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    NHKに日本人はいるのか? 歴史を直視しない公共放送なんていらない

    小名木善行(国史研究家) NHKの戦争史観の偏向が問題になっています。NHKの持つかつての日本の戦争に関するレトリックは明快です。戦争に反対である、日本は侵略国だった、日本は悪いことをした、ということです。私も戦争には反対です。二度とあってはならないと思います。けれど戦争は相手があって起きることです。日本だけが一方的に戦争を回避しようとしても、相手が攻めてきたら戦わざるをえないのです。そうでなければもっと大きな悲劇に襲われることになるからです。東京・渋谷のNHK放送センターにあるNHKのロゴマーク 支那事変の時に「通州事件」という事件がありました。北京郊外にある通州市で、日本人居留民233名が、おそらく人類史上類例のないほどの残虐な方法で殺されました。通州は、北京郊外18キロにある、明朝時代に築かれた静かな街で、天津からの集荷の拠点として、事件直前までは日本人にとっても、中国人にとっても治安の良い街でした。そこには親日派とされる中国軍閥の冀東防共自治政府の兵たちも守備にあたっていました。この自治政府の長官の殷汝耕は日本人を妻にしていて、自治政府軍は約9000名の保安隊を組織していました。 昭和12(1937)年7月29日、通州にいた日本人380名に、いきなりこの軍が襲いかかりました。日本人は、男性が110名、残りは婦女子です。保安隊は自分たちのボスである殷汝耕を拘束し、日本人居留民への虐殺を開始しました。そして日本人223名が虐殺されました。 この事件について、東京裁判における証言があります。そのまま掲載します. ・救援のため通州に急行した、支那駐屯歩兵第二連隊長萱島高中将の供述「旭軒(飲食店)では40から17、8歳までの女7、8人が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5人は陰部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」 ・支那駐屯歩兵第二連隊歩兵砲中隊長代理、桂鎮雄元少佐の供述 「錦水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの死体があり、全部もがいて死んだようだった」 「折り重なって死んでいたが、一名だけは局部を露出し上向きになっていた。帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた。子供は手の指を揃えて切断されていた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」残虐な通州事件は仕組まれた犯行 ・支那駐屯歩兵第二連隊小隊長、桜井文雄元少佐の供述 「守備隊の東門を出ると、ほとんど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、一同悲憤の極みに達した。『日本人はいないか?』と連呼しながら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老女、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体がそこここのゴミばこの中や壕の中から続々出てきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた」 「婦人という婦人は14、5歳以上はことごとく強姦されており、全く見るに忍びなかった。旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部にほうきを押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家6人数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した」 悪鬼も目をそむける惨たらしい所業ですが、その後の調べで、襲撃した連中は襲撃対象の日本人居宅を、あらかじめリストアップしていたことが分かっています。通州事件は、仕組まれた計画的な犯行だったのです。 通州での殺戮と略奪は、まる一日続けられましたが、ひとつだけ、涙なくしては語れない物語があります。ある人が、便槽に隠れていると、外で日本人の男性の声がしたのだそうです。その声は、日本語でこう叫んでいました。「日本人は隠れろ! 日本人は誰も出てくるな! 日本人は逃げろ〜っ!」必死の叫び声だったそうです。そして、ズドンという銃声。以降その声は聞こえなくなりました。中国兵に引きずられながら、その日本人男性は、最期の瞬間まで、自分のことではなく、ほかの日本人の心配をしていたのです。 だから「助けてくれ〜!」じゃなかったのです。「日本人は逃げろ〜!」だったのです。 このような事件が起こった場合、徹底的な報復と賠償を求めるというのが世界の常識です。4千名の居留民が襲われ、ほぼ無傷で全員が助かった義和団事件でさえ、当時の清朝政府の年間予算をはるかに上回る賠償請求がなされたのです。では当時の日本政府は、通州事件の後、いったいどのような要求をしたのでしょうか。実は事件後、日頃は仲の決して良くないといわれる陸軍省と海軍省の意見が一致し、内閣満場一致で決めた対策があります。それが「船津工作」です。戦いで屈服させる文化のない日本 日本の民間人で、中国からの信頼の厚い元外交官の実業家であり紡績業組合の理事長をしていた船津辰一郎を通じて、蒋介石側に和平を働きかけるというものでした。その内容は、それまでの中国側の言い分を、日本にとって不利益なこともふくめて全部丸呑みするから争いをやめようというものでした。そうなれば中国側には、これ以上、日本と争う理由がなくなります。あれだけひどい惨事となった通州事件についてさえ、日本はいっさいの賠償請求をしないというのです。日本は平和のために、そこまで譲歩したのです。蒋介石(左) 日本と中国国民党は同年8月9日に上海で、船津工作に基づく現地停戦協定を結ぶことになりました。そして、いよいよその協定締結のその日の朝、上海で起こったのが、大山中尉虐殺事件です。この事件は海軍上海陸戦隊の大山勇夫中尉が車で走行中に、中国の保安隊に包囲され、機関銃で撃たれて殺されたものですが、実はそれだけではなく、射殺後、中尉を車外に引きずり出して、頭部を青竜刀でまっ二つに割るという猟奇性も帯びていました。この緊急事態発生によって、当日予定されていた日本と国民党との和平会談はご破算になります。 事件はそれだけにとどまりませんでした。その一週間後には、日本への帰国避難のために上海に集結していた約3万の武器を持たない日本人民間人に、中国側は5万の精鋭兵をさしむけてこれを包囲全滅させようとしたのです。このときの日本側の守備隊は、海軍陸戦隊のわずか2200名です。 話し合っても解決しない。でも戦争はしたくない。ではどうしたら良いのでしょうか。おそらく日本人は、誰も答えられません。なぜなら日本には、そもそも戦って相手を屈服させ服従させるという文化がないからです。 身近な例で説明してみます。仮に家の車庫の前に、お隣の旦那さんが勝手にクルマを停めてしまったとします。これではクルマを出したいのに出すことができません。そんなときみなさんなら、どうされるでしょうか。おそらくお隣さんの玄関のチャイムを鳴らして、次のように言うのではないでしょうか。「すみません。クルマを出したいので、停めてあるお車をどけていただけないでしょうか?」NHKは歴史を直視していると言えるか なんと迷惑をかけられたほうが謝り、お願いをしています。諸外国では考えられないことです。もっというなら、多くの場合、自分の家のクルマを動かす必要が出るまで、お隣さんのクルマを放置します。つまり我慢するのです。 そしてどうしようもなくなったとき(クルマを車庫から出さなくてはならなくなったとき)になると、そこではじめてお隣さんに、なんと「謝罪とお願い」に行くのです。これが日本人です。 どうして日本人はそのようなことをするのでしょうか。迷惑をかけているのは相手なのです。大きなハンマーを持ち出して、「おーい、出てこい。出てきてこのクルマをどかしなさい。 さもなくば、このハンマーでたたき壊すぞ!」ということは、まずしません。このことを、単純に図式化してみると、実におもしろい対比となります(諸外国: 問題が起きる→話し合う→戦う(争う)、日本人: 問題が起きる→我慢する→謝罪する)。 どうして日本人が、そのような行動をとるかといえば、答えは簡単です。日本人は、どこまでも「和」を大切にしようとするからです。戦えば恨みが残ります。そんな恨みをいつまでも引きずるくらいなら、最初から喧嘩や争いごとなどしないで少々のことは我慢しようと考えます。そもそも問題が起きるのは、「自分に徳がないからなのだ」と思い、それに則した行動をするのが日本人であり日本国です。このことは戦前も戦後も何も変わりません。 こうした日本人の思考や行動を、果たしてNHKの方々は理解しているのでしょうか。歴史を直視しているといえるのでしょうか。戦争が悪かった、いけないことだと繰り返すだけでなく、なぜ日本人が、本当の意味で我慢に我慢を重ねてきたことを描こうとしないのでしょうか。それはただ日本が戦争に負けたからでしょうか。そうだとするならば、それは卑怯であり卑劣です。日本は我慢しました。我慢して我慢してどこまでも我慢して、そしてどうにもならなくなったとき、日本は正々堂々と宣戦布告をし戦いを挑んだのではないでしょうか。 歴史を俯瞰すれば、日本人の「戦」は単なる殺し合いではなく、敵と味方との間に「和」を築くための大きな試練であったといえるのではないでしょうか。敵をただ殺すのではなく、敵も味方も生かそうとする、この形容しがたい精神の奥深さこそ、日本精神の神髄です。それが普通の日本人にとっては、あたりまえの思考であり行動であり、国家としての意思と行動でもあったのです。それがまるで理解できないというのなら、その人は、果たして日本人なのでしょうか。

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    長谷川豊「ブログ舌禍事件」がネットメディアを変える

    藤本貴之(東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者) フリーアナウンサー・長谷川豊氏によるブログ舌禍騒動は、期せずしてネットメディアと既存メディアの関係性の現在を考える上で、最良のケーススタディとなった。 テレビのように、一定の制約を受けている既存メディアに対して、今のところ法規制や業界内規制を持たないネットメディア(個人・法人問わず)には、高い自由度がある。また、作り手を見ても、素人と玄人の線引きも曖昧で、一定の権威と権力を持つ既存メディアが正面切って相手にはしづらい、という雰囲気もある。テレビ大阪の報道番組「ニュース リアル KANSAI」の 金曜メーンキャスターを降板した長谷川豊氏(右) そのような状況が、かつての「深夜放送のようなトンがり」を生み出す一方で、過剰な表現であっても抑止どころか、牽制もできない現状に、規制下におかれたテレビタレントや既存メディア業界が歯がゆい思いをしてきたことも事実である。 その意味では、ネットメディアでの表現が引き金となって、ネット内での批判的盛り上がりから「炎上」し、リアル社会にまで影響を及ぼし、当事者(長谷川氏)のテレビ番組レギュラーの全降板にまで至らせた今回の騒動。これには単なる「舌禍事件」では収まらない意味がある。 少なくとも、これまで野放図だと思われていたネットメディア/ネット民全体に対して、「ネットだと思って好き勝手やっていると、リアル社会でも制裁を喰らうぞ」という牽制にはなったことは間違いない。今回の騒動を契機として、ネットメディアに対する既存のメディアの接し方も変化してゆくはずだ。 この問題を通して考えさせられることは、ネットメディアの現在の立ち位置が果たしてどのようなものであるのか、ということだ。近年、ネットメディアが急激に影響力を伸ばしているとはいえ、それでもなお、既存メディアが持つ規模感や信頼性とは明確な格差がある。そこで本稿では、ネットメディアの現在の立ち位置について、既存メディアとの対比から考えてみたい。ネットメディアと既存メディアの違い ネットメディアと既存のメディアの「違い」とは何か? この問いに対する典型的な回答と言えば、「既存メディアには信頼性があるが、ネットメディアには信頼性がない」というものだろう。 何をもって「既存メディア」を定義するのか、何が「ネットメディア」なのか、については意見が分かれるところであろうが、概ね「既存」の部分にはテレビ(ラジオ)・新聞などが入るはずだ。「ネットメディア」は「ネットコンテンツだけのメディア」という言葉で言い換えることができるだろう。 しかしながら、ネットコンテンツの中には、新聞や雑誌などから同一情報を転載し、配信している場合も多いので、必ずしも「インターネットの情報サイト=ネットメディア」ではない。新聞社のポータルサイトなどは、あくまでも「既存メディアのネット活用」であって、「ネットメディア」とは言い切れないからだ。 逆に、無数に存在しているネットメディアだが、一定規模以上のPV(アクセス数)や影響力を発揮し、それなりの公益性や大衆性、影響力や商業性を持っているものは多くない。ネットメディアを標榜してはいるが、単なる個人サイトの域を出ないものが多数を占める。 一方で、個人ブログなどであっても、月間数百万PV、1000万PVを超えているようなものは、組織的なネットメディアはもとより、既存メディア以上に大きな影響力を持っている。いずれにせよ今日、その定義はもとより、ネットメディアと既存メディアの関係性やパワーバランスは曖昧だ。視聴率1%と40万PVの違い? では既存メディアとネットメディアの「違い」とは何なのだろうか?  例えば、テレビの視聴率とネットのPVを事例に考えてみよう。テレビの個人視聴率1%は約40万人(関東地区)であるとされる。「ながら視聴」や「電源つけてるだけ」の視聴率も含まれるので厳密にはもっと少ないのであろうが、ここではひとまず置いておく。 視聴率1%=40万人という人数を、ネットメディアにおける1日40万PVと置き換えて考えてみよう。1日40万PVという数値は、商業的に運用しているレベルのPV(閲覧数)としては極めて小さい。「話題の個人ブログ」や「ヒット記事1つ分」ぐらいだろう。個人ブログの月間アクセス数が1億PV(日割計算で1日330万PV以上)を超える市川海老蔵氏のようなケースは稀だが、それでも40万という数値はネットメディアの単位で考えれば大きな数字ではない。 それは無名人によるコンテンツであっても例外ではない。作為的な仕込みや扇動的なタイトル付けやネット世論が喜びそうな落としどころを戦略的に設計した記事であれば、1記事だけで1日で100万PV、200万PVを稼ぐことは珍しくはない。これは一度でも商業ネットメディアを運営してみれば誰でもわかることだ。 もちろん、ある程度のメディアの土壌や作り手のテクニックも必要ではあるが、視聴率1%を得る労力に比べれば、40万PVの獲得ははるかにその敷居は低い。 しかしながら、「放送1回=40万人」と「アクセス数1日=40万PV」と数値こそ同じでも、消費者40万人への影響力は大きく異なるので、単純な比較はできない。そもそもテレビには長い間「娯楽の王様」として君臨してきた実績があり、その信頼性や影響力はまだまだ強く、数値以上の「念力」がある。ネットメディアは「一段以上」低い? 例えば、芸能人であれば、「人気サイトで紹介」されるよりも、視聴率が低い番組でも「テレビで紹介」の方を選ぶはずだ。新聞や雑誌などであってもそれは同様だろう。 その一方で、リアルな消費行動への訴求という点では、その関係はいささか変容する。テレビと異なりネットメディアは、視聴する側がわざわざサイトを訪れる必要のある能動的なメディアである。パソコンやスマホをつけただけで「ながら視聴」はできない。少なくとも自らの意思で検索したり、選択することで初めてサイトに到達する。ようはアクセスしている人のほとんどは明確な「読む/見る意思」があるのだ。そのあたりが受動メディアであるテレビとは訴求力が大きく異なる。 単純に考えて、自らの意思で閲覧しているウェブサイトの方が、受動的に視聴する可能性が高いテレビよりも、消費への訴求力が高いと考えられる。しかも、いわゆる「ポチる」というわずか一動作で消費・購入が完了してしまうのだから、消費への手続きもダイレクトだ。 簡易な比較だけでメディア価値を考えるのは早計だ。それでもネットメディアが消費訴求力という点においては効果的で、若者たちのライフスタイルとの親和性の高さも含め、既存メディアから見ても無視できない比較対象になっていることは間違いないのだ。ネットメディアは「一段以上」低い? しかしながら、既存メディアに対してネットメディアが「一段以上」低く扱われる傾向は揺るぎない。危機意識の裏返しでもあるのだろうが、正統メディア/クオリティメディアとしての既存メディアが「石が多め」の玉石混合のネットメディアを同列には扱えない、という風潮は根強い。それは消費者の側でも同様だろう。 その理由としては、そもそもネットメディアが、インターネット以前のパソコン通信時代から存在してきたいわゆる「アングラ掲示板」などに、その起源があるということも大きい。  パソコン通信時代に醸造されたアングラ文化は、1990年代後半以降のインターネット時代に入っても継承された。「あやしいわーるど」「あめぞう」「2ちゃんねる」などの匿名(的な)掲示板群で構成されたアングラサイトが、一定の社会的影響力、いわば「ネット世論」の温床になってきた。そしてそれが、今日のネットメディアの原型にもなっている。そもそもネットメディアは出自が健全ではないのだ。 その潮流は現在でも健在だ。匿名(あるいは個人情報を表明しないアカウント)のTwitterやSNS、ブログなどよって、積極的な個人攻撃や情報拡散に勤しみ、間接的にであれリアル社会へも影響を与える「ネット世論」ないし「ネット検証」の形成を担うユーザーで溢れている。 そればかりではない。記者クラブに入れるわけでもなかった当初のネットメディアが、新聞やテレビなどの一次情報報道を受けた、二次以下のメディアにならざるを得なかったことも要因としては大きい。ようは既存メディアにとって、ネットメディアとはつい最近までミニコミでしかなかったのだ。 しかし、そのような状況や関係も、近年、急激に変化しつつある。ネットメディアが情報源となって、それを受けた新聞やテレビなどの既存メディアが二次コンテンツを制作し、発信するという現象が急増しているからだ。ネット取材を中心にして書かれたと思しき、既存メディアのニュースなどを眼にすることももはや珍しくない。「尖閣ビデオ流出事件」がもたらしたもの テレビ番組の違法コピーを含めた二番煎じ、三番煎じでしかなかったネット動画が、いつの頃からかテレビで番組の中心的なコンテンツとして紹介されたり、ネット動画を題材にして、タレントたちがトークするようなテレビ番組が存在するようになった。 信頼性の薄い「二次以下情報」でしかなかったネットメディアが一次メディア化していった鏑矢と言えば、2010年9月に発生した「尖閣ビデオ流出事件」だろう。尖閣諸島沖で2010年に起きた中国漁船衝突事件で、動画投稿サイト「YouTube」に 当時投稿された事件のビデオとみられる動画 尖閣諸島海域を侵犯した中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきた様子を録画した海上保安庁の映像が、海上保安官によって動画共有サイト「YouTube」にアップロードされ、流出した事件だ。 この事件では全ての既存メディアが「二次以下メディア」であったはずの「YouTube」に掲載された「怪しげなビデオ」をそのまま情報源として、こぞって報じた。自ら動いたわけではない「YouTube」にスクープを独占された形だ。動画共有サイトが一次メディアとして顕在化した瞬間である。 その後も、2014年に起きた小保方晴子氏による「STAP細胞騒動」では、小保方氏の論文の不正や疑惑箇所をネット上で匿名ユーザーたちが解明し、エビデンスを提示するなどしてその疑惑を「確信」へと推し進めた。最終的には論文撤回や小保方氏の理研解雇、ひいては早稲田大学からの博士論文の撤回というリアル社会の権威をも動かす大きな事件となったことは記憶に新しい。 これにより、賛否両論はあるにせよ、ネット世論やネット検証が、リアル社会へも大きな影響を及ぼす存在であること、氷山の一角で騒ぎ立てる「一部の熱心なネット民(ノイジーマイノリティ)」の活動であったとしても、それが無視できない威力を持ちうることが明らかになった。(もちろん、ネット世論に過剰に反応した既存メディアが担った役割も小さくないが) そして、2015年には、「東京五輪エンブレム騒動」が発生し、ネット世論やネット検証が、オリンピックという世界最大の事業の決定をも覆すことになった。 これらの騒動はいずれも、その初動ステージがネットメディアであったという点で共通している。筆者も、「エンブレム騒動」では、デザイン/メディアの専門家として、多くのテレビや新聞といったメディアに出演し、解説・コメントなどをさせてもらったが、騒動の発端となったのも、初期のオピニオンが展開されたのも、ネットメディアであった。 その意味では、ネットメディアが今日、既存メディアを突き動かす程度に、一定の役割と価値を持ちつつあることもまた、揺るぎない事実なのである。ネットメディアは「回転すし」か? 本稿は編集部から『ネットメディアは「回転すし」なのか』をテーマとしてあたえられて書いた原稿である。よって、以上まで論点を踏まえて、このテーマについて筆者の考えを記したい。 『ネットメディアは「回転すし」なのか』とは、いうまでもなく、ネットメディアで展開されるオピニオンは「回転寿司」のような存在であり、一方で、既存のメディアは最高級寿司店「すきやばし次郎」のようなミシュランの星がついたような高級店・クオリティ店ではないのか? といった論点である。 まず、ネットメディアが「回転寿司」であることは否定できない。ただし、最近の「回転寿司」がそうであるように、一言で「回転寿司」と言っても、全て同列に扱えないぐらいクオリティや方向性に違いや差があることに注意が必要だ。「カウンターの寿司屋」と大差がないような「回転寿司」(あるいはその逆)もある。ようは一言で「回転寿司」をまとめることができないのと同じように、「ネットメディア」も一つにまとめることができない。「ネットメディア=回転寿司」だとしても、そこは必ずしも一様ではない、というわけだ。 次に、「既存メディア=ミシュラン高級店」についてだが、これは疑わしい。 我が国最高峰の寿司店である「すきやばし次郎」では、「回転寿司」で使われるような安価のネタやサービスは出さない。ここには超えがたい壁がある。「それなりに良いネタを出すカウンター店と同等の回転寿司」が存在することは事実だが、ミシュラン高級店と呼ばれるレベルのネタやサービス、技術を出す「回転寿司」は間違いなく存在しない。 おそらく、「回転寿司」程度のネタやサービスしか出せない状況であれば、「すきやばし次郎」は店を休むだろうから、過去にだって一度も出したことはないはずだ。 さて、それを踏まえて「既存メディア=ミシュラン高級店」を考えてみよう。 現在、既存メディアでは多くの場面で、ネット発の情報が利用されている。むしろ、一次情報となっている事例すら散見される。つまり、現在の既存メディアは、ネットメディアからの情報を、怪しみながらも「それなりに」利用しているのが実情だ。 つまり、現在の既存メディアは「回転寿司のネタ=ネット情報」をごく普通に利用していることになる。時にはそれを「今日のオススメ」の中に入れてさえいる。もしこれが「すきやばし次郎」なら、翌年からはミシュランガイドからは外されるだろう。 そう考えると、回転寿司(ネットメディア)のネタ(コンテンツ)を利用している寿司屋(メディア)は、絶対に「すきやばし次郎=ミシュラン高級店」ではない、ということになる。 結論から言えば、ネットメディアは「回転寿司」で既存メディアが「すきやばし次郎」という発想は、間違えている、というのが筆者の認識だ。なぜなら今日の既存メディアが決して「すきやばし次郎」になりえていないからである。 だからといってネットメディアの可能性ばかりを賛美したり、既存メディアへの脅威論に直結させる、といった短絡的な思考にも到底なれない。既存メディアは「すきやばし次郎」でこそないが、それなりに財布と相談しながら行くべき店であることは間違いないからだ。それ以上に、程度の差こそあれ、ネットメディアとその業界が抱えている課題・問題は大きい。 メディアが多様化し、ネットメディアが情報源、世論形成の一角を担うようになりつつある。しかしながら、ネットメディアが持つ課題や暗部は、その役割向上に比例して解消されているとは言い難いのも事実。一方で、「安いネタ(=ネット)」に依存したメディア作りが、既存メディアをミシュランガイド掲載から陥落させてしまうような現状も否定できない。 既存メディアとネットメディアの関係性を対比しつつ眺めてみると、その現状が日本の健全なメディアの発展・維持にとっては危機的な状況であるような気がしてならない。参考書籍:拙著「だからデザイナーは炎上する」(中公新書ラクレ)

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    ネットメディアは今も「回転ずし」なのか

    「ネットメディアはしょせん回転ずしみたいなもの」。そう思っている人も案外多いのではないだろうか。新聞や雑誌、テレビと比較すると、どうしても格下扱いされがちだが、なぜネットメディアはいまだ「すきやばし次郎」になれないのか。iRONNA編集部が自戒を込めて、あえてこのテーマをお届けする。

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    ネットメディアは今も紙より「格下」のままなのか

    が書いたブログをRSSを使って自動転載していたために、これが大問題を引き起こしたりと、いわゆるネットメディアの杜撰さが指摘されて久しいのである。このような「ネットの体たらく」が明るみになればなるほど「紙」は相対的に価値が上がり、珍重されていくわけだが、そう手放しで紙礼賛ばかりしてはいられないのである。 書店やコンビニに行くと「えっ、なんなんだこの本は…」とギョッとするような「紙」が平然と出回っている。しかも平積みである。やたらとQ数(文字の大きさ)がでかく、天地の余白を大きくとって、少ない文字数でページを稼いでいる本。スッカスカのからっからで「本」と名乗っているのだから片腹痛い。 そればかりか内容的にもギョッとなるような本が多い。ネット番組や動画で喋ったものを纏めただけの本や、あるいは今どき並の大学一年生でも信用しないようなトンデモ・陰謀論の類が繁茂している。あろうことか、言論人を名乗っているのにも関わらず、あからさまにテープ起こしに頼った本。評論と見せかけて全部対談で埋めている本。そもそもの事実が違っている本。装丁や帯だけはやたらと気合が入っているがその主張は素人水準未満の本…。これならコミケにでている自家製本の同人誌のほうがよほど良いのではないか。「紙」がネットよりも一等格が上、と思い込んでいるばかりに、このような紙媒体の質の低下は余計に目立つのである。「ネットよりも紙」は過去のもの?「ネットより紙」は過去のもの? 出版(紙)市場がもっとも拡大した90年代中盤、一年間における書籍の刊行点数は約6万点であったが、その後、市場が縮小傾向にもかかわらず現在の書籍刊行点数はぐっと増え、年間8万点を超えるとされている。単純計算でおよそ1.3~1.4倍に増加している。一方、出版社数は同最盛期には約4500社を数えたが、現在では淘汰され約3500社程度とされる。つまり出版社1社あたりが刊行する「紙」の量が激増しているのである。書籍市場が漸減を続ける中、編集者の数が変わらないとすれば、明らかに20年前のピーク時よりも、編集者一人が担当する紙の量は多くなっている。短納期・粗製乱造が横行し、質の低下はもちろん、誤字・脱字のミスおよび事実関係の確認不徹底が頻発するのはこのような原因があろう。 このように考えると、あながちネットよりも紙のほうが一等上である、というのはすでに過去のものになりつつあるのかもしれない。すでに新聞紙面では、紙幅の都合上紙で載せられない内容をデジタル版で増補するなど、積極的なネット活用に転じている。質の低下や「事故」が相次ぐネットメディアでも、一部を除いて編集体制が確立されている媒体では、執筆者の選定の段階から慎重さを以って運用し、質低下の問題はそこまで見られない。媒体が何であれ、短納期・粗製乱造を行えば、ネットも紙も同じように腐敗・劣化が進行していくのは世の理。紙とネットどちらが上か下かという問題よりも、良質のコンテンツを世に問う矜持と体制さえととのっていれば、もはやその両者に優劣のない時代がやってきているのであろう。  とはいえ、最近のネットメディアの体たらくにはやはり辟易とする。「タレントの〇〇がテレビで××といった」「女優の〇〇がブログで▽▽と書いた」。こういう内容が平気で「ネットニュース」と呼ばれて出回っている。それは単にテレビやブログの内容をまとめたもの、あるいは「書き起こし」であって、到底ニュースとは呼ばない。一時期、覚醒剤事案で逮捕され、入院していた某有名野球選手が病院前に詰め掛けた報道陣に振る舞った弁当のオカズの内容が記事になっていて、脳が破裂しそうになった。何でもかんでもネットに文字をばら撒けば良いという風潮には反対である。そしてその風潮は、紙幅の関係で上限がある紙よりも、実質的に上限がないがゆえにどんな内容でも「ぶっ込」めるネットメディアの方がより顕著である。供給量無視で膨張するネット供給量無視で膨張するネット 大量生産・粗製乱造は必ず事故を生む。ネットの普及とスマホの皆普及によって読み手の人口は増加したが、さりとて書き手の絶対数が増加したわけではないし、技量のある書き手がどんどん輩出されているわけではない。先の大戦でベテランパイロットは常に少数であり、またそのベテランの育成には長い時間と投資が必要であった。当然これは現代でも同じだが、事ほどさように読み手の拡大と書き手の熟練は比例していない。供給量には限りがあるのであり、この供給量を無視してどこまでも拡大していこうとする膨張路線が、ときおり「炎上」といったネットメディアやネットメディアに転載されるブログの中から頻出する。 ときおり煽情的で興味をそそられるタイトルの記事があっても「続きは有料会員のみ…」などとやりだすと、途端に幻滅する。たいていの場合、この手の記事は竜頭蛇尾であり、有料会員誘導のための集客第一となり、やがて記事を書く目的がオピニオンや表現ではなく、会員獲得そのものとなって目的と手段が逆転していく。ネットメディアをカネにすることは至難の業であるが、最初っからカネありきのこうした記事群も、短納期・粗製乱造の一因であろう。なぜなら煽情的でヴィヴィットな記事を提供し続けない限り、獲得した有料会員を維持できないからだ。供給量を絞れば少しは改善されようが、なまじネットは見かけ上の供給量に上限がないからこのように血眼になる。 結句のところ、紙もネットも甲乙つけがたいが、この両者に言いたいことは次の一言である。「毎日毎日、そんなに読めないよ!」。

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    カラパゴスすぎるネットメディア「みんなそろってバカになる?」

    山田順(ジャーナリスト) ネットメディアが登場してから今日まで、さまざまなことが言われてきた。ただし、言われてきたことのほとんどはネット先進国アメリカの受け売りで、日本の現状には全く適していない。なぜなら、日本のネットメディア環境は、世界と比較するとあまりにも特殊、つまり「ガラパゴス」すぎるからだ。 今回は、主にネットのニュースメディアについて考察するが、日本は完全なガラパゴス状態にある。日本人は、ネット世界を日本語でしかサーフィンしないから気がつかないが、多くの先進国では多種多様なニュースメディアが育っていて、それなりに共存している。ところが日本では、ほぼ一つのニュースメディアしかないような状態が続いている。 ずばり言うと、「Yahoo!(ヤフー)」しかない。ネットメディアはYahoo!の1人勝ちになっている。それ以外のニュースメディアは、ほとんど存在感がないと言っていい。米カリフォルニア州の米ヤフー本社 一般的にニュースと言えば、新聞、テレビだが、「朝日」「日経」「産経」などの新聞社のオンラインサイト、「NHK」「日テレ」などのテレビ局のオンラインサイトが束になってもYahoo!にはかなわない。しかも、ネットユーザーは、この状況になんの疑問も感じていないようなのである。 いまやスマホ全盛時代だが、スマホ使用者の5割以上が、ニュースを知ろうとするときにアクセスするのはYahoo!である。つまり、日本のネットではYahoo!によってニュースが独占的に流されているのだ。 この状況は、今年の6月に公開されたロイターの「デジタル・ニュース・レポート」(2016年版)の調査にはっきりと現れている。このレポートはネットで閲覧できるので、興味のある方はぜひ見てほしい。 このレポートで、ネットユーザーが主に利用している「オンライン・ニュース・ブランド」を国別に見ると、日本では断トツでYahoo!になっている。「Yahoo」は週間利用で59%、メインソースとして利用で49%となっていて、2位の「NHKオンライン」(同16%、同5%)、3位の「日経オンライン」(同13%、同4%)を大きく引き離している。 ところが、アメリカでは、多くのニュースメディアがネットで共存しいて、抜けたメディアはない。1位は「Yahoo News」(週間利用28%、メインソースとして利用12%)だが、2位にはオンラインメディアの「ハフィントンポスト」(同25%、同6%)、3位には「FOXニュース・オンライン」(同22%、同10%)が入っていて、その差はそれほど開いていない。既存メディアの「CNN」(同21%、同6%)や「NYタイムズ」(同14%、同2%)なども健闘している。これは、アメリカだけではなく、欧州諸国もまた同じである。つまり、Yahoo!だけが突出しすぎている日本の状況は異常と言わざるをえない。エンタメ、スポーツが好きな日本人エンタメ、スポーツが好きな日本人 ネットメディアの世界では、当初から「多様性」や「双方向性」ということが価値を持つとされてきた。これまで既存メディアが独占してきた情報空間が、ネットメディアの登場で活性化するとされてきた。メディアが多様化することで、新しいニュースが発掘され、異質な意見や少数意見がいままで以上に取り上げられる。それによって、人々の選択肢が広がることがいいことだとされてきた。 しかし、なぜか日本はそうはならなかった。既存メディアのオンラインサイトは育たず、新しく登場したニュースメディアも成功した例はほとんどない。かつて市民参加型をうたった「JanJan」や「オーマイニュース」などの試みはいずれも失敗し、本格的なニュースメディアを目指した「J-CASTニュース」なども、結局、既存メディアの後追い記事しか発信できていない。 スマホ時代になるとともに登場した「グノシー」「スマートニュース」「NewsPicks」なども、いまだに単なるアグリゲーターのままで、なにか新しい価値を生み出しているだろうか? ここで、再度ロイターの「デジタル・ニュース・レポート」を見ると、日本のガラパゴスぶりがもう一つあることに気がつく。それは、ネットユーザーの嗜好が「ソフトニュース」に偏っていることだ。「どのニューストピックスにどの程度関心を寄せているか」という調査では、調査26カ国中、日本がもっとも「ハードニュース」のニーズが低い。「ハードニュース」というのは国際、政治、ビジネス・経済などで、これらはニュース報道の主力だ。ところが、日本でニーズが高いのは「ソフトニュース」のほうで、こちらは調査26カ国中最高なのである。 「ソフトニュース」というのは、エンタメ、カルチャー、スポーツなどである。つまり、ユーザーの嗜好がこうでは、ネットのニュースメディアが育たないのも無理はない。 日本でYahoo!がスタートしたのが1996年。新聞社などの既存のオフラインメディアがニュースをYahoo!に提供するようになったのは、その翌年からで、当初は単なる文字放送のような感覚で短文記事をYahoo!に売っていた。 ところが、いつの間にかYahoo!は、競合相手の「インフォシーク」「OCN」「ビッグローブ」「ニフティ」などを競り落としてしまい、早い時期から日本を代表するポータルサイトになってしまった。 こうなると、Yahoo!がニュース記事配信に関する価格支配力を持つようになる。要するに、既存メディア発のニュースは、Yahoo!に買い叩かれるようになったのである。 じつは、この状況は現在まで続いている。新聞社もテレビ局も、そして多くの雑誌、ネットに生まれた新興ニュースメディアに至るまで、Yahoo!に記事を売っているが、その価格はあまりにも安い。 新聞、テレビ、雑誌などのオフラインの既存メディアは、ここ10年ほどの間にネット進出を加速化させ、なんとかPV(ページビュー)を稼いで売り上げを上げ、独自のニュースサイトで稼ごうとしてきた。そのため、会員制定額購読モデルを取り入れ、会員数を増やそうと必死に営業してきた。しかし、いまのところ、どうやってもYahoo!を超えられない。 Yahoo!経由のトラフィックが圧倒的に多いからだ。つまり、Yahoo!依存を止めると、自社で始めたオンラインサイトというネット事業は成り立たなくなってしまうのである。 Yahoo!が1人勝ちをしているため、新興のニュースメディアも育ちようがない。とくに、独自のニュースを発信しようなどとすれば、相当な資金力、ネットワーク力が必要とされる。第一、取材して原稿を書くプロの記者がいなければできるわけがない。これができるのは、いまだに新聞、テレビ、雑誌などの既存メディアだけだ。したがって、ネットのニュースメディアは、結局はアグリゲーターとしてうまくやっていくしかない。つまり、“他人の褌”で相撲を取ってPV稼ぎに奔走する。 まず、Yahoo!を中心にしたトラフィックを最大限に呼び込むために、どうでもいいニュースにも扇情的なタイトルをつける。どこからか安く仕入れてきた記事を加工して、見映えだけをよくする。独自記事もほしいとなれば、1本2000円ぐらいで書いてくれるライターに発注する。そういう記事は、内容よりもSEO(検索エンジン最適化)にしたがって書かれる。  さらに、ネイティブ広告を積極的に進め、広告記事なのに広告クレジットを外すということまでやっている。 この世界では、ステマは日常茶飯事である。ステマにはウェブ媒体別に売り単価、転売単価があり、30媒体まとめたパッケージ料金とか、Yahoo!掲載保証料金というものまである。衰えゆく日本の情報空間衰えゆく日本の情報空間 最近のネットのニュースメディアには、タイトルは違うが内容は同じで、どこからか拾ってきた記事が溢れている。キュレーションというのは、そもそも溢れる情報のなかから、良質な情報、役に立つ情報を厳選する。そうして、それを再発信するのが「キュレーション・サイト」のはずである。 しかし、そうしたサイト自身が、いまや単なるニュースの加工をしているだけで、記事に適当な見出しと画像を付け、コメントを相互に付けさせるCGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)を用意して、体裁を整えているだけだ。 ネットの世界を支配しているのは、PVとアクセスである。ともかく大量のPVとアクセスがほしい。多ければ多いほど、広告が稼げる。たったこれだけである。 だから、ネットのニュースメディアは、アプリの開発や独自のプラットフォームづくりに励む。しかし、彼らはニュースをつくる、つまり、新しい情報、知られていない情報を発掘して世間に届けることには興味がない。まして、異質な意見や少数意見、そして多様な価値観など、どうでもいいのだ。彼らはパブリッシャーではない。Yahoo!がこの世界で勝ち抜いたように、PVとアクセスを総取りしたいだけなのである。 そもそもYahoo!は、ニュースサイトではない。日本最大のポータルサイトであって、ニュース・パブリッシャーではない。また、Yahoo!に依存しているネットメディアもほとんどがアグリゲーターで、パブリッシャーではない。つまり、いくらネットとはいえ、このなかでニュース・パブリッシャーなのは、日本の場合、既存メディア(新聞、テレビ、雑誌など)のサイトだけである。 このような状況を考えると、今後、既存のオフラインメディアが凋落していくにしたがい、日本の情報空間は衰え、ニュースの質は劣化していくのは間違いないと思える。紙からデジタルへの移行は、日本の場合、メディア全体の質の低下をもたらしたと、私は捉えている。 本来なら、ネットユーザーは、既存メディアのニュースサイトにダイレクト・エントリーしなければ、価値ある情報は得られない。しかし、ここには課金の壁がある。だから情報がタダであるポータルサイトか、適当にフィルタリングしてまとめてくれるアグリゲーターサイトに流れる。しかし、それで満足していていいのだろうか?  ネットが始まったころ、ネットは「集合知」(wisdom of crowds)によって発展していくと言われた。誰もが情報を発信し、誰もがそれにフィードバックできる世界なのだから、そうなっていく可能性はあった。しかし、実際に日本で起こってきたのは、「集合愚」(みんな揃ってバカになる)ではないのか?

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    「高級すし」も売れなければ意味がない ネットが紙媒体を超える日

    安倍宏行(Japan In-depth編集長) 「ネットメディアは回転ずし」とはうまいことを言ったものだ。たしかに、既存メディア(新聞・テレビ・通信社・雑誌)の記事を転載して広告費で稼ぐのがネットメディアの典型的なビジネスモデル。そのパイオニアが「Yahoo!ニュース」である。月間約150億PVを稼ぐ、化け物ニュース配信サービスだ。その「Yahoo!ニュース」に変化の兆しが見えたのは、2012年9月。「Yahoo!ニュース個人」が始まったのだ。これについては後述する。 次にネットメディアに大きな動きが出てきたのは2013年ごろ。バイラルメディアなるものが勃興してきた。もともとアメリカで生まれたもので、SNSでの爆発的な拡散を狙うために、読者の興味を引くタイトル、記事、画像、動画などを多用したメディアだ。日本では、一時期30社程サービスを開始した。しかしどれも同じようなものばかり。Buzzる(バズる:話題になる、の意)ことを目的にネット上の面白映像を探してきて掲載するメディアがほとんどであった。しかし、動画の使用許諾を得ているのか怪しいものがあったり、どのメディアも同じ映像を掲載していたりで、すぐ飽きられてしまった。こうした動画系バイラルメディアはほとんど生き残ってない。 次のネットメディア界の動きとして、2013年にサービスを開始した「ハフィントンポスト日本版」が挙げられる。朝日新聞が出資し、元朝日新聞記者だった高橋浩祐氏が初代編集長(現在はトムソン・ロイター)になった。アメリカで生まれ、世界各国で既にサービスを開始していたこのブログメディアは2015年には日本で月間1億PVを達成している。このころから同じくブログサイトのBLOGOSやアゴラなどが攻勢を強めてくる。筆者が編集長を務める解説メディア「Japan In-depth」も2013年秋に創刊している。 キュレーションアプリが本格的にサービスを開始したのも2013年。ニュースを独自のアルゴリズムでユーザーの興味の対象に沿って配信するもので、「Antenna」や「Gunosy」、「SmartNews」などがそれにあたる。スマホに特化し、テレビCMを大量に打ってアプリのダウンロードを加速させる手法が当時話題になった。有識者だけでなくユーザーの知見を生かしたコメントを前面に打ち出した経済情報ニュースキュレーションサービス、「NewsPicks」も同じく2013年に生まれている。 そして前述した日本版バイラルメディアが淘汰された後、2016年1月には満を持してバイラルメディアの元祖、「BuzzFeed」が日本に上陸した。ヤフー株式会社が出資したことでも話題となった。初代編集長は、元朝日新聞デジタル編集部の古田大輔氏。こちらは新聞社から記者を採用したり、調査報道に力を入れようとしていたり、ただ動画を垂れ流していた過去の日本版バイラルメディアとは一線を画す。 それ以外は、既存メディアのネットメディアとして気を吐く「現代ビジネス」や、産経新聞の「iRONNA」がある。又、「ライブドアニュース」、「LINE NEWS」なども人気だ。特に友人同士の情報のやり取りをメールよりLINEで行う若者は、「LINE NEWS」でニュースを知ることが多い。 一通り現時点でのネットメディアを網羅したが、ここで「回転ずし」批判に話を戻そう。何故こうした批判が出てくるかというと、多くのネットメディアが既存メディアの記事にただ乗りしている、とみられているからだ。実際は情報提供料を払っているネットメディアもあるので、すべて「ただ乗り」ではないが、一切払っていないメディアもあるのでそうした批判はある程度当たっている。  お金のかかる「オリジナル記事」はほとんど作らないで、他人が作った記事を大量に掲載しPVを稼ぐ手法、つまり廉価な商品を大量に作り客の前にぐるぐる回す商売が「回転ずし」に見えるということらしい。反対に高級な食材を惜しみなく使い、一点ものを客に出すのが既存メディアであり、その商法は銀座の高級すし店「すきやばし次郎」に例えられる。独り立ちしようと努力するネットメディア こうした批判にこたえるため、一部のネットメディアはオリジナル記事制作に動き始めている。「NewsPicks」は有料会員向けにオリジナル記事を配信しているし、「BuzzFeed Japan」もオリジナル記事に当初から力を入れている。どちらも積極的に記者を採用しており、自ら良質な記事を配信していく決意を示している。 そして筆者が最も注目しているのが、「Yahoo!ニュース」の「メディア化」の取り組みだ。従来の情報提供社からの配信から脱却し、自らが「メディア」となろうとする試みだ。情報提供社に遠慮し口が裂けても「自らメディアを目指す」などとは言わないヤフーだが、その方向性は明確だ。具体的に見てみよう。前述した通り2012年9月には、「Yahoo!ニュース個人」がスタートしている。 これはジャーナリストだけでなく、コラムニストや有識者らが実名で記事を投稿するものだ。ヤフーが自ら記者を擁しているわけではないが、その人数は数百名に達する。記事から得た収益の一部を執筆者に還元したり、「年間オーサーアワード」や「月間MVA(Most Valuable Article)」の受賞者に賞金を出したりして、良質な書き手、記事の確保に力を入れている。 また筆者は、「Yahoo!ニュース特集」に注目している。これはジャーナリストらが、ニュースを深掘りした記事を提供しているもの。10月7日時点でトップ記事は、「憲法に『家族』『緊急事態条項』追加の意図は-自民党草案を読む」(約6800字)という骨太のもの。新聞の特集記事に匹敵するクオリティだ。「Yahoo!ニュース」自らHPでこう謳っている。 『インターネットには日々、膨大な情報が飛び交います。流れるニュースの消費のサイクルが早くなり、ともすれば前後関係や背景がわかりにくく「断片的」になってしまうこともあります。「Yahoo!ニュース 特集」は、大量の情報の中で埋もれがちなイシューを独自の視点で掘り下げ、社会に横たわる課題を浮き彫りにし、良質な文化の発展を目指します』 まさしく、一個の「メディア」として独り立ちしようとしているように見えるではないか。 そして「Yahoo!ニュース」には別動隊ともいうべき解説メディアもある。「THE PAGE」がそれだ。ニュースを理解しやすくするためインフォグラフィックスや写真を多用したり、大きなニュースの動画生配信などにも力を入れる。そして資本を出している「BuzzFeed Japan」。豊富な資金力で全方位でメディア化を進めている。その先「Yahoo!ニュース」がどのような形になっているかはわからないが、少なくとも既存メディアにとって脅威になることは間違いないだろう。 「俺たちはすきやばし次郎だ」という自負を既存メディアが持つことは大切だ。しかし、「Yahoo!ニュース」や他のウェブメディアがオリジナル記事を増やす努力をしている中、既存メディアも発想を変え、どうしたら自らの記事がより多くの人に届くのか、真剣に模索しないと、高級すし屋の暖簾を下ろすことになってしまう。どんなに高級なネタでも、人の口に入らなければ意味がない。

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    捏造・誤報をどう防ぐか 日本報道検証機構・楊井人文代表に聞く

    ジャーナルの記事以外にも、取材のないまま、海外チームの選手や監督の対談記事などをまとめた一部サッカーメディアによる「エアインタビュー」疑惑が指摘されていて、インターネット上では「エア取材」「捏造記事」との批判の声が上がっています。 なぜ、こうした記事の捏造が起こるのでしょうか。ネットメディア特有の問題があるのでしょうか。2012年からマスコミ誤報検証・報道被害救済サイトGoHoo(ゴフー)を運営している日本報道検証機構(WANJ)代表で弁護士の楊井人文さんに話を伺いました。故意の捏造は外部検証が難しい日本報道検証機構(WANJ)代表の楊井人文氏 今回、架空の取材が問題になったビジネスジャーナルの記事について、楊井さんは「言うまでもなく、あるまじきこと」。誤報については、「日々いろんな記事を出す際に、間違いをすることは、避けられないリスクがある」とした上で、故意なのか、過失なのかが、重大性の判断基準のひとつになる、とみています。 しかし、一般的に故意の場合を「捏造」ということが多いものの、「わざとやったかどうかは主観的な部分になるため、外部検証が難しい」と指摘します。記事の誤りだけでは、うっかりミスとの見分けはできず、「今回はビジネスジャーナルが架空であることをお詫びして認めているため、捏造であろうと言える」というわけです。 ただ、「今回の記事は許されない前提」で、ビジネスジャーナル側が、編集部も確認を怠った責任があることや、NHKへの取材が架空であることなど、経緯を明らかにし、「比較的丁寧なお詫び記事で説明し、厳正な処分・再発防止に取り組むことを発表した」こと、その3日後には、サイトを運営する「サイゾーの名前と代表取締役の名前を出し、担当者の減給処分を発表している」点は、事後の速やかな対応として「評価していいと思っている」と言います。2次不祥事の拡大は絶対に防ぐ なぜなら、今回の件を、起こってしまった問題「1次不祥事」に対し、ダメージを最小限にする危機管理を怠って組織ぐるみの隠蔽ととらえられてしまう「2次不祥事」という企業不祥事の観点でみると「1次不祥事をできるだけ防ぐためのチェック体制はもちろん必要だが、2次不祥事への拡大をメディアは絶対防がなくてはいけない。そうした点でビジネスジャーナルは2次不祥事への対応はできたのでは」と考えるからです。 楊井さんは、WANJで5年近く、全国紙マスメディアを対象に捏造を含む誤報について調査・検証活動してきました。その中で「まさに2次不祥事だった」というのが、朝日新聞の「慰安婦報道」「吉田調書」の対応です。「記事そのものの誤りのダメージはもちろんあるが、発覚後もむしろ正当化、矮小化させたことがメディアへの不信感を増幅させた」と振り返ります。明らかにされなかった執筆者の名前 ただ、今回のビジネスジャーナルの記事はもともと署名がなく、謝罪文の中でも執筆した記者が「外部の契約記者」としか公表されていません。「外部ライターである以上、他の媒体で活動するおそれがある。個人情報とはいえ、ケアレスミスの場合ではなく、故意の捏造をしたということなので、他でも活動できないよう情報共有すべき。もともと署名記事であれば情報共有できていた。不安が残る結果になった」。 楊井さんは、ネットメディアは「社会的信頼が確立しているわけではない」「校閲・チェック機能が大手メディアほどではなく、書いた原稿がすぐネットにアップされやすい」という問題点があるとみます。「そういう意味でも、ネットメディアは、記者個人個人の責任が重い。バイライン(署名記事)を原則という方向に持っていくべき」。記事の署名が、記者の捏造予防の一対策になるといいます。 捏造を防ぐこと以外にも、署名記事が必要と考える理由として、「ネットメディア時代ならではのニュースの読まれ方」を理由に挙げます。読者は、どこか特定のメディアのホームページを開いて記事を読むとのではなく、個々の記事にアクセスするという形態が、「ニュースの消費のされ方になってきている」からです。 「署名があるかどうか」に加え、さらに「記者が過去にどんな記事を発表してきたか、メディア側は情報提供する責任があり、読者に記事の信頼性を考える手がかりを与えることができる」と提言します。「本の奥付」のようにどれだけの実績があるのか、ネットメディアは統一的な基準をつくり、「ネットメディアを使用する時代においては、読者側も執筆者の情報に注目して読むという習慣を広げる必要があるのでは」とメディアリテラシーの側面からも呼びかけます。記者ノート、録音データで検証可能な環境を こうした執筆者の情報は、ネットメディア側も自己防衛のためになるといいます。外部フリーランスの記者が多いことから、「記者のデータバンクをつくってネットメディア業界で共有する」。また「記者側もジャーナリストの横断的で自立的な組織をつくって、個人で加盟する仕組みをつくっていってもいいのでは」と言います。メディア側は記者の資質・信頼性の評価ができ、捏造した記者は他媒体でも使われないようにすることができるとみます。日本報道検証機構(WANJ)代表の楊井人文氏 メディア側の外部記者に対する対応としては、いざ記事が問題になったときには、取材ノート、パソコンのデータ、録音データなど、判断材料の提供を求めることが出来るような契約にすることも提案します。「メディア側は取材に立ち会っているわけではない。あとできちんと検証できる環境をつくっておかなくてはならない」と話します。 楊井さんが、日本のメディアの「悪い習慣」と指摘するのが、「かぎかっこ」を使った発言の引用の仕方です。「極力、実際に発言した内容を忠実に引用」「取材プロセスの正確な再現をしなくてはいけない」と言います。例えば、記者が質問した内容を「はい」と肯定しただけでも、記事では、発言した言葉となってかぎかっこ付きで引用する手法がよくみられると指摘します。「エア取材と違って一からの捏造とは違うが、異なる引用は読者からは発言の捏造と取られても仕方がない」「意味が変わったり、ニュアンスが変わったりということが往々にある」。取材対象者とのトラブルの原因として、GoHooで取り上げている中で大きなパターンになっています。記事は「情報源の明示」を原則に また、署名と同じく記事で重視するのが「情報源の明示」です。記者には情報源の明示を条件にし、スタイルとして徹底させることを求めるべきだと言います。「記者も全知全能ではない。人の話を聞きながら書くわけだから情報源が間違っていることもある。情報源が明示されていれば、読者にこの記事は信頼できるか、疑ったほうがいいか、判断材料になる」。 しかし、日本では大手メディアでも「関係者によると」という表現が用いられやすく、「欧米では情報源を原則明示。内部告発で匿名にせざるを得ないときはその事情を明らかにしている」と指摘します。「『関係者によると』では、色を付けたり、想像や捏造が起きてしまう可能性は十分ある。書く側が記事を完成させるため、あるいはストーリーを面白く作るために、この一言が欲しい、という誘惑を防ぐためにも、情報源を明らかにする」。メディア側も、記事中の情報源のところだけでもチェックし、明確でない記事には、記者にルールとして「情報源明示」を求め、守ってもらうことを原則にするべき、と言います。訂正の履歴 「積極的に開示すべき」 楊井さんは誤ったネット記事を取り上げるニュースを配信する「アグリゲーターの対応の仕方」も課題を挙げます。「多くの外部記事が無編集で取り上げられている中、今回のビジネスジャーナルの捏造の記事を含め、誤りが多くあると思います。ただ削除だけで終わらせてしまうのはいかがなものでしょうか」。 「誤報はゼロにはできないものなので、すみっこで読者にわからないような形で訂正してすますべきではない。より正確な事実が判明すれば読者に積極的に開示すべきです」。楊井さんは「訂正を可視化する」というポリシーでGoHooの活動に取り組んでいると説明します。「大手メディアだけに限らず、ネットメディア、あるいはニュースアグリゲーターにも可視化が同じように求められることだが、まだまだできていない気がします」。 大手メディアのサイトでも、記事の書き換えや削除が行われることに疑問を呈します。訂正や削除前の記事が、既に転載されている可能性は高く、そのことがさらにメディアの信頼を損ねる結果になる、と考えるからです。「一度発表したものを事後的に消したり、訂正したり、削除するときはきちんと履歴を残す。それも原則にするべきと思います」。 例えば、ニューヨークタイムズは紙面だけでなく、ホームページ上でも訂正のページを設けています。「欧米メディアもチェック体制が厳しいといわれるが誤報は防げない」「読者に対し、誤りを包み隠さず説明するという意識を持っているかどうか」。 「読者の信頼を得るための方法はいくつもある」と楊井さんは言います。訂正の履歴を明らかにすることは、日本の読者も「ケアレスミスは起きてしまうもの」「このレベルの誤りは仕方がない」「これは許しがたい」とわかって、メディアに対する認識が変わってくる可能性を指摘します。「メディアは不完全であることを読者にもわかってもらう。わかってもらった上で、どれだけ最善を尽くしていくのか」。楊井さんは語ります。「とにかく正直になることがベストですね」。

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    Facebookの「インスタント記事」でニュースの読み方はどう変わる?

    ース時には、これまで記事の読み込みに約8秒かかっていたものが、10倍以上速くなると紹介しています。 メディア側は自社のCMSに記事を入稿し、Facebookのサーバーにアップロードします。すると、ユーザーがシェアした記事もインスタント記事の仕様で閲覧できるようになります。インスタント記事はアイキャッチの右上に稲妻マークが付いていることが特徴です。 インスタント記事には広告を掲載することができ、メディアが販売する場合は広告収入の100%がメディアに入る仕組み。広告ネットワークを利用する場合は広告収入の70%がメディアのものとなります。 インスタント記事は当初、欧米での提供が中心でした。昨年12月には韓国、インド、台湾などアジアの50以上のメディアとの提携を発表しました。このときメディア関係者のなかでは「なぜ日本でインスタント記事の導入がはじまらないのか」という声もありましたが、日本からは大手5紙など(朝日新聞社、産経デジタル、東洋経済新報社、日本経済新聞社、毎日新聞社、読売新聞社)の参加が決まりました(ネット専業メディアの名前はまだありません)。考えられるメリットとデメリット Facebookはいうまでもなく、インスタント記事の展開に注力しています。昨年10月にはiPhone版Facebookアプリ、同12月にはAndroid版Facebookアプリの利用者はインスタント記事を利用できるようになりました。いまでは世界350以上のメディアがテストプログラムに参加し、毎日100以上のメディアがインスタント記事を配信しています。 ここまでインスタント記事の概要を紹介してきました。そもそもメリット・デメリットはどういうものが考えられるでしょうか。 メリットの一つは読み込みの速さ。ネットワーク環境が整った先進国でさえ、SNSからリンク先に飛ぶ際の時間は意外と長く感じるものです。インスタント記事によって、瞬時(1秒以内)に記事が表示されることはこれまでになかった体験です。これは読者側の大きなメリットとなります。特にネットワーク環境が不十分な新興国ではより効果を実感できることでしょう。 また、ニュースや広告をよりリッチに表現できることもメリットです。メディア側は、地図や写真のパン・チルト(上下左右振り)、写真への音声埋め込み、動画や音声の自動再生など新しいニュースの閲覧体験を提供できるようになります。 特に紙を母体とするメディア企業は、ウェブ記事の表現にまでなかなか手が回っていないこともよくあります。そのメディアの弱点をFacebookの技術力で担保できるのはインスタント記事を利用するインセンティブとなりそうです。 しかしながら、メリットばかりではありません。デメリットのひとつはサイトへの訪問が減ることです。デジタルメディア分析のcomScoreやGoogle Analyticsなどでトラフィックを計測することは可能ですが、収益モデルによってはインスタント記事の利用を躊躇するメディアも出てくることでしょう。 たとえば、メーター制(月に○○本まで無料)など有料課金モデルを採用しているメディア。インスタント記事は広告を掲出できるため、広告モデルのメディアは相性がよい一方、有料メディアにとってはFacebook上で記事を閲覧されても会員が増えるわけではありません。 ただ、新聞や雑誌などの伝統メディアは新興メディアと比較して、ソーシャル時代の流通に疎かった部分があるため、ワシントン・ポストのようにすべての記事をインスタント記事で配信するといったチャレンジングな選択をするメディアも出ています。SNSで読者の行動が完結する動き 昨今、海外のメディア業界では、「分散型メディア」「分散型コンテンツ」という言葉がたびたび話題となります。自社のウェブサイトに訪問してもらうのではなく、流通を担っているSNSやメッセージアプリ内で読者の行動が完結するような動きが強まっているのです。 読者に来てもらうのではなく、読者のいるところに届けていく――。ソーシャル時代の流通にはこのような考え方が前提となっています。PCからウェブサイトに訪問すれば、ロゴやデザイン、記事の切り口など視覚的に認知できますが、スマホからの訪問ではパッケージではなく、URL単位での情報消費となるため、記事は読まれても、メディアのブランドを認知してもらうことは困難です。 この点をどのように乗り越えるのかも、インスタント記事を利用する際の大きな論点です。ブランドを訴求したいながら、インスタント記事とは距離を置き、イベントを開催したり、紙媒体を発行したり、リアルでの施策を打っていくことが重要になるでしょう。始まる“ニュース争奪戦” ここまでインスタント記事の特徴や影響を解説してきましたが、海外では昨年からプラットフォーム企業によるニュース争奪戦がはじまっています。おそらく、毎日アプリやサービスを使ってもらう口実として、ニュースは最適な素材なのでしょう。多くの人にニュースを届けたいメディアと、滞在時間を伸ばしたいプラットフォームの思惑が重なるわけです。 10~20代に人気のメッセージアプリ「Snapchat」は「Discover」というニュースコーナーを立ち上げ、Twitterはニュースタブやキュレーション機能を追加し、AppleはiOS 9から公式ニュースアプリ「News」を開始、Googleはウェブページの高速読み込みを狙いとする「Accelerated Mobile Pages(AMP)」を提供しています。 国内では唯一LINEが「LINEアカウントメディア プラットフォーム」と銘打ち、メディアにLINEの公式アカウントを用いたニュース配信機能を開放しました。ただ、日本と米国では状況が異なります。それはプラットフォーム企業の数です。日本ではプレイヤーの数が限られるため、インスタント記事をはじめとするプラットフォームへの依存度が高まる 可能性があります。 そうなってしまうと、ウェブサイトよりもプラットフォーム内での閲覧が多くなり、プラットフォーム側の規約・仕様(変更)の影響を強く受けることになるでしょう。最悪のケースを想定すれば、将来的にプラットフォーム企業が倒産した場合、流通をどこに担ってもらうのか。その自体の深刻さは想像するまでもありません。それでも、スマホがあるかぎりはプラットフォーム全盛の時代は続くと思われるため、メリットにせよデメリットにせよ、まずは国内メディアのインスタント記事の配信を見てからの判断となりそうです。さとう・けいいち 編集者。1990年生まれ。新潟県佐渡島出身。出版社でWebメディアの編集をしながら、海外メディアの最新動向を伝えるブログ「メディアの輪郭」を運営中。

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    「週刊文春エース記者」が語るスクープの裏側

    ていませんでした」  そこで聞き込んだ加害者の横顔を記事にした。それが本村さんの琴線に触れ、どこのメディアもまだできなかった単独インタビューに成功するきっかけになったという。本村さんのご両親も見つけた作業もすごい。 「僕は葬儀では花輪をよく見ます。亡くなられた本村さんの奥様とお子さんのお葬式の写真に1枚だけそれが写っているのがあって、誰から送られてきたものかルーペで名前を確認したら、本村姓のものがあった。親族に違いないと思って、電話帳でしらみつぶしで探しました。本村姓のお宅に電話を掛けて、違っていたら定規で線を引いてその名前を消す。そうやって一軒ずつ潰していって、隣の県で見つけました」  本では駅のホームで起きた殺人事件の目撃者を探すため、始発から終電まで改札に張り込んで利用客に尋ねていくエピソードも紹介されている。その駅で見つからなければ隣の駅へ。早朝から深夜まで毎日地道に聞き込んで、ひとりの目撃者を見つけたのである。  中村氏は「スクープを取るのに特別なことはなく、普通のことしかしていない」というが、その普通が尋常ではない。「週刊誌にいると苛酷な人間関係にさらされる」 ──私はスクープを取るのは一種の才能だと思っています。自分にはその才能がありませんでした。中村さんはスクープを取る能力についてどう思いますか。 「性格、パーソナリティーという部分が大きいかもしれません。よく、『人当たりが良くて誰からも好かれるタイプで云々』とスクープを取る記者像が語られますが、そんなことはありません。いろんなタイプのスクープが取れる記者がいると思います」 ──中村さんはどんなタイプですか。 「僕はものすごく人の話を聞きますね。役に立つ立たない関係なく聞きます。他の記者から『よくあんな役に立たない話を聞いていられるな』と呆れられるぐらい聞きます。我々の仕事って、人様の話が先にあって成立するじゃないですか? 凶悪犯であっても普通の市民であっても、僕は真摯に耳を傾けたいというのが信条でもあります。そういう人への共感力というのが強いのかもしれません」 ──また情報源、いわゆる「ネタ元」という存在もあります。私もかつてネタ元と考える人と付き合うようなことをしていましたが、どうも功利的な人間関係に疲れてしまいました。中村さんはどうですか。 「よく若い記者からも『ネタ元はどうやって見つけるんですか』と聞かれるんですが、基本は身の回りの人を大切にすることからですよ。僕も損得関係から人付き合いしたことがありますけれど、やはり長く続きません」 ──でもそれだと結局「好き嫌い」で人と付き合っていることになり、交友関係が狭くなりませんか。 「あ、僕は人の好き嫌いってそんなにないんですよ。どの人も等距離というか。そこは変わっているのかもしれません」 ──夜に人と飲むのは欠かさず? 「文春時代は毎晩でしたね。僕はお酒飲めないんですが、ウーロン茶片手に毎晩ずっと酒席にいました」 ──人の付き合い方で励行していることはありますか。たとえばよく聞く、掲載誌を送るときに直筆の手紙を添えるとか。 「むかしそういうのやってましたけれど、長続きしなかったですねえ(笑)そこまで筆まめじゃないというか(笑)」 ──ですよね? ああ良かった(笑) 「でも週刊誌にいると苛酷な人間関係にさらされるんです。飛鳥涼のシャブのときも、親しいと思っている人から『あいつは暴力団からカネ貰っている』とかデマを流されました。付き合うと危険と思われて、電話しても出てくれないとか、ネタ元が一切いなくなる。孤独感に苛まれるところがあります」 ──その中で仕事の情熱を支えていたのはなんですか。 「僕が文春に来たのは30歳で遅いスタートなんです。結婚して子どもも生まれたのに、人脈もなにもない。人と同じことしていてはいけないと思って、がむしゃらに取材してきただけですよ。娘からは『パパはお酒も飲まないしギャンブルもしないし、なにが面白いの?』って聞かれるんですが、ほんとそうですよ。仕事が面白いといえればいいんですが、なかなかそうもいかないですよね(笑)」 ──なにが楽しみなんですか(笑) 「海外旅行と動物見ることですかねえ。家で鳥飼ってますし、猫カフェもいきます(笑)」  現在取り組んでいるのは人物評伝。「著名人ではなく無名な人。無名だけど面白い人を世の中に届ける本が書きたい」。スクープ記者が発掘する無名伝だ。面白くないはずがない。 〈なかむら・りゅうたろう〉1964年生まれ。大学卒業後、会社員を経て95年から週刊文春編集部で勤務。数々のスクープをものにし、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」を最多の3度受賞する。本書は初の単行本。現在は雑誌だけでなく新聞テレビラジオでも活躍している。 【関連記事】 愛人報道の文春砲も不発 紀香と愛之助は意外とお似合い? 不倫騒動で仕事激減とにかく明るい安村 このまま消えるのか マナー悪い「名古屋走り」でも恐怖の荒技「右折フェイント」 ママ友の車に轢かれた子供の悲しい事故 どう防いでいくべきか 女子大生風俗嬢を生み出す「奨学金制度」の弊害

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    「賛否」を見出しに入れたネットニュースが多すぎないか

    という言葉にはある。それは「これは皆が気にしているんだよ」という記号として、機能しているのだ。 マスメディア研究で「議題設定(agenda setting)」という機能がある。つまり、世の中の人が「これが重要だ」と思うのは、マスメディアによって影響されるという話だ。ネットの時代になっても数をとろうとすれば、「これが重要だ」ということをアピールすればいい。 そして、賛否がわかれることに自分の意見を言えることが賢い、と錯覚しちゃう人がいれば、まだこういう見出しは続くのかもしれない。でも、それの行く末が「熊切あさ美」であれば、あまり賢そうだとは思えない。それにしても、そうやって話題つくって煽ることやってたらマスメディアと同じだし、ネットメディアならではの価値はどうなるんだ?とかいうことは、多分考えられていないんだろう。 そこで「賛否」が問われた形跡は、見当たらないんだけど。でも、そのうち出るかしら。「ニュース見出しの『賛否』に賛否」とか。(公式ブログ 2015年7月14日分を転載)

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    朝日記者の「押し紙」内部告発 公取委に怯える新聞社

     新聞界が大揺れだ。かねて指摘される新聞社の「押し紙」問題が再燃し、重大な局面を迎えているのだ。 日本記者クラブで行われた杉本和行・公正取引委員会委員長の講演会(今年2月)でのこと。質疑応答の最後に手を挙げたのは、朝日新聞のO記者だった。O記者は「(朝日では)25%から30%くらいが押し紙になっている。どこの販売店主も何とかしてほしいのだけれど、新聞社がやってくれない。(中略)押し紙の問題については委員長、どのようにお考えになっていますか?」と質問した。 「押し紙」とは、新聞社が発行部数を水増しするため、販売店に注文以上の部数を押しつけたり、注文させたりする行為のこと。独占禁止法で禁じられているうえ、部数水増しは広告主に対する詐欺行為にあたるとして問題視されてきた。記者が自社の不正を暴露するなど、前代未聞だ。O記者の質問に杉本委員長は、「実態がはっきりすれば、必要な措置をとる」と返答した。 O記者の“公開内部告発”からひと月半後の3月末。公取委は朝日新聞に、販売店との取引に関して口頭注意を行ったという。元全国紙記者で『小説 新聞社販売局』(講談社刊)の著者・幸田泉氏が解説する。 「公取委が新聞業界のタブーである『押し紙』問題に切り込んだことで、新聞社は販売政策の根本的な見直しを迫られるはず。朝日以外の全国の新聞社にとっても重大な出来事と言えます」 O記者の言う通りなら、朝日の公称660万部のうち、200万部が実際には配られていないことになる。公取委は本誌取材に「注意をしたのは事実だが、その内容については個別の案件には答えられない」と回答した。 一方の朝日新聞は、本誌の取材に対し、押し紙の存在を否定したうえで、販売店からの注文部数を減らしたいとの申し出に対応した同社社員の言動が「営業活動としてはやや行き過ぎた」ことを公取委から指摘され注意を受けたことを認めた。 「今回指摘のケースは押し紙にあたらないと考えておりますが、注意については真摯に受け止めております」(同社広報部) 近年はネットニュースの台頭などにより新聞の購読契約数が漸減。「押し紙」に苦しむ販売店からのSOSは裁判所や公取委への告発という形で発信されてきた。 「中でも朝日新聞は、ここ10年の部数凋落が激しく、『慰安婦誤報』問題など一昨年に相次いだ不祥事が追い打ちをかけた。販売所の苦境が臨界点に達したために、公取委も販売店の声を無視できなくなったのでしょう。O記者の行動は、新聞社の歪んだ販売方針に対する強い問題意識からであるのは間違いない」(幸田氏) O記者の発言内容についてあらためて朝日新聞にコメントを求めると、「ご指摘の記者が発言したとされる内容は、弊社の見解とはまったく異なります」との回答があった。幸田氏はいう。 「朝日が販売店への姿勢を改めないのであれば、さらなる指導、処分などが下る可能性もあります。またこの問題は朝日だけでなく、ほぼすべての全国紙、地方紙が抱える問題です」 朝日記者の“告発”に端を発する公取委の動きに、新聞界全体が戦々恐々としている。※SAPIO2016年9月号■ 朝日新聞 「押し紙」問題で公取委からイエローカード■ 「朝日読まない」と公言した安倍首相 最近は記者に電話で感想■ 朝日の視線の先にあるのは権力者の顔色や大新聞仲間との関係■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「中・韓の応援」■ 朝日記者が中国外相会見で「釣魚島」と発言 見識疑うと識者

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    まさに中国の言いなり!左傾マスコミはなぜ「虐殺」を創るのか

    別冊正論26号「『南京』斬り」(日工ムック) より柿谷勲夫(軍事評論家・元防衛大学校教授) 朝日新聞は、「虐殺証言、若者に届いたか」との記事を平成10年8月13日付夕刊で掲載した。前夜に二十代の青年たちが、東京・原宿で戦争で被害を受けたとされる「中国人の証言集会」(参加者十人足らず)を主催、昭和17年5月27日、日本軍によって虐殺されたと主張する、中国河北省・北疃村(朝日新聞、岩波は「疃」、その他は「担」と表現)の李慶祥氏(71)の体験談を紹介していた。 朝日新聞は、日本軍の攻撃を『北瞳村大虐殺』と呼称、中国側の調査では約1400人が殺された、と述べていた。「北疃村大虐殺」とは、耳慣れない用語で、今回朝日新聞が新たに創り出したものである。状況によっては、いわゆる「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」と同様、一人歩きし、今後に禍根を残すことになり兼ねない。また、それが朝日の狙いでもあろう。 北疃村に対する歩兵第百六十三連隊の攻撃については朝日新聞だけではなく、毎日新聞、NHK、岩波書店の月刊誌「世界」も報道している。 いずれも中国側の発表、中国人の発言だけを伝達、公刊されているわが国の防衛庁防衛研修所戦史室編纂の『戦史叢書』(いわゆる公刊戦史)や『歩兵第百六十三聯隊史』を無視している。この行為は、偏った報道によって、視聴者、読者に著しい誤解を与えるものである。毎日新聞の場合 平成8年5月11日付毎日新聞は、「中国人500人 毒ガス戦 賠償要求へ」との見出しで、概要次のように記述している。 ―中国河北省北担村の農民、李化民さん(73)ら約500人が、今月末をめどに、日本政府に10億円を超える損害賠償と謝罪を求める要求書を北京の日本大使館に出す。 中国側の記録によると、日本軍(第110師団百63連隊)は1942年5月27日、北京の西南約250キロにある八路軍拠点の同村を襲った。村民や八路軍部隊の一部が避難した地下道の入口をあちこちに見つけ、毒ガスのあか筒(くしゃみ・おう吐剤)、みどり筒(催涙剤)を大量に投げ込んだ。苦しくて地上にはい出したところを老若男女の別なく殺した。村民の3分の1に当たる約一千人が犠牲になった。八路軍兵士の犠牲は数十人だった― 李さんは、ジャーナリスト、新井利男氏に「私は村を留守にしていて難を免れたが、父、妻、弟妹ら12人の家族が殺された。村の家はすべて焼かれ、乳飲み子は火の中に投げ込まれた。毒ガス戦という国際法違反に時効はないことを知り、半世紀余り積もり積もったおん念を日本政府にぶつけることにした」。 この事件では、指揮した大隊長が当時書いた記録に「毒ガス投入」の事項があり、日中双方の記録が一致する。NHKの場合NHKの場合 NHKは平成8年9月22日、NHKスペシャル「『化学兵器をどう処理するのか』―迫られる日本の選択―」を放映、概要次のように述べている。 一、上坂勝供述と赤筒―中国河北省北担村です。この村で旧日本軍は、大規模に化学兵器を使用しました。北担村では地下道に逃げ込み抵抗していた中国側の兵士と住民合わせて800人以上が犠牲になりました。当時の地下道の跡には犠牲者の遺骨が収められていました。 化学兵器を携え北担村の戦闘を行った歩兵第百六十三連隊です。作戦を指揮した上坂連隊長は軍事裁判で、赤筒と呼ばれる化学兵器を使用したと供述しています。 赤筒とは吐き気や呼吸困難を引き起こすガスを発生させる化学兵器です。毒性は低いものの密閉された状態で使うと死に至ることもあります―(下線筆者)。 二、李徳祥氏の証言―毒ガス弾はこれくらいの大きさで、灰色の懐中電灯のような形でした。長さはこれくらいで赤い線がついていました。ガスを吸った途端に息ができなくなり、苦しくて喘ぎ始めます。そうして鼻から血がでてくると、もう助かりません―朝日新聞は〝新たな虐殺〟を検証なしに報じることで「日本軍の残虐行為」はまた一つ既成事実化していった 三、旧日本軍の資料―化学兵器は1935年ごろから、対ソビエト戦に備えて、旧満州に持ち込まれました。そして、1940年には一年間で化学砲弾10万発を持ち込んでいます。その中には当時国際法で使用が禁止されていた化学砲弾も含まれていました。そのため旧日本軍は証拠を隠滅しながら密かに化学兵器を使っていたのです―(下線筆者)。岩波「世界」の場合岩波「世界」の場合 新井利男氏が平成10年4月、中国による、いわゆる「中国の日本人戦犯裁判」(昭和31年)で、有罪判決を受けた45人が書いたとされる供述書のコピーを発表した。 この中から師団長など5人の将官の供述書とされるものが月刊誌「世界」5月号に掲載された。その中でNHKスペシャルにも登場した上坂勝少将の「供述書」、李徳祥氏の証言が載っている。一、上坂供述書(関係箇所抜粋) ―(1)第一大隊方面 第一大隊は五月二十七日早朝定県を出発し、侵略前進中、同地東南方約二十二粁(キロ)の地点に於て八路軍と遭遇しました。大隊は直ちに主力を展開して之を包囲攻撃し、八路軍戦士に対し殲滅的打撃を与へたのみならず、多数の平和住民をも殺害いたしました。 大隊は此の戦闘に於て赤筒及緑筒の毒瓦斯(ガス)を使用し、機関銃の掃射と相俟(あいま)って八路軍戦士のみならず、逃げ迷ふ住民をも射殺しました。又部落内を「掃蕩(そうとう)」し多数の住民が遁入(とんにゆう)せる地下壕内に毒瓦斯赤筒、緑筒を投入して窒息せしめ、或は苦痛のため飛び出す住民を射殺し刺殺し斬殺する等の残虐行為をいたしました。 私は此の戦闘に於て第一大隊をして八路軍戦士及住民を殺害すること約八百人に上り、又多数の兵器や物資を掠奪させました。以上は第一大隊長大江少佐の報告に依るものであります。 (2)聯隊主力方面(略) (3)結果 此の侵略作戦に於て聯隊が中国人民に与へた損害は殺人約一千一百名に及び家屋の破壊約十軒、焼失家屋約三軒、掠奪使用家屋約四五〇軒(約十日間)、其の他中国人民約二四〇名を框舎(きようしや)構築(八個)のため酷使しました(約十日間)―(ふりがなは筆者)二、李徳祥氏の証言「証言―毒ガスと三光作戦」とのタイトルで、新井氏が聞き手となって、NHKスペシャルに登場した李徳祥氏が証言している。抜粋すれば次のとおりである。 ―四二年五月二七日の早朝五時頃、北疃村(南を南疃、北を北疃と分けているが、両方合わせて北疃村と呼ぶ)は完全包囲されました。…私たち民兵隊は急いで子ども、女性、老人たちを誘導して地道に避難させました。…地道口から毒ガスを投げ込んだんです。ガスが外に漏れないように蒲団でふさいだ入口もあります。私たち民兵は最後に地道に入ったので、入口に近い方にいました。 毒ガスが投げ込まれた後、村人たちは泣き叫ぶ間もなくバタバタ倒れていきました。私は急に目が痛くなり涙と鼻水がしきりなしに流れ、ノドが乾き、吐き気をもよおし、息がつまり、意識が薄れてふらふらになりました。よろめきながら倒れている人たちを踏みこえて無我夢中で入口に向かっていきました。 入口にたどり着きほっとして上を見ると、そこにはたくさんの日本兵がいました。私はとっさにこう言いました。「わたし満州行って井原先生のところで働きました。大君(タイジユン)(日本軍を中国人はこう呼んだ)、助けて下さい。いたい、いたいで、みず」。私は満州で四年間、日本人の家の家事手伝いをしていたのです。「おっ、こいつ日本語を話す」と一人の日本兵が仲間に話しかけ、私にこう言ったんです。「小人、水が飲みたいか?」。私は当時一九歳、童顔でしたので子どもに見えたのでしょう。私はさらに腹を押さえて「いたい!」と顔をしかめると、三包の薬と水をくれました。私は急いで飲みました。すると間もなく、頭がすっきりしたんです。私が日本軍と関係ある者とみたんでしょう。私は何もされずに、その場にひき止められました。そのすぐあとで私はとても恐ろしい光景を目にしました。 私の後から瀕死の状態で大勢の者が這い出してきましたが、日本兵は残虐非道な方法でそれら無抵抗の者を次々と殺し、犯したのです。日本兵が若い男性を樹に縛ると軍犬を放しました。犬は狂ったように男性に飛びかかり、まずノドをかみ切り、次に腹を食いちぎって内臓を引き出しました。毎日新聞も中国側の言いなりに「日本軍の残虐行為」を報じた 日本兵に抵抗したやはり若い男性は、耳、鼻をそがれ、目玉をえぐられた後斬り殺されました。母親から赤ん坊を奪い取った日本兵が燃える家の中に放り投げました。…日本兵は捕まえた村人たちをその井戸の所に連れていき、銃剣で刺した後、けとばして突き落としました。井戸は死体でいっぱいでした。 村を占領した日本軍は、二八日の夕方引き上げるまでの二日間、大勢の女性を強姦し、ある者はその後殺しました。…この侵略によって北疃、南疃あわせて一三〇〇人ほどの人が殺されました―朝日新聞の場合朝日新聞の場合一、李徳祥氏の証言 朝日新聞(平成10年5月10日付)は、「生存者が初来日集会で惨劇証言」とのタイトルで「中国・河北省での旧日本軍による毒ガス攻撃で住民多数が虐殺された事件の生き残りの一人、李徳祥さん(75)が初来日し、9日、東京の集会で惨劇のもようを証言した」と記述、以下「世界」において新井氏に述べた内容とほぼ同じ証言を掲載している。二、李慶祥氏の証言 同8月13日付朝日新聞夕刊は、李氏の発言の概要を「一九四二年五月二十七日、抗日運動の拠点だった村が、二日間にわたって日本軍に襲われた。中国側の調査では約千四百人が殺された。地下道に逃げた人も投げ込まれた毒ガス弾にやられた。慶祥さんも兄弟姉妹四人を亡くし、家を焼かれた」と述べ、さらに、証言として「事件の後しばらくは、子を探す親、親を探す子たちの泣き声が響いた。村は死んだ。人類史上でも珍しい事件だ。今の日本人には理解出来ないかも知れないが、鉄のような(確かな)事実なのです」と記述している。歩兵第百六十三連隊の行動 冒頭で述べたように、歩兵第百六十三連隊の行動に関する資料には、公刊戦史たる『戦史叢書・北支の治安戦(2)』(朝雲新聞社、昭和46)、歩兵第百六十三聯隊史編集委員会が編集した『歩兵第百六十三聯隊史』(歩兵第百六十三聯隊史刊行委員会、昭和63)がある。一、北支の治安戦(2)『戦史叢書・北支の治安戦(2)』では、昭和17年5月27日の歩兵第百六十三連隊・第一大隊(大隊長・大江芳若少佐)の行動を以下のように記述している。 ―担任地域南部の沙河(さか)流域は従来から治安が悪く、民衆は日本軍に親しまず、大隊は再三討伐を実施したが、敵と交戦することができなかった。五月二十七日、召村南東方北担村付近に中共軍一コ営(筆者注・営は日本軍の大隊に相当)が坑道作業中との情報を得た。 大隊はその夜、各警備隊駐屯地から企図を秘匿して行動を起こし、路外機動により、払暁(ふつぎよう)までに北担村を完全包囲した。夜明けと共に戦闘が始まり、敵は猛射を加えてきたが、逐次包囲圈を圧縮して部落に突入したところ、今まで戦闘していた敵兵は忽然(こつぜん)と姿を消してしまった。 時折屋根の上から手榴弾の投擲(とうてき)を受け、また数カ所で地雷の爆発があった。そこで直ちに部落外囲の坑道および部落内の坑道口を捜索し、隣村に通ずる坑道は遮断した。部落内の坑道、地下室には敵兵が充満しており、頑強に抵抗するので手間取ったが、これをことごとく殲滅し多数の鹵獲品(ろかくひん)を得た。 わが方も将校以下戦死三、戦傷五の損害を受けた。 爾来(じらい)、この地区の治安は急速に良好となり、隣接地区にも好影響を及ぼした。 成功の原因は、日本軍の精強、軍紀の厳正が民衆に理解され、適時適切な情報が民衆から得られたこと、中共側の坑道戦法をあらかじめ研究し、敵の潜伏と同時に不意急襲し坑道囗を押さえたことである。二、聯隊史第一大隊定県南方北担村での殲滅戦 ―第一大隊長 大江芳若少佐五月二十七日、第一大隊の殲滅戦…従来中共軍は一応応戦するが、相手が強いと見れば遁走するのが常套戦法であるが、今度は違う。執拗に抵抗し一歩も譲らず、土壁に接近すると、銃眼と屋上陣地を巧に利用し正確な狙撃に徹し、手榴弾を投擲して一切近接を許さず、天晴(あつぱれ)、精兵振(ぶ)りを発揮した。兵力も一コ営如きではなく、相当な兵力と察せられた。 十六時頃に至るも、戦闘は進展しないまま時間は経過した。 大江大隊長は突撃を決意し、各隊は逐次包囲網を圧縮接敵(せつてき)に勉めた。大隊長は敢然と突撃を下命した。頑強に抵抗を続けた敵も遂に抵抗を断念し、我が突撃を許すに至った。 突入して見ると、今が今まで眼前の銃眼、屋上・土壁陣地より狙撃、手榴弾に依る抵抗を強行した敵は忽然(こつぜん)と消え、家屋掃蕩をはじめ扉を開けば仕掛地雷が爆発するなど実に危険な状態であったが、敵影なし。 兼ねてより北担村には地下坑道あり、隣村に通じているとの情報を得ていた。 大隊長は各隊長に命じ、隣村に通ずる坑道の探索遮断、出入口の発見を急がせた。数力所の出入口を発見し、通訳を通じて降伏を勧告したが、応じない、日没も間近い止むを得ず発煙筒の投入を下命した。抑留された元日本兵の「供述書」を新井利夫氏らが集めた単行本。中共による過酷な洗脳には触れていない 敵は苦しまぎれに一人又一人、穴の中から這い上り次々と先を競って出て来た。 便衣に着替えて「我的老百姓」と言う者もいた、本当の住民もいたであろう。 併(しか)し敵の幹部は坑道内に於て手榴弾で自爆し降伏する者はなかった。    坑道内の敵引出(ひきだし)をする間に日が暮れた。部落掃蕩も中途で中止し、大隊長は北担村に宿営を決め、敵の夜襲を予測して至厳な警戒態勢のもとに一夜を明かしたが、何事もなく朝を迎え、部落内の掃蕩を再開した―NHK、岩波、朝日報道の問題点NHK、岩波、朝日報道の問題点一、上坂供述 北疃村に対する毒ガス攻撃は、上坂勝少将(昭和17年当時歩兵第百六十三連隊長)の平成8年のNHKスペシャルにおける供述、「世界」10年5月号の供述書が根拠となっている。 新井氏が10年4月発表した供述書のコピーについては、月刊「正論」同6月号で田辺敏雄氏が「朝日・岩波が報じる『中国戦犯供述書』の信用度」とのタイトルで、信頼性への疑問など、詳述されている。 朝日新聞(同4月5日付)によれば、45人中、生存を確認できたのはわずかに4人である。 特に、供述書の骨幹をなす「世界」同5月号に掲載された将官5人全員は、すでに40―15年前(一人は中国に拘禁中)に世を去っている。本人の手によるものであるか否かの確証がなく、今となれば確証を得る手段さえない。真実か否かを確認する手段がなくなった現時点に尤(もつと)もらしく真実として「公表」する行為は、自ら贋作(がんさく)と白状しているようなものである。 百歩譲って、仮に本人の直筆であったにしても、長期にわたる抑留、拘禁、連日連夜、「思想改造教育」と称する想像に絶する地獄の責め苦の下、何十回、何百回もの書き直しを命じられ、精神に異常を来し書かされたものである。証拠とすることはできない。 上坂少将は供述書で、北疃村に対する攻撃のための前進を「侵略前進」、本論で紹介した以外の箇所で捕虜となった敵の将軍の逃亡を「逃走された」、八路軍の攻撃を「反攻されて来た八路軍」、自分の出した命令を「悪辣な命令」などと表現している。極めて不自然である。二、李徳祥証言 李氏の証言は矛盾点が少なくない。例えば、 (一)民兵だった李氏は、地道に最後に入ったと言いながら、毒ガスが投げ込まれた後、よろめきながら倒れている人たちを踏みこえて無我夢中で入口に向かった、と述べている。最後に入ったのであれば、倒れている人たちを踏みこえる必要はない。また、入口に近い人は先に入口に殺到するであろう。 (二)日本兵が赤筒、緑筒を使用したとすれば、防毒マスクをしていた筈(はず)だが、その描写がないのは不自然である。このようなことから、使用されたガスは発煙剤だったのであろう。また、子供に水を与えた優しい日本兵が、母親から赤ん坊を奪い取り燃える家の中に放り投げる筈がない。 (三)李氏が、日本語ができるだけの理由で日本軍関係者と見られ、何もされずに、虐殺、強姦場面を二日間にわたり見学できるとは思えない。むしろ日本語ができればゲリラと怪しまれるのではないか。 『聯隊史』は「坑道内の敵引出をする間に日が暮れた。部落掃蕩も中途で中止し、大隊長は北担村に宿営を決め、敵の夜襲を予測して至厳な警戒態勢のもとに一夜を明かした…」と述べている。『聯隊史』の記述こそ、命のやり取りをする戦場の実態である。敵の夜襲が予測される中、強姦などできるが筈ない。なお、虐殺、強姦などについて李氏は、平成8年のNHKスペシャルでは一言も触れていない。三、化学兵器とは 化学兵器とは、岩波書店発行の 『広辞苑』第一版では「毒ガス・発煙剤・焼夷剤及びこれらを使用する兵器の総称」となっている。 一方、毒ガスは、びらん剤、神経剤、窒息剤、血液剤などの有毒化学剤とくしゃみ剤、催涙剤、錯乱剤などの無傷害化学剤に分類される。防衛庁防衛研修所戦史室(現防衛省防衛研究所戦史研究センター)の『戦史叢書』は当時の記録を丹念に集めて事実に基づき、史料価値が高い 赤筒とはくしゃみ性のガス、緑筒とは催涙性のガスで、ともに、生理的効果によって、一時的に無力化するために使用するものである。 大隊が使用したガスは『聯隊史』では発煙剤、毎日新聞が記述する大隊長の記録では毒ガスと述べている。『聯隊史』は作戦に参加した戦友の殆ど全員が読む故、虚偽の記述をしたとは考え難い。大隊長が記録で毒ガスと表現したのは、発煙剤も化学兵器の範疇(はんちゆう)に入り、また、くしゃみガスなども煙を出すが故に、化学の専門家ではない歩兵が、発煙剤のことを広い意味で、毒ガスと呼んだであろうことは十分考えられる。素人が虫垂炎のことを盲腸炎と称するに似ているのではなかろうか。 NHKスペシャルでは、「赤筒とは吐き気や呼吸困難を引き起こすガスを発生させる化学兵器です。毒性は低いものの密閉された状態で使うと死に至ることもあります」(傍点筆者)と述べている。 密閉した場所で使用すれば、車の排ガス、炭火でも中毒死する。 平成9年に発効した「化学兵器禁止条約」においてさえ条約が禁じないくしゃみガスや催涙ガスは「暴動鎮圧剤」と位置付け、「戦闘の方法として使用しないことを約束する」としているが、同条約が定義する「化学兵器」ではない。 大江少佐が、地下道に逃げ込んだ兵隊(ゲリラを含む)に降伏勧告後、追い出すために、発煙剤ではなく、仮に赤筒、緑筒を使用したとしても当時違法ではなかった。四、殲滅と虐殺 日本軍の北疃村攻撃を、『戦史叢書』も『聯隊史』も「殲滅」と呼んでいる。軍事用語における殲滅は、いわゆる皆殺しではなく、大勝を意味する。戦史上有名なタンネンベルヒの殲滅戦(第一次世界大戦初頭の1914年、タンネンベルヒで独軍が露軍に大勝した戦い)でもロシア軍二十数万中、死傷は約5万、捕虜は9万余で、死傷者は4分の1である。 読者の中には、殲滅を皆殺し、虐殺と考えている人がおれば、誤解を解いておかねばならない。 大江大隊長は、坑道の出入口を発見し、通訳を通じて降伏を勧告したが、応じないから、止むを得ず発煙筒の投入を下命。投入後壕から出たものは捕虜にした。壕から出ず自爆、或いは窒息しても、虐殺ではない。また『戦史叢書』や『聯隊史』で、攻撃成功の原因を、日本軍の精強、軍規の厳正が民衆に理解され、適時適切な情報が民衆から得られたことにあると述べている。中国側の記録、中国におけるいわゆる「軍事裁判」での上坂少将の「供述書」、中国人の発言などのような民衆に対する虐殺を行っている筈がない。五、犠牲者、焼失家屋 犠牲者数は、毎日新聞(平成8年)の中国側の記録で約千人、10年の「世界」で李氏が新井氏に対し1300人ほど、10年8月13日付朝日新聞夕刊では「中国側の調査では約千四百人」と述べ、いわゆる「南京事件」同様、年月の経過とともに増大している。この分では21世紀中に万を超えるであろう。 毎日新聞は、中国側の記録による犠牲者は村民約千人、八路軍兵士数十人と述べている。しかし、『戦史叢書』では「中共軍一コ営」、『聯隊史』では「一コ営如きではなく、相当な兵力」と述べている。一コ営は3~500人だから、八路軍の兵力は一千人近かったと思われる。中国側記録で兵士数十人、村民約千人は、『聯隊史』に、便衣に着替えて「我的老百姓」と言う者がいた、とあるように、兵士のかなりの者がシナ兵の常套手段である便衣に着替えたものと思われる。 また、李化民氏は、村の家はすべて焼かれたと述べているが、上坂供述書なるものでさえ焼失家屋約3軒となっている。『戦史叢書』『聯隊史』にも家屋焼失の記述はない。 本作戦の遂行には、家屋の焼却は不要、逆に民衆の反発を招く、無用な焼却をする筈がない。通州虐殺事件通州虐殺事件 通州虐殺事件とは、昭和12年7月29日、中国保安隊によって、幼児十数人を含む二百数十人の、わが守備隊、居留民が虐殺された事件である。 虐殺の状況について、東京朝日新聞、極東国際軍事裁判(東京裁判)における目撃者は、次のように述べている。一、東京朝日新聞 8月4日付(3日発行)夕刊は、第一面で、見出しに「恨み深し 通州暴虐の全貌」「保安隊変じて鬼畜」「罪なき同胞を虐殺」「銃声杜絶(とだ)え忽(たちま)ち掠奪」「宛(さなが)ら地獄絵巻!」「鬼畜の残虐言語に絶す」を挙げる。通州事件の現場と救援の日本軍部隊に保護された邦人ら(『支那事変聖戦写真史』忠勇社、昭和15) 本文では「あゝ何といふ暴虐酸鼻、我が光輝ある大和民族史上いまだ曾てこれほどの侮辱を與(あた)へられたことがあるだらうか」、「男女の区別さへ付かぬ目を蔽(おお)ふ惨憺たる有樣である、身體(しんたい)の各所を青龍刀で抉(えぐ)られ可憐な子供、幼児迄も多数純真な魂を奪はれてゐるではないか、又東門の他の池にも二十九名の惨殺死体が抛(ほう)り込まれ、これ等はいづれも縛られた儘でこゝまで連れられ嬲(なぶ)り殺しに遭ったのだ、近水(きんすい)旅館は日頃保安隊の無理を聞いてゐながら十一名の女給達が全部裏の池に投げ込まれ人情を絶した鬼の仕業だ、在留邦人中僅かに百廿一名が警備隊に収容されたのみで数百余名は虐殺されたのだ、生き残った者はいづれも銃声と共に支那人に化け女は髪を短く切り日頃親しい支那人の家にかくまはれた者ばかりで、一瞬の間に気転を利かして危機一髪を逃れた運命の導きである、併し子を呼び親を搜して街を彷徨(さまよ)ふ姿の哀れは真に言語を絶した惨状である」と述べている。二、極東国際軍事裁判 「極東国際軍事裁判速記録」第五巻で、当時の目撃者は次のように供述している(抜粋)。 (一)萓嶋高(元陸軍中将、救援のために通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二連隊長) ―旭軒とか云ふ飲食店を見ました。そこには四十から十七、八歳迄の女七、八名は皆強姦され、裸体で陰部を露出した儘(まま)、射殺されて居りました。其の中(うち)四、五名は陰部を銃剣で突刺されてゐました― (二)桂鎮雄(元陸軍少佐、第二連隊の歩兵砲中隊長代理) ―錦水楼の門に至るや…男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣の様でありました― ―私は一年前に行ったことのあるカフェーヘ行きました。…一つのボックスの中に、素っ裸の女の屍体がありました。これは縄で絞殺されてをりました。カフェーの裏に日本人の家があり、そこに二人の親子が惨殺されて居りました。子供は手の指を揃へて切断されてをりました―通州事件でシナ兵に惨殺された邦人の遺体。遠目にはわからないが、それぞれの遺体には日本人に想像できない残忍な殺害の手口が、ありのままに残されていた(支那駐屯軍北平憲兵分隊撮影) (三)桜井文雄(元陸軍少佐、第二連隊小隊長) ―東門の近くの鮮人商店の付近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せて、それに八番鉄線を通し(貫通)一家六名数珠繋ぎにして引廻された形跡、歴然たる死体がありました。池の水は血で赤く染まって居たのを目撃しました―三、「北疃村」は通州虐殺の引用 李慶祥氏は朝日新聞で「事件の後しばらくは、子を探す親、親を探す子たちの泣き声が響いた。村は死んだ。人類史上でも珍しい事件だ。今の日本人には理解出来ないかも知れないが、鉄のような(確かな)事実なのです」と述べている。 が、この表現は通州虐殺事件に関する東京朝日新聞の「子を呼び親を搜して街を彷徨ふ姿の哀れ」「あゝ何といふ暴虐酸鼻、我が光輝ある大和民族史上いまだ曾てこれほどの侮辱を與へられたことがあるだらうか」とほぼ同じ表現である。 また、李徳祥氏が述べた強姦、幼児虐殺、目玉の抉り取り、井戸(池)への投げ捨てなどの虐殺方法も、東京朝日新聞などが述べている通州事件におけるシナ人の虐殺行為のコピー発言である。日本人にはシナ人のような虐殺の習慣はない。 通州虐殺事件に関する東京朝日などの新聞記事、東京裁判での目撃者の証言を転用したものである。中国の意図 中国の意図        中国が、戦後50年以上も経ってから将官等の供述書と称するものを発表した理由は、供述者だけではなく、供述書に実名を挙げられている兵士のほとんどが死亡しているので、嘘八百でも、当事者から反論を受ける心配がない。戦後賠償の新たな要求材料になると目論んだからであろう。 朝日新聞(平成10年4月10日付夕刊)によれば、当時の「撫順(ぶじゅん)戦犯管理所」の管理教育科長で後に所長となった金源氏(72)=朝鮮慶尚北道出身=が、朝日新聞の質問に対し「当初は『百人程度を裁いて約七十人を死刑にする』との案を固め、当時の所長らが北京の周恩来首相に会って報告した。すると、首相は『裁判にかける人数はもっと少なく、死刑や無期(禁固)は一人も出すな。有期刑は最高でも二十年。今は納得できないかもしれないが、二十年後に分かる』と命じた」とのことである。 金源氏の言を信ずれば、周恩来は、70人くらいを殺害しても、中国は得るものが一つもない。白髪三千丈式の偽供述書を書かせた方が国益であると判断したのであろう。朝日新聞は「寛大な処分」として、偽供述書を宣伝している。「死せる周恩来、生ける日本のマスコミを走らす」である。 江沢民中国主席来日に合わせ、タイミングよく発表、わが国に精神的負い目を負わせた中国の狙いが見え見えである。 問題になっている中国系米人女性アイリス・チャン氏の南京事件に関する根拠に基づかない〝でっち上げ″著書『レイプ・オブ・南京』も、中国に、平身低頭する、わが国の政治家、国民を見て、わが国を永久に中国の精神的奴隷にすることを狙ったものであることは疑いの余地がない。東京裁判の検事役より日本の魂を 普通の国の国民は、敵国に捕虜となった自国民の供述書は、偽物もしくは脅迫、強要によるものだと一笑に付す。また、50年以上も前のことを尤(もつと)もらしく、自国の悪口を述べる外国人の証言は信用せず、逆に非難する。 ところが、日本国民から受信料を徴収しているNHK、社会の公器を豪語する朝日新聞などは、敵国だった中国の裁判記録、中国人の発言だけを、真偽を確かめず、真実として大々的に報道し、味方である防衛庁の戦史、聯隊史の内容を報道しないばかりか、その存在さえ伝えない。 特に朝日は冒頭に述べたように、『北疃村大虐殺』との新語まで創作した。反論を加えないで放置すれば、虚偽が一人歩きして真実になり兼ねない。NHKや朝日新聞などの報道は、当時の日本軍人ばかりでなく、子孫の名誉と人権を著しく奪い、日本人としての矜持が微塵も感じられず、とても同胞のものではなく、「日本人の皮を被った中国人」としか思えない。 朝日新聞は昭和12年の通州虐殺についての自紙の記事を読み直し、目を覚まし日本人の魂を取り戻すべきである。 わが国民にもいずれは愛国心が芽生え、普通の国並みに戻るであろう。朝日新聞は、その時の日本国民の評価を恐れるべきである。(月刊「正論」平成10年12月号初出)かきや・いさお 昭和13年石川県生まれ。昭和37年防衛大学校卒業(第6期)と同時に陸上自衛隊入隊。41年大阪大学大学院修士課程(精密機械学)修了。陸上幕僚監部防衛部、陸上自衛隊幹部学校戦略教官、陸上幕僚監部教育訓練部教範・教養班長、西部方面武器隊長などを経て、平成元年防衛大学校教授。国防論講座主任として国防論を指導。4年陸上自衛隊武器学校副校長。5年退官(陸将補)。退官後は軍事評論家となり、戦勝国やマスコミなどによって歪められた日本軍の実際の姿を正しく検証し、国際関係についても評論を続ける。同時に国民一人一人が国防意識を持ち、実戦する大切さを訴える。著書に『自衛隊が軍隊になる日』『徴兵制が日本を救う』、近著に『自衛隊が国軍になる日―「兵役」を「神聖な任務」とし普通の国に』(いずれも展転社)。

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    蒋介石の視点から見た「南京」  浮かぶ日中のさまざまなズレ

    なったことを、その回想の中で残しているのである(朝日新聞社法廷記者団『東京裁判』昭和22)。 日本のメディアにとって、南京事件は突然出された驚愕の「真実」であった。「南京大虐殺」を昭和12年当時の「日本の新聞からうかがい知ることは、不可能に近い」ことであった。法廷記者たちは何ら自らの情報をもたないままに、次々登場する証人や証言と提出される厖大(ぼうだい)な「証拠」を前に呆然としたのである。 その内容は、新聞紙上で詳細に伝えるにはあまりにも問題があったために、裁判が他の重要案件に移ると、それに対する関心は低下し、以後「南京大虐殺」の内容に関する裁判報道はほとんど出なくなる。 なぜなら、「東京裁判」の中心審議は戦争の謀議・遂行を問われる「平和に対する罪」が中心であったからであり、「南京大虐殺」は「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」に属し、BC級裁判に委ねられるべきもので、主要罪行とはならないとされたからである。 東京裁判に関する日本の報道は、日本がおこなった戦争そのものを反映していた。現在でも大多数の日本人が先の主要戦争相手をアメリカであると認識しているように、日本人にとって、戦争の直接的体験は太平洋戦争によってもたらされ、それ以前に展開されていた日中戦争に関しては、ほとんど知識がなかったということができる。 それが、戦後も日本人の関心の低さにつながっていく。「南京大虐殺」に関する報道は昭和21年8月30日以降ほとんどなされず、一般の国民にはその「信憑性」に対する疑惑だけが根強く残った。新聞報道はそのような日本人の心情を受けて、その扱いは極めて消極的となった。この情況は基本的に今日まで引き継がれている。 日本が起こした戦争は、地域的に広大で、相手国も極めて多数であったため、複雑であり、裁判での罪状は多岐にわたった。その中、主要な戦争犯罪はアジア・太平洋戦争に関するものが多く、日中戦争は相対化されるという傾向にあった。 南京事件に関しては、虐殺された中国人は20万人以上であったことが東京裁判の判決文に刻まれたが、新聞各紙の主要判決の抜粋に「南京大虐殺」を選んだものはほとんど見られず、判決に関する論評は「平和に対する罪」と今後日本が歩むべき「平和と民主」の重要性を強調するものに特化したのであった。「外交は無形の戦争」とした蒋介石「外交は無形の戦争」とした蒋介石 平成24年に出版した拙著『蒋介石の外交戦略と日中戦争』(岩波書店)で明らかにしたように、他国からは二国間戦争、地域紛争と見られていた昭和12年7月7日からの日中戦争は「外交は無形の戦争」であり、「有形の戦争よりもその効果は上である」と主張する蒋介石の外交戦略の中で、アジア・太平洋戦争の勃発による第二次世界大戦の一部に組み込まれていった。 蒋介石は昭和16年12月8日の日本の真珠湾攻撃、それにともなう日米開戦を知ると、「抗戦四年半以来の最大の効果であり、また唯一の目的であった」と自らの日記にその逸(はや)る心情を綴った。それは、蒋が最も待ち望み、ローズヴェルト大統領に対する密着外交によって、アメリカに強く、また執拗に働きかけていたことでもあった。 蒋介石は開戦の翌9日午後5時、自ら国防最高会議常務会議を招集し、「英米諸友邦」と共に「対日宣戦」をおこなうことを即座に決定した。蒋介石はその後中国が連合国側の一員であり、日中戦争が第二次世界大戦の一部であることを各所で強調していく。激しい表情でラジオ演説する重慶時代とみられる蒋介石 外交的側面からいうと、1942(昭和17)年10月の英米との不平等条約の改正(主に治外法権)、アジア・太平洋戦争直後からの「四大国」の地位の確保は、戦争という局面がなかったら達成は困難なことであった。このように、日中戦争が二国間戦争という枠組みからはなれ、国際化したことが中国の勝利に大きく貢献したことは否めない。 しかし、このことが日中戦争の戦後処理を曖昧にするという結果を招いたこともまた事実である。 中国国民党の機関紙であった中央日報は1946年5月3日、東京裁判が始まったことを伝える報道をしているが、この時日本の戦犯がドイツの例に倣(なら)って極刑になることを望むと論評している。 また、南京大屠殺(大虐殺)の責任者を橋本欣五郎であるとの認識を示している。しかし、橋本は判決において南京事件関連は無罪となり、絞首刑を免れ、終身刑となっている。1948年11月13日付中央日報は「東京国際軍事法廷」のこのような判決結果を記事として載せているが、淡々と事実関係を報じただけで、論評や批判はおこなっていない。中華民国は東京裁判に無関心中華民国は東京裁判に無関心 また、当時の中国の東京裁判報道からわかることは、アメリカ主導の東京裁判には極めて無関心、もしくは不介入の対応をしたことである。直接の関与は南京の住人数人を証人として訪日させたことと南京地方法院の調査報告書を証拠として提出したことくらいであった。 しかも、それもアメリカからの要請によっておこなわれたことであり、自主的な関与とはいい難い。管見の限りでは、中国の新聞の「東京裁判」についての本格報道は1946年8月17日付に見られるだけである。その理由は、アメリカの強い報道管制の中で与えられた情報のみを間接的に得て伝えていたことが考えられる。 一方で、張憲文主編・胡菊蓉編の『南京大屠殺史料集24 南京審判』に見られるように、国民政府国防部による南京軍事法廷におけるBC級裁判に関する報道は開廷当初の1946年中には被告・谷寿夫の風貌や表情までも記事にするほど詳細に報道されていた。 しかし、中国共産党と国民党の内戦の激化という中国の政治情勢の激変によって、それは極めて簡単でおざなりなものとなっていったといわざるを得ない。国民政府は戦犯の追及を簡素化、釈放していくことで日本との新たな外交関係を構築しようとしたのである。 すなわち、中国においては、南京事件は日本以上に一般人民には知られていない歴史事象であった。中国共産党が1945年4月20日に採択したいわゆる「歴史決議」においても、続いておこなわれた抗日戦争の総括となる朱徳の軍事報告「解放区の戦場を論ず」(4月25日)においても、南京事件に関する内容は見ることができない。 また、国共内戦に勝利した共産党が中華人共和国を建国して23年後の1972(昭和47)年9月、田中角栄総理の訪中による日中国交正常化交渉においても、周恩来は日中戦争の最大の被害の例として「三光政策」を出したが、南京事件は問題とはならなかった。中国共産党の「歴史改竄」中国共産党の「歴史改竄」 中国共産党の機関紙である『人民日報』が初めて南京大虐殺の特集記事を出したのは、1982(昭和57)年8月2日のことであった。その原因は、日本の歴史教科書をめぐる誤報にあった。 同年6月26日付の新聞各紙は、文部省が検定で日中関係に関して「日本軍が侵略」を「進出」などと書き改めさせたと報じた。後に「誤報」と明らかになったが、6月30日付人民日報は「日本文部省が検定した教科書は歴史を歪曲し侵略を美化する」という記事を掲載した。 そして、8月2日には南京事件の特集「どうして歴史を改竄(かいざん)することができるのだろうか―日本軍の南京大虐殺実録」を組み、日本兵が中国人の生首をぶら下げているなどの写真を掲載してその惨状を報じ、日本政府が「歴史を正視」すべきであると強調した。 さらに、8月15日付では、社説で日本の教科書の「改竄」を批判し、南京ばかりでなく、日本がシンガポールやフィリピンでも「大虐殺」をおこなったと激しく非難した。そして、鄧小平は南京市郊外に「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京大虐殺記念館)」を建設することを指示した。1985年8月15日にオープンした同館の入り口には「遇難者(被害者)300000」の文字が刻まれ、現在に至っている。 これら人民日報の記事には大変大きな「歴史の改竄」がある。それは、南京事件が「中国の軍隊の激烈な抵抗」の末起きたと書いてあることである。 中国共産党は、抗日戦争を「偉大な中国の軍隊と人民の勇敢さ」と「光栄な犠牲」によって勝利を得たと語ってきた。南京事件もその物語の中に組み込もうとしているが、それはとても困難な作業である。 すなわち、南京事件が起きた12月13日の未明、南京を守っていた中国の正規軍は、蒋介石の撤退命令によって、揚子江(長江)を渡って退散し、日本軍が突入したときに残っていたのは逃げ遅れた兵士と一般市民、そして平服に着替えて市民になりすました便衣兵のみであったのである。いわば、日本軍は無血入城した訳であるが、その事実を日中両国共にいまだに正視しようとしない。日本軍の南京攻略を前に軍幹部を引き連れて早々に重慶へと退避した蒋介石(左から2人目)。南京には衛戌軍の兵隊と多くの住民が置き去りにされた また、南京事件はその後中国の歴史教科書に一節を設けて特集されるようになるが、そこには、一律南京陥落後に国民政府が首都を重慶に移したと書かれている。これは、日本のほとんどの歴史教科書もおかしている誤った認識である。 国民政府による重慶への首都移転は、南京事件の以前に実行されていた。南京はいわば「棄都」であり、南京の民は「棄民」であった。日本は、南京を首都と報道し続け、首都陥落を大々的に報じ、日本全体が祝賀ムードに酔いしれた。その時の認識が正されず、今日の歴史教科書にまで反映され続けていることには驚きを隠せない。南京撤退にのぞく蒋介石の遠望南京撤退にのぞく蒋介石の遠望 では、なぜ蒋介石は日本軍が南京を取り囲み、突入の構えをしている情況の中で、撤退命令を出したのか。その解明は、南京事件がなぜ起きたのかを考える上で、重要な意味を持つ。 1937年7月7日の盧溝橋事変勃発後、蒋介石は国内の抗日民族統一戦線結成要求の盛り上がりへ対応するために、武力行使を余儀なくされていく。しかし、同年5月にアメリカが「中立法」を拡大解釈し、正式に成立させたことへの対応に苦慮するようになる。すなわち、対日宣戦布告をすれば、アメリカからは兵器・弾薬・軍用器材などの援助はもとより、財政的な支援も望めない状況となる。 それは、日本も同じことであった。日本は、石油やくず鉄など多くの物資をアメリカからの輸入に頼っていた。この点では、日中の利害は一致していた。そのため、日中戦争は双方共に宣戦布告をしない、歪んだ戦争となったのである。 アメリカの国務長官であったハルは、8月23日公式に声明を発表し、日中双方に停戦を呼びかけ、アメリカの立場を明確にした。その後国民政府は8月30日と9月10日国際連盟に声明文を提出して、①中国は「平和を愛護する方針」には変りがないが、②事の成り行きによっては「自衛を実行せざるを得ない」として、その「苦衷」を世界に向けてアピールしていく。 これに対して国際連盟はこの声明文を加盟国全体に送り、アメリカを代表とする「中日問題諮問委員会」において日中紛争の審議を開始する(中央日報9月11日付)。 このような国際情勢の中で、日本の上海・南京・広州など主要都市に対する空爆は日増しに激しくなり、1937年9月22日の第二次国共合作成立以後中国国内の抗日の機運も高まっていく。しかし、英米はこの時期あくまでも日中双方に対して停戦と和平を勧告する姿勢を貫く。蒋介石が上海と南京の防衛戦で見せた作戦の不徹底の原因には、このような英米の姿勢に対する「苦衷」があったといえる。 この時期蒋は各所で日本に対する国際制裁の必要性を訴え、そのことが国際平和につながることを強調した。また、十月二十九日国防最高会議において、首都を四川省重慶に移転させることを決定した。蒋は、2年前から奥地建設に力を入れ、不測の事態に備えていたのである。この政策は、蒋介石の「持久戦論」実践のための戦略であったということができる。 そのため、蒋介石は11月3日ブリュッセルで開幕した「九国条約会議」の決定に強い期待をかけた。この時期、蒋介石は共産党勢力の「跋扈」を「内憂日ごとに増大する」として警戒感を強めていた。すなわち、蒋にとって英米の協力を得られないままでの対日全面抗戦は、共産党およびソ連の影響力を増大させることになるため、なんとしても避けなければならなかったのである。主要国の鈍い反応主要国の鈍い反応 しかし、蒋介石の期待に反して、九カ国条約会議は11月15日「宣言」を発表し、あくまでも「中立」の立場を堅持する姿勢をみせ、日中両国の「武装衝突」の「継続進行」は会議参加国の「生命財産」に重大な「損害」を与えているとし、「即時停戦」を合意勧告した。 このような九カ国条約会議に対し、国民政府代表として出席した顧(こ)維鈞(いきん)は、11月23日の会議での演説で強い不満と憤りを表明し、「各国が物質上の援助を中国に与え、並に兵器・弾薬および金銭的援助を日本に与えることを停止すべきこと」を要求した(新中華報11月24日付)。米スタンフォード大学フーヴァー研究所で公開されている「蒋介石日記」 それでも翌日同会議は、あくまでも「商務財政上の相互利潤の目的」から軍縮と「非武力」の原則を貫く必要を強調した上で、「無定期延会」を宣告して閉幕したのであった。日本はこのような九カ国会議の状況を具(つぶさ)に報道し、「支那事変」に対する国際制裁がおこなわれないことを、当然のことと受けとめたのである。 日本軍による南京攻略は、中国にとっては日本に対する国際制裁の可能性が望めなくなったと同時に、各国が強く和平と停戦を勧告するという状況の中でおこなわれていった。 1937年11月20日、国民政府は首都の重慶移転を公式に発表した。同日公布された「国民政府遷都宣言」には日本との戦いは「持久戦」になるため、抗戦を継続するためには「国際的同情」と「民衆の団結」が必要であることが述べられている。蒋介石にとって、「持久戦論」は長年の持論であるが、「持久戦」は国際的、特に英米による支援獲得のための闘いをも意味した。 蒋介石は九カ国条約会議が無期延期を決定して閉会した11月24日、唐生智(とうせいち)を南京衛戌(えいじゆ)(護衛)司令長官に任命し、その総指揮を任せる。28日唐は外国公館・教会・報道関係者らに「南京と存亡を共にする」覚悟を語った。そのような状況下で蒋介石は、12月7日南京を離れ廬山へと移る。日本の新聞各紙は蒋の「離京」を一斉に「都落ち」と論評して、翌8日付で大きく報じた。 12月11日、日本軍は南京城外中山陵を占領する。蒋介石は、南京撤退命令の文書を11日の午後に腹心の部下であった陳布雷(ちんふらい)と秘密裏に作成したとその日記にはある。この時蒋は南京の戦況を、雨花台(うかだい)、中山門(ちゆうざんもん)、富貴山(ふうきさん)砲台は日本軍の手に落ち、紫金山(しきんざん)はなお中国軍の手にあり、光華門、通済門(つうさいもん)は平穏であるとの報告をうけていた(「蒋介石日記」12月11日)。三年がかりの持久戦を覚悟3年がかりの持久戦を覚悟 中山門には軍官学校があり、10日日本の空爆を受け、壊滅的に破壊されている。このことが蒋介石に与えた影響は大きかった。蒋にとって、軍官学校は特別の存在であった。蒋はこの日、日本軍が疲弊し、国際干渉がおこなわれるまで「準備に3年かかり、それまで苦闘しなくてはならない」との決意を述べている。 すなわち、蒋介石は中国の最高軍事指導者として、南京完全破壊の前に撤退を決定したということができる。その理由には、①日本と南京衛戌軍との軍事力の差に対する認識②ソ連の軍事援助の拒否、そして③アメリカの中立法と不戦条約の枠組み維持という形での国際的援助が期待できない情況であったこと―が考えられる。さらに蒋は、南京で徹底抗戦をおこなえば、共産党勢力が拡大することになると怖れていた。 蒋は、日本との戦争を持久戦に持ち込めば必ずや国際世論を味方につけることができると信じていたため、最終的には勝利できると予測していた。また、ドイツの駐華大使であったトラウトマンの和平工作も秘密裏に動いていた。そのため、一時的に撤退し、南京を日本軍の手に落としても、共産主義がはびこるよりは取り戻しやすいと判断したと考えられる。 12日日本軍は中華門に進撃し、中山門から城内に攻め込む。このような状況の中で午後3時南京司令部に「命令」が下され、五時南京を護衛していた唐生智は各高級将領会議を招集し、蒋介石の撤退命令を伝える。将校たちに動揺はなく、速やかに撤退の準備に入った。 しかし、この命令は、一定の地位以上の兵士までしか伝わらなかった。逃げ遅れ、捕虜となった兵士が多かったのはそのためである。夜中の11時、南京衛戌軍は撤退を開始し、13日未明に撤退を完了する。同日日本軍は、正規軍が退散した南京を占領する。 蒋介石は南京撤退に関する宣言を無線伝達で送信したのであるが、抗日戦を継続させ、持久戦に持ち込むための撤退であることを強調している。蒋がこの時期最も望んだことは、各国の利権が絡む国際都市であった上海や南京の日本軍による占領に関して、反対する国際世論が起き、各国に自然発生的に日貨排斥運動や日本との協力関係を断絶する動きがおきてくることであった。 しかし、日本はこの時期、アメリカの方針があくまでも「支那事変」を戦争とは見なさず、「中立法」の適用をおこなわず、「不介入」政策を堅持するものと確信していたのである(東京朝日新聞12月8日付)。一人歩きする「数字」検証が重要一人歩きする「数字」検証が重要  12月15日、蒋介石は「南京退出宣言(「我軍退出南京告国民書」)」を公表する。ここで、蒋は「この度の抗戦開始から今まで、我が前線将士の死傷者はすでに三〇万人に達している」と述べている。この数字が、南京大虐殺30万人説へと一人歩きした可能性は高い。 また、アメリカのスタンフォード大学フーヴァー研究所で公開中の「蒋介石日記」を見ると、この時期蒋介石は、南京から大量に逃げてくる難民の「安置」方策を考えるようになり、特別予算の捻出等の南京陥落後の処置の仕事に追われるようになる。 この南京からの難民の数と「南京大虐殺」の被害者数の人口減少根拠説とは、慎重にすり合わせる必要がある。 蒋介石が南京の民に対する日本軍による残虐行為に言及するのは翌38年の1月22日になってからである(「蒋介石日記」)。それは、サンケイ新聞社『蒋介石秘録』の記述と符合する。『秘録』には「倭寇(わこう)(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫を繰り広げている。野獣にも似たこの暴力は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ」とある。ただ、ここには被害数などの記述は見ることはできない。台湾逃避後も専制的な政治で支配者として君臨した蒋介石。晩年も日記を付け続けた 台湾の国史館の檔案(とうあん)史料には、南京を護衛していた唐生智・羅(ら)卓英(たくえい)・劉興(りゆうこう)が1937年の12月27日になって蒋介石に提出した南京撤退に関する報告書が残されている。ここには南京のそれぞれの通用門を守っていた各部隊の「功罪と得失」が分析されている。 ここで総括された南京陥落の最大の要因は、「新しく補充した兵士」が多すぎ、上下関係、命令系統が認識されず、戦況が激烈になると敗走する兵士が多かったことにあり、前線は蒋介石の撤退命令が出るかなり前から収拾がつかない状況に陥っていたことが克明に描かれている。 このことは、日本軍が日々増えていく逃げ遅れた中国軍正規兵の「捕虜」、捕えた便衣兵などの多さに窮し、殺害へと向かった状況を裏付ける。この唐生智らの報告は、日本側の南京戦に参加した兵士たちの証言と一致する点が多いのである。いえちか・りょうこ 東京都生まれ。昭和52年慶應大学法学部卒業、平成4年同大学院法学研究科博士課程満期退学、13年「南京国民政府の研究―支配の不浸透要因の分析」で博士号取得。10年敬愛大学国際学部専任に就任、20年から現職。蒋介石の中華民国を中心とした中国近現代史が専門。蒋の末裔が保管を米スタンフォード大学に託し、順次公開された「蒋介石日記」研究の第一人者で、同日記初の本格研究書『蒋介石の外交戦略と日中戦争』(岩波書店、平成12)で第8回樫山純三賞受賞。著書はほかに『蒋介石と南京国民政府』(慶應大学出版会)、『日中関係の基礎構造』『増補版中国近現代政治史年表』(ともに晃洋書房)、共著に『改訂版 岐路に立つ日中関係』(同)、『東アジアの政治社会と国際関係』(放送大学教科書)、論文に「一九三七年十二月の蒋介石―『蒋介石日記』から読み解く南京情勢」など多数。

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    日本はこうして世界の「嫌われ者」になった

    世界記憶遺産に登録されたのか。理由は反日活動に腐心する中国や韓国のでっち上げだけではない。日本の左翼メディアも彼らのウソに乗っかって積極的に世界に発信してきたのである。日本はいかにして世界の「嫌われ者」にされたのか。その歴史をひも解く。

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    中韓の間違いを正す気なし! 日本の国益を守れぬ外務省の「敗北主義」

    井本省吾(元日本経済新聞編集委員) 宮家邦彦氏は優れた元外交官かつ外交評論家であり、その論考は学ぶべき点が多い。2015年9月に発行された「日本の敵」(文春新書)もその例にもれない。だが、終章「日本の敵」に至って、前回のブログ「慰安婦問題が好転し始めた--外務省の無策の中で」の関連で、強い違和感、反発を感じた。「やはり日本の外交官の限界か」という失望も。<(ロシア、中東、中国、朝鮮半島などに新民族主義が広がる今)日本が生き残るための、日本の最大の敵は「自分自身」である。……日本民族のサバイバルのためには、日本自身が普遍的価値を掲げ、自らの民族主義的衝動を適切に制御する必要がある> ここまでに異論はない。だが、この後に強い違和感を覚えるくだりが出てきて当惑させられる。<日本が国際社会において守りたい伝統や価値があれば、自由、民主……法の支配といった普遍的価値のロジックで説明していくことだ。日本が世界各国と競争しているのは国際政治であり、過去の歴史の事実関係の判断ではない><イルカ、捕鯨、慰安婦……ナショナリズムは時に普遍的価値と対立するが、これを日本人にしか理解できないロジックで何度説明を試みても、結果は生まれない。引き分けに持ち込むことは可能かもしれないが、勝利はない。これは国際政治の現実である><(過去の歴史の議論は)国際政治ではなく……教室の中でとことんやれば良いではないか。日本の政治指導者が今真剣に考えるべきことは、普遍的価値に基づき、過去の事実を受け止めた上で、これを対外的に説明する能力を高めることだ> イルカ、捕鯨の問題は置いておき、慰安婦問題に焦点を絞ろう。慰安婦問題は「日本人にしか理解できないロジック」でしか説明できない、と宮家氏は本気で思っているのか。 また、中国や韓国が現在、日本の歴史を糾弾する情報戦を国際外交戦略として大々的に展開している現実をどう思っているのか。彼らは世界各国が自分たちに呼応して日本を糾弾するように、史実を歪曲、誇張、捏造し、巧妙な論理で日本を貶めようとしている。「ウソも100回言えば、本当になる」とばかりに。それによって日本に対し道徳的優位に立ち、日本の国際的地位を引き下げようとしているのである。抗議は国益を守る外交活動だ 例えば、この秋、中国は1937年の南京事件について「南京大虐殺」という誇大、誇張した記録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出、ユネスコはこれを世界記憶遺産として登録してしまった。 日本がこれに抗議することは日本の国益を守るための国際政治である。偏頗なナショナリズムではない。国益を維持するためのまっとうな外交活動である。日本の若い世代、将来世代がいわれなき屈辱にひたされることなく、胸を張って生きていけるようにするための健全な政治である。 史実を歪曲され、濡れ衣を着せられた状態になっても沈黙していて、どんな国益があるというのか。史実を駆使して中国や韓国の主張の間違いを正すことは、歴史学の本道であり、学問の普遍的価値に基づいたものだ。決して「日本人にしか理解できないロジック」ではない。 宮家氏は、歴史について何度日本の主張をしても「結果は生まれない。引き分けに持ち込むことは可能かもしれないが、勝利はない。これは国際政治の現実である」という。だが、これこそが日本の外務省に見られる典型的な敗北主義、役人の怠慢なのである。 戦後、日本の民間企業の多くは国際市場に自社の製品を売り込みに行って、何度も苦杯をなめた。知名度も信用もなく、いくら説明しても相手にしてくれなかった。だが、それでもひるむことなく「ウチの製品は世界のライバルに負けない」という自負をバネに、さらに説明に行き、次第に顧客を獲得して行った。 売れなければ倒産が待っている。その危機感が企業家をビジネスに駆り立てた。外交官らはそれだけの危機感をもって、史実の間違いを正す努力をしているだろうか。 前回のブログで紹介したように、日本を思う民間の篤志家たちが慰安婦問題に果敢に挑み、まだわずかではあるが、日本側の主張が少しづつ、米国や国連に浸透しつつある。その努力を外交官たちはどう見ているのか。 宮家氏は「普遍的価値に基づいて説明する」ことが大事だなどと書いているが、彼の言うのは実は普遍的価値などではなく、「米国など国際的な軍事・外交力のある国々の意見、主張に従え。これが国際政治の現実だ」と言っているにすぎない。要するに「長いものに巻かれろ」ということだ。 むろん、国際政治では「長いものに巻かれる」ことも重要だ。が、同時に少しでも、国際政治の風向きを自国の国益に沿った方向に導く努力も怠ってはならない。もちろん史実という普遍的価値に沿った努力だ。 米国はじめ国際社会に対して慰安婦問題や南京事件の史実を粘り強く知らせていく。長期戦を覚悟のうえで、世界の理解を得ることが正しい外交戦略というべきだろう。(ブログ『鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌』より2015年12月24日分を転載)

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    米国に飛び火した「反日」拠点 ウソで塗り固めた戦争記念館の実態

    そも中国国民党系でした。しかし、90年代に2代目社長の息子が中国共産党の上海閥の高官の娘と結婚。現地メディアは「国共聨姻」と記し、「ファン家は国民党を食い、共産党も食う」などと報じました。その“予言”どおり、アジアン・ウィーク社は地元の英字メディアを次々と買収、合併していったのです。つまり江沢民派(上海閥)との“密接すぎる関係”で大躍進していったのが、サンフランシスコの抗日戦争記念館の創始者兼館長であるファン家族なのです。 ファン女史は、2000年1月に北カリフォルニア州中国和平統一促進会をサンフランシスコで創設。その名誉会長という立場で同年8月、欧州で開催された全世界華僑華人中国平和統一促進大会に出席して、「中国と台湾、両岸の平和統一のために支えます。統一してこそ中華民族が飛躍し、21世紀を華人世紀にするという理想を実現させることができます」と発言したと、中国語メディアに記されています。戦後の勝者はコミンテルン? 杉田 国民党系から共産党系に乗り換えたのか、双方を合体させていったのか? 両岸でずっと対立していたと思われてきた2つの政党が、アメリカを舞台に90年代より共存共栄を企てていたのですね。まさに「オール・チャイナ」といえます。 河添 つまり、サンフランシスコの抗日戦争記念館は“新・国共合作”による「歴史戦の旗艦施設」という立ち位置なのかなと思います。中国人は主義・主張というより権力、すなわち利益と結託しますし、われわれが入り込めないネットワークを基軸に動いています。そもそも「誰が米中を舞台に抗日プロパガンダをやってきたのか?」といえば、そのパイオニアは宋美齢だったと私は考えています。 無能力で腐敗しきった蔣介石政権を美化し、キリスト教徒である西洋社会との共通性を強調しながら、英語力でルーズベルト大統領を説得してアメリカから多大な資金と物資を供給させる。そして、フライング・タイガーを呼び込んで日本軍と交戦させ、石油など必要物資の日本への禁輸にまで踏み切らせたのです。さらに、米ルーズベルト大統領にオネダリし、1943年11月27日、英国ウィンストン・チャーチル首相との米英中三国会談――対日方針などを決めたとされるカイロ会談に蔣介石を押し込みました。 杉田 実質的には、宋美齢とルーズベルト、チャーチル会談だったのでしょうね。宋美齢にまつわる四方山話というか初暴露は、このたびの新刊でもたっぷり披露しています。 戦後の勝者はコミンテルン?  杉田 噂にあったとおり、韓国に事務局を置く日中韓などの8カ国・地域の民間団体からなる「国際連帯委員会」が、慰安婦関連資料をユネスコへの記憶遺産に登録申請しました。中国外務省の報道官は「被害国の民間組織による共同申請を支持する」と公式に表明しています。今回の申請では、歴史問題で日本と徹底的に対抗したい中国政府が裏で大きな影響力を発揮した可能性が高いですよね。 河添 そう考えます。両国が結託する意図は、「残虐非道な日本人」を拡散し、反日組織をより拡大させ、世界へ発信していくこと。さらに賠償請求と請求金額のつり上げにあるのでしょう。そして、その先が日本の財閥系企業を破綻させるか、乗っ取ろうって流れではないでしょうか。 杉田 なにせ、今回の申請では強制連行された慰安婦の数が20万人から40万人以上に膨らんでいます。賠償請求に関して言及すれば、被害者はすでにほぼあの世ですが、遺族の数が多ければそれだけガッツリ賠償請求ができるってことですよね。なりすましは、さらに増えそうです。 河添 中華人民共和国の習政権が仕掛ける「歴史戦」の本丸は、「参加していない」サンフランシスコ講和条約の否定であり、「カイロ宣言」「ポツダム宣言」を規範とする戦後体制への転換なのです。他方、サンフランシスコ講和会議に呼ばれなかった中華民国、つまり国民党政権は、日本と1952年4月に日華平和条約を締結し、その際、賠償請求権が放棄されています。中華人民共和国も1972年に日中国交を樹立した際、賠償請求を放棄しているのですが、日華平和条約はこの時点で破棄され、無効となったと主張する中華人民共和国とそれを認めていない中華民国とのあいだで歴史のすり合わせをしなければ、どうにもなりませんけれど……。平和ボケが進行して、すでに不感症 杉田 中国共産党と中国国民党という双子の政党が国際社会で並走しながら、そうした矛盾をご都合主義的にどう修正していくのか。今後も、ずっと注視しなくてはなりません。 河添 ただ、日中戦争を戦ったのもカイロ宣言に関わったのも、中華民国であり中国国民党です。だからこそ、政党として弱体化しようが、中国共産党からすれば存在価値はまだまだあるのでしょう。ポツダム宣言には「日本国軍隊の完全な武装解除」「日本国領土の占領」などが謳われていますが、これは“日本の属国化”や“日米安保の破棄”などを虎視眈々と狙う中国政府の野望、さらにはコミンテルンの悪巧みとも合致します。ドイツ・ポツダムでの首脳会議の合間に、スターリン・ソ連首相(左)の宿舎を訪問したトルーマン米大統領=1945年7月 杉田 国連を使って、とうとう皇室典範にまで踏み込んできました。 河添 そうですね。中国政府そしてコミンテルンは、これまで皇室の解体と神社潰しを目論んできました。日本の強さの根源が、天皇陛下と皇室にあると分析しているのです。さらに、日本人の大多数が望んでいないはずの“ジェンダーフリーな社会”に向けた工作にも注力しています。日本は敗戦後、38度線で分断された北朝鮮と韓国のようにはならなかったけれど、思想の分断工作についてはかなりやられてしまった。日本国民は、サイレントマジョリティとその声を代弁する一部の保守がいて(まぁ右翼などと揶揄されますが)、それに対してマジョリティのフリをした左翼が真ん中に居座っています。 杉田 事なかれ主義と能天気さゆえに放置しつづけてきた挙げ句が、醜く肥大化してしまったような……。「平和ボケ」が進行して、すでに不感症? 河添 まったくねぇ。このたびの新刊の『「歴史戦」はオンナの闘い』は、杉田さんの大きな力が加わっていますので、国内のみならず世界でも話題になるよう頑張りたいです。 杉田 私も頑張ります! われわれ女子が、皆さんの危機感を刺激しつづけることを期待して!すぎた・みお 前衆議院議員。1967 年、兵庫県神戸市生まれ。前衆議院議員(1 期)。日本のこころを大切にする党(旧:次世代の党)所属。鳥取大学農学部を卒業後、住宅メーカー勤務を経て、兵庫県西宮市役所に勤める。2010 年に退職し、2012 年、日本維新の会から出馬し、衆議院議員初当選。従軍慰安婦問題など数々のタブーに切り込み一躍注目を浴びる。他にも子育てや歴史外交問題に積極的に取り組む。充電中の現在も、国際NGOの一員として国連の「女子差別撤廃委員会」「人権基本理事会」などで日本の真実を国際的に発信するなど、東奔西走の日々を送る。国家基本問題研究所客員研究員、チャンネル桜、チャンネルくらら、チャンネルAJERのキャスターを務める。先の著書に『なでしこ復活――女性政治家ができること』(青林堂)、『みんなで学ぼう日本の軍閥』(共著、青林堂)、『胸を張って子ども世代に引き継ぎたい:日本人が誇るべき〈日本の近現代史〉』(共著、ヒカルランド)。現在、『産経新聞Web』に「杉田水脈のなでしこレポート」を連載中。 かわそえ・けいこ ノンフィクション作家。1963 年、千葉県松戸市生まれ。名古屋市立女子短期大学卒業後、1986 年より北京外国語学院、1987 年より遼寧師範大学(大連)へ留学。1994年に作家活動をスタート。2010年に上梓した『中国人の世界乗っ取り計画』(産経新聞出版)は、ネット書店Amazon〈中国〉〈社会学概論〉の2部門で半年以上、1位を記録するベストセラー。主な著書は『世界はこれほど日本が好き №1親日国・ポーランドが教えてくれた「美しい日本人」』(祥伝社)、『だから中国は日本の農地を買いにやって来る TPPのためのレポート』『豹変した中国人がアメリカをボロボロにした』(共に産経新聞出版)、『国防女子が行く』(共著、ビジネス社)など。世界の学校・教育関連の取材・著作物として図鑑(47冊)他、『エリートの条件――世界の学校・教育最新事情』(全て学研)などがある。『産経新聞』や『正論』『WiLL』『週刊文春』『新潮45』『テーミス』などで執筆。NHK、フジテレビ、テレビ朝日ほか、TVコメンテーターとしての出演も多数。ネットTV(チャンネルAJER、チャンネルくらら)にレギュラー出演中。40 カ国以上を取材。関連記事■ 中国が仕掛けるオンナの「歴史戦」に断固対抗せよ■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ 日本のメディアはまだGHQの占領下にある

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    石川の中学教諭 旧日本軍の加害性を強調する授業を実施

     18歳選挙権がスタートする一方で、特定思想を植え付ける洗脳まがいの「政治教育」に突っ走るケースが続出している。日本の教育現場を蝕む偏向教育の数々をフリーライターの森下毅氏がレポートする。* * * 主権者教育は18歳のためだけではない。小中学校の段階から中長期的に、政治的中立に留意しつつじっくりと身につけさせるべきものだ。そのため文部科学省も啓発計画を策定したが、それを逆手にとってじっくりと自虐的な考え方を刷り込む教員も少なくない。2月5日、岩手県滝沢市で開かれた日教組の第65回教育研究全国集会 先述の教研集会で報告された石川県小松市の女性中学教諭の授業はなかなか強烈だ。中学3年間を通じて沖縄戦や原爆投下などを平和学習として学ぶが、問題視すべきは2年時の授業内容。日本軍の残虐性をことさら強調し、中国共産党のプロパガンダ説も囁かれる反戦マンガ「はだしのゲン」(*)の視聴は序の口だ。【*同作の単行本全10巻のうち、特に第6巻以降で原爆投下を容認する主人公の台詞や日本軍の残虐行為を強調する描写が多く、近年、一部の図書館などで閲覧制限を実施するなど騒動となった】 計12時間にわたるワークシート学習では太平洋戦争の原因と原爆投下理由、東京大空襲と沖縄戦による戦争被害などを学んでいくが、注目すべきは南京大虐殺、皇民化政策、強制連行など旧日本軍の加害性をことさら強調する授業を丸々1時間も実施していることだ。 南京大虐殺をめぐっては死者数で依然論争が続いており、中学の歴史教科書でもさらっと触れている程度だが、この授業では重点的に学習する。 さらに驚くべきは、日本の加害性をさらに誇張するため、シンガポールの小学4年生の教科書を使って、日本軍による植民地支配の苛烈さを教えていることだ。教科書ではイギリスから日本に支配権者が代わって生活が厳しくなったことや、多数の中国人がスパイ容疑で処刑された「華僑虐殺」も盛り込まれている。自虐史観の刷り込み以外の何物でもない。【PROFILE】森下毅●1970年東京都生まれ。学校現場や行政機関に幅広い取材源を持ち、経済から教育まで幅広く取材、執筆している。関連記事■ 池上彰氏が実際に中学で行った世界を知る為の授業を収めた本■ アメリカの原爆投下に戦争責任はないのかを真正面から問う本■ 「性教育増進で興味がわき、性環境が悪化」と保護者クレーム■ 中学必修化のダンス「キレやすさ」改善に効果アリと脳科学者■ 学習塾塾長らが選ぶ“英語・理数教育に力を入れている学校”

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    中国「日本軍が女性200人要求」と嘘をバチカンに告発

     日本に関するデマを世界中にまき散らかしてきた中国は、今度はバチカンを舞台に日本を貶める新たな嘘をバラ撒こうとしている。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が、その中国の新たな戦略を解説する。* * *「南京大虐殺」をはじめとする嘘によって日本を貶めてきた中国が、今、ローマ・カトリック教会の総本山・バチカンを巻き込んだ新たな謀略を進めています。再び、歴史を歪めようとしているのです。ローマ法王フランシスコ 日本軍が南京に入城する2か月前の1937年10月9日、中国河北省の正定という場所にあるカトリックのミッション(伝道団)の支部に強盗が押し入り、宣教師9人が誘拐、後に殺害される事件がありました。正定事件と呼ばれます。 最近になって中国は、この事件について、「日本軍が女性200人を要求」し、宣教師たちはそれを断ったために誘拐、殺害されたと主張し始めたのです。中国はオランダと共同でバチカンにそう主張し、200人の女性を救うために自ら犠牲になったとして、9人の宣教師の「列福」を申請したのです。「列福」とは、「聖人」に次いで聖性の高い「福者」に列せられることで、列福が実現すれば、ローマ法王は9人の宣教師を聖なる人物として全世界のカトリック教徒に宣伝します。それは「日本の悪辣非道ぶり」と対になるもので、日本は世界11億人のカトリック教徒の非難に晒されることになるのです。 しかも、「列福」の後に日本が「そんな事実はない」と主張すれば、「福者を貶めた」としてカトリック教徒を敵に回すことになります。 もちろん中国の主張は大嘘です。中国がバチカンに対してそうした動きを始めたという情報を日本に最初にもたらしたのは、ジュネーブの国際機関で働く白石千尋さんです。白石さんは、当時のミッションを庇護していて事件を調査していたフランス政府の資料を調べました。 その資料は6人の証言で作成されており、うち2人がオランダの神父、2人が中国人でしたが、いずれも女性の要求については一切触れられていませんでした。 女性の要求について証言したのは1人の神父のみでした。それさえも伝聞に過ぎません。伝聞では「日本兵がやってきて女性を要求」し、宣教師が拒否すると「戻ってきて宣教師たちを誘拐し、後に殺害した」となっていますが、「200人」という数字は出てきません。つまり、200人の女性を要求したというのは捏造と考えてよいのです。 それどころか資料の中には日本軍が使っていない「ダムダム弾10発」と「中国刀一振り」が残されていたとの証言のほか、強盗が「完璧な中国語を喋っていた」との証言も複数ありました。 中国が、捏造情報によって日本を世界の悪者に仕立て上げようとしていることは、日本人が常に頭に刻み込んでおかなければならないことだと考えます。【PROFILE】新潟県長岡市出身。ハワイ州立大学卒業。元日本テレビ「きょうの出来事」キャスター。1995年、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で大宅賞受賞。関連記事■ 世界の体位 1位は「騎乗位」2位「バック」3位「正常位」■ 日本人の知識欲、勉さ、美徳等を台湾出身論客が紹介する本■ 中国のネットで流行る歌 「日本殺すにゃ武器要らず」■ 50年前の女性 「バックでヤられるのはイヌ扱いです!」と怒る■ 中国人観光客に「ストリップ劇場」が人気 夫婦で鑑賞が定番

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    沖縄ヘイトの現実

    「沖縄はゆすりの名人」。基地問題で揺れる沖縄だが、差別と偏見によるバッシングはいまだ後を絶たない。その一方で高江のヘリパッド建設をめぐり地元住民と機動隊が衝突を繰り返している事実を本土の人間はどれほど知っているだろうか。そう、この「温度差」こそが沖縄蔑視の現実なのである。

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    カメラが映した「辺野古」と「高江」 2人の映画監督が見た現実

    江で激しい攻防が続いている。現地に泊まり込みでカメラを回し続けている森の映画社の共同監督2人が、大手メディアを含む現場での取材状況を語った。 都内の映画館「ポレポレ東中野」に森の映画社の藤本幸久さんと影山あさ子さんを訪ねた。二人が共同監督を務めたドキュメンタリー映画「圧殺の海 第2章『辺野古』」の話を聞くためだった。この映画の前作「圧殺の海」は2014年7月の辺野古の新基地建設着工から11月の翁長知事誕生までを撮ったものだが、今回の作品はそれ以降、今年3月4日の代執行訴訟の和解までを撮影したものだ。 地元住民がゲート前で反対運動を繰り広げたり、カヌーを繰り出して海上で抗議行動を行う攻防戦を至近距離から撮影した迫力ある映像だ。カヌーからの撮影者がカメラもろとも海に投げ出され、突如画面が水中の映像に切り換わる場面もある。  この第2章の上映が続く間も、藤本さんたちは沖縄でカメラを回し続け、第3章を撮影していた。さらに沖縄本島の高江のヘリパッド建設予定地をめぐる反対運動も撮影しており、それは「高江―森が泣いている」というタイトルで9月20日から大阪で公開され、10月からは東京でも上映される。通常、ドキュメンタリー映画は撮影終了から公開まで半年以上かかると言われるが、緊迫の度合いを強める沖縄の実情を少しでも早く多くの人に伝えたいという思いで、藤本さんたちは、第2章の自主上映を全国に広げると同時に次回作を緊急上映するというスケジュールを組んだ。激しく揺れ動く沖縄を撮り続ける藤本さんと影山さんに、現地での取材状況を聞いた。沖縄北部「高江」に機動隊が大量投入 藤本 私たちは2014年7月1日の辺野古着工からほぼ毎日、辺野古を撮影しながら、上映・宣伝も自分たちでやってきました。当初は3月の和解の後、最高裁の判決が確定するまでは、少し時間的余裕もあるだろうから、その間に全国のキャラバン上映をやろうと思っていたんです。同時に、第2章の英語版と中国語版と韓国語版を作っています。韓国や台湾、アメリカで上映し、安倍政権が「沖縄に寄り添う」と言いながら、実際はどういうやり方をしているのかをワシントンの議会関係者たちやアメリカのNGOの人たちにも知ってもらおうと思いました。 しかし、その一方で今、沖縄本島北部の高江に機動隊が大量に導入され、むちゃくちゃなことがやられている。ですから、この間、高江でもカメラを回し、その映画「高江―森が泣いている」を9月20日から大阪で、10月15日から東京のポレポレ東中野でも上映します。それも早急に英語版を作って、年内に辺野古と高江の基地建設がどのように行われているかを、日本全国で自主上映を展開しながら、アメリカや近隣諸国も含めて見せていこうと考えています。映画「高江ー森が泣いている」より ただ、思いのほか裁判の進行が速い。証拠証人調べもなく、7月の裁判の時に9月16日の判決まで提示されるという進行です。9月16日以後は少なくとも陸上工事は再開したいと言っていますから、辺野古の方も機動隊を動入しての工事再開が行われるだろうと思います。今回は本当に沖縄の将来や日本の先行きに大きく関わってくることなので、辺野古に1軒宿舎を借りて、24時間365日撮影に入れる体制を作っています。そこを拠点にして、2014年3月以後ずっと誰かが現地にいるようにして、撮影を続けてきました。昔は報ステやNEWS23が取材 ―宿舎を借りたというのは具体的にどうやったのですか? 藤本 バーを経営していた母親がベトナム戦争の時代に米兵に殴り殺された金城武政という人がいるのですが、今も辺野古のゲート前のテントで世話人をやっています。僕たちとは10年位付き合いがあって、とにかく辺野古に拠点がないと撮っていくのは難しいと思ったので武政に頼んで、母親が殺されたバーのワンフロアを借りて宿舎にしているんです。集落の中にある場所ですし、10分位でゲートまで歩いて行けますから、そこを拠点に撮影をずっとやってきています。ヘリパッド反対派の車両を撤去する機動隊員ら=沖縄県東村高江 ―藤本さんたちが最初に沖縄を撮り始めたのは2004年頃から(05年公開の「Marines Go Home」)ですが、その頃と比べると現地取材の状況がだいぶ変わったというのですね。 藤本 テレビメディアで直接現地に取材に来るというのがどんどんなくなっているんです。 影山 昔なら『報道ステーション』とか、筑紫哲也さんがいた頃の『NEWS23』とか、もっと沖縄に取材に来ていました。 藤本 沖縄のことをずっとフォローし続ける専門知識のある記者もいたんです。でも、そういう記者が報道番組の現場からいなくなった。いないようにされたんですね。 僕達がそのことを感じたのは2008年、海兵隊のブートキャンプを取材した時でした。『NEWS23』と共同取材をするという形で国防総省の許可をとって入ったのですが、それが10分の特集2回で放送された。でも、しばらくしてそれをやったディレクターから連絡が来て「もう皆さんと一緒にやることができなくなりました」と言われたんです。沖縄の問題をフォローしてきた人たちがバラバラにされて、報道ではなく情報番組みたいなところに移されるということがあった。 当時は『報道ステーション』も沖縄のことをずっとフォローする記者が育っていたんですが、そういう人たちが報道の現場からいなくなっていったんです。昨年来、報道番組からキャスターが次々と降板し、話題になっていますが、そういう動きはもっと前からあったのです。 今でも大きな出来事、例えば9月16日の辺野古判決とか、そういうのは放送されますよ。でも沖縄の系列局が撮ったものをその日の出来事として報道するんですね。長期にわたって調査報道をするという機能がなくなっているんです。 今でも比較的沖縄取材をやっているのはTBS『報道特集』ですが、それでも頻繁に取材に訪れるのは難しくなっていると言います。しかも、それは東京の取材陣だけでなく、RBC(琉球放送)とかQAB(琉球朝日放送)とか、沖縄のテレビも現場に来るのが減っていますね。以前はほとんど毎日、地元のテレビが来ていましたけれど、今は大きな出来事がある時しか来ない。琉球新報と沖縄タイムスという2つの地元新聞は相変わらず毎日来ていますけれど。 影山 現場へ来た時でも、カメラマンの撮っている位置が遠くなっていますね。近づいて撮ろうという感じがない。 藤本 日々のニュースのネタとして撮っているという感じです。たぶん東京のテレビ局で起きているようなことが沖縄のテレビ局でも起きているのだと思います。 ―藤本さんたちはどういう体制でカメラを回しているのですか? 藤本 僕たち2人ともカメラを回すし、2006年から一緒にやっている栗原良介カメラマンも撮影に加わっています。 影山 最初、3人で4台のカメラと言っていたのですが、私たち3人のほかに海上保安庁に抗議するカヌーチームの一人に防水カメラをつけてもらって撮影しました。陸と海から4台のカメラを回し続けたんです。 藤本 それと第2章からは、あと3人、20代30代の若いカメラマンが加わっています。キャンプシュワブゲート前と陸と海、県庁の知事の動きも見ていかなければならないので、とても僕たち3人では持たないとわかった。そこで、若いカメラマンでやってくれる人を増やそうということで、6人体制を作りました。僕と影山は拠点が札幌ですし、若いカメラマンも関西とかから行くことになるので、6人のスケジュールを綿密に打ち合わせて取材体制を作ったのです。「同時代」を映しながらそれを記録する「同時代」を映しながらそれを記録する ―人物インタビューもはさまず、現場での激しい闘いを近い距離からリアルに描くという手法ですね。 藤本 いろんなドキュメンタリーの作り方があると思うけれど、例えば多いのは誰か人物に焦点を当てて、インタビュー映像を使って、話を作っていくというスタイルですね。けれど、今回の圧殺の海シリーズではそういう作り方はしませんでした。実際に現場で起こった出来事、行動する人のアクション、現場の出来事で辺野古での現実を見せていくというようスタイルにしています。そういうやり方をダイレクトシネマというのですが、実際に起こった出来事で見せていく。セリフとかインタビューで説明するスタイルは取らないことは決めてありました。映画「圧殺の森 第2章『辺野古』」より インタビューも、ナレーションも、作り手がこういうことを言いたいということを登場人物に喋らせるという手法ですよね。だからある意味インタビューは説明です。でも、そういうのはやめようと思いました。 ―撮影したものをできるだけ早く編集して公開していくというやり方も特徴的ですね。 藤本 いわば寿司屋ですね。握ったものをその場で生のまま味わってもらう。 影山 編集に時間をかけ、十分宣伝してからと言っていたら沖縄の状況は変わってしまい、「今頃かよ」って映画になってしまうんです。 藤本 僕たちは「同時代を記録する」ということをやっているんですね。今起こっていることを起こっていることとして伝えていく。同時代を撮りながら、歴史的にはその時代を記録する。その時代の記録になるというようなことをやろうと思っているんです。例えば、500人機動隊を動員して、沖縄の民意がどうであろうと政府が決めた通りやるということが今、高江で起こっている。このまま行くと今年中にヘリパッドができます。今の国のこういうやり方は、今後全国で起こり得る。そのことを見せなければいけないと思うので、ヘリパットが出来てから公開するようなものでないと思うんですよね。見た人が現代史に関わるようなものとして映画を成立させたいんです。 影山 今、高江で行われていることは、とにかく政府の思った通りにやる、従わなければ潰す。違法にするというか。はっきりとそんなふうに見えますね。 藤本 すごい圧迫感がありますよ。2キロ位にわたって10メートルおきに機動隊をずらーっと並べて、阻止行動をする人が声をあげようとしたり何かアクションをしようとしたら、取り囲まれて地面に押し付けられて何も出来ないような状態です。土本典昭監督の教え「記録なくして事実なし」土本典昭監督の教え「記録なくして事実なし」 ―警察が映像撮影を妨害することはないのですか? 藤本 最近はないですが、でも例えば7月22日はそうでした。 影山 私たちだけではなくて、メディア全部、完全に排除されました。 藤本 何キロも先で全部止めて中に入れない。既に中にいる人間はしょうがないから、撮影している分には直接妨害することはないけれど、そこを一回離れたら二度と戻さないというような形で、撮影をなるべくさせないということはやっています。機動隊が「お前たちはメディアと認めない」と排除しようとするから、「あなた達が決めることではない、何を言っているんだ」と言ってそのまま撮るんだけど、何人かに取り押さえられて。現場から出されることもあります。 影山 撮影する際のフットワークが悪いと、「はい、そこ! プレス排除!」って言われ、すぐに排除されてしまうんです。 藤本 混乱すると、時には僕たちだけでなくて琉球新報とか沖縄タイムスなど新聞社も排除されます。 影山 琉球新報と沖縄タイムスはローテーションを組んで、常時現場に来ていますね。辺野古の取材にしても北部の人だけがくるんじゃなくて、那覇とか中南部の人も来て、今日は誰琉球新報と沖縄タイムスは一緒になることが多いですね。その沖縄2紙と森の映画社は臨時制限区域の中に抗議船があれば入りますけど、大きいメディアの方は入らない。実際の現場には彼らは近づかないことになっているのかな。中に入れば刑事特別法で逮捕起訴の対象になり得るからでしょうね。沖縄県の米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古沿岸部=6月 藤本 そんなことを言っても入らなければ何も見えないんですよ。だから入るけれども、東京から来たような大きいメディアの人はそういうことがあったら困るから、あえて入らない。でも遠くから見ていたって何も見えないですよ。 影山 最近は陸の上から望遠撮影も多いですね。 藤本 とにかく現場で起こっていることを記録し続けようということです。土本典昭監督が常々言っていたことだけれど、「記録なくして事実なし」。記録されないものはいつか消えていくと。事実として存在するためには、記録されなければいけない。そういうことを我々はやっているんだとずっと言ってました。それは僕も非常に重要なことと思っています。インターネットで流しているだけでは残っていかない。それを作品としてまとめて、多くの人が見られる形にしないと残らないんです。そういうふうに考えているし、そういうことをやるのは我々の役目だと思っているんです。 東京では辺野古についてはある程度知られていますが、映画を観た人に「高江のことを知っていますか」と聞くと知っているのは3分の1とか半分ですよ。圧倒的に知られていない。だから知らせないといけないし、撮ったものを速攻で出していこうと考えています。 ※映画「高江―森が泣いている」は9月20日より大阪・シアターセブン、10月15日より東京・ポレポレ東中野と沖縄・桜坂劇場に続いて全国順次公開。映画「辺野古」も全国にて自主上映展開。詳細は「森の映画社」のHPを参照のこと。http://america-banzai.blogspot.jp/

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    「沖縄に関心がない」東京のメディア 地元紙が痛感した温度差

    ッド建設をめぐって住民と機動隊とが激しく闘っていることが、SNSなどで漏れ伝わってきます。でも在京のメディアではそう頻繁に報道されないため、東京では「高江」といっても知らない人が多い。そういう沖縄と本土の温度差をどう考えるのか、沖縄の地元紙はどんな取材・報道を行っているのかお聞きします。 まず高江での取材ですが、地元紙は現場に張り付いて取材しているようですが、東京からマスメディアが取材に行っているという状況ではないわけですね。筑紫哲也さんが健在だった頃の「NEWS23」とか、昔は在京メディアももっと沖縄を取材していたような気がしますが。宮城 東京からメディアが取材のために頻繁に高江へやってくるという状況ではないと思います。沖縄のことを報道するのも、例えば自衛隊のヘリコプターが資材の搬送に使われたとか、そういう大きな動きがある時だけでしょう。それもテレビは地元の系列局が取材した映像を使っているのではないでしょうか。キー局からわざわざ取材に来るというのは、テレビ朝日の『報道ステーション』とTBSの『報道特集』の金平茂紀さんくらいじゃないですか? それは、沖縄をめぐる構図というか、沖縄についての認識をどう持つかということだと思うんですよね。私たち地元紙は、過重な基地負担がある上に、更に住民の生活が大きく脅かされようとしていることについては、地元の人の生活や人権、また地方自治に関わるという普遍的な価値の問題として捉えているわけです。ヘリパッド建設に反対する人々を規制する警察官ら=7月22日、沖縄県東村高江―沖縄の地元紙2紙は、いま高江に連日、現地取材を行っているわけですね。宮城 毎日行っています。朝6時頃から、一人は必ず現場にいるようにしています。そしてツイッターとかで現場から状況を発信しているんです。取り組みはどの部署というより編集局全体でやっています。ローテーションを組んで、今日は何部が行く、明日は何部が行くと毎日、現場に行っているんです。北部支社もありますし、中部支社もあるので、そこから行く記者もいるし、那覇から行く記者もいます。 高江は地理的にも那覇から遠いですから移動も大変です。それでもやはり反対する市民たちがいて、警察や機動隊とやりあっているわけですから、その現場で起こっていることを伝えるのは地元紙としては当然の務めです。 8月20日にその現場に行っていた記者を機動隊が拘束し、車と車の間に押し込んで取材妨害するという事件が起きました。腕章をつけ、記者証も示して、取材活動であることを告げているのに拘束されたわけです。不要な土地を返し、機能強化した施設を得ようとする米国宮城 機動隊の車両と車両の間に市民を押し込めていくというのは以前からやられていて、現場では「仮監獄」とも言っています。2012年のオスプレイ配備の時にも、普天間飛行場のゲート前での抗議行動に対して市民を車両と車両の間に押し込めるというやり方をしていました。 記者証を示した記者に対してそういうことをやるというのは、やはり現場で抗議行動が起きていることを報道させない、県民とか国民の目に触れさせないという狙いもあると思います。 この取材妨害については、新聞労連や沖縄県のマスコミ労協などから抗議声明が出ました。東京新聞も特報面で取り上げたし、信濃毎日や高知新聞も社説で批判しましたね。 生活が脅かされることに対して、沖縄の住民が、あるいは支援する市民が立ち上がるというのは、1950年代に「島ぐるみ闘争」というのがありました。米軍が沖縄に基地を作るために住民の土地を強制的に奪っていったのですが、抗議する住民に対しては投げる蹴るで規制し、奪った土地に入って耕作しようものなら、銃も打ったりして排除したんですね。規模は違いますけれど、今それと同じようなことを、日本政府側が機動隊を使ってやっているのだといえます。 今回日本政府もアメリカ政府も、高江にヘリパッドを新しく作れば、7500位ヘクタールある北部訓練場の、過半、4000ヘクタールを返す、大規模返還になると言うわけですね。もともと半世紀以上前に奪って使ってきた土地なんですけど、アメリカの「戦略展望」という報告を見ると、その4000ヘクタールは、アメリカにとっても不要な土地なんです。それを返すから、新しいヘリパッド建設を受け入れよというわけです。 不要な土地を返して、機能強化した施設を得るというのが、アメリカの狙いなわけです。それを日本政府も一緒になって、大規模返還だという。高江のヘリパッドから海に出入りする訓練水域とかも新しく提供されていますし、訓練しやすい環境を整えて、いらなくなった土地を返す。そういう狙いがあるわけです。 ヘリパッドも高江の集落から一番近いところで3~400メートルのところにできるわけですから、付近の住民からすると大変だと思います。自然環境も破壊されれば住環境も影響を受ける。それに対して反対し、住民の暮らしを守りたいという思いは当然じゃないかと思います。そこをどう捉えるのか。 東京などであまり報道されないのは、沖縄の人は我慢したらという意識が何処かにあるのではないかという疑念を持つこともあります。そういうところが沖縄の人からすると、見え隠れする。何の問題なのかというのをしっかり押さえないと継続的な報道にならないし、現状を変えていくことにならないと思います。身近な「基地問題」を取り上げるのは当然―宮城さんは現在は東京支社にいるわけですが、沖縄の地元紙として東京のメディアを見ていて、関心とか動きが鈍いと感じますか?宮城 そこは難しいんですけどね。翁長知事の誕生以後、以前よりは取り上げられるようになったと思います。全国紙でも沖縄のことをよく知っていて、しっかり取材して書く記者はいるんです。でも、扱いが小さくなってがっかりするという声が多いですね。なぜ全国紙や中央のメディアで沖縄の報道が難しいのか、沖縄のことが伝わらないのか、検証してみる必要がある気がします。沖縄はいま刻一刻動いていて、新しい局面もどんどん出てきているんだけど、東京だと、また沖縄か、また反対しているとかいうようなことで、「ああいつものね」という感じになっているようなのですね。 沖縄についての報道が大きくなるのは政局が絡んだりする時です。同僚の記者が言っていましたけれど、辺野古をどうするか、辺野古がどうなるかじゃなくて辺野古でどうなるか。どうなるという対象は辺野古の住民じゃなくて、政権がどうなるか、だというのです。 だから去年の「沖縄の2紙はつぶさないかん」という百田発言の時も、全国紙の出足は最初遅かったけれど、その後、結構やりましたよね。あの時は安保法案が問題になっていた。辺野古をどうする、辺野古がどうなるではなくて、それによって政府がどうなっていくという話でしょう。やはり沖縄の問題を一面的にしか見ていないという印象は受けます。 今年9月1日の辺野古をめぐる裁判だって、一地方の問題でなくて、地方自治の話であったり、国と地方の関係であったりというような、大きな問題だと思うのですが、中央のメディアはなかなかそうなっていないような気がします。 沖縄と本土の温度差というのがよく指摘されますが、私が沖縄本社社会部から東京支局に来て最初に思ったのは「こんなに沖縄のことを知らないのか」ということでした。「知らない」というより「関心がない」と言うべきでしょうか。 それまで2年間、社会部にいて、オスプレイの配備に始まり、仲井眞さんの埋め立て承認とか、そういうことばかり取材してきたので、東京に来た当初は、その違いに驚きました。「日米安保は大事だけれど、米軍基地は近くにない方がいい」「沖縄にあるんだから、沖縄にがんばってもらった方がいい」というような雰囲気を感じました。 沖縄の人にとって身近な問題は基地問題であり、基地が集中することに絡むいろんな問題です。それが紙面において大きな分量を占めるのは、地方紙として当然ではないでしょうか。例えば福島の地方紙2紙が原発の問題をたくさん取り扱うのは当たり前で、やはり読者が一番身近に感じていること、命や暮らしの問題を報道する役割が地方紙には当然あり、紙面の価値判断も大手メディアとは違ってくると思うんです。 沖縄の場合、過酷な沖縄戦があって、その後の人権もないような米軍支配があって、復帰してもなかなか変わらない現状があり……といったことを考えると、そういう問題のウェイトが高くなるのは必然なのかと思います。―それが沖縄の2紙の特徴なのですね。宮城 保守的な新聞や親米的な新聞も含めて、戦後沖縄には10紙くらい新聞ができました。アメリカの検閲があり、紙の供給も握られているわけですから、沖縄タイムスにしても、当初はなかなか今のように米軍に対して厳しい論調でなかったようです。その後、1950年代の土地闘争の頃、土地の接収方針に反対する住民の意見を前面に出すような紙面展開をするようになります。 そういう厳しい現実の中で、ここまで論調を鍛え上げてきたのは、やはり民意に押されたのだと思います。結局10紙のうちほとんどはなくなってしまい、今この2紙が残っているわけです。もちろんそれは沖縄本島での話です。 沖縄の復帰までの歴史というのは、自治権にしろ、人権にしろ、米軍と対峙しながら一つ一つ住民が勝ち取ってきたものです。そういう中で、沖縄タイムスも住民に背中を押されてここまで来たのだと思います。住民に支持されなかったら他の新聞と同じように消えていったはずです。沖縄の歴史、住民感情に理解した報道を沖縄の歴史、住民感情に理解した報道を―辺野古の問題の捉え方なども、東京と沖縄では違っていると感じましたか?宮城 はい。東京へ来てからは、沖縄の問題については、一から説明しないといけないんです。別に、誘致して基地ができたわけでもないし、そもそも海兵隊って50年代に岐阜とか山梨とかから移ってきたものだし。今で言うと「海兵隊って、本当に抑止力になってるんですか」というところまで含めて説明します。 そもそも何度世論調査を行っても、沖縄の人は現状に反対なわけです。辺野古移設については、沖縄世論は少ない時でも6割、多い時には8割以上が反対だし、「県外へ」という機運が強くなってきたわけです。我々がリードしているんじゃなくて、県民世論がそうだというので、これに立脚しない報道がありうるのかということですよね。過去の沖縄がたどってきた歴史も含めて、本当に虫けらみたいな、人権もないような時代もあったんですから。僕らの世代も、入社して、勉強して沖縄の特異な歴史の重みを理解し、誰のために何を報道するかを考え、認識を深めてきたのです。 今の翁長知事が那覇市長の時、2013年1月に東京でパレードをしているんです。オスプレイ配備の撤回、普天間の県外移設、閉鎖ということを、全首長、市町村とかが署名して、建白書というかたちにした。そして、日比谷公園で集会を開いて、総理官邸に持って行き、パレードもやっているんです。その時に、沿道から「売国奴」とか、ものすごい罵声を浴びせられたんです。「安全保障の問題だからお前たちは黙っていろ」「それに反対するのはシナの手先か」といった罵声ですね。あれは、沖縄の人が本土との溝を痛感した出来事じゃないでしょうか。この圧力が、近年ひどいですよね。 沖縄の人からすると、本土紙の扱いが冷たいなと感じることがあるんですが、それも歴史的経緯に根差しているものだと思います。私たちは住民に押されて、あるいは住民の意見に立脚して紙面を作ってきていますが、本土の新聞はどちらかと言うと両論併記、あるいは扱いが小さい。どこかで「基地は沖縄に置いておけばいい」という考え方が基本にあるからだろうと思います。 沖縄の視点や感情は、突然生まれたものではありません。そこを体系的に理解してあたらないと、県と政府が対峙した局面になると、「落としどころは」というふうな取材に変わり、何も解決されない、「やはり沖縄に」という悪循環になります。 基地問題では、沖縄の人から見れば「なんで沖縄だけなんだ」と思ってしまう。戦争で捨石にされて、その後は米軍に差し出されて、みたいな過去の記憶がありますよね。過重負担だと言って負担を軽減してくれと言っているにも関わらず、同じ状況がずっと続いている。それが差別感みたいなところで捉えられる。逆に言うと、「沖縄問題」と言われながらいろいろな問題がずっと解決されないできている、そういう現状の裏返しではあると思うんです。(月刊「創」2015年9・10月号のインタビューを大幅に加筆しました)

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    沖縄「高江」の機動隊導入 安倍政権が進める強硬姿勢の象徴

    猪野亨(弁護士) 沖縄県東村高江では、ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設工事に反対する住民たちは、2007年以降、工事をさせまいと反対活動を展開、道路に街宣車を置くなどして、工事を阻止してきました。オスプレイ利用が予定されていますが、オスプレイなど沖縄県民が求めているものでありません。このような危険な施設を住民が当然に受け入れなければならないということにはなりません。 生存権を掛けた闘いです。「沖縄・東村高江 緊迫する米軍ヘリパッド建設 辺野古新基地と強行連動」(赤旗新聞2016年4月25日)「民家を取り囲むようにして建設されるため、地元住民らは2007年から工事車両が出入りするゲート前で座り込みを続けています。昨年、2カ所の建設が完了しましたが、残り4カ所は一歩も進んでいません。」ヘリパッド建設に反対する人々を規制する警察官ら=7月22日、沖縄県東村高江 その工事が再開されようとしています。しかもそのやり方があまりにひどすぎます。安倍政権の対応は、参議院選挙が終わった途端に工事の強行ですが、選挙期間中に強行すれば、自民党公認の島尻安伊子氏の落選がその時点で確定するからです。工事の強行がなくても島尻氏は落選しましたが、それでも望みは持っていたのです。島尻氏を沖縄北方担当相にするなど露骨な選挙対策をしてきたことからもかなりの重点区だったわけです。 従って、選挙期間中に工事を再開するなどあり得ない選択肢でした。「沖縄県民を裏切った島尻安伊子沖縄・北方担当相 『私は大嘘つきだけど、カネをばらまく…かもしれないから票を入れてね』」 2007年以降、工事は中断されたままですが、この時期に再開を睨んでいたのは、安倍政権が力によって沖縄支配を実現するためです。昨年、安保関連法を強行採決して成立させ、日米軍事同盟の強化という国策のもと、沖縄がもっと頑強な抵抗を続けていることが許さなかったからにほかなりません。暴力による支配は恥ずべきやり方 その意味では、選挙結果によって島尻氏が再選したとしても、工事は強行されていましたが、何よりも島尻氏の落選によって衆参どちらも沖縄選挙区から選出された国会議員がゼロになり安倍政権への批判が象徴的に示されたことによって、より一層、安倍氏の逆鱗に触れることになりました。安倍氏にとっては屈辱以外なにものでもなく、改憲勢力が3分の2を超えたなどということで満足する安倍氏ではありませんでした。自分に抵抗する者は力によって屈服させることこそ、安倍氏が求めているものです。 それが本土からの大量の警察官、機動隊の導入というやり方です。「東村高江に機動隊500人 辺野古の5倍投入へ」(沖縄タイムス2016年7月13日)「県警も機動隊員と各警察署からの応援隊員、不測の事態を警戒する刑事らで250~300人規模の要員を確保し、本土の隊員と合わせ最大で約800人の警備体制を敷く見通しだ」 「高江の機動隊投入 『暴力団壊滅と同規模』 自民議席失い、政府強行」(琉球新報2016年7月18日)「一方、一部の警察、防衛関係者からは異論もある。警備関係者は『工藤会の壊滅作戦と同規模だ。重火器を持つ暴力団と一般市民を同一視するのは尋常じゃない』と苦渋の表情を浮かべ、特定危険指定暴力団工藤会の壊滅作戦で2014年に機動隊が約530人に増派された例を挙げ、同様に一般市民に対峙(たいじ)する政府の姿勢を疑問視した」 本土から沖縄支配のために警察官、機動隊を動員し、暴力によって支配を貫徹するというのは恥ずべきやり方です。このようなヘリパッドなどなくても全く困らなかったレベルのものです。安倍政権が意地になって沖縄での建設に固執しているだけです。そこには辺野古同様、抵抗は一切、許さないという安倍政権の強権姿勢の表れだということを知るべきでしょう。また、そのような安倍政権による沖縄に対する剥き出しの暴力を本土の人たちが黙認して良いのかどうかが問われている、これを忘れてはなりません。(弁護士猪野亨のブログ 2016年7月20日分を転載)

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    日テレ24時間テレビがやっぱりおかしい

    障害者の姿を映し出して感動を押し付ける「感動ポルノ」という言葉がある。今年も放映された日本テレビのチャリティー番組「24時間テレビ」の直後には、この言葉がネットの検索キーワードで急上昇したという。障害者蔑視や商業目的との批判が止まない日テレの看板番組。いつもやり玉に挙がるのはなぜか。

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    「障害者パロディ」がNHKにできても日テレにはできない理由

    常者だってみんな頑張っている。障害者の頑張りはわかりやすい 今回の「バリバラ」では、骨形成不全症でコメディアン兼ジャーナリストのステラ・ヤングのスピーチが紹介された。彼女が、障害者の感動ポルノという言葉を作った人だ。ステラは、10代の時、地域の「達成賞」をもらったという。しかし、彼女は思った。自分は普通に生きているだけ。まだ何も達成などしていないと。 私は、かなり小柄な男性だ。もし誰かが、「あなたはこんなに小さいのに、とても頑張って生きてきました。感動しました。表彰します」と言われたらどうだろう。あまり素直には喜べないかもしれない。チビ、ハゲ、デブ、ノッポ。音痴、不器用、近眼、老眼。ああ、それなのにあなたはこんなに頑張ってきた、素晴らしい。そう言われて、うれしいだろうか。 それは、私が障害者手帳を持っていないからだろうか。では、障害者手帳がもらえるような低身長なら、賞賛を素直に喜べるだろうか。 頑張っている人はたしかに素晴らしい。県大会目指して一生懸命練習している中学生を見ただけで、私たちは十分感動できる。ただそれだけだと、テレビ番組にはならないだろう。 障害者の頑張りは、わかりやすいのだ。それに、中学校の部活は多くの人が体験しているが、目が見えなかったり、手足がなかったりすることは、多くの人は経験していない。そのような障害があるのに、普通に生活し、ましてやスポーツなどしているのは、素直に驚くし、すごいと人々は思う。 しかし、障害者だから素晴らしいのではなく、困難を乗り越え、挑戦している姿が素晴らしいのだ。障害者でも、健常者でも、チャレンジしている人は、賞賛に値する。感動が生まれる。 けれども多くの障害者は、普通に生活しているだけだ。普通の生活を普通に取材して普通に放送しても、それはゴールデンタイムの放送には耐えられない。そこで、「24時間テレビ」では、特にチャレンジしてきた障害者を2時間ドラマにして紹介したりする。普通の障害者に何か困難な課題を与え、そこに挑戦する姿を番組にする。 番組だから、編集はある。演出もある。それは、真面目なドキュメンタリーも同じだ。厳しいコーチとして有名な人を取り上げるなら、特に怒鳴っている場面が使われるものだろう。 しかし、「障害者」という枠組みで、すべての障害者を感動の対象としてしまうことに、問題は感じる。それは、女性をモノ化してポルノを作るのと同様に、障害者をモノ化した感動ポルノになる危険性があるからだ。 感動自体が悪いわけではない。今回の「バリバラ」でも次のように語られている。「誤解してほしくないのは、感動は悪くないんですよ。感動の種類をちゃんとわかってないと怖い」「一番怖いのは無意識」。障害者への優しい思いの裏に潜む偏見や差別の心 「24時間テレビ」の社会的貢献は大きいと思う。39年間の間に、多くの寄付金を集め、障害や難病の理解を深めた。有名アイドルと障害を持った人々の交流は、心のバリアフリー解消のために貢献してきたと思う。 「24時間テレビ」は、一般向け、子どもを含めた初心者向けだ。その意義は大いにあるだろう。ただし、39年間の間に世の中もマスメディアも、少しずつ進歩してきている。パラリンピックが大きな注目を集める時代だ。NHKが、障害者問題でパロディーができるようになった現代だ。感動は素晴らしいが、それだけで良いのかと、私たちは問い始めている。リオデジャネイロ・パラリンピックの選手村に入る日本選手団=8月31日(共同) 障害者への配慮は必要だし、思いやりは素晴らしい。しかし、気をつけなくてはならない。その優しい思いの裏に、賞賛の声の下に、偏見や差別の心が潜んでいないか。障害者は、あなたの態度を歓迎しているのか。 社会心理学の研究によると、障害児と健常児をただ一緒にするだけでは偏見の思いは無くならない。健常児たちは優しい心を持って障害児を助けるのだが、その結果は、障害児は私たちの助けが必要な弱い人という偏見を強めてしまう。 そこで、障害児が持つ特徴や能力を活用し健常児と協力しあわなければ勝てないゲームをやらせる。そのような体験が、偏見差別の心理を減らす効果があった。 ジェンダーに関する研究では、レディーファーストを「好意的差別」と呼ぶことがある。レディーファーストができる男性は、評価が高くなるのだが、これらの男性の中には、無意識的に女性を低く見る「敵意的差別」をも同時に持っている人々がいることがわかっている。 それにしても、障害者問題、差別問題は複雑だ。すべての障害者が過剰な賞賛や同情を拒否するわけでもない。同じ言葉や態度に対して、喜ぶ人もいれば傷つく人もいる。そうだ、人の心は複雑で、人それぞれなのだ。 障害者も健常者も、いろんな人がいる。日常生活があり、笑いも感動もある。そんな私たち一人ひとりが、もっと自由に、もっと楽しく生きていける社会にしていきたい。

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    どんな障害者の姿なら納得するのか? 「感動ポルノ」批判の傲慢

    どこから生まれたのだろうか。 いくつかの記事を見ると、この言葉の由来は2014年12月に亡くなったコメディアンでジャーナリスト、そして自身も障害を負っていたステラ・ヤングが、TEDで語った内容にあるという。 彼女は周囲の人たちや様々なメディアで、障害者が「障害というマイナスをはねのける、ポジティブな存在」として特別扱いされ続けていることを指して「感動ものポルノ」と称した。ポルノという言葉を使った理由は「ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしている」様子を指したという。 ネットでは感動ポルノというものが、一方的に報じる側、すなわちメディア側だけの問題にされているようだ。しかしテスラはポジティブなものとしてしか障害者を受け入れられない「周囲の人達」の態度も問題にしていた。感動ポルノの論理は、決してメディアという報じる側だけへの批判ではなく、障害者を受け入れる周囲に対する疑問でもある。どんな障害者の姿なら納得するのか それを踏まえたうえで、24時間テレビの感動ポルノを批判している人たちは、どのような障害者の姿であれば納得するのだろうか? 障害の辛さに耐えかねて、周囲に八つ当たりする障害者だろうか? 障害を利用して女性を口説いて不倫をするような障害者だろうか? 目が見えないふりをして作曲をゴーストに丸投げする障害者だろうか? 特定のモデルがいるような気もするが、そうした人間的で善悪だけでははかることのできない障害者の姿を、本当に感動ポルノを批判している人は欲しているのだろうか? そして何より重要なことがある。そうした障害者に対して我々は募金をしたいと思うだろうか? もし「障害をものともせず、何かに常に挑戦しようとしているポジティブな障害者」と「障害があるからと、開き直って酒ばかり呑んでいる障害者」がいるとして、我々はそのどちらに募金したいと思うだろうか? 障害者が普通の人と同等の生活を行うためには、たくさんのお金や支援が必要だ。五体満足であれば、他人をにらみつけ雑言を吐くようなクソオヤジだって、大手を振って道を歩くことができるが、障害を持つ人は車いすや義手義足などの特別な器具を使い、さらに周囲の人に手伝ってもらい、何度も何度も頭を下げながらでないと、道をも満足に歩くことができない。 寄付という形式で、そうした器具を買い保守するためのお金をもらい、周囲の人に手伝ってもらうためには、周りに対しておもねるしかない。感動ポルノとは周囲から好意的な関心を持ってもらうための、手段なのである。障害者は肉体的にも金銭的にも、多くの人たちの「善意」に頼らなければ生活できない。だからこそ障害者は感動ポルノを演じるしかないのである。ポジティブな障害者しか受け入れられない では、問題を解決する手段はあるのだろうか? ある。 多くの人たちの善意に頼らなければ生活できないことが感動ポルノの原因なのだから、障害者がなるべく他人に頼らなくても生活できる社会を実現すればいいのである。 それにはもちろんバリアフリー化ということもあるのだが、最も重要なのは、障害者に対してシステマティックに富を分配することのできるような、社会保障の充実である。 社会保障は国に頼ることであり、頼らないことと矛盾するように聞こえるかもしれないが、障害者の人権を守るのは国の義務である。その義務を国に達成するように要求することは、法治国家においては当然のことであり、頼る頼られるという関係性は存在しない。送検のため相模原・津久井署を出る車の中で笑みを浮かべる植松聖容疑者=2016年7月27日 そもそも、障害者が感動というポルノを見せなければならない理由は、障害者や支援の団体に回るカネが少なく、危機をアピールする必然性に迫られているからだ。分配が足りていれば、障害者がわざわざ他人相手に感動を売る必要もないのである。 もちろん社会保障というものが「固有の権利」であるという社会的合意も必要不可欠である。それがなければ社会保障自体が「持つモノからのお恵み」として認識され、生活保護受給者バッシングと同じ批判が障害者を襲うことになるだろう。 今年7月に相模原市の障害者施設で発生した19人殺傷事件の植松聖容疑者は友人に対して「産まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障害者は果たして人間なのでしょうか?」 「人の形をしているだけで、彼らは人間ではありません」(原文ママ)というメッセージを送っていたという。そこには五体満足の人間を標準とした、機能性でしか人間を選別しない傲慢さがあると僕は考える。 こうした傲慢さに対して、これまで障害者を「ポジティブな姿勢を見せる」という機能性でしか受容できなかった私達の社会は、ハッキリと対抗の意思を示すことができるのだろうか。 あまり楽観視できないと、僕は思う。

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    日テレは正気か? 障害者の「見世物小屋」と化した24時間テレビ

    藤本貴之(東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者) 1978年に日本テレビ開局25年記念番組として始まった「24時間テレビ」は、我が国におけるチャリティー番組の代名詞でありつつも、これまでも少なからず批判をされたり、揶揄・嫌悪の対象になってきた。 「24時間テレビ」に同情すべき点としては、あらゆるチャリティー・コンテンツがもっている「チャリティー(といった批判できない対象)を利用したビジネス」への不信感を、チャリティーを標榜した番組の代表として、集中的に受けていることかもしれない。 一方で、ボランティや福祉などをテーマにしたテレビ番組は、近年「24時間テレビ」以外にも多数存在している。必ずしも、その全てが批判や嫌悪の対象になっていないことを考えれば、「24時間テレビ」の制作方法や番組のあり方自体にも、少なからぬ問題があることは間違いない。本稿では、「24時間テレビ」が炎上している理由について、メディア産業の現実を踏まえつつ、考察したい。日本テレビ25周年記念・チャリティーテレソン「24時間テレビ・愛は地球を救う」 左から番組キャスターの大橋巨泉、チャリティーパーソナリティーの大竹しのぶ、萩本欽一=1978年、麹町チャリティーコンテンツへの不信感 「24時間テレビ」に限らず、チャリティー・コンテンツは、人に感動や共感、応援を与えるものの、ともすれば「善意の商業利用ではないか?」「本当にチャリティーなのか?」といった不信感を持たれる諸刃の刃型コンテンツだ。そのような猜疑の目は出演する側、タレントや芸能人の中にも存在し、「24時間テレビ」からの出演依頼を断る有名芸能人も少なくないと言われる。 ましてや「24時間テレビ」は、民放テレビ局という営利企業が販売する「商品」である。ボランティアではない。これが厳しい疑いの目で見られてしまうは止むをえない。「チャリティー」をテーマとしつつも、それはあくまでも「テーマ」であって、番組制作、放送、広告などがチャリティーではないことは誰の目にも明らかであるからだ。 しかしながら、チャリティーをテーマとしている「商品」ということだけで、それを「障害者の商業利用」だとか、「感動ポルノ」などと一概に批判はできない。テレビに限らず、出版でもイベントでも、チャリティーや福祉、環境問題や障害者などをテーマにしたイベントは多々あるからだ。すべての構成要素や人材が完全なボランティアと言い切れるようなものの方が少ないだろう。 むしろ、メディアにおけるチャリティー・コンテンツは、商業利用の側面がある一方で、啓蒙活動としての価値に大きな意味がある。メディアを介して広がるチャリティーやボランティアの理解やそこから始まるムーヴメントは多い。無批判に受け入れるべきではないものの、一概に批判ばかりすべきものでもないのだ。 よって、「見世物小屋」や、行為そのものへの理解が十分ではない知的障害者に対して「面白いことをやらせる」というような明らかな人権侵害は論外であるものの、そのチャリティー・コンテンツ自体が嫌悪されるか(批判)、好意を持たれるか(容認)は、対象をどのように扱ってるのか、という問題になる。許容されない24時間テレビというビジネス「24時テレビ」が批判される2つの要因 「24時間テレビ」に対する批判や嫌悪は、今に始まったことではない。しかし、それが昨今のように、急激に表面化し、国民的な議論へと発展してしまう背景にあるのは、「一億総ネット評論家時代」ともいえる社会状況だ。 従来であれば、ゴシップレベルの批判や個人的なオピニオンやメッセージで終わっていたものが、近年ではSNSを使い、誰もが自分の主張を不特定多数に発信できるようになった。決して少なくない頻度で、無名の個人(でしかも匿名)の意見が、社会性をもったオピニオンとして拡散されてしまう。日本テレビ系「24時間テレビ」で司会をするアナウンサーの徳光和夫=1998年  近年急速に「24時間テレビ」への批判がネット炎上を着火点として加速している背景には、大きく2つの要因がある。 まずひとつ目は、上述した「チャリティー標榜ビジネス」に対する嫌悪や不信感だ。欧米では、ハリウッドスターなどが無償でチャリティーイベントに参加するのは常識だ。一方で、「24時間テレビ」では、出演者にはしっかりとギャラが支払われる。もちろん、高額ギャラの人気タレントたちが出演することで、視聴率を上げ、話題性が高めれば、広告価値が高まり、それは巨額の広告収益を生む。それがテレビ局および周辺企業の売り上げとなるわけだが、この構造に対して不信感や嫌悪感は持ってしまう人は多い。 もちろん、福祉やチャリティーといったことを国民的な関心として盛り上げて行くために、行政や関係団体が巨額の広報費用、啓蒙活動費を利用していることを考えれば、「24時間テレビ」で得られる収益や、そこでやり取りされる巨額なギャラなどは、チャリティーや障害者問題の啓蒙活動のための「必要経費の範囲内」と言えるのかもしれない。よって、ギャランティの有無や商業性の大小に関しては、非常に難しい問題をはらんでおり、一概に明言できないのが実情だ。 よって、「24時間テレビ」がチャリティーの理解を深めるための啓蒙活動として価値を持ち、そのための広報費、啓蒙活動費として「24時間テレビというビジネス」が許容できるなら、それほど大きな問題は起きない。しかし、実際には大きな騒動として議論され、デマや揚げ足取りを含めた様々な批判が飛びかっている。その理由は、視聴者が「24時間テレビ」に対してチャリティーや福祉の啓蒙番組としての価値や意義を見いだせていない、ということにあるのではないだろうか。 2007年の「24時間テレビ」チャリティーマラソンにおいて、ギャラを全額寄付したと言われている欽ちゃんこと萩本欽一氏のエピソードが、番組における美談・逸話として有名である。しかし、よく考えれば、これが美談・逸話としてあつかわれること自体が「24時間テレビ」の特殊性を示している。「一億総ネット評論家時代」の視聴者 そして2つ目が「一億総ネット評論家時代」の確立と成熟だ。従来であれば、「放送しっぱなし」でも許されたテレビ番組。しかし今日、チャリティー番組に限らず、あらゆる番組が、少数のコア視聴者たちによって事細かに検証され、その問題点や疑問点がエビデンスや比較対象資料までつけて分析され、ブログなどで即座に公開され、SNSで拡散されてゆく。その真偽はさておき、意図的な表現改ざんなどの編集を繰り返しつつ、無限に広がるという評論フローが完成している。 当初はアンダーグラウンドな「暴露話」「都市伝説」レベルであったネット評論も、2000年代に入り、一定の検証性や客観性を帯び、リアル社会にも影響を及ぼすようになったものも登場するようになった。 例えば、2002年4月に放送されたNHKスペシャル「奇跡の詩人」は、そういった動きの最初期の事例である。「奇跡の詩人」は、重度の脳障害をもつ11歳の少年が、民間療法ドーマン法のよって驚異の能力を発揮するに至り、文字盤を利用して複雑なコミュニケーションをし、著書を執筆・出版するなど、健常者以上の才能を開花させている状況を取り上げたドキュメンタリーである。 しかし、放送直後から、ネットを中心に疑義が噴出した。母親が操作する文字盤を少年が指差すことで文章を作る・・・としているが、よそ見をしている時でも、文字盤を指差す(指を動かされている)などが事細かに検証された。その結果、製作責任者が釈明放送をするにまで至った騒動だ。 近年でいえば、2014年に起きた小保方晴子氏を中心とした「STAP細胞騒動」がある。この時は、匿名のネット民(だが、おそらく専門に精通した研究者)により、ネイチャー誌に掲載された論文から彼女の博士論文の検証がなされ、論文の取り下げはもとより、博士論文の取り消しにまで発展した。 もちろん、2015年の「東京五輪エンブレム騒動」も同様だ。佐野研二郎氏によってデザインでされた東京五輪のエンブレムの類似指摘に端を発し、その後、続々と五輪エンブレム以外のあらゆるデザイン物に対して「パクリ」指摘が相次いだ。その細かな検証結果は、ネットで拡散され、前代未聞となる五輪エンブレムの取り下げ、再公募となったことは記憶に新しい。(ことの経緯、炎上過程については、拙著「だからデザイナーは炎上する」中公新書ラクレを参照) これらの全ては、「一億総ネット評論家時代」でなければ起き得ない騒動だろう。これまでも同じような検証者はいただろうが、それを不特定数の表明する手段も、拡散させる方法もなかったからだ。言い換えれば、無限に存在するネット上の情報やコンテンツがあれば、揚げ足取りでも、自分の検証や理論を立証させるエビデンスを収集することは容易だ。対象者を貶め、攻撃するエビデンスとは、理論的検証能力というよりは、むしろ「ネット内での発掘能力」なのだ。批判を受ける「24時間テレビ」固有の問題炎上する「24時間テレビ」固有の問題「チャリティー標榜ビジネス」と「一億総ネット評論家時代」という2つが、「24時間テレビ」を炎上させる基本的な要因である。しかし、これは考えてみれば、非常に普遍的な要因でもある。必ずしも「24時間テレビ」だけに当てはまる問題ではない。無数のチャリティー・コンテンツが存在する中で、なぜ、ここまで「24時間テレビ」が問題視され、各方面からの嫌悪を持たれるのだろうか。そこには二段階の問題がある。マラソン終盤、日本武道館へ入る林家たい平=8月28日、東京都千代田区まず、第一段階は上述したように、「24時間テレビ」が我が国におけるチャリティー番組の代名詞であり、同時に「チャリティー標榜ビジネス」の象徴にもなっているためである。この点に関しては、むしろ、チャリティー標榜番組の先駆けであるがゆえに同情する部分ではある。しかし近年、「24時間テレビ」がチャリティー・コンテンツの代表として批判されていること以上に炎上が加速し、鎮火しない最大の理由は、次の第二段階目にある。第一段階がチャリティー・コンテンツ全体への嫌悪・批判だとすれば、第二段階は「24時間テレビ」固有の問題だ。その固有の問題とは、「24時間テレビ」がチャリティー番組ではなく、「障害者を素材にしたバラエティ番組」となっており、しかもそれが視聴者にバレてしまっている、という現実だ。これは、テレビ産業それ自体の地盤沈下、相対的な刺激や影響力の低下によるメディア産業全体の問題でもある。まず前提として、近年のバリアフリーの意識や社会インフラの盛り上がり、技術的な高まりに伴い、障害を持っている場合でも、ほとんど健常者と変わらない生活ができることも珍しくなくなった。もちろん、パラリンピックなどで、国益を代表して大きく注目されるチャンスも増えてきた。一方で、パッと見ただけでは障害とは思えない「障害」への理解も深まりつつある。例えば、発達障害や学習障害を持つハリウッドスターや人気タレントなども珍しくはない。しかし、身体障害のような直感的に理解できる障害とは異なり、なかなか理解はされづらい障害だ。それでも最近ではそういった障害に対する理解も進み、障害が持つ多様性も認められるようになり、障害と健常とは明確に線引きできるものではない、という認識も深まっている。今日、障害とはわかりづらい「グレーゾーン」の部分にこそ、多くの問題や課題が含まれている。その一方で、テレビという直感的なメディアでは、「分かりやすい=目に見える」インパクトが求められる。「お茶の間・娯楽の王さま」から陥落し、「ながら視聴」が一般化した今日、その状況は一層加速している。テロップや擬音で埋め尽くされたテレビ画面は、音を消しても理解できるような状況だ。油断すれば、スマホやパソコンなど、他のメディアに即座に視線を切り替えられてしまう。そのような現状を考えるだけでも、直感的ではない、説明を要するような、わかりづらい「グレーゾーン」は扱いづらい。その結果、「24時間テレビ」のようなチャリティー標榜番組でも、「分かりやすい障害」を扱いがちになってしまうことは想像に難くない。もちろん、扱う場合の内容も、視聴者の関心を釘づけるために、より強いインパクト(=わかりやすさ)を求め、障害者が露骨に「障害と戦う」「障害に苦しむ」姿を描かざるを得なるわけだ。つまり、「見世物小屋」だ。なぜ足に障害のある少年に富士登山をさせるのかなぜ足に障害のある少年に富士登山をさせるのか 足に麻痺を持つ少年に一合目から富士山登頂を目指させるという本年の企画。これは「足に障害を持つ少年が、決死の努力によって富士登頂を果たす」という感動のストーリーを創り出すには、最適な素材なのかもしれない。しかし、「障害克服する」というテーマで、視聴者を啓蒙し、また、障害に苦しむ人たちに勇気を与える目的であれば、必ずしも「足が悪い少年」でなくても良いのではないか、と思う。 目に見えない「心の障害」に苦しむ人でも良いのではないか。苦しみや、克服への努力に貴賎の上下も障害のレベルもないはずだ。しかし、それでは「分かりづらい」。「足が悪い人」が「富士山」という日本で一番高い山に登ることにインパクトがあると考えているからこそ生まれる企画だろう。 チャリティーマラソン企画なども、そのような「わかりやすさ=視覚的なインパクト」を求めている以外の何物でもない。なぜ、無目的に番組時間中、走りつづける必要があるのか。これは「タレント苦しんでいる場面=感動」の置き換えに過ぎない。 ランナーとなるタレントたちは、その多くが「チャリティー」とも「福祉」とも「マラソン」とも無関係だ。そこに理由はない。なぜなら、視覚的なインパクトあるコンテンツという意味しか持たないからだ。 「24時間テレビ」に限った話ではないのであろうが、ここで重要なことは、現在の「24時間テレビ」の作り手が、「チャリティー番組」という本来の意義や意味は、何も考えていない/考えられていない、というリアルでシビアな現実を理解することであるように感じる。 同番組がチャリティー番組としての成長する過程で、いつの間にやら、「チャリティー標榜ビジネス」となり、今日ではもはや「障害者を素材にしたバラエティ番組」へとメルトダウンしている。 そうなれば、作り手たちは、常日頃作っているバラエティ番組と同様に、「より過激に」「よりくだらなく」「インパクト重視」で企画を練り、作る。そこに、チャリティー番組としての細かい検証などほとんどない。なぜなら、「障害者を素材にしたバラエティ番組」なのだから。残念ながら現場レベルでは、日々に仕事に追われ、番組スタート当初の志や意義などはほとんど継承されていないだろう。「24時間テレビ」をチャリティー番組と思うことの問題 例えばオリエンタルラジオの「パーフェクトヒューマン」をダウン症の少女と躍るという企画も同様だ。歌詞の内容とダウン症という症状があまりに乖離しているといった批判があるが、客観的に考えて、制作者が、意図的に障害者を笑い者にしようとして、あるいは批判を覚悟の過激企画として「パーフェクトヒューマン」を選んだとは考えづらい。話題の「PERFECT HUMAN」を踊る オリエンタルラジオの中田敦彦ら=東京・文京区 もちろん、内容の不適切さに対する浅はかさは反省すべきだが、作り手はバラエティ番組として良かれと思って単純に「話題のヒット曲」と「障害者」を抱き合わせただけだろう(それはそれでまた別の問題があるのだが)。制作者は、よりインパクトある、話題性がありそうな企画を、放送可能なギリギリのラインで狙っただけなのだろう。その意味では、制作者の狙いは見事に達成している。チャリティー番組と思うこと自体が問題 よって、「24時間テレビ」をチャリティー番組、福祉の啓蒙番組として認識することにも問題があるのではないか、と筆者は考えている。「障害者を素材にしたバラエティ番組」として捉えれば、あとは出演する人の解釈や倫理的問題、コンプライアンスの問題だ。出る出ない、見る見ないは、当事者の問題である。 「24時間テレビ」には、多くの障害者の方やその家族、関係者が登場している。無理矢理出演させているわけではないのだから、当事者たちにも「24時間テレビ」には、まだ、出演する意味や意義が見出されている、ということでもある。 ただし、それらの人たちがみな、「24時間テレビ」の「障害者を素材にしたバラエティ番組」としての実態を理解しているかは、不明だ。放送を見て、驚く場合もあるかもしれない。一方で、「障害者を素材にしたバラエティ番組」を障害者自身が許容し、あるいは楽しみに、そこに意義を見出すこともあるだろう。 「24時間テレビ」がチャリティー番組ではなく、「バラエティ番組」という認識が広がれば、それはそれでまた新しいバリアフリー番組のあり方も生まれてくるように思う。スポンサー集めや募金活動のあり方も変わってくるであろうし、これまで積み重ねてきた歴史や経緯、社会的意義も失いかねない大きな問題だろうが、それは日本テレビの都合であって、ほとんどの視聴者には無関係だ。少なくとも、現在のようなチャリティー標榜バラエティによって発生する批判は軽減するように思う。

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    日テレはナメているのか? 障害者の私が見た24時間テレビの違和感

    感動ポルノとして健常者に消費される」というタイトルの記事が出回ったことが大きい。 オーストラリアのコメディアン、ステラ・ヤング氏が2014年のTEDxSydneyに出演した際のプレゼンの紹介記事が大きな反響を呼んだ。障害当事者やその家族、支援者だけでなく、ネットメディアで情報を得る多くのひとがこの記事に賛同していた。 「お前、障害者のこととか興味あったの?」と勘繰りたくなる地元の悪友でさえ「感動ポルノなんて気持ち悪い」とか言う始末。障害者をどう報じるか、どう取り扱うかというテーマが市民権を得たのは、ここ最近の話である。24時間テレビのオープニング。左から徳光和夫、波瑠= 8月27日、東京都千代田区 「障害者×◯◯」という方程式に感動を代入しますか? 笑いを代入しますか? これが24時間テレビとバリバラの分かりやすい構図だが、実は、そんなことはどうでもいい話で、そもそも「障害者が何かをやる」という前提で企画を練る発想に、違和感を覚える。 この国には「障害者フィルター」が存在している。障害者が何かをやるだけですごいと思ってしまう価値観フィルターだ。健常者(何をもって健常者というか怪しくなってきた気がするが)と違い、どこかに障害を抱えているから障害者であるわけで、その障害分のマイナスをパフォーマンスで補ったとき、ひとは「すごい」と感じるスイッチを入れてしまうのである。「障害者×◯◯」という式は、この「障害者フィルター」を前提条件に企画や演出方法を考えている。  「障害者フィルター」の厄介なところは、そもそものOKラインを一般社会のものから低いハードルで位置づけてしまうことにある。仕事でもスポーツでも何でもいいのだが、障害者が何かをやるときに健常者と同じだけの成果が求められるかというと、それは否であり、同じことをやるだけで「すごい」のである。 もちろん、障害が理由でできないことがある分、すべてを健常者と同じ水準で求めるのは酷なことだが、その確認をせずとも、「これくらいでOKだよ、ありがとう」というOKラインが下がるのである。そして実は、OKラインが自動的に下がることを自覚している障害者は一定数いる。 社会側の無知という状態、社会側が無知であると認識している障害者側。双方の見えない合意の元で「障害者フィルター」が確実に存在している。これを巧みに演出すれば「感動ポルノ」に仕立てられるし、意地悪く使えば「障害者に遠慮して何も言えない」状態を創り出すことができる。なんだかんだ言って、持ちつ持たれつなのだ。頭ごなしに批判するのはナンセンス 感動ポルノという言葉が議論されるほど、障害者の存在を考える機会が増えてきている。また、2020年の東京パラリンピック開催はひとつの契機に、バリアフリー設備が整い、かつてよりも確実に生活しやすい状態が生まれるだろう。しかし、意識レベルでは「障害者フィルター」が存在し続けているように、大して変わってはいない。ナメられていると表現した3年前と状況は実は変わっていない。 おそらく社会側は、そういえば「障害者フィルター」ってあるなと自覚するくらいで十分。そのフィルターをどう使うかは本人次第だが、自分が事故や病気で障害者になったとしたら、そのフィルターの対象に自分も含まれることになる。すると、自ずと使い方が見えてくる。感動だの笑いだのと「障害者×◯◯」の議論が生まれたが、それをどう使うかは番組の方向性であって、頭ごなしに批判するのはナンセンスだ。 状況を変えるには、障害者側には少し負荷がかかる。もっともっと外に出ていかなくてはならない。障害が理由でできないこと以外は健常者と何も変わらないのに、それを伝えない、それが伝わっていないからフィルターが存在し続けている。社会の一員として障害者がいることが当たり前で、周囲を見渡せば障害者がいる日常になれば、上下ではなくフラットな関係性に近づけるだろう。社会がどれだけ改善されたとしても、障害者にアクションが生まれなければ、何も変わらない。 友人に「車いすカメラマン」がいるが、彼の撮った写真はクオリティが高い。彼は「車いすカメラマン」なのではなく「質の良い写真を撮る彼は車いすに乗っている」だけである。この違いがこれからの社会に必要なことである。 障害が特別視されることなく、本人や社会にとって、当人を特徴付ける要素のひとつくらいの認識になれば、こんな議論をせずとも済むだろう。24時間テレビやバリバラは「障害者フィルターがどのように作用しているか」という現状を示すバロメーターでしかない。

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    「24時間テレビ」はどれ位地球を救ったか? 感動ポルノはもうやめよ

    常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師) 実に痛快な記事だった。Eテレ「バリバラ」のことを伝える毎日新聞の記事だ。ヤフートピックスにも掲載されていた。 Eテレ「バリバラ」が日テレの「24時間テレビ」を批判、風刺するような内容を放送したというのだ。番組を見逃してしまったが、再放送されるというのでチェックすることにしよう。少なくとも、この番組を伝える毎日新聞の記事は私が長年(それこそ、物心ついた頃から、三十数年にわたり)抱いていた違和感を見事に代弁している。 本来は再放送された番組を見てからコメントするべきだが、いてもたってもいられなくなり、キーボードに向かっている。腐敗しきった「24時間テレビ」、「愛は地球を救う」なんていう欺瞞に満ちた番組に、私はこの檄を叩きつける。 「バリバラ」が批判したように、「24時間テレビ」は「感動ポルノ」そのものだ。社会的に弱い立場にある者(たとえば障がいがある者)に愛を注いでいるようで、見下している、それを視聴率に利用しているのは見え見えだ。芸能人が突然、マラソンを始めるのもまったく理解できない。実にけしからん話である。 だいたい、この日だけ注力して「愛」を叫ぶのはいかがなものか。日テレには見るべき番組がない。ふと気づいた。日テレの番組に一つも録画してでも見たくなる番組がないことを。毎年、恒例の他局つぶしの「宮崎アニメ」もすでにBlu-rayで買い揃えたので、私には効かない。大衆に迎合した低俗なバラエティ番組を垂れ流す中、突然「愛」と言われても困る。 「愛は地球を救う」というコピー自体は素晴らしい。「愛」は否定しないが、ここでいう「愛」とは何なのだろうか。「愛」という言葉は時に思考停止を誘発するし、暴力になる。40年近くやってきて、この番組で言う「愛」はどれくらい地球を救ったのだろうか。「愛」と言いつつ、それは自局や番組、出演者の自己愛ではないのだろうか。 私は母子家庭の出身なのだが、家族が亡くなっていく前、生まれた頃は、脳腫瘍で半身不随で障害者手帳を持っている父、人工透析に通う祖父、心臓の弱い祖母と一緒に暮らしており、それを母が切り盛りしていた。その姿を見て学んだことは、障がいや病気とは、当事者にとっては付き合うものであり、向き合うものであり、違いである。その悩みはそれぞれだ。苦労は想像を超えている。一方、その障がいや病気ゆえに見える世界だってある。幼い頃、そんなことを学んだのは私自身も貴重な体験だった。 「24時間テレビ」の世界観は、一億総中流と言われた時代の世界から脱していない。多様化、格差社会化する世界にまったくついていっていない。「スポットをあててやったぞ」「救ってやるぞ」という世界観をいつの間にか醸しだしていて、それが共感を呼んでいないことをわかっているのだろうか。 Eテレ「バリバラ」は、放送に至ったのは今年度だったものの、長年、番組関係者と視聴者は「24時間テレビ」に対する怒りが溜まっていたことだろう。普段からの問題意識の積み重ねを感じる。民放に対して批判的な内容を放送することを決断した番組関係者を尊敬する。 別に謝罪はしなくていい。「24時間テレビ」関係者はこれまでの番組のあり方を総括し、敬虔な反省を持つとともに、自己批判をしなさい。喝だ。大リニューアルが行われない限り、私は一生見ない。まあ、私が死ぬまでには、同番組は支持されず、終了していることを祈る。そして、「24時間テレビ」なんていうイベントがなくても、普通に障がいや貧困を乗り越えた愛に満ちた世界が実現することを祈る。 だいたい愛なんてことをわざわざ叫ぶ社会は、愛が足りないのだよね。(「陽平ドットコム~試みの水平線~」より2016年8月29日分を転載)

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    「24時間テレビ 愛は地球を救う」の功績と叩かれる理由

     (THE PAGEより2015年6月13日分を転載) 先月下旬に日本テレビ系「24時間テレビ 愛は地球を救う」(※以下「24時間テレビ」)の今年の「チャリティーマラソン」のランナーが、歌手でタレントのDAIGOに決まった。今年で38回目の放送を迎える「24時間テレビ」は、視聴者から寄付を募るチャリティーキャンペーン活動を主題とした番組で、今や日テレの看板番組の一つとなっている。番組放送中、長時間にわたってランナーが走り続ける「チャリティーマラソン」をはじめ、同番組ならではのさまざまな企画が催されて話題を振りまく一方で、「偽善番組だ」や「障害者を利用している」など批判的な意見も多い。日本テレビ本社アンチファンの槍玉に挙げられる「ギャラ問題」 とくに槍玉に挙げられるのが、海外ではノーギャラといったケースが多いチャリティー番組でありながら、出演者に高額なギャラを払っている点で、一昨年7 月に写真週刊誌「FLASH」が関係者の証言をもとに、メインパーソナリティーをはじめとした出演者のギャラや番組のCM収入などを報じた際には大きな波紋を広げた。  こうした“ギャラ問題”に対して、絶対匿名を条件に同局関係者は実状を明かす。 「別に本業がある方ならいざ知らず、芸能活動を生業にしている芸能人に対して、こちらの方から『チャリティー番組なのでノーギャラでお願いします』とは言い出しにくいです。すべてうちの局の“持ち出し”で番組を制作するというのであれば、日頃からうちとお付き合いのあるタレントさんたちにそういった提案もできるかもしれませんけど、番組にはスポンサーがついているわけですしね。ただ、タレントさんや所属事務所さんによっては、『チャリティー番組なんだから、そんなに高いギャラはいらない』とおっしゃる方もいます」  そのうえで、こう続ける。 「ぶっちゃけた話、『24時間テレビ』に関しては番組のイメージも良く、スポンサーもつきやすいんです。出演するタレントさんサイドにとっても、イメージアップに繋がりますからね。だからと言って、偽善とか、商業目的とか言われるのは…。出演者の方も、制作陣も少しでも良い番組を作り募金を集めようと懸命に取り組んでいます。実際に毎年視聴者の方から多くの募金が集まり、好意的な視聴者の方からは『感動した』、『励まされた』といううれしいお声も頂いていますしね」毎年視聴者から寄せられる億単位の募金 たしかに、同番組の公式ホームページによると、過去最高となる4年前の19億8641万4252円をはじめ、一昨年が15億4522万6444円、昨年が9億3695万5640円と、毎年多額の募金が集まっているという現実も無視できない。 公共の電波を利用し、国の免許事業である放送事業を主幹とするテレビ局は、公共放送のNHKのみならず、民間の放送局に関しても、一般の企業より“公共性”が求められるとされている。 とはいえ、広告収入を経営基盤としている営利企業である民放局において、チャリティー番組といえども、スポンサーを募らなかったり、出演者のギャラをゼロにしたりするリスクはかなり高い。 「出演者のギャラの件など一部に批判的な意見があるのは重々承知していますが、現実的にはいち民放局としては今の形の番組作りが最良なのかなと思っています」(同関係者)。今年も8月23~24日に放送される「24時間テレビ」だが、さまざまな話題を集めそうだ。

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    24時間テレビを感動ポルノと批判した「バリバラ」の快挙

    自殺関連の番組にもいえることだし、全国紙の新聞にもいえることだ。 では、なぜテレビや新聞といったマスメディアは、障害者を「同情すべき人」あるいは「感動を与える存在」に仕立てあげてきたのか? その問いを考える前に、「感動ポルノ」の言葉で問題提起したジャーナリスト兼コメディアンの故・ステラ・ヤングさんのTEDでのスピーチを約10分間、観てほしい。 ステラさんは、「障害は悪いことではない」と言い、「障害があってもがんばれ」という美談がはびこっている現実を指摘する。そのように特定の存在を感動の対象にすることによってトクする人がいる、とも言っている。 「自分はまだ恵まれている」と健常者に思わせるために、障害者が存在しているかのような誤解が正当化されているが、「私たちが乗り越えたいのは、障害そのものではない。社会からもたらされる障害(=みんなが私たちを特別視すること)は身体や病状よりひどい」とステラさんは言う。障害者の知名度を上げるという点で野心的な『バリバラ』 その点で、『バリバラ』は野心的な番組を制作してきた。健常者がしている恋愛・セックス・婚活・就活・アート活動などが障害者にもあることを紹介し、「SHOW-1グランプリ」という”障害者芸人”によるお笑いコンテストも制作してきた。そうした画期的な取り組みの延長線上に、「お笑いは地球を救う」が生まれたのだ。 こうした取り組みを観て、「障害があったから注目されるのは嫌だ」と感じる人もいるだろう。 しかし、芸人として出演したい人にとって、”◯◯芸人”としてカテゴライズされるのは、むしろふつうの売り込み方であり、特別視とは真逆の作法といえる。芸人として目立つために、「ハーフ芸人」や「高学歴芸人」など自分のキャラを最大限に活かすことで芸を観てもらうチャンスを作るのは、王道だからだ。2014年12月、NHK「バリバラ」で放送された特集ドラマ「悪夢」。障害者エキストラの迫力ある応援で盛り上がるラウンジ「悪夢」のプロレスシーン それを考えれば、自分には障害という強みがあったんだという気づきは、芸人を目指す当事者にとってはうれしいことかもしれない。もちろん、実際に芸人としてメシを食って行きたいなら、『バリバラ』以外の番組や他局にも出演できるようにしていくことが求められるだろう。それが、芸人としてふつうのことだからだ。 そこまでの売り込み指南を『バリバラ』がしていくのかどうかはわからない。だが、『バリバラ』はこれまでもスタジオゲストだった障害者たちをドラマに出演させたり、障害者芸人とプロの芸人を共演させてお笑いビデオを制作するなど、知名度を上げるという点では意欲的な番組制作を行ってきた。 チャンスは十分に与えられた。あとは、”障害者芸人”自身が自分にとって納得できるお笑い活動をどう展開していくのかについて、番組の外でのありようを紹介してほしいものだ。当事者の声を聞かない報道は、あなたと常識を支配する当事者の声を聞かない報道は、あなたと常識を支配する さて、NHK『バリバラ』が障害者自身のニーズをふまえているのに、日テレの『24時間テレビ』はそれができないのか? そして、なぜ両足に麻痺が残る少年を無理やり登山に連れて行き、父親にどつかれることまで「感動」に仕立てあげようとしたのか? 同じテレビ番組でも、番組の制作費を誰が出すによって、制作方針が変わって来るからだ。 NHKは、番組制作費に充てられる視聴料を直接、視聴者から受け取る。視聴者からの声に応えなければ、当然、NHKに直接苦情が入り、局内で問題になる。 そうなれば、視聴者はNHKに視聴料の不払いをしかねない。不払い者が増えれば、番組制作費が減り、最悪の場合、局内の誰かのクビが飛ぶ。 一方、企業がCM枠で莫大な広告費を提供し、それを番組制作に充てている民放は、NHKのようなリスクは負っていない。視聴者が特定の番組に対して不満でも、局やBPOに苦情を言う人が一部に出てくるものの、よほどのことがない限り、企業が一斉にスポンサーを降りることは珍しい(※かつてはあった)。 民放テレビ局・ラジオ局にとって、広告は主な収入源なので、スポンサー企業を喜ばせるには、視聴率の高いコンテンツが最優先の番組制作の方針になる。東京・渋谷のNHK放送センター 視聴率を上げるには、より多くの人が観たがる番組を作る必要がある。それを「多数派が観たがる内容」という具合に誤解すれば、マイノリティ(社会の中で少ない属性の人たち)は出演者やスタッフから日常的に除外される。 障害者はもちろん、LGBTや外国人、帰国子女や中卒以下の低学歴層など、マイノリティとして判断された人は、番組制作のメインとしては認知されないのだ。それどころか、そうしたマイノリティに光を当てるはずの番組でも、マイノリティ当事者の声をあらかじめ尋ねることはしない。 実はこれ、東京在住者の作法かもしれない。NHKの『バリバラ』も、NHK大阪が制作している番組なのだ。 在日外国人、ホームレスなど、障害者以外にも差別の問題が根強く顕在化している大阪だからこそ、「笑い」に包んで現実を浮き彫りにさせるという作法が生きている。 同じEテレで自殺関連の番組が、自殺を思いつめたことのある視聴者の一部に不信感や嫌悪感が根強くあるのは、自殺経験の当事者の声をそのまま番組に反映させようという作法が成熟していないからだろう。 成熟していなくても、彼ら自身は、視聴率さえとれれば何も困らないのだから、成熟を動機づけるチャンスはあらかじめ失われている。 このままだと、ディレクターが番組を制作する以前の企画段階でも、当事者の声を十分に取材しないまま企画書を作るという悪習慣も温存される。そういう番組制作の現場では、よく知らないマイノリティについて頭の中の妄想や一般的なイメージを裏付ける映像さえ撮れれば、仕事が終わってしまう。 それは、マイノリティの既存のイメージを上塗りするだけであり、前述のステラさんがもっとも嫌うことだ。マイノリティを害しても平気でいられるさもしい作法 それでも、そのような安易な方法で番組を作る方が、短時間で視聴率が取れる仕事ぶりになるのだから、やめられないのだろう。もちろん、本物の取材というのは、それまでのイメージやものの見方を根本的に変えてしまう文脈を現実の中から新たに発見することだ。 たとえば、家出人を「不良」と一方的にみなす風潮があるが、現実の家出人は親からのひどい虐待から避難するために家から飛び出し、早めに安定した居場所と仕事を得ている。家出後の生活はふつうの人と変わらないので、ドラマチックな映像にはならない。 すると、凡庸なディレクターは「視聴率が取れない」と嘆き、過激な暮らしぶりをしているレアケースの家出少女の売春を探し出しては撮りたがり、それが家出のマスイメージとして定着してしまったのだ(※家出人で犯罪の加害・被害に遭った人はたった6%程度/警察庁の発表)。 以上をふまえれば、テレビや新聞といったマスメディアが、障害者だけでなく、マイノリティの人たちを「同情すべき人」あるいは「感動を与える存在」に仕立てあげてきた事情を理解できるだろう。 3・11の本でも、やたらと感動の文脈で売れ筋に仕上げた“ノンフィクション”が書店に並んだ。そうした「感動」は、当事者の求めるものと違うのは明らかだ。 マイノリティ当事者をダシにして、自分の稼ぎを守ろうとする人たちを、僕は軽蔑する。それは、当事者にしか持ち得ない固有の経験や苦しみという価値を、自分自身の生活のために奪う「さもしい作法」だからだ。 むしろ、他人を害しても平気でいられるそのさもしい作法こそ、キャリアポルノと呼ぶにふさわしいのかもしれない。 『24時間テレビ』では、1年間に1度しかない全国放送のチャリティ番組なのに、障害者の自発的な意志とは無関係に無理強いをさせ、そのことによって出演する芸能人は莫大なギャラをもらい、広告代理店とテレビ局は大儲けしている。 しかも、小さな子どもが1年間、一生懸命に貯金箱に入れて、寄付したお金は、福島の被災地にオカリナ100個を提供するのに使われるなど、TVチャリティでしかできないわけでもない用途に使われている。 もちろん、福祉車両を福祉団体に寄付してもいるが、団体へ施しをすれば、団体自体が自分たちの力で活動経費を賄うだけの自助努力を動機づけなくなり、結果的に団体にはいつまで経っても経営力が身につかず、『24時間テレビ』への依存度が高まるばかり。これでは、団体の世話になっている障害者も、全国各地で着実に増えている「自分のやりたい仕事を作り出す取り組み」を、ゆめにも思わなくなるかもしれない。 当事者の声を大事にしない報道は、取材対象・視聴者・寄付者などを支配し、常識やマスイメージを固定させ、マイノリティの苦痛をいつまでも温存するのだ。 しかし、時代はいまこの時も、常に変わり続けている。魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるのが、当事者の自立・自由・尊厳を守る。難民にネイルアートを教えて仕事を作り出しているアルーシャのような事例も増えている。 番組制作も、福祉の仕事も、ソーシャルビジネスへ変えていくことで、当事者満足度の高いものに進化させていく時代なのだ。報道関係者だけでなく、視聴者のあなたも覚えておいてほしい。(「今一生のブログ」より2016年8月30日分を転載)

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    『24時間テレビ』続く理由 初回・高校生の一言からの大拍手

     1978年の第1回放送から37回目を迎えた日本テレビ系の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(8月22・23日放送)。今年は、チャリティーマラソンランナーにDAIGOが選ばれ、100キロを走る予定だ。このコーナーは1992年から設けられ、名物企画となっており、今では“マラソンのない24時間テレビ”を知らない世代も多数存在するようになった。 そもそもの『24時間テレビ』の始まりを振り返ると、当時の大人気番組『11PM』(日本テレビ系)までさかのぼる。同番組は1975 年から「スウェーデンの福祉」などの企画を年に3回ほど放送しており、都築忠彦プロデューサーがその延長線上で『24時間テレビ』を発案。日本テレビは『開局25周年記念特別番組』として、1978年に1回きりの放送をする予定だった。 その時のテーマは『寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!』と明確に掲げられており、『11PM』の司会者でもあるキャスターを務めた大橋巨泉は番組の最後に、「(募金額の)99%が1円玉、5円玉、10円玉だと思うんですね。金額は少なくとも量は。ということは、決して豊かでない人たちが僕たちの企画に賛成してくれて、募金してくれたと思うんです。僕が言いたいのは、福田(赳夫)総理大臣を始め、政府の方、全政治家の方に、本来はあなた方がやることだと思うんです。ですから、福祉国家を目指して良い政治をして頂きたいと思います」と時の政権に訴えかけていた。「24時間テレビ」現在のメーン会場、東京・日本武道館 チャリティーという意識が浸透していない時代に、『24時間テレビ』の持つ意義はとても大きかった。 第1回目のチャリティーパーソナリティは萩本欽一、大竹しのぶが務め、番組キャスターには東京では大橋巨泉、竹下景子、大阪では横山やすし、西川きよしが起用された。第1回に男性や子供ばかりが集まった理由 また、現在の番組テーマ曲はエンディングで必ず歌われる『サライ』だが、第1回目は「番組シンボル」であるピンク・レディーが、テーマ曲『2001年愛の詩』を歌っていた。電話で視聴者からのメッセージを受け付けると、その電話は鳴り止まない。時には欽ちゃんなどのタレントが話し込む場面もあった。24時間で189万本もの電話があり、スタジオに繋がったのはたったの7万本。3.7%の確率でしか繋がらなかった。古参の芸能記者が話す。「初開催とあって、とにかく盛り上がりが凄かったんです。代々木公園で行なわれたグランドフィナーレには、萩本欽一と大竹しのぶ、ピンク・レディーが登壇。テレビを見ていた視聴者が会場に押し寄せ、後方のカメラからでも入りきらないほどの人だかりとなりました。欽ちゃんや大竹がステージの上から客席に手を伸ばし、直接募金をもらいに行くと、波を打つように人が集まってきました。 また、街頭で募金を集めていたタモリが黄色いTシャツと白い短パン姿、青と白のシマシマ靴下で、なぜか聖火ランナーとして登場。聖火台に点火していました(笑)」 現在はジャニーズ事務所所属タレントが司会を務めることもあり、会場となる日本武道館には女性ファンが大半を占めている。しかし、第1回目の代々木公園には男性や子供ばかりだった。「人気絶頂のピンク・レディーがいたからという理由もあるでしょうが、それ以上に番組に対する熱狂が凄かった」(同前) サポート役として進行していた徳光和夫氏(当時日テレアナウンサー)が会場へ降り、「こんなことを欽ちゃんたちに言いたいということがあれば、手を上げてください」と質問を募った。すると、千葉から訪れた高校3年生の男子が熱く訴えかけた。「欽ちゃんさ、あの聖火みたいにさ、今日1日で消さないでさ、ずっと続けてよ。これ消えちゃったら、つまんないじゃない? タモリも頑張ってよ。どんどん訴えて、笑いで」 会場からは拍手が巻き起こり、欽ちゃんも「そうだよなあ!」と呼応。「笑いで訴えて」と言われたタモリは「わかりました」と冷静に対応していた。 この熱狂ぶりに、当時の小林與三次日本テレビ社長が舞台裏から突然登場。欽ちゃんからマイクを奪い、「全国の皆さん、ありがとう。心から御礼申し上げます」と感謝。欽ちゃんが会場を指差し、「また来年もやってくれと言ってますよ」と問い掛けると、「ご支持いただくなら、何度でもやります! そういう必要がある限り」と力強く宣言。すると、会場からは小林社長の声をかき消してしまうほどの大拍手が巻き起こり、翌年以降の開催も決まったのである。 盛り上がりに比例するように、最終的な募金額は12億円近くに上り、日本初の大型チャリティー番組は大成功に終わった。あの熱狂から37年。今も番組は続いている。関連記事■ 萩本欽一「丁寧な番組作りはいかりや長介から学んだもの」■ 24時間テレビ 計33回の放送で合計募金総額は291億円超■ 加藤茶の体調不安 「テレビで見る姿以上に深刻」との証言も■ 関根勤、勝俣州和ら欽ちゃんファミリーが今も売れ続ける理由■ 7億当せん番号の宝くじ持つ萩本欽一 換金せず見せびらかす

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    演出で完成する「感動ポルノ」 24時間テレビの偽善に煽動される大衆

    猪野亨(弁護士) NHKのEテレ「バリバラ」の番組の中で、ジャーナリスト・コメディアンのステラ・ヤング氏が「感動ポルノ」を解説していたことが話題になっています。 障がい者を使って、無理矢理「感動映像」をとって制作者と視聴者が自己満足を得る、それで視聴率を稼げればすべてOKという商業主義と偽善が織り混ざっています。 「感動ポルノ」(健常者に勇気や感動を与えるための道具)という言葉を聞いて私は目から鱗が落ちました。 その番組が報道されているとき、日本テレビが毎年恒例の「24時間テレビ愛は地球を救う」を報道していたことも話題になる一因でした。 それはともかく、これが話題になったのも、いかに日本テレビの「24時間テレビ愛は地球を救う」が偽善番組として嫌われているかの裏返しでもあります。 私も若い頃、何度か見たことがありました。この番組では募金集めが主眼のようですが、演出によって作り上げた「感動」によってその気になって募金していくという構図です。 もっとも、バリバラに出演していたグレース氏はこの「24時間テレビ愛は地球を救う」にお誘いがあれば出演するかという問いには出演するということでした。 「24時間テレビ愛は地球を救う」でも自分の主張を訴える1つの機会であることに変わりはなく、積極的に乗り込んでいくというのも行動力です。 しかし、この偽善番組の視聴率は最高値で何と35.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)というから驚きです。司会にアイドルを使ったということもあるでしょうが、それ自体、番組全体を安っぽくしています。 8月26日~28日に掛けて日本経済新聞社とテレビ東京が行った世論調査では、安倍政権の支持率が62%を記録したというのですから驚くに値しないことなのかもしれません。マリオに扮し、赤いボールを手に五輪閉会式に登場した安倍首相=8月22日、リオデジャネイロ(ロイター=共同) 日経新聞の分析では、リオデジャネイロの閉会式に安倍氏が登場したことが追い風になったのではないかとしています。まさにオリンピックの政治利用そのものなのですが、こういった演出に世論が大きく動くというのが現実です。 「24時間テレビ愛は地球を救う」程度の演出に共感し、あるいはアイドル見たさだけの番組の高視聴率に安倍政権の支持率の高さと同じ臭いを嗅いでしまうわけです。福祉などを考えるきっかけになるような番組ではなく、一時的な快楽の提供であって、偽善の拡大再生産でしかありません。 このようなことで煽動されてしまうとすれば、小池百合子氏が「グリーンに染めましょう」とやって煽動されていくのと全く一緒です。(「弁護士 猪野 亨のブログ」より2016年8月30日分を転載)

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    24時間テレビは「偽善番組」か NHKが「障害者の描き方」問う

     障害者差別は「愛」で解決できるのか。NHK番組の挑戦から、オバタカズユキ氏が考える。* * * 明日(28日・日曜)の夜(19時~19時30分)に放送されるEテレ『バリバラ』が楽しみだ。同番組公式HPの放送予告文はこうなっている。〈「感動するな!笑ってくれ!」というコンセプトで始まったバリバラ。しかし、いまだ障害者のイメージは「感動する・勇気をもらえる」というものがほとんど。「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか?」その謎を徹底検証!スタジオでは「障害者を描くのに感動は必須か?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」などのテーマを大討論!Twitterで視聴者ともつながり、みんなで「障害者の描き方」を考える。〉 放送タイトルは、〈【生放送】検証!「障害者×感動」の方程式〉。もうお分かりのように、裏番組の『24時間テレビ 愛は地球を救う』にライブでケンカを売ろうというわけである。 8月27日18時30分~28日20時54分に放送する今年の『24時間テレビ 愛は地球を救う』は、番組テーマを「愛~これが私の生きる道~」としている。ラストの盛り上げに入ろうかという時間帯にぶつかる『バリバラ』には、ぜひ日テレに向けてこう問いかけてもらいたい。 愛、愛、言ってるだけで、障害者は救われるの? そういう一方的な善意の押し付けは「キラキラ差別」って知ってる? 最近は“攻めのNHK”のイメージも出てきているEテレだ。中でも福祉情報番組『きらっといきる』(放送終了)内企画として2010年4月から始まり、2012年に独立した『バリバラ』は、有名無名を問わず、障害者がエンターテイナーとして出演し笑いを取ろう、というラディカルな番組である。 今春からは対象を障害者に限らず、LGBTなど〈「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー」の人たちにとっての“バリア”をなくすために、みんなで考えていく〉番組へマイナーチェンジ。〈緊急企画 障害者殺傷事件を考える〉など、硬派なジャーナリズム路線も取り混ぜ、攻めの姿勢をさらに強めている。 ならば、日本のテレビ界最強の福祉系番組に真正面(真裏?)から噛みついてみせてほしい。予告の動画では、番組MCの山本シュウが、「何かが起きる~ッ!」と叫んでいる。30分番組で何が起こせるのか、要チェックだ。 ところで、そうして同じテレビ界にも批判者が現れた『24時間テレビ』は、なにやら放送前からバタバタである。オリエンタルラジオと共に番組パーソナリティー役を務める予定だった俳優の高畑裕太が、23日に逮捕されてしまった。送検のため、群馬県警の前橋警察署を出る高畑裕太容疑者=8月24日、前橋市(宮崎瑞穂撮影) 容疑は強姦致傷。読売新聞によると、高畑容疑者は、警察の調べに対し「間違いありません。女性を見て欲求が抑えきれなかった」と容疑を認めているとのこと。福祉的にお話にならない。定説となった「24時間テレビの三大疑惑」 逮捕の当日、『24時間テレビ』の公式HPは、さっそく番組パーソナリティーとして記されていた「高畑裕太」の文字を消した。のみならず、彼は同番組の目玉である24時間テレビドラマスペシャル『盲目のヨシノリ先生~光を失って心が見えた』の出演者でもあり、そのドラマ公式HPのキャストのページからも氏名が消えた。 なんでも彼の登場シーンは代役を立てて撮り直すとのこと。ドラマの放送は27日の21時頃で時間がない。いったいどう修正できるのか気になる~、とネット上ではへんな期待を集めている。「テレビ屋の意地を見せてくれ!」など日テレにエールを送る声がある一方、「視聴率アップでウハウハですね~」的に揶揄する向きも強い。 それでなくとも長いこと、『24時間テレビ』は、良くないウワサが絶えない番組であった。チャリティー番組の看板を出しておいて出演者に高額のギャラを出す異常、テレビ局も広告収入でボロ儲け、チャリティーマラソンの走者は車を使うなど完走なんか真っ赤なウソ。どこまでそうなのか、真相は闇の中だが、上記はもはや「24時間テレビの三大疑惑」として定説のようになっている。 1978年放送開始以来、38年間も続けてきた巨大な人気番組だ。大きな金が動くので、いろんな利権も発生するだろうし、いわゆる「演出」「編集」もさまざまに施されているのだろう。肝心なのは、それらコミでも、あの番組に存在価値があるかという点だ。 Eテレの『バリバラ』は要するに、「頑張る障害者=感動」という図式でしか社会的マイノリティーを捉えることのできない不自由さの象徴、もしくはその態度の発信源として、『24時間テレビ』を批判しようとしている。著書「相方は、統合失調症」の出版イベントを行った松本ハウス。往年の決めポーズを決めたハウス加賀谷(左)と松本キック=7月1日、東京・新宿 たしかに、ハンディキャップにめげず戦う者の姿は美しい。私だって、容易に感動する。でも、だったら、依存症というハンディキャップを乗り越えようと頑張ってクスリ断ちをしている元有名人たちになぜ目を向けないのか。それは犯罪だから、か。 だとしても、ならばなぜ身体障害者ばかり取り上げて、精神障害者にはちゃんと向き合わないのか。絵にならないからか。愛では救えないからか。いや、そんなら3年前の8月に出版され、大きな話題を呼んだ『統合失調症がやってきた』を熟読し、そこにあるコンビ愛の深さを知り、松本ハウスの2人に番組出演を依頼してくれ。そうすれば、いまだに根深い精神障害者蔑視の風向きが変わる。そんな大きな力があの番組には潜んでいる。「チャリティー精神の破壊」と考えたことはなかったのか チャリティー番組である『24時間テレビ』は、過去38年間で356億6732万304円の寄付金を集めたという。そのお金はすべて「福祉」「環境」「災害復興」などの支援に使われ、例えば、これまで方々の施設や団体に1万台以上の福祉車両を贈呈してきた。2013年12月に公益社団法人の認定を受けた「24時間テレビチャリティー委員会」の公式HPでは、その成果を高らかに謳いあげている。 でもね、38年間頑張ってきて、もっとも大事な視聴者に対するチャリティー精神の啓蒙・普及は、どれだけ成果をあげただろうか。数字で数えられないから分らないではなくて、『バリバラ』のようなアンチが公然と現れ、その背景には「24時間テレビは偽善番組だ」という大勢の視聴者の声があることをどう捉えているのか。私たちのやっていることは逆にチャリティー精神の破壊かもしれない、と制作者たちは一度でも考えたことはあるだろうか。 番組と一心同体の関係にある「24時間テレビチャリティー委員会」の公式HPをじっくり見て回って、「あれ?」と気づいたことがある。これまで集めてきた寄付金の総額を放送年ごとに記した一覧表だ。 寄付金総額が、2014年は9億3695万5640円、昨年2015年は8億5672万8209円、とイマイチなのである。前記したように過去38年間の全総額は356億6732万304円。38で割ると、1年あたりの平均は9億3861万3692円で、直近2年はそれを下回っている。公益社団法人の認定を受けたことで、寄付金には寄附金控除や損金参入など税制上の優遇措置が適用となった。その効果が出たはずの2年間なのに低調なのだ。 番組の視聴率はここ20年以上ずっと好調。テレビ低迷の時代にあっても、平均視聴率15%超えをほぼ毎年達成、目玉のドラマは20%超えを当たり前のようにしている。 人は集まる。が、金が集まらなくなってきた。その社会的背景には何があるのか。それは愛で解決できるのか。感動していればそれでいいのか。 感動には思考ストップの副作用もある。愛より頭が必要な時代になってきており、『24時間テレビ』も熟考の時をむかえている。そう私には思える。関連記事■ 高畑裕太容疑者、業界内で広まっていた悪癖 母は新居建築中■ 木村拓哉だけの「特例結婚」でメンバーたちは諦めの境地■ いるだけで視線集める木村拓哉 光GENJIから厳しく叱られた■ 18才息子と渋谷デートの安室奈美恵に主婦から羨望の声■ 18才息子と渋谷デートの安室奈美恵に主婦から羨望の声

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    「もうアホじゃない」 岡村隆史はめちゃイケMCとしてどうあるべきか

    木村隆志(コラムニスト、芸能・テレビ・ドラマ解説者) 「めちゃイケ」は1995年に深夜番組からゴールデンタイムに昇格した番組ですが、ナインティナインや極楽とんぼをはじめ、勢いがあって、何かやってくれそうな期待感を抱かせるメンバーが揃っていて、とにかく瞬発力がある番組でした。 90年代というと、ウッチャンナンチャンやダウンダウンがそれぞれ冠番組でコントやバラエティ番組らしい企画をやっていましたが、派手なドッキリや岡村隆史さんがさまざまなことに挑戦する「岡村オファーがきましたシリーズ」など、既存のバラエティをもうひとつ飛び越えてくるような、驚きや楽しさがありました。2013年8月、「めちゃイケ」DVDの手売り販売を行ったナインティナイン・岡村隆史 たとえば「めちゃ日本女子プロレス」という企画があって、女性プロレスラーや現役のトップアイドルと加藤浩次さんが闘うのですが、本気で傷めつけたりしていて、今では問題になってしまうような企画でした。最後に岡村さんがタイガーマスクを被って下半身モロ出しで登場するなど、若い芸人にしかできない思い切った企画が多かったのです。 いまではメンバーの高齢化が進み、初期からのメンバーはアラフォーからアラフィフに入ってしまうくらいの年齢になってしまいました。矢部(浩之)さんも子供ができましたし、45歳で独身の岡村さんがモテない企画をやったとしても痛々しさが出てしまいます。ただ、「面白ければいい」という当初からの番組のコンセプトは変わりません。 お笑い芸人も歳をとれば、業界内や芸人同士での役割は変わります。たとえば、ビートたけしさんやダウンタウンの松本人志さんは、ご意見番の立場になっているように、共演者も観ている人もリスペクトしてしまうんですよね。視聴者は「いい歳だし、キャリアもあるし、そんなにアホじゃないでしょ」という目でみてしまうのです。 そんな瞬発力、突破力を不足を補うためか、岡村さんが休んでいるときにオーディションで新メンバーを入れましたが、残念ながら揃って不発でした。岡村さんをはじめとする初期メンバーのような瞬発力、突破力があり、思い切ったコメントや動きができるような人が誰ひとりとしていませんでした。もっと新メンバーを活かすような演出を仕掛けたり、力量がなかったら替えたりすればいいのに、それもしていません。企画だけでなく、人の面でも硬直化してしまい、新しい風が入りませんでした。いまはコンテンツ消費の時代。裏番組の「ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!」では、毎回司会だけ固定でゲストをどんどん投入しています。めちゃイケも同じように新メンバーをどんどん替えていけばよかったんですけど、チームでつくっている意識が強すぎて、流れの早いいまの時代には合っていない面もあるでしょう。「めちゃイケ」らしさって何だ? それに、いまだに内輪受けというか、楽屋トークをやってしまうところが気になります。プロデューサーやスタッフが出演するなど、「知らないと笑えない」というケースが度々出てきます。そうしたノリはもともと、とんねるずさんの十八番ですが、90年代は内輪ネタが受け入れられる時代でしたし、みんなそういうものを知りたいと思っていました。「タレントって面白いな」とか、「裏が知りたい」とか。でも、今はそういうことに興味がある人が少なくなっているのでしょう。 いまではもう、「めちゃイケ」は放送年月でいえば、「ドリフ大爆笑」を越えました。土曜午後8時という放送時間は、ドリフや「オレたちひょうきん族」などファミリーで楽しむバラエティ番組の伝統枠。「めちゃイケ」はその枠の最後の砦であって、フジテレビの象徴とも言える番組です。視聴率が落ちそうになると、大きな企画をぶち上げて視聴率をとってなんとかやってきたわけですが、最近は特番でも視聴率がとれなくなってきて、酷評されることも増えました。フジテレビ系「めちゃ2イケてるッ!SP」 ナインティナインの矢部浩之(左)、岡村隆史 深夜時代から番組を見てきた一人として、企画の迷走は感じます。放送界はBPO(放送倫理・番組向上機構)を恐れて自主規制する風潮が強くなっていますが、「めちゃイケ」も何度か審議対象になりました。かつて「七人のしりとり侍」という人気コーナーがあって、罰ゲームとして負けた人をボコボコにするのですが、「いじめを助長する」とBPOに抗議が寄せられ、2001年に打ち切られました。芸人同士、信頼関係でやっている「お約束」なのですが、それはもう通用しないのです。2014年にはSTAP騒動の小保方(晴子)さんのパロディが批判を受けてお蔵入りしてしまいました。以前だったら放送してから怒られていたのですが、現在は事前情報だけで追い込まれてしまっているのです。 自主規制やネットを中心にした批判の影響か、「めちゃイケ」の企画の立て方に迷いを感じることが多くなりました。たとえば、今年2月に「痔7」と題した痔のタレントを7人集めた企画があったのですが、夕食の時間帯ですし、苦情も多かったと聞いています。「BPOを意識しながら、視聴率がとれるもの」となると、グルメだったり健康だったり、情報番組のような企画になってしまうのが、制作サイドにとってはつらいところ。視聴率を意識しながら「めちゃイケ」らしさを出そうとしていて、変な方向にいってしまったという企画でした。もっと単純に笑わせてくれればいいのではないか、と思いますが、それが難しい時代といえばそうなのかもしれません。 これは「めちゃイケ」というより、テレビ業界全体の責任ともいえます。いま、バラエティ番組は、グルメや雑学をテーマにしたものが増えて、夜の時間帯でも生活情報番組化が進んでいます。コント番組もほとんどなくなってしまいましたし、特番では成立してもレギュラーになると視聴率がとれないため、各局は無難な生活情報番組を選んでしまうのです。すべての元凶は、視聴率にこだわりすぎていること。そんな中でも、めちゃイケは色々なことにチャレンジしていますし、存在意義がある番組だと思います。だからこそ、視聴率に一喜一憂するのではなく、笑えるだけでまったくためにならないようなバカバカしいことをやり続けてほしいですね。(聞き手・iRONNA編集部 川畑希望)きむら・たかし コラムニスト、芸能・テレビ・ドラマ解説者。雑誌やウェブに月20本前後のコラムを提供するほか、『新・週刊フジテレビ批評』『TBSレビュー』などの批評番組に出演。タレント専門インタビュアーや人間関係コンサルタントとしても活動している。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』など。

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    「めちゃイケ」が負の連鎖に苦しむワケ

    フジテレビの看板バラエティー『めちゃ×2イケてるッ!』の低迷が続いている。番組改編期になれば、たびたび打ち切り説が流れ、ネット上でもバッシングが絶えない。今年、番組開始から20年の節目を迎えためちゃイケ。なぜ「負の連鎖」から抜け出すことができないのか。

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    【三ちゃん独白】めちゃイケに必要なのは僕の「復帰」なんです(笑)

     三中元克(お笑い芸人) 2010年秋にナインティナインさんのバラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」の新メンバーオーディションを受けたのは、子供のころからめちゃイケが好きで、中でも岡村隆史さんの大ファンで尊敬していたからです。 小学生のときからめちゃイケの人気はすさまじかったんですよ。地元の大阪の友達は全員見ていました。中学時代にやっていた人気コーナー「数取団」が面白くて、学校でみんな真似していましたね。週明けの月曜日はまず、めちゃイケの話から始まるのが当たり前でした。 だから物心ついたころから、お笑い芸人になりたいって本気で思っていて、岡村さんみたいにお笑いで多くの人を感動させることができるようになるのが夢でした。小学校の卒業文集にも将来の夢として書いたぐらい。僕の原点はめちゃイケなんです。 2001年からロバートさんやキングコングさんらが出演していたお笑いバラエティー番組「はねるのトびら」が始まり、そっちの方が面白いって言う友達もいましたけど、僕は絶対めちゃイケの方が面白いって力説していました。 高校3年の夏休みに同級生3人で、アルバイトで貯めた6万円を持って東京旅行に行きました。当時お台場でやっていたフジテレビのイベント「お台場冒険王」のめちゃイケブースで番組関連グッズなどを買い漁って5万円ぐらい使ってしまったんです。2日目目のディズニーランドでは何も買えませんでしたが、目的はめちゃイケブースだったので大満足して帰りました。それぐらいめちゃイケが好きだったんです。 本気でお笑い芸人を目指したのは高校時代です。ただ、通っていた高校の進路指導の先生に相談したら、一度はちゃんと就職しないさいと言われ、お金もなかったので納得しました。 当初は吉本興業のタレント養成所「NSC」の大阪校に行くつもりでしたが、実家からだと甘えてしまうし、中途半端な気持ちでは親を説得できないだろうと思って覚悟を見せたかったんで、東京でやろうと決めたんです。卒業後は棚の製造会社に就職しましたが、1年間で辞めました。入社前の面接で「一生働きます!」なんて言いましたけど、最初からまとまったお金が貯まればすぐに上京しようって決めていたから。運命を感じたオーディション 1年間で45万円ぐらい貯まったので、翌年に会社を辞めて上京しました。食べることに困らないよう、レストランとかファストフード店とか、飲食店ばかりでアルバイトをしましたね。 最初にめちゃイケとの関係ができたのは、上京から3か月半ほどたったときでした。携帯電話でアルバイト情報を見ていたら「あの人気番組で働ける」と書いてあったので、もしや!って思ったんです。絶対めちゃイケか「はねるのトびら」だろうって。応募締め切りはその日の午後5時、時間をみたら午後4時。猛ダッシュしてギリギリ最後に受け付けてもらったら、仕事はやっぱりめちゃイケだった。帰りの電車の中で採用の連絡がきて、もうめちゃくちゃうれしかったですね。 そのアルバイトは「お台場冒険王」の後継だったフジテレビのイベント「お台場合衆国」で、めちゃイケのブースでした。「矢部家の牛丼」という、矢部浩之さんのお母さんが考案した肉の代わりにタコさんウインナーをのせた丼を作ったりしていました。憧れのめちゃイケに関わる仕事ができて本当にうれしかったですね。フジテレビ夏の恒例イベント「お台場合衆国」 大きな転機が来たのは、めちゃイケメンバーのオーディション実施が発表されたその年の9月。上京した年だったことに加え、アルバイトもした後ですし、何か運命のようなものを感じてオーディションに参加しました。 でも当日会場に行ったら8千人ぐらい集まっていて、こりゃだめだって思ったのを覚えています。もう思い出づくりにでもなればと参加して、最初は○✕クイズで一度は落ちたんです。だけど運がよかったんですよ。あまりにも落選者が多かったので敗者復活になり、それで勝ち残ることができた。30秒の自己PRに進んだときは、事前にあれこれ考えていたけど、いざ面接になると、目の前に加藤浩次さんや濱口優さんらがズラリといて、頭は真っ白。「お台場合衆国」でアルバイトしていたことしか言えませんでした。もうだめだと思っていたけど、濱口さんが僕のことを「気になるわぁ」、「素人中の素人が来たなあ」って言ってくれて、目をつけてくれたんです。 オーディションで選ばれてからは大変でした。岡村さんや加藤さんらは僕とは親子ぐらい年も離れていますし、収録前なんかはどんな話をすればいいのかまったくわからない。憧れの岡村さんと一緒に仕事ができるうれしさや楽しさ以上に不安ばかりでした。もし、岡村さんと絡んでスベッたらどうしようとか、もちろんめちゃイケには素人として出ていたので、メンバーやスタッフの方々から「期待せんから大丈夫やで」って言われてましたけど、やっぱり岡村さんの前では面白いやつでありたかったですからね。 岡村さんは、収録前はほとんどしゃべらないとか聞いていたけど、実際は違いますよ。現場ではメンバーのみなさんとよく話しているし、僕が楽屋にあいさつに行ったときも「三ちゃんおはよう」って返してくれます。よい意味で、ぜんぜん違うんだとわかりました。 それから岡村さんみたいになりたいって簡単に思っていたけど、当たり前ですが、まったく及ばないことも実感しました。昨年の「27時間テレビ」で岡村さんが1時間ダンスを続ける企画があって、その当時は「ライザップ」で鍛えていたのに、ダンスの練習も同時にやって、クタクタの状態で本番に臨むんです。それでも完璧にやりこなして。本当のスターはこういう人なんだって圧倒されて、鳥肌が立ちましたね。めちゃイケに必要なのは「三中の復帰!」(笑)  僕に対して厳しいときもありましたけど、とても深い愛情もあったと感じました。岡村さんは「芸人はカメラの前で感動の涙を流してもいいけど、あまり簡単に涙をみせちゃいけないよ」と指導してくたことがありました。それから「心」という漢字にタスキをかけると「必死」の「必」になるって言われて、「三ちゃんが1週間や2週間で劇的に面白くなることはないから、とにかく一生懸命やればそれが伝わって、必ず認められるから」とか、すごくいろんなことを教えてもらいましたよ。 結果的に視聴者が参加するめちゃイケの再オーディション「国民投票」で不合格だったことは悔しいし、残念です。めちゃイケの20周年を一緒に迎えたかったですから。スペシャル番組を見たりしていて寂しいなって思いました。それが本音です。 めちゃイケという番組自体の魅力は、僕の子供時代と何も変わらないと思いますよ。自主規制なんかが厳しくなる中で、まだまだ攻めている番組の一つでしょう。加藤さんの義理のお父さんが亡くなって、そのお墓の前でパロディやるとか、視聴者から「不謹慎だ」なんて言われるかもしれないことをやったり、めちゃイケがすごいのは「やっちゃいけない」ギリギリのようなことにチャレンジするところだとずっと思っていますから。そんなめちゃイケは今後もずっとこれまで通りに、めちゃイケらしさを大切にして続いてほしいですね。 めちゃイケの視聴率向上のために何が必要かと言えば、そりゃあ「三中復帰!」でしょう(笑)。冗談ですよ。絶対に冗談ですよ。 でも、めちゃイケを卒業になって思うのは、やっぱり僕はめちゃイケみたいなことやりたいし、芸人として目指しているのはナイナイさんです。だから高校時代の同級生とやっているお笑いコンビ「dボタン」で、僕は岡村さんみたいになりたいし、相方には矢部さんみたいになってほしいと思っています。 将来については、本当におこがましいことだと分かっていますが、めちゃイケを卒業になったので、自分自身でめちゃイケのようなものを作ればいいじゃないかと思っていて、舞台なんかで挑戦していきたいですね。(聞き手・iRONNA編集部、川畑希望)さんなか・もとかつ 1990年7月24日、大阪府生まれ。大阪府立今宮工科高校(大阪市西成区)卒業。2010年10月、フジテレビのバラエティー番組「めちゃ×2 イケてるッ!」の新メンバーオーディションで素人枠から合格し、レギュラーメンバーとして出演。今年2月に視聴者参加型の再オーディション企画「国民投票」で不合格となり、降板した。現在は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビ「dボタン」のボケ役として活動している。

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    視聴者に飽きられたフジテレビ 「めちゃイケ」に染み付く内輪ウケ体質

    吉野嘉高(筑紫女学園大学教授) 低視聴率に喘いでいるとはいえ、バラエティー番組『めちゃ×2イケてるッ!』(毎週土曜日19:57~20:54)がフジテレビの看板番組のひとつであることは間違いない。今年で20周年を迎える長寿番組であるが、今なお、筆者の笑いのツボを適度に刺激してくれる。 5月の放送(21日)では、岡村隆史扮する「E村P」が、ドラマ『ラブソング』に出演するという設定のコントは絶妙であった。E村Pと、このドラマの主演、福山雅治や演出担当、平野眞氏との、とぼけたやりとりが滑稽で何度もクスクスと笑ってしまった。 面白かったのは確かなのだが、同時にフジテレビが凋落した原因はこのような「内輪ウケ」に象徴されていることを改めて考えさせられた。これを続けている限りフジテレビは再生しないのではないか(もちろん、めちゃイケの番組全体が「内輪ウケ」だけで構成されているわけではない。ここでは敢えて“フジテレビらしさ”が凝縮されたこの部分だけを抜き出して論考する)。 E村Pというのは、この番組の飯村プロデューサーをモチーフにしているらしいが、視聴者はこの人物を知らない。したがって、目をつり上げたり、“チャラい”言動で模写を試みたりしたところで、似ているのかどうかがさっぱりわからない。今や“絶滅危惧種”のような“ギョーカイ人”、飯村プロデューサーのデフォルメされた姿を笑える人もいれば、わけがわからないと感じる人もいるだろう。 めちゃイケには、これ以外にも明松(かがり)プロデューサー本人が登場する「ガリタ食堂」や「コリタ食堂」というコーナーがあった。本来裏方であるべきスタッフが出演して仲間内で盛り上げようとする、という意味で「内輪ウケ」の部類に入るだろう。 この笑いのパターンは古く、淵源は80年代前半に遡る。1981年に始まった『オレたちひょうきん族』に、ディレクターが「ひょうきんディレクターズ」として出演したりレコードを出したりしたのが始まりであろう。 このほかに1982年に始まった『笑っていいとも』のテレフォンショッキングのコーナーにはディレクター「ブッチャー小林」が出演していたし、とんねるずの石橋貴明による石田プロデューサー(通称「ダーイシ」)のモノマネもE村Pのネタとかぶる「内輪ウケ」である。フジテレビの社風に視聴者が共感した理由 フジテレビで誕生した「内輪ウケ」は、仲間内の人間関係を尊ぶフジテレビの社風と密接に関連している。旧社屋(新宿・河田町)時代は、大部屋主義によって醸成された会社全体の連帯感、一体感が視聴率三冠王の原動力となっていた。内輪で盛り上がることこそがエネルギーだったがために、フジテレビで「内輪ウケ」は定着した。 こういった背景があるため、フジテレビでは、バラエティーだけでなく、他ジャンルにおいても「内輪ウケ」が番組制作の根本原理として、長期にわたってフジテレビで信奉されてきた。 朝の情報番組『めざましテレビ』では、「めざましファミリー」と呼ばれる出演者たちがまるで家族のように仲良く会話する部分があり、一部で「内輪ウケ」と指摘されている。 また、ドラマの分野では、脚本などのストーリーよりも、キャスティングありきの制作スタイルになっていることが最近よく批判されている。役者や事務所との関係など「身内の人間関係」を何よりも重視しているという点で、広い意味で「内輪ウケ」の原理が働いているといえる。 「内輪ウケ」のマイナス面は、視聴者目線より身内の人間関係や楽しさを優先してしまうため、視聴者が往々にして置いてきぼりになるということである。これは本末転倒である。視聴者目線で番組を対象化できないとプロの仕事にはならない。昨今フジテレビがあまり見られていないのは、自分たちの都合ばかり押し付ける「内輪ウケ」体質に視聴者が飽き飽きしているという一面がある。 振り返って、80年代であれば、「内輪ウケ」を連発しても、フジテレビは視聴者に共感されていて不満を持たれることはなかった。 なぜ共感を持たれていたかというと、当時、フジテレビの庶民的、反権威主義的なところが、世間の感覚と合致していたからだ。 例えばオレたちひょうきん族は、台本通りで進行するそれまでのバラエティー番組とは異なり、番組スタッフや舞台裏のゴタゴタが映り込むのもお構いなしだった。ビートたけしは「ブス」「ババア」など乱暴な言葉を使ったり、アドリブでロケを休んだことさえ笑いに変えたりして、テレビの権威や建前の世界を“ぶち壊し”、本音を露呈させる新たな笑いに挑戦していたのだ。 ひょうきん族がブレイクする一方で、その頃、TBSの『3年B組金八先生』や『積木くずし―親と子の200日戦争―』がヒットし、校内暴力が社会問題となっていた。個性化が進む若者たちは、権威主義的に教員や親から一つの考え方を押し付けられることに対して、鬱屈した感情を溜め込んでいたのだろう。 フジテレビがバラエティー番組などで権威を“ぶち壊し”、定型的な常識や社会規範を相対化させて見せる時、視聴者が共感を示したのはこのような社会状況があったからにほかならない。あの頃、日本社会がフジテレビを欲していたのだ。庶民派から既得権益にしがみつく「特権階級」へ しかし、今、日本社会はフジテレビを欲していない。「フジテレビの番組といえば、古臭くてつまらない」というネガティブバイアスも加わり、視聴率は下がるばかりだ。 フジテレビが視聴者からそっぽを向かれるようになったのは、日本社会もフジテレビも変わってしまって、両者の間に埋めがたい溝ができてしまったからだ。東京・河田町にあったフジテレビ旧社屋 まず日本社会の人間関係が変わった。NHK放送文化研究所の調査によると、職場での人間関係において「全面的なつきあい」を望ましいと答えた人は、フジテレビが全盛期を迎えた頃の83年で全体の52%だが、2013年には35%と減っている。一方、「形式的つきあい」を望む人は14%から26%に増えている。 フジテレビが出演者や番組制作者の協調的人間関係をアピールしたところで、違和感がある時代になったのだ。人々はあっさりとした人間関係を望みつつある。「内輪ウケ」の前提となる仲間内の濃密な人間関係を疎ましいと感じる人が増えているのだ。 もうひとつ挙げれば、2011年に東日本大震災が発生した時、日本社会がシビアな雰囲気に変化した。ところが、相も変わらず「楽しくなければテレビじゃない」という80年代の方針に固執し、内輪でぬくぬくと楽しんでいるようなフジテレビに視聴者は苛立ちを覚えたと考えられる。 フジテレビ社員も変わった。80年代であれば、前述したようにフジテレビの庶民性が共感を呼んだのだが、その後フジテレビは、ピーク時には平均年収約1500万円と業界NO.1の給料をもらえる一流企業になってしまった。一方で、下請けのスタッフはその何分の一かの薄給でこき使われている。もう庶民派のイメージはない。第三者からみれば既得権益にしがみつく特権階級だ。 そんなフジテレビ社員の実態がネットで世間に知れ渡った今、身内の協調的人間関係を前面に押し出して番組への参加を促しても、視聴者は拒否反応を示すのではないか。「私たちは、皆さんの仲間です」とでもいいたげな「内輪ウケ」で親しみやすさを演出しても、そこにもはや共感はない。 このようにめちゃイケの「内輪ウケ」に象徴されるフジテレビの番組制作の原理は、もはや耐用年数を過ぎて役に立たなくなりつつある。近い将来きっとなくなるだろう。その時、新しい番組制作の座標軸を構築する必要性に迫られ、フジテレビ再生の物語が始まるのかもしれない。 しかし、未だに会社内の危機感は薄いと聞く。減ってきたとはいえ、給料も他企業に比べれば、羨ましがられるレベルであることに変わりはない。尻に火がついた状態ではないのだ。楽観的なところがフジテレビの良いところと言えないわけでもないが…

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    岡村にも読んでほしい! めちゃイケ「復活劇」の台本はこれしかない

    票で決めるという企画が話題を呼びましたが、それでも9.8%と、10%には届かず。2月には、いくつかのメディアで、めちゃイケが「3月で打ち切りか」と報じました。中には、4月からはナインティナインら一部のメンバーが残り、タイトルを少し変えたりしてリニューアルされると伝えるメディアもありました。結局、3月上旬に、4月以降も放送継続されることが伝えられましたが、その間も「早く終わって欲しいご長寿バラエティ番組」というアンケート調査でめちゃイケが1位になったとのインターネットのニュースを読みましたし、当面は厳しい状況が続いて行くと思われます。めちゃイケが再び、かつての人気を取り戻すには、何が必要なのでしょうか。1999年1月、なんばグランド花月で漫才をするナインティナイン めちゃイケはテレビバラエティにおいて多大な足跡を残しました。もともと『新しい波』という深夜のネタ見せ番組から、後にめちゃイケの総監督になる片岡飛鳥さんがまだまだ無名だったナインティナインやよゐこ、極楽とんぼ、オアシズの光浦靖子を見出して、『とぶくすり』という深夜のコント番組に抜擢しました。90年代前半はとんねるずやダウンタウン、ウッチャンナンチャンら第3世代が引っ張るお笑いブームでしたから、彼らよりももっと注目されていた若手がいっぱいいましたが、その中から片岡さんの独特のセンスによってとぶくすりのメンバーが選ばれたわけです。 そして『めちゃ×2モテたいッ!』を経て、めちゃイケでゴールデンに進出します。とぶくすりの頃はスタジオコントをやっていましたが、めちゃイケになってからはロケなんだけど、ドキュメントとコントの要素をミックスしたような独特の企画を展開していきました。どこまでが計算された台本と演出で、どこからがアドリブやハプニングなのかわからない、笑いの流れを作った上で起こるアドリブやハプニングを上手に取り入れていく虚実皮膜な笑いをめちゃイケがテレビバラエティの中で確立させ、20年続くことができたのだと言えます。うまくハマった「片岡流」と出演者のキャラ この虚実皮膜の笑いを成り立たせるにはメンバー、特にナイナイの芸人としての勘のよさが大きなポイントになったと思います。岡村隆史さんがダンスや舞台、スポーツに挑戦する「岡村オファーが来ましたシリーズ」で見られるようなの彼の動きのキレが初期の軸になっていました。他のメンバーにしても20代だから体のキレもあるし勢いもある。極楽とんぼのようにやんちゃで思いきったことが出来るメンバーもいましたしね。 さらにスタッフ側にも片岡さんは自らの肩書きを監督や総監督とするほど、演出やプロデュースだけじゃなく編集やデザイン、テロップ、効果音に至るまで細部にこだわっていました。テロップや挿絵の入れ方や、言葉の選び方とタイミングはまさに「片岡流」と呼ぶべきもので、この片岡さんのセンスと出演者のキャラクターがうまく合致していたから成立したんだと思います。他局のバラエティにも大きな影響を与え、ドキュメントバラエティというジャンルが定着していった。めちゃイケはPTAが選ぶ「子供に見せたくない番組」の常連でしたが、『8時だョ!全員集合』も低俗番組のレッテルを貼られてましたから、それだけ子供たちにウケた裏返しとも言えますよね。そういえばBPO(放送倫理・番組向上機構)に寄せられた番組への苦情を逆手に取りながら、生コンクリートを頭からかぶるなど岡村さんが体を張った企画を詰め込んだ放送もしていて、私は志の高い笑い作りをしているなと感心しました。 めちゃイケは、枠からはみ出しそうなスリリングな面白さが当時の若い人から支持されてきたと思います。20年が経って、今の若者は物心ついた頃からめちゃイケを見て、育ってきた世代ですよね。私は大学でお笑い論を教えていて、教え子たちも凄く好きな人たちが多いのですが、インターネットを見ていると「最近のめちゃイケが面白くない」「新メンバーが加わってからつまらなくなった」という書き込みが多い。もともとめちゃイケを低俗番組として認めてなかった人たちが言うなら別ですが、本来めちゃイケを好きだったはずの人たちが声を上げはじめているのが気になります。「芸人の性」を呼び起こさせよ 国民的番組だった全員集合でも16年で終わりました。20年続くと、当たり前ですが出演者・スタッフもそのぶん歳を取ります。総監督だった片岡さんも後進に道を譲る形で企画統括となりましたが、めちゃイケはある種クセの強い片岡流バラエティでしたから、若い作り手に変わっていっても、片岡さんが作りあげた演出やその他の技法といった番組の特徴を踏まえながら、新しい企画を作らなければならない難しさはあったと思います。それだけが原因ではないと思いますが、最近は定番の企画や番宣絡みの企画が多くて、初期のような虚実皮膜な笑いが影を潜めている感じがします。 作り手の中でも、片岡さんを超えるような思いきったことをやる若手が出てきてもらいたいと思いますし、それは出演者にも同様のことが言えます。岡村さんが体調不良で一時休養していた2010年にオーディションで選ばれたジャルジャル、たんぽぽらの新レギュラー陣は、下剋上の気持ちで遠慮せずに初期メンバーを食って、自分たちが中心になるんだという気概を持ち続ける必要があるのです。番組スタート時のナイナイ、よゐこ、極楽は失うものがない分、誰に遠慮することなく、本当に思いきって暴れ回っていましたよね。主演者とスタッフの両サイドから新しい風を吹かせて、起爆剤となる役割を担ってほしいと思います。極楽とんぼの加藤浩次(左)と山本圭壱=2004年6月 芸人も勢いのある20代の若手から40代になって落ち着いてしまう部分があるのはある程度仕方なく、芸風も多少変わってしまうのは誰でもあることだと思います。だからこそ新レギュラーが若さや勢いを活かして、初期メンバーに刺激を与え続けてほしい。どれほどの大物でも、遠慮されて気を使われて笑いが起こらないよりも、ツッコんでもらってウケたほうがいいに決まっているわけですし、それが芸人の性なんですよ。 新しく入ったメンバーが、実質的な座長格であるナイナイから番組の中心としてのポジションを奪い取っても良いぐらいだと私は考えます。めちゃイケは『ぐるぐるナインティナイン』と違って、ナイナイ中心の番組ではあるけれど、彼等の冠番組ではないわけですからね。とぶくすりの時は、ナイナイもよゐこも極楽もフラットな状態でスタートして、ナイナイが多くの笑いを取り続けることで、自然に中心的な存在になっていったのです。新メンバーがナイナイにいじられる側のポジションで落ち着いてはいけないですよね。もっとも、新メンバーには、イジられるほうが向いているキャラが多かったのも確かだと思います。公開オーディションで新メンバーを選ぶ難しさがあったのかもしれません。フジテレビの得意な手法が見えなくなった フジテレビは80年代の漫才ブームでも、横澤彪さんやひょうきんディレクターズが若手だったツービートや紳助・竜介、B&B、ザ・ぼんちを抜擢して『THE MANZAI』や『笑ってる場合ですよ!』、『オレたちひょうきん族』で成功を収めました。フジテレビが一躍、視聴率で民放のトップを走るようになったのはそれからです。無名でも自分たちが面白いと思った人たちに賭けて、良さを引き出して、育てながら一体となって番組を作っていくのが得意なテレビ局だったんです。その後、下の世代の作り手がダウンタウンやウッチャンナンチャンの『夢で逢えたら』を作り、片岡さんがめちゃイケを作っていき、上手に世代交代していきました。めちゃイケの後も『はねるのトびら』『ピカルの定理』が深夜のコント番組からゴールデン番組に昇格しましたが、めちゃイケが続く中で先に番組が終わってしまい、フジの得意なお笑い・バラエティの手法は最近目立っていません。このスタイルを引き継ぐ若手スタッフがフジの中で育っているのかも問題になりますね。2011年からはじめた漫才コンテストの「THE MANZAI」では優勝者に新番組のレギュラーを与えましたが、フジ本来のお笑い・バラエティ番組のスタイルではないと思います。 90年代後半まで若手お笑い芸人の大半が、フジに抜擢されて、フジで自分たちの冠番組を持つことを目標にしていました。無名の芸人をスターに育てられる若い作り手が出てくるかどうかが、フジが再び民放のトップに返り咲くカギになるのではないでしょうか。 片岡さんは新しい波で仕事をしていく中で、無名に近かったナイナイ、よゐこ、極楽の面白さや可能性に賭けて今に至るわけですが、若い作り手もオーディションを行って上層部やみんなで選ぶのではなくて、自分たちで芸人を発掘して上司に「コイツをレギュラーに入れたい」「彼らをナイナイと組ませたら面白い」と訴えて番組で使ってみて、新メンバーに随時加入させていくやり方も「有り」だと思います。めちゃイケは初期メンバーの武田真治さんや鈴木紗理奈さん、雛形あきこさんを卒業させることなく使い続ける、ファミリー感の強い「情」の部分があって、それが他の番組にはない特徴と言えます。でも、一方でナイナイに刺激を与えられる芸人だったら、いきなりレギュラーにする大胆さも欲しい。『笑っていいとも!』だってタモリさんに刺激を与えるようなレギュラー出演者の入れ替わりという新陳代謝で32年間続いた側面もあるでしょう。ダウンタウンがいいとものレギュラーになった1回目の放送を今でも覚えていますが、タモリさんのことを「タモやん」と呼び、臆することなく食らいついていっていました。めちゃイケの存続が決まった今は、リニューアルしたのかと思えるくらいの「新しいめちゃイケ」を見せてもらいたいと願うばかりですね。(聞き手、iRONNA編集部・松田穣)さいじょう・のぼる お笑い評論家、江戸川大学准教授。昭和39年、東京生まれ。古今東西の笑いに精通。主な著書に『ニッポンの爆笑王100』(白泉社)『ジャニーズお笑い進化論』(大和書房)など。

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    『めちゃイケ』が視聴率低迷 レギュラー陣の高齢化も要因か

     10月で、放送開始から19年目に突入する『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の視聴率低迷に歯止めがかからない。5月31日に視聴率10%を取って以降、1ケタ台の視聴率が続いているのだ(8月30日現在)。テレビ局関係者が語る。「これまでも不調の時期はあったが、3か月も1ケタが続いたことは記憶にない。さすがにヤバい数字です。亀山千広社長は就任以来、大改革を進行し、『笑っていいとも!』『新堂本兄弟』などの長寿番組を打ち切ってきた。今後、その対象に『めちゃイケ』が入ってもおかしくないでしょう。 フジは『自分たちがバラエティの歴史を作ってきた』という自負がある。その象徴が、土曜8時の枠だった。10月改編は乗り切りましたが、この数字が続けば、来年3月限りで打ち切られても何ら不思議ではありません」 6月末の大規模な人事異動では、開始当初から同番組を支え続けた名物演出家が復活し、巻き返しを図ろうとしている。だが、その一方で不安視する声も根強い。放送作家が話す。「もともと、『めちゃイケ』はティーンエイジャーを対象とした番組のはず。だが、最近は“本気ナンパ対決”企画を立て続けに放送するなど、軸がブレている感じがします。今どきの高校生の“リア充”は、土曜の夜にテレビを観ずに、外で遊んでいる子も多いはず。そんななか、家でテレビを観ている若者層に“ナンパ企画”がどれだけ響くのでしょうか。実際、その企画を放送した8月2日は6.6%、9日は9%という低視聴率に終わっています。 20代の頃のナインティナインや加藤浩次、武田真治などがナンパをすれば、リアリティもあるし、共感もできたかもしれません。しかし、40歳を超え、富も名声も得た芸能人が女性に声を掛けても、視聴者はついてこない。40歳を過ぎた男が声をかけられずにモジモジしている場面を放送しても、『いい大人が何をしているんだ』と思われるだけではないでしょうか。つまり、狙っている視聴者ターゲットが見えてこないのです」 番組開始当初、20代だったレギュラー陣は軒並み40歳を超えた。2010年、加入した新レギュラー陣であるジャルジャルやたんぽぽも、既に30歳を過ぎている。 「子供・学生を対象にした番組にしては、レギュラー陣の年齢層が高くなってしまった。思えば、土曜8時の先輩番組である『8時だョ!全員集合』(TBS系)は、主要メンバーだった仲本工事や加藤茶の年齢が40歳を越えたころに終了しています。元メンバーの荒井注は45歳のときに『全員集合』を降板し、ドリフからも外れた。『めちゃイケ』と同じ枠で放送されていた『オレたちひょうきん族』も、ビートたけしが42歳のときに終わっている」(前出・放送作家) ナイナイの岡村は今年44歳になり、矢部も10月で43歳を迎える。はたして『めちゃイケ』は、レギュラー陣の高齢化問題と、どう対峙していくのだろうか。関連記事■ フジTV・カリスマP現場復帰で山本圭一を電撃復帰させるとの噂■ 極楽とんぼ・山本 復帰実現しないのは元所属事務所が理由か■ 佐々木主浩氏 「妻が娘へ仕打ち」の報道に事実と違うと主張■ 江角マキコ 落書き謝罪したのはバイキングに抗議殺到したから■ 太川陽介 バスの旅で最もイライラした蛭子能収の言動を告白

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    来年フジ民放最下位転落と加藤綾子ら人気者流出を関係者懸念

     「2016年3月には本当にビリになる」──そんな不安がフジテレビを覆っている。バラエティ路線を突っ走り、“民放の雄”をほしいままにした時代は遠い昔。11月第4週のゴールデン帯(19~22時)視聴率では、“民放のお荷物”と呼ばれ続けたテレビ東京の後塵を拝し、瞬間風速とはいえ民放最下位に転落した。 2015年度上半期の決算では民放キー局で唯一の減収減益、開局以来初の赤字に転落。31年続いた(※注)長寿番組『ごきげんよう』、その後の昼ドラ枠を3月に打ち切りとするなどのテコ入れ策を発表した。【※注/1984年から始まった前身番組『ライオンのいただきます』を含む】 さらに、同局を代表するバラエティ『めちゃ×2イケてるッ!』の2時間SP(12月5日放送)が視聴率7.5%と惨敗すると、「3月打ち切り説」が報じられた。フジ編成関係者は、「10月に20周年を迎えるので、それまでは続けるだろう」と否定するが、危機には変わりない。フジ中堅社員が諦め顔で語る。「バラエティ番組をリストラしても、その後を埋める番組がコケればジリ貧になる。4月に大改編しても、前回の二の舞になれば、それこそ“テレ東の下”に落ち込んでしまう」“前回”とは、2015年3月に昼の番組を刷新しスタートさせた情報番組『直撃LIVEグッディ!』のことだ。今も視聴率は1%台を連発する超低空飛行。「春の改編は鬼門」(同前)と囁かれる所以だ。結局、加藤綾子アナはフリーに転身した そんな逆風を打開すべく検討されているのが、3月に終了する『ごきげんよう』の後継の情報番組に、カトパンこと加藤綾子アナ(30)をキャスターに起用する計画だというが……。「同じパターンで失敗した『グッディ!』を目の当たりにしているだけに、カトパンは難色を示すだろう。それどころか、2015年7月に報じられたフリー転身が再燃するきっかけになりかねない」(フジ関係者) この時は亀山千広社長が会見で「加藤から〈退社しません〉というメールが来た」と明かして否定した。「この亀山発言によって、退社を延期したといわれるカトパンですが、芸能事務所との接触は続けているようです。新番組がスタートする前の3月に、亀山社長に〈お世話になりました〉というメールが届くかもしれません」(スポーツ紙芸能担当記者) そんな事態になれば、「カトパンと親しい椿原慶子アナ(30)、山崎夕貴アナ(28)、三田友梨佳アナ(28)ら人気アナも、後を追うように退社しかねない」(フジ関係者)との不安がよぎる。 バラエティ不振に続いて、人気女子アナたちから“三行半”を突きつけられれば、いよいよ深刻な危機を迎える。

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    三中元克をクビにした「めちゃイケ」の「卑しい手口」

    高橋維新(弁護士)(メディアゴンより2016年2月28日分を転載) 2016年2月27日放映のフジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!(めちゃイケ)」4時間スペシャル。メインは、素人からプロの芸人になった三中元克がめちゃイケに居続けられるかどうかを視聴者の投票で決めるという生放送企画である。 ただ、この三中企画は番組の最後の最後に位置しており、前半は違う企画も放映していた。 以下、一つ一つ見ていく。<オカ柳徹子> 黒柳徹子に扮した岡村が、秋田県の「岡村」という集落に(おそらく)仕込みなしのアポなしで突撃し、そこで偶然出会った素人と絡む企画である。このコンセプトは、完全に「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK)と一緒であり、特に目新しさはない。 この企画では仕込みなしで素人と絡むことになるため、きちんと撮れ高を確保するにはできるだけたくさんのおもしろい素人と出逢う必要がある。この素人のおもしろさを引き出すのは、ロケに出向いたタレントの役目である。鶴瓶は、この能力が異常に高い。ナインティナイン矢部浩之(左)と岡村隆史=2011年9月(千村安雄撮影) 理由を察するに、まずハゲとブサイクのフラで固められた見た目が、全体的な「話しかけやすい雰囲気」を醸し出しており、素人でも絡みやすいからだろう。そのうえきちんとツッコミができるため、素人のおもしろいところが出ればいちいち拾うことができる。 この「話しかけやすさ」と「ツッコミ」が素人との絡みでは非常に重要である。他のタレントだと、例えばさんまはどちらも申し分ないが、とんねるずは普段の傍若無人な芸風から素人では話しかけにくいうえに、ツッコミも程度がきつすぎるために素人相手にやると視聴者を引かせてしまうことになるため、向いていない。 今回の岡村はどうか。岡村も、鶴瓶と同じようなストレートなフラを持っているため、視聴者からすると話しかけやすいのは確かである。また、ツッコミも一定水準の能力を持っている。そのため、鶴瓶と同じような役回りをできることはできる。 ただやはりボケのイメージが強いため、岡村が素人のボケにツッコんでも少し寒さが残る。特に今回はわざわざ紅白の派手な衣装を着て黒柳徹子に扮し、フラを上乗せしていたため、見た目からしてボケている岡村に素人のボケが重なると少し画が散り気味になっていた。ゆえに岡村の恰好については、もうちょっと考える必要があるだろう。 あと、鶴瓶はどちらかというと絡む相手の年齢層が高いのだが、今回、岡村が絡んでいる人は若い人が多目だった。2人のファンの年齢層の違いに起因するものであろうが、若い素人はどうしても前に出てこようとするため、映像が痛々しくなりがちである。 素人の良さは「天然ボケ」であり、テレビで目立とうとしてちょける10代・20代よりは、カメラを意識せずに年の功の特権で好き勝手なことを言うジジババの方が圧倒的におもしろい。そういう意味では、やっぱり鶴瓶の方が向いている企画である。続けてはいけない企画<矢部オファー> 矢部に色々な仕事をさせる年始の恒例企画。今回は、「BUDDY」というスポーツ教育に力を入れている幼稚園に先生として参加していた。 矢部オファーは、一昔前のバラエティによくあった、芸能人に異種の職業を体験させるドキュメンタリーである。これがエンターテインメントたりうるのは、畑違いの分野に首を突っ込んでいるのに、その状態で何らかの結果を出せば、それが視聴者の感動を生むからである。 そのオチの前段階には、慣れない異分野で指導役の人から怒られる芸能人を見せられることになるだけに、感動のカタルシスも大きくなるのである。 つまり、「めちゃイケ」が志向する笑いのエンターテインメントではない。めちゃイケで、続けてはいけない企画である。 現に、毎回矢部オファーで笑えるのは、オカレモンが出てきてミニコントをするシーンだけなのである。オカレモンが頑張っている矢部を邪魔したり揶揄したりして、それに対して矢部が怒って喧嘩をすることで、笑いになるのである。 まあ、今回の矢部オファーもここで書いている内容から一歩も外に出なかったので、特に追加で書くことはない。<三中企画> 前半は、三中が相方と芸人として活動し、今回の生放送に至るまでの道を隠し撮りの映像でまとめたVTRだった。前回の放映で頭出しされた内容である。 VTRでは、三中が色々な芸能事務所のオーディションを相方と受けに行く。「めちゃイケ」は、事務所の協力を得て全てのオーディションにカメラを入れる。 相方にも協力してもらって、解散を持ちかけるというドッキリを仕掛けてみる。その翌日には「タイミングよく(=おそらく仕込みで)」ある芸能事務所(人力舎)から「三中一人とだけ契約したい」というオファーが来る。  要は、ただの三中に対するドッキリなのである。相方と解散の話をした翌日に人力舎から一人契約のオファーが来るところなどは話ができ過ぎている。ドッキリなので、三中の素人・天然という良さは十二分に出ており、VTR単体では及第点をあげられる出来になっていた。 あるオーディションでたまたま一緒になった別の芸人が、相方からの解散話の際に登場するというような念入りな伏線の張り方も、往年の「めちゃイケ」ドッキリの水準に達していたと言ってよい。加えて、前回の放送で「だらしない」という印象を徹底的に植え付けられた三中の一生懸命なところにフィーチャーしており、名誉を挽回する作りにはなっていたので、気持ち悪さは一定程度減退していた。やっぱり芸人には向いていない さて生投票の結果、三中は結局不合格で「めちゃイケ」を卒業することになった。今回のオンエアでも散々指摘されていたが、三中はアドリブでおもしろいことは全く言えていないし、ネタでのパフォーマンスも褒められたものではない。 根本的な問題として演技力が低いので、例えば今回のネタだと「いけしゃあしゃあとバレバレの嘘をつく」というボケは全然伝わってこなかった。三中はやっぱり芸人には向いていないので、本人は早くそのことに気が付いた方がいい。 だから、今回の不合格という結論には筆者は異論はない。唯一、三中がアンタッチャブルの柴田と即興で絡んだくだりは大変おもしろかったので、いじられキャラの天然芸人なら生き残る道はあるかもしれないが、そのキャラは今回の三中のように目立とうとしたら終わりである。 「めちゃイケ」は、この結果を望んでいたのだろうか。筆者は望んでいたと思っている。もう使い出のなくなった三中を追い出すためにやったのが今回の企画であるとすら思っている。三中元克さん 三中の芸人としてのパフォーマンスが低いことは、普段近くで接しているめちゃイケのスタッフはよく分かっていたはずである。その三中が付け焼刃でネタを作っても、視聴者に受け入れられるものはできないだろうというのが番組の見通しだったと思う。 なんなら、あの相方ですら番組の仕込みで用意されたのではないかと筆者は思っている。現に、相方は番組のドッキリに1回協力しているのである。相方がなぜ三中とコンビを組むことになったのかの経緯が一切語られない点が、この憶測を強くしている。 今回のオンエアがされる前の視聴者の予想では、結局出来レースで三中が残ってお涙頂戴の感動オチだろうというものもあった。 確かに、不合格という結果に、ゲストで来ていた鈴木奈々は素に見える驚き方をしていた。最後に出てきた横断幕にも「おめでとう」としか書かれていなかった。不合格になったことが宣明されただけで、オチも一切なかった。 このへんに着目すれば番組側は三中を残したかったと言えるかもしれないが、まあ、真相は闇の中である。ただ、不合格になった場合のオチが用意されていなかったのはいただけない。それは、どちらの結論にもなり得ることを予測したうえで、何か準備しておくべきだったろう。<総評> 今回の結果次第では3月打ち切りという声もある中での放映だったが、少なくとも三中企画は一定の結果を出したように思う。ただ、その前の2本の企画はそれほど新鮮味も面白味もなかった。 そのため全体としては番組の最後に位置づけた三中企画を餌に視聴者を引っ張る構成になっていた。古いテレビの嫌らしい手法である。このやり方を茶化してこそ「めちゃイケ」なので、わざわざこのレベルに堕すのはいただけない。 三中企画も、三中が残るかいなくなるかの生放送で視聴者を釣るという内容であって、一回しか使えないカンフル剤である。今回数字が良くても「めちゃイケ」は綱渡りを続けることになるだろう。

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    めちゃイケの三ちゃんオーディションは「公開いじめ」ではない!

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 三ちゃんこと三中元克さん(25)は、素人として5年間も「めちゃイケ」に出演し続けている人気者です。前回のめちゃイケは、三ちゃん特集でした。そして以前から芸人にあこがれていた三ちゃんは、ついに吉本に入り、芸人になろうとしてます。次回の番組では、三ちゃんがプロとして芸を披露し、番組に残れるかどうかは、視聴者の投票によって決まる!ということで、番組は盛り上がっています。 ただ三ちゃんは、その素朴さとドジっぷりで人気なのであり、彼が器用に漫才やコントができるとは、多くの人が思っていないでしょう。バラエティー番組の中で、いつもイジられ、しごかれ、ドッキリを仕掛けられ続けてきた三ちゃん。これって、ひどいことでしょうか。 「なぜ「めちゃイケ」は素人・三中元克を5年間も使い翻弄し続けるのか?」と、弁護士の高橋維新さんはおっしゃっています。番組の中で、不当に彼の人格をおとしめ、才能もない人間を5年間も翻弄してきたのは問題だとおっしゃっています。ごもっともなことです(でも、才能がないと公言してしまうのもまた失礼かとも)。ただまあ、そんなに難しいことを言わなくても、テレビのバラエティーなのだからという声も聞こえてきそうですが、テレビ関係者の方も発言しています。 高橋秀樹さん(日本放送作家協会・常務理事)のご意見です。「<バラエティ制作の倫理>素人・三中元克を追い詰める「めちゃイケ」は公開イジメか?」。このご意見も批判的ご意見ですね。テレビのバラエティーだからといって許されない、これは「公開いじめ」だと。三中元克さん ネット上には、様々な意見があります。三ちゃん、大好き面白いという意見もあれば、大嫌いとか、面白くないと言う意見もあります。次回の番組で行う投票についても、「めちゃイケメンバーの“三中元克公開リストラ”に批判殺到」というニュースにもなっています。 賛成反対応援アンチ、どちらにせよこうして話題になって視聴率が上がれば、番組としては大成功でしょう。芸人はいじめてもいいけど素人はだめ? 以前、あるバラエティー番組のゲームで、動物が罰ゲームを受けるシーンがあって、視聴者の不評をかったことがありました。人間であるお笑い芸人は、もっとひどい罰ゲームを受けているのに、なぜ動物だと視聴者は不快に思うのでしょうか。 それは、動物が「自己決定」していないからだと思います。自己決定は基本的人権だと思いますが、心理学的にも大切な考え方です。自己決定感を持つことが、人間の幸福につながります。芸人さんたちは、その職業を自分で選んでいます。イジられることをとても喜びます。芸人さんにとっては、正解して少ししかテレビに映らないよりも、不正解の罰ゲームでみんなに大笑いしてもらったほうが、「オイシイ」でしょう。 視聴者である私たちも、それがわかっていて、安心して笑います。本当に人が困っている姿を見て笑うのは、非人間的でしょう。素人のアクシデントビデオを見て笑えるのも、大した怪我はしなかったとか、本人も放送されることを了解して、それをユーモアとして受け入れているからです。 昔あったテレビ番組「ドッキリカメラ」は、素人をだましますが、素人が受け入れてくれる範囲内のことを行います。素人さんたちは、そのときはびっくりしますが、放映を許可し、良い思い出となる出来事になります。 では、三ちゃんこと三中元克さんは、どうなのでしょうか。三ちゃんと自己決定三ちゃんと自己決定 三ちゃんは、おもしろいです。さすが「めちゃイケ」関係者のみなさん、すごい素人を見つけました。並みの芸人や、ただの出たがりの素人では、こんなに笑いは取れないでしょう。三ちゃん自身の芸で笑わせているわけではありませんが、笑いを作り出す素材としてはすばらしいでしょう。 テレビ番組で有名になった素人はたくさんいます。素人としてテレビでトークしたり、恋をしたり、評論したり、鑑定したり、解説したり。有名になって、芸人になったり、ブロガーになったり、本を出したり、政治家になってしまった人もいます。本業の方がますます繁盛している人もいるでしょう。有名になることは大きなリスクを伴いますが、上手く活用している素人もたくさんいます。中には、テレビに出たことを後悔している人もいるでしょう。でも、世間はテレビ局や番組を非難はしません。 三ちゃんは、何が違うのででしょう。 テレビにレギュラー出演する素人の多くは、器用な人が多いでしょう。または、まだ学生だったり、本業ですでにかせいでいる人たちが多いでしょう。けれど、三ちゃんは現在学生でもなく、他の仕事も持っていません。そして、器用どころか、とても不器用に思えます。番組内でも、からかわれる役まわりです。三ちゃんは、ただ利用されているだけではないか、一生を棒に振るだけではないか、そう感じれば、三ちゃんかわいそう、テレビ局と番組はひどいことをしているとなるでしょう。 素朴な素人で人気が出た人としては、古い話ですが、フジテレビ「欽ちゃんのドンとやってみよう!」の「気仙沼ちゃん」がいます。方言で話す、気仙沼出身の女の子でした。この方は、現在では結婚され地元で民宿経営をされています。三ちゃんも、女性で、素朴だけれどしっかりしたところがあり、家業を継ぐことになっていたりすれば、世間も心配はしなかったかもしれません。ダウンタウンとトークする萩本欽一さん(右) それでも、三ちゃんも大人です。子どもでもないし、奴隷でもないし、詐欺でだまされているのでもありません。三ちゃんは自己決定していると思います。三ちゃんを心配するのは、優しさからでしょうが、三ちゃんには三ちゃんの人生があるでしょう。番組の作り方や演出がひどいというのは、また別の問題ですが。自己決定と芸能界自己決定と芸能界 自己決定とは、単純に自分が決めることではありません。金を出すか殺されるか、どっちがいいか、自分で決めろ。こんな風に言われてお金を出すのは、自己決定ではありません。難しくて理解できない説明をされて、わからないまま、手術するかどうかを決めてくださいと言われても、そんなのはインフォームドコンセントの自己決定になりません。自己決定できるだけの、心の落ち着きや理解できる情報が必要です。 自分が望み、出場者募集のオーディションに申し込んだのですから、自己決定でしょう。その後の活動で、番組に利用されているだけかどうかは、微妙です。番組関係者が、彼の将来のことをまったく考えず、利用するだけなら、番組は道義的に非難されるべきだと思います。そうなのかどうかはわかりませんが、私は関係者一同がそんなに冷酷だとはあまり想像できません。 ある中学生アイドルと話したとき、彼女は芸能人がよく行く高校に進学したいと言っていたのですが、親やマネージャーは普通の高校へ行けと言っているそうで、勉強が大変だと語っていました。大人は、考えていますね。AKB48のような活動も、ずっと芸能界でやっていける人は少数で、他の子達にとっては、部活動のような思い出作りや人生の経験の一つと考えている関係者もいます。 数年の芸能活動が、プラスになるかマイナスになるかは、本人や家族の考え方次第です。三ちゃんも、この先どうなるかは、誰にもわかりません。才能のある人が失敗し、才能のなさそうな人が成功することもあります。これからのことは、本人が親や芸能関係者のみなさんと相談しながら、決めていくことでしょう。たしかに見ていると、危なっかしくて不安になりますが、がんばっている三ちゃんを応援したくもなります。 次回2月27日放送「めちゃイケ」は、「真冬にあせをかきまくれ 国民投票だよ全員集合 全力の生スペシャル」というとで、視聴者の投票によって、三ちゃんの番組出演が続くかどうかが決まります。 番組としては、投票がどちらになっても、それを笑いとし、視聴率アップにつなげていく準備と工夫をしているのでしょうが。三中元克さんも、器用に貪欲に番組を活用して、幸せな人生を歩んでほしいと願っています。 追記:視聴者投票の結果、なんと三ちゃんは不合格でした!

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    「激しい言葉」と「鋭い質問」は違う 舛添疑惑の過熱報道に残る違和感

    新聞からこの種のスクープが影を潜めたのでしょうか。 週刊文春の新谷学編集長は今年3月、インターネットメディアのインタビューに応じ、「いまのメディアは、批判をされない、安全なネタばかり報じる傾向が強まっているように思います。評価が定まったものに対しては『悪い』『けしからん』と叩きますが、定まっていないものは扱いたがらない」と語りました。新谷氏のこの言葉は、新聞やテレビの“ダメさ加減”を的確に言い当てています。つまり、既存の大マスコミがリスクを取らなくなった、ということです。経営悪化で調査報道が縮小傾向 かつては、新聞報道が「政界疑獄」のきっかけを作ったことがありました。竹下登内閣を崩壊に追い込んだ朝日新聞の「リクルート疑惑報道」(1988年)はその最たる実例でしょう。こうした取材・報道は「調査報道」と呼ばれますが、調査報道には時間も経費もかかります。成功するかどうかも途中では分かりません。週刊文春も甘利氏の疑惑では、1年もの時間を費やして取材し、確たる証拠を握るまで報道しなかったそうです。参院税特委に証人として出席した江副浩正リクルート前会長=昭和63年12月6日、国会 しかし本来、人も資金も潤沢に有しているはずの新聞・テレビは最近、失敗を恐れ、ほとんどリスクを取らなくなりました。理由は二つあります。一つは部数減や広告収入の減少などにより、新聞・テレビの経営環境が急速に悪化していること。特に、かろうじて調査報道を支えてきた新聞の凋落ぶりは著しく、全国の日刊紙は1年間で合計100万部前後も部数を落としています。こうなると、会社は、金のかかる調査報道の比重を落とし、危ない橋を渡ることを避けようとします。経営上、リスクを取らなくなるわけです。 特別報道部を作り、鳴り物入りで調査報道を進めていた朝日新聞も、福島第一原発事故の「吉田調書」問題をめぐる失敗をきっかけとして、特別報道部の体制を事実上、縮小してしまいました。これも“失敗”に懲りて、リスクを取ることを恐れた一例と言えます。 一方、経営悪化によって、社員のリストラに着手した新聞社も少なくありません。こうなると、現場でもリスクを恐れ、記者がますます冒険をしなくなります。「行政の言うことをそのまま書いていればいい」「街の楽しい話が読まれるはずだ」――。そんな「自粛の空気」が取材現場にじわじわと広がってきたわけです。政治資金収支報告書の点検などはかつて、調査報道の基本中の基本でしたが、舛添知事問題が起きて「初めて政治資金報告書なるものを見た」という都庁詰めの記者もいたそうです。記者クラブ制度と“構造的”な問題記者クラブ制度と“構造的”な問題 大手新聞やテレビが週刊誌にも追いつけなくなった背景には、記者クラブ問題も横たわっています。広く知られるようになりましたが、記者クラブは原則、新聞やテレビの会社員記者しか加盟できません。週刊誌やフリー、ネットメディアの記者はメンバーになれず、記者会見を取材することも不可能なことが大半です。そのぬるま湯の中で、各社の記者は「仲良しクラブ」を作り、半ば談合のような取材を繰り返してきました。 舛添氏をめぐる報道では、こんな“構造問題”も見えてきました。語るのは大手新聞の中堅記者。「都庁担当は政治部ではなく、社会部です。記者にすれば、都庁は首相官邸や外務省などと比べて格下だし、都庁にはふつう、入社数年の若い記者か、やる気を失った記者しかいません」。全国紙の場合、都内版を埋めることが都庁担当の重要な役割の一つであり、「知事の“疑惑”にふだんは目も向いていない」(同)というわけです。「言葉の激しさ」=「追及」ではない 舛添氏の釈明会見では、“中国服を着て習字を書くまねをして”といった質問も飛び出しました。そんなニュースに接し、レベルの低さにあきれた方もいるのではないでしょうか。週刊文春の新谷編集長が指摘するように、取材力が低いと、おぼれかかった犬は一斉に叩き始める傾向があります。昨年問題になった“号泣会見”の兵庫県議に対する集中砲火のような報道も、そうした事例の一つと言えるでしょう。 おそらく「舛添疑惑」のような問題を取材する大手メディアの記者は今後、会見で激しい言葉をぶつけていくでしょう。例えば、2005年のことですが、JR西日本の福知山線で列車脱線事故が起きた際、全国紙の記者が会見で“ヤクザまがい”のような言葉で罵声を浴びせて批判され、のちに会社から処分されたことがあります。「罵声や大声=追及」と勘違いした一例と言えるでしょう。 言葉の激しさ、とげとげしさは「質問の鋭さ」とは別次元の話です。結局、日々の地道な取材こそが、いざという時に力を発揮するのではないでしょうか。それがないから、常にウオッチしているはずの政治家らへの取材は甘くなり、問題が起きても記者クラブ内の「なあなあ」の雰囲気の中で追及は中途半端にしか進まず、そしてターゲットがおぼれかけていると見るや今度は一斉にたたき始める――。そんな傾向が続くのではないでしょうか。 舛添氏をめぐる問題でも、それがあからさまに見えてしまいました。大マスコミの体たらくは今に始まったことではありませんが、思わず、「おい、しっかりしろよ」と言いたくなる日々はまだ続くのかもしれません。

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    「舛添叩き」は正義といえるか

    らず都庁を去り、疑惑の解明もうやむやになったままだ。舛添氏のどこがダメで、何がいけないのか。そして、メディアによる執拗な「舛添叩き」は何が問題なのか。

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    無意味なリーダー潰しではなく、舛添氏を「育てる」べきだった

    添氏を辞めさせた方がいいか、都知事を続けさせた方がいいか」は、自分たちの利益を考慮して判断すべきだ。メディアの「舛添バッシング」に乗ると、最終的に自ら、あるいは子ども達がツケを支払うことになりかねない。 私は、舛添氏は、政治家としての卓越した能力を持つと考えている。過去に私がみてきた厚労大臣の中で、舛添氏の業績は傑出している。また、東京都知事としても、きっちりとした仕事をしていたと思う。本稿では、政治家舛添氏に対する私の評価をご紹介したい。妊婦死亡事件から医師不足問題に道筋 舛添氏は07年8月から09年9月まで、第一次安倍・福田・福田改造・麻生内閣の四期にわたり厚労大臣を務めた。この期間、多くの問題を片付けた。例えば、C型肝炎訴訟、年金記録、新型インフルエンザ騒動、そして医学部定員増である。 いずれの問題においても、既得権者が存在し、「改革」は困難を極めた。舛添氏の手法は、マスコミを巻き込みながら、世論を喚起し、さらに永田町の政治バランスを利用して合意を形成していくというものだった。厚生労働相に就任し、会見に臨む舛添要一氏=2008年9月 その真骨頂は、08年6月に、1997年の医師定数削減の閣議決定を撤回させることに成功したことだ。当時、わが国で医師が不足していることは自明だった。国民が医師不足を知るきっかけは、06年2月に、福島県立大野病院で癒着を伴う前置胎盤に対し、帝王切開手術を受けた妊婦が死亡した事件だ。 担当医が逮捕された。この「不当逮捕」に対し、全国の医師が憤った。そして、メディアも、この問題を調べるようになった。その結果、逮捕された医師が、一人医長として24時間365日、お産に対応していることを知った。この不幸な事件を契機に、国民は、問題の本質が「医師不足」であることを認識し、「医療崩壊」「医師不足」を繰り返し報じるようになった。 この事件に早くから取り組んだのは、当時参議院議員だった舛添氏である。国会で取り上げ、関係者を支援した。08年8月に福島地裁は無罪判決を下し、検察は控訴しなかったため、無罪が確定した。厚労官僚の信頼を得ていた舛添氏 医師不足が明白にもかかわらず、舛添氏が厚労大臣になるまでは、誰も手をつけなかった。官僚、日本医師会という抵抗勢力が存在したからだ。 官僚の抵抗は熾烈だった。舛添氏が医学部定員を増やそうとしたときには、文科省医学教育課長に出向中だった医師免許を持つ厚労省の幹部官僚が、東大などの医学部長に「医師はなるべく増やさない方向で頼みます」と電話し回ったことが判明している。日本医師会の横倉義武会長(右)=2016年4月 厚労省の幹部官僚から、直接電話で「依頼」された医学部長たちは悩んだことだろう。厚労大臣は大きな権限を持つ。しかしながら、任期は通常1~2年だ。一方、幹部官僚には、その人物が退官するまで、研究費の工面や審議会の人選などで「お世話」になる。大臣と幹部官僚の板挟みにあった場合、どちらにつけばいいかは言うまでもない。 舛添氏は様々な手法を用いて、この問題を克服した。例えば、前出の医系技官のケースでは、マスコミにリークした。舛添氏本人ではなく、彼の意向を汲んだ部下たちが動いたようだ。このことは、08年10月10日、日本経済新聞が朝刊の一面で報じ、大臣に対して面従腹背の厚労官僚の姿が国民に曝された。そして、この動きは止まった。 なぜ、舛添氏はこういうことができたのだろうか。それは厚労省内の心ある官僚たちが、舛添厚労大臣を応援したからだ。2007年夏に厚労大臣に就任後、「誠実に勤務する姿が、部下で官僚たちの信頼を得た(厚労官僚)」という。 日本医師会との闘いは、日本医師会の幹部だけでなく、その意向を受けた「族議員」との代理戦争だった。 舛添氏は、メディアが醸成した世論、及び民主党と連携することで、日本医師会・族議員の抵抗を抑えることに成功した。メディアについては、あらためて言うまでもないだろう。ただ、メディアだけでは族議員は屈服しない。最終的には永田町での多数決が勝負を決める。 注目すべきは、07年以降、参議院で与野党が逆転していたことだ。当時、最大野党の民主党の医療政策をリードした仙谷由人・元官房長官や鈴木寛・元文科副大臣だった。舛添氏は彼らと太いパイプを持っていた。仙谷氏や鈴木氏は、医師を増員すべきと考えており、彼らが中心になって作成した09年の総選挙の民主党のマニフェストは、ほぼ舛添氏の考えを踏襲していた。 この結果、舛添氏は、日本医師会や厚労官僚の抵抗を押しきることが出来た。そして、医学部定員を5割増員することが決まった。当時約8000人であった医学部定員は、1万22000人になる まで、毎年400人ずつ増員されることになった。国民の利益を代弁できる数少ない政治家 ただ、舛添氏の改革は、その後、骨抜きとなる。医学部定員が当初の予定通り増員されたのは2010年度までで、2011年度には77人の増員に減らされた。東日本大震災で東北地方の医師不足が顕在化したにもかかわらず、医学部定員の増員にはブレーキがかかったのだ。 その後、現在にいたるまで大きな変化はない。2015年度入試での定員は9234人で、前年から65人増やすだけだった。さらに、2015年9月13日には、日経は一面トップで「医学部の定員削減、政府検討 医療費膨張防ぐ」と報じた。厚労省は、20年から医学部定員を削減しようとしていることを報じ、医師数削減を既成事実化しようとしたことになる。 勿論、このままで医師不足は改善しない。図は首都圏の75才以上人口1000人あたりの60才未満の医師数の推移を示す。全都県で団塊世代が亡くなる2035年頃に一時的に回復するものの、その後は悪化している。このまま無策を決め込めば、首都圏の医療は崩壊する。これでいいのだろうか。図;首都圏での75才人口1000人あたりの60才未満の医師数の推移 筆者と井元清哉・東大医科研教授の共同研究  日本医師会にとっても、医師免許をもつ厚労官僚にとっても、ライバルとなる同業者は出来るだけ少ない方がいい。選挙で支援を受ける族議員も、彼らの機嫌を損ねたくない。こうやって医師不足は放置されてきた。そして、これからも放置されるだろう。 この問題を解決するには、国民が考え、そして国民の利益を代弁する政治家が必要だ。知名度が高く、独自の支持組織を持たない舛添氏は、国民の利益を代弁できる数少ない政治家の一人であった。東京五輪をダウンサイズ では、都知事として、舛添氏はどうだったろうか。「介護や医療を売り物にして当選したのに、都知事になったら何にもしなかった」と批判する人がいる。 確かに、結果的にはそうだったかもしれない。ただ、私は、これはやむを得なかったと思う。それは、13年9月に、2020年に東京五輪が開催されることが決まっていたからだ。舛添氏が都知事に当選する前のことである。 国民・都民が東京五輪の開催を希望していた以上、舛添氏は、東京五輪を着実に推進するしかない。知人の東京都庁の職員は「舛添知事の仕事のエネルギーの半分以上は、東京五輪関係に費やされていた」という。 では、その仕事の中味はどうだったろうか。私が注目するのは、東京五輪をダウンサイズしたことだ。例えば、物議を醸した新国立競技場の建設計画は、15年12月に白紙撤回され、ゼロベースで見直されることになった。予算は約3000億円から1581億円に減額され、395億円を東京都が負担することとなった。 これを主導したのは舛添知事だ。15年5月、下村博文文科大臣(当時)が「競技場は東京のど真ん中、都民のスポーツ振興にもなる」という理由で東京都に約500億円の支援を要請したとき、舛添氏は「500億円もの税金を都民に払えと言う以上、きちんとした根拠がないといけない」と反発し、計画が見直されるきっかけを作ったことは有名だ。 私は日本国民の一人として、国立競技場の改修が必要な事は認める。ただ、税金を使う以上、費用対効果を考える必要があると思う。舛添氏の仕事を評価したい。おそらく、普通の知事なら、こんなことはしなかったろう。巨大公共事業には利権が付きものだからだ。東京五輪のダウンサイズが、自民党都議団や彼らの支持組織の不評を買ったのは想像に難くない。都市外交の能力も都市外交にも能力を発揮 舛添氏が批判されるきっかけは、度重なる外遊だ。では4年後に五輪を開催する都市のトップとして、舛添氏はどうすればよかったのだろうか。 私は、この点について舛添氏を批判するのはお門違いだと思う。政府は勿論、都市、民間ベースで交流を続けるべきだ。これは東京五輪に限らず、東京の世界的な地位を上げるために必要なことだし、戦争や災害など危機にあたっては、個人的なネットワークがものをいうからだ。会談を終え、握手する遠藤五輪相(左)と東京都の舛添要一氏=2015年7月、都庁 幸い、舛添氏には、その能力がある。どうせなら、もっと都市外交をやって貰えばいい。そして、有機的なネットワークを作ってもらえばいい。フランスや韓国などの大統領や首相に面談を求め、実際に会って貰える政治家が、わが国にどれくらいいるのだろう。 新国立競技場の建設に500億円を支払うことには反対しないのに、一回数千万円の舛添氏の外遊費を批判することが合理的だろうか。「外遊はすべきだが、もう少しコストを下げるように」と要望するだけでいい。リーダーを使い捨てにしても無意味 わが国には優秀なリーダーが必要だ。それは、わが国が、巨額の財政赤字を抱え、かつ東アジアのパワーバランスは不安定だからだ。遠くない将来、大きな決断を迫られる可能性が高い。 国家が危機を迎えたとき、官僚では大きな方向転換は出来ないし、わが国が議会制民主主義をとっている以上、そうすべきではない。このようなとき、矢面に立つのは政治家だ。このような政治家には、歴史、文化、経済、科学などに対する広い教養が必要だ。 海外のリーダーを交渉する際には、語学力や国際関係に関する知識は勿論、タフでなければならない。急速に国力を失いつつあるロシアを支えるプーチンのイメージだろうか。 このような政治家は、一部の国民からは「性格が悪い」と映るだろう。そして、メディアにバッシングされるだろう。果たして、どの程度の国会議員や知事に、その矜持があるだろうか。また、能力があるだろうか。舛添氏には、能力と矜持がある。リーダーに何を期待するか有権者が考えるべき マスコミは、舛添氏を批判し続けたが、彼の対応は立派だったと思う。もし、自分が同じ立場に置かれたときに、同様の対応ができるか自信がない。 例えば、一連の疑惑報道に対し、舛添氏は自ら説明した。6月13日の東京都議会の総務委員会集中審議では、いくつかのメディアが完全生放送した。 記者会見では、誰でも参加可能で、全ての質問に答えなければならないという都庁記者クラブのルールに従った。二時間を超えることもあった。舛添氏は、病気」を理由に、入院したりしていない。東京都議会総務委員会の集中審議で答弁を終え、自席に戻る舛添要一氏=6月13日 また、政治資金が問題視されたとき、「秘書がやりました」とは言わなかった。これは、昨今、政治資金規正法や贈収賄の疑いを指摘された政治家とは対照的だ。 海外出張の際には「都庁の役人のお膳立て通りやった」と言ったが、おそらくその通りだったのだろう。都庁の役人の中には、都市外交に意義を感じ、率先して進めた人も少なくないはずだ。 誰と会い、何を行い、そしてどう交渉するかは舛添氏が決めただろうが、ロジについては役人に任せたのだろう。そして、役人は「前例」通りやったのだろう。費用を節減する必要があるなら、「前例」を変えればいいだけだ。 都庁の知人は「これまでの知事は、あまり出勤してこなかった。だから、政治決定すべきことがしにくかった。舛添さんになって、やっと普通の組織になったと思う」という。このように考えると、舛添騒動も全く違って見えてくる。 舛添叩きをすることは簡単だ。果たして、それでいいのだろうか。リーダーの揚げ足をとって、使い捨てにしても、有権者には何のメリットもない。舛添氏には「公私混同を慎んで下さい」と釘を刺し、さらに働いて貰えばよかった。舛添氏が「成長」するきっかけになっただろう。 リーダーは、我々が育てるものだ。リーダーに何を期待すべきか、いまこそ、我々、有権者が考えるべきである。

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    「バカ殿」を演じた舛添氏を「切腹」させたメディアの罪

    た「疑惑追及劇場」が、「セコイ」という日本語を世界に拡散しただけで終わった。本当に残念である。世論とメディアが、ひたすら「辞任」を要求しなかったから、こんなことにはならなかっただろう。 私は、「疑惑劇場」が始まってしばらくしてから、「辞めてほしくない。もっと続けてほしい」と願うようになった。 それまでは、このまま「逃げ切ろう」という姿勢が許せず、一刻も早く「出場停止」にし、「永久追放」してほしいと思ってきたが、考えが変わった。このまま「辞職します」と頭を下げて、いなくなってしまったら困る。「反省しています」「生まれ変わります」「給料を返上します」と言っているのだから、しばらく都庁にいてもらって、毎週、同じ会見と議会審議を続けていってほしかった。 舛添「疑惑追及劇場」が始まったのは、「文春砲」(週刊文春5月12日号)が放たれた4月27日だった。その後、「口先言い逃れ」が続いたが、6月20日の「無言逃亡」により、劇場はわずか2カ月で終幕してしまった。険しい表情で都庁を後にする東京都の舛添要一知事(中央)=6月20日午後 この間、メディアの報道は盛り上がり、とくにテレビのワイドショーは視聴率を稼いだ。だから、一部のテレビ関係者は私と同じ思いで、「すぐに辞めてもらっては困る」と言っていた。「すでに辞任は既成事実化している。ならば、辞めるのはいつでもいい。もっと先でいい。毎日、ナマ中継でき、ここまで視聴率が取れるコンテンツはそうない」 というのが、その理由だ。 メディアは常に「都民の声」を代弁していると言いつつ、本音では「劇場」が続くことを願っていた。しかし、都議会与党の自民・公明の議員まで「恥ずかしくないのか」「あなたは辞めるべきです」などと言い出したため、舛添氏は辞めざるをえなくなってしまった。 本当に、残念である。辞任で本当にホッとしている人たち辞任で本当にホッとしている人たち  多くの都民、いや日本国民全体が舛添辞任を「よかった」と思っているかもしれない。「やっと辞めてくれた」とホッと胸を撫で下ろし、「今度はもっとまともな人を選ぼう」と思っているかもしれない。 しかし、舛添辞任を本当に「よかった」と思っているのは、都民・国民ではなく、都議会の与党、そして都の役人たちである。もっと大きく言えば、日本の政治・官僚支配システムのなかで、税金で生きるすべての人々である。 なぜなら、舛添氏は、都知事としてほぼなにもせず、「素晴らしき遺産」を守り通してくれたからだ。これは、世界の民主制国家のなかで、どこの国にも見られない世界遺産に匹敵する「日本遺産」である。 では、舛添氏が守り通し、残していった遺産とはなんだろうか? 以下、列記してみよう。視察という「外遊」には常にファーストクラスで行き、宿泊は5つ星ホテルのスイートでOK(「事務方が用意してくれた」のだから問題なし)。公用車は「走る知事室」なのだから、どこに行こうとかまわない(週末別荘通い。家族といっしょに巨人戦観戦もOK)。「視察」と言えば、趣味の「美術館めぐり」をいくらでもやっていい。正月の家族旅行を「会議」にしてしまえば、旅行代を政治資金でまかなっていい。「クレヨンしんちゃん」も政治資金で買っていい。「外国からの賓客にプレゼントする」とすれば、政治資金で趣味の美術品をヤフオクで買っていい。「中国服」を書道用に使うという画期的な着用方法がある。「第三者の厳しい目」として、ヤメ検弁護士を使えば「関係者は関係者」と言ってくれる。 まだまだいくらでも「遺産」はあるが、この辺にしておこう。要するに政治家は、税金、政治資金を好きなように使えるということである。政治資金規正法は「公私混同法」 ところで、舛添氏はどうして、このようなことをしたのだろうか? どんなに優秀、頭がいい人間でも、このような素晴らしい(=セコイ方法)は思いつかない。いずれも、優秀な学者アタマでは考えられない方法である。 そこで言えるのは、彼は政治家になり、先輩政治家たちを見て、こうした方法を学んだのではないかということだ。そうでなければ、「クレヨンしんちゃん」を政治資金では買うはずがない。1件あたり3万円程度の美術品を外国の賓客にプレゼントしたら笑われるはずなのに、それを堂々と買うわけがない。 その意味で、彼の学習能力は極めて高い。 つまり、政治資金規正法が主として献金の授受に関しての規定であり、その使用法については特段の記載がない「ザル法」であることを知り、ほかの政治家がどのようにそれを活用しているのかを学習したのだろう。 その結果、この法律は「公私混同法」であることを早くから見抜いていたのだ。 舛添氏は素晴らしい「語録」を残している。「政治家というものは私利私欲を離れて公のために尽くす気持ちがなければ、政治家になるべきでない」は、そのなかでも筆頭に挙げられるものだ。 しかし、彼は政治家になって、これが「戯言」にすぎないことを、身を持って知ってしまった。マスコミが本当に追及すべきことマスコミが本当に追及すべきこと さらに、舛添氏が学んだことがある。 日本では上に立つ者はなにもしてはいけない。トップリーダーというのは、改革者であってはいけないということだ。上に立ったら、下の者たちがいうことをすべて聞き入れ、「バカ殿」として振る舞うことこそが、やるべきことだということだ。 「文春砲」が放たれるまで、舛添氏の都庁における評判はすこぶるよかった。同じく金銭疑惑で辞任した猪瀬直樹前知事は、行政改革をやろうとしたため、労働組合の強い反発を受けた。しかし、舛添氏は改革などいっさい言い出さず、官僚の言いなりに都の財源を気前よく使った。 東京五輪の“裏金招致”疑惑の追及などには無関心で、まして、五輪利権で潤う既得権者のために、いくらでも都の資金を投入することを許した。 日本の組織においては、トップは下に担がれる「神輿」、つまり「バカ殿」でいいのである。いくら、自分をアタマがいいと思っても、そのアタマを使ってはならない。アタマがいいほど「バカ殿」を演じなければ、必ず「神輿」を外される。このような日本独特の民主制のあり方は、世界でも類を見ない。 舛添氏に「バカ殿遊び」をさせていたのは、いったい誰なのだろうか? メディアが追及すべきは、セコイ公私混同疑惑ではなく、じつはこちらのほうではなかったか? さらに、政治資金規制法という「ザル法」を改正させることではなかったのか? こうして見れば、舛添氏は「素晴らしい知事」だった。国民も都民も“怒り損”「担がれるほう」もそうなら、「担ぐほう」も、税金、政治資金を勝手に使って、遊興生活を送っている。 自由民主党東京都支部連合会の収支報告書を調べれば、舛添氏と同様に「会議」名目で、都内の高級料亭などで、飲食三昧しているのがわかる。たとえば、2013年2月5日には、高級料亭「つきぢ田村」約98万円、2014年4月4日には、ミシュランの星付きの高級割烹「玄冶店 濱田家」に約52万円を支払っている。東京都議会の自民党が舛添要一知事への不信任決議案を提出した議会運営委員会=15日午前0時46分 このような会議費は、2014年までの3年間で、約3500万円に達している。 その意味で、舛添氏の「ホテル三日月」の家族旅行費は本当にセコイ。出版社社長には、部屋にあるお茶程度しか出さなかったというのだから、彼はもっと学習するべきだった。「舛添“逃げ切り失敗”劇場」が終わって、途方もない虚脱感が残った。 とくに、自民党の都議5期を務める重鎮・野村有信都議が「侍で言えば、打ち首よりも名誉ある切腹の方がいいでしょ。最後の引き際は尊敬すべきだと思いますよ。そう思って、みなさん、許してあげましょう」と述べたのには、驚きを通り越した。  この国は、まだ戦国時代、江戸時代なのだろうか?   結局、メディアの洪水報道は失敗に終わってしまった。政治資金規制法の改正も、都条例の改正も実現できなかったのだから、国民も都民も“怒り損”だ。「文春砲」がいくら放たれても、これでは日本はなにも変わらない。私たちが税金を払うのは、「受益者負担」という原則に基づいている。しかし、日本では「受益者」は、この国を支える人一人の国民ではない。

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    職業人として悲しくないのか? 誇りなき日本メディアの「舛添劇場」

    は誰で、その動機は何だったのか? そのような構造を明らかにすることも、「本寸法」の報道だったろう。 メディアにも、商業的な側面がある。新聞社だって、テレビ局だって、食っていかなければならない。従って、たとえ「色物」だとわかっていても、いわば「にぎやかし」としてそれらの話題を取り上げること自体が、悪いとまでは言えないだろう。 その一方で、「本寸法」の精神を忘れてしまっては、職業人として悲しい。何よりも、ジャーナリズムの名が、恥ずかしい。さらに、ヘタをすれば、国の方向を誤る。舛添さんの一連の騒動で、現場の記者たちに、そのような矜持は、どれくらいあったのだろうか。 連想されるのが、米大統領選挙をめぐる、アメリカ国内のメディア状況である。 不動産王トランプさんは、確かに注目を集めやすい人である。メキシコとの国境に壁をつくって、その費用はメキシコに負担させるとか、イスラム教徒は入国させないとか、実現の可能性が怪しい、派手な花火を打ち上げる。トランプ報道で冷静だった米国メディア その独特のヘアスタイルから、華やかなライフスタイル、さらには、父親からの資金援助が最初にあったとは言え、自らの努力で資産を築き上げた「アメリカン・ドリーム」の物語など、トランプさんが注目を浴びる要素は、たくさんある。 テレビなどのメディアは、そのようなトランプ現象に乗っかり、かなりの分量の報道をした。その過程で、それなりに利益も上がっただろう。トランプさんが事実上の共和党の候補になる上では、そのようなメディアの後押しが大いに役に立ったことだろう。 しかし、そのようなトランプ現象は、所詮、「色物」である。では、「本寸法」の報道は、忘れ去られてしまったのだろうか? そんなことはなかった。トランプさんが、共和党の候補者指名を獲得しそうだ、という情勢になった頃から、米メディアの中に、真剣な報道が目立ち始めた。もちろん、最初からあったのだろうが、騒ぎが一段落して、そのような冷静な声が聞こえ始めたのである。米ウィスコンシン州の集会会場に到着したトランプ氏=2016年3月(ロイター) トランプ現象は、確かに、今回の大統領選挙を盛り上げている。一方で、実際に、大統領になる資質があるかどうかの検証、主張されている政策の是非、さらには、トランプさんを支持している人たちの特徴についての、冷静な分析ーーこれらの「本寸法」の仕事を、米メディアは忘れていなかった。これらの報道は見応えがあるし、記事は、読み応えがある。さすがは、「ピューリッツァー賞」に象徴される、「ジャーナリズムはこうあるべき」という規範のしっかりした国らしい、ほっとさせる動きだと思う。 話は、日本のメディアに戻る。最近の日本のメディア、そしてソーシャル・ネットワークでの議論を見ていると、どうも、タガが外れてしまっているような気がしてならない。すべてが「ネタ」として話題にされ、そして消費されていく。誰も、そもそも原則論としてはどうなのか、ということを気にしない。そして、喧騒の中で再び誰かが神輿に担がれ、やがてまたスキャンダルで失脚していく。 そろそろ、日本の将来、政治の本来の課題について、冷静かつ合理的な議論をすべきなのではないか。そのような対話の助けになる、「本寸法」の報道がなされるべきなのではないか。 これは、何も、米国に見習え、という話ではない。「本寸法」、「色物」という価値観を創ったのは、私たちの祖先である。それは、日本の文化の根幹に根付いている、ある「生真面目」な感覚である。 今の報道のあり方が良くないということは、報道陣も、そして報道を消費する私たちも、どこかで気づいているのではないか。祭りの喧騒はほどほどにして、そろそろ、背筋をぴんと伸ばしてものごとを考えるべき時が来ているように思う。 日本人の生真面目さは、世界の人たちが称賛するところである。舛添さんに関する報道にそれがあまり見られなかったのは、一時的な現象だと思いたい。

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    舛添報道「幕引きにするな」というテレビはなぜ取材をやめるのか

    高橋秀樹(放送作家/日本放送作家協会・常務理事)(メディアゴンより転載) 日本経済新聞デジタル版が次のように伝えている。 東京都議会は15日の本会議で、舛添要一知事の辞職の申し出に同意した。舛添氏は残務処理の後、21日付で正式に辞職する。本会議に登壇した舛添氏は『これ以上、都政の停滞を長引かせることは耐えがたい。私が身を引くのが一番だと考え、職を辞することを決めた』と辞職理由を述べた。 最後まで自分を飾ることばで締めくくっているところに、舛添氏の誤ったプライドを感じてしまう。 テレビの報道番組は軒並み辞職を伝えた後、以下のような旨の発言で締めくくる。 これで幕引きにしてはならない。 テレビならずとも、それは多くの都民、国民が思うところである。そもそも疑惑についての都知事自身の説明は全く納得できない。第三者と言われるヤメ検弁護士は舛添氏に雇われた身内で、関係者にあたってさえいない。普通の感覚で言えば第三者ではない。【参考】自ら「炎上」へと突き進む?舛添都知事の「理論的な釈明」 第三者たり得るのはマスコミであろう。しかしながら、実際はそれも心もとない。政治資金の「公私混同」疑惑について、弁護士の調査結果を公表した東京都の舛添要一知事(左奥3人目)。注目の調査結果に、大勢の記者やカメラマンが集まった=6月6日(早坂洋祐撮影) キャスターやコメンテーターたちは「これで幕引きにしてはならない」とは言うものの、これは体のいいまとめの言葉。「幕引きにしてはならない」とは言いながら、残念ながら大抵それで「取材は幕引き」になってしまうのである。 舛添氏の疑惑について、明らかにしておかなければなければならないことはまだまだある。ザル法と言われる政治資金規正法についても提言を行うべきである。しかし、今後の取材は行われないだろう。 それは猪瀬直樹前知事の失脚の原因になった徳洲会からの5000万円授受問題の背景が未だに明らかになっていないことを思い出せばわかるだろう。あの話も、すでに「お蔵入り」している感は否めない。【参考】<税金も含まれる「政治資金」>舛添都知事の「政治資金」余っているなら返還すべき ではなぜ、マスコミによる以後の取材は行われないか? 理由は簡単である。取材して放送しても視聴率が取れないからである。視聴率が取れないことを今の報道番組は過剰に恐れている。バッシングは面白いが辞めてしまった人はもう過去の人だ。見る方はもう飽きている。だから取材は行われない。 その意味では、「幕引きにしてはならない」の発言は単なる区切りの思考停止でしかない。都庁クラブに1人か2人かの記者しか配置していない現状では、民放には取材能力が無いとも言えるかもしれない。 「だが!」と筆者は声を大きくして言いたい。本当に視聴率は取れないのか、と。 実は取れるかも知れないのだ。例えば、1週間に1回のペースで、舛添都知事の疑惑を調査報道するコーナーをニュース内に設けてはどうだろうか。ずっとずっとしつこく調査し続ける。密着の連載コーナーだ。手法自体は今のテレビは苦手ではないはずだ。 もしそれが実現できれば、そんなことを他の局はやっていないのだから、ユニークさで目立つ。しつこいほどやって、ある日とんでもないことが分かることもある。これであれば、確実に視聴率は取れる。調査報道は番組に力を与える。もし、記者が足りないなら、下請けでも何でも使えばよい。力を持っている者、ぜひともそれに参加したいジャーナリストはいくらでもいるはずだ。

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    舛添氏に対してNOを突きつけた民衆は本当に「愚民」か

    諌山裕(グラフィックデザイナー) 舛添都知事の辞職が確定したようだ。今回の一件に関して、小林よしのり氏は舛添氏に対するバッシングを「集団リンチ」と書いているのだが……舛添都知事をギロチンにかけよという民衆の声が静まらない。都議会でもマスコミでも、集団リンチが続いている。(中略)「レ・ミゼラブル」のエピソードに倣って、コソ泥には銀の食器を与えよ、反省して死にもの狂いで働くからと言っても、聞く耳を持たない。(中略)民衆とはそうした愚昧な連中なのだ。舛添都知事をギロチンにかけよと熱狂する民衆 「愚昧(ぐまい)」とは……おろかで道理に暗いこと。また、そのさま。愚蒙。「―な人」「―なる通人よりも山出しの大野暮の方が遥かに上等だ」〈漱石・吾輩は猫である〉ぐまい【愚昧】の意味 - goo国語辞書 ……の意だが、「愚昧な民衆」とは「愚民」ということになる。「愚昧」の対義語は「賢明」だが、では「賢明な民衆」とは存在しえるだろうか?……という疑問がわいた。「愚民」の対義語は、「賢民」になりそうなものだが、「賢民」という熟語は辞書にはない。「賢民」は造語になってしまう。2014年2月、雪が降りしきる中、東京都知事選の候補者の街頭演説に足を止める有権者ら=JR品川駅前(宮川浩和撮影) 誤解しそうなのが「良民」だが、本来は「良い民」の意味ではなく、階級制度のあった時代(奈良時代)の身分を表す言葉だ。辞書によっては「善良な人民。まじめな国民。」と記しているものもあるが、福澤諭吉の「学問のすすめ」あたりから派生した拡大解釈だと思われる。 かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。福沢諭吉 学問のすすめ ここに「良民」という言葉が出てくる。同時代の陸羯南(くがかつなん)の著作「近時政論考」(1891年刊)では、良民について…… 吾輩はあえて議員諸氏に向かいてこの編を草するにあらず、世の良民にして選挙権を有し読書講究の暇なき者のためいささか参考の資に供せんと欲するのみ。陸羯南 近時政論考 ……と書いていて、選挙権を有していることが条件のひとつになっている。当時の選挙権は、「国税を15円以上おさめている満25才以上の男性に限られ、全人口の1%の人」だったことを考えると、富裕層が対象だったようだ(※当時の15円は、現在の60万~70万円ぐらい)。 「愚民」の対義語が「良民」と定義されていないのはなぜなのか? 字義に別の由来があるからなのかもしれない。「賢民」の語がないのは、個人としては賢明さを備えていても、民衆という大人数の集団になると賢明さを失い愚昧な人々になってしまう……ということではないだろうか。 つまり、「賢民」が存在できないのであれば、民衆と愚民は同義語あるいは補完関係にあり、「民衆とはそうした愚昧な連中」という指摘は成立しないことになってしまう。人が数万人~数百万人~数億人と集まって「民衆」になると、「愚昧化」するともいえる。 小林氏が、舛添問題での民衆のあり方を「愚昧=愚民」と批判するのであれば、「賢民」といえる事例を引き合いに出さなければ説得力が乏しい。1077万人が集団リンチに賛同したわけではない 「愚昧」の辞書に用例として出ている「吾輩は猫である」の一節が象徴的だ。 「愚昧なる通人」とは不特定多数を指しているが、「山出しの大野暮の方」は個人もしくは少人数を指していると思われる。少人数のコミュニティであれば人間関係が密で、意見の集約も比較的容易だが、大人数の民衆になると全員一致の意見集約は困難になる。そのため、多数決をとったり、折衷案で妥協したりする。YESかNOで白黒をつける必要性が出てくると、個々の意見の細部は切り捨て、問題を簡素化して二者択一の結論を出すことになる。ある人が、100%賛成ではないが60%賛成ということで、YESに投票すれば不本意な40%の意見は無視される。民衆の規模が大きくなるほどに、意見や意思表示は絞られ、先鋭化していく。枝葉の部分は切り落とされ、1本の丸太になってしまう。 それが民衆。言い換えると、愚昧化した人々の集まりが民衆だ。そして、民衆とは実体をともなわない仮想の存在でもある。誰も民衆を目視することができない。多くの人々という漠然としたイメージの産物なのだ。小林氏のイメージする民衆と、他の人々がイメージする民衆は同じではない。「こんな感じ」と想像しているのが民衆だ。 東京都の人口は、約1351万人のうち有権者数は、約1077万人(2013年7月)。舛添氏に対する意見は、1077万通りあるはずだが、最大公約数で集約すると先鋭化された「辞任要求」になってしまった……ということだろう。 小林氏は「レ・ミゼラブル」を引き合いに出したが、それはちょっと違うと思う。Wikipediaから該当するあらすじを拾うと…… その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、2本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ(Petit-Gervais)の持っていた銀貨40スーを結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。 レ・ミゼラブル - Wikipedia ヴァルジャンは懺悔したが、舛添氏は自分の行為を正当化し、正直な証言をせず、懺悔もしなかった。「言えない」「記憶にない」というばかりで、誠実さを示すことはなかった。 「銀の食器を与えよ」というが、都民は彼に「都知事」という座を与えた。銀の食器よりもはるかに価値のあるものだ。それを使って彼が真剣に仕事をし、正直な人間として、人々に称賛される成果を出せればよかったが、実態は違っていた。そのことに民衆は怒ったのだと思う。 ヴァルジャンに置き換えるならば…… マスゾエ・ヴァルジャンは、銀の食器を手に入れたことに味をしめて、銀の食器をもっと手に入れるために、同様の手段であちこちの教会で盗みを働いた。 罪を重ね、逃げ続けたマスゾエ・ヴァルジャンだが、ついには捕まってしまう。 裁きの場に立たされたマスゾエ・ヴァルジャンは、司教に許しを乞う。「どうか、お許しを。今度こそ、心を入れ替えます」 司教は失望感を露わに告げる。「マスゾエ・ヴァルジャンよ。私が銀の食器を与えたのが間違いだった。もはや、私にはどうすることもできない。神のご意志にまかせるしかない」 ……という筋書きになる。 「学問のすすめ」には、以下のような一節もある。 また一方より言えば平民といえども悉皆無気無力の愚民のみにあらず、万に一人は公明誠実の良民もあるべし。しかるに今この士君子、政府に会して政をなすに当たり、その為政の事跡を見ればわが輩の悦ばざるものはなはだ多く、またかの誠実なる良民も、政府に接すればたちまちその節を屈し、偽詐術策、もって官を欺き、かつて恥ずるものなし。この士君子にしてこの政を施し、この民にしてこの賤劣に陥るはなんぞや。福沢諭吉 学問のすすめ 為政者が不正を働ければ、「良民」も賤劣に陥る……と説いている。そういう意味では、セコい不正ではあるが、舛添氏の行いに対してNOを突きつけた民衆は、愚民かもしれないがまだ良識はあったともいえる。不正利用が少額だから許してやれとか、言い訳に嘘をついても許されるとしたら、法律や倫理・道徳は守らなくてもいいって話になってしまう。人の上に立つ者が、それでいいのか? 小林氏が「集団リンチ」と呼ぶのは、ネット上でバッシングの嵐が吹き荒れることをいっているだと思う。ネットのない時代であれば、飲み屋で「あの知事は首だよ、首」と話題にしたとしても、それが拡散することはなかった。個々の声は、半径5メートル以内で消えていた。 それがネット時代の現在では、つぶやきが瞬時に日本中に広がる。小さなつぶやきでも、共感する人が多いほどに、大きな叫びになっていく。 しかし一方で、バッシングに同調している数は、騒ぎの大きさほど多くはないという実態もある。数百人がつぶやきを発していると、あたかも日本中が同調しているような錯覚をしてしまう。人間の脳の処理能力には限界があり、大量の情報が一気に押し寄せると、「1つ、2つ、3つ……たくさん!」と、ひとかたまりに省略してしまう。処理しきれない数になるため、「民衆」という抽象化をしてしまうのだ。 何人からが「民衆」なのか? 10人? 100人? 1000人? 1万人? そこに厳密な定義はない。少なくとも、1077万人が集団リンチに賛同したわけではない。 個人的な希望としては、小林よしのり氏が都知事選に立候補したらいいのではと思う。知名度はあるし、主義主張もはっきりしているし、官僚や周辺の政治家からの圧力に屈することもないだろう。愚昧ではない小林氏なら、都政は正常化できるかもしれない。私は小林氏に1票入れるよ。(ブログ「諌山裕の仕事部屋」より2016年6月15日分を転載)

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    開き直れなかった舛添要一氏の陰で「飛んで」しまった課題

    渡辺輝人(弁護士) 舛添要一・東京都知事が辞表を提出しました。舛添氏の問題は、出張旅費の濫用の問題に始まり、政治資金の濫用・流用の問題に発展していきましたが、前者は所詮ローカルな東京都の財政の問題で、後者については東京都の財政にすらあまり関係ない一政治家・舛添要一の問題でした。日本国民の将来がかかった7月10日の参議院選挙を前にして、「事実上の選挙戦」が始まっているにもかかわらず、毎日一定量しかないニュースの時間を東京ローカルのネタに占領されることに、筆者は「それでいいのか」という思いに駆られていました。しかし、舛添氏は辞任し、参院選・東京都知事選に向けてことは動き始めました。そこで、舛添氏の問題でどこかへ飛んで行ってしまった、法的にも、政治的にも重要な問題について、いくつか指摘しておこうと思います。舛添氏を都知事候補に担いだ人たちがいること すでに拙稿「ひらきなおれ!舛添要一」で指摘したことですが、舛添氏の政治資金に関する疑惑は2014年2月の舛添氏が当選した東京都知事選の前から指摘されていました。東京都知事の旅費濫用についても、石原慎太郎氏のガラパゴス旅行以来、東京都では“当たり前”になっていたことでした。 それらの問題がすでに顕在化していたのに、特に問題にされることもなく、舛添氏は都知事候補として担がれたのです。下記動画をご覧下さい。YouTubeの舛添氏の公式ページにアップされていたものですが、タイトルは「舛添要一(ますぞえよういち)【東京都知事選 2014 街頭演説動画】自民党の安倍総裁、公明党の山口代表と共に支持を訴えました!- 2月2日(日) 銀座編-」です。 司会は東京都選出の自民党の参議院議員・丸川珠代氏ですね。舛添氏を紹介するときに「私たちにはこの人しかいない」(2:36~)と言っています。 舛添氏本人の演説の後に登場するのは山口那津男・公明党代表(10:47~)です。街宣に公明党の街宣車が使われていることを指摘した後、「ぜひとも、舛添さんに勝ってもって、この世界の都市東京、日本の首都東京、素晴らしい世界一の都市東京を作ろうではありませんか」(11:18~)と述べます。 その次にマイクを握ったのは安倍晋三・自由民主党総裁(総理大臣)(19:23~)です。「この東京の良さを引き出し、競争力を引き出し、国際社会における、この競争に打ち勝つことができる、その都知事候補は、舛添要一さんしか、みなさん、いないじゃないですか」(25:46~)と言った上、安倍氏、舛添氏、山口氏が三人で手をつなぎます。 すでに指摘されていた舛添氏の政治資金問題に知らん顔して、舛添氏を推薦した人たちに、責任はないのでしょうか。「裏金問題」と政治資金規正法はどこへ行った東京五輪の裏金問題がどこかへ行ってしまった件 思い返してみると、舛添氏の問題に火がつく直前まで、私たちが目にしていた政治ニュースは、2020年の東京五輪招致に絡む裏金問題でした。2億2千万円ものお金(実際には10億円ものお金が動いた、という報道も一部にあります)が投票権を持つ国際オリンピック委員会の委員の買収工作に関連して使われた、とも言われています。フランスでは、現在でもこの問題の捜査が続いており、万が一の可能性としては東京五輪が取り消しになることもありうるとさえ言われています。東京五輪ののぼりを横目に、都庁を後にする舛添要一知事(右手前)=6月20日午後 五輪招致委員会は、東京都や日本オリンピック委員会などが中心になって作られたNPO法人ですが、すでにホームページの主要部分は消され、財政報告を見ることはできません。一方、オリンピック招致に多額の都税(平成24年度、25年度だけで33億円)が投入されたことは明らかであり、本来、6月の東京都議会では、この問題も審議されるものと思っていました。が、舛添氏の問題で完全にどこかへ行ってしまいました。 私も一国民として支払っている税金が、疑惑にまみれた東京五輪に関連して投入されるのは、正直言って御免被りたいです。また、報道されていることが本当であれば、五輪絡みの不正な金員の額は、舛添氏が不正に使用したお金の比ではないはずです。参院選でも、都議会でも、焦点にされるべきこの問題が舛添氏個人の問題に押し出される形でどこかへ行ってしまったのは遺憾としか言いようがなく、今後の都知事選、参院選で改めて議論をして頂く必要があると思います。徹底調査と、クロだった場合のオリンピック返上を掲げるくらいの都知事候補は出てこないのでしょうか。そういう政党はないのでしょうか。政治資金規正法、収賄関係の法律の改正こそ急務 舛添氏の政治資金問題は、一部、違法の可能性もありますが、多くの部分は乱脈ではあっても、現行法では責任すら問えない可能性すらあります。これは舛添氏に限った話ではなく、今の政治資金規正法はあまりにザル法過ぎ、小渕優子氏(元経産大臣)、下村博文氏(前文科大臣)など、安倍政権の閣僚たちがザルの目をかいくぐって責任を問われないままになっています。安倍首相自身の多額のガソリン代の問題は利益供与の可能性すら指摘されながら大きな話題になっていません。これを機に、政治資金規正法の改正をすべき事は、国民の大方が一致する意見なのではないでしょうか。そして、政治家と金の問題では、この間、甘利明(前特命大臣)によるあっせん利得の問題について、東京地検特捜部が不起訴にする、という大変ショッキングな話題がありました。この件も、舛添氏の問題に押しのけられる形で、どこかへ行こうとしています。あれだけ証拠が揃っているのに不起訴になるのなら、今後、政治家が汚職めいたことをやっても、ほとんどは無罪放免になってしまうでしょう。そうであるのなら、悪いのは法律です。政治家の贈収賄をもっと厳しく取り締まる法律の制定は待ったなしの課題であるはずなのです。 報道各社は、舛添氏に対する微に入り細に穿った報道と同じレベルで、これらの問題を報道し、追及し、不正を暴き、厳しい法律を制定するために、頑張って戴きたいと思います。そうしないと、我が国の政治倫理は、崩壊してしまいます。政権に近い者だけが免罪され、そうでない者はマスコミ総動員でクビを飛ばすことになってしまうのですから。(「Yahoo!ニュース個人」より2016年6月15日分を転載)