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    イチローとダブる伝説の天才打者「E」

    マリナーズのイチローが「球団会長付き特別補佐」に就任した。今季は選手としてプレーせず、チームに同行して選手や首脳をサポートするという。「生涯現役」にこだわるイチローらしい決断とも言えるが、彼の野球人としての生き様をみていると、伝説の天才打者「E」のことを思い起こさずにはいられない。

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    「さらば宝石」イチローとダブる伝説の天才打者「E」

    小林信也(作家、スポーツライター) イチローがマリナーズの「球団会長付き特別補佐」に就任した。今季は試合に出場しないが、来季以降の現役復帰に含みを残した「終身契約」だという。「事実上の引退」と報じるメディアもあるが、「50歳まで現役」を公言し、生涯現役のイメージの強いイチローらしい契約ではないだろうか。 試合に出ないのに、毎日チームに帯同し練習して、その背中で若い選手たちに範を示し続ける。そして選手たちからの疑問や質問にも答える。ちょっと不思議な感じもするが、イチローがただ理論だけで指導するコーチである方が違和感がある。 25人のロースター(出場選手枠)を争う現役選手なら、常に自分のポジションを脅かすライバルだから他の選手は心理的に穏やかでない。球団はリスペクトゆえマイナーに落とせないイチローを確実に登録し続ける余裕もない。こうした思いや現実を見事に集約した契約に感じる。 今季、イチローはレギュラー外野手が故障から復帰するまでが出番だと最初から分かっていた。そのため、最初の1カ月で「戦力」としての証明をする必要があった。しかし、残念ながら15試合の出場で41打数9安打、打率2割2分にとどまり、引き続き25人の中に残る意義を示せなかった。そのことはイチロー自身もよく理解しているから、今回の契約には十分な「リスペクトと配慮」を感じたはずだ。 今回の契約を聞いて、ふと思い起こした打者がいる。ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが『敗れざる者たち』(文藝春秋)の中で、「さらば宝石」と題して書いた「E」という天才打者のことだ。沢木さんはこう書いている。引退して数年たつのに、Eは依然として3時間から6時間のハード・トレーニングを自宅で続けている。(中略)いつかどこかの球団が自分を必要として迎えに来てくれる、と頑なに信じ込んでいるらしいというのだ。 Eとは、プロ野球史上最年少で2000本安打を達成し、首位打者2回、シーズン最多安打も4回記録している「安打製造機」榎本喜八である。 打撃の師、荒川博さんから合気道を基礎とした打撃を伝授され、自らも合気道を学んで独自の打撃を追求し続けた。その打撃には多くの猛者たちが一目置く一方で、求道者の度合いが深すぎ、試合中や試合前後の奇行も目立ったため、次第に「変人扱い」されるようになったと言われている。西鉄・榎本喜八のバッティングフォーム 沢木さんの作品の中でも、あえて「E」と書かれていることでも分かる通り、引退して数年経つのに現役に未練を残し続ける「哀しい男」といったニュアンスが強い。 私は荒川博さんからしばしば話を聞いた経験があり、その中で語られた榎本喜八の打撃を想像すれば、たとえ50歳になってからでも榎本なら打てたのではないか、と想像が膨らむ。榎本の無念が今、「平成の天才打者」イチローによって、一つ払拭されたようにも感じる。 榎本喜八とイチローは、性格的には少し違うようだが、「安打製造機」「求道者」という生き方には通じるものがあり、「どうすればヒットが打てるか」を追求し、把握していた打者という点でも歴史上、双璧を成すだろう。榎本には引退後、復帰の機会が与えられなかったが、イチローにはその可能性が残されている。 榎本の無念を思えば、一層イチローにはリップサービス的な契約でなく、本当に50歳になっても打てる証明をする契約であること、そしてその日に向けて、精進と挑戦を続けることを強く期待したい。 来春は東京でマリナーズの開幕戦(対アスレチックス)が予定されている。ベンチ入りの枠が海外公式戦では3つ増えるこの試合にイチローが出場する可能性は大いにある。まず「45歳でも打てる」という証明は東京で実現する可能性は高いだろう。さらに、レンタル移籍などを実現して、短期間でも日本のチームや海外のプロリーグで活躍し、「野球の伝道師」としてその役割を果たすことも期待したい。打てる秘密が明かされる? 「イチローの『会長付き特別補佐』『生涯契約』ってどれだけすごい契約なのですか?」とよく尋ねられる。何と答えるべきか。たどり着いた答えは次の二つだ。 一つは、イチローがメジャーのフィールドを「草野球」に変えてしまった、という事実である。 野球好きのオヤジが、フル出場はできないが、好きなときに「打席に立たせろ」「マウンドで投げさせろ」のわがままが通用するのが、愛すべき草野球の舞台だ。そこで若い者に負けないホームランをかっ飛ばし、あるいは「いぶし銀」の投球を披露して、後輩たちから尊敬を集める生涯現役の野球オヤジが筆者の周りにもいる。イチローはそれをメジャーで実現する権利を手に入れてしまった。野球少年にとって、これ以上の幸福があるだろうか。 もう一つは、イチローが一人のプロ選手としてすべてのメジャーリーガー、関係者たちを敬服させた点である。試合前の入念な準備、試合後の体調管理、オフの過ごし方に至るまで、そのすべてが第一線で長く活躍するための秘訣であり、他の現役選手の模範になっている。 イチローはこれまで、さまざまな記録を打ち立てて、その実力を証明し、評価と敬意を獲得してきた。日本では、3年目の1994年にシーズン最多(当時)の210安打を記録。マリナーズでは一年目(2001年)に242安打を放って新人王に輝き、4年目には262安打のシーズン最多安打をマークした。日米通算4367安打、大リーグだけでも3089安打。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での伝説も含め、彼が打ち立てた記録や活躍を挙げればきりがない。 だが、44歳を迎え、現役選手としての今後を判断される段階になって、イチローが得たのはグラウンドでの結果ではなく、試合前後の準備や私生活も含めた「野球選手としての姿勢」だった。まさに、これ以上のリスペクトはないだろう。かつて世界の野球界において誰も勝ち得なかった「最高の栄誉」を手にしたと言っても過言ではない。 イチローは記者会見で「野球の研究者でありたい」と彼らしい表現で今後の生き方を示唆した。ただ、これだけ現役選手として注目されながら、「イチローはなぜヒットを打てるのか?」という素朴な疑問だけはいまだ解明されていない。 自身は「自分がどうやってヒットを打っているか、分かっている」と話しているが、メディアも含め、第三者はその核心にたどり着いていない。日本で鮮烈デビューした当初、「振り子打法」はイチローの代名詞だった。日本中の小中学生、高校生、プロ野球選手でさえ、振り子を真似した。米大リーグのツインズ―マリナーズ。左前打で出て生還しベンチで迎えられるマリナーズ・イチロー外野手=2018年4月7日、ミネアポリス(共同) ところが、「振り子2世」で大成した選手はその後も現れなかった。それどころか、メジャーに行った後、当のイチロー本人が振り子を封印し、あまり左右にぶれない打法に変わった。つまり、振り子が「打てる秘密」ではなかったのである。イチローにとっては「企業秘密」であろう、その打撃の真髄がすべて解き明かされたとき、きっと多くの選手の打撃が飛躍的に改善し、より野球の楽しさが伝わって、野球界は再び活気を取り戻すだろう。 イチローは視力が悪いと言われている。「目が悪いのに、なぜ打てるのか?」「150キロ以上の速球に、なぜスローモーションみたいな感覚でゆったり打てるのか?」、筆者自身聞いてみたいことは山ほどある。もちろん、イチローはすべての問いに明快な答えを持っているはずである。イチローが「会長付き特別補佐」に就任したことで、野球の楽しみがさらに広がったとも言えるだろう。

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    さらば「鉄人」衣笠祥雄

    小林信也(作家、スポーツライター) 衣笠祥雄さんが亡くなり、野球界だけでなく多くの分野から惜しむ声が寄せられている。現役時代のフルスイング、野性味あふれる躍動ぶりとは対照的に、ちょっとハスキーながら穏やかな語り口と柔らかな物腰、野球選手の中では異彩を放つ紳士的な雰囲気が印象に残っている。その姿には、ひとりの男の人生の到達地点を見る思いがした。 プロ入り当初、衣笠さんは紳士でも一目置かれる存在でもなかった。野球によって社会に認められて自信を抱き、誇りを持って生きる人生を手に入れたようだった。あのころの野球はそれを可能にする世界であったと、遠い憧れのような熱い気持ちが湧き上がってくる。 少年時代に僕が見た衣笠さんは、ヤンチャそうな負けん気あふれる若者だった。私が田舎(新潟)で観ていた巨人戦のテレビ中継に衣笠さんが登場し始めたのは、衣笠さんが入団4年目でレギュラーの座を奪った1968年、ちょうど私が中学に上がった年だった。翌年に大卒で入団し、すぐに活躍を始めるチームメイトの山本浩二、阪神の田渕幸一らはどこかおっとりとしていて、ホームランこそ飛ばすが荒々しさは感じなかった。ところが衣笠は、目の前の自分より大きな動物に下から飛びかかろうとするような猛々(たけだけ)しい気迫を感じさせた。 それが、日本人である母とアフリカ系米国人の父の子に生まれたハーフの身の上、幼いころの心ないバッシングやいじめによって形成された心の奥の思いのためだったのかどうかはわからない。だが、明らかに衣笠さんは常に戦いを求めていたし、まるでボクシングで相手と殴り合っているような雰囲気で野球をしていたように感じていた。 ところが、そんなイメージとは裏腹に、当時から野球選手としては紳士的であった。死球を受けても、静かに一塁に向かう衣笠の姿がいまでも目に浮かぶ。衣笠は通算161個もの死球を受けており、清原、竹之内雅史に次ぐ歴代3位の記録だ。無事これ名馬というが、衣笠さんは死球をたくさん受けながら、休まず試合に出続けたのだ。 衣笠さんといえば、2215試合の連続試合出場記録が真っ先に語られるが、「鉄人」たるゆえんはそれだけにとどまらない。 衣笠さんは長嶋茂雄よりたくさんのホームランを打っており、その数は504本にのぼる。王貞治、野村克也、門田博光、山本浩二、清原和博、落合博満に続く歴代7位。張本勲と同数だ。実は田渕幸一、金本知憲、中村紀洋らのホームラン打者よりも多い。 盗塁も通算266を記録している。1976年、盗塁王にも一度輝いている。500本塁打以上では張本勲(319)に続く数字。長打力と機動力を兼ね備えた強打者だった。広島の衣笠祥雄選手(当時)=1968年6月  ゲッツー(併殺)と言えば、現役終盤のミスター巨人、長嶋の代名詞のように感じるが、ミスター鉄人はゲッツーでも長嶋をしのいでいた。併殺打の歴代1位は野村克也で378。これは鈍足ゆえもあるだろう。野村に続くのが衣笠で267。次いで大杉勝男が266、長嶋と中村紀洋は257で4位だ。三振を恐れないフルスイングの衣笠のスタイルがゲッツーの数に表れている。三振は意外と少なく、歴代9位の1587。1位清原(1955)、5位金本(1703)、6位中村(1691)らがはるかに上を行っている。 衣笠さんは、平安高校で春夏二度甲子園に出場したエリートではあるが、注目度はさほど高くはなかった。ドラフト会議は1965年から始まっているが、衣笠は「自由競争」の最後の年、1964年のオフに広島と契約を交わしている。6球団から誘いを受け、自らの意志で広島カープを選んだと語っている。当時の広島は新人たちがひしめいていた。何しろ、翌65年の第1回ドラフト会議で、広島は18人もの選手を指名している。このうち8人は入団拒否、入ったのは10人だが、衣笠が一軍に上がり、試合に出るには、大変な競争を勝ち抜く必要があった。衣笠の功績 二軍時代のやんちゃな逸話はよく知られている。契約金で買った高級外車を乗り回し、しばしば事故を起こした。深夜まで飲みに出て帰らない衣笠を合宿所で深夜3時まで待ち続け、それから朝までバットを振らせたコーチ関根潤三の逸話も有名だ。 入団3年目、監督に就任したのが根本陸夫だ。その後、西武、ダイエーの監督を歴任、フロントでも辣腕(らつわん)を振るった伝説の人物だ。 「ひと目見た時から、この人には逆らえないと感じました。人生のタガは外しちゃいけないと教えられた」と、後に語っている。その時のコーチが関根だ。 古き良き時代の指導者と、その熱血指導で才能を伸ばした選手。まだ発展途上だったプロ野球を隆盛に導き、日本中を野球の熱気で元気づけていた時代が遠ざかっていく実感がある。 パワハラ問題で揺れる世相の下、野球の指導姿勢も問われ、揺らいでいる。私自身、もはやスパルタ指導は違うと思うし、やらされる指導がプロ野球でも幅を利かせた時代は過去の遺物と思う。しかし、まだ成熟前の野球界で、少しでも世間の関心と好感と尊敬を得ようと必死になって野球に情熱を注いでいた当時の熱さは、子ども心に懐かしく感じられる。 思えば、衣笠がいなければ、いま当たり前になっている本拠地チームを熱く応援するムーブメントの礎も築かれなかったかもしれない。 関西のファンが阪神タイガースを熱烈に応援し、名古屋のファンが中日ドラゴンズを、広島のファンが広島カープを応援するのは当然のように思うファンが少なくないだろうが、赤ヘル旋風(せんぷう)が巻き起こる前は、関西でも名古屋でも日本じゅうで「半分は巨人ファン」というのが語られざる現実だった。 Bクラスが定位置の広島も例外ではなかったが、山本浩二とともに衣笠がカープを押し上げ、1975年には初のリーグ制覇するに至って、広島の誇りは勢いを持った。 Jリーグのホームタウン制が先駆けになったとはいえ、カープ優勝の感激を日本が体験していなければ、プロ野球にも本拠地チーム支持の伝統が今日のように定着するにはもっと時間がかかった可能性がある。その意味で衣笠祥雄は、日本のプロ野球に新たな生きる道を与え、次の夢をもたらした功労者と言えるだろう。衣笠祥雄氏の背番号「3」を掲げる広島ファン=2018年4月24日、横浜スタジアム(撮影・斎藤浩一) 惜しまれるのは、衣笠祥雄ほどの人物が、一度もコーチ、監督として後進の指導にあたる機会がなかったこと。なぜ引退後ユニホームを着なかったのか、これには諸説ある。いわく「球団との折り合いがよくなかった」「指導に興味も自信もなかった」「国民栄誉賞を受賞したために指導者として失敗が許されないと感じていた」といった逸話である。 特徴的な声、博識、歯に衣(きぬ)着せぬ発言も聞く者の心に響いた。評論家としての才覚が指導者への道を阻んだのかもしれない。 指導する「自信はない」と言う一方で、「60歳になったら子どもと一緒に野球をやりたい。全国を回って、そういう機会が持てれば」とも語っていた。プロ野球の指導者でなくても、小学生や中学生のグラウンドに衣笠が立ったら、どんな野球を演出しただろうか。それを思うと、衣笠のもう一つの夢が実現せずに終わったことを残念に思う。 他方で、広島カープ一途に歩み、1979年には悲願の日本一の立役者だった大先輩、衣笠祥雄に、2年連続リーグ優勝という「カープ黄金時代の再来」とも言える隆盛を見せた現監督、選手たちに敬意を表したい。 87年に当時の世界記録2131試合連続出場を達成し、本場アメリカにも日本野球の気高さを伝え、野球界発展に大きなエネルギーを与えてくれた衣笠祥雄さんのご冥福を心からお祈りします。

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    ハリル前監督の絶望は「日本サッカーの絶望」でもある

    小林信也(作家、スポーツライター) サッカー日本代表のハリルホジッチ前監督が都内で記者会見を開いた。「最悪な悪夢」「人間として深く失望」。突然の解任をそう表現した上で、ハリルホジッチ氏は約3年間、自分とチームが日本のサッカーメディアやサポーターの理解を超えた数々のドラマを演じ、予選リーグ首位でワールドカップ出場権を獲得した実績を誇らしげに語った。 「若い選手を起用すると分かったとき、みなさんのパニックぶりはすごかった」。W杯出場権を獲得した昨年8月31日のオーストラリア戦については、夢見るように、そして会場に詰めかけたメディアに鋭く斬り込むように話した。 最も大事な試合で、それまで日本代表といえば当然のように先発メンバーに名を連ねるだろうと、多くのメディアやサポーターが信じていた本田圭佑、香川真司、岡崎慎司の海外組を外し、当時21歳の井手口陽介、22歳の浅野拓磨をスタメンに起用した。 その試合では、浅野と井手口がゴールを決めた。先見性、確信を持った抜擢で選手とチームを大きく変貌させるという名将ならでは才覚を証明した会心の勝利であり、「サッカー監督とは何をする人か」を明確に表現した歴史的な偉業であったと、ハリルホジッチ氏は自負しているに違いない。 ところが、日本のサッカーメディアやサポーターは、その非凡さ、偉大さをほとんど理解しなかったし、さほどの評価も与えなかった。尊敬や感激よりも、むしろ外された有名選手の不満に寄り添った。 ハリルホジッチ氏は会見で「そのオーストラリア戦でW杯出場権を獲得しながら、試合に出られなかった2人の選手がガッカリしていた。彼らはそれまでに何年も試合に出ていた。彼らが、試合に出られずガッカリしていること自体、私は少し悲しく思った」とも語っている。 一方、田嶋幸三会長は4月9日の解任発表会見で、「信頼が少し薄れた」と語った。信頼が揺らいだのは、ハリルホジッチ氏に非があったからだろうか。監督は日本人選手を上から目線で見る傾向があり、そのため「気分が悪い」と感じる選手や記者がいたのは事実らしい。だが、それが解任に相当する落ち度と言えるだろうか。 解任後の世論では、「ハリルホジッチ監督が提唱した『デュエル』と『縦への速い動き』が日本人には適合しなかった」という論理が大勢だ。私はここに絶望を感じる。会見に臨む日本代表のハリルホジッチ前監督=2018年4月27日、日本記者クラブ(撮影・蔵賢斗)  「デュエル」と「縦への速い動き」は、多額の報酬と名誉ある抜擢にこたえて、ハリルホジッチ氏が日本に贈った明確な「未来を開く扉」であったに違いない。いずれ本当に世界の頂点を狙えるチームに押し上げるためには、それは避けては通れない基礎力だ。前回大会に限らず、きれいにパスを回してもゴールへの意識が低い、つまり決定力不足が持病のように染みついている日本サッカーを打破するためのメッセージだった。 しかし、監督の示した明確な方針に「そんなの嫌だ」「違う」と主力選手が反旗を翻し、不満分子となってチームに悪いムードを作り上げた。メディアもこれに加担した。従来の日本人選手やメディア、サポーターが信じるサッカー美学と合わなかったからだ。 会見でハリルホジッチ氏は「私に対するリスペクトがなかった」と語り、日本サッカー協会への不満をあらわにした。私は、ハリルホジッチ監督の解任は正当とは言えず、国際的にも恥ずべき決断ではないかと感じている。また、日本サッカー界の未来のために果たして意義があったのか、今でも疑問に思う。田嶋幸三会長の罪 サッカーを熱烈に愛し、論じる人たちが解任を是とする根拠の一つに、「結果が出なければいつ解任されても仕方がない。それがサッカーの世界基準だ」という思い込みがある。たとえ親善試合であろうと「今がダメならダメ」だという。果たしてそうだろうか。 ハリルホジッチ氏は、前任のアギーレ監督が過去の八百長関与の疑いで解任された後の2015年3月、代表監督に就任した。日本サッカー協会が、そしてサポーターたちがハリルホジッチ監督に求めた使命は、2018年のW杯ロシア大会への出場権獲得と本大会での上位進出、そして日本が世界に肩を並べる強豪になる道筋を拓くこと。主にこの3つだったのではないか。 その使命の一つをハリルホジッチ氏は果たした。次は「本大会での躍進」であって、本大会前の親善試合の勝利ではなかっただろう。だが、昨年12月の東アジアE-1選手権で韓国に大敗し、3月のヨーロッパ遠征でも1敗1引き分けに終わると、一気に解任論に傾いた。これは「勝てなければ解任は当然」という誤った世界基準を後ろ盾に、いかにも正当な決断であるかのように仕組まれた「クーデター」だと、ハリルホジッチ氏が感じるのも当然だろう。 田嶋会長は、ハリルホジッチ氏を斬って主力選手を取ったようにも見える。田嶋会長はなぜか協会の先輩役員たちに引き立てられ、若いころから「未来の会長」の座を約束されたようなエリート街道を歩んで来た。指導畑にいたこともあるが、現場での実績はそれほどない。言うなれば、「サッカー政治」の階段を上ってきたような人物である。どうせロシア大会後にはいなくなるハリルホジッチ氏と、今後も自分の支持者であってほしい代表の主力選手、どちらの歓心を買うのが賢明か。そんな判断で導いた決断のように感じなくもない。サッカー日本代表のハリルホジッチ監督(当時)と日本サッカー協会の田嶋幸三会長=2016年4月 もし勝負師であるならば、オーストラリア戦で見せた「ハリルマジック」を信じ、次なるマジックをゾクゾクしながら見守るだろう。そして、賢明な国際人であり社会人であれば、相手に特段の非がないのに一方的な解任を言い渡すような、野蛮な決断はできないだろう。 周到な準備を重ね、本大会に向けて仕込んだマジックのふたを開けて見せようと、ワクワクしていたハリルホジッチ氏のもくろみを、無粋な保身とつまらない常識論のために台無しにしたのである。 いま日本のサッカーがつまらないのは、とかくサッカーの常識や戦術論を振りかざす左脳人間たちが幅を利かせていることに起因する。欧州サッカーを見れば誰だって一目瞭然、魅了される芸術性を何より信奉していない、才気なき競技になっているからだ。 サッカーは、天才たちの芸術であるからこそ美しく、魅力的でもある。もし、後任の西野朗監督率いる日本代表が、火事場の馬鹿力的な効果を得て、それなりの結果を残したとしても、そこに再現性はないし、ましてや芸術性は低い。ハリルホジッチ氏の電撃解任が日本サッカーの悲劇にならないことを願うばかりである。

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    谷岡学長に教えたい「八田イズム」の真骨頂

    小林信也(作家、スポーツライター) 女子レスリングのパワハラ問題に、ようやく一つの動きがあった。日本レスリング協会が委託した第三者委員会の調査報告書が出され、4つのパワハラが認定された。4月6日、協会は臨時理事会を招集し、この調査報告書の内容を認定した。同日、栄和人氏が強化本部長を辞任。そして理事会の後、協会の福田富昭会長ら首脳陣が謝罪会見を行ったが、副会長の一人である至学館大学長、谷岡郁子氏の姿はなかった。 報告書で、パワハラが一部認定され、栄氏が強化本部長を辞任したことは、一つの進展と言えるだろう。だが、栄氏だけが責任を負い、他は謝罪だけで現職にとどまっており、これで十分な検証と再発防止策が構築されたと言えるだろうか。 ただ、協会の理事会及び倫理委員会は、「第三者委員会の報告・認定をそのまま受け入れる」という基本姿勢を明らかにした。それは「誠に潔い」との印象を受ける。ところが、第三者委員会の認定は告発された問題のごく一部に限られ、そのほとんどは栄氏の行為に対するものだった。 一方で、日本レスリング協会や会長、専務理事らは、シロ(もしくはグレーだがクロではない)と判定されている。「決定を全面的に受け入れる」との宣言は、「協会や会長、専務理事に問題はなかった」との報告を受け入れることと同義となる。つまり、結果的にこの騒動はあくまで栄氏個人の問題であって協会の根本的な体質見直しを問うことなく終息しかねない流れになっている。 記者会見では、強化本部長に栄氏を選んだ会長の「任命責任」が問われたが、私は福田富昭会長の責任は「任命」にとどまらないと考える。強化方針や日常の指導姿勢に関して福田会長はおおむね理解し、承認していたと思われるからだ。そもそも監督としての栄氏の指導方針は、日本レスリング協会第3代会長、八田一朗氏にちなんで「八田イズム」と呼ばれ、協会全体が信奉し継承する思想を根底に置いている。東京五輪レスリング金メダリストの花原勉氏、コーチのドガン氏、八田一朗・日本アマチュアレスリング協会会長(左から)=駒沢体育館、1964年10月 八田イズムは、言い訳を許さず、人間的な成長も重視する合理的な教えでもあるが、すべては「勝利のため」、勝利至上主義が徹底して貫かれている。第二次世界大戦の敗戦から立ち直ろうとしていた日本の当時の時代背景を理解しないと、一つ間違えばパワハラそのものと言われかねない極端な精神論を含んでいる。 これが根本的に見直され、新たな時代の指導論が構築共有されない限り、パワハラ問題の根っこはなくならないだろう。協会ホームページのリンクから「伝統の八田イズム」の記述がすぐ読める。そこにこう記されている。 東京五輪で金メダル5個を取り、世界有数のレスリング王国を築いた日本レスリング。その裏には、八田一朗会長(日本協会第3代=1983年没)の独特かつユニークな強化方法があった。 のちの日本レスリング界をも支えた「八田イズム」は、一見して“スパルタ指導”ともとられた。確かに、その厳しさは半ぱではなかったが、極めて合理的なことばかりであり、そのすべてが強くなるために意義のあることだったといえる。日本レスリング協会の強化の基盤であり、世界一になった選手を支え、現代でもその精神は脈々と生き続けている。 八田会長の残したすばらしい偉業と現代でも通じる強化法を紹介したい。(監修/日本レスリング協会・福田富昭会長、同・今泉雄策常務理事) これを見る限り、協会が世界一を目指すことに主眼を置き、普及や健康、生きがい作りといった活動にはそれほど熱心ではない体制も感じられる。「八田イズム」はパワハラそのもの そもそも協会は「底辺拡大」「少年少女への普及」「シニア層の参加」を促進する活動をあまり重視していない。今、スポーツが「一部競技者の活動」にとどまらず、その競技を通じて「健康の増進」「生きがいの創出」「地域コミュニケーション」などが重視される趨勢(すうせい)の中で、協会は「金メダルを取ること」こそが使命だと偏っているように感じる。 福田会長は記者会見で見る通り、スキンヘッドだ。これは2015年の世界選手権で男子が一つもメダルを取れず、リオ五輪の代表権を獲得できなかった責任を取るため頭を丸めたと報じられている。これも八田イズムの一つだ。 上記、《伝統の八田イズム》に付随して、《八田一朗会長の思い出》と題し、福田会長自身がこう綴っている。 八田イズムの教えの中で、勝てる相手に負けたとき、逃げ腰の試合をしたとき、時間に遅れたとき、掟を破ったとき、上下のヘアを剃るペナルティーがあった。東京五輪前後の流行語にもなった「剃るぞ!」である。 頭の毛を剃るだけではない。下の大事な毛も剃る。毛が伸びてくるまでの間、毎日朝晩と顔を洗ったり、風呂に入ったりするときに、自分の何とも言えないみじめな姿を見ることで、その悔しさをエネルギーに変える目的だった。 自発的な行為なら咎(とが)められないだろうが、これに強制的な空気があったなら、パワハラそのものではないのだろうか。 人間的で敬愛すべき存在であったという八田氏への深い信奉、心酔は理解できるが、これを第三者に強いる難しさも、協会は見直さなければいけない時期に直面している。そう考えることが果たして、福田会長、高田専務理事をはじめ協会首脳にできるだろうか。 そして、協会の副会長でもある谷岡氏は、記者会見には同席せず、理事会後も報道陣に対して無言を貫いた。おそらく、3月15日に開いた記者会見に対するメディアや視聴者の反応があまりにもご自身の意向と違い、自分こそハラスメントを受けている被害者だ、との思いを強めているのではないだろうか。 翌日、谷岡氏は文書でコメントを発表し、至学館大レスリング部の指導は今後も栄氏に託す、つまり「栄監督続投」を宣言した。内閣府の調査結果がまだ出ていないにもかかわらずだ。その内容次第ではさらに厳しい責任が追及される可能性もある段階で、この宣言を出す意味は主に二つあるだろう。歪んだ価値観を持つ協会 まず、谷岡氏にとって何より重要なのは至学館大の大学運営と思われる。最初の記者会見も卒業式の直前に行われたものだ。今回は入学シーズン、栄氏を慕って入学、入部してくる新入生やその家族に与えている不安を払拭する必要がある。在校生とその家族の動揺を鎮める必要もある。 同時にこの宣言には、パワハラ認定は受けたものの、栄氏が生徒や選手にしている指導は、基本的に間違っていない、オリンピックで金メダルを取るためには必要な厳しさだ、との思いが込められているように感じる。謝罪の言葉が一切ないのは、その気持ちの表れではないだろうか。まさにこうした考え方、捨てきれない思い込みこそが、日本のパワハラ体質、スポーツに限らず日本社会に染みついている悪しき上下関係、結果主義を改善できない温床だといえる。 こうした状況を踏まえれば、谷岡氏は、「メディアやそれに影響されて自分をバッシングする人々は綺麗事に走っているが、それで金メダルが取れるほど甘くない、事実自分たちはその厳しさを貫いて金メダルを取ってきた、国民は感動したではないか、今後もそうやって金メダルを取ることが自分たちのアイデンティティーだ」と、信じているように感じる。 だが、私たちは目覚めなければならない。もうパワハラ的な指導で取った金メダルは支持しない、感動しないぞ、という考え方が必要だ。そうでなければ、日本のスポーツ界は永遠にパワハラを容認し、金メダルさえ取れば許される歪んだ価値観に蝕(むしば)まれ続けるだろう。 奇しくも、《伝統の八田イズム》の記述の8番目には、『マスコミを味方にしろ』と題し、次の一節がある。 八田会長は早大の後輩でありプロレス・メディアのパイオニア、田鶴浜弘氏との交流の中でジャーナリズムの重要性を学んだ。(中略)「ライオンとのにらめっこで精神力を鍛える」「沖縄へハブとマングースの戦いを見せに行き、戦う魂を学んだ」といった話も有名だが、強化に直接の実効性があったかどうかは疑問。オリ越しににらみ返してくるライオンはいないし、観光客相手の見世物を見て戦う魂がつくとは思えない。しかし、世間の注目を集めることで選手を追い込み、奮起させるに十分な役割を果たした。 耳が痛い記事があっても一切文句をつけず、レスリングに関する記事はすべて歓迎した。新聞記者には「批判記事でもいいから、毎日でもレスリングを書いてくれ」と注文し、周囲には「悪口も宣伝と理解する度量をもたないと、大きな発展は望めない」と説いた。 日本レスリング界が報道規制をほとんどせずマスコミの取材を歓迎するのも、八田イズムの真骨頂。周囲からの注目と応援も強化の大きなエネルギーとして活用した。 協会副会長でもある谷岡氏は、この一文を読んでいるだろうか。もし読んだとしたら、副会長としてこれをどう受け止めるのか。メディア対応も含めて、協会は新たな方針を共有する必要に迫られているのではないだろうか。

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    大谷翔平の評価はまだ早い! 最大の敵は「データ野球」メジャーの洗礼

    小林信也(作家、スポーツライター) 大谷翔平が、鮮烈な二刀流デビューを飾った。打者としては、メジャーリーグ(MLB)初打席でヒットを打ち、投手としては2日のアスレチックス戦に先発し、6回3失点ながら初勝利を挙げた。 また、本拠地初スタメンの3日(現地)のインディアンス戦では、いきなりセンター右へ3ラン本塁打。そして翌4日のインディアンス戦でも2014、17年のア・リーグのサイ・ヤング(最優秀投手)賞右腕、コリー・クルバー投手から5回に2号2ランを打った。 大谷はこの滑り出しですっかりエンジェルス・ファンの心をつかんだ。そして、半信半疑のまなざしもあった全米のファンとメディアに「二刀流の実力がホンモノである」との強烈な印象を与えた。 一連の衝撃デビューには、いくつもの驚きがある。一つは、投打ともオープン戦であれほど厳しい結果だったが、ごく短期間で修正し、見違える輝きを見せたことだ。何しろ、投手としての大谷はオープン戦で4試合17失点。「動かないフォーシーム(ストレート)」を狙い打たれて、メディアの論調は「マイナーから経験を積んだ方がいい」とまで評価が下がっていた。 打者としてもMLBのスピードと厄介な動くボールに対応できず、15打席ノーヒットを含め一時は打率1割を切った。そうした苦しみがウソのような活躍だ。 もう一つは、日本のファン以上に、全米の野球ファンが「二刀流」への憧憬(しょうけい)と期待を持っていたことだ。開幕スタメン出場した野手が、10試合以内に先発登板するのはベーブ・ルース以来90年ぶりで、二刀流に対する全米の湧き方は想像以上だった。 投手デビューとなったアスレチックス戦は、昨年のアメリカン・リーグ西地区4位のエンジェルスと、5位(最下位)の戦いになった。普通なら全米が最も関心を寄せないカードといっていい。ところが、この試合が全米に生中継されており、いかに注目が高かったかを物語っている。  では、大谷がこれほど短期間に変身を遂げた理由は何だろうか。まず、打者としては、フォームを変えたことだろう。MLBのスピードと変化に対応するため、右足を高く上げるのをやめ、ほぼノーステップのすり足に変えた。これで、速球に差し込まれる不安を解消し、余裕を持ってボールを捉えられる間合いを作った。2試合連続本塁打となる2ランを放つエンゼルスの大谷翔平投手 =2018年4月4日、米カリフォルニア州(ゲッティ=共同) イチローが、日本のプロ野球では振り子打法だったが、MLBではそれを封印して成功した例に通じる。大谷は元々、打者としての才能の方が高いと筆者は感じている。なぜなら、投手を上から目線で捉え、自分の間合いに持ち込む感覚を持っているからだ。MLBでも開幕からずっと自信に満ちた構えをしている。すり足打法に変えたあと、特に弾みをつける動きをしなくても「MLB投手の球がスタンドまで届く」と確信できたため、力(りき)む必要もなくなった。打者としては、着実に活躍を重ねることが期待される。 一方、投手としては、スライダー、スプリットなどの変化球を多投し、「動かないから打ちやすい」と酷評されたフォーシームで真っ向勝負する雰囲気からの転換に成功したことで、初勝利を挙げた。特に、2ストライクに追い込んでから、外角低めのボール・ゾーンに沈むスプリットが効果的だった。投手デビュー戦で奪った6個の三振のうち5個がこのスプリットだった。投手としての大谷 このように、大谷は投打とも快調なデビューを飾り、オープン戦での酷評を吹き飛ばした。全米が手のひらを返したような翔平フィーバーに変わっているが、果たして今後もこの好調は続くだろうか? まず、大谷にとって今後最大の敵、もしくはテーマは、立ちはだかる「MLBのデータ分析力と徹底力」だろう。日本のプロ野球も、ここ数年はトラックマンなどのデータ解析機器を駆使した研究が盛んになっているが、データ野球の本家MLBは日本よりはるかに精緻で進んでいる。 しかも、解析されたデータを生かす姿勢も日本より徹底している。大谷が短期間で変身できた陰にも、データの助けがあった可能性がある。次にデータ分析に晒(さら)されるのは大谷だ。デビュー戦の投球や打撃を相手チームが分析し、どんな対応をしてくるか、これを大谷がはねのけることができるかにかかっている。MLBで生き残るためには、こうした分析を乗り越える必要がある。 次に投打の課題を想定してみよう。打者大谷の課題は、内角に速球を思い切って投げ込んだ上で、外角ギリギリや内角膝元の変化球を有効に使われた場合の対応だ。 クルバーから打った第2号も、外を狙った球が真ん中寄りに甘く入ったところを捉えた。もちろん、それを逃さず打った大谷は見事だったが、今後はこうした甘いボールを相手投手たちは戒めて来るだろう。第一打席では、膝元の変化球の後、外角ギリギリに速球を決められ、見逃し三振に斬られている。これが相手チームにとってはひとつの基本になるだろうし、そのとおりキッチリ攻められたら、大谷としてもそう簡単には打ち返せない。 そして投手大谷には、まだ課題が多く残っている。初勝利を挙げた相手打線が、昨年最下位のアスレチックスだったことを少し割り引く必要があるかもしれない。追い込んだ後のスプリットは有効だったが、それは有利なカウントに持ち込めたからだ。有利にするには、初球からストライクを狙う必要がある。相手打者が、カウントを取るに来るフォーシームやスライダーを狙いに来たとき、大谷が余裕を持ってそうしたボールを投げ込めるだろうか。 また、不利なカウントになった場合に投げるボールが投手大谷の、現段階での最大の課題だ。オープン戦では、3ボール1ストライクからほぼ9割、フォーシームを投げて、これを狙い打たれた。たとえスピードが160キロ前後でも、MLBの好打者たちは「来る」とわかっていたら苦にせず打ち返す。メジャー初登板し、初勝利を挙げたエンゼルスの大谷翔平投手 =2018年4月1日、米カリフォルニア州オークランドム(共同) この日も大谷は、速球(フォーシーム)を投げるときに引っかけて外角に大きくショートバウンドするボールを投げる場面があった。これは、投げる瞬間、打者の威圧感を感じ、ストライクを投げたら打たれる、と直感してとっさに逃げたための失投とも見受けられる。そういう場面がオープン戦でも見られた。つまり、まだ大谷自身、本当に自信を持って投げ込めているとは言いがたい状態なのだろう。 ただ、筆者は、投手としての真価は、2戦目以降に問われると思っている。そしてもちろん、そうした課題や壁を乗り越えて、投手としても大きく成長することを期待したい。

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    「最低50歳現役」イチローの言葉は日本球界をナメている

    小林信也(作家、スポーツライター) 米大リーグ、イチローのシアトル・マリナーズ復帰が決まった。3月に入っても今季の活躍の場が決まらないイチローにファンも不安を隠せなかったが、ついに44歳のシーズンもメジャーリーグ(MLB)でプレーすることになった。 入団会見でイチローは「皆さん、よく『50歳まで』という話をされることが多いですけど、僕は最低50歳といつも言っているので、そこは誤解しないでほしいですね」と語った。40歳を超えれば、どうしても年齢の話が多くなる。だが、イチローは年齢で判断されることを嫌っている。年齢より、今の身体の状態、選手としてのパフォーマンスで判断してほしいという。 「どうやってそこまで過ごしてきたか、ということによって、同じ年齢でも状態としては違うことは当然。そういう見方をすれば、それだけでくくるのはどうなのかな、という思いはあります」 若いころから、身体の手入れ、日常の管理を徹底して重ねてきたイチローのプライドが言葉からは垣間見える。だからこそ、長いMLBの歴史の中でも、過去に数人しかいない44歳でのメジャー契約を勝ち取ったのだ。 マリナーズが契約に至った理由は明らかだ。シーズンを前にマリナーズの外野陣が次々とケガで戦列を離れたからである。27歳のミッチ・ハニガーが出遅れている上、25歳のベン・ギャメルが打撃練習中に右脇腹を痛め、4月末までの離脱が決定的となった。マリナーズのジェリー・ディポトGM(ゼネラルマネージャー)は、ギャメルがケガをした翌日、イチローの代理人に連絡を取り、具体的な交渉に入ったという。マリナーズ入団会見でジェリー・ディポトGM(左)とユニホームを手に 笑みを見せるイチロー=2018年3月7日、アリゾナ州ピオリア(撮影・リョウ薮下) 当初は「MLBの最低保障年俸4万5000ドル(約5千万円)」と報じられたが、どうやら「年俸75万ドル(約8000万円)」だったことが記者会見後に判明した。それは、イチローの年俸が最も高かった頃の約19億円に比べると5パーセントにも満たないらしい。年棒の低さを揶揄するメディアが多かったが、もはやイチローにとって経済的な条件は契約の上で絶対に譲れない条件ではない。出来高契約を全部満たしても200万ドル(約2億1千万円)まで下がったが、契約金額よりも活躍の場が与えられることが何より重要なのだろう。 昨季マーリンズでは、主に代打だったが、136試合に出場した。これはほぼ毎試合出場していたに等しい数字だが、シーズン通しての打撃成績は215打席、50安打、3本塁打、20打点にとどまった。打率は255。1盗塁を記録しており、MLBで連続18年間、日本プロ野球(NPB)も合わせて25年連続盗塁を記録している。この間、2016年まではずっと二桁盗塁だった。「安打製造機」の性能と並んで、40歳を超えても走れる身体能力を維持していることへの驚嘆と敬意がイチローを「特別な存在」にしている向きもある。日本のプロ野球は魅力がない? マリナーズでは少なくとも、ギャメルが復帰する4月下旬まで先発出場に恵まれるチャンスが高い。この間の活躍がその後のシーズンを左右する。さらに言えば、来季以降の契約を他球団も含めて検討してもらうために、イチローにとっては後に引けない1カ月になる。 過去、44歳で最も多くの試合に出場したのは、歴代通算最多安打記録を誇るピート・ローズで119試合だ。ローズはこの年(1985年)、405打数107安打46打点8盗塁。いずれも44歳の最多記録となる。この年に往年のスター打者、タイ・カッブの通算安打を抜き、4192安打を記録した。 44歳での最多本塁打は5本、最高打率は.294であるが、これはいずれも日本でもロッテでプレーしたフリオ・フランコの記録だ。イチローにはこれらの数字を上回る可能性が大いにある。 イチローのマリナーズ復帰は日本のファンにも歓迎され、安堵と期待の空気が流れている。だが、次の言葉を私は複雑な思いで聞いた。入団会見でイチローはこう語った。 「いずれまた、このユニホームを着てプレーをしたいという気持ちが心のどこかに常にあったんですけど、それを自分から表現することはできませんでした。(中略)こういう形でシアトルのユニホームでプレーする機会をいただいたことは、2001年にメジャーリーグでプレーすることが決まった時の喜びとはまったく違う感情が生まれました。とてもハッピーです」 日本球界復帰を期待する声も根強くあった。しかし、イチローの思いは当然のことかもしれないが、MLBにあった。イチローにとって故郷はもはやオリックスでも日本球界でもなく、マリナーズのあるシアトルだ。これを痛い思いで感じたファンはどれほどいただろう。 それは、一度MLBの味を知ってしまったら、「MLBにとどまりたい」「一日でも長くメジャーリーガーでいたい」と思わせる魅力があるからだろう。一方、日本のプロ野球にはその魅力が薄い。そこをわれわれはもっと真剣に見つめ、日本のプロ野球を変える動きに向かわなければならない。 今季からヤクルトに青木宣親、巨人に上原浩治、2人のメジャーリーガーが復帰した。 「50歳まで現役は誤解、最低50歳」と語るイチローの言葉を深読みすれば、「メジャーで場所がなくなったら日本で」「日本の球界なら間違いなく歓迎されるだろう」との思いがあるかもしれない。 同時に、その言葉からは「本当はメジャーでやりたい」「日本の球界にメジャー以上の魅力はない」との思いも察せられる。 日本の球界関係者は、キャンプが始まる時期を過ぎてもなお「メジャーしか考えなかった」イチローの思いをもっと重く受け止めるべきではないだろうか。ベンチで厳しい表情を見せるマリナーズのイチロー外野手(右端) =2018年3月14日、米アリゾナ州ピオリア  日本のプロ野球には魅力がない。日本が、戻って来たい場所でなく、仕方なく帰って来る場所でいいはずはない。日本のプロ野球は、メジャーを経験した選手たちから素直に学び、ビジネスや環境など、メジャーリーグにあって日本のプロ野球にないものをはっきり認識し、必要な変革に取り組むべきだろう。 マリナーズでイチローが何年プレーできるか。それは日本球界がイチローを迎えて新たな挑戦をするまでの猶予期間ともいえる。44歳になったイチローをただ「凄い」と賛美するのでなく、日本プロ野球がイチローに「最後の活躍の場」に選んでもらえるよう、未来に向けて動き出す姿を見たい。

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    伊調馨パワハラ騒動、谷岡学長「怒りの会見」に私が徹底反論する!

    小林信也(作家、スポーツライター) 女子レスリング、伊調馨選手をめぐるパワハラ騒動に世間の注目が集まる中、告発された栄和人氏が監督を務める至学館大学の谷岡郁子学長が3月15日、学内で記者会見を開いた。この会見で谷岡学長はどんな話をされるのか、リアルタイムで送られてくる画面を見つめた。このときの自分の気持ちをあえて表現すれば、「祈る思い」に近かったように思う。なぜなら、谷岡学長には一連の騒ぎを終息に向かわせ、世間がホッとする着地点に導く力があると期待していたからだ。 ところが会見が始まると、想像していたものとは違う一方的な発言の繰り返しだった。詳細はすでに多くのメディアで語られているが、「伊調馨は選手なんですか?」「その程度のパワーしかない人間なんです、栄和人は」といった、あまりに辛辣な言葉の数々に対し、多くの人が何を感じたか、もはや注釈するまでもないだろう。 誤解を恐れずに言えば、谷岡学長の会見は、今回告発されたパワハラの体質、それが引いては日本社会に深くはびこっている現実をいみじくも教えてくれた。「この人自体がパワー(権力者)だよね」という声が会見後に多く聞かれたのは、その証左であろう。もしかすると、谷岡学長ご自身は、あの記者会見の中で権力者の思い上がりや驕(おご)りがあふれ、誰かを傷つけている可能性があることに気づいていないのかもしれない。 世間が一連のパワハラ騒動に大きな関心を寄せているのは、ただの興味本位ではない。五輪で4度も感動させてくれた伊調選手と、その選手たちに寄り添い、感動の涙に笑いまで加えてくれた栄監督を案じる気持ちの方が大きいように思える。 もし告発された内容が事実だったとしても、「栄監督は憎めない」「あれだけ感動させてくれた人だから」といった声も周囲から聞こえる。もちろん、告発が事実なら責めを受け、猛省すべきことが前提だが、むしろ世間の受け止め方は伊調選手を案じるだけでなく、騒動発覚後に体調不良を訴えた栄監督を心配する声も大きい。それほど女子レスリングのメダリストたち、それを支えてきた栄監督は「愛されている」のである。 にもかかわらず、谷岡学長は会見の中で栄監督を擁護するような立場で語りながら、なぜか当人を慮(おもんばか)る気持ちが伝わって来なかった。「伊調馨は選手なんですか?」と言い放ったリスペクトのなさも、きっとその延長線上なのだろう。 テレビやネットを通じて記者会見の様子を見た多くの人が、谷岡学長の発言に落胆し、憤りを覚えたに違いない。言葉は悪いが、伊調選手も栄監督も「まるで自分の所有物」のようにしか思っていない節がある。公の場では似つかわしくない言葉を連発し、むしろ本来擁護するはずだった栄監督を貶(おとし)める表現まであった。世間と谷岡学長、どっちの方が騒動の渦中にある二人を本気で心配しているだろうか。会見の質問に考え込む至学館大の谷岡郁子学長 =2018年3月15日、愛知県大府市 むろん、この問題はどちらが悪いかを裁くのが目的ではない。事実なら悲しい現実であり、絶対に改めてもらわなければならない。だが、栄監督だけを糾弾し、それで終わりとは誰も思っていない。告発された内容は度を越えてはいるが、少なからず日本のスポーツ指導者の多くが抱えている「悪しき体質」だと誰もが認識している。 スポーツに限らず、職場でも家庭でも、同様の体質や構造が存在する。とはいえ、その悪しき体質から脱却し、今こそ新しい関係を築き上げる必要があることに日本人は気づいている。これは決して栄監督一人の問題ではない。日本社会全体が抱えた問題であり、もっと言えば「自分自身の問題でもある」と多くの人が感じているのではないだろうか。 残念ながら、谷岡学長の会見の様子からは、ご本人にその自覚があるのか、最後まで伝わって来なかった。むしろ守るべきは、学長としての自分の立場であり、引いては至学館大学であることに終始していたように感じたのは筆者だけだろうか。谷岡学長の怒りの矛先 記者会見の序盤、谷岡学長は会見の前日に放映されたテレビ番組を見て「私の怒りは沸点に達した」と言い放った。どうやらそれは、筆者もこのとき出演していたフジテレビ系情報番組『バイキング』を指していたようである。 この日の『バイキング』では、週末に群馬県高崎市で行われた女子レスリング国別対抗戦のワールドカップ(W杯)をめぐり、日本代表の選考基準を「昨年12月の全日本選手権で1位、2位の選手」を基本にすると日本レスリング協会が明言しながら、1階級だけ「5位の選手(準々決勝敗退)」が選ばれていたことを取り上げた。実はそれが栄監督の長女、希和選手だったことに触れた上で、選考基準に曖昧さがあると投げ掛けたのである。 もっとも、この問題がデリケートであることは、番組スタッフも筆者も十分に承知している。番組では「選考基準に問題がないのか?」とMCの坂上忍さんに聞かれ、どう表現すべきか苦慮したが、「無理がある」と発言した。 栄希和選手の実績はもちろん認めている。番組中に「栄希和さんもずっと努力して…」とその実績や実力を語ろうとしたが、「お子さんに罪はない!」と坂上さんも強い口調ではっきりと語っていた。ところが、谷岡学長によれば、番組内で「資格がない」などと表現したように受け止めてしまったらしい。 今回の選考について話を戻すと、実は2位の選手が1階級上の代表になっている。普通に考えれば、空いた枠を埋めるには、準決勝で敗れた3位の選手2人から選ばれてもいいはずだが、今回はなぜか違った。たとえ希和選手に十分な実績と実力、将来への期待があるにしても、彼女を破って準決勝に進んだ選手がいる。その選手はなぜ選ばれなかったのか。むしろ、日本レスリング協会が明快な理由を示すべきではなかったのか。これはあくまで一般論だが、スポーツの選考において、そのような「特例」はこれまでの実績がよほど図抜けているか、優勝した選手に僅差で敗れるなど試合内容を考慮した場合を除いて認められるケースはほとんどない。大学の旗を手に谷岡郁子学長(左)、栄和人監督(右)と記念撮影に応じる吉田沙保里副学長=2016年11月、愛知・大府市の至学館大 もっと言えば、一連のパワハラ騒動の告発者の一人で伊調選手を指導する田南部力コーチと栄監督の「確執」も決して無関係とは言えなさそうである。一部報道によれば、田南部コーチの長女も過去に女子レスリング世界カデット(16、17歳)選手権に優勝するなど、レスリング界では東京五輪を目指す有望選手として知られているが、女子の日本代表合宿には招聘されなかったという。ある大会では2位になったにもかかわらず、なぜか3位の選手が合宿に参加したこともあったらしく、内閣府に提出された告発状にも、この件がレスリング協会によるパワハラの一つとして記載されている。 「事実関係を明らかにしてほしい」と林芳正文部科学相は要請したが、田南部コーチと栄監督の確執の背景に実娘の扱いをめぐる複雑な思いがある以上、真相解明にいくら第三者が聞き取り調査を重ねても、人の心の綾(あや)まで読み解くことなどできるのか。その難しさ、複雑に絡み合う思いが騒動の背景にあることを、筆者は番組を通して伝える必要があると思ったのである。 だからこそ、どっちが「正義か悪か」で論じるべきでないという一貫した姿勢で筆者はこの問題と向き合っている。ところが、谷岡学長の思考回路は違った。「世の中には敵か味方かしかいない」。彼女の発言からは、そんな思いに囚われているのではないかとさえ感じた。なぜ争いたがるのか 実際、会見ではメディアを敵視するような発言もあった。まるで自分たちは弱者であり、報道の「被害者」であるかのように訴える論陣を張った。何度も繰り返すが、そもそも「白か黒か、敵か味方か」の発想そのものが、パワハラのような心の問題にも微妙に影響する。この騒動で苦しんでいる当事者たちの気持ちに少しでも寄り添えば、誰もができるであろう、ちょっとした気遣いを教育者である彼女はなぜできなかったのか。 むろん、谷岡学長に限った話ではない。生徒のことよりも「立場や組織を守ること」に無意識に縛られる教師は珍しくない。だから学校は悩める子どもたちの味方になれない、あの会見で改めてそのことを思った。 教育の世界やスポーツ指導に携わる人が、どうしてそこまでシロクロにこだわるのだろうか。いみじくも谷岡学長は会見の後半で、伊調馨選手が「私は相手を倒そうとは思っていない」と話したことへの驚きと感動を語った。 伊調選手は、谷岡学長の知る領域を超えてレスリングの、そしてスポーツのもっと深い次元に思い至った。その成長になぜ素直に寄り添えないのか。 内閣府に提出された告発状には「練習場がない」という訴えもあったが、谷岡学長はこの件についても「私が許可すれば、いつでも伊調馨は至学館のレスリング道場を使える」と発言し、告発者の訴えを切り捨てた。世界選手権日本代表強化合宿の公開練習する 伊調馨選手(中央)ら =2013年9月、東京・北区 谷岡学長はなぜ、伊調選手が至学館レスリング道場を本拠にしたくないと思っている気持ちすら理解できないのか。もし、今の道場の空気が本来あるべき姿と違っているのなら、何をどう改善すべきなのか、彼女の立場であれば真っ先にそこに思いを寄せるのが筋だろう。 そうした「思考の硬直化」もまた、谷岡学長に限ったことではない。多くの場合、地位や権力を得た者が立場を守ろうとすると、自分の常識や前提を打ち破ることができなくなる。しかし、自分より下の立場の者であっても、先を越して活躍したときはその喜びを素直に受け入れる慣習を私たちは今こそ学ばなければならない。いや、日本社会はそういう時期に直面しているのだと思う。 ただ、もし谷岡学長の「怒りの会見」によって、多くの日本人がはっきりとそれに気づかされ、共有できたとすれば、「スポーツ界が大きく変わる歴史的出来事になった」と言える日がいつか来るのかもしれない。

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    伊調馨「パワハラ騒動」に思うスポ根主義の弊害

    小林信也(作家、スポーツライター) 女子レスリング界で「名コーチ」として知られる栄和人強化本部長が、パワハラの告発を受けた。今週発売の『週刊文春』が報じた。 世の中が「パワハラ」に対して強い態度を明確にし、スポーツ界でもこの問題が告発された事例は過去にもある。しかしその都度、告発された当事者やその競技だけの問題として扱われ、スポーツ界全体が持っている「根本的な体質」までは指摘されることはなかった。 今回、五輪4大会連続で金メダルを獲得し、国民栄誉賞も受賞した伊調馨選手に関するパワハラ疑惑が表面化したことは、当該コーチや女子レスリング界の問題だけにとどまらず、スポーツ界全体が自分の問題と捉え、すべてのスポーツ指導者、スポーツ組織、もっと言えば選手やその親、支援者も含めて、本質的に考え直す契機になるのではないだろうか。いや、そうしなければならないと感じている。栄和人氏のパワハラを内閣府へ訴えた告発状の写し 告発状が伊調馨本人から提出されたものならば、「伊調馨と栄コーチの問題」と理解すべきだろうが、今回はそうではない。実際に告発状を提出したのは貞友義典弁護士であり、週刊文春の記事には貞友弁護士自身が「この告発状は、五輪出場選手を含む複数の協会関係者から依頼され、作成したものです」と語っている。 『伊調馨悲痛告白』の見出しが大きな活字で記された週刊文春の記事を見れば、伊調馨本人の告発のように思えるのだが、内容を読むとそれが第三者によるものだったことが分かる。また伊調自身は、所属するALSOK広報部を通じて「報道されている中で、『告発状』については一切関わっておりません」とのコメントも発表している。 つまり、今回の告発は、その目的が「伊調馨と栄和人監督の関係改善を求める」ことではないのである。具体的に最も明確なのは、伊調を熱心にサポートしたために、当時レスリング男子日本代表コーチだった田南部力氏が「警視庁のコーチを外され」「その後、代表コーチも外される」という「不当な圧力」を受けたことへの告発であり、田南部氏の復権と、パワハラという卑劣な行為がまかり通るレスリング界の「人事刷新」「体質改善」への要求とも受け取れる。「うちの子は殴っても構いません」 文春で告発が報じられた後、栄和人コーチは報道陣の取材に応じたが、いつもの陽気さや威勢の良さはなく、総じていえば「身に覚えがない」「誤解があったとすれば言葉が足りなかったのかもしれない」といった沈痛な言葉を重ねた。金メダルを決め日の丸を掲げ記念撮影に臨む伊調馨選手、 栄和人監督=2012年8月8日、英ロンドンのエクセル これだけを見ると、双方の主張には大きな隔たりがある。告発された事実を栄氏はほとんど認めなかった。現時点では栄氏がどんなパワハラをしたのか、そもそもパワハラの事実はなかったのか、断定することはできない。だが、この報道を見て筆者が感じたのは、スポーツ界全体を当たり前に覆っているパワハラ体質の根深さである。「勝つためにはそれが当然だ」とする指導者や組織全体の思い込み、それを改善できない社会的悪癖を今こそ見直すべきだという、切実な問題意識をスポーツ界はどう受け止めているのか。 今の時代、世間では体罰やパワハラが問題視される一方、オリンピックでメダリストが誕生するたびに、パワハラ体質を持つコーチや指導者たちが「名将」と持ち上げられ、賛美される現実がある。金メダルのお祭り騒ぎが続く中でいつしか「パワハラ」は不問に付され、選手と指導者の二人三脚による努力と根性の軌跡は、むしろ「感動ドラマ」に仕立て上げられる。鬼コーチは昔からスポ根ドラマには欠かせない存在であり、むしろ多くの日本人に愛されるキャラクターでもある。 スポーツ界のパワハラ体質をいかに是正していくのか。その取り組みの中で最も厄介な問題は、本来パワハラの被害者であるはずの選手や家族、支援者、アシスタントコーチといった「権力的に弱い立場」の当事者たちが、行き過ぎた指導があっても「必要だ」と思い込んでしまうことである。ある種の洗脳にも似た感覚的なものだが、当事者たちはそうしなければ勝てないと思っていたり、将来自分が指導者や組織の長になれば、同じやり方で行き過ぎた指導をするだろう、という歪んだ考えがスポーツ界を支配している気がしてならない。言い換えれば、「同じ穴の狢」が幾重にも連鎖しているのである。 筆者は過去十年間、少年野球、そして中学硬式野球チームのコーチ、監督を務めてきた。小学生の野球なのに、鉄拳を振るい、跳び蹴りをするコーチの姿を見て仰天したこともあった。今も言葉の暴力と思える言動は日常的に繰り返されている。野球少年の親たちの中には「監督、うちの子どもは殴ってもらって構いませんから」と体罰を容認する人だって決して少なくはない。そうした誤ったスポーツ観、教育観を覆さなければ、スポーツ界全体を巣食うパワハラはこれから先もずっと繰り返され、スポーツが真に文化や芸術の領域まで踏み入れることもないだろう。 今回の告発をきっかけに、本質的なスポーツ界の大転換が始まり、徹底的に新しい発想をスポーツの根底に据える挑戦をしなければ、2020年に東京オリンピックを迎える意味もない。勝利至上主義、金メダルのお祭り騒ぎ、成果を挙げた選手やコーチのタレント化、それを利用して本質を忘れたスポーツビジネスを持て囃(はや)す日本社会への警鐘だと筆者は感じる。これはスポーツ界だけではなく、日本社会に突き付けらた命題なのである。

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    東京五輪、消滅危機に思うボクシングと日本人

    小林信也(作家、スポーツライター) 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が、2020年東京五輪の競技から「ボクシングを除外する可能性がある」と語った。共同通信は次のように伝えている。 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は4日、韓国の平昌で開かれた2日間の理事会終了後に記者会見し、統括団体のガバナンス(組織統治)や審判の判定で問題が指摘されているボクシングを2020年東京五輪の実施競技から除外する可能性を明らかにした。国際ボクシング協会(AIBA)は1月下旬にラヒモフ副会長(ウズベキスタン)を新会長代行に選出したが、同氏は米財務省から「ウズベキスタンの代表的な犯罪者の一人で、ヘロイン売買に関わる重要人物」と指摘されている。AIBAでは、規約違反を指摘された呉経国会長(台湾)が昨年11月に辞任したほか、リオデジャネイロ五輪では相次ぐ不可解な判定で八百長や買収の疑惑が出るなど混乱が続く。IOCは独自調査の着手や、昨年12月に凍結した分配金を含む全ての支払い停止を決め、AIBAに報告書を求めた。(共同通信) ボクシングは紀元前4000年ころには既に行われ、古代オリンピックの正式種目だったともいわれる伝統的競技である。バッハ会長の発言は、競技者や関係者だけでなく、ファンの間にも動揺を与えたことだろう。 今回は主に統轄団体であるAIBAのガバナンスや管理体制に対する警告だが、以前からボクシングという「競技そのもの」に対する反対や禁止を求める意見も根強い。五輪からの除外が「競技の社会的立場」を悪くする。言い換えれば、「ボクシング禁止」の議論が今後、国内でも加速するのではないかという心配もある。ロンドン五輪でファルカン(ブラジル)を破り、金メダルを獲得した村田諒太。東京五輪以来、48年ぶりとなる日本人金メダリストとなった=2012年、ロンドン そもそもボクシングは「殴り合う」という、人間同士の最も原始的な衝突を起源としている。「戦わずして勝つ」の境地を求める武術と違って、相手を倒す、古くは相手を殺すまで戦い、それを貴族や観客が熱狂して見たという歴史に根ざしている。差別、体罰、パワーハラスメントなど、暴力的な人間関係を徹底して排除する現在の世界的な流れからすれば、「よほどの正当性がなければ存続は難しい」とみるのが妥当かもしれない。日常生活では法律で禁止されている暴力が、ルール上の制約の範囲内とはいえ、リングでは正式に認められている。言うなれば「治外法権的な競技」なのである。競技者の安全を確保するためにグローブという道具を使い、重大な障害につながらないよう、医療体制、管理体制を強化している。だが、ノックアウトという「目的」自体が、どう表現しても「危険」そのものであることに変わりない。 「危険だからこそ意味がある」。元来、それが持って生まれた人間の性質であり、社会の現実という主張も一方ではある。ボクシングには、人間の闘争本能、理屈抜きに魂を触発する要素が秘められている。これは善悪、道徳論を超えた人間の真理とも言える。だからこそ、数あるスポーツの中でも文学や映画の素材に選ばれ、描かれ、世界中の読者や観客に興奮と感動を与える作品が歴史的に多く残されているのだろう。 米ハリウッド俳優、シルベスタ・スタローン主演の映画『ロッキー』は、日本でも大ヒットした。そのテーマ曲は、他のスポーツ選手が練習中や試合前など、モチベーションを高めるために聴く音楽としても広く知られている。 実際のボクサーの生きざまにもファンは揺さぶられ、深く心に刻まれる事例は多い。カシアス・クレイ(後のモハメッド・アリ)は、1960年ローマ五輪ライトヘビー級で金メダルを獲った後、プロに転向、1964年にソニー・リストンを倒して世界ヘビー級王者になった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と表現された華麗なスタイルは、ボクシングが単なる殴り合いではなく、「芸術性」を秘めていることを体現した。マルコム・Xとの出会いからイスラム教に改宗し、徴兵拒否によってアメリカ政府と争うなど、彼の人生そのものが文字通り「闘争」だった。白井義男と具志堅用高がもたらしたもの 1952年、王者ダド・マリノ(アメリカ)を破り、日本人で初めて世界チャンピオンになった白井義男は、日本中を興奮させた。まだ戦後の敗戦を引きずり、敗北感と劣等感が支配した日本社会に、大きな希望を与える出来事だったとも歴史は伝える。 1976年に世界王者となり、13回の防衛に成功した具志堅用高は、本土復帰したばかりの「沖縄の星」でもあった。ボクシングはこのように、選手同士の対戦という枠にとどまらず、社会の闘争を反映する側面も果たしてきた。ボクシングWBA世界Jフライ級王者の具志堅用高(左)がメキシコのフローレスにKO負け。故郷の沖縄では初めての防衛戦だったが、ダウン後も相手のパンチを受け続け、タオルが投げ込まれた=1981年、沖縄県 混乱のないよう書き添えるが、今回「除外」が取り沙汰されているのは「アマチュアボクシング」である。私たちが一般に目にするのは、大半がプロボクシングであり、仮に五輪のボクシング除外が決定しても、すぐに日本のボクシングシーンに大きな影響を与えるわけではない。ボクシングの場合、アマチュアの世界が必ずしもプロへの登竜門になっているとは言えないからだ。アマチュア経験なしにプロの門をたたく選手の方が圧倒的に多いのである。その点は、野球などとはまったく違う。野球はほぼ100パーセント、アマチュアが人材育成と供給の場である。アマチュア野球の衰退は、直接プロ野球にも影響する。そして、ファンもまた高校野球などのアマチュアの試合を観戦し、ファンになるケースも多い。 むろん、ボクシングでもアマチュア出身のスター選手は数多くいる。あの具志堅用高も「アマチュアでは62勝3敗」の実績を持ってプロに転向した。昨年10月、世界チャンピオンになった村田諒太もロンドン五輪で金メダルを獲得し一躍注目を集めた。また、つい先日、故郷・沖縄で1ラウンドKO勝ちし、15連続KOという日本記録を打ち立てた比嘉大吾も、高校ではボクシング部に入り、具志堅用高の目に留まってプロ入りした。こうしてみると、アマチュアボクシングの存在は、決して小さなものとは言えないのである。 五輪競技からの除外で、プロも含め、ボクシングへの風当たりが厳しくなることは否定できない。プロ組織は複数あるが、日本でも村田の世界戦の判定が物議を醸した通り、組織やジャッジの透明性と公平性がアマチュア同様、強く求められている。 IOCのバッハ会長が公式に表明した以上、AIBAはIOPCの求める基準を満たす健全な組織に生まれ変わる必要がある。ボクシングの教育的意義、社会に貢献できる役割を世間にはっきり示す必要があるだろう。 オリンピックに存続する道を探るとすれば、暴力性を排除し、競技としての方向性を強く確立することしかない。だが、安全性を求めれば求めるほど、観客を熱狂させる刹那的な要素や、危険と隣合わせだからこそにじみ出る選手たちの内面の激しさは削がれる可能性がある。アマチュアボクシング界はそれを是として受け止め、暴力性ではなく、人材育成を主眼に位置づけて「改革」できるか、それがボクシングの今後を左右するカギになるだろう。言うまでもなく日常生活で暴力は許されない。だが、勝ち負けを超えたボクシングの「美学」を体現する表現者がもし現れれば、この危機を救うかもしれない。現実的な話をすれば、現役の村田諒太や比嘉大吾らがリングで何を表現し、どんな深さで観衆と感銘を共有できるか。それがボクシングの明るい未来につながることだけは間違いない。

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    決戦前夜、貴乃花親方が笑顔に変わったワケ

    小林信也(作家、スポーツライター) 任期満了に伴う日本相撲協会の理事候補選挙は、貴乃花親方が得票2票で落選した。 理事定数10に対して11人が立候補。1人だけ落選する選挙は101人の年寄(親方)による無記名選挙で行われた。当選した理事は3月、協会の最高決議機関である評議員会の選任決議を経て正式に就任する。今回は貴乃花親方が理事を解任され、もし選挙で当選しても評議員会が「認めない可能性がある」とけん制された中で行われた。そのこともあって、貴乃花一門からは一門の総帥である貴乃花親方だけでなく、阿武松親方も立候補した。阿武松親方は無事当選し、一門の理事枠は一つ確保した形となった。 選挙前に開かれた貴乃花一門の会合で、「今回は立候補を自粛し、2年間待つ方が賢明ではないか」との声も上がったが、貴乃花親方はこれを制して立候補の決意を表明。「みなさんは阿武松親方に投票してほしい。自分は一票で構わない」と発言し、当落にこだわらない姿勢を明かした。その前後から、貴乃花親方の表情はかなり清々(すがすが)しいものに変わり、テレビでも笑顔の貴乃花親方が見られるようになった。十両昇進が決まった貴公俊の会見に同席し、 笑顔を見せる貴乃花親方=2018年1月31日、両国国技館 弟子の貴公俊(たかよしとし)の十両昇進会見に同席したときの笑顔は、慶事ゆえに当然といえば当然だ。しかし、昨年末の貴景勝の小結昇進会見には姿を見せておらず、心境と状況の変化もうかがえる。立候補にあたってブログを更新した貴乃花親方は、「大相撲は誰のものか」というメッセージを発信し、かなりの共感を得たとも報じられている。無言を貫いていた時期には「何を考えているのか分からない」と周囲をやきもきさせる場面もあったが、ようやく本人の思いが語られたのである。 理事当選は「ほぼ絶望的」と見られた中で、あえて立候補した真意は何だったのだろうか。私見だが、二つの理由を挙げたい。一つは、選挙権を持つ101人の親方に対する痛烈な問いかけだ。 2010年の理事候補選で貴乃花親方は大方の予想を覆して当選した。後に「貴の乱」と呼ばれたが、これは一門の縛りを越えて、一部の親方が自らの意志で貴乃花親方に投票した結果だ。無記名投票による選挙なのだから、大方の予想を覆す結果になることは十分有り得る。 ただ、貴乃花親方がブログで「もっと自由に議論できる協会に」と提言したのはこの辺りを意味するのだろう。だが、他の一門の引き締めが一段と強かった今回は、貴乃花親方自身、当選に足る得票は期待していなかったに違いない。それでも、貴乃花親方が立候補したことで、他の親方にとっては「自分たちの権益を守るような動きばかりで良いのか」と自問自答する機会になったはずである。言い換えば、その問いかけこそが、貴乃花親方が立候補した本当の意味であり、目的ではなかっただろうか。リーダーは自ずと決まるもの 貴乃花親方の得票はわずか2票。これは、貴乃花親方が政治的な動きや裏工作をしなかった表れと見ることもできるだろう。「清々しい笑顔の裏には、裏取引が成立した」という勝算があったのではなく、自分の進むべき道が改めて見えた。そのことを晴れやかに示したのである。 貴乃花親方はブログの中で、下記のように綴っている。「改革するのではないのです。古き良きものを残すために、時代に順応させながら残すのです」「相撲は競技であると同時に日本の文化でもあります。つまり我々は文化の守り人であるということも忘れてはなりません」 相撲協会が公益財団法人である以上、理事が選挙で選ばれるのは当然である。一方で、文化を重んじるのであれば、投票や政治的な駆け引きは必ずしも馴染(なじ)まない。その道の継承者、次代のリーダーは自ずと決まって行くのが、歌舞伎であれ、華道や茶道の家元であれ、伝統芸能や文化の流れである。貴乃花親方も、北の湖前理事長とはそういった思いや使命感を共有していたのではないだろうか。 一門内での「談合」も、今は権益を守るための策謀のように語られるが、利権を他に渡したくないためだけの慣習ではなかっただろう。文化芸能の世界は、達人や名人に対する崇敬の念が基本にある。日本相撲協会の北の湖前理事長の銅像の前で記念撮影する(左から)貴乃花理事、八角理事長、(1人おいて)とみ子夫人、 横綱日馬富士関=2017年10月1日、川崎市 はっきり感じるのは、貴乃花親方が自分の利益のために協会の要職に就くつもりはなかったという事実である。相撲を取った経験のない日本人が増えている。力士になりたいと思う少年が、今どれほどいるのだろう。大相撲を取り巻くあまりに厳しい現実と切実への危機感。このままでは入門者がいなくなり、興行だって立ち行かなくなる。もはや大相撲は「絶滅危惧種のような存在」になっていると、貴乃花親方は認識し、他の親方も薄々感じている。だが、そうした危機感も組織を変革するうねりにはならなかった。 北の湖理事長の右腕として、吉本新喜劇の舞台に立ってまで大相撲のPRをし、それが「スー女(相撲女子)」ブームを生み出したと言われる貴乃花親方。次の2年間は、進境著しい4人の関取を持つ親方として土俵を沸かせる仕事もできる。今回の落選で貴乃花親方が失うものは決して大きくない。

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    「松坂世代」村田修一の移籍先がいまだ決まらない理由

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人から自由契約となった内野手、村田修一の移籍先が決まらず、その去就に注目が集まっている。巨人から戦力外通告を受けた村田修一内野手= 2017年10月16日、川崎市のジャイアンツ球場 村田は昨季、ケーシー・マギーの加入もあって先発三塁手の座を失い、苦しいスタートを切った。それでも交流戦に入り、指名打者で出場機会が増えると徐々に復調。夏場以降はマギーが二塁、村田が三塁に入り、規定打席には達しなかったが100安打を記録した。十分にまだ活躍できることは実証したが、オフになって「戦力外通告」を受けた。おそらく本人も周囲も想像しなかった処遇だろう。二度目のフリーエージェント(FA)権を取得し、村田自身に次の選択権があるとぼんやり感じていたのではないか。ところが、巨人の判断は厳しいものだった。 鹿取義隆ゼネラルマネジャー(GM)は「苦渋の決断だった」としながらも、自由契約の方が選択肢は広がるとして、むしろ温情ある措置だと説明したが、結果的に現在まで村田の新たな活躍の場は見つかっていない。当初は複数球団が「興味を示している」と報じられたが、数日のうちに立ち消えとなり、ロッテの井口資仁新監督なども、上げた手を下ろす格好になった。 一方、同じ世代の松坂大輔は、ソフトバンクからコーチ兼任での残留を打診されたが、本人の意向で退団。中日から入団テストの機会を与えられ、無事に合格して入団の運びとなった。 年俸は1500万円。「最も稼いでいたころの3日分」と表現する報道もあったが、松坂にとって年俸の多寡は今や問題ではない。勝負できる環境、もう一度マウンドに上がるチャンスを得ることが何よりだ。 過去3年間で1度しか出場できず、しかもすぐ降板した松坂にチャンスが与えられ、シーズン100安打を放った村田に活躍の場が与えられない。普通に考えたら、おかしな現象だ。なぜ村田はそれほど敬遠されるのか? 理由をいくつか推測しよう。 既に37歳。それほど先がないのは明らかだ。それならば、何らかのプラスアルファが重要だと球団や監督は考える。かつて、峠を越えたと誰もが判断していた落合博満を巨人がFAで獲得したとき、長嶋茂雄監督に取材すると、反対意見は意に介さず、「数字は関係ありません。ダイヤモンドにもう一人の監督が立っている。それが大きい」と、落合獲得の理由を教えてくれた。実際、落合は秋に入って失速し、2位の猛追を受けたとき、自らナインを招集し、ミーティングを開いて鼓舞した。それをきっかけに巨人が息を吹き返したと伝説的に語られている。 阪神から古巣広島に戻った新井貴浩なども、その泥臭く懸命な姿勢で若い選手に無言で火をつけており、その功績は大きいと評価されている。村田にはそのような姿勢、リーダーシップの評価が薄い。むしろ、入団しても思い描いた活躍の場が与えられなければ、不満分子の火種になるかもしれない。それならば、若い選手を登用し、すぐに活躍できなくてもチャンスを与える方が夢があると球団が判断するのは当然だろう。余ったプロ野球選手の行方 松坂は、甲子園のカリスマであり、日米での輝かしい実績がある。そして、常に野球に対して懸命な姿勢を貫いてきた。森繁和監督はじめ、中日スタッフに西武時代の恩人や仲間が多く、彼らに松坂自身が信頼されていることがチャンスを得た大きな要因だろう。 もう一つ、投手と内野手の差もある。どの球団も、投手には多くの枠を割いている。内野のポジションは4つもあるのに、内野手は投手より少ない。松坂がもしまた登板できなくても、登板して大活躍する可能性のために一人確保できるポジションなのだ。高校野球第3回アジアAAA野球選手権大会結団式。日本選抜チームに選ばれた投手陣。前列左から松坂大輔(横浜)、寺本四郎(明徳義塾)、久保康友(関大一) 後列左から 新垣渚(沖縄水産)・村田修一(東複岡)・杉内俊哉(鹿児島実)・上重聡(PL学園)=平成10年8月撮影 実は高校時代、村田もエース投手だった。甲子園で快投を演じる松坂を見て、投手としてはまったく松坂にかなわないと判断し、進学した日大で打者に専念したという。 松坂は、打撃でも超一流の才能の持ち主だった。私はこれまでにも、松坂が投手として活躍した後、早い時期に打者転向を図ればと提言してきた。ちょうど、レッドソックスからヤンキースに移籍するタイミングで打者に転向し、ホームラン王として英雄になったベーブ・ルースのように。そうすれば、ここ数年のような苦しみを味わうことはなかったかもしれない。とはいえ、村田同様に肩を叩かれていた可能性だってある。投手だったからこそ、今があるとすれば、松坂の執着は結果的に身を助けたとも言える。 さらに、村田の去就が決まらない現実から浮かび上がって来るのは、「プロ野球で活躍できるレベルの人材は余っている」という事実だ。 昨季は、巨人でなかなか輝けなかった大田泰示が、日本ハムに移籍した途端、水を得た魚のように打ち、レギュラーとして活躍した。私見だが、なぜ日本のプロ野球は球団増を模索しないのか、不思議でならない。 サッカーの例を見れば分かりやすい。「この本拠地でお客さんが本当に集まるのか」と思うような地域でも、苦労はしながら根を生やし、花を咲かせている。各地の努力はサッカーの地道な普及にもつながっている。新球団の話が出ると決まって「レベルの低下」という、もっともらしい反対意見が出るが、それはもう却下して、各都道府県に一つずつ創るくらいの意気込みで、新しいビジョンを真剣に議論し、実現に向かう時期に来ていると思う。 「村田を救うために」とは言わないが、村田のような、まだまだやれる選手がいるのだから、その人材、資産を無駄にする余裕など、人気低迷が加速する今の野球界にはないはずだ。

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    相撲協会にとっても痛い「最弱横綱」稀勢の里の不甲斐なさ

    小林信也(作家、スポーツライター) 横綱稀勢の里(31=田子ノ浦)が休場した。初場所5日目を終えての成績は1勝4敗。年6場所制となった1958年以降、横綱では6人目となる5場所連続の休場となった。5日目の朝稽古の後には「やると決めたら最後までやり抜く」と語ったというが、4敗目を喫し、さすがに休まざるを得ない状況にまで追い込まれたとみるのが自然だろう。 「もうひと場所全休し、体調と相撲勘をしっかり戻してから復帰した方がよかった」 相撲界やファンの間では、そんな声が早くも聞こえてくる。1月5日の稽古総見で豪栄道に2勝3敗、横綱鶴竜に3戦全敗し、まだ復調の兆しが見られないことから、横綱審議委員会の北村正任委員長も「休場もやむなし」と発言。いわばお墨付きをもらったのだから、無理して出る必要はなかった。 大きな騒動があって混乱が続く相撲界に、爽やかな風を吹かせる唯一の特効薬は「日本人横綱、稀勢の里の活躍、そして優勝」が何よりだと、そんな重圧や責任感もあったのだろうか。しかし、その思いはあえなく空回りし、いよいよ深刻な空気も漂い始めた。同じく休場が続いていた鶴竜は、今場所の結果次第では「進退問題になる」との見方もあったが、稀勢の里はまだその段階ではないと空気が支配的だった。ところが、これだけふがいない相撲が続くと、「進退に影響」との活字がメディアで踊るのも当然である。 初日からの相撲を見ていると、まったく威圧感がない。横綱になかなか昇進できなかったのは、誰もが知る稀勢の里の「弱気の虫」だ。横綱昇進の勢いの中で、それが姿を消したかに見えた時期もあったが、けがに水を差されると、やはり「弱気」が稀勢の里を支配し始めた。思い切った相撲が取れていない。勝ちに行く相撲ではなく、負けない相撲をして逆に、攻めが遅くなる。慎重に行けば行くほど、相手に見切られて敗れる。本来なら横綱が相手を見下ろして取るべきところだが、はっきり言って平幕の格下力士の方に余裕さえ感じられる。いなされたり、たぐられたりして、横綱は何度も土俵の上を転がった。琴奨菊に突き落としで敗れた稀勢の里 =2018年1月17日、両国国技館 初場所の稀勢の里の取組を振り返ると、特に目立ったのが足腰の軽さだ。4日目には、土俵のほぼ中央で琴奨菊に突き落としで転がされた。まわしの位置が高い。無防備に突っ立ったような態勢で、楽々と技をかけられている。3日目の逸ノ城戦でも、立ち会いは互角にも見えたが、そこからあっさりと逸ノ城に優位を取られた。両者の足腰の重さの違いは歴然だった。横綱昇進前後の取組は、どっしりと土俵に根が生えた感じがあったが、この取組では重さを感じさせたのは逸ノ城の方であり、稀勢の里はやけにふわふわと浮いているようだった。今場所の逸ノ城も決して好調とは言えないが、それでも楽々してやられた。 横綱が5日目で4敗ともなれば、休場という判断はやむを得ない。それは「負け越しても降格しない」横綱ゆえの面子(めんつ)ばかりではなく、相撲協会にはそれが容易に許されない「カラクリ」もある。平幕力士が横綱が勝つと「金星を挙げた」と表現するが、これは名誉だけの話ではない。力士褒賞金の支給額が一律4万円プラスになる。つまり、年6場所で24万円の昇給になる。協会にすれば、単純に出費が増える。金星を「安売り」をされれば、それこそ協会の懐を直撃するのである。稀勢の里が負けた時の「出費額」 稀勢の里は2017年11月場所で5個の金星を配給し、武蔵丸と並ぶ不名誉な最多記録をつくった。今場所はすでに3個、たった2場所で8個もの金星を許してしまったのである。下世話な言い方かもしれないが、これは年間192万円の出費を協会に与えてしまったことになる。しかも、この褒賞金は減ることがなく、力士が現役を続ける限り支払われるから、仮に金星を挙げた力士たちがその後も5年間現役を続けると、出費の総額は約1千万円にもなる。決して笑えない数字だろう。つまり協会の側に立てば、平幕力士に簡単に負ける横綱を大目に見続けるわけにいかないのである。 稀勢の里の今場所は「序盤が勝負」と見ていた。初日、二日目、そして三日目あたりまで無難に白星を重ねることができたら、思い切った相撲が取れるようになるのではないか。稽古総見では、いいところがなかったが、三日後の8日に行われた二所ノ関一門の連合稽古では、琴奨菊、嘉風を相手に「三番稽古」(同じ相手と続けて相撲を取る稽古)をして14勝3敗。復活を感じさせる内容だった。不安材料も多いが、無難なスタートさえ切れたら、そんな期待もあった。ところが、初日に敗れた相手は新小結の貴景勝。いま売り出し中の若手力士だ。 二日目は北勝富士。ここまで3場所連続で金星を挙げている「横綱キラー」である。稀勢の里に敗れた後に白鵬を破り、土佐ノ海と並ぶ4場所連続金星のタイ記録に並んだ怖い存在だ。そして三日目が逸ノ城、四日目は元大関の琴奨菊、五日目嘉風と、気を抜く間がない。いずれも元気者、くせ者、簡単には取らせてくれない相手ばかりだった。稀勢の里ファンにすれば「もう少し取りやすい力士から場所に入れれば…」とぼやきたくなるような顔ぶれだったに違いない。大相撲初場所5日目。嘉風に押し倒しで敗れ、4敗目を喫した稀勢の里(手前) =2018年1月18日、東京・両国国技館 だが、これらの力士を簡単に翻弄(ほんろう)してこその横綱である。いまの稀勢の里には残念ながらそれだけの余裕がない。横綱と平幕の力が逆転してしまっているのだろうか。そう考えると、なんだか新しい展望も見えてくる。つまり、横綱稀勢の里の弱さを嘆くのでなく、新しい力の台頭、若い役者たちが多数登場している現状を歓迎するのも一興(いっこう)ではないか。 初場所7日目までで7連勝と破竹の勢いをみせる関脇・御嶽海は24歳、阿武松、貴景勝は21歳、けがで足踏みしてしまった遠藤、逸ノ城も復活の兆しが見えつつある。 くだんの日馬富士事件で、貴ノ岩が言ったとされるせりふではないが、相撲界の世代交代は思った以上に進み、期待の力士たちの台頭が著しい。貴乃花親方が構想しているという「第二相撲協会」をつくらなくても、古い慣習に毒された力士たちはまもなく一掃され、新しい姿勢の持ち主たちが土俵の中心を担う。 そんな初夢を見る方が、相撲ファンにとっては前向きなのかもしれない。稀勢の里がその輪に入るのであれば、しっかりと休み、身体と勘を磨き直した方がいい。素人目ではあるが、けがはすでにかなり回復しているように思える。後は自信の回復次第である。稽古と巡業で準備を重ねてからでいい。次に土俵に上がるときは、今度こそ「進退」をかけた最後のチャンスになる可能性が高いのだから。

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    政治利用される平昌五輪に日本は「不参加」の選択肢があってもいい

    小林信也(作家、スポーツライター) 2017年末、平昌五輪の代表選考を兼ねたフィギュアスケートの全日本選手権が行われた。男子は羽生結弦がケガのため今大会を欠場したが、過去の実績を評価されて代表に選出された。ケガの復調具合が心配だが、平昌五輪では前回ソチに続く2連覇を狙っている。 羽生だけでなく、平昌五輪は冬季五輪で前例がないほど、多種目で日本人選手の金メダル獲得が期待されている。スピードスケート女子500メートルの小平奈緒、ジャンプの高梨沙羅ら「絶対本命」もいる。スノーボードでも男女とも複数のメダルが狙えると注目されている。選手たちが順調に実力を発揮すれば、1998年の長野五輪の金5個、銀1個、銅4個、計10個を超える可能性もある。2月9日の開幕早々にフィギュアスケート団体予選で日本が好スタートを切り、4日目のスキージャンプ女子ノーマルヒルで高梨沙羅、伊藤有希がメダルを獲得すれば、一気に五輪フィーバーが巻き起こり、不安な世界情勢など忘れたお祭り騒ぎに日本列島が浮かれる可能性も高い。2017年4月、フィギュアスケート世界選手権男子で3季ぶり2度目の優勝を果たした羽生結弦が帰国し、多くのファンから出迎えを受けた=羽田空港(今野顕撮影) だが、政治的、社会的な観点からは、平昌五輪自体の開催や成功が危ぶまれてもいる。12月2日の産経新聞は次のように伝えた。 北朝鮮の核・ミサイル危機を受け、欧州では平昌五輪への選手派遣を再検討する動きが出ている。 発端は、フランスのフレセル・スポーツ相が9月21日、ラジオで「状況が悪化し、安全が確保されなければ、フランス選手団は国内にとどまる」と発言し、派遣見送りの可能性を示唆したことだ。フレセル氏は翌日、ボイコットするわけではないと強調したうえで「私の役割は選手を守ることだ」と述べた。 フレセル氏自身が金メダルを獲得した元五輪フェンシング選手だったため、選手団の間には「家族は心配しており、危険を見極める必要はある。今は練習するだけ」(アルペンスキー選手)などの動揺が広がった。だが10月には仏五輪選手団が発表され、現在までに派遣差し止めの動きはない。 北朝鮮情勢への動揺が広がっていることに配慮し、IOCは9月22日、「関係国や国連と連携している。開催準備は予定通り進める」とする声明を発表した。「選手の安全は最重要課題。朝鮮半島情勢を注視していく」との立場を示した。平昌五輪で日韓が「駆け引き」 慰安婦問題で急速に冷え込む日韓関係にあって、平昌五輪が政治的な「駆け引き」に使われている。スポーツは、政治と無関係ではない。政治の舞台そのものだ。まず、11月15日の中央日報は次のように伝えている。 李洙勲(イ・スフン)駐日韓国大使が日本の河野太郎外相と会い、両国首脳間のシャトル外交復活に向けて努力することを確認した。 李大使は14日、外務省で就任の挨拶のため河野外相と会談を行い、韓日関係の未来志向的発展に向けた方案について意見を交換した。 この中で河野外相は「大統領の信任が厚い方が大使として日本に来られ、未来志向的な韓日関係につながっていくものと期待する」と話した。これに対し、李大使は河野外相に「先月の総選挙で、最多得票によって当選したことに対し、お祝いを述べたい」と答えた。李大使は会談後、記者団と会い、「来月あるいは来年1月に韓日中首脳会議が開催され、文在寅(ムンジェイン)大統領が日本に訪問した後、来年2月の平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)の時に安倍晋三首相が訪韓すればシャトル外交が復活する」としながら「このために共に努力していくことを確認した」と述べた。 だが、12月19日に韓国外相との会談で日本の河野外相は否定的な見解を伝えたという。以下は朝日新聞の報道である。 19日にあった河野太郎外相と韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相との会談で、来年2月の韓国・平昌冬季五輪への安倍晋三首相の出席をめぐって日本側が韓国側を牽制(けんせい)する一幕があった。日本政府は慰安婦問題で韓国政府の対応に不信感を募らせており、外交的な「駆け引き」を仕掛けた格好だ。 複数の日韓関係筋が明らかにした。康氏が会談で「首相を平昌で歓迎したい」との文在寅(ムン・ジェイン)大統領のメッセージを伝えると、河野氏は文政権が2015年末の日韓合意に反する動きを見せていることに触れ、「このままでは(参加は)難しい」と伝えた。2017年12月、会談に臨む河野外相(左)と韓国の康京和外相=東京都港区の飯倉公館(代表撮影) 言うまでもなく、朝鮮半島は緊迫の度合いを増している。北朝鮮の動き次第で、世界的に戦闘的行動へ移行する一触即発の危機をはらんでいる。地理的にも、その影響を最も受ける国のひとつが日本でありながら、五輪を語り出すと日本人はそうした世界情勢の緊張感を忘れる。「平和ボケ」と呼ばれる兆候を示す端的な傾向だろう。スポーツを糾弾すればエンタメになる 私は北朝鮮の暴挙や韓国の姿勢を理由に「平昌五輪不参加」を強く提言する立場ではないが、スポーツをいつまでも万能な「平和の象徴」のように位置づけ、「スポーツ交流さえすれば仲良くなれる」「スポーツの感動さえあれば、世界は平和になる」という安易な思い込みからは早く脱却すべきだ。スポーツに打ち込む選手も指導者もそれを認識し、その上で「スポーツに何ができるか」を模索する深い目覚めと覚悟が求められている。2010年2月、バンクーバー五輪のフィギュアスケート女子表彰式で、銀メダルに終わり、こらえきれず涙を見せる浅田真央。右は金メダルの金姸児(キム・ヨナ)(鈴木健児撮影) 仮の話だが、想像してみてほしい。金妍児(キム・ヨナ)と浅田真央の戦いの舞台がもし平昌五輪だったら? そして、韓国の観客から見れば「不可解」と思われるジャッジで金妍児が敗れたとしたら。いやもしその相手が北朝鮮の選手だったら…。 競技を終えてノーサイド、互いに抱き合いたたえ合う、観客も心を同じくして深い友情の絆を感じる…。そのような美しい物語ばかりを期待できるだろうか。巨大なビジネスと化したスポーツ界には、巨額のお金と利権がうごめいている。選手はその膨大なビジネスのカギを握る中枢にいる。もはやセンチメンタルだけでスポーツは語れない時代だ。 ここ2カ月以上、テレビのワイドショーはずっと大相撲問題を取り上げている。スポーツをめぐる社会の空気が変わっている。お茶の間がスポーツを批判的な立場で糾弾し、「それがエンターテインメントになる」時代にシフトしたのだ。東京五輪のエンブレム問題、新国立競技場建設問題あたりから、急速に旗色が変わった。スポーツは賛美されるばかりの分野でなくなった。それはある意味、歓迎すべきことだと感じている。 果たして、平昌五輪もこの厳しい流れの中で、お茶の間を巻き込んだ新しい議論が生まれるのか。あるいは、やはり「空前のメダルラッシュへの期待」でお祭り騒ぎが国民の気分を支配するのか。日本人のスポーツに取り組む姿勢、そしてスポーツを通して実現を目指すべき中身の真価がいま問われている。

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    大谷翔平が「和製ベーブ・ルース」などおこがましい

    小林信也(作家、スポーツライター) 大谷翔平選手の米大リーグ、エンゼルス入団記者会見は、華やかで期待の大きさが伝わってきた。  マイク・ソーシア監督が二刀流での起用・育成を明言し、メジャーでの大谷の方向性も見えてきた。少し前まで、メジャーでの二刀流挑戦は悲観的に見られていた。投手か打者か、どちらかに絞っての契約になるだろうとの空気が大勢だった。ところが、大谷自身が日本ハムで投打に実績を挙げたこともあって、メジャーでの二刀流挑戦が現実になった。 それ自体に異論はないが、記者会見や一連の報道を見ていて、不思議な違和感ばかりを覚えるのは私だけだろうか。騒ぎ方と現実のギャップ。胸騒ぎといったら言い過ぎだが、宣伝文句やはやし立てるフレーズばかりが先行して、「本当に大丈夫か?」という不安に答えてくれるような問答はほとんどなかった。 大谷の課題ははっきりしている。まずは右足首のケガだ。今季は手術を受けずにプレーし、シーズン終了後の10月12日に有痛性三角骨を除去する内視鏡手術を受けた。無事成功し、リハビリも終えて2週間後に退院したと日本ハム球団から発表されているが、なぜかこのケガについては楽観的に報じられ、あまり騒がれていない。今季の登板が5試合にとどまった原因だけに、回復が期待もされるし、懸念もされる。本当に「二刀流」を無理なくこなせるまでに快復したのか、まずはそこが気になるところだ。「4番・投手」で先発した日本ハム・大谷翔平投手=2017年10月4日、札幌ドーム(共同) 次に技術の課題だ。投手としては、160キロ台の速球を「当てられる」ことへの疑問と不安が日本球界でも語られていた。藤川球児のようなホップする(浮き上がる)速球とは違う。速いけれど素直な球質がメジャーに行って、どう出るのか? 力勝負のメジャーリーグ。打者たちの大半は日本の打者のようにコツコツは当ててこない。思い切ったフルスイングが多いから、「球速の餌食になってくれる」との見方もできる。だが一方で、「速い球にはめっぽう強い」打者がそろっているから、ガツンと行かれる可能性も否定できない。 もちろん、大谷投手にはフォークボールとブレーキの鋭いスライダーがあるから、勝負どころでは低めの変化球で打者を翻弄(ほんろう)できる。160キロ台の速球と混ぜたら、メジャーの強打者のバットがクルクルと空を切る光景も容易に想像できる。だが、勝ち星と負け数が拮抗(きっこう)する、あるいは負けが勝ちを上回るような厳しさを経験する可能性はある。いずれにしても、ただ球速を求めるのでなく、「速球の質」を深めることが投手・大谷の課題であり、成長への道だろう。その手がかりをどうやって得るのか、メジャーにそのヒントがあるのか? もちろんそれは「企業秘密」だろうが、その点はいままったく触れられていない。大谷自身が、球質を変える意欲を持っているのかどうかさえ、わかっていない。  違和感を覚えた一因は、そうした本来すべき質問がまったく飛ばなかったことだ。期待に終始し、大谷を持ち上げる方向でばかり記者会見が進む。日本のメディアの面々もすっかりその雰囲気にのみ込まれ、普段は当たり前にする厳しい質問をする意志があらかじめ制圧されていた。あれは「お祝いの席」だから、それで文句はないけれど、シーズンが始まれば、現実は自(おの)ずと明らかになる。まるで芸能人の結婚会見 打撃の課題は、厳しい内角攻めへの対応だ。会見から帰国後の自主トレ風景を見ていても、左脇の甘さが目立つ。外の変化球を混ぜ、最後はインハイ(内角高め)に鋭い快速球を投げ込まれたら打てるのか? データ解析が徹底して進んでいるメジャーリーグで、こうした弱点があれば苦しい。これをどう乗り越えていくのか、投手としての課題同様、ほとんど問われることはなかった。 つまり、大谷翔平のエンゼルス入団会見は、「芸能人の結婚記者会見」のような内容で、野球選手としての本質にはほとんど触れられていなかった。それが違和感の根元かもしれない。 二刀流が実現すれば、野球の歴史を変える素晴らしい快挙だ。メジャーリーグの長い歴史の中でも、ほとんどそのような選手は現れていない。 「日本のベーブ・ルース」という形容がしばしば使われたが、大谷翔平とベーブ・ルースのイメージはまったく違う。「同じシーズンに投手で10勝を挙げ、打者で10本のホームランを記録した唯一のメジャーリーガー」がベーブ・ルースだ。大谷が2014年と2016年にそれを記録したことから、日米の二刀流の双璧と呼びたいのだろう。だが、体形やイメージからして二人は全然違う。ベーブ・ルースはどう考えても「二刀流」より「世界のホームラン王」として名高い。いまの大谷をベーブ・ルースと呼ぶにはいかにも早すぎる。 だが、ベーブ・ルースの名前をここに持ちだしてくるのは、それほどメジャーでも二刀流が希少だということだ。それに、データを調べればすぐわかるが、ベーブ・ルースは決して「二刀流」を目指していたのではなさそうだ。 「プロ入り当初は投手としても活躍した」という表現が正しい。最初に入団したボストン・レッドソックスでは、打者というより左腕投手として活躍が期待された。1年目の1914年こそ2勝1敗にとどまったが、2年目は18勝8敗、3年目は23勝12敗、4年目も24勝13敗。エースと呼ぶにふさわしい活躍を見せた。しかし、5年目は13勝、6年目9勝にとどまったところで、トレードが待っていた。1920年、ニューヨーク・ヤンキースに入団すると、今度は打者に「転向」。投手としての出場は毎年1試合か2試合となった。米大リーグ、エンゼルス入団会見の後に記念撮影に収まる大谷翔平投手(中央) =2017年12月9日、エンゼルスタジアム(撮影・リョウ薮下) いわゆる二刀流と呼べるのは、ボストンでの最後の二年間。勝ち星が少なくなるのは、徐々に打者としての出場が増えたからだ。 実はここ数年のメジャーリーグで「二刀流」は大谷の専売特許ではない。アマチュア時代に投打で活躍したジョン・オルルドらルーキーたちが何人か二刀流に挑戦したが、結局、どちらかを選んだ現実がある。 私の違和感のもうひとつは、投手としては打たない、打者としては守らない、それで二刀流と呼べるのか? ということだ。大谷本人もこれは会見で語っていたとおり、「ひとつの試合で両方やれるのが理想」である。それならば、なぜ指名打者(DH)制のないナショナル・リーグを選ばなかったのか? と突っ込みたくなった。

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    「中学生と練習したらセンバツ辞退」高野連のバカ規則にモノ申す

    小林信也(作家、スポーツライター) 中学生を練習に参加させただけでセンバツ推薦を辞退? そんなバカな「教育」があるか! ここ数日、高校野球の「不祥事発覚」のニュースが新聞やインターネットで報じられている。その中で、どうしても納得のいかない問題を一つ指摘したい。 暴力や飲酒、喫煙が「不祥事」と呼ばれるのはやむを得ないが、「中学生を練習させたこと」「そこに監督が立ち会っていたこと」が「不祥事」、つまり「高校野球が絶対にやってはいけない悪事」とされる報道を不思議に思った読者はいないだろうか。野球以外の他種目で、中学生を練習に参加させただけで厳罰を受ける競技があるだろうか。いや、日本以外の海外で「中学生と一緒に練習して悪者にされる国」なんてどこに存在するのか。 今回のケースは処分ではなく、正確にいえば自ら辞退を申し出たのだが、来春のセンバツ大会で21世紀枠候補だった市立川越高校はどのような経緯で辞退を申し出たのか。それを報じた新聞記事は次の通りだ。 日本高野連は5日、来春の第90回選抜高校野球大会の21世紀枠候補に埼玉県高野連が推薦した市川越から、監督らの不祥事のため一般枠を含めて推薦を辞退する申し出があり、了承したと発表した。 高野連によると、市川越の顧問は11月に中学生を練習に参加させ、監督も同席していたという。5日の審議小委員会で、処分を日本学生野球協会審査室に上申することを決めた。サンケイスポーツ 2017年12月6日 読者の皆さんはこれを読んで何が問題なのか、すぐ理解できただろうか。高校野球の関係者には分かる。だが、それは世間一般の良識に照らし、「本来あるべき姿」から考えてどうなのだろう。2017年10月、秋季高校野球埼玉県大会決勝の花咲徳栄戦、七回に同点に追いつき喜ぶ市川越ナイン=県営大宮公園球場(飯嶋彩希撮影) 簡潔に言えば、高野連は中学生との接触を厳しく制約している。高校野球の監督が中学生を指導するのは禁止。高校の野球部員が中学生に指導することも規制されている。今回の市川越も、高野連のルール上、明確な違反行為があったとして、せっかくの「センバツ出場」の望みがこれで泡と消えたのである。 今回の出場辞退をめぐり、私が問いたいのは「中学生の練習参加、中学生と高校生の交流がそんなに悪ですか? そもそも禁止するようなことですか?」という点だ。 夏休みや冬休みで高校の練習が休みになる前、高校野球部の監督や部長は選手たちに「出身の中学野球部の練習を見に行くのはいいが、後輩に指導をしてはいけないぞ」と注意しなければならない。もし、指導する光景を目撃され「告発」されたら、その高校の野球部は処分を受けるからだ。私は、それを厳しく選手に通達するある高校野球部長の姿を見ながら、「この人、教育者として矛盾を感じないのか?」と思った経験がある。良識あるファンたちよ、声をあげろ! 大好きな野球、高校で学んだことを後輩に教えたい気持ちは「悪」だろうか。それが「未熟なのに教えるなんて」という理由ならまだ理解できる。そうではなく、親しく指導することが「勧誘行為になる」。それが規制の理由というからますます言葉を失う。実際に、甲子園にしばしば出場する高校の監督の多くが、熱心に中学生を誘い、訪ねてくる中学生に練習の機会を与える。良ければ「1年夏から4番で使う」と約束したなどの逸話は、その選手の同伴者から直接聞いたことがある。そんな逸話は山ほどある。いずれも有名な監督たちだ。 数年前には、ある私学の監督からこんな嘆きを聞いた。「うちは中高一貫ですから、中学3年生も夏の大会を終えたら高校の練習に参加させていました。ところが、センバツ出場が決まった年、高野連から厳重に注意を受けました。誰かが高野連に告発したらしいのです。以来、同じ学校の中学生でも、春休みになるまで一緒に練習させるのはやめました」2016年3月、センバツ開会式で励ましの言葉を述べる日本高野連の八田英二会長=阪神甲子園球場(代表撮影) サッカーなどは、中学3年、高校3年の夏から受験期にかけて、半年以上もブランクを作る弊害をいち早く問題視して、できるだけ空白期を作らないよう、3年生の冬にも大会を開催し、競技が続けられるよう配慮している。野球界はほとんどそんな発想を持たず、半年以上もチームの練習から離れる現実を放置し続けている。それどころか、中学生が高校生に混じって練習することを「悪」とし、環境を狭めている。 なぜ高野連は「一緒に野球をすること自体が悪」という、自家中毒みたいな状態を自ら作っているのか。すべては「勧誘行為の禁止」という、野球が隆盛していた時代、行きすぎた競争を防ぐために作られた自主規制だ。 時代は変わっている。野球界は今、「野球少年の減少」「野球への好意的なまなざしの減退」という深刻な問題に直面している。野球を楽しむ環境がどんどん減っている。サッカー、バスケットボールなど、他の競技の人気上昇や多様化があって、野球を選ぶ少年が激減している。そんな中で、いつまでも偉そうに狭い組織の中でしか通用しない常識や権力を振りかざし続ける高野連は、まさに野球衰退の根源そのものだ。それのどこが「教育的」なのか。 良識ある野球ファンたちが声をあげて、「その程度の過ちで、市川越の辞退を受け入れるな」「規則そのものがおかしいのだから、即刻、規則を変えてもっと自由に交流させるべきだ」と改善を働きかけたらいい。

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    なぜ日本人は日馬富士引退に無関心でいられるのか

    小林信也(作家、スポーツライター) 大相撲横綱、日馬富士が引退した。世間の空気は「やむをえない決断」との認識で一致している。だが、引退会見やその反応を見ていて、複雑な思いも湧き上がってくる。みんなクールだ。日馬富士の引退を惜しむ声があまりに少ない。「身内の感覚」で受け止めた日本人がほとんどいないように感じられる。 もし、これが浅田真央の引退や羽生結弦の引退だったなら、あるいは「甲子園を沸かせたスターの突然の引退」なら、こんなクールに論じられるだろうか。常識論を振りかざす大多数のコメンテーターや街の声に、物心ついたころから相撲ファンだった私は、空虚な思いにかられた。 かつて八百長事件で追放されたメジャーリーグのスター選手に、「嘘だと言ってよ、ジョー!」と叫んだ少年ファンの逸話がある。今回の騒動を振り返り、テレビの前でそんな風に叫んだ少年ファンはいただろうか。引退会見を行う日馬富士 =2017年11月29日、福岡県、太宰府天満宮 横綱の突然の引退を、大騒ぎにこそすれ、多くの日本人は自分と直接関係のない出来事としか感じていない。これが「国技」と呼ばれる大相撲の現状である。残念ながら、相撲はもはやその程度にしか愛されていない。貴乃花親方の相撲人気復活への情熱や危機感も底流は同じかもしれない。 日馬富士は、今回の引退で相撲界に残る道を断たれた。事実上、「廃業」というのが正確な表現だ。 引退会見で日馬富士が自ら振り返った通り、16歳のやせっぽちの少年は、モンゴルからはるばる日本へやってきた。安馬(当時の四股名)は幕内に上がってもなお、ひときわ細く、身体の軽さで相手に圧倒されて敗れる相撲も少なくなかった。それを上回るスピードと闘志、勝利への執念が安馬を幕内上位へと導いた。 相撲は「柔よく剛(ごう)を制する」ものであり、身体の大きさがすべてではない。だが、筋力トレーニングが容認され、力勝負が土俵の趨勢(すうせい)となる中で、巨大化する関取衆を相手に三役を張る地位を得た。さらに大関、横綱へと昇りつめたのは、持ち味のスピードと闘志に加えて、日本の身体文化が伝える内面の力を発揮する術を日馬富士なりにつかんだ証しだった。 横綱は、ただ強いだけでなく、実践でしか継承できない見えない身体文化の継承者である。その横綱を追放して、むしろ厄介払いができたかのような今の空気は、あまりに相撲が軽視されていると言わざるを得ない。もっと言えば、相撲を理解していないからこそできる安易なバッシングにも思える。 日馬富士は引退会見で「相撲が大好きです。相撲を愛しています」と声を大きくして言った。私は素直にこれまでの日馬富士の精進に頭が下がる。日本人が半ば放棄している相撲そして日本独自の身体文化の追求を外国から来て実践し、継承し、愛してくれた。 今回の騒ぎでは、相撲をまるで理解していない人たちが「ビール瓶で殴った」などと断片的な情報に振り回され、最初から日馬富士を「ありえない乱暴者」のように決め付けた感が否めない。暴力やシゴキは、筆者自身も許せないと思うから擁護するつもりはない。「かわいがり」はいじめにつながるシゴキを意味するものだが、普段の相撲の稽古がどのようなものか、それを知っている人と知らない人では認識が全く違う。 強い先輩力士が若い力士に胸を貸し、土俵際まで押させたところで軽く土俵に転がす。何度もそれを繰り返す。「そこからが稽古だ」と言い伝えられている。だから、すぐにへたって起き上がらない力士に先輩力士と周りの兄弟弟子は容赦ない𠮟咤(しった)を浴びせる。悔しさの中で懸命に立ち上がり、乱れた髪に汗と砂をため、必死の形相でまたぶつかっていく風景は、相撲部屋では日常的な、いや正当な稽古そのものである。 それをいじめと声を大にして言えば、いじめになってしまうのが今の世の中である。 むろん、行き過ぎればいじめに変わりないが、その稽古自体は重要な鍛錬として、長く相撲界を支えてきた伝統である。土俵に寝たまま起き上がらない力士の尻を先輩が軽く蹴り飛ばすくらいは、日常的な光景だった。今の時代、それさえも「暴力」になってしまうのではないか。八角理事長の横に座った読売社長 九州場所は、白鵬がまた強さを見せて優勝した。今場所は「張って出る」相撲が目立った。立ち会い、相手力士の大半は白鵬に対して頭を下げ、猪突(ちょとつ)猛進的に頭でぶつかってくる。これに対して、白鵬は平手で相手の頰を激しくたたき、機先を制した。 「ガツン」と鈍い音を発する激しい頭突きも、平手打ちも、日常生活では「暴力」だが、土俵の中では正当な技であり、これを克服しなければ相撲界での躍進はない。日常社会で暴力と呼ばれる以上に激しい肉体のぶつかり合いが相撲の前提にある。 相撲の勝負の中に、このように激しい身体的な接触があることをまったく理解せず、すべてをいじめ、パワハラ、悪しき上下関係と断罪する世間には、言葉は悪いが憤りに近い違和感を覚える。 相撲の稽古といえば「四股」「鉄砲」が有名だ。これさえ正確に語れる日本人はもはや少ないだろう。片足を挙げて下ろす四股の目的が、「足腰を鍛える」、スクワットのような筋トレだと思い込んでいる人が大半だろう。実際、その目的のために選手や生徒に四股をやらせる他種目の指導者も少なくない。四股は本来、「臍下丹田(せいかたんでん)に気を集める」「ハラを鍛える」ために行うものだという。人間の力は、目に見える筋力だけではない。身体の内面から湧き上がる力こそ、人間の持つ素晴らしい潜在能力だ。だからこそ、小さな力士が大きな力士を翻弄できる。 最近は、親方衆でさえ欧米のパワー重視の練習法に影響され、四股や鉄砲の意義を忘れてしまっているのではないかと思うことがある。今回の騒動は、そうした基本の喪失と無関係でない気がする。 貴乃花親方の不可解な行動も、今回の騒動を大きくした一因との指摘はあながち間違ってはいないが、相撲の基本に光を当て「相撲界を再生したい」と切望する親方の真意もまたきちんと伝わっていない。横綱白鵬(右)を破り初優勝を決めた大関時代の日馬富士=2009年5月 新しい時代の流れの中で、古き佳(よ)き上下関係、師弟関係、先輩と後輩の関係をどう肯定的に受け継いでいくか。日本社会が直面する課題を今回の事件は浮き彫りにしている。ビール瓶で殴ることはないにしても、職場でも社会でも、同じような指導やかわいがりは日常的に存在する。私はしばしばそうした光景を目にするし、遭遇する。決して他人事ではないはずだ。まさに「自分たち自身の問題」だと思うが、「相撲界ってとんでもない」といった表現がネット上などでは飛び交う。不思議なほど、「自分たちもそうだ」との認識がないことも、この騒動と日本社会の途方もない不毛さを象徴している気がしてならない。 最後にもう一つ、11月30日に開かれた相撲協会理事会を報じるニュースを見て驚いた。八角理事長の左右を固める人物に目が点になった。 八角理事長のすぐ右隣に山口寿一理事、すぐ左隣には広岡勲理事補佐が着席していたのである。座った場所から見て、理事長を強力に支える「ブレーン」と理解するのが自然だろう。山口氏は、読売新聞グループ本社社長である。しかも、広岡氏は元スポーツ報知記者であり、かつて元巨人・松井秀喜のメジャー時代の記者会見のときにいた「専属広報」ではないか。今の相撲界は、その二人がなぜか中枢にいるのである。「開かれた組織に」という掛け声が、その目的通り公正な方向に発展すればよいが、もし一部の権力やメディアに支配される構造ができつつあるのだとしたら、貴乃花親方の異様とも言える頑(かたく)なさの背景も少しは理解できる。

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    強くても横綱失格、日馬富士よりもヒドい白鵬の「物言い」

    小林信也(作家、スポーツライター)嘉風の背中をたたく白鵬(右)。「待った」をアピールしたが認められず、 初黒星を喫した=2017月11月22日、福岡国際センター(仲道裕司撮影) 大相撲九州場所で横綱白鵬が2場所ぶり40度目の優勝を果たした。日馬富士の暴行事件で角界が揺れる中、横綱として結果は出したが、十一日目の黒星を喫した取組で「物言い」を要求するという前代未聞の行動を取り、またも物議を醸した。翌日にすぐ謝罪し、今のところ大きな問題になっていないようだが、日馬富士騒動の発端が白鵬にあったと報じられる中、自身もまたその姿勢や行動を問われる矢面に立つ可能性がある。   問題の場面を再現しよう。白鵬は嘉風に敗れ、土俵下に押し出された。本来ならすぐ土俵に一度戻るべきところ、勝負成立に抗議するように右手を挙げ、やりきれない表情でそのまま土俵下に立ち尽くした。そして1分近く、無言の抗議が続いた。相撲界の伝統に照らせば、「大横綱の暴挙」と言われても仕方がない。だが、行司も検査役(勝負審判)も、ただ呆然と待ち続けるだけで、相撲ファンがこれまで見たことのない、不穏な空気が漂った。 ひとりNHKの実況を担当する藤井康生アナウンサーだけが、「これはいけません」、毅然(きぜん)と白鵬の誤った行動をたしなめていた。ようやく、勝負審判に促され、白鵬は渋々土俵に戻り、嘉風が勝ち名乗りを受けた。 どうやら、「待った」があったはずなのに、勝負がそのまま継続され、成立したことへの抗議だった。 だが実際、この勝負を見る限り、どちらも「待った」をした形跡はない。 時間一杯となり、行司に促され、先に両手を着いて立ち会いの態勢に入ったのは嘉風だ。少し間合いを作って、白鵬が遅れて仕切りに入った。しっかり両手をおろして、先に立ったのはむしろ白鵬だった。その立ち会いを見て、嘉風も立った。ここまでに、勝負を止める理由はひとつも見当たらない。だが、確かに、ビデオテープで見直すと、土俵中央で嘉風のもろ差しを許した直後、白鵬が「ちょっと待った」とばかり、気を抜いて、明らかに戦いをやめ、棒立ちになった瞬間があった。その隙に乗じて一気に押し込んだ嘉風の勢いに圧され、白鵬は土俵を割った。   「ちょっと待った!」と白鵬が思ったのは間違いない。だが、なぜそう思ったのか。謎としか言いようがない。その段階で「待った」を主張するような正当な理由や不備は一切ないからだ。 第三者の目に正当な抗議の理由が見当たらないのに、白鵬の中では「おかしい」と思った。その心理の綾(あや)は、推測する以外にない。 簡単に言えば、あまりに見事に中に入られ、両方の回しを取られた。信じられないほど、嘉風万全の態勢になった瞬間、「そんなはずはない」「待った待った」と言いたい気持ちだったのではないか。白鵬の中ではありえないことだが、規則の範囲で見事に取られただけで、抗議する対象はない。それなのに、白鵬はその有り得ないことが起きたのは相手の素晴らしさのためではなく、何か不備があったからだと瞬間的に思い込んだ。それを白鵬の傲慢と言うこともできるだろう。ありえない態勢への驚きと言い訳、思い上がりが引き起こした「錯覚」だったかもしれない。 取り組み後のインタビューで、嘉風は満面の笑みを浮かべた。  「中に入りたいとは思っていましたけど、気がついたら中に入っていて」 立ち会い、少し遅れ気味に立ったことを聞かれて、こう答えた。  「思い切り当たって行っていつも横綱のペースになるので、根拠のない自信ですけど、横綱に当たられても大丈夫だと、しっかりこう懐に入って行こうと思って、そういう立ち会いをひらめいて、やったら、成功しました」 見事に自分の感覚を表現した言葉である。相撲にはこのような綾があり、その瞬間のひらめきで、ただの力勝負ではない深みが生まれる。まさに名勝負にふさわしい一番が展開された。くしくも白鵬がその敗者になった。白鵬がずっと求めた“後の先”の境地に近いものが、この一番にはあったのかもしれない。あまりに見事に虚(きょ)を突かれた。その事実をすぐ受け入れきれなかったのかもしれない。白鵬に物言える人間はいないのか 白鵬はなぜ、そのような自分本位な誤解を土俵上で感じるほどの傲慢(ごうまん)さと混乱を内部に持ってしまったのか。 白鵬といえば、2015年1月場所後、部屋で行われた恒例の優勝インタビューでも審判部批判を展開し、物議を醸した過去がある。 13日目の稀勢の里戦、軍配は白鵬に上がったが、物言いがついて取り直しになった。その一番を自分から話題にして、「帰ってビデオを見たら、子供が見てもわかる。なぜ取り直しにしたのか。簡単に取り直しはやめてほしい」と訴えた。 敬愛する大鵬親方の45連勝が、後に「世紀の誤審」と呼ばれるミスで止まった(昭和44年春場所)。それがビデオ判定導入のきっかけになったと言われる経緯も挙げて、白鵬は公正な勝負審判を求めた。むろん、こうした提言がタブーになってはならない。白鵬の主張は、相撲界では異例であっても、それを受け入れ、反映する柔軟さ、公正さこそ相撲界は持たなければならない。ところが、次第に、「日本人より日本人的」とさえ言われ、相撲道の精進を尊敬されていた白鵬の雰囲気に変化が起こった。荒い相撲や行動が目立つようになったのである。弓取式前も土俵に立ち続ける白鵬 =2017年11月22日、福岡国際センター(撮影・仲道裕司) 白鵬からすれば、相撲道を求めたいのに、誰も導いてくれない。今の相撲界には、自分が尊敬し、師と仰げる存在がない。双葉山を目指し、「先の先」「後の先」といった相撲の極意とも言われる境地を目指したが、それを共有できる同志が相撲界にいない失望感、孤独感もそれに拍車をかけたのだろうか。 いつしか、奥義を究める発言は影をひそめ、勝負や結果にばかり集約されるようになった。良くも悪くも目の上のたんこぶのような存在だった朝青龍が相撲界を去り(2010年2月)、2013年1月に元大鵬親方が亡くなり、白鵬にとっては重石も頼るべき先達(せんだち)もなくなった。 加えて、新弟子のころから白鵬の師匠であり恩人と言われた現宮城野親方と、大島部屋解散の際、モンゴル人力士受け入れを拒まれたことをきっかけに冷たい関係になった。そして今や宮城野部屋の中に、白鵬とその弟子グループが別に存在するような状況だとも伝えられている。すでに自分自身が親方のような存在になって、白鵬に提言できる存在もいなければ、耳を傾ける意志を持つ先輩や師匠的な人物さえいないのかもしれない。 この出来事からも、親方が相撲道を究めた親方でなく、理事長がビジネスの責任者になってしまった現在の相撲界の難しさが浮かび上がる。本来は、相撲道こそが根元にあり、師匠と力士の信頼関係が基盤になって成立する。横綱になること、優勝回数を重ねること、経済的に繁栄することばかりに重きを置かれた弊害が、今の相撲界を覆い、さまざまな問題を露呈しているように感じてならない。

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    日馬富士の暴力より日本人に定着した「悪のイメージ」の方が怖い

    小林信也(作家、スポーツライター) 『横綱・日馬富士が巡業中の酒席で、同じモンゴル出身の幕内力士・貴ノ岩をビール瓶で殴打し、頭に骨折などのケガをさせた。貴ノ岩はそのため、九州場所を休場している』というのが、今場所3日目の朝、最初に伝わった報道だ。 「それが事実なら、日馬富士が引き続き横綱として土俵に上がるのは難しいのではないか」と多くのファンが感じただろう。この問題は、最初にそうした「結論」めいたイメージが形成されたところから始まっている。2017年11月15日、日馬富士や貴ノ岩らが休場したことを示す大相撲九州場所4日目の電光掲示板=福岡市の福岡国際センター 取材が進み、現場にいた当事者や関係者たちからの証言で事実が明らかになると、「第一報で抱かされた認識や未来が必ずしも妥当ではない」「しかし、第一報によって形勢された日馬富士の『悪』のイメージは定着し、覆せない空気が出来上がっている」という、問題の核心とは別の状況も浮かび上がってきた。 この原稿を書いている17日朝の段階で、非難の矛先は主に日馬富士と、対応の遅い日本相撲協会に向けられている。日馬富士は前夜遅く、北九州から東京に戻った。警察の事情聴取を受けるためといわれる。ファンの関心は「日馬富士がどんな処分を受けるのか、あるいは決断を下すのか」。つまり「横綱の地位にとどまり、今後も土俵に上がることが許されるのか、それとも土俵生命を失うのか」に注がれている。 私はそれを誰が判断するのか、どう判断すれば「世間」が納得するのか。その「『世間』とは何か?」に漠然とした怖さを感じている。 日本相撲協会を「体質改善のできない時代遅れで甘い団体」と評価している「世間」は、厳しい処分を求めるだろう。協会がその「世間」の要求と「世間」からの評価を得るために判断するのは本来妥当ではない。なぜなら、世間のイメージは、すでに正しいとは言い切れない第一報によって形成されたからだ。 インターネットの普及もあって、瞬時に情報が拡散され、誤った事実や印象も共有され、固定化されてしまう現状がある。それを誰かが作為的に利用し、ある人物が社会的な立場を失うような動きも実際にある。 日馬富士に限らず、こうした「世間」の風潮を利用した情報操作によって、実態と違うイメージを形成され、才人たちが活躍の場を奪われたり、制約されるのは受け入れられない。そのことに憂いを覚える。 今回の出来事には冷静に分析すると不可解な点が多々ある。「頭の骨折」と聞けば誰もが震撼(しんかん)する。だが、「全治2週間」と聞けば重症のイメージはない。貴ノ岩はケガを負った翌日、巡業の土俵に上がり、しかも勝利している。当事者同士は握手をかわし、和解したかの様子も目撃されている。それなのに、貴乃花親方から警察に被害届が出された。親方は警察には届けたが、相撲協会には報告していない。貴ノ岩の師匠・貴乃花親方の謎 報道が重なるにつれ、警察に被害届を出し、「取り下げる気はない」と強硬な姿勢を取り続ける貴ノ岩の師匠・貴乃花親方の対応が少し柔軟性を欠いているのではないかという印象も徐々に広がっている。 日馬富士の師匠である伊勢ヶ浜親方は、前回の理事長選で貴乃花親方に一票を投じた。いわば貴乃花親方の同志だった。しかし、理事長選に敗れた後は「目も合わせない関係」になったといわれている。 モンゴル勢と貴乃花親方の関係もこじれているという。巡業先で乗るバスでは、巡業部長である貴乃花親方が座る場所が決まっている。この席に横綱・白鵬が座ったのが発端で、後日、まだ白鵬がバスに乗っていないのを知りながら貴乃花親方がバスを出発させ、今度は白鵬を激怒させたといわれる。その白鵬にはモンゴル国籍のまま一代年寄として相撲協会に残りたい意向があるが、貴乃花親方の反対もあって進展せず、結局白鵬は近い将来の日本国籍取得を希望していると伝えられるようになった。十両に昇進し、部屋の看板の前でガッツポーズを見せる貴ノ岩(左)。右は師匠の貴乃花親方=2012年5月、東京・中野区の貴乃花部屋 今回もすぐ使われた「隠蔽(いんぺい)体質」という言葉の乱用にも注意が必要ではないだろうか。私は暴力を容認する気はないので、暴力に対して寛大な処置を求める気持ちはない。スポーツ界にはびこるパワーハラスメント体質、体罰だけでなく「言葉の暴力」への認識を改め、一掃する必要は身に染みて感じる。 だが、一方で、何もかも「隠蔽体質」といった画一的なキーワードで縛り付けるのもまたある種のパワハラ、暴力的な体質のように感じる。 犯罪を秘匿し、法に触れる行為を共謀して隠蔽するのは当然、断罪されるべきだが、当事者間で和解が成ったことに第三者が首を突っ込む行為は、行きすぎの場合も少なくない。身内が身内に愛を持って更生の機会を与えるのは、ある意味自然なことでもある。古今東西、その人物や社会をいい意味で支え、育てるために古くから存在したことだろう。 傷害罪は親告罪ではない。たとえ当事者間で和解が成立しても、あるいは被害者が訴えなくても警察は起訴し、罪を問える。一方で、和解が成立すれば、不起訴になる場合も少なくないという。そういう種類の犯罪だ。警察や裁判所でも情状酌量的な判断や措置があり、過ちを犯した人の更生、その後の人生の確保を考慮する。いまのメディアや「世間」は、そうした幅を持たず、断罪を望む傾向が強いようで、少し怖いところがある。日馬富士の「直言」本当の意味 日馬富士の酒癖についても語られている。私も「酒乱」と呼ばれる人の変貌ぶりを目の当たりにしたことがある。普段は温厚で誠実そのものの人物が酔うと、自制心をなくすというよりも別人と化し、仕事先の社長という考えられない相手に殴りかかる姿を見て、驚愕(きょうがく)した。お酒によって「人が変わる」体質の人が本当にいる。もし日馬富士がその傾向を持つならば、適量以上のお酒を飲まない、飲ませない、といった配慮が重要だ。今回は親しいモンゴルの仲間だけの酒席だから、参加者はみな日馬富士のそうした傾向は知っていたのではないか。知った上でその席にいた。 暴力は許されるものではない。だが、暴力に至る経緯を聞く限り、日馬富士の主張はもっともだ。日馬富士が感じたこと、貴ノ岩への忠告はいずれも頭が下がる。多くの日本人がわが子や後輩になかなか直言しきれなくなった大切なことだ。その指導に暴力を用いたことに理解の余地はない。暴力に訴えたことで立場が逆転する。それは当然だ。貴乃花部屋宿舎に謝罪に訪れた日馬富士(左)と伊勢ケ浜親方=2017年11月14日、福岡県田川市 今回の事件で「横綱の品格」が問われているが、日馬富士の直言はまさに横綱ならではの姿勢や考えを示している。 テレビのワイドショーなどで、評論家が日馬富士を非難するシーンを見ていて、言いようのない違和感も覚えた。道徳的に非難するのは当然だが、相撲の厳しさをおそらくまったく理解していない発言だ。 今場所の初日、日馬富士が新小結・阿武咲(おうのしょう)に敗れた一番。テレビの前にまで、立ち会いのゴツンという鈍い音が聞こえた。敗戦後の日馬富士のまなざしを見たら、脳振とうを起こして、一瞬、意識がもうろうとしたための敗北ではないかと思えた。それが大相撲だ。頭と頭が容赦なく激突するあの激しさは日常生活には存在しない。私は普段から相撲好きを公言し、いまでも中学生たちと相撲を取る。その楽しさを子供のころから味わっている。だが、そうした遊びの相撲とプロの相撲の決定的な違いが「立ち会い」にある。 平幕力士が初めて横綱と対戦したとき、「まるでダンプカーにぶつかるような恐怖を感じた」と聞いたことがある。それほどの衝撃と恐怖を常に感じて、力士たちは土俵に立つ。その厳しさをまったく理解せず、忘れて、ただ道徳論だけで相撲を語るのでは足りない。相撲は元来、そのような、一般人が日常的には経験しない身体的な衝撃を前提とする文化伝統なのだ。 それだけに、気概が足りなければ、激しい方法で闘志を喚起する方法が採られてきたのだろう。暴力を容認する気はないが、そうした背景を理解する必要もあるだろう。そのことを忘れて、ただ一般人の常識論、道徳論の次元でこの問題を非難する滑稽さにも私たちは気づくべきだと思う。

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    大谷翔平の「踏み台」にされた日本のプロ野球が情けない

    小林信也(作家、スポーツライター) 大谷翔平選手(北海道日本ハム)が、ポスティング制度を利用してメジャーリーグ(MLB)に渡ることが正式に発表された。「メジャーでも二刀流」「球速165キロへの期待」など、早くも大谷の新たな未来を歓迎する報道があふれている。大リーグ移籍表明会見を行う日本ハム・大谷翔平選手=2017年11月1日、東京都千代田区 日米の新たな入札制度の合意など、流動的な要素もあるが、今週中にもMLBのオーナー会議で改正案が了承される見通しだという。日本ハム球団も積極的にアメリカ行きを容認し、支援する姿勢を示しているので、大きな支障はないだろう。順調に交渉が進めば、年内にも大谷翔平選手の新たな所属チームが決まるだろう。 私もいまさら大谷のメジャー流失を憂い、反対する気持ちはないが、あまりに無防備で、既定路線を受け入れる風潮に物足りなさを感じる。そもそも第一に、「大谷翔平は本当にヒーローだったのか?」と、あえて反問を投げかけたい。 投手で二桁勝利、打者でも二桁ホームラン。投げれば最速160キロ超。文句なしの実力、実績。だが、札幌に本拠を置く北海道日本ハムの選手だったこともあり、全国の野球ファンが実際に目撃する機会はさほど多くなかった。昨年、11.5ゲームを逆転してのリーグ優勝、そして日本一達成は彼なしには実現しなかったろうが、「大谷翔平ってすごいね」とは思わせても、「大谷翔平に泣かされた」「大谷翔平とともに泣いた、笑った」という、感情を揺さぶられる体験をどれだけの日本人がしただろうか? 少し大げさな表現をすれば、「大谷翔平は本当に実在したのか?」と反問したくなる。テレビやメディアの中に存在し、記録や数字のすごさで日本中を驚かせはしたが、生身の大谷が、日本中を感動させた出来事がどれだけあっただろう。札幌やパ・リーグのファンにとっては実在のヒーローだったに違いないが、それ以外のファンにとっては星飛雄馬と同じ、アニメ・ヒーローのような存在だったとさえ感じる。 最も日本中の期待を担うはずだった今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にはけがで出場ができなかった。全国の野球ファンは、大谷に肩透かしを食らわされたまま、アメリカ行きを見送ることになった。田中将大との決定的な違い ファイターズ・ファンにしても、今季は欠場が続き、日本での最後のシーズンは不完全燃焼に終わっている。その意味で、楽天ファンだけでなく、日本シリーズで対決したジャイアンツ・ファンさえも感動させ、涙させ、日本中に熱い思いを注ぎ込んで米大リーグ機構(MLB)に渡った田中将大投手と色合いがずいぶん違う。 プロでの実績は積んだ、実力も証明した。それでMLBに行くとなれば、日本のプロ野球は本当にMLBの傘下にあるマイナー・リーグのような存在になる。アメリカが上、日本が下。いまでも、それは当然でしょう、という雰囲気もある。 だが、日本のプロ野球はせめて、MLBと肩を並べ、これをしのぐ方向性を提示しなければならないと思う。何もせず、MLBのマイナー化を甘んじて受け入れる姿勢で将来が明るいとは思えない。 まして、7球団競合の末に清宮幸太郎選手(早実)の交渉権を獲得したのが、北海道日本ハム。もし清宮が順調に成長すれば、やはり喜んで送り出されるだろう。それを阻止しろと言いたいわけではないが、まるで高校野球を3年で卒業するように、日本のプロ野球は4年か5年で卒業される、それが当たり前になったのでは日本野球機構(NPB)の威厳や権威はどうなるか。試合終了後に引き揚げる日本ハム・大谷翔平選手(左)。シーズン最終戦は4打数無安打に終わった=2017年10月9日、Koboパーク宮城 その意味で、侍ジャパンは重要だ。日本のプロ野球を本拠とし、世界を相手に戦う。世界にその名を轟(とどろ)かせ、実力も存在も示せる時代だ。それなのに、侍ジャパンの注目度も広報努力もまだ低い。16日から始まる「アジアプロ野球チャンピオンシップ」も、始まればそれなりに注目されるだろうが、稲葉篤紀監督の地味さ、Uー24で若手主体のメンバー構成という事情もあって、盛り上がっているとは言えない。 強化合宿初日の記者会見で、稲葉監督は、「勝利至上主義、勝ちに行く」といった表現で意気込みを示した。多くのメディアもファンも、この言葉をすんなり受け止めていたが、私はあまりの当たり前さにぼうぜんとした。野球少年の減少が課題としてあり、野球の底辺を支える人気衰退が深刻化する中で、侍ジャパンの代表監督が発するメッセージとしてはあまりに物足りない。そんな憂いや不足を感じない鈍感さも、日本野球の危機を如実に物語っていると言えないだろうか。 実際はもっと、侍ジャパンを頂点とする、日本野球のレベルアップ、魅力向上を野球界全体で企画し、推進しなければいけないのに、その危機感も意欲も感じられない。本当は、大谷翔平のメジャー挑戦を手放しで喜んでいる場合ではない。

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    ドラフト会議の「被害者」清宮幸太郎に同情する

    小林信也(作家、スポーツライター) プロ野球ドラフト会議は前評判通り、早稲田実業の清宮幸太郎(内野手)に高校生史上最多タイ7球団が競合し、日本ハムが交渉権を獲得した。夏の甲子園で6本のホームランを打った広陵の中村奨成(捕手)は、広島と中日が競合し、広島が交渉権を得た。清宮と並ぶ強打者の呼び声高い履正社の安田尚憲(内野手)は外れ1位で3球団競合の末、千葉ロッテに決まった。記者会見で笑顔を見せる早実・清宮幸太郎(右)左は和泉監督 =2017年10月26日、東京都国分寺市・早稲田実業学校(撮影・大橋純人) 横浜DeNAは単独指名で立命大の東克樹(投手)を獲得。ソフトバンクは1位指名で3度も抽選を外し、4人目の入札でようやく鶴岡東の吉住晴斗(投手)が決まるなど、明暗も分かれた。巨人は清宮を外し、中央大の鍬原拓也(投手)を1位で獲得した後、育成も含めて捕手を4人も指名して議論を呼んでいる。このように、さまざまな話題を提供するドラフト会議は「ストーブリーグ」を熱く盛り上げるのに欠かせないイベントとして定着した感がある。 だが、話題の提供や長年の伝統だからという理由でドラフト制度をこのまま継続する根拠にはならない。私は、ドラフト会議に依存する時代は終わったし、これを廃止しないとプロ野球界の発展はないと感じる。 「戦力均衡」というキーワードが、侵してはならない聖域のようにドラフト制維持の盾となっている。しかし、ドラフトによって戦力均衡が保たれるわけではない。しかも、戦力が偏ったチームによる戦いだからドラマが生まれ、面白いといった側面も絶対にある。今季にしても「30億円補強」と呼ばれ、フリーエージェント(FA)で3選手を獲得した上、マギーをはじめ外国人選手も補強した巨人が4位に敗れた。支配下選手の平均年俸が12球団で最も安い横浜DeNAが日本シリーズに進出した。この事実はどう説明するのだろう。 本気で戦力均衡を求めるならば、新人選手のドラフト会議以上に、すでに活躍の実績がある選手たちの移籍やFAの制約を議論すべきだろう。だが巨人の例を見れば分かる通り、案外、自由競争にした方が見かけの戦力は整うが、結果が出るとは限らない。 いま一般的にドラフト会議は、12球団の戦力均衡のため実施されていると思われており、ドラフト会議が存在することが、プロ野球を公平に運営する精神の表れのようになっている。しかし、実際は少し違う。球団が努力しなくなるドラフト会議で清宮の交渉権を引き当て、右手を突き上げる日本ハムの木田優夫GM補佐(左から3人目) =2017年10月26日、東京都港区のグランドプリンスホテル新高輪(撮影・荒木孝雄)  ドラフト制度が採用されたのは1965年。皮肉にも、巨人のV9が始まったのは、ドラフト元年となったその1965年だ。その前の10年間を見ると、巨人の日本一は3回。西鉄が3回。南海が2回、東映1回、大洋1回。巨人に選手が偏り、他球団との実力差が大きすぎるからドラフト制度が始まったのではない。その時の主な課題は、自由競争で高騰する契約金に歯止めをかけるためだった。 上尾高から東京オリオンズ(当時)に入団した山崎裕之の契約金が当時としては破格の5000万円と話題になった。そこまで高騰すると、予算の少ない球団は獲得競争に加わることができない。ドラフト会議を実施し、契約金や年俸に上限を設けることで、どの球団も有望選手獲得競争に加われる、獲得の可能性を保証するために、西鉄ライオンズ(当時)の西亦次郞社長が、NFLのドラフト制度を参考に独自の提案をしたのが始まりだった。 私がドラフト会議廃止を提言する理由のひとつは、プロ野球界がドラフト会議があるために「努力停止状態」に陥っている面が多々あるからだ。 クジ運さえ良ければ、球団がリクルート対策の費用を費やす必要がない。いま日本の経済界では、商品を売るための宣伝と同じかそれ以上に、優秀な人材(社員)を獲得するためのリクルート対策に巨費を投じている。ところが、野球界は、クジ運さえ良ければ、さほど新人獲得目的で施設の整備や指導体制の向上を血眼になってやる必然性がない。 くしくも「事前面談」で清宮幸太郎の父、克幸(ラグビー・ヤマハ監督)が西武ライオンズの施設の古さを質問したと言われる。実際、西武の合宿所や室内練習場はかなり経年劣化が目立つ。それでも球団が交渉権さえ獲得すれば、選手は拒否して翌年以降まで待つ以外に選択肢がない。 ドラフト制のないJリーグで、新人獲得に関する大きなトラブル発生を聞いたことがない。この事実を野球ファンはどう受けとめているだろう。かつて、多くの球団が勧誘していた中田英寿選手が高校3年のとき、自ら数チームの施設を訪ね歩き、その中からベルマーレ平塚(現在は湘南)を選んだと言われる。選ばれるために、チームは施設や球団の態勢、方針を魅力的にする必要がある。 昨季優勝、今季もセ・リーグ連覇を果たしたことで、広島カープ独自のチーム強化策が注目され、高い評価を受けている。だが、その先例となったのは、V9巨人ではないかと、私は思う。もちろん、予算の大小は違う。だが、チーム独自の発想と努力で、優勝できる戦力を整えたのはV9が好例だ。あのころの巨人は、必ずしも最初から出来上がっていた選手ばかりをそろえたわけではなかった。清宮の希望を無視するのか V9のメンバーを見てみよう。1番柴田勲はセンバツ優勝チーム(法政二)のエース投手、花形ではあったが、巨人では打者に転向。二軍で一から鍛え直し、足を生かし、スイッチ・ヒッターになって不動のトップ・バッターとなった。 2番の土井正三(立教大)あるいは高田繁(明大)はいずれも六大学のスター選手。だが土井などは“いぶし銀”のタイプ。立大では3番打者ではあったが、4年間で打率2割4分5厘、ホームラン0。ドラフト導入前年の入団だが、ドラフト制があったら1位で指名したかどうかわからない。 3番王もセンバツ優勝投手だが、入団後に打者転向。最初は「王は王でも三振王」とやじられていた。他球団から荒川博を専属コーチとして引っ張り、王を育てることを任務としたのは有名な話。そのような発想と大胆さ、育てる覚悟がV9の陰にあった。 ショートの黒江も荒川道場で花開いた苦労人と言われる。同じショートの河埜和正(八幡浜工業)は実際にドラフト6位入団。淡口憲治(三田学園)は3位、小林繁(由良育英)は6位、関本四十四(糸魚川商工高)は10位。V9を彩った選手たちは決してドラフト上位の素材ではなかった。 ずっとV9を支え続けた捕手の森昌彦(岐阜)は巨人にテスト入団した選手だ。チームメートに肩車されてガッツポーズする清宮幸太郎内野手=2017年10月26日、東京都国分寺市の早実高(撮影・大橋純人) ドラフト廃止を提言すると、再び契約金高騰あるいは裏金の危険性などを指摘する声が上がるだろうが、自由競争にしつつ契約金に上限を設け、また獲得選手の人数や契約金総額を制限するなど、やり方はいくらでもある。裏金のようなルール違反をしないのは、当たり前の前提だ。破ることを前提にしたのでは何も改革できないし、そのような業界ならそもそも自滅は明らかだ。 素朴に思う。7球団競合ということは、清宮幸太郎は、今年の高校生野手の中で最も高い評価を得、それにふさわしい才能を持ち努力を重ねてきた。その選手の意志や希望が最も叶いにくい現実はおかしくないだろうか。「それなりの評価」の方が、選手と球団の意志がつながりやすい。スポーツの世界で、そんなおかしいことはない。「戦力均衡」の旗印の下に、2位以降は最下位球団から順に指名する「ウェーバー制」が採用されたのも、私はずっとおかしいと感じている。 スポーツの世界では、勝利者にご褒美が与えられるのが普通のことで、敗者が真っ先に最大の恩恵を受けること自体が不思議だと思うのだが、これはむしろ暴論のように言われる。大きな評価を受ける選手が、何らかの問題があるから最下位に沈んだ組織に強制的に入れられるのは、もう終わりにすべきだ。勝てなかった球団は、自分たちの根本的な課題や欠点を把握し、解消することで翌年以降の戦いに臨むべきであって、有望新人獲得に頼った強化策では組織の本質は変わらずに放置され続けてしまう。

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    清宮幸太郎は巨人だけには行かない方がいい

    小林信也(作家、スポーツライター)  ドラフト会議が近づき、プロ入りを宣言した清宮幸太郎(早稲田実業)の争奪戦が最大の目玉となっている。次いで、今夏の甲子園で6本のホームランを打った中村奨成(広陵)。ほかに、強打で知られる安田尚憲(履正社)、投手では即戦力の呼び声高い左腕、田嶋大樹(JR東日本)らがいるが、どうしても直近の甲子園で活躍し、話題となった選手に世間の注目は集まり、メディアも彼らこそが「ドラフトの目玉」であるかの騒ぎ方を崩さない。 ただ現実には、甲子園での実績がプロ野球での活躍に直結しないのは、多くのファンが知るところだ。平成18年夏の決勝で、再試合の末に優勝を飾った早実のエース、斉藤佑樹が、プロ野球では苦しんでいる。一方、三振を取られ、最後の打者となって苦笑いを見せた敗者・田中将大は24連勝の偉業を成し遂げ、楽天を日本一に導き、メジャー4年目を迎えた今シーズンはワールドシリーズ進出を逃したものの、ヤンキース躍進を支える活躍を見せた。 それでもドラフト会議では、「甲子園の実績」という幻想をスカウトや球団でさえ捨てきれないのが現状だ。果たして、高校時代の実績がどれほどプロ野球の活躍と直結しているのか? 日本プロ野球の歴史を彩った投打のレジェンドの高校時代に光を当てて検証してみたい。国鉄スワローズ入団当時の金田正一投手=1950年 投手では真っ先に名前の浮かぶ、通算400勝の金田正一。プロ入り8年目で2000奪三振を記録。通算4490奪三振。史上最年少の18歳でノーヒットノーランを達成。1957年には史上4人目の完全試合。挙げたらきりがないほど、その実績、怪腕ぶりは球史に燦然(さんぜん)と輝いている。 愛知県で生まれ育った金田は最初、名古屋電気学校(現在の愛知工業大学名電)に入学。1年生の5月、享栄商業に編入した。昭和8年8月生まれの金田が、まだ14歳の昭和23年春に高校入学した理由はわからない。金田の公式ウェブサイトによれば、高校時代の実績は次のとおりだ。  昭和23年5月7日 享栄商高野球部へ入部(同時に同学校へ入学)、甲子園大会へ補欠で出場(登板の機会は無し) 昭和24年(16歳) エースとなるも、春・夏とも県予選で敗退 昭和25年(17歳) 3月 国鉄スワローズの西垣さん来宅(誤解から入団内定)、8月 甲子園県予選・準決勝で敗退。すぐ国鉄スワローズ入団 一年の夏に甲子園のベンチには入ったが、甲子園ではほとんど活躍していない。上記、西垣さんとあるのは、その年誕生したばかりの国鉄スワローズ初代監督、西垣徳雄のことである。監督自ら金田家を訪ね、入団を要請したのだろう。国鉄は1年目のその年(1950年)、シーズン序盤に14連敗、4月下旬からも10連敗を喫するなど、8球団中最下位と苦しんでいた。その夏、甲子園予選で敗れた金田がすぐに高校を中退して国鉄スワローズに入団した。今の規則ではあり得ない芸当だが、8月1日に17歳になったばかりの金田がそれから8勝をマークし、7位だった広島を抜いて結局7位でシーズンを終えた。長嶋伝説の裏話 長嶋茂雄のデビュー戦で4打数4三振に斬った伝説があまりに有名だが、金田自身、「17歳夏から入団して8勝」という、今では考えられない伝説を作ったことはあまり知られていない。しかも、金田は「甲子園のヒーロー」ではなかった。その夏の甲子園優勝校は松山東。後にプロ入りした同期の高校球児には吉田義男、大沢啓二がいるが、後にも先にも金田以上にプロで活躍した投手はもちろんいない。 通算勝利数で金田に次ぐ350勝を挙げた2位の米田哲也も境高校(鳥取)時代、甲子園には届かなかった。しかも高校入学時は捕手だった。当時、鳥取で名を馳せていたのは、米子東のエース、義原武敏だった。巨人に入団し、4年目に10勝もマークしたが、実働7年、通算33勝でプロ野球人生を終えている。高校時代の評価や実力とプロ野球での活躍が直結しない皮肉な実例とも言えるだろう。  「投げる精密機械」と異名を取り、320勝で通算3位の小山正明は、高砂高(兵庫)3年の秋、阪神タイガースの入団テストを受け、テスト生としてプロ球界に入った。同時に大洋松竹ロビンスのテストも受けたが、こちらは不合格だったという。  「神様・仏様・稲尾様」で知られる稲尾和久は、西鉄ライオンズの3年連続日本一に貢献した伝説の鉄腕投手。1961年にはシーズン42勝を挙げ、1939年のスタルヒン(巨人)と並ぶシーズン最多勝利も記録。その稲尾も、別府緑丘高(大分)時代はまったく無名の存在だった。入団当初、三原脩監督(当時)が「稲尾はバッティング投手として獲得した」と公言した逸話まで残っている。 最近の高卒投手に目を移せば、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大ら、確かに甲子園のヒーローがプロでも活躍する例も少なくない。一方で、先に挙げた通り、優勝投手の斉藤佑樹は苦しんでいる。松坂伝説の翌年に夏の覇者となった桐生第一のエース、正田樹も日本ハムに入団後、新人王こそ獲ったが、その後は苦労を重ね、今は独立リーグでプレーしている。 現役最多の128勝を挙げている内海哲也は、高校時代からスカウトの注目を集めていたが、春のセンバツはチームメイトの不祥事で辞退、夏は予選の決勝で敗れて甲子園には出ていない。現役2位126勝の和田毅は浜田高(島根)3年夏に甲子園出場、準々決勝まで進んだ。昨年引退した黒田博樹に至っては、上宮高(大阪)時代、控え投手だったことが広く知られている。金田正一(左)、王貞治(右)らとくつろぐ長嶋茂雄=撮影日不明 この10年、20年の間に、甲子園で輝いた投手が何人もプロに入っているが、多くは期待された活躍ができないままプロ野球を去っているか、今も苦闘 を続けている。 打者で真っ先に挙げるなら長嶋茂雄だろう。佐倉高3年夏、「県立大宮球場のバックスクリ ーンに打ち込んだホームラン」がプロのスカウトの目に留まり、一躍その名が轟いたという伝説は今も語り継がれる。だが、チームは敗れて甲子園には出場していない。その打球は、高校生離れした弾丸ライナーだったというから、とてつもない打球だったのだろう。だが、私は記録本に目を通して、おもしろい事実に気がついた。左右両翼の距離は球場によって差があるが、大抵の球場は当時もセンターまで120メートルでほぼ共通している。ところが、この県立大宮球場だけは108メートルしかない。だからといって「長嶋伝説」に異論を唱えるわけではないが、伝説とはこんな風に生まれるものかと苦笑いした次第である。部活に馴染めなかった落合 王貞治は早実でセンバツ優勝投手だった。プロに入って打者転向して世界のホームラン王になったことは語るまでもない。 王に次ぐ657本塁打を打ち、戦後初の三冠王に輝いた野村克也は、高校時代は無名中の無名の存在だった。峰山高(京都)は2年の夏に2回戦に進んだのが最高で、ほぼ1回戦負けが当たり前。南海ホークスにはテスト入団している。 史上最多、三冠王を三度獲得した落合博満は、秋田工出身だが、体育会的な体質になじめず、試合だけ出場したことはあっても、事実上ほとんど野球部では活動していない。進学した東洋大も1年の途中で退部し、その後中退した。2年後に東芝府中に誘われ、25歳でプロ入りした異色の経歴の持ち主だ。  こうして見ると、プロ野球界のエリートは、むしろアマチュア球界の変わり種、非エリートが少なくない。 現役打者では、歴代3位となるホームラン王6回の中村剛也(西武)が名門、大阪桐蔭高の出身だが、甲子園には出場していない。筒香嘉智(横浜DeNA)は、1年春から横浜高の4番を打ち、2年夏には甲子園で2打席連続ホームランを放つなど活躍。だが、3年夏は準々決勝で自らのエラーがきっかけで横浜隼人にサヨナラ負けを喫し、甲子園出場を逃している。 むろん、このような歴史があったとしても、清宮幸太郎への期待が変わるわけではない。何球団から指名されるのか、そこばかり注目されているが、正直そんなことはどうでもいい。むしろ、スカウトや球団フロントの無策と覚悟の欠如の証しと言いたい。私は本当に清宮を必要とし、清宮がその才能を開花できる球団と結ばれてほしいと願っている。  一部に、「セ・リーグも清宮対策のためDH制採用」などの記事も流れたが、賛成はしかねる。DH制専門でホームランを連発しても、果たして球界を代表するリーダーになれるだろうか? その意味では、あえてセ・リーグに進み、三塁手としての経験を積んでほしいと期待している。もちろん、それを前提とするならパ・リーグでもいいが、そもそも指名打者など18歳の新人に用意する場所ではない。ドラフトの目玉、早稲田実業の清宮幸太郎。指名球団数が注目される(長尾みなみ撮影)  巨人、ソフトバンク、西武などは、メジャーへの早期挑戦の道が閉ざされる可能性が大きいから、早く渡米したいなら絶対に避けるべき球団だ。その点では今季、大谷翔平を送り出す日本ハム、田中将大を送り出した楽天など、実績ある球団の方が安心だろう。 巨人に入れば、原辰徳や松井秀喜がそうであったように、日本球界の王道を行くようなレールもあるが、巨人人気の衰退は単に「スター不在」が原因ではなく、その存在や本質的な方向性の問題である。清宮一人に復活を託すのはかわいそうだ。巨人がもし清宮を指名するなら、球団としての新しいビジョンを提示することが前提だと思う。清宮の人気頼みの球団に、指名する資格などない。 一方、広島はいち早く中村奨成の1位指名を公言した。これに割って入る球団の動きも聞こえる。 果たして、幻想にとらわれず、的確な判断をし、有望な人材を獲得するのはどの球団か。冷静かつ独自のドラフト戦略がセ・リーグ2連覇の重要な勝因とも言われる広島のような眼力と覚悟を持つ球団がどれほど存在するか。各球団の姿勢を探る上でも、ドラフト会議はやはり興味深い。

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    知られざる名投手「特攻帰還兵」武智文雄の人生

    小林信也(作家、スポーツライター) 「私が生まれたばっかりに、父の二度目の完全試合がダメになってしまった。私は生まれたときから親不孝者です」 初めて会った日、その女性は真面目な顔で言った。 「完全試合を二度やった投手はメジャーリーグにもいないそうです。もし父が二度達成していたら、もう少し世間に知られた存在になって、野球の殿堂にも入れてもらえたのではないでしょうか」 日本のプロ野球史上二人目の完全試合投手、と聞いてすぐ名前が浮かぶ野球ファンがどれほどいるだろう? 史上初の完全試合は、巨人の藤本英雄だと、多くのファンが知っている。だが、二人目となると、知る人は少ない。女性はその人、武智文雄(近鉄パールス)の長女、美保さんだ。 2013年7月、武智文雄は病気で亡くなった。遺品を整理していると、ボールやユニホームが出て来た。それをどうしたものか、どれほど貴重なのものか、誰かにその相談をしたいと紹介されて筆者が会った。その時の自己紹介が冒頭の言葉だ。 武智文雄は、26勝を挙げて最多勝投手に輝いた翌年の1955年(昭和30年)6月19日、大映スターズとの試合で完全試合を達成した。史上二人目、パ・リーグでは初となる快挙だった。そしてその年の8月30日にも、同じ大映戦で9回1死まで完全に抑えていた。 「文(ふみ)さん、またやるぞ!」、球場は期待と緊張に包まれ、「同じ年に二度もやられてたまるか!」、大映ベンチには悲壮な空気が流れていた。 その時、ひとつの難問が近鉄ベンチに投げかけられていた、と美保さんは言う。 「ちょうどその日、私が生まれたのです。ベンチにその知らせが届いて、監督、コーチはそれを父に伝えるかどうか、迷ったそうです。9回1死になって、ベンチはタイムを取り、マウンドにいる父に私の誕生を伝えた……」現役当時の武智文雄投手 女の子が生まれたぞ、と。その途端に、代打で出て来た新人の八田正にセンター前に打たれた。鈍い当たり、テキサス・ヒットだった。これで世界でも初、「同じ年に二度の完全試合」は断たれた。だから、「生まれたときから親不孝」と美保さんが自嘲するのだ。その逸話を、美保さんはまだ幼いころ、自宅に遊びに来た近鉄の選手から聞かされた。しかも、誰かがそのことを書いた記事も見せられたという。だから、自分が生まれた8月30日は誕生日であっても、常に苦い思いとともにある、美保さんにとっては複雑な気持ちにかられる日だという。 さらに、武智文雄(結婚して婿養子になる前は田中文雄だった)が名門・岐阜商に進学、野球部での活躍を期待されながら夏の甲子園大会が中止になったこともあり途中で退部。自ら予科練を志願し、野球をあきらめた人だと知らされた。 運命の糸に引かれるように、私は武智文雄の人生をたどり始めた。「神風」から「桜花」へ 武智文雄が配属されたのは、特攻隊。神風特攻隊から、やがて桜花特攻隊員へ。桜花は別名「人問ロケット」と呼ばれた。エンジンがついていない親機にぶらさがり、引っ張られて上空に昇る。そこで切り離されると、加速用のエンジンだけを噴かして時速600キロで急降下する。出撃したら、生きて帰る道がない。武智文雄の頭には生きて輝く未来はもう描けなかった。野球どころではない。死ぬことが目的となった日々。 野球評論家、近藤唯之が書いた夕刊フジ(1977年10月21~23日)のコラム「背番号の消えた人生」に、文雄自身の回想とともに、下記のように掲載されている。 「男の運命ぐらい、不思議なものはない。戦争中、田中文雄は特別攻撃隊神雷隊員だった。最初はゼロ戦に乗っていた。しかし戦争末期はゼロ戦ではない。『桜花』と名づけられた、翼のあるロケット特攻機である」  「一式陸攻が桜花を腹にかかえて飛ぶんです。そして敵艦の近くにきたら桜花を胴体から切り離す。すると桜花は5分間ほど自動ロケット装置で飛び、時速600キロのスピードで敵艦に突っ込んでいく。私はこの桜花特攻隊員になったから、いずれは間違いなく死ぬと思ってました」 「それが生き残った。紙一枚の差というか、まばたきする瞬間の差というか、すれすれの作戦変更で彼の特攻出撃はないまま、戦争は終わった」 幸運にも、武智文雄は出撃命令のたびに何らかの理由で出撃が中止され、出撃した際も天候不良で作戦が中止され不時着するなど、大けがは負っても死は免れ、終戦を迎えたのだ。日本海軍の特攻専用機「桜花」 復員してしばらくは「愚連(ぐれん)隊」を自称して荒れた日々を過ごした。生きて還ったものの、飛び立ったまま二度と戻らなかった仲間たちを思えば、生きている自分を恥じる気持ちが消えなかった。その後、社会人野球に誘われ、思いがけず野球の世界に戻った。所属した大日本土木(岐阜)が都市対抗野球で2連覇を飾るなど実績を積んだ武智文雄は、1950年(昭和25年)、誕生したばかりの近鉄球団の契約第1号選手としてプロ野球に入った。 武智文雄の人生をたどりながら、私は改めて、戦争の悲惨さを知った。戦争は多くの命を犠牲にする、だから絶対に繰り返してはならないと思っていた。それだけではない。武智文雄のように、九死に一生を得て、生き延びた人にとっても、その周囲の家族にも、実は一生消えない心の傷を与え、生涯その痛みを抱えて苦しみ続ける。 私たちの父親たちがそうだったように、その世代の日本人の多くは案外、戦争体験やその後抱え続けた心の苦悩を自分の中にとどめ、表現しようとしなかった。いや、どう表現すればいいのか、どう理解すればいいのか、ついにはっきりした答えが見つからないまま、人生を重ねていたのかもしれない。 また私は、死ぬことを覚悟して生きた青春時代を持つ武智文雄の生きざまから、野球という競技そのものの、そして日米の野球観の違いなどに気づくことができた。 野球は27の「死(アウト)」を重ねて勝利を目指すゲームだ。日本の草野球では、アウトをただ「アウト」とコールするが、アメリカの野球では必ず「ヒー・イズ・アウト」と言う。 ひとつひとつの「死」をどのように生かすか。日本とアメリカではまったく考え方が違う。それをただ戦術論として捉えがちだが、その背景には、社会の価値観、個人の尊厳をどれだけ尊重するかの重要な社会の空気も反映されているように気がついた。そんな新たな視点もまじえ、筆者は彼の人生を『生きて還る 完全試合投手となった特攻帰還兵 武智文雄』(集英社インターナショナル刊)にまとめた。高校時代、武智文雄と同じアンダースロー投手だった私が、武智文雄に出会ったのも何かの運命かと感じている。

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    メディアは猛省せよ! ハリル監督の日本サッカー批判に敬意を表したい

    小林信也(作家、スポーツライター) サッカー日本代表・ハリルホジッチ監督の「異例の講義」が話題になっている。猛抗議になぞらえて「猛講義」と表現したメディアもあるほど熱い語りだったようだ。 9月28日、来月初旬のキリンチャレンジカップ2017に臨む日本代表メンバー24名を発表する記者会見が行われた。集まった報道陣にハリルホジッチ監督はすぐメンバー発表をせず、18分にわたってまず「講義」したのだ。 各紙の報道によれば、内容は主に、「日本のサッカーは、独自のアイデンティティーを築かなければならない」「日本ではポゼッション(ボール支配)の重要さが強調されるが、ポゼッションが高ければ勝てるわけではない」「それより大切なのはデュエルだ」 といったメッセージだった。 ちょうど直前行われたヨーロッパのチャンピオンズ・リーグ、バイエルン対PSGの試合内容と結果が、「わが意を得たり」の展開だったことも、講義を行う意志に勢いを注いだようだ。ハリルホジッチ監督はこの試合のデータを挙げて言った。 「PSGのポゼッションは38パーセント。パスの数も368対568、シュートもバイエルンの方が多い。コーナーキックはPSGが4本でバイエルン18本。クロスも4本対36本」 ところが、3対0で快勝したのはそれらの数字で劣るPSGだった。 「PSGが上回ったのは、デュエルの成功率だ。ポゼッションだけでは意味がない。モダンサッカーでは、ゲームプランやゲームコントロールが大事なのだ」サッカーW杯アジア最終予選。オーストラリアに勝利し選手らに水をかけられるハリルホジッチ監督=8月31日、埼玉スタジアム それはまさに、2018ワールドカップ出場を決めたオーストラリア戦でハリルが描き、見事勝利を収める要因になった戦術そのもの。その勝利でハリルホジッチ監督の再評価が進んでいる今だから、「猛講義」は説得力があった。常に「上から目線」で評論したがる傾向の強い日本のサッカージャーナリストやサッカー指導者たちにも一考を促すきっかけになっただろう。 デュエルという用語は、ハリルホジッチ監督が日本代表を率いるキーワードに設定し、盛んに使うことで日本でも広く認識され始めた。デュエルはフランス語、直訳すれば「決闘」という意味だ。ハリルホジッチ監督はサッカーのあらゆる局面で起こる《球際の勝負》をこれに投影している。日本人はオタク理論好き? 球際の強さにはもちろん技術の裏付けもあるが、同等かそれ以上に重要なのが「見きわめる目」であり「激しい闘志」だ。日本のサッカー選手にはそれが足りないと、代表監督に就任してすぐ感じたようだ。日本ではどうしても、目に見える技術や戦術が重視され、語られる。《サッカーの勝負を支配するのは、そのような数字や技術ではない。戦術論は、日本のサッカー界やジャーナリストたちが思っているほど、勝負を左右する核心ではない》 ハリルホジッチ監督は日本代表監督を引き受けて以来ずっと、ストレスに感じていたのだろう。日本では、評論家たちや戦術論が好きなサポーターたちは、チームを率いる監督でさえも、机上の空論とまでは言わないが、理論優先のおたく的思考に傾きがちだ。 「球際の強さが重要だ」と言われて反論する人はいないだろう。だが、ハリルホジッチ監督が言いたいのは、それだけではない。《デュエル》というキーワードが意図するもっと深いサッカーの構造、勝負を支配する綾(あや)まで、ハリルホジッチ監督が展望する方向性に寄り添って、日本のサッカー関係者がビジョンをなかなか共有してくれない。 「球際の勝負に勝てば、自(おの)ずとボール・ポゼッションも増える」と考えたら、「だからやっぱりポゼッションは大事じゃないか」となってしまう。サッカー日本代表メンバー発表会見の冒頭で熱弁を奮うハリルホジッチ監督=9月28日、東京都文京区(撮影・山田俊介) 「言いたいのは、そこじゃないんだ!」 ハリルホジッチ監督はストレスといら立ちを爆発寸前まで抱えていたのだろう。 試合時間の大半、ずっとボールを相手に渡しても、渡していること自体を支配し、ゴールマウスに蹴り込ませないコントロールができていれば、勝負に支障がない。勝負どころの球際で相手を支配し、負けず、決定機をモノにする。それこそがサッカーの勝負を分ける核心。それはまさにハリルホジッチ監督がオーストラリア戦で代表選手とともに体現して見せた勝利の方程式だ。 日本のメディアは、本田圭佑が落ちた、香川真司が外れた、といった話題が優先して語られる。それも関心事には違いないが、監督の立場からすれば、優先順位は高くない。勝つためにどんな試合を展望し、それができる選手たちでチームを編成する。勝つ戦術を理解し、チームで徹底し、結果を出すことが重要であって、その試合に本田がいたか、香川がいたかは重要ではない。ハリル監督の使命 私自身の立場からすれば、今回のハリルホジッチ監督の「猛講義」は、スポーツ報道やそれに携わるジャーナリスト、熱心なサポーターたち、さらには日本の指導者たちへの強烈な一撃だと感じる。 「お前ら、偉そうに言うけど、本当のところはわかっていないんだよ」 ハリル監督の感情を直訳すれば、そうなるのではないか。私自身、スポーツ表現に関わりながら、その矛盾やジレンマをしばしば感じる。 プロ野球の投手が「160キロを記録した!」となれば、大きな話題になる。大切なのは、打者を抑えたかどうか、試合を支配し勝利したかだ。が、数字が独り歩きする。160キロの投球をバットに当てられたとあれば、何か不足がある、と考えるのが選手の実感だ。数字を見て騒ぐのは、外野席の感覚だ。ファンが騒ぐのは自由だし、それもスポーツの楽しみだが、メディアやジャーナリズムが、本質から離れた外野席の発想では核心から外れる。勝手な思い込みで競技の本質を誤った方向に(あるいは狭い理解で)導くのは発展を妨げる。未来ある選手たちの可能性もむしばむことにつながる。日本代表メンバー発表会見の冒頭で熱弁を奮うハリルホジッチ監督=9月28日、文京区(撮影・山田俊介) その意味で、ハリルホジッチ監督の勇気と挑戦に敬意と拍手を送りたい。私たち伝える側の人間、熱く語るサポーターたちも、本当は何が試合を支配したのか、もっと謙虚に当事者に聞き、探り、無限に追求し続ける謙虚さが必要だということを肝に銘じたい。 ハリルホジッチ監督がただ「お仕事」でなく、《日本サッカーのアイデンティティーを築く一助になりたい》、そう自覚している感じが日を追うごとに伝わってくる。 「代表の監督を引き受ける」とは、ワールドカップに出場させる、ワールドカップで勝ち進むという命題とともに、そういう使命があることを当然自覚して、ハリルホジッチ監督は任務に当たっている、私はそんな風に感じる。フランス人(ハリルホジッチ監督はユーゴスラビア出身、現在はフランス国籍)にとってサッカーとは、人生や社会と深く結びついた活動だから、ハリルホジッチ監督にとってはそれが当然の感覚なのだろう。そのことも含めて、私たちは外国人監督から学び、サッカー文化を深める大きなきっかけになればいい。

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    巨人澤村のはり治療ミスと重なる江川卓「禁断のツボ」事件

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人が「澤村拓一投手に謝罪した」というニュースが報じられたのは9月10日。このニュースに接してからずっと、胸が痛む思いが消えない。   契約更改を終え、会見に臨む澤村拓一投手 =2016年12月、東京・大手町の球団事務所 胸が痛むのは、活躍の場を持つ投手が、人為的なミスによってその機会を奪われることへの痛切な哀感。本人の気持ちを思えば、言葉がない。同時に、その原因とされた球団トレーナーの気持ちや未来を思うと、いたたまれない。なぜなら、私自身が、はり治療によってスポーツ選手のケガを治し、オリンピックの金メダルを獲得させるなど、スポーツ施術の現場に直接関わっていた経験があるからである。私は鍼灸師ではないが、今回の騒動をめぐり世間から批判を浴びているトレーナー側、いわば当事者に近い立場でもあった。 まずは、事件の経緯を確認しよう。サンケイスポーツ紙はこう伝えている。 開幕前に右肩の異常を訴えて2軍で調整していた巨人の沢村拓一投手の故障の原因が球団トレーナーのはり治療での施術ミスである可能性が高いとして球団が謝罪していたことが10日、分かった。石井一夫球団社長、鹿取義隆ゼネラルマネジャー(GM)と当該のトレーナーが9日に川崎市のジャイアンツ球場で沢村に謝罪した。鹿取GMによると本人は納得しているという。 これを公表した巨人の姿勢に一定の評価を与える反応もあるが、同じ球団に所属する選手とトレーナー間で起きた治療ミス(事故)とはいえ、「本人は納得している」という解決法で終わっていい問題なのかどうか。 結局、「最善を尽くしても失敗することはあり、医療ミスは起こり得る」から、お互いの思いやりで「なかったこと」にするのが最も平和な解決だという現実はあるにはある。だが、もし本当に戦列離脱を長引かせた理由がはり治療だったとしたら、球団は澤村投手にもっと明確な補償をし、再発防止策を真剣に探る責務がある。 同紙はさらに次のように報じている。 球団関係者によると、沢村はキャンプ中の2月25日に右肩の不調を訴え、27日にはり治療を受けた。その後も状態が上向かなかったため、複数の医師の診察を受けて「長胸神経まひ」と診断された。まひは外的要因によるものとされ、はり治療で一時的な機能障害が引き起こされた可能性があるとの所見が出たことで、球団が謝罪した。 この記事の下りには「複数の医師の診察」とある。「複数だから間違いなさそうだ」という印象を与えるが、ここにひとつの不公平が隠されている。検証のため診察したのは、いずれも西洋医学の医師であり、原因とされたのが東洋医学に基づくはり治療を施したトレーナーである。スポーツ界に限らず、日本の医学界はある時期からずっと西洋医学主導で動き、東洋医学を冷遇、または排除する方向に働いてきた。はり治療はこうして浸透した 私は昭和60年代の半ばから数年間、はり治療を得意とする白石宏トレーナーのマネジメントとプロデュースを担当した。彼との活動を通して、治療技術を持ったトレーナーという新しい分野を拓き、普及させる一翼を担った。ロス五輪で4つの金メダルを獲ったカール・ルイス、ソウル五輪で金メダルを獲った水泳の鈴木大地(現スポーツ庁長官)、柔道の斉藤仁、さらにはテニスの伊達公子、松岡修造、マラソンの有森裕子ら、数え切れない選手たちのケガを治療し、競技に復帰させた。目標を果たす傍らにいた白石トレーナーの活躍を私は身近で支援し、それを雑誌や単行本で発信したこともあり、実際にトレーナーを志した人たちも少なくないと聞かされている。シート打撃練習に登板した巨人・澤村拓一=7月28日、ジャイアンツ球場(撮影・矢島康弘) その当時、はりを使うトレーナーに対する医学界の「拒否反応」はあからさまだった。鈴木大地、斎藤仁両選手から要請を受け、五輪の会期中ソウルに赴いたが、選手村に入ることは当然許されず、私はソウル市内に部屋を確保し、両選手が選手村から治療に通ってくる環境を整えた。西洋医学の医師たちが治せなかったケガだからこそ、選手は藁にもすがる思いではり治療を選択し、夢を達成した。それなのに、はり治療を根拠のないものとして排除しようとする組織的パワーを痛いほど感じた。 実際に、はり治療で選手がケガから回復した例は数え切れない。西洋医学的な治療より効果があり、短期間で競技に戻った例をたくさん知っている。反対に、スポーツ選手のケガや障害に関して、検査による診断はできても改善できない医師たちの現状もたくさん知っている。投薬や手術では改善できないスポーツ障害がたくさんある。 はり治療がスポーツ界で注目されたひとつのきっかけは、いま日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古利彦だ。福岡国際マラソンを3連覇、ボストンマラソンにも優勝して広く国民的なスターだった瀬古利彦が、足のケガで長くレースから遠ざかった時期がある。いくつの病院を訪ねても治らなかったケガを治し、レースで走れるまでに回復させてくれたのが、はり治療家、小林尚寿だった。彼の伝説は、当時のファンにはよく知られている。アメリカのトレーナー制度を学んで帰国し、当初は西洋的なシステムに傾倒していた前述の白石宏トレーナーが痛切にはり治療を学ぶきっかけとなったのも、瀬古のケガを小林尚寿が治す姿を間近で見たからだ。 このように、西洋医学で治せなかったスポーツ選手のケガをはり治療が改善した事例は、その後の日本スポーツ界にもたくさんある。だが、日本各地に立派な競技場が建設され、その内部にトレーニング場やメディカル・ルームが併設されるが、東洋医学的なトレーナールームが採用された例を私はあまり知らない。ここは日本であるにもかかわらず、そういう場合に幅を利かせるのはやはり西洋医学的な施設なのだ。江川卓の引退は鍼のせい? はり治療に関わっていた者にとって、冷や水を浴びせられるような出来事は過去にもあった。苦い記憶のひとつは、巨人のエース、江川卓投手の引退コメントだ。まだ誰も引退を予想していなかった時期に早々と引退を発表したことが世間を驚かせた。 江川が引退を決意したきっかけは、澤村と同じ右肩のコンディション不良である。江川も長年、肩痛を抱えて苦しんでいたが、ここに打ったらもう二度と投げられなくなるという「禁断のツボ」に中国ばりを打った。そのため投手生命が終わった、というエピソードを引退会見で語ったのである。これはどう考えても納得のいかない表現だった。そんなツボがあるのか、という突っ込みはずいぶん後になってから指摘されたが、あまりに突然で衝撃的な引退発表だったため、「中国ばりが江川の投手生命を奪った」ような印象が強くファンに刷り込まれた。 もちろん、施術ミスは許されるものではない。だが今回の澤村にしても、不調の原因が本当に球団トレーナーの施術ミスだったのか、現時点で断定できる材料は見当たらない。画像は本文と関係ありません ひとつ、はり治療を近くで見ていた立場から「世間があまり認識していない現実」をつけ加える。はり治療は、ツボにはりを打って自然治癒力を高め、回復を促す効果があると一般には理解されている。しかし、スポーツ選手が受けるはり治療の大半は違う。小林尚寿が瀬古利彦に施したのは、要約すれば「痛みに直接打つはり」だと報じられた。白石宏は小林から直接指導を受け、身近にいてその技を学び、これを継承した。ふたりの存在は、はり治療を使うトレーナーたちの誕生に大きな影響を与えた。 この治療法は、もろ刃の剣、という側面がある。おそらく、はりの学校ではこのような治療法は教えない。国家資格に基づき、経絡を教え、ツボを刺激する治療を基本としている。はりの国家資格を取った治療家やトレーナーたちは、そこから自分の試行錯誤で独自の治療法を追求する。それをしないと治らないケガに多く直面し、また他のトレーナーより抜きん出た存在となって、仕事のチャンスをつかむことができないからだ。 そこに、真理とは違う我流がはびこり、治るときは治るが、治らないときもある、もしくはむしろ悪化する場合もある、といった現実が広がる可能性もある。 日本のスポーツ界は、これを機に、ただ東洋医学的な治療を排除するのでなく、積極的に西洋医学の医師、現場の監督、コーチ、研究者が一体となって連動する動きを促進すべきだと強く希望する。

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    無欲の走りでつかんだ桐生祥秀「9秒98」の金字塔

    小林信也(作家、スポーツライター)日本学生対校選手権の男子100メートル決勝で、9秒98の日本新記録を樹立し喜ぶ桐生祥秀=9日、福井県営陸上競技場 9月9日、陸上男子100メートルで桐生祥秀(東洋大)がついに9秒98を記録し、日本人で初めて100メートル「10秒の壁」を破った。桐生が先鞭(せんべん)をつけたことで、同じく9秒台を狙うサニブラウン・ハキーム(東京陸協)、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、多田修平(関西学院大)、山縣亮太(セイコーホールディングス)らも次々に9秒台に突入する期待がふくらんでいる。 世界のスプリント界は伝統的に黒人選手の天下が続いている。これまで100メートルを9秒台で走った選手はすでに100人を超えるが、その中で、黒人以外のスプリンターはたった3人しかいなかったという。クリストフ・ルメール(フランス)9秒92、パトリック・ジョンソン(豪州)9秒93、蘇炳添(中国)9秒99。桐生は「4人目」となった。 黒人優位の100メートルにあって、桐生が9秒台を突破できたのは、そして桐生に続く期待のランナーが片手で数え切れないくらい控えている日本の高レベルの背景には何があるのか。 ひとつは、日本の中学、高校の陸上指導者の情熱と努力。大学の研究者も含め「日本人が100メートル10秒を突破する夢」を誰もが追い求め、それぞれに「人生をかける」ほど日々の努力を重ねてきた、その集大成ともいえるだろう。 9秒台の夢を多くの陸上関係者が追い求めてきた。不断の努力が全国津々浦々で行われていた。その中から、才能ある桐生が飛び出し、次いでサニブラウン、ケンブリッジ、今年はさらに多田が9秒台に迫る実力を身につけた。 記録が伸びた背景にはトレーニングの進化や、何十台ものビデオカメラで撮影してフォーム分析するなどの技術研究の成果もある。加えて、シューズやトラックの開発も挙げられる。 1968年のメキシコ五輪のころから、アンツーカーに代わって、ポリウレタン舗装の全天候トラックが主流になった。弾力性に富むウレタン素材はストライドを伸ばしやすく、記録が2パーセント良くなるといわれている。この素材開発も年々重ねられているから、選手の実力が同じでも記録は向上する環境が整っている。 さらに、日本のシューズメーカーを中心に、スパイクの改良、開発も日進月歩、重ねられている。カール・ルイスの勝利を支えるために「片足たった115グラム」の軽量スパイクが提供され、話題になった。かつては耐久性も兼備していなければ「市販に耐えない」という考え方があったが、カール・ルイスのころからは選手のプロ化もあり、「記録を出すための一発勝負のスパイク」を選手たちが使うようになった。これも記録短縮に大きな役割を果たしている。「少し遅すぎた」壁を破った無欲の力 桐生の9秒台はもちろん快挙だ。歴史を開く一歩であるのは間違いない。だが、「少し遅すぎた」という気持ちを持つ関係者、ファンも少なくないだろう。 電動計時で世界初の9秒台が記録されたのは、1968年10月、ジム・ハインズ(米国)の9秒95。それから49年もたっている。ただ、ハインズの記録が高地メキシコでマークされたものだったため、1983年5月、カール・ルイスが出した9秒97が「平地で初めての9秒台」とも形容されている。それからでさえ、34年も過ぎている。 ウサイン・ボルトが9秒58の現世界記録をマークしたのは2009年8月のベルリン世界陸上。桐生の記録と0秒4もの差がある。伊東浩司が10秒0をマークしたのは、1998年12月。この記録更新に19年近くかかった。それだけ難しかったとも言えるだろうし、桐生の快記録を誰も驚きはしなかった。それは「機が熟していた」と誰もが感じていたからだろう。それだけに、ここからの飛躍に期待がかかる。 世界の現状に目を移すと、9秒98は決して手放しで喜べる記録ではない。国際陸上連盟のホームページに、世界歴代ランキングが掲載されている。桐生は99位にランクされている。すでに引退した選手も多いが、世界はまだ決して近くはない。 今季のベスト10を見ても、トップがクリスチャン・コールマン(米国)の9秒82。2位がヨハン・ブレークの9秒90、3位ジュリアン・フォルテの9秒91とジャマイカ勢が続く。11位に9秒97で5人が並んでいるから、桐生より速い選手がまだ15人いるわけだ。内訳は、アメリカ5人、ジャマイカ3人、南アフリカ3人、フランス、トルコ、英国、コートジボワール各1人。そのうちのボルトは引退した。もちろん、このランクなら、決勝進出は射程内といっていい。決して夢ではないだろう。だが、他の選手が実力どおりの走りを展開したら、まだ金メダルを確実に狙えるまでには至っていない。 京都・洛南(らくなん)高2年のとき、ユース世界記録の10秒21をマークし、桐生は一躍脚光を浴びた。9秒台を実現するのに、それから5年の月日が必要だった。この長い5年の間に桐生は何を感じ、何をつかみ取ってきたのか。それが大きな糧となって、五輪ファイナリスト、さらにはメダル獲得につながればいい。陸上の日本選手権男子100メートル決勝で4位に終わった桐生祥秀(中央)。右は10秒05をマークし、初優勝したサニブラウン・ハキーム。左は2位の多田修平=2017年6月24日、ヤンマースタジアム長居(撮影・甘利慈) 今回の記録達成は、実はあまり期待されていないレースだった。コンディションはよくなかった。そのため、普段はあまりやらない長い距離を走る練習を数日間やっていた。そのためか、後半の失速が遅かった。いつもは55メートル付近でトップスピードを記録するのが、今回は65メートル付近が最速だったという分析がある。これが世界の上位に食い込むための、意外に大きな手がかりになるのではないかとの見方もある。 ずっと望み続けた9秒台だが、このレースに限っては「無欲」な記録達成が、桐生に思いがけないひらめきと新たな感覚を与えた可能性がある。

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    高山善廣の悲劇を繰り返さないために昭和のプロレスから学ぶべきこと

    小林信也(作家、スポーツライター) 試合中の事故で療養中のプロレスラー高山善廣の症状が重く、首から下がまひして現状では回復が難しいと伝えられ、ファンならずとも多くの人が心を痛め、衝撃と波紋が広がっている。 高山善廣は今年5月4日、DDT豊中大会(大阪府)の試合直後に救急搬送され、頸髄(けいずい)損傷および変形性頚椎(けいつい)症の診断と発表されていた。高山は回転エビ固めをかけに行って失敗し、頭からマットに落ちた上に相手レスラーの全体重が首と頭にかかる形になり、動けなくなった。 今回の発表を受け、レスラー仲間からさまざまなメッセージが発せられている。 この問題を特集したTOKYO MXテレビの番組に出演した人気レスラー蝶野正洋は、「リング上の事故は使う側がルールを作らないと止まらないと思う」と語った。 今回の事故だけでなく、プロレス界はある時期からリング上での事故が増えている。 2009年6月、人気レスラーでプロレスリング・ノアの代表取締役でもあった三沢光晴の事故は衝撃的だった。バックドロップを受けて頸髄離断、心肺停止状態となり、その夜に亡くなった。ノア・小橋建太復帰戦タッグマッチで、三沢光晴(右)のエルボーを受ける高山善廣=2007年12月2日、日本武道館(撮影・荒木孝雄) 00年4月には福田雅一(新日本プロレス)が死亡。女子プロレスでも1997年8月にプラム麻里子(JWP)が、99年3月に門恵美子(アルシオン)がリング渦で亡くなっている。 こうした事故は、日本のプロレス界の「変化」「風潮」がもたらした背景がある。技が過激化したこともあるが、一方には、「プロレスはリアルか、フェイクか、エンターテインメントか」という、常に語られる(あるいは見る側の心の奥にある)素朴な思いに対するプロレスラーの挑戦とプライドのようなものが絡み合っている。 日本のプロレスの歴史は力道山に始まり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木らが受け継いで、ひとつの時代を築く。街頭テレビで日本中が熱狂したと言われる時代は知らないが、試合と試合の間に電気掃除機が登場し、マットをきれいに掃除する風景でもおなじみだった日本プロレス中継は、男性だけでなく、中年以上の女性たちにも人気が高かった。 「四の字固め」のザ・デストロイヤー、「頭突き」のボボ・ブラジル、「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック、バックドロップが得意な「鉄人」ルー・テーズら、個性が明快な敵役との対決がファンの心をかきたてた。激しくほのぼのした、あのころのプロレス 「日本人」対「外国人」という対決の構造も明確だった。多くのファンの中には、「このダイナミックな勝負は、お互いの呼吸がなければ成立しない」という認識はあって、「だからプロレスは面白くない」という批判にはつながらなかった。当時のプロレスには、リアルかどうか、といった議論を遙かに上回る魅力と吸引力があったからだろう。そして、時代も、大衆も、そうした昂奮(こうふん)とストレス解消を求めていた。 昭和31年に生まれた私の世代は、小学校の高学年になると当たり前のように「プロレスごっこ」に興じた。雪国だったから、降り積もった新雪の上に友だちをバックドロップで投げる光景は珍しくなかった。 プロレスごっこをすると、とくに大技になればなるほど、攻め手ひとりの力では成し得ない。技を受けるレスラーの呼吸もなければ、ファンが昂奮し、感嘆する鮮やかさは生まれないと体感する。だから、と非難するのでなく、それこそがプロレスの深さだと子ども心に了解した。もちろん、ささやかな葛藤もあるにはあるが、その了解がなければプロレスは成立しないと理解したのだと思う。その辺の機微を見事に表現し、プロレスの見方に新しい自信を与えたのが、作家・村松友視の人気作《私、プロレスの味方です》だった。 当時のプロレスには、激しさの一方に、どこかほのぼのとする空気もあった。 極悪ガイジンレスラーの凶器攻撃、口の周りを血だらけにして高笑する「吸血鬼」フレッド・ブラッシーの姿には慄然(りつぜん)とした。その怖さは半端でなかったが、実際に日本人レスラーは死ななかったし、毎週、元気な姿をテレビで見ることができた。 ところが、「暗黙の了解」の了解を打破する動きを売り物に台頭する勢力が現れた。その先鋒(せんぽう)が、ずっとジャイアント馬場の二番手のような立場に甘んじていたアントニオ猪木だ。あのころ、私自身も猪木のファイトに衝き動かされた。その挑戦をワクワクする思いで見つめた。(もしかして、猪木のプロレスは本気なんじゃないか) そんな幻想を抱いた。そして、その幻想がもしや真実かと思わされる瞬間の鋭い昂奮は、それまでのプロレスにない新しい地平だった。モハメッド・アリと闘ったのも、猪木がリアルに強いことを証明するひとつの階段だったろう。1976年6月26日、格闘技世界一決定戦でモハメド・アリ(右)とアントニオ猪木が対決=日本武道館 しかし、83年6月、後に「猪木舌出し失神事件」と称される事故が起こった。人気レスラーのハルク・ホーガンとの試合。ロープの外のエプロンサイドと呼ばれるエリアに立っていた猪木に、ホーガンが得意技のアックスボンバーを見舞った。腕を水平にして首筋に叩き込む技。リング下に落ちた猪木は、ファンが予想した動きとはまったく別の雰囲気を醸し出した。立ち上がらない、反応しない。やがて、緊急事態が宣言され、猪木の救急処置が行われた。舌出し失神事件の「罪」 舌出し失神事件と呼ばれるのは、窒息を防ぐため、猪木の舌を引き出したからと言われる。この事件には諸説あって真相はわからないが、素直なプロレスファンだった私にとって、プロレスとの訣別を感じたターニングポイントでもあった。振り返れば、あの日以来、無邪気にプロレスを見ることができなくなった。「暗黙の了解」を打破する方向に動き出せば、猪木の事故のような出来事が起こるのは必然。その方向に立ち入ってはいけないという警鐘だったかもしれない。日本のプロレス界はそれを自覚できなかった。むしろ、馬場・猪木以後のスター選手群雄割拠の時代となり、より過激な方向に向かった。 その代表は、有刺鉄線デスマッチであり、その鉄線に電流まで流されるようになった。 リング上で展開される技もより過激を求められ、過激な技を受けることを相手レスラーも求められる風潮がエスカレートしていた。新日本プロレスのノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチで、長州力(上)のさそり固めから逃れるために自ら有刺鉄線に手をのばす大仁田厚=2000年7月30日(荒木孝雄撮影) 過激化し、リアルを求めざるを得なかった背景には、総合格闘技の隆盛もあっただろう。K-1などの人気が沸騰し、一時はプロレスの影は薄かった。その存亡さえ危ぶまれた。そうした事情も一方にあるだろう。 アメリカでは、WWEという勢力が人気を得ている。完全にストーリーがあり、配役があり、さまざまなドラマや設定の上でプロレスが展開される。リアルを追求するのでなく、エンターテインメントを追求した結果の集大成ともいえる形だ。日本でもCSテレビなどを通じて人気がある。 またアメリカのプロレス界では、頭部や首筋への攻撃を基本的には禁止、危険な技も規制されているという。パイルドライバー(脳天逆落とし)といった大技は、雪の上のプロレスでよく登場したダイナミックな技だが、相手を高く持ち上げ、頭や首でなく背中から落としてやると、見た目の豪快さと裏腹に、受け身も取りやすく、ダメージは小さい。アメリカのレスラーたちはこうした工夫を凝らしているという。 蝶野の発言は、こうした規制を含んだ指摘だろう。また、心身が不十分な状態でも無理矢理出場する選手が少なくない現状の中、主催者がレスラーの健康状態を把握し、リングに上がれる状態でなければ出場を認めないなどの規則も必要だと訴えている。 それ以上に、力道山、馬場、猪木の系譜をしのぐ、明るくダイナミックでドラマチック、レスラーとファンが新たな感動と昂奮を共有できる新しいプロレスの創造。その方向に敢然と舵(かじ)を切ることこそ、根本的な急務だと感じる。 安心して見られるプロレスと言ったら誤解されそうだが、ハラハラしながらも心の奥底では安心を持って見ている…。それがまさに、リアルとエンターテインメントのギリギリの“プロの水準”ではないのだろうか。

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    成績不振が原因なのか? ロッテとヤクルト監督退任に言いたいこと

    小林信也(作家、スポーツライター) まだ8月のうちに、千葉ロッテの伊東勤監督、ヤクルトの真中満監督が辞意を表明。今季限りの退任が正式に発表された。 伊東監督は、8月13日の西武戦前に、自ら記者たちに今季限りでの辞意を表明した。オールスター戦前には伊東監督自身が決断。8月5日に球団幹部に辞意を伝え、了承されていた。公式戦終了まで口外する気持ちはなかったが、一部メディアが続投を伝えるなどしたたため、誤報がひとり歩きして迷惑をかけては申し訳ない、と公表した背景がある。  2013年に就任してからの成績は、3位、4位、3位、3位。2013年と2016年はクライマックスシリーズのファイナルステージまでチームを率いたが、日本シリーズには届かなかった。今季はオープン戦で13勝2敗3分、圧倒的な強さを見せて仕上がりの良さをアピールし、ファンの期待も高まった。ところが、オープン戦の成績が必ずしも反映しない過去の例を証明するかのように、開幕4連敗。投打の主力が戦列を離れ、新外国人打者も不振。借金が膨らみ続けて優勝の望みは遠ざかった。戦況を見守るヤクルト・真中満監督=8月23日、神宮球場 ヤクルト・真中満監督は、8月22日の阪神戦の前に記者会見し、球団から続投を要請されたが固辞したことを公表した。就任1年目にリーグ優勝。2年連続最下位だったチームの優勝だけに、監督としての手腕が高く評価され、真中株は急騰したが、残念ながらそれがピークだった。昨年は5位、今季も開幕から低迷を続けた。 問題提起したいことは2点ある。「成績低迷がただ監督のせいなのか?」と「30試合以上も、クビになったも同然の監督が指揮を執り続ける是非」についてだ。 今季は6月に巨人の堤辰佳ゼネラルマネジャー(GM)が成績不振の責任を問われて退任し、球界は衝撃が走った。これは高橋由伸監督の責任を問うのでなく、チーム編成を担当したGMこそが責任者だという、ある意味で、日本野球の新しい形というか、責任追及の新スタイルだった。巨人は、生え抜きのエリートである高橋由伸監督を守り、GMを斬ったのだ。 だが、たいていはやはり、今回の伊東、真中両監督のように、監督が成績不振の責任を取らされる伝統がこれからも続くだろう。 釈然としないのは「成績不振の要因が、本当に監督にあるのか」が曖昧だからだ。山口俊の処分もおかしい 選手が体調を崩す、ケガをする、期待どおりのパフォーマンスを発揮しない、できない原因は、プロ野球の場合、監督以外の理由が大きい。それでも監督たる者、たとえ前年活躍した有名選手でも続けて活躍できる素材かどうか、性格や普段の生活態度、選手を取り巻く人間模様なども把握してクールに分析するべきかもしれない。そしてもし、期待したい選手でも不安な要素があれば、代役を探し、抜てきする準備が求められる。こう書けばいかにも正論だ。が、プロ野球界はそれを全面的に支援する仕組みになっていない。ドラフト会議によって、必要な戦力を着実に補強する道は制約され、メディアは知名度の高い選手を連日報道して、半ば出場を強要する雰囲気も作る。 球団は、明確なチームの方針を描き、その上でGM、監督と一体となってチームを運営しているだろうか。巨人・堤GM解任の後味が悪かったのは、堤前GMは、球団の方針や司令に従って選手補強を進め、それが失敗したのに堤氏個人が詰め腹を切らされた印象が拭えなかったからだ。ビジネスと現場が一体となって初めて成立するプロ野球である以上、責任は何より球団にある。その球団がほとんど責任を負わない体質に根本的な矛盾がある。 暴力事件で処罰を受けた山口俊投手の問題は、選手会の提言で新展開を迎えているので、今後の展開に関心が集まっているが、大臣の不祥事ではないが、山口俊にフリーエージェント(FA)で入団を懇願した球団にも任命責任ならぬ選択責任がある。それをまったくひとごとのように認めない球団の厚顔にあきれる。また、あまり指摘がないが、「1億円の減俸」は球団にとってはその分、「お得」な処分だ。球団は処分して得をする側で、選手だけが処分され、非難され、損をする立場というのは正しいのだろうか。厳しい表情を見せるロッテ・伊東勤監督=6月18日、東京ドーム もうひとつ、まだ8月、30試合以上も残して事実上の退任発表。「今季で引退します」と公表し、残り試合をファンと特別な思いを共有しながらプレーする選手と監督は違う。また高校野球なら、「この夏限りで勇退」と大会前に発表することで選手たちが特別な感情を抱き、チームが理屈を越えた一体感で強さを発揮する例は少なくない。今夏も新潟・日本文理、熊本・秀学館がその例で、甲子園出場を果たした。けれど、今回の2監督の場合は違う。もう事実上、鮮度が落ちた監督に率いられるチームをファンから入場料を取ってお見せするのがプロ野球としてマナーに沿うのか。 契約やいろいろな事情もあるだろうが、「来季の契約を結ばない」と公表した時点で、監督の威厳や尊敬は失う。だから、その日をもって退任し、代行監督を立てるのが筋だと思う。その方が、来季の監督選びの現実性も高まる。例えば、次期監督とうわさに上がる、ロッテなら井口資仁、ヤクルトなら高津臣吾2軍監督に残りのシーズンを任せてどんな試合が見られるのか。それをファンとともに共有し、来季の展望を語り合うなら、プロ野球としては話題も提供でき、夢も膨らむのではないだろうか。

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    菊池雄星の投手生命か審判の権威か、「反則投球」ルールのジレンマ

    小林信也(作家、スポーツライター) 西武、菊池雄星投手の「2段モーション」が物議を醸している。正確にいえば、菊池の2段モーションを、シーズン終盤に差し掛かろうという8月半ばに突然やり玉にあげた審判団の姿勢に疑問の声が上がっている。 8月17日の楽天戦、2回表1死の場面で、菊池の投球が2球続けて「反則投球でボール」と判定された。コールしたのは一塁塁審だ。菊池はその後、クイックモーションに変えて、完封勝ちを果たした。 続いて登板した8月24日のソフトバンク戦では、初回の先頭打者の初球、川島慶三から空振りを奪ったが、これがまたしても「反則投球」と判定された。投球する西武・菊池雄星=8月24日、ヤフオクドーム 菊池のフォームは今季5月ころから変わったといわれ、上げた右足を少しおろしてまた引き上げる2段モーションになっている。厳密に判定すれば、野球規則で禁じられている「投手が投球動作中に、故意に一時停止したり、投球動作をスムーズに行わずに、ことさらに段階をつけるモーションをしたり」という行為に該当する。 反則投球とジャッジされても仕方がない。だが、当事者やファンが怒っているのは、3カ月も許されていて、「なぜいま急に?」という疑問が消えないからだ。8月半ば、しかも試合の途中で宣告された。意図や作為がないとしても、それは不自然な印象をぬぐえない。 法律の解釈や適用がそうであるように、野球ルールにも一定の理解やあうんの呼吸がある。 とくにプロ野球においては、曖昧な判定もあるが、その曖昧さにも一定の基準や解釈があって、その枠を大きく外さない暗黙の了解がある。外さないから選手もファンも、一定の感覚で試合に臨める。 例えば、ハーフスイング。昔は「長嶋ボール」などという言葉があった。長嶋茂雄さんがスイングしかけて大げさなアクションでバットを止めると、主審はしばしば「振っていない」「ボール」と判定した。それがひとつの楽しみにもなっていた。ビデオテープで見直せば、明らかにバットの先端は回っている。それでも「ボール!」。時代が変わり、グリップが鋭く動けば、バットの先端の動きにかかわらず「ストライク」と判定するような基準に変わり、ハーフスイングのジャッジは厳しくなった。実際、グリップが明らかに動いたときは、おおむねバットも回っている。誰もがそう認識し、いまは案外、ハーフスイングをめぐるトラブルは少なくなっている。 2段モーションは、2006年ころに一度厳しくなったが、最近はまた緩やかになっていた印象がある。それが突然、牙をむいた格好だ。繊細な投手に与える影響西武・菊池雄星の反則投球を観客に伝え打席に戻る白井球審=8月24日、ヤフオクドーム 多くのファンや当事者が感じているとおり、判定基準の変更はシーズン前か開幕直後に行われるべきであって、シーズン途中でされるべきではない。この問題に関連して、指摘したいのはふたつのことだ。 ひとつは「審判の権力と試合の崩壊」について。 投球のストライク、ボールの判定ひとつで、勝負がどちらかに転ぶこともある。言うまでもなく、野球において審判の判定は大きな影響力を持つ。その中でも、打った、打たない、捕った、捕り損なったといった、選手のパフォーマンス以外のところで、突然、強権的な鉈(なた)を振り下ろし、強引とも見える方法で勝負に介入する方法を審判は持っている。それが例えば「ボーク」の判定である。 セットポジションで動作を止めないなどの明らかな反則投球があった場合、たとえそのボークの判定で攻撃側のサヨナラ勝利になる場合でもそれはやむを得ない。だが、今回の菊池のように、その試合ずっと同じモーションで投げていたのに、ある場面で急に反則投球が宣告されるのは違和感をぬぐえない。 審判はそこまで強権を振るって勝負に介入すべきではない。 投手は繊細だ。突然バッサリ斬られるような反則投球の判定は、投手生命を奪うほどの影響力(危険)も伴う。審判はそれを十分に自覚すべきだ。 もうひとつは、審判と監督、コーチ、選手間のコミュニケーションの「不在」だ。 コミュニケーションの欠如ではなく、プロ野球において審判と監督、コーチ、選手はコミュニケーションを「取ってはならない」前提があり、理解を深める仕組みになっていない。「親しく交われば不正の温床になる」という、古くからの慣習と規定のせいである。だから、常に両者間には対決ムードというのか、取り締まる人と取り締まられる人のような不穏な関係がある。それは即刻改善し、コミュニケーションを図る方向に舵(かじ)を切るべきである。審判長の説明に感じる違和感投球する西武・菊池雄星=8月24日、ヤフオクドーム 野球以外の他の競技を取材すると、野球との大きな違いに驚かされる。例えばラグビー。レフェリーと両チームの選手(主に主将)とは試合中ずっと短い会話を交わし続けている。危険なファウルがないよう未然に注意を促し、助言を与え、双方の理解にずれがないよう調整しながら試合を進めるのがラグビーにおいては当たり前になっている。試合後、競技場近くのバーや喫茶店で、微妙な判定を下された当事者とレフェリーとがビールのグラスを交わしながら直接議論し合う姿を見ることも珍しくない。 それは「親しくなって不正な判定をもらうため」でなく、「ルールの解釈や適応をめぐって、両者の理解をすりあわせるため」であり、時には選手側から「杓子(しゃくし)定規な判定では好プレーにたどり着けない選手のジレンマ」などが伝えられたりもする。もちろん、だからといってルールを曲げることはないが、レフェリーはなぜ選手が反則を犯してしまうのか、犯しがちになるのかの背景を、常に変化するプレーの傾向や技術の変化に応じて理解する好機にもなる。そうやって、お互いにラグビーという競技を深め、高めているのだ。野球にはそのような機会が日常的にはない。 菊池の2段モーションが最初に反則投球と判定された試合後、判定を下した塁審はメディアの取材を拒んで「ノーコメント」を通したという。それはあたかもコミュニケーションを拒絶することで審判の権威が保たれるというような古い常識に縛られているようだった。 しかし、25日になって日本野球機構(NPB)の友寄正人審判長が菊池に対し、事前に複数回注意を行っていたことを明らかにした。日刊スポーツによると、友寄審判長は「注意は何回もしています。なぜ今の時期か、じゃなくて、少しずつ悪くなってきているから今の時期。4月、5月、6月と変わっていることは明らかなので」と説明したという。こうした注意を秘密裏に行う必要があるだろうか。仮にもプロ野球、ファンが見るスポーツだ。 審判団にも開かれた情報公開の意識改革と、コミュニケーションを取る新しい姿勢への転換が求められるべきだ。

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    史上最弱巨人の救世主、菅野智之の「魔球」が打てない理由

    小林信也(作家、スポーツライター) 巨人の投手、菅野智之が7月の月間MVPを獲得した。7月は4試合に先発し、4戦全勝。この間、投球回数29で失点わずか1、与四球3、奪三振30。安定感抜群の内容で文句なしの受賞だった。 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも侍ジャパンのエースとして活躍した菅野。いまさら喧伝するまでもない存在だが、大谷翔平(日本ハム)のように160キロ台の速球を投げるわけではない。千賀滉大(ソフトバンク)のような目を見張るフォークボールが武器というわけでもない。その菅野がこれだけ「打たれない理由」は何なのか? 日本の野球界には、いくつかの誤った常識がある。古くからの思い込み。気づいている人、いない人で野球がずいぶん変わる。少年野球や高校野球を見ていると、技術的に古い常識にとらわれて、子供の良さを伸ばしきれない指導者の姿をしばしば見かける。DeNA対巨人で10勝目を挙げた巨人の菅野智之=2017年7月22日、横浜スタジアム(撮影・山田俊介) 菅野はその意味で「常識を覆す」よい見本だ。端的な例を挙げると、菅野のよさは「球の速さ」以上に「左足を踏み出してから球が離れる速さ」にある。 日本の野球ファン、指導者の間には、逆の常識がある。「投手は、右投手なら、左足を踏み出したとき、右腕を後ろに残し、ためを作ってそこから勢いよく投げ下ろすのがいい」という思い込みがある。私自身も少年時代、そう思っていたし、高校野球でもそのように指導された。 ところが、メジャーリーグの好投手の大半は、まったく別の投げ方をしている。ここでは右投手を前提に話すが、左足を踏み出したときにはもう投手の上半身が打者に正対し、ボールを持つ右手が顔の前に出ている。左足の踏み出しと右腕の振りがほとんど同時なのだ。 もちろん、左足をゆっくりおろし、地面すれすれのところまでは右手は後ろにある。しかし、左足が着くか着かないかのわずかの間に上体を反転し、足を着くと同時に右手を前に振り出すのだ。この左足と右手の誤差が少なければ少ないほど、打者は打ちにくい。 まだ来ないはずのボールが、突然目の前に現れるような感覚がある。菅野はまさに、こういう投げ方をしている。ゆっくりと左足を上げ、まっすぐな姿勢を保ち、しっかりと右足に乗ってから打者方法に重心を移動する。その仕種はゆったりと見えるが、次の瞬間、急にボールが飛び出してくる。 だから、スピードガンで測る球速以上に菅野のボールは速く鋭く感じるはずだ。打者にすれば、「アッ」と慌てる感覚になるから、そのボールが鋭く変化したら(スライダー)、腰砕けして手に負えない。菅野の投球は「新常識」 日本のプロ野球の投手たちは、ある時期から「これが大事だ」と新しい常識を共有し始めた。ソフトバンクの工藤公康監督などは、それを後輩たちにしきりに強調していたと、若い投手から聞いたことがある。 ファンにとって印象深いのは、いまシカゴ・カブスで活躍する上原浩治ではないか。巨人に入団した一年目、歴代4位タイとなる15連勝をマーク(新人としては巨人・堀内恒夫をしのぐ最多記録)、いきなり20勝を達成して衝撃のデビューを果たした。 当時、上原の速球の平均は140キロ前後だった。それでも打てない。その秘密はやはり「球の速さ」ではなく、「球が離れるまでの速さ」だった。独特の上原の投球リズムを思い起こせばわかるだろう。ためた状態から左足を着くその瞬間に上原の右腕が出て来る。上原の場合はほとんど同時といってよかった。 古い常識にとらわれて、腕が遅れてくる投手が多かった中で、上原は特別で、衝撃的な投手だった。その影響もあってか、他の投手たちもその核心に目覚め、新しい常識を追求するようになっている。ブレーブス戦の8回に登板し、1回を三者凡退に抑えたカブス・上原=2017年7月、アトランタ もちろん、それ以前にもそれを自覚し、実践していた投手はいる。伊良部秀輝もその一人だった。158キロを投げても清原和博に打たれた。白星に恵まれなかった。その苦悩の末に生み出した投法「伊良部クラゲ」とも形容された投げ方は、右手と左足を一緒に出すための工夫でもあった。 そして菅野は、奇しくも同じ背番号19の先輩である上原が、日本の先がけをなした投法を継承して、大投手への階段を昇っている。 さらに菅野自身は、上原とも伊良部とも違う独自の工夫も凝らしている。とくに走者を置いた場面で、菅野は投げた後、左足をひっかくように後ろに引く動作をすることがある。普通の投手は絶対にしない。勢いをつけて前へ前へ投げようとする投手には、やろうと思ってもできない動作だ。 あるテレビの取材に答えて菅野自身がこう語っている。「左足を引くことによって、右肩が前に出る。加速する。よりボールに力が伝わりやすいんじゃないか」 自然と左足を引くようになって「球も強くなるし、面白いように空振りが取れる感じもあった」という。こうした新しい目覚めが今季の菅野の好調の背景にあるのだ。

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    このままでは清宮幸太郎はプロ入りしても「ホームラン王」になれない

    小林信也(作家、スポーツライター)  これまで、早稲田実業の清宮幸太郎について語ることを避けていた。大騒ぎに便乗する気はないし、騒ぎに水を差すほど無粋でもない。実績はそろっているが、まだ10代の少年。高校生同士が戦った結果を過剰に持ち上げる違和感もあった。 清宮が高校3年間で通算107本のホームランを打ったのは事実だ。が、いずれも高校生投手から打ったにすぎない。しかも、プロ野球では使えない金属バットから放たれたものである。 東京の高校野球のレベル差は極端だ。強い高校もあれば、中学の硬式チームより拙い高校も少なくない。それを「107本」という数字でくくるのは、少なからず誇張も含まれる。 将棋の世界では、藤井聡太四段が14歳にしてプロ入りし、29連勝を飾った。彼が戦う相手は紛れもなく一流のプロ棋士であり、プロを相手に29連勝した藤井四段の実力は掛け値無しだ。その彼でさえ、このまま順調に成長するかどうか、100%の確証はない。なぜなら、かつて28連勝した先輩はいま壁に当たり、苦闘を続けている。メディアは平気で、「凡人の作った記録を天才に抜かれて良かった」と謙遜した彼のコメントを真に受けて発信したが、彼だって28連勝した当時は「天才」と呼ばれたはずだ。 清宮は、まだプロ野球の投手から1本のホームランも打っていない。野球界の規則に阻まれて対戦する機会が与えられないためで、清宮のせいではない。対戦すれば打ったかもしれない。 将棋界のように、若い才能がプロ野球選手と直接対戦する機会を野球界も作る必要があるというのは安全性の面で早計だが、新しい方向や発想を出し合い、改善を模索する土壌さえないのはお粗末だ。 ひとつ疑問がある。なぜ清宮は、これほど高校野球に没頭したのか。甲子園出場を逃し、試合後に取材に応じる早実の清宮幸太郎主将 =7月30日、東京・神宮球場 早実野球部で清宮は「青春」を満喫した。敗戦後、チームメイトと過ごした充実感、主将である自分についてきてくれた仲間や後輩への感謝を口にした。まさに青春そのもの。人間的な成長において「大切な経験」を清宮は高校野球で培ったと言っていいのだろう。個人競技の色合いが強い野球だが、一方でチームゲームの現実があり、そのチームゲームの何たるかを高校で体感した。だが、プロ野球選手としてそれがプラスであったかどうかは、にわかには断定できない。プロの世界で感傷(センチメンタル)はあまり役に立たないからだ。その意味では、現役時代、まったくセンチメンタルを感じさせなかった父・克幸さんとは少し違った人間味を感じさせる。 藤井四段が青春を捨てているように、ある道に秀でた天才が、何かを犠牲にするのは選択肢の一つだ。高校時代に「次」を見据えて野球に取り組むなら、清宮が自ら進んでやるべきことは「甲子園出場を目指すこと」や「通算ホームラン記録を抜くこと」以外にあったように思う。そう、いま清宮が最も不安視されている「木製バットへの対応」と「守備力の改善」である。 西東京大会の決勝では一塁手としてふたつのミスをし、それが失点、敗戦につながった。 野球を見る目を持つ人なら、清宮の守備の動き、スローイングのレベルには思わず口をつぐみ、ため息をもらすだろう。お世辞にもプロのレベルとは言えない。打撃と違って、守備は努力で向上する、と一般的には言われるが、清宮がどれほど努力すればプロで一流と呼ばれるようになるのか。正直言って、かなり前途多難だと多くの人は感じることだろう。履正社・安田尚憲との違い 一塁手というポジションは、プロ野球ではある種の「指定席」の色合いがある。巨人の阿部慎之助が捕手を卒業して守っているように、ベテラン選手の生きる道に使われる。守備に難のある強打の外国人助っ人の「指定席」でもある。 18歳のルーキーに最初から喜んで提供できるポジションとは言えない。もしプロ球団がそれを確約するなら、清宮にはホームラン王を争う助っ人並みの数字が求められる。1年または2年、結果に目をつぶって経験を積ませてくれる余裕のある球団がどこにあるだろうか。 高校時代に木製バット対策と守備力強化を行わなかった清宮は、今からその課題を克服しなければならない。 木製バット対応は、打撃の天性を持ってすれば、案外すぐにできても不思議ではない。ただし、特別な知識と指導力を持ち、清宮の潜在的可能性を見いだし伸ばしてくれる名伯楽との出会いが必須だ。今の球界にそのような人物が本当にいるのだろうか。 王貞治には、荒川博コーチがいた。巨人に入って3年間、期待ほどの結果を出せない王にしびれを切らした川上哲治監督(当時)が、「安打製造機」の異名を取った榎本喜八の育ての親である荒川を大毎オリオンズから引き抜き、王の専属打撃コーチにした。二人の師弟関係から「一本足打法」が生まれ、王がホームラン王に変貌した伝説はオールドファンなら誰もが知っている通りだ。松井秀喜には長嶋茂雄監督(当時)が熱心にマンツーマン指導したという逸話もある。 清宮は184センチの恵まれた体躯からホームランを量産してきた。だが、今のバッティングスタイルはむしろ中距離打者である。やわらかなリストワーク、しなやかなバットコントロールは、打撃センスと安定感を感じさせる。投球を捉えるのもうまい。しかし、イチローがホームラン打者でないように、その打ち方がプロ野球に入ってもホームランを生むのに最適な打法かは一考の余地がある。今秋のドラフト候補、履正社の安田尚憲内野手 履正社の安田尚憲は松井秀喜を手本にし、内面でボールを捉えた後、バットと身体をひとつにして、「ブン!」と振り抜く。これは紛れもなくホームラン打者の打ち方だ。清宮は、バットと身体の出方にズレがある。下半身が投手方法に向かった後、上半身(バット)は少し遅れて出てくる。昔の好打者に多かった打撃スタイル。ヒットや二塁打は高い確率で打てても、柵超えを狙うのに最適な打ち方ではない。 フルスイングが代名詞の柳田悠岐(ソフトバンク)も、中田翔(日本ハム)も、中村剛也(西武)も、軽々とホームランを打つときは、ステップとバットとボールが一つになっている。 結論から言えば、「中距離打者」の清宮幸太郎など、誰も求めてはいない。不自由すぎる野球の世界 ホームランこそが清宮に求められる代名詞だ。ところが、今の清宮は「ホームラン王」への道をまっしぐらに歩んでいるとは言い切れない。そういう誤差を指摘し、納得の上で清宮をホームラン打者へと導いてくれる指導者との出会いが何より重要である。もしくは、少年時代、そうして来たように、清宮自身がメジャーリーガーらを参考に、自らフォームの見直しを図ることだ。 U-18(18歳以下)世界大会では不調に終わり、昨秋の東京都大会では日大三高のエース、櫻井周斗に5打数5三振を喫した。今夏の西東京大会決勝では、東海大菅生のエース、松本健吾から丁寧に攻められ、凡打を重ねた。最後の打席で一二塁間を抜いたのはさすがだが、レベルの高い投手から攻められたら、必ずしも結果を出していないのが、早実時代の清宮だった。 次の2年、3年、どんな環境で、どんなコーチと、何をどう改善するかが、清宮の野球人生を大きく左右する。 早稲田大学にそれを満たす環境があるだろうか。通算107号本塁打を放つ早実・清宮幸太郎=7月28日、神宮球場 今の時点で考えると、大学生活の4年は長すぎる。「プロ入りの準備完了」と判断したら、中退してプロ入りしたいだろう。その自由が日本の野球界にはない。社会人野球でも3年は拘束される。唯一の例外は独立リーグだが、清宮には合わないだろう。 アメリカ留学の声もあるが、注意が必要だ。アメリカの野球界に飛び込んだら、MLBの制約を受ける可能性が出てくる。マイナーリーグに所属すれば、自分の意志で日本のプロ野球に入れない立場になる。 こうして考えると、野球界とはなんと不自由な世界なんだろうとつくづく思う。清宮には、今すべきことを、それにふさわしい環境で取り組んでほしい。例えば、アメリカ、南米の環境で自由に野球を謳歌(おうか)するのも、もう一度清宮を大きく飛躍させる糧になるように思える。 プロ・アマ規定や日米の紳士協定が邪魔になるなら、この機会に改善してほしい。清宮のための「特例」ではなく、そうした堅苦しい規制のために、のびやかな野球人生を過ごせない多くの若者に、もっと選択肢を広げ、野球以外の経験も含めたスケールの大きな野球人生を保証するために。 通常ルートでプロに入る選手ばかりでなく、独自の成長過程を過ごして才能を伸ばす選手たちを柔軟に受け入れる懐の深さを野球界は持つべきだ。 清宮が次の2年間をどこでどう過ごすかが重要だ。それは候補に挙げられる「即プロ入り」でも、「早稲田大進学」でも、単純な「アメリカ留学」でもない気がする。そんな杓子定規しか選択肢のない日本の野球界そのものが、常識の枠におさまらない清宮幸太郎には居心地が悪いのではないだろうか。

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    高校野球、大阪勢の「えげつない強さ」の秘密がようやく分かった

    小林信也(作家、スポーツライター) 今春、センバツの決勝で対戦した大阪桐蔭と履正社が、夏の大阪大会準決勝で戦った。 「事実上の決勝戦」と表現していい両校が、地方大会で対戦する。大阪のレベルの高さを物語る出来事だ。試合はシーソーゲーム、どちらが勝つか終盤までまったくわからない接戦を大阪桐蔭が最終回に3点を取って制し、8対4で決勝に駒を進めた。高校野球大阪大会。走って整列する大阪桐蔭と履正社 =7月29日、大阪シティ信用金庫スタジアム(撮影・林俊志) 過去40年の夏の優勝校を見ても、1977年が東洋大姫路(兵庫)、78年がPL学園(大阪)、79年箕島(和歌山)と続き、関西勢だけを一覧しても、83年PL、85年PL、86年天理(奈良)、87年PL、90年天理、ここまでは大阪の中でもPL学園の天下。そして91年に大阪桐蔭が優勝し、下克上が起こる。93年育英(兵庫)、97年智弁和歌山、2000年智弁和歌山、08年、12、14が大阪桐蔭。なんと40年中8大会で大阪代表が優勝。関西勢に広げれば15回を数える。 なぜこれほど大阪のチームは強いのか? 言うまでもなく、青森や山形、東京、島根など、他の地方の高校が大阪から選手を集め、一世を風靡(ふうび)した例もたくさんある。 今回はやや大胆に、独自の観点から大阪が強い理由を探ってみよう。 第一に、大阪人の「えげつなさ」が、トーナメントで戦う日本の高校野球と相性がよいのではないか。東京人はどこか格好をつけ、きれい事(理想)を追う価値観を捨てきれない人が多い。「勝ちゃいいんだよ」と言い切れない。ところが大阪人は「勝ってナンボやろ」という割り切りがある。 東京的な感覚では、「勝利至上主義」などと批判するが、大阪人にはそんな発想さえない気がする。「試合なんやから、勝つのが当たり前とちゃうの?」。 大阪の中学から新潟の高校に進んだ選手の逸話がある。かつては二塁走者が打者に身ぶり手ぶりで捕手のサインを教えるのは常識だった。「汚い」という認識はなかった。しかしある年、それがフェアプレー精神に背く、また試合時間の遅れにもつながるとして禁止された。常識だったことが、悪いことと立場を変えたのだ。 その変更を聞いて、新潟の高校球児はほぼ全員が「もう二塁からサインを送ってはいけないのだ」と素直に理解した。ところが、大阪から来た球児は違った。 「これからは、うまくやらな、あきまへんね」 その言葉に、チームメイトはあぜんとしたという。それを地で行く光景を、実際に大阪大会で見た経験がある。 大阪の強豪校の試合を観戦していたとき、一緒に見ていた大阪の野球関係者が私の脇を突ついて、「二塁ランナーの動き、よく見てください」と耳打ちした。最初は意味がわからなかった。次第に、なるほどと気がついた。 二塁走者は、投手がセットポジションに入ろうとすると、ベースに足をつけた状態から、ススッと素早く離塁したり、ゆったりとリードを取り始めたりする。つまり、ススッと出たらストレート、ゆっくり出たらカーブ系といったサインを送っていたのだ。審判も、余計な動作ではないから、反則行為と警告できない。それいう工夫をして(?)、ルールの裏をかく行為を平然とやっている。「あれは監督が教えとる」 同じ試合で、一塁手の巧みな走塁妨害も目撃した。 相手打者が右中間に長打を打った。三塁打コースだ。打者走者は勢いよく一塁を回ろうとして、アッとスピードを落とした。一塁手がぼうぜんと打球を見やり、走路に立っていたからだ。一瞬、衝突を避けたため、その打者は二塁を回って三塁を狙うことができず、二塁打にとどまった。一塁手は走者に背を向け、ボーッと打球を見ているから、まさか故意に走者を妨害するためそこに立っているとはすぐ気づかない。 「あれ、監督が教えとるんですわ」  つまり、確信犯だというのだ。「そこまでして勝ちたいのか?」と、甘い東京人や新潟県人の筆者は思う。しかし「当たり前やがな、勝負やもん」と、大阪人は思う。みんながそうだとは言わないが、地域の空気としてそれがある。 私は今春、監督を務めるリトルシニアの大会で同じことをやられた。まさに、その大阪の高校出身のコーチが指導するチーム。こちらが走者二塁で一塁線を抜いた。楽々と「本塁生還だ」と思って見ていたら、三塁手がボーッとした様子で三塁ベースのすぐ内側に立っていた。二塁走者は、慌てて大回りし、ベースの外側を踏むような感じでホームに向かった。幸い得点にはなったが、危険なプレーであることも間違いない。さすがにタイムを取って、三塁塁審に「三塁手、危ないから注意して」と短い言葉で促した。すると、塁審は私が何をアピールしているかも理解できないようだった。打球をぼんやり見ている三塁手の「迷演技」にすっかり欺かれていた。バックスクリーンから練習する選手の動きを狙う8Kカメラ =兵庫県西宮市の甲子園球場 このように書くと、東京人の多くは「許せない」といきり立つかもしれないが、大阪人は違う。それも半ば洒落とまでは言わないが、「いい、悪い」ではなく、「あって当然やろ」という気構えを持っている。 強さの秘密、その二に移ろう。よく指摘されるのは、リトルシニア、ボーイズといった中学生硬式野球チームの数の多さとレベルの高さ。甲子園で3大会連続ベスト4に入り、この夏も甲子園出場を決めて新たな強豪として勇名をはせている秀岳館(熊本)は、長くオール枚方ボーイズの監督を務め、ボーイズでは全国優勝を争う常連だった鍛冶舎巧監督が、選手ごと一緒に熊本に移って始めたチーム。熊本代表という名の大阪のチームとも呼ばれる。それほど、中学野球のレベルが高いのだが、この背景には「タニマチ文化」がある。履正社の安田はここが違う 初めて大阪のボーイズ・リーグ関係者たちと交流したとき、東京にはない不思議な人間模様を感じた。東京にも調布シニア、武蔵府中シニアといった名門、強豪チームがある。練習の雰囲気などは、限りなく高校野球に近い。大阪のチームは「プロ野球ごっこ」の風情がある。東京の中学硬式野球は「ミニ高校野球」、大阪は「街のプロ野球」みたいなのだ。プロ野球チームにオーナーがいるように、ボーイズのチームには「代表」がいて、みんなから当然のようにそう呼ばれている。それが快感なのである。プロ野球のオーナーや代表にはなれないが、それらしい気分を味わうことができる。地元のお金持ちがまさにタニマチとして運営しているチームもある。 特待生問題が物議を醸したとき、東京をはじめ大方の地方の人たちは中学生選手を売り買いするブローカーのようなスカウトがいることに眉をひそめ、問題視したが、大阪人はそもそも「プロ野球ごっこ」をしているのだから、スカウトがいて、裏金があって当たり前なのだ。それに目くじら立てる方が、彼らには「信じられない」のではなかったか。あわやホームランの大きな当たりを飛ばすがアウトになった履正社の安田尚憲(中央)=大阪シティ信用金庫スタジアム(撮影・林俊志) 全国的には清宮幸太郎の通算ホームラン更新に注目が集まり、高校3年生の一打席ごとの結果がネットで速報されている。一方、清宮を超える才能の持ち主ではないかとスカウトの間で評価の高い履正社の安田尚憲は、練習では木製バットを使い、「プロに入ったら金属バットは使えないから」と、先を見据えた練習をずっと重ねてきた。これも安田は高邁(こうまい)な理想の持ち主であり、清宮は目先の記録を狙っている、とばかりは決めつけられない。大阪は高校野球にもプロ野球気分があり、東京はまさにザ・高校野球なのだから。先のことなど考えない。たとえ清宮幸太郎であっても、「高校野球で終わってもいい」くらいの、のめり込みが当たり前なのだ。 早実対駒大苫小牧、伝説の延長再試合。最後の打者となった関西人の田中将大投手が、斉藤佑樹投手に三振に打ち取られ笑っていたのも、それとつながっているのではないだろうか。履正社の安田もまた、大阪桐蔭に敗れた試合後、チームメイトと健闘をたたえ合った。 高校野球で終わりじゃない大阪。終わりじゃないけど、終わってもいいと思っている東京をはじめ他の地方。その器の大きさも、大阪の強さの一因かもしれない。

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    中田久美ほど「名将」の条件が揃った監督を私は知らない

    小林信也(作家・スポーツライター) 中田久美監督率いる、女子バレーの日本代表、新生「火の鳥NIPPON」が、ワールドグランプリの予選に臨んでいる。3つのグループに分かれて予選リーグを戦い、8月2日から行われる決勝ラウンドには上位5チームと開催国の中国が出場。すでにオランダ大会、仙台大会を終え、いま最後の予選リーグ、香港大会を戦っている。日本は通算5勝3敗で、決勝進出圏内に入っている(7月22日時点)。 中田ジャパンは強豪オランダ、ブラジルに勝ち、今後に大きな期待を抱かせる戦いを展開している。16日のブラジル戦はフルセットの末、最終第5セットを17対15で制し、6年ぶりにブラジルから勝利を奪った。テレビ中継で接戦に手に汗握り、中田ジャパンへの思いを熱く感じたファンもきっと多かっただろう。 「絶対的エース」として長く日本代表を牽引(けんいん)した木村沙織が引退。柱を失った日本代表は、ポスト木村沙織探しも含め、不安な船出といってよかった。そのかじ取りを任された中田新監督への期待はもちろん大きかったが、ここまでの戦いで、すでに多くのファンの支持を得つつある、そして未来への期待を大きく抱かせているのではないだろうか。 ポスト木村沙織の育成とともに注目されるのが、世界と戦う名セッターの養成だ。すでに日本代表のセッターを務めて久しい宮下遥(岡山シーガルズ)が本命と誰もが認識しているが、かつて15歳で日本代表に抜擢(ばってき)された天才セッター・中田久美が、このテーマとどう取り組むかは注目の的だった。ワールドグランプリ 日本-ブラジル戦。試合を見る中田久美監督=7月16日、カメイアリーナ仙台 オランダ大会では代表初出場の冨永こよみ(上尾メディックス)を先発セッターに起用。宮下オンリーではない姿勢を明確にした。 またブラジル戦では佐藤美弥(日立リヴァーレ)を起用。これが見事に功を奏する形でブラジルを破った。 試合後、中田監督は佐藤起用の理由を「ブラジルが日本を徹底的に研究しているのがわかった。セッターを変えれば、その研究データはまったく役に立たなくなるだろうと思った」と説明している。まったくその通り。ブラジルにすれば開いた口がふさがらない、人を食ったような大胆采配とも言えるだろう。 中田久美監督は、久光製薬スプリングスの監督に就任した一年目からVリーグ優勝のほか、女子初の三冠にチームを導き、Vリーグ4度優勝を果たした。指導者としての力量もここで十分に実証して日本代表の監督を任された。その指導力をあえて再評価するまでもないが、中田久美監督は何が違うのか? あえて結論から記してしまうが、他の競技も含め、日本にこれだけ理想的な素質と実績を持つ監督がいるだろうか? とさえ、私は感じる。中田久美監督の素質と器量 女子の指導者といえば、シンクロナイズドスイミングの井村雅代監督が頭に浮かぶ。厳しい、妥協を許さない、目標を定めたら必ずそこに到達する。揺るがない意志の強さは、他に比類を見ない。まだ競技としての注目が低かったため、あまり知られていないが、選手としても日本選手権2度優勝の実績がある。中田自身、助言を仰ぐ機会を得ているようだが、指導者として中田はこの井村に勝るとも劣らない素質と器量の持ち主だと感じる。さらに加えて、選手として、自らが天才と呼ばれ、世界を相手に戦った豊富な実績と経験がある。もっといえば、他に誰も経験していないほど深く重い悔しさを身に染みて体験している。 中田久美がセッターとして臨んだ1984年ロス五輪。日本女子は銅メダル。このときメディアは、それを賛美するどころか、「史上最低の銅メダル」と表現した。当時、日本の女子バレーは「金メダルを獲って当たり前」と期待されていた。1964年東京五輪で金メダル。1968年メキシコ五輪は銀メダル。1976年モントリオール五輪では再び金メダル。しかもセットをひとつも落とさなかった。銅メダルは中田久美にとって「屈辱」でしかなかった。 それからすでに33年が経過し、さらに36年後の2020年東京五輪でその屈辱を晴らすチャンスを与えられた。中田久美監督の覚悟が並大抵のものでないことは怖いほど感じる。 中田久美監督は、勝つためにすることを知っている。そして、それをやりきる以外、考えない人である。自ら実践する人だから、選手も言い訳はできない。チーム全体が目標に向かう迫力をみなぎらせる。その強さ。口で言うのは簡単だが、それをやりきれる指導者は希少だ。 私も何度かお会いしているが、まなざしがあれほど真っすぐで揺るがない人に出会った経験は少ない。やると言ったらやる、やるのが当たり前。そんな雰囲気が満々とみなぎっている。 日本代表ですでに4年の実績がある「天才セッター」宮下遥を平気でベンチに座らせることのできる人物も中田久美監督以外にないだろう。他の監督が同じことをすれば、そして少しでも結果が悪ければ、批判するメディアやファンが出るのは容易に想像できる。他のセッターにチャンスを与えることで厚みが出る。宮下を超えるセッターが登場する可能性もある。そして、宮下遙自身がいっそうの飛躍を遂げる期待も感じる。女子バレーボール日本-中国戦。スパイクを打つ中田久美選手 =1980年11月、京都体育館 「名選手、必ずしも名監督にあらず」、スポーツ界でそれは常識的な認識だ。 しかし、野球の捕手に名監督が多いのと同様、バレーボールのセッターは名将に通じる素養の持ち主かもしれない。 ワールドグランプリの後、8月9日から17日まではフィリピン・マニラで「第19回アジア女子選手権大会」。次いで、9月5日から10日まで東京、名古屋で「ワールドグランドチャンピオンズカップ2017」が行われる。これら一連の国際大会が、中田ジャパンの基礎を作る日々となる。勝負の結果に一喜一憂しながらも、中田久美監督がどんなチーム作りを進めるか、選手たちが監督に呼応してどんな成長を遂げていくか、またどんな人材が飛び出してくるか、楽しみだ。

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    高野連よ、夏の甲子園は「球児への虐待」と自覚せよ

    小林信也(作家、スポーツライター)全国高校野球選手権・東西東京大会。選手宣誓をする早実・清宮幸太郎主将=7月8日、神宮球場 高校野球人気は、衰える様子がない。今年は清宮幸太郎というスター選手の存在があって、異様とも思える集客現象が一部で起こっている。 しかし、ここで言う「高校野球人気」とは、あくまで見る側からの現象であって、実際に主役であるはずの高校生、高校教育の現場で、いまも世間が騒ぐような人気を野球が持ち続けているかは疑問だ。 今月初め、高野連が「平成29年度加盟校部員数調査」の結果を発表した。それによると、登録者数が3年連続で減少している。高野連のホームページに次の文章が掲載されている。本年5月末の加盟校数と部員数の集計がまとまりましたのでお知らせいたします。硬式の部は、昨年より6,062人減少し161,573人で3年連続の減少。学年別にみると、1年生(新入)部員が54,295人、2年生部員が53,919人、3年生部員が53,359人となっています。継続率は、14年連続でアップし、昨年に引き続き90%を超えました。(継続率の算出は1984年以降)加盟校数は、昨年から25校減の3,989校。平成に入ってから初めて4,000校を割りました。 部員の減少が続き、加盟校が4000校を割った。少子化の流れがあるにせよ、深刻に受けとめるべき事実だ。だが、継続率のアップを続けて表記し、まるで質的には向上しているかの印象を与える。 長年16万人から17万人で推移していた高校球児(硬式野球)の数が、数年後には激減するだろうとの予測は一部で深刻に語られている。なぜなら、学童野球、中学校の野球部員数がすでに激減しているからだ。この世代が高校生になる数年後、高校野球の部員数も参加校数も極端に減ることが心配される。こうした未来予測に、高野連が対策を講じている様子はほとんど見られない。 高校野球は、議論の柔軟性も失っている。見る側も頭が固くなり、自由な議論や提言を交わす土壌がない。 例えば、猛暑対策。いま全国で行われている地方大会のスタンドでは、観客に向けても「熱中症にならないよう、十分に水分補給をするなど、お気をつけください」といったアナウンスを繰り返している。本当なら、大会の時期をずらすなど、もっと根本的な改革をするべきだと思うが、踏み込んだ変革の兆しはほとんどない。アンタッチャブルな高野連 この夏も例えば7月8日、「さいたま市の県営球場で行われた埼玉大会開会式で、野球部員と観客の高校生ら合わせて13人が気分が悪いと訴えた。このうち野球部員で高校1年の男子生徒一人は、意識が混濁した状態で病院に搬送された」とNHKはじめ各局のニュースが伝えた。併せて「水戸市で行われた茨城大会の開会式でもグラウンドにいた高校生の男女7人が熱中症とみられる症状を訴えて医務室などで手当てを受けた」との報道もあった。 一人が意識混濁した状態で病院に搬送された。この重大な出来事を高野連はどのような立場、どんな認識で受けとめているのか? 倒れた当事者の問題なのか? 引率していたチームの責任なのか? 高野連が大会の時期、開会式の時間を変更していれば避けられる課題ではないか? 私はいま、中学硬式野球(リトルシニア)の監督を務めている。当初は真夏でも頑張って練習するのが当たり前と考えていた。しかし、選手たちと数年過ごすうち、認識を改めた。昨今の猛暑は、私たちが子どものころと質も激しさも違う。そして、最近の子どもたちは明らかにわれわれ世代より暑さに慣れていない。30年前とか、40年前の常識で「暑い中での高校野球を賛美する根性主義や感傷」をいまも持ち続けるのは危険だと、はっきり気がついた。しかも、猛暑の中で練習や試合を連日繰り返せば、野球に行くのが嫌になる、やめたいという考えが頭をもたげるのも自然だ。こうして、野球界が貴重な人材を失っている現実に、高野連や関係者は気づいていないのだろうか。高校野球、水戸一鹿島学園。午前9時59分に始まった試合が終わり、スコアボードの時計は午後3時を超えていた=7月10日、水戸市民球場 「根性のないヤツは去れ」「暑さで倒れるような選手は要らない」 本当にそんな考えで、「教育的」と言えるのだろうか? 選手や生徒の安全を第一に考えず、危険に晒(さら)すことで心身が鍛えられると決めつけるのは、精神主義そのものだ。 実際、生徒が病院に搬送される事態が常態化しているのに、教育者である高校の校長や監督、部長が、警鐘を鳴らし、高野連に改善を求める動きが一切ないのはなぜだろうか? 教育者たちは球児に、そして半強制的に応援にかりだす一般生徒たちに、猛暑の中でどんな教育を施そうとしているのか? それこそ、戦時中の価値観をも想像させる、不思議なメンタリティーだ。アンタッチャブルな高野連。何が怖くて、誰も高野連に物を言わないのか。売春斡旋事件でも上から目線 サッカー界は暑さ対策を講じている。昨年3月、日本サッカー協会は暑さに対するガイドラインを発表した。 具体的には、熱中症対策のために編み出されたWBGT(湿球黒球温度)という「暑さ指数」を基準にしている。 「大会/試合を開催しようとする期間の各会場(都市)における、過去5年間の時間毎のWBGTの平均値を算出し、その数値によって大会/試合スケジュールを設定する。必要に応じて、試合時間を調整して早朝や夜間に試合を行う、ピッチ数を増やす、大会期間を長くするなどの対策を講じる」 WBGTが31度(気温だとおよそ35度前後)を超えると予測される場合は「試合を中止または延期する」と規定している。これを基準にすれば、7月の10日前後から下旬にかけて高校野球の大会を実施すること自体が「不適当」という明快な結論が出る。 沖縄大会が6月にいち早く開幕するのは、土日しか試合を行わないためだという。暑さ対策もあるだろう。この方式を全国が検討することもひとつではないか。拓殖大学紅陵高校の処分をめぐり会見する千葉高野連の圓城寺一雄会長(中央)ら=7月11日、千葉市稲毛区 世間ではいま、元球児の売春あっせん事件が露呈して「出場停止」の基準が議論され始めている。これについても、私は違和感を覚える。なぜいつも、高野連は、お上のように、こうした問題を裁く立場で居続けるのか? このような事件が起きた。一生徒の個人的な問題によって起こされた事件なら、そもそも連帯責任は的外れだと思う。しかし、もし高校野球の、行きすぎた、そしてゆがんだ日常がこの生徒の行動に何らかの影響を与えていたなら、それは一高校の問題ではなく、あまりに加熱し、勝利至上主義に走り、改善を話し合う土壌も空気もなくなってしまった高校野球全体の問題ではないか。 このような出来事を前にして「処分」だけを論じるのでなく、「高校野球のあり方が間違っているのではないか」と、自分たちの姿勢を見直すくらいの意識が本当は高野連に必要だと感じる。 私は、猛暑対策が根本的に必要と感じてから、真夏の期間はできるだけ涼しい時間に練習を行っている。今日(7月15日、土曜)も、チームの本拠である武蔵野市の昼間の気温は36度と発表された。朝6時半に練習を始め、9時半には解散した。それでも選手たちは少し顔を上気させ、汗をびっしょりかいていた。選手や親の中には、猛暑の中で練習する習慣をつけなくて高校野球に入ってから大丈夫か、と心配する向きもある。だからこそ、高校野球の責任は重い。高校野球がそうだから、中学生も小学生も炎天下の練習を「当然」と強いられ、心身を危険に晒し、何割かは野球から離れて行く。 夏の大会が猛暑の時期を避け、もっと快適な野球がやれる季節に移れば、少年たちが虐待的な練習をする必要もなくなる。野球少年が増える可能性もある。私はここに書いたすべてが正しいと強調したいのでなく、まったく提言もない、自問自答もない高野連や高校野球の現状を変える必要を問いかけたい。

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    「自然と敵が強く見える」錦織圭が苦しむウィンブルドンの魔物

    小林信也(作家、スポーツライター) まもなく、7月3日にテニスのウィンブルドン選手権が開幕する。 錦織圭が初めて四大大会(グランドスラム)を制覇できるか。現時点で男子シングルス世界ランキング9位の錦織は第9シードと発表された。第1シードは昨年優勝のアンディ・マリー(英国)。第2シードはノバク・ジョコビッチ(セルビア)、第3シードがロジャー・フェデラー(スイス)、全仏オープンを制したラファエル・ナダル(スペイン)が第4シードだ。 ゴルフの全米オープンで松山英樹が2位に入り、モータースポーツのインディ500では佐藤琢磨が優勝するなど、このところ日本の男子選手の世界での活躍が続いているだけに、錦織への期待も当然のように高まる。 だが、芝生のコートで開催されるウィンブルドンと錦織の相性はよいとはいえない。初出場の2008年は1回戦敗退。14年と16年には4回戦まで進んだが、四大大会のうちウィンブルドンでだけはまだ準々決勝に進めていない。ベスト8に進出すれば、1995年の松岡修造以来、戦後2人目となる。 相性がよくない一番の理由は、コートのサーフェス(種類)とみられている。錦織はハードコートが舞台の全米オープンでは14年に決勝、16年には準決勝進出を果たしている。同じくハードコートで行われる全豪オープンでは3度準々決勝に進んでいる。クレーコートの全仏オープンでは15年に続いて今年も準々決勝に進出した。グラスコートのウィンブルドンだけが、高い壁のようになっている。ゲリー・ウェバーOPシングルス2回戦で、試合中にマッサージを受ける錦織圭。結局途中棄権した=6月22日、ドイツ・ハレ(共同) ファンにとっては気になる状況がある。錦織は、ウィンブルドン前哨戦でもあるゲリー・ウェバー・オープン(ドイツ)の2回戦途中、左臀部(でんぶ)を痛めて棄権した。この大会で途中棄権するのは、今年で3年連続になる。これで芝生の大会では5回連続、下部大会を含めると9度目の棄権となった。昨年のウィンブルドンでは、マリン・チリッチ(クロアチア)との4回戦途中(第2セットの途中)で棄権した。今年もまた同じような不安を抱えて晴れ舞台に臨む。錦織はなぜ芝コートでケガをしやすいのか 錦織が芝生のコートでケガをしやすいのはなぜか? 実は芝生のコートが身体に負担を与える実例は、錦織圭に限らない。芝のコートはハードコートやクレーコートに比べてバウンドが低いため、普段より態勢を沈め、体重を乗せて打つことが要求される。軽快なフットワークとその流れで打つイメージでは対応しきれない難しさがある。 しかも、ウィンブルドンの前には全仏オープンがあり、クレーコートになじんだ状態から選手たちは芝への順応と切り替えを求められる。クレーコートを得意とし、今年3年ぶりに全仏オープンを制覇したナダルが優勝後の記者会見でウィンブルドンへの抱負を聞かれて語った言葉にその一端が表れている。「芝のコートでは重心を低く保たなければいけない。足元の踏ん張りが利かなくて不安定。膝の状態次第だね」 足元の踏ん張りが利かない。芝は滑りやすい。そのため、身体とスイングの微妙なずれによって膝や股関節、腰、臀部(でんぶ)などをひねって痛める選手が少なくない。伝統ある憧れの大会でありながら、芝が舞台だからという理由で出場を回避する選手もいる。  テニスは19世紀の終わりころ、芝の上で行う競技として発展した。「ローンテニス(lawn tennis)」が競技名として使われていたくらい、芝が当然の舞台のだった。それなのに芝が敬遠されるのはおかしな気もするが、それが時代の流れ、競技の現実だ。 錦織はハードコートで育った選手だ。抜群のフットワークも、「エアK」に代表されるトリッキーでエネルギッシュなショットも、ハードコートの安定性の上に成り立っている。ボールが一定の高さまでバウンドする。ショットのスピードからバウンドのイメージを容易に想像できる。足元(足裏)とコートがしっかりグリップして、スリップしたり、イメージとの誤差を生じることも少ない。 芝でプレーする場合は、いつ足元が滑るかわからない。ボールのバウンドも低く、はね方も一定ではない。不測の事態が常に頭の片隅から離れない。 「芝生のコートに入ると、自然と敵が強く見える」と錦織圭がつぶやく理由もその不安から生じるものかもしれない。見た目には美しい緑の芝が、選手にとっては恐ろしい魔界でもあるようだ。「最高峰」ウィンブルドンに生じた時代とのズレ2014年10月、楽天ジャパンOP男子シングルス2回戦でエアKを放つ錦織圭=東京・有明テニスの森公園(撮影・中鉢久美子). 錦織と芝生の相性を考えたとき、ふと野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の光景が目に浮かんだ。侍ジャパンの菊池涼介二塁手(広島)は、人工芝で行われた1次ラウンド、2次ラウンドで素晴らしい守備を繰り返し披露した。従来の野手の動きとは少し違う、人工芝の特性を生かした身体のこなし、切り返しだと私は感じた。表面が土や芝だったらできない動きを菊池は開発し、駆使していると感じたのだ。それが、準決勝では痛恨のエラーをした。下は天然芝だった。予想外の打球の伸び、はね方に対応できなかった。広島は普段から天然芝の球場が本拠だから慣れてはいるはずだが、メジャーリーガーの鋭い打球を芝で捕る経験は少ない。その切り替えがうまくできなかったための失策のように見えた。そして何より、野手の技術や動きの基本が、もはや人工芝を前提に培われている事実に気づいて感嘆した。 テニスも同様だろう。打ち方、フットワークの基本は、かつては芝を前提にしていた。いまはハードコートが前提だ。ボールを捉えて打つ間合いやテンポが全然違う。錦織はショットを打つのに止まらない。フットワークとショットはほぼ一体だ。その当たり前のリズムが芝によって制約され、ズレが生じる。バウンドも低いため、いつもの高い態勢で打つことができない場合が多い。そのずれの中で故障が生まれる。 いまスポーツは、伝統と近代のはざまで実は難しい状況にあるとも言えるのだろう。ウィンブルドンは伝統を誇る大会で、賞金も高く、決して軽視できない大会だ。しかし、その舞台は時代の主流とは大きくかけ離れた芝生。陸上でいえば、土のトラックで100メートル競走を行うようなもの。ゴルフで言えば、木製ウッド全盛期にはやったパーシモン(柿)のクラブですべて打つよう制約されているのに近いかもしれない。時代とのズレが、伝統の重さという名で強要されているウィンブルドンを、以前のように世界最高峰を決める大会と認識し続けることを少し見直すべきなのかもしれない。 ボールの高さ、ショットの間合い、この当たり前の感覚を調整するのは、われわれが思うよりずっと難しいだろう。芝生に合わせるのか、芝生でもいつものリズムで打つ感覚で調整するのか。態勢を低くするのか、あまり低くせず、スイングの角度で対応するのか。 錦織圭のウィンブルドンはまず、足元を克服し、足元を意識せずにプレーできるかどうかにかかっている。

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    「強運の人」鹿取義隆GM起用は弱すぎる巨人にとって吉と出るか

    小林信也(作家、スポーツライター) 株主総会のタイミングで、巨人のゼネラルマネジャー(GM)が代わった。堤辰佳GM兼編成本部長が再任されたが自ら辞し、かつてのリリーフエース、特別GM補佐の鹿取義隆氏が同職に就いた。就任会見に臨む巨人・鹿取義隆GM兼編成本部長=6月13日、東京・大手町(撮影・長尾みなみ) シーズン前半にもかかわらずGMが代わった。しかも読売新聞社からの出向でなく、「元選手が巨人で初めてGMに抜擢された」という表現などから、全体としては歓迎ムードだ。当面これで球団への批判モードは封印し、新体制を見守ろうという空気が巨人ファンだけでなく、プロ野球報道全体の傾向になっている。世の中というのは、印象だけで大きく変化する。意外と容易にコントロールできるのかなあと、今回の交代劇で改めて感じる。 「選手出身のGMは巨人では史上初」との報道だが、本当にそうだろうか? GMという肩書きではなかったし、GMほどの権限が与えられていたわけではないが、巨人で事実上GMに相当する職務は「編成部長」が務めていた。この職は、元投手の倉田誠さんが長く務めていた印象が強い。その意味で「鹿取が初」というのは、センセーショナルすぎる表現ではないだろうか。倉田さんに失礼だ。 別の表現をすれば、巨人も野球界の流行の中で「GM兼編成本部長」という名称に変えたが、実質的にメジャーリーグでGMが任されている権限を与えているのかどうか、明らかではない。選手と同様、GMは会社員ではない。球団と契約し、成果が求められ、期待に合わなければ職を追われる。それだけに、選手同様、自由な裁量権が保証され、実力を存分に発揮できる条件が与えられなければやっていられない。 今回就任した鹿取GMが、そのような裁量と権限を持っているかどうかの報道は残念ながらされていない。読売本社からの起用ではないが、読売本社の意向を強く反映する読売巨人軍に「就職した」印象も拭えない。 何より「なぜ鹿取義隆なのか?」の理由について、明快なメッセージはない。同世代だけ見ても、「なぜ江川卓ではないのか?」「なぜ西本聖ではないのか?」、誰も問わない。 鹿取は引退後も巨人と近い関係を築いていた。「きちんと球団の意向を聞ける大人」という評価が、鹿取GM起用の大きな理由のようにも感じる。それならば社員と変わりがない。 巨人では初というが、日本プロ野球に導入されてまだ歴史の浅いGMの大半は、「元巨人」の選手が担ってきた。千葉ロッテで初めてGMになったのは広岡達朗氏。言うまでもなく、往年の巨人の名ショート。次いで日本ハムで手腕を発揮した高田繁さんもV9戦士のひとり。いまは横浜DeNAベイスターズでGMを務めている。今年初めに退任した中日の落合博満前GMも「元巨人」。王貞治さんの現在の肩書きは、福岡ソフトバンクホークス取締役会長兼GM。会長でありながら、GMも務めている。 こうして見ると、巨人で初という表現はますます妙な感じだし、各球団のGMを輩出している本家巨人のGMが他球団に比べて「小粒」な印象も否めない。もちろん、GMとしての実力は現役時代の実績と関係ないが、果たして鹿取GMに多くを期待していいのだろうか。不安は拭えない。 鹿取義隆投手の現役時代については、中年以上の野球ファンには説明する必要がないだろう。とくに王監督時代(1984年から1988年)の5年間には、48、60、59、63、45試合と、計275試合に登板。27勝19敗49セーブをマークした。王監督が姿を現すと「ピッチャー鹿取」の声がスタンドから先に上がるほど、王監督の信頼を一身に集めるリリーフ投手だった。生涯成績は、91勝46敗131セーブ。皮肉なことに、最優秀救援投手のタイトルに恵まれるのは、西武ライオンズに移籍した1年目(1990年)だった。「根性」と「強運」の人 筆者はちょうど鹿取GMと同じ年齢だから、巨人に入る前からの活躍も見ている。江川卓投手を中心に一世を風靡(ふうび)した法政大の黄金世代のひとつ下。明治大に入った鹿取は、3年生になるとリーグ戦で活躍。しかし、スター軍団の法政大には勝てなかった。4年になって、同期の高橋三千丈投手と両輪でリーグ戦優勝を果たす。巨人の鹿取義隆選手(当時)=1989年8月、東京ドーム 大学時代の鹿取を神宮球場で見たことがある。174センチと小柄、驚くような球速でもなかったから、まさかその後、プロ野球で活躍するとは想像しなかった。 改めて鹿取のたどって来た道のりを振り返ると、鹿取義隆は「根性の人」であり、「強運の人」でもある。鹿取は明大卒業後、社会人野球の日本鋼管(当時)に入る予定だったという。同僚の高橋三千丈投手は当然のように、ドラフト1位指名を受け、中日に入った。そのドラフト会議で、鹿取の名前は呼ばれていない。プロ野球との縁がつながったのは、ドラフト会議の後だった。 その年のドラフト会議は、いわゆる「江川事件」のために巨人がドラフトをボイコットし、参加しなかった。その巨人がドラフト指名洩れ選手に直接入団交渉をした。その中のひとりが鹿取だった。西本聖の「テスト入団」が有名だが、同期の鹿取もまた「ドラフト外」での入団だった。 当時の巨人には、少しタイプは違うが、サイドハンドの小林繁投手がいた。鹿取にとっては同タイプの先輩。この小林を越えなければ出場の機会は増えないと見る向きもあったが、江川事件の余波で小林繁が阪神に移籍。「サイドハンド枠」がポッカリ空く形となって、鹿取は1年目から一軍登板の機会に恵まれ、期待に応えている。開幕戦に救援登板、計38試合に登板して3勝の成績は、新人の一軍出場の敷居が高かった当時の巨人にあっては上々の1年目と言えるだろう。その意味で、鹿取GMの持つ強運に期待、というところだろうか。 就任発表の記者会見で、鹿取GMは低迷の理由を分析しつつ、「若い選手がなかなか出てこなかった、ということがある。いいスカウティングをして、そこから育てていきたい」と語った。 これを読んで、どう思うだろう? 「GMの就任の言葉ではない」と私は感じた。選手出身者はどうしても「育てる」意識が強い。これはコーチか育成部長の言葉であって、GMの思考ではない。 GMは活躍できる選手、活躍させる監督・コーチをそろえるのが仕事だ。将来の成長も見越して選手を獲得するの当然だが、それは二番目であって、今日試合を見に行くファンを満足させるチーム編成を「いますぐ実現する」切迫感、使命感が感じられない。 日本でも『マネー・ボール』のタイトルで有名になった著書を出版し、ブラッド・ピット主演で映画化もされたオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(現上級副社長)は、本にも書かれているとおり、通常の野球観をひっくり返す策を講じて、予算の少ないアスレチックスに生きる道をもたらした。ビリー・ビーンは試合が始まるとトレーニング・ルームにこもり、試合を見ない。データだけで選手を判断する。かえってその方が冷徹な人事を断行できる、というビーンならでは発想。それくらいの大胆さ、斬新さが、「GM」という立場には求められている。そういう勉強や鍛錬を果たして鹿取新GMは積み上げて来たのだろうか? 「全国区」を売り物にしてきた巨人は、地元密着の流れの中で、ファンとの強い結びつきを失いかけている。実は成績以上に、ここに深刻な課題がある。鹿取GMが、グラウンド上にどんな魅力を配置できるか。相当な発想転換を持って取り組んでほしいと願っている。

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    佐藤琢磨、インディ500制覇で叶った「消えた天才ライダー」の夢

    小林信也(作家、スポーツライター) 先週は「佐藤琢磨インディ500初優勝」のニュースが伝えられ、日本が湧いた。その1週間前、二輪の分野では、ヤマハが世界グランプリ(GP)シリーズ通算500勝を達成、世界のモータースポーツファンから喝采を浴びた。 ヤマハ発動機の柳弘之社長は「『世界で通用するものでなければ商品ではない』という創業者の意志を若い会社全体で共有して世界に打って出た」と、ヤマハが世界GPシリーズに挑戦した当初の意気込みを代弁している。 ヤマハの世界GP初勝利は1963年のベルギーGPだ。ライダーは伊藤史朗。2005年3月、来日会見を行い、新しいヤマハのバイクにまたがるオートバイ世界選手権シリーズ、モトGPクラス総合王者のバレンティーノ・ロッシ(手前)(共同) 伊藤に始まった歴史が500勝まで到達したのは、私自身、感慨深いものがある。なぜなら、その後「消えた天才ライダー」と呼ばれ、突如姿を消して16年間も行方不明になっていた伊藤を追い、アメリカ・フロリダ州でインタビューに成功したのが、私だったからだ。 16年間の沈黙を破って日本人ジャーナリストである僕に会い、インタビューに応じてくれた伊藤は、少しずつ人間味あふれる心情を吐露してくれた。あるとき、言った。「オレは、ヤマハの川上源一社長のために命を賭けて走った。あの人の作るバイクを世界一にするためなら、命を捨てても惜しくないと思った。オレの気持ち、伝えて来てくれないか? そして、川上社長がオレを覚えてくれているか、確かめてくれ」 伊藤の言葉の端々から、昔気質(かたぎ)の心情と同時に、まだ草創期のオートバイで高速走行し、可能な限り高速でコーナーに飛び込み、駆け抜けるためには、高等技術と同時に「命知らず」な覚悟が不可欠だったことを切々と感じた。 「川上のオヤジのために」、そういう思いが必要だった。そして、「オレはそれをやり遂げた」、伊藤の背中がそう語っていた。 私は、伊藤の思いを受けてヤマハに取材を申し込んだ。何の縁もない、若いノンフィクション作家の求めに応じて、川上社長は浜松の本社で時間を取ってくれた。そして、少し離れたレストランで、当時、川上社長が力を入れていた「エピキュリアン料理」をごちそうしてくれた。 しかし、伊藤のことを尋ねたときの反応は意外なものだった。同行の社員に、「そういうライダー、いたかなあ?」と、聞いたのだ。おそらく川上社長にとっては、オートバイの技術開発・性能向上で頭がいっぱいで、ライダーにはそれほど関心を寄せていなかったのかもしれない。「あの人のために命をかけて走った」 再びアメリカに渡り、恐る恐る伊藤にその報告をしたとき、「馬鹿な、そんな馬鹿な! オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」 なんともやるせない表情で、オールドミルウォーキーという名の安いビールをあおった、伊藤の叫び、黙り込んでうなだれた姿が忘れられない。 ヤマハがオートバイを作り始めたのは、1955年(昭和30年)1月。同じ年の7月、主に楽器などを製造する日本楽器製造(現在のヤマハ)から独立して、ヤマハ発動機株式会社が発足。初代社長には当時、日本楽器製造4代目社長だった川上が就いた。 ヤマハ発動機の社史にはこうつづられている。ヤマハ発動機の創業者、川上源一氏『1953年11月7日、ヤマハ発動機の前身である日本楽器の幹部社員に対し、川上源一社長から極秘の方針が伝えられた。 「オートバイのエンジンを試作する。できれば5-6種類くらいのエンジンに取り組む必要がある。その中から製品を選び、1年後には本格的な生産に入りたい」 日本が復興への道を歩み始めた1950年代、無数の企業が二輪業界へと参入し、その数は一時204社までふくれ上がった。しかし、川上社長がモーターサイクルの製造を示唆した頃にはすでに淘汰(とうた)も始まっており、「そういう市場に最後発として参入して、果たして本当にやっていけるのか」という戸惑いの声も社内にないわけではなかった。 のちに川上社長は「今どきになってオートバイを? という意見もありましたが、自分もヨーロッパを回って、技術部長その他に勉強させた結果、これをやるのが一番よろしいという確信のもとにスタートした」と説明。さらに「木材資源の面から見ても楽器の無制限な増産は困難。楽器産業はいつまでも楽にできる商売ではない」と語り、将来の事業発展の足がかりとしてモーターサイクル製造に賭けたことを明らかにしている』 素人から見ると、楽器とオートバイのどこに共通点があるのか、すぐには理解できないが、ピアノのシリンダーを作る技術がオートバイ・エンジンのシリンダーに通じる、技術陣は、トロンボーンの共鳴原理を排気系の共振に応用させるなど、数々の応用が可能といったひらめきがあった。 ヤマハは、1955年7月、毎日新聞社の主催で行われた第3回富士登山レースに参戦。本田宗一郎率いるホンダもこの大会での優勝を狙って参戦していたが、ヤマハは見事、125ccクラスで優勝。同じ年の11月に開かれた第1回浅間高原レースでも125ccクラスで再び上位を独占した。そしてレース後、この大会の250ccクラスで初参戦初優勝を飾った16歳の伊藤少年とワークスライダー契約を結ぶ。「インディで勝てたかもしれない」 再び、ヤマハ発動機の社史から紹介する。『川上源一社長は、モーターサイクル事業への進出を決めたときからすでに「海外に雄飛する」という構想を描いていた。こうした信念を実現する方策として、1958年5月3、4日の両日、ロサンゼルス沖のサンタ・カタリナ島で開かれるカタリナグランプリに参戦することが決まる。ヤマハにとっては初の国際レースだった。 ヤマハは、250ccクラスに5台のマシンを送り込んだ。第2回浅間火山レースで活躍した「YD1改」に、不整地走行のためのモディファイ(編集部注:アレンジ)を加えたマシンだった。5台のうち1台には伊藤史朗選手が乗り、他の4台にはアメリカ人ライダーが乗った。 このレースでヤマハの最高位は6位に入賞した伊藤選手だったが、全32台中完走わずか11台という過酷なレースの中で、最後尾からの追い上げで6位まで順位を上げた伊藤選手の走りは現地で大きな注目を集めた。また、その後ロサンゼルス市内で行われたハーフマイルレースにも出場し、このレースで優勝を飾ると、はるばる日本から遠征してきたヤマハチームの活躍は現地のマスコミでも話題となり、ヤマハモーターサイクルのアメリカ市場進出に大きな弾みをつけたのだった。』 この話にはもうひとつの因縁がある。伊藤史朗さん=1984年、フロリダ(小林信也撮影) 取材で伊藤と一緒に過ごしているとき、「どうしてもノビーさんを連れて行きたい場所がある」と言って、フロリダからインディアナ州まで僕を乗せ、ロング・ドライブをした。その行き先こそが、佐藤琢磨が快挙を成し遂げたインディアナポリス・モーター・スピードウェイだった。 ちょうど1台のマシンが練習走行をしていた。日本でもモータースポーツ取材はしていたが、インディカーの爆音、オーバル・コースを撥(は)ねるようにして直線に向かってくるスピードと迫力には度肝を抜かれた。少しでも浮力を受けたら、そのまま空に舞い上がるのではないかと思った。 「四輪転向の誘いもあった」という伊藤がインディ500の舞台を見つめ、つぶやいた。「オレだって、レースを続けていれば、ここで勝てたかもしれない」 アメリカで20年近く暮らした伊藤にとって、最大のモータースポーツレース、最大の憧憬といえばインディ500だったのだろう。1950年代、60年代にオートバイレースを戦った高橋国光らはその後四輪に転向し、ルマン24時間などで活躍した。 高橋らが「自分たちとは別格、伊藤史朗は天才だった」と口をそろえる伊藤のインディ500への思いは決して戯(ざ)れ言とはいえない。その夢を、30年以上経って、同じ日本人の佐藤琢磨がついに果たした。日本の快挙は、一朝一夕ではなく、草創期からモータースポーツに尋常ではない情熱とそれこそ命を懸けた先人たちの生き様の先にあるものだ。

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    疑惑の判定で村田諒太をはめた「カネの亡者」WBAの大誤算

    小林信也(作家・スポーツライター) 20日の世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王座決定戦での村田諒太選手の敗戦後、判定への異論が噴出している。プロボクシングの世界には、過去にも不可解な判定で物議を醸した例が少なくない。だが、今回はちょっと事情が違う。不思議なことがいくつかあるのだ。 第一に、村田はどこで戦ったのか? という素朴な疑問だ。ホームタウン・デシジョンという言葉がある。試合の開催地側の選手に有利な判定が出る傾向が強いことから、この言葉が生まれた。 今回の騒ぎでしばしば前例に出される亀田興毅選手の世界タイトル初挑戦の試合はまさに、ホームタウン・デシジョンの一例。日本で開催された王座決定戦で、初回にダウンを奪われ、終始苦戦したと見えた亀田がランダエタを破り、王者と判定された。 ところが今回はホームタウンで戦った村田が、敵地かと思われる不可解な判定で王座獲得を取り逃がした。一体なぜ、日本が「敵地」になってしまったのか?ボクシングWBAミドル級王座決定戦で、アッサン・エンダム(左)に判定で敗れた村田諒太=5月20日、東京・有明コロシアム 会場は有明コロシアム、紛れもなく日本。だが結果的に見れば、「あのリングとリングサイドだけはパナマだった」と言うべきかもしれない。村田はアウェーの中で戦った。そのことに気がつかなかった。あるいは、甘く見ていた? すでに試合後の大騒ぎで多くの人が知っているが、ジャッジのひとり、グスタボ・パディージャ氏(パナマ)は日本人選手キラーだ。何しろ、過去9回、日本人選手の世界タイトルマッチのジャッジを担当し、一度も日本選手に勝ちをつけていない。先に挙げた亀田対ランダエタとの王座決定戦でもジャッジを担当し、他のふたりのジャッジと違い、亀田を負けとしている。 日本人キラーと言えば、野球の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で西岡剛のタッチアップをアウトと判定したデービッドソン審判が有名だ。まさに、グラウンドに敵がもうひとりいた、という象徴的な出来事だった。パディージャ氏は、その上を行く日本キラーであることは過去の実績が物語っている。 だが、彼に作為があったかどうかはもちろん断定できない。なにしろ、亀田戦では敢然とランダエタの勝利と評価しているのだから、一貫して筋が通っていると見るべきかもしれない。 WBAの本部があるパナマから来たパディージャ氏が、WBAの意向を忖度(そんたく)して強引な判定をしたと見る向きも強いが、過去の実績を冷静に見れば、パディージャ氏はあまり忖度(そんたく)するタイプではない。ただし、パディージャ氏が敢然と日本人選手に負けをつけるジャッジだという実績をWBAは当然知っているはずだから、「そこを見込んで連れてきた」と見るべきかもしれない。 彼がジャッジに指名された時点で、エンダム対村田戦のリングは日本でなく、パナマだった? 恥ずかしながら、私も含めて、それを試合前に指摘できたメディアは知る限り、いなかった。「亀田に甘く、村田に厳しかった」ワケ 帝拳ジムの関係者はパディージャ氏の実績を当然知っていただろうが、「判定になったら、どんなに優勢でも負けをひとつ覚悟する必要がある」とまでは認識できていなかった。その危機感を持っていたなら、初回あれほど手を出さず見ることはなかったろうし、終盤優勢を確信したにしても、もっと明らかにポイントを狙いに行っただろう。試合後の記者会見で視線を落とす村田諒太=5月20日、有明コロシアム 村田サイドは、パディージャ氏の存在の大きさを軽視し、自分たちの採点シートを基準に試合を進めてしまった。 「WBAは亀田兄弟には甘く、村田に厳しかった」との声もある。亀田兄弟は、WBAにとってはビジネス的にも大切な看板選手だった。 亀田興毅が13回、亀田大毅が7回、兄弟で計20回のWBA世界タイトルマッチを戦った。これだけのビジネスパートナーはWBAにとっては得がたい存在だったろう。 亀田大毅の世界戦実現のため、亀田側とWBAの間でランキング順位の認定に関して協調する動きがあったとの報道が出たこともある。 亀田興毅、大毅とも、すでに引退している。今後のためにも、新星・村田はWBAにとっても重要な存在だったのではないか。それなのになぜ、地元・日本がアウェー状態になっていたのか? 理由のひとつは、村田が所属する帝拳ジムの本田明彦会長の存在だという。本田会長は、全盛時のマイク・タイソン(世界ヘビー級王者)の来日を二度実現させるなど、世界的にも実績と評価の高いプロモーターである。ファイティング原田氏、ジョー小泉氏とともに、世界ボクシング殿堂に入っている。 WBAは、資金的な苦しさもあり、お金を優先順位の上に設定した運営をせざるを得ないと批判されている。スーパークラスを新設して世界チャンピオンを増産した。そのことで世界王座の価値やプロボクシングの評価が下がることを危惧する声も大きいが、WBAは構わず拡大路線を走ってきた。 本田会長は、これを公然と批判し、プロといえども優先すべき重要なことがあるとの姿勢を貫いて、WBAのタイトル戦はここ数年ほとんど行ってこなかった。すなわち、WBAにとっては煙たい存在なのだ。今回も、WBAが今後一階級一王者の路線に戻す方針を決めたから村田の挑戦を承知した、と本田会長はコメントしている。 私も含め、少年時代にボクシング黄金時代をテレビで見ている世代にとってWBAは世界最高の団体だという、思い込みがあるように感じる。ファイティング原田、海老原博幸、藤猛、沼田義明、小林弘、西条正三、大場政夫…。世界ボクシング評議会(WBC)の併記もあったが、彼らのタイトルには必ずWBAの冠があった。輪島功一も具志堅用高もそうだった。 その後、WBCのほかに国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)が誕生し、いまは4団体がしのぎを削る形だ。 いまも権威があるのは伝統あるWBAだろうとのノスタルジーがあるかもしれないが、実際は違う。いま世界の趨勢(すうせい)は、IBF、WBOにあり、WBAは最も後塵(こうじん)を拝しているというのが近年のボクシング界の共通認識だ。日本のファン全体を敵に回したWBAの焦りWBAのヒルベルト・ヘスス・メンドサ会長 試合後、WBAのヒルベルト・メスス・メンドサ会長自らが判定に異議を唱え、再戦を指示する異例の事態になっている。これは、本田会長への苦い思いがあって設定したパナマ・シフト(WBAの意向)が思いがけない形で奏功し、本田会長への一撃のつもりが、日本のボクシングファン全体を敵に回す事態を生んだことへの大きな焦りの表れではないだろうか。 4団体の中でも、日本マーケットの依存度が最も高く、生命線のひとつとなっているWBAにとって、日本のファンの支持と信頼を失えば存亡の危機にもつながりかねない。 そう考えると、パディージャ氏はいわば確信犯だから、会長の怒りはもうひとりのジャッジ、カナダのヒューバート・アール氏に向いているのではないか。報道によれば、アール氏はあまり実績がないジャッジだという。実績が少ないアール氏を、日本で異様なほど期待が高まっていた「五輪金メダリストの世界挑戦」という大舞台に起用する感覚と意向にこそ、WBAの体質がうかがえる。アール氏は、あまりに完璧にパナマの意向を忖度(そんたく)し、パナマ寄りのホームタウン・デシジョンを実践しすぎた。 手数を重視する判定基準に非難が噴出しているが、かつて採点基準が問題にされたとき、当のパディージャ氏がWBAに見解を送り、「プロである以上、手数より有効打(効いたかどうか)を重視すべきだ」と提言したとの報道もある。まったく同感だが、いかにも皮肉な提言だ。 今後はWBAも、かつて採用を見送り、WBCが採用している公開採点制度(毎回、あるいは4回ごとにジャッジを公表する方式)を実施するなど、明らかな改善が求められるだろう。 最後になるが、エンダムとの試合で村田の強さが際立ち、世界的な評価と注目が高まったのは間違いない。すでにWBO、IBFからも声がかかっているという報道が事実なら、何よりの証明だ。 序盤も終盤も、あまりに手を出さなかったのは反省点だが、リング中央で足をほとんど動かさず、手も出さず、エンダムを危険な距離に立ち入らせなかった。その圧力、パンチを出さずに相手を威圧し、圧倒できるボクサーは過去にどれだけいただろうか。世界王者初挑戦でタイトルは奪えなかったが、村田が証明したものはそれ以上に大きいと言ってもいいだろう。

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    26億円補強は大失敗! いまの巨人に「常勝球団」の称号は荷が重い

    小林信也(作家・スポーツライター)  プロ野球が開幕から約40試合を終え、セ・リーグは阪神、広島が好調。巨人はほぼ勝率5割で3位にとどまっている。 オフに「26億円補強」とも形容された巨費を投じ、FAで過去最高の3人を獲得した。日本ハムから陽岱鋼、横浜DeNAから山口俊投手、ソフトバンクから森福允彦投手。さらには新外国人選手として、昨季もメジャーで57試合に登板した「160キロ右腕」カミネロ投手、2013年の楽天日本一に貢献したマギー選手らが入団。 「今年は巨人の戦力が圧倒的だ」と感じた人は、巨人ファンならずとも多かっただろう。蓋を開けてみると、「26億円補強」の3選手はいずれもファーム。カミネロ、マギーはまずまず期待どおりの活躍だが、日本選手の大量補強はいまのところ空振りに終わっている。そのような状況から、「巨人のフロント、スカウトは無能ではないか」との厳しい批判が改めてメディアやファンから上がっている。 広島は、鈴木誠也、菊池涼介、田中広輔、丸佳浩ら生え抜き選手を先発メンバーにずらりと並べ、昨年の勢いをさらに増して強くなっている。阪神は、ドラフトで獲得した20代前半の若手、髙山俊、中谷将大、北條史也らとFA組のベテランらがうまくかみ合って好調だ。こうした明暗を見ると、たしかにフロントやスカウトの資質、チーム編成の巧拙が際立ってみえる。イースタン・リーグ巨人対ヤクルト。移籍後、初実戦に臨んだ巨人・陽岱鋼=3月18日 FA3選手のうち、陽、山口については獲得当時から疑問の声があった。それぞれ故障を抱え、実績どおりの活躍を期待できるのか、不安定な状況だったからだ。加えて、ふたりの髪形やファッション、日頃の振る舞いが果たして巨人の空気に合うのか? 紳士たれという「縛り」の中でのびのび活躍できるのか心配もあった。いまのところ、心配の方が現実になっている形だ。 名前と実績のある選手が欲しい、欲しいから獲得する。その甘さ、冷静な判断をせずに期待ばかりで獲得に走る姿勢は厳しく改める必要があるだろう。「調査不足」というより、調査でケガはわかっていたはずなのに「やれる」と踏んだ判断力の甘さを見つめるべきだろう。 私はこれらの背景に「フロントとスカウトの無能」以上に深刻な「巨人の体質」があるように感じる。 かつて、長嶋監督(当時)に熱心に誘われ、FAで巨人に入団した大物選手にインタビューした際、「長嶋監督は全部の試合に勝とうとする。それは無理」と語ってくれたことがある。彼によれば、巨人以外の5チームは、勝ち試合、負け試合をある程度想定して試合に臨む。自分のチームと相手チームの先発投手の力量や調子から、その日の分の良し悪しは判断できる。巨人は戦力が5倍必要なワケ 最初から負けるつもりで臨むのではないが、前半で試合の趨勢(すうせい)が見え、極端な劣勢であれば無理をしないのが、長いシーズンを戦うために得策だ。ところが、長嶋監督は、どんな試合も勝ちに行く。 たとえ序盤に大量失点をしても逆転を目指す。それが巨人ファンへの責務だ。巨人の監督・選手の使命だと。そのことで選手に負担を与え、夏場やシーズン後半に影響を与える可能性がある。それでも毎試合勝ちに行く。いわゆる「捨て試合」を作れない辛さが巨人にはある。 もう十年以上前の話だが、ある地方球団の主力選手が、こう話してくれたこともある。 「自分たちは楽なんですよ。プロに入ってわかりましたが、巨人戦以外はそれほど注目されませんから、他の4チームとの試合ではある程度、楽ができるんです。ところが巨人戦となるとそうはいかない。どの場面でも息が抜けません。巨人の選手は毎日その状態ですから、大変だと思います」 他の試合にない緊張感が巨人戦にはあるという。 今年、巨人から日本ハムに移籍した大田泰示選手が、サヨナラタイムリーを打ったり、早くも自己最多タイの4号ホームランを打つなど、のびのびと躍動している。大田は巨人の頃にあった緊張から解き放たれて「水を得た」好例かもしれない。これを見れば、巨人に入った選手が活躍できないのは、スカウトの眼力のせいとばかりとはいえない。 「ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です。他のチームは5カードに一度だけジャイアンツ戦があります。ジャイアンツは毎日がジャイアンツ戦です」ベンチで厳しい表情の長嶋茂雄監督=1997年8月2日  長嶋監督が話してくれた。だから、戦力が5倍必要なのです、というニュアンスだった。5倍は極端にしても、毎日、巨人戦という看板を背負って戦う実感が伝わってきた。 これが巨人の宿命であり、他チームとは違う重圧だ。 「毎年、優勝しなければならない」「毎試合勝たなければならない」という使命感を巨人のフロント、現場、選手の全員が持っている。現実的には無理なのに、その呪縛から逃れられない。 「無能」という以上に、その呪縛、その矛盾をどう乗り越えるか、球団としての戦略や方向性を明確にし、共有することが課題だろう。いまの巨人は、「毎試合勝つのは無理、だけど勝つことを目指さねばならない」という精神論で覆われ、身動きが取れなくなっているドラフト戦略が消極的になった 近年、巨人のドラフト戦略が消極的になった。そのせいで他チームに優秀な人材が流れている、という指摘がある。 確かに、競合を避け、一本釣りで無難に獲得する傾向が強い。昨年こそ田中正義投手(創価大、現ソフトバンク)を指名したが、その前年は桜井俊貴投手(立命館大)、その前年も岡本和真選手(智辯学園)、といったように競合を避けた形で獲得している。 巨人がここ数年、ドラフト会議という仕組みに負けている、という指摘は正しいかもしれない。 ドラフト以前は、巨人というブランド力を生かし、実績ある選手を次々に獲得した。森祇晶という正捕手がいるのに、森を刺激し続けるため、大橋勲、宮寺勝利、槌田誠、吉田孝司といったアマチュアで実績のある捕手を次々に入団させた逸話は、V9伝説のひとつになっている。 ドラフト制度ができて、そのような新人獲得はできなくなった。その幻想をいまの巨人はFA選手の獲得競争に求めているのかもしれない。FAでは巨人ブランドが生きるからだ。 他球団はどうだろう? ドラフト以降も、ドラフトの制約の中で可能なかぎりの工夫と挑戦を続けている球団はある。名スカウトの逸話もたくさんある。 昨オフ引退した黒田博樹投手が広島への思いを貫いた一因には、無名時代から目をかけ、しばしば大学(専修大)のグラウンドに足を運んでくれた広島・苑田聡彦スカウトの存在があったという。苑田が黒田に注目したのは、まだ公式戦登板経験もなかった大学2年のときだという。 メジャー入りの意志が固かった大谷翔平選手を、「獲れる選手ではなく、獲りたい選手を獲りに行くのが、ファイターズのスカウティングだ」という山田正雄GMの方針に基づいて強行指名した上、翻意させた大渕隆スカウトディレクター(現部長)による26ページに及ぶ資料もプロ野球史に残る伝説といっていいだろう。 巨人には、ドラフト後の伝説がないのか? といえばそうではない。燦燦会総会であいさつする渡辺恒雄読売新聞社主筆=3月27日 王・長嶋のON引退後、人気低下が心配された巨人を救ったのは、複数競合をいとわず強行指名し、見事にクジを引き当てて獲得した原辰徳選手であり、松井秀喜選手だった。最近でも、原監督(当時)の甥、菅野智之投手を二年越しに獲得。巨人愛を貫く長野の獲得も二年越しだった。 ドラフトでは外れ1位だった坂本勇人選手を2年目、坂本がまだ19歳のころに大抜擢(ばってき)。夏場には低迷する時期もあったが使い続けたのは当時の巨人としては異例だった。だが、いま巨人の中軸を担っているのは、菅野であり、長野であり、坂本であることは言うまでもない。実は巨人はいまも、大胆かつ独自のドラフト戦略と育成によって、チームをつくっているのだ。 巨人はもう一度こうした成功例、巨人のブランド力をドラフトでも活かせる大胆な姿勢を分析・把握し、FAに頼らないチームづくりを球団全体、そしてファンと共有すべきだろう。

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    「くさい」差別発言疑惑とボールボーイ暴行にみたJリーグの病巣

    小林信也(作家・スポーツライター) Jリーグで、選手の言動・行動をめぐって選手が処分を受ける事例が続いている。 4月29日のJ2、ジェフユナイテッド千葉対徳島ヴォルティス戦の前半、徳島ヴォルティスのDF馬渡和彰選手がボールボーイに乱暴したとして一発退場となり、後にJリーグから2試合の出場停止処分を科された。 そして5月4日のJ1、浦和レッズ対鹿島アントラーズ戦では、試合中に浦和レッズのDF森脇良太選手が侮蔑的な発言をしたことに対して、Jリーグは緊急規律委員会を開き、森脇選手と、試合中に激しく口論した鹿島アントラーズMFで主将の小笠原満男選手からそれぞれ事情を聴いた上で、森脇選手に2試合の出場停止処分を科した。相次いで起こった二つの出来事を単純に批判するのでなく、自分自身の問題として考察したい。 4日の件は、スポーツ新聞などの報道を総合すると、森脇選手が試合中、鹿島アントラーズのMFレオシルバ選手に対して、口と鼻をふさぐしぐさをしながら「『くせえな、お前』と言った」と、試合後に小笠原選手が語った。ブラジル出身選手に対する差別的な言動があったと明言したのだ。この発言に対して森脇選手は、自分の顔に小笠原選手のツバが飛んできたので、「『口がくさいんだよ』と言った」と反論。レオシルバ選手に向けた言葉ではないと釈明したという。サッカーJ1浦和対鹿島。後半、鹿島の選手にむかって暴言を吐く浦和の森脇良太(右から2人目)=埼玉スタジアム2002(撮影・佐藤雄彦) さらに、この問題を報じた一部スポーツ新聞が、差別は絶対に許されない、とした上で、「ピッチは戦いの場で、言葉のやりとりや駆け引きもサッカーの一部。言った言わないのたぐいは、試合中にその場で消化すべきだろう」「試合後の取材エリアで処分を誘うような事象が出て、“言葉狩り”のような動きが加速しないかも気になる」と報じるなど、新たな議論も生んでいる。 この問題の根底には、「試合中は勝負をかけた駆け引きもあり、何を言っても許される」といった前提がある。 時代は変わり、パワハラ、セクハラなど、「ひとりひとりの心を傷つける言動や行動は許されない」という認識が社会で共有されるようになった。スポーツもその例外ではないはずだが、「勝てば官軍」「勝つためなら、多少の横暴は許される」といった感覚がまだ根強く残っている。 サッカーに限らず、野球でも「乱闘が起こると盛り上がる。それもエンターテインメントの大事な要素だ」という人は少なくない。本当にそうだろうか? 乱闘をどこかで容認する意識がありながら、差別的な発言を厳しく戒めるのは矛盾する。いま社会は、徹底して、新たな価値観と姿勢を持ち直すべき時代に直面している。ネットの世論が無視できなくなった 差別的な発言をしたことが問題なのでなく、普段から、差別的な意識や発想を持っている自分に気づき、自分の潜在意識と向き合い、学び改めることこそが最初にされるべきことだ。スポーツ界全体が、日頃からそれを重要なテーマとして取り組む必要がある。国際親善とはまさに、自分とは違う文化や習慣、肉体や心情を持つ海外の人たちを知り、受け入れることを意味している。スポーツは、身体と身体をぶつけ合い、勝負という高いテンションで交流できるからとくにそれが深くできる。だからこそ価値がある、として社会に歓迎され、奨励されているのだと思う。それなのに、勝負に勝つため、相手を誹謗(ひぼう)中傷し、心を傷つけてでも優位に立とうとする発想は狭すぎる。それは言葉の自由ではなく、本来の姿勢でないことを選手、指導者、ファン、そして報道する人間も共有することが大事だ。 この問題は、先に記したとおり、一部メディアがこうした発言を試合後に問題視する傾向自体に疑問を呈したことで、何か起こった場合の騒がれ方、対応についての議論も起こっている。黒いスーツで謝罪会見を開いた浦和のDF・森脇良太 =5月9日、さいたま市  ネットの普及によって、数年前ならもみ消された問題が、メディア以外の一般の人々の書き込みや問題提起によって公になる事例が増えている。ネットの世論が、無視できない力を持ち、今回の場合でいえば、Jリーグという組織が処分を決める際にもそれに配慮する必要が生じているように感じられる。 森脇選手の処分が重いか、軽いか、といった議論もすぐ起こっているが、この軽重を判断する場合にも、論理的な妥当性より、世論の「気分」という側面がある。多くの人が、「感情的に納得するかどうか」が重要になっている。 その意味で、ネットの世論が、感情的に偏った方向に導かれ、本質とは違う根拠で形成される傾向はあるように感じる。 徳島ヴォルティスの馬渡選手がボールボーイを小突いた件では、とくにそのことを痛感した。本質が棚上げされ、議論が的から外れているもどかしさを感じるからだ。 世論と世論に配慮したチームやJリーグは、「ボールボーイは中立」「中学生のボランティア」「試合は選手だけでなく、ボランティアのおかげで成り立っている」といった綺麗な表現で謝罪し、対応している。結果的に非難の矛先をもっぱら馬渡選手に向けているが、熱心なサッカー・サポーターなら、「語られていない現実」、あうんの呼吸をわかっていて、実は問題の本質が他にあることはわかっているのではないだろうか。何となく、そのことを言い出せない雰囲気がメディアにもネット世論にもあるとすれば、そこは明らかにしたほうが今後のためだろう。ゴールボール騒動の違和感 状況を改めて詳述しよう。ホームチームであるジェフ千葉のゴールキーパーが、徳島の攻撃をクリアするためサイドラインまで飛び出してきてセーブした。ゴールががら空きなのだから、攻める徳島ヴォルティスの馬渡選手がすぐスローインしてプレーを始めたいと考えるのは当然だ。しかし、すぐボールボーイが渡したら、スローインのボールを受けたヴォルティスの選手がゴールに向かって蹴るだけで得点が成立する可能性がある。実際、ボールボーイから素早いパスを受けたホームの選手が一蹴りでゴールを決めたシーンがネット上で見られる。 サッカーでは、ホームチームのサポーターや関係者が、ホームチームの勝利のために最善を尽くすのは当然との認識がある。その点で日本的な考え方と少し違うと感じる場合がある。今回の出来事は、サッカーという風土の中で起こったことでありながら、日本的な価値観や常識をベースに語られることで、核心がずれていると感じる。 ボールボーイがそう指導されていたとは言わないが、サッカーを知っていればいるほど、アウェイチームの選手に素早くボールを渡すことをためらうのは当然というのが、サッカー界の“あうんの呼吸”だろう。もし素早くボールを渡し、アウェイチームの得点に貢献したらそれこそ非難を浴びるだろう。ボールボーイへの非紳士的行為で退場した徳島DFの馬渡選手 馬渡選手は、そんなことは当然わかっているはずなのに、あそこまで強引にボールを奪い取ろうとした、そのことが「プロとしていかがなものか」と非難されているという背景をこのニュースを聞いたサッカーにあまり詳しくない人がどれだけ理解しているだろう。 試合のスピードアップなどを求め、国際的にマルチボール・システムが採用されたのは、Jリーグ誕生以降だ。そのため、ボールボーイが「フィールドの外にいる12人目の選手」のような役割を果たす場面が生まれた。 試合前、幼い子どもが選手と一緒に手をつないで入場する光景は、微笑ましいサッカーの風景として歓迎されている。中高生のボールボーイもその一環として理解し、支持されているかもしれない。だが、実は試合を大きく左右する重要な役割を担う場面がありえるのだ。 そのような矢面に中学生を立たせることが是か非かを本当は問い直すことも、今回の出来事が教えてくれた重要な問題提起ではなかったか。Jリーグが選手を処分することで問題が終わったと考えるのは、本質と違うように感じる。 ネットの世論形成がますます加熱するだろう傾向の中で、メディアやプロフェッショナルな人間の役割のひとつは、こうした視点や本質の提示をきちんとして、世論が多角的に議論する素材を提供することだと思う。

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    ボストンマラソン3位の大迫傑は瀬古利彦を越えられるか

    小林信也(作家・スポーツライター) 大迫傑(すぐる)が4月17日のボストンマラソンで3位入賞。日本選手がボストンで表彰台に立つのは、瀬古利彦選手が優勝して以来30年ぶりと話題になった。大迫は早稲田大学時代、箱根駅伝1区で2年連続区間賞を取るなど活躍。早くから「将来はマラソンで世界と戦ってほしい」という期待を担っていた。 日本の男子マラソン選手が世界の一線から大きく離され、かつてのように優勝を争う機会が少なくなって久しい。それだけに、今回の大迫のニュースはファンの胸を躍らせた。 折しも、ほぼ同じ時期に、2020東京五輪マラソン代表選手選考に関する新たな方法が発表された。発表したのは、日本陸連のマラソン強化プロジェクトリーダーを務める瀬古利彦氏。もめることの多かった選考基準を見直し、選考レースで上位ふたりを決め、残りひとりを追加のレースで選考する方式。以前より明快になったが、残りひとりはやはり曖昧さが不安視されている。 古くからのマラソンファンには、思い浮かぶことがあっただろう。瀬古は現役時代、ボストンで優勝したほか、数々の快走と優勝を重ね、福岡国際マラソンでは3連覇を記録するなど「世界最強」と信じられていた。ところが、最高の晴れ舞台になるはずのロサンゼルス五輪で14位に終わった。次のソウル五輪では、五輪代表選考レースと指定された福岡国際マラソンにケガで出場できず、物議をかもした。当時ライバルだった中山竹通選手が「這ってでも出てこい」と言った逸話が広く知られている。期待の高かった瀬古は結局3月のびわ湖毎日マラソンで優勝しソウル五輪代表に選ばれたが、五輪の舞台では奮わず、9位に終わった。それは瀬古自身にとっても、苦い経験だろう。だからこそ、強化プロジェクトリーダーの役割を与えられた東京五輪で成果を上げることを大きな使命と感じているだろう。ボストン・マラソン男子で、3位に入った大迫傑=4月17日、米マサチューセッツ州ボストン(共同) 一連のニュースや動きを見ていて、さまざまな因縁を感じる。大迫は同じ早稲田大学の後輩。その大迫が日清食品を一年で退社し、選んだ先は、ナイキオレゴンプロジェクト。そのチームのコーチは、アルベルト・サラザール(アメリカ)なのだ。 サラザールと聞けば、瀬古の活躍を知るオールドファンなら、懐かしく思い出すだろう。まさに、瀬古利彦のライバルだった人物だ。 瀬古が福岡国際で3連覇を果たした翌年1981年10月のニューヨークシティーマラソンで、2時間8分13秒、当時としては驚異的な世界記録で優勝した。デレク・クレイトン(オーストラリア)の記録を12年ぶりに約20秒上回る快記録。サラザールの名は一躍、「瀬古利彦の最大のライバル」として日本のマラソンファンに刻まれた。サラザールの記録は84年12月になって「距離が150メートル短かった」と判明し取り消されるが、1984ロス五輪に臨むまでの間はサラザールが世界記録保持者であり、ファンにとっても脅威の存在であるのは間違いなかった。ただ、サラザールもケガに苦しみ、ロス五輪での快走は幻に終わった。大迫が日本を離れたワケ 当時から、まだ世界的に知られてまもないナイキのシューズで走る姿が印象的だった。そしていま、自分が果たせなかった金メダルの夢を指導者としてかなえている。リオ五輪陸上男子5000メートルで優勝し、金メダルを獲得したモハメド・ファラー=2016年8月20日、リオデジャネイロの五輪スタジアム(撮影・桐山弘太)  最初にサラザールが指導手腕を高く評価されたのは、イギリス代表でオレゴンプロジェクトに所属するモハメド・ファラーの活躍によってだ。 ファラーは2010年のヨーロッパ選手権(バルセロナ)で五千メートルと1万メートルに優勝。2011年大邱世界陸上でも5千に優勝、1万は2位。そして、2012年ロンドン五輪で5千、1万の二種目を制覇した。その後は2013年のモスクワ世界陸上、2015年の北京世界陸上、昨夏のリオ五輪と続けて二種目制覇を果たしている。いわば、陸上界のスーパースター。大迫が日本を離れ、オレゴンに練習の本拠を移したのも、ファラーの成長を支えたナイキオレゴンプロジェクトの指導体制や環境に惹かれてのことだったろう。 一体、日本の環境や指導と何が違うのか? アフリカ勢が圧倒的に優位な長距離界にあって、アメリカのクラブが気を吐いている背景には、さまざまな独自の姿勢が功を奏しているからだと言われている。中でも、最も象徴的なひとつを紹介しよう。それは今回、大迫がボストンを初マラソンのレースに選んだことにも表れている。 日本の陸上関係者やファンの多くは、大迫自身が2月にボストン出場をネットでほのめかしたとき、怪訝(けげん)に思ったという。なぜなら、4月といえば、その後、トラックレースが盛んになるシーズンだ。マラソンを走る疲労が影響を与える心配が大きいため、日本では敬遠される時期だ。しかも、今年の4月にボストンマラソンを走っても、世界陸上の代表になれるわけでなし、何かの選考のデータにはならない。大きな大会への出場権獲得という価値観からすれば、およそ選択肢にない決断に見えたからだ。 オレゴンプロジェクトは、「長期的な展望で選手を育てる」という方針が明確に打ち出されているという。そのため、大迫も、今年や来年のためでなく、将来のマラソンの可能性を見据えた挑戦だったのだろう。 ファラーにしても、いま34歳。25歳のとき、2006年北京五輪5千メートルに出場はしたものの、予選6位で決勝進出を逃している。不動の地位を築きあげるのはその後だ。トレーニングの特徴のひとつは、中長距離であってもスプリント系の練習を重視することだという。ファラーの抜群の強さは終盤の爆発力にある。1万メートルの最後の400メートルを54秒台で走る。ラストスパートの100メートルは12秒台で走る。サラザール自身は現役時代、かなりの距離を走るランナーだったと記憶しているが、それが疲労やケガにつながった反省からか、選手たちには自分の半分程度しか走らせないという。 強化プロジェクトリーダーの瀬古氏が、かつてのライバル、サラザールに大迫を託し、東京五輪での活躍を期待する構図にははがゆさも感じるが、それが日本の指導陣の現実を表している。

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    素直で真面目という美徳こそが浅田真央を苦しめた

    小林信也(作家・スポーツライター)  浅田真央選手が「引退」したと騒がれている。このニュースを小さな視野と大きな視野という観点から論考してみたい。 テレビをはじめメディアの報道はすべて「小さな視野」で語っていないだろうか。ファンもまた小さな視野で浅田真央の引退を惜しんでいる。そこにひとつ、大きな茶番と戸惑いを感じる。引退会見終了の挨拶で報道陣に背を向けて涙を拭う浅田真央選手 =4月12日、東京都港区の東京プリンスホテル 浅田真央は、オリンピックや世界選手権などを頂点とする競技からの撤退を宣言しただけで、「今後はプロスケーターとして活躍する」と明言している。それを「引退」と表現するのは、アマチュアを前提にしていた時代からのフィギュア界の慣例ではあるが、もう現実とはそぐわない。引退という受け止め方に私はまず違和感を覚える。 高校野球を終えて、プロ野球に入る選手を「引退」と呼ぶだろうか。高校野球界ではそれで実際、競技としての野球をやめる選手が少なくないから、小さな視野で「引退」と呼ぶことはあるが、大学やプロで野球を続ける選手を「引退」とは呼ばない。 日本のフィギュアスケートは、オリンピックに出ることを選手と認め、それ以後のプロ活動を真剣に認めていない意識が現れている。 「勝負がかかっていないから、競技ではない」というのはひとつの考え方だが、音楽の分野に例えたら、まだ無名の若いころ、「コンテストに挑戦して世界の評価を得て、演奏家としての登竜門をくぐる」というプロセスはある。だが、ひとたび演奏家として活動を始めたら、勝ち負けではなく、聴衆に感動や感銘を与える演奏ができたか、音楽性の豊かさ、深み、技術に裏打ちされた個性などが問われ、ものをいう。フィギュアスケートも本来は採点に縛られて終わるものではないだろう。 浅田真央が真剣にフィギュアスケートと向き合うならば、これから「競技や採点、勝負」といった制約のないパフォーマンスの世界に歩み出す、さらに厳しいアートの世界への旅立ちを意味する。だから、過去の競技生活を回顧し、まだ二十六歳の若い女性に「引退」という烙印を押そうとする日本中の身勝手な意識を無責任だと感じるし、怒りも覚える。 浅田真央がこれからどんな活動をするのか。できれば、芸能的な活動は最小限にして、本格的なプロスケーターとしての挑戦を期待してもよいのではないか。この十年でフィギュアスケートがゴールデンタイムで放送されるコンテンツになったようにプロのアイスショーが日本でもっと認知されるような活躍ができれば、浅田真央の次の生きがいにならないだろうか。その前提として、タレントが本業というイメージを払拭することが重要だろう。 いまのメディアやスポンサー、広告代理店は人気スポーツ選手のタレント化に熱心だ。浅田真央がいまもフィギュアスケーターとして秘めている素質や可能性があるならば、彼女の人生を「大きな視野」でとらえ、その開花の舞台を創出するブレーンがいたら幸せだろう。キム・ヨナと浅田真央の違い 周りが浅田真央を利用し、小さな視野で自分たちが稼げればいいと考え、浅田真央を使うだけなら、いまの局面はまさに「引退」だ。常識や周囲に従順な浅田真央だから、現状ならタレント人生まっしぐらに進む可能性が高い。所属エージェントと浅田真央本人の覚悟と見識が試されている。タレント活動は、今後もお姉さんに任せたらいいのではないか。 浅田真央は、自分自身が生み出したフィギュアスケートのブームに乗って愛される存在になったと同時に、自分自身を追い込み、葛藤を繰り返し、今日に至った。 2002年ソルトレークシティ五輪に出場したのは村主章枝と恩田美枝だった。村主は5位、恩田は17位。男子は本田武史と竹内洋輔が出場。本田にメダルの期待が大きかったが4位入賞にとどまった。このころ、ゴールデンタイムでフィギュアスケートが放送されることはまれにしかなく、国民的な注目もそれほど高くなかった。キラーコンテンツとなり、中高年の女性たちからも熱い視線を獲得したのは、浅田真央が2005年グランプリファイナルに15歳で優勝、翌2006年のトリノオリンピックで荒川静香が金メダルを獲ってからだ。安藤美姫という才能もいた。フィギュアスケート世界選手権女子表彰式。メダルを掲げる3位の浅田真央(右)と、優勝した金姸児(キム・ヨナ)=2013年 3月16日、カナダ・オンタリオ州ロンドン(大里直也撮影) 「引退」記者会見でもよくわかったが、浅田真央は本当に誠実で周囲の期待や助言に従順な人だ。それは得がたい美しさでもあるが、賛美しすぎるのはどうかと思う。苦しんだのは、その生真面目さゆえだったろう。それを素晴らしいとも思う一方、危うくも感じる。そうした柔軟性のなさが、ソチ五輪以降の葛藤と結びついている気がしてならない。 人はもう少し幅を持ったほうがいいし、裏表という意味でなく、もっと頭で考える以上の予期せぬ出来事を柔軟に受け入れ、明るい気持ちで糧にする大らかさも大切だ。 五輪で金メダルを獲る、大会で優勝する、といった結果にすべて集約しようとする思考回路と価値観に支配されすぎてはいなかっただろうか。 母親の死、父親の不祥事など、浅田真央の身に降りかかった出来事は、勝負を遙かに超えた人間としての苦しみや運命の領域だ。それを金メダルの価値観に受け入れるのは無理がある。もっと大きな人生の悲哀だ。すべてを競技の枠の中で生かそうと考えるのはスポーツ選手やメディアの悪い癖で、これも「小さな視野」ゆえの弊害ではないだろうか。 金妍児(キム・ヨナ)のしたたかさに比べて、浅田真央の従順さはあまりにも頼りなく、もろく感じる。今後の人生において「浅田真央、大丈夫か」と少し心配になる。その悲劇性ゆえ、よくがんばったと見る者は共感を重ねるが、それはある意味無責任で、本当に浅田真央の心に寄り添い、応援したと言えるだろうか。 浅田真央は荒川静香、安藤美姫らと共に築きあげたフィギュアスケートの人気に自分自身が翻弄され、押しつぶされかけた。浅田真央の演技を見るのが辛かった 私は浅田真央の演技がむず痒かった。見るのが辛かった。なぜなら、「決めたとおりのことをきちんとやらなければいけない」という意識が強すぎて、シナリオ通りのもどかしさが常にあったからだ。 浅田真央の中にはもっと予定調和を超越し、自分の中に眠る未知の叫びや表現があったのではないか。ノーミスで終わらなければならない、勝負に負けてはならないといった心の制約を突破しきれず、顔こそ笑顔を作っても、いつも堅苦しい雰囲気をまとっていた。金妍児がそうした制約を平然と振り捨て、自由な荒野で大胆に自分を解き放っていた印象が強いだけに、もどかしくてたまらなかった。 日本人は、勝った負けたが好きだ。それは世界的な現実でもあるが、世界のスポーツにはもっと、勝った負けた以上の価値観も共存している。 最近注目している選手のひとりに、瀬尻稜というスケートボーダーがいる。まだ20歳だが、主要な国際大会で3連覇を飾るなど、世界的な存在だ。その瀬尻稜がNHKの番組に出演し、番組ホストの相葉雅紀(嵐)から東京五輪への抱負を聞かれて次のように答えた。 「東京オリンピックはまだ出場するか、決めていない。なぜなら、僕らの競技は、他の選手がすごい技を決めたら、やったじゃん! と拍手して、ハイタッチして喜び合うような雰囲気です。自分だけが絶対、金メダルを獲るぞみたいな、そういう種目じゃないので」フィギュアスケート第85回全日本選手権女子フリー。自己最低の12位に終わった浅田真央の演技=2016年12月25日、大阪・東和薬品ラクタブドーム 私はそれを聞いて心が弾んだ。まさにその通りだ。東京五輪を日本が2020年に開催する意義はそこにこそあるのではないかと。 私はかつて、ソチ五輪の演技の前、金妍児(キム・ヨナ)の演技を見ようとせず、イヤホンで音楽を聴き、いわば〈閉じた状態〉で演技に臨んだ浅田真央を残念だったと語り、批判を浴びた。「あれは集中するための方法だ、スポーツライターのくせにわかっていない」「勝つために必要な選択だった」などなど。 いま日本のスポーツファンは、熱くなればなるほど、「小さな視野」でスポーツを語る。勝ち負けにこだわるのは「衝突」の発想であり、瀬尻稜の感覚こそ「調和」の姿勢だ。いま世界が求められているのはどちらか? 「小さな視野」に人々を導くことは危険だ。スポーツはそういう危険と背中合わせだ。そのことに私たちが目を覚まさないと、「小さな視野」で大衆が危うい全体主義への世論を形成しかねない。浅田真央の引退報道にはそれが凝縮されている。 プロとしての活動に歩み出す人が「引退」と表現し、メディアもプロへの転進とわかっていながら、「オリンピック」を基軸にすえて引退と呼ぶ。このおかしさに気づかなければ、東京五輪も「小さな視野」でしか開催されない。

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    高野連を脱退したPL学園名門野球部の「復活」を望まない理由

    小林信也(作家・スポーツライター) 春のセンバツ高校野球決勝戦が「史上初の大阪対決」と話題になった一方で、「PL学園が高野連を脱退」というニュースもまた全国に報じられた。 PL学園は昨夏の地方大会で初戦で敗れたのを最後に活動を休止した。地方大会には3年生のみ12人(選手登録は11人)で挑んでおり、1、2年生の野球部員を受け入れていなかったためである。 桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」に代表される世代だけでなく、PL学園は長く高校野球の「王者」の一角に君臨していた。硬式野球部は1956年に創部し、62年春の甲子園に初出場。これまで春夏合わせて計37回出場した全国屈指の常連校である。それだけに、さまざまな感傷や感慨をもって、このニュースを受け止めた野球ファンは少なくないだろう。第67回全国高校野球選手権 甲子園を沸かせたPL学園の「KKコンビ」桑田真澄投手(左)と、清原和博内野手=1985年8月 PL学園野球部が消滅する直接のきっかけは、部内暴力をはじめとする相次ぐ不祥事の発覚だったという。私は、PL学園OBの元プロ野球選手から長時間にわたって、PL時代の思い出話を聞かせてもらった経験がある。とくに寮生活での先輩、後輩の上下関係は、他人事だから半分笑って聞ける話だが、もし当事者になれば冗談では済まない。息子を思う母親なら、そのような理不尽な仕打ちをどんな思いで受け止めただろうと今でも胸が傷む。 中でも「付き人制度」は特に有名で、1年生は3年生の付き人になり、その先輩の洗濯から食事まで、サポートする。寮にある洗濯機の数が限られているから、1年生同士の洗濯機争奪戦も激しく、もし敗れてしまうと、深夜まで順番待ちをさせられるため、寝る暇もない。食事のときなんかは、部員同士が食器を投げるように回して、テーブルの上で食器が飛びかう、とも聞いた。 そんな理不尽な振る舞いがいったい何の役に立つというのか。率直に疑問をぶつけてみると、彼らは一様に真剣な面持ちでこう言ってのけた。「辛い経験を乗り越え、やがてレギュラーの座を勝ち取り、甲子園でも活躍してプロになる。あの厳しさがあったから今がある」 実際、「甲子園常連の名門校」と呼ばれる高校は全国にいくつもあるが、不思議とプロの世界では通用しない選手も少なくない。智弁和歌山や日大三高などはその代表例だ。一方、PL学園はプロを数多く輩出しているだけでなく、プロ入り後も各球団の中心選手として長く活躍する選手が多い。 パワハラが社会問題となり、体罰だけではなく言葉の暴力も厳しく戒められる世相の中で、PL学園のOBたちが語る「PL学園野球部でかつて行われていたこと」は、明らかにパワハラに該当する。だが、強烈なパワハラがあってこそ、栄光の歴史が築かれ、日本を代表するプロ選手があまた誕生した、というのもまた事実なのである。 もちろん、その陰には才能を持ちながら挫折した多くの選手たちや、笑えない「事件」もあったと聞いたことがある。清原が薬物依存症に陥った背景にも、寮生活で強いられた、あるいは身についたパワハラ体質とも無関係ではなかったのかもしれない。大阪桐蔭と履正社はこうも違う 私は、いまさらPL学園の復活を期待し、あの寮生活が「今こそ必要だ」などと論じる気など毛頭ない。 むしろ、PL学園は「没落」した形になったが、かつての王者が倒れた後にその座を奪ったチームは果たして、新しい高校野球を体現しているのか、それとも「勝てば官軍」とばかり、勝利至上主義を後ろ盾にしたチームなのか。そこを厳しく見つめる社会の眼差しが今必要ではないかと思っている。 くしくも大阪対決となった春のセンバツ決勝。大阪桐蔭は全国から有望な選手が集まり、高校生レベルとは思えない投手、打者がチーム内でしのぎを削り、今回も全国優勝を勝ち取った。OBの日本ハム、中田翔は広島出身。今年のセンバツで活躍した2年生、根尾昴選手は岐阜県出身だ。大阪桐蔭は「寮生活で、チームの一体感を育てることも重視している」とうたっている。 一方の履正社は、かつてはバリバリの高校野球を実践していたが、今はかなり新しいスタイルを導入しているという。寮はなく、部員全員が自宅からの通学である。しかも、他府県から選手を集めていない。文武両道を重視し、野球部員も他の生徒同様に勉強に力を入れている。第98回全国高校野球選手権大阪大会。東大阪大柏原-PL学園。今夏限りでの休部が決まっているPL学園は初戦で敗れ、ナインは号泣しながらベンチ前に整列した=2016年7月15日、大阪府東大阪市の花園中央公園野球場 実際の学校生活を見たことがないので、断定はできないが、PL学園の反省を生かそうとしているチームと、PL学園の成功例に学び実践しているチーム。それぞれに特徴がある。 私は、PL学園が高野連から脱退し、名実ともに高校野球界から消え去った今、高校野球の「悪しき封建体質」も勝利至上主義も同時に終焉させ、本当に新しい高校野球への変革を目指す時ではないかと熱望している。 サッカーのJリーグは、放映権を2100億円で買われ、劇的に体制が変わった。高校野球は「教育の一環」という名目で、放映権料はタダ、外野席もタダ、という不思議な伝統を維持している。高校野球がメディアを中心とした「ビジネス」になっていることは誰だって知っている。それなのに一方で教育を振りかざし、それでいてパワハラを放置している。この矛盾は解消すべきである。 私は、中学硬式野球の監督を務めている立場から、野球少年の減少を切実に感じている。家の近くにキャッチボールをする場所も、草野球に興じる場所もなければ、野球自体に触れる機会がない。野球を志す少年が減るのは当然だ。「草野球のできる公園づくり」は、いま野球界が一致団結して取り組むべき、緊急プロジェクトではないかと思っている。 前述したようにJリーグには2100億円もの値がついた。では高校野球にはいくらの値がつくだろう。この財源を元に、全国各地で草野球のできる公園を整備してはどうか。高校野球にはそれだけの「バリュー」がある。「PL学園、高野連脱退」という、ある意味ショッキングな出来事をきっかけに、そういった観点からも議論を起こし、高校野球を新しく発展させる動きが始まることを切に願う。

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    稀勢の里が火をつけた「日本VSモンゴル」仁義なき抗争

    小林信也(作家・スポーツライター) 新横綱・稀勢の里が、「奇跡」と形容された逆転優勝を飾り、相撲人気がさらにボルテージを増している。場所前からのフィーバーは、稀勢の里連勝でさらに燃え上がったが、同時に新たな遺恨の様相が表面化した。稀勢の里を中心とする日本勢と白鵬、日馬富士らのモンゴル勢の「洒落にならない対立」の様相が深刻化しているという。大相撲春場所13日目。横綱日馬富士(左)に寄り倒され、初黒星を喫した横綱稀勢の里。土俵下へ落下し、左肩から胸部付近を負傷した=3月24日、エディオンアリーナ大阪  そういえば、連勝街道を走り、早くも大横綱の風格を感じさせた稀勢の里を、厳しい相撲で負傷させ、一気に奈落の底に突き落としたのは日馬富士だった。意図的とは言わないが、ただならぬ厳しさがあったのは、ただの相撲の一戦ではなく、それ以上に腹に抱えるものがあったからだと指摘する関係者は少なくない。 これが土俵上の勝負に徹したライバル心なら歓迎するが、どうやら、土俵外での感情的な対立が背景にある。それも、当事者同士というより、相撲協会が絡んだいざこざだというから、あまり歓迎できるドラマではない。 本場所では、優勝争いの相手となった照ノ富士に対して、「モンゴルへ帰れ!」のヤジが飛んで物議を醸した。どうして日本人はこう単純なのだろう。浅いといった方が的確か。かつてのプロレスに見られたような単純な善玉・悪玉の構図、日本人が外国人を倒す姿を見て溜飲を下げるという、短絡的な心情がいまも生きているとしたら、あまりに了見が狭い。調和の時代に逆行する島国根性と言われても返す言葉がない。 日本人横綱の誕生は若乃花以来、約19年ぶり。貴乃花が2003年1月に引退してから14年もの間、日本人横綱の不在が続いた。その間、大相撲を支えてくれたのはモンゴル勢だった。貴乃花引退の次の場所から横綱に昇進し、一時代を築いたのは朝青龍。貴乃花の22回をしのぐ25回の優勝という記録が、朝青龍の大相撲への貢献を物語っている。続いて大相撲の看板力士となったのは白鵬だ。双葉山に迫る63連勝を記録し、優勝回数は37回と歴代最多記録を更新した。白鵬なしに、この10年の大相撲はありえなかった。そうした感謝、敬意があれば、照ノ富士に対して「モンゴルへ帰れ」とは決して言えないし、笑えない。日本人はそのような謙虚さ、わきまえさえ無くしたのか。 新横綱誕生の瞬間から日本列島に伝播した稀勢の里熱は、やはり「日本人横綱」への期待が根強くあったこと、多くの相撲ファンが、モンゴル勢に占領された形の相撲界に欲求不満を覚えていたことを明らかにする形ともなった。稀勢の里の大逆転優勝で、そうした日本の相撲ファンたちも、少し浮かれ気分で、久々の上から目線を謳歌している……。貴乃花親方が白鵬いじめ? これまで一人勝ち状態だったモンゴル勢は、とくに日本勢と対立することもなかった。日本人力士たちは、張り合うレベルになかったからだ。ところが、稀勢の里が実力を増し、同じ部屋の高安も実力と人気を伸ばす中、モンゴル勢はすっかり敵役の様相を呈している。白鵬は、ある時期から日本人を敵に回しても平気だという姿勢に転じたが、横綱になってしばらくは「日本人以上に日本人の良さを兼ね備えている」と評価され、大半の日本人が好感を持って応援していた。白鵬と常に優勝を争い、その地位を脅かす日本人力士がいなかったのだから、白鵬が日本人的な位置を占め、日本のファンに愛される役割を担っていたのだ。 ところが、それでなくても白鵬が悪役的な振る舞いを常態化させ、かつての白鵬に対する評価がなくなっているいま、稀勢の里の台頭で白鵬は完全に「勝てば嫌われる脇役」となった。 その背景に、もうひとつ複雑な事情がある。相撲協会の中で着実に勢力を伸ばしつつ在る貴乃花親方の白鵬いじめがあからさまだというのだ。真偽は定かではないが、巡業中、白鵬がまだバスに戻っていないことを知りながら貴乃花親方がバスの出発を促した。明らかに嫌がらせだと証言する人が多い。白鵬がそれを聞いて、気分を悪くした(おそらくは激しく憤慨した)のは容易に想像できる。貴乃花親方にすれば、自分がそうであったように、相撲界は日本人横綱が先頭に立ってこそ本物との思いが根強くあるのではないだろうか。久々に現れた稀勢の里という宝を寵愛するあまり、好敵手たちを感情的に冷遇する意識が無意識にでもあるとすれば、世界を視野に入れる相撲協会をリードする資質を疑われる。稽古する白鵬(右)と稀勢の里=3月8日、大阪市港区の田子ノ浦部屋宿舎 白鵬が引退を決意する日がそう遠くないのではないかという思いは、多くの相撲ファンが抱いている。引退後の白鵬はどんな道を歩むのだろう。これだけの大横綱なら、親方になり、部屋を持つのが、日本人力士なら通常の道だ。が、白鵬の前には国籍の問題が立ちはだかる。親方になれるのは「日本人」と限定されているからだ。 日本の伝統を守るために必要な規定かもしれないが、すでに土俵を外国人力士に開放し、看板を担ってもらいながら、最後に門を閉じるやり方は、失礼千万ではないのか。白鵬は「モンゴル国籍のまま、一代年寄として相撲界に貢献する」道を希望し、非公式だがその意向を表明した。ところが、春場所前のトークショーで貴乃花親方がこれに否定的な見解を示した。相撲協会は「親方は日本国籍」の方針を今後も維持し、「外国人親方」を頑なに拒む姿勢のようだ。そのことがさらに深い感情のもつれの背景にある。日本の相撲界は、よき伝統を守る努力を続ける一方、開かれた発想を持って変わる意識も持つべき時期に来ている。 土俵が熱くなる競争心、ライバル心が高じることは、時に勝負の次元を一瞬にして高める役割を担う。だが、今回の日本勢対モンゴル勢の対立構図は、まず明るくない。陰湿で、こういう場合は必ずと言っていいほど、大ケガにつながる。今回は稀勢の里の気力が上回って、自ら悪夢のような試練を糧に変えたが、遺恨を背にした相撲を見るのはあまり楽しくはない。

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    「心技一体」を会得した稀勢の里は誰よりも強い

    小林信也(作家、スポーツライター) 稀勢の里が好調だ。 新横綱として臨んだ春場所、初日から盤石な相撲で、危なげなく白星を重ねている。他の三横綱は序盤から土が着き、白鵬は二敗を喫すると5日目から休場してしまった。最大の敵が消え、新横綱として初場所に続く連続優勝に向け、視界が開けてきた。豪風(左)を一気に押し出した稀勢の里=3月12日 5日目までの取り口を見ていると、不安がまったく消えている。稀勢の里の唯一と言っていい弱点は、負けを怖れた時、極端に固くなり、まったく力が出せなくなることだった。普通に勝負したら、相撲の強さは白鵬と甲乙つけがたい、最近なら稀勢の里が上回ったのではないかと、相撲ファンなら認めているだろう。今場所はまだ大一番を迎えていないとはいえ、緊張したはずの初日も難なく実力者の豪風を退けた。 2日目は、初日に白鵬を破って勢いに乗る正代を落ち着いて受け止め、一蹴した。そして3日目の相撲には、稀勢の里の大きな変化成長をまざまざと見た気がする。相手は貴ノ岩。見合ったあと、行事の軍配が返った瞬間の稀勢の里の立会いの素早さ、鋭さには舌を巻いた。 貴ノ岩にすれば、アッと思う間もなく、すでに稀勢の里がぶつかってきていた感じではないだろうか。決して陸上で言うフライングではないが、まるで瞬間移動するように、「ハッケよーい、残った」の声が響いた瞬間にサッと稀勢の里の大きな身体が貴ノ岩に襲いかかっていた。そして終始、前がかりで攻め続けた。前へ前へ素早く動くと、軽くいなされる心配もあるのだが、前のめりに出ているようで稀勢の里の腰はどっしりと落ち、崩れる心配を感じさせない。貴ノ岩にすれば、稀勢の里の圧力が半端ではなく、いなすなどの余裕もなかったのではないだろうか。力勝負ではなく、ちょっと違う次元の相撲に稀勢の里は歩み入ったように感じる。 最近のスポーツ界は、相撲も含めて、目に見える筋力の強さ弱さばかりで優劣を計り、理解しようとする。人間の持つ力はもっと目には見えない、重心だとか、相手との間合いによって生じる内面の力にこそ本質がある。身体の大きさ、筋肉の量だけで強さが決まるなら、決して大男ではなかった朝青龍がなぜあれほどの強さを誇ったか説明できない。稀勢の里は身体にも恵まれている上、こうした内面の作用をも感じ、鍛える手応えを感じているようだ。「土俵は人生の縮図」 時間一杯になった最後の仕切りでは、ゆっくりと立ち、蹲踞で構えてから少し時間を置いて自分の間を作る。そこで時間を開けると従来なら余計なことを考えて不安が入り込み、格下にも思わぬ取りこぼしをする例が少なくなかったが、今場所は雰囲気が違う。勝負に自然と入り込み、身体と意思がピタリとあってズレがない。そんな風に見える。四日目は小兵のクセ者・蒼国来。初顔とあってか、相手を見て慎重に立った。上手を取るともう蒼国来は完全に自由を奪われ、相撲にならなかった。そして5日目、前日に白鵬を破った勢を終始圧倒した。大相撲春場所の初日、土俵入りする新横綱稀勢の里 =3月12日、大阪市のエディオンアリーナ大阪  横綱には「負けてはならない」宿命はあるが、何勝しないと昇進できない、といったプレッシャーはない。稀勢の里は、横綱昇進で苦手なプレッシャーから解放され、伸び伸びと強さを発揮しているように見える。そして、どうやらそれだけではない。相撲に対する確信が自分の中でも深まっているようだ。 場所前、NHKテレビのインタビューに答えて、稀勢の里はこう語っている。 「去年の大阪くらいから少しずつですけど自分の形になってきた。そこで13勝したのがかなりの自信になりました。バチッとはまった感じがありましたね。(今場所大事なのは)気持ちの部分じゃないですか。喜怒哀楽を出すとやはりムラも出ますしね。いかに淡々と一日一日を過ごすかが大事。先代の師匠も言っておられました、土俵は人生の縮図だ、その部分を鍛えていきたい」 5日目の白星で、幕内通算勝利数が683勝となり、高見山と並び歴代9位になった。1位白鵬の927勝にはまだ距離があるが、上を見ると、8位旭天鵬、7位貴乃花、6位武蔵丸、5位の大鵬が746勝だ。大横綱・大鵬まであと63勝。今年中に上回るのも夢ではない。もし今年の終盤、早い段階で大鵬の746勝を超えるようなら、稀勢の里もまた大横綱と呼ばれる階段を上り始めた証拠になるだろう。 NHKのインタビューの終わりに稀勢の里はこうも語っている。 「肉体は25歳だと思っている。あと5年、10年はできるようにがんばりたい」 昇進の甘さで物議を醸した稀勢の里だが、ここから世間を納得させる大横綱へと実績を積む可能性も感じられる。中盤以降、より凄みを増すよう、期待したい。

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    最強の伏兵イスラエル、侍ジャパンの「仕事人」が必勝のカギだ!

    小林信也(作家、スポーツライター)  野球の国・地域別対抗戦、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開幕した。日本代表「侍ジャパン」は、一次ラウンドを快調に突破した。キューバ戦は前半から優位に立ち、終盤は乱戦気味になったものの、打ち勝って難敵を倒した。  オーストラリア戦は先発の菅野が先制ホームランを浴び、打線も12連続凡打に抑えられるなど重苦しい展開だった。が、松田の犠牲フライで同点に追いつき、中田のホームランで勝ち越すと一気にムードが明るくなって、危なげなく連勝スタートを果たした。休養日、中国がオーストラリアに敗れた時点で、日本の二次ラウンド進出が確定した。 強化試合では負けが続き、選手も勝利の十字架を背負って暗い雰囲気だったが、いざ大会が開幕すると、吹っ切れたように伸びやかなプレーを見せている。 キューバ戦は、セカンド菊池の好守(ダブルプレー)に始まり、センター青木のファインプレーもチームを盛り上げた。キューバの外野陣も立て続けに超美技を見せ、試合自体がスリリングな展開で活気づいたことも、侍ジャパンが本来の躍動を取り戻した一因かもしれない。何より、野球は面白い、カッコいい! という、素朴な感動が見る者を興奮させた。 余談だが、9日の木曜に吉祥寺の小料理屋さんに行くと、「前日のお客さんがものすごく少なかった。外の人通りもいつもに比べて格段に静かだった。みんな自宅に帰ってWBCを見ていたからではないか」と女性店主が真剣な顔で分析していた。確かに、オーストラリア戦の視聴率が20パーセントを超えたとの報道もあった。WBCで野球人気回復の勢いがつけばうれしい。 戦前のチーム状況から推して、私は勝つとすれば「打つべき選手のホームラン」と、「松田のようなお祭り男に火が点くこと」と期待していた。まったく、それが現実となって、侍ジャパンに勢いがついた。キューバ戦の5回、3ランを放ちベンチ前で「熱男」ポーズをとる松田=3月7日、東京ドーム 四番・筒香は2戦連発、中田にもホームランが出た。山田の当たりはビデオ判定の結果、二塁打になったが、中心打者にそれぞれ快打が出た。そして何より、松田が初戦4安打、2戦目も貴重な同点犠飛を放ち、調子に乗ったのが大きい。 沈黙と爆発の差が激しいという不安はあるものの、小久保監督としては、攻撃面でこれ以上ないスタートが切れたと手応えを感じただろう。一次ラウンドの勢いは二次ラウンドに続くとは限らない 投手陣もまずまず好調な滑り出しを見せた。初戦先発の石川、2戦目の菅野とも安定した投球で試合を作った。初戦の第二先発・則本は打ち込まれたが、乱戦になった試合の雰囲気の中での失点と気持ちを切り替えているだろう。オーストラリア戦の8回、4番手で登板した宮西=3月8日、東京ドーム 投手陣では、宮西、千賀の好投も大きい。この二人の頼もしいピッチングは、彼らが世界の舞台で活躍できることを実証したし、二次ラウンド以降も重要な戦力になることを示した。小久保監督、権藤投手コーチの継投にも幅ができるだろう。 そして、懸案とされていたクローザーも、牧田が落ち着いた投球を見せ、信頼を築いた。同時に、松井、秋吉を別の場面で生かす余裕が生まれた。 二次ラウンドでは、3連勝で勢いに乗る伏兵イスラエル、前回も台風の目となったオランダ、それにキューバが相手だ。 イスラエルは、初戦で韓国を破り、「大会史上最大の番狂わせ」と形容され、世界中を驚かせた。メジャーリーグ経験者を多数揃えるイスラエルは、大会前から「韓国以上の実力を持つチーム」と関係者の間では評価されていた。その真価を発揮し、トップで一次ラウンドを突破した。日本にとって、怖い存在であるのは間違いない。 オランダもメジャーリーガーを揃え、一発の破壊力もある。オーストラリアに先制されたように、序盤でリードを奪われる展開もありうる。焦らず粘って、最少失点にしのぎ、後半で追いついて勝つ覚悟も必要だろう。 キューバも、以前のような迫力はないものの、初戦の終盤に見せた打力は侮れない。 一次ラウンドは主力選手とお祭り男が調子付いて快勝した。ただそういう勢いは、相手投手の思わぬ快投や、序盤の猛攻で一気に沈黙する恐れがある。できれば序盤に相手を調子づかせずに、打線が封じられたり、リードを奪われた時にどう打開できるかの準備が二次ラウンドでは重要だろう。 その時、一発屋以上に頼りになるのは「仕事人」たちだ。すでにいい味を出し始めている青木、菊池、山田、さらには秋山、内川らの活躍が苦境打開には欠かせない。彼らをどの場面で起用し、侍ジャパンに「化学変化」をもたらすか。小久保監督の勇気とひらめきある選手起用にも期待したい。

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    阪神にも敗れた侍ジャパンがWBCを制する方法はこれしかない

    小林信也(作家・スポーツライター) 侍ジャパン、大丈夫か? 強化試合を見て、ファンの間に不安が広がっている。ソフトバンクに敗れ、台湾に大敗した。台湾との第二戦には快勝したものの、阪神にも負けた。結果以上に、世界を制覇してくれるチームの勢いを感じない。 一体何が問題なのか。 端的に言って、侍ジャパンの面々は、ジャパンのユニフォームを着て、楽しそうに野球をやっていない! それが何よりの問題だ。 侍ジャパンには、「WBCに優勝して、落ち目の野球人気復活の起爆剤になる」期待がかかっている、と関係者も選手も余計な責任感に縛られているのではないか。それは大きな勘違いだ。優勝すればフィーバーする、メディアも取り上げ、一般大衆の関心は高まる。だが、野球人気を高める本質は「優勝」ではなく、「野球って楽しいなあ」と、理屈抜きに魅了することだ。ムッツリした顔で、結果を求めて結果の出ない選手たちの姿には魅力がない。人を惹きつける華やかさもない。たとえ三振しても見る者の心を揺さぶるような、豪快で、人間的なプレーがほとんどない。WBC日本代表侍ジャパン対台湾プロ野球選抜、ベンチ前でタッチをする侍ジャパン・菊池涼介=2月28日、ヤフオクドーム福岡 投打の戦力分析以前の問題だ。チームとしてのダイナミズムを感じない。野球は個人プレーの集積と言われるゲームだ。1+1が2でなく3にも5にもなるような、化学反応、相乗効果があってチームは強さを発揮する。 そのために、監督は見えないところで様々な配慮をし、選手個々の力を超えた潜在力が大きく膨らむような仕掛けをめぐらす。いまのところ、侍ジャパンにはそのようなエネルギーを感じない。 小久保監督が果たして、どのような仕掛けを準備しているのか。 監督経験がないことを不安視する声もある。それは、このあたりの引き出しや観点を小久保裕紀監督が持っているかどうか、誰も見たことがないからだ。チームが勝利するときは、大会を戦うごとに結束が固まり、勢いがつく例が多い。偶発的にも思えるが、予め準備された火薬に火が点いて実現する場合がほとんどだ。小久保監督がすでにこうした策を打ち、小さな点火を重ねてチームが変わる準備ができているのを祈るばかりだ。メンバーはどんぐりの背比べ 強化試合では、選手ひとりひとりが「自分で結果を出そう」としている雰囲気があふれていた。野球は確かにそういう競技だ。打席に立った打者が打つか打たないか。マウンドに立った投手が抑えるか崩れるか。だが一方で、目に見えないつながりが、凡打も意味あるものにし、相手に不安やダメージを与えることで後の誰かが結果を出すこともある、それが野球だ。 いまの侍ジャパンにはその余裕がない。チームメイトとの無言の信頼、「自分が結果的に凡打でも、結果以上の熱を発散することで最終的にチームに力を注ぐものだ」という覚悟がない。それは、WBCという、普段とは違う世界大会で「優勝」という十字架を背負った選手たちの重圧でもあるのだろう。WBC日本代表壮行試合日本代表-台湾プロ野球選抜1回で二塁打を放つ日本代表・筒香嘉智外野手=2月28日、ヤフオクドーム カリスマ性を持った監督なら、そして強烈なリーダーシップを持つ中心選手がいれば自然とチームの空気は変わる。いま、侍ジャパンには、先頭に立って全員を鼓舞するリーダーがいない。四番を打つ筒香嘉智は、主将を務める横浜DeNAでは毎試合前、ナインを集め、思いのこもった言葉でチームに熱を注いだ。 ベイスターズの記録映画を見ても、主将として筒香が与えた変化が初めてのクライマックス出場に大きな貢献を果たしたことが窺える。その役割を侍ジャパンでは与えられていないから、宝の持ち腐れになっている。無言でチーム全体に熱を注ぐ、第2回大会のイチローのような絶対的な存在もいない。それが、ひとりひとりが「結果を出さなければ」と肩に力が入る一因になっているだろう。 侍ジャパンのメンバーを見ると、大半が中堅クラス。いずれも素晴らしい選手には違いないが、並べて見ると存在感という意味でどんぐりの背比べで、横並びの感じがする。ベテランと呼ばれる年代の選手は内川聖一(ソフトバンク)ら、ごく一部だ。内川は職人的な存在で、精神的支柱を担うタイプではなさそうだ。その意味では、阪神戦から加わった青木宣親(アストロズ)がその役割を果たしてくれるかどうか。もしくは、松田宣浩(ソフトバンク)あたりのバットが火を吹き調子に乗ってムードメーカーになることを期待するところだ。  戦力的には、優勝した1回、2回に比べて、エース投手の国際舞台での実績や迫力にやや不安を感じるが、実力的には十分な選手が揃ったと思う。全体的にむしろ、山田哲人(ヤクルト)、菊池涼介(広島)、秋山翔吾(西武)、鈴木誠也(広島)ら、新しいタレントが以前にも増して充実している。打線は個性もあって楽しみ 投手については、球数制限に惑わされすぎだ。普段と違う規定がある以上、シンプルに割り切ればいい。先発投手の球数に右往左往するのでなく、先発投手と第二先発、ふたりの投手で6回までを作る。7回まで行けばラッキー。残りの3回(または2回)を中継ぎ、抑えで受け持つ。それだけの話だ。人材はいる。先発は、菅野智之(巨人)、則本昂大(楽天)、石川歩(ロッテ)、武田翔太(ソフトバンク)。第二先発は藤浪晋太郎(阪神)、増井浩俊(日本ハム)、牧田和久(西武)、千賀滉大(ソフトバンク)。  中継ぎに岡田俊哉(中日)、宮西尚生(日本ハム)。抑え候補の平野佳寿(オリックス)、松井裕樹(楽天)、秋吉亮(ヤクルト)は中継ぎも兼務する。第二先発は必ずイニングの頭から出る。先発が途中で崩れたときには中継ぎが間に入るなどの内規を決めておけば混乱も少ない。WBC台湾プロ野球選抜との壮行試合第2戦1回、山田哲人が先頭打者本塁打を放つ=3月1日、ヤフオクドーム 打線は、個性もあって楽しみだ。不安があるとすれば、中田翔(日本ハム)も含め、平田良介(中日)、松田ら、むらのある一発屋が短期決戦でつなぐ打線に水を差すことだ。平田、松田らは代打の切り札でこそ存在感を発揮するのではないか。 松田をベンチに下げれば、三塁手の人材が必要だ。ギャンブルだが、山田の三塁起用も選択肢ではないかと思う。二塁手が山田、菊池とふたりいる。小久保監督は当初、二塁守備のスペシャリスト菊池を守らせ、山田をDHに起用した。ところが、守りと打撃でリズムを作るのが当たり前だった山田にとって、守らずに打席に向かう感覚はしっくりこなかったのではないか。それならば、山田を三塁に起用することで、ふたりの二塁手が共存する。 外野は人材揃いで選択に苦しむところだが、レフト筒香、ライト鈴木誠也(広島)、センターは青木と秋山の併用が基本でチームは力を発揮するのではないか。 7日からの本番。1次ラウンドは勝ち抜くだろうが、2次ラウンドは楽観を許さない。決勝ラウンドの行われるアメリカに侍ジャパンが渡れるかどうかは予断を許さない。最大のポイントは明るさ、大胆さ、そしてリーダーのもとに相乗効果を起こせるかにかかっている。いや、何より、結果より感動、興奮を巻き起こし、「野球ってドキドキする、面白い!」、素朴なワクワク感をもたらしてほしい。

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    制球難は心の乱れが原因? 元巨人、越智大祐が女と金に嵌ったワケ

    小林信也(作家、スポーツライター) 週刊文春の先週号が、2000年代後半に中継ぎで活躍した越智大祐・元巨人投手の結婚詐欺疑惑を報じている。既婚者でありながら、キャンプ時に知り合った女性に、すでに離婚したと偽るなどして結婚を求めたという。その女性の証言は、結婚詐欺にとどまらず、現役時代に違法闇スロットに通っていた、刺青を背中に入れていたなど、荒んだプロ野球選手の現実を思い知らされる内容になっている。東京六大学野球、早稲田大学・越智大祐投手(当時)=2005年 10月 16日 越智大祐を初めて見たのは、2002年春。越智が早稲田大学の投手として、神宮球場のマウンドに立った時だ。ちょうどそのころ、私は東大野球部の選手や法政大、専修大の選手らと勉強会を重ねるなどし応援していた時期で、毎週のように神宮球場のスタンドから六大学リーグ戦、東都大学リーグ戦を見ていた。 早稲田のエースは4年生左腕の和田毅(ソフトバンク)。越智は一年生の春にすぐ、和田と並ぶ先発投手に起用された。がっしりした身体から投げる速球は重そうだったが、ごくオーソドックスな投球スタイルで、とりたてて相手打者を唸らせるような鋭い印象はなかった。2年下だが、東都で抜群のピッチングを重ねた東洋大・大場翔平投手(その後ソフトバンク入り)の速さ、鋭さに比べたら、それほど非凡さは感じなかった。打者を翻弄する投球術に長けているタイプでもない。 しかし、バックネット裏で見るより越智のボールは打ちにくかったのだろう。1年春から2年秋まで、越智は負けなしの11連勝を記録。早大史上初の4連覇の一翼を担った。越智が投げれば負けない、早稲田ファンには頼もしい新人投手だったろうが、かといって、「六大学に新たな怪物登場」と言われるほどの騒がれ方もしなかった。 私の記憶に最も刻まれているのは、なんとなく野暮ったいか、ふてぶてしく見えるあの早稲田の伝統のユニフォームを越智が着ると、白が輝き、若々しい光を感じた。そういった独特の華やかさは発散していた。ややふっくらしたベビーフェイス的なマスクで、女性ファンの人気も得るだろうと思わせた。山口鉄也との風神雷神コンビで活躍 その越智が3年になると精彩を欠き、3年秋こそ最優秀防御率投手賞を獲得しているが、3年、4年で4勝しかしていない。尻すぼみの感は拭えず、これではドラフト指名がないかもしれないと思っていたら、巨人から4位指名を受けて入団した。身長185センチの身体、最速150キロを超え、140キロの高速フォークボールを持っている投手をプロ野球は放っておかなかった。巨人のドラフト指名には、正直ちょっと驚いた。プロ野球巨人対中日、中日・ブランコから三振を奪い、雄たけびをあげる巨人・越智大祐投手(当時)=2010年 04月10日、東京ドーム 私の勝手なイメージでは、プロに入るくらいの投手は、何か格別な武器や売り物を持っているものだと思い込んでいた。越智は球速、制球、勝負強さ、いずれの点でも合格点以上だが、突出した魅力が薄い。それでもやはり、背が高くて球速があってアマチュアで一定の成績を残せば、プロは可能性を求めるのだなと。 2006年にプロ入りした越智大祐は、最初の2年間を二軍で過ごし、3年目の2008年から一軍で活躍し始めた。 7月のヤクルト戦に中継ぎ登板、初勝利を挙げて以降は、毎試合のように越智の名前がコールされた。多くの野球ファンが越智の名をはっきり認識したのはこの時期だろう。結果的にキャリア最多となる68試合に登板、3勝3敗10ホールドの成績を残した。 この年の巨人は、阪神に最大11.5ゲーム差をつけられながら大逆転優勝を遂げ、メークドラマをしのぐ「メイクレジェンド」とも形容された。その原動力の一人が越智だったことは、巨人ファンの記憶には深く刻まれているだろう。 だが、それ以上に強い印象を残したのはこの年の日本シリーズだ。西武との第7戦。1点リード、日本一に王手をかけた形の8回に原監督が命運を託したのは越智だった。このシーズンはそれが、同じころ台頭した左腕・山口鉄也とともに抑えのクルーンにつなぐ「勝利の方程式」になっていたから(後に山口と越智は風神雷神コンビと呼ばれた)、ファンは期待こそすれ、越智の登板に異論を抱くファンは少なかったに違いない。もしあるとすれば、しばしば見せる越智の制球難……。 この試合は、その不安が現実となった。死球、四球でピンチを作った後、タイムリーを打たれ、大切なリードを守れなかった上に逆転を許し、敗戦投手となった。ほぼ無名の存在が、ファンに頼られる中継ぎエースとなった飛躍の年は、奇しくも投手・越智大祐を語る上で最も象徴的な敗北のドラマで幕を閉じた。難病との闘い その後3年間は、中継ぎとしてまずまずの活躍を重ねた。2009年が8勝3敗10セーブ、24ホールド。2010年は4勝4敗5セーブ、21ホールド。クルーンが調子を落とすとクローザーに起用され、火消し役も担った。このオフに結婚を発表。 クルーンが退団した2011年はクローザーの期待がかけられたが、開幕直後から調子を崩し、ファームで調整し直す期間も多かった。この年、3勝2敗11セーブ。42試合には登板したが、中継ぎエースと呼ばれる勢いは失われつつあった。契約更改交渉を終え、会見する巨人・越智大祐投手(当時) =2012年11月30日、東京・千代田区大手町 そして2012年、開幕直後に体調不良でファーム落ち。検査の結果、黄色靭帯骨化症という難病とわかった。6月末に手術。成功して8月末にはキャッチボールを再開。カムバックを期待されたが、ついに一軍復帰を果たしないまま2014年オフに戦力外通告を受けて現役を引退した。 今回、週刊文春で報道された結婚詐欺疑惑の相手女性と知り合ったのは、2011年春のキャンプ時だという。皮肉にもそのころから越智のプロ野球選手人生は下り坂を迎える。その女性の証言によれば、背中に刺青もあった、違法な闇スロットにしばしば他の選手と通っていたと本人から聞かされていたという。野球少年たちの憧れ、小中学校時代から他の遊びに目もくれず、野球一筋に猛練習を重ねたものだけが到達できると信じられているプロ野球の世界。ところが、そこに到達し活躍を重ねる選手たちは、勝利の喜びや野球を極める感動では飽き足らず、キャバクラに通い、刺青に心を惹かれ、違法と知りつつギャンブルに向かう。一体、その心の隙の正体は何だろう? 野球以外の経験がなさすぎるゆえの人間的な奥行きの浅さ、幅の狭さ? 幼いころから活躍し、ただ勝ってチヤホヤされることに快感を覚え、本当の野球の喜びを味わっていないのではないだろうか。プロ野球選手には、自分がお金を稼いで好きなことをするだけでばない、もっと大切な社会的な使命があることを我々メディアも含め、もっと真剣に共有することが急務だ。そうでなければ、本当に、自分の子どもには野球をやらせたくないと直感的に思う親がいっそう増えるに違いない。

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    「大甘昇進」稀勢の里は横綱の重圧に耐えられるか

    小林信也(作家、スポーツライター) 稀勢の里が横綱に昇進。日本出身力士の横綱昇進は若乃花以来19年ぶりとあって、世間はお祭りムードに沸いている。27日の明治神宮奉納土俵入りには、貴乃花昇進時の2万人に次ぐ、史上2番目に多い1万8千人の見物客が集まった。土俵入りは午後3時からというのに、早朝6時40分の神社開門前から行列ができ、お昼過ぎには入場制限がなされたという。ここ数日、東京も朝方は氷点下を記録。この日も1度まで冷え込んだ中でこれだけの行列を作らせるのだから、稀勢の里の人気と期待の高さが窺える。明治神宮で奉納土俵入りをする新横綱・稀勢の里 =1月27日、東京都渋谷区 私が稀勢の里の存在を知ったのは13年くらい前、まだ幕下のころだ。角界の次代を担う期待の力士を探す取材の中で、真っ先に名前が挙がったのが、稀勢の里になる前の萩原と、琴欧洲だった。二人の時代がきっと来ると、多くの相撲関係者が口をそろえた。北の湖理事長(当時)が、期待の若手を問われて、まだ幕下だった17歳の萩原を話題にしたのもその前後だった。堂々とした身体、正攻法の相撲ぶりにも好感を抱き、私自身、萩原そして稀勢の里に注目し続けてきた。だから、横綱昇進にはひとしきりの感慨がある。 当時の評価や期待感からすれば、20代前半で横綱になる勢いだった。しかし現実は厳しい。思いのほか、年月がかかった。いや、昨年の後半から終盤にかけては、稀勢の里が横綱になるのはもう無理かと、観念したファンも多かっただろう。肝心な一番に勝てない。綱取りがかかる場所、優勝のかかる一番になると途端に稀勢の里はもろさを見せ、悲しいくらい硬くなって普段の力を出せない。ついにその弱さを克服できない稀勢の里に、ファンも観念し、綱取りは諦めて「最強の大関」という生き方に思いを転換するような雰囲気があった。それだけに、その稀勢の里の元に横綱昇進を伝える使者が来る展開になろうとは、感慨無量とも言えるし、同時にやはり戸惑いと違和感も拭いきれない。 突然降って湧いたように、稀勢の里の「横綱昇進」がマスコミで話題になったのは、昨年11月の九州場所が千秋楽を迎えるころだ。端は八角理事長の発言だった。単独年間最多勝、5場所続けての二桁勝利、これは充分に綱取りの資格に相当するというのだ。 九州場所では、白鵬、日馬富士、優勝した鶴竜の三横綱すべてを破った。稀勢の里の強さは疑いがない。誰もが認めるところだ。だが、従来の横綱昇進の基準は残念ながら満たしていない。そこで理事長自らが、相撲界全体の利益と発展を考慮し、苦慮した末なのだろう、これまでにない基準を示して、横綱・稀勢の里実現の近道を作った……。 長い歴史の中で吟味され了解され、誰もが認める成績を基準にして、横綱の地位は確立されてきた。今回その基準を超越した(逸脱した)ことは、ごまかしようがない。横綱の地位は侵してはならない聖域 横綱の資格とはなんだろう? 横綱の偉大さとはなんだろう? 「二場所連続優勝かそれに準ずる成績」という制度上の基準には、私はそれほどこだわらない。だが、強者の中の強者、言葉を変えれば「相撲道を極めた者」という意味での横綱の地位は侵してはならない聖域ではないかと、幼いころからの相撲ファンとして感じる。相撲を極めた者は、大勝負には負けないだろう。厳しい場面に立って、常人が驚嘆するほど普段以上の神々しさを見せ、圧倒的な強さを見せる。それこそが横綱であり、知る限りほとんどすべての歴代横綱が昇進時にはそうした輝きを見せて来た。出来上がった綱を締めてもらう新横綱稀勢の里 =1月26日、東京都江戸川区の田子ノ浦部屋 果たして、稀勢の里はそれだけの驚嘆と感銘を与える相撲を見せただろうか。強さは間違いない。だが、理事長や相撲協会の特段の配慮を受けた過保護とも言える状況下で、危ない橋を辛うじて渡りきっての昇進は、異例といっていいだろう。そのことが、今後の稀勢の里に、そして相撲界にどのような未来をもたらすのだろう。 相撲は本来、心技体を極め磨く修行と一体のはずだ。相撲に精進し、相撲が強くなれば自ずと心も強くなる。なのに稀勢の里はプレッシャーに弱い。それは相撲が本質を失ったからだと指摘されても仕方がない。もちろん相撲の変質は稀勢の里のせいではない。むしろ稀勢の里はその悪影響を被っている一人かもしれない。 筋力トレーニングを積極的に取り入れてから、相撲界の「本質の喪失」に拍車がかかった。かつて相撲界は筋トレを必要としなかった。股割り、四股鉄砲、摺り足、ぶつかり稽古といった伝統的な稽古の中に、相撲の全ては凝縮されている。筋力に頼ると「頭」が働く。頭で考えたら不安が生じる。それがプレッシャーに弱い人間を作る。そのカラクリは、武術を稽古した者はよく知っている。スポーツ界は欧米の影響や価値観に影響されているから、そのような身体論を受け入れない傾向が強い。 四股鉄砲に代表される理屈抜きの体系を継承する相撲は独自の伝統文化を有する誇り高き道だ。ところが、相撲がスポーツの影響下に成り下がり、誇りと真価を失っている。勝負に弱い横綱・稀勢の里はその象徴的な存在とも言えるだろう。相撲が強くなっても心が強くならない。相撲だけでなく、日本のスポーツが直面する深刻な課題だ。 果たして、そこを認識し、相撲本来の稽古の復活を徹底しようと燃えている親方衆がどれほどいるだろう。強いモンゴル勢を擁すれば部屋が活気付く、そこに依存してきた相撲界の現実。四股鉄砲の本質に誇りを持てず、筋トレで目先の強さを追ってきた世代が親方になった相撲界。 いまはほとんどの部屋にウエイトトレーニングの器具やマシンが用意されているという。それがないと「遅れている」と思われる。スポーツ的な安易な手法を毅然とはねのける信念を持つ親方が少ない。 近道を用意された横綱・稀勢の里が、横綱の地位を得て、変わるだろうか。ファンとしては変わって欲しいが、そう甘いものではないだろう。 横綱は負けることが許されない地位。これからの、絶対負けられない一番一番、そして、今後も展開されるであろう優勝のかかる終盤の戦いでどのような相撲っぷりを見せてくれるのか。揺るぎない心の強さを見せてくれるのか。 初場所前には、徹底して基本稽古に取り組んだという。そこには未来がある。改めて相撲の本質と向き合い、相撲本来の真価を体感し体現することが、19年ぶりに横綱になった日本出身力士・稀勢の里に託された責務と期待ではないだろうか。

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    中村俊輔に見る「もがき続ける」カッコよさ

    小林信也(スポーツライター) Jリーグを代表するミッドフィルダー・中村俊輔選手のジュビロ磐田移籍が1月8日、正式に発表された。国内では横浜Fマリノスひとすじだった中村俊輔の移籍は、マリノスのサポーターはもとより、サッカー界全体に動揺をもたらした。 今年39歳になる中村俊輔の決断。当初から10年の期限が示されていたとはいえ、みなとみらいにあったマリノスタウンが撤退。2014年にグローバルパートナーシップを締結したシティ・フットボール・グループの意向がチーム運営に強く反映し、中村俊輔が信頼を寄せるフロント首脳も次々とチームを去る背景もあっての決断だ。ジュビロ磐田の新体制発表記者会見でポーズをとる 中村(右端)、 名波監督(同2人目)ら=1月13日、静岡 県磐田市のヤマハスタジアム 一方、ジュビロ磐田は、昨シーズン第1ステージで司令塔を務めた小林祐希を8月、オランダ一部リーグのエールディヴィジ・SCヘーレンフェーンに送り出した後、苦しい戦いが続いた。名波監督が新しいシーズンを戦う司令塔に、かつて日本代表で共にプレーした中村俊輔に白羽の矢を立てた。中村俊輔もまた、名波監督のオファーに応えて「マリノスひとすじ」を破り、新たな挑戦を決めた。 サッカーのサポーターは野球との比較など望んでいないだろうが、長く野球に慣れ親しんでいる立場からすると、このニュースは多くの意味で野球界とは違う、新しい日本スポーツの潮流を感じさせる出来事でもある。 野球に比べて、プロサッカー選手は自由だ。自分がプレーするチームは実力さえあれば自分で選べる。もちろん、チームからのオファーがあってこそだし、契約期間内は自由に移籍はできないが、契約期間が最長5年と短い。野球の場合は長く契約に縛られてサッカーほど選手に選択の自由はない。フリーエージェントの権利を得てようやく選択権が得られる。そもそも、Jリーグには入団に際してドラフト会議がない。 名波監督がチームの戦力より小林祐希の将来を優先して、シーズン途中でオランダに送り出すというのも、野球界ではあまりない発想だ。取材を通じて、野球界とサッカー界のこの辺の感覚の違いも以前から強く感じている。 あるジュニアチームの指導者は「うちの選手がもし格上のJリーグ傘下のジュニアチームに誘われたら喜んで送り出します。サッカー界には、日本のサッカー界全体で才能を伸ばそうという気風があります。どうしても自分のところで、という意識より、その選手にとって最良の環境でプレーすべきだと、心ある指導者なら当然思っているはずです」このような言葉を、野球関係者から聞いたことはあまりない。自分のチームをいかに強くするか、野球界にはそちらの思考が強く根ざしている。カズもゴン中山も50歳で現役 中村俊輔ほど大きなニュースになっていないが、元日本代表の岩政大樹選手が、J2のファビアーノ岡山から東京ユナイテッドに移籍するというニュースもあった。東京ユナイテッドは、関東社会人リーグ1部所属のチーム。日本サッカーの頂点であるJ1から数えて5番目のリーグを岩政大樹は選んだ。いわば、2部から5部へ。 「多くの方から『なぜ?』と聞かれました」と、岩政自身が、『BEST TIMES』というネットマガジンの「岩政大樹の現役目線」というコラムでも詳しく心情を綴っている。日本のスポーツ選手が書いた文章でこれだけ深く厚く心のひだを表現したものも少ないと感じた。興味があればぜひご一読をお勧めする。その中で岩政は、こう書いている。 「『自分』が輝くことを1番に置いた上で次に『チーム』がくる。そういう世界だと理解しています。しかし、僕は順番を逆さにしていました。1番に『チーム』や『チームメイト』を置き、次に『自分』にしていました」 「J1でプレーできなくなったらJ2、J2でできなくなったらJ3やタイリーグ、それでもダメなら引退。そうした選択をしていくと、いつも『自分』のことに目が行きがちになります。(中略) しかし、『チーム』や『チームメイト』に基準を置いていると、違うものが見えてきます」 こうした発想や姿勢は、岩政選手自身が自分の中で育て目覚めてきたものに違いない。だが、そうした発想に導く空気や土壌がサッカー界にはあるのではないか。試合前に談笑する沼津・FW中山雅史(左)と 横浜FC・FW三浦知良 =2016年4月24日、横浜市 開幕日に50歳を迎える三浦知良選手が今年も横浜FCと契約、現役続行が発表された。引退を撤回して現役復帰したゴンこと中山雅史も秋には50歳、今季J3初参戦の沼津で現役を続ける。こうした選手のスピリットは、広告代理店が絵を描いたとばかり思っていたJリーグ構想に、机上の計画を超えた熱と魂を加えた。サッカーを愛する指導者と選手たち自身が魂を注ぎ、書き加えた歴史の積み重ねこそが、人を育て、サッカー界を育てるのだと教えられる。中村俊輔があえて愛着のあるマリノスに決別して表現しようとする思いもそこに通じるのではないだろうか。