検索ワード:オリンピック/115件ヒットしました

  • Thumbnail

    テーマ

    eスポーツが五輪などおこがましい

    対戦型ゲームを競技として行う「eスポーツ」に注目が集まっている。インドネシアで開催中のアジア大会では公開競技になり、米国では負けたプレーヤーが腹いせに銃乱射事件を起こした。五輪の競技化を目指す動きもあるが、とまれeスポーツは「スポーツ」なのか。現役大学生の問題提起を元にiRONNAでも考えたい。

  • Thumbnail

    記事

    巨額マネー動くeスポーツ 「五輪競技化」は中国のためのもの?

    て、錦の御旗になるのは五輪である。2017年10月にドイツ・ローザンヌで行われた五輪サミットで、国際オリンピック委員会(IOC)は「eスポーツの五輪競技化」に向けて前向きに検討を行う旨を発表した。2024年パリ大会から、eスポーツが五輪の正式種目になるかもしれない。 国際的なスポーツイベントでeスポーツを採用する流れはすでにできている。2022年に中国・杭州で開催されるアジア競技大会では、eスポーツが公式メダル種目になると表明されている。eスポーツ推進派の論者は、五輪を錦の御旗に掲げて「2018年はeスポーツ元年」と主張する。 しかしながら、五輪という威光をかさに着たことで反作用も起きている。「汗をかかないeスポーツ(=コンピューターゲーム)はスポーツではない」という、eスポーツ懐疑派からの素朴な批判にさらされているのだ。 「五輪種目だ」VS「スポーツではない」。こんな水掛け論が、今日も日本のどこかで展開されているのではないだろうか。本稿で筆者はゲームの専門家として、eスポーツなるものの歴史的・文化的背景についてつまびらかにしたい。推進派にとっても懐疑派にとっても、新しい視点でeスポーツを考えるきっかけとなることを期待したい。 eスポーツはどこからやってきたのか。eスポーツとはそもそも何なのか。それを知るためには長いゲームの歴史をひも解く必要がある。東京ゲームショウの会場で開かれた「eスポーツ」の対戦=2017年9月、千葉市美浜区(宮川浩和撮影) eスポーツの原点は1980年代、アメリカで自然発生的に生まれた「LANパーティー」とされる。LANとはローカルエリアネットワークの略である。ゲーム好きの複数人が所有するパソコンを誰かの家に車で運搬して集い、それらをLANケーブルで直結してプレーをする文化がアメリカに出現した。 初めはロールプレーイングゲームがよく遊ばれていた。だが、90年代に入り、銃で撃ち合う3Dシューティングゲームが登場すると、LANパーティーの愛好者は一気に増えた。撃ち合いは勝負が刺激的で、ルールも分かりやすかったからである。 このムーブメントに目をつけたのが、半導体メーカーのインテル社だった。瞬間を競う対戦型のゲームでは、パソコンの性能が良い方が有利である。そのためLANパーティーに参加するゲーマーたちは、高性能パソコンの顧客層となったのだ。韓国政府はeスポーツを広める必要があった インテルのライバル企業であるAMD社は、さらにゲーマーの心をつかむ作戦を考えた。ゲーマーのプロ連盟をつくることを発案して、1997年にプロフェッショナル・ゲーマーズ・リーグ(PGL)を結成したのだ。同連盟は「テレビゲームの父」と呼ばれ、世界初のゲーム会社、アタリの創立者でもあるノーラン・ブッシュネルを初代コミッショナーとして迎えている。このような経緯から、eスポーツの原型はアメリカで生まれた。 場面は急転換する。舞台は韓国である。 1997年、この年に韓国は通貨危機となり、国際通貨基金(IMF)からの資金支援を受けることになった。国家破綻の危機に瀕した韓国は、国ぐるみで産業の構造改革が迫られる。そこで、かつて重化学・自動車・鉄鋼産業を育成してきた国家戦略は、IT産業の振興へとシフトした。 韓国政府がIT産業の発展のため、高速ネットワークを国内に整備したことで生まれた副産物が「PC房」である。房は「バン」と発音し「室」の意味がある。PC房は日本でいうところのインターネットカフェに近い。 このPC房が急速に増えて、2000年のピーク時には3万店近くまで膨れ上がった。「PC房」は「ゲーム房」と呼ばれることもあり、どの店舗にもオンライン・ゲームが用意されていた。中でも最も多く設置され、韓国の若者たちの間で大ヒットしたのが『スタークラフト』という戦略ゲームだった。 この『スタークラフト』ブームの最中に、すなわち1999年辺りから韓国内で「eスポーツ」なる用語が使われるようになる。2000年には日本の文部科学省に相当する韓国文化観光部(現在の韓国文化体育観光部)の長官が、ゲームのことを「eスポーツ」と呼び、一部には「政府がゲームをスポーツと公認した」という見方もある。※この画像はイメージです(GettyImages) そして韓国では2000年に世界で初めての国際的eスポーツイベント「World Cyber Games」のテスト大会が開催された。この大会の賞金総額は20万米ドル、世界17カ国から174人のプレーヤーが参加したとの記録がある。 その後、韓国では今と比べても遜色がないほどeスポーツの環境が整備されていく。eスポーツのためのプロリーグ、プロチーム、中継専門チャンネルなどが2000年代の前半に立ち上がり、韓国は自他ともに認めるeスポーツのパイオニアとなったのである。ちなみに、世界のeスポーツを統括する国際eスポーツ連盟は2008年に設立され、本部は韓国・釜山にある。日本の特殊な2つの背景 このような歴史的・文化的背景を知れば、日本でeスポーツが流行しなかった理由が分かるだろう。日本にはどこの国とも異なる独特のゲーム文化があった。それはゲームセンターとファミコンに象徴される。日本ではゲーム好きが集まる場所として昔からゲームセンターがあった。他者とゲームをする場としてLANパーティーもPC房も必要がなかったのだ。 また、日本は任天堂とソニーの本社がある国でもある。ファミコン、スーパーファミコン、プレイステーションがどこの国よりも早く普及したので、伝統的にコンピューターゲームのユーザーが少ない。子供も大人もマリオ、ポケモン、ドラゴンクエストなどを好んで遊んできた。大人が真剣勝負するコンピューターゲームには、そもそもなじみがなかったのである。 すなわち、あるスポーツが栄えるか否かはその国の地理、歴史、文化がかかわっている。雪が降る国ではスキー人口が多く、当然ながら雪が降らない国では少ない。それぞれの国の歴史と文化が相まって、クリケットが盛んな国があれば、野球が盛んな国もある。ゲームの世界でも同じことが起きているのだ。 eスポーツを考えるにあたって、ゲームを離れて一点だけ付記すべきことがある。それは日本人のスポーツ観もまた、世界の中では特殊だということだ。 スポーツの語源はラテン語のdeportare(デポルターレ)とされる。この語は、日々の生活から離れることが原意であり、そこから転じて気晴らしをする、休養する、楽しむ、遊ぶなどを意味する。スポーツとは日々の生活から離れるための行為であり、ヨーロッパの各国ではチェスもスポーツの一種とされる。このように高い思考能力を用いて競われるゲームを、時に「マインドスポーツ」と呼んで区分する。「ストリートファイターV」の大会で対戦する人たち=2018年2月10日午後、千葉市の幕張メッセ(共同) ところが日本ではスポーツのことを「運動」と訳す。小学生の頃から「体育」の授業を受け、進学すると「運動部」や「体育会」で活動するように、「マインドスポーツ」の対義語ともいえる「フィジカルスポーツ」のみをスポーツと捉える傾向が強い。つまり、日本はそもそもスポーツの定義が他国とは異なる。この点もeスポーツを論じる上で踏まえておくべきことの一つである。 以上、eスポーツをめぐる歴史的・文化的背景を解説してきた。さて、そのeスポーツが五輪と接近していくきっかけをつくったのは中国である。儲かるのはあの中国巨大企業 アメリカ、韓国と比べると遅れたが、中国経済が成長し、インターネットなどの環境が整うと、eスポーツの愛好者が増えた。こうした流れに沿って、2008年の北京五輪では、eスポーツ大会「Digital Games」がウエルカム・イベントとして開催されることになった。この時はまだ公式種目ではないが、同大会は五輪ロゴの使用を認められたeスポーツ大会となった。 以後、中国でeスポーツの人気はさらに高まる。eスポーツと中国のゲーム文化や国民性は相性が良かったのだろう。だが、それ以上に経済的な後押しがあったことが、中国でeスポーツが発展した最大の原動力となった。平たく言えば、巨額なマネーが動き、eスポーツにかかわる人々が儲(もう)かる仕組みが中国ではあっという間にできたのである。 2011年、中国トップクラスの大富豪、ワンダグループ(万達集団)会長の王健林(ワン・チャンリン)の一人息子である王思聰(ワン・スーツォン)が、資産を投じてeスポーツチームを創設、運営した。すると、若き資産家たちはこれに憧れ、名誉と実利を求めてeスポーツチームをつくるようになった。日本で言えば、プロ野球球団のオーナーになるようなものだ。 チームに所属する選手たちは、賞金のほかに自分が着たユニホームやキーボードやマウス、オリジナルグッズを中国最大の通販サイト「淘宝網(タオバオ)」で販売すれば、多額の副収入を得ることができる。また、ゲーム実況者や解説者も中継番組の放映権販売やスポンサー収入で稼げる。このように中国では、eスポーツで儲かる仕組みがどの国よりも短時間、かつ高度なレベルで完成したのである。 その中国にあって、テンセント(騰訊)の動向は特に注目すべきである。テンセントは中国の巨大なIT企業で、その株式時価総額は世界の企業の中で5位である(2018年1月時点)。1位はアップル、2位はグーグルの持ち株会社アルファベット、3位はマイクロソフト、4位はアマゾン・ドット・コムに続く。昨年、6位のフェイスブックを抜いたことでも話題になった。ジャカルタ・アジア大会の「eスポーツ」でタイチームと対戦する中国選手=2-18年8月26日(共同) テンセントは自社でゲームを開発と販売を行うが、世界の名立たるゲーム企業を買収、または大型出資も行っている。近年、同社が行っている買収と大型出資案件は明らかにeスポーツの将来性を見越してのものと分析できる。 テンセントは2011年からライアットゲームズ社の筆頭株主になっている。同社は世界で最もプレーヤー数の多いコンピューターゲームで、eスポーツの種目となる『リーグ・オブ・レジェンド』を発売している。 さらにテンセントは2015年に同社の未保有株のすべて取得、完全子会社化した。2016年には同年世界で1番ヒットしたモバイルゲーム『クラッシュ・ロワイヤル』を運営するスーパーセル社の株式84・3%を86億ドルで取得。事実上、同社を傘下に収めた。IOCは五輪精神とカネを両立できるか そこで気になるのは8月18日からインドネシアの首都、ジャカルタで開催されている第18回アジア競技大会である。今大会ではeスポーツが公開競技として実施される。その競技種目は次の6タイトルである。『ウイニングイレブン 2018』(コナミ)『スタークラフトⅡ』(ブリザード・エンターテインメント)『リーグ・オブ・レジェンド』(ライアットゲームズ)『ハースストーン』(ブリザード・エンターテインメント)『クラッシュ・ロワイヤル』(スーパーセル)『アリーナ・オブ・ヴァラー』(テンセント) 6タイトル中、テンセントが直接リリースするタイトルが1タイトル、前述の傘下企業がリリースするタイトルが2タイトル、また、出資先でもあるブリザード・エンターテインメントのタイトルが2タイトル。6タイトル中5タイトルにテンセントが何らかの形で関与しているのである。つまり、今夏のアジア大会でのeスポーツは、テンセントによるテンセントのための競技といえなくもない。中国・北京で開かれたイベントで設置されたテンセントのブース=2017年4月(ロイター=共同) 今回のアジア競技大会では何の議論も起きずに前述6タイトルが決定されたが、仮に五輪でeスポーツが正式種目になるならば、競技に用いるゲームは厳正に選ぶべきだ。五輪憲章「IOCの使命と役割」の項には次の一文がある。 「スポーツと選手を政治的あるいは商業的に悪用することに反対する」 まとめていくと、日本は「eスポーツ発展途上国」「他の国と比べて遅れている」と言われることがあるが、eスポーツの普及に早い、遅いという価値観はそぐわない。もちろん、eスポーツが栄えていることは、良いことでも悪いことでもない。国によってゲームの歴史と文化は異なり、スポーツの定義も違うのだ。双方の違いについて理解し、双方を認め合うことが真の国際人の態度である。 ゆえにeスポーツ推進派は五輪を錦の御旗にするだけではなく、日本特有の文化になじむようなロジックと手段を考えるべきだ。また懐疑派は「eスポーツはスポーツではない」と叫ぶだけでは世界では通用しないことを知るべきだろう。 なお、一部報道で「日本オリンピック委員会(JOC)はeスポーツをスポーツと認めていない」「アジア大会で派遣されるeスポーツ選手は日本代表選手ではないため開会式に参加できない」という趣旨が伝えられたが、これは誤解のようだ。 JOC広報・企画部長の柳谷直哉氏によれば、eスポーツの競技団体である日本eスポーツ連合から加盟申請を現時点で受けていない。また、過去に公開競技の選手団は開会式には参加しないのが通例とのことだった。(一部敬称略)

  • Thumbnail

    記事

    「ゲームがスポーツ?」小生もまた、首をかしげる一人である

    玉木正之(スポーツ文化評論家) eスポーツ(コンピューターゲーム)は紛れもないスポーツであり、五輪の正式競技となっても不思議ではない。しかし…。 2020年の東京五輪・パラリンピックの開催がいよいよ2年後に迫り、競技場の建設工事が急ピッチで進んでいる。真夏開催による酷暑と熱中症の問題や、都心の鉄道・クルマの混雑問題など未解決の諸問題もあり、あと2年間のうちにどのような解決策が具体化されるのか、少々心配ではある。 が、一方で、五輪に関する話題で、少々首をかしげたくなる事態も進行している。 それは東京大会でのことではない。6年後のパリ大会から、新しい競技が正式競技として採用されそうなのだが、それが「eスポーツ」だというので、正直言って驚いている。 「eスポーツ」とは、「エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)」のことで、つまり「電子工学(エレクトロニクス)」を用いたスポーツのこと。早い話が、コンピューターゲームのことなのだ。 この情報を既にご存じの方でも、「あのオタクたちのゲームが、五輪の正式競技になるとはねえ」と首をひねる人が少なくないと聞く。初めて耳にした人は、「えっ!?モニター画面を見ながら、コントローラーをカチャカチャ動かすゲームが、五輪競技に!?」と仰天するのではないだろうか?  「ゲームがスポーツ?」と首をひねる人たちは、身体を(指先しか)動かさず、椅子に座ってモニター画面の映像を見続けるコンピューターゲームなど、不健康の極みであり、到底「スポーツ」とは呼べない、と考えているに違いない。対戦型などのゲームでプレーヤーが腕を競う「eスポーツ」、格闘ゲーム「ストリートファイター5(スト5)」のエキシビションマッチ技=21日午後、千葉・幕張メッセ(宮川浩和撮影) しかし今やeスポーツは、全世界的にプロの競技者(ゲーマー)が存在し、賞金総額が20億円を超す超ビッグな大会も催され、億単位の年収を稼ぐ競技者も出現しているという。 また、欧米の「SPORTS」の感覚で「スポーツ」の概念を考えた場合、コンピューターゲームは決して一概に「スポーツではない」などと斬り捨てることができないのも事実なのだ。 2020年には、東京大会だけで実施される正式競技として、サーフィン、スポーツクライミング、野球・ソフトボール、空手、スケートボードの5種類が選ばれた。 が、立候補した競技の中には、チェスやコントラクトブリッジ(トランプを使って4人でテーブルを囲んで行うゲーム)などもあり、残念ながら落選したとはいえ、それらのゲームも正式なスポーツと認められ、選考の対象になったのだ。 またアジア競技大会では、チェス、ビリヤード、競技ダンス(社交ダンス)のほか、囲碁や中国象棋(シャンチー)が正式競技として実施されたこともあった。もちろん、それらはすべて「SPORTS」なのだ。 「SPORTS」とは、もともとラテン語の「DEPORTARE(デポルターレ)」から生まれた言葉で、「日常生活(労働や仕事)から離れた遊びや祭りの時空間」という意味だ。「ゲームがスポーツ」理屈は分かるが納得できない だから今でも英和辞典でsportという言葉を引けば、「スポーツ、運動、競技、体育」といった訳語のほかに、「娯楽、遊び、遊技、冗談、おふざけ」といった言葉も書かれている。 つまり、労働や仕事など日常行う生産性を伴う作業以外の「非生産的行為」は、すべて「SPORTS」というわけなのだ。 だから椅子に座りっぱなしで、モニター画面で動くアニメーションを見つめ続け、コントローラーのキーをカチャカチャと押し続けることも、立派なスポーツというほかないのだ(逆に男女の交わりは、基本的に人間の動物的本能に根差した生産的行為であるので、「SPORTS」とは呼べないのだ)。 いや、そんな書き方は、eスポーツに取り組んでいる競技者に極めて失礼な表現といえるかもしれない。 なにしろ彼らは、インターネットで結ばれた相手と延々と数時間もかけて対戦し、雌雄を決する勝負に挑んでいるのだ。そのため一流の競技者は、常日頃からランニングでスタミナをつけ、腕や指先に疲れが生じないよう筋力トレーニングにも励んでいるという。決してソファに寝転んでポテトチップスをつまみながらできる競技ではない(らしい)のだ。 eスポーツには、2対2で闘うダブルスや、チームで争う団体競技もあるという。そして一流のプロたちが集うレベルの高い(賞金の高い)世界大会には、数万人もの観客が押し寄せ、会場の各所に設置された大型スクリーンで競技者の動かす画像(アニメーション)を見つめ、会場は大歓声や大拍手に包まれるらしい(すいません。筆者はまだeスポーツの現場に足を運んだことがなく、その興奮の実態を知らないのです)。 今年、日本のスポーツ界には大きな改革的出来事があった。まず「日本体育協会」が「日本スポーツ協会」と改称。2年後の東京五輪をきっかけに「国民体育大会」は「国民スポーツ大会」に、「体育の日」は「スポーツの日」に変わることも決まった。 スポーツとは、体育だけでなく知育も徳育も含まれる文化であり、体育にとどまらないさらに大きな意味を持つ概念なのだ。だから、このような言葉の変更には基本的には大賛成である。 しかし、eスポーツが五輪の正式競技に…と聞くと、小生はやはり首をかしげてしまう。「スポーツの本義に照らせば、明らかにスポーツの一種である」と認めるのはやぶさかではないのだが、何やら賛成しかねる意識が働く。「eスポーツ」でアジア大会の予選に出場した日本代表選手=2018年5月、東京都内(ゲッティ=共同) eスポーツを五輪の正式競技にしようとする背景には、巨額のカネを動かす世界のゲームメーカーの強大な圧力がある、という人もいるが、陸上、水泳、サッカー、球、ボクシング、柔道等々、今や巨額のカネの動かない世界的スポーツなど存在しない。ならば、巨大な産業資本がバックにあるからといって、eスポーツを排除する理由にはならい。 そこまで分かっていても、小生はeスポーツが五輪の正式競技になることに、納得がいきかねる。 それは小生が、時代遅れの古臭い年寄りになってしまっただけのことなのか。

  • Thumbnail

    記事

    「ゲームオタクが輝ける場所を」eスポーツは彼らヒーローに変える

    ることも検討されました。さらに2024年のパリ五輪では、eスポーツが正式種目になる可能性があり、国際オリンピック委員会(IOC)では本格的な議論が始まっています。eスポーツ五輪種目化は当然の流れ eスポーツが五輪の種目、というと違和感がある方もいらっしゃると思います。しかし五輪の歴史をひも解くと、かつて五輪は開催すると大赤字になるため、各国が押し付け合うような状況でした。この状況から脱するため、1984年のロサンゼルス五輪で大々的なスポンサー制度を導入したことにより黒字に転換し、それ以降、誘致合戦が活発に行われるようになりました。いわゆるスポーツビジネスがそこから発生し、拡大していったのです。 現在のIOCには、インテルやアリババなどeスポーツと関係の深い企業がスポンサーとして入っています。こうしたビジネスの面や若者からの支持が圧倒的にあることを考えれば、eスポーツが種目化するという動きは至極当然のことだと思います。 日本におけるeスポーツは「世界から7年遅れている」と私は考えています。欧米や中国、韓国とは大会の規模、社会での認知などに大きな差がありますが、2、3年で追いつきたいと考えながら活動しています。 私はかつて、ゲーム制作の仕事に携わっていた時期がありました。当時、頭の中にあったのは面白いゲームソフトを作り、それが売れるかどうかだけで、その先のことは考えていませんでした。しかし、スポーツ(競技)として真剣にゲームを楽しんでいる人たちと関わる中で、日本では彼らへの評価が不当に低いことに気づきました。 小学生の頃は、ゲームがうまい人はみんなヒーローです。それが中学、高校と続けて技術を高め、ゲームの大会で活躍しても、いつの間にか「オタク」呼ばわりされ、後ろ指を指されてしまいます。 野球が得意な人がプロ野球選手になり、サッカーがうまい人がプロのサッカー選手になるのと何も変わらないはずです。彼らは「野球オタク」であり「サッカーオタク」であるはずなのに、ゲームに情熱を傾けて懸命に取り組んでいる若者だけが、不当に扱われるのはおかしいと思います。彼らが輝ける場所を作らなければいけない。その思いが、私がeスポーツを日本で発展させたいと考える最大の理由です。「eスポーツ」と五輪をテーマにした公開討論会に臨むIOCのバッハ会長=2018年7月22日、スイス・ローザンヌ(IOC提供・共同) 読者の皆さんは、ゲームにあまりいいイメージを持っていないかもしれません。しかし、自分の能力を最大限に発揮して競い合い、勝負がついた後は相手をたたえる。そこには、とてもすがすがしいスポーツマンシップがあります。eスポーツに夢中になって、それを突き詰めようとする人たちを、ぜひ偏見のない目で見ていただきたいと思います。

  • Thumbnail

    記事

    eスポーツは五輪の「壊し屋」か、「カネのなる木」か

    春日良一(スポーツコンサルタント) オリンピック競技大会は創設以来成長し続けてきた。1896年に開催された第1回のアテネ五輪、競技種目数は9競技42種目に過ぎなかった。それから120年後の第31回リオデジャネイロ五輪では、28競技306種目に増えている。 この「巨大化」の流れについて、主催者である国際オリンピック委員会(IOC)も危機を感じていた。1992年のバルセロナ五輪の後、時のIOC会長、アントニオ・サマランチは「今後の大会では選手上限を1万人とする」と宣言した。しかし、現実にはその後も1万人に収まることはなく、リオでは1万1237人に膨れ上がった。 そして、2013年9月にIOC会長に就任したトマス・バッハは、打開策として中長期指針「アジェンダ2020」を発表した。これは巨大化による大会開催経費の増大問題や、それに伴う開催立候補都市の減少を意識したものであり、招致段階からの経費削減を図る姿勢も示されている。そして、夏季五輪については、選手1万500人、役員5千人、そして種目数310を上限とする指針を定めた。 しかし、2年後の東京五輪では、上限を超える33競技339種目が決定している。参加選手も、上限の1万500人を超えることも間違いないだろう。 理想と現実は違うと言ってしまえばそれまでだが、なぜこのような現象が起こるのか。実は、この現象に、現在IOCで検討されているeスポーツの五輪競技化の鍵が隠されている。国際オリンピック委員会の第7代会長、アントニオ・サマランチ=2000年9月撮影 その一つに、1984年のロサンゼルス五輪がある。76年のモントリオール五輪は、閉幕後、市民がその負債を何年も背負わなければならない事態に追い込まれ、それ以降の大会運営の見通しは決して楽観できるものではなかった。だが、ロサンゼルス五輪の組織委員会は、米政府や都市の援助を一切受けずに、五輪を黒字に導くという離れ業をやってみせた。 黒字の立役者として、組織委会長で実業家のピーター・ユベロスの功績がたたえられているが、実は、その裏にサマランチの手腕があった。それまで商業的利用を一切禁じてきたオリンピックシンボル、あの青・黄・黒・緑・赤の五輪マークを商業利用することに踏み切ったのである。求められ始めた「二兎」 それは五輪の理念である「スポーツで平和な世界を構築する」、いわば平和運動を支えるための資金を自らの努力で得ていくことを表明した瞬間であった。サマランチの決断によって、五輪は今後も開催される「持続可能性」を広げたのである。 五輪の「持続可能性」を支える商業利用は「オリンピックマーケティング」と呼ばれている。トップスポンサーと呼ばれる企業が巨額な資金を投じ、自社製品を五輪のポジティブなイメージで売り出し、世界展開させることに成功したのが良い例である。 さらにテレビ放映権や入場券収入なども取り込むことで、オリンピックマーケティングが進化していく。その過程で、人気のある競技の採用も求められるようになる。 「サマランチベビー」と呼ばれるトライアスロンやビーチバレーなどはこうして五輪種目に追加されてきたのである。その一方で、サマランチによる「選手1万人宣言」は、結果的に実現が遠のくことになった。W杯ボルダリング第5戦 準決勝に進んだ野口啓代=2018年6月 アジェンダ2020を提言したバッハが会長に選ばれた五輪総会で、折しも東京開催が決定したが、東京五輪でも追加種目が認められた。若者たちをターゲットとした種目が求められ、五輪の肥大化を回避することはできなかった。なぜなら、東京大会から採用されたスケートボードやスポーツクライミングは、アジェンダ2020が求める「五輪の持続可能性」にとって欠かせない種目でもあったからだ。 要は、五輪の「持続可能性」を考えた場合、資金調達とともに次世代である若者の参画が重要になるということだ。参画にはアスリートとしての参加はもちろん、観客としての応援も含まれる。そのためには、若者が関心を寄せやすい新たな競技が求められる。 資金調達と若者の参画、この二つを同時に解決することができる競技はないか。そこで浮かび上がってきたのが「eスポーツ」なのである。IOCに渦巻く賛否両論 eスポーツの定義を簡単に言えば、対戦型コンピューターゲームだ。 インドネシアで行われている第18回アジア競技大会では、公開競技としてeスポーツが実施され、日本からも代表が参加している。IOCでは、このeスポーツを五輪競技として正式採用するかどうかの議論を始めており、あるIOC幹部の話によると、現在、賛成と反対が半々ぐらいだという。 賛成派は、オリンピックマーケティングの観点から、すでに世界で1億人以上の「競技人口」を持ち、コンピューターゲームを開発する大企業がスポンサーで大会賞金額が100億円を超えるeスポーツは、非常に価値が高いと見る。 一方、反対派の意見はこうだ。五輪の理念で、アスリートは心と体のバランスを考えた向上を目指すことを推奨しており、この考えの根本には、スポーツは身体活動を伴うものであることが前提とされている。五輪を支えるのは自らの肉体を通じて、その限界に挑むアスリートである。そこには、五輪の原点、古代ギリシャのヘレニズム時代にあった「人間賛歌」の思想が隠されている。 つまり、自らの肉体を努力によって最善の状態に導くことが求められるため、十全とした身体活動を伴わないeスポーツはそもそも五輪の理念と矛盾するのではないか、という意見だ。 さらに、五輪を支える哲学であるオリンピズムは、「人間の尊厳の保持に重きを置き、平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」ことをゴールとしている。コンピューターゲームの多くは相手を征服するゲームであり、戦争型のものが多い。これは五輪の平和運動と相いれない。アジア大会で公開競技となるeスポーツの選手を育成する大阪市内の通信制高校=2018年8月(前川純一郎撮影) だが、五輪競技に参入していないものの、チェスの国際競技連盟は古くからIOCの承認団体であったし、中華全国体育総会は「(中国)将棋」を、陸上や水泳と同等の競技団体に当初から加えている。筆者はかつて、そのことを直接中国にただしたことがあるが、彼らの答えは「チェスや将棋は頭という身体活動を使うから」という、いたってシンプルなものだった。この理屈から考えれば、指も頭も使うeスポーツを加えてもおかしくはない。五輪参入の可能性は? そもそも日中韓が加盟するアジア・オリンピック評議会(OCA)が主催するアジア競技大会は、アジア特有の伝統スポーツにも門戸を広げることをよしとしてきた。実際、1994年の広島アジア大会では「足のバレー」セパタクローや「インドの国技」カバディが新たに実施された。 五輪でも、かつての実施競技で、綱引きがあったことはよく知られている。今やすっかりおなじみとなったスノーボードが長野冬季五輪から競技に入ったときにも、日本では驚いた人が多かったのではないだろうか。東京五輪ではサーフィンも登場する。 過去を振り返れば、第1回のアテネ五輪では、女性アスリートは参加できなかった。今、アジェンダ2020では、男女の参加人数が「平等」になることを目指している。また、五輪はアマチュアのアスリート以外は参加できなかったが、至高のスポーツ大会を目指し、プロの参加も当たり前になった。 このように五輪史を見れば、コンピューターゲームの進化と生活様式の変貌により、eスポーツを五輪競技とすることを普通に受け入れる日が来ないとは言い切れない。だが、五輪の原点が、あくまでも人間の身体を基礎としていることは忘れてはならないのではないか。 身体を鍛え、「より速く!より高く!より強く!」(「オリンピックモットー」)を求める努力の中で、人間は自らの限界とそれを超える力を学ぶのである。身体活動を理想的な状況に持っていくための日々の努力がその人の心を育て、そして競技を通じて、闘う相手を敬うことを「身体的に」学び、そこから国を超え、人種を越え、政治を超えた人と人の和が生まれる。これこそがスポーツに与えられた特権である。 だから、筆者はeスポーツに同じ経験を求めるのは難しいのではないかと考えている。だが、あえて五輪参入の可能性を探るなら、「スポーツでの平和構築」という五輪の理念を体現することが必要だろう。具体的には、バトルゲームからの転換を果たすことであり、さらに、リアルなスポーツが生み出す経験を疑似的に提供できればいいのかもしれない。アジアで初めてIOC委員に就任した嘉納治五郎 もし、参入が実現すれば、デジタル化時代における五輪競技「eスポーツ」が新たなスポーツの形と可能性を示すことができるだろう。五輪とパラリンピックが共存しているように、eスポーツもリアルスポーツとの共存が、大きな一歩につながるはずである。 日本の五輪運動の創始者、嘉納治五郎が唱えた理念「精力善用」と「自他共栄」は、柔道という身体活動から生まれた。全力で社会のために尽くし、相手への尊敬と感謝の念を忘れず自他共に栄える世の中にする努力を積み重ねることの大切さを示したものだ。 この哲学が、今回のeスポーツ五輪参入問題を解決するヒントになるのではないか。五輪の本質が問われている今こそ、嘉納の理念を生かすことが求められる。(文中敬称略)

  • Thumbnail

    テーマ

    なぜ今、サマータイム導入なのか

    最高気温が40度を超えても、さほど驚かなくなったのは気のせいか。こんな猛暑の国で2年後には真夏の五輪が開催される。さすがの政府も、サマータイムの導入を本気で検討し始めたようだが、国民生活への影響が極めて大きいこの議論を拙速に進めてホントに大丈夫か?

  • Thumbnail

    記事

    サマータイムが「東京五輪のレガシー」とは安易すぎやしないか

    れぞれ、午後4時、午後1時、午後9時となる。どちらがよいかは、各地の視聴率にもよりけりであるが、国際オリンピック委員会(IOC)が午前7時に決めたのは、その要素を勘案した上でのことだと思う。2018年8月、猛暑の中、皇居(こうきょ)の近くを走るランナー。政府などが暑さ対策でサマータイムを話し合っている 1984年のロサンゼルス五輪から、商業主義を五輪に取り入れたため、今では五輪収入の半分を放映権に依存するようになっている。極論すれば、競技日程もテレビ局の都合次第ということになる。 森会長のサマータイム案だと、東京が午前5時になっても、ニューヨーク午後6時、ロサンゼルス午後3時、ロンドン午後11時は、そのままである。私の案では、さらに2時間の時差が生じてしまう。IOCとのトラブルを避けようとすれば、森案の方がよいことになる。ところで小池さんとの関係は? 7月27日、森会長は安倍首相を首相官邸に訪ね、「2020年に限ってでも良いのでサマータイムを導入する法改正を検討してほしい」と申し入れた。その後、8月7日に、森会長は遠藤利明組織委副会長、林芳正文部科学相、鈴木俊一五輪相らと官邸を再訪し、安倍首相に正式に申し入れを行った。これに対して、安倍首相は自民党内で検討するように指示したという。 申し入れの席で、森会長は「地球環境をどう維持するかという大きな見地に立ち、五輪を日本のレガシーとして使ってほしい」と述べたという。27日の提案以来、サマータイム反対論が続出したため、「五輪のレガシー」というロジックを使ったのであろうが、やはり「五輪の暑さ対策」のためという「にわか仕立て」の印象がぬぐえない。 「2020年限り」から一気に「レガシー」、つまり永続的にという飛躍には多くの国民がついていけないのではあるまいか。しかも、先述したように、欧州では廃止論が強まっているという報道が相次ぎ、サマータイム導入論は風向きが悪くなっている。 ところで、五輪反対派を説得するために、これまでさまざまな論理が使われてきた。1964年の東京五輪のように、戦後復興、経済成長をうたうのは、発展途上国で開催する場合の常套(じょうとう)手段であった。ところが、開催費用の高騰で先進国以外の開催が難しくなると、この論理は使えなくなる。そこで、2012年のロンドン五輪で「レガシー」というスローガンが導入されたのである。 私は、都知事のとき、海外で「1964年は新幹線を残した。2020年は何をレガシーとして残すのか」という質問をよくされたが、私は「水素社会」だと答えていた。しかし、電気自動車が主流になり、水素自動車の普及が遅れている今日、この答えのままでよいのかと自問している。 このように、「レガシー」という言葉で五輪の目的を定めるのは、実は難しいのである。新幹線や首都高速道路といったハードの公共財については分かりやすいが、サマータイムをレガシーとするという考え方は安易にすぎる。2018年7月、東京五輪・パラリンピックのマスコットデビューイベントに出席した森喜朗組織委会長(左)と小池百合子東京都知事(飯田英男撮影) また、8月7日の首相官邸での森・安倍会談をテレビニュースで見ていて、実は不思議に思ったことがある。それは、小池知事が同席していなかったことである。「五輪の暑さ対策」という重要な問題を首相と正式に議論するのに、開催都市である東京の知事が参加しないでよいのであろうか。 森・小池の関係が悪いのか、小池知事がサマータイムに反対なのか、理由は分からないが、サマータイムについて小池知事の考えが全く聞こえてこない。組織委と東京都がこのような関係で、果たして東京五輪は問題なく実行できるのであろうか。 私が都知事のときは、意見の相違があると、正面から森会長に直言した。森会長は「生意気な奴だ」と思ったであろうが、理のある意見はきちんと受け入れてくれた。 五輪も人間が運営するものである。2020年大会の成功のためにも、組織委と東京都、森会長と小池知事の意思疎通が円滑になることを期待している。

  • Thumbnail

    記事

    デメリットはあれど、サマータイムはやはり導入すべきである

    あえて断行するということにはなりにくいのだ。 そうした中で、最近の異常とも言える猛暑と2年後に迫ったオリンピックの開催がきっかけとなり、日本でサマータイムの問題が再度盛り上がっていることは興味深い。この論議の行方は分からないが、なぜ私がサマータイムに賛成の立場か、改めて整理してみよう。 私が初めてサマータイムを経験したのは、23歳の時、留学先の米国であった。その時の印象は、不思議な生活感覚であるということだ。朝から夕方6時ぐらいまで忙しく大学院生の課題をこなして、夕方になってもまだ日が高いところにある。それから9時近くまで明るい。友人とバーベキューパーティーをやったり、公園の中をゆっくり散歩したりした。なんだか1日が倍になったような得をした気分だった。 夏の日の出は早い。それに合わせて起きるように生活を変える。日の出とともに起きるような生活をすれば、明るい日差しの中で夕方の時間を有効に使えるし、それだけエネルギーの節約になると、その時に知った。確かに夕方以降の照明の電気コストが節約できるようだ。「これがサマータイムの時計よ」と子供が指差す1時間早い時計(右)と標準時の時計=2004年7月21日、札幌市 日本の猛暑への対応ということでは、サマータイムの制度は効果がない、という意見もある。朝早くから活動を開始するのはよいとして、夕方になってもまだ日が高く、冷房費がかさむのでは効果が少ないという意見だ。そのような面はあるかもしれない。ただ、サマータイムは7月と8月だけではない。米国のように3月の中旬から11月初旬までとするなら、期間全体としての省エネ効果は大きい。日本は先進国か、途上国か 日本が地球の環境問題にどのように取り組むのかという姿勢を明確にするためにも、サマータイムを導入することのメッセージは大きい。オリンピック開催のレガシーとすることができるのなら、それも好ましいことである。 サマータイムにすると、日が高い分だけかえってダラダラ長く働くことになる、という否定的な議論もある。しかし、働き方改革を真剣に実行しようとするなら、むしろサマータイムをうまく活用して、日の高いうちに仕事とは別の活動をするというライフスタイルを模索すべきではないだろうか。 ところで、世界の先進国のほとんどはサマータイムの制度を採用している。日本はその例外であると言ってもよい。他の国がやっているので日本も採用すべきであるというのは、必ずしも説得力のある意見ではない、と思われるかもしれない。 ただ具体的にみれば、メリットとデメリットが共存する中で、結果的に大半の先進国が採用しているということの事実は重い。多くの先進国が結果的にサマータイムを選択しているのには、それだけの理由があると考えるべきだ。 アジアではどの国もサマータイムを採用していない。だからアジアモンスーン気候の日本も採用する必要はない、という議論がある。でもサマータイムを採用していないのは、アフリカや南米など途上国や新興国も同じであり、採用するか否かの線引きは先進国か途上国かにあるようだ。 最近は、欧州などでもサマータイムをやめるべきだという意見もある。ただ、その議論を積極的にしているのはフィンランドなど北の国のようである。白夜があるような国ではそうした意見が出るのはもっともだが、これが先進国の主流の意見とも思えない。北欧デンマークの首都コペンハーゲンで、人魚姫の像を眺めて夏の一日を楽しむ観光客。EUではサマータイム廃止が検討される=2017年8月(共同) また、サマータイムに反対する意見の中には、電車の時刻表や情報システムのソフトウエアなどを毎年2回変えることのコスト負担が大きいというのがある。確かにそうしたコスト負担はあるだろう。ただ、欧米ではそうしたコストを取り込んでサマータイムの仕組みが回っている。 コンピューターの調整が難しいのでサマータイムの導入は難しいという議論を聞いていると、レジのシステムの対応が難しいので、1%ずつ小刻みに消費税を上げるのは難しいという議論を聞いているのと変わらない。もっと言えば、システムの都合に制度を合わせるような議論である。これは正しい議論ではない。あるべき制度をまず議論して、それに合わせたシステム設計を行うという考え方でなくてはいけない。

  • Thumbnail

    記事

    サマータイム導入「2019年問題」で日本は大パニック?

    加谷珪一(経済評論家) 猛暑の中での開催が確実視される東京五輪の暑さ対策として、サマータイム導入論が急浮上している。サマータイムは過去、何度も議論の対象となったものの、導入が見送られてきたという経緯がある。サマータイムの導入について議論することは大いに結構だが、五輪の暑さ対策として、拙速に導入するというのはあまりにもリスクが大きい。 このところ酷暑ともいえる状況が続き、各地で熱中症の被害が相次いでいる。こうした中、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長は安倍晋三首相と会談、暑さ対策としてサマータイムの導入を要請した。これを受けて政府・与党内ではサマータイム導入の是非について議論が行われている。 サマータイムは、日照時間が長い夏季に限定して標準時よりも時間を進める制度で、欧米では広く導入されている。朝の涼しい時間帯を有効活用できるほか、外が明るい時間帯に仕事を終えられるので、個人消費も活発になるといったメリットがある。 今回は、こうした全般的なメリットを考えてというよりも、猛暑対策として涼しい時間帯を活用したいという部分が大きいと考えられる。 夏の期間だけ1時間もしくは2時間、時間を早めれば、ある程度の暑さ対策になるのは間違いない。だが、五輪という一大イベントのためということであればなおさらだが、想定されるリスクの大きさを考えると導入は見送った方が賢明だろう。 サマータイム導入に伴う最大のリスクは情報システムのトラブルである。 あらゆる情報システムは、何らかの形で時間を認識して作業を行っている。コンピューターのプログラムというのはすべて時間をベースに動いていると思ってよい。2011年6月、東京電力福島第1原発事故をきっかけに、企業で導入されたサマータイムで午前8時前に出社する女性(鳥越瑞絵撮影) だが、どのような方法で時間を認識するかはシステムによって異なっている。システム内部に時計機能があって、そこで時間をカウントするものもあるし、衛星利用測位システム(GPS)を使って時間を取得するシステムもある。サマータイムを導入する場合には、ある期間だけその時間を早め、その後、元に戻すという作業が必要となるので、時間をシフトする機能を実装していないシステムの場合にはシステム改修が必要となる。 日本では過去、何度もサマータイムが議論されてきたので、情報システムの中には、サマータイムに対応できるよう時間をシフトする機能をあらかじめ組み込んでいるものもある。だがすべてのシステムがそうではないため、いざ導入ということになった場合には、あらゆるシステムを検証し、必要なものについては改修を実施しなければならない。貧弱なインフラもリスク 現代では、複数の情報システムが互いに連携して動作しているので、一つのシステムが時間認識で不具合を起こすと、連鎖的にその影響が広がる可能性がある。既存システムの維持・管理の業務や新規のシステム構築業務に加えて、全システムについて夏時間対応の検証や改修を実施するのは、コスト的にも人員的にもかなりの負担となるだろう。 今、筆者は情報システムと述べたが、業務用の情報システムだけが改修の対象となるわけではない。家庭用の録画装置やエアコン、自動車に搭載されている各種機器類など、身の回りにある、ありとあらゆる機器類について対応が必要となる可能性がある。 家庭用機器の場合、時間がずれても致命的な問題にはならないので、一部の製品については利用者に諦めてもらうという選択肢もあるかもしれない。だが、そうはいかない製品も数多くあることを考えると、このリストアップだけでも大変な作業量だ。 しかも2019年には、天皇陛下の譲位に伴う皇太子さまの即位による改元が予定されており、システム会社はこの対応に追われている。ただでさえ人手不足で苦慮しているところにサマータイムも入るということになると、システム業界は相当な混乱となるだろう。 それだけではない。万が一、情報システムに不具合が発生した場合、社会や経済に対する影響があまりにも大きいという現実を見過ごすわけにはいかない。 東京は各種のインフラが貧弱であり、五輪開催時に大量に押し寄せる観光客をスムーズにさばけるのか心配する声も多い。こうした中で、システムの不具合による鉄道や航空機のダイヤの乱れなどが発生すれば、それこそ目も当てられない状況となる。 大きなリスクを背負ったとしても、得られるメリットが極めて大きければ、取り組む価値があるという考え方もある。だが、サマータイムによって得られる効果が限定的であることは、多くの人が実感しているはずだ。 酷暑となる日は、夜半過ぎになっても気温は下がらず、かなりの高温状態で日の出を迎えることが多い。1時間から2時間、時計の針を進めたとしても、競技中の平均気温を大きく下げることは難しいだろう。皇室会議により、譲位と即位、改元の日程が決まったこの日、皇居周辺に集まった大勢の観光客=2017年12月1日 一部では今回の議論をきっかけに、本格的にサマータイムのメリットについて検討し、恒久的な制度として導入を検討すべきという意見も出ているようだ。だが、サマータイムについては欧米でも賛否両論があり、総合的なメリットとデメリットを検討するには、相応の時間が必要となる。 今回のサマータイム導入が東京五輪の暑さ対策として浮上してきたのであれば、あくまで論点は五輪に絞った方が、議論は混乱しない。五輪の暑さ対策に的を絞り、抱えるリスクの大きさと得られるメリットを比較した場合、得られる結論は、導入見送りということにならざるを得ないだろう。

  • Thumbnail

    記事

    サマータイム導入はやはりデメリットが大きい

    のであるが、政策を評価する上では、政策の目的と政策の手段とが整合的か否かが重要となる。 つまり、国際オリンピック委員会との間で日本時間の朝7時以前にはマラソン競技を開始してはならないという取り決めがあるのなら別であるが、種々の競技開始時刻が朝の早い時間に前倒しできるのであればそれで対応すればよいだけであろう。しかも、競技によっては開始時間が前倒しされることにより、サマータイムが導入されない場合に比してかえって暑い環境下で競技が行われることになることも見逃せない。 そもそも、東京五輪・パラリンピックは建前上は東京都が責任を持つべき大会であり、極端な話、残りの46道府県には全く関わりのない話である。にもかかわらず、サマータイムなどという全国を巻き込む、場合によっては東京五輪・パラリンピックまでの時限立法的なその場しのぎの対応を是認できる国民はどれだけいるだろうか。 また、就業時間終了後様々な余暇活動に時間を費やすことで消費を喚起すると見込むことはそれが実現すれば睡眠不足をもたらすことになるし、サマータイム開始時及び終了時に時計の針を進めたり遅くしたりすることで睡眠障害をもたらすなど、健康を害するリスクを考慮しなければならない。東京五輪ではマラソンや競歩の会場となる皇居外苑で、穴の開いたチューブから散水を行い、暑さ対策の実証実験が行われた=2018年8月13日、東京都千代田区(川口良介撮影) 実際、ロシアではサマータイム移行時に心筋梗塞患者が増加したため結局サマータイムを廃止したし、オーストラリアでは、サマータイム移行時に男性の自殺が増える傾向があることも指摘されている。つまり、サマータイムの実施により消費が喚起され経済効果が得られたところで医療費が嵩み、人命が失われることになれば、経済ばかりでなく社会的にもメリットがデメリットを上回るとは言い難いだろう。気になるご都合主義のエリート姿勢 サマータイム推進派は、サマータイムの導入が、東京五輪・パラリンピックの一部競技の成功を目的とする以外に、エネルギー節約・温室効果ガス削減、消費喚起、労働時間の短縮といった日本が抱える構造的な課題に対して、これまで論じてきた様々なデメリットを考慮したとしてもなお抜本的な解決策になり得るのだという客観的かつ説得力のある根拠を示せないのなら、東京五輪・パラリンピックを口実としたなし崩し的なサマータイム導入への国民的な合意を得るのは非常に困難であると自覚すべきだ。 以上のように、自民党での検討が予定されているサマータイムの導入がわれわれの生活に与えるメリット・デメリットについて、5つの論点を取り上げ検討したところ、メリットに比してデメリットの方が大きく、特に、システム修正にかかる企業負担や、システム修正に失敗した場合に起こり得る経済・社会の混乱が深刻なリスクを孕んでいるとの結論に達した。 サマータイム導入の目的が、オリンピックを成功させるためというだけの矮小化されたものではなく、日本人の働き方やライフスタイルを時計から解放するのが目的であるならば、夏に限らず一年中太陽のサイクルに合致するよう労働時間を柔軟に変更・調整できるような仕組みを各企業なり組織が採用しやすくなる法的枠組みを整備すればよいだけではないだろうか。プレミアムフライデーで百貨店を訪れた経団連の中西宏明会長(左から2人目)=2018年7月27日日、東京都中央区(大塚昌吾撮影) サマータイムの導入が労働効率を上げ残業時間を減らすとの期待は、2016年に政府が勤務時間を1時間程度前倒しして朝早くから働き夕方からは家族や友人との時間を大事にする「夏の生活スタイル変革」を目論んだものの残業時間が増えただけに終わった「ゆう活」の失敗、さらには消費喚起に関しては、政府や企業団体の大号令にもかかわらず所定の効果を上げておらず迷走を続けるプレミアムフライデーの失敗から教訓を得、学習した形跡が政治家や政府、経営トップ層に全く見られず、国民の事情を考慮することなく自分たちの都合だけを一方的に押し付ける日本のエリート層の姿勢が個人的にはとても気になっている。

  • Thumbnail

    記事

    桂米丸や杉下茂ら、70年前に体験したサマータイムへの反発

     93歳になった落語芸術協会の最高顧問、4代目・桂米丸師匠が、約70年前の“苦い記憶”を振り返る。「前にサマータイムが導入されたのは、ちょうど私が師匠・古今亭今輔の前名である桂米丸を襲名した頃でした。“社会全体が能率的になる”という話でしたが、寄席では厄介なことが起きましたよ。始まる時間を勘違いして1時間遅れで会場に来てしまうお客さんが、大勢いたんです。そうしたお客さんたちから、“もう終わっちまうのか”と不満をいわれ、閉口しましたよ」 大混乱を日本中に巻き起こすことになった原因は、1948年に導入されたサマータイム制度だった。「占領統治下にあった政府は当時の電力不足を緩和するため、GHQ経済科学局電力班の指示を受けるかたちで『夏時刻法』を制定した。4~9月までの間、時刻を1時間早めるという法律でした(1950年からは5~9月)。ところが実際に導入されると、国民からは不評ばかりで、結局、占領が終わる間際の1952年4月に、わずか4年で廃止に追い込まれました」(経済部記者) 1951年に政府が行なった〈サンマータイムに関する世論調査〉(※編集注・当時の表記ママ)によれば、「やめた方がよい」が53%と、「続けた方がよい」の30%を大きく上回っていた。だが、70年の時を経て、そんな「不人気政策」が甦ろうとしている。落語家の桂米丸=2017年9月9日(栗原智恵子撮影) その理由は2年後に迫った東京五輪の「暑さ対策」だ。午前7時スタートの男女マラソンでは、選手がゴールする9時過ぎには、気温35度前後に達する見込みだ。“死者が出るかも”といった懸念が百出したことを受け、森喜朗・五輪組織委員会会長が、導入を呼びかけた。「森会長が『時計の針を2時間進めればより涼しい時間帯にスタートできる』と導入を要請すると、安倍晋三首相は、『一つの解決策かもしれない』と応じて与党に検討を指示しました。推進派は、秋の臨時国会で関連法案を成立させ、2019年からの実施を目指している」(自民党関係者) あまりに大袈裟である。選手の暑さ対策が目的なら、競技ごとに開始時間を変更すればよいだけではないのか──。アスリートから見ても「効果なし」 かつての“サマータイム体験者”からは、今回の唐突な導入論への反発が相次いでいる。導入2年目の1949年に中日ドラゴンズに入団した元プロ野球選手の杉下茂氏(92)は、アスリートの立場から「サマータイムは暑さ対策にならない」と話す。「当時のプロ野球は、デーゲームしかありませんでした。試合開始は午後3時。とりわけ名古屋はやたら気温が高くて、とにかく暑かった記憶しかない。試合の時間が1時間や2時間ズレたところで、選手にとってあまり変わりはなかったですよ」 当然ながら、東京五輪ではマラソン以外に昼間、屋外で行なわれる競技も数多くある。杉下氏のようなアスリートの観点からの指摘が、政府・与党に届くことはあるのだろうか。 累計200万部超のベストセラー『思考の整理学』著者で、“知の巨人”とも呼ばれる御年94歳の英文学者・外山滋比古氏(お茶の水女子大学名誉教授)も憤りを隠さない。「70年前は、たしかに時計を1時間早めたぶんだけ、日が高い夕方に余暇時間ができました。でも結局は、多くの人が生活のリズムを崩すだけだった。私の周囲の人たちも、“いつもより早起きになる上に、夜もなかなか寝つけない”と睡眠不足に陥って、疲弊していたと記憶しています。杉下茂臨時投手コーチ=2017年2月、北谷公園野球場(撮影・塚本健一) そもそも北海道から沖縄まで南北3000kmに伸びる日本は、地域によって日照時間が全く違う。法律で一律に夏時間を導入して何かの効果を期待するなどナンセンスで、混乱を招くだけだったのです」 戦後の混乱期だけの話ではない。近年になって地域限定で実施されたサマータイム制度でも、弊害が明らかになっている。 2003年夏、始業時間を繰り上げることでサマータイムの実証実験を行なった滋賀県庁では、職員を対象にしたアンケートで、41%が「労働時間が増えた」と回答(回答数1231人)。北海道内で札幌商工会議所が主体となって役所や企業が参加した実証実験でも、従業員の27%が「労働時間が増えた」と答え、22.6%が「体調が悪くなった」という(同1万780人)。 こうした経緯は、日本版サマータイムがいかに“悪手”であるかを物語る。関連記事■ 高須院長 東京五輪に苦言「死者が出る。10月にずらすべき」■ サマータイム導入 家庭の16時台電力需要増え節電に逆効果■ 蓮舫氏も提案したサマータイム 本当に効果あるか試算■ 東京五輪の「暑すぎ問題」、危険なのは選手よりも「客と馬」■ 東京五輪マラソン暑さ対策に不安 完走さえ難しくなるかも

  • Thumbnail

    記事

    東京五輪の「暑すぎ問題」、危険なのは選手よりも「客と馬」

    録的猛暑で、2020年に迫る東京五輪の開催を危ぶむ声が高まり、海外メディアまでもが報じ始めた。 国際オリンピック委員会理事会で承認されたマラソンの日程案は、当初計画では女子(8月2日)・男子(同9日)ともに朝7時30分スタートとなっていたが、東京五輪組織委員会は暑さ対策のため、朝7時スタートに繰り上げた。併せて競歩、トライアスロン、ゴルフなども開始時間を前倒しすることとなった。 もっとも、競技中の選手に対する暑さ対策については、進められているほうかもしれない。だが、熱中症に詳しい桐蔭横浜大学大学院スポーツ科学研究科の星秋夫教授は「危険なのは選手よりもむしろ観客やボランティア」と話す。「競技の開催場所は屋外競技場が圧倒的に多い。観客は会場に入るため炎天下で列を作って待ち、屋根のない競技場で2~3時間観戦する。マラソンでも、沿道で場所取りのために数時間前から待ったうえで観戦する。 過去のデータから東京五輪での気温を予測すると36度前後と推測されます。そんな中で3~4時間も立ちっぱなしだと、熱中症を発症するリスクは非常に高い」(星教授) 暑いといわれた2008年の北京五輪でも最高気温は30度前後だった。36度が想定される東京五輪は史上最も過酷な大会になりうる。「競技開始時間の変更に加えて、暑さ対策として植樹して日陰を作ったり、アスファルトにクール舗装をしたり、ミストシャワーを設置したりすることが挙げられていますが、いずれも観客には関係ありません。かなりの人が熱中症で倒れ、運悪く亡くなられる方も出てくる可能性があります」(同前) 大会組織委の森喜朗会長は、日刊スポーツ(7月24日付)のインタビューで暑さ対策について「想像上ではなく今、現実にある。実際に試すため、生かさない手はない」「ある意味、五輪関係者にとってはチャンス」と猛暑が日本人選手に利するというポジティブすぎる考えを語った。 しかし、もはや日本の選手が勝てるかどうかの問題ではない。さらに猛暑五輪の被害を受けるのは人間だけではない。馬術競技には馬も“出場”する。※画像はイメージです(GettyImages) 7月24日に行なわれた世界遺産・闘鶏神社(和歌山県田辺市)の「田辺祭」では、神輿などを引く馬の4頭中1頭が熱中症をおこし、交代する一幕があった。 日本馬術連盟の広報担当者は「馬が暑さに強くないのは事実です。暑さよりも寒さに強い動物ですから」という。そこで、組織委員会に馬の暑さ対策について訊いた。「馬の暑さ対策はもちろん必要で、現在のところ早朝や夕方以降のスタートにすることが決まっています。あとは個別の会場で暑さ対策をすることになりますが、現在はまだ詰め切れていません」(戦略広報課) もし2020年も今年のような猛暑に襲われれば、選手だけでなく観客、ボランティア、そして馬もバタバタと倒れる──史上最悪の大会として語り継がれることになりかねない。関連記事■ 今年の猛暑は秋口までか、38℃以上は「獄暑」と呼ぶべき■ 2100年の天気予報 東京43.6度で沖縄は「避暑地」になる■ エアコン設定温度は27℃で結論? 一日中つけっぱなしが重要■ 小中学校エアコン設置で広がる「夏休み短縮」はアリかナシか■ 認知症の女性、暑さと寒さがわからず冷房設定を16℃に

  • Thumbnail

    記事

    「LGBTなんて言葉なくなればいい」元女子高生の僕が伝えたいこと

    杉山文野(フェンシング元女子日本代表) 「それはお前がいい男に抱かれたことがないからじゃねえか?」。僕が「本当は男なんです」とカミングアウトしたとき、フェンシングのコーチからこう言われました。 僕はLGBTの中の「T」、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)です。幼稚園のころから、自分は男だと思って男の子たちとサッカーをして遊んでいました。でも、小中高と女子校に入ることになり、周りには女の子しかいない状況に「なんだかおかしいぞ?」と自分の性別に対する違和感を意識するようになったんです。 昔からスポーツが好きでしたが、その中でフェンシングを続けるきっかけになったのも、ユニホームに男女の差がほとんどなかったからなんです。当時、剣道は女子だけ赤胴に白袴、テニスはスコートが主流でしたし、バレーボールもブルマー。男女の差がはっきりと出るユニホームを着るのが本当に嫌だったんです。 小学生のころは、男子相手でもテクニックで打ち負かしていました。でも中学校に上がるころになると、第2次性徴が始まり、一気に体格差が出てくるようになりました。こうなると、ついこの前まで簡単に勝てていた男子の体があっという間に大きくなって、力もスピードも勝てなくなりました。それに比べて、自分の体はどんなにトレーニングをしてもなかなか筋肉がつかない。さらに、生理が始まって体調の変化もあるし、「体の変化」で男女の差が出てくるのは、自分にとってとても悔しいと感じるようになりました。 フェンシングは一般的に貴族のスポーツのように言われますが、実際はボクシングと変わらないくらい泥臭いスポーツなんです。フェンシングだけではないと思いますが、フェンシング協会もクラブチームもかなり体育会系で、男尊女卑というか、男性優位な風潮が当時はありました。 例えば、合宿に行っても食事の準備や洗濯は女子がやって、男子の先輩は練習が終わればパチンコに行ってしまう、なんてこともありました。男子選手が筋トレで体力がもたなかったりすると、「お前オカマかよ!」とか、「情けねえな、女じゃあるまいし」とか、そういった発言が当たり前のようにありました。もっと言えば「お前は女なんだから」と、どうしても女性を見下すような雰囲気がありましたね。元フェンシング女子日本代表の杉山文野さん(撮影 iRONNA編集部、松田穣) でも、当時のフェンシング仲間はすごく楽しくて良い人たちばかりでした。ただ、良い人であることと、差別的な表現をしてしまうことは、まったく別軸にあったように思います。誰も悪気はなく、男尊女卑のような表現をするのが当たり前だったんです。当時はジェンダーやセクシュアリティに関する情報がほとんど出ていなかったからなんだと思います。 2004年にフェンシング日本代表入りを果たし、世界選手権に出場した1年後に引退するまで、自分はずっと「僕」だと思っているのに、「女子」の部に出ているのはなぜなんだろう、と葛藤を繰り返していました。別に悪いことをしているわけでも、ドーピングをしているわけでもないのに、常に罪悪感のようなものが自分に付きまとっていたんです。アスリートとしての道をこのまま進んでいれば、自分らしくなれないし、かといって男性ホルモンの投与や性別適合手術を受ければ、選手を続けることができない。当時はその二者択一しか選択肢がなかったんです。自分にもあった「男尊女卑」 今振り返れば、100%競技に集中しているつもりでも、それと同じぐらいのエネルギーを、性別違和の悩みに使っていたんじゃないかと思っています。白いTシャツ1枚じゃ胸が透けてしまうけれど、ブラジャーはつけたくなかったし、スポーツブラをつけていても違和感が常にありました。女性用の更衣室でシャワーを浴びるにも、他の人と一緒の時間に入らないようになんとか時間をずらしたり、練習後に男子選手が気持ちよさそうにTシャツを脱いで裸になってパタパタ仰いでいるのをうらやましく思ったり、ホントに些細なことなんですが、いつも性別違和と向き合っていました。 そんな現役時代でしたが、実は本当に身近な人にはカミングアウトをしていました。クラブチームの仲間は「文野は文野だよね」と受け入れてくれましたが、だからといって単純に心が晴れやかになるわけではありませんでした。 なぜなら、自分が本当は男で、これから男に移行していきたい、みたいな話をしているのに、女子選手に負けたりすると、僕の心の中にもある種の男尊女卑的な部分があって、「女子なんかに負けてしまって」と思ってしまうんです。かといって男子にはかなわない。だからフラストレーションはたまる一方でした。周りは自分を受け入れてくれたにもかかわらず、自分の方が逆に居場所がないように感じることがありましたね。 それでも、自分にとって師匠と呼べるような人にカミングアウトしたときは「何があっても俺がお前の師匠であることは変わりない」と言ってもらって、すごくありがたいと思いました。一方で、別の信頼していたコーチをはじめ、大半の人からは、冒頭の言葉のように「いい男に抱かれたことがないから、そんなこと言うんじゃねえか?」というような反応が多く、やっぱりスポーツ界でカミングアウトするのは難しいなと実感しました。フェンシング現役選手時代の杉山文野さん こんな自分の体験を踏まえても、いま現役選手がカミングアウトするのは難しいと思います。本当はカミングアウトしたからといって、解決するわけじゃないんですよね。カミングアウトすることで、逆に居場所がなくなってしまうこともあります。僕は引退したから言えますけど。 メダルをとった選手で、実はLGBTだという人を個人的に何人か知っていますが、「やっぱり言えないよね」と言っていました。なぜなら、特にメダルをとった選手は、家族にとっても自慢の息子や娘だし、地元やファンにとってもヒーローという期待が膨らむ中で、もしカミングアウトしてしまえば、それ自体が裏切り行為になってしまうのではないかと不安を抱えてしまうからです。 だから、カミングアウトするということは、本当の自分をオープンにすると同時に、「これまで黙っていたのは、みんなに嘘をついていた」と言うのと同じなんです。東京五輪はチャンス もちろん、わざと嘘をついているわけではないし、嘘をつかざるを得ない状況に追い込まれていた事情があるからなんですが、これは社会の責任だと僕は思っています。でも、はっきり社会の責任だと声を大にして言いづらいのも事実です。自分のせいだと、責任や罪悪感を強く感じてしまう状況でカミングアウトするのは、とてもハードルが高いんです。 その一方で、スポーツは社会を変える力があると信じていますし、2020年の東京五輪は大きなチャンスになり得ると思っています。リオ五輪の時には、パラリンピックと合わせて50人以上がカミングアウトしたり、試合後に公開プロポーズしたり、いろいろなことがありましたよね。なぜそういうことをするかというと、五輪という世界中から注目をされているときに発信しなければ、私たちの声を取り上げてもらえないからです。だから、タイミングを見計らって情報発信するんですよね。 東京五輪では、実は取り組みの一つとして、世界初のLGBTパレード「アジアンプライド」をやってみたいと思っています。「ワールドプライド」という世界規模のLGBTパレードは既にありますが、アジアという枠組みではやったことがないので、台湾や韓国など、アジア各国と連携してできればと考えています。「世界初のLGBTパレード『アジアンプライド』を実現したい」と語る杉山文野さん(撮影 iRONNA編集部、松田穣) また、2020年に向けてアライ(LGBTを理解し、支援する人)アスリートの人たちにも、表に出てもらいたいと考えています。現役選手がカミングアウトするのはまだまだ難しいけど、それを理解してくれる人、支援してくれる人を可視化することで、スポーツ界でも発言しやすい環境をつくっていくことから始めていけたらと思っています。 スポーツ選手って、子供たちの憧れの的じゃないですか。そういう人たちがカミングアウトできるようになったら、それは本当に大きな夢と希望になります。僕だって、会う人会う人に「元女子高生です」なんて言いたくないですから。でも、言わないと「いない人」になってしまいます。近い将来、LGBTなんて言葉がなくなればいい。そのために、今はまだ言わなきゃいけない時代なんです。(聞き手 iRONNA編集部、中田真弥)すぎやま・ふみの フェンシング元女子日本代表、株式会社ニューキャンバス代表。1981年、東京都生まれ。早稲田大大学院教育学研究科卒業。LGBT(性的少数者)の支援に取り組むNPO法人「東京レインボープライド」共同代表理事、NPO法人「ハートをつなごう学校」代表として、講演会やメディア出演など活動は多岐にわたる。日本初となる渋谷区・同性パートナーシップ証明書発行に携わり、渋谷区男女平等・多様性社会推進会議委員も務める。著書に『ダブルハッピネス』(講談社)。

  • Thumbnail

    記事

    東京五輪は「閉じた世界」LGBTの集大成となるか

    ナル」というネットワークも生まれることとなりました。「プライドハウス」設置への苦闘 そして同年、国際オリンピック委員会(IOC)がオリンピック憲章を改定し、「根本原則」第6項において「性別および性的指向」に関する差別禁止を表明したのも、これら一連のソチ冬季五輪期間に行われたさまざまな活動が大きな契機となってのことでした。 私が初めて「プライドハウス」と出会ったのは、2015年夏にカナダで開かれた「プライドハウス・インターナショナル」の会合でした。パンアメリカン大会(南北アメリカ大陸の各国が参加)に合わせ、トロントのLGBTセンター「The 519」が期間限定で「プライドハウス」となり、2016年のリオ五輪、2018年の平昌冬季五輪での設立を目指すチームも参加しました。 私が代表を務めるLGBTの支援団体「グッド・エイジング・エールズ」が、シェアハウス、カフェ、街のステーションなどの企画運営、職場づくりのカンファレンスやランニングイベントの開催をしていたこともあり、2020年の東京五輪に向け、日本での「プライドハウス」立ち上げを勧められました。 会合では、「プライドハウス」の過去の取り組みや課題、実施に至るまでのノウハウがシェアされると同時に、各国各地の地域性・独自性を活かしながら、いかに持続可能な取り組みとして、その都度、バトンを渡していくことができるかについて議論されました。 また、直近のリオ五輪、平昌五輪、そして2020年東京五輪での「プライドハウス」においては、施設としての大小や形にとらわれず、ホスピタリティ、情報発信、自由参加可能なスポーツ企画、教育プログラムという4つの機能の実現を目標にしたい、という緩やかな意志の共有もありました。 個人的には、ブラジルから参加したジェフ・ソウザさん、韓国から参加したキャンディー・ダリム・ユンさんとは意気投合し、「お互いのプライドハウス実現をサポートし合おう!」と誓い、トロント以降も連絡を取り合う仲となりました。昨年のリオデジャネイロ五輪で設置されたLGBTの拠点「プライドハウス」で写真に納まる松中権さん(右)(筆者提供) そして2016年夏、仕事の関係でリオに滞在していた私は、五輪開催に合わせてジェフさんたちが立ち上げた「プライドハウス」のオープニングイベントに参加しました。その際、ジェフさんから、国外に発信されるブラジルの陽気なプライドパレードのイメージとは裏腹に、国内でのLGBTなどへの政府や自治体や企業のスタンスは非常にドライだと聞きました。最終的にどこからもサポートを得られず、「プライドハウス」はトランスジェンダー女性のシェルターの一部を借りて実施するなど、苦労が多かったようです。東京五輪が集大成になる とはいえ、リオ五輪では「カミングアウトしたオリンピアンが過去最大数」「試合後に同性カップルのプロポーズ」など、明るいニュースが報道されました。ただ、現在も年間数百人のトランスジェンダー女性がヘイトクライムで殺害されているなど、ブラジルのLGBTの実情についてはほとんど語られることがなかったのも現実です。 こうした流れの中で開かれた平昌五輪は、キャンディーさんをはじめとする韓国チームが、五輪に向けて、いくつもの取り組みを実施してきました。あまり報道されていませんが、平昌五輪の倫理憲章に記された、LGBTなどのコミュニティーへの差別禁止条項の周知や、期間中の差別被害のモニタリング機能を果たすことを宣言したほか、具体的な被害状況を寄せられる通報フォームも立ち上げました。 また、「正しい表現や単語を使う」「存在を居ないことにしない」「HIV/AIDSの正確な情報を提供する」など、オリンピック史上初めて、LGBTなどに関するメディア向けの表現ガイドラインの提供も行っています。 その一方で、韓国ではキリスト教信者や保守層のLGBTなどに対する根強い抵抗によるコミュニティーとの衝突もあります。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が選挙前に「同性愛に反対」と発言したことへの抗議活動で逮捕者も出ており、国内で強力な支援体制を得ることができず、本格的な「プライドハウス」の設置には至りませんでした。左からプライドハウスインターナショナルのケフ・セネットさん、韓国プライドハウス担当のキャンディーさん、松中権さん(筆者提供) そして迎える2020年東京五輪はどうでしょうか。世界各国で相次ぐ同性婚の合法化の流れ、IOCによるトランスジェンダー選手の参加条件の明確化など、国内外を合わせてもLGBTなどに関する社会的関心が高まっており、集大成の時期になると言えるでしょう。 だからこそ、日本でも設立を目指す「プライドハウス」は、専門家や企業、自治体、教育機関、メディアなど、より多くの機関が関わっていくべきだと考えています。差別や偏見を具体的に取り除き、来場者に「安心」をいかに提供できるか。実際に起こっている被害をキャッチし、当事者を守り、いかに「救済」することができるか。そして、社会が性に関する多様性を受け止め、いかに多くの人が互いを「祝祭」し、リスペクトしあえる場を作りあげることができるかが重要です。 これらの役割を担える「プライドハウス」を模索しつつ、組織委員会と連携し当事者選手に向けた取り組みだけでなく、五輪後も形を変えて機能を継承していけるよう、みなさんとともに議論し、実現していきたいと考えています。 先日、東京都議会での一般質問を受けて、東京都としてオリンピック憲章の理念に基づく条例を制定する動きが出てきたというニュースが飛び込んできました。単なる理念条例にとどまることなく、LGBTなどに関する担当部署の設置を視野に入れ、2018年度内の成立を目指すようです。こうした2020年東京五輪に向けた動きを生かしていくことが、私たちの使命だと考えています。

  • Thumbnail

    記事

    「フェアな東京五輪」への道は甘くない

    鈴木知幸(国士舘大客員教授、元16年東京五輪招致推進担当課長) 「2017年版オリンピック憲章(JOC日本語版)」のオリンピズム根本原則には、「すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる」とうたわれている。この「いかなる種類の差別」とは「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由」と個別的に列挙されている。 この差別禁止事項は、2003年版の憲章まで「オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく…」とだけ書かれていて、個別事例は列記されていなかった。しかし、2004年版から「人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別」と、初めて4つの個別事例が書き込まれるようになった。 その後、2014年2月に、ソチで行われた冬季五輪の開会式において、前年成立したロシアの「反LGBT法(反同性愛法)」は人権侵害だとして反発した米、英、仏、独など欧米諸国の要人が開会式を欠席したことで世界が注目した。だが、日本の安倍晋三首相はプーチン大統領に配慮して出席しており、日本は人権問題への意識が低いのではないかとの批判もあった。2014年2月、ソチ冬季五輪の開会式に出席した安倍晋三首相(中央、代表撮影) これを機に、2014年12月の国際オリンピック委員会(IOC)総会において、事前にIOCが提言していた「オリンピック・アジェンダ2020」を踏まえて、憲章の「いかなる種類の差別」の中に、「性的指向(Sexual Orientation)」が書き加えられたのである。その憲章改正を受けて、2020年の東京五輪・パラリンピックの大会基本計画にも多様性を認め合う対象として、性的指向が明記されている。 したがって、東京都がダイバーシティ(多様性)を表明しているなら、東京五輪の開閉会式で、ロンドン五輪と同じくLGBTなどの性的少数者の権利をテーマの一つに加え、日本も積極的に取り組んでいることを世界にアピールしてほしいと願う関係者は多いはずである。その上で、このテーマを具現化するためには、大会中ではカミングアウトした人々だけでなく、すべての参加者が、相互理解のもと安心して使用できる更衣室、トイレ、宿泊機能などの整備を推進するとともに、それを保証する法整備や制度設計を整えることは言うまでもない。パラリンピックで浮上する異論 もちろん、大会開催中に該当者の利便性を確保するだけで終わってはならない。大会後に日本国民がLGBTの権利を理解し支持するようダイバーシティへの啓発を進めて、社会的レガシーにしていくことこそが、五輪開催の意義の一つとして評価されることになるだろう。2017年7月、LGBT自治体議員連盟を発足させた東京都豊島区の石川大我区議(左端)ら地方議員 憲章における「差別禁止」は、五輪の大会運営全般に差別があってはならないという趣旨だ。さらに、前述した「フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる」とは、競技者同士が公平性について相互理解することが、スポーツのフェアプレーであると解することができる。 IOCと国際競技団体(IF)は、五輪競技者の公平な参加条件を定めるために、さまざまなアンチ・フェアネスと戦ってきた歴史・経緯がある。特に、アンチ・ドーピングは五輪の公平性を守る戦いそのものだと言っても過言ではない。 もともと、ドーピングは競技者の健康・生命を守ることで取り締まりを始めたが、すぐに健康を害しないドーピングが現れた。現在は、薬物などによる競技能力の操作は、インテグリティ(高潔性、正義)に反するとして厳格に対処しているところである。しかし、すでにゲノム編集による遺伝子ドーピングなど、先天的に優位性を操作できる懸念にまで及んでおり、ドーピングのアンフェア排除の限界説までささやかれ始めている。 また、両足義足のパラリンピック選手が五輪種目に出場を希望したときには、義足の反発力が走力を高めているとして出場が拒否された問題も公平性が争点になり、現在も続いている。なお、パラリンピックは、国際パラリンピック委員会(IPC)が、競技の価値として「公平(Equality)」を挙げており、「多様性を認め、創意工夫をすれば誰もが同じスタートラインに立てる」とアピールしている。その公平性の確保のためにIPCは、パラリンピック競技を身体機能別に細かく区分し、種目数(メダル数)を大幅に増やす創意工夫をしている。例えば、東京パラリンピックでは22競技537種目まで区分されているのである。 したがって、身体機能の区分に異論を訴えられた事例はあるが、男女の所属判定に翻弄されたケースは、まだ表面化していない。ただ、近年のパラリンピックは競技レベルが向上し、メダル合戦も熾烈(しれつ)になりつつあり、いずれ五輪のような男女区分にも異論が出てくることは否めない。メダル争奪戦の弊害 一方、五輪競技は、男性と女性(混合は男女一緒という意味)の区分しかできず、東京五輪の場合は、33競技を男子、女子、混合の339種目に区分してメダルを設定している。このため、競技性の公平性を厳密に確保しようとすれば、男女の区分へ異論が集中することは必然である。 現在の五輪は、近代オリンピック創設者のクーベルタン男爵が「オリンピックは参加することに意義がある」と言っていた時代ではない。賛否は別にして、1分1秒を厳しく争う国家ぐるみのメダル争奪戦になっており、競技者はメダル獲得によって人生が激変する時代である。だからこそ、勝つためにはどのような不公平も許せないことは競技者共通の思いであり、IOCも公平性確保を厳格化しているのである。皮肉にも、健常者がパラリンピック選手と同様のハンディを設定すれば、パラリンピックに出場できるのかという反論もあり、これではパラリンピック大会の存在意義さえ問われかねない。 その他には、競技ルールの変更や競技器具の開発制限、イスラム教下での女性スポーツ制限など、競技の公平性にかかわる問題は枚挙にいとまがない。したがって、あらゆるスポーツ競技者が、相互理解を踏まえて公平な条件でスタートラインに着くということは、そう簡単なことではないのである。2016年8月、リオデジャネイロ五輪の陸上女子800メートルで優勝した南アフリカのキャスター・セメンヤ(中央、桐山弘太撮影) 憲章で差別が禁止されている性的指向の中で、スポーツ競技力に大きな影響を及ぼすのは、LGBTのトランスジェンダーと、両性具有者である。 特に、生物学的な男女の運動能力的な差異は、陸上競技の短中距離や投擲(とうてき)競技のように、走力、重量対応力、瞬発力などによるパフォーマンス差に大きく表れる。その影響は男性ホルモン量に最も起因するといわれている。そのため、サッカーのようなチーム競技やスキルが中心の競技ではなく、個人の身体能力をシンプルに競い合う陸上競技などの成績において顕著に表れるのである。とりわけ、競技力の公平性の議論に一石を投じたのが、両性具有と診断された陸上中距離のキャスター・セメンヤ選手(南アフリカ)である。セメンヤ選手に対しては、さまざまな擁護と反発の見解がある。 擁護する見解には、オリンピズムにおいて最も守らなければならない根本原則は「スポーツをすることは人権の一つ」であり、先天的な有意差をとがめてホルモン調整を強要したり、競技条件を厳しくして排除することは、人権無視も甚だしいという理由による意見が多い。「旧優生保護法」への懸念 一方、現に五輪競技が男性種目と女性種目に区分されていることは、競技能力を区別することであって差別ではない。したがって、公平な条件でスタートラインに立つことを保証するために、ホルモン調整などさまざまなコントロールを参加条件にすべきである。それを怠れば明らかに逆差別となり、新たな不公平を生むという見解である。その懸念が表れたのが、リオデジャネイロ五輪で、セメンヤ選手が女子800メートル走で驚異的な記録で優勝したときである。その時に2位以下の選手から異論が噴出したことは察するに余りある。 もちろん、IOC、国際陸上競技連盟(IAAF)、スポーツ仲裁裁判所(CAS)とも静観したり、手をこまねいていたわけではない。苦慮したうえでそれぞれの判断を下しているのである。特にIOCは、現在のところ、男性選手が女性選手として出場する場合には、性別適合手術を受けていなくても、性自認が女性であることを宣言して4年間変更しないこと、および、テストステロン値(男性ホルモンの一種)が、過去12カ月の間一定レベルを下回っていることを証明することとしている。しかし、この現行案でも、すべての参加者に相互理解が及ぶことは程遠く、不可能に近い。 だからこそ、東京五輪におけるLGBT対応は、大会中にすべての人々が快適に五輪を享受できるよう、行動や生活などすべてのバリアフリーを徹底することが前提となる。実際に、東京都はLGBTを担当する部署の立ち上げをようやく表明した。4月から担当課長を置いて、五輪憲章の理念に沿った条例の制定を目指すという。また、大会組織委員会も十分な対策を検討しているところである。2017年10月、東京五輪の開幕まで1000日となり、カウントダウンボードをお披露目。小池百合子東京都知事(後列左から3人目)もイベントに参加した その上で日本が、世界に向けてさまざまな人権問題に取り組み、その制度設計や法改正を進めていくというメッセージを発信する必要がある。ただその際に、個人的に懸念しているのが「旧優生保護法」への対策である。日本では現在、旧優生保護法に基づき不妊手術を受けた被害者に対する救済処置を巡って議論が続いている。もし、この現状を放置したまま、東京五輪でLGBTの積極的な救済を訴えても、国民も世界からも懐疑的に見られる懸念を拭い去れない。 何より、大会後の継続が最も重要であり、日本国民が2年後の東京五輪におけるLGBT対応への理解を通じて、ダイバーシティ社会の構築が加速され、未来に向けた社会的レガシーになっていくことを期待したい。その一方で、五輪の持続可能性には、スポーツ競技の公平性を絶対的価値として維持していくことが重要であることも共有すべきである。 憲章を通じて、いかなる差別も廃止する根本原則と、スポーツの本質である競技の公平性には、どうしても二律背反に陥るところが生じてくる。IOCはその現実を認めつつも、個人の尊厳と競技の公平性を両立していく議論を続けてほしいと願うばかりである。

  • Thumbnail

    記事

    寂しすぎる平昌五輪の経済効果、文政権は「宴の後」に苦しむ

    スやチームプレー、また各国選手との交流など、多くの日本国民は感動に包まれたことだろう。宴が終わると「オリンピックロス」の感情がいやでも芽生えてくるが、他方で経済的なロスも気になるところだ。燃え上がる平昌冬季五輪の聖火=2018年2月(共同) オリンピックやサッカーのワールドカップはその開催地域だけではなく、一国全体にも大きな経済効果を与える。開催が決定されれば、会場や道路などインフラ投資が活発化し、また五輪関連投資などで海外からの旅行客も次第に増加していくと考えられるからだ。この事象だけ捉えれば、開催国の経済浮揚に貢献することが多い。だが、五輪が終わればブームも一段落し、経済が減速しないかが話題の焦点になる。 では、平昌五輪の経済効果はどのくらいだろうか。韓国経済全体に与える影響をみると、過去の五輪開催国の「平均像」に比べてかなりパフォーマンスが悪いことがはっきりしている。この点について、日本銀行が公表した「2020年の東京オリンピックの経済効果」という展望論文が参考になる。過去の五輪開催国では、開催前の5~2年にかけて実質国内総生産(GDP)成長率が有意に上昇し、また開催年までに実質GDPの水準も累積で10%ほど上昇するという実証研究が紹介されている。 開催5~2年前というのは、2013年から16年の4年間である。この間の韓国実質成長率の平均は約2・9%である。リーマン・ショックの影響を受けた09年、そしてその反動増ともいえる10年を除いて、21世紀の韓国の実質成長率の平均は4・2%程度なので、この数値と比較するとそれほど高くはない。 また細かくみると、2014年に3・3%をピークにして低下している。このときから失業率も悪化傾向にあり、特に若年失業率は2桁前後に留まったままである。朴槿恵(パク・クネ)前大統領が失脚した背景には、この雇用不安や不満があったと思われる。ちなみに実質GDPの累積増は、従来の五輪開催国の中ではかなり高い。もちろん、この累積増も五輪開催以前の実質成長率の平均値が高いので、五輪の経済効果が目覚ましいとするには寂しすぎるのである。平昌五輪の経済効果が「寂しい」理由 五輪経済効果の「寂しさ」の原因の一つは、韓国の輸出が2014、15年と大きく減少したことにあるだろう。韓国は経済規模の半分ほどの輸出額がある、いわば「輸出依存国家」だ。だが、肝心の輸出が15年に前年比7・9%減、16年も同5・9%減と落ち込んだ。2017年に入ると輸出は堅調で、また実質成長率も3・1%に回復している。だが、回復を主導したのは投資であった。五輪効果が直近でようやく出てきたというよりも、韓国銀行の金利引き下げなどの緩和政策が効果を発揮している可能性がある。実際に輸出の堅調は、ここ数年では最もウォン安が進んだことに原因がある。ただし、雇用情勢の方は相変わらずで、17年も失業率・若年失業率ともに悪化したままである。 韓国にとって平昌五輪の経済効果、それ自体は「寂しい」。さらに五輪開催の最大のメリットともいえる、海外からの観光客数も17年から減少傾向にある。今年の数値はまだ分からないが、17年は約2割の大幅減だった。その主因は「THAADショック」による中国からの観光客の減少である。 韓国政府は米軍の最新鋭迎撃システム、高高度防衛ミサイル(THAAD)を北朝鮮の脅威への備えとして配備することを決定した。中国がその報復として、団体旅行客の訪韓を禁止したからだ。その後、昨年末の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の北京訪問、そして習近平国家主席(総書記)との首脳会談によって「雪解けムード」が生まれた。韓国も平昌五輪開催に併せた中国観光客のビザなし来韓を可能にした。だが、いくつかの報道をみる限り、中国人観光客が大幅に増加しているという感じではなさそうだ。2017年3月、韓国・ソウルの繁華街、明洞。中国語表示の看板が目立つものの、中国人団体観光客は姿を消していた(桜井紀雄撮影) このように平昌五輪における韓国経済への「事前効果」は目立つものではない。では、「宴の後」はどうだろうか。もともと五輪の経済効果に目ぼしいものがないのだ。しかも、17年の実質経済成長率が3%台に上昇したのは、むしろ金融緩和政策が限定的に効果を発揮したからだろう。 ところで、いま「限定的」としたのは理由がある。韓国の金融緩和政策は経済全体を好転させるには、かなり不足した状況にあるからだ。特に雇用状況の改善には一段どころか二段ぐらいの緩和措置が必要だ。だが、韓国銀行は昨年末に11年以来の金利引き上げを行った。事実上の緩和政策の転換であろう。現状の韓国のインフレ目標である2%を達成していて、その意味では金融政策は「合格点」とみなす向きもある。だが、このインフレ目標水準は、韓国の雇用改善には低すぎるのである。韓国経済の命運を握っているのは?2017年4月、韓国・釜山で開かれた就職説明会に参加した若者ら(聯合=共同) 韓国では2桁前後の高い若年失業率を構造的問題に求めるのが「通説」だ。一般的には、大卒の若者たちが大企業に就職希望を集中させる「雇用のミスマッチ」や、定年の延長効果によって新規採用が手控えられたことが指摘されている。だが、ここ数年の若年失業者の9~10%台への上昇は、経済成長の減速、そしてそれに伴う物価水準のデフレ傾向と歩みを同じくしていた。例えば、インフレ目標の中央値が3%であり、なおかつそれを上回るインフレ率であった当時の若年失業率は、高いとはいっても平均して7~8%台だったのだ。つまり、今でもインフレ目標を3%に高めれば、若年失業率を押し下げる余地がある。その意味で一段の緩和が韓国経済にとって効果的だろう。 ただ、筆者は、さらに「一段」緩和が不可欠だと考える。文政権は公的雇用の増加や最低賃金引き上げに伴う企業への補助の大規模な財源が必要とされている。この財源調達においても、積極的な金融緩和政策が力になるはずだ。それが難しいのは、韓国政府が金融緩和政策をより進めると、自国の抱える対外債務がウォン安で膨らむことを懸念しているからだ、というのが「通説」である。だが、この種の懸念は賢明ではない。実際にインフレ目標が3%だったとき、韓国では対外経済危機が生じただろうか。むしろ韓国経済は輸出に大きく牽引(けんいん)されて好調だったのである。 一方、貿易構造が似ていた日本の輸出企業は韓国のライバル企業に苦戦していた。なぜなら、当時の日本は事実上デフレ政策を採り、円高スタンスだったからだ。だから、今の韓国銀行が低いインフレ目標を採用し、金利引き上げスタンスを維持するならば、日本の競争企業にとっては幸運だろう。言い換えれば、韓国の輸出企業にとっては苦難を意味するのである。 要するに、韓国にとって平昌五輪の経済効果はほとんど大したことはない。むしろ金融政策のあり方が、今までも、そしてこれからも韓国経済の命運の多くを握っていることになる。 文政権は五輪期間中、「ほほ笑み外交」をはじめ、北朝鮮寄りの人気取り政策へあからさまに傾斜した。その政治的な成果は国際的には否定的だろう。それどころか、70%を超えていた大統領支持率が一時50%台に急落した世論調査でも明らかなように、韓国国内でも同様である。文政権の行方は、むしろ不十分な金融政策と、北朝鮮への過度な「融和」的姿勢の行方にかかっている。

  • Thumbnail

    テーマ

    羽生結弦「異次元の強さ」の秘密

    高く、そして美しい。日本人アスリートのあまりに華麗な演技に魅了され、会場は割れんばかりの拍手と歓声。演技後、氷上の真ん中で両手を広げ、「どうだ」と言わんばかりの表情をみせた彼は、まさに絶対王者であった。「異次元の強さ」をみせつけた男子フィギュア、羽生結弦。その強さの秘密に迫る。

  • Thumbnail

    記事

    くまのプーさんと羽生結弦「本番に強い」心理を生む2つのコト

    藤井靖(明星大学心理学部准教授、臨床心理士) まさに完璧な演技だった。羽生結弦選手の繊細かつ大胆な演技の裏に、心理的な強さを垣間見た。 もちろん今回の結果は、われわれフィギュアスケートの門外漢にはイメージし得ないほどの厳しいトレーニングと、大けがからの復帰をかけるプレッシャーと常に戦う日々を積み重ねてきた結晶であることは自明の理である。 しかし、世界におけるトップ・オブ・トップの戦いの中では、技術の高さはもとより、いわゆる「本番に強い・弱い」、「大舞台に強い・弱い」といった違いが結果に影響することは想像に難くない。男子SPの演技を終え、歓声に応える羽生結弦=江陵(共同) そのため、多くのプロスポーツ選手はメンタルコーチを帯同させるなど、メンタルコンディションの管理は、もはや目標を達成するための当たり前の準備として認知されている。 羽生選手は今回、まさに「本番に強く、大舞台に強い」を強靱(きょうじん)な精神力をもって体現した。彼の心理的な強さはどこにあるのだろうか。これまでの言動や振る舞いから、その要素を探ってみたい。 一つは、「精神的な孤独力」のように思える。 現代における彼と同世代の青年の友人関係をみると、自分が必要だと思った以上に深く人間関係を築こうとしないが、一方で自分だけが孤立することを恐れるが故に、「なんとなく群れる」傾向が認められる。つまり、自分の周りには誰もいない、という状況よりは、それほど親しいとはいえない友人であっても身近に誰かがいる状況を求める傾向にあるのだ。 これは、対人関係における他者との適切な距離感をつかむことの苦手さともいえ、現代型うつ(非定型うつ)や社会的ひきこもりの一因とも考えられている。 当然のことながら、人間は社会的な動物であり、人と交わりながら、協力しながら、時に支えあいながら生きている。そのため、他者の存在を求めるという心理は至極当然ともいえる。 一方で、人間関係に疲れたり、自分への期待感に押しつぶされそうになったり、他者に対するマイナスの感情に心が支配されることもある。それが、仕事でのパフォーマンス発揮や課題克服の妨げにもなりうる。羽生を支える二つの要素 とりわけ羽生選手のように超有名で、ましてや前回五輪のディフェンディングチャンピオンともなると、周囲からの期待が時に重圧になったり、他者からの批判やねたみの声が聞こえてくることもあるだろう。さらにいえば、今回は直前にけがを負って練習ができない時期もあった。その時の雑音は相当なものであっただろう。 こうした際に自分を支える一つの要素は、英国の精神科医、ドナルド・ウィニコットが言及した「一人でいられる能力」である。羽生選手のこれまでの「自分について語る姿」から、この力がしっかり備わっているように感じられるのだ。 「一人でいられる能力」とは、実際に社会的に孤立していることを指しているのではない。誰かと一緒に過ごしながらも、自分と他人とを違う「個」として受け入れ、自分の中で区別したり、他者との心理的距離感を適切に保った状態である。フィギュア男子SP、演技を終えた羽生結弦のもとには無数のくまのプーさん人形が投げ込まれた=江陵(松永渉平撮影) この能力が高いと、周囲の雑音はそれはそれとして距離を保ったり、自分が目標を達成するために他者の助言を受け入れながらも、常に自分の物差しで物事を考えていくことができる。そのプロセスは、氷上でたった一人で最初から最後まで演技を完結することには当然プラスに働くのではないかと考えられる。 なお、「一人でいられる能力」の高さは、5歳までの親の育て方に起因すると考えられている。その意味では、今回の結果は羽生選手の養育者(父母などの家族)の成果ともいえるのかもしれない。 二つ目は「マインドフルな心の状態」を作る力である。 これは、「今自分がやるべきこと」に、限りなく100%に近く意識を集中できる能力である。人間は誰しも、過去と未来を抱えながら「今」を生きている。しかし、プレッシャーがかかる場面や緊張する状況においては、過去や未来のことに意識が及ぶことが多い。 例えば、会議の前に「あー、こないだの会議でプレゼン失敗しちゃったな…」とつい考えてしまうのは過去へ意識が及んだ状態であるし、大事な面接の前に「うまく受け答えができなかったらどうしよう…」という思考が頭を支配してしまうのは、未来に関する不安が高まった状態といえる。羽生から全く感じられない「囚われ」 いずれにしても、過去や未来に心が囚(とら)われた状態では自分のパフォーマンスを十分に発揮することにはつながらない。 「競技への集中力の高さ」は羽生選手の演技を見ていれば誰もが感じるところであるが、当然のことながら、彼も過去や未来への囚われと戦いながら日常を生きているだろう。 しかし、演技中の彼からは、その囚われは全く感じられない。競技中にマインドフルな心の状態を保つ術を身につけているのであろう。 もしかすると、彼が愛してやまない「くまのプーさん」は、その一翼を担っているのかもしれない。過去や未来に意識が及んでしまって、「今」目の前にある課題に集中できなくなっているときは、身体の五感を使って、自分の身の回りの環境を体感することが、マインドフルな心の状態を高めるとされている。男子SPの演技を終え、ブライアン・オーサーコーチ(手前)と抱き合う羽生結弦=江陵(共同) 例えば、演技前にプーさんのぬいぐるみやグッズを触って、その感触を確かめたり、弾力を感じたりする。視覚を使って、その愛らしいフォルムを眺める。あるいは、時に匂いを嗅いでもよいだろう。  そのほかには、観客の歓声を一つの環境音としてただただ聞いたり、周りを通る人の足音に傾聴したり、シューズで地面の感覚を足の裏で感じてもよい。彼は数十個のイヤホンを所有するほどこだわりを持っているようだが、周りの音をシャットアウトして好きな音楽を聴くことがその機能を持っているのかもしれない。  つまり、過去や未来への心配や不安に気持ちが及んでも、とにかく「今」自分の身体や周りに起こっていることに注意を向けることを意識するのである。 もちろん、実際に彼がどんな形でマインドフルな心理状態を作り出しているかについては、誰にも分からない部分があるし、仮にプーさんに触っていたとしても彼にとっては一つのルーティンであり、経験的に学習された準備の一つであろう。  いずれにしても、五輪の大舞台でいかんなく力を発揮した彼の精神力は、心理学的にみても、ただただ驚かされるばかりである。

  • Thumbnail

    記事

    羽生結弦、異次元の強さを支える「硬質には表れない野生」

    してここまで揺るぎのない完璧なスケートができたのでしょうか」 羽生は柔らかな微笑のままに答えた。 「オリンピック(という舞台)を知っています。元(ソチ五輪)のチャンピオンでしたから」 その言葉は、異なる次元の自信を口にしたように思えた。 あの言葉は、こんな風に訳すことができないだろうか。「以前は雲の中しか歩けなかったのですが、今は海の上も歩けるようになっています」 改めて言うが、大怪我をして平昌五輪出場が危ぶまれた羽生は、もう一人の羽生のことだったのだろう。 少しの不安もなく、何の問題も抱えていないどころか、試合に出たくて仕方のない羽生が今、氷上にいることは間違いない。 以前、彼と同じようにとんでもない自信を見せ、本番でとびきりの強さを見せたアスリートを取材したことがある。 アテネ、北京と五輪二大会連続で金メダルを獲得した競泳の北島康介である。「人間丸ごとの闘い」 実はその北島を五輪候補選手として平井伯昌(のりまさ)コーチが推したとき、所属先のコーチ全員が反対していたことをご存じだろうか。 理由は単純明快だった。北島よりも速い選手が他にもいたからである。では、なぜ平井コーチは北島をオリンピックの看板選手に育てたいと思ったのか。 「メンタルの強さです。五輪は人間の総合力の勝負の舞台です。タイムは表に出るので惑わされる。しかし国際舞台での勝負は、人間丸ごとの闘いなのです」北京五輪・競泳男子100メートル平泳ぎ決勝、世界新記録で二連覇を達成し、ガッツポーズで雄叫びをあげる北島康介=2008年8月(浜坂達朗撮影) そして平井コーチはこうも言った。 「練習を重ね、だんだんタイムが出て速くなっていくと、さらに野性が増して、メンタルが強くなっていくと思いがちですが、そういう訳にはいかないことも多い気がしていました」 つまり、持って生まれたメンタルの強さや野性味を減らさないようにすることの方が大切らしい。 羽生結弦というアスリートは他人に対してとても優しい。「くまのプーさん」も大好きで、ぬいぐるみを眺めているときなど、「ゆず君」「ゆずちゃーん」という声がかかると、そちらを向いて、ニコッと笑顔を返す。それはリラックスをしているときの彼であって、他人にはほとんど見せない練習中は、鬼のようにストイックらしい。 あるドキュメンタリー番組で、羽生が怪我をした瞬間を見たが、納得ができずに、ずっとずっと気が遠くなるほど、長時間のジャンプ練習を繰り返した中で起きたものだった。 その映像で鬼気迫るほどの野生が羽生を支えていたことがわかった。 しかも、彼の持ち味である、彼のとびきりの自信は表面的には硬質には表れないのも特徴だろう。 羽生のコーチであるブライアン・オーサー氏は大会前、平昌五輪への期待を聞かれ、こう言っていた。 「…羽生をみくびってはいけない」 たぶんオーサー氏は、「野生」を源にしたケタはずれのメンタルを羽生が持っていることを、身をもって知っていたのである。

  • Thumbnail

    記事

    「フィギュアを観る喜びを与えてくれる」観戦マニアが語る羽生結弦

    山真氏インタビュー 政治的な側面ばかりが注目されている平昌五輪が2月9日に開幕した。現在の日本で冬季オリンピックの花形種目といえばフィギュアスケートだろう。今回も宇野昌磨選手、宮原知子選手など注目選手は多いが、とりわけ耳目を集めるのが羽生結弦選手だろう。 しかし「フィギュアスケートは敷居が高い」「採点や見方がよくわからない」という声もよく聞く。そんな方たちのために『羽生結弦は助走をしない』(集英社)を上梓したフィギュアスケート観戦歴38年のエッセイスト、高山真氏に「フィギュアスケートの見方」について話を聞いた。――06年のトリノオリンピックで、荒川静香さんのイナバウアーをテレビで観て、美しいなと思ったことはあるのですが、それ以降フィギュアスケートを観ようと思っても用語がよくわからなかったりと、正直言うと見方がよくわかりません。そういう方って意外と多いと思うんです。2006年トリノ冬季五輪、ジャッジ席前でイナバウアーを決める荒川静香=2006年2月23日、イタリア・パラベラ競技場(撮影・岡田亮二)高山:見方というある種の「作法」は気にせずに、まずは平昌五輪のフィギュアスケートを観てみれば、これまでのスポーツ観戦では味わったことのない興奮や血の騒ぎ方、喜び方が自分の中にあることを発見するかもしれません。こういう本を書いておきながらなんですが、見方という作法よりも、そういった感覚的なことのほうが大事なのではないかと考えています。 また、この本に書いたことは、あくまでも長年フィギュアを観ている私のツボであって、書いたことが必ずしも正解というわけではありません。正解は、人の数だけあっていい。 たとえば、ゴルフが好きな人の中でも、胃がキリキリするような短いパットに興奮する人もいれば、胸がすくようなロングショットに興奮する人もいますよね。同じくフィギュアに関しても、ツボは人それぞれ違いますから。――それでは高山さんのツボとは?高山:フィギュアスケートのそもそもの成り立ちは「氷の上に図形(フィギュア)を描くこと」です。 ジャンプは人目を引きますし、得点配分がいちばん高いのもジャンプではありますが、基本はスケート靴の刃がいかに複雑に、そしてスピーディーかつスムーズに動いて図形を描き続けるかだと思います。私のツボもまさにそこにあるんです。4回転ジャンプだけじゃない魅力――ニュース番組のスポーツコーナーを観ていると、4回転ジャンプなどの大技についての解説が多いので、ジャンプに注目するのが正しいのかと思っていました。高山:テレビや新聞などでは、4回転ジャンプの種類や飛ぶ数、その成否が話題になることが多いですね。 ここでフィギュアスケートの演技をダイヤモンドのネックレスにたとえてみます。1つは、ごく普通の紐でいくつかのダイヤモンドを結びネックレスにしたもの。もうひとつは、ダイヤモンドを見事な細工を施したプラチナのチェーンで結びネックレスにしたもの。ジャンプをダイヤモンドとして、ごく普通の紐やプラチナのチェーンにあたるのが、描き出した図形だと考えます。その図形が複雑にスピーディーになめらかに描かれるほど、プラチナに近づいていく。 どのダイヤモンドも同じクオリティだとしたら、当然見事な細工を施した後者のほうが素晴らしいですよね。ネックレス全体を競い合うのがフィギュアスケートだと私は思っているんです。――フィギュアスケートは採点競技です。採点は、ダイヤモンドであるジャンプなのか、それともチェーンの部分、どちらが大きく影響するのでしょうか?高山:フィギュアスケートの採点は、テクニカルエレメンツとプログラムコンポーネンツの2つを合計した得点で順位が決まります。 テクニカルエレメンツは、ジャンプ、ステップ、スピンの3つの技術のクオリティが加算方式で計算されます。平昌冬季五輪2018フィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)で演技する田中刑事=2018年2月16日、韓国・江陵アイスアリーナ(撮影・松永渉平) 一方のプログラムコンポーネンツは「演技構成点」とも呼ばれ、どんなスケートの技術を持っているか、音楽の解釈はどうか、男子のフリーなら4分30秒という時間内で演技のバランスを持っているかなど、簡単に言えばテクニカルエレメンツ以外のスキルを採点します。かつては芸術点と呼ばれていましたが、いまはより細分化され、以前より明確になっていると私は感じています。 先ほどの例で言えば、フィギュアスケートの採点は、ダイヤモンドの見事さそのものもジャッジされますが、結局はネックレス全体の価値を観るものだと私は思っています。 ただ、採点などを気にせずに、はじめのほうに申し上げたようにまずは美ししいと思うかや、血が騒ぐか、自分が味わったことがない種類の感動があるかどうか、というところから入るのがおすすめかな、と。平昌五輪の注目点 おそらくWEDGE Infinityの主要な読者層である40代の男性と私は年齢的に近いと思うのですが、いい大人にもなると今回のフィギュアスケートも含め、新しい物事、いままで知らなかった趣味や芸術に対して腰が引けてしまうのは痛いほどわかります。プライドも高くなり、いまさらなにも知らないところからスタートするのも恥ずかしい、億劫だとつい思ってしまいがちですよね。だから、誰かに見方などの教えを請うのではなく、フィギュアの演技を観て、きれいなものはきれい、カッコイイものはカッコイイというプリミティブな感動を取り戻す楽しさを重視してもいいんじゃないかと。――私も40歳ですが、新しいものになかなかチャレンジできません。高山:そうですよね。私も先日、若い人からスノーボードに誘われたんですが、0.2秒で断ってしまいました(笑)。健康面の理由もありますが、これが25歳くらいなら「やってみようかな」という気持ちになっていたかもしれないなと考えると、肉体以上に精神の老化を切実に感じましたね。 私は、スポーツ以外にも映画を観るのが好きなんですが、なかでもヌーベルバーグの『突然炎のごとく』や『死刑台のエレベーター』などに出演し活躍した女優のジャンヌ・モローさんをリスペクトしています。彼女が、2002年に来日した際に、幸運なことに1対1で1時間インタビューできることになったんです。そこで当時74歳だった彼女に「あなたのように人生の長い時間輝くために、一番必要なことはなんですか?」と聞くと、彼女は間髪入れずに「好奇心」と答えた。そして「好奇心を分かち合える人の存在」だとも。 肉体の老化は仕方がないにしても、精神の老化を止めるには彼女が言うように新しいことへ対する好奇心って本当に大切だと思うんですよね。――2月16日から平昌五輪でフィギュアスケート男子シングルが行われますが、誰に注目というのはありますか?平昌五輪男子SPの演技を終えた羽生結弦=2018年2月16日、韓国・江陵アイスアリーナ(納冨康撮影)高山:私は、フィギュアスケートそのもの、それに打ち込んでいる選手全員を本当にリスペクトしています。そのなかで、毎年倍々ゲームのように新しい「観る喜び」を与えてくれるのが羽生結弦選手。それで書き始めたのが今回の本です。ただ、タイトルに羽生結弦選手の名前は入っていますが、彼一人に絞ったつもりはありません。羽生選手以外の選手にもかなりページを割いています。ただ、好きなスケーター全員を好きなだけ書こうと思ったら、それこそ新書にもかかわらず、広辞苑くらいの厚さになってしまう(笑)。選手の「生き様」を見てほしい だから、オリンピックに出場する選手の誰に注目してほしいというのは難しい。先ほどのネックレスの例で言うならば、ハリー・ウィンストンのネックレスも、カルティエのネックレスも、ブシュロンのネックレスも……とどのネックレスにも目を奪われる。だからあげればキリがない。どのネックレスが好きかも人によって違いますが、私は人の好みにまで立ち入るつもりはないですし。――選手は人生をかけて挑むわけですからね。高山:実は、私は格闘家の友人が多く、たまに招待してもらうので、観に行くことがあるんです。ルールもいまいちわからず、ましてやジャッジたちがどうやって採点いるかなんてまったくわからない。でも、彼らの熱いものを感じます。要するに、生き様が発光している様を観たい気持ちがあるんでしょうね。生き様を発光させられる人なんてそうはいません。スポーツ選手のなかでも選ばれし人たちがオリンピック選手になる。そういったフィギュアスケーターたちの生き様をぜひ観てもらい。『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』(高山真、集英社) またもう中年だから新しいスポーツを観るのは遅いと思っている方がいれば、もったいないことだと思います。新しい喜びや感動に対し、新鮮で謙虚な気持ちでいることは、新しいスポーツを好きになること以上に大事なのかもしれません。 フィギュアスケートを観て、合わないと思うならそれでいいと思うんです。人それぞれ好き嫌いがあって、合う合わないがあって当然ですから。ただ、ほんのすこしでも面白いと思う気持ちがあるのならば、そのプリミティブな感情にフタをする必要はないし、その感情に少しでもポジティブな影響を、この本が与えられたのだとしたら万々歳かなという気がしますね。ただし、あくまでも「私のツボ」なんですけどね。――早くも3刷りとかなり売れていると聞いていますが、反響はどうですか?高山:この本を読みながら、映像を見返すと新しい発見があるというご意見や、いままで2Dで見えていたものが、この本を読んで3Dに見えるというご意見をいただき本当に嬉しいです。私の本が、読者の方々がお持ちの「好奇心」と、ちょっとだけでも何かを分かち合う時間が持てたのかな、と思える……。それが本当に幸せです。ほんだ・かつひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

  • Thumbnail

    記事

    66年ぶりの五輪金メダル連覇狙う羽生結弦を科学で斬る

    玉村治(スポーツ科学ジャーナリスト、科学ジャーナリスト) 平昌五輪最大の関心の一つは、ソチ五輪フィギュアスケート男子の覇者・羽生結弦が、1948年と1952年の五輪で金メダルを獲得したディック・バトン(米国)以来66年ぶりの金メダル連覇を達成できるかにあるだろう。けがで本番に間に合うか気がかりだが、体もメンタルもたくましくなっただけに、身体状況に合わせた戦略を組み立てしっかり調整してくることは間違いない。20歳の宇野昌磨も国際舞台で経験と自信を積み重ねており、五輪の初舞台で思い切った滑りができれば金メダルに手が届くところにある。宇野の躍進は羽生への刺激だけでなく、プレッシャー分散の意味でもとてもいい材料だ。 4回転ジャンプ全盛で、高得点時代に突入したフィギュア男子は、4回転の出来が勝敗を左右する。しかし、それは技術だけではない。完成度、「美しさ」「流れ」が大事な要素を占める。そこを重視した持ち味の演技ができれば、羽生の勝利の確率は高まるだろう。ジャンプ、演技の完成度、メンタルの視点で分析する。 昨年12月に名古屋市で開かれたグランプリファイナルで優勝したネイサン・チェン(米国)と2位の宇野選手の得点表(図1)とグラフ(図2)見て欲しい。宇野は0.5点の僅差で負けたものの五輪への大きな踏み台となった。 詳細な説明をする前に、採点の仕組みを簡単に解説する。 フィギュアスケートの勝敗は前半のショートプログラム(SP、演技時間2分40秒±10秒)と後半のフリー(演技時間4分30秒±10秒)の得点の合計点で決まる。それぞれ、ジャンプ、スピン、ステップの完成度などをみる技術点と、うまさ、流れ、リズムなどを評価するスケート技術、演技構成、振り付け、表現力、音楽の解釈の5つの演技構成点(ファイブコンポーネンツ)で採点される。 男子の場合、技術点はSPで7演技、フリー13演技で採点される。うちジャンプの回数は上限があり、SPは3演技、フリーは8演技で、一つは最低「アクセル」ジャンプを入れなくてはならない。ジャンプ、スピンなどには選手が選んだ技の難易度によって「基礎点」があり、それに、いくつかの観点から評価する出来栄え点(GOE=Grade of Execution)が加算される。GOEは3からマイナス3まで幅広い。演技が回転不足だったり、失敗したりすれば基礎点も減点される。SP、フリーともに演技後半は基礎点が1.1倍になる。そのため4回転ジャンプを後半にまとめることが多い。演技構成点は各10点の計50点満点。フリーでは合計点は2倍される。審判は9人。図1 グランプリファイナルにおける宇野とネイサン・チェンのSPとフリーの採点表図2 得点におけるジャンプの比重が大きいのがわかる このグラフから読み取れるのはジャンプの比重が極めて大きいということだろう。得点を稼ぐには、4回転ジャンプを何回成功したかが大きなカギを握る。4回転全盛のきっかけは羽生だった? 宇野はフリーで4種類5回の4回転ジャンプを試みた。チェンは3種類5回の4回転ジャンプを挑んでいる。ともに後半は疲労からか回転不足と判定されたが、ソチ五輪で羽生がサルコーとトウループの2種の4回転ジャンプ2回(1回転倒)で金メダルを獲得したのに比べ、確実に4回転ジャンプは増えている。まさに4回転全盛が窺える。 4回転全盛のきっかけを作ったのは、実は羽生だ。2010年のバンクーバー五輪から4回転が注目されたが、ソチ五輪でも4回転ジャンプは2回ほど。それがここ数年、4~6回の4回転ジャンプになった。高得点時代に突入したのは、羽生が史上初めて300点台を超えた、2015年11月のNHK杯からと言っていいだろう。この時はSPで100点、フリーでも200点を超え、合計322.4点(現時点では歴代2位)を記録した。世界に衝撃を与えた。 さらに2016年に、羽生は世界で初めて国際大会で4回転ループに成功した。1988年のカート・ブラウニングが4回転トウループ、1998年にティモシー・ゲーブルが4回転サルコー成功に次ぎ、歴史を刻む画期的な出来事だった。 それ以後、2017年12月10時点で、国際大会において300点超えは14回ほどあったが、そのうち5回が羽生、宇野4回、ハビエル・フェルナンデス(スペイン)2回、チェン1回の順だ。日本選手の活躍は目覚ましく、歴代上位3位の座にはいずれも羽生が独占する。 図3は、歴代最高点となった2015年12月のグランプリファイナルと、同3位の2017年4月の世界選手権の採点表だ。図3 羽生のグランプリファイナル(2015)、世界選手権(2017)の採点表 2015年のグランプリファイナルで羽生は2種3回の4回転を、世界選手権では3種4回の4回転を試み、ほぼ完ぺきに成功させている。特にグランプリファイナルでは、GOEの満点3点が2回もある。  羽生に勝つには、4回転を、より多く飛ばなくてはならないと思うのは、自然の流れである。1人が演技する4回転ジャンプは4種~5種、回数も5~6回とエスカレートしてきたのにはこうした背景がある。 図4を見て欲しい。チェンは、今年ループに成功し、5種類の4回転ジャンプをものにした。5種類の4回転を成功したのは、世界で初とも言われる。図4 平昌五輪で有望選手が国際大会で成功(○)した4回転。△は練習などで成功 ライバルらの努力を前に、羽生もさらに進化を目指した。4回転全盛時代に対応しようと、ルッツにも挑戦し、昨年秋にきれいに成功した。しかし、4回転ジャンプは足への負担が極めて大きい。つま先で蹴る「トウ系」ジャンプと異なり、エッジ系は進行方向にエッジ(刃)を垂直方向に向けて、ブレーキをかけそのエネルギーで跳躍するため足に大きな負担をかける。ルッツはエッジ系ではないが、それでも体重の3倍~5倍ほどが足首にかかると言われる。昨年11月、ルッツ成功に向けた練習で、羽生が足首の靱帯(じんたい)を損傷したのもそのためだ。このけがが引き金となり、その後のNHK杯、全日本選手権などの欠場にもつながった。図5 トウループ。右足外側のエッジに体重を乗せた状態で、左のトウ(つま先)を蹴って踏み切る。両足を蹴るため助走のカーブと同じ方向に回転するため、エネルギーが効率よく高さと回転に振り分けられる。トウを蹴らないのがループ(出典:「図解スポーツ百科(悠書館)」図6 フリップ。前向きに助走して踏み切る直前に後ろ向きとなって、トウで蹴って飛ぶ。ジャンプ直前は左足内側のエッジに体重をかける(出典:「図解スポーツ百科(悠書館)」図6 フリップ。前向きに助走して踏み切る直前に後ろ向きとなって、トウで蹴って飛ぶ。ジャンプ直前は左足内側のエッジに体重をかける(出典:「図解スポーツ百科(悠書館)」羽生の4回転ジャンプ、どこがスゴいか 羽生の4回転ジャンプはどこが優れているのだろうか。 4回転を成功させるには、ジャンプの高さが欠かせない。滞空時間を確保するためだ。 もう一つ重要なのは回転速度だ。滞空時間が短くても、回転速度が速くなれば4回転の成功率は高まる。それには、踏み切る前に助走速度を一定以上に高める必要がある。4回転成功の目安は、0.63~0.67秒の滞空時間で、毎秒5.7~6回ほど回転速度が必要だ。 羽生の助走速度に比べ、宇野はそれを上回る。筋肉も含め強靭な身体能力を持っているのが強みだ。ただ、実際のジャンプの見栄えは回転速度だけでなく、体の柔軟性、身のこなし、筋力のバランス、腕などの使い方などが関係する。助走速度だけで決まらないところが難しいところであり、面白いところである。 羽生のフリーの演技の特徴は、ジャンプ時の姿勢の良さ、完成度だけでなく、ジャンプ前後の演技の流れにある。助走速度をあげるため、加速に当てる時間を短くし、演技が止まらない。それが出来栄え点(GOE)の高さに現れる。 図8を見て欲しい。図8 羽生が高得点を挙げた2015年のGPファイナルと2017年の世界選手権の時のフリー技術点とGOE 300点超えなど高得点時の羽生のGOEの高さは突出する。GPファイナル、世界選手権フリーの13演技で、GOEの合計はそれぞれ25.73、22.96。各演技のGOEは最高3点なので、平均1.98、1.77となる。この数字は他の追随を許さない。図9 2017年のグランプリファイナルにおける宇野とチェンの技術点とGOE 昨年のGPファイナルにおけるチェンと宇野のGOE(図9)と比較してみるとその差、すごさは歴然としている。宇野は平均0.27、チェンは0.22しか加点されていない。4回転ジャンプはするものの完成度は低く、さらには演技が流れないということを意味する。 その辺の事情は、1月に出版された『羽生結弦は助走をしない』(高山真著、集英社新書)に詳しく記されている。フィギュアスケートに対する思い入れが深い著者の洞察は鋭く、優れており、そこには羽生の滑りについて、「(ジャンプなどから次の演技に移る)トランジションの密度の濃さ」「足さばきのほとんどすべてを音楽にからめていく見事さ」「助走をしないほど濃密な演技」と評している。羽生は、4回転だけでなく、その前後の演技を考えていることが窺える。羽生のメンタルが強くなった この演技の完成度の高さから五輪本番では、無理して、難度(基礎点)の高い4回転を飛ぶ必要もないという声が上がるのも自然だ。ケガにつながったルッツより、基礎点は低いもの完成度の高いサルコー、ループ、トウループでまとめた方がいいというものである。羽生はサルコー、ループ、トウループは完成度も高く「武器になる」と語っている。ただ、平昌五輪では4回転を4回ほど飛ばなくては優勝できないとも言われている。もちろん4回転を減らし、3回転、コンビネーションの完成度をあげて,着実にGOEを獲得するという戦略はある。ただ、それを羽生が許すか、GOE重視の演技に切り替えるかは、けがの癒え具合とそれで遅れた可能性のある練習不足の度合いにかかっているだろう。 羽生のけがは懸念材料であるが、それをはねのけるほど練習、準備、スケートにかける思い入れ、メンタルはかなり強くなった。 ソチ五輪の後に、羽生の金メダルの裏にスタミナをつけるための食事について解説した。この4年間、食事以外にも体幹を鍛え、けがをしにくい体作りに取り組み、モチベーションの維持などにも苦労はあっただろう。勝って当り前、負け続ければ「終わり」という烙印を捺される、五輪金メダリストという重圧と向き合ってきた。逃げることなく果敢に練習し、さらに準備を続けてきた。平昌五輪フィギュアスケート男子SPの羽生結弦(4回転トーループ)=2018年2月16日、韓国・江陵アイスアリーナ(納冨康撮影) その一端が、ソチ五輪金メダル獲得をサポートした城田憲子さんの近著『日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦』(新潮社)に書かれている。 同書によれば、城田さんは、ソチ五輪後、羽生の4年間の重圧と、身体にかかる負荷の大きさを考え、躊躇することなく「一年間の休養」を提案したという。多種類の4回転ジャンプ時代の突入を考慮してのことだった。 これに対し羽生は「でも、休んだら駄目なんですよ、城田さん」と答えたという。プレッシャーと向き合う覚悟を感じたという。 ルッツの練習で右足首の靭帯を損傷したのは、名伯楽のブライアン・オーサーコーチの「4回転の種類を増やす必要はない」という反対を押し切ってのことだった。先ほども触れたが、ルッツなしのトウループ、サルコー、ループで十分な得点は十分に稼げるからだ。コーチの指導を振り切ってルッツに挑戦したのも「さらなる高みを目指す、自分への挑戦でもあった」からだ。羽生と若きライバルたちの戦い 羽生にとって、4年間は短いようで長く、長いようで短かっただろう。フィギュア男子のSPは2月16日、フリーは2月17日。20歳と若く伸び盛りの宇野は、大会を経験するたびに技が上達している。1月の全米選手権を制したネイサン・チェンは若干18歳。315.23の高得点をマークするなど4回転ジャンプの精度を飛躍的に高めている。五輪は厳しい戦いになることは間違いないが、羽生にとって宇野の頑張りは、自らを発奮させる材料となっている。羽生自身も23歳と若く、「まだ、負けられない」と思いも強いことが推測される。金メダル候補としては、ほかにも中国の金博洋、フェルナンデスらも侮れないだろう。 五輪に臨む羽生のプログラムで、SPは、ジェフリー・バトル振り付けのショパン作曲の「バラード第一番」の調べにのる。フリーはシェイ=リーン・ボーン振り付けの「SEIMEI」。 この二つは、2015年に300点台の得点を記録し、高得点時代を切り開いたNHK杯の時と同じプログラムだ。同じプログラムではあることに危惧する声もあるが、「何よりすべてのエレメント(要素)を支えるスケーティングスキルが、ソチ五輪に比べ、格段にレベルアップ」(「金メダルに挑戦」)しており、問題はない。男子SPで4回転サルコーを決める羽生結弦=2018年2月16日日、江陵アイスアリーナ(松永渉平撮影) けがを癒し、雑念にとらわれず、冷静な滑りができれば確実に得点は向上するだろう。その先には、ディック・バトン(米国)以来66年ぶりの金メダル連覇がある。羽生、同じく金メダルが期待される宇野、さらには田中刑事の滑りに日本だけでなく、世界が注目する日が待ち遠しい。■修正履歴:2ページ目でルッツジャンプをエッジ系と記載していましたが正しくはトウ系でした。お詫びして訂正致します。該当箇所は修正しております。(編集部 2018/02/02 18:22)たまむら・おさむ スポーツ科学ジャーナリスト、科学ジャーナリスト。小学校より野球をはじめ、大学では投手として活躍。スポーツを科学的に分析することを得意とし、バンクーバー、ロンドン五輪、ワールドカップサッカーなどで取材。

  • Thumbnail

    記事

    スポーツ心理学で読み解く羽生結弦「最強メンタル」の秘訣

    己コントロール」できる能力が抜群に高いといえます。欧米で普及するスポーツ心理学 そもそも4年に一度のオリンピックは、選手にとってなかなかポジティブな精神になれないものです。ポジティブになろうとしてもプレシャーが増幅するだけです。そういう意味でも自分ができることを値踏みできる力が必要になります。自分の状態に見合った意識に変えていくことができるのです。トップ選手の多くはこの能力を持っています。 また、「縦型思考」と「横型思考」があって、普通の人は横型です。今回のフィギュアスケートショートプログラムも、素晴らしい演技をした羽生を目の当たりにしてしまったライバル選手が次々とミスをした。これはだれかと自分を比較してしまう横型なんです。縦型思考ができる選手は、オリンピックのような大舞台で能力を発揮できるケースが多いのです。 一方で、羽生は「発明ノート」という練習日誌をつけていると聞いています。コーチからいわれなくても、自分が練習でできたことやできないことを自己分析して、セルフコーチができるんです。なぜできないのかを逆算して客観評価できる。うまくいかないのは目標の置き方であり、それを再設定できない場合です。男子SPの演技を終え、笑顔の羽生結弦。右はコーチのブライアン・オーサー氏=2018年2月、江陵(共同) これは「ダブルゴール」といって最高目標と最低目標を明確化する手法です。うまくいかないときは最低目標を目指せばいいわけです。仮に羽生が風邪をひいて、徹夜明けでフラフラでも、できるものを最低目標に置くという考え方です。 これまで自己コントロール能力を中心に話しましたが、周囲の人たちをうまく取り込める能力も羽生にはあると思っています。たとえば、絶対に自分を理解してくれる人の存在を大切にする。羽生の場合は、まず、コーチです。調子が悪くて自身の判断で4回転サルコーに変えても理解してくれという安心感です。これは選手に大きな精神的余裕をもたらします。 私はこうしたメンタル面の鍛錬は、一定の知見を持った専門家が指導することによって、生まれながらにその能力が備わっていなくても、可能になると考えています。よく、普段の試合では勝てるのに、オリンピックになると勝てない選手がいますが、欧米では、これらのスポーツサイコロジー(スポーツ心理学)がかなり普及しており、克服しているのが現状です。米メジャーリーグやドイツのサッカーチームなどにも専属の専門家がいるぐらいです。 日本では、まだスポーツサイコロジーを取り入れている選手は少数です。選手一人ひとりの身体能力や、指導力なども日本は向上し、世界に通用する選手は増えていますが、将来的にオリンピックやワールドカップといった大舞台でこれまで以上に勝てるようになるにはこのスポーツサイコロジーをもっと取り入れていく必要があります。 羽生は今日のショートプログラムのように、「獲得型」をうまく活用できれば金メダルは期待できます。さらに、肉体的、身体的な衰えなどがなければ、3連覇、4連覇も現実としてありえるのではないでしょうか。(聞き手、iRONNA編集部 津田大資) ふせ・つとむ スポーツ心理学博士。昭和38年、東京生まれ。スポーツ心理学を応用したトレーニング指導会社「Tsutomu FUSE, PhD Sport Psychology Services」代表取締役。慶応大講師、慶応大スポーツ医学研究センター研究員。ノースカロライナ大グリーンズボロ校大学院にて博士号取得。高校時代、早実野球部で全国準優勝、慶応大野球部で全国大会優勝。これまでに、プロ野球、Jリーグ、社会人、大学、高校のチームや選手を中心にメンタル指導を担った。

  • Thumbnail

    記事

    ショパンのピアノ曲と羽生結弦が相性ぴったりな理由

     フィギュアスケート男子ショートプログラムで66年ぶりの五輪連覇を狙う羽生結弦が、圧巻の滑りで首位に立った。2分50秒の演技中に流れた曲は、ショパンのピアノ曲「バラード第一番」。今季が3シーズン目の使用となるこの曲は、3度の世界記録を出した勝負曲であり、羽生自身が「最も心地よい」と語る相性ぴったりの曲でもある。なぜショパンと羽生の相性はいいのか。ショパン研究家で国立音大大学院の加藤一郎准教授(61)に話を聞いた。 音楽史上で「バラード」という名前をつけて曲を作ったのは、ショパンが初めてでした。19世紀初頭、ヨーロッパでは文学の世界でバラード(物語詩)が流行りましたが、ショパンはそれを音楽に取り入れ、ロマン派と民族主義を融合させた「バラード」の様式を打ち立てました。 ポーランドの国民的詩人、アダム・ミツキェヴィチの詩集をショパンは15、16歳のころに読んだ、と後にシューマンが本に記しています。バラードは計4曲あり、いずれも現実には起こらないようなドラマティックなストーリーです。湖に棲む人魚と、それに恋した狩人の物語。人魚は人間の女性に化身して狩人の心を奪い、最後は湖の中に引きずり込む、といった毒のある部分もあります。 詩の内容をそのまま音楽に描写したということではないでしょうが、ショパンが詩を読んだときのインスピレーション、イメージや情景を音楽化したということは容易に考えられます。 ショパンが書いた4曲のバラードのうち、『第一番』は20代半ばごろの作品といわれていますが、それまでにいろんな詩を読んでいて、詩からインスピレーションを得て、英雄的な要素、物語の持つ神秘的な要素、自分の民族や伝統をこよなく愛し、それを侵略者から守る、というような強い思いがにじんでいるのが特徴です。 ポーランドは悲劇的な国で、ショパンが生きた19世紀初めごろは、ロシア、ドイツ、プロシアによって3国分割されていました。ショパンに限らず、時代に翻弄された芸術家が民族の伝統を受け継ぐために作品を残した例はいくらでもあります。当時はロマン派と民族主義が合体していたとはいえ、ショパンも一人の人間ですから、感情的に民族主義がどうしても強く出る。祖国の英雄を敬うなど、きっといろんな感情が含まれていたのだと思います。演技する羽生結弦=江陵(共同) バラードは、ショパンがもともと持っていた優雅さ、洗練、物語詩というものが融合した世界です。特に『第一番』は若々しくて、英雄の持つ強さ、壮大さがあって、しかもそれに対する敬愛の念が深い。この優雅さや気品は、羽生選手のスケーティングを見ていると、技のキレや、立ち姿ともぴったり合う。ただ、4回転を飛べばいいというのではなく、前後の流れとか、非常に気品があって、ただ力任せで滑っているのとは、まるで違うように思います。 もともとこの曲は9分半ありますが、曲の初めは前口上のような序章です。それが「次に何が始まるのか?」と問いかけるような響きに変わっていく。その後、ノーブルな、テンポの遅い「大人のワルツ」が始まります。子どもが弾くような子犬のワルツじゃなくて、ほの暗い、叙情的な、大人のワルツ。静かな旋律でも、それがだんだん変化を遂げていく。ショパンの場合、変幻自在のパッセージワークも魅力の一つです。音の移ろい、終わった後、次のテーマがしんみりと出てくる。吟遊詩人がリュートを弾くような、私的なメロディが出てきて、暗く激しくなる。 羽生選手の演技では、9分半の曲を2分40秒程度に編集しているので、曲の一部が急に飛んでしまったり、不自然さを感じる部分もありますが、重要なところはちゃんと使っているので、ショパンらしさを感じることができます。羽生とピアニストの共通点 これは感覚的なものですが、羽生選手は、本当に音楽をよく理解しているんじゃないかなと思います。おそらく、とってもこの曲を気に入っているのではないでしょうか。例えるなら、彼自身が音楽の世界に入ってしまった、という感じさえします。 ただ、ピアノ曲は一人でやるわけですから、オーケストラに比べると打ち出しは弱くなる。叙情的なものや優雅さはオーケストラでは出せない。独特の激しさ、エモーション、人間の心がそのまま出てくるような…。ピアニストの個人的な感情も演奏には反映されるので、羽生選手はそれをよく聞き取って、音楽を深く理解しているのではないかと思います。 もっと初心者というか、分かりやすい、誰もがよく耳にする音楽を使う人が多いと思いますが、この曲は彼が使ったことによって、広く一般に知られるようになりました。ただ、「音楽とスポーツの融合」というのは、きっちりとはできないと思います。それでも羽生選手は理想に向かって挑戦し続けているということなんですかね。演奏するピアニストのクリスティアン・ツィメルマン(C)林喜代種 この曲を弾いているのはポーランドのクリスチャン・ツィメルマンです。1975年のショパン国際ピアノコンクール優勝者で、現代のピアニストの最高峰と言えます。演奏回数は、最近は多くないですが、人として善を尽くし、演奏を通して人々に愛を与えることができる孤高の芸術家です。もちろん技術的にも完璧で、こんなピアニストはめったにいません。 ツィメルマンは2011年の東日本大震災で、国外に逃げていく人がいる中、逆に海外から日本にやってきた人の一人で、本当に人間愛にあふれている。この人間愛が音色にも滲んでいるのか、非常に美しく、若いときは「鍵盤の貴公子」と呼ばれたぐらいです。それでも自分の技術をひけらかすことをしないのがツィメルマンのもう一つの魅力です。 こうした愛や美に対する意識の高さは、気品や優雅さにつながっている羽生選手と共通するところがあるのではないでしょうか。羽生選手は動きがきれいでムダがないし、バランスもいい、演技がとても考え抜かれている。まさに一流の演奏と一流の演技が見事にコラボレーションした理想だと、感動しましたね。 要するに羽生選手はよく音楽のことをわかっている人なのです。3拍子といっても、スケートですから、3拍子で滑ることはできません。音楽のプログラムで滑ると、激しい部分でしかジャンプできないことになってしまい、不都合が出てくるのです。 だから、完全に音楽を演技に取り入れることはできませんが、羽生選手が音楽をよくわかっているからこそ、それに乗せたスケーティングが可能になるのです。音楽をそのまま演技にもっていくことは難しい中で、音楽的内容を考えて自分の技を決めているのではないでしょうか。 羽生選手はけがから復活して平昌五輪に臨んだようですが、よほどの精神力がないと、今回のような演技はできないと思いますよ。美しい好青年ですが、内面には非常に強い精神力を秘めている。そもそも世界から注目されている中で、これほどの結果を出すのは簡単にはできません。今後の演技にも期待したいですね。(聞き手、iRONNA編集部 川畑希望)かとう・いちろう 国立音楽大学准教授。東京藝術大学卒業、スイス・ヴィンタートゥア音楽院留学。杉浦日出夫、米谷治郎、マックス・エッガー、クリストフ・リスケの各氏に師事。その他、ザルツブルクでタチアナ・ニコラーエワ、デンマークのランダースでコンラート・ハンゼンのマスターコースを受講。各地でリサイタル、オーケストラとの共演、室内楽、伴奏などの演奏活動を行い、NHK-FM等に出演する。著書に『ショパンのピアニスム―その演奏美学をさぐる』(音楽之友社、2004年)など多数。

  • Thumbnail

    記事

    平昌五輪フィギュア男子・団体戦率いる宇野昌磨、連覇目指す羽生結弦

    田村明子 (ジャーナリスト)  いよいよ平昌オリンピックが開幕する。平昌から車で30分程度の江陵にあるアイスアリーナで行われるフィギュアスケートは2月9日の団体戦の男子とペアのSPから開始される。 2月7日には、前日に現地入りした宇野昌磨が本番のリンクで初の公式練習を行った。会場の江陵アイスアリーナは、昨シーズンの2月にオリンピックテストイベントを兼ねた四大陸選手権が行われた場所である。宇野はネイサン・チェン、羽生結弦に次いで3位だった。いよいよオリンピック会場に入って、どのような気持ちかと聞かれると、宇野はちょっとこまったような表情で、こう答えた。 「まだなんか、オリンピックという実感がないです」 練習リンクには一般観客も入っておらず、選手もすでに現地入りしたのは団体戦への出場が決まっている選手たちがほとんどで、公式練習にもまだ半数ほどしか来ていない。報道陣もまだ来ていない顔ぶれも多く、いずれは満員になるプレスルームも現在はまだまばらである。そのためもあるのか、宇野もいよいよ本番という実感はあまりないという。 ショートプログラムになるかフリーになるかはまだ発表されていないものの、羽生結弦が団体戦に出場しないこともあって、宇野は日本チームのトップ選手として団体戦に出場することになる。これまでジャパンオープンや国別対抗戦など、団体戦を何度か経験してきた宇野は、そのたびに「足を引っ張らないように」という気持ちになっていたという。だが今回は自分が、日本チームを引っ張っていく役割を自覚しているのだろう。 「今回は思いっきりやって少しでも貢献できるように頑張りたい。その経験を個人戦にも生かしたいと思っています」と力強い言葉を口にした。平昌五輪フィギュアスケート男子SP演技終了後ガッツポーズを出す宇野昌磨=16日、韓国・江陵アイスアリーナ(納冨康撮影) 男子の個人戦は、2月16日のショートプログラム、2月17日が決勝のフリープログラムとなる。一週間の間に、本番のプログラムを団体戦(ショートかフリーどちらか一つ)、個人戦(ショートとフリー)合わせて3本滑ることになる。心配されるのは、体力的な負担である。そのことについて聞かれると、宇野はこのように答えた。 「プログラムの練習に関しては、今シーズンで一番詰めた練習ができた。でも試合の疲れというのは練習とは違うので、どんな疲れが残るかわからない。だからといって(団体戦で)手を抜くわけにいかない。疲れたら一刻も早く回復できるようにするだけかなと思います」 一方気になるのは、11月に右足の靭帯を痛めた羽生結弦が、現在どのくらいまで体調を戻してきているのかということである。羽生の新しい面が見えた 怪我をしてから、ほとんどこれといった大きなニュースも報道されていなかった羽生だが、2月6日にすでに現地入りしているコーチのブライアン・オーサーが、江陵アイスアリーナでメディアにこのように語った。 「練習はうまくいっています。それははっきり言えます」とオーサー。痛みもなくなり、ジャンプの練習も再開して、日々回復してきているという。 「この期間、私は彼の新しい面を学んだし、彼自身も自分のことを改めて学んだのではないかと思います。彼がとても冷静でいたことに、私は強い印象を受けました」 11月9日、NHK杯の公式練習中に4ルッツの着氷を失敗して転倒した羽生は、右足関節外側靭帯損傷で全治4,5週間という診断を受けた。だが炎症が骨にも及んでいたことなどから回復が遅れ、12月末の全日本選手権には欠場。だがこれまでの実績を評価して平昌オリンピック代表に選ばれた。 「2か月半前に、彼と顔を突き合わせて綿密に計画をたてました。大事なのは、小さな目標を細かくたててそれを達成していくことでした。絶対に間に合う、予定通り出場することは可能だ、と彼に告げたんです」とオーサー・コーチ。平昌五輪フィギュアスケート男子SP演技を終え、ブライアン・オーサーコーチらに迎えられる羽生結弦=2018年2月16日、韓国江陵アイスアリーナ(撮影・松永渉平) 本人は2月11日にカナダのトロントから、コーチの一人であるトレイシー・ウィルソン、そしてトレーニングメートのハビエル・フェルナンデスと一緒に現地入りをすることが予定されているという。最後に報道陣の前に姿を見せてから、まるまる3か月の月日が流れているだけに、公式練習ではカメラマンもレポーターも殺到するであろうことが予想される。 いきなり大舞台でのぶっつけ本番になるが、オーサーは「それについては心配していない。彼はすでに必要な経験はたくさん積み重ねてきている」と太鼓判を押す。 ソチオリンピック金メダリストの羽生がここでタイトルを守ることができたら、男子としては1948年と1952年のオリンピックを連覇した、アメリカのディック・バットン以来66年ぶり。 羽生以外の優勝候補は、アメリカのネイサン・チャン、スペインのハビエル・フェルナンデス、そして宇野昌磨である。どのような戦いが繰り広げられるのか。いよいよ始まろうとしている。たむら・あきこ ジャーナリスト。盛岡市生まれ。1977年米国に単身留学し、1980年から現在までニューヨーク在住。著書に『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)、『知的な英語、好かれる英語』(生活人新書)、『女を上げる英会話』(青春出版社)、『聞き上手の英会話』(KADOKAWA/中経出版)など。翻訳書も多数。フィギュアスケートライターとしても知られており、『銀盤の軌跡』(新潮社)などの著書もある。

  • Thumbnail

    記事

    「金与正ブーム」に少女時代ソヒョンも巻き込んだ文政権の思惑

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 平昌冬季五輪では各国選手が連日、白熱した競技を展開している。強風や猛烈な寒さの中での大会運営ということもあり、競技によってはテレビ観戦している筆者にもひやひやさせる場面が多い。それでも会場のボランティアや応援する人たち、そして選手たちの五輪に取り組む姿勢は見ていて心地いい。 だが、他方でこの五輪は開催前後から国際政治の最大の注目場所となった。もちろん北朝鮮側のいわゆる「ほほ笑み外交」攻勢のためである。金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長と、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の実の妹である金与正(キム・ヨジョン)党中央委員会第1副部長らの高位級代表団が韓国入りしてからの過熱報道は、五輪そのものへの関心を上回るものがあった。韓国の文在寅大統領(手前右端)との会談に臨む北朝鮮の金永南・最高人民会議常任委員長(奥右)、金与正・党第1副部長(奥左)ら=2018年2月10日、韓国大統領府(聯合=共同) 特に注目を浴びたのは、各種報道で「実質ナンバー2」「金委員長に直言できるただ一人の人物」などと評されている与正氏の発言と動向であった。確かに、故金日成(キム・イルソン)主席の直系が韓国を訪問したのは初めてである。さまざまなメディアでは、与正氏が金委員長の「親書」を携えて、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に平壌での首脳会談を提案したことが報道されている。 この一連の報道を分析してきて、韓国・日本のメディアが「金与正ブーム」とでもいう空疎な現象に貢献している、と批判的に見ざるを得ない。まず韓国到着後、初めて文大統領と会談したときの与正氏の表情が、顎をしゃくりあげた感じでまさに相手を睥睨(へいげい)するかのような視線、いわば「女王様」的表情だったことが大きく報道された。 「白頭血統」というのだそうだが、故金日成主席に始まる北朝鮮の「金王朝の王女」とでもいうべき印象を、その写真は伝えている。だが、このような「白頭血統」なるものの起源、つまり抗日戦士として北朝鮮の独立に貢献した金主席の話は極めて誇張されたものである。ソ連による傀儡(かいらい)政治家として当初は祭り上げられた人物ではないか、というのが正しい見方だろう。南北協調で仕掛けた「アイドル戦略」 郵便学者の内藤陽介氏による『北朝鮮事典-切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国』や『朝鮮戦争:ポスタルメディアから読み解く現代コリア史の原点』などの著作を読むと、北朝鮮、金一族の政治的な宣伝工作(プロパガンダ)がどのように構築されていったかがわかる。つまり「白頭血統」や「金王朝」なるものはアイドル(偶像)の中でも最も虚偽性の高いものである。そのようなアイドルの欺瞞(ぎまん)的な側面を全開にした「女王様然」とした表情を垂れ流すメディアの印象操作には、やはり北朝鮮のイメージ戦略にくみしたと評されても仕方がないだろう。平昌冬季五輪の開会式で、北朝鮮の金与正氏(中央右)と金永南最高人民会議常任委員長(同左)の近くに座る安倍首相(右端)とペンス米副大統領=2018年2月9日(聯合=共同) この北朝鮮の政治的プロパガンダとしての「アイドル」の利用は、金委員長の父親である故金正日(キム・ジョンイル)党総書記からの得意芸であった。金総書記は、映画や音楽など文化部門への造詣があり、それを政治的手段としても利用していた。 今回は、美女ぞろいといわれる三池淵(サムジヨン)管弦楽団を韓国に先行して派遣し、まるで父親譲りの「アイドル攻勢」をしかけてきた。これは今回の「ほほ笑み外交」戦略の露払いとなり、またのちに触れるように金与正氏の訪韓イベントのクロージングにも役立っている。 もちろんこのような北朝鮮の「アイドル戦略」は、なにも北朝鮮単独で行われたものではない。韓国政府の強い協力がなければ不可能である。しばしば報道では、文政権が米国と北朝鮮の間にはさまれて苦境に陥ったとする評価があるが、本当だろうか。五輪の開催日程はとうの昔に決まっていたわけだし、そもそも金与正氏が来韓する情報はかなり以前から流されていたという。つまり、文政権にとっては別に政治的に苦境でもなんでもなく、まさに北朝鮮と共同演出した「金与正ブーム(仮)」なのだろう。 しかも、金与正氏の在韓最終日には、三池淵管弦楽団のコンサートを文大統領と隣り合わせで観劇するというクロージングまで用意した。さらに北朝鮮の「公式アイドル」といえる牡丹峰(モランボン)楽団の団長である玄松月(ヒョン・ソンウォル)氏が登場し、歌唱を披露したという。安倍発言は問題視されるべきか ここでも、韓国政府は北朝鮮と共同のサプライズを仕掛けている。韓国の人気ガールズグループ、少女時代の「末っ子」で人気の高いソヒョンとのコラボを企画していたのだ。報道では公演当日に依頼があったというが、日本でも人気の高い少女時代の、ソヒョンが単独で出演してきた背景には何があったのだろうか。三池淵管弦楽団の公演の舞台で、楽団の歌手と共に歌うK―POPグループ「少女時代」のソヒョン(右端)=2018年2月11日(聯合=共同) 実は、ソヒョンは昨年末に従来の所属事務所から契約満了時での退所を表明していた。ただし、その後も少女時代そのものには残るらしい。いまのマネジメントが具体的にどうなっているのかわからないが、少女時代全員の出演ではなく、ソヒョン単独だったのは事務所からの退所が関係していると思われる。 また、韓国大統領府がソヒョンに目をつけたもうひとつの理由として、彼女がかつて潘基文(パン・ギムン)前国連事務総長を「尊敬する人物」として挙げ、国連の活動イベントの際に面談したことが報じられている。そのほかにも、母校の大学に巨額の寄付をするなど社会的な活動が目立っていたからかもしれない。いずれにせよ、韓国政府が北朝鮮の「アイドル攻勢」に積極的に関与した証拠でもあるだろう。 さて、平昌五輪は永遠には続かない。米国は北朝鮮に変わらぬ強硬姿勢を示しており、今後は金融制裁など以前から効果的といわれてきた手法を駆使するだろう。韓国政府が北朝鮮の「ほほ笑み外交」という政治的プロパガンダに実質的な協力を行い、多くのメディアも知ってか知らずか加担してしまった。韓国国内でも世論の分断が加速するかもしれない。 訪韓した安倍晋三首相は、文大統領に対して「米韓合同軍事演習を延期すべきではない」と発言した。日本では、文大統領が「内政問題」だとして不快を示したことに、安倍批判が自己目的化した識者たちが、またも安倍発言を問題視している。しかし、米韓合同軍事演習は日本を含めた北朝鮮、そして中国・ロシアへの広域的な安全保障政策の一環であり、その延期に意見を表明することは間違いではない。韓国での分断も注意すべきだが、日本の世論の、あまり合理的な意見に基づくとはいえない分断にも注意が必要だろう。

  • Thumbnail

    テーマ

    「政治一色」平昌五輪は失敗だった

    平昌冬季五輪が開幕した。とはいえ、話題の中心は急きょ参加した北朝鮮の動向ばかりで、肝心の競技はそっちのけである。南北統一の機運を高めたい韓国と包囲網の分断を狙う北朝鮮の思惑が交錯し、汚れなきスポーツの舞台はもはや「政治ショー」に変わった。曲がり角に来た五輪、その意味を考えたい。

  • Thumbnail

    記事

    北朝鮮乗っ取り「平壌五輪」金正恩の真意

    李相哲(龍谷大教授) 平昌冬季オリンピックが平壌に乗っ取られるのではないかという懸念が現実味を帯びてきている。1月22日、韓国の国会議員会館で開かれた韓国の「党政協議会」で与党「共に民主党」政策議長の金太年(キム・テニョン)は「地球村の祝祭である冬季オリンピックが来月、平壌で開かれる」と発言し、周りが慌てる珍風景がテレビを通して伝えられた。国会議員すら平昌五輪を「平壌五輪」と勘違いするほど平和の祭典であるはずの五輪は南北の政治ショーの場に変わりつつある。 そもそも北朝鮮で五輪参加の資格を取得したのは2人。フィギュアスケート男女ペアのみだ。北朝鮮が2人のために140人の芸術団に229人の応援団、各種名目の支援チームなど500人にのぼる人員を送るわけがない。他の目的があるからだ。 時間稼ぎと国際世論の分断、韓国国内の攪乱(かくらん)、北朝鮮のイメージ改善などさまざまな目的もあるが、何より重要なのは国際社会の包囲網を崩すことだ。国際社会の制裁に苦しむ金正恩(キム・ジョンウン)政権は、平昌五輪を利用して制裁の包囲網崩しに取り掛かっているが、まずは一番もろい韓国にターゲットを絞ったとみられる。 その思惑は五輪が始まる前に既にはっきりと表れている。平昌五輪の前夜祭に芸術団を派遣すると表明した北朝鮮は1月21日、玄松月(ヒョン・ソンウォル)を団長とする実務者代表団を韓国に送り込んだ。韓国のホテルに到着した北朝鮮応援団とテコンドー演武団の一行=2018年2月(共同) 一時、金正恩委員長の「愛人」との報道がながれ、韓国でその名が知られるようになった玄の訪韓は、世界中の注目を浴びた。北朝鮮の存在感を遺憾なく世界中に知らしめた玄の訪韓は、韓国に「南南葛藤(韓国国内の世論を分断し、韓国人同士で喧嘩をさせること)」を誘発、反発を買う場面もあったが、なにより「5・24措置」(2010年、北朝鮮が韓国の軍艦を爆沈させ、40人の兵士が水死、6人が失踪した事件を受け、韓国政府が科した制裁措置)を無力化するという目的の一部は達成した。 現在南北をつなぐ陸路は主に三つ。南北軍事境界線沿いに設けられた南北共同警備区域の板門店を通るルート、金大中(キム・デジュン)大統領時代に着工、2004年に稼働をはじめた「開城工業団地」を経由して韓国の坂州市に至る京義線ルート、そして朝鮮半島東海岸沿いの金剛山観光のために開いたルートだ。 玄が韓国にやってきたのは開城工業団地ルートだったが、直後の1月23日、金剛山で行われる予定の文化行事(後にキャンセル)のための施設点検名目で北朝鮮を訪れる韓国代表団は金剛山ルートをつかった。これで制裁を課した三つのルートのうち二つが事実上、「開放」されたことになる。 北朝鮮は、当初、芸術団員140人は板門店ルートを通って韓国を訪問したいと持ちかけたが、土壇場(どたんば)になってルートを変えた。五輪開幕まで4日しかない2月4日夜、北朝鮮は唐突にも北朝鮮の芸術団「三池淵管弦楽団」を万景峰号にのせて海路を使って韓国に行くと通報してきた。 目的は韓国独自制裁を無力化するためだ。2010年5月以降、韓国は北朝鮮の船舶の韓国港へは接岸を禁止している。朴槿恵(パク・クネ)政権時代の2016年3月以降、韓国政府は北朝鮮に寄港したことのある船舶は180日間韓国の港に寄港できない措置を取った。そのような制裁措置を取り崩すために、いま南北が共に躍起になっている。南北の不透明な関係 三池淵管弦楽団一行が平壌を出発したのは2月5日、韓国政府の韓国政府が海路を使っての入国を許可するかしないかで「慎重に検討」している最中だった。文在寅(ムン・ジェイン)政権は「例外措置」として万景峰号の入港を認めると発表したが、事前合意があったとしか思えない。海路の利用は合意文書にはなかったが、水面下で南北は、北朝鮮代表団の訪韓につき、原則的に如何(いか)なるルートを通じてやって来ようが許容することにしたのではないか。警官隊と入港に反対する人たちが衝突する中、韓国東部・東海市の港に入港する北朝鮮の貨客船「万景峰92」=2018年2月(共同) 空のルートもそうだ。1月31日、韓国はチャーター便を借りてスキー選手を含む45人の代表団を北朝鮮に送った。韓国政府は、アジア最大規模を誇る馬息嶺スキー場で北朝鮮選手らと合同訓練を行うために選手団を送ると説明したが、目的は他にあったようだ。北朝鮮に送り込んだ選手らは平昌五輪の出場権を持っていない選手のみ。しかも訓練はたったの3時間ほどだった。 国連制裁決議「2270号」は、国連加盟国は、北朝鮮に航空機、乗務サービスを提供してはならないことになっている。しかもアメリカは北朝鮮に乗り入れした飛行機のアメリカへの入国を禁止する措置を取っているが、文政権は「例外措置」として北朝鮮へ航空機を飛ばし、閉ざされた空路を開けてあげたのだ。 平昌五輪が開幕する9日にソウルを訪問すると発表した北朝鮮の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議議長(名目上北朝鮮を代表する役職)は、世界中のほとんどの国が乗り入れを拒否する高麗航空を利用するとの情報もある。これも文政権は例外措置として認めるとみられる。 韓国の有力日刊紙「朝鮮日報」は7日付社説で「文政権は例外を乱発して対北朝鮮制裁の原則を取り崩し、効果が表れ始めた制裁を前面にたって揺さぶっている」と批判した。平昌五輪の開幕式に出席するため代表団を率いて訪韓するアメリカのペンス副大統領は「五輪メッセージが北朝鮮にハイジャック(拉致)されようとしている」「韓国と北朝鮮がオリンピックで如何(いか)なる協力をしようとも国際社会で孤立させなければならない北朝鮮という国家の本質を隠すことはできない」(2月5日、アラスカにて)と南北の不透明な関係に懸念を示す。 ところが、韓国の与党、共に民主党議員の一人はペンス副大統領の訪韓を「めでたい家に、哭(こく)しにくるんだ」とアメリカを批判、安倍総理の五輪出席を「他人の宴に出て勝手に踊る(『グッ』と呼ばれる韓国シャーマニズム儀式をする)つもりだ」と批判する。 文大統領の対北朝鮮政策の助言役で左派陣営の重鎮である統一部元長官の丁世鉉(チョン・セヨン)は、「北朝鮮が憲法上の国家首脳である金永南を平昌五輪に送るのには対話へのメッセージが盛り込まれている」と語り、南北首脳会談の話を持ち込むだろうと歓迎する姿勢だ。北朝鮮も韓国も勘違いしているとしか思えない。平昌五輪は南北の祭りではなく、地球人の祭りのはずだ。(文中、一部敬称略)

  • Thumbnail

    記事

    南北統一五輪で文在寅が狙う韓国保守派「根絶やし計画」

    重村智計(早稲田大名誉教授) 韓国人は「統一」の言葉に憧れ、心躍らせる。金大中(キム・デジュン)元大統領や盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は、この感情を利用し支持率を上げた。北朝鮮も韓国から資金を獲得するために、「夢見る統一」の言葉で韓国人の心をつかんだ。だが、さすがの韓国人も南北指導者の「三文芝居」にようやく気が付いたようだ。女子アイスホッケーの南北合同チーム結成に50%が反対し、賛成は40%にとどまった。南北指導者の陰謀はかつての力を失っている。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の支持率も急落した。 南北の陰謀は「同床同夢」に近い。何より北朝鮮を延命させる「制裁破り」で協力している。韓国では、左翼政権が長期独裁化を目指し、政権内の極左グループは北朝鮮による南北統一に憧れる。「統一旗」の入場は、童話の「裸の王様」の再現だ。「統一」は現実的ではないのに「統一五輪」とはやし立てている。 北朝鮮は開会式前日の8日に、平壌で人民軍創建70周年の軍事パレードを見せ、平和の祭典に「凍風」を送った。また一方で、金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員会委員長を送り込む「微笑作戦」を見せた。制裁対象の貨客船「万景峰(マンギョンボン)92」が芸術団「三池淵(サムジヨン)管弦楽団」団員を載せて韓国に入港した。 万景峰号は、石油製品を満タンに入れて帰国するとの指摘がある。まさに南北協力の制裁破りだ。金永南氏に権限はほとんどない。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は妹の金与正(キム・ヨジョン)氏を9日、ソウルに派遣した。金委員長が信頼する唯一の人物である。開幕式の翌日に文大統領との昼食会が設定されたが、南北首脳会談について話し合うとの観測がしきりだ。2018年2月9日、韓国・仁川国際空港に到着した金正恩朝鮮労働党委員長の妹、金与正氏(中央、聯合=共同) 軍事パレードではひな壇の顔ぶれが注目された。なぜ平昌五輪前日に軍事パレードを行うのか。金委員長による軍の完全掌握と「党優位」の誇示に必要だった。 社会主義国家では「共産党が軍に命令する」。父親の金正日総書記は「先軍政治」により、「軍が党に優越」する体制を築いた。金委員長は「党が軍に指示する体制」復活に政策転換したが、軍幹部の抵抗が激しく、多くの幹部が処刑、追放された。 人民軍創建記念日は、昨年までの4月25日から2月8日に変更された。朝鮮労働党の創建記念日は1945年10月10日である。現在の朝鮮人民軍が創設された1948年2月8日を記念日とすることで、「党優位」の論理につながるからだ。4月25日は1932年に満州で創設された「朝鮮人民革命軍」(抗日遊撃隊)の記念日で、「軍優位」の理屈が残ってしまう。つまり、8日の軍事パレードは軍の抵抗勢力への「勝利宣言」で、どうしても来年まで延期するわけにはいかなかったのである。韓国は密かに巨額資金を送った? 米国のトランプ大統領と中国の習近平国家主席は開会式に出席しない。韓国の置かれた状況を物語る。安倍晋三首相が辛うじて文大統領のメンツを救った。安倍首相の参加には批判もあるが、日本がはっきりものを言うためには正しい外交選択だ。韓国の文化は、はっきりものを言い合うのに慣れている。それなのに日本の政治家は遠慮しすぎた。 けんかの必要はないが、日本の立場は明確に伝えるべきだ。信頼関係を築くには、隣の大国としての品位が大切だ。慰安婦問題で攻撃される朴裕河(パク・ユハ)教授や李栄勲(イ・ヨンフン)教授らに、安倍首相との面会の機会を与えてほしい。 北朝鮮は「大韓民国」を認めない。「存在しない」とのフィクションを維持しているからだ。日本では理解できないだろうが、「正統性」のためだ。正当性は儒教文化最大の政治的基準である。北朝鮮は、金日成主席が日本帝国主義と戦争し「勝利した」事実を「国家の正当性」にする。韓国には、日本帝国主義軍と戦争した指導者はいないから「正当性はない」として、「大韓民国は存在せず、南は米帝国主義の傀儡(かいらい)政権」とのフィクションにしがみついている。 平昌五輪を「平壌五輪」と批判する人たちがいる。ソウルでは「北朝鮮参加のために巨額の資金を送った」との声がささやかれる。金大中元大統領は南北首脳会談のために、「5億ドル(約500億円)」の現金を送っていた。北朝鮮との交渉には「数億ドルの現金が必要」というのが常識だ。車両で現金が運ばれたとの観測も出ている。北朝鮮スキー場での南北合同練習にも、使用料が支払われたのか。韓国北東部、麟蹄のホテルで開かれた韓国側主催の夕食会に参加した北朝鮮応援団の女性ら=2018年2月7日(韓国統一省提供・共同) 文大統領の支持率は70%から50%台に落ちてしまった。なぜ北朝鮮の五輪参加を求めたのか。文大統領の学生時代は、北朝鮮に国家の正当性があると主張する『解放前後史の認識』という著作シリーズが、学生の間で大人気だった。文大統領と任鐘晢(イム・ジョンソク)大統領秘書室長らは、この著作に影響を受けた世代だ。 文政権の狙いは、五輪後の南北首脳会談と北朝鮮への制裁緩和だ。その次は憲法改正を行う。韓国大統領の任期は1期5年だ。それを2期8年が可能になるように変更し、文大統領も再選出馬できれば、およそ10年間政権を握れる。その間に韓国の保守派を根絶やしにする戦略だ。 だが、文政権には、北朝鮮が「南朝鮮革命と軍事統一」の戦略を捨てていないとの現実認識はない。米中央情報局(CIA)のポンペオ長官は1月23日に「北の核開発の目的は朝鮮半島再統一だ」と韓国に警告した。これまでは、米国の攻撃を抑止するためとの判断が一般的だった。「再統一戦略の一環」という認識を打ち出したことで、北朝鮮の統一戦略に関する文書や証拠を手に入れた事実をうかがわせた。米国は、韓国への軍事侵攻と同時に米国への核ミサイル発射の危険があると受け止めている。 宴の後には、北の核とミサイルの実験が待っている。韓国世論は分裂し、文在寅大統領の支持率は下落するだろう。北朝鮮への制裁はさらに強化され、北では軍と党の摩擦が強まる恐れがある。朝鮮半島をめぐる緊張は高まる一方だ。

  • Thumbnail

    記事

    「スポーツの上に政治がある」平昌五輪、統一コリア実現の舞台裏

    春日良一(スポーツコンサルタント) オリンピックは何をもって成功裏に終わったといえるのか。今、2020年東京五輪大会組織委員会の面々に「東京五輪の『成功』とは何ですか?」と問えば、異口同音に「大会が無事に終了すること」と答えるだろう。 無事に大会が終了するという意味で、平昌五輪が成功する確率はかなり高まった。それは年頭、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が「新年の辞」で参加を宣言したからである。それまでは、大会2カ月前の競技別エントリーが期限になっても、北朝鮮オリンピック委員会は正式手続きを行っておらず、「五輪不参加」というのが大方の見方であった。韓国専門家の中には「100%参加は有り得ない」と断言する人もいたほどだ。2018年の「新年の辞」を発表する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(朝鮮中央通信撮影・共同) しかし、締め切りを過ぎても、国際オリンピック委員会(IOC)は諦めなかった。本来なら、この時点でエントリーがなければ参加できない。しかし、トーマス・バッハ会長は「最終エントリーである大会1カ月前の個人エントリーまでに手続きをすればOKだ」と表明したのである。 五輪参加で最も重要とされるのはエントリーの有無だ。公平性を保つための伝統的なルールであり、ミスをすれば国内オリンピック委員会(NOC)の委員のクビが飛んでしまった例もある。だからこそ、バッハ会長の表明は異例中の異例、いやこれはもう「特例」と言っていい。五輪の伝統を崩してでも、北朝鮮の参加を最後まで待とうとしたのである。この時点で、筆者はIOCが平昌五輪組織委員会、南北両国のNOCに水面下で働きかけているのではないかと思っていた。 なぜなら、北朝鮮には1996年からIOC委員として活動する張雄(チャン・ウン)氏がいるからだ。IOC委員はオリンピック理念を実現するために貢献する使命がある。今年一杯で退任する張委員が「最後の奉仕」として南北友好の五輪実現に努力しないはずがない。五輪運動に携わり、彼自身を見てきた筆者にはそう見て取れた。 ただ、政治が絡む問題は非常に繊細な対応が必要なのは言うまでもない。昨年6月、張委員は「スポーツの上に政治がある」とメディアに語り、統一コリアチームの実現が簡単ではないことを示唆していた。一方で「(北朝鮮と韓国の)2カ国が決めることではなく、IOC委員が話し合う問題」と断言もしていたのである。いち早く「統一コリア」を実現した日本人 実際に、金委員長の「新年の辞」を皮切りに急展開した「統一コリア」の動きは、1月20日にIOC本部で行われた平昌組織委、両国NOCとの四者会談で結実する。バッハ会長は平昌五輪に北朝鮮選手22人の参加や南北合同行進を認めたことを発表したのである。そして、五輪初の南北合同チームが女子アイスホッケーで実現することになった。 しかし、新年の辞から南北会談、四者会談という、わずか半月の流れは外交常識に照らし合わせても、あまりに早すぎ、出来過ぎの感は否めない。この急展開を冷静に読み解けば、「北朝鮮のエントリーを待つ」と事実上認めたバッハ会長の発言がサインになる。新年の辞はあくまでのろしであり、バッハ発言のあった昨年12月以降にこのシナリオが大きく動き出したとみるのが合理的だろう。2017年6月、世界テコンドー選手権が行われた韓国・茂朱で、板割りを披露するIOCのバッハ会長(共同) それは昨年6月、バッハ会長が世界テコンドー選手権の閉会式に出席するために韓国入りしたところから始まる。文在寅大統領が示した南北合同チームの結成案について、バッハ会長は文大統領の表明に感謝した上で「五輪は相互理解や対話、平和の精神に基づいている」と述べている。しかも、北朝鮮政府との交渉のキーパーソンとなる張委員は、元世界テコンドー連盟会長でもあった。名誉総裁として世界テコンドー選手権に来韓した張委員とともに、IOCは北朝鮮へのアプローチに本腰を入れたはずだ。 実際、IOCは文大統領との会談後、北朝鮮選手が平昌五輪に参加できるように支援することを確約している。この支援を決めた理事会から、IOCによる統一コリア実現への具体的アクションが始まったのだろう。 実は過去にも「統一コリア」を実現した人物が日本にいた。1991年、千葉県で開催された世界卓球選手権を成功に導いた当時の国際卓球連盟(ITTF)会長、荻村伊智朗氏である。荻村氏は実現のために、自ら北朝鮮に何度も出向いて、選手強化に励んだ。世界一を競う場で実力が違いすぎれば、チームとしてまとまらないからだ。荻村氏の努力の結果、南北の実力差は解消され、参加が実現した。南北の卓球選手はともに戦う空気が生まれ、統一旗の下で素晴らしいパフォーマンスを披露し、女子団体では強豪中国を破って優勝したのである。 この時の北朝鮮側の交渉相手が張雄委員であり、彼の統一コリアへの情熱もこの結果に結びついている。また、今回の統一コリア実現に慎重だったのも、あの世界卓球の経験があったからだ。だが、並大抵なことではないからこそ、女子アイスホッケーの合同チームも使命のために団結し、想像以上の力を発揮できる可能性がある。もし、このチームが決勝ラウンドに進むことになれば、その反響は想像を絶するだろう。スポーツが政治を利用する だが、女子アイスホッケーをはじめ、統一コリアに対して「スポーツの政治利用」「文政権の行き過ぎた北朝鮮融和策」などと批判的な意見が韓国国内でも多く聞かれる。確かに、五輪では過去にも「スポーツの政治利用」に対する批判の声が挙がったことはある。その代表的な大会が1936年のベルリン五輪だ。ナチス指導者、アドルフ・ヒトラーが国威発揚の機会として利用し、「ナチズムにオリンピックが利用された」と言われる。しかし、ヒトラーが国を挙げて作り上げたベルリン五輪の遺産が今も受け継がれていることも事実である。聖火リレー、開会式の入場行進、放鳩、これらはすべて「平和のシンボル」として継承されている。 それだけに、今回の統一コリア実現を「スポーツの政治利用」という一方的な視座で捉えるべきではない。五輪の原点とは「スポーツによる世界平和構築」である。1894年6月23日にIOCが創設されたのは、帝国主義が蔓延する欧州で世界戦争の危機を感じたからだ。古代オリンピックを復活させ、世界の若人が同じルールの下に競技することで、互いの尊敬と友情を育むことを知る機会を創出したかったのである。 また、五輪はたとえ国家間の紛争状態があっても、この祭典の期間は中断して参加しなければならないという「休戦」の思想がある。これは古代オリンピックから受け継ぐ尊い精神だ。実際、1992年のボスニア紛争で、当時のサマランチ会長は世界で初めて「五輪休戦」を訴えた。それ以降、開催のたびに国連総会でこの思想への支援決議が採択されている。 金正恩政権は長距離弾道ミサイル「火星15」発射実験を強行するなど、今も「先軍政治」を優先し、核ミサイル開発に注力する姿勢を崩していない。一方、米国も北朝鮮に対する圧力を強め、朝鮮半島の緊張は続いている。その風穴をスポーツが開けたとみることはできないだろうか。現状では、少なくとも五輪期間の「休戦状態」は確保できそうである。軍事でも外交でも解決が難しい状況の中で、五輪は政治を利用して、平和を生み出そうと努力している。韓国と北朝鮮のアイスホッケー合同チームが着るコートに付けられたワッペン(左)。朝鮮半島の右側に竹島(右端)が刺しゅうされている=2018年2月5日(聯合=共同) 統一コリアは、多くの識者が指摘するような、韓国と北朝鮮両政府が五輪を利用するために実現したのではないと信じたい。むしろ、IOCがスポーツを利用して、朝鮮半島の融和の実現に動いて結実したとみるべきである。互いに息切れしつつある文大統領と金正恩政権に「スポーツ王国の元首」が救いの手を差し伸べたというのは、言い過ぎだろうか。 平昌五輪は本当の意味で成功するのか。閉会式の最後、IOC会長は必ず「この大会は史上最高の大会であった」と高らかに宣言する。恐らく平昌五輪もそう祝うのだろう。しかし、混迷を深める現代世界では、五輪が逆に政治を利用して、平和や対話、そして和解を図る道具にしていかなければならない。統一コリアがその証になったとき、平昌五輪は歴史的成功を収めたと胸を張れるだろう。

  • Thumbnail

    記事

    「五輪停戦」で金正恩の勝利、文大統領の危険な「前のめり外交」

    2日(韓国取材団・共同) 1月9日の南北会談は金正恩のプロパンガンダ勝利となった。南北は北朝鮮の平昌オリンピック参加に合意した。南北会談と「五輪停戦」は金正恩を平和の人と印象付けることになった。 これはひどく苛立たしいことだ。しかし金正恩の深謀は韓国と米国の間に楔を打ち込むことだ。今や文在寅(大統領)には米韓分断にならないことを明確にする責任がある。 戦略問題は米国としか話をしないとの、これまでの北の一貫した政策からすれば、新年の金正恩の南北会談提案は驚きであった。北の宣伝によれば韓国は米国の傀儡政権だ。最大の例外は金大中が南北首脳会談開催と引き換えに数百万ドルを北に支払った2000年だった。2000年の首脳会談により南北は「太陽政策」と呼ばれる短い融和の時期に入ったが、この間多額の対北援助が行われた。 文在寅は開城工業団地(北にとり毎年1億ドルの外貨収入源)を含む太陽政策を復活したいと考えている。先ず核、ミサイル開発を縮小すべきとの米国の政策に相反して、文在寅は5月の大統領就任時から対北直接対話を呼びかけてきた。北はこれを相手にせずミサイルの完遂を進めてきたが、今は南北会談により政治的利益を得ることができると考えている。 恐らくトランプ政権は五輪のために韓国の考えに従うことにしたのであろう。韓国は五輪の期間定例の軍事演習の延期を求め米国はこれを黙認した。 北はオリンピックの後も会談を継続し、それにより韓国を米から離反させることを狙っているかもしれない。国連制裁が効果を発揮し、燃料の流れは段々と減り、輸出による外貨収入も難しくなっている。そのような状況なので韓国との関係改善は非常に魅力的になってきた。しかし文在寅には大きな制約が掛かっている。国連制裁のため資金援助は困難であり、また北の急速な核兵器開発の結果半島の緊張が高まり韓国の対米軍事依存は高まらざるを得なくなっている。 米国はオリンピックの間も韓国沿岸にカール・ビンソン空母軍を展開すると明らかにしている。このような米軍の展開こそが、戦争を脅かしながら平和を求めるような金正恩との融和よりは一層信用できる平和の保証になる。出典:‘North Korea’s Peace Games’(Wall Street Journal, January 9, 2017) この社説は全くの正論です。北は五輪終了後も対話を継続させ米韓離反を狙っているかもしれないとの指摘は的確です。韓国主要紙の反応も総じて文在寅の対応に諸手で賛同ということではありません。文在寅は優先順位を理解していない 10時間を超える会談の後、3項目の共同合意文書が発表されました。合意の第一は北の平昌五輪への参加です。第二は、「軍事的緊張状態の緩和」について、南北の偶発的な衝突を防ぐため軍の当局者の会談を開催すること、第三は、「南北関係の改善」につき問題の解決は韓国と北朝鮮の「当事者同士で行う」ことです。 五輪に参加する北側高官代表団、選手団、応援団の派遣と北側関係者の滞在の便宜を南側が保障するという内容も共同文書に入っているといいます。これに対し、この滞在支援は国連制裁に反するのではないかとの指摘が出ています。制裁のためか、北は高麗航空の使用ではなく陸路で入るということです。韓国政府は制裁との関係につき米国や国連と協議すると述べています。 今後、開城工業団地、金剛山観光開発の再開を北が求めてくる可能性も排除できません。制裁の厳格な実施が最重要であることを韓国に念押しすべきです。 北の五輪参加は良いことですが、最重要問題の非核化は議論されませんでした。会談で韓国側が非核化に言及したところ、北は峻拒したといいます。南北会談の限界とリスクを表しています。今後南北で軍当局者会談が開催されるでしょうが、過去の例も考えると、大きな成果は期待できません。北は米軍の展開や合同演習の中止を強く求めるでしょう。 南北関係に関する南北の文言には齟齬が出ています。韓国の発表では「われわれ民族が韓半島(朝鮮半島)問題の当事者として対話と交渉を通じて解決していくことにした」(9日夜韓国政府発表)であるのに対し、北側の発表は「われわれ民族同士の原則で、対話と交渉を通じて解決していくことにした」(10日未明朝鮮中央通信報道)となっています。南北間の言葉使いとして北側の文言には特別の意味が込められており、米韓同盟に楔を打つ考えが一層明確になっていると言われます。 文在寅の、危なっかしいともいえる前のめりの外交には、一層の注意が必要です。文在寅は今の優先順位を十分に理解していないのではないかと思われます。更に文在寅は従来から北朝鮮問題では韓国が運転席にいるべきだとか、韓国がリードすべきだと述べています。過去の失敗も余り理解していないようです。南北対話が持続的に成功した例はないのではないでしょうか。南北融和を図る度に核問題がうやむやにされ、その間に北は核、ミサイルの開発に邁進し、今日の事態に至っています。核問題は今が最後のチャンスです。1月10日、ソウルの韓国大統領府で年頭記者会見を行う文在寅大統領(共同) 1月10日に文在寅はトランプと電話で会談、南北会談の結果を伝えた。韓国側の説明によれば、両首脳は米韓間の協力を強化することで合意し、南北協議が「米朝間の対話」につながる可能性もあるとの見通しを示したといいます。しかし最近も米韓間の対外説明に齟齬があった事例が指摘されており、懸念が残ります。 今後、北の五輪参加準備がうまく進めば、ともかく3月中旬までは今の状態で推移するでしょう(オリンピック2月9~25日、パラリンピック3月9~18日)。しかし、五輪の後は元のギアに戻し、対北圧力を強めていかねばなりません。その間も対北制裁は効いてきます。

  • Thumbnail

    記事

    南北会談 印象に残った北朝鮮の余裕と韓国の弱腰ぶり

     臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になった著名人をピックアップ。記者会見などでの表情や仕草から、その人物の深層心理を推察する「今週の顔」。今回は、南北会談での韓国・北朝鮮両国代表の心理戦を読み解く。 * * * 2018年元日の朝、薄いグレーのスーツを着た金正恩朝鮮労働党委員長が、「新年の辞」で平昌五輪への参加を表明した途端、南北閣僚級会談が2年5か月ぶりに開かれた。和やかな雰囲気で始まり、北朝鮮側の代表団は融和ムードを演出していたというが、その心中はどうだったのだろう。 会談が開かれたのは、軍事境界線にある板門店の「平和の家」。韓国側にあるこの施設に、北朝鮮の代表団は軍事境界線を徒歩で渡ってきた。軍事境界線は幅数センチで段差のあるコンクリートの帯。簡単にまたぐことができるその段差を、彼らはまたぐことなくわざわざ踏みつけ、その上に一度上がってから韓国側にやってきたという。わずかではあるが高い位置から、韓国側に足を下ろしたことになる。 それを、分断の壁をなくそうというアピールという見方もあるが、隠された意図はそれだけではないだろう。というのも、高さは力を意味するのだ。人は高い所にいる者は力が強く、低い所にいる者は力が弱いと感じる。軍事境界線をまたげば、高さは変わらず北朝鮮と韓国は対等となるが、段差に上がれば、北朝鮮側は韓国よりも高い位置から会談に向かうことになる。 つまり、自分たちが韓国よりも上、南北問題に対する主導権も自分たちにある、ということを示す意図があったのではないだろうか。そう思って会談を見ると、終始、北朝鮮側がリードしていたのも腑に落ちる。 北朝鮮の李善権祖国平和統一委員会委員長と、韓国の趙明均統一相は並んで姿を見せたが、会場に入る瞬間、李委員長の肩が趙統一相より前に出て、李委員長が先に入った。またどちらの代表団も全員が書類を脇に抱えているのに、李委員長だけ手ぶら。内容が頭に入っているのだろうが、一人だけ手ぶらというのは、それだけ自分の権力や優位性を誇示している。 強面でいかつい印象の李委員長は笑みを浮かべ、韓国側の施設なのに両手を広げて着席を促し、始めから主導権を握る。緊張した面持ちの韓国側の代表団は、背筋を正して椅子に座ったが、北朝鮮側は皆、肩を張って、ややふんぞり返った格好だ。これは、相撲協会の理事会で貴乃花親方が見せていた、あの対決姿勢と同じ。この姿勢を見ると、彼らの融和ムードがあくまで演出にすぎないことがわかる。 また融和ムード演出はこんな所にも出ていた。以前なら、握手する手を指し出すのは韓国側。だが李委員長は今回、微笑みながら自分から手を差し出した。映像に納まる二人の姿を見ると、その意図が“融和”だけでないことがわかる。悠然と立って握手する李委員長と、テーブルを挟んで前のめりになって手を伸ばす趙統一相。この会談でどちらが優位に立っているのかを、象徴するような写真となっていたからだ。南北会談で握手する韓国の趙明均統一相(右)と北朝鮮の祖国平和統一委員会の李善権委員長=2018年1月9日、板門店(韓国取材団・共同) 今回、北朝鮮側は全員がスーツ。新年の辞で金委員長がスーツだったことを考えれば、それに倣ったともいえるが、スーツ姿の方が親しみやすく感じるのは確かだ。人は自分と似ている者に好感を持ちやすいという性質がある。 そんな諸々を考えると、融和というより、韓国を懐柔しているように見えてくる北朝鮮。果たして平昌五輪では、どんなパフォーマンスを見せるのだろうか。関連記事■ 韓国メディアの「良心的日本人」 竹島、慰安婦等問題の見解■ 高梨沙羅 「オルチャンメイク」に似ていると韓国で大人気■ 高須院長 韓国の慰安婦問題再交渉は「無視すればいい」■ 親北を掲げる文在寅政権の先は「赤化統一」と暗黒の生活■ 平昌五輪後に米の先制攻撃で米朝軍事衝突勃発も

  • Thumbnail

    記事

    北朝鮮は平昌五輪で破壊工作に乗り出すか

    が30年前、乗員乗客115人を乗せた国際線KAL機を空中爆破させたのは、翌1988年に迫ったソウル・オリンピックを阻止するためだった。彼女は工作機関の朝鮮労働党対外情報調査部の部長からこう命令されたという。「南朝鮮の飛行機を落とす理由は、1988年オリンピックを前にして南朝鮮の傀儡どもが二つの朝鮮を策動しているのでこれを防ぎ、敵に大きな打撃を与えることにある」「二つの朝鮮を策動」とは、北朝鮮とだけ国交のあったソ連や中国など共産圏が、ソウル五輪参加を機に韓国を認める動きを見せていたことを意味する。そのためKAL機爆破テロで「危ない韓国」「不安な朝鮮半島情勢」を国際社会に印象付け、ソウルで五輪開催ができないようにしようとしたのだ。1987年12月、大韓航空機爆破テロ事件で逮捕され、ソウルの金浦空港に移送された金賢姫元工作員(共同) 北朝鮮のこの懸念は歴史的に見れば的中している。ソ連・中国など共産諸国はその後、韓国との国交樹立に向かい、ひいては「ベルリンの壁」崩壊という東西冷戦終結につながった。共産圏の支持・支援を失った北朝鮮は国際的に孤立し、100万単位の餓死者を出す「苦難の行軍」を余儀なくされ、さらに核開発に走ることになる。 あれから30年。「朝鮮半島危機」のなか韓国ではまたオリンピック開催が迫っている。冬季五輪開催地の「ピョンチャン(平昌)」は国際的には「ピョンヤン(平壌)」とよく間違われるが、韓国北端で北朝鮮と分断された江原道に位置する。北朝鮮としては指をくわえたままでいるわけにはいかないだろう。30年前を教訓にするために 金正恩はピョンチャン五輪にどう出るか? かねてからの「朝鮮半島核戦争の危機」を国際社会に印象付けるため、1988年方式で五輪妨害・破壊工作に乗り出すかもしれない。あるいは「30年前の失敗」を教訓に、和平あるいは平和を演出し、軍事圧力をかける米韓や制裁強化の国際社会を反転させようとするのか。 国際社会としては30年前の「まさか」を教訓に心構えと備えは欠かせないが。 東アジアでは今後、オリンピック開催が相次ぐ。ピョンチャン冬季五輪の後は2年後の2020年に東京五輪、その2年後の2022年には北京冬季五輪が予定されている。 オリンピックはしばしばきわめて政治的である。思い出せばソウル五輪の前には、1980年モスクワ五輪はソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する米国、日本など西側諸国がボイコットし、1984年のロス五輪はソ連、東ドイツなど共産圏が対米報復でボイコットしている。そのため東西両陣営が久しぶりに勢ぞろいした1988年ソウル五輪は「壁を越えて」が合言葉になった。平昌五輪の開会式出席についての記者団の質問に答える安倍晋三首相=2018年1月24日午前、首相官邸(斎藤良雄撮影) 今回のピョンチャン五輪は「北朝鮮の影」を意識せざるをえない。日本の安倍首相も中国の習近平主席も国内で基盤を固め、自分たちのオリンピックも控えているだけに開会式出席は必至である。国際的に影が薄かった(?)韓国の文在寅大統領にとっては存在誇示の絶好のチャンスだ。少し格落ちだが、小池東京都知事はどのタイミングでピョンチャンに出かけるのだろう。新年の東アジアは北朝鮮情勢を念頭に“オリンピック外交”が見ものである。【PROFILE】くろだ・かつひろ/1941年生まれ。京都大学卒業。共同通信ソウル支局長、産経新聞ソウル支局長を経て産経新聞ソウル駐在客員論説委員。著書に『決定版どうしても“日本離れ”できない韓国』(文春新書)、『隣国への足跡』(KADOKAWA)など多数。関連記事■ 平昌五輪後に米の先制攻撃で米朝軍事衝突勃発も■ 文在寅政権中枢は親北派だらけ 北朝鮮の理解者を内外にPR■ 北朝鮮ミサイル発射 早朝でも安倍首相の血色がよかった理由■ 北の漂着船 元軍人の漁師を強制送還すると1人83万円かかる■ 中国尖閣攻勢は米にとって「日本の国難」との深刻な懸念

  • Thumbnail

    テーマ

    首相は平昌五輪に出席すべきか

    安倍晋三首相が平昌冬季五輪の開会式に出席する意向を表明した。「慰安婦合意について日本の立場を伝えていきたい」。首相はこう語ったが、慎重論が渦巻く中での訪韓決断に政権内でも賛否が分かれる。スポーツの祭典と割り切るべきか、五輪の政治利用と捉えるべきか。その是非を考える。

  • Thumbnail

    記事

    「恨みは善意からも生まれる」総理の平昌出席は危険かつ愚行である

    つの事例であろう。こうした文大統領の思惑に、日本があえて付き合う合理的な理由は率直に乏しいであろう。オリンピックは「スポーツの祭典」であるという建前の下に、安倍総理が平昌に赴くべき根拠は薄弱なのである。人の恨みは善行からも生まれる 前に触れた政権与党部内の「安倍訪韓期待論」は、日本が対韓強硬姿勢の一色に塗り込められたわけではなく、その故に韓国に対して「善意」を表そうとしたことを内外に示す限りにおいて、相応の意義を持つのであろう。大体、現下の北朝鮮を典型的な事例として、周囲の国々に対して、殊更に「悪意」や「敵意」を向ける対外姿勢が、真っ当なものであるはずはない。既に「氷河期」に入ったとおぼしき日韓関係の現況下、日本が「善意」を忘れなかったと知られることは、わが国の声望の上でも意義深いことかもしれない。 ただし、政治の文脈における「善意」の意味を考える際には、ニコロ・マキアヴェッリが『君主論』(『マキアヴェッリ語録』塩野七生、新潮社版)書中に残した次の一節を参照することが大事である。 「人を率いていくほどの者ならば、常に考慮しておくべきことの一つは、人の恨みは悪行からだけではなく善行からも生れるということである。心からの善意で為されたことが、しばしば結果としては悪を生み、それによって人の恨みを買うことが少なくないからである」マキアヴェッリの『君主論』(iStock) このマキアヴェッリの言葉を踏まえるならば、「善意」の政治上の効果を素朴に信じるのは、率直に危険にして愚かなことである。文大統領麾下の韓国政府は、仮に日本が安倍訪韓という体裁で「善意」を示した場合の見返りとして、どのような「善意」を日本に示すつもりであろうか。そうしたことが曖昧にされたままの安倍訪韓は、日本の国益に照らし合わせて有害なものにしかなるまい。 加えて、確認されるべきは、「東京2020」という催事が日本という国家にとって持つ意味である。安倍総理が平昌五輪開催式に出席しなかった場合、文大統領が「東京2020」の折に訪日するのを期待するのは、客観的に難しくなるであろう。「安倍訪韓期待論」には、そうしたことへの懸念もまたいくばくかは反映されていよう。しかしながら、「東京2020」に先立ち、来年に平成の次の御代が来ることを思えば、その折に海外から顕官貴賓を迎えることになる「大礼」こそ日本という国家にとっては最も重要な祭事であろう。 代替わりの際の「大礼」は、当然のことながら、その重要さにおいて「東京2020」がしのぎ得るものではない。「東京2020」という高々、スポーツイベントに過ぎぬものに過度の意義を持たせて、日本の国家路線や対外政策方針をねじ曲げない配慮こそが肝要であろう。「平昌2018」への対応は、そうした距離感を問うているのである。

  • Thumbnail

    記事

    安倍首相「平昌五輪欠席」の政治判断に反対する

    倍晋三首相は出席すべきであり、国会日程を理由に欠席することにも反対である。 世界の国家元首に対して、オリンピック開会式への招待状を出すことは、いつから始まったのか不明だが、少なくとも「オリンピック憲章」と昨年公開された「開催都市契約」には、その必要性も否定的見解も記載されていない。 国際オリンピック委員会(IOC)も、各国の政府代表が、開会式へ出席することや、政治的理由をつけて拒否することについて、評価も批判もしていないのである。開催国の元首が世界の国家元首に招待状を出すのは、主役である開催国が高評価を得るために長年の慣例として行われてきただけである。 また、オリンピック大会のたびに厚遇が保障されているオリンピックファミリーにも、IOCは国家元首を入れていない。それどころか、オリンピック大会の「開催期間中、政府またはその他の機関の代表、その他の政治家が、大会組織委員会(OCOG)の責任下にある競技会場において演説することは、いかなる種類のものであれ認められない」とオリンピック憲章で禁止されており、政治家の発言さえも封鎖しているのである。にもかかわらず、国家元首のオリンピック開会式出席は、開催国に対する重要な評価の一つになり、その参加人数や拒否理由などが、大会ごとに話題となるなど注目され続けているのである。 翻(ひるがえ)ってみれば、2008年の北京五輪では、チベット弾圧などの人権問題を批判する欧米諸国が開会式出席のボイコットをちらつかせた。しかし、中国も改善をアピールし、すべての国連加盟国に招待状を送るなど猛烈に巻き返し、結果的に100人以上の各国要人の出席を確保した。これは当時の過去最高人数であり、日本も聖火リレーの混乱を批判しながらも当時の福田康夫首相が出席している。 2014年のソチ冬季五輪は、ロシアが「同性愛宣伝禁止法」を制定したことに反発した欧米諸国の首脳が多数欠席し、結局出席した国は四十数カ国にとどまった。なお、この時の日本政府は、安倍首相が「北方領土交渉」を進めるためとして出席しており、一部の国から批判を受けている。リオデジャネイロ五輪に至っては、開催国ブラジルのルセフ大統領が弾劾手続きで職務停止中となり政情不安になったことで、世界から批判が殺到し、40人ほどしか参加しないという結果に終わった。2014年のソチ冬季五輪の開会式に出席した安倍晋三首相(中央)=ロシア・ソチのフィシュト五輪スタジアム (代表撮影) このように、各国が開催国への批判を理由に五輪開会式の出席可否を決定することは、国家間の政治的対立をあおることになり、その応酬が続いている。 そして、今回の安倍首相の参加可否が注目されている中で、自民党の二階俊博幹事長が「国会と五輪出席は、両方とも大変重要な政治課題」という旨の発言を公然としており、そのことをマスコミも違和感を覚えていないことが、この問題の根深さを物語っている。「平昌欠席」を黙殺するIOC こうした開会式への国家元首の出席について、自国の重要な政治課題として決定している現状をIOCが黙視しているのは極めて不可解である。この問題を政治介入あるいは政治利用と認識することを、IOCはあえて避けているとしか思えない。オリンピック憲章には、IOCの使命と役割として「スポーツと選手を、政治的または商業的に不適切に利用することに反対すること」と定めているのであって、IOCはこの悪しき傾向を断じて黙殺すべきではない。 したがって、オリンピック憲章に示されている「開会式のプロトコル(儀礼上の約束事)」の中に、開催国と世界各国が、開会式への国家元首の出席可否を開催国に対する政治的メッセージに利用しないよう追記すべきである。 IOCは、過去に国連総会の場を通じて、何度もオリンピックの自治を働きかけてきた。2014年10月には「スポーツの独立性と自治の尊重およびオリンピック・ムーブメントにおけるIOCの任務の支持」を全会一致で取り付け、2015年4月にも、バッハ会長が国連本部で「スポーツは世界を変える力を持ち、さらに重要な役割を果たす時代が来た。スポーツは政治的に中立な立場でなければならない」と演説し、絶賛を得ているのである。記者会見するIOCのバッハ会長(左)=2017年12月5日、ローザンヌ(AP=共同) 今回の開会式出席問題についても、IOCが国連の場で、開催国に代わって五輪開会式には無条件に出席するよう要請し賛同を得るべきではないだろうか。 五輪の開会式は、政治的に中立な「スポーツという部分社会」の場であり、その上サッカーのワールドカップのような選抜された国の集まりではなく、国連加盟国数を超える世界のすべての国と地域が一堂に会することができる唯一無二の機会だからである。このような国際的な場が他にあろうか。  そのような世界の場において、安倍首相が国会日程を理由に開会式を欠席したとしたら、韓国はいわゆる慰安婦問題への抗議のためと受け取ることは明白である。そして、2年後の東京五輪開会式には、韓国大統領が報復で欠席することを覚悟しなければならない。 問題は日韓の応酬だけではない。このような五輪開会式への参加可否に関して、政治的主張の悪しき応酬が続けば、2020年の東京大会でも、日本政府にとっては不本意な理由をもとに、開会式をボイコットする国家元首が出てくることは十分予想される。例えば、ノーベル平和賞を受賞した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)による、「核兵器禁止条約」に日本が加盟しないことを批判する国がボイコットする懸念を考えたことはないのだろうか。 そのためにも、今回の安倍首相の出席について、微力は十分承知ながら、日本オリンピック委員会(JOC)は平昌五輪開会式への参加を促すよう、日本政府に働きかけることを期待したい。しかし現在のところ、JOCにその気配が感じられないのは残念である。 

  • Thumbnail

    記事

    どこが「南北融和の象徴」か、安倍首相の平昌五輪出席は論外である

    池井優(慶應義塾大学名誉教授) 国際的スポーツの祭典オリンピック、世界中のトップアスリートが集まり、大会の模様はマスメディアを通じて世界中に報道されるビッグイベントである。当然、為政者はそれを政治、外交の手段として利用しようと考える。1936年、ベルリン五輪開会式で開会宣言をするヒトラー(共同) 戦前の典型的な例は、1936年のベルリン大会であった。ナチスが政権を取る以前に開催が決定していたオリンピックに、指導者ヒトラーは当初消極的であったが、「ナチスドイツを世界に宣伝する機会にしよう」と態度を一変させ、国家を挙げて大会の準備と開催に取り組むことになった。そして狙いは的中した。特に外国のメディアに対し、通信設備を完備し便宜を図ったため、「前畑ガンバレ」で有名になったラジオの同時中継も可能となり、記録映画『民族の祭典』の各国における上映とあいまって、世界がヒトラー率いるナチスドイツの組織力を高く評価する有力な手段となった。 戦後のオリンピックを政治的利用した具体例としては、1980年のモスクワ大会が挙げられる。大会を成功させたいソ連(現ロシア)は、万全の準備を整えて開催に備えた。しかし前年12月、アフガニスタンで親ソ派によるクーデターが発生、ソ連は軍隊を駐留させて弱体政権を守ることにした。これに反発したアメリカのカーター大統領は、ソ連軍隊がアフガニスタンから撤退しなければ、アメリカは選手をモスクワに送らないと示唆した。同時に、日本、西ドイツなどに同調するよう呼びかけた。「1番安上がりの対米協力」の手段として不参加を決めた日本をはじめ、結局66カ国が不参加、次のロサンゼルス大会にソ連、東欧諸国は参加せず、まさにオリンピックは政治外交の手段として利用されたのである。 戦後いくつかの分断国家が生まれた。東西両ドイツ、韓国と北朝鮮、南北ベトナム、中国と台湾である。国家が2つに割れた場合、オリンピックへの参加はどうするのか。4つの選択肢がある。①両方とも参加しない②どちらか一方が参加する③両方とも参加する④統一チームで参加する。今回の平昌大会のケースは④だが、過去にも例がある。 ドイツの場合、1956年の第7回冬季大会に東西両ドイツの選手が統一チームを結成して参加、以後同年のメルボルンでの夏季大会、そして1968年のメキシコ大会まで、国旗、国歌は旧ドイツ旗にオリンピックマークを付けた統一旗を掲げ、国歌に代わりベートーベンの第九交響曲「歓喜の歌」を使用することで問題は解決した。金正恩の明け透けな狙い 韓国と北朝鮮も2000年のシドニー五輪の開会式で、朝鮮半島をあしらった統一旗、朝鮮民族が生んだ名曲『アリラン』を使用して南北合同行進をしたことがあった。大会直前、韓国の金大中(キム・デジュン)大統領が平壌を訪れ、金日成首相と会談したことは「南北融和」ムードの反映であった。だが、南北朝鮮の合同行進はこの大会とアテネ、トリノの3大会に限られ、以後別の国として参加している。 今回の平昌冬季五輪は「民族融和の象徴」といった単純なものではない。北朝鮮は核ミサイル問題で世界、特にアメリカを敵に回している状況の下、選手のみならず大応援団を平昌に送り、「平和ムード」を印象づけて米韓合同軍事演習の中止を求めるなど米韓離間を策し、さらには国際的包囲網に穴をあけ、韓国から経済援助を引き出そうと意図していることは明らかである。 一方、韓国の文在寅政権はこの冬季五輪を成功させ、南北関係改善のきっかけにしたいともくろんでいる。そして国際オリンピック委員会(IOC)、韓国、北朝鮮、平昌五輪組織委員会の四者会議で次のような決定がなされた。①開会式で朝鮮半島旗を掲げ「コリア」の名で合同入場行進②アイスホッケー女子で南北が合同チーム結成③北朝鮮の選手22人が3競技・10種目に出場④合同チームは国旗の代わりに朝鮮半島旗、国歌の代わりに『アリラン』を使用するという中身である。②のアイスホッケー合同チームの結成について、文大統領は「歴史の名場面になる」と誇らしげに語ったが、単独で参加した場合とは異なり、選手の出場機会を奪うだけではなく、にわかに結成したチームが五輪で活躍する可能性は低いと言わざるを得ない。ソウルの韓国大統領府で行った記者会見で、質問に答える文在寅大統領=2018年1月10日(聯合=共同) しかも慰安婦問題をめぐり、韓国は「最終的かつ不可逆的」に決着したはずの日韓合意の見直しを迫っている。これに対し、日本は「政権が変わろうとも国家間の約束は守るべきだ。日本は1ミリたりともその立場は変えない」(河野外相)との姿勢を貫くが、先のトランプ大統領訪韓の折には、文大統領主催の晩餐(ばんさん)会で元慰安婦の女性にトランプ氏とハグさせるパフォーマンスを演出するなど、日韓関係は冷え込む一方である。さらには、核の脅威のみならず、拉致問題解決の糸口さえ示さない北朝鮮の思惑も見え見えである。そう考えれば、安倍首相の平昌五輪出席などもとより論外であろう。

  • Thumbnail

    記事

    なぜ安倍首相は平昌五輪に行くべきではないのか

    門田隆将(ノンフィクション作家)  私は、日々、変わっていく“観測報道”に驚いている。韓国で2月9日に始まる平昌冬季五輪開会式への安倍首相の「出席・欠席」問題である。なぜ、日本はこうなんだろう、と。 安倍首相は、平昌五輪開会式に出席してはならない。国会云々ではない。日本の首相たる安倍晋三氏は、日本国民を代表して毅然と「欠席」しなければならない。 五輪を政治利用するのではない。北朝鮮との共同チーム編成など、五輪を政治利用しているのは韓国である。日本は、きちんと選手団も派遣するので、そんな次元には立っていない。現に日本政府の高官は出席する。だが、将来の韓国との真の友好のためにも、安倍首相は行ってはならないだろう。 今年、安倍首相が「欠席の意向」を固めたことを1面トップでスクープしたのは、1月11日付の産経新聞だった。記事にはこう書かれていた。 〈(安倍首相の欠席の理由は)表向きは1月22日に召集予定の通常国会の日程があるためとするが、慰安婦問題の解決を確認した2015年12月の日韓合意をめぐり、文在寅政権が日本政府に新たな措置を求める姿勢を示したことを受けて判断した〉 つまり、首相は、「最終的、かつ不可逆的な解決」で決着した韓国との慰安婦合意が反故(ほご)にされたことで、平昌五輪開会式への出席を取りやめることを決断したのだ。当然の判断だろう。安倍首相欠席の意味を韓国の国民がどう受け止めるのか、それは韓国側の問題である。衆院本会議で施政方針演説をする安倍晋三首相 =2018年1月22日、国会(宮崎瑞穂撮影) しかし、その首相の決断をさまざまな人々が覆そうとしている。日本という国の不思議さは、そこにある。踏まれても、蹴られても、それを乗り越えて「相手にすり寄る姿勢」である。日本外交の基本は、「どこまでも ついていきます 下駄の雪」という都々逸(どどいつ)に歌われた姿勢に最もあらわれている。 現在の安倍政権を除き、日本は、ひたすら「中国と韓国」の意向に寄り添ってきた。どれだけいわれなき批判を受けようと、国旗を焼かれようと、史実に基づかない非難を受けようと、ただ、黙って「友好」のために口を噤(つぐ)んできた。 中国の場合でいえば、中国が天安門事件(1989年の六・四事件)で世界中から制裁を受け、孤立を深めていたとき、これに「手を差し伸べ」て、「立ち直らせた」のは日本である。 中国は、国際社会からの非難がつづく中、1992年2月に、悪名高きあの「領海法」を一方的に制定し、中国の赤い舌と呼ばれる「九段線」を設定した。 これによって、東シナ海、南シナ海のほとんどの島嶼(とうしょ)を「自国のものである」と言い始めたのだ。もちろん、尖閣諸島(中国名:釣魚島)も、このときから「中国領」とされた。 しかし、日本はこの時、国際社会が唖然とする信じられない行動に出た。当時、駐中国大使だった橋本恕氏が中国の国際的孤立を打破するために精力的に動き、多くの日本の親中派の政治家・官僚を動かし、領海法の制定発布8か月後の1992年10月に、なんと、「天皇訪中」を実現するのである。微笑外交の限界 当時の宮沢喜一首相、加藤紘一官房長官、小和田恒外務事務次官、橋本恕・駐中国大使の罪は測り知れない。日本の領土である尖閣諸島まで「自分たちのもの」と主張し始めた中国に、いわば国際社会復帰への“お墨付き”を与えたのだ。 中国の民主活動家たち、いや、中国を脱出し、世界中で人権活動をおこなっている中国の人々が、今も「日本だけは許せない」と憤る理由はそこにある。そして、問題は、これによって果たして中国と日本は真の友好関係を結べただろうか、ということである。南北会談で握手する韓国の趙明均統一相(右)と 北朝鮮の祖国平和統一委員会の李善権委員長=2018年1月9日、板門店 「特定アジア」という言葉がある。反日感情が極めて強い中国と韓国、そして北朝鮮を指す言葉である。「特亜三か国」とも言う。特に、中国と韓国は、いずれも慰安婦の「強制連行」という史実に基づかない虚偽をもとに日本と日本人の名誉を貶めつづけている。 「女子挺身隊」を慰安婦と思い込んで報道した朝日新聞と、それを鵜呑みにした韓国の人々が、国家総動員体制下で軍需工場等で働いた14歳以上の「女子挺身隊」を慰安婦と混同し、世界中に「少女像」を建てまくっているのは周知のとおりである。これは「あり得ない喜劇」として、いつか国際社会に認識される日も来るだろう。 しかし、相手がどんなことをやろうと、日本は安倍政権が誕生するまで“微笑外交”をつづけてきた。今回もまた、平昌五輪開会式への安倍首相の「出席」を求める声が政界とマスコミの間に澎湃(ほうはい)と湧き起こっている。 日韓議員連盟という、うわべの「友好」と「利権」に群がった超党派の議員懇談会のメンバーが必死に安倍首相の出席を促しているのである。彼らこそ、韓国との「通貨スワップ」を復活させろという主張をおこなっている元凶でもある。 中国や韓国に日本が毅然とした姿勢を示したことは殆どなく、そのために「日本には強く出ても大丈夫」と舐められ、「真の友好」から逆に遠ざかって来た“愚”が、またくり返されるのだろうか。  そんなことは「二度とくり返さない」、そして、日本は毅然として「是は是、非は非」という姿勢を貫くことを国際社会に示すために、安倍首相は、絶対に「平昌に行ってはならない」のである。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2018年1月22日分を転載)

  • Thumbnail

    記事

    「秘密外交」の無残な結末、また韓国にだまされるのか 

    樫山幸夫 (産經新聞前論説委員長)  「盆と正月が一緒に来る」という言葉がある。新年を迎えた韓国が、まさにそれだった。1月9日に板門店で南北閣僚級会談が行われ、翌10日には、文在寅大統領が慰安婦問題での日韓合意に関して、あらためて日本に謝罪を求めた。「盆と正月」がいい形でやってくるならおめでたいが、残念ながら、そうはならなかった。とくに慰安婦合意についての大統領の方針には、常識ある国々、人々があっけにとられただけでなく、日韓関係がいよいよもって「マネージ不能」(河野太郎外相)に陥るという深刻な状況をもたらした。韓国は、しかし、そういう国なのだろう。誤解を恐れずにいえば、過去に同じ目にあっているにもかかわらず、また騙された日本政府の外交的失敗でもあった。韓国の非を鳴らすだけでなく、自ら反省することも必要だろう。 1月10日の記者会見での文大統領の発言、慰安婦合意検証に関する韓国政府の方針はすでに日本のメディアで報じられているので、その詳細を繰り返す必要はあるまい。ソウルの韓国大統領府で年頭記者会見に臨む 文在寅大統領=2018年1月10日 それにしても驚くのは、先進国クラブ、OECD(経済協力開発機構)に古くから加盟し、世界で11位(2016年)の経済大国である韓国の指導者がいまだに前世紀の発想から抜け出せずにいることだ。絶望的なことだが、そのことを議論しても詮ないことなので、やめておく。 むしろ釈然としないのは、こういう結末になることはわかりきっていたのに、〝秘密交渉〟を進め、10億円の拠出を余儀なくされた日本政府の甘い外交姿勢だ。しかも、日本国民の税金から支払われたその拠出金は、すでに多くの元慰安婦や遺族に給付された後であるにもかかわらず、韓国側が〝凍結〟するという。日本側の意思が踏みにじられた形になってしまった。 〝秘密交渉〟については、韓国政府が昨年暮れに公表した「慰安婦問題日韓合意検証報告書」で暴露された。 報告書によると、局長協議が難航したため、谷内正太郎国家安全保障局長と李丙●(王ヘンに其)国家情報院長(当時)が別ルートでの非公開の交渉を展開した。最終的な合意内容についても、日本側がソウルの日本大使館前の少女像の撤去や第3国での像、碑の設置への善処、「性奴隷」という言葉を使用しないことを求め、韓国側は「適切に解決されるよう努力する」「韓国政府は支援しない」「公式名称は〝日本軍慰安婦被害者問題〟だけ」などと約束したという。 慰安婦の象徴とされる少女像がソウルの日本大使館前に設置されていることは、外交官や外交使節団の身分を規定したウィーン条約に違反し、米国内などでの像設置は、日本に対する誤解を助長する結果になっている。日本としては極めて重大な問題であるはずで、それを非公開にしたという判断は理解できない。韓国は非公開の約束について何ら手段をとらずに放置しており、この部分が両国民にはっきりと公開されていたら、その後の展開は違ったものになったかもしれない。 河野外相は、非公開部分が公表されたことについて、「両国首脳間の合意であり、正当な交渉を経てなされた。合意に至る過程に問題があったとは考えられない」と説明しているが、いささか歯切れが悪い。  日本側としてみれば、10億円で「最終的、不可逆的な解決」が実現するなら安いと考えたのだろう。しかし、そうだとしたら、甘かったという他はない。いや、日本政府は、いずれ韓国政府が問題を蒸し返してくることはわかっていたのではないか。しかし、慰安婦問題に固執していた当時の朴槿恵政権を宥めなければならなかったことに加え、北朝鮮情勢を抱えて日韓関係が不安定になることを嫌った米国から、さまざまな形での要請があったであろうことも想像がつく。やむをえず合意をはかった苦しい決断だったのかもしれないが。予想された結末 2015年暮れの合意当時から、それを危ぶむ声は少なからず存在した。最初は歓迎しておいて、蒸し返されてから「それ、みたことか」と批判に転じる結果論とは違う。合意発表の翌日、15年12月29日付産経新聞の「主張」は早くも「本当にこれで最終決着か」という見出しで、「韓国側は過去、日本側の謝罪を受け、何度か決着を表明しながら蒸返した経緯がある」と強い懸念を表明した。今回まさに、それが的中したというべきだろう。 こうした危惧を抱いたのは、ひとり産経新聞だけではあるまい。やはり日本が資金を拠出したアジア女性基金の教訓から、同じ轍を踏むのではないかとの懸念はあちこちから指摘された。 アジア女性基金は村山内閣当時、戦後50年にあたる1995年に発足が決まった。民間からの募金と政府の支出で50億円を超える基金を創設。韓国やオランダなど元慰安婦の女性たちに見舞金・償い金を支給する事業だったが、韓国では、慰安婦支援団体などが「日本の責任回避のためのまやかし」などと反発、元慰安婦に受取り拒否を説得した。一部支給を受けた人たちもいたものの、韓国内で反発が高まっただけで、何ら問題の解決につながらなかった。 今回、日本が拠出した10億円について、2018年1月9日の朝日新聞夕刊は、17年末の時点で、健在の元慰安婦47人のうち34人に各1億ウォン(約1000万円)、亡くなった199人のうち58人の遺族に各2000万ウォンを支給する手続きがとられたと報じている。 それを中断して、資金を凍結するというのだから、元慰安婦や当事者以外の意思によって事業が挫折するという意味では、アジア女性基金とまったく同様だ。 文大統領は、あらためて日本側の謝罪を求めるともいう。 日本はこれまで、何度謝罪してきたことか。 今回の合意がなされた15年12月28日、ソウルでの岸田文雄外相(当時)と韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相(同)との共同記者会見で岸田外相は、「心身にわたり癒やしがたい傷をおわれたすべての(慰安婦の)方々に心からお詫びと反省を表明する」という安倍首相のメッセージを伝えた。 そもそも、1965年2月、日韓基本条約仮調印のため訪韓した当時の椎名悦三郎外相は、「両国間の長い歴史の中に不幸な時期がありましたことは遺憾な次第でありまして、深く反省するものであります」と明確に謝罪している。 さらに戦後50年の大きな節目だった1995年8月15日の村山富市首相の談話は、「植民支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」ことを認め「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持を表明する」と大きく踏み込んだ。 昨年12月30日付の読売新聞朝刊によると、1990年、韓国の盧泰愚大統領が来日した際、宮中晩餐会での天皇陛下のお言葉にある「痛惜の念」という表現は、陛下のご意向をくんで用いられたという。1984年、全斗煥大統領来日晩餐会での昭和天皇のお言葉、「遺憾」より強い表現となっている。 それでも足りず、さらに謝罪せよという。まさか、そんなことはしないとは思うが、仮に日本政府が韓国の意向を受けて、あらたな謝罪をしたとしても、また同じことが繰り返されるだけだろう。 文大統領は当初、合意の破棄も辞さない姿勢を見せていたが、さすがに思いとどまったようだ。だからといって、大国とは思えない振る舞いをする韓国への批判や嘲笑が軽減することはありえない。  河野外相の談話にあるとおり、日韓関係はもはや「管理不能」になりつつあり、韓国とはもう、やっていけないと感じる人も少なくないのではあるまいか。1月11日付の産経新聞朝刊は、「韓国は放っておくしかない」という見出しのコラムを掲載した。溜飲を下げ、同感した読者も少なくないだろう。北朝鮮の祖国平和統一委員会の李善権委員長(右)と握手する 韓国の趙明均統一相=2018年9日、板門店(韓国取材団・共同) しかし、それでいいのか。韓国を「放っておく」ことは、日韓、さらに言えば日米韓3国の連携を解消することにつながる。それによって、誰が得をし、ほくそ笑むか。考えるまでもないだろう。 文大統領会見前日の9日、板門店で開かれた南北閣僚級会談では、平昌五輪への北朝鮮参加問題、緊張緩和のための軍当局者による会談などで一定の進展がみられたようだ。北朝鮮との対話を模索しながら無視されてきた文大統領は、会談が実現したこと自体大きな成果と感じているだろう。 しかし、日韓を離反させたうえで、文政権をいっそう自らに引きつけることができるとあらば、北朝鮮にとってはこれ以上望めない成果だ。しかし、核・ミサイルの脅威にさらされている日本や米国にとっては危険このうえない。日米関係強化で韓国を引き戻せ 対日関係が冷却化するような事態をあえて引き起こし、北朝鮮との対話に前のめりになる文政権に対し、日米、とくに日本はどう臨めばいいのか。心情的にはともかく、現実のさまざまな状況を考慮すれば、韓国を「放っておく」ことは難しいだろう。繰り返すが、北朝鮮、そして背後に控える中国を利する結果を招くだけだからだ。 とりあえず、日本がすべきことは、米国との連携をいままで以上に強化することだろう。韓国は対米関係を考えるときに、常に日米関係に強い関心を払う。「日米」に比べ、「韓米」が後れをとることを極端に嫌う。「日米」が、いっそう関係を緊密化すれば、韓国としても心中穏やかではなくなる。そうしておいて、韓国を日米に回帰せざるを得ない状況を作り上げるべきだ 南北関係の推移を注視していくことも重要だ。南北対話を警戒する向きが日本国内にあるが、対話自体は本来、大いに歓迎すべきことだろう。南北間の問題だけを協議するなら朝鮮半島の緊張緩和にもプラスになるはずだ。ただ、核・ミサイル問題について、韓国が安易な妥協をして日米を窮地に陥れるようなことは避けてもらわなければならない。菅官房長官が、北朝鮮の五輪参加を歓迎しながらも、北朝鮮に圧力をかけ続けていくことを強調したのは、こうした期待と懸念を踏まえてのことだろう。日米は韓国に、詳細に南北関係の状況について説明を受け、韓国が対話一辺倒にならないよう牽制していく必要もあろう。 韓国が対話を通じて北朝鮮の核・ミサイル問題を完全に解決できるなら、こんなすばらしいことはないが、韓国にそういう外交手腕があるとはとうてい思えないし、北朝鮮も相手にすまい。事実、9日の協議でも、この問題は議題にすらならなかったようだ。身の丈にあった南北対話を推進するよう日米は強く求めるべきだ。  北朝鮮をめぐる日米韓3カ国の連携には長い歴史がある。最初は、1996年1月、当時北朝鮮国民を苦しめていた水害被害の救済、食糧支援をめぐる次官級協議だった。それ以来、機会あるごとに、緊急のテーマをめぐって首脳、外相、次官級、局長級などさまざまなレベルでの対話が行われてきた。取材に応じる安倍首相=2018年1月12日、首相官邸 この連携の枠組みはなんとしても維持しなければならない。それが存在すること自体、北朝鮮、中国への牽制になるからだ。文大統領が〝宥和政策〟を追求するとしても、日米韓の連携の効果まで否定することはできまい。 今回の韓国政府の方針をめぐって、安倍首相の平昌五輪開会式出席見送りがとりざたされている。 首相自身は1月12日、今回の問題について「韓国が一方的にさらなる措置を求めてくることは、全く受け入れることができない」としながらも、「合意は国と国との約束で、これを守ることは国際的、普遍的原則だ。韓国側に実行するよう強く求めていく」と述べ、比較的抑制した対応ぶりを示した。韓国をことさら非難、糾弾するだけではいいい結果を生まないことを認識しているのだろう。 個人的考えだが、首相が五輪開会式に出席するのはむしろ悪くはないかもしれない。出席することで〝大人の態度〟を示し、韓国政府に、自らの行動を省みる機会を与える方が生産的ではないか。 それにしても、中国といい、ロシアといい、韓国といい、〝厄介な隣人〟たちに囲まれている日本の外交には、したたかさが求められる。韓国にだまされるようなことは、もうこれ以上あってはならない。

  • Thumbnail

    記事

    北の思惑通りに動く韓国 平昌五輪ならぬ“平壌五輪”に

     韓国・文在寅政権の迷走が平昌五輪まで歪め始めた。慰安婦日韓合意を覆す新たな要求を突き付けたかと思えば、対北朝鮮協議では差し出された“撒き餌”になりふり構わず飛びついている。2月9日の開幕を前に、この五輪は、一体どこに向かっているのか。「国会日程を見ながら検討したい」──平昌五輪開会式の出席について、安倍晋三首相は15日、欠席の可能性をにじませた。 無理もないことだろう。韓国政府が慰安婦問題をめぐる2015年合意を覆してきたことで日韓関係に再び暗雲が立ちこめ、“祝賀ムード”は吹き飛びつつある。北の言いなりじゃないか! 奇しくも、平昌五輪には各国首脳の「欠席」の表明も相次いでいる。 ドーピング疑惑で選手団が参加できないロシアのプーチン大統領の出席は期待できず、米国もトランプ大統領ではなくペンス副大統領が出席する方針だ。さらに16日、「中国からは韓正・政治局常務委員が訪韓する方向で調整中」と公表され、習近平・国家主席の“欠席”が決まった。 北朝鮮の核問題を巡る6か国協議のメンバー国の首脳の欠席表明が続いているのだ。さらに安倍首相まで欠席を検討する背景にあるとみられるのが、慰安婦日韓合意を巡る問題、そしてそれと表裏一体の関係にある“北との接近”である。 韓国の康京和外相が慰安婦問題について「日本の自発的な真の謝罪を期待する」との要求を発表したのは1月9日だった。その日、北朝鮮との南北対話は大きく動いた。 金正恩・朝鮮労働党委員長が元旦の演説で「五輪に代表団を派遣する用意がある」と述べたことに文政権が反応し、電撃的に閣僚級会談を開始したのだ。 そこで北朝鮮の五輪参加が合意に至ると、実務者協議では230人規模の応援団の派遣を北側が表明。「美女軍団」の来訪を韓国側は即座に歓迎した。この間、北朝鮮は「非核化」の要求にはゼロ回答を貫いた。2017年4月、韓国・江陵で開かれたアイスホッケーの大会で記念撮影する韓国と北朝鮮の女子チームの選手ら(共同) 北主導のシナリオに乗るばかりの文政権の姿勢には韓国内でも困惑が広がった。アイスホッケー女子で韓国側が合同チームを提案したことには、韓国代表のカナダ人監督が「北朝鮮選手を起用しろという圧力がないことを希望する」と吐露した。譲歩を求めてくる北朝鮮 もちろん、“平和の祭典”に参加することが北朝鮮の核・ミサイル放棄につながるならば、意味のあることだろう。しかし、元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏は、むしろ逆のシナリオを懸念する。「五輪成功という成果を前に浮き足立つ文氏の足元を見て、北側が“土壇場で不参加”をちらつかせながら、様々な譲歩を求めてくる可能性がある。すでに北朝鮮代表団の滞在費用を韓国側が負担することについて、“制裁違反”にあたるかもしれないと指摘されている。今後、北側は金銭的支援など様々な要求を突きつけてくるのではないか」 それが金正恩体制を今のまま永らえさせることにつながりかねないわけだ。 そもそも日韓の緊迫化と南北の接近が同時に起きたことも偶然とは思えない。2017年5月の大統領選の際、日韓合意の破棄を主張した元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は親北団体として知られ、代表の夫と妹が北のスパイ事件への関与を疑われ有罪判決を受けた過去がある。2018年1月、協議前に握手する北朝鮮首席代表のクォン・ヒョクボン文化省芸術公演運営局長(左)と韓国首席代表の李宇盛・文化体育観光省文化芸術政策室長(韓国統一省提供・聯合=共同) 慰安婦を巡って日韓が仲違いすれば、制裁を課す近隣国の足並みが乱れることにつながり、北朝鮮にとって都合がいいことは確かだ。「北側の思惑通りに文氏が動いてしまっている現在の状況は、平昌五輪ならぬ、“平壌五輪”とでも呼びたくなる。肝心の安全保障問題で何一つ譲歩を引き出していないのに、あたかも融和ムードが解決につながるかのように勘違いしている」(ジャーナリストの室谷克実氏)関連記事■ 平昌五輪メイン会場 観客一斉移動で揺れるといわれる安普請■ 平昌五輪 ボイコットも出る一方でモーテルが「1泊12万円」■ ケント氏「韓国には嘘が恥ずかしいという概念がないのか」■ 北朝鮮は平昌五輪で破壊工作に乗り出すか■ 慰安婦問題 繰り返される手のひら返しと河野談話への流れ

  • Thumbnail

    記事

    マスコミが「男性限定」を「女性差別」とレッテル貼る理由

    子都知事が「違和感がある」と言えば、丸川珠代五輪相も「男女平等が原則」として会員規約の変更を促し、「オリンピック憲章が禁じた“差別”に抵触する」として大会組織委員会などが要望書を送付する事態にまでなっている。 世間では完全に悪者扱いの霞ヶ関カンツリーだが、ゴルフ関係者からは同情の声も上がっている。元『月刊パーゴルフ』編集長でスポーツジャーナリストの角田満弘氏はこう言う。「五輪会場だから問題になっているだけで、ゴルフ場が男性限定であることはおかしくない。そもそも霞ヶ関カンツリーは同好の士の集まりであるプライベートクラブで、メンバーの人選について第三者が口を出すのはおかしい。女性を受け入れるも受け入れないも、クラブの自由のはずです」 五輪会場に選ばれたばかりに霞ヶ関カンツリーはとばっちりを受けたようにも見えるが、こうした“意見”は表に出しにくい。「男女平等」が錦の御旗となった現代では表立って異論を唱えると“女性差別主義者”のレッテルを貼られかねないからだ。 上智大学の碓井広義教授(メディア論)はこう言う。「特にテレビの視聴率を支えているのが女性というのもあって、日本のマスコミは『男性限定』を批判の対象にしがちで『女性差別』の事例として取り上げるところがあります。私も『女性専用車両』が登場した時は“なんじゃこりゃ”と思いましたし、痴漢冤罪防止用の男性専用車両だってあっていいじゃないかと思うのですが(笑い)。そうした意見は憚られてしまう」 こうして男性限定だけが叩かれている間に、世の中には映画館の「レディースデイ」や飲食店での「レディースセット」「女子割」など、「女性限定」のサービスが増え続けているのだ。もちろんこれらもサービス提供者の自由である。関連記事■ 上杉隆氏 深夜のゴルフ場に忍び込んで「泥棒ゴルフ」の過去■ 18歳美人プロ ショートパンツから伸びる健康的な美脚が素敵■ 中村寅吉プロ カナダカップ勝利で日本のゴルフ環境一変した■ 「美人すぎるキャディ」と話題の藤田美里 19歳の眩しい美脚■ ファッション業界も注目する19歳の美女プロゴルファーの笑顔

  • Thumbnail

    記事

    3兆円かかってもいいじゃないか!小池さん「選手第一」をお忘れなく

    をベストなボート、カヌー会場として、選んでいる国際競技連盟(IF)の承認が必要であり、最終的には国際オリンピック委員会(IOC)理事会の決定を受けなければならないことがあるので、当初から五輪を知る関係者には実現不可能なものに思えた。五輪には五輪のルールがある 10月19日から文部科学省が主催した「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」の招きで来日したIOCのバッハ会長は、10月18日に都庁を訪れ、表敬訪問の形で小池知事と会談した。その際明確に、最初に決めたことを守るとともに「選手第一主義」と「ひとつの選手村」の大切さを強調した。ボート、カヌー会場のことは一切触れていないが、彼がここで主張したかったことは、「オリンピックにはオリンピックのルールがある」ということだった。記念撮影に応じるトーマス・バッハIOC会長と小池百合子都知事=10月18日、都庁(荻窪佳撮影) バッハ会長は、初の五輪金メダリストのIOC会長である。1976年モントリオール五輪フェンシングフルーレ団体で金メダルを獲得したが、それよりも重要なのが1981年にバーデンバーデン(当時西ドイツ)で開催されたオリンピックコングレスに選手代表として演者を務めていることである。このコングレスは五輪運動において五輪大会に次ぐ貴重なイベントで、IOCは8年に一度の開催を理想としてきた。世界中のスポーツ関係者が一堂に介して、オリンピック運動の今後について語り合う場であり、未来のオリンピックへの展望を共有する場である。そして、この第11回オリンピックコングレスの最も重大な議決の一つが「選手の声」を聞く、選手委員会の創設にあった。 選手代表のトマス・バッハはこの選手委員会の創設メンバーとなった。すなわち彼は、物を言えるオリンピック選手の先駆けであり、以降の彼の歩みは理想的なIOC会長になるための訓練の日々とも見て取れる。オリンピックの将来はこの時から彼の双肩にかかったと言っても過言ではない。その詳細は省くが、1991年にIOC委員となって以来、様々なIOC委員会での働きで頭角を現し、1996年にIOC理事となってからは、誰もが認めるIOCの実力者となっていった。その懐にあった最も大事な至言は「選手がオリンピック運動の要である」という思想であり、それがバッハの掲げるオリンピックアジェンダ2020(アジェンダ2020)の根幹のひとつ、選手第一主義に繋がる哲学なのである。 その哲学を持したバッハ会長から見て、小池知事が掲げた都政改革の中に浮上した東京五輪会場見直しは、スポーツが政治に対して解決しなければならない問題であり、特に分村を前提とする長沼ボート場への変更案は、選手第一主義への無理解を示し、それへの啓蒙にバッハ会長自らが動くしかなかったのである。新都知事の政治的なパフォーマンスという実態 実は2014年に舛添知事が誕生した際にも五輪会場見直し問題が浮上した。その結果、自転車競技場は静岡に、ヨットは江の島にと、東京五輪が掲げていた8㎞圏内の歴史上最もコンパクトな五輪の理想は崩れかけていった。しかし一方で、アジェンダ2020の掲げる持続可能な五輪開催のための節約についてのベクトルもあり、IOCはこの提案を受け入れた。しかし、それは最終的な決心でなければならなかった。この落としどころに妥協したIOCが驚いたのは、再び小池新都知事が誕生したと同時に8㎞圏内のコンパクト五輪の理念を覆す長沼ボート場案が浮上したことである。 これにIOCとOCOG、開催都市、JOCの調整を任される調整委員会委員長のコーツが直ぐに嚙みついたのも無理はない。寝耳に水。知事が変わる度に東京五輪の理念が崩れていくように見えたのだから、ここで釘をさすしかないではないか。東京五輪の重要なパートナーである開催都市の首長に。そこで、バッハ会長来日時にIOCはこの問題についての収拾を図ろうと決心したのである。 IOCから見れば、東京五輪は開催が決定した直後からスポーツを政治的に利用しているように思えてしかたがない。招致時代の猪瀬知事から舛添知事に代わった途端に国立競技場の問題が浮上し、当初予算では実現が不可能として、予算縮小の上での再コンペが行われた。スポーツ界の歴史が詰まった1964年東京五輪のレガシーは無残にも取り壊され、その上に建築が予定されているのは、陸上の世界選手権が開催できるかどうかも分からないスタジアムである。 そして、今回、小池知事のPTの提案は、国際競技連盟(IF)が将来的なボート競技やカヌー競技の拠点としての構想をも見込んで認証した海の森水上競技場を移設すると言うのである。 この両者の「改革案」は都民、国民目線で経費削減という正論に見えるだろうが、その実態は新都知事の政治的なパフォーマンスである。最もメスを入れやすい東京五輪の予算への斬り込みを行い、日本では弱小で、もっとも言うことを聞きそうなスポーツへのお達しを行おうというものである。 誤算は小池知事側にあったと見る。バッハ会長が来日中に見せたのはスポーツ外交の基本的戦略である。一方、都知事の豊洲問題や五輪問題のメスの入れ方は政治的戦略である。後者が敵を潰すことによって結果を得るのに対して、前者は敵を生かして解決する方法である。 10月19日のバッハ・小池会談を急遽小池知事側の要望で公開にしたことをPT側は透明性の戦略としているが、この種の会談をオープンにすることについては、前任のロゲ会長以来IOC側は日常としているし、アジェンダ2020を掲げるバッハ会長にはすべての人を五輪のステークホルダーに抱えるという目的があり、そのためのオープン化は急速に進んでいる。私が関わっていたサマランチ体制ではありえなかったことだが、IOC総会が今ではネットストリーミングで見られるようになったのは、その一端である。五輪憲章を否定する小池知事の常識 スポーツ外交の肝は、スポーツ的な臨機応変な対応であり、仕組まれたシナリオを超えるような、その時にベストな判断を引き出すやり方である。そして、相手の主張を生かして、自らの場において一つの繋がりを見つけることである。四者会談の提案はまさにそうで、都知事と組織委員会が対立関係にある構造を、IOCが自ら下りてきて、日本政府も巻き込んで、同じ場で日本オリンピック委員会(JOC)とともに解決しようということである。 アジェンダ2020で五輪経費削減を目指すIOCの主張を敷衍(ふえん)して、資金を拠出する所が権限を持つという小池知事やPTの常識は、政財界で通用しても、五輪運動の場ではただの政治的介入に見られる。五輪組織委員会を都の監理団体に置くという発想は、五輪憲章の否定となり、IOCが絶対に受け入れることはないだろう。なぜなら、そもそも五輪の理念は、スポーツによる世界平和実現なのであり、世界のトップアスリートが人間の限界に挑戦する姿を、国を超え、政治を超え、宗教を超え、あらゆる垣根を超えて、称え、そして支える中で、平和への希望を有するという確かなる信念を共有することなのである。政治からの自律を貫かなければならない。福島県庁でのフラッグツアーを終え、記者の質問に答える小池百合子都知事(右)=11月2日(桐原正道撮影) PTが出した、このままでは3兆円かかるという警鐘を受けて、我々が賢察しなければならないことは、五輪運動が世界平和構築の残された一縷の望みであり、そのために我々が五輪開催準備にいくらをかけるべきなのか? そして、どうやってその費用を捻出するのかという試行錯誤である。バッハ会長はその場を四者会談に求めている。 五輪を政治的パフォーマンスに利用しようとすれば、オリンポスの神は黙ってはいない。そのことは舛添知事の末路を見れば明らかである。日本ウエイトリフティング協会会長としてスポーツの現場の声に耳を傾けてきた小池知事ならば、IOCのスポーツ外交に応じていくセンスがあると信じたい。 優秀なPTは、今回のIOCのスポーツ外交を見てギアを変えた。今後はIOCの選手第一主義に合わせてくるだろう。それはボート、カヌー会場の候補地から、彩湖を外し、長沼ボート場を残し、かつ海の森水上競技場の選択肢を二つにしたことからも伺える。従来案の常設に加え、仮設を提案した。これによって、小池知事が長沼を選択しない可能性を増やし、海の森水上競技場の仮設を選べば、都民ファーストを尊重したことになるとともに、もし常設を選択すれば、IOCへの忠誠を示しつつ、かつ都民への貢献も示すことができる。PTが動かなければ491億円が300億円になることはなかったからである。 1964年の東京五輪が歴史に残るほどの評価を得たことはIOCの記憶にある。信頼できるはずのパートナーだった日本がリオ五輪の準備段階にも劣る七転八倒を繰り返している。日本贔屓だったバッハ会長も疑心を抱かざるをえない状態になっている現実がある。小池知事がどこまでオリンピズムに近づけるかどうか? オリンポスの神は見ているはずだ。

  • Thumbnail

    テーマ

    東京五輪費用「3兆円」暴騰のカラクリ

    いったいどんな見積もりをすれば、ここまでバカげた金額になるのか。東京五輪の開催費用をめぐるゴタゴタである。「世界一カネのかからない」と謳った五輪計画はどこへやら。今や3兆円とも言われる巨額予算に膨らんでしまった。民間企業なら一発アウトだが、この暴騰劇の裏にはカラクリがあった。

  • Thumbnail

    記事

    宴の後に必ずやってくる「オリンピックの崖」を侮るなかれ

    ルなどは、なんと五輪前に不況に陥ってしまっています。 そんな中、唯一不況にならなかったのはアトランタオリンピック。なぜなら、アメリカでは1990年にIT革命が起きて、その勢いが強くてオリンピックの落ち込みがカバーされたからです。ちなみに、アトランタオリンピックは1996年に開催されましたが、アメリカではその前年の1995年にマイクロソフトがWindows95を販売し、Amazonがスタートしています。さらに、1998年にはGoogleが登場。こうした次世代産業の快進撃がオリンピック不況をカバーしたのです。 翻ってわが国を見ると、残念ながら日本には、落ち込みをカバーしてくれそうな次世代を担う成長戦略がありません。泥縄式で大阪万博を誘致するなどと言っていますが、そんなことではカバーしきれないでしょう。だとしたら、終わった後のことも考えて、なるべくコンパクトな五輪にしておくべきでしょう。 山高ければ、谷深し。五輪に多額のお金をかければかけるほど、宴の後の支払いも大きくなる。いま、不動産業者では「オリンピックの崖」という言葉がささやかれていて、崖に落ちる前に儲けられるだけ儲けておこうというのがコンセンサスになっているようです。けれど、五輪で儲けられない私たち庶民は、いっせいに崖から転がり落ちそうです。だとしたら、今から五輪後の不況に備え、浮かれず家計の紐を引き締めておきましょう。

  • Thumbnail

    記事

    ムダ三昧の東京五輪、天下りが集う「虎ノ門」の最も罪深きヤツら

    みれば、社長も財務部長もいない会社ということ」。東京五輪を巡っては、東京都、組織委員会、JOC(日本オリンピック委員会)、日本パラリンピック委員会、文部科学大臣、五輪担当大臣という6者が「調整会議」という場で重要事項を審議するという形になっていた。だが、この会議はこの半年でもわずか2回、数時間しか開かれておらず、何も機能していなかった。 トップがいないのであれば、決まるものも決まらない。この構造のもと、第二の問題が出てくる。「都職員の社会を知らないビジネス慣行」である。各競技の会場について任せられた都職員は招致時のプラン──臨海地域の選手村から半径8キロメートル以内──に忠実に計画を進めた。その条件だけで限定してしまえば、立地に余裕がないため、コストを上げてでも条件に対応しようとする。また、前述のように、コストの総額をチェックする人間もいないため、個々の費用は制限なく積み上げられる形になった。 民間企業の取引であれば、こうした杜撰な見積もりは絶対に起きえない。建設費であれば、設計図はもちろん、資材やパーツの選定まで含めてコスト管理をし、合理的な価格を導く。それでも、決裁者に目を通してもらう際は、何度も検証させられる。それが一般企業のコスト意識であり、ビジネス慣行というものだ。コスト感覚のない都職員にこれだけの大きな事業を任せてしまったのが、まずは間違いだったとは言える。「虎ノ門」という伏魔殿 付け加えるなら、これが税収の少ないほかの道府県であれば、話も違っていただろう。いかに国から補助金を得たとしても、小さくない税負担を市民に求めるのであれば、むやみに高いコストは許容できないからだ。だが、幸か不幸か、東京はお金だけはある。それがおかしなコスト増を加速させた一因だろう。 だが、一連の問題で、もっとも罪深く映るのは第三の要因、「元首相」「元大蔵次官」といった大物名誉職の存在と「虎ノ門」という伏魔殿である。 今回の2020年東京五輪で、「国際オリンピック委員会(IOC)」と契約をしているのは、開催地となる「東京都」と「JOC」の二者しかない。重要なところなので念押しで記すが、契約の当事者には「政府」も入っていないし、「組織委員会」も入っていない。会談を前にあいさつを交わす、小池百合子東京都知事(左)と森喜朗組織委員会会長 そしてIOCから権限委譲をされているのは「組織委員会」なのだが、この組織委員会は東京都の外郭団体で、その出資金の97.5%(約57億円)を東京都が出していた。9月末の報告書が上がってから、組織委員会は東京都に出資金の返還を申し出て、11月末までに57億円は返還される予定だが、それまでの関係で言えば、組織委員会は東京都の下請け機関にすぎなかった。その長が森喜朗氏で、事務総長が大蔵事務次官だった武藤敏郎氏である。  構造的に言えば、組織委員会は東京都の意向を汲み、東京都の方針のもと動くべき存在だったはずである。だが、これまでの報道から浮かぶのは、組織委員会は都との連携を密にしているわけでもなく、ほぼ個別に活動をしてきたような状態だった。なぜなら(五輪後にも有形無形で貢献するという)「レガシープラン」では東京都と組織委員会のそれぞれで別々のものがつくられていたのである。いかに連携がなかったかがうかがえる。 そうした問題が露見していく中で、大物名誉職の人たちはいったい何をしていたのか。90年代半ば、霞が関で官僚問題が出てきた後、猪瀬直樹氏が『日本国の研究』(文藝春秋)として引っ張りだしたのが、虎ノ門という地区に潜む特殊法人の問題だった。 官僚は事務次官を目指す出世レースに落ちこぼれると、定年前に退職していく。その先に就くのが天下りとしての特殊法人だった。各省庁にひもづいて予算をもらい、ちょっとした事業を請ける。民間企業であれば3日で終わるような事務仕事を1カ月かけて行う。それだけ生産性が低いにもかかわらず、理事への報酬は年数千万円が支払われる。こうした仕組みが「虎ノ門」問題だった。つながる豊洲問題と五輪問題 おもしろいことに、いま問題の組織委員会も拠点を置いているのは虎ノ門である(虎ノ門ヒルズ)。組織委員会は国ではなく、東京都の外郭団体。少なくない報酬・待遇で大物政治家や官僚に役職を与えて回してきたのがこの団体である。国からお金を引き出し、大きな事業を行えば、それだけで特殊法人は「何かやった」という体裁になる。それが天下りが集う「虎ノ門」に長年潜む病理だった。今回の東京五輪問題も、結局は似た仕組みのもとで問題が放置されてきたのではなかったか。東京五輪の組織委員会が拠点を置く虎ノ門ヒルズ 名誉職の人たちは、「よかれ」と思って決裁をしてきたのかもしれない。だが、それは本当に都民や国民の目線に立っていただろうか。都民への調査も行わず、大きな事業案ばかり膨らませて「都民のため」と言われても、何を根拠にそう信じていいのかもわからない。「虎ノ門」の人たちは、都よりも都民を説得できる根拠や論理をまずは提示すべきだろう。  最後にもうひとつ、気になっていることがある。同じく紛糾している、豊洲市場との関連だ。虎ノ門ヒルズができ、臨海の五輪会場へ抜けるという環状2号線ができたのは2014年3月。この道はかつて進駐軍のダグラス・マッカーサーが命じて建設が始まったが、用地取得で難航し、途中で建設が中断されていた。だが、晴れて「マッカーサー道路」が開通したことで、築地市場の移転計画と連動し、その道はさらに豊洲へとつながろうとしている。 この道路の建設は2005年に着手されたものだが、2001年の12月の豊洲市場への移転決定といい、今回の東京五輪の決定といい、臨海部の再開発もじつにうまく連動していることに気づく。実際、築地市場が豊洲に移転しないことには、このマッカーサー道路も開通せず、再開発もうまく回らない。その意味で、ゼネコンにとってはどちらも巨大なプロジェクトとして、五輪も豊洲もつながっているのである。 いったい誰がこの絵を描いてきたのだろう。こうすることで誰が儲かるのだろう。そう考えると、想像は膨らむばかりなのである。

  • Thumbnail

    記事

    既存施設でも相当の整備費は必要 「復興五輪」に違和感あり

    鈴木知幸(日本スポーツ法学会理事、元16年東京五輪招致準備担当課長) 10月18日、バッハ会長は小池都知事と会談した際に、小池知事の「復興五輪」発言に戸惑いを見せましたが、安倍総理と面会した時には、バッハ会長自ら、複数種目を被災地で開催することを提案しました。 おそらく、総理との面会前に、組織委員会側からバッハ会長に、すでに内定している「野球」と「ソフトボール」の2種目(1競技)の予選1試合を福島県で開催することの提案について、進言したのだと思います。福島県を訪問し、県営あづま球場を視察する世界野球ソフトボール連盟のフラッカリ会長(左から2人目)=11月19日 いうまでもなく、「複数種目」とは野球とソフトの2種目であり、複数競技ではありません。ということは、ボート・カヌー競技場を宮城県長沼に変更することは、IOCとして認めないという意味だと思います。 なお、その後に、組織委とIOCは、バスケットボールやバレーボールの1次リーグを復興地での開催を検討すると言い出しました。それにIFの反発も考えられますが、それ以上に、いくら既存施設といえども、五輪仕様に施設設備を整備するには相応の経費が掛かります。 野球・ソフトボールについても、1試合だけだとしても、五輪仕様にするためには整備費が相当に必要になりますせっかく整備するなら、1試合といわず、1次リーグ戦の全試合を実施すべきではないですか。もっと、しっかりとした企画を検討したうえで、提案すべきです。 さて、小池知事が改めて、「復興五輪」を2020年大会のテーマにするのであれば、「復興」と「五輪」の間に、接続語をはさんで説明してほしいと思います。「復興(に貢献する)五輪」、「復興(支援に感謝する)五輪」、「復興(の証しを示す)五輪」ですか、あるいは、別の接続語ですか? 「復興五輪」のテーマをはっきりとして、国民・都民に説明すべきではないでしょうか。  また、「復興五輪」は東日本大震災だけではありません。すでに、熊本県知事が熊本災害にもご協力いただきたい旨の申し入れがありました。これからの4年間にも新たな災害が起こらないと言えません。すべての災害復興を対象にしたメッセージにしてほしいと思います。 なお、すでに、東北被災地にキャンプ地の誘致支援や、聖火リレーの東北シフトなど、国内調整で出来ることは計画されています。加えて、先日、組織委の森会長は、被災地をくまなく通過する聖火リレーを計画するために、IOCの規定である「コースの一筆書き」と「100日以内」を緩和してほしい旨のお願いすることを明らかにしています。 招致段階のビジョンだった「未来をつかむ(Discover Tomorrow)」は、いまや国民の記憶にもありません。災害は世界で多発しています。その主因の一つが「地球温暖化」にあるとすれば、リオ五輪の開閉会式のテーマ(8月25日の「リオ五輪の開閉会式のテーマは環境」をご覧ください)のように、世界に向けて、災害復興五輪を発信してほしいと、私は思います。(「鈴木知幸のスポーツ政策創造研究所」ブログより2016年10月31日分を転載)

  • Thumbnail

    記事

    迷走する東京五輪、2度目の開催地として世界に発信すべきこと

    【オトナの教養 週末の一冊】『東京オリンピック 「問題」の核心は何か』 小川勝氏インタビュー本多カツヒロ (ライター) 2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け、8月に就任した小池百合子都知事の下、費用や各競技の開催地を巡り見直しや議論が盛んに行われている。果たしてオリンピックは無事に開催出来るのか。 3兆円超との試算もある巨大化するオリンピックはどのような方向性に向かっているのか。またそもそもオリンピックとはどのような大会なのか。2回目の開催となる東京はどのような役割を担うべきなのか。『東京オリンピック 「問題」の核心は何か』(集英社)を上梓したスポーツライターの小川勝氏に話を聞いた。――まず、オリンピックは各競技の世界大会と同じく、その競技の世界一を決定する大会なのかという疑問があります。『東京オリンピック 「問題」の核心は何か』(小川勝、集英社)小川:1952年~72年までIOCの会長だったアベリー・ブランデージは、自伝の中で「オリンピックの目的は世界一を決めることではなく、オリンピックルールに従った世界一を決めること」と書いています。本来、オリンピックは各競技の世界選手権とは本質的に違うものでなければなりません。 近代オリンピックの創設者であるクーベルタン男爵は、若者の教育に特に関心のある教育者でした。彼は若者をどうすれば成長させられるか、向上させられるかと考える中で、スポーツが有効であると考えました。 オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」のはじめには「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である」と書かれており、開催目的としてこのオリンピズムへの奉仕を掲げています。 またオリンピズムの定義では、平和主義と差別行為の禁止といった態度をスポーツを通して養うこと、こうした原則をオリンピックを通して伝えていくことが開催する意義なのです。このオリンピズムを世界に広める運動をオリンピック・ムーブメントと言います。 また、オリンピックは招待大会であるため、オリンピックの度に、各国のオリンピック委員会に、国際オリンピック委員会から招待状が届く。つまり、オリンピックオリンピックルールに従う人たちの世界一を決める大会なんです。ですから、招待状が届かなければ、いくら強くても参加すら出来ない。国別メダルランキングはOK?――招待状が届かないのにはどんな理由があるのでしょうか?小川:例えば、ある国のオリンピック委員会内が、オリンピック憲章に相応しくないと判断されれば招待されないことはあり得ます。 実際にリオオリンピックでも、クウェートは政府による同国オリンピック委員会への干渉により、クウェート・オリンピック委員会の資格停止処分は解除されず、選手は個人参加という形になりました。 ただ、その国で内戦や紛争が起きていたとしても招致状を送らない理由にはなりません。紛争や内戦はその国のオリンピック委員会が引き起こしているわけではありませんからね。 また、オリンピック憲章ではいかなる差別の禁止の他にも、選手間の競争であり国家間の競争ではないことや、広告、デモンストレーション、プロパガンダなどを許可していません。他のスポーツ大会を見ると競技会場のあちらこちらに企業スポンサーの看板などが見られますが、オリンピックの場合見当たらないのはそのためです。許可されているのは、例えば水泳選手ならば水着やキャップに元から付いているメーカーのロゴのみで、それ以外のメーカーロゴを入れるのは禁止されています。――ただ、会場の外ではコカ・コーラなどのメーカーのロゴを目にすることはありますね。小川:それはTOP(The Olympic Programme、ワールドワイドオリンピックパートナーとも)と呼ばれる企業スポンサーで、そういったスポンサーを付けないと、200カ国近い規模の国々が参加する大会を開催することは来ません。企業からの収入なしで運営しようとすれば、選手一人当たり数百万円にも及ぶ参加費を徴収して、往復の交通費も選手が自ら払わなければならなくなり、貧しい国の選手は参加出来なくなってしまうのではないか、と思われます。ですから、オリンピックはある部分では偽善と言えば偽善なんです。――また、大会は選手間の競争であり、国家間の競争ではないということですが、テレビ番組などで国別メダルランキングなどを報道することは問題ないのでしょうか?小川:オリンピック憲章では組織委員会などがメダルランキングを作成することを禁じていますが、メディアが報道する限りは問題ないと思います。一般的な興味として、国別メダルランキングを作ると日本は何番目になるのかという視聴者の関心もあると思いますしね。 現在のオリンピックは、主催はIOCで、実際の開催に当たっては開催都市とその組織委員会が主催者であり、特に近年の夏のオリンピックでは開催都市がある国の政府が財政保証を事実上することになっていますから、むしろ主催者側になる開催都市、組織委員会、政府がどのようにオリンピックを捉えているかが問題となります。そう考えると、日本の組織委員会や政府はオリンピック憲章をちゃんと読んでいないか、読んでいたとしても、あまり理解していないんだなという印象ですね。本当に経済効果は見込めるのか――具体的にはどういう部分でしょうか?小川:政府が15年11月に閣議決定した「2020年東京オリンピック・パラリンピック」の準備、運営に向けた基本方針を読むと、日本を世界へ発信してアピールすること、経済効果を得ることが繰り返されています。しかし、オリンピック開催の目的はオリンピズムを広め、開催都市の市民へオリンピック・ムーブメントへの理解と協力を求めることで、それが組織委員会の責務です。政府がメダル数を重視することや開催都市が経済的恩恵を受けることではありません。 要するに政府はオリンピックを単なる一大スポーツイベントと捉えているとしか思えません。 もちろん、政府や組織委員会の中にもより専門的な部署の人たちはオリンピック憲章を理解しているでしょうから、原則はこうなんですよと言ってあげなければいけない。――メディアを見ていても経済効果については盛んに報じられています。小川:現在の夏のオリンピックは巨大になったため、開催都市にとって大きな負担です。この負担を強調すると、オリンピックを開催したいと手を挙げる都市がなくなってしまうのはIOCも理解していると思います。だからこそ「オリンピックを開催すると経済効果がありますよ」とIOCもJOCも盛んに喧伝するんです。 2020年オリンピック招致で最終段階まで残ったのはスペインのマドリード、トルコのイスタンブール、そして東京でした。IOCの調査によると、3つの中で一番地元の支持率が低かったのが東京で70%。招致するにはギリギリのこの支持率で何とかするためには、スポーツやオリンピックに興味のない人達を納得させる必要があり、経済効果を強調することになったのだろうと思います。ただその経済効果が、誰にとっての経済効果なのか、その内容については、よく考えてみたいところですよね。オリンピアン、パラリンピアンと記念撮影に臨む小池百合子都知事 左は登坂絵莉選手=11月23日、東京都江東区(納冨康撮影)――では、これだけ巨大になったオリンピックで、本当に経済効果は見込めるものなのでしょうか?小川:経済効果はあると思います。ただし、プラスとマイナスの面があります。 まず、プラス面としては期間中に多くの外国人観光客が訪れることで消費増が予想されますし、オリンピックのために建設される競技場や練習場、道路などの公共投資もあります。 しかし過去の例を見れば、トータルでマイナスの方が大きかった大会もあるんです。1976年のモントリオールオリンピックでは、巨大競技場などが原因で約10億ドルという巨額の赤字を出しました。 マイナス面としては、開催期間中は非常に警備が厳しく、規制が敷かれるために一般の人も普段どおりに移動できないとか、それから定期的に東京へビジネスで来ている人達などはホテルの宿泊費が高くなったり、交通機関も混雑するということで、そもそも来なくなってしまうこともある。そういった面も考えられます。2回目は、無駄な公共投資が生まれやすい――様々な競技を行うための競技場建設を巡っては現在もカヌー、ボート競技の会場予定地である海の森水上競技場は環境や大会後の使用方法などを巡って議論されています。そこで宮城県の長沼や前回の東京オリンピックで使用した埼玉県の戸田などを整備して使用するのはどうかという案が浮上しています。「海の森水上競技場」の会場予定地=東京都江東区(伴龍二撮影)小川:例えば前回のリオや北京のような新興国で開催するならば、インフラも整備途上でしょうから、多少公共投資を大胆に行っても長期的に見れば良い投資になるかもしれません。 敗戦からの復興の途上にあった日本で行われた1964年の東京オリンピックも公共投資で様々なものを整備しました。しかし国の税金で作った代々木第一体育館、第二体育館、日本武道館というスポーツ施設は、50年以上経った現在でも毎日のように使用されています。ただし、武道館は一部寄付金も使われています。いずれにしろ、現在でもこれだけ使用されていれば税金の無駄遣いとはならず、長期的に見れば良かったのではないでしょうか。 しかし、2020年の東京オリンピックは2回目で、無駄な公共投資が生まれやすい。だからこそ、工夫が必要で、2回目のオリンピックをうまく運営出来ればオリンピックはまだまだ持続可能であることを示せると思うんですよね。――2012年ロンドンオリンピックの際、小川さんのご著書『オリンピックと商業主義』のインタビューをしました(過去記事参照)。その時に、ロンドンは競技場などに工夫を凝らし、持続可能な大会を目指しているという話でした。この方向性は現在どうなっているのでしょうか?小川:当時のIOC会長だったジャック・ロゲは持続可能性に関心があり、00年のシドニー、04年のアテネ、08年の北京大会のあと、12年のロンドン五輪では競技数を2つ減らし26競技としました。彼の基本的な考えは、オリンピックは26競技を基本とし、そこに開催都市が大規模なインフラ投資を行なわなくても出来る2つの競技を加えても良いというものでした。 また、競技会場についても水泳会場だったロンドンのアクティクス・センターは期間中の収容人数を1万7500人、開催後は2500人になるような構造に設計しました。 しかし、現在のIOC会長トーマス・バッハの考えは、競技数ではなく種目数で制限しようということで、リオでは28競技306種目となりました。加えて、開催都市が開催可能であれば東京オリンピックのように、競技を追加してもいいという規則に変わりました。 こうした背景からジャック・ロゲ路線であれば、東京でも持続可能な大会にしやすかった。もちろんトーマス・バッハもあまりに巨大化するのは良くないとは思ってはいるんです。しかし、オリンピック競技になりたいというスポーツ団体は後を絶ちません。要するに現在の28競技と決まっている枠の中で、スポーツ界における政治的な争いになっているんです。開催都市の人間の関わり方――そこまで各スポーツ団体がオリンピック競技を希望する理由とはなんでしょうか?小川:正式競技になれるかどうかでまず大きく変わるのが金銭面ですね。 正式競技になればIOCから企業スポンサーや放映権料の分配金があります。また、日本のように正式競技になれば、文科省から補助金が出るというように政府からの補助金などにより非常に収入が増えます。 もう1つ大きいのがオリンピック開催時にメディアに取り上げられる回数が増えるため普及が進むことです。いわゆるマイナーな競技にとって、一般の人達にルールを覚えてもらうのは重要なことで、ルールが分からないと試合を見てもなかなか興味を持てませんからね。その土台を作れるのは正式競技になる大きなプラス面ですね。 正式競技にするかどうかを決めるのはIOCの人達ですから、様々なスポーツ団体から政治的な圧力を受けているでしょう。それにノーと言えたのがジャック・ロゲで、バッハは一定の縛りをかけているとは言え持続可能路線をはっきり示す人ではなかったということです。――最後に、私は東京都民なのですが、開催都市の人間として巨大化するオリンピックに対し、何か出来ることはありますか?小川:IOCは、誰かから税金を集めているわけではありません。国際的な任意団体なので、この組織に対しモノを言える立場の人はほとんどいません。そうした中でモノを言える立場なのは、まず選手と、IOCはスイスで法人格を取得しているのでスイス国民。そして開催都市の住民です。開催都市の協力なくしてオリンピックは開催出来ませんから、IOCや大会組織委員会、開催主体である東京都に対し都民にはモノを言って欲しいですね。 現在の東京オリンピックの「開催費用」について、都の調査チームは3兆円を超える可能性もあるという報告書を出しています。東京都の税金で作る新規の競技場は前回と比べ少なく、既存の競技場を借りて開催します。運営に係る費用で言えば、その既存の競技場や練習会場の借り上げ、さらに仮説施設の建設などが、28競技以上に増えたことで膨れ上がります。 中でも、運営費の中で大きな割合を占めるのが警備費用。例えば競技会場の出入りなどのいくつかの警備は民間の警備会社に依頼することになっています。こうした運営費に関しては、大会組織委員会がIOCから分配してもらったお金や、国内での企業スポンサー契約や、チケットの売上などから賄うことになっていますが、現状ではどうやら足りそうもありません。そうなると、都の税金をつぎ込むことは招致段階で決定しています。そうなると運営に関しても都民もモノを言える立場になります。――ただ、実際どのように意見を伝えれば良いのか分からない人も多いと思います。小川:東京都や組織委員会へSNSを通じて意見を伝えることも出来ますが、本筋であるべきは東京都議会で議論をしてもらうこと。地元の都議会議員に「この問題はどうなっているのか」「都議会で議論して情報公開をしてください」「こういう方法でやれば運営費を下げられます」と伝えることです。来年には東京都議会選挙がありますから、議員さんも熱心に話を聞いてくれるでしょう。そうして提案したことが都議会の議論に反映されれば非常に価値のあることだと思いますね。 確かに、新国立競技場問題にしてもなかなか情報公開は進みませんでしたが、それを突破口としてどんどん情報が公開された例もあります。いかに議論を活性化するかが重要ではないでしょうか。 自国開催のオリンピックはそうそうあるものではありません。だから、お金のことなんて気にしないでやってしまおうと思ってしまいがちですが、そう思っている限り持続可能なオリンピックを示すことは出来ません。2度目のオリンピックを開催する東京だからこそ、赤字も無駄なインフラも作らなかった、開催して意義があったと都民やIOCが思えるようになれば、と思います。

  • Thumbnail

    記事

    東京五輪の経済効果、海外の五輪はどうだった?

    (THE PAGEより2013年9月19日分を転載) 2020年に開催が決まった東京五輪について、その経済効果が話題になっています。官民が独自に試算した経済効果の規模は3兆円から150兆円まで大きな幅がありますが、過去に行われた海外の五輪の経済効果はどうだったのでしょうか。東京五輪(右)・パラリンピックを記念して発行される千円硬貨 =9月28日、大阪市北区の造幣局 東京都が試算した2013年~2020年までの7年間の経済波及効果は、日本全体で約2兆9600億円です。その内訳は、観光や広告などサービス業が6500億円、建設業が4700億円、商業が2800億円となっています。 一方、民間の見方はもう少し強気で、SMBC日興証券では経済効果を4.2兆円と計算しています。これは観光や飲食の消費額を大きく見積もったためで、そのぶん鉄道やタクシーなどへの波及効果も増え、全体の金額を押し上げています。このほか経済効果を150兆円と試算するエコノミストもいます。 では、近年他国で行われた五輪での経済効果はどのくらいだったのでしょうか。単純比較できるデータがないので参考程度ですが、英国政府は今年7月、2012年ロンドン五輪開催後の1年間の経済効果が総額99億ポンド(約1兆5000億円)に達したと発表しました。2008年の北京五輪では、建設投資が約2800億元(約4兆4800億円)に上ったと報じられています。英政府発表「1兆5000億円」に疑問も ロンドン五輪の99億ポンドの内訳は、各国要人や企業への投資誘致・輸出促進活動によって対英投資が25億ポンド、売上高が59億ポンドそれぞれ増加。さらに五輪関連業務を手掛けた実績が評価され、14年にブラジルで開催されるサッカーのワールドカップなどの海外イベント関連で、英企業が計15億ポンドの契約を獲得したそうです。一方で、2020年までに280~410億ポンドの経済効果が見込まれるとの民間調査機関の試算もあります。 ただし英国政府発表の経済効果については、五輪がなくても生じたであろう数字が含まれているのではないかという疑問が出るなど、地元メディアでは必ずしも額面通りには受け止められていません。BBCは、ロンドン以外では「期待していたほど契約が増えていない」とする中小企業団体の不満を伝えています。 北京五輪の場合、開催決定翌年の2002年から開催前年の2007年の間に、インフラ関連などの投資が毎年GDP(国内総生産)成長率を0.3~0.4ポイント押し上げたとされています。北京市に限れば毎年関連投資が100億元程度行われ、GDPを1~3ポイント押し上げたと見られています(みずほ総合研究所の2008年8月のレポート)。 もっとも、中国の場合、五輪開催の前年に14%を超えた経済成長率が、開催年と翌年は9%台に鈍化しました。2004年のアテネ五輪開催に約1兆4300億円の費用をかけたとされるギリシャの場合も、五輪後に経済にブレーキがかかり、今は債務問題で国中が大混乱しています。これらの結果からは、五輪開催後に必ずしもその国の経済が良くなったわけではないという現実が伺われます。 すでにインフラが整っている先進国は、途上国ほど投資は伸びず、また経済規模が大きいので、五輪による経済波及効果の恩恵も少ないという見方もあります。むしろ五輪開催は巨額投資を伴い、企業の生産や消費を活発化させて景気浮揚が見込める一方、国の財政負担が過大になれば、国民につけが回る懸念もあるという指摘もなされています。

  • Thumbnail

    記事

    小池都知事 五輪会場見直しの切り札は森喜朗氏への辞任勧告

     進撃を続ける小池百合子・東京都知事。一方で小池新党の影に怯える自民党は小池氏最大のブレーンで「都政改革本部」特別顧問の上山信一・慶応大学教授を追及の標的に定めつつある。東京都特別顧問の上山信一慶応大教授 都政記者は「上山顧問には2つの大きな失策がある。五輪調査チームのリーダーである上山氏は村井嘉浩・宮城県知事と同郷で、ボート競技会場を宮城に持っていこうと小池・村井会談を根回しした。自民党も共産党もそのやり方を“まさにブラックボックス”と批判している」と、語る。小池氏が都知事選の際に東京都議会自民党のあり様を「ブラックボックス」と批判したが、それがブーメランのように戻ってきている。 もちろん、小池氏も手をこまねいているわけではない。自民党とは逆に、「小池劇場」を盛り上げることで来年7月の都議選本番までに4000人を超える希望者を集めた小池政治塾の第2次、第3次応募者を5000人、1万人と増やしていけるかが勝負になる。 形勢が不利になれば新たな“悪役”をクローズアップさせることで国民の支持を保つのが小池氏が小泉純一郎・元首相から学んだ「劇場型政治」の手法だ。 ターゲットにしたのは石原慎太郎・元知事。石原氏は豊洲の盛り土問題で公開ヒアリングを求められていたが、それを固辞して都の質問に文書で「細かいことは覚えていない」などと回答していた。 小池氏はその石原氏に改めて経緯の聞き取り調査に応じるように要請し、豊洲の盛り土疑惑の“犯人捜し”に焦点をあてる方針だ。 都議会にもカウンターパンチを用意している。「都議の報酬半減」条例である。9月からの都議会では小池氏の選挙公約だった「知事給与半減」条例が全会一致で成立し、都知事の年収を2896万円から約1448万円に引き下げた。その結果、東京では都議の報酬(約1708万円)の方が知事より高いという逆転現象が生まれている。 小池氏は先に自分の給料を引き下げたうえで、都議選を前に4000人の塾生が「都議も半額に下げるべき」と主張して有権者に都議の報酬がいかに高過ぎるかを訴える作戦だ。自民党都議に対する“兵糧攻め”になる。政治塾を運営する政治団体「都民ファーストの会」会計責任者の音喜多駿・都議がこういう。「都議の報酬半減は都議選に向けた争点になっていくでしょう。自民党はなんとしても半減を阻止したいでしょうが、知事給料の半減条例には賛成しながら、自分たちの報酬引き下げは嫌だと抵抗すれば都民の批判を浴びるはずです」 知事給料半減を認めた段階で、自民党都議たちは小池氏の“仕掛け”に嵌っていたのだ。そして五輪の会場見直し問題での小池氏の“切り札”が、見直しに強硬に反対する“五輪のドン”森喜朗・元首相(五輪組織委員会会長)への辞任勧告だろう。 すでに布石は打たれている。森氏は都政改革本部が五輪の会場整備計画の見直しを求めたことに「極めて難しい」と反対した(9月29日)。それが報じられると上山氏がツイッターでこうつぶやいて“会長交代”を求めたのだ。〈おっしゃるとおりだが、無理ならほかの人に頼んだらいかが?〉 五輪見直し問題がいよいよ膠着状態に陥り、事態打開のために小池知事が自ら森氏の組織委員会会長の退任を迫れば、小池VS森の頂上作戦で小池劇場が盛り上がり、求心力を盛り返すことは間違いない。だが、それは官邸の思う壺でもある。自民党大臣経験者が語る。「安倍総理や麻生副総理、菅官房長官にとっても森さんは目の上のたんこぶ。小池氏がクビ取りに動いてくれるなら好都合と考えている。しかも森さんのことだから激しく抵抗して都知事側も返り血を浴びるはずだ。 小池氏は第1次安倍内閣の防衛大臣時代に“防衛省の天皇”と呼ばれた守谷武昌・次官を更迭し、総理に相談もないまま大臣留任はしないことを表明した。安倍総理はあのときの小池氏のやり方を“任命権者のオレの面子を潰した”といまも許していない。森さんと相討ちになれば、あのときの借りも返すことができる」「小池劇場」の演目は熱しやすく冷めやすい「4000人のなかまたち」の動向によってエピローグが大きく変わる。関連記事■ 森喜朗氏 4年後の都知事選で「小池vs丸川」狙いか■ 都議会のドンのパーティで都庁幹部が迫られた「踏み絵」■ 東京都知事選 自民党候補者選びを迷走させる「2人のドン」■ 都議会のドン・内田氏 石原都知事に泣いて馬謖を切らせた■ 新都知事候補 最有力・小池百合子氏を直撃

  • Thumbnail

    記事

    1964年東京五輪に学ぶ借金を残さないレガシー五輪とは?

    はレガシーとして恒久施設にする」といいますけど、それが実に怪しいのです。昭和39年10月24日、東京オリンピック閉会式で行進する各国選手=国立競技場 長野五輪のボブスレー、リュージュ競技場も、韓国の冬の五輪以降は取り壊しの方向です。そもそも、1964年の東京五輪で使用した国立競技場を壊しておいて、レガシーもないでしょう。ロサンゼルスオリンピックは、1932年建設の競技場を1984年に再利用しています。やればできるのです。未だスクラップ&ビルドの考えで、物事を推し進めるのは、時代遅れに思えます。 そんなわけで、1964年の東京五輪の予算とレガシーを検証し、2020年の東京五輪はどうあるべきか、考えてみたいと思います。 1964年東京五輪の総予算は、ざっと1兆円と言われています。現在の貨幣価値に換算すると約4兆~5兆円(日銀の統計、家計支出&物価指数の変遷では当時の4.1倍)となります。当時の一般会計の3割もの支出があったと言われ、莫大なお金がかかりました。しかし、競技関係の設備費は、400億円弱と意外に少ないのです。64年の東京五輪で一番お金がかかったのは、インフラ関係です。東海道新幹線が、東京五輪開会式の10日前に開通。同様に東京モノレールを始め、首都高、環状7号線、日本武道館、岸体育館、駒沢競技場などがオリンピック直前に次々と完成し、今もレガシーとして見事に残っています。 その中でも白眉なのは、東海道新幹線でしょう。旧国鉄内からですら新幹線は不要と言われ、それをひとりで跳ね除け、東京五輪までに絶対開通させると奔走したのが、第4代国鉄総裁の十河信二です。3000億円という国家予算の1割以上のお金が必要と分かり、予算の半分で提示し、閣議決定を先行させた。予算不足で頓挫はいけないので、世界銀行からお金を借り、国家レベルの約束事にして無理やり開通させた伝説の人です。 後に彼は予算オーバーの責任を取り、総裁を辞め開通式に呼ばれていません。しかし、国鉄マンからは、“新幹線の父”として慕われました。亡くなって故郷・愛媛県の新居浜に遺骨が戻るときは、新幹線のグリーン車に安置所が設けられ、窓際には遺影が飾られます。各駅に停まるたび、多数の駅員が敬礼で見送ったそうです。 右肩上がりの高度経済成長時期だから、予算オーバーでも切り抜けられた。新幹線計画は、その典型でありましょう。改めて2020年の東京五輪を見てみると… 改めて2020年の東京五輪を見てみると、経済成長は今後、あまり見込めせん。人口も減りつつある。予算オーバーをしては、後で払えるかすらおぼつかないのです。ビッグプロジェクトのリニア中央新幹線は、2027年頃の開業予定で間に合いません。強いてやるならIT関連の整備と、キャラクターなどのソフト面の充実です。つまり2020年の五輪開催を契機に、やるべき大きなインフラ整備は、あまりないのです。 続いて競技施設建設の過剰な要求ですが、これは、ほどほどになさるがよろしい。元々、2020年の真夏に開催することが、大いなる妥協なのですから。夏季開催は、92年のバルセロナオリンピック以降、IOCの暗黙の了解事項(2000年のシドニー大会は例外)になっています。それはアメリカのメジャースポーツのイベントが少ない時期に開催したい意向を汲んでのことです。それにより視聴率もUPし、多額の放映権料がIOCに入ってくる。いわば五輪ビジネスのために、日本政府は真夏の開催を受け入れたのです。 この日本で真夏に開催をしながら、アスリートファーストもないでしょう。選手村の分村はけしからんって、だったらまずスケジュールを10月に戻してください。そのほうがよっぽど、アスリートのためになると思いませんか? 要するにオリンピックは政治的思惑と組織の利権で動いているのです。施設のレガシー化にしても、北京やアテネの旧競技施設の荒廃ぶりを見れば、お分かりでしょう。競技施設の分散化も、ロンドン五輪ではスコットランドからウェールズまで、全展開でした。 IOCの注文と、実際に行われていることの違いに、驚きを隠せません。日本がお金持ちと思われて、要求が厳しいのかも知れませんけど…。 日本のメダル獲得数は、96年のアトランタオリンピックが最悪で、金が3、全部で14という有様でした。その後、これではいかんと強化策が実施され、アスリートが続々育ったのです。リオが最多の41メダルで、2020年はこの上を狙おうといわれてます。それは素晴らしい考えですが、競技会場はどんなものだろうが条件は一緒ですよね。だからメダル獲得と、立派な競技施設は、関係あるようでさほど関係ないと思います。まさか、日本選手に有利な競技場を作るとか、そういうのはあり得ないですしね。 どんな競技場だろうが、選手同士の条件は皆一緒。だったら、ほどほどの施設でいいと思うのですが…。低経済成長と人口減時代にふさわしい、オリンピックにしてほしいです。つまり1964年の東京五輪を反面教師と見たほうが良さそう。そう考えると、借金を残さないことこそがレガシーだと思うのですが、いかがでしょうか?関連記事■ 羽田~成田空港都心直結線整備事業 東京五輪に間に合わず■ 馬術部に所属していた木村佳乃、馬との関係は恋人のよう■ 見納め国立競技場豆知識 トラックの下に女性用立ち小便器等■ 31歳芸人 猫ひろし同様五輪マラソン走るべく海外移住を示唆■ 五輪で6種目すべてに男女の区別がない現在唯一の競技とは?

  • Thumbnail

    テーマ

    リオ五輪、日本人メダルラッシュの理由

    表彰台で輝く選手たちの姿に列島が歓喜に沸いた。リオ五輪で獲得した日本勢のメダルは史上最多の41個。むろん、メダルだけがすべてではないが、それでも日本人が飛躍した背景にはきっと何かあるはずだ。4年後の東京五輪を見据え、日本勢メダルラッシュのワケを読み解く。