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    「悪質タックル」日大アメフト部員をどうすれば救済できるか

    著者 永井文治朗 何事にもどこかで誰かが歯止めをかけなければならないことがある。日大アメリカンフットボール部の「悪質タックル」問題は、まさにこう言えるケースではないだろうか。 アメフトは、野球やサッカーなどと比べ、マイナースポーツといえる。それだけに妥当性がわかりにくいが、関西学院大のクオーターバック(QB)に対する日大選手の悪質なタックルは、野球ならマウンドに立つピッチャーにわざとバットを投げつける行為で、サッカーならフリーキックを終えた選手にスライディングすることと同様の危険行為である。他の競技であってもほぼ間違いなく一発退場となり、国際試合なら資格停止処分となるだろう。 そして、QBとは、選手の入れ替えが攻守ごとに異なるアメフトにおいて、唯一容易に替えが効かないポジションである。 本場アメリカのNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)において伝説のQBといえば、1980年代に活躍したジョー・モンタナだ。現在61歳だが、アメフトに詳しくない人でも一度くらいは耳にしたことがあるだろう。「伝説のQB」で検索すると現役のトム・ブレイディか、モンタナの名前が間違いなく上位にあがる。 この二人のように、QBは攻撃の司令塔でありアメフトの花形ポジションだ。味方の選手のフォーメーションや守備側選手の位置を瞬時に把握してパスを通すのが仕事である。パスを通し続けることで味方の攻撃は続き、相手陣地により深く攻め込むことになる。このため他の選手たちに比べて比重が桁違いに大きい。野球の投手、サッカーのトップ下どころではない。 そもそもQBがパスを出す前なら、「タックルしてパスを投げさせない」というのはルール通りの行為で、QBの才能のうち「相手選手のタックルを避ける」というのもテクニックの一つだ。 だが、パスが通るなり、失敗するなどして力を抜いた後にタックルするのは明らかな反則(レイトタックル)である。選手生命にかかわるだけでなく、命すら奪いかねない危険極まる行為だ。 報道にある「殺人タックル」という表現は過言でもなんでもない。アメフトが「スタジアム内で行われる暴力」でなく「スポーツ」である証だとも言える。 これを選手個人が意図的に行ったとしたら、たとえ日本代表に選出されるほどの才能を持った選手だとしても、協会から「永久追放処分」されても仕方がない。国際試合で行ったら外交問題にまでなるだろう。第69回甲子園ボウルの関学大ー日大=2017年12月、甲子園球場 ただ、重要なのは実際にタックルをした選手がなぜこうした行為をしたかということだ。この選手は成人年齢だが、学生であることなどを考慮し個人名までは報道されない。だが、ネットで検索すれば容易に判明する。実際に日本代表チームに招聘された名選手だ。しかし、それほどの選手が「過失」でそんな大きなミスを犯すだろうか。 そこで問題なのが、日大アメフト部の内田正人監督の「指示」の有無だ。「QBを殺し(実際の殺人でなく『潰す』という意味)に行け」という指示の内容自体は、アメフトという競技を考えれば防御側の監督やコーチから指示されてもおかしくない。 だが、普通のチームならば「あくまでルールの範疇内で」という意味だと受け取られる。つまり、パスを投げる前のタックルなら、問題ない正当なプレーであることは先に説明した通りで、投げ終わった直後などの微妙なタイミングならば論議にはなるが社会問題化するまでにならない。 それにタックルをされるQB自身も力を抜くこともなく、頭部や背部、腰部といった致命傷を避ける受け身姿勢をとる。そのための防具であり、そうした自己防衛についても選手指導と育成の対象だ。タックル選手にも再起のチャンスを しかし、日大の選手は、明らかに投げ終わった選手が力を抜いてプレーも止まり、グラウンド外に出ようとしている所に背後からタックルしたのだ。そうした状況だとわかっていない程度の選手を協会が日本代表チームに選ぶだろうか。 当時の試合を映像で見る限り、「選手生命を絶ちに行った。結果的に文字通り殺してもおかしくない勢いでぶつかりに行った」と判断されてもおかしくない。ちなみにレイトタックル自体は選手個人に科されるファウルであり、チームファウルではない。 また、報道などによると、タックルした日大選手は、なかなか試合に出してもらえなかったようだ。何が原因かは定かではないが、「監督、コーチからの理不尽な内容の指示に従わない」ことが理由だった可能性もある。 そもそも今回の問題は、日大と関学大という東西の横綱チーム同士の定期戦で起きた。公式戦なら、問題はもっと大きくなり、没収試合になりかねない。加害チームは即敗退となる。 そうなれば加害側の日大の損失の方がはるかに大きくなる。だが、練習試合ということであれば話は別で、別だからこその行為だったとすれば、悪質さは極まりない。 当然、練習試合といえど、真剣勝負ならば事故やけがはつきものである。根底にあるのはそうしたリスクを犯してでもチームの強化を図りたいからであり、学校間の信頼関係だ。要は、日大と関学大は日本一を競い合うライバルという信頼関係にあったからこそ51回もの定期戦を行ってきた。そうした過去の伝統に裏打ちされた特別な試合だったはずだ。 日大の内田監督は「弱いチームだから」と前置きして何でもアグレッシブに行く旨を公言しているが、昨年の大学選手権覇者が「弱いチーム」なら全大学のアメフト部が弱いチームだということになり、何でもアグレッシブにやっていいということになる。 つまり、大学日本一の日大アメフト部相手なら凶器を隠し持っていようが、プロテクターの下に何か仕込んでいようが、審判の目につかない所で相手選手を殴ろうが、なんでも許されてしまうということになる。「スポーツの名を借りた暴力」以外の何物でもなくなる。ただでさえ、少子化でスポーツ部の部員確保が難しくなっている中で、そんな事が起きれば部活動自体、競技自体が消滅しかねない。甲子園ボウルで優勝し、選手らと喜ぶ日大フェニックスの内田正人監督=2017年12月 まだ真相はわからないが、監督、コーチ陣の指導方針に問題の原因があるとすれば、名門チームであっても消えてなくなるべきだろう。まして他のチームの模範となるべき横綱だというなら、なおさらである。角界が土俵外の暴力で、レスリング界がパワハラ問題で揺れている昨今だからこそ、他の競技の指導者に向けても強くアピールするという意味で厳重な処罰が必要だ。 だが、内田監督は日大の常務理事でもあるため、監督を辞任してもそのまま「院政」に移行すると考えられている。ならば、日大アメフト部は即廃部するべきだ。現役選手たちについては、希望するなら他の大学チームへの移籍と出場とを認め、原因となった悪質タックルをした選手については、1年間の謹慎処分と他の日大選手と同じ扱いを適用するということでどうだろうか。 この処分案ならば将来ある選手たちに重荷を負わせることなく、悪質タックルをした選手も救済できる。才能ある選手だけに、再起のチャンスを与えてもいいだろう。 いずれにせよ、内田監督は62歳。先に紹介したジョー・モンタナと同世代だ。海の向こうにいる伝説のQBが日本のこの騒動を聞いたらどう思うだろうか。

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    自衛隊はどう解釈しても「違憲」である

    著者 江﨑雅博(鹿児島県) 憲法9条改正の機運が高まる中、筆者は、今は「9条の解釈」について議論する時期ではないとの思いが強くなった。そして、以下に述べる内容は、高名な保守派の学者が何と言おうとも翻(ひるがえ)すつもりはないことを断ったうえで論じていきたい。 時の経過による状況推移に伴い、法律解釈も変遷することは当然であり、為政者もしくは一定の思想を主張する者による法解釈は合目的的になされることが常であり、そこに彼らの恣意が介在することは自明の理である。 これを批判するつもりは毛頭なく、むしろ妥当な結論が得られるのであればそれに越したことはない。しかし、そこには自ずと限界があると考える。端的に言えば、当該条文からあまりにも文理的に遊離した解釈は、解釈論を装った法律思想ではあっても、当該法律の解釈ではないからだ。 9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言が、「国権の発動たる戦争」にもかかるとすれば、自衛戦争に限ってこれをなし得る、と解釈することも可能だ。しかし、2項の規定によってたちどころに反古(ほご)にされるのである。2項の規定は、好むと好まざるとにかかわらず、決定的、いや、絶対的である。 文民条項を加えた芦田修正に基づく9条解釈はもちろん政府見解にしても、当該条項で明確な戦力不保持の規定があるにもかかわらず、軍もしくは自衛隊の存在を合憲とする。 これらは憲法解釈の限界を越えた屁理屈(へりくつ)と言わなければならない。この辺りが保守派において、「軍相当組織合憲説」の基礎となっている。しかし、無理筋な理屈を弄(ろう)して解釈論で自衛権を導き出すことは、アンチ護憲派の強弁と評さざるを得ない。イラクに派遣された陸上自衛隊の隊員たち=2004年2月、サマワ市郊外 自称保守の人々は進んで支持するのだろうが、筆者は肯(がえ)んじない。かつて筆者は、芦田修正による9条解釈論を支持した時期があった。保守思想に傾倒する余り、盲目になっていた己の不明を恥じている。 この解釈の根底には国際通念上、自衛権保持は不文の法理、とする大前提がある。自然権的立場に立てば、国家緊急権については現行憲法下でも発動可能とみることができるだろう。しかし、明瞭な戦力不保持の明文規定を持っている我が国の憲法9条解釈に援用すべきではないと考える。 そもそも我が国の憲法は異常である。しかし、だからといって当該条文を軽んじ、国際通念上普遍的とされる法理をもって金科玉条(きんかぎょくじょう)の根拠とする解釈は、もはや法律解釈の名を騙(かた)った個人的憲法思想のゴリ押しであり、邪道というべきである。自衛隊合憲論はただの詭弁 国際通念上どうであろうと、一国の憲法解釈には直接関係ないことである。ただし、立法論としてはこの限りでないこともちろんである。再び言うが、当該条文の文言を大きく外した理屈論は、法律思想ではあっても法律解釈ではない。 現状、多くの国民が自衛隊を支持している事実を斟酌(しんしゃく)しないわけにはいかないが、それでも現行憲法の解釈としては自衛隊違憲説が至当と言わざるを得ない。国防上の不合理を理由に、あるいは現状追認のため、いかなる解釈も可能であるとすれば、成文法の意義を形骸化させるに等しい。 我が国の憲法学者の大多数が自衛隊違憲説を採用していることは周知のとおりであるが、それ自体は至極妥当な結論である。問題は彼らの多くが護憲を主唱するところにこそある。 翻(ひるがえ)って、保守サイドにある学者や法律家が、前述の論拠をもって自衛隊合憲説を強く主張する真意は、本来あるべき法律解釈論よりも、本来あるべき我が国の憲法論に重きを置いているからである。 要するに、解釈論と立法論を混同して論じている、ということであり、この点を指摘しないわけにはいかない。9条論争紛糾の一因はここにある。当の先生方はそんなことは百も承知の上での主張で、いわば詭弁(きべん)である。 右も左も、世の中欺瞞(ぎまん)と詭弁に満ちあふれている。残念ながらこれは世の常だと思う。事をなすにあたっての技術的方便もあり得る。改憲の機運を盛り上げるためには不可欠なことではある。自民党憲法改正推進本部の会合であいさつする細田博之本部長(奥中央)=2018年3月、自民党本部(斎藤良雄撮影) 筆者の学生時代を顧(かえり)みれば、単位を修得してただ卒業する学生よりはいくらか勉強したほうだと思う。しかし、大して勉強する学生ではなかったことは確かだ。ただ、筆者はLawyer(弁護士)ではないが、一応、Jurist(法の専門家)ではある。Juristの末席に列する者としての良心が、自衛隊合憲説を採ることをためらわせるのだ。 純粋な法解釈学的立場からすれば、自衛隊は違憲であるけれども、語る相手次第で、保守を標榜し憲法改正運動を推進する立場上、自衛隊合憲説や集団的自衛権肯定説を積極的に主張しなければならない局面もあり得る、ということである。

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    自衛隊はどう考えても「違憲」である

    自衛隊は合憲か違憲か―。憲法改正議論が高まる中、最も注目されるのは「戦争放棄」を盛り込んだ憲法9条だが、自衛隊が合憲か否かの論戦は平行線が続く。ただ、改めて合憲論者の解釈をみれば、やはり無理筋で、屁理屈ではないか。iRONNAの読者が「自衛隊合憲論」に反論する。

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    「ズボン脱がされてもイジメじゃない」それってどうなの?

    著者 和田慎市(静岡県) 東京都葛飾区で2014年に区立中学3年の男子生徒が部活動後に自殺した件で、今年3月に第三者委員会が出した「部員の行為はいじめではなく、いじめが原因の自殺ではない」などとする報告書が波紋を広げていると報じられました。東京都葛飾区で2014年4月に区立中学校3年の男子生徒(当時14)が自殺した問題で、区が設けた第三者による調査委員会(委員長=平尾潔弁護士)は28日、「社会通念上、いじめにはあたらず、衝動的に自死に及ぶ結果となった」とする調査報告書を青木克徳区長に答申した。区側はいじめはあったと認めていたが、調査委はそれを否定する形で結論づけた。調査報告書によると、男子生徒は14年4月9日、部活動でチームを決める話し合いで他の生徒と意見が分かれて黙り込んで動かなくなり、他の生徒たちが霧吹きで水をかけたり、ジャージーのズボンを下ろそうとしたりした。生徒は無言で学校から立ち去り、夕方に区内で自殺した。(朝日新聞 2018年3月29日) この報告書に関する論点は二つあります。一点目は部活動の生徒たちが、自殺した生徒に対して「霧吹きで水をかけたり、ズボンを下ろそうとしたりした」という行為が、いじめに当たるのか当たらないのかという点です。第三者委員会の委員長である弁護士は、生徒たちの普段からの遊びやじゃれ合いの一連の行為であり、社会通念上いじめに当たらないと判断しています。 もう一点は、部活の生徒たちの行為が自殺の大きな要因であったかどうかです。第三者委員会は、この一連の行為よりも、部活動のチームを決める話し合いで、自分の所属チームが決まらなかったことによるショックの方が大きかったと判断しています。 最初に断っておきますが、当然ながら、私はいじめと疑われる行為の現場を見ていません。新聞やテレビの報道だけで何が事実、真実であるかを推定することは、若者の尊い命が失われた状況では極めて無責任であり、不謹慎なので一切控えます。 ですから、私がこの記事を取り上げた理由は、いじめがあったのか、なかったのかを追及したいからではありません。この第三者委員会の報告書が、文部科学省を中心とする国のいじめ対策の根本的な問題を内包しているからなのです。 昨年11月末に出版された拙著『いじめの正体』(共栄書房)の中で、私は特に2013年に制定・施行された「いじめ防止対策推進法」の文言や内容を詳細に分析しました。すると調査を進めるうちに、さまざまな問題が明らかになり、いじめ防止対策推進法は教育現場でほとんど機能しないばかりか、ますますいじめ問題をこじらせてしまう可能性があるという結論に達しました。2018年3月、東京都葛飾区役所で報告書を青木克徳区長(右)に手渡す、第三者委の委員長を務めた平尾潔弁護士 ここでは大きな問題点を二つだけ指摘しておきます。一点目は、報告や申告があったものだけで年間32万件(平成28年度)も発生し、そもそも人間の本質にかかわるいじめを防止、根絶するための法律を作ってしまったことです。そしてニ点目は、この第三者委員会の報告書の中でも述べられている「いじめの定義」です。このいじめ防止対策推進法と定義の問題点をもう少し詳しくまとめますと、おおよそ以下に集約できると思います。 いじめの定義は一度明文化された後、より被害者救済の観点に立つように「継続的」という文言などが削られ、次のように改定されました。(定義)第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人間関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。被害者と加害者の感情的な対立 いじめは物理的被害にも増して精神的被害が大きなウエートを占めるといわれています。ところが、被害を受けた児童生徒の性格や環境、力関係など個人差は相当に幅があるため、同じいじめ的言動(特に軽度と思われる冷やかし、無視、からかい、はたきなど)であっても受け止め方はさまざまです。定義では、行為を受けた児童等が心身の苦痛を感じれば、行為の重さや大きさに関係なく「いじめ」になりますから、現実問題として、全く同じ言動がいじめになったり、いじめにならなかったりすることが頻繁に起こるようになるわけです。 関連して、特に小中学校では、子供たちは日常習慣のごとくお互いにからかい、冷やかし、いたずら、言い合いなどを、よくゲームや遊び感覚で行います。実際、私も学校内でそのような場面を何度も目にしています。やる側の子供はいじめをするつもりではなく、無意識のうちにこれらの行為に及んでいることが多いのです。また、やられる側の子供も全く苦痛ではなく楽しんでいる場合もあって、教師が一見していじめと判断するのが難しい行為が日常的に発生しているのが学校なのです。 上記のように、子供の行為が実際に「いじめ」に該当するのかどうか、被害者側、加害者側、学校間で見解の相違が生じやすいわけです。ところが、文科省(国)がいじめを法律で定義し明文化してしまったために、被害者本人以上に保護者にとっては「いじめ」と認定されるかどうかは、謝罪や賠償の面からも大きなカギとななるので、納得できずこじれて事が大きくなりがちなのです。 いじめに限らず「自殺」の原因を特定することは、大人、子供を問わず真実を知る本人から聞き取りができないだけに極めて難しいのが現実です。今回のように不幸にも児童生徒が自殺した場合には、いじめが自殺の原因であったかどうか確かめたくても、いじめの定義は「受けた行為により子供自身が心身の苦痛を感じたかどうか」です。ゆえに本人がこの世にいなければその心情を直接聞くこともできず、残された文章や周りの証言から推定するしかなく、人の命が絡んでいるだけにますます被害者側と加害者側で感情的な対立が起こりやすいのです。 いじめが法律で防止(禁止)されたことで、大きないじめ被害が起こるたびにマスコミが過熱報道を繰り返し、正義感の塊のような市民がそれに同調する傾向があります。中にはいじめの有無や行為そのものの有無があいまいなケースまで、加害者とされた子供と保護者を会員制交流サイト(SNS)などで犯罪者扱いし糾弾するような傾向もあり、彼らも自殺に追い込まれはしないか危惧されます。 そういった事態が頻繁に起きるようになれば、マスメディアの自殺報道に影響されて自殺が増える「ウェルテル効果」により同情、後追い自殺する若者や、現在陰湿ないじめを受けている児童生徒たちが、「自分が死ねば家族や世間が加害者に復讐してくれる」といった仕返し手段として「自殺」を選んでしまうという悪循環に陥る危険があります。 これらは、感情を持つ人間の本質的な言動であり、根絶できないいじめを文科省が「いじめ防止対策推進法」という、まさに法の論理で定義まで決めて防止(根絶)しようと躍起になる一方で、「隠ぺいするな!」と各教育委員会や学校にいじめの報告が増えるように徹底させるという矛盾した施策を続けていけば、最も疲弊するのは当事者である子供たちであり、保護者や先生です。(iStock) 学校現場の人間として声を大にして言いたいことは、真にいじめを克服するためには、杓子(しゃくし)定規な定義や報告など形式にこだわるのではなく、まず根絶できない現実を受け止めるべきです。そのうえで、いじめの発生しにくい環境づくりをするとともに、重大な事態に陥らないように早期発見と迅速な対処を心掛け、当事者の人間関係修復と被害者の立ち直りをサポートしていくことです。さらに、有効な未然防止策は、いじめを能動的に克服し乗り越える力、いじめをやめさせる力を子供たちに地道に身につけさせていく教育しかないと思います。

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    「人生100年時代」はいいことばかりじゃない

    著者 高幡和也 2017年9月、政府が「人生100年時代構想会議」を設置したことで、「人生100年時代」というフレーズが一気に注目を浴びている。しかし、何だかしっくりこない。 そもそも、この「人生100年時代」は、英ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授の著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』で提言された言葉だ。グラットン氏によると、2007年に日本で生まれた子供については、107歳まで生きる確率が50%もあるという。 平均寿命がどこまで伸びるのかは別として、日本では深刻な高齢化が加速している。内閣府の「平成29年版高齢社会白書」によると、2016年10月1日現在の日本の総人口は1億2693万人で、そのうち、65歳以上の人口割合、つまり高齢化率は27・3%にのぼる。 1996年の高齢化率が15・1%だったことを考えれば、日本における高齢化のスピードがいかに速いかわかるだろう。さらに同白書によれば、2065年には2・6人に1人が65歳以上の高齢者となると見込まれている。 実は、この日本の深刻な高齢化の状況こそが「人生100年時代」というフレーズがしっくりこない理由である。なぜなら、日本では人生100年時代が「到来しようがしまいが」、少子高齢化とそれに伴う人口減少が驚異的なスピードで進んできたからである。もちろん今後もハイペースで進んでいくだろう。 100年の人生で「どう働くか」「どう学ぶか」「どう生きるか」は、寿命が延びるにつれて変化するわけで、必然的に見直さざるを得ない「ライフデザイン上の問題」である。日本の少子高齢化に伴う人口減少問題とは、少し隔たりがある気がしてならないのである。英ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授。安倍政権の看板政策「人づくり革命」を検討する「人生100年時代構想会議」の有識者議員を務める(宮川浩和撮影) 前述のグラットン氏によれば、人生100年時代においては、これまでの「教育」「勤労」「引退」の3ステージの人生からマルチステージの人生へと変化するという。確かに、人生におけるステージが多様になり、そのステージが変化する契機においては「学び直し」も求められるだろう。結果としてそれが個々のスキルを向上させ、高齢化社会における生産力と成長力を上げることにつながっていくことは十分に理解できる。 だが、日本における急激な人口減少と人生100年時代とを関連付けてしまうと、本来、緊急的手当てが必要な少子化対策への意識が希薄になりはしないだろうか。繰り返すが、実際に寿命が延びて人生100年時代が「やってきても」「やってこなくても」日本の少子高齢化は進み、それに伴う人口減少が加速していくのである。 人口減少は国内市場の縮小を生み、国内市場の縮小は投資先としての「魅力の低下」を生んでいく。「学び直し」による個々のスキルアップは生産力と成長力を向上させるかもしれないが、それは急激に進む人口減少から派生するさまざまな弊害を本当に補正しきれるほどのものなのだろうか。「過去の人口に戻る」だけじゃない では、実際に人口減少がこのまま進めばどうなるのか。さまざまな意見があるが、シンプルに考えれば、国土交通省のホームページ(人口減少が地方のまち・生活に与える影響)で指摘している主たる問題が、将来の「都市」についても当てはまるのではないかと思う。以下がその主な問題点とされるものだ。(1)生活関連サービス(小売・飲食・娯楽・医療機関等)の縮小(2)税収減による行政サービス水準の低下(3)地域公共交通の撤退・縮小(4)空き家、空き店舗、工場跡地、耕作放棄地等の増加(5)地域コミュニティーの機能低下 むろん、これらがすべて都市部の人口減少時に引き起こされるわけではないし、影響や程度も地域ごとの特性によるところが大きい。しかし、少なくとも、五つの問題点のうち、(1)(2)(4)は地方・都市部問わず、いずれの地域においても共通して起こり得るものではないだろうか。 これとは逆に、人口減少を肯定的に捉える声も散見される。その中でも多く聞かれるのが、今後人口減少が進んでも「過去の日本の人口に戻るだけ」「イノベーションや働き方改革こそが生産性と成長力を向上させる」といった意見だ。 では、過去の日本の人口と将来の推計人口の中身を比較してみよう。総務省統計局「人口の推移と将来人口」を見ると、1965年の日本の人口は約9920万9000人である。この数字に近い将来推計人口を見てみると、65年から90年後となる2055年の約9744万1000人である。 この数字だけを見れば、確かに「過去の日本の人口に戻るだけ」かもしれない。しかし、その年齢別構成比を見ると明らかに「過去の日本の人口に戻るだけ」が誤った認識だと分かる。1965年の生産人口(15~64歳)割合は68%、老年人口(65歳以上)割合は6・3%であるのに対し、2055年の推計では生産人口割合が51・6%まで減少する一方で、老年人口割合は38%まで上昇するのである。 さらに何よりも重要な点は、今後イノベーションや働き方改革によって生産力や成長力が向上したとしても、上記の人口割合と総人口の減少がこれからの日本ではそれぞれ「一方向」にしか進まないということである。つまり「高スキルの高齢者人口」さえ減少を続けるのだ。2017年11月、自民党の人生100年時代戦略本部の提言を首相官邸で安倍晋三首相(右)に手渡す本部長の岸田文雄政調会長(斎藤良雄撮影) 人生100年時代を見据え、そのための備えをさまざまな観点から官民一体となり提言し、個々がそれに向き合うことは日本のみならず世界にとっての潮流でもあるだろう。しかし、日本のように急激な人口減少が続く場合、まずはそれに歯止めをかけなければならないのではないだろうか。 もちろんその歯止めとは「増加」ではなく、「減少幅」や「減少速度」の縮小で構わない。100年の人生においてそのスキルを個々が磨き続けることにより、生産人口年齢が75歳もしくはさらにその上まで引き上げられたとしても、このままでは「どの年代の人口層すべてが絶え間なく減少」していくのである。そこに触れずに「人生100年時代」を語るのは、やはりしっくりこないのである。

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    日本の少子化対策はここが間違っている

    著者 富士一平(三重県) 日本では今、北朝鮮のミサイルや核開発をきっかけに安全保障問題がクローズアップされている。それだけではなく、少子高齢化や医療、介護、年金といった社会保障、教育、エネルギーなど緊急を要する課題が山積している。それぞれ、優先順位をつけがたい切実な問題であることは言うまでもないが、少子化問題こそ最優先されるべきだと私は考える。 そもそも少子化問題は「少子高齢化」とひとくくりにされがちだ。とりわけ「高齢化」の方に関心が集まってしまうために、「少子化」の逼迫(ひっぱく)性について国民の認識が全く進んでいないと感じる。 確かに「高齢化」は社会保障に直結する。その上、高齢者層をターゲットとした各種産業における新製品やサービスの開発や、近年頻発する高齢者特有の交通事故など、経済的にも社会的にも注目が集まるのは自然なことだろう。それに比べて、少子化問題は一見すると緊急性は低いかもしれない。しかし、国の存続をおびやかす重大な危険をはらんでいる点があることを、一体どれだけの国民が意識しているだろうか。 この問題は、国家予算をいくら投じたところで一気に解決することなど決してない。では、国が現在行っている政策が果たして有効なものといえるだろうか。私はむしろ悪い方向に進んでいる気がしてならない。 その理由は、全ての政策が表面的でしかなく、子育てや家族のあり方といった「少子化」が内包する根本的な問題をあまりにも軽視し過ぎているとしか言えないからだ。一言でいえば、合理性を重視するばかりで「哲学」がないと言うことだ。 今、行われている政策はこうだ。まず個人所得を上げて、結婚や出産がしやすい環境をつくる。保育園を増やして、夫婦共働き家族を増やす。そして、女性の社会進出を推進する。 しかし、そこには「なぜ男女は結婚するのか、そして子供をつくるのか」ということや「子供を保育園に預けることで、親が子供に愛情を注ぎ、育児、しつけを行う時間が少なくなってもよいのか」、「子供の将来にとって望ましい家族の姿とは」という、当然であり最も根本的な部分を見落としている。少子化などの影響で人口が伸び悩み、閑散とする六甲アイランドの中心部=神戸市東灘区(小松大騎撮影) 種族保存の本能とまで言わずとも、多くの人は成人してまもなく自分の子供が欲しくなるものであり、また、異性と結婚して家族を持ちたいと思うものだ。将来を思えば、育ててくれた親は自分よりも先に亡くなり、その後一人で生きていくよりも、若いうちに家族をつくりたいと思うのが一般的であろう。そして、子供が多く欲しければ、各人がそれなりに婚期を考える。 多様性が尊ばれる現在であるが、この点は国策を考える上で基本的に持っておかねばならない共通認識である。不満が募る日本社会の「現実」 しかし、近年は単身者が増加している現実がある。厚生労働省が平成28年に行った調査では、年齢は限定してないものの、単身者が全世帯に占める割合として、昭和61年に18・2%だったが、平成28年には26・9%まで増えている。全国の4世帯に1世帯が単身世帯となっているのである。 子供や身内がいれば社会はあまり関与せずに済むが、単身者は最後に社会が関与しなければならない。国家財政の面でも、単身世帯の増加は大きな影響が生じてくる。 そして、最近は、子供がいても社会の助けを受ける高齢者も多い。以前、子供がいるにもかかわらず単身者として生活し、子供の助けを受けずに国から生活保護を受けていたという矛盾するエピソードを、お笑い芸人が明かしたことで世間の非難を浴びたこともあった。 これは一見、子供が薄情なようだが、必ずしもそうとは限らない。なぜなら、少し前からの風潮か、親が子供に世話をかけたくない、という話をよく耳にするからだ。他人同士ならわからないでもないが、親が生活に支障をきたせば、子が世話するのは当然のことではないのか。 仮に、子供がいる高齢者でも当たり前のように社会の世話になる世の中となれば、国家財政上だけの問題ではなく、もはや倫理上の問題である。家族とは一体何なのか、改めて考えさせられる話である。 現在、国内で起きている問題の多くは、希薄となった家族関係に要因があると考えている。少子化対策を考える上では、まず家族のあり方という点から考えることが求められる。(iStock) 私は単純に家族というものを社会の縮図と考える。多くの家族が不和であるならば、その集合体である日本社会が円満であるわけがない。 裏を返せば、全ての家族が円満であれば、社会も平和となるだろう。全ての社会問題を家族に置き換えて考えてみようというのだ。それも核家族ではない、三世代、四世代といった大家族が分かりやすい。「歴史観」が欠如する少子化対策 大家族となると、関係を平穏に保つために、さまざまな努力と忍耐、辛抱が必要だ。しかし、その結果得られる果実にはとてつもなく大きなものがある。 家族でも夫婦でも親子でも、人が寄ればさまざまな人間関係が生まれ、そこには摩擦と協調や妥協があり、対立や協力関係が生まれる。摩擦には辛抱が求められ、協力関係は強い団結力となる。辛抱できる力と家族の協力関係は、子供が将来大人になって遭遇する数々の障害に対して大きな強みとなるだろう。人間関係が人を成長させるといってもいいだろう。 そして、良好な家族関係から犯罪抑止力や道徳力が自然と育つという点も大きい。自分の過ちのせいで家族に迷惑をかけてはいけないと思うようになるからだ。こうして、家族の中での存在意義や責任感を見いだし、人は健全化していく。さらに、子供や孫という存在と過ごすことで、物の見方や考え方の時間軸も長くなり、心も穏やかになりやすいものである。 今の政策が少子化対策と相反するのは、社会福祉を充実させるというやり方である。まるで「子供は産まなくてもいいですよ。苦労して産み育てることは必要ありません」と太鼓判を押したかのようだ。さらに「あなた個人は自由気ままに生きていくことが最も幸せなんです。あなた個人の老後を日本社会が保証します」というに等しい。 果たして、今の政策立案者は「家族」をどのようにとらえているのだろうか。そこに哲学が存在するのか甚(はなは)だ疑問である。おそらく家族といったところで、核家族と呼ばれる程度のものとしてしか考えていないのだろう。三代、四代、そして永遠に続く家族観を到底考慮には入れているとは思えない。人間関係の縦のつながり、すなわち「歴史観」が欠如しているのである。 むしろ、日本の伝統的家族を顧みることで、少子化問題を解決する糸口がきっと見つかるはずである。そこで、現在行われているわが国の社会保障費の大幅削減を、少子化対策として提案したい。(iStock) それぞれの個人や家族の責任で行うべき事柄に、政治が関与し過ぎている現状をいったん白紙に戻して見直す必要があるのではないだろうか。高齢化に伴い、さすがに高齢者の医療負担は増えるようだが、医療や介護、生活保護にとどまらず、「子供一人当たり何万円の負担」といった福祉制度を見直すべきだ。 国からの補助を削減することで、個人や家族の自助精神を育てる。赤字財政が続き、国の借金が膨らむ中で、少しでも子供の将来を考えてあげる必要があるだろう。何よりも個人、家族の自助精神が高まることによって、各人が自分の将来を考えれば、結婚し、子供を産み、賢くて親孝行な大人に育てることがどれだけ大切なことであるかが理解でき、自然と人口減少に歯止めがかかると信じている。

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    韓国「独島研究者」の主張を私が論破する

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人 九州在住) 1月25日、日本政府は、竹島および尖閣諸島が日本の領土であることを示す資料を展示する「領土・主権展示館」を東京の日比谷公園内に開館した。この展示館の開館については、竹島問題で日本と対立している韓国側も当然強い関心を持ったようだ。韓国のハンギョレ新聞(インターネット日本語版)は開館当日に展示内容を取材し、その日に記事を掲載した。その記事の中には、韓国側の領土問題理解のレベルを示す面白い一文がある。次の文章だ。 展示には、1877年明治時代に日本の最高行政機関だった太政官(だじょうかん)が江戸幕府と朝鮮政府間の交渉(鬱陵島爭界)の結果「竹島外一島(一嶋・独島)は、日本と関係ないということを肝に銘じること」を内務省に指示する「太政官指令」など日本側に決定的に不利な史料は展示していない。 この「太政官指令」というのは、明治10(1877)年3月に明治政府の最高国権機関である太政官を代表する右大臣岩倉具視が、内務省からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文のことである。この指令が出されたのは、明治9(1876)年10月、島根県が「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と題する文書で、隠岐の彼方にある「竹島外一島」(「竹島」あるいは「磯竹島」と「松島」)を島根県の地籍に入れたいと内務省にお伺いを立てたのが契機だ。2018年1月、「領土・主権展示館」の開館式で、展示の説明を受ける江崎領土問題相(左端) このとき、島根県が提出した文書に添えられた補足説明書や絵図面(磯竹島略図)を見れば、「竹島あるいは磯竹島」は朝鮮の鬱陵島であり、「松島」が今日の日韓間で領土紛争が継続している竹島であることをわれわれは容易に知ることができる。だから、太政官指令について調べた大抵の人は、太政官が鬱陵島と今の竹島を本邦とは関係無いと判断したと思ってしまう。ハンギョレ新聞の記事も、また韓国の「独島(トクト、竹島の韓国呼称)」に関する多くの研究論文も、そういう理解の上に立って書かれている。 その結果、太政官指令の意味は「日本によって独島に対する韓国の領有権が認められていた」と考えられている。さらに、1905年2月に日本が竹島を無主地として島根県に編入したことについても、「無主地という主張が偽りだということは、何よりも太政官指令により立証される」という結論に結び付けられている。 ある韓国の大学教授はこんな主張までしている。「今まで日本政府が製作したどんな広報資料にも太政官指令に関する内容はありません。独島は日本の固有領土という彼らの主張を正面から否定しているからでしょう。まさにこの点を強調すれば日本政府の主張を無力化できます」。日本政府を論破できる超強力な証拠? 要するに、太政官指令の存在によって、日本政府の主張は虚偽であることが明らかになっていると韓国側はみているのである。竹島問題で日本政府を論破できる超強力な証拠を掴んだという思い込みが、韓国政府や韓国の「独島」研究者、マスコミ、さらにはそれらの影響を受けた韓国国民に広がっているのだろう。  ところが、「事実は小説よりも奇なり」ということわざがあるが、この問題、実は太政官が今の竹島を本邦とは関係の無いものと判断したことを全く証明できない。それどころか、太政官が「松島」と捉えていた島が、実際は鬱陵島だったことが明らかなのである。 今、多くの人が「言っていることが矛盾している」と感じられたかもしれない。この結論について、筆者が過去にiRONNAへ寄稿した「太政官指令「竹島外一島」の解釈手順」「太政官指令「竹島外一島」が示していたもの」という二つの文章で詳説したことがあるので、ここでは繰り返さない。要するに、明治10年太政官指令は、今の竹島を対象として発されたものではないし、何の判断も下していないのだ。 韓国側の論者たちの史料分析ではそういうことには全く思考が及ばないのだが、ここではひとまず置いておく。筆者が本稿で述べたいのは、仮に韓国側の言うように、明治10年太政官指令が今の竹島のことを「本邦とは関係の無いものと心得るべし」との指示だった場合、現在の竹島領有権論争にどのような影響を及ぼすかということだ。 現代の領土紛争を判定するとき、国際法がその基準となる。領土紛争に関する判決を多数下している国際司法裁判所は、領土紛争は、その土地は紛争発生の時点でいずれの国の領土だったかということが判断の軸になると示している。つまり、その土地をどちらの国が正式・公式に、また適法に領土として実効支配していたかどうかが鍵になる。 そういう国際法的な基準から考えた場合、本来、日本側が言うべきことはそんなに多いわけではない。既に政府(外務省)の『竹島問題10のポイント』などに簡潔にまとめられていることだが、ごく簡単に言えば、竹島は江戸時代(江戸時代には松島と呼ばれていたが)に朝鮮国から何の異議も受けることなく日本人が利用していた時期がある。そのときから日本の領土と言える状態にあったが、さらに明治38(1905)年に閣議決定と島根県告示によって竹島を公式に島根県の区域として日本領土に編入して、その後、領土としての実効支配を継続的に行って来ており、これらのことはいずれも明確な史料があって裏付けられている。そういう史料が「領土・主権展示館」にも展示されているのだろう。鬱陵島のすぐ東に韓国が竹島と主張する「于山」が描かれた地図 その間、韓国側には、日本政府が「韓国側からは、日本が竹島を実効的に支配し、領有権を再確認した1905年より前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません」と説明するように、竹島を実効支配していたことを示す証拠は全くない。「于山島」とか「勅令41号の石島」などが韓国の「独島領有権」の根拠として主張されるが、これらはいずれも虚偽であり朝鮮または韓国が竹島を実効支配していたという史実は全く証明されない。竹島論争における太政官指令の意味 その後、竹島の日本領土としての地位の変化について注意を要するのが、サンフランシスコ講和条約である。日本の戦後処理を定めたこの条約で、戦後の日本の新しい領土範囲も決定された。日本は朝鮮や台湾など大日本帝国時代の領土のかなりの部分を放棄したものの、竹島は日本が放棄すべき領土の範囲に指定されず(条約第2条a項)、日本の領土であるという地位は変わらなかったのである。ところが、条約発効を待つばかりだった昭和27(1952)年1月、韓国政府がいわゆる「李承晩ライン」を設定してその中に竹島を取り込む事件が発生した。これに日本政府が抗議したのが竹島紛争の発生と目される。 以上、日本の「竹島領有史」を踏まえて、もし韓国側の言うように明治10年の政府が今の竹島について「本邦とは関係の無いものと心得るべし」と指示していたとして、どういう影響を及ぼすかというと、何の影響もないのである。 そう言える理由は、明治10年太政官指令が、内務省からの質問に対して太政官が回答したという「日本政府内部のやり取り」だからである。これが、紛争相手である外国に対して回答したのであれば、禁反言の原則によって、後になってから「いや、あれはやっぱり日本のものです」などと言い出すことは通用しない。しかし、太政官指令は、質問の出どころである島根県を含めても、あくまで日本国の内部の話なのだ。だから、後になって「これは日本のものだ」と言っても外国との関係では別に問題は生じない。 また、明治10年太政官指令は、仮に韓国側の間違い解釈によるとしても、今の竹島を日本の領土ではないと太政官が「思った」から、それを下級機関に指示したに過ぎない。太政官が何かを「思った」からといって、それだけで竹島の客観的な史実に何かの変化が生じるわけではないのである。 例えば、前項で「日本によって独島に対する韓国の領有権が認められていた」という韓国側の主張を紹介したが、日本の太政官が「その島は日本の領土ではない」と考えたからといって、自動的にその島が現実に外国の領土になるわけではないのは当然だ。重要なことは、客観的な史実として見た場合に竹島がどういう位置づけを経て来たのかという実体的な問題の方であって、それが領有権論争において考慮されるべきことなのだ。 現実は、竹島は朝鮮・韓国の領土であった史実はないし、日本もそれまで竹島を公式に領土扱いしていたわけではなかったので、1905年に日本政府が竹島を領土編入する前に調査して「無主地」と判断したのは正しかった。したがって、無主地を前提とした日本による竹島の領土編入は、明治10年の太政官が何を思っていたにせよ、有効であることに変わりはない。 さらに、太政官指令の存在と、現代の日本政府の「竹島は日本固有の領土」という言い方は矛盾するという韓国側からの指摘がある。だが、明治10年の太政官が今の竹島について「日本の領土ではない」と考えたとしても、先述したように竹島の歴史を通覧すれば、江戸時代の日本人による竹島(松島)の利用実績という史実が変化することはあり得ないし、太政官指令後の日本領土への編入やそれに引き続く実効支配に何の傷をつけることもない。太政官指令は領有権論争とは無関係 その間に竹島が現実に韓国の領土であったという史実が何一つ証明されない以上、「竹島は日本固有の領土」という事実は何も変化しない。岩倉具視の主観が客観的な史実を変えることなどないのだ。明治10年の太政官が仮に今の竹島について「日本の領土ではない」と判断したとしても、竹島の客観的な歴史においてそれはほとんど何の意味もないということをご理解いただけるだろうか。以上を要すれば、まず「明治10年太政官指令は今の竹島を日本とは無関係と指示した」という韓国側の理解自体が誤りであって、そもそも彼らの主張は成り立たない。 ということで、明治10年太政官指令は、そもそも日本の竹島領有権を否定も肯定もしない領有権論争に関係のない史料なのだ。だから、日本政府がそういう領有権に関係のない史料を展示しないのは当然だと筆者は考える。 太政官指令が「日本側に決定的に不利な史料」だというのは、表面に見える磯竹島略図だけに気をとられて領有権に影響しないことをさも重大事件であるかのように主張しているに過ぎない。しかも、韓国の政府や研究者、マスコミは史料の分析の方法も分からず、国際法上の領有権確定の理屈も分からないという二重の間違いを犯している。日本政府がそんなものを相手にする必要はさらさらないのだ。韓国・鬱陵島の独島(竹島)博物館からケーブルカーで行ける独島(竹島)展望台。韓国側は、ここから87.4キロ先に竹島が見えると主張する。眼下に見えるのは道洞(トドン)港 もっとも、もし将来、竹島問題が国際司法裁判所で審理される事態が生じ、その中で韓国政府が明治10年太政官指令を持ち出すなら(間違いなく持ち出すだろうが)、そのときには日本政府としても何らかの応答をするのだろう。だが、韓国政府が問題解決に向けた何の動きも示さない現状で、日本政府がバカな議論に付き合って領有権に関係のないことまでわざわざ説明したり資料を展示したりするなら、それは先走り過ぎということになるのではないだろうか。 韓国側の論者たちが「日本政府は自分に決定的に不利な太政官指令については知らないふりをしている」などと批判するときには、日本側としては「あなたたちの言うことが嘘でも本当でも、日本の領有権には別に影響しませんからね」とでも言って涼しい顔をしていればいいのだろう。参考として紹介しておきたいが、「仮に今日の竹島が明治10年の太政官指令の対象であり日本政府がこの時点で領有意思を有していなかったことが知られるとしても、後年、領有意思を持ち、国際法上の領土取得方法に則して当該島を領有することが妨げられることはない」という基本的な指摘が、国際法に詳しい日本の研究者から既に今から5年近く前に説明されている(『島嶼研究ジャーナル』第2巻2号(2013年4月30日)掲載論文「元禄竹島一件をめぐって―付、明治十年太政官指令」)。 だが、韓国の研究者たちはこういう指摘について検討することはない。筆者は太政官指令に言及した韓国の「独島研究者」たちの論文にかなり目を通して来たつもりだが、上の指摘に対する反論は見たことがない。そして、5年近くたっても冒頭に紹介したような記事を書くのが彼らの問題認識の現実だ。 竹島の領有権論争は「実効支配」の実績がいずれの国にあるかを軸として、いずれの国家がその土地をいかに具体的に領土として取り扱って来たのかということをめぐって議論されるべきだ。日本政府のそういう主張はいずれも史料の裏付けがあることなので、韓国側は否定しようがない。具体的な領土取り扱いと無関係な史実は、本来、竹島領有権論争で取り上げられるべきではないのだが、現状の日韓の論争ではこの太政官指令問題を含めて領有権に関係のない歴史的事件が実に多く議論されている。しかし、それは韓国側の研究者たちが裏付けのある日本政府の主張を否定することができないために、ごまかしで何でもかんでも「独島領有権」にこじつけて主張して来るという自転車操業をやめないだけだ。日本側としても、いちいちそれが間違いであることを説明することが必要になって反論しているだけで、本当に必要とされる領有権論争はとっくに決着はついているのである。 竹島を一日も早く日本に取り戻したいと思う日本側の人たちが、韓国の研究者・マスコミなどが自信満々のふうに述べるこれら本来無意味な言説に惑わされることなく、竹島奪還への歩みが着実に進んで行くことを望みたい。

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    「慰安婦教」に群がる韓国フェミニストの理不尽なウソ

    著者 高木右昌(ゆうま) 評論家の室谷克実氏の言葉を借りれば、「慰安婦教」が韓国で猛威を振るっている。慰安婦に関する歴史的な事実関係は学術的論議の対象ではなく神聖不可侵たる信仰になった。韓国の右派の中にも、慰安婦問題は従北左派による分断政策の一環であることを見抜いている人は多い。著書『帝国の慰安婦』が名誉毀損(きそん)罪に問われた世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授のような学者もいる。 しかし、真面目に史料をもって慰安婦の強制性について反論を繰り広げたり、細かい事実関係を基に捏造(ねつぞう)された部分を指摘したりしても手応えはない。現在韓国の世論を主導しているのは左派政権だからだ。その支持勢力の中でも主流と呼べる「韓国フェミニズム」の流れがその背景にある。 韓国には女性家族部という政府機関があってフェミニズムの制度的基盤となっている。その所轄に「性売買防止及び被害者支援に関する法律」というのがあるが、注目すべきは支援を受ける性売買被害者の範囲だ。 「性売買被害者」であれば、常識的には自分の意思に反して性売買を強制された人を指す。自ら進んで性を売る人を被害者とは言わない。では、現代の韓国で売春を強要された性売買被害者の基準は何か。性売買被害者支援法の支援対象を見れば明らかになる。【赤丸部分】支援対象:性売買被害者および性を売る行為をした者(韓国・女性家族部のホームページより) ということになっている。性を売ったすべての人が法律で定める性売買被害者支援を受けられるようになっているのだ。具体的にいうと、性売買被害者支援法では性売買被害者の定義を「性売買斡旋(あっせん)等の行為の処罰に関する法律」に委ねている。この法律上の性売買被害者の範囲は「偽計、威力、それに準ずる方法で性売買を強要された人」(法第2条1項4号)になっている。それが性売買被害者を支援する段階には「性を売る行為をした者」になっているのだ。 よくフェミニズム団体が主張する「自発的な売春はない」という認識がある。性を売る者すべては何らかの事情によってやむを得ず性を売っている、これは自発的ではなく強要されたのと同然なので被害者なのだという論理だ。キリスト教でいう「すべての者は罪人だ」というのと正反対の立場である。ここに、韓国で慰安婦の強制性に対する反論が支持を集めにくい背景が見えてくる。 2016年8月、「誣告(ぶこく)共和国」という表題のコラムが韓国のネットメディア、イーデイリーに載った。内容は、男性芸能人と性関係を持った女性が金目当てに性的暴行を受けたと虚偽告訴する事件が連続発生している世態を批判しているものだ。 こういった虚偽告訴事件は芸能人に限ったものではない。17年にはセクハラで女子生徒に告訴された中学教師が自殺に追い込まれた事件があった。後で無実であったことが明かされたが、教師を虚偽告訴した生徒は携帯のことで自分を叱った教師に腹がたっていたと陳述している。被害者のためなら捏造してもよい このほかにも、浮気したことが夫にバレて浮気相手の男性をいきなり強姦罪で告訴した女性や、一緒に寝た男の金を盗んだことがバレて男を強姦罪で訴えた女性、太ったといわれ腹が立ったため相手男性を虚偽告訴した女性、自分から先に殴った男に殴り返されるとセクハラで告訴した女性のケースもあった。新聞報道された事件だけを見てもコラムの表題を「誣告共和国」とつけた理由がわかる。 ここで注目すべきは世論を主導する市民団体の反応だ。韓国の女性団体は、性犯罪に対する誣告罪(虚偽告訴罪)の適用に反対している。性犯罪に虚偽告訴罪を適用すると性犯罪被害者にくつわを噛ませることになりかねない、虚偽告訴罪になるのを恐れて性犯罪の被害を隠すことになってはいけないと主張する。 だが、被害者保護のためにはささいな捏造(ねつぞう)はあってもよい。虚偽告訴された人が、人格を抹殺され職場では首になり、最悪の場合自殺に追い込まれても、だ。韓国にもこれに異議を唱える人はいる。しかし巨大フェミニズム勢力の前で壮絶な最期を迎えるだけだ。フェミニズム勢力と戦っていたある活動家は漢江(ハンガン)へ身を投げてしまった。 そんな中、ここ数年間、米サンフランシスコを含めてあちこちに慰安婦の像が設置されているが、これは偶然ではない。米国や欧州では「Me too」キャンペーンが広がっている。スウェーデンでは18年現在、明確な同意のない性関係は性的暴行と見なされ得る法案が推進されている。容疑者から相手の同意があったことを証明できない場合、強姦罪の構成要件である強制性を立証できなくても強姦罪に問われる可能性がある法案だ。明らかに立証責任の転倒であるが、性犯罪被害者保護のためには認められるということだ。2017年11月、軍慰安婦関連資料の「世界の記憶」登録を目指す団体の会議に臨む韓国の鄭鉉栢女性家族相。左は元慰安婦の李容洙さん(共同) 世界にはフェミニズムの風が吹いている。「反米」も「従北」も表に出せない韓国の左派にとって「慰安婦教」という分断政策は妙手だった。韓国では左派団体が日本にどんな非礼なことをしても宗教裁判を恐れて誰も文句がいえない。日本ではこの「憎悪の宗教」のせいで、「助けず、教えず、関わらず」の非韓三原則まで提唱されている。 これだけでも大成功だ。しかし「慰安婦教」は韓国にとどまらない。フェミニズムの風に乗って世界中に布教されるほどの勢いを見せている。

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    NHK大河『西郷どん』は大コケ間違いなしと断言できる理由

    著者 永井文治朗 NHK大河ドラマの不思議というものがあって、昨年の流行語というべき「忖度」(そんたく)が働いている人物や家、団体が存在するのではないだろうか。例えば「井伊家」である。徳川家康の家臣の末裔(まつえい)にもかかわらず、『花の生涯』(井伊直弼)、『おんな城主直虎』(井伊直虎)など、なぜか中興の祖である井伊直政本人を差し置いて末裔や養母が主人公となるという不思議な現象が続いている。 また、『篤姫』では井伊直弼の扱いが非常にていねいだった。もともと徳川幕府の既定路線に則って「開国」するに際し、大奥という権力をバックにつけて大老に就任、国内で反対派の始末をしたというより、発言力を増した外様大名や親藩譜代大名でも「反主流派」の人々を将軍の家督相続問題にかこつけて大弾圧した。 彼が声を大にして言いたかったことは「徳川300年の栄華は我々老中職を担ってきた神君家康の家臣団の末裔である。決して御三家をはじめとした神君家康の縁者でもなければ、戦国大名どもの末裔でもない」ということに尽きる。語るに堕ちるというのはこのことで、「天下人よりも偉い天下人の家臣たち」が凡庸(ぼんよう)な将軍たちを支えたからこそ今までやって来られたということで、外野や庶民は黙っていろという話だ。バカも休み休み言ってほしい。群馬県館林市の善導寺に伝わる徳川家康の肖像(模本、東大史料編纂所蔵) では保科正之や田沼意次、新井白石はどこから出てきた人物か。文化人なら葛飾北斎や伊能忠敬もそうだが、そもそも士農工商は職分制度であって身分制度ではない。裏道も抜け道もいくらでもあり(学者も医師も職分制度の例外)、元々は才谷屋という豪商の分家だった商家の坂本家は郷士株を取得して土佐郷士となった。そこの次男坊が坂本龍馬だ。兄の権平が商家の坂本家を相続し、龍馬は無心すればいくらでも兄から援助が得られたので食い詰めたことなどない。 つまり、身分出自を問わず広く人材を募ってきたからこそ江戸幕府の政治はあらゆる困難に立ち向かってこられたのであって、老中職をたらい回しにしたごく一部の家臣たちだけが有能だったからではない。また江戸三代改革という「虚妄」も信じがたい。吉宗の「享保の改革」こそ一定の成果があったが、後の二つは享保のまねをしたむしろ失策といえる。それよりはるかに小さく扱われる「正徳の治」(間部詮房と新井白石の時代)の方がむしろ政治的に安定した善政時代である。 また、吉宗の後継ぎたる将軍家重は「小便公方」と江戸庶民から揶揄(やゆ)されたが側近の大岡忠光(御側御用人)は公明正大で「小便公方」を支えて善政を継続した。それこそ江戸庶民、外国人からも絶賛されたひとかどの人物である。 その後、忠光からのバトンを受けた田沼意次が台頭して一時代を築いた。現在は「田沼時代」として賄賂横行の悪政時代というより、経済を活性化させて幕政を建て直した改革時代よりも政治安定期だと好評価されている。作家、池波正太郎の代表作『剣客商売』はこの時代を舞台にしている。 実際、井伊直弼の時代にさえ、江川太郎左衛門英龍(韮山代官。彼の代表的な遺構が「お台場」と世界遺産「韮山反射炉」)、勝海舟(軍艦奉行)、小栗上野介忠順(三河小栗家12代目)を排出している。そもそも徳川幕府は人物に払底し、腐って倒されたのでなく、幕府と朝廷の深刻な対立や諸外国が介入する内戦回避のため、あえて政権放棄(大政奉還)を選択したのだ。本当に腐りきってどうしようもない政権にこんなまねができるはずがない。 要は、井伊直弼は現代で言うところの豪腕政治家に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。だが、彼の所業が外国勢力と挙国一致で当たらねばならない状況下で、幕末という大混乱を招いた。そして長州藩が暴走し、薩摩藩が後に倒幕方針に転換する契機になったことは紛れもない事実であり、関ヶ原で抜け駆けして先鋒大将となった井伊家は、幕末期も抜け駆けして真っ先に新政府に寝返った。これもまた事実である。「井伊家への忖度」というのがどうもこの辺りに漂っていて胡散(うさん)臭いことこの上ない。 そして『おんな城主直虎』の次が『西郷どん』だという。記録的震災に見舞われた熊本や、豪雨災害で大打撃を受けた北九州ではなく、彼らがイラっとする薩摩(鹿児島)の英雄が主人公である。知られざる西郷のダークサイド 政治的師匠たる島津斉彬の意向(生前は一橋慶喜擁立に尽力した)に背いてまで「倒幕」に傾倒した西郷はあらゆる手段で殊勝な態度と恭順さを示した慶喜を追い詰め、前将軍の新政府参加という道を阻んだ。 さすがにこれには薩長に協力的だった松平春嶽(前福井藩主)、徳川慶勝(前尾張藩主)でさえ反対の立場を表明した。このときのあらゆる手段というのには根っからの佐幕派だった孝明天皇暗殺、薩摩藩による治安破壊工作、逆に激怒した幕府や庶民が薩摩藩邸焼き討ちの反撃に出るとこれを口実にして挙兵した。 坂本龍馬が事実として「大政奉還」という裏技を、後藤象二郎を通じて将軍慶喜に伝授したのであれば、暗殺の黒幕として一番疑わしいのは武力倒幕にこだわって、その後むりやり実施した薩摩藩であり、西郷自身だということになる。幼帝に偽勅を乱発させ、既に総大将が事実上の白旗を掲げている相手に錦の御旗を掲げて踏みつぶしたのだ。これこそが正に維新前夜における西郷のダークサイドだ。高知県南国市の飲食店敷地内につくられた坂本龍馬像 そもそも本当に明治維新は必要だったのだろうか。大胆な改革をするだけの力が幕府にはないというのが明治維新肯定派の意見だが、なにより「大政奉還」そのものが一番大胆かつドラスティックな政策転換である。そして明治新政府が実際に行った版籍奉還、廃藩置県よりも、天皇制のもとで徳川慶喜自身を含めた全ての大名小名が各領知事に就任し、知事・参議による合議体制(議会)を開催する方向性の方がはるかにソフトランディングにかなっていたし、いきなりヨソから来た得体の知れない人間が知事になるより、もともとのお殿様が「知事」と名を変えるだけの方が庶民にも受け入れやすかったはずだ。 ときどき龍馬が生きていたらなにをしただろうといった愚かな質問をする人がいるが、そんなのは自由民権運動に決まっている。実際に弟子である陸奥宗光も、同郷の後藤象二郎、そして龍馬の代わりに代名詞となった板垣退助も旧土佐藩を中心に自由民権運動に維新後の半生を捧げた。もともと龍馬が彼らにアメリカ式のデモクラシーを吹き込んだ張本人だし、後に福澤諭吉が西郷や江藤新平らと共に中央政界から弾き出された後藤・板垣にその意義を説いた。暗殺で非業の死を遂げずに維新後を生きていたら、「日本民主主義の父」と諡(し)されていたであろう。 そもそも、もし参政権を当時の日本人男女全員に与えていたら9割近くはもともとのお殿様や大地主が当選していた。つまり、時代と社会とが一足飛びに「戦後」に飛んでいた。実際のところ、現在の民主主義だってほとんどはカバン(資金)、看板(知名度)、地盤(地元との関係性)に代表される要素で決まっている。それでも間違いなく上手くいっていたし、むしろ「和を以て貴しとなす」日本の文化・文明に適合していた。なにより話し合いはまとまらない。まとまらないからこそ「(外国や自国軍隊に)恫喝(どうかつ)される」か、「危機意識を共有する」か、でしかまとめようがない。実際に明治維新も含め、この国が大きく転換するのは外的要素が絡んだときだけである。 幕末期は先の龍馬を引き合いに出すまでもなく、多くの優秀な人材をうしない、それは新政府樹立後も変わらなかった。結果的には西郷、大久保、伊藤たちの血も流れることになってしまった。西郷は最期は悲劇の人で早々に復権を果たすが、それもこれも西郷が怨霊化しそうなほど、長州藩の主導する明治政府を恨んでいたからに違いない。  また、それ以前に西郷は三つの大きな呪いともいうべき呪縛を日本人に与えていた。岩倉・大久保・木戸が外遊し、西郷が留守内閣を任されていた時代に、後にこの国に悲劇をもたらす二つの事柄と一つの方針が掲げられた。西郷の政治生命を奪った征韓論 二つの事柄とは国民皆兵制度と改暦だ。 国民皆兵制度は武士から誇りを奪って士族反乱を数多く引き起こしたが、それに飽き足らず赤紙(召集令状)に庶民男子が恐れ戦く事態にした。「太平洋戦争」というありもしない虚構の戦争(当時の日本が戦っていたのは大東亜戦争)で多くの日本男児が赤紙のために散った。巨人の幻のエースで沢村賞のもとになった沢村栄治さえご多分に漏れなかった。日本人ならなにが起きても絶対に選択しないし、書くことさえおぞましい悪魔の制度だ。その赤紙の発案者が西郷だというのは事実だが、西郷英雄論の人はバカげているとわかっていても絶対に否定する。 そして改暦である。これが中国、韓国との溝を決定的にした。暦は現代では単に「カレンダー」だと思われているが、陰陽五行説に基づく神聖なもので、扱うのは羽生結弦のおかげで野村萬斎の名演技が再注目された「陰陽師」たちのお仕事である。やたら滅多と変えられるものではなく、天皇家とお公家さんたちが持つ神聖な権利の一つだ。江戸幕府が大変な思いをして、当時の「大物たち」(保科正之や水戸光圀など)が大々的に支援し、渋川春海が日本独自の暦への改暦に成功するまでを描いたのが映画『天地明察』である。 なんにせよ、旧暦と西暦(グレゴリウス暦)では「お正月」の定義さえ違う。ズレた恩恵もないことはないが、暦を変えたことで日本は「歴としたアジア諸国の一員」から西洋文明に毒され、アジアを後進地帯だと思う意識改革が進行し、挙げ句に戦後恨みを買いまくり、補償に追われる羽目になった。溝はいまだに埋まっていない。同じカレンダーで生きていないのだから無理もない。これについても西郷の留守内閣が決定した事項だ。十分な吟味も議論も尽くさずに、欧米諸国との関係性重視からあっさりグレゴリウス暦に切り替えたせいで「そもそもこの時期の出来事の順序がサッパリわからない」という事態にした。渋川春海も泣いているだろう。大河ドラマ『西郷どん』の一場面 さらにもう一つが、西郷の政治生命さえも奪った「征韓論」である。言い出しっぺではないことはよく知られている。朝鮮半島にちょっかいを出すとロクなことにならないという歴史的教訓を西郷ほどに家康とナポレオンに傾倒した読書家が知らなかったはずがない。どうも天皇家にまとわり付く有象無象は国内に少し余裕ができると、太古の昔から祖先の地、朝鮮半島を我が手にという野心に目覚めるらしい。 それがもとで中大兄皇子は外征反対派の蘇我氏を粛清して「白村江の戦い」に臨んで大敗。その後、遷都や国内改革に迫られて実施(大化の改新)した。そして、万葉集に「防人の歌」が載ることになった。防人とは要するに中国・韓国の逆襲侵略を恐れた皇子が任命した沿岸警備兵だ。「秋の田の~」で始まる百人一首のその句を詠んだ(とされる)天智天皇になった中大兄皇子の人気は急落。死後、義弟の大海人皇子(妻(後の持統天皇)は中大兄皇子の娘)と愛息子の大友皇子が皇位継承をめぐって「壬申の乱」になり、大友皇子は首吊り自殺して勝った方が天武天皇になった。表向き「万世一系」という天皇家の履歴に「?」がついたのもこのときだ。なにはともあれ大勢の犠牲を出す物騒な事態に陥り、息子どころか庶民の運命まで変えたのが朝鮮半島だった。大河に採用されない清正公 とにかく朝鮮半島に関わるとなぜか、日本にとってよくないことが起きる。天皇家も、戦国三英傑も維新十傑だろうと関係がない。誰より不幸になったのは朝鮮半島両国にとって「恨」の象徴的人物となった賤ヶ岳七本槍である。知る人ぞ知る日蓮宗で件の学界でも特別扱いされるが、なによりどこよりNHKの朝鮮半島への「忖度」から大河ドラマの主人公に抜擢できない裏事情を抱えた「加藤清正」であることは疑う余地がこれっぽっちもない。 それにしても今年の大河ドラマ『西郷どん』はよくない。 「西南戦争」に際して熊本鎮台こそが西郷軍の北上を阻んだ要衝であり、両軍の戦闘で熊本城の美しい外壁は大砲で穴だらけになった。熊本城内にはその当時の写真が残っている。少年時代、それを見ただけで涙がでそうになった。私の中に流れる肥後もっこすの血が勇敢に戦い傷ついた熊本城の姿に清正公を重ねて涙した。そして、戦後美しく修復され郷土の誇りとなってきた熊本城が震災で見るも無惨な姿になったという事実が震災被害の現実さえ凌駕する熊本県民共通の「喪失感」と「心の痛み」だ。 熊本県民が西郷や薩摩藩を快く思っていないのは父もそうだったからよく分かる。なにしろ九州で一番特殊な事情を抱えた藩であり、一時期は九州統一の一歩手前まで行ったが、羽柴秀長率いる織田家縁の征伐隊に敗れて以来、薩摩に封じ込められたのだから。  戦国時代、九州地方は大友、龍造寺、島津の抗争に翻弄(ほんろう)された。一段落付いて九州征伐での功績により、最初の領主となった佐々成正は検地をめぐって対立し、国人一揆を招いて秀吉から切腹に追い込まれた。かわって領主となったのが加藤清正だ。清正公の時代には先の「唐入り」における軍費捻出などで領民たちは苦しんだ。それでも、加藤家改易により細川家の長い統治時代を経てもなお、郷土の英雄として清正公を讃える気風が残った。熊本市にある加藤清正像 やはり薩摩隼人たちは西郷を敗走させた熊本を憎んでいる。島津封じのため、肥後に配された清正公を憎んでいる。震災にかこつけてまだ苦しめる気かと言いたくなる。西郷と加藤清正という因縁。大河ドラマでその活躍を讃えられる英傑と、朝鮮半島への忖度という事情で絶対に主人公になれないのが清正公である。 どの道、『西郷どん』の脚本家は西郷という人物の実像に迫る気はないだろう。山縣有朋が実際に引き起こした一大疑獄事件である「山城屋事件」にさえ触れるつもりがないだろう。汚職と女に走る元長州藩士たちに西郷たちがあきれ果て、江藤新平や後藤象二郎たち、薩長土肥の「長」以外が大久保を除き新政府から次第に除外されていった過程は、結局明治維新の目的が長州山口県をもって徳川家にとって変わる謀略だったという事実以外の何者でもない。現職の安倍総理も含め、総理経験者が異常に山口県という狭い地域に偏っているのがなによりの証拠だ。 かつて司馬遼太郎の『翔ぶが如く』が原作として採用されても、それが下敷きにさえならなかった。「明治維新は間違いだった」という容易に想像される西郷の言葉をかき消すためならば事実も真実も闇に葬る。それもこれも革命を正当化する手段で、左派の巣窟である日教組が「戦争反対」を唱えつつ、敗戦への道をひた走った大日本帝国の歴史を正当化する矛盾を騙(かた)り、戦後昭和天皇と今上天皇に頭を下げさせまくる事態にした。そんな現代において「維新の会」が赤色革命とは真逆の政治思想を持つのは皮肉としか言いようがない。矛盾だらけの西郷の評価 そもそも西郷のとった方針が日本をアジア唯一の「列強」にした。そして、最終的にその道が誤りだったと気付いても取り返しがつかない所まで行ってしまった。ただ、この国の列島国家を守るがために朝鮮半島、果ては満州国に到るまで緩衝地帯を積み上げた。中華思想に毒されて、どこもかしこも日本にしたかったからでなく、一度は退けた「列強」ロシアの脅威から少しでも遠ざかりたかったからだ。 西郷は幕末、実際に何度も死のうと試み、維新後、元勲と称して偉そうにしている連中を尻目に、あばら屋に書生だけを置いて一張羅裸同然で過ごしつつも向学心を欠かさず、郷里で「人を創る」ことに生涯を捧げようとした。そんな西郷の生き様を危険視し、「逆賊」として命を取らねば済まない状況に追い込んだのは明治政府だ。 西郷の持つ本当の魅力は上野の西郷像でしかイメージできない貧困な想像力だけでは表現しきれない。最大の士族反乱にして国内で発生した史上最後の「内戦」の指導者だった西郷。明治帝を愛し、明治帝に愛された「逆賊」である。無理に言葉にしてしまえば、矛盾だらけの存在が西郷である。 こうした西郷を今の日本人が真に評価できるだろうか。言葉や人物評が一人歩きして実像がぼやけ、それぞれの勝手なイメージだけが良くも悪くも勝手気ままに語られる。いい年こいた書生気質、多分に自分にもそういう資質があるがゆえに、私はいまだにこの人物への評価をくだせずにいる。永久に無理だろうと思う。 ある意味、『真田丸』は戦国武将の持つダークサイドやタブーさえも丹念かつ魅力的に描いていた。秀吉と家康という二人の英傑さえ翻弄した「謀将」真田安房守昌幸と、翻弄され続けた信繁(幸村)・信幸(信之)兄弟を描くことで「どんなチャンスでもものにして少しでも上にのし上がろうという野心」、「個人として武名を讃えられる生き様」、「家の存続のため、父や弟を敵に回す愚直さ」という三者三様の生き様を通じて戦国期における「家」の意味を脚本家、三谷幸喜が丹念に描ききっていた。その努力も空しく、『西郷どん』はキャストに左右されるだけのくだらない内容に終わるとみている。

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    慰安婦問題を解決したいなら、大阪に少女像を建立すればいい

    著者 司馬章   大阪市が米サンフランシスコ市との姉妹都市関係を解消する一件で、野田佳彦政権(当時民主党)の2012年4月に、石原慎太郎元東京都知事が明らかにした東京都による尖閣諸島購入計画を思い出した。 確かに今回の一件は「慰安婦問題」だが、自治体外交に関する議論がもっとあってもよいのではないだろうか。これは国家の根幹、地方自治のあり方に関わる、重大な議論のきっかけになり得るのではないだろうか。ましてや地方分権の先鋒(せんぽう)、大阪がその舞台である。 サンフランシスコ市に寄贈され、市有化された慰安婦像の碑文には、hundreds of thousands of women and girls, euphemistically called “Comfort Women,” who were sexually enslaved by the Japanese Imperial Armed Forces(婉曲(えんきょく)的に慰安婦と呼ばれた、日本帝国軍によって性的奴隷とされた数十万の女性と少女)Most of these women died during their wartime captivity.(この女性たちの大半は戦時下において捕らわれの身のまま亡くなった)といった記述が見られる。史実として確証のない一方的な記述を容認することはできない、というのは当然の見解だろう。2017年9月、米カリフォルニア州サンフランシスコで公開された旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像(AP=共同) しかし、これを主張していくことは、途方もない挑戦となる。「中身は詳しく知らないし、自分とは無関係だから別にそこまで興味はないけれど、人権に関する問題で、かつ第2次世界大戦の枢軸国の軍が絡んでいるのだから、取りあえず非難しておけば間違いないだろう」という世界の大多数の見方が国際世論を形成し、いくら証拠を用いて説明しようとも、およそ容易に覆せるものではない。 議論が表になればなるほど、わが国の国際的な立場は不利になる。「和して同ぜず」を基本姿勢としつつも、堪え忍ぶしかないこともあるだろう。「事なかれ主義」だという批判や「相手を利するだけだ」という見方も理解できるが、真正面から対峙(たいじ)する代償は大きい。慰安婦について述べた「日本帝国軍に拉致されて、強制的に性的奴隷にされた20万人」という、サンフランシスコ市議会の決議文の記述は到底容認できるものではないが、その言葉を否定し、訂正しようと試みれば、「右翼」「歴史修正主義」とみられてしまう。「私たちはこれを受け止める」 政治家としての信念や行動力は大事だが、外交や国際関係においては、時に妥協も必要だ。威勢のよいことばかり言っていては、国を滅ぼすことになりかねない。「政府の口ではよう言わんさかい、姉妹都市のウチが言うたろやないか」という義憤もあるのかもしれないが、吉村洋文大阪市長の判断は、地方行政としては少し行き過ぎた判断のようにも思われる。 11月24日、吉村市長は高校生の交換留学など民間交流事業への補助金支出を今後は行わない方針を明らかにした。市長や市議会代表団による行政間の交流もなくなる。実際には、姉妹都市関係の解消が直接的に大きな影響を及ぼすことはないかもしれない。しかし、サンフランシスコ市や米国をはじめとする諸外国の一般市民の目に、このニュースはどう映るだろうか。海外のメディアがその真意を的確に伝えられるとは思えない。むしろ私は、世界中の人々の「誤解」を助長し、いわれのない批判を受けることにつながってはいないか、と懸念する。 大阪は、今年9月末にマスターカードが発表した「2017年度急成長渡航先ランキング」で2年連続で首位を獲得した。また、2025年の万国博覧会誘致も進めており、外国人も快適に旅を楽しめる国際都市として、ますます伸びていくことが期待されている。そうした中でこの一件は、下手をすれば足かせになりかねないのではないだろうか。 とは言うものの、黙って指をくわえてみていればよかった、というつもりはない。この一件が「看過できない」ことには変わりないのだ。対案なしに批判することは、言論に対する無責任である。それでは、サンフランシスコ市による慰安婦像と碑文の市有化に対して、どのような対応が適切だろうか。アイデアを一つ述べたいと思う。 私が提案したいのは、大阪市が市内に「平和の少女像」を設置する、というものである。過去、とりわけ戦時下において、女性の人権が軽んじられ、またさまざまな形で時勢の犠牲があった事実について、誠実な「Never again」の精神を表明し、平和を祈念するための女性をかたどった像を建立する。「私たちはこれを認めない」とは言わず、「私たちはこれを受け止める」と述べてこそ、わが国の立場を明確に示すことができる。そこで「comfort women(慰安婦)」の語を用いることは否認しないが、「sex slave(性奴隷)」のような表現は断固として用いない。抗議がだめなら、自ら手本を示せばよい。いくら何でも、これに対して文句を言われることはないだろう。大阪市役所 必要なのは反論ではなく、積極的な堂々たる立論だ。それが歴史に対する責任を果たすということにつながるのではないだろうか。あえて孤軍奮闘に固執せず、戦略的な地盤形成に努めながら、来るべき時機を待つべきである。ピンチをチャンスに変えよ 少女像となれば、韓国の二番煎じとなってしまうが、この際何でもよかろう。むろん、この像をあえて外国の総領事館の前に建てるようなことはすべきではない。また、外国の具体的な過去の問題について碑文に記述する必要もない。韓国に対抗するような意図は持たず、粛々とわが国の立場を国際社会に対して主張すればよい。 わが国と韓国の間には確かに数多くの問題があるが、たまにけんかはするにせよ、なんだかんだ「腐れ縁」の幼なじみの友人ではないか。特に大阪は歴史的に在日韓国人が多く居住し、コリアタウンもあり、在日韓国人の文化は大阪文化の一端を担っていると言っても過言ではない。そうした寛容の姿勢をアピールすれば、大阪の国際的な地位の向上にもつながるだろう。 安倍晋三内閣は、成長戦略の一環として「すべての女性が輝く社会づくり」の推進を掲げている。そこで、これをわが国そして世界中の女性のエンパワーメントを高めるための事業の一環として位置付けてはどうだろうか。ただ過去を悲観するのではなく、明るい未来のため、その決意を祝福するような意味合いを込め、未来志向の日本の意思を内外に示し、国際社会において今後わが国がリーダーシップを発揮することにもつながる。 ピンチをチャンスに変えなければならない。それには多少のリスクテイクも必要だ。いつまでも批判を恐れて避けているようでは、後手に回るだけである。もしこの「平和の少女像」を設置するならば、ふさわしい場所が大阪市内のどこかにあるかもしれない。2017年11月、米サンフランシスコ市の慰安婦像の問題について、滞在先のパリで取材に応じる大阪市の吉村洋文市長(右)と大阪府の松井一郎知事(中央) そもそもサンフランシスコ市議会の決議文には、「現在2090万人もの人身取引の被害者が世界中におり、そのうちの55%は女性と少女である。強制労働や人身取引は世界中で1500億ドルの犯罪産業となっている。サンフランシスコもこの問題から免れず、港、空港、産業の発展や移民の増加という背景のもと、人身取引の目的地と考えられている」という部分もある。国際社会とともに市自身が問題を抱えているのだということを自ら発信し、「これらの被害について学び、教えることはサンフランシスコを始め世界中の国々で起きている現代の人身取引の流行を止める」ための自身の役割であると位置付けている。 自ら進んで「身を切る」問題提起をしてこそ、説得力を勝ち取ることができ、国際社会においてまともに議論をすることができるのではないだろうか。それには相当な覚悟が求められるだろう。

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    慰安婦問題、こうすれば解決できる

    慰安婦問題をめぐる日韓合意について、韓国外務省が「被害者の意見を十分集約しなかった」などと批判した検証結果を受け、文在寅大統領が「日韓合意では解決できない」と表明した。どうして韓国とはいつもこうなるのか。ここは一つ、大胆な解決策をiRONNAの読者から提案してみたい。

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    日本の最先端にある記念碑がとにかくヤバい!

    前田豊(ジャーナリスト)(iStock) 国土交通省の外局の一つである観光庁が音頭を取り、東京オリンピックが開催される3年後である2020年の数値目標に、訪日外国人旅行者数として4千万人、訪日外国人旅行消費額として8兆円を掲げ、わが国は国策の一つとして「観光立国」を目指しています。 そのせいか、首都圏から地方の隅々にまでハングル、簡体字、繁体字の併記された案内表示板や看板が溢(あふ)れることで私たち日本国民の生活が不便になったと感じたり、訪日外国人観光客にとっても「日本」を感じにくくなったりしているのではないかと考えるのは、私だけでしょうか。 2008年10月の観光庁発足以降、充実度に差があるものの、全国の自治体も観光情報の発信に力を入れています。 しかし、それら観光情報の中に、わが国の国益を損なう「碑」が含まれているのをご存じの方はそう多くはいらっしゃらないでしょう。 そこで本稿では、それらの中から特に問題となるものを取り上げ、皆さんに警鐘を鳴らしたいと思います。 今回取り上げる碑は、わが国の領土や、それに基づいて設定される領海、排他的経済水域を失うことに直結しかねないものであり、国として早急に対策を講じなければ手遅れとなると考えられる3つの碑です。 それらの碑を設置した自治体や外郭団体の公式データや、私からの問い合わせに寄せられた当該自治体からの回答などを根拠に、実態をご紹介します。 では、本論に入る前に、わが国の領土の東西南北の「端っこ」を確認しておきましょう。外務省のホームページにある通り、また、小中学校の授業でも学習した通り、わが国の領土の東西南北の「端っこ」は…。最東端:南鳥島    最西端:与那国島最南端:沖ノ鳥島   最北端:択捉島 しかし、これら4つのわが領土の「端っこ」のうち、最北端と最南端に関するわが国政府の公式見解を覆す碑が、国や地方自治体によって公金を使って設置されるだけでなく、観光地として情報発信されているのです。日本の「端っこ」はどこか? まずは、「日本最北端の地は択捉島である」とのわが国政府の公式見解を否定する碑として、北海道稚内市の宗谷岬に設置されている「日本最北端の地の碑」をご紹介します。 テレビの旅番組などで頻繁に紹介されている碑なので、日本国民の多くが一度は目にされたことがあると思うのですが、領土に対する意識が情けないまでに希薄な国民性もあり、「日本最北端の地」の七文字のプレートを含む写真を添え、観光名所「日本最北端の地の碑」として情報発信され続けています。 この碑の存在に幼いころから疑問を持っていた私は、数年前、この碑の存在はわが国が抱え続けている北方領土問題に対する自殺行為であると抗議すると同時に、この碑が設置された経緯と、稚内市職員の認識についての回答を求めました。 私からの質問に対して寄せられた稚内市からの回答メールの該当箇所を転載しますので、まずは、この碑が設置された経緯をご覧ください。 昭和36年7月、地元の郷土史愛好家が石柱を建てました。しかし、その石柱は正確な最北端の位置ではなかったため、昭和43年5月に移設、現在のようなコンクリート製のスタイルに建て替えられました。 その後、国道の拡幅により車窓から碑が見えにくくなったことや、駐車スペースを広げるために、昭和63年に20メートルほど沖合の、現在の位置に一回り大きく建て替えられております。 続いて、稚内市職員の認識についてご覧ください。 また、北方領土は日本固有の領土であると日本が主張しているのは承知しております。 ただ、ロシア側が実効支配しているのも現実でありますし、ビザなし交流が行われているとはいえ、民間人が自由に到達するのは難しい状況でもあります。 本市としては、通常の交通手段で到達可能な最北端としては、現在では宗谷岬になると考えております。 お互いに自国の領土と主張している問題が解決し、北方領土4島が日本の領土と正式に国際社会に認められた場合、択捉島が最北端になると考えられます。 ここに転載した稚内市職員の認識、皆さまはどう思われたでしょうか。 最初の段落の「日本が主張しているのは承知しております」に始まり、最終段落の「北方領土4島が日本の領土と正式に国際社会に認められた場合、択捉島が最北端になると考えられます」に至るまで、いったいどこの国の公務員なのかと、怒りを禁じ得ない内容ではないでしょうか。 実は、この碑が立っている宗谷岬ですら稚内市の最北の地ではなく、稚内市の最北の地は、宗谷岬の北西約1・2キロ沖合に位置する弁天島であることを補足しておきます。 これらのことを踏まえれば、稚内市が設置した「日本最北端の地の碑」のプレートにある「日本最北端の地」の7文字は、道内の納沙布岬に「本土最東端納沙布岬」と刻んだ碑を根室市が設置していることを倣(なら)い、一刻も早く「本土最北端の地」に改めるべきではないでしょうか。この甘さが身の破滅を招く 日露間で北方領土問題解決に向けての話し合いの場が持たれたとき、もし、この碑を証拠としてロシア側に提示され、「日本は、択捉島が自国の領土でないと認めているではないか」と主張されたとき、わが国の代表が言い逃れることはできないのではないでしょうか。 次に、「日本最南端の地は沖ノ鳥島である」とのわが国政府の公式見解を否定する碑として、沖縄県八重山郡竹富町に設置された2つの碑を紹介します。沖ノ鳥島の東小島=2002年5月、東京都小笠原村(植村光貴撮影) なお、沖ノ鳥島については中国や韓国が「排他的経済水域を設定できる島ではなく、岩にすぎない」と主張していることや、蔡英文政権で認識が改められるまでの馬英九政権時代の台湾も、中韓と同様の主張をしていたことを念頭に置いて、読み進めてください。 沖縄本島のさらに南に位置する八重山諸島に位置し、9つの有人島と7つの無人島からなる竹富町と言えば、6年前の「八重山教科書問題(編集注:沖縄県の石垣市と竹富町、与那国町の3市町で構成される八重山地区の中学校教科書の採択をめぐる問題)」が私たちの記憶に新しいことと思われます。 その竹富町の一番南に位置する島は波照間島であり、その一番南は高那崎(久成崎)と呼ばれる断崖絶壁なのですが、そこには「日本最南端之碑」に加え、「日本最南端平和の碑」が設置されています。 この碑の存在を私が知ったのは数年前なのですが、その直後、先ほど記した沖ノ鳥島に対する中国や韓国の主張を踏まえ、それらの碑の存在は新たな領土問題を生み出す自殺行為であると抗議すると同時に、この碑が設置された経緯と、竹富町職員の認識についての回答を求めました。 私が送った質問に対する竹富町からの回答メールの該当箇所を転載しますので、まずはこの碑が設置された経緯をご覧ください。 「日本最南端之碑」は、1970年、波照間島に旅行で訪れた学生が自費で建立したものです。 「日本最南端平和の碑」は、国の「コミュニティ・アイランド事業」を活用し、戦後50年を記念し竹富町が建立しました。 同時に、波照間島星空観測タワー、多目的広場「日本最南端の広場」と屋外ステージが整備されました。 自費で一旅行者にすぎない学生が「日本最南端之碑」を建立できてしまうだけでなく、それから半世紀近くたった今、その碑を竹富町が「観光スポット」として情報発信している現状には、目もあてられません。 しかし、より深刻なのは、平成4年度から5年度にかけ、2億1000万円以上もの多額の公金を投じて実施された、国の「コミュニティ・アイランド事業」によって設置された「日本最南端平和の碑」です。観光スポットに隠れた悪意 もし、中国や韓国から、これら2つの碑、特に公金を投じて設置された「日本最南端平和の碑」を物証として提示され、「日本は波照間島が最南端の地であると認めているではないか」と主張されたとき、わが国政府はどのような対応を取ることができるのでしょうか。 多額の公金が投入された同事業により、その内容詳細については事前に国と町によって精査されたはずであろうにもかかわらず、わが国最南端の地ではない波照間島において、「日本最南端」をうたう「日本最南端平和の碑」の建立や、多目的広場「日本最南端の広場」の整備がなされたことに、昨今の反日勢力の国内への浸透状況を考慮すれば、当時の国と町の担当者の背景を調べる必要があるとも言えるのではないでしょうか。 また、竹富町の回答には、波照間島を「日本最南端」とうたう理由として、次のように記されていました。 日本の東西南北の端で、一般人が居住しており、また公共の交通手段で渡れる場所は与那国島のみと認識しております。最北端は択捉島(北方領土)、最南端の沖ノ鳥島は無人島、最東端の南鳥島は関係機関の職員の方が居住されているようです。 町の概要にもございますが、波照間島は有人島で日本最南端という事でご理解いただきますようよろしくお願い申し上げます。 ご覧いただいて分かるように、稚内市にある「日本最北端の地の碑」の場合は「通常の交通手段で到達可能な最北端」、波照間島にある「日本最南端之碑」および「日本最南端平和の碑」の場合は「有人島で日本最南端」との条件が付けられてはいますが、碑に刻まれた文字から分かるように、そのような屁理屈がまかり通るとでも思っているのでしょうか。 国が国内経済の、地方自治体が地域経済の活性化を図るため、観光客を呼び込もうと取り組んでいることを一概に否定するわけではありませんが、冒頭にも記したように、ハングル・簡体字・繁体字の併記された案内表示板や看板が国内隅々にまで溢(あふ)れることで、私たち日本国民の生活が不便になったり、外国人観光客が日本を感じにくくなったりしている実態があることを皆さまにご理解いただきたいと思います。(iStock) また、公金を投じて整備された「観光スポット」の中には、稚内市や竹富町の事例で見たように、まるで反日勢力による工作活動とも考えることのできるものが存在することを皆さまにご紹介させていただきました。 私たちも身の回りに目を光らせ、国益を損なうおそれのあるものを見つけたときには、芽の小さいうちに私たち自身の手で摘み取る努力をし、手に負えないような案件であれば、国会議員や地方議員に適切な対応を取るように働きかけ、「自分の国は自分で守る」毎日をお過ごしいただきたいと思います。

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    津久井やまゆり園事件、「障害者差別」当事者からの悲痛な叫び

    著者 H・N おじむ(和歌山県) 差別にもいろいろあって、人種差別、男女差別、身分差別、階級差別、地域差別、職業差別、学歴差別など細かい分類は数知れず、それぞれに解決困難な課題を含んでいます。しかし、将来的に解消することが不可能とまではいえない、多少の希望くらいは持てる事柄です。(iStock) 大抵の差別意識は、「同族意識」の反作用として起こります。「われわれ」に所属しない者に対する拒絶から派生するものなので「仲間である」と認識さえできれば、ひとまずは解決の扉が開きます。 ところが、数ある差別の中でも障害者差別にはその希望すら持つことが難しいと感じています。なぜならば、障害者差別は同族意識の反作用ではないからです。親ですらわが子を見捨てることが珍しくないのです。むしろ仲間内にこそ強力に排除する力が働いてしまうのです。イザナギ・イザナミの初子「ヒルコ」のように。 もちろん表面的には解消されたかのように取り繕う努力がなされてきましたし、これからもさまざまに啓蒙(けいもう)され、対策もとられるでしょう。 しかしながら、どうにも排除することのかなわない溝があります。「健全でありたい」誰しもが至極当たり前に求める、何の悪意もない単純な願いが、ただそれだけの気持ちが、もうどうしようもなく障害者との間に一線を引いてしまうのです。 「私は違う!」という人も大勢います。その言葉を否定することはできません。しかし、疑いは消せないのです。心底ではどうなのやらと。非難など決していたしません。健やかであることを願ってはいけない理由があるものでしょうか。 かくいう私も障害者としてこの世に生を授かりました。幸い乳児のうちに手術を受けましたので、日常生活になんの支障もありません。ですが今も残る傷跡と変形は、やはり多少目立ちます。見る人が見ればわかるもので、いくどとなく不愉快な思いをしました。 「やっぱりお前は普通の人間やない」と面と向かって言われたことすらあります。しかも担任の教師に。昔はそんな言葉を平気で投げつける人がごろごろいたのです。障害者とは何か。健常者とは何か。どんな必然がこの2種類の生き物の存在を許しているのか。あるいは偶然に生じた許されざる異物であるのか。 その答えを求めずにはいられませんでしたが、中学生だった私には過大な難問でした。図書館へ行き、差別に関する書物を読んでみましたが、結局のところ「差別はいけません!」と人権を振りかざしているに過ぎませんでした。私の求める答えを提示してくれる書籍は皆無でした。私が求めたのは世間の暖かいまなざしではなく、完全無欠の「自己肯定」だったからです。妖怪人間ベムの衝撃 答えを出せないまま数年がたち、翌年に成人式を控えていたある日、昼食をとるため立ち寄った喫茶店でアイスコーヒーとオムライスを注文し、週刊誌を読んでいました。店内に流れるラジオのリクエスト曲として、懐かしいアニメソングが流れてきました。アニメ「妖怪人間ベム」のハニー・ナイツが歌う主題歌でした。(iStock) 「あぁ懐かしいな、子供のころよく見ていたな」と軽く聞き流しておりましたが、次の一瞬、聴き慣れたはずのフレーズが、偽装兵よろしく耳に突撃してきたのです。 「早く人間になりたぁ~い!」 心に響き渡るのは黎明(れいめい)の咆哮(ほうこう)でした。「そうか!彼らが人間に成りたがるのは、人間ではないからだ。人間にはなれないと悟っているから、人間に恋い焦がれ、渇望し、悲哀に暮れるのだ。人が健康を求め、健全でありたいと願うのは人そのものが障害者だからだ!」。大図書館で見つからなかった答えが、街角の喫茶店に漂っていました。 アイスコーヒーをストローで飲みながら、ニコニコと涙を流している姿は、さぞかし気味が悪かっただろうと思います。会計の際にアルバイトのかわいらしい女の子の顔が引きつっていたのを覚えています。 その日から私は人間観察に没頭しました。あの人はやけに怒りっぽいな、感情の制御に不具合が生じているな、障害者決定。あいつはギャンブルにはまって生活が破綻しているな、障害者決定。刑務所に入るような連中は、まとめて障害者決定。 人は必ず死ぬ、年老いて体が衰えて意識も定かではなくなって呼吸さえ止まる。老化現象から逃れられる人など存在しない。健常者など実在しないのだ、頭の中だけの空想の産物だ。 誰の賛同も承認も必要ありません。私の真理です。障害者差別は同族意識の反作用ではなく、同族嫌悪の成れの果てでした。 「ワシは悪くないやろ?お前らが勝手に勘違いしとるだけやがな」と天から声が聞こえてくるようです。自己肯定を完了して成人の日を迎えることのできる、わが身の幸運に感謝しました。ときに不愉快な出来事は起こりますが、惨めさはみじんもありません。「お気づきではないでしょうが、あなたも立派な障害者ですよ」と心の中でそっと教えて差し上げています。 去る平成28年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」にて前代未聞の大量殺人事件が発生しました。死者19人、負傷者26人という惨劇を引き起こした犯人は、同施設元職員の26歳の男性で、彼もまた精神を病んでいたようです。 「障害者は不要な存在だ、この世からいなくなってしまえばよい」という趣旨の発言を繰り返しているそうです。はらわたをえぐられるような思いで、その報道を見ていました。事件に衝撃を受けて 彼が本気で正義の執行だと信じて行った所業であるのか、それとも自己否定をこじらせた末の破壊衝動を理由付けするために障害者を利用したのかは、彼のみが知るところでしょう。献花台が設けられた「津久井やまゆり園」正門で目頭を押さえる女性=2016年8月、相模原市(三尾郁恵撮影) いずれにせよ彼の主張が正しいとしたなら、人類そのものを抹殺しなければなりません。障害者がこの世に存在しているという事実が、人類の存在を肯定している、たった一つの証しであるというのに、人のなんたるかを指し示す根源の指標であるというのに。彼は自らの存在理由を、存在意義を、存在価値を、真っ向から否定してしまったのです。 1859年にイギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィンによって『種の起源』が出版されました。彼の提唱した「自然選択による進化」の概念は、彼のいとこフランシス・ゴルトンをして「優生学」を構築するに至りました。彼は、社会的弱者には遺伝的欠陥があり、その生存および生殖の継続を社会が容認することは、人類に対して本来起こるべき自然淘汰(とうた)をゆがめ、進化を妨げていると主張しました。現在においても「進化」に関して、見解の統一はなされておらず、外的誘因、内的原因、偶発的要因、さまざまに入り乱れた複雑系であろうと思われます。 ダーウィンの進化論は、遺伝子の分子的な理解もない時代の理論ですので「進化」の「とある一面」を示唆したに過ぎません。例えるなら、幼児教育に用いる「積み木ブロック」のレベルです。 ゴルトンの誤りは、「生物種の環境適応」と「社会の繁栄」とを混同してしまったことです。しかし彼と同じように完璧であることを夢見た者たちによって「優生思想」は世界中に広がりを見せました。家畜と同様に人類にも品種改良が必要と唱える者たちさえ現れました。 最も過激な事例としてアドルフ・ヒトラー率いる「国家社会主義ドイツ労働者党」通称ナチス・ドイツが行った「T4作戦(障害者抹殺)」および「ホロコースト(ユダヤ人虐殺)」があります。ヒトラーの主張は、「アーリア系ドイツ民族こそが最も優秀な民族であり、支配者として純血を保持し、劣化の原因となる劣等分子は駆逐しなければならない」というものです。私の感覚からすると、病的な強迫観念を持つ人物の発想に思えるのですが、皆さんはどう思いますか。 社会の繁栄をなし遂げて維持しようと欲するのであれば、まずはその社会が信用と信頼とで満たされて、好循環を醸成するように「利他」の精神を養うものでなければ、到底実現できるものではないでしょう。 しかし、選民思想は「利己」を根源として咲くあだ花なので、逆行こそすれ繁栄の礎となり得る道理がないのです。白熱した身を幾度も打たれて、鋼は強靭(きょうじん)さを備えるのです。病理がはびこる世の中 沈没しかけた船から荷物を投げ捨てるのは、取り返しの付かない過ちを重ねた結果です。彼らは強くなりたいと願っておきながら、実には脆弱(ぜいじゃく)化の方策を実践してしまったのです。道理を踏み外したその結果は、万人の周知とするところです。不完全であるからこそ求める動機が発生し、前進する意思が働くのです。不完全であることこそが人にとって価値のある要素であると、私は考えます。(iStock) 第二次世界大戦の後も、優生思想に基づく「優生政策」は、小規模ではありましたが継続されていました。日本においても「優生保護法」が平成9年まで存続し、法改正により「母体保護法」となりました。この法律に関しても賛否両論ありますが、現在の社会の現状にあっては、女性の意思決定権を私は優先的に支持したいと考えています。 手あたり次第に試行錯誤する進化の中で人は生まれ、貧弱な体躯(たいく)で過酷な環境を生き延び、子孫を残すために悩みに悩んで、やがてその溝の中に「哲学の素」を見い出しました。さまざまな不可思議を不可思議であると認識し、答えを求め続け、ある時は真理を垣間見て、ある時は止めどなく迷走し、知識を積み重ね随分と便利な暮らしを人類は手に入れましたが、捕食者におびえ暗がりに隠れ住み、小枝から小枝へと逃げ回っていた頃の臆病で卑屈な性質を、どれ程までに克服することができているのでしょうか。 人類の英知が越えていかなければならないいくつもの課題のうち、最も克服しがたいのは己の正体を達観することだと考えています。  簡単にいえば、自分が不完全の出来損ないであるとは、おいそれと容認のできるものではありません。社会的地位の高く、あるいは経済的に豊かな、はたまた己の努力と成果を自負する者にはたわ言でありましょう。いかにもその功績は素晴らしいものであることに、全く異論の余地はありませんが、私の価値観においては、ものすごく頑張った「障害者」が手にした栄光であって、「健常者」だから成し遂げられたものではないと考えています。 思い通りにならない人生を誰かのせいにしたがるのが人の常であります。向上心の裏側で、あいつよりマシだと安堵(あんど)するのが人の性(さが)であります。誰かを見下すことで自己の優位性を誇示しようと計らうのが人の愚かさでしょう。悪癖は容易に治らないから悪癖と呼ばれます。 しかしながら、昔に比べれば随分と改善されてきたのも事実でしょう。個々の人の認識に今昔の目覚ましい違いは感じませんが、少なくとも日本社会全体の流れとしてはマシな方向に進んで来たと考えます。「集合知の歩み」と表現したくなります。  ぜいたくをいわせていただけるなら、できればもう少し速く歩いてもらえると有り難いのですよ。人の寿命は結構短いのです。 返す返すも口惜しい事件です。いっそのこと忘れてしまいたいくらいです。しかしながら、忘却は過ちによって犠牲になられた方々に対する冒瀆(ぼうとく)でしょう。彼の主張、彼の衝動は、彼1人の特異なものではないからです。悲痛な祈りは届くのか? 拡散され希釈されて、日常の表には現れないかすかなよどみを、私は肌で感じながら生活してきました。何の因果因縁かは知りませんが、たまたま彼を核として凝集してしまったのでしょう。口にしづらい、話題にしづらい事柄ではありますが、せめて義務教育の現場においては、主要なテーマとして思索を深めていただきたいものであります。 これはあくまでも私の個人的な肌感覚なのですが、子供の純粋であるがゆえの残酷で幼稚な理性では、障害者に対する悪感情を制御することは難しいでしょう。私が「インクルーシブ教育」に半信半疑である理由であります。(iStock) 子供は大人の顔色を瞬時にくみ取ります。障害者をサポートしている職員が少しでも困ったそぶりを見せると、それが「障害者は負担」だとする印象につながりかねません。また、各家庭での会話の中で何気なしに言った言葉を、子供は意外な程にピックアップしているもので、それが障害者に否定的なものであれば、深く思慮することのないまま学校に持ち込んでくるものです。 児童期にそのように刷り込まれると、長期間にわたって修正困難であるように思います。社会正義などの「公共性」の概念が理解できる年齢、せめて中等教育以降に適用する方が望ましいと考えます。準備不足の危険性を軽視すべきではないと思います。 うかつに子供を神聖視すると、そのつけが障害を持つ児童に無慈悲な打撃となるかもしれません。教育現場において、一つや二つの成功体験を一般化してしまうのは早計に過ぎるかと思います。千差万別、全てがオーダーメードであろうと考えています。それを担うことのできるプロフェッショナルが、どの程度に拡充しているのでしょうか。無理難題を押し付けられる現場の教職員の方々も、また気の毒なのです。 障害者に無条件で優しくしろとか、過剰な好待遇をせよとか、そんなばかげた主張に、私は一切の賛同をしません。相手に不愉快な思いをさせて己は愉快な気分に浸りたいなどとは笑止千万の極みなのです。自らを惨めな存在におとしめてどうするのでしょうか、対等である以上の喜びを私は知らないのです。それぞれの場所、それぞれの立場で、持たざる者の意地を張り倒すしかないのだと思います。 私のささやかな願いは、厚生労働省の公式見解として「健常者」という概念を否定していただけないかと思うのです。「障害者と健常者が共に」などと表現しているのが、まるで別の生き物を共生させようと苦心惨憺(さんたん)するサファリパークの運営会社の思惑のようで、胸くそが悪いのです。「健常者」を廃止し「軽微障害者」と再設定していただいて「普通障害者と軽微障害者が共に」であれば、溝も随分と狭くなるかと思うのです。 だからといって障害者差別がなくなるものでもないと考えています。障害者同士の間でさえ差別意識はあるのですから、人の業の深さは計り知れないのですよ。楽園から追放されたその時から、人は皆「神様規格」から外れた「わけあり物件」です。願わくば相互理解の遍(あまね)く広がりますようにとつぶやいてみるのですが、底辺貧乏無神論者の祈りは誰に届くのでしょうか。

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    渋谷暴動事件、大坂正明が戦うべき「真の敵」は誰だったか

    著者 永井文治朗 大坂正明容疑者が逮捕、起訴された。1971年に起きた渋谷暴動事件で警察官を殺害し、その後46年間逃げ回ったという。72年生まれの私の記憶にあるのは、交番前に貼られたポスターの人物である。物心ついたときには事件から10年経っており、例の手配写真をみて、「こんなに時間が経っていて捕まるのか」というのが率直な印象だった。大坂正明容疑者の情報提供を呼び掛けるポスター=5月23日、共同通信 そもそも私の世代は左翼活動家や「プロ市民」でもない限り、警官隊とやり合うような時代に生きていない。街中で暴れてまで通すべき主張があるとは思えないし、完璧で正しいイデオロギーなんてないのが本音である。けれども「国民主権」と「民主主義」こそが正しいと信じており、良きにつけ悪しきにつけ、国民が選んだものと国民が支持する考えを尊重すべきだと思っている。その上で「言論の自由」は最も尊重されるべきだと考える。 しかし、60~70年代に活動家だった人たちは自分の世代についてどのように考えているのだろう。私の母は44年、父は終戦の年に生まれている。父は集団就職で熊本から大阪のパン製造会社に勤めた後、上京して飲料メーカーに再就職した。伯父はその会社の重役まで務めたが、父は出世もおぼつかないまま退社し、鬼籍に入った。 大坂被告は両親よりも一回り下の世代である。つまり、団塊の世代だが、同時代に勉学そっちのけで学生運動にハマっていた連中について、大学出の伯父は理解していたようだが、父はあからさまに憎んでいたのを覚えている。父は向学心もあったが、家庭の事情で大学進学を断念させられたらしい。はっきり言えば、伯父が進学したので弟である父は我慢させられたのである。「損な役回り」世代 父のような存在は、活動家たちに言わせれば明らかにプロレタリアート(労働者階級)だ。活動家たちと近い世代や同世代の労働者に対してさえ、共感が広がらなかった活動に何の意味があったのだろう。そして、同い年の巡査をリンチ殺人したことへの反省はあるのだろうか。ガソリンにまみれて倒れた相手に火炎瓶を投げつけて焼死させたという行為は、山岳キャンプで凄惨(せいさん)なリンチ事件を起こした日本赤軍の連中となんら変わらない。残虐非道であり、自らの持つ暴力性に政治思想をこじつけただけである。1971年(昭和46年)11月14日に発生し、火炎瓶が飛び交った渋谷暴動事件=東京都渋谷区 客観的に見て、これほどバカげた話はないと思う。60~70年代は大学どころか、家庭の事情で高校進学さえもできない人たちが多かったと聞く。NHKの連続テレビ小説『ひよっこ』で有村架純演じるヒロイン、谷田部みね子とその仲間たちのようにやむにやまれぬ事情で上京し、当たり前のように故郷の家族に仕送りをし、不景気で勤務先が倒産という憂き目に遭うなど、散々な思いをしながら高度経済成長を下から支えていた世代である。 学歴偏重社会に生まれ、就職超氷河期を体験させられ、個性をとことん無視された私は今も一人で病身と戦い続けている。社会の矛盾に対し、「報復」をしても許されるとも思う。けれども、私たちは自制し、自己批判をし、あらゆる物事に懐疑的かつ慎重な態度を取る。そして、青田買い世代を上に、サカキバラ世代やゆとり世代を下に抱え、貧困の再生産と呼ばれる状況と世代間の隔絶。あるいは世代間冷戦の調停役として社会の矛盾、世代間の矛盾の間に立って耐えている。学歴社会で両親の果たせなかった夢を負わされ、ファミコン世代として将来訪れるデジタル社会の先駆けとなり、それが当然のものと考えて聞く耳を持たない世代をなだめる「損な役回り」だ。共産主義の幻影 1989年、ベルリンの壁崩壊を18歳で目の当たりにしたとき、「今まで共産主義を信奉していた人間は公の場で謝罪し、断筆しろ」と激しい怒りを感じた。いまだに共産主義の幻影とともにあり、暴力革命の方針を捨てず、慰安婦問題という「一大ファンタジー」を信じている人たちや組織とは何なのだろうと思う。彼らに言わせると大坂正明は権力に屈せず戦い抜いた「闘士」なのだろうか。渋谷暴動事件で殉職した新潟県警の中村恒雄警部補の慰霊碑=6月6日午後、東京都渋谷区(春名中撮影) いや、そんな風には到底思えない。職務のため命を張った警察官こそが英雄であり、21歳の若さで命を落とした巡査と彼の家族を同情するばかりである。大坂正明は分別のつく年齢になっても、罪を償えなかった小さな人間としか思えない。とはいえ、でき得るなら彼にはそうでないと否定してほしい。一日も早く、自らの言葉で反省でも後悔でも居直りでも開き直りでも、その心の内にあるものを口にしてほしい。私はその言葉には誠実に向き合いたい。 ただ、この殺人犯を半世紀近く逃げ回らせた日本の公安警察にも不信感を抱く。米国の「赤狩り」により左翼活動家を追い回すことで下級戦犯を免除された元特高警察たちは「狡兎死して走狗烹らる」(役割を終えた必要悪はいずれ社会によって裁かれる)ことへの不安、職務への後ろめたさからあえて見逃したのではないかとも疑う。そもそも左翼活動家に言質を与えたのは、戦前の特高警察だと言っても過言ではない。前述のように「言論の自由を最も尊い」と考える私は、特高警察こそが先の大戦のA級戦犯だったと思っている。そして、罪のない国民の命がカルト教団の思想で危機にさらされたオウム事件の時ですら、彼らは何の役にも立たなかった。それでいていまだ秘密主義やら独自捜査の権限を持つ。大坂さん、貴方が本当に火だるまにすべきだった相手は一巡査ではなく、彼らだったのではないですか? 時代の変遷により、いつしかなれ合いの関係に陥っていたことも、大坂正明の逃亡を後押ししていたのではないかと大いに危惧する。

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    選挙で投票しても政治が変わらない本当の理由

    竹井隆人(政治学者) 私は幾度か公言したことがあるが、これまで国会、地方議会を問わず代議員選挙の投票に出向いたことがない。そういう私を「政治学者と名乗っていながらとんでもないやつだ」と非難する方もいよう。しかし、このたびの衆院選では、選挙前後に所属政党や主張を平然と変える候補者が続出する様を見て、投票行為をばからしく思い、私の態度に内心では首肯される方も多いのではないだろうか。 私は争点がゴチャ混ぜとなっているにもかかわらず、表面上は祭典のように盛り上がる選挙戦に、いかほどの意味も見い出せないでいるが、今回の衆院選はいつにも増して無意味さやバカ騒ぎ度が際立ったように思う。 しかし、それでもなお、今回のドタバタ劇の選挙戦で投票などどうでもよいと思ったことに、後ろめたさを覚えるまじめな方もいよう。そこで、そういう方を安心させる?ためにも投票などは「政治」に関係なく、それどころか、それがむしろ真の「政治」というものをゆがめていることを論じてみよう。 選挙戦になると投票を促す「あなたの1票で政治が変わる」という呼び掛けがエスカレートするが、「変わる」のは候補者自身の当落ぐらいのもので、まず「政治が変わる」ことなどないだろう。 そもそも、その票の積み上げによる「政治」は民意を本当に反映しているのだろうか。例えば、今回の選挙では、政権与党が総議席の7割近くを獲得し、議席数としては「圧勝」した。また、第1党となった自民党の得票率は約48%で、連立与党を組む公明党と合わせると総得票数が過半に達するので、与党は十分に民意を得たように思えるかもしれない。 だが、今回の投票率は前回に引き続き低調で約53%であったことを加味すると「与党圧勝=過半数支持」という表面的な結果はだいぶ様変わりするはずだ。各政党の得票数を、全得票数でなく、投票していない有権者も含めた全有権者数で割った数値を「絶対得票率」というが、その「絶対得票率」をみると、自民党は小選挙区で有権者全体の2割台(0・53×0・48≒25%)の支持しか得られていない計算になる。比例代表だと自民党の得票率は約33%、「絶対得票率」は2割弱(0・53×0・33≒16%)にまで落ち込むのだ。2005年9月、当選者の名前の上にバラをつける小泉純一郎首相(当時)。郵政選挙で自民党は大勝した 以上の実態を私は「2割デモクラシー」と名付けているが、この現象は何も今回の選挙のみに当てはまるのではない。自民党が記録的大勝を挙げた2005年の「郵政解散選挙」だろうが、民主党が政権を奪取し「革命」などと持ち上げられた2009年の「政権交代選挙」だろうが、第1党の「絶対得票率」は2割台にとどまっている。投票はあくまで義務でなく権利 そして、今回の投票率に白票などの無効票が約3%を占めていることからすれば、実は全有権者の過半数((1-(0・53))+0・03≒0・5)が投票していないか、無効票を投じていることがみてとれる。民意は与党を選んだのではなく、投票などどうでもよいという態度だったのだ。ただし、私はこれを論拠に与党批判、あるいは野党礼賛をしたいわけでは全くないことを念のため断っておく。 では、投票などどうでもよいというのが「真の民意」だったとすると、「投票に行きましょう」という、いささか強迫じみた呼び掛けは問題ではないだろうか。この呼びかけに応じて投票してしまう(気弱な)人々には誤解があるようだが、そもそも投票はいわゆる「国民の義務」にはカウントされていない。投票が義務でなく何かといえば、それは「政治」の主役となるデモクラシーを具現化するために人々が政治参加する権利、「参政権」の一つである。 つまり、投票は人々にとって義務でなく権利なのだ。権利のうちの一つでしかない投票が義務と誤認されてしまうと、「政治」に対する参政権という権利には多くの意味合いや手段が含まれているにも関わらず、投票だけが「政治」に対する権利行使の唯一の機会と認識されかねない。 2017年10月22日、雨の中、衆院選投票所を訪れた有権者 また、権利とは自らの意思で行使するかどうかを決めるものだが、それを義務と認識してしまうと、自らの意思に何らかの強制力が働いてしまう。つまり自主性をもった「政治」たるデモクラシーから乖離(かいり)していく。 それに加えて、ある為政者を持ち上げたと思えば、今度はその為政者の難点を探り当てて失墜させるという「マッチポンプ」にマスコミが興じ、それに世間や専門家も流されている。それもこれも含め、投票を通じた他者(為政者)の信任という他律性が、現代の「政治」の前提となってしまっている。「政治」が基軸とするデモクラシーとは本来人々がその主役であるはずだが、投票は人々が自ら確かに社会を担い、統治の主体たることの自覚を阻んでしまう。 「政治」とは複数の人間から構成される社会における、集団的意思決定そのものであると私は定義している。これは国家だろうが、地方公共団体だろうが、地域社会だろうが、家庭だろうが同じことだ。特に国家や地方公共団体の「政治」では、人々自らが為政者となるデモクラシーが制度化されている。デモクラシーというからには自らが「政治」の責任を取らねばならない。「政治」の欺瞞性に背を向けろ 私はこれまで、人々の主体性に基づくデモクラシーを目指すために、「まち」に政府を設立する「究極の地方分権」を促し、人々自らが「政治」に直接関与する方策を主張してきた(拙著『デモクラシーをまちづくりから始めよう』(平凡社)などを参照)。「2割デモクラシー」が黙殺され、人々の投票が促され、投票のセレモニー性が強調されることで、人々は他律性を前提とする「政治」の欺瞞(ぎまん)性を受け入れてしまっているが、それに背を向けなければ、自律性を伴った「真のデモクラシー」が実現することはないと考えるのだ。 しかし、そんなのは理想論であって、絵空事だという向きもあろう。そして、「まち」の直接民主政など、人々に「政治」を強制するのは自由の侵害だなどと反論してくる方がいるものだ。しかし、そうした言い訳をもって参政権という権利を半ば放棄するならば、そして数年に1度あるかないかの選挙で投票し、誰かを最高為政者として待望するだけで満足してしまうだけならば、それはデモクラシーと対極にあるとされる君主政や貴族政と何が違うのだろうか。むしろ、他者に「政治」を任せるという他律性の点では同質であり、それはデモクラシーという名の貴族政にすぎないのではあるまいか。 そして私の主張が現実になりつつある情勢もある。地方自治体によっては代議員のなり手不足から「町村総会」が議論されたこともあった(高知県大川村)。代議員による議会を置かずに全町村民による総会を開いて「政治」をしていこうという動きだ。このような直接民主政は、代議員が介在することで可能なはずの冷静で客観的な政治的判断が阻害されると問題視されてきたが、現実の間接民主政での政治的判断では、しばしば偏向したマスメディアや、官僚主導によるごまかしに振り回されていることは一向に考慮されていない。高知県大川村議会=2017年6月(共同) 私のいう「まち」のデモクラシーも、「町村総会」で議論されたように、総会は皆が出席しやすい夜間や週末の開催を原則とすればよい。まさに、分譲マンションの管理組合のように、である。そして、この「まち」を基礎自治体とする直接民主政を敷き、「まち」でできない課題については、より大きい社会、つまり地方公共団体や国家という既存の間接民主政に任せればよい、というのが私の持論である。さすれば人々の手に「政治」は宿り、現状の他律性によるデモクラシーとは決別できるはずなのだ。

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    「慰安婦像設置」サンフランシスコを非難する日本への違和感

    著者 KEIKO サンフランシスコが反日拠点だといったコメントを耳にした。こういった偏った不用意な発言は私たちを戦争へと近づけていくのではないだろうか。  斬新な解説をするコメンテーターの言うことは時にはワクワクする。だが、政治的にその人がどういうスタンスをとっていて、その弁明によって何を目指しているのかを確認する必要も聞き手やプロデューサー側には求められる。「この人は詳しそう」というおぼろげな感覚だけで一つの意見を鵜呑みにしないという手続きは情報が交錯する時代には誰もが心得ておかなければいけないことだと思う。  過去の大きな戦争の流れをたどっていけば、必ずどこかに個人レベルでの衝突があり、それを感情的に煽る力と無言のまま支援する力が加わって大きな論争に発展しているものだ。  ましてや一個人のコメントが瞬時に何万人、何十万人、時には何百万人へと配信され、しかもその言動が記録され、好き勝手に切り取られて簡単に独り歩きしていってしまうような時代。一つ一つの発信に発信者自身もそのパワーと責任を感じ取り、慎重に選んだ言霊(ことだま)を乗せて欲しい。他人が発信した情報をシェアする人もそうだ。  あらゆることに意識を張り巡らせた解説でない限りそれはニュース報道ではなく、感情的な主観による人寄せの詭弁となる危険性がある。米大統領選を大きく動かしたといわれるいわゆるフェイクニュースは少人数の偏った目標を掲げた者たちによって発信されたが、事実確認をしないままシェア拡散する大衆の無意識の協力により大きな効果をもつこととなった。フェイクニュースの発信者はそれが簡単に可能であることを先読みしていたのだ。  本来なら世界中の人と人がつながり合い平和で楽しい世界を作るために情報交換をしていく土台であるべきインターネットが人を傷つけたり、みんなで集まっていじめたり、はたまた自殺幇助(ほうじょ)の温床となってしまうのはなんとも悲しいことだ。 サンフランシスコはカリフォルニア州をはじめとするアメリカのどの州にも先駆けて同性愛者同士の婚姻を許可した地方都市(郡でもある)だ。性や人種を超えて人権を尊重するということにかけては第一線で理想の旗を掲げている街。  有色人種も多く、アジア人だけではなく世界中からの外国人が多く住んでいるいわゆるメルティングポット(人種のるつぼ)だ。世界中の住んでみたい街のトップに必ずランキングされる理由は決して外観の美しさや、まるで空調で整えたかのような湿度と温度がほぼ一年中楽しめる気候だという事実以外に、メルティンポットだからこそのユートピアが見え隠れする街だからだ。  人口の84・5%である34・5万人が民主党に登録しており(選挙は登録制)、ジョージ・W・ブッシュ大統領はその8年間の就任期間に一歩も足を踏み入れなかったというくらい、民主党の勢力が強い都市であることは有名である。ジョージ・W・ブッシュ元大統領 日本では民主党のオバマ大統領がブッシュ大統領ほどの人気がなかったと知ってショックを受けるアメリカ人は少なくないだろう。日本政府とアメリカ共和党との強いつながりの理由はおそらく「保守」対「リベラル」のくくりの意識が導き出している中身の釣り合わない国家間友情なのだろう。保守だから自民党はアメリカの共和党と仲良くなる、逆にアメリカ側も民主党は日本の自民党とは距離を置こうという判断なのかもしれない。米国で感情を軽んじられる日本人 今回の衆院選において保守・リベラルの定義・区分そのものが混乱をきたしていたように、米国二大政党との関わり方を決定する土台となっているなら、その振り分け自体に相当の無理があるのではないかと思う。アメリカでも近年の共和党は昔の共和党とは質を異にするという人が多い。 それぞれの国に存在する各党の目指す方向性や性質は時代と世界情勢、内政の趨勢によりどんどん変わっていくのが当然である。イチかゼロの二進法でくくるべき事柄ではなく限りなくアナログで流動的な解釈やその時々に相応の対応は国を預かる者には必須条件であるはずだ。  昨年の大統領選でも明らかになったように、アメリカではいわゆる先進の都市部(海外との貿易・提携・折衝の多い地域、ITなど先進技術が発達している地域)に主に民主党支持者が多く、米国の内陸部の州であまり外国との交易がなく石炭採掘など今後温存が難しくなってきた伝統産業に頼っている地域などに共和党支持者が多いと一般的にはいわれている。 もちろん、シリコンバレーやサンフランシスコのような都市部でも一部富裕層には個人の利を重視し、共和党を支持する人たちはいるのだが、共和党支持者と民主党支持者のデモグラフィクスをみると、一般的には教育レベルや経済的格差というものも浮き彫りになってきている。 安倍総理は共和党推薦のトランプが大統領に選出されると、就任前だというのに訪米し「日本ここにありき」とばかりにまだ一般市民であるはずのトランプを無条件で祝福した。就任したトランプ大統領は個人の利益や感情をあからさまに最優先する稚拙で横暴な外交を進めようとし、他国首脳・代表から牽制され批難されるまっただ中、安倍首相は「友」を名乗りトランプ大統領のフロリダの個人資産である別荘で手厚いゴルフ三昧接待を受けた。今回のトランプ大統領来日でもトランプ大統領のご機嫌伺いに終始したことはアメリカでも報道されている。その一部始終をアメリカ国民は見守ってきた。トランプ米大統領(右)と握手する安倍晋三首相=2017年2月(共同) そういった安倍政権の方法論が世界の一国としての日本の緻密に考え抜かれた対米外交戦略であり、うまく米国を手の平で転がし国益を守り、世界全体の和平や潤滑で公平な経済へと導くようなことであれば海外からの見方も異なるはず。少なくとも日本人としては国益につながることを期待するのは当然である。 本来であればシリコンバレーやサンフランシスコ市内で展開するIT産業でゆるぎない存在価値のある経済日本のはずが、今回のようにまったく発言力がなく日本人の感情など容易に軽んじられてしまったのは、日本が自らの立ち位置を作ってしまっているというその証しなのではないだろうか。  今、アメリカはセクシャル・ハラスメントと性的虐待関連の摘発・告発でとんでもない事態になっている。女性が台頭しているアメリカで今頃?と驚く声も聴こえてくるが、1991年のクラランス・トーマス最高裁判事候補に対するセクハラ問題の議会での公聴会の様子は記憶に新しい。この問題を真剣に考えてきた者にとってはこのアメリカで目の当たりにするには衝撃的すぎる展開だった。 密室で行われるセクハラ行為を証明することは非常に困難であり、ヒル女史のように社会的地位に上り詰めている立場であったとしても、その勇気ある告発が否定され、公の場、法のもとでの尋問の辱めを告発者、アニタ・ヒル女史は受け、しかも嘘つきの烙印を押されてしまうことで、世に無数に存在するであろう犠牲者たちの証言を永遠に封印させてしまうほどの歴史的一場面だった。変革する米国社会 TwitterやFacebookなどのSNS技術が広まり、個人が自分の気持を発信しやすくなったということもあり、これまで口を閉ざし苦渋を噛み締めてきた女性たちが声をかけあい、励まし合い、この国も漸くセクハラを告発する女性が問題に公然と立ち向かえる土壌ができたといえる。映画界から始まったその告発・摘発はメディア界、政界、経済界、あらゆる分野へと波及している。「え、この人まで」と思うほどに広まり衝撃を受けるケースもある。「もう我慢はしない」「これからの子供たちのために」とそのモチベーションは様々だろうが、その勢いは留まるところがなく社会に大きな変革が訪れていることを改めて確信する昨今だ。 アラバマ州において上院議員の補欠選挙が12月に予定されているが、その有力候補である共和党のロイ・ムーアに対しセクハラ及び未成年者(最年少は14歳の時のできごと)への過去の性的虐待暴行容疑が13人の女性から告発されている。ムーア氏本人はその告発に対し「虚言だ、民主党の罠だ」と否定。しかし、過去の記録をたどると三十代のムーア氏(現在70歳)は十代の女子がよく集まったりバイトをしている地元のショッピングモールから挙動不審を理由に、当時立ち入りが禁止されていたという事実も浮き彫りになってきている。 民主党内でも上院司法委員を務め、その鋭い切り口で支持者も多い元コメディアン(サタデーナイトライブ出身)アル・フランケン氏もコメディアン時代の行為にセクハラがあったとして告発されてしまった。「面白いと思ってしたことだが」「私の記憶と彼女の記憶には違いがあるのだが、彼女の言い分を私は尊重する」と告発した女性の申し立てを即日真摯に受け止め、謝罪をした。 即刻、上院議員を辞任するべきなのではと自ら打診したが、党幹部との話し合いで今すぐ辞任する必要はないということになり感謝祭休暇の終わった今日議会に戻っている。しかし、本人自ら倫理諮問委員会による本人への徹底的な尋問を求めた。告発した女性からも「辞める必要はない。謝罪をうれしく思う」と発表があった。 その対応の差に共和党と民主党の近年のあり方が象徴されるようであるが、しかし、トランプ大統領は謝罪し即刻事態の収拾を図ったフランケン氏を指して「そら見たことか」とばかりにTwitterで非難。自分へのセクハラ・性的不適切な行為に関する十数人の女性被害者による告発も含め、ムーア氏への告発女性たちは皆嘘つきで民主党の戦略であると責任転嫁をするばかり。 今日に至っては大統領選挙戦中には謝罪会見まで行って自らの失態を認めていた、テレビ局が収録していた卑猥な会話の音声が偽物だとまで言い出す始末。ホワイトハウス報道官のサラ・ハッカビー・サンダースによれば、選挙中は謝罪が必要だと思ったからしたが、もうすでに大統領に就任しておりようやく偽物だと弁明することができたと発表している。そういった倫理に欠ける公式発表が毎日のようにホワイトハウスから発信されているのだ。定例の記者会見で記者に話しかけるサラ・ハッカビー・サンダース米大統領報道官 トランプ支持者もアラバマ州のムーア候補者支持者も一連のセクハラ・暴行容疑・告発についてまったく気にも留めない状態であり、大統領自身が容疑を抱える当事者であることから一向に事態が収束する様子はない。その渦中にある、共和党色濃いアラバマ州では何がなんでも共和党ということなのだろう、ムーア氏を支持する人たちが怯む様子もまったくないようだ。 この党だと決めたが最後、候補者の素行や言動など倫理的側面はまったく関係ないということか? だとしたら世界の世論がどうであれ、素行に問題があれ、何が何でも共和党だからトランプを支持しご機嫌をとろうという姿勢を変えようとしない日本与党の今日の外交にも共通するところではないだろうか。サンフランシスコを責めることへの違和感 アメリカがひっくり返ってしまうほどの騒ぎになっているそういったセクハラ・性犯罪・人権侵害の告発者を非難し、まるで性犯罪を擁護するかのような姿勢を取り続けるトランプ大統領の腰ぎんちゃくとなってしまっている安倍政権。人権問題についてアメリカのどの土地よりも真剣に取り組んで来た歴史の長いサンフランシスコ。そこでサンフランシスコ議会が日本の立場や見解に対して疑問を持っているのであれば、慰安婦像への日本の感情論を無視したことだけを取り上げてサンフランシスコを一方的に責めるのはどこかおかしい。 サンフランシスコの現市長は中国系アメリカ人である。中国人はサンフランシスコのゴールドラッシュ時代に西海岸沿岸に鉄道を敷く際の労働力として米国に多く移住している。私が移住してきた32年前でさえもサンフランシスコの70%の不動産が中国系アメリカ人が所有しているといわれていたように、中国系アメリカ人はこの土地に根をはり地道に自分たちの発言権を高めてきた。彼らは一度手にした土地・家屋は手放さない。たとえ手放すことになっても身内や親族に売り渡し、中国系民族が所有する不動産は着実に増やして来たのだ。 韓国人も祖国韓国が英語教育、それも聞き取りだけではなく発言に非常に力を入れている中、多くの若者がアメリカに留学し、発言力を高めている。彼らの認識が正しい、正しくないにかかわらず声高々に主張したり、プロパガンダを行う人達の声が社会には浸透する。 日系アメリカ人はといえば第二次大戦中に、祖国日本が突如起こした真珠湾攻撃の余波を浴び、ご存知のようにすべての所有物を国に没収され強制収容所へと送還された歴史がある。だから日本人からの移民者も歴史的にはたくさんこの地に根付いていたのではあるが、土地も家屋もビジネスも途中で奪われてしまいその勢力は弱くなってしまったようだ。その悲しい経緯もあるからか、日本の美徳を引き継ぐ日系アメリカ人は中国系や韓国系のアジア人とは違い、どちらかというと物静かなよきアメリカ人として社会に貢献している。 多民族・多思想を包含するサンフランシスコの公共の場に設置されるこの慰安婦像を観て何を考えるのかは人それぞれだろう。日本軍による侵略を体験した人は苦々しい思いでその当時を思い起こす人もいるかもしれない。日本軍の優しさに触れたことを思い出す人も少なくないのかもしれない。強制収容所にいた辛かった時期を思い浮かべる人もいるかもしれない。単に人権尊重の象徴として思いを馳せる人も多いだろう。セント・メリーズ公園展示スペースに設置された慰安婦像=2017年9月、サンフランシスコ 日本人の感情や理解だけでそれを観たどの民族も同じ思いを持つのではないということは理解しておくべきだと思う。  この慰安婦像が日本に対して屈辱を与え反省を促すことをその主旨としているという結論を最初に出すのではなく、まずは人間としての原点に立ち戻り、性的暴力・虐待・人権侵害ということについて考えるべきなのではないかと思う。どうしても日本への挑戦状であると考えたいのであれば、現代の日本はセクハラや性的暴行を擁護する国ではないということを徹底的に示すべきではないだろうか。 米国に進出した日本企業の日本から赴任された上司の米国人女性へのセクハラ問題、人種差別を取り上げた報道も過去には珍しくなかったように記憶している。 日本では、今なお痴漢が満員電車にあふれ、政府に近しい人材を相手にセクハラ・暴行で訴えてもまったくメディアが問題にもしない。ちょっとした会話の中でセクハラに当たる言動をしてしまっている自分に気づかない御仁も相変わらず日本には多い。必要なのは違いを認める勇気 最近は日本での綿密な取材調査をもとに、日本に住む在日外国人(特に在日朝鮮人)への陰険な差別、言語による暴力、反対運動を取り上げているアメリカ・欧州の報道もよく目にする。日本人が言葉の壁に守られながら光を当てようとしない国内での人権問題・人種差別問題を今、外から当てられる光によって明らかにされようとしているということも認識しておく必要がある。 そういった日本での人権問題を取材・調査・報道する人たちが例えばアジア系ではない場合も多い。日本における在日アジア人への差別・暴力を取り上げるきっかけが自分自身の体験したいわゆる『外人』への人種差別であるという例も少なからずあるだろう。一般的に日本人にはなかなか意識上にはあがってこないさまざまな差別意識があるということに気づくことが第一歩なのかもしれない。 いかなる側面が題材であったとしても日本の報道が海外で歪んだものにならないためにも日本はもっともっと生の言葉を発信できる国際化に努めることが必要である。国内で改めるべき問題は改め、海外で誤解されていることがあればしっかりとした正論をもって対等に主張していかなくてはいけない。媚びたり、非難したりして取り繕う時代はもう終わらせるべきだ。 サンフランシスコ市長の裁決に対し市議会で際立った反論も生まれず全員一致で可決されたこの慰安婦像設置案。日本の感情論がこれだけどうでもいい存在なのだということに対して反感を抱く前に、まずは自分の足元を照らす必要があるのだと思う。国家的感情論で論議するのではなく、国際社会の中で日本はどういう国として受けとられていて、経済的先進国としてどこを目指しているのかをじっくり見直す機会にしてみてはどうだろうか。その上で日本が正しければ国際的ステージで外交や言葉でしっかり弁明し時間をかけて実りある議論をし合える土壌と人間関係を作り上げていくべきだ。 セントメリーズ公園に慰安婦像とともに設置された碑文=米サンフランシスコ かつて無謀にも大国アメリカ、そして世界を相手に戦争をしかけたその張本人である日本。そして原爆に泣いた国、日本。敗戦の屈辱から立ち上がり、経済大国といわれるまでに復興し世界のリーダー的立場に立った日本ならではの主張をこれからは毅然とした形で見せてほしい。 第二次大戦中に無念な思いを強いられた日系アメリカ人の方々と、経済大国日本の落とし子として日本を守り続ける日本の皆さんと、第二次大戦後アメリカに進出してきた私たちとがもっと連携し、力を合わせ、世界和平と発展を担うこれからの時代の日本の立場を確立させていく必要があるのだと思う。 今、必要なのは、失敗をおそれぬ勇気、その上で得られるたくさんの経験を活かし全体を引き上げるための叡智をかざし、意見の違いを認め、包括し導いていく勇気なのだろうと思う。失敗の経験がたくさんある者は決して他人の気持ちを疎(おろそ)かにはしない。サンフランシスコ市長の判断が失敗だと思うなら、その失敗を活かしサンフランシスコ市長とともに全体が成功へと突き進める流れを作って欲しい。 そしてなによりも奇をてらう詭弁(きべん)などには目もくれず、心のど真ん中が共鳴する真相を探る人が多くいることを願ってやまない。世界和平は私達一人一人の心の中の取捨選択から始まるのだから。

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    「10・22総選挙」絶対に失敗しない候補者の選び方

    丸山清高 われわれ国民は新聞などのメディアと呼ばれるものから、情報を得ています。ここで重要なのはメディアの人々は、文章ないし文壇によって収益を得る人々だというのは紛れもない事実であると思います。 そこで「売れる内容」というのは過激な内容であることが多く、それはつまり購読者に受けるように編集されていることを意味します。ということは、当然その情報ソースの妥当性を疑う必要が発生するでしょう。そのため、そうした部分も視野に含めながら今回の選挙について論考することにしました。 選挙というものは、当然政治家の進退に関わる重要なものであり、ここで政治家が熱弁を振るうのは当然のことと思われます。その信義、信条に基づいた雄弁や一体感を醸し出す「空気」には力強いものがありますが、ここにおいてわれわれは投票という行為によって選ぶ側にあります。つまり、政治家の語る内容の冷静な吟味と、分析が必要なのです。だからこそ、選挙の時こそ国民は冷静になるべきでしょう。選挙カーから有権者に手を振る立候補者=10月10日、京都府舞鶴市(水島啓輔撮影)  現実問題として、理想的な政治家が存在すればその人に投票するのが当たり前かと思います。ですが、政治家も人間です。テレビニュースや新聞に載っているからといって、何でもできる超人ではないでしょう。そのため、現実に存在する人の中から、誰かは選ばなければならないと思います。選挙である以上、誰かは選ばないといけないのです。無投票も、構わないとは思いますがそれでは国会に影響を与えることは不可能です。一部が投票しなくとも、それでも国会は開かれ、討議は始まってしまうのです。 日本は、「偏向報道」という言葉が流行した時期に安易な批判が横行し、政権交代を経験しました。その結果、国政がわれわれの生活に、甚大な影響を及ぼすことは十分なほど認知されたと考えています。当然ですが各党、その信義・信条は異なります。個人のレベルのそれと、団体のそれとを同じレベルで論じることに問題は感じますが、それはいわば価値観の違いとも表現できるでしょう。 当然ですが価値観が異なれば、現実の問題へのアプローチが異なります。具体性を伴った個々の政策が異なるということは、例えば金融政策のような、直接的に経済に影響を及ぼすような政策が変化することを意味します。国政は、われわれの生活と直結しているのです。 そして「冒頭解散」、「加計・森友隠し」というこの2つのキーワードは、今回の自民党勢力を批判するワードになるかと思います。まず「冒頭解散」に関しては、むしろ本当に、このタイミングで良かったのではないのかと思うのです。理由は北朝鮮のミサイルに代表されるように、この国を取り巻く国際情勢というのは今後、重要な局面を迎えることになると思います。その重要な時期になってから、選挙をするのでしょうか。常識的に考えてその時になって、選挙などやっている場合ではないと思います。 加えて、国会議員というものはその任期が満了を迎えれば、どうせ選挙をするのです。まずい時期に被るくらいであれば、本当に今のうちにやってしまった方がよいのではないでしょうか。「浄化」される国政 次に、「加計・森友隠し」の問題ですが私がこの問題の情報を最初に知り得た時、その情報源は週刊誌であったと記憶しています。過激なネタと呼ばれるものは、書けば売れやすい傾向にあると言えるでしょう。この問題の、実際のところがどの程度であるのかはまだ不明瞭ではありますが、私の所感としては、かつての「埋蔵金ネタ」と同種のものではないのかという疑いを抱いています。参院文科・内閣委員会連合審査会に参考人で出席した前川喜平前文部科学事務次官(右)と加戸守行前愛媛県知事(左)=7月10日 そもそも出回っている情報の信憑性はどの程度のものなのでしょうか。その部分について検証せずに信用するのも危険かと思われます。結論として、選挙のタイミングとしてはむしろ歓迎だ。学園系の問題については、情報の信憑性自体を疑っている。ということです。 まず、今回の選挙にあたって、民進党の事実上の解党、希望の党の結党、立憲民主党の結党がありました。この状況の中で、前大阪市長の橋下徹氏が過激な発言をした対象である、いわゆる「中途半端な議員たち」つまり、その性質が疑わしい議員たちが恐らく消える結果になると思っています。正直なところ、これにより国政がある意味「浄化」されるだけでも大変有意義になるとは思わないでしょうか。 加えて注目するべきは現状存在する政党の、その構図です。現在候補を立てている政党のうち、自民・公明、維新、そして小池氏率いる希望の党、これらの党は、改憲保守勢力です。つまり、基本的には改憲の必要性を認めている勢力なのです。そして今日までの国会を振り返れば分かることと思われますが、国会内においては、単純に賛成と反対の意見の応酬を繰り返すだけで全くもって結論に至ることはありませんでした。 私はその責任は、政治家にだけあるものではないと思っています。結論が出なかった理由に、世論の影響というものがあると思います。つまり、われわれに対する意識調査からその議論が停滞する要因の一つになったということを意味しています。この意味において、また、このタイミングで選挙の運びなったことはある意味絶好の機会ともいえるでしょう。 そのため、今回の選挙の結果が改憲を考える上での参考になるのです。こうした事情が考えられるので、今回だけは絶対に投票した方がよいと私は考えています。賛成にしても、反対にしても投票率を可能な限り高い状態にすることが答えを導く上で、最も早く解決に至る近道ではないでしょうか。 ここで、改憲の必要性とは何であるのかについて整理しておかなければならないと思います。歴史の教科書に載っているレベルではありますが、下記に持論を述べさせていただきます。 そもそも、この国の憲法の由来は明治時代までさかのぼります。それは明治期に植民地化の脅威から当時の明治政府高官が、プロイセン憲法を参考に日本に取り入れたものです。これは当時の問題を解決と、日本の伝統を取り込むために行われたものです。しかし、大日本帝国憲法は、必要に迫られ用意した急ごしらえの憲法であるとも捉えることができるのではないでしょうか。改憲は歴史的な転換点 実際、第二次世界大戦中にはその前後の国粋主義の横行から、軍部の政権掌握による全体主義への傾倒を招きました。その中で、戦争を中断できなかった要因の一つに、かつての憲法に記載されていた「統帥権」の存在です。 状況に対応するために用意されたものの、欠陥と呼ぶべき要因を備えていたと見なすのは、先の大戦の結果を見れば言うまでもないと思います。そしてその後に制定され、今日まで手を加えられていない現在の憲法は連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥により影響を受けたものです。マッカーサー元帥 振り返ると、この国には「自分たちで定めた憲法」というものは有史以来、存在しなかったとも言えるのではないでしょうか。ここにおいて、われわれが民主主義の概念とその権利、自由に基づいてこれを定めることは非常に大きな意味を持つでしょう。自分たちは、自分たちで扱うための憲法を定めることができる。日本が、主権国家として完全回復したことを示すものになると思います。 次に、国際問題への対応です。冷静に考えて、戦力を保有しないとうことはあり得ないでしょう。加えて北朝鮮のミサイルのように、軍事的圧力が加わる場合、普通に考えて対策は必要でしょう。ですが必要であるにもかかわらず、現在の憲法での自衛隊の解釈は、違憲なのです。当たり前の話ですが、自衛隊は日本の国民と領土・領空、ひいては日本の主権を守るために存在しています。この矛盾した状態は、明らかに異常でしょう。 また別に、平和主義はそのまま最大限尊重すればいいのです。ただ我を通すために対話もなく武力を行使してきかねない国家があった場合には、断固として抵抗する必要があるのは言うまでもありません。 最後に、改憲は日本国の歴史的な転換点になるということです。戦後、長い間私たちの先人は、第二次世界大戦への反省を重ねてきました。ここで育まれた平和への祈りは、現在もわれわれに受け継がれ大切にされています。それは国際社会における日本国の基本的な態度に現れています。 この中で、私たちが選んだ政治家が十分な議論の元に改憲を行い、その上で平和主義を尊重することで、先人たちの育んだ平和主義の概念を伝統として受け継いだうえで、新たに平和国家としての歩みを進めるということを意味しています。今回は「政権選択型」選挙 つまり、われわれは自分たちの意志でその平和の概念と祈りの下に行動しできるということを、国内外に明確に示すことができるのです。また、これは長年にわたって、象徴天皇としての道を歩まれた今上天皇陛下の祈りを、全国民が伝統として受け継ぎ、将来にわたって独立した平和国家として歩み始めるための重要な転換点だと思われるのです。 戦争の記憶が薄れる昨今において、最も重要であるのは、この平和の概念を伝統として将来の長きにわたって受け継ぐ環境を整えることにあるとは思わないでしょうか。 上記までの内容を踏まえて、あらためてどの政党が与党を担当するべきかを考えてみますと、自民党しかないと思います。また個人的には本当に「政権選択型の選挙」になったと思っています。今回の選挙の、つまりわれわれの投票によって、選ぶしかないでしょう。そうでなければいつまで経っても、投票率の低さを言い訳に結論が出ないままになってしまうという恐れもあるのではないでしょうか。 また、経済などの問題もあります。実際のところ、理論や原則はあるものの現実の経済は生ものです。つまり、最終的にはフタは開けて見なければ分からない、という話もあるでしょう。その中で、アベノミクスは成功した。失敗した。現時点での様々な見方ができるとは思います。衆院選が公示され、候補者の街頭演説に集まった大勢の有権者=10月10日、東京・新宿駅前 ですがある意味、やったからといって確実に結果が出るとは言い難いこの分野において比較的まともなコントロールが働いているとは思えないでしょうか。その上で考えると、この取り組みを途中でやめる方が逆に危険なのではないのかと思っています。 実際、円安誘導には成功している状況にはあります。これから効果が出るのか、限界を迎えるのか。現実的な態度として、それを見守るというのが、冷静な態度と呼べるのではないでしょうか。

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    民進党の師弟コンビが仕組んだ「菅直人潰し」がエゲつない

    著者 永井文治朗 10月1日付の産経朝刊が希望の党の公認名簿原案をスクープしたのには久々に驚いた。おそらくは希望の党内部からのリークによるものと考えられる。当然、その時点で民進党議員の名前はなかったが、47人という中途半端な数字と希望の党が第1次公認として掲げていた50人超という数字には到達していないため、まさに作成途中にある公認予定者リストであろう。 ちなみに9月28日、静岡県富士市で行われた細野豪志氏の結党集会には民進党公認で出馬予定だったが離党した関係者2人に加え、参議院議員で民進党を離党し無所属になった議員も参加し、希望の党支持を訴えていた。公認名簿に名前はなかったが、無所属から参議院の希望の党へのくら替えになると考えられる。 元みんなの党代表の渡辺喜美氏は出馬断念をさせられた。これも参議院での議席確保のためと考えられる。現時点での参加留保も解党したみんなの党の元議員たちを刺激しないためだろう。がんばろうコールの後、両手を突き上げる希望の党代表の小池百合子都知事(中央)。左は樽床伸二氏、右は細野豪志氏=10月9日、東京都港区 そもそも細野氏は地元での人気が高い。仮に無所属で出馬しても苦戦はしないだろう。民進党で刺客候補の擁立を検討したが、すぐに頓挫したのも個人人気が高いためだ。結党集会では選挙期間中に地元に戻ることができても1日程度になると本人が認めている。激戦区となる地域での応援がメーンになるのだろう。毎度のことなので有権者は慣れっこだ。都知事公務で応援活動に制限のある小池百合子氏にかわって、選挙報道で毎日顔を見ることになる。 細野氏とは選挙区が隣という渡辺周氏も希望の党公認が確定している。10月1日の時点で選挙事務所に確認したところ、「希望の党での公認を予定しています」とよどみなくキッパリ即答された。少なくともリベラルではないので十分ありうるが、本人はインタビューで当惑した風を装っている。彼も相当のタヌキだ。 それにしてもいつから希望の党は準備されていたのか? 先の結党集会においては、マスコミへの公式発表前に小池氏らしきハイヒールの女性が年配議員らしき男性たちから罵倒されるのを完全無視して会見場に現れるというPR動画が披露された。さらに「希望の党」党名入りの細野氏の名刺が参加者各位に束で配布され、私も受け取った。要するに安倍総理が事実上衆議院解散を切り出した9月17日にはすでに準備万端だったのだろう。急きょ、印刷業者に発注したにしては出来すぎており、数もそろっていた。「師弟」の2人はグル? そうなると8月10日に1人で離党した細野氏の行動も予定通りで、仲間をあえて残したのも民進党の代表選で前原誠司氏を代表にするための行為だったと思える。9月24日のフジテレビの番組「報道2001」内で、細野氏が「前原氏との話し合いがなされている」と不敵に笑ったことで、師弟のつながりを持つ2人がグルだと確信し、まさにその通りとなった。 前原新執行部は山尾志桜里議員を要職に置くと発表し、すかさずスキャンダルで潰されるというのも、どこかの誰かと重なる。支持率が回復傾向にあった安倍総理が解散を決断したのもまさにそれだった。菅義偉官房長官が元首相の娘を入閣させたときの手口と酷似している。あれは潰れる前提だった。 前原氏があえて党勢の凋落(ちょうらく)を演出した。蓮舫氏と争った前回の代表選で前原氏が公約した政権与党時の反省はこういう形だ。選挙前はなりを潜めていたリベラル勢力が与党となるや正体を現し、マニフェストを反故にした上、外国人参政権などを発議し、中国に擦り寄り、官邸主導どころか官僚に丸投げせざるを得ず、良きにつけ悪しきにつけ豪腕で民主党を引っ張った小沢一郎氏をたたき出した。 東日本大震災では、外国人献金問題で揺れていた菅直人元総理が人気回復目的で迷走して現場の足を引っ張り、1番厄介な除染、残土、原発問題を細野氏に押しつけた。いよいよ政党支持率が危険域に達すると、旧日本新党から野田佳彦元総理を引っ張り出す。実のところ旧社会党勢力の数の論理と連合による仮面政党だった。野党転落後は誰も音頭を取れる者がいなくなり、方針が決められない野党にして「なんでも反対」の旧社会党化した。それでも左派マスコミの協力で打倒安倍政権といって悪質なイメージ戦略で「モリカケ問題」をアピールして支持率を下げた。衆院本会議に臨む(手前から)枝野幸男官房長官、野田佳彦財務相、菅直人首相(肩書きはいずれも当時)=2011年3月31日、国会(酒巻俊介撮影) そのように与党時代に好き勝手し民進党を迷走させた最大戦犯を大量粛清する絶好機を作ったことで結実したし、民共共闘の解消も霧散した。そうした意味では公約を実現したことになる。結局、対抗馬だった枝野幸男氏らが執行部の要職を牛耳ったが、まさに三日天下だった。 また、細野氏の「三権の長は(希望の党)公認を辞退すべきだ」という発言は明らかに「菅直人潰し」が目的だと考えられる。野田元総理も該当はするが、実際のところ無所属で出馬しても余裕で勝てるほど地元に愛されている。無所属出馬を予定している前原氏にしても同様だ。2人とも大逆風の前回の衆院選でアッサリ当確を決めてみせた。比例名簿でゾンビ復活したのは菅直人氏だけだ。そもそも民進党の看板など選挙の邪魔なくらいではなかろうか。野田元総理があえて「(細野氏の)股(また)くぐりはしない」と発言したのも猿芝居の類いではないか。なんにせよ立場が完全に逆転した感は否めない。 本当に追い詰められているのは枝野氏たちだろう。まさかここまで用意周到に民進党解体が準備されていたとは思わなかっただろうし、立憲民主党が自民や希望の候補者と拮抗(きっこう)できるかは微妙だ。マスコミの無意味な追及 こんな状況下でマスコミが執拗(しつよう)に質問を浴びせていたのが、小池氏の衆議院出馬だった。「出る」と言えば都政軽視と批判し、「出ない」と言えば首班指名をどうするのかと追及する。つまり小池氏に対する踏み絵だ。早い話、日々刻々と希望の党が繰り出す動きについて行けておらず、そこを追及するしかなかったのだろう。自民党補完勢力なのは小池氏の発言でも明白だ。小池氏がくら替え出馬をするとしたら、若狭勝氏の求心力・政治力が野心の大きさに全く伴っておらず、合流した民進党勢に党を乗っ取られるという危機感が生じたときだろう。答弁を聞いている限り、歯切れが悪すぎて絵面も悪い。腰巾着感が否めず、百戦錬磨でブラフも効かせたマスコミ対応をしてネット記事を賑(にぎ)わせている細野氏とは比較にならない。街頭演説を行う希望の党の小池百合子代表=10月10日、東京都豊島区(宮崎瑞穂撮影) そもそも代表代行という形で若狭氏・細野氏・中山恭子氏ら結党メンバーをその地位につけ、首班指名ではそのうちの誰かの名前を書くなりすればいいだけの話だ。あるいは希望の党の議員全員で「小池百合子」と書いて全員分無効票となる。少なくとも党としての足並みがそろっていることが強烈にアピールできる。また、結党直後の政党が一度の選挙で全部ひっくり返せるとは多分、希望の党の関係者でさえも思っていない。第一、橋下徹氏は大阪府知事、大阪市長を務めたものの、結局現在に至るまで一度も衆院選に出馬せず、それなのにずっと維新の代表だった。 そうした前例があるのに無意味な追及をするマスコミの姿勢からして、言いがかりに等しいアベバッシングと暗に民共をプッシュすれば良かった状態から脱却しきれていない証拠だ。希望の党はあえて政権選択選挙の形を取ることで、まずは国会内に頭数をそろえることが目的であり、実際に民主党でも維新の会でも結党直後の選挙では躍進はしても与党になっていない。 実際のところ、希望の党は改憲について是々非々と結党集会でも主張していた。つまりは自民党、維新の会と足並みをそろえ、中身の議論を詰める準備は万端。有権者が三党のいずこに票を入れても改憲の機運は高まる一方だ。希望の党が玉虫色で稚拙な綱領を掲げざるを得ないのも誕生段階なのだから仕方ない。むしろ相当煮詰まった内容を出された方が前段の「いったいいつからこの一連の政治謀略は準備されていたんだ」ということになる。 いっそのこと護憲勢力はまとまって「護憲党」でも作ることをご検討された方が良いのではないだろうか。

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    矛盾と不条理だらけの日本国憲法

    安倍晋三首相は先日、今秋の臨時国会に憲法改正案を提出する意向を示した。とはいえ、国論を二分する課題だけに、是非をめぐる議論は未だ過熱しており、実現には困難が予想される。ただ、現行の日本国憲法は「矛盾」と「不条理」に満ちたものであり、改めて読めば自ずと議論の着地点が見えてくるのではないか。

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    首都東京は大丈夫か? 都議選公約に隠された3つの問題点

    著者 西村健(日本公共利益研究所 代表) 7月2日投開票。東京都議選が佳境に入っている。各党が特徴的な政策を掲げている。有権者と握手する都民ファーストの会の小池百合子代表=6月25日午後、東京都墨田区(佐藤徳昭撮影) 都民ファーストの会は「議会改革条例をつくります」「議員特権を廃止します」「『不当口利き』禁止条例をつくります」などの政治改革を先頭に掲げ、待機児童対策など小池都知事の公約とほとんど同一の内容、つまり都民目線の公約を掲げている。 他方、都議会自民党は「個人都民税10%減税」「事業所税50%減額」などの斬新な政策から「東京2020大会を起爆剤とした、日本全体の景気浮揚。全国への経済波及効果は32兆円」といった壮大な政策を提言している。 そして公明党は「鉄道駅のホームドア整備を拡充」「私立高校授業料の無償化について、対象を年収約910万円未満の世帯へ拡充」といった人にやさしい政策を、民進党は「小・中学校の給食費等を無償化」「口きき記録を公開し、補助金などの適正化を検証」など具体的かつ実施可能な政策を、共産党は「認可保育園を9万人分増設」「特養ホーム2万人分増設」といった弱者に寄り添った政策を掲げている。 それぞれの「らしさ」全開のメニューだ。その順番や書き方、まとめ方にも政党の個性が表れており比較すると面白い。こうした各党の努力については敬意を示したい。前提となる知識を持っていない人にとっては理解しやすい言葉が並び、その意味では素晴らしいものも多い。 しかし、厳しい言い方をすると、専門家の見地から見て「政策」でも何でもないものも多い。主に3つの問題がある。具体例を示しながら見ていこう。 問題1 イメージ先行の抽象的な言葉のオンパレード「教育カリキュラムの充実、多様な教育の展開」(都議会自民党)「学童クラブの充実」(都民ファーストの会) 上記の文言から何を言っているのか理解できるだろうか? 「どのように」充実・展開するのか示されていない。実際すでに行われていることをただそのまま書いているだけともいえる。東京都の各種計画を見れば近い内容は書かれている。つまり、これは方針・指針のようなもので、進め方や度合いの違いにしかすぎない。 抽象度が上がれば上がるほど公約の責任追及からは逃れられるわけで、具体性を隠す政治的な高等技術ともいえる。無用な対立を避ける必要性があった時代ならまだしも、地方自治体が指標やKPI(Key Performance Indicator 編集部注:重要業績評価指標)を掲げ、数値目標の達成度を追及される時代にこれでは困る。第2、第3の問題点とは?問題2 明確な目的が存在しない「被災地と東京の子どもたちの絆を深めていくために、スポーツを通した交流事業をさらに展開」(公明党)「議会基本条例の制定に取り組みます」(民進党)「中小企業がとりくむ職業訓練への東京都の助成制度を充実させる」(共産党) 現実問題として何のためにその政策を行うのか、どのような問題解決につながるのかということが明示されていない。このような目的がよく分からない政策や公約が存在する。空気のようにはっきりしない理念にもかかわらず、もはやそれを実施すること自体が目的になっているようにも見える。運用できない、機能しない条例や自立を促さない助成事業ほど、行政職員の時間を奪い、やる気を損ねる事業はない。問題3 行政の役割範囲を超える「『おもてなしの心』で世界中から訪れる人々を歓迎するまちを実現」(都議会自民党)「金融とITを融合した「フィンテック」を推進」(都民ファーストの会) 上記のような政策に対しては、「行政の行うべき範囲を超えているのではないか」「民間が行うことではないか」との疑問を呈さざるを得ない。都政の予算には限界がある。行政でやってほしいという要望に取り組めば取り組むほど肥大化してしまう。 政治が率先してアピールすればするほど、「時代を先行する」人気取り事業に走りがちになる。そういった事業は人目を引きやすく、体の良い宣伝材料とニュースになるからである。そうなると見た目の良い「新規事業」に予算が確保されることによって本当に必要な事業の予算が削られる。もちろん事業の見直しとセットであれば良いが実際にはそういうわけにもいかない。これらは筆者がよく見てきた光景だ。 上記の3つの問題を改めて考えると残念だと思わざるをえない。都政の基本が分かっていないのではないかという疑問を覚えるし、このレベルでは優秀な都職員をバックにする都知事に対峙(たいじ)できるとは思えない。本来の役割である都政をチェックできるのだろうか。われわれは何を求めるべきかという点を考察したい。(1)前回の都議選の公約を示した上での説明(与党)達成できた成果を具体的な数値(KPI)で示す(野党)未達成であることの理由、シナリオを提示(2)今回の公約に対しての説明 政策をなぜ実施するのかを明らかにする 政策の目標、実現のための前提条件やシナリオを明示 ということが求められるのではないだろうか。自民、公明、民進は実績を示しているので、あともう少しがんばってほしいところである。首都東京の現実を前に責任政党の今後の取り組みに期待したい。

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    施行から70年、浮かび上がる日本国憲法に刻まれた「敗戦国の烙印」

    著者 H・N おじむ(和歌山県) およそ国家において「法」と名のつく文言が自明の理として備えていなければならない要件は、私の考えるところによれば、第一に「秩序を維持するためのもの」であること、第二に「正当な手続きによって成立したもの」であること、第三に「実効性を備えたもの」であること、以上の3要件すべてを満足していなければ「法」としての体裁を成していないと判断し、それが原因となって実害が発生しているのならば改正もしくは廃止を主張するところとなります。 あくまでも「私の考えに基づくもの」とすることを前提として示せば、「法の秩序」とは主権者の利益を保護するための規範であり、必ずしも善悪を反映するわけではありません。「正当な手続き」とは主権者の承認であり、正式ではあっても必ずしも正当とは限りません。「実効性を備える」とは法の趣旨と文言が矛盾しないもので論理的に破綻しないことです。 これらの観点から現行の「日本国憲法」を思うにあたり、正直な感想を述べると「なんとまぁお粗末なものを」と自虐的なおかしさすら感じます。まず最も肝心な「主権者」は誰か? という点についてですが、以下に「日本国憲法前文」を示します。日本国憲法前文日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 この前文によって明らかにされているのは、主権者が「国民」であること、国民から信託を受けた代表者がその権利を行使すること、その利益は国民が享受することが定められています。また「基本的人権」の概念や「平和主義」の精神がうたわれ、「理想国家の実現」が宣言されています。 ただ、一国の法の権限の及ぶ範囲は、その国家の領域内のみであり、他国を規定することはできません。それにもかかわらず他国のありように言及する部分があるのは独善的で、いささか専横に過ぎるかと思われます。 一国の国内法でありながら、複数国を実効的に規定する法律が実は存在します。「アメリカ合衆国憲法」です。アメリカはいくつもの国の集合体なのです。その価値観を取ってつけたように日本国にあてはめたようなものなのですが、残念ながら日本国は合衆国ではないということに気がつかなかったようです。 合衆国仕様の法規を単一国に採用した結果、至る所で不具合が生じています。まず自国の平和を他国の善意に委ねるかのような表現は随分と他力本願的であり、自立心に欠けているとも感じます。他者に価値観を押しつけながら自らは受け身であるとは奇々怪々です。 国の定義ともいえる憲法のこのような姿勢が国民の性質に影響を及ぼしてはいないかと懸念します。自ら思考したというよりも、「言わされた感」が強いと感じています。有体に申しますと「いかにもアメリカ人の考えそうな」という印象を受けます。しかしながら第一要件である「秩序の維持」に逆行してはいないようです。第二要件「正当な手続き」を満たすのか 問題は第二要件の「正当な手続き」がなされたと見なすことが困難であるところです。一般にはあまり認知されていないようですが、現行の日本国憲法は戦後に制定された「新憲法」とは言い難く、実のところ「改正大日本帝国憲法」を「天皇が承認」し発布されたものです。1945年8月30日バタアン号から厚木基地に降り立ったマッカーサー連合軍最高司令官 しかも当時の日本は敗戦国としてGHQの占領下にあり、GHQの指導の下に臨時政府である「帝国議会」が策定し、「大日本帝国憲法73条」の憲法改正手続を経て公布されました。その経緯が、ハーグ陸戦条約43条(戦時国際法)『国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。』これに抵触しているのではないかと指摘されています。 占領下における主権者はGHQであり、具体的にはマッカーサー最高司令官ですので、その指揮の下で憲法改正が行われたことは不当ではありません。「憲法が絶対的な支障である」と判断されたのなら、いたしかたのないことです。国際社会が容認したのなら是非もなしです。「大日本帝国憲法」における主権者は天皇であるので、その承認がある以上、現行憲法の公布は不当なものではありません。 しかしながら、実施されたその瞬間から主権者は日本国民でありますので、当然、その承認を得なければなりません。ところが現在に至るまでなんとなく既成事実化した「みなし承認」で運用されてきており、正当性があるのか非常に曖昧です。 不適切な仕様が原因で生じた不具合の一例として、文言の表す意味が極めて矮小(わいしょう)なものになってしまった部分が、いわゆる「諸国民」が用いられている個所です。「諸国民の公正と信義(に)信頼して」の(に)の一文字ですが、なぜ(を)ではなく(に)なのでしょうか? 「単なる言い方の違いじゃないか、問題はない」と思われるかもしれませんが、この(に)であるか(を)であるかは、そのまま受動的(従属)であるか能動的(対等)であるかの違いです。「諸国民」とはすなわち「日本国民以外」を指し、主権者の権限の及ばない外国となります。一方、合衆国における諸国民とは各州の市民でありますのでまったく状況が異なります。 意訳をすれば「外国の善意(に)寄り添って、この命預けます」と読めてしまいます。これでは国家としての主体性を持たないことを表明する文言となっています。対等ではないかのような表現を用いながら、後述では対等であることが責務であると表明するのはどうにも矛盾していると感じます。それもそのはず仕様が不適切なのです。ガソリンエンジン車に軽油を給油したり、その逆を行って、まともに動くと考える方がどうかしているというものです。独立国家の矜持はいったいどこへ? 「押しつけでも素晴らしい憲法なのだから良いじゃないか」との意見も多数あり、それも一理あるとは思いますが、植民地であるならばいざ知らず、曲がりなりにも独立主権国家としての矜持(きょうじ)にかんがみて、そこのところを譲歩してはいけないのではないかと思えてなりません。 日本の主権のために戦った兵士のみならず、空襲で亡くなった無垢(むく)の市民や沖縄の激戦で犠牲になった幾多の命の流した血潮のしみ込んだ大地の上に今われわれが生きているのだと、そうしみじみ思うのです。現行憲法はまるで「敗戦国の烙印(らくいん)」のようなものだと、私には思えてならないのです。 まだまだ不条理の止まるところは知れません。第一章第一条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 さて、ここで確認しなければならないことは、そもそも「天皇」とは何か? どのように定義されてきた存在なのか? 「象徴」と再定義することが可能であるか? 再定義された「新天皇」に存在意義はあるのか? 畏れ多くはあってもそれを思索することを避けて通れません。 学術的な真偽は考慮せず、建前として「古事記」等に記されている日本神話の設定を受け入れることを是とした場合、初代神武天皇より第125代天皇陛下に至るまで2600年以上にわたり「父系」によって血統(皇統)が受け継がれ、その血統は日本国の創造主たる「イザナギ・イザナミ」の2神(2柱)を原初としています。 すなわち、「天皇」とは「神様の系譜を継承する存在(神様の子孫)」と定義されます。重要なのは「血統」であって「家名」や「家督」ではありません。そこが「皇室」とその他の一族との決定的な相違です。豊臣秀吉や徳川家康が天下人と成りながらもなお、自ら天皇を名乗れず家臣として官位を授かることで「成就」としたのは正に「血統」によるものです。 「血統」が象徴するものは「一族」であり、せいぜい「民族」であって「国家」ではありません。日本国民の中にはさまざまな国を出身とする人々がいます。そのような異民族の人々を「天皇」が象徴することは定義上不可能です。唯一、民族を超えて日本国民すべてを象徴することができるのは「日本国籍」のみです。 「天皇」という存在を受け入れるのであれば、それは国民より下に置くわけにはまいりません。「天皇」の呼称は「神様」と同義です。「人」にその呼称を使うのは不適当です。現行憲法以前は「天皇は元首」であり「国民は臣民」でありました。なぜならば「だって相手は神様ですもの」倫理的にそれ以外の形式はありえません。「是」か「非」か、はたまた「可」であるか「否」であるか、二者択一の問題です。 たしかにこれは「身分制度」であります。しかも「人」と「神族」であります。良いか悪いかの話ではなく「天皇」を規定している時点で「身分制度」も同時に容認しているということです。天皇と国民主権の両立には問題がないのか? 天皇と国民主権の両立には何の問題もありません。天皇以外が主権者であることは通例でした。江戸時代もそうでしたし、明治維新以降もそうでした。真に天皇が主権者であったのは平安時代までのことです。「人の世」の主権が人にあったところで、「神様」の存在が脅かされることはないからです。しかしながら、天皇の存在を認めながらも元首とせず、「象徴」という筋違いの地位に置く現行憲法の規定は、論理的に破綻しているのです。理論的合理性すなわち「理性」を欠きます。昭和天皇の署名がある日本国憲法の公布原本=2017年4月7日、東京都千代田区の国立公文書館 念のため申し上げますが、私は現行憲法の矛盾点、不条理を指摘しているのであって、「天皇」を賛美しているのではありません。私の価値観においては、「天皇」の存在は「有意義」ではあるけれど「不可欠」ではない事象です。温室の花であれば庇護の手も必要でしょうが、あえて路傍の雑草あれかしと願うからです。踏まれてもなお根を張り生きようとする雑草あれかしと願うからです。私は「人草」の末裔(まつえい)です。 正当な手続きも怪しく、論理破綻も濃厚な現行憲法ではありますが、秩序の維持だけはなんとか保っているかと思いきや、それさえもむなしく瓦解(がかい)する条文が待ち受けています。皆さんお待ちかねの第二章第九条と愉快な仲間たちの登場です。第二章第九条第一項日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 「正義」とは主権者にとっての正義であり、「秩序」とは主権者のための秩序であるので一国の国内においては絶対的な基準となり得ます。しかし、複数国を想定した場合では、それぞれの国にそれぞれの主権者が存在する以上は、相対的基準でしかなく、国際平和の基調とすることは不可能なのです。 不可能な事象を希求したところでそこには空虚しかありません。理論的にそれが可能となる状況はただひとつ、全世界が統合され統一法規の元に主権者が集約されて、「正義と秩序」が相反することなく、絶対的な基準として機能する場合のみであります。ちょうどアメリカが合衆国として成立しているようにです。 そのような目的を達成するために、武力を放棄することがいったいどんな貢献をするのか、さっぱり意味不明なのです。「○○のために、××をする」つまり目的を達成するために方策を行うからには、そこに実効性が伴っていなければ意味をなしません。 例えば「お湯を沸かすために加熱する」「空腹を満たすために食べる」などで分かるとおり熱量の問題には熱量で、栄養の問題には栄養で対処しなければ効果がありません。目的と方策は同じ要素であるか、相互互換の関係性が成り立っていなければなりません。「お湯を沸かすために歌う」では、上がるのはテンションであって温度ではありません。実効性が置いてきぼりにされている 第二項では、方策として「戦力の不保持」が示されていますので、必然的にその目的は「武力放棄」以外に効力を発揮しえません。しかしながら第一項には、2つの主題が同列に掲げられています。「国際平和」および「武力放棄」ですが、そのうちで実効的方策が示されているのは「武力放棄」のみで「国際平和」が宙に浮いた状態になっています。 では「国際平和」を目的とし「武力放棄」を方策とすることが可能でしょうか? 複数国を対象とする問題に自国の憲法の規定が実効力を持つはずもなく、残念ながら、ただの希望が記述されているだけです。結果的に「無抵抗の表明」をしている文言となっています。「外交的努力があるじゃないか!」との指摘もありますが、そこで注目すべきであるのは「国際紛争」とはいかなる状態を指しているのかです。単純化のために2国間での場合を想定して考察します。1、なんらかの事由で利害の対立が生じ、2、互いに非難しあい、3、臨界を超えて物理的衝突に至る。 「紛争」とはどの段階を表す文言でしょうか? 1には「摩擦」という表現がよりふさわしいのであてはまりません。2には「係争」というより適切な文言がある以上、それを押しのけて当てはめるのも不条理です。3「争い紛れる」とは、彼我が入り乱れ、分別の定かではない状態であり、正に物理的衝突の最中にあるという文言です。 外交的努力が意味を成すのは2の状況までであり。3の段階はその努力が失敗した事後なのです。そのような状況に無抵抗であることがどのような結果をもたらすのか想像に難くありません。無抵抗であるからには当然のことながら自衛権も放棄しているのであって、どう解釈すれば自衛隊が合法化できるのか理解できません。 個人的に極めて不本意ながら、日本共産党の違憲とする主張の方が筋が通っています。「ほら!なにもしないよ。僕を信じて!LOVE&PEACE」「日米安全保障条約があるから、いざというときはアメリカが助けてくれる」。 本当ですか? 彼らはこの国を焦土と化した人たちですよ? 抵抗もせずただ蹂躙(じゅうりん)されている者のために、肉親家族を戦場に送ることをかの国の国民が認めると本当に思いますか? 自立と独立をなによりも重んじる国の国民が? もし、私がアメリカ国民ならば、こう言うでしょう。「死にたいなら勝手に死ね!まず自ら武器を手にしてあらがえ、そうしたら一緒に戦ってやる」日本国憲法は「ポンコツ」 前段で、私は現行憲法は主権者たる日本国民の承認を得ているとは言い難いと論じました。それはあくまでも私の考えに基づく判断ではありますが、そのまま推し進めるとするならば、「国権・国の交戦権」なるものがそもそも存在しません。前文によって国民主権が確立されているからには、主権を有しているのは日本国民であって、国は行政上の義務を負っているに過ぎないからです。 権威も権利も権力もすべては国民の所有し認証する事項です。主権者の承認もなく主権者の権利を国権などと称して勝手に放棄することは秩序の破壊そのものであり、もはや「法」と名付けることに値しません。「放棄」の是非を論じているのではありません。「持ち主に断りもなく捨てるな!まず許可をとれ!!」と主張するものであります。 私は日本国憲法の可否を問うています。同じものであっても人それぞれの感性や価値観によって評価が違うのは当然です。私が検証したのは理論的不合理が発生してはいないか、論理破綻に陥っていないか、法としての体裁に欠陥はないかを考察しているのです。 その結果としてかなりの「ポンコツ憲法」であると思っているわけです。主体性を持たず、理性を失い、脅威に無抵抗であることを国是とした最高法規を、それでもなお「可」とするか、それとも「否」と断ずるかをせめて一度は国民に、その信を問うべきだと申し上げている次第です。 憲法というものは本来たやすく変えてはいけない類のものです。国のあり方がコロコロかわるようでは、どんな顔をして信念を説けばよいのでしょう。良不良を別にして70年間一言も変えずに、掲げ続けてきた日本国民の不屈の信念はなんとまぁ見上げたものだとあきれもすれば、また誇らしくもあります。 人は己の意思を他者に伝える、あるいはその逆の場合において、身ぶり手ぶりや表情やうなり声では不十分であることに気がつき言葉を生み出しました。やがてその言葉を時空間的な束縛から解放する手段として、単なる記号でしかなかった印に言葉を対応させました。文字、そして文言の誕生です。 それは人の意思を伝え人になにがしかの影響を及ぼす力を持ちます。文言はそれ自体が生命体として最低限の要素を備えているとさえ言えます。人は文言に意思を込めることによって、生命を創造するに等しいのです。 人はどのような文言を信念とするかによって、その認識にかかわらず、その文言の持つ性質に同化していきます。炎の中に身を投じるとその人が炎をどのように認識していようとも、皮膚は焼けただれ肉は焦げやがて灰となるでしょう。 国はどのような憲法を国是とするかによって、その解釈にかかわらず、その憲法の持つ傾向を体現していきます。だからこそその中身に齟齬(そご)があってはならないと私は思います。「ツッコミどころ満載!!」であってはいけないと私は考えます。あらゆる批判に耐えうる堅牢(けんろう)さを構築したまえと私は小声で申し上げます。

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    現役信者がすべて明かす 「生長の家」は本当に左傾化したのか?

    著者 日野智貴 平成28年6月、生長の家は「与党とその候補者を支持しない」という声明を出し、「反安倍政権」との立場を明確にしました。 生長の家はかつて、「優生保護法」の廃止(反優生学・反堕胎)を目的に「生長の家政治連合」を結成し、「大日本帝国憲法」の復原・改正や靖国神社の国家護持を訴えるなど、「保守」の立場を鮮明にしていました。しかし、「反安倍政権」の声明以降、ネット上では肯定派・否定派ともに「生長の家は左傾化した」という論調が盛んになっています。 ネットだけでなく雑誌『SAPIO』の29年3月号でも、反政権側の宗教もいくつか「保守」に分類しているにもかかわらず、生長の家を「リベラル派」の宗教としていました。 安倍政権を支持する生長の家の別派の中にも、ネット上に「今の生長の家は左傾化した」とか「共産党を支持するようになった」という書き込みをされている方もおられます。私は、生長の家の現役の青年会の会員で、組織内での活動もしています。また、今年の2月から3月にかけて、生長の家宇治別格本山で1カ月間「研修生」として修行していました。 その私からすると、今の生長の家が「左傾化」したという外部からの評価は意外でした。別派の中には私のことも「左翼学生」として名指しにされている方もいますが、どうしてそのような誤解を生むのか納得できない面もあります。  私は、ブログに『大日本帝国憲法』の復原・改正を訴える文章を掲載したり、保守系オピニオンサイトに堕胎や野党共闘に反対する記事を寄稿したりしたこともあります。私の主張は決して「左翼」とはいえず、むしろ「右翼」的なものであると自分では思っています。 宗教団体の教義や活動は外部からは分かりにくい面もあるでしょうから、ここでは内部から見た実態を伝え、本当に生長の家は「左傾化」しているのかを考えていただきたいと思います。 私が生長の家宇治別格本山の研修生であったころ、毎朝「早朝行事」と呼ばれる時間がありました。朝4時45分に起きて「宝蔵神社」という生長の家の神殿に行き、そこで祈りとお経の読誦を行った後、境内の清掃をするというものです。本山の職員と研修生には参加が義務づけられており、一日の始まりの重要な行事として認識されています。 その「早朝行事」では必ず、境内清掃の前に「皇居遥拝(こうきょようはい)」を行います。しかも、生長の家の行事で「最敬礼」を行うのは、「神想観(しんそうかん)」という祈りを行う場合を除くと、この早朝行事での皇居遥拝の時だけなのです。 また、毎日午後1時になると「幽斎殿(ゆうさいでん)」という建物で天照大御神(あまてらすおおみかみ)・住吉大御神(すみよしおおみかみ)・塩椎大御神(しおつちおおみかみ)の三柱の神様を前で神想観という祈りを捧げます。生長の家で天照大御神を祀っているのはここだけなのですが、この幽斎殿で行う神想観は他の場所とは文言が異なる特別な神想観であり、いかにここでの祈りが重要かを示しています。生長の家の教義の原点は「天皇信仰」にある さらに、早朝行事での国旗掲揚と夕食時の国旗降納の際には、国旗に向かって起立し国歌を歌います。夕食では多くの職員・研修生が食堂にいますが、食事中であっても食事を中断して食堂の中から国旗掲揚台のある方角に向かって起立し、「君が代」を歌うのです。一体、これのどこが「共産党を支持する新興宗教」「左傾化した教団」の儀式なのでしょうか? 他にも、大東亜戦争の戦没者に祈りを捧げたり、全国流産児無縁霊供養塔で水子さんたちにお経を読誦したりと、左翼団体の人間には死んでもしたくないであろう儀式がたくさんあります。このような実態を知らずに「生長の家は左傾化した」とか「今の生長の家はエコロジー左翼」などと評価するのは、誤解と無知からくる偏見にすぎません。 今の生長の家が地球環境問題に取り組んでいるのも、生長の家における「天皇信仰」の教義が原点にあります。 生長の家では天皇を天照大御神の化身であると捉えており、そして天照大御神は単なる太陽神であるのみならず、全宇宙を遍く(あまねく)照らす毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)であって、宇宙の大自然と一体にして中心者であるとされています。 したがって、大自然と天皇陛下が一体であるという信仰的立場から地球環境問題に取り組んでいるのであり、決してエコ・フェミニズムなどの左翼思想に染まっているわけではないのです。 事実、神武天皇以来の歴代天皇陛下が天地の大自然の神様に祈りを捧げて来られたことは紛れもない事実であり、ハゼの研究で高名な今上天皇陛下も自然環境に多大な関心を払われていることは広く知られていると思います。 また、昨年、皇后陛下は誕生日のおことばで、「ごく個人的なことですが、いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月、その夢がかない、陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で、浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。流域の植物の変化、昆虫の食草等の説明を受け、大層暑い日でしたが、よい思い出になりました。(略)日本のみならず、世界の各地でも自然災害が多く、温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています」と述べられ、天皇・皇后両陛下が環境問題に関心を持たれていることを改めて示されました。 このように、環境問題と尊皇愛国の精神とは全く矛盾するものではなく、生長の家が環境問題に精力的に取り組んでいるからと言って「エコロジー左翼」などと評するのはナンセンスです。 むろん、世の中には「右翼」と「左翼」の定義についていろいろな考え方があるのは承知しています。しかし、上記で述べたような今の生長の家の実態を知った上で、本当に生長の家が「左傾化」したといえるのでしょうか? これを読まれた皆様には偏見を持たずに考えていただきたいと思います。

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    大阪市版「豊洲問題」だ! デタラメ行政が生じさせた医療空白地

    著者 宇山卓栄 東京都のデタラメな行政運営の象徴が「豊洲市場移転問題」である。だが、大阪市にも、この問題に劣らないくらい大きな問題が発生している。「市民病院跡地問題」である。両者に共通するのは、デタラメな行政が住民に大損害を与えているということだ。  今年3月、大阪市では、とんでもないことが明らかになった。ごく簡潔に、この問題の経緯を説明する。 老朽化した市民病院(「大阪市立住吉市民病院」、大阪市住之江区)の統廃合に伴い、民間病院がその跡地に誘致されることが決まっていた。2013年の橋下徹前市長時代の話だ。ところが、この民間病院の新病棟建設ができなくなった。日影(日照権)規制に引っ掛かり、既定の病床数(209床)を満たす大規模病棟建設が法的に認められなかったからだ。 平成30年3月末をもって閉院する大阪市立住吉市民病院=2016年10月28日、大阪市 毎日新聞などでは、「民間病院側の設計ミス」で日影規制に引っ掛かったと報じているが、これは事実と異なる。民間病院のミスではなく、市行政の過失が原因である。  大阪市健康局は、跡地の指定区域に、日影規制で209床もの大規模病棟を建てられない予見可能性を持ちながら、この民間病院の提案スキームを2015年8月に受け入れた。日影規制の障壁があり、新病棟建設ができないということを、健康局が吉村洋文市長(橋下氏の後継者)に報告したのがなんと、1年後の2016年9月である。「1年間、いったい何をやっていたんだ!」という話である。議会には、11月まで報告はなかった。  この1年間、厚生労働省の認可を得たり、市民病院の府立病院への統廃合の予算を通したりしている。しかし、結局、指定区域に新病棟が建てられないという結果となり、当初のロードマップに大きな狂いが生じはじめたのだ。 こうしたゴタゴタの中で、5月17日、民間病院側が誘致計画そのものから撤退することを表明した。民間病院としても、市のズサンな対応に業を煮やしたというところだろう。市は跡地の病院誘致を断念し、跡地の売却などを検討している。 この病院は大阪市の地域(住之江区など)の小児・周産期医療の主要な部分を市民病院が担っていた。今後、医療空白が生じ、それらの小児・周産期医療を代替する医療機関はこの地域からなくなってしまう。これは地域住民にとっての大きなリスクだ。  3月の市議会で、自民党の山本長助市議がこの問題を徹底追及した。山本市議の調査によって、市健康局が市民病院の跡地で、タイトな日影規制が掛かっていることを以前から認識していたことを裏付ける書類も出てきた。  当初、吉村市長も健康局も、上記の民間病院の建設スキームの選定に対し、日影規制を認識していなかったと主張していた。しかし、山本市議の手厳しい追及もあり、3月17日の市議会民生保健委員会では、吉村市長が「日影規制を知り得る機会があった」と答弁。  また、市は一連の経過について内部調査を実施し、その報告書で「選定段階で図面提出が義務づけられていなかったことに起因する」として、上記民間病院を選定した市に過失があることを認めた。  今後は、この行政過失がどのような背景から生じたのかを情報開示させるとともに、どこに責任が帰属するのかを明らかにしなければならない。  東京をはじめ、他の府県の方々に、われわれのこの大阪の問題が分かっていただきたいと思う。大阪府庁は「森友学園問題」、大阪市役所は「市民病院跡地問題」をそれぞれ抱えている。今、大阪はメチャクチャである。 行政が怠慢で不作為、意思決定がズサン。こうしたことは豊洲問題を抱える東京都庁も同じであろう。行政機構におけるガバナンスがまるで利いていない。怠慢な文学者気取りの知事やポピュリズム市長に加え、行政のチェックもできない無能議員を選んだ有権者が結局、こうしたツケを払わされる。そして、役人たちは大手を振って、「役人天国」を満喫し続ける。 

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    なぜ韓国は110年前の「竹島」編入に抗議しなかったのか

    茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人) 日本と韓国との間の竹島(韓国名、独島)領有権論争において、韓国側(韓国の政府、学者、マスコミなど)は、日本の領土である竹島を不法占拠しているという事実を認めるわけにはいかないので、「独島は韓国の領土だ」と言うためにありとあらゆる「うそ」(こじつけ、客観性を欠いた自分勝手な解釈)を繰り出している。その中から、本稿では「韓国は日本の竹島領土編入に抗議したくてもできなかった」という主張についてその、うそを明らかにしてみたい。 日本が竹島を公式に日本の領土としたのは1905年の閣議決定(1月28日)と島根県告示(2月22日)を通じてだ。そして、竹島(独島)が日本領となったことを韓国政府中央が知ったのは、それからおよそ1年後の1906年5月のことだった。もし、韓国政府が日本の竹島領土編入に異議を提起するとすれば、それは1906年5月以降に可能となったということになる。 ところで、その半年ほど前の1905年11月17日に日本と韓国(大韓帝国)との間では第二次日韓協約が結ばれて韓国の外交権は日本に接収されることとなり、韓国は事実上日本の保護国となった。第二次日韓協約は乙巳の年に締結されたので乙巳条約とも言われ、また韓国では「勒(くつわ)」を掛けるように強制的に結ばされたという意味から「乙巳勒約」とも言われる。 この協約では、第1条に「日本国政府は、東京にある外務省により今後韓国の外国に対する関係及び事務を監理指揮する」と、また第3条には「日本国政府は、その代表者として韓国皇帝陛下の下に統監(レジデントジェネラル)を置く。統監は、外交に関する事項を管理するため京城に駐在し親しく韓国皇帝陛下に内謁する権利を有する」とある。初代統監は伊藤博文が1906年3月から1909年6月まで務めた。日本と韓国との領土問題になっている竹島 竹島領有権論争が進行中の現在、韓国側の学者・研究者からは、この第二次日韓協約を理由として「韓国は日本による独島侵奪に抗議したくても、外交権を日本に押さえられていたから抗議ができなかった」という主張がしばしば言われ、日本の竹島編入を非難する一つの材料となっている。二、三の例を挙げよう。 1905年の島根県編入措置は、日露戦争中、韓半島侵略過程で行われたものであり、すでに確立した大韓民国の独島領有権に対して行われた不法かつ無効の措置である。韓国は日本の措置について気付いて、即時「独島が韓国の領土である」ことを再確認したものの(1906年)、乙巳勒約(1905年11月)によって外交権が奪われた状態だったため、外交的抗議の提起ができなかったのである。(東北アジア歴史財団「日本外務省の独島領有権主張に対する反駁文」2008年) 韓国政府が日本政府の独島侵奪決定の事実を知ったのは、1906年3月28日でした。鬱島郡守の沈興澤はこれを知るや「本郡所属独島が日本の領土になったと日本人たちが主張している」と江原道観擦使に報告し、江原道観擦使は中央政府に報告しました。これに対して、韓国政府内務大臣は直ちに独島領土侵奪を断固として否定し、「独島を日本領土とする主張は全然理がない主張で、甚だしく驚愕するところだ」と抗議しました。 議政府の参政大臣(総理大臣署理)は、「独島の日本の領地云々は全く根拠のない主張」と強力に抗議し、日本人の動きをさらに報告するように訓令しました。しかし、韓国中央政府のこのような抗議は、日本政府に外交文書として発送することができず、書類としてだけ奎章閣に保管されることになりました。何故ならば、日本が1905年11月18日に乙巳条約を強制して韓国政府の外交権を奪ってしまい、1906年1月からは日帝統監府が韓国政府の外交権を行使したからです。しかし、韓国政府がこの時強力に抗議したことは証拠が残っている事実でした(シン・ヨンハ(独島学会会長 ソウル大名誉教授)『世界人が独島問題を理解するための16のポイント』)。海軍望楼の跡地売買事件 一方、日本は露日戦争を経て重要性を悟ることになった独島に海軍望楼を建てて無線電信を設置しようと、1905年1月28日独島の日本領土編入を決める。後にこの事実を政府が知って反論するが、乙巳勒約で外交権を剥奪されていて抗議するには不適当だった(「独島」(『韓国民族文化大百科』))。 このような「独島日本領編入を知った韓国政府はそれに異議を提起しようとしたが第二次日韓協約のために不可能だった」という説明は、「日帝の悪辣さ」を強調したい韓国の一般世論の中では大変に受け入れられやすいもので、韓国における「独島問題」の理解としてほぼ常識となっていると見てよいだろう。 しかし、竹島問題に関する韓国側の他の諸々の主張と同じく、これもうそなのだ。そう言える理由として、本稿では「海軍望楼跡地売買事件」、「早稲田大学学長処分要求事件」そして「ハーグ密使事件」について述べることとする。竹島の位置 この件は、島根県竹島問題研究会の第2期「竹島問題に関する調査研究」最終報告書中の「韓国政府による竹島領有根拠の創作」という論文で紹介されていて、出典などもそこに記載されているが、1905年12月の蔚珍郡竹辺浦(当時は江原道、現在は慶尚北道)という場所における土地売買の話で、不用となった日本海軍の望楼を購入した日本人がその土地も併せて買おうとしたことがあった。ところがそれは不法売買に当たると判断されて、現地の郡守から内部(内務部)大臣、李址鎔に報告が上げられた。その報告を受けた内部大臣、李址鎔は、1906年2月26日付けでさらに参政大臣、朴斉純へ報告して対処を求めたのだが、その文書の末尾では次のように要請されている。 この報告に基づき調査をしたが、蔚珍郡竹辺浦の望楼は日本海軍が軍用にしばらく駐屯していて既に撤収したのであるが、今、日本商人の高賀亦次が望楼長の高橋清重から私的に買い取ったというのは法律に違反するものでいかにも理に合わないことなので、ここに報告するので内容確認のうえ速やかに交渉され、即刻禁止させてそれを明示されるよう願う。 つまり、日本人が不法な土地売買をしているので日本側と交渉をして禁止すべきだと言っているのだが、それは、当然ながら、そういうことが可能だという認識が前提になっている。そして、この要請を受けて参政大臣、朴斉純は実際に日本側(統監府)に事情を照会した。その往復文書は確認されていないが、照会の結果を参政大臣、朴斉純から内部大臣、李址鎔に回答した文書がある。全文を掲げる。 《貴第3号照会を受けて、蔚珍郡竹邊浦の望楼と土地の私的売買禁止の件について統監に照会し回答を得た。回答は次のとおりである。先月14日、蔚珍郡竹邊浦の望楼売却について貴第13号照会を受け取ったが、その照会に基づき日本の佐世保海軍鎭守府に文書を送って事実を調査したところ、その報告によれば、その望楼用の建物と設備は代金收納後に全て他人に譲渡することとし、佐賀県人である古賀亦次に売却した。昨年12月27日に既に代金を受領したがその敷地は売却していない。以上回答するので承知されたい。このような照会結果であったので、内容を確認されたい。1906年4月17日 議政府参政大臣 朴斉純より 内部大臣 李址鎔閣下へ》 このように、参政大臣から事情照会を受けた統監府は本国に問い合わせた上で「土地は売っていない」という調査結果を韓国政府に回答し、その回答でこの一件は落着した。これは第二次日韓協約によって韓国政府の外交権を日本が接収した後のできごとだ。日本人による不法な土地売買が行われていると判断した韓国政府の大臣は、一人は「即刻禁止させてくれ」と意見を述べ、もう一人は日本側に対して事情照会を行った。その形式は「照会」(問い合わせ)なのだが、本件の場合は「不法なことがあっているようだから事情を確かめたい」という意味なのだから、その本質は立派な「抗議」だ。 そもそも、外交権が押さえられたといってもそれは第三国との関係においてそうだということであって、それが韓国は日本に対して何もものが言えないということに直接つながるわけではない。当時の日本と韓国との間には、基本的には日本のほうが強いという力関係の差はあったとしても、ここに見られるような普通のやりとりは行われていて「抗議」に類することも可能だったのだ。「抗議したくてもできなかった」 そして、この二人の大臣はこの翌月(1906年5月)に「鬱島郡所属の独島が日本領になった」という現地鬱陵島の鬱島郡守、沈興沢からの報告に接することになる。先に引用したシン・ヨンハ氏の『世界人が独島問題を理解するための16のポイント』でも紹介されているのだが、沈興澤の報告を読んだ内部大臣、李址鎔は「独島を日本領土というのは全然理がないことで、甚だしく驚愕する」と反応し、参政大臣の朴斉純は「独島領地の件は事実無根のことだが、その島の状況と日本人の行動を更に調べて報告せよ」と指示した(5月10日)。 ここでは、二人とも日本の竹島編入には異議があるという姿勢を見せているのだが、結局は日本に対して抗議が行われることはなかった。韓国の論者の説によるならば、外交権が日本に押さえられていたから内部大臣、李址鎔も参政大臣、朴斉純も何も言えなかったのだということになるのだが、その直前の時期に二人の大臣はその判断によって日本側に対する事情照会を行っていたのだから、竹島編入に異議があったのならば同じように事情照会くらいはできたはずなのだ。だが、日本に対する具体的な反応は何もなかった。 結局、この土地売買事件の顛末からは「抗議したくてもできなかった」という現在の韓国側の主張がうそであることが分かるし、抗議しようと思えばそれは可能であったのに結果として竹島については抗議がなかったのだから、それは抗議する必要がないと判断されたことを示していることになる。  初代韓国統監、伊藤博文と韓国政府の大臣たちとの間では韓国施政改善協議会という韓国の政務運営に関する協議の場が設けられていた。その記録が残されているのだが、第13回(明治40年(1907年)4月5日)の議事録に興味深い記録がある。 その二日前に韓国の新聞である大韓毎日申報が「日本の早稲田大学校において討論会を開き、韓国皇帝に対して華族の称号を奉呈することの是非を決議したため、同校の韓国学生は忿痛を抑えることができず全員退学したという。大韓臣民の無限の痛恨はむしろ死んだほうがましであろう、等々」と報道した。これが問題になったのは、おそらく、仮にも一国の皇帝の地位にある者に対して「華族」というレベルの称号を議論するのは非礼にもほどがあるということだと思われるが、第1313協議会において韓国政府の大臣たちはこの新聞記事を取り上げて統監の伊藤博文に善処を求めた。当日の出席者は統監府側は統監の伊藤ほか一名、韓国政府側は参政大臣の朴斉純、内部大臣の李址鎔のほか度支部大臣、法部大臣、学部大臣、軍部大臣、農商工部大臣の名前がある。伊藤博文首相 統監の伊藤に対して、最初は軍部大臣が「もし日本で果たしてこういう事実があったのならば、本件について統監閣下の御考慮を煩わせたく思います」と非常に婉曲な言い方で伊藤に訴え、度支部大臣も「私たちは遠隔の地にあって日本の事情は詳しく分かりませんが、もし本当にこの記事のとおりの事実があるのならば閣下の御注意を煩わせたく存じます。こういう事件は両国の交誼に影響を及ぼすことすこぶる大であります」と同趣旨を述べた。 これに対して伊藤が、この件は日本政府や官吏の行為ではなくて書生の空論に過ぎない、書生たちの間では放言は往々にしてあるものであって政府が一々これを取り締まることはできない、思慮のある日本国民はこんなことは考えないなどと述べてことを収めようとしたのに対して、軍部大臣が今度ははっきりと「もしこの新聞が伝えるような事実があるのならば、責任者たる早稲田大学の校長以下に対して相応の処分を加えていただきたい」と求め、内部大臣の李址鎔も「もし学校が討論を許したのであれば、責任者たる校長などにしかるべき筋から注意を与えていただきたい」と重ねて要求した。 自分たちにとって承服しがたいことがあったから関係者の処分を求める、というのは「抗議」そのものだろう。これは韓国政府が日本の竹島領土編入を知ってからおよそ一年後のできごとだが、そういう時期でも韓国政府は日本側に対して必要と思えば要求あるいは抗議ができる状況にあったことが分かる。「外交権が剥奪されていたから日本に対して抗議ができなかった」などというのは根拠のない思いつきの反論に過ぎないのだ。 ハーグ密使事件はよく知られている歴史上の事件で、1907年6月15日からオランダのハーグで開催された第二回「万国平和会議」に韓国皇帝高宗の密命を受けた3人の韓国政府関係者が参加しようとした事件だ。すなわち、韓国政府が日本の竹島編入を知ってから約一年後のできごとだ。密使たちは、世界各国に日本による韓国支配の不当性を訴え、第二次日韓協約が無効であることを列強に承認してもらうことによって日本に奪われた外交権の回復を図ろうとしたが、列強の支持を得られず失敗に終わったとされる。 ハーグに到着した李相卨、李儁、李瑋鐘の3人の密使は、まず日本以外の参加国に「控告詞」という文書を送り、日本による韓国の外交権接収を批判して各国の賛同を得ようとした。「控告詞」では、日本に対する告発の理由を3点挙げた。日本が韓国皇帝の合意を得ずに行動したこと、目的達成のために韓国政府に武力を行使したこと、韓国の国法と慣習法を全て無視したこと、の3点である。また、「日本の策略によって、私たちの間に維持されて来た友好的な外交関係が断絶され、恒久的な極東平和が脅かされるようになりました。独立国家である大韓帝国が、どうしてこのことを認めることができるでしょうか」という言葉もある。 そして、「日本人不法行為」と題する付属文書では、第二次日韓協約の締結に至る過程で伊藤博文と日本軍がいかに横暴にふるまったかということを中心に、種々の日本の行為の「残忍さ」と「野蛮さ」が非難された。いくつか挙げれば、日本人たちは宮殿を不当に占拠して大臣たちに恥ずべき条約の締結を強要した、抗議して自決した高官たちもいる、日本の陰謀に反対するデモを武力で解散させ、そのとき多数が死に、あるいは負傷した、日本に魂を売った一進会を組織して多くの者を高額で買収した、平壌に住むある貧しい農夫は僅かの土地を日本人に取り上げられて自殺した、ソウルと義州間の軍事鉄道建設で付近の農民、女子供まで駆り出され、鞭で打たれながら報酬もなく働かされた、宮殿に入る者たち全てに女性も含めて裸にして身体検査をした、というようなことが非難されている。不法ならなぜ列強に訴えないのか だが、これだけのことを書きながら、そこに「日本は韓国の領土である独島を奪った」という指摘は一言もない。これは、現代の韓国の独島主張に照らせば実に奇妙なことだ。密使を派遣した皇帝高宗は、とにかく日本の圧迫・干渉を排除したいと考えて日本が韓国を蹂躙(じゅうりん)しているという形でその不当性を訴えさせたわけだ。それならば、日本が辺境の一小島とは言え、れっきとした韓国の領土を不法に侵奪したのであれば、なぜその行為を列強に訴えなかったのか。 「領土を奪う」という行為ならば、先の「控告詞」にある「独立国家である大韓帝国が、どうしてこのことを認めることができるでしょうか」にまさにぴったり当てはまるものとして列強諸国の関心を引く度合はより高かっただろう。だが密使たちはそんな指摘をしなかった。 これが何を意味するかは明らかだろう。現代の韓国の研究者たちは抗議したくてもできなかったというのだが、ハーグ密使は完全に日本に対して秘密裡に準備されたのであって、一切日本に気兼ねすることなく思う通りのことを発表することができた。それなのに竹島(独島)について何も言わなかったというのは、日本の竹島領土編入は韓国にとって何も問題とすることではなかったからなのだ。日本が領有権を主張する「竹島」(ロイター)  以上のように、日本の竹島編入の事実を知った前後の韓国政府は、日本に抗議をしようと思えばそれができる状態にあった。しかし、抗議はしなかった。それもそのはずなのである。筆者は、以前にこのiRONNAに投稿した文章(「韓国は110年前に竹島の領有権を放棄した? 謎多き「石島」の真実」)で、日本の竹島編入には韓国政府も異議がないという形で竹島問題は1906年に既に決着していたことを述べたことがある。 「独島が日本の領土になった」という報告を受けた内部大臣、李址鎔と参政大臣、朴斉純は、最初は日本の決定に疑義を持ったのだが、改めて検討した結果、異議をいうべきものではないことを理解したのだった。したがって、結局この二人が抗議をしなかったのも、またハーグ密使が「独島」について何も言わなかったのも当然のことだった。 心優しい日本人の中には「日本から圧迫されていたから抗議したくてもできなかったのだ」などと言われると「なるほど、そうだろうな」と思ってしまう人もいるかも知れない。だが、竹島問題に関して韓国側の論者のいうことはうそばかりだ。それは、韓国が竹島を不法占拠しているという事実を何とか合理化しなければならないので、勢い無理な説明を繰り広げることになるからだ。 なお、韓国政府はこれまで公式の主張としては「抗議したくてもできなかった」ということは言っていないようだ。だから本稿のような指摘は意味がないという見方もあるかも知れない。だが、韓国政府は「独島は、こうした日本による韓国の主権侵奪過程の最初の犠牲でありました。1905年、日本による独島編入の試みは長きにわたって固く確立された韓国の領土主権を侵害した不法行為であるため、国際法的にも全く効力がありません」(韓国の美しい島、独島)というふうに日本の竹島編入を強烈に非難する一方で、当時の韓国政府がそれに抗議したという事実は示していないのだから、「では、なぜそのときに抗議しなかったのですか?」という問いは有効に成立する。 そして、実際に抗議した事実を提示できない以上、その質問に対する回答の選択肢は、「抗議したかったができなかった」と言うか「自分の意志としてしなかった」と言うかのどちらかだ。だが、おそらく韓国政府はそのどちらも口にすることはできない。前者は、そういう状況ではなかったことは韓国政府も分かっているだろうし、後者は、それこそ日本の竹島編入に韓国政府も異議がなかったことを認めることになるからだ。

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    「国債亡国論」に騙されてはいけない

    著者 Don Giovanni  蝸牛庵居士と墨堤居士は、ともに東京の下町に住む知合いである。二人は永い付合いであり、いわば親友である。時々暇をみては(実はいつも暇なのだが)お茶を飲みながら雑談を交わしている。筆者のDon Giovanniがそれを傍で聴いていて文章にまとめてみたというわけである。なお、蝸牛庵(かぎゅうあん)は幸田露伴の旧宅、墨堤(ぼくてい)は言うまでもなく向島の隅田川堤のことである。二人の老人はこの墨堤の近くに住まっている。雑談 その1 蝸牛庵居士(以下K) やあしばらくですな。お元気ですか。 墨堤居士(以下B) やあやあ、なんとかやっていますよ。ただご近所のみなさんはすっかり歳を取ってしまい、だんだん元気がなくなってきていて心配です。世間全体でも老齢化が進んでいるようで、この国の将来がどうなっていくのか心配ですよ。 K そうですなあ。われわれが若い頃は、世間は活気に満ちていてみな忙しそうに飛び回っていたが、今はすっかり様変わりしたように見える。景気もはっきりしないので、みなさんじっと耐えて我慢をしているようだ。私は永く当地でささやかな料理屋をやっているが、商売はさっぱりだよ。墨堤さんは学生時代に経済の勉強をされてきたというし、また大きな会社の経営者としての経験もあるので、このデフレがどうなっていくのか解説していただけませんか。 B 1980年代のバブルがはじけて日本経済は今までの記録にない長期にわたる低迷を続けている。国全体の所得を表すGDPは1997年をピークとしてそれ以降一度もその水準を上回っていない。いわゆる「失われた20年」という長期のデフレーション(物価の継続的な下落と不況)が続いている。 2012年末の自民党政権の復活によって新しい経済政策が実行に移された。アベノミクスである。当初は為替、株価の回復が見られ政策は成功に向かっていくと期待されたが、ここへきて政策の中核をなすリフレ策の効果の限界が確かになってきている。このままではデフレからの脱出は絶望的であり、強力な財政政策の出動が必要との見方が有力である。期待される財政出動の額は最低でも年15~20兆円規模であり、かつそれを数年続ける必要があると見られている。 しかし7月末に発表された経済対策案によると、いわゆる真水による追加の財政支出(主として公共事業)は2~3兆円規模に留まりまったく不足である。これでは個人消費の回復や企業の設備投資意欲の復活などは到底望めない。 K 本当に大胆な財政支出が必要ということならば、もっと思い切ってやったらどうなのかな。それができない訳でもあるのかな。「国債亡国論」の嘘 B 根本的には財政支出に限界があるとされていることが問題だ。国債発行残高が1,000兆円を超えており、財務省を中心にして、これ以上財政赤字を続けるわけにはいかない、いわゆるプライマリーバランス(PB)ゼロを早急に達成しなければならないとの声が根強くある。これを「財政均衡主義」と言っている。また以下では国債の増加を制約すべしとの主張を「国債亡国論」と言うこととしたい。 しかし、国債残高の累増によって、わが国全体あるいはわが国の財政が破綻することはありえないということが今やはっきりしている。ここがポイントである。この辺のことは、現時点では遺憾ながらまだ多数意見とは言えないが、次第に認知されつつある。具体的には以下の方々の著述を見れば分かる。また他にもそういう考えの論者はおられると思う。蝸牛庵さんも一度勉強してみてはいかがかな。 三橋貴明氏、藤井聡氏、青木泰樹氏、島倉原氏、小野誠司氏、青山繁晴氏、田村秀男氏、中野剛志氏、菊池英博氏、高橋洋一氏、R.Koo氏などである(順不同)。 K 安倍総理や官邸はこうした事態を理解しているのだろうか。理解しているのならば、強引にでも旧来の考えを捨てて積極的な財政政策に踏み込んでいったらどうなのか。安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=12月20日、首相官邸 B 最近の安倍総理や副総理の麻生財務大臣は理解しているようにも見える。 2016年6月に出版された藤井聡京都大学教授による「国民所得を80万円増やす経済政策」が具体的な提言を示している。藤井教授は内閣官房参与であり、また本書に対して安倍総理は「日本経済再生に必要な、具体的かつ実践的な提案だ」と述べている(本書の帯を参照)。しかし永年にわたって流布された「国債亡国論」の嘘を蹴散らしていくのは容易なことではない。「嘘も100回言えば本当になる」と言うが、今ではほとんどすべての人々が「国債亡国論」は真実であると信じている。 財務省だけではなく、政治家、日本銀行・経済界の指導者層、経済学者、評論家・エコノミスト、マスコミには「国債亡国論」が根強くはびこっている。またほとんどの国民は国債の累積がいずれ国を滅ぼすと信じている。すなわち事態はそう簡単に動くとは考えられない。 K 財務省が「財政均衡主義」や「国債亡国論」の中心にあるようだが、どのような背景・理由によるのだろうか。 B 財務省はもともと国(中央政府)のお金の管理をするのが使命の役所だから、始めからお金に関して保守的な考えを持っていることが当然でそれが伝統になっている。まあ自然の成り行きである。財政均衡主義と言われる考え方である。 K しかし時代・環境が変わったわけだから、そういう考え方を変えさせるわけにはいかないのだろうか。エリートにとって借金は辛い話 B かねて知り合いの某記者から聞いている話をしよう。彼は長い間官界の担当をしていてその実情に詳しい。以下に述べるように、蝸牛庵さんの期待するようにはいかない事情・経緯がある。 財務省の伝統としてその幹部はほとんど東大法学部出身の優等生で構成されている。在学中に司法試験合格、外交官試験合格、国家公務員試験合格(かつ順位一桁以内)といったキャリアが尊ばれている世界である。彼らは小学生の頃から優等生であり、いつも周囲から羨望と尊敬を集めてきた経験に満ちている。その結果強烈なエリート意識と権力意識を持っており、自分たちこそが財務省の仕事を通じて国を動かしていくのが当然だという野望と信念を持っている。そして阿呆な話だが、世の中はそれを認めている。財務省=東京・霞が関 財務省の仕事の中心は財政資金の配分(予算案の作成)と財政資金の収集(税金の徴収)である。そしてこのことこそが財務省の権限の源泉である。そして国債残高が累増していくことは、そうした仕事にとって決して好ましい状態とは言えないであろう。安月給に甘んじて徹夜でがんばってお国のために働いているのに、学校時代にさっぱり成績の良くなかった国会議員の連中が騒いだのでこんなに国債が増えてしまった。この巨額の国債を返済することは可能なのだろうか。多分無理であろう。困ったことだ、と彼らは思っている。 言うまでもなく国債とは国(正しくは中央政府)の借金である。そして借金をするには人様に頭を下げねばならないであろう。しかも借金が多ければ多いほど自由に使える資金量は自ずと制約されざるをえない。つまりはエリートたちにとって借金はとてつもなく辛い話なのである。 財政資金の配分に与りたい国会議員を始め、他の省庁や全国の都道府県の役所の連中、あるいは民間企業の連中を、床の間に座って悠々と指導したいと思っていたのに、この様はなんたることかということなのであろう。 財務省幹部が財政均衡主義から離れられない深層にはこうした事情があるのである。わが国民1億2千万人の福祉・幸福・安全のためには財政均衡主義では対応できなくなってきている現実がある。そして今や財務省幹部は、そのことを分かっていないわけではないと思われる。そう、彼らは優秀で頭は決して悪くはないのであって、この程度のことは頭では十分に理解しているはずなのである(なかにはあまり頭脳明晰ではないボンクラが若干はいるかもしれないが、それはきわめて少数であろう)。しかしだからと言って彼らが財政均衡主義を放棄することはありえない。財政均衡主義の放棄は彼ら自身がよって立つ基盤の崩壊と同義だからである。彼らにとっては、国民の福祉・幸福・安全などということは、二の次のテーマである。どこまでいっても財政は健全で均衡していなければならないのである。積極的な成長政策転換は? ノブレス・オブリージェ(noblesseoblige)という言葉はこの国の第1級のエリートである財務省幹部のためにあったのではないだろうか。しかし彼らの言動を見ると誠に遺憾ながらこうした期待をするのは無駄なことだと諦めざるをえない。もちろん少数ながら国債亡国論が間違っていることを理解してこうした大勢に抵抗したいと考える人もあるだろう。それを信じる。しかし多勢に無勢であり抵抗を続ければ組織からはじき出されるか、左遷されるかが落ちである。どんな組織においても内部からの変革を実現するのはとんでもなく困難なことなのだ。 財務省は財政均衡主義の重要性をあらゆるルートを通じて、国会議員、他の主要官庁、日本銀行・経済界の指導者層、経済学者、評論家・エコノミスト、マスコミに浸透させてきた。また新聞・テレビ・雑誌などのマスメディアを通じて国民一般に国債亡国論を吹き込んできた。 浸透のメカニズムはこうである。財務省は国会議員に対しては予算編成時などの機会を捉えて「ご説明」と称して繰り返し財政危機について説得をしていく。国債亡国論はある意味で直感的に分かったような気がするテーマである。家計などに比較して説明されると本当らしく見えてしまうのである。とくに民主党の議員は上手に財務省の手に乗らされてしまった。民主党政権時代の鳩山、菅、野田の3氏はすっかり取り込まれてしまい、消費税増税の先鋒に立ったのはそんなに昔のことではない。情けない話である。 他の主要官庁に対しては予算上で絶対的な権限を行使する。日本銀行に対しては日本銀行法および総裁人事(現在の総裁は財務省出身である)などを通じて影響力を行使してきた。 また経済界は多額の受注を財政資金に依存している。税制についても財務省との関連が深い。またかつての石坂泰三氏のように国全体の将来を真剣に論ずる人材が現在の経済界にはなかなか見当たらない。それどころか財界の枢要な地位にある人物が自分の会社・属する業界の利害に敏感な行動を取った例が少なくない。話にならない。 一方、学者やエコノミスト、マスコミのなかには国債亡国論が間違っていることを認識している人たちがここへきて増えつつあるようだ。しかし、それでもまだ依然として少数派である。本来、学者やエコノミスト、マスコミは言論統制・圧力に対して抵抗すべき最後の砦である。しかし総体として見ると財務省からの圧力に対して彼らが十分に対抗しているとは到底言えない。その証拠は数々ある。また彼らが自らフェイバー(favor)を財務省に求めることもある。ひとつだけ例を挙げれば、新聞購読料金が消費税の軽減税率の対象になることは既定路線になっているようである。ギブアンドテイクの関係が成立していると言わざるをえない。このように大変残念な状況にある。 K 墨堤さんの言うとおりとすると困ったことだなあ。なんとかならないものだろうか。 B 遺憾ながらなんともなりそうもない。事態は悲観的である。財政政策が根本的に変更されることは当面期待できそうもない。したがってわが国はいつになっても20年も続いているこのデフレから脱出できないことになる。過去20年間において、わが国経済が年々若干でも成長を遂げていれば、わが国のGDPは累計で1000兆円程度は実績よりも大きかったはずだとの試算がある。当らずとも遠からずであろう。大変な金額である。そして今わが国の現状をつぶさに点検してみると、防災、防衛、インフラの整備、科学技術の振興、福祉・医療、教育などの重要な分野において優れた人材と巨額の資金が強く求められていることが明らかである。その資金の源泉になる経済成長を促す積極的な成長政策への転換の可能性はない。すなわち事態は大変悲観的である。強烈な焦りを感ずる。なんとかならないのであろうか。 K 私も本当に焦りを感じる。安倍内閣が希望の光雑談その2 K やあ墨堤さん、先日はいろいろとありがとう。でも暗い話でしたね。 B そうでした。蝸牛庵さん、なにかいいお知恵はありませんか。未来投資会議で挨拶する安倍晋三首相(右)=12月19日、首相官邸 K そう言われてもなんだが、私なりに考えてみたよ。一つは安倍内閣が希望の光ではないか。安倍さんは財務省の考えや行動をよく理解しているようなので、やすやすと財務省の手に乗ってしまうことはないのでは、と期待したい。でも総理大臣は忙しすぎてこのことばかりに時間を振り分ける余裕がないのが心配だ。ただ与党内には、力もあり見識のある議員も少なからずいるのでそういう人たちのバックアップや独自の活動を期待したいところだ。 それからやはり良識がありかつ度胸のあるエコノミストや学者の活躍を期待したいところだ。なにかと圧力がかかると思うが、今こそそういう方々ががんばってマスコミを動かし、そして世論を動かしていくべき大切な時だと思うよ。あえて言うと東大など体制派の学者や民間大手の研究機関所属のエコノミストには期待できない。むしろこういう人たちは圧力の一端を担ぐ懸念がある。 墨堤さんの話の要点の一つは、現在の支配階級が強固な連帯を形成している点にある。すなわち、官・政・財・学・言論・マスコミなどの各界がそれぞれ役割は異なるが、お互いに弱点を押さえ合い、場合によっては弱点を補い合い、最終的には個々の、そして結局は全体の利益を擁護する構造になっているということだ。大きな利益擁護のための共同体になっている。そして政策やシステムの変革が共同体の利益と矛盾する場合がある。 たとえば「財政均衡主義」や「国債亡国論」を放棄して積極財政を進めようとの正論は、この共同体の利益にとって好ましくないと考えられている。そしてこの共同体の構造はきわめて強固であり内部からの力では到底打ち壊すことはできない。しかしこの体制・構造を打破しなければ新しいパラダイムを築くことは絶望的に困難だ。本格的なデフレ対策の実行を妨げ、邪魔をしているのは、ひとり財務省だけではなく、上に述べた利益共同体でもあるのだ。 近世以降のわが国の歴史を見ると、このような時代遅れの体制が国の変革・発展の壁になっていたことが過去2回指摘できる。その一つは明治維新直前の幕藩体制であり、他の一つは大東亜戦争末期の政・官・財・軍の非常時体制である。いずれの体制も明治維新と敗戦によって完璧に打破され指導層がすっかり入れ替えられ、そして新しい時代への歩みが始まった。 現今のわが国が置かれている状況を見ると、新しい時代を迎えるためには同様の大変革が必要ではないかと思うが、どうかな。 B なるほど、蝸牛庵さんの言われるとおりかもしれない。今思いついたのだが、明治維新(1868年)から大東亜戦争の敗戦(1945年)までが77年、敗戦から今年(2016年)までが71年とほぼ同じ期間になる。かりに敗戦から77年は2022年ということだ。77年という時間はこの国の歴史にとって区切りの一単位、つまり竹の節から節のような期間を表しているのではなかろうか。いよいよ指導層の総入れ替えのタイミングかもしれない。 明治維新の直前も大東亜戦争の敗戦の直前もこの国は袋小路に迷い入って、にっちもさっちもいかない苦境に喘いでいた。今回の「失われた20年」もそういう時期の前段階の到来として受け止めるのが正しいのかもしれない。2022年に拘るわけではないが、2022年までのこれからの6年は一層きびしい最終の受難の時期に当たるのかもしれないな。本当の苦境はこれからなのだ。私どもはそれに気づいていないということなのだろうか。今は平成の爛熟期なのか K 同感だ。私は、次の二つの事象がそのきっかけになるのではと、心配している。一つは地震などの天災の発生だ。とくに首都圏での大地震の発生が心配だ。関東大震災も東京に大きな被害をもたらしたが、今回は首都圏の人口が激増していることに加え、コンピュータ社会になっているので情報網の破壊が社会の致命傷に繋がる。完全な復興には相当長い時間(多分数十年)が必要となる。そして指導層が全面交代し、新しい時代が始まる。破壊と再生である。北京の人民大会堂で、孫文の生誕150周年の式典で講演する習近平国家主席=11月11日 他の一つは中国との戦争の勃発だ。みなさん、そんなことはないと思っているだろうが、10年単位で考えると尖閣列島の占拠は言うに及ばずもっと広範囲な争いが発生する懸念が十分にある。いつまでという時間を区切らなければ、紛争発生の確率は100%だ。なぜなら中国は、アメリカの衰退を見ていよいよ太平洋の覇権獲得に乗り出すからである。第二次太平洋戦争が始まる。アメリカは日本を助けてくれない。安保条約は無効化する。なぜならもうアメリカには他国を助ける余力が残されていないからである。助けたくても助けられないのである。ドルは暴落して紙くずになる。世界経済はほとんど破滅するだろう。逆説的に言うならば、わが国は安保条約の相手をアメリカから中国に変えて置かなければならなかったのである。でもそうもいかないであろう。この場合も指導層が全面交代し、新しい時代が始まる。やはり破壊と再生である。 B テレビの番組をたまには見るが、この国はなんと平和でのんびりした国かと感心している。文化文政期は江戸文化の爛熟期だったと言われる。そんな格好のいい話でもなかろうが、今は平成の爛熟期なのだろうか。今のわが国は戦争だ天災だといった耳にしたくないことは棚に上げて、遊びまくっているように見える。激動の変革期を前にして本当にこんなことでいいのかと心配でならない。 世の中のほとんどの人は戦争や大地震などは当面起こらないと思って毎日を過ごしている。過去においても大多数の人は阪神・淡路の大震災や東北の大震災・福島の原発事故などといったことは起こらないし、起こっても軽微に留まるだろうと思っていた。そのように思っていたのは事実だ。しかし実際に災害は発生した。 地震が発生する確率なるものを学者はいろいろと発表している。でも本当は過去の数字を解説している程度の話だ。所詮今の地震学のレベルでは予測など不可能というのが正しいらしい。でもそれにすがるしかないので、そういう予測を前提にして考えざるをえない。一方戦争が発生する確率など分かるはずがない。これも過去の戦争の歴史などをもとにして適当に考えてみるよりない。 大胆な推定であるが、これから10年~15年くらいの期間に首都圏大地震あるいは中国との戦争のどちらかが発生する確率を50%くらいに見ておいてもいいのではないかということになった。少なくともnegligibleな数字にはならないようである。場合によってはこうした恐ろしい事象が同時に、あるいはきわめて近い時期に起こることだってありうる。 K 10~15年の間に50%の確率でそうした大惨事が起きるとすると、事前の対策には相当の時間と莫大な資金が必要となるだろう。やや楽観的に見て、発生確率が50%まではいかないとしても、墨堤さんの言われるようにネグリジブルな数字にはならないだろうから、われわれはとんでもなく恐ろしいことが起こることを予めしっかりと覚悟し、準備しておかねばならないわけだ。日本人の特質論 B 秋の臨時国会で防災と防衛の予算を10兆円でも20兆円でも追加してすぐにその準備に着手すべきだ。それがまた同時に不況対策になる。「失われた20年」からの脱出につながる。そして急速に景気が回復する。必ずみんながハッピーになる。その結果税収も増えていずれ国債の発行も不要になる。このように申すと、人は私が適当なことを言っていると思うかもしれない。そんなことはない。以上のことは先日名前を挙げさせてもらったエコノミスト諸氏が口を揃えて主張されていることばかりなのである。 K 話をちょっと戻したい。幸いにして大震災や中国との紛争が起こらなかった場合のことだが、その場合には指導層の全面交代は起こりそうもないので経済・財政政策の転換は期待できないということになるのだろうか。 B そうだなあ。震災や戦争が起きないのは本当に喜ばしいが、その場合にはやはり積極政策への転換はきわめてむずかしいと思う。妙案のある人がいたら聞いてみたい。 私の判断の背景には、わが日本人の特質論といったものがあり、その特質が「国債亡国論」の跋扈を許している大きな要因と考えている。その特質の第一は、ごく普通の日本人に共通して見られる根拠なき官僚・官学に対する尊崇・尊敬である。とくに財務省と東京大学はその代表格である。わが日本人の大半はこの両者に対してはいわば盲目的に尊崇の態度を取ってきた。明治期あるいはもっと以前から日本人は官僚(あるいは武士階級)に対して尊敬の態度を示してきた。明治期以降もそういう伝統が延々と今日まで続いている。そうすることが無難だし場合によっては安全であり、また時によっては利得すらもたらしたからであろう。人々は東大教授や財務省幹部の言うことに対してまったく無批判に正しいものだとして受け入れてきたのである。一方東大や財務省の幹部は世間のそういう無批判な支持がほとんど根拠のないものだということを十分に知りつつ、その支持や尊崇を受け止め、利用してきたのである。ガリ勉に明け暮れ、東大から財務省に入ることがどうして尊敬の対象たりうるのか、理解に苦しむ。馬鹿馬鹿しい話ではなかろうか。 その特質の第二は、わが日本人は近隣の人や何かで関連のある人の言うことに安易に同調する傾向がある。これを「和の精神」の表れと言えば聞こえがいいが、はっきり言うと主体性に乏しいということだ。自分の頭で考えることを疎かにする。「国債亡国論」がこれほど流布されたのは好個の例ではないかと思う。新聞が「大変だ、大変だ」とどんどん書く、テレビはこぞって「後世に莫大な借金が付け回される」と騒ぐのでそうかなあと思ってしまう。加えて親しい友人も近隣のおじさんたちも大変だと言う。やっぱりそうなのだと今度は確信するわけだ。偉そうな言い方で気が引けるが、自業自得ということになる。これがわが日本人の器量であり、限界だということになる。遺憾ながらわが国もこの辺で店仕舞いをする運命にあるのかと諦めたくなる。悔しいな。 K いやあ、そんなことを言わないでもらいたいな。諦めずに打開策を考えてみたいな。次回までの宿題として置こうではではないか。 B それもそうだね。では、また。

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    トランプ勝利をポピュリズムの象徴とみる誤り

    著者 河野素山 世論調査上の劣勢やいわゆる有識者達の非難にもめげずに、トランプ次期大統領が歴史的な勝利によって誕生する。トランプ氏を大衆迎合主義、ポピュリズムの象徴として否定的にとらえる人々が多い。しかし、彼はそもそも他人に迎合するような性格とは見受けられないし、富が一部に集中する傾向を増していき1%の富者が富の半分を支配するまでに至った世界において、大衆のための政治を行うのは正しいことである。 選挙戦は、不人気候補者間における非難合戦となり、一見すると政策論争は少なかった。しかし、実はその非難合戦自体が、この四半世紀間におけるPC(ポリティカル・コレクトネス)運動、弱者是正(アファーマティブ・アクション)運動、グローバリズムの流れと、これらに対する地域主義、公平さ、言論の自由、法の支配をもとにした反作用との間で生じたものであって、根本的な価値対立を表した最大の政策論争であった。トランプ氏の勝利は後者らの勝利にほかならない。マイアミ・デード大学で行われた集会で聴衆にウインクする民主党大統領候補のヒラリー・クリントン前国務長官=10月11日、フロリダ州マイアミ ヒラリー・クリントン候補は、平成7年の国連世界女性会議における名演説を経て、男女平等運動やPC運動の体現者となった。PC運動は、狭義では差別的用語を廃絶する運動にすぎないが、その用語ポリティカル・コレクトネス(Politically Correct)が評価形態をとっていることにも表れているように、実際には用語是正だけではなく人々の差別的意識や社会における差別的現状まで是正しようとする運動であって、弱者の社会的優遇を正義とする弱者是正運動と結びついている。そして、PC運動の延伸的性質からして、そこでいう弱者は国内にとどまることがなく、国外における弱者救済にまで結びつき、難民受け入れや不法移民への寛容、国外に対する同質的なPC政策の押し付けを経てグローバリズムとも結びつくこととなった。 ヒラリーを核とするPC運動は、米国初の黒人大統領であるオバマ大統領の誕生に象徴される輝かしい成果と社会変革を成し遂げてきたが、反面において多くの腐敗と抑圧、不正義の温床となった。PC運動は、共通の価値観を広げようとする性質を有するがゆえに、言論の自由や多様な価値観に対する抑圧となりつつあるし、弱者是正運動は、実質的公平さを根拠に一部を優遇するものであって形式的公平さからの逸脱となるが、どの程度の逸脱が公平かについて共通認識はなく、逆に形式的不公平の蔓延が共通かつ透明性のある価値判断を喪失させ、一部の特権階級を生み出しかねない。実際、PC運動と根流においてつながるグローバリズムは、一部の企業に膨大な利益をもたらす一方で、国内における中間層の没落を招いていた。 さらには、PC運動は、正義を根拠に法を犯したベトナム反戦運動の影響下にある世代において再び法を犯す根拠ともなりうるのであって、法の支配すら危うくしつつある状態だった。ヒラリーを核としていた民主党全国委員会などの協力者達は、予備選を通じて多くの選挙不正を冒したし、本選においても不正な工作に手を染めた疑いがある。ヒラリー自体、クリントン財団への献金や多額な講演料を受けていた一方、国務長官時代には便宜供与を行っていたし、私的サーバーを通じて国家機密漏洩すら行っていた疑いがある。彼女の夫ビル・クリントン元大統領による恩赦事例に照らしても、ヒラリーには大統領就任後さらなる便宜供与が一部から期待されていたことであろう。PC運動に異議を唱えたトランプのみ 米国における白人中間層は、四半世紀を通じたPC運動による意識改革を迫られ、弱者是正の標的となり、グローバリズムの犠牲者となってきた。そもそも、将来的に少数者になることが確実視されている白人を、弱者是正を理由に形式的に不公平に取り扱い続けることが現在においても実質的に公平なのかはもはや疑問というべきであるし、経済的現状をみても彼らの中には経済的弱者として保護されるべき者が多い。また、国家元首である大統領がグローバリズムに染まって国家や国民の利益を第一としないこと自体おかしなことであろう。 米国は、今一度形式的公平に立ち返るなり、条件の平等性(レベル・プレイング・フィールド)のあり方について根本的な議論をするなりして、公平さと法の支配を取り戻すべきである。 今回の選挙においてグローバリズムや弱者保護のあり方はもともと論点であったろうが、PC運動自体に異議を唱えたのは、様々な暴言として非難を受けたトランプ氏のみであった。しかし、既存の政治家の枠を超えた彼のPC運動に対する問題提起は正しいものであるし、ヒラリーを含む既存政治家の腐敗を追及するなど体を張って挑戦し続ける彼の態度は、信念に基づくものとして多くの疲弊した米国民の支持を受けた。他の候補よりも多くの支持を受けたのは当然の結果であった。トランプ次期米大統領 大統領選の結果を受けてニューヨークやカリフォルニア州では抗議集会が開かれ、国外に脱出すると言ったり、カリフォルニア州を独立させようという人たちまでいるが、トランプ氏は差別助長を訴えているわけではない。米国は人種からして多様な国であり、差は現にあるものであって、公平さのあり方は状況によって変わりうるものである。また、不法移民に対処するのは国家として当然のことであるし、国民の福祉を充実させるためには難民や移民の受け入れに限界が生じる。勝利宣言の内容やニューディール的な政策への言及をみても、トランプ氏が国民全体を第一として非差別的に中間層を救済する施策を目指していることは明らかなように思われる。また、イスラムとの関係でいえば、表面上の軋轢を離れて根源的に考察すれば、PC運動とイスラム的価値観との対立がこれまでの軋轢を生んでいたのであって、むしろヒラリーよりもトランプ氏の方が多様性をもとにした融和につながりやすいとも言い得る。 PC運動などを巡る今回の対立は、すでに一定程度PCな世界で育ったミレニアム世代には実感のわかないものであったに違いない。ヒラリーは彼女の運動が成果をあげたがゆえに時代遅れとなっていたのであって、選挙不正や違法行為に手をそめるまでもなく女性大統領はいずれ誕生するであろう。 また当選後の抗議運動は、12月19日の選挙人投票日での逆転を目指したヒラリー支持者達が核となり、これに不法移民やその家族による抗議やミレニアム世代の同情が加わったものと思われるが、うちミレニアム世代については、今まで育った価値観からの離脱に対する彼らの戸惑いを示すものにすぎず、どのような価値観に向かっているのかを明示することによって落ち着きを取り戻すことが可能だろう。 トランプ氏は、20年以上前から大統領選への出馬を噂される存在ではあったが、政界では異邦人であって課題は多く、既存政治家達の壁もあるだろう。しかし、就任前から米国内の雇用確保において成果をあげる一方で、台湾の蔡総統との電話会談を行うなど、型破りな手法は健在である。足枷を全く受けていないトランプ新大統領による斬新な政策が楽しみである。

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    プーチンとトランプが惹かれ合う理由

    著者 aoki fumiya 11月9日、アメリカ合衆国大統領選挙にて、共和党候補のドナルド・トランプ氏が当確した。「色物候補」として目されていた男が、アメリカという世界随一の超大国の指揮を執る。早くも国内外からは未来への不安と、彼に対する嫌悪の感情を伝えるメディアの動きが喧しくなってきた。 メキシコ国境にバリケードを築く、イスラム教徒は入国禁止とする…といった現大統領、バラク・オバマ氏なら考えられないような、演説のたびに吐き散らされる暴言。実業家としての放埓さと「力強いアメリカ」を希求する彼に支持を向ける国民は予想を遥かに超える数で存在していた。また、トランプが掲げる「アメリカ主義」、つまりアメリカという超大国がこれ以上他国に口を出し疲弊を被るのはもうごめんだ、それよりも国内の治世に目を向けよう、という一種の不干渉体制に好感を持っている人々は決してステレロタイプな「無教養で流されやすい貧困層」などではない。 トランプ勝利に喜色満面な人物の筆頭が、現在のロシア連邦を牛耳る「皇帝」ウラジミール・プーチン氏だという。トランプ米次期大統領(左)とプーチン露大統領「力」の信奉者 2013年、内戦真っ只中の中東、シリアでは、独裁体制を敷くアサド政権に対しての国際的な風当たりが日に日に高まっていた。ただ、シリアと軍事的、政治的に深いパイプを持つ(シリア西部の港湾都市・タルトゥースには内戦以前からロシア海軍が駐留)。プーチンは一貫してアサド政権を擁護、アメリカを含めた西側諸国との亀裂は深まるばかりだった。 当時、国務長官であったヒラリー・クリントンはオバマ大統領に幾度となく「シリア内の反体制派組織へ、本腰を入れた援助を向けるべきだ」と進言していたという。しかしオバマはそれを頑なに拒み続けた。まるで中東では何もしたくない、と言わんばかりの態度だった。その間に、シリア北東部のラッカ、さらにはイラクをまたいだ地域に過激派組織イスラム国(IS)が勃興、混乱は世界的に広がっていく。プーチンにとってこれは好機だった。西側の不干渉路線を眼光鋭い「熊」が見過ごす訳がなかった。手始めに、東欧のウクライナにおける騒乱に乗じ、クリミア半島を電撃的に自国へ編入して見せた。 ソビエト連邦崩壊以降、初となる国境線の変更が、武力により公然と断行されたのだ。1994年の国際合意は、何の意味も成さなかった(ブダペスト覚書。米、英、露、ウクライナ四カ国によるウクライナの領土保全を文書で確約、旧ソ連時代に残置されたウクライナ領内の核兵器を西側の経費負担で処分する代わり、クリミア半島はウクライナ領として侵してはならない旨明記)。 さらに、特殊部隊を差し向けられたウクライナ東部地域において、「ノヴォロシア連邦」が独立を宣言、政府軍との苛烈な戦闘は未だ継続中である。 プーチンの思惑通りか、アメリカが主導するロシアへの対抗策は経済制裁のみとなり、軍事介入は無かった。そして、先のシリアにおいてはアメリカのIS対応のもたつきを尻目に2015年に、ロシア空軍による本格的な空爆が開始される。 これによる多数の民間人の死者は数え切れないが、それでもISはじめ、ヌスラフロント(アル=カーイダ系の反政府武装組織)といった国際的なテロ組織の脅威が騒がれる中、ロシア介入に賛同する声も多く聞かれる。トランプ候補も、以上のようなユーラシア大陸におけるプーチンの影響力拡大路線に賛辞を送っている。

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    誰のための政治なのか 桜井誠が自民党に突きつけたもの

    著者 KeroChan(東京都) 7月31日に投開票が行われた東京都知事選挙は、小池百合子氏が291万票を獲得し、大勝した。この選挙では過去最多の21人が出馬し、候補者選びの過程や選挙戦において、混乱やハプニングが相次いだ。私にとっても印象に残る選挙だった。 この選挙では、行動する保守運動代表の桜井誠氏が出馬し、11万票を獲得した。桜井氏は今回の出馬にあたって、外国人生活保護の廃止や反日ヘイトスピーチ禁止条例の制定などを盛り込んだ「日本を取り戻す七つの約束」を公約に掲げた。 都内各地で行われた街頭演説では、各会場によって異なるテーマで演説を行い、多くの都民が耳を傾けていた。また、主要三候補ばかりを取り上げるマスメディアの姿勢を批判したり、妨害に対して徹底的に応戦するなどこれまでの常識を覆すような選挙運動が展開されたことにも注目が集まった。東京都知事選、街宣車の上で演説する桜井誠氏=7月23日、東京都新宿区 こうした桜井氏の11万票を支えたのは、祖国を守りたいと願う保守層である。こうした層は本来、自民党に一票を投じてきた。現在の安倍政権もこうした人々の支持によって支えられている。 しかし、現在の自民党の動向を見た際に、「本当に我が国のための政治を行っているのか?」と疑いたくなることがある。今回の都知事選で自民党が推薦した増田寛也氏は、岩手県知事時代に永住外国人への地方参政権の付与に賛成する発言をしている。国政においても、日韓合意や外国人労働者の受け入れ拡大、ヘイトスピーチ規制法の制定など、我が国にとって、不利な政策が立案・実行されている。こうした中で、外国人の利益ではなく、国民の利益を優先させるべきだという都民の怒りの声が、桜井氏への11万票につながったのではないか。 こうした意見を「ヘイトスピーチ」や「時代遅れ」などとレッテルを貼って、無視するのは簡単だ。しかし、こうした従来の対処の仕方では何の解決にもつながらない。そのことは、現在のEUの混乱やアメリカ大統領選挙でトランプ氏とサンダース氏が躍進したことからも明らかだ。レッテル貼りと数の力で抑えこんだとしても、怒りの声はますます高まるだけだ。自民党はこの11万票を直視し、国民の利益につながる政治や経済運営を本当できているのかを真剣に見つめ直すべきである。安定勢力を確保しているからといって、コアな支持層の影響力を過小評価してはならない。 桜井氏は産経新聞とのインタビューの中で、来年の都議選に10~20人程度の候補者を出馬させる計画を表明した。おそらく今回の「七つの約束」を基にした公約を掲げると思われるが、その他の政策の決定、人材の育成や資金の確保など乗り越えなければならない課題は多い。こうした高い壁をどのように乗り越えるのかについてもぜひ注目したい。

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    竹島は「わが国固有の領土」ではないのか

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)教科書における竹島記述の強化 平成26年1月の中学校学習指導要領解説及び高等学校学習指導要領解説の改訂によって、中学・高校の教科書における竹島問題を含む領土問題の記述が強化されることとなった。例えば中学校の社会「地理」では、「竹島について、我が国の固有の領土であることや韓国によって不法に占拠されていること、韓国に対して累次にわたり抗議を行っていること等を扱うこと」とされ、これに沿った教科書が平成28年度から使用されることになっている。2015年春から小学校で使われる教科書。竹島や尖閣諸島について政府見解に沿った記述が盛り込まれた 筆者は、竹島問題に多少の関心を持っていて、竹島が一日も早く日本に帰って来ることを願っているが、そのためにはまず、問題自体が広く国民に知られることが重要で、教科書の記述強化の動きも必要なことだろうと思う。日本政府の主張を批判する本 右の改訂学習指導要領解説では、竹島は「我が国の固有の領土である」という文言が見えるわけだが、最近、この「竹島は日本固有の領土」という日本政府の説明に辛辣な批判を加える『竹島―もうひとつの日韓関係史』(池内敏氏著、2016年1月、中公新書) という本が出版された。この本は、古代から現代に至るまでの日韓両国の竹島関連の歴史史料を多数引用し、竹島(韓国では「独島」と呼ばれる)領有権に関する日韓両国政府の主張の妥当性を検証したもので、「誰が分析しても同一の結論に至らざるを得ない、歴史学の到達点を示す」と紹介している(表紙裏)。 この本の大きな特徴は、日韓両国の主張のいずれに対しても否定的なことである。著者(池内敏氏。以下同)は、韓国政府の主張に対しては、例えば、朝鮮の古文献・古地図にしばしば現れる「于山(ウサン)島」が竹島(独島)であって朝鮮は古くから竹島(独島)のことを「于山島」として認知して朝鮮の領土として扱って来たのだとする韓国側の主張(「于山島説」)についてはそれは成り立たないとし、また韓国政府が1900年の大韓帝国勅令第41号で竹島(独島)を「石島」という名前で公式に行政管轄権の範囲にあるものと規定して官報で公示したとする主張(「石島説」)についても、いまだそれが直接的に証明されたことはないとし、韓国側の重要な論拠をいずれも否定する。 一方、日本政府の主張に対しても、まず、「日本は17世紀半ばには竹島の領有権を確立しました」(外務省「なぜ日本の領土なのかがハッキリ分かる! 竹島問題10のポイント」)という説明に対して、日本人が今の竹島(竹島は江戸時代には「松島」と呼ばれていた)に行き来することに中央政府である徳川幕府から公式の許認可があったことは論証不可能なので、この外務省見解は「致命的な弱点を抱えている」という。 また、元禄9(1696)年に幕府が鳥取藩あてに発した元禄竹島渡海禁令(江戸時代の日本では朝鮮の鬱陵島が「竹島」と呼ばれていたが、その竹島への渡海を禁ずるもの)においても、また天保期に幕府の指示で全国各地に高札が立てられた竹島(鬱陵島)への渡航を禁ずる指示(天保竹島渡海禁令)においても、今の竹島への渡海を禁止することを明示する文言はないが、これら禁令が発された経緯を詳細に見ていけば今の竹島への渡航も禁止する趣旨が含まれていたのは明らかで、これら禁令によって我が国は竹島(今の竹島)の領有権を放棄したことは否定できないという。 さらに、明治10(1877)年、ときの最高国家機関である太政官が、島根県から提出された質問について朝鮮の鬱陵島とともに今の竹島についても「日本領外」と判断する指令を下したという。つまり、著者の見方では、日本のそのときどきの中央政府が今の竹島は日本領ではないことを何度も確認してきたということになる。 明治38(1905)年に明治政府が今の竹島を「竹島」という名称で公式に島根県の区域に領土編入する手続きを取ったことは、日本側の竹島領有権主張の最重要ポイントなのだが、著者は、日本政府は編入決定の前に韓国に対して事前照会をしておらず、仮に事前照会をしていたならば、韓国としてもそのころには竹島(独島)に対する領有意識を芽生えさせていたのだからおそらく紛糾が生じたはずだと推測する。そして、戦後の日本の領土範囲を決定したサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領として残ったのだが、このことに関しても著者は、もし1905年時点で竹島編入をめぐって日韓両国間に紛糾があったとすれば、サンフランシスコ講和条約の起草に際してもその紛糾が考慮され、条約で竹島が日本領として残ることにはならなかったかもしれないという推測を述べる。 以上のような検討を経て、著者は「日本側・韓国側の主張には、どちらかが一方的に有利だというほどの大きな格差はない」と結論付けた上で、「日本人・韓国人を問わず、自らの弱点を謙虚に見つめ直し、譲歩へ向けて勇気をふるうことが、いま求められているのではないか」という提言で本をまとめる。 このような主張を載せた『竹島―もうひとつの日韓関係史』は、メディアにおいても、ネットに現れた個人の感想においても、「竹島問題を感情論を排して理解するのに最適」(週刊エコノミスト、2016年2月16日号)などのようにかなりの高評価を得ている。確かに、さまざまな歴史史料を引用しつつ細やかな議論を展開――それも、日韓両国政府の主張に対して共に批判的な観点から――する本書は、一見すれば、本のオビにあるように「思い込みや感情論を排した歴史学による竹島の史実」を書き表したもののような印象を与える。しかし、実際はそうではない。欠けている国際法からの観点欠けている国際法からの観点 竹島問題とは竹島の帰属をめぐる領土問題であり、現代の領土問題というものは国際法にしたがって解釈される。そして、国際法では、ある土地がその国のものかどうかというときに、その国家の統治権(立法権、司法権、行政権)が実際にその土地に対して継続的かつ平穏に及んでいる(いた)かどうかが基本的な判断基準になる(「平穏に」というのは他国からの異議や抗議を受けることなしに、ということを意味する)。竹島が日本固有の領土であることを訴える看板=島根県隠岐の島町布施 そういう国家としての現実の合法的支配という観点から見た場合、竹島は1905年に日本政府が日本領とすることを決定し、その後、隠岐島庁の管轄とする決定、官有地台帳への登録、官有地の貸付け及びそれに伴う使用料の徴収など日本の統治が韓国からの異議・抗議を受けることなく現実に行われてきたという史実がある(つい最近では、昭和9年~13年にかけての竹島一帯でのリン鉱石試掘権の認可に関する資料が確認されたという島根県の発表もあった)。 これに対し韓国側には、独島(竹島)を領土としていたという主張はさまざまあるものの、何一つ証明されるものはない。すなわち、日本には竹島の領有権を主張できるだけの国際法上の十全の根拠があるのに対し、韓国側には全くそういうものがない、という決定的な差がある。加えて、サンフランシスコ講和条約で竹島は日本領であるということが確定している。竹島領有権論争は終わったも同然といえるほどの状況にあるのである。 しかし、本書『竹島―もうひとつの日韓関係史』においては、日本による1905年の竹島領土編入決定について一応の紹介はなされるものの、日本と韓国にはそういう国家による統治の有無という重大な差異があることに着目することなく、日韓の主張に「大きな格差はない」と論じたり、「もし事前照会をしていたならば」という仮定に立って考察を進めるのである。 歴史史料を正確に解釈することは無論大切なことだが、竹島問題が領土問題である以上、その考察は国際法に基づいた検討を軸として進めるべきであり、歴史史料もその中で活用されるべきだろう。本書ではそういうことがほとんど考慮されず、竹島にまつわるさまざまな歴史的出来事が紹介されているものの領土問題とは関係のないことがらも多く、領土問題の解説書としてはピントが外れている。 加えて、本書でさまざま述べられる歴史的事実の解釈や評価それ自体にも、明治10年太政官指令の意味をはじめとして指摘できる問題点は多々ある。この稿でいちいち触れることはできないが、一つだけ、先にも述べた天保竹島渡海禁令の例を挙げておこう。渡海が禁止されていた竹島(鬱陵島)へ密航する者が現われた事件の再発防止策として幕府から全国に指示された禁令には、渡海を禁止する対象として「異国」のほかには「竹島」(鬱陵島)のみが記されていた。高札に書かれたこの指示を見た全国の民は、誰しも禁令の意味を「竹島(鬱陵島)というところには行くなと言っているのだな」と理解したはずである。 しかし、著者は、禁令が発された経緯を詳細に見ていけば、高札に明記されていなくとも今の竹島(当時は「松島」)への渡海も禁止されていることが明らかであるという。このように、通常の常識で考えて理解しがたい考察が本書には見られる。「誰が分析しても同一の結論に至らざるを得ない、歴史学の到達点を示す」というキャッチ・コピーがあるものの、本書は著者の独自の観点からの考察に満ちている。自らの「弱点」を見つめて互いに「譲歩」をという提言もあるが、実際には「譲歩」すべしということに結びつくような「弱点」が日本側にあるわけでもない。「固有の領土論」に対する批判「固有の領土論」に対する批判 外務省の広報文「なぜ日本の領土なのかがハッキリ分かる! 竹島問題10のポイント」を見れば、冒頭の「竹島の領有権に関する日本の一貫した立場」という見出しのもとに、一番に「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに日本固有の領土です」と述べている。この表現が教科書にも記載されることになったわけだ。この「竹島は日本固有の領土」という説明に対する批判を行うことが『竹島―もうひとつの日韓関係史』のメインテーマと思われるのだが、そこにおいても著者の独自の観点からの考察という色合いは強い。本書の終章「固有の領土とは何か」に述べられる著者の主張を要約すれば、およそ次のようなものであろう。8月15日、島根県の竹島に上陸し、万歳する韓国の国会議員ら(聯合=共同) かつて、日本政府は竹島問題が発生した直後の1950年代から韓国政府との間で数次にわたる文書往復による竹島領有権論争を行った。そのうちの1962年の日本政府の文書に「日本政府は、竹島が古くより日本固有の領土であると従来から明らかにしてきた」という文章で竹島は「日本固有の領土」という表現が初めて現われるが、そのころはこの言葉は「歴史的に古い時代から日本のものである」という意味で用いられていた。しかし、この主張は歴史的史料から論証することは不可能なことであって、既に破綻している。そして、近年においては、1905年1月の竹島日本領編入が国際法に基づいて正当になされたという前提に立って、それより前に韓国によって支配された史実が証明されない限り、竹島は「日本固有の領土」なのだという用い方がなされている。同じ「日本固有の領土」という言葉であってもその意味は変化している。 しかし、日本政府(外務省)は中身の異なる二つの「固有の領土」論の「併存」を「放置」している。それは、一つには、「歴史的に古い時代から日本のものである」という古い用法を残すことは、「固有の領土」という言葉によって「過去よりずっと自分たちの領土でありつづけてきた」という印象を国民に容易に与えることができるし、一方、近年の用法は、韓国側が明治政府の竹島日本領編入は日本帝国主義の侵略行為の一環であったと批判してくることに対してその議論を回避できるからである。二つの「固有の領土」論の「併存」は国内用と対韓国用として役割分担をしており、竹島をめぐる歴史、ひいては日韓の近現代史から日本人の目をそらせる役割をしている。 本書のこういう批判の下敷きとなった同じ著者の論文『「竹島は日本固有の領土である」論』(一般財団法人歴史科学協議会会誌『歴史評論』785号=2015年9月号)では、右のような論を展開した最後に、「日本固有の領土」という主張は「放棄すべき対象でしかない」という結論が述べられている。本書にはその言葉はないが、論旨は同じであるから結論としてはやはり「放棄すべき」という気持ちが込められているのだろう。 とすれば、日本の政府は放棄すべきほどの間違った有害な概念を国民に広報し、また教科書に反映させているのだろうか。「竹島は日本固有の領土」の意味「竹島は日本固有の領土」の意味 「固有の領土」という言葉の定義については、「衆議院議員鈴木宗男君提出南樺太、千島列島の国際法的地位などに関する質問に対する答弁書」(平成17年11月4日 内閣総理大臣小泉純一郎)というものがあって(衆議院のホームページで読める)、そこでは「政府としては、一般的に、一度も他の国の領土となったことがない領土という意味で、『固有の領土』という表現を用いている」「竹島は、我が国固有の領土である」という答弁が行われている。この二つの答弁を組み合わせれば、「竹島は、一度も他の国の領土となったことがない我が国の領土である」ということになる。この言い方に何か不自然なところがあるだろうか? これは史実の通りのことなのだ。韓国が不法占拠を続けている竹島=島根県隠岐の島町(聯合=共同) ただ、「固有」という言葉からは「元々の」とか「本来の」あるいは「昔からの」という意味が自然に連想されるし、実際、前記のとおり1962年に日本政府は韓国政府に対して竹島は「古くより日本固有の領土である」という主張も述べているのだが、日本政府のいう定義が前記のようなものだとすると、そこに「古くより」とか「本来の」という類いの意味はないということになるのだろうか。著者が言うように日本政府の意味づけが変化したのだろうか。 実はそうではない。政府が使う用語は意味がはっきりしていないといけないので「一度も他の国の領土となったことがない領土」という定義づけが行われているものと考えられる。これなら、ある土地が「一度でも外国の領土になったことがあるかないか」という判定で「固有の領土」に該当するかしないかが明確に判別できる。だから「定義は何か」と問われればそういう回答になるのだろう。しかし、「一度も他の国の領土となったことがない領土」というものは、その間にそれなりの歴史を持っているものだから、その歴史の限りではあるとしても「元々の(古くからの)日本の領土である」と表現できるのもまた当然なのである。 「元々の」とか「古くからの」という類の表現は定義に明確性を欠くので政府の公式定義には採用されないとしても、意味としては「一度も他の国の領土となったことがない領土」という定義と表裏一体のものであり、本質的には同じものなのだ。竹島の場合は江戸時代(17世紀)に日本人が竹島を利用していた史実が確認されているので、「竹島は日本の固有の領土」という意味は「竹島は、17世紀以来の、一度も他の国の領土となったことがない我が国の領土である」ということになる。これは竹島領有権紛争に関する日本政府としての主張の最終結論なのであって、そこには相異なる二つの意味など存在しようがないし、したがって場面に応じた役割分担などできるものでもない。『竹島―もうひとつの日韓関係史』で展開されている批判は、著者の独自の観点に基づくものにすぎない。竹島の歴史竹島の歴史 「固有の領土」ということに関わる範囲で、ごく簡単に竹島の歴史を振り返っておこう。 前記の外務省「竹島問題10のポイント」では、江戸時代の竹島について、日本人が利用していたことを根拠として「日本は十七世紀半ばには竹島の領有権を確立しました」と述べる。これに対し、著者は、そういう主張は歴史的史料から論証することは不可能であって立論に「致命的な弱点を抱えている」と批判する。このことについてまず触れておきたい。 著者がそう主張する理由は、江戸時代に日本人が竹島(今の竹島)を利用していた事実はあるが、ときの中央政府である徳川幕府に竹島を日本の領土として支配するという意思があったことを示す歴史史料はないから、「領有権を確立しました」という説明は全く成り立たない、ということのようである。だが、支配するという幕府の意思があってもなくても、日本人が朝鮮国からもその他のどこの国からも何の異議も受けることなく約七十年間にわたって竹島を利用してきたという史実が存在している。その状態を素直な目で見るならば、それはまさに「日本の領土」であったわけだ。外務省はそういう状態を指して前記のような説明をしているのであって、その論理に別に「致命的な弱点」など抱えているわけではない。「竹島」(現在の鬱陵島)が記されている「日本国図」 ただし、そのときに「領有権を確立した」と表現されるものは、近代国際法上求められる領土要件――先に記したが、国家の統治権が実際にその土地に対して継続的かつ平穏に及んでいる(いた)かどうか――という観点からは必ずしも万全のものとは言えず、日本人が利用していたという史実のみを根拠として他国と領有権争いをするとなると、現代においては通用しないおそれもある。 しかし、日本は後に1905年に至って竹島を国際法に則って公式に領土に編入して実効的な支配を開始したことによって、国際法上も十全の根拠を有することとなった。その間、日本という国が竹島に対して積極的な関わりをしなかった時期はあるが、著者や韓国側の研究者たちがしばしば主張する「日本の中央政権は三度にわたって竹島は日本領ではないと確認した」という史実はない。一方、韓国については、韓国政府の1952年李承晩ライン宣言によって竹島紛争が発生するまで韓国が竹島を統治した実績はなく、また日本の支配に対して抗議したという事実も確認されていない。 以上を要すれば、竹島は17世紀に事実上日本の領土となり、20世紀に入っては改めて国際法上の根拠をも備えることとなったもので、その間韓国の領土となったことは一度もない。だから「竹島は日本固有の領土」すなわち「竹島は、17世紀以来の、一度も他の国の領土となったことがない我が国の領土」と説明しても何の矛盾もない。日本政府が何かをごまかすために「固有の領土」という言葉を用いているというような批判は当たらないのである。「固有の領土」は「強調」「固有の領土」は「強調」 最後に一つ付け加えたいのだが、実は「竹島は日本固有の領土」という表現には韓国の主張に対する反論の意味が込められている。竹島について韓国が「独島(竹島)は韓国の領土である」と主張することに対して、「そうではない。韓国の領土であったことなど一度もない純然たる日本の領土である」と反論し、明らかな日本の領土であることを強調する表現なのである。竹島紛争がないならば「竹島は日本固有の領土」などと言う必要はそもそもないのであって、おそらく「固有の領土」という用語が用いられる実際上の意義はこの点にあるのだろう。そして、そういう強調をするだけの領有根拠は日本側にはあるが韓国側にはない。 ただ、これを逆に言えば、「竹島は日本固有の領土」という結論は正しいものだが、それは竹島が純然たる日本の領土であることの強調表現なのだから、そういう語句を知ることはもちろん大事であるとしても、より重要なのは、竹島が日本固有の領土であると言えるその根拠が確実に理解されることのほうだろう。その根拠とは、繰り返しになるが、江戸時代に日本人が利用していたという事実、そして1905年以降の国家による公式の領土支配の事実である。 「日本固有の領土」という言葉の日本政府の定義によるならば、この表現に反対したい人たちは竹島が一度以上日本以外の国の領土となったことがあるという論証をすべきだが、そういう論証はできない。なぜならば、そういう史実がないからだ。「竹島は日本固有の領土」という強調表現を批判することによって日本政府の竹島領有権主張が何かいかがわしいものであるかのような印象を与える論評に惑わされることなく、領土教育が着実に進められることを望みたい。(平成28年7月19日 記)

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    韓国は110年前に竹島の領有権を放棄した? 謎多き「石島」の真実

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人 九州在住)はじめに 日本と韓国との間の竹島領有権問題は、1952(昭和27)年1月に韓国が「李承晩ライン」を設定し、その中に竹島を取り込んだことから始まった。竹島(韓国では「独島」と呼ぶ)は江戸時代には日本人が自由に利用していた歴史的事実があり、さらに1905(明治38)1月に明治政府は閣議決定によって竹島を公式に日本の領土とした。その間、朝鮮・韓国の政府が竹島に関与したことは何もなかった。   しかし今、韓国政府は「独島は、歴史的・地理的・国際法的に明らかに韓国固有の領土です。独島をめぐる領有権紛争は存在せず、独島は外交交渉および司法的解決の対象にはなり得ません」とした上で、「1905年日本による独島編入の試みは長きに亘って固く確立された韓国の領土主権を侵害した不法行為であるため、国際法的にも全く効力がありません」(韓国外務部『韓国の美しい島 独島』)と述べ、国際法上正当な日本の竹島領土編入を、韓国の領土であった島を日本が不法に奪取したものとして非難する。 しかしながら、実は日本の竹島領土編入から約1年後の1906年、韓国政府(当時は大韓帝国政府)は日本が竹島を領土としたことに異議がないと解釈される文書を発していた。このことは一般にはあまり知られていないと思われるので、本稿で紹介してみたい。産経新聞社が昭和28年12月に撮影した竹島。現在ある韓国の工作物は見当たらない「鬱島郡の配置顛末」  1906年7月13日付の韓国の皇城新聞に「鬱島郡の配置顛末」という見出しの記事がある。文面を現代日本語に訳すればおよそ次のようなものである。鬱島郡の配置顛末 統監府から内務部に公函があって、江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と郡庁の設置年月を示せということなので回答が行われ、光武2年5月20日に鬱陵島監を置いたが、光武4年(1900年)10月25日に政府会議を経て郡守を配置した。郡庁は台霞洞にあり、当該郡の所管島は竹島・石島で、東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里だということである。 この記事によれば、1906年7月上旬ごろ、当時韓国に置かれていた日本の韓国統監府から韓国政府内務部に宛てて鬱陵島に関する照会があった。照会事項は「鬱陵島の所属島嶼」と「郡庁の設置年月」だという。これに対する回答内容は、鬱陵島には1898年から「島監」という名称の行政責任者を置いていたが、1900年に政府の決定によって新たに「郡守」を置くこととなったこと、郡庁の所在地は台霞洞(「洞」は「村」のような意味)にあり、郡の付属島嶼は「竹島と石島」であることを述べ、最後に「東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里」という一読しただけでは何を意味しているものか読み取りにくい説明が付されている。 この回答は、基本的には1900年10月27日施行の大韓帝国勅令第41号を説明したものだ。この当時、鬱陵島には多くの日本人が不法に越境渡航して、勝手に古木を伐採搬出したり韓国人島民を圧迫するなどの行為が行われていたため、韓国政府としては鬱陵島に対する監視を強化する必要性を感じていた。その方策の一つとして制定された法令が勅令41号「鬱陵島を鬱島と改称し島監を郡守に改正する件」で、そこでは鬱陵島を「鬱島郡」に格上げして郡守を置くこととし、「郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島石島を管轄する」と規定された。   このように、前記の新聞記事にある回答内容はほとんど勅令41号をそのまま説明したものなのだが、末尾の「東西が60里・・・・・・」の部分は勅令に規定されたものではなく、回答する際に独自に付け加えられたものと見える。韓国政府の「石島=独島」説韓国政府の「石島=独島」説 ところで、この勅令41号は、現在の韓国政府の竹島/独島領有権主張の大きな根拠とされている。前記『韓国の美しい島 独島』では韓国に竹島/独島の領有権がある根拠として、韓国は古くから竹島/独島を鬱陵島の付属島嶼として認識してきたこととともに、「大韓帝国は、1900年の勅令第41号において独島を鬱島郡(鬱陵島)の管轄区域として明示し、鬱島郡守が独島を管轄しました」と述べ、勅令41号によって竹島/独島を公式に韓国領土として扱うことになったことを強調している。つまり、勅令に管轄する島として明示された「石島」がすなわち竹島/独島のことだというのだ。隠岐・島後の白島展望台にある竹島までの距離標識=島根県隠岐の島町 もう一つの管轄の島である「竹島」は、名称が竹島と同じなので紛らわしいが、これは鬱陵島の東方2キロほどの位置にあって「竹島(チュクト)」と呼ばれる島のことだというのは日韓双方の研究者に異論はないので、これは問題とならない。   問題は「石島」のほうで、実は竹島/独島あるいは鬱陵島の歴史において「石島」という名称はこの勅令においてだけ突然に現れ、その後消えてしまって現在は使われない名称だ。しかも、勅令41号が決定される際の一件書類には地図は添付されていなかったようだし、管轄する「竹島、石島」が具体的にどの島を指すのかという記述も特にないことから、「竹島」については前記したように「竹島(チュクト)」のことだということで日韓双方が一致しているものの、「石島」が何を指しているかは意見が分かれる。「石島」は謎の島なのだ。 韓国側ではこの「石島」とは、独島(ドクト)が方言で「石の島」という意味なのでその意味を取って漢字では「石島」と表記したのであってまさに独島を指しているというのだが、これはいかにも説得力に欠け、日本側研究者の間では石島は鬱陵島の東北部に近接して存在する現在「観音島」と呼ばれている島のことだと推定する見方があり、双方の見解は対立している(現実の地理としては、鬱陵島の近辺で「島」というほどの大きさのものは竹島と観音島の二つなので、勅令でもこの二つを規定したと見るのが最も自然だ)。「石島」は竹島/独島ではない「石島」は竹島/独島ではない ところが、この問題に対して本件新聞記事の中の「東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里」という記述が答えを提供することとなった。この一文を読めば、たいていの人はこれは長方形の四辺について述べたものだと解釈するのではないだろうか。この一文は、統監府の質問のうちの「鬱陵島の所属島嶼」に対応しているように見える。つまり、所属島嶼はどこどこかと質問されて、所属島嶼は「竹島」と「石島」なのだがそういう名前の回答だけでは位置関係が全く分からないから、それは「東西60里、南北40里、合わせて200余里の長方形の範囲にある」と回答したのだと読むのが自然な読み方だろう。つまり、鬱陵島とその付属島嶼の範囲――それはすなわち「鬱島郡」の範囲だが――をそういう形で回答したものと考えられる。 朝鮮の1里は0.4キロという。そうすると鬱島郡の範囲は東西24キロ、南北16キロの枠の範囲であり、鬱陵島自体の大きさは東西・南北ともおよそ11キロ程度なので、鬱島郡の付属島嶼は鬱陵島からそれほど離れていないということになる。ところが竹島/独島は鬱陵島からおよそ90キロも離れている。ということは、勅令に規定された「石島」は竹島/独島ではないことが、言い換えれば、韓国政府が唱えている主張がウソ偽りであることが、この新聞記事から明らかになってしまったという状況がある。 この「鬱島郡の配置顛末」の記事は、「杉野洋明 極東亜細亜研究所」というブログにおいて「本邦初公開?大韓帝国勅令41号の石島は独島ではない証拠」という題の記事で2008年2月2日に紹介され、同月22日付の山陰中央新報でも「「石島=独島」説否定の記述見つかる」という見出しで報道されたことから、竹島問題に関心を持つ人たちの間では一躍有名になった。また、2014年3月に発行された『竹島問題100問100答』(島根県第3期竹島問題研究会編)においても、そのQ37において「・・・・・回答により1900年、大韓帝国勅令の「石島」が竹島ではないことが確認された」と紹介された(このように韓国政府の主張を正面から否定する史料があるとなると、さすがに韓国側の研究者たちも無視できなかったようで、いくつかの反論らしきものが提出されているが、いずれも説得力のあるものではない)。   以上のように、「鬱島郡の配置顛末」の記事は韓国政府の竹島/独島領有権主張の大きな柱である「石島=独島」説を否定するという重要な意味のあるものだが、そのこととは別に、この記事にある照会と回答が行われた経緯を探っていくとさらに重大な意味が浮上する。統監府がなぜ1906年という年に、鬱島郡の設置という一見したところではどうでもいいようなことを韓国政府に質問したのか、ということだ。1906年のできごと1906年のできごと 日本の竹島領土編入決定は1905(明治38)年1月のことだった。編入に当たって、明治政府は竹島を領土とすることについて韓国政府に対して事前通知も事後通知もしなかった(国際法上、そういうことが求められていたわけではない)。そうして約1年が過ぎた1906年3月28日、島根県の神西由太郎部長一行が新領土となった竹島を視察した後に鬱陵島を訪問するという出来事があった。部長一行は郡庁に郡守沈興沢を表敬訪問したのだが、そのとき一行は「このたび竹島が島根県の管轄になったので視察したのだが、そのついでにここ(鬱陵島)に立ち寄った」という趣旨のあいさつをしたという。このことによって、竹島が日本領となったことが初めて韓国側に伝わることとなった。 これに対応した郡守沈興沢は、竹島/独島が日本領になったということを聞いても特段の反応を見せなかったが、その翌日付で上司に宛てて有名な次のような報告書を発した。 本郡所属独島が本郡の外洋百余里外にあるが、本月四日に輸送船一隻が郡内の道洞浦に来泊し、日本の官人一行が官舎に来て自らいうに、独島がこのたび日本領地となったので視察のついでに来訪したとのこと。その一行は、日本島根県隠岐島司東文輔及び事務官神西由太郎、税務監督局長吉田平吾、分署長警部影山巌八郎、巡査一人、会議員一人、医師・技手各一人、その外随員十余人だった。まず戸数、人口、土地生産の多少について質問し、また人員及び経費の額など諸般の事務を調査して記録して行った。以上報告するのでよろしくお取り計らい願う。(注:「本月四日」は旧暦によっている) 報告の冒頭にあるように、郡守沈興沢は理由は不明ながら独島/竹島は「本郡所属」だと認識していた。この報告が政府に届いた後、その報告に接した内部大臣李址鎔は、「独島を日本領土というのは全然理がないことで、甚だしく驚愕する」と反応し、参政大臣朴斉純は「報告は見た。独島が日本の領地になったというのは事実無根のことだが、その島の状況と日本人の行動を更に調べて報告せよ」と指示したりしたが、複数の新聞もこの報告を報道した。韓国が不法占拠を続けている竹島(聯合=共同) 1906年5月1日付大韓毎日申報は「無変不有」(変無きにあらず)という見出しで「鬱島郡守沈興沢が政府に報告したところによれば、日本の官員一行が本郡に来到し、本郡所在の独島は日本の属地だと自ら称し、地界の広狭・戸口結摠をいちいち記録して去ったとのことだが、内務部からの指令によれば、遊覧の際に地界・戸口を記録して行くのは容或無怪(理解できないでもない)だが、独島を日本の属地と云うことは必無其理(全く理が無い)ことなので、今こういう報告を聞いて甚渉訝然(非常に疑念を感じる)であるという」と報じた。 また、同月9日付皇城新聞は、「鬱倅報告内部」(鬱島郡官吏から内務部への報告)という見出しで「鬱島郡守沈興沢氏から内務部への報告によれば、本郡所属の独島は外洋百余里の外にあるが、本月四日に日本の官吏一行が官舎に来ていうには、独島が今日本の領地になったので視察のついでに来到した。一行は、日本島根県隠岐島司東文輔及び事務官神西田太郞と税務監督局長吉田坪五、分署長警部影山岩八郞と巡査一人、会議一人、医師・技手各一人、その他隨員十余人で、戸数人口、土地の生産の状況と人員及び経費の状況、諸般の事務を調査記録して帰ったという」と報じた。 二つの記事のいずれも、沈興沢が報告したとおりに「鬱島郡の所属である独島が日本の領地になった」という報道をしている。加えて、大韓毎日申報のほうは内部大臣が「独島を日本領土というのは全然理がないこと」と反応したことも伝えている。つまり「大韓帝国の領土である独島が日本の領土になった、これは不当なことだ」という意味のニュースが世に出たことになる。 そして、その後に、統監府から韓国政府に対して鬱島郡に関して照会があり、これに対する韓国政府の回答が出され、その回答が同年7月13日付皇城新聞に掲載されたという経過になる。 このような経過を見れば、統監府がなぜ鬱島郡の設置に関して質問したのかは明らかだろう。「大韓帝国の領土が日本の領土になった」という意味のニュースが出たことに対して、日本が領土編入した竹島は本当に鬱島郡の管轄下にあったのかどうかを確認しようとしたのだ。 そういう動機から照会したのだということは何かの史料によって立証できるわけではない。しかし、そう考えればつじつまは合うし、逆に、そういう動機を除外して、他に過去の鬱島郡設置の決定について質問する理由というものは見当たらない。だから、統監府の照会の動機・目的は竹島/独島が本当に鬱島郡の管轄下にあったのかを確認するためであったと見てまず間違いないと言える。照会を受けた韓国政府としてもそういうことを感じただろう。   仮にそうでないとしても、韓国政府としては「大韓帝国の領土である独島が日本の領土になった、これは不当なことだ」という認識でいるところに、統監府から「鬱島郡の範囲はどこまでですか」という意味の質問が来たということになるから、いずれにしても、回答するにあたっては沈興沢の報告を十分に念頭に置いて回答をするということになったはずだ。決着していた竹島問題決着していた竹島問題 ところがその回答は、鬱島郡の付属島嶼は「竹島、石島」で郡の管轄範囲は付属島嶼を含めても「東西24キロ、南北16キロ、合わせて80キロの長方形の範囲にある」という意味のものだった。これは、問題となった竹島/独島は鬱島郡の管轄範囲にはないことを認めたものだ。「大韓帝国の領土である独島が日本の領土になった、これは不当なことだ」という認識でいたはずなのに、現実には独島は管轄下にはないという意味の回答をしたのは、おそらく鬱島郡の設置を定めた勅令41号を改めて点検した結果、その勅令には「外洋百余里」にある独島に関する規定など何もないことを確認したからなのだろう。独島は鬱島郡の付属島嶼だというだけの根拠がなかったのだ。 そして、独島/竹島が日本の領土となったことを知った上で、その独島は鬱島郡の管轄下にはないことを認めたということは、すなわち日本の竹島領土編入には韓国政府として異議がないことを表明したことになる。1905年の日本の竹島編入は、沈興沢の報告のために、韓国の官民に一時的に「日本が韓国の島を奪った」という間違った理解を引き起こしたものの、その後の韓国政府の再検討によって、その理解は間違いであり韓国政府として異議を唱える話ではないという形で了解されたのだ。つまり、日本の竹島編入には韓国政府も異議がないという形で竹島問題は1906年に既に決着していたことになる。 なお、そもそも沈興沢がなぜ竹島/独島を「本郡所属」と思っていたのかその理由は不明なのだが、その当時、鬱陵島に住む日本人が鬱陵島の韓国人漁夫たちを連れて竹島/独島に出漁することが行われていたので、郡守である沈興沢は当然そういうことを知っていて、鬱陵島から竹島/独島に行って帰って来るのだから竹島/独島は鬱陵島の付属の島だと考えるようになったのではないかと筆者は推測している。   そういう考えを持つのは現地の責任者としては自然なことかも知れないが、中央政府において竹島/独島を領土として支配管理するための何かの措置が取られていたことはないし、それどころか、中央政府は沈興沢から報告を受けるまで竹島/独島という島があることすら知らなかったのが実情だ。だから、鬱島郡守個人が竹島/独島についてどういう認識を持っていても、国家としての領有権には全く関係のないことだった。おわりに 現在、韓国人たちは大統領からマスコミ、さらにはネットで発言する個人に至るまで、日本人に向かって「歴史を直視せよ」と繰り返し言う。だが、本当に歴史を直視できていないのは韓国のほうであることを今や多くの日本人が知っている。「鬱島郡の配置顛末」も韓国人たちが歴史を直視しないことの一つの現れだ。韓国政府は今から110年も前に日本が竹島を領土とすることに異議がないという姿勢を表明していた。しかし今はそういうことも忘れ去り、「独島は日本による韓国侵略の最初の犠牲である」などと言いながら日本の正当な領有権主張を非難する。だが事実はそうではない。歴史資料をまじめに見ていけば、竹島問題に関する韓国側の主張は嘘ばかりであることが明らかになるものなのだ。 ただ、「鬱島郡の配置顛末」は新聞記事だ。そして、そこで報道されたところの韓国政府からの回答文書そのものは確認されていない。だから、事実関係を確定させる上での証拠力という点では若干劣るかも知れない。しかし、この新聞記事が虚偽ないし間違いであると言える根拠もないから、日韓間で竹島/独島をめぐって論争を行う上で無視できるものでもない。この記事の「東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里」の解釈について、これは鬱島郡の範囲を述べたものではないという趣旨の反論が韓国人の論者から提起されている。筆者は3人の反論を読んだことがあるが、そこでは、3人が一致して同じ点を指摘するのでなく、3人三様の説明がなされているのは、この記事に対して有効な反論がないことを示唆しているように見える。 「鬱島郡の配置顛末」の記事は一般にはそれほど知られていないようだが、実は二つの面で大きな意味のある史料だ。本稿が竹島問題に関心を持つ人の論点理解に多少なりと役立つならば幸いに思う。 (平成28年6月26日 記)

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    子供を虐待リスクから救うには? 地域を活かす子育てのススメ

    著者 プリン 昨今さまざまな事件や出来事が社会問題としてテレビのニュースや新聞に多く取り上げられている。それらは環境、食料、宗教など世界的規模の問題から、いじめ、虐待、自殺そして貧困問題といった我が国の社会的構造やシステムの弱点がそのまま浮き彫りになった問題まで、種類も対象も多様化し一朝一夕には解決できない難題である。 私たち国民はこれらの問題を誰が解決してくれるのかと、ニュースからの情報や統計による数字に一喜一憂し、選挙では少しでもそれらが改善し解決されるよう大きな望みを一票に託し候補者に投票する。しかし、それでどれくらいの問題が解決されてきたのか、そしてこの世の中がどれほど良くなったのか、疑問に思う。これらの問題を一つでも多く解決し、みんなが住みやすい世の中を築いていくために一体どのような人材が社会に必要とされているのだろうか。そしてそのような人材を育成するためにどのような教育が役に立つのだろうか。 数年前、同じ町のアパートで虐待によって幼児の尊い命が奪われる事件があった。普通なら友達と公園など外で遊びたい盛りのころだが、新聞には幼稚園どころか外にも出してもらえなかったようだったとあった。本来なら親や周りの人間から愛情をたっぷり注がれて育たなければいけない時期に、心も体も散々痛めつけられ死に至った。誰も助けてあげられなかったことに無念さを覚えた。 私たちが認識している虐待の数は氷山の一角で、実際にはかなりの数の子供たちが虐待に遭っているといわれている。虐待を受けて歪められた人間の根幹を元に戻すのはかなり難しい。社会にうまく適応していける可能性も低いのではないかと思う。幼児期という人間形成の大事な時期に周りの大人とうまく信頼関係が築けてこそ、成長して社会に出たときに充実した社会生活を営むことができ、そして個々の充実した営みがより良い世の中を築いていく力になるのではないかと思う。 充実した社会生活を営む力とは何であろうか。職業に就くための専門的な能力や知識、困難を乗り切る精神力、他人とうまくやっていく協調性、思いやりの心などが挙げられるが、これらを育むために共通するものがコミュニケーション能力である。互いの心が意味するところを理解し合い、より良い人間関係を築いていく能力をどう育てるか、多くの親が頭を悩ませている。それは、多くの人間と直に接することでしか築けない能力でかなりの時間と労力を要するからである。核家族化で人間関係が希薄になり、密室での子育ては親も子も不幸にする。そしてそれが虐待を招くケースが往々にしてある。 コミュニケーション能力を築くには、大人と作業を共にする工程が子供の成長段階で多く必要とされ、地域の人をどう利用できるかが重要なポイントになる。地域には、環境保護団体や障がい者をサポートする団体やNPO、地域の産業の一端を担う農家や加工工場、福祉施設やシルバー人材センター、公民館での活動など大人がいる環境は多数ある。これらと子供たちをうまく結び付けるため、仲介センターを設けてはどうかと思う。 例えば、母親がシルバー人材センターの清掃活動に子供を参加させたいといった場合、仲介センターに参加可能日を伝えて日程調整を行ってもらい手間を省き参加しやすくする。また、仲介センターは地域の保護者すべてに参加可能な団体の活動内容と日程を配信し、参加を促す。こうすることで参加する子供も団体の方も人間関係が固定されず、多様なコミュニケーション能力が築かれやすくなる。子供は他人と一緒に、清掃という活動を通じた何気ない会話や触れ合いの中から人の温もり、人と接する喜びを感じる。 一人で解決出来る社会問題はない。問題解決には他人と話し合い妥協点を探りながら相手の意思を尊重し、自分の意図も理解してもらうことが必要になる。このようなコミュニケーション能力を豊かに備えた人材が多く育ち、いかなる社会問題も知恵を出し合い解決する、そのような世の中が来ることを願いたい。

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    ユーザー投稿】消費増税で増える貧困層 最低でも凍結、できれば減税を

    著者 中村竜也 消費税の増税を巡り、与野党問わず日々様々な情報が飛び交っている。一つ気になるのが、今回の増税に関する「選択肢」だ。消費税の変更では通常、「増税」「延期」「凍結」「減税」の4通りのパターンが考慮されなくてはならないはずだ。 ところが、政治家達の言い分を聞くと「増税」「延期」の2パターンしか議論されていない。恐らく、大多数の国民も同様なのではないか。 経済財政諮問会議、産業競争力会議の合同会議であいさつする安倍晋三首相(右側中央)。右から2人目が麻生太郎財務相=6月2日、首相官邸 そもそも現在の日本は「延期」の最中なのだ。本来であれば今頃日本は消費税10%になっていたはずなのだが、経済成長を考慮し「延期」された。にも関わらず、日本経済は引き続きデフレだ。理由はもちろん国内GDPの60%を占める個人消費が落ち込んでいるからだ。 個人消費が落ち込めば、平均賃金が下がる。平均賃金が下がれば使えるお金が減る。そこに「いずれ増税するのだから」というデフレマインドが重なれば誰でも将来を不安に思い貯蓄に勤しむのは当たり前の話だ。 つまり、今の政府の議論のままではいずれにせよ、デフレからの脱却は見込めない。消費税増税を延期しても結局は現在の同じことの繰り返しになる。日本国の個人消費を伸ばし、実質賃金を増やすためには少なくとも凍結、もしくは減税が必要だ。 そもそも消費税とは富裕層にとってはさほど大きな痛みではないが、中間層・低所得層に関しては大きな痛みを伴う出費だ。その一方で増税の度に法人税は下がり続けている。結果として富裕層と低所得層の格差は更に拡大しているのが現状なのだ。(にも関わらず1億何たら社会とやらを掲げているが)それが証拠に野村総合研究所が過去に発表した国内富裕層の推移を見て欲しい。 ご覧のように国内の俗に言う富裕層の数は右肩上がりで伸び続けている。日本国内がデフレでGDPが伸びないにも関わらずだ。念のため、補足しておくがGDPとは国内で生産された付加価値の合計だ。それはすなわち購入する側にとっては消費、売る側にとっては所得となる。この三つは必ず=になる。これはGDP三面等価の法則といい誰にも変えられない普遍の法則なのだ。 そしてこちらが、国民の平均賃金の推移だ(名目賃金であり物価を反映した実質でないことに注意) つまり、GDPが下落している=国民の所得が減っているにも関わらず、なぜ富裕層が増えているのか?という問いの答えがこれだ。中間層以下が更に貧しくなり、その分の所得が富裕層に移転しているのだ。そこに前述の消費税増税という更なる負荷が控えてるとあって一体誰が消費を増やすだろうか。 政府の役人(主に財務省関係者)は「少子高齢化に伴う医療福祉のため」などと寝言を言っているが、であればなぜ消費税増税時に必ず法人税が減税されるのか説明する必要があるだろう。挙げ句の果てに国民の平均賃金が下落を続けている現状にも関わらず、規制撤廃、グローバル化、民間資本の投入、外国人労働者の緩和など、「国民を貧しくする政策」を延々と進めているのが安倍政権なのだ。 断っておくが、筆者は決して「延期派」などではない。経済は安倍首相が言う通り生き物であり、その都度の状況で何が正しいかは変わってくる。もし、今の日本がインフレで物価の上昇が凄まじいのであれば(要するに国民の需要が供給を上回れば)筆者は迷うことなく増税が必要だと答えるだろう。増税により国内の消費を抑制し過度なインフレを防ぐのは国家の役目だからだ。  しかし、現実のところ、日本はデフレだ。賃金が下がり消費が増えない現状でインフレ対策である増税に意味はない。そして、現状維持となる延期も同じことの繰り返しだ。まずは国内のデフレマインドを払拭するために最低でも凍結、できれば減税が求められる。そこで個人消費が上がった段階で初めて増税について議論が必要になるのである。 安倍政権を始め、政府の人間は今一度、考えるべきだろう。政府は何のために存在するのかを。筆者としては政府の役割とは国民を豊かにし国家の安全保障を守ること、極論としてこの2点に集約されると信じている。

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    デフレを続け地方を食いものにする民間議員を名乗る一般人

    う。 日本はデフレ脱却の名目で地方の財政をさらに貧困化させているが、お隣の自称共産国はどうだろうか。<中国、北東部の経済再生に向け金融支援拡大へ> 中国は、北東部の経済再生を促すため、今後5年間に追加金融支援を行う方針。国家発展改革委員会(NDRC)で北東部の再生を担当する周建平司長が10日、明らかにした。 同司長によると、政府は今後3年間に同地域で130以上のインフラ事業の立ち上げを計画している。 また、「資源が枯渇した」多くの都市が経営破綻やレイオフに対処し、多額の環境浄化費用を負担するのを支援するため、金融支援を拡大するという。 具体的な金額には言及せず、最終的な額はニーズに左右されるとした。 中国北東部は鉱業や重工業の中心地としてかつて栄えたが、近年は資源枯渇と景気低迷にあえいでいる。(2016年5月11日、ロイターから引用) デフレにも関わらず地方の経済力をより奪い続けてる日本と、明確な投資での支援を行う中国。どちらが正しい経済政策か一目瞭然だろう(中国は中国で供給過多に悩まされているが)。中国の場合、いくら嘘で塗り固めようとも国民の貧困はごまかせない。ただでさえとてつもない格差が存在する中国で(この時点で共産国家ではないが)これ以上貧富の差が拡大しようものなら、天安門事件並みの暴動が起きかねないため、政府はやらざるを得ない事情もあるが、少なくともデフレ脱却のためには正しい政策を行っていることになるわけだ。 こうなると、いったい誰が日本の経済を長いデフレに浸からせたままにしているのか誰の目にも明らかだ。しかも信じられないことに、重要政策に関する会議は一般に公開されず内容も議事録を通してしか伝わらない。これが民主主義なのだろうか。 昨今、多くの老若男女が安保や原発で国会前でデモをしているが、彼らは考えるべきだろう。いったい誰が今得をしているのかを。

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    社会で輝く!いま現代女性が求めていることは何か

    著者 吉沢尊文(兵庫県) いまや女性が社会に出て働くことは、ごく普通のことになりました。また近年、女性の意識は大きく変わりつつあり、「働くならやりがいがあって成長できる仕事に就きたい」と望む女性が急増しています。 典型的なものが「女性管理者・女性管理職」で、テレビや雑誌などのメディアで大きく伝えられてきました。「男性顔負けの活躍」が現代の象徴になりつつあると言っても過言ではありません。それを、後押しするのが今の日本の政府であると言えます。 2014年3月28日に首相官邸で「輝く女性応援会議」が開催されました。「輝く女性応援会議」はすべての女性が輝く社会を目指す活動です。輝く女性、輝こうとする女性たちを応援する各界のリーダーたちの輪を広げ、どんな分野でもどんどん結果を残せるように、そして家庭での経験も活かし、またいつからでも働けるように。そんな社会を実現することを目的としたのが「輝く女性応援会議」であります。 そこで私は、女性が輝くためには、いま仕事に就いている女性の労働に対する現状を知る必要があると考え、実際に大阪市内で20~30代の女性50人に無作為にアンケートをとりました。  アンケートは「あなたが仕事を選択するとき最も重視しているものは何ですか?」という内容で、回答は「賃金」「労働時間」「やりがい」「人間関係」「その他」の5つの選択肢から選んでもらいました。結果は「やりがい」と答えた方が20人、「人間関係」17人、「賃金」11人、「労働時間」2人でした。(回答者の職業は、アパレル関係、飲食関係、画廊勤務、ミュージカル女優、保育園の先生、寿司屋店員、銀行員、営業職、歯医者受付、コールセンター勤務、パチンコ店員、法律事務所勤務ほか)。 「やりがい」と答えた方では、「毎日、同じ仕事をすることを考えると自分が好きな仕事でないと出来ない」「例え賃金が高くても、やりがいがないと毎日同じ仕事をやっていくのは難しい」と、人生を長期的な目線で考えている人が多くいました。「人間関係」と答えた方では、「嫌な先輩(男女問わず)がいる職場では毎日ストレスがたまるので絶対に勤務は無理」と全員がはっきり答えてくれました。さらに「人間関係さえよかったら賃金の高さは求めない」とさえ語る方もいました。 そして、「賃金」と答えた方では、結婚するまでの貯金やマンション購入といった明確な目標を強く語っていました。彼女たちの意見から感じたのは、目標を定め前進するんだという強い気持ちでした。しかし同時に、今の仕事は目的を達成するための仕事であることも強く伝わってきました。 最後に、「労働時間」と答えてくれた方は、「資格取得を目指している」「結婚したい」といった願望がある方々でした。前者の方は「大学卒業資格を取るため、勉強時間が必要だから労働時間が一番重要で、残業がないことが前提である」、また後者の方は「仕事ではなく、あくまで結婚が人生の一番の目的であるから、労働時間は短時間で良い」と強く話していました。この点は、限定正社員という制度が生かされるのではないかと考えます。 これらの結果から言えることは、女性がいかに仕事に対してやりがいを求めているか、賃金が高くてもやりがいがなければその仕事は彼女たちにとって決して満足のいく仕事ではないという事実でした。 つまり、やりがいがあり人間関係は良好というのが、現代の女性の求めるライフスタイルであり、女性がもっと輝ける社会の始まりではないかと考えます。したがって、現代の女性が生きやすい社会・仕事環境をつくることこそが、いまの社会で求められている本質ではないか。この「やりがい」を求める女性がいかに仕事場で活躍できるかは政府の方針にかかっていると思います。そういった意味では、女性か活躍する社会をつくり出そうとしている安倍総理は正しい方向に向かっていると考えます。  そのために、例えば、職場で女性への暴力(セクハラやマタハラ・言葉の暴力など)、がある場合はそれを一切根絶していかないといけません。また、女性の敵は男性ではなく、女性の味方は常に男性であるといった社会をつくっていかなければいけません。今、女性が仕事にやりがいを求めている時代こそ、皆で明るい未来を作りましょう。

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    国債政策のレジーム大転換こそが「失われた20年」脱却のカギになる

    著者 daponte(東京都) 某月某日、大学(経済学部)卒業以来久方ぶりにゼミの同窓会があった。卒業以来約30年の月日が経っていた。会が予定より早く終わったので、L君がP君を誘ってもう一軒寄って行こうということになった。まあ二人とも期待していた成り行きであった。 L君はMという上場会社の管理部門の部長である。一方P君はQ大学の経済学の先生である。二人は昔からの友人であり、また議論仲間でもあった。今日も早速始まった。画像はイメージです景気がいまいちだ(L)元気のようで、なによりだね。ところで、自民党の第2次安倍政権が発足して早や3年が過ぎてしまったが、景気が今一つで困っているよ。会社の売上も横ばいが続いていて、利益もさっぱりだ。アベノミクスは失敗だったのではないだろうか。(P)まあ、結果から言うと、成功しているとは言えない。でもいくつか成果もあるので、失敗というのはちょっと酷のようにも思っているよ。ただ今のままでよいかというとそうではなく、早急に打開策を実行して行かねばならない。GDPは1997年度の521兆円(名目)をピークとして、2015年度は500兆円くらいであったとみられる。したがってこの間成長していないどころか20兆円も少なくなっている。これでは山積する諸問題は解決できない。どうしてもパイをある程度大きくしないと各方面の難しい問題に対処できない。(L)いろいろな問題があるが、身近な例から考えてみたいと思う。 わが国の自殺者数は減ってきているが、まだ年間2万人もある。国際的にみても決して少ない方ではない。このうち経済的な理由で自殺した人は4,000人位とみられている。すべてが不況のため自殺に追い込まれたとは言えないだろうが、この不況がもっと早く終わっていれば、多くの人命が救われていたと思われる。先日も乗っていた電車に飛び込みがあり痛ましい結果になってしまった。胸が痛む。 3月10日の産経新聞の「朝の詩」という投稿覧にこんな詩が掲載されていた。  オレのヨイトマケの唄            盛岡市 小笠原 敏夫(83)村一番の貧乏で粥に水足して食っていた三度の飯もままならず体の弱い母ちゃんが暑い日照りの工事場で必死にひいてたヨイトマケオレは見ていた母ちゃんを握った拳ふるわせて母ちゃん哭くな今オレは白米の米を食っている三度の飯も食っている きっと大東亜戦争直後の大変な時代の一場面だったと思われる。しかし、読むのも辛い詩だなぁ。作者は本当に悔しくて悔しくて拳をふるわせて泣いていたに違いない。でもこの作者は今では白米の飯を三度食べている。ところが、現在わが国では6人に1人の子供が満足に食事を与えられていないという信じられないような事態が起きている。P君、どうかね。GDP世界第3位の国でこんな馬鹿なことがあってもいいものだろうか。 この国のデフレが20年も続いているのは偶然でも何でもない。われわれ国民一人ひとりが関わって起きていることだ。とくに政治家を始めとして官僚・中央銀行幹部などの為政者、さらには経済界の重鎮・幹部、経済学者、エコノミストなどの責任は重い。(P)まったく同感だ。経済の話をしているとついつい現実を忘れていることがある。君の言うとおり、経済は「生きる」という人間のもっとも根源的なことを支えていることをいつも頭に置いていることが大切だ。関係するそれぞれの人や組織が知恵を絞って対策を練り、実行していかなければならない。どんな事情があるにせよ毎日の食事に不自由する子供がこんなに沢山いるのは絶対放置できない。こんなことは一日も早く終わらせなければならない。 このように不況のために何十万、何百万の人々が悩み、苦しんでいる現実は関係者の無知および属している組織の利益擁護・追求からくる無策あるいは施策の誤りの結果だという見方もできる。もちろんわれわれ学者も関係者の例外ではない。「失われた20年」の脱却は不可能なのか(P)マクロで言うと、この20年にわたるデフレ・不況でわが国経済が被った損失額はざっと1,000兆円にもなる。過去のGDPのピークは1997年度の521兆円だった。この521兆円という水準は90年代のバブルの影響が残っている水準なので、スタートを500兆円として試算する。それから年率1%(金額で5兆円)の成長を続けたと仮定すると、20年後の2016年度には600兆円になる。1997年度以降のGDPの実績はならしてみると、ほぼ年500兆円前後である。したがってこの実績値合計と1%成長による推定値合計との累計差額は、なんと1,000兆円にもなる。GDPの2年分だ。国民一人当たりに換算すると、8百万円、総額では国債の現在残高に匹敵する。この失われた20年がいかに大きいものだったかが実感できる。 もちろんこの推計は大変ラフな計算によるものではあるが、政策に大きなミステイクなかりせば、1%成長は十分達成可能な水準である。国際的にみても高すぎることはない。なんとしてもこの不況から一日も早く脱出し適正な成長軌道に戻すことが強く要請されている。画像はイメージです(L)よく「失われた20年」という言い方をするが、どういうことかな?(P)1990年からバブルの崩壊が始まり地価や株価が急落した。これが契機となって経済全般が低迷を続け、失われた10年と言われた。しかし失われた10年はいつの間にか20年になり、25年に及ぼうとしている。名目GDP(国内総生産)の最高が1997年であることが何よりもそれを物語っている。国際通貨基金(IMF)によれば、わが国は2009年には中国に抜かれて世界第2の経済大国の地位をゆずり、2014年には名目GDPで中国の半分になってしまった。 また一人当たり名目GDPでみると、1988年から2001年までは日本が世界のベスト5から落ちることはなかったが、2010年に世界17位、2014年では27位にまで落ちてしまった。こうした状況のなかで、このところ成長悲観論、脱成長論あるいは反成長論が経済論壇やメディアで盛んに取り上げられている。(L)日本人は悲観論が好きだから分からないではないが、この国はまだまだ発展の余地がある。またインフラの整備や老齢化の進展への対応、貧困の拡大への対処、教育・人材の育成、防衛力整備など、取り組むべき課題に事欠かない。脱成長論・反成長論などには到底与し得ない。「豊かさを享受」などしてはいられない(P)先日も財務省OBの榊原英資氏が「先進国はゼロ成長時代を迎えた」という所論を書いていた(2016年4月6日 産経新聞 正論欄)。 この記事によると「人類発展の歴史上必然の結果として、21世紀に入ると、欧米や日本などの先進諸国は成熟局面に入り、低成長、低インフレへの時代へ移っていくことになる」とし、「先進諸国の1人あたりGDPは4~5万ドルに達し、それぞれ豊かさを享受している。2010年から14年の平均成長率は日本が1.61%、アメリカが2.16%、イギリスが1.60%、ドイツが2.02%、フランスが1.01%と、1%~2%前後に収斂した」としている。 また「近代資本主義の発展はより遠くへより速く進展することで展開してきたが、もはやフロンティアは消滅した。また産業面においてもフロンティアは開発し尽くされ、新たな分野はなくなり、利潤率は低下し、利子率を大きく減少させることになった」と述べている。そして「『豊かなゼロ成長の時代』とでもいうのだろうか。人々の関心は『モノ』から、次第に環境や安全、そして健康へと移ってきている」と結論づけている。 しかし前述したように、わが日本はこの20数年の間に一人当たりGDPで大幅に順位を落としていて、とても成熟した豊かな国などと言っていられない。榊原氏は2010年と2014年のGDPを比較しているが、この期間の設定に疑問がある。実は2000年と2014年とで比較してみると、日本が0.97倍、アメリカ1.68倍、イギリス1.90倍、ドイツ1.98倍、フランス2.06倍となっている。わが国の低迷ぶりが突出している。しかもこの間に中国のGNPは1,205(十億ドル)から10,356(十億ドル)へと8.59倍の高度成長を遂げた。加えて購買力平価によるGDP(2014年)では、中国が18,088(十億ドル)、アメリカが17,348(十億ドル)となっている。今や中国が世界1位のランクを誇っている。これではわが国が「豊かなゼロ成長の時代」を是とし「豊かさを享受」などしてはいられないのは自明であろう。(L)榊原氏は本気でこうした低成長容認論を書いているのだろうか。(P)そういえば先日私の同僚の某教授いわく「榊原氏はこれからは低成長が続くのは当然であると主張することによって、財務省の財政均衡論・財政緊縮論を支持すると同時に、日本銀行によるインフレ率2%公約の達成は不要であると間接的に主張したいのではなかろうか」と言っていた。ちょっと穿ちすぎかと思うが、そうとも受け取れるね。デフレ・低成長の原因と背景(L)率直なところ、この20年間の不況対策は失敗の連続だったようにみえる。失敗という言葉が言い過ぎならば、政策・対策がtoo late, too little であった。そしてそのもっとも重大で致命的な原因は、政府とくに財務省と日本銀行の 考え方のなかにあると思う。端的に言えば、財務省は財政健全化という名分のために適切な財政政策の遂行を怠った。そしてそれは今でも変わっていない。一方日本銀行はインフレ忌避に関して戦後ずっと続いてきた伝統から逃れられず、事実上デフレを容認してきた。2013年以降黒田体制になって大きな変化を遂げたが、当初予定した結果が得られていない。昨今の情勢から判断すると、そもそも金融政策には限界があること、すなわち財政政策と金融政策とが一体となって運用されることが不可欠であるという当然のことがはっきりしてきているようにみえる。君の意見はどうかな?(P)ずばり言ってしまえば貴君の言うようなことかもしれないが、財務省も日本銀行もそれぞれ懸命に努力してきていると考えている。ただ前にデフレの長期化は「関係者の無知および属している組織の利益擁護・追求からくる 無策あるいは施策の誤りの結果」だという見方を申しあげたが、残念ながらそのとおりだ。ただ大きな組織のなかである個人が現在認められている政策と異なった考え方を抱き、それを主張・実現していこうとすることはきわめて困難だし、いずれ組織からはじき出されることになる。想像を絶する困難さだと思う。日本銀行の白川前総裁もそうした苦渋を舐めさせられた一人であったとみている。 なお政策に関してもっとも重大かつ最終的な責任は政権与党にあることを看過してはいけないのではないか。この20年間の実績から言うと、自民党、民主党とも経済政策に関して必ずしも及第点を取ってきたとは言えない。政策の内容・方向が間違っていたり、内容・方向は妥当であってもその実行についてなにかと問題を残したことがある。画像はイメージです(L)君の言うとおりかも知れないが、それでは、不況脱出は不可能ということになってしまわないか。政党も役所も中央銀行も職場放棄みたいな話だ。現在のようなデフレ状態をいつまでも放置して置くわけにはいかない。この国は何しろ20年もこうしたことを続けているわけだからね。この罠から抜け出すためには、この際どんなに困難でも腹を決めて対策を打ち抜かなければならないと思う。安倍政権は頑張っていると思うが、さらなる健闘を期待したい。これからどうすべきかについて、かねて具体的に考えていることがあるので、君の意見を聞かせてほしいな。 その第一は、思い切った額による財政政策の出動を継続的に行なうこと。その第二は、その実行を可能とするために国債政策のレジーム(regime)を大転換すべしという2点である。思い切って実行することによって不況からの脱出が確実になるし、また財務省の悲願である財政健全化への道が開けてくる。第二について言えば国債発行の累積はなんら危険ではないし、避けるべき事柄でもない。またこうした考え方は現在では次第に少数意見ではなくなってきている。(P)そのことについては私も関心がある。君の考えをぜひ詳しく聞かせてほしいな。リフレ策は賞味期限切れ(L)まず財政政策なかんずく公共投資を大いに復活させるべきである。その財源は国債増発である。曲折を経てリフレ派による金融政策が日本銀行を通じて進められてきた。当初株価・為替に好影響を与えたように見受けられたが、ここへきてその効果が疑問視されるに至っている。企業業績も上向きであるが、賃金にはほとんど反映していない。もともとtrickle効果などを期待するのが甘い。その結果消費は依然として低迷を続けており、デフレ圧力は減少していない。日銀による物価の公約も到底果たせそうにもない。民間企業はお金を貯め込むばかりで投資には向かわない。投資をしても売上も増えないし利益も稼げないことが 分かっているからである。リフレ策は賞味期限切れである。アベノミクスは立ち往生している。本来第2の矢である財政政策がもっと活躍すべきであったが、財務省の策略か、第1の矢にほとんどすべての期待が寄せられてきた。画像はイメージです 18年前にリフレ策をわが国に最初に勧めたかのクルーグマン先生も2015年10月のニューヨーク・タイムズ紙で「Rethinking Japan」と題して今の日本経済ではリフレ策に限界があることを認めざるをえなかった。そして確実にインフレを起こす唯一の方法は爆発的な財政刺激を加えることだと述べている。ここでクルーグマン先生は「重力圏を脱する速度(escape velocity)」が必要との表現を使っている。中途半端な速度では不況からの脱出は不可能であると主張したいのだろう。その額はGNP比6%(30兆円)だとしているようだが、こうした拡張策は財政赤字をますます大きくするので実務的な政策になるのは絶望的だとも言っている。無責任な話だ。 小野盛司氏によれば、日経紙の日本経済モデルNEEDSで試算したところ、日本経済復活のためには少なくとも30兆円規模の対策を数年間続ける必要があることが分かったと述べている。計量経済モデルはなにかと問題があるが、他のデフレギャップの試算等から推してもこの程度の額が必要と想定されよう。財源の捻出については次に述べるが、必要とされる額の財政投資を実行する以外に他に道はないのではなかろうか。それとも座して死を待つのか。(P)L君、忙しいのによく勉強しているね。リフレ派に関しては同感するところも多々ある。ただ30兆円の公共投資を数年続けるのは大変なことだよ。国債政策のレジーム大転換が必要(L)そうなんだ。大変なことだと思うよ。財務省が猛烈に抵抗するだろう。だからこそ国債政策のレジームの大転換が必要だと考えているのさ。 まず表を見てほしい。この表は国債の発行から償還までの流れを中央政府 (財務省MOF)、中央銀行(日本銀行BOJ)、市中銀行、家計(個人)の4部門に分けて示したものである。取引が行われるとそれぞれの部門の貸借対照表上で資産と負債に仕分けされ記帳される。表はその動きを示している。金額単位は別に必要ないが、億円でも百万円でもよい。 StageⅠでは、家計が通貨(現金)を100(億円)所有しているとする。これがスタートである。この通貨はBOJでは負債として記帳される。言うまでもなく通貨はBOJ以外では資産として記帳される。 StageⅡでは、家計がこの通貨を市中銀行に預金として預入したとする。市中銀行は資産に通貨を、負債に預金を記帳する。家計は資産に預金として記帳する。 StageⅢでは、市中銀行が通貨をBOJに対して預金として預入する。その結果BOJの通貨勘定に発行と還流とが同時に発生するので両者は相殺される。 StageⅣでは、MOFが国債を発行して市中銀行がそれを引受ける(購入)。その代金はBOJにあるMOFの勘定の預金として記帳される。発行された国債はMOFの負債勘定に記帳される。 StageⅤでは、BOJが買いオペレ-ションを実施し、国債はBOJの資産勘定に記帳される。 StageⅥでは、MOF(実務上は国土交通省)が国債発行で得た通貨によって公共投資を行なう(道路で60、橋で40)。支払われた通貨は民間企業(建設会社等)の資産勘定に記帳される(この表には表示されていないが)。 StageⅦは、StageⅥと同じ内容であるが、整理して表記したものである。 ここで注目されることは、BOJの負債勘定から右にある市中銀行、家計までの勘定がStageⅢと同じになっている点である。一方、国債発行、買オペ、公共投資が行われた後のMOF、BOJの資産・負債が示されている。すなわち結果として市中銀行と家計にまったく影響を与えないで(徴税などによって民間から資金調達をせずに)、MOFは公共投資を実施したことが示されている。民間企業(建設会社等)は100の仕事を得て、100の所得(収入)を得たのである。その分GDPは増加する。これが不況期(供給力に余裕がある場合)における  景気対策の内容を財務諸表のうえで具体的に示したものである。 次に将来国債の満期が到来した時にはMOFは同額の別の国債を発行(借換債の発行)すれば同じ資産・負債を保持することができる。民間から税金を徴収して償還する必要はない。この点が重要なポイントである。 またStageⅦに示したようにMOFの負債勘定とBOJの資産勘定を相殺することも可能である(MOFはBOJの株式の55%を所有している。すなわちBOJはMOFの子会社であり、財務諸表を連結することができる)。黒田総裁の最大の功績(L)日本銀行による既発国債の買いオペレーション(StageⅤ)については、従来日本銀行は消極的であると言われてきた。大東亜戦争時における日本銀行の国債引き受けが激しいインフレを招来した歴史があるためである。しかし2013年以降、新体制となった日本銀行は異次元金融緩和政策の一環として、市中の金融機関等からの買いオペレーションにより大量の国債を保有するに至った。2015年12月末の国債発行残高1,036兆円のうち日本銀行の保有額は331兆円(32.0%)である。数年前までは考えられなかったことが起きている。これはリフレ派が日本銀行の中枢に席を得た必然の結果である。白川氏の辞任を受けて日本銀行総裁に就任した黒田氏およびその同調者の最大の功績は国債の買いオペレーションを日常化させた点にあると言っても過言ではない。記者会見する麻生財務相(左)と黒田日銀総裁=5月3日、フランクフルト(共同) 現在日本銀行は新発国債を政府から直接引き受けることはできないことになっているが、上記の事実は若干のラグを経て直接引受けを可能にしたことと同義である。そしてさらに重要なことは、この結果政府(財務省)は日本銀行が保有する国債残高に関しては、事実上償還義務から開放されたと解することが可能になったことである。すなわち現在の国債残高を700兆円と観念することができる。 ここで想起されることは、シニョリッジ(seigniorage 通貨発行益)である。現在わが国では政府が直接通貨を発行することはできないことになっているが、かりにそれが可能であれば、シニョリッジによって財源を得ることができる訳である。そして日本銀行の買いオペレ-ションの実行は事実上同じ効果を生んでいる。 その他に、買いオペの価格(金利)と経理処理の仕方、金利高騰時におけるオペについての問題点、市場や外国からの国債の売り浴びせへの対応、国債残高の対GDP比率の捉え方(アメリカの格付け機関への対応)等々の問題が考えられるが、それぞれ十分に解決あるいは対応可能である。ただしここでは省略する。 通貨や国債の信用は一体何に立脚しているかを考えてみると、実務的には政府の徴税権の存在である。徴税権が確保されていなければ、通貨や国債は唯の紙切れになりかねない。そして徴税権の実行を可能にするのは、課税の対象である民間企業と家計(個人)の存在であり、究極的にはその経済力の強さと大きさの存在である。そう考えるとわが国の通貨・国債の強靭さが納得できよう。ギリシャとはまったく異なる。 これらのことから断言できることは、国債の累積によってなんら困難な問題を引き起こすことはないということである。以上について政府中枢、財務省、日本銀行が理解・納得すれば、従来の財政均衡主義とは異なったスタンスで、新規国債発行によるデフレ対策を強力に 推進することが可能になると考えられる。もちろん現時点においてすでに理解・納得している関係者も若干はあると思われるが、それが大勢を占めている訳でもなく、またこうした考えが公式見解になっている訳でもない。しかし今こそ大胆かつ異次元の財政政策の出動が待たれている。広く理解が得られる日が一日も早く到来することを切望したい。(P)なるほど、一応君の考えていることは分かった。ただどうも直感的には納得できにくい内容だ。学者仲間にはそういう主張をする人は見当たらない。 物理学(力学)の世界の話だが、ピサの斜塔からの自由落下実験にしても最初はだれも認めなかったと言われている(重い物ほど早く落下するとしたアリストテレスの公理を否定したガリレオ・ガリレイによる実験)。別途ゆっくり考えてみることとしたい。

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    弱小ニッポン農業、TPP契機に欧米列強を迎え撃て!

    著者 谷重彦(三重県) 農業に限ったことではないが、競争力を高めるためにするべきことは、消費者ニーズに合った高品質なものを安く、かつ早く提供し、そのことを継続していくことである。そのためには市場調査を行い、消費者ニーズに合った物を生産・流通の合理化によって低価格・高品質で販売し、市場を拡大していくことが必要になる。ただ、これらは一定のビジョンを持ち、戦略的に行われることが最も重要だ。 日本の農業について考えてみると、このビジョンと戦略を持つことが国の農業政策と言えるであろう。だが、今のわが国の農業政策は競争力を高めるものと言えるのだろうか?   私はそうは思わない。建前はともかくとして、現状は国民全体ではなく一部の農業関係者の利益を目的に、あらゆる規制、保護によって閉塞状態となっていて、国際化どころではない。例えば「損・得」で言うと、すべての政策はそれによって損をする人と得をする人を生む。一部の人が損をするからといって、例え多くの人が得をしてもその政策を採用しないとすれば、全体を向上させることはできない。ここで言う一部の人とは農業協同組合職員30万人、農協組合員500万人、そして農政に関係する官僚、政治家であり、全体とは日本国民全てである。これから日本農業が国際競争力を高めるためには日本国民全体の将来を第一に考えた政策が必要である。  そこでまず、日本農業の現状の中から以下6つの事実を押さえておく。 (1)「全農家に占める第二種兼業農家は6割」  第二種兼業農家とは役所・農協・民間企業などに勤務しており、農業からの収入を期待するよりは、将来の転用益を期待するなどの理由で土地を持ち続けるために農業をしているサラリーマンたちである。(2)「兼業農家はサラリーマン世帯よりも高所得」  2002年のデータとして兼業農家の平均所得が792万円、サラリーマン世帯は646万円である。(3)「兼業農家はコメ作に集中」  生産額シェアとして兼業農家が占める割合は野菜18%、牛乳5%に対してコメは62%。コメはサラリーマンが片手間に農業しても生産できるということである。(4)「狭い耕地面積、低いコメの単位土地面積当たりの収穫量」  一戸当たり農地面積の国際比較として、日本1.8ha、アメリカ181ha、EU16ha、オーストラリア3407ha(平成20年度「食料・農業・農村白書」)。又、コメの単収についていうと、コメ農家の占める農地面積は農家全体のおおよそ6割あるのに、農業生産額では2割しかない。これはコメ作が兼業農家によって非効率に行われている結果である。(5)「GDPに占める農業の割合は1%、農林水産業で1.1%であるが、政府予算に占める農水省予算の割合は4.7%」(平成22年度一般歳出予算)(6)「2008年、日本の農業総生産額8.4兆円のうち、コメが1.9兆円、野菜2.1兆円、畜産2.6兆円」補助金漬けになっているコメよりも野菜や畜産の方が生産額が多い。改革による一定の痛手は覚悟を これら6つの事実からわかることは、日本の農業は零細で非効率的であり、その大半を占めるのが主にコメを作る比較的裕福な兼業農家である。そして国内生産額が少ない割に多くの国の予算が付けられているということである。 さて、このような非効率的、非合理的な状況になっている原因は何であろうか。それは農協・自民党・農水省によって「小規模兼業農家戸数」の維持が図られてきたためである。 具体的に例を挙げると、(1)米価維持(高関税と生産調整)、(2)農地法(一般企業の参入制限、農地利用・流通の制限)、(3)農協の優遇(銀行等の農協金融への参入制限、金融・経済の兼業が認められている) 私は日本農業が国際競争力を高めるためには、まず農協改革、具体的には農協団体の持つ優遇面の大幅な撤廃により金融・経済両活動の分社化を行い、それぞれ税制や監査制度を一般企業・銀行等と同じ基準に合わせるべきであると考える。もちろん銀行等の市場参入を促すために貸付時の信用保証も付けられる仕組みにする。次に農地法改正により株式会社をはじめ一般営利企業の市場参入の自由化。農地転用や農地売買の条件緩和を行い、農地の集約化、大規模化をはかり生産性向上など、生産や流通のコスト低減を実現する。そして状況に合わせて関税、生産調整の見直しを行うことであると考える。 もちろん、これらの改革によって一部の人といえども大きな痛手を伴う点は覚悟しなくてはならない。そこで、最終的なソフトランディング策として、戸別の所得補償制度や転職に際してさまざまな特別優遇措置を講ずる必要があるだろう。 私は幕末のペリー来航から始まった日本の開国と今の日本の農業が重なって見えて仕方がない。ペリー来航の後、日本の開国は多くの日本人が正しかったと認識していると思うが、相当な困難が伴ったのも事実だ。今回のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)をきっかけにした農業の国際化でも、関係する人々が一定の大きな痛手を負うことになるだろう。  だが、競争力が高まることで、それ以上に日本の国益に叶うものであると信じている。 今、農協改革は始まったばかりである。一部の人が損害を被ることもあるだろうが、国民全体が得をする政策を実現するためにも、日本農業の発展に向けた支援をしていくことが求められている。※参考文献 『日本の農林水産業』日本経済新聞社、八田達夫・高田眞(2010年11月22日発行)

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    紛争はひたすら回避 外交無策の外務省が国を亡ぼす

    著者 長尾勝男 近年、米国内では中国系を中心とする「世界抗日戦争史実維護連合会」が連邦・地方議会をはじめ首都ワシントンなどを舞台に、日本の戦時行動を糾弾し訴訟や宣伝工作を展開しており、慰安婦や南京虐殺にとどまらず、尖閣諸島や竹島領有まで日本たたきが行われている。にもかかわらず、火消し役であるはずの外務省は無策のまま、やられっぱなしの現状である。 なぜなのだろうと思うのは私一人ではあるまい。今まで公表されている書籍や各種メディアを通して得た情報をもとに、その理由について考えるとともに想起される状況について述べることとしたい。紛争回避が我が国外交のスタンス 2010年9月に起こった魚釣島近海で違法操業の中国漁船が我が国巡視船に体当たりした事件は、中国の加害漁船船長を無罪放免にし、犯行現場を撮影した映像を非公開としたことで明らかなように、できる限り波風を立てず、事を穏便に済ませようとしたのがうかがえる。 これらは政府、とりわけ外務省の意向を汲んだ措置である。背景には自国船長の逮捕を知った中国政府による日本向けレアアースの禁輸制裁、日本企業社員をスパイ容疑ででっち上げ逮捕拘留するなどの報復、我が国国民の反中感情が沸騰するのを恐れたことなどによるのは明らかである。 これには過去に幾つかの先例がある。1970年3月に起こった赤軍派によるよど号ハイジャック事件の際には、犯人グループの言うがまま北朝鮮に亡命させた。人質をとり日本政府を脅した、いわゆるテロであったが、極度に人命をおもんぱかったため、やすやすと相手の脅しに乗ったのである。身柄を拘束され、強制退去のため、成田空港に姿を見せた金正男=2001年05月04日 2002年5月、中国の瀋陽事件では、日本領事館に助けを求めてきた脱北者を現地外交官が見殺しにし、中国の官憲に領事館内への侵入を許したあげく逮捕させた。2001年5月の金日正の長男、正男の密入国事件では、成田空港の入国管理局が拘束したものの小泉首相・田中真紀子外相の強い意向で国外退去処分として全日空機を用意しわざわざ北京まで送った。 また「朝鮮王室儀軌」は、韓国の要求にこたえ、返す必要がないのに言われるまま返還、一方で対馬の寺院から盗まれた仏像(銅像観世音菩薩坐像)は、いまだ韓国が日本から略奪されたものだと主張し返還を渋っている。 これらのことを思い起こせば、問題が起きたとき相手を極力刺激しないように配慮するあまり相手の圧力に屈し、予見される紛争をひたすら回避することが外交の基本的スタンスであるとうかがい知ることができる。省内に巣食う反日分子の存在省内に巣食う反日分子の存在 歴史非難に関して、慰安婦問題および世界遺産問題を事例にみると、現在50人の日本の学者たちが'慰安婦'問題に関し、マグロウヒル社および米国学会に抗議を行っているにもかかわらず、外務省は外交手段を用いようともしない。 中国による南京大虐殺文書の記憶遺産登録で問題化したユネスコ審査部は、日本人の審査員を小人数しか置かず、3月7日に国連女子差別撤廃委員会が出した「最終見解」には、慰安婦問題について極めて不当な見解が出されている。その原案には、「皇室典範」の「男系の皇位継承」が女子差別にあたり、改正を求める趣旨の記述まであった。 同委員会委員長の林陽子氏を国連に推薦したのは、ほかならぬ外務省である。1996年、性奴隷と認定したクラスワミ報告書に対し明快な反論文を作成しながら、なぜか別文書にすり替えた件などを考え合わせると、省内に我が国をおとしめようとする勢力が存在するのは明らかである。 平成19年、アジア女性基金解散後、外務省独自にフォローアップ事業と称して毎年度、韓国の元慰安婦と称する人々に1500万円の予算を付け生活必需品を支給したり、中国緑化運動に支援金90億円を計上したりするのは、相手国側に忠節を尽くす意図の表れにほかならない。明らかに君側の奸が存在することの証しである。無責任な体質の継承 1941年12月8日、日本時間の午前8時までに行うべき最後通告が、在米日本大使館員の不手際で間に合わなかった結果、日本は米国に対してだまし討ちをしたことになった。 このことに対し外務省の直接の担当者及びその上司が責任をとったという話を聞いたことがない。在米一等書記官の奥村勝蔵は開戦前日の最後通告解読文をタイプに打ち込む担当であり、最後通告の手交遅延の直接責任者であった。当日遊びに出て大使館を留守にした。その彼が戦後マッカーサーと天皇の通訳を長らく務め、講和条約発効後は外務省の外務次官になっている。 井口貞夫・在米参事官は真珠湾攻撃の前日、本省からあらかじめ万端の準備指示があったにもかかわらず、緊急態勢を敷かなかった。その後彼は1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和条約締結時外務次官として列席した。結局、外務省は真珠湾だまし討ちの謝罪を公には全くしていないのである。なぜなら自分たちの責任に及ぶからである。 真珠湾50周年に際し、時の外相、渡辺美智雄がワシントンポストに「旧日本軍の無謀な判断で始まった」と述べており、悪いのは軍部で外務省に責任はないと言っているのである。 2年前の2014年7月、北朝鮮とのストックホルム合意に基づき制裁の一部を解除したその後拉致被害者に関する進展はなく交渉に当たった責任者(伊原純一アジア大洋州局長)は何らおとがめなしであるところを見れば、省内に延々と受け継がれていることが分かるのである。つまり、結果に対し責任をとらないでよいことになっていると考えざるを得ない。札束外交の虚しい影響力札束外交の虚しい影響力 昨年11月マレーシアで行われたASEAN国防相拡大会議では、南シナ海問題で意見の一致が見られず共同宣言が見送られた。背景にあるのは中国のASEANに対する経済的、軍事的圧力であり、中国の了解なしには何も決められない実態が明らかである。 安倍首相は福島県いわき市で開催された「太平洋・島サミット」で、パラオなど南太平洋の島しょ国に今後3年間で550億円以上の財政支援を表明した。首相は、「力による威嚇や力の行使とは無縁の太平洋市民社会の秩序」の構築を呼びかけ、名指しは避けたが、中国を牽制した。要するに、島しょ国が“中国寄り”にならないように、カネを渡して日本シンパにしようということだった。「太平洋・島サミット」の首脳会議に臨む、太平洋島しょ国14カ国の首脳ら=2015年5月23日、福島県いわき市 これは、当初から外務省がお得意のODAや各種支援金と軌を一にしたやり方である。なんと、この2年半で、アフリカ支援に3兆円、バングラデシュ支援に6000億円と、ODAや円借款を積み上げると26兆円に上る。支援がすべてムダとは思わないが、いったい、どれほどの成果があったのか。だから手の内を読まれ、足元を見透かされている。外国にとっては、格好のカネづるになりかねない。資金援助してもらえる国はニコニコして、表面上は日本をチヤホヤしてくれるだろうがそれだけのこと。支援が途切れたらソッポを向かれるのは明らかである。亡国への道筋を避けるには はっきり言えば、外務省がやろうしている外交が全く機能しないから、バラマキや軍事的抑止力に頼らざるを得なくなってしまうのである。仮にこのままの外交姿勢を続けていくと、徐々に国家主権を奪われ、いずれ日本は詰んでしまうことになる。 既に首相の靖国参拝参拝がはばかられる事態をはじめ、国連人権理事会や差別撤廃委員会による人種差別撤廃(ヘイトスピーチ)の法的規制や皇室範典の違法性、竹島など主権侵害の進行がそれを物語っている。手を替え品を替えて国民の手足が縛られていくのを、亡国と言わずして何と表すればよいのであろうか。 クラウゼヴィッツの言を待つまでもなく、戦争とは意思を敵国に強要するための暴力行為である。あくまで暴力行為は手段であり、目的は意思の強要である。意思の強要さえできれば、暴力行為は必ずしも必要ではない。外交が血を流さない戦争といわれるゆえんである。外交官はじめ外務省職員がこのような自覚を持たない限り、日本は亡国への坂を下り続けるに違いない。 国際社会は指摘されたことを"素直に認めて謝罪すれば、それで相手は矛を収め、真の和解につながるというほど甘くはない。逆に日本が受け入れられないと拒否する姿勢を示したことで、国連が微妙にスタンスを変更した例が、それを証明している。  例えばクラマスワミ報告に対して、ラディカ・クラマスワミの出身国であるスリランカを、今後、ODAを一切提供しないと恫喝すれば多分採択されなかった可能性が大きい。"良い、悪い"ではなく、国際社会とはそうした力学によって動いているのである。 北朝鮮政策では対話と圧力といわれる。対話については幾度となく行われているが、相手が音を上げるまで圧力をかけたことは一度も聞いたことがない。かけすぎると暴発の恐れがあるとの脅し文句が必ず浮上する。それではいつまでたっても拉致被害者は帰っては来ない。相手の反撃を恐れて手をこまねいていては問題は一向に解決はしないのである。 ただし、ここで忘れてはならないことは、国連詣でを繰り返し、職員を焚き付け、日本をおとしめる勧告を採択させているのは、日本人だということである。何しろ、真の敵は反日日本人なのである。外交の健全化にはまず、このような反日分子及び圧力団体を一掃することが先決である。(海自OB)

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    慰安婦合意で見せた「日本らしさ」 首相の意志に希望はある

    著者 河合芳典〈例えば外国人相手の日本人の教師は、外国人学生に対して、日本語の発音、文法だけでなく、語用論的な問題、たとえば日本の社会での言語行動の特徴について、日本語は相手の気持を察する高文脈言語であるといったことなども教える、つまし結果として学生をタタミゼ化する教育を積極的にしていることになります〉 『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』(新潮選書)の著者、鈴木孝夫氏によると、tatamiser(タタミゼ:畳の動詞化)とは、最近使われるようになったフランス語で、 良い意味で「日本かぶれ」「日本贔屓になる」、悪い意味では「日本ボケする」というような意味だそうです。〈これに反して日本にいる外国人(語学)教師の多くは、むしろ彼らの文化を基準として、日本人学生がアメリカ人やフランス人のように考え行動するようになることを目標にして、学生を教育するため、自分のほうが言語的文化的に日本的になることが少ないように思われます〉 なるほど、そうかもしれません。揉め事になると、とりあえず謝ってしまう。自分自身に非がなくても、諍(いさか)いを起こしていること自体、世間を騒がしていること自体に謝る。疑問を感じつつ、ご親切にも認めてやれるところを探してしまう。そういう子こそが、日本国内では「いい子」です。そうであれと育てられました。 ところが大人になり、殊に海外に出てみると、それじゃダメだと叱られることになりました。国内で美徳とされたものが、国際社会においては悪癖であるかのように言われます。実際海外で暮らし彼の国の人々と渡り合うには、否が応でも日本人らしさを捨てなければならないのかもしれません。 良い悪いではなく、そうして外国で戦ってきた人々にとって、先般の日韓合意は信じていた人に裏切られ、はしごを外されたと映っているようです。決して謝ってはいけなかった。相手の言い分を一寸たりとも認めてはいけなかった。事実、日韓外相共同記者発表にある「軍の関与の下に(with an involvement of the Japanese military authorities)」 との文言がもとで、「日本政府が、ついに軍による強制連行・性奴隷を認めて謝った」式の報道がなされたではないか、自分たちの努力は何だったのか、ということのようです。日韓首脳会談を終え、記者の質問に答える安倍首相=2015年11月2日、ソウル市内のホテル(共同) けれど今、この情勢の中、首相や外相の地位にある人が「従軍慰安婦というのは戦地売春婦で高給取りでした」と「本当のこと」を言えば、どうなるでしょう。そんなことをしても、誰にも届かないし、「歴史修正主義者」のレッテルを貼られ、信用を失い、ますます話を聞いてもらえなくなるだけではないでしょうか。政治家が自分の心情に忠実になりすぎて、世論や空気から浮いてしまっては、結局何もできなくなります。 首相も政府も「少女達を強制連行し性奴隷にして後に20万人を殺害した」なんてことは決して認めていません。そこを押さえたうえで、精一杯アチラ側に「歩み寄って」みせ、韓国系の「運動家」たちに対する疑問が出始めたところに、それでもコチラ側から「謝って」みせました。 人は理性だけではなく、感性というものを持ちあわせています。比重はともかく、それは人類共通です。 首相は、理の通らぬことを飲み込み堪えて、それでも慰安婦がらみの反日運動は何としてでも終わらせるんだという、政府としての意志を示しました。その成り行きを世界が見ていたというところには、絶望だけではなく希望もあるのではないか。私はそう思っています。

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    国民が正しい日本の歴史を取り戻す時期が来ている

    著者 石原秀和(兵庫県) 「戦争法案」「徴兵制」などレッテル貼りに騙されている主婦や学生に目を覚まして欲しい。 我国日本国の存立を脅かしつつある周辺事態の更なる悪化に備えて国民の生命・財産を守る目的で万全の防衛体制を整える為の安全保障関連法案に反対の為の反対をしている野党やマスコミによる「戦争法案」「徴兵制」などという反日プロパガンダに動揺している主婦や学生に目を覚まして欲しいのですが、戦後70年を迎えるにあたり発表された談話で安倍首相が述べておられるように、「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならない」と思います。 我国は、ロシアの南下によって植民地支配をされないため、国の存亡を掛けて日露戦争を戦いました。「戦争」というものは、当時軍隊を持っていた日本でも、簡単にできるものではありません。日英同盟という当時世界の覇者であったイギリスの助けがあった事以外に、高橋是清が戦争に必要な1000万ポンドもの外債を英国で半分、残り半分を何とかアメリカのジェイコブ・シフから賄えてやっと可能であったのです。これはギリギリの金額ですが、とてつもない金額です。その返済は、何と開戦(1904年)後82年経った1986年(昭和61年:今から僅か29年前)の事です。 そうです、戦争はただで出来るものでは無く、何よりも戦費が必要なのです。それを調達するためには、大義名分が必要です。大義の無い戦いには先ず日本国民が同意するはずがありません。もう一つ重要な点は、国連(英語で連合国という意味)では、2億7650億円(世界第2位、10.833%)もの分担金を支払い多大な貢献をしている日本は、いまだに敵国条項の対象国です。戦争の準備を始めていると判断されただけで、攻撃して良いとされている日本に対して、どの国も戦争国債を買ってはくれないでしょう。 先の戦争は、日露戦争の2年後、当時台頭してきた日本を叩くために立てられたアメリカのオレンジ計画に沿って資源の無い日本が最終的にABCD包囲網によってあらゆる資源の供給を断たれた上、突きつけられたハルノートの要求で戦争回避が不可能であると判断するしかなく、座してみすみす征服され辱めを受けるどころか、絶滅をも覚悟しなければならない降伏を選ぶよりは、民族の誇りをかけて最後の存亡の戦いに賭けようとしたもので、決して自分から戦争を仕掛けたものではありません。 もともと鎖国で平和に暮らしていた日本を不平等条約で無理矢理開国させたのは、アメリカをはじめとするアジアを侵略し、植民地としてきた欧米列強です。日本はそれ以来、何とか完全な植民地にはならないように文明開化の道を欧米に習って必死に進めてきました。日清日露の戦勝でようやく不平等条約を解消しましたが、それも僅か40年、先の大戦で敗れて以来、再びアメリカの軍事力に支えられ、擬似鎖国に入ってしまったようです。自分からした鎖国では、我国の歴史は誰からも歪められることは無く、しかも外国からの情報は入ってきていたので、日本はある程度対応することは出来たのですが、戦後70年間、果たして日本の歴史は学校教育で正しく教えられてきたでしょうか。 今こそ、国民が正しい日本の歴史を取り戻す時期が来ているし、その努力をしていかなければならないと思います。本当に正しい歴史認識を持てば、「戦争法案」「徴兵制」などのレッテル貼りに騙されることは無くなると思います。歴史を失った民族は滅亡に向かうだけで、輝く明日はありません。我が祖国日本は我々日本人が知恵を絞って守って行かなければならないと思います。

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    普通の人生を送ったほうが良さげな若者たちの「幕末の志士」ごっこ

    著者 KeroChan(東京都) 大学生や高校生が政策を考えて、有識者に提言を行う団体が増加している。このような団体は、日本の将来を担う人材の育成を一番の目的としており、選挙権年齢が18歳以上からに引き下げられたことをきっかけに注目されている。 先日、とある団体に所属する大学生とその幹部が、BS放送のニュース番組に出演していた。大人では思いつかないような新しい議論を期待したが、それは見事に裏切られた。この日のテーマは少子化問題と地方創生。どれも一刻も早い解決が求められる重大な問題である。二時間の議論の末、提言されたことは、「同一労働同一賃金」「男性の育児休暇の拡充」「地方に関わる当事者を増やす」というものであった。どの提言もすでに世の中で議論されているものであり、彼らの提言に新しさと深みを感じることはできなかった。 学生達が求められていることは、大人達が気付かない、または目を背けているような、制度の欠陥や罠を指摘し、それをできる限り解消するような政策を提案することである。それが満たされてはじめて、彼らの目指す日本の将来を担う人間になれるのではないか。こうした感覚を持つには、自分自身の人生経験を基に、自身の思想や哲学を持ち、それを活かそうとする姿勢である。今回の番組に出演していた学生達は、大人達(団体幹部や講師)からあらかじめ教わった価値観に拘束され、世の中において「新しい」「革新的」とされるものをひたすらコピーしているだけなのである。番組内でのキャスターとのやりとりにおいても、このような傾向が感じられるシーンが多数見受けられた。 「若者にこのような能力を求めることは酷なことではないか」、あるいは「厳しい声を浴びることによって、学生達が委縮してしまうのではないか」と思われる読者の方もおられるだろう。しかし、現在の日本経済を支える人材が団体の幹部であり、政界や財界の中心人物から直接レクチャーを受けるという大変貴重な機会に恵まれている以上、それなりの政策立案能力を求められるのは当然のことである。とりわけ、被選挙権年齢の引き下げが検討されている現状においてはなおさらだ。 今回取り上げた団体に限らず、どの団体も、明治維新で活躍した「幕末の志士」を目指そうとしている。「坂本龍馬のように日本を変えたい!」といったものだ。今回の番組に出演していた彼らもそのことをよく口にしていた。しかし、何の思想や哲学を持つこともなく、単なる憧れで「幕末の志士」になりたいと思っているのであれば、何もせず、普通の人生を送った方が彼らにとって余程有益である。

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    大学生が考える 「戦争法案」という主張は本音かタテマエか

    著者 竜太(東京都、中央大学法学部2年) 2015年、平和安全法制がようやく成立した。しかし、成立までのプロセスを振り返るとおぞましい記憶がよみがえる。国会内外にて感情的な運動が「一部」の運動家の中で発生し、それをマスメディアが煽るように報道し、あたかも反対派しか存在しないかのような印象操作が行われた印象がある。中でも憲法学者をはじめとする他の分野の学者や弁護士、評論家には失望した。政治家は立場上言いにくいことがあり、そもそもさほど博識でないから、意義深い議論が行われることは期待していなかったが、他の集団は民意を背負ってるわけではないから、「本音」で議論する姿勢を見せてほしかった。というのも、学者らは、なにやら怪しげな集会を開き、各自でプラカードを掲げ、平和安全法制に賛成する勢力を「反知性主義」と断定した。あたかも自分たちは博識みたいな傲慢な態度であった。 賛成派は本法案が合憲とする論理は、現行の安全保障体制の延長であり、ドラスティックな解釈はしていないと主張する。そもそも、今回の法案は集団的自衛権の行使ではないが、既に日本は何度も一般国際法上集の団的自衛権を行使してきた歴史を持つし、日米安保を破棄していないことが、集団的自衛権自衛権容認に他ならない。憲法には条約は順守しなければならないという旨が明記してある事について反対派はどう説明するのか。また、今回の法案の論点であった集団的自衛権が違憲であるならば、日本政府がとるべき行動は3つあり、反対派はそれを大声で主張しなければならない。1 国連憲章に対し留保をつける2 日米安保が憲法に反していることになるので、基地提供(国際法上の見解は集団的自衛権に含む場合が少なくない)をやめ、米国に対し条約破棄を一方的に通告する3 現行の安全保障に関する法律の抜本的改正 国連憲章の51条には国家の自然権として集団的自衛権を認めているが、日本の憲法上禁止されているならば、留保の旨を通告しなければ国際政治で大きな誤解を生む。基地提供に関しても、ベトナム戦争時に嘉手納基地から米軍が出撃している時点で集団的自衛権行使である。さらに自衛隊法でも、公海上であっても米艦隊が攻撃を受けた場合に武力行使が可能な事態が明記されている。(自衛隊法88条、95条等)国会前で行われた安保法案反対デモには多くの女性が参加した=8月30日(早坂洋祐撮影) ゆえに、繰り返しになるが、憲法違反だと主張するならば上記の3つのことを主張しなければ論理的整合性はない。しかし、反対派が叫んでいる事は、「打倒安倍政権」、「廃案」、「立憲主義の破壊」など様々で感心すらする。こういう人達が「反知性主義」とか言うのだから滑稽である。実際のところ、憲法学者の解釈はごまかしであり、ご都合主義で、「マスコミが騒いでいるから目立っておこう」的な意図を感じてしまう。だから、私は憲法学者の主張はあくまでタテマエであり、本当は分かっていると信じている。もし、本音であるならば、日本の憲法学者に存在価値は無い(タテマエでもタチは悪いが…)。 実は、少数であるが論理的な主張をしている人もいる。代表的な人は伊藤塾塾長である。彼は現行憲法に則り、行政を行うならば非武装中立しかないと言う。思想的に「正常」かは抜きにして考えれば彼の主張自体は筋が通っている。ただし、筋が通っていれば正しいことにはならない。チベット、ウイグル、東南アジアの現状を見れば彼の主張がいかに愚かであるかは一目瞭然である。 よって、今回の法制は必須であり、まだ不十分であるくらいであるし、将来的にはフルスペックの集団的自衛権の行使を容認した方がリスクは軽減される。憲法学者や一部の愉快な人たちはゲーム理論や国際関係学、統計学を知らないかリスクは増えると言うが、あくまで条件付き確立の想定であり、本質でない(※詳しいことは嘉悦大学教授の高橋洋一氏の記事を参照)。 今後、日本が国際平和に貢献していく気があるならば、経済大国に相応しい軍事力を備え、抑止力を増大させるべきである。一人の学生として日本がより安全になることを願っている。

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    成立後でも考える なぜいま安保法案が必要なのか

    著者 中井知之 安保法案が成立しても、反対派からは「若者を戦場に送るな」「安倍は人間じゃない」などと激しい言葉も飛び交っている。確かに戦後、集団的自衛権を認めてなくても平和が保たれてきており、安保法案によってアメリカの戦争に巻き込まれるという懸念があること自体は当然だ。しかしなぜ今、集団的自衛権が必要とされてきているのか、行使できないままだとどうなるのかもよく考える必要がある。 現在、日本の安全保障上最も差し迫った危機は、中国が「核心的利益」とまで位置づける尖閣諸島である。中国は急速な軍備拡大を背景に海洋進出の姿勢を鮮明にし、実際に南シナ海でも強硬姿勢を見せている。 中国に武力行使をしても利益にならないと思わせるために最も重要なことは、日本が確固たる防衛力を持ち、武力による尖閣奪取が不可能だと思わせることだ。そのためには、米軍の支援の有無が重要なポイントとなる。支援を取り付ける意味でも、米軍と自衛隊の連携を高める意味でも、集団的自衛権の容認は非常に有効である。 第二に国際社会を味方に付けることである。日本だけでなく欧米各国からも非難を受け経済制裁を受けるならば中国にとっても耐えがたい打撃となり、不利益が上回ることとなる。そのため中国も尖閣問題を歴史問題とリンクさせるなど国際世論工作に懸命だ。「国家の存立の危機」が発生したときでも危険な仕事は他国任せ、後方支援すらしないというのでは、欧米の積極的な支持を得ることは到底望めない。国際社会では集団的自衛権は当たり前のものであり、有事の際に常識的な行動を取れるようにしておく必要がある。 これらの抑止力が不十分だと、中国はいつでも武力行使によって尖閣を手中にできるという状態になる。そうなると日本が話し合いで平和を守りたいと思っても、中国からすれば戦争によって尖閣が手に入るのだから、合意や譲歩など全く期待できない。日本が大人しく尖閣を明け渡さないなら、戦争が始まるのは時間の問題となってしまう。米中を筆頭に国際社会は現在でも軍事力に依存していて、それぞれにとっての「正義の戦争」が存在している。中国が台頭した中において、日本だけがその現実を無視していては外交も平和も成り立たなくなるのだ。 実際に軍事的優位を狙う中国は、アメリカに対して「太平洋は二つの大国を受け入れる十分な空間がある」と新大国間関係を提唱している。これは「米軍が東アジアに介入し中国とにらみ合うのは互いのためにならない」とアメリカに促すものだ。くしくも、内向き傾向のアメリカは「世界の警察官をやめた」とも言われており、米軍の活動を削減する分、同盟国に負担増を求めている。日本がこれに応じなければ、アメリカがこの「新大国間関係」に乗ることは十分ありうる。アメリカを東アジアにつなぎとめておくには同盟国としての日本の価値を高める必要があり、このタイミングで安保法制の整備は、戦略的に見て全く理に適ったことである。 このような国際情勢の変化に対応しなくとも日米安保が将来に渡って維持されるというわけではない。在日米軍基地の存在価値がさらに低くなり、その時点で日本は基地を提供してきただけの存在で同盟国として確かな実績がないならば、あっさり見捨てられてしまうだろう。現在でもアメリカ政界では日米安保の片務性に対する不満が渦巻いているのだ。日本の厳しい安保環境で自主防衛となると気の遠くなるような予算が必要となり、現在の日本の財政状況では相当厳しい。そのときにギリシャのような財政危機にでもなっていれば全くどうしようもない。 そうなると尖閣だけでは話は済まない。武力衝突が起きても勝利が見込めるとなれば、中国は日本との戦争を恐れることはなくなる。世界各国が中国の顔色をうかがい、アメリカに見捨てられた日本の言うことなど聞く耳を持たないという状況であれば、中国としては自己正当化もしやすいし、挑発的行動も取りやすい。反日同盟を組む韓国は対馬を本気で狙い始めるだろうし、ロシアや北朝鮮も何をしてくるか分からない。戦争発生のリスクは飛躍的に高まり、そのときに自衛隊員がさらされるリスクの大きさは後方支援どころの話ではない。また、そのような状況では日本はまともな外交が成り立つはずもなく、何もなくともアジアにおいて中国が断然有利の仕組みが構築されていくだろう。 一方で中東などでアメリカの戦争に加担すればテロのリスクが高まる、という懸念もある。確かに、こちらも事態の推移によっては大きなリスクになりうる。明らかに筋が悪いような場合には参加しないということも必要だろう。ただ中東に関して言えば、地理的に言っても、歴史から言っても、後方支援という役割から言っても、日本の持つリスクが欧米よりはるかに小さいことは間違いない。潜在的なリスクの大きさを比較すれば、日米同盟が弱体化したときの外交・安全保障上のリスクの方がはるかに大きいと言える。周囲に野心的な大国や気ちがいじみた反日国家を抱える日本としては、ある程度アメリカの求めに応じていく他、選択の余地はないのである。

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    安保法案賛否「わからない」は立派な選択肢!

    著者 村沢智治(神奈川県) 毎日のように国会前や地方でデモが行われており、若者を中心とした多くの一般人の政治的関心の向上が評価されている一方で、「反対」及び「賛成」を明示することが意識の高さを象徴しているかのような扱われ方をしている風潮を感じる。だが実際のところ、政治は複雑系だ。東京大学をトップクラスで卒業したような官僚であっても、全てが見通せる筈はない。 何故だろうか、どうやら、安保法制に関しては単純系だと思われている方が多く見受けられる。インターネット上でも、集団的自衛権=戦争が起こる(反対派)や、集団的自衛権=他国からの侵略を防げる(賛成派)など、結果と端的に結び付けた意見が散見される。だが、レッテル張りを始めとした二元論はこの際、無意味であると言わざるを得ない。 例えば、「大戦の反省をするならば、9条を守り通すべき」という声があるが、大西洋戦争の原因の一つには、日本が国際社会で孤立した事実がある。当時枢軸国と呼ばれた日独伊は国際連盟を抜け、大戦への道を歩んで行った。しかし、このたびの安保法制では、米国との軍事同盟が前提にある。米国と言えば、国際連合の常任理事国であり、NATO(北大西洋条約機構)の初期加盟国でもある。米国との同盟の強化は、むしろ敵国条項の対象国とされる日本の国際社会からの孤立を防ぐ一つの役割を担っていくと考えられる。だからといって、現在の憲法9条を守り通すことが大戦の反省にならないということにもならない。当時の大日本帝国やナチス・ドイツが「国防」や「存立危機事態」と称して侵略を開始したのも紛れもない事実なのだ。すなわち、どちらも有効な「大戦の反省」なのである。 また、よく見られる主張に国際世論の賛否がある。国際社会においては、本法案を「評価する」など肯定的意見を述べた国は英仏をはじめとした44ヶ国で、反対を表明した国は中国・韓国の2ヶ国に留まる。これを以て安保法案を通すべきであると述べる声も多いが、これはさしたる根拠にはならないように思われる。日本が集団的自衛権を導入した際、「彼らにとって都合が良い」だけの可能性を否定できないためだ。我々日本人が、他国民のために防波堤の役割とした犠牲になる必要はない。夕方前から人が集まる、国会前の安保法案反対デモ=9月16日、国会前(早坂洋祐撮影) では日本人にとって本当に良い結果とは何だろうか。それは無論、戦争を未然に防ぐことだ。国際政治・関係論では一般的に、きちんとした同盟を結ぶことで、戦争のリスクは最大で4割減らすことが可能であると証明されている。逆に言えば、個別的自衛権しか持たない国では、集団的自衛権を持つ国の6割以上戦争の発生率が高いということになる。 この統計結果は、「一般的に」述べられた話であり、「日本において」もそういった結果になるとは断定できない。つまり議論の争点となるべきは、「日本の特異性」なのである。わが国におけるイレギュラーは例えば、同盟相手国である米国が世界でも指折りの好戦的な国であることや、隣国である中国が急成長を遂げる一党独裁国家であることなどだ。この点に関しては議論だけでなく、社会学的研究が必要となってくる。専門家ならぬ一般人が一言で「賛成」「反対」と述べるのは難しい問題だろう。 ただし、それらとは関わりなく反対できる一つの理由がある。例えば近年多くのテレビ番組でも取り上げられているように、日本は多くの発展途上国から良いイメージを持たれている。米国と緊張状態にあるイランですら、実は親日国である。この理由には、日本のベンチャー企業が長年現地に技術供与をしてきたことなどの他に、日本とは対立したとしても戦争になることだけはあり得ない、と思われているという側面がある。断言は出来ないが、安保法制施行後は、状況が変わることもありえるかもしれない。 より長くなるため合憲/違憲についての議論はここでは省略させて頂くが、以上のように安全保障関連法案の是非は簡単に答えを出せるものではない。「わからない」は立派な選択肢なのだ。争点は「日本の特異性」にあり、一般人の知り得る域を超越している。賛成派と反対派の明確な対立構造が生じている今の日本では、一度立ち止まって、考え直してみることが必要だろう。

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    朝日だけじゃない 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリ

    著者 田中一成(東京都) 朝日新聞の記者達が自分の属する国の政府を、何故こんなに悪し様に言うのかと、不思議に思ってしまう。但しこの傾向は朝日新聞に限ったことではない。未だに国内で跳梁跋扈している、いわゆるサヨクインテリに共通するものなのである。もちろん朝日新聞が、そのアジテーターであり主唱者であることは周知のことだ。その偏向思想や行動については、いずれ稿を改めて論じたいが、今日は取り敢えずサヨクインテリの思想や思考の内容について考えてみよう。話のきっかけとして、嘗てサヨクインテリのアイドル的な存在であった御三方、すなわち寺山修司、加藤登紀子、村上龍の御三方を取り上げてみよう。劇作家、演出家の故・寺山修司 寺山修司は、いわゆるベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の主導者ではなかった。むしろ、この運動のごく普通の賛同者に過ぎなかった。ただ一般の穏健な賛同者と違っていたのは、詩人としてのナイーブな感性のために、祖国日本に対する屈折した感情をもつに至ったことであろう。その一端を彼の「寺山修司名言集」によって伺うことができる。この本の副題は(身捨つるほどの祖国はありや)となっている。このセンチメンタルな惹句が、日本嫌いのサヨクインテリの琴線に触れたのであろう。しかし、そんなに値打ちのない国ならば、どうして国外に出て行かなかったのだろう。 加藤登紀子は反戦歌手として、サヨクインテリのアイドルであった。最近は平穏な日本で生活費を稼ぐために、古寺巡礼などの番組に出たりしてお茶を濁している。しかしその信条は、あくまで確信犯的なサヨクである。いみじくもその本心を「週刊朝日」のエッセイ欄で次のように述べている。「日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動に駆られる」と。この奇妙な考え方をどう理解したらよいのだろうか。それほど嫌いならば、出て行けばよいのである。余計なお節介かもしれないが、日本のほかに嫌悪感を催さない国があるのだろうか。たとえば中国か、韓国か、或いはロシアか。それとも無国籍人間になろうとでもいうのだろうか。そんなことが、簡単にできないことは本人もご承知のはずだ。その上で、このような言辞を弄するとは、甘えるな!としか言いようがない。 村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞を受賞した。この作品が芥川賞に値するかは、かなりの論議があったという。私の読後感としても、高い評価を与えることはできなかった。以来、この作家は大した作品を生むこともなかった。それが原因かどうかは知らないが、いつしか政治や経済の分野に関心を持ち始め、この分野で積極的に発言したり行動したりするようになった。メールマガジン『JMM』を発刊したのも、その一環であろう。それには、明らかに村上の政治思想が表明されている。彼もまた、私が言う「サヨクインテリ」なのである。その考え方は、著作を通して容易に読み取ることができる。 たとえば『希望の国のエクソダス』では、登場人物の一人に「日本には何でもある。しかし希望だけがない」と言わせている。これは村上自身の考え方でもあろう。まさにサヨクインテリの考え方そのものではないか。それに加えて現実感覚の欠如を、小説家らしい感傷的な文章で飾っているのである。敢えて私は、この作家に尋ねたい。「貴方は、アフリカやアラブ更にはインドにおける貧民の生活を体験したのか」と。雑誌やテレビ、とくに新聞で知ったからと言って、それにどれ程のリアリティがあるのか。もちろん私は、それ以上に無知だ。であるが故に、日本には希望がないなんて、とても言えない。ほんの少しの想像力があれば、これらの貧窮国で生活する人達の絶望感を察することができるはずだ。それと比べるとき、日本には希望がないなどの言辞は、まさに寝言ではないか。 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリの例として、御三方の言辞を取り上げたが、このような例は数え立てればキリがない。サヨクインテリ達は、現実感覚を何時の日か取り戻すことができるのだろうか。そうしない限り、永遠に自らの母国を罵り続けることになるのであろう。

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    日本は絶対に原発を放棄するな

    著者 ハイポセシス(九州在住) 先日、原子力規制委員会は四国電力伊方原発3号機について、新規制基準に適合し安全審査に合格したことを示す「審査書」を正式に決定した。新規制基準に基づく審査に合格したのは、九州電力川内原発1、2号機、関西電力高浜原発3、4号機に続いてこれで3例目となった。原発が徐々に再稼働される運びとなってきていることを私は歓迎する。原子力規制委が九州電力川内原発1、2号機の事実上の「合格証」を九州電力に交付。許可証を受け取り報道陣の質問に答える九州電力の中村上席執行役員(中央)=2014年9月10日(寺河内美奈撮影) 2011年に東京電力福島第1原発事故が発生してから、日本社会の空気はいっきに「脱原発」へと向かった。だが、私は日本は半永久的に「脱原発」してはならないと考える。その理由は大きく2つある。 まず1つ目は、経済的な観点から。東日本大震災やそれに伴う各原発の停止によって、震災前は約6割だった火力発電への依存度は、震災後約9割にまで急増した。資源エネルギー庁の「エネルギー白書2014」によれば、原発分の電力量を火力発電で代替していると仮定した場合、海外に流出する燃料費は2013年度で約3.6兆円になる。2013年度の原油、液化天然ガス(LNG)、石炭などの鉱物性燃料の輸入額は約27兆円で、震災前の2010年と比べ、約10兆円、率にして約6割の増加となる。 原発が停止していることにより、各電力会社は再三にわたって電気料金を値上げし、それが家計や中小企業の懐を圧迫している。また、原発停止の影響によって2011年に貿易収支は31年ぶりの赤字に転落し、2012年にはその赤字幅が拡大、さらに2013年には過去最大となる約11.5兆円の貿易赤字を記録した。震災前の2010年と比べると18.1兆円の貿易収支の悪化となった。石油火力発電所の約8割は運転開始からすでに30年以上経っており、火力発電は現在綱渡りの状態が続いている。老朽化した火力発電所を無理矢理稼働させていることによる大気汚染も深刻な状況だ。 日本は原油の約8割、LNGの約3割を中東地域に依存しており、そのほとんどがホルムズ海峡を通過して日本にやってくる。中東情勢が依然として不安定ななか、もし同海峡で偶発的な衝突が起きたら、日本は生命線を断たれたも同然となる。備蓄が6ヵ月分あるなどと悠長なことを言っている場合ではないだろう。 次に、安全保障の観点から。2014年3月にオランダ・ハーグで核安全保障サミットが開かれた。同サミットでは、日米韓の3ヵ国首脳会談にばかり注目が集まったが、サミットでは日本が数百キロにのぼるプルトニウムと高濃縮ウランをアメリカに返還するという合意もなされた。この返還の背景には、核兵器に転用できるプルトニウムなどの物質がテロリストに盗まれる懸念が世界中で高まっていることが挙げられよう。 だが、私は返還理由はそれだけではないと考える。原発再稼働が遅々として進まない日本が大量のプルトニウムを保有することにより、「日本は核保有を企図しているのではないか」という疑いの目を世界から向けられる可能性がある。現に中国は日本が大量のプルトニウムを保有していることに敏感に反応していた。返還の主な目的には、そういった疑念を振り払う意図があったのではなかろうか。 原子力の平和利用を目指し、「核燃料サイクル」政策を掲げる日本は、核を保有する五大国(国連常任理事国)以外では唯一、核兵器に転用可能なプルトニウムや高濃縮ウランの保有を日米原子力協定によって正式に認められている。日本のプルトニウムや高濃縮ウランの保有は、使用済み核燃料を再処理して利用する「核燃料サイクル」政策の実施が前提となっているため、原発が再稼働されないと保有しているプルトニウムを使用することができず、「日本は核保有を企図しているのではないか」という疑いの目を向けられるだけとなる。そのため、脱原発へ拙速に舵を切ると、日本が五大国以外で唯一認められているプルトニウムや高濃縮ウランの保有を見直される可能性がある。 高純度のプルトニウムが8キロ程度あれば核爆弾がひとつ製造できるとされている。内閣府によれば、日本が2014年末時点で国内外で保有するプルトニウムは47.8トンである。単純計算すると日本が保有するプルトニウムは核爆弾およそ6000発分に匹敵する。 核安全保障サミットで日本のプルトニウムや高濃縮ウランがアメリカに返還されることが発表されると、中国の工業情報化相は早速「歓迎」の声明を出した。このことから、中国が日本のプルトニウム保有を懸念していることは明白である。またそれは、日本の「核武装」を警戒していることからきているだろう。とするならば、日本が原発政策を維持し、プルトニウムや高濃縮ウランを保有し続けることが日本の核抑止力を高めることに直結するのだ。 日米原子力協定の有効期間は30年で、次の満期は2018年に迎える。日本が原発を放棄するという決断をした場合、日米原子力協定で認められているプルトニウム保有という特別な権利と、中国への核抑止力の保持という大きなカードを同時に失うことになる。日本は絶対に原発を放棄してはならない。 既述したように、日本は原油の約8割を中東に頼っており、そのほとんどがホルムズ海峡を通過する。ホルムズ海峡通過後はマラッカ海峡を通って日本にやってくるが、超長期的に見た場合、この輸入ルートもリスクとなり得る。 中国人民解放軍は国防方針として、九州を起点に沖縄、台湾、フィリピン、マレーシアに至るラインを第一列島線とし、伊豆諸島を起点に、小笠原、サイパン、パプアニューギニアに至るラインを第二列島線として、それら地域の制海権確保を目論んでいる。日本の原油輸入は、マラッカ海峡通過後、中国が勝手に指定している第一列島線を通るため、この地域で中国の海上覇権が確立すると、日本の存立を脅かす事態になる。そんな時に、現在と同じように電力の約9割を火力発電で賄っていたら、中国は日本の生殺与奪の権を握ったも同然となる。中国が日本のシーレーンを封鎖し、化石燃料の輸入をストップさせれば、まさに戦前のABCD包囲陣の二の舞といえる状況になる。「備蓄が6ヵ月分ある」などと呑気なことを言っている場合ではないだろう。 2013年4月、共同通信は中国が発表した国防白書に、核兵器を相手より先に使用しないとする“核の先制不使用”が“明記されていない”ことを報じた。これは、中国が場合によっては核の先制使用すら辞さないという態度を暗に示したとも言えるだろう。 中国は1964年の東京オリンピックに参加せず、また、それを隠れ蓑にして五輪開催中に核実験をし、核保有を開始した国である。中国共産党による一党独裁が未だに続き、少数民族への弾圧もやめる気配がない。日本やアメリカと価値観を共有する国ではけっしてない。そういう国が近くにあり、かつその国が核を大量に保有している以上、核武装ができない日本は原発の維持によって核の抑止力を高めていくしかない。 もし万が一、経済面で原発が必要なくなったとしても、安全保障面(特に核抑止力の観点)を考えれば原発は半永久的に日本に必要だ。 加えて、その時の空気によって拙速に「原発ゼロ」へと舵を切ることの恐さや、「原発ゼロ」を決めた場合、原発の廃炉作業にあたる次世代の人材はちゃんと育つのか、大学で若者は原子力を専攻しなくなるのではないか、といった懸念も拭えない。 以上のことから、現実的、合理的に考えて原発を手放すことは得策ではなく、また、核抑止力の観点から見れば、例え1基だけでもいいから日本は原発を半永久的に保持しておくべきである。政府には現実に即した原発政策を期待したい。

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    安保関連法案は再び同じ間違いをしないための第一歩だ

    著者 石原秀和(兵庫県) 武器の使用の必要がなかった縄文時代から、出雲の国譲り、十七条憲法、自然の力によって元寇から守られ、最高の武力を保持した状態での鎖国など、平和な暮らしが当たり前であったこの日本国を、否応なくその平穏な眠りから叩き起したのは、欧米によるアジア侵略であった。 日本とタイ以外の国は、悉く欧米列強によって侵略され、日本はその侵略から自国を守る為、不平等条約をのみ開国、明治維新を果たし、一刻の猶予もなく欧米のルールに沿った近代化を成し遂げなければならず、貧しい予算を割いて富国強兵にがむしゃらに突き進んできた。 幸い日清戦争を経て更に国家存亡を掛けた日露戦争へと辛うじて勝ち進む事が出来たのは、当時世界を制する英国との同盟があり、米国も扶けてくれたからであり、日本には力強い味方が居たという事実があったからだ。おかげで不平等条約の解消も叶えることが出来た。昨年4月の日米首脳会談で日米同盟の結束を確認した安倍首相(右)とオバマ米大統領=東京・元赤坂の迎賓館(代表撮影) ところが、連戦連勝に舞い上がり、その後の第一次大戦で、それまで加勢をしてくれていた同盟国のイギリスが危機に瀕して要請した軍事援助を断るという大きな間違いを犯した得手勝手な日本は、先生であるイギリスからは愛想を尽かされた。 人種偏見を受けるアジアの国として、国際連盟の常任理事国にまで仲間入りをさせて貰っていた日本は、声高らかに人種差別の撤廃を提案したが、それは英米のルールには相反するものであったので退けられた。 人口増加で食糧難に喘ぐ日本がそれまで未開発の地である満洲へ開拓の手を伸ばした事も英米の気に入らない事であり、日本の努力を無にする要求が突きつけられた。その要求が呑めない日本は遂に国際連盟を脱退し、孤立への道をまっしぐらに突き進んでしまった。当時の日本国民は、その破滅への道を憂えるどころか、なんと大歓迎したのだった。 日露戦争で台頭した日本が目障りになったアメリカはその2年後に日本を叩きつぶすためのオレンジ計画を作成したが、第一次大戦では日英同盟が邪魔をしてうまく実行にうつせなかった。そこで、日英同盟を解消する策を練ったが、同盟国を扶けようとしない日本に愛想をつかせていた英国を日本から引き離すことは比較的容易であった。 かくして、日本は全く孤立状態になり、アメリカのオレンジ計画は着実に進み、経済封鎖を経て、結局最初から勝ち目の無い大東亜戦争に引きずり込まれる事になった。結果敗戦、GHQにより、日本が二度と刃向かう事の出来ないようにするための日本大改造が矢継ぎ早に推し進められた。 その効果は絶大で、特に日本国憲法の第九条は、もともと多神教で性善説に立ち、平和を愛する日本国民の心に嵌まり込んでしまい、アメリカの巧みな日本属国化政策と相まって、一神教で性悪説が当たり前の世界情勢にも拘らず、一種の九条平和教とも言える信奉者で日本を埋め尽くしてしまった。 戦後70年の現在、日本を取り巻く状況は日に日に悪化しており、また日本に駐留するアメリカの軍事力も衰えてきている。日本を危機から守る為には、現在唯一の同盟国であるアメリカとの関係強化が必要で、アメリカが望む集団的自衛権の行使は、先の日英同盟の時の大失敗を教訓に、早急にその環境を整備し、万全なものにする必要があると思われる。 日露戦争後は、日本を潰そうとするアメリカが日英の同盟関係を分断する事に成功し、日本を敗戦に導いた。今現在は、日本を侵略しようとする中国が日米の同盟関係を分断しようと画策しているのだ。日本を守る道は殆ど崩れかけている日米同盟の再構築とその強化しかない。 経済交流だけでは弱い他国との繋がりも、集団的自衛権の行使によってより緊密な関係を築く事が出来、日本の孤立を防ぎ、抑止力を高める大きな力となるのは間違いないであろう。 現内閣で安倍首相が世界中を駆け巡り、諸外国との関係強化を行い、そのうえでの集団的自衛権行使の為の法案に力を入れているのは、この平和を愛する日本国、例え軍隊があっても武士道精神と隠忍自重で極力戦力の使用を抑え、肝心な時でも兵力を出し渋って大失敗をしてきた日本国が、再び同じ間違いをしないための第一歩だと思う。

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    何もしないで欧米が日本の側には立ってくれない

    著者 中井知之 安保法案の議論で、反対派からは「戦争」が絶対悪であるかのような論調が目立つ。しかし、世界を見渡せば、現在でも、某国家や某組織のような、武力によって自らの権益を拡大しようとする輩がうようよしている。「戦争」や「武力」を全否定していれば、悪がのさばる暗黒の世界が到来してしまう。反対派の政治家たちは「若者を戦場に送るな」「血が流れる」と言っているが、その嫌な仕事も誰かがしなければならないのだ。 グローバル化が進んだ現代では、昔に比べ世界の平和と安定は日本の国益に直結するようになっており、欧米からは日本も軍事的役割を果たすことを求められている。日本の国益や「国家の存立」に関わる事態が海外で発生したときでも後方支援すらしないというのでは、前面に出て血を流している欧米からは不満に思われても仕方ない。 中国が尖閣諸島を軍事侵攻したときや、異なる主張が衝突したとき、わざわざ日本を支援、支持しようとも考えないだろう。欧米と日本を離反させ、尖閣問題での武力行使を可能にするというのは中国の基本戦略である。いざ日中開戦となれば、後方支援どころではない血みどろの殺し合いの末、尖閣を奪われてしまうことになりかねない。結局、それを避けるために、日本は中国の不当な要求も次々のまざるをえなくなってくる。 日本は中国、ロシア、韓国、北朝鮮という、友好的でも紳士的でもない国に囲まれており、安全保障環境は極めて厳しい。特に日本の経済力が低下し中国が台頭した現在では、アメリカの国力・軍事力という後ろ盾なくして外交は成り立たないし、何もしないで欧米が日本の側に立ってくれるわけでもない。中国の不興を買ってでも支持するだけの価値が日本にあるのかが問われる。その意味では、価値観を共有していて、かつ実際に貢献できるということを示さなければならない。日本が軍事的に期待できないと見れば、東南アジア諸国も中国に傾斜していくだろう。離島防衛のための共同訓練を行う陸上自衛隊と米海兵隊の隊員 この日中のパワーバランスの変化やグローバル化の中でも「一国平和主義」を貫いていくというならば、有事のときでも他国に頼らず自分の身は自力で守るという覚悟と能力が必要だ。実際、「永世中立国」をうたって集団的自衛権を認めていないスイスは、現在でも国民の7割の支持の下で徴兵制を保持し、有事の際の民兵を確保している。 しかし、日本の安保環境では、徴兵制の導入や軍備増強による独力での防衛は非現実的である。時代の変化に対応して日本の平和と安定、外交力を保つには、集団的自衛権を認めて、米軍との連携強化や、欧米が求めている軍事的貢献を行っていくしかないのだ。憲法改正の見通しが立たない以上、憲法解釈の変更という手段を取ることもやむを得ない。今回の安保法案では活動の拡大はかなり限定的だが、姿勢だけでも見せておく必要がある。 現に、集団的自衛権の行使容認による日米同盟の強化が進められて以降、日中首脳会談や財務対話が開かれるなど、中国は軟化してきた。民主党政権下で日米同盟が弱体化したときには尖閣問題が浮上し、韓国大統領の竹島訪問、ロシア大統領の北方領土訪問が強行された。このような現実が無視され、非合理的な精神論がはびこり、国際的に孤立し、中国に叩きのめされるというのでは、戦前の過ちの繰り返しである。叩きのめされてから日米同盟の重要さに気づいてももう遅い、アメリカに高い代償を払わされるか、完全に見捨てられ中国・韓国・北朝鮮・ロシアに好き放題にやられるか、どちらかとなるだろう。

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    世界とは全く異質の「日本のサヨク」

    著者 田中一成(東京都) 結論を先に言うと、日本のサヨクは特殊というべきだろう。世界のサヨクとは全く異質のものだ。何故そうなったかは後述するとして、サヨク先進国での語源は次の通りだ。団体: the left又は the left wing個人: a leftist又は a left-winger いずれもたんなる議会における座席の配置から生まれた呼称に過ぎなかった。それが何時しか特殊な意味を持ち始めたのは、その位置に座席をとる人たちが、特定の思想に偏っていたからである。この点までは日本の場合もよく似ている。しかし、日本のサヨクが、現在の特殊な思想傾向にいたる背景や内容は、世界のそれとは大いに異なっている。その最大の原因は、日本の“知識人”といわれる人たちに由来する。 しからば日本の知識人には、どのような特徴があるのか。それについては以前に、私のブログで、「日本人に自虐精神を植え付けたのは誰か」と題して触れておいたが、その内容を繰り返すと次のようになる。 加地伸行大阪大名誉教授によると、論語では知識人を小人と言い、教養人を君子と称するらしい。私は知識人には真正と似非の二タイプがあると考えていたが、この分け方は間違いだった。要するに知識人はすべて小人なのである。さらに言えば、文明の成果を重視するのが知識人で、文化を重んじるのが教養人ともいえよう。 この分かりにくさを解くには、まず文化と文明の違いを理解しなければならない。文化とは、特定の民族がもつ感性と理性のすべてを駆使して創り上げてきた歴史的な成果の全てである。一方の文明は、理性によってのみ構築された成果であるから、文化のすべてをカバーすることはできない。ただし文明は、自らの成果である文字と文章およびその翻訳によって、自らの文化圏を越え、異なる文化圏にまで及ぶようになった。 日本では幕末の門戸開放によって、欧米の文明を吸収したが、それも欧米の文字を媒介にして可能になったのである。そして欧米文明の内容を知るほどに、その異質性とレベルの高さに大きなショックを受けた。かくして欧米語に堪能になることは、異文化のうちの文明を知る大切な手段となり、欧米語の翻訳者には高い評価が与えられるようになった。そのあげく日本の知的エリートの大半は、すべて翻訳技能を通じて欧米文明の追随者となった。新しい日本型知識人の誕生である。この流れは明治から現在まで続いている。 以上の背景のもとに現代日本の知識人は、すべて欧米の語学に堪能であり、さらには欧米文明の虜になった。いわゆる語学エリート=知識人の図式が形成されたのである。但しこの段階では、まだ教養人と知識人の区別はないし、文化と文明の区分もはっきりしていない。しかもこの図式は、敗戦によって一段と強まった。結果として日本の知識人の殆どが、欧米思想に基づく欧米文明にかぶれることになった。 具体的な名前を挙げると、南原繁、丸山真男、大内兵衛、都留重人など社会科学系学者の殆どが当てはまる。社会科学は理性に基づく西欧型文明の精華であるが、同じ文脈上にある法学や商学もこれに該当する。さらには西欧文学も、この系譜すなわち西欧型理性の産物である。その意味では評論家の加藤周一や、フランス文学の泰斗とされる渡辺一夫についても同列に論じることができるだろう。したがってこれらの西欧かぶれの「一流!の知識人」が、敗戦を契機にして祖国である日本の全てについて、深刻な自国嫌悪の気分に犯されたのは無理もない。やがて祖国に対して、厳しい批判と反省の矢を放ち始めたのは、けっして偶然ではないのである。 問題なのは、その自国嫌悪の言説を強引に注ぎ込まれた学生たちである。彼等は思想的には白紙の状態であったから、まるで吸い取り紙のように、何の抵抗もなく濃色の反日インクや自虐インク、更にはアナーキーインクを吸い込んだ。こうして戦後間もなくから団塊世代に至るまでの数十年間、自虐精神を植え付けられた反日知識人が大量に生み出されたのである。卒業後の彼等は、知的エリートとして政治家、産業人、教育者、官僚、マスコミなど社会のあらゆる分野で活動を開始した。しかしその実践の場では、いかなる著名な知識人の言説であっても、それが借りものの空論である場合は、インチキ性はたちまち露呈する。こうして祖国否定に染め上げる濃色のインクも、次第に色あせることになる。 学生時代に洗脳された残滓を今なお引きずっている教え子の数は、たぶん少ないだろう。それでも絶滅したわけではない。とくに祖国否定の言説を拠り所にしている職業人には、他に生活の術がない。たとえば進歩的を自称する大新聞やその他のマスコミ関係者、特定のイデオロギーを固守する原理主義政治家、教育という職業の本分を放擲して自らの地位向上と保全だけに力を注ぐ日教組かぶれの教育者はその典型である。 戦後の日本人に自虐精神を植え付けた西欧文明一辺倒の一流知識人は、功なり名を遂げることが出来たが、後発の二代目知識人はこの先も自らの職業的命脈が尽きるまで、自虐精神を拠り所にして祖国を誹謗し続けることができるだろうか。 さて、この特殊な環境で育った日本の知識人の多くが、現在も知的職業といわれる仕事に就いたままである。列挙すると学者、評論家、高級官僚、教育者、マスコミ業、労組職員などである。もちろん彼等の中には、それぞれの職業の現場において、次第に現実に目覚める者がないわけではない。しかし、それ以外の多くは、現実とは無縁の思考と行動のままである。この実態こそ、日本のサヨクが特殊扱いされる所以である。関連記事■ 当たり前のことを言える時代 風向き変わり萎縮する左派言論人■ 「紀元節は嘘だらけ」日教組教師発言に見る左傾■ 「タカ」も「ハト」も不毛だ

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    参考人全員「違憲」は改憲へのチャンスである

    著者 KeroChan(東京都) 6月4日に行われた衆院憲法審査会において、参考人として招致された憲法学者3人全員が安保関連法案に対して「違憲」としたことが話題となっている。とりわけ、与党側が招致した学者が「違憲」としたことは各メディアにおいて大きく報道され、与党内にも衝撃が走ったそうだ。これを受けて、安保関連法案の改正に反対する護憲派や左派系マスコミは「憲法学者の声を無視するのか」「長谷部教授(与党側が招致した早稲田大学法学学術院教授)はよくやった」などと述べ、この法案の廃案に向けた動きを強めている。衆院憲法審査会に出席した参考人の(左から)早稲田大の長谷部恭男教授、慶応大の小林節名誉教授、早稲田大の笹田栄司教授=6月4日午前 普段、「学歴や職業で人を区別するのはよくない!」と叫び、原発問題の際には「専門家や大学教授を絶対視してはいけない!」と語る人々やマスコミが、「憲法学者」という権威に頼っている姿は何とも滑稽である。また、自分たちが招致した憲法学者が「違憲」の述べたことを大げさに騒ぎ立てる与党も情けないと思う。 私は、今回の事件をきっかけに与野党は、堂々と憲法改正の議論を行うべきであると思う。この法案における大きな問題は、憲法9条と矛盾し、我が国の安全保障の根幹を変えるような話題にも関わらず、これを解釈と法律のみで変えるということである。また、自衛隊がいつ、どこまでの実力を行使できるのかについての議論もまだまだ不十分であることも問題だ。こうした応急処置的で中途半端な議論で終わっては、この法案が目的としている安全保障の強化がむしろ後退してしまうのではないかと私は危惧する。 このようなことを防ぐためにも、「ネトウヨ」や「戦争法案」などと情けないレッテル貼りで終わるのではなく、堂々と改憲議論を行い、論戦を繰り広げることが我が国の安全保障と発展に向けた道になるはずだ。参考人全員「違憲」の騒動を改憲へのチャンスにできるかは、今後の改憲派の実力にかかっている。関連記事■ 左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか■ 政治学者が考える憲法論議 政争の具ではいけない■ 文官が総理より偉い? 懲りずに安倍政権を中傷するメディア

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    憲法改正は次世代のために

    著者 Tohgou(静岡県) GHQ主導で制定された憲法だから改正する。という観点から、論を展開する改憲派の主張は、至極真っ当である。私は、ごく普通の一般人だが、改憲派の主張に賛同している。 現憲法の継続は、おかしな現状維持か悪化かの二択であり、好転の可能性は全く感じられない。また、自信を持って次世代へ継承すべきものでもない。皮肉にも、護憲派の行動や主張に接し、その思いを深めるケースが多い。憲法記念日に横浜市で開かれた憲法集会に参加する作家の大江健三郎氏(前列中央)ら=5月3日、横浜市西区 5月3日、憲法記念日に合わせ護憲派の大集会が開かれた。主題は「平和といのちと人権を!」。「平和」を目指す思いは私も同じである。しかし、現憲法で平和が保たれているなど、悪ふざけも甚だしい主張だ。そんな嘘は、われわれ市民であっても見抜ける。そして彼等の主張を真面目に聞けなくなる。  日本は米軍庇護下にあり、また東西冷戦の核による緊張状態があったことで、たまたま戦争がなかっただけではないか。その恩恵を現憲法に見出すのは意味不明である。その恩恵はどう考えても、在日米軍と自衛隊の存在だ。そう考えた時、自衛隊と矛盾する憲法九条は害でしかない。  憲法前文の「平和を愛する諸国民」を「平和を愛する世界各国」と解釈するならば、これ程愚かな憲法はないとも言える。それは自明な筈であるが、護憲派は耳を貸さないのだろう。 彼等もその位は理解できる筈だ。ただ、矛盾があろうとも、妙なイデオロギーに突き動かされ、黙殺し決して相容れることがない。であれば彼等の行動は、日本の為ではない。妙なイデオロギーの為である。護憲派という分類すら誤りであるが、とにかく彼等の主張は、背後に隠れた本意がある限り、まともに聞けないのである。 55年体制は保守が連合し、憲法改正を掲げて始まった。もう60年も経過していることを考えると、憲法改正論議の始まった現在は当時よりも落ち着いているのだろうか? 妙なイデオロギー汚染は沈静化に向かっているのだろうか? しかし、GHQに植えつけられた戦争の贖罪意識を想起させるためなのか、日本の周辺は騒がしい。そして、これらに呼応する日本人が少なくない。憲法だけではなく歴史や基地問題にも絡めて騒いでいる。病的に見えてならない。 私は、こういった日本人の存在を見かけるたびに、憲法改正の必要性を痛感する。彼等の声が大きいほど、現憲法の危険さを感じるのである。戦後70年経過した現在でも、この手の勢力が存在し続けるのは、そういう日本人を育ててきた、という誤りの証明に見えてならない。 そういう意味で、教育は憲法に影響を受けると言っても良いと思う。国柄の表記である憲法を基にし、教育を行うのは当然といえる。これ以上、妙な日本人による妙な活動を拡大させない為にも、教育の視点で憲法改正を考えていくことが重要だと思う。 平成18年に教育基本法は改正されているが、これが功をなす為には、その根幹である憲法改正は欠かせないものだろう。改正教育基本法と憲法改正。教育視点では、これらをまとめて考え、行動することで、真価を発揮するものと思う。 勿論、憲法には教育に直結しない条文も多くあるが、全ては次世代の日本人を念頭に議論すべき問題であることは揺ぎ無いだろう。今われわれがなすべきこと、それは、次世代の日本人育成を考え、次世代へ自信を持って継承できる憲法へ改正することではないだろうか。