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    リブラ「世界通貨」の野心がフェイスブックを焼き尽くすかもしれない

    大井幸子(国際金融アナリスト) ビットコインやフィンテック-金融とITの融合によって、さまざまなイノベーション(技術革新)が続く。そして、フェイスブック(FB)が、新たな「暗号資産」リブラ(Libra)を発表した。だが、リブラの出現を先進7カ国(G7)諸国は歓迎するどころか、脅威と受け止めているようだ。 果たして、リブラは既存の金融システムへの挑戦なのか。本稿では、通貨の本質から問題のありかを解きほぐし、今後の課題を読み解いてみたい。 そもそも、通貨発行ほど素敵なビジネスはない。通貨発行権は「打ち出の小づち」である。 通常、通貨発行権は主権国家の中央銀行が持っている。通貨の信用性はその国の経済力や政治力、軍事力などを総合した「総勢力」で担保される。 FBは世界に27億人のユーザーを有し、リブラはSNS(会員制交流サイト)プラットホーム上でユーザー同士が取引できる「世界共通通貨」を目指す。 しかし、リブラはリアルな「法定通貨」ではない。それなのに「世界共通通貨」になれるのか。 米議会の公聴会の様子からしても、リブラはビットコインなどの暗号通貨とは扱いが違うようだ。暗号通貨は、分散化されたネットワークで管理者不在の自由な取引所で値付けされ、売買される。しかし、ビットコインでいくら儲けても、東京ではビットコインで支払いができる店が限られ、円に交換しないと買い物ができない。2019年7月、フランス・シャンティイで行われたG7財務相・中央銀行総裁会議で集合写真に納まる麻生財務相(前列右端)ら(AP=共同) このように、暗号通貨はバーチャルで私的な取引所で売買され、最も投機的な資産とみなされている。取引所は元締めが儲かる賭博場のようなものだ。FBが運用会社に? これに対して、リブラには実際の資産の裏付けがある。スイスのジュネーブに「リブラ協会」を置き、その信託会社には米ドルや主要通貨で資産が預けられ、資産は短期債などで運用される。 この信託財産は、いわば中央銀行の準備金のような存在で、リブラは国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)のような存在にも見えてくる。しかし、SDRが通貨として流通することはない。 金融面から見ると、リブラの保有者は、この信託資産に裏付けられた「信託受益権(ユニット・トラスト)」の保有者ともいえる。リブラ保有者同士が交換する場合の、価値の基準値は信託財産の価値が反映され、その意味で、この信託会社は運用会社にも見えてくる。そうであれば、運用の良しあしで資産価値は変動することになる。 それでは、FBは運用会社になってしまったのか。FBの収益モデルが変わったのだ。 FBの収益の源泉は広告収入のみで、収益の伸び率は2016年の54%から2018年には37%に減り、このままでは間もなく成長が止まる。そこで、「プロジェクト・リブラ」が始まった。 当初のプランでは、「FBクレジット」での支払いを可能にして、手数料収入を増やすつもりだった。しかし、このやり方では「世界共通通貨」の発行は不可能である。 通貨の重要な機能に「決済」がある。決済ビジネスは巨大な装置産業である。巨大IT企業GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)でさえ、グローバルなクレジットカード会社のシステムを一から構築するにはコストも時間もかかる。 しかも、決済機能は既存の銀行業務と連携しており、参入障壁は高い。そこで、FBクレジットもVISAやマスターカードと協力体制を築くことになった。米フェイスブックが計画するリブラのロゴと、仮想通貨を模した硬貨=2019年6月(ロイター=共同) 現に、Apple Payやアマゾンもまた、eコマース(電子商取引)をクレジットカードに連動させることでビジネス拡大を狙う。Apple Payは電子端末をスマートフォンやスマートウォッチに備えることでカードそのものを取り出して決済する手間を省き、利便性を追求している。データこそ「20世紀の石油」 GAFAは大量の個人の取引データを蓄積しており、同様に膨大な個人の信用データを蓄積しているクレジットカード会社と提携することで、両者はwin-winの関係を築こうとしている。具体的には、両者はクレジットカード会社が徴収する取引手数料とデータ共有による利益を分かち合うことになるだろう。 21世紀のデータは、20世紀の石油に匹敵する「富の源泉」である。油井を掘り当て、蓄積・精製し、ユーザーに届けられるまでの、アップストリームからダウンストリームまでの垂直統合を成し得た数社が寡占する状態になるだろう。すでに、米司法省はGAFAが反トラスト法(独占禁止法)に違反していないか調査に乗り出している。 さて、通貨には、富を生むマネーと生まないマネーがある。評論家の小室直樹氏は「通貨は経済の顔である。通貨は資本になって初めて意味がある」と名言を残した。 通貨は実体経済と結びついて、企業活動として活用され、つまりは資本として設備や人材に投資され、モノやサービスの価値を生み、経済成長を持続させて初めて、人々の生活を豊かにしてくれる。 その点からみれば、リブラがいくら世界中で交換され、取引されてもそれだけでは富を生むことはなさそうだ。なぜか? 資本主義的な生産体制に投資される資本になり得ていないからだ。 さらにいえば、通貨が資本として増殖されていかなければ、通貨の価値は持続性を失う。つまり、リアルな経済力の裏付けがなければ、その通貨の信認はやがて失われる。2019年4月、米サンノゼで基調講演するフェイスブックのザッカーバーグCEO(共同) 極端な例を言えば、ベネズエラのような経済が破綻した国家では、自国通貨の信認はなくなり、国民は国外から物資を調達するためにドルかビットコインで決済しなければならない。 以上の意味から、実体的な経済活動に直結しないリブラは極めてバーチャルな存在なのだ。「世界共通通貨」への道 リブラは今後、金融サービスにおける規制強化、個人情報管理における規制強化を、クリアしていかなければ「世界共通通貨」の道はない。 まず、既存の金融当局はグローバルなリブラ取引をどう管理・規制するのか。特に、銀行口座のない人同士の送金機能に関して、銀行や当局は脱税や資金洗浄といった犯罪に利用されるという理由から、リブラへの規制強化に乗り出す。 もう一点、金融ビジネスの面から見て、クレジットカード機能はリブラ保有者の信用リスクをどう判断するのか。リスクに対応するための貸倒引当金、保険料率など加味すれば、手数料はどの程度軽減され、ユーザーフレンドリーになるのか。 そして、最大の課題は、政治や安全保障に密接に関わる。2016年のブレグジット(EU離脱)と米大統領選挙において、英国のケンブリッジ・アナリティカ(CA)社がFBユーザー8700万人の個人情報に不正アクセスし、世論操作を行ったことが、米司法省によるロシア疑惑問題の捜査を通して明らかになった。CA社は、表向きは「選挙コンサルティング会社」だが、クオンツ系巨大ヘッジファンド創設者が資本を提供し、トランプ大統領の元側近、スティーブン・バノン前米首席戦略官も社員に抱えていた。 CA社は心理戦の軍事技術をマスデータに取り入れ、トランプ勝利のために、ビッグデータの集積、データマイニング(知識採掘)などの革新的技術を政治利用し、個人を狙い撃ちする「マイクロ・ターゲティング」を実施した。具体的にはフェイクニュースの拡散を含む情報操作を行い、相当の効果を実証した。 モラー特別検察官による捜査の過程で、CA社は姿を消した。しかし、CAの手法はさらに磨きをかけて受け継がれている。具体的には個人情報のハッキングや、悪質なフェイクニュース拡散、世論操作やプロパガンダの手口は、ポピュリズムの増長を助けている。 その上に「世界共通通貨」リブラがマネーの新たな経路を提供することになれば、個人の政治信条や経済活動といった全てのプライバシーが丸裸にされて、ある特定の政治目的を持つグループによって集められた個人情報が加工され、操作される。加えて、国家間の外交機密の漏洩(ろうえい)や偶発的な軍事衝突、国庫からの資産の略奪といったさまざまな安全保障上の脅威に発展する可能性もある。2019年7月、米議会で証言するフェイスブックのリブラ事業の責任者マーカス氏(ゲッティ=共同) つい先日、FBのCA社をめぐる個人情報漏洩に関して、米連邦取引委員会(FTC)はFBに50億ドル(5400億円)という巨額の制裁金を科した。今後FBに対する信認が揺らぎ、リブラのビジネスモデルが実現しなければ、FBそのものの存続すら危ぶまれるのではないか。■ 「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ■ 日本人好みの「間接自慢」進化系、それがインスタ女子である■ 剛力彩芽はきっとZOZO前澤友作氏を踏み台にする

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    PayPayを他山の石にできなかった7payの「脆弱性」

    佐野正弘(ITライター) セブン&アイ・ホールディングスが7月より提供を開始したスマートフォン決済サービス「7pay(セブンペイ)」が、サービス開始当初からセキュリティーに大きな問題を抱えていたことで不正利用が相次ぎ、3日間で900人、合計約5500万円の被害に遭ったことが分かり、メディアで大きく報じられている。不正利用による逮捕者も出たことで、非常に深刻な事態を生み出していることが分かる。 だが、問題はそれだけにとどまらない。7月4日に7payの運営会社であるセブン・ペイが実施した記者会見で、同社の小林強社長が、記者から「2段階認証」を導入していない理由について問われた際、2段階認証そのものを知らない様子を見せたことが、大きな驚きをもたらした。 2段階認証とは、要するにインターネットサービスでよく用いられているIDとパスワードによる認証に加え、もう一つ別の手段を用いて認証するというものだ。 IDとパスワードが盗まれても、不正利用されないように、ID・パスワードとは別の方法で認証する仕組みが用いられることが一般的だ。携帯電話のショートメッセージ(SMS)に送信したコードを入力してもらう方法と聞けば、実際に使った人もいるかもしれない。 最近では、7payと同じスマートフォン決済サービスをはじめ、多くのインターネットサービスがセキュリティー向上のため2段階認証を用いているが、7payには導入されていなかった。 つまり、2段階認証を導入していなかったため、犯人側が何らかの手段でIDとパスワードを入手するだけで、容易にサービス利用ができてしまう状態だった。まだ明確には判明していないようだが、不正利用の原因の一つになったのではないかといわれている。 そうしたことから、記者会見で先述の質問が出たのも当然だ。ところが、セキュリティーが強く求められる決済サービスを提供する企業のトップが、そうしたインターネットセキュリティーの基本というべき要素を知らない様子を見せてしまったのである。セブン・ペイ側の認識の甘さを示すとともに、批判が一層高まる要因になったといえるだろう。記者会見するセブン・ペイの小林強社長(中央)ら=2019年7月4日 7payはその後、サービスの新規会員登録や料金のチャージを停止し、セキュリティー向上のためのシステム改善を実施しているとみられる。だが、今回の「7pay問題」は、大きく二つの問題を露呈したといえる。まず、先の会見で示されたように、サービスを提供する事業者側のセキュリティー、ひいてはITやテクノロジーに対する意識の低さや、認識の甘さである。もう一つ浮上した問題 先の会見では、セブン・ペイ側が実施したテストでは、セキュリティーの問題が見つかっていなかったと明らかにしている。だが、仮に現場レベルで2段階認証のような問題に気づいていたとしても、実際にサービスを提供する企業の側が「2段階認証が重要」という意識を持っていなければ、そもそもテストにチェック項目として盛り込まれることはないだろう。むしろ、サービス提供を早めるため、そうした要素をカットするよう要請してくるかもしれない。 7payのシステムも、セブン・ペイ自身で開発している訳ではなく、外部の企業に発注して開発されているものと考えられる。それゆえ、発注するセブン・ペイ側に、テクノロジーに関する十分な知識を持つ人がいなければ、自社のビジネスを優先してそうした判断をすることも十分起こり得る訳だ。 だが、現在では、国内向けのサービスであっても海外から不正利用されるケースも増えており、セキュリティーへの対処が従来よりも高レベルで求められている。実際、今回の7payに関しても、不正利用の大部分が海外からのアクセスであったことが明らかにされている。さらには、一連の問題で中国人が逮捕されたことなどから、中国を拠点とする犯罪組織が関わっている可能性が疑われている状況だ。 スマートフォンやインターネット技術の活用は今後、多くの企業にとって一層欠かせないものになる。それだけに、対応するサービスを開発し、安心・安全を実現する上で、テクノロジーに詳しい知識を持つ人材が一層重要になってくるはずだ。 だが、今回の事件はある意味、日本企業のテクノロジーに対する重要性の認識の乏しさを露呈したともいえる。テクノロジーの重要性を理解し、自ら知識を持たないのであれば、外部から詳しい知識を持つ人間を連れてくるなど、多くの対策を採る必要があるだろう。 そしてもう一つ浮上した問題とは、スマートフォンを活用した決済サービスに対する信頼を大きく損なったことである。「7pay」をPRするセブンーイレブン・ジャパンの永松文彦社長=2019年7月1日 ここ1、2年のうちに、中国で人気となった2次元バーコード「QRコード」を活用したスマートフォン決済サービスに参入する企業が相次いでいる。2019年にも、7payをはじめとして、ゆうちょ銀行の「ゆうちょPay」やKDDIの「au PAY」、メルカリの「メルペイ」など、大手企業がこぞってQRコード決済に参入。連日のように大規模な顧客還元キャンペーンを実施し、大きな話題を振りまいている。 なぜ、これほどまでに、各社がQRコード決済にこぞって参入しているのだろうか。何よりもまず、日本政府がキャッシュレス決済を推進しており、そこに多くの企業がビジネス機会を見いだしたためだろう。そしてもう一つは「データ」活用だ。必死の「囲い込み」 QRコード決済を提供する事業者は、自社の決済を利用してもらうことにより、いつ、どこで、どんな人が、何を買ったのかという情報を取得できるようになる。取得の際には、もちろんプライバシーへの配慮は必須だ。 そうしたデータを多数集積し、人工知能(AI)技術などを活用して分析することで、企業のマーケティング活動に使ってもらったり、個人ローンなどの信用情報に活用したりする。こうした新たなビジネスを開拓することがサービス提供事業者の大きな目的となっている訳だ。 セブン&アイ・ホールディングスは元々電子マネーサービスの「nanaco(ナナコ)」を提供していた。それでも、あえて7payを導入したのには、そうした顧客の購買データを用いた一層密なマーケティングをしたかったがためといえる。 だが、データをビジネスに生かすには、膨大な量のデータを収集する必要がある。それゆえ、各社ともサービス提供開始を急ぎ、開始直後に大規模キャンペーンを打つことで、顧客の囲い込みに必死になっているわけだ。 しかしながら、サービス提供を急ぐあまり、セキュリティー問題が生じて不正利用が多発したケースは、7payだけではない。ソフトバンク系の「PayPay(ペイペイ)」も、2018年末の大規模キャンペーンをきっかけとして、セキュリティー上のいくつかの問題から不正利用が多発し、大きな問題として取り沙汰されるに至っている。 それにもかかわらず、7payで再び大規模な不正利用が起こってしまったのである。このような状況では、やはり自社のビジネスを優先し、サービス提供と顧客獲得を急ぐあまり、「セキュリティーをおろそかにした」と消費者に捉えられてもおかしくない。そして、そうしたトラブルが起きるにつれ、QRコード決済全体への信頼が大きく揺らぐことにもつながってくる。2018年12月からスタートした「ペイペイ(PayPay)」だったが、20%還元キャンペーンの影響で決済が集中してサービスが一時停止したり、不正利用が多発した(早坂洋祐撮影) 日本は現金決済への信頼が非常に強い国であり、それがキャッシュレス決済の普及を阻む大きな要因と言われている。そのキャッシュレス決済を普及するための切り札として注目されたQRコード決済で、こうしたトラブルが相次げばキャッシュレス決済の普及を一層遅らせることにもなりかねない。 キャンペーン競争の過熱が続くQRコード決済だが、むしろ今後は信頼を高めるための取り組みが強く求められることとなりそうだ。■ 「24時間はもう限界」ブラック就労、店主の叫びはセブンに届くか■ 日本式コンビニの未来には絶対に譲れないギリギリの「生命線」■ くら寿司にセブン、バイトテロ「見せしめの法的措置」はむしろ逆効果

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    不登校ユーチューバー「ゆたぼん」外国人はどう思う?

    不登校の小学生ユーチューバー「ゆたぼん」をめぐり、賛否が渦巻いている。 ホームスクーリング(家庭教育)が法的に認められている外国の人や、逆に義務教育を法律上受けなければならない外国の人は、今回の騒動をどう見るのか。■関連テーマはこちら

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    「不登校ユーチューバー」父親の本音

    不登校の小学生ユーチューバー「ゆたぼん」をめぐり、賛否が渦巻いている。ネットやワイドショーで批判が相次ぎ、親の姿勢を疑問視する声も少なくない。こうした「炎上」に対して、ゆたぼんの父親である中村幸也氏がiRONNAに手記を寄せた。10歳の息子が誹謗中傷を受けた今、本音を吐露する。(写真は中村氏提供)

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    【ゆたぼん父手記】わが子を批判する「学校へ行った大人たち」へ

    中村幸也(ゆたぼんの父、心理カウンセラー) 現在10歳のゆたぼんが行きたい時にだけ学校に行く「自由登校」という道を選択したことに対して、賛否両論の声が上がっていますが、僕は親としてゆたぼんの活動を応援しています。なぜなら、僕は子供をひとりの人間として尊重しているからです。ゆたぼんが自分で決めたことを応援し、できる限りのサポートをしていこうと思っています。 子供は好奇心が旺盛です。そして人が成長するのに好奇心は欠かせません。好奇心を満たしてあげることで子供は育つし、その子の可能性を大きく伸ばしていくこともできます。だから僕はなるべく子供の「好奇心の芽」をつまないように気を付けながら見守っています。 もちろん、危険がある時は注意してみる必要があるし、命に関わるような時はストップをかけるのも親の役目です。しかし危険があるからといって何でもかんでも「禁止」にしてしまったら、本来そこから学べることも学べなくなってしまいます。時には「危険」に立ち向かいチャレンジすることだって、学びの重要な一部ではないでしょうか。 そもそもゆたぼんがユーチューブを始めたのは、「大人になったらお笑い芸人になりたい」と僕に言ったことがきっかけでした。 「じゃあ大人になるまで待たなくても、今からお笑い動画を撮ってみたら?」と僕が言うと、ゆたぼんはユーチューブでお笑いを研究し、そこから一緒に色んな動画をアップするようになったのです。 「子供を金もうけに利用して」なんて的外れなことを言う人もいますが、僕は子供がやりたいこと、挑戦したいことを全力でさせてあげているだけです。これは「野球をしたい」という子供や「ピアノを習いたい」という子供となんら変わりません。小学生ユーチューバーゆたぼん(提供写真) 子供が野球をしたいと言ったら、グローブやバットを買ってあげたり、少年野球に入団させたり、親子でキャッチボールをしたりもするでしょう。 その姿を見て「将来は子供をプロ野球選手にして金もうけさせる気だ」なんて考える人はめったにいないでしょう。それと同じで純粋に「子供のやりたいことをさせてあげたい」と考えるのが親心ってもんではないでしょうか? 時代が変わり子供が将来なりたい職業に「ユーチューバー」がランクインするようになりました。大人になったらプロ野球選手になりたい子供が少年野球を始めるのと同じように、ユーチューバーになりたい子供が動画を撮影するようになるのは自然な流れでしょう。 ユーチューバーを実際にやってみると、動画の企画を考えて撮影し、そこから編集したりと、意外と大変なことも多いです。でもその経験はゆたぼんの成長にもつながっています。 野球選手を目指す子もユーチューバーを目指す子も、たとえその夢がかなわなくても、その夢が途中で変わったとしても、挑戦して得た経験は絶対に無駄にはならないと思います。ゆたぼんが抱いた疑問 子供は失敗を恐れずに行動するので失敗の数が多いのも当たり前ですが、その失敗から自分なりに何かを学び、さらに行動し続けるからこそどんどん成長していきます。大人になると失敗を恐れたり、やるべきことにとらわれて楽しむことを忘れがちになったりしますが、子供の「失敗して当たり前」って精神は僕たち大人も見習うべき所かもしれませんね。 このように好奇心を満たしてあげると、子供は挑戦しながら学んでいきます。だから僕はゆたぼんが「なぜ?」「どうして?」と疑問に思う気持ちも大切にしています。 ゆたぼんが抱いた疑問は「なぜ、宿題をしなければならないのか?」「なぜ、学校に行かなければならないのか?」というものでした。この「なぜ?」という疑問は創造性の発達に関わる大切な要素です。その疑問が学びとなり、成長へとつながっていくのです。 子供は疑問を感じたり、不思議に思ったことは自分で試して理解したいと思っています。だから大人が簡単に答えを教えてあげるより、自分で挑戦しながら理解しようとした方が、自分なりに分析するというスキルも身に付いていきます。小学生ユーチューバーゆたぼんの父親で心理カウンセラーの中村幸也氏(提供写真) やがてゆたぼんの「なぜ?」は自殺する子供たちに向きました。夏休み明けに自殺する子供が急増するというニュースを見て、自分でできることをしたいと考え、その子たちにメッセージを発信し始めたのです。 「死にたくなるくらいなら学校なんか行かなくてもいい」「学校に行くか行かないかは自分で決めればいい」「自由でいい」と。 小中学生の不登校が14万人を超え、過去最高となっています。しかしあまり知られていませんが、約3年前に文部科学省は小、中、高すべての学校に向け、「不登校を問題行動と判断してはならない」との見解を含む通知を出しています。 「不登校」を問題視する人は、一日も早く子供を学校に戻し、「登校させるべきだ」と思い込んでいるかもしれませんが、「学校」というのは世界の一部であって、世界のすべてではありません。 特にスマホやネットが普及した現代では瞬時に知りたい情報を検索することができるし、ネット環境があれば世界中の人とつながることだってできます。子供たちも学校という小さな世界を超えて、世界とつながり学べる時代になってきているのです。 アメリカではホームスクーリングも珍しいことではありません。働き方も生き方も多様になってきました。自由登校は「ズルい」? 新しいものもどんどん生まれています。人工知能(AI)の普及でこれまでの仕事がなくなり、新しい仕事も生まれることでしょう。新しい仕事が出現すれば新しい考えや新しい価値観、新しい概念も生まれるはずです。 周りの人と同じことを頑張ってやっていれば経済的にも報われた高度経済成長期とは、状況が大きく変わっています。「働き方」も「社会人のあり方」も時代とともに変わってきて、所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる時代になりました。高度経済成長期と違って働き方に「正解」がなくなり、それぞれが「答え」を選び取る時代でもあります。 だから、これまでの働き方や生き方から幸せを見い出すのではなく、「幸せのモノサシを自分の中に持つこと」が大切だと僕は考えています。 ゆたぼんは自分が行きたい時に学校に行くという「自由登校」の道を選びましたが、ほとんどの子供が当たり前のように通っている学校に自らの意思で行かないことは、ものすごいエネルギーが必要です。 学校では「みんなと違う」ってことで叱られたり、白い目で見られてコンプレックスを持ったりすることもありますが、社会に出たら「みんなと違う」が武器になったりします。だから「みんなと違う」を責めるのではなく、それを生かせる生き方をすればいいと思います。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 社会全体が他人に対して厳しくなると、空気を読んで周りと同じであることを強制され、多様性を認めなくなってしまうのではないでしょうか。 特に日本は島国だからか、昔から同調圧力が強い。「自分も嫌だけど宿題をしている。自分も嫌だけど学校に行っている。だから他の人も行くべきだ」と、他人の「自由」が許せなくなります。 大阪にいた頃の話ですが、ゆたぼんが宿題をしなかったり、学校に給食だけを食べに行ったりすると、周りの子たちから「お前だけズルい。セコイ」と言われたといいます。 この「みんな嫌なことを我慢してやっているのにズルい」という考え方が大人になっても呪いの言葉となって残るから、ブラック企業でも我慢して働き続けてしまう人が出てくるのではないでしょうか。「みんながサービス残業しているのに自分だけ先に帰るのはズルい」とか「みんな休みなしで働いているのに自分だけ休みを取るなんてズルい」といった感じで。匿名で中傷する大人たち いじめも似たような心理からきます。コミュニティーに適応しないような異質な者は排除され、空気を読まない者は後ろ指を指されるなどといったことからいじめが始まるのです。 「学校に行かないと常識を学べない」と言いながら、ゆたぼんを批判する人たちは学校で何を学んできたのでしょう? 匿名なら人を傷つけていいと学んできたのでしょうか? それが学校で学んだ人たちの常識なのでしょうか? このように多様性を認めなければ人はどんどん窮屈になっていきます。これではいじめもなくなりません。 ネット上では勝手な憶測でデマが拡散され、無責任な人たちが面白おかしく騒いでいますが、ゆたぼんは苦しんでいる子たちに向けてメッセージを発しているのです。 ゆたぼんが新聞に掲載されたのは5月5日、こどもの日でした。ゴールデンウイーク明けに自ら命を絶つ子供が多いことを知り、その子たちに向けて動画でメッセージを送ったのです。 しかし残念ながらそれでもゴールデンウイーク明けに自ら命を絶ってしまう子がいました。ゆたぼんを大勢でいじめ、石を投げつけている人たちは自ら命を絶つ子供の声に耳を傾けようとしたのでしょうか? 少し冷静になって周囲を見渡してみると、石を投げている横で泣きながら助けを求めている声がかき消されていることに気付けるかもしれません。 ゆたぼんは自ら自由登校という生き方を選び、不登校で悩んでいる子供や苦しんでいる子供たちに向けてメッセージを発信しています。そして実際にそのゆたぼんの言葉に救われたという声も届いています。小学生ユーチューバーゆたぼんと父親の中村幸也氏(提供写真) 考え方に正しいも間違いもなく、ただ価値観が違うだけなのでどう思うかは自由ですが、ゆたぼんの活動を邪魔しないで見守っていただけるとうれしく思います。 ゆたぼんは世の中を良くするために素顔も名前もさらけ出して、全力で行動しているのだから。■ 「学級」という閉鎖空間をなくせ いじめは大人社会の排除の仕組み■ 「金八先生」のいないニッポンの教育現場でいま何が起きているのか■ なぜ「ゆとり」はバカにされるのか メディアの印象操作が生んだ悲劇

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    不登校ユーチューバー「普通の子供」を担ぎあげる大人の身勝手さ

    高橋知典(弁護士) 小学生ユーチューバーとして知られる「ゆたぼん」が学校に通わなくなったのは小学校3年生のとき。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱き、担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意したという。 私は弁護士として、様々ないじめ案件や不登校案件にもかかわるが、自分の経験と、よくいわれる子供の年齢別の特徴を踏まえれば、今回のゆたぼんの言動にこのままでいいのだろうかと心配になる。 この年齢の子供たちは、「対象との間に距離をおいた分析ができるようになり、知的な活動においてもより分化した追求が可能となり、自分のことも客観的にとらえられるようになるが、発達の個人差も顕著になる」とされている。特に、他の子供たちと自分のことを比べるようになったり、善悪について自分で考えようとしたりする年齢でもある。この成長の過程、個人差のことを9~10歳の壁といったりもする。 一方で、8歳ごろ(小学2、3年)までの小学校低学年の時期の子供は、「大人が『いけない』と言うことは、してはならないといったように、大人の言うことを守る中で、善悪についての理解と判断ができるようになる」年齢といわれている。大人が言う「正しいこと」を子供が頼りにしているため、よく子供同士のけんかでも、「先生にいうよ」というような言葉を頻繁に使うのがこの年齢でもある。 今回のゆたぼんの不登校になる年齢は小学3年であり、まさにこの「8歳ごろ」までの「大人の言うことを善悪の判断根拠にする時代」から、「自分たちで物事を考えだす時代」への移行期にあったといえる。 ゆたぼんが見た「ロボットのような同級生の姿」が、「親や先生の言うことを聞いて、その通りに動き、ほめられて無邪気に喜ぶ同級生の姿」のことだとしたなら、今まで彼もその子供の中にいて、気が付かなかっただけの可能性がある。ゆたぼんは他の子供に先駆けて、自分を客観視できるようになり、周囲の子供が、大人に従順な様子に気が付いただけではないのかと考えられるのだ。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) そうすると、彼は「ロボットを生む学校」から飛び出したのではなく、「親や先生にほめられて無邪気に喜ぶついさっきまで自分がいた子供の中」から、飛び出したのではないかと思われる。しかも、「従順な子供の中から」飛び出しただけではなく、ついでに学校に行かず「学校の中から」も飛び出してしまっているわけだ。 今回のゆたぼんもそうだが、本来は不登校で失う可能性のある義務教育制度や学校教育の持つ価値を無視することはできない。 端的に義務教育とは何かについて説明すると、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」という憲法26条2項に記載のあるように、義務教育を受けることが無償であることと、保護者は子供に教育を受ける機会を用意する義務があることを指すものだ。子供の意思は大人が考えるもの もっとも、子供にすれば登校は義務ではないから、保護者も学校も、子供が登校を望まない場合、不登校になっている場合に、子供を強制して登校させることはできない。今回の件とは離れるが、特にいじめに苦しむ子供たちに、登校を無理強いさせることは非常に大きな負担を課すことになるため、登校の無理強いはさせるべきではないと私は強く思う。 しかし、義務教育を受けないこと自体は本来損だと思う。公立小学校の生徒1人当たりの教育費として年間で約90万円がかけられている。当然義務教育だから、この費用は各家庭にはかからない一方で、各家庭で小学校で行う教育水準を確保することにはかなりの負担になる。 「子供の意思だから尊重する」は、使う大人がよく考える必要がある。 先に記載したように、子供自身が日々大きく発達していく中にいる。これを「人格形成」の途中という。逆にいえば、今の彼らの意見が、本当に彼らの一貫した意思と呼んでいいのか、判断が非常に難しい。大人でも意見がコロコロ変わる人がいるが、大人が気分で意見を変えるのと違い、子供は、いわばその基礎になる人間自体が変わる。法も、子供本人の判断に責任を取らせないような工夫をしている。 さらには、子供は自分の発言をしているように見えて、周囲の大人の顔を見て発言していることがあるだけに、さらに難しい。 それは、ゆたぼんも発言しているような無理して学校に行く子の特徴だ。「学校に行ってほしい保護者の期待」に従って、いじめなどを受けている子が自分を押し殺して学校に行くのだ。 もっとも、その「逆もある」ことに気を付けなければならない。 というのも、不登校児の中には、保護者が学校との間に紛争を抱えていて、それを理由に学校に行けない子供がいる。また、影響力のある保護者が子供に、学校を否定的に伝えれば、子供は「学校を嫌い」というようになる。保護者の「学校に行ってほしくない期待」に子供が従っていくのだ。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) よく聞く似た事例では、夫婦でも他方の悪口を子供に吹き込み続けると、結果的に子供は、他方の親に対し異常な敵意を持ち、話しを(離婚後は面会交流を)全くしなくなるというものがある。子供の未来予測は大人の役目 このような子供の心のあり方を分かっている保護者が多いからこそ、今の子供たちも、多くの昔の子供たち、つまりは今の大人たちも、保護者に叱咤(しった)激励されながら学校に通ってきたのだろうと思う。 ゆたぼんの言っていることは、内容自体は普通のことだと思う。宿題をやりたくない子供がよく言うことであったり、学校を嫌だと言う子供も同じような発言もする。やりたいことについても、発言内容に子供らしい夢はあっても、真新しいようなことではないだろう。あえてゆたぼん自身の行動で今回注目され、目立つ理由があるとすると、発言の場がユーチューブであることぐらいではないか。 これと同時に、特徴になるのが、ネット上を含む周囲の大人の反応だ。 今回の件では、賛成派というか応援派の方々がかなりの数いる。もちろんこの中には、自分の子供のことじゃないから、軽い気持ちで応援しているという方も多いのだろうが、同時にこの方々はある意味「学校に行っても仕方がない」「大した価値がない」とどこかで思っているのではないだろうか。こうした賛成派の人々が多くいること自体が、この国の教育制度への評価であり、既存の教育制度の存在価値が問われている現状を浮き彫りにもしている。 以上のように私自身は、ゆたぼんの発言の内容ではなく、それを取り巻く大人たちの判断や、「『子供の意思』の考え方」に疑問を感じる。どう悪く見ても、ゆたぼん自身は、ちょっと生意気で、まだまだ可愛らしい10歳の子供で、先生に暴力を振るわれたのならそれは許せないことだ。しかし、その子供が、ユーチューブで名前と顔を出して語り、学校に行かないことを自分で選んだと話している。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) また、彼の夢は、「子供」を中心に話されている。しかし、彼は知らないかもしれないが、子供は、時間が経てば勝手に大人と呼ばれるようになる。彼の夢に出てくる「子供」たちがたくさんいて、自由時間になれば自由に遊べて、大人になったら二度と行くことができない小学校に彼は行かず、日々大人になっていく。 今の彼の意思に基づいて不登校になることは、いつかの未来の彼の意思に反するような、何か取り返しのつかないものにならないのか。子供の意思の尊重のためには、本人の今の声を聞くだけではなく、未来を予測しながら大人が一緒に考える必要がある。それはできているのだろうかと心配になるのだ。■なぜ「ゆとり」はバカにされるのか メディアの印象操作が生んだ悲劇■幻想は捨てよ! 「金八先生」のいない学校を生きるしかない■「学級」という閉鎖空間をなくせ いじめは大人社会の排除の仕組み

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    なぜ大人たちは「不登校ユーチューバー」に熱くなるのか

    茂木健一郎(脳科学者) 「ゆたぼん」と名乗る少年のことを知ったのは、ネットで配信された新聞社の記事がきっかけだった。多くの方もそうだったようだ。やはり、ネット全盛の時代になっても、きちんと記者が取材して記事にした情報の影響力は大きい。 その記事によると、ゆたぼんは沖縄在住で、学校に行かずにユーチュバーをしていて、「少年革命家」を名乗っているとのこと。 私は、面白い子がいるんだなあと思うと同時に、ゆたぼんがいろいろ学んで、幸せな人生を送ればいいなあと心から思った。そして、ゆたぼんのことをネットで少し書いた。 偶然というのは不思議なもので、記事を読んだ直後に私は仕事でゆたぼんの住む沖縄にいた。講演会を終えて控室に戻ってきたらスタッフの方が、「あの、この方々が会場にいらしていたようです」と名刺をくださった。 なんと、ゆたぼんとお父さんだった。 「講演会にいらしていたようなのですが、どうしても用事があるということで、途中で帰られたのです」 そういえば、後半になって親子連れが退席されるのを見たような気がしていた。思い出せば、お子さんの方は麦わら帽子をかぶっていたようにも思った。 ゆたぼんだったんだ! わざわざ足を運んでもらって申し訳なかったなあと思い、連絡をしたら返事があった。もし可能ならば会いたいという。 ちょうど夜の会食前に10分くらい時間がとれそうだったので、「いらっしゃいますか?」とお尋ねすると、「これから向かいます」という。 待ち合わせの場所に来たゆたぼんと、お父さん、それにご家族の様子を見て私はなんだかほっこりとしてしまった。 そこには、ネット上の評判、イメージだとか、そういうことを超えた一つの家族があり、元気で目を輝かせている少年がいたからである。 私自身、ユーチューブを含めてネットをよく使う方なので、ゆたぼんとのこの出会いを動画で撮ってゆたぼんが配信したらいいと思ったし、またいくつかゆたぼんに聞きたいこともあったので、「じゃあ、動画を撮ってユーチューブで配信しようか」と言った。それで、本当に出会った直後に、お父さんがスマートフォンで撮影して、私とゆたぼんの最初の会話が記録されることになった。 ゆたぼんと直接話して思ったことは、そこには利発そうな、好奇心に満ちた10歳の少年がいるということで、学校に行っていないことを除けば何も特別に変わったことはないということだった。ゆたぼんとお父さんの関係 ゆたぼんとお父さんとの関係も、とても印象的だった。ゆたぼんが話すことや、行動、その場の動きは、すべてご本人の意志に基づいていると感じられた。お父さんは、やさしくて控えめな印象だった。元気いっぱいのゆたぼんを温かく見守っているという感じだった。 ネットの一部で言われているような、ゆたぼんをお父さんが「プロデュース」しているだとか、ゆたぼんがお父さんに焚きつけられているとか、そういう気配は私が見る限り全くなかった。 ゆたぼんとお父さんについてネットで言われていることの少なくとも一部分は、実際とはかけ離れた「虚像」であるように思われる。人々は、ゆたぼんのニュースをきっかけに、自分たちが見たいものを見て、想像したいものを想像しているのである。 それにしても、ゆたぼんのことで、なぜ人々はこんなに「熱く」なっているのだろうか。ゆたぼんに会ってその映像が流れたこともあって、多くの方が私にもご意見をお寄せくださった。 「義務教育なんだから、行くのが当たり前」、「不登校をネタに商売をしている」、「学校に行って勉強しないとまともな大人になれない」など、ゆたぼんのことを心配しつつも、強い調子で批判するようなものも多かった。 不登校については、これまでさまざまな方々と意見交換をしたり、また実際に学校に通っていない子供たちとも話してきたけれども、「行かない」のではなくて「行けない」ということがほとんどで、つまりは心理的、身体的にきつくて学校に行くのが無理なのである。 ゆたぼんの場合もそうだと思うけれども、不登校の「理由」をあれこれと詮索することも意味がないことが多い。学校に行けない、行かない理由は複合的なもので、本人にも家族にもはっきりとは分からないことがしばしばである。分かったとしても、それを「解決」すればまた学校に行くと期待すること自体が間違っていることもある。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) ゆたぼんが、ユーチューバーとして活躍していることも、過大に気にする方が多いのも印象的である。ユーチューバーは小学生にとって憧れの職業の一つになったようだけれども、いつまでそのような職業形態が持続可能か分からない。私自身も一応「ユーチューバー」なので分かるけれども、よほどのアクセスが集まらない限り、生活できるような収入があるわけでもない。 やはり、ゆたぼんに関して言えば、そこに一人の、元気で利発で好奇心に満ちた、学校に行っていない男の子がいるということがほとんど全てであって、それ以外の「ユーチューバー」であるとか、「少年革命家」であると言ったことは、あまり本質的なことではない。そのあたりを勘違いしてしまっている方が多いように感じた。ネットの虚像 今はネットとリアルの関係、相対的な比重が見えにくくなってきているのかもしれない。実像とは離れたネット上の虚像を人々が勝手に作り、炎上させて叩く。攻撃の対象は次から次へと変わり、テレビのワイドショーが後追いする。 しかし、冷静になって考えてみれば、ネット上のそのような虚像とは関係なく、現実の生活があり生身の人間がいる。それを忘れてしまったら何かが間違っている。 もちろん、ネット上の虚像を必要以上にふくらませて何かをしようとする方々もいるかもしれないが、少なくとも私が見たゆたぼんやお父さんは、そのような方々ではなかった。 ゆたぼん騒動は、ネットの虚像が生み出した炎上が自分自身の燃料になって再び炎上するという、自己完結的な回路だったという印象が強い。熱くなっている方々は、一度冷静になって、全体を眺めてみればよいのではないか。 学びのあり方は多様化しており、アメリカでは100万人単位でホームスクーリングをしてる子供たちがいる。学校に行かないで自分で勉強しているのである。そのような子供たちの学力は比較的高く、有名大学に進学するケースも多い。 ゆたぼん騒動から私が感じたのは、日本の相変わらずの学校信仰のようなものである。学校にまかせておけば大丈夫という考えでは、かえって、現代の学びの進化の行方、広がっている機会を見落としてしまうのではないかと思う。 ゆたぼんは、不登校の子供たちを応援したいという気持ちも強いようだ。ゆたぼんが元気で学び、発信している姿を見て勇気づけられている子供も多いだろう。 学校に行かないという選択をしているゆたぼん。家での時間を、自分が興味を持っていることを学ぶことに大いに使ってほしいし、学校で使っている教科書も、参考にして勉強してほしい。また、学校に行きたくなったら、行けばよい。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 学校を絶対視することも、全否定することもおかしい。学びのあり方は一人ひとりの子供の個性によっていろいろあるわけで、ゆたぼんは、その元気で利発な姿を通して、学びの自由な楽しさを十分に伝えていると思う。■「ゆとり教育」などもってのほか! 子供に過度な人権はいらない■「いじめ」と言えば誰でも被害者 釈然としない日本のイジメ認定■「金八先生」のいないニッポンの教育現場でいま何が起きているのか

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    不登校10年の起業家が思う「義務教育をガマンしろ」の不思議

    小幡和輝(起業家、コラムニスト) 学校はなんのために存在するのか。増え続ける不登校の子供たち、学校はどうあるべきなのだろうか。 初めまして、『学校は行かなくてもいい』という本を書いている小幡和輝と申します。 ゴールデンウィーク明けに、10歳の不登校YouTuber、ゆたぼんくんに関して話題になりました。彼がインタビューで答えた『不登校は不幸じゃない』はもともと僕が言い始めた言葉で、僕のもとにも賛成、反対多くの意見が届いています。賛成意見の多くは「本人たちの自由だから好きにしたらいい」というもので、僕も同じ意見です。 気になったのは反対派の意見です。彼の将来を心配しての意見であればいいのですが、自分の怒りをぶつけているような批判も多く見受けられました。 その代表となるのが、「義務教育は国民の義務だから行かなければならない」という意見ですが、本当にそうなのでしょうか。義務教育に関する法律の条文を見てみましょう。第4条(義務教育) 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。文部科学省ホームページ この条文には、保護者や行政に対して教育を受けさせる義務はありますが、子供への義務は明記されていません。もう一つ論点になるのは、2017年に施行された教育機会確保法です。 教育機会確保法は、学校復帰を大前提としていた従来の不登校対策を転換し、学校外での「多様で適切な学習活動」の重要性を指摘。不登校児童・生徒の無理な通学はかえって状況を悪化させる懸念があるため、子供たちの「休養の必要性」を認めた。こうしたことを踏まえ、国や自治体が子供の状況を継続的に把握し、子供とその親には学校外施設などさまざまな情報を提供するよう求めている。「教育機会確保法」コトバンク文部科学省が入る中央合同庁舎第7号館=2016年11月、東京・霞が関 この法律と合わせて紹介しておきたいのが、文部科学省による全ての学校に対するこの通知です。 不登校とは、多様な要因・背景により、結果として不登校状態になっているということであり、その行為を「問題行動」と判断してはならない。不登校児童生徒が悪いという根強い偏見を払拭し、学校・家庭・社会が不登校児童生徒に寄り添い共感的理解と受容の姿勢を持つことが、児童生徒の自己肯定感を高めるためにも重要であり、周囲の大人との信頼関係を構築していく過程が社会性や人間性の伸長につながり、結果として児童生徒の社会的自立につながることが期待される。「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」文部科学省 文科省が示したこの姿勢から解釈できるのは、子供からすれば義務はなく、権利ではないかということです。 保護者には、子供が望めば教育を受けさせる義務はあるものの、親子で相談した結果であれば義務違反にはあたらないと考えます。では、なぜこのような批判が出るのでしょうか。義務教育の条文を正しく理解していない人が多いということもあると思いますが、僕の意見はこうです。なぜ「我慢しろ」なのか 批判する人の中で「みんな我慢して学校に行っていた。だからお前も我慢しろ」という言葉があります。もし、みんなにとっての学校がいい思い出だったのであれば、こうはならないはずですよね。むしろ、学校はこんないい経験ができる場所なのに、そこに行けないってかわいそうだね、といったコメントが集まるはずです。 しかし、現実は我慢しろという批判が集まっている。ここに学校教育の「闇」があるのではないでしょうか。 「みんな行ってるから」「親が行けというから学校に行っている」。明確な動機付けができず、どう役に立ったかがわからない。みんながこれまで溜め込んでいた負の感情が、一気に爆発したのが今回の件だと思います。 僕自身も不登校で、義務教育をほとんど受けていません。ですが、今は自分の会社を起して仕事をし、人生を楽しく生きています。 僕は不登校になってからの方が、友達は多いです。学校は楽しくなかったけど、不登校になったあと、学校の外に友達がたくさんできました。勉強は独学とゲーム、それに漫画で覚えました。正直なところ、学校に行ってないことによる苦労をあまり感じたことがありません。 確かに、インターネットがなかった時代は学校の役割はとても大きかったでしょう。勉強するにしても調べることが大変だったし、SNS(会員制交流サイト)で友達を作ることもできません。 インターネットが発達した現代において、学校の役割はどんどん無くなっています。そもそも、生き方が多様になり、働き方の選択肢も広がってきました。画一的な教育では限界があるでしょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) しかし、学校が変わっていくには、たくさんの障害があります。学校がダメなのではなく、多様性を広げるほど効率化が難しくなります。 学校は社会のインフラとして、誰でも安く教育を受けられる環境を維持しなければなりません。先生の労働環境はただでさえ過酷で、一番のブラック企業は学校とも言われています。 年号も変わり、時代も変わっていきます。そんな時、ゆたぼんくんはいい問題提起をしてくれました。「10歳の戯言(たわごと)」と切り捨てず、これからの学校の役割についてみんなで考えていく必要があるのではないでしょうか。■ 「学級」という閉鎖空間をなくせ いじめは大人社会の排除の仕組み■ 「脱ゆとり」でも変わらない 子供の基礎学力が消えていく■ 「金八先生」のいないニッポンの教育現場でいま何が起きているのか

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    不登校の小学生YouTuber炎上騒動 琉球新報の責任は重大だ

     誰もが発信者となれる時代になったことそれ自体に異存はないが、「炎上」が繰り返されることもまた事実だ。コラムニストのオバタカズユキ氏が考察した。* * * 一人の子供が不登校をしているというだけの話に、わざわざ飛びつきなさんなよ。たとえ義務教育期間の小学生でも、本人がどうしても嫌だと言うのなら学校に行かなくても構わないだろうし、学校の外で学べることもたくさんあるもんだし。 ……と私は一般論として思う。そう思う人々も大勢いるはずである。 だが、実際は、10歳の不登校児に多くの日本人が連日苛立っている。その少年がユーチューブの動画に登場するたび、何千何万人もが低評価ボタンをクリック、コメント欄を荒らさずにはいられなくなる。私だってスルーできなくて、こうして彼を取り上げている。 そして、あっという間に、彼は日本有数の有名小学生となった。ご存知ない方のために琉球新報の記事から引用すると、〈「俺が自由な世界をつくる」。自由を求めて学校に通わない選択をした中村逞珂(ゆたか)さん(10)=宜野湾市=が「少年革命家 ゆたぼん」と名乗り、ユーチューバーとして活動している。大阪生まれ、沖縄在住のゆたぼんは「ハイサイまいど!」で始まる楽しい動画を提供しつつ、いじめや不登校に悩む子や親に「不登校は不幸じゃない」と強いメッセージを発信している〉とのことである。 革命だメッセージだとずいぶん勢いのある言葉が並ぶが、「少年革命家ゆたぼんチャンネル」と題する動画自体はなんていうことない。少年やその3人の妹たちなどが、たわいのない「~をやってみた」式のお遊びをしたり、歌をうたったりする程度の内容ばかりだ。 琉球新報の記事には〈パワフルに熱唱する姿は、父親の幸也さん(39)の影響で好きになったブルーハーツをほうふつとさせる〉とあるが、これも幼さゆえにまだ音程コントロールも覚束ない児童が黄色い声を張り上げている程度。選曲がブルーハーツや長渕剛やフィンガー5のものなのは、親の影響というより親のリクエストだろう。歌詞の意味も分からないだろうに歌わされて痛々しい、と私は感じる。不登校をめぐる「メッセージ」も、カメラ横のカンペをつっかえながら読みあげているようで、やらされているな、むごいなという印象を抱く。 なぜ不登校になったのか。琉球新報には〈ゆたぼんが学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。現在も「学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫いている〉とある。 対して、多くのネット民たちは、「ロボットはこの少年だ」と指摘している。本人のほうが父親にすべてを操作されているロボットで、これは一種の児童虐待だと批判する声もたくさんある。スマホで気軽に発信したことが後々大きな禍根を残すこともある さらにネット民たちは、父親こそに問題があると、その経歴をすぐさま掘り起こした。『あきらめる勇気』という自己啓発の本を出版しているので比較的容易に分るのだが、父はかつて暴走族の副総長で、恐喝、窃盗、傷害、シンナー、麻薬、覚醒剤など数限りない悪行を重ねて来たとか。職を転々とした後に、日本メンタルヘルス協会の衛藤信之氏という怪しげな心理カウンセラーと出会い、自らもその職に就くのだが、これまでに『たったの21日で禁煙を成功させる方法』という情報商材を販売していた過去もあるようだ。息子との親子講演会をけっこうなチケット料をとって開催、息子を編集者の箕輪厚介氏や茂木健一郎氏といった有名人に引き合わせて話題作りを狙うなど、なかなか商魂たくましい。 最新のユーチューブでは、「不登校のゆたぼんがアメリカンビレッジでフリーハグ」と題する動画を流していた。大炎上中にまた燃料投下するようなことしている、このチャンネルは新手の炎上商法か、と疑いたくなる。子供は自分の親を選べない ただ、執筆現時点でこの動画に対する高評価は541、低評価は5680。もっとも再生回数の多かった5月5日公開の「【新聞載った!】ゴールデンウィーク終わっても学校行くな」に至っては、高評価4202に対し、低評価は6.6万だ。コメント欄には33200の書き込みがあり、荒れに荒れて、商売どころじゃない状態となっている。 困った話だが、父親はもともとそういう人なのかもしれない。自己啓発の入った元ヤンキーで何でもありなネット商売で生きる人。減りつつあると言っても日本の人口は1億2千万。それだけいれば、こういう人も混じって当たり前。そう突き放すのがもっとも正しい外野の態度のようにも思える。 しかし、これは虐待だという声が多いように、まだ10歳の息子当人が気になる。これからどんな青年、どんな大人に育つのかは彼や彼の家族の勝手だが、私が気になるのはこの大炎上を本人がどう感じているか、だ。動画のコメント欄やツイッターの関連ツイートなどを、どう読んでいるのだろう。親が「アンチはロボットと同じだからな」と言い聞かせているかもしれない。だとしても、実名顔出しでここまで世間から袋叩きされた事実は、きっと深いところで傷となる。傷にもならないのならそれはそれで精神構造がおかしすぎる。 具体的に何があって何を思ったのかは知らないが、学校が辛かったなら、転校すればいい。しばらく休んで、クラス替えを機に再登校するでもいいのである。要は、学校は選べるのだ。だが、子供は自分の親を選べない。このような父親のもとに生まれ育ったことは変えられない。その理不尽な現実を動画の画面が表しているようで、痛々しく、この騒動を見ていて私は辛い。 ひとつ確認しておきたいのは、そんな父子の合作である「少年革命家ゆたぼんチャンネル」も、今年の5月5日が来る前までは、ひっそりとした辺境チャンネルの一つにすぎなかったことだ。登録者数は数百で、動画の閲覧数も内輪が見ているプラスα程度だったようだ。 それが5月5日に、先に引用した琉球新報の記事で変わった。オンラインでも流され、大拡散した。記事のタイトルは〈「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー 沖縄から世界に配信「ハイサイまいど!〉である。沖縄に天才現る!とでも言いたいかのような、完全持ち上げ記事だ。 マスコミの力が弱くなったといわれるが、発信力はまだまだ健在なのである。オンライン配信もされるようになり、一地方紙の記事でも、こうしてバズることが増えている。そのぶん、新聞社と新聞記者には、重い報道責任がある。炎上の火付け役として、どうケジメをつけるか。 この記事で大炎上となった5日後、琉球新報はまた少年を取り上げた。こんどのタイトルは、〈ダルビッシュさん「自分の好きなように生きればいい」不登校10歳ユーチューバ―への中傷に著名人が反論 茂木健一郎さんも「活動を応援したい」〉であった。 なぜ大炎上したのかを考察、分析するのではない。著名人の関連ツイートを引用しながらの少年擁護というもっとも安易な形をとった。いや、安易な自己弁護の記事だったと言わせてもらおう。火に油をそそぐようなやり方でもあり、現に大炎上は止まず、少年のツイッターアカウントが乗っ取られるなどの事態もおきているのだが、記事の担当記者としてはそれが最善の策だとでも考えたのだろうか。浅はかだ。 一度、ケチのついたユーチューブチャンネルは、主催者がよほど上手な説明責任を果たさない限り、良くも悪くもしつこい一部のネット民たちが火を放ち続ける。父親が自分の失敗に気づき、チャンネルをなるべく早く閉鎖するのが一番だと思うが、そうした反省は期待できないであろう。だったら、儲からないから止める、でいい。少年の傷をより深めないために早期撤退してほしい。 琉球新報については、私は、この騒動の最大責任者だと考えている。言論の自由の前に、言論の責任が存在することを自覚してもらいたい。関連記事■藤原紀香が頻繁に「炎上」するようになった流れとは?■貧困女子高生の炎上 「算数力の劣化が一因」と数学者■仏映画祭で過激演出した映画監督 「早く炎上させてくれ」■アリババのジャック・マー会長 長時間労働支持発言が炎上■千原兄弟、好感度はせいじが上?ジュニアが“炎上”するワケ

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    世田谷の校則ゼロ公立中、授業中に廊下で自習してもOK

     いじめが激減、校内暴力も消え、有名校進学数も平均学力も区のトップレベル──。私立中進学率の高い東京都世田谷区で、「越境してでも行きたい」と人気となっている公立中学校が、世田谷区立桜丘中学校だ。 歴代の校長が「一日でも早く異動したい」と嘆息するほど荒れた同校で、2010年に就任したのが西郷孝彦校長(64才)。足かけ9年を費やして、自由にして多様な学校をつくり上げた。 窮屈な規則が苦手だという西郷校長は、納得のいかない校則の一つひとつを検証、ついには全廃してしまったという。授業中に教室の外にいてもいい 午前11時、教室では授業の真っ最中。国語のクラスでは先生の読み上げる百人一首を血眼になって奪取する声が響き、美術のクラスではクラフト模型を組み立てる生徒たちの熱気が廊下まで伝わってくる。英語の授業時間にバスケットボールの試合や調理実習をすべて英語だけで行うクラスも。 しかし廊下には、そのどれにも属さない生徒の姿が数人。 「教室にいるのが嫌だったり、入りづらかったりした時は、生徒の判断で、廊下で自習して構いません」 職員室前の廊下には机とイスが並び、そこでタブレットを使って動画を見ながら自習したり、英語のテキストを解いたりする生徒たちの姿がある。その様子を、ヒト型ロボットのペッパーが静かに見守っていた。桜丘中学校の西郷孝彦校長 校舎1階の理科室では、3Dプリンターを使って両生類の心臓を再現する授業が行われていた。4人ずつの班に分かれた生徒たちがパソコンのソフトを操って心臓の構造をデザインすると、3Dプリンターがカタカタと音を立て、立方体の模型を作り出す。テーブルのあちこちから「デザイン通りだ」と歓声があがる。 この授業を担当するのは、理科の長田浩貴先生。2年前、この学校で教師生活をスタートさせたばかりだ。居場所を学校で見つけた 「大学時代に3Dプリンターの研究をしていて、いつか授業に採り入れたいと考えていたんです。そう西郷校長に話したら、『やってみなよ、失敗してもいいから』と背中を押してくださったんです。こんなに早く実現するとは思いませんでした」(長田先生) 失敗どころか、新しい試みの成果は上々。 「単に教科書を読むだけではなく、リアルな模型を作ることで、心臓の働きを理解してほしかったんです。そのうえで、もし心臓模型の構造を改善するとしたらどうすればいいか、自分たちで考えてほしかった。実際、生徒たちから挙がってきたアイディアは、ぼくの想像以上。発表を聞きながら、鳥肌が立ちました」(長田先生) なかでも熱心に3Dプリンターを見つめていたのは、2年生のエイジくん(仮名)。このクラスの生徒ではない。 「本当は体育の授業中なんですが、ぼくは集団行動が苦手で、サッカーをするのが怖いんです。今、この教室の前を通りかかったら、3Dプリンターが見えたので、思わず中に入りました」(エイジくん) いきなり教室に現れた“珍客”を、ほかの生徒や先生が咎めることはない。授業が終わりに近づくと、「体育の先生が心配するから、顔だけ出して来いよ」と、長田先生は彼を送り出した。 実はこのエイジくん、文字を書くのが苦手で、タブレットを利用してノートを取りながら授業を受けている。プログラミング教育も積極的に採り入れる同校では、廊下にはペッパーの姿も(撮影/浅野剛) 「機械やコンピューターが好きで、タブレットを使ってもいいと言われてから、学校に来るのが楽しくなりました。この学校はぼくみたいな子どもも伸ばしてくれるんだなって。先生との壁? それはない。先生はぼくにとって頼れる存在です」(エイジくん) 彼は自分の居場所を学校で見つけた。 エイジくんに限らず、タブレットやスマホは、どの生徒にも解禁されている。ところが、読み書きに不自由のない生徒は持ってこなくなった。不思議と、SNS関連のトラブルも減った。西郷校長が言う。人と違うことに寛容になる 「生徒は授業がつまらなければ、はっきり“つまらない”と言っていい。これまで日本の教育では、他人と同じように振る舞えない子どもたちに対して、“みんなと一緒にしなさい”とか“振り返って反省しなさい”という指導ばかりしてきました。 ですがこれからの時代、子どもたちに身につけてほしいのは、誰にも負けない自分の才能の尖った部分、つまり“エッジ”を見つけて磨くこと。人に取って代わってAIが単純作業を担うようになるであろう今後、他人とは違う“変なやつ”であることこそが、自分自身を輝かせるはずです」 確かに、アップル社の創業者のスティーブ・ジョブズは身なりを気にせず、裸足で資金提供者と交渉したというし、テスラ社のCEO・イーロン・マスクは、会社のいたるところで地べたに寝転がって仮眠するそうだ。こうした、世間の規範からはみ出した“変わり者”の彼らは、エッジを磨き、世界を驚かせる発明や事業をやってのけた。 2020年には知識や学力のみを問う大学入試センター試験が廃止され、表現力や思考力、判断力が重視される新テストが導入される。「自分がどの分野に向いているか」を判断し、「自分のやりたいこと」を見つけてその力を活用しようとすることは、まさに新時代を先取りしている。人と違うことに寛容になる 桜丘中は、障害がある生徒や、もともと不登校だった生徒も積極的に受け入れている。そもそも社会にはいろいろな人がいて、人はそれぞれ違うということが当たり前だとわかれば、自分と違う他人に寛容になれるという考えがあるからだ。だが、その取り組みも、最初からすんなりスタートできたわけではない。 4年前、インクルーシブ教育(障害のある人とない人が同じ場所で学ぶのみならず、誰もが自由な社会に効果的に参加できる社会の実現をめざす教育)を導入しようとしたところ、「そんなことしたら、勉強ができなくなる」と保護者から猛反対されたことがあった。ならば、学校全体の成績をあげて納得させようと考えた西郷校長は、わかりやすく実践的な授業を次々、導入していく。そして冒頭で説明したとおり、今や同校は区でもトップクラスの成績を収めている。 英語教育には特に力をいれ、すべてを英語だけで他の教科の勉強をしたり、作業をするCLIL(Content and Language Integrated Learning、内容言語統合型学習の略。教科やトピックなどの『内容』と『言語』を融合して学ぶ教育方法。1つのテーマをさまざまな角度で扱いながら、互いが意見などを交換し合い、言語を身につけていくこと)を導入している。 「英語なんて、実はしゃべれなくても社会ではどうにでもなるよね」と笑いながらも、「でもね」と西郷校長はこう続けた。 「海外から翻訳されて日本で発信される出来事やニュースは、発信する側のバイアスがかかっていることもあれば、すべてでもない。英語がわかるようになると、本当は世界のあちこちでそのニュースがどう発信されているのか、自分で判断できるようになる。その意味で英語を身につけてもらいたいのです」関連記事■校則全廃の公立中、名門高校に続々進学 校長の思い■「謎の進学校麻布」ほぼ満杯の学校説明会を実況中継してみた■加藤綾子はコスプレ女王 三田友梨佳は校則違反的ミニスカも■宝塚音楽学校の泥沼いじめ裁判 コンビニ万引騒動が引き金に■不登校児ゼロ小学校の初代校長「今の学校はスーツケース」

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    小西寛子手記「ネトウヨ認定への逆襲」

    ネット界には「ネトウヨBAN祭り」と呼ばれ、過激な保守系著名人のSNSアカウントを停止に追い込む運動がある。ただ、この運動を伝えるウェブページを声優の小西寛子氏が逆に削除することに成功したという。「ネトウヨ」のレッテルを貼られたことに対する逆襲だが、今、ネット界で何が起きているのか。

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    小西寛子手記「私はこうして『BAN祭り』ページを凍結させた」

    人などの言動には嫌悪しており、攻撃されてもやむなしとの考えは一理あると思う。そして、現代のディープなネット社会にはそれなりのいろいろな形のゲームがあるかとも思う。そのゲームの中のルールが一種のグレーゾーンの中に正当性をいわしめるものならば、百歩譲って「あっちの芝生に行ってやれ」程度には言うが(認めているわけではない!)、ここぞとばかり便乗して、思想信条や自分の反対意見を押し通すために自由を制限しようとするならば、私もBANするしかない(笑)。■ なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない■ 「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ■ バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す

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    アカウント停止は中国のせい?私のツイートのどこがヘイトなのか

    中宮崇(サヨクウォッチャー) 中国によるインターネット支配が静かに進められている。そもそも中国ではネット空間においても言論の自由などない。反体制的な書き込みは言論弾圧どころか、逮捕や処刑の可能性さえある。そしてどうやら、日本国内でもそうした中国によるネット支配が着々と進みつつあり、私も思い知らされる事態に遭遇した。 中国による野蛮な支配は、決して中国国内のみにとどまらない。最近でも中国が「租借」と称して19世紀の植民地支配そのままの露骨な領土侵略を世界中で行い、現地の反発を招いている(「ベトナムで大規模な反中デモ、中国に99年間土地租借に抗議」大紀元日本 2018.06.13)。 また、米国のような先進国においても、米国大学教授協会(AAUP)から「中国国家の手足として機能している」と批判される中国政府系の「孔子学院」という文化機関が各地の大学に設置され、天安門事件やチベット侵略についての議論を禁止するといった活動にいそしんでいる。そのため、米国では孔子学院を大学から追放する動きが進んでいる(「米で孔子学院閉鎖相次ぐ 北フロリダ大が閉鎖を決定」産経新聞 2018.8.16)。 日本も例外ではなく、2008年の北京五輪に伴う長野市での聖火リレー騒動も思い起こされる。当時私も現地入りし、その様子を記事に書いた。なんと中国の人民武装警察部隊が「聖火警備」の名目で日本の公道をわが物顔で警備していたのだ。その上、中国当局が動員し長野市に集めた4千人の「学生」がチベット侵略への抗議に集まった多数のチベット人や日本人を取り囲んで暴行するなど、さながら中国による日本占領のための予行演習のようであった。 こうした中、昨年10月31日に私のツイッターアカウントが突然、使用不能になった。ツイッター社から以下の中国批判ツイートをなんと「暴言や脅迫、差別的言動」つまり「ヘイト」だと認定され、当該ツイートの削除を要求されたのである。 中国が南沙諸島を侵略し、武力による威嚇と通行妨害という国際社会への邪悪な犯罪を行っているという以下の報道について、「撃沈で対処せよ」と呼びかけたが、なんとこれらをヘイトだと言うのである(「中国艦船、米軍艦に異常接近 「航行の自由」作戦中」CNN 2018.10.02)。 ところで、わが国は2001年に、日本の巡視船に発砲した北朝鮮の工作船を撃沈したことがある(九州南西海域工作船事件)。ツイッター社からすれば、こうした日本による実力行使はヘイトなどという言葉では到底収まらない邪悪な行為であり、ツイッター上で日本人が議論、主張することさえ許されない違反行為ということなのである。 例えば今後ツイッター上で「北朝鮮の工作船は撃沈で対処せよ」とつぶやいたとすると、それはツイッター社的にはヘイトであり、禁止行為なのだというのだから驚きである。 日本は中国や北朝鮮による侵略に対して一切「撃沈」のような反撃どころか、こうした対策を呼びかけることさえも禁止しているわけである。これを「ヘイト規制を騙(かた)った中国・朝鮮による支配」と言わずしてなんと言うべきか。岩上安身氏の言い分 ところで、ジャーナリストの岩上安身氏は、IWJなる反安倍、反原発サヨクメディアを主宰しているが、そのツイッターアカウントが凍結されたらしく、昨年11月9日にこんなツイートを行った。 「ツイッター社による不当なアカウント凍結です。ヘイトスピーチをしたわけではありません。植村隆さんの裁判の市民への報告集会を中継し、IWJの速報アカウントで実況していただけで凍結されたのです。異常な数の嫌がらせ通報があったか、ツイッター社の判断に政治的偏向があったか、どちらかです」 何を根拠にジャーナリストを自称する岩上氏が「異常な数の嫌がらせ通報があった」などという臆測を喧伝(けんでん)するのかは全く不明である。関東大震災における「朝鮮人が井戸に毒をばらまく」という悪質なデマと一体何が違うのだろうか。 岩上氏は常日頃、「ネトウヨ」のツイートなどを「ヘイト」「デマ」と決めつけ「通報」を呼びかけている張本人である。自分が常に卑劣な密告を呼びかけているので、他人も自分と同じように卑劣な行為をしているに違いないと思い込んでいるのであろう。 一方、今回の私のツイッターアカウントの凍結は、実はサヨク陣営による組織的な「密告」運動の結果であるという証拠がある。私のツイッターアカウントが凍結された直後、密告者が喜々として以下のような勝利宣言ツイートを行っていたからだ。 密告者のツイートに見える「ネトウヨ春のBAN祭り」という文字は、最近インターネット上で盛んな、サヨクによる組織的な敵対者弾圧密告運動の名前である。これにより、ツイッターだけでなくユーチューブやホームページなどにおいても保守派だけでなく、反中国的言動を行っただけの左派でさえ「ネトウヨ」と決めつけられ弾圧され、閉鎖に追い込まれている。 反中国、反北朝鮮は彼らサヨクにとって左右かかわらずすべて「ネトウヨ」であり「人間じゃねえ!たたっ斬る!」(政治学者の山口二郎氏によるSEALDsデモでの発言)べき敵なのだ。ちなみにこの山口氏による殺人予告発言も、私がツイッターで批判するとサヨクによる密告リンチによりツイートの削除をツイッター社から命令されたことがある。中国とサヨクの連携による日本支配は相当な所まで進んでいると言わざるを得ない。 サヨクの市民活動団体「しばき隊」に至っては、朝日新聞記者や人権派弁護士、LGBT(性的少数者)運動家などでさえ、自分たちが気に入らない場合、平気で「ネトウヨ」認定する。リンチなどの弾圧行為がまかり通り、被害者から裁判まで起こされている。 その背後に実際、どれほど中国や北朝鮮などの影響力があるのかは不明である。しかし、わが国におけるサヨク運動には冷戦時代にも旧ソ連や中国からの資金が投入されていた事実が、ソ連崩壊にともなう情報公開によりすでに判明している。 しかし、このことを例えば「サヨクには中国からの反日活動資金が投入されている可能性がある」などとツイートすると、たちまちサヨクの「ネトウヨ春のBAN祭り」対象として認定され密告などの組織的弾圧によりネット上から人知れず抹殺されることとなるだろう。 私のように他に発言の場のある人間ならともかく、一般の日本人はそれに対してなんの反論も主張もできず、誰にも知られることなくひっそりと消されてしまうことに抵抗もできないのだ。 実際、これまでそうした犠牲者がどれくらいいるのか、全体像は全く見えない。ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984年』に登場する独裁者そのものである中国支配が既にかなりのところまで進んでいるのである。■ なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない■ 「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ■ バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す

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    「BANされて当然」衰亡の一途をたどるネトウヨの自業自得

    古谷経衡(文筆家) パン業界大手の山崎製パンが1981年から実施している「ヤマザキ春のパン祭り」というキャンペーンをご存じの人も多いだろう。パン製品ごとに設定された点数シールを25点分集めると、「必ず」特製の皿がもらえるというのが目玉で、愛好家も多い。 この「ヤマザキ春のパン祭り」をもじって名付けられた動きが、「ネトウヨ春のBAN(バン)祭り」だ。主に、ユーチューブ上の差別的表現を含む動画をユーチューブ運営側に大量に通報することにより、動画投稿主のアカウントそのものを規約違反としてBAN(停止)させるという一大運動である。 私は、約10年間におけるネット右翼研究の中で、その「門戸」、つまりネット右翼に感化される入り口の最たるものが、ユーチューブにおける動画であると結論付けた。特にユーチューブが日本社会に浸潤したゼロ年代後半から、この傾向はますます顕著となり、ネット右翼への門戸が驚くほどの速度と熱量をもって、漫画単行本や雑誌や書籍から動画に変化していく劇的なさまを目の当たりにした。 では、なぜネット右翼への門戸がユーチューブ動画に移ったのか。第1に、短く簡便にまとめられた動画には、リテラシー(情報活用能力)の低いユーザーに対する訴求力が最も高いことにある。第2に、ゼロ年代を通して、光ファイバーの一般家庭への劇的な普及により、動画の読み込みがどんな環境であっても技術的に容易になったことも大きい。 特に2010年代中盤からは、大画面を有する移動体端末(スマートフォン)が爆発的に普及したことに伴い、接触点が拡張していった。これら複合的な要素により、ネット右翼への門戸の最前衛がユーチューブ動画となったのである。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) こうして、ユーチューブに差別的動画を定期的に投稿するアカウントが激増した。とともに、ひたすら韓国を呪詛(じゅそ)し、中国を嫌悪する排外的な動画も氾濫していった。 とりわけ目立ってきたのは、2016年ごろから急増した「沖縄」に関する明確なデマを主張する動画の跋扈(ばっこ)である。例えば、沖縄の反基地活動家は中国や韓国人であり、これら外国勢力や国内の左派勢力などから金銭的援助をもらっている、などといった投稿だ。右派ですら「限界」 これは2018年に放送倫理・番組向上機構(BPO)から明白な事実誤認が指摘された情報バラエティー番組『ニュース女子』(東京MXテレビなど)が、結果的に、東京圏を含むほとんど全ての地上波テレビから放送終了に至った時期と、図らずも一致する。 ちょうどこの年から「ネトウヨ春のBAN祭り」が開始された背景には、差別動画の繁茂に我慢できなくなったある種のユーザーの存在がある。しかも、それまで右派的な志向を持っていたユーザーも、これらの投稿に対し眉(まゆ)をひそめる状況に陥った。 右派的ユーザーの中「ですら」、許容の臨界点に到達したのである。したがって「ネトウヨ春のBAN祭り」を主導する構成員は、「反差別」という対右派への攻勢ドクトリン(教義)を持ったものだけではなく、右派内部からも巻き起こったことに特徴がある。 要するに、「ネトウヨ春のBAN祭り」は、イデオロギーや支持政党を超えた、単なる差別とデマに対する明確な「NO」の意思表示の運動といえる。だからこそ、運動に党派性を見いだすことはできない。 実際に「ネトウヨ春のBAN祭り」が奏功した例を二つ挙げよう。まず、作家の竹田恒泰氏によるユーチューブの個人アカウント「竹田恒泰チャンネル」がこの運動の結果、利用規約に抵触するとして永久に停止(BAN)となった。 竹田氏は、「明治天皇の玄孫(やしゃご)」を名乗り、「竹田研究会」などの団体運営などで、いわゆる「保守論壇」の若手旗手のような立場に上り詰め、地上波テレビやラジオなど既存の大手マスメディアへの露出も多い。しかし、その主張を見ると、「保守論壇」で異形・異端とされる「脱原発」以外は古典的なネット右翼の域を脱していない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) つまり、著しく激しい嫌韓国、反中国、歴史修正主義、国家神道や復古的天皇制への帰依など、特段目新しいものはない。ただし、短時間でユーザーの耳目を引く動画を投稿してきたユーチューブの「竹田恒泰チャンネル」アカウント自体には、明確な事実誤認などが跋扈(ばっこ)していたため、「ネトウヨ春のBAN祭り」によってユーチューブ運営側もBAN(停止)を決定せざるを得なくなった。 当然ながら、竹田氏はこの措置に反発したが、BANが解除されることはなかった。現在、竹田氏は「竹田恒泰チャンネル2」アカウントを開設して、差別的な表現や憎悪感情を抑制した動画を投稿するに至っている。もはや「衰亡一途」 もう一例は、ユーチューバーとして「KAZUYAチャンネル」を運営するKAZUYA氏(本名京本和也、以下京本氏)である。京本氏の運営するアカウント「KAZUYAチャンネル」では、概ね2~5分という短時間で政治や時事問題を扱う動画を投稿している。 ネット右翼の中でも最も底辺ともいえる低リテラシー層に訴求することで、一定数の視聴者(ファン)を確保したのが京本氏の動画の特徴である。この層は、たとえ「保守論壇」による右傾偏向のコンテンツであっても、4千文字や5千文字程度の論考や、20~30分以上にわたる長時間のトーク番組の視聴には、教養水準的に耐えられないからだ。 主張自体も、前述の竹田氏よりも非体系的で、稚拙である。テーマもやはり、嫌韓や反中、歴史修正主義、沖縄デマ、軍国主義的傾向の礼賛(教育勅語への偏執的固執)など、ネット右翼にとって古典的な色彩を帯びている。ただ、知名度において、竹田氏より圧倒的に劣後するため、「ネトウヨ春のBAN祭り」運動のターゲットとしては後発になったわけである。 「ネトウヨ春のBAN祭り」が開始されてから、京本氏は差別的、憎悪的傾向のある動画を自ら削除することによって、BANを回避する戦術を採った。しかし、結果は竹田氏と同じくBANを食らった。ところが理由は不明だが、竹田氏とは違い、数日後に運営側からBANが解除され、「KAZUYAチャンネル」自体も存続している。 BANを受けた後、京本氏は可能な限り、差別や憎悪表現を抑制した動画を投稿しているようだ。ただ、京本氏については、体系的知識量が低いままの状態なので、動画水準は未だに稚拙なまま推移している。しかし、それがゆえに、再びBAN指定を受けていない。 以上、「ネトウヨ春のBAN祭り」で永久、あるいは一時的にBAN指定を受けた2例を見てもわかるように、いずれにせよ、ユーチューブ上における差別動画の繁茂に業を煮やした良心の人たちが、2018年以降、そのイデオロギーや党派性を超えて実効的に動き出したことは間違いない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) この「ネトウヨ春のBAN祭り」運動は、「夏の~」「秋の~」「冬の~」と季節を変えながら、現在も続いている。その一方で、投稿者自体も、現実的にBANが行われる事実を鑑みて差別動画の投稿に委縮する傾向が顕著に表れている。 動画を最大の門戸として、また最大のプロパガンダツールとして利用してきたネット右翼や、それを利用して広告収入を得たいアカウントの開設者たちは、今大きな岐路に立たされるどころか、衰亡の一途をたどっているのである。■ なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない■ 「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ■ バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す

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    橘玲×中川淳一郎 保守とリベラルの不毛なレッテル貼り

    出しができなくなってきたというのはあると思いますね。私自身、ペンネームで顔写真も公開していなくて、「ネット社会で上手くやってますね」みたいなことはよくいわれますから。でもこれはたまたまで、物書きになった頃はネットのことなんてほとんど理解していなかったのですが。(続く)◆橘玲(たちばな・あきら):作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『言ってはいけない 残酷すぎる真実』『(日本人)』『80’s』など著書多数。◆中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):ネットニュース編集者。1973年生まれ。『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』『縁の切り方 絆と孤独を考える』など著書多数。関連記事■ネット民は朝日vs産経の代理戦争を繰り広げている■橘玲氏が解説、「専業主婦は2億円損をする」の真意■幸せになるにはどこまでお金を稼げばよいのか 橘玲氏が解説■ネットの反差別運動の歴史とその実態【1/4】■いまも続く「ポッポロス」 「アベロス」起きる可能性は

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    66歳男がブログ記事で侮辱罪に 懸念されるネトウヨの高齢化

     様々な分野で高齢化が進んでいるが、かつては若者が中心と思われていたものにも高齢化の波が押し寄せている。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、今後、予想される高齢ネトウヨの増加について、警鐘を鳴らす。* * * 静岡新聞に掲載された政治評論家・屋山太郎氏(86)のコラムに書かれた内容の一部が、社民党の福島瑞穂参議院議員の事務所から事実無根だと抗議を受けた。徴用工裁判をめぐる内容だったが、同氏は「福島氏は実妹が北朝鮮に生存している。政争の具に使うのは反則だ」と書いた。同紙は後に事実ではないとし、訂正・お詫びをした。 これを見て思い出したのが、ネットに未だに残り続ける「李高順」と「趙春花」をめぐるデマである。千葉大学名誉教授やイオンド大学筆頭教授を務めた清水馨八郎氏が2010年、「國民新聞」に書いた「小沢一郎は済州島出身」という文章だ。ここには、「土井たか子は本名李高順と言いその弟子福島瑞穂は趙春花で日本人ではない。顔立ちもよく見ると韓人である事が分かる」とある。 ネトウヨの特殊能力「国籍透視」を駆使した「在日認定」を、当時90歳を超えていたであろう名誉教授まで務めた立派な人物がしでかしたのである。他にも小沢一郎氏と菅直人氏を済州島出身だとし、岡田克也氏は「あやしい」と書いた。2010年といえば、まさにネトウヨによる「在日認定」が花盛りの時代で、清水氏のこの文章がソースとなり、今でもこれら2つの名前がネットでは時々書き込まれるのである。 なお、李高順については、かつて月刊誌『WiLL』に掲載され、土井氏の側から名誉棄損の裁判を受け敗訴。同誌は謝罪文を掲載するに至った。その経緯があったにもかかわらず、清水氏は書いてしまったのである。また、福島氏の「趙春花」も誤りである。 それにしてもこの「在日認定」、なんとかならないのだろうか。何か犯罪者が登場した場合、ネット掲示板の書き込みやSNSには「実名はよ」などと書かれる。つまり、在日が日本人のような通名を使っていると勝手に判断し、こうした卑劣なことを犯すものは在日に決まっていると考えるのだ。「日本人なら悪いことをしないはず」という妙な安心感があるのだろう。 福島氏も土井氏もネトウヨの間では「反日議員」「売国奴」認定をされており、その流れに乗るかのように著名な評論家までデマを書いてしまった。経験も名誉も社会的地位もある人でも同様のことをしてしまう状況にあるのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) これから懸念されるのが、「高齢ネトウヨ」の増加だ。今年1月、大分県の66歳の男が在日の中学生に対し、「おまエラ不逞朝鮮人」「チョーセン・ヒトモドキ」などとブログに書き、侮辱罪で科料9000円の略式命令を受けた。ここで登場する「おまエラ」の「エラ」は、韓国人の顔はエラが張っているという決めつけから来る差別用語で、嫌韓系の5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のスレッドではよく登場する言葉だ。 長年勤め上げた会社を定年退職し、さて、ブログでも始めるかな、とネットにアクセスをすると、在日や韓国を罵倒する意見がネットには多数書き込まれているのを目にする。ここで「おまエラ」などの言葉を覚えたり、「レイプは韓国の国技」などの言説を信じ込む。韓国の政治家や反日活動家に関するニュースを見て義憤に駆られ、いつしか高齢ネトウヨになってしまう。晩節を汚すのはおやめなさい、と忠告申し上げよう。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など関連記事■韓国で女児の胸が大きくなる「性早熟症」、囁かれる原因■もし日韓戦わば… 軍事力の差は歴然だった■弁護士懲戒請求、ウヨマゲドン… ネット右翼の思考回路とは■ツイッターは実名でやるに限る、と考える理由■沖縄の「土人」発言 歴史的にどう解釈すべきか

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    週刊文春に「NO」が突き付けられた日

    網尾歩(コラムニスト) マスコミと視聴者、両方にツッコめるのは芸人だけなのかもしれない。 不倫疑惑を報じられたことをきっかけに引退を表明した小室哲哉の記者会見を受け、疑惑を報じた週刊文春が「炎上」した。これまでタレントや政治家など数々の有名人の不倫を暴いてきた文春。2016年には「センテンススプリング」や「文春砲」が新語・流行語大賞がノミネートされ、この年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞にはベッキーの不倫スクープが選ばれた。 有名人の不倫を次々とスクープする文春砲を肯定的に捉える世論が強かった中、これまでも少なからず批判はあった。ジャーナリズム大賞の受賞については、少なくともネット上の一部では批判が噴出していた。「日本のジャーナリズムはずいぶんと高尚なんだね!」と皮肉る人や、「日本のジャーナリズムは死んだ」と直球で批判する人もいた。 また、ホリエモンこと堀江貴文は2016年末に自身の熱愛疑惑が報じられたことなどから、一貫して文春を批判。記者を名指ししたり、「人間の屑の集合体」など厳しい批判を繰り返していた。 とはいえ、今回ほど文春が批判に晒されるのは、「センテンススプリング」以降では初めてのことだろう。先日、検索欄に「週刊文春」を打ち込むと、サジェストされたのは「やりすぎ」という言葉だった。 多くの人が指摘している通り、これまでの文春砲がほぼ好意的に迎えられ、今回がそうでなかった理由は、小室の「介護問題」や引退表明への同情があるのだろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 昨年末、ウーマンラッシュアワーが「THE MANZAI」で見せたネタが話題になった。日本ではタブー感のある政治問題に切り込み、最後は社会問題よりも不倫報道ばかりに興味を持つ「国民」を強烈に皮肉った。「本当に危機を感じなければいけないのは」「国民の意識の低さ」の掛け合いの後、村本大輔は「お前たちのことだー!」と観客席に向かって言い放った。テレビを見ている私たち一人ひとりが批判されたわけである。今後の不倫報道は変わるか 不倫なんてくだらないネタを、いつまで面白がって騒いでいるのか。「お前たち」のレベルが上がらなければ、報道(ネットスラングで“マスゴミ”)のレベルも低いままだ。村本のネタにそんな意図があったとすれば、今回の文春砲に「国民」が「No」を突きつけた動きは、一歩前進とも言えるのかもしれない。 こうなってくると気になるのは、今後、この騒動の余波が収まらぬ中で文春もしくは他の週刊誌が不倫を報道したとき、世の中はどのような反応をするのかである。「小室さんの不倫報道はダメだけど、○○ならいい」、そのような線引きが始まるのだろうか。 “ベッキーの不倫は、これまで「いい子」を演じてきたタレントの醜聞だから面白がれた”“小室の場合、妻を介護する日常の中で起こったことであり、天才と言われたアーティストが「こんなこと」で引退するのは忍びなく、面白がれない” 大衆の、そのときの感覚によって、「私刑」しても良いかどうかが決まる。この流れのきっかけをつくってしまったのは文春だ。そして今回のように、風向きが突然変わり、文春自身が「私刑」に遭うことがある。 騒動後、文春の新谷学編集長は、カンニング竹山との対談の中で、ベッキーへのバッシングについて「予想できなかった」「かわいそうだと思った」と語った。この対談をAERAで振り返ったベッキーと同じ事務所である竹山は、「事前に用意してしゃべった言葉だろうなとは思いました。でも、報じた立場ならそう言うしかないよなとも思いましたね」と冷静に分析している。参考:カンニング竹山が週刊文春編集長との対談で感じた違和感(AERA) また、竹山は週刊誌のスクープを引用して報じるだけのテレビについて「ニュースをパクって火を付けて、油を注いで大騒ぎにしちゃった」と批判。さらに、「記事を読んでもいないし、その雑誌を買ってもいないのに、テレビで引用されるものを見て『ああでもない、こうでもない』って騒ぎ立てたのは我々視聴者であって、世間じゃないか」と続けた。 人のプライベートに土足で足を突っ込む週刊誌、そしてその騒ぎを大きくするマスコミやネットメディアは批判されてしかるべきだが、その批判からはそれを面白がってきた視聴者も免れない。これはウーマンラッシュアワーのネタと同じ示唆である。 ネットで誰もが発信できる時代、大手メディアは以前ほど絶対的な存在ではない。今回の文春バッシングのように、受け取り手である「大衆」は、「No」をメディアに突き付けることができる。ただしそのバッシングが権力ではなく、ただ不倫をしただけの有名人に向けられてきた過去について、どのように考えている人が多いのだろう。今後の不倫報道はあるのか、またそれについての反応を注視したい。

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    ユーチューバーがつまらなくなった

    子供が憧れる職業の一つに「ユーチューバー」がランキング入りしたのは少し前のことだが、再生回数を意識する余り、過激さを売りにする動画も珍しくはなくなった。今や炎上ユーチューバーが既存メディアの格好のネタになる時代である。たまには夢を壊しかねない現実も語ってみよう。(写真は共同)

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    「YouTuber」を日本人の価値観で考える方が変、そう思いません?

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。ニコニコ動画という動画配信サイトの立ち上げをやっていたりして、動画を作って暮らしていく人たちを増やしたという自負はあったりするのですが、新しい仕事ってなかなか理解されないですよね…。 ニコニコ動画で「歌い手」と呼ばれる歌のうまい素人たちが、動画を上げて人気が出た、というのが10年前ぐらいからあって、それが専業になった人もいたりします。 「そんなにうまくもない素人が歌で食っていくなんてけしからん」的なコメントを見かけることがありますが、昭和の時代から大して歌のうまくない人たちが歌手という名前でテレビに出たりしているのを目にしてきたので、歌のうまい人以外が歌で食っていくって当たり前のことだと思ったりします。 動画を作って暮らしている人たちの中でも「YouTuber(ユーチューバー)」と呼ばれる人たちが子供たちの憧れの職業になったりしているわけですが、自分が普段見ているメディアに出ている人たちに憧れるってのも、昔からあることなんですよね。 「銀幕のスター」という言葉がありますが、映画が人気のあるメディアだった頃は、映画に出ることがステータスでした。当時は格下のテレビに出るのを嫌がる人たちもいたわけです。 ちなみに、アメリカは映画に出る役者の方が、テレビに出る役者よりも格が上だったりしますが、日本はテレビの方が上になっていますよね。 ラジオDJに憧れる人がいたり、広告代理店のコピーライターに憧れる人がいたりと、新しい職業に憧れる人がいるのはいつの時代もそうですよね…と。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) んで、「将来子供にYouTuberになりたいと言われたらいやだ…」みたいな話を聞きますが、有名YouTuberに憧れる子供がいたら、やらせてみたらいいと思うんですよね。 動画の企画を考えて、カット割りを考えて撮影をして、編集にしても、テロップを入れて、効果音を入れて、動画の長さを考えたり、画質をきれいにするために動画エンコードの方法を考えたりってのを毎日やっている人たちが、有名YouTuberとして名をはせてる人たちだったりするわけです。 動画を1本作るぐらいだったら、頑張ればできますけど、毎日、これだけの作業をたんたんと続けることができるのって、ある種の才能だと思います。YouTuberに憧れる子供がいたら、ゴールデンウィークの間、毎日、動画を1個ずつ作るのに挑戦させてみたらいかがでしょうか? また、YouTuberに憧れる社会人も多いわけですが、動画の企画を考える中で、他の人がやってないこととなると、ほかの人がやらなかった理由のあることがほとんどなんですよね。大抵の企画は既に誰かがやっている世の中だったりします。 ってことで、他の人がやらなかったことで過激なことを、目立つためにやり出す人たちが現れてきました。これは日本に限らず世界的な潮流ですけどね…。日本の倫理観じゃムリ アメリカだと、「お腹に電話帳を入れて、銃で撃ってみた」という動画を撮影しようとして、夫のお腹に向けて銃を撃ったら、電話帳を貫通して、夫を殺しちゃって、刑務所に入った妻もいたりします。アメリカの有名YouTuberが富士の樹海で自殺者を見つけてしまって、その遺体を撮影してYouTubeにアップロードしたことで、世界的なニュースになったこともありました。 さてさて、YouTubeはGoogleの子会社ですが、基本的には広告で売上を上げている会社だったりします。YouTubeは広告を売るために、クリエイターに動画を作ってアップロードしてもらっているわけです。なので、広告主が嫌がりそうな動画は要らないのです。 ただ、YouTubeに広告を出しているスポンサーは、膨大な数の動画の中で、実際にどういう動画に広告が出ているか、全部チェックすることができないわけです。 YouTubeの指針を信頼して「大丈夫だろう」と思って広告を出していたら、宗教的にやばい動画だったりとか、児童に悪影響を及ぼしそうな動画とかにも大手企業の広告が出ていることが分かったりしちゃいました。 そこで、2017年の終わりぐらいから、大手企業がYouTubeの広告から撤退を発表し始めたのですね。 それを受けて、YouTube側もよろしくない動画に広告が表示されないようにしたり、よろしくない動画が自動的に見えなくなったりするような仕組みとかを導入し始めたわけです。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) こんな流れでYouTubeの規制が厳しくなってきたのですが、社会とか法とかじゃなくて、単に広告主が広告を出したくなるようなサイトにするために変えたってだけなんですけど、世の中の識者と言われる人たちは「社会的意義」とか「モラル」とかなんだか分からん御託を並べて説明しようとしたりするんですよね。 そんなわけで、広告主が戻って来なければ、規制はもっと厳しくなるし、戻ってくるんだったら、ここらへんで規制強化は止まると思います。 テレビや他マスメディアは倫理チェックする機関があるけれど、YouTubeにはないみたいな話もありますが、世界中で見られる動画の倫理を誰が判断するんですかね? 日本では、アイドルと呼ばれる女子がお金をもらってお客さんと握手したりする仕事をしていますが、欧州やアメリカの州によっては児童労働とみなされる違法行為だったりします。 なので、日本の価値観で「海外の会社」の「海外のサービス」の倫理を問うこと自体がおかしなことだと思ったりしているオイラです。 そんなわけで「大金を使う系動画はどうなの?」とか、「若い子が肌を出しているのはどうなの?」とかは、「アメリカや欧州の大企業がその動画に広告出したいと思う?」って基準で考えると自ずと答えは出てくるんじゃないかと思います。■「2ちゃんねるのどこが社会悪?」ひろゆきが振り返る平成ネット史■2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」■「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味

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    「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ

    久保田康介(弁護士YouTuber) 私は弁護士登録をする以前、司法試験対策の講師として活動していました。その際、自分のユーチューブ(YouTube)チャンネルでサンプル講義をアップロードしていました。そうした講義をアップロードする中で、「弁護士がユーチューブで日々のニュース等を法律的に解説する動画をアップロードすれば、需要があるのではないか」と常々考えておりました。 そして、とある事件をきっかけに弁護士登録をすることになり、同時に「弁護士ユーチューバー(YouTuber)」としての活動を開始しました。 ユーチューブの広告収入は、動画の広告が表示・再生されることにより発生する仕組みとなっています。現在では、チャンネル登録者数1000人およびチャンネル全体の動画再生4000時間という基準をクリアしないと収益化することができません。つまり。この基準を満たさなければ入ってくるお金はゼロなのです。 私がユーチューブから受け取る広告収入は、月によって変動がありますが、おおよそ全国の新卒社員の平均額程度です。「弁護士ユーチューバー」として活動を始めた頃は、弁護士会費用(月額5万円ほど)を捻出できれば十分だと考えていたので、それを思うと結構な額をいただいている印象を受けます。 広告収入が多い日は(≒動画がたくさん再生された日は)、一日で10万円を超える収益が発生することもあります。その日が突然やってくることもあるわけですから、これはユーチューブドリームと言っても過言ではないでしょう。 ユーチューブにおいて、より多くの広告収入を得るためには、動画の再生回数を増やし、その動画内の広告の表示・再生回数を増やす必要があります。そうすると、注目を集めるために過激な動画を制作するユーチューバーが現れます。そうした過激な動画が、法律に違反していたり、モラル的に許容し難いものであれば、ユーチューブのコメント欄や他のSNS(会員制交流サイト)投稿などで多くの批判・批評を集めることになります。いわゆる「炎上」ですね。 例えば、「白い粉ドッキリ」という刑事裁判になっているケースがあります。これは、ユーチューバーが警察官の前でわざと白い粉を落として、慌てた様子でそれを拾い、全力で逃走することで、違法薬物だと考えた警察官がユーチューバーを追いかけるのですが、その様子をユーチューバーの関係者が撮影したという映像を動画としてアップロードしたものです。 この動画は、アップロードされた当日に約100万回ほど再生されたはずですが、上記ユーチューバーは逮捕され、上述のように現在は刑事裁判中です。 他方で、意図せずに炎上してしまうケースもあります。例えば、とある有名ユーチューバーが軽犯罪法に違反することを知らずに違反行為をしてしまったケースがあります。このケースでは、そのユーチューバーは数カ月間活動を自粛するに至りました。 炎上すると、コメント欄やSNS投稿を通じてさまざまな意見が飛び交います。中には、意見と誹謗(ひぼう)中傷を織り交ぜたようなコメントや、誹謗中傷するだけのコメントも大量に投稿されます。ユーチューバーが驚愕した事件 炎上中に動画投稿活動を行うと、さらに炎上が拡大することもあることから、炎上中のユーチューバーは謝罪動画をアップロードしたり、活動を休止することが多いです。 炎上をきっかけに、実被害をもたらすケースもあります。過去には、氏名・住所等の個人情報が特定・拡散されたり、過去のプライベートな内容を掘り起こされたり、勝手にユーチューバーの住所を宛先に着払いで物を注文されたりといった例があります。ひどい場合には、炎上したユーチューバーの実家を特定し、物を壊すなどといったケースもあったようです。 過激な動画には一定の需要があり、そうした動画を望む声もないわけではありません。現に、私は過激な動画について法律的な見解を示す動画を制作することがありますが、その動画に「ユーチューブがテレビみたいになってつまらなくなるからやめろ」といったコメントがつけられることがあります。 しかしながら、ユーチューブは規制強化に踏み切りました。近時のコミュニティーガイドラインの変更では、例えば、危険なチャレンジ・いたずらを内容とする動画が禁止されました。禁止の内容に興味をお持ちの方は以下のページをご覧ください。よくある質問:危険なチャレンジやいたずらに対するガイドライン変更に関して ユーチューバーのみならずユーチューブ自体も広告で収益を上げていることから、広告主の意向に背くことはできません。では、広告主が自らの広告を過激な動画につけてほしいかと言われれば、答えは「No」でしょう。結局、ユーチューブもテレビと同様に規制強化へと舵(かじ)をとらざるを得ないことは既定路線だったと言っても過言ではありません。YouTube本社=カリフォルニア州サンブルーノ(GettyImages) 数カ月前に、ユーチューブのコミュニティーガイドライン違反を理由として、とある有名ユーチューバーのユーチューブアカウントが削除されるという事件がありました。その事件は多くのユーチューバーを驚愕(きょうがく)させました。 その事件を受けてなのか、それとも規制強化を受けてなのかは分かりませんが、ユーチューブ全体の傾向として、現在は以前よりも過激な動画が減少しているとの印象を受けます。今後も、健全化とのお題目の下で規制強化が図られることは避けられないと思いますので、私もいちユーチューバーとして、たびたびコミュニティーガイドラインを確認することで自らを省みる必要があると感じています。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか■ テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

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    刺激とカネ「なりたい職業」ユーチューバーのジレンマ

    唐澤貴洋(弁護士) ソニー生命が2017年に発表した「中高生が思い描く将来についての意識調査」の「中高生が将来なりたい職業」に、「動画投稿者」が男女ともにトップ10入りした。アンケートが示すように、YouTuber(ユーチューバー)や、ライブ配信アプリを利用する「17ライバー」といった動画配信を職業や生活の支えとする人々は、ここ数年で目立って多くなっている。 そのためには動画への広告設置が必要だが、YouTube(ユーチューブ)では、配信者が「パートナープログラム」に参加して、動画再生回数など一定条件をクリアしなければならない。その広告動画の再生を通じて、初めて広告収入を得られるようになる。 日本では、チャンネル登録者数が100万人を超えるユーチューバーが100を超えた。つまり、延べ1億人を超えるユーザーに対して、「トップユーチューバー」の影響力が及んでいるといえる。 そのようなユーチューバーは影響力の大きさから「インフルエンサー」とも評されている。場合によっては、テレビを通して影響力を持っていた「芸能人」よりも、若年層からの認知度が高く、多大な影響力を与える者が出てきている。 動画機材や企画構成、出演者、編集を自前で用意するという条件さえクリアできれば、ユーチューバーになれる可能性がある。ユーチューバーになっても、金を稼ぐには配信動画の質への是非や評価が求められるとはいえ、「芸能人」のようにどうすればなれるのかもわからない不透明な存在よりも、「なりたい職業」として認識されることも理解できないことではない。 しかし、ユーチューバーの中には、再生数の増加に応じた広告収入の増加を求めて、違法や有害な動画を掲載する者が後を絶たない。名誉毀損(きそん)行為やプライバシー侵害行為、人々の不安をあおる陰謀論、卑猥(ひわい)な表現、事実に基づかないフェイクニュース、暴力表現と、内容を挙げればきりがない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 果ては、動画の内容とユーチューブ上で表示されるサムネイル(縮小画像)の内容が異なるにもかかわらず、サムネイルで過激・過剰な表現を用いて視聴者を引き付けようとする、いわゆる「サムネイル詐欺」まである。地上波に肉薄「ネット広告費」 また、既に多数の登録者数を獲得しているユーチューバーが、その影響力を利用して、マッチングサイトの広告、怪しげな金融商品や情報商材の広告、投資の勧誘広告を行っている事実も見受けられる。「ユーチューブでは何をやっても再生数さえ稼げればいい」という誤った風潮がまん延し、違法・有害なコンテンツがユーチューブ上で氾濫してしまったという現実が存在する。 このような状況を生んだ要因の一つに、ユーチューブがテレビやラジオと異なり、放送基準の適用がないことが挙げられる。上記の動画は、既存のテレビやラジオでは到底放送することのできない内容である。事実、違法・有害動画の撮影中の行為で、刑事事件として立件された事例もあった。 ユーチューブの運営側もこの手の批判を知ってか知らずか、最近は違法・有害動画対策として、コミュニティーガイドラインの厳格化を図っているようだ。実際、違法・有害動画を投稿して、アカウントを停止されたユーチューバーもいる。 しかし、現在のユーチューブを見てみると、上記のような違法・有害コンテンツがいまだ多数存在しているのが現状である。たとえコミュニティーガイドラインが厳格化されても、ガイドライン通りに厳格運用される体制を整えていなければ、厳格化の意味がない。 このごろ、テレビの視聴率低下とネット動画配信の隆盛に伴って「テレビがつまらない」という意見をよく目にする。テレビは、これまでのさまざまな経験をもとに培われてきた放送ルールに従い、多くの人に害なく見られるコンテンツを作ってきた。 それゆえ、視聴者にとっては、表現としての刺激が物足りなく感じることもある。特に、違法・有害なコンテンツをネットで簡単に見ることができる現状の下では、テレビとの比較で、その物足りなさが際立ってしまっているところから生まれてきた表現であろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) その影響は広告費にも表れている。電通が発表した「2018年日本の広告費」によれば、地上波テレビの広告費が1兆7848億円で前年を下回った。一方で、インターネット広告費は1兆7589億円で5年連続の2桁成長を続け、地上波テレビの広告費に肉薄している。 つまり、ネットでのコンテンツ配信が利益になるというのは、もう否定できない事実である。この事実を前提として、コンテンツ配信者にどのように適切な配信に対する基準や倫理を持ってもらうかが、今後さらに問われている。「流行り廃り」じゃない だが、個人・法人を含めコンテンツ配信者を統括するような団体は見られない。このような現状では、コンテンツ配信のウェブ・プラットホーム(基盤)を運営する事業者(プラットフォーマー)による「自主基準」を頼りにせざるをえない。 しかし、プラットフォーマーにとっては、自主基準を厳しくした上で、その基準通りの運用を行えば、凡庸なコンテンツが増え、視聴者数や再生回数を稼ぐことができず、広告媒体としての価値の低下につながってしまう。自主基準の厳格化と企業収益の「緊張関係」をどう調節するかが、プラットフォーマーの「永遠の課題」となっていくのだろう。 ネット配信の収益化で忘れていけないのが、広告主や広告代理店の存在だ。昨年問題となった、差別的言動を掲載したまとめサイトや、海賊版サイト「漫画村」に対しても、広告掲載を行ったのはあくまで広告代理店である。 だが、このようなサイトで広告を掲載されることは、広告主からすれば本位ではないだろう。それでも、広告配信可能な媒体を抱えるアドネットワークサービスを利用して出稿している広告主において、自社広告がどこに掲載されているかを全て把握している企業がどれほどいるのか。 アドネットワークは、広告配信可能な媒体を多く抱えることで、より多くのインターネット利用者にリーチすることが可能となり、広告主から報酬を受け取ることができる。プラットフォーマーと同じジレンマを抱えるアドネットワークに自主規制を求めることには、おのずと限界がある。 だからこそ、広告主としては、自社のコンプライアンス(法令順守)に従った広告出稿先の選定、チェックを行うことが求められていく。違法なコンテンツに収益を提供し、権利侵害を拡大させるようなことは、当然企業倫理からして許されるものではないからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ユーチューバーを取り巻く問題は単に「流行り廃り」の話題ではない。根底には、コンテンツ配信の適正化と広告の問題が存在しており、今後も注視していかなければならない問題なのである。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか■ テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

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    人気YouTuberの「振り返りブスババ抜きゲーム」が炎上

    網尾歩(コラムニスト) 街を歩く女性の肩を後ろから叩き、ブスだったら「ババ」。「俺らももうちょっとね、女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」「ということでね、振り返りブスババ抜きゲーム!!」 こんなやり取りから始まる動画に批判が集まっている。この動画は、「へきトラハウス」という男性3人組の人気Youtuberが配信したもの。 「第2回振り返りブスババ抜きゲーム!!!」と題し、街なかで後ろから女性の肩を叩き、振り返って「美人」か「ブス」かを競うゲームをしている。振り返って「美人」だと判定された女性をメインに編集されているが、中には振り返った瞬間に顔にモザイクがかけられる女性や、「ただいまブスにつき、映像が乱れております。」という画像が挿入されるシーンもある。 メンバーが「出しちゃいけないレベルのブス」「あれはドボン」と発言したり、「ブス」と判定された女性の顔マネをしたりするシーンもあった。また、動画の冒頭では、肩を叩いた女性に無視され、「ブスのくせに振り向かねえ」「(本当はかわいかったけど相手にされなかったんでしょと指摘され)かわいい子は(俺を)相手にしねえんだ、お高くとまってんな!」などと発言していた。 動画は、19日午後の時点で33万回以上視聴されているが、「高く評価」している人が6169人なのに対し、「低く評価」している人は5896人。人気Youtuberの動画としては、低評価に晒されている。1552件のコメントがついているが、批判的なコメントが多い。共感を集めているのは下記のようなコメントだ。※写真とイメージは関係ありません(ゲッティイメージズ) 「これは本当に酷い企画。女性に対するルッキズムを助長する動画だよ。面と向かってブスだと言わなきゃそれでいいと思ってんだろうけど、後ろから肩叩かれて『あー…大丈夫です』って言われるだけでどういうことかすぐに理解できる。ただ道を歩いているだけでカメラ回しながら美人かブスか勝手に見た目ジャッジされるのって、通り魔に遭うような気持ちだろうよ」メンバーの開き直り 通常、こういった企画が炎上すると謝罪が行われるものだが、「へきトラハウス」は批判に対して、「討論している平和ボケしたブスは今すぐブラウザバックして『オオカミくんには騙されない』でも観てブスという現実から出来るだけ長い時間目を背けていてください。」というコメントを動画下につけている。※「オオカミくんには騙されない」は、インターネットテレビの人気番組。 本人たちも顰蹙を買うことを前提にこういった動画を制作しているのだろうから、ツッコんだ方が負けなのかもしれないが、負けと言われても不快なものは不快である。上にあげたコメントが倫理的な問題点については触れているが、付け足すのであれば、後ろからいきなり肩を叩く行為について。 たまに、街なかのナンパについていった女性が性被害や窃盗被害に遭うニュースが報じられる。「ナンパについていく方も悪い」と言う人もいるが、強引なナンパは実際にあるし、ナンパを無視して舌打ちをされたり、「ブス!」と怒鳴られたりした経験のある女性もいる。いきなり声をかけてきた相手に「穏便にお引取りいただくスキル」が女性にだけ求められている現実もある中で、本人に直接言ってないとはいえ、声かけを無視した女性に対して「ブス」「お高くとまってる」と毒づくのは、弱い者いじめにしか見えない。 また、この動画はそもそも、次のような掛け合いで始まる。欠席しているメンバーがデートだという説明→なぜアイツに彼女がいて俺らにいないんだと思う?→意識が低いからじゃない?→違います。女を見る目がないからです。→(彼女のいるメンバーは)自分とフィットする相手を選ぶのがうまい。 ここで、冒頭のセリフにつながる。「俺らももうちょっとね、女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」「ということでね、振り返りブスババ抜きゲーム!!」 いや、ちょっと待て。むしろ保守的な企画 彼女のいるメンバーは「自分とフィットする相手を選ぶのがうまい」という話から、「女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」につながるのはわかる。しかし、そこでなぜ「じゃあ自分とフィットする相手ってどんな子か?」や、「フィットする相手を見つけに行こう」とならず、「振り返りブスババ抜きゲーム!!」という見た目査定になるのか。 誰もが認める「美人」と付き合うことが自分にとっての「幸せ」だと考えているならば、幸せの基準を他人に投げ売っている。もちろん、企画ありきで適当に前振りを考えただけなのだろうが、その雑さにとりあえずツッコんでおきたい。地上波ではできない「ブスいじり」できちゃう俺たちカッケーなのかもしれないが、旧来の価値観にのっとっているだけの、むしろ保守的な企画である。 彼らが配信している動画はほかにも、「奇抜な服装してる女全員ブス説」「マスクしてる女全員ブス説」「二重の女、一重の女友達を100%見下してる説」など女性に対してルッキズムを執拗に突きつけている。 また他には「隠れゲイを見つけるまで帰れま10!!!」「中卒のヤツ見つけるまで帰れません!!」など、セクシャルマイノリティや学歴をネタにした企画もあり、タイトルで炎上を狙っているかも知れないのだが、動画を見ると、女性に対して「出しちゃいけないレベルのブス」などと言っていたのに比べ、男性に対しては言動にまだ気遣いを感じる。 これらの動画では、セクシャルマイノリティの男性や「中卒」の人に実際に街なかで出会うのだが、彼らはそういった人たちに対しては優しく接している。少なくともあからさまにバカにする態度は取っていない。だからこそ、なぜ「ブス」認定した女性に対してだけ、あれほど失礼な態度を取れるのか不思議なのである。 2010年には、首都大学東京の学生が「ドブスを守る会」という映像作品を制作し、退学処分を受けている。これは街なかで女性に「ドブス写真集を作りたい」などと声をかけ、その反応を記録した映像だった。この学生たちの説明は「不道徳なものから生じるおかしみを表現したかった」だったという。※写真と本文は関係ありません(ゲッティイメージズ) 何が言いたいかと言うと、「振り返りブスババ抜きゲーム」は他にない発想では特になく、不謹慎ネタとしてありふれている。同じ不謹慎なら「振り返り極道ババ抜きゲーム」でもやってみてほしい。 ちなみに「へきトラハウス」は11月3日から始まる「明大祭(明治大学の学園祭)」に出演予定だそうだ。

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    はじめしゃちょー主演YouTubeドラマから見えた人気の理由

     YouTubeが始めた新サービスYouTube Premiumで、ドラマが配信されている。そのひとつが、人気YouTuber“はじめしゃちょー”が主演する『The Fake Show』だ。YouTuberと聞くと炎上狙いの過激な撮影をしているイメージが強いが、実際のYouTuberは、過激派と穏健派に分かれている。地上波テレビにもときどき登場するHIKAKINは穏健派のひとりで、はじめしゃちょーもそちらだ。人を不快にさせない、汚い言葉づかいをしない、好感度の塊のような穏健派YouTuber初主演ドラマについて、イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、実はラジオに近いYouTuber人気について考えた。* * * 2018年11月、日本で「YouTube Premium」のサービスがスタートした。月額1,180円を払えば、広告カット、ダウンロード、バックグラウンド再生とYouTubeの機能を拡張できる。ま、それはどうでも良くて。 職業柄、興味を惹かれたのが「YouTube Originals」。会員だけが観られるオリジナルコンテンツが用意されるとのこと。ラインナップを見ていると、あるドラマに僕の目が留まった。そのタイトル名は『The Fake Show』、説明文にはこう書いてある。「主演を務めるのは人気YouTuber“はじめしゃちょー”」“はじめしゃちょー”……って、えええあの! 最初、空目を疑ったもんね。もう、すごい時代になった。 数多いるYouTuber、そのなかで日本一のチャンネル登録者数を誇るのが“はじめしゃちょー”だ。高身長の優男、「〇〇やってみた」といった実験系動画で人気者に。長期間、ほぼ毎日新作動画を公開している。そのなかで新たな挑戦をしたいと思ったのか、どうか。本当の理由はわからないが、デビュー作が主演作。もう観るしかない! こうして“はじめしゃちょー”が「俳優をやってみた」、『The Fake Show』の鑑賞へと至った。 あらすじはコチラ。2017年8月、UUUMの上場セレモニーに参加した人気ユーチューバーのHIKAKIN(左)と鎌田和樹代表取締役CEO“はじめしゃちょー”が演じるのは、日本一のYouTuberショウ。書かずもがな、自分をモデルとした役柄だ。ある出来事をキッカケにショウは、自分のドッペルゲンガーを生み出してしまう。そのドッペルゲンガーが悪人だった。ショウのアカウントを乗っ取り、イタズラ動画を勝手に配信。炎上するショウ、カリスマYouTuberに未来はあるのか!? ジャンルでいえばサスペンス、想像以上にシリアスな作風だった。“はじめしゃちょー”が企画段階から関わったということもあり、ドラマのなかで「職業としてのYouTuberとは?」なんて葛藤も描かれる。はじめしゃちょーの演技力は? 動画のためなら他人を巻き込むことを厭わない。こう、思われがちなYouTuber。EP1で早速「YouTuberかなんだか知らないですけど、普通の人巻き込んで非常識だと思いますよ!」と注意されるショウ。当人が抱える苦悩が漏れている、そこから物語に引き込まれていく。 続いて、気になっている方も多いだろう“はじめしゃちょー”の演技力について。ショウ役は想像以上に良かった。しかし、考えてみれば当たり前。普段の動画と同じにように“はじめしゃちょー”を演じれば良いのだ。堂に入った演技は、助演を務める技巧派俳優陣に囲まれていても浮いてなかった。 逆にしんどかったのが、ドッペルゲンガー役。サスペンスドラマにおいて、視聴者はもう1人のショウに人外的な恐怖を求める。しかし、演技初挑戦の“はじめしゃちょー”には荷が重すぎる。狂気を一切感じられないドッペルゲンガーに仕上がっていた。怖さのレベルを例えてみれば、中学生の反抗期ぐらい。初主演で一人二役、配役からしてハード。しかし、最後までやりきった“はじめしゃちょー”はなんだかんだスゴい。 やりきる力と軽薄短小さ、YouTuberの魅力はココに集約される。彼らが公開する動画に前知識はいらない。エンターテインメントでも美術、文学、映画とは異なる文脈。敷居は極端に低く、誰しもが楽しめるウェルカム体勢。よって低年齢層のファンが増えるのも納得できる。 人気YouTuberは笑顔を振りまく。撮影場所が自宅といったことも多い。動画の隅々から垣間見える余裕と景気が良さそうな暮らしっぷり(芸能人のお宅訪問とかもう死語)。鬱屈とした世の中で人生を謳歌しているYouTuber。テレビのゴールデンタイムに子供も楽しめるバラエティ番組が減った昨今、小学生の羨望の眼差しが集って必然。 意外と鋭い目線を持つ子供、YouTuberが問われているのは人間性だ。面白い動画を作る以上にそれが1番大事。毎日観ても食傷しない顔、口調、そしてリアクションとオーラ、そして諸々。YouTuberと視聴者は1対1の関係、構造としてはテレビよりもラジオに近い。動画ゆえラジオ以上に情報量は多く、素顔を隠して配信を続けるのは難しい。先天的にタレント性を持った人以外、YouTuberで稼ぐのはムリだろう。『The Fake Show』もそういった意味では同じだった。ストーリーが兎に角難儀で、話が想像もしない方向へと進む。良い意味で予定調和がなく、悪く言えば突飛。ドラマというよりは“はじめしゃちょー”の魅力を詰めたプロモーションビデオに近い。鑑賞者の多くは“はじめしゃちょー”だから観るはず。そう考えると普段公開している動画と変わらない気もする。つまり、ドラマとしてはなんとも不完全燃焼な出来だったのである。●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週1度開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)。関連記事■今も色褪せない『マネーの虎』の教え 動画で人気なのも道理■ケンカ三昧の『あいのり』 ベッキーのコメントでは収拾不能■YouTuberになった山根明氏「テレビに踊らされるワシやない」■にゃんこスター・アンゴラ村長が「Vチューバー転身」か■過激ゆるキャラ・ちぃたん☆を直撃! クビにされた感想は?

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    辛酸なめ子氏、炎上大国日本を憂える「何を当たり前と思うか」

     テレビをつけても、ネットを見ても、はたまた電車の中やお店でも…何だか窮屈に感じたり、「そこまで必要!?」と思うような過剰サービスに遭遇したりすることが最近多いのではないだろうか。“和を以って貴しとなす”がわが国の美徳だったのに、見回せば不寛容や過干渉、過剰反応ばかり──。このイヤ〜な雰囲気、どう思いますか? 漫画家でコラムニストの辛酸なめ子さんは、かねてから炎上大国・日本の現状を憂いてきたSNSウオッチャーの1人だ。「最近は、女性芸能人のSNSが、取るに足らないことで炎上します。例えば“いちご狩りでコンデンスミルクをつけて食べたらたたかれた”“手作りの恵方巻が大きすぎて炎上した”など、些細なことを目の敵にしてたたくのは、芸能人の幸せぶりに格差を感じ、対する自分は幸せではないと嫉妬が増幅されて、彼女らを引きずり下ろしてやれと思う人が増えたため。 TwitterやYouTubeでは、不用意な投稿が多いのに対し、FacebookやInstagramはキラキラしたリア充を見せつけられるので、より悶々とする人が多いのでは」(辛酸さん・以下同) 最も攻撃的なのは書き込む人だが、周囲も黙ってそれを見ていてウサを晴らしており、ネットニュースのユーザー投稿欄にも、厳しい批判や正義感を振りかざした意見が並ぶようになったことに恐怖を感じるという。「実は先日、そんな日本と正反対のインドを旅してきました。インフラもルールもまったく整っていないインドの田舎は、土の道はデコボコ、トイレもすごく汚なくて、1000年前から変わらないような暮らしをしています。でも、不思議とすれ違う人々はピュアな笑顔ときれいな目をしていて、貧しくとも幸せそうでした。クラクションの音さえプワ〜と間の抜けた感じで、高速道路を車が逆走しても怒る人はいない。 それに比べて日本はすべてがきっちり整いすぎていて、少しの遅れやミスも許せない。つまり、何を当たり前と思うかで人の幸福度は変わり、寛容度も違ってきます」漫画家でコラムニストの辛酸なめ子氏 匿名性の高いSNSはイライラ・カリカリのはけ口になりがちなので、気をつけて発信しているそうだ。「私が書く時は、『元・海の王子のKKさんはマグロ漁船に乗ったり、皇居に住みついたたぬきに懐かれたりしたら信頼度がアップするのに…』などとできるだけお笑いやボケ、脱力の方向を心がけ、炎上エネルギーを鎮魂したいと思っています」関連記事■不寛容や過干渉に過剰反応、二宮金次郎像や寛一お宮像も…■ベビーカー、保育園で論争&炎上 日本人は不寛容なのか■三波春夫の「お客様は神様です」をはき違えるクレーマー■セルフレジに戸惑う高齢者が発したひと言でふと我に返った話■増える「不謹慎狩り」 炎上は0.1%のクレーマーによるもの

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    「スイッチが入った政治家」安倍晋三のリベンジ

    逢坂巌(駒沢大法学部准教授) 安倍晋三首相は、第1次政権では新聞やテレビにコテンパンに叩かれて降板したが、5年間の雌伏を経て、政権に復帰するとジャーナリズムを手玉に取って長期政権を実現した。その明暗は鮮烈だ。政治コミュニケーションの観点からは、メディア化した政治に再チャレンジして見事に対応した世界的にもまれなケースだと思われる。 1990年代に入り、「政治のメディア化(mediatization of politics)」という議論が欧州でも登場してきた。政治におけるメディア、特にテレビの影響力が高まってきたという話である。 20世紀後半において、政治の中心は組織や団体にあったが、それらの影響力が弱くなっていく中、人々はメディアを通じて政治的な情報を得るようになっていった。一方、メディアは政府の規制から自由になり、ジャーナリズムや商業主義など自分たちの論理(media logic)で報道するようになった。特に、基幹的なマスメディアに成長したテレビにおいては「絵になる」ことが重要になっていく。 それらの流れが20世紀末に出会うことで、政治におけるメディアの重要性が増し、テレビで政治家がいかに映し出されるかが重要になってきたという議論だ。 イタリアのベルルスコーニ元首相、フランスのサルコジ元大統領、英国のブレア元首相などが「政治のメディア化」に対応した政治家ということになろう。日本においても平成に入り、テレビの政治的な影響力が強くなってきた。 平成の日本政治は消費税導入とリクルート事件から始まり、政治改革が大きなテーマとなったが、そこにはテレビの強い政治的影響力が働いた。日本における「政治のメディア化」の始まりだ。 それに対して、海部俊樹元首相や細川護熙元首相、小泉純一郎元首相などが「政治のメディア化」という状況に対応した首相像を演じた。特に、小泉氏は55年体制的な組織や団体を忌避する世論が強まっていた中で、テレビ上の自身のイメージを巧みに演出して政権を維持した。そういう意味で、小泉氏は「テレビ政治家」の最たる存在であり、日本政治史上「政治のメディア化」に最も巧みに対応した首相であったといえる。2006年9月、両院議員総会で自民党新総裁に決まり、笑顔を見せる安倍晋三官房長官(右)と小泉純一郎首相(大井田裕撮影)  その小泉氏の後を次いで登場したのが安倍氏だ。だが周知のように、2006年からの第1次政権において、安倍氏は世論対策にもマスメディア対策にも失敗した。第1次政権「失敗の理由」 第1次安倍政権は、先代の小泉氏が「個人芸」で対応していた「政治のメディア化」の状況に、ホワイトハウス型のチームで挑もうとした。その象徴が補佐官制度であったが、この試みは内部に軋轢(あつれき)を生じ、結果的に失敗する。 また、政策面でも、安倍氏が重要だと位置付けたさまざまな政策を性急に行おうとしたことも、国民世論との乖離(かいり)を招いた。彼自身、第1次政権の失敗について以下のように振り返る。 「戦後レジームからの脱却」という大きなテーマを掲げ、幸い衆議院の多数がありましたから、やらなければいけないことを今のうちにどんどん進めようという気持ちが強かった。教育基本法の改正、憲法改正のための国民投票、公務員制度改革-。しかし、私がやりたいことと、国民がまずこれをやってくれということが、必ずしも一致していなかった。そのことがしっかり見えていなかった。私が一番反省しているのは、その点です。(中略)私としては、国民の関心の有無にかかわらず、今、自分がやるべきだと思うことをやるのが正しいんだと、そう考えていました。祖父の岸信介は安保改定の意義が十分に理解されていなかったとき、「俺の信念は正しい」と、国会を十重二十重にデモ隊に囲まれようとも貫き通した。私もそうあるべきだと思っていたんです。(中略)でも、大きな政策を実行するには国民の理解を高めていくことが重要ですが、それには時間がかかる。時間がかかることに取り組むためには、まず政権を安定させ、継続させなければならない。これが前回辞めて、初めてわかったことです。「阿川佐和子のこの人に会いたいスペシャル 安倍晋三首相VS.阿川佐和子」『週刊文春』2013年5月2日号 当時はテレビの政治報道も元気な時期だった。2005年の郵政選挙で小泉氏がテレビを利用したことの反作用だったか、テレビも政治をより気軽に扱う「政治のメディア化」が頂点に達していた。 テレビ番組では国会議員たちがちょんまげ姿で政局劇を演じ、芸人たちが議員たちを怒鳴り飛ばしていた。その中で、世論と違うことを行おうとした安倍氏は「KY(空気が読めない)」と揶揄(やゆ)されるようになった。 その後、安倍内閣は年金問題や国会議員のスキャンダル・失言の中で参院選に敗北し、敗北後はマスメディアによる「辞めろ辞めろ」の批判の中、体調を崩して退陣した。昭恵夫人は以下のように当時を振り返る。 2007年の参議院選挙の後からというのは、わたしたちにとって公邸での生活は地獄のような日々だったんです。毎日やらなくてはいけないことがある一方で、主人の体調がどんどん悪くなっていく。そういうなかで批判も多くなるし、外国訪問にも行かなくてはならない」「父のあとを継いで、とんとん拍子に総理にまでなってしまっていたので、持病があったとはいえ、あの辞任は初めての大きな挫折だったと思います。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」『新潮45』2013年9月号 ところが、5年間の雌伏を経て、安倍氏はカムバックする。マスメディアの政治部も含め、ジャーナリズムからはほぼノーマークからの総裁選の出馬と当選、そして首相就任であった。2006年9月、就任会見に臨む安倍晋三首相。右手奥には小池百合子氏など首相補佐官が並んだ(大西史朗撮影) カムバック当時、筆者がマスメディアの記者たちと話していると「また、安倍が出てきたけど、どうせ腹が痛くなってやめるんだろう」とか「オレたちがまた痛い目にあわせてやるぜ」といった雰囲気が強かった。政治学者の多くも安倍政権の「高転び」を予測していたと思う。しかし、その雰囲気はすぐに一変し、安倍氏は戦後最長はもとより、憲政史最長の在任期間を迎えようとしている。挫折を糧に「変わった」 かつて「政治のメディア化」への対応に失敗した安倍氏が、なぜ長期政権を実現できたのか。成功の要因には昭恵氏が指摘するように安倍氏自身が挫折を糧に「変わった」ことが大きい。 人間って、やはりドンと落ちたときに、何かが変わるのではないかと思うんです。主人について、そこで何が変わったか、と言われると、わたしも具体的に言うのは難しいのですが、主人の中で何かスイッチが入ったのは、確かだろうと思います。 前回の辞任以来、人事にしても動き方にしても、自分の中で『こうすればよかった』という思いがある。それを五年間考えてきたようです。(中略)特に野党時代は時間が比較的自由になって、座禅に行ったりランニングなどもしていました。いろんな人にいっぱい会いましたし、たくさん本も読んでいました。この五年間は大きかったようです。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」 それでは、どのように変わったのか。政治コミュニケーションの面で第2次政権以降の変わったところは大きく二つある。 第一は、経済政策の「前景化」だ。2012年の総選挙で政権に復帰した安倍氏は「経済再生」を第一のテーマに掲げた。具体的には、日本銀行の超低金利政策による「アベノミクス」で景気を演出し続ける。 経済という国民の関心の高いものに対して手を打って、株価や失業率の改善など目に見える「結果」を出して政権を安定させ、継続させる。第1次政権の反省がもたらした、再チャレンジ成功の最も基本的な要因である。 加えて、政治コミュニケーションに携わっている人物の構成も長期政権化の大きな要因となっている。第2次政権では、首相官邸の有様は第1次政権のホワイトハウス型から従来型に戻るが、そこに登用された政権のコミュニケーションを支えている人々は安倍氏との深い人間関係で結ばれ、かつ「メディア化した政治」の洗礼を受けた人々である。この間、苦い思いをたっぷり味わってきた。  麻生太郎副総理兼財務大臣は、首相時代に「解散やらないKY」「漢字読めないKY」などとテレビなどで揶揄されて支持率を大きく減らし、衆院選で敗北し民主党に政権を譲った経験を持つ。菅義偉(よしひで)官房長官も第1次安倍政権での総務相を経て、自民党の選挙対策総局長、選挙対策副委員長(福田内閣)、同委員長代理(麻生内閣)として、この間の「政治のメディア化」、特にマスメディアによる選挙時の「攻撃」を責任者としてつぶさに体験している。菅氏の総務相時代にもテレビ番組への行政指導が多数出された。2019年2月、参院本会議で立憲民主党の福山幹事長の質問を聞く(左から)菅官房長官、茂木経済再生相、麻生財務相、安倍首相 また、官邸で政権を支える官僚たちも、第1次政権では事務担当秘書官として広報を担当した今井尚哉(たかや)政務担当首相秘書官を筆頭に、第1次政権での挫折と屈辱を安倍氏とともに味わった者たちが中心である。その点では、現政権は第1次政権で、マスメディアと大衆に傷つけられたエリートたちの「リベンジ政権」だともいえよう。 もちろん、その他の外部環境的な条件も大きい。何と言っても、野党の力が弱く、自民党にも強いライバルがいない。そのため、さまざまな批判はされるものの、「よりどころ」が存在せず、政局には結びつきにくい。地獄から這い上がった「根性」 また、インターネット、中でも会員制交流サイト(SNS)の登場によるメディア環境の変化も、マスメディアの力を相対化している。加えて、マスメディアの政権に対する論調が分かれていることも、メディアの力を削いでいる。また、政権がメディアの報道によって5年で5人も変わるという「政治のメディア化」に対する倦(う)みも国民の間にあるのだろう。 とはいえ、2017年の解散総選挙前に巻き起こって消えた「小池旋風」に見られたように、メディアが政治に強い影響力を与える「政治のメディア化」の状況が終わったわけではない。 そもそも「政治のメディア化」は、団体や組織といったリアルな結びつきが弱体化した中で進行していったのである。事実、労働組合や農協といった55年体制下の中心的な団体の組合員数や自民党の党員数も本格的な回復は見られない。 その点で、ネットを含めてメディアが政治のイメージをどのように伝えるかは、依然重要なポイントである。安倍氏が民主党政権時代を批判し続けたり、「アベノミクス」「三本の矢」「まち・ひと・しごと創生」「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」とさまざまなキャッチフレーズを唱え続け、自らの仕事ぶりをアピールすることも必要性も理解できよう。 これらの言動に対しては「5年もたっているのに民主党を批判し続けるのはおかしい」とか「『やってる感』を演出しているだけ」との批判もある。しかし、メディアによって地獄を見た安倍氏にとっては馬耳東風の批判だろう。 むしろ、問題は、野党または自民党の中に「スイッチが入った」政治家がいないのかということだ。敗北を敗北として捉え、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、次に向けて勉強し、仲間を維持し、(再)チャレンジを試みる。そういう政治家は見つかるのだろうか。 正直、安倍政権の政策や政権運営にはおかしいと思うところも多々ある。しかし、第1次政権末期、テレビや新聞のマスメディアと2ちゃんねる(現5ちゃんねる)などのインターネットが一緒になって、批判や揶揄、嘲笑を行っていた。いわば「一億総軽蔑」ともいえる「地獄」の中で退陣を余儀なくされたところから、5年の充電を経て、一気に政治的頂点に復活した安倍氏の根性は正面から評価されるべきだと思う。2014年9月、「まち・ひと・しごと創生本部事務局」の看板を掲げる(左から)石破茂地方創生担当相、安倍晋三首相、菅義偉官房長官(代表撮影) しかも、政権復帰に伴い、かつての部下などがある意味、退路を断って脇を固め、自分たちの失敗経験を生かしながら長期政権に寄与する。このような人間関係の持ちようも、政権運営術や政治コミュニケーションの観点からは、きちんと評価されるべきだろう。 政治にせよ、政治コミュニケーションにせよ、「天下一人を以て興る」(中野正剛)にせよ、すべて一人でできるわけではない。「ポスト安倍」を準備している「スイッチが入った」者がいるのか、日本の政治コミュニケーションの課題である。

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    「少女漫画的なフレディ現象」SNSで爆発したクイーン映画の大衆性

    広く認知され、また大いにウケたということだ。 で、その根底に、SNSに象徴されるデジタル・インフラ=ネット社会の整備と普及・定着があるのも言うまでもない。 実際、今さらだが、スマホの普及と密着するこのインターネットの日常化は、音楽受容の(もというべきだろうが)スタイルにコペルニクス的転換をもたらしたといってもよい。 これは、たとえば今や世界中のほとんどすべての音楽を網羅した超巨大な、しかも無料のデータベースといえるユーチューブ一つを想起するだけで、だれしも一発了解だろう。そしてそんなデジタル機器やソフトの日常化によって、上記のような音楽情報をどこでもだれでも瞬時にして耳目にできるのである。 もっとも、こうしたいわば現代版口コミによる評判の拡散や拡大には、『ボヘミアン・ラプソディ』という映画作品自体やフレディ・マーキュリーなり、クイーンのコピー音楽の出来の良さが大前提となっている。 むろん私も、出来がよろしくないとも考えていない。ただ、私自身は、そもそもクイーンをビートルズやローリング・ストーンズのようなこれほどのメガヒットを当然とする正真正銘のS級アーティストと思ったことはただの一度もない。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox また以前、このフィルム同様の手法で造られたドアーズのジム・モリソンやレイ・チャールズの伝記映画と同様、さして興味がない。なぜなら、精巧なデジタル処理でいかにもホンモノらしくできている作品よりも実物そのものの音楽に耳を傾けていたいというわけで。 にもかかわらず、今般のビックリな現象というわけで、私にはそこに今ひとつデジタル社会における大衆音楽文化の成熟という現状があると思われてならない。 というか、より正確には、今やロック音楽そのものがあらゆるレベルで特別な文化でもなんでもない。それこそアイドルグループの嵐同様、クイーンも老若男女を問わず今や日常的に消費されうるポピュラー・カルチャーの一つと化しているということだ。■ 「嵐は永遠に未完成」ゆえに完璧なアイドルになった■ 「時代は変わる」ボブ・ディランの受賞は文学と音楽融合の象徴である■ ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ

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    バイトテロを「ただの馬鹿」と思うなかれ

    バイトテロ。最近、こんな言葉が巷をにぎわす。コンビニや飲食店のアルバイト店員らが勤務中に悪ふざけした不適切動画が相次いで投稿され、炎上が続いたためだ。「ただのバカ」「若気の至り」…。さまざまな声も聞こえてくるが、何が問題なのか。この現象の意味を考えたい。

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    「若気の至り」バイトテロを司法が裁くのは当然の報いである

    面した筆者としては、やむなく法的措置を講じざるを得ないこともあるので、ご留意いただきたい。■「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋■かまってちゃんをこじらせた「低能先生」のキケンな化学反応■「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている

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    動画のインパクトを感じた「変態セブンおやじ」一発アウト

    網尾歩(コラムニスト) 「変なおじさん」は実際には笑えない存在である。 日々流れてくるニュースの中には、「そんなことが起こるなんて信じられない」と思うものがある。国民的人気アイドルが未成年への強制わいせつ容疑で書類送検されたり、元アイドルがひき逃げと飲酒運転で逮捕されたりする事態がそれだ。今年の1月に、このような事件を予想できた人はほぼいないだろう。 そして、今回の事件も。 コンビニで買い物をしようとしたら、オーナーである中年の男性がズボンの中に手を入れてチャックから指を出して見せつけてくる。性器を意味する隠語を口にしたり、指で卑猥なサインを作ってこちらを見ている。あなたがここ最近のニュースをチェックしていなかった場合、これがつい先日、日本で実際に起こったばかりのことだと聞いて、素直に信じられるだろうか。 9月17日の夜、あるネットユーザーが「友人から送られてきた某コンビニ店のオーナーの動画が割とマジで狂ってる」というコメントともに動画をアップ。この動画に、女性客(おそらく2名)に対して、露骨に卑猥な言動を行うオーナーの男性の様子が映し出されていた。 動画には、会計を済ませた後も店外まで男性が追いかけてきたという説明がつけられており、オーナーがお釣りをきちんと払っていないと思われるやりとりも映っていた。 と、このように文字で説明してみても、動画を実際に見るインパクトには叶わない。男性が実際に口にした言葉は、ニュースや新聞記事では伏せ字にするしかない。「卑猥な言動」と書くことがせいぜいである。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) だからこそ、動画が証拠として残っていることに意味がある。 このニュースへの反応として、「動画を撮影する暇があるなら、さっさと逃げて通報すればいいのに」「動画を撮影する余裕があるならそんなに怖くなかったんじゃないか」といった反応が少しあるが、筆者はそうは思わない。動画なければ矮小化されていた? 動画がなかった場合、果たしてどれぐらいの人が「コンビニのオーナーがズボンの中に手を入れてチャックから指を出して見せつけてくる」という事態を信じただろうか。「見間違いなんじゃないの?」と言われたかも知れない。 信じたとしても、ああまで堂々とやる姿を想像できる人のほうが少ないのではないか。カウンターの下から、チラチラっとでしょ?ぐらいと受け取ってしまいそうだ。 性器の隠語にしても、被害者が「卑猥なことを何度も言っていた」と説明するよりも、動画のほうが何倍も雄弁だろう。 このコンビニは栃木県内のセブン-イレブンだった。今回の件が大きく広まったことを受け、セブンはオーナー本人からフランチャイズ解約の申し出を受けて21日付けで契約を終了したと報道されている。動画がなければ、これほどのスピードでの処分はなかっただろう。 その後の報道やツイッター上の情報では、このコンビニは以前から「変態セブン」と言われ、女性客や女性店員に対するオーナーの言動が問題視されていたようだ。オーナーから胸や尻をわざと触られたことがあるという、元アルバイトの女性のツイートも見られた。 こういった情報のとおり、本当にこれまでもセクハラが繰り返されてきたのであれば、それが見過ごされてきたのは確たる証拠がないことが大きな理由のひとつだったのではないか。 繰り返しになるが、あなたは入ったコンビニでオーナーの男性がチャックから指を見せつけてくることを想像できるだろうか。昭和のバラエティ番組に登場した「変なおじさん」を連想する人はいるかもしれない。しかし実際の「変なおじさん」は、笑いではなく恐怖を感じる存在なのだ。 動画の中で、女性たちは叫び声をあげている。笑い声も混じるが、その笑いは、戸惑いをなんとか打ち消そうとしている「笑い」に聞こえる。 彼女たちが戸惑いながらも動画を撮影してくれて良かったと思うのである。「変なおじさん」は多くの場合、男性たちの前ではその片鱗を見せないのだから。

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    インスタ、TikTok、LINE 「イタい大人」がはまるワナ

     トレンドを取り入れていると本人は思っているけれど、若者から見ると微妙にズレている。そんな“イタい大人”を彼らは見逃してはくれない。まずはSNS。今どきフェイスブックがメインなんておじさんだけ、インスタグラムくらいやっていないと若い子に馬鹿にされる……と思って始めたインスタも、若者は冷笑している。 「おじさんのインスタは基本的に食事を写したものばかり。しかも普通の角度で撮影していてちっとも美味しそうじゃないし、まったく面白みがない」(20代男性) 自撮り写真の角度にもおじさん感が出てしまうらしい。 「イタいくらい頻繁に自撮りをSNSにアップするおじさんは何? あとおじさんの自撮りって、下から見上げるように撮ってる場合が多い。『おじさんアングル』と呼んでいます」(20代女性) 今年、若者を中心にユーザー数が激増した動画作成・投稿アプリ「TikTok」に果敢に挑戦した人もいるだろう。しかし、というべきか、やはり、というべきか「上司が若い子の真似をしてTikTokで動画を載せると、途端に宴会の悪ノリ感が出る」といった辛辣な意見が相次いだ。 「おっさんが女子のように目をクリクリさせても、自己顕示欲にしか見えない。TikTokユーザーは“癒し”か“おもしろ”を求めているので、自己満が過ぎるものは嫌われますよ」(20代男性) さらには、「おじさんが増えてきたから、前ほどTikTokが楽しくなくなっちゃった。別に動画を投稿するのは自由だけど、若者の遊び場には入ってこないでほしいなー。空気読んで!」(10代女性) という身も蓋もない声も。最近は仕事のやりとりにも頻繁に使うLINEにだって危険が潜んでいる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「おじさんの使う顔文字って古いよね? 汗かいてる顔文字使いがち。でも友達同士のLINEって絵文字かスタンプだから、そもそも若い子はもう顔文字ほぼ使ってない」(20代女性) だからといって絵文字やスタンプならOKかというとまったくそうではないのが難しい。 「友達の間で『おじさんっぽいLINE』を再現する遊びが流行ってます(笑)。絵文字使いすぎで目がチカチカするのが特徴」(20代女性) 「スタンプの多用は年寄りくさい。スタンプを使うことが嬉しいのか、連発してくる。若者は基本的に文章を打つのが面倒だからスタンプを使うんだし、話を終わらせるときにも使うことが多いので、連発されると正直困る」(20代男性)●取材・構成/HEW関連記事■ オッサンが手を出すとヤケドするニューバランス、ノームコア■ インスタ映えを過剰に意識したある読者モデルの末路■ ウザい「インスタ蠅」から脱出した銀行員の物語■ インスタグラムの闇 借金や不倫、復讐や更新の義務化現象も■ 小学校卒業式の「袴スタイル」 親のインスタ映え競争が激化

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    「モンスター生徒」それでも守るべき?

    今年1月、東京都立高校で起きた生徒への体罰動画がネットで拡散し、物議を醸した。体罰は厳禁とはいえ、繰り返し挑発した生徒の問題行動も浮き彫りとなり、キレた教師への同情も広がったが、学校側は最後まで「教諭に非がある」と生徒をかばった。「モンスター生徒」はそれでも守られるべきなのか。

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    「Twitterで炎上させようぜ」この手の私的制裁を止める方法はある

    スの内容として、適正な広告出稿先かどうか精査することが求められていくと、私は考えている。■ 「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋■ 15歳の少女はなぜ命を絶ったのか ネット検索で救われなかった人■ DeNA「サイト炎上」MERY、iemoの原罪とカラクリ

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    教師の体罰をスマホ撮影する「告発動画」が相次ぐワケ

    渋井哲也(フリーライター) 今年1月、東京都立町田総合高校で生活指導を担当する50代の男性教諭が1年の男子生徒を殴り、その場面をスマートフォンで撮影した動画が会員制交流サイト(SNS)で拡散し、炎上騒動となった。当初、体罰部分を中心とした約20秒間がツイッターでもアップされ、テレビなどでも報道されたことで、大きな注目を集めた。 しかしその後、「ツイッターで炎上させようぜ」という音声の入った1分15秒ほどの動画もアップされ、事態は思わぬ方向へ動いた。そう、最初に炎上した動画は編集されたものだったのである。 動画の内容を丁寧に確認すると、確かに生徒が教諭に「うるせーんだよ、おらー」「これだけ言われても俺がキレないとでも思ってるのかよ」「お前の小さい脳みそで考えろ」「出て行けとか、何様だよ」などと挑発とも取れるような言葉を投げかけている。それに対して、教諭は「いい加減に外せって話だよ」などと答えている。 奥の方では、別の教職員と思われる男性が2人の様子を見ている。その男性がいなくなった後、挑発された教諭の右ストレートが生徒の顔に当たった。さらに、教諭は「てめぇ、このやろー」と生徒を引きずり、別の生徒たちもやってきて「先生、それはよくないっス」と止めようとするが、「やかましい」と聞き入れない…。 今回の問題では、後に流出した「未編集」動画を見たネットユーザーや一部の識者から、教諭に同情する声が上がった。しかし、学校は当初から「体罰をした教師が悪かった」と一貫して教諭の非を認めた。しかも、事件の30分後には、都教委に問題を報告していたのである。普段の指導内容によっては、学校側が教諭を擁護する可能性も考えられたが、いわば学校側は「暴力教師」として、この教諭を世間にさらす形を取ったわけである。 『週刊女性』に校長がコメントした内容によると、当該生徒が怒ったのは、自分がいないところで別の生徒に向かって生徒を中傷したからだったという。授業が始まったときに、生徒がそのことを持ち出して詰め寄り、廊下であのような事態が起きた。校長は「カッとなって体罰に及んだ。原因を作り、結果を含めて、やはり先生が悪い」と答え、生徒に非がなかったという認識をここでも示した。 ただ、筆者は別の面を指摘したい。それは、今の学校生活の中で教師が常に「衆人環視」の下に置かれている、ということだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 文部科学省は2009年、都道府県教育委員会に対して、携帯電話は学校の教育活動に直接必要がないとして、小・中学生に対して学校への持ち込みを原則禁止した。また、高校生にも授業中の使用を禁止したり、学校内での使用を一律に禁止するなど、実情に合わせて携帯電話の使用を制限すべき、と通知している。 しかし、現実には、学校への持ち込みを認める学校が増えている。相次ぐ動画「告発」 情報端末専門の調査会社、MMD研究所が18年4月に実施した「中高生の学校のIT利用状況調査」によると、学校へのスマホ持ち込み許可は条件付きを含め、中学生は21・6%で、高校生は84・3%に達した。許可されていると回答した中高生のうち、持ち込みで決められているルールとして、中学生で最も多いのは「学校や先生に携帯所持の許可申請をする」で49・6%と約半数に上っている。ただし、高校生は約15%弱で、本人の自由意思に任されている言えよう。 一方、高校生の持ち込みルールでは「授業中は電源を切ってカバンやロッカーにしまう」がトップで69・2%。約4割(37・4%)の中学生を含め、基本的には生徒が自主的に保管することが前提となっている。「登下校のみ使用可能」という中学生は40・0%、高校生も30・0%にとどまり、校内でのスマホ所持や使用が進んでいる現状が明らかになった。 筆者が東日本大震災の取材をして改めて感じたが、生徒が携帯やスマホを所持することは、非常事態の家族間の連絡手段として欠かせないのである。学校にいるときだけではなく、登下校中の確認には必須アイテムであり、安心安全以外でも役に立つことになり得るからである。実際、大阪府は大阪北部地震の発生後、災害や不審者対策を念頭に、校内での携帯電話使用に関するガイドラインを作成し、19年度にも持ち込みを解禁する方針だ。 このような中で、町田総合高以外でも動画による「告発」が相次いでいる。最近では、選抜高校野球大会の出場を決めた私立松山聖陵高(松山市)の野球部監督が、部員に体罰を行う動画が公開されていることが明らかになった。 選抜出場が決まった当夜に野球部の生徒によって「これが甲子園に出場するチームを導く監督のあるべき姿でしょうか? #拡散希望」とのコメントつきで、ツイッターに投稿されたとみられている。校長は「暴力ではなく、指導の一環」と体罰を否定した。 18年11月には、名古屋経済大高蔵高(名古屋市瑞穂区)の野球部で起きた体罰動画が投稿された。練習後に監督が、1、2年の複数部員に対して殴る蹴るの暴行を加え、うち3人の顔が腫れるなどのけがを負ったという。学校側の説明では「野球部で定めている携帯電話の使用ルールが徹底されていない」というのが理由だったらしい。2019年2月、部員への暴力で謹慎する監督の代わりに、選抜大会で指揮を執る松山聖陵の中本恭平コーチ 17年5月には、大阪府立今宮工科高(大阪市西成区)で男子バレーボール部の顧問の男性教諭が部員の生徒に繰り返しボールを当てる動画がネットに投稿され、体罰ではないかと物議を醸した。「私の指導力不足や焦り」と教諭は語り、「生徒の態度が今までに見たことがないくらい悪かった」とボールを当てた理由を明らかにした。 このように、スマホの校内持ち込みを認めた段階でいつ誰がどんな動画や音声を残しているか、分からない状態が当たり前になっているのである。裏を返せば、教師がどんな発言や態度を取っても、常に「見られている」ということに他ならない。生徒の側に立てば、不適切な指導や体罰は簡単に告発できるツールとなり得るわけだ。 動画や音声の存在で、何が「不適切」で何が「体罰」なのか。具体的に議論できる素地(そじ)が出来上がっていることを、学校側や教諭はもちろんのことだが、生徒たちも忘れてはならない。■ 「道徳の教科化は正しい」いじめ自殺を隠蔽する学校は信用ならない■ 「体罰禁止で指導者が去勢される」ヤクザ先生が憂う教育の危機■ 「金八先生」のいないニッポンの教育現場でいま何が起きているのか

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    ZOZO前澤氏 1億円バラ撒きの裏で株価60%大暴落の正念場

     国内最大のファッション通販サイト「ZOZOTOWN」(以下、ゾゾ)を率いる前澤友作社長(43)が、年初から世間を騒がせた。 〈100名様に100万円【総額1億円のお年玉】を現金でプレゼントします〉 前澤氏が1 月5日にツイッターでそう発表すると応募者が殺到し、応募資格となるリツイート(前澤氏の投稿の引用)数が554万回を超えた。従来のツイッター世界記録(335万回)を大幅に塗り替え、“1億円の私財バラ撒き”と報じられる騒ぎとなった。 しかし、そうした景気のいい話が続く裏には、「ゾゾの業績が苦しいことの裏返し」との指摘がある。 実は“1億円キャンペーン”発表の前日、ゾゾの株価が1843円となり、過去2年で最安値を記録していた。アパレル業界に詳しい店舗経営コンサルタントの佐藤昌司氏が解説する。 「昨年7月に記録した過去の最高値4875円から、半年間で実に60%も株価が急落しています。ゾゾスーツ(着用してスマホで全身を撮影すると、自身の体型を採寸できる特殊なスーツ)の無料配布に伴う費用がかさむなどして、2018年4~6月期の営業利益がマイナス成長(前年同期比)に終わったことなどが原因でした。 前澤氏はこれまでも、ゾゾスーツをはじめ、認知度が上がる効果を見越してあえて目立つ行動をとってきた。認知度アップをメリットと考える株主も少なからずいる一方で、かえってブランド価値を損ねるのではないかと懸念する株主も出てきている」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 心配の声があがるのは、業績低迷のせいだけではない。 「前澤氏の“話題作り”もそろそろ限界なのではないか、という声が聞こえてきます。前澤氏は7月にプロ野球球団を獲得したいと発表し、9月には民間による月周回旅行計画をぶち上げるなど、次々にニュースを賑わせてきた。年始にもツイッターのプロフィール欄に〈(女優の)剛力彩芽さんが彼女です〉と書くなどしていますが、これ以上“ネタ”があるのかと心配されています」(経済誌記者) そうした声を知ってか知らずか、1億円プレゼントの応募終了後に〈いずれ第2弾もやりたいと思います〉とツイートした前澤氏。第1弾終了翌日(1月8日終値)の株価は2066円。“3日間で223円増”のコストは前澤氏にとって高かった? 低かった?関連記事■ 剛力彩芽、前澤氏と交際でCMに影響? ランチパックに山崎賢人■ 三木谷氏、前澤氏ら、カリスマ経営者の「本当の年収」は?■ 剛力彩芽と前澤友作氏、パリでの密着2ショット写真5枚■ 剛力彩芽のインスタは、キラキラ港区女子そのものである■ 剛力彩芽&ZOZO前澤社長 車中で腕を絡める密着写真

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    「2ちゃんねるのどこが社会悪?」ひろゆきが振り返る平成ネット史

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。ひろゆきです。昨年サイバーセキュリティー担当大臣の桜田義孝五輪相が、USBを知らないどころかパソコンにも触ったことがないとかでニュースになっていたりしました。なんでそんな人がサイバーセキュリティー担当なのか不思議ですね。そんな平成の終わりですが、今回のテーマは「平成のインターネットを振り返る」ということで、おいらなりに振り返ってみたいと思います。 2ちゃんねるを始めたのは1999年、平成11年でした。インターネットやパソコン通信以前は、電話だったりテレビだったりFAXだったりという通信手段を使っていたのですが、電話やFAXは1人と1人がつながるもので、テレビや雑誌やラジオや新聞は、一方的に情報を多数に送る付けるものだったのですね。 多数の人が双方向でつながるというのは、電話を使った「パーティーライン」という昭和で育った一部の人しか知らないサービスしかなかったわけです。 パソコン通信もniftyサーブのような一部の大手パソコン通信ホスト以外は、リアルタイムで大勢の人が参加してコミュニケーションをするってのは難しかったりしました。 例えば、6人でつなごうとすると、パソコン通信やパーティラインのホスト局を開いた人がNTTに電話回線を6回線申し込まなければいけなかったりしました。 その当時は、回線を開くごとに電話加入権というものを買わなくてはいけなくて、7万2000円とかしていました。6回線引くには約50万円必要だったのですね。 というわけで、気兼ねなく多数の人がリアルタイムにコミュニケーションできる環境はインターネット無しではなかなかできなかったのですが、「そういったシステムを人はどうやって使うのか?」ってのは、試してみないと分からないので、面白そうって思って2ちゃんねるを始めたわけです。 ちなみにその頃、インターネットはマスコミや国境に縛られない「公共圏」だ、と夢を語っている人もいましたが、おいらはそんな夢を見たことはありませんでした。 あと「2ちゃんねるは匿名だから悪い」みたいなよくある誤解なんですが、2ちゃんねるは「匿名で書ける掲示板」であって、本名で書いてもいいのですね。Twitterも本名でやっている人がいるように、2ちゃんねるも本名で書いている「藤居よしおちゃん」って人もいました。世界最大級のインターネット匿名掲示板「2ちゃんねる」の旧版。ドメインは「2ch.net」=2014年4月(矢島康弘撮影) ネット上で実名を書く場合はリスクもあり、どういう情報をどこまで出すか?ってのは本人が決めることだと思うので、2ちゃんねるは匿名でも実名でも好きに選んでくださいというシステムだったりしました。 「犯罪の温床」のように2ちゃんねるが言われることもあったりしましたが、ニュースになるのはごく一部の投稿で、実際のところはしょうもない雑談がほとんどでした。それは現在のTwitterで流れているようなのと同じです。掲示板から会員制交流サイト(SNS)になっても、その中身は大して変わっていないのですね。犯罪予告が書き込まれた 2ちゃんねるが世間的に注目を大きく浴びたのは、2000年の西鉄バスジャック事件の犯人が、2ちゃんねるに書き込みをしていたことが報道された時だと言われます。西鉄バスジャック事件は、バスの中で犯罪が起きたわけですが、バスの管理会社の責任を問う人がいたら、ちょっと変だと思うんですよね。 んで、掲示板上で起きる犯罪というのは、名誉毀損(きそん)や違法な情報のやりとりぐらいで、人の生き死にに関わるような重大事件は起こり得ないんですよね。「2ちゃんねるは犯罪の温床だ」と言う頭の悪い人がそう思い込みたいのであれば、「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」という有名なセリフを送りたいです。 さて、インターネットは携帯電話の普及とともに、ますます身近なものになりました。2005年末には、携帯電話などによるインターネット利用者数が、パソコンによるインターネット利用者数を上回っていて、2017年のインターネット利用率(個人)は80・9%だそうです。そんな最近では「PCは古い、これからはスマホの時代だ」なんて人も見かけたりします。 この「PC不要論」については、モノを作る生産者と、お金を払う消費者に分かれると思うのですが、消費者であればスマホで十分だとは思います。一方で、確かにタブレットやスマホだけで仕事ができる分野も多少は出てきましたが、プログラムや動画編集など、パソコンのスペックがないと実務には支障が出るレベルのものはまだまだ多いと思います。 ただ、世の中はモノを作れない消費者が増えた方が企業はもうかるので、「スマホで十分だよね」みたいな言説は増え続けると思います。 かつてインターネットの革新だ、と「WEB2.0」という言葉が流行しましたが、今は「WEB3.0」と言っている人がいるみたいです。こういう類いの言葉は好きじゃないので、新しい用語を作って、あんまり知らない人をだまそうとする人がいつの時代も現れるなぁ…と思っています。2ちゃんねる管理人・ひろゆき氏が早稲田祭で講演会=2006年11月、東京都新宿区の早稲田大学 ということで、平成の間にインターネットは変わったのかといえば、転送速度や処理速度が上がったので、動画なども扱えるようになりましたけど、本質的な部分ではあんまり変わってない気がします。Winny(全体を管理するサーバーを必要とせず、クライアント同士で通信が完結するファイル共有ソフトウエア)やビットコイン(仮想通貨)など、中央を持たないネットワークは面白いとは思いますが、Skypeも結局中央サーバーを持つようになりましたし、実用的な部分ではまだいまいちですね…。 2018年12月にソフトバンクの通信障害が起きて大騒ぎになったり、インターネットは生活必需品になったと報道されたりしていました。普通に働いている人にとっては、必需品だと感じる人は多いと思いますが、決定権を持っている高齢の人はそう思ってないフシがあるのが、どうなんかなぁ…と思う平成最後の今日この頃です。■2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」■貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?■カラパゴスすぎるネットメディア「みんなそろってバカになる?」

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    「M-1憎まれ役」上沼恵美子がプロの仕事をしたと言える理由

    片岡亮(ジャーナリスト) 漫才日本一を決める『M-1グランプリ』(ABC、テレビ朝日系)で審査員を務めたお笑いタレント、上沼恵美子への暴言騒動が注目を集めた。発言の主は、お笑いコンビ「とろサーモン」の久保田かずのぶと「スーパーマラドーナ」の武智正剛。二人は騒動の広がりを知るや、早々に謝罪したが、ダウンタウンの松本人志ら先輩芸人からは相次いで𠮟咤(しった)の声が飛び、お笑いファンからも「彼らを見ても、もう笑えない」などと批判が高まった。 この問題には主に三つの観点がある。まず、「先輩タレントに無礼な言動をした」ことによる波紋で、これは「芸能界の厳しい人間関係」を公にした。 普段は率直な発言をする「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳も、ラジオでは「『(お笑いコンビの)霜降り明星が優勝したM-1グランプリ』って付けてあげてほしいですね。僕はもうそれだけです。それ以外のことは当事者でやっていただいて」とトラブルそのものには言及しなかった。あの明石家さんまも「会社に止められているから」と発言を控えた。久保田と武智を糾弾する以外、大物芸人たちでさえもジョークでイジりにくいほど、デリケートな問題だというのが伺える。 「人物そのものを売るタレント業では、その人物を批判すれば相手の商売を邪魔することにもなるからね。先輩に牙をむけば、その先輩に関わる事務所や番組、テレビ局など業界全体を敵に回すことになる」とは、あるタレントマネジャーの見方だ。芸能界でなくとも無礼な発言というのは嫌悪される対象ではあるが、ここでは「営業妨害」という観点が出てくるわけだ。 次に、この発言が「インターネットでの公開発言」だったという点がある。問題は12月2日の決勝放送後、武智が生中継の動画を配信中に起こった。複数の芸人が集まっていた中で、昨年の優勝者である久保田は自ら酒に酔っていることを明かしながら「そろそろ辞めてください。自分目線の感情だけで審査しないでください」と言い出した。 「1点で自分の一生が変わるんで。たぶんお笑いマニアの人は分かってますわ。おまえだよ。一番右側のクソが!」。そう言い放って机を蹴った久保田に、傍らにいた芸人らの笑い声が上がる。さらに武智と思われる声が「右のオバハンには、みんなうんざりですよ。『嫌いです』なんて言われたら、更年期障害かと思いますよ」と続けたのである。 発言内容から類推するに、これが上沼に対する暴言であることは明らかだ。動画は即座に削除されたが、視聴者の反響は大きく、2日後には二人人とも上沼の名を出して謝罪した。 タレントは売名行為も商売であり、そのためには使えるツールを何でも使う傾向が強い。たとえ、自虐ネタであっても、それを利用することで人気が上がればいいのだが、久保田と武智に関しては、わざわざ逆効果になることをやってしまったのである。 最近では、女優の剛力彩芽が恋人との熱愛ぶりをしつこいぐらいにSNSにアップして反感を買い、タレントのりゅうちぇるも入れ墨を彫ったことを公表し、バッシングを浴びた。しかも、一部ユーザーの批判に対し「こんなに偏見のある社会どうなんだろう」とわざわざ反論し、さらなる炎上を引き起こした。アナウンサーの長谷川豊に至っては「人工透析患者は殺せ」と題したブログ記事が炎上し、出演番組を全て降板する事態に発展したことは記憶に新しい。彼らに共通することは世間の反応、つまり空気を読めずに、タレントの持つ自己顕示欲の強さだけが先走ってしまったケースと言える。お笑いコンビ、スーパーマラドーナの武智。コンビで『M-1グランプリ』に4年連続で決勝進出している=2018年3月撮影 台本もなければフォローするスタッフもいない個人の活動では、そのスキルがより鮮明に露呈する。久保田も武智のケースも、後先考えずに居酒屋での放言をネットで垂れ流しただけであり、到底「芸」と呼べる代物ではなかった。 「お粗末なネット動画なんか使わないと自分を売り込めない感覚自体が二流なんだよ。他人の悪口を売り物にするというのは、芸人として最も情けない方法。『更年期障害』なんて言葉を使ってしまうのも、話芸を売るタレントとして失格でしょう」(前出マネジャー)M-1「人気」の秘密 ただ、前述のポイント2点は、当事者にとって大事ではあっても、タレントを見る側にとっては、せいぜいタレントの好き嫌いが分かれる程度の話である。それよりもっと重要な点は、この騒動で審査員と演者に「真剣勝負」の緊張感があったことが証明されたという部分に尽きる。 長年、テレビ業界を取材していると、この世界の大半のコンテンツが台本ありきの「作り物」であることがよく分かる。バラエティー番組ではお笑い芸人の発するジョークまでもが、放送作家の書く台本に沿ったものであることも珍しくない。ある番組の収録現場では、出演タレントらが高速で足踏みして歩数を競うゲームを繰り広げていたが、実は現場に計測装置などはなく、電光掲示板に表示された数値はすべて番組スタッフによる演出だった、というケースもあった。どこかの人気番組ではないが、テレビにとって「やらせ」は当たり前の感覚である。一見、出演者同士が真剣に競い合うコンテスト風を装いながら、裏では事前に優勝者が決まっている出来レース番組だって当然有り得るのである。 むろん、『NHK紅白歌合戦』の出場者の人選のように、複数のタレント事務所との関係を調整しなければならない大人の事情がある。しかし、このM-1グランプリは以前から「審査はガチ」と囁(ささや)かれてきた番組だった。 「なにしろ、島田紳助が『漫才に恩返しをしたい』と、できるだけしがらみを抑えてガチレースを実現させた番組だからね。関西のお笑い賞の中で、朝日放送は昔からガチ審査番組の試みをやってきたことがあって、その手のノウハウがあったというのもあるよ」とは関西の芸能関係者の話である。 過去には、立川談志がお笑いコンビ「スピードワゴン」の2人に対し「俺、下ネタ嫌いなんで」と100点中50点の酷評をしたこともある。松本人志もチュートリアルに対しては厳しく、島田紳助もおぎやはぎには厳しく採点をしていたが、そもそも漫才師のネタを公の場で本気でこき下ろすことは掟破りの行為である。このありそうでなかった光景こそM-1が人気となった理由の一つだろう。 これは海外でも同様の傾向があって、例えば世界的な定番となった各国のタレントオーディション番組では、決まって温情を見せない辛口の審査員がいることが前提となっている。必死の演芸を「つまらない」と一蹴する厳しさがあってこそ、珍しく褒める瞬間が最大の見せ場になり、番組の価値を上げる。 漫才のネタ中に腕を組んでピクリともせず、憮然(ぶぜん)と様子を眺めていた談志の姿は、それこそ痛快なM-1審査員の仕事だったし、遠慮しない物言いの上沼もそれを「分かって」やっていたはずだ。もっと言えば、審査員もボランティアではなく、出演料をもらっている「仕事」である以上、大御所芸人がプロの芸人を毒舌で切って捨てることも、M-1という「ショー」の大きな見どころなのである。コンテスト番組で、社交辞令のように気を使った評論が求められるのは、『NHKのど自慢』や『全日本仮装大賞』のように、出演者が素人の場合だけだ。競い合う芸人をボロクソに言えるのは、彼らが大物タレントだからであって、そうでなければ事務所同士のもめ事が絶えないはずである。 だから、視聴者をM-1に釘付けにするために、上沼は「憎まれ役」を引き受けたのあれば、彼女は「一流のプロ」の仕事をしたと言える。近年のM-1に関して言えば、古参芸人に花を持たせるように甘い採点になっていたとの指摘も多く、視聴者からは不評の声も多かった。M-1に必要なのはまさに「ガチ感」であって、審査員の発表だけでもニュースになっているのは、そのためである。落語家、立川談志さんは2002年の第2回大会決勝で審査員を務めた=2010年4月撮影 そう思えば、審査員への「噛みつき」は本来、面白い出来事だった。酷評された芸人が皆、肩を落とすだけではそれこそ予定調和にしか見えない。フィギュアスケートやプロボクシングといった採点スポーツでは、選手側の抗議はつき物であり、それこそ真剣勝負の証左でもある。 だから、「大物審査員に抗議して暴言を吐く芸人」というネタ自体は、M-1をさらに盛り上げる一種のエンターテインメントとして受け入れることもできたはずだが、残念ながら久保田と武智のそれについては、抗議の表現方法が「中傷」や「陰口」の部類にしかなっていなかった。もし、二人が上沼本人を前に、「憎まれ役」という役割を理解した上で、漫才論を投げかけたのであれば、どれだけ興味深ったことか。特に、上沼は以前「私、売れない芸人はすぐに分かるんです。間のとり方で」と言っていたこともあり、二人の主張をばっさり切り捨てたかもしれない。そうなれば、出演者と審査員の緊張が世間に伝わり、M-1にしかできない「ガチ感」が構築されたに違いない。 強いて言えば、今回の騒動が罪深いのは、これで「審査員に抗議するのはタブー」という空気感をつくったことである。ファンの間では、とかく審査の傾向に注目が集まったM-1だが、今後はそれすらタブーになりかねない。暴言を吐いた彼らの人気が今後どうなろうが知ったことではないが、真剣勝負ならではの醍醐味がもし損なわれるのだとしたら、それが一番残念である。■ やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質■ 『笑点』政権ネタの炎上騒ぎは起こるべくして起きた■ さすがダウンタウン松本「憲法9条はなめられてる」

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    芸人もアイドルもセレブも続々参戦、YouTuberはいずれ消滅する

    岡田斗司夫(社会評論家) アイドルから経済、政治まで、おたく文化に通じた社会評論家の岡田斗司夫氏。同氏は、自著『ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く』で、デジタル化と人工知能の成長が加速すると、2028年には私たち一般人に残された仕事はもはや「ない」と同氏は語っている。さらには、子どものなりたい職業の上位にランクインするYouTuber(ユーチューバー)も近い将来「消滅する」という衝撃の予測を立てている。その大胆な予測の根拠を述べる一節を同書から紹介する。 ユーチューバーに憧れる子供が増えているそうです。日本FP協会が実施した小学生の「2017年度 『将来なりたい職業』ランキングトップ10」によれば、男子児童の6位は「ユーチューバー」(2016年度は14位)。ソニー生命保険の「中高生が思い描く将来についての意識調査2017」では、「男子中学生が将来なりたい職業」の3位が「ユーチューバーなどの動画投稿者」となっています。 人気ユーチューバーは、有名タレントのような扱いを受けるようになっています。例えば、はじめしゃちょーさんが、同じ事務所のユーチューバーやファンの女性と二股、三股交際をしていると告発されて炎上、謝罪動画を公開する騒ぎになりました。また、ヒカルさんというユーチューバーがVALUというサービスを悪用したとして炎上。ほかにもたくさんの炎上事件がありました。 「ユーチューバーになって、芸能人みたいに注目されたり、チヤホヤされたい」、「俺はユーチューバーになるぞ!」なんて思っている人はまだまだ多いでしょう。 では、10年後にユーチューバーはどうなっているでしょうか? 僕らは「ユーチューブというのは誰でも動画を投稿できるサービスだから、無名な人間でも実力次第で上がってこられる」と、無邪気に信じていました。だけど、そうやって人気者になったヤツらが次から次へと不祥事を起こしている。「無名からのし上がってきたユーチューバー」に対する好感度は、著しく下がっています。 それで何が起こるかと言えば、すでにある程度知名度を得ている人たちがユーチューブに流れてくるんです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) アイドルや芸人にとってテレビやライブ会場というのは、特別なステージです。そういう場で活躍できる自分に、彼らは強いプライドを持っている。 だけど、アイドルや芸人がテレビや舞台で目立てるチャンスは、どんどん減っています。テレビの視聴率は軒並み下がっているし、「ひな壇」のその他大勢になったところで、上には行けない。運良くテレビで少々顔が売れても、安心なんてできません。番組が打ち切られたら、あっという間に活躍する場がなくなってしまいます。人工知能は疲れない アイドルにせよ芸人にせよ、テレビへのこだわりは少なくなっており、アマゾンやネットフリックス、アメーバTVなどネットへの露出を増やし始めています。日本人ユーチューバーの市場も、これから2、3年でアイドルや芸人に荒らされることになるでしょう。 そして10年以内には、日本人ユーチューバーの市場がグローバルユーチューバー、例えばハリウッド俳優やセレブに荒らされることになります。世界的な知名度のあるセレブに加えて、「面白いものをパクろう」と待ち構えている数億人、数十億人。 さらに、サバンナやジャングルに暮らす部族の人たちも、秘境の映像を毎日配信してくるわけです。そんなレッドオーシャンで、日本人ユーチューバーが存在感を示すのは、ちょっと難しいんじゃないでしょうか。 今後ユーチューバーで食っていくことが難しくなっていくと、僕が考える理由がもう1つあります。 それは、配信が「ナマモノ」でなくてもよくなるから。僕たちは、動画配信は生きた人間がやるのが当たり前だと思っているけど、そういう常識が崩れつつあります。 バーチャルユーチューバーは、その先駆けでしょう。配信者の動きや表情に、CGで作られたキャラクターをかぶせて動かすのがバーチャルユーチューバー。美少女の外見をしたバーチャルユーチューバーであっても、「中の人」はおっさんだったりします。 一昔前だったら、おっさんが美少女を演じているというのがバレたら、ファンは引いたと思うんです。だけど、ライブ配信中の事故で、バーチャルユーチューバーの「中の人」が画面に出てしまったりしても、みんなそれを面白がるようになっています。現実を「盛る」ことにみんな慣れ始めているのです。 現在のバーチャルユーチューバーは、着ぐるみみたいなものです。仮想の「皮」をかぶった人が演じているだけですが、このあたりの技術はものすごいスピードで進歩しています。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 今でもCGキャラクターとのやり取りを楽しむVRゲームはありますが、人工知能がユーチューバーになる日はそう遠くないでしょう。 人間がユーチューバーである限り、配信の頻度にも限界があります。どんなに熱心であっても、人間が作れる動画なんてせいぜい1日4本くらいが限界でしょう。でも、人工知能なら疲れることもありませんから、1日24時間365日、配信し続けられます。「出来の悪いサブ世界」 その結果、どういうことが起こるでしょうか?「AIユーチューバーの住んでいる世界」そのものを提供する娯楽が誕生する、と僕は睨んでいます。いや、もうユーチューバーではないですね。配信プラットフォームとしてユーチューブを使う必要もありませんから。 中世ヨーロッパ風のファンタジー世界だったり、SFチックな未来都市だったり、そんな仮想世界がネット上に構築されている。現実と同じくらいのディテールで描かれた世界の中には、イケメンや美少女キャラ、モンスターが生きています。 仮想世界のAIキャラは毎日、ひょっとしたら1時間に1回、30分に1回といった頻度で自分の番組を配信するんです。 僕らは、仮想世界にログインして、仮想キャラの配信や生活している様子を見ることが生きがいになる。そんな美しくてドキドキする世界に比べたら、現実なんて「出来の悪いサブ世界」の1つにすぎません。 整理すると、これから数年で日本人ユーチューバーの主流はアイドルや芸人になる。10年以内には言語の壁が崩れて、グローバルユーチューバーに日本人ユーチューバーは淘汰される。そして10年後、人間ユーチューバーは、AIユーチューバーに淘汰される─―。 SF映画『ターミネーター』では、サイバーダイン社の作ったアンドロイドが人類を武力で制圧しますが、そういう未来は起こらないのではないでしょうか。 人類はたぶん人工知能に支配されるでしょう。だけど、それは武力によってではありません。 彼らの武器は、「面白さ」だったり、「可愛いらしさ」だったり、「毎日100回更新するマメさ」だったりします。人類には不可能な安定した魅力や進撃速度で、僕らの日常生活における興味関心を占有してしまうんです。 こうなると、「人工知能が支配する」という言い方はもはや適切ではないかもしれません。「人工知能が人間のフォロワーを独占する」ということになるんじゃないでしょうか。関連記事■ 岡田斗司夫 今の若者が「大事なのはお金じゃない」と語る理由■ 【欅坂46 長濱ねる】遠藤周作『沈黙』の思い出■ AI搭載の監視カメラが「神」になる日

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    BTS「原爆Tシャツ」騒動から日本人が学ぶべきこと

    山岡鉄秀(AJCN代表) 朝鮮半島出身の「出稼ぎ労働者」に対する韓国大法院(最高裁)判決には、さしもの日本政府も激怒したようだ。「国民情緒が憲法より上位にある国に謝罪して金を払って丸く収めようとする」ことが、いかにバカげたことか、理解してくれただろうか。 そこへきて、今度は韓国の7人組男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」の騒ぎである。もちろん私も心底あきれたが、日本人にとってはこの機会に十分学べるか否かが「運命の分かれ道」となる。この厄介な隣国は、今後も必ず日本に厄災をもたらすからだ。しかも今回、原爆Tシャツ騒動が「ナチス帽」に移るに至って、なんと傍観していた私まで巻き込まれてしまった。 BTSメンバーの一人が、ナチス帽をかぶってポーズを取ったことに、米ユダヤ系団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」から非難声明が出された。だが、こともあろうにツイッター上では、日本を罵倒する韓国人のツイートであふれた。「韓国人に戦争犯罪を押し付けたい日本人がフォトショップで鍵十字(ハーケンクロイツ)に見えるように細工した」などと主張したのである。 さらに「鍵十字が張り付いた帽子はウェブ上にしか存在しない、だからそれ自体がフェイク」という言説まで飛び出した。とにかく、全て「日本人が悪い」の大合唱だ。そこで、私は韓国に詳しい友人に依頼して調査した。 すぐに、問題の画像が2014年に発行された『CeCi(セッシ)』という雑誌の20周年記念号に収録されていることが分かり、1冊取り寄せることにした。インターネットオークションでは、すでに6千円以上のプレミアム価格がついているものもあった。 また、韓国人ファンが雑誌をめくっている写真がネットにアップされていたので、確認してみると、問題の帽子には確かに鍵十字とドクロが付いている。スタイリストの所蔵であることも書いてある。 こんなことは今時、1時間もあれば分かることだ。それをすごい剣幕(けんまく)で、SWCに「日本人のねつ造だ」と告げ口し、「日本人が戦争犯罪をBTSに擦(なす)り付けようとする謀略」だの、「旭日旗こそがハーケンクロイツだ」だの、彼らは次から次へと嘘をついたのである。2018年9月、米ニューヨークの国連本部のイベントで話す韓国の男性音楽グループ「BTS」のメンバー(聯合=共同) しかし、SWCの声明を読み解くと、彼らが問題にしているのはむしろ、鍵十字の下にあるドクロであることが分かる。このドクロは、まさにユダヤ人殲滅(せんめつ)を任務としたナチス親衛隊(SS)のシンボルであり、ユダヤ人には当然忌み嫌われている。 そのことに気が付かない韓国人たちは、鍵十字はフォトショップで細工されたものだと説得しようと文字通り必死になっていた。墓穴を掘っているようなものだ。「戦争犯罪国の分際で…」 とはいえ、筆者が仕方なくそれらの事実をツイートすると、案の定反発する韓国人から反応があった。 「これはフォトショップで加工されている!」「戦争犯罪国の分際で、なぜ堂々と意見しているのか! 反省しろ!」 さらには、もっともらしく「シンボルの不適切な使用は世界中で見られるものだ。それをヘイトに転換すべきではない」などと英語でツイートしてくる人までいた。要するに、その場で出任せの嘘をついて、通じないと分かると論点のすり替えを始める。それでも通用しないと分かると、急にハングルで書いてきたりする。わざわざ訳して読むとでも思っているのか。 そうこうしているうちに、BTSの所属事務所が原爆Tシャツもナチス帽も不適切だったと認めて、謝罪を表明してしまった。すべて嘘だと決着したので反発も収まり、静かになった。しかし、目の前で噂に聞く「火病(ファビョン)」を見せつけられた。本当に恥も外聞もない。なるほど、慰安婦問題の狂乱もこれと同じなのだ。事実など関係ない。ひたすら憤怒を吐き出し、まことしやかにどんな嘘でもつく。 ここで、日本人が学ぶべき大事なことが二つある。このような韓国人への対処法と、現代韓国人のメンタリティーの理解だ。 別の機会に詳述するが、日本は世界でも稀有な、道徳と性善説を基盤とする国なので、このような相手に出くわすと大概面食らって「相手にしても無駄だから放っておけ」という対応を取りがちだが、それは間違いだ。殴り返してこないと分かると、どこまでもエスカレートしてしまう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そもそも、モラルや論理ではなく、感情を最優先して行動している。もっと言えば、積年の民族的鬱憤(うっぷん)を晴らす機会を常に求めている人たちだから、大人の対応は逆効果になる。まず、普段は極力かかわらないようにし、それでもちょっかいを出してきたら、何倍にもなって返ってくると分からせてあげなければならない。 そして、韓国がいかに理不尽で不誠実であるかを繰り返し世界にアピールする。それでようやく正常な関係が築けるだろう。すぐに激高する相手だから冷静な対処が必要だという人もいるが、今回のように思い通りにならなければ、いずれにしても「火病」を発症するのだから、たとえ目の前で半狂乱になられても、動ぜずに間違いを追及し続ける冷徹さこそが必要だ。 何度でも繰り返すが、「日本人の常識」は国際社会では何の役にも立たない。まず「人間関係ありき」ではないのである。一般の人間関係と外交は全くの別物であることを、いい加減に学ばなくてはならない。 次に、この「壊れてしまったような」韓国人の性格は、今後もますます酷くなることはあっても、良くなることはないということを理解しておく必要がある。なぜならば、これこそ長年の教育(洗脳)の成果だからだ。この隣人とのベストな付き合い方 韓国では、若い世代ほどゆがめられた歴史を教え込まれている。朴槿恵(パク・クネ)前大統領はそれを是正しようとしたが、文在寅(ムン・ジェイン)政権になってからは再び左傾化した。 原爆Tシャツには「Liberation(解放)」と書かれている。つまり、韓国は健全で美しく文化的な独立国だったが、悪辣(あくらつ)な日本帝国に自由を奪われて抑圧され、原子爆弾による日本の敗戦で解放された、という作り話を信じ込まされている。 その背景の下、彼らはこのような教育を受けている。男は奴隷にされて軍艦島のようなところで搾取され、女は慰安婦という名の性奴隷にされた。朝鮮民族は「光復軍」を組織してよく戦い、ついに日本を追い出したが、親日派から親米派に寝返った売国朝鮮人による支配は続いた。 その点、早くから日帝も米帝もソ連も追い出し、朝鮮民族によって「主体思想」を貫く北朝鮮はより高潔で正当性を持った国家だ。「できるだけ早く一緒になって、核兵器を共有してアジアの強国となり、日本を屈服させて積年の鬱憤を晴らすべきだ」と。しかも、若い世代ほどそう信じ込んでいるのである。 韓国人の古老が教えてくれた。彼らは、勝手に歴史を歪曲(わいきょく)し、自らを復讐(ふくしゅう)の権利を持った被害者に仕立て上げ、恨みつらみを糧にして生きている。もとより、他人の不幸を喜ぶことに恥を感じない。私は、その民族的幻想を「恨(ハン)タジー」と名付けた。 このやっかいな隣人とは「ヒット&ステイアウェー」、すなわち「おとなしくさせたら、可能な限り距離を置く」のがベストである。ところが、まずいことに「極左活動家」文大統領の下で、韓国は自らを北の独裁者に捧げようとしている。 在日米軍が、韓国人の基地への立ち入りを一時厳格化したと報じられた。今後、半島有事の作戦統制権が米軍から韓国軍に移行すれば、米国は韓国を見捨てる可能性がある。朝鮮戦争以来、再び大勢の韓国人が命を落とし、日本へ難民として押し寄せる事態が現実味を帯びてきた。「歴史を忘れた民族に未来はない」はまさに韓国人のための言葉であり、それゆえに自滅の途上にあるのだが、巻き添えを食らって日本が甚大な被害をこうむる可能性がある。 「出稼ぎ労働者判決」の非道に際し、日韓議連が苦心しているとの報道もあった。「平和ボケ」もここに極まれり、だ。いったい何を苦心する必要があるというのか。2018年10月30日、韓国「徴用工訴訟」で日本企業に賠償を命じた判決が確定し、記者会見する原告の李春植さん(中央)と支援者ら(共同) 出稼ぎ労働者判決も、原爆Tシャツも、ナチス帽も、通底する問題は同じだ。韓国とは距離を置き、かつ来るべきカタストロフィー(大災難)に備える。そのリアリズムを持てずに、偽りの「日韓友好」を夢想すれば、滅びるのは日本の方なのである。

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    「バンタン見れなくてショック」BTSを擁護する韓流女子の生態

    鈴木朋子(ITジャーナリスト) 「この日のためにテスト頑張ったのにー!」。ある女子中学生がインスタグラムのストーリーに叫んだその日は、BTS(防弾少年団)の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)出演予定の日だった。 BTSは韓国の人気アイドルグループだ。2013年に韓国で、2014年に日本でデビュー。2017年には人気チャート「ビルボード」トップアーティスト10位にランクイン、iTunes(アイチューンズ)のアルバムチャートでも全世界73カ国で1位を獲得するなど、輝かしい活躍を見せている。 現在、グローバルツアーの真最中で、国内では11月の東京ドームを皮切りに、四つのドームでコンサートを行う。所属事務所によると、東京ドーム公演では計10万人の観客を集めたという。 そのBTSのメンバーの1人が、過去に「原爆Tシャツ」を着ていた写真がネットを駆けめぐっている。Tシャツにはキノコ雲と韓国国民が万歳している様子がデザインされていた。 事態を重くみたテレ朝は、ミュージックステーションへのBTS出演を取りやめた。さらに、複数のメディア出演がキャンセルとなり、楽しみにしていたBTSファンが悲しみの声を会員制交流サイト(SNS)に寄せたというわけだ。 その後、BTSが過去にナチスのシンボルであるハーケンクロイツ(鍵十字)が入った帽子を着用していた画像や、イベントのパフォーマンスでナチスをイメージさせる旗を振って公演を行った画像がインターネットで話題になり、内定とまでうわさされていた『紅白歌合戦』の出演も果たせなかった。NHKは選考にあたって、「総合的に判断した」とし、個別の選考基準については答えていない。 一方、その紅白歌合戦に2年連続で出場を決めたK-POPアーティストがいる。TWICEだ。TWICEは韓国で結成された9人組の女性グループで、メンバーには韓国人のほかに日本人と中国人が含まれている。 NHKによると、TWICEは今年リリースされた作品がすべてチャートで1位を取っていることなどが依頼の決め手だったという。しかし、メンバーの全てが韓国人であるBTSとは異なり、韓国色が薄いためではないかという推測の声もある。 現在の韓国人気は「第3次韓流(はんりゅう)ブーム」と言われている。女子中高生向けのマーケティング支援などを手がける調査会社AMFが発表した「2018年上半期のJC・JK流行語大賞」では、「ヒト部門」の2位にBTS、4位に4人組ガールズグループのBLACKPINKと、2組の韓国アーティストがランクインした。東京・新大久保の韓国料理店=2018年6月 そして「モノ部門」の1位に選ばれたのが、「チーズドッグ」というチーズがたっぷり入った韓国発のホットドッグだ。チーズが伸びる様子が「インスタ映え」すると大人気になり、新大久保の店舗には行列が絶えない。 コリアンタウンと呼ばれる東京・新大久保には韓国のファッションやグルメ、コスメが全てそろっており、休日ともなれば、若い女性を中心に道路も店も大混雑を見せている。同社が2017年12月に発表したランキングにもTWICE、チーズタッカルビ(鶏のカルビ焼き)、ウユクリーム(コスメ)など韓国発のキーワードが並んでおり、韓国人気は依然衰えていないことがうかがえる。英語よりもハングル お気づきだろうか。日本の大人が抱く韓国へのイメージとは全く異なる感覚で、10代は韓国カルチャーを楽しんでいるのだ。 筆者が取材で知り合う中高生たちは、全員がK-POP好きというわけではない。テーラー・スウィフトやワン・ダイレクションといった米英のアーティスト、そしてもちろん国内のアーティストが好きな人たちもいる。 しかし、大人が青春時代に感じていた洋楽や欧米の生活への憧れは、ほとんど感じられない。英語をマスターするよりも、韓国語を学んだり、ハングルが書けたりすることが「イマ風」なのだ。 中高生のLINEを見ると、プロフィルなどに表示される「ステータスメッセージ」にハングルで思いをつづっている人たちがいる。ツイッターやインスタグラムのプロフィルにもハングルをよく目にする。当然、彼女たちとつながっている友人全員が理解できるものではない。その「わかる人にはわかる」暗号のような加減もいいのだろう。 また、「いいねジュセヨ(いいねください)」と韓国語を一部組み合わせて使う人や、「センイルチュッカヘヨ(誕生日おめでとう)」と韓国語でLINEのバースデーカードに記す人も珍しくない。昭和のころなら、少し気取りたいときに英語やフランス語などで書く人がいたが、今どきの若い子は韓国語を使うのだ。 そんな世代が今回の騒動をどう見ているのか。修学旅行で広島の原爆ドームを見てきた女子中学生に話を聞くことができた。 彼女はBTSのファンではないが、TWICEはかわいい、とSNSでチェックする程度のK-POPファンだ。修学旅行でガイドや被爆者から話を聞き、原爆の恐ろしさを知ったという彼女はこう言っていた。 「もしバンタン(BTSの愛称)が原爆のことをバカにしていたら頭にくるけど、きっとそれほど考えていないんだと思う。バンタンが好きな友人は、とにかくMステ(ミュージックステーション)でバンタンが見られないことにショックで、それ以上のことは考えていなかった。今は来日してるから、握手会やら何やらで忙しくて忘れてる」 さらに、BTSファンの友人が紅白歌合戦の選考に漏れたことについて何か言っているかを尋ねたところ、そもそも紅白を重視していないので問題ではないらしい。2018年11月、韓国・仁川で公演する韓国の男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」のメンバーら(聯合=共同) BTSは最近の呼び名で、元々は「防弾少年団」という名前だ。防弾チョッキが軍をイメージさせるからか、BTSファンは「ARMY(アーミー)」と呼ばれる。とすると、政治的思想から今回のような行動を起こしていた印象も受けるが、防弾少年団の由来は「10代、20代に向けられる抑圧や偏見を止め、自身たちの音楽を守り抜く」であることから、関連はないのだろう。BTSの所属事務所は11月13日に「被害に遭われた方を傷つける意図は一切ない」と謝罪の言葉を発表した。 今回の件は日本の韓流ブームにそれほど影響していないように感じるが、軽率な行動により日韓の若者の心に澱(おり)がたまっていく可能性もある。影響力の大きいアーティストとして、今後の活動に期待したい。

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    RADWIMPS、セカオワ炎上で「文句言うな」というファンの謎

    網尾歩(コラムニスト) ツイッターで可視化される、教育の敗北。 RADWIMPSが歌う「HINOMARU」が物議を醸した。「高鳴る血潮、誇り高く この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊」「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」などの歌詞が、まるで戦時中に国威発揚のために歌われた軍歌のようだと批判を集めたのだ。 作詞者でありボーカルの野田洋次郎は、「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」とインスタグラムに綴り、ツイッターでも引用している。国旗や国歌における論争は日々続いており、このような歌詞について本気で「何の思想的な意味も」「右も左もなく」が通ると考えているのなら、純粋に勉強不足なのではないだろうか。 この発表から約5日後に出した文章で、野田は「(軍歌だという意図は)1ミリもありません」「色んな人の意見を聞いていてなるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした」と書いている。 なんというか、無邪気である。 もしこの歌詞が波紋を呼ぶことを想定していなかったのだとしたら、このような無邪気さは、本来周囲が指摘するべきなのではないかと思う。発売前に指摘を受け、「それでも出したい」と思うなら、それは覚悟だろう。しかし、発売後に意見を聞いて「なるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるか」と気づき「傷ついた人達、すみませんでした」と謝罪するのは、たとえパフォーマンスであったとしても、ちょっと、いやかなり格好悪い。 とはいえ、この件についてはすでに「RADWIMPS「HINOMARU」について」(武田砂鉄)、「RADWIMPSの新曲「HINOMARU」に関するから騒ぎについて」(赤木智弘)などで論考されているので、ここまでにする。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「#セカオワ来韓公演ボイコット」というタグが飛び交ったのも6月中旬だ。4人組バンド「SEKAI NO OWARI」の舞台セットが女性蔑視だとして批判されている。 ツイッター上にアップされている写真では、昭和時代のキャバレーや風俗街をモチーフにしたのかと思われるネオン装飾がある。「Drink Me」の文字の横にカクテルグラスに入った女性、ヒールを履いた女性の足3本、水商売風の女性など。 抗議のツイートには「#WOMAN’S_BODY_IS_NOT_ORNAMENTS」「NO STAGE FOR SEXIST」の文字がある。「みんな一生懸命」という擁護 ある韓国人ファンは、日本語で次のようにツイートした。ここ最近、ツイッターの通知でいろんな方と意見を交わしました。「ボイコットをしてたのしいですか?」とか、「ボイコットをしたらファンではない」という言葉ももらいました。私は私が好きなアーティストが来韓してほしいです。ですが、その前に好きなアーティストが「差別主義者」だと言われるのは嫌です。(略)セカオワが私に教えてくれたのはある問題から「沈黙しない勇気」と「目を逸らさない勇気」です。(略)セカオワが正しいフィードバックして、みんなの声を聞いてくれるアーティストに成長してほしいです(日本語の文法を一部修正) 韓国のファンからは「フィードバックがほしい」という声が目立った。女性の体を性的なモチーフに使うこと、それを無批判に装飾に使うことは、新しい趣向ではない。それはもう古い時代の「楽しみ方」で、現代でやることではない。なぜ「セカオワ」が、このような現代では差別的だと批判を浴びるようなステージセットを作ってしまったのか。本人たちの説明を聞きたい。それが、韓国のファンたちの言いたかったことなのではないだろうか。 国内からもこのボイコットに対する賛同や理解がある一方で、ファンからの反発はやはり強い。その中で気になったのは、「みんなが作ったステージを悪く言われるのは許せなかった」「みんなが長い時間かけて考えてくれたステージセット」「メンバーが一生懸命作り上げたものなのに」といったコメントだ。 RADWIMPSの件でもそうなのだが、若い層に多く見られる「一生懸命作ったものなのだから、文句を言わないで」という反応は一体何なのだろう。 このようなコメントをする層の何割かは、なぜ抗議されているのかを理解していないというか、抗議の内容にはあまり興味がなく、ただただ「自分の好きなものにケチをつけられた」ことに傷ついているように見える。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「ボイコット」という言葉を、暴力的なもの、「テロ」と同種のものと誤解していると思われるコメントも見られた。「ボイコット」は、抗議の意志を伝えるために不買などの行動を行うもの。今回の場合、韓国のファンたちは「このステージセットを使うのであれば来韓ツアーには行かない」ことを示していたと思われる。むしろ対象へ接触しない行為だと考えられるのだが。 日本人のセカオワファンは「みんなが作ったステージ」と書いている。好きなアイドルやバンドのメンバーに対して、ファンが「みんな」という言葉を使うことは、たびたび見られる。まるで過保護な保護者 「みんな」が「一生懸命」やっているのだから悪く言わないでという擁護を繰り返し見て感じるのは、若年層のファンの一部は、まるで自分の好きなアーティストは社会的に弱い立場にいるかのように思っているのではないかということだ。 RADWIMPSやセカオワは、興行的に成功しているバンドといって差し支えないだろう。国内外に多くのファンがいる。だからこそ、発言や行動がときとして批判されることがある。それを「一生懸命やってるんだから」とかばうのは、まるで自分の弟妹か子どもをかばうかのような理屈だ。この、自分たちの好きなものへの無垢さは何なのだろう。 かつてセカオワのボーカルと交際関係にあり、現在もメンバーと親しく交流するきゃりーぱみゅぱみゅは、このタイミングで3連続ツイートをした。「クリエイティブなものなのに言いがかりつけて表現できなくなって死んでいくことが悲しい。攻めていけない世の中」「くそつまらん!!!!!!!!!」「なんでも文句言ってくる姑みたいな大人にだけはなりたくない」 これがセカオワの騒動について触れてのことであれば、いただけない。「クリエイティブなもの」に、一般人は抗議の声を上げてはいけないのか。 また、セカオワの舞台セットは新しいものだから批判されているわけではなく、古臭い価値観に縛られているように見えるから批判されている。つまり「攻めて」いるのではなく旧来のジェンダー観を「守って」いるように見えるから批判されていることをわかっていない。 「フィードバックをください」と日本語で書く韓国ファンの多くは対話を求めている。しかし、日本のファンの一部は、抗議や疑問の声を「悲しいこと」「あってはならないこと」のように捉えてしまう。一生懸命やってるんだからと擁護し、「抗議なんて無視すればいい」もしくは「メンバーに何かあったら危険だから韓国ツアーは中止して」といった100か0かのような結論を出そうとする。 まるで、過保護な保護者のようだ。彼らはそうやって育てられてきたのだろうか。 意見の対立や議論、対話から新しく生まれるものがある。世の中に発表されたものについて、誰でも批評していいし、意義を唱えることもできる。批評や異なる意見は、新しいものの見方を知る機会でもあるし、新しいクリエイティブが生まれるきっかけにもなる。そういったことを若者たちが知らないのであれば、大人たちが行ってきた教育の結果なのだろう。

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    猛威を振るう「不謹慎狩り」の正体

    「不謹慎狩り」が猛威を振るっている。大災害などが起こるたびに、有名人らのSNSを攻撃し、誹謗中傷を繰り返す。些細な言動を勝手に「不謹慎」と決めつける異常な現象だが、どうもその正体はごく一部の、しかも孤独な連中によるものらしい。彼らはなぜ「狩り」を続けるのか。

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    ひとりぼっちで生きる「孤人社会」が他者への不寛容を増幅させる

    遠藤薫(学習院大教授) 「不謹慎狩り」あるいは「不謹慎たたき」といった言葉をよく耳にする。 事故や災害などの悲劇が起きると、社会全体に悲しみが広がる。そんな状況で、共感的悲しみにそぐわない発言や行動が、非当事者から、過剰ともいえる批判を受ける現象を「不謹慎狩り」や「不謹慎たたき」などと呼ぶ。 それにしても「狩り」「たたき」とは嫌な言葉だ。ある日突然「おまえは魔女だ」と名指され、残酷な刑に処せられる中世の「魔女狩り」を連想する。「池に落ちた犬はたたけ」という言葉もある。内容の是非はともかく、強者が弱者をたたきのめすイメージは愉快なものではない。 「不謹慎狩り」という現象で、なぜ狩人たちが「強者」となり得るかといえば、「つらい思いをしている人たちに対する共感(配慮)を欠いている」という主張が、一見、抗(あらが)いがたい「正論」と感じられるからであろう。 確かに、つらい思いをしている人たちのつらさが増すような心ない振る舞いをたしなめることは必要かもしれない。ただし、それが相手をたたきつぶすような過剰な制裁である場合、そのような行動自体が「共感を欠く」行為となる。ましてや、過剰な制裁がウイルスのように広がって、「不謹慎な行為者」に対する公開リンチになるような事態はまったく本末転倒である。しかも、「不謹慎に見える言動」が本当に「浅慮」や「共感のなさ」によるかものかどうかは微妙である。 例えば、東日本大震災後、被災地の子供たちが「津波ごっこ」をしていることが困惑的に取りあげられたことがあった。しかし、児童心理学者によれば、心に傷を負った子供たちは、無意識に、その体験を遊びによって克服しようとするのだという。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) にもかかわらず、「不謹慎狩り」が起こるとメディアで注目されることが多い。 しかし、他の研究者たちも指摘しているように、「不謹慎狩り」を実際に行っている人は極めて少ない。筆者が2017年10月に行ったインターネットモニター調査(N=1676、本稿で参照する「調査」はこの調査である)では、「不謹慎狩り」を含む「炎上」案件に加わったことがあると答えた人は、全体の1・4%にすぎなかった。つまり、「不謹慎(に見える)言動」を具体的に「狩ろう」とするのは、実際には少数意見であるにもかかわらず、社会的には非常に大きく可視化されてしまう傾向があるのではないだろうか。「間メディア」の時代 なぜ小さな声が大きく響くようなことが起こるのか。それは今日のメディアの発展によるものだ。ソーシャルメディアは言ってみれば、すべての声、ありとあらゆる発言を、広い範囲に送り出す。こうした発言は、リツイートされたり、「いいね」されたりして拡声されていく。 ただし、リツイートや「いいね」をする人は、必ずしもその意見に賛成だったり共感したりするからそうするわけではない。「え?」と思ったり、驚いたり、反発したりする場合にも、その意見はリツイートされて、さざ波を起こしていく。 さらに、「ネット時代」と言われる現代だが、マスメディアも依然として大きな影響力を持っている。マスメディアは、ソーシャルメディアで拡声された「ちょっと変わった意見」を取り上げることもある。批判的だったり、冷笑的だったりするかもしれないが、昔からよく言われるように、「犬が人間にかみついてもニュースにならないが、人間が犬にかみつけばニュースになる」のである。マスメディアに取り上げられた話題は、ソーシャルメディアでさらに注目の話題になる。 こうして、もしかしたら誰も賛成しない「変わった意見」が、広く社会に認知されるようなことも起こり得る。それが、マスメディアとソーシャルメディアが相互に影響し合う「間(かん)メディア」の時代の特徴である。 さて、先にも指摘したように、悲劇的な状況の中で、不謹慎な言動をたしなめようとしたりすること自体は悪いことではない。ただそれが、「不謹慎たたき」と呼ばれるような、一方的で、過剰に不寛容な批判は望ましくない。 しかも、上に述べたように、常識を外れるような「狩り」が社会的認知を得ると、それに触発されて、つらい状況にある人への共感というより、自分の中の攻撃性を発散させるかのような「不謹慎狩り」に同調する者も現れる。それが伝染し、増殖していくことで、本来はちょっとした「義憤」であったかもしれないものも、相手の実名や住所を曝(さら)したり、脅迫したりする「不謹慎狩り」と呼ばれるような過剰な社会的制裁へと自己増殖していく。 このとき、元にあったはずの「つらい人々」への共感は次第に忘れられ、個人的な「正義」によって他者への不寛容がむき出しになっていく。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) すると、このような状況に違和感を抱く人も現れる。その結果、「不謹慎狩り」を行う人をたたく「『不謹慎狩り』狩り」が始まることもある。「『不謹慎狩り』狩り」も、それが過剰な不寛容性と攻撃性を帯びるならば、「不謹慎狩り」の過ちを正すことにはならない。方向は違ったとしても、「共感」とはさらにかけ離れた不寛容の暴走にしかならない。 そのため、「『不謹慎狩り』狩り」はさらに「『不謹慎狩り』狩り狩り」を産み出し、幾重にも「『不謹慎狩り』狩り狩り…狩り」を自己増殖していく。そして「共感」は、もはや思い出されることもないくらい遠くに置き去りにされてしまう。図1 「不謹慎狩り」と「「不謹慎狩り」狩り」の循環的自己増殖不寛容が蔓延する理由 このような現象が起こると、「ソーシャルメディアが普及したから…」といったソーシャルメディア原因説が語られる。もちろん、メディア環境が変わることで社会は変化する。先にも述べたように、マスメディアとソーシャルメディアが相互作用する「間メディア」の時代には、このような現象がこれまで以上に「見える化」されているのは確かだろう。けれどもその新しいメディア環境を生み出したのはまさにその社会なのである。その意味で、社会とメディアは一体のものといえる。 では、なぜ他者に対する不寛容が蔓延するのか。 ロバート・パットナムという米国の社会学者は、これを「社会関係資本」(人々のつながり)の低下によるものと分析している。彼は、社会的なつながりがなくなると、人は孤立し、他人への寛大さや、他人と自分が平等だという意識、そして政治的参加の意欲が低下すると指摘し、それは世界的傾向であると述べている(『孤独なボウリング』)。図2 困ったとき、誰に頼ることができるか(%、複数回答) 日本でも「社会的なつながり」の低下が指摘されている。例として、筆者が行った調査の結果を図2に示す。これは、災害、健康問題、仕事、経済状態などで困ったとき、誰に頼ることができるかを尋ねた結果である。これによれば、現代の日本人は、困ったときに頼りにできるのはほぼ家族である。家族がいない人は厳しい状況に置かれることになる。頼れるものは何もないという人も多い。何とも寂しい社会の風景である。 図3は、近所付き合いについて聞いた結果の一部で、近所の人と生活面で助け合う関係を持っている人の割合を示した者である。性別では女性の方が、年代では高年齢層の方が緊密な近所付き合いをしている。ただし、70代とそれ以下では大きなギャップがある。世帯年収では高所得層の方が近所付き合いをしているものの、1200万円以上になると少なくなる。居住地では、予想に反して非都市部でむしろ低く、地方中都市で最も高くなっている。図3 近所に日用品の貸し借りなど生活面で助け合っている人もいるという回答の割合(%) いずれにせよ、その割合は極めて低く、図2とも合わせて、地域共同体の衰退がうかがわれる。「地域」は人々が協力し合って生きる所ではなく、寝食のためのカプセルとしての「住居」がただ並んでいるだけの場所になりつつある。 このように個人が孤立した状況では、人は他人に共感を持つよりは、自己を守るために他人に対して不寛容な構えをとらざるを得なくなるのかもしれない。そのストレスが、具体的に自分に被害の及ばない「不謹慎行為」にさえ攻撃的行動をとらせ、それを一種のエンターテインメントとするような心的態度を構成するのかもしれない。 ひとりぼっちで生きる「孤人」たちの社会が、生き心地の良い社会であるはずはない。 「不謹慎狩り」を鏡として、他者に対する「共感」と「寛容」をもう一度育て、生き心地のよい社会について考えたい。

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    貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?

    西村博之(2ちゃんねる創設者) こんにちは。ひろゆきです。さてさて、世の中には、いろんな人がいて、その人なりのいろんな趣味や楽しみ方を持っていたりします。 SMなどで痛みを感じることが快楽になる人や、ホラー映画やお化け屋敷で恐怖を感じることを楽しいと考える人、大幅な速度違反をして高速道路を走り回って命の危険を感じることで生きている実感を味わったりする人とか、同じCDを100枚買って女の子と握手することで喜びを感じる人、とかとか。 最近、ネットで割りと見かけるようになったのが、「怒る」ことを趣味にする人たちだったりします。不快になったり、腹が立つようなニュースをわざわざ読みに行って、怒りを文章にしてぶつけてたりする人たちですね。 ネトウヨ(ネット右翼)と呼ばれる人が、ネトウヨサイトで、日本を卑(いや)しめてるような記事をわざわざ読んで、その国の政府やその国の人たちを罵倒したりするコメントを書いたりしていますよね。 限りある人生の時間を、不快なものをわざわざ見て、怒って、嫌な気持ちになって、他者を罵倒したりするというのは、そういうことにまったく興味がない人からみると、時間の無駄だし、アホなことやってるなぁ、と思えるようなことだったりします。 そういったサイトの中にはヘイトスピーチで訴えられて裁判で負けたりしてるサイトもあるんですけど、一説によると、1日に4500万ページビュー(PV)ぐらいあったそうです。 ということで、こういった「怒る」というエンターテインメントで余暇を過ごす人が、日本人の中にはそれなりに大勢いるってことだと思うのですね。 なので、「なぜこういうことをやるのか?」というと「不快になる」という最初の段階が目的ではなくて、「怒って、他者を罵倒する」ということの方が目的だったりします。だから、こういったネトウヨサイトは大体コメント欄があったりします。 一般のニュースサイトってコメント欄のないところの方が多いですからね。だから、日本を貶(けな)す人たちを罵倒するということは、彼らの脳内ではある種の正義の鉄槌だったりするのかもしれませんね。「彼らの誤った認識を正すのが日本の国益だ」みたいな。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 普通に考えれば、外国人に言いたいことを「日本語で日本のサイトに書いても読まないでしょ?」 っていう当然のツッコミがあるはずなんですが、ネトウヨな人たちはそういうのは気にしないみたいです。 つまり、本当に外国の人の考えを改めてもらうために書いているわけじゃなくて、罵倒したり非難したりという他者を責める発言が目的なんですね。 ということで、他者を責めるということに快楽を感じる人たちが世の中にはそれなりの人数がいるのです。ただ、その攻撃をするためには大義名分が必要だったりします。非のない人を攻撃していたら、ただのおかしな人ですからね。快楽と正義の一石二鳥 「非のある人を正義の名の下に攻撃する」というのは、彼らにとって、正義を執行することで社会のためであり、自らも快楽が感じられるという一石二鳥だったりするわけです。 というわけで、そんな彼らは、ネットで「非のある人」を探してたりするので、ネット上で不謹慎なことだったりを見つけては攻撃する「不謹慎狩り」と呼ばれるようなことが起きたりします。 世の中にはもっと面白い娯楽や、エンターテインメントがいっぱいあったりします。異性と楽しい時間を過ごすとかでもいいですけど。ただ、そういったことには、コミュニケーション能力やお金が必要だったりします。でも、そういったお金や能力のない人でも「楽しめる娯楽」が他者を責めることだったりするわけですね。 金融広報中央委員会が2017年に、日本全国の20歳以上で、2人以上で暮らしている8000世帯に調査をした結果、銀行や証券会社の口座を持ってない人たちと口座はあるけど、残高が0円という「金融資産ゼロ世帯」が全体の31・2%もいることが分かりました。ちなみに収入がないという世帯が9・9%です。10世帯のうち1世帯は無収入だったりもするわけです。 収入や財産がある人は別のもっと楽しい趣味にお金を使えるわけですけど、そうじゃない人が世の中にいる限りはこういった「不謹慎狩り」のような行為は続くんじゃないかと思います。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 昔は、インターネットはそれなりに高い金額のパソコンを買った人が、プロバイダーと電話代を払ってインターネットにつないでいたりしたのですが、今やインターネットは無料の娯楽なので、お金のない人ほどインターネットが趣味ってことになっているようです。 ということで、「不謹慎狩り」の解決策は景気が良くなって、みんながそれなりに余暇にお金が使えるようになることが対策になるはずなんですけど、来年は消費税が増税らしいので、他者を責める人がますます増えるんだろうなぁ、と思います。

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    「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) 9月6日、女優の長谷川京子さんの写真共有アプリ「インスタグラム」が炎上した。内容は、友人の誕生日を祝う食事会の写真だったが、これが同日未明に発生した北海道胆振東部地震直後の投稿であり、被災した方々が大変な時に「不謹慎」「不適切」とされたのだ。 翌9月7日、長谷川さんは「写真のものは随分前に撮影したもので、ここ数日行われたものではありません」と釈明しながらも、「北海道では大きな災害があり、労りの言葉なく、空気の読めないものをあげてしまったこと、現地で大変な思いをされている方に失礼な事をしてしまいました。申し訳ありませんでした。これからは今まで以上に、このような事が起きないよう注意していきます」と謝罪し、当該の投稿を削除した。 今や、大きな自然災害や事件・事故が起こるたびに、有名人のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が炎上するのがもはや恒例となっている。熊本地震の際だけでも、藤原紀香さん、上地雄輔さん、紗栄子さん、みのもんたさん、西内まりやさん、長澤まさみさん、川谷絵音さん、その他政治家やテレビ番組まで、その発信に対して批判の渦が巻き起こった。 7月の西日本豪雨の際も、山田優さんが自撮り写真とともに「梅雨も明けた? ので夏の必需品~!」として愛用している紫外線(UV)対策用のスプレーを紹介し、「無神経」と批判を浴びた。 もちろん、炎上の陰には同意や賞賛のコメントも少なからずあり、「謝罪する必要はない」「アンチがコメントしているだけ」と擁護する声も多い。しかし、批判された有名人のほとんどは、弁明したり謝罪する事態に追い込まれている。 ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(SJW)という概念がある。直訳すると「社会正義の戦士」だが、差別や不祥事、悪行などに対して、ブログやネット掲示板、SNSなどインターネット上で激しく戦う人々のことを指す。「不謹慎狩り」もほぼ同義であるといってよい。女優の長谷川京子さん 元々は2009年ごろから、皮肉や当てこすりを込めた蔑称(べっしょう)として使用されてきたインターネット上の俗語(ネットスラング)だが、2015年には英オックスフォード大出版局の英語辞典に新しい単語として採用された。 編集者の箕輪厚介氏は、9月10日放送のTOKYO MX『ばらいろダンディ』の中で、「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアーはめちゃくちゃ害悪だと思ってます」「一番大事なのは相手にしないことですよ。できるだけ『こいつらクズだな』って言い続けることが大事だと思います」と持論を展開、猛批判して注目を浴びた。なぜ「正義の戦士」になるのか なぜ、人は「社会正義の戦士」になってしまうのだろうか。 実は、心理学的に見ると、その背景はそれほど深くない。もちろん、人が何らかの行動を起こす際には、何かしらの感情や欲求がその裏にある。具体的には、一般人には経験しづらい有名人の暮らしに嫉妬していたり、投稿には関係なく仕事など自分の社会生活や家族関係に不満を抱えていることの発散であったり、元々対象となる有名人が嫌いで、批判したり貶める機会を探っていたなど、さまざまな「思い」だろう。 あるいはファンが賞賛していたり同意していたりすることに対する、「逆張りの精神」が発揮されているだけだったり、「発信者本人が気づいていないであろう視点に自分は気づいている」という自己顕示的意味、さらには社会正義的な言動を展開する憧れの人物の模倣(モデリング)の場合もあることと思われる。 いずれにしても、ある種一時的で、誰しもが日常的に抱き得る心理的反応である。その意味では、極端にいえばSNSを利用している人の全てが、いつ「社会正義の戦士」になってもおかしくはないのである。 とはいえ、炎上に関わる人々は実際にはごく一部である。 ジャーナリストの上杉隆氏は「以前、ブログで靖国問題のことを書いたら炎上してしまいました。3日間くらい放置していると、700以上のコメントが付いていたので、IPアドレスをチェックしてみた。すると、コメントしているのはたったの4人」としている。 ※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) また、IT大手ドワンゴ創業者の川上量生氏は「2ちゃんねるの管理人を長く務めていた西村博之氏によると、『2ちゃんねる上でのほとんどの炎上事件の実行犯は5人以内であり、たったひとりしかいない場合も珍しくない』らしい」と、著書『ネットが生んだ文化-誰もが表現者の時代』の中で言及している。 過去、筆者の研究室で行った大学生を対象にした1500人規模のアンケートでも、「ネット上の炎上」を目にしたことがある者は全体の8割にも上るのに対して、過去1回以上、実際に書き込んだことがある者は、全体の約1・5%しかいないことが明らかになっている。ちなみにその約1・5%のうち、約75%が「10回以上の書き込みをしたことがある」と答えている。自分は「聖人」相手は「愚人」? つまり、批判的言説の蓄積はまさにごくごく一部の利用者によって形成されているのである。現実的ではないにしろ、炎上参加経験者をIPアドレス等のIDで排除することができれば、おそらく高い確率で上述したような「有名人の炎上」は起こりにくくなるだろう。 多くのSNS利用者は、日常で抱えるさまざまな負の感情を、炎上という形に転化させることなく日々生活している。しかしながら、一部の者ではあるものの、「社会正義の戦士」化し、SNSが本来の使い方ではないコミュニケーションに利用されてしまう現状を踏まえると、「どうしたらそうならないか?」という予防法を考える意義がある。ここに心理学をベースにしつつ、三つのコツを提案したい。 一つ目は「自分の批判的・攻撃的コメントに対して、相手の立場で反論してみる」ことである。 特に、生活の文脈を完全には把握することができないSNSでは、他人と意見が違ったり、自分の価値観とは違う言動を目にした時に、自分が正しくて、相手が間違っている、と感じる傾向が強いと言われている。極端に言えば、自分は「聖人」、相手は「愚人」と錯覚しやすいのである。 これには人間の本質的な自己防衛や自己肯定の欲求が反映されているわけだが、その傾向が強くなりすぎると、人としての正義があたかも一つかのように感じられてしまう。 「〜してはいけない」「〜ねばならない」に毒されている今の日本の風潮にも影響されてはいるが、本来多様な正義や価値観、ルールがあることを、あえて相手になりきってみて反論することで改めて自覚できる能力が私たちには備わっている。 心理療法の一つの技法に、エンプティー・チェア(空の椅子)といって、現実には眼前にいない実在の相手が目の前の椅子に座っていると仮定して、座り位置を交換しながら自分や相手の気持ちを深く掘り下げていくという方法がある。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 具体的な思考を通じて相手の立場になれたとき、なぜ自分が怒りや不満を抱えていたのかを考え直したり、相手に向けられた批判や怒りが、実は自分自身の欲求や自我の投影であることに気がつくのではないだろうか。「嫌悪」は30分 二つ目は「実名でSNSを書く」ことである。主に使用するアカウント(利用権限)の他に二つ目のアカウントを実名で持ったり、実名でコメントを書くことを想像するのでもよい。 匿名だったものを実名にすることは、SNSが現実の人間関係や社会生活により近くなるということでもある。自分の価値観に沿わない、気に食わないからといって、街中や会社や学校で、自分の不満を言語化してわめき散らしたり、批判を繰り返している人はいるだろうか。 また実名にすることは、攻撃だけでなく、防御、つまり自分を守ることを考えなければいけなくなる。匿名のときは攻撃して自分のスッキリ感を追求しているだけでよいが、実名にすると発信者としての存在が明確になる分、自分の言動が逆に批判にさらされることを否が応でも意識させられることになる。それだけで、他者への攻撃的・批判的発信が抑制的になるだろう。 三つ目は「コメントを下書きして、数時間を置いて送信か不送信かを再判断する」ことである。 2014年にベルギーのルーベンカトリック大のフィリップ・バーダイン教授とサスキア・ラブリセン教授が行った研究によると、一時的な感情の持続時間は意外と短い。例えば「嫌悪」は30分、「屈辱」は0・8時間、「苛立ち」は1・3時間、「怒り」は2時間、「ストレス」は3時間、関連するもので一番長い「妬み」でも15時間しか続かない、とされている。 日常的に関係を持たない間柄である有名人からの投稿を通じた一回の刺激は、一時的な感情しか生起しえない。そのため、数時間を置くことで、ほとんどの批判的コメントの源泉は心理的には消失するであろう。※写真はイメージです(ゲッティ・イメージズ) 日々に追われているわれわれは、自分の感情が伴わない投稿を機械的に行うほど暇ではない。時間が経つことで、下書きしたこと自体も忘れてしまう可能性さえあるだろう。 もちろん、事の本質を突く、真の社会正義に基づく言動も中には含まれているかもしれない。一時的な感情によらない言説は、もちろん適切に示されるべきことは言うまでもない。

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    マナー警察と礼儀ポリス ネットに見る「叩き仕草」と架空の炎上

    網尾歩(コラムニスト) 市川海老蔵さんのディズニー行きが炎上したのか。ディズニー行きを「非難した人」が炎上したのか。そもそも非難した人はどれほどいたのか。 最愛の妻、小林麻央さんを亡くした市川海老蔵さん。その後も子どもたちの様子や、妻への愛、舞台に挑む姿をブログに更新し続けている。先日帰宅ラッシュの電車内で、前に立っていた女性がスマホで海老蔵さんのブログを開いていた。夫婦2人合わせてのブログ読者数が350万人以上とも言われるそのブログの更新を待っている人は確かに多いのだろう。 有名人のブログには、「マナー警察」「礼儀ポリス」と言ってもいいようなコメントが寄せられることが多い。「マナー」と言えば聞こえがいいが、実際は勝手な“常識”の押し付けである。ママタレントたちの弁当写真にいちいちツッコミを入れる人たちが良い例だ。 麻央さんの訃報後、あのヤフコメでさえ海老蔵さん一家に同情的だった。幼い子を残して母が逝くというこれ以上ない悲劇の前に、ネットにつきものの皮肉や中傷は鳴りを潜めた。しかしその一方で、「マナー警察」は存在したようだ。 6月末に更新したインスタグラムで、海老蔵さんは「更新しすぎという意見もあるとか。確かにその通りです」「ごめんなさい。御理解してくださいとは言いません。居ても立っても居られないとき、私の一つの支えになっています」と綴っている。変わらずにブログの更新を続けていることに疑問の声があったことを伺わせる。 有名人がブログを書くことは、一種のパフォーマンスと思われがちな面がある。また、一般人であったとしても、遊びや趣味のひとつと見なされがちなブログを書くことは、家族の不幸の直後で「不謹慎」と見なされがちなのかもしれない。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) しかしそれはやはり、“常識”の押し付けというものだろう。人が支えとするものに、誰がケチをつけられるというのか。ブログの更新を支えとするのは、若い世代に限った話でもない。2009年、結婚したばかりだった長女を肺がんで亡くしたタレントのキャシー中島さんは、直後に3日間ブログを休むことを告げたが、翌日には更新を行った。海老蔵さん同様にブログを「心の支え」と綴り、「あまりにも心が空洞でなにでそこを埋めていいかわかりません」と書いた。 家族を亡くした後に、ブログを更新し続けるのはなぜか。ブログ読者との交流に癒されることも理由だろうが、愛する人を亡くした人にとって、思いを吐き出す行為は、それ自体が大きな意味を持つのだろう。悲しいと書き、故人の思い出を綴ること。それは亡き人、そして自分と対話する時間なのだろう。デマにも似ている「怒り」 さらにツイッター上で話題となったのは、「ディズニー目撃説」。海老蔵さんが2人の子どもを連れてディズニーランドを訪れた様子を目撃したという投稿があり、一部で「不謹慎」の声が上がった。そして、これに対して怒りをあらわにする人が続出した。「叩く方がどうかしてる」「いつなら不謹慎じゃないの?」といったツイートが多く拡散されている。 海老蔵さんは麻央さんの闘病中から、たびたび子どもを連れてディズニーランドを訪れる様子を投稿していた。年間パスポートを持っているらしく、忙しい中、午前中など数時間だけ遊んだと思しき投稿もあった。特別な場所というより、よく訪れるお馴染みの場所なのだろう。 一方で、この「炎上」に関しては、次のようなツイートもかなり拡散されている。 「『海老蔵がディズニー行ってて不謹慎とか言ってる奴がいるけど、じゃあ何時なら不謹慎じゃないんだ!』みたいなのがTLに流れてきたので海老蔵ディズニーを不謹慎と叩いてる人がいるのか検索したら1人も見つからんかった。」(「みんないったい何と戦っているんだ……」というイラスト付き) 目撃情報が書き込まれたネット上の掲示板では「喪が明けないうちから…」などの意見があったようだが、ツイッター上ではこういった意見は確かに少ない。むしろ、引用したツイートのように不謹慎と言った人を非難するコメントの方が圧倒的に多いと感じる。 この件に限らないが、ツイッター上ではしばしば、「実在しないか、もしくは実在してもごく少数の意見」に対して怒りを表明する様が見受けられる。そしてその怒りの表明は多くの共感とともに拡散され、拡散数が増えるほど、さも批判する対象が巨大であるかのように見える。「こんな意見があった!」と過剰に言い立てることは、デマにも似ている。2018年4月、奉納演舞のため成田山新勝寺を訪れ、あいさつする市川海老蔵 そういえば麻央さんの訃報に関しては、実在の弁護士に対する嫌がらせ目的の「なりすましツイート」が拡散され、そのデマに騙された人が多かった。 ブログ更新やディズニー行きを非難する人、非難する人を咎める人、なりすましツイートに騙される人、デマに怒る人……。悲しみや怒りが飛び交っている。それもこれも無情な運命を目の当たりにし、多くの人が感情の行き場をなくしているための混乱と見るのは、甘い結論だろうか。

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    災害時の「不謹慎厨」対策、芸能人におかしな作法が定着

     ネットスラングとしてよく用いられる「厨」という言葉は、まるで中学生のような大人げない言動をする人を指す「中坊」の誤変換「厨房」がそのまま使われ、さらに略され広まったものだ。「○○厨」と呼ばれる場合は、馬鹿にした意味が含まれる。そのバリエーションのひとつ「不謹慎厨(ふきんしんちゅう)」とその対策について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が解説する。* * * SNSが普及して以来、地震を含めた災害が発生した場合に「不謹慎厨」がネットに発生するのは見慣れた風景となったが、6月18日に発生した大阪北部地震では別ステージに昇華した。不謹慎厨の意味はネットの百科事典「ニコニコ大百科」には「なんらかの悲劇が起きた時、全くの無関係のものまで道徳や被害者感情を害するとすると非難し、自粛を求める人」とある。 2011年の東日本大震災の時は、猫の画像をツイッターにアップしたり、仲間と楽しそうにやっている状況や、イベントが楽しみだなどとツイートするだけで不謹慎厨からの総攻撃を食らった。2016年の熊本地震の際は、長澤まさみが笑顔写真をインスタグラムにアップしたら被災者感情を考えろ、不謹慎だ、と叩かれた。ベッキーとの不倫騒動直後の長崎出身・川谷絵音は、家族が無事だったことをツイートしたら「お前は熊本じゃねぇだろ! 被災者ぶるな」と非難が殺到した。 東日本大震災の時、あまりの「不謹慎厨」跳梁跋扈に対抗すべく、ジャーナリストの佐々木俊尚氏はあえて高級イタリアンで高級ワインを飲みに行くことをツイート。実際に店内の写真も公開し、さらに「不謹慎ディナー宣言!」とも一言だけツイートした。すると、「物凄い非難の嵐が不謹慎ディナー宣言に」という状態に。挙句の果てには古い友人まで非難をしてきたため、同氏はその人物との友人関係を終了宣言した。 とにかく地震が発生すると、ピースサインや高級寿司は不謹慎の象徴的存在として忌み嫌われ、そのツイートをした人間を叩く根拠として特別な意味合いを持つこととなる。今回の大阪北部地震では、不謹慎厨の勢いは東日本・熊本の頃と比べれば強くはない。しかしながらどうにもイヤ~な作法も定着してしまった。何かをツイートするにあたり、「こんな中、不謹慎かもですけど」や「不謹慎だと言われるかな……」と前置きをしてからツイートをするのがマナーになったのだ。 何らかの議論をする時、相手を批判する場合は前置きをする話法があるが、それに似ている。「こんなことを言うと非常識かと思われるかもしれませんが……」「この問題に苦しんでいる人がいるのは理解してますが……」「とても失礼な言い方になるかもしれませんが……」などは日常的にもよく聞かれる。自分が非常識で冷徹で失礼な人間だと理解していると予め宣言しておくことにより、批判をすることが許されると考える「予防線話法」である。「こんな中、不謹慎かもですけど」的な前置きも今回続出しているが、同様の予防線話法としてSNSでは定着したのかもしれない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そんな状況下、芸能人のブログやSNSの世界においても“不謹慎厨対策”は定着した感がある。過去の芸能人炎上騒動の教訓から、各人がよく学んだ。現在のトレンドは「すぐに被災地への心配と配慮の言葉をつづる」「写真は掲載しない」「宣伝材料があるにしても『こんな時に恐縮ですが…』と書く」の3点。 後は誰かが能天気なことを解禁するのを息を潜めながら待ち、普段通りの更新に戻るタイミングを見計らうのだ。実にくだらん作法だ。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■ ネットの気に食わない発言、いちいち勤務先に抗議する愚■ 学歴フィルター リスク覚悟で「なぜ使うか」人事担当者語る■ YouTubeで人気者になりたがる子供にどう対応すべきか?■ 熊本地震で「不謹慎厨」が大暴れ 長澤まさみも標的に■ 不謹慎厨もそれを叩く人も「似たようなもの」との指摘

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    インスタは「平和の国」、ツイッターは「修羅の国」は本当か?

     SNSにおけるネット炎上は、様々なきっかけで起きる。実にどうでもよい投稿者のプライベートに対するやっかみによって火がつくことも少なくない。そんな中、Twitterからインスタへの「亡命宣言」をしたのが、炎上芸人・ウーマンラッシュアワーの村本大輔。その村本のツイートについたコメントに見る「ネットのコメントの本質」について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が説く。* * * お笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔が10月9日に「リア充達の平和の国Instagramへ亡命してきます。またいつか。」とツイートし、『ウーマン村本がツイッターから「亡命」宣言』などと報じられた(村本は翌日からもツイッターは更新)。 これの意味は「文字中心のツイッターは荒れるので写真中心で平和なインスタに移る」「民度が高いインスタと民度が低いツイッター」ということだろう。そんな彼が「亡命宣言」をした後と見られるタイミングでインスタについたコメントが、ネットの書き込みの本質を突いている。〈インスタグラムが平和と勘違いしてる段階でアホさらしてるよね…Facebookもだけどインスタグラムなんて見栄の張り合いだし、Twitterなら通じるネタなんか嘲笑のネタでしかない〉 村本のことを嫌いだと明言している人物ではあるが、「アホ」はさておきこの意見は正しい。芸能人がツイッターを辞めると宣言する場合、大抵はアンチからの罵倒に疲弊した結果である。ただし、インスタなら安心、というのは恐らく違う。現にこのコメントにしても、「アホ」と書いているだけに、ツイッターに寄せられる罵倒と同様のものだ。インスタだから民度が高いということはなく、女性モデルや芸能人のインスタのコメント欄には怪しげな化粧品やサプリメントの広告的コメントが書き込まれるし、罵倒も書かれる。 それは、村本を「アホ」扱いした人物が言及したフェイスブック(FB)も同様である。2010年頃に日本でFBの人気が爆発したが、当初「実名制なので荒れない」といった言われ方をしていた。だが、その定説は違う。 2013年8月、NTTドコモがFBで「家族割」の告知をしたのだが、そこに書き込まれたコメントが「韓国かぶれのドコモはバカだ」「よっ!売国企業」「早く朝鮮携帯の専門店になり、キムチドコモで出直した方がいいよ」などだったのだ。 無害な告知なのになぜこんな書き込みがあったのかといえば、この頃はドコモがiPhoneを発売する前の時期にあたる。同社はソニーとサムスンのスマホをツートップにすると発表したのだが、韓国企業であるサムスンのスマホが入ってることから怒り出す人が登場した。 この時、実名であろう人々が前出のようなコメントを書いたのだ。名前をローマ字表記にしたり、写真のアイコンを設定していない人もいたが、「実名が抑止力にならない」ことを示した騒動だった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ネット上からネガティブな書き込みをなくすことはできない。人間の心が決して清廉潔白でない以上、そうした邪な心を持っている者が書く文章だってどうしようもないものになるのは当然の話だ。 村本が一瞬でもインスタを「平和の国」と捉え、ツイッターを「修羅の国」と捉えた気持ちも分かる。だが、一傍観者としては村本はツイッターで好き放題喋り続け、時にはケンカしたり炎上している時の方がイキイキとしているように見えてしまう。インスタでは海外のおしゃれ生活を投稿し続けているが、ツイッターを続けているのは何よりだ。関連記事■ 芸能人のSNS炎上回避法、ひたすらしみったれた話を書こう■ 橘玲×中川淳一郎 ウェブへの希望が幻滅へと変わるまで■ 大物二世の一茂と良純 「炎上しない安心感」で爆売れ中■ 橘玲×中川淳一郎 Hagex氏刺殺事件はなぜ起きたか■ ネットの気に食わない発言、いちいち勤務先に抗議する愚

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    暴かれた「漫画村」、ブロッキングは本当に必要か?

    河本秀介(弁護士)  アニメや漫画などのコンテンツ産業にとって、出版社や作者に承諾なくコンテンツを公開し、広告収入などを得る、いわゆる海賊版サイトが大きな問題となっています。 海賊版サイトの中には、「漫画村」(既に閉鎖)などのように、国内で出版されているコミックの主要タイトルのほぼ全てが無料で読めるようになっているサイトもあります。 当然ながら、海賊版サイトのアクセス数がいくら増えても権利者には1円も還元されません。また、出版社や作者としては、本来であれば出版や配信によって得られたはずの利益が奪われているため、多大な被害が生じているといえます。 このような海賊版サイトは実態を掴むのが難しく、既存の手続では差止や損害賠償が困難だとして、プロバイダ側でユーザのアクセスを遮断する、いわゆる「ブロッキング」を実施すべきという議論もされています。 そんな中、先日、漫画家から委託を受けた弁護士の一人が、米国の訴訟手続を利用することにより、海賊版サイト(おそらく「漫画村」だと思われます)の運営者とみられる人物の氏名や住所などの情報を取得することに成功したことを発表しました。 この弁護士はどのような方法でサイト運営者を特定したのでしょうか。また、これにより海賊版サイトに対するブロッキングの議論はどうなるのでしょうか。※画像はイメージです(GettyImages) 出版社や作者といった著作権者に無断で漫画などの著作物をインターネット上にアップロードし、利用者に閲覧させることは、著作権を侵害する行為です。 このような違法アップロードに対しては著作権法に基づく刑事罰が科せられる可能性があります。また、出版社や作者は、違法アップロードによって不当に利益が奪われていることになりますので、著作物を違法アップロードした者に対して、本来得られたはずの利益を損害賠償請求することが考えられます。 もっとも、損害賠償請求などを行うためには、まずは著作物を違法にアップロードした者(加害者)がどこの誰かなのかを突き止める必要があります。インターネットには匿名性がありますので、通常は容易ではありません。従来と異なる方法で突き止めた 違法アップロードがSNSや掲示板などのウェブサービス上でなされている場合には、ウェブサービスの管理者やプロバイダに発信者情報を開示させることが可能です。この場合、多少手間はかかりますが、多くの場合、加害者の氏名や住所を突き止めることが可能です。 これに対して加害者が独自に海賊版サイトを立ち上げ、管理・運営しているような場合には、ウェブサービスを介した情報開示はできません。 この場合でも、ドメインの所有者情報や、IPアドレスからホスティングサービスを割り出すことで、ウェブサイトの運営者が誰なのかを突き止めることができる場合もあります。 しかしながら、海賊版サイトの運営者は、通常は、ドメイン取得代行サービスなどにより所有者情報を匿名化しています。また、海外のホスティングサービスを利用している場合、日本の裁判手続により発信者情報の開示を求めることには困難があります。 とりわけ悪質性の高い業者の場合、他の世界から孤立した法律の及ばない地域などに設置されたサーバによる匿名性の高いホスティングサービス(いわゆる「防弾ホスティング」)を利用して運営者がどこの誰なのかを巧妙に隠蔽しており、運営の実態を突き止めるのは困難でした。 今回、前述の弁護士は、従来とは異なる方法で漫画村の運営者情報の取得に成功したと発表しました。 海賊版サイトは、サーバにアクセスが集中することによる通信障害を防ぐため、往々にして、コンテンツデリバリネットワーク(CDN)と呼ばれる配信サービスを利用しています。CDNは契約者のサーバにあるデータを世界中に設置されたサーバにコピーして配信することで、契約者のサーバへのアクセス負荷を低減し、通信速度を維持するサービスを提供しています。今回運営者が特定されたとされる海賊版サイトも、米国のCDN大手であるクラウドフレア社のサービスを利用していました。※画像はイメージです(GettyImages) 同弁護士は米国の法律事務所と提携し、米国の裁判所にクラウドフレア社に対する著作権侵害訴訟を提起し、米国の裁判所の命令により、クラウドフレアに漫画村の運営者に関する情報を開示させたということです。 現状では海賊版サイトが防弾ホスティングだけで大量の通信を行うことは困難です。よって、海賊版サイトが匿名性を維持したまま通信速度を確保するためにはCDNなどを利用することが必要になってきます。CDNから情報を得ることが可能となると、海賊版サイトなどの運営者を特定できる可能性が高まるといえます。通信の秘密が侵害される 今後、米国の裁判所を活用したCDN事業者からの発信者情報の取得がノウハウとして定着した場合、海賊版サイトが正体を隠匿しながらアクセスを拡大する手段のひとつが使えなくなることになるため、海賊版サイトを抑制することができると期待されます。 海賊版サイトに対しては、内閣に設置された知的財産戦略本部でも対策が検討されています。なかでも、ネットユーザが海賊版サイトにアクセスしようとした場合に、プロバイダ側で強制的に接続を遮断するなどの「ブロッキング」の導入の是非を巡って議論となっています。 これに関して、知的財産戦略本部は本年4月13日、特に悪質な海賊版サイトに対してブロッキングを実施できる環境整備が必要であるとして、法制度が整備されるまでの間の臨時的・緊急的な措置として、特に悪質性の高いサイトについて民間事業者の主導でブロッキングを行うことが適当などとする緊急対策案を決定・公表しました。 その後、知的財産戦略本部に「インターネット上の海賊版対策に関する検討会議」(タスクフォース)が置かれ、海賊版サイト対策について、ブロッキングの法制度化の是非を含めた議論がされています。 このように違法なサイトを見られなくしてしまうという措置は、一見すると理にかなっているように思えるかも知れませんが、実は、ブロッキングには、主に憲法に定める通信の秘密との関係で課題があります。 ブロッキングを行うためには、違法なサイトへのアクセスかどうかにかかわらず、あらゆるネットユーザのアクセス情報を取得し、そのアクセスがブロッキング対象かどうかをチェックする必要があります。海賊版のアップロードが絶えない中国の検索サービス「百度(バイドゥ)」の文書共有サイト「バイドゥライブラリ」 憲法に定める通信の秘密には、通信の内容だけでなく通信を行ったこと自体の秘密が含まれると解釈されていますので、プロバイダがユーザのアクセス情報を網羅的にチェックすることは、通信の秘密を侵害する可能性があるというわけです。 ブロッキングに反対する側は、ブロッキングは憲法で定められた通信の秘密に抵触する可能性があり、また、表現の自由や知る権利からも問題が大きいとしています。 ブロッキングに賛成する意見も、ブロッキングが通信の秘密を侵害する可能性があることは認めたうえで、海賊版サイトへの実態の解明が極めて困難であるため、権利保護のため緊急かつやむを得ない措置として認められるべきとするものが大半です。ブロッキングは本当に必要か なお、10月15日に開催された検討会議では、ブロッキングに対する賛否の意見が鋭く対立したまま協議が終了し、今後の協議の見通しも立っていないという事態になりました。 私の見解ですが、やはりブロッキングには弊害が大きいと言わざるを得ないでしょう。特に、海賊版サイトの実態解明に有効となる可能性の高い手段が見つかった以上、ブロッキングの是非については、ブロッキングが真に海賊版サイトに有効な手段となるかどうかも含め、今まで以上に慎重に検討されるべきだと考えます。 ブロッキングは、いうなれば国やプロバイダが、有害と判断したウェブサイトを法律などで閲覧させないことができるということです。仮に法律を作ったとしても、安易な運用によってブロッキングの対象がなし崩し的に拡大した場合、インターネットを通じた表現や議論が過剰に制約されるおそれもあります。 ブロッキングには、運用を一歩間違えると情報の管理社会化を招きかねない危うさがあります。 これに対して、従来は海賊版サイトに対してブロッキング以外に有用な手段が見当たらないという前提で議論が進められていました。CDNを通じた情報取得の途が拓けたとなると、議論の前提が覆された格好となりますので、従来の議論も見直される必要があると思われます。少なくともブロッキングありきで議論を進めるべきではないでしょう。※画像はイメージです(GettyImages) 知的財産戦略本部の検討会議での中間取りまとめ案が先送りになったことも、拙速な議論を回避するためにはやむなしと考えます。 海賊版サイトにより、出版社や作家に多額の損失が生じていることは事実であり、対策が急務であることは間違いありません。また、ブロッキングが海賊版サイト対策に有用な手段となる可能性があることも否定できないでしょう。 だからといって安易にブロッキングを導入した場合、情報の管理社会化に向けたパンドラの箱を開けることになりかねません。いま一度、原点に立ち戻った議論が必要だと感じます。

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    脱法まとめサイト 収入源は仮想通貨のマイニングへ

     著作権を無視したまとめブログや無断転載サイト、アダルトサイトの収益は広告を自動表示させるアフィリエイトのシステムを利用したものが主流だった。ところが最近では、訪問者が閲覧するだけで仮想通貨のマイニング(採掘)を自動的にさせることで利益を得る手法が広まっている。ライターの森鷹久氏が、脱法サイト管理が本業となった元システムエンジニアに、収益構造の変遷を聞いた。 * * * 関東在住の星川一夫さん(仮名・30代)が、いわゆる脱サラをし、ネットビジネス一本でやっていこうと決意したのは五年前。システムエンジニア(SE)だったが、サラリーマン収入を副業収入が超えてからちょうど半年経ったタイミングだった。「会社の月給が手取り23万円で年収は350万くらい。いくつか持っていたホームページのアフィリエイト収入は月に40万円だったので、思い切ってネット一本でやってみようと……」(星川さん) 趣味の「アダルトサイト閲覧」中に、ふと「もっと見やすいサイトが作れるのでは?」と思い、わずか半日でオリジナルのホームページを作り上げた。掲示板にアドレスを張ったり、ツイッターで宣伝アカウントを作ったりして、一か月後には一日に数万アクセスを稼ぐようになった。 成功のきっかけは「日本人以外のアジア人にも見てもらえるようなサイトを作った」こと。中国語、韓国語に加え、タイなど東南アジア諸国のユーザーにも見てもらえるよう、多彩な言語の翻訳システムを組み込んだ。同様のサイトを二つ、三つと公開し、二年前には一日の総アクセス数は数百万をたたき出し、ホームページの広告収入だけでも月収100万円を軽く超えるようになった。しかし……。カフェでアフィリエイトサイトを作る男性=2018年4月11日、埼玉県(共同)「要は、ネット上の脱法サイトに上がっている有料動画を違法に転載しているだけでした。転載するためにいくつかの有料サイトに登録していて、自分のサイトのコンテンツ制作料はそこの会費だけです。月に数万円かかる程度だから、収入に比べて安上がりですよ。いつかはできなくなるだろう……と思いながら早5年。ズルズル続けちゃっている……」(星川さん) 脱法サイトとは、日本国内では違法な無修正アダルト動画などを、海外のサーバーに置いたホームページを通じて主に日本国内の日本人ユーザーに閲覧させているサイトだ。昨年、これら脱法サイトを通じて違法な動画を撮影、販売していた人物らが摘発されたこともあったが、当局と脱法サイト運営者のいたちごっこは今なお続き、脱法サイトの根絶は「事実上不可能」(捜査関係者)という状態なのだ。脱法サイトの新たな収入源 こういった実情について、頭を悩ますのは何も当局関係者だけではない。アフィリエイト広告を手掛けるネット広告事業者らも、違法サイト、脱法サイトに広告を掲載することで収益を上げるユーザーの排除を目指す。広告主が望まないサイトに広告が掲載されてしまうのを防ぐためだけでなく、犯罪行為に収益を与えないためだ。「アフィリエイト広告が掲載された違法なサイトを確知し、広告の掲載をストップさせるシステムの開発や、収益を凍結する通知を出しています。はっきり言って焼け石に水、といった状況で、そのシステムすらかいくぐる上級ユーザーもいます。でもやらないよりはマシで、当局側への"対処しています"というアピールにもなっている」(ネット広告代理店営業マン) 前述の星川さんも、こうした当局、広告代理店側からの規制をうけ、これまでに閉じたサイトは数が知れないと話す。しかし、すでにアフィリエイト広告で収益を上げるというスタイルは「時代遅れ」とも語り、さらなる収益の増加に自信をのぞかせる。「アフィリエイトで儲ける限界を感じていたところだったし、私のサイトに広告を載せてくれるような事業者、代理店は怪しげな薬やグレーなアダルト広告ばかりで、ユーザーがクリックしたり購入してくれることはまずない。収益が上がらない状態が続いていました。最近だと仮想通貨事業者の広告ばかりで、これもほとんど収益の増加は見込まれない。それに引きかえ、来訪ユーザーに仮想通貨の"マイニング"をさせる、といった方法は効率的で、収益の大幅な増加が見込まれました。現在は、アフィリエイト広告とマイニングの二本柱で、以前の1.5倍ほどの収入があります」 星川さんの運営するサイトには依然として「アフィリエイト広告」が張り付けられているが、ユーザーがクリックしたり、広告を通じて商品を購入してもらわないと収益は出ない。ところが「仮想通貨のマイニング」であれば、ユーザーがページを訪れるだけで収益が見込まれる、というわけだ。サイバー犯罪に詳しい大手紙記者が解説する。※画像はイメージです(GettyImages)「仮想通貨取引は、取引履歴や決済パターンについて、コンピューターに大掛かりな計算をさせることで、その取引自体が公正なものかを判断する仕組みです。この計算は、家庭用のパソコン一台で実行するには負担が大きく、難解なものですが、その作業を、複数のパソコンであれば効率的に行うことが可能なんです。作業を分担させることで、計算が可能になり、さらに計算を成功させたユーザーには、仮想通貨が付与される。これが"仮想通貨のマイニング(発掘)"です。アダルトだけでなく、多くの違法・脱法サイトの運営者がこの仕組みを導入しているとの指摘もあります」(大手紙記者)狙われるのはAVだけじゃない 星川さんが運営するサイトのすべてには、この「仮想通貨のマイニング」システムが組み込んである。星川さんのページを訪ねたユーザーは、自身のパソコンが「マイニング」に利用されているとも知らず、アダルトコンテンツを視聴する。その間、パソコンの動作が急激に遅くなったり、フリーズしてしまうこともあるが、ユーザーのパソコンのCPUに合わせて、どれほどの処理能力を「マイニング」に充当させるかの設定も可能であるため、ふつうはユーザーがマイニングに気が付きにくい。「最近ニュースでもとりあげられている違法な漫画サイトも、このマイニングシステムを導入しているようです。違法や脱法のアダルトサイトのほとんどでも同様です。仮想通貨には、ビットコイン以外にもたくさん種類がありますから、とにかくユーザーにマイニングさせるために、様々なサイトを運営する必要があります。今後は、いわゆる"まとめサイト"でも、マイニングシステムを導入するところが増えると断言できます。アフィリエイトより儲かるわけですから…。マイニングで得た仮想通貨は、すぐに別の仮想通貨と交換したり、電子マネー化させます。日本円にするために手続きが面倒な場合もありますし、海外に法人を立てて、税金の支払いを避ける方法も模索しています」(星川さん) ページのソースにスクリプトを忍ばせることで閲覧者のパソコンを利用するものが一般的なため、ページを閉じて閲覧をやめるとマイニングは停止される。なかには、閲覧者のパソコンをプログラムに感染させることでマイニングを続けさせるタイプのものもあり、こちらはネットに繋がっている限り、自分のパソコンが他人の通過採掘に利用され続けることになる。 仮想通貨は、特定の政府や国際情勢に左右されない「新時代の通貨」とも呼ばれている。ところが、このように便利で新しいシステムであればあるほど、悪意を持った人々にもそれは「重宝」されてしまう、皮肉な事態を産み出しているのである。せっかくの「革新」的な事象も、悪意持った人物らにいち早く掌握されてしまい、何もかもが台無しになってしまう光景を、今日生きる私たちは幾ばくも見てきた気がするが…。※画像はイメージです(GettyImages) 新時代の通貨でも、悪貨は良貨を駆逐することになってしまうのか。新しいことを「否」としがちな我々の思想の背景に、こうしたことが影響しているようにも思えてならない。関連記事■ 迷惑メール業者にあえて接触 その古典的な手口と狙いとは■ 増える高齢者クレーマー、悩むサービス業の若者たち■ 「老人狩り」が頻発 若者たちは「心は痛まない」と言い放つ■ 「芸能人Xの薬物疑惑」まとめサイト管理人を直撃してみたら■ 危険ドラッグ業者 仮想通貨の普及で再び暗躍の兆し

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    「LGBTに生産性なし」杉田水脈の言論の機会まで奪ってどうする

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「言論の機会」を奪うか否か、とでもいった議論が白熱している。ユーチューバーの世界で保守系といわれる政治活動家のKAZUYA氏の公式チャンネル『KAZUYA Channel』が、ユーチューブ側によって一時凍結されたことを契機としている。 あくまでもカッコ付きで表現したいのだが、「右派」と「左派」と目される人たちが言論対立を先鋭化させて、お互いの言論の機会を奪う行為までエスカレートすることが、しばしば見受けられる。今、カッコ付きで表現したのは、必ずしも政治的イデオロギーの対立だけではなく、単に他者を誹謗(ひぼう)中傷したくて群れる人たちが大集団で発生し、事態の対立を先鋭化することもネットでは常態化しているからだ。 それはさておき、KAZUYA氏のユーチューブアカウント閉鎖に賛意を示す人たちが、著名言論人を含めて多かった。ユーチューブ側の規約に違反したのだから仕方がないという意見である。だが閉鎖の翌日、ユーチューブ側は規約違反がなかったとして、アカウント凍結を解除している。 ただ、KAZUYA氏は、22日夜の段階でツイッターのアカウントも凍結されている。これについては原因不明である。 ユーチューブもツイッターもともに民間企業の運営サイトであり、それぞれが独自の規約で運営されているため、その判断はもちろん尊重されるべきものである。だが、今回の「事件」の流れを見ていると、ネット世論の中で、自分が批判すべきだと思う相手の言論の機会を奪うことが正当であるかのような風潮を見かける。そのような風潮は、われわれの自由に基づく社会を損なってしまう。 このような、自分が批判すべき意見の持ち主から言論の機会を奪うのが妥当であるかのような意見に、筆者が賛成しかねるのは、思想や言論の自由こそがわれわれの社会の基盤だからである。同種の問題に関しては、昨年、本連載で百田尚樹氏の講演中止問題について意見を述べたし、また、香山リカ氏の講演中止問題も、自分のブログで書いたことがある。ユーチューバーのKAZUYA氏 そのときの意見は、19世紀の啓蒙(けいもう)思想家、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(1859年)に基づくものだった。今でもその考えは変わらないので、次では百田氏の事件のときの内容を、一部記述を付加して改めて紹介しよう。反論あらば議論せよ ミルは、古典的著作『自由論』の中で、規制されることのない言論の場こそが人々の満足(効用)を増加することができるとした。 ミルが言論の自由の根拠としてあげた理由は主に4点あった。①多様な意見がないと特定の意見を誤りがまったくないものとみなしやすい②多様な意見が衝突することで、意見の持つ問題点や改善点が明らかになる③反論に出会うことで自分の支持している意見の合理的な根拠を考えることにつながりやすい④反論に出会うことがないと、人格や行動に生き生きとした成長の機会がなくなる、というものである。 そして意見の集約するところで、言論を巡る人々の満足が最大化することになる。もちろん、たとえ意見の集約が達成できなくても、議論すること自体で、議論の機会がない場合よりも効用は高まるだろう。ちなみに、相手側に不当に議論を迫るのは犯罪行為に等しいので、自粛すべきなのはもちろんである。 もちろん、ミルは異なる立場での意見の集約について、常に楽観的ではない。むしろ、言論の自由が意見の対立を激しくするケースや、またヘイトスピーチにあたるケースにも配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的や法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねているのである。 この「世論の賢慮」の中には、前回の連載でも書いたことだが、間違った噂であるデマへの対策についても、まず世論の中で対処していくべきであり、そのためのいくつかの試みを紹介している。 特に、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)はデマの拡散に貢献してしまうこともあるが、他方で、多様な意見の存在や、何がより客観的な事実かを知ることができる場でもあり、「世論の賢慮」が発揮できる可能性を紹介した。思想家、ジョン・スチュアート・ミル(ゲッティイメージズ) だからこそ、KAZUYA氏の『KAZUYA Channel』に反論すべき意見があるならば、まずは議論すべき点を徹底的に論じるべきだろう。ところが、規約違反を声高に主張し、何が何でもチャンネル削除を求める声もよく見かける。そのような意見に上記の理由から筆者は賛同できないのである。 ミルはこのようにも書いている。 自分たちが、自分たちの判断にしたがって非難している意見だという理由で、ある意見の発表の機会を奪うのが有害であることをもっと十分に示すには、具体的な例をあげて議論するのが望ましい。その際には、わたしにとってもっとも不利な例をあえて選ぶことにする。ミル『自由論』(光文社文庫、山岡洋一訳より) 当然だが、筆者にも自分の価値判断からいって許容できない発言は多い。もちろん、犯罪や脅迫、単純明快な誹謗中傷などのたぐいの発言について言っているのではない。「意見」表明の水準での、自らの価値判断にそぐわない言論のことである。扇動に加担する人たち 要するに、ミルが上記の引用の最後で言っている「わたしにとってともっとも不利な例」のことを指す。最近の筆者の場合では、『新潮45』8月号(新潮社)に掲載された杉田水脈衆院議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論考がそれにあたる。杉田氏の論考の中心的な発言は、次の文章に表れているので、ご覧いただきたい。 例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。杉田水脈「『LGBT』支援の度が過ぎる」(『新潮45』2018年8月号) だが、杉田氏が「子供を作らないこと」で表した「生産性」は、国民のために税金を使う使わないという話には全くつながらないのである。単に、杉田氏のLGBTカップルへの差別的感情が出ているとしか思えない。 このほかにも、杉田氏の発言について、筆者は賛同しかねるものが多い。だからといって、雑誌やメディアで杉田氏の発言の機会を奪うべきだとは、みじんも思わない。その理由の一つは、ミルではないが、自分と全く違う考え方が、ひょっとしたら無視できないほど世の中に受け入れられている意見だとしたら、その意見と議論すべきだと思うからである。 それは自分自身の意見が間違っている可能性を検討することにもなる。なぜなら、理性的なものは、初めから完全には人に与えられていないからだ。 ましてや、杉田氏を脅迫するなどもってのほかである。そのような脅迫の表明は、全く言論に値しない単なる犯罪行為である。報道によれば、実際に杉田氏に殺害を予告した人物もいたようである。それは、言葉の正しい意味での「自由への脅威」である。2018年5月、憲法記念日に静岡市富士市内で講演を行った杉田水脈衆院議員(田中万紀撮影) 冒頭のKAZUYA氏の動画チャンネルにもいろいろな議論の余地があるかもしれない。筆者は『KAZUYA Channel』の愛好者ではない。詳しく見たといえば、年初に経済評論家の家庭内暴力が報じられたとき、公開された動画上の発言を最近では知るのみである。もっとも、KAZUYA氏の意見に筆者はおおむね肯定的であった。 また、その他にも動画上で表明する意見を断片的に見聞きしたが、肯定も否定もまちまちである。だが、たとえ否定的な意見を表明したからとして、それだけをもって他者から言論の機会を奪い、それを扇動することに加担することだけはすべきではない。そう常に考えている。