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    ユーチューバーがつまらなくなった

    子供が憧れる職業の一つに「ユーチューバー」がランキング入りしたのは少し前のことだが、再生回数を意識する余り、過激さを売りにする動画も珍しくはなくなった。今や炎上ユーチューバーが既存メディアの格好のネタになる時代である。たまには夢を壊しかねない現実も語ってみよう。(写真は共同)

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    「YouTuber」を日本人の価値観で考える方が変、そう思いません?

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。ニコニコ動画という動画配信サイトの立ち上げをやっていたりして、動画を作って暮らしていく人たちを増やしたという自負はあったりするのですが、新しい仕事ってなかなか理解されないですよね…。 ニコニコ動画で「歌い手」と呼ばれる歌のうまい素人たちが、動画を上げて人気が出た、というのが10年前ぐらいからあって、それが専業になった人もいたりします。 「そんなにうまくもない素人が歌で食っていくなんてけしからん」的なコメントを見かけることがありますが、昭和の時代から大して歌のうまくない人たちが歌手という名前でテレビに出たりしているのを目にしてきたので、歌のうまい人以外が歌で食っていくって当たり前のことだと思ったりします。 動画を作って暮らしている人たちの中でも「YouTuber(ユーチューバー)」と呼ばれる人たちが子供たちの憧れの職業になったりしているわけですが、自分が普段見ているメディアに出ている人たちに憧れるってのも、昔からあることなんですよね。 「銀幕のスター」という言葉がありますが、映画が人気のあるメディアだった頃は、映画に出ることがステータスでした。当時は格下のテレビに出るのを嫌がる人たちもいたわけです。 ちなみに、アメリカは映画に出る役者の方が、テレビに出る役者よりも格が上だったりしますが、日本はテレビの方が上になっていますよね。 ラジオDJに憧れる人がいたり、広告代理店のコピーライターに憧れる人がいたりと、新しい職業に憧れる人がいるのはいつの時代もそうですよね…と。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) んで、「将来子供にYouTuberになりたいと言われたらいやだ…」みたいな話を聞きますが、有名YouTuberに憧れる子供がいたら、やらせてみたらいいと思うんですよね。 動画の企画を考えて、カット割りを考えて撮影をして、編集にしても、テロップを入れて、効果音を入れて、動画の長さを考えたり、画質をきれいにするために動画エンコードの方法を考えたりってのを毎日やっている人たちが、有名YouTuberとして名をはせてる人たちだったりするわけです。 動画を1本作るぐらいだったら、頑張ればできますけど、毎日、これだけの作業をたんたんと続けることができるのって、ある種の才能だと思います。YouTuberに憧れる子供がいたら、ゴールデンウィークの間、毎日、動画を1個ずつ作るのに挑戦させてみたらいかがでしょうか? また、YouTuberに憧れる社会人も多いわけですが、動画の企画を考える中で、他の人がやってないこととなると、ほかの人がやらなかった理由のあることがほとんどなんですよね。大抵の企画は既に誰かがやっている世の中だったりします。 ってことで、他の人がやらなかったことで過激なことを、目立つためにやり出す人たちが現れてきました。これは日本に限らず世界的な潮流ですけどね…。日本の倫理観じゃムリ アメリカだと、「お腹に電話帳を入れて、銃で撃ってみた」という動画を撮影しようとして、夫のお腹に向けて銃を撃ったら、電話帳を貫通して、夫を殺しちゃって、刑務所に入った妻もいたりします。アメリカの有名YouTuberが富士の樹海で自殺者を見つけてしまって、その遺体を撮影してYouTubeにアップロードしたことで、世界的なニュースになったこともありました。 さてさて、YouTubeはGoogleの子会社ですが、基本的には広告で売上を上げている会社だったりします。YouTubeは広告を売るために、クリエイターに動画を作ってアップロードしてもらっているわけです。なので、広告主が嫌がりそうな動画は要らないのです。 ただ、YouTubeに広告を出しているスポンサーは、膨大な数の動画の中で、実際にどういう動画に広告が出ているか、全部チェックすることができないわけです。 YouTubeの指針を信頼して「大丈夫だろう」と思って広告を出していたら、宗教的にやばい動画だったりとか、児童に悪影響を及ぼしそうな動画とかにも大手企業の広告が出ていることが分かったりしちゃいました。 そこで、2017年の終わりぐらいから、大手企業がYouTubeの広告から撤退を発表し始めたのですね。 それを受けて、YouTube側もよろしくない動画に広告が表示されないようにしたり、よろしくない動画が自動的に見えなくなったりするような仕組みとかを導入し始めたわけです。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) こんな流れでYouTubeの規制が厳しくなってきたのですが、社会とか法とかじゃなくて、単に広告主が広告を出したくなるようなサイトにするために変えたってだけなんですけど、世の中の識者と言われる人たちは「社会的意義」とか「モラル」とかなんだか分からん御託を並べて説明しようとしたりするんですよね。 そんなわけで、広告主が戻って来なければ、規制はもっと厳しくなるし、戻ってくるんだったら、ここらへんで規制強化は止まると思います。 テレビや他マスメディアは倫理チェックする機関があるけれど、YouTubeにはないみたいな話もありますが、世界中で見られる動画の倫理を誰が判断するんですかね? 日本では、アイドルと呼ばれる女子がお金をもらってお客さんと握手したりする仕事をしていますが、欧州やアメリカの州によっては児童労働とみなされる違法行為だったりします。 なので、日本の価値観で「海外の会社」の「海外のサービス」の倫理を問うこと自体がおかしなことだと思ったりしているオイラです。 そんなわけで「大金を使う系動画はどうなの?」とか、「若い子が肌を出しているのはどうなの?」とかは、「アメリカや欧州の大企業がその動画に広告出したいと思う?」って基準で考えると自ずと答えは出てくるんじゃないかと思います。■「2ちゃんねるのどこが社会悪?」ひろゆきが振り返る平成ネット史■2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」■「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味

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    「炎上ユーチューバー」を飼い慣らす仕組みがヤバかった

    久保田康介(弁護士YouTuber) 私は弁護士登録をする以前、司法試験対策の講師として活動していました。その際、自分のユーチューブ(YouTube)チャンネルでサンプル講義をアップロードしていました。そうした講義をアップロードする中で、「弁護士がユーチューブで日々のニュース等を法律的に解説する動画をアップロードすれば、需要があるのではないか」と常々考えておりました。 そして、とある事件をきっかけに弁護士登録をすることになり、同時に「弁護士ユーチューバー(YouTuber)」としての活動を開始しました。 ユーチューブの広告収入は、動画の広告が表示・再生されることにより発生する仕組みとなっています。現在では、チャンネル登録者数1000人およびチャンネル全体の動画再生4000時間という基準をクリアしないと収益化することができません。つまり。この基準を満たさなければ入ってくるお金はゼロなのです。 私がユーチューブから受け取る広告収入は、月によって変動がありますが、おおよそ全国の新卒社員の平均額程度です。「弁護士ユーチューバー」として活動を始めた頃は、弁護士会費用(月額5万円ほど)を捻出できれば十分だと考えていたので、それを思うと結構な額をいただいている印象を受けます。 広告収入が多い日は(≒動画がたくさん再生された日は)、一日で10万円を超える収益が発生することもあります。その日が突然やってくることもあるわけですから、これはユーチューブドリームと言っても過言ではないでしょう。 ユーチューブにおいて、より多くの広告収入を得るためには、動画の再生回数を増やし、その動画内の広告の表示・再生回数を増やす必要があります。そうすると、注目を集めるために過激な動画を制作するユーチューバーが現れます。そうした過激な動画が、法律に違反していたり、モラル的に許容し難いものであれば、ユーチューブのコメント欄や他のSNS(会員制交流サイト)投稿などで多くの批判・批評を集めることになります。いわゆる「炎上」ですね。 例えば、「白い粉ドッキリ」という刑事裁判になっているケースがあります。これは、ユーチューバーが警察官の前でわざと白い粉を落として、慌てた様子でそれを拾い、全力で逃走することで、違法薬物だと考えた警察官がユーチューバーを追いかけるのですが、その様子をユーチューバーの関係者が撮影したという映像を動画としてアップロードしたものです。 この動画は、アップロードされた当日に約100万回ほど再生されたはずですが、上記ユーチューバーは逮捕され、上述のように現在は刑事裁判中です。 他方で、意図せずに炎上してしまうケースもあります。例えば、とある有名ユーチューバーが軽犯罪法に違反することを知らずに違反行為をしてしまったケースがあります。このケースでは、そのユーチューバーは数カ月間活動を自粛するに至りました。 炎上すると、コメント欄やSNS投稿を通じてさまざまな意見が飛び交います。中には、意見と誹謗(ひぼう)中傷を織り交ぜたようなコメントや、誹謗中傷するだけのコメントも大量に投稿されます。ユーチューバーが驚愕した事件 炎上中に動画投稿活動を行うと、さらに炎上が拡大することもあることから、炎上中のユーチューバーは謝罪動画をアップロードしたり、活動を休止することが多いです。 炎上をきっかけに、実被害をもたらすケースもあります。過去には、氏名・住所等の個人情報が特定・拡散されたり、過去のプライベートな内容を掘り起こされたり、勝手にユーチューバーの住所を宛先に着払いで物を注文されたりといった例があります。ひどい場合には、炎上したユーチューバーの実家を特定し、物を壊すなどといったケースもあったようです。 過激な動画には一定の需要があり、そうした動画を望む声もないわけではありません。現に、私は過激な動画について法律的な見解を示す動画を制作することがありますが、その動画に「ユーチューブがテレビみたいになってつまらなくなるからやめろ」といったコメントがつけられることがあります。 しかしながら、ユーチューブは規制強化に踏み切りました。近時のコミュニティーガイドラインの変更では、例えば、危険なチャレンジ・いたずらを内容とする動画が禁止されました。禁止の内容に興味をお持ちの方は以下のページをご覧ください。よくある質問:危険なチャレンジやいたずらに対するガイドライン変更に関して ユーチューバーのみならずユーチューブ自体も広告で収益を上げていることから、広告主の意向に背くことはできません。では、広告主が自らの広告を過激な動画につけてほしいかと言われれば、答えは「No」でしょう。結局、ユーチューブもテレビと同様に規制強化へと舵(かじ)をとらざるを得ないことは既定路線だったと言っても過言ではありません。YouTube本社=カリフォルニア州サンブルーノ(GettyImages) 数カ月前に、ユーチューブのコミュニティーガイドライン違反を理由として、とある有名ユーチューバーのユーチューブアカウントが削除されるという事件がありました。その事件は多くのユーチューバーを驚愕(きょうがく)させました。 その事件を受けてなのか、それとも規制強化を受けてなのかは分かりませんが、ユーチューブ全体の傾向として、現在は以前よりも過激な動画が減少しているとの印象を受けます。今後も、健全化とのお題目の下で規制強化が図られることは避けられないと思いますので、私もいちユーチューバーとして、たびたびコミュニティーガイドラインを確認することで自らを省みる必要があると感じています。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか■ テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

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    刺激とカネ「なりたい職業」ユーチューバーのジレンマ

    唐澤貴洋(弁護士) ソニー生命が2017年に発表した「中高生が思い描く将来についての意識調査」の「中高生が将来なりたい職業」に、「動画投稿者」が男女ともにトップ10入りした。アンケートが示すように、YouTuber(ユーチューバー)や、ライブ配信アプリを利用する「17ライバー」といった動画配信を職業や生活の支えとする人々は、ここ数年で目立って多くなっている。 そのためには動画への広告設置が必要だが、YouTube(ユーチューブ)では、配信者が「パートナープログラム」に参加して、動画再生回数など一定条件をクリアしなければならない。その広告動画の再生を通じて、初めて広告収入を得られるようになる。 日本では、チャンネル登録者数が100万人を超えるユーチューバーが100を超えた。つまり、延べ1億人を超えるユーザーに対して、「トップユーチューバー」の影響力が及んでいるといえる。 そのようなユーチューバーは影響力の大きさから「インフルエンサー」とも評されている。場合によっては、テレビを通して影響力を持っていた「芸能人」よりも、若年層からの認知度が高く、多大な影響力を与える者が出てきている。 動画機材や企画構成、出演者、編集を自前で用意するという条件さえクリアできれば、ユーチューバーになれる可能性がある。ユーチューバーになっても、金を稼ぐには配信動画の質への是非や評価が求められるとはいえ、「芸能人」のようにどうすればなれるのかもわからない不透明な存在よりも、「なりたい職業」として認識されることも理解できないことではない。 しかし、ユーチューバーの中には、再生数の増加に応じた広告収入の増加を求めて、違法や有害な動画を掲載する者が後を絶たない。名誉毀損(きそん)行為やプライバシー侵害行為、人々の不安をあおる陰謀論、卑猥(ひわい)な表現、事実に基づかないフェイクニュース、暴力表現と、内容を挙げればきりがない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 果ては、動画の内容とユーチューブ上で表示されるサムネイル(縮小画像)の内容が異なるにもかかわらず、サムネイルで過激・過剰な表現を用いて視聴者を引き付けようとする、いわゆる「サムネイル詐欺」まである。地上波に肉薄「ネット広告費」 また、既に多数の登録者数を獲得しているユーチューバーが、その影響力を利用して、マッチングサイトの広告、怪しげな金融商品や情報商材の広告、投資の勧誘広告を行っている事実も見受けられる。「ユーチューブでは何をやっても再生数さえ稼げればいい」という誤った風潮がまん延し、違法・有害なコンテンツがユーチューブ上で氾濫してしまったという現実が存在する。 このような状況を生んだ要因の一つに、ユーチューブがテレビやラジオと異なり、放送基準の適用がないことが挙げられる。上記の動画は、既存のテレビやラジオでは到底放送することのできない内容である。事実、違法・有害動画の撮影中の行為で、刑事事件として立件された事例もあった。 ユーチューブの運営側もこの手の批判を知ってか知らずか、最近は違法・有害動画対策として、コミュニティーガイドラインの厳格化を図っているようだ。実際、違法・有害動画を投稿して、アカウントを停止されたユーチューバーもいる。 しかし、現在のユーチューブを見てみると、上記のような違法・有害コンテンツがいまだ多数存在しているのが現状である。たとえコミュニティーガイドラインが厳格化されても、ガイドライン通りに厳格運用される体制を整えていなければ、厳格化の意味がない。 このごろ、テレビの視聴率低下とネット動画配信の隆盛に伴って「テレビがつまらない」という意見をよく目にする。テレビは、これまでのさまざまな経験をもとに培われてきた放送ルールに従い、多くの人に害なく見られるコンテンツを作ってきた。 それゆえ、視聴者にとっては、表現としての刺激が物足りなく感じることもある。特に、違法・有害なコンテンツをネットで簡単に見ることができる現状の下では、テレビとの比較で、その物足りなさが際立ってしまっているところから生まれてきた表現であろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) その影響は広告費にも表れている。電通が発表した「2018年日本の広告費」によれば、地上波テレビの広告費が1兆7848億円で前年を下回った。一方で、インターネット広告費は1兆7589億円で5年連続の2桁成長を続け、地上波テレビの広告費に肉薄している。 つまり、ネットでのコンテンツ配信が利益になるというのは、もう否定できない事実である。この事実を前提として、コンテンツ配信者にどのように適切な配信に対する基準や倫理を持ってもらうかが、今後さらに問われている。「流行り廃り」じゃない だが、個人・法人を含めコンテンツ配信者を統括するような団体は見られない。このような現状では、コンテンツ配信のウェブ・プラットホーム(基盤)を運営する事業者(プラットフォーマー)による「自主基準」を頼りにせざるをえない。 しかし、プラットフォーマーにとっては、自主基準を厳しくした上で、その基準通りの運用を行えば、凡庸なコンテンツが増え、視聴者数や再生回数を稼ぐことができず、広告媒体としての価値の低下につながってしまう。自主基準の厳格化と企業収益の「緊張関係」をどう調節するかが、プラットフォーマーの「永遠の課題」となっていくのだろう。 ネット配信の収益化で忘れていけないのが、広告主や広告代理店の存在だ。昨年問題となった、差別的言動を掲載したまとめサイトや、海賊版サイト「漫画村」に対しても、広告掲載を行ったのはあくまで広告代理店である。 だが、このようなサイトで広告を掲載されることは、広告主からすれば本位ではないだろう。それでも、広告配信可能な媒体を抱えるアドネットワークサービスを利用して出稿している広告主において、自社広告がどこに掲載されているかを全て把握している企業がどれほどいるのか。 アドネットワークは、広告配信可能な媒体を多く抱えることで、より多くのインターネット利用者にリーチすることが可能となり、広告主から報酬を受け取ることができる。プラットフォーマーと同じジレンマを抱えるアドネットワークに自主規制を求めることには、おのずと限界がある。 だからこそ、広告主としては、自社のコンプライアンス(法令順守)に従った広告出稿先の選定、チェックを行うことが求められていく。違法なコンテンツに収益を提供し、権利侵害を拡大させるようなことは、当然企業倫理からして許されるものではないからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ユーチューバーを取り巻く問題は単に「流行り廃り」の話題ではない。根底には、コンテンツ配信の適正化と広告の問題が存在しており、今後も注視していかなければならない問題なのである。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか■ テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

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    人気YouTuberの「振り返りブスババ抜きゲーム」が炎上

    網尾歩(コラムニスト) 街を歩く女性の肩を後ろから叩き、ブスだったら「ババ」。「俺らももうちょっとね、女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」「ということでね、振り返りブスババ抜きゲーム!!」 こんなやり取りから始まる動画に批判が集まっている。この動画は、「へきトラハウス」という男性3人組の人気Youtuberが配信したもの。 「第2回振り返りブスババ抜きゲーム!!!」と題し、街なかで後ろから女性の肩を叩き、振り返って「美人」か「ブス」かを競うゲームをしている。振り返って「美人」だと判定された女性をメインに編集されているが、中には振り返った瞬間に顔にモザイクがかけられる女性や、「ただいまブスにつき、映像が乱れております。」という画像が挿入されるシーンもある。 メンバーが「出しちゃいけないレベルのブス」「あれはドボン」と発言したり、「ブス」と判定された女性の顔マネをしたりするシーンもあった。また、動画の冒頭では、肩を叩いた女性に無視され、「ブスのくせに振り向かねえ」「(本当はかわいかったけど相手にされなかったんでしょと指摘され)かわいい子は(俺を)相手にしねえんだ、お高くとまってんな!」などと発言していた。 動画は、19日午後の時点で33万回以上視聴されているが、「高く評価」している人が6169人なのに対し、「低く評価」している人は5896人。人気Youtuberの動画としては、低評価に晒されている。1552件のコメントがついているが、批判的なコメントが多い。共感を集めているのは下記のようなコメントだ。※写真とイメージは関係ありません(ゲッティイメージズ) 「これは本当に酷い企画。女性に対するルッキズムを助長する動画だよ。面と向かってブスだと言わなきゃそれでいいと思ってんだろうけど、後ろから肩叩かれて『あー…大丈夫です』って言われるだけでどういうことかすぐに理解できる。ただ道を歩いているだけでカメラ回しながら美人かブスか勝手に見た目ジャッジされるのって、通り魔に遭うような気持ちだろうよ」メンバーの開き直り 通常、こういった企画が炎上すると謝罪が行われるものだが、「へきトラハウス」は批判に対して、「討論している平和ボケしたブスは今すぐブラウザバックして『オオカミくんには騙されない』でも観てブスという現実から出来るだけ長い時間目を背けていてください。」というコメントを動画下につけている。※「オオカミくんには騙されない」は、インターネットテレビの人気番組。 本人たちも顰蹙を買うことを前提にこういった動画を制作しているのだろうから、ツッコんだ方が負けなのかもしれないが、負けと言われても不快なものは不快である。上にあげたコメントが倫理的な問題点については触れているが、付け足すのであれば、後ろからいきなり肩を叩く行為について。 たまに、街なかのナンパについていった女性が性被害や窃盗被害に遭うニュースが報じられる。「ナンパについていく方も悪い」と言う人もいるが、強引なナンパは実際にあるし、ナンパを無視して舌打ちをされたり、「ブス!」と怒鳴られたりした経験のある女性もいる。いきなり声をかけてきた相手に「穏便にお引取りいただくスキル」が女性にだけ求められている現実もある中で、本人に直接言ってないとはいえ、声かけを無視した女性に対して「ブス」「お高くとまってる」と毒づくのは、弱い者いじめにしか見えない。 また、この動画はそもそも、次のような掛け合いで始まる。欠席しているメンバーがデートだという説明→なぜアイツに彼女がいて俺らにいないんだと思う?→意識が低いからじゃない?→違います。女を見る目がないからです。→(彼女のいるメンバーは)自分とフィットする相手を選ぶのがうまい。 ここで、冒頭のセリフにつながる。「俺らももうちょっとね、女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」「ということでね、振り返りブスババ抜きゲーム!!」 いや、ちょっと待て。むしろ保守的な企画 彼女のいるメンバーは「自分とフィットする相手を選ぶのがうまい」という話から、「女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」につながるのはわかる。しかし、そこでなぜ「じゃあ自分とフィットする相手ってどんな子か?」や、「フィットする相手を見つけに行こう」とならず、「振り返りブスババ抜きゲーム!!」という見た目査定になるのか。 誰もが認める「美人」と付き合うことが自分にとっての「幸せ」だと考えているならば、幸せの基準を他人に投げ売っている。もちろん、企画ありきで適当に前振りを考えただけなのだろうが、その雑さにとりあえずツッコんでおきたい。地上波ではできない「ブスいじり」できちゃう俺たちカッケーなのかもしれないが、旧来の価値観にのっとっているだけの、むしろ保守的な企画である。 彼らが配信している動画はほかにも、「奇抜な服装してる女全員ブス説」「マスクしてる女全員ブス説」「二重の女、一重の女友達を100%見下してる説」など女性に対してルッキズムを執拗に突きつけている。 また他には「隠れゲイを見つけるまで帰れま10!!!」「中卒のヤツ見つけるまで帰れません!!」など、セクシャルマイノリティや学歴をネタにした企画もあり、タイトルで炎上を狙っているかも知れないのだが、動画を見ると、女性に対して「出しちゃいけないレベルのブス」などと言っていたのに比べ、男性に対しては言動にまだ気遣いを感じる。 これらの動画では、セクシャルマイノリティの男性や「中卒」の人に実際に街なかで出会うのだが、彼らはそういった人たちに対しては優しく接している。少なくともあからさまにバカにする態度は取っていない。だからこそ、なぜ「ブス」認定した女性に対してだけ、あれほど失礼な態度を取れるのか不思議なのである。 2010年には、首都大学東京の学生が「ドブスを守る会」という映像作品を制作し、退学処分を受けている。これは街なかで女性に「ドブス写真集を作りたい」などと声をかけ、その反応を記録した映像だった。この学生たちの説明は「不道徳なものから生じるおかしみを表現したかった」だったという。※写真と本文は関係ありません(ゲッティイメージズ) 何が言いたいかと言うと、「振り返りブスババ抜きゲーム」は他にない発想では特になく、不謹慎ネタとしてありふれている。同じ不謹慎なら「振り返り極道ババ抜きゲーム」でもやってみてほしい。 ちなみに「へきトラハウス」は11月3日から始まる「明大祭(明治大学の学園祭)」に出演予定だそうだ。

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    はじめしゃちょー主演YouTubeドラマから見えた人気の理由

     YouTubeが始めた新サービスYouTube Premiumで、ドラマが配信されている。そのひとつが、人気YouTuber“はじめしゃちょー”が主演する『The Fake Show』だ。YouTuberと聞くと炎上狙いの過激な撮影をしているイメージが強いが、実際のYouTuberは、過激派と穏健派に分かれている。地上波テレビにもときどき登場するHIKAKINは穏健派のひとりで、はじめしゃちょーもそちらだ。人を不快にさせない、汚い言葉づかいをしない、好感度の塊のような穏健派YouTuber初主演ドラマについて、イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、実はラジオに近いYouTuber人気について考えた。* * * 2018年11月、日本で「YouTube Premium」のサービスがスタートした。月額1,180円を払えば、広告カット、ダウンロード、バックグラウンド再生とYouTubeの機能を拡張できる。ま、それはどうでも良くて。 職業柄、興味を惹かれたのが「YouTube Originals」。会員だけが観られるオリジナルコンテンツが用意されるとのこと。ラインナップを見ていると、あるドラマに僕の目が留まった。そのタイトル名は『The Fake Show』、説明文にはこう書いてある。「主演を務めるのは人気YouTuber“はじめしゃちょー”」“はじめしゃちょー”……って、えええあの! 最初、空目を疑ったもんね。もう、すごい時代になった。 数多いるYouTuber、そのなかで日本一のチャンネル登録者数を誇るのが“はじめしゃちょー”だ。高身長の優男、「〇〇やってみた」といった実験系動画で人気者に。長期間、ほぼ毎日新作動画を公開している。そのなかで新たな挑戦をしたいと思ったのか、どうか。本当の理由はわからないが、デビュー作が主演作。もう観るしかない! こうして“はじめしゃちょー”が「俳優をやってみた」、『The Fake Show』の鑑賞へと至った。 あらすじはコチラ。2017年8月、UUUMの上場セレモニーに参加した人気ユーチューバーのHIKAKIN(左)と鎌田和樹代表取締役CEO“はじめしゃちょー”が演じるのは、日本一のYouTuberショウ。書かずもがな、自分をモデルとした役柄だ。ある出来事をキッカケにショウは、自分のドッペルゲンガーを生み出してしまう。そのドッペルゲンガーが悪人だった。ショウのアカウントを乗っ取り、イタズラ動画を勝手に配信。炎上するショウ、カリスマYouTuberに未来はあるのか!? ジャンルでいえばサスペンス、想像以上にシリアスな作風だった。“はじめしゃちょー”が企画段階から関わったということもあり、ドラマのなかで「職業としてのYouTuberとは?」なんて葛藤も描かれる。はじめしゃちょーの演技力は? 動画のためなら他人を巻き込むことを厭わない。こう、思われがちなYouTuber。EP1で早速「YouTuberかなんだか知らないですけど、普通の人巻き込んで非常識だと思いますよ!」と注意されるショウ。当人が抱える苦悩が漏れている、そこから物語に引き込まれていく。 続いて、気になっている方も多いだろう“はじめしゃちょー”の演技力について。ショウ役は想像以上に良かった。しかし、考えてみれば当たり前。普段の動画と同じにように“はじめしゃちょー”を演じれば良いのだ。堂に入った演技は、助演を務める技巧派俳優陣に囲まれていても浮いてなかった。 逆にしんどかったのが、ドッペルゲンガー役。サスペンスドラマにおいて、視聴者はもう1人のショウに人外的な恐怖を求める。しかし、演技初挑戦の“はじめしゃちょー”には荷が重すぎる。狂気を一切感じられないドッペルゲンガーに仕上がっていた。怖さのレベルを例えてみれば、中学生の反抗期ぐらい。初主演で一人二役、配役からしてハード。しかし、最後までやりきった“はじめしゃちょー”はなんだかんだスゴい。 やりきる力と軽薄短小さ、YouTuberの魅力はココに集約される。彼らが公開する動画に前知識はいらない。エンターテインメントでも美術、文学、映画とは異なる文脈。敷居は極端に低く、誰しもが楽しめるウェルカム体勢。よって低年齢層のファンが増えるのも納得できる。 人気YouTuberは笑顔を振りまく。撮影場所が自宅といったことも多い。動画の隅々から垣間見える余裕と景気が良さそうな暮らしっぷり(芸能人のお宅訪問とかもう死語)。鬱屈とした世の中で人生を謳歌しているYouTuber。テレビのゴールデンタイムに子供も楽しめるバラエティ番組が減った昨今、小学生の羨望の眼差しが集って必然。 意外と鋭い目線を持つ子供、YouTuberが問われているのは人間性だ。面白い動画を作る以上にそれが1番大事。毎日観ても食傷しない顔、口調、そしてリアクションとオーラ、そして諸々。YouTuberと視聴者は1対1の関係、構造としてはテレビよりもラジオに近い。動画ゆえラジオ以上に情報量は多く、素顔を隠して配信を続けるのは難しい。先天的にタレント性を持った人以外、YouTuberで稼ぐのはムリだろう。『The Fake Show』もそういった意味では同じだった。ストーリーが兎に角難儀で、話が想像もしない方向へと進む。良い意味で予定調和がなく、悪く言えば突飛。ドラマというよりは“はじめしゃちょー”の魅力を詰めたプロモーションビデオに近い。鑑賞者の多くは“はじめしゃちょー”だから観るはず。そう考えると普段公開している動画と変わらない気もする。つまり、ドラマとしてはなんとも不完全燃焼な出来だったのである。●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週1度開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)。関連記事■今も色褪せない『マネーの虎』の教え 動画で人気なのも道理■ケンカ三昧の『あいのり』 ベッキーのコメントでは収拾不能■YouTuberになった山根明氏「テレビに踊らされるワシやない」■にゃんこスター・アンゴラ村長が「Vチューバー転身」か■過激ゆるキャラ・ちぃたん☆を直撃! クビにされた感想は?

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    辛酸なめ子氏、炎上大国日本を憂える「何を当たり前と思うか」

     テレビをつけても、ネットを見ても、はたまた電車の中やお店でも…何だか窮屈に感じたり、「そこまで必要!?」と思うような過剰サービスに遭遇したりすることが最近多いのではないだろうか。“和を以って貴しとなす”がわが国の美徳だったのに、見回せば不寛容や過干渉、過剰反応ばかり──。このイヤ〜な雰囲気、どう思いますか? 漫画家でコラムニストの辛酸なめ子さんは、かねてから炎上大国・日本の現状を憂いてきたSNSウオッチャーの1人だ。「最近は、女性芸能人のSNSが、取るに足らないことで炎上します。例えば“いちご狩りでコンデンスミルクをつけて食べたらたたかれた”“手作りの恵方巻が大きすぎて炎上した”など、些細なことを目の敵にしてたたくのは、芸能人の幸せぶりに格差を感じ、対する自分は幸せではないと嫉妬が増幅されて、彼女らを引きずり下ろしてやれと思う人が増えたため。 TwitterやYouTubeでは、不用意な投稿が多いのに対し、FacebookやInstagramはキラキラしたリア充を見せつけられるので、より悶々とする人が多いのでは」(辛酸さん・以下同) 最も攻撃的なのは書き込む人だが、周囲も黙ってそれを見ていてウサを晴らしており、ネットニュースのユーザー投稿欄にも、厳しい批判や正義感を振りかざした意見が並ぶようになったことに恐怖を感じるという。「実は先日、そんな日本と正反対のインドを旅してきました。インフラもルールもまったく整っていないインドの田舎は、土の道はデコボコ、トイレもすごく汚なくて、1000年前から変わらないような暮らしをしています。でも、不思議とすれ違う人々はピュアな笑顔ときれいな目をしていて、貧しくとも幸せそうでした。クラクションの音さえプワ〜と間の抜けた感じで、高速道路を車が逆走しても怒る人はいない。 それに比べて日本はすべてがきっちり整いすぎていて、少しの遅れやミスも許せない。つまり、何を当たり前と思うかで人の幸福度は変わり、寛容度も違ってきます」漫画家でコラムニストの辛酸なめ子氏 匿名性の高いSNSはイライラ・カリカリのはけ口になりがちなので、気をつけて発信しているそうだ。「私が書く時は、『元・海の王子のKKさんはマグロ漁船に乗ったり、皇居に住みついたたぬきに懐かれたりしたら信頼度がアップするのに…』などとできるだけお笑いやボケ、脱力の方向を心がけ、炎上エネルギーを鎮魂したいと思っています」関連記事■不寛容や過干渉に過剰反応、二宮金次郎像や寛一お宮像も…■ベビーカー、保育園で論争&炎上 日本人は不寛容なのか■三波春夫の「お客様は神様です」をはき違えるクレーマー■セルフレジに戸惑う高齢者が発したひと言でふと我に返った話■増える「不謹慎狩り」 炎上は0.1%のクレーマーによるもの

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    「スイッチが入った政治家」安倍晋三のリベンジ

    逢坂巌(駒沢大法学部准教授) 安倍晋三首相は、第1次政権では新聞やテレビにコテンパンに叩かれて降板したが、5年間の雌伏を経て、政権に復帰するとジャーナリズムを手玉に取って長期政権を実現した。その明暗は鮮烈だ。政治コミュニケーションの観点からは、メディア化した政治に再チャレンジして見事に対応した世界的にもまれなケースだと思われる。 1990年代に入り、「政治のメディア化(mediatization of politics)」という議論が欧州でも登場してきた。政治におけるメディア、特にテレビの影響力が高まってきたという話である。 20世紀後半において、政治の中心は組織や団体にあったが、それらの影響力が弱くなっていく中、人々はメディアを通じて政治的な情報を得るようになっていった。一方、メディアは政府の規制から自由になり、ジャーナリズムや商業主義など自分たちの論理(media logic)で報道するようになった。特に、基幹的なマスメディアに成長したテレビにおいては「絵になる」ことが重要になっていく。 それらの流れが20世紀末に出会うことで、政治におけるメディアの重要性が増し、テレビで政治家がいかに映し出されるかが重要になってきたという議論だ。 イタリアのベルルスコーニ元首相、フランスのサルコジ元大統領、英国のブレア元首相などが「政治のメディア化」に対応した政治家ということになろう。日本においても平成に入り、テレビの政治的な影響力が強くなってきた。 平成の日本政治は消費税導入とリクルート事件から始まり、政治改革が大きなテーマとなったが、そこにはテレビの強い政治的影響力が働いた。日本における「政治のメディア化」の始まりだ。 それに対して、海部俊樹元首相や細川護熙元首相、小泉純一郎元首相などが「政治のメディア化」という状況に対応した首相像を演じた。特に、小泉氏は55年体制的な組織や団体を忌避する世論が強まっていた中で、テレビ上の自身のイメージを巧みに演出して政権を維持した。そういう意味で、小泉氏は「テレビ政治家」の最たる存在であり、日本政治史上「政治のメディア化」に最も巧みに対応した首相であったといえる。2006年9月、両院議員総会で自民党新総裁に決まり、笑顔を見せる安倍晋三官房長官(右)と小泉純一郎首相(大井田裕撮影)  その小泉氏の後を次いで登場したのが安倍氏だ。だが周知のように、2006年からの第1次政権において、安倍氏は世論対策にもマスメディア対策にも失敗した。第1次政権「失敗の理由」 第1次安倍政権は、先代の小泉氏が「個人芸」で対応していた「政治のメディア化」の状況に、ホワイトハウス型のチームで挑もうとした。その象徴が補佐官制度であったが、この試みは内部に軋轢(あつれき)を生じ、結果的に失敗する。 また、政策面でも、安倍氏が重要だと位置付けたさまざまな政策を性急に行おうとしたことも、国民世論との乖離(かいり)を招いた。彼自身、第1次政権の失敗について以下のように振り返る。 「戦後レジームからの脱却」という大きなテーマを掲げ、幸い衆議院の多数がありましたから、やらなければいけないことを今のうちにどんどん進めようという気持ちが強かった。教育基本法の改正、憲法改正のための国民投票、公務員制度改革-。しかし、私がやりたいことと、国民がまずこれをやってくれということが、必ずしも一致していなかった。そのことがしっかり見えていなかった。私が一番反省しているのは、その点です。(中略)私としては、国民の関心の有無にかかわらず、今、自分がやるべきだと思うことをやるのが正しいんだと、そう考えていました。祖父の岸信介は安保改定の意義が十分に理解されていなかったとき、「俺の信念は正しい」と、国会を十重二十重にデモ隊に囲まれようとも貫き通した。私もそうあるべきだと思っていたんです。(中略)でも、大きな政策を実行するには国民の理解を高めていくことが重要ですが、それには時間がかかる。時間がかかることに取り組むためには、まず政権を安定させ、継続させなければならない。これが前回辞めて、初めてわかったことです。「阿川佐和子のこの人に会いたいスペシャル 安倍晋三首相VS.阿川佐和子」『週刊文春』2013年5月2日号 当時はテレビの政治報道も元気な時期だった。2005年の郵政選挙で小泉氏がテレビを利用したことの反作用だったか、テレビも政治をより気軽に扱う「政治のメディア化」が頂点に達していた。 テレビ番組では国会議員たちがちょんまげ姿で政局劇を演じ、芸人たちが議員たちを怒鳴り飛ばしていた。その中で、世論と違うことを行おうとした安倍氏は「KY(空気が読めない)」と揶揄(やゆ)されるようになった。 その後、安倍内閣は年金問題や国会議員のスキャンダル・失言の中で参院選に敗北し、敗北後はマスメディアによる「辞めろ辞めろ」の批判の中、体調を崩して退陣した。昭恵夫人は以下のように当時を振り返る。 2007年の参議院選挙の後からというのは、わたしたちにとって公邸での生活は地獄のような日々だったんです。毎日やらなくてはいけないことがある一方で、主人の体調がどんどん悪くなっていく。そういうなかで批判も多くなるし、外国訪問にも行かなくてはならない」「父のあとを継いで、とんとん拍子に総理にまでなってしまっていたので、持病があったとはいえ、あの辞任は初めての大きな挫折だったと思います。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」『新潮45』2013年9月号 ところが、5年間の雌伏を経て、安倍氏はカムバックする。マスメディアの政治部も含め、ジャーナリズムからはほぼノーマークからの総裁選の出馬と当選、そして首相就任であった。2006年9月、就任会見に臨む安倍晋三首相。右手奥には小池百合子氏など首相補佐官が並んだ(大西史朗撮影) カムバック当時、筆者がマスメディアの記者たちと話していると「また、安倍が出てきたけど、どうせ腹が痛くなってやめるんだろう」とか「オレたちがまた痛い目にあわせてやるぜ」といった雰囲気が強かった。政治学者の多くも安倍政権の「高転び」を予測していたと思う。しかし、その雰囲気はすぐに一変し、安倍氏は戦後最長はもとより、憲政史最長の在任期間を迎えようとしている。挫折を糧に「変わった」 かつて「政治のメディア化」への対応に失敗した安倍氏が、なぜ長期政権を実現できたのか。成功の要因には昭恵氏が指摘するように安倍氏自身が挫折を糧に「変わった」ことが大きい。 人間って、やはりドンと落ちたときに、何かが変わるのではないかと思うんです。主人について、そこで何が変わったか、と言われると、わたしも具体的に言うのは難しいのですが、主人の中で何かスイッチが入ったのは、確かだろうと思います。 前回の辞任以来、人事にしても動き方にしても、自分の中で『こうすればよかった』という思いがある。それを五年間考えてきたようです。(中略)特に野党時代は時間が比較的自由になって、座禅に行ったりランニングなどもしていました。いろんな人にいっぱい会いましたし、たくさん本も読んでいました。この五年間は大きかったようです。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」 それでは、どのように変わったのか。政治コミュニケーションの面で第2次政権以降の変わったところは大きく二つある。 第一は、経済政策の「前景化」だ。2012年の総選挙で政権に復帰した安倍氏は「経済再生」を第一のテーマに掲げた。具体的には、日本銀行の超低金利政策による「アベノミクス」で景気を演出し続ける。 経済という国民の関心の高いものに対して手を打って、株価や失業率の改善など目に見える「結果」を出して政権を安定させ、継続させる。第1次政権の反省がもたらした、再チャレンジ成功の最も基本的な要因である。 加えて、政治コミュニケーションに携わっている人物の構成も長期政権化の大きな要因となっている。第2次政権では、首相官邸の有様は第1次政権のホワイトハウス型から従来型に戻るが、そこに登用された政権のコミュニケーションを支えている人々は安倍氏との深い人間関係で結ばれ、かつ「メディア化した政治」の洗礼を受けた人々である。この間、苦い思いをたっぷり味わってきた。  麻生太郎副総理兼財務大臣は、首相時代に「解散やらないKY」「漢字読めないKY」などとテレビなどで揶揄されて支持率を大きく減らし、衆院選で敗北し民主党に政権を譲った経験を持つ。菅義偉(よしひで)官房長官も第1次安倍政権での総務相を経て、自民党の選挙対策総局長、選挙対策副委員長(福田内閣)、同委員長代理(麻生内閣)として、この間の「政治のメディア化」、特にマスメディアによる選挙時の「攻撃」を責任者としてつぶさに体験している。菅氏の総務相時代にもテレビ番組への行政指導が多数出された。2019年2月、参院本会議で立憲民主党の福山幹事長の質問を聞く(左から)菅官房長官、茂木経済再生相、麻生財務相、安倍首相 また、官邸で政権を支える官僚たちも、第1次政権では事務担当秘書官として広報を担当した今井尚哉(たかや)政務担当首相秘書官を筆頭に、第1次政権での挫折と屈辱を安倍氏とともに味わった者たちが中心である。その点では、現政権は第1次政権で、マスメディアと大衆に傷つけられたエリートたちの「リベンジ政権」だともいえよう。 もちろん、その他の外部環境的な条件も大きい。何と言っても、野党の力が弱く、自民党にも強いライバルがいない。そのため、さまざまな批判はされるものの、「よりどころ」が存在せず、政局には結びつきにくい。地獄から這い上がった「根性」 また、インターネット、中でも会員制交流サイト(SNS)の登場によるメディア環境の変化も、マスメディアの力を相対化している。加えて、マスメディアの政権に対する論調が分かれていることも、メディアの力を削いでいる。また、政権がメディアの報道によって5年で5人も変わるという「政治のメディア化」に対する倦(う)みも国民の間にあるのだろう。 とはいえ、2017年の解散総選挙前に巻き起こって消えた「小池旋風」に見られたように、メディアが政治に強い影響力を与える「政治のメディア化」の状況が終わったわけではない。 そもそも「政治のメディア化」は、団体や組織といったリアルな結びつきが弱体化した中で進行していったのである。事実、労働組合や農協といった55年体制下の中心的な団体の組合員数や自民党の党員数も本格的な回復は見られない。 その点で、ネットを含めてメディアが政治のイメージをどのように伝えるかは、依然重要なポイントである。安倍氏が民主党政権時代を批判し続けたり、「アベノミクス」「三本の矢」「まち・ひと・しごと創生」「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」とさまざまなキャッチフレーズを唱え続け、自らの仕事ぶりをアピールすることも必要性も理解できよう。 これらの言動に対しては「5年もたっているのに民主党を批判し続けるのはおかしい」とか「『やってる感』を演出しているだけ」との批判もある。しかし、メディアによって地獄を見た安倍氏にとっては馬耳東風の批判だろう。 むしろ、問題は、野党または自民党の中に「スイッチが入った」政治家がいないのかということだ。敗北を敗北として捉え、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、次に向けて勉強し、仲間を維持し、(再)チャレンジを試みる。そういう政治家は見つかるのだろうか。 正直、安倍政権の政策や政権運営にはおかしいと思うところも多々ある。しかし、第1次政権末期、テレビや新聞のマスメディアと2ちゃんねる(現5ちゃんねる)などのインターネットが一緒になって、批判や揶揄、嘲笑を行っていた。いわば「一億総軽蔑」ともいえる「地獄」の中で退陣を余儀なくされたところから、5年の充電を経て、一気に政治的頂点に復活した安倍氏の根性は正面から評価されるべきだと思う。2014年9月、「まち・ひと・しごと創生本部事務局」の看板を掲げる(左から)石破茂地方創生担当相、安倍晋三首相、菅義偉官房長官(代表撮影) しかも、政権復帰に伴い、かつての部下などがある意味、退路を断って脇を固め、自分たちの失敗経験を生かしながら長期政権に寄与する。このような人間関係の持ちようも、政権運営術や政治コミュニケーションの観点からは、きちんと評価されるべきだろう。 政治にせよ、政治コミュニケーションにせよ、「天下一人を以て興る」(中野正剛)にせよ、すべて一人でできるわけではない。「ポスト安倍」を準備している「スイッチが入った」者がいるのか、日本の政治コミュニケーションの課題である。

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    「少女漫画的なフレディ現象」SNSで爆発したクイーン映画の大衆性

    広く認知され、また大いにウケたということだ。 で、その根底に、SNSに象徴されるデジタル・インフラ=ネット社会の整備と普及・定着があるのも言うまでもない。 実際、今さらだが、スマホの普及と密着するこのインターネットの日常化は、音楽受容の(もというべきだろうが)スタイルにコペルニクス的転換をもたらしたといってもよい。 これは、たとえば今や世界中のほとんどすべての音楽を網羅した超巨大な、しかも無料のデータベースといえるユーチューブ一つを想起するだけで、だれしも一発了解だろう。そしてそんなデジタル機器やソフトの日常化によって、上記のような音楽情報をどこでもだれでも瞬時にして耳目にできるのである。 もっとも、こうしたいわば現代版口コミによる評判の拡散や拡大には、『ボヘミアン・ラプソディ』という映画作品自体やフレディ・マーキュリーなり、クイーンのコピー音楽の出来の良さが大前提となっている。 むろん私も、出来がよろしくないとも考えていない。ただ、私自身は、そもそもクイーンをビートルズやローリング・ストーンズのようなこれほどのメガヒットを当然とする正真正銘のS級アーティストと思ったことはただの一度もない。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox また以前、このフィルム同様の手法で造られたドアーズのジム・モリソンやレイ・チャールズの伝記映画と同様、さして興味がない。なぜなら、精巧なデジタル処理でいかにもホンモノらしくできている作品よりも実物そのものの音楽に耳を傾けていたいというわけで。 にもかかわらず、今般のビックリな現象というわけで、私にはそこに今ひとつデジタル社会における大衆音楽文化の成熟という現状があると思われてならない。 というか、より正確には、今やロック音楽そのものがあらゆるレベルで特別な文化でもなんでもない。それこそアイドルグループの嵐同様、クイーンも老若男女を問わず今や日常的に消費されうるポピュラー・カルチャーの一つと化しているということだ。■ 「嵐は永遠に未完成」ゆえに完璧なアイドルになった■ 「時代は変わる」ボブ・ディランの受賞は文学と音楽融合の象徴である■ ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ

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    バイトテロを「ただの馬鹿」と思うなかれ

    バイトテロ。最近、こんな言葉が巷をにぎわす。コンビニや飲食店のアルバイト店員らが勤務中に悪ふざけした不適切動画が相次いで投稿され、炎上が続いたためだ。「ただのバカ」「若気の至り」…。さまざまな声も聞こえてくるが、何が問題なのか。この現象の意味を考えたい。

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    「若気の至り」バイトテロを司法が裁くのは当然の報いである

    面した筆者としては、やむなく法的措置を講じざるを得ないこともあるので、ご留意いただきたい。■「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋■かまってちゃんをこじらせた「低能先生」のキケンな化学反応■「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている

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    動画のインパクトを感じた「変態セブンおやじ」一発アウト

    網尾歩(コラムニスト) 「変なおじさん」は実際には笑えない存在である。 日々流れてくるニュースの中には、「そんなことが起こるなんて信じられない」と思うものがある。国民的人気アイドルが未成年への強制わいせつ容疑で書類送検されたり、元アイドルがひき逃げと飲酒運転で逮捕されたりする事態がそれだ。今年の1月に、このような事件を予想できた人はほぼいないだろう。 そして、今回の事件も。 コンビニで買い物をしようとしたら、オーナーである中年の男性がズボンの中に手を入れてチャックから指を出して見せつけてくる。性器を意味する隠語を口にしたり、指で卑猥なサインを作ってこちらを見ている。あなたがここ最近のニュースをチェックしていなかった場合、これがつい先日、日本で実際に起こったばかりのことだと聞いて、素直に信じられるだろうか。 9月17日の夜、あるネットユーザーが「友人から送られてきた某コンビニ店のオーナーの動画が割とマジで狂ってる」というコメントともに動画をアップ。この動画に、女性客(おそらく2名)に対して、露骨に卑猥な言動を行うオーナーの男性の様子が映し出されていた。 動画には、会計を済ませた後も店外まで男性が追いかけてきたという説明がつけられており、オーナーがお釣りをきちんと払っていないと思われるやりとりも映っていた。 と、このように文字で説明してみても、動画を実際に見るインパクトには叶わない。男性が実際に口にした言葉は、ニュースや新聞記事では伏せ字にするしかない。「卑猥な言動」と書くことがせいぜいである。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) だからこそ、動画が証拠として残っていることに意味がある。 このニュースへの反応として、「動画を撮影する暇があるなら、さっさと逃げて通報すればいいのに」「動画を撮影する余裕があるならそんなに怖くなかったんじゃないか」といった反応が少しあるが、筆者はそうは思わない。動画なければ矮小化されていた? 動画がなかった場合、果たしてどれぐらいの人が「コンビニのオーナーがズボンの中に手を入れてチャックから指を出して見せつけてくる」という事態を信じただろうか。「見間違いなんじゃないの?」と言われたかも知れない。 信じたとしても、ああまで堂々とやる姿を想像できる人のほうが少ないのではないか。カウンターの下から、チラチラっとでしょ?ぐらいと受け取ってしまいそうだ。 性器の隠語にしても、被害者が「卑猥なことを何度も言っていた」と説明するよりも、動画のほうが何倍も雄弁だろう。 このコンビニは栃木県内のセブン-イレブンだった。今回の件が大きく広まったことを受け、セブンはオーナー本人からフランチャイズ解約の申し出を受けて21日付けで契約を終了したと報道されている。動画がなければ、これほどのスピードでの処分はなかっただろう。 その後の報道やツイッター上の情報では、このコンビニは以前から「変態セブン」と言われ、女性客や女性店員に対するオーナーの言動が問題視されていたようだ。オーナーから胸や尻をわざと触られたことがあるという、元アルバイトの女性のツイートも見られた。 こういった情報のとおり、本当にこれまでもセクハラが繰り返されてきたのであれば、それが見過ごされてきたのは確たる証拠がないことが大きな理由のひとつだったのではないか。 繰り返しになるが、あなたは入ったコンビニでオーナーの男性がチャックから指を見せつけてくることを想像できるだろうか。昭和のバラエティ番組に登場した「変なおじさん」を連想する人はいるかもしれない。しかし実際の「変なおじさん」は、笑いではなく恐怖を感じる存在なのだ。 動画の中で、女性たちは叫び声をあげている。笑い声も混じるが、その笑いは、戸惑いをなんとか打ち消そうとしている「笑い」に聞こえる。 彼女たちが戸惑いながらも動画を撮影してくれて良かったと思うのである。「変なおじさん」は多くの場合、男性たちの前ではその片鱗を見せないのだから。

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    インスタ、TikTok、LINE 「イタい大人」がはまるワナ

     トレンドを取り入れていると本人は思っているけれど、若者から見ると微妙にズレている。そんな“イタい大人”を彼らは見逃してはくれない。まずはSNS。今どきフェイスブックがメインなんておじさんだけ、インスタグラムくらいやっていないと若い子に馬鹿にされる……と思って始めたインスタも、若者は冷笑している。 「おじさんのインスタは基本的に食事を写したものばかり。しかも普通の角度で撮影していてちっとも美味しそうじゃないし、まったく面白みがない」(20代男性) 自撮り写真の角度にもおじさん感が出てしまうらしい。 「イタいくらい頻繁に自撮りをSNSにアップするおじさんは何? あとおじさんの自撮りって、下から見上げるように撮ってる場合が多い。『おじさんアングル』と呼んでいます」(20代女性) 今年、若者を中心にユーザー数が激増した動画作成・投稿アプリ「TikTok」に果敢に挑戦した人もいるだろう。しかし、というべきか、やはり、というべきか「上司が若い子の真似をしてTikTokで動画を載せると、途端に宴会の悪ノリ感が出る」といった辛辣な意見が相次いだ。 「おっさんが女子のように目をクリクリさせても、自己顕示欲にしか見えない。TikTokユーザーは“癒し”か“おもしろ”を求めているので、自己満が過ぎるものは嫌われますよ」(20代男性) さらには、「おじさんが増えてきたから、前ほどTikTokが楽しくなくなっちゃった。別に動画を投稿するのは自由だけど、若者の遊び場には入ってこないでほしいなー。空気読んで!」(10代女性) という身も蓋もない声も。最近は仕事のやりとりにも頻繁に使うLINEにだって危険が潜んでいる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「おじさんの使う顔文字って古いよね? 汗かいてる顔文字使いがち。でも友達同士のLINEって絵文字かスタンプだから、そもそも若い子はもう顔文字ほぼ使ってない」(20代女性) だからといって絵文字やスタンプならOKかというとまったくそうではないのが難しい。 「友達の間で『おじさんっぽいLINE』を再現する遊びが流行ってます(笑)。絵文字使いすぎで目がチカチカするのが特徴」(20代女性) 「スタンプの多用は年寄りくさい。スタンプを使うことが嬉しいのか、連発してくる。若者は基本的に文章を打つのが面倒だからスタンプを使うんだし、話を終わらせるときにも使うことが多いので、連発されると正直困る」(20代男性)●取材・構成/HEW関連記事■ オッサンが手を出すとヤケドするニューバランス、ノームコア■ インスタ映えを過剰に意識したある読者モデルの末路■ ウザい「インスタ蠅」から脱出した銀行員の物語■ インスタグラムの闇 借金や不倫、復讐や更新の義務化現象も■ 小学校卒業式の「袴スタイル」 親のインスタ映え競争が激化

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    「モンスター生徒」それでも守るべき?

    今年1月、東京都立高校で起きた生徒への体罰動画がネットで拡散し、物議を醸した。体罰は厳禁とはいえ、繰り返し挑発した生徒の問題行動も浮き彫りとなり、キレた教師への同情も広がったが、学校側は最後まで「教諭に非がある」と生徒をかばった。「モンスター生徒」はそれでも守られるべきなのか。

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    「Twitterで炎上させようぜ」この手の私的制裁を止める方法はある

    スの内容として、適正な広告出稿先かどうか精査することが求められていくと、私は考えている。■ 「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋■ 15歳の少女はなぜ命を絶ったのか ネット検索で救われなかった人■ DeNA「サイト炎上」MERY、iemoの原罪とカラクリ

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    教師の体罰をスマホ撮影する「告発動画」が相次ぐワケ

    渋井哲也(フリーライター) 今年1月、東京都立町田総合高校で生活指導を担当する50代の男性教諭が1年の男子生徒を殴り、その場面をスマートフォンで撮影した動画が会員制交流サイト(SNS)で拡散し、炎上騒動となった。当初、体罰部分を中心とした約20秒間がツイッターでもアップされ、テレビなどでも報道されたことで、大きな注目を集めた。 しかしその後、「ツイッターで炎上させようぜ」という音声の入った1分15秒ほどの動画もアップされ、事態は思わぬ方向へ動いた。そう、最初に炎上した動画は編集されたものだったのである。 動画の内容を丁寧に確認すると、確かに生徒が教諭に「うるせーんだよ、おらー」「これだけ言われても俺がキレないとでも思ってるのかよ」「お前の小さい脳みそで考えろ」「出て行けとか、何様だよ」などと挑発とも取れるような言葉を投げかけている。それに対して、教諭は「いい加減に外せって話だよ」などと答えている。 奥の方では、別の教職員と思われる男性が2人の様子を見ている。その男性がいなくなった後、挑発された教諭の右ストレートが生徒の顔に当たった。さらに、教諭は「てめぇ、このやろー」と生徒を引きずり、別の生徒たちもやってきて「先生、それはよくないっス」と止めようとするが、「やかましい」と聞き入れない…。 今回の問題では、後に流出した「未編集」動画を見たネットユーザーや一部の識者から、教諭に同情する声が上がった。しかし、学校は当初から「体罰をした教師が悪かった」と一貫して教諭の非を認めた。しかも、事件の30分後には、都教委に問題を報告していたのである。普段の指導内容によっては、学校側が教諭を擁護する可能性も考えられたが、いわば学校側は「暴力教師」として、この教諭を世間にさらす形を取ったわけである。 『週刊女性』に校長がコメントした内容によると、当該生徒が怒ったのは、自分がいないところで別の生徒に向かって生徒を中傷したからだったという。授業が始まったときに、生徒がそのことを持ち出して詰め寄り、廊下であのような事態が起きた。校長は「カッとなって体罰に及んだ。原因を作り、結果を含めて、やはり先生が悪い」と答え、生徒に非がなかったという認識をここでも示した。 ただ、筆者は別の面を指摘したい。それは、今の学校生活の中で教師が常に「衆人環視」の下に置かれている、ということだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 文部科学省は2009年、都道府県教育委員会に対して、携帯電話は学校の教育活動に直接必要がないとして、小・中学生に対して学校への持ち込みを原則禁止した。また、高校生にも授業中の使用を禁止したり、学校内での使用を一律に禁止するなど、実情に合わせて携帯電話の使用を制限すべき、と通知している。 しかし、現実には、学校への持ち込みを認める学校が増えている。相次ぐ動画「告発」 情報端末専門の調査会社、MMD研究所が18年4月に実施した「中高生の学校のIT利用状況調査」によると、学校へのスマホ持ち込み許可は条件付きを含め、中学生は21・6%で、高校生は84・3%に達した。許可されていると回答した中高生のうち、持ち込みで決められているルールとして、中学生で最も多いのは「学校や先生に携帯所持の許可申請をする」で49・6%と約半数に上っている。ただし、高校生は約15%弱で、本人の自由意思に任されている言えよう。 一方、高校生の持ち込みルールでは「授業中は電源を切ってカバンやロッカーにしまう」がトップで69・2%。約4割(37・4%)の中学生を含め、基本的には生徒が自主的に保管することが前提となっている。「登下校のみ使用可能」という中学生は40・0%、高校生も30・0%にとどまり、校内でのスマホ所持や使用が進んでいる現状が明らかになった。 筆者が東日本大震災の取材をして改めて感じたが、生徒が携帯やスマホを所持することは、非常事態の家族間の連絡手段として欠かせないのである。学校にいるときだけではなく、登下校中の確認には必須アイテムであり、安心安全以外でも役に立つことになり得るからである。実際、大阪府は大阪北部地震の発生後、災害や不審者対策を念頭に、校内での携帯電話使用に関するガイドラインを作成し、19年度にも持ち込みを解禁する方針だ。 このような中で、町田総合高以外でも動画による「告発」が相次いでいる。最近では、選抜高校野球大会の出場を決めた私立松山聖陵高(松山市)の野球部監督が、部員に体罰を行う動画が公開されていることが明らかになった。 選抜出場が決まった当夜に野球部の生徒によって「これが甲子園に出場するチームを導く監督のあるべき姿でしょうか? #拡散希望」とのコメントつきで、ツイッターに投稿されたとみられている。校長は「暴力ではなく、指導の一環」と体罰を否定した。 18年11月には、名古屋経済大高蔵高(名古屋市瑞穂区)の野球部で起きた体罰動画が投稿された。練習後に監督が、1、2年の複数部員に対して殴る蹴るの暴行を加え、うち3人の顔が腫れるなどのけがを負ったという。学校側の説明では「野球部で定めている携帯電話の使用ルールが徹底されていない」というのが理由だったらしい。2019年2月、部員への暴力で謹慎する監督の代わりに、選抜大会で指揮を執る松山聖陵の中本恭平コーチ 17年5月には、大阪府立今宮工科高(大阪市西成区)で男子バレーボール部の顧問の男性教諭が部員の生徒に繰り返しボールを当てる動画がネットに投稿され、体罰ではないかと物議を醸した。「私の指導力不足や焦り」と教諭は語り、「生徒の態度が今までに見たことがないくらい悪かった」とボールを当てた理由を明らかにした。 このように、スマホの校内持ち込みを認めた段階でいつ誰がどんな動画や音声を残しているか、分からない状態が当たり前になっているのである。裏を返せば、教師がどんな発言や態度を取っても、常に「見られている」ということに他ならない。生徒の側に立てば、不適切な指導や体罰は簡単に告発できるツールとなり得るわけだ。 動画や音声の存在で、何が「不適切」で何が「体罰」なのか。具体的に議論できる素地(そじ)が出来上がっていることを、学校側や教諭はもちろんのことだが、生徒たちも忘れてはならない。■ 「道徳の教科化は正しい」いじめ自殺を隠蔽する学校は信用ならない■ 「体罰禁止で指導者が去勢される」ヤクザ先生が憂う教育の危機■ 「金八先生」のいないニッポンの教育現場でいま何が起きているのか

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    ZOZO前澤氏 1億円バラ撒きの裏で株価60%大暴落の正念場

     国内最大のファッション通販サイト「ZOZOTOWN」(以下、ゾゾ)を率いる前澤友作社長(43)が、年初から世間を騒がせた。 〈100名様に100万円【総額1億円のお年玉】を現金でプレゼントします〉 前澤氏が1 月5日にツイッターでそう発表すると応募者が殺到し、応募資格となるリツイート(前澤氏の投稿の引用)数が554万回を超えた。従来のツイッター世界記録(335万回)を大幅に塗り替え、“1億円の私財バラ撒き”と報じられる騒ぎとなった。 しかし、そうした景気のいい話が続く裏には、「ゾゾの業績が苦しいことの裏返し」との指摘がある。 実は“1億円キャンペーン”発表の前日、ゾゾの株価が1843円となり、過去2年で最安値を記録していた。アパレル業界に詳しい店舗経営コンサルタントの佐藤昌司氏が解説する。 「昨年7月に記録した過去の最高値4875円から、半年間で実に60%も株価が急落しています。ゾゾスーツ(着用してスマホで全身を撮影すると、自身の体型を採寸できる特殊なスーツ)の無料配布に伴う費用がかさむなどして、2018年4~6月期の営業利益がマイナス成長(前年同期比)に終わったことなどが原因でした。 前澤氏はこれまでも、ゾゾスーツをはじめ、認知度が上がる効果を見越してあえて目立つ行動をとってきた。認知度アップをメリットと考える株主も少なからずいる一方で、かえってブランド価値を損ねるのではないかと懸念する株主も出てきている」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 心配の声があがるのは、業績低迷のせいだけではない。 「前澤氏の“話題作り”もそろそろ限界なのではないか、という声が聞こえてきます。前澤氏は7月にプロ野球球団を獲得したいと発表し、9月には民間による月周回旅行計画をぶち上げるなど、次々にニュースを賑わせてきた。年始にもツイッターのプロフィール欄に〈(女優の)剛力彩芽さんが彼女です〉と書くなどしていますが、これ以上“ネタ”があるのかと心配されています」(経済誌記者) そうした声を知ってか知らずか、1億円プレゼントの応募終了後に〈いずれ第2弾もやりたいと思います〉とツイートした前澤氏。第1弾終了翌日(1月8日終値)の株価は2066円。“3日間で223円増”のコストは前澤氏にとって高かった? 低かった?関連記事■ 剛力彩芽、前澤氏と交際でCMに影響? ランチパックに山崎賢人■ 三木谷氏、前澤氏ら、カリスマ経営者の「本当の年収」は?■ 剛力彩芽と前澤友作氏、パリでの密着2ショット写真5枚■ 剛力彩芽のインスタは、キラキラ港区女子そのものである■ 剛力彩芽&ZOZO前澤社長 車中で腕を絡める密着写真

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    「2ちゃんねるのどこが社会悪?」ひろゆきが振り返る平成ネット史

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。ひろゆきです。昨年サイバーセキュリティー担当大臣の桜田義孝五輪相が、USBを知らないどころかパソコンにも触ったことがないとかでニュースになっていたりしました。なんでそんな人がサイバーセキュリティー担当なのか不思議ですね。そんな平成の終わりですが、今回のテーマは「平成のインターネットを振り返る」ということで、おいらなりに振り返ってみたいと思います。 2ちゃんねるを始めたのは1999年、平成11年でした。インターネットやパソコン通信以前は、電話だったりテレビだったりFAXだったりという通信手段を使っていたのですが、電話やFAXは1人と1人がつながるもので、テレビや雑誌やラジオや新聞は、一方的に情報を多数に送る付けるものだったのですね。 多数の人が双方向でつながるというのは、電話を使った「パーティーライン」という昭和で育った一部の人しか知らないサービスしかなかったわけです。 パソコン通信もniftyサーブのような一部の大手パソコン通信ホスト以外は、リアルタイムで大勢の人が参加してコミュニケーションをするってのは難しかったりしました。 例えば、6人でつなごうとすると、パソコン通信やパーティラインのホスト局を開いた人がNTTに電話回線を6回線申し込まなければいけなかったりしました。 その当時は、回線を開くごとに電話加入権というものを買わなくてはいけなくて、7万2000円とかしていました。6回線引くには約50万円必要だったのですね。 というわけで、気兼ねなく多数の人がリアルタイムにコミュニケーションできる環境はインターネット無しではなかなかできなかったのですが、「そういったシステムを人はどうやって使うのか?」ってのは、試してみないと分からないので、面白そうって思って2ちゃんねるを始めたわけです。 ちなみにその頃、インターネットはマスコミや国境に縛られない「公共圏」だ、と夢を語っている人もいましたが、おいらはそんな夢を見たことはありませんでした。 あと「2ちゃんねるは匿名だから悪い」みたいなよくある誤解なんですが、2ちゃんねるは「匿名で書ける掲示板」であって、本名で書いてもいいのですね。Twitterも本名でやっている人がいるように、2ちゃんねるも本名で書いている「藤居よしおちゃん」って人もいました。世界最大級のインターネット匿名掲示板「2ちゃんねる」の旧版。ドメインは「2ch.net」=2014年4月(矢島康弘撮影) ネット上で実名を書く場合はリスクもあり、どういう情報をどこまで出すか?ってのは本人が決めることだと思うので、2ちゃんねるは匿名でも実名でも好きに選んでくださいというシステムだったりしました。 「犯罪の温床」のように2ちゃんねるが言われることもあったりしましたが、ニュースになるのはごく一部の投稿で、実際のところはしょうもない雑談がほとんどでした。それは現在のTwitterで流れているようなのと同じです。掲示板から会員制交流サイト(SNS)になっても、その中身は大して変わっていないのですね。犯罪予告が書き込まれた 2ちゃんねるが世間的に注目を大きく浴びたのは、2000年の西鉄バスジャック事件の犯人が、2ちゃんねるに書き込みをしていたことが報道された時だと言われます。西鉄バスジャック事件は、バスの中で犯罪が起きたわけですが、バスの管理会社の責任を問う人がいたら、ちょっと変だと思うんですよね。 んで、掲示板上で起きる犯罪というのは、名誉毀損(きそん)や違法な情報のやりとりぐらいで、人の生き死にに関わるような重大事件は起こり得ないんですよね。「2ちゃんねるは犯罪の温床だ」と言う頭の悪い人がそう思い込みたいのであれば、「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」という有名なセリフを送りたいです。 さて、インターネットは携帯電話の普及とともに、ますます身近なものになりました。2005年末には、携帯電話などによるインターネット利用者数が、パソコンによるインターネット利用者数を上回っていて、2017年のインターネット利用率(個人)は80・9%だそうです。そんな最近では「PCは古い、これからはスマホの時代だ」なんて人も見かけたりします。 この「PC不要論」については、モノを作る生産者と、お金を払う消費者に分かれると思うのですが、消費者であればスマホで十分だとは思います。一方で、確かにタブレットやスマホだけで仕事ができる分野も多少は出てきましたが、プログラムや動画編集など、パソコンのスペックがないと実務には支障が出るレベルのものはまだまだ多いと思います。 ただ、世の中はモノを作れない消費者が増えた方が企業はもうかるので、「スマホで十分だよね」みたいな言説は増え続けると思います。 かつてインターネットの革新だ、と「WEB2.0」という言葉が流行しましたが、今は「WEB3.0」と言っている人がいるみたいです。こういう類いの言葉は好きじゃないので、新しい用語を作って、あんまり知らない人をだまそうとする人がいつの時代も現れるなぁ…と思っています。2ちゃんねる管理人・ひろゆき氏が早稲田祭で講演会=2006年11月、東京都新宿区の早稲田大学 ということで、平成の間にインターネットは変わったのかといえば、転送速度や処理速度が上がったので、動画なども扱えるようになりましたけど、本質的な部分ではあんまり変わってない気がします。Winny(全体を管理するサーバーを必要とせず、クライアント同士で通信が完結するファイル共有ソフトウエア)やビットコイン(仮想通貨)など、中央を持たないネットワークは面白いとは思いますが、Skypeも結局中央サーバーを持つようになりましたし、実用的な部分ではまだいまいちですね…。 2018年12月にソフトバンクの通信障害が起きて大騒ぎになったり、インターネットは生活必需品になったと報道されたりしていました。普通に働いている人にとっては、必需品だと感じる人は多いと思いますが、決定権を持っている高齢の人はそう思ってないフシがあるのが、どうなんかなぁ…と思う平成最後の今日この頃です。■2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」■貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?■カラパゴスすぎるネットメディア「みんなそろってバカになる?」

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    「M-1憎まれ役」上沼恵美子がプロの仕事をしたと言える理由

    片岡亮(ジャーナリスト) 漫才日本一を決める『M-1グランプリ』(ABC、テレビ朝日系)で審査員を務めたお笑いタレント、上沼恵美子への暴言騒動が注目を集めた。発言の主は、お笑いコンビ「とろサーモン」の久保田かずのぶと「スーパーマラドーナ」の武智正剛。二人は騒動の広がりを知るや、早々に謝罪したが、ダウンタウンの松本人志ら先輩芸人からは相次いで𠮟咤(しった)の声が飛び、お笑いファンからも「彼らを見ても、もう笑えない」などと批判が高まった。 この問題には主に三つの観点がある。まず、「先輩タレントに無礼な言動をした」ことによる波紋で、これは「芸能界の厳しい人間関係」を公にした。 普段は率直な発言をする「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳も、ラジオでは「『(お笑いコンビの)霜降り明星が優勝したM-1グランプリ』って付けてあげてほしいですね。僕はもうそれだけです。それ以外のことは当事者でやっていただいて」とトラブルそのものには言及しなかった。あの明石家さんまも「会社に止められているから」と発言を控えた。久保田と武智を糾弾する以外、大物芸人たちでさえもジョークでイジりにくいほど、デリケートな問題だというのが伺える。 「人物そのものを売るタレント業では、その人物を批判すれば相手の商売を邪魔することにもなるからね。先輩に牙をむけば、その先輩に関わる事務所や番組、テレビ局など業界全体を敵に回すことになる」とは、あるタレントマネジャーの見方だ。芸能界でなくとも無礼な発言というのは嫌悪される対象ではあるが、ここでは「営業妨害」という観点が出てくるわけだ。 次に、この発言が「インターネットでの公開発言」だったという点がある。問題は12月2日の決勝放送後、武智が生中継の動画を配信中に起こった。複数の芸人が集まっていた中で、昨年の優勝者である久保田は自ら酒に酔っていることを明かしながら「そろそろ辞めてください。自分目線の感情だけで審査しないでください」と言い出した。 「1点で自分の一生が変わるんで。たぶんお笑いマニアの人は分かってますわ。おまえだよ。一番右側のクソが!」。そう言い放って机を蹴った久保田に、傍らにいた芸人らの笑い声が上がる。さらに武智と思われる声が「右のオバハンには、みんなうんざりですよ。『嫌いです』なんて言われたら、更年期障害かと思いますよ」と続けたのである。 発言内容から類推するに、これが上沼に対する暴言であることは明らかだ。動画は即座に削除されたが、視聴者の反響は大きく、2日後には二人人とも上沼の名を出して謝罪した。 タレントは売名行為も商売であり、そのためには使えるツールを何でも使う傾向が強い。たとえ、自虐ネタであっても、それを利用することで人気が上がればいいのだが、久保田と武智に関しては、わざわざ逆効果になることをやってしまったのである。 最近では、女優の剛力彩芽が恋人との熱愛ぶりをしつこいぐらいにSNSにアップして反感を買い、タレントのりゅうちぇるも入れ墨を彫ったことを公表し、バッシングを浴びた。しかも、一部ユーザーの批判に対し「こんなに偏見のある社会どうなんだろう」とわざわざ反論し、さらなる炎上を引き起こした。アナウンサーの長谷川豊に至っては「人工透析患者は殺せ」と題したブログ記事が炎上し、出演番組を全て降板する事態に発展したことは記憶に新しい。彼らに共通することは世間の反応、つまり空気を読めずに、タレントの持つ自己顕示欲の強さだけが先走ってしまったケースと言える。お笑いコンビ、スーパーマラドーナの武智。コンビで『M-1グランプリ』に4年連続で決勝進出している=2018年3月撮影 台本もなければフォローするスタッフもいない個人の活動では、そのスキルがより鮮明に露呈する。久保田も武智のケースも、後先考えずに居酒屋での放言をネットで垂れ流しただけであり、到底「芸」と呼べる代物ではなかった。 「お粗末なネット動画なんか使わないと自分を売り込めない感覚自体が二流なんだよ。他人の悪口を売り物にするというのは、芸人として最も情けない方法。『更年期障害』なんて言葉を使ってしまうのも、話芸を売るタレントとして失格でしょう」(前出マネジャー)M-1「人気」の秘密 ただ、前述のポイント2点は、当事者にとって大事ではあっても、タレントを見る側にとっては、せいぜいタレントの好き嫌いが分かれる程度の話である。それよりもっと重要な点は、この騒動で審査員と演者に「真剣勝負」の緊張感があったことが証明されたという部分に尽きる。 長年、テレビ業界を取材していると、この世界の大半のコンテンツが台本ありきの「作り物」であることがよく分かる。バラエティー番組ではお笑い芸人の発するジョークまでもが、放送作家の書く台本に沿ったものであることも珍しくない。ある番組の収録現場では、出演タレントらが高速で足踏みして歩数を競うゲームを繰り広げていたが、実は現場に計測装置などはなく、電光掲示板に表示された数値はすべて番組スタッフによる演出だった、というケースもあった。どこかの人気番組ではないが、テレビにとって「やらせ」は当たり前の感覚である。一見、出演者同士が真剣に競い合うコンテスト風を装いながら、裏では事前に優勝者が決まっている出来レース番組だって当然有り得るのである。 むろん、『NHK紅白歌合戦』の出場者の人選のように、複数のタレント事務所との関係を調整しなければならない大人の事情がある。しかし、このM-1グランプリは以前から「審査はガチ」と囁(ささや)かれてきた番組だった。 「なにしろ、島田紳助が『漫才に恩返しをしたい』と、できるだけしがらみを抑えてガチレースを実現させた番組だからね。関西のお笑い賞の中で、朝日放送は昔からガチ審査番組の試みをやってきたことがあって、その手のノウハウがあったというのもあるよ」とは関西の芸能関係者の話である。 過去には、立川談志がお笑いコンビ「スピードワゴン」の2人に対し「俺、下ネタ嫌いなんで」と100点中50点の酷評をしたこともある。松本人志もチュートリアルに対しては厳しく、島田紳助もおぎやはぎには厳しく採点をしていたが、そもそも漫才師のネタを公の場で本気でこき下ろすことは掟破りの行為である。このありそうでなかった光景こそM-1が人気となった理由の一つだろう。 これは海外でも同様の傾向があって、例えば世界的な定番となった各国のタレントオーディション番組では、決まって温情を見せない辛口の審査員がいることが前提となっている。必死の演芸を「つまらない」と一蹴する厳しさがあってこそ、珍しく褒める瞬間が最大の見せ場になり、番組の価値を上げる。 漫才のネタ中に腕を組んでピクリともせず、憮然(ぶぜん)と様子を眺めていた談志の姿は、それこそ痛快なM-1審査員の仕事だったし、遠慮しない物言いの上沼もそれを「分かって」やっていたはずだ。もっと言えば、審査員もボランティアではなく、出演料をもらっている「仕事」である以上、大御所芸人がプロの芸人を毒舌で切って捨てることも、M-1という「ショー」の大きな見どころなのである。コンテスト番組で、社交辞令のように気を使った評論が求められるのは、『NHKのど自慢』や『全日本仮装大賞』のように、出演者が素人の場合だけだ。競い合う芸人をボロクソに言えるのは、彼らが大物タレントだからであって、そうでなければ事務所同士のもめ事が絶えないはずである。 だから、視聴者をM-1に釘付けにするために、上沼は「憎まれ役」を引き受けたのあれば、彼女は「一流のプロ」の仕事をしたと言える。近年のM-1に関して言えば、古参芸人に花を持たせるように甘い採点になっていたとの指摘も多く、視聴者からは不評の声も多かった。M-1に必要なのはまさに「ガチ感」であって、審査員の発表だけでもニュースになっているのは、そのためである。落語家、立川談志さんは2002年の第2回大会決勝で審査員を務めた=2010年4月撮影 そう思えば、審査員への「噛みつき」は本来、面白い出来事だった。酷評された芸人が皆、肩を落とすだけではそれこそ予定調和にしか見えない。フィギュアスケートやプロボクシングといった採点スポーツでは、選手側の抗議はつき物であり、それこそ真剣勝負の証左でもある。 だから、「大物審査員に抗議して暴言を吐く芸人」というネタ自体は、M-1をさらに盛り上げる一種のエンターテインメントとして受け入れることもできたはずだが、残念ながら久保田と武智のそれについては、抗議の表現方法が「中傷」や「陰口」の部類にしかなっていなかった。もし、二人が上沼本人を前に、「憎まれ役」という役割を理解した上で、漫才論を投げかけたのであれば、どれだけ興味深ったことか。特に、上沼は以前「私、売れない芸人はすぐに分かるんです。間のとり方で」と言っていたこともあり、二人の主張をばっさり切り捨てたかもしれない。そうなれば、出演者と審査員の緊張が世間に伝わり、M-1にしかできない「ガチ感」が構築されたに違いない。 強いて言えば、今回の騒動が罪深いのは、これで「審査員に抗議するのはタブー」という空気感をつくったことである。ファンの間では、とかく審査の傾向に注目が集まったM-1だが、今後はそれすらタブーになりかねない。暴言を吐いた彼らの人気が今後どうなろうが知ったことではないが、真剣勝負ならではの醍醐味がもし損なわれるのだとしたら、それが一番残念である。■ やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質■ 『笑点』政権ネタの炎上騒ぎは起こるべくして起きた■ さすがダウンタウン松本「憲法9条はなめられてる」

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    芸人もアイドルもセレブも続々参戦、YouTuberはいずれ消滅する

    岡田斗司夫(社会評論家) アイドルから経済、政治まで、おたく文化に通じた社会評論家の岡田斗司夫氏。同氏は、自著『ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く』で、デジタル化と人工知能の成長が加速すると、2028年には私たち一般人に残された仕事はもはや「ない」と同氏は語っている。さらには、子どものなりたい職業の上位にランクインするYouTuber(ユーチューバー)も近い将来「消滅する」という衝撃の予測を立てている。その大胆な予測の根拠を述べる一節を同書から紹介する。 ユーチューバーに憧れる子供が増えているそうです。日本FP協会が実施した小学生の「2017年度 『将来なりたい職業』ランキングトップ10」によれば、男子児童の6位は「ユーチューバー」(2016年度は14位)。ソニー生命保険の「中高生が思い描く将来についての意識調査2017」では、「男子中学生が将来なりたい職業」の3位が「ユーチューバーなどの動画投稿者」となっています。 人気ユーチューバーは、有名タレントのような扱いを受けるようになっています。例えば、はじめしゃちょーさんが、同じ事務所のユーチューバーやファンの女性と二股、三股交際をしていると告発されて炎上、謝罪動画を公開する騒ぎになりました。また、ヒカルさんというユーチューバーがVALUというサービスを悪用したとして炎上。ほかにもたくさんの炎上事件がありました。 「ユーチューバーになって、芸能人みたいに注目されたり、チヤホヤされたい」、「俺はユーチューバーになるぞ!」なんて思っている人はまだまだ多いでしょう。 では、10年後にユーチューバーはどうなっているでしょうか? 僕らは「ユーチューブというのは誰でも動画を投稿できるサービスだから、無名な人間でも実力次第で上がってこられる」と、無邪気に信じていました。だけど、そうやって人気者になったヤツらが次から次へと不祥事を起こしている。「無名からのし上がってきたユーチューバー」に対する好感度は、著しく下がっています。 それで何が起こるかと言えば、すでにある程度知名度を得ている人たちがユーチューブに流れてくるんです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) アイドルや芸人にとってテレビやライブ会場というのは、特別なステージです。そういう場で活躍できる自分に、彼らは強いプライドを持っている。 だけど、アイドルや芸人がテレビや舞台で目立てるチャンスは、どんどん減っています。テレビの視聴率は軒並み下がっているし、「ひな壇」のその他大勢になったところで、上には行けない。運良くテレビで少々顔が売れても、安心なんてできません。番組が打ち切られたら、あっという間に活躍する場がなくなってしまいます。人工知能は疲れない アイドルにせよ芸人にせよ、テレビへのこだわりは少なくなっており、アマゾンやネットフリックス、アメーバTVなどネットへの露出を増やし始めています。日本人ユーチューバーの市場も、これから2、3年でアイドルや芸人に荒らされることになるでしょう。 そして10年以内には、日本人ユーチューバーの市場がグローバルユーチューバー、例えばハリウッド俳優やセレブに荒らされることになります。世界的な知名度のあるセレブに加えて、「面白いものをパクろう」と待ち構えている数億人、数十億人。 さらに、サバンナやジャングルに暮らす部族の人たちも、秘境の映像を毎日配信してくるわけです。そんなレッドオーシャンで、日本人ユーチューバーが存在感を示すのは、ちょっと難しいんじゃないでしょうか。 今後ユーチューバーで食っていくことが難しくなっていくと、僕が考える理由がもう1つあります。 それは、配信が「ナマモノ」でなくてもよくなるから。僕たちは、動画配信は生きた人間がやるのが当たり前だと思っているけど、そういう常識が崩れつつあります。 バーチャルユーチューバーは、その先駆けでしょう。配信者の動きや表情に、CGで作られたキャラクターをかぶせて動かすのがバーチャルユーチューバー。美少女の外見をしたバーチャルユーチューバーであっても、「中の人」はおっさんだったりします。 一昔前だったら、おっさんが美少女を演じているというのがバレたら、ファンは引いたと思うんです。だけど、ライブ配信中の事故で、バーチャルユーチューバーの「中の人」が画面に出てしまったりしても、みんなそれを面白がるようになっています。現実を「盛る」ことにみんな慣れ始めているのです。 現在のバーチャルユーチューバーは、着ぐるみみたいなものです。仮想の「皮」をかぶった人が演じているだけですが、このあたりの技術はものすごいスピードで進歩しています。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 今でもCGキャラクターとのやり取りを楽しむVRゲームはありますが、人工知能がユーチューバーになる日はそう遠くないでしょう。 人間がユーチューバーである限り、配信の頻度にも限界があります。どんなに熱心であっても、人間が作れる動画なんてせいぜい1日4本くらいが限界でしょう。でも、人工知能なら疲れることもありませんから、1日24時間365日、配信し続けられます。「出来の悪いサブ世界」 その結果、どういうことが起こるでしょうか?「AIユーチューバーの住んでいる世界」そのものを提供する娯楽が誕生する、と僕は睨んでいます。いや、もうユーチューバーではないですね。配信プラットフォームとしてユーチューブを使う必要もありませんから。 中世ヨーロッパ風のファンタジー世界だったり、SFチックな未来都市だったり、そんな仮想世界がネット上に構築されている。現実と同じくらいのディテールで描かれた世界の中には、イケメンや美少女キャラ、モンスターが生きています。 仮想世界のAIキャラは毎日、ひょっとしたら1時間に1回、30分に1回といった頻度で自分の番組を配信するんです。 僕らは、仮想世界にログインして、仮想キャラの配信や生活している様子を見ることが生きがいになる。そんな美しくてドキドキする世界に比べたら、現実なんて「出来の悪いサブ世界」の1つにすぎません。 整理すると、これから数年で日本人ユーチューバーの主流はアイドルや芸人になる。10年以内には言語の壁が崩れて、グローバルユーチューバーに日本人ユーチューバーは淘汰される。そして10年後、人間ユーチューバーは、AIユーチューバーに淘汰される─―。 SF映画『ターミネーター』では、サイバーダイン社の作ったアンドロイドが人類を武力で制圧しますが、そういう未来は起こらないのではないでしょうか。 人類はたぶん人工知能に支配されるでしょう。だけど、それは武力によってではありません。 彼らの武器は、「面白さ」だったり、「可愛いらしさ」だったり、「毎日100回更新するマメさ」だったりします。人類には不可能な安定した魅力や進撃速度で、僕らの日常生活における興味関心を占有してしまうんです。 こうなると、「人工知能が支配する」という言い方はもはや適切ではないかもしれません。「人工知能が人間のフォロワーを独占する」ということになるんじゃないでしょうか。関連記事■ 岡田斗司夫 今の若者が「大事なのはお金じゃない」と語る理由■ 【欅坂46 長濱ねる】遠藤周作『沈黙』の思い出■ AI搭載の監視カメラが「神」になる日

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    BTS「原爆Tシャツ」騒動から日本人が学ぶべきこと

    山岡鉄秀(AJCN代表) 朝鮮半島出身の「出稼ぎ労働者」に対する韓国大法院(最高裁)判決には、さしもの日本政府も激怒したようだ。「国民情緒が憲法より上位にある国に謝罪して金を払って丸く収めようとする」ことが、いかにバカげたことか、理解してくれただろうか。 そこへきて、今度は韓国の7人組男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」の騒ぎである。もちろん私も心底あきれたが、日本人にとってはこの機会に十分学べるか否かが「運命の分かれ道」となる。この厄介な隣国は、今後も必ず日本に厄災をもたらすからだ。しかも今回、原爆Tシャツ騒動が「ナチス帽」に移るに至って、なんと傍観していた私まで巻き込まれてしまった。 BTSメンバーの一人が、ナチス帽をかぶってポーズを取ったことに、米ユダヤ系団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」から非難声明が出された。だが、こともあろうにツイッター上では、日本を罵倒する韓国人のツイートであふれた。「韓国人に戦争犯罪を押し付けたい日本人がフォトショップで鍵十字(ハーケンクロイツ)に見えるように細工した」などと主張したのである。 さらに「鍵十字が張り付いた帽子はウェブ上にしか存在しない、だからそれ自体がフェイク」という言説まで飛び出した。とにかく、全て「日本人が悪い」の大合唱だ。そこで、私は韓国に詳しい友人に依頼して調査した。 すぐに、問題の画像が2014年に発行された『CeCi(セッシ)』という雑誌の20周年記念号に収録されていることが分かり、1冊取り寄せることにした。インターネットオークションでは、すでに6千円以上のプレミアム価格がついているものもあった。 また、韓国人ファンが雑誌をめくっている写真がネットにアップされていたので、確認してみると、問題の帽子には確かに鍵十字とドクロが付いている。スタイリストの所蔵であることも書いてある。 こんなことは今時、1時間もあれば分かることだ。それをすごい剣幕(けんまく)で、SWCに「日本人のねつ造だ」と告げ口し、「日本人が戦争犯罪をBTSに擦(なす)り付けようとする謀略」だの、「旭日旗こそがハーケンクロイツだ」だの、彼らは次から次へと嘘をついたのである。2018年9月、米ニューヨークの国連本部のイベントで話す韓国の男性音楽グループ「BTS」のメンバー(聯合=共同) しかし、SWCの声明を読み解くと、彼らが問題にしているのはむしろ、鍵十字の下にあるドクロであることが分かる。このドクロは、まさにユダヤ人殲滅(せんめつ)を任務としたナチス親衛隊(SS)のシンボルであり、ユダヤ人には当然忌み嫌われている。 そのことに気が付かない韓国人たちは、鍵十字はフォトショップで細工されたものだと説得しようと文字通り必死になっていた。墓穴を掘っているようなものだ。「戦争犯罪国の分際で…」 とはいえ、筆者が仕方なくそれらの事実をツイートすると、案の定反発する韓国人から反応があった。 「これはフォトショップで加工されている!」「戦争犯罪国の分際で、なぜ堂々と意見しているのか! 反省しろ!」 さらには、もっともらしく「シンボルの不適切な使用は世界中で見られるものだ。それをヘイトに転換すべきではない」などと英語でツイートしてくる人までいた。要するに、その場で出任せの嘘をついて、通じないと分かると論点のすり替えを始める。それでも通用しないと分かると、急にハングルで書いてきたりする。わざわざ訳して読むとでも思っているのか。 そうこうしているうちに、BTSの所属事務所が原爆Tシャツもナチス帽も不適切だったと認めて、謝罪を表明してしまった。すべて嘘だと決着したので反発も収まり、静かになった。しかし、目の前で噂に聞く「火病(ファビョン)」を見せつけられた。本当に恥も外聞もない。なるほど、慰安婦問題の狂乱もこれと同じなのだ。事実など関係ない。ひたすら憤怒を吐き出し、まことしやかにどんな嘘でもつく。 ここで、日本人が学ぶべき大事なことが二つある。このような韓国人への対処法と、現代韓国人のメンタリティーの理解だ。 別の機会に詳述するが、日本は世界でも稀有な、道徳と性善説を基盤とする国なので、このような相手に出くわすと大概面食らって「相手にしても無駄だから放っておけ」という対応を取りがちだが、それは間違いだ。殴り返してこないと分かると、どこまでもエスカレートしてしまう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そもそも、モラルや論理ではなく、感情を最優先して行動している。もっと言えば、積年の民族的鬱憤(うっぷん)を晴らす機会を常に求めている人たちだから、大人の対応は逆効果になる。まず、普段は極力かかわらないようにし、それでもちょっかいを出してきたら、何倍にもなって返ってくると分からせてあげなければならない。 そして、韓国がいかに理不尽で不誠実であるかを繰り返し世界にアピールする。それでようやく正常な関係が築けるだろう。すぐに激高する相手だから冷静な対処が必要だという人もいるが、今回のように思い通りにならなければ、いずれにしても「火病」を発症するのだから、たとえ目の前で半狂乱になられても、動ぜずに間違いを追及し続ける冷徹さこそが必要だ。 何度でも繰り返すが、「日本人の常識」は国際社会では何の役にも立たない。まず「人間関係ありき」ではないのである。一般の人間関係と外交は全くの別物であることを、いい加減に学ばなくてはならない。 次に、この「壊れてしまったような」韓国人の性格は、今後もますます酷くなることはあっても、良くなることはないということを理解しておく必要がある。なぜならば、これこそ長年の教育(洗脳)の成果だからだ。この隣人とのベストな付き合い方 韓国では、若い世代ほどゆがめられた歴史を教え込まれている。朴槿恵(パク・クネ)前大統領はそれを是正しようとしたが、文在寅(ムン・ジェイン)政権になってからは再び左傾化した。 原爆Tシャツには「Liberation(解放)」と書かれている。つまり、韓国は健全で美しく文化的な独立国だったが、悪辣(あくらつ)な日本帝国に自由を奪われて抑圧され、原子爆弾による日本の敗戦で解放された、という作り話を信じ込まされている。 その背景の下、彼らはこのような教育を受けている。男は奴隷にされて軍艦島のようなところで搾取され、女は慰安婦という名の性奴隷にされた。朝鮮民族は「光復軍」を組織してよく戦い、ついに日本を追い出したが、親日派から親米派に寝返った売国朝鮮人による支配は続いた。 その点、早くから日帝も米帝もソ連も追い出し、朝鮮民族によって「主体思想」を貫く北朝鮮はより高潔で正当性を持った国家だ。「できるだけ早く一緒になって、核兵器を共有してアジアの強国となり、日本を屈服させて積年の鬱憤を晴らすべきだ」と。しかも、若い世代ほどそう信じ込んでいるのである。 韓国人の古老が教えてくれた。彼らは、勝手に歴史を歪曲(わいきょく)し、自らを復讐(ふくしゅう)の権利を持った被害者に仕立て上げ、恨みつらみを糧にして生きている。もとより、他人の不幸を喜ぶことに恥を感じない。私は、その民族的幻想を「恨(ハン)タジー」と名付けた。 このやっかいな隣人とは「ヒット&ステイアウェー」、すなわち「おとなしくさせたら、可能な限り距離を置く」のがベストである。ところが、まずいことに「極左活動家」文大統領の下で、韓国は自らを北の独裁者に捧げようとしている。 在日米軍が、韓国人の基地への立ち入りを一時厳格化したと報じられた。今後、半島有事の作戦統制権が米軍から韓国軍に移行すれば、米国は韓国を見捨てる可能性がある。朝鮮戦争以来、再び大勢の韓国人が命を落とし、日本へ難民として押し寄せる事態が現実味を帯びてきた。「歴史を忘れた民族に未来はない」はまさに韓国人のための言葉であり、それゆえに自滅の途上にあるのだが、巻き添えを食らって日本が甚大な被害をこうむる可能性がある。 「出稼ぎ労働者判決」の非道に際し、日韓議連が苦心しているとの報道もあった。「平和ボケ」もここに極まれり、だ。いったい何を苦心する必要があるというのか。2018年10月30日、韓国「徴用工訴訟」で日本企業に賠償を命じた判決が確定し、記者会見する原告の李春植さん(中央)と支援者ら(共同) 出稼ぎ労働者判決も、原爆Tシャツも、ナチス帽も、通底する問題は同じだ。韓国とは距離を置き、かつ来るべきカタストロフィー(大災難)に備える。そのリアリズムを持てずに、偽りの「日韓友好」を夢想すれば、滅びるのは日本の方なのである。

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    「バンタン見れなくてショック」BTSを擁護する韓流女子の生態

    鈴木朋子(ITジャーナリスト) 「この日のためにテスト頑張ったのにー!」。ある女子中学生がインスタグラムのストーリーに叫んだその日は、BTS(防弾少年団)の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)出演予定の日だった。 BTSは韓国の人気アイドルグループだ。2013年に韓国で、2014年に日本でデビュー。2017年には人気チャート「ビルボード」トップアーティスト10位にランクイン、iTunes(アイチューンズ)のアルバムチャートでも全世界73カ国で1位を獲得するなど、輝かしい活躍を見せている。 現在、グローバルツアーの真最中で、国内では11月の東京ドームを皮切りに、四つのドームでコンサートを行う。所属事務所によると、東京ドーム公演では計10万人の観客を集めたという。 そのBTSのメンバーの1人が、過去に「原爆Tシャツ」を着ていた写真がネットを駆けめぐっている。Tシャツにはキノコ雲と韓国国民が万歳している様子がデザインされていた。 事態を重くみたテレ朝は、ミュージックステーションへのBTS出演を取りやめた。さらに、複数のメディア出演がキャンセルとなり、楽しみにしていたBTSファンが悲しみの声を会員制交流サイト(SNS)に寄せたというわけだ。 その後、BTSが過去にナチスのシンボルであるハーケンクロイツ(鍵十字)が入った帽子を着用していた画像や、イベントのパフォーマンスでナチスをイメージさせる旗を振って公演を行った画像がインターネットで話題になり、内定とまでうわさされていた『紅白歌合戦』の出演も果たせなかった。NHKは選考にあたって、「総合的に判断した」とし、個別の選考基準については答えていない。 一方、その紅白歌合戦に2年連続で出場を決めたK-POPアーティストがいる。TWICEだ。TWICEは韓国で結成された9人組の女性グループで、メンバーには韓国人のほかに日本人と中国人が含まれている。 NHKによると、TWICEは今年リリースされた作品がすべてチャートで1位を取っていることなどが依頼の決め手だったという。しかし、メンバーの全てが韓国人であるBTSとは異なり、韓国色が薄いためではないかという推測の声もある。 現在の韓国人気は「第3次韓流(はんりゅう)ブーム」と言われている。女子中高生向けのマーケティング支援などを手がける調査会社AMFが発表した「2018年上半期のJC・JK流行語大賞」では、「ヒト部門」の2位にBTS、4位に4人組ガールズグループのBLACKPINKと、2組の韓国アーティストがランクインした。東京・新大久保の韓国料理店=2018年6月 そして「モノ部門」の1位に選ばれたのが、「チーズドッグ」というチーズがたっぷり入った韓国発のホットドッグだ。チーズが伸びる様子が「インスタ映え」すると大人気になり、新大久保の店舗には行列が絶えない。 コリアンタウンと呼ばれる東京・新大久保には韓国のファッションやグルメ、コスメが全てそろっており、休日ともなれば、若い女性を中心に道路も店も大混雑を見せている。同社が2017年12月に発表したランキングにもTWICE、チーズタッカルビ(鶏のカルビ焼き)、ウユクリーム(コスメ)など韓国発のキーワードが並んでおり、韓国人気は依然衰えていないことがうかがえる。英語よりもハングル お気づきだろうか。日本の大人が抱く韓国へのイメージとは全く異なる感覚で、10代は韓国カルチャーを楽しんでいるのだ。 筆者が取材で知り合う中高生たちは、全員がK-POP好きというわけではない。テーラー・スウィフトやワン・ダイレクションといった米英のアーティスト、そしてもちろん国内のアーティストが好きな人たちもいる。 しかし、大人が青春時代に感じていた洋楽や欧米の生活への憧れは、ほとんど感じられない。英語をマスターするよりも、韓国語を学んだり、ハングルが書けたりすることが「イマ風」なのだ。 中高生のLINEを見ると、プロフィルなどに表示される「ステータスメッセージ」にハングルで思いをつづっている人たちがいる。ツイッターやインスタグラムのプロフィルにもハングルをよく目にする。当然、彼女たちとつながっている友人全員が理解できるものではない。その「わかる人にはわかる」暗号のような加減もいいのだろう。 また、「いいねジュセヨ(いいねください)」と韓国語を一部組み合わせて使う人や、「センイルチュッカヘヨ(誕生日おめでとう)」と韓国語でLINEのバースデーカードに記す人も珍しくない。昭和のころなら、少し気取りたいときに英語やフランス語などで書く人がいたが、今どきの若い子は韓国語を使うのだ。 そんな世代が今回の騒動をどう見ているのか。修学旅行で広島の原爆ドームを見てきた女子中学生に話を聞くことができた。 彼女はBTSのファンではないが、TWICEはかわいい、とSNSでチェックする程度のK-POPファンだ。修学旅行でガイドや被爆者から話を聞き、原爆の恐ろしさを知ったという彼女はこう言っていた。 「もしバンタン(BTSの愛称)が原爆のことをバカにしていたら頭にくるけど、きっとそれほど考えていないんだと思う。バンタンが好きな友人は、とにかくMステ(ミュージックステーション)でバンタンが見られないことにショックで、それ以上のことは考えていなかった。今は来日してるから、握手会やら何やらで忙しくて忘れてる」 さらに、BTSファンの友人が紅白歌合戦の選考に漏れたことについて何か言っているかを尋ねたところ、そもそも紅白を重視していないので問題ではないらしい。2018年11月、韓国・仁川で公演する韓国の男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」のメンバーら(聯合=共同) BTSは最近の呼び名で、元々は「防弾少年団」という名前だ。防弾チョッキが軍をイメージさせるからか、BTSファンは「ARMY(アーミー)」と呼ばれる。とすると、政治的思想から今回のような行動を起こしていた印象も受けるが、防弾少年団の由来は「10代、20代に向けられる抑圧や偏見を止め、自身たちの音楽を守り抜く」であることから、関連はないのだろう。BTSの所属事務所は11月13日に「被害に遭われた方を傷つける意図は一切ない」と謝罪の言葉を発表した。 今回の件は日本の韓流ブームにそれほど影響していないように感じるが、軽率な行動により日韓の若者の心に澱(おり)がたまっていく可能性もある。影響力の大きいアーティストとして、今後の活動に期待したい。

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    RADWIMPS、セカオワ炎上で「文句言うな」というファンの謎

    網尾歩(コラムニスト) ツイッターで可視化される、教育の敗北。 RADWIMPSが歌う「HINOMARU」が物議を醸した。「高鳴る血潮、誇り高く この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊」「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」などの歌詞が、まるで戦時中に国威発揚のために歌われた軍歌のようだと批判を集めたのだ。 作詞者でありボーカルの野田洋次郎は、「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」とインスタグラムに綴り、ツイッターでも引用している。国旗や国歌における論争は日々続いており、このような歌詞について本気で「何の思想的な意味も」「右も左もなく」が通ると考えているのなら、純粋に勉強不足なのではないだろうか。 この発表から約5日後に出した文章で、野田は「(軍歌だという意図は)1ミリもありません」「色んな人の意見を聞いていてなるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした」と書いている。 なんというか、無邪気である。 もしこの歌詞が波紋を呼ぶことを想定していなかったのだとしたら、このような無邪気さは、本来周囲が指摘するべきなのではないかと思う。発売前に指摘を受け、「それでも出したい」と思うなら、それは覚悟だろう。しかし、発売後に意見を聞いて「なるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるか」と気づき「傷ついた人達、すみませんでした」と謝罪するのは、たとえパフォーマンスであったとしても、ちょっと、いやかなり格好悪い。 とはいえ、この件についてはすでに「RADWIMPS「HINOMARU」について」(武田砂鉄)、「RADWIMPSの新曲「HINOMARU」に関するから騒ぎについて」(赤木智弘)などで論考されているので、ここまでにする。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「#セカオワ来韓公演ボイコット」というタグが飛び交ったのも6月中旬だ。4人組バンド「SEKAI NO OWARI」の舞台セットが女性蔑視だとして批判されている。 ツイッター上にアップされている写真では、昭和時代のキャバレーや風俗街をモチーフにしたのかと思われるネオン装飾がある。「Drink Me」の文字の横にカクテルグラスに入った女性、ヒールを履いた女性の足3本、水商売風の女性など。 抗議のツイートには「#WOMAN’S_BODY_IS_NOT_ORNAMENTS」「NO STAGE FOR SEXIST」の文字がある。「みんな一生懸命」という擁護 ある韓国人ファンは、日本語で次のようにツイートした。ここ最近、ツイッターの通知でいろんな方と意見を交わしました。「ボイコットをしてたのしいですか?」とか、「ボイコットをしたらファンではない」という言葉ももらいました。私は私が好きなアーティストが来韓してほしいです。ですが、その前に好きなアーティストが「差別主義者」だと言われるのは嫌です。(略)セカオワが私に教えてくれたのはある問題から「沈黙しない勇気」と「目を逸らさない勇気」です。(略)セカオワが正しいフィードバックして、みんなの声を聞いてくれるアーティストに成長してほしいです(日本語の文法を一部修正) 韓国のファンからは「フィードバックがほしい」という声が目立った。女性の体を性的なモチーフに使うこと、それを無批判に装飾に使うことは、新しい趣向ではない。それはもう古い時代の「楽しみ方」で、現代でやることではない。なぜ「セカオワ」が、このような現代では差別的だと批判を浴びるようなステージセットを作ってしまったのか。本人たちの説明を聞きたい。それが、韓国のファンたちの言いたかったことなのではないだろうか。 国内からもこのボイコットに対する賛同や理解がある一方で、ファンからの反発はやはり強い。その中で気になったのは、「みんなが作ったステージを悪く言われるのは許せなかった」「みんなが長い時間かけて考えてくれたステージセット」「メンバーが一生懸命作り上げたものなのに」といったコメントだ。 RADWIMPSの件でもそうなのだが、若い層に多く見られる「一生懸命作ったものなのだから、文句を言わないで」という反応は一体何なのだろう。 このようなコメントをする層の何割かは、なぜ抗議されているのかを理解していないというか、抗議の内容にはあまり興味がなく、ただただ「自分の好きなものにケチをつけられた」ことに傷ついているように見える。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「ボイコット」という言葉を、暴力的なもの、「テロ」と同種のものと誤解していると思われるコメントも見られた。「ボイコット」は、抗議の意志を伝えるために不買などの行動を行うもの。今回の場合、韓国のファンたちは「このステージセットを使うのであれば来韓ツアーには行かない」ことを示していたと思われる。むしろ対象へ接触しない行為だと考えられるのだが。 日本人のセカオワファンは「みんなが作ったステージ」と書いている。好きなアイドルやバンドのメンバーに対して、ファンが「みんな」という言葉を使うことは、たびたび見られる。まるで過保護な保護者 「みんな」が「一生懸命」やっているのだから悪く言わないでという擁護を繰り返し見て感じるのは、若年層のファンの一部は、まるで自分の好きなアーティストは社会的に弱い立場にいるかのように思っているのではないかということだ。 RADWIMPSやセカオワは、興行的に成功しているバンドといって差し支えないだろう。国内外に多くのファンがいる。だからこそ、発言や行動がときとして批判されることがある。それを「一生懸命やってるんだから」とかばうのは、まるで自分の弟妹か子どもをかばうかのような理屈だ。この、自分たちの好きなものへの無垢さは何なのだろう。 かつてセカオワのボーカルと交際関係にあり、現在もメンバーと親しく交流するきゃりーぱみゅぱみゅは、このタイミングで3連続ツイートをした。「クリエイティブなものなのに言いがかりつけて表現できなくなって死んでいくことが悲しい。攻めていけない世の中」「くそつまらん!!!!!!!!!」「なんでも文句言ってくる姑みたいな大人にだけはなりたくない」 これがセカオワの騒動について触れてのことであれば、いただけない。「クリエイティブなもの」に、一般人は抗議の声を上げてはいけないのか。 また、セカオワの舞台セットは新しいものだから批判されているわけではなく、古臭い価値観に縛られているように見えるから批判されている。つまり「攻めて」いるのではなく旧来のジェンダー観を「守って」いるように見えるから批判されていることをわかっていない。 「フィードバックをください」と日本語で書く韓国ファンの多くは対話を求めている。しかし、日本のファンの一部は、抗議や疑問の声を「悲しいこと」「あってはならないこと」のように捉えてしまう。一生懸命やってるんだからと擁護し、「抗議なんて無視すればいい」もしくは「メンバーに何かあったら危険だから韓国ツアーは中止して」といった100か0かのような結論を出そうとする。 まるで、過保護な保護者のようだ。彼らはそうやって育てられてきたのだろうか。 意見の対立や議論、対話から新しく生まれるものがある。世の中に発表されたものについて、誰でも批評していいし、意義を唱えることもできる。批評や異なる意見は、新しいものの見方を知る機会でもあるし、新しいクリエイティブが生まれるきっかけにもなる。そういったことを若者たちが知らないのであれば、大人たちが行ってきた教育の結果なのだろう。

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    猛威を振るう「不謹慎狩り」の正体

    「不謹慎狩り」が猛威を振るっている。大災害などが起こるたびに、有名人らのSNSを攻撃し、誹謗中傷を繰り返す。些細な言動を勝手に「不謹慎」と決めつける異常な現象だが、どうもその正体はごく一部の、しかも孤独な連中によるものらしい。彼らはなぜ「狩り」を続けるのか。

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    ひとりぼっちで生きる「孤人社会」が他者への不寛容を増幅させる

    遠藤薫(学習院大教授) 「不謹慎狩り」あるいは「不謹慎たたき」といった言葉をよく耳にする。 事故や災害などの悲劇が起きると、社会全体に悲しみが広がる。そんな状況で、共感的悲しみにそぐわない発言や行動が、非当事者から、過剰ともいえる批判を受ける現象を「不謹慎狩り」や「不謹慎たたき」などと呼ぶ。 それにしても「狩り」「たたき」とは嫌な言葉だ。ある日突然「おまえは魔女だ」と名指され、残酷な刑に処せられる中世の「魔女狩り」を連想する。「池に落ちた犬はたたけ」という言葉もある。内容の是非はともかく、強者が弱者をたたきのめすイメージは愉快なものではない。 「不謹慎狩り」という現象で、なぜ狩人たちが「強者」となり得るかといえば、「つらい思いをしている人たちに対する共感(配慮)を欠いている」という主張が、一見、抗(あらが)いがたい「正論」と感じられるからであろう。 確かに、つらい思いをしている人たちのつらさが増すような心ない振る舞いをたしなめることは必要かもしれない。ただし、それが相手をたたきつぶすような過剰な制裁である場合、そのような行動自体が「共感を欠く」行為となる。ましてや、過剰な制裁がウイルスのように広がって、「不謹慎な行為者」に対する公開リンチになるような事態はまったく本末転倒である。しかも、「不謹慎に見える言動」が本当に「浅慮」や「共感のなさ」によるかものかどうかは微妙である。 例えば、東日本大震災後、被災地の子供たちが「津波ごっこ」をしていることが困惑的に取りあげられたことがあった。しかし、児童心理学者によれば、心に傷を負った子供たちは、無意識に、その体験を遊びによって克服しようとするのだという。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) にもかかわらず、「不謹慎狩り」が起こるとメディアで注目されることが多い。 しかし、他の研究者たちも指摘しているように、「不謹慎狩り」を実際に行っている人は極めて少ない。筆者が2017年10月に行ったインターネットモニター調査(N=1676、本稿で参照する「調査」はこの調査である)では、「不謹慎狩り」を含む「炎上」案件に加わったことがあると答えた人は、全体の1・4%にすぎなかった。つまり、「不謹慎(に見える)言動」を具体的に「狩ろう」とするのは、実際には少数意見であるにもかかわらず、社会的には非常に大きく可視化されてしまう傾向があるのではないだろうか。「間メディア」の時代 なぜ小さな声が大きく響くようなことが起こるのか。それは今日のメディアの発展によるものだ。ソーシャルメディアは言ってみれば、すべての声、ありとあらゆる発言を、広い範囲に送り出す。こうした発言は、リツイートされたり、「いいね」されたりして拡声されていく。 ただし、リツイートや「いいね」をする人は、必ずしもその意見に賛成だったり共感したりするからそうするわけではない。「え?」と思ったり、驚いたり、反発したりする場合にも、その意見はリツイートされて、さざ波を起こしていく。 さらに、「ネット時代」と言われる現代だが、マスメディアも依然として大きな影響力を持っている。マスメディアは、ソーシャルメディアで拡声された「ちょっと変わった意見」を取り上げることもある。批判的だったり、冷笑的だったりするかもしれないが、昔からよく言われるように、「犬が人間にかみついてもニュースにならないが、人間が犬にかみつけばニュースになる」のである。マスメディアに取り上げられた話題は、ソーシャルメディアでさらに注目の話題になる。 こうして、もしかしたら誰も賛成しない「変わった意見」が、広く社会に認知されるようなことも起こり得る。それが、マスメディアとソーシャルメディアが相互に影響し合う「間(かん)メディア」の時代の特徴である。 さて、先にも指摘したように、悲劇的な状況の中で、不謹慎な言動をたしなめようとしたりすること自体は悪いことではない。ただそれが、「不謹慎たたき」と呼ばれるような、一方的で、過剰に不寛容な批判は望ましくない。 しかも、上に述べたように、常識を外れるような「狩り」が社会的認知を得ると、それに触発されて、つらい状況にある人への共感というより、自分の中の攻撃性を発散させるかのような「不謹慎狩り」に同調する者も現れる。それが伝染し、増殖していくことで、本来はちょっとした「義憤」であったかもしれないものも、相手の実名や住所を曝(さら)したり、脅迫したりする「不謹慎狩り」と呼ばれるような過剰な社会的制裁へと自己増殖していく。 このとき、元にあったはずの「つらい人々」への共感は次第に忘れられ、個人的な「正義」によって他者への不寛容がむき出しになっていく。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) すると、このような状況に違和感を抱く人も現れる。その結果、「不謹慎狩り」を行う人をたたく「『不謹慎狩り』狩り」が始まることもある。「『不謹慎狩り』狩り」も、それが過剰な不寛容性と攻撃性を帯びるならば、「不謹慎狩り」の過ちを正すことにはならない。方向は違ったとしても、「共感」とはさらにかけ離れた不寛容の暴走にしかならない。 そのため、「『不謹慎狩り』狩り」はさらに「『不謹慎狩り』狩り狩り」を産み出し、幾重にも「『不謹慎狩り』狩り狩り…狩り」を自己増殖していく。そして「共感」は、もはや思い出されることもないくらい遠くに置き去りにされてしまう。図1 「不謹慎狩り」と「「不謹慎狩り」狩り」の循環的自己増殖不寛容が蔓延する理由 このような現象が起こると、「ソーシャルメディアが普及したから…」といったソーシャルメディア原因説が語られる。もちろん、メディア環境が変わることで社会は変化する。先にも述べたように、マスメディアとソーシャルメディアが相互作用する「間メディア」の時代には、このような現象がこれまで以上に「見える化」されているのは確かだろう。けれどもその新しいメディア環境を生み出したのはまさにその社会なのである。その意味で、社会とメディアは一体のものといえる。 では、なぜ他者に対する不寛容が蔓延するのか。 ロバート・パットナムという米国の社会学者は、これを「社会関係資本」(人々のつながり)の低下によるものと分析している。彼は、社会的なつながりがなくなると、人は孤立し、他人への寛大さや、他人と自分が平等だという意識、そして政治的参加の意欲が低下すると指摘し、それは世界的傾向であると述べている(『孤独なボウリング』)。図2 困ったとき、誰に頼ることができるか(%、複数回答) 日本でも「社会的なつながり」の低下が指摘されている。例として、筆者が行った調査の結果を図2に示す。これは、災害、健康問題、仕事、経済状態などで困ったとき、誰に頼ることができるかを尋ねた結果である。これによれば、現代の日本人は、困ったときに頼りにできるのはほぼ家族である。家族がいない人は厳しい状況に置かれることになる。頼れるものは何もないという人も多い。何とも寂しい社会の風景である。 図3は、近所付き合いについて聞いた結果の一部で、近所の人と生活面で助け合う関係を持っている人の割合を示した者である。性別では女性の方が、年代では高年齢層の方が緊密な近所付き合いをしている。ただし、70代とそれ以下では大きなギャップがある。世帯年収では高所得層の方が近所付き合いをしているものの、1200万円以上になると少なくなる。居住地では、予想に反して非都市部でむしろ低く、地方中都市で最も高くなっている。図3 近所に日用品の貸し借りなど生活面で助け合っている人もいるという回答の割合(%) いずれにせよ、その割合は極めて低く、図2とも合わせて、地域共同体の衰退がうかがわれる。「地域」は人々が協力し合って生きる所ではなく、寝食のためのカプセルとしての「住居」がただ並んでいるだけの場所になりつつある。 このように個人が孤立した状況では、人は他人に共感を持つよりは、自己を守るために他人に対して不寛容な構えをとらざるを得なくなるのかもしれない。そのストレスが、具体的に自分に被害の及ばない「不謹慎行為」にさえ攻撃的行動をとらせ、それを一種のエンターテインメントとするような心的態度を構成するのかもしれない。 ひとりぼっちで生きる「孤人」たちの社会が、生き心地の良い社会であるはずはない。 「不謹慎狩り」を鏡として、他者に対する「共感」と「寛容」をもう一度育て、生き心地のよい社会について考えたい。

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    貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。ひろゆきです。さてさて、世の中には、いろんな人がいて、その人なりのいろんな趣味や楽しみ方を持っていたりします。 SMなどで痛みを感じることが快楽になる人や、ホラー映画やお化け屋敷で恐怖を感じることを楽しいと考える人、大幅な速度違反をして高速道路を走り回って命の危険を感じることで生きている実感を味わったりする人とか、同じCDを100枚買って女の子と握手することで喜びを感じる人、とかとか。 最近、ネットで割りと見かけるようになったのが、「怒る」ことを趣味にする人たちだったりします。不快になったり、腹が立つようなニュースをわざわざ読みに行って、怒りを文章にしてぶつけてたりする人たちですね。 ネトウヨ(ネット右翼)と呼ばれる人が、ネトウヨサイトで、日本を卑(いや)しめてるような記事をわざわざ読んで、その国の政府やその国の人たちを罵倒したりするコメントを書いたりしていますよね。 限りある人生の時間を、不快なものをわざわざ見て、怒って、嫌な気持ちになって、他者を罵倒したりするというのは、そういうことにまったく興味がない人からみると、時間の無駄だし、アホなことやってるなぁ、と思えるようなことだったりします。 そういったサイトの中にはヘイトスピーチで訴えられて裁判で負けたりしてるサイトもあるんですけど、一説によると、1日に4500万ページビュー(PV)ぐらいあったそうです。 ということで、こういった「怒る」というエンターテインメントで余暇を過ごす人が、日本人の中にはそれなりに大勢いるってことだと思うのですね。 なので、「なぜこういうことをやるのか?」というと「不快になる」という最初の段階が目的ではなくて、「怒って、他者を罵倒する」ということの方が目的だったりします。だから、こういったネトウヨサイトは大体コメント欄があったりします。 一般のニュースサイトってコメント欄のないところの方が多いですからね。だから、日本を貶(けな)す人たちを罵倒するということは、彼らの脳内ではある種の正義の鉄槌だったりするのかもしれませんね。「彼らの誤った認識を正すのが日本の国益だ」みたいな。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 普通に考えれば、外国人に言いたいことを「日本語で日本のサイトに書いても読まないでしょ?」 っていう当然のツッコミがあるはずなんですが、ネトウヨな人たちはそういうのは気にしないみたいです。 つまり、本当に外国の人の考えを改めてもらうために書いているわけじゃなくて、罵倒したり非難したりという他者を責める発言が目的なんですね。 ということで、他者を責めるということに快楽を感じる人たちが世の中にはそれなりの人数がいるのです。ただ、その攻撃をするためには大義名分が必要だったりします。非のない人を攻撃していたら、ただのおかしな人ですからね。快楽と正義の一石二鳥 「非のある人を正義の名の下に攻撃する」というのは、彼らにとって、正義を執行することで社会のためであり、自らも快楽が感じられるという一石二鳥だったりするわけです。 というわけで、そんな彼らは、ネットで「非のある人」を探してたりするので、ネット上で不謹慎なことだったりを見つけては攻撃する「不謹慎狩り」と呼ばれるようなことが起きたりします。 世の中にはもっと面白い娯楽や、エンターテインメントがいっぱいあったりします。異性と楽しい時間を過ごすとかでもいいですけど。ただ、そういったことには、コミュニケーション能力やお金が必要だったりします。でも、そういったお金や能力のない人でも「楽しめる娯楽」が他者を責めることだったりするわけですね。 金融広報中央委員会が2017年に、日本全国の20歳以上で、2人以上で暮らしている8000世帯に調査をした結果、銀行や証券会社の口座を持ってない人たちと口座はあるけど、残高が0円という「金融資産ゼロ世帯」が全体の31・2%もいることが分かりました。ちなみに収入がないという世帯が9・9%です。10世帯のうち1世帯は無収入だったりもするわけです。 収入や財産がある人は別のもっと楽しい趣味にお金を使えるわけですけど、そうじゃない人が世の中にいる限りはこういった「不謹慎狩り」のような行為は続くんじゃないかと思います。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 昔は、インターネットはそれなりに高い金額のパソコンを買った人が、プロバイダーと電話代を払ってインターネットにつないでいたりしたのですが、今やインターネットは無料の娯楽なので、お金のない人ほどインターネットが趣味ってことになっているようです。 ということで、「不謹慎狩り」の解決策は景気が良くなって、みんながそれなりに余暇にお金が使えるようになることが対策になるはずなんですけど、来年は消費税が増税らしいので、他者を責める人がますます増えるんだろうなぁ、と思います。

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    「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) 9月6日、女優の長谷川京子さんの写真共有アプリ「インスタグラム」が炎上した。内容は、友人の誕生日を祝う食事会の写真だったが、これが同日未明に発生した北海道胆振東部地震直後の投稿であり、被災した方々が大変な時に「不謹慎」「不適切」とされたのだ。 翌9月7日、長谷川さんは「写真のものは随分前に撮影したもので、ここ数日行われたものではありません」と釈明しながらも、「北海道では大きな災害があり、労りの言葉なく、空気の読めないものをあげてしまったこと、現地で大変な思いをされている方に失礼な事をしてしまいました。申し訳ありませんでした。これからは今まで以上に、このような事が起きないよう注意していきます」と謝罪し、当該の投稿を削除した。 今や、大きな自然災害や事件・事故が起こるたびに、有名人のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が炎上するのがもはや恒例となっている。熊本地震の際だけでも、藤原紀香さん、上地雄輔さん、紗栄子さん、みのもんたさん、西内まりやさん、長澤まさみさん、川谷絵音さん、その他政治家やテレビ番組まで、その発信に対して批判の渦が巻き起こった。 7月の西日本豪雨の際も、山田優さんが自撮り写真とともに「梅雨も明けた? ので夏の必需品~!」として愛用している紫外線(UV)対策用のスプレーを紹介し、「無神経」と批判を浴びた。 もちろん、炎上の陰には同意や賞賛のコメントも少なからずあり、「謝罪する必要はない」「アンチがコメントしているだけ」と擁護する声も多い。しかし、批判された有名人のほとんどは、弁明したり謝罪する事態に追い込まれている。 ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(SJW)という概念がある。直訳すると「社会正義の戦士」だが、差別や不祥事、悪行などに対して、ブログやネット掲示板、SNSなどインターネット上で激しく戦う人々のことを指す。「不謹慎狩り」もほぼ同義であるといってよい。女優の長谷川京子さん 元々は2009年ごろから、皮肉や当てこすりを込めた蔑称(べっしょう)として使用されてきたインターネット上の俗語(ネットスラング)だが、2015年には英オックスフォード大出版局の英語辞典に新しい単語として採用された。 編集者の箕輪厚介氏は、9月10日放送のTOKYO MX『ばらいろダンディ』の中で、「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアーはめちゃくちゃ害悪だと思ってます」「一番大事なのは相手にしないことですよ。できるだけ『こいつらクズだな』って言い続けることが大事だと思います」と持論を展開、猛批判して注目を浴びた。なぜ「正義の戦士」になるのか なぜ、人は「社会正義の戦士」になってしまうのだろうか。 実は、心理学的に見ると、その背景はそれほど深くない。もちろん、人が何らかの行動を起こす際には、何かしらの感情や欲求がその裏にある。具体的には、一般人には経験しづらい有名人の暮らしに嫉妬していたり、投稿には関係なく仕事など自分の社会生活や家族関係に不満を抱えていることの発散であったり、元々対象となる有名人が嫌いで、批判したり貶める機会を探っていたなど、さまざまな「思い」だろう。 あるいはファンが賞賛していたり同意していたりすることに対する、「逆張りの精神」が発揮されているだけだったり、「発信者本人が気づいていないであろう視点に自分は気づいている」という自己顕示的意味、さらには社会正義的な言動を展開する憧れの人物の模倣(モデリング)の場合もあることと思われる。 いずれにしても、ある種一時的で、誰しもが日常的に抱き得る心理的反応である。その意味では、極端にいえばSNSを利用している人の全てが、いつ「社会正義の戦士」になってもおかしくはないのである。 とはいえ、炎上に関わる人々は実際にはごく一部である。 ジャーナリストの上杉隆氏は「以前、ブログで靖国問題のことを書いたら炎上してしまいました。3日間くらい放置していると、700以上のコメントが付いていたので、IPアドレスをチェックしてみた。すると、コメントしているのはたったの4人」としている。 ※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) また、IT大手ドワンゴ創業者の川上量生氏は「2ちゃんねるの管理人を長く務めていた西村博之氏によると、『2ちゃんねる上でのほとんどの炎上事件の実行犯は5人以内であり、たったひとりしかいない場合も珍しくない』らしい」と、著書『ネットが生んだ文化-誰もが表現者の時代』の中で言及している。 過去、筆者の研究室で行った大学生を対象にした1500人規模のアンケートでも、「ネット上の炎上」を目にしたことがある者は全体の8割にも上るのに対して、過去1回以上、実際に書き込んだことがある者は、全体の約1・5%しかいないことが明らかになっている。ちなみにその約1・5%のうち、約75%が「10回以上の書き込みをしたことがある」と答えている。自分は「聖人」相手は「愚人」? つまり、批判的言説の蓄積はまさにごくごく一部の利用者によって形成されているのである。現実的ではないにしろ、炎上参加経験者をIPアドレス等のIDで排除することができれば、おそらく高い確率で上述したような「有名人の炎上」は起こりにくくなるだろう。 多くのSNS利用者は、日常で抱えるさまざまな負の感情を、炎上という形に転化させることなく日々生活している。しかしながら、一部の者ではあるものの、「社会正義の戦士」化し、SNSが本来の使い方ではないコミュニケーションに利用されてしまう現状を踏まえると、「どうしたらそうならないか?」という予防法を考える意義がある。ここに心理学をベースにしつつ、三つのコツを提案したい。 一つ目は「自分の批判的・攻撃的コメントに対して、相手の立場で反論してみる」ことである。 特に、生活の文脈を完全には把握することができないSNSでは、他人と意見が違ったり、自分の価値観とは違う言動を目にした時に、自分が正しくて、相手が間違っている、と感じる傾向が強いと言われている。極端に言えば、自分は「聖人」、相手は「愚人」と錯覚しやすいのである。 これには人間の本質的な自己防衛や自己肯定の欲求が反映されているわけだが、その傾向が強くなりすぎると、人としての正義があたかも一つかのように感じられてしまう。 「〜してはいけない」「〜ねばならない」に毒されている今の日本の風潮にも影響されてはいるが、本来多様な正義や価値観、ルールがあることを、あえて相手になりきってみて反論することで改めて自覚できる能力が私たちには備わっている。 心理療法の一つの技法に、エンプティー・チェア(空の椅子)といって、現実には眼前にいない実在の相手が目の前の椅子に座っていると仮定して、座り位置を交換しながら自分や相手の気持ちを深く掘り下げていくという方法がある。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 具体的な思考を通じて相手の立場になれたとき、なぜ自分が怒りや不満を抱えていたのかを考え直したり、相手に向けられた批判や怒りが、実は自分自身の欲求や自我の投影であることに気がつくのではないだろうか。「嫌悪」は30分 二つ目は「実名でSNSを書く」ことである。主に使用するアカウント(利用権限)の他に二つ目のアカウントを実名で持ったり、実名でコメントを書くことを想像するのでもよい。 匿名だったものを実名にすることは、SNSが現実の人間関係や社会生活により近くなるということでもある。自分の価値観に沿わない、気に食わないからといって、街中や会社や学校で、自分の不満を言語化してわめき散らしたり、批判を繰り返している人はいるだろうか。 また実名にすることは、攻撃だけでなく、防御、つまり自分を守ることを考えなければいけなくなる。匿名のときは攻撃して自分のスッキリ感を追求しているだけでよいが、実名にすると発信者としての存在が明確になる分、自分の言動が逆に批判にさらされることを否が応でも意識させられることになる。それだけで、他者への攻撃的・批判的発信が抑制的になるだろう。 三つ目は「コメントを下書きして、数時間を置いて送信か不送信かを再判断する」ことである。 2014年にベルギーのルーベンカトリック大のフィリップ・バーダイン教授ととサスキア・ラブリセン教授が行った研究によると、一時的な感情の持続時間は意外と短い。例えば「嫌悪」は30分、「屈辱」は0・8時間、「苛立ち」は1・3時間、「怒り」は2時間、「ストレス」は3時間、関連するもので一番長い「妬み」でも15時間しか続かない、とされている。 日常的に関係を持たない間柄である有名人からの投稿を通じた一回の刺激は、一時的な感情しか生起しえない。そのため、数時間を置くことで、ほとんどの批判的コメントの源泉は心理的には消失するであろう。※写真はイメージです(ゲッティ・イメージズ) 日々に追われているわれわれは、自分の感情が伴わない投稿を機械的に行うほど暇ではない。時間が経つことで、下書きしたこと自体も忘れてしまう可能性さえあるだろう。 もちろん、事の本質を突く、真の社会正義に基づく言動も中には含まれているかもしれない。一時的な感情によらない言説は、もちろん適切に示されるべきことは言うまでもない。

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    マナー警察と礼儀ポリス ネットに見る「叩き仕草」と架空の炎上

    網尾歩(コラムニスト) 市川海老蔵さんのディズニー行きが炎上したのか。ディズニー行きを「非難した人」が炎上したのか。そもそも非難した人はどれほどいたのか。 最愛の妻、小林麻央さんを亡くした市川海老蔵さん。その後も子どもたちの様子や、妻への愛、舞台に挑む姿をブログに更新し続けている。先日帰宅ラッシュの電車内で、前に立っていた女性がスマホで海老蔵さんのブログを開いていた。夫婦2人合わせてのブログ読者数が350万人以上とも言われるそのブログの更新を待っている人は確かに多いのだろう。 有名人のブログには、「マナー警察」「礼儀ポリス」と言ってもいいようなコメントが寄せられることが多い。「マナー」と言えば聞こえがいいが、実際は勝手な“常識”の押し付けである。ママタレントたちの弁当写真にいちいちツッコミを入れる人たちが良い例だ。 麻央さんの訃報後、あのヤフコメでさえ海老蔵さん一家に同情的だった。幼い子を残して母が逝くというこれ以上ない悲劇の前に、ネットにつきものの皮肉や中傷は鳴りを潜めた。しかしその一方で、「マナー警察」は存在したようだ。 6月末に更新したインスタグラムで、海老蔵さんは「更新しすぎという意見もあるとか。確かにその通りです」「ごめんなさい。御理解してくださいとは言いません。居ても立っても居られないとき、私の一つの支えになっています」と綴っている。変わらずにブログの更新を続けていることに疑問の声があったことを伺わせる。 有名人がブログを書くことは、一種のパフォーマンスと思われがちな面がある。また、一般人であったとしても、遊びや趣味のひとつと見なされがちなブログを書くことは、家族の不幸の直後で「不謹慎」と見なされがちなのかもしれない。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) しかしそれはやはり、“常識”の押し付けというものだろう。人が支えとするものに、誰がケチをつけられるというのか。ブログの更新を支えとするのは、若い世代に限った話でもない。2009年、結婚したばかりだった長女を肺がんで亡くしたタレントのキャシー中島さんは、直後に3日間ブログを休むことを告げたが、翌日には更新を行った。海老蔵さん同様にブログを「心の支え」と綴り、「あまりにも心が空洞でなにでそこを埋めていいかわかりません」と書いた。 家族を亡くした後に、ブログを更新し続けるのはなぜか。ブログ読者との交流に癒されることも理由だろうが、愛する人を亡くした人にとって、思いを吐き出す行為は、それ自体が大きな意味を持つのだろう。悲しいと書き、故人の思い出を綴ること。それは亡き人、そして自分と対話する時間なのだろう。デマにも似ている「怒り」 さらにツイッター上で話題となったのは、「ディズニー目撃説」。海老蔵さんが2人の子どもを連れてディズニーランドを訪れた様子を目撃したという投稿があり、一部で「不謹慎」の声が上がった。そして、これに対して怒りをあらわにする人が続出した。「叩く方がどうかしてる」「いつなら不謹慎じゃないの?」といったツイートが多く拡散されている。 海老蔵さんは麻央さんの闘病中から、たびたび子どもを連れてディズニーランドを訪れる様子を投稿していた。年間パスポートを持っているらしく、忙しい中、午前中など数時間だけ遊んだと思しき投稿もあった。特別な場所というより、よく訪れるお馴染みの場所なのだろう。 一方で、この「炎上」に関しては、次のようなツイートもかなり拡散されている。 「『海老蔵がディズニー行ってて不謹慎とか言ってる奴がいるけど、じゃあ何時なら不謹慎じゃないんだ!』みたいなのがTLに流れてきたので海老蔵ディズニーを不謹慎と叩いてる人がいるのか検索したら1人も見つからんかった。」(「みんないったい何と戦っているんだ……」というイラスト付き) 目撃情報が書き込まれたネット上の掲示板では「喪が明けないうちから…」などの意見があったようだが、ツイッター上ではこういった意見は確かに少ない。むしろ、引用したツイートのように不謹慎と言った人を非難するコメントの方が圧倒的に多いと感じる。 この件に限らないが、ツイッター上ではしばしば、「実在しないか、もしくは実在してもごく少数の意見」に対して怒りを表明する様が見受けられる。そしてその怒りの表明は多くの共感とともに拡散され、拡散数が増えるほど、さも批判する対象が巨大であるかのように見える。「こんな意見があった!」と過剰に言い立てることは、デマにも似ている。2018年4月、奉納演舞のため成田山新勝寺を訪れ、あいさつする市川海老蔵 そういえば麻央さんの訃報に関しては、実在の弁護士に対する嫌がらせ目的の「なりすましツイート」が拡散され、そのデマに騙された人が多かった。 ブログ更新やディズニー行きを非難する人、非難する人を咎める人、なりすましツイートに騙される人、デマに怒る人……。悲しみや怒りが飛び交っている。それもこれも無情な運命を目の当たりにし、多くの人が感情の行き場をなくしているための混乱と見るのは、甘い結論だろうか。

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    災害時の「不謹慎厨」対策、芸能人におかしな作法が定着

     ネットスラングとしてよく用いられる「厨」という言葉は、まるで中学生のような大人げない言動をする人を指す「中坊」の誤変換「厨房」がそのまま使われ、さらに略され広まったものだ。「○○厨」と呼ばれる場合は、馬鹿にした意味が含まれる。そのバリエーションのひとつ「不謹慎厨(ふきんしんちゅう)」とその対策について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が解説する。* * * SNSが普及して以来、地震を含めた災害が発生した場合に「不謹慎厨」がネットに発生するのは見慣れた風景となったが、6月18日に発生した大阪北部地震では別ステージに昇華した。不謹慎厨の意味はネットの百科事典「ニコニコ大百科」には「なんらかの悲劇が起きた時、全くの無関係のものまで道徳や被害者感情を害するとすると非難し、自粛を求める人」とある。 2011年の東日本大震災の時は、猫の画像をツイッターにアップしたり、仲間と楽しそうにやっている状況や、イベントが楽しみだなどとツイートするだけで不謹慎厨からの総攻撃を食らった。2016年の熊本地震の際は、長澤まさみが笑顔写真をインスタグラムにアップしたら被災者感情を考えろ、不謹慎だ、と叩かれた。ベッキーとの不倫騒動直後の長崎出身・川谷絵音は、家族が無事だったことをツイートしたら「お前は熊本じゃねぇだろ! 被災者ぶるな」と非難が殺到した。 東日本大震災の時、あまりの「不謹慎厨」跳梁跋扈に対抗すべく、ジャーナリストの佐々木俊尚氏はあえて高級イタリアンで高級ワインを飲みに行くことをツイート。実際に店内の写真も公開し、さらに「不謹慎ディナー宣言!」とも一言だけツイートした。すると、「物凄い非難の嵐が不謹慎ディナー宣言に」という状態に。挙句の果てには古い友人まで非難をしてきたため、同氏はその人物との友人関係を終了宣言した。 とにかく地震が発生すると、ピースサインや高級寿司は不謹慎の象徴的存在として忌み嫌われ、そのツイートをした人間を叩く根拠として特別な意味合いを持つこととなる。今回の大阪北部地震では、不謹慎厨の勢いは東日本・熊本の頃と比べれば強くはない。しかしながらどうにもイヤ~な作法も定着してしまった。何かをツイートするにあたり、「こんな中、不謹慎かもですけど」や「不謹慎だと言われるかな……」と前置きをしてからツイートをするのがマナーになったのだ。 何らかの議論をする時、相手を批判する場合は前置きをする話法があるが、それに似ている。「こんなことを言うと非常識かと思われるかもしれませんが……」「この問題に苦しんでいる人がいるのは理解してますが……」「とても失礼な言い方になるかもしれませんが……」などは日常的にもよく聞かれる。自分が非常識で冷徹で失礼な人間だと理解していると予め宣言しておくことにより、批判をすることが許されると考える「予防線話法」である。「こんな中、不謹慎かもですけど」的な前置きも今回続出しているが、同様の予防線話法としてSNSでは定着したのかもしれない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そんな状況下、芸能人のブログやSNSの世界においても“不謹慎厨対策”は定着した感がある。過去の芸能人炎上騒動の教訓から、各人がよく学んだ。現在のトレンドは「すぐに被災地への心配と配慮の言葉をつづる」「写真は掲載しない」「宣伝材料があるにしても『こんな時に恐縮ですが…』と書く」の3点。 後は誰かが能天気なことを解禁するのを息を潜めながら待ち、普段通りの更新に戻るタイミングを見計らうのだ。実にくだらん作法だ。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■ ネットの気に食わない発言、いちいち勤務先に抗議する愚■ 学歴フィルター リスク覚悟で「なぜ使うか」人事担当者語る■ YouTubeで人気者になりたがる子供にどう対応すべきか?■ 熊本地震で「不謹慎厨」が大暴れ 長澤まさみも標的に■ 不謹慎厨もそれを叩く人も「似たようなもの」との指摘

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    インスタは「平和の国」、ツイッターは「修羅の国」は本当か?

     SNSにおけるネット炎上は、様々なきっかけで起きる。実にどうでもよい投稿者のプライベートに対するやっかみによって火がつくことも少なくない。そんな中、Twitterからインスタへの「亡命宣言」をしたのが、炎上芸人・ウーマンラッシュアワーの村本大輔。その村本のツイートについたコメントに見る「ネットのコメントの本質」について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が説く。* * * お笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔が10月9日に「リア充達の平和の国Instagramへ亡命してきます。またいつか。」とツイートし、『ウーマン村本がツイッターから「亡命」宣言』などと報じられた(村本は翌日からもツイッターは更新)。 これの意味は「文字中心のツイッターは荒れるので写真中心で平和なインスタに移る」「民度が高いインスタと民度が低いツイッター」ということだろう。そんな彼が「亡命宣言」をした後と見られるタイミングでインスタについたコメントが、ネットの書き込みの本質を突いている。〈インスタグラムが平和と勘違いしてる段階でアホさらしてるよね…Facebookもだけどインスタグラムなんて見栄の張り合いだし、Twitterなら通じるネタなんか嘲笑のネタでしかない〉 村本のことを嫌いだと明言している人物ではあるが、「アホ」はさておきこの意見は正しい。芸能人がツイッターを辞めると宣言する場合、大抵はアンチからの罵倒に疲弊した結果である。ただし、インスタなら安心、というのは恐らく違う。現にこのコメントにしても、「アホ」と書いているだけに、ツイッターに寄せられる罵倒と同様のものだ。インスタだから民度が高いということはなく、女性モデルや芸能人のインスタのコメント欄には怪しげな化粧品やサプリメントの広告的コメントが書き込まれるし、罵倒も書かれる。 それは、村本を「アホ」扱いした人物が言及したフェイスブック(FB)も同様である。2010年頃に日本でFBの人気が爆発したが、当初「実名制なので荒れない」といった言われ方をしていた。だが、その定説は違う。 2013年8月、NTTドコモがFBで「家族割」の告知をしたのだが、そこに書き込まれたコメントが「韓国かぶれのドコモはバカだ」「よっ!売国企業」「早く朝鮮携帯の専門店になり、キムチドコモで出直した方がいいよ」などだったのだ。 無害な告知なのになぜこんな書き込みがあったのかといえば、この頃はドコモがiPhoneを発売する前の時期にあたる。同社はソニーとサムスンのスマホをツートップにすると発表したのだが、韓国企業であるサムスンのスマホが入ってることから怒り出す人が登場した。 この時、実名であろう人々が前出のようなコメントを書いたのだ。名前をローマ字表記にしたり、写真のアイコンを設定していない人もいたが、「実名が抑止力にならない」ことを示した騒動だった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ネット上からネガティブな書き込みをなくすことはできない。人間の心が決して清廉潔白でない以上、そうした邪な心を持っている者が書く文章だってどうしようもないものになるのは当然の話だ。 村本が一瞬でもインスタを「平和の国」と捉え、ツイッターを「修羅の国」と捉えた気持ちも分かる。だが、一傍観者としては村本はツイッターで好き放題喋り続け、時にはケンカしたり炎上している時の方がイキイキとしているように見えてしまう。インスタでは海外のおしゃれ生活を投稿し続けているが、ツイッターを続けているのは何よりだ。関連記事■ 芸能人のSNS炎上回避法、ひたすらしみったれた話を書こう■ 橘玲×中川淳一郎 ウェブへの希望が幻滅へと変わるまで■ 大物二世の一茂と良純 「炎上しない安心感」で爆売れ中■ 橘玲×中川淳一郎 Hagex氏刺殺事件はなぜ起きたか■ ネットの気に食わない発言、いちいち勤務先に抗議する愚

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    暴かれた「漫画村」、ブロッキングは本当に必要か?

    河本秀介(弁護士)  アニメや漫画などのコンテンツ産業にとって、出版社や作者に承諾なくコンテンツを公開し、広告収入などを得る、いわゆる海賊版サイトが大きな問題となっています。 海賊版サイトの中には、「漫画村」(既に閉鎖)などのように、国内で出版されているコミックの主要タイトルのほぼ全てが無料で読めるようになっているサイトもあります。 当然ながら、海賊版サイトのアクセス数がいくら増えても権利者には1円も還元されません。また、出版社や作者としては、本来であれば出版や配信によって得られたはずの利益が奪われているため、多大な被害が生じているといえます。 このような海賊版サイトは実態を掴むのが難しく、既存の手続では差止や損害賠償が困難だとして、プロバイダ側でユーザのアクセスを遮断する、いわゆる「ブロッキング」を実施すべきという議論もされています。 そんな中、先日、漫画家から委託を受けた弁護士の一人が、米国の訴訟手続を利用することにより、海賊版サイト(おそらく「漫画村」だと思われます)の運営者とみられる人物の氏名や住所などの情報を取得することに成功したことを発表しました。 この弁護士はどのような方法でサイト運営者を特定したのでしょうか。また、これにより海賊版サイトに対するブロッキングの議論はどうなるのでしょうか。※画像はイメージです(GettyImages) 出版社や作者といった著作権者に無断で漫画などの著作物をインターネット上にアップロードし、利用者に閲覧させることは、著作権を侵害する行為です。 このような違法アップロードに対しては著作権法に基づく刑事罰が科せられる可能性があります。また、出版社や作者は、違法アップロードによって不当に利益が奪われていることになりますので、著作物を違法アップロードした者に対して、本来得られたはずの利益を損害賠償請求することが考えられます。 もっとも、損害賠償請求などを行うためには、まずは著作物を違法にアップロードした者(加害者)がどこの誰かなのかを突き止める必要があります。インターネットには匿名性がありますので、通常は容易ではありません。従来と異なる方法で突き止めた 違法アップロードがSNSや掲示板などのウェブサービス上でなされている場合には、ウェブサービスの管理者やプロバイダに発信者情報を開示させることが可能です。この場合、多少手間はかかりますが、多くの場合、加害者の氏名や住所を突き止めることが可能です。 これに対して加害者が独自に海賊版サイトを立ち上げ、管理・運営しているような場合には、ウェブサービスを介した情報開示はできません。 この場合でも、ドメインの所有者情報や、IPアドレスからホスティングサービスを割り出すことで、ウェブサイトの運営者が誰なのかを突き止めることができる場合もあります。 しかしながら、海賊版サイトの運営者は、通常は、ドメイン取得代行サービスなどにより所有者情報を匿名化しています。また、海外のホスティングサービスを利用している場合、日本の裁判手続により発信者情報の開示を求めることには困難があります。 とりわけ悪質性の高い業者の場合、他の世界から孤立した法律の及ばない地域などに設置されたサーバによる匿名性の高いホスティングサービス(いわゆる「防弾ホスティング」)を利用して運営者がどこの誰なのかを巧妙に隠蔽しており、運営の実態を突き止めるのは困難でした。 今回、前述の弁護士は、従来とは異なる方法で漫画村の運営者情報の取得に成功したと発表しました。 海賊版サイトは、サーバにアクセスが集中することによる通信障害を防ぐため、往々にして、コンテンツデリバリネットワーク(CDN)と呼ばれる配信サービスを利用しています。CDNは契約者のサーバにあるデータを世界中に設置されたサーバにコピーして配信することで、契約者のサーバへのアクセス負荷を低減し、通信速度を維持するサービスを提供しています。今回運営者が特定されたとされる海賊版サイトも、米国のCDN大手であるクラウドフレア社のサービスを利用していました。※画像はイメージです(GettyImages) 同弁護士は米国の法律事務所と提携し、米国の裁判所にクラウドフレア社に対する著作権侵害訴訟を提起し、米国の裁判所の命令により、クラウドフレアに漫画村の運営者に関する情報を開示させたということです。 現状では海賊版サイトが防弾ホスティングだけで大量の通信を行うことは困難です。よって、海賊版サイトが匿名性を維持したまま通信速度を確保するためにはCDNなどを利用することが必要になってきます。CDNから情報を得ることが可能となると、海賊版サイトなどの運営者を特定できる可能性が高まるといえます。通信の秘密が侵害される 今後、米国の裁判所を活用したCDN事業者からの発信者情報の取得がノウハウとして定着した場合、海賊版サイトが正体を隠匿しながらアクセスを拡大する手段のひとつが使えなくなることになるため、海賊版サイトを抑制することができると期待されます。 海賊版サイトに対しては、内閣に設置された知的財産戦略本部でも対策が検討されています。なかでも、ネットユーザが海賊版サイトにアクセスしようとした場合に、プロバイダ側で強制的に接続を遮断するなどの「ブロッキング」の導入の是非を巡って議論となっています。 これに関して、知的財産戦略本部は本年4月13日、特に悪質な海賊版サイトに対してブロッキングを実施できる環境整備が必要であるとして、法制度が整備されるまでの間の臨時的・緊急的な措置として、特に悪質性の高いサイトについて民間事業者の主導でブロッキングを行うことが適当などとする緊急対策案を決定・公表しました。 その後、知的財産戦略本部に「インターネット上の海賊版対策に関する検討会議」(タスクフォース)が置かれ、海賊版サイト対策について、ブロッキングの法制度化の是非を含めた議論がされています。 このように違法なサイトを見られなくしてしまうという措置は、一見すると理にかなっているように思えるかも知れませんが、実は、ブロッキングには、主に憲法に定める通信の秘密との関係で課題があります。 ブロッキングを行うためには、違法なサイトへのアクセスかどうかにかかわらず、あらゆるネットユーザのアクセス情報を取得し、そのアクセスがブロッキング対象かどうかをチェックする必要があります。海賊版のアップロードが絶えない中国の検索サービス「百度(バイドゥ)」の文書共有サイト「バイドゥライブラリ」 憲法に定める通信の秘密には、通信の内容だけでなく通信を行ったこと自体の秘密が含まれると解釈されていますので、プロバイダがユーザのアクセス情報を網羅的にチェックすることは、通信の秘密を侵害する可能性があるというわけです。 ブロッキングに反対する側は、ブロッキングは憲法で定められた通信の秘密に抵触する可能性があり、また、表現の自由や知る権利からも問題が大きいとしています。 ブロッキングに賛成する意見も、ブロッキングが通信の秘密を侵害する可能性があることは認めたうえで、海賊版サイトへの実態の解明が極めて困難であるため、権利保護のため緊急かつやむを得ない措置として認められるべきとするものが大半です。ブロッキングは本当に必要か なお、10月15日に開催された検討会議では、ブロッキングに対する賛否の意見が鋭く対立したまま協議が終了し、今後の協議の見通しも立っていないという事態になりました。 私の見解ですが、やはりブロッキングには弊害が大きいと言わざるを得ないでしょう。特に、海賊版サイトの実態解明に有効となる可能性の高い手段が見つかった以上、ブロッキングの是非については、ブロッキングが真に海賊版サイトに有効な手段となるかどうかも含め、今まで以上に慎重に検討されるべきだと考えます。 ブロッキングは、いうなれば国やプロバイダが、有害と判断したウェブサイトを法律などで閲覧させないことができるということです。仮に法律を作ったとしても、安易な運用によってブロッキングの対象がなし崩し的に拡大した場合、インターネットを通じた表現や議論が過剰に制約されるおそれもあります。 ブロッキングには、運用を一歩間違えると情報の管理社会化を招きかねない危うさがあります。 これに対して、従来は海賊版サイトに対してブロッキング以外に有用な手段が見当たらないという前提で議論が進められていました。CDNを通じた情報取得の途が拓けたとなると、議論の前提が覆された格好となりますので、従来の議論も見直される必要があると思われます。少なくともブロッキングありきで議論を進めるべきではないでしょう。※画像はイメージです(GettyImages) 知的財産戦略本部の検討会議での中間取りまとめ案が先送りになったことも、拙速な議論を回避するためにはやむなしと考えます。 海賊版サイトにより、出版社や作家に多額の損失が生じていることは事実であり、対策が急務であることは間違いありません。また、ブロッキングが海賊版サイト対策に有用な手段となる可能性があることも否定できないでしょう。 だからといって安易にブロッキングを導入した場合、情報の管理社会化に向けたパンドラの箱を開けることになりかねません。いま一度、原点に立ち戻った議論が必要だと感じます。

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    脱法まとめサイト 収入源は仮想通貨のマイニングへ

     著作権を無視したまとめブログや無断転載サイト、アダルトサイトの収益は広告を自動表示させるアフィリエイトのシステムを利用したものが主流だった。ところが最近では、訪問者が閲覧するだけで仮想通貨のマイニング(採掘)を自動的にさせることで利益を得る手法が広まっている。ライターの森鷹久氏が、脱法サイト管理が本業となった元システムエンジニアに、収益構造の変遷を聞いた。 * * * 関東在住の星川一夫さん(仮名・30代)が、いわゆる脱サラをし、ネットビジネス一本でやっていこうと決意したのは五年前。システムエンジニア(SE)だったが、サラリーマン収入を副業収入が超えてからちょうど半年経ったタイミングだった。「会社の月給が手取り23万円で年収は350万くらい。いくつか持っていたホームページのアフィリエイト収入は月に40万円だったので、思い切ってネット一本でやってみようと……」(星川さん) 趣味の「アダルトサイト閲覧」中に、ふと「もっと見やすいサイトが作れるのでは?」と思い、わずか半日でオリジナルのホームページを作り上げた。掲示板にアドレスを張ったり、ツイッターで宣伝アカウントを作ったりして、一か月後には一日に数万アクセスを稼ぐようになった。 成功のきっかけは「日本人以外のアジア人にも見てもらえるようなサイトを作った」こと。中国語、韓国語に加え、タイなど東南アジア諸国のユーザーにも見てもらえるよう、多彩な言語の翻訳システムを組み込んだ。同様のサイトを二つ、三つと公開し、二年前には一日の総アクセス数は数百万をたたき出し、ホームページの広告収入だけでも月収100万円を軽く超えるようになった。しかし……。カフェでアフィリエイトサイトを作る男性=2018年4月11日、埼玉県(共同)「要は、ネット上の脱法サイトに上がっている有料動画を違法に転載しているだけでした。転載するためにいくつかの有料サイトに登録していて、自分のサイトのコンテンツ制作料はそこの会費だけです。月に数万円かかる程度だから、収入に比べて安上がりですよ。いつかはできなくなるだろう……と思いながら早5年。ズルズル続けちゃっている……」(星川さん) 脱法サイトとは、日本国内では違法な無修正アダルト動画などを、海外のサーバーに置いたホームページを通じて主に日本国内の日本人ユーザーに閲覧させているサイトだ。昨年、これら脱法サイトを通じて違法な動画を撮影、販売していた人物らが摘発されたこともあったが、当局と脱法サイト運営者のいたちごっこは今なお続き、脱法サイトの根絶は「事実上不可能」(捜査関係者)という状態なのだ。脱法サイトの新たな収入源 こういった実情について、頭を悩ますのは何も当局関係者だけではない。アフィリエイト広告を手掛けるネット広告事業者らも、違法サイト、脱法サイトに広告を掲載することで収益を上げるユーザーの排除を目指す。広告主が望まないサイトに広告が掲載されてしまうのを防ぐためだけでなく、犯罪行為に収益を与えないためだ。「アフィリエイト広告が掲載された違法なサイトを確知し、広告の掲載をストップさせるシステムの開発や、収益を凍結する通知を出しています。はっきり言って焼け石に水、といった状況で、そのシステムすらかいくぐる上級ユーザーもいます。でもやらないよりはマシで、当局側への"対処しています"というアピールにもなっている」(ネット広告代理店営業マン) 前述の星川さんも、こうした当局、広告代理店側からの規制をうけ、これまでに閉じたサイトは数が知れないと話す。しかし、すでにアフィリエイト広告で収益を上げるというスタイルは「時代遅れ」とも語り、さらなる収益の増加に自信をのぞかせる。「アフィリエイトで儲ける限界を感じていたところだったし、私のサイトに広告を載せてくれるような事業者、代理店は怪しげな薬やグレーなアダルト広告ばかりで、ユーザーがクリックしたり購入してくれることはまずない。収益が上がらない状態が続いていました。最近だと仮想通貨事業者の広告ばかりで、これもほとんど収益の増加は見込まれない。それに引きかえ、来訪ユーザーに仮想通貨の"マイニング"をさせる、といった方法は効率的で、収益の大幅な増加が見込まれました。現在は、アフィリエイト広告とマイニングの二本柱で、以前の1.5倍ほどの収入があります」 星川さんの運営するサイトには依然として「アフィリエイト広告」が張り付けられているが、ユーザーがクリックしたり、広告を通じて商品を購入してもらわないと収益は出ない。ところが「仮想通貨のマイニング」であれば、ユーザーがページを訪れるだけで収益が見込まれる、というわけだ。サイバー犯罪に詳しい大手紙記者が解説する。※画像はイメージです(GettyImages)「仮想通貨取引は、取引履歴や決済パターンについて、コンピューターに大掛かりな計算をさせることで、その取引自体が公正なものかを判断する仕組みです。この計算は、家庭用のパソコン一台で実行するには負担が大きく、難解なものですが、その作業を、複数のパソコンであれば効率的に行うことが可能なんです。作業を分担させることで、計算が可能になり、さらに計算を成功させたユーザーには、仮想通貨が付与される。これが"仮想通貨のマイニング(発掘)"です。アダルトだけでなく、多くの違法・脱法サイトの運営者がこの仕組みを導入しているとの指摘もあります」(大手紙記者)狙われるのはAVだけじゃない 星川さんが運営するサイトのすべてには、この「仮想通貨のマイニング」システムが組み込んである。星川さんのページを訪ねたユーザーは、自身のパソコンが「マイニング」に利用されているとも知らず、アダルトコンテンツを視聴する。その間、パソコンの動作が急激に遅くなったり、フリーズしてしまうこともあるが、ユーザーのパソコンのCPUに合わせて、どれほどの処理能力を「マイニング」に充当させるかの設定も可能であるため、ふつうはユーザーがマイニングに気が付きにくい。「最近ニュースでもとりあげられている違法な漫画サイトも、このマイニングシステムを導入しているようです。違法や脱法のアダルトサイトのほとんどでも同様です。仮想通貨には、ビットコイン以外にもたくさん種類がありますから、とにかくユーザーにマイニングさせるために、様々なサイトを運営する必要があります。今後は、いわゆる"まとめサイト"でも、マイニングシステムを導入するところが増えると断言できます。アフィリエイトより儲かるわけですから…。マイニングで得た仮想通貨は、すぐに別の仮想通貨と交換したり、電子マネー化させます。日本円にするために手続きが面倒な場合もありますし、海外に法人を立てて、税金の支払いを避ける方法も模索しています」(星川さん) ページのソースにスクリプトを忍ばせることで閲覧者のパソコンを利用するものが一般的なため、ページを閉じて閲覧をやめるとマイニングは停止される。なかには、閲覧者のパソコンをプログラムに感染させることでマイニングを続けさせるタイプのものもあり、こちらはネットに繋がっている限り、自分のパソコンが他人の通過採掘に利用され続けることになる。 仮想通貨は、特定の政府や国際情勢に左右されない「新時代の通貨」とも呼ばれている。ところが、このように便利で新しいシステムであればあるほど、悪意を持った人々にもそれは「重宝」されてしまう、皮肉な事態を産み出しているのである。せっかくの「革新」的な事象も、悪意持った人物らにいち早く掌握されてしまい、何もかもが台無しになってしまう光景を、今日生きる私たちは幾ばくも見てきた気がするが…。※画像はイメージです(GettyImages) 新時代の通貨でも、悪貨は良貨を駆逐することになってしまうのか。新しいことを「否」としがちな我々の思想の背景に、こうしたことが影響しているようにも思えてならない。関連記事■ 迷惑メール業者にあえて接触 その古典的な手口と狙いとは■ 増える高齢者クレーマー、悩むサービス業の若者たち■ 「老人狩り」が頻発 若者たちは「心は痛まない」と言い放つ■ 「芸能人Xの薬物疑惑」まとめサイト管理人を直撃してみたら■ 危険ドラッグ業者 仮想通貨の普及で再び暗躍の兆し

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    「LGBTに生産性なし」杉田水脈の言論の機会まで奪ってどうする

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「言論の機会」を奪うか否か、とでもいった議論が白熱している。ユーチューバーの世界で保守系といわれる政治活動家のKAZUYA氏の公式チャンネル『KAZUYA Channel』が、ユーチューブ側によって一時凍結されたことを契機としている。 あくまでもカッコ付きで表現したいのだが、「右派」と「左派」と目される人たちが言論対立を先鋭化させて、お互いの言論の機会を奪う行為までエスカレートすることが、しばしば見受けられる。今、カッコ付きで表現したのは、必ずしも政治的イデオロギーの対立だけではなく、単に他者を誹謗(ひぼう)中傷したくて群れる人たちが大集団で発生し、事態の対立を先鋭化することもネットでは常態化しているからだ。 それはさておき、KAZUYA氏のユーチューブアカウント閉鎖に賛意を示す人たちが、著名言論人を含めて多かった。ユーチューブ側の規約に違反したのだから仕方がないという意見である。だが閉鎖の翌日、ユーチューブ側は規約違反がなかったとして、アカウント凍結を解除している。 ただ、KAZUYA氏は、22日夜の段階でツイッターのアカウントも凍結されている。これについては原因不明である。 ユーチューブもツイッターもともに民間企業の運営サイトであり、それぞれが独自の規約で運営されているため、その判断はもちろん尊重されるべきものである。だが、今回の「事件」の流れを見ていると、ネット世論の中で、自分が批判すべきだと思う相手の言論の機会を奪うことが正当であるかのような風潮を見かける。そのような風潮は、われわれの自由に基づく社会を損なってしまう。 このような、自分が批判すべき意見の持ち主から言論の機会を奪うのが妥当であるかのような意見に、筆者が賛成しかねるのは、思想や言論の自由こそがわれわれの社会の基盤だからである。同種の問題に関しては、昨年、本連載で百田尚樹氏の講演中止問題について意見を述べたし、また、香山リカ氏の講演中止問題も、自分のブログで書いたことがある。ユーチューバーのKAZUYA氏 そのときの意見は、19世紀の啓蒙(けいもう)思想家、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(1859年)に基づくものだった。今でもその考えは変わらないので、次では百田氏の事件のときの内容を、一部記述を付加して改めて紹介しよう。反論あらば議論せよ ミルは、古典的著作『自由論』の中で、規制されることのない言論の場こそが人々の満足(効用)を増加することができるとした。 ミルが言論の自由の根拠としてあげた理由は主に4点あった。①多様な意見がないと特定の意見を誤りがまったくないものとみなしやすい②多様な意見が衝突することで、意見の持つ問題点や改善点が明らかになる③反論に出会うことで自分の支持している意見の合理的な根拠を考えることにつながりやすい④反論に出会うことがないと、人格や行動に生き生きとした成長の機会がなくなる、というものである。 そして意見の集約するところで、言論を巡る人々の満足が最大化することになる。もちろん、たとえ意見の集約が達成できなくても、議論すること自体で、議論の機会がない場合よりも効用は高まるだろう。ちなみに、相手側に不当に議論を迫るのは犯罪行為に等しいので、自粛すべきなのはもちろんである。 もちろん、ミルは異なる立場での意見の集約について、常に楽観的ではない。むしろ、言論の自由が意見の対立を激しくするケースや、またヘイトスピーチにあたるケースにも配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的や法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねているのである。 この「世論の賢慮」の中には、前回の連載でも書いたことだが、間違った噂であるデマへの対策についても、まず世論の中で対処していくべきであり、そのためのいくつかの試みを紹介している。 特に、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)はデマの拡散に貢献してしまうこともあるが、他方で、多様な意見の存在や、何がより客観的な事実かを知ることができる場でもあり、「世論の賢慮」が発揮できる可能性を紹介した。思想家、ジョン・スチュアート・ミル(ゲッティイメージズ) だからこそ、KAZUYA氏の『KAZUYA Channel』に反論すべき意見があるならば、まずは議論すべき点を徹底的に論じるべきだろう。ところが、規約違反を声高に主張し、何が何でもチャンネル削除を求める声もよく見かける。そのような意見に上記の理由から筆者は賛同できないのである。 ミルはこのようにも書いている。 自分たちが、自分たちの判断にしたがって非難している意見だという理由で、ある意見の発表の機会を奪うのが有害であることをもっと十分に示すには、具体的な例をあげて議論するのが望ましい。その際には、わたしにとってもっとも不利な例をあえて選ぶことにする。ミル『自由論』(光文社文庫、山岡洋一訳より) 当然だが、筆者にも自分の価値判断からいって許容できない発言は多い。もちろん、犯罪や脅迫、単純明快な誹謗中傷などのたぐいの発言について言っているのではない。「意見」表明の水準での、自らの価値判断にそぐわない言論のことである。扇動に加担する人たち 要するに、ミルが上記の引用の最後で言っている「わたしにとってともっとも不利な例」のことを指す。最近の筆者の場合では、『新潮45』8月号(新潮社)に掲載された杉田水脈衆院議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論考がそれにあたる。杉田氏の論考の中心的な発言は、次の文章に表れているので、ご覧いただきたい。 例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。杉田水脈「『LGBT』支援の度が過ぎる」(『新潮45』2018年8月号) だが、杉田氏が「子供を作らないこと」で表した「生産性」は、国民のために税金を使う使わないという話には全くつながらないのである。単に、杉田氏のLGBTカップルへの差別的感情が出ているとしか思えない。 このほかにも、杉田氏の発言について、筆者は賛同しかねるものが多い。だからといって、雑誌やメディアで杉田氏の発言の機会を奪うべきだとは、みじんも思わない。その理由の一つは、ミルではないが、自分と全く違う考え方が、ひょっとしたら無視できないほど世の中に受け入れられている意見だとしたら、その意見と議論すべきだと思うからである。 それは自分自身の意見が間違っている可能性を検討することにもなる。なぜなら、理性的なものは、初めから完全には人に与えられていないからだ。 ましてや、杉田氏を脅迫するなどもってのほかである。そのような脅迫の表明は、全く言論に値しない単なる犯罪行為である。報道によれば、実際に杉田氏に殺害を予告した人物もいたようである。それは、言葉の正しい意味での「自由への脅威」である。2018年5月、憲法記念日に静岡市富士市内で講演を行った杉田水脈衆院議員(田中万紀撮影) 冒頭のKAZUYA氏の動画チャンネルにもいろいろな議論の余地があるかもしれない。筆者は『KAZUYA Channel』の愛好者ではない。詳しく見たといえば、年初に経済評論家の家庭内暴力が報じられたとき、公開された動画上の発言を最近では知るのみである。もっとも、KAZUYA氏の意見に筆者はおおむね肯定的であった。 また、その他にも動画上で表明する意見を断片的に見聞きしたが、肯定も否定もまちまちである。だが、たとえ否定的な意見を表明したからとして、それだけをもって他者から言論の機会を奪い、それを扇動することに加担することだけはすべきではない。そう常に考えている。

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    ユーチューブ「ネトウヨ動画削除」の波紋

    今年5月、動画投稿サイト「ユーチューブ」のアカウントが突然停止する騒動に巻き込まれた作家、竹田恒泰氏がiRONNAに独占手記を寄せた。差別表現をめぐる一部利用者の「通報」が発端だったようだが、「ネトウヨ潰し」を標榜した彼らの狙いは明らかである。竹田氏の動画は本当にヘイトだったのか。

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    姑息な言論テロ『竹田恒泰チャンネル』停止祭りの内幕

    竹田恒泰(作家) 「5ちゃんねる」というウェブ掲示板で5月15日に立ち上がった「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」というスレッドがある。そこには、彼らが攻撃対象とするユーチューブのチャンネルのリストが掲載されていて、ユーチューブへの通報のやり方を懇切丁寧に説明している。 これは、多くのユーザーが一斉に特定の投稿動画を「差別的」などと通報することで、その動画を削除し、攻撃対象とするチャンネル自体を停止させるという、極めて攻撃的な「政治キャンペーン」である。 彼らは、3カ月以内に3本の投稿動画が削除されたアカウントを停止するユーチューブのルールを恣意(しい)的に利用し、ほぼ同時期に3本の動画を削除して短期間の内にアカウント停止に追い込む戦法である。アカウントが停止されると、そのアカウントで過去に投稿した全ての動画が一斉に削除される。 この政治キャンペーンの結果、7月上旬の時点で、既に203チャンネルが永久凍結され、22万本以上の動画が削除されたという。また、彼らの攻撃を恐れて自主的に全部あるいは大半の動画を削除したチャンネルも97あり、合わせると28万本以上の動画が削除されたという。 それでも飽き足らないのか、攻撃すべきチャンネルを何百も列挙し、どの動画のどの点を攻撃するように具体的な「攻撃指示」を並べている。また、ユーチューブの運営母体が米国のグーグル社であることからか、丁寧にも英語で通報するための例文まで掲載している。 確かに、表現の自由には限界があり、個人の名誉を毀損(きそん)し、あるいは特定の民族を差別するような不適切な表現は削除されて然(しか)るべきである。 しかし、どうやらユーチューブは厳密な審査をしていないように見受けられる。その理由は後に述べるが、そのようなユーチューブ側の体制の虚(きょ)を突くような形で、気に入らない何十万本もの動画を削除に追い込んだ。 そもそも、ネットに個人が投稿した動画で気に入らないものがあれば、見なければよい。もし虚偽や不当な表現があれば、反論すればよい。言論に対しては言論で挑むのが正道ではなかろうか。気に入らない主張をするチャンネルを、チャンネルごと潰すというのは「言論人の暗殺」にほかならず、邪道の極みといわねばならない。 私がユーチューブで配信していた『竹田恒泰チャンネル』も、彼らの攻撃目標とされ、5月24日未明にアカウントごと停止された。一本目の動画が削除されてからアカウントが停止されるまでの経緯は次の通りである。竹田恒泰氏の公式ホームページ上にある「竹田恒泰チャンネルとは」のユーチューブ動画もアカウント停止より見られなくなっている 『竹田恒泰チャンネル』の動画一本が削除されたのは5月23日夜のことだった。対象になった動画のタイトルは「韓国外交、八方塞がり・・・。中国の禁韓令に日本の大使召還、アメリカもダメだコリャ。。。」である。立て続けの「違反警告」 ユーチューブから届いたメールによると、この動画が利用者から通報されたようで、「審査した結果、この動画はガイドラインに違反していると判断し、ユーチューブから削除しました」という。しかし、「差別的な発言は許可されません」というのみで、この動画のどの表現が「差別的な発言」であるかは不明である。 同メールによると、これは「1回目の違反警告」だそうで、「ユーチューブでは、ユーザーの皆さまがそうと知らずにポリシーに違反してしまう場合があることを理解しており、警告に期限を設けています。この違反警告は三カ月経過すると無効になりますが、重ねて違反警告を受けるとユーチューブにコンテンツを投稿できなくなり、場合によってはアカウントの停止につながることもありますのでご注意ください」と書かれていた。 なるほど、1回の違反ではアカウントは停止せず、反省させ、あるいは改善させる猶予を与えるということなのであろう。運転免許の切符制度に似ている。 ところが、5月24日未明までの間に、別の2本の動画が同じように削除され、「2回目の違反警告」と「3回目の違反警告」を伝えるメールが立て続けに届いた。それぞれ、次のような内容である。【2回目の違反警告】 「今回の違反警告は、過去3カ月以内で2回目です。そのため、今後2週間はYouTubeに新しいコンテンツを投稿できません。〔中略〕今後3カ月の間に3回目の違反警告を受けた場合は、お使いのアカウントは停止され、恒久的にアクセスできなくなりますのでご注意ください」【3回目の違反警告】 「あなたのアカウントが受けたコミュニティーガイドライン違反警告は、この3カ月で3回になりました。このため、アカウントを停止いたしました。今後アカウントにアクセスすることはできません。また、新しいYouTubeアカウントを作成することもできません」 1本目の動画が削除されて1回目の違反警告を受けてから、3本目の動画が削除されてアカウントが停止されるまで、わずか6時間程度のことであり、しかも日本時間で深夜から未明にかけての出来事である。朝目覚めて、この2通の通知を目にしたが、なす術もない。竹田恒泰氏 たとえ1回目の違反警告を受けて、改善を試みようとしても、深夜から未明にかけてほとんど同時に3回分の違反警告を受けたのでは、改善のしようもないではないか。寝ている間にアカウント停止まで進行するのなら、何のための三段階の警告なのか意味が分からない。 これはユーチューブのシステム上の欠陥である。ほとんど同時になされた動画削除は「1回」と数えなければ、そもそも三段階に分けて警告を発する制度の趣旨は歪められる。差別発言はしていない 先述の通り、ユーチューブ自身が「ユーチューブでは、ユーザーの皆さまがそうと知らずにポリシーに違反してしまう場合があることを理解しており、警告に期限を設けています」と述べておきながら、舌の根も乾かぬ内に、深夜の数時間の内に三段階目の停止まで進行するのであるから、ユーチューブのシステム上の欠陥が悪意をもって利用されたことは明らかである。 一連の削除に至る流れの中で私が感じたのは、ユーチューブは人間が確認して削除作業をしていないということである。 まず、短時間の内に三本の動画が削除されると自動的にアカウントが停止されるという仕組みであるから、アカウント停止自体は、人間が判断せず、自動的に停止されるものと見られる。 次に、番組を削除する判断も、果たして必ず人間が確認作業を行っているか疑わしい。この政治キャンペーンでは、何千人ものユーザーが、数百のアカウントの無数の動画に対して、夥(おびただ)しい数の通報を行っていると見られる。この動画一本一本を、日本語を理解する者が動画を見て判定しているとは考えにくい。 例えば、1カ月に1000人が100件ずつ通報したら、10万件の通報があったことになる。仮に1件当たり判定に3分間を要した場合、その作業に30万分、つまり5000時間を要する。これは、フルタイムの従業員31人が1カ月の間付き切りで作業をしないと捌(さば)けない仕事量に該当する。 ユーチューブはこの通報ラッシュに対応するために、米国で日本人スタッフを急きょ31人振り分けたのだろうか。恐らく、簡単な日常会話ができる程度の非日本人、あるいは人工知能(AI)に判定させたか、あるいは通報が多い動画については内容を検討せずに自動的に削除したかのいずれかに違いない。 また、私のチャンネルの場合、3本の動画が削除されたのは日本の深夜帯に当たるため、日本の事務所で日本人が確認作業をしているとは考えにくい。つまり、米国で米国のビジネスアワーに、米国人が作業していると考えるのが自然である。 具体的にどの箇所がどのような違反に該当するか問い合わせても、ユーチューブから返答はなかった。おそらくアカウントを停止された人が何百人もユーチューブに問い合わせをしているはずだが、それに対応するにはさらに何人もの専用スタッフが必要になる。私の番組のチームがいくら連絡しても、一切反応しないところから、ユーチューブの削除を担当する部署には十分なスタッフが配置されていないと考えられる。写真はイメージです(iStock) そもそも、私は特定の民族を差別する発言はしていない。中国や韓国の政府や特定の民族に対して政治批判をすることはあるが、出身民族の差別は絶対していないと断言できる。 ユーチューブのガイドラインには「悪意のある表現と見なされるかどうかは紙一重で決まります。例えば、一般的に民族国家を批判することは許容されますが、出身民族だけの理由で差別を扇動することが主な目的のコンテンツはユーチューブのポリシーに違反すると見なされます」と明記している。生放送に乱入した「反勢力」 私が投稿したコンテンツが、出身民族だけの理由による差別が主目的でないことは、日本語を解する日本人が見れば必ず分かるはずである。もし、AIに判定させていたのなら、そのAIはまだまだ語学能力が低いといえよう。 結局、私がユーチューブで配信していた『竹田恒泰チャンネル』は、この政治キャンペーンによりアカウントごと停止されたままである。しかし、以前から別に運用していたアカウントがあったため、直ちに『竹田恒泰チャンネル2』を立ち上げて、毎週の放送を継続することができ、事なきを得た。 また、『竹田恒泰チャンネル』は平成24年11月1日にニコニコ動画で第一回の放送をして以来、毎週放送を続けてきた。後に平成26年4月にFreshとユーチューブでも同時配信するようになり、現在に至る。 そのため、ユーチューブのアカウントが停止されても、それはいくつもある放送チャンネルの一つが止まるにすぎないため、大勢に影響はなかった。 それどころか、ユーチューブのアカウントが停止された日の夜の放送では、私のチャンネルと攻撃していた何千人もの反竹田勢力が一斉にチャンネルを妨害しようと、生放送に乱入してきた。 放送前から2000人以上の人が「Bad」ボタンを押していたが、まだ番組が始まっていないのに、どうやって「Bad」と評価したのか疑問である。普段「Bad」ボタン自体、ほとんど押されたことがないため、この政治キャンペーンに参加した反竹田勢力は少なくとも数千人はいることが明確になった。 ところが、この日の放送は、反竹田勢力が一斉に流入した結果、平成24年から300回以上放送したなかで、歴代で最も多い視聴者数になり、大いに盛り上がった。 しかも、番組を見ているうちに、面白くなって番組のファンになってしまった人も多かったようである。「こいつ意外と面白いなぁ」「なんだ、まともなこと言ってるじゃないか」「番組粉砕するつもりでしたがチャンネル会員になります」といった書き込みも相次ぎ、その日は有料のチャンネル会員登録数もかつてない数に及んだ。「ミイラ取りがミイラに」なるとはまさにこのことであろう。(iStock) これだけ会員制交流サイト(SNS)が発達した世の中にあっては、たとえそれが匿名の投稿であっても、正しい言論は必ず評価されるものである。言論の世界で通用しない者たちが、匿名で「言論テロ」を実行したというのが、今回の「ユーチューブアカウント停止祭り」だったのではあるまいか。 その意味において、この政治キャンペーンの参加者たちは、戦わずして負けていることを、自ら曝(さら)け出したに等しい。「ペンは剣よりも強し」とは言論の力を語った言葉である。日本において、暴力で世の中が動かす時代は幕末の戊辰(ぼしん)戦争で終わった。今の日本は、正しい言論が世の中を動かす、理性ある社会を目指していかなければならない。私たちはこのような姑息(こそく)なテロリズムには屈しない。

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    なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない

    的に支配していたのは間違いない。インターネットは、それを一般市民に解放したと言ってよい。ルールのないネット社会 それまでは情報がどのくらい社会に拡散するかは、それを発信するメディアの器の大きさによって決められていた。一つのニュースがどの新聞、あるいはどのテレビに取り上げられるかで拡散の度合いは決められていたのだが、ネットはその制限を軽々と飛び越える。 例えば、この1~2年で、私がネットで書いた記事は、多いものは1本で200万とか300万のアクセスがある。私の本業は雑誌編集者だが、雑誌の世界で200万という数字は、発行部数としてありえない。ネットだからこそだ。 これまで既存メディアが持っていた発行部数や視聴者数といった器の大きさに規定された影響力をネットは超えてしまう可能性を持っている。 だが、そういう新しい革命的な道具が市民にもたらされたにもかかわらず、残念ながらそれを使いこなす力が市民社会にまだ備わっていない。特に匿名で発信できるというメリットが悪用されて、人権侵害や差別的な書き込み、事実と異なる情報などがネットにはあふれている。人類はせっかく手にした道具をまだ使いこなせていないのだ。 既存のメディアは長い歴史の中で、訴訟を受けたり、痛い目にさらされたりする経験を通じて、ある種のルールを確立していったのだが、ネット社会はまだそういう歴史的経験を経ていない。ルールの確立はまだこれからだ。 さすがにネット社会の進展とともに、利用者にもある種のリテラシーが働くようになってはいる。ネット情報をそのまま鵜呑みにしないという程度のリテラシーは、今や誰でも持っていると言える。 裏の取れていない怪しげな情報でも、インパクトのある見出しをつけたりすると検索エンジンの上位に来たりするが、時間がたつと次第に淘汰されて順位が下がっていく。メディアリテラシーがネット社会でも少しずつ浸透しつつあるのだ。 ネットの情報を読み解く力を市民社会がもっと高め、情報の流通にも一定のルールが作られるようになって初めてインターネットは本来の革命的な威力をもたらすはずだ。今はまだその過渡期で、こういう進歩は10年単位のスパンで考えねばならないのかもしれない。80年代に5誌が競合して、全盛を誇った写真週刊誌 既にネットの情報をめぐっても訴訟沙汰になる事例が増えているというが、そういう試みを経ることで既存メディアもある種のルールを作り上げてきた。 出版などの世界ではよく「思想の自由市場」という言葉が使われる。ルール違反の言論は、市場原理によって淘汰されていくという考え方だ。例えば1980年代半ばに写真週刊誌ブームが吹き荒れ、タレントのプライバシー侵害というべき記事を読者が面白がって読んでいた時代があった。 しかし、市民社会の進展とともに、同じようなことを自分がやられたらたまらないという想像力が働くようになり、極端なプライバシー侵害には批判的な空気が高まっていった。 その結果どうなったかというと、一世を風靡(ふうび)した写真週刊誌市場が一気に縮小していった。市民社会にある種のバランスが働いているためで、本当はそういう「思想の自由市場」を信頼し、国家的規制など加えずに情報や言論が流通する社会が望ましい。理想は自主規制 ただ、世の中は常にそういう信頼が保たれている状況にはなく、ある時には人為的規制を加えねばならないこともある。現在で言えば、ヘイトの言論がその対象だ。だが、それでもなるべくなら国家や警察が取り締まるという形にならない方がよい。利用者など市民の側から自主的に、良識が働いていくという形が望ましい。 その意味では、今回のヘイトの告発という動きはかなり注目すべきだ。ネットという道具が浸透し始めて、ようやくこういう動きが出るようになったという意味で、一つの転機と言えるかもしれない。 ただ、言論や表現の評価は難しいため、中には「俺の言論はヘイトではないのだから削除は不当だ」という人もいるかもしれない。そこはユーチューブ側の力量が問われるところではあるが、そういう申し立てがあれば受け止めて検討する機能を保証すればよい。 今まではどんなひどい言論でも野放図に発信できたわけだが、そうではなくある種の自浄作用が働く状態を標準として、それに不服がある人は申し立てるというやり方だ。本来はそちらのほうがあるべき形だと思う。匿名発信をよいことにプライバシー侵害や嘘の情報垂れ流しという状況が続く方が異常なのだ。 特定のメディア企業だけでなく、一般市民がメディアを使いこなせるようになることによってこそ、インターネットという革命的な道具は正しく威力を発揮できるようになるはずだ。今回の「なんJ民」の動きは、まだどうなるかわからないし、一つの萌芽(ほうが)というべき現象だろう。 しかし、利用者の間で自主的に起こったという経緯や、参加者たちが「祭り」として楽しんでいるというありようなど、この現象の持つ新しさは、かなり注目すべきものであるような気がする。 東京・新大久保で大きくなったヘイトデモに対して、その数を上回るほどの市民が集まってヘイトをやめろと声をあげたように、市民の自主的動きとしてある種の社会的バランスが働いていくことが望ましい。2018年6月、川崎市の市教育文化会館で開催予定だった集会に抗議し、座り込む市民ら ヘイトスピーチ規制については、思想の自由市場にゆだねるのでなく、ある種の法的規制もやむなしという見方が多数で、私も、歴史的過渡期においてはそれもやむをえないと考えている。 ただ、本来は国家や警察がなるべく介入しないほうがよいのは当然で、思想の自由市場がきちんと機能するような状況をネット社会においてもなるべく早く作り上げなければいけないと思う。 私は匿名なら何をやってもいいんだという風潮を早く一掃し、市民も自分の言論には責任を持つという社会意識が早く一般化してほしいと思う。そうならなければ、インターネットという道具は、人類にとってのその革命性を発揮できずに終わってしまうことになりかねないと思っている。

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    「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味

    遠藤薫(学習院大教授) 2018年5月、「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」あるいは「ネトウヨ春(夏)のBAN祭り」の名のもとに、ヘイトスピーチと見なされるユーチューブ動画を通報するという「運動」が勃発した。 今日では、グーグルやツイッターなどソーシャルメディアのサービス提供者は、ヘイトスピーチなど問題のある発言に対して、投稿の削除だけでなくアカウント停止など厳しい対応をとっている。対応するにあたっては、ユーザーからの「通報」を参考にすることも多い。したがって、「通報」は間接的に、投稿の削除を促すこととなる。 この運動によって20万本以上の動画が削除され、自主削除したものも10万本近いと言われている。ヘイトスピーチは問題だが、「規制」は「表現の自由」の侵害になるのではないか、という問いを多くのメディアが取り上げた。 ただし、最初に注意しておきたいのは、この問題は「ヘイトスピーチ撲滅か、表現の自由擁護か」という二者択一的な問題ではない、ということだ。「(明らかな)ヘイトスピーチ」は、絶対ダメ、なのである。 わが国では、平成28年6月3日に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」を施行し、法務省は「ヘイトスピーチ、許さない」という大キャンペーンを展開している。これは日本だけではなく、世界の流れであり、国連の見解を受けたものでもある。したがって、もしある動画、ある言説が「ヘイトスピーチ」の要件を満たすならば、誰がどのように通報するかに関わりなく、それは削除されなければならない。図1 動画・言論の布置 ただ問題は、多くの表現は、明らかなヘイトスピーチとまでは言えないが攻撃性を含んでいるし、「表現の自由」の許容にも一定の限度があるということだ。だから、現実に私たちが考えなければならないのは、図1に薄青色で示したような中間領域の言論や動画(いわば準ヘイトスピーチ)にどう対応するかということになる。 そこで、本稿では現実の状況を筆者が行った意識調査をもとに考えてみたい。 図2は、2017年3月と10月に行った調査で、ヘイトスピーチ、炎上、デマ・誤情報に関するソーシャルメディア上での経験を尋ねた結果である。図2 問題投稿に関する経験(2017年3月、7月意識調査より,MA,%) これによれば、問題発言を「見かけたことがある」人はかなりの割合でいること、また、2017年3月と10月の間でその割合が急増していることが分かる。特にヘイトスピーチは2倍近く増えている。2回の調査を単純比較することはできないが、問題投稿が急増しているのではないかと推測される。 今回の「運動」は、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)から「ネトウヨ」に対するカウンターとして始まった。そもそも2ちゃんねるが「ネトウヨ」の活動場所とみなされることが多い現状から考えると、この「運動」に違和感がある人も多いのではないか。「削除運動」参加者の正体 一方、「ネトウヨ」と呼ばれる人々がどのような人なのかは、必ずしもよく分かっているわけではない。「ネット右翼」という正式な呼称からも示唆されるように、ネット上で右翼的な発言を活発に行っている人々を指すと考えられるが、それは「保守」とどの程度重なるのかなど、その像は必ずしも明確ではない。 そこで、2ちゃんねる利用度および自民党支持とヘイトスピーチ認知との関係をグラフ化したのが、図3である。これによれば、3月調査でも10月調査でも、2ちゃんねるの利用頻度が高いグループほど、ヘイトスピーチを認知している人の割合が高い。 同様に、自民党支持層ほどヘイトスピーチを認知している人の割合が高い。また、3月調査に比べて10月調査では認知割合が急増している。 2ちゃんねる利用者や自民党支持者のヘイトスピーチ認知割合が高いのは、2ちゃんねる界隈(かいわい)や自民党支持層界隈でヘイトスピーチが横行しているせいなのかどうかは、別途分析が必要だろう。 また、2ちゃんねる利用者と自民党支持層で類似の傾向を示すということは、2ちゃんねる利用者に自民党支持者が多いせいかとも考えたが、分析してみた結果、そのような傾向は見られなかった。図3 2ちゃんねる利用/自民党支持とヘイトスピーチの認知(2017年3月、7月意識調査より,%)) では、このような問題のある言説について、ネットユーザーたちはどのように対応すべきだと考えているだろうか。図4は、2017年3月調査で、問題言説に対する対応を尋ねた結果である。 これによれば、「誹謗(ひぼう)・中傷」「ヘイトスピーチ」「デマ・誤情報」に関しては、いずれも「規制によって防ぐ」が圧倒的に高い割合を占めている。「表現の自由だから仕方がない」という回答は半分程度である。 「炎上」だけが「ネットリテラシーを身につける」が最も多く、「表現の自由」「規制」と続くが、いずれも同程度である。これは、「誹謗・中傷」「ヘイトスピーチ」「デマ・誤情報」については被害者になることが想定されるのに対して、「炎上」は自分が引き起こしたり、延焼させたりする可能性が高いと認識されているからかもしれない。図4 ネット上の問題発言にどのように対応するべきか(2017年3月調査より,MA,%) ヘイトスピーチに対する対応について、2ちゃんねる利用頻度および自民党支持によってクロス集計した結果が図5である。 これによると、「規制による防止」は、分類にあまり関係なく、高い割合で支持を得ている。一方、「リテラシーを身につけて注意する」と「表現の自由を優先すべき」という対応は、2ちゃんねるの利用頻度が高いグループほど、また、自民党支持層ほど高い割合で支持していることが分かった。 特に2ちゃんねるのヘビーユーザー層(週に数回以上利用)では、「規制による防止」よりも「メディアリテラシーを身につけて注意する」の方が高い割合で支持されている。これは、2ちゃんねる利用者が伝統的に「リテラシー」に強い自信を持っていることによるのかもしれない。社会悪を裁くのはIT企業? これに対して、自民党支持層に特徴的なのは、「表現の自由を優先する」が「リテラシーを身につけて注意する」より高い割合で支持されている点である。その理由については、また別途検討する必要があるだろう。図5 2ちゃんねる利用/自民党支持とヘイトスピーチに対する対応(2017年3月調査より,%) さて、ここまでは、一般ユーザーのヘイトスピーチに対する意識を検討してきた。そして、「規制」を要請する意識が予想外に高いことが分かった。その意味では、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)発の「祭り」は、一般ユーザーの意識に沿っているとも言える。 その一方で、このような「祭り」にある種の暴力性、集団圧力のようなものを感じて、不快に感じる向きも少なからずいるだろう。 ただし、この「祭り」の効果は極めて間接的であり、また限定的である。というのも、先にも述べたように、実際に投稿を削除したりアカウントを停止したりする権限を持っているのは、グーグルやツイッターなどの大手IT企業である。ユーザーからの通報を受けて、ある投稿がヘイトスピーチなのかそうでないのかを判定するのも、これらの企業である。 従来なら通報先となったはずの国家や司法は、(先に挙げた法務省のキャンペーンのように)外部からプロモーションを行っているに過ぎず、法制化されたといっても罰則などはないのである。だから「BAN祭り」は国家(警察)や公的機関には通報しない。グーグルやユーチューブやツイッターに通報する。 今やヘイトという社会悪を裁くのはIT企業なのだ。いつのまにか、IT企業こそが「公(おおやけ)」を担う主体になったのかもしれない。 この構造を踏まえるならば、将来、「規制」をたてに「表現の自由」に行きすぎた制限をかけてくるのは、IT企業かもしれないのである。 まだまだ書きたいことは多々あるが、今回の「BAN祭り」から浮かび出てくるもっとも興味深い謎は、右翼-左翼、あるいは保守-革新の軸と、この運動の対抗軸とはどのように交差しているのか、あるいはすれ違っているのか、という問題である。 「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」のサイトには、「ハンJ民(5ちゃんねるユーザー)は叩くと面白い音がするオモチャで遊んでるだけです。 正義の鉄槌を期待している方々のご期待には沿えないかもしれません。 ツイッターの人たちも別に動いているので、こちらで行動することもできます。→『#ネトウヨ春のBAN祭り』『#ネトウヨ夏のBAN祭り』」と主張されている。(iStock) 「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」とは、結局私たちの社会に何をもたらしたのか。開設以来すでに20年を過ぎた今、利用者-非利用者も含めて改めて考えることは意味があるのかもしれない。

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    懲りないトンデモ動画配信者をどう規制していくべきなのか

    立てないと思い込んでいる存在なのだ。かつてはYouTubeも「違法動画の温床」などと言われていたが、ネット社会の一大インフラとして君臨するまでになった。そんなYouTubeでも、いまだに違法動画をアップするユーザーと戦わない日はない。大変な労力、そしてカネもかかるかもしれないが、現状は配信企業が地道に違反ユーザーを取り締まり、彼らを追放していくしかない。さもなければ、技術の発展で勝ち得た新たな技術が不届きものに食い物にされ、我々は結局その恩恵を受けることができないのだ。関連記事■ 増える高齢者クレーマー、悩むサービス業の若者たち■ いまさら無修正DVD製造販売業者の摘発が相次いでいる理由■ 自己資金50万円で「ソフト闇金」を始めた大学生の“事業戦略”■ 女優が逮捕 グレーゾーンのカリビアンコムが摘発された背景■ ついに人気女優も逮捕された「成人動画」制作の裏事情

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    ネットでは意に沿った発言をしない限り敵とする二元論となる

    「リベラル」、「保守」とはいったい何かという問題が、最近、ネットでは話題だ。伝統的な左派・右派といった枠組みでの定義はもはや意味がないのではないかという分析から出てきた話題だが、現実の選挙の前では、その党派にわかれた罵倒合戦のようなことがネット上ではたびたび起きている。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、両派が罵り合う状況について解説する。* * * ジャーナリスト・佐々木俊尚氏が「文春オンライン」にて『「ネトウヨ」「パヨク」の罵り合い、そろそろやめてみませんか? 総選挙に向けたひとつの提案』という文章を寄稿した。内容は、選挙においては「党派性」というものだけで考えるべきではない、ということである。なぜ、佐々木氏は「党派性重視」を問題視するのか。同氏はこう説明する。〈党派は「敵か味方か」「白か黒か」をはっきりさせるので、人を熱狂に駆り立てる。ゆえに人々を動員しやすく、運動は盛り上がる〉 佐々木氏は「党派性」ではなく、自分自身が正しいと思うことを基に投票すべきでは、と暗に提案しているのだが、同氏の意図については、若干説明が必要だろう。「ネトウヨ」は「ネット右翼」のことで、今回の選挙では主に自民党支持者のことを意味する。希望の党・維新はあまり関係ない。日本共産党をはじめとしてリベラル政党を支持する「パヨク」(≒左翼)については後述する。 佐々木氏は2000年代中盤からネット上では圧倒的な知名度を誇る論客であり、常に「大人」として、炎上案件があってもバランサーとしての役割を果たしてきた。(iStock) ここ数年間の選挙においては都知事選でも、国会議員の補選、都議選でも「ネトウヨVSパヨク」のネット上の戦いは展開されてきた。いずれも自民党支持者VSリベラル政党支持者という構図だ。リベラルは政策批判ではなく「反安倍」 選挙においては、矢野顕子が過去に歌ったように親同士が敵味方に分裂し、選挙のたびに殴り合いになるのである。今の時代、ネットはその状況になっている。佐々木氏はバランサーとしてのスタンスを明確にするのだが、その都度、基本的には「パヨク」の側から批判が寄せられる。「お前はリベラルを装ったネトウヨだ」と。 両派とも、自分の意に沿った発言をしない限りは“敵味方”を明確に分ける二元論となり、「ネトウヨ」「パヨク」のレッテル貼りをし、罵り合う。そもそも昨今の市民活動のイシューはおかしい。 「脱原発」に賛成しているのならばそれでいい。しかし、なぜかそれと「憲法九条改憲反対」「朝鮮学校無償化賛成」「加計学園問題は叩け」派が同じ論調なのである。「リベラル」の名のもとに「それらには賛成(反対)しよう」といった談合的状況になっているのだ。その界隈のオピニオンリーダー的な人の号令を待ち、その論調に従う傾向がある。 そこで一致するのは「反安倍政権」ということである。イシューは関係なく、とにかく安倍政権がむかついて仕方がない人々が連携し、何にでも反対している状況がある。これが佐々木氏言うところの「パヨク」である。 ネトウヨに関しては、安倍晋三首相のことであればなんでも擁護し、景気の悪化が懸念される消費増税も「必要なことだもんね」と容認。結局政策ではなく、「誰か」が選挙で最も意思決定に影響するのである。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など関連記事■ うっかりミスでも「反日企業」レッテル貼られる状況■ 鱧のおすましやステーキ騒動 世代間闘争はネットの風物詩■ 「イエニスタ土田」「QBK」一度のミスに執着するネット民■ ネットの居酒屋ポテト論争など 「これで番組つくるかァ?」■ ネットニュースのコメ欄を席巻する中韓嫌いな人々の飛躍思考

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    ネット憎悪「Hagex事件」の深層

    「おいネット弁慶を卒業したぞ」。人気ブロガー「Hagex」(ハゲックス)さんを刃物で刺殺した男は犯行後、ネットにこう書き残したという。「低能先生」などと揶揄され、ネット上でのやりとりに逆恨みした末の事件だった。ネット憎悪がリアル殺人を引き起こす現代社会の病理に迫る。

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    「切込隊長」山本一郎がHagexさんの死に直面して思うこと

    した。 当時、私は「切込隊長」を名乗っていたものの、すでに結婚をし、子供も生まれたばかりだったので、ネット社会特有のハンドルネームによる活動から、徐々にリアル社会に受け入れてもらえるような実名での活動に切り替えていた時期でした。でも、Hagexさんからしてみれば、私は「切込隊長」であり、そのハンドルネームを捨てても「元隊長」なのです。 つまり、「あー、あの切込隊長さんですか。その節はお世話になりました」「え、あなたがZoffさん?? あれってHagexさんのことだったの? 知らなかった」みたいな関係です。私にとって「岡本顕一郎」という名前では認識されず、あるコミュニティーでは適当なハンドルネームで、また別のコミュニティーでは全然違う名前で呼び合う、いわばディスプレーの向こう側にいる人でしかなかったわけですね。そして、出された名刺に記された実の名前とお堅い会社など組織のロゴで苦笑することになります。 しかしながら、彼も私も同じネットコミュニティーにいて、ホワイトハッカーの連中や違法ダウンロードの監視をやるボランティアをしていましたが、もうまったくお互いの名前も素性も知らないまま活動していたんですよね。そして、彼が「Hagex」として活動し始めた2003年よりもずっと後の2011年ごろ、前述のやりとりが行われた某大学教授のささやかな宴会で、面識を得るに至ったわけです。 会ったことがないのに共通の話題があり、それどころか、同じ事件を見て、その解決に協力することはネットではよくあるのです。ネットで起きる変な事件、変わった人たちの書き込み、ヤバい問題などなど、ネットという広大な場所だからこそ、Hagexさんたちと私は「同じ興味や関心を持ったネット民の集団」として知り合うことができます。そもそも、ネット上ではなぜ、お互いをハンドルネームで呼び合い、リアル社会の立場を述べなくても、そこで積極的に活動している誰かを信頼することができるのでしょうか。 会ったことのない人を殺す事件を、皆はビビります。でも、会ったことのない人と協力し、信頼して、場合によってはかなりの時間と費用と労力をかけて問題に取り組む――これが、ネット社会の良さであり、理解のし難さでもあります。信頼関係も築けるネット社会なら、人を殺すような事件が起きてもまったくおかしくないのがネット社会なのです。山本一郎氏 実際に会うと、はにかみ屋で、穏やかな人柄に見える人物が、ネットでは過激で、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いをし、大胆な行動で鳴らしていることもあります。逆に、いつも乙女チックな書き込みで、物腰が静かで、ネット内では信望を集めて多くのユーザーやハッカーを束ねている人が、実際に会ってみると巨大な体躯(たいく)をアロハシャツで纏(まと)い、指が何本かない人であって、むしろ会ったこの場で写真を撮られないよう腐心する、といった具合です。 大手企業の研究職あり、霞が関の技官あり、博士課程を出ても無職あり、無粋な書き込みを連発する妙齢な女性あり。これがネット社会の醍醐味(だいごみ)であり、リアルなのです。 Hagexさん刺殺事件は、そういうコミュニティー全体をも驚きと嘆きと失望に落とし込みました。こんなところで死ぬ人ではなく、運が悪かったとしか言いようがない。メディアでは、会ったこともない人と誹謗(ひぼう)中傷の「応酬」をして殺されたという事件の特異性を書き、そこに「ネットの闇」と報じていました。まあ、確かにそれはそうかもしれない。さて、私らネット民は闇から光を見ていたのでしょうか?むしろ私だったかもしれない インターネットが普及する前、音響カプラーに黒電話をつないでパソコン通信をやっていた時代から、本名よりもユーザーIDとハンドルネームで個体認識をするのが当たり前だったのが、サイバー空間にある人間の絆であり、絆が織りなすネット社会です。普通の人には理解のし難い、変人たちが集まる不思議な社交場に見えているのでしょうか。 そんなサイバー社会は、どんどん大きくなりました。それまでのパソコン通信は、バカ高い電話代をモノともせず、しょぼい性能のパソコンでチャットをしたり、つまらないゲームをしている物好きの集まり。そこからインターネットが発達し、無料掲示板、SNS、ブログにTwitter、Facebookなど、いろんなサービスが立ち上がりました。自分の好みのサービスを、友人たちとの交流に使えるようになって、すごく一般的になっていった。ネットとリアルの融合と言うけれど、実際には世の中には元からリアルしかなかったのです。 ネットの向こうにいる人も、生の人間です。ネットでもアプリでもリアルでも言葉を交わしながら、人は関係を築き絆を紡ぐ。心を通わせる言葉もあれば、「回線切って首吊って死ね」という罵倒も飛び交う、人間の生のコミュニティーが工作する雑踏がネットでした。 そんなネットを愛していたのがHagexさんです。ネットでやらかす人たちが好きだった。また、偉そうなきれい事をネットで言いながら、実際には全然違う行動をする、ダブルスタンダード野郎が大嫌いでもあった。そんなHagexさんが私に相談してきたことは「Hagexと実名を切り分けて活動を広げていきたいと思っているんです」というものでした。 私が結婚や出産を契機にネットでしか通用しない、それでいて居心地の良い「切込隊長」という名前を捨て、ありふれているけど逃れようのない実名「山本一郎」で論述したり研究をしたりしているさまを見て、Hagexさんはその20年近く慣れ親しんだ「Hagex」とは別の活動を始めようと思っていたのです。 そして、私なんかよりよっぽど、家族、所属企業などプロフィールを知られないよう、慎重に対応していたのがHagexさんだったと私は思います。というか、仲良くさせていただいてきたのに、友人一同「えっ、Hagexさん、そうだったの?」っていう情報がいくつもありました。先に言ってよ。それだけ気を遣っていたのに、まさかこんな事件になってしまうなんて悲運としか言いようがない。 下手をすると、殺されているのは私だったかもしれません。というより、脅迫も差出人不明の怪文書も今までの人生たくさん受け取ってきて、裁判も多数やり、拉致されそうになり、恨んでいる人の数で言えば私の方がはるかに多いのです。そんな私より若いHagexさんが死ぬなんて、世の中の不条理を深く感じます。これから何かを為そうとしている男の門出に、出合い頭の不幸な事故だったと、私は無念に思うのです。2018年6月24日、岡本顕一郎さんが刺され死亡する事件のあった福岡市中央区の現場付近 また、今回殺害に及んだとされる容疑者の「低能先生」。全然、低能じゃないHagexさんを殺したこの人の罪は擁護しようもなく、悔い改めて償ってほしいと思う一方、容疑者の魂の平安はどこにあるのか、残された人たちで考えていかなければなりません。 どれだけ嘆いても気持ちの収まらない事件で、何より「これって、どうすれば、何をもって解決なのか?」と考えがグルグルしてまとまりません。緊密に会ったことがない人との関係でも、人間はぽっかりと心に穴が開くことがあるのだ、ということを改めて気づかせる事件だったと思っています。

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    2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。最近、ベランダで、ミントやバジルやタイムやローズマリーやラズベリーを育てていたりするひろゆきです。 食用で育てているのですが、苗の時から日光の当たり具合を調整したりしていたので、食事時に葉を摘むときも、成長点は摘まないように日当たりの悪いところから採ろうとか、植え替えをしたから2、3日はやめておこうとか、植物側に立って考えるようになっちゃいました。人によっては、家の中に入ってきた虫を殺さないで追い出す人もいます。 6月には、イタリアが移民救助船の受け入れを拒否して、スペインが受け入れたりしましたね。2016年、2017年で、地中海を渡ろうとした移民が少なくとも2000人以上亡くなっています。そのために、何かする人もいれば、何もしない人もいます。 さて、本稿は「ネットにおける言論空間は成立しないのか」というテーマで書いているのですが、法律論と言論をごっちゃにしている人が多いのですね。 Hagexさんが刺殺されたわけですが、「殺人犯は厳罰に付されるべきで、ネットで嫌な思いをしたとかは、殺人が正当化される理屈にはならない」というのは、法律論では正しいです。きっと、裁判でもそういう判決が出ると思います。 法律論はお互いの立場を理解し合う必要もありません。相手の非を責め続けた方が勝つものです。 ただ、言論は法律論と違うものです。お互いの立場を理解した上で、言葉を尽くして妥協点を見つけられたらいいよね、ってモノだと思います。 なので、法律的には「加害者が全面的に悪いよね」で終わりなのですが、法律関係の仕事をしているわけではないうちらとしては「将来の悲劇を防ぐには何をしたらいいのか?」を考える方がいいと思うのです。 加害者の42歳無職の人は、国立九州大学で学んでいたと報じられています。国立大学出身の同期の多くは一流企業や銀行や官庁や研究の道に進んでいたのだと思います。自宅アパートの部屋の中の確認を終えた松本英光容疑者=2018年6月27日、福岡市(共同) そんな彼がその後にやった仕事は「ラーメン屋のアルバイト」だったそうです。その後、ラーメン屋で正社員になり、3年前まで働いていたそうです。 「なぜラーメン屋を辞めたのか?」ということまでは分かりませんが、39歳で無職になった彼が社会に希望を見いだしていた可能性はだいぶ低いと思います。 ちなみに、アメリカやヨーロッパで「イスラム国」(IS)によるテロと言われる殺人事件が毎年起きていますが、中東からテロリストがわざわざやってくるだけではなく、アメリカやフランス、ベルギーなどで育った人が、自分の住んで暮らした社会に幻滅し、その後社会を壊すことを選んで犯行に及ぶケースもままあります。「キモくて金のないおっさん」問題 日本は、毎年2万人以上が自殺をする社会です。社会や未来に希望が持てなくなり、自殺を選ぶわけです。 一方で、たまに、自分を殺して社会から卒業するのではなく、他人を殺すことで社会から卒業しようとする人たちがいます。秋葉原通り魔事件、東海道新幹線殺傷事件、そして今回の事件ですが、犯罪とは程遠い生活をしてきた人が、一転して重大事件の加害者になりました。 逮捕されて、刑務所に入ることが嫌なことであると考える人は、社会に属すことに居心地の良さを感じる人たちだけです。社会に属することを居心地が悪いと感じる人たちにとっては、刑務所や死刑ですら苦痛からの解放のように考えてしまう場合もあるわけです。 個人的にはそういう人を「無敵の人」って呼んでいたりするのですが、無敵の人に対して、既存の刑事罰の強化をしても、犯罪を抑制する効果はあまりないのですね。 さてさて、問題点を出すだけでは無意味な長文になってしまうので、おいらなりの解決策を提示してみたいと思います。 ネットで「キモくて金のないおっさん問題」と言われる、「誰からも好かれていないし、期待されていないおっさんをどうにかしないと社会に悪影響があるよね」っていう問題があります。イギリスだと孤独担当大臣という大臣を作って対処を始めていたり、他の国では問題として認識されて、社会的に解決しようと予算が動いていたりします。 解決するには彼らが社会に未練を残すようにすればいいわけで、「家族や恋人ができたらいいよね」という解決策を言う人もいますが、現実には「キモくて金のないおっさん」と付き合いたい人はそんなに多くないのが実情です。 そこで注目したいのが、南米ベネズエラの食糧危機です。大規模な食糧危機が起きたので、国民の75%が平均約9キロも体重が落ちたそうで、多くの餓死者も出たといいます。 そこで、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、貧困地域に食料としてウサギを配布しました。※画像はイメージです(iStock) ウサギは約2カ月飼育すれば、2・5キロぐらいに育つそうです。毎日の食事も満足にありつけない人たちの食事として各家庭に配って、2カ月ぐらいしたら食べるだろうと思ったら、ペットとして名前を付け、一緒に寝てかわいがっていて、全然食べなかったそうです。ということで、このウサギを配る計画っていうのは大失敗に終わり、今度はヤギで試すらしいです。 人は、弱い存在から頼られることで幸せを感じたりする生き物です。ということで、「キモくて金のないおっさん」にはウサギを配ってみると、「自分が社会からいなくなったら、ウサギの世話をする人がいなくなって、ウサギがかわいそう」ってことで、ウサギの世話をし続けるために社会に居続けてくれるんじゃないかと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。 ちなみに、毎月7万円を国民全員に無条件で配る「ベーシックインカム」っていうのも解決案の一つなんですが、ウサギの方が安上がりだし、面白そうだと思うので、個人的には「ウサギ計画」を無敵の人への対処法として提示したいところです。 という感じで、「キモくて金のないおっさん」側の心情を考えることができるのが「言論」のできることだと思ったりします。

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    リアル殺人を厭わない「ネット弁慶」に突然変異などいない

    唐澤貴洋(弁護士) 6月24日、福岡市でインターネットセキュリティー会社社員の岡本顕一郎さんが、42歳の無職の男によって刺殺される痛ましい事件が起きた。岡本さんは「Hagex」(ハゲックス)のハンドルネームで、「Hagex-day.info」というブログを、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「はてなブックマーク」で開設していた。報道によると、容疑者の男はインターネット上で荒らし行為をしていた「低能先生」と呼ばれる人物だという。「おいネット弁慶卒業してきたぞ」「これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく、俺と議論しておのれらの正当性を示すこともなく(まあネットリンチの正当化なんて無理だけどな)俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」「ただほぼ引きこもりの42歳」「これから近所の交番に自首して俺自身の責任をとってくるわ」 はてなブックマークの匿名ブログ「匿名ダイアリー」には、低能先生と呼ばれる男の犯行声明とみられる上記のような文章が投稿されていた。この男は「動機」について、「通報&封殺」されたことにあると記していたのである。「低能先生という荒しがいる。はてなブックマークに出現し、IDコール利用して複数のユーザーに対して誹謗中傷を繰り返している」「低能先生からコールが来る度に、私ははてなに通報を行っている。当初は『私も含めて、他のユーザーに罵詈雑言を行っている人間です』と丁寧に理由を書いていた。が、最近では『低能先生です』と一言だけ書いて送っていた。その後低能アカウントは凍結される」(岡本さんのブログより) 岡本さんは生前、低能先生による中傷行為を運営側に報告していることをブログで書いていた。つまり、低能先生と呼ばれる男は、はてなブックマークで荒らし行為をしていたことについて、通報されてアカウントを凍結されたことを逆恨みして犯行に及んだと理解できる。 この事件について、インターネット上での争いが現実社会での殺人事件にまで発展してしまった点で、驚きをもって世間では受け取られている。果たして、これは特異な事件といえるのだろうか。 私は弁護士として、ネット上の法的問題をよく取り扱っている。私自身、インターネット上のある誹謗(ひぼう)中傷事件の弁護をきっかけに、ネット上での誹謗中傷に始まり、殺害予告や爆破予告をされた経験がある。 果ては、親族の墓にペンキをまかれる、事務所周辺にビラをまかれる、カッターナイフを送られるなど、現実でも無数の嫌がらせを受けた。唐澤貴洋弁護士になりすましたツイッターの投稿。現在は閲覧できなくなっている(ツイッターより) 現実社会での嫌がらせをしてきた犯人のうち、何人かについては刑事処分が下され、その人物像を私も知ることとなった。そこで見たのは、ネットにしか居場所がない人物の悲しみであった。 私の身に起きた事件の犯人たちは、現実社会では無職だったり、学生であっても通学できていなかったりしていた。そうした他者から肯定的な評価を得る機会が少ない者が、インターネットで居場所を見つけていたのである。突然変異ではない「事件」 そういった者が、ネットでの反応が見たいがために、インターネットや、その延長線上の現実社会で、ネタを作ろうとして異常行動を起こした。ネタとなった行動をした者は、ネット上で無責任な称賛を受け、その賛辞をもって自分の存在を確認していたのである。 彼らはネット上の無秩序の感覚に慣れ親しんでいるためか、ネタを作るためであれば、現実社会で違法と評価されることもいとわない。器物損壊、建造物侵入、窃盗、脅迫、恐喝、業務妨害…。実際、私が受けた行為はれっきとした犯罪だった。 こうした犯罪が刑事事件として立件され、容疑者が逮捕されると、必然的に報道される場合がある。事件報道によって、ネット上に氏名が掲載されることになれば、事件報道は記事として拡散する力が強いために、半永久的に記事が残ることになる。 現実社会で生きている人間からすれば、実社会で何ら関係ない第三者に嫌がらせをして、その行為を犯罪行為として罰せられるリスクを引き受けるということ自体、よく理解できないだろう。 しかし、ネットでのコミュニケーションを通してでしか自己の存在確認ができない孤独な者にとって、ネットでの反応は欠かすことのできないレゾンデートル(存在意義)となっている。 今回刺殺事件を起こした犯人の怒りの根拠は、はてなブックマークで「通報&封殺」されたことだ。この怒りは、たかだかネットで、特に、一部のブログサービスで発言できなくなっただけだと考えるのであれば、理解などできないだろう。2018年6月、福岡市内の松本英光容疑者の自宅アパート インターネット上で居場所として見つけた空間で、アカウントがなくなり、発言もできなくなるということは、引きこもりで現実社会との関係が薄い犯人にとって、自分の存在理由にかかわる重大な事態と映ったのではないか。自らの犯行声明をネット上に投稿した行動からは、結局、自分の行為を伝えて評価を受ける場所がインターネットしかなかったからに他ならない。 インターネットでの存在確保のために、現実社会で異常な行動に出てしまうという理路は、ネット空間での自己認識こそがリアルとなっている者の存在を知らなければ理解できない。自らに起こったことからも考えれば、このような孤独な環境にいる者は少なからずいるのではないかと、私は考えている。 今回の事件は決して何か突然変異で起こっているわけではない。私は、インターネットが出現して人間社会に欠かすことができない存在として扱われるようになったことから、起こるべくして起こった事件であると考えている。

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    かまってちゃんをこじらせた「低能先生」のキケンな化学反応

    に省略してコミュニケーションを生み出し、世の中の歴史の一部を作り出してゆく。 厄介なのは、われわれはネット社会と現実社会を自由に行き来できることである。というのは、現実の人間関係とネット上の人間関係は、それぞれ異なる特性を持つにもかかわらず、両立し、かつ互いに影響し合っているからである。 しかし、このような「相互乗り入れ」は、実はそんなに簡単なことではない。ネットと現実では、人同士の距離の近さであったり、即時性であったり、匿名性であったり、率直性、コントロール性の面で異なる。ということは、異なる人間関係スキルや表現・言論スタイルが必要であるにもかかわらず、それを行使する主体は、一人の生身の人間でしかないのだ。 もちろん、二つの世界を器用に使い分けられる人が大部分だ。しかし時に、二つの世界のはざまで、人がさまざまな欲求を言動や態度として表出する過程で、アサーティブな(自分や他人を傷つけない)解消ができないことがある。そのとき、心理的なひずみが深められていく背景になるのである。2018年6月26日、送検される松本英光容疑者=福岡・中央署 つまり、ネット不適応に至る場合、人とコミュニケーションを取るスキル(技術)の問題が表面的にはある。だが、実際には、スキルよりももっと心理的には深層の、個人のさまざまな欲求や思考が「ネット言論」という場と化学反応を起こすことによって、それがある人の現実生活や人生までも変えてしまう原因になるということが、今回の事件で象徴的に示されたのではないだろうか。 容疑者はネット上で「低能先生」と呼ばれ、200回以上もIDを変えて、他人の罵倒を繰り返していたという。彼の原動力として、そこに存在していたのは、他ならぬ「自己顕示欲」であろう。揺るがされた存在価値 言葉を換えれば、「承認欲求」でもあったのではないか。あるいは、自分の人生を理想的に展開する「自己実現」の模索に近いかもしれないし、自分の行動のコントロール感を高めたかった行為であるとも見立てられる。 いずれにしても、自分の存在意義を自分で確認する行為である。ネット言論では、異質で偏った言説であっても、リアクションや称賛の対象になりうる。たとえそれが炎上のような、字義通りに捉えればネガティブに見える反応も、本人にとっては「炎上を起こしている主体」として、社会の中での自分の立ち位置を意識化することができる。 そのため、ネット言論における自己顕示は、現実生活でのそれに比べるとハードルが低く、かつ本人の欲求を満たす形で機能しやすい。心理・行動分析学の視点からいえば、自身の行為から60秒以内にリアクションが生じると、その行動が繰り返される糧になる。ネットは、それが得られる格好の場なのである。 しかしながら一方で、その効果は限定的であると言わざるを得ない。ワンパターンの「批判」というあり方でしかない自己主張は、リアクションがなくなることこそないにしても、反応は次第に下火になっていく。エスカレートしないと、自分の求める反応は得られない。そして続ければ続けるほど、敵も増えていくのである。 とはいえ、本人のモチベーションにつながる反応がゼロになるわけではない。加えて再実行のハードルは低い、というかそれしかできない。結果、また批判を繰り返す…。 しかしそこに残るのは、永遠にステップアップしない他者からの承認や、社会的地位を得られないという実感しかない。 もちろん、会社や学校など、他に自己顕示欲や承認欲求が満たされる場があれば、健康は保たれる。しかし、容疑者が無職であったとすれば、満たされない欲求と無力感だけが残る。その中で、岡本さんからの逆批判は、存在価値を根幹から揺るがされる引き金になったことであろう。 そうなれば、あとは実力行使しかない。ネットでは受け入れられない自己の価値を、他の世界、つまり現実社会で確認するほか道は残されていない。だが当然、社会性を失っている場合、短期的に承認を得られる場などあるはずがない。追い詰められてゆがんでしまった思考は、殺人という凶行によって完結したのかもしれない。2018年6月、ITセミナーで講師の岡本顕一郎さんが刺殺される事件のあった福岡市内の旧小学校施設 強いていえば、彼に客観的思考を与える他者がいれば、事件は起こらなかったかもしれない。実は、人間は現実社会の中で他者と関わることにより、ぶつかったり認められたり否定されたりしながらも、さまざまな思考や価値観に触れ、自分の主観的思考を調整している生き物なのだ。カウンセリングにおいても、どんな悩みであれ、「主観的思考」から解き放たれ、「メタ認知」(自分の思考に関する思考)を持つことができたとき、問題は解決するのである。 もし、自分の思考だけに固執せざるを得ない環境だけが彼の居場所だったとすれば、彼の中だけの「正しさ」が芽生え、強固に維持されながら、「自分の何が悪いのか」「相手は何を考えているのか」「この状況はどんな状況なのか」などということさえも適切に理解できずにいたに違いない。時には、被害妄想にも似た感情を抱えていたかもしれない。ネット言論は、そのような暴走を維持する「負の機能」も持ち合わせているのである。 ネット言論が情報の伝達手段として機能するだけではなく、人の欲望や衝動を表出したり解消したりする場であり続けることは、当然のことながら否定されるべきものではない。しかしながら、ネット言論の限界をわきまえ、唯一無二の存在として固執しない・させないマネジメントを行うことが、キケンな化学反応を防ぐ一つの策になるのである。

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    ネットの気に食わない発言、いちいち勤務先に抗議する愚

     昔から失言は誰でもしてきたし、それによって報いを受けてきた。インターネットやSNSの発達に伴って、失言どころか、気に入らない主張に与したというだけで、その発言主を徹底的に糾弾してよいと考えて行動する人たちが目立ってきた。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、通報扇動家たちの存在と、それへの対処について考えた。 * * *「ネットで非常識/人でなし発言をした者は勤務先・通学先に一斉通報を扇動!」というネットの伝統芸がまたもや出てきて呆れている。具体名は挙げないが、「高度プロフェッショナル制度(高プロ)賛成」「過労死する人も自己責任の面もある」的なことをツイートした某社社員が炎上した。 会員制物販サービスを提供している会社なのだが、これらの発言によってネットで発生するのが退会扇動、運営会社への抗議呼びかけ、解雇要求、不買運動である。 この意見の是非はさておき、とある個人がネットで発言したことにより不快な気持ちになったり、怒りを覚えたからといってその組織を攻撃することこそ正義の行為、的考え方はいい加減やめないか。 不買運動を呼びかけるような対象というものは、世間に対して有益なサービス・商品を提供しているわけだから、一人の関係者による“不適切発言”があったからといっていちいちその組織を追い込むよう呼びかけるのは公共の利点を考えると誤りである。※画像はイメージです(iStock) 問題のある人間が勤務する(した)会社に対して「なんであんな奴を雇ったんだ!」とクレームが殺到する時代ではあるが、人事からすれば「そんなの見抜けるかよ! ヤバい奴だと面接段階で分かる機械をお前が作ってくれたら買ってやるから営業妨害やめろ! もう、朝から電話が鳴りやまずに仕事にならねぇんだよ!」や「有能だから雇ってるんだ。人の会社の経営に口出しするんじゃねぇ」と言いたくなるだろう。「お前はネット断ちしろ」と助言したい 世の中は自分にとって気に食わない意見で溢れている。 それは当たり前のことだ。安倍晋三支持派と反アベ派は経済政策でも外交実績でも絶対に意見の一致を見ない。家を買った人間と、賃貸住宅居住を貫く人間でもどちらが一生を考えたら得か、という点では理解し合えることはない。あくまでも自分が支持する側、そして自分が選択したものを支持せざるを得ない。これが人間の性である。 冒頭の「働き方」について同社社員の意見が気に食わない人がいるのは分かる。じゃあ、この社員を解雇にまで持っていくことに何の意味があるのか。 実際問題として、何の意味もないのである。義憤に駆られて世直しをしているつもりになるのかもしれないが、意見の合わない人間などウジャウジャ世の中にいる。というか、好意を持たない人間の方が世の中には圧倒的に多いわけで、そんな人間の意見が安易に自分の目に入ってしまう時点でネットというものは罪作りだ。頭から湯気を出している人間には「お前はネット断ちしろ」と助言をしたい。余計な意見など目にしない方があなたのためになる。 ただ、こうした通報扇動家は、相手に背負うべき組織がない場合は滅法弱い。その発言をした人間個人と議論すれば負けるから、所属する組織に対して恫喝をする。※画像はイメージです(iStock) だからこそ企業も「言論の自由はありますし、成績を出しているだけに……。本人に直接文句言ってください」と対応すべきなのだ。それこそ成熟した社会のありようだ。過激発言であろうとも、明らかな差別発言ではない場合は、いちいち組織と個人を紐づける必要はない。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■ 「ネットde真実」 ズレた正義に目覚めて無駄な行動力を発揮■ 何でもガラス張りに異論 素人の意見など無視してナンボ■ 差別主義者出禁や24時間営業休止等、「お客様は神様」の終焉■ 経産省 東京新聞論説副主幹の記事に抗議するも逆襲くらう■ 勝谷誠彦 馬鹿どもに声高に抗議するのに疲れた今やるべき事

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    「炎上覚悟で」と前置きするツイートが炎上しない件

    網尾歩 (コラムニスト) この連載では毎回、主にツイッター上で炎上している話題を取り上げている。筆者はツイッターの検索欄に「炎上」と入力して延々とツイートを確認するという地味な作業を毎週行っているが、ヒットするツイートのほとんどは、実際の炎上には関係ない。 「それ炎上するんじゃない?」「炎上するよww」など、知り合い同士での軽いやり取りが多いのだが、それ以外で目立つのは、「炎上覚悟で言います」「これ言ったら炎上するかもしれないけど」といった前置きである。 この前置きを使う人たちは、比較的若年層が多い。そして筆者の想定している「炎上」と10代から20代前半のそれは、定義が若干違うようにも感じられる。 筆者が探しているのは、大手企業の広告炎上であったり、芸能人や起業家など有名人の発言による炎上だ。一方で、若年層が「炎上」と呼んでいるのは、自分たちの所属するコミュニティの範囲内での炎上であることが多い。だから実際は、別の方法で炎上を探すことが多い。 同じ学校に通っている、同じ地域に住んでいるという共通点があったり、同じ趣味を持っていたり、共通の声優やアニメのファンでゆるくつながっているコミュニティであったり。半径5メートルほどで起きている批判や個人攻撃を、彼らは「炎上」と言う。もちろん、10代の世界が社会人より狭いことは何らおかしなことではないから、これは不思議ではない。 また、彼らの「炎上」の捉え方は、それが賛否両論の「議論」というよりも、一方的に寄せられる攻撃的なクレームや批判のことを指しているように感じる。※画像はイメージです(iStock) たとえば、地下アイドルがファンに対してライブでのマナーを求めるようなツイートを呈する。すると、「炎上覚悟でこんなことを言えるのはさすがだな」というつぶやきが散見される。客観的に見てアイドルに非があるとは思えないが、アイドルに対して感情的なリプライを送るアカウントは確かに存在する。 発言者に明らかな非がある場合や、もしくは賛否両論が交わされている場合を「炎上」だと思っている筆者の感覚の方が古いのかもしれない。「炎上」という言葉は、一部では「発言者に非があるか否かは問題ではなく、攻撃的なリプライが複数寄せられる状態」の意味で使われている。炎上を狙うのは意外と難しい これは恐らく、若年層が目の当たりにしてきた「大人たちの炎上」がそのように見えたからなのだろう。ファンにライブマナーを求める地下アイドルの何が悪いのか筆者にわからないのと同じように、少なくない割合の10代は、たとえば政治家が「保育所の拡充を求める母親は独善的だ」とツイートすることの何が炎上ポイントなのかわからないのではないか。 大人と子どもの違いだけではなく、自分の興味・関心の薄いトピックについて、人が他人の怒りを理解するのは基本的に難しいことなのだろう。 ここまで書いて気が付いたが、そういえば「大人」の中でも、芸能人がつくった子どもの弁当が肉ばかりに見えるとか、一億総姑かと感じるような炎上も確かにある。炎上とはいじめである、そう10代が理解するのもおかしくない。 「炎上覚悟で」というツイートを追うと、しばしば自分の顔写真をアップしている10代がいることがわかる。恐らく、顔写真をアップするのは「自分の外見に自信がある行為」と見なされている。だから「ブサイクのくせに顔を載せるな」という理由で「炎上」したケースが過去に複数あったのだろう。 顔写真をアップしながら「炎上覚悟で」とツイートするのにはこんな背景がある。しかしそのツイートの多くは、それほど拡散も炎上もしない。せいぜい2桁程度のRTではあるが、コミュニティが狭い中では、それでも「多くの人に見られた」状態なのかもしれない。※画像はイメージです(iStock) 「炎上覚悟で」と前置きしながら、ちょっとした意見をツイートしている場合もある。本人は「こんな毒舌を言っていいのか」とドキドキしながらのツイートなのかもしれないが、これも多くの場合、炎上していない。 炎上するツイートは、反論を買うことを予想していない無邪気さ、無神経さが鼻につくからこそ炎上するのだろうし、ツイッターのユーザーたちは、「炎上」で人目を引き、あわよくばフォロワーを増やそうとするユーザーの多さにもうんざりしているのだろう。 案外、狙って炎上することはなかなかできない。何を言っても人をイラッとさせてしまう炎上芸人のような有名人も存在するが、そうでない人が炎上を狙うのは、拡散を狙うのと同じぐらい難しいことなのだろう。

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    成長する出会い系アプリ市場 実名サービス登場で認知度上昇

    「現在の恋人とつきあって1年4か月になります。それまでの恋愛は長続きしなかったけど、今の彼とはめずらしく長く続いていて、結婚まで意識しています」──幸せいっぱいの表情でこう話すのは、関西地方の商社に勤める田代美保さん(仮名・29才)。AKB48・柏木由紀似の清楚系の美女だ。 田代さんが見せてくれたのは、5才年上の彼氏の写真。山田孝之似のイケメンで、年収は1500万円だという。「出会ってからつきあうまで3週間、その間に4~5回のデートを慎重に重ねて“この人しかいない”と思うようになりました」(田代さん) ここまで聞くと、いたって普通の恋愛のようだが、ふたりの「なれ初め」を知ると印象が変わるかもしれない。「先に彼が私の写真を見て『いいね!』を押してくれて、私もそれに『いいね!』で返して連絡を取り合うようになりました。彼は年収、学歴、顔、性格と条件をすべてクリアしていたから、“この人を逃したらもう他はないな”と思ったんです」(田代さん) そう、田代さんと彼が出会ったのは、スマートフォンを使った「出会い系アプリ」だった──。 出会い系サイト「ハッピーメール」で知り合った20代女性に金品を渡して交際したとして、新潟県の米山隆一前知事(50才)が辞任して半月あまり。東大卒で医師、弁護士の資格を持つ超エリートの現役知事が、出会い系サイトを介して女子大生と“恋愛”していた事実は世間に衝撃を与えた。(iStock)「知事がいかがわしいサイトを使うなんて新潟の恥です」(60代女性)「あの年で出会い系なんて信じられない…」(50代女性) 地元住人からはいまだこうした辛らつな声が上がるなか、本誌記者が米山氏の実家を訪ねたところ、インターホン越しに女性が一言こう話すのみだった。「わざわざ来ていただいて申し訳ないですが、コメントは差し控えます」 米山前知事の一件以来、良くも悪くも注目を集める出会い系。嫌悪の目を向けられながらも確かに現代社会に浸透したこの文化は、どこから発祥し、どのような趨勢を辿ってきたのか。3人に1人以上がアプリで結婚 30を超える国際版SNSに登録して、世界中から情報を集めるフリーライターの出町柳次さんが解説する。「出会い系の始まりは1989年に始まった『ダイヤルQ2』です。特定の番号をダイヤルすると女性と会話できるシステムでしたが、援助交際目的や高額の利用料請求などが社会問題となって廃れました。パソコンと携帯電話が普及した1990~2000年代にはネットを介して男女がつながる『出会い系サイト』が流行しましたが、男性会員をつなぎとめるために女性のフリをしてメッセージを送る“サクラ”も目立ちました」 大きな転換点となったのはSNSの登場だった。「なかでも2004年に登場したmixiによって“出会う”が“つながる”に変化しました。共通の趣味や関心を持った友達の輪が広がり、そこで知り合った人たちと実際に会うことがめずらしくなくなりました」(出町さん) SNSの普及により、出会い系のイメージが変わったと語るのは、超実践派恋愛コンサルタントのSaiさんだ。「かつての出会い系はアンダーグラウンドなイメージがあり、“モテない男女による、使っていることを大っぴらに言えないサイト”でした。また匿名性が高く、監禁や美人局などのトラブルに巻き込まれることもあり、実際に出会える異性の質も平均点より高くありませんでした。しかしここ5年ほどでフェイスブックなど実名を開示するSNSのアカウントと紐づけることが必須の出会い系が増えたことで透明性が高まり、認知度がアップしました」(iStock) 世界最大の交流サイトであるフェイスブックを活用している人は、「リア充」(現実の生活が充実している人)が多い。そうした人が出会い系を使うことで、「モテない男女が集う陰湿な出会い系サイト」が「イキイキした男女が交友関係を広げるためのマッチングアプリ」に変化したのだ。 スマホの普及で「いつでもどこでもお手軽に」が加速した出会い系アプリの勢いはめざましく、現在273億円の市場規模は2022年までに577億円に拡大するとみられる。 実際、株式会社マッチングエージェントによる2017年の調査では3人に1人以上が出会い系アプリをきっかけに結婚もしくは恋人ができたという。関連記事■ 隆盛極める出会い系アプリは現代の“お見合いおばさん”■ ゲーム感覚で簡単に利用の出会い系アプリ、“パパ活”の温床に■ 婚活女性、出会い系アプリで3か月で104人とデートし結婚へ■ 3Dプリンターを使い胎児の顔をフィギュアにするサービス登場■ イケメン執事がサプライズで花束等を宅配するサービス登場

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    「福島がTOKIOを応援する番」ツイッターで賛否両論

    網尾歩(コラムニスト) 9連休だった人もそうでなかった人も、GW中いかがお過ごしでしたでしょうか。GW前後の炎上4件をまとめました。 県知事がコメントを出す事態にまで発展してしまったのがこちら。徳島県徳島市で開かれたアニメイベントで、出演した女性声優を見かけて男性ファンが同じ飲食店に入店。その後、声優がトイレから出てきたタイミングでトイレに入った。さらに、便座を撮影し、「○○さんがさっき座ったトイレにきたw」「○○さんのお尻を触ってる気分になってる」(○○は声優の名前)とツイートした。男性は自ら入店の経緯などをすべてツイートしていた。 一連のツイートについて、男性に批判が殺到。男性は当初、「便座に触ったくらいでゴチャゴチャ言うな」などと言い返していたが、その後アカウントを削除した。 このイベントは市内の公園や商店街なども参加会場に含まれ、県外からの参加者も多い町おこし要素の高いもの。イベントのHPに、運営者らと連名で県知事が「大変残念」「皆様には節度ある行動をお願い致します」などのコメントを載せた。 男女共用トイレに女性の後に続いて入り便器を撮影する行為は、財務大臣風に言えば「便座撮影罪はない」のかもしれないが、顰蹙を買う行為であることは間違いない。男性本人も、声優に知られればまずいことはわかっていたようで「(声優が)エゴサしているようには見えなかったよ」(※エゴサ=エゴサーチ)ともつぶやいていた。 アニメや声優のファンからも「こういうマナー違反があると声優と距離の近いイベントはなくなる」といった批判のほか、「アニオタがキモがられる原因になるからやめてほしい」「声優ファンの一部ではどれだけキモいことを言えるかのチキンレースで盛り上がる風潮はどうなのか」(ツイート内容を要約)といった苦言も見られた(iStock) 過去にはツイート内容や更新頻度から生理周期の分析や自宅室内の推測をするなど、卑猥な内容のリプライを送られ続け、ツイッターを休止した声優もいる。内輪で盛り上がるファンは楽しいのだろうが、傍目には女性が公開セクハラを受けているようにしか見えない。 女性ファンの多い舞台で活躍する20代前半の舞台俳優が、5年ほど前の高校在学中と思われるころにツイートしていた内容を発見され、炎上した。まだ人気のなかった当時から同じアカウントを使い続けていたこと、本人のツイート数がそれほど多くないことから、過去のツイートを遡るのは難しくなかったと思われる。 発掘されているツイートは数多く、その内容は「妊婦さんに膝カックンして絶望させる遊び」「腐女子だけは気持ち悪いから死んで良いよ」「ぶっ殺してぇキモオタ共」など。また、表現が下劣すぎて紹介できないが、某有名テーマパークでの性行為や、電車内での女性への迷惑行為を推測させる内容、妊婦や生理用品への執着を感じさせるツイートも繰り返され、人気商売である芸能人がつぶやく内容とは思えないものばかり。「#今度は福島がTOKIOを応援する番だ」に賛否 さらに、「韓国人ビンタしたんでお金下さい」「韓国人と中国人は見下してる」といった人種差別も。この俳優が活躍する舞台は国外にも女性ファンが多く、ツイートを翻訳した海外ファンからも批判の声が上がった。 俳優は批判するファンをブロックし、これまでコメントを出していないが、舞台降板を望む声も多い。中には「若かったころのことだから」と擁護の声もあるが、ツイッター上のファンには広く知れ渡ってしまったと見られる。 声優ファンの炎上と同じく、内輪ノリで「毒舌」や「下ネタ」を楽しんでいるつもりだったのだろうが、代償は大きい。若気の至りとはいえ、何が彼を、そこまで異様なツイートに駆り立てたのだろう。 4月30日、某有名コピーライターが発したツイートが物議を醸した。内容は、「『人間以上の倫理感』が、いま人間に要求されているのではないか。いま人に要求されている『正しさ』は、ほとんどの歴史的宗教よりも厳しいのではなかろうか」。 前後のツイートとのつながりはなく、その後の本人の説明もないため、何についての言及かは不明だが、時期的に山口達也の強制わいせつ事件や、元財務事務次官のセクハラ問題顛末などを意味しているのではないかと推測されている。 GW中に武田鉄矢が山口の事件について「昨今、世の中の透明度がよくなるのはいいけど、世間の空気に栄養がない」「あまりにもみんな、清潔なものを求めすぎている」と発言したことと意味が近いと並べるツイートも散見する。 本人の言及がない以上、何を念頭に置いてのツイートなのかはわからないが、倫理観は人類の進化とともに磨かれていくものと考えれば、どの時代の宗教よりも正しさを求めているというのは、正解なのかもしれない。ただ、それは否定的に語られることなのだろうか。(iStock) もちろん、自分の感覚をフォロワーにふわっと共有したかっただけなのだろうから、ツッコミも野暮かとは思う。何についてのツイートかの説明がないのに、「そう思います」「その通りです」と追従できるフォロワーたちは、とても敬虔な信者に見えた。 「#今度は福島がTOKIOを応援する番だ」。TOKIOの連帯謝罪会見を見た人たちから生まれたハッシュタグだ。復興のためにTOKIOが尽くしてくれた恩返しに、TOKIOの窮地を救いたい気持ちの表れなのだろう。 長くなったので少しだけ。TOKIOを応援する人の中で好意的に大拡散されている一方で、案の定、ハッシュタグを使った被害者バッシングも行われている。このハッシュタグについて感想を求められたときに非常に慎重な言葉選びを迫られ、困るのはTOKIOなのではないか。被災地に送られ持て余される千羽鶴を見る気持ちになる。

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    漫画村と政府が「同じ穴のムジナ」と言える3つの理由

    曽我部真裕(京都大学大学院教授)  4月13日、政府の知的財産戦略本部(知財本部)・犯罪対策閣僚会議において、「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」が決定された。 そこでは、コミックなどを中心に、無断でコンテンツを無料配信する海賊版サイト「漫画村」をはじめ3サイトが名指しされた。 その上で、被害が深刻であることから、「法制度整備が行われる間の臨時的かつ緊急的な措置」として、一定の要件のもと、インターネット接続事業者(プロバイダー、ISP)がこれら3サイトへのアクセスを遮断する措置(ブロッキング)を行うことが必要であり、法的にも可能であることが示された。今後は、知財本部の下で法整備が検討されることになる。 また、この決定を受け、業界最大手のNTTグループのうち、インターネットプロバイダー(接続業者)を運営する主要3社が3サイトを遮断する方針を発表している。 この問題については、事前に政府がプロバイダーに対してブロッキングを要請することまで検討されているといった報道もあり、関係事業者やこの問題に関心を寄せる法律家から批判の声が上がっていた。 政策研究・提言団体の「情報法制研究所(JILIS)」でも、筆者を中心とするタスクフォースにおいて、4月11日に「著作権侵害サイトのブロッキング要請に関する緊急提言」を発表した。そのほかにも多くの声明・提言類が公表され、大きく報道されている。 その効果があってか、13日に決定された「緊急対策」では、政府による「要請」までは含まれずトーンダウンがあった。しかし、基本的な問題点は変わっていない。海賊版サイトへの対策を決めた会議に臨む安倍首相(手前右)と、 「漫画村」のトップページ(奥)のコラージュ(共同) では、今回の決定の問題点はどのようなところにあるのだろうか。一般市民の目線からは、海賊版サイトが違法なことは明らかであるから、アクセスできないようにしても問題ないと感じられるかもしれない。 確かに、この点については専門的な知識が必要で、分かりにくいところがある。テクニカルな話を省き、今回の決定の主な問題点を述べるとすれば、①サイトの内容が違法かどうかを政府が判断していること②立法なしにプロバイダーにブロッキングを事実上強制しようとしていること③ブロッキングという措置が本当に必要かどうかの議論が尽くされていないこと、にある。 まず、①「サイトの内容が違法かどうかを政府が判断していること」について説明しよう。 ブロッキングは、すべてのインターネットユーザー(つまり、この文章を読んでいるあなたも含まれる)のアクセス先、閲覧先をプロバイダーがチェックをし、問題のあるサイトにアクセスしようとしている場合にアクセスを遮断するというものである。 一般に、ユーザーがどのようなサイトを閲覧しているのかという情報は、例えばその人の思想信条を推測する材料にもなりうるなど、プライバシー性が高い。そこで、こうした情報は、通信の内容そのものと並んで、「通信の秘密」として憲法や法律(電気通信事業法)によって保障されている。ブロッキングは、この「通信の秘密」を侵害するのである。日本は法治国家じゃないのか 他方、対象サイトに接続できなくなるため、ブロッキングはユーザーの「知る権利」の侵害にもなる。知る権利も、表現の自由の一部として、憲法に由来する保障を受ける。 もちろん、憲法に由来する保障を受けるとしても、例外的に制限が許される場合はありうるが、そのためには慎重な考慮が必要である。この点については②との関係で述べるが、①との関係では、政府があるサイトの内容を違法であると決めつけてブロッキングをさせることが許されるとすれば、政府が自分たちにとって不都合なサイトをブロッキングすることを防ぐ論理が成り立たなくなる。政府によるネット検閲に途(みち)を開くおそれがあるのだ。 次に、②「立法なしにプロバイダーにブロッキングを事実上強制しようとしていること」についてだが、前述の通り、「通信の秘密」「知る権利」にも限界があり、極めて例外的な場合には、プロバイダーにブロッキングを義務付ける(あるいは許容する)ことが許される場合があるかもしれない。 しかし、そのためには立法が必要であり、国民の代表が集う国会でのオープンな議論を通じて、ブロッキングの是非が判断される。また、立法の内容としても、ブロッキングは必要最小限のものとなるような規制であることが求められるだろう。立法に問題がある場合、裁判所が違憲立法審査権によってチェックを行うこともありうる。 今回の決定は、はっきりと「要請」をしたわけではないとしても、プロバイダーに対して事実上強い圧力をかけるもので、立法によって義務付ける場合に生じる上記のようなプロセスやチェック過程を回避しようとする点で、法治主義からの逸脱だと言わざるを得ない。 ③「ブロッキングという措置が本当に必要かどうかの議論が尽くされていないこと」については、4月22日にJILISなどが主催して行われたシンポジウムで、さまざまな指摘がなされた。「海賊版サイト」問題でネットの接続遮断に反対し、意見を交わすシンポジウムの出席者ら=2018年4月22日午後、東京都千代田区(共同) 著作権侵害はもちろん違法であり、コミックスを発行する出版社などは差し止めや損害賠償請求といった民事上の手段がとれるほか、告訴をして刑事事件として対応することを求めることもできる。ところが、実際にはこうした手段が尽くされていないのではないか。 さらに別な観点からみれば、ブロッキングという手法自体が、コストがかかる割に回避が容易なため効果は非常に限定的であり、必要性が感じられないという指摘もなされている。また、海賊版サイトへの広告出稿を抑止する取り組みにも改善の余地があるという指摘もある。 以上のように、今回の政府の決定には問題点が多く、支持することができない。他方で、海賊版サイト対策自体は非常に重要であり、今後、政府において議論がなされることになる。 適切な著作権保護を通じて良質なコンテンツが継続的に生み出され、楽しめるような環境を、出版社、ネット関係事業者、広告関係事業者らがどのようにして作っていくのか。オープンな議論の中で知恵を出し合うことが必要であるし、国民としても注視していくことが求められる。

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    山本一郎が読み解く仮想通貨流出「コインチェック事件」の本質

    山本一郎(個人投資家・作家) 仮想通貨取引で大変な騒ぎを現在進行形で引き起こしているコインチェック社(以下、CC社)の一件については、CC社から「盗難」されたとされる暗号通貨NEM(XEM)に対する補償が払われるのか、ということだけでなく、他の暗号通貨取引で預かっていた顧客資産もどこまで日本円で出金できるのかという結構な問題にまで立ち入ってしまっています。 仮想通貨やブロックチェーン(分散型台帳技術)がITと融合した新たな金融サービス「フィンテック」の大事な一角である以上、巷では「暗号通貨NEMの取引でCC社がやらかしても、ブロックチェーン技術は引き続き有望だ」という議論が出るのも分からないでもありません。 何しろ、CC社の問題というのはあくまでCC社のセキュリティの問題であって、ブロックチェーンが破られたかどうかという話ですらないからです。 一方で、金融庁が2月2日から検査局職員が常駐する形で資産の状況確認が進む中、警視庁サイバー課も関係者からの事情聴取を続けている状況です。漏れ伝わる状況を聞く限りでは、今回のNEM(XEM)は、何者かのハッカーによる犯行、ということになっていますが、犯行の状況や経緯がはっきりせず、とりわけ侵入を許す前後のログに不審な点がなかなか判然としないなどの問題もあって、捜査は難航しているようです。流出を受けて記者会見するコインチェック社の和田晃一良社長(左)=2018年1月、東京都中央区(佐藤徳昭撮影) 簡単に言えば、読者が仮に犯罪者であったとして、家屋に浸入し、運よく簡単に開けられる金庫を見つけたとします。その金庫を難なく開けてみると、ドルや人民元、ユーロ、日本円にルーブルとより取り見取りの紙幣がうなっていたので、その中から日本円「だけ」袋に入れて持ち去った、というのがこの事件です。犯罪者の心境として、この行動は合理的でしょうか。本稿では、判断は読者に委ねます。 「下手人」が誰であれ、技術的に日本の将来を担うと見られたフィンテックは、仮想通貨の盛り上がりとともに比較的緩い規制の中で「世界でリーダーシップが取れるよう育成していきたい」というビジネスになっていました。 ただし、すでに海外でもCC社のようなハッキングされる事例は後を絶たず、2月3日には韓国の暗号通貨取引所がハッキングされ、おそらく北朝鮮に日本円にして20億円前後が盗み出されてしまったのではないかと報じられました。さらには、アメリカでは大手取引所のビットフィネック(Bitfinex)とその関連でテザー(Tether)という暗号通貨の取引において、裏書となる資産が乏しいのではないかという疑惑が持ち上がり、アメリカ先物委員会が関係者を召喚するという事態にまで発展しました。 詳細は産経新聞の記事を御覧いただくとしても、このところのビットコイン(BTC)以下、暗号通貨各種の取引レートは非常に不自然で、このテザーに人民元による決済とみられる資金が流入すると、それ以外の暗号通貨にも「分配」されるようなアルゴリズムでもあるのか、均一に値上がりするということが繰り返されています。フェアでない暗号通貨の取引 人為的な相場であるとは、かねがね指摘されているのが暗号通貨界隈の泣き所です。胴元がいるからこの暗号通貨取引は相場操縦されており、価格はただのフェイクなのだと指弾されることが多いのです。 また、NEMに限らず多くの暗号通貨がこれらの人民元と見られる取引に伴う世界的な資金の流れに関係していること、さらにはもともとのブロックチェーンの開発者とされているサトシ・ナカモト氏が発表した「Satoshi Paper」とは無関係なところでビットフィネックからCC社まで暗号通貨の取引所が位置付けられているのも、すべては当初の「フィンテックは貨幣を国家や社会から自由にする民主的な存在」なのだという理想世界とは、ずいぶん実態は違うことの根拠となり得ます。 言われているほど暗号通貨の取引はフェアではなく、民主的でもないというのは、裏を返せば「では何のために仮想通貨をこれだけもてはやし、市場全体で20兆円以上も暗号通貨市場を構築してきたのか」という素直な疑問に立ち返ることになります。「コインチェック」の本社が入る建物の前に集まった報道陣=2018年1月、東京都渋谷区(飯田英男撮影) そして、ほとんどの暗号通貨は実質的に中国本土から流出する中国元の大きな流れを漂う小さな子船のようなものです。今回流出したNEMも、それ以外の暗号通貨もおよそ中国から世界へと流れ出る貨幣の奔流とともに浮き上がった存在でしかありません。 もちろん、技術的な裏付けで見るならば、非常に優秀な技術者がNEM.io財団を作り、流出したNEMを追跡できる仕組みを用意し、少なくともどのような取引でどう盗まれたNEMが広がっていったのか追いかけることはできます。しかしながら、今回は盗難であり流出であったから資産の流出を追いかけることは誰も反対しませんが、それ以外の取引も含めて、誰もが見られる状況にある仮想通貨上の価値が、最後まで追いかけられるというのは果たして妥当なことなのでしょうか。 NEM.io財団がいかに優れた技術者による善意の集まりであったとしても、選挙で代議士を送り込めるわけでもなく、名目上はどこの統治機能にも属していません。言うなれば、人々の代表でもない人たちが、技術的に可能だからといって誰かの資産を追跡できる仕組みが用意されている、というのが仮想通貨の難しいところです。仮想通貨は優れた技術 人によっては「政府は信用できない」とか「国家という概念が終わりかけているのに、その発行であるリアル通貨に依存しているのは良くない」などといった話をされるケースもあります。 政府が信用できないというのは、まあ分からないでもありません。しかしながら、インターネットというのは仮想通貨だけが技術ではありません。通信は偽装され、盗んだとされるハッカー本人は注意深く潜航していると見られます。 当然、今回のような犯行に対してウォレットに汚染されたマーカーをつけるという対策は、あくまでそのウォレットがおかしいということだけであって、実際にウォレットの持ち主が誰であり、その場所と人物を特定し、自宅のドアをノックするのは誰なのかといえば、結局は国家に雇われた警察官であることを、私たちは忘れてはなりません。 仮想通貨は優れた技術の総称であり、ブロックチェーンをはじめとしたフィンテックが私たちの暮らしをより良くするカギを握っていることは間違いないのです。 ただ、それは「技術の内容をきちんと知って、正しく夢を見る」必要があります。一獲千金の暗号通貨相場を狙って格安のうちからマイナーなアルトコイン(ビットコイン以外の仮想通貨)を仕込む投機的な活動が、結果的に中国本土から流出する資金の流れの中でバブルを起こしたというのは、オランダのチューリップ球根の値上がりよりも実物がない分だけ儚(はかな)いものです。仮想通貨取引大手「コインチェック」本社が入るビル前には、顧客や報道各社が集まった=2018年1月、東京都渋谷区(春名中撮影) そう考えれば、技術者や起業家の性善説で成り立っていた資金決済法ではなく、問題が起きないようがんじがらめに規制している金融商品取引法がいかに必要で、優秀だったのかということがよく分かる事例だったという話になります。 金融庁のCC社への検査の結果、どこまできちんと会社資産と顧客からの預かり資産とが切り分けられ、どれだけの割合がきちんと顧客に返還されるのかは分かりませんが、多くの人たちにとって納得できる決着になってほしいと願っていますし、この程度の話で仮想通貨やブロックチェーンと言った新しい技術がだめになってしまわないよう冷静な議論ができることを心から望んでいます。