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    猛威を振るう「不謹慎狩り」の正体

    「不謹慎狩り」が猛威を振るっている。大災害などが起こるたびに、有名人らのSNSを攻撃し、誹謗中傷を繰り返す。些細な言動を勝手に「不謹慎」と決めつける異常な現象だが、どうもその正体はごく一部の、しかも孤独な連中によるものらしい。彼らはなぜ「狩り」を続けるのか。

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    ひとりぼっちで生きる「孤人社会」が他者への不寛容を増幅させる

    遠藤薫(学習院大教授) 「不謹慎狩り」あるいは「不謹慎たたき」といった言葉をよく耳にする。 事故や災害などの悲劇が起きると、社会全体に悲しみが広がる。そんな状況で、共感的悲しみにそぐわない発言や行動が、非当事者から、過剰ともいえる批判を受ける現象を「不謹慎狩り」や「不謹慎たたき」などと呼ぶ。 それにしても「狩り」「たたき」とは嫌な言葉だ。ある日突然「おまえは魔女だ」と名指され、残酷な刑に処せられる中世の「魔女狩り」を連想する。「池に落ちた犬はたたけ」という言葉もある。内容の是非はともかく、強者が弱者をたたきのめすイメージは愉快なものではない。 「不謹慎狩り」という現象で、なぜ狩人たちが「強者」となり得るかといえば、「つらい思いをしている人たちに対する共感(配慮)を欠いている」という主張が、一見、抗(あらが)いがたい「正論」と感じられるからであろう。 確かに、つらい思いをしている人たちのつらさが増すような心ない振る舞いをたしなめることは必要かもしれない。ただし、それが相手をたたきつぶすような過剰な制裁である場合、そのような行動自体が「共感を欠く」行為となる。ましてや、過剰な制裁がウイルスのように広がって、「不謹慎な行為者」に対する公開リンチになるような事態はまったく本末転倒である。しかも、「不謹慎に見える言動」が本当に「浅慮」や「共感のなさ」によるかものかどうかは微妙である。 例えば、東日本大震災後、被災地の子供たちが「津波ごっこ」をしていることが困惑的に取りあげられたことがあった。しかし、児童心理学者によれば、心に傷を負った子供たちは、無意識に、その体験を遊びによって克服しようとするのだという。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) にもかかわらず、「不謹慎狩り」が起こるとメディアで注目されることが多い。 しかし、他の研究者たちも指摘しているように、「不謹慎狩り」を実際に行っている人は極めて少ない。筆者が2017年10月に行ったインターネットモニター調査(N=1676、本稿で参照する「調査」はこの調査である)では、「不謹慎狩り」を含む「炎上」案件に加わったことがあると答えた人は、全体の1・4%にすぎなかった。つまり、「不謹慎(に見える)言動」を具体的に「狩ろう」とするのは、実際には少数意見であるにもかかわらず、社会的には非常に大きく可視化されてしまう傾向があるのではないだろうか。「間メディア」の時代 なぜ小さな声が大きく響くようなことが起こるのか。それは今日のメディアの発展によるものだ。ソーシャルメディアは言ってみれば、すべての声、ありとあらゆる発言を、広い範囲に送り出す。こうした発言は、リツイートされたり、「いいね」されたりして拡声されていく。 ただし、リツイートや「いいね」をする人は、必ずしもその意見に賛成だったり共感したりするからそうするわけではない。「え?」と思ったり、驚いたり、反発したりする場合にも、その意見はリツイートされて、さざ波を起こしていく。 さらに、「ネット時代」と言われる現代だが、マスメディアも依然として大きな影響力を持っている。マスメディアは、ソーシャルメディアで拡声された「ちょっと変わった意見」を取り上げることもある。批判的だったり、冷笑的だったりするかもしれないが、昔からよく言われるように、「犬が人間にかみついてもニュースにならないが、人間が犬にかみつけばニュースになる」のである。マスメディアに取り上げられた話題は、ソーシャルメディアでさらに注目の話題になる。 こうして、もしかしたら誰も賛成しない「変わった意見」が、広く社会に認知されるようなことも起こり得る。それが、マスメディアとソーシャルメディアが相互に影響し合う「間(かん)メディア」の時代の特徴である。 さて、先にも指摘したように、悲劇的な状況の中で、不謹慎な言動をたしなめようとしたりすること自体は悪いことではない。ただそれが、「不謹慎たたき」と呼ばれるような、一方的で、過剰に不寛容な批判は望ましくない。 しかも、上に述べたように、常識を外れるような「狩り」が社会的認知を得ると、それに触発されて、つらい状況にある人への共感というより、自分の中の攻撃性を発散させるかのような「不謹慎狩り」に同調する者も現れる。それが伝染し、増殖していくことで、本来はちょっとした「義憤」であったかもしれないものも、相手の実名や住所を曝(さら)したり、脅迫したりする「不謹慎狩り」と呼ばれるような過剰な社会的制裁へと自己増殖していく。 このとき、元にあったはずの「つらい人々」への共感は次第に忘れられ、個人的な「正義」によって他者への不寛容がむき出しになっていく。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) すると、このような状況に違和感を抱く人も現れる。その結果、「不謹慎狩り」を行う人をたたく「『不謹慎狩り』狩り」が始まることもある。「『不謹慎狩り』狩り」も、それが過剰な不寛容性と攻撃性を帯びるならば、「不謹慎狩り」の過ちを正すことにはならない。方向は違ったとしても、「共感」とはさらにかけ離れた不寛容の暴走にしかならない。 そのため、「『不謹慎狩り』狩り」はさらに「『不謹慎狩り』狩り狩り」を産み出し、幾重にも「『不謹慎狩り』狩り狩り…狩り」を自己増殖していく。そして「共感」は、もはや思い出されることもないくらい遠くに置き去りにされてしまう。図1 「不謹慎狩り」と「「不謹慎狩り」狩り」の循環的自己増殖不寛容が蔓延する理由 このような現象が起こると、「ソーシャルメディアが普及したから…」といったソーシャルメディア原因説が語られる。もちろん、メディア環境が変わることで社会は変化する。先にも述べたように、マスメディアとソーシャルメディアが相互作用する「間メディア」の時代には、このような現象がこれまで以上に「見える化」されているのは確かだろう。けれどもその新しいメディア環境を生み出したのはまさにその社会なのである。その意味で、社会とメディアは一体のものといえる。 では、なぜ他者に対する不寛容が蔓延するのか。 ロバート・パットナムという米国の社会学者は、これを「社会関係資本」(人々のつながり)の低下によるものと分析している。彼は、社会的なつながりがなくなると、人は孤立し、他人への寛大さや、他人と自分が平等だという意識、そして政治的参加の意欲が低下すると指摘し、それは世界的傾向であると述べている(『孤独なボウリング』)。図2 困ったとき、誰に頼ることができるか(%、複数回答) 日本でも「社会的なつながり」の低下が指摘されている。例として、筆者が行った調査の結果を図2に示す。これは、災害、健康問題、仕事、経済状態などで困ったとき、誰に頼ることができるかを尋ねた結果である。これによれば、現代の日本人は、困ったときに頼りにできるのはほぼ家族である。家族がいない人は厳しい状況に置かれることになる。頼れるものは何もないという人も多い。何とも寂しい社会の風景である。 図3は、近所付き合いについて聞いた結果の一部で、近所の人と生活面で助け合う関係を持っている人の割合を示した者である。性別では女性の方が、年代では高年齢層の方が緊密な近所付き合いをしている。ただし、70代とそれ以下では大きなギャップがある。世帯年収では高所得層の方が近所付き合いをしているものの、1200万円以上になると少なくなる。居住地では、予想に反して非都市部でむしろ低く、地方中都市で最も高くなっている。図3 近所に日用品の貸し借りなど生活面で助け合っている人もいるという回答の割合(%) いずれにせよ、その割合は極めて低く、図2とも合わせて、地域共同体の衰退がうかがわれる。「地域」は人々が協力し合って生きる所ではなく、寝食のためのカプセルとしての「住居」がただ並んでいるだけの場所になりつつある。 このように個人が孤立した状況では、人は他人に共感を持つよりは、自己を守るために他人に対して不寛容な構えをとらざるを得なくなるのかもしれない。そのストレスが、具体的に自分に被害の及ばない「不謹慎行為」にさえ攻撃的行動をとらせ、それを一種のエンターテインメントとするような心的態度を構成するのかもしれない。 ひとりぼっちで生きる「孤人」たちの社会が、生き心地の良い社会であるはずはない。 「不謹慎狩り」を鏡として、他者に対する「共感」と「寛容」をもう一度育て、生き心地のよい社会について考えたい。

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    貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。ひろゆきです。さてさて、世の中には、いろんな人がいて、その人なりのいろんな趣味や楽しみ方を持っていたりします。 SMなどで痛みを感じることが快楽になる人や、ホラー映画やお化け屋敷で恐怖を感じることを楽しいと考える人、大幅な速度違反をして高速道路を走り回って命の危険を感じることで生きている実感を味わったりする人とか、同じCDを100枚買って女の子と握手することで喜びを感じる人、とかとか。 最近、ネットで割りと見かけるようになったのが、「怒る」ことを趣味にする人たちだったりします。不快になったり、腹が立つようなニュースをわざわざ読みに行って、怒りを文章にしてぶつけてたりする人たちですね。 ネトウヨ(ネット右翼)と呼ばれる人が、ネトウヨサイトで、日本を卑(いや)しめてるような記事をわざわざ読んで、その国の政府やその国の人たちを罵倒したりするコメントを書いたりしていますよね。 限りある人生の時間を、不快なものをわざわざ見て、怒って、嫌な気持ちになって、他者を罵倒したりするというのは、そういうことにまったく興味がない人からみると、時間の無駄だし、アホなことやってるなぁ、と思えるようなことだったりします。 そういったサイトの中にはヘイトスピーチで訴えられて裁判で負けたりしてるサイトもあるんですけど、一説によると、1日に4500万ページビュー(PV)ぐらいあったそうです。 ということで、こういった「怒る」というエンターテインメントで余暇を過ごす人が、日本人の中にはそれなりに大勢いるってことだと思うのですね。 なので、「なぜこういうことをやるのか?」というと「不快になる」という最初の段階が目的ではなくて、「怒って、他者を罵倒する」ということの方が目的だったりします。だから、こういったネトウヨサイトは大体コメント欄があったりします。 一般のニュースサイトってコメント欄のないところの方が多いですからね。だから、日本を貶(けな)す人たちを罵倒するということは、彼らの脳内ではある種の正義の鉄槌だったりするのかもしれませんね。「彼らの誤った認識を正すのが日本の国益だ」みたいな。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 普通に考えれば、外国人に言いたいことを「日本語で日本のサイトに書いても読まないでしょ?」 っていう当然のツッコミがあるはずなんですが、ネトウヨな人たちはそういうのは気にしないみたいです。 つまり、本当に外国の人の考えを改めてもらうために書いているわけじゃなくて、罵倒したり非難したりという他者を責める発言が目的なんですね。 ということで、他者を責めるということに快楽を感じる人たちが世の中にはそれなりの人数がいるのです。ただ、その攻撃をするためには大義名分が必要だったりします。非のない人を攻撃していたら、ただのおかしな人ですからね。快楽と正義の一石二鳥 「非のある人を正義の名の下に攻撃する」というのは、彼らにとって、正義を執行することで社会のためであり、自らも快楽が感じられるという一石二鳥だったりするわけです。 というわけで、そんな彼らは、ネットで「非のある人」を探してたりするので、ネット上で不謹慎なことだったりを見つけては攻撃する「不謹慎狩り」と呼ばれるようなことが起きたりします。 世の中にはもっと面白い娯楽や、エンターテインメントがいっぱいあったりします。異性と楽しい時間を過ごすとかでもいいですけど。ただ、そういったことには、コミュニケーション能力やお金が必要だったりします。でも、そういったお金や能力のない人でも「楽しめる娯楽」が他者を責めることだったりするわけですね。 金融広報中央委員会が2017年に、日本全国の20歳以上で、2人以上で暮らしている8000世帯に調査をした結果、銀行や証券会社の口座を持ってない人たちと口座はあるけど、残高が0円という「金融資産ゼロ世帯」が全体の31・2%もいることが分かりました。ちなみに収入がないという世帯が9・9%です。10世帯のうち1世帯は無収入だったりもするわけです。 収入や財産がある人は別のもっと楽しい趣味にお金を使えるわけですけど、そうじゃない人が世の中にいる限りはこういった「不謹慎狩り」のような行為は続くんじゃないかと思います。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 昔は、インターネットはそれなりに高い金額のパソコンを買った人が、プロバイダーと電話代を払ってインターネットにつないでいたりしたのですが、今やインターネットは無料の娯楽なので、お金のない人ほどインターネットが趣味ってことになっているようです。 ということで、「不謹慎狩り」の解決策は景気が良くなって、みんながそれなりに余暇にお金が使えるようになることが対策になるはずなんですけど、来年は消費税が増税らしいので、他者を責める人がますます増えるんだろうなぁ、と思います。

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    「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) 9月6日、女優の長谷川京子さんの写真共有アプリ「インスタグラム」が炎上した。内容は、友人の誕生日を祝う食事会の写真だったが、これが同日未明に発生した北海道胆振東部地震直後の投稿であり、被災した方々が大変な時に「不謹慎」「不適切」とされたのだ。 翌9月7日、長谷川さんは「写真のものは随分前に撮影したもので、ここ数日行われたものではありません」と釈明しながらも、「北海道では大きな災害があり、労りの言葉なく、空気の読めないものをあげてしまったこと、現地で大変な思いをされている方に失礼な事をしてしまいました。申し訳ありませんでした。これからは今まで以上に、このような事が起きないよう注意していきます」と謝罪し、当該の投稿を削除した。 今や、大きな自然災害や事件・事故が起こるたびに、有名人のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が炎上するのがもはや恒例となっている。熊本地震の際だけでも、藤原紀香さん、上地雄輔さん、紗栄子さん、みのもんたさん、西内まりやさん、長澤まさみさん、川谷絵音さん、その他政治家やテレビ番組まで、その発信に対して批判の渦が巻き起こった。 7月の西日本豪雨の際も、山田優さんが自撮り写真とともに「梅雨も明けた? ので夏の必需品~!」として愛用している紫外線(UV)対策用のスプレーを紹介し、「無神経」と批判を浴びた。 もちろん、炎上の陰には同意や賞賛のコメントも少なからずあり、「謝罪する必要はない」「アンチがコメントしているだけ」と擁護する声も多い。しかし、批判された有名人のほとんどは、弁明したり謝罪する事態に追い込まれている。 ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(SJW)という概念がある。直訳すると「社会正義の戦士」だが、差別や不祥事、悪行などに対して、ブログやネット掲示板、SNSなどインターネット上で激しく戦う人々のことを指す。「不謹慎狩り」もほぼ同義であるといってよい。女優の長谷川京子さん 元々は2009年ごろから、皮肉や当てこすりを込めた蔑称(べっしょう)として使用されてきたインターネット上の俗語(ネットスラング)だが、2015年には英オックスフォード大出版局の英語辞典に新しい単語として採用された。 編集者の箕輪厚介氏は、9月10日放送のTOKYO MX『ばらいろダンディ』の中で、「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアーはめちゃくちゃ害悪だと思ってます」「一番大事なのは相手にしないことですよ。できるだけ『こいつらクズだな』って言い続けることが大事だと思います」と持論を展開、猛批判して注目を浴びた。なぜ「正義の戦士」になるのか なぜ、人は「社会正義の戦士」になってしまうのだろうか。 実は、心理学的に見ると、その背景はそれほど深くない。もちろん、人が何らかの行動を起こす際には、何かしらの感情や欲求がその裏にある。具体的には、一般人には経験しづらい有名人の暮らしに嫉妬していたり、投稿には関係なく仕事など自分の社会生活や家族関係に不満を抱えていることの発散であったり、元々対象となる有名人が嫌いで、批判したり貶める機会を探っていたなど、さまざまな「思い」だろう。 あるいはファンが賞賛していたり同意していたりすることに対する、「逆張りの精神」が発揮されているだけだったり、「発信者本人が気づいていないであろう視点に自分は気づいている」という自己顕示的意味、さらには社会正義的な言動を展開する憧れの人物の模倣(モデリング)の場合もあることと思われる。 いずれにしても、ある種一時的で、誰しもが日常的に抱き得る心理的反応である。その意味では、極端にいえばSNSを利用している人の全てが、いつ「社会正義の戦士」になってもおかしくはないのである。 とはいえ、炎上に関わる人々は実際にはごく一部である。 ジャーナリストの上杉隆氏は「以前、ブログで靖国問題のことを書いたら炎上してしまいました。3日間くらい放置していると、700以上のコメントが付いていたので、IPアドレスをチェックしてみた。すると、コメントしているのはたったの4人」としている。 ※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) また、IT大手ドワンゴ創業者の川上量生氏は「2ちゃんねるの管理人を長く務めていた西村博之氏によると、『2ちゃんねる上でのほとんどの炎上事件の実行犯は5人以内であり、たったひとりしかいない場合も珍しくない』らしい」と、著書『ネットが生んだ文化-誰もが表現者の時代』の中で言及している。 過去、筆者の研究室で行った大学生を対象にした1500人規模のアンケートでも、「ネット上の炎上」を目にしたことがある者は全体の8割にも上るのに対して、過去1回以上、実際に書き込んだことがある者は、全体の約1・5%しかいないことが明らかになっている。ちなみにその約1・5%のうち、約75%が「10回以上の書き込みをしたことがある」と答えている。自分は「聖人」相手は「愚人」? つまり、批判的言説の蓄積はまさにごくごく一部の利用者によって形成されているのである。現実的ではないにしろ、炎上参加経験者をIPアドレス等のIDで排除することができれば、おそらく高い確率で上述したような「有名人の炎上」は起こりにくくなるだろう。 多くのSNS利用者は、日常で抱えるさまざまな負の感情を、炎上という形に転化させることなく日々生活している。しかしながら、一部の者ではあるものの、「社会正義の戦士」化し、SNSが本来の使い方ではないコミュニケーションに利用されてしまう現状を踏まえると、「どうしたらそうならないか?」という予防法を考える意義がある。ここに心理学をベースにしつつ、三つのコツを提案したい。 一つ目は「自分の批判的・攻撃的コメントに対して、相手の立場で反論してみる」ことである。 特に、生活の文脈を完全には把握することができないSNSでは、他人と意見が違ったり、自分の価値観とは違う言動を目にした時に、自分が正しくて、相手が間違っている、と感じる傾向が強いと言われている。極端に言えば、自分は「聖人」、相手は「愚人」と錯覚しやすいのである。 これには人間の本質的な自己防衛や自己肯定の欲求が反映されているわけだが、その傾向が強くなりすぎると、人としての正義があたかも一つかのように感じられてしまう。 「〜してはいけない」「〜ねばならない」に毒されている今の日本の風潮にも影響されてはいるが、本来多様な正義や価値観、ルールがあることを、あえて相手になりきってみて反論することで改めて自覚できる能力が私たちには備わっている。 心理療法の一つの技法に、エンプティー・チェア(空の椅子)といって、現実には眼前にいない実在の相手が目の前の椅子に座っていると仮定して、座り位置を交換しながら自分や相手の気持ちを深く掘り下げていくという方法がある。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 具体的な思考を通じて相手の立場になれたとき、なぜ自分が怒りや不満を抱えていたのかを考え直したり、相手に向けられた批判や怒りが、実は自分自身の欲求や自我の投影であることに気がつくのではないだろうか。「嫌悪」は30分 二つ目は「実名でSNSを書く」ことである。主に使用するアカウント(利用権限)の他に二つ目のアカウントを実名で持ったり、実名でコメントを書くことを想像するのでもよい。 匿名だったものを実名にすることは、SNSが現実の人間関係や社会生活により近くなるということでもある。自分の価値観に沿わない、気に食わないからといって、街中や会社や学校で、自分の不満を言語化してわめき散らしたり、批判を繰り返している人はいるだろうか。 また実名にすることは、攻撃だけでなく、防御、つまり自分を守ることを考えなければいけなくなる。匿名のときは攻撃して自分のスッキリ感を追求しているだけでよいが、実名にすると発信者としての存在が明確になる分、自分の言動が逆に批判にさらされることを否が応でも意識させられることになる。それだけで、他者への攻撃的・批判的発信が抑制的になるだろう。 三つ目は「コメントを下書きして、数時間を置いて送信か不送信かを再判断する」ことである。 2014年にベルギーのルーベンカトリック大のフィリップ・バーダイン教授ととサスキア・ラブリセン教授が行った研究によると、一時的な感情の持続時間は意外と短い。例えば「嫌悪」は30分、「屈辱」は0・8時間、「苛立ち」は1・3時間、「怒り」は2時間、「ストレス」は3時間、関連するもので一番長い「妬み」でも15時間しか続かない、とされている。 日常的に関係を持たない間柄である有名人からの投稿を通じた一回の刺激は、一時的な感情しか生起しえない。そのため、数時間を置くことで、ほとんどの批判的コメントの源泉は心理的には消失するであろう。※写真はイメージです(ゲッティ・イメージズ) 日々に追われているわれわれは、自分の感情が伴わない投稿を機械的に行うほど暇ではない。時間が経つことで、下書きしたこと自体も忘れてしまう可能性さえあるだろう。 もちろん、事の本質を突く、真の社会正義に基づく言動も中には含まれているかもしれない。一時的な感情によらない言説は、もちろん適切に示されるべきことは言うまでもない。

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    マナー警察と礼儀ポリス ネットに見る「叩き仕草」と架空の炎上

    網尾歩(コラムニスト) 市川海老蔵さんのディズニー行きが炎上したのか。ディズニー行きを「非難した人」が炎上したのか。そもそも非難した人はどれほどいたのか。 最愛の妻、小林麻央さんを亡くした市川海老蔵さん。その後も子どもたちの様子や、妻への愛、舞台に挑む姿をブログに更新し続けている。先日帰宅ラッシュの電車内で、前に立っていた女性がスマホで海老蔵さんのブログを開いていた。夫婦2人合わせてのブログ読者数が350万人以上とも言われるそのブログの更新を待っている人は確かに多いのだろう。 有名人のブログには、「マナー警察」「礼儀ポリス」と言ってもいいようなコメントが寄せられることが多い。「マナー」と言えば聞こえがいいが、実際は勝手な“常識”の押し付けである。ママタレントたちの弁当写真にいちいちツッコミを入れる人たちが良い例だ。 麻央さんの訃報後、あのヤフコメでさえ海老蔵さん一家に同情的だった。幼い子を残して母が逝くというこれ以上ない悲劇の前に、ネットにつきものの皮肉や中傷は鳴りを潜めた。しかしその一方で、「マナー警察」は存在したようだ。 6月末に更新したインスタグラムで、海老蔵さんは「更新しすぎという意見もあるとか。確かにその通りです」「ごめんなさい。御理解してくださいとは言いません。居ても立っても居られないとき、私の一つの支えになっています」と綴っている。変わらずにブログの更新を続けていることに疑問の声があったことを伺わせる。 有名人がブログを書くことは、一種のパフォーマンスと思われがちな面がある。また、一般人であったとしても、遊びや趣味のひとつと見なされがちなブログを書くことは、家族の不幸の直後で「不謹慎」と見なされがちなのかもしれない。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) しかしそれはやはり、“常識”の押し付けというものだろう。人が支えとするものに、誰がケチをつけられるというのか。ブログの更新を支えとするのは、若い世代に限った話でもない。2009年、結婚したばかりだった長女を肺がんで亡くしたタレントのキャシー中島さんは、直後に3日間ブログを休むことを告げたが、翌日には更新を行った。海老蔵さん同様にブログを「心の支え」と綴り、「あまりにも心が空洞でなにでそこを埋めていいかわかりません」と書いた。 家族を亡くした後に、ブログを更新し続けるのはなぜか。ブログ読者との交流に癒されることも理由だろうが、愛する人を亡くした人にとって、思いを吐き出す行為は、それ自体が大きな意味を持つのだろう。悲しいと書き、故人の思い出を綴ること。それは亡き人、そして自分と対話する時間なのだろう。デマにも似ている「怒り」 さらにツイッター上で話題となったのは、「ディズニー目撃説」。海老蔵さんが2人の子どもを連れてディズニーランドを訪れた様子を目撃したという投稿があり、一部で「不謹慎」の声が上がった。そして、これに対して怒りをあらわにする人が続出した。「叩く方がどうかしてる」「いつなら不謹慎じゃないの?」といったツイートが多く拡散されている。 海老蔵さんは麻央さんの闘病中から、たびたび子どもを連れてディズニーランドを訪れる様子を投稿していた。年間パスポートを持っているらしく、忙しい中、午前中など数時間だけ遊んだと思しき投稿もあった。特別な場所というより、よく訪れるお馴染みの場所なのだろう。 一方で、この「炎上」に関しては、次のようなツイートもかなり拡散されている。 「『海老蔵がディズニー行ってて不謹慎とか言ってる奴がいるけど、じゃあ何時なら不謹慎じゃないんだ!』みたいなのがTLに流れてきたので海老蔵ディズニーを不謹慎と叩いてる人がいるのか検索したら1人も見つからんかった。」(「みんないったい何と戦っているんだ……」というイラスト付き) 目撃情報が書き込まれたネット上の掲示板では「喪が明けないうちから…」などの意見があったようだが、ツイッター上ではこういった意見は確かに少ない。むしろ、引用したツイートのように不謹慎と言った人を非難するコメントの方が圧倒的に多いと感じる。 この件に限らないが、ツイッター上ではしばしば、「実在しないか、もしくは実在してもごく少数の意見」に対して怒りを表明する様が見受けられる。そしてその怒りの表明は多くの共感とともに拡散され、拡散数が増えるほど、さも批判する対象が巨大であるかのように見える。「こんな意見があった!」と過剰に言い立てることは、デマにも似ている。2018年4月、奉納演舞のため成田山新勝寺を訪れ、あいさつする市川海老蔵 そういえば麻央さんの訃報に関しては、実在の弁護士に対する嫌がらせ目的の「なりすましツイート」が拡散され、そのデマに騙された人が多かった。 ブログ更新やディズニー行きを非難する人、非難する人を咎める人、なりすましツイートに騙される人、デマに怒る人……。悲しみや怒りが飛び交っている。それもこれも無情な運命を目の当たりにし、多くの人が感情の行き場をなくしているための混乱と見るのは、甘い結論だろうか。

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    災害時の「不謹慎厨」対策、芸能人におかしな作法が定着

     ネットスラングとしてよく用いられる「厨」という言葉は、まるで中学生のような大人げない言動をする人を指す「中坊」の誤変換「厨房」がそのまま使われ、さらに略され広まったものだ。「○○厨」と呼ばれる場合は、馬鹿にした意味が含まれる。そのバリエーションのひとつ「不謹慎厨(ふきんしんちゅう)」とその対策について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が解説する。* * * SNSが普及して以来、地震を含めた災害が発生した場合に「不謹慎厨」がネットに発生するのは見慣れた風景となったが、6月18日に発生した大阪北部地震では別ステージに昇華した。不謹慎厨の意味はネットの百科事典「ニコニコ大百科」には「なんらかの悲劇が起きた時、全くの無関係のものまで道徳や被害者感情を害するとすると非難し、自粛を求める人」とある。 2011年の東日本大震災の時は、猫の画像をツイッターにアップしたり、仲間と楽しそうにやっている状況や、イベントが楽しみだなどとツイートするだけで不謹慎厨からの総攻撃を食らった。2016年の熊本地震の際は、長澤まさみが笑顔写真をインスタグラムにアップしたら被災者感情を考えろ、不謹慎だ、と叩かれた。ベッキーとの不倫騒動直後の長崎出身・川谷絵音は、家族が無事だったことをツイートしたら「お前は熊本じゃねぇだろ! 被災者ぶるな」と非難が殺到した。 東日本大震災の時、あまりの「不謹慎厨」跳梁跋扈に対抗すべく、ジャーナリストの佐々木俊尚氏はあえて高級イタリアンで高級ワインを飲みに行くことをツイート。実際に店内の写真も公開し、さらに「不謹慎ディナー宣言!」とも一言だけツイートした。すると、「物凄い非難の嵐が不謹慎ディナー宣言に」という状態に。挙句の果てには古い友人まで非難をしてきたため、同氏はその人物との友人関係を終了宣言した。 とにかく地震が発生すると、ピースサインや高級寿司は不謹慎の象徴的存在として忌み嫌われ、そのツイートをした人間を叩く根拠として特別な意味合いを持つこととなる。今回の大阪北部地震では、不謹慎厨の勢いは東日本・熊本の頃と比べれば強くはない。しかしながらどうにもイヤ~な作法も定着してしまった。何かをツイートするにあたり、「こんな中、不謹慎かもですけど」や「不謹慎だと言われるかな……」と前置きをしてからツイートをするのがマナーになったのだ。 何らかの議論をする時、相手を批判する場合は前置きをする話法があるが、それに似ている。「こんなことを言うと非常識かと思われるかもしれませんが……」「この問題に苦しんでいる人がいるのは理解してますが……」「とても失礼な言い方になるかもしれませんが……」などは日常的にもよく聞かれる。自分が非常識で冷徹で失礼な人間だと理解していると予め宣言しておくことにより、批判をすることが許されると考える「予防線話法」である。「こんな中、不謹慎かもですけど」的な前置きも今回続出しているが、同様の予防線話法としてSNSでは定着したのかもしれない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そんな状況下、芸能人のブログやSNSの世界においても“不謹慎厨対策”は定着した感がある。過去の芸能人炎上騒動の教訓から、各人がよく学んだ。現在のトレンドは「すぐに被災地への心配と配慮の言葉をつづる」「写真は掲載しない」「宣伝材料があるにしても『こんな時に恐縮ですが…』と書く」の3点。 後は誰かが能天気なことを解禁するのを息を潜めながら待ち、普段通りの更新に戻るタイミングを見計らうのだ。実にくだらん作法だ。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■ ネットの気に食わない発言、いちいち勤務先に抗議する愚■ 学歴フィルター リスク覚悟で「なぜ使うか」人事担当者語る■ YouTubeで人気者になりたがる子供にどう対応すべきか?■ 熊本地震で「不謹慎厨」が大暴れ 長澤まさみも標的に■ 不謹慎厨もそれを叩く人も「似たようなもの」との指摘

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    インスタは「平和の国」、ツイッターは「修羅の国」は本当か?

     SNSにおけるネット炎上は、様々なきっかけで起きる。実にどうでもよい投稿者のプライベートに対するやっかみによって火がつくことも少なくない。そんな中、Twitterからインスタへの「亡命宣言」をしたのが、炎上芸人・ウーマンラッシュアワーの村本大輔。その村本のツイートについたコメントに見る「ネットのコメントの本質」について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が説く。* * * お笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔が10月9日に「リア充達の平和の国Instagramへ亡命してきます。またいつか。」とツイートし、『ウーマン村本がツイッターから「亡命」宣言』などと報じられた(村本は翌日からもツイッターは更新)。 これの意味は「文字中心のツイッターは荒れるので写真中心で平和なインスタに移る」「民度が高いインスタと民度が低いツイッター」ということだろう。そんな彼が「亡命宣言」をした後と見られるタイミングでインスタについたコメントが、ネットの書き込みの本質を突いている。〈インスタグラムが平和と勘違いしてる段階でアホさらしてるよね…Facebookもだけどインスタグラムなんて見栄の張り合いだし、Twitterなら通じるネタなんか嘲笑のネタでしかない〉 村本のことを嫌いだと明言している人物ではあるが、「アホ」はさておきこの意見は正しい。芸能人がツイッターを辞めると宣言する場合、大抵はアンチからの罵倒に疲弊した結果である。ただし、インスタなら安心、というのは恐らく違う。現にこのコメントにしても、「アホ」と書いているだけに、ツイッターに寄せられる罵倒と同様のものだ。インスタだから民度が高いということはなく、女性モデルや芸能人のインスタのコメント欄には怪しげな化粧品やサプリメントの広告的コメントが書き込まれるし、罵倒も書かれる。 それは、村本を「アホ」扱いした人物が言及したフェイスブック(FB)も同様である。2010年頃に日本でFBの人気が爆発したが、当初「実名制なので荒れない」といった言われ方をしていた。だが、その定説は違う。 2013年8月、NTTドコモがFBで「家族割」の告知をしたのだが、そこに書き込まれたコメントが「韓国かぶれのドコモはバカだ」「よっ!売国企業」「早く朝鮮携帯の専門店になり、キムチドコモで出直した方がいいよ」などだったのだ。 無害な告知なのになぜこんな書き込みがあったのかといえば、この頃はドコモがiPhoneを発売する前の時期にあたる。同社はソニーとサムスンのスマホをツートップにすると発表したのだが、韓国企業であるサムスンのスマホが入ってることから怒り出す人が登場した。 この時、実名であろう人々が前出のようなコメントを書いたのだ。名前をローマ字表記にしたり、写真のアイコンを設定していない人もいたが、「実名が抑止力にならない」ことを示した騒動だった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ネット上からネガティブな書き込みをなくすことはできない。人間の心が決して清廉潔白でない以上、そうした邪な心を持っている者が書く文章だってどうしようもないものになるのは当然の話だ。 村本が一瞬でもインスタを「平和の国」と捉え、ツイッターを「修羅の国」と捉えた気持ちも分かる。だが、一傍観者としては村本はツイッターで好き放題喋り続け、時にはケンカしたり炎上している時の方がイキイキとしているように見えてしまう。インスタでは海外のおしゃれ生活を投稿し続けているが、ツイッターを続けているのは何よりだ。関連記事■ 芸能人のSNS炎上回避法、ひたすらしみったれた話を書こう■ 橘玲×中川淳一郎 ウェブへの希望が幻滅へと変わるまで■ 大物二世の一茂と良純 「炎上しない安心感」で爆売れ中■ 橘玲×中川淳一郎 Hagex氏刺殺事件はなぜ起きたか■ ネットの気に食わない発言、いちいち勤務先に抗議する愚

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    脱法まとめサイト 収入源は仮想通貨のマイニングへ

     著作権を無視したまとめブログや無断転載サイト、アダルトサイトの収益は広告を自動表示させるアフィリエイトのシステムを利用したものが主流だった。ところが最近では、訪問者が閲覧するだけで仮想通貨のマイニング(採掘)を自動的にさせることで利益を得る手法が広まっている。ライターの森鷹久氏が、脱法サイト管理が本業となった元システムエンジニアに、収益構造の変遷を聞いた。 * * * 関東在住の星川一夫さん(仮名・30代)が、いわゆる脱サラをし、ネットビジネス一本でやっていこうと決意したのは五年前。システムエンジニア(SE)だったが、サラリーマン収入を副業収入が超えてからちょうど半年経ったタイミングだった。「会社の月給が手取り23万円で年収は350万くらい。いくつか持っていたホームページのアフィリエイト収入は月に40万円だったので、思い切ってネット一本でやってみようと……」(星川さん) 趣味の「アダルトサイト閲覧」中に、ふと「もっと見やすいサイトが作れるのでは?」と思い、わずか半日でオリジナルのホームページを作り上げた。掲示板にアドレスを張ったり、ツイッターで宣伝アカウントを作ったりして、一か月後には一日に数万アクセスを稼ぐようになった。 成功のきっかけは「日本人以外のアジア人にも見てもらえるようなサイトを作った」こと。中国語、韓国語に加え、タイなど東南アジア諸国のユーザーにも見てもらえるよう、多彩な言語の翻訳システムを組み込んだ。同様のサイトを二つ、三つと公開し、二年前には一日の総アクセス数は数百万をたたき出し、ホームページの広告収入だけでも月収100万円を軽く超えるようになった。しかし……。カフェでアフィリエイトサイトを作る男性=2018年4月11日、埼玉県(共同)「要は、ネット上の脱法サイトに上がっている有料動画を違法に転載しているだけでした。転載するためにいくつかの有料サイトに登録していて、自分のサイトのコンテンツ制作料はそこの会費だけです。月に数万円かかる程度だから、収入に比べて安上がりですよ。いつかはできなくなるだろう……と思いながら早5年。ズルズル続けちゃっている……」(星川さん) 脱法サイトとは、日本国内では違法な無修正アダルト動画などを、海外のサーバーに置いたホームページを通じて主に日本国内の日本人ユーザーに閲覧させているサイトだ。昨年、これら脱法サイトを通じて違法な動画を撮影、販売していた人物らが摘発されたこともあったが、当局と脱法サイト運営者のいたちごっこは今なお続き、脱法サイトの根絶は「事実上不可能」(捜査関係者)という状態なのだ。脱法サイトの新たな収入源 こういった実情について、頭を悩ますのは何も当局関係者だけではない。アフィリエイト広告を手掛けるネット広告事業者らも、違法サイト、脱法サイトに広告を掲載することで収益を上げるユーザーの排除を目指す。広告主が望まないサイトに広告が掲載されてしまうのを防ぐためだけでなく、犯罪行為に収益を与えないためだ。「アフィリエイト広告が掲載された違法なサイトを確知し、広告の掲載をストップさせるシステムの開発や、収益を凍結する通知を出しています。はっきり言って焼け石に水、といった状況で、そのシステムすらかいくぐる上級ユーザーもいます。でもやらないよりはマシで、当局側への"対処しています"というアピールにもなっている」(ネット広告代理店営業マン) 前述の星川さんも、こうした当局、広告代理店側からの規制をうけ、これまでに閉じたサイトは数が知れないと話す。しかし、すでにアフィリエイト広告で収益を上げるというスタイルは「時代遅れ」とも語り、さらなる収益の増加に自信をのぞかせる。「アフィリエイトで儲ける限界を感じていたところだったし、私のサイトに広告を載せてくれるような事業者、代理店は怪しげな薬やグレーなアダルト広告ばかりで、ユーザーがクリックしたり購入してくれることはまずない。収益が上がらない状態が続いていました。最近だと仮想通貨事業者の広告ばかりで、これもほとんど収益の増加は見込まれない。それに引きかえ、来訪ユーザーに仮想通貨の"マイニング"をさせる、といった方法は効率的で、収益の大幅な増加が見込まれました。現在は、アフィリエイト広告とマイニングの二本柱で、以前の1.5倍ほどの収入があります」 星川さんの運営するサイトには依然として「アフィリエイト広告」が張り付けられているが、ユーザーがクリックしたり、広告を通じて商品を購入してもらわないと収益は出ない。ところが「仮想通貨のマイニング」であれば、ユーザーがページを訪れるだけで収益が見込まれる、というわけだ。サイバー犯罪に詳しい大手紙記者が解説する。※画像はイメージです(GettyImages)「仮想通貨取引は、取引履歴や決済パターンについて、コンピューターに大掛かりな計算をさせることで、その取引自体が公正なものかを判断する仕組みです。この計算は、家庭用のパソコン一台で実行するには負担が大きく、難解なものですが、その作業を、複数のパソコンであれば効率的に行うことが可能なんです。作業を分担させることで、計算が可能になり、さらに計算を成功させたユーザーには、仮想通貨が付与される。これが"仮想通貨のマイニング(発掘)"です。アダルトだけでなく、多くの違法・脱法サイトの運営者がこの仕組みを導入しているとの指摘もあります」(大手紙記者)狙われるのはAVだけじゃない 星川さんが運営するサイトのすべてには、この「仮想通貨のマイニング」システムが組み込んである。星川さんのページを訪ねたユーザーは、自身のパソコンが「マイニング」に利用されているとも知らず、アダルトコンテンツを視聴する。その間、パソコンの動作が急激に遅くなったり、フリーズしてしまうこともあるが、ユーザーのパソコンのCPUに合わせて、どれほどの処理能力を「マイニング」に充当させるかの設定も可能であるため、ふつうはユーザーがマイニングに気が付きにくい。「最近ニュースでもとりあげられている違法な漫画サイトも、このマイニングシステムを導入しているようです。違法や脱法のアダルトサイトのほとんどでも同様です。仮想通貨には、ビットコイン以外にもたくさん種類がありますから、とにかくユーザーにマイニングさせるために、様々なサイトを運営する必要があります。今後は、いわゆる"まとめサイト"でも、マイニングシステムを導入するところが増えると断言できます。アフィリエイトより儲かるわけですから…。マイニングで得た仮想通貨は、すぐに別の仮想通貨と交換したり、電子マネー化させます。日本円にするために手続きが面倒な場合もありますし、海外に法人を立てて、税金の支払いを避ける方法も模索しています」(星川さん) ページのソースにスクリプトを忍ばせることで閲覧者のパソコンを利用するものが一般的なため、ページを閉じて閲覧をやめるとマイニングは停止される。なかには、閲覧者のパソコンをプログラムに感染させることでマイニングを続けさせるタイプのものもあり、こちらはネットに繋がっている限り、自分のパソコンが他人の通過採掘に利用され続けることになる。 仮想通貨は、特定の政府や国際情勢に左右されない「新時代の通貨」とも呼ばれている。ところが、このように便利で新しいシステムであればあるほど、悪意を持った人々にもそれは「重宝」されてしまう、皮肉な事態を産み出しているのである。せっかくの「革新」的な事象も、悪意持った人物らにいち早く掌握されてしまい、何もかもが台無しになってしまう光景を、今日生きる私たちは幾ばくも見てきた気がするが…。※画像はイメージです(GettyImages) 新時代の通貨でも、悪貨は良貨を駆逐することになってしまうのか。新しいことを「否」としがちな我々の思想の背景に、こうしたことが影響しているようにも思えてならない。関連記事■ 迷惑メール業者にあえて接触 その古典的な手口と狙いとは■ 増える高齢者クレーマー、悩むサービス業の若者たち■ 「老人狩り」が頻発 若者たちは「心は痛まない」と言い放つ■ 「芸能人Xの薬物疑惑」まとめサイト管理人を直撃してみたら■ 危険ドラッグ業者 仮想通貨の普及で再び暗躍の兆し

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    暴かれた「漫画村」、ブロッキングは本当に必要か?

    河本秀介(弁護士)  アニメや漫画などのコンテンツ産業にとって、出版社や作者に承諾なくコンテンツを公開し、広告収入などを得る、いわゆる海賊版サイトが大きな問題となっています。 海賊版サイトの中には、「漫画村」(既に閉鎖)などのように、国内で出版されているコミックの主要タイトルのほぼ全てが無料で読めるようになっているサイトもあります。 当然ながら、海賊版サイトのアクセス数がいくら増えても権利者には1円も還元されません。また、出版社や作者としては、本来であれば出版や配信によって得られたはずの利益が奪われているため、多大な被害が生じているといえます。 このような海賊版サイトは実態を掴むのが難しく、既存の手続では差止や損害賠償が困難だとして、プロバイダ側でユーザのアクセスを遮断する、いわゆる「ブロッキング」を実施すべきという議論もされています。 そんな中、先日、漫画家から委託を受けた弁護士の一人が、米国の訴訟手続を利用することにより、海賊版サイト(おそらく「漫画村」だと思われます)の運営者とみられる人物の氏名や住所などの情報を取得することに成功したことを発表しました。 この弁護士はどのような方法でサイト運営者を特定したのでしょうか。また、これにより海賊版サイトに対するブロッキングの議論はどうなるのでしょうか。※画像はイメージです(GettyImages) 出版社や作者といった著作権者に無断で漫画などの著作物をインターネット上にアップロードし、利用者に閲覧させることは、著作権を侵害する行為です。 このような違法アップロードに対しては著作権法に基づく刑事罰が科せられる可能性があります。また、出版社や作者は、違法アップロードによって不当に利益が奪われていることになりますので、著作物を違法アップロードした者に対して、本来得られたはずの利益を損害賠償請求することが考えられます。 もっとも、損害賠償請求などを行うためには、まずは著作物を違法にアップロードした者(加害者)がどこの誰かなのかを突き止める必要があります。インターネットには匿名性がありますので、通常は容易ではありません。従来と異なる方法で突き止めた 違法アップロードがSNSや掲示板などのウェブサービス上でなされている場合には、ウェブサービスの管理者やプロバイダに発信者情報を開示させることが可能です。この場合、多少手間はかかりますが、多くの場合、加害者の氏名や住所を突き止めることが可能です。 これに対して加害者が独自に海賊版サイトを立ち上げ、管理・運営しているような場合には、ウェブサービスを介した情報開示はできません。 この場合でも、ドメインの所有者情報や、IPアドレスからホスティングサービスを割り出すことで、ウェブサイトの運営者が誰なのかを突き止めることができる場合もあります。 しかしながら、海賊版サイトの運営者は、通常は、ドメイン取得代行サービスなどにより所有者情報を匿名化しています。また、海外のホスティングサービスを利用している場合、日本の裁判手続により発信者情報の開示を求めることには困難があります。 とりわけ悪質性の高い業者の場合、他の世界から孤立した法律の及ばない地域などに設置されたサーバによる匿名性の高いホスティングサービス(いわゆる「防弾ホスティング」)を利用して運営者がどこの誰なのかを巧妙に隠蔽しており、運営の実態を突き止めるのは困難でした。 今回、前述の弁護士は、従来とは異なる方法で漫画村の運営者情報の取得に成功したと発表しました。 海賊版サイトは、サーバにアクセスが集中することによる通信障害を防ぐため、往々にして、コンテンツデリバリネットワーク(CDN)と呼ばれる配信サービスを利用しています。CDNは契約者のサーバにあるデータを世界中に設置されたサーバにコピーして配信することで、契約者のサーバへのアクセス負荷を低減し、通信速度を維持するサービスを提供しています。今回運営者が特定されたとされる海賊版サイトも、米国のCDN大手であるクラウドフレア社のサービスを利用していました。※画像はイメージです(GettyImages) 同弁護士は米国の法律事務所と提携し、米国の裁判所にクラウドフレア社に対する著作権侵害訴訟を提起し、米国の裁判所の命令により、クラウドフレアに漫画村の運営者に関する情報を開示させたということです。 現状では海賊版サイトが防弾ホスティングだけで大量の通信を行うことは困難です。よって、海賊版サイトが匿名性を維持したまま通信速度を確保するためにはCDNなどを利用することが必要になってきます。CDNから情報を得ることが可能となると、海賊版サイトなどの運営者を特定できる可能性が高まるといえます。通信の秘密が侵害される 今後、米国の裁判所を活用したCDN事業者からの発信者情報の取得がノウハウとして定着した場合、海賊版サイトが正体を隠匿しながらアクセスを拡大する手段のひとつが使えなくなることになるため、海賊版サイトを抑制することができると期待されます。 海賊版サイトに対しては、内閣に設置された知的財産戦略本部でも対策が検討されています。なかでも、ネットユーザが海賊版サイトにアクセスしようとした場合に、プロバイダ側で強制的に接続を遮断するなどの「ブロッキング」の導入の是非を巡って議論となっています。 これに関して、知的財産戦略本部は本年4月13日、特に悪質な海賊版サイトに対してブロッキングを実施できる環境整備が必要であるとして、法制度が整備されるまでの間の臨時的・緊急的な措置として、特に悪質性の高いサイトについて民間事業者の主導でブロッキングを行うことが適当などとする緊急対策案を決定・公表しました。 その後、知的財産戦略本部に「インターネット上の海賊版対策に関する検討会議」(タスクフォース)が置かれ、海賊版サイト対策について、ブロッキングの法制度化の是非を含めた議論がされています。 このように違法なサイトを見られなくしてしまうという措置は、一見すると理にかなっているように思えるかも知れませんが、実は、ブロッキングには、主に憲法に定める通信の秘密との関係で課題があります。 ブロッキングを行うためには、違法なサイトへのアクセスかどうかにかかわらず、あらゆるネットユーザのアクセス情報を取得し、そのアクセスがブロッキング対象かどうかをチェックする必要があります。海賊版のアップロードが絶えない中国の検索サービス「百度(バイドゥ)」の文書共有サイト「バイドゥライブラリ」 憲法に定める通信の秘密には、通信の内容だけでなく通信を行ったこと自体の秘密が含まれると解釈されていますので、プロバイダがユーザのアクセス情報を網羅的にチェックすることは、通信の秘密を侵害する可能性があるというわけです。 ブロッキングに反対する側は、ブロッキングは憲法で定められた通信の秘密に抵触する可能性があり、また、表現の自由や知る権利からも問題が大きいとしています。 ブロッキングに賛成する意見も、ブロッキングが通信の秘密を侵害する可能性があることは認めたうえで、海賊版サイトへの実態の解明が極めて困難であるため、権利保護のため緊急かつやむを得ない措置として認められるべきとするものが大半です。ブロッキングは本当に必要か なお、10月15日に開催された検討会議では、ブロッキングに対する賛否の意見が鋭く対立したまま協議が終了し、今後の協議の見通しも立っていないという事態になりました。 私の見解ですが、やはりブロッキングには弊害が大きいと言わざるを得ないでしょう。特に、海賊版サイトの実態解明に有効となる可能性の高い手段が見つかった以上、ブロッキングの是非については、ブロッキングが真に海賊版サイトに有効な手段となるかどうかも含め、今まで以上に慎重に検討されるべきだと考えます。 ブロッキングは、いうなれば国やプロバイダが、有害と判断したウェブサイトを法律などで閲覧させないことができるということです。仮に法律を作ったとしても、安易な運用によってブロッキングの対象がなし崩し的に拡大した場合、インターネットを通じた表現や議論が過剰に制約されるおそれもあります。 ブロッキングには、運用を一歩間違えると情報の管理社会化を招きかねない危うさがあります。 これに対して、従来は海賊版サイトに対してブロッキング以外に有用な手段が見当たらないという前提で議論が進められていました。CDNを通じた情報取得の途が拓けたとなると、議論の前提が覆された格好となりますので、従来の議論も見直される必要があると思われます。少なくともブロッキングありきで議論を進めるべきではないでしょう。※画像はイメージです(GettyImages) 知的財産戦略本部の検討会議での中間取りまとめ案が先送りになったことも、拙速な議論を回避するためにはやむなしと考えます。 海賊版サイトにより、出版社や作家に多額の損失が生じていることは事実であり、対策が急務であることは間違いありません。また、ブロッキングが海賊版サイト対策に有用な手段となる可能性があることも否定できないでしょう。 だからといって安易にブロッキングを導入した場合、情報の管理社会化に向けたパンドラの箱を開けることになりかねません。いま一度、原点に立ち戻った議論が必要だと感じます。

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    「LGBTに生産性なし」杉田水脈の言論の機会まで奪ってどうする

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「言論の機会」を奪うか否か、とでもいった議論が白熱している。ユーチューバーの世界で保守系といわれる政治活動家のKAZUYA氏の公式チャンネル『KAZUYA Channel』が、ユーチューブ側によって一時凍結されたことを契機としている。 あくまでもカッコ付きで表現したいのだが、「右派」と「左派」と目される人たちが言論対立を先鋭化させて、お互いの言論の機会を奪う行為までエスカレートすることが、しばしば見受けられる。今、カッコ付きで表現したのは、必ずしも政治的イデオロギーの対立だけではなく、単に他者を誹謗(ひぼう)中傷したくて群れる人たちが大集団で発生し、事態の対立を先鋭化することもネットでは常態化しているからだ。 それはさておき、KAZUYA氏のユーチューブアカウント閉鎖に賛意を示す人たちが、著名言論人を含めて多かった。ユーチューブ側の規約に違反したのだから仕方がないという意見である。だが閉鎖の翌日、ユーチューブ側は規約違反がなかったとして、アカウント凍結を解除している。 ただ、KAZUYA氏は、22日夜の段階でツイッターのアカウントも凍結されている。これについては原因不明である。 ユーチューブもツイッターもともに民間企業の運営サイトであり、それぞれが独自の規約で運営されているため、その判断はもちろん尊重されるべきものである。だが、今回の「事件」の流れを見ていると、ネット世論の中で、自分が批判すべきだと思う相手の言論の機会を奪うことが正当であるかのような風潮を見かける。そのような風潮は、われわれの自由に基づく社会を損なってしまう。 このような、自分が批判すべき意見の持ち主から言論の機会を奪うのが妥当であるかのような意見に、筆者が賛成しかねるのは、思想や言論の自由こそがわれわれの社会の基盤だからである。同種の問題に関しては、昨年、本連載で百田尚樹氏の講演中止問題について意見を述べたし、また、香山リカ氏の講演中止問題も、自分のブログで書いたことがある。ユーチューバーのKAZUYA氏 そのときの意見は、19世紀の啓蒙(けいもう)思想家、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(1859年)に基づくものだった。今でもその考えは変わらないので、次では百田氏の事件のときの内容を、一部記述を付加して改めて紹介しよう。反論あらば議論せよ ミルは、古典的著作『自由論』の中で、規制されることのない言論の場こそが人々の満足(効用)を増加することができるとした。 ミルが言論の自由の根拠としてあげた理由は主に4点あった。①多様な意見がないと特定の意見を誤りがまったくないものとみなしやすい②多様な意見が衝突することで、意見の持つ問題点や改善点が明らかになる③反論に出会うことで自分の支持している意見の合理的な根拠を考えることにつながりやすい④反論に出会うことがないと、人格や行動に生き生きとした成長の機会がなくなる、というものである。 そして意見の集約するところで、言論を巡る人々の満足が最大化することになる。もちろん、たとえ意見の集約が達成できなくても、議論すること自体で、議論の機会がない場合よりも効用は高まるだろう。ちなみに、相手側に不当に議論を迫るのは犯罪行為に等しいので、自粛すべきなのはもちろんである。 もちろん、ミルは異なる立場での意見の集約について、常に楽観的ではない。むしろ、言論の自由が意見の対立を激しくするケースや、またヘイトスピーチにあたるケースにも配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的や法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねているのである。 この「世論の賢慮」の中には、前回の連載でも書いたことだが、間違った噂であるデマへの対策についても、まず世論の中で対処していくべきであり、そのためのいくつかの試みを紹介している。 特に、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)はデマの拡散に貢献してしまうこともあるが、他方で、多様な意見の存在や、何がより客観的な事実かを知ることができる場でもあり、「世論の賢慮」が発揮できる可能性を紹介した。思想家、ジョン・スチュアート・ミル(ゲッティイメージズ) だからこそ、KAZUYA氏の『KAZUYA Channel』に反論すべき意見があるならば、まずは議論すべき点を徹底的に論じるべきだろう。ところが、規約違反を声高に主張し、何が何でもチャンネル削除を求める声もよく見かける。そのような意見に上記の理由から筆者は賛同できないのである。 ミルはこのようにも書いている。 自分たちが、自分たちの判断にしたがって非難している意見だという理由で、ある意見の発表の機会を奪うのが有害であることをもっと十分に示すには、具体的な例をあげて議論するのが望ましい。その際には、わたしにとってもっとも不利な例をあえて選ぶことにする。ミル『自由論』(光文社文庫、山岡洋一訳より) 当然だが、筆者にも自分の価値判断からいって許容できない発言は多い。もちろん、犯罪や脅迫、単純明快な誹謗中傷などのたぐいの発言について言っているのではない。「意見」表明の水準での、自らの価値判断にそぐわない言論のことである。扇動に加担する人たち 要するに、ミルが上記の引用の最後で言っている「わたしにとってともっとも不利な例」のことを指す。最近の筆者の場合では、『新潮45』8月号(新潮社)に掲載された杉田水脈衆院議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論考がそれにあたる。杉田氏の論考の中心的な発言は、次の文章に表れているので、ご覧いただきたい。 例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。杉田水脈「『LGBT』支援の度が過ぎる」(『新潮45』2018年8月号) だが、杉田氏が「子供を作らないこと」で表した「生産性」は、国民のために税金を使う使わないという話には全くつながらないのである。単に、杉田氏のLGBTカップルへの差別的感情が出ているとしか思えない。 このほかにも、杉田氏の発言について、筆者は賛同しかねるものが多い。だからといって、雑誌やメディアで杉田氏の発言の機会を奪うべきだとは、みじんも思わない。その理由の一つは、ミルではないが、自分と全く違う考え方が、ひょっとしたら無視できないほど世の中に受け入れられている意見だとしたら、その意見と議論すべきだと思うからである。 それは自分自身の意見が間違っている可能性を検討することにもなる。なぜなら、理性的なものは、初めから完全には人に与えられていないからだ。 ましてや、杉田氏を脅迫するなどもってのほかである。そのような脅迫の表明は、全く言論に値しない単なる犯罪行為である。報道によれば、実際に杉田氏に殺害を予告した人物もいたようである。それは、言葉の正しい意味での「自由への脅威」である。2018年5月、憲法記念日に静岡市富士市内で講演を行った杉田水脈衆院議員(田中万紀撮影) 冒頭のKAZUYA氏の動画チャンネルにもいろいろな議論の余地があるかもしれない。筆者は『KAZUYA Channel』の愛好者ではない。詳しく見たといえば、年初に経済評論家の家庭内暴力が報じられたとき、公開された動画上の発言を最近では知るのみである。もっとも、KAZUYA氏の意見に筆者はおおむね肯定的であった。 また、その他にも動画上で表明する意見を断片的に見聞きしたが、肯定も否定もまちまちである。だが、たとえ否定的な意見を表明したからとして、それだけをもって他者から言論の機会を奪い、それを扇動することに加担することだけはすべきではない。そう常に考えている。

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    ユーチューブ「ネトウヨ動画削除」の波紋

    今年5月、動画投稿サイト「ユーチューブ」のアカウントが突然停止する騒動に巻き込まれた作家、竹田恒泰氏がiRONNAに独占手記を寄せた。差別表現をめぐる一部利用者の「通報」が発端だったようだが、「ネトウヨ潰し」を標榜した彼らの狙いは明らかである。竹田氏の動画は本当にヘイトだったのか。

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    姑息な言論テロ『竹田恒泰チャンネル』停止祭りの内幕

    竹田恒泰(作家) 「5ちゃんねる」というウェブ掲示板で5月15日に立ち上がった「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」というスレッドがある。そこには、彼らが攻撃対象とするユーチューブのチャンネルのリストが掲載されていて、ユーチューブへの通報のやり方を懇切丁寧に説明している。 これは、多くのユーザーが一斉に特定の投稿動画を「差別的」などと通報することで、その動画を削除し、攻撃対象とするチャンネル自体を停止させるという、極めて攻撃的な「政治キャンペーン」である。 彼らは、3カ月以内に3本の投稿動画が削除されたアカウントを停止するユーチューブのルールを恣意(しい)的に利用し、ほぼ同時期に3本の動画を削除して短期間の内にアカウント停止に追い込む戦法である。アカウントが停止されると、そのアカウントで過去に投稿した全ての動画が一斉に削除される。 この政治キャンペーンの結果、7月上旬の時点で、既に203チャンネルが永久凍結され、22万本以上の動画が削除されたという。また、彼らの攻撃を恐れて自主的に全部あるいは大半の動画を削除したチャンネルも97あり、合わせると28万本以上の動画が削除されたという。 それでも飽き足らないのか、攻撃すべきチャンネルを何百も列挙し、どの動画のどの点を攻撃するように具体的な「攻撃指示」を並べている。また、ユーチューブの運営母体が米国のグーグル社であることからか、丁寧にも英語で通報するための例文まで掲載している。 確かに、表現の自由には限界があり、個人の名誉を毀損(きそん)し、あるいは特定の民族を差別するような不適切な表現は削除されて然(しか)るべきである。 しかし、どうやらユーチューブは厳密な審査をしていないように見受けられる。その理由は後に述べるが、そのようなユーチューブ側の体制の虚(きょ)を突くような形で、気に入らない何十万本もの動画を削除に追い込んだ。 そもそも、ネットに個人が投稿した動画で気に入らないものがあれば、見なければよい。もし虚偽や不当な表現があれば、反論すればよい。言論に対しては言論で挑むのが正道ではなかろうか。気に入らない主張をするチャンネルを、チャンネルごと潰すというのは「言論人の暗殺」にほかならず、邪道の極みといわねばならない。 私がユーチューブで配信していた『竹田恒泰チャンネル』も、彼らの攻撃目標とされ、5月24日未明にアカウントごと停止された。一本目の動画が削除されてからアカウントが停止されるまでの経緯は次の通りである。竹田恒泰氏の公式ホームページ上にある「竹田恒泰チャンネルとは」のユーチューブ動画もアカウント停止より見られなくなっている 『竹田恒泰チャンネル』の動画一本が削除されたのは5月23日夜のことだった。対象になった動画のタイトルは「韓国外交、八方塞がり・・・。中国の禁韓令に日本の大使召還、アメリカもダメだコリャ。。。」である。立て続けの「違反警告」 ユーチューブから届いたメールによると、この動画が利用者から通報されたようで、「審査した結果、この動画はガイドラインに違反していると判断し、ユーチューブから削除しました」という。しかし、「差別的な発言は許可されません」というのみで、この動画のどの表現が「差別的な発言」であるかは不明である。 同メールによると、これは「1回目の違反警告」だそうで、「ユーチューブでは、ユーザーの皆さまがそうと知らずにポリシーに違反してしまう場合があることを理解しており、警告に期限を設けています。この違反警告は三カ月経過すると無効になりますが、重ねて違反警告を受けるとユーチューブにコンテンツを投稿できなくなり、場合によってはアカウントの停止につながることもありますのでご注意ください」と書かれていた。 なるほど、1回の違反ではアカウントは停止せず、反省させ、あるいは改善させる猶予を与えるということなのであろう。運転免許の切符制度に似ている。 ところが、5月24日未明までの間に、別の2本の動画が同じように削除され、「2回目の違反警告」と「3回目の違反警告」を伝えるメールが立て続けに届いた。それぞれ、次のような内容である。【2回目の違反警告】 「今回の違反警告は、過去3カ月以内で2回目です。そのため、今後2週間はYouTubeに新しいコンテンツを投稿できません。〔中略〕今後3カ月の間に3回目の違反警告を受けた場合は、お使いのアカウントは停止され、恒久的にアクセスできなくなりますのでご注意ください」【3回目の違反警告】 「あなたのアカウントが受けたコミュニティーガイドライン違反警告は、この3カ月で3回になりました。このため、アカウントを停止いたしました。今後アカウントにアクセスすることはできません。また、新しいYouTubeアカウントを作成することもできません」 1本目の動画が削除されて1回目の違反警告を受けてから、3本目の動画が削除されてアカウントが停止されるまで、わずか6時間程度のことであり、しかも日本時間で深夜から未明にかけての出来事である。朝目覚めて、この2通の通知を目にしたが、なす術もない。竹田恒泰氏 たとえ1回目の違反警告を受けて、改善を試みようとしても、深夜から未明にかけてほとんど同時に3回分の違反警告を受けたのでは、改善のしようもないではないか。寝ている間にアカウント停止まで進行するのなら、何のための三段階の警告なのか意味が分からない。 これはユーチューブのシステム上の欠陥である。ほとんど同時になされた動画削除は「1回」と数えなければ、そもそも三段階に分けて警告を発する制度の趣旨は歪められる。差別発言はしていない 先述の通り、ユーチューブ自身が「ユーチューブでは、ユーザーの皆さまがそうと知らずにポリシーに違反してしまう場合があることを理解しており、警告に期限を設けています」と述べておきながら、舌の根も乾かぬ内に、深夜の数時間の内に三段階目の停止まで進行するのであるから、ユーチューブのシステム上の欠陥が悪意をもって利用されたことは明らかである。 一連の削除に至る流れの中で私が感じたのは、ユーチューブは人間が確認して削除作業をしていないということである。 まず、短時間の内に三本の動画が削除されると自動的にアカウントが停止されるという仕組みであるから、アカウント停止自体は、人間が判断せず、自動的に停止されるものと見られる。 次に、番組を削除する判断も、果たして必ず人間が確認作業を行っているか疑わしい。この政治キャンペーンでは、何千人ものユーザーが、数百のアカウントの無数の動画に対して、夥(おびただ)しい数の通報を行っていると見られる。この動画一本一本を、日本語を理解する者が動画を見て判定しているとは考えにくい。 例えば、1カ月に1000人が100件ずつ通報したら、10万件の通報があったことになる。仮に1件当たり判定に3分間を要した場合、その作業に30万分、つまり5000時間を要する。これは、フルタイムの従業員31人が1カ月の間付き切りで作業をしないと捌(さば)けない仕事量に該当する。 ユーチューブはこの通報ラッシュに対応するために、米国で日本人スタッフを急きょ31人振り分けたのだろうか。恐らく、簡単な日常会話ができる程度の非日本人、あるいは人工知能(AI)に判定させたか、あるいは通報が多い動画については内容を検討せずに自動的に削除したかのいずれかに違いない。 また、私のチャンネルの場合、3本の動画が削除されたのは日本の深夜帯に当たるため、日本の事務所で日本人が確認作業をしているとは考えにくい。つまり、米国で米国のビジネスアワーに、米国人が作業していると考えるのが自然である。 具体的にどの箇所がどのような違反に該当するか問い合わせても、ユーチューブから返答はなかった。おそらくアカウントを停止された人が何百人もユーチューブに問い合わせをしているはずだが、それに対応するにはさらに何人もの専用スタッフが必要になる。私の番組のチームがいくら連絡しても、一切反応しないところから、ユーチューブの削除を担当する部署には十分なスタッフが配置されていないと考えられる。写真はイメージです(iStock) そもそも、私は特定の民族を差別する発言はしていない。中国や韓国の政府や特定の民族に対して政治批判をすることはあるが、出身民族の差別は絶対していないと断言できる。 ユーチューブのガイドラインには「悪意のある表現と見なされるかどうかは紙一重で決まります。例えば、一般的に民族国家を批判することは許容されますが、出身民族だけの理由で差別を扇動することが主な目的のコンテンツはユーチューブのポリシーに違反すると見なされます」と明記している。生放送に乱入した「反勢力」 私が投稿したコンテンツが、出身民族だけの理由による差別が主目的でないことは、日本語を解する日本人が見れば必ず分かるはずである。もし、AIに判定させていたのなら、そのAIはまだまだ語学能力が低いといえよう。 結局、私がユーチューブで配信していた『竹田恒泰チャンネル』は、この政治キャンペーンによりアカウントごと停止されたままである。しかし、以前から別に運用していたアカウントがあったため、直ちに『竹田恒泰チャンネル2』を立ち上げて、毎週の放送を継続することができ、事なきを得た。 また、『竹田恒泰チャンネル』は平成24年11月1日にニコニコ動画で第一回の放送をして以来、毎週放送を続けてきた。後に平成26年4月にFreshとユーチューブでも同時配信するようになり、現在に至る。 そのため、ユーチューブのアカウントが停止されても、それはいくつもある放送チャンネルの一つが止まるにすぎないため、大勢に影響はなかった。 それどころか、ユーチューブのアカウントが停止された日の夜の放送では、私のチャンネルと攻撃していた何千人もの反竹田勢力が一斉にチャンネルを妨害しようと、生放送に乱入してきた。 放送前から2000人以上の人が「Bad」ボタンを押していたが、まだ番組が始まっていないのに、どうやって「Bad」と評価したのか疑問である。普段「Bad」ボタン自体、ほとんど押されたことがないため、この政治キャンペーンに参加した反竹田勢力は少なくとも数千人はいることが明確になった。 ところが、この日の放送は、反竹田勢力が一斉に流入した結果、平成24年から300回以上放送したなかで、歴代で最も多い視聴者数になり、大いに盛り上がった。 しかも、番組を見ているうちに、面白くなって番組のファンになってしまった人も多かったようである。「こいつ意外と面白いなぁ」「なんだ、まともなこと言ってるじゃないか」「番組粉砕するつもりでしたがチャンネル会員になります」といった書き込みも相次ぎ、その日は有料のチャンネル会員登録数もかつてない数に及んだ。「ミイラ取りがミイラに」なるとはまさにこのことであろう。(iStock) これだけ会員制交流サイト(SNS)が発達した世の中にあっては、たとえそれが匿名の投稿であっても、正しい言論は必ず評価されるものである。言論の世界で通用しない者たちが、匿名で「言論テロ」を実行したというのが、今回の「ユーチューブアカウント停止祭り」だったのではあるまいか。 その意味において、この政治キャンペーンの参加者たちは、戦わずして負けていることを、自ら曝(さら)け出したに等しい。「ペンは剣よりも強し」とは言論の力を語った言葉である。日本において、暴力で世の中が動かす時代は幕末の戊辰(ぼしん)戦争で終わった。今の日本は、正しい言論が世の中を動かす、理性ある社会を目指していかなければならない。私たちはこのような姑息(こそく)なテロリズムには屈しない。

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    なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない

    的に支配していたのは間違いない。インターネットは、それを一般市民に解放したと言ってよい。ルールのないネット社会 それまでは情報がどのくらい社会に拡散するかは、それを発信するメディアの器の大きさによって決められていた。一つのニュースがどの新聞、あるいはどのテレビに取り上げられるかで拡散の度合いは決められていたのだが、ネットはその制限を軽々と飛び越える。 例えば、この1~2年で、私がネットで書いた記事は、多いものは1本で200万とか300万のアクセスがある。私の本業は雑誌編集者だが、雑誌の世界で200万という数字は、発行部数としてありえない。ネットだからこそだ。 これまで既存メディアが持っていた発行部数や視聴者数といった器の大きさに規定された影響力をネットは超えてしまう可能性を持っている。 だが、そういう新しい革命的な道具が市民にもたらされたにもかかわらず、残念ながらそれを使いこなす力が市民社会にまだ備わっていない。特に匿名で発信できるというメリットが悪用されて、人権侵害や差別的な書き込み、事実と異なる情報などがネットにはあふれている。人類はせっかく手にした道具をまだ使いこなせていないのだ。 既存のメディアは長い歴史の中で、訴訟を受けたり、痛い目にさらされたりする経験を通じて、ある種のルールを確立していったのだが、ネット社会はまだそういう歴史的経験を経ていない。ルールの確立はまだこれからだ。 さすがにネット社会の進展とともに、利用者にもある種のリテラシーが働くようになってはいる。ネット情報をそのまま鵜呑みにしないという程度のリテラシーは、今や誰でも持っていると言える。 裏の取れていない怪しげな情報でも、インパクトのある見出しをつけたりすると検索エンジンの上位に来たりするが、時間がたつと次第に淘汰されて順位が下がっていく。メディアリテラシーがネット社会でも少しずつ浸透しつつあるのだ。 ネットの情報を読み解く力を市民社会がもっと高め、情報の流通にも一定のルールが作られるようになって初めてインターネットは本来の革命的な威力をもたらすはずだ。今はまだその過渡期で、こういう進歩は10年単位のスパンで考えねばならないのかもしれない。80年代に5誌が競合して、全盛を誇った写真週刊誌 既にネットの情報をめぐっても訴訟沙汰になる事例が増えているというが、そういう試みを経ることで既存メディアもある種のルールを作り上げてきた。 出版などの世界ではよく「思想の自由市場」という言葉が使われる。ルール違反の言論は、市場原理によって淘汰されていくという考え方だ。例えば1980年代半ばに写真週刊誌ブームが吹き荒れ、タレントのプライバシー侵害というべき記事を読者が面白がって読んでいた時代があった。 しかし、市民社会の進展とともに、同じようなことを自分がやられたらたまらないという想像力が働くようになり、極端なプライバシー侵害には批判的な空気が高まっていった。 その結果どうなったかというと、一世を風靡(ふうび)した写真週刊誌市場が一気に縮小していった。市民社会にある種のバランスが働いているためで、本当はそういう「思想の自由市場」を信頼し、国家的規制など加えずに情報や言論が流通する社会が望ましい。理想は自主規制 ただ、世の中は常にそういう信頼が保たれている状況にはなく、ある時には人為的規制を加えねばならないこともある。現在で言えば、ヘイトの言論がその対象だ。だが、それでもなるべくなら国家や警察が取り締まるという形にならない方がよい。利用者など市民の側から自主的に、良識が働いていくという形が望ましい。 その意味では、今回のヘイトの告発という動きはかなり注目すべきだ。ネットという道具が浸透し始めて、ようやくこういう動きが出るようになったという意味で、一つの転機と言えるかもしれない。 ただ、言論や表現の評価は難しいため、中には「俺の言論はヘイトではないのだから削除は不当だ」という人もいるかもしれない。そこはユーチューブ側の力量が問われるところではあるが、そういう申し立てがあれば受け止めて検討する機能を保証すればよい。 今まではどんなひどい言論でも野放図に発信できたわけだが、そうではなくある種の自浄作用が働く状態を標準として、それに不服がある人は申し立てるというやり方だ。本来はそちらのほうがあるべき形だと思う。匿名発信をよいことにプライバシー侵害や嘘の情報垂れ流しという状況が続く方が異常なのだ。 特定のメディア企業だけでなく、一般市民がメディアを使いこなせるようになることによってこそ、インターネットという革命的な道具は正しく威力を発揮できるようになるはずだ。今回の「なんJ民」の動きは、まだどうなるかわからないし、一つの萌芽(ほうが)というべき現象だろう。 しかし、利用者の間で自主的に起こったという経緯や、参加者たちが「祭り」として楽しんでいるというありようなど、この現象の持つ新しさは、かなり注目すべきものであるような気がする。 東京・新大久保で大きくなったヘイトデモに対して、その数を上回るほどの市民が集まってヘイトをやめろと声をあげたように、市民の自主的動きとしてある種の社会的バランスが働いていくことが望ましい。2018年6月、川崎市の市教育文化会館で開催予定だった集会に抗議し、座り込む市民ら ヘイトスピーチ規制については、思想の自由市場にゆだねるのでなく、ある種の法的規制もやむなしという見方が多数で、私も、歴史的過渡期においてはそれもやむをえないと考えている。 ただ、本来は国家や警察がなるべく介入しないほうがよいのは当然で、思想の自由市場がきちんと機能するような状況をネット社会においてもなるべく早く作り上げなければいけないと思う。 私は匿名なら何をやってもいいんだという風潮を早く一掃し、市民も自分の言論には責任を持つという社会意識が早く一般化してほしいと思う。そうならなければ、インターネットという道具は、人類にとってのその革命性を発揮できずに終わってしまうことになりかねないと思っている。

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    「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味

    遠藤薫(学習院大教授) 2018年5月、「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」あるいは「ネトウヨ春(夏)のBAN祭り」の名のもとに、ヘイトスピーチと見なされるユーチューブ動画を通報するという「運動」が勃発した。 今日では、グーグルやツイッターなどソーシャルメディアのサービス提供者は、ヘイトスピーチなど問題のある発言に対して、投稿の削除だけでなくアカウント停止など厳しい対応をとっている。対応するにあたっては、ユーザーからの「通報」を参考にすることも多い。したがって、「通報」は間接的に、投稿の削除を促すこととなる。 この運動によって20万本以上の動画が削除され、自主削除したものも10万本近いと言われている。ヘイトスピーチは問題だが、「規制」は「表現の自由」の侵害になるのではないか、という問いを多くのメディアが取り上げた。 ただし、最初に注意しておきたいのは、この問題は「ヘイトスピーチ撲滅か、表現の自由擁護か」という二者択一的な問題ではない、ということだ。「(明らかな)ヘイトスピーチ」は、絶対ダメ、なのである。 わが国では、平成28年6月3日に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」を施行し、法務省は「ヘイトスピーチ、許さない」という大キャンペーンを展開している。これは日本だけではなく、世界の流れであり、国連の見解を受けたものでもある。したがって、もしある動画、ある言説が「ヘイトスピーチ」の要件を満たすならば、誰がどのように通報するかに関わりなく、それは削除されなければならない。図1 動画・言論の布置 ただ問題は、多くの表現は、明らかなヘイトスピーチとまでは言えないが攻撃性を含んでいるし、「表現の自由」の許容にも一定の限度があるということだ。だから、現実に私たちが考えなければならないのは、図1に薄青色で示したような中間領域の言論や動画(いわば準ヘイトスピーチ)にどう対応するかということになる。 そこで、本稿では現実の状況を筆者が行った意識調査をもとに考えてみたい。 図2は、2017年3月と10月に行った調査で、ヘイトスピーチ、炎上、デマ・誤情報に関するソーシャルメディア上での経験を尋ねた結果である。図2 問題投稿に関する経験(2017年3月、7月意識調査より,MA,%) これによれば、問題発言を「見かけたことがある」人はかなりの割合でいること、また、2017年3月と10月の間でその割合が急増していることが分かる。特にヘイトスピーチは2倍近く増えている。2回の調査を単純比較することはできないが、問題投稿が急増しているのではないかと推測される。 今回の「運動」は、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)から「ネトウヨ」に対するカウンターとして始まった。そもそも2ちゃんねるが「ネトウヨ」の活動場所とみなされることが多い現状から考えると、この「運動」に違和感がある人も多いのではないか。「削除運動」参加者の正体 一方、「ネトウヨ」と呼ばれる人々がどのような人なのかは、必ずしもよく分かっているわけではない。「ネット右翼」という正式な呼称からも示唆されるように、ネット上で右翼的な発言を活発に行っている人々を指すと考えられるが、それは「保守」とどの程度重なるのかなど、その像は必ずしも明確ではない。 そこで、2ちゃんねる利用度および自民党支持とヘイトスピーチ認知との関係をグラフ化したのが、図3である。これによれば、3月調査でも10月調査でも、2ちゃんねるの利用頻度が高いグループほど、ヘイトスピーチを認知している人の割合が高い。 同様に、自民党支持層ほどヘイトスピーチを認知している人の割合が高い。また、3月調査に比べて10月調査では認知割合が急増している。 2ちゃんねる利用者や自民党支持者のヘイトスピーチ認知割合が高いのは、2ちゃんねる界隈(かいわい)や自民党支持層界隈でヘイトスピーチが横行しているせいなのかどうかは、別途分析が必要だろう。 また、2ちゃんねる利用者と自民党支持層で類似の傾向を示すということは、2ちゃんねる利用者に自民党支持者が多いせいかとも考えたが、分析してみた結果、そのような傾向は見られなかった。図3 2ちゃんねる利用/自民党支持とヘイトスピーチの認知(2017年3月、7月意識調査より,%)) では、このような問題のある言説について、ネットユーザーたちはどのように対応すべきだと考えているだろうか。図4は、2017年3月調査で、問題言説に対する対応を尋ねた結果である。 これによれば、「誹謗(ひぼう)・中傷」「ヘイトスピーチ」「デマ・誤情報」に関しては、いずれも「規制によって防ぐ」が圧倒的に高い割合を占めている。「表現の自由だから仕方がない」という回答は半分程度である。 「炎上」だけが「ネットリテラシーを身につける」が最も多く、「表現の自由」「規制」と続くが、いずれも同程度である。これは、「誹謗・中傷」「ヘイトスピーチ」「デマ・誤情報」については被害者になることが想定されるのに対して、「炎上」は自分が引き起こしたり、延焼させたりする可能性が高いと認識されているからかもしれない。図4 ネット上の問題発言にどのように対応するべきか(2017年3月調査より,MA,%) ヘイトスピーチに対する対応について、2ちゃんねる利用頻度および自民党支持によってクロス集計した結果が図5である。 これによると、「規制による防止」は、分類にあまり関係なく、高い割合で支持を得ている。一方、「リテラシーを身につけて注意する」と「表現の自由を優先すべき」という対応は、2ちゃんねるの利用頻度が高いグループほど、また、自民党支持層ほど高い割合で支持していることが分かった。 特に2ちゃんねるのヘビーユーザー層(週に数回以上利用)では、「規制による防止」よりも「メディアリテラシーを身につけて注意する」の方が高い割合で支持されている。これは、2ちゃんねる利用者が伝統的に「リテラシー」に強い自信を持っていることによるのかもしれない。社会悪を裁くのはIT企業? これに対して、自民党支持層に特徴的なのは、「表現の自由を優先する」が「リテラシーを身につけて注意する」より高い割合で支持されている点である。その理由については、また別途検討する必要があるだろう。図5 2ちゃんねる利用/自民党支持とヘイトスピーチに対する対応(2017年3月調査より,%) さて、ここまでは、一般ユーザーのヘイトスピーチに対する意識を検討してきた。そして、「規制」を要請する意識が予想外に高いことが分かった。その意味では、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)発の「祭り」は、一般ユーザーの意識に沿っているとも言える。 その一方で、このような「祭り」にある種の暴力性、集団圧力のようなものを感じて、不快に感じる向きも少なからずいるだろう。 ただし、この「祭り」の効果は極めて間接的であり、また限定的である。というのも、先にも述べたように、実際に投稿を削除したりアカウントを停止したりする権限を持っているのは、グーグルやツイッターなどの大手IT企業である。ユーザーからの通報を受けて、ある投稿がヘイトスピーチなのかそうでないのかを判定するのも、これらの企業である。 従来なら通報先となったはずの国家や司法は、(先に挙げた法務省のキャンペーンのように)外部からプロモーションを行っているに過ぎず、法制化されたといっても罰則などはないのである。だから「BAN祭り」は国家(警察)や公的機関には通報しない。グーグルやユーチューブやツイッターに通報する。 今やヘイトという社会悪を裁くのはIT企業なのだ。いつのまにか、IT企業こそが「公(おおやけ)」を担う主体になったのかもしれない。 この構造を踏まえるならば、将来、「規制」をたてに「表現の自由」に行きすぎた制限をかけてくるのは、IT企業かもしれないのである。 まだまだ書きたいことは多々あるが、今回の「BAN祭り」から浮かび出てくるもっとも興味深い謎は、右翼-左翼、あるいは保守-革新の軸と、この運動の対抗軸とはどのように交差しているのか、あるいはすれ違っているのか、という問題である。 「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」のサイトには、「ハンJ民(5ちゃんねるユーザー)は叩くと面白い音がするオモチャで遊んでるだけです。 正義の鉄槌を期待している方々のご期待には沿えないかもしれません。 ツイッターの人たちも別に動いているので、こちらで行動することもできます。→『#ネトウヨ春のBAN祭り』『#ネトウヨ夏のBAN祭り』」と主張されている。(iStock) 「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」とは、結局私たちの社会に何をもたらしたのか。開設以来すでに20年を過ぎた今、利用者-非利用者も含めて改めて考えることは意味があるのかもしれない。

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    懲りないトンデモ動画配信者をどう規制していくべきなのか

    立てないと思い込んでいる存在なのだ。かつてはYouTubeも「違法動画の温床」などと言われていたが、ネット社会の一大インフラとして君臨するまでになった。そんなYouTubeでも、いまだに違法動画をアップするユーザーと戦わない日はない。大変な労力、そしてカネもかかるかもしれないが、現状は配信企業が地道に違反ユーザーを取り締まり、彼らを追放していくしかない。さもなければ、技術の発展で勝ち得た新たな技術が不届きものに食い物にされ、我々は結局その恩恵を受けることができないのだ。関連記事■ 増える高齢者クレーマー、悩むサービス業の若者たち■ いまさら無修正DVD製造販売業者の摘発が相次いでいる理由■ 自己資金50万円で「ソフト闇金」を始めた大学生の“事業戦略”■ 女優が逮捕 グレーゾーンのカリビアンコムが摘発された背景■ ついに人気女優も逮捕された「成人動画」制作の裏事情

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    ネットでは意に沿った発言をしない限り敵とする二元論となる

    「リベラル」、「保守」とはいったい何かという問題が、最近、ネットでは話題だ。伝統的な左派・右派といった枠組みでの定義はもはや意味がないのではないかという分析から出てきた話題だが、現実の選挙の前では、その党派にわかれた罵倒合戦のようなことがネット上ではたびたび起きている。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、両派が罵り合う状況について解説する。* * * ジャーナリスト・佐々木俊尚氏が「文春オンライン」にて『「ネトウヨ」「パヨク」の罵り合い、そろそろやめてみませんか? 総選挙に向けたひとつの提案』という文章を寄稿した。内容は、選挙においては「党派性」というものだけで考えるべきではない、ということである。なぜ、佐々木氏は「党派性重視」を問題視するのか。同氏はこう説明する。〈党派は「敵か味方か」「白か黒か」をはっきりさせるので、人を熱狂に駆り立てる。ゆえに人々を動員しやすく、運動は盛り上がる〉 佐々木氏は「党派性」ではなく、自分自身が正しいと思うことを基に投票すべきでは、と暗に提案しているのだが、同氏の意図については、若干説明が必要だろう。「ネトウヨ」は「ネット右翼」のことで、今回の選挙では主に自民党支持者のことを意味する。希望の党・維新はあまり関係ない。日本共産党をはじめとしてリベラル政党を支持する「パヨク」(≒左翼)については後述する。 佐々木氏は2000年代中盤からネット上では圧倒的な知名度を誇る論客であり、常に「大人」として、炎上案件があってもバランサーとしての役割を果たしてきた。(iStock) ここ数年間の選挙においては都知事選でも、国会議員の補選、都議選でも「ネトウヨVSパヨク」のネット上の戦いは展開されてきた。いずれも自民党支持者VSリベラル政党支持者という構図だ。リベラルは政策批判ではなく「反安倍」 選挙においては、矢野顕子が過去に歌ったように親同士が敵味方に分裂し、選挙のたびに殴り合いになるのである。今の時代、ネットはその状況になっている。佐々木氏はバランサーとしてのスタンスを明確にするのだが、その都度、基本的には「パヨク」の側から批判が寄せられる。「お前はリベラルを装ったネトウヨだ」と。 両派とも、自分の意に沿った発言をしない限りは“敵味方”を明確に分ける二元論となり、「ネトウヨ」「パヨク」のレッテル貼りをし、罵り合う。そもそも昨今の市民活動のイシューはおかしい。 「脱原発」に賛成しているのならばそれでいい。しかし、なぜかそれと「憲法九条改憲反対」「朝鮮学校無償化賛成」「加計学園問題は叩け」派が同じ論調なのである。「リベラル」の名のもとに「それらには賛成(反対)しよう」といった談合的状況になっているのだ。その界隈のオピニオンリーダー的な人の号令を待ち、その論調に従う傾向がある。 そこで一致するのは「反安倍政権」ということである。イシューは関係なく、とにかく安倍政権がむかついて仕方がない人々が連携し、何にでも反対している状況がある。これが佐々木氏言うところの「パヨク」である。 ネトウヨに関しては、安倍晋三首相のことであればなんでも擁護し、景気の悪化が懸念される消費増税も「必要なことだもんね」と容認。結局政策ではなく、「誰か」が選挙で最も意思決定に影響するのである。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など関連記事■ うっかりミスでも「反日企業」レッテル貼られる状況■ 鱧のおすましやステーキ騒動 世代間闘争はネットの風物詩■ 「イエニスタ土田」「QBK」一度のミスに執着するネット民■ ネットの居酒屋ポテト論争など 「これで番組つくるかァ?」■ ネットニュースのコメ欄を席巻する中韓嫌いな人々の飛躍思考

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    ネット憎悪「Hagex事件」の深層

    「おいネット弁慶を卒業したぞ」。人気ブロガー「Hagex」(ハゲックス)さんを刃物で刺殺した男は犯行後、ネットにこう書き残したという。「低能先生」などと揶揄され、ネット上でのやりとりに逆恨みした末の事件だった。ネット憎悪がリアル殺人を引き起こす現代社会の病理に迫る。

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    「切込隊長」山本一郎がHagexさんの死に直面して思うこと

    した。 当時、私は「切込隊長」を名乗っていたものの、すでに結婚をし、子供も生まれたばかりだったので、ネット社会特有のハンドルネームによる活動から、徐々にリアル社会に受け入れてもらえるような実名での活動に切り替えていた時期でした。でも、Hagexさんからしてみれば、私は「切込隊長」であり、そのハンドルネームを捨てても「元隊長」なのです。 つまり、「あー、あの切込隊長さんですか。その節はお世話になりました」「え、あなたがZoffさん?? あれってHagexさんのことだったの? 知らなかった」みたいな関係です。私にとって「岡本顕一郎」という名前では認識されず、あるコミュニティーでは適当なハンドルネームで、また別のコミュニティーでは全然違う名前で呼び合う、いわばディスプレーの向こう側にいる人でしかなかったわけですね。そして、出された名刺に記された実の名前とお堅い会社など組織のロゴで苦笑することになります。 しかしながら、彼も私も同じネットコミュニティーにいて、ホワイトハッカーの連中や違法ダウンロードの監視をやるボランティアをしていましたが、もうまったくお互いの名前も素性も知らないまま活動していたんですよね。そして、彼が「Hagex」として活動し始めた2003年よりもずっと後の2011年ごろ、前述のやりとりが行われた某大学教授のささやかな宴会で、面識を得るに至ったわけです。 会ったことがないのに共通の話題があり、それどころか、同じ事件を見て、その解決に協力することはネットではよくあるのです。ネットで起きる変な事件、変わった人たちの書き込み、ヤバい問題などなど、ネットという広大な場所だからこそ、Hagexさんたちと私は「同じ興味や関心を持ったネット民の集団」として知り合うことができます。そもそも、ネット上ではなぜ、お互いをハンドルネームで呼び合い、リアル社会の立場を述べなくても、そこで積極的に活動している誰かを信頼することができるのでしょうか。 会ったことのない人を殺す事件を、皆はビビります。でも、会ったことのない人と協力し、信頼して、場合によってはかなりの時間と費用と労力をかけて問題に取り組む――これが、ネット社会の良さであり、理解のし難さでもあります。信頼関係も築けるネット社会なら、人を殺すような事件が起きてもまったくおかしくないのがネット社会なのです。山本一郎氏 実際に会うと、はにかみ屋で、穏やかな人柄に見える人物が、ネットでは過激で、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いをし、大胆な行動で鳴らしていることもあります。逆に、いつも乙女チックな書き込みで、物腰が静かで、ネット内では信望を集めて多くのユーザーやハッカーを束ねている人が、実際に会ってみると巨大な体躯(たいく)をアロハシャツで纏(まと)い、指が何本かない人であって、むしろ会ったこの場で写真を撮られないよう腐心する、といった具合です。 大手企業の研究職あり、霞が関の技官あり、博士課程を出ても無職あり、無粋な書き込みを連発する妙齢な女性あり。これがネット社会の醍醐味(だいごみ)であり、リアルなのです。 Hagexさん刺殺事件は、そういうコミュニティー全体をも驚きと嘆きと失望に落とし込みました。こんなところで死ぬ人ではなく、運が悪かったとしか言いようがない。メディアでは、会ったこともない人と誹謗(ひぼう)中傷の「応酬」をして殺されたという事件の特異性を書き、そこに「ネットの闇」と報じていました。まあ、確かにそれはそうかもしれない。さて、私らネット民は闇から光を見ていたのでしょうか?むしろ私だったかもしれない インターネットが普及する前、音響カプラーに黒電話をつないでパソコン通信をやっていた時代から、本名よりもユーザーIDとハンドルネームで個体認識をするのが当たり前だったのが、サイバー空間にある人間の絆であり、絆が織りなすネット社会です。普通の人には理解のし難い、変人たちが集まる不思議な社交場に見えているのでしょうか。 そんなサイバー社会は、どんどん大きくなりました。それまでのパソコン通信は、バカ高い電話代をモノともせず、しょぼい性能のパソコンでチャットをしたり、つまらないゲームをしている物好きの集まり。そこからインターネットが発達し、無料掲示板、SNS、ブログにTwitter、Facebookなど、いろんなサービスが立ち上がりました。自分の好みのサービスを、友人たちとの交流に使えるようになって、すごく一般的になっていった。ネットとリアルの融合と言うけれど、実際には世の中には元からリアルしかなかったのです。 ネットの向こうにいる人も、生の人間です。ネットでもアプリでもリアルでも言葉を交わしながら、人は関係を築き絆を紡ぐ。心を通わせる言葉もあれば、「回線切って首吊って死ね」という罵倒も飛び交う、人間の生のコミュニティーが工作する雑踏がネットでした。 そんなネットを愛していたのがHagexさんです。ネットでやらかす人たちが好きだった。また、偉そうなきれい事をネットで言いながら、実際には全然違う行動をする、ダブルスタンダード野郎が大嫌いでもあった。そんなHagexさんが私に相談してきたことは「Hagexと実名を切り分けて活動を広げていきたいと思っているんです」というものでした。 私が結婚や出産を契機にネットでしか通用しない、それでいて居心地の良い「切込隊長」という名前を捨て、ありふれているけど逃れようのない実名「山本一郎」で論述したり研究をしたりしているさまを見て、Hagexさんはその20年近く慣れ親しんだ「Hagex」とは別の活動を始めようと思っていたのです。 そして、私なんかよりよっぽど、家族、所属企業などプロフィールを知られないよう、慎重に対応していたのがHagexさんだったと私は思います。というか、仲良くさせていただいてきたのに、友人一同「えっ、Hagexさん、そうだったの?」っていう情報がいくつもありました。先に言ってよ。それだけ気を遣っていたのに、まさかこんな事件になってしまうなんて悲運としか言いようがない。 下手をすると、殺されているのは私だったかもしれません。というより、脅迫も差出人不明の怪文書も今までの人生たくさん受け取ってきて、裁判も多数やり、拉致されそうになり、恨んでいる人の数で言えば私の方がはるかに多いのです。そんな私より若いHagexさんが死ぬなんて、世の中の不条理を深く感じます。これから何かを為そうとしている男の門出に、出合い頭の不幸な事故だったと、私は無念に思うのです。2018年6月24日、岡本顕一郎さんが刺され死亡する事件のあった福岡市中央区の現場付近 また、今回殺害に及んだとされる容疑者の「低能先生」。全然、低能じゃないHagexさんを殺したこの人の罪は擁護しようもなく、悔い改めて償ってほしいと思う一方、容疑者の魂の平安はどこにあるのか、残された人たちで考えていかなければなりません。 どれだけ嘆いても気持ちの収まらない事件で、何より「これって、どうすれば、何をもって解決なのか?」と考えがグルグルしてまとまりません。緊密に会ったことがない人との関係でも、人間はぽっかりと心に穴が開くことがあるのだ、ということを改めて気づかせる事件だったと思っています。

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    2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。最近、ベランダで、ミントやバジルやタイムやローズマリーやラズベリーを育てていたりするひろゆきです。 食用で育てているのですが、苗の時から日光の当たり具合を調整したりしていたので、食事時に葉を摘むときも、成長点は摘まないように日当たりの悪いところから採ろうとか、植え替えをしたから2、3日はやめておこうとか、植物側に立って考えるようになっちゃいました。人によっては、家の中に入ってきた虫を殺さないで追い出す人もいます。 6月には、イタリアが移民救助船の受け入れを拒否して、スペインが受け入れたりしましたね。2016年、2017年で、地中海を渡ろうとした移民が少なくとも2000人以上亡くなっています。そのために、何かする人もいれば、何もしない人もいます。 さて、本稿は「ネットにおける言論空間は成立しないのか」というテーマで書いているのですが、法律論と言論をごっちゃにしている人が多いのですね。 Hagexさんが刺殺されたわけですが、「殺人犯は厳罰に付されるべきで、ネットで嫌な思いをしたとかは、殺人が正当化される理屈にはならない」というのは、法律論では正しいです。きっと、裁判でもそういう判決が出ると思います。 法律論はお互いの立場を理解し合う必要もありません。相手の非を責め続けた方が勝つものです。 ただ、言論は法律論と違うものです。お互いの立場を理解した上で、言葉を尽くして妥協点を見つけられたらいいよね、ってモノだと思います。 なので、法律的には「加害者が全面的に悪いよね」で終わりなのですが、法律関係の仕事をしているわけではないうちらとしては「将来の悲劇を防ぐには何をしたらいいのか?」を考える方がいいと思うのです。 加害者の42歳無職の人は、国立九州大学で学んでいたと報じられています。国立大学出身の同期の多くは一流企業や銀行や官庁や研究の道に進んでいたのだと思います。自宅アパートの部屋の中の確認を終えた松本英光容疑者=2018年6月27日、福岡市(共同) そんな彼がその後にやった仕事は「ラーメン屋のアルバイト」だったそうです。その後、ラーメン屋で正社員になり、3年前まで働いていたそうです。 「なぜラーメン屋を辞めたのか?」ということまでは分かりませんが、39歳で無職になった彼が社会に希望を見いだしていた可能性はだいぶ低いと思います。 ちなみに、アメリカやヨーロッパで「イスラム国」(IS)によるテロと言われる殺人事件が毎年起きていますが、中東からテロリストがわざわざやってくるだけではなく、アメリカやフランス、ベルギーなどで育った人が、自分の住んで暮らした社会に幻滅し、その後社会を壊すことを選んで犯行に及ぶケースもままあります。「キモくて金のないおっさん」問題 日本は、毎年2万人以上が自殺をする社会です。社会や未来に希望が持てなくなり、自殺を選ぶわけです。 一方で、たまに、自分を殺して社会から卒業するのではなく、他人を殺すことで社会から卒業しようとする人たちがいます。秋葉原通り魔事件、東海道新幹線殺傷事件、そして今回の事件ですが、犯罪とは程遠い生活をしてきた人が、一転して重大事件の加害者になりました。 逮捕されて、刑務所に入ることが嫌なことであると考える人は、社会に属すことに居心地の良さを感じる人たちだけです。社会に属することを居心地が悪いと感じる人たちにとっては、刑務所や死刑ですら苦痛からの解放のように考えてしまう場合もあるわけです。 個人的にはそういう人を「無敵の人」って呼んでいたりするのですが、無敵の人に対して、既存の刑事罰の強化をしても、犯罪を抑制する効果はあまりないのですね。 さてさて、問題点を出すだけでは無意味な長文になってしまうので、おいらなりの解決策を提示してみたいと思います。 ネットで「キモくて金のないおっさん問題」と言われる、「誰からも好かれていないし、期待されていないおっさんをどうにかしないと社会に悪影響があるよね」っていう問題があります。イギリスだと孤独担当大臣という大臣を作って対処を始めていたり、他の国では問題として認識されて、社会的に解決しようと予算が動いていたりします。 解決するには彼らが社会に未練を残すようにすればいいわけで、「家族や恋人ができたらいいよね」という解決策を言う人もいますが、現実には「キモくて金のないおっさん」と付き合いたい人はそんなに多くないのが実情です。 そこで注目したいのが、南米ベネズエラの食糧危機です。大規模な食糧危機が起きたので、国民の75%が平均約9キロも体重が落ちたそうで、多くの餓死者も出たといいます。 そこで、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、貧困地域に食料としてウサギを配布しました。※画像はイメージです(iStock) ウサギは約2カ月飼育すれば、2・5キロぐらいに育つそうです。毎日の食事も満足にありつけない人たちの食事として各家庭に配って、2カ月ぐらいしたら食べるだろうと思ったら、ペットとして名前を付け、一緒に寝てかわいがっていて、全然食べなかったそうです。ということで、このウサギを配る計画っていうのは大失敗に終わり、今度はヤギで試すらしいです。 人は、弱い存在から頼られることで幸せを感じたりする生き物です。ということで、「キモくて金のないおっさん」にはウサギを配ってみると、「自分が社会からいなくなったら、ウサギの世話をする人がいなくなって、ウサギがかわいそう」ってことで、ウサギの世話をし続けるために社会に居続けてくれるんじゃないかと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。 ちなみに、毎月7万円を国民全員に無条件で配る「ベーシックインカム」っていうのも解決案の一つなんですが、ウサギの方が安上がりだし、面白そうだと思うので、個人的には「ウサギ計画」を無敵の人への対処法として提示したいところです。 という感じで、「キモくて金のないおっさん」側の心情を考えることができるのが「言論」のできることだと思ったりします。

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    リアル殺人を厭わない「ネット弁慶」に突然変異などいない

    唐澤貴洋(弁護士) 6月24日、福岡市でインターネットセキュリティー会社社員の岡本顕一郎さんが、42歳の無職の男によって刺殺される痛ましい事件が起きた。岡本さんは「Hagex」(ハゲックス)のハンドルネームで、「Hagex-day.info」というブログを、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「はてなブックマーク」で開設していた。報道によると、容疑者の男はインターネット上で荒らし行為をしていた「低能先生」と呼ばれる人物だという。「おいネット弁慶卒業してきたぞ」「これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく、俺と議論しておのれらの正当性を示すこともなく(まあネットリンチの正当化なんて無理だけどな)俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」「ただほぼ引きこもりの42歳」「これから近所の交番に自首して俺自身の責任をとってくるわ」 はてなブックマークの匿名ブログ「匿名ダイアリー」には、低能先生と呼ばれる男の犯行声明とみられる上記のような文章が投稿されていた。この男は「動機」について、「通報&封殺」されたことにあると記していたのである。「低能先生という荒しがいる。はてなブックマークに出現し、IDコール利用して複数のユーザーに対して誹謗中傷を繰り返している」「低能先生からコールが来る度に、私ははてなに通報を行っている。当初は『私も含めて、他のユーザーに罵詈雑言を行っている人間です』と丁寧に理由を書いていた。が、最近では『低能先生です』と一言だけ書いて送っていた。その後低能アカウントは凍結される」(岡本さんのブログより) 岡本さんは生前、低能先生による中傷行為を運営側に報告していることをブログで書いていた。つまり、低能先生と呼ばれる男は、はてなブックマークで荒らし行為をしていたことについて、通報されてアカウントを凍結されたことを逆恨みして犯行に及んだと理解できる。 この事件について、インターネット上での争いが現実社会での殺人事件にまで発展してしまった点で、驚きをもって世間では受け取られている。果たして、これは特異な事件といえるのだろうか。 私は弁護士として、ネット上の法的問題をよく取り扱っている。私自身、インターネット上のある誹謗(ひぼう)中傷事件の弁護をきっかけに、ネット上での誹謗中傷に始まり、殺害予告や爆破予告をされた経験がある。 果ては、親族の墓にペンキをまかれる、事務所周辺にビラをまかれる、カッターナイフを送られるなど、現実でも無数の嫌がらせを受けた。唐澤貴洋弁護士になりすましたツイッターの投稿。現在は閲覧できなくなっている(ツイッターより) 現実社会での嫌がらせをしてきた犯人のうち、何人かについては刑事処分が下され、その人物像を私も知ることとなった。そこで見たのは、ネットにしか居場所がない人物の悲しみであった。 私の身に起きた事件の犯人たちは、現実社会では無職だったり、学生であっても通学できていなかったりしていた。そうした他者から肯定的な評価を得る機会が少ない者が、インターネットで居場所を見つけていたのである。突然変異ではない「事件」 そういった者が、ネットでの反応が見たいがために、インターネットや、その延長線上の現実社会で、ネタを作ろうとして異常行動を起こした。ネタとなった行動をした者は、ネット上で無責任な称賛を受け、その賛辞をもって自分の存在を確認していたのである。 彼らはネット上の無秩序の感覚に慣れ親しんでいるためか、ネタを作るためであれば、現実社会で違法と評価されることもいとわない。器物損壊、建造物侵入、窃盗、脅迫、恐喝、業務妨害…。実際、私が受けた行為はれっきとした犯罪だった。 こうした犯罪が刑事事件として立件され、容疑者が逮捕されると、必然的に報道される場合がある。事件報道によって、ネット上に氏名が掲載されることになれば、事件報道は記事として拡散する力が強いために、半永久的に記事が残ることになる。 現実社会で生きている人間からすれば、実社会で何ら関係ない第三者に嫌がらせをして、その行為を犯罪行為として罰せられるリスクを引き受けるということ自体、よく理解できないだろう。 しかし、ネットでのコミュニケーションを通してでしか自己の存在確認ができない孤独な者にとって、ネットでの反応は欠かすことのできないレゾンデートル(存在意義)となっている。 今回刺殺事件を起こした犯人の怒りの根拠は、はてなブックマークで「通報&封殺」されたことだ。この怒りは、たかだかネットで、特に、一部のブログサービスで発言できなくなっただけだと考えるのであれば、理解などできないだろう。2018年6月、福岡市内の松本英光容疑者の自宅アパート インターネット上で居場所として見つけた空間で、アカウントがなくなり、発言もできなくなるということは、引きこもりで現実社会との関係が薄い犯人にとって、自分の存在理由にかかわる重大な事態と映ったのではないか。自らの犯行声明をネット上に投稿した行動からは、結局、自分の行為を伝えて評価を受ける場所がインターネットしかなかったからに他ならない。 インターネットでの存在確保のために、現実社会で異常な行動に出てしまうという理路は、ネット空間での自己認識こそがリアルとなっている者の存在を知らなければ理解できない。自らに起こったことからも考えれば、このような孤独な環境にいる者は少なからずいるのではないかと、私は考えている。 今回の事件は決して何か突然変異で起こっているわけではない。私は、インターネットが出現して人間社会に欠かすことができない存在として扱われるようになったことから、起こるべくして起こった事件であると考えている。

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    かまってちゃんをこじらせた「低能先生」のキケンな化学反応

    に省略してコミュニケーションを生み出し、世の中の歴史の一部を作り出してゆく。 厄介なのは、われわれはネット社会と現実社会を自由に行き来できることである。というのは、現実の人間関係とネット上の人間関係は、それぞれ異なる特性を持つにもかかわらず、両立し、かつ互いに影響し合っているからである。 しかし、このような「相互乗り入れ」は、実はそんなに簡単なことではない。ネットと現実では、人同士の距離の近さであったり、即時性であったり、匿名性であったり、率直性、コントロール性の面で異なる。ということは、異なる人間関係スキルや表現・言論スタイルが必要であるにもかかわらず、それを行使する主体は、一人の生身の人間でしかないのだ。 もちろん、二つの世界を器用に使い分けられる人が大部分だ。しかし時に、二つの世界のはざまで、人がさまざまな欲求を言動や態度として表出する過程で、アサーティブな(自分や他人を傷つけない)解消ができないことがある。そのとき、心理的なひずみが深められていく背景になるのである。2018年6月26日、送検される松本英光容疑者=福岡・中央署 つまり、ネット不適応に至る場合、人とコミュニケーションを取るスキル(技術)の問題が表面的にはある。だが、実際には、スキルよりももっと心理的には深層の、個人のさまざまな欲求や思考が「ネット言論」という場と化学反応を起こすことによって、それがある人の現実生活や人生までも変えてしまう原因になるということが、今回の事件で象徴的に示されたのではないだろうか。 容疑者はネット上で「低能先生」と呼ばれ、200回以上もIDを変えて、他人の罵倒を繰り返していたという。彼の原動力として、そこに存在していたのは、他ならぬ「自己顕示欲」であろう。揺るがされた存在価値 言葉を換えれば、「承認欲求」でもあったのではないか。あるいは、自分の人生を理想的に展開する「自己実現」の模索に近いかもしれないし、自分の行動のコントロール感を高めたかった行為であるとも見立てられる。 いずれにしても、自分の存在意義を自分で確認する行為である。ネット言論では、異質で偏った言説であっても、リアクションや称賛の対象になりうる。たとえそれが炎上のような、字義通りに捉えればネガティブに見える反応も、本人にとっては「炎上を起こしている主体」として、社会の中での自分の立ち位置を意識化することができる。 そのため、ネット言論における自己顕示は、現実生活でのそれに比べるとハードルが低く、かつ本人の欲求を満たす形で機能しやすい。心理・行動分析学の視点からいえば、自身の行為から60秒以内にリアクションが生じると、その行動が繰り返される糧になる。ネットは、それが得られる格好の場なのである。 しかしながら一方で、その効果は限定的であると言わざるを得ない。ワンパターンの「批判」というあり方でしかない自己主張は、リアクションがなくなることこそないにしても、反応は次第に下火になっていく。エスカレートしないと、自分の求める反応は得られない。そして続ければ続けるほど、敵も増えていくのである。 とはいえ、本人のモチベーションにつながる反応がゼロになるわけではない。加えて再実行のハードルは低い、というかそれしかできない。結果、また批判を繰り返す…。 しかしそこに残るのは、永遠にステップアップしない他者からの承認や、社会的地位を得られないという実感しかない。 もちろん、会社や学校など、他に自己顕示欲や承認欲求が満たされる場があれば、健康は保たれる。しかし、容疑者が無職であったとすれば、満たされない欲求と無力感だけが残る。その中で、岡本さんからの逆批判は、存在価値を根幹から揺るがされる引き金になったことであろう。 そうなれば、あとは実力行使しかない。ネットでは受け入れられない自己の価値を、他の世界、つまり現実社会で確認するほか道は残されていない。だが当然、社会性を失っている場合、短期的に承認を得られる場などあるはずがない。追い詰められてゆがんでしまった思考は、殺人という凶行によって完結したのかもしれない。2018年6月、ITセミナーで講師の岡本顕一郎さんが刺殺される事件のあった福岡市内の旧小学校施設 強いていえば、彼に客観的思考を与える他者がいれば、事件は起こらなかったかもしれない。実は、人間は現実社会の中で他者と関わることにより、ぶつかったり認められたり否定されたりしながらも、さまざまな思考や価値観に触れ、自分の主観的思考を調整している生き物なのだ。カウンセリングにおいても、どんな悩みであれ、「主観的思考」から解き放たれ、「メタ認知」(自分の思考に関する思考)を持つことができたとき、問題は解決するのである。 もし、自分の思考だけに固執せざるを得ない環境だけが彼の居場所だったとすれば、彼の中だけの「正しさ」が芽生え、強固に維持されながら、「自分の何が悪いのか」「相手は何を考えているのか」「この状況はどんな状況なのか」などということさえも適切に理解できずにいたに違いない。時には、被害妄想にも似た感情を抱えていたかもしれない。ネット言論は、そのような暴走を維持する「負の機能」も持ち合わせているのである。 ネット言論が情報の伝達手段として機能するだけではなく、人の欲望や衝動を表出したり解消したりする場であり続けることは、当然のことながら否定されるべきものではない。しかしながら、ネット言論の限界をわきまえ、唯一無二の存在として固執しない・させないマネジメントを行うことが、キケンな化学反応を防ぐ一つの策になるのである。

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    ネットの気に食わない発言、いちいち勤務先に抗議する愚

     昔から失言は誰でもしてきたし、それによって報いを受けてきた。インターネットやSNSの発達に伴って、失言どころか、気に入らない主張に与したというだけで、その発言主を徹底的に糾弾してよいと考えて行動する人たちが目立ってきた。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、通報扇動家たちの存在と、それへの対処について考えた。 * * *「ネットで非常識/人でなし発言をした者は勤務先・通学先に一斉通報を扇動!」というネットの伝統芸がまたもや出てきて呆れている。具体名は挙げないが、「高度プロフェッショナル制度(高プロ)賛成」「過労死する人も自己責任の面もある」的なことをツイートした某社社員が炎上した。 会員制物販サービスを提供している会社なのだが、これらの発言によってネットで発生するのが退会扇動、運営会社への抗議呼びかけ、解雇要求、不買運動である。 この意見の是非はさておき、とある個人がネットで発言したことにより不快な気持ちになったり、怒りを覚えたからといってその組織を攻撃することこそ正義の行為、的考え方はいい加減やめないか。 不買運動を呼びかけるような対象というものは、世間に対して有益なサービス・商品を提供しているわけだから、一人の関係者による“不適切発言”があったからといっていちいちその組織を追い込むよう呼びかけるのは公共の利点を考えると誤りである。※画像はイメージです(iStock) 問題のある人間が勤務する(した)会社に対して「なんであんな奴を雇ったんだ!」とクレームが殺到する時代ではあるが、人事からすれば「そんなの見抜けるかよ! ヤバい奴だと面接段階で分かる機械をお前が作ってくれたら買ってやるから営業妨害やめろ! もう、朝から電話が鳴りやまずに仕事にならねぇんだよ!」や「有能だから雇ってるんだ。人の会社の経営に口出しするんじゃねぇ」と言いたくなるだろう。「お前はネット断ちしろ」と助言したい 世の中は自分にとって気に食わない意見で溢れている。 それは当たり前のことだ。安倍晋三支持派と反アベ派は経済政策でも外交実績でも絶対に意見の一致を見ない。家を買った人間と、賃貸住宅居住を貫く人間でもどちらが一生を考えたら得か、という点では理解し合えることはない。あくまでも自分が支持する側、そして自分が選択したものを支持せざるを得ない。これが人間の性である。 冒頭の「働き方」について同社社員の意見が気に食わない人がいるのは分かる。じゃあ、この社員を解雇にまで持っていくことに何の意味があるのか。 実際問題として、何の意味もないのである。義憤に駆られて世直しをしているつもりになるのかもしれないが、意見の合わない人間などウジャウジャ世の中にいる。というか、好意を持たない人間の方が世の中には圧倒的に多いわけで、そんな人間の意見が安易に自分の目に入ってしまう時点でネットというものは罪作りだ。頭から湯気を出している人間には「お前はネット断ちしろ」と助言をしたい。余計な意見など目にしない方があなたのためになる。 ただ、こうした通報扇動家は、相手に背負うべき組織がない場合は滅法弱い。その発言をした人間個人と議論すれば負けるから、所属する組織に対して恫喝をする。※画像はイメージです(iStock) だからこそ企業も「言論の自由はありますし、成績を出しているだけに……。本人に直接文句言ってください」と対応すべきなのだ。それこそ成熟した社会のありようだ。過激発言であろうとも、明らかな差別発言ではない場合は、いちいち組織と個人を紐づける必要はない。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■ 「ネットde真実」 ズレた正義に目覚めて無駄な行動力を発揮■ 何でもガラス張りに異論 素人の意見など無視してナンボ■ 差別主義者出禁や24時間営業休止等、「お客様は神様」の終焉■ 経産省 東京新聞論説副主幹の記事に抗議するも逆襲くらう■ 勝谷誠彦 馬鹿どもに声高に抗議するのに疲れた今やるべき事

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    「炎上覚悟で」と前置きするツイートが炎上しない件

    網尾歩 (コラムニスト) この連載では毎回、主にツイッター上で炎上している話題を取り上げている。筆者はツイッターの検索欄に「炎上」と入力して延々とツイートを確認するという地味な作業を毎週行っているが、ヒットするツイートのほとんどは、実際の炎上には関係ない。 「それ炎上するんじゃない?」「炎上するよww」など、知り合い同士での軽いやり取りが多いのだが、それ以外で目立つのは、「炎上覚悟で言います」「これ言ったら炎上するかもしれないけど」といった前置きである。 この前置きを使う人たちは、比較的若年層が多い。そして筆者の想定している「炎上」と10代から20代前半のそれは、定義が若干違うようにも感じられる。 筆者が探しているのは、大手企業の広告炎上であったり、芸能人や起業家など有名人の発言による炎上だ。一方で、若年層が「炎上」と呼んでいるのは、自分たちの所属するコミュニティの範囲内での炎上であることが多い。だから実際は、別の方法で炎上を探すことが多い。 同じ学校に通っている、同じ地域に住んでいるという共通点があったり、同じ趣味を持っていたり、共通の声優やアニメのファンでゆるくつながっているコミュニティであったり。半径5メートルほどで起きている批判や個人攻撃を、彼らは「炎上」と言う。もちろん、10代の世界が社会人より狭いことは何らおかしなことではないから、これは不思議ではない。 また、彼らの「炎上」の捉え方は、それが賛否両論の「議論」というよりも、一方的に寄せられる攻撃的なクレームや批判のことを指しているように感じる。※画像はイメージです(iStock) たとえば、地下アイドルがファンに対してライブでのマナーを求めるようなツイートを呈する。すると、「炎上覚悟でこんなことを言えるのはさすがだな」というつぶやきが散見される。客観的に見てアイドルに非があるとは思えないが、アイドルに対して感情的なリプライを送るアカウントは確かに存在する。 発言者に明らかな非がある場合や、もしくは賛否両論が交わされている場合を「炎上」だと思っている筆者の感覚の方が古いのかもしれない。「炎上」という言葉は、一部では「発言者に非があるか否かは問題ではなく、攻撃的なリプライが複数寄せられる状態」の意味で使われている。炎上を狙うのは意外と難しい これは恐らく、若年層が目の当たりにしてきた「大人たちの炎上」がそのように見えたからなのだろう。ファンにライブマナーを求める地下アイドルの何が悪いのか筆者にわからないのと同じように、少なくない割合の10代は、たとえば政治家が「保育所の拡充を求める母親は独善的だ」とツイートすることの何が炎上ポイントなのかわからないのではないか。 大人と子どもの違いだけではなく、自分の興味・関心の薄いトピックについて、人が他人の怒りを理解するのは基本的に難しいことなのだろう。 ここまで書いて気が付いたが、そういえば「大人」の中でも、芸能人がつくった子どもの弁当が肉ばかりに見えるとか、一億総姑かと感じるような炎上も確かにある。炎上とはいじめである、そう10代が理解するのもおかしくない。 「炎上覚悟で」というツイートを追うと、しばしば自分の顔写真をアップしている10代がいることがわかる。恐らく、顔写真をアップするのは「自分の外見に自信がある行為」と見なされている。だから「ブサイクのくせに顔を載せるな」という理由で「炎上」したケースが過去に複数あったのだろう。 顔写真をアップしながら「炎上覚悟で」とツイートするのにはこんな背景がある。しかしそのツイートの多くは、それほど拡散も炎上もしない。せいぜい2桁程度のRTではあるが、コミュニティが狭い中では、それでも「多くの人に見られた」状態なのかもしれない。※画像はイメージです(iStock) 「炎上覚悟で」と前置きしながら、ちょっとした意見をツイートしている場合もある。本人は「こんな毒舌を言っていいのか」とドキドキしながらのツイートなのかもしれないが、これも多くの場合、炎上していない。 炎上するツイートは、反論を買うことを予想していない無邪気さ、無神経さが鼻につくからこそ炎上するのだろうし、ツイッターのユーザーたちは、「炎上」で人目を引き、あわよくばフォロワーを増やそうとするユーザーの多さにもうんざりしているのだろう。 案外、狙って炎上することはなかなかできない。何を言っても人をイラッとさせてしまう炎上芸人のような有名人も存在するが、そうでない人が炎上を狙うのは、拡散を狙うのと同じぐらい難しいことなのだろう。

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    成長する出会い系アプリ市場 実名サービス登場で認知度上昇

    「現在の恋人とつきあって1年4か月になります。それまでの恋愛は長続きしなかったけど、今の彼とはめずらしく長く続いていて、結婚まで意識しています」──幸せいっぱいの表情でこう話すのは、関西地方の商社に勤める田代美保さん(仮名・29才)。AKB48・柏木由紀似の清楚系の美女だ。 田代さんが見せてくれたのは、5才年上の彼氏の写真。山田孝之似のイケメンで、年収は1500万円だという。「出会ってからつきあうまで3週間、その間に4~5回のデートを慎重に重ねて“この人しかいない”と思うようになりました」(田代さん) ここまで聞くと、いたって普通の恋愛のようだが、ふたりの「なれ初め」を知ると印象が変わるかもしれない。「先に彼が私の写真を見て『いいね!』を押してくれて、私もそれに『いいね!』で返して連絡を取り合うようになりました。彼は年収、学歴、顔、性格と条件をすべてクリアしていたから、“この人を逃したらもう他はないな”と思ったんです」(田代さん) そう、田代さんと彼が出会ったのは、スマートフォンを使った「出会い系アプリ」だった──。 出会い系サイト「ハッピーメール」で知り合った20代女性に金品を渡して交際したとして、新潟県の米山隆一前知事(50才)が辞任して半月あまり。東大卒で医師、弁護士の資格を持つ超エリートの現役知事が、出会い系サイトを介して女子大生と“恋愛”していた事実は世間に衝撃を与えた。(iStock)「知事がいかがわしいサイトを使うなんて新潟の恥です」(60代女性)「あの年で出会い系なんて信じられない…」(50代女性) 地元住人からはいまだこうした辛らつな声が上がるなか、本誌記者が米山氏の実家を訪ねたところ、インターホン越しに女性が一言こう話すのみだった。「わざわざ来ていただいて申し訳ないですが、コメントは差し控えます」 米山前知事の一件以来、良くも悪くも注目を集める出会い系。嫌悪の目を向けられながらも確かに現代社会に浸透したこの文化は、どこから発祥し、どのような趨勢を辿ってきたのか。3人に1人以上がアプリで結婚 30を超える国際版SNSに登録して、世界中から情報を集めるフリーライターの出町柳次さんが解説する。「出会い系の始まりは1989年に始まった『ダイヤルQ2』です。特定の番号をダイヤルすると女性と会話できるシステムでしたが、援助交際目的や高額の利用料請求などが社会問題となって廃れました。パソコンと携帯電話が普及した1990~2000年代にはネットを介して男女がつながる『出会い系サイト』が流行しましたが、男性会員をつなぎとめるために女性のフリをしてメッセージを送る“サクラ”も目立ちました」 大きな転換点となったのはSNSの登場だった。「なかでも2004年に登場したmixiによって“出会う”が“つながる”に変化しました。共通の趣味や関心を持った友達の輪が広がり、そこで知り合った人たちと実際に会うことがめずらしくなくなりました」(出町さん) SNSの普及により、出会い系のイメージが変わったと語るのは、超実践派恋愛コンサルタントのSaiさんだ。「かつての出会い系はアンダーグラウンドなイメージがあり、“モテない男女による、使っていることを大っぴらに言えないサイト”でした。また匿名性が高く、監禁や美人局などのトラブルに巻き込まれることもあり、実際に出会える異性の質も平均点より高くありませんでした。しかしここ5年ほどでフェイスブックなど実名を開示するSNSのアカウントと紐づけることが必須の出会い系が増えたことで透明性が高まり、認知度がアップしました」(iStock) 世界最大の交流サイトであるフェイスブックを活用している人は、「リア充」(現実の生活が充実している人)が多い。そうした人が出会い系を使うことで、「モテない男女が集う陰湿な出会い系サイト」が「イキイキした男女が交友関係を広げるためのマッチングアプリ」に変化したのだ。 スマホの普及で「いつでもどこでもお手軽に」が加速した出会い系アプリの勢いはめざましく、現在273億円の市場規模は2022年までに577億円に拡大するとみられる。 実際、株式会社マッチングエージェントによる2017年の調査では3人に1人以上が出会い系アプリをきっかけに結婚もしくは恋人ができたという。関連記事■ 隆盛極める出会い系アプリは現代の“お見合いおばさん”■ ゲーム感覚で簡単に利用の出会い系アプリ、“パパ活”の温床に■ 婚活女性、出会い系アプリで3か月で104人とデートし結婚へ■ 3Dプリンターを使い胎児の顔をフィギュアにするサービス登場■ イケメン執事がサプライズで花束等を宅配するサービス登場

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    「福島がTOKIOを応援する番」ツイッターで賛否両論

    網尾歩(コラムニスト) 9連休だった人もそうでなかった人も、GW中いかがお過ごしでしたでしょうか。GW前後の炎上4件をまとめました。 県知事がコメントを出す事態にまで発展してしまったのがこちら。徳島県徳島市で開かれたアニメイベントで、出演した女性声優を見かけて男性ファンが同じ飲食店に入店。その後、声優がトイレから出てきたタイミングでトイレに入った。さらに、便座を撮影し、「○○さんがさっき座ったトイレにきたw」「○○さんのお尻を触ってる気分になってる」(○○は声優の名前)とツイートした。男性は自ら入店の経緯などをすべてツイートしていた。 一連のツイートについて、男性に批判が殺到。男性は当初、「便座に触ったくらいでゴチャゴチャ言うな」などと言い返していたが、その後アカウントを削除した。 このイベントは市内の公園や商店街なども参加会場に含まれ、県外からの参加者も多い町おこし要素の高いもの。イベントのHPに、運営者らと連名で県知事が「大変残念」「皆様には節度ある行動をお願い致します」などのコメントを載せた。 男女共用トイレに女性の後に続いて入り便器を撮影する行為は、財務大臣風に言えば「便座撮影罪はない」のかもしれないが、顰蹙を買う行為であることは間違いない。男性本人も、声優に知られればまずいことはわかっていたようで「(声優が)エゴサしているようには見えなかったよ」(※エゴサ=エゴサーチ)ともつぶやいていた。 アニメや声優のファンからも「こういうマナー違反があると声優と距離の近いイベントはなくなる」といった批判のほか、「アニオタがキモがられる原因になるからやめてほしい」「声優ファンの一部ではどれだけキモいことを言えるかのチキンレースで盛り上がる風潮はどうなのか」(ツイート内容を要約)といった苦言も見られた(iStock) 過去にはツイート内容や更新頻度から生理周期の分析や自宅室内の推測をするなど、卑猥な内容のリプライを送られ続け、ツイッターを休止した声優もいる。内輪で盛り上がるファンは楽しいのだろうが、傍目には女性が公開セクハラを受けているようにしか見えない。 女性ファンの多い舞台で活躍する20代前半の舞台俳優が、5年ほど前の高校在学中と思われるころにツイートしていた内容を発見され、炎上した。まだ人気のなかった当時から同じアカウントを使い続けていたこと、本人のツイート数がそれほど多くないことから、過去のツイートを遡るのは難しくなかったと思われる。 発掘されているツイートは数多く、その内容は「妊婦さんに膝カックンして絶望させる遊び」「腐女子だけは気持ち悪いから死んで良いよ」「ぶっ殺してぇキモオタ共」など。また、表現が下劣すぎて紹介できないが、某有名テーマパークでの性行為や、電車内での女性への迷惑行為を推測させる内容、妊婦や生理用品への執着を感じさせるツイートも繰り返され、人気商売である芸能人がつぶやく内容とは思えないものばかり。「#今度は福島がTOKIOを応援する番だ」に賛否 さらに、「韓国人ビンタしたんでお金下さい」「韓国人と中国人は見下してる」といった人種差別も。この俳優が活躍する舞台は国外にも女性ファンが多く、ツイートを翻訳した海外ファンからも批判の声が上がった。 俳優は批判するファンをブロックし、これまでコメントを出していないが、舞台降板を望む声も多い。中には「若かったころのことだから」と擁護の声もあるが、ツイッター上のファンには広く知れ渡ってしまったと見られる。 声優ファンの炎上と同じく、内輪ノリで「毒舌」や「下ネタ」を楽しんでいるつもりだったのだろうが、代償は大きい。若気の至りとはいえ、何が彼を、そこまで異様なツイートに駆り立てたのだろう。 4月30日、某有名コピーライターが発したツイートが物議を醸した。内容は、「『人間以上の倫理感』が、いま人間に要求されているのではないか。いま人に要求されている『正しさ』は、ほとんどの歴史的宗教よりも厳しいのではなかろうか」。 前後のツイートとのつながりはなく、その後の本人の説明もないため、何についての言及かは不明だが、時期的に山口達也の強制わいせつ事件や、元財務事務次官のセクハラ問題顛末などを意味しているのではないかと推測されている。 GW中に武田鉄矢が山口の事件について「昨今、世の中の透明度がよくなるのはいいけど、世間の空気に栄養がない」「あまりにもみんな、清潔なものを求めすぎている」と発言したことと意味が近いと並べるツイートも散見する。 本人の言及がない以上、何を念頭に置いてのツイートなのかはわからないが、倫理観は人類の進化とともに磨かれていくものと考えれば、どの時代の宗教よりも正しさを求めているというのは、正解なのかもしれない。ただ、それは否定的に語られることなのだろうか。(iStock) もちろん、自分の感覚をフォロワーにふわっと共有したかっただけなのだろうから、ツッコミも野暮かとは思う。何についてのツイートかの説明がないのに、「そう思います」「その通りです」と追従できるフォロワーたちは、とても敬虔な信者に見えた。 「#今度は福島がTOKIOを応援する番だ」。TOKIOの連帯謝罪会見を見た人たちから生まれたハッシュタグだ。復興のためにTOKIOが尽くしてくれた恩返しに、TOKIOの窮地を救いたい気持ちの表れなのだろう。 長くなったので少しだけ。TOKIOを応援する人の中で好意的に大拡散されている一方で、案の定、ハッシュタグを使った被害者バッシングも行われている。このハッシュタグについて感想を求められたときに非常に慎重な言葉選びを迫られ、困るのはTOKIOなのではないか。被災地に送られ持て余される千羽鶴を見る気持ちになる。

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    漫画村と政府が「同じ穴のムジナ」と言える3つの理由

    曽我部真裕(京都大学大学院教授)  4月13日、政府の知的財産戦略本部(知財本部)・犯罪対策閣僚会議において、「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」が決定された。 そこでは、コミックなどを中心に、無断でコンテンツを無料配信する海賊版サイト「漫画村」をはじめ3サイトが名指しされた。 その上で、被害が深刻であることから、「法制度整備が行われる間の臨時的かつ緊急的な措置」として、一定の要件のもと、インターネット接続事業者(プロバイダー、ISP)がこれら3サイトへのアクセスを遮断する措置(ブロッキング)を行うことが必要であり、法的にも可能であることが示された。今後は、知財本部の下で法整備が検討されることになる。 また、この決定を受け、業界最大手のNTTグループのうち、インターネットプロバイダー(接続業者)を運営する主要3社が3サイトを遮断する方針を発表している。 この問題については、事前に政府がプロバイダーに対してブロッキングを要請することまで検討されているといった報道もあり、関係事業者やこの問題に関心を寄せる法律家から批判の声が上がっていた。 政策研究・提言団体の「情報法制研究所(JILIS)」でも、筆者を中心とするタスクフォースにおいて、4月11日に「著作権侵害サイトのブロッキング要請に関する緊急提言」を発表した。そのほかにも多くの声明・提言類が公表され、大きく報道されている。 その効果があってか、13日に決定された「緊急対策」では、政府による「要請」までは含まれずトーンダウンがあった。しかし、基本的な問題点は変わっていない。海賊版サイトへの対策を決めた会議に臨む安倍首相(手前右)と、 「漫画村」のトップページ(奥)のコラージュ(共同) では、今回の決定の問題点はどのようなところにあるのだろうか。一般市民の目線からは、海賊版サイトが違法なことは明らかであるから、アクセスできないようにしても問題ないと感じられるかもしれない。 確かに、この点については専門的な知識が必要で、分かりにくいところがある。テクニカルな話を省き、今回の決定の主な問題点を述べるとすれば、①サイトの内容が違法かどうかを政府が判断していること②立法なしにプロバイダーにブロッキングを事実上強制しようとしていること③ブロッキングという措置が本当に必要かどうかの議論が尽くされていないこと、にある。 まず、①「サイトの内容が違法かどうかを政府が判断していること」について説明しよう。 ブロッキングは、すべてのインターネットユーザー(つまり、この文章を読んでいるあなたも含まれる)のアクセス先、閲覧先をプロバイダーがチェックをし、問題のあるサイトにアクセスしようとしている場合にアクセスを遮断するというものである。 一般に、ユーザーがどのようなサイトを閲覧しているのかという情報は、例えばその人の思想信条を推測する材料にもなりうるなど、プライバシー性が高い。そこで、こうした情報は、通信の内容そのものと並んで、「通信の秘密」として憲法や法律(電気通信事業法)によって保障されている。ブロッキングは、この「通信の秘密」を侵害するのである。日本は法治国家じゃないのか 他方、対象サイトに接続できなくなるため、ブロッキングはユーザーの「知る権利」の侵害にもなる。知る権利も、表現の自由の一部として、憲法に由来する保障を受ける。 もちろん、憲法に由来する保障を受けるとしても、例外的に制限が許される場合はありうるが、そのためには慎重な考慮が必要である。この点については②との関係で述べるが、①との関係では、政府があるサイトの内容を違法であると決めつけてブロッキングをさせることが許されるとすれば、政府が自分たちにとって不都合なサイトをブロッキングすることを防ぐ論理が成り立たなくなる。政府によるネット検閲に途(みち)を開くおそれがあるのだ。 次に、②「立法なしにプロバイダーにブロッキングを事実上強制しようとしていること」についてだが、前述の通り、「通信の秘密」「知る権利」にも限界があり、極めて例外的な場合には、プロバイダーにブロッキングを義務付ける(あるいは許容する)ことが許される場合があるかもしれない。 しかし、そのためには立法が必要であり、国民の代表が集う国会でのオープンな議論を通じて、ブロッキングの是非が判断される。また、立法の内容としても、ブロッキングは必要最小限のものとなるような規制であることが求められるだろう。立法に問題がある場合、裁判所が違憲立法審査権によってチェックを行うこともありうる。 今回の決定は、はっきりと「要請」をしたわけではないとしても、プロバイダーに対して事実上強い圧力をかけるもので、立法によって義務付ける場合に生じる上記のようなプロセスやチェック過程を回避しようとする点で、法治主義からの逸脱だと言わざるを得ない。 ③「ブロッキングという措置が本当に必要かどうかの議論が尽くされていないこと」については、4月22日にJILISなどが主催して行われたシンポジウムで、さまざまな指摘がなされた。「海賊版サイト」問題でネットの接続遮断に反対し、意見を交わすシンポジウムの出席者ら=2018年4月22日午後、東京都千代田区(共同) 著作権侵害はもちろん違法であり、コミックスを発行する出版社などは差し止めや損害賠償請求といった民事上の手段がとれるほか、告訴をして刑事事件として対応することを求めることもできる。ところが、実際にはこうした手段が尽くされていないのではないか。 さらに別な観点からみれば、ブロッキングという手法自体が、コストがかかる割に回避が容易なため効果は非常に限定的であり、必要性が感じられないという指摘もなされている。また、海賊版サイトへの広告出稿を抑止する取り組みにも改善の余地があるという指摘もある。 以上のように、今回の政府の決定には問題点が多く、支持することができない。他方で、海賊版サイト対策自体は非常に重要であり、今後、政府において議論がなされることになる。 適切な著作権保護を通じて良質なコンテンツが継続的に生み出され、楽しめるような環境を、出版社、ネット関係事業者、広告関係事業者らがどのようにして作っていくのか。オープンな議論の中で知恵を出し合うことが必要であるし、国民としても注視していくことが求められる。

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    山本一郎が読み解く仮想通貨流出「コインチェック事件」の本質

    山本一郎(個人投資家・作家) 仮想通貨取引で大変な騒ぎを現在進行形で引き起こしているコインチェック社(以下、CC社)の一件については、CC社から「盗難」されたとされる暗号通貨NEM(XEM)に対する補償が払われるのか、ということだけでなく、他の暗号通貨取引で預かっていた顧客資産もどこまで日本円で出金できるのかという結構な問題にまで立ち入ってしまっています。 仮想通貨やブロックチェーン(分散型台帳技術)がITと融合した新たな金融サービス「フィンテック」の大事な一角である以上、巷では「暗号通貨NEMの取引でCC社がやらかしても、ブロックチェーン技術は引き続き有望だ」という議論が出るのも分からないでもありません。 何しろ、CC社の問題というのはあくまでCC社のセキュリティの問題であって、ブロックチェーンが破られたかどうかという話ですらないからです。 一方で、金融庁が2月2日から検査局職員が常駐する形で資産の状況確認が進む中、警視庁サイバー課も関係者からの事情聴取を続けている状況です。漏れ伝わる状況を聞く限りでは、今回のNEM(XEM)は、何者かのハッカーによる犯行、ということになっていますが、犯行の状況や経緯がはっきりせず、とりわけ侵入を許す前後のログに不審な点がなかなか判然としないなどの問題もあって、捜査は難航しているようです。流出を受けて記者会見するコインチェック社の和田晃一良社長(左)=2018年1月、東京都中央区(佐藤徳昭撮影) 簡単に言えば、読者が仮に犯罪者であったとして、家屋に浸入し、運よく簡単に開けられる金庫を見つけたとします。その金庫を難なく開けてみると、ドルや人民元、ユーロ、日本円にルーブルとより取り見取りの紙幣がうなっていたので、その中から日本円「だけ」袋に入れて持ち去った、というのがこの事件です。犯罪者の心境として、この行動は合理的でしょうか。本稿では、判断は読者に委ねます。 「下手人」が誰であれ、技術的に日本の将来を担うと見られたフィンテックは、仮想通貨の盛り上がりとともに比較的緩い規制の中で「世界でリーダーシップが取れるよう育成していきたい」というビジネスになっていました。 ただし、すでに海外でもCC社のようなハッキングされる事例は後を絶たず、2月3日には韓国の暗号通貨取引所がハッキングされ、おそらく北朝鮮に日本円にして20億円前後が盗み出されてしまったのではないかと報じられました。さらには、アメリカでは大手取引所のビットフィネック(Bitfinex)とその関連でテザー(Tether)という暗号通貨の取引において、裏書となる資産が乏しいのではないかという疑惑が持ち上がり、アメリカ先物委員会が関係者を召喚するという事態にまで発展しました。 詳細は産経新聞の記事を御覧いただくとしても、このところのビットコイン(BTC)以下、暗号通貨各種の取引レートは非常に不自然で、このテザーに人民元による決済とみられる資金が流入すると、それ以外の暗号通貨にも「分配」されるようなアルゴリズムでもあるのか、均一に値上がりするということが繰り返されています。フェアでない暗号通貨の取引 人為的な相場であるとは、かねがね指摘されているのが暗号通貨界隈の泣き所です。胴元がいるからこの暗号通貨取引は相場操縦されており、価格はただのフェイクなのだと指弾されることが多いのです。 また、NEMに限らず多くの暗号通貨がこれらの人民元と見られる取引に伴う世界的な資金の流れに関係していること、さらにはもともとのブロックチェーンの開発者とされているサトシ・ナカモト氏が発表した「Satoshi Paper」とは無関係なところでビットフィネックからCC社まで暗号通貨の取引所が位置付けられているのも、すべては当初の「フィンテックは貨幣を国家や社会から自由にする民主的な存在」なのだという理想世界とは、ずいぶん実態は違うことの根拠となり得ます。 言われているほど暗号通貨の取引はフェアではなく、民主的でもないというのは、裏を返せば「では何のために仮想通貨をこれだけもてはやし、市場全体で20兆円以上も暗号通貨市場を構築してきたのか」という素直な疑問に立ち返ることになります。「コインチェック」の本社が入る建物の前に集まった報道陣=2018年1月、東京都渋谷区(飯田英男撮影) そして、ほとんどの暗号通貨は実質的に中国本土から流出する中国元の大きな流れを漂う小さな子船のようなものです。今回流出したNEMも、それ以外の暗号通貨もおよそ中国から世界へと流れ出る貨幣の奔流とともに浮き上がった存在でしかありません。 もちろん、技術的な裏付けで見るならば、非常に優秀な技術者がNEM.io財団を作り、流出したNEMを追跡できる仕組みを用意し、少なくともどのような取引でどう盗まれたNEMが広がっていったのか追いかけることはできます。しかしながら、今回は盗難であり流出であったから資産の流出を追いかけることは誰も反対しませんが、それ以外の取引も含めて、誰もが見られる状況にある仮想通貨上の価値が、最後まで追いかけられるというのは果たして妥当なことなのでしょうか。 NEM.io財団がいかに優れた技術者による善意の集まりであったとしても、選挙で代議士を送り込めるわけでもなく、名目上はどこの統治機能にも属していません。言うなれば、人々の代表でもない人たちが、技術的に可能だからといって誰かの資産を追跡できる仕組みが用意されている、というのが仮想通貨の難しいところです。仮想通貨は優れた技術 人によっては「政府は信用できない」とか「国家という概念が終わりかけているのに、その発行であるリアル通貨に依存しているのは良くない」などといった話をされるケースもあります。 政府が信用できないというのは、まあ分からないでもありません。しかしながら、インターネットというのは仮想通貨だけが技術ではありません。通信は偽装され、盗んだとされるハッカー本人は注意深く潜航していると見られます。 当然、今回のような犯行に対してウォレットに汚染されたマーカーをつけるという対策は、あくまでそのウォレットがおかしいということだけであって、実際にウォレットの持ち主が誰であり、その場所と人物を特定し、自宅のドアをノックするのは誰なのかといえば、結局は国家に雇われた警察官であることを、私たちは忘れてはなりません。 仮想通貨は優れた技術の総称であり、ブロックチェーンをはじめとしたフィンテックが私たちの暮らしをより良くするカギを握っていることは間違いないのです。 ただ、それは「技術の内容をきちんと知って、正しく夢を見る」必要があります。一獲千金の暗号通貨相場を狙って格安のうちからマイナーなアルトコイン(ビットコイン以外の仮想通貨)を仕込む投機的な活動が、結果的に中国本土から流出する資金の流れの中でバブルを起こしたというのは、オランダのチューリップ球根の値上がりよりも実物がない分だけ儚(はかな)いものです。仮想通貨取引大手「コインチェック」本社が入るビル前には、顧客や報道各社が集まった=2018年1月、東京都渋谷区(春名中撮影) そう考えれば、技術者や起業家の性善説で成り立っていた資金決済法ではなく、問題が起きないようがんじがらめに規制している金融商品取引法がいかに必要で、優秀だったのかということがよく分かる事例だったという話になります。 金融庁のCC社への検査の結果、どこまできちんと会社資産と顧客からの預かり資産とが切り分けられ、どれだけの割合がきちんと顧客に返還されるのかは分かりませんが、多くの人たちにとって納得できる決着になってほしいと願っていますし、この程度の話で仮想通貨やブロックチェーンと言った新しい技術がだめになってしまわないよう冷静な議論ができることを心から望んでいます。

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    コインチェック事件は想定内、仮想通貨が抱える3つの問題

    上念司(経済評論家) コインチェックのNEM流出事件を受けて、にわかに仮想通貨のセキュリティー問題が注目されている。しかし、この問題を単なるサイバーセキュリティの問題に矮小(わいしょう)化して捉えては事の本質を見誤る。なぜなら、この問題は情報技術の問題であると同時に経済や市場の問題でもあるからだ。 本稿では、まず仮想通貨を象徴するビットコインが抱える三つの問題点について明らかにしたい。その上で、仮想通貨全体が抱える問題と取引所の抱える闇に迫っていきたいと思う。 一つ目は、仮想通貨の中でも特にビットコインの所有者は、一部に偏っているとの指摘がある点だ。名目上はわずか4%が、ビットコインの97%を所有しているそうだ。もちろん、この所有名義には取引所などもあり、単に顧客の預かり資産が取引所名義でカウントされている可能性もある。しかし、ブルームバーグなどの報道によれば、ビットコイン総発行数の約4割を1000人の「クジラ」が保有しているとのことだ。その記事に次のような指摘がある。仮想通貨「ビットコイン(BTC)」 マルチコイン・キャピタルのマネジング・パートナーを務めるカイル・サマニ氏は「お互いに連絡を取り合えるような大口保有者は恐らく数百人はいるだろう。恐らく、実際すでにそうしているだろう」と話す。つまり、所有者の偏りによって常に相場操縦のリスクに晒(さら)されているのである。 二つ目はビットコインのリスクについてである。ビットコインの仕組みはマイナー(採掘業者)と取引所の連携によって維持されている。マイナーとはブロックチェーンをつなぐ作業をする人で、最も早く複雑な計算を解いたマイナーは報償としてビットコインを得られるようになっている。 当初は市場規模が小さかったので個人のパソコンでもマイナーは作業できたが、これだけ市場が大きくなると専用のマシンで大量の電力を消費しないと計算が間に合わなくなってしまった。モルガンスタンレー証券の予想によると、ビットコインのマイニングだけで今年はアルゼンチンの年間使用量以上の電力を消費してしまうとのことだ。ブロックチェーンをつなぐ競争をして一番早い人にコインで報償を出すという仕組みそのものが極めて非効率的な電力消費を産んでいる点は構造的な問題と言えるだろう。 当然、各国がマイナーに対する消費電力規制は厳しくなっている。中国ではマイナー向けの電力供給停止、締め出しが進んでいる。全世界からマイナーが締め出されるとビットコインの取引市場も大幅な縮小を余儀なくされるだろう。 また、仮想通貨の美しい理念である「非中央集権」というコンセプトもかなり怪しい。コーネル大学の暗号通貨専門家、エミン・グン・シアー准教授によれば、ビットコインのマイニングは上位4社で53%を独占している。事実上はメガバンクのような電算センターが存在しているのと同じだ。 また、コインチェックのNEM流出においても、NEM財団が一時ハードフォークを検討し、これをやらないと宣言した。ハードフォークとは、NEM盗難前の状態にプログラムを書き換えることだが、これを検討した時点でNEMが構造上非中央主権的な通貨でないことが改めて明らかになってしまった。やはり、理想と現実の間には相当な開きがあるようだ。資金の流れはガラス張り そして三つ目はビットコインの実需についてだ。ビットコインは単なる電子データでサービスそのものは存在しない。唯一その価値を証明するのは、投機的な売買を除けば、通貨としての利便性のみである。しかし、現在ビットコインは取引量が増えすぎてトランザクション(取引)が遅延している。 例えば、ビットコインで買い物をした場合、買い手から売り手に実際に資金が移動するのに1日程度のタイムラグが必要である。もっと早く入金してもらうためには手数料を支払わねばならない。ネット上の体験談などによると、ビックカメラで1000円の買い物をし、ビットコインで支払いをすると手数料が約430円かかったそうだ。交通系ICカード「SUICA」で買った方が良かったのではないだろうか。 また、ビックカメラは受け取ったビットコインを換金して商品の仕入れや従業員の給料の支払いをするが、これだけビットコインの相場が激しく変動すると大きなリスクを抱えることになる。仕入れも給料の支払いもすべてビットコインになればいいのだが、おそらくそんな日は永久に来ないだろう。 最もニーズがあると思われていた匿名の送金だが、こちらもかなり微妙だ。ビットコインなどブロックチェーンを使った通貨はすべての取引情報が書き込まれたウォレットをプレイヤー全員が共有している。 つまり、プレイヤーは誰でも他のプレイヤーの送金記録を見ることができる。巨額の資金移動があれば、その資金がどのアカウントからどのアカウントに移動したかはすぐにバレてしまう。もちろん、そのアカウントの所有者の個人情報は見ることができないが、資金の流れ自体はガラス張りだ。仮想通貨取引大手「コインチェック」が入るビル=東京都渋谷区(春名中撮影) 実際に、NEM流出事件においてもこの構造を利用して盗まれたコインはトラック(追跡)され、犯人のアカウントは特定されてしまった。匿名送金の実需という点でもやはり厳しいのではないだろうか。 このように見てくると、仮想通貨の雄、ビットコインですら現時点ではまだ未来の技術である。況(いわん)や他の通貨においてをや。少なくとも、現時点では円やドルなどの法定通貨を仮想通貨が凌駕(りょうが)するのは無理そうだし、将来的にもそう簡単にはそんなことは起こりそうにない。非中央集権的電子通貨というのは、シリコンバレー式の大風呂敷としてなら大変興味深い話であるし、投資話としても非常によくできていた。 しかし、現実にはまだ克服しなければならない課題が山積みだ。もちろん、シードインベストメントとしてこういう技術に投資しておくのは大事なことだろう。しかし、ビットコインの価格は短期間で60倍になってしまった。シードからいきなり上場してしまったようなものだ。さすがにこれはやりすぎだった。 しかも、この相場自体が作られたものである可能性が出てきた。昨年12月、ビットフィネックスとテザーが米商品先物取引委員会から召喚命令受けていた。ビットフィネックスは香港の取引所、テザーとは米ドルと1:1の固定レートを保証する仮想通貨のことだ。 テザーは価格変動のない仮想通貨だが、事実上ドルの代わりに使えるので利便性が高い。どうも中国の資本取引規制の抜け道としてこの通貨が売れていたらしい。ビットフィネックスはテザーとほぼ同じメンバーが経営している仮想通貨の取引所である。流出の裏にあるインサイダー情報 さて、何が問題かというとテザーは顧客から預かった資金を勝手に流用していたのではないかという疑惑である。ドルとテザーとの1:1の固定レートを維持するには、それに見合った準備金がなければ大変だ。テザーの発行数よりも準備金が足らないとなれば取り付け騒ぎになる可能性もある。ところが、テザーは預かった準備金で大量のビットコインを買っていた疑惑がもたれている。テザーによる大量の買いでビットコインは暴騰した可能性すらある。 昨年、米商品先物取引委員会からの召喚命令を受けて、慌ててビットコインを売ってドルに換金した。それが今回の相場暴落の引き金になったのではないかという話もある(この件の詳細は八重洲イブニングラボのコミュに書いたので、関心のある人はそちらを読んでほしい)。 この暴落騒動の中で起こったのが今回のコインチェックのNEM流出事件である。ここまで指摘した通り、もともと仮想通貨市場には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)していた。儲けを求めてかなりアブない取引に手を染める人々がたくさんいたことは間違いなかった。そういう状況であれば何が起こっても不思議ではない。コインチェックの取引きを映した画面=2018年1月、東京都渋谷区(春名中撮影) 事件の発覚後、1月26日にコインチェックは1363億円の不可解な資金移動を行ったらしい。取引停止措置の直前に事情を知るインサイダーが資金を逃がした可能性を指摘されている。多くの顧客が取引停止で資金を引き出せない中、一部の関係者のみが逃げ切っていたとしたらこれは由々しき問題である。 テレビCMを見てコインチェックに口座を開いた人も多かったと思う。そう言う人は、仮想通貨市場の背後にさまざまな問題があったことは知らなかったのだろう。CMの考査を担当している代理店や局の担当者がそれほど仮想通貨問題に詳しいわけではない。金融庁がこの問題に本腰を入れ始めたのもごく最近のことだ。「CMを流しているぐらいだからあの会社は安全だ」と考えるのがどれほど危険なことか、改めて分かったのではないだろうか。 所詮、テレビはこの程度である。信じる者はバカを見る。

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    たかがコインチェック、されど仮想通貨

    約580億円分の仮想通貨NEM(ネム)が不正流出したコインチェック事件はどうなるのか。いまだ先行きが見えない騒動の一報を誰よりも早く伝えた人物がいたのをご存じだろうか。そう、iRONNAでもおなじみの投資家、山本一郎氏である。今回は事件の本質を山本氏ら3人の識者に読み解いてもらった。

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    拡散は「誰が言ったか」、炎上は「何を言ったか」である

    網尾歩 (ライター)  筒井康隆氏にツイッターを勧めたのは誰なのだろう。こうなることはわかっていたはずだ。 今に始まったことではないかもしれないが、ネット上ではしばしば、「何を言ったかではなく、誰が言ったか」と言われることがある。 例をいくつか挙げよう。たとえば人気のあるアイドルやタレントが一言「お腹空いた」とつぶやいただけで、そのツイートが何千、何万とリツイートされることがある。テレビによく出るメジャーなタレントであればまだわかる。(iStock) ツイッター上には人気のある一般人も多くいる。そのツイートのセンスから何万人もフォロワーのいる匿名の発信者がたまに存在する。一回「この人はセンスがある」と思われることに成功すると、あるフェーズからは何でもかんでもやたらリツイートされ始める。「春はウキウキするけどこの季節に頑張りすぎると疲れちゃう人もいるからほどほどにした方がいいって電車で隣に座った小学生が言ってた」「こんなに天気がいいのに彼が会社のお花見に行くって言うからスネてたんだけど必死で謝ってる顔がかわいくてすぐ許した……って夢を見た」「すぐおいしい、すごくおいしいってコピー、よく考えると深い」などといった他愛もないツイートが何千、何万とリツイートされているのを見かけたことはないだろうか。※例に挙げたのは架空のツイート。 リツイート回数が半端ないから面白いツイートなのだ。そう思ってリツイートする人もいるのだろうし、同じようにフォロワー数が多い人だから面白いと思ってフォローする人もいるだろう。だからリツイート数やフォロワー数というのは、いったん増え始めると加速度的に増える。 ブロガーや一部のライター、もしくはIT企業の若手たちの飲み会ではしばしば、「まず何者かにならなければ」「自分が何者かを世に認識してもらわなければ」という焦りの声が聞かれることもある。確かに一面で見れば、「何を言ったかではなく、誰が言ったか」の世界がそこにはある。 筆者もこれまで、基本的にネット上は「何を言ったかではなく、誰が言ったか」の世界だと思っていた。インターネットやSNSは新しいもののように思われているが、実は結局、構造としては旧来通りなのではないかと。書き手の時代ではなく、受け取り手の時代 しかし、今回の筒井康隆氏の炎上を見て、違う感想を持った。 筒井氏は4月5日にツイッター上でこうつぶやいた。「長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」。これは、筒井氏のブログ「偽文士日碌」の一文だ。筒井氏は炎上後にツイートは削除したが、ブログの記述は残ったままだ。作家の筒井康隆氏 韓国では出版社が筒井氏の著作について販売中止を決定するなど影響が出ているが、本人は朝日新聞の取材に対し、「あんなものは昔から書いています。ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう。本当はちょっと『炎上』狙いというところもあったんです」「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」と語ったという。 ツイッター上では筒井氏のファンと思われる複数のユーザーが、「これで騒いでいるのは筒井康隆を読んだことのない人たち」といったつぶやきをしていた。筒井氏の「ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう」という発言と同様の内容だが、これは反論する方にしてみれば、過去にどんな作品を作っていようが「ダメなものはダメ」「面白くないものは面白くない」だろう。批判者の全てが筒井氏の作品を読んでないという決めつけも乱暴な言い方。 また、筒井氏の読みが甘いのではないかと感じる部分がある。奢りと言ってもいいかもしれない。 前述した通り、ツイッター上の好意的な拡散に関しては「何を言ったかではなく、誰が言ったか」なのだが、反対にツイッター上の炎上に関しては「誰が言ったかではなく、何を言ったか」である。いくら筒井氏が過去にブラックユーモアにあふれた不謹慎な作品、もしくは反権威的な作品を書いていたところで関係ない。言い換えれば、発信者が「何を伝えたかったか」よりも、受け取り手が「どう受け取ったか」が重要である。このことが良いか悪いかはさておき、今現在、ツイッター上にこの空気があることは確かだ。 今や受け取り手の方が強いのだ。一昔前のように、作家の権威が通用しづらい。(そもそも今の10代は、ユーチューバーよりも作家に権威がある時代があったことを知っている人の方が少ないかもしれない)。余談ではあるが、だから多くの作家はツイッターをやらないし、やっても知名度に比べフォロワー数が多くないのではないかと感じている。 ちなみに、「誰が言ったかではなく、何を言ったか」でツイートが拡散される場面は他にもう一つある。デマツイートである。震災時などのデマは、発信者が誰だかわからなくても、大量に拡散されてしまうことがある。たいがいの場合、デマを指摘するツイートよりも、デマの方が多数拡散されてしまう。 「誰が言ったか」にしろ、「何を言ったか」にしろ、それだけ判断される風潮を嘆くのは容易い。「誰が何を言ったか」で判断される時代ではないことを知り、有象無象からどう叩かれても書くモチベーションを持つものだけが生き残れる時代だと感じる。モチベーションと言えば聞こえはいいが、図太さと鈍感さがあればそこそこ生き残れるのだとしたら、これほど悲しいことはない。

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    高須院長 ウーマン村本に「自分のツイッター見てるようだ」

     高須クリニックの高須克弥院長が世の中の様々な話題に提言するシリーズ企画「かっちゃんに訊け!!」。今回、2017年のメディア出演やネットで話題のウーマンラッシュアワーの漫才などについてお話をうかがいました。* * *──さて、2017年もそろそろ終わりますが、今年はどんな1年でしたか?高須:今年も快調な1年だったね。メディアに出ることがちょっと多くなったかな。ツイッターでワーワー喚いているもんだから、面白がる人が増えたのかも(笑い)。高須クリニックの高須克弥院長(納冨康撮影)──フジテレビ系『ワイドナショー』にも出演されていましたし、読売テレビの『そこまで言って委員会NP』にもたくさん出ていらっしゃいますね。高須:普通のテレビ番組には「この話題はやめてくれ」とか、「あの人の話はしないでくれ」とか、そういうタブーもあるようだけど、僕の場合は完全に好きなことを話しちゃってる。自分でも「こんなツイ廃老人を公共の電波に乗せて大丈夫なのか?」って思うくらいだもんな(笑い)。でも、変な規制をすることなく、自由にやらせてくれるのは、すごいよ。僕が出ている番組の制作サイドは、本当に筋が通っているな。まあ僕なんかを面白がるっていうのは、ネジが外れちゃってるのかもしれないけどね(笑い)。──テレビのタブーというと、最近はフジテレビ系『THE MANZAI』(12月17日放送)でウーマンラッシュアワーが披露した漫才がネットでも話題になっていました。ボケの村本大輔が、原発や安倍政権、小池百合子都知事、沖縄問題、北朝鮮問題などをイジる内容でした。高須:あれは僕も見たけど、面白かったね。そんなに難しいことを言っているわけではないけど、世の中のいろんな問題について気になったことを素直に言っているという感じなのかな。お笑い番組だと、言いたくても言えないこともあるんだろうけど、あの漫才ではそんなことを気にせずに、自由に自分の考えを発信していてよかったなあ。なんだか自分のツイッターを見ているみたいだったね(笑い)。自分が正しいと思うことを、好きなように話しているのはやっぱり面白い。──あの漫才は現在の政治に対する批判が含まれていると思うのですが、安倍政権を支持する立場の高須院長とは考えの相違もあると思います。彼が言っていたことは間違ってはいない高須:そうだね。でも、彼が言っていたことは間違ってはいないと思う。すごくフラットな意見だったと感じたよ。イデオロギーありきのものではなかったんじゃないかな。 僕はイデオロギーで戦いたいわけではないんだよ。政権を批判することが目的となっている意見に面白みは感じないけど、素直な意見であれば面白いと思う。彼が正しいと思ったことをそのまま発信することは、とても素晴らしいことだ。決して、安倍政権を倒したいという目的ありきで、発言したものではない。だからこそ、耳を傾けなければいけない意見なんだろうね。 僕だって、安倍政権の政策のすべてを支持するわけではないからね。おかしいと思ったら、素直にそう言う。自分のポジションを決めて、それに従ってものを言ってるわけではないからね。──院長は最近だと医療報酬の引き下げに対してツイッターで異論を唱えていましたね。高須:そう。高齢化で社会保障費が増え続けているのはわかるけど、2年連続で診療報酬が引き下げられるというじゃないか。主に医薬品などの「薬価」部分の引き下げで、人件費は引き上げられるみたいだけど、現状を見ている限りだと、近いうちに人件費の引き下げもありえそう。仮に人件費が微増しても、結局医療にかけられるお金は減るんだから、由々しき問題だよ。この傾向が続いたら、医者がボランティアになる時代がきてしまうかもしれない。そうなったら、日本人の健康は根底から崩れていくだろうね。 そもそも診療報酬を引き下げるということ自体が間違っている。ほかの予算を削ってでも、診療報酬はしっかり確保しなくてはいけないはず。医者の報酬を下げる前に、削るべきものはいくらでもあるよ。それこそ、役人と政治家の報酬を引き下げるべきだと思うね。そうだよ、役人と政治家の金を回して国民の健康を維持するべきだよ。 僕は前から言っているんだけど、もう参議院は廃止して貴族院を復活させたほうがいいと思うね。もちろん、貴族院の議員はボランティア。報酬が目的ではない人々だからこそ、私利私欲に溺れることのない正しい政策を作り出せる。何が目的で議員になったかわからない人々よりも、金持ち老人のほうが正しいはずだからね(笑い)。* * * ポジショントークではなく、自分の信念に従って“正しい意見”を発信する高須院長。もし貴族院ができたのであれば、ぜひとも議員になっていただきたいものです!【プロフィール】高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。脂肪吸引手術をはじめ、世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。昭和大学医学部形成外科学客員教授。医療法人社団福祉会高須病院理事長。高須クリニック院長。人脈は芸能界、財界、政界と多岐にわたり幅広い。金色有功章、紺綬褒章を受章。『ブスの壁』(新潮社、西原理恵子との共著)、『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)、『行ったり来たり 僕の札束』(小学館)など。最新刊は『ダーリンは71歳・高須帝国より愛をこめて』(小学館)。

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    中国のネット検閲はどこまで進んだか

    中国のインターネット統制の中心的役割を果たし、「ネット皇帝」と呼ばれた魯煒氏が失脚した。民主化を訴える人々からは歓喜の声も聞かれたが、こうした雑音はどこ吹く風と習近平国家主席はネット言論の規制強化に突き進む。近い将来、ネット言論が中国の民主化を導く可能性はあるのか。

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    「習近平の独裁に黙っていない」中国ネットユーザーのあくなき闘い

    加藤隆則(汕頭大学長江新聞與伝播学院教授) 中国eコマース(電子商取引)が米国と肩を並べる成長を遂げていることはよく知られているが、情報の領域でもまた、中国のネット化は日本をはるかにしのいでいる。全国の新聞はほぼ無料で電子版を閲覧できるし、テレビのニュース番組も随時、視聴が可能だ。映像・画像を中心にした新進のネットメディアが、時に「削除」の横やりを受けながらも、新奇なニュース発信にしのぎを削っている。 都市部ではみながスマートフォンを手にし、露店の焼き芋屋まで携帯での代金決済が浸透している。私が教える中国南方の大学でも、学生はもはや財布を手にせず、主要な生活用品はすべて宅配で済ませている。中国は最もインターネットの恩恵を受けている国の一つである。 モノや情報のほか、国境をまたぐ人の移動も拡大している。公式統計によると、2016年の1年間で、海外を訪れた中国人は延べ1億3千万人を超え、中国を訪問した外国人は7630万人に達した。 世界各地の観光地ばかりでなく、大学にも中国人留学生があふれ、米ハーバード大学では国別最多の921人、留学生全体の2割近くを占める(同大公式サイト)。海外にいる中国人が携帯で現地の情報を発信し、世界の情勢はたちどころに流れ込んでくる。 列強の侵略によって半植民地化した近代以降、中国人が現在、少なくとも物質面において、過去にない豊かな生活を享受していることは紛れもない事実だ。まずはこの状況を頭に入れたうえで、言論統制を行っている巨大な隣国をとらえる必要がある。 習近平国家主席は共産党と軍の権力集中を進め、「一強」体制ができあがりつつある。毛沢東時代への逆戻りだと報じる日本メディアを見かけるが、東西冷戦下で鎖国体制を築いていた時代と今を単純に比較するのは、国際情勢や中国の経済発展、情報通信技術の発展を無視した荒唐無稽な暴論だ。中国共産党大会の習近平総書記=2017年11月、北京の人民大会堂 中国がネットを規制し、言論を統制しようとしていることは、同国を含む世界中が知っている。逆に言えば、そのことを最も切実に、身近に感じているのが中国の人々である。そのうえで、不便を感じながらも、生活に大きな支障がないために忍従している。だから、日本メディアが中国における言論弾圧の事例を繰り返し報じても、中国人の胸には響かない。 もっと言えば、日本メディアは他国を批判できるほど、言論の自由を堅持し、守っていると胸を張れるのだろうか。上司に意見も言えない記者が増えている。社内で言論の自由はほとんど保障されていない。世界における日本の報道自由度ランキングが年々悪化していることに対し、日本人はあまりにも鈍感に思える。 では、中国の言論統制をいかに把握すべきか。 第4回世界インターネット大会が12月3日から5日まで、浙江省烏鎮で開かれ、米アップル社のティム・クック最高経営責任者(CEO)、米シスコシステムズのチャック・ロビンス最高経営責任者(CEO)らの出席が注目を集めた。中国の巨大なネット空間は、たとえ規制があっても、無視できない市場なのだ。露骨なそろばん勘定が透けて見える。 政経分離が進んでいるのかと早合点しがちだが、習近平は開幕に寄せた書簡の中で、持論の「ネット主権」を強調し、「共同して発展を推進し、安全を保護し、ガバナンスに参画し、成果をシェアする」と述べた。相互の主権尊重にクギを刺したのだ。中国の言論の主戦場はネット すでに指摘したように、中国で言論の主戦場は、新聞でもテレビでもなく、世界の潮流に合わせてネットに移行している。米主導で進むネットでのルール作りに対抗して、自分たちの陣地を築かなければ、主権を飲み込まれてしまうとの危機感がある。政治とビジネスには明確な一線が引かれている。 だからグーグルを追い出して検索エンジンの「百度(baidu)」を育て、フェイスブックを遮断して「微信(ウィー・チャット)」が成長を遂げた。それを巨大な国内市場が国家ブランドをバックアップしている。国内企業の育成とともに、国家主権がかかわる以上、台湾や領土問題と同様、譲ることのできない「核心的利益」となる。 ネット規制の大義はまずこの一点、国内ではなく国外に向かっている。 次は政治闘争の側面だ。習近平は、旧勢力を打破するために反腐敗キャンペーンを利用した。周永康・元党中央政治局常務委員や中央軍事委員会の元制服組トップ2人をバタバタと摘発し、最高指導部には法が及ばないとする不文律を破った。 かなりの荒療治だけに返り血も浴びた。周永康が問われた国家機密漏洩罪には、習近平ファミリーの個人資産を米国メディアに流した事案も含まれ、また、周永康一派による習近平暗殺計画まで発覚した。 打倒された利益集団は、メディアやネットを使い、国内の不満に乗じて党内分裂を図ろうとする。それでなくても貧富の格差や民族、宗教など、不和の要因はいくらでも転がっている。習近平を過剰に称え、崇めることで、逆に反発を引き起こそうとする動きもみられる。内実は非常に複雑だ。 このため敵対勢力に寸分の隙をも許さないよう、メディアやネット全体への締め付けが強まる。政治と無縁の庶民にはいい迷惑だが、「ペン=言論」、「剣=軍」は権力を支える車の両輪なのだ。今のところ手綱を緩める余地は小さい。 三つ目は、国民全体への宣伝効果がある。習近平政権は今年に入り、ネット規制強化に乗り出し、中国と海外とを結ぶ仮想プライベートネットワーク(VPN)を遮断している。10月の第19回党大会を境にして一気に加速され、学生や教師も「海外の研究ができない」と悲鳴を上げた。香港中心部で行われた穏健民主派のデモ行進。左は中国共産党に反対する旗=2016年7月 だが、学生たちはいつの間にかいろいろな知恵を絞って、ファイヤー・ウォール(ネット攻撃などを防ぐソフト)を乗り越えるすべを探し出した。逆に束縛を受けている分、海外の事象に関する知的好奇心は、日本の学生よりも強いように感じられる。政権にとっても、一般庶民が自分の興味や研究のために情報を収集したところで、ムキになる必要はない。 むしろ目に見えるネット規制は、政権の思想イデオロギー統制を担う一種の宣伝工作として働いている。「ここまではOK、これを超えるとアウト」と、言論の自由に網をかけるシグナルを発しているのだ。 ネットユーザーはそのデッドラインを手探りしながら、時には隠語を用い、器用に泳ぎ続ける。庶民と権力が際限のない化かし合いをしている姿を想像してみればよい。いくら政権が政治標語を繰り返しても、多様な価値観に触れた若者たちはもはや振り向きもしない。内心うんざりしながら、現実的な選択をしているに過ぎない。投獄を覚悟した闘い 習近平がひと声かければ、全国民が震え上がって命令に従っているなどと考えてはならない。そうしたステレオタイプの一党独裁国家観では、実像からかけ離れるばかりだ。規制の裏には、それができていない危機感や焦燥感があることもあわせて考える必要がある。自信を過剰にアピールするのは、自信がないからなのだ。 あともう一つ、付け加えなければならない。 奇想天外なニュースがあふれる中国には、「ニュースの天国、記者の地獄」とのブラックジョークがある。 広大な国土と膨大な人口を乗せた高速鉄道が経済成長路線をひた走る一方、政治制度の不備や社会建設の立ち遅れから想像もできないような事件が頻発する。56の民族からなる14億人が多層の社会構造を生み出し、複雑な表情を見せる。5000年の歴史が不動の座を占め、針の先にも満たない微少な個人をのみこんでしまう。一つの国の概念では収まらない世界、それが中国だ。北京の天安門広場で警備する武装警察隊員。後ろは党大会が開かれる人民大会堂=2017年10月 ニュースの素材には事欠かないが、メディアは統制され、一党独裁体制を否定する言論や思想は、政権転覆扇動や国家機密漏洩罪のレッテルによって弾圧される。こうしたリスクを踏み越え、脇目も振らず真実を追求しようとする者は投獄の危険さえ覚悟しなければならない。 中国の主要大学には決まって置かれている記者養成の新聞学院(ジャーナリズム学部)も、メディア自体の凋落で求人が減り、職業の魅力が薄れたため、カリキュラムの大幅な見直しが進む。私が授業で取り上げているのは人工知能(AI)と人間との共存だ。 学部の学生たちは給料の高いネット関連や、その他、企業の広報、PR部門へと殺到している。この点は日本の若者と同様、政治への関心は薄れ、生活重視の価値観へと急速に転換している。党大会のニュースに関心を持つ学生はほとんどいない。 だが、弾圧があるということは、それに立ち向かう人物がいることを意味する。勇気を出して声を上げ、大きな犠牲を払って真実と正義を追求する人たちがいる。7月12日、61歳で亡くなったノーベル平和賞受賞者、劉暁波はその代表だ。簡単に「ペン」をゆがめる日本 私が直接会った人物の中で、忘れられないのは北京の法学者、許志永(1973年生まれ)だ。彼は大学で教べんを取っていたが、それに飽きたらず自ら社会の中に入り、憲法による権利擁護の実践を呼びかけた。度重なる弾圧にも屈せず、出稼ぎ労働者ら社会的弱者を救済する運動に身を投じたが、群衆を集めた「違法集会」を理由に刑事訴追され、2014年4月、懲役4年の刑を受けた。芯の強さとは裏腹に、物静かに国の将来を憂える姿は、私の記憶から消えたことがない。 情報統制による直接的なコントロールを受けない外国人記者は、「ニュースの天国」のみを享受できる特権的な立場にある。取材対象者に対する圧力や記者ビザ発給の制限で取材活動が妨げられることはあるが、中国人に対する締め付けとは比べものにならない。北京の中国外務省で記者会見する華春瑩副報道局長 私もかつて外国人記者の一人として「天国」の恩恵に浴したが、困難を乗り越え自由を勝ち取ろうとする中国人を間近に見ながら、常に自問してきたことがある。投獄の危険がない日本社会の中で、我々記者は真実を追求する気概と責任を忘れてはいないか。唯々諾々として会社や上司の指示に従い、人の批判を恐れてやすやすと妥協し、簡単にペンをゆがめてはいないだろうか。 新聞社の仲間から聞かされる話は、失敗を恐れる事なかれ主義が幅を利かせ、だれも責任を取ろうとせず、みなが押し黙って大勢に流されている姿だ。草を食みながら黙々と歩く羊の群れを思わずにはいられない。 北宋の詩人、蘇東坡は「人生、字を識るは憂患の始まり(文字を覚えて学べば思い煩うことが増える)」と説いた。字をなりわいとする者は生来、思考し、苦悩することから離れることはできない。雑踏の中から拾うべき事実を書きとどめ、歴史を記録する仕事への誇りを失えば、我々は時の記憶さえ失うことになる。明治の反骨ジャーナリストで『福岡日日新聞』編集局長を務めた菊竹六鼓は自伝に「憂患に生きて安楽に死ぬる」の境地を記した。 『旧唐書』に次の言葉がある。 「銅を鏡と為せば、衣冠を正すことができる。古を鏡と為せば、興亡を知ることができる。人を鏡と為せば、得失を明らかにすることができる」 人は外部環境からの反射によって自己認識を深める。環境を自分から切り離してながめても、外野で野次を飛ばしているようなもので、ストレスの発散にしかならない。隣国をいかに知るかという作業を通じ、我々は多くのことを学ぶことができる。内省を欠き、優越感とコンプレックスの矛盾が生む中国脅威論や中国崩壊論は、百害あって一利なしである(敬称略)。

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    ネット検閲に1千万人動員 「ノミの心臓」習近平の世論操作

    高口康太(ジャーナリスト、翻訳家) 「自由微博」(フリー・ウェイボー)というウェブサイトがある。中国の大手ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「微博」の検閲状況を明らかにするために匿名のネットユーザーによって創設された。微博で発表された書き込みをすばやく収集し、その後閲覧不能になったものを表示するシステムだ。 「劉暁波」や「RIP」と入力しても検索ができない 短文投稿サイト「微博」の画面=2017年7月19日 このサイトを見ると、検閲対象が一目瞭然だ。習近平総書記など中国共産党高官に対する批判から、話題の社会事件、さらにはノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏などの(政府に抗議する)異見分子、人権派弁護士に関連する書き込みなどが対象となっている。原稿執筆時には、北京市の富裕層の子供が通う紅黄藍幼稚園の幼児虐待事件と、北京市の「低レベル人口」追い出し事件が特に注目の話題であった。 インターネットの普及からおよそ20年、中国政府は検閲制度とシステムの発展を続けてきた。特に習近平体制発足後の発展ぶりがすさまじい。現在ではSNSやネット掲示板、ウェブメディア企業による自主検閲、大学生など共産主義青年団(共青団)を中心としたボランティア、政府部局に雇われたサクラなど多層的な検閲システムが用意されている。サクラはいわゆる「五毛党」と呼ばれ、かつて一書き込みあたり5毛=約0・9円の報酬で求人が出ていたことに由来する。 また、いわゆるネット炎上事件をいち早く察知し対応するためのソフトウエアも開発されており、このネット世論監視ソフトを扱うための「ネット世論管理士」なる国家資格まであるほどだ。検閲・世論操作に従事する労働者は一説では1000万人を超えるという。ネット検閲を回避する手段を俗に「壁越え」という。最近では仮想プライベートネットワーク(VPN)を使う手法が一般的だが、やはり規制強化が進み、つながりづらくなっている。 これほどのリソースを費やしてまで検閲を行うのは中国共産党の危機感のあらわれだ。2002年から12年まで続いた胡錦濤体制の中国は「維権運動の10年」だったと言ってもいい。「維権」とは権利擁護を意味する中国語だ。土地収用、環境破壊、官僚の汚職、不当解雇、賃上げ要求、露天商に対する横暴な取り締まり…さまざまな分野で、政府批判の声が上がった。 司法の独立が担保されていない中国において、かつては「維権」の手段として活用されてきたのが陳情だ。中国の中央政府、地方政府には陳情担当の部局があり、正当なる異議申し立てのルートとされている。ただし、陳情を受け入れるかどうかは政府担当者の胸一つであり、まさに「いちるの望み」という言葉がぴったりの、極めて成功率の低い賭けであった。 2000年代中盤以降、陳情に変わりネット経由の告発が「維権」の新たな武器となった。ネット掲示板やSNSを活用して問題を告発し自らの窮状を訴える。その訴えが一定以上の注目を集めれば、政府とて無視できず救いの手を差し伸べざるを得ない。ネットの告発とて成功率は決して高いものではないが、少なくとも注目を集めるための手段を工夫する余地がある。 当時、「囲観」という言葉が流行していた。やじ馬を意味する中国語だが、ある社会事件について注目する、あるいは言及するようなやじ馬を集めることこそが政府に圧力を与え、譲歩を引き出す手段として認識されていた。何も全身全霊で支持する必要はなく、その問題について一言二言何の気なしにつぶやくようなネットユーザーが相当数存在すること。その事実が政府をおびえさせるというわけだ。書き込みを工夫してネット炎上に持っていくことができれば、勝算はある。陳情という相手頼みの手段とは異なり、主体的な取り組みができる異議申し立ての手法だった。ロウソクの絵文字まで禁止 ネットを活用した「維権運動」の最大の成功例として知られるのが烏坎(うかん)村の事例だろう。広東省陸豊市の烏坎村では村役人による横領が問題となった。村民らは汚職した村役人を追放し、自ら新たな村役人を選出し問題解決にあたることを求めて、抗議デモや陳情を繰り返して抗議したが、警察に逮捕された抗議運動のリーダーが取り調べ中に死亡したことをきっかけに抗議活動は激化。村民がバリケードを築いて村に立てこもり、その周りを武装警官隊が包囲する事件にまで発展した。 この間、村民らはインターネットを通じて積極的に情報を発信した。「武装警官隊に包囲された村」「民主選挙を求める村人たち」とはなんとも気を引く話題ではないか。多くの中国ネットユーザーがこの事件を「囲観」し、英BBCなど海外メディアも大々的に報じた。こうしてついに中国政府側は譲歩し、村民による独自選挙で新しい村役人を選出することに合意した。 胡錦濤体制末期にはこうしたネット炎上が政府の譲歩につながる社会事件が続出していた。習近平政権はネットを活用した抗議活動を統治の危機と考え、検閲体制を大幅に強化している。異見分子や人権派弁護士などネット炎上を演出し政府に圧力をかけるノウハウを持った人々に対しては逮捕、弾圧といった強行策をとったほか、前述した共青団による監視ボランティアの拡充、ネットサービスの実名化推進や自主検閲の強化などの体制づくりが進んだ。 2017年現在の中国ネット世論は5年前と一変している。ネット炎上事件がゼロになったわけではないが、検閲のスピードアップにより鎮火のペースは以前よりもはるかに速くなった。またネットユーザーの増加に伴い大衆化が進み、政治よりも娯楽に関心を寄せる人の比率が高まった。今、中国のネットを眺めてもかつてのような社会批判があふれかえっている光景はない。香港にある中国政府の出先機関「香港連絡弁公室」前で 劉暁波氏を悼み記帳する人たち=2017年7月14日 もっともネットから政府批判が一掃されたわけではない。例えば今年7月、劉暁波氏が死去したとき、政府はこの話題に関する検閲を断行、ロウソクの絵文字まで禁止するほどの徹底ぶりを見せた。それでも一部の人々は「先生がお亡くなりになった」「惜しい人をなくした」などの表現で自らの心情を表現した。 また近年流行しているのが、音声による情報拡散だ。「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞した人権活動家の陳光誠氏は2012年から米国に在住している。陳氏に関する情報は検閲対象だが、その講演録は音声ファイルという形で中国のネットに流通しているという。検索可能な文字情報は検閲がしやすい。動画情報は厳格に規制されておりやはり流通が困難だ。政府が察知しづらく、またファイルサイズも小さいため、気軽に送れる音声ファイルでの情報流通が広がっているという。陳氏は「ユーチューブで動画を公開した15分後には音声ファイルが出回っていた」と話す。陳氏以外でも、多くの講演が音声ファイルとして広く出回っているという。 胡錦濤体制当時のような表だった盛り上がりはないが、水面下では当局がひた隠しにする情報が流通している。中国政府は検閲技術の向上や人海戦術によってさらに規制を強化していくだろうが、この流れを完全に絶つことはできないだろう。この水面下での情報流通が何を生み出すのか、見過ごしてはならない動きだろう。

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    中国のSNS 警官を侮辱したりテロ組織に勧誘すると逮捕される

     豊かになったのは間違いが、暮らしやすい社会かと言われればそうとは言いにくいのが実情のようだ。中国の情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏が指摘する。* * * 中国版LINEとも呼ばれる「ウィチャット=ウェイシン(微信)」。中国のテンセント(騰訊)が提供するスマートフォンユーザー向けメッセージングアプリである。一説には12億人が利用しているともされ、中国ではスマホユーザーの実に9割がインストールしているともいわれる。 先行していた新浪の提供する「中国版ツイッター」、微博(ウェイボー)と合わせて中国では人々に欠かせないコミュニケーションツールとなっている。微信(ウィー・チャット)のアプリ(iStock) だが、かねてから指摘されるように習近平政権下のメディアに対する締め付けは厳しく、この波がいよいよ伝統メディアの枠を超えて個人間のコミュニケーションにまで及んでいることを思わせる事象が連続して起きた。 まずは中国ネット管理部門が国内でSNSや掲示板サービスを提供する代表的企業・テンセントや百度(バイドゥ)など3社に対し、「情報管理が不徹底」だとして罰金処分にしたことだ。8月25日のことだが、当局は続く流れの中で「グループチャット内での監視の強化」も視野に入れていた。 そして30日、『人民日報』は、〈「グループチャット」内で三文字を発信! 女性はそれで行政勾留 たとえ仲間内の会話でも注意が必要〉という記事を配信した。 中身は、一人の女性ドライバーが駐車違反をして罰金を科されたことに怒り、警官を侮辱する「三文字」をグループチャット内で発信し、それを見た交通民警が地元公安分局に通報。最終的に女性ドライバーが罰に処せられたというものだ。中国には「中華人民共和国治安管理処罰法」というのがあり、法律で警察を侮辱し悪辣な影響を与える行為を禁じている。その第26条に違反に相当するというのだ。 また同じように9月4日には北京の張強という若い男性が友達とも会話の中で、ふざけて「オレと一緒にISISに入ろう」と書き込んだところ逮捕され、最終的に9カ月の刑を言い渡されたことも紹介されている。 まあ、経済発展している一方で息苦しい空間も広がっている中国の実情がよく伝わってくる話だ。関連記事■ 中国の大学生 約半数が「在学中に恋愛なし」のデータも■ 男尊女卑が根強い中国 妊婦が無謀な産み分けに走る悲劇も■ 九州でエイズ急増 中国若年層の患者激増との符号■ 中国でラブドールのレンタル開始を発表したら…■ もはや技術大国、中国で時速4000km高速飛行列車の研究開始

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    【独占手記】脅されても訴えられても、私は「大島てる」を続けます

    大島てる(事故物件サイト「大島てる」運営管理人) 「大島てる」は、私、大島てるが平成17年に開設した「事故物件」という、不動産に関するネガティブ情報をみんなでマッピングしていく投稿型サイトです。 神奈川県座間市のアパート一室から9人の切断遺体が見つかった事件では、このアパート内の隣人とみられる人物から「大島てる」にさっそく投稿がありました。大島てるの投稿 しかし私は、この投稿者が本当に「隣人」なのか否かについて、公にすることができません。そもそも、私自身も投稿者の素性を把握していません。事故物件の大家や地主からすれば、誰が投稿者なのかを知りたいところでしょう。だからこそ、大島てるとしては、投稿者のプライバシーを保護し、誰でも安心して情報提供できる環境を整備しています。 今回、本当に隣人が投稿したのであれば、私にとっては大変喜ばしいことです。大島てるは、事故物件をみんなで投稿していくサイトですが、大家や地主が隠蔽したくなるような情報を有している人は、そんなにも多くありません。 その数少ないうちの誰か一人に、大島てるへの情報提供を期待しているわけですから、大島てるというウェブサイトの存在は皆さんに認知してもらう必要があります。そのために、これまで日々精力的に広報活動を行ってきたわけです。この度の投稿は、大島てるの認知度向上の一里塚と言えるかもしれません。 そもそも事故物件とは、殺人事件や自殺、それから孤独死など、人の死にまつわる歴史的事実に対し、通常は嫌悪されてしまう土地や建物のことです。典型例として、殺人事件現場となったアパート等が挙げられます。 そういった事故物件の情報を広く一般に知らしめられることは、どれほど一般消費者にとって有益であろうと、事故物件の大家や地主としては、やはり歓迎できない事態であろうことは想像に難くありません。 もちろん、法令や判例を研究すれば、借り主や買い主に対して事故物件であることを告知する義務はあるのですが、それでもなお隠蔽(いんぺい)したいという大家や地主は存在します。 平成22年、横浜市のマンションで発生した死体遺棄事件に関連して、現場マンションの大家から「大島てるによる記事は事実無根で名誉棄損にあたる」として、横浜地方裁判所に民事提訴されました。大島てるに掲載された記事の削除や金銭の支払いに加え、謝罪文の掲載まで求められたのです。もちろん、記事は真実であり、結果は大島てる側の完全勝訴でした。 こうして事故物件情報の公示は法的に正しいという司法の「お墨付き」を得られたのですが、それならば大島てるを黙らせ、事故物件情報を隠蔽するにはもはやテロリズムしかないと安直に考える輩(やから)が現れても全く不思議ではありません。あらゆる不動産取引はギャンブル そしてついに今年4月、私は脅迫事件に巻き込まれることになるのです。兵庫県尼崎市に住む男がツイッターで「大島てるを殺したい。ここの運営の代表って誰ですか?殺してもいいんですか?もし、イイよって言ってくれる人がいたならば今からその人を殺しに行きます。武器はそこら辺のスーパーに売ってる安もんの包丁を買います。」「あと、大島さんを殺した後僕も死にます」「今思うのは、大島てるの創業者の首を生きたままゆっくりと切り落としたい気分です。断末魔を聞きながら日本酒が飲みたいです。嗚呼、その人を殺したい。殺したい。。。」などと書き込んでいたのです。 10月23日、男は警視庁に逮捕されました。しかし、脅迫事件の影響でいくつもの事故物件イベントが中止に追い込まれ、警察による厳重警戒の中で強行開催された数少ない公演でも、ファンの皆さんとの接触はかなり制約されました。 男が大島てるの狂信的ファンで、一方的な好意をこじらせてしまった挙げ句の犯行なのか、それともインターネット上で事故物件情報を公示している大島てるに対しての叛意(はんい)が犯行の動機なのか、あるいはそのどちらでもないのかは現時点ではまだ判明していません。ただ、今後、男の職業等が明らかになれば、犯行の動機を知る手がかりになるはずです。もし、犯人が「アパートの大家」であるといったことが分かれば、大島てるへの叛意が犯行動機だという可能性が高いと言えるでしょう。複数の遺体が見つかった白石隆浩容疑者が住んでいたアパート=2017年11月1日、神奈川県座間市 あらゆる不動産取引は「ギャンブル」です。勝つこともあれば負けることもあるのです。大損してしまった大家さんには「ご愁傷様です」としか言いようがありませんが、殺人犯や連帯保証人(多くの場合は親)に対して損害賠償を請求することはできます。自殺の場合も、故意ですから、当然、連帯保証人や相続人に請求できるのです。 事故物件となってしまったアパートを解体し、コインパーキングにするなどといった対処も考えられます。数時間自動車を駐車するだけなら、たとえ、そこで凄惨(せいさん)な事件が過去に起きていたことを知ったとしても、気にせず利用する人も少なくないからです。 にもかかわらず、アパートを事故物件化させた張本人の殺人犯ではなく、殺人事件が発生したという事実をただ単に世間に向けて大声で叫んでいるだけの事故物件公示サイト「大島てる」に責任を転嫁するのは、はっきり言ってゆがんだ心理と言わざるを得ません。 よしんば、保有する物件が事故物件となってしまった大家や地主は、ある意味で「被害者」だとしても、その物件を今後貸したり売ったりする相手をだましてもかまわない理由には全くならないのです。だからこそ、私は今後も「借りる人・買う人・住む人」のために、粛々と事故物件公示活動を続けていきたいと思います。

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    なぜ自殺志願者たちはSNSに書き込むのか

    渋井哲也(フリーライター) 神奈川県座間市内のアパートでの死体遺棄事件の第一報を聞いたとき、特に関心を寄せる情報はなかった。しかし、「自殺サイトがからんでいる」「遺体の数は9人」という情報が入ってくると、当初の印象を裏切り「ネット心中」ではないかと思えた。 ネット心中とは、自殺系サイトで「一緒に死ねる人募集」などと書き込み、見ず知らずの自殺願望者たちが集団自殺を図ることを指す。最初の「ネット心中」は2000年11月、福井県内で男女の心中遺体が発見された。男性は福井県内の歯科医師、女性は愛知県の元OLだった。死因は睡眠薬の大量摂取による中毒死だった。2人に唯一あった接点は自殺系サイトだった。2人が悩みを書き込んだのが同じ掲示板だった。 ただ、新聞の社会面を賑(にぎ)わせたものの、この頃は「ネット心中」はそれほど注目されなかった。 むしろ、連鎖するのは03年以降だ。2月、埼玉県入間市のアパート内で3人が死亡しているのが発見された。死因は一酸化炭素による中毒死。遺体のそばには練炭が置かれていた。この事件が報道されると、ほぼ同じような「ネット心中」が続いたのだ。2004年10月、男女7人が練炭自殺した埼玉県皆野町の公園の駐車場。手前のレッカー車に積まれているのは自殺に使ったワゴン車(産経新聞社ヘリから) 中でも、個人的にも忘れられないのは04年10月に起きた、7人による「ネット心中」だ。この呼びかけ人の女性を私は以前から取材をしていた。女性の死にたい理由を聞いていた。そのため、死を考えてしまう背景は理解できていた。未遂を繰り返すこともあったが、自殺の話をする相手として存在することが、彼女と私の関係性を成り立たせる理由だった。 しばらく会っていなかったが、04年9月に会ったときには「ネット心中」が話題になり、すでに呼びかけていることを私に告げた。彼女が語ったいくつかの自殺の話の中で最もリアルな話だった。そのために「(ネット心中を)やめなよ」と口にしてしまった。関係を成り立たせる基盤が揺らいだのを今でも覚えている。その後、彼女は私と会うことを避けるようになり、呼びかけに応じた他の6人と一緒に亡くなった。90年代後半に現れた自殺系サイト 今回の事件を聞いたときに、殺害された9人は、同時に集まり、容疑者だけが生き残ったのかと思っていた。しかし、容疑者の供述によると、バラバラな時期に殺害をしたという。私が知っている自殺系サイトを使った「ネット心中」のイメージではない。2017年10月、9人の切断遺体が見つかった神奈川県座間市内のアパート(中央) もちろん、殺害目的で自殺系サイトにアクセスする人がこれまでもいた。05年8月、自殺系掲示板に書き込んでいた自殺願望者たちを「集団自殺をしよう」などと誘い出し、殺害する事件が起きた。自殺をテーマに接点を持って、やりとりを重ねていくというものではなく、自らの欲望を満たすために、自殺系サイトを利用した形の犯罪だ。今回の事件も、自殺願望者をだましたという意味では類似する面があった。 そもそも、自殺系サイトは、インターネットの登場とともに出現したと言っても過言ではない。インターネットは自由な表現ができる場だ。自殺をテーマにしたサイトができてもおかしくはない。90年代後半には、すでに心中相手を探すためのサイトや、自殺関連を含めて、メンタルヘルスについての悩みを受け付ける掲示板は存在していた。 しかし、相談をベースにした掲示板の利用者の中で、98年12月に連続怪死事件が起きる。掲示板の管理人が重篤な自殺志願者に青酸カリを配送していたのだ。管理人の思いは「いつでも死ねる薬があれば、今は死なない」というもので、むしろ自殺防止に役立つと思っていた。しかし、実際には亡くなる人が出てきた。それを警察から知らされた管理人も結局自殺してしまった。 こうした事件がクローズアップされると、「自殺」と名のつく掲示板をサービス提供業者が自主的に削除するといったことが起きた。ただ、法的な規制がないため、事件が忘れられれば類似の掲示板が増えるといった流れだった。 その後、インターネットでのコミュニケーションのありようは変化していく。掲示板やチャットでのコミュニケーションから、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に移行していく。自殺志願者がたどり着いたツイッター ただ、07年、SNSの一つ、モバゲータウンの出会いをきっかけに殺人事件が起きた。SNSの日記で自殺願望をほのめかしていた女子高生を30歳の男性が殺害したのだ。この事件を受けて、SNS内でのメール機能(ミニメール)を使ってのやりとりは、電話番号など他の連絡手段を掲載したり、危険性があると運営会社から判断されると削除されていくことになる。 ミニメールが規制されるのが当たり前の状況になると、規制が厳しくないSNSが日本で人気になっていく。それがツイッターだった。もちろん、そこには自殺願望者も含まれている。そのため、ツイッター上では、以前から自殺志願者が「死にたい」「自殺したい」「一緒に死のう」などとつぶやいていた。白石隆浩容疑者が自殺志願者を集めていたとみられるツイッターの画面 なぜ、自殺志願者たちがSNSに書き込みをするのだろうか。それは現実の人間関係よりも、返信をもらえる他のユーザーを信頼しているからだろう。友人や知人、家族が「死にたい」とか、「自殺をしたい」と言ったとき、その話題を避けずに、話を聞こうとする人がどれだけいるのだろうか。少なくともSNSでは話を聞いてくれる人は見つけやすい。中には相談をしあったりする関係性が成立する。取材した中では恋人になったり、結婚する人も現れている。居場所として機能している面がある。 もちろん、自殺の悩みを相談できる機関や団体の中には、インターネットを窓口とした相談の場を提供しているところもある。しかし、多くの場合、きちんと内容を検討してから返事をするまでに時間を費やしている。それ自体は間違っていないだろうが、相談者からみれば、今すぐつながりたいという欲求は満たせない。すぐに返信があるSNSは、つながることで、孤独感や焦燥感を癒やせる効果がある。だからこそ、このような事件が起こるたびに、SNSに対して何らかの制約をする議論が持ち上がるが、単純に規制をかけることは意味がない。彼らの居場所を奪うことになって、かえって逆効果になることがあるからだ。 今回の事件に関連し、「ツイッターでこんなにも自殺したい人がつぶやいている」と驚愕(きょうがく)するスタンスの報道もあるが、むしろ、私としてはその見方に驚く。これまでネットと自殺との関連性を調べてみるだけも、自殺を考えている人がネットで感情を吐露することは自然なのだ。

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    日本人好みの「間接自慢」進化系、それがインスタ女子である

    原田曜平(博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー) 若者に人気のSNS「インスタグラム」上で、芸能人が「偽装リア充」をアピールしているというニュースが相次いでいます。華やかなセレブ生活をアピールするために巨額の借金をしていたタレントのGENKINGさんや、友人と食事しているように見せるために、1人で2人分の食事を頼んで写真を撮っていたモデルの西上まなみさんがテレビ番組で言ってましたね。 でも、これはあくまで芸能人の特殊な例で、一般の女の子の場合はもう少し小ぶりな例が多いんじゃないですかね。例えば友達同士で集まって、そんなに盛り上がってもいないのに、SNSに載せるための写真を撮るときにはみんなでジャンプをしてあたかも楽しそうに仲良さそうにみせるとか、その程度のものでしょう。 名古屋で6月に、見た目がかわいいソフトクリームを写真だけ取ってほとんど捨ててしまっている、という写真がツイッターに投稿され話題になったけど、そういった「事件」がその後続いていないことをみると、極端な行動を起こす人はごく一部なんです。 若い女の子たちの「承認欲求」は、SNSというツールによって可視化されることで、エスカレートしているように見えます。例えば、友達と楽しそうな写真を撮ったり、かわいいソフトクリームの写真を撮ったりするのは、日常の記録のためという人もいますが、多くはインスタグラムなどのSNSに投稿し、「いいね」ボタンをたくさん押してもらうという承認欲求を得たいからなんです。 SNSという公衆の面前で、人が見ていることを前提に投稿しているということは、当然その場でどれくらいの人がリアクションしてくれるのか見たいという欲求がわきます。フェイスブックもツイッターも同じで、投稿したものに対してリアクションができるボタンがあるからこそ、反応が気になる、そういうツールですからね。原田曜平氏(博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー) 昔は「君かわいいね」「お前いいよな」と面と向かって言われるのが承認欲求の満たし方だったけど、今では知らない人でも、遠くにいても、「いいね」ボタンがあることで、認める側もライトに「いいね」ができます。そして、認められる側も数多く、幅広く「いいね」を集められる。もともとあった承認欲求というものが表現されやすくなったんでしょう。 いままでは、男なら飲んで酔っ払って深酒して、「実はおれ結構お前のこと認めてんだよ」と、そこまでいかないとなかなか引き出せなかったものが、いまはボタン一つでできるってこと。きっと今のおじさまたちがインスタグラムをやってみたら、同じように承認欲求を表現する行動をとると思いますよ。「いいね」とビックリマンチョコの共通点 そういえば、僕が小さい頃、「ビックリマンチョコ」の買い占めがありました。「おまけ」のシールだけ抜き取ってチョコだけ大量に残すというのが社会問題になりましたけど、インスタグラムに起こっていることと全く同じじゃないですか。 ビックリマンチョコも、所有というワンステップを置いているだけで、最終的にはレアなシールや強いシールを見せびらかして承認欲求を満たしていたんです。ビックリマンシールは今でいう「いいね」ボタンでしょう。別に最近の若者が病んでいるわけでもなく、いつの時代でも若者というのは、承認欲求を得るためにバカなことをするやつが一部いるということなんです。 要は人間の本質って20年、30年では変わりません。ただ、インスタグラムなどのSNSがこれだけ普及すると、ツールが生まれた分、行動も変わってきます。例えば、最近の若者は「写真動機」と呼ばれる動機をもとに行動をしているんです。昔ならおいしいものを食べに行き、いい景色だったから結果として写真を撮っていました。でも、今は旅に行くにしても、SNSで画像検索をして、例えばウユニ塩湖でジャンプした写真を撮りたいからウユニ塩湖に行こう、となります。目的と動機の主従が逆転しているんですね。常にスマホでカメラとSNSを持ち歩いている現状があるからこそ、そういう行動動機になるのは必然といえます。20年前でもカメラとSNSを渡したら同じようになっていたはずです。インスタグラム投稿例 もう一つ、インスタグラムを利用する女の子の特徴的な行動として、「間接自慢」というものがあります。要するに婉曲表現、間接表現による自慢ということです。 例えば、「私、彼氏ができました。ラブラブです」という彼氏とのツーショット写真は絶対に載せない。「栃木の温泉にきています。今旅館でごはん中です」というコメントとともに写真を載せるのに、本来だったら真上から料理を撮ればいいものを、なぜかちょっと引いて撮る。その角度の先に2人分のお皿がチラッと見える。「この子彼氏と来ているの?それとも女友達?」というくらいに匂わせる手法を間接自慢というんです。 この手法を使っている女の子はかなり多いですね。青春18切符を写真に撮って、「これで貧乏旅しています」といいながら、ブランドもののバックをさりげなく映り込ませたり、「今日は東京タワーに来ています」と運転席から東京タワーを引きで撮り、さりげなく車のエンブレムを映り込ませたり、そしてその車がフェラーリだったりするんです。 この間接自慢は、写真を中心にコミュニケーションするインスタグラムの象徴的な文化でしょうね。そもそも写真というものは、いろいろなことを示唆できる。それを一般の女の子たちが気軽に使って表現できるようになったがゆえに、間接的に自分を自慢する行為が生まれたんです。インスタは最も平和なSNS そして、今のトレンドは、「より自然に盛る」ことらしいですよ。例えば最近、自分の後ろ姿を写真に撮ってインスタグラムに載せる子をよく見かけますよね。そこに街並みの全体も見えて、路上の店舗も映り込んでいて、おしゃれな世界観をなにげなく自然に見せてね。でも、よく考えたら自分のページに自分の後ろ姿が載っているのは、すごく不自然じゃないですか。道のどこかにスマホを置いて、カシャッと撮っているわけだから。ただ、写真だけパッとみたら、本当は不自然だけど、なんとなく自然な写真に見えてしまうんです。 どうして間接的に自慢したがるのかといえば、それは日本特有の文化だと思いますよ。海外でも間接自慢の写真はあるかもしれませんけど、基本的に海外の方が階級や階層などの格差が当たり前のようにあって、自慢は悪いことじゃないからこそ、やんわりとした表現はあまり使わないんです。 その一方で、日本はなんとなくみんなが平等じゃないといけない雰囲気があって、直接自慢するやつは嫌なやつ、という島国根性、ムラ社会的な文化があるじゃないですか。だからこそ多くの人が間接自慢をやりたがるんです。直接は言いにくいからね。 とはいっても僕はインスタグラムをわりと肯定的に見ているんです。たしかにうがった目で見ると気持ち悪いかもしれません。ただ、人生は必ずしもいいことばかりじゃなく、能力もないしお金もないし自信もないし、という人がたくさんいるんです。そういう人が写真を投稿して、たった10個の「いいね」をもらうだけで、心がちょっとホッとするならそれはそれでいいのかな、と思います。人に認めてもらうことで、いろいろなものを維持できる人が世の中にはたくさんいますからね。ある意味で心のセーフティーネットになっているならいいことじゃないですか。 そのためだけに写真を撮る、ということを「病んでいる」とみるか、肯定的な見方をするか、それはどちらも間違っていないと思います。ただ、インスタグラムはツイッターと違ってリツイート機能がない分、炎上もほとんどなくて、最も平和なSNSといえます。LINEだって既読になっていないとか、既読スルーとかでもめたりしますよね。人の結婚式で悪口が言えないのと一緒で、インスタグラムはきれいな写真を載せることが多い分、きれいな場所はそんなに荒れませんからね。今までのSNSの中では一番良質で、誰も傷つけないのがインスタグラムだと思いますよ。 インスタグラムを使う若者たちをおじさまたちは受け入れられないかもしれません。でも、それは自己表現するツールが変わっただけで、昔の人が同じものを持っていたら同じことをしていたはずです。いつの時代もそうでしょう、もし江戸時代に車があったら、遠くまで行けるようになることで人々の行動や生活が劇的に変わるじゃないですか。おじさま世代にとってSNSはバーチャルであって、意味のないものに見えるかもしれないけど、実はモータリゼーションと同じくらい大きなことかもしれないと僕は思いますね。(聞き手 iRONNA編集部、中田真弥)はらだ・ようへい 1977年、東京都生まれ。慶応大卒業後、博報堂に入社。現在、博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー。多摩大非常勤講師。近著に『新・オタク経済 3兆円市場の地殻大変動』 (朝日新書)など多数。

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    「インスタ女子」がけしからん!

    写真共有アプリ「インスタグラム」に狂う女子が激増しているという。「いいね!」欲しさに女子力アピールするだけならまだしも、撮影目的で注文した料理を残したり、ゴミ箱にポイ捨てする行為も横行しているらしい。世のおじさんたち、そんなインスタ女子の気持ちを理解できますか?

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    なぜインスタグラムに狂う女子が爆発的に増えたのか

    鈴木朋子(ITジャーナリスト) 「インスタグラム」の勢いが止まらない。インスタグラムとは、写真や動画を共有するSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)だ。ニールセン デジタル株式会社が2017年3月に発表した「SNSやコミュニケーションアプリ」の利用状況によると、国内のユーザー数は1294万人。2016年5月発表の同社の調査によると、2015年から2016年にかけての増加率は84%で1092万人と、その後も着実にユーザー数を拡大していることがわかる。 特に特徴的なのが、若い女性からの支持だ。性年代構成を見ると、インスタグラムの30%が18歳から34歳までの女性であり、LINEやフェイスブックとは明らかに異なるユーザー属性を持つ。インスタグラムの画面 若い女性たちのインスタグラムに対する熱意はすごい。彼女たちは「インスタ映え」(インスタグラムに投稿すると注目を集められる写真)を求め、インスタ映えするスイーツを提供するカフェに長時間行列する。インスタグラム上で人気な人は「インスタグラマー」と呼ばれ、その生活スタイルは憧れを呼び、愛用品を入手するファンも多い。そんな彼女たちをターゲットに、飲食店は撮影用の壁や照明を用意し、インスタグラムによるクチコミ効果を狙い、女性誌は自撮り用のライトを付録に付け、「いいね」をもらえる写真の撮り方や加工のコツを紹介する大特集を組んでいる。 ここまで若い女性を熱狂させているインスタグラムとは何なのか。 インスタグラムは前述の通りスマートフォンで画像や動画を投稿し、コミュニケーションをとるSNSで、写真全体の色味を変更したり、トリミングや回転といった基本的な加工機能を持つ。好きなアカウントを「フォロー」すると、自分のホーム画面に投稿が表示されるようになる。投稿主とは「いいね」やコメントで交流することができる。 実はインスタグラムは最近始まったサービスではない。2010年にアメリカのベンチャー企業がiOS用のアプリをリリースしたのが始まりだ。色調や彩度などを簡単に加工できる「フィルター」機能を持ち、スマートフォンで撮影したスナップ写真が作品として生まれ変わる点が写真愛好家の支持を集めていた。その後、フェイスブック社に買収され、正方形に限定されていた画像も長方形で投稿できるようになるなど、時代に合わせて機能を拡張し続けている。「盛れている」写真の裏側 近年のSNS動向を見ると、テキストでの交流から画像や動画による交流への移行が顕著だ。インスタグラムは初めから写真をベースにしており、時代が追いついたといえるかもしれない。さらに、海外の「セレブ」と呼ばれる女優やモデルが愛用し、日本の芸能人へと広がったことも流行した要因だろう。インスタグラムの投稿 インスタグラムでも写真や動画に文章を付けることができるが、長文を投稿するユーザーはまれだ。「ハッシュタグ」という検索しやすくなるキーワードを付けて投稿する。鎌倉で撮影した海の写真なら「#鎌倉」「#sea」といった具合だ。ハッシュタグをタップすると、同じハッシュタグを付けている投稿が一覧表示される。フォロー関係にないアカウント同士でも、ハッシュタグ経由で投稿を発見し、「いいね」を通じて自然な交流が生まれることもある。 若い女性はハッシュタグをいくつも付ける傾向がある。先の例で言えば、場所や名称のハッシュタグだけでなく、「#今年初めて」「#靴のセレクト失敗」「#ほんとは暑くて帰りたい」などと10個程度並べる人も少なくない。検索による投稿閲覧を目的にしているのではなく、個条書きのように書けば文章にするよりも簡単に思いを伝えられるからだろう。 彼女たちがインスタグラムに投稿するのは、「盛れている」一枚だ。「盛れている」とは、現実よりもかなり良く写っている状態のこと。盛れていない写真は、インスタグラムの加工機能や別の写真加工アプリを駆使して、最高の一枚に仕上げる。「インスタ映え」するとされている、カラフルなスイーツや生クリームたっぷりのパンケーキ、海外ブランドのコスメ、セレクトショップの雑貨などの投稿が多く、真上から撮影している写真が多くみられる。 自撮りを載せるときは、盛れる角度を探して何十枚もの写真を撮る。最近の流行は、「SNOW(スノー)」などの自撮りに特化したアプリで撮影した写真だ。自撮りアプリで撮影すれば、顔に動物のスタンプを施して目を大きくするといった、誰でもかわいらしくなる加工ができる。あからさまな加工を避けたければ、さりげなく美肌にし、顔の輪郭をすっきり整えるアプリもある。 インスタグラムに投稿した写真は自分のプロフィル画面に並ぶため、数日前に投稿した写真が気に入らなくなったら、躊躇(ちゅうちょ)なく削除する。インスタグラムには常に自分のセンスが光るキラキラした写真のみが表示されるのだ。 しかし、これでは「今」を共有できるこの時代においてタイムラグを感じるし、少し窮屈でもある。そこで多用されているのが「ストーリー」機能だ。インスタはマックよりスタバ? 「ストーリー」は、24時間で投稿が自動的に消える機能だ。「エフェメラル」と呼ばれるこの機能は、海外で人気を集めた「Snapchat」というSNSに早くから採用され、2016年にインスタグラムもこの機能を追加した。若い女性にとって盛れている写真しか投稿できないインスタグラムだが、知り合いと繋がっている以上、たまには普段の自分も共有したい。そこで、自動で消えることで写真が残らず安心なストーリー機能を使うのだ。 ストーリーには、静止画と動画が投稿できる。画像を文字やスタンプで飾ったり、他のアカウントへのリンクを設定する機能もある。 ある女子高生は「スターバックスに行ったらインスタに投稿するけど、マクドナルドはインスタに投稿できない。でもストーリーならマクドナルドもあり」と言っていた。友達とマクドナルドでおしゃべりしている様子を他の友達に中継するために投稿することもあるそうだ。 他にもストーリーには、インスタグラムらしからぬ投稿が行われる。黒い背景に愚痴をずらずらと書き連ねた画像や、彼氏とイチャイチャしている動画などだ。「消えるから」と投稿するのだが、投稿を見た人がスマートフォンの画面を撮影すれば、自分の知らないところに画像が残ってしまう。そのリスクは想像できるはずだが、それでも発信したい気持ちが勝つのだろう。 実のところ、清らかな印象のインスタグラムにも怪しい投稿はある。セミヌードや性的なイメージを想起させる画像や動画、風俗店のアカウントといったアダルト系だ。ただしインスタグラムの規制は厳しく、ガイドライン違反をしたユーザーのアカウントはすぐに停止される。 また、「ステマ(ステルスマーケティング)」の問題もささやかれている。若い女性は商品を購入するとき、検索エンジンでWebサイトを検索するのではなく、SNS内を検索することが多い。特にファッショングッズやコスメに関しては、インスタグラムの投稿を参考にする。100円ショップで買えるコスメの使用感やモデル以外の人が着ている洋服など、通常の通販サイトでは見られない写真やクチコミが見られるからだ。インスタグラムでフォロワー数の多いアカウントを持つ人は「インフルエンサー」とも呼ばれ、美容系のサプリやグッズを紹介することで購買促進に影響力を発揮するのだが、企業からの宣伝依頼であることを隠して投稿している「ステマ」もあるという。 この問題にもインスタグラムは積極的に取り組んでいる。インフルエンサーがスポンサー企業の商品を投稿するとき、「XXX(ブランド名)とのタイアップ投稿」と表示される仕組みを提供することが発表されている。現状は少数のクリエイターや企業に限定して提供されているが、今後ガイドラインの公開とともに提供を拡大していく予定だ。 おしゃれな女性誌を自らが編集するように楽しめるインスタグラムは、若い女性が憧れる世界の投影だ。いつまでも夢が続くように、今後も安心で健全な運営を期待したい。

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    精神科医が教える「インスタ女子」心のメカニズム

    熊代亨(精神科医) 「インスタグラム女子」がキラキラした写真を投稿するために、わざわざ着物をレンタルしたり、高価なアイテムを買って写真を投稿したらすぐ売り払ったりする…といった話を最近はよく耳にします。他人から認められない「承認欲求」を満たしたい気持ちはわからなくもないのですが、「そこまでやるか?!」と驚かずにいられません。ただ、「インスタグラム女子」の承認欲求の充足メカニズムについて立ち止まって考えてみると、昭和生まれ世代が20代だった頃にはあまりなかった、新しい感性を想定してみたくもなります。 「何かを蒐集(しゅうしゅう)して、見せびらかして注目されたり褒められたりする」という承認欲求の満たし方は、今に始まったものではありません。  昭和時代を思い出しても、たとえば「ビックリマンチョコ」に付いているレアなキャラクターシールを見せびらかしたり、アニメのキャラクターグッズをコレクションして自慢したりするとか、そういった承認欲求の充足はポピュラーでした。  現在も、これに近い風景を「ソーシャルゲーム男子」にみることができます。近所の学生男子たちがソーシャルゲームの話をしているのに耳を傾けると、「俺の一番お気に入りのキャラクターは○○だ」「こないだ、ガチャ(希少アイテムが当たる有料の電子くじ)をやったら××が出た」といった弾むような声が聞こえてきて、ああ、男子は今も昔もそういうのが大好きなんだなぁと、安堵(あんど)したような気持ちになります。 2015年3月のマーリンズ春季キャンプで、イチローは「ビックリマン」のキャラクター、スーパーゼウスがプリントされたTシャツで施設入りした(撮影・リョウ薮下) 「インスタグラム女子」は彼らとは違います。  何かを蒐集して、見せびらかして、注目されたり褒められたりしたがっている点では、彼女たちも同じといえば同じです。  ただし、彼女たちが蒐集しているのはモノではありません。体験であったり、関係性であったりします。というより、体験や関係性が蒐集されてキャラとして練り上げた、インスタグラムのアカウントそのものです。  ビックリマンチョコのレアなキャラクターを見せびらかしている男子には、承認欲求以外にも、モノが欲しい・モノを手に入れたいという物神崇拝(フェティシズム)の傾向がありました。他人に見せびらかして注目されたいだけでなく、モノそのものに対する執着があったわけです。蒐集対象がキャラクターシールからキャラクターデータに置き換わったソーシャルゲームにおいても、この点はあまり変わりません。 他方、「インスタグラム女子」には、そうしたモノそのものに対する執着があまり感じられないのです。最近は「モノより体験」などとよく言われますが、体験に執着しているとも思えず、どうなんでしょうか。男子も中年も「いいね」集めるのが当たり前 もちろん、着物をレンタルして写真を撮ったり、一日で売ってしまうであろう最新アイテムを手にしてそれらしい場所で写真を撮ったりするのも、体験といえば体験かもしれません。しかし、本当に自分自身の体験を大切にするなら、着物のレンタルはともかく、高価なアイテムを1日で売り払ったりはせず、もっと使い勝手を確かめてみるのではないでしょうか。やはり、インスタグラムのアカウントの見栄えをよくして、他人に見せびらかすことに重きが置かれていて、体験は二の次になっていると想定せずにはいられません。 私個人としては、「プリント倶楽部」がブームになっていた90年代を思い出しても、女子という人々は、男子に比べて物神崇拝のきらいが乏しく、モノより体験を、あるいは、関係性を見せびらかして承認欲求を満たす性質が強かったように思います。そうした体験や関係性を見せびらかすためのツールとして、インスタグラムはとても便利なツールです。いや、おそらく便利過ぎるのでしょう。自分が見せたいものだけを、自分が見せたいように並べて編集して投稿できるツールが、女子の標準装備になってしまいました。これは、何気に大変なことなのではないでしょうか。 いや、女子だけを挙げるのは間違いでしょう。今では、男子や中年男女もインスタグラムのアカウントをつくって、自分の見せたいものだけを見せたいように陳列したキャラを立ち上げて、せっせと「いいね」を集めています。それが当たり前になってしまいました。 昨今、インスタジェニックなシーンのために買い物や旅行に狂奔する、「インスタグラム女子のキラキラアカウント」的なエピソードが、面白おかしく紹介されるのを目にします。もちろん、そのような極端なアカウントは多数派とも思えません。ですが、そういった記事に注目が集まるということは、ユーザーの少なからぬ割合が、それに近いアカウントに出合っているか、自分自身に思い当たる節があるか、どちらかではあるのでしょう。 インスタグラムで「いいね」を集めて承認欲求を満たすことに夢中になっている人たちは、モノを、体験を、関係性を、どこまで愛しているのでしょうか。もし、本当は承認欲求にしか眼中に無くなって、そのためなら手段を選ばなくなってしまっているとしたら、その人は本当に幸福だといえるのでしょうか。そのあたりが、私にはよくわかりません。 ただし、インスタグラムで「いいね」を集めまくっている現代人を、不幸でかわいそうな人々だと言い切ってしまうのも難しいように思います。「盛りまくって」も気にしない ひとこと承認欲求を満たすと言っても、20世紀末のころのそれと、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やインスタグラムを誰もが使用するようになった現代とでは、その前提となる感性が違ってきているように見受けられるからです。 20世紀末においても、承認欲求は人々の重要なモチベーション源でした。高級ブランド品を買ったり、海外旅行に出かけたり、プリント倶楽部を撮ったり… とにかく、承認欲求を満たすための手段になりそうなものには片っ端から手を出していました。 ただ、あの頃の人々が承認してもらいたかったのは、「あるべき自分」や「本当の自分」ではなかったでしょうか。 自分自身から乖離(かいり)したキャラをではなく、「あるべき自分」や「本当の自分」をできるだけ磨き上げて、他者に注目されたり褒められたりして承認欲求が満たされたい-この大原則に沿ったかたちで、モノを買ったり、体験を買ったり、関係性を維持したりしていたのが、20年ほど前にはやっていた感性と処世術だったように思います。だからこそ、自分自身とキャラとの乖離が大きくなり過ぎると、認められているのはキャラであって自分ではない…などと疎外感を感じたものです。 ところが今日の「インスタグラム女子」や、それに類する人々には、これが当てはまらないように思われるのです。 どれほどの虚飾と虚栄を集め、アカウントを「盛りまくった」としても、そこで疎外感を感じたりキャラとの乖離に悩んだりせず、承認欲求を満たせてしまうのが、いまどきの感性なのではないでしょうか。 これは、インスタグラムや女子に限った話ではありません。若い世代に限った話でもなくなっているのかもしれません。 たとえばフェイスブックやインスタグラムを使用している中年男女にも、「盛ってみせる」ことをためらわないアカウントはそれなりあります。ツイッターでも、明らかに等身大のその人自身とは思えない、キャラ立ちの大げさな、キラキラアカウントやネタアカウントが人気を博しています。 つまり何が言いたいのかというと、アカウント上で作り上げたキャラと「あるべき自分」や「本当の自分」との乖離は、もはやたいした問題ではなくなっているのではないか、ということです。それと、そういったことをたいした問題とは感じず、キャラが承認されれば自分自身も承認されるような感性が台頭してきているのではないか、ということです。 自分自身とキャラの乖離を意に介さなくて構わないなら、「インスタグラム女子」的な処世術もそんなに悪くはないかもしれません。「インスタ女子」は承認欲求の無間地獄か 素のままの自分自身では承認欲求があまり満たせない人でも、インスタ映えする写真を撮って、編集して、キラキラしたキャラをでっちあげてしまえば、大量の「いいね」をアカウントに集めることができます。キャラと自分の乖離に悩まない人なら、これでも承認欲求は満たされるでしょう。 むろん、それをやり過ぎて承認欲求がエスカレートしてしまい、炎上したりするようでは話になりませんが、「盛ってみせる」度合いをきちんとコントロールし、アカウントを運営できる限りにおいては、失うものよりも得るもののほうが多いかもしれません。 そういう目線で「インスタグラム女子」を考え直してみると、あれは、アカウントやキャラを複数使い分けるのが当たり前になった現代ならではの、社会適応の先鋭化した姿の一例ではないか、という風にもみえます。ツイッターのキラキラアカウントやネタアカウントについても同様です。そういうことをやっても疎外感を感じたりキャラとの乖離に悩んだりすることなく、承認欲求が満たされ、社会生活も円滑に営んでいけるのなら、そう悪くもないのではないでしょうか。 スマートフォンもインターネットの常時接続もなかった頃は、「インスタグラム女子」的な処世術や感性は、やろうと思っても難しかったでしょう。 しかし、現代は誰もがスマホを持ち、いつでも写真が撮れて、簡単にキャラを編集でき、複数のアカウントを束ね持つのが当たり前になっています。アカウントにつくられたキャラなるものが、選好や編集のうえで成り立っていることを、お互いに知っている時代でもあります。そのような時代において、自分自身が承認されたいと願うことと、自分がデザインしたキャラが承認されたいと願うこととの間に、いったいどれぐらいの距離があるのでしょうか。 「インスタグラム女子」のやり方を、虚飾と虚栄にみちた、承認欲求の無間地獄と見て取るのは簡単ですし、それにそれで事実の一端ではあるでしょう。が、そういう理解だけで本当に構わないのか、私にはだんだんわからなくなってきました。 それと、私たちは忘れてはならないのです。「インスタグラム女子」をツベコベ言う人々にしても、その大半はSNSやインスタグラムとは無縁ではなく、「いいね」のために写真を撮り、140字以内の文章をつぶやき、自分自身のアカウントのキャラを編集している点では似たり寄ったりだということを。 「インスタグラム女子」を揶揄(やゆ)したりバカにしたりしている人の中には、案外自分の中にある「インスタグラム女子」的な部分を直視したくないから、彼女たちのことをあれこれ言って、他人事にしておきたい人もいるのかもしれませんね。

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    「インスタ女子」の闇は本当に深いのか

    北条かや(著述家) 先日、1人のツイッターユーザーがネットに投稿した写真が「炎上」した。 友達と大須のかわいいアイス食べたんだけどみんなインスタ写真撮る目的だからかほとんど捨てられててインスタの闇を感じた 見れば、色とりどりのアイスクリームが無残にゴミ箱へ捨てられている。名古屋にオープンしたという、ソフトクリーム専門店。写真共有アプリ「インスタグラム」(Instagram)などに載せる目的で撮影し、食べきれない分を捨てた客がいたのだろう。 これを見てネットでは、「食べ物を粗末にするなんて許せない」「インスタグラムの闇を見た」など、非難の声があふれた。なぜこんなことが起こってしまうのか。 インスタグラムは、全世界で1カ月に7億人以上が使う写真・動画共有SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だ。スマートフォンのカメラで撮った画像や動画を、インスタグラム独自のフィルタで加工し、短いコメントをつけて共有する。好きなユーザーをフォローして、コメントを残すことも可能だ。「写真をアップするだけ」のシンプルな仕組みがかえって斬新で、日本でも20~30代を中心に利用者を増やしてきた。 このアプリの可能性に目をつけていたのが、米フェイスブックだ。2012年には、フェイスブック社として過去最大の約10億ドルでインスタグラムを買収すると公表し、大きな話題となった。当時は、インスタグラムの運営企業が設立されてわずか2年。未知数だが大きな可能性を秘めた新手のSNSに、フェイスブックは脅威を感じたのかもしれない。10億ドルという破格の買収額がそれを物語っている。 今や日本でも若者を中心に、「インスタ」は共通言語となった。カフェでは若い女性たちが「インスタ映え」する写真を撮る光景が見られ、「インスタ映え」するスポットやサービスが人気を集めている。若者たちの24時間には、当たり前のように他人の写真へ「いいね!」を押す時間が組み込まれ、「いいね!」がほしいから、写真をかわいく「盛る」ための加工アプリがヒットする。美容整形にも通じるインスタ女子の心理 特に若い女性にとって、スマホで何かを撮影することは、すなわちインスタグラムにアップできるかもしれない「ちょっといい写真」の在庫を確保しておくことといっても過言ではない。ツイッターでもフェイスブックでもなく、インスタがいいのだ。なぜかと聞かれても、みんなが使っているからとしか言いようがない。ヒットするアプリとはそういうものだろう。スマホのインターフェースは直感的なものだから、「なぜ良いのか」問われても言語化しづらい。直感的な気持ちよさを味わえるから「良い」のだ。 インスタグラムが提供する気持ち良さは「『少し盛った自分』を味わう中毒性」ともいえる。同アプリの特徴は、アプリ内のフィルタで加工した画像を1枚載せるだけ、というシンプルさにある。タイムラインには画像が大きく表示され、自分のトップページは画像で埋め尽くされるから、いきおいアップする写真に変なものがあってはいけないと身構える。自分の画像一覧。筆者のインスタグラムトップページはこのように表示される 筆者も多くのユーザーと同じく、ツイッターやフェイスブックに載せる画像と、インスタグラム用の画像はしっかり分ける方だ。インスタグラム用の写真はより美しく、よりかわいく、色合いも気になる。インスタを使い続けるうち、アプリの世界観に「適応」した結果だ。せめてインスタグラムの中ではかわいくいたいのである。 現実の「私」は平凡で、日常はつまらない。だからアプリの中くらい、理想の自分を演出したい。あわよくば、その「理想」に合わせて現実をアップデートしたい。この心理は、美容整形にも通じるところがある。『整形した女は幸せになっているのか』(星海社)でも論じたが、顔や体にメスを入れ、より美しく整える美容整形は、「化粧=メーキャップ≒自分を美しく盛る」という概念なしには成立しないからだ。 普段から化粧に親しみ、素顔よりも美しく整えている人ほど、素顔になった際に「落差」を意識しやすい。理想の自分=盛った自分と、現実=すっぴん。その落差を埋めるため、「すっぴんでも、化粧したかのように美しくありたい」と、美容整形にひきつけられるのだ。アイメイクをしなくても大きな目。ハイライトを入れなくても高い鼻。補正下着をつけなくても、大きな胸。それを目指して対価を払い、肌にメスを入れる行為は、特に責められるものでもない。誰でも持っている当たり前の衝動 「理想の自分」に現実を合わせたほうが自意識の安定が得られるなら、他人に迷惑をかけない限り何をしてもいいと筆者は考えている。が、ひとときでも「理想の自分」を手に入れる行為には、快楽と依存性があるので、美容整形をやみくもに勧めていいとも思わない。 インスタグラムにアップする写真は、メーキャップした顔さながらに「加工」が施されている。美容整形に引き付ければ、「現実を化粧しているようなもの」だ。そうして演出した理想の自分に合わせて、現実を引き上げたいと思う人が出てきても不思議はないだろう。 冒頭で言及した「アイスクリームを買って撮影し、その場で捨てる」件などは、「かわいいアイテムと一緒に映るかわいい私」という理想をかなえたいがために、社会的に非難されることをしてしまったケースだろう。美容整形のしすぎとでもいおうか、「そこまでするか?」という行為さえ、快楽の前では正当化される。 最近では、そうした行為が「インスタの闇」として非難されることもあるようだ。インスタグラムに載せて「いいね!」をもらうため「だけ」に連日、衣装を変えて撮影スポットに繰り出す若者や、ブランドバッグを買って撮影し、インスタにアップしたらすぐさまフリマアプリで売るなどの行為が、ネットで嘲笑されている。 「インスタ映え(笑)」と、「(笑)」をつけて揶揄(やゆ)するのもよく見かける。が、笑っているあなたも、平凡な日常にため息が出そうになったことはないだろうか。つまらない自分と、有名なセレブを比べて、うらやましくなったことが一度でもないだろうか。インスタグラムは、平々凡々とした己の現実を、画像1枚で「理想」のシチュエーションへと近づけてくれる。少なくとも、写真を眺めている間だけは「理想」に耽溺(たんでき)できるのだ。皆が嗤(わら)う「インスタの闇」は、私たち誰もが持っている、ごく当たり前の衝動なのである。

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    SNSは「使い分け」が常識か 若者の「裏アカ処世術」とは

     FacebookやTwitter、LINEなどのSNSを利用する人はいまや2人に1人を超えた。複数のSNSを利用するのも珍しくなく、それぞれのSNSを連携させて、一度の投稿をすべてのSNSに反映させることもできる。しかし、あえてそれぞれのSNSを「つながり」ごとに使い分ける動きもある。とくに若年層では「SNS使い分け」が当たり前の行動になっている。 実際に15~29歳を対象にした関係性によるSNSの使い分けについての調査結果をみると、相手をよく知らないときはLINEよりもTwitterを、女性は相手と趣味が合うほどInstagramを交換する傾向があるとわかった(株式会社ジャストシステム調べ)。 ITジャーナリストの高橋暁子さんによれば、「Facebookには皆に知ってほしいことだけを、LINEは連絡手段として、Instagramは自分好みの幸せな空間をつくるために使っていますね」と、若年層におけるSNSごとの使い分けの存在を認める。「若い世代にとってLINEはメールアドレスや電話番号のようなもので、同じクラスやクラブなどのメンバーになったら、連絡手段として必ず交換してグループを作成します。リアル(現実)の知り合いなら、絶対に交換するものです。よくわからない相手とは交換していません。もし、どうしても嫌な何かが起きたら、その相手をブロックして対処しています。とは言っても、大人と違って彼らは、ネットでやりとりすれば信頼してLINEでつながってしまうので、”知り合い”の基準が大人とは違いますけれどね」 10代の77.0%、20代の92.2%、50代でも42.8%が利用しているLINE(総務省調べ)は、いまや電話番号やメールアドレス代わりに使われている。友だちのLINEは知っているが電話番号は知らない、ということも珍しくない。クラスの緊急連絡網などネットではなくリアル(現実)の人間関係における連絡手段として、LINE交換は欠かせない。 実名で登録するSNSとして急拡大したFacebookは、20代が61.6%、30代が50.9%、40代で33.5%と大人の利用率が高い(総務省調べ)。そのため、誰に知られても問題がないことだけを扱うSNSとして若者たちは利用し、盛んに充実した毎日をアピールする投稿を繰り返す大人は、遠巻きに観察されることもある。 とりわけ若年層に特徴的なのは、コミュニケーション内容によって複数のTwitterアカウントを駆使して使い分けていることだろうと前出の高橋さんはいう。「リアルの友人であれば誰にでも教える表のアカウントとは別に、相互フォローしないと投稿内容が見られないよう鍵をかけた裏アカ、闇アカをつくって使い分ける傾向があります。たとえば普段の友人づきあいで明るく、面白いキャラクターで通していると、表のアカウントでも同様の振る舞いを求められます。もし、そこから外れた言動をみせると、友人たちの間で居場所をなくしてしまうかもしれません。裏アカや闇アカをつくるのは、リアルのコミュニティでの居場所をなくさないための処世術です」 裏アカ、闇アカとはそれぞれ裏アカウント、闇アカウントのこと。いずれも鍵をかけて利用されるので、相互フォローしたアカウントでなければ投稿内容を読めない。そこでは、表のアカウントでは言えないネガティブな内容や、趣味の話をしていることが多い。投稿内容を理解してくれると信用できる人とだけ、こっそり教えあっている。 多くの人に知られたくない言葉を、わかってくれる人に向けて発言したい気持ちは理解できる。しかし、その場所がSNSというのは、いくら鍵をかけていても危険ではないか。何かの拍子に白日の下にさらされる可能性がある。なぜ、そうまでしてネットに書き込むのか。「ため込んでいる気持ちを書いて吐き出し、スッキリさせる、というのは、以前ならノートとペンでするものでした。でも、今の若い世代にとって身近な書く道具といえば、手に持っているスマートフォンなんです。複数アカウントの使い分けも、今のTwitter公式アプリにある機能ですから、彼らが特殊なテクニックを駆使しているわけではありません。もっとも、ときどき闇アカに投稿したつもりの暗い内容を表のアカウントに誤爆、つまり間違って投稿してしまい、慌てて取り消すことはよく起きているようです」(前出・高橋さん) SNSやスマホが今ほど身近でなかったとき、人はその場所にあわせて少しずつ顔を変えて存在することが容易だった。人とは本来、そういった複雑な生き物のはずだ。ところが、今のようにいつでもどこでもつながると、複数の顔を見せたら、自分の居場所が消えてしまうかもしれない怖さに怯えるばかりだ。SNSやそのアカウントの使い分けは、姑息な手段ではなく、実に人間らしい行動といえそうだ。関連記事■ NEWSポストセブンがLINEアカウント開設 おすすめ記事を通知■ 「LINE」有名人アカウント登録すれば撮影秘話など見ることも■ FXトレードに役立つツイッターアカウント一覧■ 韓流ペンのLINE使いこなし術 限定新曲やチケットも入手可■ 若い女性の間で拡散中 Twitterを活用したダイエット術とは

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    インスタ「#すっぴん」画像の多くは「すっぴん」ではない?

     日夜、世界中から数多の写真がアップされ続けている写真投稿用SNS・インスタグラム(以下、インスタ)。ユーザー(=インスタグラマー)の間ではインスタグラムでの「いいね!」数を競って、“インスタジェニック(インスタ映えする)”な写真を撮ることに余念がないという人も多い。 インスタでは、ハッシュタグと呼ばれる記号(「#」)を用いると、そのキーワードに関連する画像検索ができるようになっているが、なかでも若い女性の投稿に散見されるのが「#すっぴん」関連のタグだ。※写真はイメージです こうした「#すっぴん」写真を投稿する理由について、女子大生のAさん(20歳)は、こう語る。「インスタを見ていると、『#すっぴん』、『#すっぴんごめん』、『#すっぴんすみません』、『#すっぴん失礼』といったハッシュタグをわざわざつけて、自分の自撮り写真をアップする子が大勢います。必死な盛りメイクで自撮りをするのはイタいという価値観があるから、あえて必死じゃない感じを出す女子が多いんです。 最近のトレンドは、“抜け感”とか“ナチュラルさ”。とはいえ、ガチのすっぴんは恥ずかしくて晒せたものじゃないので、当然『すっぴん風メイク』をしている人がほとんどです。必死感を出さずに『いいね!』をたくさんもらいたいという女子の欲深さですね(笑い)」(Aさん) 別の女子大生Bさん(21歳)が、「すっぴん風」の顔を作る方法をこっそり教えてくれた。「芸能人も一般人もすっぴん写真をアップしますが、これまでは『どうせすっぴん風メイクをしているんでしょ?』と言われて来ました。でも最近では、メイクをしなくても寝起きの時点で可愛い顔に仕上げるアイテムがたくさんあります。 マツエク(まつげエクステ)だけでなく、『眉毛ティント』と呼ばれているコスメを使うと、数日間眉毛の色が消えないんです。昔はアートメイクという手法があったけれど、それよりもお手軽で色素沈着もしません。 また、赤い色が付いているリップクリームも市販されているので、起き抜けにリップクリームを塗るだけで顔色が良くなり、“すっぴん美人”になれるんです」(Bさん) しっかりメイクで可愛い顔を作るよりも、「ナチュラルなのに可愛い」という“抜け感”がインスタジェニックだという女子の価値観。“抜け感”とは手抜きというわけではなく、アイテムを駆使して“抜けを作る行為”なのだとすれば、「#すっぴん」関連の投稿にはそんな若者の心理がよく現われているのかもしれない。関連記事■ 大江麻理子アナ すっぴんは別人で“ミス・アドマジック”評■ TBS田中みな実アナのすっぴん絶賛にテレ朝D「ウチの方が!」■ TBS田中みな実のすっぴん絶賛されるも お局「調子のるな」■ すっぴん見せぬ中野美奈子 小倉智昭との共通点指摘する声も■ 石田エレーヌアナのすっぴん ウルウルな目が修道女的と評判

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    デジタル通貨が生む「宝の山」 データ産業革命が社会を変える

    小黒一正(法政大経済学部教授) 思想や技術革新は世界を動かす。第4次産業革命の成否を最初に握るのは「データ」であり、情報通信技術(ICT)革命の次は「データ産業革命」という認識が、世界トップ層の中でひそかに浸透しつつある。この本丸は金融、中でも仮想通貨やデジタル通貨であり、米経済誌フォーブスでは「どこかの中央銀行が5年以内にデジタル通貨を実現するだろう」という予測も登場している。 というのは、データ産業革命の行き着く先に見えているのは、次のような世界であるからである。まず、一番上に人工知能(AI)という「脳」があり、その下にはハイテク機器にモノのインターネット(IoT)などが組み込まれ、そこが人間でいうと神経細胞のようになる。当然、この神経細胞には、インターネットで張り巡らされた既存の情報ネットワークやそこから生成されるさまざまな情報なども含まれ、これらの情報(ビッグデータ)は特定の場所にプールされる。 ただ、ビッグデータも頭脳がなければ意味がなく、人間が目指す目的を設定・制御しつつ、人工知能が解析しながら深層学習(ディープラーニング)で価値を見いだしていく。この意味で、ビッグデータは人工知能が進化するために必要不可欠な「食糧」に相当し、経済学的には「資産」でもあり、さまざまなデータを融合することで莫大(ばくだい)な価値を創造できる。 すなわち、データ産業革命の本丸は「金融」、中でも、ネットワークで結んだ複数のコンピューターが取引を記録するブロックチェーン技術を活用した仮想通貨といっても過言ではなく、ITを使った金融サービス、フィンテックはその一部でしかない。理由は単純で、われわれが経済活動で何か取引を行ったときに必ず動くものは「マネー」であり、仮想通貨が経済取引の裏側で生成するビッグデータは「スーパー・ビッグデータ」であるからである。 このような状況の中、スウェーデンの中央銀行、リクスバンク副総裁のスキングスレー氏がeクローナと呼ばれるデジタル通貨の発行に向けて本格的な検討を開始することを講演で明らかにした。 また、英国の中央銀行、イングランド銀行(BOE)も、デジタル通貨に関する興味深い論文を公表した。この論文では、米国経済をモデルに分析を行っており、対国内総生産(GDP)比で30%のデジタル通貨を導入すると、金融取引のコストなどが抑制でき、定常状態のGDPが3%押し上げられる可能性などを明らかにしている。GDPで500兆円の規模を有する日本でいえば、15兆円の経済効果に相当する。 さらに最近では、インド準備銀行(中央銀行、RBI)が実証実験を行った後、デジタル・ルピーの発行を推奨する報告書を発表した。インドのプラサド電子・情報技術相も「電子決済や電子行政を含む同国の「デジタル経済の規模が3-4年で倍増し1兆ドル(約110兆円)に達する」との見方」(日本経済新聞2017年7月5日朝刊)を示している。中国もデジタル通貨の発行を検討しているとの噂もある。データこそが「資産」になる スウェーデンやインドがデジタル通貨の発行を急ぐ背景にはさまざまな戦略が存在するはずだが、デジタル通貨を利用した取引が生成するビッグデータは、さまざまな可能性を秘めていることを考えると納得がいく。 例えば、経済取引の裏側で生成されるビッグデータを政府が1カ所のクラウド(インターネット上のサーバー)に収集することができれば、マネーの動きが詳細に把握でき、成長産業の「芽」を分析・予測できよう。また、家計消費や企業投資の動きも把握でき、いま日本で問題になっているGDP統計の問題解決にも利用できることが期待できる。 もしデータ・プラットホームを構築し、個人情報が特定不可能な形式に加工した上で、誰でも利用できる形で公開すれば、さまざまなビジネスに利用できよう。 ところで、中央銀行が発行する現代の紙幣は、偽造防止技術(ホログラム)や特殊な紙・印章を含めて最高水準のテクノロジーを利用したものだが、紙であるために「誰が何を買ったか」「誰が紙幣を保有しているか」といった情報は、紙幣を発行した者から切り離されているという視点も重要である。すなわち、現代の紙幣は、民主的・分権的でプライバシー保護に役立っており、消費者は安心して買い物ができる。 中央銀行が仮想通貨を発行するとき、最も注意する必要があるのはこの視点である。つまり、経済取引の裏側で生成されるビッグデータを政府が1カ所のクラウドに収集する場合、仮想通貨を受け取った側のデータは蓄積するが、家計・企業といった簡単な属性区分を除き、仮想通貨を渡した側のデータは基本的に蓄積してはならない。 なお、サービス産業の生産性を高める観点から、北欧諸国では「キャッシュレス経済」が進展しつつあるが、中央銀行による仮想通貨の発行はその動きを加速するはずだ。 しかも、中国では政府主導でビッグデータの取引市場の整備が始まっている(例:貴州省貴陽に設立されたビッグデータ取引所)。データの生成量は人口規模や経済規模に依存するため、中国やインドなど人口で日本を上回る国々の情報をどこまで日本の市場で活用できるかも、これから考えていかなければならない。ICT革命が急速に進んだのと同様に、データ産業革命も急速に進むことが予想され、いまこそ日本の戦略が問われている。 いずれにせよ、いま世界では「データ=アセット(資産)」になる時代が近づいている。ICT革命では「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの米大手4社)に日本企業は敗北したが、データ産業革命はこれからが本番だ。成長戦略の一環として、日本版デジタル通貨である「J-coin」(仮称)の発行を含め、日銀・財務省を中心に日本もデータ産業革命の推進を本気で検討してはどうか。

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    「仮想通貨は危ない」という人も知って損はないビットコインの潜在力

    加谷珪一(経済評論家) これまで、怪しげな存在とみなされることが多かったビットコインの普及が急速に進んでいる。一方、ビットコインが8月1日に分裂してしまうのではないかという騒動も発生しており、ビットコイン保有者は気を揉んでいる。 ビットコインに代表される仮想通貨については、賛否両論があるが、社会の仕組みを変える大きな破壊力を持っているのは確かだ。当面、仮想通貨を保有する気はないという人であっても、その仕組みについて理解しておいて損はない。 ビットコインはインターネット上に流通する仮想通貨である。既存通貨のように発行元になる国家や中央銀行が存在していないという点が最大の特徴となっている。 仮想通貨に関して、いわゆる電子マネーと混同している人が多いが、仮想通貨と電子マネーとは根本的に異なる存在である。電子マネーはあくまで既存通貨がベースであり、これを電子的に置き換えたものに過ぎないが、ビットコインはそれ自体が通貨であり、単独で価値を持っている。  国家が一元的に管理していなければ通貨とは呼べないと考える人も少なくないが、これは幻想に過ぎない。多くの人がその価値を認めれば政府が関与しなくても通貨は成立するのだ。 この話は、近代日本の歴史を振り返ればよく分かる。日本史の教科書を読むと、明治政府は日清戦争の勝利で得た賠償金を元に金本位制を開始したと書いてあるが、厳密に言うとこの記述は正しくない。清は日本に金の支払いができず、当時の覇権国である英国に対して外債を発行。金の価値に相当するポンドを借り入れ、それを日本に支払っている。つまり日本が受け取ったのは金ではなくポンド紙幣である。 ポンドは英国が保有する金を裏付けとして発行されたものだが、金そのものではない。しかし、当時のポンドは現在の米ドルと同様、グローバルに見てもっとも信用度の高い通貨だった。日本政府はこれを金とみなし、ポンドを担保に日本円を発行したのである。現代に当てはめれば、日本政府はたくさんドル紙幣を持っているので、それを担保に日本円を発行したことと同じになる。慌てて方針変更した日本政府 つまり、多くの人が、その通貨に裏付けがあると認識すれば、政府の信用がなくても、その通貨は流通させることができる。日本の通貨制度は、自国政府に対する信用ではなく、ポンド紙幣に対する信用でスタートしたわけだが、だからといって日本の通貨制度は否定されるべきものだろうか。筆者はそうは思わない。結果としてポンドをベースにした通貨制度は発展を遂げ、現在の日本を形作った経緯はあえて説明するまでもないだろう。 ビットコインは、電子的に管理されるという点では目新しいが、通貨としての基本的な概念は金本位制に近い。コインの発行総量については構造的な上限が決められており、一定量以上の発行は不可能な仕組みになっている。新しくコインを生み出すには、ビットコインの取引を管理するシステムに対してコンピュータの計算能力という「労働力」を提供しなければならず、この作業によって新しい価値が生み出される。 金本位制の考え方に、経済学でいうところの投下労働価値説をうまくミックスさせた仕組みであり、通貨として非常によくデザインされている。 こうした特徴を背景に、国家が集中管理しない通貨としてビットコインは全世界に普及した。すべてがネット上で管理されるので運営コストが極めて安く、安価な手数料で世界中とこにでも送金できるという利便性も利用者の増大に拍車をかけた。 これまでビットコインは、少額の海外送金や投機目的、あるいは経済危機が発生した国からの逃避手段としての保有が多かったが、最近では一般的な決済通貨としての利用も増えている。全世界で利用者が増えてくれば、各国通貨の為替レートを気にすることなく決済できる。旅行などで複数の国を移動している人にとってはなおさらである。多くの出国者で混雑する成田空港 日本政府は、ビットコインはいかがわしい存在としてこれを全否定してしまい、モノとして扱うことをいち早く決定してしまった。しかし、各国がビットコインを通貨として法整備する方向に進んだことから、日本政府も慌てて方針を変更。今年の4月に改正資金決済法が施行され、金融庁の監督の下、ビットコインは準通貨として利用できるようになった。法改正をきっかけに量販店のビックカメラが一部店舗においてビットコイン支払いに対応するなど、事業者も動き始めている。 もちろん、政府が一元管理しないというビットコインにはデメリットも多い。その典型例が、現在、ネットで話題となっているビットコインの「8月1日危機」である。通貨制度の隙間を埋めるビットコイン 現在のビットコインの仕様では、1日に数十万件の取引しか成立させることができない。普及が急速に進んだことから、この仕様では決済処理がパンクすることはほぼ確実な情勢となっている。こうした事態に対応するためには、ビットコインの仕様を変更する必要があるが、ここで問題となるのが、誰がそれを決めるのかという点である。政府が管理する通貨なら、最終的に政府が決断し、うまくいかなかった時の責任も政府が負えばよい。だがビットコインにはそのような仕組みは存在していない。 ビットコイン取引所など、ビットコインの運営に関わる人たちの間で議論が行われ、多数決に近い形で仕様変更が決定された。だが一部の関係者がこれに納得せず、ビットコインが分裂するリスクが出てきたというのが今回の騒動の発端である。仕様変更の期日が8月1日なので、「8月1日危機」などと呼ばれている。 最終的には、ビットコインの処理能力が向上し、現在のビットコインはそのまま継続して使えるという、妥当な形で騒動は終結すると思われるが、集中管理者が存在していないだけに何が起こるのかはまったく予測がつかない。 こうした不透明要素の存在が、決済通貨としての普及を妨げる要因になるのは確かである。だが一方で、政府という政治的な存在に左右されず、通貨というものを民主的に運営するためのコストと見なすこともできる。主要通貨の紙幣。(左から)米ドル、英ポンド、中国の人民元、日本円、ユーロ(共同) これまで多くの国家が恣意的に通貨を発行してハイパーインフレを起こしてきた歴史を考えると、どちらが信用できる通貨制度なのかを断定することはなかなか難しいことである。 わたしたちが理解しておくべきなのは、現代のテクノロジーを使えば、従来は国家レベルでなければ運営できなかった通貨制度もネット上でいとも簡単に構築できてしまうという現実である。 ビットコインのような仮想通貨が、政府による通貨制度を超越するとは筆者は考えないが、各国の通貨制度の隙間を埋める存在として、普及が進むことは間違いない。ポートフォリオの一部として仮想通貨を組み入れる人は確実に増えてくるはずだ。 

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    「8月1日問題」でビットコインは消滅してしまうのか?

    志波和幸(国際通貨研究所 主任研究員)  仮想通貨の利用者保護と取引業者の監視強化を目的とした「改正資金決済法(いわゆる「仮想通貨法」)」が4月1日に施行され、ビックカメラなどの小売店でビットコインでの決済が可能になったという報道を受け、3月末に1ビットコイン当たり約13万円で取引されていた相場が5月下旬には34万円台に急騰した。仮想通貨「ビットコイン」の支払いで使用されるスマートフォンの画面=4月7日、東京都千代田区のビックカメラ有楽町店(川口良介撮影) しかし、6月中旬以降、ビットコインの相場に急ブレーキがかかっている。7月16日には一時20万円まで下落した。回復したとはいえ、現在その価格は25万円前後と5月下旬のピーク時点から約25%を下回る水準で推移している(7月19日現在)。その主な理由として「8月1日問題」が挙げられる。 「8月1日問題」とは、ビットコイン記録方式の規格変更の是非をめぐり関係者の利害が対立し、一部のシステム利用者が8月1日から新規格の導入を一方的に宣言したことに端を発するものである。 ここで、あらためてビットコインについて簡潔に説明したい。2009年初めに運用を開始したシステムでは、下記の作業が繰り返される。①世界中のビットコインの取引データを、およそ10分ごとに「ブロック(データの塊)」にまとめる。②次に、世界中に分散しているサーバーが、「ブロック」に格納した取引データに誤りがないことを確認し合う。そして、すべてのサーバーがその確認を終了した時点で、送金作業が実行される。③最後に、その「ブロック」をその10分前に生成された「ブロック」とつなげる。つなげる作業を行うのは「マイナー」と呼ばれる業者で、最も早く「ブロック」同士をつなげたマイナー業者には一定額の報酬が与えられる。 なお、このシステムを運用するに当たり、1つのブロックに格納することができる取引データ量の上限値は1MB(メガバイト)と定められている。少なくとも昨年までは10分ごとの取引データをブロックに格納することができていた。しかし、昨今のビットコインの認知度の高まりとともにその取引件数が急増したため、2017年4月頃から10分間の取引データ量が1MBを超過する状態が発生した。そのため、取引相手の指定した口座(「アドレス」と呼ぶ)にビットコインの送金指示をしたにもかかわらず、その取引データがブロックに収まらず、次の10分後のブロックに格納する取引データ候補に繰り延べられ、さらにそのブロックも1MBの容量上限を超過すると、次の10分後のブロックに格納する取引データ候補に繰り延べられる。その結果、相手方の指定アドレスに着金するのが遅れてしまうという事態に至った。取引容量のパンクを解決するには この問題を解決するに当たり、各ビットコイン取引業者は、過去10分間の取引データを遅延なくブロックに収めるために、ビットコインの送金者に対し高額な手数料を要求して、取引件数を意図的に減らそうと試みた。その結果、報道によると6月初旬にはその手数料が1取引当たり550円程度まで上昇したとのことである。 その間に、イーサリアムやリップルなどの他の仮想通貨が台頭し始めたことで、ビットコインの取引件数が自然に減少した。それに伴い7月19日時点のビットコイン取引手数料は10円程度に低下している。しかし、この解決方法は一時的かつ暫定的なものに過ぎない。今後ビットコインの人気が再燃して取引件数が増加すれば、ブロックの容量を恒常的に逼迫(ひっぱく)することになり、送金手数料が上昇する可能性がある。 この「ブロックの容量問題(「スケーラビリティ問題」とも呼ばれる)」は既に2014年頃から提起されていた。今まで、取引業者などのシステム利用者とマイナー業者などが協議し、ブロック容量の拡張などさまざまな対策が提案されたが、その運用システムのプログラム改良の同意・実行には至らなかった。 その理由として、ビットコインの運用システムのルールの1つである「システム改良時にはマイナー業者の95%以上の賛同を得なければならないこと」が障壁となっていたといわれている。 仮にブロックの容量を2倍に拡張したとすると、マイナー業者はマイニング作業による報酬を受け取る機会が半減するため、プログラムの改良に消極的であった。 しかし、前述の通りブロック容量の逼迫(ひっぱく)が恒常化すると、ビットコインは既存の金融機関を介した送金作業と比べ手数料が安価であるという最大の利便性を失い、さらにそれが今後のビットコインの価値低下を招きかねないという懸念が高まった。そのため、3月に一部のシステム利用者が「マイナー業者の賛否に関わらず、8月1日からプログラムを改良する」と一方的に宣言した(この宣言は「UASF-BIP148」と呼ばれる)。 言い換えると、8月1日からは「すべての取引データを特殊プログラムで圧縮し(「segwit」と呼ばれる)、ブロックに格納可能な取引データ量を増加させることで容量問題を根本的に解決する」と宣言したのである。もう1つの解決法と衝突 これに対し、一部マイナー業者はその対抗策として6月に「ビットコイン運用ネットワークのなかで『既存取引データを格納する旧ブロック』と『特殊プログラム(segwit)で圧縮したデータを格納した新ブロック』とを併存させる。つまり、1つのネットワークのなかに2種類の性質が異なるビットコインを流通させる」案を提唱した(この提案は「UAHF」と呼ばれる)。 これら2案の発表後、有識者がビットコインの取引データが新旧ブロックのいずれかまたは両方に同時に記録されることにより運用システムに支障が生じるおそれがあること、そして保有しているビットコインが8月1日以降に消滅するおそれがあること、などを指摘した。これを受けて、一部のビットコイン保有者が大量に売却したことが引き金となり、6月中旬に価格が急落したのである。 では、果たして「8月1日問題」は解決するのであろうか?上記2つの案(「UASF-BIP148」と「UAHF」)が提案された6月中旬以降のビットコインの価格は、前述の通り一時1ビットコイン当たり20万円に下落したものの、その後は25万円前後で推移している。これは、ビットコイン保有者の多数は「7月31日までには利用者とマイナー業者間でシステム改善に関し何らかの妥協点を見いだす」と楽観的な見方をしているためと思われる。 しかしながら、8月1日まで残り2週間を切るなか、いまだ問題解決方法が明らかになっていないため、噂や思惑でビットコインの価格が急変動する場合があろう。かつ、多くのマイナー業者が「UAHF」案を支持した場合、その価格が急落するおそれがある。 このような状況下、7月18日に本邦の日本仮想通貨事業者協会(JCBA)に加盟する仮想通貨取引業者13社は、顧客資産の保全を優先するべく、ビットコインの受け入れや引き出しの受付を8月1日から一時停止すると発表した。 ビットコインは日本円や米ドルなどの既存の法定通貨と異なり、政府や中央銀行などの管理主体が存在しないという利便性から「仮想通貨の代表格」として支持され、取引・流通してきた。しかし、今回のように何らかのシステム的な問題が発生した場合に、合意形成が困難であるという脆弱(ぜいじゃく)さも露呈した。 7月19日現在、仮想通貨は確認できるものだけでも約800種類存在する。大多数の仮想通貨は、ビットコインをより高度化したものや異なる運用システムの構成および運用方法が用いられている。しかし、この「8月1日問題」の解決可否は、ビットコインのみならずその他の仮想通貨が今後世の中に浸透するのか、あるいはその市場が収縮するのか、真価が問われるものとなろう。

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    金融とITの融合「フィンテック」が起こす変化と4つの原理

     金融とITを組み合わせた「フィンテック」は、株式市場でも大きなテーマとして注目を集めている新技術だ。はたしてこの技術はどういう原理で成り立っており、どのような変化をもたらすのか、経営コンサルタントの大前研一氏が解説する。* * * 金融とIT(情報技術)を組み合わせた「フィンテック(FinTech)」の普及を促進するための改正銀行法と、ビットコインなどの仮想通貨を規制する改正資金決済法が成立し、金融機関側でも三菱東京UFJ銀行が独自の仮想通貨を開発中と報じられるなど、フィンテックを駆使した新たな金融サービスが身近なものになりつつある。「フィンテック」はファイナンスとテクノロジーを合わせた造語だが、単に金融分野にITを活用する、という話ではない。その本質は、送金、投資、決済、融資、預金、経理・会計といった従来のファイナンスのあらゆる領域をテクノロジーが再定義し、これまで金融機関がやっていたことを金融機関ではない企業が奪っていく、ということだ。 これは既存の金融機関にとっては実に恐ろしい話である。すでにアメリカでフィンテックは巨大な産業になって「金融業界におけるウーバー」とも形容されており、たとえば銀行の株式時価総額で世界1位の米ウェルズ・ファーゴのジョン・スタンフ会長兼CEOは「新しいフィンテック企業から学ぶべきものは多い。積極的に協業していく」と述べている。 具体的にはどのような変化が起きているのか? もう少しわかりやすく説明しよう。たとえば、ビットコインに代表される仮想通貨の基盤技術である「ブロックチェーン」は、すべてのトランザクション(取引)を、それに関係するすべてのコンピューターが記録することで人間の指紋のように複製や偽造ができなくなり、特定の権威なしにトランザクションの正当性を保証するという仕組みである。 実は、通貨というものはすべて新しい技術とセットだった。石を通貨にしていた時代は丸くする技術が難しかったし、金貨や銀貨や銅貨を同じ大きさと重さと形で大量に作る技術も為政者(中央政府)以外にはなかなか持ち得なかった。それが“信用”を生んできたのである。その後、紙幣になってからは偽札防止技術が進化し、その価値を国家などが保証することで決済のための交換媒体となった。本人が信用を持ち歩けるようになる そして今度の仮想通貨は、ブロックチェーンという新技術によって信頼できる(紙幣よりも便利な)通貨の交換・決済ができるようになった、ということだ。 簡単な例を挙げると、今はクレジットカードを使うと3~4%の手数料を取られる。これは、まずクレジットカード利用者の中に支払い不能になる人がいるため、その回収コストや不良債権になった時のコストが発生するからだ。さらに、店舗の端末からNTTデータのCAFISなどのカード決済サービスと全銀システム(全国銀行データ通信システム)を経由した個人口座へのアクセスにも高い手数料が必要になる。 しかし、ブロックチェーンでトランザクションの証明ができて複製や偽造が不可能な仮想通貨なら、CAFISや全銀システムのようなものを通る必要がなく、スマートフォン(スマホ)やPCからのわずかなパケット料金だけで済むので、決済コストが著しく安くなる上、第三者ではなく個人個人が自分で自分の信用を証明できる。 私が考えるフィンテックの「四つの原理」は次の通りだ。(1)価値があるものは何でも貨幣と置き換えて考えられる。(2)価値は時間の関数である。(3)スマホセントリックのエコシステム(スマホ中心の生態系)を使えば、ほぼ瞬時に全世界のどことでも誰とでも取引することができる。(4)以上三つの原理を実行するために必要な“信用”を(サイバー空間で)提供するものが、国家や金融機関に取って代わる。 要するに、ユビキタス社会では国家や金融機関に頼ることなく「本人が信用を持ち歩けるようになる」わけで、これは画期的なことである。関連記事■ 大前研一氏「フィンテック革命で日本経済は何倍にも膨らむ」■ 金融分野でフィンテック企業が勃興 銀行は淘汰されるか■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「日韓スワップ」■ 『SAPIO』人気連載・業田良家4コマ「日韓通貨スワップ」■ 為替相場は「通貨マフィア」が水面下で裏交渉している説

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    ポケモンGOでCIAが誘導実験? そんな陰謀論も存在

     テレビでは、お笑い芸人の“Mr.都市伝説”関暁夫らが陰謀論を披露するバラエティ番組『やりすぎ都市伝説』(テレビ東京系)が人気を集め、ネットでは陰謀論や不思議科学などを扱うオカルトニュースサイト『TOCANA』が月間4500万PVを稼いでいる。『TOCANA』編集長の角由紀子氏は最近の陰謀論の傾向について、「電子空間の関心が高い」と話す。「SNSやスマホに搭載された最新テクノロジーは、人間を監視し、情報を集めて奴隷化するために作られたという陰謀論です。米国の国家安全保障局(NSA)の元局員で、米政府による情報収集活動を暴露したエドワード・スノーデン氏が、『サイバー空間上のやりとりはすべて監視されている』と警告したことで信憑性を増しました」(角氏) 当局による監視・情報収集はSNSに限らない。昨年、全世界で5億ダウンロードを記録した「ポケモンGO」にもある陰謀が隠されているとの説がある。「ポケモンGOは人間を誘導するために作られたという陰謀論です。『あそこにポケモンがいるぞ』との情報が流れると、ユーザーはこぞってその地に集結します。実は人々は、知らず知らずのうちに誘導実験に参加させられていて、そのデータは有事のシミュレーションや監視のために使われているというものです。 その根拠となるのが、ポケモンGOを開発した会社がもともとGoogle傘下にあったことで、Googleの情報はCIA(米中央情報局)に提供されていると信じている人々の間では、ポケモンGOで収集した情報もすべてCIAに送られていると思われているということです」(同前) 陰謀論者の間で現在、新潮流とされるのが「電子マネー」に関わる近未来像だ。「最も注目されるのが、仮想通貨ビットコインを開発したサトシ・ナカモト氏が考案した『ブロックチェーン』というテクノロジーです。簡単に言うと、電子マネーの動きを監視して、取引を透明化できるシステム。こうした技術が主流になれば、資金の移動がすべてコンピューター上で管理されることになり、現在流通している紙幣が紙くずになる可能性がある。そのため、既存の富裕層支配に革命を起こすために考案されたという説があります」(同前) 興味深いことに、全く逆の視点の陰謀論も存在する。「既存の富裕層はブロックチェーンの普及を阻止しようと動いているとされ、実際、2013年にビットコインの勢いが止まった背景には、“何者かの力”が働いたとも囁かれました」(同前)関連記事■ ポケモンGO 高橋名人が得する「カーブボール」の投げ方指南■ ポケGO 捕獲率を上げる「アイテム虎の巻」とは■ ポケモンGO挑戦男 「ミニスカ」「キョニュウ」をゲット■ 東京都内「レアポケモンを捕まえるならここ!」リスト■ 中川翔子「水族館デートあきらめない」と肉食っぷり披露?

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    小林麻央さんのブログが変えた「日本人の死生観」

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 有名人や芸能人の人生は、私たちに大きな影響を与え、時に社会を変えていく。山口百恵のように、人気絶頂のアイドルが結婚を機にすっぱりと引退し、専業主婦として生きていくといった姿は、当時の日本女性に強いインパクトを与えただろう。そして「山口百恵」は伝説化されていく。1977年秋に極秘来日し、インタビューに応じたジョン・レノン(右)とオノ・ヨーコ=東京都内のホテル さらに「死」にまつわることは、より普遍性が高いために、多くの人々の生き方にさえ影響を与える。スポーツカーで事故死したジェームズ・ディーン、愛と平和を歌いながら暗殺されたジョン・レノン、民家の軒先で遺体が発見された尾崎豊。彼らは、その芸能活動と死にざまがあいまって、熱狂的なファンを生み神格化されていった。 人はみんな死ぬ。有名人も権力者も金持ちも関係ない。死から免れる人はいない。だから問題は、どう死ぬかだ。涙で包まれた穏やかな臨終の場面はドラマでよく登場するシーンだが、現実とは異なる「様式美」とさえ言えるよう最期が描かれたりする。事故死は、突然の死であり、ご遺族にとってはとても辛いことになる。だが、だからこそこの衝撃的な死に方も物語にはよく登場する。現実世界の芸能人も、事故死の方がその芸能人のイメージのままで死を迎えられるために、「永遠のスター」として私たちの記憶に残ることもある。 だが、病気はなかなか辛い。徐々に体が弱る。痩せ細るなど容姿が変わることもある。長く苦しむこともある。病人の周囲では良いことばかりが起こるわけではない。体と心の苦しみ、お金の問題、看病、人間関係の問題など、さまざまなトラブルが起こることもあるだろう。辛さだけが残る最期もある。だから、有名人の中には闘病生活をほとんど世間に知らせない人もいる。華やかな結婚式や、授賞式や、一家だんらんなど公私にわたる人生を公開してきた人も、死期が近づいている闘病生活は公開しない。夢を売ってきた芸能人として、それも当然のことだろう。 だからこそ、フリーアナウンサーの小林麻央さんの活動は注目された。彼女のネット発信は素晴らしものだった。「私は前向きです」「今、前向きである自分は褒めてあげようと思いました」「何の思惑もない優しさがこの世界にも、まだたくさんある」「がんばれっていう優しさもがんばらなくていいよという優しさも両方学んだ」「今は今しかない」「今日、久しぶりに目標ができました。娘の卒園式に着物で行くことです」「空を見たときの気持ちって日によってなんでこんなに違うのだろう」「苦しいのは私一人ではないんだ」「私はステージ4だって治したいです!!!」「奇跡はまだ先にあると信じています」。小林麻央さんのブログには、宝石のような言葉があふれた。死との向き合い方のお手本のようだ。人生の苦悩と希望を届けてくれた 酸素チューブを鼻に入れた写真。ウイッグ(カツラ)の写真。闘病中の姿も、美しく、ユーモラスに公開した。そして彼女は語る。6月20日、小林麻央さんが最後に自身のブログに掲載した写真(本人のブログから) 「私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。『まだ34歳の若さで、可哀想に』『小さな子供を残して、可哀想に』でしょうか?? 私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」。闘病生活をつづったブログなのだが、麻央さんのプログは闘病記ではなかったのだ。 もちろん、公開されたことだけが事実ではないだろう。家族にしか言えない苦しみがあったことだろう。死も闘病も、きれいごとだけですまない。しかしそうだとしても、2016年9月1日に始まった麻央さんのブログは、人生の苦悩と希望を私たちに届けてくれた。それは日本人の心を動かし、世界にも報道された。彼女の言葉に、慰められ、励まされた人々はどれほどたくさんいたことだろう。そしてその活動が、小林麻央さん自身の癒しと勇気にもつながったことだろう。 どう死ぬかという問題は、どう生きるかという問題であり、死生観が関わる問題だ。そして死生観には、宗教が絡む。普段は無宗教という人でも、葬儀の時には宗教的なことをする。しかし、世界的に宗教の力は落ちている。日本でも、簡易な家族葬、無宗教の葬儀、そして「直葬」と呼ばれる宗教的葬儀なしに火葬場へ行く方式も増えている。仏教式の葬儀を行っても、以前ほど戒名などにこだわる人は減っているだろう。宗教への熱い信仰があれば、どう生きてどう死ぬかの指針になる。だが、非宗教化した現代社会で、人々は新しい死生観を求めている。 インターネットは、まるで新しい宗教だ。人は確かに生きて日々活動しているのだが、人生とは各自が振り返ってみたこれまでの記憶とも言える。同じような生き方をした人でも、良い記憶でまとめられた人生もあるし、悪い記憶でまとめられた人生もある。人生は、当人の記憶であると同時に、周囲の人々の記憶だ。多くの人々の記憶が、その人の人生を形作る。 神仏を信じていれば、神仏が私の人生を見守る。神仏は私に関する出来事を全て記憶し、私の人生に意味づけをする。心理学の研究によれば、信仰を持っている人の幸福感は高い。神仏的なもの抜きで人生の意味づけをすることは、簡単ではない。 インターネットは、新しい神にもなるのだろう。私の人生を、ネット上で記録できる。世界に発信できる。世界の人々は、ネットを通して私を見て、リツイートしたり、「いいね」したりする。その記録は半永久的に残る。ネット世界でも人は包まれる インターネットの黎明期(れいめいき)から、人生を語る人々はいた。一般の人の中にも、闘病生活を発信した人はいた。まだブログもなく個人ホームページも数少なかった頃、母であり教師であるある一人の女性は、死期が近づく中で、普及し始めた電子メールで配信を始めた。「私は、なぜ病気になったのかではなく、何のために病気になったのかと、考えるようになりました」と。その活動は、多くの友人、知人たちを力づけた。 このような活動は、今や多くの人々に広がっている。ある元校長は末期のガンであることをブログでカミングアウトし、それでも最期まで自然に親しみ、グルメを楽しみ、家族や病院スタッフに感謝する。家族がそれを見守り、友人や知人が応援し、見ず知らずの読者との温かな会話が始まる。同じ病で苦しむ読者とも交流が生まれる。それは、どれほど素晴らしく意味あることだったことだろう。 ネットを通して、記録を残し、思いを伝え、人々とつながる。それは、真剣に命と向き合っている人にとって、かけがえのない活動だ。死期が迫った終末期は、人生の中でもっともコミュニケーションを必要とする時期だ。しかし、しばしば死期が迫っているからこそ、孤独感に襲われることもある。だがネットは、豊かなコミュニケーションを提供する。神仏の腕に包まれるように、ネット世界で人は包まれることもあるだろう。 余命いくばくもない人にとって必要なことは、安易な慰めでもなく、客観的だが悲観的なだけの情報でもない。必要なのは「祈り心」だ。神仏に祈れる人もいる。同じ宗教の信者たちに祈ってもらえる人もいる。健康心理学の研究によれば、祈られている人は病気が治りやすくなる。そして祈り心は特定宗教によらなくてもできる。祈り心とは、客観的には厳しい状況であることを知りつつ、同時に希望を失わない心だ。 東日本大震災の時に、日本は祈りに包まれた。「Pray for Japan」、日本のために祈ろうと、世界が日本の支援に乗り出した。国連はコメントしている。「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」。 義援金や救助隊員を送ってくれたことはもちろんうれしい。だが金や人だけではなく、その心に熱い想いを感じた人も多かったことだろう。真実の祈りは行動が伴い、真実の行動は祈りが伴う。世界はマスコミ報道により日本の状況を知り、そしてインターネットによってさらに詳細な情報が伝わり、人々はつながっていった。つながりこそが、人間の本質だ。 このようなことは、個人でも起こる。今回は、小林麻央さんというたぐいまれな人格と文才を持った女性が、苦悩と希望を発信してくれたことで、大きな祈りと交流が生まれたといえるだろう。ネットは世界を変えた。ネットは私たちの死生観をも変えるのかもしれない。