうが、基本的な姿勢を記述することは可能だと思います。 そして、その規範なり姿勢を源泉とすることで、表現の自由やヘイトスピーチといった、個別テーマに対する左右両陣営の規範を設定できるはずです。確かな規範が明確な主張をもたらし、明確な主張が明確な反論を可能にすることで、建設的な言論のやりとりが期待できるわけです。 ところが、日本にとっては、これまた大変よろしくない事態が続いています。この左右の分け方が、あまりにもいい加減だからです。 日本人は社会主義の政権が誕生することを望んでおらず、彼らに求めたのは自民党が過度に右傾化しないようにという牽制の役割だけだった。つまり日本人は「戦前の軍国主義に戻るのは嫌だが、かといって社会主義にもなってほしくない」という中庸的な立ち位置を求めたのである。 これによって一党支配の自民党と、それに野党としての社会党が対立するという五十五年体制が確立することになる。これ以降、この左派勢力はもっぱら「革新」「進歩派」などと呼ばれるようになる。保守と革新、保守系文化人と進歩派文化人。佐々木俊尚『21世紀の自由論「優しいリアリズム」の時代へ』NHK出版 戦後の日本では、自民党的だったら右派である保守、社会党的であれば左派である革新・進歩派とそれぞれ位置付けられ、左派は共産主義の退潮とともにリベラルと称するようになりました。しかし、この分類は、あまりにも大雑把としか言いようがありません。 本来であれば、その思想の本家本元の考え方を徹底的に学び、そうして日本に土着させるため「本家本元」と「日本特有の諸要素」を上手く接続させていく、といった手順が最低限必要なはずです。 ところが、そうしたステップを踏むことなく、左右両陣営が何となく曖昧に定義づけられてしまったわけです。これでは、両陣営が持つべき規範など、皆目見当もつかないでしょう。社会党の勝間田清一委員長(右)と会談する自民党の佐藤栄作総裁(首相)=1967年11月 しかし、過去を振り返れば、実は多くの財産が残されていたことが分かります。様々な事情が重なり、不幸なことに大変いい加減な定義づけがなされてしまった思想たちですが、これらを日本に根付かせようと奮闘した先人たちがいたわけです。 「自裁死」した評論家の西部邁氏や、高校の教科書にも載っているジャーナリストの陸羯南(くが・がつなん)、歴史学者の津田左右吉(そうきち)といった面々は、保守思想や自由主義(リベラリズム)が日本で芽吹くための重要な仕事をされました。彼らの貴重な財産を生かすために、今を生きるわれわれ日本人は何を成すべきでしょうか。建設的な言論空間に発展するために まずは政治に直接携わったり、強い関心を持つ人たちが、各思想の本家本元をしっかりと理解すること。次に、それらを日本に定着させようとした先人たちの仕事を引き継ぎ、自分のものとすること。 そして、可能であれば、先人たちの仕事を発展させること。かなりの遠回りのように思えますが、こうした仕事をしてはじめて「思想」をつかむことができ、自らの主張の依って立つ場所、つまり規範を得られるのではないかと思います。 難しい工程ですが、政治に強い関心を持つ人であれば、十分に可能だと思います。この仕事を進める方が一人でも増えれば、建設的な言論空間の発展に一歩近づくはずです。 蛇足かもしれませんが、最後に左右両陣営の思想について触れておきます。西部氏が主宰した『発言者』塾(後の『表現者』塾)に参加していた雜賀風紗子氏は、次のような回想録を残しています。 西部先生は丁度『ファシスタたらんとした者』へのあとがきを書き終えられた時で、「結語に代えて―信仰論」の内容をかなり丁寧に再述して下さった。そして最後にご自身の認識について次のようにおっしゃった。 私は「考えること、疑うこと」を止められないという意味では合理主義者であることを免れない類なのだが、ただし考え疑うに当たってもその前提が必要であり、そしてどんな前提も(根本的なものは)合理からはやってこないと知っている。『表現者』平成30年5月号、MXエンターテインメント 基本的に、本家本元の保守思想は理性(合理的な思考)を疑う一方で、リベラルは理性を信頼します。しかし、合理的であろうとすればするほど、合理ではどうにもならない前提が立ちふさがります。これは、この上なく論理的で客観的に思える数学でさえ同様です。評論家の西部邁氏=2001年1月(頼光和弘撮影) 西部氏は、この前提を探るため経済学(社会科学)から離れ、保守思想の道に進みました。保守思想には、前提を決めることのできる非合理的な知恵があると見なしたからでしょう。 合理的であろうとすれば、非合理的な前提をつかむ必要があります。非合理的な前提さえあれば、ある程度は合理的に物事を考えることができます。このことは、保守とリベラルが相反するどころか、むしろ両者は車軸の左右につく車輪のようであり、双方がないと前に進まないことを示唆しています。 このように、ダブルスタンダードに思える言動が減少するには、左右両陣営が規範をきちんと設定できるかどうかにかかっています。そうすれば、不毛な罵詈雑言の応酬も少なくなるはずでしょう。

  • Thumbnail

    テーマ

    「洗脳された両親」籠池家長男かく闘えり

    森友学園問題とは何だったのか―。安倍政権への追及に始まり、前理事長夫妻の逮捕など、メディアはこぞって報じたが、よく分からないまま収束した感がある。こうした中、今秋出版された『籠池家を囲むこんな人たち』が注目を集めた。著者である前理事長夫妻の長男、籠池佳茂氏が問題に終止符を打つべく本質を解き明かす。

  • Thumbnail

    記事

    森友学園問題「籠池夫妻」をとことん利用した人たちの正体

    籠池佳茂(青林堂『籠池家を囲むこんな人たち』より) 森友学園問題とは何だったのかということについて考えてみると森友学園問題の本質は、左翼、右翼を問わずある程度分析できる段階にあると思います。そして、この問題の外形的な動きを保守革新というように分けないで考えれば、政党間での動きという見方もできます。 たとえば、今回の問題は大阪の事案であり、豊中市の市議会議員である木村真(きむら・まこと)議員が、財務省を告訴したことが事の発端です。しかし、これは単なる一つのシグナルで、実は森友学園がやろうとしていた教育内容というのが、彼らにすると受け入れ難いものであったというところに、本来の発端があると思うのです。 そしてもう一つが、なぜ一度受けた認可を取り下げたのかということです。森友学園が行っていた教育方針を大阪で一番支持していたのは、紛れもなく維新なのです。その維新の存在があるからこそ、大阪府での認可の規制が緩和されたのです。 この点に関しては橋下徹さん(大阪維新の会法律顧問)も認めています。そして、認可したにもかかわらず、なぜあの事件の時に、それこそ一銭の得にもならない認可の取り下げを森友学園側がすることになったのかということです。これは明らかに不自然な行動です。この点に関して、保守、リベラルを問わずに俯瞰(ふかん)すると、そこにはある背景があり、認可を取り下げたという事が見えてきます。 罪を認めるべきところは認めます。教育方針については多少の誤解があったと思います。私が思うには、教育方針が物議の原因だったとすれば、それをどのように考えるかです。たとえば、左派には左派を教育する場があるように、保守にも保守としての教育をする場があってもよいと思うのです。 現在の父と母は、実は洗脳されたような状態にあるということです。もし問題があるとすれば、保守的な教育方針に対して否定的であった人たちに取り込まれているということです。そして、両親を自分たちの意のままにしている筆頭が、当時記者として私たちの前に登場した菅野完(すがの・たもつ)であり、この問題を考える上で重要なキーパーソンといえます。籠池泰典氏を単独インタビューし、報道陣に囲まれるノンフィクション作家でジャーナリストの菅野完氏=2017年3月、東京都港区(宮崎瑞穂撮影) 彼は、ジャーナリストやメディア、特定野党勢力とその支持者たちも含めて、全てと連携しています。そして、彼は籠池泰典を表に出し、安倍総理と対峙させるという構図を作っているのです。父の泰典は、要するに安倍政権の弱体化を謀るための駒として利用されているのです。■騒動を利用しようとする輩がいる。むしろ右の方が多い 2月9日の朝日新聞の報道以後、それまで一生懸命にやってきた父や母は、マスコミによって一方的に叩かれていました。両親も私も、家の前を取り囲むメディアスクラムから逃れたいという一心でした。菅野完は、そのような状況での私に接触してきたのです。 平成29年(2017)3月10日に記者会見を行い、その会見場に彼は来ていました。冒頭の質疑応答で質問したのが彼だったのです。以下のようなやり取りでした。佳茂 いま質問されている方ですけど。菅野 フリーの菅野と申します。籠池 菅野? あ、菅野さんかー。あなたが菅野さんかー。あなたちょっと悪いんじゃないの〜、ほんとに。いまメガネかけてるけど。菅野 ぼくずっとメガネかけてますけど。(中略)記者 理事長、退任はいつをお考えなんですか。籠池 まだ考えてないです。菅野 あれ、さっき辞めるいうてはった。籠池 いやいや、違う。あんたはなんでそんな畳みかけ方するのかな。菅野 よっぽど僕のこと嫌いに……佳茂 まあまあ。菅野 さっきというてることが違うやないですか。 会見では、冒頭で会社名と名前を言うとき、「フリーの菅野です」と言っていました。これはジャーナリストですよね、著述家ではないですよね。彼は著述家であり活動家でありジャーナリストであり、その時その場で臨機応変に肩書きを変える、そうした一面があります。確かに、あの時は「フリーの菅野です」と言っていました。それが最初です。「ご両親は悪くない」 彼と私が関係を持つようになったきっかけは、3月10日の記者会見で「フリーの菅野です」と彼が言った時、彼は笑ったのです。そのとき、ちょっとイメージ的なのですが、何か自分と同調するものを感じたのです。 私は彼を知らないし、会ったこともなかったのですが、そのように感じたのです。平成28年(2016)4月に出版された彼の著書『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読んだときも、「日本会議も有名になってきたな」と思った程度でした。 しかし、同調する何かを感じた、これは何なのだろうということが自分の頭に残っていたのです。そして10日の会見が終わった翌日、彼から一度会いたいとLINEでメッセージが送られて来ました。その時のやり取りは次のようなものです。2017年3月11日(土)菅野: 菅野です。昨日はありがとうございました。やはり佳茂さんのお話をお伺いしたいです。なんとかお時間を頂戴することは叶いませんでしょうか。日本会議とか日本教育再生機構とか、それは実は私にとってはどうでもよく、もう少し違うお話をお聞かせ願えればありがたいのです。何卒ご検討のほどよろしくお願いします。佳茂: ご苦労様です。お話の方向性をお聞かせください。私は父は嵌められたと観ています勿論省みる所はあるのも事実です。しかし、父だけが責任を負うと謂う構図では決してないと思っています。拝菅野:まさにその点をお聞かせ願えればと考えておりました。理事長は、今回の件だけでなく、これまでもずっと利用されはめられ続けてきたのではないか?というのが、私の仮説なのです。このままでは理事長も子供たちも決して納得できないと思うのです。そこを是非お聞かせ願えればありがたいです。つまり理事長は被害者なのではないか?と、私は思っているのです。佳茂:さすがのご慧眼。その通りであります。日本は本当に建て直しに入っているのではと思います。菅野さんが仰る国家を語る反国家主義者を一掃せねばならないと思います。菅野:そこなんです。ずっと引っかかるのは。そういう連中は左右両方にいる。で、嘆かわしいことに、右の方が多い理事長はその両方にはめられたんではないかというのが見立てなんです。佳茂:なるほど。場合によっては全面協力しますよ。仰る通りであります。 そしてホテルのラウンジでお会いしたのが夕方の6時か7時頃でした。 なぜ会う必要があるのか聞いたところ、「右にも左にも騒動を利用しようとする輩がいる」とメッセージに書かれてあり、当時の私の心境に近いものがあったので、会うことにしました。      会って最初に、「森友寛先生のレジェンドを残さないといけない」と言われました。とにかく父は悪くないとも言っていました。当時は、私もそう思っていましたから。彼は森友寛のことなどを、非常によく勉強していました。 だから、普通の人として会ったわけですが、結果的にそれが大爆弾になったということです。ただ、それは私の本意ではないのです。むしろ、その当時のバッシングのされ方があまりにも実態とかけ離れているという感じだったのです。大阪地検に入る籠池泰典前理事長(奥)と妻の諄子氏=2017年7月、大阪市福島区(安元雄太撮影) 話の内容は、騒動を利用する人たちがいるということでした。菅野完は私の意見に同調し、学園の方針を否定するようなことは言っていなかったと思います。彼は「右も左も騒動を利用しようとする者がおる、むしろ右の方が多い」とも言っていましたが、今から思えばお笑い話です。「ちょっと待て、お前よう言うな、それはお前やないか」とわかります。 LINEにあった「国家を語る反国家主義者」とは、実は彼そのものでした。しかし彼は、「あなたのよき理解者ですよ」と装っていたわけです。 ■「ご両親は悪くない」 その翌日も会いました。菅野完は「ご両親は悪くない。悪いのは大阪府であり、財務省だ」「自分は役人を刺したい」とまで話していたのです。当時そのような意見を聞くのは初めてだったので、「それなら父に会って話しを聞いてくれ」と言って、12日に自宅へ連れて行ったのです。 父が彼と会ったとき、父は、菅野完が塚本幼稚園での虐待などについて取材をしたり、記事を書いていたことを知っていたようです。だから記者会見の時に「あんたか」と言ったので、彼のことについては、父の方がわかっていたと思います。いま考えれば、これが大きな運命の分かれ道でした。菅野完と野党のつながり 彼は元々左派ですが、私はそれを知らなかったし、はっきりと認識していませんでした。私は、起こった事象を素直に受け止め、素直にその中に入り込んでいました。だから、素直に見た時、その裏の顔がわからないところがあります。私もどちらかというと一般人の感覚です。あの時、私が父の側についてフォローするのは、子供として当たり前だと感じていたのです。 私としては、教育に対して熱心に取り組んできた両親が報道によって大混乱になっていく中で、なんとかしたいという思いで動いたのです。その中で菅野完の誘導に乗ってしまいました。しかし、ある日はっきり彼らの狙いがわかったのです。 私自身が両親を菅野完に引き合わせてしまいました。そこから事態は、証人喚問であったり告訴であったり、そして収監であったりと急変していくのです。これらの事態は権力側が行ったとされていますが、実はそうではなく、その背後にいる左翼勢力がそれを扇動したのです。まるで権力に楯ついた籠池夫妻が憂き目に遭っているという演出を仕立て、それを報じるメディアがいたのです。 なぜなら、それは安倍政権の弱体化につながるからです。したがって、小学校の建設に際して安倍昭恵夫人が名誉校長となっていたことは、左翼勢力にとっては非常に好都合だったといえます。■菅野完と野党とのつながり 菅野完は、しばき隊での活動や『日本会議の研究』で表に出ていたので、当時から左派界隈や野党議員も含めて交流はあったようです。そして、その繋(つな)がりは森友事件によって一気に広がったのでしょう。 例えば3月14日に東京に行って菅野邸に入った際、本当は菅野邸ではなく、赤坂プリンスホテルの中で、共産党の小池晃議員や自由党の小沢一郎議員と会う場がセッティングされていました。 本来、この日は東京の記者クラブで会見を開く予定でしたが、事情があってキャンセルしたのです。しかし、(大阪の)家の周りにはマスコミが多いし、航空チケットもあるし、母もゆっくりしたいということだったので、東京へ行くことにしたのです。 ところが、東京へ着くと、大阪以上のマスコミが殺到していて、どうにもならなくなったのです。そこで菅野完に電話すると、彼の自宅へ向かうように指示されたのです。このとき、電話で初めて小池議員や小沢議員と会うことを聞いたのです。籠池泰典氏(左)と妻の諄子氏(右、塚本幼稚園副園長)、長男の佳茂氏(右奥) =2017年5月、伊丹空港(山田哲司撮影) これは、菅野完が自分で事前にセッティングしたようです。しかし、3月14日に菅野邸に行くと、やはりメディアスクラムが激しくホテルに向かうことができず、彼は家から電話で話をしていました。相手は小池議員と、あと失念しましたが民進党の議員、自由党の森ゆう子議員、共産党の議員など、今の特定野党の誰かに電話をしていました。実際父と野党議員はその時に電話をスピーカフォンにして話をしています。「必ず助け出す」と叫んだ山本太郎 このときすでに、菅野完は党をまたがって付き合いがあったということです。そして、籠池の息子と繋がったからということで、小池氏、小沢氏との面会をセッティングしたのでしょう。そのとき、彼は、私たちを「助ける」と言ってました。しかし、全く助けられていませんし、父などは逆で、さらに窮地に追い込まれたのです。 菅野完の賢さは、この平成29年(2017)の3月時点で相手の動きを理解していたことでした。これはTBSの金平氏も共通の理解事項でした。金平氏と会ったのは、籠池邸で、時期は一昨年の東京都議会選挙の投票日です。金平氏は自民党が大敗していたく喜んでいました。■「必ず助け出す」と拡声器で叫んだ山本太郎議員 山本太郎議員との最初の出会いは、平成29年(2017)3月15日に予算委員会が瑞穂の国小学院に委員として来訪した時でした。敷地内で名刺を渡され「ご苦労様です。ありがとうございます」と非常に丁寧な方でした。 その理由は明白で、菅野完の指示で父が100万円の寄付の話をメディアに向けて話した後でしたから、政権批判の役に立つと思われたのでしょう。 そのあとは、両親が拘置所に入っている時に拘置所前から拡声器で「お二人をこの様な思いにさせたのは私たちの責任です。政治力がないためにこうなってしまった。必ず助け出します」と叫んでいました。 彼は、拘置所に差し入れもしてくれましたが、本当に父と母を助ける気持ちがあったのであれば、愛国教育そのものを認めたはずではないのでしょうか。菅野完は盟友で映像作家の横川圭希氏を通じて山本太郎議員を私につなげたのだと思います。 横川氏は旧籠池邸に何度も泊まっていて、いろいろな話をしましたが、とにかく安倍政権を倒す事に死力を尽くしている様子でした。過去に菅野が所属している団体の中で批判を受けていた際、横川氏が庇った過去があるようで、2人で親密そうに様々な計略を立てていたようです。 かごいけ・よししげ 籠池泰典・諄子夫妻の長男。1981年、大阪生まれ。立命館大卒。森友問題については、当初静観していたが両親・家族を支援するようになる。森友問題で両親に接近してくる政治家、ジャーナリストに対し、疑問を持つようになり、現在は彼らの異常性を訴えるとともに、両親が彼らとの関係を断ち切ることを願っている。

  • Thumbnail

    記事

    籠池佳茂の決意「左翼に洗脳された両親、必ず救ってみせる」

    籠池佳茂(青林堂『籠池家を囲むこんな人たち』より) 森友は愛国だから叩かれたのですが、愛国というだけで叩かれるのであれば、私を表に出していただければよいのです。愛国というので叩かれれば、私は叩き返します。なぜ愛国が叩かれるかというと、結局憲法に行き着きます。戦後の日本国憲法を基軸として考えている人、たとえば立憲民主党の枝野幸男(えだの・ゆきお)議員が、なぜ自分は保守だといっているのかというと、それは日本国憲法上の保守だからです。 でも、保守の方っていうのは、どちらかというと日本国憲法は、GHQによって作られたものであって、我々の自主憲法ではないと考える方が多いですよね。でも自主憲法はあくまで架空の憲法であって、実際には存在していません。 現実問題の法整備としては、現在の日本国憲法を冠にした、六法というものがあるわけです。したがって、愛国というものをそのまま旧帝国憲法的なもので言ってしまうと、完全に敗れてしまうのです。そのため、愛国を受け入れてもらうには、愛国の伝え方などで工夫が必要だと思うのです。 先にもお話ししたように、平成30年(2018)の5月、両親の保釈前に、私は妹を通じて安倍政権を支持しますと父に伝えました。詳細は語りませんでしたが、安倍さんを支持すると伝えたのです。そのためでしょう、弁護士が警戒して、私を父の周りから排除したんです。保釈後の会見にも出られませんでした。 あのとき、私が父に対して伝えたかったことは、自分たちは助かるということなのです。でも、それは伝わっていないでしょう。誰がどこで聞いているか分からないですからね。だから、また繰り返しで申し訳ないのですが、私がこれまでやってきたことは、実質的には放ったらかしにされています。その状況は、父側からするとよかったなということでしょう。 周囲からは、「見てみろって、長男放ったらかしにされて何しているか分からへん」という感じで言われるでしょうが、今はそれでよいと思っています。 ただ、私が倒れたら、父を救うのは無理です。これは私が自意識過剰で自己主張するのではなく、こういう経緯を見てきた中で、父を取り巻く連中のやり方というのを分かっているつもりだからです。ですから、そうなった時に、私の思いを伝える手段を残したいと思っています。その一つが、本書なんです。■みせしめにされた愛国者の父と母 現在、テレビでは私の考えや気持ちは報道してくれません。だから放っておいたというわけではないのですが、テレビや新聞などは、産経新聞以外みんなほぼ同じ報道内容なのです。それを分かってもらいたいのです。放っておいたのでありません。国有地売却や小学校認可の問題を受けた会見にのぞむ籠池泰典氏の長男、佳茂氏=2017年3月、大阪市淀川区 左側のマスコミが、安倍総理を擁護するようになった籠池の息子を出すわけがないのです。テレビ局がそのような人間に取材を申し込むわけがないのです。どのテレビマスコミも全て左派で固められているのですからね。一部ではなく、テレビ業界全部がです。現在でも、NHKや民放テレビなどは、朝から晩まで安倍さんの悪口、トランプの悪口を報道し続けています。力尽きた両親 マスコミは国民を「助ける」と言いながら、結局魂を抜いて自分たちの色に染めていくというのが、彼らの基本戦略です。この国を一旦ガラガラポンにしたいというのが、彼らの思想の中にはあるのでしょう。 マスコミが、なぜあれだけ日本会議や日青協(日本青年協議会)のルーツを叩いたりするかといえば、愛国心を叩きたいのです。菅野完はそれを一番よく分かっています。だからそれに対して、私が一つ言いたいのは、私がこのまま逃げていたら、本当に日本人の魂が消されてしまうということなのです。日本だけど日本じゃなくなってしまうという怖さを言いたいのです。その大戦略というのを、まざまざと見せつけられた気がしますよ。 未だに洗脳の渦中にいる父、特に母の状態がひどいです。自分達は300日も勾留されたということで、肉体的にも精神的にもダメージを受けています。母には浦功(うら・いさお)さんという堺筋共同法律事務所の弁護士が付いています。前にも書きましたがこの人は塚本幼稚園で訴訟していた保護者の弁護士でした。 それが今、母を取り込んでいるということなのです。これまでも、両親は辛い思いをしながら保守を掲げてきました。しかし、今回のことでこのようになり、多分力尽きているのだと思います。父から「特攻隊になるんか」と言われたことも、一連のダメージが原因ではないでしょうか。 特攻という言葉は前述のとおり、平成29年(2017)の3月の会見の時、私が「小学校を作るって、お父さんそれ特攻隊になるのですか」と言ったことに対して、そのまま返したのかもしれませんが、それぐらい父としては自分たちでやってきていたノウハウを分かっているのです。 それが完膚(かんぷ)なきまで砕かれてしまいました。確かに、誤解や錯誤も多いです。しかし、そのように思っているということは、もう力尽きたという部分があるのだと思います。 ある意味では、愛国はこうなるという見せしめ的なことがあるのかもしれません。しかし、愛国そのものは悪いことではありません。むしろ愛国心を持っているということが、その人の心のバロメーターになるし、生き方にもなります。 それは人生に直結してきますし、非常に大事なことでもあります。左翼的な唯物史観ではなくて、有神史観を持ちながら、まさしく特攻精神でこの社会で生き抜くという覚悟が必要です。もちろん、死ぬことが目的ではありません。結審後に会見した籠池泰典氏(右)と妻の諄子氏=2019年10月、大阪市北区の大阪司法記者クラブ(須谷友郁撮影) これは特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎中将の遺書の中に 「平時に処し猶克(なおよ)く特攻精神を堅持(けんじ)し」(いかなる時も「特攻精神」を堅持する)という言葉があります。そういうものが今こそこの国の子供たちには必要なのだということです。その教育を実践したのが塚本幼稚園だったと思うし、そこが小学校を作るということは相当彼らにとっては脅威だったと思います。「愛国」に対するアレルギー その中で、私もどちらかというと穏健な方でした。つまり、話し合いによって解決したいという思いを持っていたのです。ですから、当時の彼らにとって私は何か話ができるように感じたのではないでしょうか。ただし、母方である森友の家系ですから、根っこは違います。     母は森友寛の長女で、父と出会って結婚するとき、「お父さんが認めへんかったら、結婚せえへん」という気性だったようです。それでお爺さんが、父の出身地である香川県の高松まで行って身元調査し、それでOKが出て結婚したと聞いています。 父は奈良県庁に29歳まで勤め、真面目な交際をしていました。父と祖父は少なくとも当時は共鳴していました。それで幼稚園に入ってもらったということだったと思います。お爺さんの方は、元々日本生命にいて、幼稚園を経営していたのです。しかも、大阪で学校法人の幼稚園を創設した、日本で最初の幼稚園なのです。ですから、業界でも人脈が広かったようですし、どちらかというと、今でいう保守本流の考え方だったようですね。 しかし父の場合は、保守本流といっても、どちらかというと自民党本流というのが正しいようです。ですから、いわゆる岸信介さん的な考えを持っていたはずです。中曽根さんは憲法改正論者でしたから、自主憲法制定ということ、そちらでしたね。そういったことで何か話が合う部分もあったようです。 ただ、実際に活動してみると、業界の慣れ合いみたいなものに馴染めず、父は独自性を出したかったのかもしれません。だからこの業界でも、森友寛に対して好意的な人でも、籠池泰典に対しては否定的な人も多いです。 その理由として、あまりにも愛国が強いという部分に対する、戦後教育のアレルギーというものがあったのだと思います。その中で、父はどちらかというと維新の考え方を選んだわけですね。とにかく私は問題を解決するために入ったつもりですし、騒動から幼稚園や学園を外すつもりでいました。 ただ、何かあれやこれやとこういう状況になってしまい、現在の状況になっています。私としては、「しがない世の中やな」と思うばかりです。結局、魂がないままこの世で生きていく、刹那(せつな)的に生きていくのが、生きやすいのかもしれません。 かごいけ・よししげ 籠池泰典・諄子夫妻の長男。1981年、大阪生まれ。立命館大卒。森友問題については、当初静観していたが両親・家族を支援するようになる。森友問題で両親に接近してくる政治家、ジャーナリストに対し、疑問を持つようになり、現在は彼らの異常性を訴えるとともに、両親が彼らとの関係を断ち切ることを願っている。

  • Thumbnail

    記事

    あいちトリエンナーレ「真っ当」朝日新聞が忘れたおカネの重み

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」について、芸術祭の実行委員会と「不自由展」の実行委が展示再開で合意した。再開時期は10月上旬の方向で、双方が今後協議するという。だが、両実行委の和解よりも前から問題は再燃していた。 理由は2点ある。一つは「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が中間報告書を出したことで、もう一つは文化庁があいちトリエンナーレへの補助金を全額支出しない方針を決定したことだ。 あいちトリエンナーレ問題については、既に本連載で以下のように指摘した。「より具体的に言及すれば、文化庁などの助成が妥当だったかどうか、その支出基準との整合性が問われる。これは、大村氏(秀章・愛知県知事)や津田氏(大介・芸術監督)ら実行委員会の責任だけが問われていると考えるのは間違いだ。文化庁側のガバナンスも当然問われている」という公的助成、つまり補助金(公金)のあり方について問うものだった。 「表現の不自由展・その後」では、政治的論争の対象になってきた慰安婦像や、昭和天皇の写真をバナーで燃やし、その灰を踏みつける動画など、多くの日本国民に批判的感情を抱かせる展示があった。 難しい芸術論を本稿で行うつもりはない。一人でも「芸術」と思えば、それが芸術だろう。 これは筆者の専門であるアイドルでもいえる。一人でも「アイドル」と思う人がいれば、そのときにアイドルは誕生する。これは厳密に正しい。だが、同時にわれわれがその「芸術」に対して、どのような感情を抱くかもまた自由だ。 特に政治的な対立をあおり、自分たちが大切にしている国民としてのアイデンティティー(帰属意識)を逆なでする「芸術」ならば、それに適切な対応をするのは、少なくとも公共の展示では、筆者は当たり前だと思っている。そうでなければ、単に公共の場を利用した不特定多数に対するハラスメント(嫌がらせ)でしかない。そして、今回の「表現の不自由展・その後」の上述した展示物は、ハラスメントとして多くの人々に心理的な傷を与えたといっていい。フォーラムで参加者の意見に耳を傾ける「あいちトリエンナーレ2019」芸術監督の津田大介氏(奥中央)。同左は愛知県の大村秀章知事=2019年9月 検証委の中間報告では「誤解を招く展示が混乱と被害をもたらした最大の原因は、無理があり、混乱が生じることを予見しながら展示を強行した芸術監督の行為」と津田氏の責任を指摘している。一方で、実行委会長でもある大村氏に対しては、「検閲」を禁じた憲法の制約や、リスクを軽減するガバナンスの仕組み欠如を理由に、その責任が事実上不問にされている。 筆者は、津田氏がこの中間報告を真摯(しんし)にとらえているとはいえないと理解している。自らの責任で招いた不祥事について、文化庁の補助金を交付しない方針の撤回を求めるインターネット上の署名活動を強くあおっているからだ。これは政治的な対立を招く行動だろう。愛知県「免責」のナゾ そして、筆者が問題発生当初からツイッターなどで指摘しているのは、津田氏の狙いが社会の分断にあると思っているからだ。その意味では、「表現の不自由展・その後」の中止も、文化庁の補助金交付撤回も、その具体的な内容はともかくとして、彼の狙った方向だとはいえないだろうか。現に、中間報告でも「ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督としての責務より優先させた可能性」を指摘されている。 大村氏の責任について端的に指摘できるのは、展示物が多くの人にハラスメントとして機能していることを、事件発覚後もあまり重大視していないことである。しかも検証委は、中間報告で憲法や仕組み不在を持ち出して、行政を事実上免責にしている。 だが、それはあまりにも陳腐な言い訳であり、検証委の説明に説得力はない。こんな屁(へ)理屈など無視して、単に県民と国民が大村氏の政治的責任を今後追及すればいいものだと、筆者は理解している。 文化庁の補助金不交付だが、これは大学や研究機関への補助金でも十分にあり得る事である。事前の補助金のルールとは違う事実が判明すれば、補助金がカットされることや、特に悪質な場合には訴訟などの責任問題にもなる。 今回の文化庁の対応は異例だという指摘があるが、当たり前である。今回のような公共展示における不特定多数へのハラスメントはまさに例外だからだ。例外な事態に例外で対応したとしても、おかしなことはない。 また、国際政治学者の三浦瑠麗氏などのように、補助金の全額撤回はおかしい、という主張がある。ネット上でも、展示スペースの大きさや実際の展示費用などを計算して、その分だけの補助金カットなら理解できる、という意見がある。 しかし、補助金には事前に決めたルールがある。文化庁も不交付の理由の中で「『文化資源活用推進事業』では、申請された事業は事業全体として審査するものであり、さらに、当該事業については、申請金額も同事業全体として不可分一体な申請がなされています」と説明している。つまり、一部だけの撤回は、あいちトリエンナーレだけをむしろ特別扱いしてしまう。「あいちトリエンナーレ2019」への補助金の不交付を発表し、記者団の質問に答える萩生田文科相=2019年9月 補助金は「表現の自由」や芸術、文化を持ち出せば、どんな内容でも認められるものではない。当たり前だが、「公」のおカネを利用するには、それなりのルールがある。それを守らないのであれば、補助金が使えなくなるだけである。 ところで、この「表現の不自由展・その後」をめぐる問題に、朝日新聞はほぼ社を挙げて取り組んでいるようだ。9月27日の社説「あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力」でも、「少女像などに不快な思いを抱く人がいるのは否定しない。しかし、だからといって、こういう形で公権力が表現活動の抑圧にまわることは許されない」と述べ、同社の立場を鮮明にしている。「補助金不交付」は抑圧か では、公権力は表現活動の抑圧を行っているのだろうか。上述の通り、あくまで事前に決めた補助金のルールを守るかどうかの話である。 報道ではあまり触れられていないが、文化庁の決めた補助金の不支出決定は「実現の可能性があるか」「事業の継続性があるか」の2点を特に重視して判断される。「表現の不自由展・その後」は、補助金の審査段階で展示が中止されていたため、この2点を満たすことができていなかったのである。 やっていないし、これからやるかどうかも分からないものに補助金は出せない、というのは当たり前すぎる判断ではないか。これが表現活動の抑圧というならば、責任は、むしろ中止の判断をした大村氏や愛知県側にあるだろう。だが、朝日新聞の社説では、県の行政責任を追及するよりも安倍政権批判が明白である。 さらに「ヘイト行為の一般的なとらえ方に照らしても、少女像はそれに当たらない」という検証委の指摘を、朝日新聞の社説は「真っ当」と評価している。しかしヘイト行為は、被害を受けた人に不快な感情や自尊心を傷つけられたとする感情をもたらすものである。 この社説でも「少女像などに不快な思いを抱く人」がいることを認めている。だから中間報告のように、法的な規制の定義などをこの場で持ち出すのは無意味だ。 この展示がもたらしたハラスメントは、多くの人に国民としての自尊心を過度に傷つけられただけでない。自分たちの税金を利用して行われたことによって、さらに傷ついている。 展示は妥当ではない、と多くの人が思っている。これは自明なことで、一部メディアが実施したアンケートでも明らかなレベルだ。 しかもこの展示は、芸術監督の自発的な意図として成立した、むしろ積極的で公的なハラスメントともいえるものだ。この側面に対する国民の被害感情を軽視している人が、メディアや文化人界隈(かいわい)に少なからずいることに驚かざるを得ない。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題の会見で、壇上の机に置かれた「平和の少女像」=2019年9月、日本外国特派員協会(酒巻俊介撮影) ちなみに、今回の文化庁の決定が、今後政治的な介入を生み出し、地方の芸術祭において、補助金の使途を萎縮させるなどと過剰に言い立てる人たちが文化人界隈にいる。これも今のところ、何の根拠もない。 そんなに文化に対する補助金の萎縮が心配ならば、財務省の予算緊縮路線を批判すべきだと言いたい。その批判ならば、筆者はもろ手をあげて賛同する。

  • Thumbnail

    記事

    「表現の不自由展」甘い蜜に付け込まれた津田大介の誤算

    ていることは明白だ。 しかも、どちらも伝統的な左派の問題意識を体現したものである。いわば、特定の政治イデオロギーを有する展示が強調されていた。反対の意見を抱く人たちの「情」は全く排除・無視されている。 これでは、津田氏が提示した「情の時代」の意図を達成できず、むしろ政治的・感情的対立が鮮明になるのは不可避である。その意味で、トリエンナーレの趣旨とも大きく異なる。論より証拠に、開幕と同時に企画展への批判が続出した。問われる別の「ガバナンス」 芸術に政治的なメッセージを込めるのは自由だ。作品に込められた私的な思いがどのようなものであれ、その意図は最大限に尊重されるべきだ。 だが、今回は公的な資金を大きく利用した芸術祭である。芸術祭の目的、つまりテーマと大きく食い違う展示企画は、企画として失敗だ。しかも失敗だけではなく、この芸術祭のテーマと大きく食い違うものが企画されたことは、公的な事業としての妥当性にも疑問符が付くだろう。 今回の芸術祭には文化庁が助成をしているほか、公的な機関から援助や協賛を得ている。利用している会場も公的な施設である。芸術祭のテーマと齟齬(そご)の大きい企画に、これらの助成や利用がふさわしかったかどうかは、企画の決定プロセスとともに今後検証していく必要があるだろう。 もちろん可能性の話だが、特定の政治的プロパガンダをテーマにしたイベントを企画し、それが公的な資金や施設などを利用しても特に問題ではない、と個人的には思う。というか、それもまた思想や表現の自由における重要な一面である。 だが、今回の芸術祭にはテーマが設定され、そしてそれに沿って公的な援助が決められたと考えられる。そうであるなら、「表現の不自由展・その後」のような目的と大きく異なる企画が、今後批判的な検証を要するのは当然であろう。 より具体的に言及すれば、文化庁などの助成が妥当だったかどうか、その支出基準との整合性が問われる。これは、大村氏や津田氏ら実行委員会の責任だけが問われていると考えるのは間違いだ。文化庁側のガバナンスも当然問われている。「あいちトリエンナーレ2019」で展示され、その後中止された「平和の少女像」(右)=2019年8月、名古屋市の愛知芸術文化センター そもそも論だが、国の文化事業の支援基準は実に曖昧だ。簡単にいえば、一部の利害関係者が恣意(しい)的にイベント助成を決定しているといっていい。まさに文化事業の既得権化だ。 文化庁が主催する「文化庁メディア芸術祭」というものがある。1997年から毎年実施されているアートやエンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門を振興・顕彰するイベントである。だが、この芸術祭の名称である「メディア芸術」とはなんだろうか。文化政策の「甘い蜜」 優れた批評家である小田切博氏が、以前この「メディア芸術」が日本独自の概念であり、簡単に言えば文化庁やそれに群がる既得権者たちが予算獲得のためにでっちあげた概念であると論破したことがあった(小田切博『キャラクターとは何か』ちくま新書)。 この「メディア芸術」問題は、日本の文化政策のでたらめさの一角にすぎない。一部の利害関係者は、自らの作り出した「文化」やそれを基にした「権威」をかざすことに夢中である。それが実際に「甘い蜜」でもあるからだ。 津田氏の次の言葉が、「甘い蜜」を体現してはいないだろうか。こんな僕ですが一応文化庁主催のメディア芸術祭で新人賞なるものをいただいた経験もありまして、その審査した人たちや、芸術監督を選出したあいちトリエンナーレの有識者部会(アート業界の重鎮多し)をみんな敵に回す発言になりますけど、大丈夫ですかw オペラ歌手の畠山茂氏がツイッターで津田氏の芸術監督就任に疑問を呈したのに対し、津田氏はこのように反論していた。「メディア芸術」という官僚お手製の権威を振りかざすのは、これまた「情の時代」の趣旨からはあまりにも遠いと個人的には思う。まさか、官僚的な権威が「正義」だとでも言うのだろうか。文化庁が入る中央合同庁舎第7号館の元文部省庁舎=2016年11月、東京・霞ヶ関 結局「表現の不自由展・その後」は、心ない脅迫者によって中止に追い込まれた。確かに、この企画自体には論争すべきものがある。だが、暴力や脅迫でそのイベント自体を中止に追い込むのは、言語道断である。 卑劣な脅迫者を追及することが、何よりも優先されるべきだ。いま、インターネットを中心にして、陰謀論めいた流言がある。それでも、捜査当局はぜひこの脅迫者の正体を突き止めてほしい。 また、議論があるところだろうが、事実上の「テロ」に屈してしまい、展覧会を中止してしまったことは極めて残念であった。このような対応が前例となって今後に悪影響を与えないか、それを防止することが最優先の社会的課題だろう。■ 映画『主戦場』で語られなかった慰安婦問題の核心■ 天皇陛下に上から目線の祝電を送った文在寅の「炎上外交」■ 韓国人の反日感情はこうして増幅されていく

  • Thumbnail

    テーマ

    「先住民族」アイヌの次は沖縄だ!

    アイヌを「先住民族」と初めて明記した新法が先月施行された。閣議決定から3カ月、議論が深まらないまま成立した感があり、批判の声も根強い。国連は沖縄の人々も先住民族と認めるよう勧告しているが、沖縄では「独立論」もはびこる。それだけに、振興は重要とはいえ、安易な先住民認定は国家の分断を助長しかねない。

  • Thumbnail

    記事

    真のアイヌを知らないニッポン、私が反新法を訴えるこれだけの理由

    合田一彦(「日本国民の声・北海道」主宰) 近ごろ北海道を訪れた方々は、空港のロビーなどに掲げられた「イランカラプテ(こんにちは)」や「アイヌ」をモチーフにしたポスター、展示物など、北海道の観光テーマとして「アイヌ」が大きくアピールされていることにお気づきかと思います。 これらは観光立国を掲げる北海道が、自治体として「アイヌ」を積極的に宣伝しているもので、人気漫画『ゴールデンカムイ』とのコラボ企画なども行われています。 こうしたアピールにより、また昭和の北海道観光ブームの定番の土産物「木彫り熊」や「イオマンテ(熊送り)」などで、何となく知っているような「アイヌ」ですが、現在、彼らはどのように暮らしているのでしょうか。日本の国土の片隅で独自の習俗を守って暮らす「異民族」なのでしょうか。 もちろん、そんなことはありません。昭和10年、アイヌ出身の言語学者・文学博士の知里眞志保氏は「過去のアイヌと現在(そして未来)のアイヌは区別すべき」として、「伝統の殻を破って、日本文化を直接に受け継いでいる」と語っています。また「アイヌ民俗」をアピールする人たちに向かっては、こうした言葉も残しています。 「保護法の主旨の履き違えから全く良心を萎縮させて、鉄道省あたりが駅前の名所案内に麗々しく書き立てては吸引これ努めている視察者や遊覧客の意を迎うべく、故意に旧態を装ってもって金銭を得ようとする興業的な部落(コタン)も二、三無いでは無い。けれどもそれらの土地にあってさえ、新しいジェネレーションは古びた伝統の衣を脱ぎ捨てて、着々と新しい文化の摂取に努めつつあるのである」 つまり、80年以上も昔に、観光土産物屋でアイヌ衣装で売り子をしていたり、見世物をしているのは、故意に旧態を装って金銭を得るための興業だと指摘しています。 では「古びた伝統の衣」を纏(まと)い「旧態を装った」生活をしていた方々は、同じ日本の国土に住まう日本人でありながらも、日本人としての生活に事欠く状況なのでしょうか? いえ、そんなこともありません。いろりを囲み、アイヌ民族の歴史や文化を伝承するポロトコタンの夜 昭和43年の内閣委員会の席上、それまで適用されていた「北海道旧土人保護法」に対する答弁として以下のように語られています。 「この支給規定は昭和11年ごろまでに適用したのであって、その後はもう現実に死文化されておると私は聞いておるのです。それ(北海道旧土人保護法)に代わって生活保護法の制度による教育扶助、住宅扶助、あるいは不良環境の改善というようなところへ目標を変えておられるわけです」 つまり、たとえ個人としてあるいは世帯として貧しい方がおられたとしても、等しく日本国民として「生活保護の適用対象」であり、北海道旧土人保護法は既に死文化しているという説明の通り、独自の保護・保障は必要ないという見解が、すでに50年前に示されています。客観的資料のないアイヌ ところで、こうした「独自の保護・保障」を行政として日本人の一部に対してのみ供与することは、憲法14条に定められた「法の下の平等」に反していないでしょうか。条文にも「社会的身分又は門地により(中略)差別されない」と記載されている通り、門地(出自・血統)での特別扱いは憲法の条文に違反するという指摘もあります。 ただ、これについては、実際は「合理的な理由が有れば必要に応じて支援を行うことは憲法違反ではない」という判断があるようです。 例えば、原爆訴訟などをご存じの方は分かると思いますが、目に見えない被爆の影響が「ある」と「法的に認められた」場合は、「原爆被爆者」として公費での医療助成などが受けられます。ただし、その認定は非常に厳密かつ客観的に判断されるため、依然として認定を求める訴訟が続くのは、それだけ「客観的な資料」と「法的基準」の狭間で「いかに合理的か」を判断すべく行われる論争があるわけです。 さて、ここで「アイヌ」について考えてみると、前述の「独自の保護・保障は必要ない」という見解が示された以降も、自治体として住宅購入支援から免許取得支援、修学助成金、就労支援など、数多くの支援が行われており、それらは北海道の平均よりも高い世帯所得があってさえも「アイヌ支援」としての受給資格が認められています。 では、それだけの福祉施策が受けられるのなら、どれだけ厳しい公的な認定基準があるのでしょうか。認定を求めて訴訟も辞さない覚悟が必要でしょうか。いえ、認定を求める訴訟など必要ありません。 「アイヌ協会」が、希望者に対して独自の認定基準で判断して「アイヌ」として認め、さらには「アイヌ協会」が推薦状を出すことで、北海道や札幌市からの支援が受けられるのです。また、アイヌ協会の認定ルール上は「戸籍等の客観的な資料」および「家系図などの系譜を示すもの」で「判断する(アイヌ協会が)」とありますが、実際には、既に閲覧禁止となっている壬申戸籍の時代ならばともかく、今現在の戸籍制度上はかつての身分を確認することはできません。参院本会議で「アイヌ民族支援法」が可決、成立し、傍聴席で喜ぶアイヌの人たち=2019年4月、国会 これは「壬申戸籍オークション騒動」の際に、法務省から「身分などが分かる」ことを理由に改めて報道発表された通り、実際には「身分が分かる戸籍」を公的に入手することは不可能です。 つまりは、公的な資料はなくても、アイヌ協会が認定すればアイヌであり、アイヌ協会が推薦状を出せば助成の受給資格を満たせる、という図式です。 そしてまた、今年2月の予算委員会で丸山穂高衆院議員が指摘した通り、「アイヌ支援」の前提となっている「アイヌ生活実態調査」も、これもアイヌ協会が「協力」して行うものです。 つまりは公的な「アイヌ基準」がないから行政としては「どこの誰の世帯を調査すべきか」をアイヌ協会に依頼するよりほかなく、結局はアイヌ協会による「機縁法」つまりは「有為抽出法」ですから、これを「実態調査」と称するのは統計的に正しくないでしょう。「特別な支援は不要」 ましてや実施団体が利害関係のある「身内組織」ですから、なおさらバイアスが加わる可能性を否定できません。結果、アイヌ協会が認定したアイヌの「生活が苦しい」「進学率が低い」といった「生活実態」に基づいて、まだまだ助成が足りていない、という主張に繋がっています。 こうした状況の中、とうの昔に国会では「今後は特別な支援は不要である」と説明されたはずのものが、自治体レベルでは支援が継続して行われているという、どこかで見覚えのある構図が存在しているわけです。 さて、やっとここで本題の「アイヌ新法」です。正式名称は「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」。国会に政府提出され、可決された法案であり、その問題点に気が付いておられる方々は決して多くはありません。 まず、正式名称に掲げられている「アイヌの人々」。これ、どういう意味でしょうか。むろん、一般的にイメージされる「アイヌ」の方々を指していることは分かりますが、では「法律」として考えたときに、かつての「北海道旧土人保護法」はすでになく、現状、自治体レベルで「支援を希望する者」への受給要件に「アイヌ協会の推薦状」が必要とされているだけで、法的には「アイヌの人」を区分する法律・法制度はありません。 さらに、第1条には「この法律は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々の…」とあります。先の通り「アイヌの人々」が定義できないうえに、今度は「先住民族」です。 日本列島は、沖縄から北海道まで、当時の縄文人が北から南まで交流していました。その後、ロシア北東部から北海道東部に渡ってきたと考えられるオホーツク文化人や、さらに続いていくつかの部族ごとに渡ってきた方々との混交の末にアイヌ文化が成立したとされています。アイヌ民族の集落で代表者らと意見交換する菅義偉官房長官(左側の前列左から3人目)=2018年8月、北海道釧路市(田村龍彦撮影) つまり、先住性でいえば、元から日本中に住んでいた縄文の血統こそが先住民であり、大陸北東部から渡ってきた方々との混交で生じたアイヌは、むしろ「後発」なのです。 これは縄文期の遺跡から発掘された人骨や、その後の時代のアイヌの方々の遺跡の人骨、それから遺骨、さらに大陸北東部の諸部族の方々のDNAを比較分析することで判明した科学的な事実であり、北海道には最初からアイヌが住んでいたという主張は幻想に過ぎません。 また「先住民族」というワードは、特に国際社会においては「先住民族の権利に関する国際連合宣言」とセットで用いられるため、非常に危険です。 これはつまり、オーストラリアのアボリジニやニュージーランドのマオリ、北米のネイティブアメリカンや南米のインカなど、それまで白人(異民族)文明とは無縁に過ごしていた「先住民族」を、大航海の末にたどり着いた白人が蹂躙(じゅうりん)し、土地や財物を略奪し、虐殺したうえに勝手に住みついて、その揚げ句に、今度は「保護が必要だ」として「彼らは元から住んでいた『先住民族』だ。その権利を守り、彼らの文化を維持するための義務(略奪者の責任)を負う」ための宣言です。不十分な議論 こうした観点から見れば、日本におけるアイヌの存在は、その当初から交流・混交による成立であり、またその後も常に交易を行っていた(それも日本だけではなく、ロシアや中国とも交易していた記録があります)のですから、無縁の異民族による突然の侵略といった歴史もありません。 そして「アイヌは先住民族」を法律上に明記することは、世界の先住民族の虐げられ、滅ぼされた歴史と同じことを、日本がアイヌに対して行ったものと解釈される危惧があります。 しかも、国会で行われた予算委員会における安倍晋三総理の発言がこれです。 「アイヌであることの確認に当たり、北海道アイヌ協会理事長等の推薦書の提出を求めているところでありまして、同協会においては、戸籍等の客観的な資料をもとにしながらアイヌであることを確認した上で推薦書を作成しているものと承知をしております」 安倍総理に、アイヌであることは「アイヌ協会が確認」し、かつ、法的には旧身分が分かるはずもない「戸籍」を資料にしている、と語らせてしまいました。 「戸籍等」とあるから戸籍だけで判断しているわけじゃない、というのは詭弁(きべん)でしょう。合理的な客観資料が存在するのならば、それを筆頭に挙げれば良いだけであって、それを語らずに「戸籍等」と記載する必要があるとは言えません。 むろん、失われつつある文化の保護や継承は大切ですし、日本の郷土文化の一つとして尊重し、伝統を未来に繋げていく必要性は誰も否定できない「文化事業」でしょう。大阪府吹田市の国立民族学博物館で展示されたアイヌの家=2002年12月(朝田康嗣撮影) けれども、このような状況の中、誰がアイヌかも、どのようなアイヌ差別が今なおあるのかも、そうした認定や統計調査をアイヌ協会が担ったままで策定された政策を基に、新たな法律を制定して良いものでしょうか。 批准済みの「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の再検討も含め、国会においてはアイヌ新法への議論を充分に尽くしたうえで、国策としてどのように判断すべきであるかを是非とも検討していただきたいと願います。※「土人」は、現代では不適切な表現ですが、かつて存在した法律名として記載しています。■アイヌ民族の「権利確立」を 鈴木宗男の10年■沖縄の基地集中は「人種差別」危険な国連勧告の裏側を読む■沖縄知事選は反差別の理不尽と戦う「日本解体闘争」である

  • Thumbnail

    テーマ

    小西寛子手記「ネトウヨ認定への逆襲」

    ネット界には「ネトウヨBAN祭り」と呼ばれ、過激な保守系著名人のSNSアカウントを停止に追い込む運動がある。ただ、この運動を伝えるウェブページを声優の小西寛子氏が逆に削除することに成功したという。「ネトウヨ」のレッテルを貼られたことに対する逆襲だが、今、ネット界で何が起きているのか。

  • Thumbnail

    記事

    小西寛子手記「私はこうして『BAN祭り』ページを凍結させた」

    小西寛子(声優、シンガーソングライター) 政治的思想や信条を分類する言葉には、保守や革新、リベラル、共産主義などいろいろあるが、近年インターネット上では、「ネトウヨ」(ネット右翼)という言葉も頻繁に目にする。私のツイッタータイムライン(フォローした相手のツイートが表示されてくる画面)に流れてくるつぶやきの中にも、ある国会議員のこんな記述があった。 NHKの受信料不払いの呼び掛けや、私のことを「ネトウヨ」と批判していた(中略)人物がNHKの現職ディレクターではないかとのご指摘を頂きましたが、さすがにNHK現職ディレクターがそんなことはしないのではないでしょうか。もしそうだとしたら驚きです(2018年6月24日 和田政宗氏公式ツイッターより) なにげなく私のタイムラインに流れてきたこのツイートを初めて見たとき、私もこの「ネトウヨ」という表現に、侮辱的なニュアンスを感じたのと同時に、「なんだかな〜」という妙な違和感を覚えた。 この「ネトウヨ」という表現でこれまでに何か問題が起きていないか、どんな人が使うのか、興味が湧きグーグルで検索してみた。すると、ネット上から削除された記事を半永久的に保管する「インターネットアーカイブ」という場所で、現在は東京新聞のサイトから消されている2015年11月の記事を見つけた。要約すると、およそ以下のような内容であった。 見出しは「報道部長が暴言ツイート 新潟日報、弁護士に謝罪」。新潟日報の報道部長が自身のツイッターで、新潟水俣病3次訴訟の原告側弁護団長を務める弁護士に向け、「ネトウヨの**弁護士」「弁護士やめろ」などと投稿した。中傷された弁護士がツイッターの投稿者を特定したところ、報道部長が投稿を認め、弁護士に謝罪したという。 このような事例から見ても、「ネトウヨ」とは、単なる政治的思想や信条の分類を示す単語ではなく、形容詞的な強い侮蔑の意味合いを含んだ表現であるということが分かる。この言葉をいたずらに組み込んでムーブメントに悪用したのが「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」(以下「ネトウヨBAN祭り」と言う)であり、数カ月の間に、一般人から著名人までの数々のウェブサイト、動画アップロードサイトのユーチューブやフェイスブック、ツイッターなどのあらゆるアカウントが凍結(削除)、いわゆる「BAN」されるという社会問題が起こったのだ。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 実は、私自身はそんなムーブメントがネットに存在することは全く知らず、このネトウヨBAN祭りを知ったのは、昨年10月で、事務所のスタッフから「おー有名になったなあ…小西もネトウヨ人物辞典に載ってるよ」と言われたからだ。スタッフから聞いたアドレスをのぞいてみると、タイトルは「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」となっており、 「アットウィキ」という名の示す通り、いわゆるウィキペディアのような百科事典風のページになっていた。BAN祭りウィキの人物辞典 現在、当該ページは「アットウィキ」のサーバー管理運営会社によって削除・凍結されており、いわゆる祭りの後で、昨年11月ごろはウェブキャッシュに残っていたが、現在は閲覧できない。 ただ、当時はこのページの左側中段以降に人物辞典があり、さまざまな人物名が掲載されていた。その中の「か行」に私の名前も載っていたのだ。この人物辞典のか行をざっと眺めてみると、ケント・ギルバートアメリカ人弁護士、タレント。かつて日本のバラエティ番組で活躍していた外国人タレントであったが、語学学校経営の失敗やマルチ商法の広告塔などを経て、ビジウヨに転向した。小池 百合子(こいけ ゆりこ)東京都知事、元環境・防衛大臣。都民ファーストの会創設者。 2018年にオリンピックへの対応を理由として都道府県単位では初となるヘイトスピーチ規制条例を都議会へ提案し、賛成多数で可決・成立した。一方で知事選挙の公約に「韓国人学校への都有地提供の白紙撤回」を掲げたり、関東大震災でデマに基づくジェノサイドの犠牲者となった朝鮮人の慰霊集会において歴代の東京都知事が慣例的に行っていた知事挨拶文の送付をとりやめたことがヘイトではないかと批判を受けている。 などといった面々が列挙され、その下方に自分の名前を発見したのだが、どういうわけか私の名前と紹介文だけがかなり侮辱めいた表現だったのだ(笑)。小西 寛子(こにし ひろこ)元声優。NHKの長寿アニメ『おじゃる丸』で主人公のおじゃる丸役を務めていたが、突然の配役交代を経て表舞台から姿を消した。 その後、ツイッターで「おじゃる丸出演時に収録した音声を無断でキャラクター商品に転用された」と主張し、NHKバッシングで利害が一致するネトウヨ界隈へ急速に接近しているが、元ファンの諫言にはまるで耳を貸さずブロック芸を炸裂させるため呆れられている。 これを見て怒りが込み上げてきたが、クールダウンの時間をはさんだ後、ドメイン情報やら管理者情報を調べ、それら情報と共に運営会社の企業情報などを確認し、私は1通のメールをサーバー運営会社に送った。するとその翌日、ネトウヨBAN祭りのすべてのページが凍結されていたのだ。 私がネトウヨ秋のBAN祭りのページについて、侵害情報の削除申請をしたのは昨年10月29日午後6時ごろ。その後、実際に削除されたのは10月30日午後2時ごろだ。これは私に返信されたサーバー運営会社の内容を確認し、ネトウヨBAN祭りアドレスをクリックすると既に凍結されていて気がついた。ほっとしたのと同時に少し驚いた。何に驚いたかというと、私のことが書いてある人物辞典だけでなく、紐づいた項目が全て凍結されていたからだ。 考えられることの一つは、「ネトウヨ」という侮蔑を含む表現を用いて、客観的事実に基づかない単なる憶測で、ある種のレッテルを貼られたことによる社会的評価の低下ないしその恐れに対する送信防止措置だろう。画像は本文と関係ありません(GettyImages)  私は削除申請を出したことをツイートなどで公表はしていない。ただ、私がアットウィキの運営会社にメールを送ったことを明らかにしたツイートを見た人が、その後アットウィキへの感謝の意を綴った一連のツイートの前後関係をつなげて、「ネトウヨBAN祭りのページが凍結」された事実を突き止めた人がいた。凍結までの手続き そもそもこうした申請をしても、これほど早い対応は極めて稀(まれ)なことだ。では、一体私はどんな手続きを使ったのか。 事務所スタッフによると、ネット上の掲示板に「アットウィキは削除申請のルールがあり郵送でなければ申請を受け取ってもらえない。メールなどでは当然受け取ってもらえないのになぜ?」と書かれていたそうで、「こんなに早く消されることはこれまでない」などの書き込みもあったようだ。 さらには、「異例の対応」だとか「有名人だから運営が早く対応した」、「弁護士がやったからだ」などいろいろな憶測が語られたようだが、私は浅学ながら法律の知識が多少あり、会社の法務(音楽芸能とは別の会社)などで培った実務のノウハウと、事務所スタッフにも著作権をはじめとする法務のプロがいるため、今回のようなケースであえて外部の弁護士に依頼する必要もない。ただ、内容や表現方法の違法性を運営会社にもれなく指摘しただけだ。 今から3年ほど前の事件だが、ツイッターやネット掲示板に私を中傷する書き込みをした自称アニメライターの男が名誉毀損罪で起訴され、有罪になった事件がある(「『おじゃる丸』の声優、小西寛子さんをネットで中傷 容疑の男性を書類送検」産経新聞 2016.3.19)。 平成27年4月末ごろから、ツイッターやネットの「まとめサイト」などに「元声優の小西寛子、ネット訴訟で損害賠償をせしめようとする」「NHKに高額なギャラを要求しておじゃる丸を干された」といった中傷の書き込みがあるのを事務所関係者が発見(「『おじゃる丸』声優をネットで中傷 相模原市の男に罰金10万円」産経新聞 2016.6.29)。  この事件は、自称アニメライターの45歳の男(当時)が、小西寛子が「仕事を干された」「高額のギャラを要求した」「引退した」「元声優」などと名誉を毀損する表現を含む記事を、ツイッターおよびネットブログや掲示板、アニメ声優情報アカウント、そしてなんとアマゾンの小西寛子のダウンロード音楽の商品各レビューなどに至るまで多数投稿・書き込みをし、長期にわたり私の名誉・信用を毀損していたというものだ。 先に紹介した人物辞典の記述の中にも「元声優」という表現がある。元声優の何が悪いんだ? と思う人もいるかもしれない。ところが、私に対するこの「元声優〜」という表現は、ある意図をもって20年近く用いられているものであり、これは私だけの問題に止まらず、業務の性質によっては死活問題になりうるものだ。 元横綱、元職員、元裁判官…「元」というのは、現在はその職を離れている人、いわゆる引退をした人などの肩書きに付される接頭辞だ。つまり、私は引退宣言もしていないのに、20年近くも、「過去の人」にされていたことになる。筆者の小西寛子氏=協力:日の出山荘 中曽根康弘・ロナルドレーガン日米首脳会談記念館 自称アニメライターの男が投稿するとき、執拗に「元声優」を用いることで分かるように、「元」と表記することによって、「引退したイメージを抱かせ、仕事のオファーがいかないように仕向ける」ことができる。これと同時に、NHKのアニメおじゃる丸の降板に関して、「高額のギャラを請求して降板させられた」という虚偽の事実をもってあたかも問題児であるかのように仕立て、社会的評価や信用を低下させる書き込みを行うことで、事実上の引退に追い込み、「元声優」というイメージを定着させていくのだ。実際、この男はかなり多くのアカウントを巧みに使い分け、自ら書いた記事などの信憑性を演出し、執拗に嫌がらせをしていた。ネトウヨ認定は侮辱 とどのつまり「元声優」という記述が凍結の決め手なのかというと、単純にそうとまでは言えず、記事の凍結(削除)はサーバー運営者の権限なので、実際のところ、どういう基準を引いて、またどのタイミングでこれを行ったのか分からない。ただ言えるのは、送信防止措置などは、相手の自由な言論を制限するものであり、公益性や急迫性の有無、競合する権利との比較衡量など、それなりのハードル(要件)がある。 いずれにしても、その判断は当然慎重であるべきだが、やはり情報を発信する側の行為が容易なことに比べ、風評などの拡散により侵害を受ける側の被害は甚大であり原状回復は不可能なので、送信防止措置は、まずは被害者保護の実現を第一義に、迅速性を担保するべきだと思う。今回の件に関しては、私が送付したメールの趣旨を、サーバーの運営会社が正しく理解して適正に判断したのだろう。 それにしても「こんな急速凍結はおかしいじゃないか!」との懐疑的な意見もあるが、別に特別扱いをされているわけではない。私は、幸か不幸か、先に述べた事件を含め、民事やその他司法行政機関による名誉毀損に関する認定もしくは判断された事実と公的文書を複数持っている。ゆえに、これらに該当する名誉毀損の書き込みが不特定多数に閲覧可能な状態であった場合、送信防止措置の手続きにおいて違法状態を証明する事実の提示が比較的容易だったのだ。 また、名誉毀損の具体的な内容もニュースや新聞記事になっているので公知の事実に近いため、措置を講ずる運営側も「リスクが少なく判断がしやすいので迅速な対応ができる」という、微妙な事情があるのだ。うらやましい? とんでもない! このアイテムを手に入れるのにどれほど苦労したことか! 刑事告訴も含めすべて本人訴訟であり、それは長い道のりだった。法実務の勉強と人生における有益な経験となったので結果オーライではあるが…。 さて、削除申請の話はこのくらいにして、なぜBAN祭りが凍結されたのかというと、一つには、先に述べた通り、名誉毀損表現や侮辱表現が含まれていたからだが、そもそも、私はツイッターでもネットでも、もちろんテレビでも一切政治的思想や信条を公表していない。私の政治的意思決定や思想などは内心のものであり、誰かがこれを強制することはできない、他人が私に対してレッテル貼ることはできないはずだ。 冒頭でも述べたが、「ネトウヨ」という呼び方は、各種のウェブ辞典やウィキペディアなどにも書かれているように「バカにした表現」であることなどから、特定の人物を指して「ネトウヨ」と呼ぶことは、その言葉の形容的意味合いを考慮すると、明らかに侮辱であると容易に判断できるだろう。画像は本文と関係ありません(GettyImages) そして、私に限らず人物辞典をあ行〜わ行の最後まで眺めてみると、「ネトウヨ」というレッテル貼りの表現だけでなく、その他たくさんの侮辱表現と取れる名誉毀損表現が散見される。ネトウヨBAN祭りに書き込みをした人が、この程度は侮辱表現ではないと個人的に思ったとしても、「本人が侮辱と感じる」こともある。また、一般社会から普通の感覚で見て「侮辱」と受け取られることもある。大げさかもしれないが、これだけでも表現として、侮辱罪という犯罪行為を構成する要件たりうるのではないだろうか。「犯人」は左翼だけじゃない もう一つ気になったのが、裁判所の決定や判決などの効力が及んでいるわけではないのに、サイトなどから「広告を剥がせ」というのはやり過ぎだろう。ネットの中には保守だけでなく、革新やリベラル、共産主義者などの反対意見も当然存在する。保守だけがターゲットにされるのはおかしいし、企業が不買などのユーザーの声を気にすることを悪用した広告の通報は、業務妨害になる可能性もある。 それら手口の指南をしたとみなされれば、幇助(ほうじょ)や教唆、共謀など何かしらの責任を問われてもおかしくない違法性のある行為と言えるだろう。彼らのウェブサイトには正当性の記述もあり、ここでは詳述しないが、それ以外の表現も含まれており、やはりその部分においては違法性も検討されることがあるだろう。仮に、私がサーバー運営者であったとしても、遅かれ早かれ、当該サイトの名誉毀損表現などに対し警告を発し、期間を定めて自らの権限で凍結させるだろう。 以上のように、ネトウヨBAN祭りのアットウィキが凍結された理由はいくつかあるが、今回のように保守派、いわゆるネトウヨとされている人たちをターゲットにした攻撃は、左派などがやっているのか?というと、それだけでは片づけられないのだ。想像や憶測でしかないが、広く、深く、ウェブサイトにはただ単にオモシロイ遊びとしていわゆるBANをゲームとして楽しんでいることもあるようだ。 例えば、ゲームにはルールがあってそのルールがたまたま「ヘイトスピーチをつぶやくアカウントを攻撃するというお題目によるもの」だったわけで、たまたまゲームのターゲットが「ネトウヨ」と呼ばれる人たちだったりするのだ。 私の頭の中に彼らのゲームを感じさせたのは、この凍結された「ネトウヨ春のBAN祭り・夏のBAN祭り・秋のBAN祭り―アットウィキ」が削除されたその日のうちに、新たな場所でじわじわとサイトが作り直されていたことだ。そしてそれは、より「安全な場所へ」などと新たにサイトを作成するにあたり、準備段階でも彼らはいろいろと議論したようだ。事務所スタッフがのぞいたウェブ掲示板には、今回のミスは「誰かが小西寛子を人物辞典に入れたこと」であるとし、彼ら曰く「小西寛子というとても大きな地雷を踏んでしまった」ことを皆反省すべきだと書かれていたという。 今後は攻撃ルールにふさわしくないものを省いて、自分たちがBANの場として構築されていくものを容易に破壊されないように、新たなルール作り(リスクマネージメントを考慮?)をしていこうなどの意見も見られたようだ。筆者の小西寛子氏=協力:日の出山荘 中曽根康弘・ロナルドレーガン日米首脳会談記念館 実際、私から見ても、見苦しい明らかなヘイトスピーチや、単なる嫌がらせやうっぷん晴らし、そして金銭的利益のためにいわゆる偽右翼活動している人などの言動には嫌悪しており、攻撃されてもやむなしとの考えは一理あると思う。そして、現代のディープなネット社会にはそれなりのいろいろな形のゲームがあるかとも思う。そのゲームの中のルールが一種のグレーゾーンの中に正当性をいわしめるものならば、百歩譲って「あっちの芝生に行ってやれ」程度には言うが(認めているわけではない!)、ここぞとばかり便乗して、思想信条や自分の反対意見を押し通すために自由を制限しようとするならば、私もBANするしかない(笑)。■ なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない■ 「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ■ バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す

  • Thumbnail

    記事

    アカウント停止は中国のせい?私のツイートのどこがヘイトなのか

    中宮崇(サヨクウォッチャー) 中国によるインターネット支配が静かに進められている。そもそも中国ではネット空間においても言論の自由などない。反体制的な書き込みは言論弾圧どころか、逮捕や処刑の可能性さえある。そしてどうやら、日本国内でもそうした中国によるネット支配が着々と進みつつあり、私も思い知らされる事態に遭遇した。 中国による野蛮な支配は、決して中国国内のみにとどまらない。最近でも中国が「租借」と称して19世紀の植民地支配そのままの露骨な領土侵略を世界中で行い、現地の反発を招いている(「ベトナムで大規模な反中デモ、中国に99年間土地租借に抗議」大紀元日本 2018.06.13)。 また、米国のような先進国においても、米国大学教授協会(AAUP)から「中国国家の手足として機能している」と批判される中国政府系の「孔子学院」という文化機関が各地の大学に設置され、天安門事件やチベット侵略についての議論を禁止するといった活動にいそしんでいる。そのため、米国では孔子学院を大学から追放する動きが進んでいる(「米で孔子学院閉鎖相次ぐ 北フロリダ大が閉鎖を決定」産経新聞 2018.8.16)。 日本も例外ではなく、2008年の北京五輪に伴う長野市での聖火リレー騒動も思い起こされる。当時私も現地入りし、その様子を記事に書いた。なんと中国の人民武装警察部隊が「聖火警備」の名目で日本の公道をわが物顔で警備していたのだ。その上、中国当局が動員し長野市に集めた4千人の「学生」がチベット侵略への抗議に集まった多数のチベット人や日本人を取り囲んで暴行するなど、さながら中国による日本占領のための予行演習のようであった。 こうした中、昨年10月31日に私のツイッターアカウントが突然、使用不能になった。ツイッター社から以下の中国批判ツイートをなんと「暴言や脅迫、差別的言動」つまり「ヘイト」だと認定され、当該ツイートの削除を要求されたのである。 中国が南沙諸島を侵略し、武力による威嚇と通行妨害という国際社会への邪悪な犯罪を行っているという以下の報道について、「撃沈で対処せよ」と呼びかけたが、なんとこれらをヘイトだと言うのである(「中国艦船、米軍艦に異常接近 「航行の自由」作戦中」CNN 2018.10.02)。 ところで、わが国は2001年に、日本の巡視船に発砲した北朝鮮の工作船を撃沈したことがある(九州南西海域工作船事件)。ツイッター社からすれば、こうした日本による実力行使はヘイトなどという言葉では到底収まらない邪悪な行為であり、ツイッター上で日本人が議論、主張することさえ許されない違反行為ということなのである。 例えば今後ツイッター上で「北朝鮮の工作船は撃沈で対処せよ」とつぶやいたとすると、それはツイッター社的にはヘイトであり、禁止行為なのだというのだから驚きである。 日本は中国や北朝鮮による侵略に対して一切「撃沈」のような反撃どころか、こうした対策を呼びかけることさえも禁止しているわけである。これを「ヘイト規制を騙(かた)った中国・朝鮮による支配」と言わずしてなんと言うべきか。岩上安身氏の言い分 ところで、ジャーナリストの岩上安身氏は、IWJなる反安倍、反原発サヨクメディアを主宰しているが、そのツイッターアカウントが凍結されたらしく、昨年11月9日にこんなツイートを行った。 「ツイッター社による不当なアカウント凍結です。ヘイトスピーチをしたわけではありません。植村隆さんの裁判の市民への報告集会を中継し、IWJの速報アカウントで実況していただけで凍結されたのです。異常な数の嫌がらせ通報があったか、ツイッター社の判断に政治的偏向があったか、どちらかです」 何を根拠にジャーナリストを自称する岩上氏が「異常な数の嫌がらせ通報があった」などという臆測を喧伝(けんでん)するのかは全く不明である。関東大震災における「朝鮮人が井戸に毒をばらまく」という悪質なデマと一体何が違うのだろうか。 岩上氏は常日頃、「ネトウヨ」のツイートなどを「ヘイト」「デマ」と決めつけ「通報」を呼びかけている張本人である。自分が常に卑劣な密告を呼びかけているので、他人も自分と同じように卑劣な行為をしているに違いないと思い込んでいるのであろう。 一方、今回の私のツイッターアカウントの凍結は、実はサヨク陣営による組織的な「密告」運動の結果であるという証拠がある。私のツイッターアカウントが凍結された直後、密告者が喜々として以下のような勝利宣言ツイートを行っていたからだ。 密告者のツイートに見える「ネトウヨ春のBAN祭り」という文字は、最近インターネット上で盛んな、サヨクによる組織的な敵対者弾圧密告運動の名前である。これにより、ツイッターだけでなくユーチューブやホームページなどにおいても保守派だけでなく、反中国的言動を行っただけの左派でさえ「ネトウヨ」と決めつけられ弾圧され、閉鎖に追い込まれている。 反中国、反北朝鮮は彼らサヨクにとって左右かかわらずすべて「ネトウヨ」であり「人間じゃねえ!たたっ斬る!」(政治学者の山口二郎氏によるSEALDsデモでの発言)べき敵なのだ。ちなみにこの山口氏による殺人予告発言も、私がツイッターで批判するとサヨクによる密告リンチによりツイートの削除をツイッター社から命令されたことがある。中国とサヨクの連携による日本支配は相当な所まで進んでいると言わざるを得ない。 サヨクの市民活動団体「しばき隊」に至っては、朝日新聞記者や人権派弁護士、LGBT(性的少数者)運動家などでさえ、自分たちが気に入らない場合、平気で「ネトウヨ」認定する。リンチなどの弾圧行為がまかり通り、被害者から裁判まで起こされている。 その背後に実際、どれほど中国や北朝鮮などの影響力があるのかは不明である。しかし、わが国におけるサヨク運動には冷戦時代にも旧ソ連や中国からの資金が投入されていた事実が、ソ連崩壊にともなう情報公開によりすでに判明している。 しかし、このことを例えば「サヨクには中国からの反日活動資金が投入されている可能性がある」などとツイートすると、たちまちサヨクの「ネトウヨ春のBAN祭り」対象として認定され密告などの組織的弾圧によりネット上から人知れず抹殺されることとなるだろう。 私のように他に発言の場のある人間ならともかく、一般の日本人はそれに対してなんの反論も主張もできず、誰にも知られることなくひっそりと消されてしまうことに抵抗もできないのだ。 実際、これまでそうした犠牲者がどれくらいいるのか、全体像は全く見えない。ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984年』に登場する独裁者そのものである中国支配が既にかなりのところまで進んでいるのである。■ なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない■ 「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ■ バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す

  • Thumbnail

    記事

    「BANされて当然」衰亡の一途をたどるネトウヨの自業自得

    だけではなく、右派内部からも巻き起こったことに特徴がある。 要するに、「ネトウヨ春のBAN祭り」は、イデオロギーや支持政党を超えた、単なる差別とデマに対する明確な「NO」の意思表示の運動といえる。だからこそ、運動に党派性を見いだすことはできない。 実際に「ネトウヨ春のBAN祭り」が奏功した例を二つ挙げよう。まず、作家の竹田恒泰氏によるユーチューブの個人アカウント「竹田恒泰チャンネル」がこの運動の結果、利用規約に抵触するとして永久に停止(BAN)となった。 竹田氏は、「明治天皇の玄孫(やしゃご)」を名乗り、「竹田研究会」などの団体運営などで、いわゆる「保守論壇」の若手旗手のような立場に上り詰め、地上波テレビやラジオなど既存の大手マスメディアへの露出も多い。しかし、その主張を見ると、「保守論壇」で異形・異端とされる「脱原発」以外は古典的なネット右翼の域を脱していない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) つまり、著しく激しい嫌韓国、反中国、歴史修正主義、国家神道や復古的天皇制への帰依など、特段目新しいものはない。ただし、短時間でユーザーの耳目を引く動画を投稿してきたユーチューブの「竹田恒泰チャンネル」アカウント自体には、明確な事実誤認などが跋扈(ばっこ)していたため、「ネトウヨ春のBAN祭り」によってユーチューブ運営側もBAN(停止)を決定せざるを得なくなった。 当然ながら、竹田氏はこの措置に反発したが、BANが解除されることはなかった。現在、竹田氏は「竹田恒泰チャンネル2」アカウントを開設して、差別的な表現や憎悪感情を抑制した動画を投稿するに至っている。もはや「衰亡一途」 もう一例は、ユーチューバーとして「KAZUYAチャンネル」を運営するKAZUYA氏(本名京本和也、以下京本氏)である。京本氏の運営するアカウント「KAZUYAチャンネル」では、概ね2~5分という短時間で政治や時事問題を扱う動画を投稿している。 ネット右翼の中でも最も底辺ともいえる低リテラシー層に訴求することで、一定数の視聴者(ファン)を確保したのが京本氏の動画の特徴である。この層は、たとえ「保守論壇」による右傾偏向のコンテンツであっても、4千文字や5千文字程度の論考や、20~30分以上にわたる長時間のトーク番組の視聴には、教養水準的に耐えられないからだ。 主張自体も、前述の竹田氏よりも非体系的で、稚拙である。テーマもやはり、嫌韓や反中、歴史修正主義、沖縄デマ、軍国主義的傾向の礼賛(教育勅語への偏執的固執)など、ネット右翼にとって古典的な色彩を帯びている。ただ、知名度において、竹田氏より圧倒的に劣後するため、「ネトウヨ春のBAN祭り」運動のターゲットとしては後発になったわけである。 「ネトウヨ春のBAN祭り」が開始されてから、京本氏は差別的、憎悪的傾向のある動画を自ら削除することによって、BANを回避する戦術を採った。しかし、結果は竹田氏と同じくBANを食らった。ところが理由は不明だが、竹田氏とは違い、数日後に運営側からBANが解除され、「KAZUYAチャンネル」自体も存続している。 BANを受けた後、京本氏は可能な限り、差別や憎悪表現を抑制した動画を投稿しているようだ。ただ、京本氏については、体系的知識量が低いままの状態なので、動画水準は未だに稚拙なまま推移している。しかし、それがゆえに、再びBAN指定を受けていない。 以上、「ネトウヨ春のBAN祭り」で永久、あるいは一時的にBAN指定を受けた2例を見てもわかるように、いずれにせよ、ユーチューブ上における差別動画の繁茂に業を煮やした良心の人たちが、2018年以降、そのイデオロギーや党派性を超えて実効的に動き出したことは間違いない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) この「ネトウヨ春のBAN祭り」運動は、「夏の~」「秋の~」「冬の~」と季節を変えながら、現在も続いている。その一方で、投稿者自体も、現実的にBANが行われる事実を鑑みて差別動画の投稿に委縮する傾向が顕著に表れている。 動画を最大の門戸として、また最大のプロパガンダツールとして利用してきたネット右翼や、それを利用して広告収入を得たいアカウントの開設者たちは、今大きな岐路に立たされるどころか、衰亡の一途をたどっているのである。■ なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない■ 「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ■ バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す

  • Thumbnail

    記事

    橘玲×中川淳一郎 保守とリベラルの不毛なレッテル貼り

     いま日本の「保守」と「リベラル」はどのような状況に置かれているのか。『言ってはいけない』(新潮新書)、『朝日ぎらい』(朝日新書)などの著書がある作家・橘玲氏と、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)などの著書があるネットニュース編集者の中川淳一郎氏が語り合った。(短期集中連載・第1回)* * *中川:従来、橘さんはリベラル的スタンスを明確にしていましたが、『朝日ぎらい』というタイトルの本を出しただけで、反・朝日新聞派のネトウヨっぽい人から拍手喝采状態になりました。ただ、同書に「なぜ朝日新聞が嫌われるのか」について言及している部分はそれ程多くはなく、基本的には思想がなぜ分かれ、どう分断が発生していくのか、といったことに言及した本という認識をしています。橘:「朝日新聞はなぜこんなに嫌われるのか?」という疑問が最初にあって『朝日ぎらい』というタイトルをつけたわけですが、おっしゃるように、「なぜ日本だけでなく世界じゅうが右と左に分断されるのか?」という話につながっていきます。たしかに、タイトルが過剰反応された面はあります。中川:こんなタイトルの本を書いたらネットでは途端にリベラル風の人々、まぁ、本当は単なる糾弾が大好きな人々からネトウヨ認定されちゃうと思うんですよ。それが何かモヤモヤしたんですよね。だって別に橘さんはネトウヨの味方でもなんでもないじゃないですか。橘:じつはこれは両極端で、朝日新書から出ているのだから、「朝日ぎらい」な右派を批判する(朝日新聞を擁護する)本にちがいないと、発売直後は読んでもいない、というか目次すら見ないひとたちからずいぶんバッシングされました。雰囲気が変わったのはしばらくして、実際に読んだひとが「“安倍政権はリベラル”と指摘しているし、リベラルを批判してるじゃないか」というようになってからですね。 朝日的なリベラル(戦後民主主義)の欺瞞やダブルスタンダ-ドを批判するのがこの本のひとつのテーマなのですが、それを他の出版社から出せば、あっという間に「橘玲がネトウヨになった」といわれるのは最初からわかっていました。実際、SNSの反応でも、「タイトルを見たときは“いよいよ橘玲もネトウヨ商売か?”と思ったけど、版元が朝日新書だからそうでもないのか」というコメントがいくつもありましたから。朝日を批判するからこそ、この本を朝日新書以外から出すつもりはなかったですね。中川:ただ、最近ではそうした対応も「防波堤」にはならなくなってきているんじゃないかという気がしています。最近は、朝日新聞が両論併記をしたと言うだけで、リベラルから怒られる時代になっちゃってるんですよ。杉田水脈氏の「LGBTは生産性がない」という暴論とか、東京医科大学が入試で女子受験生の点数を低くしていたとかの問題についてリベラルがデモを起こします。デモ自体は妥当な主張をしていると思うのですが、そのデモを取材した朝日新聞が、杉田氏の意見に一定の支持を示す識者のコメントとかも取るんですね、一応。すると、「朝日は両論併記をしやがってバカか」という反応が出て来る。橘:それは、杉田氏のLGBT発言に関して、「新しい歴史教科書をつくる会」理事の藤岡信勝氏のコメントを取った記事のことですか?中川:はい。自分たちをリベラルと称する人たちが、自分たちが気にくわないことを言いそうな人を出そうものならば、そのメディアは劣化したという風に怒り始めるんです。正しくない側の意見など紹介する必要はない、と。そういうことがあるからこそ、「朝日新書でしか出せない」という防衛策も効かなくなってきているのではないでしょうか。実際に本を出された後の反応はどんなものでしたか?橘:いちばんびっくりしたのは、本を読まずに自分の主張をぶつけてくるひとがものすごくたくさんいることです。それよりもっと驚いたのは、読んでもいないのにAmazonに堂々を“レビュー”を書くひとが現われたことです。なぜ読んでいないのがわかるかというと、「自民党が保守と解釈している所でこの本は終わっている」と書いているからです。同じページに目次が掲載されていて、そのいちばん上が「安倍政権はリベラル」となっているのに。 でも話はこれで終わらなくて、そうなると次に、このレビューを信じて、「自民党は右ではなく中道だ」との自説を滔々と述べるひとが現わるわけです。こうした「フェイク・レビュー」の連鎖は3人ほどで止まりましたが、それは他のレビュアーが「読んでもないのにデタラメを書いている」と指摘するようになったからで、それがなければ何十件、何百件とつづいたかもしれません。さらに不思議なのは、「フェイク」だと批判されてもレビューを削除するわけでもなく、そればかりか、嘘のレビューだとわかったうえで、それを擁護するひとまで出てきたことです。 問題なのは、世界を「味方」か「敵」かの党派でしか理解できないひとが多すぎることでしょうね。『朝日ぎらい』という本が出たら、これは朝日を批判しているのか、擁護しているのか、どちらの党派の属するのかが唯一最大の関心事になる。このひとたちにとって世界は善悪のたたかいで、自分は「善」と「光」の側で、気に入らないものはすべて「悪」と「闇」でなければならないんですね。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)中川:「俺たちは正義」で「奴らは絶対悪」とまずレッテルを貼って、ということですね。そこから身をかわすためには、いかにレッテルを貼られないようにするのかという戦略がないと回避できない。一旦レッテルを貼られるとそれはなかなか剥がせないじゃないですか。先ほど仰った通り、「橘玲はネトウヨになった。なぜならこんな本を出しているからだ」というのがネットのマジョリティになったら、もうひっくり返せないですし、ひっくり返すにはものすごい努力をしないといけないでしょう。橘:政治的に微妙なテーマを扱うときは、「党派」のレッテルからいかに身をかわすかに意識的でないとヒドい目にあいますよね。でも逆にいうと、どちらかの党派に入ってしまえば楽なんです。思考停止できるし、右か左かにかかわらず「○○はけしからん!」みたいな本を書けば一定数の読者はいるわけですから、ちゃんと商売が成り立ちます。面白くはないでしょうけど……。実名でリベラルな発言をすることの恐ろしさ実名でリベラルな発言をすることの恐ろしさ中川:保守とリベラルでどっちの人数が多いかと言ったら、私の実感としたら1対9くらいなんですよ。リベラルが1です。橘:私は3対7くらいかと思ってましたが。中川:声の数で言ったら3対7で正しいと思うんです。少数派であるリベラルが、必死に“狂った”日本の状況を何とかを変えようと思っている。人数的には9分の1くらいしかいないけど、とにかく危機感を持っているからなんとか必死に3倍の声を上げている状況かなと。最初、私はネトウヨ批判側として、ネットでの発言をやり始めたんです。2010年くらいから3年半くらいはそんな感じでした。ただ、それ以後、ちょっとおかしくなってるぞと。むしろ左が嫌いになっていったんです。その過程で反原発の運動があり、在日へのヘイトスピーチへのカウンター活動があり、LGBTとか、沖縄とか色んなイシューが出てきた。でも毎回出てくる人が同じなんです。反安倍政権というところで一致した人たちが、何でもいいから共産党と社民党と組んで、あるいは立憲民主党の誰かと組んで動こうというのが見え隠れしていて、そのいつもの方々が毎回元気なわけですよ。この人たちはすごい危機感もあるし使命感もあるんだなってわかる。それがさっきの声の数の「3」に出ているのだと思います。橘:リベラルの退潮は、朝日新聞などを見ていても、「知識人」として論評するひとがどんどん減っていることに表われていますね。戦後民主主義の全盛期は大御所みたいなひとがいたうえで、次から次へと新しい論客が出てきた。いまでは同じ人物が時事評論から政権批判までなんでもやっていて、よく考えたら5人くらいしかいないんじゃないかという状況になっている。大衆知識人にかぎれば、明らかに保守派の方が人材が豊富ですよね。中川:先日、朝日新聞に東京医大のデモを報じる記事が出ていたんですね。そこで取材をされていた一般人風の参加者のコメントがあったんですけど、その人、いつも反政権の活動をしている女性なんですよ。朝日もこの人にしかコメントを取れなかったのかと呆れました。橘:実名を出してそういうことを言える人が、いなくなってきたのかもしれませんね。中川:怖いのかもしれないですね。橘:「こいつは気に食わない」となった瞬間にすぐにネットで検索されて、住所や職場、学校、交友関係まで晒されてしまうんなら、普通に生きているひとは、堂々と意見なんていえないですよ。中川:数の論理でいえば、右の方が強いのは間違いない。それがよく表れたのが、2011年8月21日に行われたフジテレビデモだと思います。高岡奏輔という俳優が、フジテレビが韓国コンテンツを流しすぎだとツイッターで同社を批判したところ、彼は所属事務所をクビになった。ただ、事務所から見たら大クライアントであるフジを批判したら処分を受けるのは当たり前だと思うんですよ。 これに対し「愛国者たる高岡さんの不当解雇を許すな!」とばかりに5000人の参加するデモが発生しました。それに対してフジテレビの社員がツイッターで「あんたら暇なの?」と書いたんですよ。そしたら、「あんたら」という一言に怒りが沸騰しました。しかもこの社員はうかつにも実名でツイッターをやっていたからすぐにFacebookのIDも見つけられて、自分の家の車のボンネットに映った家の形から自宅が特定された。その後、“スネーク”と言われる見物する人たちが続出しちゃった。しかも、過去に仕事で獲得したであろうグッズをヤフオクに横流ししていた疑惑とかを全部暴き出された。彼はその後社内で居心地悪かったんじゃないかな、と思います。橘:そういうネットの恐ろしさがある程度浸透してきたので、実名、顔出しができなくなってきたというのはあると思いますね。私自身、ペンネームで顔写真も公開していなくて、「ネット社会で上手くやってますね」みたいなことはよくいわれますから。でもこれはたまたまで、物書きになった頃はネットのことなんてほとんど理解していなかったのですが。(続く)◆橘玲(たちばな・あきら):作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『言ってはいけない 残酷すぎる真実』『(日本人)』『80’s』など著書多数。◆中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):ネットニュース編集者。1973年生まれ。『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』『縁の切り方 絆と孤独を考える』など著書多数。関連記事■ネット民は朝日vs産経の代理戦争を繰り広げている■橘玲氏が解説、「専業主婦は2億円損をする」の真意■幸せになるにはどこまでお金を稼げばよいのか 橘玲氏が解説■ネットの反差別運動の歴史とその実態【1/4】■いまも続く「ポッポロス」 「アベロス」起きる可能性は

  • Thumbnail

    記事

    66歳男がブログ記事で侮辱罪に 懸念されるネトウヨの高齢化

     様々な分野で高齢化が進んでいるが、かつては若者が中心と思われていたものにも高齢化の波が押し寄せている。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、今後、予想される高齢ネトウヨの増加について、警鐘を鳴らす。* * * 静岡新聞に掲載された政治評論家・屋山太郎氏(86)のコラムに書かれた内容の一部が、社民党の福島瑞穂参議院議員の事務所から事実無根だと抗議を受けた。徴用工裁判をめぐる内容だったが、同氏は「福島氏は実妹が北朝鮮に生存している。政争の具に使うのは反則だ」と書いた。同紙は後に事実ではないとし、訂正・お詫びをした。 これを見て思い出したのが、ネットに未だに残り続ける「李高順」と「趙春花」をめぐるデマである。千葉大学名誉教授やイオンド大学筆頭教授を務めた清水馨八郎氏が2010年、「國民新聞」に書いた「小沢一郎は済州島出身」という文章だ。ここには、「土井たか子は本名李高順と言いその弟子福島瑞穂は趙春花で日本人ではない。顔立ちもよく見ると韓人である事が分かる」とある。 ネトウヨの特殊能力「国籍透視」を駆使した「在日認定」を、当時90歳を超えていたであろう名誉教授まで務めた立派な人物がしでかしたのである。他にも小沢一郎氏と菅直人氏を済州島出身だとし、岡田克也氏は「あやしい」と書いた。2010年といえば、まさにネトウヨによる「在日認定」が花盛りの時代で、清水氏のこの文章がソースとなり、今でもこれら2つの名前がネットでは時々書き込まれるのである。 なお、李高順については、かつて月刊誌『WiLL』に掲載され、土井氏の側から名誉棄損の裁判を受け敗訴。同誌は謝罪文を掲載するに至った。その経緯があったにもかかわらず、清水氏は書いてしまったのである。また、福島氏の「趙春花」も誤りである。 それにしてもこの「在日認定」、なんとかならないのだろうか。何か犯罪者が登場した場合、ネット掲示板の書き込みやSNSには「実名はよ」などと書かれる。つまり、在日が日本人のような通名を使っていると勝手に判断し、こうした卑劣なことを犯すものは在日に決まっていると考えるのだ。「日本人なら悪いことをしないはず」という妙な安心感があるのだろう。 福島氏も土井氏もネトウヨの間では「反日議員」「売国奴」認定をされており、その流れに乗るかのように著名な評論家までデマを書いてしまった。経験も名誉も社会的地位もある人でも同様のことをしてしまう状況にあるのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) これから懸念されるのが、「高齢ネトウヨ」の増加だ。今年1月、大分県の66歳の男が在日の中学生に対し、「おまエラ不逞朝鮮人」「チョーセン・ヒトモドキ」などとブログに書き、侮辱罪で科料9000円の略式命令を受けた。ここで登場する「おまエラ」の「エラ」は、韓国人の顔はエラが張っているという決めつけから来る差別用語で、嫌韓系の5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のスレッドではよく登場する言葉だ。 長年勤め上げた会社を定年退職し、さて、ブログでも始めるかな、とネットにアクセスをすると、在日や韓国を罵倒する意見がネットには多数書き込まれているのを目にする。ここで「おまエラ」などの言葉を覚えたり、「レイプは韓国の国技」などの言説を信じ込む。韓国の政治家や反日活動家に関するニュースを見て義憤に駆られ、いつしか高齢ネトウヨになってしまう。晩節を汚すのはおやめなさい、と忠告申し上げよう。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など関連記事■韓国で女児の胸が大きくなる「性早熟症」、囁かれる原因■もし日韓戦わば… 軍事力の差は歴然だった■弁護士懲戒請求、ウヨマゲドン… ネット右翼の思考回路とは■ツイッターは実名でやるに限る、と考える理由■沖縄の「土人」発言 歴史的にどう解釈すべきか

  • Thumbnail

    記事

    全面禁煙化に潜む「排除された不合理性」

    千葉雅也(立命館大学准教授)千葉 あらゆる施設内を一律に禁煙化するという方針には、ある政治性が、イデオロギーが含まれていると考えられます。それは一言でいうと、「身体の私的所有」の強化です。――どういう意味なのでしょうか。千葉 自らの身体を外界から区切られた「領地―プロパティ(私有財産)―不動産」として考え、境界を侵犯するものを拒絶することです。近年、右派と左派のいかんを問わず「身体の私的所有」を強める傾向が見られると思います。 たとえば右派の場合、在日外国人や移民に対する拒絶反応が顕著です。自国の領土を身体の延長のように見なし、侵犯者を敵と捉え、アメリカのトランプ大統領のように「国境に壁をつくる」といってみせる。 対する左派においては、マイノリティの権利擁護の場面で、アイデンティティの取り扱いを単純化し、当事者の申し立てを「当人が自分はこうだといっているのだからそうなのだ」と固定化するような傾向があるのではないか。 右派の場合は国家や民族など集団的アイデンティティを護り、左派の場合は細分化されたマイナーなアイデンティティを護る、という相違はあるけれど、いずれも「身体という領土」の防衛という点では一致している。身体は自分だけのものである、という認識です。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 受動喫煙への嫌悪もまた、自分の「身体という領土」を一片たりとも侵されたくない、というイデオロギーの表れではないでしょうか。 さらに、たばこの煙に限らず、「電車内のベビーカーや赤ん坊の泣き声が神経に障る」というサラリーマンや、恋愛やセックスのストレスを避ける「草食系」の傾向も、「身体という領土」を脅かす存在を拒絶するという意味で、「身体の私的所有」の観点から説明可能でしょう。 さらにいえば、「身体という領土」とは、「自分という資本」です。それをガッチリ掴んでいる。他者との偶発的な関係によって「自分という資本」が目減りする、不完全化するのを避けたいというわけです。失われた身体のコミュニティ――おっしゃるような拒絶のメンタリティはいつ、どのようにして社会に広まったのでしょうか。千葉 その質問に答えるにはまず、受動喫煙が問題にならなかった時代の社会に何が存在したのか、その後に何が消えたのかを考えなければならない。 結論をいうと、現代社会から失われたのは身体のコミュニティ、身体の共有性でしょう。かつては、自分と他人の境界がもっと曖昧であり、「身体の私的所有」という観念はもっと弱かったのだと思います。 旧来の共同体で生きていた人たちは、「自分の生活は100%自分の意志でコントロールできるものではない、時には他者が土足で踏み込んでくることもある」といった身体感覚を共有していた。 しかし21世紀に入ってグローバル化が進行すると、市場原理主義に基づくネオリベラリズム(新自由主義)の経済体制が強まり、社会の細分化・個人主義が進みました。それと並行して、社会から身体を共有する意識が失われていったというのが、私の見立てです。 この点をより理解するために、「右派」「左派」と「禁煙推進派」「喫煙擁護派」の4者の相関関係を図にしてみましょう。 この図式における政治的立場とたばこの相関関係は理念的仮説であって、混合したタイプや例外も当然あるだろうという注意をまず述べておきます。 さて、右上の「禁煙推進派かつ右派」は、グローバル化と不可分のネオリベラリズムと、国家の閉鎖性の護持という真逆の思想が組み合わさった人びとであり、このタイプは、それがグローバルな(つまり経済的な)大勢であるという理由、かつ身体(私=国家)の私的所有の観点から、禁煙を推進する可能性が高いと思います。 他方、左上の「禁煙推進派かつ左派」は、リベラルの立場から無迷惑社会に賛同する人たちですが、皮肉なことに彼らの主張は、個人を身体のコミュニティから引き剥がすネオリベラリズムと通底している。 このように自らがネオリベと共犯関係にあることを自覚している左派がどれだけいるでしょうか。 興味深いのは、「喫煙擁護派かつ右派」と「喫煙擁護派かつ左派」のタイプです。 右派の論者に喫煙擁護派がしばしば見られるのは、彼らが古いコミュニティ(共同体)に信頼を抱いているからだと思われます。おそらくコアな保守主義者は、「完全な個人主義は成り立たない」ということは実存の本質に関わるテーゼであると、経験を通して直観している。 他方、今日の激した資本主義に異議を唱える左派の議論を深掘りすると、突き当たるのは「コミュニティ」の重視、すなわち「コミュニズム」です。ここにおいて、ラディカル(急進的)な左派とコアな右派は相通じることになる。 対照的に、コミュニズムに無自覚で、結局はネオリベ追従の左派と右派は共に思想のぬるさにおいて同じ穴のムジナといえるでしょう。不合理性の排除は人類の自殺千葉 ここで若干、コミュニズムという言葉の説明が必要ですね。コミュニズムを日本語で直訳すると「共産主義」であり、歴史上、社会主義政権として現れた中央集権の独裁体制を想起して警戒する人がいるかもしれないからです。 しかし、広義でいえばコミュニズムは必ずしも政治体制に限定されるものではなく、私たちの生活のあらゆる場面に「潜在」しているのです。 私が念頭に置いているのは、デヴィッド・グレーバー(『負債論』『アナーキスト人類学のための断章』の著者)らが議論している、「いまここにあるコミュニズム」です。 日常生活のなかで、われわれは必ずしも見返りを求めない贈与やサービスのやりとりを行なっています。その背後にあるのは、合理的な利害関係、損得勘定に収まらない考え方です。自他の利害を白黒はっきりさせず、互いのグレーゾーンにおいて展開する関係性がコミュニズムの基盤だといえる。 われわれの生活の基底には「アナルコ・コミュニズム」と呼ばれるべき状況がある。「アナルコ」とはアナーキズム(無政府主義)。 やはり誤解を避けるために説明すると、この場合のアナーキズムとは、暴力や騒乱を求める思想ではありません。政府による上からの統治ではなく、下からの相互扶助によってコミュニティを成立させることは可能か、という問いに真剣に取り組むための概念なのです。 21世紀の社会では、ネオリベラリズムとアナログなコミュニティが軋轢を起こしています。一方では、責任を担う主体同士がフォーマル(正規)な契約関係を結び、経済活動を行なっている。 しかしその底、あるいはただなかには、自他の境界が明確でないインフォーマル(非正規)な互助関係が多様に展開してもいる。私の懸念は、「責任」の明示を求めることが、後者のグレーな世界を蒸発させてしまうことなのです。大きくいえば、責任という概念自体が、身体の私的所有と根深く結び付いている。――表面上の個人主義や合理主義だけでは社会が成り立たない。千葉 たばこの話に戻ると、全面禁煙化の訴えは、アナログコミュニティを破壊し、合理的主体の勝利をめざすプロパガンダの一環であると思われるのです。 単純な合理主義者にとっては、喫煙と発がん率の相関関係を見るような計量的エビデンスが唯一、価値判断を可能にするのでしょう。しかし人間は、実存の根底において、計量化されない不合理性によって生きています。 私は論考「アンチ・エビデンス」(『10+1 web site』2015年4月号所収)で、質的な根拠よりも量的な証拠を過剰に優先するエビデンス主義(エビデンシャリズム)が、「正しさ」を形骸化させていることを指摘しました。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そのようなエビデンス主義とは、身体のコミュニティの喪失にほかなりません。端的にいって、これは人類の自殺なのではないか……そう考えるのは、「元人類」の古い感覚なのかもしれません。 しかし、いまこそ過剰なエビデンス主義と無迷惑社会の理想に懐疑の目を向け、世界の不合理性を受け入れ直し、不合理性と合理性のグレーゾーンにおいていかに生きるかを模索すべき時が来ていると思うのです。ちば・まさや 立命館大学准教授。1978年、栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(紀伊國屋じんぶん大賞2013、第5回表象文化論学会賞)、『別のしかたで』(いずれも河出書房新社)など。関連記事■ 千葉雅也 著者に聞く『勉強の哲学』■ 山本博 酒とたばこは心の安らぎ■ 「チクショー。やめろ」 オウム真理教・麻原死刑囚最後の日

  • Thumbnail

    記事

    自衛隊「萌えキャラ」ポスター、セクハラ批判の偏見こそ異常である

    めの「自衛隊=不謹慎」という印象操作のためのミスリードであるとすれば、ポップカルチャーを踏み台にしたイデオロギー論争に他ならず、日本を代表するポップカルチャーである萌えキャラ文化への無理解を通り越した「冒瀆(ぼうとく)」でもある。言うまでもないが、自衛隊以外にも、美少年・美少女アニメや萌えキャラを利用した広報などはいくらでもある。(コンテンツの扱われ方については、拙著『パクリの技法』もご参考ください) 牟田氏らに象徴される前述の指摘は、現状の若者文化への乏しい理解と、絶えて久しいステレオタイプなオタクイメージの中で、「萌えキャラ=美少女キャラ=性的イメージ」をつなげている。これは、日本のポップカルチャーを貶める非常に危険な理解と感性だ。「美人は性格が悪い」という偏見と何ら変わらない。 実際の自衛隊ポスターを見る限り、描かれているのは、よくある、どこにでもある「萌えキャラ」でしかない。むしろ、近年の流行を踏まえれば清楚(せいそ)で地味なくらいだ。少なくとも筆者にはポスターから「性的なメッセージを含んだ幼い女の子」が強調された印象を感じることはできない。 そもそもアニメ調の萌えキャラを好むのは男性だけではない。若い女性層も男性以上に好み、消費している。同人活動などの現場で萌えキャラ文化をけん引しているのは、女性作家や女性ファンたちである。萌えキャラの受容対象として20世紀末型のステレオタイプな「オタク像」を一般化させた認識は偏見でしかないのだ。 むろん「自衛隊のような組織は、若者に迎合したポップなデザインは利用せず、地味でも堅い印象のものを起用すべき」という主張はあり得るし、そこから撤去やデザイン変更の議論が起きることもあるだろう。そういった議論が起きることには筆者も異論はない。※写真はイメージです(GettyImages) しかしながら、自衛隊が広報に起用したアニメキャラクターの中に、設定外の「下着」を見つけ出し、「セクハラである」「児童ポルノである」という批判を展開し、撤去にまで至らしめる今回のケースはそれと大きく異なる。表現の是非、ワイセツか否か、といったものとは違う次元からのアプローチであり、これはコトの本質や論点を大きくゆがませる。 もちろん、自衛隊に限らず、税金を利用している以上、度を過ぎた表現は許されない。しかし、今回のケースが、ポスター撤去にまで至らしめるまでの「度を過ぎた表現」なのか、についても改めて考えてみてほしい。

  • Thumbnail

    記事

    「シルバーデモクラシー」の根底にあるもの

    産経新聞取材班 近年、高齢層の投票行動が選挙結果に多大な影響を与えているという意味で、「シルバーデモクラシー」という言葉が使われる。特に日本は、「団塊」と呼ばれるベビーブーム世代であり、その数は圧倒的だ。すでに一線を退いた人が多いものの、今なお社会に厳然たる影響力を持っている世代とも言える。 『総括せよ! さらば革命的世代-50年前、キャンパスで何があったか』(産経新聞取材班、産経NF文庫)は、そんな彼らの青春時代にメスを入れた一冊だ。 半世紀前の大学キャンパス。そこには、「革命」を訴える世代がいた。当時それは特別な人間でも特別な考え方でもなかった。にもかかわらず、彼らは、あの時代を積極的に語ろうとはしない。語られるのは中途半端な武勇伝だけであり、「そういう時代だった」「みんなそうだった」と簡単に片付ける人すらいる。 そして、私たちの「隣人」としてごく普通の生活を送っている。彼らの思想はいつから変わったのか。いや、変わっていないのか。その存在はわが国にどのような功罪を与えたのか。そもそも当時、この国のキャンパスで何が起きたのか? 本書のもととなる新聞連載は、そんな疑問を持った若手記者たちにより、2008年5月から09年6月にかけて行われた。取材当時、全共闘世代は60歳前後。ちょうど彼らが会社を定年退職するなどして、社会の一線から退こうとしているタイミングだった。最初の書籍化から10年が経過したが、連載の骨格はそのままに、文庫化にあわせて再取材と修正も行っている。 取材当時は、09年9月に発足した民主党政権の誕生前夜だった。学生時代に自民党政権に激しく抵抗した全共闘世代に、政権交代について尋ねたことが何度かあったが、「政権交代しても権力は権力で変わらない」という冷ややかな声とともに、「昔、おれたちが願っていたような時代がくるかもしれない」と答える人もいた。少なくとも、政権交代前夜の熱気のようなものは感じられた。しかし、民主党政権は多くの国民の期待を裏切ってあっさりと倒れ、現在は自民党の一強多弱と呼ばれる政治状況が続いている。 一方で、「国家権力への反対運動」はなくなったわけではない。ここ数年だけみても、例えば、特定秘密保護法をめぐって反対運動を行った「SEALDs(シールズ)」と呼ばれる学生グループが注目を集めたことや、学校法人「森友学園」への国有地売却や、学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題での倒閣運動もあった。「アベ政治を許さない」などというプラカードとともに、国会周辺で政権に退陣を迫る〝闘争〟は今も続いている。だが、そこに集う人々をよく見ると、ほとんどが高齢者である。近年、雑誌などでシルバー民主主義をテーマにした論考が多くなっている 文庫化にあわせ、以前取材した元闘士たちの何人かに連絡をとったが、やはりというべきか、長期政権となった安倍晋三政権を批判し、野党のふがいなさを嘆く人が少なくなかった。本書でも指摘しているように、当時の大学進学率は15%前後。団塊の世代イコール全共闘世代とは言えないし、全共闘世代のその後の人生もひとくくりにはできない。ただ、彼らの世代には今も、根底に心情左派的な意識が広がっているのではないかと感じる。 それは、若いころに好んで聞いた音楽をいくつになっても聴き続けるような感覚なのかもしれないが、そのようなノスタルジーの中に彼らは今も生き続けているのだろうか。 60年代後半に学生時代を過ごした「全共闘世代」はリーダー不在の世代ともいわれる。タレントや作家など個性的な才能を発揮している人は多いものの、与党政治家やカリスマ的な経営者は意外に少ない。自民党の総理経験者でいえば、小泉純一郎氏(42年生まれ)から安倍晋三氏(54年生まれ)までの空白の期間にあたる。福田康夫氏は36年、麻生太郎氏は40年生まれで、2人はともに小泉氏より年長だ。かつて大学で何があったのか 全共闘世代で総理になったのは、やはりと言うべきか、民主党政権での2人だけである。鳩山由紀夫氏(47年生まれ)と菅直人氏(46年生まれ)だ(野田佳彦氏は安倍氏より若い57年生まれ)。2人の評価はあえてしないが、全共闘世代を代表する政治家と言っても過言ではない。 学生運動の収拾に最前線であたった警察幹部の一人で、先ごろ亡くなった元内閣安全保障室長の佐々淳行さんは本書の中で興味深い分析をしている。30(昭和5)年生まれで、全共闘世代とは一回り以上違う佐々さんは警視庁警備1課長として東大安田講堂事件の攻防戦を指揮。72年の連合赤軍によるあさま山荘事件も担当するなど、警察側から見た歴史の証言者である。 佐々さんは、年の離れた弟のような全共闘学生に対して一定の理解を示しつつも、「文明批評的にみると、昭和ヒトケタ生まれの自分たちと昭和20年代生まれの彼らの間には、埋めがたい世代間の亀裂があった」と指摘。「戦前、戦中、戦後を死にものぐるいで生き残ったわれわれと比べ、彼らは、もの心ついたときには経済復興が済み、自由と平和が保障されていた。仮にすべての人間の深層心理に闘争本能というものが潜んでいるとするならば、彼らの行動は疑似戦争体験のようにも思えた」と言う。 だが、激しい攻防となった安田講堂事件については、逮捕された計633人の学生のうち東大生はわずか38人で、全体のわずか6%。残りは他大学から駆けつけた「外人部隊」だった。東大全共闘のメンバーの多くは「勢力温存」を理由に学外に逃げ出していたという。 こうした見方をめぐっては全共闘OB側から反論もあるが、佐々さんは「まるで敵前逃亡だと思った。当事者でありながら、いざとなると日和る要領のよさと精神的なひ弱さも彼らの世代の特徴だ」と話し、次のように述べた。 「闘っている全共闘には理ありと感じていたが、問題はその後現在に至るまでの総括です。沈黙している人はまだ良いが、自分のことを棚にあげて『いまどきの若者は』なんて言うのは許せない。誰がどうだったと明らかにするつもりはないが、何も総括していないのに、いっちょ前のことを言うなと思うんです」 佐々さんは、紛争を通じて逮捕したり動向調査をしたりした闘士たちが、その後、政治家や評論家などに転身した姿をテレビなどで見かけることがよくあった。警察庁を含む中央官僚や著名な経済人にも全共闘出身者がいたという。彼らに対し、佐々さんは「早く引退しろ」と手厳しかった。 「総括もできないようでは、リーダーシップもとれない。早く次の世代にバトンタッチすべきだ。若い世代もとっくに見抜いていると思う」 そして、07年の東京都知事選を例に出し、昭和ヒトケタ世代の石原慎太郎氏=1932(昭和7)年生まれ=と対抗馬だった全共闘世代の浅野史郎氏=1948(昭和23)年生まれ=を両世代の代表と見立て、2人の勝敗を分けた要因を「若者の支持」と分析した。 「若い世代の全共闘世代への不信感が選挙結果にあらわれた。総括できない頼りないお父さんではなく、いざというときに頼れるおじいちゃんを選んだということだと思うのです」 本書では、元日大全共闘議長の秋田明大さん、元赤軍派議長の塩見孝也さん(故人)、元日本赤軍最高幹部の重信房子受刑者、元東大全学連リーダーの西部邁さん(故人)ら学生運動を内側から見ていた人たちに加え、佐々さんのような外側から見た人々や教職員の視点、そして数多くの無名の元全共闘学生たちの声を集めている。元赤軍派議長の塩見孝也さん=2008年6月撮影 今や戦争体験者の多くが鬼籍に入り、戦場体験者となれば、ゆうに90歳を超えてしまう時代になった。つい、20~30年前までは、それほどの苦労もなく探すことができた歴史の当事者たち、証言者たちが、次々と私たちの前から姿を消しつつある。 「全共闘世代」は今70歳前後。当時を記した作品はいくつかあるが、当事者目線のノスタルジックな回顧録も多い。本書は、多数の学生を巻き込んだ熱気が潮を引くように沈静化した理由について、多角的な視点で検証を試みている。かつて大学で何があったのかを知る入門書であり、シルバーデモクラシーの功罪を考える一助にもなるかもしれない。

  • Thumbnail

    テーマ

    シルバーデモクラシーと全共闘

    シルバーデモクラシー。既得権を守りたい高齢者が政治プロセスを支配する現象だが、わが国ではその中心が団塊世代である。彼らの青春時代、大学キャンパスは「全共闘」と呼ばれた学生たちに占拠され、まさに「革命前夜」だった。あれから半世紀。「老害」とも揶揄されるシルバー民主主義の功罪を考えたい。

  • Thumbnail

    記事

    今どきの若者は「保守化」も「安倍支持」もしていない

    倉山満(憲政史家) ある筋から「若い人々の中には改憲に反対する共産党が保守で、改憲を目指す自民党などが革新と勘違いしている向きもある」との話を聞いた。たぶん単なる勘違いなのだろうが、彼ら彼女らを不勉強と切り捨てるのは忍びない。 そもそも保守とは何か。人によって好きに定義してよいと思うが、「その国の歴史文化伝統を守り抜く態度」は一つの定義だろう。普通の国の憲法は、「その国の歴史文化伝統そのもの」のことであり、それを確認のために文字にしたものが憲法典である。 ところが日本国憲法は、わが国の歴史文化伝統を否定する目的でアメリカ占領軍から押し付けられた。のみならず占領軍が去った後もわが国の最高法として押し頂いている。そして70年以上が過ぎた。 わが国の歴史は公称2678年、どう少なく見積もっても1400年は続いている。その中の70年などたかが20分の1だが、それでも現在進行形の最近の70年強である。この70年こそわが国の伝統であり、保守すべきだと考える人間が出てきてもおかしくはあるまい。 保守とは何かを、外国と比較してみよう。たとえば、ロシアである。ロシアの保守すべき伝統とは何か。間違いなくタタールの軛(くびき)の時代ではないだろう。モンゴル人に支配された時代を懐かしがるロシア人は、一人もいるまい。 軛を脱したイヴァン3世は今でもロシア人の英雄だが、では民衆が圧制に苦しめられた帝政に復古したがる人がどれほどいるか。ロシア革命から74年後、ようやくボリス・エリツィンがソ連共産党から国を奪い返した。今のウラジミール・プーチンはソ連時代を栄光と考えているようでもあり、帝政時代の皇帝のごとく振る舞っている。 さて、ロシアの保守派とは誰か。帝政時代は、皇帝側近の反動勢力が保守だった。この人たちは、あらゆる改革に反対し続けた。逆にソ連時代は、共産党によりロシア民族主義は徹底的に押さえつけられた。ソ連時代は、共産党支配への支持こそが、保守だった。 その共産党を打倒したのがエリツィンである。エリツィンはソ連時代には改革派としてソ連共産党から付け狙われたが、ロシア連邦初代大統領となってからは保守派の権化となった。では、そのエリツィン時代を否定し、ソ連や帝政への回帰を目指しているプーチンはロシアの保守なのか。議論は分かれよう。嘉納治五郎杯国際大会で日本対ロシア戦を観戦する安倍晋三首相(右)とロシアのプーチン大統領=2018年9月、ロシア・ウラジオストク(古厩正樹撮影) 実は、保守とは相対的なのかもしれない。これはフランスの場合さらに顕著であり、大革命の時代は王党派こそが保守であり共和派など過激派にすぎなかった。ところが、今のフランスでは共和主義こそ保守が守るべき伝統とされ、王党派の方が過激派扱いされる。その証拠に、今のフランス憲法には共和政体の変更不可が明記されている。現実の王党派がいかに穏健な人々であろうが、本気で王政復古を企てた瞬間に過激派なのである。 ここでわが国の話に戻ろう。保守の定義は、守るべき歴史や伝統文化を、何に求めるかであろう。仮に政治体制とした場合、日本国憲法体制の擁護が保守であるとしても、必ずしも間違いではなかろう(と冒頭の若者たちが考えているとは到底思えないが)。では、政治体制こそが、その国の歴史文化伝統であるかと言えば、必ずしもそうは言えない。 たとえば、アメリカ合衆国は、合衆国憲法に規定される政治体制こそが、国家体制そのものである。ジョージ・ワシントンがジョージ3世の圧政に対し武器を持って立ち上がったという建国神話から始まる歴史、その結果として続いている憲法体制こそがアメリカの伝統そのものである。ただし、そのアメリカでも国柄や国民性は存在し、必ずしも憲法典から派生するわけではない。十七条憲法は死文化? 一方、イギリスには統一的憲法典は存在しない。「日本国憲法」「〇〇国憲法」のような「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国憲法」などという名前の法典は存在しない。 ただし、憲法そのものは存在する。「衡平(Equity)」「伝統(Common Law)」などと呼ばれる法原理そのもの、それらに基づく判例、大憲章(マグナカルタ)に始まる歴史的文書、議会法のような憲法として扱われる重要な法律、習律と呼ばれる重大な慣例、等々の体系がイギリスの憲法である。時に、「フェアプレーの精神」も憲法として扱われる。 イギリスでは相手の人格を否定する最大級の罵倒語が、「アンフェア」だとか。わが国で「卑怯」(ひきょう)と名指しされたら、いかな沈着冷静な武士も激高(げきこう)したようなものか。イギリスは憲法政治の母国とされるが、長い歴史の中で卑怯な振る舞いをした政治家が制裁を下されることによって、慣例が確立してきた。 イギリス人が統一的憲法典を持たないのは、条文よりも運用が大事なのだと知っているからである。もっとも、それができるのは世界でイギリス人だけであるので、いまだに「憲政の母国」として尊敬されるのだが。ちなみに、伊藤博文はイギリスの実情を調査し、これをまねすることを早々とあきらめている。 ところで、1215年制定の大憲章がいまだにイギリスでは憲法として扱われているのに、驚く向きもあるのではないか。わが国が「十七条憲法」をいまだに憲法の一部と見なしているようなものか。 もちろん、今となっては裁判で使われる法規範ではないし、近代的な憲法の要件を満たしているわけではない。しかし、イギリス人は「法によらない刑罰を下してはならない」「国王は好き勝手に税金を取ってはならない」など、今となっては当たり前のことが当たり前ではない時代のことを忘れないために、過去の遺物とは扱わないのだ。 聖徳太子憲法第八条には「役人は遅刻早退するべからず」とあるが、「常識的範囲の遅刻」という概念が存在する今の霞が関を見るにつけ、十七条憲法は「死文化」しているようにも思える。というのは冗談としても、第一条「和を以て貴しとなす」も死文化しているだろうか。 良くも悪くも、日本人は「和」の民族であり、仮に「これからの時代はグローバル化だから、和を大事にしてはならない」などと憲法典に書き込んだとしよう。それで日本人の民族性が変わるだろうか。良くも悪くも「空気を読む」日本人の民族性が変わるとは思えない。大正時代の教科書「尋常小學國史」にある聖徳太子の記述(大空社復刻版より) 長々と徒然なるままに保守とは何かを書いたが、本題は「今どきの若者は保守化しているのか」である。その狙いは、70代以上の全共闘世代の投票行動が政治を左右しているとみられ、その対比としての若者分析だ。 ここで三流の言論人ならば、テレビや新聞しか見ない老人は情報弱者だが、ネットや保守の著作で真実を知っている若者は安倍政権を支持しているなどと、したり顔で説教を始めるだろう。 たとえば、自分に都合のよい世論調査を探してきて、もっともらしい「データ分析風」の講釈をたれて、自分の固定客に媚(こ)びた言説をまき散らして小銭稼ぎをする光景が目に浮かぶ。大学生の卒業論文なら目こぼしもできようが、プロの言論では立証されていない議論に意味はないので、「全共闘世代の悪あがきにトドメを刺せ」式の読者を気持ちよくさせるための言論をする気はない。 さてさて命題は、「今どきの若者は保守化しているのか」である。常識で考えよ。しているわけがないではないか。それが「安倍政権を支持しているか」との定義ならば、なおさら。 そもそも今の時代に、政治に多大な関心がある若者がどれほどいるのか。大正デモクラシーの政治運動が最も盛り上がった時代の大学では最も人気があるサークルは弁論部だったが、今はそんな話は聞かない。平成初頭の政治改革が最も盛り上がった時代ですら、どこの大学弁論部も新人勧誘に苦労していたくらいだ。「安倍支持」=「保守」ではない ちなみに、あまりにも情けないので大学名は秘すが、明治時代に創設の某名門弁論部はホームページで「国家公務員試験合格者数」を売りにしていた。明治時代に主要私立大学で弁論部が次々と発足されたのだが、藩閥官僚に対抗する党人政治家を養成するためだ。 早稲田大学雄弁会創設者の大隈重信を筆頭に、尾崎行雄、犬養毅、三木武吉、松村謙三、中野正剛、緒方竹虎、浅沼稲次郎、大野伴睦、三木武夫、等々。いずれも官僚政治と戦った人たちである。どうでもいい話だが。 一応、弁論部出身者として後輩諸君を弁護しておくと、1998年以降の大不況で、「大学生の中心活動が就職活動」という愚かな時代に巻き込まれたのである。政治どころか、自分の生活から心配しなければならない状況だ。 さらについでに、民主党政権の頃に私は大学弁論部の弁論大会の審査員として何度も招かれたものだが、天下国家を語る弁論など、ゼロ。過半数は、「年金弁論」である。19や20の若者が自分の年金について心配するなど、異常な状況ではないか。社会に関心がある若者の集団でこれである。 だから、「いまどき」の若者が政治に関心を持っているはずがなく、その中の少数の若者の中のどれくらいの多数派が安倍政権支持なのかは知らないが、少数派の中の多数派の割合を分析しても何の意味もない議論であることは説明不要であろう。 もう一つ、ついでに言うと、どこの業界でも「若者のネット離れ」の深刻さに悩んでいるし、逆に高齢者のスマホ普及率は劇的に向上している。確かに、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどの代表的ネットメディアの年齢別利用率は若者の方が高いが、高年齢層の利用率も年々あがっている。また、インターネットを利用する若者の中で最も関心が高いのはゲームである。政治に関心を持つ若者自体が少数派である。 よって、老人はテレビしか見ない左翼だから「テレサヨ」、若者はネットで右翼的傾向になるから「ネトウヨ」などというステレオタイプの大根切りは控えるべきだろう。ということで、「老人」「若者」という括(くく)りもどれほどの意義があるのか不明だが、あえて踏み込んでみる。 老人と若者の世代間対立を生む問題と言えば、何を言っても経済である。蓄えで暮らす年金受給世代にとって低金利は不利だが、若者にとってはアベノミクスによりバブル期以来の就職売り手市場である。若者が安倍政権を支持するのは当たり前だろう。これを「保守」が支持されたなどと勘違いしては、思い上がりだろう。 リーマンショックで日本を地獄にたたき落した無能な麻生政権に辟易(へきえき)した国民が「鳩山由紀夫でもイイから、麻生太郎は嫌だ」と民主党政権を選び、目も当てられない鳩山・菅・野田の三代の内閣に飽き飽きしたところに、返り咲いた安倍首相が景気を回復軌道に乗せてくれている。 6年もたって「民主党(と麻生)よりはマシ」以外に何の実績があるのか知らないし、財務省と喧嘩してメソメソと負けるような頼りない首相だが、今のところ他に代わる人もいないので消極的に支持している。こんなところだろう。これが保守化と言えるのか。 ただし、「保守」には「現状変革を望まない」との意味がある。老年世代の中で左傾の人たちは安倍政権のやることなすことが気に入らないだろうから、日曜の朝はTBS系の「サンデーモーニング」を見て留飲を下げ、チャンスがあれば沖縄県知事選で自民党を負かす投票行動をする、というくらいのことは言えるかもしれない。それとて、日本国憲法体制という大きな視点で見れば「保守」とも言えるのだが。 若者に関して言えば、何と言っても地獄のような就職活動から解放してくれたのだ。安倍首相を支持するのは当然ではないか。確かに今から消費増税を宣言し、「増税しても景気を悪化させないよう対策する」などマヌケな言動を繰り返している。少し学力のある大学生なら、首相の知性を疑うだろう。参院予算委員会で答弁を行う安倍晋三首相=2018年11月、国会・参院第1委員会室(春名中撮影) 「景気が悪化するなら最初から増税するな」「そんなに増税したかったら、景気を完全回復させてみろ。それまで待てないのか」「結局、いくら屁理屈(へりくつ)を並べても財務省と喧嘩して負けただけではないか。その屁理屈作文も財務省に用意してもらったのではないのか」と。それでも、今のところは景気が悪化しているわけではないし、積極的に倒閣して現状変革して余計に状況が悪化しても困る。その意味で保守化しているのは確かではないか。 そもそも今の日本の言論界での保守の定義は、「安倍政権への支持」である。現実の論壇での多数派のようなのでその定義に一応は従うが、その支持の実態を少しは分析してみないと、「若者の投票行動が安倍政権支持だから保守だ」などと短絡的に考えると色々なものを見誤るだろう。 いいかげん、「安倍0点」の左下と「安倍100点」の右下の不毛な議論から卒業しないと、取り返しがつかなくなる。その二つ以外のマトモな議論の存在する余地がないからだ。人間の評価に二者択一の100点か0点かなど、ありえない。絶対に間違っている二択の議論は、国を亡ぼす元(もと)だ。

  • Thumbnail

    記事

    「民主党の失敗」が呼び覚ました団塊世代に眠る全共闘のDNA

    舛添要一(前東京都知事) 最近のメディアの世論調査を見ると、若い世代ほど「親安倍政権」であり、高齢者は「反安倍傾向」である。なぜそうなのか。 私は1948年生まれの「団塊の世代」に属するが、私たちが若いころには、自民党政権支持など、ありえなかった事態である。若者はラジカル(急進的)で、時の政権を批判し、齢(よわい)を重ねるほど保守的になって政権支持になるというのが常態であった。 私は1967年に東大に入学したが、当時はベトナム反戦、日米安保反対といった学生運動が盛んであり、68年には学園紛争が全国に拡大していった。学生や知識人、ジャーナリスト、評論家の圧倒的多数は、そのような学生運動に共感を抱く「進歩的文化人」であった。 当時は、大学のキャンパスでは、私が専門とする戦争や安全保障の研究ができる雰囲気ではなく、フランス留学から帰国したときには途方に暮れたものである。戦争を研究し、戦争の原因を究明することが人類にとって役に立つのに、「戦争研究」なら認めない、でも「平和研究」なら認める、という摩訶(まか)不思議な論理が貫徹していたのである。 笑止千万であるが、その空気を若いころに吸ったのが今のシルバー世代である。その空気の背景にはさまざまな要因がある。 第一は、わずかな時期を除いて、第2次大戦後は自民党が政権を維持してきたことである。イスラエルの労働党、スウェーデンの社会民主党などとともに、このような長期政権を「一党優位制(one party dominance)」と名づけ、私も含め政治学者たちは研究を進めた。2018年9月、安全保障関連法成立から3年、抗議集会後、東京都千代田区内をデモ行進する参加者 「政権イコール自民党」であって、外交や経済や社会に問題があれば、それは政権、つまり自民党に問題があるという結論以外にはなかったのである。 第二は、戦後の東西冷戦である。単純化すれば、自民党は米国主導の自由主義陣営、社会党はソ連が支配する社会主義陣営と色分けでき、日米安保や自衛隊に反対するのが「革新」、賛成するのが「保守」という区分けになっていた。高度成長が許した「甘え」 先述した「進歩的文化人」は、当然のことながら「革新」であり、メディアの多数はこちらの陣営に属した。政治学者の丸山真男に代表される学会や評論家も彼らの支配下にあったと言ってよい。自民党政権に好意的な態度を取ると「保守反動」と罵られるため、知識人はポーズだけでも「革新」ということにせねばならなかった。 これは、実は戦後の高度経済成長が許した「甘え」だったと言ってもよいが、そのぬるま湯に漬かった日本人に冷水を浴びせかけたのが、73年に起こった石油危機である。79年にも第2次石油危機が訪れるが、この二つの石油危機が、第三の要因である。 原油価格次第では日本の繁栄は砂上の楼閣となるかもしれず、もはや「革新ごっこ」を楽しんでいる余裕などなくなった。団塊の世代も、生きていくためには「革新」という仮面を捨てるしか手がなかったのである。 第四の要因は、1989年のベルリンの壁崩壊であり、東西冷戦の終焉(しゅうえん)である。米ソ二大陣営間の競争はソ連の敗北に終わり、日本でも革新勢力の影響力が大幅に減退し、「進歩的文化人」も博物館入りするようになっていった。しかしながら、自民党が政権を担う状況は続いており、国のかじ取りに対する不満は自民党の責任にする以外になかったのである。 ところが、90年代に入ると、そのような政治にも変化が現れる。政権交代である。これが第五の要因である。 93年には、非自民・非共産の細川護煕政権が誕生するが、263日で退陣し、後継の羽田孜内閣も64日の短命に終わった。その後、自民党・社会党・さきがけの連立による村山富市内閣を経て、96年11月には、連立政権を引き継いでいた橋本龍太郎による自民党単独政権となる。 93年の政権交代は、自民党から飛び出した小沢一郎や羽田孜が主導したものであり、結局は旧自民党の「へその緒」をつけたものであったと言っても過言ではない。 しかし、2009年9月の政権交代は、自民党と正面から対決した民主党の圧勝によるものであり、初めての本格的なものであった。私は麻生内閣の閣僚であったが、政策の中身よりも「政権交代」の4文字に負けたと思っている。 多くの国民が、変革への期待を民主党に寄せたのである。「コンクリートから人へ」というスローガンなどが、自民党による旧態依然とした利権政治に風穴を開けるもとして魅力的に映ったのであろう。ついに「選挙で権力を倒す」 団塊の世代にとっては、自民党政権は岩盤のように強固で、何度挑戦しても倒せなかった。ところが、2009年夏の総選挙では、ついに「選挙で権力を倒す」ということが可能となりそうになり、がぜん元気づいたのである。 選挙となった瞬間に、大臣の私は敗北を覚悟したし、麻生首相が解散のタイミングを間違えたと残念に思ったものである。仲間の選挙応援のために全国を回りながら、敗北が避けられず下野することは確実だという認識を強めていった。 政権に就いた民主党は、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と3人の内閣総理大臣を輩出したものの、大きな改革もできず、東日本大震災・原発事故も起こり、失敗のうちに2012年12月に終わった。成果を上げる前にわずか3年で潰えてしまった民主党政権は、団塊の世代にとっては、批判をしようにも、余りにも短期政権過ぎたのである。 自民党が政権に復帰し、安倍長期政権が盤石なものとなるにつれて、野党は分裂し、非力なものとなっていく。もはや選挙による政権交代は夢物語となり、団塊の世代は、若い頃のベトナム反戦デモのように、直接街頭に出たり、市民運動に参加したりしながら、政治への不満を発散していく。定年退職後で時間も十分にある。 民主党政権の失敗は、選挙によって国を変革するという可能性を摘んでしまったと言ってもよい。自民党の一党支配が再開されたのであり、それはまた長く続くと思われている。 もともと、反政府的、反権力的なDNAを持つ団塊の世代は、安倍長期政権に批判的な態度を示すのである。民主党政権がもう少し長く続き、実績も積み上げていたならば、「政権イコール自民党」という図式も壊れていたであろうし、団塊の世代の態度もまた変化していたであろう。2012年8月、衆院本会議に臨む菅直人前首相(左)と鳩山由紀夫元首相(酒巻俊介撮影) 「政権交代」というスローガンで権力の座に着いた民主党は、政権運営に失敗し、「政権交代」という言葉は輝きを失った。元気で知識も時間も潤沢にあるシルバー世代は、民主党や後継の諸政党に代わって、自民党政権を監視する役割を果たしている気分なのである。 団塊の世代の安倍政権に対する批判的な姿勢は、民主党政権に対する絶望が原点だと言ってもよい。民主党政権の責任は極めて重い。

  • Thumbnail

    記事

    「九条の会」会場 高齢者多く中座や居睡も目立っていた

     参院選挙の投票日を約一ヶ月後に控えた6月6日の夜、私(古谷経衡)は東京都中野区の「中野ZERO」に向かった。現代的設備を完備した区営の大公演会場である。お目当ては『九条の会 東京2016 in中野』。革新系文化人らを筆頭に、9条護憲を唱えるリベラル系市民運動の総本山が「九条の会」だ。 同会の発足は2004年、イラク戦争の翌年である。時代は小泉内閣。「テロとの戦い」を掛け声に日本政府がブッシュ・ジュニアと積極的共同歩調を取った。 共産、社民など革新・護憲勢力が選挙のたびに明確な衰微を繰り返していたこのとき、彼らの滾る(たぎる)危機感をして「草の根」の革新・護憲運動の結集として作られたのが正に「九条の会」だ。東京での大集会は全国に支部を持つ同会の運動を象徴する、その中枢でもあった。 折しも前日の6月5日には沖縄県議選が投開票され、翁長沖縄県知事を支持する社民、共産、社大(沖縄社会大衆党)らの県議会与党が、過半数を3議席上回る27議席を獲得、自民党に大勝した。社民・社大党候補は全員当選、共産も1名を除き当選する大金星であった。 沖縄で革新勢力が勝つのは珍しいことではないが、「安倍一強」が喧伝される中、「九条の会」にとってはまたとない反転攻勢の一里塚である。 約1200名を収容する大ホールは熱気に包まれ、平日夜にもかかわらずほぼ満席であった。前日、沖縄県議選の投開票と合わせて「九条の会」が主導した「安倍内閣退陣!国会前総行動」の翌日であるにも関わらず、連日出席する熱心な参加者の姿があった。 しかし、その多くは高齢者である。「国民怒りの声」を立ち上げ参院選出馬を表明した憲法学者の小林節氏が出席取りやめを告げる旨のFAXが読み上げられると、会場からは失笑の声。元来自民支持から転向した小林氏への革新中枢の反応は芳しくない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 会は荘厳なオーケストラから始まり、浜矩子(同志社大学大学院教授)、小森陽一(東大教授)ら登壇文化人が次々と「安倍退陣」の掛け声を上げるや、大喝采に包まれる。 最後には高校生らが壇上に立ち、「護憲平和」の大合唱。が、連日の疲労がたまった高齢者は流石に眠気が襲ったと見え、中座・居睡も目立った。安倍への敵愾心も寄る年波には勝てぬ、といったところか。●文/古谷経衡【ふるや・つねひら】1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。主な著書に『愛国ってなんだ 民族・郷土・戦争』『左翼も右翼もウソばかり』。近著に『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』。関連記事■ 「九条の会」の逞しき商魂 右派は寄付のみで物販の発想なし■ 奨学金財源 休眠口座や高齢者の金融資産1700兆円活用を■ 揺らぐ「高齢者」の定義 「准高齢者」登場など見直しも進む■ 『バイキング』低迷 一貫性なく出演者多く噛み合ってないから■ 細野・枝野大臣 全国原発市町村協議会を「国会ある」と中座

  • Thumbnail

    記事

    団塊男は「新しいことをしているようで頭の中は戦前」

     女性セブンの名物記者“オバ記者”こと野原広子(59才)が、世の中に怒りをぶつけるこのコーナー。今回はオバ記者より少し年上の団塊の世代をぶった斬ります。* * * 学生時代のことを聞いただけで怒り出す人がいる。かと思えば、ぷんと胸を反らせて、“武勇伝”が始まるか。どっちにしても苦手な男のひと固まりが、前期高齢者の“団塊の世代”なのよね。かつて天下国家を語った口が、どこまで無責任なの つい先日も、ふらりと立ち寄ったクラフトショップの店主がそうで、「東大の安田講堂事件の時は、あの中にいました」と山羊のような顔して、元全共闘の幹部だった過去を語る、語る。 どんな活動をして機動隊と戦い、留置所はどうだったかという強烈な話をさら~っと。 で、結論は「結局最後は男同士、いい女の取り合いなんですよ。ぼくですか? まあ、当時、いちばんのマドンナと結婚したから、勝ちってことなんでしょう」 黙って聞いていれば、男女平等もヘッタクレもない“思想”を気持ちよさそうに。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) あげく、「もし自分の息子がわれわれと同じことをすると言ったら? あはは、幸い娘2人ですから」。昔のクセが抜けないのか、「私」より「われわれ」になりたがるんだわ。 さらにはその妻とは離婚して、「大金持ちのお嬢さんですから、養育費は払いませんでした」ときたもんだ。彼らが通り抜けた後には…「かりそめにもかつて天下国家を語った口が、どこまで無責任なの」と、皮肉のひとつも言ってやろうとしたけど、立ち上がりざまに腰をトントンと叩かれちゃね。彼らが通り抜けた後にはペンペン草も生えない 一方、「学生運動? われわれの世代は、みんなやったんですっ」と気色ばんだのは、結婚相談所から紹介された牛顔の男。 妻に先立たれた彼は、それまで「われわれまでは年金が保障されていますから、まあ、恵まれてますよ。おかげで貯金もけっこうあるし」と余裕をかましていたのに、「あの頃、大学に行ったのは、ある種の特権階級の家の子でしたよね」と、私がちょいと深掘りしたとたんよ。「特権階級とは何ですかっ!」と、席を立ち上がらんばかりに怒り出し、「あなたね。言葉には気をつけたほうがいいよ。特権階級の意味、わかってんの?」だって。「でも昭和23年生まれなら、中卒で働く人は大勢いましたよね。私だって集団就職は見聞きしてますよ」と反論すると、「そんな人、ぼくの周りにはいませんよ」と、プイと横向いて、はい、それまでよ。 団塊男の特徴を、「新しいことをしているようで頭の中は戦前」と言う人がいる。それを「体裁だけつくろう大嘘つき」と解釈する人もいて、ネットでは「自己中心でわがままで独善的。人の意見には耳を貸さず、彼らが通り抜けた後にはペンペン草も生えない」とさんざんな言われよう。 そりゃそうだよ。ペンペン草って植物じゃなくて“年金”のことだもん。後に続く世代が恨まないワケがないって。 そんなこんなで、この年代の男とは、“婚活”のつもりで見合いしても、すぐにドス黒い“後妻業”の算段がカマ首をもたげてしまう私。誰か、止めてよ~。関連記事■ 団塊世代の退職者ピーク「地域デビュー」が注目を集めている■ 告げ口外交の朴槿惠氏 みっともないことをしている自覚なし■ 節電ロウソク点灯妻に夫「仏壇の中にいるようで落ち着かん」■ 団塊世代政治家共通項「俺が正しいという思い込み」との指摘■ 「エッチ」の語源は戦前の女子学生 「ハズバンド」の頭文字

  • Thumbnail

    記事

    ピンク大前へ! 学生運動も学歴社会

    産経新聞取材班(産経NF文庫『さらば革命的世代-50年前、キャンパスで何があったか』より抜粋) 「機動隊が来たら、『ピンク大のやつらを前に行かせろ、ピンク大は前へ』なんて叫んでいましたね」 同志社大学全学闘(全共闘)のメンバーだった男性(60)は大学紛争時の〝学閥〟について興味深い話を始めた。 ピンク大とは桃山学院大学のこと。「桃」の頭文字から、「ピンク大」「ピン大」などと呼ばれていたが、逮捕の恐れのある危険な場所に彼らを行かせ、いわば「人身御供になれ」という乱暴なかけ声だった。 男性によると、関西の場合、入試の難易度順そのままに、作戦立案は京都大の学生で、現場指揮官は同志社大、前線には桃山学院大やそのほかの学生が出て行くことが少なくなかったという。 「権威」に反発し、「大学解体」まで叫んだ彼らが、現実の闘争では「大学名」を前面に出す。 このエピソードには「自分たちの闘いに、そのような序列はなかった」と反論する全共闘OBもいる一方、「全国全共闘トップの山本義隆さんが、東大出身者だったという事実が、われわれもまた学歴社会につかっていた証拠だ」「セクトの細分化が進むにつれて大学による序列が次第にできていった」と分析した人もいた。 今となっては正確な事実の検証は難しいが、当時を知る警察OBは「運動の指導者は国立大の学生に多く、われわれとしても逮捕したら起訴に持ち込みたかった」と振り返り、こう指摘した。 「前線の『兵隊』なんて一晩留置されて釈放されるケースがほとんどだった。学生の指導者たちもそこに気づいていたからこそ、前線に無茶をさせていた。逆に指導者自らが逮捕されれば、組織が壊滅させられるほどのダメージを受けてしまう。結果として彼らの内部にも大学による序列化のようなものが生まれたのではないか」 東大・安田講堂の陥落から約10カ月が経過した69年11月5日、山梨県内の山荘「福ちゃん荘」で、宿泊中の赤軍派メンバー53人が凶器準備集合罪などで一網打尽に逮捕される「大菩薩峠事件」が起きた。大菩薩峠で逮捕された赤軍派学生ら。軍事訓練し、首相官邸を占拠する計画だったという(1969年11月) 赤軍派はその2カ月前に東京・日比谷公園で行われた全国全共闘結成大会で初めて登場した新左翼の最過激派。彼らは首相官邸占拠計画を立案し、大菩薩峠で軍事訓練をしようとして警察当局に見破られたのだ。当時、全共闘運動は下降線に入っており、運動から距離を置く学生が増えていた半面、さらに過激な行動に活路を見いだすグループが出始めた時期でもあった。昔も今も… この赤軍派の組織構造について、ハワイ大学のパトリシア・スタインホフ教授は、その著『日本赤軍派』(91年)の中で社会学的視点から分析している。着目したのは、事件で押収された組織図のノート。トップには一流大学出身者ばかりが並び、次いで書かれたサブリーダークラスには、さほど入学難易度の高くない私大の学生たちが記載されており、最底辺には青年労働者や高校生の名前が記されていた。 スタインホフ教授は「あたかも日本のビジネス界の縮図」と表現し、「赤軍派は国家権力打倒をめざしたが、その基盤をつくっている学歴優先主義は問題にしていなかったようである」と指摘している。 実際、赤軍派創設時の最高指導部「政治局」の7人をみると、議長の塩見孝也氏をはじめ京大が4人。早稲田大1人、同志社大1人、大阪市大1人と上場企業の役員リストといっても違和感のないようなメンバーが並んでいる。 学生運動もやはり学歴社会だったのだろうか。 東京大学全共闘だった男性(60)に尋ねると「学歴ですべてを決めることはなかったと思うが、東大には東大なりの、私大には私大なりの役割分担があった」と話し、次のようなエピソードを教えてくれた。 「東大はバリケードの作り方があまりにも貧弱で、日大全共闘が強固なバリケードに作り直してくれたこともあった。やはり東大は勉強ばっかりのおぼっちゃまで、力仕事は苦手だったのだろう」 右翼学生たちとの衝突が日常茶飯事だった日大全共闘には、強固なバリケードをつくるための特殊チームもあったという。機動隊の攻防戦で炎が上がる安田講堂前(1969年1月) さきの男性は「組織をつくれば、ピラミッド構造にならざるをえない。名称はともかく指揮官、参謀、兵隊という区分けが存在するのは当然でしょう。指揮官や参謀には頭脳が必要だし、兵隊には体力がないとダメ。これは自然な発想ではないか。時代や思想とは関係のないことだと思います」。 彼らが後に歩んだ人生も大学によって大きく分かれた。 むろん、指導者になったばかりに人生の大半を獄中で過ごした「エリート」もいたが、大半の学生は何ごともなかったかのように社会人となり今、定年退職の時期を迎えている。関西の私大で学生運動をしていた男性(58)は言う。 「私が知っている範囲でも、東大出身の元闘士はその後、弁護士や学者といった社会的地位の高い職業についており、有名私大の連中もそこそこの企業で出世した。ただ、中堅私大の元活動家たちは就職活動も難しく、最近もリストラや倒産などで厳しい人生を強いられていますよ。そうした構図は現代の学生とほとんど同じであり、やっぱり日本は東大を頂点とした学歴社会なんです」

  • Thumbnail

    記事

    オウム擁護の「前科」を隠したサヨクの邪悪な本質

    いた「サヨクどもが『サイコパス』だと言える数々の症例」のように、私はすでに20年ほど「サヨクは左右のイデオロギーや政治思想の違いとして理解すべき存在ではない。彼らは人権、平等、反差別などの左翼思想を装ったただのサイコパスのテロ集団である」と言い続けてきた。 本来、精神科医でもなんでもない私が「サイコパス」という専門用語を使うことにはためらいもあるが、記事にもあるようにサヨク連中自身が「安倍支持者はネトウヨでありサイコパスだ!」などと何のためらいもなく、平気で使っているために敢えてこの言葉を使う。本物の左翼に失礼 最近でも、作家の島田雅彦氏がなんと村田沙耶香氏の芥川受賞作『コンビニ人間』の選評において「巷には思考停止状態のマニュアル人間が自民党の支持者くらいたくさんいるので、風俗小説としてのリアリティはあるが、主人公はいずれサイコパスになり、まともな人間を洗脳してゆくだろう」と、それこそ「むしろお前がサイコパス以外の何ものでもないだろう」と言いたくなるような貶(けな)し方で受賞に猛反対した。 こうした症例から見ても分かるように、ツイート主の「保守の人はオウム真理教をなぜか無理矢理『左翼』として分類する傾向があるんだけど」という言葉には、確かに「盗人にも三分の理」ほどの真実が含まれている。オウムは左翼などではない。そんな雑な分類をしてしまったら、真面目に人権平和などに取り組んでいる本物の左翼に失礼だ。 左翼はサヨクとは違う。左翼のふりをしたただのサイコパスであり、テロ集団なのである。イデオロギーはただのコスプレであり、単に自らの卑しい支配欲求や暴力衝動を満たすための手段として人権だの反差別だのを悪用しているに過ぎないのである。 そのことは、朝日新聞や「進歩的文化人」が戦前戦中は敵を「鬼畜米英」「非国民」と罵(ののし)るバリバリの軍国主義者であったにもかかわらず、敗戦後手のひらを反すように平気で平和だの人権だのを騙(かた)り、北朝鮮や中国、旧ソ連による核兵器やテロを擁護する「平和主義者」(自称)に転向した事実を見ても明らかだ。 サヨク連中が「オウム真理教は日本会議と同類」などと言いつつ、なぜかオウムの味方はするのに日本会議のことは「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」とまでわめき散らす理由も明らかだ。宗教かどうか、左右どちらかなんて全く関係ないのだ。単にオウムが、自分たちサヨク同様の反政府暴力テロ集団だからこそシンパシーを持ったに過ぎない。 サヨクが左翼過激派を応援し、時に連携協力する理由も、「思想が同じ」だからなどではない。単に自分たちサヨク同様の反政府暴力テロ集団だからである。ゆえに予言しておくが、例えば今まさに「ネトウヨ死ね」などと口汚く罵っている人間がもし仮に政府要人に暗殺などのテロを仕掛ければ、サヨクは躊躇なく「よくやった!」と礼賛するに違いない。緊急停止した東海道新幹線「のぞみ225号」の車内でしゃがみ込む乗客(左)=2018年6月30日、神奈川県小田原市 実際、東海道新幹線車内で乗客3人が切りつけられ死傷した事件でもそうだが、その種の無差別殺傷事件が起きるたびにツイッター上には「なぜ弱者ではなく、安倍やネトウヨをを殺さなかったのか」という恐るべきツイートであふれ返っている。サヨクフェミニストたちが東京都知事選の最中にセクハラ問題が浮上したジャーナリスト、鳥越俊太郎氏をこぞって支持したことも記憶に新しい。サヨクの差別意識 もう一つ、麻原元死刑囚の死刑執行で観測されたサヨクの歴史修正主義として、「オウムはサヨクではなく、オタクが支持したテロ組織である」というものがある。例えば反安倍の急先鋒で知られる作家、瀬川深氏によるこのツイートだ。@segawashin: オウムとオタクの親和性は忘却しちゃイカンと思っています。漫画にアニメにアイドルに秋葉原と、今のオタク要素が90年代初頭で出揃ってたんだよ。そして当時のオタクはそれを面白がりながら消費してた。 瀬川氏と言えば、核兵器開発に邁進(まいしん)する北朝鮮への擁護が高じて敵対者の「ネトウヨ」を憎む余り、「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」どころか「大阪に戦術核を落としたい」と発言した御仁であるが、彼らがここまでオタクを憎むには理由がある。いささか複雑なので強引に一言でまとめてしまうと、副総理兼財務相の麻生太郎氏が漫画などのオタク文化に詳しく、オタクからの人気が比較的高いためだ。それゆえ、「しばき隊」などのサヨク組織は「オタク=ネトウヨ」と決めつけ、かねてよりヘイト、バッシングに忙しい。 ■「旧名しばき隊」の連中とか「オタクは犯罪者予備軍か」「オタク差別のあるなし」とかの話(togetter) 上記のまとめを見てもわかるように、サヨクにとって敵である「ネトウヨ」は、サイコパスで低学歴低収入のキモイオタクであって、「たたっ斬って排除すべき」邪悪な存在なのである。かつてサヨクが民主党支持のためにばらまいたこんなプロパガンダ漫画が彼らの差別感情をよく表している。漫画画像 サヨクにとって、自民党支持者はサイコパスなのだから、当然選挙権もはく奪すべきだと考えているのだろう。映画監督の森達也氏のこの発言こそが、偉そうに人権だの反差別だのを騙るサヨクの本音なのである。 ■映画監督・森達也が新有権者へメッセージ「棄権していい。へたに投票しないでくれ」(週プレNEWS) ■【総選挙2014】もう投票しなくていい(ポリタス) これが決して森氏だけの特殊な発言ではなく、サヨク全体に共通する卑しい本音であることは明らかだ。現に、かつて選挙のたびにあれほどサヨクマスコミらが「とりあえず若者は選挙に行け、投票しろ(当然自民党以外に投票してくれるだろうから)」とやかましくプロパガンダしていたが、その若者が実は「サヨク嫌いで自民党支持者」であると判明した途端、最近はほとんど「投票所へGO!」の声がサヨクマスコミらから聞かれなくなったではないか。サヨクとオウムの共通点 ある反安倍サヨクの母親が最近こんなツイートを投稿した。 @touhyou5969: 私の息子は、私が安倍晋三の批判をすると嫌な顔をする。息子は安倍晋三が好きな訳ではない。批判等のマイナスの感情に触れるのが嫌なのだそうだ。自分の心の中だけで思っていればいい、と言う。そうだろうか? その様な考え方こそが、アベ政治を容認してのさばらせているのではないか?そう思った。 なんと恐ろしい家庭だろう。ほとんど洗脳、いやこれはもう虐待である。まるでオウムそのものではないか。これがサヨクの実態なのだ。 サヨクはイデオロギーでも政治思想でもない、サイコパスなのであり、本来精神医学や犯罪学の分野で扱うべき対象である。その点においてオウムとの繋がりが深いとも言える。オウムは1990年の衆院選に打って出て、奇妙な踊りなどのパフォーマンスで話題になったにもかかわらず、惨敗した。彼らにしてみれば、「勝てる」と確信していた戦いで敗北したのである。自分たちを「裏切った」大衆への怒りが、その後の地下鉄サリン事件などの凶悪テロを正当化した。 そういえば、サヨクもしばき隊やSEALDSが「国会前デモ」と称して踊りまくり話題を集めるも、いざ選挙となると敗北が続いている。そしてそのたびに「不正選挙だ」「民主主義は死んだ」などと繰り返し、当然大衆への憎悪はオウム同様、テロを正当化するほどに高まっている可能性もある。既に米同時多発テロの際やスペースシャトル墜落事故の際などにおいても社民党議員やサヨク雑誌『週刊金曜日』が「ざまー見ろ」と放言して憚(はばか)らなかった事実が、サヨクによる敵への歪んだ憎悪、ヘイト感情をよく表している。移送されるオウム真理教教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)被告※当時=1995年9月、警視庁 サヨクがオウムと異なり、「まだ」地下鉄サリン事件のような大規模テロを行っていないのは、なぜだろうか。「ネトウヨは低学歴低収入の引きこもり」などとあからさまな差別、ヘイトを行っているサヨク連中自身が、実はマルクスさえ読んだこともなければ、小学校理科レベルの知識もないオカルト信者であったという事実は、東日本大震災の際に白日の下に晒(さら)された。これほど見事なブーメランも珍しい。 もはや彼らサイコパスが、かつての朝日新聞などのように「放射能で鼻血が出た」などと大衆を騙し続けることは不可能である。 サヨクが怒りの矛先を大衆に向けないことを祈り続けようではないか。そう人類の平和のために。

  • Thumbnail

    記事

    RADWIMPS「愛国ソング」の何が悪い!

    中宮崇(サヨクウォッチャー) 人気ロックバンド、RADWIMPSの新曲『HINOMARU』がネットで炎上した。歌詞に「さぁいざ行かん 日出づる国の御名のもとに」「気高きこの御国の御霊」といった愛国的な表現があったためだ。ネットではサヨクから「軍歌だ」とする批判が殺到し、ボーカルの野田洋次郎氏がツイッターなどで謝罪する「言論弾圧事件」に発展した。こういう流れなのか。野田「新曲です、HINOMARU。みんな聴いてね」左翼「愛国的でけしからん」野田「え? 傷つけたらごめんなさい」左翼「謝罪するなよバカ」野田「え? じゃあ、日本が好きだと言って何が悪い!(とライブで叫ぶ)」左翼「うぉ許さん!」どう考えても左翼が意味不明な気が RADWIMPSの新曲をめぐる言論弾圧事件を踏まえたツイッターのあるつぶやきである。まあ、これがごく一般的な市民感情であろう。 そもそもRADWIMPSは大ヒットアニメ映画『君の名は。』のオープニング曲を提供したグループで知られる。朝日新聞が何度も紙面に登場させてきた「レイシストをしばき隊」は、普段からオタクを「危険で有害で、犯罪者予備軍」と言ってはばからぬ差別集団だが、そんな連中はRADWIMPSに以下のように言いたいのだと思われる。 「危険で有害で、犯罪者予備軍が見るようなアニメ映画の歌い手ごときが愛国ソングを歌いやがった」と、これは法政大教授の山口二郎氏がかつて安保法制反対デモで叫んだように「お前は人間じゃねぇ! たたっ斬る!」ということになるのだろう。 しかし、思考回路が「意味不明」なのがサヨクのサヨクたるゆえんである。普通、それは分かりやすい言葉で言えば「嘘つき」「二枚舌」「ダブルスタンダード」であり、今回の事件を「そもそも言論弾圧などではない」とおっしゃるサヨクまでいる。人気ロックバンド、RADWIMPSのボーカル・ギターの野田洋次郎。ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲も担当する 例えば、コラムニストの小田嶋隆氏である。彼はツイッターで「弾圧という言葉は、行政当局なり警察組織なりの公権力が介入した場合に限って使うのが普通だと思う」と発言し、「RADWIMPSが謝罪に追い込まれた事件はサヨクによる言論弾圧などではない」という。これまた意味不明な二枚舌で、サヨク差別組織による言論弾圧を正当化しておられるのだ。 6月3日に川崎市で行われる予定だった男性弁護士の講演会に、反ヘイトスピーチの市民団体などが大挙して押しかけ演者の入場を妨害し、中止に追い込んだ。この「悪質なテロ」も小田嶋氏の定義によれば「言論弾圧などではない」と言うことなのか。サヨクによる言論の自由に対するテロを正当化する恐ろしいロジックである。 中国や韓国、北朝鮮が日本のサヨクを手先として使い、日本人の表現の自由を踏みにじる「言論テロの民間委託」が今後もさらに増えることになるだろう。 私が小田嶋氏を「二枚舌」と言ったことにはワケがある。なぜなら彼は、2年前に全く逆のことを言って、「安倍」や「ネトウヨ」による「批判」を「言論弾圧である!」と決めつけていたからだ。 言論の自殺幇助でいえば言論弾圧って、憲兵がやってきて、言論の自由を掲げる闘士をしょっぴくみたいなイメージがあるじゃないですか。でも、実際は違って、公安や警察が直接手を出すことなんてまずあり得ない。戦前もそうだったけど、自主規制なんですよ(「日刊ゲンダイDIGITAL」2015年11月2日) こうやって都合のいいように舌を使い分ける卑劣なダブルスタンダードこそが、サヨクの本質である。実にダサい。実際、この二枚舌は小田嶋氏だけでなく、サヨク全体に普遍的に見られる症状である。 今回の「RADWIMPS言論弾圧事件」も朝日新聞らサヨクマスコミは「表現の自由に対する悪質な挑戦」などとは一切報じていないのがその証拠だ。その一方で、例えば2008年に起きた、たった一人の自称右翼青年の抗議により映画『靖国』が上映中止に追い込まれた際の朝日新聞の社説を見てみよう。「靖国」上映中止―表現の自由が危うい「これは言論や表現の自由にとって極めて深刻な事態である。 中国人監督によるドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』の今月公開を予定していた東京と大阪の5つの映画館が、すべて上映中止を決めた。来月以降の上映を準備しているところも数カ所あるが、今回の動きが足を引っ張ることにもなりかねない」(「朝日新聞」社説2008年4月3日) かつてサヨク連中は「中国の核はきれいな核」という呆れたたわごとをほざいていたぐらいなので、彼らにとって「自分たちの抗議はきれいな抗議、ネトウヨによる抗議は言論弾圧」と卑劣な二枚舌を弄(ろう)することに良心の呵責(かしゃく)など全くないのであろう。都合の悪いことは忘れる朝日新聞 ついでに言えば、この社説は「自由にものが言えない。自由な表現活動ができない。それがどれほど息苦しく不健全な社会かは、ほんの60年余り前まで嫌と言うほど経験している」などとして安倍政権と「ネトウヨ」を批判しているが、戦前の「息苦しく不健全な社会」を作ったのは、あなたたち朝日新聞だという事実は都合よくお忘れのようだ。 今回の事件についても、朝日新聞は6月14日付紙面で「RADWIMPS新曲が投げかける『愛国』」とのタイトルで報じている。その中でサヨクによる妨害活動を「ライブ会場での抗議運動」とのみ触れているが、それを「言論弾圧」や「表現の自由が危うい」などと批判してはいない。 ちなみに朝日新聞が言うところの「ライブ会場での抗議運動」の主催者や関係者のツイッターでの発言を引用してみよう。「同曲を廃盤にし、二度と歌わないと表明を」 朝日新聞にとって、たった一人の自称右翼少年が映画館に抗議に訪れたことは「表現の自由が危うい」ことであっても、サヨクが大挙して気に入らぬコンサートに押しかけて「廃盤にしろ! 二度と歌うな!」とわめくことは平和なデモに過ぎない、ということらしい。 朝日新聞だけではない。マスコミの見解は、小田嶋氏の「オレ様の定義こそ普通だぜ!」という思い込みと異なるようだ。例えば、2008年5月7日放送のNHK『クローズアップ現代』のタイトルは「問われる“表現の自由” ~映画『靖国』の波紋~」である。2008年5月、大阪・十三の第七芸術劇場で公開を迎えた映画「靖国 YASUKUNI」 また、2015年4月7日付毎日新聞は「言論の自由は、新聞記者や作家が書く自由のみでなく、新聞を運ぶ運転手さんや本を販売する書店員の方たちを含めて社会全体で自由が確保されるように支えていかなければならない」としている。 今年に入ってからだけでも、サヨクの組織的な「抗議」によって「ネトウヨ」とレッテルを貼られた作家や関係者が脅迫まで受けたライトノベル『二度目の人生を異世界で』のアニメ化が中止されるという事件も発生している。 朝日新聞が偉そうに言うところの「息苦しく不健全な社会」は、既に作り上げられているのである。にもかかわらず、小田嶋氏のような人たちにとっては「RADWIMPSへの抗議はきれいな抗議」である、ということらしい。 今回のRADWIMPSやラノベ『二度目の人生を異世界で』への攻撃を「言論弾圧などではない」というのは、それはそれであり得る意見の一つだろう。 しかし、彼らは「中国の核はきれいな核」という幼稚園児にも見破られてしまう、それこそ幼稚な二枚舌で一般大衆の支持を得ることができると思い込んでいる。しかも、その先に安倍政権を倒すことができると本気で思い込んでいる姿は、端から見ていて本当にダサい。 RADWIMPSを攻撃することで若者にそうしたダサさをうっかり知らしめてしまった失策は、この先彼らにとって取り返しのつかぬしっぺ返しをもたらすであろう。私はそう断言する。

  • Thumbnail

    テーマ

    西部邁「自殺の死生観」の罪と罰

    「おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくない」。今年1月に自殺した保守論客、西部邁氏は遺稿の中でこう綴っていた。西部氏の自殺に絡み、私淑の2人が幇助容疑で警察に逮捕されたが、彼らはなぜ罪を犯すまで心酔したのか。西部邁が遺した「死の哲学」を問う。

  • Thumbnail

    記事

    西部邁の「自裁死」を私の友人が手助けした心奥は理解できる

    木村三浩(「一水会」代表) 今年1月、東京・大田区の多摩川で亡くなった評論家、西部邁(すすむ)先生の「自裁」を手助けしたとして、4月8日、自殺幇助(ほうじょ)容疑で、東京MXテレビ子会社社員の窪田哲学、会社員の青山忠司の両容疑者が逮捕された。西部先生の自裁そのものもメディアで大きく報じられたが、それ以上に注目されたのが、2人の逮捕であった。 窪田氏とは、MXテレビの番組『西部邁ゼミナール』などで何度も会い、酒席をともにしたこともある友人だ。とても礼儀正しい人物で、優しさとともに強い正義感を持った好青年である。青山氏に関しては、正確にいえば西部先生の密葬の際に初めて紹介を受けて話をしたので、それまでは面識がなかった。 私は西部先生と酒席でご一緒することが多かったが、先生はよく「おい、窪田君を呼んでくれ!」と言って電話をかけ、窪田氏も時間が折り合う時にはその場に駆けつけていた。西部先生が窪田氏をとても頼りにしていたのがよくわかった。窪田氏は、口数は少ないが、自身の立場をわきまえた振る舞いができる人であり、西部先生が使う独特の表現や形容を、自身でかみ砕いて体得していた。また、西部先生の考え方や生き方に強く惹かれているように見えた。 いつものように酒を飲んでいる時、究極的に信頼できる人間とはどんな人間かという話題になった。西部先生は戦後の高度成長を支え「電力の鬼」と呼ばれた財界人、松永安左エ門の言葉を借りて「刑務所に入ったことがある人」「大病をしたことがある人」「放蕩したことがある人」であると答えると、窪田氏が深くうなづきながら「そうですね」と共感していたことが印象に残っている。 青山氏については、西部先生が主宰する私塾「表現者塾」で塾頭を務め、先生の政治的スタンスや問題意識、哲学にいたるまで、深く理解し共有していた人物だと思う。 そんな私の友人である窪田氏と青山氏が、西部先生の死生観に共鳴し、自裁を手助けするまでに至ったことに驚きはしたものの、理解はできた。 2人とも尊敬する西部先生の思いを尊重し、覚悟を決めての行動ではなかったかと思う。常日ごろから言葉だけで敬意を表するのでなく、いざというときに本領を発揮してこそ、本物の尊敬である。その意味でいえば、「知行合一」(ちこうごういつ)の実践なのであろう。東京MXテレビの番組「西部邁ゼミナール」に出演中の西部邁氏(同局提供) もちろん、両氏にも家族がおり、逮捕された以上、自分自身のこれまでの立場や身分を失うだけでなく、家族にまで影響が出ることも予想していただろう。早い段階から、彼らの自宅付近にはテレビカメラを持った人物がうろついたりして騒ぎになっていただけに、両氏にしてみれば覚悟の上とはいえ、複雑な心境だったにちがいない。 こういう事態になると、決まってさまざまな方向から批判の声が上がってくるものだ。報道で大きく取り上げられていることから、西部先生に対する批判が身内からも上がっていた。 「なぜ、独りで自己完結されなかったのか」、「『人に迷惑をかけることを潔しとせず』を旨としていながら、両氏を巻き込むとは、もはや西部の論理は破綻した」という声もある。 その指摘は十分理解できるが、西部先生と彼らの心情がどのようなものであったか、それは当事者しかわからない事だ。まだ、真相がわからない段階で「破綻した」などと断定的な結論を出すのは、いささか性急だと思えてならない。幇助容疑の2人は「悪人」か むしろ、「やむにやまれず」「自分たちが何とかしなければ本懐が遂げられない」との逡巡(しゅんじゅん)、葛藤、苦悩から来る行動だったのではないだろうか。「いくら西部先生からの頼みとはいえ、断るのが普通だ」という意見も側聞されている。 だが、主従関係の問題ではなく、優しさや人情の問題であり、自分自身を勘定に入れない振る舞いの意識の発露だろう。ややもすると、法律に抵触するかもしれないことを前提にしても、そう簡単にドライに割り切れないのが、人間関係の厄介なところだ。 それにしても、警察は2人を逮捕しなければ、事実を解明できなかったのであろうか。西部先生の遺体の口に劇薬が入った瓶が差し込まれていたことや、防犯カメラの映像などから窪田氏、青山氏の関与が浮上したのはわかるが、2人とも捜査に協力していたうえ、任意の取り調べにも全面的に応じていた。逃亡する意思も見えず、否認もしていない。 したがって、警察が逮捕、勾留したことについては、疑問と違和感をおぼえる。さらに、テレビや新聞などの連日の報道は、窪田、青山両氏の映像や写真を大々的に流し、窪田氏が護送車で移送されるシーンは繰り返し流された。まだ起訴もされていない段階から、「周到に計画していた」などと、彼らを「悪人」のように扱う印象操作にも、激しい違和感を禁じ得ない。 西部先生に忠誠を誓い、葛藤しながらも手助けをした両氏やその家族まで巻き込み、皆がある意味で本意でない展開になってしまったことは、西部先生自身が予想したものでもなかったはずだ。いま現在の私の心境を語れば、「残念」という言葉で片付けられる問題ではないが、本当に悔しい。 振り返れば、西部先生はもう15年以上前から「自裁したい」と私にも語っており、年齢を重ねるにつれ、ここ数年は「自分の意思もわからない状態で看取られるのは耐えられない」、「もうそろそろ限界だ」とも言っていた。 そこで私が、「ちょっと待ってください、まだまだですよ。この腐り切った日本に喝を入れていかなければなりません」と、気持ちを翻意させようとすると、西部先生は「もう覚悟はできているんだ。君のほうこそ覚悟を決めて受け入れてくれよ」と真面目な顔で、やや凄むように言ったこともあった。奈良「正論」懇話会で講演をする評論家の西部邁氏=2010年3月、奈良市 実は、自裁する5日前、西部先生と私は駐日ロシア大使館を表敬訪問していた。日本とロシアの友好について、ロシア代理大使と意見交換を行い、その後はテレビ局のスタッフを交えて、夜半まで酒をごちそうになった。翌日にお礼の電話をしたとき、西部先生は「昨日は会えて楽しかったよ。でも、もう会えないからね」と私に言った。 そして1月21日、西部先生の言葉は現実になった。訃報を聞いて思わず涙がこぼれてしまい、しばらくは心が重苦しい日々が続いた。数日後、渋谷区幡ヶ谷の代々幡斎場に遺体が棺に納められて安置され、最後のお別れをさせていただいた。 西部先生の顔を撫でることなど生前は想像だにしていなかったが、お別れと思ってお顔に手を当てたらひんやりと冷たかった。まるですべてを成し遂げた後のような美しい表情であった。火葬にも参列させていただき、出棺前には、先生が好んで歌われた「蒙古放浪歌」を、僭越(せんえつ)ながら花向けに高唱し、棺の中に歌詞が書かれた歌集を納めた。その後、ご遺族、近親者の方々とともに、骨揚げもさせていただいた。 私にとって印象深いのは、西部先生が抱いていた憂いだ。亡くなる前、西部先生は、安倍政権が次々に進める対米隷属政策に対して、「日本は独立の気概を失ったのか。まさに『JAP.COM』だな。ざまあみろ」と、嘆いていた。「JAP.COM」とは、西部先生の最後の著書『保守の遺言』(平凡社新書)にあるように、日本人のほとんどが会社員の振る舞いのように、目先の利害に反応して右、左へと喋々(ちょうちょう)していることを指している。 いま、私は西部先生のこの言葉を自分なりに反芻(はんすう)している。西部先生は、保守という言葉の意味を理解しようとしない人ばかりであるとも嘆いていた。 西部先生が旨としていたことを集約すると、「公正、節度、寛容、義俠」を大切にしていたのではないかと思う。西部先生は、これらの精神を失うことなく、自身の知識や教養を積み重ね、客観的評価にも堪え得る説得力を持っていたのであろう。 西部先生には長年にわたり、公私ともにお世話になった。力不足かもしれないが、先生の言霊(ことだま)をしっかり胸に刻み込んで、その意志を自分なりに体得していきたいと思っている。心より、ご冥福をお祈り申し上げる。

  • Thumbnail

    記事

    西部邁が死ぬまで許せなかった「大衆社会の病理」

    舛添要一(前東京都知事) 西部邁(すすむ)さんが1月21日、多摩川に入水自殺した。その後、警察の捜査で自殺幇助(ほうじょ)の容疑で、東京MXテレビの番組『西部邁ゼミナール』の担当者と、西部さんが主宰していた「表現者塾」の元塾頭の2人が逮捕された。2人は西部さんのいわば「信者」で、「先生の死生観を尊重して力になりたかった」と供述している。 また、2人は昨年から周到に準備したと言うが、刑法202条の規定により、自殺幇助は6月以上7年以下の懲役または禁錮となる。西部さんに頼まれたとしても、彼の承諾・同意が違法性阻却事由とはならない。 西部さんも「信者」の2人も、自殺幇助が刑法上の犯罪に当たることは知っていたと思う。そのために多摩川へ向かうときに防犯カメラの設置されている幹線道路を避けたのであろう。本人は自殺願望を遂げたとしても、何となく後味の悪い結末となってしまった。 1987年から89年にかけての教官採用人事をめぐる「東大駒場騒動」では、村上泰亮教授、公文俊平教授、西部さん、それに助教授だった私の4人が辞表を出して大学を去った。このときは、新進気鋭の文化人類学者、中沢新一・東京外国語大助手を、駒場キャンパスにある教養学部の助教授に採用しようとしたが、それを推薦したのが西部さんだった。ところが、反対する「守旧派」は正当な手続きさえ踏みにじり、この提案は葬り去られてしまった。 西部さんが辞表を出した最大の理由は、この人事を進めた村上教授や佐藤誠三郎教授に多大の迷惑をかけたというものであった。つまり、他人に迷惑をかけるのを嫌った人だったので、自殺幇助で2人に迷惑をかけることは躊躇(ためら)ったはずである。 しかし、それでも実行したのは、奥さんに先立たれ、手も不自由になって、生きる気力を失ったのであろう。また、今日の日本社会の状況にも絶望し、一日も早く死にたいという思いが募ったのかもしれない。1997年11月、国際政治学者として活躍していたころの舛添要一氏 西部さんは「60年安保」当時、全日本学生自治会総連合(全学連)中央執行委員として指導的役割を果たしたが、その後転向し、保守の思想へかじを切る。そのときに、彼に浴びせかけられた冷ややかな大衆の目が、彼の大衆への懐疑を生んだものと思われる。 そして、東大教養学部の教授会は、ルールを無視し、多数の横暴によって人民裁判的に一定の結論に導こうとする大衆社会の危うさを再認識させたものと思われる。駒場時代には、政治学と経済学という専門の違いはあっても、よく昼食時などに議論を戦わせたものである。 特に話題にしたのが、スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』(1930年)だった。2人で大衆がいかに信用ならないかを確認し合ったものである。彼は、その考えを『大衆への反逆』(1983年)という評論集にまとめ、保守主義者として世間の注目を集めた。 当時は、本を出版すると同僚教授たちに献呈するのが常であった。西部さんは「お礼を言われるどころか、本が売れてもうかっていいなと嫌みを言われる。だから、もう本をあげるのは止めるよ」と苦笑していたことを思い出す。大学のキャンパスは、嫉妬の渦巻く閉鎖社会であった。深刻化する「大衆社会の病理」 私は欧州留学から1978年に帰国し、しばらくしてから駒場の助教授のポストに就いた。だが、日本人の集団主義、画一主義、権威主義には辟易(へきえき)としていた。そのような状況の中で、駒場キャンパスは東大の中でも自由な雰囲気があり、優秀すぎたり、個性が強かったりして、本郷キャンパスから放逐された者が集まっている梁山泊(りょうざんぱく)のような感じであった。 この自由なキャンパスの中で、社会科学者のわれわれは、社会学、経済学、政治学、社会思想史、国際関係論などと分化した学問を再統合すべく、相関(interdisciplinary)社会学科というプラットホームを立ち上げた。そのときに、中心になったのが、駒場騒動で辞任した教授連であるが、守旧派からの猛攻撃にさらされたことは言うまでもない。 西部さんもまた、ケインズなどの伝統的経済学と政治思想史との連結を図り、新たな分野を切り開こうとしていた。しかし、いつの間にか頑迷固陋(ころう)な教授たちが力を増しており、そのような新しい試みは無理だと考えた私たちは、駒場キャンパスを去っていったのである。 西部さんはその後、論壇で、また『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)などで、保守主義者としての考え方を遠慮なく披瀝(ひれき)していった。舌鋒(ぜっぽう)鋭く相手を論破するが、語り言葉は長く、冗長となることもあった。また、文字の語源をたどって、そこから議論を始めることがよくあった。そのようなとき、私は「また、西部さんの『ブチブチ』が始まった」と揶揄(やゆ)したものである。 25年前の4月8日、カンボジアで国連ボランティアの中田厚仁さんが銃撃され、死亡した。当時現地にいた私は、危険なシェムリアップ州から比較的安全なプノンペンに戻ってきたところで、彼に会い、インドネシアの精鋭部隊も交えて談笑する機会があった。彼は選挙監視のために地方へ行くと語ったので、私はくれぐれも注意するように諭したものである。 中田さんのお父様も立派な方で、息子が亡くなったとき、狼狽(ろうばい)することなく静かなほほ笑みを絶やさずに対応された。その態度を批判する一部の論者に対して、厳しく叱咤(しった)したのが西部さんであった。悲しみのときに、あのような高貴な姿勢を維持できる人間の素晴らしさ、それに比べてテレビのワイドショーに出演するコメンテーターの低劣さ、それこそが西部さんが許すことのできない「大衆社会の病理」なのであった。秀明大学教授時代の西部邁さん その病理は、病膏肓(こうこう)に入るといえるくらいにひどくなっている。大衆迎合主義、ポピュリズム、排外的ナショナリズムを自由な民主主義の祖国である米国のトランプ大統領が鼓吹(こすい)している。 欧州でも同じ風が吹いている。西欧諸国のみならず、ポーランド、チェコ、ハンガリーのような東欧諸国でも同様である。ファシズム前夜と言ってもよい状況で、自由な民主主義の行方には暗雲が垂れ込めている。西部さんの絶望の深さが、私にはよく分かる。 西部さんは酒が好きだった。そして、仲間と朝まで飲み明かすのを楽しみとした。私は、酒よりも食事のほうに専念するほうなので、深夜の酒に付き合ったことはあまりない。彼は、実は大いなる寂(さみ)しがり屋で、気の置けない友との酒席での語らいに孤独を紛らわせていたのかもしれない。今ごろは、天国で「ファシズム再来前にこの世からおさらばできてよかったよ」と一人酒を楽しんでいるかもしれない。

  • Thumbnail

    記事

    なぜ西部邁は死生観に合わない「自殺幇助」を選んだのか

    藤井靖(明星大学心理学部准教授、臨床心理士) 評論家の西部邁(すすむ)さんが1月21日、多摩川で遺体となって発見されてから3カ月半、西部さんの出演番組を担当していた東京MXテレビ子会社社員と、知人で会社員の2人が自殺幇助(ほうじょ)の疑いで逮捕された。 2人は容疑を認め、「先生の死生観を尊重し、力になりたいと思った」などと供述した。また、西部さんの身体に安全ベルトを巻いたり、ロープを川岸の木にくくりつけたりしたことを認めている。現場で見つかった遺書については、MXの子会社社員が西部さんの代わりに書いたものだという。 既に報道されている通り、西部さんは独自の死生観を近著の中でつづっている。 述者は、結論を先にいうと病院死を選びたくない、と強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくないからだ。『保守の真髄』(講談社) 西部さんが自らの死について語るのは近著に始まったことではない。本人いわく「かなり若いときから死について考える性癖が強かったように思う」というように、彼は長い間かけて、死または生に向き合い続けた結果、死生観が形成され、熟成されてきたことは想像に難くない。 著書の中にも、生や死に関連づけられた記述や話題が非常に多い。心理学的にいえば、自ら死を望む者のうち、心理的な背景にある種の性格、信条がある場合、実は、その行動を止めるのは非常に困難である。死亡した西部邁さんが発見された多摩川の現場付近。西部さんの体はロープで土手の樹木に結びつけられていた=東京都大田区 厚生労働省の調査によれば、日本における自殺者は8年連続で減少している。しかし、2017年でも年間2万人以上の自殺者が出た。行方不明者の一部が自死を遂げている可能性があることを踏まえると、数字よりも多数の自殺者が存在していると考えられる。 自殺の背景は多岐にわたるが、原因や動機として最も多く計上されているのは、「健康問題」である。身体の病気に起因するもの、うつ病や統合失調症などの精神疾患、アルコール依存症や薬物乱用などの嗜癖(しへき)の問題などがそれにあたる。しかし、これらには心理療法や精神医学的な治療など、自殺を防ぐための一定の効果を有する対処法が存在する。 また「経済・生活問題」、つまりお金に起因した背景は景気の動向と連動している。そのため、自殺対策として、例えば個人の債務に対する法律的側面からの援助や、政治・行政的な施策が大局的には奏功することもある。さらには、職場の環境などの「勤務問題」、いじめや不適応、人間関係や進路の問題に起因した「学校問題」も早期発見・対応や環境改善により対処が可能である。死生観に合致しない「自殺幇助」 しかし、これらのどれにも当てはまらない、いわゆる個人の信条として死への近接性や親和性が伴われている場合は、考え方を変えたり、死ぬことを思いとどまらせたりすることが難しい。まさに西部さんはこのタイプに該当すると考えられる。 とはいえ、西部さんの自殺の背景が自らの死生観によるものだったかといえば、そこには疑問符が付く。裏付けの一つとして、自殺の幇助を依頼している点が挙げられる。 もちろん、西部さんは自ら死ぬことを決断しながらも、死体が流されたり、死体の発見が遅れることによる家族や周囲の人々への悪影響を懸念して、依頼したのは間違いないだろう。また、遺書を書かせたのも、自分が自殺したことを明確に示すことに他ならない。 しかし一方で、西部さんは、自殺幇助が刑法に触れることを当然知っていただろう。しかも、発覚した場合は自分と距離の近い「信奉者」とも位置付けられ、それぞれ家族もいる2人の協力者が罪に問われることが容易に想像できたはずだ。 そして、他人に幇助させることは、そもそもこれまでの西部さんの死生観に関する言説にも合致しているようには思えない。そこで、他の心理的背景が働いていた可能性があると考えるのが自然なのではないだろうか。 一つ考えられるのは、身体の不調である。テレビ番組の中で「頭の調子は悪くないのですが、身体の調子があまりよくない」と述べていたことに加えて、持病に起因した背中の激しい痛みや、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という、手の皮や爪が剝げてしまう疾患を抱えていたともいわれている。 科学的な心身相関論に基づけば、長期間の身体の痛みは心をむしばむ。そして、心の痛みはさらに身体をむしばむ。そのような悪循環に陥っていた可能性があるのではないか。具体的な精神的状態像でいえば、抑うつ感情が高まっていたかもしれない。原則、うつが強くなっている状態の思考というのは、正常な判断ができにくい。うつ病の治療上も、重要な決断は先送りするのが定石である。 加えて、西部さんの夫人が2014年に亡くなっている。米国の社会生理学者、ホームズとレイが作成した「社会的再適応評価尺度」によれば、「配偶者の死」はストレスの強さでいうと人生で経験する出来事のうちで一番強力な影響を有すことが知られている。また、妻を失ったことによる喪失感と孤独感は、生きがいを見いだしにくくする。2010年3月、奈良市内で講演をする西部邁さん(前川純一郎撮影) そのような中で、身体的な不調も重なったとすれば、気分の浮き沈みが激しくなったり、物事に対する悲観的な考えが強く出るようになったり、落ち込む時間が長くなることも十分に想定される。あるいは、死生観とは別のところで、衝動的に死にたくなることもある。それらが自殺の企図につながったという可能性もあるのではないだろうか。 つまり「自殺をする死生観」を持っていたとしても、それがそのまま今回の行動につながっていたという可能性だけではなく、死生観とは別の、併存する精神的状態や症状が自殺につながることも有り得るのである。幇助に走らせた「心酔効果」 その意味では、幇助した2人の容疑者の存在が自殺へ走る行動に一定の影響を及ぼしたことも考えられる。死生観も含め、思想を共有する間柄であった西部さんと2人の間には、ある種特有の心理的な結びつきが生じていたのであろう。 「思想」というのは抽象的であり、あいまいなものであることが多い。それが良さでもあるが、悪いほうに転がった場合は、具体的な言葉以上に力を持ってしまうことがある。 例えば、宗教や神事における目に見えないルールは、それを解釈する本人の力によって影響が大きくなってしまうことがあるので、余白が大きい分、人を逸脱した行動に走らせる力を持っている。 精神症状に起因して発せられた西部さんの言葉や行動が、思想というフィルターを通して信奉者に伝わり、相互コミュニケーションを通じてネガティブに増幅されたとき、集団として、自殺に向かって抜け出ることができないスパイラルにはまっていたことは否定できない。 大前提には、2人の容疑者の西部さんに対する相当な心酔があったのだと思われる。人はある対象に心酔すればするほど、行動や感情の振れ幅は大きくなるので、よい方にも悪い方にも大きく振れやすい状態だったのだろう。通常、仮に「思想を実現させたい」「世話になった西部さんに貢献したい」と思っていても自殺幇助のような大それた行動は取りえないものなのである。 関係性ということでいえば、2人の容疑者はある意味では家族以上の存在であっただろう。そもそも家族は自殺を受け入れる存在ではない中で、信奉者が自らの思想を受け入れ、そのことを前提に話を聞いてくれるとすれば、当然お互いの結びつきは強くなる。2018年4月、西部邁さんの自殺幇助容疑で家宅捜索中を受けたMXエンターテイメントが入るビル(桐山弘太撮影) あるいは、西部さんのような専門性、立場になると、今まで社会的に見せていた自分とは違う自分、例えば身体が弱って心も弱くなっている状態を見せるのはなかなか難しくなってきていたことが想像される中で、2人にはそれを見せることができたとしたら、日々の生活の中で絶大な心理的支えになったり、依存対象となる。 心理学的には、時に近しい関係の中で行われる「弱みを見せる(見せ合う)」という行為は、非常に強力な、人と人との心理的距離を詰める機能を持っているからだ。以上のような背景があったと仮定すれば、「自殺の死生観」を持った人であっても、なんらかの形で援助し、行動を止められる切り口はあったのかもしれない。 「自殺の死生観」を持つ西部さんの死は「自分で決めて死ぬことは悪いことなのか」「ダメなことだとすれば、なぜダメなのか」ということを改めてわれわれが考える種にもなる。「生きる死ぬ」は個の自由西部邁著『保守の真髄』(講談社現代新書) 私たち専門家は、心理カウンセリングで死にたい気持ちを示す方々に対しては「あなたが生きる死ぬということは、あなたの自由」ということを提示する場合がある。もちろん、「死にたい」は「よりよく生きたい(でもできない)」のメッセージであることが多いので、自殺しないで済む方法を考えていく。 ただ根本的に、生きる死ぬというものは、やはり本人、つまり個の自由なのではなのではないだろうか。というのは、どうしても自死は「他人の迷惑になる」「周りが悲しむ」「生きたくても生きられない人がいる中でもってのほか」などと、全体主義的な観点で考えられがちだ。 しかしながら、人が悲しんだり迷惑を被ったりする自殺はダメでも、人を助けたり救ったりする自死は時に美談としても扱われる場合がある。例えば、特攻隊として国のために死ぬ、踏切で自分の身を犠牲にして高齢者を助ける、といった話がそうだ。このような「価値観のダブルスタンダード」が起こる全体主義的な考え方は、個人が尊重された態度とはいえない。 個人の尊厳を重視する観点に立てば、西部さんのように自分で死ぬことを決め、そして他者に幇助を依頼すること自体は、善悪でいうと完全に悪いとはいえない。安楽死の議論も、日本においてももっと進むべきなのかもしれない。 ただ、幇助を依頼される側は、気持ちを受け止めつつも、それを断る強さや本質を見極めようとする姿勢をも持つ必要がある。本質的な意味で個人を尊重するためにも、「死ぬという決断って、本当に正しいのですか?」ということをとことん検証し、繰り返し自分自身に問いかける、その手助けをする義務があるのではないだろうか。 かつて東大教養学部教授でもあった西部さんは上述の著書の中でこのようにも述べている。 大学教師について一言の苦情を述べれば「自分たちはアカデミッシャン(学術研究者)だ」という自負くらい学生を誑(たぶら)かす所業はないといってよい。アカデミズムの逆をジャーナリズムということにすれば、それは「日々(ダイアーナル)生起する出来事に関する総合的な解釈」を本来は必要とする。だから、自分もまたそれらの出来事のなかで生を送っている者として、教授はみずからの表現の中にジャーナルな出来事をアカデミックに解釈し、同時に「夜間(ノクターナル)」の仕事ともいうべきアカデミックな成果をジャーナルな出来事に関連づける、という相互乗り入れをなさなければならない。『保守の真髄』 そして、彼は「そういう教授陣が異様なまでに数を減らしている」とも言及している。私はこの言説を自らの学者としてのあり方を俯瞰(ふかん)する基盤にしたいと思う。そして、物事の全体的な輪郭と奥行きを知るための総合的な教養を身につけるためのきっかけを、学生には提供していきたいと考えている。 この寄稿も、そんな「西部イズム」を意識した論理や展開を心がけたことをもって、西部さんに深く敬意を表すとともに、心よりご冥福をお祈りしたい。

  • Thumbnail

    記事

    古谷経衡氏 多摩川の岸辺で西部邁先生の死を思う

     1月21日、評論家・西部邁氏が逝去した。東大在学時代に六〇年安保に身を投じ、運動から離れるや、気鋭の経済学者として東大で教鞭を執った。その後、アカデミズムと決別し、在野の保守論客として活躍。安住を求めず、常に前提を疑った西部氏は、「自裁死」という最期を選んだ。保守ならずとも論壇に拡がった虚無感に対し、評論家・古谷経衡氏は何を思うか。* * * 西部邁先生が多摩川で入水自殺されたというニュースは、2018年の劈頭(へきとう)、世間一般のみならず私を最も暗澹たる思いにさせた虚無の報であった。 西部先生と私が最初に邂逅したのは五年以上前、某CS放送局での収録時である。雲の上の人であった。「あ、どうも…」と頭を下げるのがやっとだった。 高校時代、同世代で熱病のごとく伝播していた小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』ではじめて先生を知った私は、早速著書に手を伸ばしたが、文体が難しすぎてよく分からず、同じ「西」の付く西尾幹二氏の『国民の歴史』に切り替えたという過去があった。 その後、つい最近TOKYO MXの番組に私が出演していたのを先生が聞かれ、関係者伝手に「古谷さんを褒めていましたよ」と聞き及び、飛び上がるほど嬉しかった。 さすがに高校生から現在に至るまで私の読解力も進歩した。保守論壇の中では最早異色の「反米」を強く志向した先生の文体には魅了されていたが、正直私と西部先生の繋がりはこの程度の辺境でしか無い。多摩川河川敷より武蔵小杉方面をのぞむ 入水の後、西部先生を好意的に追悼する論評が現在でも続いている。その最期が自然死や病死では無く自死であることに、「西部邁らしい死に方であった」とか、三島以上の意味を見いだそうとする動きもある。「保守派の大論客の死」は多くの知識人や文化人に感傷と衝撃を与え、「西部邁の死の意味」は今後も長く問われ続けるだろう。前述のようにその辺境でしか交流を持たなかった私が、先生の死の意味を論じる資格は無い。 が、社会通念上、故人を悼み生前の業績を称揚する風潮は当然のこととしても、なぜ皆もっと昔から、西部先生について語らなかったのか、西部先生の言葉に耳を傾けなかったのかと疑問に思う。 西部先生は雑誌『表現者』の顧問として長年同誌に密に関与されたが、その商業的経営は極めて難路だったと聞く。実際に『表現者』の版元は二回も入れ替わった。 TOKYO MXでは『表現者』と提携して毎週土曜日の朝『西部邁ゼミナール』を放送していた。先生が入水された後に、唐突に「西部、西部」と話題になったが、ネット空間では『西部邁ゼミナール』よりも、同じ局で夜に放送されている『ニュース女子』の話題に圧倒され、西部先生を全く顧みることは無かったばかりか、保守論客であることすら、よく知られていなかったのでは無いかと断じざるを得ない。先生が強烈な反米を志向していたことのみをどこかで聞きかじり、「西部は左翼」などと断定していた無知蒙昧の輩もいた。 保守界隈の人々も、本当にここ最近の西部邁の本を購読し、雑誌を買っていたのか、大変疑わしい。要するに、「西部、西部」と言っておきながら、肝心の保守層は朝日新聞叩きに熱狂し、相も変わらず韓国と中国批判に執心し、沖縄の反基地運動家の策動に注視するばかりで、西部邁が何を言ってきた人で、また西部邁が現在何を言っているのかに、全然注意していなかった様に思える。 よく言えば余りにも高尚すぎて「いつか読む」枠に入れていたか、悪く言えばその視界にすら入っていなかったのではないか。 私は、『ニュース女子』が駄目で『西部邁ゼミナール』が良い、といっているわけでは無い。そして朝日新聞を批判するなと言っているわけでも無い。いや寧ろ社会の公器による誤報は糾されてしかるべきであろう。中国の軍拡は脅威では無いという方がおかしい。 が、先生が入水されてから殊更「西部、西部」というのには違和感を感じる。本当に先生を賞賛するなら、生前からもっと西部邁の本や雑誌を買うべきでは無かったのか。出版不況や雑誌不況が言い訳になるとは到底思えない。書店で『表現者』が平積みでは無く、如何にもムックという扱いでその背表紙のみが陳列されていたのを観たとき、ふと虚しくなったのを覚えている。 そこには「西部邁」と名前が書かれていたのに、みな素通りしていった。「西部邁」はすでに何年も前から大衆の視界に無かった、というのは些か礼を失し過ぎだろうか。しかし、私以上に熱心な西部先生のファンは、より強い義憤の感情を持ってもおかしくはないはずであろう。グッドバイ、グッドラックグッドバイ、グッドラック 西部先生が入水されたという多摩川河川敷を歩いた。正確なご遺体の発見場所は警察発表以上のものを知らないし、探るのも失礼だが、おそらくこの辺りであろう、という見当はついた。そこは東京の西の端、東横線多摩川駅近傍である。壮麗な丸子橋を渡河すると、そこにはすぐ川崎市中原区武蔵小杉の「近代的」タワーマンション群が、低層住宅を睥睨するように林立している。この景色を見ながら、西部先生は逝かれたのだ。 多摩川から北へすぐ行った二子玉川の開発が飽和状態となったことから、マンションデベロッパーが「第二のニコタマ」を目指して武蔵小杉のイメージ向上に躍起となり、瀟洒なカフェやスイーツ店をこれでもかとアピールし、ここに住む人たちを「ムサコマダム」などといって称揚し、即席セレブ気分を味わいたいが為に、不当につり上げられたコンクリートの塊を三十年ローンで嬉々として購入していく。この街に西部邁の読者は何人くらいいたのだろうか。ちなみに庵野秀明の映画『シン・ゴジラ』で、この街はゴジラによって徹底的に破壊されている。 西部先生の遺作となった『保守の遺言』(平凡社新書)には、明瞭に自裁の決意が述べられている。先生の中では全てが想定されていたことだったのだ。同書最期の言葉はご親族らに向けられた「グッドバイそしてグッドラックと言わせていただきたい」である。しかし、私のような暗愚な大衆に毛の生えたような程度の人間は、いったいどうしていったら良いのだろうか。 常識を喪失したより醜悪なゴロツキとペテン師と商売屋ばかりが蔓延る界隈の中で、私はどう生きていったら良いのだろうか。無論私だけイノセンスを気取っているのではない。私だってゴロツキの一種である。 しかしそれは、西部邁という存在が遠くにいる事を前提として、その辺境のさらに端っこで辛うじて成り立つ芸当にすぎない。多摩川を去って帰路、小一時間自問した。が、西部邁先生の代替者の名を、現在の保守界隈に見つけだすことはどうしても出来なかった。 私には、感傷や衝撃よりも危機感の方が圧倒的に強い。西部邁氏の生涯1939年 北海道生まれ。1958年 東京大学入学。同年12月に結成された共産主義者同盟(ブント)に参加。1960年 六〇年安保闘争を指揮。安保後、運動から離れる。1964年 東京大学経済学部卒業後、同大大学院進学(経済学研究科修士課程修了)。1986年 東京大学教養学部教授に就任。1988年 宗教学者・中沢新一氏を学部助教授に推薦するも、教授会で否決され、東大を去る。以降、保守論客として活躍。『朝まで生テレビ!』出演などで人気を得る。1994年 言論誌『発言者』を刊行(『表現者』の前身)。2003年 イラク戦争に際して、「大義なし」として米国、並びに同国に追従する日本を痛烈に批判。2018年 逝去。享年78。【著者プロフィール】ふるや・つねひら/1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。日本ペンクラブ正会員。主な著書に『左翼も右翼もウソばかり』『草食系のための対米自立論』。最新刊は『日本を蝕む「極論」の正体』。関連記事■ 西部邁氏が安倍首相に残していた「痛烈な遺言」■ 稲田朋美「政治資金パーティー」発起人は“死者”だった■ 世界の才能が集うFCバルセロナの全貌を解き明かした書が登場■ 渋谷、新宿直撃の都心西部直下地震 死者1万3000人以上と予想■ 茶髪ピアス医師 患者の咳に「マッジィ~」で看護師も困惑

  • Thumbnail

    記事

    西部邁氏が安倍首相に残していた「痛烈な遺言」

     保守論客の代表で『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)の常連だった西部邁氏の多摩川入水自殺は、世間に衝撃を与えた。その西部氏が、遺言を遺していたことが判明したのだ。3月1日に『保守の遺言』(平凡社新書)として刊行される。〈僕流の「生き方としての死に方」に同意はおろか理解もしてもらえないとわきまえつつも、このあとがきの場を借りてグッドバイそしてグッドラックといわせていただきたい〉 あとがきの日付は1月15日。亡くなったのはそのわずか1週間後(21日)である。担当編集者が語る。「西部さんは初稿ゲラを入念に確認していました。言い残すことがないように、大幅に加筆されていた。最後にお目にかかった時にも『1月下旬にはそう(自殺)するつもりだ。この本は死後の出版になる』とはっきりおっしゃっていました」 その遺作の内容として注目を集めるのが、“保守政治家”を自任する安倍首相への最期のメッセージである。 本書には、「安倍首相よ、プラクティカリズム(実際主義)の空無を知られたし」と題し、こう書かれている。〈首相に限らず現代人は、指導層であれ追随層であれ、おおむね実際主義を旨として、経済的利得や政治的権力や文化的栄誉にありつくべく、我欲丸出しで生きそして虚無のうちに死んでいるといってよいであろう〉衆院予算委の集中審議で、疲れた表情を見せる安倍首相(右)と麻生財務相=2018年4月11日午後 とりわけ、西部氏がかねて訴えてきた「対米追従からの自立」に、安倍政権が一向に踏み出さないことへの失望は大きい。〈世界はマルチポーラー(多極)の時代に入っている。そのことに日本政府はどこまで自覚的なのであろうか〉〈対米追従に徹しておればこの列島は何とか生き延びられるであろうというプラクティカリズム(実際主義)の態度が現代日本人に骨がらみにとりついてしまったことの帰結なのであろう〉 かつて交流のあった安倍首相は、この遺言をどのように受け止めるのか。関連記事■ 【大塚英志氏書評】保守を語る西部邁氏の最後の書■ 安倍、岸田、石破…憲法改正口にするのは「目立ちたいから」■ 田久保忠衛氏 安倍首相は「9条2項削除」に踏み込むべき■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」■ 香取慎吾が安倍晋三首相に作品を紹介、がっちり握手

  • Thumbnail

    テーマ

    リベラル潰しの功罪

    希望の党を立ち上げた小池百合子東京都知事の戦略は浅はかだったのか。リベラル切りを宣言した「排除の論理」は結局、左派勢力の受け皿となる立憲民主党の台頭を許し、希望の党は図らずも失速した。小池氏主導の「リベラル潰し」に正義はあったのか。功罪を問う。