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    なぜ小室圭さんバッシングは止まないのか

    秋篠宮家の長女、眞子さまとの結婚が延期となった小室圭さんをめぐり、週刊誌のバッシングが止まない。実家の金銭トラブルに端を発した一連の報道に小室さんは沈黙を続けるが、留学で渡米した後もその過熱ぶりが変わらないのはなぜか。

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    「歌舞伎町の王子」と重なる小室圭さんの複雑なプライド

    鈴木涼美(社会学者) 「愛なんて美しくなくていい 怖いくらいでもいい」という歌詞をメロディに乗せたのは小室哲哉だが、それにしても日本中がお祝いムードに包まれた婚約報道から、婚約者に関する一連の報道を経て眞子さまが今感じている怖さはどれくらいのものだろうか。 そう言えば最近、高橋一生がミステリアスな彼氏を演じるサスペンス映画が公開されていたが、その映画を上回る勢いで「知り尽くしていたはずの愛する人の素性」が週刊誌をにぎわせた。 眞子さまの心中は私ごときが察せるものではないが、一方で良き大学を出て良き銀行をすぐやめて良き大学院に入り、念願の国際弁護士を目指す米国留学をスタートさせた元「海の王子」の方は、自信と誇りに満ちたエリートへの階段を意気揚々と登っているように見える。 昨年婚約が発表されたとはいえ、週刊誌報道の後に不自然に延期されており、彼はまだ正式な皇室の関係者ですらないような気もするが、元「海の王子」であることは間違いないので、待遇がさながらプリンス並でも当然なのだろう。 いくつかの報道では、彼らの結婚は暗礁に乗り上げてしまったような印象を受けるが、少なくとも彼のこれまでの振る舞いや雰囲気、行動を見ると、その理不尽のようにも思える延期発表や、週刊誌によって一方的につけられる悪印象について必死に抗おうというような態度は見受けられない。 そもそも週刊誌には彼の母親の元婚約者であり、彼の留学資金などを用立てたA氏の声が登場するが、それに対する公の場での反論すら発していない。 母親がどんなつもりでA氏から現金を受け取ったのか、といったことは各自の妄想の域を出ないが、そんな家庭の事情があったとしても、愛する女との結婚に向けて、弁解したり謝ったりしてでも守り抜く、という気概が彼から全然感じられないのだ。 私は正直、母親が「裏ッピキ」(夜の商売をする女の間で、客から直接金銭を受け取る行為を呼ぶ)の天才だったとか、そんな話はどうでもよくて、延期をすんなり受け入れるような、その辺りに彼の不気味さを感じる。米国に出発する小室圭さん(中央)=2018年8月7日、成田空港 本当に眞子さまとの「恋愛結婚」を遂行したいのであれば、公の場で母親をフォローするでもいいし、和泉元彌のように母親の呪縛を振り切ったっていいような気もするのだが、お付きの人などをつけて胸を張って米国のロースクールに通学する様子は、それなりの希望を叶えたというような印象まで醸し出す。 父親を亡くし、低収入の母と2人、時には第三者の助けを借りながらも力強く生きてきた彼のような人を、奮い立たせるものはなんだろうか。決して恵まれた状況にいなくとも、優秀さと気高さを放棄せずに、いかにも恵まれた状況の人が歩むような道を歩むというのは並大抵の覚悟ではできない。「歌舞伎町の王子」 彼とはまた全然関係のない話だが、シングルマザーの元で経済的な苦労をして育った男というのは、夜の世界では毎日のように出会う。彼らの多くは恵まれた状況の人が歩むような道とはまた別の、恵まれた状況にいないからこそ飛び込みやすい世界でやはり巨万の富を得ようとする。 彼らの行いは、ごく一般的に恵まれた、あるいはとても贅沢(ぜいたく)で恵まれた状況にいる私たちから見ると、時に想像を絶するほど卑(いや)しく、非人道的で、酷い。自分の親や相手の親まで巻き込んで女を信じさせ、金銭を奪い、目的が達成されればゴミのように捨てたりもする。 信じやすいような女を見抜き、平気で嘘をつき、弱みにつけ込んで、働きづめにさせて、何百万、何千万円を一人から搾り取ったりもする。別に、彼らは悪人ではない。 昼間のエリートの世界で出会う男たちの何倍も家族思いで、稼げば稼いだ分だけ母親に送金し、初めて売上が100万円を超えた月など、稼ぎのほぼ全てを親に渡すような男は想像の数倍多い。少なくとも私が大学や新聞社で出会った男たちで、母親に毎月現金を送るような男はほとんどいなかった。 別にホストにマザコンが多い、という話ではなく、ある側面から見れば残虐なほど道徳に反した彼らにも、彼らなりの正義とプライドがあるという話である。 そしてその正義は、彼らではない私たちの想像しづらいところにある。それは母親に送る金額を絶対に一度も下げないというようなこともあれば、売上ナンバーワンの写真が載った情報誌を実家に送る、というような場合もある。 米ロースクールで学び出した海の王子と、歌舞伎町の王子たちを並べるのは不毛で失礼だが、私はこの騒動を見て、彼は「歌舞伎町の王子」と同じくらい、あるいはそれ以上の複雑な正義とプライドとともに生きている可能性は大いにあり得ると感じている。 そしてその場合、その正義は私たち大衆が簡単に想像し得るものではない。関係者の紹介でも名家とのお見合いでもない、民間人との「完全な恋愛結婚」であることに不安を感じる宮内庁関係者もいると報じられるが、「完全な恋愛結婚」であることよりも、「完全な恋愛結婚」ではなかった場合の方がゾッとする。 神奈川県藤沢市の観光をPRする「湘南江ノ島海の王子」として活動していた当時の小室圭さん=2010年撮影(提供写真) もし、彼の正義が、愛する女と一緒になることや彼女を守り抜くことを第一の目標としない場合には、儀式延期が決まりVIPとして米国留学をするこの状況は必ずしも彼にとって不都合ではない。米国での彼の様子を伝える週刊誌報道はいかにもそんな想像をかき立てるように綴られている。 ただし、人間は複雑であるが、それほど明確ではないのもまた事実で、平気で嘘をつき、いいように働かせ、金を搾り取った後に、その相手の女を妻として迎え、幸福になったような夜の事例も実はごまんと転がっている。 冒頭で触れた高橋一生のドラマの予告編はこんなコピーで締めくくられる。「愛さえも嘘ですか?」。おそらく国民が案じる2人の今後は、このような問いにかかっている。

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    小室圭さんへの反発は「民主化した天皇制」の象徴かもしれない

    、近衛家へ養子)と1966年に結婚する。近衛氏は日本赤十字社社員として報道されつつ、婚約内定時のマスメディアでは細川家や近衛家の話題も伝えられ、やはりその家柄が強調されている。 その後、崇仁親王の次女、容子(まさこ)内親王は1983年、裏千家15代家元、千宗室氏の長男、千宗之氏(現16代家元)と結婚する。千家は元華族ではないものの、結婚時の報道では「古式ゆかしい」婚姻の形式が強調されており、その家柄が古くから続く伝統的な家であることを印象づけるものとなっている。2018年6月、小山実稚恵さんのコンサートを鑑賞に訪れた黒田慶樹さんと清子さん夫妻 そうした流れに変化を見せたのが、2005年、明仁天皇の長女、紀宮清子内親王の結婚である。婚約内定の相手として報道されたのが、東京都職員の黒田慶樹(よしき)氏であった。 黒田家は親戚(しんせき)筋に元華族・皇族につながる人がいたが、元華族ではない。そうした意味で、同じ内廷の女性皇族の結婚の前例である昭和天皇の娘たちとは異なる。皇族の「恋愛結婚」とは こうした状況から、例えば週刊誌『AERA』2004年11月29日号は「ブランド婚より『わたし流』 紀宮さまの夫選び」とのタイトルを付した記事を掲載し、これまでのように家柄を重視したものではなく、あくまで紀宮が自分の意思で相手を決めた結婚だと捉えられた。 とはいえ、黒田氏は礼宮(後の秋篠宮)文仁親王とは初等科時代からの学友であり、高等科や大学時代は部活やサークルでも同じで、卒業後も交流があった。その意味では、家柄とは言えないまでも、皇族との関係性をすでに有する人物との結婚だとイメージされた。またこれまでも、池田隆政氏や島津久永氏、近衛忠煇氏が学習院出身で、黒田氏も同様であったことから、そうした連なりを意識されたのではないだろうか。 その後、2014年には、高円宮憲仁親王の次女、典子女王が第84代出雲国造(いずもこくそう)で出雲大社宮司の千家尊祐(たかまさ)氏の長男、千家国麿氏と結婚する。出雲大社の宮司を務め、戦前は華族の一員であった千家氏との結婚も、家柄をイメージさせたのではないだろうか。 ここまでくると、秋篠宮文仁親王の長女、眞子内親王の相手である小室圭さんは、これまでの女性皇族の結婚相手の傾向とは異なることが分かる。亡くなった父親は横浜市役所に勤務しており、元華族ではなかった。小室さん自身、眞子内親王と同じように国際基督教大学(ICU)を卒業するなど、学習院つながりで皇族との関係性を有していたわけでもなかった。 これまで私たちは、「恋愛結婚」と言っても、皇族の女性たちのそれは普通の「恋愛」ではなく、家柄など限定された中でのものと意識していたのではないだろうか。戦前とは異なり、戦後は決められたその人とそのまま結婚するのではない、そうした点で天皇制は「民主化」された。2018年2月、延期発表から一夜明け、自宅マンションを出る小室圭さん。心境を尋ねる質問には応じず、タクシーに乗り込んだ そうした思考から「恋愛結婚」であると強調されたのである。しかしその「恋愛」とは、世間のそれとは異なるものであった。あくまで限られた家柄の中での選択とみられていたのである。 ところが、今回の眞子内親王と小室圭さんの場合は異なった。限定された家柄・範囲の中から小室さんが選ばれたわけではなかったのである。小室さんという、今までとは異なる人物の登場であるがゆえに、報道の当初、皇室がより近くなったことを歓迎する声が多数聞かれた。 しかし、それゆえに反発する人々も現れ、現在のような状況となったのではないだろうか。それは「象徴」とは何かを考える違いに起因しているようにも思われるのである。

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    「池上彰MeToo炎上」専門家は使い捨て、テレビの軽さに潜むリスク

    ーバーで政治活動家のKAZUYA氏によれば「謎のMeToo(ミートゥー)運動」が発生した。 池上氏はメディアの取材に対し、「特定の先生が言ったことを自分の意見として言うことはありえない」と全面否定したという。 実は、筆者も2012年初頭、池上氏がメーンキャスターを務めた番組に関わったことがある。そのときの不満も、当時の筆者のツイッターに記録されている。いわば「プレ池上番組MeToo」といえる一人だ。 ただ、八幡氏や他の識者たちの経験とはかなり異なる。そのときの経緯をざっとまとめると、次のようになる。 番組では東日本大震災の復興需要や欧州の経済危機など、当時の経済問題が話題になった。特に復興需要関連のパートで、番組制作の助言者となった。ただし、筆者のクレジットを表記しないということは、制作スタッフから事前に告げられていた。2015年10月、著書『池上彰のそこが知りたい!ロシア』刊行イベントを行った池上彰氏 助言者を引き受けた筆者は、台本を事前に受け取り、それをチェックしていくのだが、残念なことにスタッフの経済に関する知識にひどい偏りがあった。これが大きな摩擦となった。そこで、スタッフと話し合いの機会を設け、筆者の不満をぶつけた上で、このままでは番組の助言者を降りるということを告げた。専門知は「使い捨てツール」 ただ、話し合いのおかげでスタッフとの考えの齟齬(そご)がかなり埋まり、筆者は番組への助言を続けることにした。結果として、復興需要関連で、緊縮財政批判や積極財政や金融緩和の話を番組の中に盛り込むことにつながった。 当時の日本は民主党政権の下で、アベノミクスの「ア」の字の可能性もなく、デフレは深まっていった。しかも、政策の関心といえば、復興増税、そして消費増税という緊縮政策ばかりだった。 この中で、リフレ的な主張を、人気のある池上氏の番組で放送できることは、筆者のクレジットや報酬を度外視しても最優先で行う必要があるように思えた。結果、放送された番組は、制作スタッフとの齟齬を乗り越えた、それなりにましな内容になったと思う。 ただ、後から考えても、この番組の制作スタッフの専門的な知識に対する軽い扱いは、後々も嫌な思いとして残った。筆者が強く主張しなければ、いったいどんな番組になってしまったのだろうか。 今回の池上番組MeToo運動においても、識者たちが自分たちの専門的知見を都合のいいように番組スタッフに利用されているという強い批判は、このときに筆者が感じた番組スタッフの「軽さ」につながるものだろう。 その後、筆者は扱いにくいと思われたのか、この番組とはそれっきりである。ただこの前後で、筆者と似た主張を持つ経済学者やエコノミストたちにも、別の放送内容について依頼がなされていたという。そして、そのたびに何か摩擦めいたことを起こしたとも聞く。さらにここが肝心だが、それ1回きりの付き合いが定番のようである。2016年7月、テレビ東京系「池上彰の参院選ライブ」に出演するジャーナリストの池上彰氏(中央)ら つまり、われわれ専門家はただの「使い捨てツール」でしかない。まさに、専門知を軽んじる態度である。 嘉悦大教授の高橋洋一氏は、池上氏の番組の問題について、専門家の知見を利用した旨のクレジットを入れることを提案している。それはある意味正しいだろう。クレジットじゃ済まないテレビの「実態」 ただ、以前、池上氏の番組とは別のワイドショーに出演したとき、事前の確認なくスタジオに流された映像資料に「田中秀臣氏による」というクレジットが出された。ところが、筆者はそんなことに全く関与していなかった。たまたまスタジオにいたので、その場で「僕が調べたのではなく、番組のスタッフが調べたもの」と急ぎ訂正したことがある。 これは恐ろしいことだな、と思った。自分の関与していないものにクレジットを付されて、それが広範囲に放送されてしまう。その場で訂正できたからいいようなものを、これができなかったらどんなことになっていただろうか。 だから、クレジットをつけることも一案だが、筆者のようなケースもあることは注意を促したい。つまりは、テレビの番組制作において、現場ベースではかなりずさんな実態があるのではないか。 例えば、今回の運動も、番組スタッフだけではなく、番組の中心である池上氏本人がスタッフや専門家とともに一緒に議論する時間を設けたら違う展開にもなるだろう。また助言を求める専門家を使い捨てのように毎回代えるのではなく、長期的な助言者として参画させるのも一案ではないか。 そんなに手間暇をかけられない、というのであれば、今回のようなMeToo運動に似た社会的問題が繰り返されるだろう。それが番組のリスクとして顕在化すれば、手間暇かけるコストなど問題にならなくなる可能性さえも出てくるのではないか。2013年6月、インタビューに応じるジャーナリストの池上彰氏 ちなみに、池上氏自身の経済観、特に日本銀行の金融政策の考え方については、批判すべき点もある。一例だが、彼の『改訂新版 日銀を知れば経済がわかる』(平凡社新書)には注文をつけたい、いや全力で批判したい箇所がかなりある。 例えば、日銀の出口政策のとらえ方を、国債暴落といったあまりにも安易なあおりに結び付けている点などだ。ただ、池上氏の番組と大きく異なるのは、本書にはきちんと主要参考文献が付されていることだ。つまり、クレジットが明記されているのである。 ただ、池上氏の他の膨大な書籍を検証することはできていない。だが、少なくとも池上氏の番組を批判することと、池上氏の考えとの関係をどう見るか、そこは慎重に区別し、その上で議論していく必要があるだろう。

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    ニュースキャスターかくあるべし

    「ニュースキャスターという仕事に明確な定義はない」。NHKキャスター、大越健介氏が自著の中で書いていた。では、キャスターの仕事とは一体何なのか。そんな疑問にわが国を代表する3人のキャスター経験者が答えてくれた。櫻井よしこ氏、池上彰氏、木村太郎氏である。さっそく「金言」に耳を傾けてみよう。

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    櫻井よしこ手記 「ニュース番組までメダカの学校になってどうする」

    局としても許されない。信頼を失えば降板ともなる。その種の職業的な実績は、良きにつけ悪しきにつけ、長くメディア論の中で取り上げられる。 つまり、ニュースの伝え手に問われるのは、何よりも報道のプロとしての質である。ニュース番組はプロのニュースマン、ジャーナリストたちによる、あらゆる意味での競争と闘いの現場なのである。だから海外のニュース番組のキャスターたちは往々にしてそれ程若くはない。 とびきりの美男でも美女でもない。生まれつき美男美女であったとしても、その美しさを意識的に際立たせることはない。かわい子ぶりは絶対にしない。頼りなさ、儚さなどはむしろ退けられる。彼らは視聴者に信頼される成熟した大人として、まっとう果敢に取材し、報じようとする。番組の担い手として、強く大きな太い柱であろうとする。米国を代表するアンカーウーマンのケイティ・クーリック 日本はどうか。前述したように、まず、キャリアを積んだ記者が中心になっている番組が少ない。人気のあるタレントが仕切っている番組と局アナと呼ばれるアナウンサーが仕切るものとに二分される。報道についておよそ素人の彼らは、一体どのようにして、キャスターやコメンテーターの役割を担っているのだろうか。 通常、ニュースのリードやコメントは番組のプロデューサーや記者が書いてくれる。それらはプロンプターで読める。読みの専門家である局アナにとっては得意分野であり、上手に読むことで基本的にニュースキャスターの形は整えられる。そういう仕組みの中で初めて局アナやタレントがキャスターの役割を果たし得ていると言ってよいだろう。『きょうの出来事』キャスター時代 ここでずっと昔の私の体験を語ってもよいだろうか。古い話だが、私はかつてニュース番組のキャスターだった。各ニュース項目のリードは報道局の記者たちが書いた。コメントは記者やプロデューサーが知恵を絞ってまとめたものが、私の手元にきた。 形の上では今と同じである。しかし当時、私はリードやコメントについて、それぞれの担当記者やプロデューサーと、時には嫌になるほど議論をしたり修正を加えたりした。ひとつひとつのニュースの取材に、私自身が直接関わることがないとしても、私はジャーナリストとしての自分の在り方を強く意識していた。周りもそのことを意識し、そして受け入れてくれていた。報道局の兵(つわもの)と私の間には、取材する者としての対等の感覚があったと思う。そのようなプロデューサー及び報道局の記者全員に対する敬意と、自分に対する信頼があって初めて、私の16年間のニュースキャスターとしての仕事が完うされたと思う。 報道にはどうしても、その記者、その番組の価値観が反映される。基本的にどのニュース番組も取捨選択の段階ですでに価値観が反映されているのである。それが昂(こう)じると偏りにつながっていきかねない。 アメリカのCNNは明らかに左に偏っている。だが面白いことに、CNNとは逆の右に偏りがちなFOXニュースも高い視聴率をとっている。左の人はCNNを見て満足し、右の人はFOXで盛り上がる。対極にあるテレビ局同士が互いに逆方向に傾斜することで社会全体の情報供給のバランスがとれていると見ることが可能だ。  対照的なのが日本である。わが国のテレビ局はメダカの学校である。ニュースの報じ方がおよそ一色に染まる。同じ方向にドーッと走る。方向は左系統への偏り一本道である。往々にしてNHKがその先頭を走り、TBS、テレビ朝日、NTV、そしてフジまで含めて同一方向に雪崩を打つ。実に日本の悪しき実態である。アメリカのように対極的な価値観や方針を持つ複数のテレビ局は日本には存在しない。『きょうの出来事』キャスター勇退後の櫻井よしこさん=1996年4月 再び私自身の話で申し訳ないが、ニュースに関して私にも明確な価値観がある。だが現役キャスターだったとき、心掛けていたことが二つあった。報道の基本として大切にしていたことである。 まず事象の一側面だけでなく、全体像を伝えることの重要さだ。全体像を描いて見せることなく部分だけに焦点を当てれば、間違ったメッセージを送ることになりかねない。この1~2年のニュース番組やワイドショーでいえば、その典型的事例が「モリカケ」問題の報道だったと思う。どのテレビ局のどのニュース番組でもワイドショーでも、モリカケ問題の全体像は全くといってよい程伝えられなかったと断じてよいと思う。 事象の一部のみの報道は、結果として歪曲報道になる。社会にも、国民にも、全くためにならない。こんな異常な偏った報道はない。そこで私は自分のネット番組『言論テレビ』で事柄の全体像を大いに発信した。危機はいつでもあり得る 二つ目の大事な点は、立場の弱い側に心を添わせることだ。それは「弱者」を絶対善と見做(みな)したり、過度に大事にすることではない。彼らの抱える問題を、自分のことのように心に感じ、解決を願い、そのために必要なさまざまな情報を伝えることである。表面的な正邪の観念や建前論から離れて、考えを深める最大限の取材と努力が大事なのだ。 もうひとつ、思い出した。日本で女性がニュース番組の柱になったその最初のケースが私だった。私は自分の責務を番組全体に責任を持つことだととらえていた。むろん、それは現実とは異なるのだが。例えば、対外的に番組に責任を持つのはプロデューサーであり報道局、テレビ局そのものである。それは確かにそうなのだが、それでも現場ではすべてが最終的に私にかかってくるのも事実である。 例えば、飛行機がハイジャックされるように、スタジオがハイジャックされた場合はどうなるのか。番組の責任者であるプロデューサーはスタジオの中にはいない。スタジオ全体に目を光らせるサブコントロールルームにいる。従って、スタジオに入ったが最後、全責任を持つのはキャスターの自分であると、私は認識していた。私のジュニアパートナー、お天気情報の担当者、カメラマン、ディレクター、こうした人たち全員を守らなければならないと、いつも私は考えていた。 危機に直面したときは、犯人たちをよく観察して冷静に対処する。決して興奮しない、させない。落ち着いた声と態度で対応する。思想的な話にもよく耳を傾ける。武器を持っている場合、武器に反応して恐れの表情を見せてはならない。反抗はしない。相手の要求には真面目に応える。その上でスタジオ内のスタッフをできるだけ早く、外に出してもらう。※この画像はイメージです(GettyImages) 究極の危機対応としてこんなことを考えていたのは、大げさかもしれない。滑稽に思われるかもしれない。けれども、ニュース番組の担い手として、オンエア中に危機が生じたときには、毅然(きぜん)として筋の通った対処をするのは最低限の責任だ。そのことを、自分の中で確認して、私はスタジオ入りしていた。幸いにも16年間のキャリアの中でそのような経験はなかったが、危機はいつでもあり得ることを忘れていたり、考えなかったりするようでは失格だと、私は認識していた。 そこまで力を入れて臨んだのが『きょうの出来事』という報道番組だった。だからなおさら感じるのである。ワイドショーのニュース報道は本当に的外れで無責任で見ていられない、と。アナウンサーの報じるニュース番組はとても異質だ、と。

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    池上彰「芸能人キャスター不要論」私の真意を教えます

    池上彰(ジャーナリスト) 「芸能人がニュースを伝えることをどう思いますか?」 私が担当するネットの連載で、こういう質問を受け、「違和感を禁じ得ません」と答えたところ、その直後にニュース番組に出演している芸能人のスキャンダルが報じられたことで、思いがけず話題になってしまいました。 このとき私が伝えたかったのは、イギリスのBBCやアメリカのCNNでニュースを伝えるのは現場での取材を積み重ねてきたジャーナリストだということです。 これに対して日本のニュース番組では、過去にニュースの現場にいたこともなければ、それまでニュースに関心がなかったであろう芸能人が、ニュースについてコメントしたり解説したりすることがあります。当然のことながら、コメントが明後日の方角を向いていたり、誰に対して話しているのか不明だったりという内容のものが出てきてしまいます。これが違和感なのです。 とはいえ、これは、その芸能人の責任ではありません。その人を起用した番組の責任者の問題なのです。 かつてアメリカのABCテレビにピーター・ジェニングスというニュースキャスターがいました。彼はハンサム(古い表現ですね。いまならイケメンというべきでしょうか)だったことから、若くしてニュースキャスターに起用されたのですが、経験不足が出て降板させられます。このとき上司は彼に向かって「もっと顔に皺(しわ)を刻んで来い」と言ったといいます。つまり、もっと取材経験を積んで来い、という意味です。 そのアドバイスを受けて現場での取材経験を積み、「顔に皺を刻んだ」彼は再びキャスターに復帰。今度は名キャスターとして知られるようになり、肺がんで亡くなるまで第一線で活躍しました。 とりわけ2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの際、他局のニュースが極めて愛国主義的な報道色を強める中で、冷静な報道を貫きました。「愛国的でない」「反米的だ」などという批判にも動じることはなく、米国内で興奮が冷めた後、彼の報道姿勢は高く評価されました。 もし日本で同じようなことが起きた際、ニュースを伝えていたのが芸能人だったとしたら、どんな反応をすることになるのか、という一抹の不安があるからです。テレビ東京系「池上彰の現代史を歩く」の会見に出席したジャーナリストの池上彰氏(中央)ら=2018年4月 とはいえ、ニュース番組に登場するのが男女ともに「顔に皺を刻んだ」人たちばかりでは、見ている人が面白くないと思うかもしれません。視聴率で苦戦する可能性もあります。テレビ番組は視聴者に見てもらってナンボという世界ですから、視聴者に親しみやすい演出を考え、若い女性や人気タレントを出演させることになるのでしょう。 若い人たちに人気のあるタレントが出演しているニュース番組のディレクターが、私に「彼が出ていることで若い人たちにもニュースを見てもらえるようになるんです」と説明してくれたことがあります。なるほど、そういう効果もあるのかと納得したものです。ニュースステーションの功罪 ここで、「ニュース番組は視聴率を気にする必要があるのか」という、業界内では古くから論争になっている問題に行き当たります。 テレビのニュースは視聴率が取れないもの。たとえ視聴率が低くても、大事なニュースを伝えていればいい。かつては、これがテレビ業界での常識でした。ところが、1985年からテレビ朝日で始まった「ニュースステーション」が高い視聴率を取り、営業的に大成功を収めると、「視聴率の取れるニュース番組をつくれ」というプレッシャーが制作現場にかかるようになります。 その結果、中には露骨に視聴率狙いの番組も出て来るようになったのです。あるいは、視聴率が取れる話題を大々的に取り上げるようになりました。とりわけ夕方の各局のニュース番組を見ると、「行列ができるラーメン店」のような、「これがニュースだろうか」と目を疑うような内容が放送されています。 これではテレビニュースへの信用が低下しても仕方ありません。 日本のニュースでも、もっと報道のプロを大事にすべきだ。こう思うのです。例えばNHKの夜9時のニュースは、伝統的に経験豊富な記者がキャスターを務めるので、安心してみていられます。が、その一方、「ニュースステーション」は、報道のプロではない久米宏氏をキャスターに起用して成功しました。 久米氏はそれまでTBSのアナウンサーで、歌番組の司会をしていました。彼がニュース番組のキャスターになったときには、私も含め多くの人が驚いたものです。彼が評価された理由のひとつは、知ったかぶりをしないことでした。報道のプロの悪いところは、ニュースについて「知らない」とは言えないこと。プライドが許さないのですね。 ところが久米氏は報道のプロではありませんでしたから、常に視聴者の立場から、わからないことを「わからない」と言い続けました。その結果、模型を使うなど、次々と斬新な発想が生まれ、それが番組をわかりやすいものにしたのです。 このように考えてくると、おのずと目指すべきニュースのスタイルが見えてきます。ニュースをよく知らない芸能人と、知ったかぶりをする報道のプロの組み合わせが最悪であるということ。芸能人であろうとなかろうと、視聴者の立場に立って「わからない」と言える人と、「わかっていること」と「わからない」ことをきちんと仕分けして伝えることのできる報道のプロの取り合わせが理想的ではないか、ということです。テレビ朝日「ニュースステーション」左から高成田享、久米宏、小宮悦子=1996年3月  また、どこかのニュース番組が成功した演出をすぐに真似する手法はやめた方がいいですね。そうでないと、「どの番組見ても同じ」という印象を与えてしまうからです。これは、長い目で見て緩慢な自殺行為です。 さらに言えば、ニュースキャスターが意見を言うのも極めて日本的です。少なくともアメリカやイギリスさらには欧州各国でもニュースキャスターは自分の意見を言わないもの。判断は視聴者に任せるべきものだからです。 こう考えると、日本のニュース番組は、まだまだ発展途上なのかもしれません。

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    「キャスターの時代は終わった」木村太郎が読む米ニュース戦争

    木村太郎(フリージャーナリスト) 「トランプ大統領のいわゆるロシア疑惑については、これまで何の証拠も見つかっていません。証拠ゼロです。それなのに(疑惑を捜査している)モラー特別検察官の応援団の民主党関係者は、絶望的になって大統領を貶める材料を必死に探しています」(FOXニュース「ハニティー」ショーン・ハニティー氏)「私の番組がロシア疑惑ばかり取り上げていることに批判があるのは確かですが、昨年の大統領選で当選すべくもない候補者が当選し、その人物がロシアと特別な関係があることが判明した以上、我々はこの問題を集中的にお伝えしなければならないのです」(MSNBC「レイチェル・マドー・ショー」レイチェル・マドー氏) 今年第2四半期で、米国のケーブルテレビ・ニュース視聴者数が1位、2位だった番組(TVニューザー調べ)の司会者の発言である。 トランプ大統領に対する立場は正反対だが、2人の発言は「中立」さや「公平」さとはほど遠い主義主張をむき出しにしたものだ。3位以下の番組の司会者も同様に自分の考えを隠そうともせず押し出している。 肩書きを「司会者」としたが、彼ら彼女らはもはや日本でキャスターと言われる「アンカー」ではない。放送局も「ホスト」、「ホステス」と呼び、役割も全く変わっているからだ。 かつての「アンカー」は、記者やカメラマンが取材しディレクターが編集したニュースをリレーの最終走者アンカーのように視聴者に提供する役割とされ、自分の考えをひけらかすのはタブーだった。 代表的な存在がCBSニュースのウォルター・クロンカイト氏。ベトナム戦争の凄惨な映像にも眉ひとつ動かさず、ニュース番組の最後に「今日はこんなところでした」と締めくくるだけのスタイルが「アンカー」の手本のように言われた。CBSニュースのキャスター、故ウォルター・クロンカイト氏 「アンカー」によるニュースは今もCBS、NBC、ABCの三大ネットワークに引き継がれてはいるが、今やテレビニュースの主役はCNNやFOXニュース、MSNBCなどケーブルテレビの24時間ニュース専門局の番組に取って代わられた。ネットワークニュースの報道が政治を動かすようなインパクトはなくなり「アンカー」たちの存在感も薄れた。 そうなった背景にはいくつかの要素があるが、まず、24時間ニュース専門局の台頭だろう。ドラマは「オンデマンドで見る」ことが主流になったテレビ界では、同時性を生かしたスポーツとニュースが「売り物」になってきた。 特に、米同時多発テロ事件以降、続発するテロや、大統領選挙以来の政治的な混乱が続く中で、何かあれば24時間ニュースをつけっ放しにして情報を集めるのが米国人の生活習慣にもなっている。 ニュース専門局の収益は10年間で280%増加し、昨年は3社合わせて50億ドル(約5500億円)に上った(ピュー・リサーチセンター調べ)。ニュース専門局間の競争も激化していったが、その争いの火に油を注いだのが、米国政府が放送局に課していた「公平の原則」を撤廃したことだ。「悪貨が良貨を駆逐する」 「国民の財産の電波は有限だからその利用には公共性が求められる」というのがその根拠だったが、ケーブルテレビなどの普及で、電波は「有限」ではなくなったという理由で「公平原則」は1986年に撤廃された。 放送で偏った番組を放送しても「公共の活発な意見交換を助する」と許されることになり、ニュース専門局はCNN、MSNBCが民主党系、FOXニュースが共和党系と旗色を鮮明にして視聴者の獲得を競っている。 当然その主張は競争を反映して過激になっていくが、同じ民主党系のCNNとMSNBCの間でも、どちらがより民主党支持者を多く獲得できるかを競って番組の内容もエスカレートしていった。 その競争の主役が「司会者」で、彼ら彼女らの発言が視聴者数を左右し、ひいては放送局の経営をも影響することになるので、保守革新いずれにせよ、その考えを強く主張できる人材が重用されることになる。 冒頭で紹介した視聴者数ナンバーワン番組のハニティー氏も、超保守派の論客として知られ、歯に衣着せぬ発言で敵が多く、常にボディガードが氏の周辺を守っていると言われる。 だが、そのハニティー氏も真っ青になるほど過激な「ホスト」が現れた。その名も「インフォウォー」つまり「情報戦争」という名前のウェブサイトを運営しているアレックス・ジョーンズ氏で、同名のニュース番組をユーチューブで配信し、240万人のチャンネル登録者を抱えるまでになっていた。ユーチューブでニュース配信をしていたアレックス・ジョーンズ氏 「いた」と過去形で書いたのは、ジョーンズ氏の発言は余りにも一方的で「ほとんどの銃乱射事件は国際派への関心を集めようとする陰謀だ」などと信ぴょう性に乏しいので、ユーチューブが「フェイク(偽)ニュース」の発信源として「インフォウォー」を排除してしまったからだ。 しかし、インターネット上の動画配信が日常化していく時代には「悪貨が良貨を駆逐する」ように、新しいネット放送のホストたちがケーブルテレビの先人たちより、さらに過激な放送をするだろうことは容易に想像できる。 翻って日本のテレビニュースだが、今のところはキャスターという肩書きの人たちが「中立」「公平」「公正」さを建前にニュースを司会しているように見える。しかし、ニュースの後に蛇足のようにつけ加える「後説(あとせつ)」で自らの思いを吐露するのが、もはやアンカーに求められる規範を逸脱しているのではないか。 さらに、「政治的な公平性」などを求めた放送法4条の撤廃も論議され始めており、加えて放送法の規制を受けないネットテレビも当然増えることが予想されるので、米国のようにキャスターに代わって「司会者」が幅を利かせる時代が来ると考えた方がよいだろう。

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    トランプとメディアの対立に見るアメリカ民主政治の危機

    学法学部教授) 8月15日、全米で最古参の新聞であるボストン・グローブが社説で、全米の新聞が連帯してメディアの危機に対応しようと呼びかけた。ドナルド・トランプ大統領は「メディアはアメリカ国民の敵」であるとか、伝統的メディアはフェイク・ニュースばかりだという批判を繰り返し、既存メディアに圧力をかけている。 それに対し、メディアが団結してプレスの自由を守ろうというのがその趣旨であり、翌16日、全米で約350のニュース組織が呼びかけに応じた。ワシントン・ポストやウォールストリート・ジャーナルはそのような趣旨の社説を掲載しなかったものの、関連する署名入りの記事は掲載している。アメリカの伝統的メディアは独立性を強調する傾向が強く、互いに協力することに対する拒否感が強いことを考えると、多くのメディアが呼びかけに応えたのは注目に値する。 民主政治を意味あるものとする上で、言論の自由やプレスの自由が重要であることは論を俟たない(プレスの自由という場合、単に報道の自由のみならず、出版・取材・編集の自由も含む)。民主政治は、単に国民が代表を選挙で選ぶというだけでは不十分で、政府に対して公的に異議申し立てを行う自由を持つことが必要である。そのためには、言論の自由とプレスの自由は不可欠である。 アメリカの建国者は、大統領がヨーロッパの君主のようにならないようにするために、様々な工夫をした。まず、大統領自身が圧政を布いてはならないという自覚を持つためにも、利己心ではなく公徳心を持って行動することが重要だということが強調された。だが、個人の倫理や規範に期待するだけでは十分でないとの認識に基づき、ジェイムズ・マディソンら建国者たちは、合衆国憲法で様々な制度的な工夫を行った。 そこで作り出された制度が権力分立と呼ばれるもので、そこでは2つの異なる形で大統領職に対する制度的制約が課された。一つはいわゆる三権分立で、大統領、連邦議会、裁判所という三つの機構を分立させて、行政権、立法権、司法権を分有させ、大統領の行動を抑制させた。もう一つが連邦制であり、州政府が連邦政府の行動を抑制できるようにした。 だが、それだけでは権力者の暴走を防ぐうえで不十分ではないかとの疑念が出され、そこで付け加えられたのが、しばしば権利章典とも呼ばれる、合衆国憲法の修正第1条から第10条だった。その第1条で定められているのが、言論とプレスの自由である。 メディアは、時に第4の権力と呼ばれるほどの影響力を持つ。メディアの報道が株価を変動させたり、社会の分断を招いたりすることもある。政治との関係でいえば、メディアによる報道には反政府的、とりわけ、反大統領的なバイアスがかかっていることが多い。メディアは公的機関ではなく営利団体であり、視聴率や購読者数を増大させるためには、耳目を集める必要がある。今日も政治家と役人が真面目に働きました、という記事は読者の関心を集めない。米オハイオ州コロンバスで演説するドナルド・トランプ米大統領=2018年8月 稀にしか起こらない悪いこと、突発的な事件の方が注目を集めるので、報道されやすくなる(犬が人を噛んでも記事にならないが、人が犬を噛むと記事になる)。また、全体で435人もいる連邦下院議員について報道するのは容易ではない。大統領のように目立つ人に注目が集まるのも当然だろう。 これらの結果、メディアによる報道は、人々の政治不信、とりわけ大統領に対する疑念を生む可能性を秘めている。報道されるのは稀にしか起こらない悪い出来事が中心だが、悪い事ばかりが報道される結果として、政治不信が醸成される可能性がある。大統領に注目が集まるということは、メディアに取り上げてもらいたいと考える人にとっては大統領に対して激しい批判をすることが有効な戦略になることを意味するので、大統領にとっては心外なことも多いだろう。報道により、人々の間での政治不信、エリート不信が生まれる可能性が高くなるのである(これは、国民の側にメディア・リテラシーが求められる所以でもある)。「政治化」するニュース番組と「選択的接触」 このように、メディアによる報道が短期的には政治の安定性を損なう可能性があり、その認識は政治エリートの間では一般的である。そのような問題があるとしても、政治エリートが抱える問題を明らかにし、説明責任を負わせ、政治の応答性を高めることが健全な民主政治を営むためには必要だという認識が存在するが故に、言論の自由と併せてプレスの自由を重視すべきとの規範が広く共有されてきたのである。そうであるからこそ、公職者はメディアによる批判を、時に不適切で腹立たしいとは思いつつも、民主政治を健全に運営するためのやむを得ないコストだと考えてきたのである。 ただし、以前と比べると、近年ではニュース番組に顕著な偏りがみられるようになっているのも事実である。アメリカのメディアでは、1949年に、フェアネス・ドクトリンと呼ばれる原則が受け入れられた。政治的立場の異なる見解が表明される場合には、それぞれの立場の人に同じ時間を割り当てねばならないという原則である。だが、ロナルド・レーガン政権期の1987年に、このフェアネス・ドクトリンは廃止された。 それに加えて、トークラジオやケーブルテレビの発達が、ニュース番組の「政治化」を促した。これはとりわけFOXニュースに代表される保守的メディアに顕著だった。伝統的な報道番組は、フェアネス・ドクトリンが廃止された後も客観報道の原則を掲げて中立的な番組作りを心掛けてきた。だが、そのような報道中心の番組は独自性を出しにくい。そこで、トークラジオやケーブルテレビは、「報道番組」ではなく「オピニオン番組」を中心に流すようになった。出演者の見解を示すのが番組の趣旨であるため、公正さや中立さは重視されなくなった。このような保守的メディアの戦略に対応し、リベラル派メディアも同様の番組作りをするようになった。 このような状況が起こる中、視聴者の中でも徐々に、自らの政治的選好に近い見解を示すメディアを好んで視聴するようになっていった。国民が一方の見解のみに触れて他の見解を受け入れなくなる状況が生まれ、それがアメリカ社会の分断につながっていった。 政治エリートがメディアに対する不信をより強く述べるようになった背景には、このような状況がある。とりわけ、視聴者が自らの立場に近いメディアのみに触れる、選択的接触と呼ばれる現象が一般化する中では、時に公正で中立的な報道ですら、バイアスがかかっているように思われるようになってしまうのだ。 今回、伝統的メディアがこのような声明を出した背景には、伝統的メディアの側の強い危機感がある。そして、その危機感を生み出す背景として、客観的で事実に基づく報道を行うのが困難になりつつある現状に対する焦りがあるのではないかと思われる。米FOXニュースのインタビューを受けるトランプ氏 第一に、SNSが発達する中で、新聞やテレビなどは速報性の点で劣るようになっている。プロのメディア関係者ではない一般の人がSNSを通して政治に関する情報を即座に流し、それが人々の注目を集める事態が発生する。他方、メディア関係者は事実関係の裏取りをする必要性もあり、噂レベルの事柄をSNSで流す人のようにはいかない。情報の速報性を求める人々が、伝統的メディアよりもSNSなどを通して情報をとるのが一般的になると、伝統的メディアの人々は自らの在り方を問わざるを得なくなる。 第二に、無料メディアが発達する中で、新聞などが購読料を獲得する必要があるのは、経営上の大問題となる。近年、ニュースについて語る人は増えているが、オリジナルの報道をすることができる人材を獲得するのは困難である。論評をすることはできても、その基礎となるべき事実を集める役割は、やはり新聞などの伝統的メディアに期待される。 正確な事実を集めるのには時間だけでなく費用が掛かり、その費用を維持するのに豊富な資金を持つ一部の人の善意に頼るのは無理があると共に、問題をはらむ(その人に対する忖度が発生する可能性がある)。安定的に購読者を集めるには報道機関に対する信頼を維持することが不可欠だが、トランプ大統領のように、客観的事実とは関係なく、自らにとって好ましくない内容を伝えるニュースをフェイク・ニュースと断じるような事態は、伝統的メディアに危機をもたらす。民主政治の根本について再考するきっかけに 第三に、近年のアメリカ政治では、事実そのものを軽視する傾向が顕著になっているように思われる。2016年大統領選挙に際し、フェイク・ニュースやオールタナティブ・ファクトというような表現が頻繁に用いられたのは、トランプだけに原因があるのではない。 2016年選挙ではFacebookの在り方が問題として論じられたが、近年ではSNSを通して情報を得る人が増えている。その中で、例えばロシアの介入についての疑念が呈されているように、外国勢力がSNSを通して情報を流すことが容易になっている。以前は外国勢力が国内政治に影響を及ぼす方法はエスニック・ロビイングが中心だったが、SNSを使えば容易に活動できるだけでなく、目立ちにくい。特定の意図に基づく情報を流すことが容易になっているのである。フェイスブックのロゴ また、国内の人物であれ外国の人物であれ、政治的意図がないにもかかわらず、政治に関する情報を流す人も増えている。SNSの中には多くのクリックを得ると報酬が得られるシステムがあるが、クリック課金を目的として、人々の耳目を集めるためだけに記事を作り出す人々が登場するようになっている。そのような場合には、情報の正確性はあまり重視されないのである。 このように、真実性に疑問がある情報が流布する中で、2016年大統領選挙時に民主党のヒラリー・クリントン陣営はファクト・チェックを行い、自らに対して行われている批判の多くは事実に反していると発表してきた。だが、そのような試みが政治的には必ずしも賢明でなかったのではないかという反省が、民主党内部からも発されるようになっている。 ファクト・チェックを行って発表したとしても、選択的接触が一般的になっている今日では、そのような情報を見てくれるのはそもそもクリントンに好意的な立場をとっている人だけという可能性がある。多くのコストをかけてファクト・チェックを行うより、Twitterなどを用いて、自分たちを支持してくれる、あるいは他の候補を批判する情報を大量に流す方が効果的ではないかという声が強まっている。 とりわけ、近年ではbotと呼ばれる、自動的に作業を行ってくれるコンピュータの機能を用いて、党派的なハッシュタグがついたTwitter(例えば、#MeTooがついていれば民主党に好意的である)を自動的にリツイートして拡散すれば、民主党に好意的な世論の波を作り出すことができる。 その方が選挙戦術上ははるかに効果的だと考えられるようになっているのである(なお、このような手法は選挙区が大きい大統領選挙では有効性が高いが、選挙区が狭いことの多い連邦下院議員選挙でどれほどの有効性があるかは不明である。アメリカの政党は日本でいうところの党議拘束が弱いことも、この手法の有効性を低くする可能性があるだろう)。 大統領のような権力者が伝統的なメディアに対して公然とフェイク・ニュースだと述べたり、そもそも事実が重視されなかったりというような事態は、言論とプレスの自由のみならず、アメリカの民主政治にとって大きな危機である。 民主政治で討論が重視されるのは、どのような人物であれ真実(truth)を独占することができない、そもそもそれを確定することが不可能(少なくとも困難)だという認識が根底にあるためである。そうであるが故にこそ、複数の見解を突き合わせ、互いに説得力を競い合うことが重要になる。そして、その際に重要なのは、そこで示される見解が、事実(fact)に即しているということである。 事実を確定したうえで、あるべき姿を論じ、その実現に向かって健全な討論や競争を行うことが必要であり、それを可能にする環境をいかに整えるかが民主政治にとっても重要な課題になる。今回の出来事は、このような民主政治の根本について再考するきっかけを与えてくれたといえるだろう。

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    『マスコミ偽善者列伝』著者が分析する宮根、テリー、一茂

     今日もテレビを点ければ、“視聴者の代表”たるコメンテーターたちが、政治から芸能ニュースまで訳知り顔で意見を述べている。 しかし、よくよく聞いてみると、誰でも言えるような耳触りの良いコメントばかり。自分のことは棚に上げて、他人のスキャンダルに正論を吐く者も絶えない。薄型テレビをますます薄っぺらくする「偽善コメンテーター」の問題は大きい。「私は暇な老人ですから、日がなテレビに向かってるわけ。ところが、コメンテーターがまぁ酷い。『許してはいけない犯罪です』とか『今後社会全体で考えていかなければならない』とか、毒にも薬にもならん優等生的な話ばかりしている。 一番許せんのは、“偽善”に満ちた言葉が多いこと。戦争は絶対にダメだ、格差社会是正、性差別反対と、正論を並べ立てるが、話している人間はその問題の当事者でもなく、傍観者にすぎず、真剣に向き合っていない。安物の正義感ほど迷惑な偽善はない。もうこれ以上は我慢できんと思って、こんな本を出したんです」 そう話すのは、大阪大学名誉教授・加地伸行氏。加地氏の近著『マスコミ偽善者列伝』(飛鳥新社刊)は発売早々3万部のベストセラーとなっている。 同書は東洋思想研究の第一人者で保守論壇の大御所でもある加地氏が、空虚な正義感と建前論しか話さないコメンテーターを批判するエッセイである。政治家や評論家を次々と槍玉に挙げ、「そのときだけの絶対反対論者」と手厳しく批判する。〈理想国家作りの夢破れた左筋(ひだりすじ)の連中は、目的、着地点がなくなり、今や、保守政権が繰り出す政策に対して、とにかくなんでもかんでも反対と言うしか生きる道がなくなってきている。(中略)こういうご都合主義を自覚せず、つまりは矛盾に気づかず、その場その場での正義の旗を掲げている。かつては元気だった左筋の成れの果である〉 加地氏が続ける。「安保法案も秘密保護法も、成立まではあれだけ猛反対していたのに、法案通過後は途端にトーンダウンする。反対デモの連中と同じです。一点突破で主張し続ける努力や覚悟もない、高みで見物している野次馬です。 左筋ジャーナリズムは絶滅寸前ですが、その特徴はテレビのキャスターやコメンテーターたちに受け継がれています。地元の大阪では『ミヤネ屋』の宮根誠司が大人気ですが、スタジオのいろんな人に話を振って、最後に愚にも付かないまとめ意見を言うだけ。なんの具体性も説得力もない。持論を語る覚悟がないんです。宮根誠司 テリー伊藤に関しては、人様のスキャンダルについて上段から正論を述べていますが、言いたくはないが自分も過去に不倫を報じられているではありませんか。なぜそれをまるでなかったことにして他人のことは批判できるのでしょうか。 長嶋一茂に至っては、なんの取り柄も知識もない単なる素人にしか見えません。説得力のない『うわべだけの正論』こそ偽善であり独善。テレビを薄っぺらくする原因となっている」 長嶋といえば、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)に出演した際、日本ボクシング連盟の山根明前会長について、「正直言って、僕には悪人に見えないです。泣いたり、お茶目な部分も見え隠れしたりするし」と言いつつ、「役職に残るのは往生際が悪いと思いますよ。何かあったら腹を切ると言ってるんだから、一旦全部辞めないといけない」と責任も追及する。 何か意見を述べているようでいて、実際にはどの立場からもツッコミを受けないようにした「八方美人論評」に聞こえてしまう。関連記事■ 一進一退が続く長嶋茂雄氏 一茂は見舞いに行かずハワイへ■ 江角マキコ 落書き騒動で真っ先に謝った夫と「今も週4回」発言■ 大物二世の一茂と良純 「炎上しない安心感」で爆売れ中■ 高額納税者列伝 69.7億円の元レイク会長や36.9億会社員ら■ 加藤浩次と設楽統 “朝の顔”の適正を顔相専門家が分析する

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    フリーの有働由美子を待ち受ける大物女性キャスター3人

    長野智子キャスター(55才)だ。「長野さんは硬派な報道番組で経験を積んできた実績もあり、米オンラインメディアの『ハフポスト日本版』の編集主幹も務めています。『報道ステーション』などお堅い番組が多いテレ朝では“有働さんより調査報道をやってきた長野さんの方が実力は上”と評価が高いんです」(テレビ朝日関係者) TBSの報道局内では膳場貴子キャスター(43才)の存在感が大きい。「長年、看板番組『NEWS23』のキャスターを務めた膳場さんはNHK出身で有働さんの後輩にあたります。しかし、膳場さんは筑紫哲也さんが、がん治療の時にメインキャスター代理として番組を支え、その後も跡を継いだキャリアやプライドがある。なにより、オジサン視聴者やスポンサーからの支持は絶大です。 有働さんと膳場さんは、NHK時代に『おはよう日本』のキャスターを経験した先輩・後輩の関係です。それが民放の報道キャスターとしては、経験値が逆転しています。2人を社内で“同居”させることは気まずいとわかっているので、TBSは有働さん獲得に後れをとったようです」(TBS関係者) どちらにせよ、アナウンサーというより「ニュースキャスター」と呼んだ方がしっくりくる安藤、長野、膳場の3人の一角に、有働は名乗りをあげたことになる。櫻井翔との絡みも増えるか櫻井翔との絡みも増えるか「唯一、有働さんがやりやすかったのが日テレであり、『ZERO』だった。わざわざNHKを辞めて、大物女性キャスターたちがにらみをきかせる局に行って、ややこしい環境の中に身を置く必要はない。たしかに日テレにも水卜麻美アナ(31才)や『バンキシャ!』でキャスターをやっている夏目三久さん(33才)はいますが、年代やキャラクターが違うため、自分とはカブらないという考えもあったみたいです。 有働さんがNHK時代に“『ZERO』ならばやってもいい”と漏らしていたのも、ある種の計算があったからだと思いますよ。 ただし、この選択で女性キャスター陣から“目をつけられた”のは間違いありません。すでに“バラエティーの司会を選んだ方がよかったのでは”という声も上がっていますから勝負所でしょう」(前出・テレビ局関係者) とはいえ、有働アナのキャスター就任は大きな話題を呼び、視聴者からの期待が大きいのは間違いない。「有働体制になったら、カルチャーコーナーを取り入れるなど工夫を重ねてきた『ZERO』のポップな路線がさらに際立つでしょう。『ZERO』の顔でもある櫻井翔さん(36才)の出番を多くして、有働さんとの掛け合いを増やそうという話も浮上しているようですよ」(テレビ誌記者) 有働アナが目指すのはジャーナリストなのか、キャスターなのか、はたまた女優なのか──不穏な視線に負けず新境地で活躍してほしい。関連記事■ 有働由美子アナのZERO起用で官邸との関係はどうなるか■ NHK有働由美子アナがひた隠す年下実業家との「続行愛」■ 有働由美子アナ 所属事務所のギャラ取り分は破格■ 「女子アナも被害」証言 テレ朝の社内セクハラ問題■ テレビ朝日内部資料「女性社員の56%がセクハラ被害」の衝撃

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    NHKはチコちゃんに叱られよ

    「ボーっと生きてんじゃねえよ!」のツッコミで人気のNHK雑学バラエティー『チコちゃんに叱られる!』が、放送批評懇談会が選定する「ギャラクシー賞月間賞」を受賞した。NHKにとっては何とも喜ばしい話題かもしれないが、そもそもチコちゃんに叱られるべきは、NHK自身なんじゃないですか?

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    「NHKが映らないテレビ」でネット受信料の義務化は阻止できるか

     実際、放送用電波の周波数帯の利用権を競争入札にかける「電波オークション」導入など、メインストリームメディア(MSM、既存のテレビ局など)に不利となる放送法改正の議論は常につぶされてきた。これと同じ手法をインターネット受信料義務化実現のためにNHKが駆使する可能性は否定できない。 こうしたMSMの横暴を止められるかどうかは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が今後どのくらい政治的な力を持てるかにかかっている。MSMとSNSの戦いはすでに米国で盛り上がっている。 その一例だが、現在米国では、「RedPillBlack」や「#WalkAway」といったリベラル派がリベラルとの決別を主張する運動が広がっている。前者のリーダーは黒人女性のキャンディス・オーウェンズ、後者のリーダーはゲイ男性のブランドン・ストラカである。 黒人やゲイといったマイノリティは、これまでリベラルで民主党支持というのが常であったが、彼らが次々そこから離れていっているのである。彼らは、リベラルが実は自分たちの味方ではないことに気づいたと主張している。その見解を要約すると次のようになる。 オバマが黒人初の大統領になったことを喜んだが、彼は黒人のために何もしてくれなかった。黒人に職を与えず福祉依存症の状態をつくった。福祉を受ける条件として離婚を勧め、その結果、黒人の子供の75%の家庭に父親がいない。トランプが大統領になって黒人は職が得られるようになり黒人の失業率は過去最低になった。これは民主党にとって不都合である。黒人が福祉に依存しなくなり、自分たちに投票しなくなるからである。民主党は黒人を豊かにすることに税金を使わず、不法移民を増やすためにお金を使ってきた。なぜなら、福祉に依存する人が増えれば増えるほど自分たちに好都合だからだ。そもそもリベラルは多様性や寛容を掲げるが、自分たちと意見の違う人に対して敵意をむき出しにする。黒人やゲイが弱者として振る舞ううちは味方になるが、少しでも保守的な発言をすると激しい嫌がらせを始める。今のリベラルは言論の自由を認めない勢力だ。 ご存じの通り、米国のMSMはFOXなどごく一部を除いてリベラル左派である。一方、#WalkAway運動はSNSを中心に広がっており、多くの人が自分もリベラル左派と決別するとの主張を次々とユーチューブにアップしている。アンドリュー空軍基地に降り立ち、手を振るオバマ前大統領(左)とミシェル夫人=2017年1月、米メリーランド州 米国ではこうした運動が政治的に無視できない力を持ちつつある。その証拠に、これまで9割以上が民主党に投票すると言われてきた黒人層において、トランプ大統領の支持率が4割近くまで上昇しているのである。11月の中間選挙で共和党が大勝したならば、それは政治的影響力においてSNSがMSMを完全に逆転したことを意味する。 日本でもツイッターなどを中心にMSMへの不満は多く語られているが、米国と違って政治系ユーチューバーはまだまだ少ない。米国同様、SNSがMSMより政治的に大きな力を持つようになれば、NHKのネット受信料義務化の動きを阻止することも可能になるかもしれない。今後の米国および日本における政治系SNSの動きに要注目である。

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    「見たくない人は払わない」受信料義務化、NHKとかく戦えり

    原則に反しないのは、道路財源を一般化しても不公平が生じないのと同じである。 私は現在、大学教授の傍らメディア報道研究政策センターなる一般社団法人の理事長を務め、NHK受信料不払い運動の先頭に立っている。私自身の経験も含めて、1000余人の会員から寄せられるさまざまな情報によると、NHKの恫喝(どうかつ)・甘言・詐欺まがいの嘘、認知症の独居老人や老人ホームを狙い撃ちする契約詐欺など、受信料取り立てに係る彼らの執念には並々ならぬものがある。 まず彼らに放送法4条違反に関する弁明を求めること、先の最高裁判決の真実を告げること、そして何よりも組織的対応をもって法廷闘争を辞さない構えを具備すること、これがNHKに対抗する要点である。NHKの上田良一会長(左)に答申を手渡す受信料制度等検討委員会座長の安藤英義・専修大教授=2017年7月25日、東京都渋谷区(伴龍二撮影) さらに今日、近い将来インターネット配信にも受信料が課されると危惧されている。これに対しては、NHKが技術的にやればすぐにでもできるスクランブル放送を実施し、受信料不払い者には映らないサービスを提供するよう、要求を強めていく必要がある。 スマホなどからの強制徴収が実現すれば、天文学的な数字になるNHKの受信料収入。しかし私は、この桁外れな彼らの強欲こそ、「見たくない人は払わない、払わないから映らない」という、当たり前の市場原理と消費者主権を実現する、契機となるに違いないと考えている。 

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    芸能人キャスターのどや顔がムカつく

    テレビをつければ、どの局も代わり映えのない情報番組ばかりである。しかも、キャスターに起用されたアイドルや芸人らが、ニュースに関してどや顔でコメントする場面に出くわすこともある。そこに深みもなければ、説得力もない。ただの感想である。そもそもニュースを扱う情報番組に「芸能人キャスター」なんて要るのか。

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    「客観報道よりツッコミ」芸能人キャスターへの違和感はここにある

    飯田豊(立命館大学産業社会学部准教授) 今年4月、日本テレビ系の情報番組『ZIP!』でメーンパーソナリティーを務めていたTOKIOのメンバー、山口達也の不祥事が発覚し、出演を自粛したことは記憶に新しい。もっとも、その翌日以降も番組は何事もなかったかのように放送され、彼は復帰を果たすことなく静かに降板した。 メーンパーソナリティーとは、一体何だろうか。出演者の個性(=パーソナリティー)が番組のテイストに大きく投影されるラジオとは異なり、テレビの情報番組は、多数のスタッフによる複雑な分業と協働によって成り立っている。 この番組では、華のある芸能人がスタジオでいかに存在感を放っていても、あくまでチームの一員にすぎない。メーンパーソナリティー(=芸能人)とニュースキャスター(=アナウンサー)とは役割が区別されていて、制作者による綿密な采配のもと、軽妙なチームプレイによって番組が成り立っている。 そもそも「情報番組」とは、90年代までは「ワイドショー」と呼ばれていたジャンルで、報道に特化した「ニュース番組(報道番組)」とは明確に区別される。多くの情報番組は「報道フロアからの中継」という演出を用いて、報道局との境界を示している。近年は「情報バラエティー」や「情報エンターテインメント」を自称している番組も多い。 言うまでもなく、ワイドショーの司会に芸能人が起用されるのは、最近になって始まったことではない。良いか悪いかはともかく、日本のテレビ文化の伝統といえるだろう。 ところが、2000年代に入るとワイドショーのみならず、ニュース番組のキャスターに芸能人が起用される機会が格段に増え、視聴者から見ると、双方の境界が分かりにくくなっている。 かつては、経験を積んだジャーナリストやアナウンサーがニュース番組のキャスターとして個性を発揮し、芸能人が活躍するワイドショーとのすみ分けができていたが、今ではジャンルの区別がほとんどなくなってしまった。 このような近年のニュース番組において、取材内容を報道する役割を担い、制作者の意図や主張を伝達する責任を負っているのは、多くの場合、メーンキャスターではない。それはアシスタントのアナウンサー、あるいはスタジオに入れ代わり登場するリポーターなどの仕事である。会見で被害者に対して謝罪をするTOKIO・山口達也=2018年4月26日午後、東京都千代田区のホテルニューオータニ(撮影・大橋純人) それに対し、キャスターに課せられた仕事は、決して権威的に振る舞うことなく、スタジオで無難に話題を循環させることである。言い換えれば、コミュニケーションの「場」の機能を守ることに他ならない。そもそも、アメリカのニュース番組で定着している、熟練のジャーナリストなどが取材・編集・構成に大きく関与する「ニュースアンカー」とは、期待されている役割が全く異なっている。新しい「ニュース番組」の見方 「客観報道」という理念に支えられたジャーナリズムが健全に作動していた時代には、ニュースアンカーが日本でも広い支持を集めることができた。しかし、現在はテレビによって延命してきた日本人の「総中流意識」が完全に崩壊し、多様な情報環境のもとで言論が細分化している。これまでと同じ報道姿勢では、人々の政治意識や生活感覚の多様性に十分な目配りができなくなってしまった。 情報の内容を担うリポーターとは対照的に、番組の形式を維持するのがキャスターの役割であると考えれば、これに芸能人を起用するのは、安易だという批判は避けられないとしても、極めて合理的な選択といえる。 スタジオの「空気」を読み、あるべき話の流れを察する「コミュニケーション能力」、そして世の中にあふれかえる情報に対する「ツッコミ的視線」は、芸能人の中でも、とりわけお笑い芸人に要求される資質と相性が良い。 したがって、芸能人がキャスターを務めることの是非は、テレビジャーナリズムの危機的状況によって起きている「ニュース番組のフォーマット自体の変化」を批判的に捉えることと切り離して考えることはできない。このような趨勢(すうせい)を抜本的に見直し、古き良きニュースアンカーの復権を目指すことが理想的かもしれないが、既に述べた理由から、その道のりは困難を極めるだろう。 行き詰まってしまったが、消去法的な現状肯定で終わっては読後感が悪いだろうから、少し見方を変えてみよう。 冒頭で触れたように、テレビ制作の集団的性格を踏まえるならば、出演者個人の資質を問うだけでは、ニュース番組の良し悪しを評価することはできない。 思い返せば、NHKで1994年から16年間続いた『週刊こどもニュース』の進行役は、マスコットキャラクターだった。ブタの「スクープくん」、メガネザルの「ピントくん」が進行し、時に子供たちが取材に出向くこともあった。NHKの「週刊こどもニュース」でお父さん役を卒業した同局の鎌田靖解説委員(左端)と岩本裕解説委員(後列右)=2009年3月28日(篠田哉撮影) これが「ニュースごっこ」に甘んじることなく、大人も楽しめる良質なニュース番組たり得たのは、アンカーに相当する「お父さん」役の安定感は言うまでもないが、出演者と制作者のチームプレイによるところが大きかった。 例えばサッカー観戦において、各選手の技能や持ち味だけでなく、チームの戦略や戦術を読み解きながら楽しむように、ニュース番組を視聴する際、チームとしてのフォーメーション、そして制作者の采配にも厳しく目を向けてみてはどうだろう。 アナウンサーやリポーターが何を主張していて、キャスターやコメンテーターはそれをアシストできているだろうか。その一連のコミュニケーションの中には、テレビジャーナリズムの困難に向き合い、それを乗り越えようとする制作者の創意工夫がみられるだろうか。キャスターやコメンテーターが芸能人であることが、その一助になっているだろうか。 こうしてニュース番組のフォーマット自体を批評しあうことが、翻って、これからの時代に求められるキャスターのあり方を新たに見いだしていくことにもつながるかもしれない。参考文献・水島久光『「情報バラエティー」のダイクシスとアドレス 制作者と視聴者が交錯する言説場の検証』(石田英敬、小森陽一編『社会の言語態』東京大学出版会、2002年)・太田省一『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書、2016年)・池上彰『これが「週刊こどもニュース」だ』(集英社文庫、2000年)

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    「ニュースを伝える怖さ」に気づいた柴田理恵は立派だった

    を間違えると、番組自体が大変なことになってしまいます。さらに言えば番組自体と言うよりも、テレビというメディア自体が大変なことになると、私は思っています。 今年4月に明らかになったTOKIOの元メンバー、山口達也さんの強制わいせつ事件を受けて、『ビビット』(TBS系)でニュースキャスターを務める同メンバー、国分太一さんが番組冒頭で謝罪をする光景に、私は強い違和感を覚えました。『ビビット』を見たのは、その時が初めてでしたが、国分さんに対して「なんで君がニュースキャスターをやっているの?」という違和感でした。 国分さんとはお仕事をご一緒させてもらったこともあり、実に魅力的な好青年だと感じていましたが、そもそも報道番組でニュースを伝えるのは「ニュースの素人」にはできるわけがないと私は考えています。彼らは歌ったり踊ったり、人を楽しませることのプロであり、ニュースのプロではありません。ニュースのプロでなければ、ニュース解説の聞き手役になることはあっても、ニュースを伝える側には立つべきではないのです。 6月に同じジャニーズのアイドルグループ、NEWSの小山慶一郎さんと加藤シゲアキさんが、未成年の女性に酒の一気飲みを煽っていたという事実が週刊文春の報道で明らかになり、大きく騒がれました。このときにも小山さんが『news every.』(日テレ系)のメーンキャスターを務めていたこと、加藤さんが『ビビット』にコメンテーターとして出演していたということで、問題が大きくなりました。 私は『news every.』も『ビビット』もあまり見ていませんでしたが、これほどまでにニュースキャスターという仕事を、畑違いのアイドルやお笑いタレントに任せている、最近の民放各局のやり方に、危機感を募らせました。視聴率を稼ぎたいのは分かるけど、報道機関としてやっていいことと悪いことがあり、その一線を越えてしまったのが、素人にニュースを扱わせるという、昨今の民放の「ニュース情報バラエティー」の傾向だと思うのです。 別にどんな芸能人がどんな不祥事を起こそうと、私は個人的に何の興味も関心もありませんが、日本の報道番組がその作り方からしておかしな状況に陥っているのだとすると、テレビ屋の一人として黙っているわけにはいきません。元NHKキャスターの池上彰氏 最近の日本の報道番組は、記者が書いたニュース原稿をアナウンサーが読み上げるだけの「ストレートニュース」よりも、ニュースを伝えた上で、それをより分かりやすく解説し、興味深くなるようワイドショーに仕立てた「ニュース情報バラエティー」の方が増えています。それ自体は決して悪い傾向ではないと思います。芸能人やタレントが参加することにより、ニュースがより身近で親しみやすいものに感じられるからです。 私自身もかつてNHKでジャーナリストの池上彰さんと苦楽を共にして『週刊こどもニュース』という、ニュースと子供向けバラエティーを合体したような番組を開発し、8年間にわたって担当した経験があります。初代お母さん役を女優の柴田理恵さんにお願いし、お父さん役の池上彰さんが家族にニュースをかみ砕いて、興味深く解説するという、当時としては斬新なスタイルだったと思います。 ストレートニュースの部分は、豚のアニメキャラクターが伝える形でしたが、ナレーションはNHK報道局から正式に上がってきたニュース原稿を使いました。それをNHK報道局のベテラン記者がリライトした、オリジナルのニュース原稿に仕上げ、声優の龍田直樹さんが正確に読み上げる、という手法をとりました。柴田理恵さんも苦戦 NHK内部では、ニュースとは報道局の記者が書いた原稿をアナウンサーが読み上げる、または記者自身が読み上げるもの、という伝統がありましたから、アニメキャラクターがニュースを伝えるなどもってのほか、と上層部からの猛反対に遭ったこともあります。しかし、ベテラン記者が書いた原稿を一字一句違わず読み上げる、ということでニュースとしての正確性を担保し、番組名には「ニュース」の4文字を入れることが何とか許されました。 また、番組にはニュースを受けて、その解説や家族同士の会話をするコーナーがあり、ここで交わされる芸能人のフリートークをどう扱うかも問題になりました。私たちの場合は、お父さん役の池上彰さんが現役記者であったため、お母さん役が女優でも、子役が勝手にしゃべろうとも、そのコーナーはあくまでも池上彰さんによる記者解説の変形であるということで、NHK上層部を説得しました。 今では多く見られる「ニュース情報バラエティー」の走りのような番組でしたが、あくまでもニュースを伝えるのは、ニュースのプロである記者、そして芸能人たちはニュースの受け手の役割、と明確に立場が決められており、その関係性の中で成り立っていたという点で、最近多く見られる芸能人がニュースを伝える番組とは異なります。 ちなみに、池上彰さんと試みた『週刊こどもニュース』も、家族の会話という演出を長く続けるうちに、「ジェンダーイクオリティ」の問題に気がつきました。いつも物知りなのは男性である父親で、女性である母親は教えてもらう立場、という演出はジェンダーの観点からしていかがなものか、という問題です。 池上さんの提案で「たまには母親がニュースを解説する側になる日もあって良いのではないか」という話になり、さっそくそのような演出を試みました。お母さん役の柴田理恵さんを解説役とし、生放送の進行表は私が書きました。柴田さんは、一週間かけてみっちりとその週のニュースについて勉強し、池上さんからニュースの背景や問題点についてレクチャーを受け、万全の体制で生放送に備えたのです。 ディレクターの私から見ていても、気の毒になるくらい熱心に、柴田さんは勉強していましたが、いざ生放送の本番を迎えると、結果はボロボロでした。実を言うと、この試みは一回限りでおしまい。柴田さんからは「二度とニュースを伝える役などやらせないで欲しい」と哀願されました。それほどまでに、テレビでニュースの生放送を伝えるという仕事のプレッシャーは大きく、インテリ女優でも押しつぶされるほど重い責任があったのです。女優でタレントの柴田理恵さん 今のアイドルやお笑いタレントで、平然とニュースキャスターを引き受ける人たちは、この重責を感じていないのだろうかと、私から見ると逆に不思議に思います。画面に映らないところで出されるカンペ(カンニングペーパー)を「ただ読み上げていれば良い」と言われているのでしょうか。自分の言葉で解説したり、感想をコメントしたりするときに、十分なニュースの知識を持って語れているのでしょうか。 「ニュース情報バラエティー」という番組のジャンルは、『週刊こどもニュース』のような番組を、どう分類したら良いのだろう、と後になって私が考え、定義したジャンルに過ぎません。しかし、このような報道番組からワイドショーまで含めた、ニュースに関する番組を作る上で、メーンキャスターはカンペを読むのではなく、自分の頭で考えた、自分の言葉でニュースを語らなければ、番組として成立しないと思います。 『週刊こどもニュース』以前にもニュースキャスターが、分かりやすくニュースを解説する番組はありました。『ニュースステーション』(テレビ朝日系)の久米宏さん。『NEWS23』(TBS系)の筑紫哲也さん。それぞれアナウンサー出身、新聞記者出身と経歴は異なりますが、どちらも報道機関で揉まれてきた、たたき上げのジャーナリストであり、ニュースのプロでした。古舘伊知郎さんも、ご本人はニュースのプロではないと謙遜されているようですが、ニュースについて極めて深く突っ込んだ取材をされた上で、自分の言葉で伝えていました。信頼感が抜群の池上彰 こういった人たちから伝えられるニュースは、ずっしりと重みがあり、信頼感があり、また視聴者が考えさせられる深みを持っていました。私たちが優れた「ニュース情報バラエティー」をテレビで見て楽しむとき、そのニュースの背景について考え、そのニュースの真相について自分なりに考える、というように知的好奇心をフル回転することによって、世の中の出来事をより深く知る喜びを味わっているのです。 視聴者の知的好奇心がいかに満たされるのか、そのレベルはニュースを伝えるメーンキャスターが、そのニュースについていかに深く知識を持っているのか、によって自ずと決まってきます。メーンキャスターの知識が軽く薄っぺらなものであれば、視聴者の論考も軽く薄っぺらなものにしかなりません。跳んだりはねたり、踊ったり歌ったりする訓練しか受けていないアイドルや、人を笑わせることが本業のタレントが、カンペを読んで伝えるニュースには、厚みも信頼感もなく、視聴者に論考を促すレベルには至りません。 いまだに池上彰さんの解説する「ニュース情報バラエティー」が、飛び抜けて大きな信頼度と、高い視聴率を保っている理由は、彼自身の中に蓄積されたニュースに関する膨大な知識と、それを裏打ちする長年の取材経験があるからです。 誰もが池上さんのレベルにならなければニュースキャスターを務められない、という訳ではありませんが、十分な取材経験と知識を持ったニュースのプロが他にもいるはずです。そういった人がメーンキャスターを務める、大人の「ニュース情報バラエティー」をもっと見てみたいと、私は常々思っています。アイドルや芸能人は聞き手であったり、質問者であったり、といったニュースの素人の代表として出演してくれればいいのです。 大好きなアイドルがメーンキャスターを務めているから、という単純な理由だけでニュース番組を見ていると、日本人はどんどん思考力を失っていくことでしょう。そうして世の中の真相を深く知ることもせず、様々な事象について表面的で浅薄な知識しか持たず、自分自身の頭を使って自分の意見を語ることもできない愚衆が増えることになり、為政者にとっては御しやすい国になるかもしれません。「ここがポイント‼池上彰解説塾」(テレビ朝日系)の収録後会見した池上彰氏=2014年4月 しかし、国民がニュースを見て自分なりに論考を深め、自分なりの意見を持つ訓練を普段からしておかなければ、真の民主主義を実現することはできません。テレビというメディアが何のためにあるのか、エンターテイメント以外の重要な使命とは何なのか。それは報道機関として、世の中で起きている事実を的確に伝え、批判すべき所は批判できるように、主権者たる国民に深い論考を促し、鋭い判断の材料を届けることです。 アメリカではCBS、NBC、ABCの三大ネットワークで、夕方に放送する全国ニュースに限っては、アンカー(ニュースキャスター)1人で進行します。彼らは国民から高い信頼を寄せられており、「大統領が勝手なことを言えない者がこの国に3人だけいる。三大ネットのアンカーだ」という格言まであります。 日本でもそれくらい信頼感のある、骨太な本物のジャーナリストに活躍してもらいたいものです。少なくとも、踊ったり歌ったりするアイドルではなく、本職としてニュースの経験を積んできたニュースのプロが、ニュースキャスターの役割を務める、まっとうな報道番組のあり方を、今こそ取り戻すべき時ではないでしょうか。

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    ニュースは「職人の世界」覚悟があるなら櫻井翔でも構わない

    小俣一平(武蔵野大学客員教授) こんなことを書くと笑われるか呆れられてしまいそうだが、世の65歳以上の老人で、元TOKIOメンバーの山口達也さんはともかく、同じジャニーズ事務所のアイドルグループ、NEWSのメンバー、小山慶一郎さんが何者なのかスラスラ出てくる人は、相当な芸能通ではなかろうか。 山口さんは、バラエティー番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の人気コーナー「DASH島」での無人島開拓で何度か見たことがある。芸能人とは思えないほど、腰の軽い、気さくな性格が番組の随所に見られて、好印象を持っていたから、女子高生への強制わいせつ事件を聞いて、いささか驚いた。 ただ、山口さんが日テレ朝の情報番組『ZIP!』でメーンパーソナリティーをしていたことは、チャンネルを動かしていて、スーツにネクタイという意外な姿だったことから記憶にはある。だからと言って、別に彼の「ニュース情報番組」を見たいと思ったことはない。 ましてや、後者のアイドルは顔も名前も全く知らなかった。つまり、私にとっては、どの人が芸能人ニュースキャスターなのかを識別する術はほとんどない。プロであろうが芸能人であろうが、ニュースの伝え方、捌(さば)き方、コメント力で判断するしかないのである。 だから、「芸能人がキャスターをやることについて」というテーマ自体にも、私は違和感を覚える。つまり、「芸能人」というくくりに、発言者や識者の意識の中に「芸能人ごときが」という見下した臭いを嗅ぎ取ってしまうからである。 それは、私自身が差別や排除に過敏なのかもしれない。世に言う立派なジャーナリストから見たら、「シロウトが芸能のノリでやって欲しくない」という思いがあるのだろう。 今回のことに限らず、討論番組や情報番組で芸能人による政治や社会の問題についての発言に関して、よく思い出したのは、学生時代に読んだ吉本隆明さんの『情況』(河出書房)の「芸能の論理」だった。私の記憶に鮮明に残っているくだりは次の箇所だ。 ふだん政治的冗談や芸人的冗談を売りものにしているような男が、『まじめ』くさった顔をしてなんかいうときは、嘘をついているにきまっているのだ。文芸評論家の吉本隆明さん=1999年6月撮影 私には、この呪縛があるためか、長きにわたって芸能人を売り物にしたニュースや情報番組は、意識することなくスルーしてきたのかもしれない。しかし、<嘘をついているにきまっている>という指摘には、違和感があった。もちろん、吉本さん流の辛辣な表現で、「プロの世界は生齧りのヤツで無く、その道のプロに任せろ」という思いがあったからだとも推察できる。 確かに、現役の新聞記者や放送記者、そのOBの中にも、「芸能人がニュースキャスターやコメンテーターをやるなんて…」と眉をひそめる向きも少なくない。2002、3年のころだったか、作家の本田靖春さんと千葉県流山市内の病院横の川沿いで、2人してたばこをくゆらせながら、四方山(よもやま)話をしたことがあった。かくいう本田さんも、芸能人やタレントが「コメンテーターもどき」をすることに対して、かなり厳しく批判していた。「芸能人だから」起こしたのか 主旨としては、一見チャラチャラした芸人が、専門外の安全保障や外交、環境問題などを「芸能のノリで語るな」というようなものだった。それは普段の本田さんにしては、珍しく語気が強かったのでよく覚えている。吉本さんと本田さんの共通点は、当時のニュースキャスターやコメンテーターが「ニュースの職人」としての力量も技量も矜持も持っていた時代のことだと思う。 先般の山口さんの事件をきっかけに「芸能人キャスター」の是非を問うのなら、私は諸手を挙げて賛成はしないけれど、あっても構わないと考えている。それには理由が二つある。 一つは、破廉恥事件を起こしてしまったのは「芸能人だから」なのか、を考慮する必要があるからだ。これまでだって、放送局のアナウンサーであろうが、新聞社から出向してきた記者のコメンテーターだろうが、似たような事件で画面から消えた例は少なくない。 第一、つい先ごろも民放の元ワシントン支局長が、現役記者時代に若いマスコミ志望の女性に酒を飲ませて、ホテルに連れ込みレイプして、準強姦容疑で逮捕状まで準備されながら、それをもみ消したとの報道もあったではないか。 彼はフリーになるや、民放各局に出ずっぱりで、「政権の番犬」よろしく「ヨイショ」コメントを繰り返したり、ヨイショ本を出したりしていた。つまり「芸能人」はダメで、経験豊富な「ジャーナリスト」だったら安心だという設定は、既に崩壊しているに等しい。 もう一つは、伝え方や捌き方、コメントに難がある「芸能人」は自然淘汰されていくはずだからである。わが家は、家人と高校3年生の娘の3人だが、3人ともドラマ『喰いタン』や『必殺仕事人』のファンだったから、役者として立派な東山紀之さんが、キャスターを務める朝の情報番組を実は2回見たことがある。 私は「仕事人」の東山さんが、世の悪とどう斬り結ぶかに少し興味を持っていた。こう見えて私も実はミーハーなのである。だが、「名探偵」も「仕事人」も、ことニュース情報番組となるとどう捌いて、どう仕掛ければいいのか、馴染めなさそうな、場違いな雰囲気を画面から感じた。 それは、むしろ気の毒に思えたほどであり、その後見る機会はなくなった。そこには、東山さんにはドラマで活躍してもらえば良いという気持ちがあるからに違いない。東山さんの起用も山口さんも、芸能事務所とテレビ局のレベルの低い、質の悪い幹部の安易な視聴率稼ぎの被害者のようにも映った。テレビ朝日『ニュースステーション』のキャスターを務めた久米宏(左)と小宮悦子=1996年3月撮影 事ほど左様に、「悪貨は良貨を駆逐する」前に「金メッキは所詮メッキ、いずれ剥げる」と思えば、その道の職人でない人がニュースを伝えようが、先は見えている。それは芸能人に限らず、プロを自認するキャスターや記者にしても、日々研鑽しなければ同様であろう。  そもそも、ニュース番組に民放が力を入れるようになったのはいつのころからだろうか。黒柳徹子さんとのコンビで大人気だったTBSの伝説的歌番組『ザ・ベストテン』の司会者だった久米宏さんが、テレビ朝日の『ニュースステーション』を始めた1985年ごろからではなかったか。ニュースは職人の世界 その前に御巣鷹山の日航機墜落事故があり、生存者がいたという奇跡の報道をフジテレビが独占生中継した。生き残った少女をヘリコプターにつり上げる場面を大々的に放送し、「民放やるじゃん!」と社会的評価は一気に高まった。これまでNHKの独壇場、金城湯池と思われてきたニュースの世界に民放も参戦してきたように、同じ時代を筆者も放送記者として過ごしただけによく分かる。 当時の民放は、ニュース捌きの良いアナウンサーやキャスターに力を入れていた。テレビ朝日の久米さんに対抗して、TBSは筑紫哲也さん、フジテレビは露木茂さんや安藤優子さん、日本テレビは徳光和夫さんだっただろうか。 その影響は記者たちにも見られるようになった。「見られるニュース」に触発されてか、日が落ちるとネオン街に消えていった民放記者たちが、本気で夜討ち朝駆け取材するようになったのもこのころからではなかったか。日テレやテレビ東京の女性記者たちも、検察官舎やガサ入れ先に張り込んでいる姿を目の当たりにして、「ニュース戦争勃発」を肌で感じた。 しかし、90年代に入ってからか、恐らくフジテレビが先鞭をつけたという印象が強いのだが、タレントや芸能人とあまり変わらない大学ミスコンテスト入賞の美人アナウンサーをドンドン投入し始めて、ニュースショーなのか美人コンテストなのか区別が付きにくくなった。 とにかく、内容よりも外見で視聴率を稼ごうというテレビ局の魂胆が見え見えだった。美人でかわいいアナウンサーを見るのは嫌いではないし、否定するつもりはないが「学芸会の延長」のような異様な感じであることに変わりはない。その流れが今日のタレント起用に繋がっているのだと思う。 考え方はさまざまで、嵐の櫻井翔さんのファンが、彼がニュース番組をやることで、これまで興味のなかった報道に関心を持つようになると善意に解釈することもできる。私だって、もし韓国のアイドルグループ「少女時代」のユナちゃんが出演する番組があったら、ニュースであろうが何であろうが、きっと何度もうなずきながらで見ているだろう(すみませんミーハーで)。 その一方で、従来通りのニュースを見たい層は、NHKの桜井洋子さんや森田美由紀さん、民放では小宮悦子さん、安藤優子さんが出る「正当派のニュース」に、自然とチャンネルを合わせるに違いない。TBS系 『筑紫哲也 NEWS23』でキャスターを務めた筑紫哲也さん=1993年7月撮影 今、わが家ではテレビ朝日『グッド!モーニング』を、朝5時半からつけっぱなしにしている。メーンの坪井直樹アナウンサーを取り巻く松尾由美子アナウンサーら「4人娘」がそつなく自然と視聴者に溶け込んでいて、実に巧みだと思う。女子大生の福田成美さんも最初は素人むき出しでハラハラさせるところがあったが、今ではしっかりしてきた。 つまり、ニュースとは「職人の世界」なのである。職人は作った(出した)物で勝負する。記者は埋もれたネタを掘り起こし、ディレクターは分かりやすく視聴者に届ける工夫をし、アンカーはそれを自信を持って視聴者に伝える。 報道の世界に入って通用する、勝負ができるのなら、芸能人でもスポーツ選手でも女子大生でも、「この道50年」というような伝統工芸の職人さんや看護婦さんというのもよいではないか。後輩記者たちに言い続けてきた「目線は低く、志は高く」。これが私の40年来の持論である。

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    「アイドルがニュースを伝える」日本の特殊事情はこうして始まった

    西条昇(アイドル・お笑い評論家、江戸川大教授) 今年4月、当時TOKIOのメンバーだった山口達也が、女子高生への強制わいせつ容疑で書類送検された件で、メンバーの国分太一が司会を務める『ビビット』(TBS系)で山口に成り代わって謝罪し、世間の注目を集めた。 また、ジャニーズ事務所に所属するタレントたちもそれぞれキャスターや司会を務める番組で次々に厳しいコメントを口にした。 『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)の東山紀之(少年隊)、『NEWS ZERO』(日テレ系)の櫻井翔(嵐)、『news every.』(日テレ系)の小山慶一郎(NEWS)らに加え、山口自身も直前まで『ZIP!』(日テレ系)の司会をしていたこともあって、ジャニーズアイドルの「キャスター路線」の進行度合いを多くの人が再認識する結果となった。 続いて、6月に小山が未成年女性との飲酒により『news every.』への出演を自粛すると、一部で批判的な声が強まった。NHKの元キャスター、池上彰氏は文春オンラインの記事(6月6日)で「芸能人がニュースを伝えるのは国際的に見て日本ならではの奇観です」と語っている。 確かに、ポップミュージシャンのジャスティン・ビーバーがニュース番組のキャスターを務める姿は想像もできない。日本でも70~80年代まで、フォーリーブスや光GENJIのメンバーのキャスター進出などは考えられないことだった。 では、どうして現在のような状況に至ったのか。まず、80年代に起こった「MANZAIブーム」でお笑い芸人の活躍の場が広がったことが要因の一つだろう。89年に島田紳助の総合司会による報道・政治討論番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系)がスタートし、『ビートたけしのTVタックル』(同)が始まったのも同年のことだ。 一方で、88年にフジテレビにアナウンサーとして入社した有賀さつき、河野景子、八木亜希子の活躍で「女子アナ」という言葉が定着して以降、ルックス重視の傾向が強まったことで女子アナのタレント化とアイドル化が進んでいる。フジテレビの新人女子アナ3人組(当時)。左から河野景子さん、八木亜希子さん、有賀さつきさん ジャニーズアイドルの在り方も、90年代に入って大きく変わり始めた。SMAPが91年にCDデビューを果たすもののヒットに結びつかず、バラエティー番組とドラマに本格的に挑戦するようになった。 このため、それまでの10代の女性ファンを対象とした存在から、老若男女に親しまれる国民的アイドルへと成長を遂げたのだ。彼らの後に多くの後輩グループが続き、30代、40代になってもアイドルで居続けられる状況ができあがっていった。 バラエティーの司会ができる所属タレントが増えた次の段階として、事務所がニュース番組への進出を考えるのも当然の流れと言えた。キャスター路線の口火を切ったのは、2006年から『NEWS ZERO』の月曜日のキャスターを務める嵐の櫻井である。高学歴化するアイドル その翌年に、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏は、NEWSの小山に「YOUはアナウンサーに向いてるよ」と言ったと伝えられている。これらの背景には、慶応大卒の櫻井や明治大卒の小山の他、『ビビット』レギュラーで青山学院大卒の加藤シゲアキ(NEWS)、『めざましテレビ』レギュラーで明大卒の伊野尾慧(Hey!Say!JUMP)など、ジャニーズアイドルの高学歴化の影響もあったと思われる。 高学歴化の傾向は女性アイドルの場合も同様で、元おはガールで慶応大卒の平井理央と元モーニング娘。で同じく慶応大卒の紺野あさ美はテレビ東京、元乃木坂46の市來玲奈は日本テレビにアナウンサーとして入社した。 他にも、元AKB48の小林茉里奈は福岡放送のアナウンサーに、元NMB48の村上文香はNHK大津放送局の契約キャスターに、元SKE48の柴田阿弥はセント・フォース所属のフリーアナとなるなど、アイドルから女子アナへの転身が後を絶たない状況である。 そもそも、女子アナという存在が日本独自のものである上に、ニュース番組に芸能人キャスターが増えている状況は、池上氏の言うように世界的な「奇観」であるのは間違いない。  しかし、それを言うなら、ニュース番組だけに限らず、朝から晩まで一日中これだけ多くのアイドルやお笑い芸人がテレビに出ている国は世界で日本だけではないか。つまり、それだけ、日本のテレビの視聴者は「容姿端麗で華のある人」や「瞬時に面白いことの言える人」が大好きなのだ。 70年代のテレビから歌の上手さを上回る魅力的なルックスと個性を持ったアイドル歌手が次々に生まれた。現代につながる日本独自のアイドル文化が花開いたのも、寄席での名人に比べて上手さや芸を感じさせないが、テレビで笑わせることのできる若手お笑い芸人のブームが起きたのも、そうした視聴者の好みが根底にあったからだろう。TOKIOの山口達也メンバーが強制わいせつ容疑との一報を受け、警備員が配置されたジャニーズ事務所=2018年4月、東京都港区(桐山弘太撮影) 実力より魅力が評価されがちな日本のテレビ界を批判するのは簡単だが、そこから独自の新しい面白さが生まれるケースがあることも確かであり、筆者は芸能人キャスターの増加が悪いことだとは思っていない。 フジテレビでは新しいニュース番組のキャスターとして出演予定だった人の週刊誌報道などが原因でのスタート寸前の降板が続いたが、今までに増して慎重なキャスターの選定と出演者の自覚を持った行動が求められていくのは言うまでもないことだ。

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    大物二世の一茂と良純 「炎上しない安心感」で爆売れ中

    だが、どこかにくめないところがあって、視聴者からの支持を広く集めている。上智大学教授の碓井広義さん(メディア文化論)の分析。「一茂さんと良純さんのファンは、比較的年齢層が高い印象です。それこそ、ミスターや慎太郎さん、叔父の石原裕次郎さん(享年52)の活躍を知っている世代が、“やんちゃ坊主”を見るような気持ちで応援しています。怖いものなしで好き勝手に物申す姿が、むしろかわいらしく映ってウケているんでしょう」 突拍子のない発言が多い“天然系”の2人だが、テレビスタッフたちは困らないのだろうか。「“育ちがいい”というか、“金持ちけんかせず”というか、他人を悪くこき下ろすような発言はしないという安心感があります。毒舌がウケる人は、たまにアクセルを踏みすぎてしまうことがあってハラハラしますが、この2人の場合には、ちょっと天然も入っているから、“炎上”には繋がらないだろうと、安心して起用できるんです」(テレビ局関係者)「大物二世」のタレント、長嶋一茂(左)と石原良純がテレビで引っ張りだこだという その証拠が、冒頭のテレビ出演回数なのだろう。最近では、キャラがカブる2人の“セット売り”も多く、今年2月に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に並んでゲスト出演。5月の『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)では神奈川・湘南に男2人旅に赴き、6月15日の『ぴったんこカン・カン』(TBS系)では、一茂の個人事務所が入るビルの屋上でバーベキューパーティーを開いた。関連記事■ 江角マキコ 長嶋一茂宅落書き騒動でCM打ち切りの可能性検討■ 江角マキコ 落書き騒動で真っ先に謝った夫と「今も週4回」発言■ 木村拓哉長女と次女Koki、ハワイ旅行での「美人姉妹」写真■ 木村拓哉次女Koki 超スレンダーな母娘2ショット写真■ 小栗旬、娘とデレデレ手つなぎ幼稚園お迎えショット

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    米朝首脳会談報道に見る各局キャスターの悲喜こもごも

     放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、米朝首脳会談当日の各局の報道体制に注目。* * * 史上初となる米朝首脳会談がシンガポール南部のセントーサ島にて行われた12日午前。 現地に取材記者を送り込み、LIVE映像と共に中継したり、東京のスタジオに専門家を招いたりと、在京テレビ各局は対応に追われた。「歴史的な一日」を「現地でリポート」というのは、報道に携わる者なら当たり前の願望だと思うが、朝8時台の帯番組でメインキャスターが現地に行っていたところは私が見た限りゼロだった。 日本テレビの『スッキリ』は、「加藤さん!事件です」でおなじみの阿部祐二リポーターが担当。阿部氏は語学が堪能で海外の現場でも物怖じしないという特徴はある。が、前のめりな取材姿勢と大げさな伝え方が良くも悪くもワイドショー的なので、今回ばかりは、やや浮いていたように感じた。 TBSは、『ビビット』と夕方の『Nスタ』を合体させたイレギュラー体制。LIVE映像の向かって左側のワイプには『Nスタ』の井上貴博アナとホラン千秋が、右側のワイプには『ビビット』の国分太一や真矢ミキが映るという、TBSが『ビビット』に忖度したような画面となった。思い切って報道特番にしてしまっても、視聴者の多くは納得したのではないか。 そんななか、昨春に『Nスタ』から『ビビット』に異動した堀尾正明キャスターが口を真一文字に結んでいたのが印象的だった。井上アナよりずっと先輩で、NHK時代は『ニュース10』のメインキャスターを務めていた堀尾氏。シンガポールに行きたくてウズウズしていたとしても不思議はないし、『ビビット』のスタジオを仕切りたかったのではないか。 そしてフジテレビの『とくダネ!』は、今春、夕方の『みんなのニュース』から異動してきた伊藤利尋アナが、ここぞとばかりにスタジオを仕切っていた。 伊藤アナは、どちらかといったら報道よりは情報の人であり、完璧な進行と、わかりやすい解説で視聴者ウケがひじょうにいい、フジテレビの男子アナの中では、トップと言ってもいいMC力の持ち主だ。『ノンストップ!』には荷が重い『みんなのニュース』時代も、伊藤アナの明るさで現場もスタッフももっていたように見えていたし、「報道の伊藤アナ」の評価はなぜか自局より他局で高かったものである。本人もやっと報道に慣れてきて、番組としてもいい具合に進化しつつあったところで『プライムニュース イブニング』に変わったことに落胆していた人は多いものだ。 が、とにかく同局のトップは『プライムニュース』に思い入れがあることは、これまでにもさまざま伝えられてきた。それは、12日の『とくダネ!』終了後、『プライムニュース イブニング』の反町理キャスターと島田彩夏アナ、そして、長年、北朝鮮取材をしてきた同局の女性記者をメインに特別番組を編成してきたことでもわかろう。 そのため休止になったのは『ノンストップ!』。確かに、生活情報番組であり、バナナマンの設楽統が仕切るなか、芸人のゲストが目立つ同番組で米朝首脳会談というのは荷が重い。 テレビ朝日は『羽鳥慎一モーニングショー』で通常通り。日頃から北朝鮮問題を長尺で扱っているだけに、手慣れたものだった。そしてテレビ東京はもちろん、生活情報番組『なないろ日和』をいつも通りのタイムスケジュールでオンエアしていた。 ──と、メインキャスターが現地・シンガポールには行っていなかった朝帯の番組である。 かといって、かの池上彰氏が指摘するように、現在、午前中の生番組の大半はタレントがMCをしているため、今回のように歴史的会談が行われたりすると、それぞれ、そこかしこに弱さが露呈してしまうのは事実だ。フジテレビ『プライムニュース イブニング』キャスターの反町理・フジテレビ報道局解説委員長(佐藤徳昭撮影) 少々驚いたのは、『スッキリ』を通常通り10時25分までオンエアし、米朝首脳会談をメインで扱うも、その後の『PON!』や『ヒルナンデス!』がほぼ通常通りだった日本テレビだ。 日本テレビの平日は『ヒルナンデス!』後も、読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』だし、女性の報道記者が読んでいた「東京からのニュース」は、先週から日本テレビの女子アナに代わったばかり。午前中から午後にかけては、日本テレビの報道記者の出番がほとんどなかったということになる。 ちなみに、『ミヤネ屋』がシンガポールに送り出していたのは同局の報道局解説委員長、春川正明氏。これは、視聴者も納得の人選だろう。『スーパーニュース』の安藤優子再び 昼間は、TBSが『ひるおび』、テレビ朝日が『ワイド!スクランブル』を通常通りオンエアしながら、いつものコメンテーターに加えて専門家を招いて米朝首脳会談オンリーといってもいいなか、フジテレビは、バラエティー班制作の『バイキング』。大半を日大問題に割いていた。果たして数字は、どう出るだろう。 最後に『直撃LIVEグッディ!』の安藤優子氏だ。前日、「もう間に合わない」と満面の笑みを浮かべながら、いきなりMC席から立ちあがった安藤氏。トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の類似性について、2回、叫んだ後、コメンテーターの尾木直樹氏に「どう思います?」と尋ねたのだが、尾木ママは安藤さんのハイテンションについていけていけなかったのか無言に。安藤さんの心は既にシンガポール…という雰囲気丸出しだった。 メインの高橋克実が舞台出演のため11日から7月27日まで番組を休むなか、八嶋智人がピンチヒッターを務め始めた初日の番組中盤の出来事。安藤氏はシンガポールに旅立ったのである。 これまでにも高橋克実の長期欠席はあって、それは恐らく番組オファーを引き受けるときの“条件”だったのだと思われる。俳優の高橋が、いくら「歴史的な一日」と言われても、本業のスケジュールを優先するのは当たり前のこと。 だが、それが理由でシンガポールに行けない…ということは安藤さんの中にはなかったということだ。 さて、これまでにも『グッディ!』での安藤氏の“据わりの悪さ”は度々視聴者の間で取沙汰されてきた。「よくぞ言った」という意味でネットニュースにあがるのはサブキャスターの三田友梨佳アナの発言ばかり。昨年来、松居一代ネタや日大問題などを長尺で扱い、ライバル『ミヤネ屋』に視聴率で肉薄するも、「私の専門はこれではない」と言いたげで、どこか居心地悪そうにしていた安藤氏のことがひじょうに気になっていた。フジテレビ『直撃LIVEグッディ!』キャスターの安藤優子(野村成次撮影) が、12日の番組冒頭、『グッディ!』の東京のスタジオではほとんど着ることがなかった白のインナーに紺のジャケットといういでたちで、“『スーパーニュース』の安藤優子再び”…という雰囲気でプレスセンターから中継した安藤氏のイキイキしていたことといったら…。 何度か入った中継においても、なぜかスタンバイ中の音声が聞こえてきてしまったのだけれど、「はい!」「わかりました」と現場スタッフに対し、てきぱき対応している安藤さんの様子が伝わってきた。 私はかねてから、安藤さんがもっともイキイキしているのはヘリコプターに乗って中継しているときだと書いてきた。キャスターにも向き不向きというものがあり、安藤さんは、やはりワイドショー的な『グッディ!』ではなく、報道番組のほうが見ているほうにも、しっくる。そして、スタジオよりも現場が似合う人なのである。関連記事■ さまよい続ける田中みな実 狙うべきは女性層か!?■ フリーアナ思いのTBS 『はやドキ!』は人材の宝庫■ 横澤夏子 女芸人としてレアケースな活躍ぶりの理由■ 時々やってくる「ジャニーズの異端児」風間俊介ブーム■ 山口達也事件で改めて考える“ガールズ番組”の業界ルール

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    「女の子と付き合ったら変わるんじゃない?」大御所の残念な偏見

    網尾歩(コラムニスト) 女優の室井滋さんが、テレビ番組で紹介された男性の同性愛者に「女の子と付き合ったら変わっちゃうんじゃない?」と発言したことが、「差別発言」として話題になっている。LGBTへの世論は、ここ数年で大きく変わったように感じるが、その認識にテレビがついていけていないようにも感じる一件だ。 8月3日に放送された「チマタの噺」(テレビ東京)というバラエティ番組。笑福亭鶴瓶さんとゲストが一般の人の“噺”をネタにトークを展開する番組で、この日のゲストは室井滋さんだった。炎上の的となったのは、VTRで最初に登場した兄弟に関するコメントだ。 弟がゲイであり、兄もそのことを知っている20代の兄弟。弟が女性と付き合ったことはあるかと聞かれ「ないです」と答えたことを受け、室井さんは「いい兄弟ですよね」と言いつつ、その後で「案外さ、女の子と付き合ったら変わっちゃうんじゃない? この人。今、男の人しか知らないって言ってたから」と発言したのだ。 鶴瓶さんはこの発言について特にコメントせず、「あの兄貴いいよね」と、人のよさそうな兄を感心したようにほめていた。 室井さんの発言について、ネット上では「(室井さんは)異性愛者だと思うけど、『女の子と付き合ってみたら変わるかも』と言われたら、という想像すらできないのか」「こういうのはきちんと差別発言、ヘイトスピーチと呼ぶべき」といった批判が巻き起こった。 先週末に報道されて大きな話題となった、一橋大学で同性愛者の男子学生が自殺し、遺族が裁判を起こした件についてのことか、「同性愛者が自殺してしまう日本らしい発言」とコメントする人もいた。女優の室井滋 室井さんは早稲田大学社会科学部中退の経歴を持ち、女優の傍らエッセイストとしても人気だ。ざっくばらんに発言する「知性派」というイメージが強いことから、なおさらこの発言について残念に感じた人が多かったのではないかと推察される。時代の感覚と離れていく“大御所”たち 実際の放送を見ると、この発言はこれ以上掘り下げられておらず、このVTR自体にもそれほど時間が割かれていない。どういった意図で室井さんがこの発言をしたか、これ以上はわからないのだが、それでもこの一言は「認識が甘い」と思われても仕方ない。それほど典型的な、よくある同性愛者に対する偏見だ。 さて、有名人が炎上した際には2つの対応がある。1つはネット上での謝罪や言及であり、もう1つは無視である。 謝罪が行われるのは、多くの場合その有名人が普段からブログかツイッターを行っている場合だ。逆に、その有名人が普段からネット上での発信を行っていない場合は、なんの対応も行われないことが多い。 たとえばテリー伊藤さんは、たびたびその発言が顰蹙を買い、ネット上で批判されている。最近でも、情報番組で女性の陣痛に対しての「大げさじゃないか」という発言や、高知東生容疑者が逮捕された際に発した言葉に対するコメントが物議をかもした。だが恐らく、テリーさんはネット上での自分の批判をほとんど目にしてはいないのではないか。 以前、曽野綾子さんがネット上の批判に対して「私はエレキ使わないから」と発言したことが話題になったが、インターネットから情報を入手しない人、SNSを使わない人はやはりいる。さらに、ある程度の“大御所”の方たちは、一般人からの批判を鼻にもかけない節がある。 室井滋さんが、この発言に関してどのように対応するかはわからないが、彼女はブログやツイッターをやっておらず(手がけた絵本の販促用ブログとツイッターはあるが、2014年から更新されていない)、ネット上での発信がそれほど好きなわけではないのだろう。演出家のテリー伊藤 ただ、だからこそ、ネット上の「世論」とは異なる発言をしてしまったのではないか、という気もするのである。

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    LGBT問題 このままでは当事者たちの居心地は更に悪くなる

     少数者(マイノリティ)への差別や偏見はよくない。現代社会なら、誰もがうなずく基本的な考え方だろう。彼らの人権を守るため、当事者やその支援者たちは様々に活動している。とくにLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の人権問題は、婚姻を法的に認める国や、パートナー制度を認める日本の自治体が増えるなか、世間の耳目を集めているテーマだ。ライターの森鷹久氏が、LGBTが注目を集めることによって起きる摩擦と、当事者の危機感について、考えた。* * * 東京・新宿の飲食店でユウトさん(20代)が記者と"偶然"出会ったのは、昨年の夏前頃。パートナーの男性と一緒に酒を飲んでいたところ、仲間に入れてくれ、といって間に入ってきたのは大手新聞社の記者を名乗る女性だった。「酔った様子もなく、店に入ってきてからすぐ、僕らのところにやってきたので"アレ?"とは思いましたが……」 そこは、ゲイの人たちが多く集うことで知られてはいるものの、異性愛者や女性も受け入れる店だったため、誰でも観光気分で楽しみにくることでも有名な場所だった。とはいえ、知人でもないゲイカップルにずかずかと近づく女性客は珍しい。ところがその女性記者は初対面にもかかわらず、どんどん酒を勧めてきて、二人に関することを根掘り葉掘り聞いてきた。互いに秘密にしていること、あえて聞かずにいたことなど、問われることで気まずい雰囲気になっていることもお構いなしに質問を浴びせつけてくる。そして最後に、こう言って笑い飛ばしたのだ。「LGBTいいですよね、と言ったんです。レズビアンやゲイが"いい"とはどういうことなのか、僕らはポカーンとしちゃいましたが、その時は"理解者だ"と思って、彼女のことを受け入れました。しかし……」 この女性記者の「いいですね」発言の真意は、その直後にいやでもわかることとなった。(ゲッティイメージズ)「その後すぐ、ゲイカップルとして取材を受けてくれないかと、電話が来ました。気は乗らなかったですが、パートナーにも相談して……と返すと、二時間くらいでしょうか"あなたたちが声を上げないから国が良くならない"みたいなことを延々と説得されました。なんか、僕たちが悪者扱いされているようで不快でした……」 結局、ユウトさんはこの女性記者からの申し出を断ったが、何度も受けた「説得」はもはや、脅迫ともいえるような高圧的なもので、とてもユウトさんたちのような性的少数者に「寄り添う」モノではなかったと回想する。「多様性は重要だけど…」「"いいですね"というのは、取材対象として、またネタになる存在としていい、ということだったんでしょう。取材を受けない、と言った途端にパタッと連絡は止みました。しばらくしてまた連絡が入り"顔出しの取材"を受けてくれる人を紹介してくれ、としつこく言われました。最後は"顔出しでしゃべらないと意味がない"とか"(取材を受けないと)いつまでたっても社会に理解されない"とまで……」 ユウトさんはゲイではあるが、自身がゲイであることを、自分が直接、関わりがないすべての人にも理解されたいとまでは考えていないし、自分がそうであることを声高に訴えようとも思わない。ただ、ゲイやレズビアンといった「人々」の存在がある、ということを知ってほしいだけだ。「性的少数者の中には、自分の存在を訴えたい、受け入れてほしいと強く願う人だっているでしょう。でも、僕たちはそうではない。心配なのは、僕たちの存在を政治的な運動に取り込もうとする人たちがいること」 LGBTという言葉はもともと、そういう性自認や指向を持っているということを指しているだけであって、何かの運動に参加することを示しているわけではない。そもそも、性指向や自認は、その人がどのような人生を送るのか、どんな生活をしたいのかに深く関わる、実に個人的な問題だ。だからLGBTであることを公言するのか、秘密にするのかは本人が決めることだ。 自分がゲイであると同じ性指向を持つ者とだけ分かち合うのか、異性愛者の友人にも話すのか。自分の職場で理解してもらうだけでなく、見ず知らずの人も含めた社会に広く知ってもらうのかは、人それぞれだ。それは当事者本人が決めることであって、社会的意義があるからと他人が決定することではない。飲食店でパートナーと仲むつまじくしているからといって、社会運動にも積極的なゲイだと考えるのは短絡的すぎる。 LGBTに限らず、最近はマイノリティの存在と権利を訴える動きが盛んだ。ユウトさんも、人権を守り、偏見や差別をなくそうという思いはもちろんある。だが、マイノリティと呼ばれる当事者には、一人ひとり異なる思いがあり、問題への取り組み方も人によって違うのに、声の大きな人が自分の運動の仕方に無理に巻き込もうとする動きが強くなっていることが、かえって世間の反感を買うのではないかと不安を抱いている。「性的少数者だけでなく、ニューカマーの外国人問題だってそうです。多様性は重要だけど、そのことを利用して自分とどう関わりがあるのかよくわからないデモへの動員をかけたり、インタビューを受けさせられて、政治家への不満を答えさせたりするパターンが多い。そこでは、なぜか顔出しや自身のプロフィールをさらけ出せ、と半ば強いるように求められる。記者が僕たちに寄り添い、話を聞いてくれて、匿名の同性愛者の声として記事を書いてくれれば、それだけで嬉しいと思ったはずです。でもそこには必ず顔出しなどの"前提"がある。これがわからないんです。結局あなたたちは何がしたいのか? いいように使おうとしてませんか? と」 前出の女性記者は、自分の記事を特ダネにしたいという欲望のために、マイノリティの人権のために戦うべきだという理屈を振りかざしてきたと感じたユウトさん。ユウトさんは断ることが出来たが、しつこく食い下がられて断り切れず、不本意な形で世間に向けてカミングアウトさせられた人がいる可能性もある。なかには、考えてもいなかった政権批判に結びつけられた記事に利用された人もいるかもしれない。(ゲッティイメージズ) 政治的な活動すべてが非難されるべきものではない。本来の、当事者の人権を守り、偏見と差別をなくすためには有意義な方法だからだ。だがマスコミへの露出やロビーイングなど政治的活動をとる場合に忘れてならないのは、偏見と差別にさらされている当事者が考え、決定し、主体的に行動することが大前提だということである。LGBTまで「政争の具」 ところが、社会的弱者の存在が明らかになった瞬間に、彼ら、彼女らに寄り添うふりをして利用し、当事者が求めるのとは違うテーマに関連させて政治問題化しようとする試みをする者が、いつの時代にも存在する。これはLGBT問題に限ったことではない。「LGBT問題だって、今のように何でもかんでも社会や政権への不満と結びつけるような雑な話ばかりさせられていたら、いつの間にか議論さえされなくなると思います。それは、僕らが"政争の具"足りえないと判断されれば明日からだって無視されるんだと思います。怖いのは、政争の具とされたことで、僕らという存在がこれまで以上に色眼鏡で見られかねないことです。日本はLGBT問題、性差別問題において認識が甘い、と世界中で指摘されていますが、それを使って別の政治をしようとするから、余計に悪くなる」 ユウトさんは、自分のような性的少数者が今まさに「消費されている」と日々痛感している。「LGBT」だと告白すれば、大変だね、そうは見えないね、といった答えが返ってくる場合がほとんどだが、別に大変でもないし、変わっているとも思わない。この落差こそが、実際に性的マイノリティーの人々が、すでに社会から「かわいそう」とか「気の毒だ」と思われ始めている証拠ではないか、とも受け止めているという。「とある番組に出たゲイの知人が話していたんです。"こういった人たちがいるのだ"で終われば済む話が、マスコミへの出方、報じられ方によって必要以上にセンシティブで腫物のような存在として社会に認識されてしまい、やはり打ち明けるべきではなかった、やはり社会は私たちを受け入れてくれなかったと、間もなく絶望しなければならないかもしれない、と」 ユウトさんの知人は、某番組の出演前に、ディレクターから「オネエな感じを強調して」「白い目で見られたエピソードを多めに話して」などとアドバイスを受けていた。「私はゲイです」だけでは弱く、そこにドラマティックで、かつ虐げられているようなエッセンスを取り入れないと、番組が成り立たない、そう間接的に説明されたのだ。「LGBTを知ろう、受け入れようという動きは、どちらかと言えば歓迎すべきこと。でも、LGBTであることを白状させようとか、政治家に文句を言うべき、国のダメさを訴えろ、と強要してくるようなことになってはいないか。それでは結局、性的少数者は以前より居心地が悪くなってしまいそうですね」(ゲッティイメージズ) ユウトさんの一言は、我々マスコミ人にとっても、社会活動家にとっても重く突き刺さるものであることは間違いない。いいことをしている、社会のため、といって取材しモノを書き、発表することは簡単だ。この問題の本質とは何か、少数者や弱者が何を望み、社会がどう動いていくことが、社会の幸福につながっていくのか。うわべだけの言葉を用いていては、声や思いは、誰にも届かない。関連記事■ 九州でエイズ急増 中国若年層の患者激増との符合■ 中国に7000万人 LGBT向けビジネスが活発化■ 地下アイドルの「いじめ体験率」はなぜ一般人の約5倍なのか■ LGBT恋活パーティー 参加者が打ち明けた「それぞれの事情」■ 「新しい痴漢」の悪辣な手口 女性スタッフの盗撮も横行

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    「豪雨報道」がなんだかおかしい

    西日本を襲った豪雨災害は、平成史に残る甚大な被害をもたらした。これほどの大災害だったにもかかわらず、被災当初のテレビの報道ぶりに違和感を覚えた人も多かったのではないだろうか。「赤坂自民亭」もさることながら、テレビの豪雨報道もなんだかおかしい、そう思いませんか?

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    「赤坂自民亭」より不謹慎? エンタメ化したテレビの災害報道を憂う

    藤本貴之(東洋大学教授、メディア学者) 西日本を襲った数十年に一度という豪雨被害とはいえ、首都圏にいるとその実感は薄い。日々、豪雨による壊滅的状況がメディアを通して報道されても、当該地域以外、特に首都圏には物理的なダメージはないからだ。 現場に行ったり、被害を体感することのできない側の人間が、同じ日本人(あるいは日本に住む人間)として状況のリアルを知り、痛みを共有し、地域を超えて問題意識や危機感を持つためには、正しく客観的な報道から情報を得るしかない。 それこそが「公共の電波」を使ったメディアであるテレビ本来の役割であり、細分化・個別化されたネット情報が苦手な、巨大メディアに期待されることである。バラエティー番組などは、テレビというメディアがその本来の役割を、いつでも100%、採算度外視で稼働させるための「資金集め」だと個人的には考えている。 しかしながら、今日のテレビを見れば、ニュースを報道する多くの番組が「報道番組」ではなく「情報番組」、すなわちエンターテインメント化した「報道もどき」な情報番組ばかりというのが現状だ。もちろん、自分たちの感覚の範囲で客観性や公共性に努めてはいるのであろう。 とはいえ、お笑い芸人やタレントの司会者が、同じように芸能人に災害に関するコメントなどを求めている場面を見れば、それが「報道番組」ではなく、あくまでも「情報バラエティー番組」であることを痛感させられる。 また、東日本大震災や熊本地震などの時でも多発したように、テレビメディアが「震災報道」と称して、単なる「スクープ」「衝撃映像」「独占入手」を求めているだけのような動きをしたり、何を勘違いしたのか、取材クルーが単なる被災地の迷惑になっているだけの場合も少なくない。今回の豪雨被害でも、濁流に流される被災者の救助を助けることなく撮影し続けた様子が「見殺しだ」という批判が高まった。同じような主従逆転の事例は数限りない。 筆者は7月8日から11日まで、役員を務める鳥取県米子市で開催されていた国際学会に出席していたが、その際に改めて現在のテレビ報道がいかに不十分な報道メディアであるか、ということに気づかされ、反省もした。具体的には、東京に在住する筆者は、被災地の隣県・近県にある鳥取県に行って、初めてその被災のリアルを知ることができたからだ。被災地に向けて出発する、鳥取県米子市にある西部消防局の緊急消防援助隊員(山根忠幸撮影) そもそも、首都圏にいる以上、西日本豪雨による物理的なダメージや不都合を感じることは難しい。例えば、多少の影響はあるにせよ、羽田空港から米子鬼太郎空港までは問題なく飛行機は運航している。到着した米子も多少の雨模様とはいえ、基本的には「いい天気」だった。しかし、会場に到着してみれば、海外の研究者も含め、多くの参加者が遅延あるいは欠席の連絡が相次いでいた。ここで、初めて被害状況を理解できたことになる。 駅前にある大型スーパーなども営業こそしていたが、生鮮食品を中心に十分な在庫はなく、品ぞろえも悪い。ロジスティクス(物流)が停滞していたのである。だが、一見しただけでは、街は特に大きな障害もなく動いているようにも見える。隣県・近県が未曾有(みぞう)の豪雨災害に見舞われているとは到底思えない。しかし、表に見えてこない部分では確実に不都合が発生しているのである。コンビニでは品薄状態が続き、朝から現金自動預払機(ATM)には長蛇の列ができていた。 役員として会場に待機していた筆者の元に、国内外から続々と情報が届いてきた。多くの参加者が会場である米子に到達できなかったからである。まず、海外からの訪問者で米子まで到着できなかった人たちの多くが、岡山や大阪などから米子へ向かう経路が確保できず、足止めをされていた。 米子鬼太郎空港はいわゆる「国際空港」ではないので、海外からの直行便はほとんどない。よって、近県の大きな国際空港から陸路や鉄路で米子に向かう方法が採られる。しかし、隣県・近県をつなぐ主要な陸路や鉄路が遮断されており、近くまで来ているにも関わらず、米子に到達できないという現象が起きていたわけである。ショッキング映像ばかり もちろん、それは国内からの参加者も同様であった。東京など東日本から米子に向かう場合、空路利用が多いので、そこまで移動経路が遮断されているとは到底実感できない。一方で、西日本からの参加者は、あらゆる手段が寸断・遮断され、にっちもさっちも行かない…という状況になっていた。 だから、到着した参加者の多くが、いったん西日本から空路で東京の羽田空港へ向かい、そこからまた空路で米子に行くという信じられないような大回りで、どうにかして到着していた。 大きな迂回(うかい)経路を利用するということは、数万円の交通費を新たに消費するということも意味する。しかし、学会参加による出張では、参加できなければ出張旅費が支出できなかったり、国によってはめったに海外出張が許されない大事な機会であることが少なくない。また、座長などの役職者であれば、自分が到着しなければ学会が始められない…といった抜き差しならぬ事情を抱えることが多く、相当無理をして到着してきた参加者も少なくなかった。 この時に痛感したことは、被災地の現地以外の居住者に向けられたテレビで放送される情報の多くが、「しょせん全国放送向け」の薄い情報や、大衆的な興味を喚起できる、すなわち視聴率を獲得できそうなショッキングな情報ばかりであるという現実だ。 一方で、学会の会場にどうにかして到達した「猛者」たちの全てが、ネットで細かい情報を入手していた人ばかりであった。テレビが繰り返し映し出す「独占スクープ」の悲惨映像などは何の役にも立たない。つまり、テレビなどの主要メディアは「ショッキングな映像」以外に有用な情報はほとんど提供しきれていなかった。「公共の電波」と言いつつも、全く公共的には機能していなかったわけである。 しかしながら、テレビには主要キー局だけではなく、それにネットワークを形成する多くの地方局を抱えている。当然、それら地方局や放送網を効果的に利用すれば、さまざまな情報の収集や発信が可能であろう。2018年7月7日、冠水した岡山県倉敷市真備町で、ヘリコプターで救助される人(産経新聞社ヘリから) もちろん、被災地の地方局では、現地ならではの細かい情報を発信していたであろうが、それはあくまでもローカル局が現地に向けて制作したローカル番組でしかない。そのような番組が東京のキー局に届き、全国に発信されたような事例は多くないだろう。 地方局がリアルな「情報センター」として機能していたとしても、その情報が他に届かなければ、われわれは被災地の現実を知りようもないし、対策もできない。キー局による全国ネットの「情報バラエティー番組」は、視聴者の目を引くようなスクープ映像や同情する以外に視聴者には何もしようがないショッキング映像ばかりだ。それにコメントするタレントの喜怒哀楽を映し出すことが、公共の電波の役割ではあるまい。糾弾すべきは安倍首相よりテレビ もちろん、テレビに対して四六時中、細かい災害情報ばかりを放送せよ、と言っているわけではない。しかし、いわゆる「視聴率稼ぎ」の立ち位置からばかりではなく、公共の電波という意識と責任を強く持ち、テレビ局の放送網やリソース(資源)をもっと有効に利用すれば、中央と地方の報道格差を埋め、日本国として一丸となった情報共有もできるはずである。それが引いては効果的な避難情報や救援情報の提供も可能にするのではないか。 タレントたちが神妙な顔つきで「豪雨で大きな被害を受けたショッキングな映像」ばかりを紹介する情報番組が終われば、いつもの通りのバラエティー番組が放送される。もちろん、多少の自粛や方向修正はあるのかもしれないが、いつもと同じものばかりだ。それをとがめる人もいなければ、悪びれることもない。今のテレビ放送の存在はどう考えても「不謹慎」だ。 一方で、7月5日に自民党の国会議員が安倍晋三首相との宴会に出席し、同席していた兵庫県選出の西村康稔官房副長官がその写真をツイッターに投稿した、ということが「不謹慎だ」と非難が集まった。もちろん、兵庫県内でも10万人以上の避難勧告が出ていたので、地元選出の政治家としては緊張感を持って対応してほしいと願うのは当然だ。タイミングや対応の悪さはあったとは思う。 しかし、宴会やパーティーに出席したり、懇親会の類いに参加することも政治家の仕事の一部という側面もある。時には断ることのできない懇親会だってあるだろう。特に、首相も同席した宴会となればなおさらだ。 むしろ、それを不謹慎だと糾弾するエネルギーがあるのであれば、情報バラエティー番組で「独占映像」などと称してショッキングな映像を繰り返し流して視聴率を稼いだり、いつものようにバラエティー番組を放送したり、「報道もどき番組」で災害をコンテンツ化するテレビの存在の方こそ、はるかに糾弾されるべきものがあるように思う。2018年7月13日、宇和島市役所で行われた愛媛県の中村時広知事(右)との意見交換を終え、取材に応じる安倍首相(代表撮影) 公共の電波であるテレビは、こういった大きな災害時にこそ、あらゆる私欲を捨て、情報センターとしての役割を果たすべきであるように思う。テレビをつければ、公共性の失われた情報ばかりに埋め尽くされている。何のために大きな権力を与えられた「公共の電波」なのか、改めて考えるべきではないだろうか。

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    嫌われるマスコミの災害報道は「オーダーメイド取材」で一変する

    堀潤(ジャーナリスト、キャスター) 西日本を襲った豪雨災害は、200人以上の方々が亡くなり、現在も20人以上の方の安否がわかっていません。私は7月7日以降、豪雨被害が大きかった岡山県や広島県の各被災地を回り、被災された方々に今必要な支援が何かを聞いて回りました。 やはり被災者の第一声は水です。飲み水ではありません。生活用水です。トイレや風呂、手や顔を洗う水だけではなく、泥かきをしたり汚れを拭いたりする時に必要な水です。飲料水は支援物資や自衛隊からの給水などでなんとか賄えているのですが、生活用水を確保するのは至難の技です。 広島県三原市では井戸水を利用している世帯が少なくなく、水をくみ上げるモーターを修理し、使用できるようになった水を近所の人たちと共有し、助け合って復旧、復興に取り組んでいました。ただ、課題もあります。地元三原市の社会福祉協議会の方々に話を聞くと、犠牲になった方々の多くが自力で2階に上がることができない知り合いの方々でした。 足の不自由な50歳代の人、90歳を超え一人暮らしだった女性は「近所の誰かが大丈夫か?と訪ねてくれてさえいれば…」と唇を噛み締め、悔しそうに話をされていました。浸水被害がひどかった地域は比較的商業施設などが集まる中心部でした。新しく移り住んできた人も多く、地域の町内会の加入率が年々下がっていることが地元の方々の悩みでした。 女性はさらに「災害が起きると実感するはずです。地域のつながりがどれだけ大切か。普段から顔見知りだったら井戸の水だって借りやすいだろうに。命だって守ることになるんですから」とも語っていました。 実感したのはハザードマップの正確さです。各地を取材した際の共通の質問が「ハザードマップではこの地域はどのような状況でしたか?」です。地元の方々が改めて驚くほど、災害被害は起こるべくして起こるんだということを実感させられました。水害や土砂災害、地震、火災など災害ごとにハザードマップが作られているのをご存じでしょうか。それが何を意味するのかというと、避難先が変わってくるということです。 今回の豪雨災害でも地震などを想定した避難場所が浸水していたケースがありました。自治体からは防災無線を通じて別の高台の避難所の案内をしていましたが、馴染みのない場所で戸惑いが広がったという声も聞きました。災害が起きてからの対応では遅いのです。当たり前のことですが、平時のアクションが自分の大切な人と自分の命と財産を守るための防災です。 そもそも、私たち日本人は災害が発生しやすい国土で生活しています。地震、津波、台風、集中豪雨、そして火山。2011年3月11日に東北沖でマグニチュード(M)9・0の巨大地震が発生した東日本大震災では、10メートルを超える巨大な津波にも襲われ福島県にある東京電力福島第一原発がメルトダウンを起こす大規模な事故を起こしました。放射性物質に汚染された土地を取り戻すためには半世紀近くの時間が必要だとも言われ、私たち日本人は自然災害だけではなく、原子力災害も経験しています。炎天下の被災地を歩く男性。大量の土砂で下部が埋まった車や標識が放置されたままになっている= 2018年7月13日、広島県坂町(鴨川一也撮影) 地震は地中の岩盤同士がぶつかり合いズレることで地表に揺れを引き起こすわけですが、日本には今後もそうしたズレが起きる可能性が高い「活断層」が2千以上あります。世界中の地震の約10回に1回は日本やその周辺で起きているとあって、実は私たちの暮らす地面はとても揺れやすいのです。 特に東日本大震災以降は地震活動が活発で、政府は今後30年以内に東京や神奈川など首都圏でM7級の直下型地震が起きる可能性は70%と予測。東海から九州にかけてM8級の揺れが想定される東海、東南海、南海大地震も88%〜60%と、こちらも高い確率です。いつ起こるのかは分かりませんが、いつ起きてもおかしくないのです。家族4人が車で生活 また、日本は「火山列島」とも呼ばれ、噴火する可能性のある「活火山」が全国に110もあります。実は、あの富士山も活火山です。いつ噴火してもおかしくはありません。山梨県、静岡県、神奈川県では富士山噴火に備えた避難訓練が行われたりしています。富士山が噴火すると当然東京などにも影響が出ます。火山灰が降り積もり、新幹線や高速道路など交通網がマヒ。灰の影響で水道や電気、ガスが長期間ストップ。ジェット機も飛び立てなくなり、東京が陸の孤島になり混乱することも予想されています。 「これだけ色々な予測がされているのであれば備えも万全だろう」と思いがちですが、冒頭述べた通り、災害には「想定外」がつきものです。例えば、国は熊本地震のように震度7の地震が連続して起きることは想定していなかったと言います。災害発生時の対応をまとめた全国の自治体の防災計画の多くで「想定外」だったということも報道機関の調べで分かりました。 熊本の地震では1度目の震度7の地震で避難所に避難した人に加えて、さらに規模の大きな揺れに襲われ「もうダメだ」と思った人たちが一気に避難所に向かいました。最大で20万人とも言われる避難者の数、小学校や中学校の体育館には収まりきらず、校庭や渡り廊下といった屋外で野宿をせざるをえない人たちも大勢いました。 一方、そうして人があふれた避難所をあきらめ、仕方がなく自分の車の中で寝泊まりする人たちも少なくありませんでした。「赤ん坊が泣いて迷惑になるといけないから」「持病があって硬い床で寝られないから」「余震が怖くて建物の中にいたくないから」など理由は様々です。西日本豪雨被害の避難所でうちわをあおいで暑さをしのぐ人たち=2018年7月8日、岡山県倉敷市真備町の岡田小学校(永田直也撮影) 私が取材をしていた家族は親と子供の4人で3週間以上車で避難生活を続けました。避難所ではないので食料の配給も受けられず自力で調達。狭い車内で同じ姿勢のまま過ごすことで体調を壊す人もいます。「エコノミー症候群」と言って血のめぐりが悪くなり血管が詰まるなどして、最悪、死にいたる症状です。絶えず体を動かしたり、血のめぐりが良くなるようにマッサージをしたり工夫が必要でした。 食料の確保が大変だったのは、車中避難の人たちばかりではありません。避難所でも圧倒的に食料が足りずに苦労した人たちもいました。災害時の対応などを定めた法律「災害対策基本法」の中には「指定緊急避難場所」と「指定避難所」という言葉が出てきます。前者は地震や津波からいち早く身を守るために逃げ込むことができる高台や公園などにある安全な場所や施設。後者はそこに留まって食糧支援などを受けながら避難生活を送ることができる施設を指します。 災害による影響が比較的少ない場所であることや生活物資の運搬がしやすい環境であることなど、法律によって条件が定められています。ですから、すべての小・中学校などの避難所がこの「指定避難所」ではありません。 熊本地震では、避難した人が身を寄せた避難所が「指定避難所」なのかどうかで状況が大きく異なりました。指定避難所の小学校に避難した人は自治体からの物資や自衛隊からの支援を優先的に受けられました。しかし、同じ区内の小学校でも「指定避難所」ではなかった場合は、避難した人たちが自力で食料を調達しなくてはならず、大変苦労したのです。 10カ月の赤ん坊を抱えたお母さんは避難した体育館で「ここは指定避難所ではないので、食料は届きません。自力で調達が必要です」と言われた時には目の前が真っ暗になったと言っていました。そうした避難所ではインターネットを使うなどして全国からの直接支援でなんとか水や食べ物をかき集め、なんとか凌(しの)いだという状況でした。「何のための地元局か」 今回の西日本豪雨や熊本地震のように、首都圏が被災地にならない場合、相対的にテレビの報道量が減っていくのが体感として分かります。台風などは顕著な例であり、首都圏に上陸が予想される場合とその他の地域の場合とでは中継体制の力の入れように温度差があるのは明らかです。全国ネットの放送は東京一極集中であり、首都機能や交通、物流などに与える影響の大きさを考えると、首都圏の情報に重きを置くテレビ局の判断も分からなくはありません。 西日本豪雨の被害の大きさを考えると、首都圏が台風を迎え撃つ時のように事前の特番体制で報じるべきだったという声が上がるのは必然です。ただ、進路や速度などをもとに被害予測をたてやすい台風と短期間で変化に富む集中豪雨災害とでは勝手が違ったのかもしれません。 岡山県に住む方からこんなメールをいただきました。 6日夜、県の広い範囲に避難指示が出されていたにもかかわらず、ニュースでずっと報道していたのは、NHKのみでした。11時半過ぎ、地震かと思うような揺れがあり、家族がツイートやLINEで情報収集すると、浸水で避難途中の真備の友人から、工場爆発との知らせがありました。ツイートを見ると、津山でも揺れ、県内騒然とするなか、民放は、警報のテロップだけで、通販番組とか、いつもの放送内容でした…。日付がかわり7日のNHKニュースの総社市長のコメントで、爆発だと知った人もたくさんいたと思います。豪雨の犠牲者は、お年寄りばかり。岡山県も高齢化が進み、頼りの情報源はラジオTVという一人暮らしのお年寄りもたくさんいると思います。何のための地元局か、と怒りが。 お怒りはごもっともです。逆に、NHKの責任の重さも感じます。個人的には、被害の大きさを量で測るのには抵抗があり、ましてや1人の命も、100人の命もそれぞれ同じ重さであると思いたいものです。 私がNHKを辞め、自由な発信の場を求めた理由の一つが災害報道のあり方に疑問を感じたからです。今年でフリーになって5年になりますが、その間発生したさまざまな災害報道では常にそこで暮らす一人一人の生活者の皆さんとの連携を第一に掲げてきました。 2年前の熊本地震以降、大きな災害が発生すると私はまず自分のLINE IDをツイッターやフェイスブックで公開し、被災者の方とつながりながら、現場が最も必要としている発信を支援する取り組みを始めています。拡散した災害情報 災害時の会員制交流サイト(SNS)には悪意あるデマのみならず、古い情報がそのままリツイートされ誤解を生んだり、伝言ゲームで不正確な表現となり結果としてデマになってしまうケースなど、まさに玉石混交、さまざまな情報が流布します。そうした中に、被災者本人の本当のSOSが埋もれていってしまうことがあります。 フォロワー数の少ない個人が発信するよりもより強い拡散力を持つアカウントから発信してもらった方が多くの人にSOSが届く可能性が高まります。情報を精査、検証する力やより多くの人たちに短い時間で情報を届けるノウハウが求められますが、私のようなSNS使いのテレビマンにとっては何か役に立てそうだと思い、熱心に取り組んでいる支援の一つです。 例えば、今回の西日本豪雨では私が公開したLINE IDには愛媛県西予市野村、広島県呉市天応西条、岡山県総社市下原などで孤立したり、救援が必要な住民の皆さんやそのご家族、約20名の方から切実な連絡が入りました。 8日午前、広島県呉市天応西条3丁目の36歳の男性からのSOSは、20名から30名が今も川の決壊で孤立したままだという内容でした。1歳と12歳のお子さんがいるとのことで、そのうち持病のある12歳のお子さんの薬が明日までしかなく、発作が起きるのが心配だというのです。せめて薬だけでも届けてもらえないかと、男性は私に発信の支援を求めてきたのです。男性がLINEに送ってきてくれた動画を見ると、家の目の前の道路が崩壊し目の前を茶色く濁った泥水がものすごい勢いで流れていく様子でした。 撮影は8日早朝です。男性の身元の確認や映像の検証などをこちらで行い、ツイッターや各SNSで発信したところ、瞬く間に50万を超えるアカウントからのアクセスがあり拡散されていきました。そして、それから5時間後。「堀さん!お力を貸してくれたみなさん。どうもありがとうこざいます。無事救助連絡、そして子供の薬も5日分もらえました!本当に心から感謝します。救助ヘリも何機かきてもらい、具合が悪い方の救助もしてもらえました!断水状態も続きまだ不安定ですが、頑張ります」と男性から連絡が入ったのです。土砂崩れ現場で行方不明者を捜索する消防隊員ら=2018年7月7日、広島県東広島市 情報が途絶え、孤立した状況が続く中、SNSに寄せられる人々の声が男性やその家族を励ましたと言います。このように情報を寄せてくださった方々の元にはその後一人一人直接会いに行きます。今日の時点で岡山や広島から連絡をくれた人たちを直接訪ね、さらなる追加取材を行っています。オーダーメイド型の取材で被災者の切迫したニーズを満たす、これも新しい時代の報道の在り方なのではと思っています。

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    「五感で伝えない」民放テレビの災害報道は役に立たない

    たことがうかがえる。2018年7月6日、激しい雨が降る中、JR博多駅前を行き交う人たち テレビというメディアは、視聴者の五感に訴えかける。ニュース番組に出演している人の話の内容、すなわち「言語情報」だけでなく、話すときの表情、声色、しぐさのほかスタジオの雰囲気やBGMなどによる視覚情報、聴覚情報などの「非言語情報」が大きな意味をもつ。 豪雨の初期段階でのニュース番組から発信された情報に当てはめて考えてみると、「言語情報」では豪雨による被害拡大の危険性が高いことを強調していながら、視覚情報や聴覚情報から、あまりそのリアリティーが伝わってこなかったことが問題である。「言語情報」と「非言語情報」にギャップがあったように思う。リアリティーに欠けた「東京発」 テレビ局側は災害マニュアルに沿った教科書通りの放送をしていたため、「落ち度はなかった」と反論するかもしれない。確かに、「言語情報」において落ち度はなかったのかもしれないが、「非言語情報」から伝わる緊張感が弱かったために、「伝えるべきことが伝わらなかった」のではないか。 実際、福岡市に住む私にとって、「東京発」のニュース番組は、若干リアリティーに欠けたものに映った。というのも、私が住んでいる福岡市の「一部」に対して、この時点で避難準備情報が発令されていたことがL字画面で確認できたが、「一部」に自分が住んでいる場所が含まれているかが分からなかったのだ。 このため、テレビの災害情報が、避難の準備をするかどうかの判断材料には全くならなかった。結局、福岡市のホームページを見て、避難準備地域から外れていたことが確認できた。 また、番組で「土砂災害」や「河川の氾濫」の恐れがあるというコメントは何度も耳にしたが、自分が住む場所にどの程度のリスクがあるかが、テレビの情報では分からず、やはり福岡市の「浸水ハザードマップ」「土砂災害ハザードマップ」で改めて確認せざるを得なかった。そのサイトでは、刻一刻と変わる近所の川の水位も把握することができた。 東京発のニュース番組からは、大雨が降り続く地域の住民にとって必要な具体的情報が十分にあったとは言えない。しかも、繰り返された注意喚起も紋切り型で、大災害が現実に発生する恐れが本当にあるとは受け止められるような作りではなかった。 せめて、大雨が降り続く地域には、地方自治体のホームページにアクセスすれば、地域別の詳細な災害リスクが分かることを伝えて、視聴者を誘導してもよかったのではないか。私の場合、必要な情報は東京発のテレビにはなく、福岡市のホームページにあったのである。 今回のテレビ報道を見て、大災害にもリアルに対応できる災害マニュアルの再検討が必要ではないだろうか。迅速でスムーズな報道対応のためには、決められた流れで作業を進めるためのマニュアルが欠かせない。愛媛県大洲市の豪雨で、路上に横転したままの車両=2018年7月8日午前 具体的には、どのように情報発信すれば注意喚起のリアリティーが伝わるのかを「言語情報」と「非言語情報」の二つの側面からアプローチしなければならない。そのほか、被災地の人々が望む詳細な情報にいかに誘導するのか、という問題についても検討が必要だろう。 想定外の自然災害がこれからも発生する可能性はある。まずは、今回の被災地の人々がテレビの情報をどのように受け止めたかを丁寧に検証することから始めたらどうだろうか。

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    豪雨報道より『鶴瓶の乾杯』を優先した首都圏NHKが嘆かわしい

    によってしか実感を持って知ることができなかった。NHKはそれをリアルタイムで伝えることのできる唯一のメディアなのだ。 民放の場合、視聴者に「豪雨のニュースもう飽きたよ」と言われればおしまいだ。豪雨のニュース映像も最初はショッキングだが、何日も続くと飽きっぽい視聴者の興味をそそらなくなる。 そうなると別の娯楽番組を用意して、視聴者を満足させなければならない。そうしないと視聴率が落ちて、スポンサーからの収入が減ってしまうからだ。スポンサーによって経営が成り立っている民放の宿命である。 受信料で運営され、視聴率も絶対指標ではないNHKの場合、そこまで民放各局のように視聴者におもねる必要はないはずである。確かに『半分、青い。』も『鶴瓶の家族に乾杯』も視聴率の高い人気番組だ。そして番組本編の画面を小さくするL字画面は、視聴者にすこぶる評判が悪い。 実際に人気番組の放送時には、L字画面が邪魔だからやめてくれ、というクレームの電話が、視聴者ふれあいセンターへ相次ぐ。特に今回のように長期間にわたってL字画面が続いた時は、なおさらそうだろう。とはいえ、これはなんとかご理解いただくしかない。 また、NHKにも災害報道ばかり見せられるとウンザリする、という視聴者からの意見はある。「気分が落ち込む」、「何か楽しい番組で気分を晴れさせてくれ」という声もある。各避難所には特設テレビが置かれているが、それを見ている避難者の方々からさえ、災害の映像は見たくないから面白い番組を見せてくれ、というリクエストが上がってきたりする。ヘリで救助された住民=2018年7月7日、岡山県倉敷市(永田直也撮影) そういった事情を解決する苦肉の策として、災害報道をしつつ同時に一般の番組を見せる、L字画面という手法が取り入れられたのだろう。 あまりスマートなやり方とは言えないL字画面だが、テレビというメディアの使命をNHKが果たすためには、やむを得ない手段なのかもしれない。エンターテイメントのみに走って、災害報道のミッションを忘れては、NHKの存在理由そのものが問われてしまうからだ。東京目線のNHK その意味で『鶴瓶の家族に乾杯』を見せるのに、今まさに死者や安否不明者が増えつつある段階で、あえてL字画面をはずす必要があったのか。それを見て、あたかも災害が去ったかのように、笑うことができたのか。甚だ疑問である。L字画面があったほうが、むしろ安心して楽しめたかもしれない。 良くできた娯楽番組であったがゆえに、裏で続けられている捜索活動が気がかりで、私の目には番組自体が浮いて見えてしまい、素直には笑えなかった。番組にとっても気の毒である。そこには晴れた初夏の風そよぐ東京で、エンターテイメント優先に番組を編成している、東京目線のNHKの姿勢が垣間見えてしまったのである。広島県熊野町の土砂崩れ現場で続く捜索活動=2018年7月13日 さまざまな要望があるだろうが、やはりNHKの目線は被災地目線でなければならない。豪雨の被災地の方々には、翌日から猛暑という厳しい気候が容赦なく襲いかかる。エアコンの十分に行き届かない避難所で、熱中症の危険にさらされるはめになる。停電し、断水する。ボランティアなど支援活動もこれからだ。水没した家の再建を考えると、気の遠くなるような長い闘いが待っている。 今回のような未曾有の豪雨という大災害は、一過性のハプニングではなく、復旧と復興に長い期間と資金を必要とする国難だということを、しっかり認識して報道するべきだろう。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではダメなのである。 特別警戒警報が出たから臨時ニュースにする。警報が解除されたらニュースをやめる。こうした気象庁の発表のみに頼った報道姿勢では、NHKは視聴者の信頼に応えることはできない。警報や避難指示は、もちろん直ちに報道しなければならないが、NHKはあくまでも被災者の目線に立った自主的な取材で、長期的に災害報道にあたるべきだ。 地域に密着した取材網を持ち、視聴率に左右されないNHKならではの災害報道でこそ、その存在意義を示すことができる。金で買えるワールドカップの放映権で満足するのではなく、公共放送としての強みがどこにあるのか、その本質を見失わないでもらいたい。

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    NHK「災害報道」は熊本地震で3・11の教訓を活かせたか

    田部康喜(東日本国際大学客員教授) ジャーナリズムを大きな側面から分類すれば、報道と解説、そして評論となる。熊本県を中心として発生した広域の連続地震は、その影響がいまだに現在進行形であるから、報道機関は現地の報道すなわちルポと、地震の原因とこれからの広がりを含めた解説に力を注いでいる。 今回の地震を考えるうえで、NHKスペシャルが4月3日に東日本大震災後の地震研究の成果を振り返った「巨大災害 日本に迫る脅威~地震列島 見えてきた新たなリスク」が、災害報道の重要な試金石になったことに触れたい。 東日本大震災から5年を経て、日本の研究者の新たな挑戦をとりあげるとともに、東海地方から九州の太平洋岸に甚大な被害をもたらすことが想定されている「南海トラフ」地震がどのようなメカニズムで発生するのかという問題意識だった。 京都大学防災研究所の西村卓也・准教授は、GPS(全地球測位システム)の観測を活用することによって、地殻の変動を数値化して、地震発生のメカニズムを解明するとともに、次に巨大地震がどこで起きるのかを探ろうとしている。 巨大地震の発生は、プレートテクニクス理論によって説明されてきた。海側のプレートが陸のプレートに沈み込んでいくときに、徐々にひずみができてそれが耐えられない圧力となったときに、ずれが生じて地震が発生する。 日本の西日本の陸はひとつのプレートであるとされてきた。このプレートに海側のフィリピンプレートが沈み込むことによって、南海トラフ地震が発生すると推定されてきた。2016年4月17日、大きく亀裂が入った熊本県益城町の畑。地震で地表に現れた断層とみられる(本社ヘリから) 西村准教授は、GPSの数値よって、陸のプレートがひとつではなく、九州は4つのプレートに分かれていると分析している。それぞれの分かれたプレートは違った方向に向かっているのである。大分地方は西へ、長崎と佐賀は南東へ、南部は南に動いている。 こうしたプレートは表面的なものではなく、地下30㎞付近まで壁のようになっている。この帯状の壁が境目となっている地帯は、過去の地震の震源、震度の帯と一致する。それは活断層である。今回の地震が発生した、布田川断層と日奈久断層はまさにこの活断層である。 西村准教授は、こうした陸のプレートの境目に地震が起きる可能性があると指摘して、警戒を呼びかけていた。 NHKは4月16日にNHKスペシャル「緊急報告 熊本地震『活断層の脅威』」を、放送した。14日夜にマグニチュード6.5の地震が発生した28時間後に、マグニチュード7.3の大地震が起きたことを受けたものだった。気象庁は、最初の地震を前震とし、大地震を本震とした。 本震発生前の15日の取材とことわったうえで、先の西村准教授の冷静な判断が紹介される。 「プレートのブロックの境目に、ひずみがたまって地震になる可能性が高い」と。マントルの動きが大地震もたらす可能性 番組では、キャスターのほかに、NHK災害担当の菅井賢治と、東京大学地震研究所の平田直教授を加えて、さらに分析を進めていく。 震災地に入った研究者により、活断層のあとと推定される、地面の割れなどが発見されている。 平田教授は指摘する。 「地震の震源は地下10㎞から20㎞にある。この深さのひずみによって、岩石が耐えられなくなって破壊され、小さな地震が多数起きている」 地形の模型を使って、表面の地表の部分を取り除いて、地下に震源が集中している様子をわかりやすくみせている。地震は、まず比較的揺れの小さなP波が起きて、その後に大きな揺れを引き起こすS波が起きる。直下型地震では2の波の間隔が短く、緊急地震速報を出すP波の直後にS波がくるので、室内にいても避難の余裕がない。 4月3日放送のNHKスペシャルに戻る。東日本大震災後の東北の沿岸部で異常な現象がいま起きている。地震によっていったんは1mほど沈下した地盤が、隆起しているのである。 東日本大震災前から、海底などに水圧の測定機器を配置してきた、東北大学地震・噴火予知研究観測センターの日野亮太教授は、「想定と異なる別の地震の可能性」を指摘している。 大震災前には、東北の陸と太平洋側の海のプレートは、西方向に移動していた。震災後は陸のプレートが東に向かうと推定されていた。しかし、この1年間のデータを分析すると、陸のプレートが西に向かっている。これが、地盤の隆起につながっていると、日野教授は推定している。 これまで、ほとんど陸のプレート移動がなかった、ロシアの沿海州と中国の地盤も東にゆっくりと動き始めている。 こうした現象の原因として、日野教授は東日本大震災によって急激に動いたプレートの下に対流しているマントルに原因がある、と考えている。マントルはゆっくりともとにもどる粘弾性を持っている。プレートの動きについていけずにゆっくりと動いているのではないか、というのである。2016年7月、熊本地震から約3カ月が経ったが、熊本県益城町には倒壊した住宅が今なお多く残る(村本聡撮影) 地盤を隆起させるマントルの動きは、これまでとはまったく異なる大地震を引き起こす可能性もある。 東日本大震災とその後の地震研究を、定期的にシリーズ化することによって、突発的な自然災害において視聴者に的確な情報を提供する底力を、組織ジャーナリストにつけている。たべ・こうき 東日本国際大学客員教授。福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

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    在京テレビ局 大阪北部地震報道に温度差がある?

     放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、6月18日朝に発生した大阪北部地震に見る、災害の報道体制について。* * * 大阪北部地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 18日朝、震度6弱という大きな揺れの地震が発生した瞬間、私は東京の自宅に居たのだが、リビングの吊すタイプの照明がユラユラ揺れていて驚いた。後から、東京にも「震度1」を表示した地図を見て、改めて、広い範囲で揺れたことを知った。 昼過ぎ、私は大阪に本社がある某社での東京広報の人たちとのミーティングに参加していたのだが、「東海道新幹線に閉じ込められている同僚がいる」「会議の時間や参加するはずのメンバーの予定が大幅に狂っている」などと聞いた。普段から大阪と東京を行き来している人たちが青ざめた顔で対応に追われている様子を目の当たりにし、大変なことが起こっているのだと改めて感じた。 午後3時過ぎに一度帰宅し、テレビをつけた。まずは大阪の読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)で、その被害の大きさに愕然とした。 司会の宮根誠司氏は、日曜の夜、東京のフジテレビで『Mr.サンデー』に生出演しているため、月曜日は朝、飛行機で大阪入りする。 通常なら9時羽田発の飛行機で伊丹空港までスムーズに移動できるはずが、この日は20分遅れで飛行機に乗れたものの、伊丹空港の点検のため、2時間、機内で足止めを食ったという。伊丹空港に着いてからも、大阪市内が大渋滞で、結果、30分遅れでの出演になった宮根氏だったが、氏自身も朝日放送の局アナ時代に、そして読売テレビの記者やスタッフの多くが阪神淡路大震災の報道に携わっているだけあって、何を優先し、どう伝えればいいのか熟知しているため、番組はもちろん、地震ニュースに特化した内容だった。 その後、日本テレビでは通常なら東京のスタジオから『news every.』の時間になるが、読売テレビのローカル番組『かんさい情報ネットten。』のオンエアをしばらくの時間、流していた。2018年6月18日、大阪北部地震の発生で、伊丹空港のタクシー乗り場(手前)とバス乗り場には長蛇の列ができた(山田喜貴撮影) TBSも『Nスタ』の時間を早め、15時前から特番体制になっていたが、驚いたのは名古屋のCBC制作の『ゴゴスマ』や、フジテレビの『直撃LIVEグッディ!』が、早々に地震のニュースを切り上げていたことだ。 大阪の読売テレビの生放送を全国ネットしている日本テレビに対し、『~グッディ!』は、番組開始と共に、系列の関西テレビの生ワイド『ハピくるっ!』を終了させている。「ウワサの芸能ワイドショー」とサブタイトルがついていた番組ながら、もしもまだ続いていたなら、関テレからの生放送に切り替えたこともできただろうに。 TBSも、系列の毎日放送『ちちんぷいぷい』とは無関係と言ってもよく、名古屋発の『ゴゴスマ』を14時台はやっていたのだが、15時台は、さすがに報道に切り替わった。 いま、ワイドショーで数字がとれるのは、いわゆる“紀州のドンファン”と、日大のアメフト問題だと言われている。 そして、大阪での地震は、在京局にとっては“対岸の火事”に近いものがあるのだろうか?活きる阪神大震災の経験 実は私は、東日本大震災が発生した日、『情報ライブ ミヤネ屋』に生出演していた。阪神淡路大震災を経験している社員やスタッフが多い読売テレビでは、地震報道に関するマニュアルが完璧で、当時、アシスタントをしていた森若佐紀子アナが「早く、津波情報を」と言い続けていたことをいまでも覚えている。 だが、直後、東京のスタジオからのニュースカメラが映していたのは、お台場付近のビルから煙が上がっている様子だった。フジテレビの近くだから…と感じたのは私だけだろうか。 そして2年前の鳥取県中部地震のときも、私は『~ミヤネ屋』に生出演していた。発生が番組開始12分後のことで、後半は地震特番に切り替わった。 それはやはり、読売テレビの報道スタッフたちが阪神淡路大震災を経験しているからに他ならない。 だが、それから23年が経ち、読売テレビのアナウンサーも半数以上が「阪神大震災の報道を知らない世代」だという。 3年前、読売テレビでは、トークライブ企画「アナウンサーが語り継ぐ『阪神淡路大震災20年』」を開催、若手アナを聞き手に、先輩アナらが体験をトークし、「命に係わる重大なテーマ」でのインタビュー力について説いた。 参加アナの中には、阪神淡路大震災を機に、防災士の資格を取得している者もいて、被災者のもっとも近くで寄り添ってきた彼らならではの、ためになる話が多数あったと聞いた。阪神大震災の被災者向けの公営住宅=2004年1月、神戸市灘区 その中心メンバーで、いまは同局を退社した脇浜紀子アナ(当時)が言っていたのは、「阪神淡路大震災の2か月後、東京で地下鉄サリン事件が起きたことで、在京局制作の番組では、阪神大震災のニュースが激減してしまいました。まだまだ伝えたいことはたくさんありました」と。 阪神淡路大震災にまつわるニュースや新聞記事は、東京では1月中旬に集中しており、東日本大震災のニュースでさえ、3月初旬に集中しているように思える。 3年前、阪神大震災について扱った『クローズアップ現代』(NHK)で、「街は復興したけれど、暮らしや心の復興は半分」と、当時、働き盛りだった方々が異口同音に言っておられたのが忘れられない。 こうして偉そうに書いているが、大地震の日、生番組に出演していた私でさえ、正直、忘れてしまうことがある。震災の記憶を確かなものにしたり、消え去らないようにしたりするのが報道の役目なのではないか。 在京テレビ局はもう少し、被災地のテレビ局から学ぶべきではないだろうか。関連記事■ 米朝首脳会談報道に見る各局キャスターの悲喜こもごも■ さまよい続ける田中みな実 狙うべきは女性層か!?■ 時々やってくる「ジャニーズの異端児」風間俊介ブーム■ フリーアナ思いのTBS 『はやドキ!』は人材の宝庫■ 横澤夏子 女芸人としてレアケースな活躍ぶりの理由

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    テレビが流す「視聴者提供画像」 謝礼は?トラブルは?

    ップした後、友人からの反響も凄くて、気持ち良かった」 衝撃的な動画や画像には、日本だけでなく、海外のメディアからもオファーがあるという。現場に駆けつけた記者がそうした動画や画像を自分のスマホに送ってくれるよう頼むこともあるようだ。「基本的に謝礼を払うことはありませんが、記者個人の判断でギフトカードなどを渡すケースもあるようです」(前出・キー局社員) 今回の地震では、ツイッターなどの情報をもとに現地にメディアが殺到することもあった。「テレビ局の記者がワゴンに乗って現われたと思ったら、スマホの動画を見せてきて『この場所に案内してほしい』っていうんです。こっちはガスが止まって飯もろくに食えないのに……」(雑貨店店主) 被災者が被災者を撮影し、マスコミがそれに群がる。奇妙な光景がそこには広がっていた。関連記事■ 危ない「活断層」「隠れ断層」全国詳細マップ完全版■ 災害時の「不謹慎厨」対策、芸能人におかしな作法が定着■ AI地震予測 全国警戒エリアマップ2018年4月最新版■ 全国で地震頻発 首都直下地震を誘発する可能性は?■ 相模川でアユが大量発生 地元住民が気味悪がる言い伝え存在

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    死刑制度はオウム再犯の抑止力になり得るか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) オウム真理教の元教祖、麻原彰晃(本名、松本智津夫)ら元幹部7人に対して死刑執行が行われた。1995年の地下鉄サリン事件に代表されるオウムの引き起こした、社会的影響の大きかった一連の残忍な事件について、思いを深くするこの数日だった。 特に、インターネットや新聞、テレビなどで、今回の死刑執行をめぐってその是非が議論されている。中でも、6月に何人かの著名な識者が呼びかけ人となって設立された「オウム事件真相究明の会」が、麻原への死刑執行に対し、事件の真相究明を妨げたとして厳しい批判活動を行っている。 これに対して、ジャーナリストの江川紹子氏は「『真相究明』と言うが、オウム事件は、裁判を通じてすでに多くの事実が明らかになっている」としたうえで、同会に代表されるような麻原への死刑執行を反対する姿勢に「欺瞞(ぎまん)」さえ感じていると、事実検証をもとに詳細な反論を行っている。江川氏の論考を一読した筆者も全くの同意見である。 たいだい、裁判記録に加えて、ネットでは公安調査庁がまとめたオウム真理教関係の事件の概要、被害者やご遺族の方々の声、そしてオウム後継団体の問題点と監視の現状などがまとめられており、これらを参考にできるはずだ。あれほど真相究明に時間と労力・費用をかけて、江川氏の指摘するように核心部分が解明されているのに、「まだ真相究明がなされていない」と断じるのはあまりにも無責任ではないだろうか。 このように、十分な根拠を持たなくても、少しでも「疑惑」や「疑問」があれば、問題の全てを肯定・否定的に扱うやり口が最近、さまざまな事象で「悪用」されている。 地下鉄サリン事件が起きた95年前後でも、オウム真理教を好意的ないし弁護する識者の意見が多かった。それに乗じるマスコミも悪質で、例えばTBSの報道姿勢は弁護士一家殺人事件につながり、今も深刻な問題を残している。2018年6月、記者会見で、松本智津夫死刑囚の執行に反対する雨宮処凛さん(右)と森達也さん また、94年の松本サリン事件では、被害者家族を容疑者扱いにする、まるで魔女狩りのようなテレビ報道も大きな問題であった。このようなワイドショー的な魔女狩り報道は、現在も全く改善されていない。 特に今回の死刑執行に際して、各テレビ局の報道を見ても、TBSの重大な過誤や当時の魔女狩り報道、さらにはオウム真理教の「宣伝」「布教」の場と化していたさまざまな討論番組の功罪については、今日ろくに再検証されていないのが実情である。二十数年を経て、事件を「風化」させているのは、マスコミのこの無反省な姿勢にあるのだろう。無責任極まる「革命」崇拝 オウム真理教に好意的だった当時の一部の識者たちの姿勢を、宗教学者の大田俊寛氏が以下のように簡潔に整理している。大田:このように、中沢(新一)さんや浅田(彰)さんを初めとする日本のポストモダンの思想家たちは、オウムというカルトの運動を見過ごしたし、後押しもしてしまった。しかし、その責任を取ろうとはしませんでした。そして何より、まずはオウムという現象を客観的に分析するというのが学問の本分であったと思いますが、それがまったくできなかった。その代わりに、「オウムは間違ったけれども、次の革命とはこうだ。ポストモダンの社会とはこうあるべきだ」といったナンセンスな革命論が提示され、それに基づいた空虚なアジテーションが繰り返された。それは今もなお、形を変えて反復されています。大田俊寛×山形浩生「「幻惑する知」に対抗するために」 Sangha 2012年8月号 あまりに単純素朴な「革命」崇拝に類した態度は、先の江川氏の論考でも、地下鉄サリン事件発生から3年後(1998年)の雨宮処凛氏の言葉として紹介されている。ムチャクチャありますよ。サリン事件があったときなんか、入りたかった。「地下鉄サリン、万歳!」とか思いませんでしたか? 私はすごく、歓喜を叫びましたね。「やってくれたぞ!」って。吉田豪「ボクがこれをRTした理由」、TABLO 2018.06.08 事件発生当時、このような単純素朴で、それゆえに無責任極まる「革命」崇拝的な姿勢が、有名無名問わず当時の人たちに、いささかなりとも共有されていたことがわかるだろう。ひょっとしたら、このような「革命」崇拝を、今も無反省に続けているのではないだろうか。 次にオウム真理教幹部たちへの死刑執行について、経済学的な考察を紹介しておきたい。まず死刑については、人権尊重から廃止する必要があるとか、反対に社会的な応報感情を満たすために必要である、という価値判断を議論することが重要である。 だが、経済学でも、死刑が凶悪犯罪の抑止に効果的かどうか、しばしば議論されてきた。リフレ派の経済学者としても知られる駒沢大の矢野浩一教授や、法と経済学の専門家である駒大の村松幹二教授らが、1990年から2010年前半までの月次データを用いて分析している。2018年7月、松本智津夫死刑囚ら7人の刑執行について記者会見する上川法相 その研究によると、死刑判決や執行数では、殺人などの凶悪犯罪に対する抑止効果が見られなかったという。一方で、時効の延長、有期刑の上限の延長は、強盗殺人・致死に対して抑止効果がみられたというのである(村松幹二、デイビッド・ジョンソン、矢野浩一「日本における死刑と厳罰化の犯罪抑止効果の実証分析」、『犯罪をどう防ぐか』岩波書店シリーズ「刑事司法を考える」第6巻、2017)。なぜ「重大な再犯」が行なわれないのか ほかにも、死刑があまり凶悪犯の抑止に役立たないことは、米国でもベストセラーとなった『ヤバい経済学(増補版)』(東洋経済新報社)でも簡単に実証されていた。また、村松氏は論文「日本における死刑の近年の動向」の中で、オウム事件の犯罪者たちを「政治犯」として区別し、それを死刑判決数のサンプルの中に入れても入れなくても、上記の結論に関係ないことを示している。 オウム真理教の犯罪者たちを「政治犯」もしくは国家転覆を狙ったテロ組織の一員とみなすのは妥当な見解だろう。欧米でも話題になっているが、テロ犯罪者たちの再犯率のエビデンス(根拠)が不足し、再犯を抑止する政策についてはまだまだ未開拓の領域である。ただしオウム事件に限定してみると、元信者たちのテロなど重大な再犯はほとんど観測されていない。 麻原を含めた犯罪者たちの死刑判決や死刑執行が、オウム元信者の再犯抑止にどのような効果があるのか。また、今も公安の監視対象にある後継組織の抑止に貢献しているのか。これらは明確にわかっていない。社会や公安などの監視の厳しさ、漸増しているとはいえ厳しく制約されている活動資金や人的資源なども、テロの再犯を難しくしている可能性があるからだ。 ただ、以下のことはいえるのではないか。経済学では、さまざまな政策ルールの束というべきレジーム(体制)が変化することは、人々の行動も大きく変えてしまう。死刑判決・執行という「部分」だけに、どうしても目が行きがちである。しかし、それらも含めて、現在の社会監視体制や法体系、刑の執行など「政策」ルールの束が有効に機能しているために、今のところオウム元信者たちの再犯や後継団体による犯罪も未然に防げているのかもしれない。 事実は、それをある程度裏付けてもいる。もちろん、オウムの再犯抑制レジームを支えるもっとも弱いルールとして、死刑判決・執行をとらえることもできるかもしれない。村松氏らの実証はそれをある程度支持している。 ただしルールの束として考えるとなると、一つのルールに注目してその効果を判断することは妥当ではなくなる。例えば、サッカーにおいて、人数はそれほど大きなウエートを占めるルールではないかもしれない。でも、11人制を6、7人制にするルール変更を行えば、試合展開、観客の楽しみ方など含め、ゲームを大きく変化させてしまうだろう。つまり、レジーム転換が起きてしまうわけで、犯罪に関しては犯罪の動機付けを大きく変化させかねない事態を引き起こすのである。2018年7月6日、アレフ大阪道場の調査を終えた公安調査庁の職員ら=大阪市生野区(鳥越瑞絵撮影) 特に日本のように「厳罰化」の流れが生じている中で、大衆が死刑廃止という厳罰化ではないルール変更を受け取ったときに、レジームは大きく不安定化する。これは経済政策でいえば、アベノミクスがデフレ脱却レジームを採用すると言い、金融政策ではデフレ脱却ルールを続けながら、財政政策で消費増税など緊縮ルールを採用することにより、政策効果が大きく損なわれたことに似ている。 もしこの推論が正しければ、安易なレジーム変更につながるような、現在の死刑制度の廃止には筆者は即座に賛成しかねる。あくまでもオウム真理教的な事件に限っての試論的な考察であるが、最小限の予防ルールとして死刑制度を維持すべきという立場を採用したいと考えている。

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    「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた

    米朝首脳会談を前に一冊の本が衝撃を与えている。『メディアは死んでいた-検証北朝鮮拉致報道』(元産経新聞記者・阿部雅美著、産経新聞出版)。40年前、拉致事件を発掘し、21年前に横田めぐみさん拉致疑惑を初報した記者が、取材の経過とメディアが拉致をどう報じたか、赤裸々に綴ったのである。

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    1988年3月26日、メディアが死んだ日

    阿部雅美(元産経新聞社会部記者)(産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成) 本書『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)は産経新聞に連載された《私の拉致取材 40年目の検証》に加筆したものである。連載中、読者からの反響で最も多かったのは、本書で繰り返し触れた《メディアが死んだ日》についての質問だった。 1988年3月26日。北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚――政府が8年前に産経が報じた一連のアベック蒸発に言及し、初めて北朝鮮の国名を挙げて国会答弁したにもかかわらず、この答弁を含む歴史的な質疑をメディアがこぞって無視、黙殺したのだ。 そんなことが本当にあったのか、という驚きの反応もあり、この事実が意外に知られていないことを知った。書籍化にあたりタイトルを『メディアは死んでいた』とした理由の一つだ。 当時、国会・参院予算委員会の記者席にいた各社の記者に取材して《メディアが死んだ日》の真相を明らかにしてほしいという要望も、「あなたは何もしなかったのか」という叱責とほぼ同数寄せられた。実は20年前にも、15年前にも、それを試みかけたことがあった。 しかし、報じなかったことについての他社への取材は至難だ。私の力には余る。《メディアが死んだ日》があったこと、この日の答弁内容を書き残すことで勘弁願いたい。 朝日新聞や共同通信のOBから提案、アドバイスもいただいたが、「北朝鮮はそんなこと(日本人拉致)はしない、と言い続けた(当時の社内の)○○らに筆誅を加えてほしい」という無理な注文もあった。 では、88年3月26日に何があったのか。 この日の参院予算委員会質疑で答弁した警察庁の城内康光警備局長は、共産党の橋本敦議員の質問に対し、78年7月、8月のわずか2カ月間に4組の若い男女のカップルが突然姿を消したことについて、明確に「事件」と認定。続けてこう述べたのだ。80年の産経報道から8年、アベック拉致疑惑が初めて国会の場で取り上げられた瞬間だった。《諸般の状況から考えますと、拉致された疑いがあるのではないかというふうに考えております》 続いて答弁に立った梶山静六国家公安委員長(自治相)は、それまでの質疑をくくるように答えた。梶山静六元官房長官。答弁当時は国家公安委員長兼自治相だった=1998年6月撮影《昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性に鑑み、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、ご家族の皆さん方に深いご同情を申し上げる次第であります》報じられなかった歴史的答弁 これを通称「梶山答弁」という。拉致について一度も公式に言及していなかった政府、警察が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を認めた。それまで拉致については、言ってみればゼロ回答だったのだから、一歩踏み込んだというレベルの話ではなかった。 すでに拉致が周知のこととなっている「今」の視点からは、ごく当たり前の答弁に感じられるだろう。しかし「今」ではない。88年のことだ。 小泉純一郎首相の電撃訪朝で北朝鮮側が日本人拉致を正式に認める10年以上も前である。だが、この歴史的な答弁はこぞって報じられなかったのだ。 そもそも、私が書いた《アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?》の記事が、まだカタカナ題字だったサンケイ新聞一面に掲載されたのは80年1月7日。38年前だった。 横田めぐみさん拉致事件の初報となった《「20年前 13歳少女拉致」 北朝鮮亡命工作員証言》の記事が漢字題字の産経新聞一面に掲載されたのは、それから17年後、97年2月3日のことだった。 浜辺で楽しく語らう若い男女、下校途中の少女、買い物に出かけた母娘らが次々に襲われ、工作船に乗せられ、海の向こう1000キロ近くも離れた北朝鮮へと連れ去られる―「ありえない事件」だった。しかし、拉致事件の特異さを際立たせているのは、そうした犯罪の形だけではない。1997年2月3日、産経新聞は北朝鮮による横田めぐみさん拉致事件を実名報道。この後、拉致被害者家族会が結成されるなど救出への機運は高まっていくことになる もう一つ、ある。繰り返された理不尽極まりない蛮行を日本社会とメディアが長く放置してきたことだ。 産経新聞の第一報は「虚報」とされ、この重大な人権侵害、主権侵害の国家犯罪への関心が広がることはなかった。大半の国民が、拉致は事実、という共通の認識を持つまでに、なんという長い年月を要したのか、思いもよらぬ曲折を経ねばならなかったのか。 人により拉致事件の存在を知った時期に10〜20年もの隔たりがあるのは、なぜなのか―。責の過半は新聞、テレビなどマスメディアの不報(報じないこと)が負うべきである、と自戒を込めて思う。 歴史に「もし」「たら」はないが、もし、あの時、メディアが一斉に報じていたら、今とは違う、今よりずっと良い結果に至っていたのではないか、との思いがぬぐえない。一度ならずあった契機に目をつぶり、拉致疑惑の存在を否定、黙殺し続けた事実を消すことはできない。 この間、産経新聞の一連の拉致報道に対する誹謗を幾度も見聞した。インターネット上にも事実と異なる情報が散見される。反論もせず、訂正を求めることもしてこなかった。通常、事件取材の経緯は明かさないのが原則だ。 しかし、拉致事件に限れば、どう取材したか、しなかったか、どう報道したか、しなかったか、が正しく記憶されるべきだと思うようになった。それらをも全て含めて拉致事件と考えるからだ。あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。

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    誰も目にしたことがない国会映像

    阿部雅美(元産経新聞社会部記者)(産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成) なぜ、私は『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)を書いたのか。 日本海側で起きていた一連のアベック行方不明について「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と述べた1988年3月26日の梶山静六国家公安委員長の答弁(梶山答弁)。雑談やオフレコの場ではない。無責任な噂話ではない。国会の予算委員会で政府が北朝鮮の国名をはっきりと挙げて、人権・主権侵害の国家犯罪が「十分濃厚」と答えたのである。 これは尋常なことではない。だれでもトップニュースと思うだろう。しかし、この答弁がテレビニュースに流れることは、ついになかった。 新聞は産経がわずか29行、日経が12行、それぞれ夕刊の中面などに見落としそうになる小さいベタ(1段)記事を載せただけだった。朝日、読売、毎日には一行もなかった。 マスメディアの拉致事件への無関心は、ここに極まった。まるで申し合わせでもしたかのように、足並みをそろえて無視したのだった。記事の扱いが小さいとか、遅い、というのではない。報じなかったのだ。 「メディアが死んだ日」という意味合いが、お分かりいただけるだろうか。 関係者によると、あの日、予算委員会の記者席では、いつも通り報道各社の記者たちが何人も傍聴していたそうだが、このときの答弁映像はニュース映像の宝庫であるはずのNHKにも残っていないと聞く。誰も一度も目にしたことがないはずだ。 歴史的な国会答弁の映像が日本のどこにも存在しない。不思議なことだ。 現在、NHKは拉致報道に相当熱心だが、長い間、拉致を無視し続けたように思う。個々の記者がそろって無関心だったわけではなかったことは、後年、NHKの研修会に招かれてプロデューサーや記者たちと話す機会があって知ったが、世紀が変わるまでの20年間、まともな拉致疑惑報道を視聴した記憶がない。2004年9月、衆院総務委員会を収録するNHKのカメラクルー(奈須稔撮影) NHKだけを責める気は毛頭ない。民放各社も同じだった。 「梶山答弁」自体は数行だが、この日の拉致関連の政府答弁全体が実は画期的なものだった。ただし、自分たち身内のことが国会で取り上げられたにもかかわらず、アベック3組の家族たちさえ、こうした質疑があったこと自体を、ずっと知らずにいた。取り返しつかぬ9年の「空白」 産経も詳報をしてきていないので、この機会に改めて紹介させていただいた。本書を書き始めた理由の一つでもあるからだ。 「梶山答弁」の無視―。長くメディアの世界の隅で働いてきたが、これほどまでに異様な経験は、この一度きりだ。 一体何があったのか。各社の記者が、なぜ原稿にしなかったのか、あるいは原稿は書いたが、本社サイドでボツにしたのか。 いや、突然、あの質疑を聞いても、拉致についての相当な予備知識、関心がなければ一体何のことなのか訳が分からず、原稿にしようがなかったのではないか。答弁の重大さに気づかなかったのではないか。そんな冷めた見方もあるが、「メディアが死んだ日」の真相は今もって分からない。 報道しなかったという事実が報じられるはずもなく、「梶山答弁」は事実上、幻、つまり存在しなかったことになってしまった。この間、9年。取り返しのつかない空白が生じた。 本書は私や産経の手柄話の場ではない。恥もさらす。 私自身、「梶山答弁」を報じた88年3月26日付産経夕刊掲載のベタ記事に気づかなかった。出稿部署を離れて整理部で仕事をしていた時期ではあったが、それは言い訳にならない。 翌日だったか、翌々日だったか、同僚記者に教えられて知った時点で、大きく紙面展開することを社内で強く主張すべきだった。政府が国会で北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を初めて認めた、となれば、他紙もテレビも、それなりの報道をせざるを得ないはずだった。2018年3月、拉致問題の解決に向け、安倍晋三首相(右)に決議文を手渡す家族会代表の飯塚繁雄さん(右から2人目)ら。中央左は横田早紀江さん(斎藤良雄撮影) 記者の常識からすれば、政府・警察にそれなりの確証がなければ「梶山答弁」にはならない。どんな確証なのか。これを契機に拉致取材合戦が始まる。新事実が次々に明らかになる―。世論が盛り上がる―。政府が動く―。北朝鮮が動く―。 そうはならなかったかもしれないが、いずれにせよ、意気地のない記者だったことを恥じ入る。 誤報、虚報とマスメディアに黙殺され、自分が取材したと親しい人にさえ言えずにきた、あの記事を政府、警察が国会の場で丸ごと追認したというのに、何もできなかった。しなかった。情けない話だ。 産経に限らず、1社だけが報じても世論にはならない。80年の産経記事の後追い報道はともかくとして、「梶山答弁」はマスメディアが拉致疑惑をそろって取り上げるべき最初の機会だった。この機を逃した意味の大きさは計り知れない、と今も思い続けている。あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。

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    人権問題に産経も共産党も朝日もない

    阿部雅美(元産経新聞社会部記者)(産経新聞出版『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』より抜粋、再構成) 『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(元産経新聞社会部記者・阿部雅美著、産経新聞出版)では、拉致問題の解決に向けて奔走した人々も描いている。その一人が、元日本共産党議員秘書、兵本達吉氏だ。 「国会の共産党の人からですよ」。取り次がれた電話が、いつ、かかったのか。正確には覚えていない。 間違いだと思った。産経新聞社と日本共産党間の自民党意見広告掲載をめぐる訴訟は産経側の全面勝訴で決着していたとはいえ、仲直りしたわけではない。いわば犬猿の仲。電話などかかるはずがなかった。 「あんたが昔書いたアベック蒸発の記事、読んだよ。(松本)清張の小説より面白いな。わしも新潟、福井、鹿児島、みんな行って、家族に会ってきた。北朝鮮による拉致に間違いないんだよ」 いきなり、大きな声で、そう切り出す。自分のことを「わし」と言う思わぬ“同志”の出現に戸惑った。 それが橋本敦参議院議員(共産)の秘書、兵本氏との出会いだった。橋本議員は88年3月26日の「メディアが死んだ日」に、政府が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を国会で明言した梶山答弁を引き出したが、アベック拉致関連質問は秘書の兵本氏が現地調査を基に練ったことに疑いの余地はない。被害者家族の心痛描写など、実際に会って話を聞いた人にしか書けない。拉致疑惑を掘り起こした元共産党参院議員秘書の兵本達吉さん=2002年9月撮影 「『李恩恵』という日本から拉致された日本人女性から(日本人化)教育を受けました」 大韓航空機爆破事件で逮捕された金賢姫・元北朝鮮工作員の88年1月15日の記者会見での一言に刺激されて拉致事件に興味関心を抱いたという兵本氏。アベック連続蒸発を知り、新潟、福井、鹿児島へ出向いたのだった。 私に電話したのは、いつだったか、本書を書くにあたって兵本氏に確認した。 「梶山答弁からだいぶたってからだったよ」 もうすぐ80歳、私も70歳に手が届く。お互い記憶があいまいになる。それにしても京都大学生時代からの筋金入りの共産党員が、よく産経へ電話したものだ、と今でも思う。 《昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます》「メディアは、なぜ報道しないんだ」 せっかく画期的な梶山答弁を引き出しながらマスメディアに無視されたのだから、常人なら相当な打撃を受けたはずだが、それしきのことでめげる人ではなかった。 「そりゃ、ショックだったさ。なにしろ産経もベタ(1段記事)だからな。まあ、共産党の質問だから仕方ないけどね」 情報交換のため、時々顔を合わせるようになった。私は拉致事件の事実解明を続けてきたつもりだったが、兵本氏の関心は、その先、拉致された被害者たちを、どうやって日本に取り戻すか、にあった。当時、そんなことを考えていた人は、私の知る限り、兵本氏一人だけだ。 議員会館の部屋では共産党の職員が働いている。訪ねるたびに彼、彼女らの産経記者への視線が気になったが、兵本氏は、まるで意に介さなかった。 「拉致は主権侵害、人権侵害の重大犯罪だ。産経も共産党も朝日もない。メディアは、なぜ報道しないんだ」 同感だった。この迫力と情熱がやがて被害者家族を動かして家族会を結成することになる。 その一方で、日本共産党は、北朝鮮との関係を突然修復、兵本氏は党を除名されながらも、拉致被害者支援の活動を続けていったのだ。 少し脇道へ回る。だいぶ後の話だが、何人かの産経読者から「これは本当か」「ケシカラン」と問い合わせ、お叱りの電話を受けた。 関西の読者が郵送してくれた「知りたい 聞きたい 北朝鮮問題と日本共産党」という、共産党系の組織が配布したビラが1枚、今も手元にある。東京・渋谷区にある日本共産党本部=2017年10月(桐山弘太撮影)「拉致問題を早くから取材してきた阿部雅美産経新聞編集局次長(当時)」と私の名があり、「拉致疑惑をもっとも熱心に国会で取り上げてきたのは共産党の議員です。共産党と産経新聞は昔から仲が良くないのですが、これはそういう問題ではありません」という、どこかの場での私の発言が載っている。 梶山答弁を引き出した橋本質問を念頭に、そのような発言をしたことは事実だが、私にとって拉致疑惑に関しては兵本氏=共産党だった。兵本氏以外の共産党員と言葉を交わしたり、取材したりしたことは一度もない。 遅きに失したが、ビラの中の「共産党の議員」は「共産党の議員秘書、兵本氏」の誤りなので、この機会におわびして訂正しておく。あべ・まさみ 1948(昭和23)年、東京生まれ。72年、産経新聞社入社。80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞。

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    政治的娯楽「モリカケショー」があまりにバカバカしい

    きや、多くの野党の「疑惑がますます深まった」症候群が加速化しているだけでしかない。 この問題は日本のメディアの低レベルと政治の薄っぺらさを実証する以外に何の成果もないのである。だが、世論調査では、圧倒的多数の人が柳瀬氏の国会での発言に納得していないようだし、テレビのワイドショーの「識者」の発言も同じく批判的だ。 しかし、筆者の考えでは、加計学園問題は一種の政治的な娯楽で消費されているに過ぎず、いわば受け手や作り手の「好き嫌い」しか反映されていないものだと思う。つまり、映画や遊園地で遊んだことについて、お客さんに「満足」か「不満足」かのいずれかを問うものと同じレベルであるということだ。 世論調査では、加計学園問題に関する柳瀬氏の答弁や安倍晋三首相の説明について、世論、いや消費者たちは圧倒的に「不満足」である。彼らは政治的娯楽を「もっともっと」求めているように思える。 多くの野党議員が口にする「疑惑はますます深まった」という言葉も、要するに「次回のモリカケは?」とドラマやアニメの予告編を知らせるせりふでしかない。そこには真実の追求もなければ、政治的な展望もないのである。もはや、政治はワイドショーの「奴隷」のような状況だろう。 ちなみに、柳瀬氏が加計学園の獣医学部新設をめぐり、学園や愛媛県の関係者と面談したことは、事実関係でも単純な論理としても、安倍首相サイドによる優遇には全くつながっていない。一部マスコミの見出しでは、まるで加計学園サイドに「優遇して」面談の機会が与えられたかのような印象報道もある。2018年5月10日、衆院予算委の参考人質疑で答弁する柳瀬唯夫元首相秘書官(松本健吾撮影) でも、あくまで柳瀬氏側と面会の予約をすることができたかどうかの問題でしかないのである。それが何の疑惑の根拠になるのだろうか。真実よりも「好き嫌い」 また、愛媛県の中村時広知事や「反安倍」の識者、マスコミ、野党は、「首相案件」という文言にこだわっている。では、「総理案件」だろうが「首相案件」だろうが、フレーズがいずれであっても、いったい何の疑惑を生み出すものなのだろうか。まるで「疑惑ゆえに疑惑あり」「予告編は面白おかしくていい」というような薄っぺらい印象でしかない。 もう一度簡単に書くが、柳瀬氏と面談すること、そしてそのときのメモ書きに「首相案件」などと書かれていたことが、何か重大な政治的ミス、道義的な重大ミス、あるいは国益を損ねる犯罪などになるのだろうか。 実は、この問いに対し、具体的に答えた人はいまだにいない。国民の多くは、テレビや新聞、インターネットなどから「犯罪映画の予告編」を延々と流され、「なんか怪しそうだ」とあおられているだけである。まさに異常な事態といえるだろう。 筆者はこの異常事態をしばしば「魔女狩りの経済学」という視点で取り上げてきた。冒頭にも書いたように、加計学園と学校法人「森友学園」(大阪市)のいわゆる「モリカケシリーズ」は、報道ではなく娯楽の消費なのである。 すなわち、真実の価値よりも、単に「好き嫌い」や「面白い面白くない」が優先されるのである。そしてメディアは、世論にできるだけ楽に消費してもらえるように、勧善懲悪的な見方や単純な構図、そして一つの話題をなるべく使い回すことを選ぶ。 メディアにとって、真実の追求は「おまけ」でしかなく、かえって真実がゆがめられて報道されている。しかし訴訟を起こされない範囲であれば、この娯楽としての報道にリスクは生じない。特に任期も限られていて、公的な地位が高く、訴訟リスクの低い国会議員などは、娯楽としての報道には最適の道具でしかないからである。 他方で、長期的な「取引関係」にあるといっていい官庁や警察、有力芸能事務所などへの批判は控えめになる。これらのマスコミの「取引先」は大切なお得意さまなのかもしれない。2018年5月8日、閣議後、記者の質問に答える麻生財務相 例えば、財務省で立て続けに明らかになった文書改ざん問題やセクハラ問題は、財務省の体質や制度そのものに起因する悪質なものである。ところが、マスコミの多くは麻生太郎副総理兼財務相の「クビ」しか関心がない。財務省自体に損失を与えると、自らにとっても「マイナス」になるかのように、彼らの批判の矛先は麻生氏に向けられたままだ。「モリカケ問題」今後は? さらにマスコミは、政府が「悪」、それに対抗する勢力は「善」、と勧善懲悪的に描かれる。今回の加計学園問題においても、政府側は悪役であり、くめども尽きない「疑惑の泉」でもある。 筆者の知る人気のサブカルチャー識者の中にも「常に政府に反対するのが正しい」と主張する人もいる。あまりにも薄っぺらい見方だが、国民の一定割合の支持を受けているだけに侮れない。 一方で、ワイドショーをはじめとするテレビ・新聞の報道を真に受けない人たちも増えてきている。これらのマスコミの情報を踏まえながらも、ネットでの代替的・補完的な情報や意見を参考にする人たちである。 もちろんネットの情報には多くの深刻な間違いがある。また、ネット上の意見の多くがマスコミの意見や分析の焼き直しであることも多い。ただ、これらのマイナス面を割り引いても、インターネットの進歩が、既存のメディアが好んで作り出す「娯楽としての報道の危険性」に一定のブレーキをかけていることは間違いない。 ところで、モリカケ問題はこれからどのような動きを見せるのだろうか。真実の追求よりも娯楽の追求が問題の「真相」だとすれば、答えは一つしかない。テレビであれば他の番組にチャンネルが変わること、新聞であれば他の重大問題に一面が変わることである。 つまり、より「楽しい」娯楽が提供されるまでは、この問題に関する「疑惑」は生産され、消費され続けるしかないのである。経済学のゲーム理論を応用すれば、これはゲームのルールが変更されることを待つしかない。悲観的な見方ではあるが、実はそれほど絶望的でもない。娯楽はすぐに飽きられる面もあるからだ。2018年5月10日、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致を伝える東京・秋葉原の大型モニター 実際、一部の世論調査では、内閣支持率も下げ止まりをみせて微増に転じているようだ。これは北朝鮮などの外交問題といった違う娯楽を求め始める動きや、消費者の飽きを示すものかもしれない。もちろん、真実を望む多くの人たちの、ネットなどを中心とした言論活動の成果かもしれない。 いずれにせよ、既存のマスコミが真実を追求する報道ではなく、娯楽としての報道を提供する限り、それを国が保護する何の理由もない。今後、マスメディアに対する規制緩和、特に放送法の改正などが重要な課題になっていくであろう。

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    テレビの公平性ってなんだ!?

    た放送制度改革だが、中でも注目されるのが放送局に政治的公平などを義務付けた放送法4条の存廃である。大メディアはなぜ「撤廃」に猛反発するのか。議論の核心を読む。

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    偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!

    本柱だった。①放送法第4条をはじめとする放送諸規制(番組準則、番組基準の策定、番組審議会の設置、マスメディア集中排除原則、外資規制など)の撤廃②放送におけるハード・ソフト(NHK以外の放送設備部門と番組制作部門)分離の徹底③NHK以外の放送と通信の一元化(一本化) 以上の意味するところは、NHKと民間放送という「二元体制」の終了である。言い換えれば、NHK以外の民放をインターネットなどの通信と同列化し、事実上「放送」ではなくしてしまう。 この「改悪」が貫徹されれば、1950(昭和25)年の電波三法成立・施行から戦後70年近く続いてきた日本の放送制度は、根本的に変わることになる。つまりこれは、安倍首相の大好きな「戦後レジームからの脱却」の放送版なのである。 安倍首相がしばしば口にする「戦後レジームからの脱却」は、本来であれば、先の大戦後に日本にもたらされた戦後体制のうち、戦前体制よりよいものと戦前体制よりよくないものとを峻別(しゅんべつ)し、よくない戦後体制だけを、現体制よりよいものに変えること、であるはずだ。 ところが、安倍首相は、そうした峻別や腑分け作業なしに、アメリカの押しつけや左派・進歩的文化人の推奨が目立つ戦後体制のうち、自分が変えたいと思うものだけについて「戦後レジームからの脱却」と口走ってしまう。だから説得力がなく、歴史観がおかしな歴史修正主義者と見なされることになる。 もちろん日本の現行の放送制度は、政府の手足となり大本営発表しか流さなかった戦前の悪しき放送制度(ラジオ)を反省し、アメリカ(GHQ)の指導下につくられた、まさに「戦後レジーム」そのものである。しかも、戦前体制よりはるかによい戦後体制だ。 しかし、どうやら安倍首相は、自分が言い出した放送制度の「改悪」が、「NHK民放二元体制の崩壊」や「放送とネットの非現実的な融合」を意味し、戦後レジームを根本的に変えてしまう大ごととは、よくわかっていなかったようである。規制改革推進会議であいさつする安倍晋三首相(右)。左隣は大田弘子座長=2017年9月11日、首相官邸(酒巻俊介撮影) その後の各社報道によれば、4月中旬に開かれる内閣府「規制改革推進会議」でこのテーマを取り上げ、安倍首相が方向性を示すとされていた。その後、同会議が5月頃をメドにまとめる答申に放送改革の方針を盛り込み、早ければ18年秋の臨時国会に関連法案を提出。20年以降の施行を目指す、という段取りとみられた。 しかし、68年続いた放送制度を根本的に変えようという大改革にしては、以上のスケジュールは、ばかばかしいほど拙速すぎた。一目、話にならない無理筋である。 民放連(日本民間放送連盟)は3月半ば「放送の価値向上に関する検討会」を立ち上げ、対抗策を練った。同検討会は大久保好男・日本テレビ放送網社長(6月に井上弘・TBSテレビ名誉会長の後を受けて民放連会長に就任予定)が座長、在京キー局役員が主要メンバーとなり、民放挙げて徹底抗戦の構えをとった。 テレビと系列関係の強い大新聞紙も、今度ばかりは受け入れがたいということで、安倍首相いわく「読んどけ新聞」こと読売新聞紙も3月8日に〈安倍「放送」改革に潜む落とし穴〉(政治部からメディア局に移った加藤理一郎記者の署名記事)、17日には〈首相、批判報道に不満か〉という見出し記事を掲載。そのほかの新聞もおおむね「拙速にすぎないか」との論調である。安倍首相の「焦り」 放送を所管する総務省も依然として半信半疑。野党はもちろん、与党にも反対論が根強い。そんな中4月16日に開かれた「規制改革推進会議」が公表した「通信と放送の融合の下での放送のあり方について」では、冒頭①~③の中身は、あっさり削られていた。 同会議が具体的な検討課題として示したのは、(1)通信・放送の融合が進展する下でのビジネスモデルの展開の方向性、(2)より多様で良質なコンテンツの提供とグローバル展開、(3)上記の変革を踏まえた、電波の有効活用に向けた制度のあり方、の3項目。会見で放送制度改革について聞かれた大田弘子・同会議議長も「報道にとまどっている。そうした議論はまったくしていない」と、水面下で検討された放送法4条撤廃問題などの火消しにやっきとなった。 安倍首相は、会議で放送法第4条の「ほ」の字も出さず、「放送と通信の垣根はなくなっており、コンテンツの世界はグローバル競争の時代に突入している。日本のコンテンツは世界で通用しないとあきらめてはダメ」などと発言した。1月の施政方針演説や2月の政府「未来投資会議」で、威勢よく放送の「大胆な見直し」を宣言していたのとは大違いだ。各方面からの反対に加えて、内閣支持率の低迷が響き、自らの軽い思いつきを撤回せざるをえなかったわけである。 それにしても、なぜ安倍首相は、ポシャるに違いないこんな無理筋の話を持ち出してきたのだろうか? 今回のような「放送制度改革案」は、特に目新しいものではない。例えば2006年には、当時の竹中平蔵総務大臣の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」で、NHK・民放・NTTの改革が議論され、「通信・放送の法体系の抜本的見直し」「マスメディア集中排除原則の緩和」といったキーワードも登場している。 アメリカで、放送のいわゆる「フェアネス・ドクトリン」(公平原則)が撤廃されたのは1987年と、30年も前のこと。放送局が政治的な党派性を掲げてもよいのでは、という議論は、日本でも当時からあった。 今回そんな古い話を出してきた最大の理由は、森友問題(財務省の文書改ざん問題)や安倍昭恵問題にイラ立つ安倍首相の「焦り」だろう、と筆者は見る。将棋に「不利なときは戦線拡大」という格言がある。野党の質問攻勢、マスメディアの政府批判、それに影響された(と首相が思っている)内閣支持率の下落などを受けて、新しい争点を掲げて戦線を拡大し、局面を複雑化したかったわけだ。 そのネタが放送改革ならば、テレビはビビって政権批判に二の足を踏むかもしれない。特に安倍首相は、新聞では朝日新聞、テレビではTBSとテレビ朝日を、昔から蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っているから、彼らにダメージを与えることになれば好都合。NHKは基本的に意のままだし、日本テレビとフジテレビは賛成してくれるに違いない、といった判断だっただろう。自分の女房すら満足にコントロールできないくせに、民放番組をコントロールしたいというのもふざけた話だ、と筆者は思うが。閣議を終え会見する野田聖子総務相=2018年2月9日、首相官邸(斎藤良雄撮影) もう一つの理由は、総務省の改革の遅れである。2017年6月に出た安倍政権の経済財政政策は「経済財政運営と改革の基本方針 2017~人材への投資を通じた生産性向上~」で、目玉は「働き方改革」だった。所管は厚生労働省で、同省の労働時間の実態調査データに疑義が生じるなどぎくしゃくし遅れに遅れたものの、3月には働き方改革関連法案の国会提出にメドがついた(4月6日に提出)。 対して総務省は、これはという改革案を出していない。しかも総務大臣は、9月の自民党総裁選をにらんで、超党派「ママパパ議員連盟」の会長に就任、地元で立ち上げた「岐阜女性政治塾」の全国展開といった動きを見せはじめた野田聖子氏。その総務省に改革案をまとめさせ、6月に出す経済財政政策の目玉にしたかったようだ。放送制度「改悪」の何が問題か 官邸の動向に詳しい放送界の事情通は、こうため息をつく。「どうやら安倍さんは、放送法第4条の『政治的に公平』規定さえなくせば、自分を応援してくれるテレビ局や番組が増える、と本気で信じ込んでいたようなのです。放送改革によって、政権の意向を代弁し、礼賛する放送局ができると。でも、自分をもっと厳しく批判する局が番組も増えるだろう、とは思っていなかったんですよ」 事情通は、「蚊帳の外だった総務省は『できるはずがない』という立場だし、国会の総務委員会(旧・逓信委員会)委員たちにも『頭越しになんだ』と不評だった。熱心な政治家は安倍首相だけで、安倍─今井尚哉・首相秘書官(経済産業省出身)─原英史・規制改革推進会議委員(2016年9月~、経済産業省出身、株式会社政策工房社長)のライン以外は、鼻白んでいた」と続けた。 首相本人は、無理筋とは思っていなかったようだが、実現は難しいと思っているスタッフは、大きな花火を打ち上げて国民の耳目を集め、少なからぬ項目のいくつかでも実現に向けて検討が始まればよい、と考えていたのかもしれない。 では、安倍政権が水面下で検討し、結局は引っ込めた放送制度「改悪」の何が問題なのか? まず放送法第4条だが、次のような内容である。(国内放送等の放送番組の編集等)第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。一  公安及び善良な風俗を害しないこと。二  政治的に公平であること。三  報道は事実をまげないですること。四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。2  放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。 『選択』2018年4月号記事〈安倍が画策「放送法改悪」の真相〉によると、安倍首相は3月9日夜に大久保好男・日テレ社長と会食し(今井秘書官と粕谷賢之・日テレ解説委員長も同席)、「4条は現実には守られていないので、この際撤廃するべきだ」と主張したという。日本テレビ放送網の大久保好男社長=2011年11月29日、東京都港区六本木(瀧誠四郎撮影) しかし、「公安及び善良な風俗を害しないこと」が日本の放送で守られていないとは、到底いえない。「政治的に公平であること」については、安倍首相は自分や妻や政権や政府批判ばかりするテレビは「公平でない」と思っているようだが、メディアが権力者や権力を批判するのは当たり前だ、としかいいようがない。 安倍首相は内閣官房副長官だった2001年1月29日、放送前日のETV2001特集『問われる戦時性暴力』に関してNHK幹部らを呼び、内容が明確に偏っているとして番組に注文をつけたことがある。つまり、放送前の番組に政府高官として政治的な介入をし、結果、番組はギリギリドタバタで改変のうえ放送された。 政治家や政府高官が、放送局幹部に会い、放送前で制作中の特定の番組について、明確に偏向した内容と判断したうえで、「~すべきではないか」と意見を述べることを、日本国はじめ民主主義社会では「放送番組に対する干渉」と呼ぶ。そして、政治家や政府高官が放送番組に干渉することを、日本国はじめ民主主義社会では「政治介入する」「政治的圧力をかける」などと言い習わしている。安倍首相は民主主義が分かってない だから、当時の安倍晋三氏がやったことは、放送法の第2章(注:当時は第1章)「放送番組の編集等に関する通則」の「(放送番組編集の自由)第3条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」という条文に抵触する放送法違反だ。ついでにいえば、日本国憲法「第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」にも抵触する憲法違反でもある。 私たちの社会は、北朝鮮や中国でも戦前の日本でもない自由な社会だから、放送局がまだ放送すらしていない番組を政府高官が偏向と決めつけ、ああしろこうしろと注文することが許されるはずがない。ところが、安倍首相は平気でそのような注文をしてしまう。 ようするに、言論報道の自由や民主主義の手続きといったことが、全然わかっていないのだ。 なお、筆者は『問われる戦時性暴力』を極めてエグい内容の番組と考えており、よい番組とはまったく思わない。それでも政府高官の事前介入はダメだ、と主張する。安倍首相は、悪い番組だから政府高官が事前介入するのは当然だ、と考えている。当然、間違いである。それを許せば、政府高官が番組のよし悪しを決めることになるからダメなのだ。 テレビが新聞と違って、放送法で特に「政治的に公平」を求められているのは、限られた者たちが従事する放送局が限られた国民の共有財産である電波を独占的に使い、流す放送番組が直接家庭のテレビ受像機に映し出されて大きな影響力を持つから、である。 突き詰めていけば放送法第4条は、憲法第21条が強くうたう「一切の表現の自由は、これを保障する」と矛盾することになりかねない、実は危うい規定である。万万が一、ヒトラー政権のような独裁政権が登場し、第4条「政治的に公平であること」違反として放送電波を止めるようなことがあれば、独裁者が国民を支配するツールと化してしまう。だからこそ、放送法第4条は一種の倫理規範であり、これを根拠として放送電波を止めることは許されない、と考えられている。これが大方の憲法学者の見解だ。 また、ある個別の番組を見ただけで放送法第4条「政治的に公平であること」違反と決めつける人が少なからずいるが、これも間違い。放送の政治的な公平は、一定期間あるチャンネルを継続して見なければ判断できないというのが、何十年も前から政府の公式見解である。 そして、当のテレビは、実は選挙の時期には政府広報CMを断る、討論番組で政治家の露出時間を公平にする、しつこく両論を併記するなど、視聴者が考える以上に公平や中立に気を配っている。公平規定の撤廃で政権批判が収まるといったバカげたことは考えにくく、撤廃してよいことが増えるとも思えない。家電量販店では解散表明のテレビ画面に来店客が見入っていた=2017年9月25日、横浜市(内藤怜央撮影) 「報道は事実をまげないですること」も、世界的にフェイク・ニュースやヘイトスピーチが横行するいま、なくさなければならない規定ではなかろう。「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は、日本の放送では全然、守られていない。筆者は2011年以前に、地上デジタル放送の進め方はよくないと主張したが、そのような論点を取り上げる放送局は皆無だった。しかし、守られていないから撤廃すべきとは筆者は思わない。守れ、というほかはない。 安倍首相や規制改革推進会議の委員たちは、以上のような事柄もやっぱりわかっていない、と考えるほかはない。AbenoTVならぬAbemaTV 「マスメディア集中排除原則」「外資規制」の緩和といった経済的・産業的側面については、ある程度、検討する余地があるだろう。 日本ではテレビ放送と大手新聞紙の資本系列が存在しており、すでに集中排除原則が骨抜きとなり、形骸化している事実もある。少子高齢化が進み、地方が疲弊して人口減がさらに深刻になれば、地方局やラジオ局の再編は必至で、この点からも集中排除原則の見直しが求められる恐れが強い。 放送局の資本を100%外資が押さえることは、電波が国際的な取り決めで日本国に割り当てられ、それが各産業や企業に割り当てられていることから、そもそも筋が違う。放送局は重要インフラであって、安全保障など危機管理上も問題だ。ただし、外資規制(現在は国内放送局への外国企業の出資割合が20%未満)をある程度緩和することは、グローバル化の進む現在では避けられないように思われる。 放送事業への新規参入ももっとあってよいし、放送におけるハード・ソフト(放送設備部門と番組制作部門)分離も、放送がよくなるものであれば検討すればよい。筆者は、放送は現状維持するのがもっともよい、などとはまったく考えていない。 もっとも、電力が発電と送電で分離したから、同じように放送や通信もハード・ソフトを分離すべき、といった荒っぽい議論は願い下げだ。電気は誰が発電しても送電線に乗せて送ることができる電気だが、番組は誰が制作しても電波に乗せて送ることができる番組という話にはならない。当たり前である。 産業界・財界の経営者や、経済産業省出身の規制改革推進会議委員あたりには、放送の経済的・産業的側面だけに着目し、同じ四角い画面に表示されるのだから放送と通信(インターネット)は垣根をなくして一本化すればよいと思っている人が結構いる。だが、そんな考え方に筆者は、直ちには賛同しかねる。放送と通信を一緒くたにし、さまざまな事業者に自由にやらせて経済効率を追求すれば、現在の放送も通信もどちらもよくなる、という話にはなりそうもないからだ。規制改革推進会議であいさつする安倍晋三首相(右から2人目)=2017年9月11日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影) 第1に、経済効率一辺倒では、放送でも通信でもあまり儲かりそうにない分野が見捨てられていく。例えば、地方に住む少数の視聴者・ユーザー、障害者など絶対数が少ない視聴者・ユーザー、限定的な地域で甚大な災害に見舞われた少数の視聴者・ユーザー、高齢者や若年者・幼児など機械にも情報リテラシーにも弱い視聴者・ユーザーなどを対象とする分野である。放送と通信を一緒くたにすれば、彼らにとって現在よりよい情報が送られるという保証はなく、むしろ切り捨てられる恐れが強い。 例えば、視覚障害者むけの音声放送や聴覚障害者むけの字幕放送はどうなるのか?「AbenoTV」ならぬAbemaTV(2017年の衆院選直前に出演して言いたい放題できたので、安倍首相の大のお気に入り)だのニコ動だのが、どんどん放送事業に入ってくるのはよいとして、彼らはまともな政治報道や災害報道や緊急警報をどこまでやる用意があるのか? 第2に、放送と通信の一元化によって電波からインターネットへの転換が進み、放送に割り当てられた電波に余裕ができ、その利用者をオークション方式で決めるという方向だが、電波からネットへの転換は、一言でいうほど簡単ではない。 そもそも、なぜ放送はラジオを電波で始め、次にテレビを電波で始めたかといえば、電波を使うことが、不特定多数の家庭や事業所に届けるにはもっとも安く、効率的だったからだ。忖度だらけのNHK 現在でも、大規模災害などの発生時はネットは(電話も)つながりにくくなる。ある人がネットを使えるということは、その人(の端末)と事業者が有線であれ無線であれ双方向でつながることだが、大部分の人は大部分の時間、一方通行でよい。だから一方通行の放送に満足している。 これを双方向回線にすれば当然、一方向よりもコスト高になる。このコストは、離島や僻地(へきち)など地域によって大きく違う。規制改革推進会議が、通信事業者によって異なるコストを、どこまでまともに計算したのか、現時点ではよくわからない。ユーザーも、民放だけ見るぶんには無料だったのに対して、通信はインターネットに接続するだけで有料となる。いまネットを使っている人びとはさておき、高齢者や貧困層がそう簡単に納得できる話とは思えない。 第3に、放送のとりわけ報道番組は、通常はあまり儲からないが、いったん事が起こると人々が集中的に注目し、時に人の生死に関わるような重大な選択肢を示すことすらある。ところが、当面は何事も起こっていないから、ある場所に特派員なりクラブ記者なり通信員を配置するのはやめておこう、といった融通がきかないのが報道なのだ。つまり報道には、普段から人もカネもかかる。 放送からさまざまな規制を撤廃し、教養・報道・娯楽など番組ジャンルの調和を求める規定も撤廃して自由にやらせ、儲かりそうにない報道部門が縮小していくと、日本の言論報道空間そのものが縮んでいくことになりかねない。 安倍首相あたりは、報道はコントロールの効くNHKだけに任せればよい、と思っていたようである。というのは、改悪が実現すると、放送法はNHK設置法となり、第3章(目的)「第15条 協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。」の次あたりに、現・第4条の内容が挿入されると思われたからだ。 現在のNHKの報道を見れば、政権に対して忖度(そんたく)を繰り返し、完全に腰が引けた情けないものになっていることは明らかである。そんなNHKの報道だけでよいのか、と思わない国民は、どう見ても少数派に違いない。インタビューに答えるNHKの上田良一会長=2018年2月5日、東京都渋谷区(飯田英男撮影) NHK内部の声を聞くと、NHKと民放の二元体制が重要と思っているのは、NHK会長と役員(理事)くらい。現場では「民放がなくなるだけならば、うちには関係ない話」と思っているようである。 だが、安倍政権の放送制度「改悪」で、万が一民放がなくなる(大手ネット事業者と区別がつかなくなる)のであれば、民放とバランスを取っている現在のNHKの規模は、見直されて当然だ。すると、毎年の予算規模7000億円といった巨大放送局は必要なくなる。当然、受信料は下がる。月額1000~1200円でもまだ高い、という話になりかねない。もちろんNHK職員の数も減るだろう。 以上のことにNHK職員の大部分が気づかないまま、安倍政権の「放送制度改革」はいったん頓挫した。しかし、いつまた同じようなプランが浮上しないとも限らない。今回は新聞紙が水面下の動きを伝えたところで、派手な打ち上げ花火が消えてしまったから、NHKや民放は問題があったと報道すらしておらず、現場には危機感も薄い。 しかし、繰り返すが、放送は現状維持がもっともよいわけではない。放送関係者は、今回のような問題をもっと切実に、自分たちに突きつけられた問題ととらえ、対応を考える必要があるだろう。

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    テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情

    党が番組内容にモノ申すことは言論介入であり、極めて不適切だとするのが大勢の見方なのである。安倍政権もメディア不信を利用する? 驚いたことに、この放送事業見直し案では、テレビ報道を牽制するためにフル活用してきた放送法4条の撤廃も視野に入れている。180度の方向転換である。 米国では1987年、日本の「政治的公平性」に相当する「フェアネス・ドクトリン」(公平原則)が撤廃された。その結果、イデオロギーを前面に押し出して人々の感情に直接訴えかけるような偏った報道が増えた。 次第に米国民の議論は過激なものになり、互いに激しい批判を繰り広げるうちに社会は分裂し、メディアへの信頼も低下した。そんな中、トランプ大統領は主要なテレビ局などをトランプ支持者にとっての「共通の敵」として設定することで政治的求心力を高めようとしている。 日本でも放送法4条を廃止した場合、米国と同様にテレビ報道が分極化を強め、極端な言説やフェイクニュースがあふれかえり、テレビへの不信感が一層強くなる可能性がある。安倍政権は、トランプ大統領のように「メディア不信」を利用して自らの支持基盤を強化することを狙っているのかもしれない。勝手な推測かもしれないが、安倍首相の朝日新聞への批判や、麻生太郎副総理兼財務相の「森友の方がTPP11より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」といった発言などを考慮すると、かなり現実味を帯びてくる。 また、安倍首相は2013年6月、インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に出演し、動画を見て書き込みをする層を「保守派が圧倒的ですから」とも発言したという。この発言から考えると、通信事業者が放送に新規参入すれば、現政権の支持者を増やすことができるというしたたかな計算があったのではないか。 放送事業見直し案に関しては、在京民放キー局5社の経営トップが反対姿勢や疑念を示した。しかしながら、この問題に関する現場レベルの反応は鈍く、テレビニュースで積極的に取り上げているようには思えない。 公共性が高い情報なのに、なぜ伝えないのか。テレビ報道の現場社員であれば、こんな言い訳が考えられる。2017年9月、横浜市内の家電量販店では安倍首相の解散表明会見を報じるテレビに来店客が見入っていた 業界構造全体が変わるようなニュースは自分の手に余る。幹部の指示がないと放送できない。指示がないのだから放送しなくても自分の責任は問われないだろう。下手に放送すべきと進言すれば、空気が読めないダメなやつと思われるかもしれない。ひとまず他局の動きを見よう。他局も報道しないならば、このニュースは無視しよう。 私がいまだに現役テレビマンだったとしても、こう考えただろう。財務省の決裁文書改ざん問題で「忖度(そんたく)」の有無について、まるで他人事のように報道しているが、安倍政権の顔色をうかがう体質はテレビ業界も同じだからである。進んで自主規制するテレビマンの弱腰 安倍政権の意向に反したことを放送すれば、政府や自民党から「牽制球」を投げ込まれる。そうなれば、テレビ局によって対応の差はあるものの、社内で対応に苦慮し「面倒なことに巻き込まれる」という恐怖感が番組スタッフや記者の萎縮につながっているのではないだろうか。 放送内容の是非は考慮されず、社内で「面倒なこと」を生じさせた責任を問われる可能性さえある。だから、テレビマンは見て見ぬふりをして自主規制するのである。 例を一つ挙げよう。前述したように、2014年の衆院選の際、自民党は在京のテレビ各局に選挙報道に公正中立の配慮を求める文書を送った。その後、衆院選を伝えるテレビ報道が激減したのである。テレビ番組の内容を分析するエム・データ社によると、2012年の衆院選と比べて放送時間が約3分の1に減っていたという。 テレビ局の「触らぬ神にたたりなし」の「事なかれ主義」がはびこり、自主規制につながった可能性が高い。報道の自由という観点からも、番組内容を牽制する自民党の姿勢は問題だが、それにひるんで自主規制してしまうテレビ局も弱腰すぎてフォローのしようがない。 放送法4条はテレビ各局にとって「もろ刃の剣」である。政府・自民党からの「牽制球」にもなるし、「偏向報道の抑止力」として機能する場合もある。メリットがあればデメリットもある。 だからこそ、4条撤廃は軽々に判断されるべきものではなく、慎重な議論が必要である。撤廃したとして、行政当局が表現を規制をするのか。放送倫理・番組向上機構(BPO)のように表現の自由を確保しながら、苦情や放送倫理上の問題に対応する第三者機関も廃止になるのか。他にも、報道の自由を守るための論点は多い。 にもかかわらず、これまでテレビ報道の現場は「事なかれ主義」で、安倍政権がこれまでにテレビ局を牽制してきたことをほとんど報じていない。だから、多くの視聴者は政府とテレビ局の間で何が起きているのか、さっぱり理解していない。規制改革推進会議の作業部会に臨む民放連やNHKの役員ら(右側)=2018年4月26日、東京都千代田区 放送法4条を撤廃することの重大さを考えると、テレビ局の役員や幹部、現場の報道担当者はここで覚悟を決めて、視聴者にこの問題をきちんと伝えるべきだと思う。各民放の経営トップが放送事業見直し案に反対を表明するだけでは、新規参入業者を拒み既得権益を守ろうとする「オールドメディア」という印象を残してしまうかもしれない。 むしろ、これをきっかけにニュース番組で、これまで安倍政権がテレビ各局にしてきたことをつまびらかにした上で、放送への新規参入や放送法4条撤廃の是非を問うのはどうか。これまでの「事なかれ主義」を打破して、政府とテレビ局のまっとうな関係とはどういうものなのか、今こそ問題提起するタイミングである。

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    池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

    めるようなことはしてはいけません。 そして一歩間違えれば民衆を洗脳する凶器にもなり得る、テレビというメディアには、しっかりと法律の網をかけておく必要があります。 公序良俗、事実主義、そして何より政治的に公正中立であることは、テレビにしか求めることができない、貴重な社会的ミッションです。そのスタンスがあるからこそ生まれる、民放のニュース解説番組には、池上彰さんの番組など鋭い切り口のものが、いくつかあるように私には思えます。放送法第4条の撤廃は、民放からこれらの良質なジャーナリズムを奪い去ることを意味します。規制改革推進会議であいさつする安倍首相=2018年4月16日、首相官邸 テレビに関わってきた人間として、このようなジャーナリズムを軽んじた法案は、認めるわけにはいきません。NHKをコントロールできるようになった安倍政権は、今度は民放までもコントロールしようとしているのでしょうか。 為政者がマスメディアを独占したときに何が起こるのか。歴史を振り返ってみてください。まさにナチスの状況に近づきつつあると、私には思えてきます。国民が気づいたときには、すでに手遅れになっているかもしれません。

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    大きなアドバンテージが認められたNHKとその責任

    河本秀介 (弁護士) NHKの受信料制度の合憲性などが争われた訴訟で、最高裁は本年12月6日、NHKの受信料制度は憲法に違反しないとする初の判断を含む大法廷判決を下しました。この判決では、受信料制度を合憲だと判断するだけでなく、受信契約を拒否する人との間にいつ、どのような場合に契約が成立するのか、受信料はいつから発生するのかといった点についても判断が示されています。 結論からいえば、最高裁は、①NHKが受信契約を拒否する人に対して訴訟を起こし、NHKの勝訴判決が確定した時点で契約が成立する、②NHKはその人が受信装置(テレビなど)を設置した時点に遡って受信料を徴収できると判断しました。 今回は、この最高裁判決について解説したいと思います。 今回の訴訟は、NHKが原告となって、自宅にテレビを設置しているのに受信契約をしていない被告を相手に、受信料の支払い等を求めた事案です。これに対して被告は「受信契約を締結する義務はないので、受信料を支払う義務はない」などと反論していました。 まず大前提として、なぜNHKは「NHKは見ないので契約しません」と言っている相手に対しても、契約の締結を求めることができるのでしょうか。これについては、放送一般に関する法律である放送法に根拠があります。 放送法は64条1項で「協会(註:NHK)の放送を受信することのできる受信装置(註:テレビなど)を設置した者は、協会とその放送の受信に関する契約をしなければならない。」としています。放送法では「実際にNHKを見ていること」は、契約締結義務の要件とされていません。 すなわち、法律は、たとえNHKを全く見ない人であっても、テレビ(普通はNHK放送を受信できます)を置いているだけで、受信契約を結ぶ必要があるとしているのです。東京・渋谷のNHK放送センター(宮川浩和撮影) 今回の裁判で被告は、この法律の規定に対して、「強制力がある規定ではない」「仮に受信契約の締結を強制されるのであれば、契約の自由などを侵害するので憲法に反する」と主張していました。 この点について最高裁がどう判断したのかですが、まず「契約締結義務を定めた放送法の規定には強制力がある」としました。強制的に契約させるためには訴訟が必要 そして、契約を強制される結果になることが憲法に違反するのではないかという点については、NHKには公共放送として国民の知る権利に応える重要な役割があるとしたうえで、テレビを設置しただけで契約を締結して受信料を徴収できるしくみについても、「NHKに特定の個人、団体又は国家機関などから財政面での支配や影響が及ばないようにするために(つまり公共性を保つために)必要な措置なので合理性がある」などとして、憲法に違反しないと判断しています。 これにより、自宅にNHKが映るテレビを置いている人は、それだけで受信契約を締結する義務があるということが明確になりました。「NHKは見ないので受信契約は締結しません」といって契約を拒否することはできないということがハッキリしたということになります。 さて、今回の判決で興味深いのは、自宅などにテレビを置く人が受信契約の締結を義務付けられるとして、いつ契約が締結されるのか、いつの分からの受信料を請求できるのかについても明らかにされているということです。 まず、いつ契約が締結されるのかについては、判決は「NHKが受信契約を締結していない者に対して訴訟を起こし、受信契約の締結を認める判決が確定したとき」としています。 NHKが契約を拒否する人に対して受信料の支払いを求めるためには、まずはその人に対して訴訟を起こし、「契約が成立した」という内容の判決を確定させなければなりません。つまり、NHKの訪問員が自宅を訪れて「受信契約をしてください」と言っただけでは、受信契約は成立しないということになります。 そうすると中には、「NHKが訴訟を起こしてくるまで契約締結を断り続けよう。契約締結を認める判決が出た後で受信料を支払おう」と考える人も出てくるかもしれません。しかし今回の判決によると、そうもいかないようです。 今回の判決では、NHKがいつの分からの受信料を請求できるのかという点について、「契約が成立したとみなされた時点で、テレビを設置した月に遡って受信料を請求できる」とされているからです。2017年12月、NHKの受信料制度について、合憲の初判断を示した最高裁大法廷(佐藤徳昭撮影) これに対して、被告は「過去の受信料の一部は少なくとも時効により支払う必要がなくなっている」とも主張していたのですが、これに対しても最高裁は、「受信料債権の消滅時効は契約成立の時点から進行する」として、過去分の受信料は時効により消滅しないと判断しています。 例えば、ある人がNHKと20年前に受信契約を締結して、その後ずっと受信料を支払ってこなかったとしましょう。この場合、過去5年より前の受信料は時効により消滅しますので、基本的にNHKは5年分の受信料しか請求できません。アドバンテージの背景にある大きな責任 これに対して、今回の事案のように、テレビを置いてから受信契約をしてこなかった人が訴訟を起こされ、判決の確定で契約締結が認められた場合には、テレビを置いたのが20年前であろうと30年前であろうと、NHKから過去分全ての受信料を請求される可能性があるということになります。 実は、NHKの受信契約(「日本放送協会放送受信規約」)には、契約者が受信契約を締結したのがいつであっても、テレビを設置した月からの受信料を請求できるということになっています。最高裁の理屈は、“受信契約は判決が確定した時点で初めて成立するのだから、過去分の受信料もその時点で初めて発生する”というもののようです。 最高裁が、NHKに対して受信契約が成立した時点で、過去に遡って受信料を請求できることを認めたのは、NHKに対して非常に大きなアドバンテージを認めたといえるでしょう。今後予想される展開として、NHKが受信契約を渋る受信者に対して「いま契約をすると過去分の受信料は請求しませんが、契約をしない場合には訴訟を起こして過去分まで全て請求しますよ」といって受信契約を促すということも考えられそうです。 さて、今回の最高裁判決について、個人的な見解を述べさせて貰うと、契約締結義務に強制力があることを認めたことはさておくとしても、受信契約が成立した時点でテレビを設置した日まで遡って受信料を請求することができ、なおかつ消滅時効にもかからないとした点については、違和感を覚えます。 一般的な民間企業と消費者との間の契約の場合、「契約を締結するより前の代金を請求できる」ことからして考えにくいでしょう。さらに支払トラブルが起こった場合に、「いくらでも過去に遡って代金を請求することができる」というのも、消滅時効の関係でなかなか考えられません。 NHKを一つの企業体として見た場合、そもそも「NHKが映るテレビを置いている全ての人が受信契約を締結しなければならない」という時点で非常に大きな経営上のアドバンテージがあるといえます。さらに、「いくらでも過去に遡って受信料を請求できる」という結論は、いささか大きすぎるアドバンテージを与えているように感じます。 他方で、最高裁がNHKにこれだけのアドバンテージを認め、「合憲である」と判断したのは、ひとえにNHKに公共放送として高い使命と重要性があることを認めたからに他なりません。民放のようにスポンサーから提供で経営する場合、どうしてもスポンサーの批判はしづらいでしょう。(iStock) 税金で運営する場合には、現政権に批判的な報道を控える可能性があります。NHKには、視聴者からの受信料で経営することで「たとえ国家権力にすら肩入れすることなく、公平で客観的な放送を行うことで、国民全体の知る権利に応えること」が期待されています。 NHKには、今回の判決で強力なアドバンテージが認められた背景に公共放送としての高い使命が求められていることを真摯に受け止め、より一層良質な放送が求められているのではないでしょうか。

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    久米宏が語る『ニュースステーション』と日本新党

     テレビが政治を動かし、時代を動かす──そんな番組は、『ニュースステーション』(テレビ朝日系)以降ない。なぜそれほどの影響力を持ち得たのか、今のテレビとは何が違うのか。初の自伝『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』を刊行した久米宏氏が、自身の半生を振り返りながら、「テレビ論」を語った。* * * 僕は、口では反権力だ反自民だって言っていますけど、『ニュースステーション』に出てきた人たちに損はさせない、視聴者から「この人は素敵な人だ!」と思ってもらえるようにしたいというサービス精神がどこかにあるんですよね。だから、葛藤はありました。 たとえば自民党の国会議員が番組のゲストにやってきて、めちゃくちゃな発言をして僕と大ゲンカになったとしても、その人の魅力や人間性が視聴者に伝わってほしいんです。それはもう本能的なものですね。 僕がショックを受けたのは橋本龍太郎さん。控え室に挨拶に行くと、ヘビースモーカーの橋龍さんがパイプに煙草をさして吸っていて、僕の方をジロリと見て「ああ、これが久米宏か」と珍獣を見るような感じで言った。 生で見る宿敵って感じ。ある意味、認められていたからだろうとは思いますけど。政治をお茶の間に、お茶の間という言葉はもう死語ですけど、政治を、視聴者にとって身近なものにしようという意識は明確にありました。 こちらから近づいたわけですから、政治家に利用されるのはある意味で当然でしょう。そのことを一番感じたのは日本新党の時です。キャスターの久米宏=2014年5月(高橋朋彦撮影) 細川護熙さんが『月刊文藝春秋』にお書きになった論文(「『自由社会連合』結党宣言」1992年6月号)がとても面白くて、すぐに番組のゲストに出ていただきました。視聴率も凄く良かった。まだ日本新党という言葉はない時期です。 以後、妙なパイプができて、大げさに言うと『ニュースステーション』が日本新党を作ったみたいになってしまった。 1993年7月の衆議院総選挙では、僕が名前も知らない人が当選したほど日本新党の人気が爆発して、結局55年体制の崩壊につながった。小池百合子さんもその時に衆院初当選したわけですが、あの時はさすがに深入りし過ぎたというか、これはマズいことになったと思いました。 細川さんは外国に行って、マフラーを巻いた写真を撮ったり、記者会見でボールペンで記者を指名したり、明らかにテレビ映りを気にするようになった。自民党では選挙前に田中真紀子さんがよく出てくれました。細川護煕さんと、田中真紀子さん、そして小泉純一郎さんは、テレビに出ることの意味を本当によくわかっている。『ニュースステーション』も深く研究していたはずです。■聞き手/柳澤健(ノンフィクションライター)関連記事■ 久米宏 ニュース番組で小宮悦子を「悦ちゃん」と呼んだ理由■ 『あさイチ』降板の有働アナ、決定に至るまでの様々な葛藤■ 久米宏 「僕は何があっても貴乃花親方の味方です」■ 久米宏が振り返る「横山やすしと島田紳助」秘話■ 日テレ徳島えりかアナ 「ポストミトちゃん」として急浮上か

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    高須院長がマスコミに注文「先に反日ですと宣言して」

     高須クリニックの高須克弥院長が世の中の様々な話題に対して、自由気ままに提言するシリーズ企画「かっちゃんに訊け!!」。今回は、財務省の決裁文書改ざん問題に関する報道について語っていただきました。* * *──現在、日本国内では森友学園への国有地売却に関する決裁文書改ざん問題が大きく取りざたされています。焦点としては、官邸サイドから財務省へ何らかの働きかけがあったのか、あるいは財務省から政権への忖度があったのか、という部分にあります。高須:もちろん、公文書を改ざんするということは、あってはならないことだよ。どういう経緯で、そして誰の判断で改ざんすることになったかを解明することは必要だと思う。でも、ちょっと気になるのが、一部のマスコミの報道だね。こういった事件は、あくまでも事実のみをベースとして、公平に報じなければいけない。それが報道機関の役割だよ。でも、一部のマスコミは、政権批判の材料として改ざん問題を利用しているわけだ。政権が有利になるような事実は報じずに、政権がすべての元凶であるかのような流れを作って、都合のいい情報だけを垂れ流しているように感じるんだな。少なくとも、そんなことは大手マスコミのするようなことではないと思うね。──文書改ざん問題が発覚してから、安倍内閣の支持率は低下しています。高須:残念だよ。個人的には外交政策もいいと思うし、景気も決して悪くないと思う。そりゃあ完璧な内閣ではないだろうけど、いろいろな批判を浴びながら、ものすごく頑張っている政権だと思う。憲法改正とか消費増税とか、誰もやりたがならないけど、いつかは誰かがやらなければいけないことに率先して取り組んでいるんだから、安倍さんは本当に立派な総理大臣だと思うけどね。そのあたりをしっかり評価するマスコミがもっとあってもいいと思うなあ。──しかし、現在は主に安倍内閣の疑惑を追及するような報道が多いですね。高須クリニックの高須克弥院長(納冨康撮影)高須:特にテレビのニュースに顕著だけど、何か注目の的となるニュースがあると、それに対してあるひとつの結論を仮定して、全体がそこに向けて、報じていくという傾向があると思うんだよ。結論ありきで、そこに導くような情報ばかりを出して、そうではない情報は闇に葬り去られてしまう。別にとても重要なトピックがあったとしても、無視されることさえある。それは健全ではないと思うね。「改ざん問題もいいけど、北朝鮮情勢は忘れていないかい?」って素直に思っちゃうなあ…。 あと、テレビなんかでは安倍首相が関与しているかのような報道も多いけど、SNSなんかをよく見ていると、文書改ざん問題について「政治の関与はありえない」といった意見を発信している専門家は少なくないんだよね。でも、地上波ではあまりそういう意見は使われず、マスコミ側が想定した意見ばかりが使われがち。なんとも気持ち悪い状況だ。安倍政権崩壊で儲かる?──実際問題として、多くのマスコミが“アンチ安倍内閣”なのでしょうか。高須:ご存じの通り、完全にアンチ安倍内閣のマスコミもいるよ(笑い)。でも、ただ単に“今の空気”に乗っているだけのマスコミも多い。「アンチ安倍色を出したほうが視聴率が取れる」という判断なのかもしれないね。とはいっても、正しい意見を発信しても無視されてしまう状況があるのは事実であって、これは本当に由々しき問題だよ。 でも、どうしてマスコミはわざわざアンチ安倍のほうに流れていくのか、それが不思議で仕方ない。だって、ネットを見ていると安倍首相も麻生財務大臣も「辞任しなくていい」という声がけっこう多いし、そもそも安倍政権の支持率は高かったわけだからね。もしも視聴率がほしいのであれば、保守寄りの報道をしたほうがいいと思う。それなのに、アンチ安倍の方向へ進んでいるというのは、なんだか気持ち悪いなあ。誰かが裏で糸を引いているのか? 安倍政権が崩れたら儲かる人でもいるんじゃないの? …って、ちょっと陰謀論めいてきちゃったな。これはいけない(笑い)。 まあ、陰謀論はばかげた冗談だけど、安倍政権に関係ないところでも、不自然に報じられない話題はいくらでもある。例えば、中国政府によるチベット弾圧もそう。深刻な人権侵害なのに、世の中の人権派の皆さんはどうしてそこをもっと取り上げないのか? 疑問しかないよ。 仮に偏った報道をするのであれば、最初に「反安倍です」とか「反日です」とか宣言してから、やってほしいね(笑い)。そうすれば仮におかしな報道があったり、人権侵害する国を擁護するようなことがあったりしても、「偏ってるんだから仕方ないか」って思えるもん(笑い)。もちろん、その逆もしかりだよ。「保守です」って宣言して報じていれば、僕も「なるほど~」って安心しながら見ることができるからね(笑い)。 ただ、そうなったらもう報道ではなく、イデオロギーの発信ということになる。でも、そのほうが双方とも意見をぶつけやすくなって、意外と建設的な議論ができるような気もするなあ。少なくとも、報道という姿を借りて、民衆を愚弄しつつ、おかしな方向へ導こうとする卑怯なまねがまかり通るよりは健全だよ。* * * 公平性・客観性に欠ける一部のマスコミへの不満をぶちまけた高須院長。ネットで様々な情報をキャッチできるこの時代だからこそ、正しい報道が必要となるのはもちろんだが、同時に正しい報道を見極める力も必要となりそうだ。【プロフィール】高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。脂肪吸引手術をはじめ、世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。昭和大学医学部形成外科学客員教授。医療法人社団福祉会高須病院理事長。高須クリニック院長。人脈は芸能界、財界、政界と多岐にわたり幅広い。金色有功章、紺綬褒章を受章。著書に『ブスの壁』(新潮社、西原理恵子氏との共著)、『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)、『行ったり来たり 僕の札束』(小学館)、『ダーリンは71歳・高須帝国より愛をこめて』(小学館)など。関連記事■ 安田浩一氏「ネトウヨの安倍氏支持はマスコミとの対決姿勢」■ 安倍礼賛のマスコミ 報道ダンゴ虫の心象は囚人のジレンマ的■ 韓国マスコミの日本報道 保守系より左派系のまともさ目立つ■ STAP細胞事件 いい大人がやや美人に惑わされたとすら言える■ 室井佑月 雑誌特集の「輝く女」に「私達は蛍光灯じゃない」

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    「ニュース女子」DHC会長、衝撃の反論手記

    東京MXテレビの情報バラエティー「ニュース女子」の放送が終了した。同番組をめぐっては、放送倫理・番組向上機構(BPO)が放送倫理違反と人権侵害を指摘したことが記憶に新しい。放送終了の背景に何があったのか。番組制作を担ったDHCグループ会長、吉田嘉明氏がついに沈黙を破り、iRONNAに独占手記を寄せた。

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    【DHC会長独占手記】「ニュース女子」騒動、BPOは正気か

    少は移民として受け入れることはあっても、決して大量にこの国に入れてはいけないのです。ましてや、政権やメディアを彼らに牛耳られることは絶対に避けなければなりません。

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    「ニュース女子」打ち切り、朝日のフェイク記事に隠れた意図

    上念司(経済評論家) 新聞には嘘しか書いてない。まさに、このフェイクニュースを見てそう思った。 昨年1月に沖縄の米軍基地反対運動について伝えた東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)の「ニュース女子」に批判が出ていた問題で、MXが番組の放送を今春に終えることを決めた。事実上、放送を打ち切ることになる。関係者が朝日新聞の取材に明らかにした。 朝日新聞 2018年3月1日 まるで『ニュース女子』という番組が打ち切りになるかのような書きっぷりだ。しかし、事実は全く違う。もともと、『ニュース女子』はDHCテレビが制作し、全国の地上局に販売、再送信されているコンテンツだ。東京MXテレビはその数ある地方局の1つであって全部ではない。MXでの再送信が終わることと、番組そのものが終わることは全くの別問題だ。 私は出演者の一人だが、4月以降の収録スケジュールも出ている。また、制作会社からの説明によればネットや他の地方局での放送も続くとのことである。 数秒で裏が取れる話をなぜわざわざミスリードするような書き方で記事にしたのか。それほど、この番組で取り上げた沖縄に関する放送内容が、彼らにとっては痛撃だったのだろう。 例えば、地元の穏健な反対運動が県外や海外からの活動家によって過激な方向に引きずられているという指摘がある。放送倫理・番組向上機構(BPO)からの指摘を受けて『ニュース女子』が作成した検証番組には、当初の主張の裏付けとして過激な反対運動の様子を撮影した動画が紹介されている。動画『ニュース女子〜沖縄取材第2弾〜』#101『ニュース女子』より 防衛省職員の周りを取り囲み、顔写真を無理やり撮影している様子が映っている。撮影した顔写真を元に個人情報を特定し、横断幕などに晒(さら)すそうだ。極めて卑劣な行為であると言わざるを得ない。これらの行為を行っていたのが沖縄平和運動センター議長の山城博治氏だ。彼は防衛省職員にけがを負わせた件など4つの罪で逮捕、起訴されている。これ以外にも活動家に資金援助があるとか、抗議活動によって救急車の通行に支障が出るなどの問題を指摘されたことが気に入らなかったのだろう。BPOはダブルスタンダード 確かに、『ニュース女子』は情報バラエティー番組であり、ある程度の「演出」はつきものだ。しかし、安保法制やテロ等準備罪のときに地上波テレビの報道番組が行った演出に比べて、それが著しく過剰であったとは言えない。「放送法遵守を求める視聴者の会」の調査によれば、安保法制において民放の主要ニュースの9割が反対論に占拠されていたという。これが許されて、なぜ『ニュース女子』の演出が許されないのだろうか。BPOは明らかに「ダブルスタンダード(二重基準)」である。 しかも、今回の件を審議したBPOの委員の中には、沖縄の反基地番組に出演している弁護士が含まれている。明らかに中立性を欠く人選だ。なぜMXテレビはこれらについて正式に抗議できなかったのか。むしろ、MXはBPOの側に立って、『ニュース女子』への考査(事実上の検閲)を強めていったという。 BPOは3月8日に放送人権委員会からMXに対して勧告を出した。「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉(シン・スゴ)氏に対する名誉毀損の人権侵害があったと認定した。私の知る限りでは、『ニュース女子』側から辛氏に対して再三、出演依頼がなされている。反論の機会を提供するのが目的だ。しかし、辛氏はこれをことごとく断ったという。反基地闘争を率いるリーダーがなぜ絶好の反論の機会を活かさなかったのか。理解に苦しむところだ。 そもそも、辛氏はこの番組で注目されたことによって、過去の講演会で行っていた過激な演説動画までネット上に拡散してしまった。辛氏は講演の中で「若い者には死んでもらう。爺さん婆さんたちは、嫌がらせをして捕まってください」などと過激な言葉を連発し、運動を煽っていたことがうかがえる。本人は冗談のつもりかもしれないが、実際に反対派の暴力動画を見せられた後にこの発言を聞くと笑うに笑えない。つまり、『ニュース女子』が違った角度から沖縄問題に光を当てたことによって、多くの人が関心を持ってネット検索したということだ。それは沖縄の実態とはかけ離れたストーリーの中に押し込めておきたい人々にとっては非常に都合の悪い話だったのだろう。 『ニュース女子』はMXの再送信がなくなるだけで、他の地方局およびネットでの配信は続く。冒頭の朝日新聞の記事をミスリードして番組打ち切りに沸いていた左巻きにとっては残念な結果だったに違いない。しかし、もっとダメージを受けている人がいる。それはMXテレビである。 『ニュース女子』のMXテレビ撤退は、むしろDHCテレビが望んだものだ。MXがあまりに放送内容に介入するので、もう配信を止めたいと思っていたそうだ。しかも、DHCはこれまでMXに出稿していた広告を全てキャンセルしてしまった。一番多い時期でMXの広告収入の2割、現在でも11・5%を占める広告が一瞬にして消滅したのである。普通の会社なら担当者は左遷、担当役員はクビになるだろう。「ニュース女子」について会見する放送倫理・番組向上機構(BPO)の委員ら=2017年12月14日、東京都千代田区 マスコミはノイズしか拾わない。まさに今回の朝日新聞の記事はノイズそのものだった。 なお、岩手めんこいテレビ、奈良テレビなどの地方局で引き続き『ニュース女子』は放映されるそうだ。もちろん、ネットでもアップされる。安心してこの番組をお楽しみいただきたい。

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    沖縄のデマ垂れ流し「ニュース女子」お寒い番組制作に絶句する

    古谷経衡(文筆家) 私が『ニュース女子』への抗議デモを目撃したのは、昨年の某月であった。エフエム東京(TOKYO FM)からの帰り、道路を挟んで隣接する東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ)のビルの方に目をやると、横断幕を持った数十人が東京MXテレビに対して抗議活動をしている。 私はピンときた。これが、例の『ニュース女子』の沖縄報道に対する抗議行動だな、と。当時は放送倫理・番組向上機構(BPO)による同番組放送回への結論が出る前の段階であった。しかしながら、『ニュース女子』は持ち込み番組であり、放送局としての東京MXテレビが制作に関与していないことは、常識である。なぜ『ニュース女子』の制作元である制作会社「DHCテレビジョン」や、その親会社でスポンサーの化粧品大手、ディーエイチシー(DHC)の前で抗議活動をしないのだろうか。 例えばラジオ番組に抗議することを目的としてデモ隊がラジオ局ではなく、ただ電波を発しているからという理由で東京スカイツリーの前で抗議するとしたら、滑稽(こっけい)であろう。このときの私も、漠然としたこのような違和感を、デモ隊に対して感じるのみで終わった。しかし、私の認識は甘かったのである。 昨年12月14日、BPOが『ニュース女子』問題について「重大な放送倫理違反があった」とする結論を下した。私はすぐさま、PDFにて公開された意見書の全てを、目を皿のようにして読み込んだのである。 そこには驚愕(きょうがく)の、番組制作過程に対するお寒い実態が縷々(るる)述べられていたのである。私は驚愕を通り越して唖然(あぜん)としてしまった。『ニュース女子』に対するBPOの裁定は、全く妥当なものであった。 私も、沖縄問題の取材は何度となく現地に行った。那覇での辺野古移設反対運動「オール沖縄」の集会は当然だが、普天間・嘉手納はもちろん、米軍将校住宅(基地区域外住宅)まで、可能な限り見て回ったつもりである(これと、沖縄戦戦跡取材はまた別)。東京MXテレビの番組「ニュース女子」の一場面 名護市辺野古の埋め立て予定地はもちろんのこと、北部訓練場の返還に伴う代替ヘリパッド6個新設問題(高江ヘリパッド問題)では、山林の中に反対派がつくったテント村の中まで入り、反対派から仔細にその反対理由を聞いた。辺野古と高江(東村)は、元来同じ沖縄特別行動委員会(SACO)の合意から始まった米軍施設の返還計画の一環だが、地理的にもその軍事性格的にも同じ問題としてひとくくりにすることはできない。 本土でネット番組だけを見て、現地に行かなければ、危うくこういった沖縄問題に関するデマを信じてしまう危うさがある。私自身、現地に何度も足を運んだのは、ネットに安易に繁茂する沖縄問題に関するデマの真偽を自分の足で確かめる意味合いが少なくなかった。名護市辺野古と高江の反対派は、平時相互にリンクしている。 つまり、高江で大規模な集会があると辺野古は空き、辺野古で大規模な集会があると高江のゲート前はがら空きになる。同じ問題意識を持った人が、この二点を自家用車やバスで移動しているのは紛れもない事実だ。活動資金は年金や貯金 ただ、『ニュース女子』で報じられたように、彼らがどこかの団体や組織から日当を受け取っているとか、韓国人や中国人が紛れ込んでいるという事実は、全く確認できなかった。既存基地や警察官への暴行・傷害事件も、私の取材中は全く確認できなかった。全ての現場で、反対派よりも基地を警備する沖縄県警や、応援できた日本各地の警察官の人数の方が圧していたからである。 反対派の多くは、成田空港建設反対の「三里塚闘争」からデモに参加してきた、などという筋金入りの猛者もいたが、ほとんどが高齢者で、その活動資金は年金や貯金を取り崩した自腹か、それ以外ではほぼ全てを寄付に頼っている。  だから私も、現場で何度も寄付を頼まれたので都合数回、3千円ほど寄付ボックスに野口英世を投入している。が、彼らの活動は組織や法人やまして特定の国家が支援する系統だったものではなく、あくまで個人とその寄付によってまかなわれている。 その点で言えば朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣デモにおいて、韓国全土で数百万人を動員した集会などは、会場にステージを建設してスクリーンをつくり、著名歌手を登場させるという演出まであるのだから、組織力・動員力という意味では沖縄の反基地運動はあまりにも個人的で小ぶりなものである。 また、中国・韓国出身者と思しき参加も確認できなかった。ただ、時期によっては同じ海軍基地問題を抱える韓国の島・済州島と相互に連帯している日本の市民団体の招聘(しょうへい)によって、沖縄~済州島の連絡網が構築されている場合があり、この時のみ韓国人が抗議集会に参加する場合がわずかにあるそうである。だが、抗議の主体は圧倒的な割合で日本人高齢者である。 このような事実を『ニュース女子』はほとんど考慮していないどころか、前提の取材すらほとんど行っていないことがBPOの意見書から判明した。 BPOの決定は政治的左派とか政治的右派といったイデオロギーに拘束されたものではなく、単に放送の事実関係とその取材過程を分析・検証したモノで、右でも左でもなく単に『ニュース女子』当該回で放送された事実が本当か否か、の一点に絞られていた。結果、事実ではないと結論され、「重大な放送倫理違反があった」と判断された。この結論は妥当であると言うほかない。 そして3月8日、BPOは続けて申立人の一人である、「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉(シン・スゴ)氏に対して「(沖縄反基地運動家ら)テロリストの黒幕」と『ニュース女子』で名指しされたことは、「名誉毀損の人権侵害が成立する」と結論した。辛淑玉氏に対する名誉回復がどのような形でなされるのか。これは法廷闘争に移行するものと予想される。「ニュース女子」に対し、抗議の記者会見をする「のりこえねっと」の辛淑玉共同代表(右)ら=2017年1月、国会 私は、ごく基本的な言論の姿勢として、その結論が政治的右派に偏向していたとしても、政治的左派に偏向していたとしても、どちらでもよいと思っている。よく「偏向報道」が取り沙汰され、報道や論評の姿勢が右や左に偏っていることが非難の対象となる。 が、人間の目線と思考が介在する以上、真に中立的報道などできようがないのである。例えばパレスチナ問題を報道するとき、報道陣がいくら客観的中立的に務めようとしても、でき上がったビデオや文章は、必ず親パレスチナ・反イスラエルのニュアンスがにじみ出たり、その逆もまたしかりなのである。「報道」を語ってはいけない番組 報道や言論に関わる人間にとって、実は客観性というものはあまり意味はない。ベトナム戦争の地獄を報道している最中に「あ、また一人、ベトコンが死にましたね」という中継はほとんど意味がない。それよりもナパーム弾で焼かれ、裸で街路を泣きながら走ってくる少女らを撮影した、あまりにも有名な一枚の写真(ニック・ウット氏撮影)の方がよほど人々の心を揺さぶる。 ピューリッツァー賞を受賞したこの写真には、強烈な反戦とアメリカ・南ベトナム軍への非道の訴えがにじみ出ている。撮影者が偏っているかいないのかで言えば偏っているが、それがなんだというのだろうか。中立・客観を気取って無機質な数字を羅列する「公正な報道や言論」には、あまり意味があるとは私は思えない。 しかし、このような報道や言論姿勢は、全てその根底に「事実」をベースとしたものがなければならないということだ。ナパーム弾で背中を焼かれたベトナムの少女は、撮影者が捏造したものではなく事実で、ありのままの悲劇を切り取ったものだ。事実を元にした言論や報道なら、その左右偏向は全く許容できる。 このベトナム少女の写真は結局、ベトナム反戦運動を大いに刺激し、アメリカのベトナム撤退の世界的世論を後押ししたが、写真の切り取り方やキャプション、タイトルを変えれば「共産主義の犠牲者」として、全然別のプロパガンダに使えなくもない。 ただそれは全て事実を元にしている、ということが前提である。BPOが指摘した『ニュース女子』の当該番組には、その根底の作法が欠落していた。BPOはそれを指弾したのであり、それ以上でもそれ以下でもない。BPOの結論に瑕疵(かし)を見いだすことはできないだろう。 事実を基にした解釈なら、右であろうと左であろうと容認しなければならない。それこそ表現の自由である。が、事実に基づかない嘘(うそ)やデマを根拠とした言論や報道は、その根底からして間違っているのだから、それを「言論」とか「報道」とか「ニュース」などと呼んではいけないのである。1972年にAP通信のニック・ウット氏が撮影した、ベトナム戦争でナパーム弾攻撃を受けて逃げる少女らを写した「戦争の恐怖」と題された写真 私は前述のように沖縄の基地問題を実際、何度も自分の目で確かめた結果、名護市辺野古沖への基地移設を是認する態度に傾きつつあるが、それは普天間基地があまりにも住宅と隣接して危険であるという事実があるからである。 一方、高江のヘリパッドはすでに代替ヘリパッド6個が建設済みで、これと引き換えに国頭村の大きな部分を占める北部訓練場のかなりの部分は去年の段階で地元に「返還済み」となっており、辺野古の問題とは構造が異なることに注意しなければならない。 何事も事実を前提として、時に人情や義憤が多分に介入した「偏った」目線こそ、言論や表現の要諦である、と私はしみじみ思うのである。

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    「国民の知る権利を奪った」BPOに放送倫理を語る資格なし

    武田邦彦(中部大学特任教授) 『ニュース女子』はテレビ番組制作会社が作ったものを放送局が購入し、放映している番組である。多くのニュース番組が事実の一部をそのまま放映するのに対して、『ニュース女子』は女性と識者のやり取りを中心として、事実の核心にできるだけ迫ることを目的にしている。 そもそも、地上波テレビ番組の多くが「事実の核心部分の報道を避けている」と視聴者からよく指摘される。それは、本当に知りたい核心部分が常に曖昧だからだ。一方、放送を視聴する側にとっては「当たり障りのないこと」は既に知っており、むしろ「核心部分があやふやではなく、批判を受けやすい裏側」を知りたいのである。この矛盾を解消するために、放送局内部に「番組審議会」などを設置し、ギリギリの内容でも放送ができるようにしている。それが本来の存在理由であろう。 従来、多くのマスコミが沖縄を中心として「基地反対運動は善、米軍や自衛隊は悪」という報道スタンスを続けてきた。それに対して、『ニュース女子』では忌憚(きたん)のない意見交換の材料として、制作会社がロケを行った。実際、数人の方が「顔も名前も隠さず」に取材を受け、「基地反対運動で暴力が振るわれ、比較的大勢の人が知っている」という趣旨のコーナーを放映したのである。 この放送について、放送倫理・番組向上機構(BPO)は、視聴者から指摘があったとして、放送倫理検証委員会で審議入りした結果、番組内容に「重大な倫理違反があった」と認めた。その判断は番組内容そのものが事実かどうかより、番組を放送した地上波テレビ局が「チェックを怠った」というものであり、かつ放送界内部の資料ではなく、社会に対して事案を公表した。また、自身の名誉を毀損(きそん)されたとして、市民団体の共同代表も「人権侵害」を訴え、BPOの放送人権委員会が審理を行い、人権侵害があったと結論づけた。 その後、朝日新聞が「『ニュース女子』打ち切りへ」というフェイクニュースを流し、筆者もこの報道に振り回された。事実は、番組を購入していた約30の放送局のうち、何局かが購入をやめたということであった。本論評は上記の事実に対して、主として倫理面から考察を加えたものである。沖縄県名護市辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前で、工事に反対して座り込む人たちと排除しようとする機動隊員=2018年4月 まず、現代社会で共通して守るべきものは法律であり、これは国民を代表する国会で決まる。放送に関しては放送法があり、その第4条では番組を編集するにあたって、「公安及び善良な風俗を害しないこと」「政治的に公平であること」「報道は事実を曲げないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と、具体的に4つの規制を明記している。 筆者が自著『正しいとはなにか?』(小学館)で示したように、法律を守ることは「倫理」とは無関係なので、BPOの放送倫理検証委員会は法律で決めていないことを審査することになる。そのとき、審査が恣意(しい)的にならないために倫理規定、つまり「放送倫理基本綱領」を定めなければならない。 倫理綱領は1996年9月19日に定められているが、この倫理綱領は、あくまで放送局側の特定の検討機関において恣意的に決定されたものであり、放送によって知る権利を得る視聴者の参加がない。したがって、倫理綱領の成立過程自体が「非倫理的」なのである。 特に、倫理綱領では放送法第4条で定められていること以外の思想や行動などが記されている。だが、国民が定めた放送法を超える基準を、放送局側だけで決めることができるという理論は示されていない。「倫理」に基づかないBPO もともと「倫理」の「倫」というのは「相手」という意味であり、相手(倫)のことわり(理)を守ることが基本である。倫理の黄金律の一つに「相手のしてほしいことをしなさい」というのがあるが、まさにそれを示している。 したがって、BPOは『ニュース女子』の問題に対して視聴者にアンケートなどの調査を行い、視聴者(倫)が求めるものと異なったことを放送したかどうかを審査することしか許されないはずである。それに、審査に当たった委員が、視聴者より際立って「倫理的に優れている」という証明もなされていない。 第二に、今回の沖縄基地反対デモに関しての報道で人権侵害を訴え、審査で認められた市民団体の共同代表は外国人である。外国人の日本国における「人権」の中に「日本の国防に関する行動の権利」が与えられているか、それが法律的に与えられているのか、倫理的に与えられているかを明確にしなければならない。 もし、法律において、外国人が日本国内で反日的な言動をすることが許されていなければ、法律に基づき処罰されるはずである。法律的に許されている場合は「倫理的に許されるか」検討が必要だが、今回の決定にそれは含まれていない。 また、今回の審査に当たった委員の中に弁護士や、特に倫理的な活動で社会の評価を受けた人(例えば、学術論文、倫理関係の受賞、著作)が少ないことも問題である。先述の通り、もともと「倫理」とは、「法律」と全く異なるものである。だから、法曹関係者は、一般的に倫理について全くの「門外漢」である。法に触れるなら法で処理すべきであり、法に触れないなら法曹関係者は無知であろう。 また、BPOは第三者機関とはいえ、NHKと民放各局など放送関係機関が設立した「内部組織」であり、外部の承認などを得ているわけではない。したがって、審査内容などを積極的に外部に公表する必要はなく、あくまで内部での参考にとどめるべきである。放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会の記念シンポジウムに登壇する委員ら=2017年3月 以上の点で、現在のBPOは「倫理」という名前を含んでいるものの、倫理とは全く異なる組織である。規定に基づく審査方法は倫理に反し、委員の選任も恣意的であり、審査結果の公表自体も趣旨に合致していない。倫理とは基本的に論理的でなければならず、『ニュース女子』の審議のように、情緒的なやり方が続けば、わが国の報道に悪影響を与えるだろう。仮にも「倫理」を標榜(ひょうぼう)するなら、関係者は自己批判を行い、辞任すべきである。 放送は特定の権利を与えられている機関が、地上波や衛星波などを通じて独占的に実施している。ところが現在、視聴者である国民が最も困っているのは、地上波が当たり障りのない放送、保身的な報道に終始して「国民の知る権利を奪っている」ことだ。 BPOの勧告を受けた『ニュース女子』が、番組で取り上げた対象はあくまで「デモ行為」であって「個人」ではない。「デモ行為」の事実や、正当性などが個人に及んでいないにもかかわらず、人権問題として取り上げられ、放送の受益者たる視聴者の権利が一切検討されていないことは大きな問題である。 したがって、『ニュース女子』をめぐるBPOの放送倫理の審査が「放送局の論理、保身、社会に対する隠れみの」として実施されたことを考えれば、BPOは倫理的に解散が必要である。いや、自主解散する以外にないと思う。

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    MXテレビに編集権なし、完パケ配信「ニュース女子」のしくじり

    安倍宏行(Japan In-depth編集長) 事の顛末(てんまつ)は他の記事に詳しいだろうからそちらを参照していただく。今回は元テレビ局の記者として考えたことを記す。 東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ)の番組『ニュース女子』は、制作主体が化粧品大手、ディーエイチシー(DHC)傘下の「DHCテレビジョン」だ。東京MXテレビはDHCテレビジョンから納品された編集済みの映像、いわゆる「完パケ」を番組で流していた。制作に関わっていない放送局は、番組で流す映像の中身を放送前に検証できない。ただ放送するだけになってしまう。 フジテレビの報道局に21年在籍した筆者からすれば、ニュース番組のスポンサーが自ら映像を制作し、それを番組内で放送する、というのは聞いたことがない。報道局は社内でも独立しており、営業の人間が直接報道局に接触してくることはない。 また、報道と営業の間には編成局の担当者がいるが、それはスポンサーの意向を番組に反映させるためにいるのではない。むしろ、スポンサーの不祥事がニュースになった場合、その会社のCMを番組内で放送するのかしないかを調整したり、突発的なニュースが飛び込んで報道番組が他の番組に食い込む場合のCMの調整などをするためにいるのだ。 報道番組である以上、スポンサーの意向を反映するなどということがあってはならない。だからこそ番組の内容の根幹をなす、映像制作をスポンサーに任せることなどありえないのである。 そこで、東京MXテレビの有価証券報告書(第24期:平成28年4月1日~平成29年3月31日)で販売実績を見てみると、DHCが約21億円で全体の11・5%を占めている。大手スポンサーの意向がどのように番組に反映されたかは東京MXテレビのみぞ知るが、いわれなき批判を避けるためにも番組制作は自局で行い、編集権をしっかり担保しておくべきだった。 次に、番組で流す映像のチェック体制について考えてみる。東京MXテレビ以外の地上波テレビ局、ローカル局、BS局も、すべての番組を自社制作しているわけではない。多くの場合は制作会社に外注している。しかし、それらの局の報道番組・情報番組で、映像のチェックが事前に入らないことはまずない。政治ニュースでチェックは必須(iStock) 通常、第一段階として、映像をラフにつないだだけのものを局の番組担当者がチェックする。その段階で、取材が足りないと思われるところや、映像のつなぎが不自然なところ、インタビューがバランスを欠いているところなどがチェックされ、必要があれば追加取材や再編集が制作者に指示されるのが普通だ。その後、第2段階としてさらに上の番組責任者が最終チェックを行い、そこでOKが出てようやく「完パケ」になるのだ。 そこまでやっても制作者が悪意を持って局側をだまそうとしていたら、なかなか見抜くことは難しい。基本、「性善説」にのっとっているのだ。とにかく、キー局などではそのくらいのチェックは当たり前に行われている。特に政治にかかわるニュースの場合、危なっかしくてチェックなしではとても放送できない。 なにしろ、放送法というものがあり、テレビ放送は政治的に公平でなければならないからだ。多様な意見を視聴者に紹介することが義務付けられている。局側はそうした観点から放送する映像をチェックする。当然のことだ。もしチェックがされていないとしたら、放送局としてやるべきことをやっていないということになる。 報道系情報番組のルーツは、テレビ朝日系の『朝まで生テレビ!』だろう。もともとのコンセプトは、ニュースをわかりやすくお茶の間に届けよう、ということだったと推察する。実際、『朝生!』は放送開始から視聴率を稼ぎ続け、長寿番組として現在も続いている。 『朝生!』は硬派寄りで、政治家も多く出演している。ただ、何しろ出演者が多いので、お互いの主張をぶつけ合っても、どうすれば問題が解決するのか、という所までたどり着かないことがある。 一方で、同じくテレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』やTBS系『サンデー・ジャポン』、関西でいえば、読売テレビ『そこまで言って委員会NP』など、報道バラエティーともいうべき番組も人気を博している。地上波テレビこそいい教訓 そうした中、『ニュース女子』は、いろいろなテーマを深く掘り下げようという制作意図があったように見える。今回問題となった沖縄基地問題も、地上波で取り上げるにはハードルが高い問題の一つだろう。ハードルが高いというのは、意見が国民の間で割れており、放送すると炎上する可能性が高い、という意味である。 報道なのだから本来炎上が怖くてその問題に触れない、などということがあってはならない。しかし、実際の制作現場では、やはり面倒なテーマは扱いたくない、という気持ちになるのも仕方ないだろう。そういう状況の中で、こうした難しいテーマをあえて取り上げた『ニュース女子』を本来なら褒めるべきなのかもしれない。 しかし、結果として、放送倫理・番組向上機構(BPO)から放送倫理違反や人権侵害の勧告を受けるに至ったのは残念としか言いようがない。放送前に映像を十分にチェックし、その上で番組内でのトークを展開すべきだった。 揚げ句の果てに番組は、東京MXテレビでは打ち切りとなり、東京MXテレビ本体のレピュテレーション(評判)も損傷(きそん)することになった。DHCからの営業収入がどうなるかわからないが、万が一それらが大幅に減少すれば営業リスクも大きくなる。企業のリスク管理の観点からもあってはならない事例だろう。 今回の事例は、他の地上波テレビにもいい教訓になったといえよう。他局は東京MXテレビが厄介な問題を引き起こしてくれた、と苦虫をかみつぶしているかもしれない。だが、もし沖縄基地問題など議論が割れているようなテーマを今後避けるようになってしまったら、それは本末転倒だ。むしろ、これまで以上に積極的に取り上げてもらいたい。確かに公平公正に放送するのは神経を使うが、それこそ長年のテレビ局のノウハウと知恵の見せ所のはずだ。 結果的に『ニュース女子』は3月26日の放送を持って東京MXテレビでの放送を終えた。4月2日からは、YouTubeライブ、ニコニコ生放送、Fresh!などインターネット媒体で毎週月曜22時にライブ配信を続けている。また、衛星放送や地方局での放送も継続するとしている。2017年6月、DHCテレビが制作する「虎ノ門ニュース」を放映するスタジオに向かって行進すデモ隊を先導するトラック 筆者もネットで『Japan In-depthチャンネル』を放送しているが、じっくり時間をかけて一つのテーマを掘り下げるには、ネット放送の方が適していると感じる。地上波が「難しい」と感じるテーマを避け続けるなら、報道系番組の視聴者離れは加速するだろう。テレビにとって、『ニュース女子』問題を「他山の石」とできるかどうかが問われている。