検索ワード:メディア/478件ヒットしました

  • Thumbnail

    テーマ

    「豪雨報道」がなんだかおかしい

    西日本を襲った豪雨災害は、平成史に残る甚大な被害をもたらした。これほどの大災害だったにもかかわらず、被災当初のテレビの報道ぶりに違和感を覚えた人も多かったのではないだろうか。「赤坂自民亭」もさることながら、テレビの豪雨報道もなんだかおかしい、そう思いませんか?

  • Thumbnail

    記事

    「赤坂自民亭」より不謹慎? エンタメ化したテレビの災害報道を憂う

    藤本貴之(東洋大学教授、メディア学者) 西日本を襲った数十年に一度という豪雨被害とはいえ、首都圏にいるとその実感は薄い。日々、豪雨による壊滅的状況がメディアを通して報道されても、当該地域以外、特に首都圏には物理的なダメージはないからだ。 現場に行ったり、被害を体感することのできない側の人間が、同じ日本人(あるいは日本に住む人間)として状況のリアルを知り、痛みを共有し、地域を超えて問題意識や危機感を持つためには、正しく客観的な報道から情報を得るしかない。 それこそが「公共の電波」を使ったメディアであるテレビ本来の役割であり、細分化・個別化されたネット情報が苦手な、巨大メディアに期待されることである。バラエティー番組などは、テレビというメディアがその本来の役割を、いつでも100%、採算度外視で稼働させるための「資金集め」だと個人的には考えている。 しかしながら、今日のテレビを見れば、ニュースを報道する多くの番組が「報道番組」ではなく「情報番組」、すなわちエンターテインメント化した「報道もどき」な情報番組ばかりというのが現状だ。もちろん、自分たちの感覚の範囲で客観性や公共性に努めてはいるのであろう。 とはいえ、お笑い芸人やタレントの司会者が、同じように芸能人に災害に関するコメントなどを求めている場面を見れば、それが「報道番組」ではなく、あくまでも「情報バラエティー番組」であることを痛感させられる。 また、東日本大震災や熊本地震などの時でも多発したように、テレビメディアが「震災報道」と称して、単なる「スクープ」「衝撃映像」「独占入手」を求めているだけのような動きをしたり、何を勘違いしたのか、取材クルーが単なる被災地の迷惑になっているだけの場合も少なくない。今回の豪雨被害でも、濁流に流される被災者の救助を助けることなく撮影し続けた様子が「見殺しだ」という批判が高まった。同じような主従逆転の事例は数限りない。 筆者は7月8日から11日まで、役員を務める鳥取県米子市で開催されていた国際学会に出席していたが、その際に改めて現在のテレビ報道がいかに不十分な報道メディアであるか、ということに気づかされ、反省もした。具体的には、東京に在住する筆者は、被災地の隣県・近県にある鳥取県に行って、初めてその被災のリアルを知ることができたからだ。被災地に向けて出発する、鳥取県米子市にある西部消防局の緊急消防援助隊員(山根忠幸撮影) そもそも、首都圏にいる以上、西日本豪雨による物理的なダメージや不都合を感じることは難しい。例えば、多少の影響はあるにせよ、羽田空港から米子鬼太郎空港までは問題なく飛行機は運航している。到着した米子も多少の雨模様とはいえ、基本的には「いい天気」だった。しかし、会場に到着してみれば、海外の研究者も含め、多くの参加者が遅延あるいは欠席の連絡が相次いでいた。ここで、初めて被害状況を理解できたことになる。 駅前にある大型スーパーなども営業こそしていたが、生鮮食品を中心に十分な在庫はなく、品ぞろえも悪い。ロジスティクス(物流)が停滞していたのである。だが、一見しただけでは、街は特に大きな障害もなく動いているようにも見える。隣県・近県が未曾有(みぞう)の豪雨災害に見舞われているとは到底思えない。しかし、表に見えてこない部分では確実に不都合が発生しているのである。コンビニでは品薄状態が続き、朝から現金自動預払機(ATM)には長蛇の列ができていた。 役員として会場に待機していた筆者の元に、国内外から続々と情報が届いてきた。多くの参加者が会場である米子に到達できなかったからである。まず、海外からの訪問者で米子まで到着できなかった人たちの多くが、岡山や大阪などから米子へ向かう経路が確保できず、足止めをされていた。 米子鬼太郎空港はいわゆる「国際空港」ではないので、海外からの直行便はほとんどない。よって、近県の大きな国際空港から陸路や鉄路で米子に向かう方法が採られる。しかし、隣県・近県をつなぐ主要な陸路や鉄路が遮断されており、近くまで来ているにも関わらず、米子に到達できないという現象が起きていたわけである。ショッキング映像ばかり もちろん、それは国内からの参加者も同様であった。東京など東日本から米子に向かう場合、空路利用が多いので、そこまで移動経路が遮断されているとは到底実感できない。一方で、西日本からの参加者は、あらゆる手段が寸断・遮断され、にっちもさっちも行かない…という状況になっていた。 だから、到着した参加者の多くが、いったん西日本から空路で東京の羽田空港へ向かい、そこからまた空路で米子に行くという信じられないような大回りで、どうにかして到着していた。 大きな迂回(うかい)経路を利用するということは、数万円の交通費を新たに消費するということも意味する。しかし、学会参加による出張では、参加できなければ出張旅費が支出できなかったり、国によってはめったに海外出張が許されない大事な機会であることが少なくない。また、座長などの役職者であれば、自分が到着しなければ学会が始められない…といった抜き差しならぬ事情を抱えることが多く、相当無理をして到着してきた参加者も少なくなかった。 この時に痛感したことは、被災地の現地以外の居住者に向けられたテレビで放送される情報の多くが、「しょせん全国放送向け」の薄い情報や、大衆的な興味を喚起できる、すなわち視聴率を獲得できそうなショッキングな情報ばかりであるという現実だ。 一方で、学会の会場にどうにかして到達した「猛者」たちの全てが、ネットで細かい情報を入手していた人ばかりであった。テレビが繰り返し映し出す「独占スクープ」の悲惨映像などは何の役にも立たない。つまり、テレビなどの主要メディアは「ショッキングな映像」以外に有用な情報はほとんど提供しきれていなかった。「公共の電波」と言いつつも、全く公共的には機能していなかったわけである。 しかしながら、テレビには主要キー局だけではなく、それにネットワークを形成する多くの地方局を抱えている。当然、それら地方局や放送網を効果的に利用すれば、さまざまな情報の収集や発信が可能であろう。2018年7月7日、冠水した岡山県倉敷市真備町で、ヘリコプターで救助される人(産経新聞社ヘリから) もちろん、被災地の地方局では、現地ならではの細かい情報を発信していたであろうが、それはあくまでもローカル局が現地に向けて制作したローカル番組でしかない。そのような番組が東京のキー局に届き、全国に発信されたような事例は多くないだろう。 地方局がリアルな「情報センター」として機能していたとしても、その情報が他に届かなければ、われわれは被災地の現実を知りようもないし、対策もできない。キー局による全国ネットの「情報バラエティー番組」は、視聴者の目を引くようなスクープ映像や同情する以外に視聴者には何もしようがないショッキング映像ばかりだ。それにコメントするタレントの喜怒哀楽を映し出すことが、公共の電波の役割ではあるまい。糾弾すべきは安倍首相よりテレビ もちろん、テレビに対して四六時中、細かい災害情報ばかりを放送せよ、と言っているわけではない。しかし、いわゆる「視聴率稼ぎ」の立ち位置からばかりではなく、公共の電波という意識と責任を強く持ち、テレビ局の放送網やリソース(資源)をもっと有効に利用すれば、中央と地方の報道格差を埋め、日本国として一丸となった情報共有もできるはずである。それが引いては効果的な避難情報や救援情報の提供も可能にするのではないか。 タレントたちが神妙な顔つきで「豪雨で大きな被害を受けたショッキングな映像」ばかりを紹介する情報番組が終われば、いつもの通りのバラエティー番組が放送される。もちろん、多少の自粛や方向修正はあるのかもしれないが、いつもと同じものばかりだ。それをとがめる人もいなければ、悪びれることもない。今のテレビ放送の存在はどう考えても「不謹慎」だ。 一方で、7月5日に自民党の国会議員が安倍晋三首相との宴会に出席し、同席していた兵庫県選出の西村康稔官房副長官がその写真をツイッターに投稿した、ということが「不謹慎だ」と非難が集まった。もちろん、兵庫県内でも10万人以上の避難勧告が出ていたので、地元選出の政治家としては緊張感を持って対応してほしいと願うのは当然だ。タイミングや対応の悪さはあったとは思う。 しかし、宴会やパーティーに出席したり、懇親会の類いに参加することも政治家の仕事の一部という側面もある。時には断ることのできない懇親会だってあるだろう。特に、首相も同席した宴会となればなおさらだ。 むしろ、それを不謹慎だと糾弾するエネルギーがあるのであれば、情報バラエティー番組で「独占映像」などと称してショッキングな映像を繰り返し流して視聴率を稼いだり、いつものようにバラエティー番組を放送したり、「報道もどき番組」で災害をコンテンツ化するテレビの存在の方こそ、はるかに糾弾されるべきものがあるように思う。2018年7月13日、宇和島市役所で行われた愛媛県の中村時広知事(右)との意見交換を終え、取材に応じる安倍首相(代表撮影) 公共の電波であるテレビは、こういった大きな災害時にこそ、あらゆる私欲を捨て、情報センターとしての役割を果たすべきであるように思う。テレビをつければ、公共性の失われた情報ばかりに埋め尽くされている。何のために大きな権力を与えられた「公共の電波」なのか、改めて考えるべきではないだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    嫌われるマスコミの災害報道は「オーダーメイド取材」で一変する

    堀潤(ジャーナリスト、キャスター) 西日本を襲った豪雨災害は、200人以上の方々が亡くなり、現在も20人以上の方の安否がわかっていません。私は7月7日以降、豪雨被害が大きかった岡山県や広島県の各被災地を回り、被災された方々に今必要な支援が何かを聞いて回りました。 やはり被災者の第一声は水です。飲み水ではありません。生活用水です。トイレや風呂、手や顔を洗う水だけではなく、泥かきをしたり汚れを拭いたりする時に必要な水です。飲料水は支援物資や自衛隊からの給水などでなんとか賄えているのですが、生活用水を確保するのは至難の技です。 広島県三原市では井戸水を利用している世帯が少なくなく、水をくみ上げるモーターを修理し、使用できるようになった水を近所の人たちと共有し、助け合って復旧、復興に取り組んでいました。ただ、課題もあります。地元三原市の社会福祉協議会の方々に話を聞くと、犠牲になった方々の多くが自力で2階に上がることができない知り合いの方々でした。 足の不自由な50歳代の人、90歳を超え一人暮らしだった女性は「近所の誰かが大丈夫か?と訪ねてくれてさえいれば…」と唇を噛み締め、悔しそうに話をされていました。浸水被害がひどかった地域は比較的商業施設などが集まる中心部でした。新しく移り住んできた人も多く、地域の町内会の加入率が年々下がっていることが地元の方々の悩みでした。 女性はさらに「災害が起きると実感するはずです。地域のつながりがどれだけ大切か。普段から顔見知りだったら井戸の水だって借りやすいだろうに。命だって守ることになるんですから」とも語っていました。 実感したのはハザードマップの正確さです。各地を取材した際の共通の質問が「ハザードマップではこの地域はどのような状況でしたか?」です。地元の方々が改めて驚くほど、災害被害は起こるべくして起こるんだということを実感させられました。水害や土砂災害、地震、火災など災害ごとにハザードマップが作られているのをご存じでしょうか。それが何を意味するのかというと、避難先が変わってくるということです。 今回の豪雨災害でも地震などを想定した避難場所が浸水していたケースがありました。自治体からは防災無線を通じて別の高台の避難所の案内をしていましたが、馴染みのない場所で戸惑いが広がったという声も聞きました。災害が起きてからの対応では遅いのです。当たり前のことですが、平時のアクションが自分の大切な人と自分の命と財産を守るための防災です。 そもそも、私たち日本人は災害が発生しやすい国土で生活しています。地震、津波、台風、集中豪雨、そして火山。2011年3月11日に東北沖でマグニチュード(M)9・0の巨大地震が発生した東日本大震災では、10メートルを超える巨大な津波にも襲われ福島県にある東京電力福島第一原発がメルトダウンを起こす大規模な事故を起こしました。放射性物質に汚染された土地を取り戻すためには半世紀近くの時間が必要だとも言われ、私たち日本人は自然災害だけではなく、原子力災害も経験しています。炎天下の被災地を歩く男性。大量の土砂で下部が埋まった車や標識が放置されたままになっている= 2018年7月13日、広島県坂町(鴨川一也撮影) 地震は地中の岩盤同士がぶつかり合いズレることで地表に揺れを引き起こすわけですが、日本には今後もそうしたズレが起きる可能性が高い「活断層」が2千以上あります。世界中の地震の約10回に1回は日本やその周辺で起きているとあって、実は私たちの暮らす地面はとても揺れやすいのです。 特に東日本大震災以降は地震活動が活発で、政府は今後30年以内に東京や神奈川など首都圏でM7級の直下型地震が起きる可能性は70%と予測。東海から九州にかけてM8級の揺れが想定される東海、東南海、南海大地震も88%〜60%と、こちらも高い確率です。いつ起こるのかは分かりませんが、いつ起きてもおかしくないのです。家族4人が車で生活 また、日本は「火山列島」とも呼ばれ、噴火する可能性のある「活火山」が全国に110もあります。実は、あの富士山も活火山です。いつ噴火してもおかしくはありません。山梨県、静岡県、神奈川県では富士山噴火に備えた避難訓練が行われたりしています。富士山が噴火すると当然東京などにも影響が出ます。火山灰が降り積もり、新幹線や高速道路など交通網がマヒ。灰の影響で水道や電気、ガスが長期間ストップ。ジェット機も飛び立てなくなり、東京が陸の孤島になり混乱することも予想されています。 「これだけ色々な予測がされているのであれば備えも万全だろう」と思いがちですが、冒頭述べた通り、災害には「想定外」がつきものです。例えば、国は熊本地震のように震度7の地震が連続して起きることは想定していなかったと言います。災害発生時の対応をまとめた全国の自治体の防災計画の多くで「想定外」だったということも報道機関の調べで分かりました。 熊本の地震では1度目の震度7の地震で避難所に避難した人に加えて、さらに規模の大きな揺れに襲われ「もうダメだ」と思った人たちが一気に避難所に向かいました。最大で20万人とも言われる避難者の数、小学校や中学校の体育館には収まりきらず、校庭や渡り廊下といった屋外で野宿をせざるをえない人たちも大勢いました。 一方、そうして人があふれた避難所をあきらめ、仕方がなく自分の車の中で寝泊まりする人たちも少なくありませんでした。「赤ん坊が泣いて迷惑になるといけないから」「持病があって硬い床で寝られないから」「余震が怖くて建物の中にいたくないから」など理由は様々です。西日本豪雨被害の避難所でうちわをあおいで暑さをしのぐ人たち=2018年7月8日、岡山県倉敷市真備町の岡田小学校(永田直也撮影) 私が取材をしていた家族は親と子供の4人で3週間以上車で避難生活を続けました。避難所ではないので食料の配給も受けられず自力で調達。狭い車内で同じ姿勢のまま過ごすことで体調を壊す人もいます。「エコノミー症候群」と言って血のめぐりが悪くなり血管が詰まるなどして、最悪、死にいたる症状です。絶えず体を動かしたり、血のめぐりが良くなるようにマッサージをしたり工夫が必要でした。 食料の確保が大変だったのは、車中避難の人たちばかりではありません。避難所でも圧倒的に食料が足りずに苦労した人たちもいました。災害時の対応などを定めた法律「災害対策基本法」の中には「指定緊急避難場所」と「指定避難所」という言葉が出てきます。前者は地震や津波からいち早く身を守るために逃げ込むことができる高台や公園などにある安全な場所や施設。後者はそこに留まって食糧支援などを受けながら避難生活を送ることができる施設を指します。 災害による影響が比較的少ない場所であることや生活物資の運搬がしやすい環境であることなど、法律によって条件が定められています。ですから、すべての小・中学校などの避難所がこの「指定避難所」ではありません。 熊本地震では、避難した人が身を寄せた避難所が「指定避難所」なのかどうかで状況が大きく異なりました。指定避難所の小学校に避難した人は自治体からの物資や自衛隊からの支援を優先的に受けられました。しかし、同じ区内の小学校でも「指定避難所」ではなかった場合は、避難した人たちが自力で食料を調達しなくてはならず、大変苦労したのです。 10カ月の赤ん坊を抱えたお母さんは避難した体育館で「ここは指定避難所ではないので、食料は届きません。自力で調達が必要です」と言われた時には目の前が真っ暗になったと言っていました。そうした避難所ではインターネットを使うなどして全国からの直接支援でなんとか水や食べ物をかき集め、なんとか凌(しの)いだという状況でした。「何のための地元局か」 今回の西日本豪雨や熊本地震のように、首都圏が被災地にならない場合、相対的にテレビの報道量が減っていくのが体感として分かります。台風などは顕著な例であり、首都圏に上陸が予想される場合とその他の地域の場合とでは中継体制の力の入れように温度差があるのは明らかです。全国ネットの放送は東京一極集中であり、首都機能や交通、物流などに与える影響の大きさを考えると、首都圏の情報に重きを置くテレビ局の判断も分からなくはありません。 西日本豪雨の被害の大きさを考えると、首都圏が台風を迎え撃つ時のように事前の特番体制で報じるべきだったという声が上がるのは必然です。ただ、進路や速度などをもとに被害予測をたてやすい台風と短期間で変化に富む集中豪雨災害とでは勝手が違ったのかもしれません。 岡山県に住む方からこんなメールをいただきました。 6日夜、県の広い範囲に避難指示が出されていたにもかかわらず、ニュースでずっと報道していたのは、NHKのみでした。11時半過ぎ、地震かと思うような揺れがあり、家族がツイートやLINEで情報収集すると、浸水で避難途中の真備の友人から、工場爆発との知らせがありました。ツイートを見ると、津山でも揺れ、県内騒然とするなか、民放は、警報のテロップだけで、通販番組とか、いつもの放送内容でした…。日付がかわり7日のNHKニュースの総社市長のコメントで、爆発だと知った人もたくさんいたと思います。豪雨の犠牲者は、お年寄りばかり。岡山県も高齢化が進み、頼りの情報源はラジオTVという一人暮らしのお年寄りもたくさんいると思います。何のための地元局か、と怒りが。 お怒りはごもっともです。逆に、NHKの責任の重さも感じます。個人的には、被害の大きさを量で測るのには抵抗があり、ましてや1人の命も、100人の命もそれぞれ同じ重さであると思いたいものです。 私がNHKを辞め、自由な発信の場を求めた理由の一つが災害報道のあり方に疑問を感じたからです。今年でフリーになって5年になりますが、その間発生したさまざまな災害報道では常にそこで暮らす一人一人の生活者の皆さんとの連携を第一に掲げてきました。 2年前の熊本地震以降、大きな災害が発生すると私はまず自分のLINE IDをツイッターやフェイスブックで公開し、被災者の方とつながりながら、現場が最も必要としている発信を支援する取り組みを始めています。拡散した災害情報 災害時の会員制交流サイト(SNS)には悪意あるデマのみならず、古い情報がそのままリツイートされ誤解を生んだり、伝言ゲームで不正確な表現となり結果としてデマになってしまうケースなど、まさに玉石混交、さまざまな情報が流布します。そうした中に、被災者本人の本当のSOSが埋もれていってしまうことがあります。 フォロワー数の少ない個人が発信するよりもより強い拡散力を持つアカウントから発信してもらった方が多くの人にSOSが届く可能性が高まります。情報を精査、検証する力やより多くの人たちに短い時間で情報を届けるノウハウが求められますが、私のようなSNS使いのテレビマンにとっては何か役に立てそうだと思い、熱心に取り組んでいる支援の一つです。 例えば、今回の西日本豪雨では私が公開したLINE IDには愛媛県西予市野村、広島県呉市天応西条、岡山県総社市下原などで孤立したり、救援が必要な住民の皆さんやそのご家族、約20名の方から切実な連絡が入りました。 8日午前、広島県呉市天応西条3丁目の36歳の男性からのSOSは、20名から30名が今も川の決壊で孤立したままだという内容でした。1歳と12歳のお子さんがいるとのことで、そのうち持病のある12歳のお子さんの薬が明日までしかなく、発作が起きるのが心配だというのです。せめて薬だけでも届けてもらえないかと、男性は私に発信の支援を求めてきたのです。男性がLINEに送ってきてくれた動画を見ると、家の目の前の道路が崩壊し目の前を茶色く濁った泥水がものすごい勢いで流れていく様子でした。 撮影は8日早朝です。男性の身元の確認や映像の検証などをこちらで行い、ツイッターや各SNSで発信したところ、瞬く間に50万を超えるアカウントからのアクセスがあり拡散されていきました。そして、それから5時間後。「堀さん!お力を貸してくれたみなさん。どうもありがとうこざいます。無事救助連絡、そして子供の薬も5日分もらえました!本当に心から感謝します。救助ヘリも何機かきてもらい、具合が悪い方の救助もしてもらえました!断水状態も続きまだ不安定ですが、頑張ります」と男性から連絡が入ったのです。土砂崩れ現場で行方不明者を捜索する消防隊員ら=2018年7月7日、広島県東広島市 情報が途絶え、孤立した状況が続く中、SNSに寄せられる人々の声が男性やその家族を励ましたと言います。このように情報を寄せてくださった方々の元にはその後一人一人直接会いに行きます。今日の時点で岡山や広島から連絡をくれた人たちを直接訪ね、さらなる追加取材を行っています。オーダーメイド型の取材で被災者の切迫したニーズを満たす、これも新しい時代の報道の在り方なのではと思っています。

  • Thumbnail

    記事

    「五感で伝えない」民放テレビの災害報道は役に立たない

    たことがうかがえる。2018年7月6日、激しい雨が降る中、JR博多駅前を行き交う人たち テレビというメディアは、視聴者の五感に訴えかける。ニュース番組に出演している人の話の内容、すなわち「言語情報」だけでなく、話すときの表情、声色、しぐさのほかスタジオの雰囲気やBGMなどによる視覚情報、聴覚情報などの「非言語情報」が大きな意味をもつ。 豪雨の初期段階でのニュース番組から発信された情報に当てはめて考えてみると、「言語情報」では豪雨による被害拡大の危険性が高いことを強調していながら、視覚情報や聴覚情報から、あまりそのリアリティーが伝わってこなかったことが問題である。「言語情報」と「非言語情報」にギャップがあったように思う。リアリティーに欠けた「東京発」 テレビ局側は災害マニュアルに沿った教科書通りの放送をしていたため、「落ち度はなかった」と反論するかもしれない。確かに、「言語情報」において落ち度はなかったのかもしれないが、「非言語情報」から伝わる緊張感が弱かったために、「伝えるべきことが伝わらなかった」のではないか。 実際、福岡市に住む私にとって、「東京発」のニュース番組は、若干リアリティーに欠けたものに映った。というのも、私が住んでいる福岡市の「一部」に対して、この時点で避難準備情報が発令されていたことがL字画面で確認できたが、「一部」に自分が住んでいる場所が含まれているかが分からなかったのだ。 このため、テレビの災害情報が、避難の準備をするかどうかの判断材料には全くならなかった。結局、福岡市のホームページを見て、避難準備地域から外れていたことが確認できた。 また、番組で「土砂災害」や「河川の氾濫」の恐れがあるというコメントは何度も耳にしたが、自分が住む場所にどの程度のリスクがあるかが、テレビの情報では分からず、やはり福岡市の「浸水ハザードマップ」「土砂災害ハザードマップ」で改めて確認せざるを得なかった。そのサイトでは、刻一刻と変わる近所の川の水位も把握することができた。 東京発のニュース番組からは、大雨が降り続く地域の住民にとって必要な具体的情報が十分にあったとは言えない。しかも、繰り返された注意喚起も紋切り型で、大災害が現実に発生する恐れが本当にあるとは受け止められるような作りではなかった。 せめて、大雨が降り続く地域には、地方自治体のホームページにアクセスすれば、地域別の詳細な災害リスクが分かることを伝えて、視聴者を誘導してもよかったのではないか。私の場合、必要な情報は東京発のテレビにはなく、福岡市のホームページにあったのである。 今回のテレビ報道を見て、大災害にもリアルに対応できる災害マニュアルの再検討が必要ではないだろうか。迅速でスムーズな報道対応のためには、決められた流れで作業を進めるためのマニュアルが欠かせない。愛媛県大洲市の豪雨で、路上に横転したままの車両=2018年7月8日午前 具体的には、どのように情報発信すれば注意喚起のリアリティーが伝わるのかを「言語情報」と「非言語情報」の二つの側面からアプローチしなければならない。そのほか、被災地の人々が望む詳細な情報にいかに誘導するのか、という問題についても検討が必要だろう。 想定外の自然災害がこれからも発生する可能性はある。まずは、今回の被災地の人々がテレビの情報をどのように受け止めたかを丁寧に検証することから始めたらどうだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    豪雨報道より『鶴瓶の乾杯』を優先した首都圏NHKが嘆かわしい

    によってしか実感を持って知ることができなかった。NHKはそれをリアルタイムで伝えることのできる唯一のメディアなのだ。 民放の場合、視聴者に「豪雨のニュースもう飽きたよ」と言われればおしまいだ。豪雨のニュース映像も最初はショッキングだが、何日も続くと飽きっぽい視聴者の興味をそそらなくなる。 そうなると別の娯楽番組を用意して、視聴者を満足させなければならない。そうしないと視聴率が落ちて、スポンサーからの収入が減ってしまうからだ。スポンサーによって経営が成り立っている民放の宿命である。 受信料で運営され、視聴率も絶対指標ではないNHKの場合、そこまで民放各局のように視聴者におもねる必要はないはずである。確かに『半分、青い。』も『鶴瓶の家族に乾杯』も視聴率の高い人気番組だ。そして番組本編の画面を小さくするL字画面は、視聴者にすこぶる評判が悪い。 実際に人気番組の放送時には、L字画面が邪魔だからやめてくれ、というクレームの電話が、視聴者ふれあいセンターへ相次ぐ。特に今回のように長期間にわたってL字画面が続いた時は、なおさらそうだろう。とはいえ、これはなんとかご理解いただくしかない。 また、NHKにも災害報道ばかり見せられるとウンザリする、という視聴者からの意見はある。「気分が落ち込む」、「何か楽しい番組で気分を晴れさせてくれ」という声もある。各避難所には特設テレビが置かれているが、それを見ている避難者の方々からさえ、災害の映像は見たくないから面白い番組を見せてくれ、というリクエストが上がってきたりする。ヘリで救助された住民=2018年7月7日、岡山県倉敷市(永田直也撮影) そういった事情を解決する苦肉の策として、災害報道をしつつ同時に一般の番組を見せる、L字画面という手法が取り入れられたのだろう。 あまりスマートなやり方とは言えないL字画面だが、テレビというメディアの使命をNHKが果たすためには、やむを得ない手段なのかもしれない。エンターテイメントのみに走って、災害報道のミッションを忘れては、NHKの存在理由そのものが問われてしまうからだ。東京目線のNHK その意味で『鶴瓶の家族に乾杯』を見せるのに、今まさに死者や安否不明者が増えつつある段階で、あえてL字画面をはずす必要があったのか。それを見て、あたかも災害が去ったかのように、笑うことができたのか。甚だ疑問である。L字画面があったほうが、むしろ安心して楽しめたかもしれない。 良くできた娯楽番組であったがゆえに、裏で続けられている捜索活動が気がかりで、私の目には番組自体が浮いて見えてしまい、素直には笑えなかった。番組にとっても気の毒である。そこには晴れた初夏の風そよぐ東京で、エンターテイメント優先に番組を編成している、東京目線のNHKの姿勢が垣間見えてしまったのである。広島県熊野町の土砂崩れ現場で続く捜索活動=2018年7月13日 さまざまな要望があるだろうが、やはりNHKの目線は被災地目線でなければならない。豪雨の被災地の方々には、翌日から猛暑という厳しい気候が容赦なく襲いかかる。エアコンの十分に行き届かない避難所で、熱中症の危険にさらされるはめになる。停電し、断水する。ボランティアなど支援活動もこれからだ。水没した家の再建を考えると、気の遠くなるような長い闘いが待っている。 今回のような未曾有の豪雨という大災害は、一過性のハプニングではなく、復旧と復興に長い期間と資金を必要とする国難だということを、しっかり認識して報道するべきだろう。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではダメなのである。 特別警戒警報が出たから臨時ニュースにする。警報が解除されたらニュースをやめる。こうした気象庁の発表のみに頼った報道姿勢では、NHKは視聴者の信頼に応えることはできない。警報や避難指示は、もちろん直ちに報道しなければならないが、NHKはあくまでも被災者の目線に立った自主的な取材で、長期的に災害報道にあたるべきだ。 地域に密着した取材網を持ち、視聴率に左右されないNHKならではの災害報道でこそ、その存在意義を示すことができる。金で買えるワールドカップの放映権で満足するのではなく、公共放送としての強みがどこにあるのか、その本質を見失わないでもらいたい。

  • Thumbnail

    記事

    NHK「災害報道」は熊本地震で3・11の教訓を活かせたか

    田部康喜(東日本国際大学客員教授) ジャーナリズムを大きな側面から分類すれば、報道と解説、そして評論となる。熊本県を中心として発生した広域の連続地震は、その影響がいまだに現在進行形であるから、報道機関は現地の報道すなわちルポと、地震の原因とこれからの広がりを含めた解説に力を注いでいる。 今回の地震を考えるうえで、NHKスペシャルが4月3日に東日本大震災後の地震研究の成果を振り返った「巨大災害 日本に迫る脅威~地震列島 見えてきた新たなリスク」が、災害報道の重要な試金石になったことに触れたい。 東日本大震災から5年を経て、日本の研究者の新たな挑戦をとりあげるとともに、東海地方から九州の太平洋岸に甚大な被害をもたらすことが想定されている「南海トラフ」地震がどのようなメカニズムで発生するのかという問題意識だった。 京都大学防災研究所の西村卓也・准教授は、GPS(全地球測位システム)の観測を活用することによって、地殻の変動を数値化して、地震発生のメカニズムを解明するとともに、次に巨大地震がどこで起きるのかを探ろうとしている。 巨大地震の発生は、プレートテクニクス理論によって説明されてきた。海側のプレートが陸のプレートに沈み込んでいくときに、徐々にひずみができてそれが耐えられない圧力となったときに、ずれが生じて地震が発生する。 日本の西日本の陸はひとつのプレートであるとされてきた。このプレートに海側のフィリピンプレートが沈み込むことによって、南海トラフ地震が発生すると推定されてきた。2016年4月17日、大きく亀裂が入った熊本県益城町の畑。地震で地表に現れた断層とみられる(本社ヘリから) 西村准教授は、GPSの数値よって、陸のプレートがひとつではなく、九州は4つのプレートに分かれていると分析している。それぞれの分かれたプレートは違った方向に向かっているのである。大分地方は西へ、長崎と佐賀は南東へ、南部は南に動いている。 こうしたプレートは表面的なものではなく、地下30㎞付近まで壁のようになっている。この帯状の壁が境目となっている地帯は、過去の地震の震源、震度の帯と一致する。それは活断層である。今回の地震が発生した、布田川断層と日奈久断層はまさにこの活断層である。 西村准教授は、こうした陸のプレートの境目に地震が起きる可能性があると指摘して、警戒を呼びかけていた。 NHKは4月16日にNHKスペシャル「緊急報告 熊本地震『活断層の脅威』」を、放送した。14日夜にマグニチュード6.5の地震が発生した28時間後に、マグニチュード7.3の大地震が起きたことを受けたものだった。気象庁は、最初の地震を前震とし、大地震を本震とした。 本震発生前の15日の取材とことわったうえで、先の西村准教授の冷静な判断が紹介される。 「プレートのブロックの境目に、ひずみがたまって地震になる可能性が高い」と。マントルの動きが大地震もたらす可能性 番組では、キャスターのほかに、NHK災害担当の菅井賢治と、東京大学地震研究所の平田直教授を加えて、さらに分析を進めていく。 震災地に入った研究者により、活断層のあとと推定される、地面の割れなどが発見されている。 平田教授は指摘する。 「地震の震源は地下10㎞から20㎞にある。この深さのひずみによって、岩石が耐えられなくなって破壊され、小さな地震が多数起きている」 地形の模型を使って、表面の地表の部分を取り除いて、地下に震源が集中している様子をわかりやすくみせている。地震は、まず比較的揺れの小さなP波が起きて、その後に大きな揺れを引き起こすS波が起きる。直下型地震では2の波の間隔が短く、緊急地震速報を出すP波の直後にS波がくるので、室内にいても避難の余裕がない。 4月3日放送のNHKスペシャルに戻る。東日本大震災後の東北の沿岸部で異常な現象がいま起きている。地震によっていったんは1mほど沈下した地盤が、隆起しているのである。 東日本大震災前から、海底などに水圧の測定機器を配置してきた、東北大学地震・噴火予知研究観測センターの日野亮太教授は、「想定と異なる別の地震の可能性」を指摘している。 大震災前には、東北の陸と太平洋側の海のプレートは、西方向に移動していた。震災後は陸のプレートが東に向かうと推定されていた。しかし、この1年間のデータを分析すると、陸のプレートが西に向かっている。これが、地盤の隆起につながっていると、日野教授は推定している。 これまで、ほとんど陸のプレート移動がなかった、ロシアの沿海州と中国の地盤も東にゆっくりと動き始めている。 こうした現象の原因として、日野教授は東日本大震災によって急激に動いたプレートの下に対流しているマントルに原因がある、と考えている。マントルはゆっくりともとにもどる粘弾性を持っている。プレートの動きについていけずにゆっくりと動いているのではないか、というのである。2016年7月、熊本地震から約3カ月が経ったが、熊本県益城町には倒壊した住宅が今なお多く残る(村本聡撮影) 地盤を隆起させるマントルの動きは、これまでとはまったく異なる大地震を引き起こす可能性もある。 東日本大震災とその後の地震研究を、定期的にシリーズ化することによって、突発的な自然災害において視聴者に的確な情報を提供する底力を、組織ジャーナリストにつけている。たべ・こうき 東日本国際大学客員教授。福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

  • Thumbnail

    記事

    在京テレビ局 大阪北部地震報道に温度差がある?

     放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、6月18日朝に発生した大阪北部地震に見る、災害の報道体制について。* * * 大阪北部地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 18日朝、震度6弱という大きな揺れの地震が発生した瞬間、私は東京の自宅に居たのだが、リビングの吊すタイプの照明がユラユラ揺れていて驚いた。後から、東京にも「震度1」を表示した地図を見て、改めて、広い範囲で揺れたことを知った。 昼過ぎ、私は大阪に本社がある某社での東京広報の人たちとのミーティングに参加していたのだが、「東海道新幹線に閉じ込められている同僚がいる」「会議の時間や参加するはずのメンバーの予定が大幅に狂っている」などと聞いた。普段から大阪と東京を行き来している人たちが青ざめた顔で対応に追われている様子を目の当たりにし、大変なことが起こっているのだと改めて感じた。 午後3時過ぎに一度帰宅し、テレビをつけた。まずは大阪の読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)で、その被害の大きさに愕然とした。 司会の宮根誠司氏は、日曜の夜、東京のフジテレビで『Mr.サンデー』に生出演しているため、月曜日は朝、飛行機で大阪入りする。 通常なら9時羽田発の飛行機で伊丹空港までスムーズに移動できるはずが、この日は20分遅れで飛行機に乗れたものの、伊丹空港の点検のため、2時間、機内で足止めを食ったという。伊丹空港に着いてからも、大阪市内が大渋滞で、結果、30分遅れでの出演になった宮根氏だったが、氏自身も朝日放送の局アナ時代に、そして読売テレビの記者やスタッフの多くが阪神淡路大震災の報道に携わっているだけあって、何を優先し、どう伝えればいいのか熟知しているため、番組はもちろん、地震ニュースに特化した内容だった。 その後、日本テレビでは通常なら東京のスタジオから『news every.』の時間になるが、読売テレビのローカル番組『かんさい情報ネットten。』のオンエアをしばらくの時間、流していた。2018年6月18日、大阪北部地震の発生で、伊丹空港のタクシー乗り場(手前)とバス乗り場には長蛇の列ができた(山田喜貴撮影) TBSも『Nスタ』の時間を早め、15時前から特番体制になっていたが、驚いたのは名古屋のCBC制作の『ゴゴスマ』や、フジテレビの『直撃LIVEグッディ!』が、早々に地震のニュースを切り上げていたことだ。 大阪の読売テレビの生放送を全国ネットしている日本テレビに対し、『~グッディ!』は、番組開始と共に、系列の関西テレビの生ワイド『ハピくるっ!』を終了させている。「ウワサの芸能ワイドショー」とサブタイトルがついていた番組ながら、もしもまだ続いていたなら、関テレからの生放送に切り替えたこともできただろうに。 TBSも、系列の毎日放送『ちちんぷいぷい』とは無関係と言ってもよく、名古屋発の『ゴゴスマ』を14時台はやっていたのだが、15時台は、さすがに報道に切り替わった。 いま、ワイドショーで数字がとれるのは、いわゆる“紀州のドンファン”と、日大のアメフト問題だと言われている。 そして、大阪での地震は、在京局にとっては“対岸の火事”に近いものがあるのだろうか?活きる阪神大震災の経験 実は私は、東日本大震災が発生した日、『情報ライブ ミヤネ屋』に生出演していた。阪神淡路大震災を経験している社員やスタッフが多い読売テレビでは、地震報道に関するマニュアルが完璧で、当時、アシスタントをしていた森若佐紀子アナが「早く、津波情報を」と言い続けていたことをいまでも覚えている。 だが、直後、東京のスタジオからのニュースカメラが映していたのは、お台場付近のビルから煙が上がっている様子だった。フジテレビの近くだから…と感じたのは私だけだろうか。 そして2年前の鳥取県中部地震のときも、私は『~ミヤネ屋』に生出演していた。発生が番組開始12分後のことで、後半は地震特番に切り替わった。 それはやはり、読売テレビの報道スタッフたちが阪神淡路大震災を経験しているからに他ならない。 だが、それから23年が経ち、読売テレビのアナウンサーも半数以上が「阪神大震災の報道を知らない世代」だという。 3年前、読売テレビでは、トークライブ企画「アナウンサーが語り継ぐ『阪神淡路大震災20年』」を開催、若手アナを聞き手に、先輩アナらが体験をトークし、「命に係わる重大なテーマ」でのインタビュー力について説いた。 参加アナの中には、阪神淡路大震災を機に、防災士の資格を取得している者もいて、被災者のもっとも近くで寄り添ってきた彼らならではの、ためになる話が多数あったと聞いた。阪神大震災の被災者向けの公営住宅=2004年1月、神戸市灘区 その中心メンバーで、いまは同局を退社した脇浜紀子アナ(当時)が言っていたのは、「阪神淡路大震災の2か月後、東京で地下鉄サリン事件が起きたことで、在京局制作の番組では、阪神大震災のニュースが激減してしまいました。まだまだ伝えたいことはたくさんありました」と。 阪神淡路大震災にまつわるニュースや新聞記事は、東京では1月中旬に集中しており、東日本大震災のニュースでさえ、3月初旬に集中しているように思える。 3年前、阪神大震災について扱った『クローズアップ現代』(NHK)で、「街は復興したけれど、暮らしや心の復興は半分」と、当時、働き盛りだった方々が異口同音に言っておられたのが忘れられない。 こうして偉そうに書いているが、大地震の日、生番組に出演していた私でさえ、正直、忘れてしまうことがある。震災の記憶を確かなものにしたり、消え去らないようにしたりするのが報道の役目なのではないか。 在京テレビ局はもう少し、被災地のテレビ局から学ぶべきではないだろうか。関連記事■ 米朝首脳会談報道に見る各局キャスターの悲喜こもごも■ さまよい続ける田中みな実 狙うべきは女性層か!?■ 時々やってくる「ジャニーズの異端児」風間俊介ブーム■ フリーアナ思いのTBS 『はやドキ!』は人材の宝庫■ 横澤夏子 女芸人としてレアケースな活躍ぶりの理由

  • Thumbnail

    記事

    テレビが流す「視聴者提供画像」 謝礼は?トラブルは?

    ップした後、友人からの反響も凄くて、気持ち良かった」 衝撃的な動画や画像には、日本だけでなく、海外のメディアからもオファーがあるという。現場に駆けつけた記者がそうした動画や画像を自分のスマホに送ってくれるよう頼むこともあるようだ。「基本的に謝礼を払うことはありませんが、記者個人の判断でギフトカードなどを渡すケースもあるようです」(前出・キー局社員) 今回の地震では、ツイッターなどの情報をもとに現地にメディアが殺到することもあった。「テレビ局の記者がワゴンに乗って現われたと思ったら、スマホの動画を見せてきて『この場所に案内してほしい』っていうんです。こっちはガスが止まって飯もろくに食えないのに……」(雑貨店店主) 被災者が被災者を撮影し、マスコミがそれに群がる。奇妙な光景がそこには広がっていた。関連記事■ 危ない「活断層」「隠れ断層」全国詳細マップ完全版■ 災害時の「不謹慎厨」対策、芸能人におかしな作法が定着■ AI地震予測 全国警戒エリアマップ2018年4月最新版■ 全国で地震頻発 首都直下地震を誘発する可能性は?■ 相模川でアユが大量発生 地元住民が気味悪がる言い伝え存在

  • Thumbnail

    記事

    死刑制度はオウム再犯の抑止力になり得るか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) オウム真理教の元教祖、麻原彰晃(本名、松本智津夫)ら元幹部7人に対して死刑執行が行われた。1995年の地下鉄サリン事件に代表されるオウムの引き起こした、社会的影響の大きかった一連の残忍な事件について、思いを深くするこの数日だった。 特に、インターネットや新聞、テレビなどで、今回の死刑執行をめぐってその是非が議論されている。中でも、6月に何人かの著名な識者が呼びかけ人となって設立された「オウム事件真相究明の会」が、麻原への死刑執行に対し、事件の真相究明を妨げたとして厳しい批判活動を行っている。 これに対して、ジャーナリストの江川紹子氏は「『真相究明』と言うが、オウム事件は、裁判を通じてすでに多くの事実が明らかになっている」としたうえで、同会に代表されるような麻原への死刑執行を反対する姿勢に「欺瞞(ぎまん)」さえ感じていると、事実検証をもとに詳細な反論を行っている。江川氏の論考を一読した筆者も全くの同意見である。 たいだい、裁判記録に加えて、ネットでは公安調査庁がまとめたオウム真理教関係の事件の概要、被害者やご遺族の方々の声、そしてオウム後継団体の問題点と監視の現状などがまとめられており、これらを参考にできるはずだ。あれほど真相究明に時間と労力・費用をかけて、江川氏の指摘するように核心部分が解明されているのに、「まだ真相究明がなされていない」と断じるのはあまりにも無責任ではないだろうか。 このように、十分な根拠を持たなくても、少しでも「疑惑」や「疑問」があれば、問題の全てを肯定・否定的に扱うやり口が最近、さまざまな事象で「悪用」されている。 地下鉄サリン事件が起きた95年前後でも、オウム真理教を好意的ないし弁護する識者の意見が多かった。それに乗じるマスコミも悪質で、例えばTBSの報道姿勢は弁護士一家殺人事件につながり、今も深刻な問題を残している。2018年6月、記者会見で、松本智津夫死刑囚の執行に反対する雨宮処凛さん(右)と森達也さん また、94年の松本サリン事件では、被害者家族を容疑者扱いにする、まるで魔女狩りのようなテレビ報道も大きな問題であった。このようなワイドショー的な魔女狩り報道は、現在も全く改善されていない。 特に今回の死刑執行に際して、各テレビ局の報道を見ても、TBSの重大な過誤や当時の魔女狩り報道、さらにはオウム真理教の「宣伝」「布教」の場と化していたさまざまな討論番組の功罪については、今日ろくに再検証されていないのが実情である。二十数年を経て、事件を「風化」させているのは、マスコミのこの無反省な姿勢にあるのだろう。無責任極まる「革命」崇拝 オウム真理教に好意的だった当時の一部の識者たちの姿勢を、宗教学者の大田俊寛氏が以下のように簡潔に整理している。大田:このように、中沢(新一)さんや浅田(彰)さんを初めとする日本のポストモダンの思想家たちは、オウムというカルトの運動を見過ごしたし、後押しもしてしまった。しかし、その責任を取ろうとはしませんでした。そして何より、まずはオウムという現象を客観的に分析するというのが学問の本分であったと思いますが、それがまったくできなかった。その代わりに、「オウムは間違ったけれども、次の革命とはこうだ。ポストモダンの社会とはこうあるべきだ」といったナンセンスな革命論が提示され、それに基づいた空虚なアジテーションが繰り返された。それは今もなお、形を変えて反復されています。大田俊寛×山形浩生「「幻惑する知」に対抗するために」 Sangha 2012年8月号 あまりに単純素朴な「革命」崇拝に類した態度は、先の江川氏の論考でも、地下鉄サリン事件発生から3年後(1998年)の雨宮処凛氏の言葉として紹介されている。ムチャクチャありますよ。サリン事件があったときなんか、入りたかった。「地下鉄サリン、万歳!」とか思いませんでしたか? 私はすごく、歓喜を叫びましたね。「やってくれたぞ!」って。吉田豪「ボクがこれをRTした理由」、TABLO 2018.06.08 事件発生当時、このような単純素朴で、それゆえに無責任極まる「革命」崇拝的な姿勢が、有名無名問わず当時の人たちに、いささかなりとも共有されていたことがわかるだろう。ひょっとしたら、このような「革命」崇拝を、今も無反省に続けているのではないだろうか。 次にオウム真理教幹部たちへの死刑執行について、経済学的な考察を紹介しておきたい。まず死刑については、人権尊重から廃止する必要があるとか、反対に社会的な応報感情を満たすために必要である、という価値判断を議論することが重要である。 だが、経済学でも、死刑が凶悪犯罪の抑止に効果的かどうか、しばしば議論されてきた。リフレ派の経済学者としても知られる駒沢大の矢野浩一教授や、法と経済学の専門家である駒大の村松幹二教授らが、1990年から2010年前半までの月次データを用いて分析している。2018年7月、松本智津夫死刑囚ら7人の刑執行について記者会見する上川法相 その研究によると、死刑判決や執行数では、殺人などの凶悪犯罪に対する抑止効果が見られなかったという。一方で、時効の延長、有期刑の上限の延長は、強盗殺人・致死に対して抑止効果がみられたというのである(村松幹二、デイビッド・ジョンソン、矢野浩一「日本における死刑と厳罰化の犯罪抑止効果の実証分析」、『犯罪をどう防ぐか』岩波書店シリーズ「刑事司法を考える」第6巻、2017)。なぜ「重大な再犯」が行なわれないのか ほかにも、死刑があまり凶悪犯の抑止に役立たないことは、米国でもベストセラーとなった『ヤバい経済学(増補版)』(東洋経済新報社)でも簡単に実証されていた。また、村松氏は論文「日本における死刑の近年の動向」の中で、オウム事件の犯罪者たちを「政治犯」として区別し、それを死刑判決数のサンプルの中に入れても入れなくても、上記の結論に関係ないことを示している。 オウム真理教の犯罪者たちを「政治犯」もしくは国家転覆を狙ったテロ組織の一員とみなすのは妥当な見解だろう。欧米でも話題になっているが、テロ犯罪者たちの再犯率のエビデンス(根拠)が不足し、再犯を抑止する政策についてはまだまだ未開拓の領域である。ただしオウム事件に限定してみると、元信者たちのテロなど重大な再犯はほとんど観測されていない。 麻原を含めた犯罪者たちの死刑判決や死刑執行が、オウム元信者の再犯抑止にどのような効果があるのか。また、今も公安の監視対象にある後継組織の抑止に貢献しているのか。これらは明確にわかっていない。社会や公安などの監視の厳しさ、漸増しているとはいえ厳しく制約されている活動資金や人的資源なども、テロの再犯を難しくしている可能性があるからだ。 ただ、以下のことはいえるのではないか。経済学では、さまざまな政策ルールの束というべきレジーム(体制)が変化することは、人々の行動も大きく変えてしまう。死刑判決・執行という「部分」だけに、どうしても目が行きがちである。しかし、それらも含めて、現在の社会監視体制や法体系、刑の執行など「政策」ルールの束が有効に機能しているために、今のところオウム元信者たちの再犯や後継団体による犯罪も未然に防げているのかもしれない。 事実は、それをある程度裏付けてもいる。もちろん、オウムの再犯抑制レジームを支えるもっとも弱いルールとして、死刑判決・執行をとらえることもできるかもしれない。村松氏らの実証はそれをある程度支持している。 ただしルールの束として考えるとなると、一つのルールに注目してその効果を判断することは妥当ではなくなる。例えば、サッカーにおいて、人数はそれほど大きなウエートを占めるルールではないかもしれない。でも、11人制を6、7人制にするルール変更を行えば、試合展開、観客の楽しみ方など含め、ゲームを大きく変化させてしまうだろう。つまり、レジーム転換が起きてしまうわけで、犯罪に関しては犯罪の動機付けを大きく変化させかねない事態を引き起こすのである。2018年7月6日、アレフ大阪道場の調査を終えた公安調査庁の職員ら=大阪市生野区(鳥越瑞絵撮影) 特に日本のように「厳罰化」の流れが生じている中で、大衆が死刑廃止という厳罰化ではないルール変更を受け取ったときに、レジームは大きく不安定化する。これは経済政策でいえば、アベノミクスがデフレ脱却レジームを採用すると言い、金融政策ではデフレ脱却ルールを続けながら、財政政策で消費増税など緊縮ルールを採用することにより、政策効果が大きく損なわれたことに似ている。 もしこの推論が正しければ、安易なレジーム変更につながるような、現在の死刑制度の廃止には筆者は即座に賛成しかねる。あくまでもオウム真理教的な事件に限っての試論的な考察であるが、最小限の予防ルールとして死刑制度を維持すべきという立場を採用したいと考えている。

  • Thumbnail

    テーマ

    「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた

    米朝首脳会談を前に一冊の本が衝撃を与えている。『メディアは死んでいた-検証北朝鮮拉致報道』(元産経新聞記者・阿部雅美著、産経新聞出版)。40年前、拉致事件を発掘し、21年前に横田めぐみさん拉致疑惑を初報した記者が、取材の経過とメディアが拉致をどう報じたか、赤裸々に綴ったのである。

  • Thumbnail

    記事

    1988年3月26日、メディアが死んだ日

    阿部雅美(元産経新聞社会部記者)(産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成) 本書『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)は産経新聞に連載された《私の拉致取材 40年目の検証》に加筆したものである。連載中、読者からの反響で最も多かったのは、本書で繰り返し触れた《メディアが死んだ日》についての質問だった。 1988年3月26日。北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚――政府が8年前に産経が報じた一連のアベック蒸発に言及し、初めて北朝鮮の国名を挙げて国会答弁したにもかかわらず、この答弁を含む歴史的な質疑をメディアがこぞって無視、黙殺したのだ。 そんなことが本当にあったのか、という驚きの反応もあり、この事実が意外に知られていないことを知った。書籍化にあたりタイトルを『メディアは死んでいた』とした理由の一つだ。 当時、国会・参院予算委員会の記者席にいた各社の記者に取材して《メディアが死んだ日》の真相を明らかにしてほしいという要望も、「あなたは何もしなかったのか」という叱責とほぼ同数寄せられた。実は20年前にも、15年前にも、それを試みかけたことがあった。 しかし、報じなかったことについての他社への取材は至難だ。私の力には余る。《メディアが死んだ日》があったこと、この日の答弁内容を書き残すことで勘弁願いたい。 朝日新聞や共同通信のOBから提案、アドバイスもいただいたが、「北朝鮮はそんなこと(日本人拉致)はしない、と言い続けた(当時の社内の)○○らに筆誅を加えてほしい」という無理な注文もあった。 では、88年3月26日に何があったのか。 この日の参院予算委員会質疑で答弁した警察庁の城内康光警備局長は、共産党の橋本敦議員の質問に対し、78年7月、8月のわずか2カ月間に4組の若い男女のカップルが突然姿を消したことについて、明確に「事件」と認定。続けてこう述べたのだ。80年の産経報道から8年、アベック拉致疑惑が初めて国会の場で取り上げられた瞬間だった。《諸般の状況から考えますと、拉致された疑いがあるのではないかというふうに考えております》 続いて答弁に立った梶山静六国家公安委員長(自治相)は、それまでの質疑をくくるように答えた。梶山静六元官房長官。答弁当時は国家公安委員長兼自治相だった=1998年6月撮影《昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性に鑑み、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、ご家族の皆さん方に深いご同情を申し上げる次第であります》報じられなかった歴史的答弁 これを通称「梶山答弁」という。拉致について一度も公式に言及していなかった政府、警察が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を認めた。それまで拉致については、言ってみればゼロ回答だったのだから、一歩踏み込んだというレベルの話ではなかった。 すでに拉致が周知のこととなっている「今」の視点からは、ごく当たり前の答弁に感じられるだろう。しかし「今」ではない。88年のことだ。 小泉純一郎首相の電撃訪朝で北朝鮮側が日本人拉致を正式に認める10年以上も前である。だが、この歴史的な答弁はこぞって報じられなかったのだ。 そもそも、私が書いた《アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?》の記事が、まだカタカナ題字だったサンケイ新聞一面に掲載されたのは80年1月7日。38年前だった。 横田めぐみさん拉致事件の初報となった《「20年前 13歳少女拉致」 北朝鮮亡命工作員証言》の記事が漢字題字の産経新聞一面に掲載されたのは、それから17年後、97年2月3日のことだった。 浜辺で楽しく語らう若い男女、下校途中の少女、買い物に出かけた母娘らが次々に襲われ、工作船に乗せられ、海の向こう1000キロ近くも離れた北朝鮮へと連れ去られる―「ありえない事件」だった。しかし、拉致事件の特異さを際立たせているのは、そうした犯罪の形だけではない。1997年2月3日、産経新聞は北朝鮮による横田めぐみさん拉致事件を実名報道。この後、拉致被害者家族会が結成されるなど救出への機運は高まっていくことになる もう一つ、ある。繰り返された理不尽極まりない蛮行を日本社会とメディアが長く放置してきたことだ。 産経新聞の第一報は「虚報」とされ、この重大な人権侵害、主権侵害の国家犯罪への関心が広がることはなかった。大半の国民が、拉致は事実、という共通の認識を持つまでに、なんという長い年月を要したのか、思いもよらぬ曲折を経ねばならなかったのか。 人により拉致事件の存在を知った時期に10〜20年もの隔たりがあるのは、なぜなのか―。責の過半は新聞、テレビなどマスメディアの不報(報じないこと)が負うべきである、と自戒を込めて思う。 歴史に「もし」「たら」はないが、もし、あの時、メディアが一斉に報じていたら、今とは違う、今よりずっと良い結果に至っていたのではないか、との思いがぬぐえない。一度ならずあった契機に目をつぶり、拉致疑惑の存在を否定、黙殺し続けた事実を消すことはできない。 この間、産経新聞の一連の拉致報道に対する誹謗を幾度も見聞した。インターネット上にも事実と異なる情報が散見される。反論もせず、訂正を求めることもしてこなかった。通常、事件取材の経緯は明かさないのが原則だ。 しかし、拉致事件に限れば、どう取材したか、しなかったか、どう報道したか、しなかったか、が正しく記憶されるべきだと思うようになった。それらをも全て含めて拉致事件と考えるからだ。あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。

  • Thumbnail

    記事

    誰も目にしたことがない国会映像

    阿部雅美(元産経新聞社会部記者)(産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成) なぜ、私は『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)を書いたのか。 日本海側で起きていた一連のアベック行方不明について「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と述べた1988年3月26日の梶山静六国家公安委員長の答弁(梶山答弁)。雑談やオフレコの場ではない。無責任な噂話ではない。国会の予算委員会で政府が北朝鮮の国名をはっきりと挙げて、人権・主権侵害の国家犯罪が「十分濃厚」と答えたのである。 これは尋常なことではない。だれでもトップニュースと思うだろう。しかし、この答弁がテレビニュースに流れることは、ついになかった。 新聞は産経がわずか29行、日経が12行、それぞれ夕刊の中面などに見落としそうになる小さいベタ(1段)記事を載せただけだった。朝日、読売、毎日には一行もなかった。 マスメディアの拉致事件への無関心は、ここに極まった。まるで申し合わせでもしたかのように、足並みをそろえて無視したのだった。記事の扱いが小さいとか、遅い、というのではない。報じなかったのだ。 「メディアが死んだ日」という意味合いが、お分かりいただけるだろうか。 関係者によると、あの日、予算委員会の記者席では、いつも通り報道各社の記者たちが何人も傍聴していたそうだが、このときの答弁映像はニュース映像の宝庫であるはずのNHKにも残っていないと聞く。誰も一度も目にしたことがないはずだ。 歴史的な国会答弁の映像が日本のどこにも存在しない。不思議なことだ。 現在、NHKは拉致報道に相当熱心だが、長い間、拉致を無視し続けたように思う。個々の記者がそろって無関心だったわけではなかったことは、後年、NHKの研修会に招かれてプロデューサーや記者たちと話す機会があって知ったが、世紀が変わるまでの20年間、まともな拉致疑惑報道を視聴した記憶がない。2004年9月、衆院総務委員会を収録するNHKのカメラクルー(奈須稔撮影) NHKだけを責める気は毛頭ない。民放各社も同じだった。 「梶山答弁」自体は数行だが、この日の拉致関連の政府答弁全体が実は画期的なものだった。ただし、自分たち身内のことが国会で取り上げられたにもかかわらず、アベック3組の家族たちさえ、こうした質疑があったこと自体を、ずっと知らずにいた。取り返しつかぬ9年の「空白」 産経も詳報をしてきていないので、この機会に改めて紹介させていただいた。本書を書き始めた理由の一つでもあるからだ。 「梶山答弁」の無視―。長くメディアの世界の隅で働いてきたが、これほどまでに異様な経験は、この一度きりだ。 一体何があったのか。各社の記者が、なぜ原稿にしなかったのか、あるいは原稿は書いたが、本社サイドでボツにしたのか。 いや、突然、あの質疑を聞いても、拉致についての相当な予備知識、関心がなければ一体何のことなのか訳が分からず、原稿にしようがなかったのではないか。答弁の重大さに気づかなかったのではないか。そんな冷めた見方もあるが、「メディアが死んだ日」の真相は今もって分からない。 報道しなかったという事実が報じられるはずもなく、「梶山答弁」は事実上、幻、つまり存在しなかったことになってしまった。この間、9年。取り返しのつかない空白が生じた。 本書は私や産経の手柄話の場ではない。恥もさらす。 私自身、「梶山答弁」を報じた88年3月26日付産経夕刊掲載のベタ記事に気づかなかった。出稿部署を離れて整理部で仕事をしていた時期ではあったが、それは言い訳にならない。 翌日だったか、翌々日だったか、同僚記者に教えられて知った時点で、大きく紙面展開することを社内で強く主張すべきだった。政府が国会で北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を初めて認めた、となれば、他紙もテレビも、それなりの報道をせざるを得ないはずだった。2018年3月、拉致問題の解決に向け、安倍晋三首相(右)に決議文を手渡す家族会代表の飯塚繁雄さん(右から2人目)ら。中央左は横田早紀江さん(斎藤良雄撮影) 記者の常識からすれば、政府・警察にそれなりの確証がなければ「梶山答弁」にはならない。どんな確証なのか。これを契機に拉致取材合戦が始まる。新事実が次々に明らかになる―。世論が盛り上がる―。政府が動く―。北朝鮮が動く―。 そうはならなかったかもしれないが、いずれにせよ、意気地のない記者だったことを恥じ入る。 誤報、虚報とマスメディアに黙殺され、自分が取材したと親しい人にさえ言えずにきた、あの記事を政府、警察が国会の場で丸ごと追認したというのに、何もできなかった。しなかった。情けない話だ。 産経に限らず、1社だけが報じても世論にはならない。80年の産経記事の後追い報道はともかくとして、「梶山答弁」はマスメディアが拉致疑惑をそろって取り上げるべき最初の機会だった。この機を逃した意味の大きさは計り知れない、と今も思い続けている。あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。

  • Thumbnail

    記事

    人権問題に産経も共産党も朝日もない

    阿部雅美(元産経新聞社会部記者)(産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成) 『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)では、拉致問題の解決に向けて奔走した人々も描いている。その一人が、元日本共産党議員秘書、兵本達吉氏だ。 「国会の共産党の人からですよ」。取り次がれた電話が、いつ、かかったのか。正確には覚えていない。 間違いだと思った。産経新聞社と日本共産党間の自民党意見広告掲載をめぐる訴訟は産経側の全面勝訴で決着していたとはいえ、仲直りしたわけではない。いわば犬猿の仲。電話などかかるはずがなかった。 「あんたが昔書いたアベック蒸発の記事、読んだよ。(松本)清張の小説より面白いな。わしも新潟、福井、鹿児島、みんな行って、家族に会ってきた。北朝鮮による拉致に間違いないんだよ」 いきなり、大きな声で、そう切り出す。自分のことを「わし」と言う思わぬ“同志”の出現に戸惑った。 それが橋本敦参議院議員(共産)の秘書、兵本氏との出会いだった。橋本議員は88年3月26日の「メディアが死んだ日」に、政府が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を国会で明言した梶山答弁を引き出したが、アベック拉致関連質問は秘書の兵本氏が現地調査を基に練ったことに疑いの余地はない。被害者家族の心痛描写など、実際に会って話を聞いた人にしか書けない。拉致疑惑を掘り起こした元共産党参院議員秘書の兵本達吉さん=2002年9月撮影 「『李恩恵』という日本から拉致された日本人女性から(日本人化)教育を受けました」 大韓航空機爆破事件で逮捕された金賢姫・元北朝鮮工作員の88年1月15日の記者会見での一言に刺激されて拉致事件に興味関心を抱いたという兵本氏。アベック連続蒸発を知り、新潟、福井、鹿児島へ出向いたのだった。 私に電話したのは、いつだったか、本書を書くにあたって兵本氏に確認した。 「梶山答弁からだいぶたってからだったよ」 もうすぐ80歳、私も70歳に手が届く。お互い記憶があいまいになる。それにしても京都大学生時代からの筋金入りの共産党員が、よく産経へ電話したものだ、と今でも思う。 《昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます》「メディアは、なぜ報道しないんだ」 せっかく画期的な梶山答弁を引き出しながらマスメディアに無視されたのだから、常人なら相当な打撃を受けたはずだが、それしきのことでめげる人ではなかった。 「そりゃ、ショックだったさ。なにしろ産経もベタ(1段記事)だからな。まあ、共産党の質問だから仕方ないけどね」 情報交換のため、時々顔を合わせるようになった。私は拉致事件の事実解明を続けてきたつもりだったが、兵本氏の関心は、その先、拉致された被害者たちを、どうやって日本に取り戻すか、にあった。当時、そんなことを考えていた人は、私の知る限り、兵本氏一人だけだ。 議員会館の部屋では共産党の職員が働いている。訪ねるたびに彼、彼女らの産経記者への視線が気になったが、兵本氏は、まるで意に介さなかった。 「拉致は主権侵害、人権侵害の重大犯罪だ。産経も共産党も朝日もない。メディアは、なぜ報道しないんだ」 同感だった。この迫力と情熱がやがて被害者家族を動かして家族会を結成することになる。 その一方で、日本共産党は、北朝鮮との関係を突然修復、兵本氏は党を除名されながらも、拉致被害者支援の活動を続けていったのだ。 少し脇道へ回る。だいぶ後の話だが、何人かの産経読者から「これは本当か」「ケシカラン」と問い合わせ、お叱りの電話を受けた。 関西の読者が郵送してくれた「知りたい 聞きたい 北朝鮮問題と日本共産党」という、共産党系の組織が配布したビラが1枚、今も手元にある。東京・渋谷区にある日本共産党本部=2017年10月(桐山弘太撮影)「拉致問題を早くから取材してきた阿部雅美産経新聞編集局次長(当時)」と私の名があり、「拉致疑惑をもっとも熱心に国会で取り上げてきたのは共産党の議員です。共産党と産経新聞は昔から仲が良くないのですが、これはそういう問題ではありません」という、どこかの場での私の発言が載っている。 梶山答弁を引き出した橋本質問を念頭に、そのような発言をしたことは事実だが、私にとって拉致疑惑に関しては兵本氏=共産党だった。兵本氏以外の共産党員と言葉を交わしたり、取材したりしたことは一度もない。 遅きに失したが、ビラの中の「共産党の議員」は「共産党の議員秘書、兵本氏」の誤りなので、この機会におわびして訂正しておく。あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。

  • Thumbnail

    記事

    政治的娯楽「モリカケショー」があまりにバカバカしい

    きや、多くの野党の「疑惑がますます深まった」症候群が加速化しているだけでしかない。 この問題は日本のメディアの低レベルと政治の薄っぺらさを実証する以外に何の成果もないのである。だが、世論調査では、圧倒的多数の人が柳瀬氏の国会での発言に納得していないようだし、テレビのワイドショーの「識者」の発言も同じく批判的だ。 しかし、筆者の考えでは、加計学園問題は一種の政治的な娯楽で消費されているに過ぎず、いわば受け手や作り手の「好き嫌い」しか反映されていないものだと思う。つまり、映画や遊園地で遊んだことについて、お客さんに「満足」か「不満足」かのいずれかを問うものと同じレベルであるということだ。 世論調査では、加計学園問題に関する柳瀬氏の答弁や安倍晋三首相の説明について、世論、いや消費者たちは圧倒的に「不満足」である。彼らは政治的娯楽を「もっともっと」求めているように思える。 多くの野党議員が口にする「疑惑はますます深まった」という言葉も、要するに「次回のモリカケは?」とドラマやアニメの予告編を知らせるせりふでしかない。そこには真実の追求もなければ、政治的な展望もないのである。もはや、政治はワイドショーの「奴隷」のような状況だろう。 ちなみに、柳瀬氏が加計学園の獣医学部新設をめぐり、学園や愛媛県の関係者と面談したことは、事実関係でも単純な論理としても、安倍首相サイドによる優遇には全くつながっていない。一部マスコミの見出しでは、まるで加計学園サイドに「優遇して」面談の機会が与えられたかのような印象報道もある。2018年5月10日、衆院予算委の参考人質疑で答弁する柳瀬唯夫元首相秘書官(松本健吾撮影) でも、あくまで柳瀬氏側と面会の予約をすることができたかどうかの問題でしかないのである。それが何の疑惑の根拠になるのだろうか。真実よりも「好き嫌い」 また、愛媛県の中村時広知事や「反安倍」の識者、マスコミ、野党は、「首相案件」という文言にこだわっている。では、「総理案件」だろうが「首相案件」だろうが、フレーズがいずれであっても、いったい何の疑惑を生み出すものなのだろうか。まるで「疑惑ゆえに疑惑あり」「予告編は面白おかしくていい」というような薄っぺらい印象でしかない。 もう一度簡単に書くが、柳瀬氏と面談すること、そしてそのときのメモ書きに「首相案件」などと書かれていたことが、何か重大な政治的ミス、道義的な重大ミス、あるいは国益を損ねる犯罪などになるのだろうか。 実は、この問いに対し、具体的に答えた人はいまだにいない。国民の多くは、テレビや新聞、インターネットなどから「犯罪映画の予告編」を延々と流され、「なんか怪しそうだ」とあおられているだけである。まさに異常な事態といえるだろう。 筆者はこの異常事態をしばしば「魔女狩りの経済学」という視点で取り上げてきた。冒頭にも書いたように、加計学園と学校法人「森友学園」(大阪市)のいわゆる「モリカケシリーズ」は、報道ではなく娯楽の消費なのである。 すなわち、真実の価値よりも、単に「好き嫌い」や「面白い面白くない」が優先されるのである。そしてメディアは、世論にできるだけ楽に消費してもらえるように、勧善懲悪的な見方や単純な構図、そして一つの話題をなるべく使い回すことを選ぶ。 メディアにとって、真実の追求は「おまけ」でしかなく、かえって真実がゆがめられて報道されている。しかし訴訟を起こされない範囲であれば、この娯楽としての報道にリスクは生じない。特に任期も限られていて、公的な地位が高く、訴訟リスクの低い国会議員などは、娯楽としての報道には最適の道具でしかないからである。 他方で、長期的な「取引関係」にあるといっていい官庁や警察、有力芸能事務所などへの批判は控えめになる。これらのマスコミの「取引先」は大切なお得意さまなのかもしれない。2018年5月8日、閣議後、記者の質問に答える麻生財務相 例えば、財務省で立て続けに明らかになった文書改ざん問題やセクハラ問題は、財務省の体質や制度そのものに起因する悪質なものである。ところが、マスコミの多くは麻生太郎副総理兼財務相の「クビ」しか関心がない。財務省自体に損失を与えると、自らにとっても「マイナス」になるかのように、彼らの批判の矛先は麻生氏に向けられたままだ。「モリカケ問題」今後は? さらにマスコミは、政府が「悪」、それに対抗する勢力は「善」、と勧善懲悪的に描かれる。今回の加計学園問題においても、政府側は悪役であり、くめども尽きない「疑惑の泉」でもある。 筆者の知る人気のサブカルチャー識者の中にも「常に政府に反対するのが正しい」と主張する人もいる。あまりにも薄っぺらい見方だが、国民の一定割合の支持を受けているだけに侮れない。 一方で、ワイドショーをはじめとするテレビ・新聞の報道を真に受けない人たちも増えてきている。これらのマスコミの情報を踏まえながらも、ネットでの代替的・補完的な情報や意見を参考にする人たちである。 もちろんネットの情報には多くの深刻な間違いがある。また、ネット上の意見の多くがマスコミの意見や分析の焼き直しであることも多い。ただ、これらのマイナス面を割り引いても、インターネットの進歩が、既存のメディアが好んで作り出す「娯楽としての報道の危険性」に一定のブレーキをかけていることは間違いない。 ところで、モリカケ問題はこれからどのような動きを見せるのだろうか。真実の追求よりも娯楽の追求が問題の「真相」だとすれば、答えは一つしかない。テレビであれば他の番組にチャンネルが変わること、新聞であれば他の重大問題に一面が変わることである。 つまり、より「楽しい」娯楽が提供されるまでは、この問題に関する「疑惑」は生産され、消費され続けるしかないのである。経済学のゲーム理論を応用すれば、これはゲームのルールが変更されることを待つしかない。悲観的な見方ではあるが、実はそれほど絶望的でもない。娯楽はすぐに飽きられる面もあるからだ。2018年5月10日、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致を伝える東京・秋葉原の大型モニター 実際、一部の世論調査では、内閣支持率も下げ止まりをみせて微増に転じているようだ。これは北朝鮮などの外交問題といった違う娯楽を求め始める動きや、消費者の飽きを示すものかもしれない。もちろん、真実を望む多くの人たちの、ネットなどを中心とした言論活動の成果かもしれない。 いずれにせよ、既存のマスコミが真実を追求する報道ではなく、娯楽としての報道を提供する限り、それを国が保護する何の理由もない。今後、マスメディアに対する規制緩和、特に放送法の改正などが重要な課題になっていくであろう。

  • Thumbnail

    テーマ

    テレビの公平性ってなんだ!?

    た放送制度改革だが、中でも注目されるのが放送局に政治的公平などを義務付けた放送法4条の存廃である。大メディアはなぜ「撤廃」に猛反発するのか。議論の核心を読む。

  • Thumbnail

    記事

    偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!

    本柱だった。①放送法第4条をはじめとする放送諸規制(番組準則、番組基準の策定、番組審議会の設置、マスメディア集中排除原則、外資規制など)の撤廃②放送におけるハード・ソフト(NHK以外の放送設備部門と番組制作部門)分離の徹底③NHK以外の放送と通信の一元化(一本化) 以上の意味するところは、NHKと民間放送という「二元体制」の終了である。言い換えれば、NHK以外の民放をインターネットなどの通信と同列化し、事実上「放送」ではなくしてしまう。 この「改悪」が貫徹されれば、1950(昭和25)年の電波三法成立・施行から戦後70年近く続いてきた日本の放送制度は、根本的に変わることになる。つまりこれは、安倍首相の大好きな「戦後レジームからの脱却」の放送版なのである。 安倍首相がしばしば口にする「戦後レジームからの脱却」は、本来であれば、先の大戦後に日本にもたらされた戦後体制のうち、戦前体制よりよいものと戦前体制よりよくないものとを峻別(しゅんべつ)し、よくない戦後体制だけを、現体制よりよいものに変えること、であるはずだ。 ところが、安倍首相は、そうした峻別や腑分け作業なしに、アメリカの押しつけや左派・進歩的文化人の推奨が目立つ戦後体制のうち、自分が変えたいと思うものだけについて「戦後レジームからの脱却」と口走ってしまう。だから説得力がなく、歴史観がおかしな歴史修正主義者と見なされることになる。 もちろん日本の現行の放送制度は、政府の手足となり大本営発表しか流さなかった戦前の悪しき放送制度(ラジオ)を反省し、アメリカ(GHQ)の指導下につくられた、まさに「戦後レジーム」そのものである。しかも、戦前体制よりはるかによい戦後体制だ。 しかし、どうやら安倍首相は、自分が言い出した放送制度の「改悪」が、「NHK民放二元体制の崩壊」や「放送とネットの非現実的な融合」を意味し、戦後レジームを根本的に変えてしまう大ごととは、よくわかっていなかったようである。規制改革推進会議であいさつする安倍晋三首相(右)。左隣は大田弘子座長=2017年9月11日、首相官邸(酒巻俊介撮影) その後の各社報道によれば、4月中旬に開かれる内閣府「規制改革推進会議」でこのテーマを取り上げ、安倍首相が方向性を示すとされていた。その後、同会議が5月頃をメドにまとめる答申に放送改革の方針を盛り込み、早ければ18年秋の臨時国会に関連法案を提出。20年以降の施行を目指す、という段取りとみられた。 しかし、68年続いた放送制度を根本的に変えようという大改革にしては、以上のスケジュールは、ばかばかしいほど拙速すぎた。一目、話にならない無理筋である。 民放連(日本民間放送連盟)は3月半ば「放送の価値向上に関する検討会」を立ち上げ、対抗策を練った。同検討会は大久保好男・日本テレビ放送網社長(6月に井上弘・TBSテレビ名誉会長の後を受けて民放連会長に就任予定)が座長、在京キー局役員が主要メンバーとなり、民放挙げて徹底抗戦の構えをとった。 テレビと系列関係の強い大新聞紙も、今度ばかりは受け入れがたいということで、安倍首相いわく「読んどけ新聞」こと読売新聞紙も3月8日に〈安倍「放送」改革に潜む落とし穴〉(政治部からメディア局に移った加藤理一郎記者の署名記事)、17日には〈首相、批判報道に不満か〉という見出し記事を掲載。そのほかの新聞もおおむね「拙速にすぎないか」との論調である。安倍首相の「焦り」 放送を所管する総務省も依然として半信半疑。野党はもちろん、与党にも反対論が根強い。そんな中4月16日に開かれた「規制改革推進会議」が公表した「通信と放送の融合の下での放送のあり方について」では、冒頭①~③の中身は、あっさり削られていた。 同会議が具体的な検討課題として示したのは、(1)通信・放送の融合が進展する下でのビジネスモデルの展開の方向性、(2)より多様で良質なコンテンツの提供とグローバル展開、(3)上記の変革を踏まえた、電波の有効活用に向けた制度のあり方、の3項目。会見で放送制度改革について聞かれた大田弘子・同会議議長も「報道にとまどっている。そうした議論はまったくしていない」と、水面下で検討された放送法4条撤廃問題などの火消しにやっきとなった。 安倍首相は、会議で放送法第4条の「ほ」の字も出さず、「放送と通信の垣根はなくなっており、コンテンツの世界はグローバル競争の時代に突入している。日本のコンテンツは世界で通用しないとあきらめてはダメ」などと発言した。1月の施政方針演説や2月の政府「未来投資会議」で、威勢よく放送の「大胆な見直し」を宣言していたのとは大違いだ。各方面からの反対に加えて、内閣支持率の低迷が響き、自らの軽い思いつきを撤回せざるをえなかったわけである。 それにしても、なぜ安倍首相は、ポシャるに違いないこんな無理筋の話を持ち出してきたのだろうか? 今回のような「放送制度改革案」は、特に目新しいものではない。例えば2006年には、当時の竹中平蔵総務大臣の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」で、NHK・民放・NTTの改革が議論され、「通信・放送の法体系の抜本的見直し」「マスメディア集中排除原則の緩和」といったキーワードも登場している。 アメリカで、放送のいわゆる「フェアネス・ドクトリン」(公平原則)が撤廃されたのは1987年と、30年も前のこと。放送局が政治的な党派性を掲げてもよいのでは、という議論は、日本でも当時からあった。 今回そんな古い話を出してきた最大の理由は、森友問題(財務省の文書改ざん問題)や安倍昭恵問題にイラ立つ安倍首相の「焦り」だろう、と筆者は見る。将棋に「不利なときは戦線拡大」という格言がある。野党の質問攻勢、マスメディアの政府批判、それに影響された(と首相が思っている)内閣支持率の下落などを受けて、新しい争点を掲げて戦線を拡大し、局面を複雑化したかったわけだ。 そのネタが放送改革ならば、テレビはビビって政権批判に二の足を踏むかもしれない。特に安倍首相は、新聞では朝日新聞、テレビではTBSとテレビ朝日を、昔から蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っているから、彼らにダメージを与えることになれば好都合。NHKは基本的に意のままだし、日本テレビとフジテレビは賛成してくれるに違いない、といった判断だっただろう。自分の女房すら満足にコントロールできないくせに、民放番組をコントロールしたいというのもふざけた話だ、と筆者は思うが。閣議を終え会見する野田聖子総務相=2018年2月9日、首相官邸(斎藤良雄撮影) もう一つの理由は、総務省の改革の遅れである。2017年6月に出た安倍政権の経済財政政策は「経済財政運営と改革の基本方針 2017~人材への投資を通じた生産性向上~」で、目玉は「働き方改革」だった。所管は厚生労働省で、同省の労働時間の実態調査データに疑義が生じるなどぎくしゃくし遅れに遅れたものの、3月には働き方改革関連法案の国会提出にメドがついた(4月6日に提出)。 対して総務省は、これはという改革案を出していない。しかも総務大臣は、9月の自民党総裁選をにらんで、超党派「ママパパ議員連盟」の会長に就任、地元で立ち上げた「岐阜女性政治塾」の全国展開といった動きを見せはじめた野田聖子氏。その総務省に改革案をまとめさせ、6月に出す経済財政政策の目玉にしたかったようだ。放送制度「改悪」の何が問題か 官邸の動向に詳しい放送界の事情通は、こうため息をつく。「どうやら安倍さんは、放送法第4条の『政治的に公平』規定さえなくせば、自分を応援してくれるテレビ局や番組が増える、と本気で信じ込んでいたようなのです。放送改革によって、政権の意向を代弁し、礼賛する放送局ができると。でも、自分をもっと厳しく批判する局が番組も増えるだろう、とは思っていなかったんですよ」 事情通は、「蚊帳の外だった総務省は『できるはずがない』という立場だし、国会の総務委員会(旧・逓信委員会)委員たちにも『頭越しになんだ』と不評だった。熱心な政治家は安倍首相だけで、安倍─今井尚哉・首相秘書官(経済産業省出身)─原英史・規制改革推進会議委員(2016年9月~、経済産業省出身、株式会社政策工房社長)のライン以外は、鼻白んでいた」と続けた。 首相本人は、無理筋とは思っていなかったようだが、実現は難しいと思っているスタッフは、大きな花火を打ち上げて国民の耳目を集め、少なからぬ項目のいくつかでも実現に向けて検討が始まればよい、と考えていたのかもしれない。 では、安倍政権が水面下で検討し、結局は引っ込めた放送制度「改悪」の何が問題なのか? まず放送法第4条だが、次のような内容である。(国内放送等の放送番組の編集等)第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。一  公安及び善良な風俗を害しないこと。二  政治的に公平であること。三  報道は事実をまげないですること。四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。2  放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。 『選択』2018年4月号記事〈安倍が画策「放送法改悪」の真相〉によると、安倍首相は3月9日夜に大久保好男・日テレ社長と会食し(今井秘書官と粕谷賢之・日テレ解説委員長も同席)、「4条は現実には守られていないので、この際撤廃するべきだ」と主張したという。日本テレビ放送網の大久保好男社長=2011年11月29日、東京都港区六本木(瀧誠四郎撮影) しかし、「公安及び善良な風俗を害しないこと」が日本の放送で守られていないとは、到底いえない。「政治的に公平であること」については、安倍首相は自分や妻や政権や政府批判ばかりするテレビは「公平でない」と思っているようだが、メディアが権力者や権力を批判するのは当たり前だ、としかいいようがない。 安倍首相は内閣官房副長官だった2001年1月29日、放送前日のETV2001特集『問われる戦時性暴力』に関してNHK幹部らを呼び、内容が明確に偏っているとして番組に注文をつけたことがある。つまり、放送前の番組に政府高官として政治的な介入をし、結果、番組はギリギリドタバタで改変のうえ放送された。 政治家や政府高官が、放送局幹部に会い、放送前で制作中の特定の番組について、明確に偏向した内容と判断したうえで、「~すべきではないか」と意見を述べることを、日本国はじめ民主主義社会では「放送番組に対する干渉」と呼ぶ。そして、政治家や政府高官が放送番組に干渉することを、日本国はじめ民主主義社会では「政治介入する」「政治的圧力をかける」などと言い習わしている。安倍首相は民主主義が分かってない だから、当時の安倍晋三氏がやったことは、放送法の第2章(注:当時は第1章)「放送番組の編集等に関する通則」の「(放送番組編集の自由)第3条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」という条文に抵触する放送法違反だ。ついでにいえば、日本国憲法「第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」にも抵触する憲法違反でもある。 私たちの社会は、北朝鮮や中国でも戦前の日本でもない自由な社会だから、放送局がまだ放送すらしていない番組を政府高官が偏向と決めつけ、ああしろこうしろと注文することが許されるはずがない。ところが、安倍首相は平気でそのような注文をしてしまう。 ようするに、言論報道の自由や民主主義の手続きといったことが、全然わかっていないのだ。 なお、筆者は『問われる戦時性暴力』を極めてエグい内容の番組と考えており、よい番組とはまったく思わない。それでも政府高官の事前介入はダメだ、と主張する。安倍首相は、悪い番組だから政府高官が事前介入するのは当然だ、と考えている。当然、間違いである。それを許せば、政府高官が番組のよし悪しを決めることになるからダメなのだ。 テレビが新聞と違って、放送法で特に「政治的に公平」を求められているのは、限られた者たちが従事する放送局が限られた国民の共有財産である電波を独占的に使い、流す放送番組が直接家庭のテレビ受像機に映し出されて大きな影響力を持つから、である。 突き詰めていけば放送法第4条は、憲法第21条が強くうたう「一切の表現の自由は、これを保障する」と矛盾することになりかねない、実は危うい規定である。万万が一、ヒトラー政権のような独裁政権が登場し、第4条「政治的に公平であること」違反として放送電波を止めるようなことがあれば、独裁者が国民を支配するツールと化してしまう。だからこそ、放送法第4条は一種の倫理規範であり、これを根拠として放送電波を止めることは許されない、と考えられている。これが大方の憲法学者の見解だ。 また、ある個別の番組を見ただけで放送法第4条「政治的に公平であること」違反と決めつける人が少なからずいるが、これも間違い。放送の政治的な公平は、一定期間あるチャンネルを継続して見なければ判断できないというのが、何十年も前から政府の公式見解である。 そして、当のテレビは、実は選挙の時期には政府広報CMを断る、討論番組で政治家の露出時間を公平にする、しつこく両論を併記するなど、視聴者が考える以上に公平や中立に気を配っている。公平規定の撤廃で政権批判が収まるといったバカげたことは考えにくく、撤廃してよいことが増えるとも思えない。家電量販店では解散表明のテレビ画面に来店客が見入っていた=2017年9月25日、横浜市(内藤怜央撮影) 「報道は事実をまげないですること」も、世界的にフェイク・ニュースやヘイトスピーチが横行するいま、なくさなければならない規定ではなかろう。「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は、日本の放送では全然、守られていない。筆者は2011年以前に、地上デジタル放送の進め方はよくないと主張したが、そのような論点を取り上げる放送局は皆無だった。しかし、守られていないから撤廃すべきとは筆者は思わない。守れ、というほかはない。 安倍首相や規制改革推進会議の委員たちは、以上のような事柄もやっぱりわかっていない、と考えるほかはない。AbenoTVならぬAbemaTV 「マスメディア集中排除原則」「外資規制」の緩和といった経済的・産業的側面については、ある程度、検討する余地があるだろう。 日本ではテレビ放送と大手新聞紙の資本系列が存在しており、すでに集中排除原則が骨抜きとなり、形骸化している事実もある。少子高齢化が進み、地方が疲弊して人口減がさらに深刻になれば、地方局やラジオ局の再編は必至で、この点からも集中排除原則の見直しが求められる恐れが強い。 放送局の資本を100%外資が押さえることは、電波が国際的な取り決めで日本国に割り当てられ、それが各産業や企業に割り当てられていることから、そもそも筋が違う。放送局は重要インフラであって、安全保障など危機管理上も問題だ。ただし、外資規制(現在は国内放送局への外国企業の出資割合が20%未満)をある程度緩和することは、グローバル化の進む現在では避けられないように思われる。 放送事業への新規参入ももっとあってよいし、放送におけるハード・ソフト(放送設備部門と番組制作部門)分離も、放送がよくなるものであれば検討すればよい。筆者は、放送は現状維持するのがもっともよい、などとはまったく考えていない。 もっとも、電力が発電と送電で分離したから、同じように放送や通信もハード・ソフトを分離すべき、といった荒っぽい議論は願い下げだ。電気は誰が発電しても送電線に乗せて送ることができる電気だが、番組は誰が制作しても電波に乗せて送ることができる番組という話にはならない。当たり前である。 産業界・財界の経営者や、経済産業省出身の規制改革推進会議委員あたりには、放送の経済的・産業的側面だけに着目し、同じ四角い画面に表示されるのだから放送と通信(インターネット)は垣根をなくして一本化すればよいと思っている人が結構いる。だが、そんな考え方に筆者は、直ちには賛同しかねる。放送と通信を一緒くたにし、さまざまな事業者に自由にやらせて経済効率を追求すれば、現在の放送も通信もどちらもよくなる、という話にはなりそうもないからだ。規制改革推進会議であいさつする安倍晋三首相(右から2人目)=2017年9月11日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影) 第1に、経済効率一辺倒では、放送でも通信でもあまり儲かりそうにない分野が見捨てられていく。例えば、地方に住む少数の視聴者・ユーザー、障害者など絶対数が少ない視聴者・ユーザー、限定的な地域で甚大な災害に見舞われた少数の視聴者・ユーザー、高齢者や若年者・幼児など機械にも情報リテラシーにも弱い視聴者・ユーザーなどを対象とする分野である。放送と通信を一緒くたにすれば、彼らにとって現在よりよい情報が送られるという保証はなく、むしろ切り捨てられる恐れが強い。 例えば、視覚障害者むけの音声放送や聴覚障害者むけの字幕放送はどうなるのか?「AbenoTV」ならぬAbemaTV(2017年の衆院選直前に出演して言いたい放題できたので、安倍首相の大のお気に入り)だのニコ動だのが、どんどん放送事業に入ってくるのはよいとして、彼らはまともな政治報道や災害報道や緊急警報をどこまでやる用意があるのか? 第2に、放送と通信の一元化によって電波からインターネットへの転換が進み、放送に割り当てられた電波に余裕ができ、その利用者をオークション方式で決めるという方向だが、電波からネットへの転換は、一言でいうほど簡単ではない。 そもそも、なぜ放送はラジオを電波で始め、次にテレビを電波で始めたかといえば、電波を使うことが、不特定多数の家庭や事業所に届けるにはもっとも安く、効率的だったからだ。忖度だらけのNHK 現在でも、大規模災害などの発生時はネットは(電話も)つながりにくくなる。ある人がネットを使えるということは、その人(の端末)と事業者が有線であれ無線であれ双方向でつながることだが、大部分の人は大部分の時間、一方通行でよい。だから一方通行の放送に満足している。 これを双方向回線にすれば当然、一方向よりもコスト高になる。このコストは、離島や僻地(へきち)など地域によって大きく違う。規制改革推進会議が、通信事業者によって異なるコストを、どこまでまともに計算したのか、現時点ではよくわからない。ユーザーも、民放だけ見るぶんには無料だったのに対して、通信はインターネットに接続するだけで有料となる。いまネットを使っている人びとはさておき、高齢者や貧困層がそう簡単に納得できる話とは思えない。 第3に、放送のとりわけ報道番組は、通常はあまり儲からないが、いったん事が起こると人々が集中的に注目し、時に人の生死に関わるような重大な選択肢を示すことすらある。ところが、当面は何事も起こっていないから、ある場所に特派員なりクラブ記者なり通信員を配置するのはやめておこう、といった融通がきかないのが報道なのだ。つまり報道には、普段から人もカネもかかる。 放送からさまざまな規制を撤廃し、教養・報道・娯楽など番組ジャンルの調和を求める規定も撤廃して自由にやらせ、儲かりそうにない報道部門が縮小していくと、日本の言論報道空間そのものが縮んでいくことになりかねない。 安倍首相あたりは、報道はコントロールの効くNHKだけに任せればよい、と思っていたようである。というのは、改悪が実現すると、放送法はNHK設置法となり、第3章(目的)「第15条 協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。」の次あたりに、現・第4条の内容が挿入されると思われたからだ。 現在のNHKの報道を見れば、政権に対して忖度(そんたく)を繰り返し、完全に腰が引けた情けないものになっていることは明らかである。そんなNHKの報道だけでよいのか、と思わない国民は、どう見ても少数派に違いない。インタビューに答えるNHKの上田良一会長=2018年2月5日、東京都渋谷区(飯田英男撮影) NHK内部の声を聞くと、NHKと民放の二元体制が重要と思っているのは、NHK会長と役員(理事)くらい。現場では「民放がなくなるだけならば、うちには関係ない話」と思っているようである。 だが、安倍政権の放送制度「改悪」で、万が一民放がなくなる(大手ネット事業者と区別がつかなくなる)のであれば、民放とバランスを取っている現在のNHKの規模は、見直されて当然だ。すると、毎年の予算規模7000億円といった巨大放送局は必要なくなる。当然、受信料は下がる。月額1000~1200円でもまだ高い、という話になりかねない。もちろんNHK職員の数も減るだろう。 以上のことにNHK職員の大部分が気づかないまま、安倍政権の「放送制度改革」はいったん頓挫した。しかし、いつまた同じようなプランが浮上しないとも限らない。今回は新聞紙が水面下の動きを伝えたところで、派手な打ち上げ花火が消えてしまったから、NHKや民放は問題があったと報道すらしておらず、現場には危機感も薄い。 しかし、繰り返すが、放送は現状維持がもっともよいわけではない。放送関係者は、今回のような問題をもっと切実に、自分たちに突きつけられた問題ととらえ、対応を考える必要があるだろう。

  • Thumbnail

    記事

    池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

    めるようなことはしてはいけません。 そして一歩間違えれば民衆を洗脳する凶器にもなり得る、テレビというメディアには、しっかりと法律の網をかけておく必要があります。 公序良俗、事実主義、そして何より政治的に公正中立であることは、テレビにしか求めることができない、貴重な社会的ミッションです。そのスタンスがあるからこそ生まれる、民放のニュース解説番組には、池上彰さんの番組など鋭い切り口のものが、いくつかあるように私には思えます。放送法第4条の撤廃は、民放からこれらの良質なジャーナリズムを奪い去ることを意味します。規制改革推進会議であいさつする安倍首相=2018年4月16日、首相官邸 テレビに関わってきた人間として、このようなジャーナリズムを軽んじた法案は、認めるわけにはいきません。NHKをコントロールできるようになった安倍政権は、今度は民放までもコントロールしようとしているのでしょうか。 為政者がマスメディアを独占したときに何が起こるのか。歴史を振り返ってみてください。まさにナチスの状況に近づきつつあると、私には思えてきます。国民が気づいたときには、すでに手遅れになっているかもしれません。

  • Thumbnail

    記事

    テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情

    党が番組内容にモノ申すことは言論介入であり、極めて不適切だとするのが大勢の見方なのである。安倍政権もメディア不信を利用する? 驚いたことに、この放送事業見直し案では、テレビ報道を牽制するためにフル活用してきた放送法4条の撤廃も視野に入れている。180度の方向転換である。 米国では1987年、日本の「政治的公平性」に相当する「フェアネス・ドクトリン」(公平原則)が撤廃された。その結果、イデオロギーを前面に押し出して人々の感情に直接訴えかけるような偏った報道が増えた。 次第に米国民の議論は過激なものになり、互いに激しい批判を繰り広げるうちに社会は分裂し、メディアへの信頼も低下した。そんな中、トランプ大統領は主要なテレビ局などをトランプ支持者にとっての「共通の敵」として設定することで政治的求心力を高めようとしている。 日本でも放送法4条を廃止した場合、米国と同様にテレビ報道が分極化を強め、極端な言説やフェイクニュースがあふれかえり、テレビへの不信感が一層強くなる可能性がある。安倍政権は、トランプ大統領のように「メディア不信」を利用して自らの支持基盤を強化することを狙っているのかもしれない。勝手な推測かもしれないが、安倍首相の朝日新聞への批判や、麻生太郎副総理兼財務相の「森友の方がTPP11より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」といった発言などを考慮すると、かなり現実味を帯びてくる。 また、安倍首相は2013年6月、インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に出演し、動画を見て書き込みをする層を「保守派が圧倒的ですから」とも発言したという。この発言から考えると、通信事業者が放送に新規参入すれば、現政権の支持者を増やすことができるというしたたかな計算があったのではないか。 放送事業見直し案に関しては、在京民放キー局5社の経営トップが反対姿勢や疑念を示した。しかしながら、この問題に関する現場レベルの反応は鈍く、テレビニュースで積極的に取り上げているようには思えない。 公共性が高い情報なのに、なぜ伝えないのか。テレビ報道の現場社員であれば、こんな言い訳が考えられる。2017年9月、横浜市内の家電量販店では安倍首相の解散表明会見を報じるテレビに来店客が見入っていた 業界構造全体が変わるようなニュースは自分の手に余る。幹部の指示がないと放送できない。指示がないのだから放送しなくても自分の責任は問われないだろう。下手に放送すべきと進言すれば、空気が読めないダメなやつと思われるかもしれない。ひとまず他局の動きを見よう。他局も報道しないならば、このニュースは無視しよう。 私がいまだに現役テレビマンだったとしても、こう考えただろう。財務省の決裁文書改ざん問題で「忖度(そんたく)」の有無について、まるで他人事のように報道しているが、安倍政権の顔色をうかがう体質はテレビ業界も同じだからである。進んで自主規制するテレビマンの弱腰 安倍政権の意向に反したことを放送すれば、政府や自民党から「牽制球」を投げ込まれる。そうなれば、テレビ局によって対応の差はあるものの、社内で対応に苦慮し「面倒なことに巻き込まれる」という恐怖感が番組スタッフや記者の萎縮につながっているのではないだろうか。 放送内容の是非は考慮されず、社内で「面倒なこと」を生じさせた責任を問われる可能性さえある。だから、テレビマンは見て見ぬふりをして自主規制するのである。 例を一つ挙げよう。前述したように、2014年の衆院選の際、自民党は在京のテレビ各局に選挙報道に公正中立の配慮を求める文書を送った。その後、衆院選を伝えるテレビ報道が激減したのである。テレビ番組の内容を分析するエム・データ社によると、2012年の衆院選と比べて放送時間が約3分の1に減っていたという。 テレビ局の「触らぬ神にたたりなし」の「事なかれ主義」がはびこり、自主規制につながった可能性が高い。報道の自由という観点からも、番組内容を牽制する自民党の姿勢は問題だが、それにひるんで自主規制してしまうテレビ局も弱腰すぎてフォローのしようがない。 放送法4条はテレビ各局にとって「もろ刃の剣」である。政府・自民党からの「牽制球」にもなるし、「偏向報道の抑止力」として機能する場合もある。メリットがあればデメリットもある。 だからこそ、4条撤廃は軽々に判断されるべきものではなく、慎重な議論が必要である。撤廃したとして、行政当局が表現を規制をするのか。放送倫理・番組向上機構(BPO)のように表現の自由を確保しながら、苦情や放送倫理上の問題に対応する第三者機関も廃止になるのか。他にも、報道の自由を守るための論点は多い。 にもかかわらず、これまでテレビ報道の現場は「事なかれ主義」で、安倍政権がこれまでにテレビ局を牽制してきたことをほとんど報じていない。だから、多くの視聴者は政府とテレビ局の間で何が起きているのか、さっぱり理解していない。規制改革推進会議の作業部会に臨む民放連やNHKの役員ら(右側)=2018年4月26日、東京都千代田区 放送法4条を撤廃することの重大さを考えると、テレビ局の役員や幹部、現場の報道担当者はここで覚悟を決めて、視聴者にこの問題をきちんと伝えるべきだと思う。各民放の経営トップが放送事業見直し案に反対を表明するだけでは、新規参入業者を拒み既得権益を守ろうとする「オールドメディア」という印象を残してしまうかもしれない。 むしろ、これをきっかけにニュース番組で、これまで安倍政権がテレビ各局にしてきたことをつまびらかにした上で、放送への新規参入や放送法4条撤廃の是非を問うのはどうか。これまでの「事なかれ主義」を打破して、政府とテレビ局のまっとうな関係とはどういうものなのか、今こそ問題提起するタイミングである。

  • Thumbnail

    記事

    大きなアドバンテージが認められたNHKとその責任

    河本秀介 (弁護士) NHKの受信料制度の合憲性などが争われた訴訟で、最高裁は本年12月6日、NHKの受信料制度は憲法に違反しないとする初の判断を含む大法廷判決を下しました。この判決では、受信料制度を合憲だと判断するだけでなく、受信契約を拒否する人との間にいつ、どのような場合に契約が成立するのか、受信料はいつから発生するのかといった点についても判断が示されています。 結論からいえば、最高裁は、①NHKが受信契約を拒否する人に対して訴訟を起こし、NHKの勝訴判決が確定した時点で契約が成立する、②NHKはその人が受信装置(テレビなど)を設置した時点に遡って受信料を徴収できると判断しました。 今回は、この最高裁判決について解説したいと思います。 今回の訴訟は、NHKが原告となって、自宅にテレビを設置しているのに受信契約をしていない被告を相手に、受信料の支払い等を求めた事案です。これに対して被告は「受信契約を締結する義務はないので、受信料を支払う義務はない」などと反論していました。 まず大前提として、なぜNHKは「NHKは見ないので契約しません」と言っている相手に対しても、契約の締結を求めることができるのでしょうか。これについては、放送一般に関する法律である放送法に根拠があります。 放送法は64条1項で「協会(註:NHK)の放送を受信することのできる受信装置(註:テレビなど)を設置した者は、協会とその放送の受信に関する契約をしなければならない。」としています。放送法では「実際にNHKを見ていること」は、契約締結義務の要件とされていません。 すなわち、法律は、たとえNHKを全く見ない人であっても、テレビ(普通はNHK放送を受信できます)を置いているだけで、受信契約を結ぶ必要があるとしているのです。東京・渋谷のNHK放送センター(宮川浩和撮影) 今回の裁判で被告は、この法律の規定に対して、「強制力がある規定ではない」「仮に受信契約の締結を強制されるのであれば、契約の自由などを侵害するので憲法に反する」と主張していました。 この点について最高裁がどう判断したのかですが、まず「契約締結義務を定めた放送法の規定には強制力がある」としました。強制的に契約させるためには訴訟が必要 そして、契約を強制される結果になることが憲法に違反するのではないかという点については、NHKには公共放送として国民の知る権利に応える重要な役割があるとしたうえで、テレビを設置しただけで契約を締結して受信料を徴収できるしくみについても、「NHKに特定の個人、団体又は国家機関などから財政面での支配や影響が及ばないようにするために(つまり公共性を保つために)必要な措置なので合理性がある」などとして、憲法に違反しないと判断しています。 これにより、自宅にNHKが映るテレビを置いている人は、それだけで受信契約を締結する義務があるということが明確になりました。「NHKは見ないので受信契約は締結しません」といって契約を拒否することはできないということがハッキリしたということになります。 さて、今回の判決で興味深いのは、自宅などにテレビを置く人が受信契約の締結を義務付けられるとして、いつ契約が締結されるのか、いつの分からの受信料を請求できるのかについても明らかにされているということです。 まず、いつ契約が締結されるのかについては、判決は「NHKが受信契約を締結していない者に対して訴訟を起こし、受信契約の締結を認める判決が確定したとき」としています。 NHKが契約を拒否する人に対して受信料の支払いを求めるためには、まずはその人に対して訴訟を起こし、「契約が成立した」という内容の判決を確定させなければなりません。つまり、NHKの訪問員が自宅を訪れて「受信契約をしてください」と言っただけでは、受信契約は成立しないということになります。 そうすると中には、「NHKが訴訟を起こしてくるまで契約締結を断り続けよう。契約締結を認める判決が出た後で受信料を支払おう」と考える人も出てくるかもしれません。しかし今回の判決によると、そうもいかないようです。 今回の判決では、NHKがいつの分からの受信料を請求できるのかという点について、「契約が成立したとみなされた時点で、テレビを設置した月に遡って受信料を請求できる」とされているからです。2017年12月、NHKの受信料制度について、合憲の初判断を示した最高裁大法廷(佐藤徳昭撮影) これに対して、被告は「過去の受信料の一部は少なくとも時効により支払う必要がなくなっている」とも主張していたのですが、これに対しても最高裁は、「受信料債権の消滅時効は契約成立の時点から進行する」として、過去分の受信料は時効により消滅しないと判断しています。 例えば、ある人がNHKと20年前に受信契約を締結して、その後ずっと受信料を支払ってこなかったとしましょう。この場合、過去5年より前の受信料は時効により消滅しますので、基本的にNHKは5年分の受信料しか請求できません。アドバンテージの背景にある大きな責任 これに対して、今回の事案のように、テレビを置いてから受信契約をしてこなかった人が訴訟を起こされ、判決の確定で契約締結が認められた場合には、テレビを置いたのが20年前であろうと30年前であろうと、NHKから過去分全ての受信料を請求される可能性があるということになります。 実は、NHKの受信契約(「日本放送協会放送受信規約」)には、契約者が受信契約を締結したのがいつであっても、テレビを設置した月からの受信料を請求できるということになっています。最高裁の理屈は、“受信契約は判決が確定した時点で初めて成立するのだから、過去分の受信料もその時点で初めて発生する”というもののようです。 最高裁が、NHKに対して受信契約が成立した時点で、過去に遡って受信料を請求できることを認めたのは、NHKに対して非常に大きなアドバンテージを認めたといえるでしょう。今後予想される展開として、NHKが受信契約を渋る受信者に対して「いま契約をすると過去分の受信料は請求しませんが、契約をしない場合には訴訟を起こして過去分まで全て請求しますよ」といって受信契約を促すということも考えられそうです。 さて、今回の最高裁判決について、個人的な見解を述べさせて貰うと、契約締結義務に強制力があることを認めたことはさておくとしても、受信契約が成立した時点でテレビを設置した日まで遡って受信料を請求することができ、なおかつ消滅時効にもかからないとした点については、違和感を覚えます。 一般的な民間企業と消費者との間の契約の場合、「契約を締結するより前の代金を請求できる」ことからして考えにくいでしょう。さらに支払トラブルが起こった場合に、「いくらでも過去に遡って代金を請求することができる」というのも、消滅時効の関係でなかなか考えられません。 NHKを一つの企業体として見た場合、そもそも「NHKが映るテレビを置いている全ての人が受信契約を締結しなければならない」という時点で非常に大きな経営上のアドバンテージがあるといえます。さらに、「いくらでも過去に遡って受信料を請求できる」という結論は、いささか大きすぎるアドバンテージを与えているように感じます。 他方で、最高裁がNHKにこれだけのアドバンテージを認め、「合憲である」と判断したのは、ひとえにNHKに公共放送として高い使命と重要性があることを認めたからに他なりません。民放のようにスポンサーから提供で経営する場合、どうしてもスポンサーの批判はしづらいでしょう。(iStock) 税金で運営する場合には、現政権に批判的な報道を控える可能性があります。NHKには、視聴者からの受信料で経営することで「たとえ国家権力にすら肩入れすることなく、公平で客観的な放送を行うことで、国民全体の知る権利に応えること」が期待されています。 NHKには、今回の判決で強力なアドバンテージが認められた背景に公共放送としての高い使命が求められていることを真摯に受け止め、より一層良質な放送が求められているのではないでしょうか。

  • Thumbnail

    記事

    久米宏が語る『ニュースステーション』と日本新党

     テレビが政治を動かし、時代を動かす──そんな番組は、『ニュースステーション』(テレビ朝日系)以降ない。なぜそれほどの影響力を持ち得たのか、今のテレビとは何が違うのか。初の自伝『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』を刊行した久米宏氏が、自身の半生を振り返りながら、「テレビ論」を語った。* * * 僕は、口では反権力だ反自民だって言っていますけど、『ニュースステーション』に出てきた人たちに損はさせない、視聴者から「この人は素敵な人だ!」と思ってもらえるようにしたいというサービス精神がどこかにあるんですよね。だから、葛藤はありました。 たとえば自民党の国会議員が番組のゲストにやってきて、めちゃくちゃな発言をして僕と大ゲンカになったとしても、その人の魅力や人間性が視聴者に伝わってほしいんです。それはもう本能的なものですね。 僕がショックを受けたのは橋本龍太郎さん。控え室に挨拶に行くと、ヘビースモーカーの橋龍さんがパイプに煙草をさして吸っていて、僕の方をジロリと見て「ああ、これが久米宏か」と珍獣を見るような感じで言った。 生で見る宿敵って感じ。ある意味、認められていたからだろうとは思いますけど。政治をお茶の間に、お茶の間という言葉はもう死語ですけど、政治を、視聴者にとって身近なものにしようという意識は明確にありました。 こちらから近づいたわけですから、政治家に利用されるのはある意味で当然でしょう。そのことを一番感じたのは日本新党の時です。キャスターの久米宏=2014年5月(高橋朋彦撮影) 細川護熙さんが『月刊文藝春秋』にお書きになった論文(「『自由社会連合』結党宣言」1992年6月号)がとても面白くて、すぐに番組のゲストに出ていただきました。視聴率も凄く良かった。まだ日本新党という言葉はない時期です。 以後、妙なパイプができて、大げさに言うと『ニュースステーション』が日本新党を作ったみたいになってしまった。 1993年7月の衆議院総選挙では、僕が名前も知らない人が当選したほど日本新党の人気が爆発して、結局55年体制の崩壊につながった。小池百合子さんもその時に衆院初当選したわけですが、あの時はさすがに深入りし過ぎたというか、これはマズいことになったと思いました。 細川さんは外国に行って、マフラーを巻いた写真を撮ったり、記者会見でボールペンで記者を指名したり、明らかにテレビ映りを気にするようになった。自民党では選挙前に田中真紀子さんがよく出てくれました。細川護煕さんと、田中真紀子さん、そして小泉純一郎さんは、テレビに出ることの意味を本当によくわかっている。『ニュースステーション』も深く研究していたはずです。■聞き手/柳澤健(ノンフィクションライター)関連記事■ 久米宏 ニュース番組で小宮悦子を「悦ちゃん」と呼んだ理由■ 『あさイチ』降板の有働アナ、決定に至るまでの様々な葛藤■ 久米宏 「僕は何があっても貴乃花親方の味方です」■ 久米宏が振り返る「横山やすしと島田紳助」秘話■ 日テレ徳島えりかアナ 「ポストミトちゃん」として急浮上か

  • Thumbnail

    記事

    高須院長がマスコミに注文「先に反日ですと宣言して」

     高須クリニックの高須克弥院長が世の中の様々な話題に対して、自由気ままに提言するシリーズ企画「かっちゃんに訊け!!」。今回は、財務省の決裁文書改ざん問題に関する報道について語っていただきました。* * *──現在、日本国内では森友学園への国有地売却に関する決裁文書改ざん問題が大きく取りざたされています。焦点としては、官邸サイドから財務省へ何らかの働きかけがあったのか、あるいは財務省から政権への忖度があったのか、という部分にあります。高須:もちろん、公文書を改ざんするということは、あってはならないことだよ。どういう経緯で、そして誰の判断で改ざんすることになったかを解明することは必要だと思う。でも、ちょっと気になるのが、一部のマスコミの報道だね。こういった事件は、あくまでも事実のみをベースとして、公平に報じなければいけない。それが報道機関の役割だよ。でも、一部のマスコミは、政権批判の材料として改ざん問題を利用しているわけだ。政権が有利になるような事実は報じずに、政権がすべての元凶であるかのような流れを作って、都合のいい情報だけを垂れ流しているように感じるんだな。少なくとも、そんなことは大手マスコミのするようなことではないと思うね。──文書改ざん問題が発覚してから、安倍内閣の支持率は低下しています。高須:残念だよ。個人的には外交政策もいいと思うし、景気も決して悪くないと思う。そりゃあ完璧な内閣ではないだろうけど、いろいろな批判を浴びながら、ものすごく頑張っている政権だと思う。憲法改正とか消費増税とか、誰もやりたがならないけど、いつかは誰かがやらなければいけないことに率先して取り組んでいるんだから、安倍さんは本当に立派な総理大臣だと思うけどね。そのあたりをしっかり評価するマスコミがもっとあってもいいと思うなあ。──しかし、現在は主に安倍内閣の疑惑を追及するような報道が多いですね。高須クリニックの高須克弥院長(納冨康撮影)高須:特にテレビのニュースに顕著だけど、何か注目の的となるニュースがあると、それに対してあるひとつの結論を仮定して、全体がそこに向けて、報じていくという傾向があると思うんだよ。結論ありきで、そこに導くような情報ばかりを出して、そうではない情報は闇に葬り去られてしまう。別にとても重要なトピックがあったとしても、無視されることさえある。それは健全ではないと思うね。「改ざん問題もいいけど、北朝鮮情勢は忘れていないかい?」って素直に思っちゃうなあ…。 あと、テレビなんかでは安倍首相が関与しているかのような報道も多いけど、SNSなんかをよく見ていると、文書改ざん問題について「政治の関与はありえない」といった意見を発信している専門家は少なくないんだよね。でも、地上波ではあまりそういう意見は使われず、マスコミ側が想定した意見ばかりが使われがち。なんとも気持ち悪い状況だ。安倍政権崩壊で儲かる?──実際問題として、多くのマスコミが“アンチ安倍内閣”なのでしょうか。高須:ご存じの通り、完全にアンチ安倍内閣のマスコミもいるよ(笑い)。でも、ただ単に“今の空気”に乗っているだけのマスコミも多い。「アンチ安倍色を出したほうが視聴率が取れる」という判断なのかもしれないね。とはいっても、正しい意見を発信しても無視されてしまう状況があるのは事実であって、これは本当に由々しき問題だよ。 でも、どうしてマスコミはわざわざアンチ安倍のほうに流れていくのか、それが不思議で仕方ない。だって、ネットを見ていると安倍首相も麻生財務大臣も「辞任しなくていい」という声がけっこう多いし、そもそも安倍政権の支持率は高かったわけだからね。もしも視聴率がほしいのであれば、保守寄りの報道をしたほうがいいと思う。それなのに、アンチ安倍の方向へ進んでいるというのは、なんだか気持ち悪いなあ。誰かが裏で糸を引いているのか? 安倍政権が崩れたら儲かる人でもいるんじゃないの? …って、ちょっと陰謀論めいてきちゃったな。これはいけない(笑い)。 まあ、陰謀論はばかげた冗談だけど、安倍政権に関係ないところでも、不自然に報じられない話題はいくらでもある。例えば、中国政府によるチベット弾圧もそう。深刻な人権侵害なのに、世の中の人権派の皆さんはどうしてそこをもっと取り上げないのか? 疑問しかないよ。 仮に偏った報道をするのであれば、最初に「反安倍です」とか「反日です」とか宣言してから、やってほしいね(笑い)。そうすれば仮におかしな報道があったり、人権侵害する国を擁護するようなことがあったりしても、「偏ってるんだから仕方ないか」って思えるもん(笑い)。もちろん、その逆もしかりだよ。「保守です」って宣言して報じていれば、僕も「なるほど~」って安心しながら見ることができるからね(笑い)。 ただ、そうなったらもう報道ではなく、イデオロギーの発信ということになる。でも、そのほうが双方とも意見をぶつけやすくなって、意外と建設的な議論ができるような気もするなあ。少なくとも、報道という姿を借りて、民衆を愚弄しつつ、おかしな方向へ導こうとする卑怯なまねがまかり通るよりは健全だよ。* * * 公平性・客観性に欠ける一部のマスコミへの不満をぶちまけた高須院長。ネットで様々な情報をキャッチできるこの時代だからこそ、正しい報道が必要となるのはもちろんだが、同時に正しい報道を見極める力も必要となりそうだ。【プロフィール】高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。脂肪吸引手術をはじめ、世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。昭和大学医学部形成外科学客員教授。医療法人社団福祉会高須病院理事長。高須クリニック院長。人脈は芸能界、財界、政界と多岐にわたり幅広い。金色有功章、紺綬褒章を受章。著書に『ブスの壁』(新潮社、西原理恵子氏との共著)、『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)、『行ったり来たり 僕の札束』(小学館)、『ダーリンは71歳・高須帝国より愛をこめて』(小学館)など。関連記事■ 安田浩一氏「ネトウヨの安倍氏支持はマスコミとの対決姿勢」■ 安倍礼賛のマスコミ 報道ダンゴ虫の心象は囚人のジレンマ的■ 韓国マスコミの日本報道 保守系より左派系のまともさ目立つ■ STAP細胞事件 いい大人がやや美人に惑わされたとすら言える■ 室井佑月 雑誌特集の「輝く女」に「私達は蛍光灯じゃない」

  • Thumbnail

    テーマ

    「ニュース女子」DHC会長、衝撃の反論手記

    東京MXテレビの情報バラエティー「ニュース女子」の放送が終了した。同番組をめぐっては、放送倫理・番組向上機構(BPO)が放送倫理違反と人権侵害を指摘したことが記憶に新しい。放送終了の背景に何があったのか。番組制作を担ったDHCグループ会長、吉田嘉明氏がついに沈黙を破り、iRONNAに独占手記を寄せた。

  • Thumbnail

    記事

    【DHC会長独占手記】「ニュース女子」騒動、BPOは正気か

    少は移民として受け入れることはあっても、決して大量にこの国に入れてはいけないのです。ましてや、政権やメディアを彼らに牛耳られることは絶対に避けなければなりません。

  • Thumbnail

    記事

    「ニュース女子」打ち切り、朝日のフェイク記事に隠れた意図

    上念司(経済評論家) 新聞には嘘しか書いてない。まさに、このフェイクニュースを見てそう思った。 昨年1月に沖縄の米軍基地反対運動について伝えた東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)の「ニュース女子」に批判が出ていた問題で、MXが番組の放送を今春に終えることを決めた。事実上、放送を打ち切ることになる。関係者が朝日新聞の取材に明らかにした。 朝日新聞 2018年3月1日 まるで『ニュース女子』という番組が打ち切りになるかのような書きっぷりだ。しかし、事実は全く違う。もともと、『ニュース女子』はDHCテレビが制作し、全国の地上局に販売、再送信されているコンテンツだ。東京MXテレビはその数ある地方局の1つであって全部ではない。MXでの再送信が終わることと、番組そのものが終わることは全くの別問題だ。 私は出演者の一人だが、4月以降の収録スケジュールも出ている。また、制作会社からの説明によればネットや他の地方局での放送も続くとのことである。 数秒で裏が取れる話をなぜわざわざミスリードするような書き方で記事にしたのか。それほど、この番組で取り上げた沖縄に関する放送内容が、彼らにとっては痛撃だったのだろう。 例えば、地元の穏健な反対運動が県外や海外からの活動家によって過激な方向に引きずられているという指摘がある。放送倫理・番組向上機構(BPO)からの指摘を受けて『ニュース女子』が作成した検証番組には、当初の主張の裏付けとして過激な反対運動の様子を撮影した動画が紹介されている。動画『ニュース女子〜沖縄取材第2弾〜』#101『ニュース女子』より 防衛省職員の周りを取り囲み、顔写真を無理やり撮影している様子が映っている。撮影した顔写真を元に個人情報を特定し、横断幕などに晒(さら)すそうだ。極めて卑劣な行為であると言わざるを得ない。これらの行為を行っていたのが沖縄平和運動センター議長の山城博治氏だ。彼は防衛省職員にけがを負わせた件など4つの罪で逮捕、起訴されている。これ以外にも活動家に資金援助があるとか、抗議活動によって救急車の通行に支障が出るなどの問題を指摘されたことが気に入らなかったのだろう。BPOはダブルスタンダード 確かに、『ニュース女子』は情報バラエティー番組であり、ある程度の「演出」はつきものだ。しかし、安保法制やテロ等準備罪のときに地上波テレビの報道番組が行った演出に比べて、それが著しく過剰であったとは言えない。「放送法遵守を求める視聴者の会」の調査によれば、安保法制において民放の主要ニュースの9割が反対論に占拠されていたという。これが許されて、なぜ『ニュース女子』の演出が許されないのだろうか。BPOは明らかに「ダブルスタンダード(二重基準)」である。 しかも、今回の件を審議したBPOの委員の中には、沖縄の反基地番組に出演している弁護士が含まれている。明らかに中立性を欠く人選だ。なぜMXテレビはこれらについて正式に抗議できなかったのか。むしろ、MXはBPOの側に立って、『ニュース女子』への考査(事実上の検閲)を強めていったという。 BPOは3月8日に放送人権委員会からMXに対して勧告を出した。「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉(シン・スゴ)氏に対する名誉毀損の人権侵害があったと認定した。私の知る限りでは、『ニュース女子』側から辛氏に対して再三、出演依頼がなされている。反論の機会を提供するのが目的だ。しかし、辛氏はこれをことごとく断ったという。反基地闘争を率いるリーダーがなぜ絶好の反論の機会を活かさなかったのか。理解に苦しむところだ。 そもそも、辛氏はこの番組で注目されたことによって、過去の講演会で行っていた過激な演説動画までネット上に拡散してしまった。辛氏は講演の中で「若い者には死んでもらう。爺さん婆さんたちは、嫌がらせをして捕まってください」などと過激な言葉を連発し、運動を煽っていたことがうかがえる。本人は冗談のつもりかもしれないが、実際に反対派の暴力動画を見せられた後にこの発言を聞くと笑うに笑えない。つまり、『ニュース女子』が違った角度から沖縄問題に光を当てたことによって、多くの人が関心を持ってネット検索したということだ。それは沖縄の実態とはかけ離れたストーリーの中に押し込めておきたい人々にとっては非常に都合の悪い話だったのだろう。 『ニュース女子』はMXの再送信がなくなるだけで、他の地方局およびネットでの配信は続く。冒頭の朝日新聞の記事をミスリードして番組打ち切りに沸いていた左巻きにとっては残念な結果だったに違いない。しかし、もっとダメージを受けている人がいる。それはMXテレビである。 『ニュース女子』のMXテレビ撤退は、むしろDHCテレビが望んだものだ。MXがあまりに放送内容に介入するので、もう配信を止めたいと思っていたそうだ。しかも、DHCはこれまでMXに出稿していた広告を全てキャンセルしてしまった。一番多い時期でMXの広告収入の2割、現在でも11・5%を占める広告が一瞬にして消滅したのである。普通の会社なら担当者は左遷、担当役員はクビになるだろう。「ニュース女子」について会見する放送倫理・番組向上機構(BPO)の委員ら=2017年12月14日、東京都千代田区 マスコミはノイズしか拾わない。まさに今回の朝日新聞の記事はノイズそのものだった。 なお、岩手めんこいテレビ、奈良テレビなどの地方局で引き続き『ニュース女子』は放映されるそうだ。もちろん、ネットでもアップされる。安心してこの番組をお楽しみいただきたい。

  • Thumbnail

    記事

    沖縄のデマ垂れ流し「ニュース女子」お寒い番組制作に絶句する

    古谷経衡(文筆家) 私が『ニュース女子』への抗議デモを目撃したのは、昨年の某月であった。エフエム東京(TOKYO FM)からの帰り、道路を挟んで隣接する東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ)のビルの方に目をやると、横断幕を持った数十人が東京MXテレビに対して抗議活動をしている。 私はピンときた。これが、例の『ニュース女子』の沖縄報道に対する抗議行動だな、と。当時は放送倫理・番組向上機構(BPO)による同番組放送回への結論が出る前の段階であった。しかしながら、『ニュース女子』は持ち込み番組であり、放送局としての東京MXテレビが制作に関与していないことは、常識である。なぜ『ニュース女子』の制作元である制作会社「DHCテレビジョン」や、その親会社でスポンサーの化粧品大手、ディーエイチシー(DHC)の前で抗議活動をしないのだろうか。 例えばラジオ番組に抗議することを目的としてデモ隊がラジオ局ではなく、ただ電波を発しているからという理由で東京スカイツリーの前で抗議するとしたら、滑稽(こっけい)であろう。このときの私も、漠然としたこのような違和感を、デモ隊に対して感じるのみで終わった。しかし、私の認識は甘かったのである。 昨年12月14日、BPOが『ニュース女子』問題について「重大な放送倫理違反があった」とする結論を下した。私はすぐさま、PDFにて公開された意見書の全てを、目を皿のようにして読み込んだのである。 そこには驚愕(きょうがく)の、番組制作過程に対するお寒い実態が縷々(るる)述べられていたのである。私は驚愕を通り越して唖然(あぜん)としてしまった。『ニュース女子』に対するBPOの裁定は、全く妥当なものであった。 私も、沖縄問題の取材は何度となく現地に行った。那覇での辺野古移設反対運動「オール沖縄」の集会は当然だが、普天間・嘉手納はもちろん、米軍将校住宅(基地区域外住宅)まで、可能な限り見て回ったつもりである(これと、沖縄戦戦跡取材はまた別)。東京MXテレビの番組「ニュース女子」の一場面 名護市辺野古の埋め立て予定地はもちろんのこと、北部訓練場の返還に伴う代替ヘリパッド6個新設問題(高江ヘリパッド問題)では、山林の中に反対派がつくったテント村の中まで入り、反対派から仔細にその反対理由を聞いた。辺野古と高江(東村)は、元来同じ沖縄特別行動委員会(SACO)の合意から始まった米軍施設の返還計画の一環だが、地理的にもその軍事性格的にも同じ問題としてひとくくりにすることはできない。 本土でネット番組だけを見て、現地に行かなければ、危うくこういった沖縄問題に関するデマを信じてしまう危うさがある。私自身、現地に何度も足を運んだのは、ネットに安易に繁茂する沖縄問題に関するデマの真偽を自分の足で確かめる意味合いが少なくなかった。名護市辺野古と高江の反対派は、平時相互にリンクしている。 つまり、高江で大規模な集会があると辺野古は空き、辺野古で大規模な集会があると高江のゲート前はがら空きになる。同じ問題意識を持った人が、この二点を自家用車やバスで移動しているのは紛れもない事実だ。活動資金は年金や貯金 ただ、『ニュース女子』で報じられたように、彼らがどこかの団体や組織から日当を受け取っているとか、韓国人や中国人が紛れ込んでいるという事実は、全く確認できなかった。既存基地や警察官への暴行・傷害事件も、私の取材中は全く確認できなかった。全ての現場で、反対派よりも基地を警備する沖縄県警や、応援できた日本各地の警察官の人数の方が圧していたからである。 反対派の多くは、成田空港建設反対の「三里塚闘争」からデモに参加してきた、などという筋金入りの猛者もいたが、ほとんどが高齢者で、その活動資金は年金や貯金を取り崩した自腹か、それ以外ではほぼ全てを寄付に頼っている。  だから私も、現場で何度も寄付を頼まれたので都合数回、3千円ほど寄付ボックスに野口英世を投入している。が、彼らの活動は組織や法人やまして特定の国家が支援する系統だったものではなく、あくまで個人とその寄付によってまかなわれている。 その点で言えば朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣デモにおいて、韓国全土で数百万人を動員した集会などは、会場にステージを建設してスクリーンをつくり、著名歌手を登場させるという演出まであるのだから、組織力・動員力という意味では沖縄の反基地運動はあまりにも個人的で小ぶりなものである。 また、中国・韓国出身者と思しき参加も確認できなかった。ただ、時期によっては同じ海軍基地問題を抱える韓国の島・済州島と相互に連帯している日本の市民団体の招聘(しょうへい)によって、沖縄~済州島の連絡網が構築されている場合があり、この時のみ韓国人が抗議集会に参加する場合がわずかにあるそうである。だが、抗議の主体は圧倒的な割合で日本人高齢者である。 このような事実を『ニュース女子』はほとんど考慮していないどころか、前提の取材すらほとんど行っていないことがBPOの意見書から判明した。 BPOの決定は政治的左派とか政治的右派といったイデオロギーに拘束されたものではなく、単に放送の事実関係とその取材過程を分析・検証したモノで、右でも左でもなく単に『ニュース女子』当該回で放送された事実が本当か否か、の一点に絞られていた。結果、事実ではないと結論され、「重大な放送倫理違反があった」と判断された。この結論は妥当であると言うほかない。 そして3月8日、BPOは続けて申立人の一人である、「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉(シン・スゴ)氏に対して「(沖縄反基地運動家ら)テロリストの黒幕」と『ニュース女子』で名指しされたことは、「名誉毀損の人権侵害が成立する」と結論した。辛淑玉氏に対する名誉回復がどのような形でなされるのか。これは法廷闘争に移行するものと予想される。「ニュース女子」に対し、抗議の記者会見をする「のりこえねっと」の辛淑玉共同代表(右)ら=2017年1月、国会 私は、ごく基本的な言論の姿勢として、その結論が政治的右派に偏向していたとしても、政治的左派に偏向していたとしても、どちらでもよいと思っている。よく「偏向報道」が取り沙汰され、報道や論評の姿勢が右や左に偏っていることが非難の対象となる。 が、人間の目線と思考が介在する以上、真に中立的報道などできようがないのである。例えばパレスチナ問題を報道するとき、報道陣がいくら客観的中立的に務めようとしても、でき上がったビデオや文章は、必ず親パレスチナ・反イスラエルのニュアンスがにじみ出たり、その逆もまたしかりなのである。「報道」を語ってはいけない番組 報道や言論に関わる人間にとって、実は客観性というものはあまり意味はない。ベトナム戦争の地獄を報道している最中に「あ、また一人、ベトコンが死にましたね」という中継はほとんど意味がない。それよりもナパーム弾で焼かれ、裸で街路を泣きながら走ってくる少女らを撮影した、あまりにも有名な一枚の写真(ニック・ウット氏撮影)の方がよほど人々の心を揺さぶる。 ピューリッツァー賞を受賞したこの写真には、強烈な反戦とアメリカ・南ベトナム軍への非道の訴えがにじみ出ている。撮影者が偏っているかいないのかで言えば偏っているが、それがなんだというのだろうか。中立・客観を気取って無機質な数字を羅列する「公正な報道や言論」には、あまり意味があるとは私は思えない。 しかし、このような報道や言論姿勢は、全てその根底に「事実」をベースとしたものがなければならないということだ。ナパーム弾で背中を焼かれたベトナムの少女は、撮影者が捏造したものではなく事実で、ありのままの悲劇を切り取ったものだ。事実を元にした言論や報道なら、その左右偏向は全く許容できる。 このベトナム少女の写真は結局、ベトナム反戦運動を大いに刺激し、アメリカのベトナム撤退の世界的世論を後押ししたが、写真の切り取り方やキャプション、タイトルを変えれば「共産主義の犠牲者」として、全然別のプロパガンダに使えなくもない。 ただそれは全て事実を元にしている、ということが前提である。BPOが指摘した『ニュース女子』の当該番組には、その根底の作法が欠落していた。BPOはそれを指弾したのであり、それ以上でもそれ以下でもない。BPOの結論に瑕疵(かし)を見いだすことはできないだろう。 事実を基にした解釈なら、右であろうと左であろうと容認しなければならない。それこそ表現の自由である。が、事実に基づかない嘘(うそ)やデマを根拠とした言論や報道は、その根底からして間違っているのだから、それを「言論」とか「報道」とか「ニュース」などと呼んではいけないのである。1972年にAP通信のニック・ウット氏が撮影した、ベトナム戦争でナパーム弾攻撃を受けて逃げる少女らを写した「戦争の恐怖」と題された写真 私は前述のように沖縄の基地問題を実際、何度も自分の目で確かめた結果、名護市辺野古沖への基地移設を是認する態度に傾きつつあるが、それは普天間基地があまりにも住宅と隣接して危険であるという事実があるからである。 一方、高江のヘリパッドはすでに代替ヘリパッド6個が建設済みで、これと引き換えに国頭村の大きな部分を占める北部訓練場のかなりの部分は去年の段階で地元に「返還済み」となっており、辺野古の問題とは構造が異なることに注意しなければならない。 何事も事実を前提として、時に人情や義憤が多分に介入した「偏った」目線こそ、言論や表現の要諦である、と私はしみじみ思うのである。

  • Thumbnail

    記事

    「国民の知る権利を奪った」BPOに放送倫理を語る資格なし

    武田邦彦(中部大学特任教授) 『ニュース女子』はテレビ番組制作会社が作ったものを放送局が購入し、放映している番組である。多くのニュース番組が事実の一部をそのまま放映するのに対して、『ニュース女子』は女性と識者のやり取りを中心として、事実の核心にできるだけ迫ることを目的にしている。 そもそも、地上波テレビ番組の多くが「事実の核心部分の報道を避けている」と視聴者からよく指摘される。それは、本当に知りたい核心部分が常に曖昧だからだ。一方、放送を視聴する側にとっては「当たり障りのないこと」は既に知っており、むしろ「核心部分があやふやではなく、批判を受けやすい裏側」を知りたいのである。この矛盾を解消するために、放送局内部に「番組審議会」などを設置し、ギリギリの内容でも放送ができるようにしている。それが本来の存在理由であろう。 従来、多くのマスコミが沖縄を中心として「基地反対運動は善、米軍や自衛隊は悪」という報道スタンスを続けてきた。それに対して、『ニュース女子』では忌憚(きたん)のない意見交換の材料として、制作会社がロケを行った。実際、数人の方が「顔も名前も隠さず」に取材を受け、「基地反対運動で暴力が振るわれ、比較的大勢の人が知っている」という趣旨のコーナーを放映したのである。 この放送について、放送倫理・番組向上機構(BPO)は、視聴者から指摘があったとして、放送倫理検証委員会で審議入りした結果、番組内容に「重大な倫理違反があった」と認めた。その判断は番組内容そのものが事実かどうかより、番組を放送した地上波テレビ局が「チェックを怠った」というものであり、かつ放送界内部の資料ではなく、社会に対して事案を公表した。また、自身の名誉を毀損(きそん)されたとして、市民団体の共同代表も「人権侵害」を訴え、BPOの放送人権委員会が審理を行い、人権侵害があったと結論づけた。 その後、朝日新聞が「『ニュース女子』打ち切りへ」というフェイクニュースを流し、筆者もこの報道に振り回された。事実は、番組を購入していた約30の放送局のうち、何局かが購入をやめたということであった。本論評は上記の事実に対して、主として倫理面から考察を加えたものである。沖縄県名護市辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前で、工事に反対して座り込む人たちと排除しようとする機動隊員=2018年4月 まず、現代社会で共通して守るべきものは法律であり、これは国民を代表する国会で決まる。放送に関しては放送法があり、その第4条では番組を編集するにあたって、「公安及び善良な風俗を害しないこと」「政治的に公平であること」「報道は事実を曲げないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と、具体的に4つの規制を明記している。 筆者が自著『正しいとはなにか?』(小学館)で示したように、法律を守ることは「倫理」とは無関係なので、BPOの放送倫理検証委員会は法律で決めていないことを審査することになる。そのとき、審査が恣意(しい)的にならないために倫理規定、つまり「放送倫理基本綱領」を定めなければならない。 倫理綱領は1996年9月19日に定められているが、この倫理綱領は、あくまで放送局側の特定の検討機関において恣意的に決定されたものであり、放送によって知る権利を得る視聴者の参加がない。したがって、倫理綱領の成立過程自体が「非倫理的」なのである。 特に、倫理綱領では放送法第4条で定められていること以外の思想や行動などが記されている。だが、国民が定めた放送法を超える基準を、放送局側だけで決めることができるという理論は示されていない。「倫理」に基づかないBPO もともと「倫理」の「倫」というのは「相手」という意味であり、相手(倫)のことわり(理)を守ることが基本である。倫理の黄金律の一つに「相手のしてほしいことをしなさい」というのがあるが、まさにそれを示している。 したがって、BPOは『ニュース女子』の問題に対して視聴者にアンケートなどの調査を行い、視聴者(倫)が求めるものと異なったことを放送したかどうかを審査することしか許されないはずである。それに、審査に当たった委員が、視聴者より際立って「倫理的に優れている」という証明もなされていない。 第二に、今回の沖縄基地反対デモに関しての報道で人権侵害を訴え、審査で認められた市民団体の共同代表は外国人である。外国人の日本国における「人権」の中に「日本の国防に関する行動の権利」が与えられているか、それが法律的に与えられているのか、倫理的に与えられているかを明確にしなければならない。 もし、法律において、外国人が日本国内で反日的な言動をすることが許されていなければ、法律に基づき処罰されるはずである。法律的に許されている場合は「倫理的に許されるか」検討が必要だが、今回の決定にそれは含まれていない。 また、今回の審査に当たった委員の中に弁護士や、特に倫理的な活動で社会の評価を受けた人(例えば、学術論文、倫理関係の受賞、著作)が少ないことも問題である。先述の通り、もともと「倫理」とは、「法律」と全く異なるものである。だから、法曹関係者は、一般的に倫理について全くの「門外漢」である。法に触れるなら法で処理すべきであり、法に触れないなら法曹関係者は無知であろう。 また、BPOは第三者機関とはいえ、NHKと民放各局など放送関係機関が設立した「内部組織」であり、外部の承認などを得ているわけではない。したがって、審査内容などを積極的に外部に公表する必要はなく、あくまで内部での参考にとどめるべきである。放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会の記念シンポジウムに登壇する委員ら=2017年3月 以上の点で、現在のBPOは「倫理」という名前を含んでいるものの、倫理とは全く異なる組織である。規定に基づく審査方法は倫理に反し、委員の選任も恣意的であり、審査結果の公表自体も趣旨に合致していない。倫理とは基本的に論理的でなければならず、『ニュース女子』の審議のように、情緒的なやり方が続けば、わが国の報道に悪影響を与えるだろう。仮にも「倫理」を標榜(ひょうぼう)するなら、関係者は自己批判を行い、辞任すべきである。 放送は特定の権利を与えられている機関が、地上波や衛星波などを通じて独占的に実施している。ところが現在、視聴者である国民が最も困っているのは、地上波が当たり障りのない放送、保身的な報道に終始して「国民の知る権利を奪っている」ことだ。 BPOの勧告を受けた『ニュース女子』が、番組で取り上げた対象はあくまで「デモ行為」であって「個人」ではない。「デモ行為」の事実や、正当性などが個人に及んでいないにもかかわらず、人権問題として取り上げられ、放送の受益者たる視聴者の権利が一切検討されていないことは大きな問題である。 したがって、『ニュース女子』をめぐるBPOの放送倫理の審査が「放送局の論理、保身、社会に対する隠れみの」として実施されたことを考えれば、BPOは倫理的に解散が必要である。いや、自主解散する以外にないと思う。

  • Thumbnail

    記事

    MXテレビに編集権なし、完パケ配信「ニュース女子」のしくじり

    安倍宏行(Japan In-depth編集長) 事の顛末(てんまつ)は他の記事に詳しいだろうからそちらを参照していただく。今回は元テレビ局の記者として考えたことを記す。 東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ)の番組『ニュース女子』は、制作主体が化粧品大手、ディーエイチシー(DHC)傘下の「DHCテレビジョン」だ。東京MXテレビはDHCテレビジョンから納品された編集済みの映像、いわゆる「完パケ」を番組で流していた。制作に関わっていない放送局は、番組で流す映像の中身を放送前に検証できない。ただ放送するだけになってしまう。 フジテレビの報道局に21年在籍した筆者からすれば、ニュース番組のスポンサーが自ら映像を制作し、それを番組内で放送する、というのは聞いたことがない。報道局は社内でも独立しており、営業の人間が直接報道局に接触してくることはない。 また、報道と営業の間には編成局の担当者がいるが、それはスポンサーの意向を番組に反映させるためにいるのではない。むしろ、スポンサーの不祥事がニュースになった場合、その会社のCMを番組内で放送するのかしないかを調整したり、突発的なニュースが飛び込んで報道番組が他の番組に食い込む場合のCMの調整などをするためにいるのだ。 報道番組である以上、スポンサーの意向を反映するなどということがあってはならない。だからこそ番組の内容の根幹をなす、映像制作をスポンサーに任せることなどありえないのである。 そこで、東京MXテレビの有価証券報告書(第24期:平成28年4月1日~平成29年3月31日)で販売実績を見てみると、DHCが約21億円で全体の11・5%を占めている。大手スポンサーの意向がどのように番組に反映されたかは東京MXテレビのみぞ知るが、いわれなき批判を避けるためにも番組制作は自局で行い、編集権をしっかり担保しておくべきだった。 次に、番組で流す映像のチェック体制について考えてみる。東京MXテレビ以外の地上波テレビ局、ローカル局、BS局も、すべての番組を自社制作しているわけではない。多くの場合は制作会社に外注している。しかし、それらの局の報道番組・情報番組で、映像のチェックが事前に入らないことはまずない。政治ニュースでチェックは必須(iStock) 通常、第一段階として、映像をラフにつないだだけのものを局の番組担当者がチェックする。その段階で、取材が足りないと思われるところや、映像のつなぎが不自然なところ、インタビューがバランスを欠いているところなどがチェックされ、必要があれば追加取材や再編集が制作者に指示されるのが普通だ。その後、第2段階としてさらに上の番組責任者が最終チェックを行い、そこでOKが出てようやく「完パケ」になるのだ。 そこまでやっても制作者が悪意を持って局側をだまそうとしていたら、なかなか見抜くことは難しい。基本、「性善説」にのっとっているのだ。とにかく、キー局などではそのくらいのチェックは当たり前に行われている。特に政治にかかわるニュースの場合、危なっかしくてチェックなしではとても放送できない。 なにしろ、放送法というものがあり、テレビ放送は政治的に公平でなければならないからだ。多様な意見を視聴者に紹介することが義務付けられている。局側はそうした観点から放送する映像をチェックする。当然のことだ。もしチェックがされていないとしたら、放送局としてやるべきことをやっていないということになる。 報道系情報番組のルーツは、テレビ朝日系の『朝まで生テレビ!』だろう。もともとのコンセプトは、ニュースをわかりやすくお茶の間に届けよう、ということだったと推察する。実際、『朝生!』は放送開始から視聴率を稼ぎ続け、長寿番組として現在も続いている。 『朝生!』は硬派寄りで、政治家も多く出演している。ただ、何しろ出演者が多いので、お互いの主張をぶつけ合っても、どうすれば問題が解決するのか、という所までたどり着かないことがある。 一方で、同じくテレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』やTBS系『サンデー・ジャポン』、関西でいえば、読売テレビ『そこまで言って委員会NP』など、報道バラエティーともいうべき番組も人気を博している。地上波テレビこそいい教訓 そうした中、『ニュース女子』は、いろいろなテーマを深く掘り下げようという制作意図があったように見える。今回問題となった沖縄基地問題も、地上波で取り上げるにはハードルが高い問題の一つだろう。ハードルが高いというのは、意見が国民の間で割れており、放送すると炎上する可能性が高い、という意味である。 報道なのだから本来炎上が怖くてその問題に触れない、などということがあってはならない。しかし、実際の制作現場では、やはり面倒なテーマは扱いたくない、という気持ちになるのも仕方ないだろう。そういう状況の中で、こうした難しいテーマをあえて取り上げた『ニュース女子』を本来なら褒めるべきなのかもしれない。 しかし、結果として、放送倫理・番組向上機構(BPO)から放送倫理違反や人権侵害の勧告を受けるに至ったのは残念としか言いようがない。放送前に映像を十分にチェックし、その上で番組内でのトークを展開すべきだった。 揚げ句の果てに番組は、東京MXテレビでは打ち切りとなり、東京MXテレビ本体のレピュテレーション(評判)も損傷(きそん)することになった。DHCからの営業収入がどうなるかわからないが、万が一それらが大幅に減少すれば営業リスクも大きくなる。企業のリスク管理の観点からもあってはならない事例だろう。 今回の事例は、他の地上波テレビにもいい教訓になったといえよう。他局は東京MXテレビが厄介な問題を引き起こしてくれた、と苦虫をかみつぶしているかもしれない。だが、もし沖縄基地問題など議論が割れているようなテーマを今後避けるようになってしまったら、それは本末転倒だ。むしろ、これまで以上に積極的に取り上げてもらいたい。確かに公平公正に放送するのは神経を使うが、それこそ長年のテレビ局のノウハウと知恵の見せ所のはずだ。 結果的に『ニュース女子』は3月26日の放送を持って東京MXテレビでの放送を終えた。4月2日からは、YouTubeライブ、ニコニコ生放送、Fresh!などインターネット媒体で毎週月曜22時にライブ配信を続けている。また、衛星放送や地方局での放送も継続するとしている。2017年6月、DHCテレビが制作する「虎ノ門ニュース」を放映するスタジオに向かって行進すデモ隊を先導するトラック 筆者もネットで『Japan In-depthチャンネル』を放送しているが、じっくり時間をかけて一つのテーマを掘り下げるには、ネット放送の方が適していると感じる。地上波が「難しい」と感じるテーマを避け続けるなら、報道系番組の視聴者離れは加速するだろう。テレビにとって、『ニュース女子』問題を「他山の石」とできるかどうかが問われている。

  • Thumbnail

    記事

    「フクシマ」思い込みの虚構を繰り返した報道による言葉の暴力

    者不在の外から与えられたネガティブな物語」として使われたことが容易に見て取れる実例です。震災後に中央メディアでしばしば使われてきたカタカナ表記の「フクシマ」は、いつもこうした文脈と共に使われてきたのです。時計の針を止めたままにするのはやめよう 予告時点で多数の批判が寄せられた結果、番組HPからはその後何の告知も無く「フクシマの未来予想図」などの文言が突然消されていました。 報道によると「誤解を生じかねないと考え削除することにした」とのコメントのみが出されており、謝罪や何故このようなサブタイトルを付けたかなどの説明は、テレビ朝日側からは一切ありませんでした。この件は福島の地元紙福島民友新聞でも社説で批判的に言及されています。 すでに書いたように、福島では世界での一般的な生活の平均を超えるような大量被ばくをした人は誰もいません。震災後に何度も繰り返されてきたこの手の仄めかし報道による印象操作には「量の概念」も無く、こうした事実へと真摯に向き合う姿勢がいつも欠けているのです。 これがたとえば宗教ならば、論理を超えた絶対解のなかで全ての判断がなされることもあるでしょう。しかし、放射性物質は断じて神ではありません。あくまでも科学や現実からの知見で論理的に判断されるべきです。 原発事故が起こった=大量に被曝したに違いない、という思い込みのまま現実の調査結果や復興の実績を無視したり、放射性物質や「フクシマ」をまるで「タタリ神」であるかのように神話・宗教化させ、忌み嫌い、ただ恐れるだけで6年以上現実からは目を背けたままでは、科学的な態度とは言えないのではないでしょうか。 福島での原発事故よりも遙かに以前から放射性物質や放射線の影響について判っていることは多く、少なくとも現在の福島では避難区域外で普通に生活したり出荷された食品を食べ続けることへの「安全」は、もう随分前から充分に示されています。何も判らずにただ恐れ、忌み嫌うだけの「神話の時代」は本来、とっくに終わっているのです。テレビ朝日本社 しかし今までお話しましたような日本の状況下では、「安全」を「安心」へと変えていくことは被害の当事者たちだけの努力では非常に難しいと言えます。 特に原発はもともとが極めて政治問題化しやすい存在であったために、その事故を政治的に利用しようとした人たちが、被災地へのデマや差別を振りまいて事実の共有を妨げてきました。それでも、本来ノイジーマイノリティである彼らの悪意を上回る社会からの圧倒的な善意や支援によって福島の復興が次第に進み、彼らの手段が次第に通用しなくなってきました。 そうした中で、今回お話した「トリチウム」と「甲状腺がん」の二つの問題は、彼らにとって、いわば最後の砦になっています。必死でそれにしがみつき、これからも恐怖を煽るメディアや講演会などで、デマやそれに限りなく近い仄めかしを繰り返してくることでしょう。 被災地はこれまで、自分たちが出来ることについては充分過ぎるほどの努力を重ねてきました。ですから未解決の問題のほとんどが、処理水問題でもお話したような、すでにバトンが現地ではなく社会の手に渡っているものばかりです。 どうかこれを解決していくために、社会が時計の針をきちんと現実に合わせていくために、出来るだけ多くの方が妨害や煽りに負けずに正しい事実や情報の更新を続け、託されたバトンを手にとって問題解決のために共に関心を寄せて頂ければ幸いです。

  • Thumbnail

    記事

    番組制作現場やTV局上層部にBPOへの恐怖心が蔓延

     視聴率競争に鎬を削るテレビ局の“お目付役”として知られているのが「BPO(放送倫理・番組向上機構)」である。NHKと民放連が出資して設立された“身内”とのバトルに、テレビ局側は「逃げの一手」のようだ。 7月8日、BPOの放送倫理検証委員会がTBS系の『ピラミッド・ダービー』(6月19日放送分)について、「審議入り」することを決めた。同番組では、実際は最後まで解答した出演者を、映像を加工して途中で脱落したことにして放送。「出演していた人をいないことにしたということで、簡単に消すと判断を下した人がいたことに驚いた」 という意見が委員から出され、制作体制などを検証する「審議入り」の判断が下された。テレビ局側とBPOのバトルは、事実上、審議入り時点で終わる。キー局の情報番組スタッフが明かす。「審議の結果、“お咎めなし”のケースは少なくないが、『審議入り』するだけで番組のイメージが悪くなりスポンサーが逃げてしまう。それに、審議のために大量の資料作りをしなければならなくなり、業務に著しく支障を来す。だから、審議入りが決まった時点で“負け”だ」 民放連の井上弘会長がトップを務めるTBSの広報部は「BPOは自主的・自律的な第三者機関であり、公権力の関与によらずに放送の質を保つための優れた仕組みだと考えています」と“優等生的回答”をする。 が、テレビ局スタッフの本音は、「審議入りしないための番組作りが何より重要。それをみんなが気にしているから、『BPOのせいで現場が萎縮している』という声も多い」(別のキー局ディレクター)というものだ。(iStock)「現場で『これ、BPOに引っかかって番組が飛ぶかも』なんて冗談は言えない。BPOへの恐怖心は上層部をはじめ、現場にも蔓延しているのでそんなことを言ったら大問題。『BPO』という言葉は現場ではタブー」(バラエティー番組スタッフ)という声も聞こえる。 BPOは表向き「コメントは差し控える」というが、あるBPO関係者は「現場の萎縮につながっているという指摘があることは把握している」と語る。 もちろん視聴者を騙すような演出は批判されてしかるべきだが、政権の顔色をうかがい、そのうえBPOとのバトルも避けて勝負しない放送ばかりを続けていれば、テレビ局は国民から見捨てられるのではないか。関連記事■ 「TV局を減らせ」と説く元業界人がTV界の現状を描いた書■ TV局員 子供は録画でアニメ、妻はDVD三昧で放送見ないと嘆く■ 24時間テレビ 計33回の放送で合計募金総額は291億円超■ BPOで問題になった番組 朝ズバ、バンキシャ!、明日ママなど■ 視聴率最高記録は『第14回NHK紅白歌合戦』の81.4%

  • Thumbnail

    記事

    保育園で「この、ハゲーーー!」流行 悪いのはテレビなのか

     豊田真由子衆議院議員による秘書への暴行・暴言が週刊新潮によって報じられ、その音源が公開されてから約3週間。まずYouTubeで公開され、その後、テレビでも何度も引用された「この、ハゲーーー!」という叫び声は、いまや全国各地で知られるようになった。あまりに印象が強いこの叫び声は、大人だけでなく子供にも大きな影響をおよぼしている。敗北を受け、支持者の前に姿を見せた埼玉4区の無所属、豊田真由子氏=2017年10月22日午後10時55分、埼玉県新座市(草下健夫撮影)「いきなり叫ばれて、びっくりしました」と話すのは、保育園年長さんの娘がいる30代会社員女性。先日、慌ただしく出かける準備をしていたところ、娘が楽しそうに「この、ハゲーーー!」と叫んだ。「朝、時計のかわりに民放の情報番組をつけっぱなしにしているのですが、そこで繰り返し放送されるのを聞いて、覚えてしまったようです。新しいギャグか何かだと思っているのか、叫んだあとケタケタ笑っています。人をののしる言葉だと理解していないぶん気が楽になりましたが、通りすがりに耳にした大人は気分悪いですよね。なので、言わないように注意はしましたが、理由については理解できないようで……。保育園でも、流行っているみたいです」 豊田議員の口調を真似して娘が叫んだ日の夜、夫婦で話し合い、朝の情報番組はしばらくNHKにしておこうと決めた。NHKだけは、この暴言の音声をそのまま放送していなかったからだ。「本当は、そういう言葉遣いをしてはいけないときちんと説明できたらよいのですが、『ハゲ』とは何か、どうしてその言葉が人をののしる意味を持ってしまうのかを年長さんにきちんと説明できる自信がありません。もう少し大きくなったら、『ハゲ』は決して差別語にしてはいけないことも含めて話せる日がくると思います」(前出の30代会社員女性) さらに、こんな情報を提供する姿勢を疑えと訴える人たちもいる。放送倫理・番組向上機構(BPO)に意見を寄せる人たちだ。BPOのHPで公表されている「2017年6月に視聴者から寄せられた意見」をみると、「バラエティー番組で、女性国会議員の元秘書に対する暴言・暴行の問題について面白おかしく取り上げ、笑いにしている。ふざけ過ぎる内容を元にいじめを行う子どももいると思う。取り上げるからには真剣に報道してほしい」 とある。BPOといえば、倫理や人権、青少年に対して問題ある報道や番組制作について、視聴者からもモノを申せる窓口になっている。深刻なケースでは審議が行われ、その報告書は、テレビ番組制作に係わる人間ならば必ず目を通すようにと命じられるものだ。豊田議員にまつわる放送についての意見を、テレビ番組制作の現場では、どのようにとらえているのか。テレビ制作現場の本音「視聴者からの意見はありがたくいただきますが、なんでもテレビにせいにしてほしくないという本音もあります。大きな声では言いづらいですが、いじめちゃダメだと周囲の大人が教えればいいだけの話じゃないですか。こういうことを言うと、ますます風当たりが強くなるので黙っています。いまは、テレビが嫌われ役を引き受けないと行けないのだろうと諦めています」(在京テレビ局ディレクター)※写真はイメージです(iStock) 2017年2月のR1グランプリで優勝したことをきっかけに、テレビ番組出演が増えたアキラ100%に対し、全裸をお盆ひとつで隠す芸に批判が集まった。やはりBPOにも「子供が真似をして大変不快」という意見が寄せられている。ところが、この件についてはテレビを責めるだけが解決の糸口ではないという意見も公表されている。「テレビをつまらなくしないでほしい。『裸芸』を見て真似る子がどれだけいるだろうか。たぶん、ほとんどいないと思う。テレビの影響は悪いものばかりでなく、良いこと悪いことを判断する力を養う役目もあるはずだ。テレビを見ながら会話して、何をやってはいけないかを教えるのが親の役目だ」(BPOの公式HPより) 前出のディレクターは「こういう冷静な人もいるから、視聴者からの意見が楽しみ」という。「テレビで放送することの影響力は確かに大きいです。だから、僕らも真剣に制作しています。まったく間違いを犯さないわけではないので、そのへんは厳しく見てもらいたいです。でも、たかがテレビなんですよ。子どもの周囲にいる大人は、テレビへモノをいうより先に、子どもへ働きかけて話し合うなどしてほしいです」 もうすぐ夏休みが始まるが、現実の子供たちが安全に夏を過ごせるよう、リアルな大人の対応力が求められるだろう。関連記事■ 「このハゲーーー!」豊田真由子氏に自民「ハゲ議連」の見解■ 豊田真由子議員の同級生が告白「本当の姿知ってほしい」■ 豊田議員の夫「子供にこんな母親は見せられない」と出ていく■ 夫が押す車椅子に乗る松田聖子、羽田空港での姿■ 愛子さま「激やせからの15キロ増」に周囲は心配の声

  • Thumbnail

    テーマ

    テレ朝記者「セクハラ告発」と報道倫理

    テレビ朝日の女性記者に対するセクハラ疑惑で、財務省の福田淳一事務次官が辞任した。「セクハラ告発」をめぐっては、官僚の資質や政治家の道義的責任、記者の報道倫理まで、議論はさまざまな方面に飛び火した。今回、iRONNAでは記者経験を持つ識者の論考を集めた。賛否が渦巻くこの議論を正面から考えてみたい。

  • Thumbnail

    記事

    テレ朝記者「セクハラ告発」に舌打ちしたオンナ記者もきっといる

    社会とやや隔たりのある動物園で過ごしていればいいのにというのが率直な感想だ。 しかし、自分の所属するメディアや自分のジャーナリズム精神を使うのではなく、週刊誌に頼ってまでセクハラオヤジを駆除しようとした勇気ある女性記者、ノーパンしゃぶしゃぶの時代から抜けきれずになんとか勝ち抜けようとしたら最後の最後で捕獲されたバブルおやじ、そんなこの時代らしい登場人物に埋もれて声を失っている者がいることについてはあまり考慮されていない。私は一点、まさにそこだけにこの女性暗躍時代、じゃないや女性活躍社会の闇を感じないでもない。 オンナだって一枚岩ではないのだ。男並みに実力とロイヤルティーで働きたい女性、女なりに活躍したい女性、女ならではの活躍をしたい女性。そんな中、女の武器などなかったことにして、勉学や労働に勤しみ、あたかも乳も足の付け根もついていないかのように振る舞い、かといって女性らしい美しさを失わない、きれいで清廉潔白な女性はどんどん発言の場が広がり、汚いものが駆除されて働きやすい時代が間近に迫っているのかもしれない。 しかし、清廉潔白でもきれいでもない女たちは、つるし上げられるバブルおやじたちを横目に、ちょっと本音でも漏らせば、おじさんに向けられている矛先がすぐにでも自分の眉間を目指しそうな、嫌な緊張感のもとにいる。辞意を表明した財務省の福田淳一事務次官=2018年4月18日午後、東京都千代田区(桐山弘太撮影) 許可を得ずに録音した本来の取材とは関係のないテープを週刊誌に横流す女性記者をみて、心強いと感じた女性がいるであろう反面、自分を担当している愛想の良い、手練手管の女性記者の取材を急に恐ろしく感じた男もいるであろう。 同時に、いい感じにあほなおやじを手のひらで転がしてうまいことやっていたのに、と舌打ちしているオンナだっている。おじさんに、警戒心と恐怖心を抱かれた時点で自分が女性ならではのやり方で積み上げてきた仕事のやり方が一気に崩壊するからだ。生きづらいのはおじさんだけじゃない オンナを使って出世する、なんていう事態を世間は非常に冷ややかな目で見るが、生理の時には痛み止めを飲んでナプキン変えて、男より人生のうちに仕事に費やせる時間が少ない。 ましてや、もし子供を持とうと思えば長期のインターバルを余儀なくされる女が、会社の中でそれなりに自分の存在意義を認めたいとすれば、女の自分に使えて男のあいつらには使えないものを惜しみなく使い、男以上の価値を発揮するのだって、ある意味ではいじらしい努力である。国会内で開かれた「セクハラ被害者バッシングを許さない」とする緊急集会。女性団体の代表や国会議員、市民が参加した=2018年4月23日 だって一部の(と言わないと怒られそうなので一部の)おじさんたちって結構おバカで、私たちが谷間の見えるワンピでも着て上目遣いで涙を浮かべると、さっき質問に来たうだつの上がらない男性記者には渡さなかった紙の一枚くらいはくれるものだから。 もっと次元を落とせば、単に女性としてみられていないと機嫌が悪くなる女だっているし、官僚とのラブロマンスを望んで記者になる女だっているし、容姿に恵まれず殿方と縁がない人生を歩んできたものの、男ばかりの会社で記者になったらこんな私でも女の子扱いしてもらえる、なんて悦に入っている女もいる。胸を見せたくらいでネタが取れるならそんなにラクなことはない、と思っている元AV記者だっている。 そういった女ならではの感情を持たずに生きるのが正しいなんて誰が決めたんだろう、とちょっと思う。 何事にも清廉潔白を求める空回りの正義感によって生きづらくなっているのが、おっぱいもみながら日本経済を支えてきたバブルおやじだけだと思っているならば、それはおじさんの被害妄想だ。 女性活躍をうたう政府のもとで、おっぱいとか縛るとか言っているトップ官僚がいることにみんなが辟易(へきえき)としているのは事実だが、こんな騒動を見ながら、活躍の場を失っている女性だっていることも、もうちょっと知ってほしいと思うのは、女性が差別されたり侮蔑されたりすることなく働ける社会を望んでいないから、というわけでは絶対にない。

  • Thumbnail

    記事

    女性記者の「セクハラ告発」でテレビ朝日が犯した二つの過ち

    タを週刊誌に持ち込むことはよくある慣習という点だ。新聞社やテレビ局の記者があるネタをつかんだ時、そのメディアの性質上、報道に適していないと判断されたり、取材先との関係を重視して自社では報道できないなどの理由で、報道を断念することがある。 しかし、何らかの方法で世に知られるべきだと思われる場合などに、その記者個人や、時には上司の判断で、週刊誌に情報提供して報道してもらう。報酬が発生するかどうかはケースバイケースのようだが、小遣い稼ぎ感覚の記者もいる。 そこで、取材源まで明かされているかどうかは分からないが、少なくとも大手新聞社やテレビ局の記者が、週刊誌に情報提供するのが普通に行われていることは明らかである。 テレ朝の女性社員は、メディアに身を置くものとして、そのような実態を熟知していたはずだ。なにしろ、財務省事務次官という強大な権力を持つ者による悪質なセクハラ行為が、テレ朝によってなかったことになりかけていたからだ。 それを防ぐために、女性社員が週刊新潮に情報提供したことは自然な思いつきだったであろう。そのことについて、大手メディアに所属する人間が、さも悪であるかのように評価するのはお門違いであるし、偽善である。 大手メディアと週刊誌とのそのような関係は、一般的には知られていない。それにも関わらず、テレ朝が上記のような言い方をしたために、この女性社員がことさらに悪いことをしたように誤って評価され、それがバッシングの一因となった。 テレ朝は、「結果的に取材源の秘匿という問題に不安を抱かせることになったかもしれない。それも全てわが社の対応が悪く、女性社員を追い詰めた結果である。彼女に責任はない」と言って頭を下げるべきだったと思う。2018年4月18日、女性社員が福田淳一財務事務次官のセクハラ被害を受けていたと明らかにしたテレビ朝日の記者会見 テレ朝の記者会見後、テレ朝がことさらに悪者のように言われている。しかし、テレ朝だけの問題ではない。テレ朝を悪者にして終わりにしていい話ではない。 新聞社やテレビ局の人であれば、現場の記者がセクハラやパワハラに日常的にさらされていることは常識として知っている。ただ、被害に遭っている記者は、それを言い出すと同僚や上司、会社に迷惑をかけると思っているのであまり口にしない。忙しすぎて、そういうことを相談する時間もない、という現実もある。 誰に相談するのかも迷う。誰を信頼していいのか、その人に相談して対処してくれるのか、という悩みもある。つまり、誰かに相談するというのは、よほど耐えられないと感じた場合が多い。大手マスコミの女性記者たちよ、立ち上がれ そして実際に記者から相談があった場合、会社としてどう対応しているか。相談者の要望としては、取材先に内々で抗議してほしいとか、担当を変えてほしいというのが一般的だろう。会社は、そのくらいの対応はしていると思う。 しかし、今回のように「自社が報道すべきだ」と訴えられた時、その望み通りに報道したメディアはあっただろうか。世間には、「女性社員の望む通りに報道すればよかったのだ」という向きもあるが、今回のケースが自社だった場合、「それは出来ない」と断ったメディアがほとんどだったのではないか。各社の見解を聞きたいところだ。 また、全国的に「その女性記者は誰だ」という注目が集まっている中で、最悪な形でほぼ個人が特定されてしまった。インターネットには、特定した情報が流れているし、取材源の秘匿を守らずに週刊誌にネタを売ったけしからん人間である、と公然と批判する人もいる。 しかし、福田氏の言動がセクハラであり、大多数の女性が不快感を覚えることは明らかであるし、福田氏に共感する男性が少ないこともまた明らかだ。 テレ朝の女性社員は、公表によって自らがバッシングを浴びることを予想していただろう。それでも泣き寝入りしなかった彼女に敬意を表したい。今後は、彼女の尊厳を回復することに全力を注がなければならない。 これまで、セクハラ問題は、告発した女性がバッシングされ、居場所がなくなる現実が多くあった。会社内でセクハラした人が配置転換され、被害者が不利益的な扱いを受けなかったとしても、何年も「あいつのせいで〇〇は飛ばされた」などと後ろ指を指される様子を多くの女性たちが見てきた。 その結果、「あんな目に遭うなら泣き寝入りしよう」ということになり、いつまでもセクハラがなくならない、男性の意識も変わらないという悪循環が続いている。今回もこれまでのところ、全く同じ構造だ。 まず、大手マスコミの女性記者たちに立ち上がってほしい。沈黙はセクハラをしているのと同罪だ。テレ朝の女性社員は、女性記者みんなの声を背負って自分が犠牲となったのだ。最近は女性記者の数も多い。会社の垣根を超えて団結し、どうしたらこのような問題がなくなるのか真剣に考えてほしい。この機会を逃したら改善される機会はなくなるかもしれないのだから。2018年4月23日、国会内で開かれた「セクハラ被害者バッシングを許さない」とする緊急集会 また、セクハラの話になると、男性が全く当事者意識を持てないのも問題だ。問題意識を抱いている男性も多いと思うが、「女性は大変だね。頑張ってね」と他人事で済ましていると感じる。それではこの問題はいつまでたっても終わらない。 セクハラはパワハラとセットになっていることが多い。男性にとっても自分の問題でもあるはずだ。真剣に考えてどうすればいいのか方法を考えてほしい。自分が感じた苦い気持ちを思い出してほしい。 テレ朝の女性社員の二次被害をどう食い止め、彼女の尊厳を回復するか。今となっては非常に難しい。ただ、世の中が少しでも変わるのであれば、それが彼女の被害回復に資すると思う。

  • Thumbnail

    記事

    「福田さん、あんたはエライ!」テレ朝記者セクハラ告発、私の本音

    いるからかもしれない。むしろ、今の人なら、平然とそのまま取材記者を続けるのかもしれない。それができるメディアの世界であってほしいが…。

  • Thumbnail

    記事

    テレビ朝日が「セクハラ被害会見」で守りたかったのは誰?

    していたためそうはさせじ、というのが表向きの理由です。一方で『週刊文春』に“テレ朝説”が書かれるなどメディアの詮索が激しくなっていたため、これ以上黙っているわけにはいかなくなったという判断もあったはず」(テレ朝関係者) 一方で、財務省への“配慮”もうかがえる。「局内には、『今回の件で官僚を敵に回して、記者クラブから爪弾きにされ、情報が取れなくなるような事態は避けたい』という意見もある。次官が辞めてからなら『抗議する相手は財務省じゃなく前次官』という体裁が取れると考えたのではないか」(同前)福田事務次官のセクハラ問題について会見する篠塚浩取締役報道部長(右)と長田明・広報局長=2018年4月19日、東京都港区(撮影・佐藤徳昭) 事を荒立てたくないという本音は、「女性記者を守る」と言いながら、新潮に情報を“リーク”したことに関して「不適切な行為だった」と突き放した点にも透けて見える。スクープしたのは『週刊新潮』なのに週刊誌を排除して会見を開き、自局で生中継すれば話題必至のはずなのにそれすらしない。「記者クラブに向けた会見だったため週刊誌は対象ではなかった。会見の中継については総合的な判断によるものです」(広報課) テレビ朝日が守ろうとしているのは、勇気ある告発をした女性記者か、それとも記者クラブ利権か。関連記事■ 大下容子アナ、足を組み替えるたび現場で「オー」と歓声■ 年上の女性上司に「パワハラ」された男性会社員たちの告白■ 堅物官僚から情報を取るべく、各局が送り込む才媛記者■ 「新しい痴漢」の悪辣な手口 女性スタッフの盗撮も横行■ 福田元事務次官のセクハラ疑惑会見に心理士がツッコミ

  • Thumbnail

    記事

    堅物官僚から情報を取るべく、各局が送り込む才媛記者

    《週刊誌報道に示されたようなやりとりをした女性記者の方がいらっしゃれば、調査への協力をお願いしたい》 森友学園問題で国会が紛糾する中、渦中の財務省トップに持ち上がった新たな騒動。辞任した福田淳一元事務次官(58才)が複数の女性記者にセクハラ発言を繰り返していたと『週刊新潮』(4月19日号)が報じた。これに対し、福田氏はセクハラを否定した上で、新聞やテレビ局などの記者クラブ加盟各社に、冒頭のような異例の協力要請を出したのだ。 報道各社にとって、“霞が関の中枢”である財務省への取材は超重要。それだけに、エース級の記者がしのぎを削っている。「超堅物の官僚からスクープ情報を取るのは至難の業。そこでテレビ各局は、少しでも印象をよくするためなのか、たまたまなのか、選りすぐりの美人記者を財務省の記者クラブに送り込んでいます。もちろん外見だけでなく、財務官僚と渡り合えるだけの頭脳も必須です」(全国紙記者)『週刊新潮』の記事によると、福田氏に夜中呼び出された女性記者は、パジャマから着替えてバーに駆けつけた。酒席につきあい、森友問題について聞き出すのが彼女らのミッション。福田氏はそんなやり取りの中、「おっぱい触っていい?」「キスしたい」としつこく言い寄ったという。「福田さんはお酒が弱くて、酔って記憶がないなんてことはたまにあるそうです。記事には日頃からセクハラを連発することで有名だったと書かれていましたし、担当の女性記者は呼び出されるたびにビクビクしていたんでしょうね…」(前出・全国紙記者)画像はイメージです(iStock) 小さい時から神童と呼ばれ、東大をトップに近い成績で卒業したスーパーエリートの財務官僚は、ちょっと変わった人ばかり。そんなオジサンたちを相手にしなきゃいけないのだから、彼女たちの苦労は推して知るべし。若手の財務官僚が言う。「省内でも、“あの記者は目を引く”と評判になる人がいつも何人かいます。最近では、テレビ朝日の進優子記者は女子アナと見紛うような美形ですし、フジテレビの石井梨奈恵記者は上智大学から仏パリ政治学院に留学した経験のある才媛。NHKの山田奈々さんは突っ込んだ取材をする優秀な記者だと評判です。ぼくたち若手はほとんど相手にされませんが、一癖も二癖もある幹部たちから直接、携帯で呼び出されるのを見るとホントに大変そうです」 冒頭の通り、財務省は血眼になって報じられた女性記者を探している。「音源を全部聞いたわけではないので状況はわかりません。福田氏の言う通り、クラブでホステスとの会話という可能性がないわけではない。それにしても被害を受けたという記者に“名乗り出て”というのはおかしな話。情報を握るために必死の記者が自ら名乗り出られるはずがないし、セクハラを受けた女性が被害を訴えることに抵抗があるのは当然のこと。誰が相手だとしても、音源があるのだから、福田氏を徹底的に調査すべきです」(前出・全国紙記者) 福田氏は新潮社を名誉棄損で提訴するというが、向かう新潮社も記事に絶対的な自信を見せている。関連記事■ 総理執務室撮影したNHK美人解説委員に局内部から痛烈な批判■ NHK記者 “官邸の最高レベル”スクープを不発弾にされ不満■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ 安倍首相、「昭恵抜きで訪米したい」の打診却下されガックリ■ 安倍首相の「悪だくみ人脈」 始まりは昭恵さんだった

  • Thumbnail

    記事

    小ネタの波状攻撃「安倍政権撲滅キャンペーン」にモノ申す

    いるのだろう。 もちろん、まっとうな政策批判、政権批判は行われるべきだ。だが、安手の政治的扇動がマスメディアを通じて日々増幅され、世論の少なからぬ部分が扇動されているのなら、少なくとも言論人は冷静な反省を求めるのが使命ではないだろうか。だが、筆者が先にいくつか事例を紹介したが、リベラル系の言論人を中心に、むしろ扇動に寄り添う態度を強く示すものが多い。まさに日本は「欺瞞(ぎまん)の言論空間」に覆われつつある。

  • Thumbnail

    テーマ

    眞子さま「結婚延期報道」に私も言いたい

    秋篠宮家の長女、眞子さまの結婚延期が発表されてから、はや2カ月。お相手の小室圭さんをめぐり、さまざまな週刊誌報道が飛び交う中、新聞、テレビは相変わらず沈黙を続ける。宮内庁も「週刊誌報道が延期の理由ではない」と火消しに躍起だが、どうも腑に落ちない。眞子さま結婚延期を私たちはどう受け止めるべきか。

  • Thumbnail

    記事

    週刊誌「小室圭さんバッシング」報道が意味するもの

    を私たちはどこで知るのだろうか。新聞、雑誌、テレビ、インターネット、まずはその辺りだろうか。そうしたメディアを通じて、私たちは皇室について、天皇や皇后、皇族の動向を知り、そして「象徴天皇」とはこうした姿なのだとイメージする。こうしたあり方は、長い伝統ではない。メディアが発達する前の人々は、このように皇室を知ることはできなかった。近代になって構築された体制だったのである。 明治維新後、日本でも新聞が刊行されるようになり、新聞はこぞって皇室に関する記事も紙面の中に掲載していく。メディアは大衆消費社会が成立する状況の中で、ニュース素材として皇室を取りあげ、人々の興味関心をかき立てていった。 とはいえ、政府と宮内省の下にマスメディアは統制されており、現在の私たちとは異なる形で皇室を見ていたはずである。つまり、どこか触れてはいけない権威として、天皇や皇族を捉えていたのではないか。だからこそ、戦時中には「国体」が強固に人々を拘束していったのである。 しかし敗戦によって、その関係性は変化する。敗戦は、昭和天皇の戦争責任が追及され、天皇制廃止へと向かう可能性も想定される未曾有(みぞう)の危機であった。それを回避するため、宮内省はメディアを通じて世間に天皇への同情心を集め、責任追及の動きを和らげようとする。 昭和21(1946)年1月1日に発布されたいわゆる「人間宣言」は、メディアが新たな天皇像をアピールする機会となった。政府と宮内省はメディアを味方にしつつ、敗戦後の天皇制の危機を脱し、象徴天皇制へと着地させようとしていたのである。 新聞を中心とするメディアは、平和的で家庭的な昭和天皇像を数多く描くことで、人々にそのイメージを定着させた。メディアは政府・宮内庁の期待に応えたともいえる。一方で、象徴天皇のあり方をメディアが規定していったとも考えられる。この時期、両者は最も「蜜月関係」だったといえるかもしれない。1946(昭和21)年2月、戦後の全国巡幸が始まり、戦災者が住む横浜市の稲荷台共同宿舎を訪れた昭和天皇=横浜市西区 その後、昭和33(1958)年11月からの「ミッチーブーム」によって、その関係は変化する。1950年代前半より、メディアは皇太子明仁親王の「お妃候補」を多数登場させ、人々の興味関心を集める記事を掲載していく。この時期、戦後経済は復興を遂げ、『週刊新潮』や『週刊文春』などの週刊誌、『週刊女性』や『女性自身』といった女性向け週刊誌などが創刊され始めていた。 そうした新興週刊誌は、『週刊朝日』や『サンデー毎日』などの老舗週刊誌から読者を奪うため、より人々の興味を引きつけるような記事を生み出していく。毎週のように新しい皇太子妃候補の名前が登場し、その人となりが紹介されるような「スクープ合戦」が展開されたのである。そこでは、プライバシーという概念は希薄だった。各雑誌が新しい皇太子妃候補を書き、そしてそうした記事の中で彼女たちは消費されていくことになる。象徴天皇制の内実を築いたテレビ この時、新聞は当初は同様に(とはいえ、雑誌ほど過激ではない)皇太子妃候補を報道していたものの、宮内庁からの求めに応じて協定を締結、正式発表までの報道を自粛する。そして、正田美智子さんに決まったことを最初に伝えたのは、協定の枠外にいた『週刊大衆』『週刊明星』などの新興雑誌であった。 宮内庁の正式発表を待って報道を開始するものの、公的機関からの求めに応じて報道しない新聞の姿勢は、戦時中のメディアを想起させ、人々からの不信を得てしまう。それゆえ、その後の皇室報道の中心は新聞から他のメディアへと移っていく。 では雑誌ばかりになったのかと言うと、そうでもない。ミッチーブームはテレビという新しいメディアが家庭に浸透したことで生み出された現象であったからだ。人々はその後、テレビの中で動く皇太子一家を見ることで、あこがれの存在としての彼らを受容していく。 この時の天皇制とマスメディアの関係は、戦前とも、敗戦直後とも全く異なっていた。宮内庁はメディアの動向をコントロールできず、むしろメディアの方がブームを形作り、象徴天皇制の内実を形成していったのである。 こうしてメディアは、人々の興味関心に基づき、皇室記事を量産していく。そこには、権威的な天皇像を伝えようとする意図も、人間的な天皇像から民主化を伝えようとする意図もなかった。まさに消費する対象として、天皇制を報じていたのである。 平成に入って、メディアは「開かれた皇室」として新しい動向を歓迎するような記事を掲載していった。それは、人々に身近になったと感じさせた象徴天皇制へのメディア側からの「支持表明」とも言えるだろうか。1958(昭和33)年11月27日、皇太子妃になることが正式に決まり、宮内庁で両親とともに記者会見する正田美智子さん 皇太子徳仁親王の「お妃候補」報道も、雑誌を中心としたメディアで大きく展開された。父親の時と同じように、各誌がさまざまなお妃候補を紹介していくあり方である。この時はワイドショーを中心に、テレビでもそうした報道が繰り返された。 小和田雅子さんに決まったとき、男女雇用機会均等法施行後の女性の社会進出を象徴する存在として、彼女に対する期待感にあふれた報道が相次いだ。平成の「新しい皇室」として歓迎する雰囲気が生まれていたのである。ミッチーブームの時ほどでないにせよ、人々の関心は高まったといえる。 もちろん、期待一辺倒だけではなく、『週刊文春』をはじめとする週刊誌を中心に「美智子皇后バッシング」なども展開され、「開かれた皇室」への批判とともに、やはり象徴天皇制を消費的に扱う記事も多かった。 とはいえ、これは昭和天皇時代の天皇制を懐古する勢力から行われた攻撃でもあった。その意味では権威的ともいえる。この報道は、美智子皇后が倒れ失語症になったことをきっかけに大勢が変化し、基本的には平成のあり方を支持する動向が強くなった。「生前退位」報道にものぞかせる権威性 近年、頻発する自然災害の被災者に対して、80歳を超えた天皇、皇后が体育館の床に膝をついて同じ目線で話を聞く姿をメディアは積極的に報じている。そうした二人の人格的な振る舞いを評価するエピソードが、近年のメディアには多数あふれた。 戦争の記憶に触れ、戦没者を慰霊する天皇、皇后の行為も、やはりどこかに道徳的なあり方としてメディアでは紹介されることが多くなった。こうした姿を、テレビや新聞は積極的に伝えている。このような姿勢は、天皇や皇室を、人間的とも消費的とも扱う動向とはまた異なっているように思われる。 どこかにその権威性を見出し、それに現在の日本社会が失いつつある何かを取り戻すためのシンボルとして描いているようにもみえる。けれども、平成の最初に昭和天皇の時代を懐かしんでいた権威とはやや異なるレベルの権威でもありそうである。 しかしながら、週刊誌などの雑誌は少し異なるスタンスのようにも感じる。雅子皇太子妃の病気の問題などを大々的に報じるのは、新聞やテレビではなく、やはり週刊誌である。そこにはどこか、消費的に天皇・皇族を扱う姿勢が見え隠れする。 2016年の「生前退位」報道はNHKというテレビ発の出来事であった。そして、その報道によって方向性が規定され、一挙に退位へと結実することとなった。ただ「象徴天皇制とは何か」といった議論がなされないままに、天皇の「おことば」から、退位以外の選択肢は考えられない雰囲気になってしまった。 その意味では、どこか権威性を天皇から見る動向から始まったものであったかもしれない。本来、こうした象徴天皇制を左右する報道が、一社のスクープから始まったことにはやや疑問を感じる。より広い議論を呼び起こすような展開があり得たようにも思われる。 一方、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんとの婚約をめぐる報道は、週刊誌をはじめとする雑誌がリードし続けていた。「美智子皇后バッシング」や雅子皇太子妃の病気について報道するときと同じような形のようにも見える。その意味では消費的な動向とも言えるだろう。2018年2月、報道陣に一礼し、職場を出る小室圭さん=東京都中央区 しかし、小室さんやその家族に対する、ややバッシングにも見える報道の根底には、「皇族の女性はそれなりの家柄の男性と結婚しなければならない」との考え方も見え隠れする。その意味では権威的とも言えるかもしれないが、天皇や皇后をそう見るレベルとは異なっているように思う。むしろ、非常に復古的な流れではないか。 この両者の関係性は今後どうなっていくのだろうか。そして、インターネットという新しいメディアの登場も、まったく別の方向が生まれる可能性を有している。今後の皇室報道のあり方に注目していく必要があるだろう。

  • Thumbnail

    記事

    眞子さまが苦悩する「高貴なる者の責務」とは何か

    子さまのお相手については、現状で十分な将来設計がみえてこないことに加え、ご実家の経済的トラブルも一部メディアに報道されたため、少なからぬ国民の間に疑問が生じてしまっている。 ただ、配偶者となる予定の男性の経済的不安自体は、必ずしも結婚否定の理由にはならない。高度成長期をすぎた日本ではいまや、夫婦ともに生計を担う発想が増えており、専業主婦ならぬ専業主夫という生き方も選択肢となっている。 男女共同参画が奨励される現代社会においては、妻が生計を支えても問題ないのであり、「私もバリバリ働いて、積極的に家計を担います」という姿勢を眞子さまご本人が明確に提示されれば、お相手が勉学中でも、現代の働く女性たちの共感を呼び、素直な祝福を喚起したかもしれない。期待される理想的人物像 しかし、今回の場合、単に一時的に男性の経済力に不安があるのではなく、実家ぐるみで経済的トラブルを過去から抱えてきた疑惑があること、さらに、ご結婚の際に1億円以上という、一般市民にとってはかなり高額な降嫁金が税金から支払われるために、国民の視線が厳しくなっている。 降嫁金のみならず、将来的にも妻の「実家=税金」で結婚生活が維持されるのではないか、それは税金の使途として妥当ではないという批判である。 眞子さまとしては、なにも好んで皇室に生まれてきたわけではないのだから、一般市民と「平等」に「両性の合意」のみにもとづいて結婚したい、と思われているかもしれない。また、欧州の王室は日本の皇室よりはるかに自由であるという議論もままある。 しかし、イギリス王室のように、先祖代々の財政基盤がある王室であれば、ご自由に結婚、離婚してくださいと国民が納得する余地があるものの、日本では、皇族に生まれた以上、税金が主として経費を支えることになるので、恋愛、結婚にも公共性が付随して、当事者が納得すればよいというわけにはいかなくなってくる。 加えて、キリスト教国の王室であれば、神は人間とは別に存在するので、国民は王族に神のような品行方正さを過剰に期待することはない。 ところが、戦前に「現人神」(あらひとがみ)であった日本の天皇は、戦後の「人間宣言」以降も、日本の「象徴」という形で模範的、理想的な人間性を提示することが暗に求められてきた。「普通の人間」としての立場を認められたはずが、「象徴」にふさわしい理想的人物像を提示することが期待されてきたのである。 これを、「国民側の勝手な期待」であり、自分たちは人間なのだから、好きにさせてもらうわ、とする考えもありえるのだが、上記のように、財政基盤が税金にあるため、それにみあう社会的責務を果たしていない人間に税金を投入する意義はない。礼拝に出席するため英サンドリンガムの教会に到着したエリザベス女王=2017年1月 極端にいえば、信頼にたる人間性であることを示し、皇族、または皇族と親戚となるにふさわしい裏づけを提示してもらわないと、もはや、皇室を廃止してもいいのではという意見さえ、ネット上には散見する。 人間の女性として恋愛結婚の自由を求める眞子さま本人には、あるいは理不尽と思われてしまうかもしれない。だが、税金で支えてきた皇族方の結婚相手に、それに足る社会的信頼や人格を求める国民感情に一理あるのは確かであり、もしどんな相手でも自分が選んだ相手と結婚したいと初志貫徹したいのであれば、一億円以上の降嫁金も辞退、まずは皇籍を離脱してから結婚するべきとの議論もある。「高貴なる者の責務」 眞子さま結婚延期の理由について、多くの主流メディアは、宮内庁の発表どおり、結婚の準備が間に合わないという理由を報じているが、ネット上の市民の多くは、お相手の家の金銭トラブルや相手側の将来設計の不安定さ、人としての信頼度を問題にしており、結婚後も皇族との親戚関係が継続する人々への「血税」投入の妥当性を問題視している。 ネット上の情報が広がりはじめた初期には、一般市民の書き込みは信憑性が薄い情報とまともに社会的に評価されない時代もあったが、皇族女性の結婚というセンシティブな話題については、新聞、テレビといった主流メディアよりはむしろ、ネット上の情報のほうに、率直な国民感情があふれているようにみえる。 皇族である前に一女性なのか、それとも、女性である前に皇族なのか―。同じ自由恋愛でも、結婚後も皇室にとどまる男性皇族・秋篠宮さまの場合と眞子さまの結婚では、たとえ親子といえども、同列に論じられないのが現状である。 では、皇族女性のみにのしかかる当事者意識と社会的期待との落差を眞子さまはどう乗り越えることができるのか。 生活費の心配なく成人する皇族女性に、結婚後にいきなり共働きで生計を担えと通告するのはいささか酷かもしれないのだが、似たような試練は、戦後の旧華族、旧皇族や、明治維新期に禄を失った旧士族の多くが乗り越えてきた道である。 海外の王室も自前で生活しているとはいえ、一般市民に受け入れられるために「ノーブレス・オブリージュ」(貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ)という概念で自らを律してきた歴史がある。眞子さまが結婚を実現するには、「金銭トラブル」「経済力」「皇室との信頼関係」の三つの問題解決が必要との指摘もなされている(2018年2月8日 八幡和郎氏コメント)。「新年祝賀の儀」に臨まれる天皇、皇后両陛下と女性皇族方=2018年元旦 このように、眞子さまが現在のお相手と国民に祝福される結婚を実現するためには、女性も生計を支えると宣言してジェンダー・フリーな結婚の形を示すか、結婚後は税金に依存せずに経済的に自立できるという将来像を示すことが必要であり、それは、今後ありえる皇族女性の結婚にも必須の条件になると思われる。 この条件を、個人としての恋愛感情とどうすりあわせるか―、これこそが、困難ではあるが、現代の皇族女性に求められる「高貴なる者の責務」といえるだろう。

  • Thumbnail

    記事

    【和田政宗独占手記】森友問題「メディアリンチ」と私は断固戦う

    のあった2日朝の時点で、財務省は書き換えを把握していたのではないかという点である。人間性すら否定するメディアリンチ 2日朝、財務省は参院自民党会派に対し、「本省の指示により文書が書き換えられたとの報道について」と説明したが、朝日新聞の報道は「本省の指示によって書き換えられた」とは一行も書いていない。また、書き換えた人物は理財局内に存在する。財務省が使っている文書管理システムで検索すれば文書が書き換えられていることは一目瞭然であり、検索そのものも簡単にできる。パソコンにログインすれば数クリックで該当文書にたどり着くのである。 以上のことから「太田理財局長は一生懸命答弁してくれているが、そこに一部メディアで切り取られかねない発言も入っている」と懸念を述べた上で、「まさかとは思いますが」と留保をつけ、このままでは財務省に意図的に調査を遅らせているように取られかねない、安倍政権に立ち向かっているとも取られかねない、と説明を求めるための質問だった。 太田理財局長の答弁は、これらを否定するもので、さすがだなと思った。ただ、2日朝の時点で書き換えを把握していたかについては依然、財務省は言葉を濁し、明確な答えを述べない。 昨年2月の森友問題の報道から今回の書き換え疑惑が報道された後も、私は一貫して理財局を守る立場で行動してきたし、理財局の職員とも何度も何度も話してきた。しかし、書き換えを行っていたとは私でも想像だにせず、怒りというより「何でこんなことをしたんだ」という失望の方が大きかった。 財務省には徹底的な調査を求めるとともに、佐川前理財局長が「事後報告を受けたが、私は指示していない」と話しているという毎日新聞などの報道もあることから、佐川前理財局長一人に責任を押しつけることなく、誰がどのような理由で書き換えを指示したのか、また書き換えの事実をいつ把握し、なぜ公表が遅れたのか。財務省はその理由をしっかりと説明すべきである。衆院予算委員会での証人喚問で質問に聞き入る佐川宣寿前国税庁長官=2018年3月27日、国会(納冨康撮影) そして、一連のワイドショーの私に対する一方的な批判であるが、私に取材に来た番組は一つもない。なぜ私があのような質問をしたのかについて、自分の意見や説明も紹介されていない。事実に基づいた批判であれば、政治家として甘んじて受けるが、事実に基づかず人間性すら否定する一方的なコメントは、論評の域を超えた誹謗(ひぼう)と中傷でしかない。 まさに「メディアリンチ」ともいう状態であり、名誉を毀損(きそん)した番組や週刊誌に対しては断固たる措置を取るために、名誉毀損訴訟に強い弁護士と協議に入った。 特に、フジテレビ系情報番組『バイキング』については、私に対する汚い言葉や事実に基づかない誹謗中傷が過ぎており、視聴者からも番組内容について批判が相次いでいる。この番組の司会者に関するWikipedia(ウィキペディア)の書き換えがあったことについて、iRONNA編集部よりコメントを求められているが、私は詳細を知らない。ただ、本人に関わる情報で、知られたくなかったり、公表されたくないものについては配慮がなされるべきであると思う。どんな困難があっても安倍政権を支える こうした中、私に対するメディアリンチに便乗したとみられる人物が、私と家族に対する殺害予告、事務所に対する爆破殺害予告を新聞社2社にメールで送ってきた。 その内容は極めておぞましいものであるし、こうした政治に対するテロは絶対に許されるものではなく、断固として戦わなくてはならない。しかも、このメールは細工が施されており、ただの愉快犯ではなく何らかの組織が便乗して私をバッシングするためにやっている可能性も、決してゼロとは言えない。 そして、ワイドショーなどの一部メディアは、物事の本質を無視した「言葉狩り」になっており、ここ最近のメディアの劣化は著しいと言わざるを得ない。国民の知る権利に寄与するという理念より、むしろ視聴率や部数など利益優先になっているからである。 実は歴史上、過去にも同じようなことがあった。満州事変の際の若槻礼次郎内閣の不拡大方針を「弱腰」と批判し、その姿勢を覆させたのは、新聞主要全紙によるリンチにも近い書きぶりだった。私は、民族独立の観点から満州国建国は重要であったと思うが、関東軍、朝鮮軍の越権行動は当時においても許容されるものでなかった。しかし、それを覆したのは「戦争や事変が起これば新聞が売れる」と自らの利益優先で、事態拡大を後押しする新聞であった。 今こそ過去の歴史に学び、メディアはそのあり方を正しい形に変えるべきである。国民も声を上げなければ、メディアの劣化はさらに進む。参院予算委員会で民進党の大野元裕氏(右手前)の質問に答弁する安倍晋三首相。奥前列左は財務省の太田充理財局長 =2018年3月19日、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影) 安倍政権は、家庭の貧富の差によって教育の格差が生まれないようにする、待機児童は徹底的に解消することなど、極めて国民に優しい政策を打っているのに、これまでメディアはほとんど報道せず、強権との印象を強調して批判を繰り返した。森友学園への国有地取引に首相も首相夫人も関与していないことが明確になっても、さも関与しているのではないかと印象報道を連日続けている。  森友問題の焦点は、財務省がなぜどういった理由で文書の書き換えをしたのか、法令に則っているものの、森友学園側と近畿財務局との国有地取引交渉に何があったのか、である。こうした点をなぜメディアは追わないのか。 安倍政権は、民主党政権時代のどん底の経済状況から、デフレ脱却、国民生活を豊かにするために戦っている。安倍首相の外交は、首脳会談国数、会談数においても歴代首相と比べても圧倒的に多く、世界の外交のトップリーダーとして各国と交渉できることによって日本の平和も守られている。 安倍政権がしっかりと続くことが、ひいては国民の幸せにつながる。どんな困難があっても私はしっかりと安倍政権を支えていく。

  • Thumbnail

    記事

    「ポンキッキ、やめるのやめた!」と言えないフジテレビの苦悩

    影山貴彦(同志社女子大メディア創造学科教授) 『ポンキッキ』が終わってしまった。「ガチャピンやムックにもう会えないのか?」と一瞬不安になったが、版権はフジテレビが今後も所有するということで、イベントやCMを通して、これからも姿は見られるようだ。 ただ、私は同番組の放送終了について強く反対である。何より視聴者のため、そして今後のフジテレビのためにも、番組としての『ポンキッキーズ』の看板を残すべきだと思う。 フジの看板番組として長く続いた『めちゃ×2イケてるッ!』や『とんねるずのみなさんのおかげでした』をこの春で幕引きしたことと、『ポンキッキーズ』の件を同列で語るべきではなかろう。むろん、『めちゃイケ』や『みなさん』についても、その終了を惜しむ声は多く聞かれる。 私自身、両番組を楽しんできた視聴者の一人であるし、自らの青春時代を懐かしく思い出したりもする。だが、そうした感情とともに、新しい時代を創り出すために幕を引く必要性の強いものがある。また、その一方で時代を超えて守り続けることが組織にとって何より大切なこともある。『めちゃイケ』と『みなさん』は前者、『ポンキッキーズ』は後者であろう。『ポンキッキ』の人気キャラ、ガチャピン(左)とムック=2014年4月撮影 ここで、筆者のプロデューサー時代のささやかな経験を少しお話ししたい。かつて仕事柄、何人もの出演者に「卒業」を打診した。「卒業通知」といえば響きはいいが、「降板通告」である。プロデューサーの仕事として最もつらいのは、出演者やスタッフのクビを切ることだ。その際、常に心掛けていたことがあった。マネジャーと話すだけではなく、必ず本人と向き合う時間を設けてきた。大多数が素直に受け止めてくれたが、時に不平不満や嫌味なことを言う人、ひたすら涙を流す人もいた。 随分前の話になるが、あるタレントに「降板通告」した数日後、「夜道を歩くときは気ぃつけろと、ダンナに言うとけっ!」と脅迫まがいの電話が自宅にかかってきたことがあった。このとき私は不在だったが、電話に出た妻は放送、芸能の世界と全く関係ない人間ということもあり、少し動揺していた。「大丈夫やからっ!」と少々大きめの声を出し、心配する妻を安心させたことを今でもよく覚えている。本来の仕事から「逃げる」プロデューサー 幸い、その電話以降何事もなかった。「降板通告」したタレントが所属する事務所関係者が電話してきたのか、全く関係のないイタズラ電話だったのか、今となっては定かではない。出来の悪いプロデューサーだったが、厄介なことから「逃げ」なかったという少しばかりの自負はある。2014年11月、東京・大手町のイベントで、「スパリゾートハワイアンズ」からやってきたフラガールズと一緒にフラダンスを披露したガチャピン(寺河内美奈撮影) タレントたちとあまり密なコミュニケーションを取らない局の社員プロデューサーが、昨今テレビ界に少なからずいるという。それが事実であるならば、今後は一層、一部のプロダクションの人間や放送作家のみが大物タレントと密な関係を持つことになりかねない。それはフジテレビに限らず、テレビ局全体にとって決して好ましいことではない。 局のプロデューサーでありながら、出演者や芸能事務所との人間関係も希薄となれば、大物出演者を切ったり、番組を終了させる作業もスムーズに進まない。ただ、言うまでもなく、出演者や番組は杓子(しゃくし)定規に変えればいいというものではない。 演者やスタッフたちとしっかり人間関係を構築した人間が、その局にどれほどいるかによって番組作りはうまく流れてゆく。作り手と演者がなれ合いになってしまうことと、人間関係を構築させることとは異質のことだ。もちろん、大物タレントの「イエスマン」でしかない局プロデューサーも時にはいる。それは仕事をしているのではない。本来の仕事から「逃げ」ているのである。 さて、フジテレビである。フジが少々長めの苦戦を強いられている理由はいくつかあるだろうが、その一つは番組改編のタイミングを誤ってきたからであろう。「まだいける」「もう少し大丈夫」というファジーな思い込みと、波風を立てたくないという消極的な「逃げ」の姿勢が重なり合い、傷が深くなってしまった感は否めない。 時代を先取り、流行を作り上げたイケてるテレビ局だったはずが、いつの間にか多くの人々から、時代の空気を読むことが苦手で、ブームの後追いをする局というイメージが色濃くついてしまった感がある。テレビに限らず、組織にとってイメージは驚くほど重要である。「分からないから、やらない」からの転換 今、優秀な若手社員たちの「攻めたい姿勢」に対し、トップが「ストップ」をかけてはいないか気になっている。攻めの姿勢で成果を上げ続けた人が、地位を得た途端に保身に走るという単純な図式ではないかもしれない。でも、社会の経済状況やコンプライアンスを隠れみのに、冒険を好まなくなってはいないだろうか。口先では「新しいことにチャレンジしろ!」と言いながら、若手からの企画・提案を受け止められずにいるのではないか。体力のみならず、感性も年老いたことを認めたがらない上層部が少なくないのではないか。 もうお気づきだろうが、これらもフジだけの話ではない。実は各局に当てはまることだ。「分からないから、やらない」ではなく、「自分が分からないからこそ、面白そう」と発想を転換させることが今、テレビのトップに求められる資質だろう。 最後に話を冒頭の『ポンキッキ』に戻す。なぜ『ポンキッキ』は終了させるべきではなかったのか。それは現在の視聴者たちの反応を見て分かるように、「文化」の色合いが極めて強いからである。フジテレビにとって同番組は、ランドマークのような存在なのである。 正直なところ、今この文章を読んでいる人の多くも、ここしばらく日常的に『ポンキッキ』を見ていた人は多くないかもしれない。それでも、番組終了を耳にし、この上ない喪失感を抱いていることだろう。「文化」とはそういうものだ。前述の通り、フジテレビがいま最も大切にしなければならないのは、ステーションイメージだ。コストカットのみを優先し、イメージを落としては元も子もないし、ガチャピンもムックも報われまい。守ることでイメージを維持し、アップさせられることもある。 今からでも間に合う。『ポンキッキ』は放送終了ではなく、しばらくの休止扱いとすべきである。そして、秋辺りからフジテレビ制作陣が力を結集し、『ポンキッキーズ』を地上波で復活させてはどうだろう。視聴者のニーズとの乖離(かいり)が進み、苦戦を強いられているフジテレビだが、こうした状況がこれほど長く続くほど脆弱(ぜいじゃく)なステーションではないはずだ。メディアの世界にかかわる人間の中には、「フジテレビに元気でいてもらわないと!」とエールを送る人々が数多い。フジの苦しみは、他局にも通じている。2017年3月、神戸市消防局の特別隊長に任命されたガチャピン あっと驚くことを成し遂げるのが同局の持ち味だったはずだ。「ポンキッキーズ、やめるのやめました!」そんな元来のフジらしい発表を筆者は心待ちにしている。

  • Thumbnail

    記事

    『コロコロコミック』販売中止、サヨクに屈した外務省は恥を知れ

    中宮崇(サヨクウォッチャー)ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は共産主義者ではなかったから社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった私は社会民主主義ではなかったから彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった私は労働組合員ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった 反ナチス運動指導者マルティン・ニーメラーの有名な詩である。今まさに日本で、ナチスならぬサヨクから、共産主義者ならぬ漫画がそうした攻撃を受けている。 小学館の子供漫画雑誌『コロコロコミック』におけるチンギス・ハーン落書き事件に関して、主にサヨク諸氏からの言論弾圧、いや中国顔負けの人権抑圧が目に余る。もっとも、しばき隊、SEALDsなど、彼らサヨクが「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」と本屋に押しかけ、気に入らない本を「焚書(ふんしょ)」するという姿を普段から散々見せられている者としては、当然の反応と言うべきか。 彼らは人権等の正義を騙(かた)る、その実ただの中国政府そっくりな弾圧者にすぎない。「やりすぎイタズラくん」が掲載されている月刊コロコロコミック3月号 しかし、そういったエセ左翼にすぎない人々と違い、まじめな左翼は今回の事件に関してまっとうな見解を表明している。例えば「『丸山眞男』をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争」で知られる赤木智弘氏は「チンギスハン揶揄は守られるべき」と題した論考を発表し、この問題を主に人権面から丁寧に分析している。左右を問わず、まともな人権感覚をもつ現代人であれば、文句のつけようのない内容であろう。 ところが、このようなまともな人権感覚を持たないのが一部のサヨクである。 彼らは戦後一貫して現在に至るまで「外患誘致」「告げ口プロパガンダ」戦法がお得意である。反日のためにフェイクニュースを垂れ流し、息を吐くように嘘をつく「ならず者」をまともに相手にする日本人なんてそうそういない。一線を越えた外務省 そのことは彼ら自身がよく分かっているので、海外の非政府組織(NGO)やマスコミ、国連、そして中国や韓国、北朝鮮などの人権抑圧国家を利用し、「世界市民様は愚かな日本人どもをこう言って批判しておられますぞ!」という錦の御旗、いやフェイクニュースをクリエイトし、それを口実にして日本人を攻撃し、寄付を集め活動資金とする。 慰安婦問題などはその典型であるし、最近では「秋葉原には児童ポルノや児童買春があふれている」というデタラメを海外に垂れ流して国連組織などを悪用し、漫画規制や言論弾圧を図る団体も話題になった。 こうした事実からすると、今回の事件のポイントは、外務省の対応である。朝日新聞の報道をみる限り、外務省は「日本国民の権利を擁護する」という職責を放棄し、海外政府の出先機関、いや手先機関に堕したとしか言いようがない。 記事によれば、日本外務省によると、来日中のモンゴル外相と日本の国会議員による23日の会合に同行した外務省職員に対してモンゴル側から抗議があり、同省は小学館に連絡した。 朝日新聞 2018年2月23日 と言うのだ。なんと外国の政府による一民間組織に対する「抗議」に対し、外務省は「うちは自由と民主主義の国なんで、そんな筋の通らんこと言われても知りまへんで」とはねつけるどころか、唯々諾々(いいだくだく)としてその抗議を小学館に伝え、いわば言論弾圧に加担したということらしい。小学館前で「月刊コロコロコミック」にチンギスハンを侮辱する漫画を載せたとして、抗議する在日モンゴル人ら 2018年2月26日、東京都千代田区 どこの国に、そんな手先機関の役所が存在するというのか。考えてみれば、外務省はこれまでもそうであった。特に「チャイナスクール」(外務省の中国語研修組出身者)と呼ばれる中国シンパの存在は、かつて慰安婦問題や南京大虐殺、政府開発援助(ODA)などにおいて日本の国益をむしばみ、中国や北朝鮮などの利益のために活動してきた外務省の象徴という批判もあった。 かつて外務省アジア大洋州局長だった槙田邦彦氏が拉致問題に対して「たった10人のことで国交正常化が止まっていいのか」と発言し、問題になっただけではない。左翼はチャンスを見逃さない 2002年に中国で発生した「瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件」、いわゆる「ハンミちゃん事件」においては、中国武装警察がウィーン条約を無視して日本領事館に押し込み、ハンミちゃん一家を乱暴に連れ去ったのに対し、なんと外務省職員は抗議するどころか武装警察の帽子を拾い、媚(こび)を売るような姿が放映されて批判を受けた。 こんな組織であるから、中国や韓国政府等がこれまで日本の「右派」を名指しで弾圧してきた際にも、日本人の生命や権利を擁護するどころか、冷淡極まりない態度に終止した例が多数見られた。そこに今回の「抗議口添え」である。 外務省は一線を越えた。これまでも十分、日本人のことなど眼中にない、結構とんでもない組織であったが、完全に常軌を逸したのだ。従来から海外に「告げ口プロパガンダ」をしてきた一部のサヨクは、このチャンスを見逃さないであろう。彼らは自分たちの気に入らない「ネトウヨ」「右翼」を弾圧するために、中国や韓国を焚き付けて日本の外務省に「抗議」させ、今回のような出版中止等の営業妨害に悪用するかもしれない。いや、このままでは必ずそうなる。 もし、こんな人権侵害が許されるというなら、立場を置き換えて考えて見るとよい。 日本も韓国外務省に対し「日本大使館前に慰安婦像を設置するなど言語道断だ!」として抗議し、それを韓国外務省が突っぱねず、ソウル市や韓国挺身隊問題対策協議会に唯々諾々と伝えたらどうなるか。ただでさえ反日で有名な韓国のこと、必ずや日本人の生命財産が危険にさらされることになるだろう。そして、もし10人の日本人が殺されても、日本の外務省はそれを冷淡に「たった10人のこと」と言い放つのかもしれない。外務省庁舎=東京・霞が関 われわれ日本人が今回の問題を看過し、外務省の体質を改めずにサヨクの横暴を放置すれば、将来必ずこんな詩が囁(ささや)かれることになるであろう。サヨクが漫画家を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は漫画家ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

  • Thumbnail

    記事

    「朝日新聞と安倍首相の一騎打ち」森友文書改ざん、勝者はどっちだ

    、なんてことはあるはずがない、と感じていました。 では3月2日の段階で、なぜ朝日新聞という一介のマスメディアが、一国の首相と『一騎打ち』という状態だったのか。もちろん朝日新聞以外のすべてのメディアが、この森友問題に決定打となる証拠をまだ入手していなかったからですが、私はそこにマスメディアがマスメディアである本質、国家権力と向かい合う時のダイナミズムを垣間見た気がします。朝日新聞東京本社=東京都中央区(産経新聞チャーターヘリから、桐原正道撮影) マスメディアにはいかなる権力からの圧力にも屈せず真実を追求し、庶民の目となり耳となり、国家権力の暴走を防ぐ監視役となる、重要な任務があります。しかし、その前提として、自社の綿密な取材に基づき、事実を検証可能な根拠とともに正確に把握し、正しい情報を発信するという基本が守られなければなりません。特に今回のように、時の政権の存続を左右する重要な問題の場合、慎重を極めた事実確認が要求されます。安倍一強の「おごり」 朝日新聞以外の新聞各社、NHKや民放は、自社の独自取材に基づく限りにおいて、首相の関与が疑われるレベルの公文書の改ざんが、財務省内部で行われていたという確固たる証拠にたどり着けていませんでした。確信がないから報道しないというのも、それはそれで一つの矜持(きょうじ)だったと言えます。 朝日新聞といえば2014年に、従軍慰安婦問題に関する、捏造にも近い誤報を続けていたことが発覚し、大バッシングを受けました。当時の社長が謝罪して辞任する騒ぎになったことは、記憶にも新しいかと思います。二度とあのような事態は起こしたくない、誤報は命取りになると痛感しているはずです。 そんな慎重な体勢の中で、今回の安倍首相を相手取るスクープ記事を発表したのは、大英断だったと言えるでしょう。相当入念な取材と事前準備による確信があったと思われます。おそらく朝日新聞は、公文書記録を改ざんした物的証拠を複数手に入れ、森友問題を捜査中の大阪地検特捜部にも協力者を得て、財務省にも証言してもらえるよう根回しをしたうえで、慎重に記事にしたのではないでしょうか。 3月2日の朝日新聞のスクープにやや遅れて3月8日、今度は毎日新聞が独自取材に基づいて、森友学園に関する「別の決裁文書」にも「学園に価格提示を行う」といった文言が含まれていたことを報道しました。 さらに、3月9日には、財務省近畿財務局の担当部署で対応に当たった男性職員が神戸市の自宅で死亡していたとの報道があり、一連の問題に関連した自殺と見られて大きく騒がれました。同日、これまで国会で証言してきた財務省の元理財局長で国税庁長官の佐川宣寿氏が辞任したとの報道があり、わずか一週間で森友学園問題は大きく動き、12日の報告につながったのです。近畿財務局などが入る大阪合同庁舎第4号館。足早に入庁する人も=2018年3月12日、大阪市中央区(前川純一郎撮影) 一方で朝日新聞と『一騎打ち』となった相手、安倍首相はどうだったでしょうか。国会における自民党の絶対多数と、長期にわたる安倍一強の政権によって、あたかも独裁者のような「おごり」が、その言動から見て取れます。 例えば野党を無視するような、強行採決を繰り返す国会運営です。安倍首相には「行政府の長」のみならず、本人が口をすべらせたように「立法府の長」も兼ねているという意識があり、それがあのような独裁的な手法を取らせているのだと思われます。 また最高裁判事も総理大臣が任命する日本の議院内閣制は、もともと三権分立にはなっておらず、与党の長が立法、行政、司法を独裁する仕組みになっています。安倍政権はその権限を最大限に行使して、内閣法制局長の首をすげ替えて違憲立法を通したり、検察を手足のように動かして森友問題のキーパーソンである元学園理事長の籠池泰典氏を長期拘留したり、好き放題にしてきました。長期政権でたまった「膿」 そもそも森友学園問題とは何だったのか。それは森友学園が国有地を取得する際に、同学園が経営する「塚本幼稚園」に安倍昭恵夫人が関わっていて、安倍首相が便宜を図ったのではないか、という疑惑です。それは直接的なものであったか、間接的なもの(忖度)であったかに関わらず、首相として問題がある行為です。 ましてや問題を隠蔽(いんぺい)するために、財務省や検察に圧力をかけていたとしたら、それは「独裁者」以外の何者でもありません。私企業に便宜を図ったことよりも、それを隠蔽するために国家権力を私物化して、ウソで塗り固めようとしたことの方が、はるかに政権として危険だと思います。そのあたりが今後の国会で明らかになれば、国民の見方も変わってくるでしょう。 国会では佐川氏の証人喚問や、昭恵夫人の証人喚問が要求されるでしょう。当然それらは行われるべきだと考えます。そして、安倍首相は国会でこう明言したはずです。「(森友学園問題に)私や私の妻が関わっているようなことがあるならば、私は議員も総理も辞職します」。キッパリとした発言でした。もしかしたら、その約束を守るべき日が近づいているのかもしれない、そんな気さえしてくる最近の情勢です。 少なくとも財務省の文書書き換えに対する責任は、麻生太郎副総理兼財務大臣に押しつけることなく、安倍首相が自ら説明責任を引き受けるべきではないでしょうか。疑惑のそもそもの発端は、安倍首相自身にあるのですから。 また現在の自民党が安定多数を決めた、昨年10月の衆院選そのものも、森友問題が復活した今となっては、あらためて国民に問い直さなければならないかもしれません。なぜならば当時の国会は、森友学園問題が紛糾していて、それに対する国民の信を問う、という流れで衆議院解散となったわけです。安倍首相は自民党の総裁として「森友問題は解決済み」と断言し、それを信じた国民の票を自民党は集めました。衆院選で演説する安倍晋三首相=2017年10月、東京・秋葉原 しかし実は「森友問題は解決済みではなかった」ということになると、自民党が選挙の時に国民にした説明自体が、ウソであったということになります。「森友問題は解決済み、と信じて投票した私の票を返してくれ」と抗議されてしかるべきです。あの選挙はなんだったのか…。抗議される自民党議員も気の毒ですが、自分が安倍首相を総裁に選んだ因果です。 このように日本の民主主義の根幹に関わるレベルの、重要な問題提起が、朝日新聞の記事をきっかけになされました。マスメディアの本来の任務である「権力の見張り番」としての役割が、きちんと果たされた一例として、私たちは記憶にとどめたいと思います。 今回の森友学園問題は、氷山の一角です。これをきっかけに、長期政権の間にたまった膿(うみ)を、すべて出し尽くすべきです。マスメディアは政治を監視し、不正を白日の下にさらすことはできますが、政治を動かすことはできません。政治を動かすことができるのは、主権者である国民ひとり一人です。 私も一人の国民として、この問題がトカゲの尻尾切りでごまかされないよう、しっかりと目を見開いて今後の推移に注目し、本質を見失わないように分析を続けたいと思います。

  • Thumbnail

    テーマ

    「文春砲」が許せない

    有名人の不倫スキャンダルを数々報じた『週刊文春』が逆風に立たされている。きっかけとなったのは、音楽プロデューサー、小室哲哉の不倫報道だった。「他人の不倫を暴いて誰が得するの?」「もう廃刊しろ」。スクープ連発で話題を集めた「文春砲」はなぜ批判の的へと一変したのか。その深層を読む。

  • Thumbnail

    記事

    誰がなんと言おうと、私は「文春砲」が許せない

    舛添要一(前東京都知事) 『週刊文春』に自らの不倫疑惑を報道されたことで、「責任を取って」小室哲哉氏が音楽界からの引退を表明した。これに対して、引退を惜しむファンをはじめとして多くの人々から、文春批判の声が上がっている。会見場に入る小室哲哉氏=2018年1月19日、 エイベックスビル(撮影・佐藤雄彦) 今回の件以外にも、これまでさまざまな有名人の不倫報道が週刊誌で流されて大きな話題となり、渦中の人物が世間のバッシングにさらされ、人生を大きく狂わせられる事態が続いてきた。世の中に「魔女狩り」のような空気が漂い、閉塞(へいそく)状態になっているのは愉快な話ではない。 第一に、有名人であれ無名人であれ、不倫といったプライベートなことは、配偶者や家族との間の問題である。他人が容喙(ようかい)してとやかく言う話ではない。妻の介護を含め家庭内の事情を、他人が詮索しても意味のないことである。 不倫などというものは、人間が生物である以上、古今東西どこにでもある話である。そうでなければ、文学作品の多くは成立すらしないであろう。かつては、芸人の浮気などは「芸の肥やし」だと、当然視する風潮が支配的であった。 何人かの国会議員もこの問題で指弾されたが、かつて三木武吉は「妾(めかけ)」に関する立会演説会でのヤジに対して「実は、4人ではなく5人おるのであります」と切り返して喝采を浴びたという。また、フランスでは、ミッテラン大統領が愛人との間に生まれた娘について質問されたとき、「それがどうした」と答え、質問した記者のほうが社会から批判を浴びた。浮気や家族など私的な事項についての質問を記者がすると、「それはあなたには関係ない話だ」と逆襲されて終わるのが常であった。 しかし、日本はもちろん、「大人の国」フランスでも、もはやそのような応対が許されるような時代ではなくなっている。アメリカの悪しき影響なのか、「非寛容社会」が到来したと言ってもよい。 第二に、このような時代風潮の背景には、いつまでも続くデフレ、そして格差の拡大がある。所得が増えれば、それは自分の欲する財やサービスの購入に向かい、他人の私事を詮索するような余裕などなくなる。しかし、今や消費に向かうべき熱情は鬱積(うっせき)してしまい、そのはけ口が有名人のバッシングに向かっている。格差は、貧しい者の豊かな者に対する怨嗟(えんさ)の情を生む。 戦後の高度経済成長時代には、人々は物質的豊かさを求めて全速力で走り、他人の生きざまをコメントする暇はなかったし、仰ぎ見るのはスターダムに登っていく芸能人や野球選手などの晴れ姿であった。そういう右肩上がりの繁栄の時代は終わり、低迷する経済に対する怨念が鎌首を持ち上げてきたのである。文春記者は「日陰者」である 第三に、格の違いが整合化された時代ではなくなったという点を指摘しておきたい。野球でも、1軍と2軍、プロ野球と草野球の違いは歴然としている。繁栄の時代には、週刊誌はマスコミの中では二流であり、いわば「日陰者」の立場にあった。堅気の人間は、そこに掲載された記事など信用せず、話題に上らせることすら恥だとされた。ところが、その週刊誌記事が大マスコミ以上に世の中を動かす時代になり、全国紙もテレビもその後追いに走るという奇妙な状況になってしまった。 テレビのワイドショーは、不況で制作費が不足しているのか、週刊誌報道を元ネタにして番組を作り、不倫スキャンダルを全国に広める役回りになり下がった。世間の人も、週刊誌を買えば400円程度の出費になるが、テレビは無料である。 「日陰者」が日の当たるところに出て、大手を振って公道を歩くような時代は尋常ではない。たとえは悪いが、極道がマスコミに出て自らの仁義を開陳するようなことがあれば、それはもはや極道ではない。 その点では、不倫疑惑を報じる週刊誌などはパパラッチと同じである。大義や正義があるわけではない。読者や視聴者の好奇心を刺激して金もうけをたくらんでいるだけの話である。しかも、パパラッチ以上に始末に負えないのは、検察官であるかのように正義を振りかざし、不倫の当事者を断罪しようとすることである。 取材した記者は、実名を公開し、顔を全国にさらすわけでもない。陰に隠れて書いている。だから「日陰者」なのであり、そう言われるのが嫌ならば、正々堂々とテレビの画面に顔を出し、名を名乗ればよいだけの話である。自分が他人を断罪できるほど、品行方正な道徳人とでも思っているのであろうか。 第四は、ネット社会の到来である。みんなが元気に前を向いて進んでいた高度経済成長時代には、インターネットは存在していなかった。今のツイッターと異なり、つぶやいても周りの数人にしか届かない。むろん、発信者が誰かもすぐ分かる。会見で芸能界引退を表明した小室哲哉氏=2018年1月19日、エイベックスビル しかし、今はネット全盛時代である。匿名でツイートする個人的意見や、偏向どころか嘘の情報が大手を振って世間に流れていく。そして、その真偽も確かめられないまま、世論形成に一定の影響力を持ってくる。フェイクニュースの大御所、トランプ米大統領が「フェイクニュース大賞」を発表するという皮肉な時代である。 今回の小室報道は、「文春砲」の成功に酔いしれた週刊文春が、大衆の反発を招き、逆噴射して自らに襲いかかったものである。小室氏の引退表明がなければ、そうはならなかったかもしれないが、週刊誌の居丈高な臆測記事でひとつの才能が消されていくことに、大衆は大きな怒りを感じたのである。金もうけ目当ての、この程度の不倫記事で優秀な人材が活躍の場を失われるような非生産的なことは、「もうやめたらどうか」という思いが、世の中の主流となってきているとすれば、それは健全な流れであろう。 第五に、日本は法治国家ではなく、相変わらず「空気」に支配される国だということである。日本国憲法31条は「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めてある。姦通(かんつう)罪があった時代ならいざ知らず、小室氏とその「愛人」は刑法を犯したわけでもない。それにもかかわらず、「法律の定める手続き」ではなく、週刊誌が作り出す空気や世論によって断罪されるとすれば、日本は法治国家の資格がない。 今回の騒動が、憲法が国民に保証する基本的人権の大切さをみんなに知らせたことの意義は大きい。

  • Thumbnail

    記事

    『週刊文春』が完全に悪者扱いされるのは残念です

    佐々木博之(芸能ジャーナリスト) メディア批判というのは昔からあることです。これまで週刊誌が報じた不倫疑惑はかなりの件数になりますが、私の記憶では、今回の小室氏のように週刊誌側が非難されるケースはなかったように思います。 「なぜ他のタレントや政治家と違って今回の週刊文春の報道は批判を集めたか」といえば、端的に言うなら小室氏が引退したからです。それにより、小室氏が世間の同情を集め、かわいそうだ、となったからだと思います。  「妻はくも膜下出血で倒れた後、脳に障害が残ってしまい、その介護で大変な生活を送っている。才能が枯渇し、満足のいくような作曲ができなくなった。そういう中で、往診してくれる看護師に相談相手、話し相手になってもらっているだけ。何年も前から男性機能は働かず、肝炎を患い闘病中だった。肉体関係などあるわけがない。だけど騒動になった責任をとって、引退します」会見場に入る小室哲哉=2018年1月19日、東京(撮影・佐藤雄彦) この話が事実なら、彼を哀れまない人はまずいないでしょう。100%事実ならばですが、すべてのウラを取ることは難しいし、憔悴(しょうすい)しきった姿を見たら、「本当ですか?」と聞ける人は少ないでしょう。 「濡れ衣ではあるが、誤解されたのは不徳の致すところ。責任をとり引退します」 なんと潔い。濡れ衣を着せられ、言い訳せずに切腹したといわれている幕末の志士、田中新兵衛を思い浮かべてしまいます。実際は濡れ衣ではなかったという話もありますが、日本人はこういう話に弱いんです。 だから、「『週刊文春』はひどい! ありもしない不倫をでっち上げ、日本の音楽界に欠かすことはできない才能あふれる小室氏を引退に追い込んだ。許せない」「日本の大事なアーティストを引退に追いやった大罪は、どんな言い訳をしてもぬぐえるものではない」 などと『文春』バッシングが始まったのです。彼が引退せずに、釈明と謝罪だけならこんなことにはならなかったでしょう。 しかし、『文春』は小室氏に引退を迫ったわけじゃなく、何かペナルティーを与えたわけでもありません。不倫疑惑を報じただけです。報道によって引退に追い込まれた、という人もいるでしょうが、会見を思い出してください。 「曲作りに限界を感じた。前から引退を考えていた」と語っていました。となると、今回の報道が原因で引退するわけではないということです。 「謝罪会見のついでに…」という気持ちもあったのではないかと思いますが、彼のあざとさを指摘する声もあります。そこまでは考えたくないのですが、妻の病状、自身の病気を明らかにし、窮状を訴えた上で、潔く重罰を受けたように見せることで、同情を集め、バッシングを避けようとしたのではないか、と考える人がいるのも事実です。「文春が引退させた」に異議あり そもそも小室氏は不倫を否定したのだから、責任を取る必要もないだろうし、世間を騒がせた責任だとしても、引退までする必要はないと思うのは私だけではないでしょう。引退そのものは騒動のせいじゃないのに、世論がいつの間にか「『文春』が引退させた」と思うようになってしまったのは、納得がいきません。 また『文春』の記事には、小室氏と看護師が2人きりでお互いの家で長時間過ごしたり、腕を組んで歩いていたという描写があり、写真も撮られています。このことについては否定していないわけです。それが不倫行為、あるいは不貞を働いたといえるのか難しいところですが、たとえ肉体関係がなかったとしても、妻の留守中に自宅に女性を招き入れるというのはどうなんでしょうか。多くの女性は眉をひそめるだろうと思います。寝室で一緒に寝たとなると、「それくらいなら、許せる」という人はどれくらいいるのか。妻が正常な判断を下せない状態にあるのなら、なおのことやってはいけないことではないでしょうか。 それらも全てなかったことのように、『文春』が完全に悪者に見られているのは残念なことです。ただ、結果として小室氏の会見は大成功だったということになります。見事に不倫疑惑を払拭(ふっしょく)、世論を味方につけてしまったわけですから。これまでなされた、不倫疑惑釈明・謝罪会見のなかで、これほどうまくいった会見は記憶にありません。『文春』はまさかこんな事態になるとは考えてもいなかったでしょう。 あくまで芸能ニュースに限ってのことですが、週刊誌が不倫報道をするのは、その根底に「大衆は常に、芸能人の裏の顔を見たいと思っているはずだ」という妄想かもしれない、確信があるからです。普段テレビなどで見る姿とかけ離れた姿をとらえて報じることで、その大衆の要求に応えよう、すなわちその人たちに本を買ってもらおうという意図があるのです。普段の姿からは考えられないといえば、タレントのベッキーはその顕著な例でした。川谷絵音とのスキャンダルについての会見を終え退室するよう事務所関係者に促されるベッキー=2016年1月6日、東京(撮影・山田俊介)  あるいは、悪行とまではいかなくとも、芸能人のけしからんと思える行為を報じることによって、その芸能人が糾弾されたりすれば、極端な話、記者はまるで自分が悪を懲らしめる仕置き人にでもなったかのような「ちょっとしたヒロイズム」に浸れることがあるのも事実です。 小室氏の場合は「奥さんが大変なときに何をやっているんだ」と非難の声が上がり、「『文春』はよくやった!」となるはずだったんでしょうが、そのもくろみは見事に外れました。砲弾が逆にはね返されたという見方もできますが、とどのつまり「小室氏の方が一枚上手だった」ということじゃないでしょうか。不倫報道を続ける意義 さて、「不倫報道を週刊誌が続ける意義」についてですが、ちょっと曖昧な言い方になりますが、意義の位置づけによって異なるのではないかと思います。  結論から言えば、不倫報道は週刊誌的には意義があると思います。しかし社会的にはほぼないと思います。「ほぼ」というのは、ときどき意義がある場合もあるからです。  しかし、それを言ったら芸能ニュースなんてほとんど意義のないものばかりです。芸能ニュースではありませんが、テレビのニュースでときどき流れる、「中国の奥地で、子どもが壁の穴に首を突っ込み、抜けなくなったため、レスキュー隊が出動し、壁を壊して救出」といったたぐいのニュースも意義があるとは思えないのですが…。 だからといって、不倫報道を止めてしまえというのは賛成できません。その先に「報道の自由」が奪われてしまう危険性も感じてしまうからです  週刊誌は雑誌です。いろいろなジャンルの記事が掲載されていて、芸能記事はその一部です。芸能記事はスキャンダルばかりではありませんが、前述のように「芸能人の裏の顔」を報じたいとなれば、必然的にスキャンダルが多くなります。もちろん芸能人のスキャンダルを一切扱わない週刊誌もありますが、不倫をはじめ芸能人のスキャンダルを報道するのは、週刊誌の持つ性質上不可欠なことなのだと思います。 また、週刊誌はいわゆる商業誌です。売れなければ意味がありません。売れるためには読者が興味を持つ記事を掲載しなければなりません。三省堂書店神保町本店の雑誌売り場=2013年2月8日、東京都千代田区(山田泰弘撮影) 「不倫報道を続けることで部数を伸ばそうとしている」と指摘した方がいましたが、芸能人の不倫を報じたくらいで販売部数が極端に増え、売り上げが伸びるなんてことは、今の時代では有り得ません。確かにベッキーのときは売れたようですが、本当にまれなケースだと思います。 今、週刊誌を購入して読む人は少ないです。昔に比べたら売れなくなっています。芸能人の熱愛や不倫を報じても、それほど部数に影響しないということは、どの週刊誌も写真誌もとうの昔に気づいています。 ですから、今はどの週刊誌もウェブに活路を見いだしているわけで、そこにテレビが関わってきました。週刊誌はウェブ配信用に動画を撮影するようになり、その動画をワイドショーが買って流すようになりました。不倫報道でペナルティーを与えなければいい 今、ワイドショーが芸能スキャンダルを独自にスクープすることはほとんどありません。週刊誌報道を紹介するのみです。たまに当事者を取材するときもありますが、それも週刊誌報道が元になっているわけですから、ワイドショーが週刊誌に依存する割合はかなり大きいといえます。週刊文春に不倫疑惑を書かれたことを受けて開いた会見で芸能界引退を表明した小室哲哉=2018年1月19日、東京都(撮影・佐藤雄彦)  しかも自前で取材、撮影するよりはるかに低いコストで手間もかからずに映像を入手することができ、視聴率も上がるとなったら、こんなありがたいことはありません。週刊誌にとっても、本体が売れなくなった分をそこでカバーできているわけです。 もし、テレビが週刊誌の記事を紹介しなければどうなるでしょうか。最近の若者は芸能ニュースにそれほど興味がないし、週刊誌も読みません。ネットで芸能ニュースをチェックする年配の人も少ないと思います。となると、週刊誌の不倫報道を知るには電車の中吊り広告か新聞広告になります。報道の拡散は格段に狭くなるだろうと思います。 また、ワイドショーで芸能人の不倫疑惑が扱われるとき、コメンテーターが「不倫は当事者の問題だから他人がとやかくいうことではない」とコメントするのをよく耳にします。でしたら、最初から扱わなければいいだろうということにならないでしょうか。  話はそれますが、「不倫や浮気は犯罪じゃないんだから、そんなにたたくことはないだろう」という人もいます。その通りです。ですから、ペナルティーを与えることをやめればいい。小室氏は「引退は自分に与えた罰」みたいなことを語っていましたが、不倫したからといって、番組を降板したり、CMを中止したりするのをやめればいいんです。 考えてみてください。仮にベッキーが冷凍食品のCMに出演していたとします。彼女が不倫したからといって、それまでその食品を食べていた人が買うのをやめると思いますか? キャラクターの不倫で本当に商品のイメージダウンなどあるのでしょうか。 「テレビが不倫報道をしなくなったら日本が変わる!」なんて言っていた人がいましたが、そんな大げさなことではないでしょう。そもそも芸能人の不倫なんて、そんなに大騒ぎするほどの話ではないと思います。当事者以外には関係のないことですから、周りは1週間もたてば飽きてしまうし、その時にはまた新しい話題が出ますから。世の中、そんなものです。 テレビで不倫報道を扱わなければ、週刊誌も注目されず、大きな騒動にもならないと思います。『文春』を批判する人たちも、雑誌を買わなきゃいいし、読まなきゃいいんです。そうなって本が売れなくなったら、自然と芸能人の不倫が記事になることもなくなるでしょうね。 しかし、下世話な話に興味がある大衆がいる以上、そうなるとは思いません。バッシングを受けたくらいで『文春』は砲撃をやめることはないと思いますし、それで腰が引けてしまうほどやわじゃないです。それが週刊誌の矜持(きょうじ)だと思うのですが。

  • Thumbnail

    記事

    「不倫は社会悪」自分を良識派とみなす週刊誌と読者の薄っぺらさ

    佐伯順子(同志社大大学院教授、女性文化史研究家) 小室哲哉氏の引退会見がメディアで波紋を広げている。妻の介護に向き合う中、大人のコミュニケーションが取れる女性として担当看護師と親しくなり、これを「不倫」とする報道を受けて、引退会見へと発展した。小室氏以外にも、芸能界や政界の「不倫」報道によって売り上げ部数を伸ばした雑誌に対し、今回は逆に、報道側への批判が目立ち、編集側も想定外の逆風にとまどっているようだ。 なぜ、過去の「不倫」報道を受け入れた読者たちが、今回は一転して報道批判に回ったのか。その大きな理由の一つは、当事者が生活事情として「介護」を挙げた点にあろう。確かに、「介護」をどうするかは、現代日本において大きな社会的課題の一つである。ゆえに、会見に対する反響も、「不倫」よりもむしろ「介護」に関心が高まった傾向がみられ、私生活の背景を理解して、世間は情状酌量の余地を与えた。結婚外恋愛の報道の是非を問うよりも、介護や高次脳機能障害をめぐる議論が高まるという点で、これまでとは異なる展開をみせているのだ。 だが、ここではき違えてはいけないのは、「介護」や「障害」の有無と「不倫」の是非は、そもそも別問題であるということである。当事者が重なったために議論が錯綜(さくそう)しているが、私生活の苦労には、「介護」以外にも様々あり、「介護」や生活の苦労があるから、その癒しとしてなら「不倫」は正当化できるという風潮が生まれてしまうとしたら、明らかに間違っている。すべての既婚介護者が、それを理由に不倫をしているわけではないし、不倫どころか余暇の余裕もなしに介護に努めている女性、男性も少なくないのだ。 ただし、会見の締めくくり「なにか響けばいいな」に象徴されるように、彼の発言に社会的意義があるとすれば、彼が男性介護者であること、そしてその当事者の立場から、自身の介護体験を公的に赤裸々に語ったことである。その素直さは、少なからぬ男性が妻などの女性に介護を丸投げしがちな現状にあって、実にあっぱれである。記者会見で引退を表明し、涙を拭う小室哲哉さん=2018年1月、東京都港区 介護やケア役割は、日本の現状において、嫁や娘という女性に任せられがちであり、男性介護の当事者の「声」を幅広く共有できる機会は少ないだけに、大きな社会的意義がある。介護が女性役割とみなされがちなことは、それ自体も問題だが、男性にとってもまた問題であり、現状少数派の男性介護者は、気のおけない男同士で相談することもできず、孤立しがちである。 しかも、一部の医療従事者や薄情なタイプの家族であれば、「介護は苦労だし、本人も、心身が不自由で生きているくらいなら死んだほうがましですよね」という判断を下す危険性さえあるので、〈介護する/される〉〈ケアする/される〉行為の尊厳、そこから初めて見いだされる家族、あるいは人間同士の絆(まさに小室氏のいう「無償の愛」)の尊さをふみにじる例もある。小室氏が見いだした人間の絆 「女の子」のようになった妻に、むしろこれまでにない愛を見いだしたという小室氏は、家族のケア役割を担うことでしかわからない人間の絆を見いだしたのであるが、その思いを共有できる男性の友人を探すのは難しかった可能性が高い。 だからこそ、小室氏は、ケア自体を職掌とする女性看護師と思いを共有できたのであろうし、それが妻への思いとは別の精神的絆になったということは、他人の痛みに敏感な人間なら、十分理解できるはずである。 音楽という芸術活動の一部に関わってきた感受性の高い小室氏だからこそ、会見の中でその思いを、音楽ではないが、せめて言葉で表現したいという欲求にかられたのであろう。 昨今の地域社会には、高次脳機能障害の家族の交流機会や公的支援もあるが、職場と自宅との往復で、地域社会に溶け込む傾向も薄い(多くの)男性は、地域コミュニティーで悩みを共有するという解決手段を求めにくい。このため、仕事の忙しさを口実に家族のケアを怠り、それゆえに家族間の絆も薄れ、介護される側の命の尊厳を軽視する男性もままあるわけだ。 だが、小室氏が男性介護者としての役割を引き受け続けているのは、彼が仕事との両立の困難を口にしながらも、いわゆる自由業であり、日本社会の主流的ジェンダー観や組織的働き方から、比較的距離を置くことができる柔軟な立場にあったからであろう。音楽活動に取り組む小室哲哉氏 京都大のジェンダー研究者のグループで、まだ若い女性研究者が「乳母車を押すかわりに母の車椅子を押す人生でもいい」とつぶやいたので、感銘を受けた覚えがあるが、実際、赤子か老人かで体の大きさに違いがあるものの、自分で何もできず、心が子供のようになった身内をケアする営みは子育てに似ている。 子供の成長がうれしいように、心身が衰えた家族が、リハビリで文字通り一歩ずつでもよくなる姿を目にするのは、家族としてかけがえのない喜びである。高次脳機能障害の母を7年近く介護してきた筆者自身、そうなって初めてわかる人間の絆を切実に理解できる。 だが、このせちがらい世の中、介護を単純に負担としか考えない論調や、寝たきりでは生きている甲斐がないと決めつける、命の尊厳に対するきわめて薄っぺらい理解しかない浅はかな医療従事者(こうした発想は、根底では、障害者施設での殺人にも通じる、命に優劣をつける極めて危険な思想であり、偶然にも、期を一にして議論されている、強制不妊手術にも通じる問題である)も存在するので、小室氏の発言はその意味でも、介護という行為自体の尊厳を男性の側から世に問う重要なメッセージ性があったといえる。 会見からは、妻が音楽への興味を失ったことが小室氏にとっての失意をもたらしたことも伝わってきたが、音楽活動を共有してきた「同志」としての、結婚以前からのKEIKOさんとの関係の尊重は、妻の「価値」を家事・育児分担者としてしか認めない傾向が強い日本の(少なからぬ)夫たちの結婚観に比べれば、ジェンダー平等の観点からも、評価できる見解といえる。彼の発言から、妻の認知機能の低下により家事をしてくれなくなったから、「不倫」に走ったという実利的見解は、一切聞かれなかったのである。事例による報道の妥当性 さらに、「不倫」報道についていえば、倫理に反するとされる人間の行為には、殺人、窃盗など、姦通以外にも生死に関わる多くの犯罪、凶悪行為がある中、セクシュアリティに関わる結婚外恋愛のみが、「倫理にあらざること」=「不倫」とされるのは、立ち止まって考えればかなり極端な表現といえる。 江戸以前には不義密通と呼ばれていた姦通が、「不倫」と呼ばれるようになったのは、明治の「文明開化」期に、キリスト者や文明開化論者によって、一婦一夫が「人倫」の根本であると説かれたからであり、歴史的には決して古い言葉ではない。しかし、この表現に引きずられ、日本のメディアや世論がことさら強く「不倫」を非道徳的と認識している傾向は否めない。 歴史に照らせば、江戸時代以前の大名に側室がいたのは周知であり、経済的に余裕がある男性が妾を囲う現象は、明治期の尾崎紅葉の新聞連載小説『三人妻』、宮尾登美子の『櫂』、円地文子の『女坂』など、一夫一婦制が提唱された近代以降も描かれ続けている。 これらの事例で描かれる夫たちは、当然のごとく配偶者以外の女性と関係しており、一方で妻たちは耐える立場においやられているので、「不倫」に対する批判的報道は、こうした性についての二重基準を是正し、男女ともに配偶者に忠実であるべきという共通認識を提示する上では、一定の意義があると思われる。 ただし、私生活に過剰に介入する報道も、問題含みであることは確かである。夫婦関係に限らず、日本社会では戸籍が社会生活において重要な役割を果たしており、入籍=夫婦という枠組みが強固であるため、欧州のように、事実婚の出産に対しても寛容という世相にはない。 ゆえに、戸籍上の夫婦関係に対する背信行為については、メディアも一般市民も、必要以上に神経質になる傾向があり、情報の送り手も受け手も、自分たちの品行は差し置いて、「『不倫』は社会悪ですよね」と確認し、自分たちは「良識派」とみなして自己満足する、メディアと読者の共謀による「偽善の共同体」が形成されてしまいがちなのではないか。 振り返れば90年代には、『マディソン郡の橋』や『失楽園』のヒットで、逆に、不倫=純愛であるかのような風潮が蔓延したことがあった。こうした、「不倫」の過剰な美化については賛成できかねるし、配偶者への背信は、決して奨励されるべき行為ではない。愛人との旅行に公費が使われるような危険性に対しては、メディアは糾弾するのが妥当であるし、公人であれば私生活にわたる報道も覚悟せねばならない。 だが、過剰に私生活に干渉する報道もまた適切ではないので、事例によって報道の妥当性を、個別、慎重に見極める姿勢がメディアには求められる。 小室氏の例では、公費横領などの社会的不善を犯したわけではないので、当事者の小室氏自身は、男性介護者としての責務(女性なら多くの場合当然のように引き受けてきた任務)を粛々とまっとうされ、メディアもこれ以上騒がないことが、報道する側、される側、双方にとっての「人としての道」であると思われる。

  • Thumbnail

    記事

    芸能ゴシップ好き日本人にみる「文春逆炎上」の正体

    の声も少なからずあり、これはそれまでの文春砲の対象に向けられる視線と遜色ない。 私自身は、これまで別メディアで小室氏自身の心理にも言及してきたが、加えてお相手とされる看護師の女性には苦言を呈したい。看護師や、われわれのような臨床心理士もそうだが、医療や相談、カウンセリングに関わる対人援助職の多くは、患者やクライアントが悩みや不安を抱えたり、心身が弱っているときに仕事を通して接することがほとんどである。 そのような関係性の中では、患者からの好意を持たれやすいことはプロフェッショナルならば誰もが認識しているはずだ。そこには一線を引いて対応しなければならないというのは基本中の基本であり、常に留意しておかなければいけないところでもある。 もちろん、プライベートな関係性につながる人と人との出会いにもなりうることは否定しない。しかし、もし仮に看護師自身が患者に好意を抱いてしまったならば、担当を外れることが定石であり、それができなかった彼女は「プロ失格」と言われても反論の余地はないであろう。小室哲哉が「大好き」な日本人 少し話はそれたが、今回なぜ小室氏に対する批判が少なく、結果的に文春に対する風当たりが強くなったのか、それは日本国民における小室氏の存在の大きさに起因していることに他ならない。 小室哲哉氏はいうまでもなく1990年代にJ-POPを牽引(けんいん)した音楽プロデューサーであり、空前のヒットを生んだTRF、安室奈美恵、華原朋美、鈴木あみ、篠原涼子、globe、H jungle with tらを手がけ、間違いなく時代を体現する存在であった。関連CDの総売り上げは1億7000万枚以上を記録し、1996年にはオリコンシングルチャートのトップ5を独占したこともあった。 つまり、それだけ日本人は小室氏が「大好き」なのである。年代の差はあれど、生み出した曲の知名度や手がけた有名アーティストの人数からしても存在は絶大であり、他の文春砲をくらった芸能人・有名人とは、支持者の多さからみても格が違うともいえる。また、一般的な心理的傾向として過去の思い出は実態以上に美化される傾向があり、今回の件を通じて改めてノスタルジーに浸った日本人も多いはずだ。1996年11月、小室哲哉がプロデュースしたglobe、安室奈美恵の小室ファミリーが集結し、ライブを行った 米国の心理学者であるレオン・フェスティンガーが提唱した「認知的不協和」という概念がある。これは、人が矛盾する認知(考え方)を同時に抱えた状態を指すが、そもそも人は誰しも言動の整合性を保とうとする心性があり、矛盾や葛藤を抱えた状態はストレスにつながる。要するに、自己が一貫性を維持できていない状態は非常に「気持ちが悪い」のだ。 前述のように、小室氏を「大好き」な日本人が「小室氏の不倫」という嫌悪し攻撃に値するネガティブな事柄に向き合ったらどうなるか。「大好きな人を批判し攻撃する」というのは基本的に矛盾した言動である。たとえそれが自分の地位を相対的に高めるものだったとしても、潜在的にモヤモヤするのが普通なのである。 今回の場合、そのような認知的不協和を解消する方法は二つある。まず一つは、矛盾する二つの考えや行動のどちらかを変えることだ。つまり「小室氏を嫌いになって批判する」か、「小室氏を好きなまま批判しないことにする」のどちらかになることだ。前者の場合は、「嫌いな人を批判する」となり矛盾はなくなり、後者の場合も「好きな人を批判しない」となりモヤモヤすることはない。だが、小室氏は、前者を選ぶには世間にとって偉大すぎる存在なのだろう。今回の「文春逆炎上」の正体 もう一つは、「大好き」と「批判したい」という二つの矛盾する認知を両立することであり、これが今回の「文春逆炎上」の正体である。すなわち、「小室氏に対して好意的な感情を持ったまま、批判する感情は表出したい」、その気持ちの行き着く先が文春砲だったのだ。そして、介護に疲れた同情すべき、「大好き」な小室氏の助け舟にもなりうる批判を、憎むべき文春に向ける、という個人の一貫性・整合性を保った心理的ストーリーが完成したのである。 過去に文春砲にさらされたロックバンド、ゲスの極み乙女。のボーカル、川谷絵音氏は、この機に際してツイッターで「病的なのは週刊誌でもメディアでもない。紛れも無い世間」と投稿している。これが小室氏の騒動に関連したものだとすれば、「音楽業界の偉大な先人である小室氏は批判したくない、でも文春を攻撃するのは過去の自分を正当化しているとも取られかねない」という葛藤した心理が働いた末、第3の攻撃対象を見いだしたのかもしれない。2017年5月、約5カ月ぶりに活動を再開して行った復活ライブを終え、マスクをして会場を後にするゲスの極み乙女。の川谷絵音(撮影・早坂洋祐) またタレントのヒロミ氏も、フジテレビの番組内で「文春が悪いとは思わない」としたうえで、「世の中がスポンサーに言うとかして、(スキャンダルを報じられた芸能人が)テレビに出づらくなくなる。世の中の人たちでしょ、そうやって葬り去ってるのは」と言及しており、小室氏も文春も批判したくない矛盾した心理をこの発言で解消しているようにも見受けられる。 一部には「不倫報道にはもう飽きた」という声があるものの、文春砲に対する批判は小室氏に特異的なものであり、継続的な影響は限定的であると考えるのが自然だ。次の不倫報道が出た際には、これまで通り批判しやすい炎上芸能人・有名人が現れてくることだろう。また仮に、多少矛先がそれたとしても、どこかの誰かに対する批判は永遠になくならない、ということは明らかなことである。そうして人は一定程度の健全な自己を保っていくものなのだ。 しかし一時的であるにせよ、プライベートの報道のあり方や倫理観に一石を投じた小室氏の会見やその存在は、一つの問題提起として意義のあるものであった。また、先の見えない高次脳機能障害の家族に対する介護の現実や大変さについて身をもって世の中に伝えたことは、同じく壮絶な介護を過去に経験したり、そのただ中にいる人たちの思いを世間に代弁することにもなりうるという意味で、介護者として生きていくことを決めた彼の新たな功績と位置付けられるべきではないだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    なぜ週刊文春はLINEと組んだのか?

    スマホやタブレットでニュースを見る割合が格段に増え、スマホで見ることを前提にしたITベンチャー系新興メディアによるニュースアプリが相次いで登場、若者層の支持を得て急成長している。しかし、玉石混淆とも言えるニュースアプリが乱立する中で、ニュースを見る読者の目も肥えてきている。「質」が伴わないとアクセスは稼げなくなることは必定で、いかに他社にない独自性を出すかにかかっている。 「経済情報で、世界を変える」という目標を掲げて15年4月にスタートしたソーシャル機能を兼ね備えた、経済ニュースプラットフォームのニューズピックス「NewsPicks」。梅田優祐社長は「現在、会員ユーザー数(有料と無料の合計)は約200万人(昨年12月末)、その中で約3万人が有料課金ユーザー。1、2年後にはこの有料ユーザーを10万人に増やしたい」と強気の見通し。コンテンツについては「広告モデルのニュースサイトである限りは広告を意識せざるを得ないから、ジャーナリズムは成り立たない。広告やPVに左右されない有料コンテンツ(1日10本程度)の配信を重視していきたい」と話す。 同社は約90以上の国内外の経済メディアなどからの記事の提供を受けると同時に、東洋経済新報社出身の編集長を起用するなど編集スタッフを充実させている。これを生かして「NewsPicks」編集部が独自に取材する旬のトピックスなどの記事も配信、記事に対してその分野に詳しいユーザーがコメントを掲載する。また月曜日の朝に6回続きの話題のテーマや人物についての連載記事の予告を流す。ここまでは無料で読めるが、本編は有料。予告を流すことで有料購読を促す仕掛けだ。本編は昼休み時と帰宅後に読む時間がある9時ごろの時間帯に流す。ソフトバンクの孫正義氏がクローズアップされると、すぐに専門のライターに孫氏にフォーカスした長文の読み応えのある記事を書かせるなど、タイミングを逃さない。記事、図表、写真のスタイル、デザインはスマホの画面で見やすいように加工している。購読料は月額1500円(税込み)。購読を決めるスマホの手続きは1回か2回クリックするだけで完了、新聞社系サイトと比べると煩わしさがない。LINE株式会社のオフィスにある「LINE」のロゴ=東京都新宿区 LINEは、150社のメディアからニュースの提供を受け、「プッシュ型」で広告モデルを中心にラインニュース「LINE NEWS」を提供している。SNSブームを背景に「LINE NEWS」を見るアクティブユーザー数が10歳代から40歳代を中心に、月間利用者数が4600万人(昨年12月末)と急激に伸びている。 「やさしいニュース」というコンセプトの無料ニュースサイトだが、昨年12月に「週刊文春」と提携、今年1月から「文春砲」と呼ばれる特ダネを「文春」発売日の朝7時にLINEの有料サイトにアップするサービスを始めた。「文春砲」は昨年、芸能ニュースのスクープだけでなく、甘利明・前経済再生担当相や舛添要一・前東京都知事の「首」を取るなど、マスコミ界を揺るがせる報道ぶりが光った。LINEにとってはスクープ記事でサイトへのアクセス数が稼げ、「文春」はLINEのサイトに先行させて話題作りができる。週刊誌とSNSサイトの共同作戦といえる。 12年にスタートしたスマートニュース「SmartNews」は新聞、通信、雑誌など2000以上からニュース提供を受けているニュースアプリ。高速でカテゴリーごとの表示ができるなどスマホでの使い勝手の良さから、幅広く読者層を増やしている。広告モデルを展開、記事の提供先に読者を誘導し、広告収入をスマートニュースと提供先が分け合う形だ。スタッフに編集経験者は少ない。何千という記事の中からAI(人工知能)も使った機械がプログラムで記事を選ぶ仕組みだ。新谷学編集長に聞いた 松岡洋平マーケティング・ディレクターは「大量で多様な記事の中から人間が記事を選ぶ時間はない。有料無料を問わず、『よりたくさんの記事の中から、読者の反応などを見ながら機械が選んだ』記事を求める読者も多い。ニュースの見方もいろいろあり、スマホを使って短時間で心地よく見たいというニーズに答え、読者をさらに増やしたい」と話す。ITを使うことで、同じような内容に記事がダブった形でアップされることを防ぐことができるという。社員の6割以上がITエンジニアで、まさにエンジニアによって作られるニュースアプリだ。しかし、人権、差別問題と言った編集上の微妙な判断が求められる記事をAIが判断するのは難しい。大量の記事を機械がさばきながら、編集の質をいかに確保するかが、ここでも問われている。 ニュースサイトがどれくらい見られているかを示す数字として、ページビュー(PV)やアクセス数がよく使われる。しかし、実際に利用者が閲覧する回数よりも多めに表示されることも多く、注意する必要がある。PVの計算方法は、同じ人が10回閲覧しても、10人が1回ずつ閲覧してもページビューが10増えたように表示される。一方で、ユーザーが同一人物の場合には複数回閲覧しても1として数える手法もあり、ユニークユーザー数とも呼ばれる。LINEが言う月間アクティブユーザー数というのは、1カ月の期間内で同じ人が複数回アクセスしても1として数えるユニークユーザー方式で、「アクティブ」と付くのは、1カ月に1回以上利用していれば「アクティブに利用しているユーザー」とみなすという意味だ。 その場合でも、職場のパソコンでニュースを読んで、帰宅してから自宅のパソコンで同じニュースの続きを読んだ場合は、読んだ人間は同じでもアクセス数は2回にカウントされる。読む人は同じでも、パソコンやタブレット、スマホなど異なる端末からアクセスできる時代になっているため、厳密な意味での別人が何回アクセスしたかを調べるのは難しい。 また、検索エンジンが各サイトを巡回する際の機械的なアクセスや、ニュースアプリから自動的にコンテンツを拾ってきて何らかの処理をする人工知能のようなプログラムなども1人としてユーザー数に含まれる。このような、人間の代わりに自律的に動いてくれるプログラムを一般的にbot(ボット)と呼ぶ。有料サイトであれば契約数という確実な指標があるが、無料サイトの場合、botと人間を区別することが難しいため、正確な利用者数を把握するのは難しいのが現状だ。このため、月間アクティブユーザー数はサイトの規模を表す一定の指標にはなるが、算出方法の厳密な決まりがあるわけでなく、サイトによって計算方法がまちまちなことが多い。悪質な業者は、botを使って自社サイトの閲覧数を水増しすることで広告料を稼いでいる例もあるようだ。『週刊文春』 ニュースサイト間の競争がし烈になる中で、LINEとの提携に踏み切った「週刊文春」の新谷学編集長(52歳)にその狙いについてインタビューした。Q 「週刊文春」がネット(LINE)にスクープ記事を提供する理由はA 新谷編集長 昨年はスクープが多く出たので「週刊文春」は前年比較で10%伸びたが、私が編集長になった12年からみると、徐々に減ってきている。これまで予告記事はヤフーなどの無料サイトに提供してきたが、「文春」ブランドに注目が集まる中、新たな読者を増やしたいので、有料でスクープ記事を全文提供することにした。新規読者の開拓にはデジタルが最も有効だと考えた。Q LINEと提携した理由はA 提携先をどこにするかヤフーとLINEの両社と協議した。最終的にはLINEの方が「熱意」が感じられ、決断が速かった。20歳代から40歳代の女性が多いLINEの読者層はマーケットとしても魅力的だった。Q 有料で提供する狙いはA 無料のニュースコンテンツからは良質な記事は生まれない。いままでは、ヤフーなどプラットフォーマーがコンテンツを提供する側よりも力関係が上だったが、良いコンテンツを作れば向こうから「お金を払ってもいいから掲載させてほしい」と言って来るはず。これからは良質なコンテンツを武器にプラットフォーマーとの関係を正常化させたい。そうすれば取材費、人件費をかけたクオリティの高いコンテンツを提供し続けることができる。Q  LINEで見る料金を1回240円にした根拠はA 雑誌の価格が400円で、ネットの場合は印刷代や紙代が掛からないこと、特集しか読めないことなどを考えて決めた。コンテンツビジネスにおいては適正な価格設定が重要だ。Q 文春は自社のサイト「文春オンライン」を立ち上げたそうだがA 1月25日に開設した。当初は「月刊文藝春秋」「週刊文春」などのコンテンツの一部を無料で掲載するが、近い将来は課金ができるサイトを目指すべきだ。なかにし・とおる  経済ジャーナリスト  1948年岡山県生まれ。1972年共同通信社に入社、経済分野を取材し編集委員などを経て2010年に退職し、現在は経済ジャーナリスト。【訂正】BuzzFeed Japanに関する記事および、古田大輔・創刊編集長へのインタビューにつきまして、多数の間違いがありましたので、当該カ所につきまして、削除させていただきます。