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    村田諒太ならまだやれる

    世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王者として2度目の防衛戦に臨んだ村田諒太が王座から陥落した。ロンドン五輪で金に輝き、プロでも世界を制した逸材だけに周囲の落胆も大きい。去就が注目されるが、日本人の限界とされるミドル級の壁を破るのは、やっぱり村田しかいない。(写真は共同)

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    日本人には高すぎたミドル級の壁、それでも村田諒太なら超えられる

    木村悠(元世界ライトフライ級王者) 世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王者として2度目の防衛戦に臨んだ村田諒太が10月20日、同級3位のロブ・ブラントに判定で敗れ、王座から陥落した。防衛を重ねていくとの期待が強かっただけにファンだけでなく、関係者も大きなショックを受けたことだろう。 村田について、まず特筆すべきは、プロとアマチュア両方で世界王者になった偉業だ。アマチュア時代、2012年のロンドン五輪で金メダルを獲得し、その後、プロのミドル級で世界王者になった。しかも、ミドル級という日本人には体格的に不利な階級での偉業である。 普通、アマチュアよりプロの方が、レベルが高いと思われがちだが、一概にそうとも言えない。そもそも、日本のアマチュアボクシングは、長く五輪でメダルを獲得できていなかった。だが、ロンドン五輪で村田が金メダルに輝き、これは実に1964年の東京五輪から48年ぶりの快挙だった。 さらにいえば、五輪で金メダルに輝いたのは、過去に村田を合わせて2人しかいない。五輪のチャンスを逃した筆者からすれば、その難しさを実感している。五輪の全メダリストを考えても、これまで5人しかいない。一方、プロの世界チャンピオンは約90人にのぼっており、どれだけ困難なことかは、数字が物語っている。 このように、プロは多くの世界チャンピオンを輩出しているが、アマチュアは強豪国が多く、国際大会で勝つのが非常に難しい。プロ加盟していない国も多く、キューバやロシアなどの選手は技術のレベルも高い。 ボクシングで五輪に出場するためには、世界選手権で上位進出するか、アジア予選で勝ち抜かなければならない。韓国や北朝鮮、中国に加えて強豪のモンゴルやカザフスタンやウズベキスタンといった旧ソ連系の国を相手に勝って枠を取らなければならない。 要するに、各階級の出場枠を取るのは難易度が高く、五輪に出場するだけでも相当のハードルなのである。現在、プロで大活躍している井上尚弥や3階級王者の井岡一翔、世界タイトルを11回防衛した内山高志、12回防衛の山中慎介もアマチュア出身だが、誰一人として五輪には出場できず、いずれもアジア予選で敗退している。 筆者は34歳で、村田よりも2つ年上だが、アマチュア時代、全日本チームのメンバーとして一緒に国際大会に出たり、国内での合宿でチームメートとして練習したりしていた。やはり、村田は高校時代から逸材だった。アマチュアの全国大会で5冠に輝き、ジュニアでありながら成年の全日本選手権でも準優勝していた。  国内大会ではヘッドギアを着用するアマチュアだが、試合ではレフェリーストップを量産していたほどである。筆者に言わせれば、村田は常に対戦相手に恐怖を抱かせる「怪物」のような存在だった。 先に述べたように、村田はアマチュアで華々しい実績を残した後、プロに転向した。プロデビュー戦では当時の東洋チャンピオンを2回TKOで圧倒し、観客を驚かせた。プロとアマチュアはルールが違うが、それでもあっという間に試合を終わらせた村田のデビュー戦は衝撃的だった。 その後、筆者が所属していた帝拳ジムに移籍してプロでもチームメートとなった。 メディアでは明るく丁寧な対応をする村田だが、ジムではよくイタズラをしたり、冗談を言ったりするムードメーカーでもあった。2度目の防衛戦に向け調整する、WBA世界ミドル級王者の村田諒太 =2018年10月、米ラスベガス(共同) 筆者はかつて、村田とともに走り込みのキャンプを行ったが、その身体能力の高さによく驚かされた。アスリートは長距離が速くても、短距離は遅い持久力系の選手と、長距離よりも短距離に長けた瞬発系の選手に分けられる。 普通は筋力のバランスで得意、不得意があるものだが、村田にはそれがない。持久系のトレーニングは誰よりも速く、短距離のダッシュであっても群を抜いた。ここまで飛び抜けた能力を持つ選手はめったにいない。その類(たぐ)い稀(まれ)な身体能力を生かし、村田はプロに入っても勝ち続けた。村田ならまだやれる 村田のボクシングスタイルは非常にシンプルだ。ガードを固めてプレッシャーをかけ続けながら強いパンチを打ち込む。余計なパンチはあまり打たず、一撃で相手を仕留める。パンチ力と圧力があるからこそできるスタイルだ。 パンチの強さは世界のボクサーにも引けを取らない。ガードも高く、プロでダウンの経験もないという打たれ強さも兼ね備えている。ただ、前回のブラント戦やアッサン・エンダム戦でもそうだったが、強いパンチを打ち込もうとする余り、ジャブや手数が減ってしまうのが難点である。 次に階級の視点からみてみよう。そもそも、日本を含むアジアのボクシングは、軽量級を主戦場としている。先にも記したが、日本の世界チャンピオンは約90人に上る。だが、ウエルター級以上の重量級の世界チャンピオンは村田を含めて3人(輪島功一と竹原慎二)しかいない。体格の面からもアジアの選手は軽量級が多く、村田のようにミドル級でチャンピオンになった例はアジアを見渡しても非常に少ない。 また、ミドル級は競合が多く世界的な層も厚い。世界的スター、フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオは、村田の一つ下のスーパーウエルター級で活躍していた。そのため、その前後の階級は強い選手が多い。 前回の試合では負けてしまったが、カザフスタンの英雄、ゲンナジー・ゴロフキンもいるし、ゴロフキンに勝ったメキシコのサウル・アルバレスもいる。他にも、アメリカ出身のジャーメル・チャーロやカナダ出身のデイビッド・レミューなど、名実備えた選手が多い階級である。 こうした重量級の迫力とスピード、テクニックを兼ね備えた選手が多いだけにボクシングの本場、アメリカでも人気の階級だ。スピードに加え、パンチ力もテクニックもある、三拍子そろった選手がいくらでもいる。非常にレベルの高い階級と言える。 そして、ファイトマネーも桁(けた)違いだ。日本でのタイトル戦とは比べ物にならない。海外放送の放映権関係などの影響も受けてファイトマネーも跳ね上がる 。 そんな厳しい階級で戦い続けてきた村田だが、ベルトを失い、今後どうするのか。やはり人気のある階級だけに、その分チャンスがめぐって来るのも難しい。村田もブラントに負けたことで、ビッグマッチへのチャンスが遠のいたのは確実である。WBA世界ミドル級戦の11回、ロブ・ブラント(右)のパンチを浴びる村田諒太=2018年10月、米ネバダ州ラスベガス(共同) とはいえ、勝てばゴロフキンと東京ドームでの試合の話もあっただけに、今は村田本人が一番落胆しているだろう。本人も語っていたが、すぐには決められないとの言葉は、周囲の環境が普通の選手と比べてあまりに違うからである。 今後の動向に注目が集まるが、村田をよく知る筆者としては、今はゆっくり休ませてあげてほしいと強く感じる。世界戦はそれに臨む本人しか分からない大きなプレッシャーの連続だ。自分の人生を賭けてその一戦に向かっていくだけに、進退を決めるのは難しい。体と気持ちを休めることで、見えてくることもあるだろう。 ただ、村田のボクシング界における影響力はあまりに大きい。 筆者もこのまま終わってほしくないし、村田の実力ならまだやれると強く思う。時間をかけ、悔いの残らない決断をしてもらいたい。

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    泣き虫先生独白「愛のムチなしに本当の指導ができますか」

    山口良治(元伏見工業高校ラグビー部監督) 最近、アマチュアスポーツ界で「パワハラ」と騒がれることが多いですが、思うことはたくさんあります。 なんでも「言ったもん勝ち」という風潮で、これでは指導者が何もしないことが正解のように感じてしまいます。しかし、「手を触れあう」ことなしに、本当に指導が行き届くのか、疑問に思ってしまうのです。 私はかつて伏見工業高校(現京都工学院・京都市伏見区)のラグビー部で監督をしていました。いわゆる「不良」が多い学校でしたが、顔が一人一人違うように、育った環境やしつけられ方がそれぞれ違います。両親が不仲だったり、逆に甘やかしすぎだったりね。 お母さんが早くに亡くなって、いつもお弁当を持ってきていない生徒もいました。その生徒にはおにぎりを渡したりしましたよ。思い出すだけで涙が出てきます。一人一人の人生の背景を思うと、たまらなかった。私は生徒のその先の人生まで考えて、本気で向き合って接していました。 当時、学校内でラグビー部は「山口収容所」なんて呼ばれていましたが、多い時で120人ぐらい部員がいました。指導した生徒は、みんなラグビーの試合中に大きなけがや事故なく、指導生活を終えられたことを、私は誇りに思っているんです。 学校の中には悩みを抱える生徒を見て見ぬふりする教員もいて、「なんでほっとくんだ」っていう憤りが強かった。もちろん、そういう気持ちを正当化してくださいと今言うつもりもないですがね。本当は、知らん顔をしている先生のほうが「賢い」んでしょうけど、私はほっとけなかった。 私は、その生徒がもし自分の息子や弟だったらと考え、本気で愛情を持って接するからこそ、親の前で泣きながら生徒に手を上げたこともありました。本当に一生懸命やっていればわいてきます、涙なんてものは。ほっとけなくて、伝えるために手を上げる、その判断は非常に難しいものでした。レギュラー一人一人にジャージを渡す山口良治・伏見工総監督(右)=2008年1月、奈良県(吉澤良太撮影) とはいえ、スポーツを指導することは、大変難しいことです。特にラグビーというスポーツは、恐怖に打ち勝ち相手にぶつかっていかなくてはいけません。体操の宮川紗江選手が体罰を受けていたと報道され話題になりましたが、体操も同じでしょう。あんな高い鉄棒で技を決めたり、平行棒から飛び降りたり、命の危険もありますし、怖いはずです。つらいこともたくさんあるでしょう。 ただ、指導する側はその恐怖を代わってあげることができないだけでなく、怖いことをやらせなくてはいけません。その恐怖に打ち勝てるようにするための指導を、パワハラや体罰だと選手が感じないようにと考えながら、また周囲の目を気にしながらするなんて、果たしてできるのでしょうか。 宮川選手はコーチの意図が分かっていたんだと思いますよ。命がかかった練習の時、コーチの一言で救われたことは多々あったでしょう。そんな関係性を知らない人たちが外から騒ぎ立ててニュースになっていく今の世の中は、なんだかおかしな方向にいってしまうのではないかと危惧しています。日大アメフト問題の本質 日大のアメフトの問題も、監督をしていたら、「相手を狙え、やっつけろ」なんて当然言いますよ。あれは言った言わないの問題ではなく、実際にラフプレーをした選手のスポーツマンシップが問題だと思います。 アメフトという危険なスポーツをやるにあたって、敵味方関係なくスポーツマンシップにのっとって信頼関係を築くのは当然です。もちろん、監督とのコミュニケーションの問題もあるでしょうが、やった選手はレギュラーになりたいとか、試合に出たいという気持ちから故意にあのような行為に至ったものなら、私には理解しがたいですね。 一連の体罰やパワハラの問題は、親子関係にも通ずると思います。このところ、若者の残念なニュースも多い。最近、バイクの事故で若者が複数亡くなりましたね。誰か間違っていることを教えてあげられる大人はいなかったのかと、歯がゆい思いを抱くことが多いです。 愛に飢えている子供たちがほっとかれているんじゃないでしょうか。今は親が手を上げても「体罰だ」と言われます。でも、親のしつけがしっかりしているのが本来の日本でしょう。 親には子供の命を守る責任があります。それにもかかわらず、言わなくてはならないことを言わない親が多い。「言ったもん勝ち」のハラスメントで、親子のしつけすら揺らいでいるわけですから、スポーツの指導はさらに難しくなるのではないでしょうか。 今の「言ったもん勝ち」のハラスメントが加速すれば、ますます「何もしない大人」が増えるでしょう。私も75歳になり、本当は表に出ず何も言わない方が楽だったのですが、元指導者として気になるニュースですし、誰かが言わなければならないだろうという気持ちがあったからこそ、インタビューを引き受けたわけです。日本一を決め感極まり、スタンドでガッツポーズをする伏見工の山口良治監督(中央)=1993年1月7日、東大阪市の花園ラグビー場 私がお伝えしたいことは、単純に「体罰を容認せよ」ということではありません。指導者と選手の間にあるものを言葉にするのが非常に難しいですが、一番大事な問題の本質は、「愛情を伝えられているか」ということだと思うのです。技術は伝えることができるかもしれませんが、目に見えないものを伝えるには愛情が必要なんです。選手に「勇気」を奮い立たせてほしい時、言葉で説明して伝えるなんてできますか。 時代は変わったと思います。しかし元指導者としてどうしても「言ったもん勝ち」の風潮と、今の若者たちが心配です。本当に大事なことは「愛」なんだと、そして「愛」を本気で伝えるにはどうしたらいいかを、世の皆さまに今一度考えてほしいと思います。(聞き手/iRONNA編集部、中田真弥) やまぐち・よしはる 京都市立伏見工業(現・京都工学院)高校ラグビー部総監督。昭和18年、福井県生まれ。日本体育大卒。元ラグビー日本代表。50年に伏見工業高校ラグビー部監督に就任、後に総監督を務める。全国的に無名だったチームを育てあげ、また情に熱い指導が多くの反響を呼び、テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公、滝沢賢治のモデルとなった。

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    「体罰禁止で指導者が去勢される」ヤクザ先生が憂う教育の危機

    野々村直通(開星高校前野球部監督・教育評論家) 人間が人間を教育(指導)する世界はロゴス(理論)ではなくカオス(混沌)である。論理で成立するのであればコンピューター教育や人工知能(AI)で事足りる。なぜ人から人なのか。ここを正しく認識せずして「人間教育」は語れない。女子体操の宮川紗江選手の訴えはその原点を炙(あぶ)り出して見せた。18歳のいたいけな少女は都内で記者会見し、練習中に暴力があったことを認めた上で処分の軽減を求め、速見佑斗コーチの指導継続を訴えた。  「1年以上前までたたかれたり、髪を引っ張られたりした」と暴力を認めた上で「暴力は許されずコーチも反省している」とし、「処分が重すぎる。速水コーチと東京五輪で金メダルを目指したい」と述べた。 彼女にとっては「暴力」と受け止めたことはなく、命やケガの危険性がある場合に厳しく指導されており、本人も家族も納得していたという。その一方で、塚原千恵子強化本部長らからパワハラを受けていたとも主張。「五輪に出られなくなる」などと圧力をかけられたほか、海外派遣選手の恣意(しい)的な選考があったと訴えたのは記憶に新しい。 この事件は二つの要素を含んでいる。「暴力」と呼ばれる速見コーチの体罰と塚原夫婦の「権力」を使ったパワハラである。連日、テレビのワイドショーは大騒ぎした。その中で特に気になったのは、速見コーチの一連の行為が疑いもなく、暴力という代名詞で報道されたことである。しかし、これは指導過程における「体罰」なのである。暴力は傷害であり、犯罪である。 むろん、体罰は行き過ぎれば暴力であるが、あくまでもこれは指導過程の一貫である。そのことを彼女も理解しているので、暴力を受けたという自覚がないのである。 体操は誠に危険をはらんだ競技である。競技中の事故で半身不随になったり、亡くなった人もいると聞く。彼女によれば、コーチからは集中力を欠いたり、遊び半分のように練習したときに叩かれたことがあったという。 速水コーチの行為はどうあれ、その方向性(ベクトル)は宮川選手をより伸ばすために用いられている。一方、塚原千恵子氏のパワハラは、宮川選手の思いから見れば、選手生命を閉ざし、意欲をなくす方向へと向けられている。どちらが正義に近いのか、一目瞭然であろう。 しかし、そのことに触れるコメントを一切聞くことはなかった。宮川選手から見ればコーチの行為は「善行」、塚原氏の行為は「悪行」である。私は、ワイドショーなるテレビ番組が「私刑(リンチ)ショー」であると感じている。一つの悪者を決めつけるとあらゆる人たちが徹底的に叩く。スタジオにはMC(司会者)に賛同する者たちが呼ばれ、台本に沿って悪者を締め上げる。その悪者の代表は体罰である。 「体罰=暴力=悪」であるという金科玉条(きんかぎょくじょう)の印籠を振りかざし、大衆はそれにひれ伏すという図柄である。世界的トランペッター、日野皓正(てるまさ)氏の体罰事件のときもワイドショーは大々的に扱ったが、そのビンタ事件のときは動画が流れた。すると叩かれた生徒の態度の一部始終が放映されるや、形勢は一気に逆転。ついには有名芸能人が「俺でもあんなやつはビンタくらいする」という発言が出た。男子中学生への体罰について会見するジャズトランペット奏者・日野皓正氏=2017年9月1日、羽田空港(撮影・佐藤徳昭) 決定的だったのは、空港でマスコミに取り囲まれ、すかさず詰め寄られると日野氏はこう言い放った。「君らのようなマスコミが日本文化を駄目にしてきたんだ!」と。「現場の関係も分からぬ者たちが論理だけで言うな。本当の師弟のぶつかり合いを前時代的な遺物として葬るな!」「モノづくりや真剣な教育はそんな単純なものではない!」などと言いたかったに違いない、と私は拝察する。これはあくまで私見であるが…。 その後、日野氏に同調する世論を敏感に読み取ると、この事件は何事もなかったかのように報道されなくなったのである。追い込むことは選手に必須 そもそも朝日生命体操クラブという私的な指導者が夫婦で体操協会の幹部であり、絶大な権限を持っていることも歪(いびつ)である。過去において、正式な競技会で自クラブの選手に不可思議な採点方法で高得点を与え、他チームから大会をボイコットされた前歴を持つ指導者である。ボクシング協会による審判不正「奈良判定」に匹敵する不祥事であるが、その責任を取って一度は役職を引いた人間が再び重要ポストに返り咲いたことも、面妖なことである。 塚原光男副会長と親交のある人物は彼のことをこう証言する。「さっぱりしていて男気で、よく若い者を食事に連れて行ったりする優しい人です」と。しかし、パワハラとこの人物像とは何の関係性もない。「巧言令色 (こうげんれいしょく) 鮮(すくな)し仁」である。何よりも悪いのは、守りたい組織と自分が経営するクラブが等価値となっており、そんな夫婦が協会の上層部で権力を振るっていることである。 組織の長に登り詰めた人間が「権力」の魔力に陥って、「公」と「私」の使い分けができなくなった典型とも言える。彼らは私(自分)を優先したパワハラを行った。18歳の少女を権力が集中している夫婦の通称「千恵子部屋」という部屋に一人呼ぶことの意味と、その恐怖が彼らには理解できないのだろう。彼らは「私」を行使したが、私は「公」(選手)を育てる過程での体罰、パワハラは必要であるという信念を持っている。 技術(理論)を超える精神論が結果を導くために不可欠であることは、衆目の一致するところだろう。どんなに立派な技術や体力を保持しても最後は「心が体を動かす」のであり、メダリストや一流アスリートは結局のところメンタル(精神)を語る。「根性論」は過去の悪癖の代名詞だが、どんなに科学的、理論的といえどもその実践は根性論からなる精神の昂(たか)まりである。強い精神力を作るためにも本人を鍛錬して“追い込む”ことは必須である。開星高校の野々村直通監督(当時)= 2011年8月14日、甲子園球場(恵守乾撮影) その追い込みの過程でパワハラ扱いされ、指導者が追放されていいのか。情熱ある指導者がその熱を削がれ、去勢され、優しいだけの指導者になっていいのか。日本は、すべてが中庸で、ナチュラルで、ニュートラルな中性的民族に向かっているようで強い危機感を覚えている。 「暴力」は犯罪である。しかし、「体罰」はそもそも教育における指導の手段の一つであり、「学校教育法」で禁止されている現状があるというだけのことである。体罰は本当に「絶対悪」なのか。どんな状況においても絶対に行使してはならないものだろうか。今こそ真剣な論議が待たれるところだが、今の軟弱な日本では遥かに望むべくもないことであろう。

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    駅伝「四つんばい」を美談に仕立てたテレビ中継に異議あり!

    酒井政人(スポーツライター) 10月21日に福岡県で開催されたプリンセス駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝予選会)の「四つんばい」スパートが賛否の議論になっている。箱根駅伝に出場経験のある筆者としては正直、こんな問題に世間がヒートアップしていることに少しあきれている。なぜなら、今回の駅伝についての「本質」を分かっていない人が多いからだ。 実はこの件、いくつもの問題が絡んでいる。一つずつ整理して考えていきたい。 まずは選手の立場から見てみよう。2区(3・6キロ)に出走した岩谷産業の飯田怜は入社1年目の19歳。高校時代は、全国大会で華々しく活躍した実績はなく、テレビ中継されるようなレースでかなり緊張したことが予想される。そして第2中継所まで約250メートルというところで転倒、思わぬアクシデントでパニックになったことが考えられる。 その後は、脚の痛みから、両手と両膝をついてアスファルトの上を進んだ。駅伝を走る場合、まず頭に浮かぶのが「次走者」のことだ。はってでもタスキをつなげるのは、駅伝ランナーの「本能」ともいえる。その行為について、筆者は良かったとも悪かったとも思わないし、彼女の頑張りを見て、感動するのは自由だとも思う。 しかし、飯田は第1中継所に入るのが遅れ、1区の走者のタスキを数秒遅れて受け取っている。1秒を争う駅伝選手として、致命的なミスを犯したことを考えると、個人的には褒められない。 選手としての判断でいうと、残り約250メートルとはいえ、両膝を擦りむいてでも進むということが「正しい選択」だったかも疑問が残る。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) ちょっと昔の話になるが、日清食品グループに所属する佐藤悠基は、東海大1年時に出場した全日本大学駅伝予選会(1万メートルレース)で驚くべき行動を取った。左足甲が「ちょっと気になった」という理由でレースをやめたのだ。 残りはトラック2周。歩いてでもゴールできない状況ではなかったが、彼はそうしなかった。自分の脚を優先させたのだ。涙のタスキリレーとチーム事情 チームは全日本大学駅伝の出場を逃したものの、佐藤は3週間後の日本学生陸上対校選手権(日本インカレ)1万メートルで、1年生にして優勝を果たした。その後も躍進を続け、世界選手権やオリンピックにも出場した。もし、あのとき無理をしていたら、その後の活躍はなかったかもしれない。 また、先日のシカゴマラソンで2時間5分50秒の日本記録を樹立した大迫傑(すぐる)も、早稲田大4年の時には、チームの主将でありながら、箱根駅伝(1区間21~23キロ)のためのトレーニングはしていない。チームを離れて、5000メートルや1万メートルのトラック競技に向けた練習でスピードを磨いている。最後の箱根は1区で区間5位に終わったが、その後の大活躍は周知の通りだ。 駅伝には「チームの絆」があり、それが大きなパワーにつながることもある。そして、汗の染み込んだタスキを次の走者に託す姿は、日本人の琴線に触れるものだろう。だけど、選手にとっては、駅伝以上に大切なものがあるのも事実なのだ。 次にチーム事情が挙げられる。飯田が所属する岩谷産業は、陸上部が発足して2年目で、選手は7人しかいない。そのうち飯田を含む3人は高卒1年目だ。プリンセス駅伝は6区間のため、選手層が薄くて、キャリアの少ない選手たちで予選突破を果たすのは、簡単なことではなかった。 レース後、飯田は右脛(すね)の骨折で全治3~4カ月と診断されている。転倒時に痛めたのか、疲労骨折なのかはわからないが、疲労が原因だとしたら、以前から右脛に不安を抱えていた可能性がある。チーム状況から飯田を起用せずにはいられなかったとなると、飯田を責めることはできない。 異変に気づいた広瀬永和監督は「棄権」を申し出たが、飯田が続行の意思を示したため、涙のタスキリレーとなった。テレビ中継では、飯田のすぐ後ろを歩いていた審判員の「あと70メートル、俺は行かせてやりたい」という言葉が入っており、沿道の観客からも「頑張れ!」という声援があっただろう。2018年10月、シカゴマラソン、3位でゴールする大迫傑。2時間5分50秒で日本新を達成した(AP=共同) さらに、バイクカメラが飯田の真横についた。こうなると選手の方も止めるに止められない。周囲の重圧がリタイアを決断できなかった原因になった可能性もある。 各中継所では通常、先頭のチームが通過してから一定時間で繰り上げスタートとなる。飯田が第2中継所にたどり着かなければ、チームは棄権となるが、3区以降の選手はレースを続けることはできる。チームとして予選通過ができなければ、「予選敗退も途中棄権も同じ」と割り切って考えることができれば、膝を擦りむく必要はなかったかもしれない。 視聴者も理解しないといけないことがある。それは、実業団選手の大半は「走る」のが仕事だということだ。趣味でやっているわけでもなく、ボランティアでもない。会社が給料を支払い、練習環境も整えてくれる。駅伝は「スポーツ中継」か その代わりに、「走る」ことで会社をアピールする役割を担う。そう考えると、飯田の頑張りも特別なことではない。仕事が終わらないため、残業したくらいのことだ。 そして、今回の件で最も問題視すべきはテレビ放映の仕方だと思っている。駅伝は「スポーツ中継」「スポーツドキュメンタリー」「スポーツショー」のどれになるのか。プリンセス駅伝はクイーンズ駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝)の予選会であり、14位以内に入ると本戦の出場権をつかむことができる。 「スポーツドキュメンタリー」や「スポーツショー」なら、今回のようにアクシデントのあった選手をクローズアップしてもいい。しかし、「スポーツ中継」だとしたら、今回の放映方法がベストといえるだろうか 四つんばいになった飯田をカメラが執拗(しつよう)に追いかけ、5分近くもテレビ画面を占領することになる。実況するアナウンサーも「ここで途切れさせるわけにはいかない!」と熱い言葉を発していた。そして、タスキがつながると、「思いはつながった! 岩谷産業!」と興奮気味だった。 サブ画面では1号車のカメラが先頭集団を映し出していたとはいえ、その間にトップが入れ替わるなど、「14位以内」の争いは大きく変化した。「スポーツ中継」ならば、トップ争いをきちんと状況する必要があったのではないだろうか。 岩谷産業は飯田のアクシデントの影響で、2区を終えて本戦出場のボーダーラインと4分46秒差だった。予選突破は絶望的な状況だったことを考えても、岩谷産業を追いかけるのは、必要最低限で良かったと思う。創部2年目で初出場したチームが最下位に転落したとしても、本来ならニュースにならないのだから。2018年10月、プリンセス駅伝で優勝のゴールテープを切るワコールのアンカー(第6区)福士加代子(鳥越瑞絵撮影) これまで駅伝のアクシデントを目の当たりにしてきたが、選手のブレーキや繰り上げスタートなどテレビ実況は大げさにあおる傾向がある。そして、ささいなことも美談に仕立ててしまうメディアにも問題があるだろう。もう少し、ドライな中継で、選手たちが本当に目指しているものを、しっかりと映してほしいと思っている関係者は少なくない。 近年は、インターネット上で自由な言論が繰り広げられている。今回の件も、「感動した」「涙が止まらない」という声がある一方で、「早くリタイアさせるべきだった」という主催者側や監督に対する批判もあった。 人が頑張る姿は美しい。しかし、表面上のことだけを見て判断するのではなく、物事の「本質」を見極めた上で、本当の「評価」を下していただきたいと思う。

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    「壊れゆく巨人」高橋由伸はなぜ心を閉ざしたか

    菊地高弘(ライター、編集者) 高橋由伸監督の辞任が決まった。3年間の任期で巨人はリーグ優勝することはかなわず、全ての年で首位広島から10ゲーム以上も離された。今年も3位ながら、クライマックスシリーズのファイナルステージに進出したが、高橋監督は言い訳をせずに「チームの勝敗は監督が背負う」と、責任を取った。 だが、高橋監督には同情すべき事情もある。2015年には現役選手として77試合に出場して、打率・278、5本塁打を記録。さすがに全盛期の力は残っていなかったものの、代打打率・395をマークし、人気面でもチームトップクラスだった。現役続行の意思もある中、コーチ経験すらなく突然監督に就任したという経緯があった。 さらに、阿部慎之助、村田修一(2017年退団)、長野久義といった主力選手がベテランの域にさしかかり、チームとして過渡期にあった点も気の毒だった。今季は春先から岡本和真、吉川尚輝という次世代の主力候補を登用。岡本が4番打者に定着するなど、世代交代に向けて一定の成果が見える中での監督辞任だった。 球団は慰留したというが、高橋監督の意志は固かった。プロは結果が全て。それが高橋監督の美学なのだろう。 元巨人ファンの筆者からすると、この辞任は「潔い」「早すぎる」といった感想以前に「ようやく解放されるのか」という実感の方が強い。監督業は楽しい、つまらないという観点で務まるものではないだろうが、ベンチで采配を振るう高橋監督の仏頂面を見るたびに「やらされている感」を覚えずにはいられなかった。指揮官としての自分のスタイルを固める準備期間もないまま監督に祭り上げられたのは、やはり不幸だった。厳しい表情で試合に臨む高橋由伸監督=2018年10月、甲子園球場(矢島康弘撮影) その一方で、不可解なニュースも報じられた。高橋監督の辞任に伴い、鹿取義隆ゼネラルマネジャー(GM)も退任し、岡崎郁スカウト部長も異動することが発表されたのだ。 一見、監督だけに責任を押しつけない、球団としての「けじめ」にも思える。だが、実際はそうだろうか。何しろ、鹿取氏がGMに就任したのは2017年の6月13日。前任者が成績不振の責任を取り、辞任したことによる人事だった。つまり、鹿取氏はわずか1年4カ月足らずで責任を取らされることになる。 昨オフから2018年開幕にかけての主な補強といえば、先発ローテーション候補の野上亮磨(前西武)のフリーエージェント(FA)獲得と、2017年本塁打王のゲレーロ(前中日)の獲得。さらに上原浩治(前カブス)の復帰があった。いずれも大きな成果は挙げられなかった。 しかし、わずか1年4カ月で編成に結果を求めるのは酷としか言いようがない。不運続きのドラフト 昨年のドラフト会議にしても、鹿取氏が編成面の最高責任者になってわずか4カ月で臨まなければならなかった。ドラフト1位指名で清宮幸太郎(現日本ハム)、村上宗隆(現ヤクルト)と高校生スラッガーの入札を相次いで外す不運もあった。 「捕手と二塁手を指名し過ぎ」という批判もあったが、今季は3位指名の大城卓三、5位指名の田中俊太が1軍戦力になっている。他にも成長途上の選手もおり、ドラフトの成否がはっきりするのは数年後のことである。 そして2018年のドラフト会議まで1カ月を切ったタイミングでのGM解任。つまり、鹿取氏はGMとして年間通して腰を据えてドラフトに取り組むことなく、任を解かれることになる。現場で走り回るスカウトは健在だとしても、岡崎部長が解任されたことで、新体制で臨むドラフトは急場しのぎになる危険がある。 そもそも、鹿取氏が1年4カ月で責任を取らされたとあっては、後任の編成責任者が誰になろうと強烈なプレッシャーがかかることは間違いない。必然的にFA補強、外国人補強、ドラフト指名では「すぐ使える選手」が最優先されるはずだ。 ドラフト会議で指名される選手は「バランス型」と「ロマン型」に大別される。なんでもソツなくこなせて大きな穴がない「バランス型」に対して、大きなポテンシャルを秘めながらも穴もあるのが「ロマン型」だ。すでに近年の巨人のドラフトは「バランス型」に偏る傾向があったが、その流れはますます加速するだろう。 しかし、他球団を見渡してみると、そんな刹那的な補強戦略で成功しているチームはない。リーグ3連覇を成し遂げた広島にしても、10年ぶりにリーグ優勝を果たした西武にしても、近年のドラフトで獲得した「ロマン型」をしっかりと大看板へと育成したことが優勝につながっている。西武の4番に君臨している山川穂高など、「ロマン型」の最たる例だ。近年、球界をリードしているソフトバンクや日本ハムもまた、方法は違えど育成を重視している点では共通している。清宮幸太郎サイドを訪ねる(左から)巨人の岡崎郁スカウト部長、石井一夫球団社長、鹿取義隆GM=2017年10月、東京都内(長尾みなみ撮影) 巨人は2016年に3軍制を復活(以前は「第2の2軍」と呼称)させるなど、育成を充実させようという機運もあった。だが、獲ってくる選手の多くが「バランス型」では、いくら実戦経験を積ませても大化けする見込みは小さい。 一部では、新監督就任が決まった原辰徳氏と鹿取氏が犬猿の仲だから、鹿取氏が身を引いたという見方もある。とはいえ、今後に及ぼすであろう影響を考えても、鹿取氏のGM解任は拙策と言わざるをえない。萎縮する球団関係者 かつて栄華を極めた名門の斜陽。なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。 私は今春、『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)という書籍を上梓した。そこで元巨人ファン、現巨人ファン、球団関係者に取材するなかで強く印象に残ったのは、今の球団周辺にいる人々の過剰とも思えるほどの萎縮である。 中核に近づこうとすればするほど、取材に応じてもらえないという現実があった。球団、応援団、周辺メディア。こちらに巨人を不当に貶(おとし)める意思はなく、その旨を丁寧に説明しても扉は固く閉ざされていた。 かつての巨人には長嶋茂雄、王貞治、原辰徳、松井秀喜といった、日本人なら誰もが知っている国民的スターがいた。そんな「太陽」を失ったいま、巨人というチームの周辺は分厚い靄(もや)に包まれている。 その靄は、おそらく2011年11月、当時の清武英利球団代表が渡邉恒雄会長に反旗を翻した「清武の乱」以降、より濃くなったと思われる。清武氏が代表解任後も球団と数々の訴訟を戦ったことは、清武氏の著書『巨魁(きょかい)』(ワック)に詳しい。2011年11月、日本外国特派員協会で会見を開いた清武英利・元巨人球団代表兼GM(左)(山田俊介撮影) 「何か余計なことをすれば粛清される…」。そのおびえに満ちた雰囲気が、今の巨人という球団全体に広がっているように思えてならない。高橋監督のあの無表情は、巨人の現状を象徴していたのではないだろうか。 球団内部には、人気復興に向けて奔走している関係者も大勢いるし、ファンサービスに手を抜かない選手もたくさんいる。だが、球団全体の萎縮が解けない限り、再建することは難しいのではないかと感じる。 巨人は再び輝きを取り戻すことができるのか。今のところ、その望みは原新監督の一身に背負わせることになりそうだ。それはくしくも、3年前に高橋監督が背負わされた重荷でもある。

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    「ガチンコより人情相撲」貴乃花が角界を去らない道はあった

    コミュニケーション」である。 全ての組織は人でできている。官庁にしても、企業にしても、学校にしても、スポーツ団体にしても、人でできている。つまり、組織で発生する全ての問題というのは人間関係である。そして、人間関係はコミュニケーションなしでは成り立たない。 これまで私は取材で数多くの会社を訪問したが、問題がある会社というのはすぐ分かるものだ。露骨な派閥争いがあったり、上が恐怖政治を敷いていたりして、人間関係が良くない。 それが雰囲気ですぐ伝わってくる。社員同士なのにあいさつをしなかったり、役職者が下の者に大声で怒鳴っていたりする。こういう会社は、決まって業績が悪化する。 それに対して、人間関係が良好な会社は本当に業績がいい。米国の調査研究で、成功する組織とどんなに優秀な人間をそろえても失敗する組織を比較したところ、成功する組織は人間関係が良好で、失敗する組織は人間関係がうまくいっていなかったという。 つまり、全ては人間関係であり、良好な人間関係をつくるために必要なのはコミュニケーションである。日本の場合は、組織内では必ずあいさつを交わし、話し合わなければならないことがあれば、お互い誠意を持って話す。そうして、一つ一つのことを丁寧に対処していく。これが伝統である。 ところが、貴乃花親方(もう元親方だが)と相撲協会の間には、全くコミュニケーションがなかった。2018年9月25日、引退届を出し、記者会見する貴乃花親方(松本健吾撮影) 八角理事長(元横綱北勝海)は記者会見で「なんで辞めるんだろうと、最初思いました」と言ったが、実に白々しかった。また、「親方としていろいろありましたけれど、私も一緒に協会を引っ張っていく。今はいろいろと勉強のときなんだと思っていましたので、『いつか』とずっと思っていました。ただ、今回辞めるということで非常に残念です」と続けたが、本当にそうなら、一度でも、一対一で彼と本音で話し合うべきだったろう。そうすれば、頑固一徹だが純粋でもある貴乃花を救えたかもしれない。 貴乃花も貴乃花である。なぜ、とんでもない人間のアドバイスや、相撲には無益な宗教を受け入れ、協会とまともに話そうとしなかったのか。代理人同士の争い 今となれば、バカバカしいとしか言いようがない騒動を、長年の相撲ファンの声で総括してみたい。旧国技館があった蔵前のとある酒場に、60代後半の3人(A、B、C)が集まった。以下は、そのときの「たわいもない話」である。A:それにしても、日馬富士(元横綱)を損害賠償で提訴した貴ノ岩(前頭)の代理人弁護士の会見はひどかった。彼らは職務に忠実なのはいいが、相撲に対する愛情のかけらもない。「請求金額は2413万5256円です」とシャーシャーと言うんだから、見ていられなかった。B:民事訴訟で慰謝料や逸失利益を請求するのは当然の権利だが、その前に、当事者同士で何とか話させる努力をすべきだった。同じモンゴル人なんだから、いくら貴乃花が証言も外出も禁止していたからといっても、それはなかったと思うね。事件発覚後、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)と日馬富士はわびに来ると言っていたのではないか。C:要するに弁護士や代理人なんていうのは、仕事としてやっているだけで、角界などどうでもいいんだ。交渉なんてものは、どちらの顔も立てられる、優れた「仲介者」がいないとうまくいかない。A:確かに、今回の日馬富士側の回答も代理人を通してだった。結局、金額を拒否だ。そして、貴乃花も「代理人に任せておりますので私の口からは言えません」だ。これでは、問題は長引くだけだ。B:今回驚いたのは、貴ノ岩の請求額に「懸賞金の逸失900万円」とあったこと。懸賞金は勝たなければもらえない。1本6万2千円で、手数料や積立金を引くと本人には3万円だ。だから900万円を得るには、1回5本もらったとしても60勝しなければならない。いったい、どういう計算をしているのかと思ったね。C:ともかく、代理人なるものが入るほど事態は悪化する。本当の解決策は直接のコミュニケーション。代理人や弁護士なんていうのは最悪だ。相撲協会に限らず、レスリング、体操、ボクシングと不祥事があった所は、みんな代理人が出てきて、続いて第三者委員会が作られ、ガバナンスが叫ばれる。最近の日本は、みんな同じ病気にかかっているとしか思えんよ。A:確かにそうだ。貴乃花の会見も、協会に対する部分は、弁護士がつくった経緯文面を読み上げているだけ。最近は、みんなお利口になって、少しでも揚げ足を取られたくないとそうしている。ひどいもんだ。2018年10月、提訴後、記者会見する原告の貴ノ岩関代理人の佐藤歳二弁護士(中央)ら=東京・霞が関の司法記者クラブB:ひどいといえば、「引退届」と「退職届」の受理するしないは、ただの代理人同士の争い。しかも、引退届を退職届だと思ってほしいと上申するなどありえない。もし、引退届で貴乃花を退職させたら、不当解雇となって協会が処分を受けかねない。 代理人のレベルが低すぎる。さらに、原本でなくコピーに押印して提出など、代理人はいったい何をやっているんだ。わざと混乱させているとしか思えない。オレだったら、こんな代理人は即刻クビだ。「善と悪」の二元論C:そう考えると、かつて「注射」を仕切った「中盆」(仲介人)は本当に偉かった。板井(元小結、板井圭介氏)こそ本当の代理人だ。「ガチンコ」には仲介がないから、すぐこじれる。力と力は土俵ではいいが、人間関係は解決しない。B:今回、テレビ報道を見ていて、つくづく思ったのは、いまだに「相撲協会=悪、貴乃花=正義」という構図で報道していることだ。コメンテーターもみんなそうだ。改革者である貴乃花がなぜ辞めざるをえなくなったのか。なぜ、そこまで追い込まれてしまったのか。それを一生懸命説明しようとしている。A:それは仕方ないね。人間の脳というのは、そういう二元論で説明されないと理解できないようにつくられているからね。「悪と善」の対立が、もっともわかりやすい。これを超えられるのは人工知能(AI)だけだろう。C:もっともらしいことを言うコメンテーターより、貴闘力(元関脇)が一番はっきり言っていた。ただ、説明をもっとしないと、一般にはわからんだろうな。A:なんて言っていた?C:「(貴乃花)本人は正直、協調性はあまりない。全部、直球で勝負する」とね。続けて、確かこうも言った。「そういう人間だから、ガチンコで横綱にも勝った。そういう生きざまで来ているからしょうがないんです」B:確かにその通りだ。ガチンコは土俵だけにしておけばよかったということか。C:ただ、ガチンコだからこうなったとはいえない部分がある。テレビは、今回の騒動の発端が貴ノ岩暴行事件にあるとしているが、そうじゃない。協会が貴乃花にあきれたのは「裏金顧問」とつるんだからだ。2018年9月30日、断髪式を終え、伊勢ケ浜親方(左)に一礼する元横綱日馬富士=東京・両国国技館A:裏金顧問は、まだ協会と係争中だろう?C:そうだが、先日(8月28日)、彼は協会に対して「不当解雇」だとして起こした裁判で負けている。裁判所は「雇用したという事実はない」とし、「雇用の証拠として提出された採用辞令は偽造である」と認定した。まったくひどいもんだ。角界の騒動は「カネ」A:協会が裏金顧問に対して起こした損害賠償請求(1億6500万円)はどうなった?C:まだ裁判中だ。B:結局、これも協会側が勝訴すると思うが、そうなれば、今回のことがなくとも、貴乃花は責任を取って辞めるしかなくなるだろう。 なにしろ、北の湖(元横綱、前理事長、故人)に取り入ったこのコンサルタントに、貴乃花も丸め込まれ、70億円の債券を協会に買い取らせようとしたんだからな。その後、裏金顧問が追放されたときも、貴乃花は協会に乗り込んで「なぜだ」と詰め寄っている。 このとき、八角と尾車(元関脇琴風、事業部長)は貴乃花の目を覚まさせればよかったと思うね。C:結局、角界の騒動というのはカネの問題。その典型が年寄株の問題だろう。今年の理事選で、貴乃花は自分と陣幕親方(元幕内富士乃真、貴乃花の長男、花田優一氏の岳父)の2票しか取れなかった。つまり、阿武松親方(元関脇益荒雄)を立てざるをえなくなり、阿武松に8票も流れた時点で、貴乃花一門は崩壊していた。だから、「今さら他の一門に入らなければ…」なんて締め付けなくても、協会は放っておいてもよかったのでは。B:あの理事選の敗退は、自ら招いたタネだ。伏線は、貴乃花部屋付きの音羽山親方(元幕内光法)を退職させてしまったことだろう。光法は2010年(当時安治川親方)の理事選で、所属の立浪一門を裏切って貴乃花に投票した。このとき、貴乃花は光法を「生涯かけて守る」と言った。その約束が守れないのだから、一門の心は離れるに決まっている。C:貴乃花は運が悪い。自分が動かせる年寄株は「小野川」しか持っていない。しかし、これは自分をかわいがってくれた北の湖からの借株。北の湖の弟子の北太樹が引退することになって、返さなければならなくなった。2018年10月1日の臨時理事会後、会見に臨む日本相撲協会の八角理事長(福島範和撮影)B:そうはいっても、他の株を引っ張るなど何とかすべきだろう。それがこの世の義理というものだ。A:北太樹といえば、小野川襲名が決まってすぐ、愛人とホテル密会をフライデーされているのだから、もう、この辺は複雑で「テレビ頭」では問題の整理がつかない。積年の恨みB:一代年寄は大鵬、千代の富士(辞退して「九重」襲名)、北の湖、貴乃花の4人しかいないので、これで全員いなくなった。それから、貴乃花一門が消滅したので、また昔の一門制に戻ったわけだ。C:そもそも、貴乃花は一代年寄ではなく、当初予定していた名跡「藤島」を襲名してもよかったと思うね。いずれにしても、二所ノ関一門内の理事候補者談合に反発したことで、自ら立候補して当選、貴乃花一門を旗揚げした。ここまではよかった。 しかしこの後、一門の繁栄に腐心すればいいのにガチンコを貫いて、協会内の人間関係を壊してしまった。後ろ盾の北の湖を失えば、こうなるのは仕方なかっただろうな。A:今回の協会との対立は、内閣府に出した告発状を事実無根と認めることと、所属先の一門を決めることにあったという。しかし、それは引き金に過ぎないと思うが、どうだろうか。C:その通りだろう。貴乃花としては阿武松グループが二所ノ関一門に戻ったことが許せなかったのだと思うね。これでは、これまでしてきたことが全てパーになってしまう。 しかも、二所ノ関一門の総帥といえば尾車だ。犬猿の仲で有名だ。さらに、二所ノ関一門には、貴乃花を恨んでいるとされる高田川親方(元関脇・安芸乃島)がいる。A:それもまた年寄株の問題か。C:そうだ。安芸乃島は引退後、二子山(貴乃花の父、元大関貴ノ花)から「山響」株を譲り受けることになっていた。ところが貴乃花が父親に「山響」株をねだったため、安芸乃島は仕方なく二子山が別に持っていた「藤島」株を借りて部屋付き親方になった。その後、二子山が病床に伏したために部屋を継ぐことになった貴乃花は、「藤島」株の価格を釣り上げて安芸乃島の取得を妨害した。1995年1月、明治神宮で雲竜型の土俵入りを披露する横綱貴乃花。左は太刀持ち安芸乃島 そこで、安芸乃島は立田川部屋へ移籍を申し出たが拒否され、仕方なく、自主破門という形で、二子山部屋を継承した貴乃花部屋を去ったのだ。A:それは根深い問題だね。今回、貴乃花を引き止める話もあったが、それには立田川親方が大反対したと言われているけど、本当だろうか。相撲はスポーツじゃないC:いや、それは分からない。ただ、反対した親方はもっといたはずだ。朝日山親方(元関脇琴錦)が一番貴乃花に同情的で、伊勢ケ浜一門に橋渡しをしたという話がある。伊勢ケ浜親方も、日馬富士の件を水に流して受け入れるはずだったと言われるが、これは協会の趨勢(すうせい)ではなかったということだろうね。A:結局、貴乃花がいなくなったことで、角界は何かトクをしたのかね。B:どうだろうか。ワイドショーなどでは、かつて国民的アイドルだった大横綱がいなくなったので、相撲人気が衰えるなんて言っているが、そんなことはないだろう。 NHKが全取組を生中継している限りは安泰だ。これは、高校野球と並んで、日本にはなくてはならないコンテンツということだから、どんな不祥事があっても関係ない。かえって、トラブル続きの方が視聴率も上がるというものだ。C:それに、今は高齢社会だ。高齢者がカネを持っている。人気が衰えるはずがないだろう。B:相撲は興行、見せ物であって、純粋なスポーツではない。そんなことはみんな分かって楽しんでいる。声援を送っている小学生、実はうちの孫だが、「人情相撲」を説明するとちゃんと分かるんだ。本気で相撲を取ったら、あんな固くて狭い土俵だから、けが人だらけになってしまう。 それを言うと「注射」も理解する。「相撲はふつうのスポーツじゃないんだね」と私に言う。大人だけだ。頭でっかちで、ガバナンスだのフェアプレーだの言っているのは。2003年6月、断髪式で二子山親方からはさみを入れられる元横綱貴乃花=両国国技館A:まあ、それは言い過ぎだが、やはり今回のことで問題にしたいのは、当事者同士がとことん話し合わないことだ。代理人に丸投げで、会見というと代理人も一緒に付いてくる。 これは本当に変だ。貴ノ岩にしろ、貴乃花部屋で問題を起こした貴公俊(たかよしとし、幕下)にしろ、子供ではない。ちゃんと会見して、自分の言葉で話すべきだ。C:まあ、相撲取りはしゃべりが苦手だから、どうしようもないが、だからといって、面倒なことは弁護士、代理人ばかりに任せていると、そのうち、相撲人気は本当に衰えるかもしれないな。

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    日本人らしさって何? 大坂なおみの快挙を「雑音なし」に称えよう

    茂木健一郎(脳科学者) 日本人がテニスの4大大会「グランドスラム」で優勝する。今まで叶うことがなかったそんな夢を、大坂なおみ選手が実現した。これは凄いことである。 決勝の相手は「絶対女王」とも讃えられるセリーナ・ウィリアムズ選手。大坂選手は子どもの頃から彼女のプレイを見て憧れていたという。テニス界のレジェンドを破っての優勝は、この上なく純粋な歓びによって祝福される「快挙」であるはずだった。 だが、実際にはセリーナ・ウィリアムズ選手が、試合中に審判に暴言を吐いたり、ラケットを叩きつけて壊すなど、大荒れの試合となった。表彰式でも、ウィリアムズ選手をひいきするような発言があったり、大坂選手が「すみません」と詫びたり、その偉業を祝福する流れとは程遠い展開となってしまった。 もちろん、大坂選手が成し遂げたことの素晴らしさに変わりはない。時間がたつにつれて「雑音」は消え、その偉業の本質だけが残っていくだろう。 何年かたったら、今回の決勝戦のゴタゴタなど、みな忘れてしまっているかもしれない。それくらい、大坂選手のテニスは素晴らしかった。 振り返って、日本国内では大坂選手が「日本人」として初のグランドスラム優勝を達成したことを讃える声がある一方で、さまざまな「雑音」が聞こえてくるのも事実である。 私個人としては、このような「雑音」は意味がないと思っている。ただ、「雑音」には時代や人々の無意識の本質が現れる。大坂選手の優勝をきっかけに、日本人の不安や恐れ、そして夢が顕在化したのだと思う。以下ではそのことについて考えてみたい。 日本人が今、最も不安に思っていることの一つは、グローバル化とその中でのアイデンティティーの喪失なのではないだろうか。 自分たちの今までのやり方が通用しなくなる。いわゆる「ガラパゴス化」であり、国内では優れているものが世界では通用しない。 英語圏では、「ビッグ・イン・ジャパン」(Big in Japan)という言い方がある。日本国内ではビッグであり、スターであるけれども、国際的には無名の存在を指す。ただ、そこに日本らしさが表れてもいるので、「ビッグ・イン・ジャパン」は愛される存在でもある。全米オープン女子シングルスで初優勝し、表彰式で涙を流した大坂なおみ。右はセリーナ・ウィリアムズ(米国)=2018年9月8日、ニューヨーク(ゲッティ/共同) 日本人が国際的に活躍することに日本人が熱狂するのは、グローバル化の中で日本の立ち位置が揺るがされている不安の裏返しでもある。「ビッグ・イン・ジャパン」だけでは、世界に通用しないと薄々感じ始めているのだ。 その意味では、今回の大坂選手の全米オープン優勝というニュースは、うれしいことのはずであった。文字通り、グローバルな競争で一位になったからである。 では、なぜ「雑音」が生じるのかと言えば、大坂選手が「典型的な日本人」なのかどうか、という迷いがあるからに他ならない。「典型的」でないことの迷い 日本人が「ビッグ・イン・ジャパン」を乗り越えて世界で活躍すると、なぜ安心するのか。それは、彼らが自分たちの「村」の仲間だからである。仲間が世界で活躍したという事実は、自分たちも可能性があるし、何よりも自分たちのやり方は間違っていなかったと確認できる。 だから、「典型的な」「普通の」日本人が世界で活躍すると、わが事のように喜ぶ。そんな心情が日本人にはある。 その意味で、大坂なおみ選手が「典型的な」「普通の」日本人なのかという点に迷いを感じる人が少なからずいる。だからこその「雑音」なのだろう。 大坂選手は、日本人のお母さんと、ハイチ系米国人のお父さんの間に生まれた。その身体能力も、外見も、本当に素敵なのだが、多くの人が思い浮かべる「日本人」のイメージとは違っているのかもしれない。 むろん、何が「典型的」で「普通」なのかというのは時代によって異なる。厚生労働省のデータによれば、日本における国際結婚の割合は概ね3%台のようである。その意味で、さまざまな背景を持った子どもたちの数は今や決して少なくはない。 アメリカでは、どんなエスニックの背景を持った人でも「典型的な」アメリカ人になる。かたや、日本ではそこまでの意識の変化が進んでいない。 日本「村」の「村民」として、大坂選手を自分たちの「仲間」だと思えるかどうか。 この点に、今回の快挙を「雑音なし」に純粋な喜びとしてお祝いできるかどうかの分かれ目があるのだろう。 私個人は、純粋に喜んだ。一方で、そうではない方々もいた。そんな方々が、さまざまな雑音を立てたに違いない。 しかし、結局のところ、雑音は雑音に過ぎないとも思う。 これからの日本をどう発展させていくか。そのことを考えると、大坂なおみ選手の快挙は、大いに参考にすべき「成功事例」だと思う。 まず、エスニックな背景のさまざまな方が、日本に縁を持って活躍する機会をつくること。 大坂なおみ選手が、子どもの頃にニューヨークに移住し、テニスの練習を続けて、ツアーの転戦などもグローバルな厳しさの中で闘ったように、日本の偏差値入試のような「ビッグ・イン・ジャパン」の世界ではなく、最初から世界の文脈の中で人材を育てること。 日本には天然資源がない。私たちにあるのは「人的資源」だけである。日本人の勤勉さ、創意工夫は世界的に評価されている。問題は、それをどう発展させるかだろう。力強いサーブを放つ大坂なおみ。最後まで平常心を保ち、四大大会初の頂点に立った=2018年9月8日、ニューヨーク 今回の決勝戦でも、大荒れのウィリアムズ選手に対して、終始冷静さを保ち、相手へのリスペクトを忘れなかった大坂選手のひたむきな態度は、「日本人の精神性」として人々に強い印象を与えた。 大坂選手が、競技のために栄養学的に考えられた食事を抜きにすれば、試合後真っ先に食べたかったものは、カツ丼やカツカレーだったという。これはもう「普通の日本人」の女の子の感覚そのものである。 大坂選手は、その精神性においては「典型的な」「普通の」日本人の気持ちを引き継いでいる。大切なのは、そのことだけである。大坂なおみの日本的な純粋さ 日本の良さをどう発展させるか。グローバル化の時代に、どう適応するか。そのためには、日本の精神性のコアを大切にしつつ、日本や日本人を狭く捉える偏屈さから開放されていくしかない。 かつて、テニスの4大大会、ウィンブルドンは広く世界の人たちが競技するように開放され、その結果英国人選手が優勝できなくなった。 そのことは「ウィンブルドン現象」とも揶揄(やゆ)されたが、結果としてテニスの聖地、ウィンブルドンの地位は上がっている。 日本の大相撲は、外国出身力士の活躍で、日本出身力士が優勝できず、長らく横綱にもなれない時期が続いた。 そのことをあれこれと言う「雑音」もあったが、結果として、国技館は世界の人たちが熱い心を持って訪れる大人気のスポットとなり、大相撲人気は国際的な広がりを見せている。 グローバル化の中、日本らしさや、日本人の精神性は、そんなに簡単に失われるものではない。そして、その精神性の良いところは、外国の方々にも影響を与えて、取り入れてもらえるものである。 「典型的な」「普通の」日本や日本人が何なのかということについて、狭い考えを持つべきではない。ましてや、それを「雑音」として人に押し付けるべきではない。 大坂なおみ選手は、試合前のインタビューで、セリーナ・ウィリアムズ選手のことを「愛している」と発言した。 また、対戦する時にはただのプレーヤーになるけれども、試合が終わってハグする時には、またウィリアムズ選手に憧れる一人の少女に戻る、とも発言した。 このような発言は、最良の意味で、日本的な純粋さが表れていると言えないだろうか。 今や世界中の人が愛する、日本のアニメや漫画の登場人物たちが見せる、どこかナイーヴな純真にも似て。あえて言えば、それこそが「もののあはれ」である。全米オープン女子シングルスで初優勝し、にこやかな表情で凱旋会見に臨む大坂なおみ=2018年9月13日、横浜市西区(宮崎瑞穂撮影) 結論を言おう。今回の大坂なおみ選手の全米オープンでの優勝は、日本人としての素晴らしい快挙だった。  彼女の闘いぶり、そして発言には日本の精神性の良さが如実に表れていた。大切なのはそれだけであって、それ以外のことはすべて「雑音」である。 雑音は、インターネットを一時的に騒がせることはあっても、やがて消えていく。そして、後には本質だけが残る。 日本をこれから発展させるのは、雑音に惑わされず、本質を見つめ、それに寄り添う矜持(きょうじ)と勇気であろう。大坂なおみ選手が、その「素晴らしいお手本」となってくれたのである。

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    eスポーツが五輪などおこがましい

    対戦型ゲームを競技として行う「eスポーツ」に注目が集まっている。インドネシアで開催中のアジア大会では公開競技になり、米国では負けたプレーヤーが腹いせに銃乱射事件を起こした。五輪の競技化を目指す動きもあるが、とまれeスポーツは「スポーツ」なのか。現役大学生の問題提起を元にiRONNAでも考えたい。

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    巨額マネー動くeスポーツ 「五輪競技化」は中国のためのもの?

    ナリスト) 推進派と懐疑派、それぞれがもどかしい思いをしているのではないだろうか。昨今かまびすしいeスポーツについてである。 eスポーツ推進派にとって、錦の御旗になるのは五輪である。2017年10月にドイツ・ローザンヌで行われた五輪サミットで、国際オリンピック委員会(IOC)は「eスポーツの五輪競技化」に向けて前向きに検討を行う旨を発表した。2024年パリ大会から、eスポーツが五輪の正式種目になるかもしれない。 国際的なスポーツイベントでeスポーツを採用する流れはすでにできている。2022年に中国・杭州で開催されるアジア競技大会では、eスポーツが公式メダル種目になると表明されている。eスポーツ推進派の論者は、五輪を錦の御旗に掲げて「2018年はeスポーツ元年」と主張する。 しかしながら、五輪という威光をかさに着たことで反作用も起きている。「汗をかかないeスポーツ(=コンピューターゲーム)はスポーツではない」という、eスポーツ懐疑派からの素朴な批判にさらされているのだ。 「五輪種目だ」VS「スポーツではない」。こんな水掛け論が、今日も日本のどこかで展開されているのではないだろうか。本稿で筆者はゲームの専門家として、eスポーツなるものの歴史的・文化的背景についてつまびらかにしたい。推進派にとっても懐疑派にとっても、新しい視点でeスポーツを考えるきっかけとなることを期待したい。 eスポーツはどこからやってきたのか。eスポーツとはそもそも何なのか。それを知るためには長いゲームの歴史をひも解く必要がある。東京ゲームショウの会場で開かれた「eスポーツ」の対戦=2017年9月、千葉市美浜区(宮川浩和撮影) eスポーツの原点は1980年代、アメリカで自然発生的に生まれた「LANパーティー」とされる。LANとはローカルエリアネットワークの略である。ゲーム好きの複数人が所有するパソコンを誰かの家に車で運搬して集い、それらをLANケーブルで直結してプレーをする文化がアメリカに出現した。 初めはロールプレーイングゲームがよく遊ばれていた。だが、90年代に入り、銃で撃ち合う3Dシューティングゲームが登場すると、LANパーティーの愛好者は一気に増えた。撃ち合いは勝負が刺激的で、ルールも分かりやすかったからである。 このムーブメントに目をつけたのが、半導体メーカーのインテル社だった。瞬間を競う対戦型のゲームでは、パソコンの性能が良い方が有利である。そのためLANパーティーに参加するゲーマーたちは、高性能パソコンの顧客層となったのだ。韓国政府はeスポーツを広める必要があった インテルのライバル企業であるAMD社は、さらにゲーマーの心をつかむ作戦を考えた。ゲーマーのプロ連盟をつくることを発案して、1997年にプロフェッショナル・ゲーマーズ・リーグ(PGL)を結成したのだ。同連盟は「テレビゲームの父」と呼ばれ、世界初のゲーム会社、アタリの創立者でもあるノーラン・ブッシュネルを初代コミッショナーとして迎えている。このような経緯から、eスポーツの原型はアメリカで生まれた。 場面は急転換する。舞台は韓国である。 1997年、この年に韓国は通貨危機となり、国際通貨基金(IMF)からの資金支援を受けることになった。国家破綻の危機に瀕した韓国は、国ぐるみで産業の構造改革が迫られる。そこで、かつて重化学・自動車・鉄鋼産業を育成してきた国家戦略は、IT産業の振興へとシフトした。 韓国政府がIT産業の発展のため、高速ネットワークを国内に整備したことで生まれた副産物が「PC房」である。房は「バン」と発音し「室」の意味がある。PC房は日本でいうところのインターネットカフェに近い。 このPC房が急速に増えて、2000年のピーク時には3万店近くまで膨れ上がった。「PC房」は「ゲーム房」と呼ばれることもあり、どの店舗にもオンライン・ゲームが用意されていた。中でも最も多く設置され、韓国の若者たちの間で大ヒットしたのが『スタークラフト』という戦略ゲームだった。 この『スタークラフト』ブームの最中に、すなわち1999年辺りから韓国内で「eスポーツ」なる用語が使われるようになる。2000年には日本の文部科学省に相当する韓国文化観光部(現在の韓国文化体育観光部)の長官が、ゲームのことを「eスポーツ」と呼び、一部には「政府がゲームをスポーツと公認した」という見方もある。※この画像はイメージです(GettyImages) そして韓国では2000年に世界で初めての国際的eスポーツイベント「World Cyber Games」のテスト大会が開催された。この大会の賞金総額は20万米ドル、世界17カ国から174人のプレーヤーが参加したとの記録がある。 その後、韓国では今と比べても遜色がないほどeスポーツの環境が整備されていく。eスポーツのためのプロリーグ、プロチーム、中継専門チャンネルなどが2000年代の前半に立ち上がり、韓国は自他ともに認めるeスポーツのパイオニアとなったのである。ちなみに、世界のeスポーツを統括する国際eスポーツ連盟は2008年に設立され、本部は韓国・釜山にある。日本の特殊な2つの背景 このような歴史的・文化的背景を知れば、日本でeスポーツが流行しなかった理由が分かるだろう。日本にはどこの国とも異なる独特のゲーム文化があった。それはゲームセンターとファミコンに象徴される。日本ではゲーム好きが集まる場所として昔からゲームセンターがあった。他者とゲームをする場としてLANパーティーもPC房も必要がなかったのだ。 また、日本は任天堂とソニーの本社がある国でもある。ファミコン、スーパーファミコン、プレイステーションがどこの国よりも早く普及したので、伝統的にコンピューターゲームのユーザーが少ない。子供も大人もマリオ、ポケモン、ドラゴンクエストなどを好んで遊んできた。大人が真剣勝負するコンピューターゲームには、そもそもなじみがなかったのである。 すなわち、あるスポーツが栄えるか否かはその国の地理、歴史、文化がかかわっている。雪が降る国ではスキー人口が多く、当然ながら雪が降らない国では少ない。それぞれの国の歴史と文化が相まって、クリケットが盛んな国があれば、野球が盛んな国もある。ゲームの世界でも同じことが起きているのだ。 eスポーツを考えるにあたって、ゲームを離れて一点だけ付記すべきことがある。それは日本人のスポーツ観もまた、世界の中では特殊だということだ。 スポーツの語源はラテン語のdeportare(デポルターレ)とされる。この語は、日々の生活から離れることが原意であり、そこから転じて気晴らしをする、休養する、楽しむ、遊ぶなどを意味する。スポーツとは日々の生活から離れるための行為であり、ヨーロッパの各国ではチェスもスポーツの一種とされる。このように高い思考能力を用いて競われるゲームを、時に「マインドスポーツ」と呼んで区分する。「ストリートファイターV」の大会で対戦する人たち=2018年2月10日午後、千葉市の幕張メッセ(共同) ところが日本ではスポーツのことを「運動」と訳す。小学生の頃から「体育」の授業を受け、進学すると「運動部」や「体育会」で活動するように、「マインドスポーツ」の対義語ともいえる「フィジカルスポーツ」のみをスポーツと捉える傾向が強い。つまり、日本はそもそもスポーツの定義が他国とは異なる。この点もeスポーツを論じる上で踏まえておくべきことの一つである。 以上、eスポーツをめぐる歴史的・文化的背景を解説してきた。さて、そのeスポーツが五輪と接近していくきっかけをつくったのは中国である。儲かるのはあの中国巨大企業 アメリカ、韓国と比べると遅れたが、中国経済が成長し、インターネットなどの環境が整うと、eスポーツの愛好者が増えた。こうした流れに沿って、2008年の北京五輪では、eスポーツ大会「Digital Games」がウエルカム・イベントとして開催されることになった。この時はまだ公式種目ではないが、同大会は五輪ロゴの使用を認められたeスポーツ大会となった。 以後、中国でeスポーツの人気はさらに高まる。eスポーツと中国のゲーム文化や国民性は相性が良かったのだろう。だが、それ以上に経済的な後押しがあったことが、中国でeスポーツが発展した最大の原動力となった。平たく言えば、巨額なマネーが動き、eスポーツにかかわる人々が儲(もう)かる仕組みが中国ではあっという間にできたのである。 2011年、中国トップクラスの大富豪、ワンダグループ(万達集団)会長の王健林(ワン・チャンリン)の一人息子である王思聰(ワン・スーツォン)が、資産を投じてeスポーツチームを創設、運営した。すると、若き資産家たちはこれに憧れ、名誉と実利を求めてeスポーツチームをつくるようになった。日本で言えば、プロ野球球団のオーナーになるようなものだ。 チームに所属する選手たちは、賞金のほかに自分が着たユニホームやキーボードやマウス、オリジナルグッズを中国最大の通販サイト「淘宝網(タオバオ)」で販売すれば、多額の副収入を得ることができる。また、ゲーム実況者や解説者も中継番組の放映権販売やスポンサー収入で稼げる。このように中国では、eスポーツで儲かる仕組みがどの国よりも短時間、かつ高度なレベルで完成したのである。 その中国にあって、テンセント(騰訊)の動向は特に注目すべきである。テンセントは中国の巨大なIT企業で、その株式時価総額は世界の企業の中で5位である(2018年1月時点)。1位はアップル、2位はグーグルの持ち株会社アルファベット、3位はマイクロソフト、4位はアマゾン・ドット・コムに続く。昨年、6位のフェイスブックを抜いたことでも話題になった。ジャカルタ・アジア大会の「eスポーツ」でタイチームと対戦する中国選手=2-18年8月26日(共同) テンセントは自社でゲームを開発と販売を行うが、世界の名立たるゲーム企業を買収、または大型出資も行っている。近年、同社が行っている買収と大型出資案件は明らかにeスポーツの将来性を見越してのものと分析できる。 テンセントは2011年からライアットゲームズ社の筆頭株主になっている。同社は世界で最もプレーヤー数の多いコンピューターゲームで、eスポーツの種目となる『リーグ・オブ・レジェンド』を発売している。 さらにテンセントは2015年に同社の未保有株のすべて取得、完全子会社化した。2016年には同年世界で1番ヒットしたモバイルゲーム『クラッシュ・ロワイヤル』を運営するスーパーセル社の株式84・3%を86億ドルで取得。事実上、同社を傘下に収めた。IOCは五輪精神とカネを両立できるか そこで気になるのは8月18日からインドネシアの首都、ジャカルタで開催されている第18回アジア競技大会である。今大会ではeスポーツが公開競技として実施される。その競技種目は次の6タイトルである。『ウイニングイレブン 2018』(コナミ)『スタークラフトⅡ』(ブリザード・エンターテインメント)『リーグ・オブ・レジェンド』(ライアットゲームズ)『ハースストーン』(ブリザード・エンターテインメント)『クラッシュ・ロワイヤル』(スーパーセル)『アリーナ・オブ・ヴァラー』(テンセント) 6タイトル中、テンセントが直接リリースするタイトルが1タイトル、前述の傘下企業がリリースするタイトルが2タイトル、また、出資先でもあるブリザード・エンターテインメントのタイトルが2タイトル。6タイトル中5タイトルにテンセントが何らかの形で関与しているのである。つまり、今夏のアジア大会でのeスポーツは、テンセントによるテンセントのための競技といえなくもない。中国・北京で開かれたイベントで設置されたテンセントのブース=2017年4月(ロイター=共同) 今回のアジア競技大会では何の議論も起きずに前述6タイトルが決定されたが、仮に五輪でeスポーツが正式種目になるならば、競技に用いるゲームは厳正に選ぶべきだ。五輪憲章「IOCの使命と役割」の項には次の一文がある。 「スポーツと選手を政治的あるいは商業的に悪用することに反対する」 まとめていくと、日本は「eスポーツ発展途上国」「他の国と比べて遅れている」と言われることがあるが、eスポーツの普及に早い、遅いという価値観はそぐわない。もちろん、eスポーツが栄えていることは、良いことでも悪いことでもない。国によってゲームの歴史と文化は異なり、スポーツの定義も違うのだ。双方の違いについて理解し、双方を認め合うことが真の国際人の態度である。 ゆえにeスポーツ推進派は五輪を錦の御旗にするだけではなく、日本特有の文化になじむようなロジックと手段を考えるべきだ。また懐疑派は「eスポーツスポーツではない」と叫ぶだけでは世界では通用しないことを知るべきだろう。 なお、一部報道で「日本オリンピック委員会(JOC)はeスポーツスポーツと認めていない」「アジア大会で派遣されるeスポーツ選手は日本代表選手ではないため開会式に参加できない」という趣旨が伝えられたが、これは誤解のようだ。 JOC広報・企画部長の柳谷直哉氏によれば、eスポーツの競技団体である日本eスポーツ連合から加盟申請を現時点で受けていない。また、過去に公開競技の選手団は開会式には参加しないのが通例とのことだった。(一部敬称略)

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    「ゲームがスポーツ?」小生もまた、首をかしげる一人である

    玉木正之(スポーツ文化評論家) eスポーツ(コンピューターゲーム)は紛れもないスポーツであり、五輪の正式競技となっても不思議ではない。しかし…。 2020年の東京五輪・パラリンピックの開催がいよいよ2年後に迫り、競技場の建設工事が急ピッチで進んでいる。真夏開催による酷暑と熱中症の問題や、都心の鉄道・クルマの混雑問題など未解決の諸問題もあり、あと2年間のうちにどのような解決策が具体化されるのか、少々心配ではある。 が、一方で、五輪に関する話題で、少々首をかしげたくなる事態も進行している。 それは東京大会でのことではない。6年後のパリ大会から、新しい競技が正式競技として採用されそうなのだが、それが「eスポーツ」だというので、正直言って驚いている。 「eスポーツ」とは、「エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)」のことで、つまり「電子工学(エレクトロニクス)」を用いたスポーツのこと。早い話が、コンピューターゲームのことなのだ。 この情報を既にご存じの方でも、「あのオタクたちのゲームが、五輪の正式競技になるとはねえ」と首をひねる人が少なくないと聞く。初めて耳にした人は、「えっ!?モニター画面を見ながら、コントローラーをカチャカチャ動かすゲームが、五輪競技に!?」と仰天するのではないだろうか?  「ゲームがスポーツ?」と首をひねる人たちは、身体を(指先しか)動かさず、椅子に座ってモニター画面の映像を見続けるコンピューターゲームなど、不健康の極みであり、到底「スポーツ」とは呼べない、と考えているに違いない。対戦型などのゲームでプレーヤーが腕を競う「eスポーツ」、格闘ゲーム「ストリートファイター5(スト5)」のエキシビションマッチ技=21日午後、千葉・幕張メッセ(宮川浩和撮影) しかし今やeスポーツは、全世界的にプロの競技者(ゲーマー)が存在し、賞金総額が20億円を超す超ビッグな大会も催され、億単位の年収を稼ぐ競技者も出現しているという。 また、欧米の「SPORTS」の感覚で「スポーツ」の概念を考えた場合、コンピューターゲームは決して一概に「スポーツではない」などと斬り捨てることができないのも事実なのだ。 2020年には、東京大会だけで実施される正式競技として、サーフィン、スポーツクライミング、野球・ソフトボール、空手、スケートボードの5種類が選ばれた。 が、立候補した競技の中には、チェスやコントラクトブリッジ(トランプを使って4人でテーブルを囲んで行うゲーム)などもあり、残念ながら落選したとはいえ、それらのゲームも正式なスポーツと認められ、選考の対象になったのだ。 またアジア競技大会では、チェス、ビリヤード、競技ダンス(社交ダンス)のほか、囲碁や中国象棋(シャンチー)が正式競技として実施されたこともあった。もちろん、それらはすべて「SPORTS」なのだ。 「SPORTS」とは、もともとラテン語の「DEPORTARE(デポルターレ)」から生まれた言葉で、「日常生活(労働や仕事)から離れた遊びや祭りの時空間」という意味だ。「ゲームがスポーツ」理屈は分かるが納得できない だから今でも英和辞典でsportという言葉を引けば、「スポーツ、運動、競技、体育」といった訳語のほかに、「娯楽、遊び、遊技、冗談、おふざけ」といった言葉も書かれている。 つまり、労働や仕事など日常行う生産性を伴う作業以外の「非生産的行為」は、すべて「SPORTS」というわけなのだ。 だから椅子に座りっぱなしで、モニター画面で動くアニメーションを見つめ続け、コントローラーのキーをカチャカチャと押し続けることも、立派なスポーツというほかないのだ(逆に男女の交わりは、基本的に人間の動物的本能に根差した生産的行為であるので、「SPORTS」とは呼べないのだ)。 いや、そんな書き方は、eスポーツに取り組んでいる競技者に極めて失礼な表現といえるかもしれない。 なにしろ彼らは、インターネットで結ばれた相手と延々と数時間もかけて対戦し、雌雄を決する勝負に挑んでいるのだ。そのため一流の競技者は、常日頃からランニングでスタミナをつけ、腕や指先に疲れが生じないよう筋力トレーニングにも励んでいるという。決してソファに寝転んでポテトチップスをつまみながらできる競技ではない(らしい)のだ。 eスポーツには、2対2で闘うダブルスや、チームで争う団体競技もあるという。そして一流のプロたちが集うレベルの高い(賞金の高い)世界大会には、数万人もの観客が押し寄せ、会場の各所に設置された大型スクリーンで競技者の動かす画像(アニメーション)を見つめ、会場は大歓声や大拍手に包まれるらしい(すいません。筆者はまだeスポーツの現場に足を運んだことがなく、その興奮の実態を知らないのです)。 今年、日本のスポーツ界には大きな改革的出来事があった。まず「日本体育協会」が「日本スポーツ協会」と改称。2年後の東京五輪をきっかけに「国民体育大会」は「国民スポーツ大会」に、「体育の日」は「スポーツの日」に変わることも決まった。 スポーツとは、体育だけでなく知育も徳育も含まれる文化であり、体育にとどまらないさらに大きな意味を持つ概念なのだ。だから、このような言葉の変更には基本的には大賛成である。 しかし、eスポーツが五輪の正式競技に…と聞くと、小生はやはり首をかしげてしまう。「スポーツの本義に照らせば、明らかにスポーツの一種である」と認めるのはやぶさかではないのだが、何やら賛成しかねる意識が働く。「eスポーツ」でアジア大会の予選に出場した日本代表選手=2018年5月、東京都内(ゲッティ=共同) eスポーツを五輪の正式競技にしようとする背景には、巨額のカネを動かす世界のゲームメーカーの強大な圧力がある、という人もいるが、陸上、水泳、サッカー、球、ボクシング、柔道等々、今や巨額のカネの動かない世界的スポーツなど存在しない。ならば、巨大な産業資本がバックにあるからといって、eスポーツを排除する理由にはならい。 そこまで分かっていても、小生はeスポーツが五輪の正式競技になることに、納得がいきかねる。 それは小生が、時代遅れの古臭い年寄りになってしまっただけのことなのか。

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    eスポーツは五輪の「壊し屋」か、「カネのなる木」か

    春日良一(スポーツコンサルタント) オリンピック競技大会は創設以来成長し続けてきた。1896年に開催された第1回のアテネ五輪、競技種目数は9競技42種目に過ぎなかった。それから120年後の第31回リオデジャネイロ五輪では、28競技306種目に増えている。 この「巨大化」の流れについて、主催者である国際オリンピック委員会(IOC)も危機を感じていた。1992年のバルセロナ五輪の後、時のIOC会長、アントニオ・サマランチは「今後の大会では選手上限を1万人とする」と宣言した。しかし、現実にはその後も1万人に収まることはなく、リオでは1万1237人に膨れ上がった。 そして、2013年9月にIOC会長に就任したトマス・バッハは、打開策として中長期指針「アジェンダ2020」を発表した。これは巨大化による大会開催経費の増大問題や、それに伴う開催立候補都市の減少を意識したものであり、招致段階からの経費削減を図る姿勢も示されている。そして、夏季五輪については、選手1万500人、役員5千人、そして種目数310を上限とする指針を定めた。 しかし、2年後の東京五輪では、上限を超える33競技339種目が決定している。参加選手も、上限の1万500人を超えることも間違いないだろう。 理想と現実は違うと言ってしまえばそれまでだが、なぜこのような現象が起こるのか。実は、この現象に、現在IOCで検討されているeスポーツの五輪競技化の鍵が隠されている。国際オリンピック委員会の第7代会長、アントニオ・サマランチ=2000年9月撮影 その一つに、1984年のロサンゼルス五輪がある。76年のモントリオール五輪は、閉幕後、市民がその負債を何年も背負わなければならない事態に追い込まれ、それ以降の大会運営の見通しは決して楽観できるものではなかった。だが、ロサンゼルス五輪の組織委員会は、米政府や都市の援助を一切受けずに、五輪を黒字に導くという離れ業をやってみせた。 黒字の立役者として、組織委会長で実業家のピーター・ユベロスの功績がたたえられているが、実は、その裏にサマランチの手腕があった。それまで商業的利用を一切禁じてきたオリンピックシンボル、あの青・黄・黒・緑・赤の五輪マークを商業利用することに踏み切ったのである。求められ始めた「二兎」 それは五輪の理念である「スポーツで平和な世界を構築する」、いわば平和運動を支えるための資金を自らの努力で得ていくことを表明した瞬間であった。サマランチの決断によって、五輪は今後も開催される「持続可能性」を広げたのである。 五輪の「持続可能性」を支える商業利用は「オリンピックマーケティング」と呼ばれている。トップスポンサーと呼ばれる企業が巨額な資金を投じ、自社製品を五輪のポジティブなイメージで売り出し、世界展開させることに成功したのが良い例である。 さらにテレビ放映権や入場券収入なども取り込むことで、オリンピックマーケティングが進化していく。その過程で、人気のある競技の採用も求められるようになる。 「サマランチベビー」と呼ばれるトライアスロンやビーチバレーなどはこうして五輪種目に追加されてきたのである。その一方で、サマランチによる「選手1万人宣言」は、結果的に実現が遠のくことになった。W杯ボルダリング第5戦 準決勝に進んだ野口啓代=2018年6月 アジェンダ2020を提言したバッハが会長に選ばれた五輪総会で、折しも東京開催が決定したが、東京五輪でも追加種目が認められた。若者たちをターゲットとした種目が求められ、五輪の肥大化を回避することはできなかった。なぜなら、東京大会から採用されたスケートボードやスポーツクライミングは、アジェンダ2020が求める「五輪の持続可能性」にとって欠かせない種目でもあったからだ。 要は、五輪の「持続可能性」を考えた場合、資金調達とともに次世代である若者の参画が重要になるということだ。参画にはアスリートとしての参加はもちろん、観客としての応援も含まれる。そのためには、若者が関心を寄せやすい新たな競技が求められる。 資金調達と若者の参画、この二つを同時に解決することができる競技はないか。そこで浮かび上がってきたのが「eスポーツ」なのである。IOCに渦巻く賛否両論 eスポーツの定義を簡単に言えば、対戦型コンピューターゲームだ。 インドネシアで行われている第18回アジア競技大会では、公開競技としてeスポーツが実施され、日本からも代表が参加している。IOCでは、このeスポーツを五輪競技として正式採用するかどうかの議論を始めており、あるIOC幹部の話によると、現在、賛成と反対が半々ぐらいだという。 賛成派は、オリンピックマーケティングの観点から、すでに世界で1億人以上の「競技人口」を持ち、コンピューターゲームを開発する大企業がスポンサーで大会賞金額が100億円を超えるeスポーツは、非常に価値が高いと見る。 一方、反対派の意見はこうだ。五輪の理念で、アスリートは心と体のバランスを考えた向上を目指すことを推奨しており、この考えの根本には、スポーツは身体活動を伴うものであることが前提とされている。五輪を支えるのは自らの肉体を通じて、その限界に挑むアスリートである。そこには、五輪の原点、古代ギリシャのヘレニズム時代にあった「人間賛歌」の思想が隠されている。 つまり、自らの肉体を努力によって最善の状態に導くことが求められるため、十全とした身体活動を伴わないeスポーツはそもそも五輪の理念と矛盾するのではないか、という意見だ。 さらに、五輪を支える哲学であるオリンピズムは、「人間の尊厳の保持に重きを置き、平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」ことをゴールとしている。コンピューターゲームの多くは相手を征服するゲームであり、戦争型のものが多い。これは五輪の平和運動と相いれない。アジア大会で公開競技となるeスポーツの選手を育成する大阪市内の通信制高校=2018年8月(前川純一郎撮影) だが、五輪競技に参入していないものの、チェスの国際競技連盟は古くからIOCの承認団体であったし、中華全国体育総会は「(中国)将棋」を、陸上や水泳と同等の競技団体に当初から加えている。筆者はかつて、そのことを直接中国にただしたことがあるが、彼らの答えは「チェスや将棋は頭という身体活動を使うから」という、いたってシンプルなものだった。この理屈から考えれば、指も頭も使うeスポーツを加えてもおかしくはない。五輪参入の可能性は? そもそも日中韓が加盟するアジア・オリンピック評議会(OCA)が主催するアジア競技大会は、アジア特有の伝統スポーツにも門戸を広げることをよしとしてきた。実際、1994年の広島アジア大会では「足のバレー」セパタクローや「インドの国技」カバディが新たに実施された。 五輪でも、かつての実施競技で、綱引きがあったことはよく知られている。今やすっかりおなじみとなったスノーボードが長野冬季五輪から競技に入ったときにも、日本では驚いた人が多かったのではないだろうか。東京五輪ではサーフィンも登場する。 過去を振り返れば、第1回のアテネ五輪では、女性アスリートは参加できなかった。今、アジェンダ2020では、男女の参加人数が「平等」になることを目指している。また、五輪はアマチュアのアスリート以外は参加できなかったが、至高のスポーツ大会を目指し、プロの参加も当たり前になった。 このように五輪史を見れば、コンピューターゲームの進化と生活様式の変貌により、eスポーツを五輪競技とすることを普通に受け入れる日が来ないとは言い切れない。だが、五輪の原点が、あくまでも人間の身体を基礎としていることは忘れてはならないのではないか。 身体を鍛え、「より速く!より高く!より強く!」(「オリンピックモットー」)を求める努力の中で、人間は自らの限界とそれを超える力を学ぶのである。身体活動を理想的な状況に持っていくための日々の努力がその人の心を育て、そして競技を通じて、闘う相手を敬うことを「身体的に」学び、そこから国を超え、人種を越え、政治を超えた人と人の和が生まれる。これこそがスポーツに与えられた特権である。 だから、筆者はeスポーツに同じ経験を求めるのは難しいのではないかと考えている。だが、あえて五輪参入の可能性を探るなら、「スポーツでの平和構築」という五輪の理念を体現することが必要だろう。具体的には、バトルゲームからの転換を果たすことであり、さらに、リアルなスポーツが生み出す経験を疑似的に提供できればいいのかもしれない。アジアで初めてIOC委員に就任した嘉納治五郎 もし、参入が実現すれば、デジタル化時代における五輪競技「eスポーツ」が新たなスポーツの形と可能性を示すことができるだろう。五輪とパラリンピックが共存しているように、eスポーツもリアルスポーツとの共存が、大きな一歩につながるはずである。 日本の五輪運動の創始者、嘉納治五郎が唱えた理念「精力善用」と「自他共栄」は、柔道という身体活動から生まれた。全力で社会のために尽くし、相手への尊敬と感謝の念を忘れず自他共に栄える世の中にする努力を積み重ねることの大切さを示したものだ。 この哲学が、今回のeスポーツ五輪参入問題を解決するヒントになるのではないか。五輪の本質が問われている今こそ、嘉納の理念を生かすことが求められる。(文中敬称略)

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    世界一ゲーマー ゲームは「年齢も立場も関係なく勝負できる」

    “世界一長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマー”としてギネスにも認定されているプロ格闘ゲーマーの梅原大吾さん(31才)。14才で日本一、17才で世界一となり、国内だけでなく世界中から絶大な支持を受けている。日本人初の“プロ・ゲーマー”の勝負哲学は、ゲーム以外の世界からも賞賛されており、その梅原さんがこのほど、初の著書『勝ち続ける意志力』(小学館)を刊行。いまなお第一線のトップを走り続けている彼に、プロ・ゲーマーという生き方について聞いた。――そもそもプロ・ゲーマーとは、どのような職業なのでしょうか?梅原:日本では一般的に、企業がスポンサーについているゲーマーがプロということになっています。スポンサーがつくと、プロサッカーなどと同様にその企業のロゴ入りTシャツやユニフォーム的なものを着て大会に出たりするんです。2010年にぼくが日本人で初のプロとなりましたが、そこから徐々に増えてきていて、いまは8人の日本人プロ・ゲーマーがいます。日本ではまだまだマイナーですが、海外では既に10年ほど前から確立されている職業で、ある程度のポピュラリティも得ている。例えば韓国などでは、小学生を対象とした、なりたい職業ランキングの1位にプロ・ゲーマーが挙がるくらいメジャーで人気の職業なんですよ。――収入は、大会の賞金がメインになるんですか?梅原:ゲームの大会の賞金っていうのは、いまはメインじゃないですね。なぜかというと、規模の大きな世界大会でも優勝賞金はそれほど高額ではないからです。基本となるスポンサー報酬があり、大会出場以外にはゲームの大会やイベントにゲストとして呼ばれることもあります。自分の場合は、昨年末からスクウェア・エニックスのオフィシャルサポーターとして、ゲームセンターに設置するゲームをPRするような仕事や、ゲーム開発のアドバイザー的な役割も請け負うこともあるので、賞金稼ぎみたいなイメージをもたれると、ちょっと違うかもしれませんね(笑い)――梅原さんはなぜゲームをするようになったのですか?梅原氏:ゲームに初めて触れたのは5才の頃で、きっかけはいたって普通でした。もちろんゲームはすごく好きでしたけど、なにがなんでもゲームじゃなきゃダメというわけでもなかったんです。人と人が競い合うということ自体に興味があったので、年齢とか関係なくいろんな人と勝負ができるものであれば何でもよかったんですよ。でも、普通のゲームではすぐに対戦相手がいなくなっちゃって。そのときにたまたま格闘ゲームがブームになって、これは年齢も立場も関係なく思いっきり勝負ができる。そこが出発点でしたね。※この画像はイメージです(GettyImages)――一時期ゲームをやめて雀荘での仕事や介護の仕事をした以外は10代からゲームひと筋ですが、それ以外の道はまったく考えなかった?梅原氏:ゲームを仕事にしようと思ったことは一度もありませんでした。ゲーム雑誌やゲームメーカーの人から「うちに来ないか」という誘いがあったときにも、断っていたくらいだったんです。いろいろ思うところがあってゲームから離れようと決めたときも後悔はまったくなくて、自分の得意なことが活かせることをと考えた末に麻雀を始めました。挫折した自分を救った「介護職」 そこから3年続けて、それこそプロ並みの強さに到達した実感があったのですが、同時にどれだけやっても成長できていない自分に気付いて、絶望的な気持ちになってしまったんです。そのときは本当に辛くて、初めて、これまでまったく勉強をしてこなかったことを後悔しました。それから介護の仕事を始めたのは、勝負事で生きてくのはもうやめようと思ったからです。でも、介護の仕事で大切なことをたくさん学んで、ゲームができる喜びや得意なものがあるということのありがたさに気づくことができたので、再びゲームの道に進むことができました。――ゲームは一日どれぐらいの時間やるんですか?梅原氏:状況によって変わります。新しいゲームの場合、まず覚えなきゃいけないことがあって、それは時間を使うことでしか解決できない問題なので、出たばかりのときはすごいやるんですよ。ただ、そのゲームのシステムとかをある程度理解し始めると、数をこなすことの重要性は低くなる。そうなったら考える時間を増やして、実際にプレイする時間は一日5、6時間にするようにしています。――アスリートのようにゲームに向き合っていると感じましたが、何か体力作りや健康管理をしていますか?梅原氏:めちゃくちゃ鍛えたりはしないですけど、なるべく歩いたり自転車を使ったりして、体を動かすよう意識はしています。よく行くゲームセンターまで自転車で1時間かけて行き来をして、空いた時間に軽い筋肉トレーニングをする程度ですけど。あとは、毎日同じくらいの時刻に寝起きができるようするなど、身体的な生活のリズムを大事にしています。――14才で日本一、17才で世界一になって何か見えたものはありますか?梅原:見えたものというか、自分より強い人は多分もういないだろうなっていうのは、その前からなんとなくわかっていたんですよね。だから優勝したときに、結果が出て良かったなとは思いましたけど、世界大会で勝ったからといって特別それで何かが変わったというのはなかったですね。――頂点に立って奢ってしまうことはなかったんですか?梅原氏:少しはあるかな、と思っていたんですけど、全然なかったです。当時は一生懸命やってるものをバカにされたくないっていう気持ちがすごく強くて、ゲームをこんなに真剣にやってるやつがいるんだって思わせたかったんですよね。でも、自分が日本一になっても、部活とか勉強を頑張ってる友達からしてみたら、自分がゲームで日本一であることなんてどうでもいいことなわけです。有名になったといっても、ただゲームが好きな連中の間でだけ有名なので、“俺すげーんだぜ”っていうふうにはなりようがなかったですね。※この画像はイメージです(GettyImages)【梅原大吾(うめはら・だいご)】1981年5月19日、青森県生まれ。日本人で初めて“プロ・ゲーマー”という職種を築いたプロ格闘ゲーマー。14才で日本一、17才にして世界一に。一時期、ゲームを辞めて飛び込んだ麻雀の世界でも3年間でトップレベルに。ゲーム界復帰後、2010年にアメリカの企業とプロ契約を結ぶ。同年“世界で最も長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマー”としてギネス認定。“背水の逆転劇”と呼ばれる試合の動画再生回数は、全世界で2000万回を超える。関連記事■ 世界一日本人ゲーマー「勝負事は一直線に勝ちにいってもダメ」■ 世界一日本人ゲーマー いじめ問題は「開き直るチャンス」■ ラグビー日本代表 かつて「敏捷性」で世界と勝負できた理由■ 研究者が「小保方さんの立場も理解できる」と話す4つの理由■ 沖縄出身仮面ライダー・西銘駿 東京の電車で勝負できない

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    バスケ買春「さらしもの」で幕引き、大御所の存在光る危機対応

    ていると考えられるからだ。 いくつかのポイントがある。まず、今回の一連の動きは、今年起こったその他のスポーツにまつわる不祥事に比べて、今回の問題の中心にいる選手が世間に顔をさらし、自らの言葉で謝罪するまでの時間が非常に短い。ここに、心理学でいう「ギャップ効果」が生じる。2018年8月、会見の冒頭、頭を下げる(左から)永吉佑也、橋本拓哉、日本バスケットボール協会の三屋裕子会長、東野智弥技術委員長、佐藤卓磨、今村佳太(川口良介撮影) 事件を知った世間からすれば、「スポーツ界、またか!」という印象が強い出来事ではある。だが、他の事例では見られない主体的な素早い動きを取ることで差別化され、その動き、つまり謝罪自体が特異化され、「素直に謝った」という印象が非常に強まりやすいのである。 また、マスメディアに対しても先手を取ったといえるだろう。通常、スポーツに関わる不祥事の報道は分かりやすい分、世間の興味関心が強い一方で、事実としての情報はそれほどのボリュームがあるわけではない。テレビのワイドショーであれば、事件の中身自体は1回の、しかもほんの数分で伝えきれる内容であることが少なくない。「大御所」による鎮静効果 しかし、当事者がすぐに前に出てこないとなれば、話は別である。事態の本質に確証が持てない分、臆測ベースの話が展開されたり、関係者からの聞き取りや、関連する識者が露出することで、報道が形成されたりする。 そうすると、内容はともかく「連日放送されている」という強い印象が、世間では「非常に重大な問題だ」と見る向きに転化されていく。さらに「関係者雲隠れ」などといわれ、マスコミに追われる当事者という構造が作られやすい。 ただでさえ、逃げているように見えれば、ネガティブな印象が作られる。その上、追われながら取材に対応するとなれば、追う側の論理に沿って返答せざるを得なくなり、まさに後手後手に回ってしまうのである。 今回は、新事実が出てこない限り、おそらくこのような構造にはならないはずだ。もちろん今後協会内での処分や、場合によってはインドネシアの国内法に基づく法的措置の可能性は残されるものの、少なくともネガティブな世論は大きくなり得ないだろう。 もう一つは、日本選手団の山下泰裕団長の存在である。山下団長は、言わずと知れた柔道家であり、その卓越した選手成績により国民栄誉賞まで受賞した人物である。引退からさかのぼると203連勝、また対外国人には生涯無敗と、他に類をみない大記録を打ち立てた。 指導者に転じてからも全日本柔道の要職を担うのみならず、東海大学教授・副学長や、日本オリンピック委員会理事など、後進育成の現場を牽引(けんいん)してきた。2018年8月、ジャカルタ・アジア大会のバスケ男子日本代表選手の問題で、記者会見で厳しい表情を見せる日本選手団の山下泰裕団長(共同) 業界ではいわば「大御所」とも呼べる人物が、即座に会見の場を開き、事情説明を行った上で「大変なご迷惑をかけた。期待を裏切ってしまって申し訳ない」と謝罪した。さらに、山下団長はこのようにも述べた。「言い訳になってしまうが、選手たちは『歓楽街ということを知らなかった』と話している」「(選手が移動する際は公式ウエアの着用が奨励されており)食事をとるためだけだったので、ウエアを着用したままだったと思う」「自分たちの軽率な行為だった、とんでもないことをした、と。全員、深く反省している。不服申し立てもなかった」山下氏の「ホランダーの法則」 文言だけをみれば、本人が言及しているように言い訳とも取れる言説であり、買春というイリーガルな行為が擁護される余地は全くない。しかし、この山下団長の謝罪と説明は、事態の沈静化に一定の効果があるだろう。 心理学では「ホランダーの法則」といって、「過去に組織や世間で大きな功績を残したリーダーの発言は、『この人が言うなら間違いないんだろう』という印象を与えやすく、信頼度が相対的に高くなりやすい」という傾向がある。 加えて、山下団長はいわゆる「スネに傷のない人物」である。現代の日本では、ある人物の過去の履歴はインターネット媒体を中心に簡単に照会でき、仮に不祥事やスキャンダルがあれば、何年前のことであっても事あるごとに取り上げられ、世間にさらされてしまう。 「過去に何かあった」人物は、仮に過去と今の事案には全く関係がなくとも、その人が前に出るだけで、批判の対象となったり、いわゆる「炎上」を長引かせる結果にもなり得る。山下団長には、それがないといってよい。 過去の失点が少ないということは、その人物の今の好印象につながり、ひいては発言の信頼性を高めるのである。実際、山下団長の会見自体や発言内容に批判的な見方や報道はほとんどない。その意味では、組織マネジメントや指導者としての競技への影響力のみならず、危機管理・回避の面からも、山下氏を団長に据えた人事は、有用であったと考えられる。 今回のバスケ4選手の愚行は、不法なものであり、到底容認できるものではない。しかしながら、心理学者である私の立場からいえば、アスリートにおけるマインドセット(意識づけ)のマネジメントには、実はまだまだ改善の余地がある。2018年8月、アジア大会男子バスケットのカタール戦第1クオーター、パスを出す橋本拓哉(中央)=ジャカルタ(共同) ましてや、東京五輪の開催国枠獲得を目指すバスケ男子代表には、プレッシャーやストレスをうまくコントロールしながら、コート外でも逸脱しない意識や心理的状態を自分で作り出す術を教授できるような環境が、一層求められたはずだ。 単に、トップダウンで選手として順守すべき事項を伝え、意識の向上を意図するだけのケアにとどまらない、アスリート組織の運営を期待したい。

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    「高校野球の聖地」甲子園を今こそ見直そう

    の悪質タックル問題や、日本ボクシング連盟の不祥事が朝日新聞の紙面を飾る。記事では、わが国のアマチュアスポーツ界を取り巻く問題を鋭く論じている。その隣を見ると、同紙主催の「夏の甲子園」全国高校野球選手権大会の「告知」を大きく宣伝している。 筆者はこのコントラストにどうしても違和感を覚えてしまう。炎天下の中、勝ち進むにつれて連投を余儀なくされる超過密日程は、高校生にとって過酷すぎる大会である。 今大会でも、済美(愛媛)の山口直哉投手が延長十三回を投げきったが、1人の投手が200球近く投げ抜いて、体に負担がかからないわけがない。これでは「勝利至上主義」と言われても仕方ない。 しかし、この事実を隠蔽(いんぺい)するかの如く『本気の夏、100回目。ありがとう これからも』をキャッチコピーに、アイドルによるPRや球界のレジェンドを起用した始球式、過去の名シーンを伝説のように紹介するありさまだ。 歴史ある甲子園大会へのあこがれは強いだろうが、そもそも中学校の野球部では軟式ボールを使用するため「本気」で甲子園を目指す子供たちは野球部に所属しないことが多い。 ゆえに、かつて巨人軍の練習場だった多摩川グラウンドは、今や週末になると硬式ボールを使用するリトル・シニアリーグのチームに所属する中学生たちが練習に励む。そしてグラウンドには常に甲子園常連校の監督やコーチが視察に訪れ、金の卵たちの姿を追っている。 また、高校にとって、甲子園出場は、進学率向上と出願者の獲得に高い効果が期待される。そのためか、近年では、各校のユニホームの学校名表記に工夫を凝らしており、漢字で大きく記されている出場校が増えている。100回大会の出場校は過去最多の56校だが、そのうち大きく漢字で学校名を記した高校は22校に及ぶ。しかも1校を除いて全て私立高校である。2回戦の星稜(石川)戦で、済美(愛媛)先発の山口直哉投手は延長13回184球を1人で投げきった=2018年8月12日、甲子園球場(林俊志撮影) ローマ字表記でも、これまでよりも一回りも二回りも大きくした高校が6校あり、4校が私立高であった。校名は連日全国ネットで生中継されるテレビでも十分に認識することができるから、経済効果は計り知れない。 その一方で、地方大会で優勝し、代表の座を勝ち得た場合の経済的負担はどれぐらいだろうか。まず、主催者の朝日新聞社が発表した昨年の大会収支決算を見てみよう。米国人には仰天「夏の甲子園」 収入はチケット売り上げだけで約4億4千万円。支出は約3億8千万円で、その内訳は大会準備費、出場選手費、大会役員関係費、大会費、大会史作成費、地方大会費、本部運営費となっている。これらを差し引いた剰余金として約6400万円を計上している。 本来であれば、出場する高校の負担軽減のために「出場選手費」が充てられるはずである。だが、第98回大会の開催要項によると、大会本部がベンチ入り選手や監督、部長の交通費や宿泊費の一部として支給されるのは1日1人わずか4千円。3億8千万円の支出のうち実際に約9300万円がこれに充てられているが、焼け石に水だろう。 なぜなら、甲子園では1試合ごとに約1200万円かかるといわれ、代表校は出場決定と同時に寄付金集めを始めなければならないからだ。 そもそも大会開催期間中の関西圏内のホテル料金は高騰する。それに、選手の家族関係者も試合のたびにマイクロバスをチャーターし、甲子園までの往復と祝勝会を敗戦まで続けるという。その費用たるや相当な金額で、勝てば勝つほどコストがかかる。 こんな現状は、「スポーツ先進国」米国と比較しても異例である。甲子園大会について、米国人に説明すると「高校生が全国選手権大会? 連日全国ネットで生中継するの?」と仰天する。米国では国技であるアメフトやバスケットボールでさえ、高校生の大会は州レベルの選手権にとどまるからだ。 米国で、甲子園大会に似たものとしては、おそらく「マーチ・マッドネス(3月の狂乱)」と呼ばれる全米大学バスケット選手権(NCAAトーナメント)だろう。3月の春休みに行われるNCAA1部に所属する全米各カンファレンス上位校68校が出場するトーナメント戦である。試合会場はもちろんのこと、テレビを通じて全米が熱狂する。 だが、開催地は甲子園球場のような固定ではなく、毎年持ち回りだ。大会のシステムは、トーナメント1回戦と2回戦は「ラウンド1」として米国内8カ所で開催され、8大学がホスト校として自校アリーナを提供する。 各地区の準決勝と決勝は、ロサンゼルス、アトランタ、ボストン、オマハの4都市で開催される。それぞれ勝ち抜いた4チームは「ファイナル・フォー」と呼ばれる準決勝と決勝のために1都市に集まり、アメフト専用の巨大ドームスタジアムで試合を行うのである。バスケットボールの全米大学選手権出場を優勝で決め、チームメートと喜ぶゴンザガ大の八村塁(中央)=2017年3月、ラスベガス(共同) 2018年はテキサス州サンアントニオのアラモドームで行われ、約7万人の観客が埋め尽くした。ファイナル・フォーの開催地は毎年全米を回り、開催都市にも大きな経済効果を及ぼしている。しかし、選手たちは「聖地」甲子園のように、開催都市や巨大ドームでのプレーを夢見ているわけではない。 現在、その放映権は米四大ネットワークのCBSとターナーが14年間108億ドル(約1兆2000億円)で獲得しており、NCAAの収益の約80%がマーチ・マッドネスの放映権収入である。教育的役割はもはや「伝説」 しかしながら、放映権料を含めたNCAAの収入は加盟する全大学に配分されるシステムが確立されており、スチューデント・アスリート(選手)たちの教育的資金に充当されている。その考え方は、高校野球はもちろんのこと、現在わが国で創設が取り沙汰される「日本版NCAA」とも大きく異なる。 そもそも、高校野球や箱根駅伝に代表されるわが国のスポーツイベントの多くは、メディアが主催者となって運営されている。もちろん、前者は朝日新聞社と毎日新聞社で後者は読売新聞社、ともにわが国を代表するメディアである。 主管する競技団体から見れば、主催メディアとのタッグは大会PRには都合のいい存在だ。しかしながら、メディアの事情による過密スケジュールや過剰なドラマ化により、さまざまなリスクが生じているのも事実である。 今こそ、競技統括団体である日本高校野球連盟の「自立」と、非営利組織としてのマネジメントが問われている。例えば、先述の「マーチ・マッドネス」のような地域分散型トーナメント方式にして、ベスト4の高校だけ1カ所に集結して試合するようなシステムはどうだろうか。 聖地化された甲子園球場も、数年に1回の開催でいいのではないだろうか。全英オープンゴルフでも、「聖地」セント・アンドリュースゴルフ場では5年に1回の開催であり、かえって聖地としてのブランドをさらに高めている。 また、米国のような放映権ビジネスが成り立たないといった、わが国のスポーツビジネスの発展にも大きな弊害を及ぼしてきた。甲子園を頂点とした高校野球も、スポーツビジネスの視点で考えれば、どのプロスポーツイベントよりもはるかに大きな収益が見込まれるはずだ。 日本高野連が、非営利団体の本分であるリソース(資源)の還元と循環を目的に放映権やスポンサービジネスなど収益強化に努める。そうして上げた収益を分配することで、各地域への経済的支援と、教員や指導者、選手などスポーツ環境の支援が可能になる。日本高野連の八田英二会長=2018年6月撮影 そうなれば、一メディアや資金力のある学校法人だけではなく、大会に集う全ての人々が多様な恩恵を享受することができる。それが本来のスポーツの目的であり、機能なのである。 筆者は、甲子園大会が日本の野球の高度化と大衆化に貢献してきたことについて否定するつもりはない。しかし、主催メディアが100年かけて築き上げた甲子園という「疑似的聖地」で、故障や燃え尽き症候群の影響により、将来有望なアスリートの競技生活を終わらせてきたことも事実である。つまり、高校野球が選手たちのキャリア形成にも大きな影響を及ぼしているのである。 これらを鑑みれば、甲子園大会が掲げてきた教育的役割など、もはや「伝説」としかいいようがない。100回も続けたこの大会もそろそろ変革が必要ではないだろうか。

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    山根会長、ボクシング「私物化」の怪

    ボクシング界を揺るがす騒動に発展した日本ボクシング連盟の内紛劇が重大局面を迎えた。強烈キャラで連日ワイドショーの「おもちゃ」にされた山根明会長がとうとう辞意を表明したのである。長年にわたり連盟を私物化した自称「カリスマの男」は、なぜやりたい放題できたのか。

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    元世界王者手記「こうして山根会長は絶対的存在になった」

    定選手になる。選手の選出や海外遠征、合宿など、それらを取りまとめているのがボクシング連盟である。他のスポーツに比べてコアな社会だけに、連盟というより「会長」のさじ加減一つでどうにでもなる。メキシコのペドロ・ゲバラに判定勝ちし、WBC世界ライトフライ級王者となった木村悠氏=2015年11月 こうした構造がある限り、選手は閉塞的な「ムラ社会」の中で、会長の意向や組織に翻弄され続けることになり、これでは競技に専念できる環境があるとはいえない。 筆者のアマ時代、山根氏は日本ボクシング連盟の理事の一人で、特に存在が知られていたわけではなかった。ゆえに、2011年に会長に就任して以降、権力を振りかざすようになったのだろう。当時の会長は山根氏のような存在ではなかったが、「山根判定」や「奈良判定」などと言われる、会長の「権力」が反映されたものは確かにあった。ただ、それに反論できる雰囲気はまったくなく、こうしたものはある意味「当たり前」のような空気があったのも確かだ。 筆者が思うに、今回の騒動は山根氏という特異な人物の所業によるところが大きいが、根本を考えれば、古い日本の企業体質とよく似ている。会社のトップである社長が絶対的な権力を持ち、幹部や役員は社長の取り巻きでしかない。社長の指示が絶対で、部下は意見を言うことすらはばかられる傾向が強い。 これはスポーツの世界でも同様で、日大のアメフト部問題でもそうだったが、選手は試合に出たいがために、何にでも従うという選択しかない。そのためトップに権力が集中し、好き勝手できてしまうのである。 「山根暴走」の責任は周囲にも よく言われることだが、アスリートは非常に扱いやすい。幼い頃から「体育会」という上下関係に慣れているため、上の命令に背かない習慣があるからだ。監督やコーチは選手の采配を握っているため、すべてにおいて決定権があり、選手は指導者の命令に背くことはできない構造になっている。選手は「空気」を読む行動を覚えていき、気に入られるように振る舞わなければ試合に出られない。 特にアマチュアボクシングの世界では「会長」というトップを過剰に崇拝する空気感が強い。例えば試合会場に会長が姿を表すと一目散に選手やコーチが挨拶しに行く。行かなければまるで背信行為をしているかのようになる。  誰からも頭を下げられ崇拝されて行くうちに、絶対的な存在であると勘違いしてしまう。そういう周囲の過剰な気配りが、山根氏に施されていた「おもてなしリスト」のような特別扱いに繋がったのだろう。そう考えれば、山根氏の暴走を止められなかった周囲にも責任がないとは言えない。 食事の嗜好などを集めたおもてなしリストぐらいなら笑い話で済むが、これまで慣例的になっていたことが、アマチュアレスリングのパワハラ問題や日大アメフト問題などが相次いで明るみになったことで、アマチュアボクシングの中でも不満が暴発した結果であることは明白だ。 今回の騒動は、山根氏が辞任を表明したことで、一旦は収束するだろう。だが、会長が代わったところで「会長」という立場が絶対的な存在であることなど、現状の体制の見直しがなされなければ、新たな「山根明」を生み出すだけだ。組織第一ではなく、「選手ファースト」を重視した改革が求められる。日本ボクシング連盟の山根明会長=2013年2月(中島信生撮影) 改革を進めるためには、上意下達や年功序列の慣習を取り払い、優秀な人材なら若くても理事に起用していかなければならない。選手に近い立場の人を起用したり、元プロの選手や日本オリンピック委員会(JOC)から人材を登用すれば、閉塞的な「ムラ社会」から脱却できるだろう。 ボクシングに限らず、アマチュアスポーツは今、悪しき体質が相次いで明るみになり、変革の時期を迎えている。2020東京五輪を控え、選手の目線に立った組織運営に変え、競技に集中できる環境作りがなされなければ世界に太刀打ちできない。 筆者自身、アマチュアボクサーとして情熱をかけてきた競技が真に生まれ変わり、地道な努力を続けている選手たちが活躍できる環境を作ってほしいと痛切に思う。可能な限りその環境づくりに協力していくつもりだ。

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    「独裁者」山根明を生んだボクシング界の悲哀

    春日良一(スポーツコンサルタント) アマチュアボクシングの都道府県連盟幹部や元選手ら関係者有志333人による「日本ボクシングを再興する会」が、日本ボクシング連盟の不透明な財政運営などを指摘する告発状を日本オリンピック委員会(JOC)などに提出したことをきっかけに、同連盟の山根明会長の独裁的運営が浮き彫りになり、世間を騒がせている。 今回の告発では、日本スポーツ振興センター(JSC)のアスリート助成金の不適切流用や、競技審判の裁定への不当な圧力があったことが指摘されている。告発された山根氏は、流用を認めつつも、ボクシング連盟の発展に尽くした自らの功績に確固たる自信もあってか、当初は辞任を否定する反論をメディアで繰り返し、対立の構図が注目を集めた。 JOCと日本スポーツ協会はボクシング連盟に対し、8月20日までに第三者委員会の設置を要請した。執行部から独立した中立的なメンバーを公表した上で、9月28日までに調査結果と組織運営について、文書による報告を求めている。 この動きに呼応するかのように、8月7日にはボクシング連盟が大阪市内で臨時理事会を開き、今後の対応を協議した。スポーツ庁の鈴木大地長官が「(山根会長は)辞任すべきだ」とコメントしたこともあり、山根氏に対して辞任を迫る動きが広がったが、理事会では進退について会長一任で収めた。ところが、翌日になって山根氏が突如辞任を表明したのである。 この間、ボクシング連盟の「独裁者」として君臨する山根明vs連盟の正常化を目指す「正義」の再興する会という構図が、メディアの格好の材料となった。告発に踏み切った「再興する会」がメディア対応を周到に準備していたこともあり、世間への浸透も瞬く間に広がった。一方で、山根氏も大方の予想を覆し、自ら積極的にさまざまなメディアに露出して対決姿勢を鮮明にしたことで、そのコントラストがより大きな反響を生んだことは間違いない。 だが、一連の騒動を振り返り、かつて日本体育協会(現日本スポーツ協会)とJOCの職員として、傘下の競技団体と付き合った経験を持つ筆者には、少し違った見方をしたい。数百ページにもおよぶ証言や書類が添付された日本ボクシング連盟への告発状(画像の一部を加工しています、早坂洋祐撮影) 1964年の東京五輪に合わせて完成された岸記念体育会館(東京都渋谷区)は、地下3階、地上5階の歴史を感じさせる威風堂々とした建物である。そこにJOC、日本スポーツ協会とともに各競技の統括団体がその事務局を構えており、まさに「アマチュアスポーツの総本山」と言える存在である。 外から見れば立派なオフィスだが、実際に内覧してみれば恐らく多くの人が驚くだろう。JOCや日本スポーツ協会は別にして、多くの競技団体の事務局は机が数台しかなく、そもそも事務員の数も机の台数を下回ることも珍しくない。むろん、潤沢な予算があるわけでもなく、一流企業のように優秀な人材を求めて、毎年職員を雇用するようなこともできない「弱小団体」に過ぎないのである。「手弁当」構造の落とし穴 もちろん、サッカーや陸上のように多くの登録競技者を抱え、かつ自ら財源を拡大できるような団体もある。それらの団体は、JOCや日本スポーツ協会よりもさらに立派なオフィスを求めて、既に外に出ている。 では、ボクシング連盟に登録している競技者は、どれほどいるのだろうか。登録競技者数で最大規模のサッカーが約90万人に対し、ボクシングはわずか4500人程度という。 同連盟の法人格は、内閣府所管の公益法人である多くのスポーツ団体とは違い、行政の監督を受けない一般社団法人である。だから「日本」という仰々しい冠名はついても、実体は零細企業なのである。限られた職員には当然さまざまな業務が求められる。職員は努力して幅広い知識を得て、各地方競技団体を管理し、大会を運営し、多くの経験を蓄積する。 そうして知見を得た職員も年を重ねるうちに、やがてその人がいなければ何も動かないほどの存在になる。むろん会計業務も事務局の大切な仕事の一つであり、会計責任者がたとえ役員であっても一目置かざるを得ない存在になるケースも珍しくはない。 実は、このような弱小団体の役員は基本的に「無報酬」である。自分がかかわった競技を愛し、その競技のために「手弁当」で働く人々でもある。今回のケースで言えば、ボクシングが好きで好きでたまらない人でなければ務まらないはずである。 綺麗事かもしれないが、自分が愛する競技のためなら、いかなる労力も惜しまず、自らのカネをやりくりしてまでも尽くすというのが、スポーツ団体役員の本来の姿だ。彼らは専門的なことはすべて職員に任せる。むろん、職員も役員のために自らの知見を生かして尽くす。これが組織としてのあるべき姿である。高校総体の会場で、日本ボクシング連盟の山根明会長の控室の中に保管されている会長専用椅子=2018年8月1日、岐阜市 だが、この構造は時に落とし穴にはまる。もし、ある役員が団体トップになることを目指し、自らの実績作りのためだけに活動すればどうなるだろうか。役員がこなす団体の仕事は当然「ボランティア」である。もし、その役員が団体のために皆が嫌がる仕事でも率先してやれば、きっと批判する人など出てこないだろう。 それなりの歳月がかかっても、気が付けば多くの関係者がその役員を後押しし、彼の後についていくことになる。これが弱小競技団体の実態であり、山根氏が連盟内で「独裁者」などと揶揄されるようになった背景にある。トップに逆らえない弱小団体の本質 しかも、多くの競技団体は語学に弱い。だが、スポーツである以上、国際競技連盟(IF)との折衝や、他国の国内競技団体(NF)との交流は必要だ。ボクシング連盟に関して言えば、誰も手を出したくないところに、自ら名乗り出て挑戦したのが山根氏だった。 山根氏は1994年から2002年まで国際ボクシング連盟(AIBA)の常務理事を務めている。山根氏は、当時の理事だった台湾出身の国際オリンピック委員会(IOC)委員、呉経国氏とも関係が深かった。呉氏は親日家として知られ、その後06年にAIBA会長に就任したが、山根氏が早くから「ボクシング界の大物」と親交を深めていた点で、その嗅覚の鋭さを感じ取ることができよう。 「再興する会」の告発の中にあった公認グローブの独占販売疑惑に関しても、グローブがAIBA公認のものだったことから、IFからの情報はすべて山根氏を通さなければ入ってこなかったことがうかがえる。そういう意味では、誰もやりたがらない仕事を重ねるうちに人脈をつくり、それを自らの実績にしたことは事実であろう。 言い換えれば、連盟は所詮「手弁当」の集まりである。山根氏のように団体トップ自らが多少なりとも組織に利益をもたらす仕事をしてくれれば、これほどありがたいことはない。だからこそ、大きな問題が起きない限り、現状に逆らう人間がめったに出ないのである。 弱小競技団体は本質的にこのような弱点を抱えている。もっと言えば、同じような問題が再び起きても不思議ではない。2012年4月、会見後にファイティングポーズをとる日本ボクシング連盟の山根明会長(白鳥恵撮影) 先般の女子レスリング監督によるパワハラも同根だと言える。日本レスリング協会の栄和人前強化本部長が、福田富昭会長から選手育成を任されたとき、誰も率先してやりたいと思う人はいなかった。 当時の女子レスリングはまだ黎明(れいめい)期であり、これから巨木となるか、枯れ木となるかも分からない。そんな種目の育成に尽力した栄氏は、文字通り功労者である。だが、その手法は、少ない競技人口の中から効率的に選手を育成するという独自のやり方だった。やがて、その手法に満足できない選手やコーチが出てくるのは必然であり、栄氏の「絶対体制」にノーを突き付けたのが、この問題の発端だった。 「手弁当」の団体トップは、実は大変な重労働である。ある意味、言いたい放題の役員や全国の関係者を一つにまとめなければならない。そのような任務を果たせる人など、なかなかいないのも事実だ。だが、いったんトップの座を手に入れると、その状況に安住してしまう。なぜ「栄下ろし」「山根下ろし」が起きるのか それにしても、このところスポーツ界で団体トップの不祥事が相次ぐのはなぜだろうか。筆者はその原因に「手弁当」の裏にあるもう一つの姿を見る。 2年後の2020年、東京に五輪がやってくる。半世紀に一度あるかないかの特別な機会である。 自分が愛するスポーツのために「手弁当」でここまでやってきたのだから、このような希少な機会、自国開催の五輪のときは何が何でも輝きたい。これまで「忍の一字」だった競技関係者たちも、現体制に安住していてはダメだと考え、より高みを目指すためには何らかの「改革」が必要と痛感したのだろう。 むろんスポーツの世界においても、「改革」は重要である。しかし、もっと厳しく見極めなければならないのは、今回のボクシング連盟の問題には「お家騒動」に似た事情も見え隠れする。 たとえ現体制を覆しても、新しいトップは正しい方向へ本当に導くことができるのか。それを見極める必要がある。「再興する」というのならば、挙げられた問題を解消するだけではなく、ボクシングを五輪競技として根本的に成り立たせる手腕も求められる。だが、それには相当な労力とリーダーシップが必要だろう。2018年8月7日、日本ボクシング連盟の緊急理事会を終え、取材に応じる山根明会長 なぜなら、IOCはボクシングを五輪種目から除外することも検討しているからだ。五輪が最高の「スポーツの祭典」であるためには、トップアスリートが集まる必要がある。 IOCのサマランチ元会長がバルセロナ五輪で、NBAのプロ選手で構成された「ドリームチーム」を実現させたのもそのためである。一方、ボクシングはアマチュアとプロに別れ、さらにプロの中に複数の統括団体がある。ボクシング関係者が考えなければならないことは、プロ・アマ団体の統合という重い任務であることは言うまでもない。 山根氏が会長職の辞任を表明した今、「再興する会」がその後に誰をトップとして、どのような改革を進めるのか。それを凝視することが重要不可欠である。

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    山根会長を「カリスマの男」に変えた三つの対話術

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) 日本ボクシング連盟の山根明会長が辞任を表明した。今回の騒動、いわばボクシング連盟の内紛ともいうべき有志の告発は、その内容のみならず、告発の対象となった山根氏の強烈なキャラクターと、連盟組織の内実に大きな注目が集まった。 告発以来、山根氏は連日のマスコミ対応の中で、数々の自説を展開してきた。その中で、彼のパーソナリティーや考え方、価値観が白日の下にさらされた。 また、会長として連盟の中でどのような形で力を発揮してきたか、どのように組織をマネジメントしてきたかが透けて見えるようになった。その内実は、社会通念からして多くの国民が首をかしげざるを得ないものであることは既報の通りである。 では、なぜ山根氏は連盟の中で絶対的な地位を築き、維持することができたのだろうか。 そもそも、組織のトップとして強権的な指示を発動し、一極集中のいわば「山根王国」を作り上げて来た経緯は、パワハラがまかり通る構造そのものである。また、本人が認めているように反社会勢力とのつながりを背景に、「会長は何をするか分からない」という恐怖や不安によってコントロールされてきたとみられる組織のあり方は、今回の騒動の本質的な問題でもある。 とはいえ、連盟の立場からすると、山根氏は世界の組織や五輪などを通じて相当の利益をもたらしてきた存在であることは想像に難くない。それゆえに、幹部であっても物言えぬ異常な組織体制が維持されてきたのであろう。2018年8月8日、日本ボクシング連盟の山根明会長の記者会見場に置かれた大量のマスコミのマイク(甘利慈撮影) おそらく、理事の多くは、このような組織風土を背景にした「そうならざるを得ない」イエスマンである。しかし一方で、会長の考えや価値観に共感を示し、いわば信奉者として支えた役職者もいて、そのことも強い権力を維持してきた要因になっていると思われる。 もう少し山根氏個人にフォーカスして考えると、会見での記者らとのやりとりから、彼の地位を維持することに寄与したと考えられる独特の「コミュニケーション術」が見えてくる。三つの「コミュニケーション術」 一つは、心理学でいう「ペーシング」である。ペーシングとは、他人とコミュニケーションを取る際に、相手の話し方や速さ、表情、感情、興奮状態などに自分を合わせることであるが、山根氏はそれをしない。つまり、相手がどのような聞き方や話し方であっても、自分のリズムを崩さないのである。 ペーシングをすると、相手との心理的距離が縮まり、互いの考えや言いたいことを表明しやすくなり、スムーズな会話のキャッチボールが促進される。一方で、特に二者に上下関係がある場合、ペーシングをしないと、下の立場の人間は話を聞く時間が長くなることが多い。さらにいえば、上位にいる話し手に一方的にペースを合わせて、話をより注意深く聞かざるを得ない関係性に陥っていくのである。 そうすると、話している人間は、言説を聞いている側があたかも自分に同意したり、共感しているかのように錯覚していく。そして、権力者はますます自分の言動に自信を持ち、ペーシングをせず、一方で下の立場にある人はさらにペースを合わせざるを得なくなる、という悪循環が形成されていく。おそらくこの関係性が、山根氏と幹部や連盟の構成員の間にもあったのであろう。 二つ目は、山根氏が「イエスセット」と呼ばれる話法を頻繁に用いていることにある。会見で、山根氏は「〇〇なんですよ!」「ね!」「しました!」と、語尾を強めて発言することが多い。 特に感情が高ぶった際に「ね!(そうでしょ?)」と、同意を求めるかのようなクセがある。そうなると、話を聞いている側は、同意をしていなくても「一応話は聞いている」「あなたが言っていることの内容は理解しました」という意味で「はい」と相づちを打ってしまう。実は、これを続けると、最終的な結論に対して、話の受け手側がイエスと言いやすくなることにつながるのである。 これは、心理学における「一貫性の原理」が背景にある。人は、形式的であっても何度も同意や相づちを示していると、反論しにくくなるのである。2018年8月2日、大阪市内で取材に応じる日本ボクシング連盟の山根明会長 さらに、「イエス(はい)」という肯定的な反応を積み重ねることで、「相手が言っていること」がイエス(言ってることは理解しました)から、「相手の存在自体」がイエス(あなたに同意します)になってしまうことがある。 山根氏は十中八九、イエスセットを意識的に使っているわけではない。むしろ、恫喝(どうかつ)的なコミュニケーションスタイルがベースにあって、結果的に相手を誘導したり、同意させたりする術として確立されたのであろう。 三つ目として挙げられるのは、質問に対しての山根氏の答えが、かみ合っているようでかみ合っていない場合が散見される点である。もちろん、全く関係のない話というわけではないが、「ん? なんの話だ?」と違和感を抱かせる話の展開が非常に多い。加えて、突然怒り出したり、脈絡なく感情が高ぶったりすることもおそらく日常的にあるのだろう。山根氏を支える「万能感」 そのようなとき、相対する人はストレスを感じたり不安になる。そもそも私たちは、自分と考えや価値観の共通点がある人と一緒にいることを好む動物である。なぜなら、その方が互いの齟齬(そご)に葛藤せずに済み、楽だからだ。「気の合う友人の関係」というのは、まさに居心地がよいからこそ成立するものなのである。 他人との間に違和感やストレス、不安を感じた際、当然人はそれを何らかの形で解消したくなる。コミュニケーション上の齟齬を、会話を重ねることで解消されれば一番良いが、おそらく山根氏のような相手では、どんなに言葉を重ねても話の内容で解消できることは多くはないであろう。山根氏から論理的に理解不能な怒りや不満の表出もあるとすれば、なおさらそれは難しい。 となれば、下の立場にいる人間は、「中身がよく分からなくても同意しておこう」とか「とにかく怒らせないことを重視しよう」と考え始める。つまり、いわゆる「事なかれコミュニケーション」を取ることによって、自分にとって少しでも心地よい関係性に転化させていかざるを得ないのである。 健全な組織では、上司が部下に分かりやすく、理解しやすい説明をすることによって、スムーズなコミュニケーションが成立している。一方で、分かりにくいコミュニケーションスタイルを取ることで、逆にトップの思い通りに組織が展開する場合もある。 まさに、この状況を現ボクシング連盟が体現してしまっているのではないだろうか。民主的なはずの公的組織のあるべき姿からすると、皮肉なありさまと言わざるを得ない。自宅前で取材に応える日本ボクシング連盟の山根明会長=2018年8月 以上のような独善的なコミュニケーション術を支えているのは、他ならぬ山根氏自身の「万能感」であろう。「自分が何でもできる」という感覚は、彼自身の自己愛の強さからきているのか。 あるいは、これまでの人生の中で自己実現できてこなかった代償、つまり欲求不満の解消なのか、はたまた単なる勘違いか。いったい何が本質的なのかということについては推測の域を出ない。 しかしながら、これまでの山根氏の振る舞いは、彼自身の理想像や憧れを追求した姿であることは間違いない。「男・山根明」「歴史の男」と、自身のことを自らが客体的に英雄視して語る姿からも、そのことは明らかである。

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    肩書はあっても自信なし、山根会長に欠落した「リーダーの足場」

    水野基樹(順天堂大スポーツ健康科学部 先任准教授) 「アマチュアは和で勝って、プロは勝って和ができる(アマは和して勝つ、プロは勝って和す)」 これは、プロ野球の元西鉄ライオンズの名将である三原脩の含蓄ある言葉である。本来、組織における「和」を尊び、組織メンバー全員で一致団結して、目標や夢の実現に向かうはずのアマチュアのスポーツ組織であるが、ここ最近になって不祥事やトラブルが後を絶たない。それは一体なぜなのであろうか。 スポーツ組織とは、同好会サークルからプロ野球やJリーグのようなプロスポーツクラブ、または各競技団体のようなスポーツ統括団体まで幅広く存在する。よって、スポーツ組織の形態により、起こりうる不祥事の内容は多種多様であるが、その根っこには、共通の問題点が見え隠れしているような気がしてならない。すなわち、ガバナンス(統治)とダイバーシティー(多様性)の欠如である。 そもそも組織とは、「2人以上の人々によって意識的に調整された活動および諸力の体系(システム)」と定義される(C.I.Barnard著、山本安次郎訳『新訳 経営者の役割』ダイヤモンド社)。個人では成しえない課題や目標を達成するために人々が協働するための集合体である。 スポーツの文脈で考えてみても、あるスポーツ種目を実施したいということになれば、いずれかのスポーツ組織(多くの場合はスポーツチーム)に所属して活動をすることになる。そこでは、組織として機能するように企業組織や非営利組織(NPO)などで実践されているマネジメント活動が求められる。 しかしながら、多くのスポーツ組織においては、体系的なマネジメント活動の欠如または脆弱(ぜいじゃく)性が指摘されているという現実がある。換言すると、ガバナンスの欠如であり、これがスポーツ組織に特有の問題でもある。もちろん、企業組織においてもガバナンス体制の問題が議論されることはあるが、スポーツ組織においては、ほぼ素人の集団が組織を運営しているケースも見受けられるなど深刻な問題となっている。 スポーツ組織には多種多様なステークホルダー(利害関係者)が存在している。例えば、プロ野球の球団では、選手や監督・コーチはもちろん、チームのファン、スポンサー企業、取引企業、地方自治体、地域住民などは、すべてステークホルダーといえる。元来、スポーツ組織とは、公共性が高く、特定の権力に屈したり、ごく少数の権力者によって恣意(しい)的に操られてはならない。また、特定の企業や団体に偏った利益を提供するものでもない。当該のスポーツ組織のステークホルダーの利害関係を調整しながら、マネジメント活動を実践しなければならないのである。1958年10月、日本シリーズでの対戦相手、巨人の水原茂監督(左)と握手する西鉄の三原脩監督 スポーツの公共性や公益性を鑑みると、スポーツ組織におけるガバナンスの在り方は、企業組織におけるコーポレート・ガバナンス(企業統治)と同様に極めて重要だと考えられる。スポーツが社会に及ぼす影響の大きさが増すにつれて、その競技種目の統括団体やチームは、多くのメディア媒体によって取り上げられることになる。したがって、チーム運営や組織マネジメントにおいては、より質の高いガバナンスが求められることになるが、スポーツ界を挙げたガバナンスの質の向上に対する取り組みを始めるまでには至ってはいないというのが現状である。理事はイエスマンばかり 2018年7月27日、日本ボクシング連盟による助成金の不正流用や審判員の不正判定疑惑などに対し、都道府県連盟の幹部や元選手ら関係者333人の有志でつくられた「日本ボクシングを再興する会」は、スポーツ庁や日本オリンピック委員会(JOC)などに計12の不正項目を指摘した告発状を提出した。その12項目の不正は、以下の通りである。 ①アスリート助成金の不正流用、②試合用グローブなどの独占販売、③競技力向上事業助成金の不透明な財務運営、④全国大会開催費の不正な財務運営、⑤オリンピック基金の不透明な財務運営、⑥公式試合の審判不正、⑦全国大会開催時の不適切行動、⑧不適切な理事の選任、⑨会長選挙前の暴行疑惑、⑩国体の隔年実施競技への格下げの対応、⑪若年選手が自由に競技に取り組む可能性を阻害、⑫全国高体連専門部の日本連盟に対する問題提起。 このような告発の背景には、日本ボクシング連盟の山根明会長の独善的かつ強権的な組織運営が指摘されている。そして、イエスマンばかりを理事として配置し、自分と異なる意見を持つ理事には報復人事も厭わない。ちなみに、経営学における組織論では、LMX(リーダー・メンバー交換)理論という内集団と外集団を分けて采配を振るうリーダーシップとして説明が可能である。 そして、8月8日の会見にて辞任を表明した山根会長に対して、「日本ボクシングを再興する会」も同日、都内の弁護士会館で会見を開き、日本ボクシング連盟からの除名と、全理事の解任を求めた。山根会長の発言からは、何を辞任するのか曖昧であり、会長職は辞任するが理事として連盟に残り続ける可能性も考えられるからである。 私個人の意見としては、この事態を収束に向かわしめるには、組織の自浄作用に期待はせずに、全理事30人の総入れ替えが必要であると考える。日本ボクシング連盟のガバナンスの脆弱さの原因ともいえる理事メンバーの同質性を克服しなければならないためである。同質集団からはイノベーションは起こらない。よって、現在の企業組織における組織活性化の鍵概念のひとつは「ダイバーシティー」である。日本ボクシング連盟においても、女性や外国人などの登用や、若手の抜擢(ばってき)によって年齢的な広がりを持たせるなど、多様な人材を理事として迎え入れることで、組織改革を断行してもらいたい。 ところで、近年の大学スポーツ界を一瞥(いちべつ)すると、日大アメフト部や至学館大レスリング部のパワハラ問題など、指導者のハラスメントが社会問題化している。たしかに、選手である大学生が関与した不祥事も数多く発生しているが、指導者である監督やコーチによるハラスメントなどの不祥事が社会に与えるインパクトは大きい。そこで、まさに大学スポーツの在り方が問われている現在、スポーツ庁は大学と競技団体、企業が参加する日本版NCAA設立を構想している(日本経済新聞、2018年7月2日)。2018年8月8日、進退に関する声明発表の会場に入る日本ボクシング連盟の山根明会長 アメリカの全米大学体育協会(NCAA)をモデルとした産官学連携の組織である。NCAAは大学スポーツのリーグ戦を主催したり、運動部間の調整などにおいて幅広い権限を持ち、大学スポーツの振興に貢献している。日本における大学の競技団体(学連)は、競技や地域ごとに散在しており、中学校の中体連や高校の全国高体連に相当する全体の統括組織は存在しない。求められる日本版NCAA 運動部活動に対する大学側の関与も限定的で、大学におけるガバナンスという観点からも日本版NCAAが望まれている。優秀な指導者の育成やスポーツ組織内でのガバナンス体制の構築という重要な機能を果たすことになる。 また、スポーツ組織においては、長年にわたり同じ競技種目に打ち込み、ごく一部の成功を収めた元選手が指導者となるケースが圧倒的に多い。翻って、今回の山根会長や、日大アメフト部の内田正人前監督の起こした不祥事であるが、2人とも競技者としてはとりわけ大きな成功を収めてはいない。 ただ、指導者としての2人に共通していることは、リーダーシップを発揮する際のスタンス(足場)が、リーダーとしての地位や肩書に依拠しているということである。指導者はリーダーシップという影響力を組織メンバー(選手や連盟関係者などのステークホルダー)に及ぼしながら、全員で組織の目標に向かっていくものであるが、その際に問題となるのがリーダーシップの「足場」である。 一般的には三種類あると言われており(北森義明著『組織が活きるチームビルディング』東洋経済新報社、2008年)、それぞれの「じしん」がリーダーシップ発揮の源となっている。 ①地信(リーダーが自分の「地位や肩書」に足場を置いてリーダーシップを発揮している場合)、②持信(リーダーが自分の「知識・経験・技能」に足場を置いてリーダーシップを発揮している場合)、③自信(リーダーが「その人自身の人格や器量」に足場を置いてリーダーシップを発揮している場合)の3つである。 スポーツ組織では、「地信」を足場に置き「私が監督だ!黙って私の指示に従え!」という指導者や、「持信」に足場を置き「下手なやつは黙って私のスタイルに合わせろ!」という指導者が多く見受けられる。しかしながら、本来のスポーツリーダーは、その人自身の魅力によって組織を牽引するような「自信」に足場を置く指導者が望まれる。2018年5月、日大アメフット部の反則問題で、会見にのぞむ内田正人前監督(松本健吾撮影) 今後のスポーツ組織は、特定の人間だけを取り込み、他は排他するようなリーダーではなく、多様なタイプの人間を受け入れられるダイバーシティー重視型のリーダーが求められよう。と同時に、リーダーとしての自覚と責任を持ち、「自信」に足場を置きながら組織マネジメントにあたるリーダーによってガバナンス体制が構築される組織こそが、今後は社会の信頼を得ていくことになるであろう。スポーツ組織の健全かつ適正な業務の運営(コンプライアンス)が求められているのである。まさに、スポーツ組織はガバナンス(統治)とダイバーシティー(多様性)の欠如をいかにして克服するかという大きな問題に直面している。

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    ボクシング連盟“悪行”会長告発状と「日大のドン」親密写真

    )傘下の県連盟幹部らが、日本連盟の山根明会長の“悪行”を訴え、日本オリンピック委員会(JOC)や日本スポーツ振興センター(JSC)、所管の文部科学省などに告発の準備を進めている。 県連幹部らは「日本のボクシングを再興する会」を組織し、6月に山根会長の退任を求める文書を全国の都道府県連に送った。9人で始まった会は、約20の県道連トップや大学ボクシング部監督、元五輪代表選手など300人を超す構成員に膨れ上がった。告発メンバーのひとりが言う。「山根会長は2011年の就任以来、“恐怖政治”で権力を固めてきた。選手を人質に取られている傘下の組織はみんな声を上げられなかった。だけど、このままでは競技が衰退していくばかり。実際、2023年からの国体でボクシングは隔年開催に“降格”が決まった。そういう危機感が我々を突き動かしたのです」 告発状では、山根会長によるJSC助成金の不正流用、公式試合用グローブなどの不透明な独占販売、公式試合における審判不正──など12項目に及ぶ疑惑を指摘するという。「それでも山根会長にとっては、どこ吹く風のようです。その会長の強固な権力の源泉は、ある“有力者”との関係にもあるとされています。告発に向けて情報収集する中では、関係者から提供された山根会長とその有力者との親密写真が話題になりました」 そう話すのは別の告発メンバーだ。写真で山根会長と固い握手を交わすのは、日大の田中理事長だ。日大・田中理事長=2016年7月3日、東京都(大橋純人 撮影)「2人は昵懇で、数十年来の仲と言われています。2016年の日大相撲部の祝賀会にも、山根会長が招待されていた。さらに、今年4月には山根会長が日大の客員教授に就任したので、衝撃が走りました。今後も山根会長の問題を追及するうえで、そうした関係も焦点になるとみています」(同前) 山根会長の在籍や田中理事長との関係について日大に確認すると、「4月1日から1年間日本大学客員教授を委嘱しております。スポーツ科学部で特別講義をしています。それ以上はお答えできません」(企画広報部)という。 日本連盟にも、告発状や山根会長と田中理事長との関係などを問うたが、「ノーコメントといたします」とのことだった。類は友を呼ぶ、ということか。関連記事■ 日大新聞の1面トップ『8割超「日大での学びに満足」』と報道■ 日大広告が続々撤去もハワイではCMあり、相撲案件か■ セクハラ、パワハラの温床になる組織にメス入れる3つの方法■ 日大危機管理学部「同じ英語授業に先生が2人」の異常事態■ 年間69億円を売り上げる「株式会社日本大学」の謎

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    会社や家庭にも存在する「○○判定」を使いこなす術

     繰り返されるニュースを見ながら早速「○○判定」の活用術に思いを巡らせていたとしたら、あなたは立派な大人である。コラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。 * * * アマチュアボクシング界が、脳震とうになりそうなぐらい激しく揺れています。きっかけは、7月27日に各地のボクシング連盟幹部らで結成された「日本ボクシングを再考する会」が、日本ボクシング連盟の不正や山根明会長の判定への介入などを指摘した告発状をJOC(日本オリンピック委員会)などに提出したこと。 あちこちから山根会長に対して「こんなひどいこともしている」「早く辞めるべきだ」という声が上がったり、山根会長本人がテレビ番組に出演して反論したりなど、お互いがノーガードで殴り合うかのような騒動は、ますます拡大する気配を見せています。 山根会長は「そんなものはない」と言っているのでまだ真相はわかりませんが、とくに衝撃的だったのが「奈良判定」という言葉。山根会長の出身地である奈良県の選手を勝たせるために、公式戦でかなり無理がある判定が行なわれていて、アマチュアボクシング界では「奈良判定」の存在が半ば常識になっているとか。会長が恫喝してやらせているという声もあれば、周囲が忖度した結果という声もあります。 実際に「奈良判定」があるとしたらとんでもない話だし、それで負けにされた選手はたまったもんじゃありません。がんばっている奈良の選手にとっても奈良県にとっても、いい迷惑です。ちなみに以前、日大出身の会長がいた頃には「日大判定」があったとか。※画像はイメージです(GettyImages) ただ、ふと考えてみると、似たような「○○判定」は、会社生活の中にも存在しています。何人かの候補者の中で誰を課長に昇進させるか、企画会議で誰の案を通すか、飲み会の二次会でどのスナックに行くか……。公正な評価とは別に、上司や経営者の好みを忖度して「こっちにしとかないとマズイだろ」という力学が働くケースは、いろんな場面であります。 罪のないジャンルだと、どの牛肉がうまいかという話になったら、私も含めて三重出身者は「三重判定」で迷いなく松阪牛を推すし、「岩手判定」だったら前沢牛に軍配が上がるでしょう。うどんのコシはいかにあるべきかという議論の場合は、「さぬき判定」と個人的に全力で発動したい「伊勢判定」では正反対の結論になるはず。「○○判定」をどう使いこなせばいいのか 各家庭にも、その家独特の「○○家判定」があります。「やっぱりウチのカレーがいちばん」は家庭内でしか通用しない評価だし、妻に対して何らかの必要性があって「キミのように素晴らしい女性はいない」と言う事態になったとしても、その言葉に客観性はまったくありません。我が子のかわいさもしかり。まあでも、このへんは幸せを味わう生活の知恵としての「○○家判定」なので、むしろ積極的に駆使したほうがいいですね。 話を戻しましょう。会社生活において「○○判定」とどう付き合い、どう使いこなせばいいのか。なんであんなヤツが昇進したのか納得できないときは、「あいつはほら、山田部長のお気に入りだから。いわゆる『山田判定』だよ」とささやき合えば、釈然としない思いを抑えることができそうです。 自信を持って提出した企画案なのに、上司(仮に吉田課長とします)の反応が今ひとつという場面では、「ぜひやりたいので、ここはひとつ『吉田判定』でお願いできれば」という言い方で「もうひと押し」を試みましょう。とくに理屈は通っていませんが、言われた課長としては自分の名前を冠した判定名を言われていい気持ちになり、よくわからないまま「じゃあ、まあ、しょうがないか」と言ってくれるかも。 あるいは、社内の女性社員について、同僚(仮に田中とします)と「誰がカワイイか」という話になったときに意見が分かれたら、「それは田中判定だな」と言ってしまえば、いかにも無理がある意見だという印象操作ができるでしょう。スナック選びでは、吉田課長の行きつけの店の名前をあげて「二次会の店は吉田判定でスナック洋子になりました」と言えば、吉田課長としても悪い気はしないはず。 これからしばらくは「奈良判定」という言葉が、ますます脚光を浴びるでしょう。本当ならケシカラン話ですが、アマチュアボクシングの当事者ではないので、ニュースを見たり読んだりしてプンプン怒っていても腹の立て損。世間を騒がせている「悪いこと」を罵倒してドヤ顔するのも、大人としてみっともない了見です。※画像はイメージです(GettyImages) ここはなるべく楽しく遊んでしまうのが、大人の心意気であり美学に他なりません。というふうに考えるのも、大人であることをひいき目に見た「大人判定」でしょうか。関連記事■ 会社やお金に守られなくなって初めてわかる 頭髪・睫毛・陰毛■ 中国人観光客 食事や宿泊フロアを隔離するホテルも存在する■ 5回を超える天下りをし生涯収入8~10億円の官僚も存在する■ 眼鏡新調や虫歯治療 ED克服につながったケースも存在する■ 渋谷に今も存在する戦前の遺構 陸軍刑務所の壁や境界標など

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    「還暦ジョッキー」的場文男の哲学

    日本競馬史にもうすぐ一つの金字塔ができる。的場文男。大井競馬所属の還暦ジョッキーが、地方競馬通算勝利の日本記録に王手をかけたのである。45年の騎手生活で積み重ねた7150勝。「馬敗れて草原あり」とは、かの寺山修司の言葉だが、的場の競馬人生もまた哲学に満ちている。

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    還暦ジョッキー、的場文男は競馬界の「長嶋茂雄」である

    大川充夫(競馬実況アナウンサー) 大井競馬所属の的場文男騎手が、地方競馬最多7151勝の日本記録に王手をかけた。私はレースを実況するアナウンサーとして、的場騎手が記録を目指す姿を見てきた。 前人未到の領域。ここに至るまでに積み重ねてきた莫大な数の勝ち星。それをはるかに上回る、残念ながら勝ちにはつながらなかった、しかし的場騎手が魂を込めて騎乗してきたレースの数々。それらを思うとき、的場騎手が一つ勝って記録に近づくたびに、実況する私も緊張を増し、惜しくも2着に敗れたりすれば、それはそれでまた心を揺さぶられた。 見ているだけ、実況しているだけの自分が平静でいられないのだ。的場騎手本人は、いったいどれほどのプレッシャーと戦ってきたことだろう。 記録との闘いというのはおそろしく厳しいものであるらしく、的場騎手が新記録樹立を目指す中、記録まで残り10勝程度になってから、2着ばかりが続いた時期があった。 有力馬に乗って2着。人気薄の穴馬に乗っても2着。 あとほんの少し前にいれば、勝ち星を手にできるというのに、それができない。スムーズに勝ち星を増やせない。 見ていても歯がゆかったが、もちろん本人の悔しさはわれわれの比ではなかったろう。競馬とはシビアなもので、1着以外は全て負け。つまりひとつのレースでたった一頭・一人の勝者と、その十倍以上の敗者が生まれる競技である。2018年6月、第64回東京ダービーを制したハセノパイロ(中央)、クリスタルシルバー(緑帽)は首差届かず、鞍上の的場文男騎手は10度目の2着とまたも悲願達成はならなかった(大貫師男撮影) どんなに惜しい2着であっても、そして何度それを積み重ねても、勝ったことにはならない。2着続きの苦しい時期を、的場文男騎手は見事に乗り切った。達成直前にはケガで長く休むことにもなったが、これも乗り切った。 こうした苦節を乗り越え、的場騎手は日本競馬史上、最も多く勝った騎手となるのである。的場騎手の持つ記録は、通算勝利数にとどまらない。的場騎手の真の偉大さ 37年連続重賞制覇や27年連続年間100勝以上など、数々の記録保持者でもある。まさに現役にして伝説。競馬界のレジェンドだ。 的場文男騎手は偉大である。これはどこからも文句の出ようがない事実である。何しろ史上最多勝となるのだから。 だが、的場騎手の真の偉大さは、そこではないと思う。的場騎手は大ベテランである。まもなく62歳。 この年でなお、トップアスリートとして活躍できる肉体を維持している事実。戦い続けるにも身体の維持にも欠かせないであろう、精神力にも目を見張る。だがそれも、的場騎手の偉大さの一部ではあるが、肝ではないと思う。 現役生活は45年になろうとしている。長く競馬界のトップクラスに君臨してきた。それだけで、「この人は偉い」と思うのが当たり前であり、若い者は前に出るだけで緊張し、話をするのも恐れ多い、ということになっても不思議ではない。若い者、というが、この大ベテランより年上などという者は、今となっては競馬界にそういないのだ。現役騎手はもちろん、調教師も馬主も、ほとんどは的場騎手より年下である。 では、的場文男騎手は年下ばかりの周囲から尊敬を受けるだけなのかというと、そうではない。 的場騎手は、自分よりうんと年下の若い騎手たちと対等に冗談を飛ばし合い、時にはケンカをする。その姿はまるきり伝説の人という様子ではない。ただの、ちょっと気持ちの若いオジサンである。しかもどちらかというと、自分大好き系のやや困った人であったりもする。兄弟子の赤間調教師が管理したハシルショウグン(手前)で1993年の帝王賞に優勝。的場騎手にとって会心の騎乗だった この気持ちの若い、少し困ったオジサンを扱うのに、周囲の若者たちは容赦がない。遠慮なくその言動を笑いのネタにするし、やれ「あの人は勝手だ」とか「ズルい」とか、言いたい放題だ。 そして、このレジェンドは、そうしたことに全く無頓着である。おちょくられてもネタにされても、気にしない。かといって超然としているかというとそうではなく、度が過ぎれば怒る。怒るときもまるで同じ目線で怒るのであり、伝説のお方が若者を諭すという風情では、全然ない。マネできない「的場ダンス」 若い騎手は言う。 「面白いじゃないですか、的場さん。いじられキャラなんですかね。だからSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)でも的場さんのこと書いちゃうんですよ。優しいんですよね、すごく。そういうことは怒らない」 若手騎手の中には、的場騎手のネタを頻繁にSNSに投稿し、好評を得ている者もいる。 馬の上では無駄な動きをしないほうがいいに決まっている。競馬のレースでは、馬の背中にピッタリ寄り添うように姿勢を低くして騎乗するのがキレイなフォームと一般に言われる。 的場文男騎手の騎乗フォームは、極めて特徴的だ。ゴール直前の攻防では、馬から大きく伸びあがるような動きでダイナミックに追ってくる。その踊るような動きは、「的場ダンス」などと呼ばれることもある。 決してほめられた騎乗フォームではなく、的場騎手自身も、的場文男騎手=2017年5月、大井競馬場(佐藤雄彦撮影) 「自分も若いころはキレイなフォームで、馬にピタッとくっついて乗ってたんですけどね。年をとって力が落ちてきてからは、馬を動かそうとするとどうしても身体が大きく動いてしまう。それで出てきたのが『ダンス』なんですけど」と語り、やむを得ずしている騎乗法だと証言している。 この『ダンス』は、余人にマネのできないモノである。また、若い騎手などは決してマネしてはいけないものでもあるだろう。ただし、的場騎手がこの騎乗法で勝ち星を量産していることは、まぎれもない事実である。 的場騎手の代名詞ともなっている『ダンス』は、しばしばネタとして取り上げられる。ネタにされても気にしない 的場騎手より30歳近く年下の、現在はトップジョッキーとなっているある騎手は、 「的場さんの追い方って、魂に訴えかけてくるよね。…あれで走りやすいかどうかは、馬に聞いてみないとわからないけど」 と言い、廃止になった宇都宮競馬からオーストラリアに渡って騎手として活躍し、今は引退した元ジョッキーは、 「オーストラリアで騎手仲間から、『日本で一番うまい騎手は誰だ?』って聞かれて、武豊の映像を見せたんですよ。そしたら、『これが日本一か?』って、反応薄いんだ。それじゃあっていうんで、的場さんを見せたら、『こいつはグレイトだよ! 日本一じゃない、世界一だ!』だって」 こういう話を、本当に広い範囲の人が「ネタ」として持っている。的場騎手本人はと言うと、そうしてネタにされても気にする様子はない。 ネタにされるのは騎乗法だけでなく、むしろ人柄や行動に関するものの方が多い。 自分で主催した自分の祝賀パーティーなのに、途中で「早く終わろう」と言い出して周囲を慌てさせたこと、自分のことを特集したテレビ番組が放映される時間に、競馬場内のテレビのチャンネルを片っ端から合わせて回ったなどなど。 的場文男騎手の話を、みんなしたがるのだ。まるで自慢話でもするように。 自分は的場騎手の、こんなネタを知っているんだぞ、ということを、実に広い範囲の人々が得意になって話すのだ。そして聞く者もそれを喜んで聞く。2017年7月、地方競馬通算7000勝の記念祝賀会で、家族から贈られた花束に笑顔を見せる的場文男騎手=東京・港区のホテル それはちょうど、長嶋茂雄さんの言動をネタとして披露すると大いに喜ばれ、話した人も得意顔になる、あの現象によく似ている。競馬界における的場文男騎手は、長嶋茂雄さん級に偉大なプレーヤーであり、長嶋茂雄さん的に広くみんなに愛されているキャラクターなのだ。 空前にして、恐らく絶後となるであろう大記録を打ち立てる競馬界のレジェンド、的場文男騎手の真の偉大さは、実はそこにあると思う。

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    「不滅のレジェンド」的場文男の記録はもう誰も超えられない

    島田明宏(作家、ライター) 日本の競馬界にまた一つ、とてつもない大記録が生まれようとしている。「大井の帝王」こと南関東所属騎手の的場文男(61)が地方競馬通算7150勝をマークし、佐々木竹見元騎手(76)が2001年に打ち立てた日本最多勝記録7151勝に王手をかけたのである。  この数字がいかに大きなものであるかは、土日だけの開催とはいえ、1987年の騎手デビューからほとんどすべての最年少記録を打ち立ててきた武豊(49)でさえ、JRA通算3985勝(地方と海外を合わせると4163勝。8月2日現在、以下同)ということからもお分かりいただけるだろう。 自身も「レジェンド」と呼ばれる武が「尊敬する先輩の一人」とリスペクトする「レジェンド中のレジェンド」的場文男とは、どんな騎手なのか。 的場は1956年9月7日、福岡で生まれた。騎手を目指していた中学生のとき、佐賀競馬場の馬主だった父と下見のため上京し、大井に厩舎を構えていた小暮嘉久に見いだされ、弟子入りする。 17歳になった1973年10月16日に騎手としてデビューし、11月6日に初勝利をマーク。デビュー5年目の1977年、アラブ王冠賞をヨシノライデンで勝ち、重賞初制覇。1983年、129勝を挙げ、初の大井競馬リーディングの座についた。 27歳でリーディングになったのだから、決して遅咲きだったわけではないが、地道に勝ち鞍を重ね、トップジョッキーとしての地歩を固めていく。 1987年に通算1000勝を達成し、以降1993年、1999年、2002年、2006年、2010年に1000勝ずつ積み重ね、2017年5月17日、川崎マイラーズをリアライズリンクスで制し、通算7000勝に到達。同時に、自身の持つ地方競馬最高齢重賞勝利記録を更新し、60歳8カ月10日とした。2017年5月、川崎競馬場で通算7000勝を達成し、「川崎のレジェンド」佐々木竹見氏(左)と握手を交わす的場文男騎手(高橋朋彦撮影) 日本の競馬史上、通算7000勝以上を挙げたのは、的場と前述した佐々木竹見しかいない。 歴代3位の石崎隆之(62、船橋)が6269勝、4位の川原正一(59、兵庫)が5335勝、5位の鮫島克也(55、佐賀)が4775勝。6位は2010年に引退した桑島孝春の4713勝、メイセイオペラでフェブラリーステークスを勝ち、地方馬による唯一のJRA・GI勝利を達成した菅原勲は2012年に通算4127勝で引退している。 そう、的場はすでにとてつもない高みにいて、そこからさらに頂点を極めようとしているのだ。「大井の七不思議」 もう一つ特筆すべきは、4万545鞍という騎乗回数の多さである。桑島は4万201鞍に騎乗したが、佐々木は3万9060鞍で引退した。 ちなみに、武はJRAで2万1147鞍、地方と海外を加えると2万1895鞍。「数字などで自分を縛るのは嫌だから、あえて具体的な目標は持たないようにしている」という武も、20代のころ「1万回無骨折騎乗を目標にしようかな」と話したことがある。 結局、それは叶わなかったが、そのくらい「1万回の騎乗」というのは騎手にとって大きな区切りなのだ。それを4回も繰り返している的場の騎手としての経験値には、たとえ同じプロ同士であっても、想像を絶するものがあるに違いない。 的場は、帝王賞(3勝)、川崎記念(2勝)、かしわ記念(2勝)、東京大賞典(1勝)といった数々の交流GI(交流競走になる前も含む)を制し、南関東の皐月賞にあたる羽田盃を5勝もしている。 にもかかわらず、南関東のダービーである東京ダービーは、37回参戦して10回の2着が最高となっている。期待された馬で惜敗したケースもあれば、人気薄で大健闘と言える2着になったケースもあるのだが、なぜか勝てない。的場自身も「大井の七不思議」と言われているのを知っている。 今年、佐々木竹見の記録更新まであと10勝とした6月6日の第64回東京ダービーも、クリスタルシルバーで首差の2着だった。 翌6月7日も未勝利で2着4回。8日も未勝利で2着1回と、やけに2着が多かった。さすがの帝王もプレッシャーを感じていたのだろうか。 さらに、6月15日には川崎で落馬し、後続馬に踏まれて左膝の内側を20針も縫う怪我を負った。7月9日にレースでの騎乗を再開するまで3週間ほどの休養を余儀なくされた。大井競馬場には的場文男騎手の地方競馬最多勝記録のカウントダウン「マトメーター」が設置されている(田村亮介撮影) 地方競馬と中央競馬の「開放元年」と言われる1995年から交流競走が設けられ、地方と中央の人馬の行き来が盛んになった。さらに、2003年に安藤勝己が笠松から、2006年に岩田康誠が兵庫から、そして2008年に内田博幸が大井からJRAに移籍するなど、垣根がより低くなると、地方でも中央の騎手たちと見分けのつかない、綺麗なモンキースタイルで乗る騎手が多くなった。 そんな中、的場は自身のスタイルを貫き通している。直線では上体を起こして腰を大きく上下させ、騎乗馬が脚を持ち上げる動作を補助するようにして追う。砂の深い南関東ならではの追い方だ。 そうした姿勢や、馬上での厳しい表情から、職人気質のとっつきにくいタイプかと思いきや、実は優しい紳士なのである。空気を読む力とサービス精神 2016年3月3日、16年ぶり7人目のJRA女性騎手となった藤田菜七子が、中央デビューを前に川崎競馬場で騎乗した。重賞のエンプレス杯が行われた前日を上回るファンが見守る中、63社の137人、テレビカメラ31台という異例とも言える報道陣も集まり、この日の川崎はさながら「菜七子フィーバー」に沸いた。 彼女のデビュー戦は8着、2戦目は4着と順位を上げ、3戦目では頭差の2着に追い込んだ。そのとき、叩き合って3着に競り落とした馬の鞍上が的場だった。その時点で6800勝以上を挙げていた的場はレース後、こうコメントした。 「おれもあの馬に6回乗ったから分かるんだけど、ズブい馬でそれを動かしんだから上手い。あの子は7千勝するよ」  本音とリップサービスのどちらの気持ちが大きかったのか。それは本人にしか分からないことだが、藤田にとっては嬉しく、記事を書くマスコミにとっては非常に美味しいコメントだった。 周囲が自分のコメントを欲しがっているという空気を読む力と、見出しになる言葉を残そうとするサービス精神とを持ち合わせた「クレバーなアスリート」でもあるのだ。 だから、的場は愛されている。  その年の暮れ、彼の通算7000勝までの勝ち鞍を刻む「マトメーター」が大井競馬場に設置され、多くのファンがSNSに写真をアップするなどして、的場の大記録達成を待ちわびる姿があった。 今、大井競馬場には「地方競馬最多勝記録 7151勝超えへ。」と題した「マトメーター2」が場内に置かれている。他にも「的場文男騎手 地方競馬通算最多勝利記録7152勝 特設サイト」まで開設され、関係者もファンも皆が「そのとき」を待っている。2016年3月、浦和競馬場でデビュー初勝利を挙げ、ウイニングランをする藤田菜七子騎手とアスキーコード。左は2着の的場文男騎手とミカドウェザリア(白石智彦撮影) 恐らく的場の最多勝記録は不滅になる。というのも、もしこの先、彼の記録を抜きそうなほど勝てる騎手が現れたら、ほぼ確実にJRAに移籍するからだ。JRAは週末だけの開催なので勝ち鞍が少なくなり、どう考えても的場を超えるのは不可能だろう。 誰よりも多くの馬に乗り、誰よりもたくさん勝った「不滅のレジェンド」的場文男がいる競馬を見られる私たちは、間違いなく幸せ者である。(一部敬称略)

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    ろくでなし以外も知ってほしい「大井のカミサマ」的場文男の凄さ

    大月隆寛(民俗学者、札幌国際大学人文学部教授) 「尊い」。そうとしか言いようがない。 今に始まったこっちゃない。随分前からそうだった。赤地に星散らしのあの勝負服は、われら地方競馬巡礼衆にとっては、ただひたすら「尊い」のだ。 的場文男、言わずと知れた「大井のカミサマ」。南関東の、そして「地方競馬の至宝」と褒め称えることは簡単だけれども、でもやっぱり、的場文男は「大井のジョッキー」守護神なのだ、と言っておきたくなる。 彼がその記録を破るだろう、と誰もが信じていた。あの生涯7151勝を挙げた佐々木竹見が現役時代、彼は所属が川崎競馬であっても、どこか地方競馬を代表する丹精な「顔」だった。それに比べて、同じ時期、大井競馬を代表する名手であり、佐々木と遜色ない成績を誇っていた高橋三郎はどこか「大井のサブちゃん」的存在だった。 それと同じような意味で、的場もまた「大井の的ちゃん」なのだと思う。たとえ成績も名声もとっくに全国区、昨今ではすでにニッポン競馬の生きた伝説になっているのだとしてもだ。1990年9月、中央競馬の重賞、オールカマーに出走した大井所属のジョージモナークで2着に入った的場文男騎手 とにかく饒舌(じょうぜつ)である。昔からそうだったし、今もそれは変わらない。ノリヤクというもの、殊に地方のそれはおおむね寡黙で用心深くて、そうでなくても口下手で能書きの少ないのが割と普通なのだが、的場文男は違う。口数が多く、よくしゃべる。 といって、ありがちなセールストークなどともちょっと違う。相手が誰であっても基本、同じ調子で変わらないし、何より腰も頭もぐっと低い。若いころの武豊が大井で初めて騎乗したとき、「ユタカさん、ユタカさん」と率先して声を掛けていたのを今でも覚えている。 引退して調教師になっていく同輩や後輩の、たとえ現役時代は彼よりずっとさえない成績だった元騎手に対しても、「センセイ、センセイ」ときちんと立てた応対をする。それが嫌味でも何でもなく、自然体なのだ。「ここじゃオレがトップ」 同じころ、現役で乗っていたある騎手の的場評を明かそう。 「どうしてあんなに道中ジタバタすんのかなぁ、っていつも思ってたよ、そんなにジタバタしなくたってラクに勝てるくらいの馬にいつも乗ってるだろうに。あれがなかったら(東京)ダービーもとっくに取ってたんじゃないかなぁ」 「やり過ぎちゃうんだよなぁ」とも言われる。今でも朝の暗いうちからしっかり調教に出てくる。「的ちゃん、いいよもう、そんなにやんなくとも」と言ってもしっかり乗る。やり過ぎるくらい乗る。「的ちゃん乗せたら(馬が)動くのは分かってるんだけど、でもその後出枯らしみたいになっちゃったりするんだよなぁ。だから、勝負もだけど調教にも、的ちゃんうっかり乗せられないんだよ」。そんな苦笑いとともに、的場の普段の仕事っぷりが語られたりもしている。 地方競馬にはどこでも一人くらい、マジメで穏やかで人格者で、それこそ騎手会の会長に推されるような騎手がいる。主催者のウケもよく、馬主たちともソツなく付き合い、必要ならば仲間たちの立場を代弁もできるし、またそういう信頼を周囲から受ける。 もちろん成績も常に上位でなければならない。そうでなければ勝負の世界、発言力も半減する。 その一方、なりふり構わずひたすら自分の成績だけを追いかけるタイプもいる。馬主にも自分で営業をかけ、時に牧場まで付き合って自分の乗り馬を確保しようとしたりする。そういう積極性もまた「騎手」という稼業の営業の一つではある。 けれども、的場にはそういう面は見えない。以前、それこそアンカツ(安藤勝己)や内田博幸などが中央競馬に移籍するようになったころ、「中央へ移ることは考えないのか」と尋ねたことがある。2005年5月、的場文男騎手(左)と大井所属時代の内田博幸騎手=大井競馬場 答えは即答「ない」。毎日10頭くらい調教つけて、騎乗依頼は南関東だったら、ほぼ毎日何鞍もある。「オレが全く馬にまたがらない日って、1年に1週間もないよ。自分のカラダだって毎日手入れしなきゃならないし、もう今の仕事だけで余計な時間なんかないよ。ここじゃ、オレがトップなんだから、トップにふさわしい仕事をしていないと恥ずかしいじゃないですか」。ざっと、そのようなことをいつもの饒舌でたたみかけるように語ってくれたこともある。 後日、内田博にその話をしたら「そういう人なんですよ、的場さんは」との言葉が返ってきた。「ほらね、分かったでしょ?」といった口ぶりながら、心底リスペクトする良い表情だった。名もなき「ろくでなし」 つまり、ある種の「人徳」、言い換えれば「騎手仲間に嫌われない」「疎まれたり仲間外れにされない」、そういうところが的場にはある。歳喰(く)ってベテランになったから大事にされるんだろう、とか言うなかれ。 勝負の世界のこと、単に齢(よわい)を重ねただけのベテランなど居場所がなくなる例だっていくらでもある。むろん成績だけでもない。馬乗りのプロとして、競馬を稼業とする職人としての姿勢や心掛けなども含めて、まさに「うまやもん」の世間で認められ、尊敬される人物なのである。 的場文男と石崎隆之。この2人が南関東の競馬を引っ張っていた時代、90年代から2000年代にかけての競馬をこの目で見ることができたのは幸せだった。僕が大井と南関東に一番寄り添っていたのもちょうどそのころだ。それこそブルーファミリーだの、コンサートボーイだのに跨(またが)って、彼もまた脂の乗り切っていたころである。 その後、各地の地方競馬が軒並み存廃騒動に巻き込まれるようになって、僕は東奔西走していた。近年は北海道に居を移したこともあって、以前のように気軽に大井に立ち寄れなくなり、モニター越しでしか的場を見られなくなっている。 少し前、出張帰りにたまたま時間が空いて、大井にふらりと寄った。最終レースの何でもないC級特別、乗り替わった馬を御して、かたや休みながらも地力の違いで6連勝中の圧倒的な一本人気の馬、そのハナを叩いて勇躍先行、道中もずっと例によって鞍上(あんじょう)からの絶え間ない𠮟咤(しった)激励、最後はいつものあの派手な「的場ダンス」でそのまま持たせて見事に負かす場面に遭遇した。 いやあ、これぞ仕事師、的ちゃん健在。ええもん見せてもらいました。 まだナイター開催の時期に入る前だったので、人もまばらな薄暗いスタンドから上がった、ちょっと似合わないくらいの大きな歓声と拍手は、きっと彼を信じて馬券を買っていた「ろくでなしたち」からのものだったのだろう。明らかに「大井の的ちゃん」に対する目いっぱいの敬意が込められていた。1997年6月、石崎隆之騎乗のアブクマポーロ(右)との叩き合いの末、帝王賞を制したコンサートボーイ(3番)と鞍上の的場文男騎手=大井競馬場 それは、先の東京ダービー、同じく乗り替わりで人気薄のクリスタルシルバーで乾坤一擲(けんこんいってき)、直線いったんは先頭に立っての叩き合い、ゴール前では実況アナまで「的場来たかっ!」と絶叫し、スタンドもまた異様な盛り上がりを見せたのと全く同じ手ざわりだ。われらが「地元の英雄」としての、的場文男に対する名もなき「ろくでなしたち」による全力のリスペクトだったのだと思う。(文中敬称略)

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    的場文男の金字塔に思う「ギャンブル大国」の行く末

    山田順(ジャーナリスト) 的場文男騎手が、地方競馬の日本最多勝記録7152勝達成を確実にしている。61歳。達成すれば還暦を過ぎての快挙であり、今後、この記録が破られることはないだろう。 的場騎手と言えば「大井の帝王」と称され、圧倒的な存在感を、なんと34年間に渡って示してきた。「歌は世につれ」と言うが、競馬も同じく「世につれ」である。また、競馬はある意味で文化や社会の価値観の反映でもある。 そこで、的場騎手の記録と業績に関しては他の執筆者にお任せすることにし、本稿では私見をたっぷり入れて、地方競馬に関して論考してみたい。 筆者は最近、北欧に初めて行き、北欧諸国がどこも「ギャンブル天国」なのに驚いた。特に、フィンランドは「いつでもどこでもなんにでも賭けられる」という環境が整っていて、人々が気軽にギャンブルを楽しんでいた。フィンランドといえば、国連の「世界幸福度ランキング」(2018年3月発表)で世界一を獲得した国である。その幸福の一つにギャンブルの自由があるのだろうか。 なにしろ、ヘルシンキ中央駅の構内にスロットマシンが置かれていて、ユーロのコインを入れてプレーができる。駅を出ると、左側の広場を挟んで「カジノ・ヘルシンキ」がある。日本で言えば、東京駅構内にスロットマシンが置かれ、駅のすぐそばにカジノがあるようなものだ。 さらに、スーパーマーケット、KIOSKI(キオスキ=日本のコンビニに当たる)にもスロットマシンが置かれ、どこでも市民がギャンブルを楽しんでいる。もちろん、バーに行ってもマシンが置かれている。また、キオスキでは「ユーロジャックポット」という「lotto」やそのほか各種の「lotto」(宝くじ)、サッカーくじの「toto」まで、なんでもかんでも売っているし、これらはみなネットでも購入できる。ヘルシンキ中央駅近くにあるカジノ・ヘルシンキ(左、ゲッティイメージズ) もちろん、競馬もある。ヘルシンキの隣、エスポー市にはフィンランド最大のヴェルモ競馬場があるほか、全国数カ所に競馬場がある。ただし、ジョッキーレースではなく、ハーネスレース(繫駕速歩(けいがそくほ)競走)である。 ヘルシンキから約500キロ北の田舎町、カンヌスに用があって行った際、町の郊外で偶然、草競馬のコースを見つけた。こんな田舎町にも競馬があるのかと立ち寄ってみると、コース脇の厩舎(きゅうしゃ)に1頭だけ馬がいて、厩務(きゅうむ)員が出てきた。話しかけてみると、「調教師はスウェーデンに出掛けて、この馬をいま任されている。これから調教する」と言うので、見せてもらった。日本中を夢中にさせた「大井のアイドル」 馬を繫駕につなぎ、コースに出ると、速歩(トロット)で軽快にトラックを回り出した。森に囲まれた広いコースにたった1頭だけ。北の大地ののんびりとした風景を見ながら、昔よく出掛けた日本の地方競馬場を思い浮かべた。 ここで筆者が言う昔というのは、1970年代の半ばから1980年代末にかけてのことだ。学生時代に競馬に熱中した筆者は、この時代、出版業界に就職して週刊誌の編集者になると、さらに競馬にのめり込んだ。 といっても中央競馬(JRA)が中心で、平日にしか行けない地方競馬にはあまり興味がなかった。それでも、首都圏の大井、川崎にはたまに出掛けた。 的場騎手がデビューしたのは1973年だから、筆者がたまに出掛けるようになったころにはもう騎乗していた。しかし、彼の1970年代の成績は大したことはない。年間100勝以上を初めて達成したのは1983年、200勝以上を初めて達成したのは1999年だから、的場騎手は「大器晩成」と言っていい。 1973年、地方競馬が大きく注目される出来事が起こった。大井から中央に移籍したハイセイコーがクラシックの皐月賞を勝ったのである。ハイセイコーはたちまちアイドルホースとなり、大井などの地方競馬にもスポットライトが当たるようになった。 なぜ、日本には中央と地方、同じ馬が走るのにまったく別系統の組織があるのか、ということが問題になったりしたが、筆者にはそんなことはどうでもよかった。競馬場があり、レースがあって、馬券が発売されていれば、それでよかったのである。大井競馬が生んだ「国民的アイドルホース」ハイセイコー。高度経済成長の日本を勇気づけ、一大ブームを巻き起こした ただ、大井に行くと、中央では許可されていない予想屋が堂々と営業していて、負けが込んだときは、ついお金を払って予想を買ってしまった。まだ、青く若かった。 当時は現時点の記録保持者、佐々木竹見騎手の全盛時代で、予想屋は「次のタケミは鉄板! 相手探しや」などと叫んでいた。中央も地方も全盛時代 そのうち筆者は、競馬好きの作家やマスコミの人間に誘われ、「旅打ち」に出るようになった。岩手競馬、新潟公営競馬、北関東競馬、笠松競馬などに足を運んだ。本当にのどかな時代だった。競馬場もまだ昔のつくりのままの佇(たたず)まいで、ガラス張りのスタンドなどなかった。 そういう中で、負けて茫然となったときは、「馬敗れて山河あり」としみじみと思った。ちなみに、これは競馬を愛した詩人、寺山修司の言葉である。 1980年代は、中央競馬も地方競馬も全盛の時代だった。世の中をおカネがぐるぐる回っていたから、競馬もどんどん派手になった。 地方競馬のインパクトで言えば、1982年の有馬記念を大井からの移籍馬、ヒカリデュールが優勝し、1985年のジャパンカップで大井の桑島孝春騎乗の11番人気ロッキータイガーがシンボリルドルフの2着に突っ込んできたことは大きかった。今では信じられないことだが、この当時は、地方競馬のトップレベルの馬が十分中央で通用したのである。 筆者が数年前までよく通った麻布十番の喫茶店がある。実は、ここのオーナー(故人)はかつて大井でヒカリデュールの馬主だった。それで、喫茶店の奥にいつも座っている年老いたオーナー夫人とよく競馬談義をした。 「あのとき事情があって、お父ちゃんはヒカリデュールを売ったけど、本当にすごい馬だったわ」と夫人は繰り返し言った。 1989年、天皇賞・春、宝塚記念、有馬記念と三つのGIを制した大井出身のイナリワン、1990年の有馬記念を武豊騎乗で勝って引退した笠松出身のオグリキャップをもって、地方・中央均衡時代は終わった。1989年、有馬記念を含むGIレースに3勝し、年度代表馬に輝いた多い競馬出身のイナリワン(15番)=1989年12月24日、中山競馬場 それはバブルの崩壊と時を同じくしていた。地方競馬の売り上げは1991年に9862億円でピークに年々縮小するようになり、2000年には5605億円とピークの半分に落ち込んだ。 この1990年代は、地方競馬はどこも厳しいコストカットを強いられた。そうして、2011年までに多くの地方競馬場が姿を消した。新潟の三条、北関東の足利、高崎、宇都宮、島根の益田、熊本の荒尾などが閉場され、売り上げも3314億円まで減少した。「トゥインクル」と冬の時代 大井競馬場でナイター競馬(トゥインクルレース)が始まったのは1986年だったが、このナイター競馬も1990年代の落ち込みを防げなかった。しかし、アフター5から競馬ができるとあって、ファンには大好評だった。 筆者もたびたび大井に足を運んだ。この時代、一時期、芸能記事を担当していたので、プロダクションには徹底して嫌われた。取材拒否など日常茶飯事だった。 そんなとき、大井のナイターに行くと、有力プロダクションの社長や、有名タレントのマネジャーなどによく会った。馬券を買っているところを見つけ、「何を買ったんですか?」と声をかけると、驚いて筆者を見た。その縁で、あるタレントを独占インタビューしたこともあった。 バブル崩壊後、日本経済は「失われた20年」に突入した。株価は暴落・低迷し、地価は下がり続け、円はドルに対して乱高下した。銀行の再編があり、大企業もいくつか潰れた。しかし、競馬は続いた。 大井では、1990年から2000年代初めまで「石崎・的場」時代が続いた。船橋競馬所属の石崎隆之騎手は的場騎手と同期だったが、先に花開き、この時代は石崎騎手がほとんどリーディングを取っていった。的場騎手が地元の大井でリードし、それを船橋、川崎、浦和で、石崎騎手が追いつき追い越すというパターンが繰り返された。いずれにしても、馬券の軸はこの2人だった。 1995年の「ウィンドウズ95」発売を契機にしたインターネットの進展は競馬を大きく変えた。PCから携帯電話、そしてスマートフォンとデバイスは移り変わり、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が普及すると、競馬はバーチャル世界のコンテンツと同じになった。 「冬の時代」に入っても、地方競馬は改革を続けてきた。中央との相互交流、ナイター競馬の拡大、電話投票の導入、ネット投票の導入、中央とグレード競走を体系化、民間への馬券発売委託、中央との馬券販売相互乗り入れなど、それこそ、ありとあらゆる改革がなされてきた。1986年7月、記念すべき日本初のナイター、大井競馬の「トゥインクルレース」。初日のセレモニーでは競馬場としては異例の花火が彩りを添えた その結果、業績は回復し、南関東では2014年に4場すべてが黒字決算を記録した。東日本大震災が起きた11年を底に、中央も地方も回復に転じたのである。 今や競馬は、競馬場に行かないで楽しむ時代になった。スマホで簡単に馬券が買えるので、スマホゲームと同じようなアイテムの一つになった。なぜ日本人はカジノに不寛容か 地方競馬の売り上げ回復の原動力はネット投票である。特に2012年10月から始まったJRAのネット投票会員を、JRAのレース終了後に取り込む試みが功を奏した。JRAの最終レース後、地方で3レース「リベンジ」できることになったわけで、私の知人もこれにはまっている。それだけに、余計に「草競馬」ともいえた昔が懐かしい。 先ごろ、カジノ実施法案が国会で成立したが、世論調査によると半分以上が反対している。与党の強引なやり方への批判なのか、それともギャンブルそのものに反対なのかは分からない。ただ、後者としたら、非常に悲しいことである。 ギャンブルそのものは、全く健全なもので、人間としてこれを行うのはごく自然のことだからだ。大体、北欧という世界一の福祉国家群で、これほどギャンブルが盛んなのは、多くの人々がそう考えているからに他ならない。それなのに、考えてみれば北欧以上のギャンブル・メニューがそろっている日本が、なぜカジノに不寛容なのだろうか。 ちなみに、日本は前述したフィンランド以上の「ギャンブル天国」である。中央競馬場は10場、地方競馬場は15場、競艇場は24場、競輪場は43場もある。さらに、宝くじ、toto、パチンコなどと盛りだくさんであり、ネットを介せば、いつでもどこでも何にでも賭けられる。 しかも、このようなギャンブルによる収益の一部は、公共のために使われることになっている。つまり、ギャンブルをすることは社会貢献をしているのと同じである。 しかし、なぜか日本人はギャンブルを罪悪視しがちで、そのために、ギャンブルを心から楽しめない。楽しんでいると白い目で見られることがある。競馬場に行くのも、パチンコ店に行くのも、なにか後ろめたさを感じる。 そこで、最後に私見を述べると、その原因は、この国の社会が透明ではないからではなかろうか。税金がいったい何に使われているのか、本当に分からない。公共事業に関する税金を政治家とゼネコンが山分けする「ハコモノ行政」がいまだに続いている。首相のオトモダチが補助金をたっぷりもらって新設大学をつくる、などいうことも起こっている。2017年05月、重賞の川崎マイラーズで地方競馬通算7000勝を決め、ファンと喜び合う的場文男騎手(高橋朋彦撮影) フィンランドは、政治家の汚職が世界一少ない国であり、税金の使途は政治家と役人が国民の目に見えるような形で決められ、常に発表されている。 ギャンブルは負けることを楽しむゲームである。一時的には勝てても、長くやれば必ず負け、ハウス(胴元)しか儲からない。だから、「負け」が社会の他の人々に役に立ってこそ、やる意義がある。ところが日本ではこれがかなわない、非常に悲しむべきこととしか言いようがないのである。

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    地方競馬最多勝へ 的場文男騎手「大井の的場」のプライド

    「ちょっと見てよ、ここ」──取材中、的場文男(61)は不意に立ち上がり、ズボンを下ろした。左膝の内側に大きな傷がある。記録更新まであと9勝と迫った6月15日に落馬し、後続馬に踏まれたところだ。「蹄にえぐられて骨が見えてさ。ほかの部位から肉を移植するのかと思っていたら、医者はそのまま皮を引っ張って縫っちゃった。驚いたねえ」 地方競馬通算最多勝記録の7152勝を挙げようとしている「大井の帝王」は、20針も縫った大怪我を、話のタネにして笑い飛ばす。 騎手生活45年。日本の競馬史上最多となる、4万回以上のレースに出場してきた。年間300勝以上していた40代ほど多くはないが、還暦を迎えた一昨年は130勝、昨年は131勝を挙げている。「60代で毎年100勝している騎手は、世界的にも他にいないでしょう。この年齢になったら普通は落ちぶれるんです。それは、騎乗を依頼してくる調教師のほうが年下になるから。調教師は『先生、ありがとうございます』と言われたいから若い騎手を使いたがる。それでも俺を起用してくれる調教師には、勝って応えようと頑張る。すると『的場は結果を出すから』と、また乗せてくれる。ありがたいね」大井の帝王・的場文男 抜群のスタート技術と、序盤から先行する迷いのないレース運び、そして「的場ダンス」と呼ばれる、馬上で舞うような追い方で馬を動かし、勝ちつづける。 衰えを感じることはあるかと質問すると「あまりないなあ」と即答。若い頃と変わったところは「以前ほどがむしゃらじゃなくなったことかな」と笑う。アンチエイジングのためにしているのはマッサージぐらいだという。 馬に乗りつづけるうちに硬く盛り上がったくるぶしも見せてくれた。「8000勝していたと思う」「仮に人間がぬいぐるみを背負って走らないといけなくなったとして、ガムテープで固定したほうが走りやすいでしょう。騎手のくるぶしは、そのガムテープの役割なんです」 馬上で踊るような追い方をしても、動いているのは膝から上だけ。くるぶしは固定したままだ。見た目は派手だが、馬に負担をかけない騎乗。的場ならではの名人芸である。 生まれたときから、家の風呂場の横に厩があって、馬がいた。若いころから特別な才能に恵まれていたわけではない。そのぶん、人より多く調教に騎乗するなど努力して、腕を磨いた。「他の騎手から乗り替わったら必死で勝った。逆に、俺から乗り替わった馬には勝たせなかった。そうしてがむしゃらにやっているうちにリーディングになっていたんです」 今は、大井、浦和、川崎、船橋の南関東4場で毎日のように騎乗しているが、40歳近くまでは、大井以外ではほとんど騎乗しなかった。「大井でたくさん勝ってお腹一杯だった。もういいや、という感じ(笑い)。あのころから他場でも乗っていたら、今ごろ8000勝していたと思う」 自分は「大井の的場」だ、という意地とプライドがあった。赤地に白の星の騎手服がトレードマーク「勝つときの喜びと充足感こそ騎手という職業の最高の魅力」と言う的場が、もっとも勝ちたいと思っているのは、大井で行なわれる東京ダービーだ。しかし、これまで37回出場して未勝利。2着が10回もある。「しょうがないよ。2着10回、それもいいことだよ」この道ひと筋の自然体 なぜ、45年も高いモチベーションを持ちつづけてこられたのか。「つねに目標があったから。4000勝の次は5000勝、と。今回の佐々木竹見さんの最多勝記録更新も。でも、自分が日本一になったら、次は何を目標にしたらいいのか困るね」 いつ、どんなときに騎手を辞めるかは考えたことがないという。「俺は一生涯騎手。辞めたあとは何にもするつもりはないよ(笑い)」 この道ひと筋の自然体。レジェンド・的場文男は誰からも敬われ、愛されている。レジェンドはみなのアイドル【PROFILE】まとば・ふみお/1956年、福岡県生まれ。大井競馬場東京都騎手会所属。「大井の帝王」の愛称で親しまれ、地方競馬全国リーディングを2回(2002年、2003年)、大井競馬リーディングを21回(1983年、1985年~2004年)獲得。佐々木竹見騎手(引退)が持つ地方競馬での通算勝利数記録更新が近づいている。大井競馬場の的場直之調教師(元騎手)は甥、佐賀競馬場の元騎手・元調教師の的場信弘(直之の父)は兄にあたる。●取材・文/島田明宏 撮影/小倉雄一郎関連記事■ 2070万円馬券演出の江田照男騎手の「買い方」を競馬記者指南■ 村田兆治「最多勝と最多セーブ取った。君達知らないでしょ」■ 全国の競馬場を飛び回る女性競馬ライターが綴った競馬放浪記■ 甲子園最多勝監督が勇退へ 自らグラウンド整備する人だった■ ラーメン通・勝俣州和がお勧めする東京・大井の「ピザソバ」

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    全国の競馬場を飛び回る女性競馬ライターが綴った競馬放浪記

     黒髪ストレートにワンピース姿の彼女。見た目は清楚なお嬢様風だが、その正体は競馬の魅力にとりつかれた勝負師。競馬ライターとして日本全国のみならず海外の競馬場まで飛びまわる。そんな日常を競馬の勝敗結果とともに綴ったのが本著『私は競馬を我慢できない! 馬酔い放浪記』(競馬ベスト新書)だ。著者の井上オークスさん(35才)はこう語る。「もちろん勝てばお金が入ってくるというのもありますが、何といっても現場の臨場感が好きなんです。競走馬や騎手に向かって、“いけー!”とか“させー!”とか大声を出す。日常生活で大きな声を出すことってそんなにないから、競馬場で声を張り上げて応援するってかなりのストレス解消になるんです」(井上さん・以下「」内同) 著者が競馬界の門を叩いたのは大学卒業と同時。競馬エッセイコンクールに入賞したことがきっかけで競馬ライターの道を進むことになった。 競馬ライターとしてそれなりの収入があっても、すべて競馬につぎ込んでしまうため、サイフの中身はすっからかんなんてこともしょっちゅうだ。「1年ほど前には全財産が1000円なんてこともあって。競馬場から帰りの電車賃がないということもありました。 一応、京都に住まいはあるんですが、築40年以上で家賃は1万円。お風呂とトイレは共同で、エアコンなんてもちろんありません。でも年に数日しかいないので問題ないです」2016年4月、JRAの藤田菜七子騎手の来場に、500人を超えるファンが正門前で行列を作り、開門を待った金沢競馬場(今野顕撮影) 競馬を単なる賭け事とは考えない彼女は、競馬を生で観戦することにこだわる。「馬券はネットでも買えるけれど、競馬場に行かないと味わえないものがあります。砂しぶきを上げて懸命に走る馬の迫力、勝利ジョッキーに対して沸き起こる大歓声など、現場でしか味わえない興奮があるんです」 日本中央競馬会が運営する日本ダービーや有馬記念といった大きなレースは、観客数も多く盛り上がるが、各地の自治体や団体が運営する地方競馬には、また違った魅力がある。「地方競馬の中には、経営難で廃止寸前といった窮地に立たされているところも数多くあります。中央競馬の1着賞金が数百万から数千万円以上なのに対して、地方競馬は10万円なんてところも。それでも騎手や馬にかかわる人たちは命をかけて闘っている。そこにロマンを感じるんです」関連記事■ 世界を飛び回る禅僧が説く 時間の使い方とおもてなし精神■ 32人の男性とお見合い 「女性セブン」オバ記者の婚活放浪記■ 高橋源一郎氏が世界各地の競馬場を訪ね歩いた経験を記した書■ 田中角栄と「越山会の女王」の間に生まれた女性が綴った本■ 実家の寺が被災したライターが当事者目線で綴った現地報告本

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    「炎暑でも高校野球」朝日の二枚舌

    「運動部のみんな、熱中症『無理』『もうダメだ』の勇気を」。こんな見出しのコラムが朝日新聞に掲載され、ネットで炎上した。その理由は「炎暑でも高校野球」を主催する朝日の二枚舌にあった。「災害級」とも言われる猛暑の夏。誰がための高校野球なのか。

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    朝日新聞の皆さん、夏の甲子園「無理」「もうダメだ」の勇気を

    での取り組みとして、「1日あたり14~18人の理学療法士が対応にあたっています。背番号入りのカップにスポーツドリンクと氷囊(ひょうのう)を用意。体温計や血圧計の備えもしています」と記されているが、果たしてこういうものが用意される中での大会が適切なのかという議論には、朝日新聞は全く立ち入らない。2018年7月、西東京大会3回戦、二回の守備を終えて、仲間から氷のうを当てられる明治の能登(山田俊介撮影) 私は過去、NHKのアナウンサーとして、地方大会や甲子園での実況を行ってきたが、暑さでフラフラになり、うずくまってしまったり打球が追えなくなったりした選手を何人も見てきた。朝日新聞は猛暑の中で大会を行うことで、選手がもし熱中症で倒れてしまい命の危険にさらされたらどうするか、という視点を持っているのだろうか。トーナメントは最適か 選手の健康を考えた場合、気温が著しく上がる昼前後には試合を行わず、朝と夕方の試合を中心としたり、試合間隔を十分に取ったりすることは可能であるはずだ。また、時期を猛暑期からずらすこともできるのではないか。 甲子園球場はプロ野球、阪神タイガースの本拠地であり、当然ながら日程調整も必要となるが、高校球児の健康管理と高校野球の発展のためにということであれば、何を優先すべきかは自明であろう。 そして、私は高校野球のトーナメント形式も再考すべきであると思う。一発勝負のトーナメントは勝負の厳しさにつながるわけだが、選手のことを考えた場合、果たしてそれは最適なのだろうか。 「一度負けたら終わり」のトーナメント戦では、どうしても「勝った負けた」の結果にこだわってしまう。甲子園で優勝したものの、勝利至上主義によって消耗し、大学では野球を続けることができなかった高校球児を実際に私は見ている。 高校野球は本来、子供たちが野球を通じて成長するために行うものではないのか。またスポーツとしても、選手が将来的にプロ野球などで継続して活躍できるように育成するための基盤を作るものではないのか。 私はNHK時代に16年間にわたって高校野球を取材し、現在も全国の監督やコーチとも親交があるが、トーナメント形式は一回の失敗が決定的な勝敗につながる場合があり、選手も指導者も失敗を恐れる傾向がある。 しかし、高校野球にとって本当に大切なことは、選手たちが失敗を恐れず思い切ってプレーし、指導者もそれを後押しできる環境をつくることではないのか。高校野球の真の発展のために重要なのは、主催者や運営側のそうした配慮であろう。2018年7月、猛暑のためナイター開催となった、全国高校野球選手権京都大会準々決勝第4試合の鳥羽―立命館宇治戦=京都市のわかさスタジアム京都 そうであるならば、サッカーのワールドカップ(W杯)のように、甲子園や地方大会においても、たとえ一度負けても、また次に向かって前進することができる「リーグ戦形式の大会」の方が望ましい、その上で、プレーオフや決勝トーナメントを実施すれば、球児らへの身体的、精神的負担も今よりは随分軽くなるだろう。  実際、アメリカでは高校野球の試合はリーグ戦が主体となっており、甲子園のような全国大会はないが、卒業後にメジャーリーガーとして飛躍する選手が数多く生まれている。極限で生じるドラマの「うまみ」 トーナメント方式は、負ければそこで全てが終わるために「一球のドラマ」が生まれることが多い。新聞紙面でもその点がよくクローズアップされるが、どうも無理して感動をつくり出す「演出」のように思えてならないことがある。 選手たちが試合で伸び伸びと最大限の力を発揮できる中で「一球のドラマ」が生まれるのであれば素晴らしいことだと思うが、猛暑の中で体を酷使し、どんなにつらくても踏ん張らなくてはならない極限の疲労状態の中で生まれる「一球のドラマ」は手放しで称賛されるべきなのか。選手が本来の力も出せない中でのドラマは、感動よりもむしろ「選手がかわいそう」という感情の方が先立つはずである。 しかし、朝日新聞がこうした「演出」から脱却できないのは、極限で生じるドラマが、新聞の売り上げにつながるからであろう。 朝日新聞は、全国高校野球選手権大会を主催し、地方大会から紙面で大々的に生じることで、販売促進につなげている。そして、猛暑下の大会の抜本的な改革に乗り出さないのは、「一球のドラマ」が生まれやすくなる状況をつくるためではないのか。邪推かもしれないが、そう勘繰りたくもなる 果たして、それは高校球児のためになっているのか。「朝日の商業主義」が高校球児をすり減らせ、もし彼らの将来を潰しているのだとしたら、朝日新聞は抜本的に全国高校野球選手権大会の在り方を見直すべきだろう。 甲子園は、高校球児にとって今も夢であり、目標である。しかし、もしこの先、夏の甲子園が形を変えたり、なくなったりしても、野球というスポーツの高みを追い求めることはできる。夏の甲子園を目指す選手が将来、より高い舞台で活躍することを願うのであれば、高校時代に極限の猛暑下で身体を酷使することが選手のためになるとは思えない。2017年8月、閉会式で、朝日新聞社の渡辺雅隆社長(左)から優勝旗を受け取る花咲徳栄の千丸剛主将=甲子園球場(代表撮影) 高校球児にとって何が重要なのか。甲子園での全国大会を健全に発展させたいのであれば、朝日新聞は新聞を売ることだけを目的にするのでなく、真に高校球児にとって何が良いのかを考え、猛暑の中での開催を根本から見直すべきではないだろうか。 もし朝日新聞が抜本的な改革に踏み出せないのであれば、「高校球児を酷使する新聞」として非難の声が高まっていくことは自明の理である。

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    朝日新聞は「夏の甲子園有害論」にそろそろ耳を傾けよ

    差し伸べてくれる。ここで遠慮しては、脱水症状を確実に起こしてしまう。だから、昼間の市内にある数多くのスポーツファシリティーでスポーツが行われている風景は見たことがない。まさに「自殺行為」だと全ての住民が理解しているからである。 現在、日本人メジャーリーガーとして活躍する平野佳寿投手が所属するアリゾナ・ダイヤモンドバックスはフェニックスに本拠地を置く。ホーム球場のチェース・フィールドは開閉式の屋根付きで、天然芝のボールパークである。ファン視点無き主催者 雨がほとんど降らないフェニックスで、このような構造にしたのはもちろん「暑さ対策」のためである。また、外野スタンドにあるプールは有名だが、今季からはペット同伴席も拡充され、外の気候とは裏腹に犬も一緒に快適なベースボール観戦を楽しむことができる。 一方、日本でも連日35度以上の猛暑日が続いている。気象庁は会見で「暑さは一つの災害と認識している」と公言し、熱中症などに十分な対策を呼びかけている。 しかし、愛知県豊田市では校外学習に出掛けた小1男児が熱射病で死亡したという。同市の公立小中学校のエアコン設置率は0・5%だったという。また、この夏も40度を記録した岐阜県多治見市内の公立小の冷房設備の設置率に至っては0%である。犬も快適に過ごせるボールパークがあるというのに痛ましくてならない。 そんな中で連日行われているのが、「夏の風物詩」である全国高校野球選手権大会である。各地で繰り広げられる地区予選は日々盛り上がりを見せているが、気象庁の呼びかけもむなしく、痛ましい被害が各地で報告されている。熊本では観戦していた観客ら30人以上が、福井では球審を務めていた男性が熱中症にかかった。もはや選手だけの話ではないのである。 今年の夏の甲子園は8月5日から、準々決勝翌日に設定された休養日1日を含む17日間(雨天順延除く)で開催される。大会を主催する朝日新聞社と日本高野連は、今年で100回目を迎える本大会を記念大会と位置付け、さまざまなイベントを行っている。 朝日新聞社は、夏本番を前に「スポーツと熱中症」と題したシンポジウムを5月に開催した。シンポジウムでは、日本高野連の八田英二会長が「甲子園では今年から延長13回以降はタイブレーク制を導入した。熱中症が起こらない高校野球を目指していきたい」と述べているが、ファン視点の無さが米国との違いを感じざるを得ない。シンポジウムの記事下にあるポカリスエットの広告も、もどかしく感じてしまうのは筆者だけであろうか。 そもそも夏の甲子園は、1915(大正4)年に「全国中等学校優勝野球大会」として、大阪朝日新聞社の主催で始まった。当初は豊中球場で開催されていたが、観衆増加によって手狭になったため、第3回大会から阪神電鉄が所有する鳴尾総合運動場野球場へ移行する。阪神甲子園球場の外観=2014年8月(志儀駒貴撮影) これにより阪神電鉄は全国的規模の野球大会の球場を提供する機会を獲得し、その後も阪神甲子園球場の建設とともに、プロ球団経営にも参画することになる。そして、甲子園球場の完成とともに新たに鉄道が敷設されるなど、同社のマーケティング戦略の一翼を担うことになる。現在も、大会期間中の電車利用者もさることながら、NHKによる期間中の全国完全生放送が球場内広告のセールスに大きく寄与しているという。有害論の朝日「転向」のワケ 一方で、東京朝日新聞は1911(明治44)年8月から、新渡戸稲造らの有識者による「野球と其(その)害毒」を22回にわたって連載し、「野球有害論争」を展開していた。にもかかわらず、4年後には全国中等学校優勝野球大会の主催社になっている。 この不条理について、朝日新聞社は「有害論」から一歩進んで、新聞が「よき鞭撻(べんたつ)者」「よき監視者」「よき指導者」として、実際その浄化に努めるために当大会を主催したという。 こうして、夏の甲子園は「わが社ものスポーツイベント」のはしりとして現在に至る。その後も強烈な企業競争の中で、営利組織としての新聞社は当時人気のあったスポーツコンテンツの囲い込みとそのニュースソースの確保に奔走する。 メディアが商品化したスポーツ(メディアスポーツ)は、わが国のスポーツスポンサーシップの特徴でもあり、本来のスポーツビジネスの発展を大きく阻害することになったのである。 果たして、わが国では、スポーツが社会の中で社会的な役割を十分果たしているだろうか。16歳の日本の野球少年が挑戦するMLBでは、毎年春にダイバーシティビジネスサミットが開催される。そこでうたわれたメッセージは「野球は社会改革の土台となる(Baseball is a platform of social change.)」であった。 つまり、ベースボールを通じてさまざまな社会的課題を解決していかなければならないというスポーツの役割と価値を明確に示すMLBの宣言でもある。2015年8月、「夏の甲子園」生みの親で、朝日新聞社の創業者、村山龍平の野球殿堂入りを記念した品を受け取る同社の飯田真也会長(右)=代表撮影 「よき鞭撻者」「よき監視者」「よき指導者」を目的に開催された夏の甲子園が、スポーツの大衆化と教育化を果たしてきたことは間違いない。しかし、メディアが主催社として位置付けられる限り、メディアスポーツを発展させるだけで、本来のスポーツが持つ社会的役割が果たされることはないだろう。 元高校球児を起用した系列局のバラエティー番組では、高校野球部の出来事を面白おかしく話題にしている。そのことが野球はおろか、スポーツの価値も下げていることをそろそろ自覚すべきではないだろうか。この猛暑がこれまでの歴史を変革させる契機になることを願うばかりである。

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    夏の高校野球「朝日の熱中症対策」医師の私が言葉を失った理由

    の日の最高気温は38・7度だったという。 おそらく全国各地で、同様のことが起こっているだろう。真夏のスポーツの在り方が変わりつつある。 全国高校野球選手権を主催する日本高校野球連盟と朝日新聞社も対応に余念がない。7月19日に各都道府県の高野連に対し、熱中症対策に万全を期すように呼び掛けた。 全国選手権では、スポーツドリンクや氷囊(ひょうのう)も準備するそうだ。1日あたり14-8人の理学療法士を待機させ、全身状態もチェックするらしい。朝日新聞は7月19日の記事で、彼らの取り組みを大きく報じている。 朝日新聞の真意は分からないが、私はこの記事を読んで唖然(あぜん)とした。選手を守ろうという点で、滋賀県や京都府の高野連の対応と全く異なるからだ。捕手の防具は仲間が着け、当人は水分補給=2018年6月2日(岩崎吉昭撮影) もちろん、氷嚢(ひょうのう)やスポーツドリンクを用意すること、メディカルスタッフを待機させることが悪いとは言わない。ただ、そんなことをしても、熱中症を予防するのは限界がある。もっとも有効なのは、滋賀県や京都府の高野連がやったように、炎天下での試合を避けることだ。具体的には午前の試合開始を早め、午後は夕方からに遅らせることだ。おそらく、朝日新聞にはテレビ放送など大人の都合があるのだろう。 今年で100回目を迎える夏の全国高校野球選手権大会は、わが国を代表する国民的行事だ。この大会を通じ、毎年スターが誕生し、そこからプロ野球やメジャーリーグで活躍する人物が生まれる。この大会は、わが国の野球を支える「ふ卵器」のような存在だ。この大会がなくなれば、わが国の野球は衰退するだろう。 地球温暖化が進み、猛暑が常態化した日本で、夏の全国高校野球選手権大会はどうすれば続けていけるだろう。今こそ、球児の健康を第一に考え、その在り方を問い直すべきだ。

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    「炎暑の甲子園」に目をつぶる朝日の矛盾はメディアの自殺である

    炎天下でプレーすることの危険性については、日本高野連も認識しているようだ。昨年5月、当の朝日新聞は「スポーツと熱中症」と題したシンポジウムを開催したが、基調講演した日本高野連の八田英二会長は、こう述べている。 「夏の大会については確かに、こんな暑い中で子供にスポーツをさせていいのかという厳しいご批判はいただいております。しかし、注意深く対策を立てながら運営すれば、安全に開催することはできると信じています」あいさつする日本高野連の八田英二会長=2018年6月27日、兵庫県西宮市の甲子園球場(共同) 厳しい批判を受けながら、なぜ「炎天下」の開催にこだわるのか私には理解できない。朝日新聞主催のシンポジウムということで、忖度(そんたく)しての発言ではないかと勘ぐりたくもなるだろう。人命に優先する大義など、あるわけがないのだ。 夏の甲子園は今大会で100回目という大きな節目を迎える。「暑さの質」が変わったとされる時代に、主催者の朝日新聞はこれからどう対処するのか。あってはならないことだが、熱中症で人命にかかわる事故が開催中に起きたら、誰が責任を取るのか。 朝日新聞がこのまま「炎天下の甲子園」に目をつぶって開催を継続するなら、熱中症対策を喚起する報道姿勢は欺瞞(ぎまん)と言われても仕方あるまい。

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    韓国軍よりも厳しい悪条件に立たされる炎天下の球児たち

    い」外国人として、勇気を出して声をあげてみることにした。 結論からいうと、甲子園だけではなく、全てのスポーツ大会において猛暑に関する基準と対策を設けるべきだと思う。気象状況によって主催側や審判が中止や延期の判断を下せるように基準を設けるべきということだ。板門店の軍事境界線で警備する韓国軍兵士(ゲッティイメージズ) 韓国軍の場合、気温が32度以上になると指揮官の判断により不可欠な兵力を除いて、激しい訓練や移動など野外活動を自粛する。軍任務の特徴として運動量の多い行動が多く、また、医療施設と離れた場所での活動が多いことを考慮した苦肉の策である。韓国軍の基準が「甘い」と思う人もいるかもしれないが、それでも起きるのが「事故」だ。「夏の風物詩」は大人たちのエゴ しかし、甲子園の球児たちは韓国軍より過酷な状況でのプレーを余儀なくされる。なぜ彼らには安全のための配慮が適用されないのか、不思議で不思議でしょうがない。 もし、プロ野球選手に、同じような環境での試合を連日強いたのであれば、彼らはストライキを起こし改善を要求するのではないだろうか? 選手だけではない。観覧席で応援する高校生や選手の家族たち、うちわを持って応援する野球ファンを見ていても、気の毒に感じてしまうほどだ。 ネットには夏にやるしかない理由がいくつか挙げられていた。学期中に行った場合、学業に支障が出るために難しく、また、応援団も駆けつけることができない。秋にやると入試まで時間が短すぎる。秋にはドラフト会議なども控えているため夏休み中にするしかないのだというものだ。 また、ナイターゲームは未成年者である選手たちに夜遅くまで試合をさせることになり、それは未成年者の保護を目的とした深夜外出の制限規定などに違反する恐れがあり難しいのではないかという指摘もあった。 夏の甲子園擁護論の中には「夏にやるからこそ甲子園の意味がある」という意見もあった。確かに100年の歴史が作ってきた数々の名勝負、感動ストーリーは球児、野球ファンのみならず、日本の現代史の一部分ともいえるだろう。しかし、伝統への拘りが選手たちを危険に陥れる可能性もあるということも否定できないのではないだろうか。 異常な暑さが続き日本中で熱中症患者が続出している。テレビでは朝から熱中症予防対策を紹介しながら、野外活動の自粛を呼びかける。そして学校や仕事場で熱中症患者でも発生しようものなら、学校や監督機関の責任を追及する。しかし、そこまで注意しながらも高校野球に対する見直しを求める意見は殆ど聞こえてこない。 2020年に開かれる東京五輪での暑さ対策については相当心配しながらも、今、目の前で行われている未成年者たちの、球児たちのイベントに対する懸念が殆ど出てこない。私はこれに物凄い乖離を感じる。これが本当に私が「安全にうるさすぎる」と思った日本なのか?なぜ甲子園に対してはこんなに寛大だろうか。 もちろん、今開かれている大会の場所や時期を変更することは難しいだろう。しかしそろそろ効率的な運営、安全な運営のための大会の見直し、そして試合中止、延期に対する具体的な「基準」を作るために動き始めてもいいのではないだろうか。中継権、スポンサーなど、「大人たちの事情」のために、球児たちの安全を犠牲にしてはいけない。 この違和感の正体は何だろう――?(ゲッティイメージズ) 汗、涙、泥だらけのユニフォーム、スタンドの歓声で象徴される「甲子園のあるべき姿」は本当に球児たちのためのものなのだろうか。あるいは、ビジネス化した高校野球を盛り上げるために大人たちが演出した「青春」の幻影ではないだろうか。球児たちを炎天下のグラウンドに立たせているのは、球児たちの「夢」ではなく、大人たちの「エゴ」ではないか?チェ・ソギョン ジャーナリスト。1972年韓国ソウル生まれ。韓国の大学で日本学を専攻し、1999年渡日。関東地方の国立大学で教育学修士号を取得。日本のミュージカル劇団、IT会社などで日韓の橋渡しをする業務に従事する。現在、フリーライターとして活動、日本に関する紹介記事を中心に雑誌などに寄稿。著書に『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』(彩図社刊)、『「反日モンスター」はこうして作られた-狂暴化する韓国人の心の中の怪物〈ケムル〉』(講談社刊)がある。

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    強豪校運動部やスポーツクラブ 熱中症対策のポイント

    外出は控えて涼しい部屋で過ごしてください」という呼びかけがされます。とはいえ、毎日の積み重ねが大事なスポーツに取り組んでいる人にとっては、猛暑でも練習を続けたいもの。趣味でスポーツを楽しんでいる人も同じかもしれません。身の安全を守りつつトレーニングを続けるための工夫について、スポーツライターの小野哲史さんが、暑さで知られる群馬県のランニングクラブなどの取り組みについてレポートします。* * * 本格的な夏の到来とともに、ニュースや天気予報では、「熱中症」に関する事故や対策の注意喚起に接する機会が増えてきました。 すでに広く知られているように、熱中症とは、私たちの身体が高温多湿な環境下に適応できず、めまいやけいれん、倦怠感や気分の悪さといったさまざまな形で生じる症状の総称です。深刻になると、命に関わるケースもあります。亡くなる方の多くは体力が低下した高齢者ですが、10代の子どもや若者の学校での熱中症死亡事故も、現在も年に数件のペースで発生しています。 阪神甲子園球場で行われる全国高校野球選手権大会は、いまや日本の夏の風物詩とも言えるビッグイベントです。“夏の甲子園”だけでなく、中学生の全国中学校体育大会(全中)や高校生の全国高校総合体育大会(インターハイ)といった各競技の全国大会も、夏真っ盛りの7月から8月に開催されます。日本人は厳しい条件の中で選手たちが奮闘する姿に感動を覚える気質があります。しかし、外国人から見ると、炎天下の酷暑の中でスポーツをするなんてクレイジー以外の何ものでもない、と映るようです。 日本スポーツ協会では、「熱中症予防のための運動指針」で、気温が35度を超えた日の運動は原則禁止とうたっています。とはいえ、たとえば運動部の部活動で試合が迫っている生徒さんや、趣味のスポーツであっても自分の競技力を少しでも向上させたいと真面目に取り組んでいる方にとっては、「暑いから運動は禁止」という原則を守ることが難しいのも事実です。 そこで紹介したいのが、高校の部活動の強豪チームや街のスポーツクラブが取り組んでいる熱中症対策です。一般的に呼びかけられていること以外に、さまざまな工夫をしながら酷暑での練習をこなしていることがわかります。日頃からスポーツに励む方や炎天下でスポーツ観戦をするという方はもちろん、スポーツとはあまり縁がない方でも、熱中症対策のヒントになるはずです。写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 群馬・高崎市で、子どもや大人を対象にランニング全般を指導している上州アスリートクラブでは、子どもの日曜日クラスは、夏休み期間中(7月後半~8月)限定でサマータイム制を導入しています。学年ごとに通常は13時30分、15時、16時30分に始まる時間を、暑さを避けるためにそれぞれ 16時、17時、18時30分に変更しているのです。同クラブの白水正昭理事長は、その狙いについて、「夕方は気温が下がる時間帯ですし、夏休み期間なので終了時間が多少遅くなってもよいかなと。保護者のみなさんにもご了解をいただいています」と説明します。「命」にまさるものはない 他にも、体操や動き作りなどの基本動作の練習は屋内で行う。休憩は木陰の下などを利用し、こまめ過ぎるほどの給水を心がける。やむを得ず炎天下での練習になってもできるだけ簡潔に短時間で終わらせる。市販の塩飴を配布する。万が一に備えて、AED(自動体外式除細動器)などの救急道具を常備する、といった工夫を施し、全国にも暑いことで知られる群馬県ならではの熱中症に気を遣った取り組みがうかがえます。「何事も『命』にまさるものはありません。私たち上州アスリートクラブも『子どもたちの安全』が大前提であり、練習の成果や練習効率は二の次と考えています。群馬の夏はとくに暑いですから、熱中症対策はやり過ぎるくらいでちょうどいいと捉えています」(白水理事長) 千葉にある高校陸上の名門校では、ウォーミングアップの体操やクールダウンは日陰で行い、直射日光に当たることをできるだけ避ける。インターハイ前は効率よく練習を行い、無駄に長引かせない。試合の日はこまめに頭頂部や頸部を氷で冷やすなど、練習や試合での注意事項ととともに、毎日の生活から熱中症に結びつくリスクを排除するという意識づけが徹底されています。「水分やミネラル等の補給は、運動中にこまめにするのはもちろん、その前のご飯でしっかり摂ることが大切です。朝食では汁気のあるもの、できれば温かい味噌汁を食べてほしいですね。また、熱中症に直結しやすい睡眠不足や消化機能の低下は、普段からの自己管理をきちんとすることで避けようと伝えています。そうした一つずつの心がけが質の高い練習につながります」(千葉県のある高校陸上部の顧問の先生) 夏はなかなか食欲が出ず、食事を簡単に済ませてしまいがちです。ところが、食事をしっかり摂らないと、栄養が脳やカラダに行き渡らず、新陳代謝も悪くなります。やがて気温の変化にも対応しづらくなり、より熱中症になるリスクが高まります。運動時の水分や栄養補給だけでなく、日頃から食事をきちんと摂ることで水分や塩分が補給でき、体温を下げる効果のある汗の出やすいカラダを作るのです。 その意味では、前出の高校陸上部の取り組みは理に適っていると言えるでしょう。先生のお話からは、熱中症を身近に感じているスポーツの指導者だからこその目配りがあります。写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 猛暑日が連日続くようになった日本の夏は、もはやひと昔前の夏とは違います。スペインのように午後の2、3時間を仮眠休憩にあてる「シエスタ制度」をすぐに導入するというわけにはいかないかもしれませんが、スポーツをされる方であれば、ご自身の体力や体調、競技特性や練習環境をきちんと整理した上で、決して無理をせず、何より安全にスポーツを楽しむことを心がけましょう。関連記事■ 熱中症対策の「塩味飲料」が活況 背景にスポーツ飲料離れも■ 熱中症対策 スポーツドリンクは水で希釈、緑茶は適さない■ 熱中症対策の甘酒「冷や」か「常温」が効果的 売上280%増■ 甲子園の高校球児 熱中症対策のためベンチは冷房効いている■ 「カットフルーツにも塩」タイ家庭の知恵に学び熱中症対策を

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    W杯のアシスト王「VAR」の功罪

    サッカーW杯ロシア大会で初めて導入されたビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)だが、その判定方法をめぐって大会中から評価が分かれた。マラドーナの「神の手ゴール」も今は昔。「審判団のミスもサッカー」という理念を根底から覆したVAR導入の功罪を考える。

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    ロシアW杯の主役「VAR」は本当に世界のサッカーに必要か

    藤江直人(ノンフィクションライター) 最後になって、選手以外の存在が主役の座を奪い取ってしまった。フランス代表の20年ぶり2度目の戴冠ともに、約1カ月に及ぶ熱戦に幕を下ろしたワールドカップ・ロシア大会。日本時間16日未明に行われたクロアチア代表との決勝戦は、後味の悪さを引きずらせる試合内容となった。 フランスが先制し、クロアチアが追いつく展開で迎えた前半34分に問題のシーンは訪れた。フランスが得た右コーナーキック。FWアントワーヌ・グリーズマン(スペイン、アトレティコ・マドリード)が利き足の左足をインスイングで振り抜き、低い弾道のボールをニアサイドへ供給する。 飛び込んできたのはMFブレイズ・マチュイディ(伊、ユベントス)。しかし、必死に伸ばした頭にはヒットせず、背後でマチュイディをブロックしていたFWイヴァン・ペリシッチ(伊、インテル・ミラノ)の体に当たってゴールラインを割った。 再びフランスのコーナーキックかと思われた直後に、事態が急変する。開幕戦でも笛を吹いたアルゼンチン人のネストル・ピタナ主審に対して、マチュイディをはじめとするフランスの選手たちが、ペリシッチの左手に当たっていたと一斉にアピールを開始した。 国際サッカー連盟(FIFA)は今大会から、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)を初めてワールドカップの舞台で導入している。首都モスクワにオペレーションルームを設置し、誤審の可能性のあるプレーがあった場合、オペレーションルームから主審に連絡が入る。 主審はそれを受け入れるか、あるいは試合を一時中断させた上で、ピッチ外に設置されたモニターで問題のシーンの映像をチェックする。主審側からオペレーションルームへ連絡を入れることもできるが、チーム側からのアピールは認められない。 もちろん、ピッチ上のすべてのプレーが対象になるわけではない。サッカーで最も大事な試合の流れを断ち切らないためにも、ロシア大会では下記の4つに限定された。(1)ゴールおよびゴールにつながる攻撃(2)PK判定およびPKにつながる攻撃(3)一発退場(4)処分対象の選手が間違っている場合 しかし、決勝という大舞台で、勝敗の行方を左右しかねない判定となるだけに、これまでのVAR判定よりも時間を要した。オペレーションルームとの交信を終えたピタナ主審が両手で四角を描き、VAR判定に入ることを告げるまでに約1分間かかった。フランス―クロアチア前半。クロアチアのペリシッチ(左から2人目)がCKを手に当て、VARでハンドの判定、PKを与える=2018年7月16日、モスクワ(共同) 加えて、ピタナ主審は念入りにモニターをチェックする。一度ピッチに戻りかけたが、さらなる確証を得たかったのか。あるいは、一度下した判定への自信が揺らいだのか。再びモニターの前に戻り、件(くだん)のシーンをスロー映像で再確認した上でフランスにPKを与えた。 ここまででさらに1分以上を要し、納得がいかないクロアチアの選手たちによる抗議が1分半以上も続いた。結局、ハンドリングと判定されたペリシッチのプレーからグリーズマンが冷静沈着にPKを決め、フランスに勝ち越し点をもたらすまでに4分近くもの時間が割かれたことになる。マラドーナの神の手ゴール しかも、この判定が世界中で物議を醸した。あらためて言うまでもなく、ボールを手や腕で触った場合がハンドリングの対象となる。ただ、すべてが反則となるわけではない。判定には(1)意図的に触ったか否か(2)当たった時の手の位置(3)当たった時の距離――が基準となる。 映像を確認すれば、ボールは確かにペリシッチの左手に当たっている。ただ、ヘディングシュートを放とうとしたマチュイディをブロックしようとジャンプしたペリシッチのプレーには、(1)で問われる意図的なハンドリングの跡は感じられない。 ジャンプしている間に体勢を整えるため、手を下に伸ばす動作の(2)にも不自然さは伝わってこない。さらにマチュイディのシュートミスは想定外の事態であり、至近距離から急にボールがすり抜けてきた形となった(3)の状況から言えば、とっさに左手を引っ込めることはほぼ不可能となる。 ゆえにハンドリングには当たらないとして、批判の対象となっているわけだが、さらに残念なのはピタナ主審が映像をスローで再確認した行為だ。VARはあくまでも主審の判定を補助する立場とされてきたが、件の場面ではピタナ主審がVARを頼っているように映ってしまったからだ。 決勝戦を含めて、ロシア大会で下されたPK判定数は「29」を数えた。従来の最高記録は1990年のイタリア大会、1998年のフランス大会、そして2002年の日韓共催大会の「18」だったから、ワールドカップの記録を大幅に塗り替えたことになる。 言うまでもなくVAR判定が大きく影響していて、約3分の1に当たる「10」がVAR判定の末にPKが与えられた回数となる。VAR判定でPKが取り消されたケースも含めて、映像という疑いようのない証拠をその目で見た主審が、潔く誤審を受け入れた結果がPK判定数を激増させた。F組の韓国対ドイツ戦で要求されたVAR =2018年6月27日、カザン(ロイター) 実はサッカーのルールはFIFAではなく、国際サッカー評議会(IFAB)という団体によって管理されている。そして、テニスやバレーボールの世界三大大会、ラグビーのワールドカップなどで採用されているビデオ判定制度に対して、IFABは長く慎重な姿勢を貫いてきた。 他の競技と比べてルール改正へのスピード感が著しく乏しいと映る理由は、IFABが「サッカーの判定は人間が行うものであり、審判団のミスも含めてサッカーという試合が成り立つ」という考え方に強くこだわってきたからに他ならない。 そうした歴史の中で、今も語り継がれるアルゼンチン代表の英雄、ディエゴ・マラドーナがハンドリングで決めた「神の手ゴール」が生まれた。しかし、「ボックス・トゥ・ボックス」(攻守にわたって走る中盤の選手)のスピードが桁違いに増している現代サッカーにおいては、審判団にかかる負担は計り知れないほど増大している。DF吉田の思い 頑なだったIFABが軟化したのは2012年7月。ハイスピードカメラや磁気センサーを駆使し、ボールがゴールラインを完全に超えたか否かを瞬時に判定するゴールラインテクノロジー(GLT)と、4人で構成されてきた審判団へさらに2人を加える追加副審(AAR)を特別会議で承認した。 GLTはブラジル大会に続いてロシア大会でも採用されたが、対象がゴール判定だけに限られる。両方のゴールライン付近に2人の副審を配置し、ペナルティーエリア内におけるさまざまな事象に対する判定の精度を向上させるAARは、さらにマンパワーを増さなければいけない。 2016年2月に就任したジャンニ・インファンティーノ会長の下で、FIFAはさらなるテクノロジーの導入に積極的に動いた。その結果としてIFABは同年3月に開催した年次総会で、2018年3月までの2年間をVARのテスト期間とすることを決めた。 テスト期間を今年3月までに区切ったのも、ロシア大会での正式導入を見越していいたからに他ならない。VARが試合をスムーズに進行させることへの妨げにならないと、確信を抱いていたのだろう。インファンティーノ会長は早い段階で、VARに対してこう言及している。 「来るロシア大会が、ビデオ判定が審判の判定を改善する最初のワールドカップとなることを願っている」記者会見に臨むサッカー日本代表の吉田麻也=2018年6月23日、ロシア・エカテリンブルク(撮影・中井誠) 審判の判定だけでなく選手たち、特に守備陣の意識をいい意味で高めたと言っていい。VARが試験導入された昨年11月のブラジル代表との国際親善試合で、VAR判定の末にPKを献上している日本代表のDF吉田麻也(英、サウサンプトン)も、開幕前には自らを律するようにこう話していた。 「ディフェンダーとしては、非常にやりづらくなると思います。ペナルティーエリア内で相手のユニフォームを引っ張る、引っ張らないというのを、一番気をつけなければいけない」 相手の腕などをつかむ行為を含めて、ゴール前の密集地帯における競り合いでこれまでは半ば黙認されてきた感のあるプレーが、テクノロジーの目によって正確に映し出される。必然的に競技力の向上が促され、攻める側のシミュレーションも減るなど、フェアプレーも徹底されるようになった意味でもVARが果たした役割は大きい。アディショナルタイムが増えた 懸念されたのは、VAR判定で試合が中断した影響で、それまでの流れやリズムが変わることだった。ただ、ちょっと待てば正しい判定が下される、という考え方が徹底されていたのだろう。サッカーそのものの魅力がスポイルされた、というケースはなかったと言っていい。 アディショナルタイムが増えるケースも数多く招いた。例えば0-0のまま進んだドイツ代表と韓国代表がグループFの最終戦では、当初は6分間が表示された後半のアディショナルタイムが、その間にVAR判定が行われた関係で9分間という異例の長さに変更されている。 しかも、そのVAR判定で一度はオフサイドで取り消されたDFキム・ヨングォン(中国、広州恒大)のゴールが認められ、さらにはFWソン・フンミン(英、トッテナム・ホットスパー)も追加点をマーク。まさかの展開の末に、前回王者がグループリーグで姿を消す想定外のドラマも生み出した。 アディショナルタイムを含めた最後の10分間の攻防が面白さを増した点にも、VARの存在が影響を与えていると言っていい。計64試合で生まれた169ゴールは、1998年のフランス大会及び前回ブラジル大会の171ゴールに次ぐ歴代3位の多さだった。 ゴールラッシュは開幕から36試合連続でどちらかのチームがゴールを決めるという、もうひとつのワールドカップ新記録をも生み出している。従来の記録は1954年のスイス大会における26試合連続で、実に64年ぶりに更新されたことになる。 しかも、37試合目となった、フランスとデンマーク代表によるグループCの最終戦が、今大会における唯一のスコアレスドローになった。前者はすでに決勝トーナメントを決めていて、後者は引き分けで2位が決まる状況での激突とあって、申し合わせたかのように無気力な試合展開となった。フランス―クロアチア前半。VARでペリシッチ(右端)のハンドでPKの判定に、主審に詰め寄るクロアチアイレブン=2018年7月16日、モスクワ(共同)  ゴールシーンが増えたことは、スタンドで観戦しているファンだけでなく、テレビ越しに見ている世界中のファンにもポジティブな効果を与える。決勝トーナメントに入ってハイレベルの試合も増えてきた中で、VAR判定でPKが与えられたケースも決勝戦の前半38分まで訪れなかった。 それだけに、ある意味で決勝戦の魅力をスポイルしてしまった感のある、世界中から誤審と批判されたPK判定は画竜点睛を欠いてしまったと言わざるを得ない。必要以上に長い中断と助言以上のものをVARから得たと思わせた点でも、残念に思えてならない。 ミスの撲滅が徹底される世の中全体の流れを考えれば、VARはサッカー界でますます必要不可欠な制度となっていくだろう。だからこそ、IFABが今もうたっている、「サッカーの判定は人間が行うもの」という大前提が損なわれないような運用方法が求められていくはずだ。

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    サッカーW杯「渋谷フーリガン」の薄っぺらい愛国心が危ない

    テレビで話題になるのは、さらにその選手がメダルを取る可能性がある時だけだ。 そうすると私たちは本当にスポーツに興味があって、オリンピックやワールドカップで選手やチームを応援するのかというと、それはやはり甚だ疑問と言わざるを得ない。私たちは本当のところ、好きなのはスポーツなのではなく日の丸なのではないかとも思う。2002年6月、サッカーW杯のチュニジア戦で日本が勝利し、渋谷ハチ公前交差点のど真ん中で騒ぐサポーター(大西史朗撮影) 2002年に日本で初めてワールドカップ開催された。この時、一つ何かが変わった。大きな日の丸を振って若者が「ニッポン!」と熱狂する。渋谷のスクランブル交差点はこの時は初めてハイタッチフーリガンが出現した。しかし、その表情には、例えば識者が危惧するような右派的な「愛国」の真剣さは感じられない。 イギリスのサッカージャーナリスト、サイモン・クーパーはこれを「休日用のナショナリズム」と呼んだ。日本にはサッカーに託して他国を憎悪することによって得られるナショナリズムは感じられない。得体のしれない国家 むしろ、これらの日の丸に集うサッカーファンは、他国と同じようにカラフルな国旗のもとに喜びを謳歌(おうか)しているのであって、むしろ国際的なのではないか。政治や民族主義や、果てはビジネスまでもが複雑に絡み合う世界中のサッカーシーンを見聞きしてきたジャーナリストは、日本のおおらかなサッカーが巻き起こす風景を、いわば「害のない」ものと考えた。 しかし、これは本当にそうなのだろうか。 RADWIMPSというバンドが、サッカー番組用につくった曲のカップリング『HINOMARU』が復古調ということで批判を浴びたのはW杯開幕直前のことだ。意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、誇り高くこの身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊さぁいざゆかん 日出づる国の御名の下に 靖国神社の絵馬にでも書いてありそうな、どこからか引っ張り出した語彙(ごい)でつづられており、申し訳ないが、稚拙な愛国ポエムでしかない。これに感情移入できる若者がどれだけ日本にいるかについては興味深いが、その一方で、このような戦前復古を感じさせる歌詞への批判が、より多く集まるのはわからないでもない。 サッカーに政治を持ち込むな、というのは大方のサッカーファンは同意するだろう。無邪気なナショナリズムならば、それはスパイスとしては香り高いものになるだろうが、そちらが目的ということであれば、単にサッカーを楽しみたいという人にとっては迷惑この上ない。 なぜなら、これまでサッカーがナショナリズムを引き寄せて、酷いことになった例は枚挙にいとまないからだ。そして、それは簡単に差別的な思考に直結する。 国家とは得体の知れないものだ、というのが自分の理解である。その得体の知れなさは、ある時はW杯で日本代表が優勝候補のベルギーを相手に善戦し、それにより私たちの仲間が世界で名を挙げたことが、老若男女、貴賤も職業も年収も問わずに熱狂させることもある。2018年7月、日本の敗戦に肩を落として東京・渋谷駅前の交差点を渡るサポーターら かたや、危険な愛国主義のダークサイドの誘惑もありうることは強調しておきたい。私がこれまで多数話を聞いてきたいわゆる「ネット右翼」の人たちが、2002年のワールドカップが彼らの転機になったと語った。 サッカーそのもののコンセプトにはもともとナショナリズムとコスモポリタニズムが表裏一体となっているところがある。人はそのどちらかに、ある時は全く矛盾することなく両方に誘引されていく。渋谷のハイタッチフーリガンは、休日用のナショナリズムを謳歌しながら、その危うい境界線上にいるわけだ。 もちろん、大方の人は休日が終われば日常に帰り、仕事や趣味や恋愛や育児といった自分たちの幸福のために時間を費やしていくことになる。そしてその中から、本当にサッカーにハマってしまう人もいるだろう。サッカーは世界をつなぐ共通言語だというコスモポリタニズムを素直に受け入れる人もいるだろう。だが、一方で、私たちは境界線から転げ落ちてしまう人も見ることになる。

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    日本人はなぜ「4年に一度の祭り」としてサッカーを消費するのか

    と、日々の楽しみとして心の中に位置づけにくくなるからです。 実は、大学教育界では大会で成果を出す競技スポーツではなく、レジャー・レクリエーションとして楽しむ競技スポーツが注目されています。日本では野球がその大きな地位を占めていますが、世代を超えて家族で楽しむスポーツとしてサッカーが選ばれるようになると、本当のサッカー文化が育っていくものと思われます。ベルギー戦の後半、パブリックビューイング会場で悔しがる日本サポーター=2018年7月3日、東京都港区(佐藤徳昭撮影) サッカーは世界で最も愛されているスポーツです。私はサッカーの素人ですが、その魅力は直感的に、そして心理学的に理解できるところもあります。ボール1個と広場さえあれば、サッカーは誰でもどこでも行えるわけです。 だからこそ、優劣を競う競技としてではなく、お互いに楽しむ競技として世代を超えた日々の楽しみになる可能性を秘めたスポーツでもあるのです。親と子がともに楽しめて、さらに祖父と孫もともに楽しめる。このよう伝統ができれば、競技としてのサッカーが育つ文化になることでしょう。素人も素人なりに競技としてのサッカーを楽しむことがサッカー文化の礎になるのかもしれません。

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    田嶋会長、日本のサッカー人気に寄与する提案が2つあります

    清水英斗(サッカーライター) クロアチアのキックオフでファイナルの笛が鳴った瞬間、フランスは猛然とプレッシングに飛び出した。相手が3試合連続の延長戦を戦っており、さらに休養日も1日短いコンディションの差があった。立ち上がりから、飲み込もうと考えたのだろう。 ところが、クロアチアの抵抗は予想以上だった。パス回しでプレッシャーを剥がしただけでなく、逆に猛烈なハイプレスを浴びせ、フランスのビルドアップを寸断してしまう。勇猛果敢なクロアチアの前に、フランスは出鼻をくじくつもりが、逆に返り討ちに遭ってしまった。 MFエンゴロ・カンテ、MFポール・ポグバと、ボール奪取力の高い中盤に対し、クロアチアはMFルカ・モドリッチとMFイヴァン・ラキティッチが引いてボールを受け、相手がどこまで追いかけるべきか、対応を迷わせるポジションを取った。ボールハンターに的を絞らせず、見事な攻撃を展開したクロアチアはポゼッション率(支配率)62%を記録した。 準決勝までとは異なり、存在感の無かったカンテは、前半27分にイエローカードを受け、後半10分に早々とベンチに退いた。この世界有数のボールハンターを、クロアチアは追い出すことに成功している。 しかし、劣勢が続いたフランスだったが、先制ゴールは意外な形で転がり込んだ。前半18分、MFアントワーヌ・グリーズマンのフリーキックに反応したFWマリオ・マンジュキッチの頭頂部にボールが当たり、そのままゴールに吸い込まれてしまった。オウンゴールだ。 逆に、クロアチアのハイテンションが災いした面もあった。このようなゴールへ向かって行く軌道のクロスは、一生懸命にクリアしようとすればするほど、頭や身体のどこかをかすめ、軌道が変わってゴールに吸い込まれやすい。2018年7月、W杯決勝の前半、競り合うフランスのカンテ(左)とクロアチアのモドリッチ(中井誠撮影) はっきりとクリアできないのであれば、見送るのも判断だが、マンジュキッチは頑張りすぎてしまった。また、その届くか届かないか、ぎりぎりのポイントへボールを蹴ったグリーズマンのキック精度もいやらしいのである。 その後、FWイヴァン・ペリシッチのゴールで一時は追いついたクロアチアだが、前半38分に再びリードを奪われる。グリーズマンのコーナーキックを、ペリシッチが手で防いでしまい、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の指摘と主審のレビューが行われた結果、PKが与えられたからである。フランスが「宝石箱」を保てたワケ あのエリアでペリシッチが足を高く上げてクリアに行くこと自体が、PKの危険を考えればあまり良いアクションではない。また、決して予測できない軌道ではないのに、手を出した位置も軽率だった。ここでもまた、ボールを懸命にはね返そうとするクロアチアのハイテンションが災いした。 1-2と追いかける展開で後半を迎えたクロアチアは、さらに波状攻撃へ出た。しかし、後半14分に決定的な追加点を許してしまう。フランスは自陣からヘディングでつないでクロアチアのプレッシングをかわした後、ポグバが右サイドへ糸を引くようなロングスルーパスを送り、快速の19歳、FWキリアン・エムバペを走らせた。 右サイドを破った後、ペナルティーエリア内のグリーズマンを経由し、ポグバがシュートを放つ。こぼれ球をもう一度ポグバがシュートし、3-1と突き放す決定的なゴールが決まった。 フランスにとって、あまり守備に献身的でないエムバペの右サイドは頭痛の種だった。クロアチアのサイド攻撃に終始崩されやすい状況であり、試合中にはポグバやグリーズマンから守備に戻れと、エムバペが𠮟責(しっせき)される様子もあった。 しかし、その一方、速攻から試合を決めたのもエムバペである。守備に難があっても、攻守で差し引きすれば黒字化できる。いかにも若さあふれる19歳の才能だ。 それが機能したのも、1トップのFWオリヴィエ・ジルーや、セカンドトップのグリーズマンの献身があってのことだ。彼らのハードワーク、ボールを引き出すチームプレーがあってこそ、フランスの宝石箱のようなタレント性は、バランスを保つことができた。 その後、互いに1点ずつを挙げたが、差は縮まらず。クロアチアの勢いは鬼気迫るものがあったが、判定への不満も重なり、徐々に沈黙していく。最後は足も止まり、4-2でフランスが決勝を制した。2度目の世界一に輝き、優勝トロフィーを掲げて大喜びするジルー(中央左)とエムバペ(同右)らフランスイレブン=モスクワ(共同) 表彰式が終わったスタジアムで、フランスのサポーターはいつまでも歌い続けていた。クロアチアのサポーターは敗戦に落胆しながらも、選手に熱い声援を送り続けた。非常にインテンシティ(強度)が高く、気持ちのこもったファイナルだった。日本代表が敗退すれば、潮が引く しかし、果たしてこの名勝負を、日本でどのくらいの方が視聴したのだろうか。NHKの生中継の平均視聴率は約15%だったようだが、iRONNA編集部からは、日本が敗退した決勝トーナメント・ラウンド16以降、スケジュールの空きもあってか、急速に熱が冷めた様子だったとも聞いている。 個人的には特に意外ではない。いつもそんなものだ。日本代表が敗退すれば、サーッと潮が引く。それは今に始まったことではない。一般層はサッカーに興味があるのではなく、日本に興味があるだけだ。 どうしようもない部分もあるが、どうにかできる部分で言うなら、原因の一つは地上波テレビだろう。私は現地ロシアにいたので、日本のテレビは見ていないが、見た人の感想から推察するに、日本代表を芸能人のように持ち上げたり、あるいは家族やプライベートなど、サッカーとは関係のないことばかりを放送しているのだろう。だから、その対象がなくなった瞬間、「サッカーの大会」から興味が失われるのは当然だ。サッカーに限ったことでもない。 地上波はいつも視聴者ターゲットを、異常なほど低い位置に設定している。なぜそこまで視聴者を小バカにするのか、個人的には理解しかねるが、残念ながらいつものことである。 「お年寄りにも分かるように」と一つ覚えのように聞くが、地上波の「バカ騒ぎ番組」が始まると、うちの実家のお年寄りは大体チャンネルを変える。もはや、こう作らなきゃいけない、という思い込みや強迫観念のようなものではないか。 どうせなら、日本サッカー協会(JFA)や国際サッカー連盟(FIFA)が規制に乗り出し、放送の『フェアプレーポイント』を作って、「サッカー」を取り上げた放送局に、優先的に放映権を売る仕組みを作ってはどうか。 あるいは解説者もパフォーマンスベースで評価させる。せっかくテレビのリモコンには「dボタン」があるのだから、これを使って投票すればいい。そうやってサッカー人気に寄与する解説者と、役に立たない解説者に切り分ければいい。準決勝のフランス-ベルギー戦の視察に訪れた日本サッカー協会の田嶋幸三会長(中井誠撮影) そんなことを、JFAの主導で提案してはどうか。もっとも、そのサッカー協会に所属している解説者ほど実際には人気がなく、パフォーマンスの悪い人ばかりなのだが…。

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    にわかサッカーファンで何が悪い!

    毎度のことだが、サッカーW杯が終わると、必ず「にわか叩き」が起こる。熱心なサポーターの気持ちは分からなくもないが、誰だって最初は「にわか」が入り口だったはず。確かに海外ではファンの観戦力が自国のサッカーを育てる、という指摘もある。にわかファンはそんなに悪いのか?

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    ロシアW杯「直前まで盛り上がらなかった現象」が見過ごせない

    長らく、日本のサッカー文化は雑誌文化に支えられてきた。その構造はシンプルで、90年代前半までメジャースポーツではなかったサッカーは、新聞紙面のスポーツ欄に入れなかったのだ。 一方、雑誌文化は92年の日本代表の躍進、93年のJリーグ開幕、さらには96年の02年W杯日韓共同開催決定が追い風となり、花開く。サッカー専門誌が月刊から週刊化。コンビニや駅売店の流通に乗るようになった。またスポーツ専門誌でも「サッカー日本代表」が圧倒的に売れるキラーコンテンツとなっていく。 流れは10年ほど続いたが、2013年から14年に大きな波が訪れる。2大専門誌が週刊化を取りやめた。また翌14年には日本代表がブラジルW杯で惨敗。あるスポーツコンテンツも扱う出版関係者は「ここが大きな分岐点となった。日本代表特集号の売上が大きく変わっていた」という。 つまり読者が情報を得る媒体が変わっていったということ。インターネットがメインストリームに躍り出たのだ。もちろん、93年以降新聞紙面にもサッカー情報が大幅に増えたが、近年の新聞離れ(1世帯あたりの部数が1.0部を割る)といった傾向も“ネット主流”を後押ししている。 読者には速報性のメリットがあり、手軽に読める。書き手には短く分かりやすい原稿が求められる。 ただし、こんな“問題点”がある。自分の好きな記事しか読まない。紙面と違ってスペースの違いがない。だから何が重要で重要ではないかが掴めない。 ここで改めて言わずとも、度々指摘されていたポイントだ。重要なのは、これが社会現象として実際に現れている点だ。2018年7月、W杯決勝トーナメントのベルギー戦に敗れ、顔をぬぐいながらピッチを去るMF本田圭佑(中井誠撮影) 大会の全体像が掴めない。だから静かだった。 日本代表のニュースならいくらでも読む。 監督が変わるらしい。しかも2カ月前に? そんなことありうるのか。西野朗監督就任後もW杯に出ないガーナ代表に負けた。読んで、掘り下げていく。どんどん暗い気持ちになる。 しかし、本来はそれ以外にも大会への興味はあるはずなのだ。復活を期するブラジルの様子はどうだ? メッシやクリスチャーノ・ロナウドは大会で活躍できるのか? グループリーグの好カードは何?ラグビーW杯、東京五輪はどうなる? この情報がなかなか得にくいのではないか。これまで雑誌で読んでいたような「グループリーグの組分け」「大会全体のスケジュール」といった基本的な情報が、インターネットだけでは入りにくい。 これまでなら半年前くらいから繰り返し、雑誌でページが割かれてきたから目にしたはずなのだ。筆者もロシアに発つ直前、よく行くフットサルチームで大会の話をしたが、ほとんどがグループリーグの組分けを正確に知らなかった。パナマ、アイスランドといった国が初出場だ、といった点はもちろんのことだ。 大会が始まって、ようやく地上波が大会を報じ始めると、ポツポツと状況がわかり始める。そして試合がいざ試合が行われるという段になり、ようやく「何が起きるか」が理解されていく。そういう構図だったと見る。 今年2月の平昌五輪でも同様だった。出発前は平昌五輪に行く、というと「平壌に行くんですか?」とすら聞かれたが、大会中盤に日本に戻ると、皆がスピードスケートの話題で盛り上がっていた。 もっと言うと、韓国でも同じ現象が起きていいた。平昌五輪が始まる前は「史上最低の盛り上がり」「危機的」とすら言われたが、いざ始まると「さすがオリンピックの盛り上がり」という評価になった。今回のワールドカップも然り。大会前は不人気から代表の国内合宿を2日間ほど「オープン・デイ」とし、ファンが自由にサインをもらえるイベントまで施した。しかし、大会が始まると初戦スウェーデン戦のパブリックビューイングはソウル市庁一帯に1万4000人が集まった。 スポーツのメガイベントが“直前に盛り上がる”現象、今後も続くだろう。インターネットでの情報収集がメインであり続ける以上。2019年にはラグビーW杯、2020年には東京五輪が控えている(撮影:筆者、渋谷にて) 次の機会は、2019年秋に日本で開催されるラグビーW杯だ。現時点ではほぼ話題になっていないだろうが、きっと直前でグッとくる。 さらにホスト国、という点は「直前の盛り上がり」に追い風となる。外国のファンがやってくるはずだからだ。ラグビーに全く興味がない人も「何かが起きる」ということに気づく。盛り上がらない、と言われ続けけてきた平昌五輪も、外国人応援団の到来でようやく雰囲気ができあがっていった。 ただし、東京五輪は別物になると筆者は見ている。ラグビーW杯での熱狂(多くは外国人ファンの来日、それにともなう交流の経験)を知った状態で東京五輪が来る。2019年秋以降は、“スポーツが相当キテる“。そういう熱狂の下で東京五輪を迎えるのではないか。そんな読みがある。よしざき・えいじーにょ ライター。日韓比較論。スポーツから社会全般まで。74年生まれ、北九州市小倉北区出身。大阪外大(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。「Number」「週刊プレイボーイ」「週刊文春」などで執筆。北朝鮮情勢や、サッカー選手に関する韓国語翻訳書も。また「スポーツソウル電子版」「NAVER」など韓国媒体に韓国語での執筆歴もある。01年に「週刊サッカーマガジン」の韓国情報コーナーから本格的に執筆活動を開始。02年日韓W杯後に「サッカーを本格的に書く」と決心し、ペンネームに。しかし状況ままならず、再び学生時代に専攻した朝鮮半島方面へ。名前はそのままでやってます。本名は英治。ドイツ・ケルンにも在住歴あり。

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    W杯解説者椅子取りゲームはしくじり男・前園真聖の独り勝ち

    分の間に決断してチームに浸透させるなんて勇気がなきゃできない』と全面擁護したことで男も上げました」(スポーツ紙記者) 前園は2013年、泥酔してタクシー運転手に暴行を働き逮捕され、謹慎処分になった“大しくじり”の過去がある。自らが乗り越えてきた逆境を、西野ジャパンに重ねたのだろうか。マイアミから22年、前園は再び奇跡を起こした。関連記事■ バラエティーで活躍の前園真聖 酒を勧めても一切手をつけず■ W杯「3戦全敗」を予想した高原直泰氏と中西哲生氏の言い分■ 前園氏から暴行被害のタクシー会社 大人力示したと識者絶賛■ 玉木宏&ISSA 芸能界のドン・ファンが愛した女たち■ 出演者の人選とバラエティ企画 W杯特番に飛び交う賛否の声

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    W杯「3戦全敗」を予想した高原直泰氏と中西哲生氏の言い分

    な国であるわけです。1998年のフランス大会では、大会前、地元のフランス代表の評判が最悪だった。特にスポーツ紙『レキップ』はエメ・ジャケ監督を徹底的に叩いていたが、チームが予想外の優勝を果たすと、翌日の一面で『ジャケ、ごめんなさい』と大見出しを打った。だから、みんな潔く謝っていいと思う。 とにかく今大会は本田圭佑(32、パチューカ)、香川真司(29、ドルトムント)、そして岡崎慎司(32、レスター)の“ビッグ3”の働くべき場所が、西野采配ではっきりとし、それでチームが一丸になったのが大きかったと思う」関連記事■ 「おっさんJAPAN」メディアの手のひら返し、半端ないって!■ だから本田圭佑は必要だ──「カズ落選」を経た日本代表の成長■ 釜本邦茂氏「不用意に反則する選手は外せ」で具体名挙げる■ W杯直前、元日本代表エースとテレ朝アナが幸せ映画デート■ テレ朝三谷紬アナ 関係者も目を丸くした衝撃の胸トラップ

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    最強フランスに挑む「不屈の精神」クロアチアの歴史的偉業

    清水英斗(サッカーライター) W杯に「史上最長のファイナリスト」が誕生した。決勝トーナメント1回戦のデンマーク戦、準々決勝のロシア戦と、クロアチアはともに延長戦の末にPK戦を制して勝ち上がり、この日の準決勝イングランド戦を迎えていた。 イングランドに先制を許したクロアチアだったが、後半23分にFWイバン・ペリシッチが同点ゴールを決め、3試合連続の延長戦に突入した。言うまでもなく、クロアチアは満身創痍(そうい)だったが、選手自身はそれをおくびにも出さない。かえって不屈の精神を発揮し、逆にコンディションで優位に立つはずのイングランドに襲いかかったのである。 同点弾の後は、むしろクロアチアの積極性すら目立った。すると延長後半4分、クロアチアはFWマリオ・マンジュキッチが逆転ゴールを挙げ、2-1。スタジアムは歓喜の渦へ。 延長戦で4枚目の交代カードを切り、粘りを見せたいイングランドだったが、直後にDFキーラン・トリッピアーが負傷でプレー不可能になるアクシデントが起きる。最後は10人になり、反撃の手を出せないイングランドは沈黙。不屈のクロアチアが、衝撃的な決勝進出を決めた。 3試合連続で延長戦を戦い、決勝にたどり着いたのは、クロアチアが歴史上初めてのチームである。 それにしても、前半が終わった時点では、この展開は予想していなかった。それまではイングランドのパーフェクトゲームだった。前半5分にトリッピアーがフリーキックで先制ゴールを挙げたことに加え、試合のコントロールが完璧だったからである。イングランド戦の延長後半、決勝ゴールを決めるクロアチアのマンジュキッチ=モスクワ(共同) カギを握ったのは、3バックの真ん中に立つDFジョン・ストーンズだ。ビルドアップ時に3バックを常に維持することはなく、機を見て相手センターフォワード、マンジュキッチの裏へ入り、中盤のアンカーのような場所にポジションを取った。 この動きで相手MFのルカ・モドリッチと、イバン・ラキティッチを引きつける。すると、クロアチアの中盤に大きなスペースが空いた。イングランドは中盤でスペースと数的優位を獲得し、快適にボールを運ぶことができた。「完璧」イングランドの暗転 クロアチアはアンカーのMFマルセロ・ブロゾビッチが、あまり前へ出て来ない。センターバックの近くで、スペースを常に埋めているため、モドリッチとラキティッチが相手に食いつくと、中盤に広大なスペースが生まれる。これをイングランドは狙っていたのである。特にターゲットとしたのは、相手センターバックのDFドマゴイ・ビダである。 準々決勝でロシアに勝利した後、「ウクライナに栄光あれ。この勝利をささげる」とフェイスブックに投稿し、物議を醸していたビダは、この日もスタジアム中のロシア人から、ボールを持つたびに大ブーイングを受けていた。イングランドが狙ったのは、このDFだ。 スピード豊かなFWラヒム・スターリングが、ビダの裏へ斜めに飛び出し、ビダの手前では、右インサイドハーフのMFジェシー・リンガードが足元でボールを受ける。前半、この形でリンガードがフリーになって前を向く回数が多く、パターンの再現性が高かった。 このようにポジショニングを工夫しながら、ピッチ上に優位を生み出す組織的な戦術を「ポジショナルプレー」と呼ぶ。イングランドは見事なサッカーを見せていた。 GKジョーダン・ピックフォードも、出色のパフォーマンスである。ロングキックはアリの眉間さえ貫くほどの精度で、FWハリー・ケインへ届く。アグレッシブに高いポジションを取り、ゴールを空けた状態でクロスをキャッチする。 身長は185センチと、イングランド3人のGKの中で最も上背のないピックフォードだが、正GKの座をつかんでいる。技術と運動能力を生かしたプレーは、日本代表がGKを育成する上でも参考になりそうだ。クロアチア戦の前半、先制のFKを決め、駆けだすイングランドのトリッピアー(右から2人目)=モスクワ(共同) ブラボー、イングランド。それがなぜ、あんなことになってしまうのか。 イングランドの守備システム「5-3-2」は、3人しかいない中盤の両サイドにスペースが空きやすい。前半のクロアチアはそこでボールを持った後、攻めあぐねていたが、後半は割り切ってクロス、クロス、クロス。このチャレンジが実を結んだ。 DFシメ・ブルサリコのクロスに、ファーサイドからペリシッチが飛び込み、イングランドのDFカイル・ウォーカーの前にアクロバティックな左足を出す。ファウル気味にも思えたが、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の修正はかからず、クロアチアの同点ゴールは認められた。感動的だった「不屈」の瞬間 イングランドの慢心は否めない。2点目を取って試合をクローズできなかった。逆に、クロアチアは前半のミドルゾーンで構える守備から、後半はハイプレスに転じた。どこにそんな体力が残っているのか…。 感動すら覚えるクロアチアの粘りの前に、すでにこれまでの健闘でお祭りムードになっていたイングランドは防戦一方だ。これでは、慢心以外のキーワードが浮かばない。 あれは延長に入ったころだったか。クロアチアは、モドリッチがボールを懸命に追いかけた後、ピッチに崩れ落ちるように座り込んでしまった。 そりゃそうだ。もう身体の限界だ…と思った瞬間だった。そこへ走ってきたブルサリコが、モドリッチを後ろから抱え込み、自力で立つことができない主将を持ち上げ、スッと立たせた。そして、ぽん、ぽんと背中をたたくと、自分のポジションへ走り去った。あのときブワッと湧いた感動を、生涯忘れることはできないだろう。 そして延長後半、マンジュキッチが逆転ゴールを挙げた。不屈のクロアチア。結束のクロアチア。真のブラボーは、君たちだった。 120分、120分、120分。決勝トーナメントで360分を戦い抜いたクロアチア。まさに史上最長のファイナリストである。イングランドを破って初の決勝進出を決め、大喜びするクロアチアのモドリッチら=モスクワ(共同) 一方、90分、90分、90分。アルゼンチン、ウルグアイ、ベルギーと、決勝トーナメントで対戦した強豪を、すべて90分でなぎ倒し、盤石の強さで勝ち上がったのがフランスである。パフォーマンスと安定感は、今大会最強と言ってもいい。「最強vs最長」のファイナル。果たして、その結果は?

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    渋すぎた準決勝「アメーバサッカー」は日本の解説者じゃ手に余る

    く見ていけば、数字だけではない選手の確かな評価もしっかりと出てくるはずだ。だからこそ、サッカーというスポーツは単純なデータだけで選手の評価はできない。ましてや「チーム戦術」を度外視し、選手単体で個人評価や採点することは本来できない。攻め上がる、フランス代表のアントワヌ・グリーズマン=2018年7月、ロシア・サンクトペテルブルク(撮影・中井誠) ある意味でフランス、ベルギーのような強豪国になれば、出場している22人、どの選手をフォーカスしても何かしらを語ることができる。22人のみならず、ベンチに座る選手も含めてメンバー23名全員がスター選手であり、それだけ豪華なチームなのだ。 決勝点がコーナーからディフェンダーが決めたこともあり、この準決勝は日本のメディアが取り上げやすいスター選手の目立った活躍が、一見なかったように映る「渋い試合」となった。 だからこそ、改めてグリーズマンやジルーのような脇役の機能性が勝敗を分けたことに着目すべきであろう。それこそがサッカーの持つ奥深さであり真の面白さでもあるのではないだろうか。

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    「2-0は安全なスコアだ」日本代表はフランスのキープ力に学ぶべし

    清水英斗(サッカーライター) 2-0は安全なスコアだった! 私たち日本人にとっては、ショッキングな事実だ。 W杯準々決勝のウルグアイ対フランスは、前半40分にDFラファエル・バランがヘディングで先制ゴールを挙げると、後半16分にMFアントワーヌ・グリーズマンがブレ球ミドルシュートで追加点を挙げ、2-0へ。そして、そのまま終わった。 後半の残り30分は、何も起こらなかった。いや、起こさせなかったのだ。試合をコントロールし、閉じる。フランスのゲーム戦略は完璧だった。手が届かなかった「ベスト8の戦い」。ベルギー戦で2-0から逆転を許した日本代表にとって、足りなかったゲーム・クオリティーが、そこにはある。 ゲームの前半、興味深い戦術を見せたのはウルグアイのほうだった。「4-4-2」のシステムで、MF4人が、ディフェンス時は真ん中にギュッと固まったひし形を形成するが、攻撃に転じると、MFナイタン・ナンデスが右サイドのタッチライン際に開く。トップ下のMFロドリゴ・ベンタンクールも真ん中にポジションを取り、全体が右サイドに固まった状況を作り出した。「ワンサイド寄せ」である。 前半のウルグアイの攻撃エリアを、データで確認すると、中盤は右サイドが25%、真ん中が16%、左サイドは5%を記録。前線も右サイドが11%、真ん中が9%、左サイドが5%を記録した。つまり、ウルグアイが右サイドに攻撃を固めたのは、データからも明らかだ。これは過去の試合に共通する傾向ではなく、このフランス戦特有の現象だった。 なぜ、ウルグアイはこのような「ワンサイド寄せ」を行ったのか? それはプレーエリアを、コンパクトに縮めるためだ。片方のサイドに寄ることで、「1対1」を「多対多」に近づけ、身体の大きな選手をそろえたフランスに対し、狭いエリアの敏しょう性で上回る。仮にボールを奪われたときも、味方が近くにいて取り返しやすい。さらに相手のキープレーヤーであるFWキリアン・エムバペを、逆サイドで孤立させる効果もあった。全ては戦術である。 そのウルグアイにとって、前半は決して悪くなかった。前半40分にグリーズマンの絶妙なフリーキックからバランにヘディングを許し、セットプレーで失点したものの、直後にウルグアイもフリーキックで決定機を迎えている。しかし、これはフランスGKウーゴ・ロリスのスーパーセーブに防がれた。ウルグアイ戦の後半、2点目のゴールを決めるフランスのグリーズマン=ニジニーノブゴロド(ゲッティ=共同) 事実、1-0でフランスがリードして折り返したが、前半のシュート数はウルグアイが7本(枠内4本)、フランスが6本(枠内1本)と、チャンスはしっかりと作れている。スーパーセーブさえ無ければ、間違いなく1-1だった。 とにもかくにも、1点のアドバンテージを得たフランスは、ここから老獪(ろうかい)さを見せる。まず、前半に孤立しがちだったエムバペが、ポジションを離れて逆サイドまで顔を出し、相手のワンサイド戦略に消されないように動きを修正した。なぜフランスはキープできたのか ゴールが遠いウルグアイは、後半14分に2枚替えを行い、ギアを入れようとする。その直後の後半16分だった。フランスは中盤でMFポール・ポグバがボールを奪い、カウンターへ。テンポ良くつないだボールがグリーズマンに渡り、左足でブレ球のミドルシュート。相手の勢いをそぐ形で2-0と突き放した。 さて。問題の2-0である。なぜ、フランスはこの2-0をキープできたのか? 理由の一つは、ポゼッション能力だ。フランスのボール支配率は全体で58%と、前後半を通じて高い数字をキープした。日本がベルギーに対して、支配率で44%と下回ったのとは状況が違う。フランスは敵陣へボールを運んだ後も、無理にシュートまで行かず、落ち着けるようにパスを回していた。 二つめの理由は、後半22分に見られた。ボールを受けようとしたエムバペの足先が、相手選手とソフトに当たったとき、痛がって転んだ。あまりにも大げさに感じたウルグアイの選手たちは激高し、詰め寄る。両チームが入り乱れ、乱闘寸前になった。ここで2分の時間が消費されている。 もちろん、この2分はアディショナルタイムに加算されるのだが、相手の勢いや雰囲気をそぐ意味では大きい。身体を休め、もう一度守備の強度を高められる。全く褒められるものではないが、このような行為はゲームコントロール上、有意であるのも確かだ。日本はそれをやらないので、ちょっと損はしている。 そして三つ目の理由は、監督の采配だ。後半35分、フランスは197センチのMFスティーブン・ヌゾンジを投入し、アンカーに据えた。試合の終盤にパワープレーを仕掛けてくるであろう相手に対し、空中戦の強さを保証している。それに伴い、小兵のボールハンター、MFエンゴロ・カンテを左サイドへ出し、クロスやパスの出どころにプレッシャーをかけさせた。役割分担は完璧だ。ウルグアイ戦の後半、激しいチャージを受け、倒れるフランスのエムバペ=ニジニーノブゴロド(共同) この采配がピタリとはまった。ウルグアイは後半の残り30分で、ゴールの匂いを感じさせる攻撃がほとんどなかった。フランスにとって、2-0は安全なスコアだったのである。 日本もこのような試合運びができないものか。そもそもゴール前の守備力、ポゼッション力で差がある上に、采配でも後れを取っていては厳しい。 もちろん、長身で足元の技術も確かなヌゾンジのような選手は、日本がたやすく得られるものではないが、W杯がこのような駆け引きになることを見越し、4年の間に準備することは可能だろう。例えば、比較的背の高いセンターバックの選手を、中盤のアンカーにコンバートして起用し、チームのオプションとして持っておく。W杯は何を要求してくるのか。それを知った上で、準備するのだ。 ベスト8を目指す上で、日本がやるべきことはたくさん残されている。それをフランスは教えてくれた。まだ、W杯は終わっていないのだ。このハイレベルな試合の数々に、未来を見ようではないか。

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    西野朗は日本サッカーの何を変えたのか

    で撃破し、第2戦では難敵セネガル代表と2‐2で引き分けると、一転して「ロシア大会後も続投へ」と報じたスポーツ紙もあった。しかし、優勝候補ベルギー代表と歴史に残る死闘を演じ、後半アディショナルタイムにカウンターから喫した失点で敗れた決勝トーナメント1回戦を境に風向きが大きく変わった。 一夜明けた4日には、現役時代は西ドイツ代表FWとして1990年のイタリア大会を制した、ユルゲン・クリンスマン前ドイツ代表監督の次期日本代表就任が決定的になったと、一部スポーツ紙が1面で大々的にスクープを打った。一方では西野監督の続投論も根強く報じられる中で、代表が帰国した5日に突如として西野監督の可能性が潰えたわけだ。帰国会見で話す日本代表・西野朗監督(左は、長谷部誠)=2018年7月5日、千葉県成田市(撮影・加藤圭祐) 「契約が今月の末日までですので、(日本代表監督という)この任を受けた瞬間から、ワールドカップ終了までという気持ちだけでやってこさせてもらいました。途中でこういう形になりましたけど、今は任期をまっとうしたという気持ちでいます」 一時はベルギーから2点のリードを奪い、日本がまだ見ぬベスト8以降の世界へ通じる扉に手をかけながら、無念の逆転負けを喫した幕切れに西野監督は努めて前を向いた。一方では初めてワールドカップの舞台で指揮を執った自分の、ある意味で限界を認めるような言葉も残している。 「試合展開が日本にとって好転していっている中で、あのシナリオは自分の中ではまったく考えられませんでした。ベルギーから3点目が取れるとチーム力に対して自信を持っていましたし、実際にそうなるチャンスもありました。それでも、紙一重のところで流れが変わってしまった。私だけでなく、選手たちもまさかと感じた30分間だったと思います」パニックになった西野監督 指揮官が言及した30分間とは、2点を追うベルギーのロベルト・マルティネス監督が、ナセル・シャドリ(英、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン)、アルマン・フェライニ(英、マンチェスター・ユナイテッド)の両MFを一気に投入した後半20分以降を指している。 前者は187センチ、後者に至っては194センチの長身を誇る。日本が持ち合わせない「高さ」が加わったベルギーは、前線をフェライニと190センチ、94キロの怪物ロメル・ルカク(英、マンチェスター・ユナイテッド)の2トップに変えて、試合の流れを強引に引き戻そうとしてきた。 果たして、4分後の後半24分にDFヤン・フェルトンゲン(英、トッテナム・ホットスパー)がヘディングで放った、パスにも映った山なりの一撃がGK川島永嗣(仏、メス)の頭上を越えてしまう。ラッキーな形で1点を返したベルギーは、さらに攻勢を強めてきた。 わずか5分後には、左サイドからFWエデン・アザール(英、チェルシー)が放ったクロスに、飛び込んできたフェライニが頭ひとつ抜け出す形で強烈なヘディングを一閃。瞬く間に同点に追いつき、試合終了まで1分を切った土壇場でもぎ取った劇的な逆転勝利に至る流れを作った。 選手交代を介してベルギーがシナリオを練り直したのならば、日本も交代のカードを切って対抗すべきだった。しかし、西野監督は動かなかった。いや、動けなかったと言っていい。コメントから察するに半ばパニック状態に陥っていたのと、何よりも流れを押し返せる武器を持ち合わせていなかった。 例えば189センチのDF吉田麻也(サウサンプトン)に次ぐ高さを持つ、186センチのDF植田直通(鹿島アントラーズ)を投入。最終ラインの形を4バックから3バックに変えて、吉田と植田でもってルカクとフェライニの高さに対抗する手もあった。 しかし、植田はグループリーグでワールドカップの舞台に立っていなかった。開幕前のテストマッチでも6月12日のパラグアイ戦に出場しただけで、何よりも3バック自体も初陣となったガーナ代表とのワールドカップ壮行試合で、後半途中まで試してからは事実上封印していた。 初ゴール及び初勝利を挙げた件のパラグアイ戦で、ようやく軸になる11人が固まった。本田圭佑(メキシコ、パチューカ)ではなく香川真司(独、ボルシア・ドルトムント)をトップ下、ジョーカーとして考えていた乾貴士(スペイン、レアル・ベティス)を左MFにすえ、ボランチの一角には柴崎岳(スペイン、ヘタフェ)を、センターバックには昌子源(鹿島アントラーズ)をそれぞれ抜擢した。パラグアイ戦でゴールを決め歓喜する乾貴士(中央)=2018年6月12日、オーストリア・インスブルック(撮影・中井誠) いわゆる「プランA」はギリギリで出来上がったものの、戦い方に幅を持たせる「プランB」の構築は残念ながら間に合わなかった。西野監督が初めて交代のカードを切ったのは後半36分。本田とMF山口蛍(セレッソ大阪)を同時に投入したが、高さで対抗するわけでもなく、疲れが見え始めた時間帯で相手が嫌がる速さも日本に加えることもできなかった。 それでも3点目を奪いにいった末に決勝点をもぎ取られた。カウンターの起点となったのは、199センチの高さを誇る絶対的守護神ティボー・クルトワ(英、チェルシー)。本田が放った左コーナーキックを難なくキャッチし、素早いハンドスローをすでに走り出していた司令塔、ケビン・デ・ブライネ(英、マンチェスター・シティ)へつなげ、さらに4人の選手も一気呵成に連動した。またもや「手のひら返し」 最後まで攻めたのは、ポーランド代表とのグループリーグ最終戦が関係していたのかもしれない。1点を追う状況で攻撃を放棄し、アディショナルタイムを含めた後半の最後の約10分間を、リスクを冒さないパス回しに終始。あえて敗北を受け入れ、同時間帯に戦っていたセネガルとの2位争いを、今大会から導入されたフェアプレー・ポイントの差で制した。 引き分け以上ならば、日本は自力でグループリーグを突破できた。それだけに消極的に映る戦い方に対しては、それまで日本を称賛していた世界中のメディアから、手のひらを返すようなバッシングが浴びせられた。日本国内でも賛否が真っ二つに分かれる状況を生んだほどだ。 西野監督としては、日本が追いつく確率、攻勢に出てカウンターで失点する確率、コロンビアがそのままセネガルを下す確率、セネガルが同点に追いつく確率――の4点を冷静かつ迅速に比較。その中からコロンビアが勝利する確率が最も高いと判断し、他力に委ねる前代未聞の作戦を、ベンチで休養させる予定だった長谷部をピッチへ送り込んでまで徹底させた。 もしセネガルが同点に追いついていれば、日本は敗退していた。勇気を振り絞った究極の選択を、指揮官は試合後のテレビのインタビューで「本意ではない」と位置づけた。グループリーグ突破を果たしたにもかかわらず、不本意な戦いを強いたとして翌日には選手たちへ謝罪している。 そうした伏線や、延長戦に入れば体力面でベルギーの後塵を拝するという判断も手伝って、90分間での勝利を目指した。結果として3度目の挑戦でもベスト8の壁にはね返されてしまったが、だからといって西野ジャパンとして実際に活動してきた、千葉県内における国内合宿をスタートさせた5月21日以降の46日間が否定されるわけではない。 選手たちとのコミュニケーションや信頼関係がやや薄らいできた、という不可解な理由でヴァイッド・ハリルホジッチ前監督が電撃解任されたのが4月7日。その5日後に慌ただしく就任した西野監督は、合宿初日に「それまでのチーム力だけではロシアへ向かえない」と危機感を募らせた。 「ブラジル大会での敗戦から選手たちやサッカー界が試行錯誤してきた中で、ロシアの切符を取った大きな財産もがある。その後も強化を継続してきた中で、(技術委員長として)チームを客観的に見ていて、素直にそう思いました。ただ、選手それぞれの能力は非常に高く、培ってきたことにプラス、短い準備期間で何かを足すことが対抗できるのではないかと」コロンビア対日本。本田圭佑(左)と交代し、西野朗監督(中央)に労われる香川真司=2018年6月19日、サランスクのモルドビア・アリーナ (撮影・中井誠) 西野監督が言及した「財産」とは、ハリルジャパンで3年間にわたって叩き込まれてきた縦への速さと、フランス語で「1対1の決闘」を意味するデュエル。ゆえに代表メンバーの顔ぶれはほとんど変わらず、さらにボーダーライン上にいた本田やFW岡崎慎司(レスター・シティー)も招集した。 必然的に平均年齢は跳ね上がり、メンバー発表時の28・17歳は日本が臨んだ6大会の中で最も高くなった。一部から「おっさんジャパン」と揶揄される中で、日本を発った6月2日に乾が30歳に、開幕直前の13日には本田が32歳になって平均年齢をさらに押し上げた。ハリルに制された練習中の話し合い もっとも、サプライズなしの顔ぶれには、一緒にプレーした機会の多い選手たちによる連携を色濃く生かし、そこへベテランと呼ばれる選手たちの経験と、ヨーロッパの舞台でもがき、苦しみながらも選手たちが体得してきた個人戦術を融合させる即効性のチーム作りを選択した。 そこで前述した「何かを足す」という作業が加わる。注入された「何か」の正体とは、首脳陣と選手、あるいは選手同士による相互理解となる。千葉県内の合宿では、長く日本代表で採用されたことのない3バックの習熟にほとんどの時間が割かれた。DF槙野智章(浦和レッズ)は、ハリルジャパン時代との変化をこう指摘したことがあった。 「西野監督もそうですし、手倉森(誠)コーチに加えて森保(一)コーチも入ったことで、非常に密なフィードバックが選手たちに対してある。そこが大きな違いのひとつですし、あとは練習の中でディスカッションする時間が増えていますよね。ハリルさんの時は、練習中にみんなが話すと『やめろ』と制限されましたから。そうしたストレスがない、という意味でディスカッションする時間があるのも非常に大きな変化だと思います」 不慣れな戦い方を、急いで統一しなければならない必要性に駆られたのか。千葉合宿中にピッチの至るところで見られた話し合いは、日本語だけが飛び交うという状況にも後押しされ、選手間の相互理解を急ピッチで加速させた。時間が極めて限られていることを逆手に取ったと言っていい。 しかも、ガーナ戦の後半途中で4バックへスイッチされてからは、3バックは一度も披露されていない。あくまでも推測の域を出ないが、チーム間のディスカッションを促成させる狙いも、唐突に映った3バックの導入には込められていたのではないだろうか。 結果として国内組は昌子だけという、ロシア大会におけるファーストチョイスが固まった。ハリルホジッチ監督は日本が主導権を握られる展開を大前提としていたが、西野監督のもとでロシアの地で披露されたのはハリルジャパン時代の遺産にテクニックの高さや勤勉性、献身性、運動量の多さにコンビネーションを融合させて、状況や時間帯によっては主導権を握り、試合を支配する日本の姿だった。 ベルギーを相手に2点のリードを奪ってからの試合運びを冷静に振り返れば、指導者の一人として納得できない思いが込みあげてきたのだろう。ロシア大会全体を「十分に大きな成果を挙げてきたわけではない」と総括した西野監督は、一方でこんな言葉も残している。ベルギー対日本、涙を流す乾貴士をねぎらう西野朗監督=2018年7月2日、ロシア・ロストフナドヌー(撮影・甘利慈) 「半分は素直に申し訳ないと思いながらも、1ページか、あるいは半ページくらいは次につながるものを示せたチームを指揮したという気持ちがあります。これまでは8年周期でベスト16へチャレンジしてきましたが、この周期ではダメです。次のカタール大会では間違いなくベスト16の壁を突破できる段階にある、という状態につなげたという成果だけは感じたいと思う」 毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい戦いを演じた末に、日本独自のスタイルへつながる手応えを手土産に帰国した西野ジャパンは解散した。本田に続いて長谷部も代表引退を表明し、ひとつの時代が終わりを告げた中で、早ければ7月中に就任が決まる新監督には、ロシアで生まれたベクトルを未来へ向けて力強く、なおかつ鮮明に伸ばしていく作業が課されなければならない。

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    日本代表「世界との差」はどこにある?

    サッカー日本代表の闘いが終わった。屈指のタレントがそろう強豪国、ベルギーを相手に互角以上に戦った試合内容に世界が驚きをもって伝えた。とはいえ、またしても16強の壁を超えることはできなった。世界との差はわずかなのか、それとも大きいのか。西野ジャパンを総括検証する。