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    一流の職人らが見せる超絶技巧 春画は浮世絵最高峰の「総合芸術」

    時代小説家、江戸料理研究家) 9月中旬に『春画入門』(文藝春秋)という新書を上梓して以降、さまざまなメディアから「春画」に関するインタビューの依頼をいただくようになった。 著書を読んでから質問をしてくださる方ばかりではないので、「春画というのは江戸時代のエロ本ですか?」と尋ねられて、困惑することがある。 確かに、エロティックな図を扱っているという点に於いては、木版画によって制作された春画(ここでは艶本も含む)は「エロ本」に当たるのかも知れない。しかしそもそも、現代と江戸時代では性に対する認識と倫理観が違うため、決してイコールではない。歌川国貞筆「金瓶梅」(手前)など、鮮やかな肉筆春画の名品が並ぶ永青文庫で開かれている春画展=東京都文京区 明治になって、西洋的倫理観を上書きされるまでは、日本人は性に対して、今よりずっとおおらかな国だった。聖母マリアの処女性を尊ぶ欧米に対し、伊耶那岐命と伊耶那美命が交わることによって誕生したとされる我が国は、太古から「男女和合」を子孫繁栄につながる“目出度い”行為だと考えていた。よって春画における性器は、顔と同じサイズにまで誇張されており、春画の大多数の図柄は、さまざまなシチュエーションとバリエーションで、男女ともに活き活きと性を謳歌している。女性に性欲があることも当然と考えられていたため、女性がむし返し(複数回の性交)を迫る……といった図も多く残っている。   二〇〇五年に、世界一のコンドームブランドである英国のDurex社が調査発表した「世界各国のセックス頻度と性生活満足度(四十一カ国)」によれば、セックス頻度における世界の年間平均は百三回で、日本人は四十位・シンガポールの七十三回から大きく引き離されての最下位で、四十五回という結果だった(十年前のデータなので、現在はもっと少ないのではないかと推測される)。この結果は、江戸時代の人々からすれば禁欲生活を強いられているようなものである。断っておくが、私は何も、現代人に性を謳歌しようと推奨しているわけではない。性に対して、どちらかというと後ろめたさを持つ現代人の感覚で、江戸の性は推し量れないということを示しただけだ。 また春画は、大名までもが娘の嫁入り道具として持たせるなど、性の指南書としての役割ばかりか、「笑い絵」「勝ち絵」などとも呼ばれ、仲間内で見せ合って笑い楽しむものであったり、戦の弾除けに甲冑に仕込むものであったり、長持ちに入れて虫除けにしたり、蔵に置いて火事避けにしたり……といった用途も担っていた。余談だが、火災が起こった時、ただ一つ燃え残った蔵の中から、上方の浮世絵師・月岡雪鼎(せってい)の春画が出て来たからと、以降、雪鼎の春画には十倍の値がついたという記述が残っている。 さらに、春画における技術と名誉について、特筆せねばなるまい。 八代将軍・徳川吉宗により、享保の改革の一環として発布された「好色本禁止令」以降、春画は秘密裏に売買されるようになった。公に販売されている浮世絵版画は、検閲を通さずに販売できないため、図案や摺り色の数などが制限されてしまうが、最初から表に出さない春画は、いわば贅沢のし放題であった。二十色以上摺り色を重ねようが、金・銀・雲母(きら)などの高価な絵具(えぐ)を使おうが、どれほど精緻に版木を彫ろうがお構いなしである。 また、当時の錦絵(にしきえ)(多色摺り浮世絵版画)一枚の価格が十六文~四十八文(一文を二十五円で換算すると四百円~千二百円)だったことに対し、春画の価格は十倍以上もした。 つまり版元が豪華で高価な春画を売るには、有名絵師の絵でなければ顧客がつかず、それらの凝りに凝った彫摺(ちょうしゅう)は、一流の職人でないと対応できない。逆に言えば、絵師も彫師も摺師も“春画を依頼されてこそ一流”とみなされたわけだ。それが証拠に、名だたる絵師たちは、わずか十ヵ月弱の制作期間で消えた写楽を除いて、もれなく全員が春画を手がけている上、錦絵は現代の木版画職人によって再現できても、爛熟期の春画の再現は不可能と言われている。 このあたりの感覚が今と大きく違うところで、現代では、エロティックな商業印刷物は低俗と見られがちなことに対し、春画はいわば、当時の印刷物の頂点にあった。持っていることがステイタスで、自慢の種になったのだ。 浮世絵に関する講演会などをさせていただいた折に、私は必ず「春画を観ずして、浮世絵の本当の凄さは語れない」と訴えてきた。例を挙げるなら、美人画の髪の生え際などで確認できる、一ミリの間に髪の毛三本を彫り、目詰まりさせずに摺る技術。エッチングなどの凹版印刷ならまだしも、凸版印刷である木版画でこれを可能にするだけでも超絶技巧だが、春画ではさらに、あの不規則に曲がりくねったアンダーヘアでそれを実現させているのだから、驚嘆に値する。 技術面に特化すれば、『三源氏』と呼ばれる歌川國貞(三代豊国)の艶本の代表作『艶紫娯拾余帖(えんしごじゅうよじょう)』『吾妻源氏(あずまげんじ)』、『正冩相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』を、機会があれば是非ご覧いただきたい。そこに施された彫りの細かさやグラデーションの美しさ、高価な絵具を惜しみなく使った贅沢さ、よく見ると浮き上がって見えるエンボス加工等、重要文化財級の匠の技が注ぎ込まれている。 これはもはや、総合芸術品である。   

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    二元論では語れない春画が持つわいせつと芸術

    鈴木堅弘(京都精華大学非常勤講師) 絵画の認識において二元論的解釈は成り立たない  昨今、世の中が「春画は芸術か、猥褻か」の議論で騒がしい。事の発端は、東京の永青文庫で開催されている春画展をめぐる記事である。週刊文春の編集長が、同誌への春画記事の掲載により、編集上の配慮を欠いたとして三カ月休養の処分を受けた。また、警視庁が週刊誌四社に風紀を乱す恐れがある記事を自粛するように勧告するにいたった。こうした事態により、再び「芸術―猥褻」の二元論が加熱したのである(刑法では「わいせつ」表記)。 もっとも日本において、「芸術か、猥褻か」の議論は、近代以降、いつの時代でも途絶えることはなかった。「チャタレイ事件」(昭和二十八年)、「サド裁判」(昭和三十四年)、「国貞裁判」(昭和四十八年)と、作品への「芸術―猥褻」の解釈をめぐる裁判はくり返され、いずれも明確な答えが見出せないままに終わっている。 それもそのはずで、そもそも各個人の文化事物への認識は、このような相対的二元論の解釈に落とし込むことができない。この真理は、言語学者ソシュールの「言語記号は恣意的である」の言葉に象徴されるように、すでに文化記号論などによって理論的に実証されている。 たとえば、このことを単純化して言うならば、同じ絵画を複数の人が同時に見ても、その絵から読み取る意味は、各個人で異なる。あるいは、ある一人の人が、同じ絵画を過去と現在で二度見たとしても、その時々の状況や経験によって、絵画から受け取る〈意味〉が変わってしまうことはよくある。ピカソの絵を前にして、ある人はこれを芸術だと言い、別の人は落書きにしか見えないと言う。このような経験を、誰もが一度はしたことがあるであろう。 つまり各個人は、絵画を見る際、個々の経験や知識にしたがって、それぞれ異なった〈意味〉を読み取っていくのである。これはどのような絵画であれ、一枚の絵に描かれた表象はどれも記号表現の集積であり、観者がどの部分(記号)に焦点を絞るかは、基本的には各々の判断に委ねられることを前提とするからである。高い芸術性で注目を集めている「春画展」=東京都文京区の永青文庫 この理屈を春画で例えるならば、一枚の春画を目の前にして、ある人は、裸体のふちを流れるように引かれた線(ライン)の美しさに取り憑かれるかもしれないし、また別の人は、あからさまな性表現に気恥ずかしさを感じるかもしれない。また性器の表象が描かれていたからといって、それを「淫猥」と認識するのか、あるいは「笑い」と認識するのかは、各個人の経験や知識にしたがっていかようにも変わる。つまり誰しもが春画から芸術の意味を読み取るわけではないし、あるいはまた誰もが猥褻の意味を読み取るわけではない。 これは絵画をはじめ、文学、詩、映画など様々な作品は、そもそも記号の多層性によって多義的な意味を伝える原則にしたがって成り立っているからである。そして観者は、作品を目の前にしてそれら記号の多層性から、いかようにも意味を引き出してくることができるからである。 このように考えれば、誰もが、ある作品解釈を一つの認識のみに落とし込むことはできない。となれば当然、誰も、「春画は芸術か、猥褻か」の問いに明瞭な答えを見出すことはできない。春画は、各個人の経験や知識にしたがっていかようにも判断できるからである。かりに、この二元論的な落とし穴にはまった人がいるとするならば、その人は解釈の対岸を行き来する堂々めぐりをくり返すだけであろう。明治時代における美術と猥褻 そもそも、日本の春画を「美術(アート)か、猥褻(ポルノ)か」とみなす二元論的視座は、コインの表と裏のように同根表裏の関係にある。いうならば、〈美術〉という概念がその場に立ち現れなければ、相対的に〈猥褻〉という概念も立ち上がらない。そうなると、日本におけるこうした二元論の成り立ちは、〈美術〉の概念の成立史と綿密に重なっていることが推測できよう。 そこで、日本における〈美術〉の概念の成り立ちに着目するならば、「美術」という言葉は、明治六年(一八七三)頃、日本がウィーン万国博覧会への参加の際に、翻訳語としてはじめてつくられた。それ以降、美術の概念すら定まらないなかで、官僚機構を中心とした殖産興業と古器旧物の保護に関する美術政策が進められていき、官僚によって組織された最初の美術団体である竜池会が設立された。また明治十三年には内務省博物局により官展「観古美術会」が開催され、この美術展は視覚表現(絵画)のみを展示する初めての展覧会であった。こうした時代の流れのなかで、明治期の日本に〈美術〉への認識が徐々に浸透していったのである。 ところが、この美術概念の成立と浸透の歴史に春画が巻き込まれることになる。その最たる出来事が、明治二十年代から三十年代にかけて繰り広げられた「裸体画論争」である。いわゆる「西洋裸体画は芸術か、猥褻か」を問う画壇論争である。こうした論争は、江戸時代より続く旧来の文化的価値と、西欧から移植した新来の価値観が衝突するなかで引き起こされた。明治二十二年の山田美妙による「裸胡蝶論争」に始まり、明治二十八年の「黒田清輝の『朝妝』裸体画問題」、そしてこれらの論争に呼応するかたちで、新聞ジャーナリズムや美術雑誌において「裸体画は芸術か、猥褻か」の論争がしきりにくりかえされていった。 ところが、これらの論争は、どれも一見、裸体画における社会道徳上の問題を取り扱うように見せながら、実はその本意は「裸体画」から〈猥褻〉の認識を引き離すところにあった。この時期にこうした主張がくり返されたのも、日本の洋画家たちが、西洋裸体画を〈猥褻〉な表現とは一線を画す美術作品としていち早く世に認めさせる必要に迫られていたからである。それはまさに〈美術〉と〈猥褻〉を明確に区別し、前者に裸体画を結びつけ、確固たる美術概念を世の中に植え付けることを狙いとした。しかもそこには裸体画から猥褻の価値認識を引き離す際の相対的事物として、春画が利用されたのである。このことは、明治の洋画家中村不折の言葉からも、明確に知ることができる。 元来當局者がかく裸体に対して厳しい制限を設けるのは、春画と裸体画とを混同して居るのに原因すると思ふ。春画は猥褻を主としたもの、一方は神聖な目的の為めに書いたものを、味噌も糞も一所にするに到つては、殆ど何と評しやうもない。(中村不折『畫界漫語』〈明治三十九年〉) つまり、裸体画を新来の西欧の芸術表現として世に認知させるためには、旧来の日本の世俗表現である春画を猥褻の彼岸へと追いやる必要があったのだ。裸体画の芸術的な至高性をより強調するためには、相対的に春画をその地位へ落とし込まなければならなかったといえよう。こうして明治二十年代から三十年代にかけての時代に、春画は猥褻画と見なされるようになった。いわば、春画を猥褻の概念で捉える社会的慣習がつくられたのである。このようにみていけば、「美術か、猥褻か」という議論自体が、美術という近代概念(モダニズム)がその場に移入されてはじめて起こりうる問題である。言い換えるなら、〈美術〉という概念がその場に入ってこなければ、〈猥褻〉という概念もまたその場には立ち上がらない。くり返すが、双方の概念は表裏一体の関係にある。つまりこの議論自体が、すでに極めてモダニズム的な発想に基づいており、春画が盛行した江戸時代にはない考え方である。 展示とオリエンタリズムの亡霊 ところが現在の日本では、このモダニズム的な発想が、さらにねじれを起こしつつある。春画を〈美術(アート)〉の概念と結び付ける社会的慣習が形成されはじめている。その要因の一つとなったのが、二〇一三年にイギリスの大英博物館で開催された春画展であろう。同展覧会では、そのタイトル「Shunga sex and pleasure in Japanese art」が示すように、日本の春画を明確に美術作品と見なしている。ところが、考えてみれば、そもそも「アート」は、ヨーロッパという場でつくられた西洋概念である。しかも、その概念を西欧においては「他者」である日本の、前近代の産物である春画に当てはめる考え方に少なからず違和感を抱かざるを得ない。春画がアートであるのか、ないのかという議論はひとまず棚上げしたとしても、なぜ大英博物館の春画展において日本の春画が「アート」の範疇に組み込まれたのかという疑点は看過できない。 たとえば同展覧会では、日本の春画を理解するうえで「検閲」や「パロディ」の項目を立てた。にもかかわらず、その全体の枠組みとしては、春画を日本美術のなかに収めている。 ごく素朴に考えて、日本人が認識する美術作品のなかで、「検閲」の対象になったものがあるだろうか。それこそ黒田清輝の油絵『朝妝』であろう。しかしこの作品も、結局は美術作品として世相に認められた。また別の観点に準ずるならば、春画を検閲の対象として捉える行為そのものが、先験的に春画を猥褻と見なす眼差しを発端としているのではなかろうか。一方、パロディという考え方も、西欧からの借り物であるにもかかわらず、そうした見方を日本の美術作品にどれだけ当てはめて考えることができるだろうか。結局、春画を理解するうえで「検閲」や「パロディ」の見方を用いれば用いるほど、西欧が作り出した「美術(アート)」の範疇から遠ざかる。 大英博物館の春画展が示したこの矛盾を、いったい我々はどのように処理したらよいのであろうか。その疑問は尽きないが、一点、言えることは、西洋にとって他者である日本の春画が、ヨーロッパの主要博物館の「場」で、「アート」の範疇に組み込まれた背景には、西洋が東洋に抱く「オリエンタリズム」の亡霊を見ざるを得ない。「オリエンタリズム」とは、ずいぶんと使い古された言葉である。ただそこには、東方の珍奇でめずらしい事物に対する西欧が抱く好奇のまなざしがあり、その裏には、東洋の事物や価値観を自前の概念範疇に取り込む欲望が秘められている。このバイアスこそが、日本の春画を容易に「アート」の概念と結びつけさせ、自明の理の内に矛盾や違和感を隠し込んだにちがいない。しかもその他者への眼差しは、「芸術(アート)か、猥褻(ポルノ)か」の問いさえも立てることができない境地へと春画を引き上げた。 もっとも現在、西洋の主要な美術館や博物館は、諸地域の文化を地球規模の普遍的視座のもとに均一(グローバル)化する文化平行主義を展示に取り入れることで、従来のオリエンタリズム的思考を乗り越えようと試みている。ところが、この行為がかえって西欧において「オリエント」への見方を浮き上がらせてしまい、異質なもの、他者であるものを展示した美術館や博物館の革新性や中心性を指示することで終わってしまう。このことは、日本の春画展のキャッチフレーズ「世界が、先に驚いた。」からも明確に知ることができる。もっともこの皮肉は、そもそも諸地域の文化事物に対する認識は、境界や辺境を越えて均一化できるものではないことを前提とするがゆえに引き起こされる。つまり展示される諸地域の文化物は、それぞれの歴史や風土に依拠した文化的差異に基づき、けっしてグローバルかつ西洋的な概念範疇に閉じ込めることはできないのである。 その点で、大英博物館での春画展と、日本での春画展は、同じ展示という行為ながら、その意義は大きく異なる。日本での春画展示は、文化の当事者であるがゆえに、オリエンタリズムというバイアスの助けをかりることができない。われわれは面と向かって自らの過去の歴史と向き合わなければならず、もしその認識に矛盾点や違和感があれば、自己崩壊を招きかねない。つまり日本社会にとって春画は、「他者」ではないのだ。そのため当然、自らの歴史に潜む魅惑の秘め事に直面したときに、その文化を直視することへの躊躇と自問自答をくり返さざるを得ない。昨今の日本社会における「春画は芸術か、猥褻か」の問いは、そうした当事者ゆえの苦闘を端的に示しているのではなかろうか。 もちろん、この問いに答えを見出すことはできない。おそらく永青文庫は、そのことを百も承知で春画展を実施したであろう。彼らは日本社会が自らの歴史や文化に直面したときに生じる躊躇や戸惑いを乗り越える勇気をもって、春画の展示に踏み切ったにちがいない。その英断と実行は、他者である大英博物館の春画展とは、本質的に異なる。 最後に、この二元論的な問いに明確な答えを見出せないならば、われわれ自身が自らの目で、おのれの経験や知識を通じて、春画の本質を見定めなければならない。この愚問に、足もとをすくわれている時間(ひま)などないのだ。展覧会には期限がある。春画の実物を自らの目で見定めるチャンスは、限られている。そのことを忘れてはならない。

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    “顎クイ”のキスより進んでいる春画のやんごとない世界

    佐伯順子(女性文化史研究家) 三味線音楽や邦舞、浮世絵等の江戸文化は、歌舞伎や遊廓と密接な関係をもちながら発展してきた。遊廓は、芸能や茶、香、花を楽しむ、江戸の文化センターでもあったが、そこには男女の営みが含まれ、歌舞伎にも、男色という性の楽しみが背後に存在した。春画が隆盛を極めたのも、様々なエンタテインメントの底に性があったという、江戸文化の特色のひとつといえるかもしれない。 ただ、であれば美人画のように、遊女や遊廓を素材にした春画が多いかと思いきや、事実は逆に、妻や娘といった素人の女性が春画に多く登場するのも興味深い。江戸時代の女性といえば、窮屈な儒教道徳に縛られ、浮気をすれば厳しい処罰を受けるという一般的なイメージがあるかもしれないが、それは近松門左衛門の浄瑠璃や歌舞伎が描く一部のイメージにすぎない。もちろん、夫に管理される不自由な妻たちも存在したことは一面の事実であるが、芝居や浄瑠璃にとりあげられる女性たちは、武士の妻や裕福な町人など、限られた女性たちであり、江戸の市井の女性たちの多くは、パートナーと、またはイケメンの少年役者と、自由に逢引きを楽しんでいたことを、春画の表現は伝えてくれる。 江戸時代の女性たちの性生活は、その積極性によって特徴づけられるといわれる(田中優子『張型』)ように、春画には、自然な表情で悦びにひたる満足げな女性たちの姿が随所にみられる。遊女のように、金銭を媒介にして必ずしも好きではない相手と交わるのであれば、不本意な忍耐や抑圧の悲しみが払拭できない。だが、商売をぬきにして主体的に快楽を求める女性たちの悦びの姿を描くところにこそ、春画の真骨頂がある。人間の性愛を描いた春画を国内で初めて本格的に紹介する「春画展」=東京都文京区の永青文庫 春画の主題の多くが夫婦の交わりであることは、誰はばかることなく、こころと身体のコミュニケーションを満喫できる間柄であるからだろう。女性が微笑みながら男性に覆いかぶさっていたり、男性の顎に手をあてて接吻したりしている図のように、女性のリードがみられる絵柄もあり、男性優位の性関係ではない多様な逢引きのありさまが描きわけられている。現代の、男性主導のいわゆる“顎クイ”のキスよりも”進んでいる“(?)とさえいえるかもしれない。 春画の前書きでは、イザナミとイザナギの夫婦の交わりが引き合いに出され、人間の男女の交渉のむこうには、神々の姿が想定されている。そもそも日本の国土は、イザナミ・イザナギの神々の交合によって生まれたのであり、日本神話の源には、性の営みを神聖な行為として崇める「聖なる性」の信仰がある。 日本の宗教儀礼には今でも、男女の生殖器をご神体として担ぐ祭礼(愛知県・田縣神社など)や、男女の交わりを実演として含む芸能(奈良県・飛鳥坐神社など)が残されており、日本の信仰世界において、男女の仲をことほぐ心性は連綿と受け継がれている。これらの祭礼で崇められる生殖器は、県神社の男根のように巨大なものもあるが、春画に描かれる男女の秘部が人体に比して大きく、顔と同じくらいの大きさにデフォルメされている例があるのも、生殖器に聖なるパワーを期待する心性の表現ではなかろうか。 春画という用語は当時、一般的なものではなく、「笑い絵」と称されていたが、笑いにも民俗学的には招福の意味があり、江戸期の春画が、魔除けや戦勝祈願という、おまじない的な意味をもっていたのも、性のパワーが幸福を招くパワーにつながると信じられたからであろう。実際、天真爛漫に逢引きを楽しんでいる春画の男女の姿をながめると、つい微笑んでしまいたくなることもあり、幸福感がのりうつるような感情にかられることもある。 命を産む性の営みを神聖なものとみなし、豊穣への祈りと結び付ける発想は、イギリスの社会人類学者のフレイザーが『金枝篇』で紹介する「類感呪術」にも通じ、海外にもみられる心性である。そのような視点で眺めれば、春画もどことなく、やんごとないものに見えてくるのではあるまいか。やんごとない世界であるからこそ、美しい調度品や着物といった、凝った意匠で飾り立て、目にも美しい作品として世に送りだされたのである。有名な、タコと交わっている女性の姿も、エロチックでありつつ、タコの腕や足の曲線の造形が巧みであり、デザイン的にも秀逸である。愛する人との一夜をロマンチックに演出したいと思う気持ちは、江戸の男女も現代の恋人にも変わりはないと思われるが、現代の恋愛映画などのいわゆるベッド・シーンは、往々にして雰囲気の描写にとどめているのに対し、露骨な交合の場面を色彩豊かな図像にとどめた江戸の絵師たちの才能には感服するしかない。 十二枚一組という春画の形式が、一年十二か月の風物にのっとったものであり、四季おりおりの風情が豊かにおりこまれていると紹介されるように(山本ゆかり『春画を旅する』)、床の間の紅梅や戸外のホトトギスの声など、日本ならではの自然の彩が、男女の逢引きに興を添える。視覚的な美しさのみならず、薫りや鳥の音までをも伝える春画の表現は、まさに日本美術の粋のひとつであり、まぎれもなく、猥褻ではなく芸術なのである。

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    もういい加減「芸術かワイセツか」はやめようよ

    ない。あるいは、どうにでも答えられる問いである。書くのならそのことを書こうと思ってお引き受けした。 メディアは盛んにこの問いを口にするが、春画を目にして、いったい誰がこの問いを思い浮かべるだろうか。永青文庫を訪れて、歌麿なり北斎なりの絵の前に立って、「うーん、これは芸術だな、こっちはワイセツだな、するとあれはどっちだろう」などと悩んでいる人がいたらお目にかかりたいものだ。大英博物館「Shunga:sex and pleasure in Japanese art」(撮影 木下直之) そうではなく、「ワイセツかそうではないか」と考えながら見ている人はいるかもしれない。もし会場でそんな人を見かけたら、間違いなくそれは刑法175条と照らし合わせながら眺めている警察関係者だ。おそらく彼あるいは彼女の頭に、「芸術か否か」という問いはない。そんなことまで考え出したら、ますます判断に窮するからだ。もっと即物的に、性器が見えているか見えていないか、大きいかちょうどいいかなどと判断する。ちょうど昨年夏に、愛知県美術館の「これからの写真」展会場から鷹野隆大の作品撤去を命じた愛知県警のように。 わたしは若い頃に『美術という見世物』(今は講談社学術文庫で読んでいただける)という本を書いたくらいだから、それが「美術」であるとも「芸術」であるともそう簡単には判断しない。いや、できない。ある時代のある地域の人々がある造形表現を「美術」だとか「芸術」だとか判定してきたにすぎないと思うからだ。 一方の「ワイセツ」はもっと曖昧でもっと厄介だ。iRONNAがそれをカタカナで表記するのはなぜだろう。刑法は「わいせつ」とひらがなで表記している。編集部がひらがなでは猥褻感が足りないと思ったからかな。 それはある意味で正しい。ひらがなの「わいせつ」には、猥褻な感じがまるでないからだ。昔は刑法も「猥褻」と漢字で書いた。猥褻犯と書けば、いかにもいやらしい。それがひらがなに変えたのは、刑法の口語化の一環である。つい近年のことだ。 世の中わかりやすく、わかりやすくという方向に流れ、行政はやたらとひらがなの表記を好み、ひらがなの市町村までつぎつぎと登場、結果として猥褻まで何であるのかがわからなくなってしまった。警察が「わいせつ」というひらがな表記の概念を頭に浮かべながら、おそらくはマニュアルどおりにわいせつ物を取り締るのは喜劇としかいいようがない。「好色」を「猥褻」に変えたもの ここからは、「猥褻」と断然漢字で表記する。江戸時代には、つまり春画の全盛期にはこの言葉は使われていない。「みだら」とか「みだりがわしい」という表現はあったが(猥や淫はそこに登場)、春画・春本に対しては「好色」と呼ぶことが一般的だった。井原西鶴『好色一代男』のあの「好色」で、主人公世之介は話の最後に、好色丸を仕立て、たくさんの「枕絵(春画のこと。笑絵とも呼ばれた)」を積み込み、女護島に向かって船出する。 では、「好色」を「猥褻」に変えたのは誰の仕業だろうか。明治政府による法整備の段階で、「猥褻」は登場する。刑法(1880年制定の旧刑法)はフランス刑法をモデルにつくられたから、フランス語のobscéneの翻訳語として「猥褻」があてられた。ところが、明治になってもこの言葉は一般的に使われるものではなかった。中国語ではむしろ「淫猥」を使うと同僚の中国研究者から教えられた。つまり、文明開化の時代に、過去との断絶を強く意識して、「猥褻」なる言葉が選ばれたのだという。それが日本社会のルールとしてしっかりと根付き、今なお、猥褻をめぐる大騒ぎ(たとえばろくでなし子裁判)を繰り広げている。 余談だが、ろくでなし子さんの逮捕と起訴は不当だと思う。春になって公判が始まった時、思わず「税金の無駄遣いじゃのお」という菅原文太の台詞(「仁義なき戦い 頂上作戦」1973年)が思い浮かんだが、サド裁判を体験した澁澤龍彦が第1審最終意見陳述を「一言で申しますと、本裁判は、税金の無駄づかい以外の何ものでもないのではないかという、大へん空しい感じを受けるわけです。」という発言で始めていたことを知った(東京地方裁判所第17回公判、1962年8月2日)。 そんなわけで、去年から開講している「近代日本の性表現」という授業で、受講者にはまず「猥褻」の字が書けることを求めている。猥褻を論じるのなら、せめて漢字で論じようよ。 さて、「芸術」も「猥褻」も言葉が存在する以上、それらが指し示すものは当然ある。もちろん主観的にだが。問題はこれを二者択一の問いで済ませてよいのかだ。すぐにわかることだが、両者にはほかの組み合わせだってあるからだ。「芸術だから猥褻」、「猥褻だから芸術」、「芸術でありかつ猥褻」、「芸術でもなければ猥褻でもない」等々。かつて、愛のコリーダ裁判を経験した大島渚は、「ワイセツで何が悪い」と主張、二者択一は誤りと喝破した。 また、「わいせつコミック裁判」で知られる松文館裁判では、第1審で、「浮世絵ないし江戸時代や明治時代の春画は、それぞれに、著名な浮世絵作家の作品として、あるいは懐古一趣味に応える歴史的文物として、興味を抱かせるものであり、性行為の指導書も、夫婦を中心とする男女の性生活の充実に資するものであるなど、本件漫画本とは、読者が興味の対象とする目的及び内容を異にしており、専ら読者の好色的興味に訴えるものとはいえない。」(東京地方裁判所判決、2004年1月13日)という判決が出されている。こうした戦後の猥褻裁判をめぐる数々の議論を振り返れば、まるで振り出しに戻ったかのように、今さら「芸術か猥褻か」を持ち出すことは安直としかいいようがない。広く享受された芸術性 ところで、永青文庫での春画展が春画の芸術的な側面に強い光を当てていることは間違いない。とりわけ、永青文庫が旧熊本藩細川家に伝来した宝物を受け継ぐ博物館であることから、旧大名家に伝わる肉筆の絵巻を揃えた。そして、それら蔵の中に眠っていたものを明るみに出したことの意義は大きい。春画が庶民のものばかりでなく、上流階級のものでもあり、幅広い層に享受されたことを教えてくれるからだ。 肉筆の絵巻となれば一流の絵師に発注した贅を尽くしたものである。庶民向けに複数生産された版画とでは表現の質に雲泥の差がある。とはいえ、版画も選りすぐりの上質なものを集めている。鳥居清長の「袖の巻」や喜多川歌麿の「歌満くら」などを目にすれば、その絵画表現の高さに息をのむばかりだ。「春画の名品」を集めた本展は「世界に誇るべき美の世界」(リーフレットの案内文)をこれでもかこれでもかと見せてくれる。 展覧会場を訪れ、春画にはそのような実態があった。猥褻や卑猥などという表現で簡単に片付けられないものだということを知る一方で、そこに強い光を照射しているのは現代人の価値観によるのだということも自覚しなければならない。 こうも言い換えることができる。春画は女性にも喜ばれたという実態がある。それは近年の研究が明らかにした(たとえばアンドリュー・ガーストル『江戸をんなの春画本』平凡社新書、2011)。一方、それを「女子」のための春画ととらえることはあくまでも現在の評価である(たとえば「特集 恋する春画」『芸術新潮』2010年12月号や「女子のための入門 特集春画」『美術手帖』2015年10月号)。 何であれ光を当てれば陰に回るものがある。春画の芸術性が強調されればされるほど、美しいとはいえないもの、低俗なもの、低級なもの、下品なものが見えなくなる。貸本屋の手でぐるぐる流通し、結果的にぼろぼろになってまで読まれた春本もある。それらもひっくるめて春画の世界が広がっていたことも忘れてはならない。本物を見ることの意義 本展に先行して2013年秋にロンドンの大英博物館で開かれた春画展は、英語のタイトルをShunga:sex and pleasure in Japanese artとうたった以上、これまた「芸術」もしくは「美術」という枠組みの中に春画を収めた。しかし、それだけでは不十分と考えた企画者は、「春画と近代世界 Shunga and the modern world」というコーナーを展示室の最後に設け、春画を模した写真(ポルノグラフィーと呼んでよいだろう)や日本の兵隊がロシアの兵隊を犯しているようなあんまり趣味のよくない春画までをも展示した。永青文庫の春画展はこうした視野に欠けるが、会場のキャパシティという現実問題があるわけだから、それは仕方がない。これを突破口に、新たな観点から新たな春画の世界に光を当てる第2、第3の春画展が各地の博物館・美術館で開催されることを期待したい。福岡市美術館「肉筆浮世絵の世界・・・美人画、風俗画、そして春画展」(撮影 木下直之) もちろん、今の日本でそれが容易に実現するとは思えないものの、今年の夏に「肉筆浮世絵の世界・・・美人画、風俗画、そして春画展」を開催した福岡市美術館はひとつのモデルとなるだろう。会場の一隅に春画展示室を設け、力まずに淡々と、春画を見ずに浮世絵の世界を知るなかれと主張していた。公立美術館が春画を公開展示したという点では、永青文庫の春画展よりも画期的な出来事だった。 長い間、春画そのものが日陰の存在だった。1990年代に入って、出版物で春画が無修正で見られるようになっても、日本国内では本物を見る機会は極端に限られていた。閉ざされた扉を研究者が徐々に切り開いた。大英博物館の春画展は、日英合同の研究プロジェクトチームによって周到に準備された。研究に裏打ちされてこそ、春画の多様な世界が見えてくる。 本物を見ることの意義は表現の精度にふれるばかりでなく、形態を知ることにもある。かたちはそれがどのように享受されていたかを示すからだ。印刷物の図版ではなかなかわからない。 それを掲載したことで文藝春秋の社長が激怒し、『週刊文春』編集長に3ケ月の「休養」を命じたと伝わる北斎の「海女とタコ」の絵は、実は絵本(春本、艶本ともいう)なのである。紙面をびっしりと埋める詞書を読むと(もちろん研究者の助けを借りて)、海女がタコに一方的に犯されているのではなく、対等に張り合っていることもわかる。社長も、本物を見て海女とタコのバカバカしい会話に耳を傾けたうえで、それから激怒してほしかった。

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    「村上春樹が大江健三郎化する理由」を熱く考察してみる

    木走正水 固い時事ネタが続きましたので、今日は軽めなコラムということで、肩の力を抜いて読み流していただければ幸いです。 BLOGOSの記事で、作家の村上春樹さんが「原子力発電所ではなく、核発電所と呼びませんか?」とネットで呼びかけていることを知りました。川名 ゆうじ2015年04月06日 12:01「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか? 村上春樹さんが呼びかけhttp://blogos.com/article/109523/ ソースはこちらのサイトですね。村上さんのところこれから「核発電所」と呼びませんか?http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/03/173000 なるほど、確かに提案されていますです。これから「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか? その方が、それに反対する人々の主張もより明確になると思うのですが。それが僕からのささやかな提案です。 まあ、確かに「原子力発電所」は英語で"Nuclear power plant"ですから直訳すれば「核力発電所」ですから、「核発電所」を呼称としてもよろしいかもですが、そんなこといったら、広島や長崎に投下された「原爆」も「原子爆弾」="Atomic bomb"でありますが、よりリアルに「核爆弾」="nuclear bomb"でもよろしいのかとなります。 でも、日本語では「原子力発電所」のほうが略して「原発」ですから「原爆」に語呂があってよりおどろおどろしいと思うのですが、いかがでしょう。 さてBLOGOSのコメント欄でも批判的意見が大半なのですが、最初のコメントで「こうして村上も大江化するわけだ」との指摘があり、思わず我が意を得たりと、膝を叩いて、お茶吹いてしまいました(苦笑) 今回はこのコメントをパクらせていただき、この深遠なるテーマ「村上春樹が大江健三郎化する理由」を熱く考察したいのであります。 ・・・ 実は当ブログでは「村上春樹の大江健三郎化」は6年前から注目していたのであります。脱原発法制定全国ネットワーク設立記者会見で発言する作家で代表世話人の大江健三郎さん=2012年8月22日、衆院第1議員会館 思えば「村上春樹の大江健三郎化」ですが、ここ最近顕著なのでありますが、ひとつのきっかけは、六年前の村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチに見ることができます。 少なからずの批判や反対を押してわざわざイスラエルの授賞式に参加した村上氏は、当時イスラエルのおこしたガザ攻撃への批判をおこなうのです。 この村上春樹さんのエルサレムスピーチでありますがタイトルは「壁と卵」、もちろん、当時国際的批判を浴びていたイスラエルのガザ攻撃を暗喩しているのであります、さすがノーベル証候補と噂される世界的人気作家であります、美味い表現をいたします。 村上氏は「私は常に卵側に立つ」、「その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます」と、強者より弱者の立場に立つことを強調されています。 それまであまり政治的主張を公(おおやけ)にしてこなかった村上氏の政治的主張を自ら発信するという「大江健三郎化」の始まりであります。(参考当ブログ過去エントリー)2009-02-23「壁(システム)と卵(人間)の共生」~村上春樹氏「壁と卵」スピーチからの一愚考http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20090223  帰国すると、村上氏は『文藝春秋』2009年4月号で、独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」を掲載、そこで村上氏が「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖い」と強烈なネット批判をかまします、そして「あの村上春樹がネット批判」とネットがざわついたのであります。 「人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失ってい」くと村上氏はいいます。 そして、シオニズムにせよイスラム原理主義にせよオウム真理教にせよ、それが宗教であれイデオロギーであれ、ある種の「原理主義」に魂を委譲してしまう人たちは、「原理原則の命じるままに動くようになる」ために、極めて扱いづらい危険な存在となっていくというのです。 「ネット空間にはびこる正論原理主義」について、村上氏は1960年代の学生運動を持ち出して「おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまった」と述べておられます。 村上氏がいう「ネット空間にはびこる正論原理主義」とは、「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されて」しまうというわけです。(参考当ブログ過去エントリー)2009-03-15 ネット日和見主義者~当日記はD層(穏健右派)でありますhttp://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20090315 このあたりまでは、しかし、大江健三郎氏のような「九条を守れ」とか「原発即刻全面廃止」とか政治的自己主張をむき出しにはしていません、村上氏らしいオブラードのように文学的修辞をも忘れていませんです。 あれって思ったのは3年前です。 当時、日本政府と中国政府が尖閣を巡って厳しい外交宣伝戦を国連において展開しているそのときに、日本政府の背後から、銃弾が炸裂するように、思い切り国益に反する発言が続けざまになされていました。 その論陣に大江健三郎氏らに交じって村上氏が参戦していたので驚いたのであります。「韓国、中国が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中で日本が領有した」(大江健三郎氏ら識者)「領土問題が国民感情の領域に踏み込んでくると、出口のない危険な状況を出現させる」(村上春樹氏)「自分たちに問題がなくても相手が問題と言っていることを解決するのがトップの役割。そのようなことは言ってもらいたくない」(経団連の米倉弘昌会長) 当時、当ブログでは「この3者に共通しているのは、日本社会の構成員でありながら日本社会を批判することを厭わない無責任なアウトサイダーだということ」と批判しています。(参考当ブログ過去エントリー)2012-09-30「利(益)は中国に有り」~尖閣で日本政府批判をする無責任なアウトサイダーたちhttp://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20120930 そして今回の「これから原子力発電所ではなく、核発電所と呼びませんか?」発言です。 もともとリベラル的立ち位置ではあったのですが、穏健リベラル派から正論原理主義的強硬リベラル派へと脱皮しようとしているのであります。(※ここでは「リベラル」を厳密なその言葉の定義ではなく日本で一般化している左派の同義語として使用します) 「村上春樹の大江健三郎化」であります。 ・・・ さて、左派にしろ右派にしろ、強硬派「正論原理主義」つまり「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間」(村上氏)と穏便派「日和見主義」つまり「自分の言葉で誠実に語ろうとする人々」(村上氏)に分けることが可能です。 保守・リベラル、強硬派・穏健派の関係を下の図式のように整理してみます。■図1:イデオロギーと心情の分類 4つの層ですが、A層はリベラル強硬派、B層は保守強硬派、C層はリベラル穏健派、D層は保守穏健派と分類できます。 過激でときに攻撃的な正論原理主義者はA層(リベラル強硬派)とB層(保守強硬派)になり、穏健派はC層(リベラル派)とD層(保守派)になります。 ちなみに当ブログの自己評価はC層に近いD層(保守穏健派)かなと考えてます。 でこの表でおもしろいと思うのは、著者自身はD層(保守穏健派)と自己認識していますが、当然ながら隣接するB層(保守強硬派)とC層(穏健リベラル)とは、親和性があり、議論によっては隣の層の立場を取ることもしばしばながら、B層よりはC層の論説や考え方がすっきりくることが多いのです。 つまりこの表の左右の移動はそれほど心理的ハードルは高くないことを自覚しています。 いっぽう上下の移動はこれは心理的ハードルが高いのです。 ところで、正論原理主義は「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす」のが得意な傾向があり、実はA層とB層も親和性があって、ちょっとしたきっかけでウヨがサヨになったりあるいは逆が起こったりするようです。 村上氏の指摘とおりバリバリの学生運動闘士がバリバリの企業戦士に転向したり、読売主幹のナベツネさんのように学生のとき共産党員だったバリバリリベラルが大新聞会長としてバリバリ保守論説を展開したりと、表の横方向のリベラルと保守のハードルは人にもよるのでしょうが、意外と高くない感じがします。 ・・・ さて、「村上春樹の大江健三郎化」であります。 明らかに村上氏は「C層リベラル穏健派」から大江健三郎氏が属する「A層リベラル強硬派」への道を歩んでいます。 上下の移動はこれは心理的ハードルが高いはずなのですが、村上氏はおそらく心理的にはかなり無理して自らの大江健三郎化を企てているように思えます。 村上春樹はなぜ政治的立ち位置で大江健三郎を目指すのでしょうか。 なぜか? 当ブログはその答えを、ズバリ「ノーベル文学賞」獲得にあると邪推しております。 これは当ブログだけの邪推ではありません。 評論家で作家の小谷野敦氏は、過去になぜ大江がノーベル賞を受賞できて村上が毎回落選するのか、その理由の一つに作家の「政治的な立ち位置」を挙げています。 「ノーベル賞委員会は、少し左寄りである」のだそうです。  さらに政治的な立ち位置も関係している。小谷野に言わせると「ノーベル賞委員会は、少し左寄りである」という。たとえば、アメリカで初めてノーベル文学賞を獲ったシンクレア・ルイスや、授与されたが辞退したサルトルも、社会主義的だった。日本では保守派と見られる川端康成も「その辺はぬかりなく、戦後は平和主義の仮面をかぶり続けた。ノーベル賞をとってしまうと地金が出て、(略)以後日本ペンクラブは右寄りに」なったという。 当時大江健三郎はペンクラブを一度退会しているのだが、その後またペンクラブが左寄りに戻ると、戻ってきて理事になっている。そして「1984年には反核声明を出すなどしているし、大江は原爆、沖縄などを問題視する平和主義者としてふるまい、ノーベル賞にこぎつけた」(参考記事)今年も落選!村上春樹はそもそもノーベル文学賞候補ではないとの説が!?http://news.livedoor.com/article/detail/9344101/ ・・・ 大江健三郎化を目論む村上春樹の狙いはズバリ、ノーベル文学賞獲得のためだと、当ブログは考えます。 今回は 深遠なるテーマ「村上春樹が大江健三郎化する理由」を熱く考察させていただきました。 え? どうでもいいって? 長文失礼しました(汗 ふう。(木走まさみず)

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    ニッポンの左翼マスコミに告ぐ!

    先の通常国会で成立した安保法制をめぐる日本メディアの報道を振り返ってみると、左翼マスコミの偏向ぶりは本当に酷いものでした。「戦争への道」などと荒唐無稽な言説で煽り続けた新聞やテレビがいったいどれだけあったでしょうか。私たちはこれからも「ペンの暴走」を監視しなければなりません!

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    古舘伊知郎が泣いた朝日新聞ジョン・ダワー記事を検証する

    うなのですが、従軍慰安婦問題などで顕著である事実とは異なる誇張された間違った捏造された「虚構」が一部メディアや反日的な国で拡散していることにに対しては、厳しく反証すべきなのですが、その事実にはまったくふれていません。憲法記念日に開かれた憲法集会に参加する人々=5月3日、横浜市西区 さらに「アジアにおける安全保障政策は確かに難題」との認識も「米軍と一体化するのが最善とは思えません」という危惧を提示しています。 「尖閣諸島や南シナ海をめぐる中国の振る舞いに緊張が高まっている今、アジアにおける安全保障政策は確かに難題です。民主党の鳩山政権は『東アジア共同体』構想を唱えましたが、それに見合う力量はなく、米国によって完全につぶされました」 「だからといって、米軍と一体化するのが最善とは思えません。冷戦後の米国は、世界のどんな地域でも米軍が優位に立ち続けるべきだと考えています。中国近海を含んだすべての沿岸海域を米国が管理するという考えです。これを米国は防衛と呼び、中国は挑発と見なす。米中のパワーゲームに日本が取り込まれています。ここから抜け出すのは難しいですが、日本のソフトパワーによって解決策を見いだすべきです」 ここで決定的な護憲派のテンプレが登場します。「ここから抜け出すのは難しいですが、日本のソフトパワーによって解決策を見いだすべき」とジョン・ダワー氏は提言しているのですが、「日本のソフトパワー」って何かと問われた彼はこう説明しています。ここ核心部分ですので、少し長いですがそのまま引用。――では、日本のソフトパワーで何ができるでしょうか。 「福島で原発事故が起き、さらに憲法がひねり潰されそうになっている今、過去のように国民から大きな声が上がるかどうかが問題でしょう。今の政策に国民は疑問を感じています。安倍首相は自らの信念を貫くために法治主義をゆがめ、解釈によって憲法違反に踏み込もうとしている。そこで、多くの国民が『ちょっと待って』と言い始めたように見えます」 「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から湧き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」 「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も、そして米国も、戦争中に多くの恥ずべき行為をしており、それは自ら批判しなければならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです。すべての国は称賛され、尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ、人々は過去を反省し、変革を起こそうとするのです」 迫りくる中国の軍事的脅威に対して、日本のソフトパワーによって解決せよ、と言います。それは、世論を盛り上げて安倍政権に反対して『平和憲法』を守り、また自分たちの過去もしっかり反省することだと、要はこのように言っているわけです。 でました。ここなのです。護憲派の主張の典型です。 目の前の安全保障上の脅威に対して具体的な策がまったく示されないのです。「憲法第9条だけ唱えていれば、日本だけは平和になる」、まるでこのように主張しているようなものです。 この冷徹な現実を前に日本だけが「九条」を念仏のように唱えれば平和が確保できるなどそれこそ平和ボケ外交音痴な戯言(ざれごと)です。 この状況下で、防衛、外交方針を具体的に打ち出す保守派に対して、護憲派は数十年前から更新されない言葉で教条的かつ精神論的な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしません。 多くの護憲派メディアおよび論者は「戦争法案反対、憲法を守れ」と安倍首相をバカにするわけですが、こうした指摘自体が一歩譲って仮に妥当だったとしても、護憲派勢力はこうして相手をバカにするだけで自分たちは具体的な、現実的な処方箋を出せていません。 これで国民の支持を得れるはずがありません。 護憲派は国家に軍事力が必要であることも、中国の軍事的膨張の脅威や近隣諸国の反日ナショナリズムの問題も一通り認めなければなりません、その上で、保守派の掲げる論以外の現実的な選択肢を提示することこそすべきなのです。 保守派の主張以外の手段を講じた方が、国防に結びつくというアピールがまったくないのです。 もっとも問題なのは、護憲派勢力のある種の大衆蔑視ともいえる自己陶酔です。 保守派は現実に起こっている変化に何とか対応しようと具体的に政策を打ち出しますが、護憲派は教条的憲法擁護論に拘泥し、自らの主張に酔い反対意見を机上で論破することのみに執着し、現実の日本を取り巻く状況に対して何ら具体的政策を国民に訴えることを放棄して、そこで自己満足しているのです。 現実に社民や共産などの護憲政党の長期凋落傾向を持ち出すまでもなく、護憲派リベラルの浮世離れした教条的憲法擁護論だけでは、すでに国民の支持を失っていることを強く自覚すべきでしょう。 冷徹な現実を見つめよ、ということです。(ブログ「木走日記」より2015年8月7日分を掲載)

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    朝日と毎日の論調が地方選挙をダメにする

    として、安保法制を掲げるのはそんなものかと思いますが、そういう当事者間の刺し合いで過熱するからこそ、メディアというものは中立性を発揮して、そういう永田町文脈からは一歩引いて、その地域の有権者が直面する課題を深く考えてもらい、投票率が上がっていくようにするのが本分ではないかと思います。 しかし、たとえば今回の市長選を取り上げた毎日新聞の記事はこんな調子です。山形市長選:まるで地方版「安保対決」の様相(15年9月6日) 6日に告示された山形市長選。参院で審議が進む安全保障関連法案の与野党対立がそのまま持ち込まれ、選挙戦は、さながら「安保対決」の様相だ。 遠藤利明・五輪担当相(衆院山形1区)の地元でもあり、野党側は「安倍政権を追い込める選挙」と結束。1966年以来続く革新・非自民陣営からの市政奪還を目指す自民は、法案賛成を前面に出さず争点化を避けたい考えだが、防戦に追われている。 そして朝日もこんな感じ。安保、市長選争点に 山形、与野党の対立軸(15年9月10日) 国会での審議が大詰めを迎える安全保障関連法案が、山形市長選で主要争点のひとつになっている。国会での与野党対決の構図を映した無所属新顔の2人を軸にした戦い。野党が推す候補が「選挙結果は法案の行方を左右する。山形から反対の民意を示そう」と訴えれば、対立候補の陣営は「地方選と外交・安保は関係ない」と主張する。投開票は13日だ。 両紙とも、さすがに地元の山形版は、市政担当記者が書いた定番の市政の課題連載は一応やっているわけですが、後者の朝日の記事は第二社会面(東京本社管内)に掲載されていて、本社の息がかかってくると、永田町文脈が介入してくるわけですよ。朝日も毎日も野党に“加担”している 沖縄の県知事選のように、県政の争点がイコール基地問題のようになっている場合は例外的に国政とリンクした報道になるのはやむを得ないでしょう。しかし中国が攻めてくるわけでもない山形市で安保法制を“主要争点”扱いとしようとすること自体、朝日も毎日もメディアの中立性を踏み越えて、安倍政権を倒したくてたまらない本音を微妙ににじませつつ、安保法制を争点化したい野党に実質的に“加担”しているわけです。 日本新聞協会が綱領で「報道は正確かつ公正でなければならない」と示す建前論の影で、朝日新聞は昨年の第三者委員会の調査で「角度をつける報道」をやっていたのが暴露されたわけですが、永田町文脈を安易に持ち込む全国紙の地方選挙報道が、不毛な対立を招いたり、政策論議の空洞化につながっていたりするんじゃないでしょうかね。むしろ国政マターを安易に持ち込もうとする中央政党を戒めるような論調をすべきじゃないでしょうかね。別に争点化を避けたかった自民党の肩を持つつもりも全くないけど、政治関連の仕事をしていると、つくづくそう思います。 とりあえず、山形市長選に勝って「安倍政権の打倒へ弾み」なーんてFacebookでシェアしようと思っていたSEALDsクラスタの皆さん、空振りに終わってご愁傷様でした。逆に自民党の皆さんも調子に乗らないことですね。「安保法制が支持された」なんて言わないで粛々と国政と地方のことは切り分けて仕事していただきたいと思います。ではでは。(「新田哲史のWrite Like Talking」より2015年9月14日分を転載)

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    日本の新聞によるデマや誤報が中国の攻撃材料に利用される状況

    参拝した際も中国からの批判は皆無だった。当初は“炎上作戦”は失敗に終わったのだ。だが、繰り返し日本のメディアが靖国参拝を問題視する報道を続け、「靖国」は外交問題に発展していく。戦後70年の節目の年として靖国神社で行なわれた「みらいとてらす」=2015年9月25日(三尾郁恵撮影) 状況が大きく変わったのは、中曽根康弘・首相が公人としての靖国参拝を明言した1985年だった。この時、朝日新聞は再び「反靖国」の一大キャンペーンを始めた。〈靖国神社は戦前、戦中を通じて国家神道のかなめに位置していた。(略)軍国主義日本のシンボルだったことも見逃すことのできない歴史的事実である〉(1985年8月4日付)〈靖国問題が今「愛国心」のかなめとして再び登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している〉(1985年8月7日付) それでも中国政府は、終戦記念日に中曽根首相が靖国を参拝しても目立った反応をしなかった。畳みかけるように8月末には社会党訪中団が北京に飛び、「中曽根内閣は軍事大国をめざしている」と「告げ口外交」に勤しんだ。 朝日新聞と左派政党の「ご注進」に釣られた中国の要人やメディアはここから靖国参拝批判を開始。中曽根首相は同年秋の例大祭での靖国参拝を断念せざるを得なくなった。つまり中国が靖国で騒ぎ出したのはここ30年の話なのだ。こう見ると、靖国参拝が中国の外交カードとなったことに果たした朝日の“役割”が大きいことがよくわかる。 朝日だけではない。1982年6月には、教科書検定中の文部省が高校日本史の教科書にあった日本軍の「侵略」という文言を「進出」に書き換えさせたと日本のメディアが一斉に報じた。〈日本の中国に対する「侵略」は「進出」である、といった変更を求めるのは、歴史を正しく認識させる上で、決してプラスにはなるまい〉(読売新聞・1982年6月26日付社説) 実際は、書き換えの事実はなく、日本テレビ記者の勘違いが生んだ明らかな誤報を新聞各紙が広げたのだった。しかし中韓はその(虚偽)報道をもとに日本に激しく抗議した。 当時の鈴木善幸内閣は中韓に配慮し、宮澤喜一・官房長官が「政府の責任で教科書の記述を是正する」と約束した。その結果、教科書を作成する際、近隣のアジア諸国に必要な配慮をするという「近隣諸国条項」が設けられた。関連記事■ 櫻井よしこ氏 首相の靖国参拝妨害者の存在はおかしいと指摘■ 渡辺恒雄氏 安倍首相靖国参拝に「オレも失望した」と話す■ 韓国紙デスク 韓国メディアが朝日新聞を大好きな理由を解説■ 中国 ソ連の脅威消滅で靖国利用し日本に圧力と櫻井よしこ氏■ 神社本庁、新宗連、幸福の科学等首相の靖国参拝への見解紹介

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    日本の未来への障害となっているのは中韓を煽るメディア

    スピーチに引けをとらないものであり、実にわかりやすく、印象的なものだったと言える。安倍政権を倒したいメディアでも、さすがにケチをつけにくいのではないか、と私はテレビの画面を見ながら、思ったものである。 しかし、翌日の新聞紙面を見て、私は、溜息が出た。読売新聞や産経新聞を除いて、むしろこの談話を非難するものが「圧倒的」だったのだ。 朝日新聞は、その中でも急先鋒だった。1面で〈引用・間接表現目立つ〉、2・3面も〈主語「私は」使わず〉〈おわび 最後は踏襲〉と攻撃一色で、社説に至っては、〈戦後70年の安倍談話 何のために出したのか〉と題して、徹底した批判を加えた。 それによれば、〈侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワード〉は盛り込まれたが、〈日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされ〉、談話は〈極めて不十分な内容〉であったというのである。 そして、社説子は、〈この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う〉と主張し、〈その責めは、首相自身が負わねばならない〉と締めくくった。 私は、正直、呆れてしまった。それは、いつまで経っても、中国や韓国に「日本攻撃」をするように「仕向ける」報道手法がとられ、これからもそれに添って、中国や韓国が延々と「日本を攻撃していく」という“未来”がわかったからである。 それは同時に、ここまで中国や韓国との間の友好関係が「誰によって破壊されてきたのか」を明確に指し示すものでもあった。 私たちの子や孫の世代、すなわち「未来」に向かって障害となっているのは「誰」なのか、という問いには、自ずと答えが出てくるはずである。それは日本のマスコミが、絶対に日本と中国・韓国との和解と真の友好への発展は「許さない」ということだ。 私は、今から30年前の1985(昭和60)年の夏を思い出す。「戦後40年」を迎えた夏だ。あの時、巷では「戦後政治の総決算」を唱えた当時の中曽根康弘首相を打倒すべく、朝日新聞をはじめ“反中曽根”メディアが激しい攻撃を繰り広げていた。それは、“打倒安倍政権”に邁進している今のメディア状況と酷似している。 この時、中曽根首相の「靖国参拝」を阻止するために大キャンペーンを張っていた朝日新聞が、「人民日報」を担ぎ出し、ついに中国共産党機関紙である同紙に、靖国参拝批判を書かせることに成功するのである。 文化大革命でも明らかなように、中国は「壁新聞」の国である。人民は、“お上”の意向を知るために、北京市の長安街通りの西単(シータン)というところに貼りだされている新聞を読み、上の“意向”に添って行動し、あの文革で権力抗争の一翼を担ったのはご承知の通りだ。 そんな国で、人民日報が取り上げて以降の「靖国参拝問題」がどうなっていったかは、あらためて説明の必要もないだろう。A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは1978(昭和53)年であり、それが明らかになったのは、翌年のことだ。その後、この時まで日本の首相は計21回も靖国に参拝しているのに、どの国からも、たった一度も、問題にされたことはなかった。 しかし、朝日が反靖国参拝キャンペーンを繰り広げ、人民日報がこれに追随したこの昭和60年以降、靖国神社は中国や韓国で「軍国主義の象徴」となり、「A級戦犯を讃える施設」とされていった。 靖国神社が、吉田松陰や坂本龍馬を含む、およそ250万人もの幕末以来の「国事殉難者」を祀った神社であることは、どこかへ「消し飛んだ」のである。靖国参拝を完全に「外交問題化」「政治問題化」することに成功した朝日新聞は、より反靖国キャンペーンを強め、中国は日本に対する大きな“外交カード”を手に入れたのである。 慰安婦問題については、これまで当ブログで何度も取り上げ、しかも、昨年、朝日新聞による訂正・撤回問題に発展したので、ここでは触れない。しかし、この問題も朝日新聞によって「外交問題化」「政治問題化」していったことは周知の通りだ。 今回の安倍談話でも、中・韓に怒りを呼び起こすように記事化し、「これでもか」とばかりに一方的な紙面をつくり上げた朝日新聞をはじめとする日本のメディア。私は、溜息をつきながら、これらの記事をこの夏、読んだのである。 折も折、フランスの「ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)」がその2日後の8月17日、興味深い報道をおこなった。同ラジオは、フランス外務省の予算で運営されている国際放送サービスだ。 この放送の中国語版が安倍談話を取り上げ、これを報じた『レコード・チャイナ』によれば、「中国が歴史問題で日本に毎年のように謝罪を迫るのは根拠のないことだ」「日本は中国への反省や謝罪だけでなく、罪を償うための賠償もしている」「永遠の不戦を誓った日本に比べ、日本による侵略、植民地化をくどくどと訴える中韓は、あまりにも遅れている」と論評した。 その内容は、常識的、かつ中立的なものと言える。敗戦国も「領土割譲や賠償、戦勝国による一定期間の占領、戦争裁判などが終われば、敗戦国の謝罪や清算も終わりを告げられる」ものであり、償いを終えた敗戦国にいつまでも戦争問題を訴え続けることに疑問を呈したのである。 さらには、「平和主義、民主主義を掲げる日本が、軍事拡張路線、権威主義の中国に屈することはない」と主張し、日本の首相が替わるたびに中国が謝罪を求めていることは、同じ敗戦国である「ドイツやイタリアでは見られない事態」だというのである。 その報道は、最後に「安倍談話に盛り込まれた“謝罪”というキーワードは、表面上は中国の勝ちのように思われがちだが、国際世論を考えれば本当の勝者は安倍首相だ」とまとめられている。だが、RFIが報じたこの内容は、日本のメディアには、ほとんど無視された。 70年もの間、平和国家としての実績を積み上げてきた日本が、「力による現状変更」で、今や世界中の脅威となっている中国に対して「謝り方が足りない」と当の日本のメディアによって主張されていることを、私たちはどう判断すればいいのだろうか。 私には、代々の日本の首相などが表明してきた謝罪や談話の末に「戦後50年」の節目に出された村山談話で、日本と中・韓との関係は、どうなったかが、想起される。 朝日新聞をはじめ日本のメディアが歓迎したあの村山談話の「謝罪と反省」によって、両国との関係は、むしろ「それまで」より悪化していった。村山談話以降の歳月は、両国との関係が“最悪”に向かって突っ走っていった20年だったのである。 どんなに反省し、謝罪しようが、彼らを“煽る”日本のメディアはあとを絶たず、日本への怒りを中・韓に決して「収まらせはしない」のである。そして、この「戦後70年」夏の報道でもわかった通り、それは「今後もつづく」のである。 どんなことがあっても、日本の未来への“障害”となりつづける日本のマスコミ。私たちの子や孫の世代に大きな重荷を負わせるそんな日本の媒体が、なぜいつまでも存続できているのか、私にはわからない。

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    左翼キャスター・コメンテーター 進歩的文化人の後裔は限りなく軽い

    、衆議院議長(89)、大臣(89)よりも高かった。いまでも卒業式のシーズンには、東京大学総長の言葉はメディアで報道されているが、スピーチの内容はかなりはしょられている。季語のような儀礼的報道である。進歩的文化人が闊歩していた時代には、「太った豚になるより、痩せたソクラテスになれ」(1964年3月の大河内一男東大総長の卒業式式辞。ただしこの言は、原稿にはあったが式場では省かれた)のように、東大総長の式辞は時代の指針の言葉のように詳しく報道され、社会的話題にもなった。大河内総長自身が押しも押されぬ進歩的文化人だった。 そんな時代だから唯の大学教授でもスコアは83で医師(77)をはるかに離し、大会社の社長(82)よりも高い評価だったのである。であれば、芸術家や作家の威信も高かったはずである。もちろんこの時代の大学教員数と今の大学教員数を比べれば、5万人(1960年)から18万人と3倍以上も膨張した。大学教授のインフレは威信の低下――95年調査では、医師90、大会社の社長87、裁判官87、大学教授84――に影響しているが数の膨張だけが原因ではない。かつての大学教授の威信の高さは、戦後の無い無いづくしの中で生まれた文化国家という目標と人々の学歴志向とが連動しながら、大衆インテリが増産されるなかで学者文化人への畏敬の念が強まったことが大きな要因だった。 中でも進歩的文化人は、大学教授の中の大物であるから、その威光は格別である。だからかつての進歩的文化人はいまのキャスターやコメンテーターの発言などとは比べ物にならない影響力を行使したのである。当時は、ネットはないし、テレビは萌芽期で普及したときでも娯楽を主とした二流メディアにすぎなかった。活字の印刷媒体こそが権威メディアであったから、進歩的文化人は論壇誌や著書、そして講演、声明活動などで啓蒙活動にいそしんだのである。そう、進歩的文化人の時代というものがあったのである。戦後70年を考えるときに、敗戦後四半世紀以上にもわたって大きな影響力をふるった進歩的文化人群は忘れてはならない社会集団である。進歩的文化人の巣だった『世界』 この進歩的文化人の誕生地となり、原型となったものは何か。岩波書店世界編集部の吉野源三郎が音頭取りとなって、共産党員ではない文化人を糾合した平和問題懇談会である。平和問題談話会は1948年12月に平和問題討議会として発足し、「多数講和」(とりあえず米英をはじめとする西側諸国と講和条約を結ぶ)に反対し、米ソを含むすべての連合国と同時に講和条約を結ぶべきとする全面講和、中立不可侵、軍事基地反対を唱える声明を『世界』に発表した。談話会は年長世代の安部能成や大内兵衛などをかつぎながらも、実質的には清水幾太郎・丸山眞男・久野収などが仕切った。かくて『世界』と岩波は、進歩的文化人の本拠地となった。こうしたことから岩波と言うと、進歩的文化人の牙城とおもわれてきたが、それは、1946年1月の『世界』創刊号からはじまったわけではないことに注意したい。岩波書店創始者である岩波茂雄存命のときの『世界』は進歩的文化人の雑誌ではなかった。『世界』は、津田左右吉の皇室を擁護する「建国の事情と万世一系の思想」論文(1946年4月号)を掲載したように、オールドリベラリスト(安倍能成や小泉信三など戦前からの自由主義者)系の穏健な雑誌として出発した。そのころは、『前衛』(日本共産党中央機関誌)はもとより、『人民評論』『民主評論』『社会評論』『世界評論』『潮流』など左翼系雑誌が目白押しだった。『改造』は「ブルジョア左翼雑誌」とみなされ、『中央公論』は「微温的」といわれた時代である。したがって岩波茂雄存命時代の『世界』は、左派からは、ブルジョア左翼にも達しない「金ボタンの秀才の雑誌」といわれていた。日本共産党機関誌『前衛』の雑誌評では、『世界』は「保守的なくさみが強い」とされてさえいた。 あまつさえ、『アカハタ』(1948年3月5日)で岩波書店が叩かれるこんな事件もあった。岩波書店が、割り当てられたインディアン・ペーパー(辞典用紙)を煙草巻紙用に横流ししたという記事(「摘発した物を再割当」)である。経済安定本部顧問会議に岩波書店の吉野源三郎が出席していて、長官の和田博雄(農政官僚、のちに社会党副委員長)と示し合せての仕業という記事である。のちにこの記事について事実無根の訂正がなされたが、日本共産党が『世界』を含めた岩波書店を同伴者ともおもっていなかったからこそ、ウラを取った気配の感じられない、醜聞記事を載せたといえる。 『世界』や岩波の刊行物が左旋回したのは、岩波茂雄没(1946年4月25日)後数年たち、平和問題談話会ができたあたりからである。『世界』は平和問題談話会の声明発表場所となり、かれらの論稿を掲載する場となった。『思想』や「岩波講座」「岩波全書」「岩波新書」をはじめとする岩波書店の刊行物は相互に同種の傾向(進歩的文化)をもつものが多くなった。1949年4月には、岩波新書が表紙デザインは戦前と同じだったが色を赤色から青色に変え(青版)、『解放思想史の人々』(大塚金之助)などで再出発させた。このときに付された「岩波新書の再出発に際して」には、「平和にして自立的な民主主義日本の建設」「世界の民主的文化の伝統を継承し、科学的にしてかつ批判的な精神を鍛えあげること」「封建的文化のくびきを投げすてるとともに、日本の進歩的文化遺産を蘇らせ」る、と言明されている。『世界』の平和問題談話会路線とその軌を一にした言明である。刊行物ミックス(併読)効果によって、岩波文化を進歩的文化人と進歩的文化の牙城にしたのである。進歩派を活気づけるに終わった福田恆存の批判論文進歩派を活気づけるに終わった福田恆存の批判論文 『世界』を舞台に平和問題談話会に蝟集した岩波進歩的文化人を完膚なきまで批判したのが、今では戦後の名論文とされる福田恆存の『「平和論の進め方についての疑問」(『中央公論』1954年12月号)である。 福田のつけた題名は、「平和論に対する疑問」だったのが、編集部が配慮して、つまりトーンダウンさせて「平和論の進め方についての疑問」にした。さらに、福田論文掲載号の編集後記は、「ただこういう論旨が現状肯定派に歪曲され悪用されることは警戒しなければならぬと思います」と、腰がひけたというより、ひけすぎたものである。しかし、こういう編集後記を添えざるを得なかった当時の論壇の空気を思い浮かべるべきであろう。飛ぶ鳥を落とす勢いの平和問題談話会を代表とする進歩的文化人を論難することがいかにむずかしかったかがわかるものである。「平和論の進め方についての疑問」は、一時代を画する論文で、よく知られているが、その内容をかいつまんで紹介しておこう。福田は、平和論者の平和論よりもまずは、そうした論をとなえる「文化人」の思惟様式や行為様式の批判からはじめている。文化人とは事件や問題がおき、ジャーナリズムに意見を聞かれれば、どこかに適当な原因をみいだしてなにごとにも一家言を提供する人種で、「運がなかつた」からだとか「自分にはよくわからない」などとはいわない人々であるとし、「自分にとつてもつとも切実なことにだけ口をだすといふ習慣を身につけたらどうでせうか」という。いまのコメンテーターにもそのまま送りたい揶揄であるが、福田はこのように文化人批判をしてから、平和論をめぐる岩波進歩的文化人の思惟様式批判に入る。 日本の平和論は正月などに使う「屠蘇の杯」だという。屠蘇の杯は「小さな杯は順次により大きな杯の上にのつかつてゐる」。平和問題論者は、基地における教育問題(風儀の乱れと猥雑さ)を、日本の植民地化に、さらに安保条約に、そして、資本主義対共産主義という根本問題にまでさかのぼらせる。小さな杯を問題にするためにはどんどん大きな杯を問題にしなければおさまらない。統一戦線とか民主戦線とかいうのは、こうした拡大主義から生まれてくる。現地解決主義ではなく、無制限な拡大をなす。そのことで本末転倒がなされ、基地における教育問題などのもとの問題を忘れさせてしまう。最後に、福田はこういう。平和論者は、二つの世界の共存をどういう根拠で信じているのか、日本のような小国は強大な国家と協力しなければやってはいけないはず、と。 「平和論の進め方についての疑問」は、『中央公論』の巻頭論文ということもあって、蜂の巣をつついたような騒ぎをもたらした。絶賛した記事もあったが、九牛の一毛。しかも匿名記事にすぎない。ほとんどは猛反発だった。「平和論の進め方についての疑問」が発表された『中央公論』の翌月号(1955年1月号)には、平野義太郎「福田恆在氏の疑問に答える」が掲載される。「ダレスという猿まわしに曳きまわされながら、小ざかしくも踊つているのではないか、という疑いをもちました」という激しい論調になっている。福田は平野論文への応答「ふたたび平和論者に送る」を『中央公論』(同年2月号)に発表する。 ここで福田論文と反撥論文をめぐる読者の反響の大きさを掲載号の『中央公論』の購読数でみよう。たしかに、福田論文が掲載された12月号の実売数が7万6000で前月より4千部ほど多かった。それなりの反響がうかがえる。しかし反響の大きさは平野の反論のほうである。1月号は前年の福田論文の12月号よりもさらに、1万部も増え8万7000となる。福田の反論がでた2月号は平野の1月号ほどではなく、8万2000。3月号には向坂逸郎(経済学者、1897~1985)や中島健三などのあらたな福田への反論が掲載される。この3月号は福田が反論した2月号よりも1000部強多い。福田論文がむしろ進歩的文化人側を活気づける塩梅になったことに、当時のインテリ界の空気がいかなるものかが表されている。朝日新聞を「権威」づけたもたれ合い 進歩的文化人は、その誕生地と活躍舞台を「岩波書店」にしたが、もうひとつ「朝日新聞」という舞台がくわわった。「朝日新聞」の論壇時評が『世界』掲載論文や進歩的文化人の論文をいかに多くとりあげたかについては、社会学者辻村明による労作「朝日新聞の仮面」(『諸君!』1982年1月号)がくわしい。それによると、1951年10月から80年12月までに朝日新聞論壇時評で言及された論者の頻度数では、1位中野好夫、2位小田実、3位清水幾太郎、4位加藤周一、5位坂本義和である。上位26人のほとんどを、『世界』の常連執筆者である岩波文化人が占める。『中央公論』は取り上げても、『諸君!』や『正論』などの保守系論壇誌掲載論文をとりあげることは少なく、とりあげても否定的言及が多かった。 こうして進歩的教授(文化人)・岩波書店・朝日新聞はもたれあいの鉄の三角形を形成した。もたれあいと言うのは、そもそも進歩的教授にしてもジャーナリズムにしても、みずからの権威(正統性)を自前で生み出すことはできない。他者の認証あっての権威である。したがって、権威を貸与しあったり、借用しあったりのキャッチボールによって権威が確立する。進歩的教授・文化人は自らの権威の正統化のために岩波書店や朝日新聞によりかかった。岩波のほうは進歩的教授・文化人の著作を出版することで、権威をもつことができた。一方、朝日は著名な岩波文化人=進歩的教授・文化人を紙面に登場させることで、クオリティ紙やインテリの新聞のブランドを得、岩波文化人=進歩的教授・文化人を読者=大衆へ橋渡しすることで、その権威を浸透させ、大衆の支持を獲得する役目をになった。岩波文化も進歩的教授・文化人も朝日の紙面によって大衆的正統化を獲得することができた。 「朝日新聞」はこうした大衆的正統化を後ろ盾にしていただけに、岩波文化人・進歩的教授(文化人)の論説を薄めた朝日的なるものは戦後日本のたてまえとなった。護憲、非武装平和主義などがこれである。そうであればこそ、自民党の政治家や財界人の中にこのたてまえを考慮するハト派がうまれた。この鉄の三角形から進歩的文化人と朝日文化人と岩波文化人はイコールになった。岩波族や朝日族である読者たちは桟敷席にいる観衆であるが、岩波文化・朝日新聞・進歩的教授(文化人)を言祝ぐことで進歩的インテリとして聖別化される功徳を得るという構造(図参照)ができたのである。大衆化した後裔たちの茶番劇覇権的地位からの転落 かくて大学キャンパスやメディア産業従事者の間では、進歩的文化人のイデオロギーこそが支配思想であり、進歩的文化人が支配階級となった。その時代、進歩的文化人の言説と真逆の物言いをする学者がどんな反応を呼び込んだか…。60年安保の翌年大学に入学したわたしには、ありありと思いだされる。当時、京都大学法学部に大石義雄教授がいた。法学部だけでなく、教養課程の日本国憲法も教えていた。日本国憲法は教職免状を取得するための必須科目であるから、大石教授は法学部以外の学生の間にもよく知られていた。大石教授は、日本国憲法を占領軍による押し付け憲法論として、憲法改正論を展開し、自衛隊については現行憲法でも合憲として、そのことを授業でも開陳していた。だから、典型的な「保守反動教授」とみなされていたが、それだけでおわらなかった。なにかの話で「大石さん」が出てくると、その途端に笑いがおこる、変人・バカ教授扱いだった。誰も反動的文化人になりたくないから、人気を気にする教授連は、反動的文化人とだけはいわれないような立ち位置をとった。左翼に媚びているとおもわれる教授もいた。 いや他人事ではない。私自身が嘲笑されたことがある。私が大学院生の1968年の冬ごろだった。さすがにこのころは、全共闘の時代で進歩的文化人の株価は猛烈に下がり、丸山眞男(進歩的文化人)の時代から吉本隆明(進歩的文化人批判の左派知識人)の時代になっていたが、それでも保守反動知識人は論外だった。 当時、福田恆存が面白いなどと仲間の学生に語りかける雰囲気ではないことはわかっていた。だから友人たちにしゃべることはなかった。ところが…あるとき数人の仲間が友人の下宿に集まって談話することがあった。吉本隆明のなんとかがどうしたこうしたというような当時のありふれた会話がつづいた。わたしは、「吉本もいいけど、福田恆存はもっといいぞ」と喋りだし、「案外、二人は似ているんだな」といった。 恥ずかしいことだが、そのとき二人の女子学生がいたので、彼女たちにいいところをみせたいという邪心が働いたのであろう。しかし、「似ているんだな」といいだしたあたりから、呆れた物言いだということがありありとわかる表情を全員から投げ返された。そのあとをつづける勇気はなく、「うんまあ…いいけど」で終わってしまった。「いいなら、いうなよ」と追い討ちまでかけられた。いいところをみせるどころか、すっかり面目を失ってしまった。 このことがあってから、その場に居合わせた吉本隆明の女子学生は、わたしを誰かに紹介するときはかならず「この人ウヨクよ」と添えたものである。福田恆存をよいというだけで「ウヨク」扱いを受けた時代なのである。このときのウヨクは「右翼」ではなく「バカ」に近い意味だった。 大学や文化産業においてでは、左派は、中国における共産党のようなもの、つまり体制だった。にもかかわらず、自分たちは反体制だとのみ思っているところや、自分たちこそ正義や知性やヒューマン価値の担い手の「意識高い」系であるとする臆面のなさがなんとも鼻についた。進歩的文化人やそのシンパの進歩的大衆インテリがいやだったのは、かれらのイデオロギーもさることながら、鈍感な自己意識から繰り出される啓蒙という名の特権的で抑圧・排除型の支配だった。 しかし、進歩的文化人の覇権は、全共闘によって打ち砕かれる。進歩的文化人の鬼子による親殺しがおこなわれたのである。糾弾の論理は、東大全共闘会議議長山本義隆によってかかれた論文(「東京大学 その無責任の底に流れるもの」『現代の眼』1969年6月号)に要約されている。山本義隆は、この論文で、教授会の無責任構造を非難し、丸山の『日本の思想』をとりあげ、引用しながら、丸山が剔抉した日本社会の病理は大河内一男総長体制下の東大評議会・教授会そのものである、何故丸山は東京大学の体制そのものを批判しないのか、と激しく非難した。進歩的教授は、日本社会論のような総論では忌憚のない見立てを展開するが、各論それも大学や知識人集団の仲間集団のこととなると、口をつぐむか打って変わって仲間擁護の甘い見立てになる、と講壇安全左翼の不徹底性が糾弾されたのである。山本義隆は、日大全共闘との対談では、進歩的教授についてつぎのように批判をしている。 一体進歩的文化人といわれる教授たちは何をやってきたか。彼らはいまやきわめて反動的な役割を果たしているか、困ってしまって無言を重ねているか、そのいずれかではないか。進歩的文化人といわれ、平和と民主主義を説いて、高度成長の経済社会では欺瞞的に教授という位置を与えられ、その範囲内で毒にも薬にもならぬ平和・民主主義論を説くことを許容されていた、それ以外の何ものでもなかったことを示している(「権威と腐敗に抗して」『中央公論』1969年1月号)。 当時の大学自治で守られた大学という安全地帯のなかでのかれらの反体制的言説をウソくさいと全共闘が糾弾したのである。いざとなったら、職場を守り、文部官僚や政府権力と結託し、全共闘学生を機動隊に渡す大学教育官僚にすぎない、と。こうして進歩的教授や進歩的文化人という呼称から発した光輪が消え、呼称そのものが消滅した。進歩的文化人・岩波文化・朝日新聞の鉄の三角形の一角が瓦解した。権威の借用・貸与によって存立した鉄の三角形が形骸化しはじめた。大衆化した後裔たちの茶番劇 ところが、小型化し軽量化された大衆的進歩的文化人がキャスターやコメンテーターの姿であらわれた。それは、「堅気(保守)的大衆」よりも、権利と自己主張に急な「(疑似)進歩的大衆」がせり出したことと相関している。どっこい進歩的文化人は生きているという思いをもった。だとすれば、全共闘的なるものがあらわれるはず、と思わぬでもなかった。 案の定、といっても思いもかけない形でそれはあらわれた。今年3月27日のテレ朝「報道ステーション」の冒頭のあの事件である。新聞や雑誌でも報道されたから、よく知られているが、かいつまんでふれておこう。古舘キャスターがコメンテーターの古賀茂明氏に中東情勢についてのコメントを求めると、古賀氏はこう言い始めた。「テレビ朝日の早河会長と古舘プロジェクトの佐藤会長のご意向で今日が最後ということなんです」。つづいて古賀氏は、菅官房長官の名前も出して、官邸から「ものすごいバッシングを受けました」と言った。古舘氏が慌てて、今の話は「私としては承服できません」と言うと、それを受けて、古賀氏は爆弾発言をした。テレビ局幹部と官邸の意向による「更迭」について、古舘さんは「自分は何もできなかった。本当に申し訳ないと言いましたね」。古舘さんとの「やりとり」は録音しているから「全部出させてもらう」、とまで言い放った。 古賀氏の自爆テロとも言われたが、私は、これはどこかで見た光景の再現に見えた。機動隊が全共闘学生をけちらかすことに進歩的教授は手を貸したと糾弾する全共闘学生に古賀氏が、そのように糾弾される進歩的教授に古舘氏が、二重写しで見えてきたのである。酷な言い方にはなるが、いざとなると、大学の秩序ならぬテレ朝と古舘プロ、そして自己の延命にまわるあたりも、その昔の進歩的教授と相似である。 歴史上の事件については、一度目は悲劇で、二度目は茶番としてあらわれるといわれるが、たしかに古賀事件は茶番劇だった。そうなったのも、二度目の軽量進歩的文化人の存在そのものが茶番であるからだ。いまや、ヤンチャ系であるはずの芸能人もスポーツ選手もテレビカメラが向けられると、かつての進歩的文化人のような物言いをするが、そうした化身事が猿芝居であるからだ。たけうち・よう 昭和17(1942)年、新潟県生まれ。京都大学教育学部卒。京都大学大学院教育学研究科教授、関西大学人間健康学部長を経て現職。『革新幻想の戦後史』(中央公論新社)で2012年度読売・吉野作造賞。著書に『教養主義の没落』(中公新書)、『知識人とファシズム』(共訳、柏書房)など多数。近著は『大衆の幻像』(中央公論新社)。 

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    櫻井よしこが問う 朝日新聞が導く「戦争への道」に惑わされるな

    官会見と防衛相答弁をなぜ報じなかったのか 中国による急速なガス田開発を国民に知らせないという点では、メディアの責任も大きい。特に朝日新聞の報道には疑問を抱かざるを得ない。 私は7月6日の産経新聞でこの東シナ海の新たなガス田開発問題を報じたのだが、同日、菅義偉官房長官は定例記者会見で、「一方的な開発を進めていることに対し、中国側に繰り返し抗議すると同時に、作業の中止を求めている」と語った。プラットホームの数など具体的情報は明らかにしなかったが、中国が一方的に新たな開発を進めていることを認めたものだ。 7月10日には、中谷元・防衛相が衆院平和安全特別委員会で、海洋プラットホームが軍事拠点化される可能性に関して、「プラットホームにレーダーを配備する可能性がある」「東シナ海における中国の監視、警戒能力が向上し、自衛隊の活動がこれまでより把握される可能性があると考えている」と述べた。国民の知らない内に中国が東シナ海を一方的に開発し、日本の安全保障に深刻な脅威を与える状況が生まれていたとの認識であろう。 産経新聞と読売新聞は防衛相答弁を翌11日付朝刊の一面トップで報じた。中谷氏の答弁は、中国の脅威増大と密接にからむ新安保法制の審議中というタイミングからいっても、大きく報じる価値があるはずである。 しかし、朝日新聞は、このいずれのタイミングでも中国の新たなガス田開発について報道しなかった。朝日が報じたのは、7日の自民党国防部会が、本年度の国防白書にガス田開発の記述がほとんどないとして了承を見送ったこと(八日付朝刊)と、衆院平和安全特別委員会で安全保障関連法案を可決した16日、自民党国防部会が改めてこの国防白書を了承したことだけである(同日付夕刊)。 8日の記事では、「中国の東シナ海でのガス田開発についての記述がほとんどなく、安全保障法制に影響する」という部会長の佐藤正久議員のコメントはあるが、いつ、どんな開発がなされていたのかまったく不明である。16日になってようやく、中国は「13年6月以降…新たな海洋プラットホームの建設作業などを進めている」と書いたが、中谷氏も「日本の安全保障にとって新たな脅威になる」と指摘したプラットホームが持つ危険性には触れていない。これでは、朝日しか読まない人々は、東シナ海で起きていることやその脅威について全く知ることはできないのではないか。 安全保障関連法は7月15日に衆院特別委で採決されたが、翌16日付の朝日新聞は朝刊一面で、「安保採決 自公が強行」というトップの記事の下に立松朗・政治部長が、「熟議 置き去りにした政権」とコラムで書いた。 「熟議」は、あらゆる必要な情報が与野党双方に認識されていなければできないはずである。日本の安全、日本の空と海と陸をどう守るのか。国民の財産と安全をどう守るのか。日本国の安全保障を論じるとき、隣国が係争の海である東シナ海で進めている蛮行を考慮せずに、如何にして、まともな形の議論が可能なのだろうか。 朝日が熟議に必要な情報を報道したとは到底、言えないのだ。南シナ海の軍事拠点づくりで世界中を震撼させた中国の脅威が東シナ海でも急速に増大していることを報じようとしない朝日新聞は、メディアとして、報じるべきことを報じてから「熟議」を求めるべきではないのか。大局面で判断を誤り続けたのは大局面で判断を誤り続けたのは 立松氏のコラムはさらに、安倍首相が「日米安保条約改定や国連平和維持活動(PKO)協力法もメディアが批判し、反対の世論が強いなかで実現させ、今ではみんな賛成している」と主張したとして、「『どうせ理解されないし、時が解決する』と言わんばかりの態度は、政治の責任に無自覚だ」と批判している。 しかし、そのときは国民の理解を得られなくても、本当に国家に必要なことを為し、その評価を歴史の審判に委ねる姿勢は政治家の崇高な義務感の表れでもある。 逆に、朝日新聞に問いたい。朝日は日米安保条約改定やPKO協力法に反対してきた。それは歴史の審判に堪えられる見解だったのか。答えは明らかに「ノー」であろう。日米安保も自衛隊のPKO活動もいまでは国民の大多数が必要だと考え、支持している。 それだけではない。サンフランシスコ講和条約締結時における「単独講和」反対論、自衛隊を白い眼でみる論調。国家の命運をかけた重要な選択や、国家の土台である安全保障について、朝日新聞はことごとく間違ってきた。自衛隊は、いまや国民の九割の信頼を集めている。 重要課題でこれほど間違いを重ねてきた新聞は、世界でも珍しいのではないか。朝日は安倍首相を批判するよりも、自らの不明を恥じ反省することが先ではないか。 わが国の眼前に迫り来る脅威は報じずに、日本の抑止力を高めるための法整備に、「戦争法案」「戦争への道」「徴兵制」「殺し殺される国」といった情緒的なレッテルを、デモ参加者や野党議員らのコメントを利用して書き立て、反対を煽る。こうした報道姿勢は、自分たちのイデオロギーに沿わない安倍首相を敵視する「反安倍キャンペーン」だと言ってもよいもので、国の針路を誤らせかねない。中国の脅威にいま対処して抑止力を高めなければ、それこそ逆に「戦争への道」に追い込まれる危険が増大するのではないか。 そして、7月22日、政府が15点の写真と共に、中国の東シナ海でのガス田開発情報を公開した。23日付「産経」も「読売」も一面トップ扱いである。「朝日」も遂に報道したが、一面の左カタと二面を割いての報道である。政府の情報公開は遅きに失しているが、公開自体は評価したい。朝日の読者もようやくこれで中国の蛮行について知ることができたといえる。日本と安倍政権の使命 中国は、アメリカが内向き思考のオバマ政権下にある間に、中国式の世界秩序をつくろうとしているのではないか。かなりの部分、それが成功しつつあると思われる。軍事しかり、アジア投資銀行(AIIB)に象徴される金融しかり、中国語教育機関を名乗る思想宣伝機関の孔子学院の世界展開しかり、である。 7月1日には中国の全国人民代表大会が「国家安全法」を採択し、即日施行された。領土と海洋権益の防衛、テロや暴動、少数民族などの国内治安維持に加えて、宇宙やサイバー空間での安全保障、資源確保などが担保されなければならないとする内容だ。そのうえで、国家主権と領土保全の維持は「香港、マカオ、台湾の住民を含む中国人民の共同義務」とされた(産経新聞7月4日付)。 共産党批判や民主派の活動を封じ込める狙いがあるとみられるが、その対象になんと台湾人も含めたのである。反中国デモに参加したことのある台湾人が、その後に旅行や仕事などで中国を訪れるだけで、逮捕または拘留されることもあり得るのだ。中国が横暴な拡張主義を法律面でも強めている具体例である。 こうした中国の強硬策を見て、アメリカの対中姿勢が硬化しつつある。長くアメリカの外交政策をリードし、親中路線の旗振り役でもあった有力研究所「外交問題評議会」(CFR)は今年3月の特別報告書で、「現在の最大かつ最も深刻なアメリカへの戦略的挑戦は中国の強大化である」として「国防予算の削減を止めて軍備を増強し、中国包囲網を構築すべき」と提言した。国務省でさえ南シナ海の人工島を認めないとし、ハリー・ハリス太平洋軍司令官は「砂の万里の長城である」と非難した。極めつけは、統合参謀本部が七月一日に公表した「国家軍事戦略」である。中国をロシア、北朝鮮、そしてイランと並ぶ「潜在的な敵性国家」に初めて位置づけ、国際秩序を脅かす「リビジョニスト国家」とも呼んだのである。 ただ、肝心のホワイトハウスは中国の脅威を正面から受け止めかねているかのようだ。世界はいま、そのことを半ば恐怖の目で見ている。アメリカの内向き姿勢はオバマ政権だけのものではなく、国民意識の変化の表れで、今後も続くのではないかという懸念も捨てきれない。国際情勢がアメリカを中心軸とする秩序から中国の覇権を中心軸とする体制へと移行しつつあるのかもしれないとの見方が広がっている。 そんな中で、中国の脅威をリアルに実感している国際社会、特にアジア諸国の、日本への期待感が強まっている。日本の憲法改正を求め、軍事的プレゼンスも求める声は少なくない。中国の横暴に対するカウンターバランスとしての日本の存在への期待といってよい。 日本の力は、アメリカの軍事力とは比べるべくもないが、日本は自由、法の支配、人権といった善き価値観を多くの国々と共有する。加えて民族の宗教、文化、言語を大事にする非常におだやかな文明を有する。各民族がお互いを尊重しながら共存する国際社会の実現を目指している。こうした価値観や文明は中国とは対極にある。 また一方で、日本は高水準の産業・科学技術を有する。中国や韓国はもちろん、アメリカでさえ、さまざまな分野で日本の技術に支えられている面は少なくない。優れた技術、おだやかな文明と価値観を前面に掲げ、軍事的力も強化できれば日本の強さはよりよい世界の構築に貢献するはずだ。 戦後の呪縛を解き、自立国家として再生し、中国の脅威に抑止力を発揮していくのが、現在の日本国の責務であろう。その意思と能力を期待できるのが安倍首相ではないか。 にも拘らず、東シナ海のガス田の開発を隠し続けてきた。安保法制に関連して、北朝鮮の脅威には言及しながら、中国の脅威にはほとんど触れない。なぜだろう。首相には大局的な観点から、その考えを示してほしい。 終戦70年の節目に、国際情勢は大きく変化しつつある。私たちはその変化を適切に認識し、偏ったメディアや政治勢力の主張に惑わされることなく、国家の針路を考えていかねばならない。さくらい・よしこ ハワイ州立大学歴史学部卒業。「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局員、日本テレビ・ニュースキャスターを経て、フリーでジャーナリスト活動を開始。第26回大宅壮一ノンフィクション賞、第46回菊池寛賞を受賞。平成19年、国家基本問題研究所を設立し理事長に就任。著書に『日本よ、「歴史力」を磨け』(文藝春秋)、『異形の大国 中国』(新潮社)など多数。近著に『新アメリカ論』(共著、産経新聞出版)、『戦後七〇年 国家の岐路』(ダイヤモンド社)。

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    SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

    れは中核派など反社会的勢力を含む日本全国の様々な反政府組織や団体などが連携して行ったものである。一部メディアなどは「反政府学生組織SEALDs」を中心に取り上げているが、実態としては共産党や労組による組織動員がメインであり、学生運動世代が中心となって行ったものであるといえよう。 また、今回のデモにおいては、その報道のあり方に大きな疑問符が付けられるものであったともいえる。メディアを通じて、嘘が全国や世界に垂れ流された側面があり、悪質な宣伝活動に加担したメディアの存在が明確化したものであったともいえる。今回のデモの参加者人数であるが、主催者は12万人、SEALDsはTwitterで35万人、警察は3万人としているわけだが、主催者発表だけを報じていたメディアが多数存在したのである。 国会前の広場は公開空間であり、劇場のように出入口が決まっていないため、明確な人数を測ることは難しい。しかし、実は面積からおおよその収容限度を計算することが出来るのである。国会前の広場の面積は約4万平米。そこから池や樹木など人が立てない部分を除くと3割程度になり1.2万平米が有効面積であるといえる。この1.2万平米に平米あたりの収容人数をかければ自ずから収容限度が導き出されるのである。国会前で行われた安保法案反対デモ=8月30日、東京都千代田区の国会前(早坂洋祐撮影) 収容限度は部屋や電車など壁のある密閉空間と公開空間で計算基準が大きく異なるわけだが、警察などが用いる公開空間の算定基準では混雑で平米1.2人であり、平米3人を超えると行列が止まりだし、将棋倒しなどの危険が生じるとされている。このため、混雑状態では回転が期待できるがそれを超えると回転しなくなるという構造であるため、精々3-4万人が国会前の物理的収容限度であるといえる。 つまり、4万人を大きく超える数字は科学的に嘘であるといえるのだ。1リットルのペットボトルに3リットルの水は入らない。これは子供でもわかることである。主催者発表だけを垂れ流す報道は1リットルのペットボトルに3リットルの水が入ると宣伝しているようなものなのである。 そして、メディアの問題はこれだけにどどまらない。今回のデモであるが、その主催者と責任が不明確であり、この点に関して疑問を呈したメディアが存在しなかったことは大きな問題である。どんなイベントでも主催者には、善管注意義務や安全管理義務などの責任が存在する。そして、事故が起きた時などの責任の所在を明らかにする義務がある。またカンパなど資金集めを行っているため、その資金の透明性と会計の責任を明示する必要もある。これは任意団体だから許されるものではない。今回のデモの主催者は「総がかり行動実行委員会」とされているものの、HPを見る限り、複数の任意団体の集合体であり、ガバナンス体制などが全くわからないのである。 また、今回のデモに対して、反社会的勢力でありテロ組織である中核派がHPなどを通じて参加を呼びかけていたこともわかっている。このような危険を排除するのは主催者の義務であり、これが不完全であることを報じるのが本来のメディアの役割であるといえる。今回、これに関する報道は皆無であったと言っても良いだろう。 また、本質的な問題として、デモの日時や場所について疑問を呈さないのも大きな問題である。基本的に日曜の国会にいるのは、僅かな数の見学者と国会を守る衛視さんぐらいのものである。国会周辺にはデパート等商業施設はなく、図書館があるぐらいでほとんど人は居ない。また、日曜は審議がないため、国会議員はいないに等しい。知られていない問題や自らの意見を社会の知らしめるという本来のデモの意味からすれば、日曜に国会前でデモを行うことは単なる自己満足に過ぎず間違っているといえよう。 しかし、彼らはこのデモに意味を持たすことが出来た。何故ならば、メディアを利用することを前提に考えていたとおもわれるからである。これは呼びかけ団体の一つである共産党の機関紙「しんぶん赤旗」のHPを見れば一目瞭然であり、事前報道も含め国内外のメディアの取り上げ方を大きく報じており、一つの実績として宣伝しているからである。 これに関しては、記者や報道機関が自ら連携したのかそれとも単に利用されただけなのかわからないが、このような行為は本来の報道の役割を大きく逸脱したものであり、これを批判する報道がないことが日本の大きな問題であると思われる。 すでに、インターネットにより報道のあり方も変わらざる得ない時代が訪れているのも事実である。今回のデモに関して、空撮写真から国会前の人数を数えた人がおり、あくまでも瞬間的な数字でしかないがほぼピーク時でも4500人程度しかいなかったということが明らかにされている。そして、この事実が証拠写真とともにTwitterにより拡散され、主催者と一部メディアへの嘲笑の対象になっているのである。すでに、情報は一部のメディアの独占物ではなくなり、嘘が簡単に暴かれる時代になっているのである。そして、この傾向はどんどん強まってゆくだろう。 最後に、子供の頃、祖父から繰り返し言われた言葉で締めたいと思う。 「嘘付きは泥棒の始まり、お天道さまはいつも見ている」

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    百田発言のどこが悪い

    沖縄二紙について、百田尚樹氏の「つぶさなあかん」発言が槍玉に上げられている。沖縄二紙は会見まで開き、被害者面して言論の自由を訴えた。ならば、これまでの沖縄二紙の報道を徹底検証してみようではないか。

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    沖縄二紙の偏向報道と世論操作

    での世論形成の実情を報告し、その背景を探れればと思う。 丸4年間の沖縄生活で常に驚かされたのは、地元メディアの時には目を覆いたくなるばかりの報道ぶりだった。地元紙二紙「琉球新報」「沖縄タイムス」の紙面には、1年を通して米軍基地反対を訴える記事が載らない日はない。ほかにもニュースはあるだろうに……と注文をつけたくなるほどだった。 しかも、イデオロギーに支配されているのではないかと疑いたくなる記事がいかに多いことか。東京時代、一部新聞の偏向報道に辟易したこともあったが、それ以上だった。偏向報道というより恣意的な世論操作ではないか──という印象すら持った。 私が沖縄に赴任したのは、民主党政権が発足した直後の平成21年10月。当時、沖縄が抱えていた最大の課題は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題だった。民主党政権になり、鳩山由紀夫首相(当時)が移設先を「国外、少なくとも県外」と宣言したことから、県内移設反対論が激化。 全てのメディアは、この反対論調を支持、県外移設こそが沖縄県民130万人(当時)の総意だと伝えていた。私自身、最初はその報道を信じて疑わなかった。 赴任して一週間後、移設予定先の名護市辺野古を訪ねた。 米軍基地のキャンプシュワブと接する海岸にはテントが張られ、普天間飛行場の移設に反対している人たちが屯していた。話を聞くと、全員が「移設反対」だという。報道は間違っていなかった──と納得し、辺野古の集落に向かった。 普天間飛行場が移設されると、騒音問題などさまざまな問題と対峙することになる住民の声を直接聞こうと思ったからだ。報じられない地元民の声 ある民家に飛び込んだ。家主の男性に名刺を差し出しながら「普天間飛行場の移設のことでお話を聞かせていただきたいのですが……」と切り出すと、怪訝な顔をするのだ。理由を尋ねると、「新聞記者が話を聞きに来たのはあなたが初めてだ」。 一瞬、耳を疑った。同席したタクシー運転手も「エーッ」と声を上げた。 「ほとんどの名護市民は普天間飛行場の辺野古移設に反対だと伝えられているが、メディアは取材に来ないのか」沖縄県名護市辺野古地区の米軍普天間基地移設予定地・大浦湾には、ボーリング調査を行う台船が浮かんでいる。奥の陸地は米軍キャンプ・シュワブの敷地=6月22日午後、沖縄県名護市(川口良介撮影) 再度尋ねると、 「いろいろな新聞社やテレビ局は来るが、みんな反対派が集まっているテント村にだけ行って、我々の声なんか聞こうともしない。最初から反対ありきなのです」 真偽を確かめようと、20人ぐらいの住民と話をしたが、予想に反して9割近くが条件付きながらも移設容認だった。 ある住民はこう嘆いていた。 「普天間が移設されると、海兵隊と実際に付き合うことになるのは我々、辺野古の住民だ。その住民が受け入れると言っているのだから問題はないはず。それに普天間の危険性が除去されるじゃないか。ところが、そうした我々の声は一切、報じられない」 米軍基地を抱えて生活する住民の思いは、他の地域に住む者には予想できない。基地は嫌だが、地域の経済活性化のためには基地経済に頼らざるを得ない。20人は複雑な思いをぶちまけた。 「一番心配なのは、ある日突然、キャンプシュワブがなくなったらどうしようかということだ。アメリカのことだから突然、撤退を決めかねない。キャンプシュワブがなくなったら我々はどうすればいいんだ。ホームレスになってしまう」 「アメリカがかつて、フィリピンから撤退したらすぐに、南沙諸島に中国が出張ってきた。日本と沖縄は尖閣諸島を抱えているが、日本に軍隊がない以上、もし沖縄から米軍がいなくなったらどういうことになるか。火を見るよりはっきりしている」 いずれも、50歳代から60歳代の男性の声だが、こうした意見が沖縄のメディアに報じられたことはなかった。 辺野古地区はこれといった産業がなく、過疎化が進む一方だという。普天間飛行場の危険性除去という大義名分のもと、振興策を目当てに経済活性化への望みを繋いだのが、移設受け入れ容認の理由だった。 過去には移設を受け入れる条件で、北部振興策として名護市など北部の市町村に1千億円に上る補助金が投下された。その一部で公民館の改築や国立高専の建設、IT産業の誘致などを展開、地域は普天間飛行場を受け入れることで経済活性化を模索する途中にあった。 ところが鳩山発言で、地元メディアを含む基地反対勢力は勢いづき、条件付きとはいえ移設受け入れの意思を明確にしていた住民の思いは一蹴され、反米軍基地を訴えるイデオロギー闘争が展開されたのだ。 私は、紙面で辺野古住民の思いをまとめたところ、「よく書いてくれた」という声の反面、非通知の無言電話が数日間かかってきた。一人の男性と話をしたが、彼は関西弁だった。電話の主は最初、静かに話していたが、突然、「ゴキブリ野郎」と声を荒らげると、そのまま電話を切った。私はいまでもその声を忘れない。県民大会の異常な“盛況” 今年の7月はじめに、約2年ぶりに辺野古を訪ねた。一人の主婦が、「いまでも辺野古の住民が移設反対と報道されるので困っている。我々の気持ちは変わっていない」と語気を荒らげた。名護市辺野古の住民の多くは、いまも条件付きながらも受け入れ容認の姿勢を崩していないのである。 こうした容認派の声を無視できなくなったのか、最近になって申し訳程度に取り上げられるようになった。だが、なぜこうも住民の本音を無視してまで、沖縄県民全員が反対であるような世論が独り歩きし続けるのか? そこには、沖縄二紙を中心にしたメディアの作為を否定できない。 沖縄では県民大会なるものがしばしば開かれる。沖縄の民意を全国に発信するのが狙いだそうだ。平成22年4月25日に沖縄県・読谷村で、普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会が開かれた。沖縄二紙や全国紙は、この県民大会に9万人以上(主催者発表)が参加したとして、「県内移設反対」は県民の総意だと発信し続けた。 だが、本当にこれが県民の総意なのだろうか。私自身、この県民大会を取材して強い違和感を覚えた。 会場に着くと人の多さに圧倒されたが、それ以上に驚いたのは、立錐の余地がないほど活動家組織の旗がたなびいていたことだ。一般の県民は何人いるのだろうと疑うぐらいの“盛況”ぶりだった。 あとで学校関係者から聞いた話だが、高校の教員が理由を言わずに女子高生2人をドライブに誘い、途中で会場に連れて行ったり、高校の新聞部の部員を取材と称して会場に“派遣”したりするケースなどもあったという。集会参加人数を“水増し”集会参加人数を“水増し” “異変”は、県民大会が始まると同時に表れた。開会の辞の直後、地元二紙が「県内移設反対決議」という号外を配布し始めた。県民大会は始まったばかり、まだ何も決議されていないのに、である。参加者からは我が意を得たり、と大きな歓声と拍手が上がった。 さらに大会が半ばまで進むと、主催者側が突然、「旗を降ろしてください」と注意を促した。一斉に旗が消えた。県民大会後、地元紙が写真集を発行したが、そこには活動家のかざす旗はほとんど写っていなかった。 事情を知らない人や大会に参加しなかった人には、これほど多くの県民が反対しているのだ、反対は県民の総意だ──と映るのは当然だった。主催者の狙いは的中した。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する集会で、沖縄県の翁長雄志知事(左手前)の話を聞く大勢の人たち=5月17日午後、那覇市 参加人数も不可解だった。閉会直前、主催者側が発表した参加人数は9万人あまり。だが、その日の夜、警察、情報関係者の間では「参加者数は多くても3万人前後」という情報が飛び交った。なかには2万人という数字を出した機関もあった。 1平方メートル当たりの人数を計算すると、せいぜい3万人程度だった。しかも活動家グループが大半を占め、一般県民の実数は正確には掌握できなかったという。 それでも、翌日の各紙朝刊には「沖縄県民の民意、県外・国外移設で一致」という文言が躍った。 どうだろう。客観的に見ると、県内移設反対グループと地元紙が反対闘争に県民大会を利用、世論を創り上げたことは否定しようがない。結果、思惑は的中、「県民の総意=反対」という創られた世論が独り歩きを始めてしまったのだ。 こうした環境が構築されると、本音を伝える以前に本音を話せなくなってしまう。本音が封印されてしまうのだ。辺野古の移設容認派の一般住民は、実名が報道されるのを嫌った。地方議員も創られた世論に歯向かえない。 ある保守系地方議員は、「米軍基地の受け入れ容認発言をすると地元メディアに叩かれ、当選するのが難しくなる。だから反対派に回るほかない」と愚痴をこぼした。 またある首長は、「沖縄では、本音を言うとネガティブキャンペーンに結びつくので本音を言えない。本土の選挙運動が羨ましい。でも、そんな実情を本土の政治家は分かろうともしない」と怒りを露わにしていた。 そもそも、危険性の除去から早期移設が叫ばれている普天間飛行場の周辺住民の真意も疑わしい。60歳代の軍用地主は匿名を条件に、こう漏らした。 「本音は、普天間はいまのままがいい。決まった軍用地料が毎年入ってくるから。仮に返還されたとして、再利用、再開発するのに20年以上はかかる。でも、メディアのインタビューに正直に答えると反対派の反発を受けるから、ついつい『基地反対』と言ってしまう」 この男性と同様、軍用地主や基地雇用者、そして基地の恩恵を受けている自治体は、なかなか「基地容認」を口に出せないのが現実だ。「金で沖縄を売っている」と批判の的にされるからだ。支援活動は報じない 平成23年暮れ、沖縄防衛局が普天間飛行場移設事業に対する環境アセスメントの評価書を沖縄県に提出した。沖縄二紙をはじめメディアは提出を阻もうと、県庁の敷地内や県庁舎内に座り込み、反対を叫ぶ反対派の姿を通し、大々的に「県民の総意は反対」と伝えた。 だが、実情はどうだったか。一歩、県庁の敷地内から外に出ると、いたって平穏。まるで何事も起きていないような静けさで普段と変わらない町並みだったが、その様子は伝えられることはなかった。これも世論創りの一つだ。 偏向報道とも思える事象は、普天間飛行場の移設報道に関してだけではなく、随所で散見した。もう少し事例を紹介しよう。 平成23年3月に東日本大震災が発生し、在日米軍による大規模な救援活動が繰り広げられた際、地元紙は在沖海兵隊員の支援活動内容を詳細に伝えようとはしなかった。 3月11日から4月5日までに掲載された米軍の写真は、「琉球新報」が3枚で「沖縄タイムス」は2枚。実際に支援活動をしている海兵隊の写真は1枚も掲載されなかった。 そればかりか、「琉球新報」は3月17日付朝刊で「在沖海兵隊が震災支援 普天間の有用性強調 県内移設理解狙い 不謹慎批判上がる」という見出しで、在日米軍が普天間飛行場の地理的優位性や在沖海兵隊の存在感などをアピールしているとしたうえで、「援助活動を利用し、県内移設への理解を日本国内で深めようとする姿勢が色濃くにじむ」と主張した。 加えて、「在沖米海兵隊の出動までに地震発生から三日かかった。一、二時間を争うかのように海兵隊の対応が強調されているが、迅速性について普天間飛行場の場所が決定的に重要でないことが逆に証明された」という大学教授のコメントを引用、疑問を投げかけた。 さらに翌18日付の社説では、「在日米軍が普天間飛行場の地理的優位性や在沖海兵隊の存在意義などをアピールしている。強い違和感を覚える」「地震発生から三日経ての出動なのに即応でもあるまい」とし、「米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にはいらない」と締め括っている。 一方、「沖縄タイムス」も3月22日付の社説で「災害支援を理由に現施設規模を維持する必要性を主張する。普天間移設問題が日米間の重要な懸案であることを承知しながら、米軍当局が震災の政治利用を画策しているのなら、文民統制の観点から見逃せない」とし、「震災の政治利用は厳に慎むべきだ」と断じ、支援活動の評価は一切なかった。 被災地はもちろん、多くの国民が国家的な災害に対する米軍の救援活動に感謝の気持ちを表明しているにもかかわらず、二紙にはそうした発想がない。それどころか、米軍による支援活動が政治利用されかねないと主張すること自体、二紙自身に政治的な思惑があることを示している。 テレビの全国ニュースで、在沖海兵隊の支援活動の実態を知ったという知人の1人は、「海兵隊が何をしているのか、初めて分かった。沖縄のメディアはそういうニュースは伝えないから何も知らなかった」と話していた。沖縄県民の六つの立場 偏向報道と見紛う報道姿勢は挙げればきりがない。 沖縄の米軍基地問題を考える場合、米軍に軍用地を貸して賃貸収入を得ている軍用地主の立場、米軍基地に雇用されている住民の立場、基地関連収入のある自治体の立場、真に米軍基地の撤退を願っている住民の立場、無関心な県民の立場、そして基地問題を反米イデオロギー闘争の手段に使っている活動家グループらの立場──の六つの視点から見つめないと、沖縄県民の本音はなかなか見えてこない。ところが、クローズアップされるのは米軍基地反対派の声ばかり。 客観的にみると、反米軍基地闘争、そして米軍基地が沖縄に駐留することを容認している日本政府に対する反抗のために、世論が創り上げられているのは明明白白だ。 すべての情報が意図的に伝えられず、情報統制が敷かれ、真の情報から隔離されているとすれば、どこかの国と同じで、県民に公正な判断ができるはずがない。 地元メディアがこうして創り上げた“沖縄の声”に寄り添って、本土のメディアが「沖縄はいつも被害者で怒っている」とステレオタイプに拡散していくのだ。沖縄の実情と、本土に伝わる沖縄発の情報との間に大きなギャップが生じるのは当然の結果だ。本土ではなく「祖国」復帰本土ではなく「祖国」復帰 ただ、ここに根本的な問題が横たわっている。沖縄二紙が偏向報道を展開したとしても、実際に数十万人の県民に読まれているという現実である。実態に気づいている県民も少なくはないが、多くの読者は偏向報道に気づいていないのだ。 他の情報と接して比較する術が少なく、事実を知る機会が閉ざされていることが大きな要因だが、それ以前に、根本的に本土に対する不信感と対抗意識があるからだ。では、なぜそうした感情が蔓延しているのか? それを解明するには、一つには43年前の本土復帰の時点に遡らなければならない。 沖縄の本土復帰運動の先頭に立ったのは、教職員が結成した「沖縄教職員会」(前身は「沖縄教育連合会」で昭和27年に改称)だった。この教職員会は、昭和35年に愛唱歌集を作成している。 そのなかの一つ、「祖国への歌」は次のような詩だ。 「この空は 祖国に続く/この海は祖国に続く/母なる祖国 わが日本/きけ一億の はらからよ/この血の中に日本の歴史が流れてる/日本の心が 生きている」 「此の山も 祖国と同じ/この川も祖国と同じ/母なる祖国 わが日本/きけ一億の はらからよ/この血の中で日本の若さがほとばしる/日本の未来が こだまする」 「この道は 祖国に通ず/この歌も祖国にひびく/母なる祖国 わが日本/きけ一億の はらからよ/この血の中は日本の命でもえている/復帰の悲願で もえている」 「本土復帰」ではなく「祖国復帰」。その切実な思いが伝わってくる。 だが、民族的悲願としての祖国復帰を掲げる初期の復帰運動は、昭和35年に「沖縄県祖国復帰協議会」(復帰協)が結成されると恒常的な運動が展開されるようになり、38年頃から安保闘争の高まりが沖縄にも波及し、「沖縄を階級闘争の拠点に」と訴える活動家が参入。 教職員会が率先して進めていた復帰優先の運動は、安保や米軍基地問題を焦点とする運動へと形を変えていった。 元県議は、「それまでオール沖縄の闘争だったのが徐々に階級闘争が展開されるようになった」と振り返った。日の丸は戦争に突入したシンボルだとし、反体制派の活動家や学者、マスコミが「沖縄を最後の砦に」を合言葉に沖縄に押し寄せた。いまなお続く反日教育 祖国愛教育を実践していた教職員会も、その余波で徐々に変質。愛唱歌の一つだった『前進歌』の四番の歌詞、「友よ仰げ日の丸の旗/地軸ゆるがせわれらの前進歌/前進前進前進前進輝く前進だ/足並みがひとりでに自然に揃う/だれも皆心から楽しいからだ」も削除された。「仰げ日の丸の旗」は許されない歌詞になってしまったのだ。 「反安保、非武装という思想を持った教員がどんどん入って来て、日の丸は罪悪だとして日の丸を掲揚しないようにと指示がきた。我々が推し進めていた純粋な復帰運動は、完全に日米両政府に対する階級闘争に変貌してしまった」 と元教職員会のメンバーは振り返った。 復帰協のなかにあって、教職員会は本土復帰前年の46年9月30日、沖縄県教職員組合(沖教組)に姿を変え、47年5月の沖縄の本土復帰を経て49年、米軍基地の撤去などを求める闘争を全国的に展開するため日教組に正式に加盟、組織的に反米軍基地闘争や反日運動を開始した。並行して、子供たちにも反日教育を徹底するようになった。 前出の元教職員会のメンバーは、 「シューベルトの『軍隊行進曲』は軍隊を煽り、自衛隊を軍隊にする歌だから生徒に歌わせてはいけない。『海』の詩にある『行ってきたいなよその国』の部分は侵略を意味するからだめ──と沖教組から指示された」 と言う。こうした反日教育が戦後70年、復帰43年を経たいまも続いているのである。 たとえば沖縄では毎年、6月23日の「慰霊の日」が近づくと、県内の各小中学校で昭和20年の沖縄地上戦を題材にした平和教育の特別授業が行われる。 だが、その内容について元教員はこう言った。 「戦争の悲惨さというより、ビデオなどで日本兵がどれだけ悪かったか、沖縄の民が皇民化を強いられたなかでいかに苦しんで死んでいったかを教える。すべて日本軍が悪だと強調する。 普天間の問題についても、また沖縄は日本の犠牲になるんだと。しかも、沖縄戦以外のことは教えない。沖縄が中心で、沖縄だけが本当の戦争被害者だと教えることも多い」「本土vs沖縄」の構図 沖縄二紙も毎年、慰霊の日が近づくと、平和についての連載を展開する。だが、学校での平和教育と足並みを揃えて旧日本軍批判に終始、旧日本軍を犯罪者扱いする記事が溢れる。その主張はほぼ毎年、同じだ。 年がら年中、そうした記事ばかりに接していると、戦争体験がない無関心層も、心の底にある種の思想が刷り込まれてしまうのは当然だ。 ある50代の男性は、 「当時は国歌を聞くとぞっとした。国旗を見るとどきっとした。『君が代』はだめ、日の丸もだめと言われ続けたので、生理的に拒否反応を示すようになっていた。平和教育の名の下で、『日本軍=悪い人間』という認識を持つようになっていた」 と自身の小中高時代を振り返った。誤った歴史認識が、教育現場とメディアを通して県民に刷り込まれてきたのである。 やはり元沖教組の関係者だが、彼はこう指摘する。 「沖教組は闘争の主導的役割を果たしているだけでなくて、地元メディアと協力し合って世論誘導にもかかわっている。沖縄を闘争場所に利用しているだけだ。原点にあるのは戦後教育の歪みだ」 戦争を経験していない県民や復帰後に生まれた若者の間では、被害者意識が薄れつつある。だが、沖教組や地元メディアにとって、それは薄れては困るのである。 だから、悲惨な地上戦を経験した県民の心の奥底に潜む被害者意識を煽って大日本帝国の被害者なんだ、そしていまも米軍基地を押しつけられて被害者の立場は続いているのだ、だから日本に屈してはいけない……と反日・反米闘争に利用しているのである。 沖縄在任中、何度となく、「沖縄に謝罪しろ」という言葉を耳にした。今回の騒動でも、「沖縄に謝れ」といった言葉が飛び交った。根底に日本本土vs沖縄という創られた構図があるからで、どことなく韓国の対日感情と似ている。 同じ日本国民でありながら、沖縄と本土の間には大きな壁があり、一つの国家として意識を共有できないでいるのではないか──と感じる。だから二紙が必要とされ、読まれるのだ。「対策」ではなく「政策」を ではこれに対して、日本本土の長年にわたる沖縄観はどうだろう。 「沖縄は大変だなあとか、可哀相だなあとか、同情の声はよく耳にするが、具体的にどうしようという声は一切出てこない」 と知事経験者がぼやいたことがあるが、たしかに本土に住む日本人は、どこまで「沖縄は同じ日本だ」という立場に立って沖縄を見ているのだろうか、と疑問に思うことがある。 私事だが、先日、沖縄地上戦で壮絶な戦いを展開した護郷隊を描いた本、『少年兵はなぜ故郷に火を放ったのか──沖縄護郷隊の戦い』(KADOKAWA)を出版した。ところが、ほとんどの日本人はこの護郷隊の存在すら知らなかった。沖縄を知り尽くしているような発言をする本土の日本人(私も含めて)は実のところ、それほど知らないのではないか。知らないから、メディアにいいように翻弄されているのではないかと思う。 シンガーソングライターの佐渡山豊さんが作詞・作曲した楽曲に、『ドゥチュイムニー』(ひとり言)という作品がある。 「唐ぬ世から大和ぬ世/大和ぬ世から/アメリカ世/アメリカ世から/また大和ぬ世/ひるまさ変わゆる くぬ沖縄」 中国から日本へ、そしてアメリカからまた日本へ──と支配者はどんどん変わったが、自分たち市民は何も変わらない、変わるのは統治者ばかり──。 沖縄の歴史は複雑だ。この詩は、大国に翻弄され続けてきた沖縄の歴史を端的に表している。 そうした歴史を持つ沖縄に対して、戦後70年、復帰して43年という歳月のなかで、日本政府は経済振興に終始する沖縄対策は講じたが、はたして沖縄政策が講じられてきたのだろうか。実は、それを欠いたがゆえに、教育現場と沖縄メディアの“暴走”を許してしまったのではないか。 沖縄メディアがいとも安易に、かつ当然のように偏向報道を続けるが、一面、日本に「沖縄は日本のものではなく、日本である」という認識のもと、沖縄政策の有り様を改めて問いかけている気がする。  

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    地元メディアの「暴走」 米軍ヘイト報道が奪う沖縄の未来

    ばならないとしたら、私はためらうことなく後者を選ぶだろう」という名言で知られている。しかし彼は同時にメディアの無責任さにも気づいており、「何も読まない者は、新聞しか読まない者よりも教養が上である」「新聞で最も正しい部分は広告である」といった辛辣な言葉も残している。ジェファーソンの時代と異なり、私たちの周りには新聞以外に様々なメディアが存在する。情報を深く広く収集できるメディアは今でも必要だが、彼らが時々起こす過失や無責任さといったものを無条件に見逃すべきではない。 では誰がメディアを監視しているのだろう。私自身を含め、日本国民はメディアを過信してきたのではないだろうか。今や自らの過ちを認めない、自浄作用のないメディアをチェックすべきだという意思は世界中に生まれ、特にインターネットを通じ、一般市民の間に一種の協力体制が確立されつつある。 メディアの自浄作用といえば、日本新聞協会は2000年6月21日、44年ぶりに改定した『新聞倫理綱領』を採択した。これによれば「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」とあるが、特に沖縄関係の報道では、多くのメディア関係者はその規定を守っていない。こうした報道の実態は日本のメディア全体の課題でもあるが、アジア太平洋地域全体の安全保障に影響する沖縄県が直面している大きな問題だ。さらに沖縄問題の報道にしばしば見られる「意図的な誤報」は、なにも沖縄県出身者や日本人記者だけによるものではなく、活動家まがいの外国人メディア関係者にも大きな責任がある。彼らの生み出す偏向報道は、多くの摩擦や間違った認識を生じさせている。 本稿は、沖縄問題をめぐる最近の報道を検証することを目的にしている。いくつかの事例を取り上げることによって、報道がどのような誤解を招き、最終的にどのような摩擦や憎しみという結果を生むのかを考えて頂ければ幸いだ。地元紙の「暴走」 今年2月22日のキャンプ・シュワブでの活動家らの拘束劇、なぜ私がその一部始終が撮影された映像を外部に提供したかなどについては「正論」7月号掲載のインタビューの通りである。今号ではその後の地元紙の「見出し」を通じて、事件後のメディアの暴走ぶりを紹介してみたい。 読み返してみてもっとも滑稽なのは「『境界線越えてない』と抗議」(2月24日・沖縄タイムス)という見出しである。3月4日に私が外部に提供した映像からわかる通り、基地反対活動家らは越えてはいけない黄色い線を、自ら何度も越えている。これは動かせない事実だ。沖縄タイムスの読者としては、この「誤報」に対してだけでも訂正を出すべきだと思っているのだが、いまだに「お詫びと訂正」の記事を見ていない。 「拘束は米軍独断の見方も」(同)という見出しもおかしい。米軍の基地施設管理権には警察権まで含まれる。そもそも一般市民とて自宅に不法侵入者がいれば、「独断」でそれなりの対応を取るだろう。 また「辺野古集会の直前拘束」(2月23日・沖縄タイムス)という見出しは、ことさら米軍側が基地反対集会つぶしを企図し、タイミングを計って活動家を拘束したように読ませたいように見えるが、買いかぶりすぎである。今回の件にそのような政治的意図はない。たまたまその日、定められたルールを逸脱した「侵入者」がいたので、ルールに従ってこれを拘束せざるを得なくなっただけだ。 各紙の見出しの中でも特に理解しがたいのは「『背後から無通告』不当」(2月24日・沖縄タイムス)というものである。いきなり無抵抗の者を拘束したように読ませたいのだろう。事件の一方の当事者だった日本人警備員の名誉とプロフェッショナリズムのために特に強調しておくが、ゲート警備にあたる者は、礼節ある態度で基地訪問者に接しているし、そうあることを求められる。ここに書かれたように、基地警備員は本当に「背後から」「無通告」で拘束したのか、私が外部に提供した映像でもう一度確認してみてほしい。 映像の提供から3カ月以上経過しても、彼らにとっては事件は終わっていなかったようだ。6月18日付琉球新報が掲載した「海兵隊解雇に不満」「昇格期待していた」との記事に、同紙の並々ならぬ関心がうかがえる。 琉球新報の記事は、映像提供を理由に海兵隊を4月に解雇されたことについて、私が本誌7月号のインタビュー記事で、「(映像提供で)昇格を期待していたくらいだ」と処分への不満を漏らしている、と伝えている。 実際はどうなのか。読者のみなさんには、本誌のインタビューで私がどんなニュアンスで「昇格を期待していたくらいです」と発言したか、お読みいただいたうえで、琉球新報記事について考えていただきたい(ネットで閲覧可能)。私は狙われていた~地元紙と英字紙の「連携」 地元紙の見出しから十分に恣意性は感じられたと思うが、状況はこれだけにとどまらない。海兵隊司令部で米軍と県民や日本国民との相互理解、交流を積極的に推進してきた私は、それを望まない者のターゲットにされていた節がある。ロバート・D・エルドリッヂ氏 今年1月上旬、日本で発行されている英字紙「ジャパン・タイムス」に、新設されたシンクタンク「新外交イニシアチブ(ND)」を絶賛する記事が掲載された。私は専門家としてその記事の信ぴょう性に疑問をもち、これに対する投稿を送った。同紙には30回以上寄稿しており、今回も問題なく掲載されるだろうと考えていたが、掲載可否を確認してもはっきりした答えがない。実は一昨年、知人の研究者も沖縄の問題点を紹介する英文原稿の掲載を断られている。いずれもやや不自然な却下の仕方だった。 「ジャパン・タイムス」の編集長からは「webのコメント欄に書いてください」と言われたので2月10日にそのようにした。するとそれを受ける形で、2月13日付の沖縄タイムスで「米軍幹部が研究所批判/安保政策の異議紹介記事に投稿/『騒音・不協和音』と表現」と題する記事が掲載されたのだが、紙面での扱いは1面のトップ・顔写真入りと大きなものだった。 この2月13日付の記事は今もネット上で読めるが、私は沖縄を巡る「状況」を「騒音と不協和音」と比喩的に表現したのであって、新設されたこのシンクタンクおよびその活動をそう評したわけではない。このシンクタンク「ND」に対しては「理事たちの沖縄問題に対する視点の変化のなさ」を指摘し、「研究は重要だが、(中略)事実に基づいて客観的、建設的にすべきだ」と書いたにすぎない。 記事内では「『外部の社会問題への発言の自由は保障されている』と説明。(中略)処罰対象にならないとの見方を示した」という海兵隊報道部のコメントも紹介されている。どんな質問をすればこのコメントを引き出せるのか、読者諸氏も記者になったつもりで想像してみてほしい。おそらくそれは「今回の件で彼は処分されないのか?」だっただろう。もしそうだとしたら、軍隊内ですら一定の範囲内で保障されている「言論の自由」という権利を行使した件に関する質問としては大げさすぎる。私はそれほど大物ではないが、映像提供の件で解雇される前からターゲットにされていたのかもしれないと思う一件だ。さて単なる意見表明は、新聞の1面を飾るほどの重大事件だろうか。私は被害妄想、あるいは被包囲心理が強すぎるのだろうか。 ちなみに「ジャパン・タイムス」からは、毎日のように普天間飛行場近くで海兵隊員に汚い言葉を投げつける「プロ市民」の実態を指摘したことで、なぜか個人攻撃を受けたこともある。同紙は英字紙であるので「正論」読者諸氏には馴染みが薄いかもしれないが、在日外国人に非常に影響力のある媒体で、日本語を読めない外国人たちにとっては日本の情報の窓口である。もちろん同紙に真面目な記者はいるのだが、この件に関わったのは外国人ライター。活動家のような書き手もいるということだ。 問題なのは、誤った情報を同紙から得た外国人読者が、その間違った情報に基づいて国外で話すことになる点だ。このままでは海外に拡散した報道が、伝染病のように国内に入り込み、日本人も「外から」影響されてしまうことになりかねない。沖縄を巡るこのような構図は、従軍慰安婦問題のそれと極めて似通っている。翁長県知事の成果なき訪米(揶揄ではない。彼らの予定通りだったと思う)が終わった今、次の「戦場」は海外へと移っていくだろう。こうした共通性が明らかになるにつれ、沖縄問題や地元紙の偏向報道の背後にある「何か」が浮かび上がってくるはずだ。 「正論」7月号でも言ったように、私は他者の「何かに反対する権利」「何かを主張する権利」を否定しない。ただその抗議や主張のやり方に問題がある、あるいは事実誤認があると指摘しただけで、個人攻撃に近い報道まで行った両紙には失望せざるを得ない。いずれにせよこれは「ペンの暴力」とでも呼ぶべきものだろう。人命救助さえ報道しない沖縄紙人命救助さえ報道しない沖縄紙 今年の1月14日、筆者は地元高齢男性の命を救った一人の米海兵隊員を称える式典に出席した。男性は昨年12月23日、沖縄県北部・金武町の国道で自転車から転落したが、キャンプ・ハンセンに向かう途中のジェイコブ・バウマン軍曹(25)が安全な場所に移動させ、蘇生させたものだ。式典は司令部で行われ、彼の上司や同僚、そして彼の若き妻が同席した。司令官のランス・マクダニエル大佐は、他の運転者が行わなかったバウマン軍曹の行動を賞賛したが、軍曹はこの行動について、他者を助けるという考えから行った、と短く答えた。 報道関係者も招待されていたが、地元住民の命が救われたにもかかわらず、日頃から「命どぅ宝」と訴えている「琉球新報」「沖縄タイムス」がいなかったことは大変残念だった。なぜ取材がなかったのか、理由は定かではない。「招待を耳にしなかった」といった言い訳をよく聞いたが、この式典に関してはそのような主張は通用しない。式典のかなり前に案内はされていたからだ。若者の将来より、己の主張 もう一つ例を挙げたい。在沖米総領事館が主催したあるパーティーで、長年親交のあった地元メディアの人に「より多くの県内の学生がその機会を捉えられるよう、海兵隊政務外交部でのインターンシップ制度の紹介をお願いしていたのですが」と話しかけてみた。「それは目新しいものじゃないから」という反応だったが、大阪大学在職時の経験から、インターンシップ制度は大学側も受け入れ企業側もアレンジに相当苦労することを伝えた上で「米軍が日本の学生に対してこういう機会を提供したことはあまりない。特に海兵隊司令部内では初めてでニュースバリューもあるはずだ」と再度お願いしてみた。すると彼は「基地問題がある限り、米軍にとっていいことは書かない」と本音を吐いた。これは米軍への憎しみのあらわれというだけではなく、沖縄の子供たちの将来を大人の都合で犠牲にし、教育や体験の機会を奪っていることに他ならない。元教育者として絶対に許せない。 幸いなことに、それでも10名の日本人学生が海兵隊でのインターンシップを体験した。そのうち沖縄出身は3名。彼らは地元メディア、米軍からの案内を学生に周知しない県内の大学からではなく、別ルートから情報を得たという。こうした形でも、沖縄の閉鎖的な教育界とメディアが沖縄の将来を損なっている。 これらは私が海兵隊在職中、何千件と経験したよくあるケースのうちの一つに過ぎない。地元メディアは日米両政府どちらかにとってマイナスの印象となる情報は積極的に掲載する一方、プラスの印象を読者に与えるものは載せない(あるいはそもそも取材しない)傾向がある。私はなにも米軍による犯罪の報道をするなと主張したいのではない。人道的行為、青少年育成といったよき側面を持つ話も、等しく県民に伝えるべきだといいたいのだ。知事訪米にあわせた米紙への寄稿 最近の翁長知事訪米の際、「沖縄の知られざるもう一つの側面」と題した私の論文が「ワシントン・タイムス」に掲載され、大きな反響を呼んだ。 同紙を寄稿先に選んだのは、昨年11月の沖縄県知事選の際、革新系といわれ同紙のライバルでもある「ワシントン・ポスト」に掲載された間違いだらけの記事に対し、それを指摘する原稿を送付したが、沖縄の地元メディア同様、黙殺された経緯があったからだ。冒頭で述べた通り、メディアは国民からの監視、あるいは明らかな間違いの指摘といったものに対して真摯に対応する姿勢が必要だと思う。 さて沖縄のメディアから派遣された記者は、翁長知事訪米団と一緒に行動し、その動きを紹介していた。ちなみに沖縄の地元紙は沖縄問題について海外の研究者、活動家、メディアなどが発信する時、必ずといっていいほど記事にして紹介する。最近だとネパールの被災地に派遣されたオスプレイの性能に批判的な現地新聞の記事まで引用した「報道」が記憶に新しい(「オスプレイ『役立たず』 ネパール支援で地元紙」/5月8日・琉球新報)。 今回の「ワシントン・タイムス」への寄稿は沖縄のメディアには取り上げられなかったが、訪米団をはじめ、同行する記者らはこれを読んでいないはずがない(もしも現地で見ていないのであれば、特派員としてはもちろん、記者としての資質を疑わざるを得ない)。彼らの主張の妨げになりかねないこの文章が沖縄のメディアで紹介されなかったことそれ自体、一種の情報操作と結論づけてもおかしくはない。おわりに 偏向報道はアメリカでも昔からある問題だ。例えば50年以上前、あのジョン・F・ケネディ大統領もメディアには悩まされていた。普及し始めたテレビでの生放送でインタビューに臨んだ彼は、親友で「ニュースウィーク」誌のライターでもあったベン・ブラドリーに対して「新聞や雑誌経由ではなく、テレビを通じて直接語る際に、アメリカ国民の理解と支持が得られるのだ」と皮肉っぽく語っている。日本政府もケネディ同様の事情に悩んでいたに違いない。だからこそ安倍政権は昨年12月の衆議員選挙において、メディアに対して公正な報道するよう呼びかけざるを得なかったのだろう(案の定、その行為は批判された)。在沖縄米軍海兵隊が宮城県気仙沼市大島でのがれき撤去作業を6日で終了。島を離れる前に上陸用舟艇(LCU)に乗り込む隊員らに、住民がハイタッチするなどして感謝を表した=2011年4月6日(大西史朗撮影) この原稿の執筆にあたり、地元メディアの報道を改めて精査してみたが、米軍に好意的な報道はほぼ存在せず、とてもみじめで悲しい気持ちを思い出すことになった。例えば2006年に私が発案と実施とに深く関わった「トモダチ作戦」は、東日本大震災時の実際の運用で、在日米軍が災害時にどのような協力ができるのかのモデルケースになったと思うが、被災地での支援活動すら地元紙には「どのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設はもういらない」(2011年3月18日・琉球新報)、「震災の政治利用は厳に慎むべきだ」(2011年3月22日・沖縄タイムス)と、意地悪く評された。震災直後の被災地で苦しむ人、それを助けようと真剣に任務に取り組む者がいた時期の論評とは思えない。よくもまあこういうことが書けたものだと思う。 約600名の海兵隊員が復興支援に従事した大島(宮城県気仙沼市)の島民とは特に深い信頼関係が生まれた。「燃えるゴミと燃えないゴミを混ぜちゃダメ!」と、あふれかえる瓦礫の撤去を急ぐ屈強な海兵隊員たちを叱りつけて回っていた島の子供のことを、うっすらと涙を浮かべて楽しそうに話す隊員がいまだにいるくらい、その想いと絆は深い。しかし私が作った、沖縄の海兵隊員たちの家に東北の子供たちをホームステイさせるプログラムのこと、島民と隊員たちとの心温まる交流の継続といった事実もまた、沖縄で報道されることはまれである。「しまぬくくる」(沖縄、沖縄人のこころ)の美しさを説く一方、ここまでの悪意を他者に向け続け、自分と異なるものを排除しようとする地元紙の「ちむぐくる」(まごころ)は一体どこにあるのだろう。 紹介してきたように恣意的なメディアの存在は民主主義の破壊のみならず、個人の人権まで損なうようになる。今、沖縄の報道は健全な状況にない。日米両政府と沖縄県にも課題はあるが、沖縄問題を煽っている最大の責任は、沖縄メディアとその報道にある。ロバート・D・エルドリッヂ氏 1968年、米国ニュージャージー州生まれ。99年に神戸大学法学研究科博士課程後期課程修了。政治学博士号を取得。2001年より大阪大学大学院国際公共政策研究科助教授。09年9月より在沖縄海兵隊政務外交部(G―7)次長に就任。基地監視カメラ映像を不適切に公開したとして同職解任。近著に「尖閣問題の起源」(名古屋大学出版会)。日本人の鼓動が響く フジサンケイグループのオピニオン誌「正論」日本が日本でなくならぬよう、誇るべき歴史、受け継いできた志を正しく伝えたい。昭和48年の創刊以来の思いをこれからも変わることなく、一つ一つ紡いでいきます。定期ご購読はこちらから

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    閉ざされた言論空間 沖縄メディアが報道しない「移設」賛成の声

    ともかく、表現の自由の範囲内だと思う。新聞社が自社への批判を封じ込めてはいけない。 そもそも、沖縄のメディアには、県内外から批判が出ている。 沖縄県石垣市を拠点とする八重山日報の仲新城誠編集長は今月半ば、夕刊フジでの連載「沖縄が危ない!」で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題に触れて、以下のように指摘していた。 《現在の沖縄では「移設」を「新基地」と言い換えるなど、反基地活動家の「造語」がマスコミを中心に氾濫している。県民感情を反基地へと導く印象操作の役割を担っている》《マスコミは辺野古(移設)容認の政治家を厳しく批判する一方、辺野古反対の政治家は厚遇する》翁長知事は対案を提示すべきではないのか 同県の翁長雄志知事は「辺野古に基地は造らせない」と公言している。多くの沖縄メディアは「反基地派」と一体化したような報道をしている。「権力のチェック」「多様な意見の反映」といったメディアの使命はどうなっているのか。 実は、沖縄には「辺野古移転に賛成」という県民もいるが、そうした声は沖縄メディアでは、まず報道されない。閉ざされた言論空間に対し、沖縄出身のジャーナリスト、我那覇真子(がなは・まさこ)さんは「沖縄のガンはメディアだ」と声をあげている。期待をもって注目したい。 辺野古移設は「世界一危険」といわれる普天間飛行場の危険性を除去し、沖縄の基地負担を減らすための、日米両政府の合意事項である。これができなければ、日本は「政府間合意を実現できない国」となり、その信用は失墜する。 翁長氏は、元自民党県連幹事長まで務めた政治家である。辺野古移転に反対するなら、実現可能な代替案を提示すべきだ。沖縄の地政学的重要性を無視して、ただ、「反基地」を連呼して、移設を妨害する権限を行使するなら、「活動家が知事になった」といわれても仕方ない。 中国は1990年代以降、国防費を毎年10%前後増加させている。日本領空に接近した中国軍機に対する航空自衛隊機のスクランブル回数は2014年度、過去最多の464回になった。沖縄西方の東シナ海にある中国の海洋プラットホームは、この1年間で2倍の12カ所に急増し、軍事基地化が懸念されている。 沖縄メディアも、翁長氏も、中国の軍事的脅威を冷静かつ深刻に受け止めるべきではないか。(取材・構成 藤田裕行)

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    「言論・表現の自由を再生、強化する機会に」沖縄二紙編集局長

    になるのか不可思議」と述べた。 また、この問題では、党執行部が木原稔衆院議員を会長から更迭したほか、メディアや両紙を批判する発言などをしたとして大西英男、長尾敬、井上貴博の3衆院議員を厳重注意処分にしているが、潮平氏は「なぜ問題の発覚後すぐに国権の最高機関である国会で陳謝しなかったのか、あるいは1億2千万の国民の前で、目に見える形で陳謝しなかったのか、甚だ疑問」と、安倍首相が謝罪を行わないことに対して疑問を呈した。 質疑応答では「在京メディアは政権と近すぎるのではないか」という指摘に対し、潮平氏は「在京のメディアは確かに政権与党批判、政府批判を真正面からやることは少なくなった」との認識を示し、「東京のメディアの常識が、日本のメディアの常識ではない」と、地方紙の主張にも目を向けてほしいと訴えた。武富和彦・沖縄タイムス編集局長の冒頭発言 今日はこういう機会を与えて頂き感謝しています。 沖縄の新聞社として県内で発行していて、沖縄の民衆の声に関して、県内では思い切り発信している自負はあるんですが、なかなかそれが日本本土には伝わっていない現状があり、ジレンマを感じている中、今回の「沖縄の二紙を潰さないといけない」という百田氏の言葉には非常に憤りを感じています。 琉球新報さんと出させていただいた共同抗議声明にも書かせていただいたおとり、政権の意にそわない新聞報道は許さないんだという言論弾圧の発想に関しては民主主義の根幹である表現の自由、言論の自由を否定する暴論だと受けとめています。7月2日、日本記者クラブで記者会見する沖縄タイムスの武富和彦編集局長(左)と琉球新報の潮平芳和編集局長 また一番の問題だと感じているのは、百田さんの言葉を引き出した自民党の国会議員だというふうに思っています。「沖縄の世論が歪んでいる」として、「正しい方向にもっていくにはどうすればいいのか」という質問は、沖縄県民を非常に愚弄するものであり、大変失礼だと思います。 新聞社に対して「潰さないといけない」という以上に、「沖縄の世論が歪んでいる」ということは、沖縄県民を馬鹿にしているということであり、憤りを感じております。 沖縄の民意は明確です。去年の選挙、県知事選や名護市長選など、全て自民党が応援する候補が負けました。ある意味そういう結果で、「沖縄の民意が歪んでいるんだ」と言いたいんでしょうけれど、そういう民主主義において最も尊重すべき選挙結果を否定することは、民主主義の否定に他ならないと感じています 安倍政権は昨年11月に当選した翁長知事と長らく会おうとしませんでした。やっと今年の4月になってからです。私たちは「辺野古新基地建設」と呼んでいますけれど、これまで安倍さんは「普天間飛行場の移設に関しては、辺野古が唯一だ」という言葉を繰り返すだけです。 菅官房長官や中谷防衛大臣に至っては、「この期に及んで」だとか「粛々と」という言葉を使って、威圧するような形で沖縄と向き合ってきました。翁長知事から「上から目線で」と指摘され最近ではこういう言葉を使わなくなりましたが、本音の部分では何も変わっていないと思います。そういう安倍政権の姿勢が今回の国会議員の発言に現れたと思っています。 ここ数年、沖縄のメディアに対する自民党の攻撃的姿勢が目立っています。沖縄が政権の意のままにならないことをメディアのせいにしている形ですけれど、「メディアが世論を操っている」と、そういう風な見方に凝り固まっていると、問題の本質を見誤ると思います。 国土の0.6%しかない土地に74%もの米軍専用施設が、基地があるがゆえに、米軍機が自由に爆音をまき散らして上空を飛び交い、道路も軍用車両が走る。事件・事故が多発する。戦後70年、沖縄はそういう苦しみを背負わされてきました。今日に至って、これ以上の苦しみはいやだ、と声を上げたのに聞いてもらえない。 現在世論調査をしても、政府が普天間基地の移設だと称する辺野古への新基地建設については6割以上の反対があります、もちろん賛成派も居ますが、2割前後です。そういう意味で、住民の意思は堅いものがあります。にも関わらず、その意思を捉えて「世論は歪んでいる」と言い放つのは、あまりにも無神経ではないでしょうか。 戦後、沖縄には10以上の新聞社がありましたが、今日まで残っているのは、沖縄タイムスと琉球新報の二つだけです。米軍の圧政下であっても、常に民衆の側に立ったというのが支持されて、今日に至っています。民衆の支持がないと、新聞というのは存続できないと思います。新聞社が世論をコントロールしているのではなくて、世論に突き動かされて新聞社の報道があると思っています。為政者にとって都合が悪い報道だとしても、民衆の意見、民意をしっかり受け止めるべきだと思います。 繰り返しになりますが、「潰さないといけない」とターゲットにされたのは沖縄の二紙ですけれど、その発言を引き出したのは自民党の議員たちです。彼らは「マスコミを懲らしめる」と言いました。自分たちの気に入らない報道、論説は許さないという、まさに報道の自由、表現の自由を否定する思考が根底にあります。この思想は、沖縄にとどまらず、いずれ全てのメディアに向けられる恐れがあると思います。 「マスコミを懲らしめるには広告料収入が無くなるのが一番だ」と、広告を通して報道に圧力をかける発言があったために、日頃は主義主張の違うメディアも「言論封殺は許さない」と行動を共にしています。これまで日本に漂っていた、戦争につながりかねない危険な空気が、実は今回の国会議員の発言で、国民の目や耳に触れる形で表面化したことは大きいと思います。名指しされたのは沖縄の新聞ですが、全国共通の問題が横たわっていることが認識できたかと思います。 沖縄タイムスは1948年に創刊されました。戦前の新聞人が、戦争に加担したという罪の意識を抱えながら、戦犯的な意識を持ちつつ、戦後、二度と戦争のためにはペンを執らないんだと、平和な暮らしを守り、作るというのが出発点になりました。この姿勢は今日にも継承されており、今後も変わることはないと確信しています。 琉球新報もそうですけれど、「偏向報道」という批判もあります。しかし沖縄タイムスの創刊メンバーの一人がこういうことを言っています。「一方で圧倒的な権力を持つ、一方には基本的人権も守られない住民がいる。そういう力の不均衡がある場合に、客観・公正を保つには、力の無い側に立って少しでも均衡を取り戻すのが大事なんだ」と。この言葉は本土復帰の前ですけれど、沖縄の状況は今も変わらないものがあります。今に通ずるものがあると思います。 普天間飛行場の成り立ちとか、基地の地主が金持ちだとか、そういう事実誤認に基づく百田さんの発言にも色々と言いたいことはありますが、それについては社会的に大きな影響力を持つ作家が事実関係も歴史的な経緯も知らずに 発言するのは謹んで欲しい、ということだけを述べて、最後に、外国のメディアの皆様に期待というか、お願いをして締めたいと思います。 外国のメディアの皆さんには、辺野古への新基地建設問題を契機に、沖縄取材を頻繁にやっていただいています。そのことに関しては非常に感謝しております。日本は民主主義国家なのか、しっかり見て、報道してほしいと思います 選挙結果に従うというのが、民主主義の基本だと認識していますが、今の政府の対応というのは民主主義だと言えるのでしょうか。今、沖縄で起きていることは、日本の他の地域でも今後起こりうることだし、米軍が駐留している他の国でも起こるかもしれない出来事です。 米軍基地の問題では、もう一方の当事者であり、民主主義国家だと信じていたアメリカへの期待も非常に大きいものがありました。しかし今のところ、日本において沖縄が置かれている差別的状況、選挙で民意を示しても一顧だにされない沖縄のことが、アメリカに十分伝わっているとは言いがたい状況があるんではないかと思っています。 沖縄タイムスは、折に触れて英語訳を付けた特集を発行しています。6月23日、沖縄における組織的戦闘が終わったとされる日の新聞には、例年だけだと日本語だけで発行しますが、今年は英訳をつけました。5月には県民大会がありました。それも英訳を付けました。以前にはケネディ駐日大使が沖縄にいらしゃったときに、英語の社説を一面に掲げたこともあります。 日本国内で差別的扱いを受けている認識がありますが、日本政府に事態を改めるよう求めてもなかなか改善される兆しがない中、一種の外圧に頼る必要もあると考えています。当事国のアメリカをはじめ、より多くの方々が沖縄の方の声を聞いて、沖縄の実態を肌で感じて、それぞれの国に向けて、沖縄の今、県民の今を伝えてほしいと思います。以上です。ありがとうございました。潮平・琉球新報編集局長「民主主義、表現の自由、言論の自由は危機的な状況にある」潮平芳和・琉球新報編集局長の冒頭発言 今日は本当に、ここにお集まりの海外特派員の皆さま、市民の知る権利とジャーナリズムの発展のために日々戦っている皆さまと貴重な時間を共有できることを嬉しく思います。こういう場を設けていただいたことに感謝申し上げます。 武富さんが本当に沖縄県民の怒り、苛立ち、悲しい思い、全ての思いを喋り尽くしたので、このまま連名で会見を済ませてしまおうかという気がしないでもないですが(笑)、武富さんとかぶらない形で意見を述べさせていただきたいと思います。 記者会見と言えば、良いことをしたか、あるいは悪いことをしたかのどちらかの場合に記者会見する場合が多いのだと思いますけれども、琉球新報も沖縄タイムスも、権力を監視するという当たり前の活動をしていてこういう場で記者会見をせざるをえない。このことは何を意味するのでしょうか。ここにお集まりのジャーナリストの皆さまが心の中で思っている、民主主義、表現の自由、言論の自由は、やはり危機的な状況にあるのではないかと思います。 今朝の紙面を沖縄から持ってまいりました。共同電ですけれど、昨日、安倍首相が公明党の山口代表に対して今回の報道圧力問題を陳謝したというこの記事、これが一面を飾っております。 安倍首相が懇談会で陳謝したことは半歩前進と言えなくもないですが、私はタイミングと場所を間違っていると思います。なぜ問題の発覚後すぐに国権の最高機関である国会で陳謝しなかったのか、あるいは1億2千万の国民の前で、目に見える形で陳謝しなかったのか、甚だ疑問であります。何か知事選挙への影響を考慮してそういう陳謝したという話も伝わってきますが自分の党の議員が報道機関へ圧力をかけたことについて反省は二の次なのか、そういう意味で大いに疑問であります。 今回の自民党勉強会における一連の報道圧力発言は、事実に基づかない無責任な暴論であり、許せないという思いでいっぱいであります。 議員の一人が、「マスコミを懲らしめるには広告料が無くなるのが一番だ」、そして「文化人や民間人が経団連に働きかけてほしい」と求めた発言は、政権の意に沿わないメディアは兵糧攻めにして経営難に陥らせ、言論の自由、表現の自由を取り上げる。これはもう言論弾圧そのものだと考えます。 このような言説を目の当たりにすると、この国はもはや民主主義国家をやめ、全体主義の国に一歩一歩進んでいるのか、そういう懸念を持たざるを得ません。「マスコミを懲らしめる」という発想自体が、日本国憲法の尊重、遵守義務にも違反し、二重、三重の意味で憲法違反だと考えます。 別の議員が「沖縄の二紙が沖縄の世論を歪めている」「世論が左翼勢力に乗っ取られている」という発言したようですけども、沖縄の新聞がもし世論を弄ぶような思い上がった新聞だったら、とっくに県民の支持を失い、地域社会から退場勧告を受けていたことでしょう。地域住民、読者の支持無くして新聞は成り立ちません。持続可能な平和と環境を創造する新聞、社会的弱者に寄り添う新聞が、驕り高ぶることなどあろうはずがありません。紙面を手に記者会見する琉球新報の潮平芳和編集局長(右)と、沖縄タイムスの武富和彦編集局長=7月2日、日本記者クラブ 少しだけ歴史の話をさせて頂きます。1940年に、沖縄では3つの新聞が統一し、「沖縄新報」という 沖縄新報は国家権力の戦争遂行に協力し、県民の戦意を高揚させる役割を果たしました。そのことによって、夥しい数の住民が犠牲となりました。沖縄の新聞にとって、そのような悲惨な末路を招いたことは痛恨の極みであります。 皆さまの手元の共同抗議声明の中にもあるとおり、戦後、沖縄の新聞は、戦争に加担した新聞人の反省から出発し、戦争につながるような報道は二度としないというのが報道姿勢のベースにあります。 琉球新報について言えば、一貫して戦争に反対するとともに、過酷な沖縄戦や人権を脅かされ続けた戦後の米軍支配の経験も踏まえ、沖縄にも自由、民主主義、基本的人権尊重、法の支配といった普遍的な価値を、日米両国民と同じように適用してほしい、平和憲法の恩恵を沖縄にももたらしてほしい、そういった主張、論説を続けておりますし、その精神で日々の紙面も作っております。 また、軍事偏重の日米関係ではなく、国民の信頼と国際協調の精神に根差した持続可能な日米関係を目指すべきだと主張しています。こうした主張をすることが、どうして世論を歪めていることになるのか不可思議ですし、沖縄二紙が「偏向」呼ばわりされるのは極めて遺憾です。 結論的なことを一言申し上げれば、今回の報道圧力問題が、この国の民主主義の"終わりの始まり"ではなく、この国の言論の自由、表現の自由を再生・強化する再出発の機会になればと考えています。そのためにも、海外メディアの皆様も一緒に戦ってくれたら幸いであります。予定よりもはしょりますけれども、以上です。質疑応答 -安倍首相が国民全体に謝罪すべきだと思っているのでしょうか。また、日本社会において、メディアと政府の信頼関係が揺るがされたと思うのですが、そもそも日本のメディアの方々は政府と近すぎると思いますか。(フランスの記者)潮平氏:まさに謝罪すべきだと思います。たしかに安倍首相は総理大臣の立場ですけれども、同時に自民党総裁でもあるわけですから、都合のいいときは自民党総裁で、都合の悪い時は語らないというのはやるべきではないと思います。誰が見ても自民党の議員が問題発言をしたわけですから、そういうことは問題だという意識があるのであれば諌めるのが党の総裁としての責任なる態度ではないかと思います。 政府とメディアが近すぎるのではないかという質問ですが、皆さんもお感じになっていることだと思いますので、私からあらめて言うことではないのかもしれませんが、ちょっと違った視点で申し上げれば、最近、在京のメディアは確かに政権与党批判、政府批判を真正面からやることは少なくなったと私も感じます。 集団的自衛権の問題、TPPの問題、あるいは原発政策の問題、在京のメディアを見ると賛否が真っ二つという風に見えます。しかしここで私たちが強調したいんですが東京のメディアの常識が、日本のメディアの常識ではないということです。日本には50以上の地方新聞、地方紙、ブロック紙がありますけれども、その仲間たちのスタンスは集団的自衛権の問題にしろTPPの問題にしろ原発政策にしろ、大半が批判的です。 これ以上は申し上げませんが、海外のメディアの皆さまには、東京の視点だけで日本の政府や政党を評価するということは、今日を機会に改めていただければなと考えています。 -もっと地方紙を読むべきだということですが、二紙のサイトを見ても、英語の記事が少ないと思います。私たちは全てを翻訳することは出来ませんので、もっと他の言語で載せてほしいと思います。 さて、国会議員が広告料収入について言及しましたが、広告出稿を控えられるという心配はありますか。また、こうした発言をした議員への献金をやめてください、というような反撃のキャンペーンを張ることは考えていますか。(中東のメディア)武富氏:反応で言うと、少なくとも沖縄の企業からは自民党の国会議員が言うようにスポンサー降りるとか広告収入で圧力をかけるという動きはありません。 さきほど空港でたまたま沖縄県内で比較的大きな企業の社長さんと待合室で一緒でしたけれど、頑張れ、潰されるな、かえるなと、むしろ激励の言葉をもらいました。冗談で「潰さないでくさいよ」と言うんですけれど(笑)、「それは任せとけ」と、少なくとも今日あった経営者の方はそういう反応です。 会社の方にはメール、電話、FAX等でいろいろな反応があります。普段から反応はありますが、やはり今回の百田発言、国会議員発言を受けまして、反応が増えました。その7〜8割は激励です。もちろん「売国奴」とか「非国民」とか「日本から出て行け」という、「潰れろ」に近いメールもありますけれども、それは前から一定程度ありましたので、そういう声が急に増えたということはなく、むしろ応援する声が増えたということです。 一昨日には、神戸の方がわざわざ飛行機に乗って訪ねてこられました。「こういう無知な先生が未だにいるのに驚いている。そういう無知だけじゃないぞ」と、商店街で沖縄の新聞を購読するということで、数十部分の購読申し込み書類を届けてくださいました。 そういう意味では、かなり威圧するような攻撃的な過激な声もあるんですが、現時点での沖縄県内での受け止め方、読者の方々の反応でいうと、百田さんや一部の国会議員の方々の思惑とは反対の方向に動いているのではないかという印象です。 -昨年、政府が報道機関に中立な報道をという依頼をしたことが問題になりましたが、沖縄のメディアにもそういう依頼は来ているのでしょうか。(オーストリアの記者)潮平氏:先だって、沖縄の地方組織幹部が、辺野古新基地建設について、賛成と反対半々と言わないまでも、もっと賛成の意見を載せて欲しいという指摘をしておりました。その点については、我々も真摯に受け止めたいと思っております。必ずしも半々載せるのが公正中立ということではなくて、世論の8割が反対をしていて、各種選挙では反対派が全勝するという状況の中で、社会を映すというような観点に立った場合、紙面で反対意見が多めになるのは仕方がないと思います。だからと言って、賛成意見を無視する、軽視するという立場は取りません。可能なかぎり、声なき声、少数意見も救い上げるような、そういう新聞でありたいと思っております。

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    異論認めぬ沖縄二紙の画一的報道 当事者証言も黙殺

    聞やテレビは、私のような体験談や意見は全く流さない」と、知念氏は指摘する。 取材を受けないまま、地元メディアに一方的な記事を書かれた点では、戦後の琉球政府で旧軍人軍属資格審査員として軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄氏(83)も同様だ。 照屋氏は2006年8月、産経新聞の取材に対し、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類をつくった」と証言し、当事者として軍命令説を否定した。 それに対し、沖縄タイムスは2007年5月26日付朝刊で、慶良間諸島の集団自決をめぐり、当時の隊長らが作家の大江健三郎氏らに損害賠償などを求めている裁判での被告側主張を引用。「『捏造(ねつぞう)』証言の元援護課職員 国の方針決定時 担当外 人事記録で指摘」などと、4段見出しで大きく報じた。証言を否定する趣旨の記事で、名指しこそしていないが、すぐに照屋氏だと分かる書き方だ。 しかし、照屋氏は当時の琉球政府辞令、関係書類などをきちんと保管している。被告側が提示した記録について、照屋氏は「人名の上にあるべき職名が伏せられていたり、全員、庶務係となっていたり不自然だ」と指摘するが、こうした反論は地元メディアには取り上げられない。 照屋氏は渡嘉敷島に1週間滞在して住民の聞き取り調査を実施しており、「隊長命令があったと言った人は1人もいない。これは断言する」と述べている。「捏造」と決めつけた沖縄タイムスから謝罪や訂正の申し入れは一切ないという。「集団自決を削除」と誤解 「この記述をなくそうとしている人たちは、沖縄戦を経験したおじい、おばあがウソをついていると言いたいのか」 「次の世代の子供たちに真実を伝えたい」教科書検定意見撤回を求める県民大会。沖縄地元2紙は主催者発表の参加者数「11万人」を繰り返し掲載した=2007年9月27日 9月29日の県民大会で、高校3年生の2人が集団自決に関する教科書検定を批判するシーンは、繰り返しテレビ各局で放映された。 また、同日付の沖縄タイムスは「県議会の意見書が指摘するように『日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実』である」、30日付の琉球新報は「いかなる改竄(かいざん)、隠蔽(いんぺい)工作が行われたにしても、真実の姿を必死に伝えようとする県民の意志をくじくことはできない」と、それぞれ社説で主張している。 だが、検定意見は「軍が(自決を)命令したかどうかは明らかといえない」と指摘したにすぎない。 また、検定決定後の記述でも、軍の関与自体はそのまま残っている。 甲南大、熊本大などの学生有志が11月、沖縄県で実施した興味深いアンケート調査(723人回答)結果がある。 それによると、検定意見がついた背景に、元琉球政府職員の照屋昇雄氏らの新証言があったことを知っていたのはわずか17%。8割の人が「知らない」と答えた。県民大会に「参加した」または「参加したかった」と答えた人にその理由を聞くと、「集団自決を伝えたい」が48・1%に上り、「軍命令を記述してほしい」は25・7%にとどまった。 「多数の県民は報道を通じ、集団自決そのものが抹消されたと誤解している。地元紙は、検定対象が軍命令の有無であることをストレートに報道してこなかった」 歴史評論家、恵忠久氏(82)はこう指摘する。恵氏らは県民大会の場で、「検定意見では、集団自決の記述は従前どおりであり、変更はない」「沖縄の新聞などの異常な報道ぶりは、誤報でしかない」などと訴えるビラを配布した。すると翌日から「これは事実か」と約100件の問い合わせ電話があったほか、「本当のことを聞かせてほしい」と直接訪ねてきた人も数人いたという。 ただ、沖縄ではこうした意見を表立って論じにくい空気がある。元宜野湾市議の宮城義男氏(83)は「軍命令はなかったという話をすると、『非県民』扱いされる。だから本当のことは言えない」と語る。『鉄の暴風』と軍命令説 沖縄戦の集団自決を日本軍の「命令」と最初に書いたのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風-沖縄戦記』(朝日新聞社刊、昭和25年)だ。この本の記述がノーベル賞作家の大江健三郎著『沖縄ノート』(岩波書店)などさまざまな書籍に孫引きされ、「軍命令説」が広く流布されていった。「鉄の暴風」は渡嘉敷島での集団自決についてこう書いている。 《恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた。「こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍に出血を強いてから、全員玉砕する」というのである》 赤松とは、慶良間列島・渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次氏(故人)のことだ。大江氏は『沖縄ノート』で赤松氏らを念頭に「慶良間の集団自決の責任者は罪の巨塊」と断罪している。これに対し、赤松氏の弟、秀一氏らは平成17年8月、「誤った記述で多くの読者に非道な人物と認識される」として、大江氏と岩波書店に、出版差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こしたが、23年4月に最高裁が原告側の上告を退け、大江氏側勝訴の判決が確定している。

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    自民党勉強会中止の小林よしのり氏 「意見違うなら議論せよ」

     自民党の「文化芸術懇話会」で言論弾圧すべしとの暴言が飛び出す一方で、同日開催される予定だったリベラル派の勉強会は党によって中止に追い込まれた。このリベラル派による勉強会にゲストとして出席予定だった漫画家・小林よしのり氏が、言論の自由を奪おうとする安倍自民の正体を喝破する。* * * ゲストとして招かれていた「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」が、「国会が空転しているから」という理由で開催2日前に急遽中止となった。自民党のリベラル系若手議員による勉強会「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」の会合で、講演を前に挨拶する御厨貴東大客員教授=7月1日午後、衆院第1議員会館(酒巻俊介撮影) しかし、実際に安保法制の国会審議が始まったのは勉強会の翌日の6月26日からだ。しかも同日には同じ自民党内で「文化芸術懇話会」なる安倍支持派の勉強会が開かれている。出席した議員から「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」などという暴言が飛び出し、ゲストの百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞社は絶対に潰さなあかん」と発言した勉強会だ。 向こうがやれて、こっちがやれないなんて話があるものか。負けたな、と思った。「分厚い保守政治の会」は自民党リベラル派が中心となって立ち上げ、すでに4回の会合を開いていた。そこへ対抗するように作られ、初会合を同日にぶつけてきたのが「文化芸術懇話会」だ。産経新聞(6月24日付)にはメンバーとなっている議員の「首相の再選を阻む“邪魔者”の排除が懇話会の役割」という発言が載っていた。 リベラル派は排除されたのだろう。今、自民党は皆が同じ方向を向くよう強いられ全体主義に陥っている。 朝日新聞電子版(6月26日付)によれば、自民党幹部は「小林氏を呼べば、政権批判をされ、憲法学者が法案を違憲だと指摘した二の舞いになる」と打ち明けたという。 わしと意見が違うならば議論すればよいではないか。わしは当初、「歴史を学んだ保守政治家とはいかなるものか」を話すつもりでいた。もちろん、質疑応答などで安保法制の話が議員側から出れば、その話もするつもりだったし、わしと違う立場のタカ派議員も勉強会に来ればいいと思っていた。だが自民党は幅広い意見を聞いて議論することより党の方針に反する声を封殺することを選んだ。 26日深夜の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系。テーマは「激論!若手政治家が日本を変える?!」)に出演予定だった自民党議員は急遽キャンセルし、歩調を合わせるように公明党議員も出演しなかったため、野党議員だけで番組が進められた。要は若手議員には一切話させないということだ。 総理がいった「国民に丁寧に説明」する場があるのだから出てくればいい。だが彼らは説明できない。自信がない。だから党内に箝口令を敷き、言論統制を行なうのだ。関連記事■ 細川氏出馬宣言に自民党色の緑ネクタイで臨んだ小泉氏の真意■ 野田聖子、高市早苗ら女性議員が要職占める自民党で女の争い■ 丸川珠代 三原じゅん子の自民党内での台頭に愚痴をこぼす■ 民主党 宗教団体との連携強化のため宗教票が次の総理決める■ 稲田朋美行革相のブログ 「ご地元」など文章の敬語おかしい

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    テレビは生き残れるか

    ようやく、というべきか。テレビ局がいよいよインターネット戦略に本腰を入れ始めた。2015年はテレビにとって「ネット戦略元年」として記録されるだろう。「巨人」ネットフリックスの日本参入で生き残りへと動き出した民放キー局。この先視聴者が選ぶのは一体誰なのか。

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    Netflixが突きつける「ポスト・テレビ時代」のテレビ局経営

    志村一隆(メディア研究者)米国での成功体験 米国市場におけるNetflixの快進撃は敵失にある。彼らがストリーミング配信を開始した2007年から少なくとも3年間は、競合するケーブルテレビや衛星放送といった有料放送大手はマルチスクリーン配信に消極的だった。その3年間で、Netflixは会員を1500万件以上増やす。急拡大するスマートテレビやスマートフォン、タブレットでの映像消費需要は、既存プレイヤーでなく新興勢力のNetflixが刈り取っていったのだ。 1990年代から始まったIT企業は競合よりも安価に利便性を提供し、既存ビジネスを代替していく。それを映像市場で実践したのがNetflixである。日本での成功は限定的? では、その成功戦略は日本でも通じるのだろうか?2007年当時の米国と2015年の日本で違う点は以下の2つ。 第1に、競合プラットフォームもマルチスクリーン展開を完成させている。スカパーもWOWOWもスマホやタブレットへの配信サービスを会員に「無料」で提供している。つまり米国市場で成功要因のひとつだった利便性を「安価」に提供という競合優位は消されている。 第2に、日本は有料放送市場の規模が小さい。スカパーやJCOM、WOWOWなどの有料放送の会員数は1200万件。米国では9000万件を超える。人口比でも米国は約30%、日本は約10%である。Netflixが有料放送の代替ビジネスであるということを考えると、成長の上限が決まっている。 上記2点を考えると、Netflixの日本市場での成功は限定的といえる。 誰とどこで競合するのか? では、Netflixはどの局面で誰と競合するのか?まず、海外ドラマや映画の配信プラットフォームという点で、スカパーやWOWOWなど有料放送と競合している。コンテンツが同じなら、視聴者は安く・見やすい手段を選ぶだろう。 有力な有料放送事業者が存在する国に進出した先行事例では、英国やフランスがある。2014年9月に進出したフランスにはCanal+という1500万件以上の会員がいる衛星放送が存在し、そのCanal+のOTTサービスCanalplayは60万5千件の会員がいる(2014年末現在)。米国Variety誌によれば、Netflixはそのフランスで10万件の会員獲得に2週間で成功したそうだ。Netflixは国別会員数を明らかにしていないので、その後どれくらい会員数を集めたのかは不明であるが、日本市場でどれくらい会員数を伸ばせるか?なんらかの参考にはなるだろう。 ちなみに、Netflixの米国以外の会員数は1390万件(2015年3月末現在)。収支はいまだに赤字。ヘイスティングスCEOは2016年までに海外進出を終え、2017年に海外ビジネスの収支を均衡させるとアナリスト向け会見で述べている。 次に、オリジナルドラマなどコンテンツ面で民放テレビ局と競合する。米国のドラマ(たとえば、Netflixの「ハウス・オブ・カード」など)はストーリーがスピーディーかつ入り組んでおり、展開についていくのが大変だ。エピソードごとに長さ(時間数)が違ったり、シーズンごとに回数も違ったりする。 マス大衆向けの日本製ドラマとはテイストが違うし、広告枠を気にした作りにもなっていない。一見、無料の民放テレビドラマと有料のNetflixではビジネスの位相が違う。 しかし、今後テレビの役割はスポーツ・報道といったライブ放送に収斂され、ドラマなどの作品はインターネットでオンデマンド(自分の好きなときに)に見る習慣が増えていく。この前提で考えると、ドラマ制作集団としての民放テレビ局はNetflixの競合となる。コンテンツを消費者に売ることができるのか 今後インターネット上でお金を払ってでも見てもらえる作品を作れるか?これが、Netflixがテレビ局に突きつける最もラジカルな問いであろう。 日本の民放テレビ局は広告放送とは違った映像文法を新たに構築する必要がある。有料のコンテンツを制作し、それを売る仕組みにリソースを振り分ける必要があるのではないか。 スマートテレビやネット配信、VODといったサービスは、テレビ市場に突然変異のように生まれた過去と非連続な発展である。未来は現在の延長線の上にはない。テレビ局が今後も市場から必要とされるためには、成功経験を捨てた戦略転換が必要ではないか。しむら・かずたか 1991年、早稲田大学卒業、WOWOW入社。2001年、ケータイWOWOW代表取締役を務めたのち、情報通信総合研究所主任研究員。2014年よりヤフー。著書「明日のテレビ」(朝日新聞出版)「ネットテレビの衝撃」(東洋経済新報社)「明日のメディア」(ディスカヴァー・トウェンティワン)などで、いち早く欧米のスマートテレビやメディアイノベーションを紹介したメディア・コンテンツ研究の第一人者。5月に新刊「群像の時代」(ポット出版)が発売された。2000年米国エモリー大学でMBA、2005年高知工科大学で博士号取得。水墨画家アーティストとしても活躍。

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    仕掛け人が語る「ホウドウキョク」 ラジオに近いメディア

    クトリーダーを務めるのが報道局次長の福原伸治さん(52)だ。「テレビとネットの感覚を融合させた新しいメディアに育てたい」と語り、前例のない試みの船出を楽しんでいる。 プロジェクト第1弾は、スマートフォン(スマホ)、タブレット、パソコンといったマルチデバイス向けニュース番組の24時間生放送・生配信。スマホ向け放送局「NOTTV(ノッティーヴィー)」とフジの動画配信サービス「フジテレビオンデマンド(FOD)」上でスタートする。数々の話題番組を手掛けてきた福原伸治さん。「いい意味での緩さがフジテレビの良さ」と語る=東京・台場(斎藤浩一撮影) スタジオから最新ニュースを伝えていくのを基本として、テレビと同様、時間によって番組名や出演者が入れ替わるタイムテーブルを組む。ただ、「イメージはテレビよりラジオに近い」といい、ユーザーとの距離を近づける仕掛けを模索している。 「さまざまな情報端末が普及する中、テレビが時代遅れになってしまう危機感があった。既存のテレビニュースをただ24時間に延ばすのではなく、番組発の話題がネットで拡散していくような作りにしたい」 具体的には、平日夜には国際政治学者の三浦瑠麗さんをはじめとする論客を日替わりで招き、ニュースを深掘りしていく。また、深夜0時からは、各分野のプロがトーク番組を担当。水曜深夜には作家・歌人の加藤千恵さんと作家の羽田圭介さんが本について語り合うなど、文化やサブカルチャーの話題も充実させる。 「先を見通しづらい時代だからこそ、世の中の方向性を指し示すような羅針盤としてのニュースが求められている。若い世代から働いている世代まで、世の中の動きを前向きに考えたいユーザーに見てほしい」 各番組には、フジのアナウンサーや記者、解説委員もフル動員。軍事・安保分野が専門の能勢伸之解説委員が、その分野には詳しくないタレントと安全保障について語り尽くす番組も予定しており、「フジの専門記者をユーザーに認知してもらえれば」と期待する。 もっとも、フジ報道局を挙げた“総力戦”になるため、現場は試行錯誤の連続のようだ。「仕事は大変でも、面白いことをやれば受け入れてくれる人もいる。必ずしも合理的ではないことを面白がってくれるのはうれしい」と、充実した表情を見せる。 NOTTVもFODも有料契約が必要だが、ホウドウキョクの公式サイトでは番組のうち1日12時間程度を無料で配信する。初夏にはプロジェクト第2弾として公式サイトを拡充、データや番組アーカイブも充実させる予定。「第3弾はスマホアプリを出したい。時間や場所を選ばず、ニュースに触れられるサービスを進化させていく」と力を込める。常に新しく面白いことを 先進、先鋭-。福原さんの過去の仕事を振り返ると、そんな表現がぴったり当てはまる。 数多くの情報番組を手掛ける中、「これまで新しいこと、誰もやっていないことをやり続けてきたつもりです。会社がよく許してくれたなぁと思いますが…」と笑う。演出を担当した科学情報番組「アインシュタイン」(平成2年)や子供番組「ウゴウゴルーガ」(4年)では、CG(コンピューターグラフィックス)を使ったバーチャル(仮想)スタジオをいち早く導入。特に「ウゴウゴルーガ」では、「ミカンせいじん」をはじめとするCGキャラクターが人気を集めた。 「バーチャルスタジオで生放送をやったのは恐らく初めてでしょう。インターネットを使ってデータを転送したり、テレビ用のプロ機材に一般家庭用の機器をつないだり、制作側でもかなりチャレンジができましたね」 一方、インターネット連動ドラマ「秘密倶楽部o-daiba.com」(12年)では、ドラマのストリーミング配信にも挑戦するなどネット時代を先取り。「ビッグデータ」という言葉が一般化していなかった20年には、ブログを解析して近未来の流行を予測する情報番組「近未来予報ツギクル」も送り出した。 「番組ごとに、いろんなチップを置いてきた感覚はあります。最近、仕事で新しい人に会うと、昔の仕事を見てくれているケースが多くて、ありがたいですね」と手応えを語る。 これらの担当番組は、日本のネット文化を盛り上げてきた人たちにも多大な影響を与えてきた。特に、KADOKAWA・DWANGOの川上量生会長からは、動画サイト「ニコニコ動画」で使われているテレビのアイコンは、「ウゴウゴ-」のキャラ「テレビくん」からヒントを得たと明かされたという。 「過去の仕事が新しい仕事につながっている。ネットが一般化し、人間同士のつながりも変わって、面白い時代になりました」 デジタル、ITの最先端を見つめてきた自身にとって、「ホウドウキョク」は“まとめ”。「新しくて面白いことをやり続けたい。僕はそれだけなんです」と情熱を燃やしている。

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    「黒船来航」でテレビ局の戦国時代は加速する

    スマホやタブレット向けに様々な番組を提供する予定だ。 TBSは2011年12月に日本経済新聞社と「新メディア」や経済・社会のグローバル化に伴い成長する「新市場」に焦点をあてた コンテンツの開発・提供などで業務提携することで合意。共同事業組合「日経・TBSスマートメディア」を設立し、2012年9月にスマホ向け新サービス「日経サプリ with TBS」の配信を開始し、TBSの番組に連動した経済解説動画などを配信しているが、あくまで単独の有料サービスに止まっており、ニュースのネット生配信にはなっていない。 フジテレビ「ホウドウキョク」の動きを他のキー局も注目している。テレビ朝日の報道局幹部は「(ニュースの配信は)正直どのプラットフォームがメインになるかわからない。もしかしたらFacebookのようなものになるかもしれない」とし、当面は全方位で臨む姿勢を示した。 また、日本テレビの経営戦略幹部は「うちも日テレNEWS24などのニュースコンテンツがある。フジテレビの『ホウドウキョク』が成功してくれれば、さらなるネット戦略拡大に向け、社内的に大義名分が出来る」と述べ、ニュースのネット配信の次の戦略を見据える。定額制動画配信サービス6月18日、サービス開始について報道陣に説明するネットフリックスのグレッグ・ピーターズ日本法人社長= さて、そのフジテレビがネット・メディア戦略の二の矢として6月に打ち出したのがアメリカ定額制動画配信サービス最大手、Netflixとのオリジナル番組の製作・配信だ。今年秋に、海辺のシェアハウスに同居する若い男女6人の恋愛模様を描いた人気番組「テラスハウス」の新作などを提供する。世界50か国に6200万人のユーザーを抱えるNetflixとフジとの協業だけに耳目を集めたが、ふたを開けてみれば資本提携ではなく、単なるコンテンツの共同製作。他局もNetflixと共同製作をやろうと思えばやれるわけで、基本的に資本関係にある日テレとHuluとの関係とは全く違う。 その日テレ・Hulu連合は、フジ・Netflixの発表に先立ち、初の地上波・ネット連動型共同ドラマ製作を手掛けていた。それが、唐沢寿明主演のアクションドラマ「THE LAST COP(ラストコップ)」第1話をまず地上波で放送し、第2話以降をHuluで配信するという初の試みだ。担当プロデューサーは「地上波ではいろいろな制約があって製作出来ないようなシーンもネットなら可能なのが魅力。時間的な制約もない。ドラマの製作者としてとてもチャレンジングだ」とオリジナル作品の持つ可能性に期待をかける。前出の日テレ幹部も「評判は上々。動画視聴者数も伸びている」と評価する。 とはいえ、今回の共同製作はあくまで話題づくりの側面が強い。真の狙いはあくまで、ネット動画配信を通じて地上波のリアルタイム視聴を増やすことにある。そうした狙いを、日本テレビは系列局に説明し、Hulu上にコンテンツ提供を依頼し、実際かなりの数の番組が系列局から提供されている。一見、日本テレビ本体と系列局、一体となってネット戦略にまい進しているかに見えるが、取材してみると系列局から日本テレビのHulu重視の戦略に関し不安の声が漏れ聞こえる。NHKを注視する民放各社 どういうことかというと、系列局はもともとキー局のバラエティ番組やドラマを購入し再放送を実施しているが、同じ番組がHuluでいつでも視聴できるということは、自局の視聴率低下につながるのではないかという懸念があるというのだ。また、キー局がいくらネットへの番組配信の目的が「リアルタイム視聴への回帰」にある、といっても、実際にネット配信によって地上波の視聴率が上がったこと示す確たるデータはない。また、ネットでの動画視聴は若年層の利用者が多い上、映画やドラマを視聴する人が多いことから、どこまで閲覧者がいるのか疑問との声もある。このままだと地方局弱体化につながるのではないかという不安ばかりが広がっているのだ。 とはいえ、テレビ朝日の幹部は「Huluは月額会費1000円弱、会員数100万人として年間100億円の収入となる。これだけあれば色んなことが出来る」と日本テレビ-Huluの今後の動きに神経をとがらせており、キー局の定額制動画配信サービス強化の動きは止まりそうもない。系列局との関係を維持しつつ、どうビジネス上のシナジーを生んでいくのか、先は見通せない。NHKを注視する民放各社 一方、民放各社が懸念しているのはNHKの動きだ。それは、NHKが今年1月に「NHKビジョン」を発表し、「公共放送」から、ネットを含めた「公共メディア」に進化すると宣言したからだ。2015年度からの新3カ年経営計画では、放送番組をネットでも同時に配信する「同時再送信」やネットを使った様々なサービスを拡充すると発表した。6800億円を超える巨額の収入があるNHKの動きが、民放の競争を阻害するのではないかとの懸念の声も強い。NHKのネット戦略が本格化してくるとさらに一波乱ありそうだ。 いずれにしてもようやく、テレビ局のネット戦略は端緒についたばかり。どの局もライバル局の動向を見ながら次の一手を探っている状態だ。ニュースのネット配信と、動画の定額制配信が、地上波のリアルタイム視聴回帰に貢献するかどうか、まだわからない。もっといえば、巨額の資本を持つNetflixがオリジナルコンテンツを作り始めたら日本のテレビ局は太刀打ちできるのか、不安視する向きもある。 現にNetflixは100億円の製作費をかけてオリジナル超大作ドラマ超大作『ハウス・オブ・カード 野望の階段』を製作した実績が有る。このドラマは、全米で2013年2月に一挙配信されるやいなや、たちまち大評判となり、ネットドラマとして初めて米放送業界で最も権威がある「エミー賞」3部門を受賞した。なにせ主演は映画「セブン」のケビン・スペイシー、そのクオリティは日本のドラマの比ではない。コンテンツメーカーとして君臨してきたテレビ局は、ネット戦略を加速しないとその座を奪われかねない。まさにテレビ局にとって“戦国時代”に突入したといえよう。

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    中高年も地上波離れ BSに格安でCM出す方が反響大きい例も

     今秋、映画やドラマなどをインターネットを介して配信する米ネットTV最大手「ネットフリックス」が日本でサービスを開始する。これまでのように週1回、決まった時間にテレビの前に陣取ったり、録りためておいたりする必要はない。いつでも好きなだけ自分の都合でドラマや映画を堪能できるようになる。このサービスに対応したテレビも続々投入される。 一方、日本の地上波テレビは特に若年層の視聴者から見放されつつある。BS放送局幹部が話す。BS-TBS『吉田類の酒場放浪記』に出演している吉田類さん 「『吉田類の酒場放浪記』(BS-TBS)や『大杉蓮の蓮ぽっ』(BSフジ)などのBSのヒット番組は地上波から視聴者を奪う牽引役になっている。4月からBS放送でも視聴率調査が始まるが、人気番組だと6~7%は十分狙える。地上波を超える数字を叩き出す番組もいくつか出るはずだ」 CSやケーブルTVを契約する家庭も増え続けており、海外ドキュメンタリーやスポーツ・チャンネル、アニメ、映画、海外ドラマなどを主に見るという家庭も今や多い。 さらに地上波テレビ局から視聴者を奪っているのがインターネットだ。YouTubeなどの動画投稿サイトばかりでなく、アイドルや芸人が冠番組を持ち、多くの視聴者を獲得する「プロ」によるインターネット番組が増えている。 『Cheer Upバラエティ!しずる館』はお笑いコンビ・しずるがMCを務める今年1月スタートのネット番組。2月19日放送では、同時間帯で国内トップの視聴者数(3095人)を記録。YouTubeでも1か月で再生回数3万回を超えた。 動画共有サイト・ニコニコ動画を運営するニワンゴの生放送専用サイト「ニコニコ生放送」では、アイドルグループ・NMB48の冠番組『NMB48 アイドルらしくない!!』が人気だ。毎回メンバーのひとりが登場しファンと討論するなど、地上波ではできない番組作りが支持を集めている。 一つひとつの番組の視聴者数は地上波には及ばないが、ネット上にはそうした番組が無数にあり、ユーザーは好みに合わせて見ることができる。テレビを持たない若者が増えているのもうなずける。 総務省調査によると、2013年度のテレビ視聴時間(平日、リアルタイム)は2012年度に比べ16.4分(約9%)減。中でも40~50代の視聴時間が前年度比で40分も減少した。テレビ離れは若者だけでなく、中高年世代の「卒テレビ」が顕著なのだ。 視聴者が減ればテレビ番組の「商品価値」も下がる。広告代理店関係者の話だ。 「スポンサーにとって地上波にCMを出すメリットはどんどん減っている。料金は高いが全国にCMが流れることこそ地上波への出広の最大の理由だったが、BSに5分の1や10分の1の値段でCMを出したほうが商品への反響が大きいといったケースが増えている」関連記事■ 視聴率最高記録は『第14回NHK紅白歌合戦』の81.4%■ BS・CSのゴールデン帯総視聴率 NHK、フジ、TBS超える日も■ 地デジ化は世界のスタンダードに逆行 欧米では超マイナーだ■ フジ島田彩夏アナ「この春、エリートコースに乗った」と評判■ テレビ局儲けのテクニック「続きは有料で」の新たな手口登場

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    本質さえ忘れなければ新メディアは、旧メディアの敵ではない

    のダッシュボードにあるカップホルダーにはスマホが挟まっており、そこから安住アナの声が聞こえてくる。旧メディアはであるラジオは、新メディアであるネットを利用して復活した。特にTBSラジオはターゲットを商店主や自営業者、農家など在宅する高齢者に絞ったことで、もう13年もトップを走っている。 小説家の小林信彦さん(83)は、「テレビはいろんな意味でうるさくて、ラジオしか聞かない」と、常々おっしゃっている。ラジオのことが褒めたいと思って、本稿を書き始めたわけではない。 「旧メディアが新メディアを敵だと思うのは見当違いだ」 と言うことが言いたいのである。 ずいぶん古い昔、テレビが始まった頃。寄席のテレビ中継をやろうとしたら、「テレビで、タダで噺を見せちまったら、寄席におタロ(お金)払って聞きに来るキンチャン(客)がいなくなるじゃねえか」と主張した噺家や席亭が居た。彼らにすれば、テレビは寄席の敵だった。新メディアであるテレビを利用することを考えなかった。それで、落語は長い低迷期にはいった。 「笑点」は続いていたけれど、あれは、落語の一側面でしかないし、そんなに面白いものでもない。最近落語が一過性のブーム((C)春風亭小朝)になって、しばらくの間一過性のブームが続くようになっているが、それは落語家が落語であることの本質を演るようになったからだ。 テレビではダメになったスポーツエンターテインメントもある。あれほど人気があった力道山やジャイアント馬場のプロレス、F1レース。プロ野球は、ジャイアンツがカネを頼んで選手を集めるようになって愛想を尽かされた。サッカーは「ガンバレ日本」でないと視聴率を取れなくなった。 これは、テレビでやったから飽きられたのではない。本質を忘れているからだ。 大相撲はお年寄りが多く観ているから、視聴率はよいが、白鵬ばかり勝っているのは相撲の本質ではない。白鵬には、大鵬の柏戸に当たる人がいない。 とまあ、本質さえ忘れなければ新メディアは、旧メディアの敵ではない。 テレビ対日本映画という新旧メディア対決もあった。あっさりとテレビが勝った。でも、日本映画は、長い低迷期を抜けたように思える。テレビでは出来ないことをやろう。テレビ局に入るのではなく、貧乏でもいいから映画をずっとやっていこうという監督が増えたからではないか。 逆に、今は、テレビが映画監督に頼っていることもよくある。 テレビとネットの関係を考える。ネットはテレビの敵だという人がいた。今もいる。それは間違いである。テレビ自体の視聴率が落ちたのは他メディア時代が到来したからだが、そのせいばかりにするテレビマンは考え違いをしている。 テレビがネットのまねをしているからイケないのだ。動画を集めてみせるコーナーは、ネットに任せておけばいいし、ひな壇に芸人を並べてずっとしゃべっている番組もネット動画の得意技だ。 テレビしか出来ないことは何だろう。それは「創る」ことだ。「稽古」することだ、これ以上は企業秘密だから言わない。 テレビゲームがいくら流行っても、レゴで遊ぶ人はいる。スマホがいくら全盛でも、ガラケーに戻す人はいる。手帳を使い続ける人はいる。電子書籍が場所を取らないと言っても、紙の本を棚に並べたい人はいる。紙の本が、本としての本質さえ失わなければ。(メディアゴンより転載)

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    もう文学賞は「ショー」でいいのではないか

    常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師)出版文化の多様化か、劣化か 「キミは又吉直樹の『火花』をちゃんと読んだのか?」 私はまず、声を大にしてそう問いかけたい。 「お笑い芸人ピース又吉直樹が純文学を書いた」「それが掲載された『文學界』が史上初の大増刷となった」「又吉直樹の『火花』が芥川賞に選ばれた。お笑い芸人としては初の受賞」「『火花』は大増刷され、100万部を突破した」などと言った、「景気の良い話」が話題になる。 「出版不況」という言葉が使われるようになって久しい。ただ、「不況」という言葉は、もともとの定義は「景気循環の一局面で、経済が停滞している状態」ことを指す。私がこの言葉を聞くようになってから、十数年以上経つ。もはや「不況」ではなく、出版業界は「衰退産業」と言って良いのではないか。売上ベースで言うならば、昨年(2014年)の書籍や雑誌の推定販売額は1兆6065億円だった。ピークだった1996年から約4割減。実に1兆円以上も縮小している。私の研究テーマの一つは、雇用・労働問題、なかでも新卒学生の就職活動だが、この「出版不況」は「就職氷河期」という言葉と使われ方が似ていると思う。言葉が生まれ、使われ始めた頃よりも、その後の状況がさらに悪化していったという意味においてである。 こんな時代にお笑い芸人又吉直樹氏の『火花』が芥川賞を受賞し、大増刷となった件を、私はどう受け入れるべきか、非常に戸惑っている。前述した通り、出版業界にとっての大きなニュースではあるのだが、これを出版文化の多様化と呼ぶべきか、劣化と呼ぶべきなのか。 まず、私が不思議に思ったのが、「又吉直樹、文学」「又吉直樹、芥川賞」という言葉はよく見かけたのだが、作品の内容や感想に関するコメントをあまり見かけなかったことだ。一応、帯には「芸人の先輩・後輩が運命のように出会ってから劇は始まった。笑いとは何か、人間が生きるとは何なのか。」とあるのだが。もちろん、「ネタバレ」を防止する意味もあるだろうが、あくまで「又吉直樹」「純文学」「芥川賞」という言葉がひとり歩きしていったように思う。読んだ上で「若き老害」からの苦言 読まずに語るのは失礼なので、担当編集からこの論考を実質半日という厳しい納期での執筆を要求されるというスリリングなスケジュールの中、私はこの本を読んだ。3月に発売された際に書店で購入して以来、「積読」状態になっていたこの本を初めて開いた。なんせ、私自身、売れているからという理由で手にとっただけである。そもそも、私はお笑いをまったく見ない人だ。ピースも又吉直樹も実は見たことがないのだ。 文芸は素人という前置きをさせて頂いた上で、感想を言わせて頂くならば、なかなかの佳作だと感じた。「純文学」だと言えるクオリティだったとも思う。想いが伝わってくる話でもあった。真面目そうな印象のお笑い芸人の主人公徳永、やはり芸人で破滅的な先輩である神谷の対話は、生きる、働くとは何かを問いかける内容であった。やや自分語りだが、私は会社員を15年やり、その途中で著者デビューし、3年間フリーランスで活動したあと、この4月から大学の専任教員となった。特にここ数年は、自分の才能と魂で、自分で自分を支えて食べるということとはどういうことかを考え、悩み続けたこともあった。そんな自分と重なることもあり、共感した次第である。言ってみれば、著者の又吉直樹が生きている、普段見ているお笑いの世界を描いたものではある。とはいえ、内容は見事な青春劇だったと感じた。中編は初めてとのことだったが、ならではのパッションも感じた次第である。 というわけで、駄作では決してないし、面白い作品ではあった。とはいえ、「若き老害(ラジオやネットでの私のニックネーム)」としては、ここで苦言を呈さざるを得ない。やはりこれは、内容以上に又吉直樹が書いたからこそ話題となり、売れてしまったのではないかと。本業は小説家ではない者が受賞することについては、疑問を感じざるをえない。文学賞の選考システム、あり方に問題があるのではないかと思ってしまう。さらに言うならば、日本の文学について層の薄さを感じてしまう。中身より「プロフィール」芥川賞を受賞したお笑いコンビ「ピース」又吉直樹さんの「火花」を並べた売り場=7月17日、大阪市北区の紀伊國屋書店梅田本店(村本聡撮影) ここで、そもそも文学賞とは何かということを確認したい。これは「賞」なのか「ショー」なのか。「出版不況」が慢性化する中、徐々に「ショー」の役割が増しているのではないだろうか。 芥川賞に限らず日本の文学賞に対する「なぜ、これが受賞してしまったのか?」という疑問は、今に始まった話ではない。作品そのものよりも「戦後最年少」「戦後最年長」「元歌手」「女優」「普段は会社員」などのプロフィールが話題となる。石原慎太郎が『太陽の季節』で受賞した際も、作品の内容もそうだが、「学生作家」というプロフィールも話題の一つだった。今回の、「史上初、お笑い芸人が受賞」という件もまさにそうだろう。私は、各者の作品を否定するつもりはまったくないが、とっくの昔から、作品の中身よりも、作者のプロフィールに注目が集まるというものになっている点をまず指摘しておきたい。 また、芥川賞に関しては「純文学の新人を世に出す賞」という機能が期待されている。だから、別に「完成度が高い」もの「だけ」が評価される世界ではないことも確認しておきたい。 やや不確かな話であるが、この賞は、もともと菊池寛氏が立ち上げたわけだが、日本でも権威のある文学賞を作りたいという想いを抱きつつも、彼には文学が売れない時期に販売促進したいという下心もあったという説を文学に詳しい方に聞いたことがある。「さもありなん」という話ではある。違いがわからなくなってきている賞の意味 それぞれの文学賞の位置づけ、棲み分けも問題だ。もともと芥川賞(純文学)と直木賞(大衆文学)の境界が曖昧だと言われていた。約10年前から「書店員がもっとも売りたいと思う本」を選ぶ「本屋大賞」も設立され、すっかり定着している。明らかに違うコンセプトのはずだったのだが、これもまた、他の賞との違いがわからなくなってきている。2015年度の本屋大賞は直木賞受賞作『サラバ!』(西加奈子 小学館)が2位に入り話題となったが、これは作品の強さだけではなく、賞の意味の違いがわからなくなってきていることを示してはいないだろうか。 この又吉直樹の芥川賞受賞をめぐっては、テレビ朝日系「報道ステーション」でキャスターの古舘伊知郎が「芥川賞と本屋大賞の違いがわからない」と発言し、ネット上では炎上気味になったという。燃えてしまったのは、作品を読まなかったことを公言したことや、彼のキャラもあると思うのだが、とはいえ、私はそんなに間違っていることを言っているようにも思えないのだ。 今回の又吉直樹の受賞に関しては、『文學界』掲載時から、ややあおり気味の、売らんかなという姿勢が気になっていた。芥川賞受賞を受けての大増刷もそうだ。これもまた、最近の傾向で、大増刷自体をニュースにしてしまうという手法である。又吉直樹は受賞会見で「僕の本を読んで、別の人の本も読んでくれたらいい」と語ったという。いや、これは又吉直樹の本が話題になったのであって、純文学ブームがきたわけでも何でもないだろう。その又吉直樹の本も、在庫の山になってしまわないかと心配してしまう自分がいる。 多様な著者が純文学を書くことを私はまったく否定しない。これもまた多様性、層の厚さとも言える。北野武や松本人志をはじめ、お笑いの枠にとらわれない天才はいる。又吉直樹もそうだろう。だが、今回の受賞の件が変わった著者に純文学を書かせるゲームに化してしまわないかと私は危惧している。 これが日本の文学界の現実だ。あなたはどう思ったか。 そういえば、水嶋ヒロの『KAGEROU』という本もあったなぁ。

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    出版不況を象徴する「栗田出版販売民事再生」と講談社『G2』休刊

     7月6日の栗田出版販売「民事再生手続き」債権者説明会に行ってきた。まず驚いたのは債権者の数の多さ。1千人は超えていたと思う。1社1人に限定された債権者はほとんどが出版社だから、主な出版社が一堂に会したということなのだろう。倒産とはいっても民事再生手続きに入るということで栗田出版販売がなくなるわけではないのだが、手続きを始めた6月26日以前の取引の支払は全面停止となった。売れた本の出版社への支払いを全面停止したわけだから、打撃を受けた出版社も多いに違いない。私が経営している創出版の場合も、6月末入金予定のお金が26日に突然、支払停止と通告されて「え?」という感じだった。栗田出版販売の債権者説明会 今の出版界がどんなに大変かは、業界の人間なら誰もが肌身に感じて理解しているから、栗田出版販売に対しても同情の見方と、「再生がんばれ」という声が多いと思う。私もそういう心情だが、ただそうは言っても、取引額の大きかった出版社には相当な痛手だろう。弊社についていうと、ちょうど「マスコミ就職読本」委託精算の時期で通常の月より金額の多い入金予定だったので、せめてもう1カ月後にしてほしかった、などとも思った(笑)。 企業が倒産した時の債権者の集会では、よく怒声が飛び交うといった話も聞くのだが、取次の場合は債権者が出版社だからだろう。会場につめかけた人たちはメモをとりながら淡々と説明を聞いていた。栗田出版販売は社長以下、役員も出席し、何度もお詫びし、頭を下げていた。確かに同社の場合は、仕入れの仕方など改善すべき点はあったのだろうが、戦後一貫して右肩上がりだった出版界では、いささかアバウトで牧歌的なやり方でもやっていけた時代が続いた。どんな経済不況に直面しても出版の売り上げは一貫して伸びていたという日本の出版をめぐる良き時代が終わりを告げてしまったということだろう。 この何年か、出版市場は予想を超えるペースで縮小している。特に雑誌市場はこの10年余で市場が約半分になるというものすごい状況だ。一部の雑誌を除いてはコミック誌も含めて大半の雑誌が赤字で、それを書籍化の利益げでカバーしているのが実情だ。ただ雑誌連載を書籍化してヒットが出るというのはほとんど小説やコミックで、ノンフィクションやジャーナリズム系はなかなかそうはいかない。 そういう状況を象徴するのが、この6月の講談社のノンフィクション誌『G2』の休刊だ。講談社が『月刊現代』を休刊させた2008年、このままではノンフィクションがジャンルごと死滅すると危機感が広がり、講談社はその後継誌として『G2』を創刊したのだが、それも赤字に耐えられず、ついに休刊となったわけだ。印象的だったのは、6月19日に開かれた大宅壮一ノンフィクション賞受賞式で、今回受賞した安田浩一さんが挨拶の中で、受賞作を掲載した『G2』が今月で休刊という話を披露したことだ。大宅賞を受賞した作品を載せていた雑誌が、その受賞式の時期に休刊というのは、ノンフィクション界の厳しい現状を象徴する出来事だ。大宅賞受賞式で挨拶する安田浩一さん それに輪をかけて、その『G2』休刊の話題を新聞が当初取り上げず、話題にもならなかったことに、私などは余計寂しい気持ちになったものだが、さすがにここへきて全国紙が相次いで『G2』休刊とノンフィクションの危機について次々と記事を掲載している。ノンフィクションは、金と労力がかかるのにそれほど売れないという典型的なジャンルで、苦境に立たされた大手出版社が2008~2009年に次々と月刊総合誌を休刊させた。その結果、作品の発表媒体がなくなったために、ノンフィクションを書いてきたライターが生活できなくなって、廃業が相次いでいる。 私も大きな事件の裁判傍聴などに足を運ぶ機会があるが、昔は佐木隆三さんや吉岡忍さんらノンフィクションに携わるライターとよく現場で顔を合わせた。狭山事件など大きな冤罪事件などでは何人ものライターが競うようにして取材にかかっていたものだ。ところが最近は、大きな事件の裁判傍聴や現場に行っても、事件を何年も追い続けているライターの姿をほとんど見かけない。ひとつの事件を何年もコツコツと追いかけるといった仕事をやっていては、確実に生活が破綻し廃業に追い込まれるからだ。 こういう状況が続けば、事件を記録し、後世に残すというノンフィクションの機能そのものが停止してしまう。だから『G2』という雑誌の休刊は、雑誌1誌の問題にとどまらず、講談社がノンフィクションというジャンルへの関わりを今後どう考えようとしているのか、という問題を提起している。雑誌休刊は、同社の取り組みが後退しているのではないか、という印象を与えたという意味で残念なことだ。 ちなみに私が月刊『創』を出し続けているのは、『月刊現代』休刊の時の議論などに関わり、次々と大手出版社が総合誌を廃刊していくのに対して、その流れに同調したくないと思ったからだ。『G2』も赤字で大変だったろうとは思うが、講談社全体の儲けを考えれば続けられないことはなかったはずだ。例えばテレビ局の場合も、金のかかる割に視聴率の稼げない報道番組を、バラエティ番組の稼ぐ利益で補うという構造になっているはずだ。 雑誌をやめてしまうと、長期的に書き手を始めノンフィクションの土壌を作り上げていくという営為がストップしてしまうことになる。そのあたりを講談社の上層部はいったいどう考えているのか。次に社長に会う機会があったら、ぜひ訊いてみたいと思っている。(『Yahoo!ニュース個人』2015年7月8日分を転載)

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    静かにそして徐々に紙の雑誌の「死」が近づいている

    。20代、30代の社会人も3〜4時間は使っているはずだから、紙の雑誌や書籍など読む時間はない。 印刷メディアは実態以上にお金を貰いすぎ  こうした社会背景のなか、LINE上級執行役員の田端信太郎氏が、「若者の○○離れ」の原因について言及したこと(「マーケティングテクノロジーフェア2015でのプレゼン」が、ネットで話題になった。 彼は、「20代はスマホが本妻、テレビは愛人」という主旨のことを述べ、「(ユーザーの消費時間の)7%のシェアしかないプリント予算に、いまだに広告主は25%も使っているのはおかしい」と言った。 さらに、彼のプレゼン発言を記すと、次のようになる。「一言で言いますと、印刷メディアがお金を実態、実力以上に貰いすぎていて、実力以上に貰わなさすぎているのがモバイルだということですね。これ2011年、2012年、モバイルは生活者の時間の10%を取っていますが、広告予算としては1%しか取れてない。 ここだけでも理論上10倍の伸び代がありますし、さっきの10%といってもメディア接触時間自体がばんばん伸びていくでしょうから、もっともっと伸び代があるんですね。だから新聞や雑誌がどんどん廃刊休刊になり、いろんな新しいベンチャー企業がモバイルグループにどんどん生まれるわけです」 たしかに、データから言えば田端氏の指摘のとおりで、そのとおりになれば雑誌はやがて死ぬだろう。雑誌を支えているのは部数に比例した広告収入だからだ(コミック誌は例外)。 ネット広告が、テレビ、新聞、雑誌広告以上に効果があるかどうかは疑問だが、時代は間違いなくこの方向に進んでいる。(『Jun’s Media 山田順プライベート・ウェブサイト』2015年3月24日分より転載)

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    「文学性」と「話題性」は両立するのか?

    能のひとつです。 今回の『火花』の場合も「文學界」での雑誌発表以来、著者が(読書家の)一流芸人としてメディアに知られるひとだということで、小説の中身とはかならずしも関係なく話題になったり注目されたりもしてきたわけで(『火花』の評価をめぐるぼくへの取材で、「ところでどんな小説なんですか」と聞いてきたひとが少なくないのが象徴的ですね。まさか著者本人にはそうは聞かないでしょうが…ちなみに、個人的には『火花』の会話と、笑いの手法を裏返して哀愁を作ってるあたりに、著者ならではの技術を感じます)、「話題になる」ということと、「それが文学作品として優れている」ことは、基本的には言うまでもなく別のことです。だから、その点では芥川賞も本屋大賞も、なんならイグノーベル賞も同じ機能を持っている。芥川賞の受賞が又吉直樹さんと羽田圭介さんに決まった=2015年7月16日午後、東京都千代田区の帝国ホテル(鴨川一也撮影) ただ、古舘さんがついコボしたように、歴史的にも芥川賞がちょっと特別なのは、「話題になる」ことと「文学として優れている」という、ぜんぜん関係ないことがひとつに結びつく、稀有な機会である(こともある)ためです。たとえば、同じく発表される直木賞は「エンターテインメントの小説として優れている」ことが基準なので、その基準と「売れること≒話題になること」とのあいだに、矛盾が存在しません。売れ方の方法論が違うけれど、最近の本屋大賞も同じです。 でも、「文学として優れている」ことは、たとえば「個人と社会の関係について深く洞察がなされている」とか「未来の文学の可能性を拓く、技術的に刮目すべき実験が行なわれている」とか、「いまは売れていないかもしれないけれど、千年後の世界にも読み継がれるはずだ」とか「稀有に倫理的である」とか「目をそむけたくなるほど不道徳的である」とか、そういうたぐいの基準になるので、「話題になる」こととはあまり相性がよろしくない。『火花』に書かれていたことで言えば、「共感しやすさ」と「話題」は結びつくけれど、「共感しづらさ」はそうではない、ということです(だからまあ、その意味では古舘さんの炎上も、ちょっとブンガク的なのかもしれませんし、逆に、多数派が優位に立ちがちなネット議論との相性はそれほどよくはない、とも言えます)。 本来は結びつきづらい両者を、芥川賞という特殊なシステムが結びつけてきた、そのことが芥川賞の功績なのだとぼくは考えていますが、だからこそ、それが近い将来の「売れる小説家」ではなく「優れた文学者」を見いだすためのものであることは、忘れてもなくしてもいけない(それゆえ選考委員たちは「芸人であるというのは関係なく選んだ」わけですし、たとえ200万部売れたとしても出版社も著者もそのことに惑わされてはいけません)。 文学者というのは、「おもしろいお話を提供してくれるひと」ではなくて、ひとりの個人がどう生きるか、世界とどんな関係を結ぶかを考え、実践するひとです。ただ小説家であるだけなら政治も経済も哲学も宗教も教育も知らなくてもいいし、思いつきででたらめを言ってもおもしろければそれでよいけれど、文学者はそうではない。又吉直樹という、芸人としての才能も持ったひとに期待されているのは、まさに、その後者であることでしょう。彼がそういう存在になったとき(そしてその影響力を正しく活用したときに)はじめて、2015年7月16日に行なわれた今回の授賞が「ふさわしかったのだ」と、誰もに伝わるはずです。

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    「又吉文学」にみる芥川賞の価値

    お笑い芸人としては初の受賞となる芥川賞に、又吉直樹さんのデビュー作「火花」が選ばれた。日本の純文学界にとって久々の明るい話題となったが、一方で不振が続く出版業界の「思惑」を勘繰る向きもある。文学性と話題性は本当に両立するのか。芥川賞の「価値」と出版不況について考えたい。

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    芥川賞の「価値」とはなにか

    石原千秋(早稲田大学教育・総合科学学術院教授) 2015年上半期の芥川賞受賞作が決まった。羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』と又吉直樹『火花』である。特に後者は、すでに数十万部発行されている「お笑い芸人」の作品だったこともあって、候補に挙がるかどうか、受賞するかしないかと、前から話題になっていた。芥川賞を受賞した又吉直樹氏の「火花」が収録されている文学界、羽田圭介氏の「スクラップ・アンド・ビルド」が収録されている文学界(左から)=7月16日、東京都千代田区の帝国ホテル(鴨川一也撮影) こうなると「売らんかなの思惑が見える」とかなんとかケチをつけたがる人々やマスコミが出てくる。かつてのみすず書房の社長のように、「売れる本はダメな本だ」という偏屈者が一定数いることは、社会にとって健全なことだ。もっとも、多くの場合は「話題作」に流される「大衆」を見下すことで、「大衆」を見下す自分を一段高みに置きたいだけの俗物でしかないのだろうが。僕自身がそうだから、こういう心理はよくわかる。 芥川賞に限らず、文学賞に対する誤解もあるようだ。芥川賞それ自身に「価値」があるという思い込みである。だから、「この作品は芥川賞に値しない」というような言い方が出てくる。こういう思い込みにある程度の妥当性があることは否定しないが、根本のところで間違っている。あえて言えば、芥川賞は器にすぎない。 一口に文学賞と言っても、新人賞と芥川賞は性格が異なっている。新人賞はまだ活字になっていない文章を受賞作として活字化するのだから、「この文章で世に送り出すのは、かえって気の毒だ」という判断があっていい。つまり、「該当作なし」があってもいい。しかし、芥川賞はすでに活字になった小説を候補作として事前に公表するのだから、「該当作なし」は失礼である。 それより重要なことは、ある小説を「芥川賞受賞作品」として歴史に刻む役目が芥川賞には確実にあるということだ。なぜなら、芥川賞は時代を映す鏡だからである。極端に言えば、芥川賞の「価値」はそこにしかない。「該当作なし」では、そのもっとも重要な役目を放棄したことになる。選考会議で「今回は『受賞作なし』でいいのではないか」などと発言する選考委員がいたとしたら、芥川賞の歴史上の役割が理解できていないのだから、すぐに降りた方がいい。 このことは、僕にとって『火花』が面白い小説であることを意味するわけではない。平均的な小説でしかないと思っている。要するに『蒲田行進曲』のパターンで、お笑いコンビ「スパークスの徳永」が「あほんだらの神谷」を慕い続ける話である。徳永は「この人に褒められたい、この人には嫌われたくない、そう思わせる何かがあった」と思うのだが、こういうことを直接書いては「説明」にしかならないし、そもそもその神谷にちっとも魅力がないのだから困惑するばかりである。 その頃、神谷さんが嵌まっていたのが、パンツを脱ぎ、「若手の、若手の、若手の、登竜門!」と言いながら、でんぐり返しで、僕に肛門を見せつけることだった。 べつに面白くないし。ごくふつうの若者の悪ふざけ程度だろう。 神谷さんは、窓の外から僕に向かって、「おい、とんでもない漫才思いついたぞ」と言って、全裸のまま垂直に何度も飛び跳ね美しい乳房を揺らし続けている。 これがラスト。こういう持続テイストの終わり方は今の流行で、いかにも「小説してます」感が漂っている。 誤解のないように、確認しておく。僕は『火花』は芥川賞に値しないなどと言っているのではまったくない。『火花』は芥川賞を受賞したその瞬間に、「芥川賞受賞作品」としての価値を持つ。そしてその瞬間から、『火花』を高く評価できないことは、『火花』の問題ではなく芥川賞の問題となる。芥川賞が『火花』の価値を保証するのではなく、『火花』が芥川賞の「価値」を決めるのだ。現在の芥川賞の社会的な地位は、これまでの受賞作が作ってきたものだ。それが「芥川賞は器にすぎない」ということの意味であり、歴史の重みというものである。『火花』はその歴史に加わったのである。 だから、僕はいかなる作品であっても、受賞を祝福する。それが「いま」を受け入れることであり、歴史を受け入れることでもあるからだ。

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    政治の介入を自ら招くテレビ 毅然とした報道が今、求められている

     政治のメディアに対する圧力が問題となっている。特に最近の自民党議員の暴言というか失言は目に余る。各メディアがこぞって非難するのもむべなるかな、だ。 しかし、こうした政治家のメディアに対する態度は何も今に始まったことではない。権力はいつもメディアを自由に操りたい、という欲望から逃れられないのだ。自分たちの都合のいいことだけ流し、都合の悪いことは流さないメディアが彼らにとって一番だ。当然だろう。しかし大抵、メディアは彼らの都合のいいように流してはくれない。だから政治家にはフラストレーションがたまる。これはある意味必然である。そもそも権力とはそういうものなのだ。 特に新聞はコントロールが聞かない。法律で縛れないからだ。しかし、テレビは違う。放送法というものがある。政治的に公平、公正に報道しなければならない、と定めているこの法律は、えてして政治家が介入する口実になる。衆院本会議に出席後、報道陣の質問に答える大西英男氏=30日午後、国会内(斎藤良雄撮影) 政治討論番組では老舗のフジテレビ「新報道2001」はほぼ毎回政治家をゲストに呼ぶが、キャスティングにはものすごく気を遣う。誰と一緒だったら出ない、とか、自分1人だけなら出るなどと我儘を言う政治家もいれば、番組での質問が気に食わないと放送終了後、怒鳴り散らす政治家もいる。 こんなことがあった。元総務庁長官のベテラン参議院議員(当時自民党)と外資系コンサルタント会社の社長が同席した時だ。放送が終わり控室にゲスト一同が戻って来た時のこと。番組内ではそのコンサルタントが新自由主義にのっとって自由貿易論を展開していたのだが、当の議員はそれがよほど不満だったのか、控室でもそのコンサルタントと議論し始めた。だんだんヒートアップした議員は何を勘違いしたか突然「免許を取り上げるぞ!」とそのコンサルタント氏を恫喝したのだ。隣にいた私も耳を疑ったがそのコンサルタントの人は鼻白んで「私はフジテレビの人間ではありません」とその議員に言った。その議員は驚いた様子だったがその場がシーンと静まり返る中、すかさず私が「フジテレビの人間は私ですから」とやったものだからそれ以上は険悪にならなかった。 このことからわかるように、政治家はいつでも自分はメディアをコントロール出来ると思っている。番組終了後、機嫌を損ねてへそを曲げた政治家のところに番組プロデューサーや報道局幹部がご機嫌を取りに足を運ぶこともある。 ことほど左様に政治家のそうした“驕り”はいたるところで顔を出す。何も今回の2年生議員に限ったことではない。政治家になった途端、権力の座についたのだからメディアをコントロールできるとの錯覚に陥るのだ。しかし、現実はコントロールなど出来るわけがない。報道の自由はしっかり担保されているのが日本である。ネット上では報道萎縮などと騒がれてるが、巷の報道は政権批判で溢れているではないか。 とはいえ、いくら政治家の口先介入や圧力に慣れているといっても、テレビは政治の介入を招くような放送をしてはならない。テレビ朝日の「報道ステーション」のコメンテーター古賀茂明氏の降板問題などはそのいい例だ。反安倍政権の急先鋒である古賀氏に政権批判をさせ、挙句の果てに降板に至る裏話を一方的に番組で暴露された。こうしたことが続けば、政治家を勢いづかせ、テレビをなんとかしろ!などという声が次第に大きくなってくるのだ。 政権の政策を正当に批判し、その理由を明確にして放送する。それが健全なテレビ報道だろう。放送法は「政治的に公平であること」を求めていると同時に、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」も求めているのだ。視聴者に考えてもらうために様々な見方、意見、分析などを届けるのが使命と言ってもいいだろう。しかし、情報番組化したニュースを垂れ流すだけで、テレビはその使命を果たそうとしていないとみるのは筆者だけだろうか。 大阪都構想の住民投票の時も、都構想の狙いをどれだけの市民が理解していただろうか。最後は市を解体し5つの特別区に分割した時の経済効果のあるなしだけに矮小化されてしまったのではなかったか。二重行政による無駄や市民サービスの低下について改革することが本来の都構想の狙いだったはずだがそこは市民に浸透しなかった。結局、都構想はついえ、改革は先送りとなった。これは大阪市民にとっては不幸なことだろう。テレビの責任は重い。 一方、今国会は安保法制の議論の真っただ中だ。野党は戦争法案だ、日本は米国の戦争に巻き込まれる、と声高に叫ぶが、テレビは法案の中身を丁寧にわかりやすく視聴者に説明しているといえるのか。この法改正は、国の安全保障の根幹にかかわる最重要課題である。しかし、市井の人々の多くは中身がわからない、とぼやく人が多い。それを勉強不足と切り捨てるのは簡単だが、メディア、特にテレビが丁寧に解説し、視聴者に判断する材料を提供すべきだろう。 政治の圧力を論じる前に、現政権が進めようとしている政策について厳しく評価し、批判すべきは批判し、対案を出すときは対案を出す。毅然としたテレビ報道こそが、今、求められている。政治との緊張関係が崩れている時、“圧力”は顔を出すのだ。

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    マスコミを批判してはいけないのか

    自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で、議員らが報道に圧力をかけたなどとして問題になっています。確かに発言の中身は上品とは言えないのかもしれませんが、マスコミ批判をしてはいけないような風潮に逆に怖さを感じてしまいます。マスコミだけがそれほどの“聖域”なのでしょうか。

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    なぜ私は「沖縄の世論」発言に至ったのか

    長尾敬(衆議院議員) 6月25日に開催された「文化芸術懇話会」における「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている」という私の発言、「沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていくためには、どのようなアクションを起こされるのか」という百田尚樹氏に対する私の質問などが、自民党の報道の自由、言論の自由に対する基本的な精神を誤解させるものであり、国民の信頼を大きく損なうもので看過できないとされ、党により厳重注意処分が決定し、これを謹んでお受けいたしました。国会審議にも影響を及ぼし、他関係各位にも多大なる混乱を招き、心からお詫び申し上げます。懇談の場であったにせよ、議員として誤解を招く表現を発したことに対して、自身を律し、戒め、今後とも公務に勤しんで行く所存です。  衆議院大阪14区(八尾市・羽曳野市・柏原市・藤井寺市)を活動基盤とする私が、なぜ沖縄問題に関心を持ったのか? よく地元でも、沖縄は選挙区でもないのになぜそんなに一生懸命に沖縄問題に取り組むんだ? と質問を受けることがあります。沖縄の問題は、大阪の問題、日本全体の問題。領土領海の上に存在する私達の日常生活の安心安全は、現行安全保障上、奇跡的に担保されているものの、もはや限界点を超え、予想される危機に対しては制度上の切れ目を認めざるを得ず、沖縄は深刻な事態にあると確信するからです。衆院本会議に臨む自民党の長尾敬氏=30日午後、国会・衆院本会議場(酒巻俊介撮影) 私はこれまでに5回の尖閣諸島漁業活動に参加しました。2013年7月1日、中国公船2隻と、深夜3時すぎ、接続水域付近で鉢合わせをしました。漆黒の闇のなかに、電光掲示板に光る不気味な紅い文字で中国語を確認出来ました。我々が近寄ると、中国公船は後退します。我々が後退すると、中国公船は近寄ってきます。お互いに睨み合いながら船を進め、いよいよ尖閣諸島、魚釣島の灯台が見えてきました。夜が白々と空けると、我々は海上保安庁巡視船、巡視艇、そして中国公船に取り囲まれていました。その後、約10時間にわたり、私達が乗船するたった11トンの小さな漁船は、1000トン級の中国公船5隻に追い掛け回され、命の危険に晒されました。  この場合、何かの事故が起きなければ動けないのが我が国の法体系の現状です。海上保安庁の巡視船、海上自衛隊の護衛艦などは、我々の動きに合わせる中国公船の動きを遠目で、時には近くで、見守るだけです。残念ながらこれが法的な限界なのです。  中国には1982年にトウ小平の主導により策定された近海防御戦略があります。太平洋に向けて、日本本土、沖縄、尖閣諸島まで縦断するラインを「第1列島線」、グアムまで進出したラインを「第2列島線」と定め、それぞれ2010年、2020年までの達成を掲げています。そして第1列島線のタイムリミット間近の2010年9月に、図ったようなタイミングで、尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事故が起きました。  また2013年1月31日には、海上自衛隊護衛艦に対するレーダー照射を行っています。午前10時頃、東シナ海海上において、江衛型フリゲート「連雲港」が、海上自衛隊第7護衛隊所属の護衛艦「ゆうだち」に向けてレーダーを照射したのです。これはそれまでの行動から一歩踏み込んできた行為です。なぜなら、攻撃実行に至る「銃口を向ける」「レーダーを照射する」「引き金を引く」という3つのステップにおいて、最終段階の「引き金を引く」直前までいったのです。レーダー照射が完了し、引き金が引かれれば砲弾は間違いなく対象を打ち抜きます。現代軍事技術においては、砲弾が発射されればその砲弾を打ち落とす以外に、それを避ける手立てはなく、我が国にはその技術はありません。今後、沖縄本島がターゲットになっていくことは明らかです。他、琉球独立運動なるものを始め、公安調査庁が要監視団体としている過激派などが凄まじい情報戦等を展開しています。  これが、尖閣諸島、東シナ海の現実であり、沖縄の、日本の現実なのです。  沖縄を確実に掌中に収めようという中国の国家意志に対して、我が国はその脅威と対峙することができる法体系となっているのか? 国家がその意志を明確に示しているのか? 国民もその意志が共有できているのか? 危機意識と対峙する覚悟はあるのか? を問うた時、まったく充分ではありません。   折しも平和安全法制関連法案の審議が行われています。あくまでも自衛の為の限定的武器使用の議論をはじめ、他法改正、新法も憲法の枠組みを超えぬ法案であるにも関わらず、「戦争法案である」、「安倍政権は地球の裏側にまで行って戦争をしようとしている」、「徴兵制が復活しようとしている」などという喧伝と共に、あらぬレッテル貼りを前提とした国会議論に辟易としてしまいます。  全ては、今そこにある危機を実感できていないからだと思います。また、命を落とすであろうという攻撃を受けた時、それが自衛の為であっても、「命を落としてでも武器使用は拒否する」と言わんばかりのイデオロギー優先の思想の存在も排除できず、私は得体のしれぬ危機を感じるのです。  中国は東京ドーム270倍の広さの埋め立て工事を、南シナ海の南沙諸島で進めています。恥も外聞もなく、中国外務省自ら岩礁の埋め立て工事を近く完了させると発表し、実効支配が進んでいることをアピールする始末。南シナ海の航行の安全のためだなどとして、埋立地での施設の建設を続けているのです。  この南シナ海で起きていることが、沖縄で起きる可能性を感じなければなりません。海洋進出を企てる中国としては、沖縄確保は重要な経過目標なのです。 戦後、地政学という学問的概念が消され、外国からの侵略という危機意識も消されてしまいました。沖縄という地政学的位置が、日本全体にとって安全保障上いかに重要な位置であるのか、あらゆる国防の手段をそこに投じる必要性の検討。いまこそ、これら課題解決は平和安全法制議論をきっかけに達成されなければなりません。そして、基地負担の軽減だけでなく、全ての日本国民は沖縄に対して、国防の概念からもっと強く感謝する姿勢が必要だと思います。  米国に安全保障を委ね自国の力だけで国家、国民生活を護れない。沖縄には感謝ではなく破格の補助金を配るだけ。一部にある市民運動を隠れ蓑にした反社会的行動を排除できずにいる現状などを正し、今私たちは、地政学に基づく「沖縄を中心とした国防」を確立する正念場にあると思います。そして、その議論の場に立たせて頂いている自身の立場に、身も引き締まる思いです。  沖縄は、地政学的にも情報戦的にも、安全保障上、我が国の生命線なのです。ながお・たかし 衆議院議員(比例近畿、2期目)。厚生労働委員会理事、拉致問題特別委員会、東日本大震災復興特別委員会、社会保障と税の一体改革関連特別委員会・委員。領土議連事務局長、日本会議国会議員連盟事務局次長、憲法96条改正超党派議連幹事などを歴任。

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    マスコミの罠にかかった自民党若手議員による勉強会

    番」、井上貴洋議員は「(マスコミの)スポンサーにならないこと」とコメント。さらに長尾敬議員が「沖縄のメディアは左翼勢力に完全に乗っ取られている」とすると、講師の百田氏は「沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。……沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」と答えた。 この辺はすでに報道されているので、どなたもご存じだろう。これについて、当然のことながらマスコミからは一斉の反発報道が展開された。言論の自由を弾圧するような言語道断の発言だ的な脈絡がそれだ。しかし、どうなんだろう?ここで議論されている「マスコミの現状」「現在のマスコミの本質」的なものについて、このメンバーのコメントは、その前提においては当たっていないこともないと考えることも可能だ(政治的なコメントについては、僕の立場からは全く容認できないことをお断りしておく)。そして、その構造それ自体が、今回の報道を生んでいるとも考えられる。「暴力団に『オマエは乱暴だ』と言ったら殴られた」的状況 そこで、今回はメディア論的に今回の勉強会を巡る構造を考えてみたい。衆院平和安全法制特別委員会で、自民党勉強会で相次いだ報道機関を批判する発言を野党側が厳しく追及。審議は一時中断した =26日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) まず、はじめにこの勉強会の出席者をヨイショしておこう。つまり、今回の議論について当たっている部分について評価してみよう。それは「マスコミがやっぱりどうしようもない状態にある」という認識だ。自らの視点からすれば都合のよい部分だけを報道し、そうでない部分は一切報道しないという認識。これは十分理解できる。そしてマスコミの「自らの視点」とは、煎じ詰めれば商業主義、つまり視聴率と発行部数、そしてリスク回避にたどり着く。その際の報道のポイントはスキャンダリズム。そのためには弱気をくじき、強気を助けることも厭わない。これに勉強会のメンバーは苛立ち、同様にこれに苛立っている百田氏を講師として招いたというわけだ。 ただし、この勉強会、きわめてマヌケなものであったことは否めないだろう。自らが批判する構造の中に入り込んで、その構造の餌食になっているのだから。たとえて言えば、暴力的な人間の前で「オマエは暴力的だ」と発言して殴られるようなものである。 つまり、こうだ。 前述したように、マスコミの基本的な立ち位置は、もはやスキャンダリズムとしよう。そしてそのことをこの勉強会メンバーが批判した。だが、それを、たとえ私的な勉強会といってもマスコミ報道に触れる形で開催される中で展開し、そこで「マスコミは広告収入がなくなるのが一番」だとか「マスコミのスポンサーにならないこと」なんて発言したら、そりゃ、スキャンダリズムの奴隷であるマスコミにとっては思う壺。一斉に報道して叩きはじめ、メディアイベント的にメディアを賑わすに決まっているし、事実、現在、これが物議を醸すに至っている。当然ながら、彼らはマスコミの餌食になってしまった。 もちろん、この勉強会ではそれ以外の内容も議論されたはず。だが、例によってそれらをマスコミが取り上げることはなかった。重要なのはスキャンダリズムだから、あたりまえだ。いつも通りのことをやられたのに過ぎない。つまり勉強会のメンバーは批判するマスコミの構造に従って自らが批判=バッシングされてしまったのである。その結果、会の代表で今回の勉強会を開催した木原稔青年局長はら一年間の役職停止処分を受けることになってしまった。何とも、お粗末と言わざるを得ない。墓穴を掘る百田氏の言い訳 百田氏はその後、「沖縄の新聞社はつぶすべき」的な発言をしたのは報道陣が退出し、一般には公開されない内輪の席での発言と弁明している。曰く、「飲み屋でしゃべっているようなもの」。ただし、声が大きいので外に丸聞こえになってしまい、それがマスコミの耳に入ったというわけだ。この弁明は「もう報道向けのものは終わったところで内輪話をやっているだけなので、それを報道するのは卑怯だ」というニュアンスだろうが、実はこれは自家撞着に陥っている。 そんなおおらかなジャーナリズムが通用したのは、もうとうの昔のこと(ただし、このおおらかさを利用して特ダネを取り出す辣腕記者がいたことも事実)。批判するマスコミは、しつこいようだが、今や先ずスキャンダリズムありき。それこそハイエナ的にスキャンダルになりそうなネタであればどんな手を使っても入手しようとする。ということは「内輪でやるので、これをネタにすべきではない」というモノノイイは通用しない。マスコミの構造を知っているのならば(あの批判からすれば知っていなければおかしい)、当然ながらこれに対する周到さがなければならないからだ。彼らはあまりに無防備。自分の言っていることが自分の身に降りかかってくることについての自覚がなかったのだ。他者への想像力の欠如は政治家の資質を疑わせる 国会議員、そして百田氏に共通する最大の欠点は「他者に対する想像力の欠如」だ。つまり、前述したように相手が暴力団とわかっていてケンカを売るような状況。だから批判した内容の形式に基づいて、彼らは一斉に批判=バッシングを受けてしまった。マスコミがこうやることがわかっているはずなのだから、この勉強会も完全にクローズドでやる、あるいはオープンでやる場合にはマスコミがどうやってこれを報道するのかを十分考えてからやらないといけない。 そして、こういった「他者に対する想像力の欠如」は、翻って政治家としての資質に疑問を投げかけるものとなる。この人たちはちゃんと国政が見通せているのか、有権者の意見を反映させる力があるのか……。今回の件は、それがないと言うことを「語るに落ちる」状態で証明してしまったことにならないだろうか。そして、そういった資質(「資質の無さ」という資質だが)が、結果として、今回の乱暴なコメントを生んでしまったともいえないだろうか? ちなみに百田氏だが、ま、これはこれでよろしいのではないか?彼は政治家ではないし、小説という「妄想(imagination)を芸術に昇華する」世界で生きているのだから(もちろん、政治の世界に入ってきてしまっては困るけれど。はからずも、今回はそういうことになってしまったので、というか最近はやたらと政治の世界にコミットメントしているので、ちょっと困るが)。問題は、これをことさらに登用する自民党だろう。ここにもまた他者への想像力の欠如が感じられる。物議系の百田氏を使えばどうなるかなんてことは、最初からわかっていなければならない。(ブログ「勝手にメディア社会論」より2015年6月28日分を転載)あらい かつや メディア研究者。関東学院大学文学部教授。ブログ「勝手にメディア社会論」を展開中。メディア論、記号論、社会心理学の立場から、現代のさまざまな問題を分析。アップル、ディズニー、バックパッカー、若者文化についての情報も。

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    慰安婦問題“虚偽情報”の流布 朝日の重大責任と「倒錯」

    可能性を示唆したと語っているが、総領事は真っ向から否定している。 記事の最後で、ゲルミス記者は「海外メディアへの外務省の攻撃は昨年あたりから、完全に異質なものになった。大好きな日本をけなしたと思われたくなかったので躊躇(ちゅうちょ)したが、安倍政権への最後のメッセージと思って筆をとった」と話したという。 朝日新聞は翌29日、この問題を「外務省の広報」「報道の自由を損なう」と社説で取り上げて、外務省を厳しく批判した。「メディア側に圧力と受け止められれば、対外広報としては失策だ」「いま起きているのは、外務省が率先して自国の印象を損なっているという倒錯である。根本的に考え直した方がいい」という。 連載第1回で述べた、欧米を中心とした日本研究家の認識のように、一旦流布してしまった慰安婦問題の虚偽情報は、容易なことでは修正されない。世界に流布してしまったのは、朝日新聞が吉田清治氏の虚偽証言など間違った報道を30年以上も放置し、外国、特に欧米のマスコミがそのまま広めてしまったからである。韓国による、対外宣伝も見逃せない。 しかし、問題はそれだけではない。その虚偽情報の拡散に対し、日本政府、具体的には外務省がそれを打ち消すための努力を、積極的にやってこなかったのも、極めて重要な原因である。 安倍政権の下で、遅まきながらも誤りを修正するための対外広報が始まったに過ぎないのだ。 朝日新聞は慰安婦問題の虚偽情報を流し、「率先して自国の印象を損なってきた」張本人である。本当なら、自ら外国マスコミの誤解と偏見を正す重大な責任があるのだ。しかし、朝日新聞は外務省の努力を真っ向から誹謗・批判する。驚くべき「倒錯」である。酒井信彦(さかい・のぶひこ) 元東京大学教授。1943年、神奈川県生まれ。70年3月、東大大学院人文科学研究科修士課程修了。同年4月、東大史料編纂所に勤務し、「大日本史料」(11編・10編)の編纂に従事する一方、アジアの民族問題などを中心に研究する。2006年3月、定年退職。現在、夕刊紙や月刊誌で記事やコラムを執筆する。著書に「虐日偽善に狂う朝日新聞」(日新報道)など。

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    左右両翼と闘う河合栄治郎の精神と朝日新聞の差

    平川祐弘(比較文化史家、東京大学名誉教授) 「教養主義者は嫌いだ!」 三島由紀夫が言い放った。1968年『批評』誌関係者の席でのことだ。その日は日沼倫太郎が三島の連載『太陽と鉄』を論じ「三島さん、あなたは死ぬべきだ」と思いつめたように叫ぶ。江藤淳主宰の『季刊芸術』の方が売れ行きがいい。そんな話も出ると三島は「江藤は才子だ」と言う。「それなら次号の『批評』は三島さんの責任編集で」と商売上手が提案すると三島が承知し散会した。大アジア主義にも冷静な目 小さくなっていた私は、自分が東大教養学部教養学科出身の教養学士だから、それで罵(ののし)られたかと錯覚した。だが、そんな私の履歴など三島が気にするはずがない。さては『批評』誌上で私が河合栄治郎(1891~1944年)を讃(たた)えたのが三島の癇(かん)にさわったのかと後になって気がついた。河合は「教養主義者」だからである。 だが戦前、自由主義のために戦った河合の「五・一五事件の批判」「二・二六事件の批判」は堂々たる論で、河合は東大教授の職を賭し、生命の危険をも顧みず軍部を批判した。しかし自決2年前の三島は『憂国』や『英霊の声』で二・二六事件で蹶起(けっき)した青年将校を描き、その心情に乗り移ろうとしていた。そんな三島は「教養主義者は嫌いだ」ったのだろう。 だが私は河合を尊敬する。白人の圧迫からアジア民族を解放しようという青年将校の間に強かった大アジア主義にふれて、『批評』にこんな河合の冷静な言葉を私は引いた。1月5日、記者会見する朝日新聞社の渡辺雅隆社長=東京都中央区(大西正純撮影) 「アジア諸国は独立を回復することを熱望することは確かである。然(しか)し日本の力を借りることには賛成しまい。何故(なぜ)なれば英米の宣伝により日本を誤解している点もあろうが、日本の過去の外交史が彼等(かれら)に疑惑を抱かしめるからである。英米を排して日本を代わりに引き込むならば、彼等は寧(むし)ろ英米の方を選ぶだろう。何故なれば日本の内部に於(おい)て同胞に対してさえ充分(じゅうぶん)の自由を与えていないのに、その日本から外国は充分なる自由を与えられることを期待しえないからであり、又(また)英米にはたとえ不徹底なりとも自由主義的思想が浸潤している。異民族を統御するに就いて彼等は日本人よりも妙諦を解しているからである。アジアの諸国に於ける日本の信用をば、吾々は決して過超評価してはならない」真の自由主義者の系譜 河合は昭和初年、プロレタリア独裁を肯定する左翼共産主義が盛んとなるやそれを批判した。が満州事変以後、青年将校が暴発し右翼国家主義が台頭するや今度は軍部専横を批判した。真の自由主義者は今でもそうだが、左右両面の敵と戦わねばならない。河合研究会で丸山真男が河合の衣鉢を継ぐ学者だと武田清子が言うから私は真っ向から反論した。右翼には手厳しいが左翼には甘い男が河合の思想的系譜に連なるはずはない。 河合は首相暗殺をはじめとする軍人の直接行動を敢然と否定した。なぜならそれは「国民と外国との軍に対する信用を傷つけ…軍人が政治を左右する結果は、国民の中には、戦争が果して必至の運命によるか、或(あるい)は一部軍人の何らかの為(ため)にする結果かと云(い)う疑惑を生ずるであろう」。しかし当時のマスコミは犬養首相を殺害した「純粋な」青年将校を「昭和維新の志士」と称揚した。暗殺者は死刑にもならず、日本は滅びた。思想の自由守り続けた粕谷 大学を追われた河合は自己の思想信条を懸け裁判に臨んだ。弁明は学術論文のごとく見事である。一旦は無罪となるが結局は敗訴する。だが日本は一党専制のナチス・ドイツや共産国とは違う。河合は罰金刑で戦争中も河合の学生叢書(そうしょ)は広く読まれた。私の姉は『学生と生活』を昭和14年に、兄は『学生と教養』を19年に古本で求めている。その年に河合は満53で早世した。生きていれば敗戦後は首相に推されただろう。私は戦後『学生に与う』を読み、溌剌(はつらつ)とした精気と明るさに驚いた。とても苦境に立たされた人の文章とは思えない。私は河合が説く「友情」や「自我」の言葉に酔いしれた。 1960年、マスコミは一斉に「安保反対」を叫び、国会包囲のデモ参加者を「純粋な」学生と称揚した。そんな時、まだ30代の粕谷一希(1930~2014年)は事態を冷静に見ていた。粕谷は『中央公論』の編集長に抜擢(ばってき)されるや周囲の突き上げにもかかわらず思想の自由を守り続ける。その勇気に私は感心した。後年、粕谷が評伝『河合栄治郎』(1983年)を書くに及んで合点した。粕谷も若くして河合を読み、闘う自由主義者の系譜に連なったのである。この夏死去したが編集者として後世に名をとどめるだろう。 では朝日の慰安婦検証記事の関係者はどうか。「朝日撤稿」は中国紙でも先日大きく報ぜられた。それなのに、若宮啓文氏は「朝日の報道によって国際世論に火が付いたという批判はおかしい」(文芸春秋10月号)とまだ言い張っている。こんな朝日の前主筆も後世に名をとどめるだろう。ただしその悪名によって。

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    国防を「悪玉視」して貶め続けた朝日 偏向の大罪

    権の暴挙を、跳ね返すことができるかどうか。 国会論戦に臨む野党ばかりではない。草の根の異議申し立てやメディアも含めた、日本の民主主義そのものが、いま、ここから問われる》 戦争にならないよう抑止力を高める。そのために集団的自衛権行使容認を閣議決定したのだ。抑止力を高めれば、わが国への侵略意図を未然に挫くことにつながる。“他国の戦争に加担する”ためでは断じてない。わが国と国民の生命を守るためなのだ。そういう論理を頭から全否定して始まる朝日新聞の報道こそむしろ“暴挙”ではないのか。 産経新聞は『「積極的平和」へ大転換』と大見出しをつけ、『首相「今後50年 日本は安全だ」』と題した記事で、閣議決定の目的を正確に伝えた。主張も《戦後日本の国の守りが、ようやくあるべき国家の姿に近づいたといえよう》と切り出し《反対意見には、行使容認を「戦争への道」と結びつけたものも多かったが、これはおかしい。厳しい安全保障環境に目をつむり、抑止力が働かない現状を放置することはできない》と書いた。わが国をとりまく安全保障環境は劇的に変化している。それに間断なく対処せねばならない。防衛体制に不備があれば当然それは是正する責任がある。 読売新聞も『集団的自衛権 限定容認』と、閣議決定内容を正確に伝え、田中隆之政治部長の『真に国民を守るとは』と題した記事があった。 《今回の見解にあるように一国では平和を守れない。日本が集団的自衛権を限定的に認め、対米連携を深めることが不可欠だ。それこそが真に国民を守る手段となる。時代にそぐわない憲法解釈を安倍首相が正したことは高く評価できる》 閣議決定の目的と主旨を正確に伝えている。社説でも《今回の解釈変更は、内閣が持つ公権的解釈権に基づく…いずれも憲法の三権分立に沿った対応であり、「立憲主義に反する」との批判は理解し難い》として解釈変更に何の問題もないと指摘している。 しかし、朝日新聞は、こうした冷静な報道を一顧だにしない。社会面に『不戦 叫び続ける』と題した記事を掲載、若者の「びびってます」とか元兵士の「限定的でも引きずり込まれる」といった声をちりばめて『列島 抗議のうねり』と牽強付会にあおるのだ。 日本列島が反対一色であるかのような記事だが、福井市のJR福井駅前での“市民団体”の呼びかけに応じて集まったのは、わずか「30人」だったらしい。これのどこが『列島 抗議のうねり』なのだろう? 日本列島が抗議のうねりに呑みこまる状況など一体どこに存在したのだろう。空自ヘリと取材ヘリ、ニアミスしたのは…平成19年空自ニアミスの報道 これだけではない。平成19年4月9日の朝刊ではこんな見出しが躍った。空自ヘリ、ニアミス墜落機の救助中 NHK取材ヘリと 見出しの横には『墜落機の救助中 NHK取材ヘリと』とある。ということは、墜落機の救助中の空自ヘリが取材中のNHKヘリに近づきすぎてニアミスを起こしたということになる。ところが本文を読んでみると… 《空自ヘリが遭難地点に侵入するために左旋回したところ、相手ヘリが右に旋回して急速に接近した》 つまり“相手ヘリ”が、空自ヘリに異常接近したのであって空自ヘリがニアミスをおかしたのではなかったのだ。本来この記事の見出しは、『NHK取材ヘリ、ニアミス』とすべきだろう。あたかも空自ヘリがNHKヘリにニアミスしたと読者が錯覚するような見出しを付けているのだ。NHKヘリはなぜか「相手ヘリ」として社名を隠し、空自ヘリを際立たせているところにも自衛隊への悪意が垣間見える。 しかもこの事故の隣には 持ち出し、イージス艦中枢情報も という見出しの海上自衛隊の情報漏えい事件の記事が併記されている。読者は「なんだ、航空自衛隊も不祥事をおこしたのか!」と瞬時に連想してしまう。実に巧妙な印象操作だと言わざるを得ないのだ。 そもそもこの遭難事故は、平成19年3月30日に鹿児島県徳之島で発生した救急患者の緊急空輸のため、那覇基地を飛び立った陸上自衛隊第101飛行隊(現・第15飛行隊)の大型輸送ヘリコプターCH47JAが徳之島の天城岳山中に激突して機長以下4名の隊員が殉職した痛ましい航空機事故があって、このとき陸自機の捜索・救難にあたったのが、同じ那覇基地にある航空自衛隊の那覇救難隊の救難ヘリUH60Jだったのである。 いずれにせよこの“ニアミス事故”なるものの非は、NHKの取材ヘリにある。朝日新聞の自衛隊を貶めようとする意図を感じざるを得ない。海自「おおすみ」と釣り船衝突 平成26年1月15日、瀬戸内海の広島沖を航行中の海上自衛隊輸送艦「おおすみ」に釣り船が衝突して釣り船の船長と乗客の2名が死亡するという海難事故が発生した。海上自衛隊輸送艦「おおすみ」と転覆した釣り船(手前右)=2014年1月15日午前、広島沖(本社ヘリから、山田哲司撮影) この事故を取り扱った読売新聞の見出しはこうだ。 衝突、同方向に航行中海自艦と釣り船 重体の船長死亡 ところが朝日新聞の見出しはこうなっている。 回避行動の状況調査へ 海自艦衝突 追い越す船に「義務」 海自艦と釣り船が衝突したのに、表記されているのはなぜか海自艦だけだ。これではまるで海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」に責任がある印象を読者に与えかねない。 この記事のリードも問題である。 《一方、安倍政権は過去に起きた自衛艦の事故の苦い経験を踏まえ、影響を最小限にとどめようと迅速な対応をアピールした》 書き手の悪意がにじみ出たおかしな書きぶりである。そもそも“迅速な対応”は褒められこそすれ、揶揄されることではないからである。逆に、対応が遅ければ、厳しく非難される。迅速に対応すると今度は「影響を最小限にとどめようとアピールした」。ここから安倍政権を叩いてやろういう魂胆が行間から読み取れる。始末に負えない書きぶりだ。 平成12年9月に石原慎太郎都知事(当時)の旗振りで実施された陸海空自衛隊を動員した災害派遣訓練“ビッグレスキュー”を取り扱った朝日新聞のいやみな批判記事は今も忘れられない。 一面には装甲戦闘車両の写真の下に『銀座上空に対戦車ヘリ』の見出しが躍り、銀座上空に物騒な対戦車ヘリが飛んできて軍事訓練したかのような記事となっている。 さらに社会面だ。『迷彩服だらけの首都防災訓練』と『大通り装甲車堂々』と見出しがあって『憂いあり』。いずれも白抜きの大きな文字だ。いったい何に対して、どんな憂いがあるというのだろうか? 誇大妄想も甚だしい。東京都の総合防災訓練。都営大江戸線による自衛隊部隊集結訓練で、地下鉄に乗り込んだ自衛隊員ら=2000年9月3日 迷彩服は自衛隊の制服だ。いったい何が問題なのか。装甲車は大通りを堂々と走行してはいけないのか。装甲車は人目をはばかるように移動せよというのか。 おまけに『憂いあり』の文字の下には『「治安出動」批判派デモ』なる小さな記事がぶら下がっている。自衛隊を動員した都心での災害派遣訓練がどうして「治安出動」に結び付けられて批判されなければならないのか。 どうも朝日新聞の記事には、読者を自らの偏った政治主張や特定イデオロギーに引きずり込もうとするいかがわしいトラップが随所に仕掛けられていると言わざるを得ない。気の毒なのは正確な事実が伝えられず公正な判断ができない読者である。海自「あたご」と漁船の衝突事故 コラムもやりたい放題である。 平成20年2月19日におきた海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船が衝突した海難事故について、平成20年3月3日の「ポリティカにっぽん」と題するコラムで、朝日新聞コラムニストの早野透氏はこう書いている。 《石破茂防衛相が「ハイテクの極致」とたたえるイージス艦、ハワイのミサイル防衛の訓練に疲れ、艦長が居眠りしている間に千分の一の「親子船」を撃沈してしまうとは!》 「艦長が居眠りしていた」などと、まるで任務中にコックリコックリと居眠り運転していたかのように書いている。だが、そもそも艦長は交代で就寝中だったのであって、訓練に疲れたせいでオペレーション中にうっかり居眠りしたのではない。艦長は、航海長に艦の運航の指揮を委任しており、就寝したことは何ら問題ではないのだ。「訓練に疲れ」という言葉が付け加えられ、これに続けて「居眠り」とある。これでは間違いなく誤解を誘発する書きぶりだ。 「親子船」という無条件に国民の同情を誘う言葉を使う一方で、自衛隊には「撃沈」なる言葉を使うのも首を傾げてしまう。そもそも「撃沈」とは、相手を沈める意図があって砲撃や雷撃・爆撃などの攻撃で沈没させることだ。イージス艦「あたご」に漁船を沈める意図など微塵もない。撃沈では決してないのだ。これはほとんど“捏造”の域といっていい。自衛隊の事故なら何を言っても構わないという空気に乗じたゆゆしきコラムである。中国国防費に対する記事も酷かった中国国防費めぐる報道 2010年(平成22年)の中国国防費に対する記事も酷かった。読売新聞(平成22年3月4日)はこんな見出しだ。中国国防費7・5%増2けた伸び21年止まり 開発費除外か これが朝日新聞になるとどうなるか。中国国防費 伸び鈍化10年は7・5% 22年ぶり1ケタ このニュースで読者に伝えなければならない最重要ポイントは、中国の国防費がこの年もまた7・5%も増えた客観的事実で次に兵器の開発費が除外されている可能性だ。これまで20年以上にわたって続いてきた国防費の前年度比2けたの伸び率が2010年は1けただったことは、単なる参考データでしかない。その意味で読売新聞の見出しは、このニュースの伝えるべきポイントを要領よくおさえている。 一方の朝日新聞は、参考データに過ぎない国防費の伸び率が1けただったことをまず強調し『中国国防費 伸び鈍化』と大見出しで『22年ぶり1ケタ』とアピールし、読者に、あたかも中国の軍拡がスローダウンしたかのような印象を与える記事となっている。 最も肝心な前年度比7・5%もの非常に高い国防費の増額については、『10年は7・5%』とだけ記載し、「増」の文字がない。これでは「7・5%」という数字が意味するところがよくわからないのだ。朝日新聞は「7・5%もの増額」という大幅な増額を巧みにごまかしたのである。ちなみにこの年のSACO関係費を除いた日本の防衛費は前年度比0・4%減だった。いかに中国の7・5%という伸び率が驚異的であるか。おわかりいただけよう。自衛隊と韓国軍のイラク派遣報道 自衛隊がイラクに派遣されたさいも朝日新聞は批判を繰り返した。平成19年5月16日の社説はこう述べた。 《英国ではブレア首相が世論の批判から退陣に追い込まれた。ブッシュ大統領も、米軍の期限付き撤退を条件とする予算案や決議を議会から突き付けられた。支持率は最低水準に低迷している。 そんな中で、日本では自衛隊の派遣延長がすんなりと国会を通っていく。これといった総括や反省もないままに、大義に欠ける、誤った米国の政策に参画し続ける。なんとも異様と言うよりない》 最後はこう結んだ。《政府はすみやかに自衛隊を撤収し、イラク支援を根本から練り直すべきだ》 ところが朝日新聞はこの同じ年の1月31日付の紙面で、イラク北部に派遣された韓国軍に対しては『復興支援 韓国がっちり』という見出しをつけ、こう言っているのだ。 《治安悪化で泥沼化するイラクで、唯一安全といえる北部クルド地域に2300人の部隊を駐留させる韓国が、軍と政府機関による復興事業を着々と進め、地元の信頼を勝ち得ている。すでに民間企業も進出するなど、治安の問題から南部サマワで十分な復興支援ができなかった日本との差を際立させている》 ちょっと待てよ!といいたい。あなた方は「大義に欠ける、誤った米国の政策に参画し続けている」と日本を批判したのではなかったか。なぜ韓国だけは“異様”でないのか。これは明らかにダブルスタンダードである。矛盾していることに自ら気づかないのだろうか。 記事には、『安全バックに事業次々』という小見出しがあった。 《韓国の民間人スタッフは全員、韓国軍基地内に居住。町へ買い物やレストランでの食事にも出かけるが、現地で雇った武装警護員を必ずつける。 さらに韓国軍も復興事業として学校54カ所、診療所11カ所、井戸200カ所を建設。基地内で開く自動車修理、コンピュータ技術から菓子料理までそろえた職業訓練コースは、月給110ドルがもらえる上、軍の送迎付きとあって市民に大評判だ。各地でテコンドークラブが作られ、韓国兵らが指導に当たっている。 ハウラミ・スレイマニア商工会議所会頭(32)は「韓国には本当に感謝している。投資促進にも非常に前向きだ。我々は先に来てくれた人を大切にしたい」と話す》 なぜ自衛隊と韓国軍のイラク派遣に対する評価がこうも違うのか。彼らの偏向こそ“異様”であり“異常”である。 朝日新聞は、イラクで自衛隊がどこの国の軍隊よりも歓迎され、そして感謝されていたことを知らないのだろうか。自衛隊はイラク南部サマワで病院や学校の建設、加えて橋や道路の整備を行なって地元イラクの人々からいたく感謝され、地元住民らによる自衛隊への感謝の意を表するためのデモ行進まで起きている。また自衛隊の撤収時には、地元住民が、自衛隊との別れを惜しんで涙したなどという感動のエピソードもある。朝日新聞はそんな数々の話をまったく耳にしたことがないのだろうか。否である。実は朝日新聞はこうした事実を知っているはずだ。なぜ書かないか。自衛隊を利するから書かなかったと私は考えている。海自イージス艦派遣めぐる報道 防衛報道、自衛隊報道における朝日新聞の恣意について述べてきた。最後に私自身の経験を話そう。かつて筆者は謝罪文を朝日新聞から書面で受け取ったことがあるからだ。 平成13年11月23日付の朝日新聞(西部本社発行版)に筆者のインタヴューコメントが掲載された。これは、世界を震撼させた9・11テロに端を発する対テロ戦争で海上自衛隊補給艦による多国籍軍艦艇へのインド洋上での燃料補給任務の護衛に海自イージス艦を派遣させるかどうかの問題が持ち上がったことへの筆者のコメントだった。 朝日新聞はわざわざ佐世保支局からインタヴューを取りに来た。私は記者に、相当時間を割いて海自イージス艦派遣の意義と問題点などを説明し、この記者もよく理解して帰っていった。筆者の主張の要旨はこうだった。 「洋上補給は、補給艦と受給艦が長時間真っ直ぐ並走せねばならず、そんなときに脅威が迫っても迅速な回避行動がとれない。そのため脅威をできるだけ遠くで発見しなければならず、したがって広域の上空および洋上監視ができるイージス艦がこの任務に最適である。 だがそもそもイージス艦の派遣がなぜ問題になるのか。国は、国家の命令によってインド洋に派遣される海上自衛隊の補給艦を全力を挙げて守らねばならないのだから、そのために必要なら、イージス艦であろうとなんであろうと必要な艦艇や航空機を総動員してでも守るべきだ。にもかかわらず派遣を命じた側の国会議員の中に、日本がイージス艦を派遣すると周辺諸国に脅威を与えるのではないかとか、集団的自衛権の行使はできないなどと言っている者もいるようだが、まず政府は、派遣される自衛官の命を守るために万策を講じることを最優先に考えるべきだ」 限られた字数に収めるため、掲載記事内容について記者と電話で文言や字数の調整などを繰り返した。短くなったが着地点を見出して私も納得した。ところが翌朝の新聞を見て仰天してしまった。 私のコメントは、『実績優先し 派遣迷走』という記事の中で、こう短く取り扱われていた。 《安全保障分野を得意とするジャーナリストの井上和彦氏(38)は、今回の派遣論議に自衛官の安全を考えた立場からの議論がなかったと批判する》 これではイージス艦の派遣に賛成なのか反対なのかすらわからない。ただ「批判」という最後の言葉の印象が強いため、反対しているようにも受けとれる。 私は猛然と抗議した。 その結果、次のような謝罪文が送られてきたのだった。 《先日は、ご多忙の中、取材に応じていただき、ありがとうございました。23日付、西部本社発行版(九州・山口)の第3社会面で掲載された記事の中に、井上様との取材の一部を使わせてもらいました。本紙を郵送させてもらいます。 編集の関係で短い扱いとなり、井上様のご意見を十分にくめなかった点があることは、否めません。お時間を取って頂きながら、ご不満を抱かれたことに、お詫び申し上げたいと思います。 今後とも、安全保障分野で取材をお願いすることもあると思います。こちらも、より細心の注意を払うようにします。今後ともよろしくお願いいたします》 私のコメントが朝日新聞の編集方針にそぐわず、最終段階でコメントの核心部分を外し、都合よくつなぎ合わせたのだろう。いずれにせよ、私の言いたかったことは闇に葬り去られたのだ。いのうえ・かずひこ 昭和38(1963)年、滋賀県生まれ。法政大学社会学部卒業。軍事・安全保障・外交問題などをテーマとしたテレビ番組のキャスター&コメンテーターを務める。著書に『東日本大震災秘録 自衛隊かく闘えり』(双葉社)『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』(産経新聞出版)など多数。関連記事■ 立憲主義を破壊する…わけがない解釈変更■ 朝日新聞、「角度つき」安全保障報道の系譜■ 「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説

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    野党や一部メディアの安保論議は平和ボケにしか聞こえない

    に審議入りした。安倍晋三首相が、国民の生命と財産を守るための法制整備を訴えているのに対し、野党や一部メディアは「自衛隊のリスクが高まる」「戦争法案だ」などと批判している。米紙ニューヨーク・タイムズや、英紙フィナンシャル・タイムズの東京支局長を歴任した、英国人ジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークス氏が、疑問点や問題点を語った。 クエーカー教徒である私は「平和主義者」だ。しかし、国家の平和や安定、国民の生命と財産を守るには、軍隊が必要だと思っている。軍隊は国家の独立を維持し、他国の侵害を抑止し、外交力を補完し、国内政情を安定化させる。国家存立の危機に、命を賭して任務を全うする軍人の存在はやはり欠かせない。 そうした観点からいうと、野党幹部や一部メディアによる「自衛隊のリスクが高まる」といった批判や指摘は、私には平和ボケにしか聞こえない。日本を取り巻く安全保障環境は激変しており、一般国民にリスクが波及する恐れがあるから、自衛隊に新たな役割が与えられるのである。 そして、「戦争法案」といったレッテル貼りは、自国の安全保障という極めて重大な問題を話し合う、国会の議論の基盤を壊す行為といえる。レッテル貼りをする政治家やジャーナリストは、活動家や扇動家に近いのではないか。平成24年2月、国連平和維持活動(PKO)のために到着した陸上自衛隊施設部隊の隊員らを、南スーダンの与党の副幹事長らが出迎えた=ジュバ(早坂洋祐撮影) 東シナ海や南シナ海の現状をよく見るべきだ。中国は1990年代以降、国防費を毎年10%前後増加させている。いまや、沖縄県・尖閣諸島の周辺海域には、中国艦船が連日侵入しており、日本の生命線である「シーレーン」も危うくなっている。中国や北朝鮮は日本向けに数百発のミサイルを配備しているとされる。 英国の軍人もそうだが、日本の自衛官も任官に当たっては「危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」といった宣誓をしている。国民や国家の危機にはリスクを恐れない。それが軍人である。 私は英国のボーディング・スクール(全寮制の寄宿学校)で学んだ。徹底した少人数制のもと、文武両道、厳しい全人教育をたたき込まれた。敷地内には、国家のために命を捧げた先輩たちの「忠魂碑」があり、その前を通る際は、脱帽して最敬礼していた。忠魂碑には「キャリー・オン」(後に続け)と刻まれていた。崇高な精神に続けということだ。 国会での議論を聞いていると、70年前の敗戦によって、日本人は「自国を守る」「国民の生命と財産を守る」といった独立主権国家としての気概を失ってしまったのではないかと感じてしまう。 ただ、私は知っている。4年前の東日本大震災で、数多くの自衛官や警察官、消防隊員らが、自らの危険を顧みず、被災者の救助・救出や、原発事故の対応に当たったことを。そして、彼らを「日本のために、被災者のために頑張ってください」と言って送り出した家族がいたことを。現場で体を張っている人々にこそ、日本人の精神が宿っているのだと感じた。 震災時、日本の政治は機能不全を起こしていた。現在の安全保障の議論を見ていると、危機が目の前に迫っているのに、永田町の住人だけが「井の中の蛙」で、時代の変化から取り残されている気がしてならない。 (取材・構成 藤田裕行)関連記事■ 左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか■ 政治学者が考える憲法論議 政争の具ではいけない■ 文官が総理より偉い? 懲りずに安倍政権を中傷するメディア

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    安保法制論議のカラ騒ぎ

    「戦争に巻き込まれる」「憲法を守れ」。安全保障関連法案に対するばかげた意見が世論をにぎわしている。文官統制も安保法制も十把一からげの護憲派マスコミに、「昔の名前」の面々が批判会見する唐突感。

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    参考人全員「違憲」は改憲へのチャンスである

    に対して「違憲」としたことが話題となっている。とりわけ、与党側が招致した学者が「違憲」としたことは各メディアにおいて大きく報道され、与党内にも衝撃が走ったそうだ。これを受けて、安保関連法案の改正に反対する護憲派や左派系マスコミは「憲法学者の声を無視するのか」「長谷部教授(与党側が招致した早稲田大学法学学術院教授)はよくやった」などと述べ、この法案の廃案に向けた動きを強めている。衆院憲法審査会に出席した参考人の(左から)早稲田大の長谷部恭男教授、慶応大の小林節名誉教授、早稲田大の笹田栄司教授=6月4日午前 普段、「学歴や職業で人を区別するのはよくない!」と叫び、原発問題の際には「専門家や大学教授を絶対視してはいけない!」と語る人々やマスコミが、「憲法学者」という権威に頼っている姿は何とも滑稽である。また、自分たちが招致した憲法学者が「違憲」の述べたことを大げさに騒ぎ立てる与党も情けないと思う。 私は、今回の事件をきっかけに与野党は、堂々と憲法改正の議論を行うべきであると思う。この法案における大きな問題は、憲法9条と矛盾し、我が国の安全保障の根幹を変えるような話題にも関わらず、これを解釈と法律のみで変えるということである。また、自衛隊がいつ、どこまでの実力を行使できるのかについての議論もまだまだ不十分であることも問題だ。こうした応急処置的で中途半端な議論で終わっては、この法案が目的としている安全保障の強化がむしろ後退してしまうのではないかと私は危惧する。 このようなことを防ぐためにも、「ネトウヨ」や「戦争法案」などと情けないレッテル貼りで終わるのではなく、堂々と改憲議論を行い、論戦を繰り広げることが我が国の安全保障と発展に向けた道になるはずだ。参考人全員「違憲」の騒動を改憲へのチャンスにできるかは、今後の改憲派の実力にかかっている。関連記事■ 左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか■ 政治学者が考える憲法論議 政争の具ではいけない■ 文官が総理より偉い? 懲りずに安倍政権を中傷するメディア

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    朝日新聞、「角度つき」安全保障報道の系譜

    佐瀬昌盛(防衛大学校名誉教授)朝鮮戦争はじまる 昭和25年6月25日、突如として朝鮮戦争が勃発した。朝鮮半島ではその二年前、南で大韓民国の樹立宣言があり(8月15日)、後を追うように北に朝鮮民主主義人民共和国が誕生していた(9月8日)。日本の敗戦後、半島の北はソ連が、南は米軍が占領したが、それぞれに政権が生まれたので両占領軍はほどなく撤退していった。あとに残されたのは両大国による力の空白状態だった。 追いかけるように昭和30年1月、アチソン米国務長官が極東の安全保障環境に関する演説を行ない、西太平洋における米国の防衛線に言及した。それはアリューシャン列島、日本、沖縄、フィリピンを結ぶ線だとされた。その西方の朝鮮半島は、米軍に関する限り力の空白地帯となるわけだった。1950年6月の朝鮮戦争勃発直後、金浦空軍基地に到着したダグラス・マッカーサー元帥を迎える李承晩・韓国初代大統領(右) 同じ頃、欧州に向けてのワシントンの関心は全く違っていた。大戦が終結しても、東欧一帯を「解放」したソ連軍は撤退するどころか、東欧各国に順次、親ソ政権を樹立していった。逆に米軍はナチス・ドイツを打倒したあと、大西洋の彼方へと撤退した。つまり、冷戦の予感は米国には働いていなかった。国際連合が誕生し、その中核となる安全保障理事会では米、ソ、英、仏、中の五大国が――拒否権はもったものの――国際の平和のため協調していけると信じたのである。 ところがモスクワのこの一方的行動を前にトルーマン米大統領は有名な「ドクトリン」を発表(昭和22年3月12日)、西欧を「力の空白」地帯とはしない方針を明示した。冷戦のはじまりである。欧州と極東に対する米国の安保関心には注目すべきタイム・ラグがあった。と言うのも、アチソン演説を修正して、ワシントンが朝鮮半島にコミットするには、北による南の攻撃とそれがもたらした衝撃という高い授業料を払わなければならなかったからだ。 朝鮮半島での戦乱勃発は、日本統治の全権を有したに等しいマッカーサー元帥とGHQにとって大衝撃となる。わが国を占領していた在日米軍は急拠、仁川に上陸作戦を展開する。そしてソウルを目指して北上していった。では日本はどうなるのか。こんどはわが国が力の空白地帯化する懸念がでてきた。その空白を日本自身によって埋める必要はないのか。 欧州での冷戦開始、朝鮮半島への熱戦勃発、そして日本の安保問題という玉突き現象の結果、マッカーサー総司令部と吉田茂政権とは厄介な難題に直面する。米国の日本統治は民主化、非軍事化、非集中化の3D政策を追求してきたのだが、いまや二番目のDは変更を迫られる。そのうえ、日本政府はワシントンの朝鮮半島への反攻を支援しなければならない。それはどういう形で行なわれたか。 やや誇張して言えば、出撃する米軍のため臨時の軍需工場の役割を引き受けることだった。いわゆる「朝鮮特需」である。その一端を私ははからずも目撃した。当時、私は奈良市に住んでいたが、越境入学して大阪の住吉高校に通った。毎朝乗る近鉄線で布施駅近くを走る車窓から見ると、沿線近くの町工場の敷地に多数の砲弾がピカピカと輝いて並べられていた。聞くところによると、朝鮮戦争で米軍が使用するための下請け生産ということなので、妙な気がした。平和憲法を叩き込まれた高校生にとっては忘れ難い光景である。なんとなく「他人の不幸、鴨の味」といった感じだった。「国家警察予備隊」を創設せよ「国家警察予備隊」を創設せよ わが国の自衛隊の前々身たる警察予備隊は、朝鮮戦争なくしては生まれなかった。朝鮮動乱が始まってからちょうど2週間目の7月8日、日本占領の最高司令官たるマッカーサー元帥から一通の書簡が吉田茂首相に届けられた。それは「日本警察の増強に関する書簡」と題されており、7万5千人の「国家警察予備隊」の創設と海上保安庁定員の8千名増員を「許可」する、となっていた。 政府部内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。弱体だった警察力の強化こそ総司令部に求めていたものの、マッカーサー書簡が「許可」してきたのはそれとは違う。「許可」という形式になってはいたものの、その実態は「命令」であった。逆らうことはできない。真意を問い合わせた日本政府が得た説明は、国家警察予備隊とは従来の警察とは全く別組織の総理大臣直属の警察隊であり、事変、暴動などに備えて治安確保に当るものだから、機動力を備え、装備としては隊員にカービン銃を持たせるし、将来的には大砲や戦車も保有することになろう、というものだった。 問題はわが国の報道界がこれをどう扱かったかである。GHQは厳しい検閲制を敷いていた。日本に進駐してきた米軍は45年9月12日に新聞・ラジオの検閲を始めた、と「読売報知」(当時)が報じた(「読売」に改称されたのは後年)。それがあまりに厳格であったため、日本の新聞は畏縮した。「長い物には巻かれろ」だった。 この風潮の下、各紙の報道は大同小異の趣を呈するに至る。「朝日」の紙面も例外ではなかった。たゞ同紙の場合、他紙に先駆けて検閲のパンチを喰らった。9月20日の1面には次のような「社告」が掲載された。当時の事情を知るうえで興味深いので、全文を示す。〈朝日新聞東京本社はマックアーサー最高司令官の命令により本日十五、十六、十七日附掲載記事中マックアーサー司令部指示の新聞記事取締方針第一項「眞實に反し又は公安を害すべき事項を掲載せざること」に違反したものありとの理由によつて十八日午後四時より廿日午後四時まで新聞発行の停止を受けた。よつて十九日附および二十日附本紙は休刊の止むなきに至つたが、二十一日附は特に四頁に増頁して三日間における記事、寫眞を収載しました。 右御諒承願ひます。 昭和二十年九月廿日朝日新聞東京本社〉(表記は原文のまま) 一体どうして「朝日」はマッカーサーの逆鱗に触れてしまったのか。この件は同紙にとってのトラウマとなった。そのことは1995年7月に編纂された大部の「朝日新聞社史」から読みとれる。また、「朝日文庫」収録の「新聞と『昭和』」、上巻(2013年8月刊)にもこの「社告」の件が出てくる。つまり、同紙にとっては忘れ難い事件なのだろう。GHQが問題にしたのは9月15日付で掲載された鳩山一郎講話であった。鳩山は、米国が「正義は力なり」を標榜するのなら、「原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう」と語っていた。 検閲に引っかかったもう一つの記事は、翌々日の9月17日に掲載され、「求めたい軍の釈明/“比島の暴行”発表へ国民の声」と見出しが付けられていた。この見出しから記事内容を推定することは困難だろうから説明すると、日本進駐後の米軍兵士が各地で起こした暴行事件と大戦中に日本軍がフィリピンでみせた暴虐行為とを同列に論じることへの疑問を述べたものである。一方は平時、他方は戦時であったことを考えるならば、「朝日」記事の言い分にはもっともなところがあった。 のちに『閉された言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋刊)を発表した江藤淳氏は、問題視された記事は後年首相となった石橋湛山が東洋経済新報社社長・主幹時代に書いたものだ、と詳しく考証している。いずれにせよ、GHQの高飛車の前に『朝日』は恭順の意を表するほかなかった。泣く子と地頭には勝てない。先掲の「社告」は敗戦国ジャーナリズムの屈辱の記念碑とも呼ぶべきものであった。 いずれにせよ、マッカーサー元帥の威光は絶対だった。それをいや応なしに日本人に教えたのは9月29日付の全国紙各紙に掲載された一枚の写真である。『朝日』はそれを「天皇陛下、マックアーサー元帥御訪問」と題して1面トップに掲げた。2日前の27日に昭和天皇はモーニング姿で元帥を米大使館に訪問された。迎えたマッカーサーは開襟の日常服、手を腰に回した悠然たるポーズで新聞写真を撮らせたのである。この写真は後年さまざまな出版物に繰り返し転載されたから、戦後報道写真中で最もよく知られた一枚だろう。日本国民に敗者の悲哀を味あわせたものとして、これを凌ぐ写真はあるまい。 回顧趣味に耽るのをやめて、先を急ごう。欧州での東西冷戦と日本での国内冷戦欧州での東西冷戦と日本での国内冷戦 米国には朝鮮戦争勃発の予感が働いていなかった。それだけにショックが大きく、対日占領政策は徐々にではなく、急激に右旋回した。日本はそれに振り回される。しかし同じころ、もうひとつの敗戦国であるドイツでは事情が違った。ここでは対ドイツ戦勝四国は東西に分かれて対立しはじめてからすでに久しかった。ヒトラーに対して勝利した英国の戦時指導者ウインストン・チャーチルが野党党首として訪米、ヨーロッパの東西の間に「鉄のカーテン」が降りたと有名なフルトン演説を行なったのは、欧州での大戦終結から数えてわずか10ヵ月後のことである。それは冷戦の告知となった。 東西冷戦の主要舞台となったのは、戦勝四国たる米英仏ソが分割占領したドイツである。東欧圏に順次、共産政権を擁立したスターリンは、ソ連占領地帯である東独地域にも類似の親共政権を持ち込んだ。かくて戦時大同盟は雲散霧消し、ドイツは東西冷戦の主戦場となってゆく。その過程を少し辿ってみることは、1940年代後半のわが国の問題を考えるうえで大いに参考になる。 ソ連が占領した東独ではモスクワの命令で、一九四九年秋になると軍隊類似の「待機警察」が設置されていたことが判明する。これが誘い水となり、西独でも軍備是非論が台頭する。1950年6月の朝鮮戦争の勃発よりかなり早い。当時の日本の新聞を繰ってみると、ヨーロッパでの、なかんずくドイツをめぐる冷戦機運については熱心に報道していたことが分かる。 同じ敗戦国たる日本とドイツを比較して気付くのは、欧州ないしドイツでの冷戦は東西両体制間に見られた現象であったのに対し、日本でのそれはいわば国内で戦われたという事実である。日本のこの国内冷戦を戦ったのは第一義的には国会に議席をもつ左右の政治勢力であった。なかで保守陣営では戦時中の因縁もはたらいていくつかの勢力の離合集散が絶えなかったが、左翼陣営の事情はさほど複雑ではなかった。要するに社会党と共産党の二系列があるということで説明がついた。 では報道界ではどうだったか。政党新聞は別として一般の新聞が自紙の党派性を否定するのは当り前のことである。一般読者を対象とするからだ。『朝日新聞』も例外ではなかった。1952年制定で今日なお生きている「綱領」は全体で四項から成っているが、その第一項はこうである。「一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す」。問題は、この綱領が制定された時期である。それは敗戦から7年目、まさに朝鮮戦争がきっかけとなってワシントンでは、軍事的に丸裸の日本を再軍備させるべきではないかとの議論が強まりつつある季節のことだった。『朝日』をはじめ新聞の多くが神経質そうに米国内の日本再軍備必要論をあれこれ報道していた。 それより先、1950年6月下旬には大統領により対日講和問題担当特使に任令されていたジョン・フォスター・ダレスが訪日、マッカーサー元帥との意見調整を始めていた。 まさにその機を捕えて「ダレス顧問に訴える」と題する社説が『朝日』に掲載された(6月25日付)。同紙はいう。 敗戦日本は完全に非武装化された。その日本の安全保障の方式としては国連に委ねる道もあれば、国連に代る「連合諸国」による保障など、いくつか考えられる。そのすべてが検討されるべきであるが、その結果としての選択を知りたい。それが示される場合、「日本が戦後決意しかつ連合諸国が希望して来たこの完全非武装の国は、はじめてその生き得る道を見出すことができる。それとは反対に、非武装地帯が、例えばある一国との盟約による武装によって守られるならば、事態は全く別の方向に走り出すであろう。我々はその意味で、この『完全非武装国の国際規約』の設定こそ、日本問題の解決のカギであることを唱道してきた」。『朝日』の願望表明はなお続く。「我々は、米国のもつ国際正義と高き理想主義が、何よりもまずこれをもって対日講和の第一原理として、連合諸国に呼びかけることを真剣に希望したい。我々は、それがまた、当面の東西緊張に緩和をもたらす一契機となることを疑わないのである」。 要するに『朝日』は、日本に引き続き非武装国家の道を歩み続けさせてほしいと訴えたのである。ひいてはそれが東西冷戦を緩和する一助になるのだから、との論理だった。各界からのダレス特使に向けられた要望は多種多彩であった。新聞各紙もさまざまな期待や注文を表明していた。しかし、「非武装国家の道を引続き歩ませてほしい」と要望したのは『朝日』一紙であった。 この社説は、「中立」を選ばせてほしいとは述べていなかった。もし「非武装」に加えて「中立」願望までもが表明されていたならば、それは当時の日本社会党内の左派勢力の声そのものだったはずである。その後の歩みを眺めるならば、社会党左派的な「非武装中立」論がいかに現実感覚を欠いていたかは明白だった。が、『朝日』もそれに劣らず非現実的な希望的観測に身を委ねていた。事実の規範性事実の規範性 1950年7月8日、マッカーサー元帥は吉田首相に書簡を送った。いわゆる警察予備隊の設置を命じるものである。『朝日』は即刻号外を出した。全文は以下のとおり。 国警七萬五千増員/マ元帥 吉田首相へ書簡 マックアーサー元帥は八日朝、吉田首相に書簡を送り国内警察力および海上警備力の充実を指令し、日本に国家警察予備隊約七万五千を設けることを許可した。なお現在の日本の警官総数は十二万五千名で、そのうち国家警察官は三万名である。 念のために言うと、この号外は縮刷版には収録されていない。正規の紙面ではなく号外だからである。私は通常、縮刷版を活用するが、念のためにデータベースを検索していてこの号外を発見した。驚いた。そこには「…を許可した」とあるが、本当の意味合いは「…を命じた」にほかならない。それにしても警察予備隊設置命令が号外扱いで報じられた事実は、それが如何に大ニュースであったかを雄弁に物語っている。 蜂の巣をつついたような騒ぎがはじまった。喧騒をきわめた新聞報道を紹介するかわりに、その後の経過をここでは昭和三六年に防衛庁から刊行された大部の「自衛隊十年史」に語らせよう。その冒頭「第一節 警察予備隊の創設準備」は、こう始まっている。総司令部を出るマッカーサー=1950年10月「二五年七月八日マ元帥の書簡を受領した政府は、この機会をとらえて早急にその実現を図ることとし、(中略)新しく設置される警察予備隊の性格が明らかでないこと、ことに従来の警察との関係についての疑問点を中心に、政府の意見を具して総司令部側と数回にわたって協議を重ね、その意向を十分に確かめた」(傍点引用者)。 傍点個所は意味深長である。不意討ちをくらった世間では号外騒ぎがもち上がっていたが、政府は待ってましたとばかり、「この機会をとらえ」たのだった。突発した朝鮮戦争で在日米軍が韓国へ派遣されたため、日本政府は治安の悪化を懸念し、警察力の増員を求めてGHQに打診していた。ところがマッカーサー元帥が命じてきたのは普通の警察力増強ではなかった。しかもその数たるや7万5000! 政府は度重ねて総司令部と協議、その結果、警察予備隊は従来の警察とは異なり、全組織が総理大臣直属の警官隊であること、またその使命は必要に応じ随時随所に出動し、治安確保のため重点的に運用されるものであることなどを確認した。自分たちが望んだものとはあまりにも違う。政府は喜んでいいのか、悲しんでいいのか。 これが、警察予備隊誕生にまつわる秘話である。ほどなく隊員募集が始まる。全国津々浦々に隊員募集のポスターが張り出される。そこには「平和日本はあなたを求めている」とのキャッチフレーズの下に鳩が羽ばたいていた。応募者採用試験は8月17日に全国一斉に行われたが、「募集期間がきわめて短期間であったにもかかわらず、予想以上の志願者が殺到した。すなわち、第一日においてすでに採用者の半数に近い応募者があり、締切当日には七万五〇〇〇人に対し約五倍にのぼる三八万二〇〇三名の応募者があった」(先掲「自衛隊十年史」)。『朝日』とてこの好評に目をつむることはできない。募集開始の2日後、「予備隊員の選考に慎重なれ」との社説が掲げられた。その出だしの一文はこうである。「警察予備隊の応募状況はすこぶる好評で、すでに二十万を突破し、全国各管区では第一次採用試験が始まっている」。なのに慎重な選考が必要だとはどういうわけか。ここで憲法九条が登場してくる。いわく、「終戦後、陸海空全軍隊が解体され、新憲法第九條に『陸海空その他の戦力は、これを保持しない』と宣言している建前からいって、日本が今日陸海空の軍備を保有しえないことはいうまでもない。」 募集を始めてはみたものの、志願者は少ないだろうと『朝日』は読みたかったらしい。ところが、結果は逆だった。事実の規範性が教えるところ、日本社会は警察予備隊員募集を歓迎したのである。それでも同紙はまだ半信半疑だったとみえる。右の社説掲載からほどなく、9月20日の紙面には「講和條約をどう思う?」と題して世論調査結果が発表された。そこに表われた国民の反応を『朝日』は信じたくなかっただろう。「日本も講和条約ができて独立国になったのだから、自分の力で自分の国を守るために、軍隊を作らねばならぬ」という意見があります。――そう前置をして、回答を求めた。結果はこうであった。 賛成    71% 反対    16% わからない 13% また、「もし軍隊をつくるとしたらあなたは志願兵制度と徴兵制度のどちらがよいと思われますか?」との設問もあった。志願兵制をよしとする声は五五%、徴兵制がよいとの答は二四%だった。ここでも軍配がどちらに上げられていたかは明白である。国民の大半が警察予備隊の発足を是認し、それが志願兵制であるべきだと考えていることは、疑いの余地がなかった。朝鮮戦争勃発後の日本国民の不安心理を『朝日』は完全に読み誤まっていたのである。これが最初のボタンのかけ違えだった。そのため、後年に高い授業料を払わされることになる。 しかし、ことあるごと読者にお説教したがるこの新聞は、他面で当時の全能者ともいうべきマッカーサー元帥に対しては信じ難いほど従順であった。同元帥は誇り高く、かつ野心的な将軍だった。やがてそれが仇となり、朝鮮戦争をどう進めるかでこの政治的軍人はトルーマン大統領と衝突する。それが原因で解任される。させ・まさもり 昭和9(1934)年、大連生まれ。東大大学院国際関係論専攻修士課程修了。ベルリン自由大学に留学後、東大教養学部助手、成蹊大助教授をへて防衛大学校教授。著書に『虚報はこうしてつくられた――核情報をめぐる虚と実』(力富書房)、『むしろ素人の方がよい――防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換』(新潮選書)など多数。産経新聞社「国民の憲法」起草委員会委員。

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    立憲主義を破壊する…わけがない解釈変更

    えき・けいし 昭和24(1949)年生まれ。東大大学院経済学研究科博士課程単位取得。関連記事■ 左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか■ 政治学者が考える憲法論議 政争の具ではいけない■ 文官が総理より偉い? 懲りずに安倍政権を中傷するメディア

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    集団的自衛権閣議決定 NHKの放送時間は政府側の言動に偏重

     NHKは、5月30日、中谷元・防衛相がシンガポールで開かれたアジア安全保障会議で南沙諸島の埋め立てなど海洋進出を活発化させている中国を批判する演説を行ない、カーター米国防長官が同調したことを時間をかけて報じ、「政府の進める安保法制を実現することが重要」と印象づけた。 しかし、同会議の基調演説では、開催国であるシンガポールのリー・シェンロン首相が「日中韓は戦争の過去を乗り越える必要がある」と厳しい注文をつけ、特に日本に対しては「過去の過ちを認識し、国民は右翼学者や政治家の極端な歴史解釈を拒否すべき」「慰安婦や南京事件に対する態度がはっきりしない」などと述べた。衆院平和安全法制特別委員会で書類を見ながら話し込む安倍晋三首相(右)と中谷元防衛相 そうしたアジア諸国の安倍政権への批判的な見方もしっかり伝えてこそ不偏不党の報道姿勢のはずだが、NHKは政権に都合の悪い話を完全に無視したのである。 NHK報道の偏向を計量的に分析した人物がいる。元NHKディレクターの戸崎賢二氏は昨年7月に政府が集団的自衛権行使を閣議決定するまでの『ニュースウオッチ9』を分析し、首相や政府側の言動が放送時間(167分)の約7割を占め、反対派の市民や識者の言動はわずか77秒しか報じられなかったと指摘した。戸崎氏が語る。「今のNHKは安倍首相の失点になる報道はカットする傾向が一段と強まっている。ヤジ問題以外にも、首相は共産党との党首討論でポツダム宣言について質問され、『つまびらかに読んではおりません』と答弁した。日本のリーダーが戦争責任を語るときにポツダム宣言をよく読んでいないというのは相当な問題発言だが、当日の『ニュースウオッチ9』ではそれも取り上げなかった」

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    アベさまのNHKへ変質か 首相の「早く質問しろよ」ヤジ黙殺

    のニュースヘッドラインをチェックしている」(官邸筋)といわれる。 政府スポークスマンとして世の動きやメディアがどんなニュースを重視するかを見るのは当然だろうが、実際は安保法制をめぐるNHKの忠犬ぶりに朝からテンションが上がって仕方ないのだろう。 国民の受信料で運営される「みなさまのNHK」の報道が、“アベさまのNHK”へと変質している。5月26日の衆院本会議の安保法制の代表質問をテレビ中継せずに批判されたのは序ノ口だった。衆院平和安全法制特別委で、民主党の辻元清美氏の質問中にやじを飛ばす安倍首相=5月28日午後 安保法制の国会審議が本格化した5月28日と29日、『おはよう日本』に不思議な報道があった。国会では連日論戦が行なわれているのに、最新の質疑の映像を使わず2日間とも同じ映像を使って安保法制の“ニュース”を流したのだ。 1日目(28日朝)は〈「後方支援」国会審議の焦点に〉のヘッドラインで、政府が周辺事態法を重要影響事態法に改正し、自衛隊による後方支援について地理的制約をなくそうとしていることを報じた。使われたのは前日(27日)の岡田克也・民主党代表の質問映像だ。岡田「もっと近くまで行ってやりたいのだけど、できなかったという意味なのか。だから『非戦闘地域』という概念を取り外し、現に戦闘が行なわれていない地域であればできるように変えたということか」安倍「現実の安全保障環境に即した合理的かつ柔軟な仕組みに整理し直した。活動に参加する自衛隊員のリスクを高めることは考えていない」──という論戦を報じた。 ところが、翌日(29日朝)の同番組でも〈安保法制 対立点浮き彫りに〉と題し、「おととい」というクレジット入りで同じ27日の岡田氏と安倍晋三・首相の質疑応答を流し、「対立点が浮き彫りになってきた」と“再放送”したのである。NHKは「28日」の国会質疑をスルーした。なぜか。 その日に起きたのが、安倍首相が辻元清美・民主党代議士に「早く質問しろよ!」とヤジを飛ばして国会が紛糾した“総理の品格”事件だった。 民放は当日のうちに首相のヤジを報じたが、NHKは当日夜の『ニュース7』『ニュースウオッチ9』で黙殺したうえ、翌朝はわざわざ古い映像を使って首相の失点を隠蔽したのである。 しかも、この日の安保法制のヘッドラインの順番は、「今いくよさん死去」より下に置かれ、「視聴者に安保法制の国会紛糾に関心を持たせたくない」と思っているような構成だった。 NHKが首相のヤジをようやく報じたのは29日に国会審議がストップしてからだ。さすがにその原因を報じないわけにはいかなくなったためだが、ヤジについては谷垣禎一・自民党幹事長の「挑発上手な人もいるので、挑発に乗らないように」という発言でしっかりフォローした。 一方で、国会で首相が非を認めて謝罪(6月1日)したことは当日の『ニュース7』でも、翌朝の『おはよう日本』でも報じなかった。視聴者の中には野党に非があると思い込んだ人もいただろう。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ【1/2】「集団的自衛権」■ 安保法案 官邸が想定する強行採決タイムリミットは6月19日■ 憲法改正へ向け安倍ブレーンが「公明党との連立解消」進言か■ 安保法案 成立の最大の障害は中谷防衛相の存在と官邸は懸念■ 防衛大卒業生25人が任官拒否 安保法制によるリスクも影響か

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    フジテレビ、低視聴率の苦悩

    かつて視聴率三冠王の名を欲しいままにしたフジテレビの視聴率低下に歯止めがかからない。その原因は何なのか? 元フジテレビ解説委員の安倍宏行氏が「古巣」復活のカギを探る。

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    『フジテレビの視聴率低下は「8チャンネル」のせい』論を考察する

    った3つの理由■ 植村隆君、木村伊量君のようなやり方はいい加減やめなさい■ あの日を境に変わった私のメディア認識

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    テレビ番組の現場スタッフがBPOを過剰に恐れる理由

     政権、スポンサー、芸能事務所など、テレビ局はさまざまなタブーに配慮し、その顔色を窺いながら番組づくりを行っている。そのなかでも、現場の番組スタッフたちがいま、一番恐れているのは何か。 彼らの多くは「BPO」だと口を揃える。名前だけはよく聞くこの組織、一体なぜそんなに恐れられているのか。 BPO(放送倫理・番組向上機構)は、NHKと民放各社からなる民放連(日本民間放送連盟)が出資して2003年にできた任意団体で、「放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、自主的に、独立した第三者の立場から迅速・的確に対応し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的」(BPO規約第3条)としている。NHK「クローズアップ現代」の問題で、BPOへの申し立て後に記者会見する男性(手前)=4月21日午後、大阪市 視聴者からの苦情や、取材対象者らによる人権侵害の申し立てをもとに、それぞれ10人程度の有識者からなる3つの委員会で番組について検証を行い、意見や要望などを通達する。ただし、これらには強制力がなく、テレビ局がそれをもとに独自に判断するだけだ。 しかし、このBPOをいま、テレビ局は過剰なまでに気にしているという。キー局の情報番組スタッフはこう話す。「BPOは検証のうえで『問題なし』とするケースも多いんですが、番組側は『BPOに申し立て』というニュースが報じられること自体を気にするようになっています。 ワイドショーや情報番組は主婦層がメインの視聴者になるので、スポンサーも保険会社や洗剤、化粧品などイメージ重視の企業が多い。そういった会社は、実は視聴率よりも番組イメージのほうにうるさい。『BPOに申し立て』と報じられると、それだけで番組イメージが損なわれるので、スポンサーが嫌がるんです。しばらく経って『問題なし』という結果だったとしても、それは新聞には小さくしか載りませんから。 だから、いまは『速報よりもウラ取り』が合言葉になっていて、視聴率が取れるスクープネタよりも、BPOで問題にされないように確実にウラ取りができる安全なネタが優先されるわけです」 テレビでは、BPOで審議されないように、先回りして問題になりそうな表現や演出を自主規制することが増えている。『ガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)がBPOで審議入りした際、ダウンタウンの松本人志は、「規制がなかったらアカンとは思うが、サービス精神からちょっとはみ出してしまうことをなしにしてしまうと、テレビは毒にも薬にもならなくなる」と危機感を示した。 ワイドショーのスタッフはこう言う。「ゴーストライター問題を起こした佐村河内守さんが、自身をネタにした『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)についてBPOに人権侵害を申し立てたり、女子中学生とLINEして問題になった大阪府議が、『スッキリ!!』(日本テレビ系)でテリー伊藤に『キモい』と言われたことに申し立てしたり、批判される側がBPOを使ってそれを止めようとする傾向があり、番組側もそれを少なからず気にして歯止めをかけてしまいます」関連記事■フジTV・安藤優子の降板説広がる理由 夫の人事異動も関係か■フジ『グッディ』低迷 『ミヤネ屋』関係者笑い安藤降板説も■マスコミが騒ぎすぎなニュース1位■大河『花燃ゆ』 3人脚本家体制で主人公キャラ毎回変わる迷走■TV局トップが安倍氏と会食の理由 面倒臭いから付き合うだけ

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    「視聴率が取れないテレビ番組」でも放送される理由

    、明日の朝、考えることにしよう。・・・そんな毎日を繰り返しているテレビマンは筆者だけではあるまい。(メディアゴンより転載)関連記事■ 当たり前のことを言える時代 風向き変わり萎縮する左派言論人■ 古賀さんの降板に私が「もったいない」とつぶやいた理由■ 地方紙はローカルニュースだけでよい