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    どちらが「反知性主義」? 安保法制反対こそ反知性主義だ!

    メディア裏通信簿(月刊正論8月号から転載) 編集者 スポーツジムのライザップを、ご存じですか。 女史 知ってるよ。よくテレビでダイエットのCMやってる。「ヤセなかったら30日間全額返金保証」「結果にコミットする」とか宣伝しているジムでしょ。週刊新潮が批判記事を載せていたけど、それがどうかしたの? 編集者 毎日新聞6月1日付夕刊でコラム「牧太郎の大きな声では言えないが…」が、「急に痩せて大丈夫か」「リバウンドは?」と、CMを見て「心配」している友人の話を書いていたんです。なぜ、こんな中途半端な批判を載せているんだろうと思って読んでいると、急に話が飛躍して「『アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか?』と心配する」と安保法制批判を始めたんです。挙げ句の果てには、安倍晋三首相のことを「『反知性主義』と呼ぶ人もいる」と言い始めた。ライザップから安倍政権批判に結びつけるとは、メチャクチャだなと思いまして…。 教授 強引が過ぎますね。(笑) 編集者 この頃よく使われる、この「反知性主義」という言葉には何か意味があるんですかね。 女史 「反知性主義」は、安倍政権批判のための用語になっているよね。「知性」とか「主義」とか立派な言葉を使っているけど、深い意味なんか無いんじゃない。ただの悪口。「バカだ」「ウヨクだ」とか言っちゃうとただの罵詈雑言だけど、「反知性主義に陥る」というと、もっともらしく聞こえるじゃん。朝日新聞は去年12月7日付夕刊のコラム素粒子で「1年前は首相の靖国参拝と前沖縄県知事の辺野古容認で騒然。片や延命し片や座を失う。民意とはを考える暮れ。/今年よく聞くようになった言葉。歴史修正主義、反知性主義。曲がり角の道しるべを見のがさなかっただろうか」と書いてた。要するに、靖国参拝と米軍基地の辺野古移転をしたら、歴史修正主義で反知性主義だって言うんだよ。深い考察なんか何もないでしょ。文藝春秋こそ「反知性主義」 教授 他人を「反知性主義」と言うからには、自分たちは知性的だという認識なんでしょう。文藝春秋の文芸誌文學界7月号では、「戦後70年大型企画 『反知性主義』に陥らないための必読書50冊」という特集で、50人の学者や評論家たちに1冊ずつ挙げさせていました。ここに登場する人たちも、自分たちにかなり知性があると思っているのでしょうか。いずれにしろ、企画した編集部は安倍政権を支持する国民を「反知性主義だ」と言いたいんでしょうね。 女史 この企画で半藤一利さんは「日米同盟の強化、さらに進んで軍事力の強化の必要が叫ばれ、『反知性主義』という言葉が流行している」と、あからさまに政権批判してたね。 編集者 ただ、そうではない人もたくさんいましたし、本当に、政治的な意図があって特集を企画したのでしょうか。 先生 あったに決まっているさ。企画冒頭の編集部で書いたと思しき文には「内外を席巻する声高で性急な応酬。その不毛を乗り越えるために必要な真の教養とは何か」とある。「声高で性急な応酬」とは、安倍政権の方針と、それに対する批判だろ。「不毛」な「応酬」を乗り越えるためには、「反知性主義に陥らない」教養が必要だといっているわけだから、安倍政権を支持する保守系論者、雑誌正論のようなメディアを「反知性主義」といっているようなものだろ。 教授 正論は彼らから見ると反知性主義者の巣窟ですよ。(笑) 女史 けど、面白い文章を書いてた人もいたよ。例えば、文藝春秋社から出した『イスラーム国の衝撃』という本で有名になった東京大学准教授の池内恵さんは、いきなり、その文藝春秋を批判してるの。月刊文藝春秋で半藤さんが対談していたISIL特集を「茶飲み話で長大な紙幅を費やしている」「こんな雑誌作りをするのも、唯々諾々と手にとって読む読者も、反知性主義そのものだろう」って、バッサリ斬ってんの。 教授 彼はいいことを書いていますね。「世に出る『反知性主義関連本』の著者はというと、どう考えてもまさに反知性主義者そのもの」「反知性主義に陥りたくなければまず、声高に他人を『反知性主義』と罵っているような人々の名前で出た本は読まない、というところから始めるというのが鉄則」…まさに、その通り。相手に「反知性主義」とレッテルを貼って頭から否定すれば、主張の内容がどんなものでも耳に入ってこないから、議論にならない。まさに反知性主義的な態度ですね。 先生 そもそもこんな特集を文學界がやること自体が変だよ。「文學」と何も関係ないんだから。 教授 かつて米ソの対立が激しかった頃、集英社の文芸誌「すばる」が、文学者に米国の核を批判させる特集をしていましたが、あれに似ていますね。米国は、経済的に弱体化したソ連共産党独裁政権を崩壊に追い込むために意図的に軍拡競争を仕掛けていたのに、そういうことを全く考察せず、米国の核だけを批判するという愚かな特集でした。文學界も、その轍を踏んでいますね。 それか、単純に自分の雑誌が売れないことをひがんでいる可能性もありますね。売り上げは、お笑い芸人の又吉直樹さんの小説に頼りきってましたから。(笑) 女史 そもそも「『反知性主義』に陥らないための必読書50冊」なんて、あるのかな。上野千鶴子さんなんか、ただ、自分の本を挙げて、宣伝してたけど。(笑) 先生 『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』という、いい本を書いた森本あんりが、自分の本を挙げていないのとは対照的だな。しかし、森本が自著をあげないものだから、この本が50冊から漏れている。しかも、もともと「反知性主義」を論じたリチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』も50冊に入っていない。「反知性主義」がテーマの特集としては失格だな。 教授 確かに、この本に触れている人はいても、必読書として挙げた人はいませんでしたね。 女史 「反知性主義」を論じたいのなら、まず『アメリカの反知性主義』こそ必読なのにね。 先生 書家の石川九楊という人にいたっては「日本国憲法」を挙げている。それは本じゃないから。憲法の名前だから。(笑) 教授 わざと『日本国憲法』という名前をつけた解説書や学術書があるから、そのことを言っているんでしょうね。(笑)結果にコミットしない 先生 そもそも「反知性主義」は、anti-intellectualismの日本語訳だけど、インテリつまり知識人達の特権的な地位や傲慢さに対する至極まっとうな反感という一面もあるんだよな。それはホーフスタッターすら認めている。彼は反知性主義を「完全に除去できるとはいわない」と明言しているからね。文學界の編集部員はホーフスタッターを読んだのかね。 反知性主義を完全に除去できない大きな理由は、まず宗教だよ。彼の本には、反知性主義がキリスト教信仰と無関係ではないと書いてある。福音書や創世記における記述を読めば、反知性主義を生む土壌がキリスト教や聖書の中にあるのは明らかだよ。 教授 宗教や信仰には科学や論理、合理主義だけでは解明しきれない神聖な部分、つまり知性が及ばない領域がありますが、知性を重視するあまりこの領域を軽視する一部のインテリを批判したのが反知性主義でもあるのです。 それから、アメリカの反知性主義批判は、民主党が党派争いで共和党批判をするための理論にも使われるのです。アメリカでは、田舎に住む信仰心が厚い人には共和党支持者が多くて、都市に住むリベラルなインテリには民主党支持者が多いですから。 先生 ただ、民主党支持者だってキリスト教の信仰者が多いから、単純には分けられないけどな。共和党だろうが民主党だろうが、信仰心をアピールしないと、米国大統領には当選できない。いずれにしろ、日本で「反知性主義だ」と声高に叫んでいる人はこういうところに全く触れず、ただ誹謗中傷の道具に使っている。 女史 内田樹さんは『日本の反知性主義』という本まで出したよ。「現代日本の反知性主義はそれとはかなり異質なもののような気がしますが、それでも為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が深く食い入っていることは間違いありません」って書いてる。 教授 大学にも「反知性主義・反教養主義が深く食い入っている」なんて言うなら、まず、ゆとり教育ですっかり本を読まなくなった学生をなんとかするため、左翼と決別して、教育改革に取り組んだらよかったんですよ。 先生 教育社会学者の竹内洋が、強力な知性主義のない日本には強い反知性主義もない、日本にあるのは「半」知性主義に過ぎないとみている。米国の知性主義はハーバード大学から生まれたそうだが、日本の東大、京大はそれほどの大学ではないから、日本に知性主義はない、だとすると、反知性主義も生まれようがないだろう(笑)。東大出身の内田センセイは、どう考えているのかね。 編集者 ただ、東大や京大入試は、やっぱり難関ですよ。 教授 いま「反知性主義だ」と煽っている知識人、それから自分が知識人の一種だと思っているマスメディアの人たちには、自分たちの意見が多くの国民から反感を買っているということに対する不満があるのではないでしょうか。 例えば、集団的自衛権や安保法制の反対を声高に訴えても、なかなか安倍政権が倒れない。そりゃ、そうですよ。国民は中国や北朝鮮、多発するテロを見ていますから、知識人達の無責任な平和論にはだまされない。しかし、知識人やマスコミは、自分たちの方が間違っているのに、それを認めたくないから、安倍政権を支持している国民を上から目線で「反知性」つまり「バカ」だと蔑んでいるのです。傲慢なもの言いですよ。 編集者 しかし、国民にとって本当に大事なのは、自国をどうやって守ってくれるのか、ですよね。無責任に平和論を振り回すだけではなく、ライザップじゃありませんが、「結果にコミットする」知識人じゃないと、信頼できないというのはよく分かります。 女史 (笑)ただ、「結果にコミットする」って言いたいだけじゃん。「反知性主義」批判は、去年ぐらいから言われている「マイルドヤンキー」論ともかぶってるんじゃない。低学歴低収入で、地元が好きで、地元のショッピングモールが好きで…そんな「マイルドヤンキー」と呼ばれる人たちが最近のナショナリズムを支えていて、安倍政権を支持している、という考え方だね。そういう人たちを下に見て、政権批判をしているの。 教授 それを、ちょっと、知識人っぽく言い換えると、「反知性主義」になるわけですね。 先生 そういう見方の元祖が、今やその権威も失墜しつつある左翼の大政治学者、丸山真男だな。工場主や自作農、学校教員といった日本の中間層を「亜インテリ」と軽蔑して、戦争を起こした日本ファシズムの原動力と位置づけた。自分は東大出の文化人で、真のインテリだから違うけどね--というわけだよ。彼を信奉する東大出のエリートが集まったのが、いまや地に墜ちた朝日新聞だな。 教授 マスコミが「反知性主義」を叫ぶのは、左翼インテリの権威が落ちたことの裏返しかもしれませんね。臆病な違憲論 編集者 憲法学者がこぞって安保法制に反対したといって、左派マスコミが大喜びしていましたね。東京新聞6月11日付の朝刊では反対の研究者の名前を200人ほどをズラリと並べていました。対する賛成の学者で名前が挙げられていたのは3人だけ。後から10人の名前を平沢勝栄衆院議員が挙げていましたが、それにしても残念ながら、憲法学界では賛成派が完全な少数派ですね。 教授 政治的に左翼の思想を持つ学者が多い学界ですからね。日本共産党にとっては名誉なことかもしれませんが、東京新聞に載っていた反対の研究者には、共産党支持者と見受けられる人物がかなりいましたね。 しかし、南シナ海や東シナ海で中国の脅威が高まり、年金機構に対するサイバー攻撃も、中国が関わった可能性が新聞で報じられているのに、こういう憲法学者たちは、日本の安全保障に危機感を抱かないのでしょうか。憲法学者たちも無責任。結果にコミットしない知識人なんですね。 女史 なんか、教授まで「結果にコミットする」って言いたくなってきちゃったみたい…。でも、米国の高官も同時期に、中国からサイバー攻撃を受けたと言及してたし、知識人も、中国の脅威ぐらいは考えるべきだよね--。 編集者 衆議院の憲法審査会では、自民党側の参考人として招かれた早大の長谷部恭男教授らが「憲法違反」だと発言してしまいました。人選に当たった自民党筆頭幹事、船田元衆院議員は批判されていますね。 教授 あの憲法審査会の場は、安保法制ではなく、立憲主義について意見を聴く場でした。それなのに、民主党議員が集団的自衛権について質問し、違憲の意見を引き出した。要するに、民主党が法案潰しに利用したのですね。 先生 それにしても、反対を公言している長谷部たちを呼んできた船田はあまりにセンスが悪いというか、脇が甘いというか…。 長谷部を含む違憲論者がおかしいのは、個別的自衛権は合憲なのに、なぜ集団的自衛権だけが違憲なのか説明しないこと。同じ自衛権なのに、なぜ合憲と違憲と分けるのか。安倍政権は、あくまで自国の自衛のためにしか集団的自衛権を認めていないから、最高裁の砂川事件の判例にも合致するのは明らかだから、「自衛権の行使自体が違憲だ」「自衛隊の存在が違憲だ」と最高裁判例を否定すればいいが、それもしない。憲法9条の下で、自衛権を認めるためにかなり苦しい論理を展開した最高裁判例を否定する勇気のない半端な左翼学者に、集団的自衛権だけを否定する資格はないね。 編集者 なぜ自衛隊自体が違憲といえないかというと、国民から総スカンを食らうからですよね。 先生 そういうこと。国の存立のため自衛隊がなければならないのは、みんな分かっているから、否定できないんだよ。そもそも、自民党推薦の学者が違憲と言ったと騒いでいるけど、どの政党の推薦学者だということは、その説が正しいかどうかということには、まったく関係ない。 教授 反対の学者が多いというのも本質的ではありません。学説の正しさは学者の多数決で決まるものではありません。どんなに少数でも、正しい方が正しいのです。あえて多数決なら、民主主義ですから国民の多数決です。学者ではありません。そもそも反対している憲法学者は国際政治の現実も、安全保障の現場も知らない。一つの観点に過ぎませんね。関口宏氏、若者に“説教” 先生 TBS系サンデーモーニングは、この月も偏向がひどかったね。5月17日の放送でも安保法制を取り上げたけど、元防衛相の森本敏以外は、司会の関口宏以下みんな反対。毎日新聞記者の岸井成格は「事実上の憲法改正、安保改定」と非難するし、中央大学教授の目加田説子は「武力行使に道を開く」。マスコミが言うような海外での武力行使は安倍総理がしないと明言したのに、無視だよ。 編集者 でも、サンモニにしたら、森本さんを出演させているのは珍しいですね。わずかに偏向報道を改善していますね。 先生 首相補佐官の礒崎陽輔に、ツイッターで批判されまくったから、アリバイ工作したんだろ。 教授 森本氏は、せっかく出演したのに、ほかの出演者から袋だたきに遭っていましたね。(笑) 先生 沖縄の米軍基地移転問題をとりあげたコーナーも、メチャクチャだったぞ。基地の前にいる反対派には本土の運動家がたくさんいるのに、フォトジャーナリストの安田菜津紀が「ゲート前で座り込みをしている人達の気持ち」を一生懸命語るし、時事通信解説委員長の軽部謙介にいたっては「沖縄の側に立つ政治家がいない」。日本国憲法には、国会議員は「全国民を代表する」と書いてあるだろ。たとえ沖縄でも、一部の県民だけの利益を代表してはいけないはずだ。最後は、関口が「ぜひ若い人達に色んなことを分かってもらいたい」だって。お前こそ、少しは分かれよ。 教授 この番組はスポーツコーナーの人気が高くて、いい企業がだまされてスポンサーにつくらしいです。スポンサー企業も、もっとよく考えてほしいですね。 先生 安保法制では、朝日新聞が反対一辺倒の大キャンペーンをしている。2~3日に1回は社説でも安保法制。6月9日付の社説は「『違憲』法制-政治権力は全能ですか」の見出しで、「自省と自制を欠き、ブレーキのはずれた人たちに、国の存立がかかった判断を委ねられるか」。完全に慰安婦問題誤報の反省は忘れている。 女史 自省も自制も忘れて、ブレーキが外れたのはどっちよ? 教授 マスコミは自分たちの知性を過信して暴走し、どんどん常識から離れていっています。これこそ、まさに反知性主義が批判するインテリの傲慢でしょう。 先生 ただ安倍総理も、自衛官のリスクが増すということは初めから国民に伝えるべきだったと思う。危険が増せば国民も自衛官をより尊敬するし、自衛官も誇りをもってそれに応える。当初、リスクが上がることを認めなかったのは、いただけなかったな。 教授 「リスクが上がる」と単純に言うと、「危険だからやめよう」という間違った方向に国会審議が進むのを恐れたという側面はあるんだと思いますよ。右の内輪モメと朝日の訂正 先生 朝日新聞の話が出たから思い出したんだけど、かつて蜜月だった田母神俊雄とCS放送の日本文化チャンネル桜代表、水島総が非難合戦をしていることを報じた朝日が、訂正を出していたな。朝日は右派論壇の内輪もめを面白いと思ったんだろうが、正確に報じないとな。これは産経新聞や正論など保守メディアも同じだぞ。左右の論争はいいが、ただの茶化しや悪口になってはいけない。 女史 田母神さんがツイッターで「水島氏が自分の言っている事に自信があるなら是非私と同席のテレビ番組で言い分を述べて欲しい。私が不在のチャンネル桜で一方的に私を糾弾することは卑怯である」とつぶやいてたね。 先生 水島はCSという公共の電波を使っているのに対し、田母神は主にツイッター。不公平だと感じるんだろ。それはそうかもしれない。ただ、チャンネル桜の視聴者より、田母神のツイッターを読んでいるフォロワーの方が数が多いだろうから、どっちがどうか、分からんけどな。 編集者 いずれにしろ、事実関係は私には分かりませんので…。 女史 口数少なっ。二人とも正論の常連筆者だから板挟みだね。彬子さまインタビューの裏側 先生 正論7月号に彬子女王殿下でインタビューが掲載されていたが、薨去されたお父上の寛仁親王殿下へのお気持ちが伝わってきて、とてもいいお話しだったな。 編集者 インタビューした者の一人としても光栄です。 先生 ただ、その10日後に発売された文藝春秋7月号に掲載された女王殿下の御手記には、お母上への批判があったのに、正論では、それに一言も触れられていなかったな。週刊新潮6月11日号が「『彬子女王』が月刊誌に書かなかった母『信子妃』」という記事を載せていたが、あれは正論も取材不足が皮肉られてんじゃないか。 編集者 天下の週刊新潮に広告も出していないのに、「正論」の名前を出してもらい、写真まで載せてもらいましたから、いい宣伝になったんじゃないですか。 女史 志、低すぎっ。 編集者 文藝春秋の御手記は批判部分はほんの少しなのに、編集部は、そこだけ大きく見出しにとりました。煽り過ぎですよ。週刊誌じゃないんですから。私たちも当然、彬子女王殿下がそういう感情をお持ちのことは存じ上げていましたが、畏れ多くておたずねするのは避けたのです。 女史 遠慮したのかー。でも文藝春秋には出ちゃった。 編集者 まあ、文藝春秋は総合雑誌の雄で、以前から皇族方のインタビューも載るし、天皇、皇后両陛下が外国をご訪問されたときは、侍従長の手記が載ります。 教授 正論が気後れするほど文藝春秋が権威ですか(笑)。ただ、皇族方は必ずしも有名な雑誌に登場されるわけではないし、そもそも、皇族ではなく誰であろうと、本当に語りたいことがあれば、少々、無名な雑誌でも出たがるはずですよ。たとえば週刊金曜日の6月12日号には、阪田雅裕氏ら内閣法制局長官の経験者が2人が登場して、安保法制や安倍政権を批判しています。この雑誌は一部の過激な左翼以外にはあまり読まれていない。本来なら法制局長官クラスの高級官僚OBが登場する雑誌ではないけど、それでも発言したいから出てくるわけです。 編集者 しかし、彼らは集団的自衛権の悪口が言えれば、なんでもいいのではないですか。左翼雑誌以外からは、不信の目で見られていると思いますよ。 教授 確かに、反知性主義を恐れる彼らは、国民から自分たちの非現実的な意見が見放されないか不安なのかもしれませんね。 先生 BSフジのプライムニュースは、相変わらずフジテレビにあるまじき報道をしている。6月3日の放送では、韓国で「佳子内親王殿下を慰安婦に」という大暴論を、東海大学准教授の金慶珠が「韓国人になりすました日本人の仕業」と言い放った。 女史 これはサイテーだね。 編集者 フジサンケイグループとしても、許せない発言です。生放送の終わり際に、勝手に発言したために、番組では、どうしようもなかったのだと思います。 先生 確かに翌4日の放送で、キャスターの反町理が訂正したが、この日は、中国の朱建栄が、南シナ海の南沙諸島で進められた埋め立て工事について「軍事基地ではない」と言い張った。誰が見ても軍事目的だし、中国だって認めているのに、ウソばかり! 5日も中国人の見方で凌星光が「中国の軍事費は対GNP比1・3%」と強弁してた。いい加減な中国当局の情報を垂れ流しているんだ。 教授 朱建栄氏は厳密に言うと、中国当局の見解と違いますね。いいんですかね。また、本国で拘束情報が流れたりして。(笑) 先生  フジテレビはいい番組もあるけどな。5月22日のドラマ「連続企業爆破テロ40年目の真実」も見ごたえがあった。40年前に産経新聞が連続企業爆破事件の逮捕の方針を報じたスクープの裏側をドラマ化していた。元社会部記者である編集者の先輩記者が果たした歴史的スクープだろ。後輩として感想を聞かせてくれよ。 編集者 え? そういえば、そんなドラマやってたような…。 女史 みてないの? 編集者 裏番組で面白いお笑い番組を放送していたので…。 教授 編集者の「反知性主義」は、ちょっと深刻ですね…。(文中敬称一部略)

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    「反知性主義」を鍛え直す

    反知性主義論の系譜  「反知性主義」という言葉が近年にわかに注目を浴びるようになり、今年の流行語大賞の候補になるかもしれないという。この言葉をテーマに本や雑誌の特集が組まれ、わたしも何度かその執筆に加わった。ただ、それらの特集は、「反知性主義に陥らないために」などと銘打たれており、この言葉が人々にどのような意味で受け止められているかをよく示しているものの、それがわたしの理解とは大きく異なっており、執筆に躊躇を覚えることもあった。その執筆依頼の趣意書に拙著が引用されたりしていれば、なおさら居心地が悪い。『反知性主義』森本あんり著(新潮社) すでに何度かインタヴューや対談で語ったことだが、わたしの『反知性主義』(新潮社刊)は、こうした近年の「反知性主義」論ブームとはひとまず無関係に書かれたものである。同書で説明したように、「反知性主義」という言葉には特定の名付け親がある。 1950年代のマッカーシー旋風をきっかけに、アメリカの反知性主義の歴史をたどったホフスタッターがその人である。以後このテーマは、アメリカ研究の分野ではしばしば論じられてきており、たとえば5年前のアメリカ学会でも、わたしを含む4人の研究者によるシンポジウムで取り上げられている。もちろん、反知性主義などという言葉が日本のメディアに登場するずっと以前のことである。 今回のわたしの著書は、自分がそれまでに考えたり書いたりしてきたことを一般向けに書き直したもので、たまたまその刊行時期が別の著者たちによる反知性主義論と重なったまでである。日本に反知性主義はあるのか 言葉というものは時代や文脈ごとに新しい意味を獲得し内容を変化させてゆくので、「反知性主義」という言葉が以前とはまったく別の意味をもって使われるようになったとしても不思議ではない。わたしはこの言葉を使う者がすべてアメリカ史における用語法を踏まえるべきだと主張したいわけでもないし、半世紀前の議論を今後もそのまま繰り返していればよいと考えているわけでもない。 ただ、以上のような経緯から、「現代日本の反知性主義をどう考えるか」などと質問されると、やや醒めた答え方をせざるを得ない。それぞれの論者がこの言葉に盛りつけている意味が曖昧なままで、結局は各自が自分なりの定義による同語反復の議論を繰り広げるばかりだからである。 もしこの言葉を本来的な意味で受け止めるなら、問われるべきなのはむしろ、現代日本に反知性主義と呼べるものが存在するのか、ということでなければならない。 教育社会学者でちょっとダジャレ気味の竹内洋によると、日本にあるのは「反」知性主義ならぬ「半」知性主義だけである。筋金入りの知性主義がないところでは、それに対抗すべき先鋭な反知性主義も生まれない。そして反知性主義の批判に晒されることのない知性主義は、自らを研ぎ澄ます機会をもつことなく鈍磨してゆく。現代日本がかつてのような知的生産力を失って閉塞状況にあるとすれば、それはこのような悪循環がもたらした当然の帰結だろう。反知性主義が蔓延しているからではない。反知性主義が足りないから、知性が前進しないのである。反知性主義に必要な腹の括り方 では、なぜ日本に反知性主義が根付かないのか。それは、反知性主義に必要な覚悟や信念がないからである。知性のヘゲモニーに対抗するには、それに負けないだけの精神の力が必要である。知性は権力と結びつきやすい。そして、権力と結びついた知性は固定化し、特権階級化し、自己永続化を図る。反知性主義とは、このような結びつきに楔を打ち込もうとする努力である。したがってそれは、知性そのものや知性の本来的な活動に対してではなく、それが結びついた権力に対する反対でなければならない。初期のハーヴァード大学の紋章 ピューリタニズムに始まるアメリカ史では、これは「ハーヴァード主義・イェール主義・プリンストン主義」に対する挑戦となる。これら東部のエリート大学の出身者がどのようにして徹底的な知性主義を築き上げたか、かつそれにも関わらず、その権威に対して何の学歴もなしに昂然と立ち向かうことのできる精神がどのようにして立ち現れたか、ということが焦点となる。このように峻厳で創造的な相克の歴史からすると、日本が「学歴社会」であるというのもまた微温な幻想と言わざるを得ない。 知性が結びつく相手は、学問や政治の権力ばかりではない。芸術や宗教の分野にもあり、芸能界やスポーツ界にもある。人々はそれを「伝統」「通説」「巨匠」「大家」などと呼ぶ。権力という鎧を身にまとった知性は、まさにその故に硬化し、自らも発展や改革の余地を失ってしまう。だから反知性主義は、知性の刷新と進化をもたらすのである。反知性主義が掲げる「知性への反対」は、あくまでも「既存の」知性への反対である。それは、知性そのものの蔑視や欠如であるよりは、「新たな知性」の模索と開拓である。 ここで思い出されるのが、日本人は「異端」好きだ、という丸山眞男の言葉である。ただしそれは、居酒屋の隅で「どうせオレは異端だから」と愚痴をこぼすだけの「隅っこ異端」である。正統に挑戦するだけの胆力もなく、表舞台では既存の正統とお行儀よく共存してしまう異端である。反知性主義を掲げるなら、こんなチープな異端であってはならない。無責任な万年野党の独り言であってはならない。それは、「学界の風雲児」などとマスコミにもてはやされることでもなく、そもそも異端を標榜することではなく、正々堂々と「正統」を名乗り出ることである。当該分野の内部で「自分こそが王道である」と正面切って立ち上がり、その言葉に自分の存在をかけることである。そういう覚悟もなしに、反知性主義を標榜するのは滑稽である。不屈の巡回伝道師アメリカ批判の根拠としての神学 そのような正面切っての挑戦に必要な精神の根拠を与えてくれるものは何か。アメリカ史では、それは宗教的確信であった。反知性主義のうねりは、アメリカ社会を繰り返し大きく変貌させてきた平等主義的な信仰復興(リバイバル)の波となって現れた。だから反知性主義の由来を尋ねることは、アメリカのキリスト教史を追うことになるのである。リバイバル集会では、大銀行の頭取とすすけた炭坑夫が同じ粗末なベンチに並んで座る。どちらも神の前には一人の罪人にすぎず、どちらも恵みによって救われるべき尊い人格だからである。反知性主義は、このラディカルな平等主義を養分として成長した。 なお、日本では「欧米」と一括りにされるが、「欧」と「米」ではキリスト教の形態はまったく異なる。アメリカは、何とかして旧世界たるヨーロッパから知的にも宗教的にも独立したいと願い続けた国である。アメリカをキリスト教の「本家」や「本場」のように考えている人があるが、もはやそういう時代ではない。そして神学は、アメリカ批判の根拠を手に入れるために必須の学問である。アメリカのキリスト教を批判することなくして、アメリカの中枢を批判することはできないからである。 考えてみると、「学者・パリサイ人」という当時の知的・宗教的権威にラディカルな否定を突きつけたのは、イエスであった。その点ではお釈迦様も同じだったし、性質は異なるがムハンマドもそうである。宗教的な確信は、地上の権力を怖れない。ものわかりのいい仏教とか、飼い慣らされたキリスト教とか、牙の抜けたイスラム教だけの世界には、反知性主義は育たないのかもしれない。

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    宗教的情熱こそが「反知性主義」の原点である

     最近、「反知性主義」という言葉を目にしたり、耳にしたりする機会が多くなった。 よく読んでみると、この「反知性主義」という表現は「バカ」や「無知」の言い換えに過ぎない場合が多い。 要するに、「あの人はバカだ」、「あの政治家は無知だ」というのでは、あまりに品がないから、「あの人は反知性主義的だ」などと表現することが多い。確かに、「バカ」と罵るよりも「反知性主義だ」と批判した方が、上品そうに感じる。 しかし、本来、「反知性主義」とは、独特の意味合いを持つ言葉であり、ただの「バカ」や「無知」とは異なる概念だ。 この独特な意味をもつ「反知性主義」を分かりやすく解説したのが、森本あんり氏の『反知性主義』(新潮選書)だ。 残念ながら、有識者とされる人々が某誌で「反知性主義に陥らないための必読書」などというタイトルで、様々な本を列挙していたが、言葉の本来の意味を意識しながら、必読書を推薦していた人は、極少数にとどまっていたように思われる。「反知性主義」をただの「バカ」や「無知」とのみ認識している人が余りに多い。 森本氏に従えば、「反知性主義」という言葉は、1952年の大統領選挙の際に誕生した言葉だという。共和党の候補者がアイゼンハワー、民主党の候補者がスティーブンソン。スティーブンソンは、プリンストン大学出身の俊英であった。これに対して、アイゼンハワーはノルマンディー作戦を指揮した将軍として名をはせた人物ではあったが、知的には凡庸とみなされていた。 結局、この大統領選挙は、知的に凡庸とされたアイゼンハワーの圧勝に終わる。アメリカ国民は、知的に優れたスティーブンソンより、アイゼンハワーを選んだのだ。 何だ、そういうことなら、日本でもあるではないか、と思われた方もおられるだろう。 例えば、戦後の日本で圧倒的に人気のある総理大臣は田中角栄だ。彼は小学校しか出ていないにもかかわらず総理大臣にまで登りつめ、「今太閤」とも呼ばれた。「金権政治の権化」のように批判されることも多いが、現在に至るまで、「田中角栄が好きだ」と公言する人は多い。逆に、インテリ、秀才と目された宮澤喜一のことを好きだという人はすくないだろう。語学に堪能なインテリ政治家、宮澤喜一は日本国の大衆の心を掴むことは出来なかった。田中角栄には人間としての温かみを感じるが、宮澤喜一からは、冷たい雰囲気しか伝わってこないと、多くの日本国民は感じていた。中曽根総理・田中角栄会談後、イヨッ!のポーズでホテルを出る田中角栄=1983年10月 従って、政治家が知性のみで選ばれない、という現象は、アメリカ独自の現象ではない。民主主義社会において、政治家を選ぶ基準は「知性」のみではない。これは当然の話で、知性のみで政治家が選ばれるのならば、選挙ではなく、試験を課せばいいということになるだろう。 アメリカの「反知性主義」の特徴は、それが宗教的な概念であるということだろう。 「キリスト教」と一口に言っても、その教えは様々だ。カトリックとプロテスタントという区分くらいは、多くの日本国民に知られているが、その中にも様々な教えが存在している。 「反知性主義」の根底に存在するのは、神の前では、全ての人々が平等であり、知性の有無によって人間の価値は変わらないという強い信念だ。 アメリカでは、当初、牧師になるのは教養溢れるインテリというふうに相場が決まっていた。大学でキリスト教神学を専門的に学んだインテリたちが牧師となった。ハーバード大学などの名門校出身のインテリが牧師となって、人々に説教をした。従って、教会では、大衆には理解するのが難解な説教が行われていた。 こうした「知的な宗教」に反旗を翻す「信仰復興運動」こそが、アメリカの「反知性主義」の原点なのだ。 自分たちの信仰は、本物といえるのだろうか。 そういう、素朴な疑問に多くの人が陥り、宗教的関心が一気に高まる現象が、アメリカでは起る。この際に登場するのが、極めて雄弁で、反権威的な宗教者だ。人々の心を鷲掴みにし、従来の権威を否定する。神は知性の有無によって人間を区別しない。ただ、純然たる信仰のみが人間を救う。これが彼らの信仰の核心だ。 彼らは多くの牧師たちが行ったような難解な説教はしない。誰にでもわかりやすい説教を行う。洋の東西を問わず、大衆は、わかりやすい表現を好む。多くの人々が熱狂的に、素朴な信仰を尊ぶようになる。 神の前では、知性の有無は無関係であり、ただ信仰が重要である。 こうした信念こそが「反知性主義」の原点なのであり、それは単純な「バカ」や「無知」とは異なる概念なのだ。 日本において「反知性主義」を「バカ」や「無知」の言い換えとして理解していても無害だろうが、今でもアメリカを動かし続ける「反知性主義」をそのようなものとして認識するのは誤りだ。 森本氏の著作を一読することを強くお勧めしたい。

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    安倍晋三政権の「反知性主義」

    「反知性主義」とはもともとアメリカのキリスト教原理主義者達が進化論等の科学的分析に対し反発した事等を指したものでした。かなりの社会的地位のある人達が平然と科学的分析を否定し、キリスト教の絶対性を説くといった現象は他の国にはあまり見られないものでした、アメリカ建国以来、何度かにわたって訪れたリバイバリズム(信仰復興運動)とも密接な関係があるとされています。 アメリカという国自体、旧イングランドを脱したピューリタン達が神との新しい契約のもとで「新しいイングランド」を創設するという壮大な実験でした。そしてそのリーダーシップをとったのは高学歴の牧師達でした。彼等は入植後わずか一六年で牧師養成機関としての大学、ハーバード大学を作ったのでした。知性を重んじるこうした動きは、次第に権威と結びつき、アメリカのエスタブリッシュメントになっていったのです。 こうした権威に対して民衆に信仰を取り戻すという運動として、新たな布教運動が拡がっていったのです。その主導者達は教会を持たず牧師の資格も持たず命がけで土地・土地を巡り布教活動をしていったのでした。大衆をターゲットにし、神の前の平等を説く彼等の辻説法は、人口が爆発的に増え、同時に生まれた字も読めず教養もない層に熱狂的に受け入れられたのでした。それが反知性主義の原点であり、極端に言えば、アメリカという国の原点だったのです。つまり、アメリカの反知性主義はアメリカ的宗教革命だったということもできるのでしょう。 そして、反知性主義は大衆民主主義(マス・デモクラシー)が拡大する中で権力が大衆に媚(こ)びる手段にもなってきたのでした。知識人、あるいはインテレクチュアル、は社会のエリートであっても少数派です。知性主義を否定し、法の前の平等、実用主義等を説き、権力が直接大衆にアッピールするためには反知性主義は有力な手段の一つにもなりうるという訳なのです。 そして、現在の日本。2015年6月8日、文部科学省はこれまでの学部を「社会の要請」にあわせて見直しを行うように全国の国立大学に対して通知を行ったのでした。中でも、文学部をはじめとした人文系の学部、大学院に対して廃止や配置転換を求める意向だと理解されています。社会に直接役に立つ理系の学部を拡張し、人文科学系を縮少し「社会の要請」に答えるというのですが、こうした即物的プラグマティズムで学問を評価してしまう事は、まさに反知性主義であり、学問そのものの深い意味を否定することではないでしょうか。日本武道館で行われた東京大の入学式=4月13日、東京都千代田区 古代ギリシャでは「哲学」は学問一般を意味し、認識論、倫理学、存在論等を含むとされていました。まさに学問一般の原点が哲学だったのです。哲学を意味するフィロソフィーは直訳すれば愛智学。ソクラテスやプラトンが確立した学問の原点でした。 しかし、今回の文科省の通知はその哲学を含む人文科学系の学問の縮少を意図しているもののようなのです。長い一六世紀(1450年~1640年)から続いてきた近代資本主義が終焉を迎え、新たな地平を求めなければならない現代は、従来にも増して本来の「哲学」が求められる時代ではないでしょうか。フランスの歴史家マルク・ブロックは現代が「かつてないほどに哲学的な問いに直面する時代」だと言っています。 世界的にも人文科学系学部の縮少の動きが起こっているようで、2010年には大陸哲学研究で知られるミドルセックス大学哲学科が廃止の危機に瀕しています。その時、多くの世界的哲学者達、スラヴォイ・ジジェク、エティエンヌ・バリバール、デヴィッド・ハーヴェイ等が強い抗議の意を表明しています。哲学をかつてない程必要としているこの時代、逆に哲学研究は世界的に軽視されてきているのです。 日本では長い間、特に第二次世界大戦後、大学の自治、学問の中立性が重んじられてきました。たしかに、哲学や文学は直接的、短期的には社会に「役に立つ」ことはないのかもしれません。しかし、長いスパンで見た時、その役割は極めて大きなものだといえましょう。こうした人文科学の中長期的な役割を守るためにも、大学の自治、学問の中立性は守られるべきです。文部科学省のその時々の政策によって大学の内容や学問のあり方が変わってしまうのは問題だと言わざるをえません。学問は「政治的」であってはならないからです。 もちろん、大学は独善的であってはなりませんし、大きな時代の流れには対応して行くべきでしょう。しかし、その事と短期的に社会の役に立つべきだということとは全く別のことです。役に立たないと言われる学問を根気よく続けることも、又、大切なことなのではないでしょうか。そして理系の学問に比べ人文科学系の学問は相対的にはそうした性格を持っているといっていいのでしょう。日本の大学では長く最初の2年を教養を身につける期間として専門分野に入る前に幅広い分野の学科、特に人文系の学科を課してきました。近年、専門性を重んじるあまりそうした教育を軽視する傾向が若干強まってきたことは残念なことです。専門的に深い知識を身につけることと、幅広い分野に通じていることとは両立しますし、両立しなくてはなりません。専門的知識さえ身につければいいという考え方は、ある意味では、「反知性主義」だということができるのでしょう。本物のインテレクチュアルは深い専門知識を持つとともに、幅広い知識を持つ人達でしょう。かつてのレオナルド・ダ・ヴィンチ、あるいは、アルベルト・アインシュタインはともに深く幅広い知識を持っていました。そして人文科学的教養はそうした幅広く深い知識のベースになるものなのでしょう。

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    保守かリベラルか

    翼」と色分けすることに何の意味があるのか。二項対立を煽る構図は建設的な議論の妨げになりはしないのか。イデオロギー論争を考える。

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    日本の右傾化「左翼が夢物語ばかり掲げたから」

    ジャーナリストでアムステルダム大学名誉教授のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、30年以上にわたって日本政治を研究し『人間を幸福にしない日本というシステム』をはじめ数多くの話題作を発表してきた。「真の独立国」になれないまま戦後70年を歩んできた日本には何が必要なのか、ウォルフレン氏が語った。* * *(私は)京都精華大学人文学部専任教員の白井聡氏との共著で『偽りの戦後日本』(KADOKAWA刊)を出版した。白井氏は『永続敗戦論』(太田出版刊)で注目された新進気鋭の学者であり、戦後の歪んだ日米関係をわかりやすく表現できる優れた有識者だ。憲法記念日に開かれた憲法集会で発言する作家の大江健三郎さん=横浜市西区 白井氏は「日本の右傾化」について強い危惧を示していたが、私はそれを許した左翼の罪が大きいと考えている。戦後日本では左翼が理想論ばかり唱えて現実的な対案を出せなかった。作家の大江健三郎氏や社会党の党首を務めた土井たか子氏が象徴的な存在だろう。ひたすら平和を唱え、国民に対して「戦争はダメだ」「軍隊を持ってはいけない」というだけで、議論を深めようとしなかった。 左翼は「憲法を守ってきた」と自負しているが、大きな間違いだ。憲法9条が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定しているにもかかわらず世界で最も高価な軍隊の一つである自衛隊の存在に目をつぶってきた。日本に軍隊はない、と主張したところで海外には全く説得力がない。自衛隊違憲論にしても理想論を掲げただけで、社会党は本気で政権交代を起こそうともしなかった。 少しでも軍事力を持てば日本が戦争に突き進むという考えは、日本を一人前の国家と認めていないに等しい。その点において、日本の左翼はアメリカにとっても都合の良い存在だった。憲法は、アメリカが日本を従わせるのに都合が良いものとして作られたのだから。 左翼が夢物語ばかり掲げてきた結果として生まれたのが、右派に支えられた安倍政権である。改憲の主導権を右翼に握らせてしまった罪は大きい。 私は日本の憲法は現実に即したかたちに改正すべきだと考えている。たとえば9条は「日本は主権国家として、他国と同様に交戦権を有する。しかし、過去の歴史の反省に立ち、自らの領土が脅かされた場合を除き、武力に訴える行為は取らない」と明記すればいい。それだけで平和憲法として世界に誇れるものになる。 思考停止した左翼の護憲でもなく、歴史を真剣に学ばない安倍氏の掲げる改憲でもない別の道がある。実現するには日本人自身が声をあげなければならない。それが「真の独立国」への道となる。

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    世界とは全く異質の「日本のサヨク」

    ている職業人には、他に生活の術がない。たとえば進歩的を自称する大新聞やその他のマスコミ関係者、特定のイデオロギーを固守する原理主義政治家、教育という職業の本分を放擲して自らの地位向上と保全だけに力を注ぐ日教組かぶれの教育者はその典型である。 戦後の日本人に自虐精神を植え付けた西欧文明一辺倒の一流知識人は、功なり名を遂げることが出来たが、後発の二代目知識人はこの先も自らの職業的命脈が尽きるまで、自虐精神を拠り所にして祖国を誹謗し続けることができるだろうか。 さて、この特殊な環境で育った日本の知識人の多くが、現在も知的職業といわれる仕事に就いたままである。列挙すると学者、評論家、高級官僚、教育者、マスコミ業、労組職員などである。もちろん彼等の中には、それぞれの職業の現場において、次第に現実に目覚める者がないわけではない。しかし、それ以外の多くは、現実とは無縁の思考と行動のままである。この実態こそ、日本のサヨクが特殊扱いされる所以である。関連記事■ 当たり前のことを言える時代 風向き変わり萎縮する左派言論人■ 「紀元節は嘘だらけ」日教組教師発言に見る左傾■ 「タカ」も「ハト」も不毛だ

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    戦後左翼はなぜかくも劣化したのか

    後の歴史をつくったのはなぜだろうか。 その最大の原因は、自民党が英米の保守党とは違って、良くも悪くもイデオロギーをもたないからだろう。それは特定の政治的主張のもとにあつまる結社というよりは、地元の面倒を見る政治家とその個人後援会の集合体であり、野党はこれに対抗できる集票基盤をもたない。 この状況は、戦後70年たっても変わらないので、「平和憲法を守れ」とか「非武装中立」のような理念を対置しても、ほとんどの国民は関心をもたない。彼らの生活を改善する具体的な対案を左翼は出せなかったのだ。全共闘運動というバブル 学生運動は60年安保の敗北で勢いを失ったが、60年代後半の世界的なベトナム反戦運動と結びついて、学生運動が盛り上がった。それが各大学でできた全共闘(全学共闘会議)だが、これは全学連のような全国組織をもつわけではなく、自然発生的にできたノンセクト・ラディカルの集団だった。 それは一種のバブルだったが、規模は世界的だった。フランスでは革命運動が政権を追い詰め、アメリカでも極左のマクガバンが大統領候補になった。当時は頭の悪い学生でも「反帝反スタ」とかいえば格好よく見えたので、「おれ意識高い」と見せるために、デモに行ったのだ。炎上し煙を上げる大阪市大の時計塔に突入する機動隊員たち。隊員の多くは20代の若者だった=昭和44年10月4日、大阪市住吉区 ノンセクト・ラディカルは、思想的にはマルクス主義とはいえない。当時、社会主義国の実態は学生にも知られるようになり、それが「地上の楽園」ではないことはわかっていた。60年安保のころは、それを「スターリニズム」と批判していたのだが、反スターリニズムを自称する党派も似たようなものだった。 だから党派をきらう学生の集まった全共闘は、アナーキズムに近かった。それを支えたのは、ベ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)に始まった反戦運動の現状否定的な情熱だったが、全共闘が掲げた闘争の目的は学費値上げ反対といったプチブル的な要求ばかりで、何が実現すれば闘争に勝利したことになるのか、彼らにもわからなかった。 ただ街頭デモで機動隊と闘うことには、スポーツのような快感があった。最盛期には、日比谷公会堂を埋め尽くす数千人の群衆が集まり、これだけいれば何かできるのではないかという気分もあった。しかし肝心の何をするのかが、はっきりしなかった。当初は「大学解体」というのが辛うじて全共闘運動の統一スローガンだったが、これも具体的に何をするのかは不明だった。 60年安保のときと違うのは、貧しさがモチベーションになっていなかったことだ。それは当時もっとも熱心に読まれたマルクスのテキストが『経済学・哲学草稿』だったことでもわかる。ここで彼が論じたのは、労働者の疎外だった。それは世界的にマルクスの初期の文献が発掘されて研究が進んだという面もあったが、もっと大きいのは『資本論』でマルクスが予言した労働者の窮乏化という現象が起こらなかったことだ。 戦後しばらくは日本も発展途上国に近い状況にあり、飢えと貧困を克服することが何よりも切実な欲求だった。資本主義は、限られた富を資本家が独占するシステムとして憎まれ、社会主義は「無政府主義的な」資本主義に代わって計画的に経済を運営することによってすべての人々を豊かにする経済システムだと考えられた。 しかし60年代後半までには、そういう幻想も消えていた。労働者が不満をもったのは賃金ではなく、工場の単純労働で「疎外」されているという気分だった。これはヘーゲルやマルクスの「本質の対象化」という意味のEntfremdungとは違うのだが、世界的にそういうロマンティックな意味で使われるようになった。 この時期にスターになったのがマルクーゼやハーバーマスなどのフランクフルト学派で、マルクーゼは資本主義を「寛容的抑圧」の体制と規定し、それに反逆する学生を支援した。彼らも既存の社会主義は批判しており、具体的な未来像を描いていたわけではないが、「資本主義も社会主義も人間疎外だ」という時代の気分には合致していた。 しかしアナーキズムは、その定義によって組織として持続することがむずかしい。全共闘の中でも中核や革マルなどの党派が分派活動をやり、それに反発するノンセクトが離反して、1969年にピークを記録した全共闘運動は、5年もたたないうちに消滅した。 私が大学に入ったのは、この学生運動の衰退期だった。キャンパスで白昼に殺人事件が起こり、犯行声明まで出ているのに、警察は家宅捜索もしなかった。公安は、明らかに極左が内ゲバで自滅するのを放置したのだ。彼らのねらい通り、内ゲバの激化とともに極左勢力は急速に衰退した。公害反対運動の心情倫理 70年代以降は、連合赤軍のように少数の極左が出る一方で、大部分の学生は戦線を離脱し、「ノンポリ」化が進んだ。そういう中で、新左翼のよりどころは公害反対運動になった。公害は資本主義のもたらす必然的な悪であり、公害病患者はプロレタリアートに代わって左翼のアイコンになった。 しかし新左翼の運動そのものは世界的に退潮期に入ったので、運動の主役はマルクス主義者というよりはエコロジストだった。彼らの思想的な背景はさまざまだが、反企業的な面は新左翼を継承していた。 中西準子は、日本の反公害運動の草分けだ。宇井純の弟子で、高木仁三郎などと同じ第二世代である。70年代の反公害運動は、今よりはるかに困難だった。そもそも公害というのがよく知られていないうえに、情報が出てこない。役所も企業をかばい、民放も新聞もスポンサーに遠慮してほとんど伝えなかった。 参議院議員までつとめた共産党員の子として生まれ、マルクス主義の影響を受けた中西は、東大の助手時代に反公害運動に身を投じ、その結果として23年間、助手を続ける。しかし反対だけでは何も変わらないと気づき、流域下水道に代わって小規模な「いい下水道」を提案する。これが藤沢市などに採用されて、日本の下水道は大きく変わった。 しかし小規模な下水道でも、ごく微量の発癌物質は残る。それをどうしようか思い悩んでいるとき、中西は1987年にアメリカの議会図書館で「発癌リスクの許容度」のデータを見てショックを受ける。それまでの「安全管理」は、死者をゼロにすることが目的で、一定の死亡率を許容することはありえなかったが、これを機に彼女は「リスク」という概念を日本で広めようとする。 しかし反対派は彼女を「体制側に転向した裏切り者」と批判し、離れていった。彼女はその後、横浜国立大学や産業技術総合研究所で、日本で初めて「リスク」と名のついた研究組織をつくり、さまざまなリスクを定量的に調査する。チェルノブイリ事故の現場も調査し、最大のリスクは強制退去による生活破壊だったことを知る。 流域下水道は環境に悪いばかりでなく、きれいな水と汚水を混ぜて処理するので効率が悪く、流域全体をつなぐインフラに莫大なコストがかかる。汚水だけを個別に処理する中西の方式のほうがコストが安いので、全国の市町村が彼女の提案を受け入れ、小規模下水道が普及した。工場も「下水」に混ぜて流すのではなく「汚水」として管理するため、環境基準を守るようになった。 純粋な「汚染ゼロ」の心情倫理を主張した人々は何も変えられなかったが、汚染のリスクを最小化した中西は日本の下水道を変え、環境を改善したのだ。運動の目的が政府や大企業を糾弾してストレスを解消することならゼロリスクを叫んで原発を止めるのが気持ちいいだろうが、その代わりに石炭火力を焚いたら環境汚染は悪化する。 行政も企業も環境汚染を最小限にしたいとは思っているが、「リスクをゼロにしろ」といわれても、ビジネスをやめるわけには行かない。結果的には絶対反対の運動は無視され、社会を変えることはできないのだ。いけだ・のぶお 〔株〕アゴラ研究所所長、SBI大学院大 学客員教授、学術博士(慶應義塾大学)。1978年東京大学経済学部を卒業後、NHKに入社。報道番組の制作に携わり、1993年に退社。1997年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程を中退。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現職。日本を代表するブロガーとして積極的な言論活動を展開している。著書に『資本主義の正体』(PHP研究所)、『原発「危険神話」の崩壊』(PHP新書)、『朝日新聞 世紀の大誤報』(アスペクト)、『日本人のためのピケティ入門』(東洋経済新報)他多数。関連記事■ 安倍政権の「蜃気楼政治」―取り戻す日本はどこにあるのか■ 官房長官・菅義偉のマネジメント力■ [格差社会]どん底の貧困に救いはあるか■ これから10年、伸びる業界・沈む業界■ 大規模な事業創造は「超」業界で発想せよ!

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    思想の「左右」発生の根源を探究した葦津珍彦

    先崎彰容(東日本国際大教授) 昭和40年代のことである。一人の在野思想家が時代と格闘していた。彼は言う。「現代は群雄割拠の時代であり、戦国乱世の前夜」である、と。当時、国際社会はアメリカとソ連の二極対立の時代が終わり、第三世界のさまざまな国家が自己主張を始めていた。日本国内でも多くの論客が処方箋を示し、自分こそ正しいのだ、こう主張して群雄割拠していた。 時は昭和43年の、いわゆる「全共闘革命」前夜だった。網野善彦が、三島由紀夫が、そして橋川文三が、つまりこれまで取りあげてきた思想家たちが、時代を正確に見定めようともがいていた。神道家、思想家の葦津珍彦 その同じ場所で、葦津珍彦はまなざしを明治にむけ、自分の生きている時代を冷静にとらえようとしていた。 葦津珍彦は戦前からの右翼である。福岡に生まれ右翼の巨人・頭山(とうやま)満に師事した葦津は、いっぽうで左派の鶴見俊輔らと親交をもち、「思想の科学」に寄稿すら頼まれた。理論派の右翼として橋川文三からも一目置かれた人物、それが葦津珍彦だった。現代が乱世であるならば、激動を生きた戦国武士の気概をもって、しかし冷静に書物をひもとかねばならない。 戦後日本を診るためには、葦津にならって戦国時代から明治、さらには昭和までを広く学ぶ必要があるのだ。 たとえば中江兆民と聞いて、人は何をイメージするだろうか。「東洋のルソー」と呼ばれ革命と自由民権を擁護した兆民は、フランス社会思想を紹介した左翼だと思われている。だが一度でよいから、兆民の生涯と著作に接してほしい。すると兆民が頭山満と親交をもち、幸徳秋水を弟子とし、何より西郷隆盛と勝海舟を尊敬していた事実に出くわすではないか。彼が漢文を使いこなし、『孟子』を愛読してやまなかった事実があるではないか。 中江兆民・頭山満・幸徳秋水・内田良平。これらの思想家たちが、単純な右翼/左翼の区分をこえて活躍していた時代。この時代を明らかにできれば、現在の混乱も理解できる、葦津はそう考えた。日本において、思想の左右が誕生してくるその瞬間、沸騰し激動する瞬間をとらえれば、今、自分の置かれている状況を冷静に位置づけることができる、そう考えたわけだ。 葦津が尊敬する頭山満その人が、多面的で巨大な人物だった。「アジア主義」と呼ばれる思想をもった彼のもとには、中国革命の父・孫文が、インドの詩聖タゴールが、亡命インド人独立運動家のボースが集った。日本はアジアと連帯し、帝国主義で迫ってくる西欧諸国に対抗するのか、しないのか-。70年前のあの戦争の意義を担う運動を、頭山は展開していたのだ。 だから葦津は、戦前右翼の代表的存在だった内田良平に対しても、次のような冷静な議論を展開できたのだ。「内田的右翼の弱みは、あまりにも日本国を信頼しすぎ、日本人的自負に流れたところにある。この思想的特徴は、ひとり黒龍会のみのものではなく、日本右翼の歴史をつらぬいている」と(「明治思想史における右翼と左翼の源流」)。 終戦から70年を迎える今年、本屋を歩いて気づいたことがある。 それは周辺諸国を批判する本が売れているという事実であり、反原発や東電批判といった分かりやすい権力批判があふれていることだ。前者のアジア批判は「右」に、後者の権力批判はかつての「左」に分けることができる。だがしかし葦津や頭山を参照すれば、そう単純に人間の思想が一つの色に染まるわけがないことに気がつく。彼らに比べ、いまの私たちは、異常なまでに単純化していないか。 世間が混沌(こんとん)の度合いを深め、世のなかが見えにくくなるほど、出来合いの価値観・世界観に飛びつきたくなる傾向を、私たちはもっている。本屋に渦巻くはげしい言葉のほとんどは、「不安」が原因としか思えない。 葦津珍彦。この「右翼」の言葉が、ますます貴重なものに思えてくる。葦津珍彦(あしづ・うずひこ) 明治42(1909)年、福岡県生まれ。戦前は家業の神社建築業に携わる一方で、右翼の立場からナチス思想や軍部の強権政治を批判し、発禁処分を受ける。戦後は神道家として、国家神道解体後の神社護持活動や、神社専門紙「神社新報」の主筆となるなど活躍。著書は『永遠の維新者』『国家神道とは何だったのか』など多数。平成4年、死去。せんざき・あきなか 昭和50年、東京都生まれ。東大文学部卒業、東北大大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。専門は近代日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』など。関連記事■ 「右傾エンタメ」批判の嘘■ 当たり前のことを言える時代 風向き変わり萎縮する左派言論人■ 「紀元節は嘘だらけ」日教組教師発言に見る左傾

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    レッテル貼りで安心している限り右左の分類はなくならない

    鈴木邦男(一水会顧問)片方の翼しか持ってないような偏った存在ではない この原稿に向かっている前の晩、猪野健治さんにお会いした。ヤクザや右翼を題材に、日本の戦後史を見事に描いた稀代のジャーナリストであり作家だ。文京区で行われた小さな集会で私が話をしたのだが、なんと客席にいらした。ビックリした。わざわざ春日部市から来たと仰る。嬉しかった。光栄だった。 よく世間では、私の肩書に新右翼と書かれる。実は、こう命名したのが猪野さんだ。今までの右翼と違って、<言論>で闘う右翼だという意味で、野村秋介さんや私たちのことを「新右翼」と呼んだ。 新右翼の代表的存在と言われる野村秋介さんだが、でも当の野村さん自身は、「右翼は差別用語だ」と嫌っていた。自分たちは片方の翼しか持ってないような偏った存在ではない。自分たちの主張こそ、王道であり、日本の真ん中なのだという思いだった。 そのことを表すのが、野村さんが唱えた「YP体制打倒」というスローガンだ。それまでの右翼の看板は「反共」だった。ロシア革命により最初の共産主義国家が生まれ、その後、続々と東欧やアジアで革命が起こっていた。今の若い人たちには想像もつかないだろうが、第2次大戦後の世界は東西対立の時代だった。資本主義・自由主義の西側諸国と、共産主義・社会主義諸国の東側諸国だ。 だから日本の戦後右翼は、第一の敵が共産主義であり、それゆえの反共だった。でも、僕は何となくしっくりと感じてはいなかった。僕が右翼の学生運動に一生懸命だったころは、左翼や全共闘の連中は「安保体制打倒」がスローガンだった。それに対して反共というのでは、(当時全共闘がよく使ったこと言葉だが)主体性がないように思ったのだ。3月13日、モスクワでロシア下院のナルイシキン議長と会談する鳩山由紀夫元首相(中央)と「一水会」の木村三浩代表(共同) その疑問に答えたのが、野村さんが作った「YP体制打倒」という言葉だった。Yとはヤルタ会談、Pとはポツダム宣言のことだ。ポツダム宣言といえば、先日、安倍首相が共産党の志位委員長の質問に答えて「つまびらかに読んでいない」と答弁したのが記憶に新しい。おいおい、待ってくれよ。安倍首相は、戦後レジュームからの脱却を唱えていたはずだ。その戦後レジュームを決定づけたのがポツダム宣言なのに、それをよく知らないとは、しかもそれを公言するとは、あいた口がふさがらないとはこのことだ。 閑話休題。本稿への編集者からの注文の一つに、「右翼・左翼という分類が現代も亡くならない理由、悪影響」について書け、というのがあった。 なくならない理由、それはレッテル貼りをすれば、安心できるからだろう。それこそ「つまびらかに」知らなくても、レッテルが貼ってあれば、その人の言うことや本を読まなくても、わかった気になれる。例えば、戦後の右翼は親米だが、新右翼は反米だ。だから、一水会の木村三浩代表がウクライナに行って、現地の生の報告をしても、「なんせあの人は反米だからな」と決めつけて、真面目に話を聞こうとしない。鳩山由紀夫元首相の発言も「あの人は宇宙人だから」と耳を傾けない。自分がちゃんと勉強しなくても、レッテルを貼ってしまえば、安心できる。 ちゃんと勉強してくれればわかってもらえると思うが、一水会や新右翼は反米なのではない。対米自立なのだ。だから、ほとんどの右翼が、体制擁護の立場から原発推進を支持する中で、我々は、反原発を掲げている。新右翼の更なる進化形として 今、「一水会や新右翼は」とうっかり書いてしまったが、実は、一水会は、新右翼という自己規定をやめた。えっ、ウソだろ! と思う方は、ホームページを覗いてほしい。「一水会独自活動宣言」という文章が、平成27年5月22日付で発表されている。 宣言のきっかけは、木村代表が鳩山氏とともにクリミヤを訪問した一連の言動が、戦後右翼のイメージを傷つけると右翼陣営から批判されたことにあるが、それはある意味では、私たちを新しい道へいざなう導きの糸ともなった。 一つは現実へのコミットの仕方である。私は拙い文章を綴ったり、インタビューを受けたり、大勢の前で話をすると言った、諸々の言論活動をもって旨とし、木村代表は、一水会を軸に、政治家や運動家との連携を模索して、グローバルな運動展開を推進している。 このグローバルということは、新しい道へのキーワードの一つだと思っている。その表れが、2010年に東京で開いた「世界平和をもたらす愛国者の集い」だ。フランスから国民戦線のジャン=マリー・ル・ペン党首(当時)ら欧州の愛国政党の代表が来てくれた。イラク戦争の前に、数次にわたりバクダッドなどを訪問したこともあるし、今回のクリミヤだけでなく、木村代表の精力的な東欧やロシア歴訪なども、新しい道を象徴する活動だと自負している。 思えば、中国革命の父・孫文を支援した頭山満、インドやフィリピンの独立運動を援助した内田良平の両氏ら、戦前の日本の右翼は汎アジア主義だ。その目配りは、国際的なものだったと言える。 いまは右翼の主要な言論人の一人と思われている三島由紀夫だって、愛国心という言葉には嫌悪を示していた。自決(昭和45年)の2年前に朝日新聞に、「愛国心 官製のいやなことば 日本は『大和魂』で十分」という文章を寄稿している。一部を引用してみよう。 「この言葉には官製のにおいがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押しつけがましい」 「もし愛国心が国境のところで終るものならば、それぞれの国の愛国心は、人類普遍の感情に基づくものでなく」 私も全く同感だ。日本を愛するという気持ちは、自明のこととして心の中に持っていればいい。声高に「俺は愛国者」だと言う輩に、本当の愛国者はいない。愛国者ということで、正義は我にありと居丈高になり、意に沿わない人に対しては「非国民」とか「朝鮮人」とかのレッテル貼りをしたがる(私も、「コーブ」を上映した映画館の前で、上映反対には反対とピケを張っていたら、「鈴木邦男は北朝鮮に帰れ!」とマイクでがなり立てられたことがある)。 自分の家族や故郷、友人・知人を愛して、自然に国を愛する気持ちが生まれるのだ。その気持ちには右も左もない。元赤軍派議長の塩見孝也さんのように、愛国心という言葉を使うのが口惜しいのか「パトリシズム」(愛郷心と訳すのか?)とかたくなに呼ぶ人もいるが、それはそれ。心根の部分は同じだと信じている。 さて、そんなわけで、これからも右左というレッテル貼りに煩わされることなく、微力ながら、日々、言論活動を続けていきたい。関連記事■ 戦後70年 落ち着いて歴史を語れる国に■ 「タカ」も「ハト」も不毛だ■ 「右翼」「排外主義」狂奔するレッテル貼り

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    生きづらさと右翼と左翼 そして名指されていない99%の私たち

    「左翼試験」に通っていない私 20代前半の頃、2年くらい右翼団体に入っていて、やめた。 そうして30代前半で、格差や貧困問題に取り組み、取材するようになったら今度は「左傾化した」と言われるようになった。 よって、とりあえず自分のことを「左翼」と自称してみると、元赤軍派のオッサンに、「マルクスも読んでないくせに何が左翼だ!」と怒られた。 右翼の時は「右翼です」と言っても誰にも否定されなかったのに、左翼に「なる」にはどうやらなんらかのハードルをクリアしなければならないようである。で、私はその「左翼試験」に通っていないらしいので、以来、人から「左翼」と言われても「いや、元赤軍派のバリバリ左翼な人に左翼認定されなかったので左翼じゃないっす」と答えるようにしている。 右翼と左翼、あなたはその違いを明確に答えられるだろうか? 以前、『右翼と左翼はどう違う?』(河出文庫)という本を、いわゆる「右翼」「左翼」と言われる人たちに取材して出版した。その本を読んだ読者からの手紙の中でもっとも驚いた感想は、中学生の女の子からのものだった。 「私はこの本で、右翼と左翼をずっと勘違いしていたことがわかりました。これまで私は、右翼のことを『元気がある状態』、左翼のことを『元気がない状態』だと思っていました」 どうやら彼女はネットで「ヘサヨ」とか「このウヨが!」などの言葉に触れるうち、文脈的にそう理解していたようなのである。「頑張れば報われる」に騙された さて、ではなぜ私が右翼団体に入ったり、左翼と言われるようになったりしているかについてだが、自分なりに整理してみると、もっとも根本にあるのは「生きづらい世の中(と自分)」という問題である。 97年、22歳で右翼団体に入った時、私は北海道から単身上京して4年目の高卒フリーターだった。バブルはとっくに崩壊。世の中は、知らないうちに「就職氷河期」ということになっていた。飲食店のバイト先では「時給が高い日本人より時給が安くて働き者の韓国人と取り替えたい」なんて普通に言われた。90年代なかば、おそらく戦後の日本で初めて「若者が外国人労働者化する」事態が起きていた。自分の身に何が起きているのか、よくわからなかった。だけど、国際的な最低賃金競争の最底辺にいる自分のライバルはどう考えても外国人労働者で、彼らと自分を差別化するものは、「日本人であること」しかなかった。 当時の私は、いつも苛立っていた。貧乏だし、バイトはすぐクビになるし、将来の見通しはまったく立たないし、こんな生活からの脱出方法はわからないし、その上これらすべてが「自己責任」と言われるし。 それまでの人生で、「頑張れば報われる」という言葉を嫌というほど聞かされてきた。とにかく歯を食いしばって受験戦争に勝ち残り、人を蹴落としまくっていい学校、いい大学、いい会社に入ることが人生最大の目標であり「幸せ」への近道である、と。そうして頑張ってきた自分たちが社会に出る頃、「バブルが崩壊したので、『頑張れば報われる』という言葉は嘘になりました」と梯子が外された。 騙された。教育に、大人たちに嘘をつかれた。そう思った。右翼団体に入る2年前の95年に起きたふたつの事件も、そんな思いを補強した。95年1月、阪神淡路を襲った大震災。私は戦後日本の繁栄が、一夜にして瓦礫の山となるのを目撃した。テレビで。その2ヶ月後、オウム真理教によって地下鉄にサリンが撒かれた。私は戦後日本を下支えしてきた価値観そのものが崩壊するのを見た。テレビで。物質主義、拝金主義を否定するオウムの登場を受け、大人たちは「戦後日本の教育、戦後日本の価値観が間違っていたのではないか」なんてしたり顔で議論していた。テレビで。 そうだ。私は間違った教育を受け、間違った価値観の中で生きてきたからこんなにも生きづらいのだ。私の目の前には、まるで焼け野原のような光景が広がっていた。だけど、その焼け野原は、「安定層」には見えないのだ。これまでのすべての価値観が通用しない時代に突入したのだと思った。だって、頑張ったところでたかが「就職」すらできないのだ。早く、早く「正しい」価値観を、「新しい」価値観を探さなくては。焦燥の中、思った。 そうして行ったのが、右翼、左翼と言われる人たちの集会だった。彼らの思想も左右の違いすらもわからなかったけれど、「右翼や左翼と呼ばれる人々は政治や世の中に怒っているらしい」ということだけは漠然と知っていた。本気で「愛国」に傾いた偉いオッサンたち 最初に行った左翼の集会は、専門用語ばかりで何を言ってるんだかさっぱりわからなかった。次に行った右翼の集会は、ものすごくわかりやすかった。「お前らが生きづらいのは、すべてアメリカと戦後民主主義が悪いのだ!」。なんのことだかさっぱりわからなかったけれど、私は生まれて初めて「生きづらいのはお前のせいじゃない」と免責された。それまでやめられなかったリストカットがその日から、ぴったり止まった。私はこれを「右翼療法」と呼んでいる。そうして「教育に嘘をつかれた」という心の隙間に「教科書で教えてくれない靖国史観」がすんなり入り込んできた。 最初の頃は、楽しかった。大学にも入れず、企業社会からは排除され、地域社会も友達もなく、どこにも居場所がなかった私は、「国家」に鮮やかに包摂された。時給1000円程度の使い捨て労働力でしかなかった私は「憂国の志士」として団体内で熱烈に必要とされた。 だけど、2年でやめた。きっかけはいろいろある。 右翼団体に入った翌年の98年、小林よしのりの「戦争論」が出版された。大東亜戦争を肯定的に描き、特攻隊を勇敢に描くその漫画は、若者たちを熱狂させた。周りの友人たちも熱烈にハマっていた。「国家に命がけで必要とされる特攻隊」に憧れる「マトモな必要のされ方をしていないフリーター」の友人たちを見て、なんとなく、醒めていく自分がいた。 そんな頃、「新しい歴史教科書を作る会」が出てきたり、国旗国歌法が成立したりした。世の中が本気で「右傾化」していくのを肌で感じていた。私はそれを、なぜだか喜べなかった。強烈な違和感だけがあった。自分のような社会の日陰者が、世の中へのアンチテーゼのように「愛国」と叫ぶことに意味があるのだと思っていた。それなのに、なんだか「偉いオッサン」たちが本気で「愛国」に傾く姿に、気持ちは急速に醒めていった。 ちょうどその頃、右翼内で「憲法」に関するディベートがあり、憲法前文を初めてちゃんと読んだ。それまで団体から言われるがままに「押しつけ憲法反対」とか言いながら、私はちゃんと憲法を読んでいなかったのだ。そうして初めて読んだ憲法前文に、右翼のくせにうっかり感動してしまった。戦争への痛切な悔いや、日本だけじゃなく世界を見据えた理想が描かれたこの憲法を、なんで右翼の人は否定してるんだろ? 素朴に思った。そうして99年、私は右翼団体をやめた。自分が「左翼」だとは思わない「プレカリアート」に救われた 翌年の00年、私は物書きデビューし、それからはあまり政治にはかかわらず、「生きづらさ」や自殺、自傷の問題などを取材していた。その間、若者の間ではネット心中が流行し、20代、30代の死因の1位を自殺が独占し続けた(今もそうだ)。私の周りでも多くの若者が自ら命を絶ち、そのたびに「なんで?」と頭を抱えた。どうしてこの社会は、少し不器用だったり優しすぎたりする人が生きることを許されないのだろう? 「競争に勝てない奴、生産性のない奴には価値がない」なんて暴力的な価値観が支配しているのだろう? 死者が出るたび、思った。学校で、職場でいじめに遭い、長い間ひきこもっていたり、うつ状態にある人が多かった。過剰なノルマの下での過労自殺と思われるケースもあった。 彼らの自殺の背景には、個人の問題だけでなく、構造の問題があるのでは? そんなことを考えていた06年、「プレカリアート」という言葉と出会った。不安定なプロレタリアートという意味の造語に惹かれて行った集会で、社会学者の人が「新自由主義」について話していた。馬鹿だった私は、その時初めて「新自由主義」という言葉を知った。過酷な市場原理主義のもとでの生きづらさや自殺の問題についての解説を聞いて、初めて「自分の周りで死んでいった人たち」と今の世の中の在り方―生産性と利益だけが重視され、即戦力でコミュ力があってどんなに長時間労働をしてもパワハラを受けても倒れたり自殺したりしない体力と精神力のある人しか生き残れない社会―の問題が繋がった。 それから生きづらさの背景にある競争社会、選別、不安定労働、過酷すぎる労働、市場原理主義が覆い尽くした社会や「役に立つ」人間でないと生きることを許されない空気、格差社会や貧困といった問題に取り組み、取材、執筆だけでなく「生きさせろ!」と生存権を求めるデモなんかを主催し始めたら「左傾化した」と言われるようになったというわけだ。ちなみにこれらはプレカリアート運動と呼ばれ、スローガンは「無条件の生存の肯定」である。この言葉に、私自身、随分救われてきた。 で、そんなことを続けていたら11年3月に原発が爆発し、脱原発デモに参加するようにもなり、第二次安倍政権になったら秘密保護法とか生活保護引き下げとか集団的自衛権とかが怒濤の勢いでやってきて、それぞれ「なんか違うだろ」と思うのでやっぱりデモなんかに参加していて、今に至るというわけだ。自分が「左翼」だとは思わない ただ、私はそういう自分が「左翼」だとは思わない。原発が爆発する前から、おかしいと思うことには声を上げてきた。だけど原発が爆発して、強く強く、思った。「声を上げないと、勝手に“賛成”“容認”の方にカウントされてしまうのだ」と。だから、なんかおかしいと思ったことには積極的に声を上げている。それだけのことだ。そしてそこには左右の垣根はない。脱原発デモをしている中には右翼の人もいるし、格差、貧困問題に警鐘を鳴らす右翼の人もいる。 というか、冷戦が集結して25年、従来の「右翼」「左翼」という分け方では通用しない時代になっていると思うのだ。 そして今、大きな問題は、冷戦終結後に世界を席巻し続けるグローバリズムではないだろうか。 その中で、富める者は更に富み、中間層は没落し、貧しい者が増え続けるという二極化が進んでいる。別にわざわざ線引きする必要はないけれど、今あるもっとも大きな対立は既に「右翼」「左翼」などではなく、「1%の富裕層が世界の富の約半分を独占している」ような資本主義の在り方に対して、それを容認するのか、それとも是正しようとしているか、というもののように思う。 で、私は是正した方がいいと思う。やっぱり「どんなに頑張っても一定数の人は絶対に報われない社会」は、社会や人間への信頼を奪っていくからだ。 「頑張っても報われる」が嘘になってから20年以上。今、復権すべきは「頑張ったらそれなりに報われる社会」ではないだろうか。そういう社会は、変なバッシングとかヘイトスピーチとかしなくても済む社会に思えるのだ。 ちなみに私が右翼だった頃、敵はアジアではなく、アメリカだった。今、ネット右翼などと言われる層がアジア蔑視に基づく発言をしているのを見ると、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は遠い過去になり、経済的な日本の立ち位置がこれほど変わったのかと、ある意味、しみじみする。 ということで、ただひとつ言えること。 それは既に対立軸は「右翼」「左翼」ではなく、おそらく一部の「持てる者」と、99%の「持たざる者」だということだ。これからこの問題にどう取り組んでいくのか。99%である私たちを名指す言葉は、まだない。関連記事■ 1日5人が餓死で亡くなるこの国■ 「タカ」も「ハト」も不毛だ■ 母子家庭の子供は「問題行動を起こす」という言説の欺瞞

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    あの日から真剣に考えた現代社会の「右」と「左」

    。 私は困ったときには本当に信頼できる方々に、そのヒントを聞きに行くよう心掛けています。そこで、このイデオロギーに関する難しい問題について、萱野稔人さん、鈴木邦男さん、田原総一朗さん、三橋貴明さん、という著名な4人の方々に、「右」「左」とはそもそも何か、昔と今の「右」「左」に違いはあるのかなど、疑問に思っていたことをぶつけてみました。それをまとめたのが『ナショナリズムをとことん考えてみたら』(PHP新書)という一冊ですが、みなさんとの対談の中で、現代の日本社会における「右」「左」の輪郭を、おぼろげながらですが、自分なりに理解できるようになりました。 たとえばソ連が崩壊するまでの冷戦期には、「右」と「左」の区分けはそれほど難しいものではなかったのではないでしょうか。左がいわゆる「革新」を指したことに対し、右はそうした「革新」へのカウンターパートである「保守」あるいは「体制」であった、といえるのかもしれません。しかし、冷戦が終結した後、そこから右と左の区分けは極めて複雑かつ曖昧になっていったように思えます。 今ではそれを論じる際、国家の役割の範囲などさまざまな軸があるようにも思えますが、4人の方のお話を伺いながら「なるほど」と思ったのが、その軸の一つとして「グローバル化」をどう考えるか、ということでした。現代において「保守」は何を「保守」するのか、ということにつながるのかもしれませんが、冷戦時代にはそれが「革新」からの「保守」であったものが、今ではグローバル化という巨大な力による国柄としての「保守」という見方もできるでしょう。 そうした視点を持って考えてみると、たとえばまさに今、ヨーロッパ各国を揺るがす移民問題は、推進派であれば「左」、慎重派であれば「右」という区別もできるのかもしれません。日本ではまだ移民問題はそれほど人々の身近に迫ったものではありませんが、ヨーロッパでは私が幼少期を過ごしたスイスでも、憲法改正によって移民制限が公然と行われるほどの関心事です。そうした軋轢の中で、フランスの『シャルリー・エブド』襲撃事件などが引き起こされているのです。 その一方で、たとえばそうした「グローバル化」という軸に対し、いわゆる冷戦崩壊前の「右」「左」の価値観、つまり体制VS反体制という価値観が同時並行的にメディアで語られ、右、左の概念がさらに分かりにくくなっているように思えます。結局、各自がそれぞれの「右」「左」の価値観に従って語り合うわけですから、そもそも議論がかみ合うはずもありません。 その結果、「あいつは右だ」「左だ」という「レッテル貼り」が横行し、ますます対話の機会が減り、さらに議論はどんどんたこつぼ化していくような気がしてならないのです。おそらく、いま「右」や「左」を考えるときに必要なことは、あまり自分の立場に固執せず、場合によっては「右往左往」するくらいの柔軟性ではないでしょうか。 世の中はどんどん複雑になっています。だからこそ、ある問題に対して、いとも簡単に解が出るようなことはありません。であれば、自分とは立場が違うと思われる人と積極的に「対話」を継続してこそ、本当に生産的で意味のある議論が成り立つのではないでしょうか。 私は「炎上」という苦い経験をしたからこそ、これからも恐れることなく積極的に「右往左往」しようと思っています。それが、これからも「政治を語る意味」につながっていくのだと、私は信じています。関連記事■日本の右傾化「左翼が夢物語ばかり掲げたから」■レッテル貼りで安心している限り右左の分類はなくならない■「タカ」も「ハト」も不毛だ■「右翼」「排外主義」狂奔するレッテル貼り■「右傾エンタメ」批判の嘘