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    憲法改正は次世代のために

    著者 Tohgou(静岡県) GHQ主導で制定された憲法だから改正する。という観点から、論を展開する改憲派の主張は、至極真っ当である。私は、ごく普通の一般人だが、改憲派の主張に賛同している。 現憲法の継続は、おかしな現状維持か悪化かの二択であり、好転の可能性は全く感じられない。また、自信を持って次世代へ継承すべきものでもない。皮肉にも、護憲派の行動や主張に接し、その思いを深めるケースが多い。憲法記念日に横浜市で開かれた憲法集会に参加する作家の大江健三郎氏(前列中央)ら=5月3日、横浜市西区 5月3日、憲法記念日に合わせ護憲派の大集会が開かれた。主題は「平和といのちと人権を!」。「平和」を目指す思いは私も同じである。しかし、現憲法で平和が保たれているなど、悪ふざけも甚だしい主張だ。そんな嘘は、われわれ市民であっても見抜ける。そして彼等の主張を真面目に聞けなくなる。  日本は米軍庇護下にあり、また東西冷戦の核による緊張状態があったことで、たまたま戦争がなかっただけではないか。その恩恵を現憲法に見出すのは意味不明である。その恩恵はどう考えても、在日米軍と自衛隊の存在だ。そう考えた時、自衛隊と矛盾する憲法九条は害でしかない。  憲法前文の「平和を愛する諸国民」を「平和を愛する世界各国」と解釈するならば、これ程愚かな憲法はないとも言える。それは自明な筈であるが、護憲派は耳を貸さないのだろう。 彼等もその位は理解できる筈だ。ただ、矛盾があろうとも、妙なイデオロギーに突き動かされ、黙殺し決して相容れることがない。であれば彼等の行動は、日本の為ではない。妙なイデオロギーの為である。護憲派という分類すら誤りであるが、とにかく彼等の主張は、背後に隠れた本意がある限り、まともに聞けないのである。 55年体制は保守が連合し、憲法改正を掲げて始まった。もう60年も経過していることを考えると、憲法改正論議の始まった現在は当時よりも落ち着いているのだろうか? 妙なイデオロギー汚染は沈静化に向かっているのだろうか? しかし、GHQに植えつけられた戦争の贖罪意識を想起させるためなのか、日本の周辺は騒がしい。そして、これらに呼応する日本人が少なくない。憲法だけではなく歴史や基地問題にも絡めて騒いでいる。病的に見えてならない。 私は、こういった日本人の存在を見かけるたびに、憲法改正の必要性を痛感する。彼等の声が大きいほど、現憲法の危険さを感じるのである。戦後70年経過した現在でも、この手の勢力が存在し続けるのは、そういう日本人を育ててきた、という誤りの証明に見えてならない。 そういう意味で、教育は憲法に影響を受けると言っても良いと思う。国柄の表記である憲法を基にし、教育を行うのは当然といえる。これ以上、妙な日本人による妙な活動を拡大させない為にも、教育の視点で憲法改正を考えていくことが重要だと思う。 平成18年に教育基本法は改正されているが、これが功をなす為には、その根幹である憲法改正は欠かせないものだろう。改正教育基本法と憲法改正。教育視点では、これらをまとめて考え、行動することで、真価を発揮するものと思う。 勿論、憲法には教育に直結しない条文も多くあるが、全ては次世代の日本人を念頭に議論すべき問題であることは揺ぎ無いだろう。今われわれがなすべきこと、それは、次世代の日本人育成を考え、次世代へ自信を持って継承できる憲法へ改正することではないだろうか。

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    国家と憲法と私たち

    著者 一大学生(東京都) 「憲法」は英語で”Constitution”であり、これは「国体」をも意味する。憲法はその国の最高法規であるとともに、国柄を表すものでもある。大日本帝国憲法においては、告文や憲法発布勅語の中で、神武天皇より代々受け継がれてきた皇位を継承し、伝統文化を保持すること、歴代天皇が常に臣民と共に国を作り上げてきたことなどが記されており、天皇を中心とする日本のあり方が示されていた。 一方、現在の日本国憲法の前文には何が記されているか。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することを堂々と謳っている。世界には平和を愛する心優しい人や国しか存在しないと信じるのは勝手だが、そんな曖昧なものに「われらの安全と生存」まで委ねてしまうのは看過できない。現に日本はテロの恐怖を味わったばかりであり、その脅威は今もなお拭いきれない。また、中国の習近平国家主席は「中華民族の偉大な復興」を標榜しており、防衛費を年々増大させ、南シナ海では基地建設を始めている。これは明らかに覇権主義であり、この事例を考えるだけでも、現行憲法の前文がいかに非現実的なものであるかが理解できる。そのような現状も踏まえた上で、他力本願な幻想じみた前文は廃し、自立した国としての日本のあり方を明確に記すべきである。 昨年7月、集団的自衛権の限定的な行使容認の閣議決定が行われた。これを機に、各種報道で憲法9条に関する話題が大きく取り上げられるようになったと感じている。的外れな批判も多いが、まずは9条に対する問題意識を国民が共有しなければならない。 そもそも現憲法制定当時は、個別的自衛権すら認めないという解釈であった。解釈はその時々によって変化してきたが、そういった流れを無視して昨年の閣議決定だけを抜き取り、立憲主義の否定だと大騒ぎするのは不思議である。しかし、解釈改憲だけで済ませて良い問題ではないことも確かだ。時の政権のさじ加減で解釈の変更を行い、ある時は集団的自衛権を認め、ある時は認めない、といった状態になれば、国際的な信用を著しく損ない、私たち国民も安心して暮らすことができなくなる。最終的には憲法改正によって9条が抱える矛盾を解消し、自分の国は自分で守るという当たり前のことを記す必要がある。 日本が戦後70年間平和の歩みを続けてきたのは、9条があったからだと豪語する人がいるが、それは明らかに見当違いである。日本が平和国家として続いてきたのは日米同盟、在日米軍という抑止力が働いていたからに他ならない。フィリピンから米軍が撤退した後に中国が南シナ海へと進出したこと、イラクから米軍が撤退した後にテロ組織が跋扈するようになったことなどを考えれば、米軍の影響力が如何ほどのものかは自明である。アメリカの庇護の下で平和を享受している現実には目もくれず、9条の理念を信奉し続け、平和国家だと胸を張っている姿はあまりにも滑稽に映る。そんな態度は内輪でしか通用しない。 日本国憲法が制定された時、日本はGHQの占領下にあり、主権を持っていなかった。主権を持たない国が憲法を制定することなどできず、この憲法の正当性はあまりにも脆弱である。現実離れした条文を含み、正当性すら危うい憲法は一刻も早く改正されるべきである。主権を回復した現在、再び日本人の手によって日本の憲法を作り上げなければ、真に独立した国家とはなりえない。戦後に目覚ましい復興を遂げ、経済大国へと成長した日本だが、国柄すら明記されていない憲法をいつまでも大切に抱え込んでいては、精神的な成熟を見込むことはできない。 衆院の向大野新治事務総長(右)に、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる公選法改正案を提出する自民党の船田元・憲法改正推進本部長=3月5日 以上、僭越ながら憲法に対する拙い私見を述べたが、憲法問題で最も危惧していることは、国民の間でこの問題意識が十分に共有されているか、ということである。早ければ来年の参院選から、選挙権付与の対象が18歳以上に引き下げられる見通しだが、今の若者は政治に無関心な層がほとんどである。憲法問題などのテーマで話し合う雰囲気はほとんど無く、ファッションやドラマ、誰かのゴシップなどの話題が大半を占める。学生の身である私自身、日本の根幹に関わる重要な問題を共有し、話し合える友人は片手で数えるほどしかいない。また、昨年の12月に行われた衆院選での投票率が戦後最低を記録したことからも、国民の政治に対する無関心さが読みとれる。これでは議論を交わすことすら難しい。 だが、国民の無関心さを憂いてばかりもいられない。ある野党の党首は、総理は憲法を軽視しており、現政権下で議論をすること自体が危うい、といった趣旨の発言をしており、議論を拒否する姿勢を見せている。これでは一体何のために立候補したのか甚だ疑問である。有権者に選ばれたからには、そういった問題に対する論議を重ねて国を導くことこそが責務ではないのか。総理の憲法観が危険だと感じているのなら尚のこと、与党を牽制するような議論を行い、野党としての存在感を高めるべきである。 憲法問題の是非を論ずる前に、有権者も議員も責任を自覚しなければならない。特に新しく選挙権を得る世代への教育は肝心である。問題を論じるための土俵づくりを疎かにしてしまっては、日本が変わることはできない。戦後70年という節目を機に、憲法問題が広く共有され、活発に議論が交わされることを期待したい。

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    なぜ誰も「無投票当選」を問題視しないのだろう

    著者 G-3(鹿児島県) 統一地方選挙の前半が終わって「総括」記事がぼちぼちでてきている。「自民勝利」「民主壊滅」等々と並んで「低投票率」が見出しに踊っている。 前回の総選挙に関して「一票の格差」を問題にして「選挙無効」を訴えた「プロ市民団体」の皆様方は、このような事態をどう捉えるのでしょう。せっかく政権に対する異議申し立てができたと言うのに、その権利を放棄する有権者が2人に1人なのです。しかも、今回の統一地方選挙で「5人に1人が無投票で当選 「なり手不足」深刻」(4月3日 産経新聞)なのだという。 『3日に告示された41道府県議選は、総定数に占める無投票当選の比率が過去最高の21・9%に上り、香川では全41議席の約3分の2(65・9%)に当たる27議席が決定した。地方政治の「なり手不足」は深刻な状況を迎えている。 無投票率が高かったのは、香川に続いて山形(45・5%)、宮崎(43・6%)の順。無投票当選がなかったのは大阪、山口の2府県だけだった。』 無投票当選が5人に一人。香川では全41議席の約3分の2(65・9%)に当たる27議席が決定した。無投票率が高かったのは、香川に続いて山形(45・5%)、宮崎(43・6%)の順。ということはそれぞれの有権者に「投票の機会」すら与えられなかったという事だ。 これは「日本国憲法」に定められた参政権を奪われたのも同然だ。在日外国人への地方参政権を訴えて来た勢力は、「日本人の投票権」が蹂躙されたこの事態に何もしないのだろうか。 しかも全選挙区ではないということは「参政権そのものの格差が生じたこと」になる。「一票の」格差どころではない。完全に「参政権の格差」なのだ。一票の格差を主張する向きはぜひ「無投票当選者の当選無効」を全面的に争うべきだろう。 住民の参政権を奪う「無投票当選」制度を争うべきではないのか?それを何故しない?「日本人の」権利など、どうでもよいという事のようだ。 さらに棄権ということは権利を放棄したのも同然だ。しかし投票率が長期低落傾向にある。この問題に対する提言が「人権を主張する勢力」の誰からも出てこない。「争点がぼやけていた。」と総括しているのだけれども、民主党が公認候補を擁立できずに不戦敗という状況で、共産党は極力候補者を擁立しているのだ。十分に争点があったはずだ。なぜならば過去4年間の都道府県政が全て合格点であったはずが無い。 住民の意見が割れている事例が数多くあったはずだ。それに対して外野から文句を言う事が良いとは思えない。直接異議を言える「議会議員」に何故誰も挑戦しようとしないのだろう。直接的に「無投票当選阻止」を立候補の旗印でも良いではないか。自分たちがそういう努力もせずに結果に対してのみ文句を言う事が正しい建設的な議論ではないと思う。 風前の灯火の社民党とも協力して無投票当選選挙区に対抗候補者を擁立するべきだろう。少なくとも当面、無投票当選者を0にすべき努力をすべきだ。もちろん落選「供託金没収」の憂き目にあうことだろう。しかし某宗教団体の政党はそれを覚悟で総選挙を戦ったではないか。そして予想どおりすべて没収された。それぐらい自分たちで努力をして初めて「一票の格差」を問題に出来るのではないのか。 国政での一票の格差を問題にするのであれば地方選挙での無投票当選を問題にすべきだ。まさか「我々は~大都市部での~メディアに注目される~行動しかしないのであって~メディアに注目されない~田舎者の~権利など~知ったこっちゃないのである~~。」ということなのだろうか。 結局「メディアに注目されること」が彼らの唯一の行動指針なのだ。彼らにとって地方の人権など関係ないのだ。そんな(彼らにとって)小さいことをやるよりはメディアが集中している大都市部でさっそうと活動することが彼らの目的なのだ。 これは某自然保護団体と根っこが一緒なのだ。先日、イルカが多数海岸にうちあがった。地元民は協力をしているかを海に返そうと努力していた。しかしそこにはグリーンピースなどの自然保護団体の姿はない。そんな地味な活動をしてもメディアが取り上げないからだ。そんな汗をかく仕事は「地元民にさせておけばいい」のだ。 そういうエセ政党、エセ団体を認めていいわけがない。この国が第三国に侵略、攻撃される手先になるだけだろうから。関連記事■ 負のスパイラルに陥った地方議会■ やっぱり若者はダメだ…広がる失望を払拭できるか■ 「無理をした」議員と「無理をさせた」国民の悲劇

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    太政官指令「竹島外一島」が示していたもの

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)はじめに 我が国と韓国との間の竹島領有権論争における争点の一つとして語られる「太政官指令」、すなわち明治10年(1877年)3月に明治政府の最高国権機関である太政官が内務省からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文は、現在、多くの学者・研究者によって明治10年の時点で日本の政府が朝鮮の鬱陵島と共に今日の竹島に当たる島を「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈されていて、それはほとんど「定説」となっているような状況にある。 しかしながら、筆者は「太政官指令「竹島外一島」の解釈手順」と題する前回の寄稿においてこれに異議を唱え、その解釈は単に島根県が提出した書類である「磯竹島略図」を説明しているに過ぎないものであって太政官の意思としては全く証明されていないことを指摘すると共に、太政官指令が発出された際の一件書類からは太政官がどの島を想定して指令を発したのかを明らかにすることはできないので、したがって指令の直接の関係書類以外の書類やできごとから逆に指令が何を示していたかを探るべきだという主張を述べた。 本稿では、その主張の最後の部分、すなわち太政官指令の直接の関係書類以外の書類やできごとから逆に太政官指令が何を示していたかを明らかにする検討を具体的に行い、指令は果たして今日の竹島を想定して「本邦関係無し」としたものであったかどうか、その結論に迫って見たい。 なお、本稿の理解のためには前回の寄稿を先にお読みいただくのがいいのだが、とりあえず前回の寄稿のうち本稿の検討のポイントとなる三つの点を簡単に記しておく。 すなわち、一つは、江戸時代の日本では朝鮮の鬱陵島は「竹島」と呼ばれ、今日の竹島に当たる島は「松島」と呼ばれていたこと。二つ目は、太政官指令が発される端緒となった島根県の質問書「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に添付された絵図面「磯竹島略図」と説明書「原由の大略」によれば、島根県の質問にある「竹島外一島」とは「竹島」という名前の島と「松島」という名前の島のことであり、その「竹島」と「松島」とは地理を知る者が見ればまぎれもなく朝鮮の鬱陵島と今日の竹島を指しているのは明らかであること。三つ目は、一方でその当時に西洋から流入した地図では、測量の誤りに起因して、竹島(鬱陵島)の実際の位置から西北の方向(朝鮮半島に近い方向)に飛んだ位置に実際には島はないのに「竹島」(アルゴノート島)という島があるように表示され、実際に存在している竹島(鬱陵島)の位置には「松島」(ダジュレー島)という名前の島が表示されていた。そして今の竹島は描かれていなかったり、描かれている場合でもその名前として「松島」と表示したものはなかった。そういう、現実の島の配置とは異なる誤った地理情報が存在していた。以上の三点である。 こういう状況の中で、太政官(及び太政官の指示を請求して回答を受け取った内務省)が、指令文にある「竹島外一島」というものを島根県が提出した磯竹島略図に描かれているとおりに鬱陵島とその手前にある岩礁―今日の竹島に当たる島―のことと正しく認識していた (以下「多数説」という) と見るのが妥当か、それとも当時存在していた誤った地図のために間違って認識していた (以下「少数説」という) と見るのが妥当かを、太政官指令以後の関係文書等を通じて明らかにするのが本稿の趣旨である。「華夷一覧図」の日本部分。隠岐諸島の上方に「松シマ」「竹シマ」と記された竹島と鬱陵島が日本領として赤く塗られている(島根県提供)検討対象一覧 明治10年太政官指令というのは、日本海にある「竹島外一島」すなわち「竹島」と「松島」についてどう取り扱うべきかを明治政府が示したものだ。したがって、その内容を他の資料を通じて明らかにするとすれば、その資料というものは、指令と同じように政府、特に指令の当事者である太政官若しくは内務省が日本海にある「竹島」と「松島」についてどう取り扱ったかを示すものを取り上げるのが適切だろう。そういう観点から筆者が選んだ史料ないしできごとを、それを選んだ理由も含めてまず列挙して見たい。いずれも、筆者が竹島領有権論争に関連して見聞きする中から該当するであろうと考えたものである。(1)『大日本府県分割図』(明治14年内務省作成)内務省が作成した地図であり「竹島」と「松島」が描かれている。(2)明治14年(1881年)内務省再指令関係文書 ア 内務省の権大書記官の外務省あて照会文書 内務省の書記官が明治10年太政官指令を変更するような政府決定があったかどうかを外務省の書記官に質問したもの。 イ アに対する外務省の権大書記官の回答書 ウ 明治14年(1881年)内務省指令 島根県からの「松島に関して明治10年太政官指令は何か変更されたのか」という問いに対して内務省が「変更なし」と回答した指令(3)内務省(地理局測量課)が明治15年8月に作成した「朝鮮国全図」内務省が作成した地図であり「松島」が描かれている。(4)明治16年全国通達  内務卿から各府県長官あてに「松島」への渡航禁止を指示するもの。(5)中井養三郎のリャンコ島編入及び貸下げ願いに対応した内務官僚の反応  リャンコ島(=江戸時代に「松島」と呼ばれた島。今日の竹島。)を日本の領土としてほしいとの申請に対する内務省官僚の反応。 以上の5件(細かく言えば7件)について以下検討する。検討(1)『大日本府県分割図』(明治14年内務省作成) 明治14年に内務省は『大日本府県分割図』と題する地図を発行している。内容はその題名が示すように日本全国の府県をいくつかに分割して地理情報を表示した府県地図が中心だが、「大日本全国略図」という日本全体とその近隣地域をも含めた全体図も作られている。その全体図には「竹島」と「松島」が描かれているのだが、どのように描かれているだろうか。それは、実際には島は何もない位置(アルゴノート島の位置)に島を描いて「竹島」という名を付し、実際には鬱陵島が存在する位置には「松島」という名で島を描いている。今日の竹島はというと、全く描かれていない。そして、それら「竹島」と「松島」は全体図には描かれていても、府県地図のうちの地理的に近い「鳥取・島根・山口三県図」には描かれていない。つまり日本の領土とは認識されていないわけだ。 この事実が多数説と少数説のどちらに符合するかは明らかだろう。「竹島」と「松島」の位置はまさしく西洋の間違った地図と同じだ。もし多数説が正しいのだとすれば鬱陵島の位置にある島を「竹島」とし、今日の竹島の位置にも島を描いてそれに「松島」という名を付してあるべきだが、実際は全くそういうことになっていない。 この地図は明治14年に、すなわち太政官指令から4年後に内務省が作成した地図だ。指令から4年後の時点で内務省は「竹島」と「松島」に関しては西洋の誤った地図と同じ認識を有し、かつそれはいずれも日本領土ではないと考えていた。これはまさに少数説の状況だ。これに対して、内務省は明治10年には「竹島」と「松島」に関して正確に把握していたものの明治14年時点で西洋の誤った地図の影響を受けるに至ったと考えるのは難しいだろう。明治10年時点で既にこのような認識であったと考えるほうがよほど自然だ。 (2)明治14年(1881年)内務省再指令関係文書 ここでは検討対象一覧の(2)に掲げた3件の文書が検討対象なのだが、その前提となる経緯を確認しておく必要がある。重要な部分なので、少し長くなるが資料を引用しながら説明したい。 明治14年に、大屋兼助という人物から島根県令あてに「松島開墾願」が提出された。それをもとに、島根県令が内務省に質問したのが次の文書だ。(読みやすいように、原文を筆者が現代の言葉使いに改めた。これ以降の書類も同じ。なお、原文は島根県庁ホームページの「Web竹島問題研究所」の中の『「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考』の記事で読むことができる。)日本海内松島開墾の儀について伺い 当管内石見国那賀郡浅井邨士族大屋兼助ほか一名から松島開墾願いが提出されました。その対象の島は同郡浜田より海上の距離およそ83里の北西の方向にあり、無人の孤島でありますが、東京府の大倉喜八郎が設立した大倉組の社員片山常雄という者が木材伐採のため海軍省の第一廻漕丸にて本年8月にその島に渡航した際、右大屋兼助が浜田から乗り込んで同行して実地調査をしたところでは、東西およそ4~5里、南北3里余、周廻15~6里、ほとんどは山で海岸から山頂までは約1里半、雑木林や古木が密生し、その間には多くの渓流と平坦地があります。 土地は肥沃で水利も良く、どこかの一部を開拓するだけでも数十町歩の耕地が得られ、その他にも海藻採取や漁業の利益など全島の経済的価値は大であります。移住開墾に適した地ですので浜田地方で賛同者を募って資金を集め、私財をもって荒れ地を開き眠れる利益を開発すべしとの志を抱いているようですが、その島は、去る明治9年の地籍調査の際に本県の地籍へ編入すべきか内務省ヘ伺いましたところ、同10年4月9日付けで書面竹島外一島の義は本邦関係無きことと心得るべしとの御指令がありました。ところが、前述したように、このたび大倉組が渡航して材木伐採をしているとのことですので、推察しますところ、明治10年4月の御指令はその後判断が変更されて本邦の領土内と定められたのでしょうか。その島がもし本邦の領土であるならば、大屋らの願いにつきましては、事業の予算の見積り、資金支出の方法及び一同の規約などを詳細に調査して改めてお伺いしたいと考えますので、別紙添付の上この件お伺いします。  明治14年11月12日島根県令 境二郎 内務卿 山田顕義 殿 農商務卿 西郷従道 殿 島根県令からすれば、松島は4年前に内務省から本邦版図外という指示を受けていたのに、今、日本人がそこに行って木材伐採をしているという話なので、これはもしかしたら指令が変更されたのだろうかと疑問を感じ、内務省に質問をすることにしたわけだ。ところで、質問の対象は「松島」なのだが、その松島は上の文書中の説明を見れば現代の私たちはそれが今日の竹島(小さな岩礁)ではなくて鬱陵島(比較的大きな緑豊かな島)であることが分かる。ということは、県令自身が気づいているかどうかは別として、県令は実際には鬱陵島である島についてそれを「松島」と呼びながら「明治10年に内務省から本邦関係無きことと心得るべしとの指令を受けた島」と説明していることになる。これは島根県令が「松島」を西洋の誤った地図の表記に従って理解している可能性を示唆するものだが、太政官指令問題において解明すべきは太政官(及び内務省)の認識であって島根県令の認識ではないから、この事実は決定的なものとして引用することはできない。 ところで、島根県からの質問を受け取った内務省でも、自分のところでは指令は何も変更していないから、ひょっとして外務省ルートで何か朝鮮国との新しい取り決めがあって松島は日本人が利用できるようになったのだろうかとの疑問を持ち、次の質問文書を外務省に送った。検討対象一覧の(2)アに掲げた文書である。ア 内務省の権大書記官の外務省あて照会文書島地第1114号 日本海にある竹島松島の義は、別紙甲号のとおり去る明治10年に本邦とは関係無きものと定められ、以後そのように心得ておりましたところ、このたび島根県から別紙乙号のとおり申し出があったところによれば大倉組の社員が渡航して木材伐採をしているとのことです。ついては、その島について最近朝鮮国と何らかの交渉決定があったのか、一応承知いたしたく照会いたします。明治14年11月29日内務権大書記官 西村捨三外務書記官 御中 この質問文書には、状況をきちんと説明するために、明治10年太政官指令が「別紙甲号」として、また島根県令からの照会文(上述)が「別紙乙号」として添付された。このときの別紙甲号は次のようになっている。別紙甲号  日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(外一島は松島なり) 竹島の所轄の件について島根県から別紙の伺いが提出されたので調査したところ、この島の件は、元禄5年に朝鮮人が島に来たことを契機として、別紙書類に要約したように、元禄9年正月の第一号「旧政府評議の趣旨」に基づき、二号「訳官へ達書」、三号「該国来柬」、四号「本邦回答及び口上書」などのように、結局、元禄12年までにそれぞれ協議が終了し、本邦とは関係無いものとされているようですが、領土の取捨は重大な案件でありますから別紙書類を添えて念のためにこのとおり伺います。  明治10年3月17日  内務少輔    右大臣殿       (添付書類は省略する)指令 伺いの趣旨の竹島外一島の件は本邦と関係無きものと心得るべし  明治10年3月29日(下線は引用者=筆者による) これは、明治10年に内務省が太政官の確認を受けるために提出した伺文書の控えに、その回答として出された太政官指令を書き足したもの(正確に言うならそういう文書の写し)で、質問を受ける側の外務省が太政官指令とはどういうものなのか理解できるように添付された。ところが、本来の書類とは異なる点が2点ある。下線をひいた部分がそうなのだが、一つは「添付書類は省略する」とされたこと、もう一つは、本来の件名である「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の後に「外一島は松島なり」という説明が書き加えられていることだ。この一言が書き加えられたのは、本物の太政官指令の一件文書には添付されている磯竹島略図その他の書類を省略したので、伺文書だけでは「外一島」が何という名前なのか分からなくなってしまうからそれを補うために書き加えられたわけだ。だから、内務省の照会文書の書き出しは「日本海にある竹島松島の義は、……」となっているのだがこの「竹島松島」は「竹島と松島の二島は……」という意味で書かれていることが分かる。 ここに明治10年太政官指令の「竹島外一島」(竹島と松島)とはどの島を想定していたかという問題の答えが現れていることに読者は気づかれただろうか。 内務省の書記官は外務省の書記官に対して、明治10年の太政官指令は「竹島」と「松島」を日本領外と指示していることを説明した上で「松島」について何か変更があったのかを尋ねた。ということは、ここで質問の対象となっている「松島」が内務省が太政官指令の「松島」と考えていた島だ。そしてその「松島」は、島根県の質問書に書かれていることから分かるように朝鮮の欝陵島だ。内務省が考えていた「松島」は鬱陵島だった。とするならば、「竹島」というのは実際には存在しない位置に描かれていた「竹島」(アルゴノート島)のことだったということになる。内務省は島が実在しない位置に「竹島」を表示し鬱陵島を「松島」と表示する西洋の誤った地図情報に従って「竹島」と「松島」を見ていたことが分かる。太政官指令の「竹島外一島」の答えはこんなところにあった。 このように、現代の我々、特に鬱陵島や今日の竹島の地理情報を知る者は内務省が見ていた「竹島」と「松島」が何であったかを知ることができるのだが、このときの内務省自身の認識はどうだったのだろうか。「松島」というのは鬱陵島だということを知っていたのだろうか。「竹島」というのは実際には存在しないということを知らなかったのだろうか。そういう疑問を感じた読者もおられるかも知れない。その答えはこれまでの文書からは必ずしも明らかではないが、それは意外にも外務省の回答文書から明らかになる。イ アに対する外務省の権大書記官の回答書公第2651号内務権大書記官 西村捨三 殿外務権大書記官 光妙寺三郎 朝鮮国の蔚陵島すなわち竹島松島の件に関する質問を拝見しました。この件は、先般、その島へ我が国から渡航して漁撈をする者があるとの趣旨で朝鮮政府から外務卿へ照会があったので調査したところ、実際にそのような事実が確認されたので既に撤収させ、今後そのようなことが無いよう禁止措置を取ったことを朝鮮政府に回答してあります。 以上のとおり回答します。明治14年12月1日 外務省書記官の回答は、その島は日本人渡航禁止という取扱いで変更はないということ-つまり太政官指令を変更するようなことは生じていないこと-を伝えるものだが、ここではその結論もさることながら前置きの部分に注目していただきたい。 内務省の書記官が、「竹島」と「松島」という二つの島が明治10年指令によって本邦領土ではないとされていることを示しながらそのうちの「松島」について質問したのに対して、外務省の書記官は「朝鮮国蔚陵島即ち竹島松島の儀についての御質問を拝見しました。」という書き出しで回答を返して来た。「竹島」と「松島」のとらえ方が変わっていることがお分かりいただけるだろう。「朝鮮国蔚陵島即ち竹島松島」というのは、「日本では竹島と言ったり松島と言ったりする朝鮮国の蔚陵島」という意味だ。なぜそう読めるかというと、その根拠の一つは文章自体だが、「蔚陵島」という一つの島がすなわち「竹島松島」だというのだから「竹島松島」も一つの島だと読むしかない。もう一つの根拠は-こちらの方が実質的な根拠だが-この時点で外務省は朝鮮の鬱陵島は日本では松島と呼ばれたり竹島と呼ばれたりしている島だということを確認して知っていたという事実だ。 太政官指令は島根県~内務省~太政官というルートによるものだが、その当時、これとは別に外務省でも、「松島開拓の議」という「松島」開拓の建白書が提出されたことなどにより「松島」の開拓を許可していいものかどうかを、言い方を変えれば「松島」は日本のものなのか朝鮮のものなのか、それともいずれのものでもないのかを検討していたが、答えが分からない状況が続いていた。それが、最終的に海軍の「松島」実地調査によって「松島」とは朝鮮の鬱陵島であり日本ではもともと「竹島」と呼ばれていた島であること、つまり「松島=竹島=鬱陵島」という三名一島であることが確認されて、外務省はその事実を把握していた。(その経緯は外務省の北澤正誠という人物が明治14年(1881年)に取りまとめた『竹島考証』という冊子に詳しく紹介されている。『竹島考証』は現代の竹島領有権論争においてしばしば引用されるが、そこに記されている鬱陵島確認に至る経緯は、外務省は当時存在していた誤った地図に従って「竹島」と「松島」を把握していたが実地調査によってそういう地図が誤っていたことを知ったことを示している。ただし、外務省が太政官指令に関与していた形跡はないので、外務省の認識によって太政官や内務省の認識を直接に推定するわけにはいかない。) 外務省がその事実を確認したのは明治13年のことだった。それで明治14年に内務省から質問を受けたときに上のような回答ができた。しかし、その回答の仕方は実に奇妙なのだ。内務省の書記官は別に「竹島」と「松島」の関係などを尋ねたわけではない。しかし、外務省の書記官は問われてもいないことをまず説明した。しかも、それは内務省の書記官が言ってきた内容を勝手に変えながら「あなたが尋ねたのはこの島のことですが」と言ったようなものなのだ。 これが何を意味するかは明らかだろう。外務省の書記官は、質問に答える前に質問の前提を訂正したのだ。質問にある「松島」は朝鮮の鬱陵島であり竹島ともいうのが現実であって、内務省が認識している「竹島と松島」という二島認識は間違っているということを内務省にまず教えたのだ。  内務省はこのときまで松島は鬱陵島であるという事実を知らなかった。これが外務省の回答文書から読み取れる真実だ。また、内務省は「松島」のほかに「竹島」という島があると思っていたわけだが、なぜそう思っていたのかというと答えは一つしかない。その当時の地図に描かれていたアルゴノート島に当たる「竹島」がその地図のとおりに実際にあるものと考えていたということになる。(また、内務省は、太政官指令を求める前の文献調査で竹島というのは朝鮮の鬱陵島であるという事実だけは確認ずみだったので、アルゴノート島に当たる「竹島」が実際にあると考えていたのであれば、同時にその竹島が朝鮮の鬱陵島だと思っていたことになる。) 結局、内務省もその少し前までの外務省と同じように、「島名の混乱」を含んだ間違った地図に従って「竹島」と「松島」という島を理解していたこと、逆に言えば、現実の鬱陵島とその手前にある小さな岩礁―今日の竹島―のことを想定していたのではなかったということが外務省の回答文書からも証明される。  説明が長くなった。要点のみを繰り返す。明治14年に、内務省は「竹島」と「松島」という二つの島が明治10年太政官指令によって本邦領土外とされていることを説明した上で、そのうちの「松島」について何か変更があったのかと外務省に質問した。外務省は、内務省が質問した「松島」は朝鮮の鬱陵島であり竹島でもあるという事実をまず指摘した上で取扱いに変更はない旨を回答した。この回答によって、内務省は指令の「松島」は実は鬱陵島であったこと、そのほかに別に「竹島」という島は無いことを知った。このことは、内務省は、太政官指令の「竹島外一島」というのは実在しない「竹島」(アルゴノート島)と実際には鬱陵島である「松島」を(それと気づかずに)想定していたことを明らかにしている。ウ 明治14年(1881年)内務省指令 上記イの回答を受けて、内務省は島根県に(おそらく)明治15年の1月に「書面松島の義は最前の指令の通り本邦関係無きものと心得るべし」との回答を送った。「質問のあった松島の件は明治10年太政官指令のとおり本邦関係無しであることに変更はない」ということだ。明治10年指令の時点では、内務省(及び太政官)は「松島」というのは「竹島=鬱陵島」とは別の島でありそれも本邦の版図外と考えていた(その理由は明らかではない)が、今回の回答指令を発する時点では、外務省の教示によって「松島」というのは「鬱陵島」であるという事実を分かっていた。しかし、どちらにしてもその「松島」が本邦版図外であることは何ら変わりはない。だから、前回の指令のとおりに本邦関係なしと心得よと指示したのは実に自然な回答だ。 (3)内務省(地理局測量課)が明治15年8月に作成した「朝鮮国全図」この地図でも、実在の鬱陵島の位置の島が「松島」とされている。一方、(1)で述べた 『大日本府県分割図』(明治14年作成)では存在しない「竹島」も描かれていたが、それは消えている。つまり、内務省はこの二つの地図が作成されたその間のどこかで「アルゴノート島」の位置の「竹島」という島は存在しないことを知ったことが分かる。それまでは「竹島」と「松島」というものを西洋の誤った地図情報に従って理解していたのだ。この内務省の認識が変化した時期は、(2)イで述べたこと-内務省は明治14年12月1日付の外務省の回答文書によって「竹島」と「松島」に関する正しい知識を得た-という分析と矛盾しない。(4)明治16年全国通達太政官指令から6年後の明治16年3月31日付けで、内務卿から各府県長官あてに次の通達が出された。北緯37度30分西経8度57分(東京天守台より起算)に位置する日本でいう松島(一名竹島)朝鮮でいう蔚陵島については、従前、日朝両政府の議定もあって日本の人民がみだりに渡航上陸することはできないので、心得違いの者無きよう各管下へ諭達するよう内達する。明治16年3月31日内務卿各府県長官宛 親展 これは、鬱陵島ははっきりとした朝鮮領土であるにも拘わらず多くの日本人が押しかけて山林の伐採や漁を行っていることに朝鮮政府から抗議が来ていたので、その対応として太政大臣三条実美の指示に基づいて内務省が全国の府県に向けて発した通達だ。 この通達に関して太政官指令との関係でとりあえず注目すべきは、渡航禁止の対象が鬱陵島の一島であるという事実だ。もし多数説が正しいのであれば、本邦領土外(=朝鮮のもの)と判断した二つの島のうち鬱陵島だけを渡航禁止として今日の竹島のことに一切の言及が無いのははなはだ不自然である。多数説の見解に従うならば、今日の竹島を「松島」と称してそれも渡航禁止とすべきだったはずだが通達は今日の竹島にはふれておらず、「松島」という名前も鬱陵島に充てられている。 少数説の立場からはこのことの説明は容易だ。かつて太政官指令は存在しない「竹島」と実際には鬱陵島である「松島」をそれと知らずに版図外と指示していたが、この通達を発する時点では「竹島」は存在せず「松島」こそが鬱陵島であることが判明していたので、改めて渡航禁止の通達を発するとすれば鬱陵島一島を対象とするのが当然である。この通達も明らかに少数説と符合するのであり、多数説とは全く合わない。(5)中井養三郎の申請に対応した内務官僚の反応(明治37年) 中井養三郎は島根県隠岐の漁師で、明治37年(1904年)に、その翌年の竹島領土編入のきっかけとなる「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」を日本政府に提出した人物である。今日の竹島は、この当時はフランスの命名による「リアンクール」という名前に由来して日本ではリャンコ島と呼ばれていた。中井養三郎はリャンコ島でのアシカ猟を自身が統制したいとの考えから上記の申請を内務大臣、外務大臣、農商務大臣に提出した。 中井の回顧によれば、出願先の一つである内務省の反応は、「内務省の当局者は、日露戦争を行っているこういう時期に韓国領地の疑いがある小さな不毛の岩礁を領土にして、事態を注目している諸外国に我が国が韓国併呑の野心を持っているのではないかという疑念を大きくさせるのは、領土に編入する利益が非常に小さいことに比べて決して簡単なことではないとして、何度説明しても願いは却下されそうであった。」というものだった。 ここで「韓国領地の疑いがある」という言葉に注目してほしい。内務省の当局者は「その島は韓国の領土だ」とは明言せず、「韓国領地の疑いがある」という認識を示したわけだ。このことは多数説と少数説のどちらに合うだろうか。 多数説によれば、リャンコ島は太政官指令で外一島(松島)として「本邦関係無し」と指示されていたことになる。「関係無し」と言う言葉ではあるがその実質は、徳川幕府が朝鮮国との交渉の末にその島は朝鮮のものだということを了承したので明治政府もそれを踏襲するという意味であることは、太政官指令を知る内務省の官僚なら分かっていただろう。つまりリャンコ島は明らかに朝鮮のものだということのはずだ。そういう指示を内務省は太政官から受けている。だから誰かが「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」などというものを持ち込んで来たならば、それは明治十年に右大臣の御指令によって朝鮮領と決着ずみである。却下!」と門前払いにすべきだったろう。ところがこの内務官僚は、朝鮮の領土である可能性があるというあいまいな認識を示し、太政官指令を全く持ち出すことなく、領土編入が困難な理由をあれこれと説明している。申請を拒否したいのならば太政官指令を持ち出せば話はすぐに済むはずなのに、だ。こういう状況は、多数説とは矛盾している。これに対して、少数説から見れば話は簡単だ。太政官指令は現在の竹島を想定したものではなかったのだから、内務省としては「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」はこれまで所属の検討などしたことのなかった島について初めて持ち込まれた話だということになる。したがって門前払いをすることなく一応話を聞いたことは自然な対応だし、その中で「韓国領地の疑いがある」と思ったとしても別に不思議ではない。この件も少数説のほうが合うのである。結論 以上5件の文書あるいはできごとを見れば、これらはいずれも多数説では全く説明ができず、少数説であれば無理なく説明できる。いや、無理なく説明できるというにとどまらず、(1)で見たように内務省自身が誤った地図を作成していたし、(2)のイの外務省書記官の回答文書では、内務省が太政官指令の「松島」と捉えていた島は鬱陵島であったことが明示されている。これが答えなのだ。太政官指令にいう「竹島外一島」(竹島と松島)とは、鬱陵島と今日の竹島のことではなく、その当時の誤った地図に描かれていた「竹島」と「松島」、すなわち実在しない島と鬱陵島のことをそれと知らずに想定していたのだった。太政官指令の解釈の主流をなしている多数説はとんでもない間違いなのだ。 それに、そもそも多数説というものは、内務省と太政官は、当時存在していた西洋の情報に基づく地図が誤りであること―具体的にいうと、そこに描かれている「竹島」というものは実際には存在しないこと、また「松島」とされているのが鬱陵島であることーを明治10年の時点で知っていたという前提に立つものだ。内務省と太政官は明治10年には正確な地理を知っていたというわけだ。外務省が実地調査によって明治13年に知るに至った真実を内務省はその3年前には知っていたということになるわけだが、多数説を唱える学者・研究者は誰も、内務省あるいは太政官がいつどのような調査・検討を経て正確な地理を知るに至ったのか全く説明しないし、これからも説明することなどできないだろう。なぜならば、そういうことが分かる資料など(少なくとも現在明らかになっている史料の中には)ないからだ。前回の寄稿で述べたように多数説を唱える人々はそもそも立証できないことを個人的な思い込みだけで主張しているのだが、それはまたそもそも立証できないことを前提とした主張でもある。 以上のように明治10年太政官指令の後に明治政府が取った行動をつぶさに見ていけば、「外一島」とは今日の竹島ではなく鬱陵島であったのであり、多数派の主張は全く間違っていたことが明らかになる。太政官指令のことが初めて公に論じられたのは1987年のことだったとされるが、そのときの論文も磯竹島略図などを根拠として太政官は鬱陵島と今日の竹島を版図外と指示したという立場で書かれている。以来二十数年、そのような解釈が通説化し、韓国側ではもちろん一も二もなくこの見解を採用し、日本側でも多くの追従者が生まれた。だが、事実は異なる。明治10年太政官指令は今日の竹島について述べたものではなかったのだから、現在の竹島領有権論争には何の関係もない史料なのだ。太政官指令があるから日本の固有領土論は矛盾しているとか、日本の外務省は自己に不利な太政官指令には一切ふれずに都合のよい資料だけを紹介しているなどという批判は、それをいう者たちの前提自体が誤っているのだ。 彼らのために、竹島領有権論争には本来テーマとする必要のないテーマが持ち込まれ、無用の混乱が引き起こされ増幅されて来た。だが、上記検討(2)でも引用したが、近年になって島根県竹島問題研究会の関係者からは新たな視点での見解も示されている。もう真実を理解すべき時期だろう。根拠のない主張を繰り返している多数派の人々が書く文章からは、島根県が提出した磯竹島略図や原由の大略に書かれている内容を自分が詳細に読み解くことが「歴史資料に忠実な解釈」であると自負しているような印象をしばしば受けるのだが、歴史上の事件を解釈するに当たっては自分ではなくてその時代の当事者たちが何をどう考えたのかを解明することこそが重要だということをもう少し考えて、本当の意味で歴史資料に真摯に向き合ってこの問題を再考されることを望みたい。関連記事■ 太政官指令「竹島外一島」の解釈手順■ 政治的過激主義としての韓国の反日主義■ 韓国の皆さんへ 嫌・嫌韓本のススメ

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    新聞マニアが分析 朝日新聞とは何か

    著者 田中一成(東京都) 朝日が長年にわたり主導してきた新聞のあり方について、いま改めて是非が問われている。マスコミ、とくにその中心的存在である新聞の報道は、客観性と中立性を具備するものと信じられてきた。しかし、実際の記事や論評はどうであったか。私は新聞マニアとして、朝日、産経、日経の3紙を数十年にわたり購読してきた実感から、率直な感想を述べたい。1)紙面を構成するページ枚数 試みに平成26年12月17日に於ける、朝日新聞の紙面構成を見てみよう。当日の総頁数は38頁であるが、各頁は12段になっている。したがって全ページを段数に換算すると456段になる。またA5版の書籍に換算すると、頁数は304になる。つまり朝日の朝刊だけで、新書1冊分の大量情報が、毎朝配達されていることになる。では、その大量情報の内容はどうなっているのか。次の表は、それを分析したものである。 この表を作成しながら私は、大きな疑問を抱いた。新聞は何故に、このような広い領域をカバーしなければならないのか?しかもその大半は、新聞本来のミッションであるニュース性を必要としない。例を挙げれば、生活、教育、文化、福祉欄だ。その一方では、専門紙と重複する分野もある。経済・株式、番組、地方、スポーツの各欄だ。これらを除いて新聞本来の特徴を発揮できるのは、わずかに総合、社会、国際およびオピニオンの4欄であろう。しかしこの4欄については、読者として大いに不満を表明しなければなるまい。 第1の総合欄では、最も期待されるのが政治関連のニュースであろう。当然ながら記事の内容は、視野の広さと中立性が期待される。まず視野の広さについては、政治を政策の見地で報道し、政局的な見解を控える態度が望ましい。しかし、これに関する新聞の記事はどうであったか。嘗ては派閥や政治家の人事に関する政局記事が中心であった。そのため特定の政治家をマークする番記者というスペシャリスト?が、存在したほどだ。最近はかなり改善されているが、それに代わって、特定のイデオロギーや政党に肩入れする態度が顕著になった。先年、民主党が大勝した総選挙がその好例である。この選挙キャンペーン記事で見せつけた、朝日新聞社全グループを挙げての偏向ぶりは凄まじかった。朝日グループの政治偏向ぶりは今に始まったことではない。少なくとも政治に関心を持つ人たちは、この選挙で1993年に全国朝日放送(現・テレビ朝日)が引きおこした放送法違反の椿事件を想起したに違いない。 第2の社会欄については、情報の多くを警察に依存している。そのくせゼスチャーとしては警察国家化への懸念を示さなければならない。最近でこそ影を潜めたが、嘗ては事件発生で警官が発砲したとき、記事の見出しは先ず「警官拳銃発砲!」であった。そもそも1億3000万人が生活する社会において、日常発生する事件の数は無数としか言いようがない。僅かな紙面でそれを網羅することは不可能であろう。当然ながら記者は、それを取捨選択して記事にする。それは一種の特権とも言えるであろう。その特権の行使に於いて、特に朝日には独自の思想に基づく偏りが見られる。 第3の国際欄の記事については、朝日のみならず全ての新聞社に共通する問題がある。国際社会という極めて広範な領域での出来事を、一企業に過ぎない新聞社がカバーすることなど、とても出来ることではない。したがって記事の大部分を、国内外の通信社に依存せざるを得ない。社内で出来ることは、その取捨選択と若干の取材記事を付加するだけである。但しこの作業には、偏向記事を偽装するためのトリックを潜ませることができる。嘗て中国で、文化大革命が行われたときの朝日新聞の紙面には、「中国の街角には蠅が一匹もいない」と書かれていた。 第4のオピニオン欄では、発言の自由を装いながら、特定の考え方を読者に押し付ける場合がある。とくに朝日は、その特権!をフルに活用している。特権の行使にもトリックが用いられる。例えば少数意見の扱い方である。対立する意見があって、その一方の極小の意見を支持したい場合は、両論を併記する。しかし構成比は隠蔽される。逆に自社意見への同調者が多い場合は、その人数と構成比が示される。また看板にしている『声』欄への投稿採択では、露骨なフィルターがかけられる。かつて私は、この新聞の偏向記事について意見文を投稿したことがある。しかし、それは二度とも採択されなかった。 このほか、自説に副わない事件や事実を、記事にしないという”消極的な偏向”もある。この事例は極めて多いが、紙幅が足りないので省略する。2)新聞の性格 上述したように、新聞の編集で目立つのは記事項目の多様さである。この朝日新聞の事例では14項目に上るが、たぶん他紙も大同小異であろう。この多様さは、文藝春秋や中央公論などの月刊”総合雑誌”とよく似ている。違いは月刊ではなく日刊であることだ。その点を強調するならば、新聞紙というよりは、むしろ“雑紙”と称すべきだろう。 本来の新聞、とくに一般紙を特徴づけるものは、この表でいえば総合と、社会、国際およびオピニオンの4欄に過ぎない。他の項目については、それぞれの専門紙があるのだから、一般紙が割り込む必要はあるまい。しかし、それではボリュームが足りない。不足の理由は、総合、社会、国際の三大分野に関する取材能力が不足しているからであろう。能力には質と量の両面があるが、とくに問題にすべきは質である。中でも総合欄については、主筆や編集長と称する看板記者が大いに腕をふるわなければならない。私の感想を言えば、この面に於ける朝日・産経の記事は大いに読み応えがある。ただし朝日については、特定のイデオロギーへの偏向が目立ちすぎる。国籍不明のコスモポリタリズムやアナーキズムに、毒されているのではないかと危惧させられる。3)新聞の編集と解説 購読者としては、本来は事実だけを知りたい。しかし事実の背景には、複雑な事情がある場合が多い。また金融経済や国際関係、法規など専門知識を要する場合も少なくない。従ってそれらについては、たんに事実だけでなく背景や前提となる知識が必要だ。その意味で、新聞が編集や解説をやってくれるので、大いに助かることになる。但しそれには、客観性と中立性を守って欲しい。実は私は、その面で朝日を充分に信用することが出来ない。前に述べたように、特定の政治グループやイデオロギーへの偏向を感じさせられるからである。 このような不信感を取り除くにはどうしたらよいか。参考例として、私はインターネットで配信されるグーグルのニュースを挙げたい。この画面では、項目が発生順に羅列されるだけである。読者はその項目を選んで、クリックすれば詳細を読むことが出来る。グーグルは、新聞がやるような、印象付けの編集手法を用いない。ここで言う編集手法とは、見出しの表現、活字の大きさ、スペース、紙面のレイアウトなどである。これらの手法を用いることによって、新聞は巧みに自らの主観や価値観、イデオロギーを押し付けてきた。然しその一方では、報道の客観性や公平さをアピールするのである。私は朝日新聞が引きおこした今回の事件を好機にして、新聞編集と記事のあり方を見直すべきだと考える。4)日本の新聞の特殊性 欧米諸国の新聞と日本の新聞を比べると、かなりの相違を認めることができる。そのうちの幾つかを指摘したい。 (1)商業性の隠蔽 新聞は営利企業であるから利益を求めるのは当然だし、実際にその目的に副った経営を行っている。例えば上で示した朝日新聞の「紙面を構成するページ枚数」では、広告の全紙面に占める割合は48%である。つまり購読者は、料金を払って広告を読まされている。そのダブルプレイを認めるとしても、気になるのは、報道の公益性だけを声高にアピールするゼスチャーである。この傾向がとくに目立つ朝日新聞の経営実態をみると、以下の通りである。       売上高 約4700億円       経常利益 約170億円       従業員数 約4640名 一般に経営と従業員の緊張関係を緩和し忠誠心を維持する手段として、高賃金と福祉システムが用いられるが、上で見る朝日の実態もそれを如実に示している。つまり事業経営や経営管理の側面でみる限り、朝日は典型的な優良会社である。 (2)読者の知的怠惰をもたらす宅配システム 私の知人は、朝日と日経を半日かけて隅々まで読むという。それだけで、世の中の動きが全て把握できると思い込んでいる。しかし、新聞は自らのイデオロギーや偏向思想を巧みに隠蔽して、ひたすら公平さをアピールする場合が多い。それを信じる読者は、他紙と比較する気にもならないのだ。しかもその新聞は毎朝宅配されるので、わざわざ買いに行く必要がない。この日本独特の宅配システムは、新聞社と読者の両方に便利さをもたらす。しかし反面では、情報選択という知的行為を怠らしめるのである。この怠慢が続くと、読者はいつの間にか「習慣病」に冒される危険がある。肉体面での習慣病はよく知られている。しかし精神面での「習慣病」は、もっと恐ろしい。考える意思と能力を衰弱させるからである。それは一種の麻薬効果というべきであろう。 (3)奇妙な思い込み 嘗て朝日の編集者はニューズウイーク誌に、自社の編集方針を「反権力と啓蒙」と述べたことがある。しかし現在の民主主義国家の政治で、行使されている権力とは何だろう。それは特定の行政現場で行われている、意思決定機能と執行機能に過ぎない。何はさておき、意思決定のない行政があり得ないのは自明のことである。それに対し、反権力という大げさな表現で反対するのは、あまりにも幼稚な妄想であろう。嘗てのスターリンやヒトラーなどによる独裁国家の権力を、イメージしているのだろうか。もう一つの啓蒙については、思い上がりも甚だしい。この考え方に基づいて記事を書いているとすれば、それ即ち読者を見下していることになるではないか。 (4)客観性を装う情報操作 産経を除く日本の有力紙は、信奉するイデオロギーや政治的な偏向を、隠蔽する場合が多い。しかし記事を読めば意図は明らかになるのだから、隠す必要はないではないか。たとえば民主党が大勝した前々回の総選挙に於いて、朝日が露骨に行った民主党支持のキャンペーンは今なお記憶に新しい。また少数派意見の尊重という詭弁も多用される。たとえば朝日は自社説を強制するために、屡々このキャッチフレーズを用いて記事を書く。例えば、あるアンケートで回答者数が賛成100名、反対10名であったとする。それでも朝日が少数派に与する場合は、両者の意見を併記する。しかし賛成者と不賛成者の数は示されない。 この他でも、いろいろな手段で情報の操作を行っている。嘗て私は、朝日批判の文章を二度にわたり声欄に投稿したが、何れも採択されなかった。また、意図的に記事にしない方法もあるらしい。嘗て私は、文京シビックホールで催された「新しい歴史教科書の会」の会合に出席したことがある。この時の参加者はおそらく1000名を越えていた筈だ。日本の歴史教育のあり方を憂慮する人たちの、素朴で熱気溢れる集会であった。しかし当日の朝日新聞は、そのことに全く触れていない。その代わり片隅の小さい囲みには『教科書の会に反対するグループのデモ』として、数十名の参加者があったことが記されていたのである。 (5)エリート意識と特権意識 文藝春秋2014年12月号の『朝日新聞若手社員緊急大アンケート』を読むと、この質問に応じた18名の回答は概ね謙虚で反省的であり、好感をもつことができる。しかし問題は、回答者が僅か18名に過ぎないことだ。役員や管理職を除いても社員の数は、3000名に達するはずだが、アンケートへの回答はこの程度である。実質的には、無視したことになる。全社に漲るエリート意識は、今なお健在ということなのか。嘗て取材に赴く記者達は、社旗を翻す社用車で事件現場に乗りつけていた。それはまるで、除け!除け!といった感じであった。まさか今なお、そのような特権意識をお持ちとは思えないが…。5)朝日新聞のノウハウ (1)独特の表現手法 朝日新聞の記事文章には、独特の臭みと味わいがある。一部の読者にとっては、それが好ましいらしい。その典型が「天声人語」であるが、嘗ては模範文として入試に出題されるほどであった。しかしこの新聞の主張や論旨は、しばしば韜晦そのものである。その点を鋭く指摘する泰郁彦氏は「歴史から目をそむけまい」とか「○○問題は柔軟な発想で」式の表現を、真意が汲みとれぬ曖昧で空疎な修辞だと批判している。 (2)巧みな詭弁術 朝日の記者達は、詭弁術ともいえる独特のノウハウを身につけている。事例としてWiLL-2015年1月号と2月号に連載された『「朝日問題」で問われる日本のジャーナリズム:大闘論4時間』を挙げてみよう。これはジャーナリストの櫻井よしこ氏と、元朝日新聞編集委員の山田厚史氏との間で行われた討論のうち、「吉田調書」を巡る部分である。やや長文になるが、問題の部分(2月号の54頁以降)を引用しよう。(敬称略)山田 記事そのものについては、取り消しに値する誤りはなかったと思います。確かに「所長命令に違反 原発撤退」という見出しは誤解を招きましたが、内容は事故で指揮系統が乱れて所長の指示に反する集団行動が起きてしまった、という事実を書いたものです。(中略)櫻井 あの記事は、記者の反原発イデオロギーに沿う形で書かれたものであるとの疑惑を強く抱かざるを得ません。同じ日の二面に、担当記者が「再稼働論議 現実直視を」として次のように書いています。 「暴走する原子炉を残し、所員の9割が現場を離脱した事実をどう受け止めたら良いのか」 「吉田氏は所員の9割が自らの待機命令に違反したことを知った時、『しょうがないな』と思ったと率直に語っている」 「命令違反」で「現場を離脱した」無責任な東電社員や下請け企業の従業員は信用できず、彼らが動かす原発の再稼働など絶対に許さない、という強い意思が読み取れます。山田 櫻井さんがおっしゃるような「無責任な東電社員や下請作業者は信用できない」など、記事にはどこにも書いていませんよ。(中略)櫻井 山田さんのおっしゃることは朝日知識人の典型的な騙しの論理で、私はいま、お話を伺っていて正直、腹が立ちました。たしかに言葉のうえだけを見ると、「東電は信用ならない」とは書いていないかもしれません。しかし紙面全体を読めば、明らかに「東電は信用ならない。そんな彼らが動かす原発など絶対に許してはならない」との印象を受ける書き方をしています。9割が現場から逃げたという…。山田 「逃げた」なんて書いていないじゃないですか。この記事のどこにそう書いてあるんですか?櫻井 朝刊一面のトップで「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一所員の9割」、二面では「葬られた命令違反」などの見出しを大々的に掲げ、「11年3月15日朝、第1原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していた」と書いた。事実上、「逃げた」と紙面全体で言っている。山田さんは言葉の字面だけを追って「書いていない」とおっしゃいますが、これはきわめて悪意のある印象操作だと断じざるを得ません。山田 それは印象であって、印象で人を批判するのはよくない。(後略)月刊『WiLL』2015年2月号 『「朝日問題」で問われる日本のジャーナリズム』より 以上のようなやり取りが延々と続く。実はこの山田氏の論法こそ、私が先に3)新聞の役割で強調した「排除すべき編集手法」なのである。結び 長年にわたり疑問を抱きながらも私は、新聞とくに朝日を熟読してきた。しかし最近になって、この新聞が行ってきた記事・編集の実態を知った。そして今更ながら、なぜ朝日新聞がこのような偏った記事や論説を続けることができたのか、不思議でならない。その理由を解明しなければ、再び同じ過ちを犯すかも知れない。この不思議をもたらしたのは、何であったか。この短文を書き終えて私の脳裏に浮かんだ戯れ唄は、次の通りである。幽霊の 正体みたり 枯れ尾花関連記事■ 1カ月間、朝日新聞だけ読んでみた■ 「新聞人の責任」はどこへ? 反日偏向が根付く朝日の戦後史■ 朝日新聞攻撃の「ムラ社会」的構造

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    他人の気持ちを想像する力

    著者 栗林元(愛知県) 小説内で描くキャラクターの心は、すべて作家の想像である。男も女も子供も大人も、場合によっては人間以外の生物ですらすべて作家の脳内の産物だ。だからこそ、作家は他人の気持ちを想像できる能力が必要なのである。 常々感じていることがある。この他人の心を想像する力が、今の日本では衰えているのではないか? さて、桑田佳祐氏である。昨年の紅白歌合戦の曲を中継される前のパフォーマンスで、紫綬褒章をジーンズの尻ポケットから取り出してオークションにかけるような発言をした、として大きな非難を受けている。 桑田氏は私の2歳年上のはずで、あの年代の人の天皇制や保守政党に対する感覚、平和観は理解できるし、一部共有もしていた(←過去形・苦笑)。だから私は、桑田氏が「叙勲を拒否」していればなんら問題はなかったと思う。叙勲をした上で、あのパフォーマンスは無いだろうと思うのだ。 そもそも日本人にとって叙勲とはどのようなものなのか。 私の父は77歳で他界したが、晩年は公立高校の校長を務めていたので、死後ではあるが、瑞宝小綬章を受けている。母は、父と一緒に苦労してきたので、その叙勲をことのほか喜んだ。「父さんの人生が報われた」とまで言った。よほどうれしかったのか、会う人毎に「叙勲、叙勲」と話すので、私は「先生がすべて叙勲するわけではない、大多数の人は叙勲とは無縁の人生を送っている。嫌みになるから、こちらから叙勲の話をするな」と少し手厳しい忠告をしたほどである。母も父も学校の教員で、いわゆる「リベラル」だった人である。その母にとってすら叙勲とは特別なことなのである。 桑田氏が尻ポケットから出した勲章を、母は額装してテレビモニターの横のサイドボードに飾っている。そのテレビで、桑田氏の振る舞いを聞いた時、母は小さくため息をついた。 権威を小馬鹿にするポーズを取って、アーチストとして受けを狙ったのであろう。だが、それは、名声とも富とも無縁に、社会に貢献する人生を送ってきた、無名の市井の叙勲者たちの人生そのものを小馬鹿にしていることになると、なぜ気づかなかっただろう。 これは桑田氏だけの問題ではない。1970年代、平和を訴え自衛隊を違憲と主張する知識人・教員・芸術家たちの振る舞いは、自衛官の家族、特に子供たちがどのような気持ちになるかという想像力を欠いたものだった。 体制に反対する知識人・ジャーナリスト・マスコミ・芸術家達に共通するのは、「目覚めている自分たちが、だまされている大衆を啓蒙してやる」という上から目線の傲慢さである。それが、他人の気持ちを想像する力の欠如につながっているのではないか。 野党に票が入らないのは、投票率や選挙区の問題だけでなく、「リベラル」の傲慢さに対して多くの国民が反感を持っているからであると気づいてほしい。 私は桑田氏の音楽が嫌いではないし才能も認めている。ただ、富と名声を得た彼が、無名の市井の日本人の感覚とは遠いところに立っていることがわかり、残念な気持ちになった。関連記事■ 恐るべし、マスコミ■ 恥ずかしい大人たち…左翼ジャーナリスト■ 朝日は「左派メディア」として有志で再出発すべきである

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    政治的過激主義としての韓国の反日主義

    アンドレイ・石井(米国) 数多くの主権国にも当てはまる事実だろうが、アメリカ合衆国は多民族、多思想国家ゆえ極右系、極左系を問わず多くの政治的過激団体が存在する。 白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」や「アーリアン・ネイションズ」、アストラン・チカーノ(チカーナ)全国学生運動「メチャ(MEChA)」、黒人民族主義政治団体「ブラック・パンサーズ」など有名な団体はもちろんだが、その他の団体も数多く存在している。もちろん、特権を狙う支援・監視団体によってその存在感は誇張されるケースが多いのだが、違法活動やテロも行なったことのある組織も多く、アメリカ合衆国の暗部のひとつであるのは事実である。米中西部ミズーリ州ファーガソンでの暴動で、放火された後、崩壊した建物(黒沢潤撮影) 2014年8月、アメリカ合衆国のミズーリ州ファーガソン市で18歳の黒人青年マイケル・ブラウンが白人警官ダレル・ウィルソンによって射殺された事件が起きた。11月24日に大陪審が警官の不起訴が決定され、全米の主要都市で大規模な抗議運動が起きた事件は記憶に新しい。ファーガソン市でも暴動とも形容できるような大規模な抗議運動も起きた。そこにはアメリカ社会の矛盾に対するもっともな不満がそこにあるのは事実であるだろうが、この一連の抗議運動を隠れ蓑として利用して精力的に活動をする極左系団体があるのも事実である。 「シカゴ革命クラブ」も「共産進歩的労働党」もその存在がファーガソン市やニューヨーク市の抗議で確認されており、ファーガソン市での暴動行為はそれらの組織が中核となって行なわれたと報告されている(『クリスチャン・サイエンス・モニター』2014年8月19日付)。8月13日の平和的抗議運動で警官を狙いモロトフ・カクテル(火炎瓶)を投げつけ挑発したのはその種の組織員だったのだ。 この件に代表されるように、過激主義団体には社会改善の裏に隠れて私的な目的を果たそうと画策する組織が多くある。異民族同士で癒しと理解を広め、法律を守りながら社会を公平にしようと活動する正当な「人道的反人種主義」の他に私的な目標達成するには手段を選ばない「イデオロギー的反人種主義」を貫く組織が存在する。 アメリカ合衆国でこの分野の発展に大きな功績をもたらした専門家のひとりに「レイヤード・ウィルコックス」がいる。若い頃から社会の中で虐げられている人に対して同情を持っており、17歳に「全米黒人地位向上協会(NAACP)」に入会し、カンサス大学での学生時代に公民権運動にも参加し「アメリカ自由人権協会(ACLU)」の支部長としても活動。「国際アムネスティ」の一員としても活動した経緯を持っている専門家である。 しかし、彼はやがて「人道的反人種主義」の崇高な意図は私的な政治経済イデオロギーを持つ諸団体に巧みに利用されていると気付き、付きあっていた組織の多くから距離を置く決断に至った。それらの団体は「反人種主義」の性格ゆえ操作されやすいのである。全てを説明でき、殆ど何の過激的なイデオロギー行動でさえ正当化できるという使い道が豊富な媒体なのだという認識に彼は至ったのである。ウィルコックスは「反人種主義」の思想自体を批判しているわけではないのだが、彼は次のように語る:「アメリカ合衆国内では反人種主義的“産業”が充満しており、それらは自己認識や生活が特定の種類の被害者意識に依存しており、虐めや道徳的な話を蒔く過激主義者たちを引き付けている。ある点においては反人種主義運動は大規模な恐喝商売になっている(中略)これは公民権運動の初期の意図から大きく外れている」(The Watchdogs: A close look at Anti-Racist “Watchdog” Groups) いずれにせよ、極右極左を問わず過激主義運動を研究してきたウィルコックスは1965年、米国カンサス大学所属の「ケネス・スペンサー図書館」に『現代政治運動のウィルコックス全集』を創設。1986年から89年にかけてアメリカ連邦政府(教育省)の支援のもとで目録作業された経緯がある莫大な資料集である。 「H・L・メンケン賞」も受賞した経緯があるウィルコックスは研究の成果のひとつとして政治的過激主義には普遍的な特徴を持っていると分析しリストを書き上げたのだが、このリストを最初に読んだとき、ウィルコックスが掲げる特徴のほぼすべてが韓国の反日活動も網羅していることに筆者は驚きを隠せなかった。 これからそれらの特徴を見て行きたいと思う。特徴とその説明はウィルコックスの述べたものをほぼそのまま載せた。レイヤード・ウィルコックスの「政治的過激主義」の特徴(1)誹謗 : 過激主義者はよく相手・批判者が提出する事実と問題を論点を論争するよりも批判者の性格を攻撃する傾向にある。連中は彼らの動機、資格、過去の団体関連、価値論、性格、精神健康を疑問視し、これらを巧みに利用し問題から目を逸らそうとする。韓国の反日活動例:「野蛮な日帝」「戦犯国」「日本の36年強制占領」「日本の右翼傾向」などの主張のオンパレード。(2)侮辱とレッテル貼り:過激主義者は侮蔑の言葉を発し、レッテルを貼り、相手を非難。これは相手の論点から目を逸らし、他人を論者の言うことに耳を傾けさせないためである。韓国の反日活動例: 韓国側の主張を批判する者を「極右」「国粋主義者」「歴史修正主義者」「否定論者」、または「日本人=猿」などのレッテルを貼り、第三者を思考停止させ事実の検証を脱線させようと試みる。(3)無責任で大ざっぱな概括:過激主義者は証拠が少ない、あるいは皆無であるにもかかわらず、大ざっぱな主張や判断を下す傾向がある。彼らは類似性と同一性を混同する傾向がある。もしふたつ(あるいはそれ以上)のものが類似しているのなら、すべての点で同じであると決めてかかるという傾向を持っている。韓国の反日活動例: 証言が変わり事実が定かではない一握りの元慰安婦の証言によってあたかも何万人もの全慰安婦が「性奴隷」だったかのように主張される(これを「早まった一般化の誤謬」という)。また、「大日本帝国はナチス・ドイツと同盟を組んでいたことから両国は同質であった」という主張も同じ特徴の類で、それと共に旭日旗に関するプロパガンダが流されている昨今だ。また、感情をベースにした容赦ない「独島」キャンペーンを世界中で繰り広げるのに、事実と論理を必要とする国際法事裁判所に行くのを拒否するのもこの特徴に含むことができる。(4)主張に不十分な証拠:過激主義者は彼らの主張の証拠として構成要素とするものはかなり曖昧である。それに加え、彼らは論証の際に誤謬を利用する傾向がある(たとえば「前後即因果の誤謬」など)。彼らは「希望されている」結論を投影し、過激主義者らの偏見を確証すると見られる情報の重要性は誇張され、彼らの主張に矛盾する情報は損じられたり無視されたりされる。韓国の反日活動例: 特徴3と同じく慰安婦の問題などでは顕著であるが朝鮮併合時代の主張にも見受けられる(強制労働、ハングル禁止など)。カリフォルニア大学バークレー校の心理学教授ダッカー・ケルトナーは人間はイデオロギー的に反対している者の考えを大きく誇張して主張する傾向があると述べている。(5)ダブルスタンダードの唱道:過激主義者は自分たちは気前の良い「意図」で正当性判断するが、相手は「行動」をもとに判断する傾向がある。過激主義者は彼らの主張を鵜呑みにしてもらいたいが、相手からは証拠を要求する。また彼らは特権、過去の迫害、あるいはこんにちの不利な立場を利用し、自分たちのグループのために手前勝手な主義や特権を主張する傾向がある。韓国の反日活動例: 日本関係の慰安婦問題は問題にするがベトナム戦争時代の韓国軍による現地での蛮行は「戦争だった」と屁理屈を発したり、中国の朝貢国として女性を送っていた事実は問題視しない。(6)過激派は相手や批判者を本質的に悪であると見なす傾向がある:過激派の主張によると彼らの批判者たちが彼らに反対する意見をもつのは批判者たちは悪人であり、不道徳であるというもので単に他の観点から問題を見て違う意見を持っているという考えは通じない。韓国の反日活動例: 小中華思想において「日本は韓国の下のランクにあり、韓国の教示と指導、懲らしめを受ける立場にある」という主張がこれに近い。呉善花女史はこの事件で産経の加藤記者が置かれた立場について「したがって加藤氏については、彼ほどの知韓派知識人ならば我が国(身内)に見方すべきなのに、我が国の恥をこともあろうに日本に向けて発信した、そんな敵対的な行為は絶対に許せないという気持ちになるのである」と分析している(『月刊正論』2014年12月号)。また大韓民国憲法で抗日思想が国是として取り入られているとも呉善花女史は著作で述べている。これが「われわれ」対「彼ら」のメンタリティーを形成し、日本は韓国の「善」に対する「悪」であるという考えを生み出しているのかもしれない。(7)二元論的世界論:過激主義者は世界を絶対的な善と悪に分けて見る傾向があり、その間のグレーゾーンは存在しない。韓国の反日活動例: 特徴6と同じく、韓国には中華主義から外れた日本を批判と侮蔑の対象に置く伝統があるのみならず、「正しい歴史」を認識しない日本は悪の権化である。また、韓国は中国の「易姓革命」の思想を継承し、現政権は以前の政権を批判し断罪する伝統があり、現政権の正当性は前政権の「悪」にあるという思想がある。これも「善と悪」に分ける傾向に当てはまるという考えが出来なくもない。この前政権の政策や功績の否定も日韓関係に影響を及ぼす。(8)過激派は常にある程度の検閲と彼らの相手や批判者を抑制するよう唱道する:メディアに流される情報を規制したり、ブラックリスティング、反体制者の隔離、「禁断」な情報拡散を食い止める抑圧的な法律制定のためのロビー活動など。過激主義者らは特定の書物、資料を書店や図書館などから締め出そうと試みたり、報復の威嚇を通して広告を牽制したり、電波から都合の悪い意見を持つスポークスマンをブロックしたり新聞のコラムニストを締め出そうとする。韓国の反日活動例: 韓国の親日的な著者(たとえば呉善花女史)などがブラックリストに載せられ、売国奴として迫害を受ける。欧米の図書館の資料・地図の「日本海」に「東海」のシールを張る。また産経新聞の加藤達也記者の起訴や親日派の末裔に対する後事法的な特別法の制定などもあげられる。(9)過激派はその敵との関係で自己を認識する:過激主義者らは彼らの憎む対象、そして誰に憎まれているかを通して自分の存在意義を確認し、敵に感情的に縛ってしまうこともしばしば。敵である存在も模範にするケースもある。韓国の反日活動例: 反日的な行動を国を挙げて実行しているにもかかわらず、日本文化や産業品をパクる。自国を日本と比較して国際社会での立場を確認するという行動も見られる。日本を貶める行為をしているにもかかわらず、奇妙な共生関係にあるのだ。 (10)威嚇を利用しその主張を通そうとする:過激主義者は彼らの前提と結論を受け止めてくれるように威嚇を利用して主張をまとめる傾向がある。彼らに異論を提示することはあたかも敵に慰めを与えることになると見なされる。これには論争の範囲を定め、主張の都合の悪い部分を切り捨て、相手を守勢の立場に置き続ける意図がある。韓国の反日活動例: 日本を弁護、あるいは日本に同情する親日系の韓国の社会人は社会抹殺の対象にある傾向にある。(11)スローガンや思考停止を狙う決まり文句の利用:簡素なスローガンを複雑な抽象概念の代わりに用いり、都合の悪い事実や反論を牽制しようとする。韓国の反日活動例: スポーツの会場で掲げられる「歴史を忘れる民族は未来が無い」というスローガンの件がある。(12)終末論的な考え:過激主義者は特定の行動方針を果たさなければ破局的な結果が出るという考えを持つ傾向を持つ。韓国の反日活動例: 慰安婦像を「平和の像」と呼び、「慰安婦像を建てるのは平和的な目的だ。日本がまた未曾有の戦争を起さないようにするためであり、世界人民に対する奉仕である。」という言い訳がある。ウィルコックスによると過激主義者は私的で個人的な恨みや特権の追求の理論的根拠を「公共のための福祉」の美名の下で実行しようと試みる傾向があるとも述べている。(13)常に他グループに対する道徳的、または他の面での優越性を主張する:最も顕著なのは民族優越主義であるが、宗教的、哲学的な優越性の主張もある。しかし、比較的に明らかではないという種類の優越性では、被害者であるという申し立ての主張、神の選民意識などもあり、批判者がそれらの主張の事実性を論じようと試みると「鈍感だ」と非難される。韓国の反日活動例: もちろん北朝鮮と共有する朝鮮民族優越主義であり、小中華思想などがこれに当てはまる。また「被害者である」というところでは朝鮮併合時代の「過酷な時代」の主張がこれにあたる。また1960年代後半以降の経済活発化(いわゆる「ハンガンの奇跡」)により韓国は神の選民国であるという主張もある。(14)「良い」大義のためには悪事を行なっても大丈夫、という考えを持つ傾向がある:過激主義者たちは故意的に嘘をついたり、事実を捻じ曲げたり、不正確的に引用したり、批判者たちを名誉毀損したりする。願う結果を得られるのなら正当化され、批判者を打倒するのが優先され、他の価値論は全てそれに従属される。韓国の反日活動例: 悪事といえば、最近の例では「対馬仏像盗難事件」がある。また、日本を侮辱するために設置された韓国の日本大使館のそばにある慰安婦像は外交の基本である「ウィーン条約」に反した行いであると水間政憲氏は指摘している。国内、日本に問わず韓国の歴史的事実の歪曲もこれに当たるだろう。まさに目的を達成するならば不正をやっても良いという考えだ。(15)過激派は感情的な反応に大きな価値を置く傾向がある:まさにプロパガンダ主義であり、教育とも意識高揚ともいわれる。結果的に彼らは大義を愛国心の御旗、正義、または被害者意識に絡める。彼らの批判者に対する活動で感情的な反応を生み出す象徴を利用し、無批判に他人の同情を得ようとする傾向があり、これを通して彼らの提示する前提と結論の検証を食い止めようと画策する。プロパガンダと教育の違いは前者は「何を考えるか」であり、後者は「どう考えるか」である。韓国の反日活動例: 「旭日旗はナチス党旗と同じ」という主張。また、欧米で「慰安婦像」を建てて「(性)奴隷」という感情的な反応を狙うプロパガンダ工作もこれに当たる。小学生時代から徹底的に叩き込まれる侮日・反日教育(歴史教育のみならず、音楽などのアーツなどにも反日思想が反映されると指摘されている)。(16)過激主義者には超自然的、神秘的、あるいは神的な理論的根拠を主張することがある:過激主義者には何らかの宗教運動、または団体に属するケースもあり、彼らの活動は天的な存在のお墨付きであると主張する者もあり、信教の自由のもとで批判から防御しようと試みる。韓国の反日活動例: 儒教は絶対神の存在を説く思想ではないが、儒教に浸っている韓国社会は中華主義の国際ヒエラルキーに浸っており、基礎的な思想から侮日の伝統を持っている。伝統的な思想が侮日・反日主義のセメントとして機能しているといえるのではないか。(17)曖昧さと不確定さへの不寛容性:過激主義者たちは不確定な世界において確定性を見出そうとする傾向があり、これが個人的、政治的に操作的な行動に動かす要素となる。韓国の反日活動例: ケースは思い浮かばないが日本人は曖昧さには比較的寛容的であるが、韓国人は断言するのが好きだという指摘がある。呉善花女史も「何事につけても、こうあるべきだ、こうあることが正しいという理念が第一になって、そこから現実の物事をみていこうとする傾向が強いということである」と述べている(『反日・愛国の由来 韓国人から見た北朝鮮』参照)。これも反日キャンペーンの凄まじさに影響を及ぼしている可能性は否定できない。(18)集団思考への傾向:過激主義者は内向きの集団思考に動く傾向があり、団結と一致を守るために事実を捻じ曲げたり、矛盾する証拠を伏せたり、共有している憶説に疑問を投げかけてしまう観察を抑えつける。これによって共有している正義の幻想や道徳の優越性、迫害などが維持されそれらの考えを挑戦する者は懐疑と敵意を持って応じられる。韓国の反日活動例: 日本の前で韓国批判をする韓国人ジャーナリストは叱責、批判され、時には売国奴として扱われる傾向がある。(19)敵意の個人的化:過激主義者は“敵”に個人的な不幸を望み、不幸が起こった際には祝う傾向にある。韓国の反日活動例: 2011年の東日本大震災の惨事に日本が見舞われたときに韓国スポーツ競技ではそれを「祝う」垂れ幕が飾られた件や2005年、韓国の仁川市の地下鉄駅で子供たちが描いた日本に不幸・災難を願うポスターが展示された件などが挙げられる。(20)「勝たなければ社会はダメだ」という思想を持つ:例で言えばもし過激主義者が選挙で落選したら不正が行なわれたと主張し、もし世論が彼らを批判をし始めると民衆は洗脳されたと主張する。政治・社会システムの善悪は自分たちへのインパクトで判断される。韓国の反日活動例: 韓国の「敗北を認めたがらない文化」の影響もあるだろう。もし第三国の政府が日韓問題をめぐり親日的な処置を執行すると証拠も無いのに「日本がロビー活動した」と噂される。韓国反日主義において自国において都合の悪い事件や状況は「日帝36年強占支配」の悪影響として主張、誇張されるケースがある。◇2014年7月23日、ソウルの日本大使館前で従軍慰安婦問題に抗議する集会の参加者(共同) いかがだろうか。もちろんこれは韓国社会における傾向、トラジェクトリーの分析であり、韓国の国民のひとりひとりがこれに当てはまるというわけではない。提示した反日の例は一握りのサンプルであるが、読者はこれらに当てはまるさらに数多くの適切なケースを思い浮かべるかもしれない。 述べるまでもなく、韓国の反日傾向は幾多もの角度から分析されている。文化的、政治的、歴史的、そして経済的な分析などがある。何百年にわたって徹底された儒教の影響がいまだに濃いのでそれに起因しているのも大きい理由だろう。しかし、結果としてウィルコックスがいう「過激主義者に見られる特徴」のほぼすべてに韓国反日主義の特徴が当てはまるというのは一体、何を物語っているのだろうか。 民族が違えば文化も違うのも当たり前だが、この現象もシンプルに「文化の違い」で済まされるものなのだろうか。朱子学という儒教思想は「過激的」な文化を生み出してしまうものなのか。問題は複雑である。 また、ウィルコックスが掲げる点の要素のすべてが韓国の反日主義に何らかの形で見つけることが出来ても、侮日・反日主義の実行者ら自らが「過激主義者」であると認識して実行しているとは考えることは殆ど無いと思う。 彼らの立場から見れば正義のために戦っているから、それが「過激」とは思いもしないだろう。韓国ではそれが当然であり、文化的に正しい行為と見られているのは幾多の研究者に指摘されてきた。しかしウィルコックスは過激主義は必然的に「主張の内容(Content)」ではなく「やりかた(Style)」であるとも述べている:「過激主義者の振る舞いは内容を超越する“やりかた”によって特徴付けられる。たとえ正しい大義であっても、激しく不寛容的で復讐的な唱道によって危うくされる可能性もある。(中略)『鼠を捕まえるために小屋を焼き払う』という古い格言がこの問題に当てはまる」(The Watchdogs: A close look at Anti-Racist “Watchdog” Groups) 自国の利権、国際的な信頼をも危うくしてまで侮日・反日を繰り返す韓国。この視点からも見れば、やはり韓国の反日主義はある意味、立派な「過激主義」であるという見方も可能なのではないのか。上記の特徴が社会内の特定の過激主義組織だけではなく、主権国家自体に当てはまるとは実に恐ろしい現象だといえるだろう。 2015年は第二次世界大戦の終焉の70年にあたる年である。また「日韓基本条約」締結の50年にあたる年でもある。第一次世界大戦勃発100年記念に踵を接する今年には世界中で多くの行事が行なわれ、書籍が出版され、ドキュメンタリー番組が制作されるだろう。この歴史的な年に当たって韓国を含む「東アジア反日3兄弟」は日本に対して心理的に露骨な宣伝工作と情報戦を繰り出す意図でいるのは明らかだ。 日本はウィルコックスの分析も参考に、歴史的事実としっかりとした論理を手に首尾一貫した戦略を練ったらどうだろう。エリ・コーヘン前駐日イスラエル大使が2014年春に助言したように、日本人は総力を挙げて戦うべきだ。 ウィルコックスは歴史家でもある哲学者アーサー・ケストラーの次のことばを引用している。「神話中毒者との対話のほとんど全ては失敗に帰する。論争は最初から客観性から離れ、主張は長所によってではなく思想体系に適するか否かで考慮される」。もしそうなら、日本は反日に染まった韓国をダイレクトに相手にするよりも、精力的に事実を世界各国に発信するという戦略をとったほうが実を結ぶことができるのかもしれない。まさに情報の総力戦だ。 いずれにせよ感情を煽り歴史を歪曲する相手の戦略に対抗し、日本の命運と未来のために立ち上がり、戦うべき年。それが2015年なのである。関連記事■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 「右翼」「排外主義」狂奔するレッテル貼り■ 反日の根底には「恨」の感情がある

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    2014年の日本経済を振り返る ~アベノミクスを取り巻く諸問題

    著者 mekuriya(東京都)  東日本大震災・福島原発事故から3年、日本経済はその打撃を克服しつつもあり、克服しつつもないかのように思える。ここで「2014年の日本経済を振り返る」 と題して、アベノミクスを取り巻く諸問題を論点整理し翌年の日本経済を展望することで、アベノミクスが2015年に解決すべき課題が見えてくるように思う。いわば日本経済の「見える化」である。僭越ながら本稿をその一助として捧げたい。諸兄の賢明な議論を誘発できたなら、本稿の役目は果たしたと考えたい。(1)上期停滞するも下期上昇基調に転じた日経平均株価日経平均資料室:日次・月次・年次データ - 日経平均プロフィルhttp://indexes.nikkei.co.jp/nkave/archives/data 1月6日(月)約239円安の15,908円で引けた日経平均株価は、昨年末の過熱感を調整し、その後もアベノミクスに対して懐疑感を示すかのように停滞を続けたが、下期に上昇基調に転じ、2014年は1万8千円台を窺う水準で終われそうである。株価自体がアベノミクスの目標にならないのは当然としても、それがアベノミクスに対する市場の評価であると受け取っても間違いではあるまい。株価上昇は、個人投資家に直接の恩恵があるばかりでなく、銀行・証券・投信・生損保・公的年金・年金基金・事業法人など株式を投資有価証券勘定に組み込む機関投資家の財務状況を改善させることで、誰にも間接的な恩恵があるものである。また「起業大国 No.1の実現」を掲げるアベノミクスに対し東証を始めとする日本取引所グループが起業教育イベント『JPX起業体験プログラム2014』を開催するなど力強くアジャストする姿勢を見せているのは心強い。2015年は、株式市場のそうした機能が改めて評価される年になるのではないか。持続的な好循環が生まれるかどうか。来年も注視すべき指標となるだろう。1万8000円台にまで回復した日経平均株価を示すボード=12月8日午前、東京都中央区(2)円安進行が止まらない為替レートUSドル/円の為替レートの推移 ? 世界経済のネタ帳http://ecodb.net/exchange/usd_jpy.html 2011年10月頃の76円/ドルを円高のピークとして揉み合い期と加速期を繰り返しながらも円安進行が2014年も一貫して継続している事実は否定しようがない。為替レートは2014年8月まで揉み合った後、一気に円安を加速させ12月は120円前後の狭いレンジで揉み合っている。為替レート変動の要因は非常に多岐に渡るものであるが、2011年10月以降の円安トレンドに原発再稼働遅れに起因する燃料費増大が大きなウエイトを占めていると考えられる。その微変動には多くの市場参加者が関わっているといえど、大きなトレンドを決するのは輸出業者・輸入業者の実需売買なのである。政府・日銀とも為替レートを直接的に操作するのは不可能であり、また政策目標にも掲げてはいない。しかし、その変動が何に起因するのか、その変動が日本経済にどんな影響を及ぼしているかが極めて重要なテーマである事に違いはない。円安はアベノミクスの功罪ではなく、円安がアベノミクスの追い風か逆風かという視点が重要だと指摘しているつもりだ。吉野家が12月9日に牛丼値上げを発表したことで消費者も円安の弊害に気づきつつあるだろうと思うが、多くの原材料を輸入に頼る日本にとって円安が福音である訳がない。オイルショック克服後の日本は長く円高基調が続いただけに円高の弊害ばかりが過度に宣伝され、消費者は円高=悪と刷り込まれてしまっていたようである。原油急落を奇貨として外為市場は踊り場局面に入ったかのように見えるが、翌年はどうなるか。論壇のその評価は錯綜しているかにも見えるが、より仔細な分析を続けなければなるまい。円安進行に関する筆者の見解は本稿末尾に補稿【「今般の円安進行は日銀の金融緩和政策に因る」は間違いだ!」】として掲載させていただく。1ドル=121円台まで下落した円相場を表示するモニター=12月5日夜、東京都港区(3)拡大一方の貿易赤字に歯止めはかかったか時事ドットコム:【図解・経済】貿易収支の推移(最新)http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_trade-balance オイルショック克服後の日本はリーマン・ショックなどの一時的影響を除いて、ほぼ一貫して貿易収支は黒字であった。ところが東日本大震災・福島原発事故を契機に一転して貿易赤字に転落し、しかも赤字額が単調に増加し続けた。これまた原発再稼働遅れに起因する燃料輸入増が大きく影響している。一方、財務省12月25日報道発表用資料・平 成2 6年1 1月分貿易統計によると前年同月比で輸出増・輸入減が示され輸出入均衡には遠く及ばないものの単調な赤字額増大には歯止めがかかったかにも見える。それが一時的なものか長期的な趨勢となるか翌年も注視せざるを得ない。経常収支は黒字だといった論調で貿易赤字を軽視している向きもあるようだが、筆者は同意できない。それは日本の貿易構造の非対称性を見落としているのではないか。筆者は貿易赤字→円安進行→(始めに戻る)のスパイラル現象の発生を強く疑っている。それについては稿を改めて詳しく論じてみたい。(4)消費税率が5%から8%に~その影響は? 4月1日から消費税率が5%から8%に増税されたことは改めて指摘するまでもなかろう。消費税増税を機に主に中小小売業者に便乗値上げの動きがあったかのように喧伝されているがそうではない。それは増税前の円安進行に起因する原材料価格高騰の消費者価格への転嫁と捉えるべきである。くだけていえば赤字に泣いていた中小業者が消費税増税を好機にようやく立ち直りのチャンスを掴んだということなのである。また増税以前の住宅・自動車に代表される高額消費財の駆け込み需要の反動で、増税後はその分個人消費が落ち込んだが、それは当然のことであって、ただちに消費税増税の悪影響とは捉えられない。いずれにせよ消費税増税の悪影響ばかりが過度に喧伝される一方で貿易赤字・円安の弊害が軽視されている現状は奇怪千万。消費税増税実施の成否に議論の余地があるといえど、視野狭窄は許されない。なお今回の増税の評価に関しては筆者はまだ時間がかかると考えている。拙速に成否を論じる意義も感じない。(5)逆オイルショック!?原油急落の影響は?「逆オイルショック」が再来?シェールオイルがもたらすエネルギー情勢の激変http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41687?page=1 2014/07頃まで2011福島原発事故を契機とした世界的な反原発感情盛り上がりの影響による需要増を主因として原油価格は100ドル/バレルを超える高値圏を推移していた。ところがここに来て(12/28現在)、WTI原油先物は55ドル/バレルまで急落(暴落というべきか)しているのである。消費者への還元が無い、または遅いといった声も聞かれるがそうではない。オイルショックを教訓とした日本は3ヶ月前後の備蓄体制を完備した上に、安定供給を重視した長期相対取引化、調達ルートの多様化などの施策を実施しているので逆オイルショックであってもその反映にはタイムラグが生じるのである。それゆえにサウジアラビア・アラブ首長国連邦などが日本の輸入相手国上位に定着している訳だ。ここでは急落の背景はあえて論じないが、必ずしも一時的要因とも言い切れないことは指摘しておく。直近に見られる貿易赤字の縮小、円安進行の停滞といった現象に原油急落が影響している可能性が大である。もしこれが一時的でないなら、翌年は原油急落の影響がより広範囲に観測されると思われる。それは日本経済にとって福音であるに違いないが、その背景も考え合わせればそうともいえまい。もし中東動乱が日本の輸入相手国にまで再燃・波及すれば日本とて無事では済まないからだ。ここでも国内問題だけに囚われず、国際情勢に広く眼を向けなければならない。12月16日に翌1月の中東歴訪を表明した安部首相もそうした問題意識をお持ちなのではなかろうか。首相、来年1月に中東歴訪へ 「地球儀俯瞰外交」再開 ? 産経ニュースhttp://www.sankei.com/politics/news/141216/plt1412160058-n1.html(6)完全失業率・有効求人倍率の改善と裏腹に低下する実質賃金時事ドットコム:【図解・経済】最近の完全失業率と有効求人倍率http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_jobless-rate「実質賃金」が16カ月連続で減少、前年比2.8%減 - 10月 | マイナビニュースhttp://news.mynavi.jp/news/2014/12/02/179/ 「良いニュースと悪いニュースがあります」といったジョークを連想する。労働市場の需給は概ね改善傾向と捉えられるのに対し、名目賃金はわずかに上昇しつつも実質賃金は下落しているというのである。この現象をどう理解すべきか。筆者はただちに説明する準備はないが、労使間になんらかのミスマッチが生じていると考える。例えば使が求める技能と労が提供できる技能が合っていないといったことである。バスケットボールに例えれば、コーチはセンターが欲しいのに入部希望者はガードばかりといった話だ。政労使それぞれにミスマッチを解消する努力が求められているように思われる。時が解決する問題ではあるまい。有識者による詳細な分析が待たれる。アベノミクスの本格浮揚を妨げる問題となりかねないからだ。(7)期待はずれのGDP成長率2014(平成26)年7-9月期・2次速報(2014(平成26)年12月8日公表) http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/gaiyou/pdf/main_1.pdf 内閣府が12月8日に公表した四半期別GDP速報(2014(平成26)年7-9月期・2次速報)は、我々を失望させる数値であった。いや11月17日の1次速報でもそうであった。特に目立つのが民間住宅の落ち込みである。これが消費税増税に前後する需要先食いの反動現象で説明できるのかどうか直ちに判断することはできない。また民間在庫品増加も大きなマイナス値を示している。これは消費税増税前の駆け込み需要効果を本格的景気回復と見誤った生産者の判断ミスによる過剰生産として説明可能とも思えるが、これも直ちにそうだと断言する準備がない。アベノミクスの観光立国政策による訪日外客が余剰在庫を購入してくれれば話は旨すぎるが、なんともいえない。いずれにせよ期待はずれのGDP成長率を消費税増税の失敗に結びつける議論は余りにも短絡的であり、為にする為の議論に思えてならない。たかが3%の増税率よりも、はるかに大きなレンジで動いている為替レートの存在を見落としてはならない。化石資源・鉱物資源・食料品といった国内産品で代替不可能な必須原材料を海外からの輸入に頼る日本経済の根本的構造をいまさら指摘しなければならないのだろうか。逆に言えばアベノミクスがフォーカスすべき課題は、日本の貿易構造の構造改革ではあるまいか。国内産品で代替不可能とは書いたが、本当にそうだろうか。所与の条件と決めつけず、大胆にメスを入れる取組が必要であることをGDP成長率が示唆しているのではなかろうか。なんにせよ、それみたことかと囃し立てるだけなら猿にでもできることだ。また多くのエコノミストが、このGDP成長率を予想も説明もできなかったことは付記せざるを得ない。もっとも人様を論うつもりは全くない。それだけ日本経済は複雑怪奇で難解だと改めて認識する他ないというまでだ。2014年7~9月期の国内総生産(GDP)速報値の発表を受けて記者会見する甘利明経済再生担当相。消費増税について「再増税によって景気が失速し、デフレに戻ってはいけない」と述べ、慎重な姿勢を示した=2014年11月17日(蔵賢斗撮影)(8)消費税増税先送りとアベノミクス解散 ここでの消費税増税先送りとは、11月17日のGDP1次速報を受けた安部首相の消費税率10%への引き上げを18カ月延期するという判断のことである。消費税増税先送りに関しては、先立って賛成論・反対論の論議が喧しいものがあったが、ここでは委細に触れない。また本稿ではその是非を論じるつもりもない。とにもかくにも、かくして安部首相は国民の信を問うべく衆議院解散に及んだ。安部首相の真意を詮索する向きもあろうが、本稿ではそれに与する意義を認めない。ここで指摘しておきたいのは、アベノミクスに対峙すべき野党が日本経済に対する問題意識を何ら示すことができなかったということだけだ。対案を提出するどころか、アベノミクスに瑣末な批判を加えるだけで精一杯ではなかったか。打ち出の小槌じゃあるまいし、経済政策というものは「一振りすれば、ほらご覧のとおり」とは参らぬ。また選挙対策で取ってつけたような思いつきで国民に迎合すべきものでもない。解散になってから慌てふためくとは余りにも情けなさすぎる。少々筆が過ぎただろうか。(9)第47回衆院選と第3次安倍内閣発足~有権者はどう審判したのか【安倍首相会見(上)】「この道をぶれることなく進む」(1/3ページ) - 産経ニュースhttp://www.sankei.com/politics/news/141215/plt1412150228-n1.html かくして第47回衆議院議員総選挙は、大きな変動もなく自民党公明党連立政権が引き続き政権運営を担う結果を導いた。庶民には恩恵が無いという不満感を否定できないまでも、そうはいっても安倍政権に託すしかあるまいといったところが国民の総意ではなかっただろうか。その低投票率は、選挙戦の有り様が有権者の期待に応えられなかったという事実を意味しているようにも感じられる。しかしそれは「国民が主体者意識を持つ契機になれば良いが」と密かに考えていた筆者の期待が失望に終わったことも意味する。国民の意識革命なくしてアベノミクスの成功は覚束ないと考えるからである。ともあれ今回の選挙結果は、ごく一部の近隣諸国を例外として海外からは日本の有権者は判断を誤らなかったと一定の評価を得たもののように思える。とはいえ、やはり第三次安倍内閣が乗り出す海は決して平穏な内海ではない。ともあれ安部首相が決意を新たに経済政策のかじ取りに意欲と自信を示してくれたのは喜ばしい。(10)2015年度予算編成本格化第3次安倍内閣発足 2015年度予算編成本格化 医療・介護の歳出抑制は必至 | 国内ニュース | ニュース | ミクスOnlinehttps://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/50976/Default.aspx 選挙を挟んだ関係で、例年なら年内に目処がつく翌年度の予算編成作業が越年することとなった。本稿では日本地下鉄協会が掲載した記事を示すに留める。平成27年度予算編成の基本方針(案)http://www.jametro.or.jp/upload/country/pxyUaBIlZcQD.pdf補稿「今般の円安進行は日銀の金融緩和政策に因る」は間違いだ!企業や家計にとって朗報の原油安を円安で打ち消す日銀の愚策|野口悠紀雄 緊急連載・アベノミクス最後の博打|ダイヤモンド・オンラインhttp://diamond.jp/articles/-/64286  これなどは、その主張自体は健全に見えるが隠された前提に間違いがある、演繹における非形式的誤謬の典型である。隠された前提が「今般の円安進行は日銀の金融緩和政策に因る」である。野口氏に限らず、今般の円安進行が日銀の金融緩和政策に因るものと思い込んでいる論者が少なくないようである。 アベノミクスはデフレ基調脱却を課題の一つに掲げ、日銀はアベノミクスに協力的姿勢を取っている。この基本認識に輸入デフレ論(安価な輸入品によってデフレが起こる)を組み合わせれば、「輸入インフレによってデフレ基調脱却は可能なので日銀は円安誘導を図っている」といった命題を抽出可能なように思える。また安倍政権も当初は円安の進行を歓迎すべき事態だと認識していた節があり、それが間違った命題を図らずも裏打ちしてしまったといえる。 しかし日銀は輸入デフレ論に与する認識はなんら示していないのである。2%の「物価安定の目標」と「量的・質的金融緩和」 :日本銀行 Bank of Japanhttp://www.boj.or.jp/mopo/outline/qqe.htm/ 日銀は円高にするとも円安にするとも言明したことはないし、金融緩和政策によって円安になるとも円安にするとも宣言したこともない。日銀が言明しているのは、2%の物価安定目標を達成する為の手段として金融緩和政策を実施するということだけである。 では今般の円安進行は何に起因するのか。それは外為市場における実需円買い・実需円売りのバランスが実需円売り優勢(一方的な実需売り増大基調)に変わったことに起因するのである。日銀の金融緩和政策が間接的に為替レートの短期的微変動に関わっていないとまではいえないが、だからといって日銀によって円安が進行したとは到底評することはできない。 特集 貿易赤字が拡大中!!! その原因と影響は?? | 三井住友信託銀行株式会社http://www.smtb.jp/personal/saving/foreign/feature/201403.html 銀行さんだけに外貨預金がオススメという話に展開されているが、グラフで示されているように、東日本大震災・福島原発事故を契機に’11年下期辺りから輸出金額が伸び悩む反面、輸入金額が単調増加基調にあり、それゆえ貿易赤字も単調に増大し続けているのが現実なのだ。USドル/円の為替レートの推移 ? 世界経済のネタ帳http://ecodb.net/exchange/usd_jpy.html第3次安倍内閣が発足。記念撮影に臨む安倍晋三首相(前列中央)ら=12月24日夜、首相官邸 2012年10月頃から明白に円安が進行している。一般に輸出企業は、ドル建ての輸出商品販売代金から円建ての費用原資を捻出しなければならないので、ドル売り円買いの経済主体となり、すなわち円高圧力要因となる。逆に輸入企業は、円建ての商品販売代金からドル建ての輸入原材料代金を捻出しなければならないので、円売りドル買いの経済主体となり、すなわち円安圧力要因となるのだ。  なお財務省貿易統計が物流基準で税関が計上するものであるのに対し、為替レートは資金の流れに基づく外為取引の結果変動する値であり、さらに一般に貿易会社は為替リスクをヘッジする為に為替予約といった取引や通貨オプション・通貨スワップといったデリバティブ取引を絡ませることがほとんどで、貿易収支の動きと為替レートの動きには当然にしてタイムラグが生じることは理解されたい。 ちなみに輸出企業の代表格がトヨタ自動車で、輸入企業の代表格が東京電力である。輸出企業と輸入企業は為替レートに関しては利害が反対で、輸出企業が円高局面で悲鳴をあげる一方で円安局面では沈黙を守り、輸入企業が円高局面で沈黙を守り円安局面では悲鳴をあげるという具合に、その言動も正反対の関係にある。 以上、論じたように「今般の円安進行は日銀の金融緩和政策に因る」という命題は誤りであり、誤った命題から議論を発展させても誤った結論にしかならない。

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    朝日は「左派メディア」として有志で再出発すべきである

    著者 Dean 先日行われた朝日新聞・渡辺社長の会見は読むに堪えない内容だった。あくまで“今後も”朝日新聞が存続するという前提での会見であり、第三者委員会の結論として「廃刊すべき」ということにはならないとみなしてのものだ。それは本来、検証される側の態度としておかしい。下駄を預けた筈であるので、その結論が出てから言及すべきところだ。 現在はどうかは知らないが、かつては「朝日新聞の『天声人語』を読まなければ大学入試に合格できない」といったことが平然と言われていた。大学入試の国語問題に天声人語が使われていたことも事実だ。 また、90年代当時大学生だった私は歴史研究サークルに入部希望した際に「従軍慰安婦についてどう思うか?」と尋ねられ、「本当にそんなことがあったかどうか疑わしい」と答えたところ入部を拒否された。今となってはそのような左翼系サークルに在籍せずに良かったと思うが、朝日新聞の報道はそうしたごく身近なところにまで影響を及ぼしていたのだ。 韓国に与えた影響も大きい。反日を掲げる彼らは雪だるま式に従軍慰安婦問題を誇張して、ありもしない幻想を信じているが、その発端となったのは明らかに朝日新聞の報道だ。 日本の反保守を掲げるNew York Timesも「朝日新聞は不当なバッシングを受けている」などと見当違いも甚だしいことを述べているが、もし仮に従軍慰安婦の強制連行などという戦争犯罪が事実なら、それを追求しなかった連合国側にも重大な問題があるわけで、NYTの主張も結果的には「戦争犯罪を告発せず、その証拠を見つけられなかったアメリカ軍が無能」と言っているのも同じ事である。そのように指摘したならば記事を書いたNYTの記者も相当慌てることだろう。 そもそも従軍慰安婦を誰がどのように強制連行したりしたのだろう?我々の父親・祖父・曾祖父の誰かが「犯人」ということになる。具体的な人名、連隊名まで朝日新聞は追求しなかった。さもあろう。実際にそんなことが行われておらず、当時の公娼制度に則って慰安婦はいて慰安所はあったが、それは新聞などで公然と募集され高級で待遇されていたのだから。 大体、当時の朝鮮半島は日本の統治下で、金日成の率いた反日活動家はともかくとして、ほとんどの朝鮮人民は日本側で戦争に参加しており、当時の朝鮮人は大日本帝国民であったわけだ。すると、帝国軍は「自国民」の婦女子を慰安婦として強制連行したことになる。 当時、大日本帝国軍には多くの朝鮮人士官もいた。韓国初代大統領で朴槿惠現大統領の父、朴正煕も日本軍士官だった。朝鮮人女性のみを性奴隷として徴用したら彼らの反発を招かなかっただろうか? 朝鮮半島統治に深刻な害をもたらすそのようなことを政府が許したろうか? 答えは「否」だ。だから、どこをどう探したところで強制連行を裏付ける証拠は出てくるわけがない。 むしろ逆説的に人身売買、売春目的で女性を騙したり掠ったりする斡旋業者が日本国内でも朝鮮半島でも官憲に摘発されたという報道は当時の新聞記事に書いてある通りだ。勿論彼らは日本軍ではないし、軍の関与を裏付ける証拠もない。また当時の新聞にも「恥ずべき事」と書いてある。残念ながら当時の朝日新聞を確認していないが、当時の朝日新聞でも「恥ずべき事」との報道をしたであろう。当時の朝日新聞が強制連行の事実を軍からの検閲により報道規制されていたのなら、戦後すぐに事実を公表することも出来たし、吉田証言などという人づての話を根拠にせずとも良かった筈だ。そこに大きな矛盾がある。 すなわち、朝日新聞が慰安婦報道をするまでに30年かかっていることだ。なぜ、当事者が存命していた当時に告発しなかったのだ?それを妨げるものがなんだったというのか?もし仮に朝日新聞が告発していたような人権蹂躙をした人間がいたとしたら、生きているうちに捕まえて裁けば良いだけのことだったのだ。ホロコーストに関与して戦争犯罪人となったナチスの将兵たちと同様に当事者が当事者として裁かれてさえいれば、国民の連帯責任というような事態にはならなかった筈だ。 それに事は人の命にも間違いなく関わっている。戦時中の日本軍の蛮行や虐殺行為を歴史教育を通じて信じ込まされた世代には「こんな国に生まれなければ良かった」と本気で思った人もいた筈だ。私自身、「生まれながらに敗戦国民」であるという事実に悩んだし、そういう日本人としてどう振る舞うかに悩んだ。中には自身のままならない境遇と合わせて自死した人もいるだろうかと思う。事はそれほどまでに大きく深刻だ。 今、様々な点で世界から日本が見直されて魅力ある国として評価されていることを嬉しく思うのも、そうした屈辱感や絶望感が少しでも癒やされたと感じるからだ。 同じく吉田なのでややこしいが、吉田調書問題についてもどこをどう読めばああした記事が書けるのか疑問でならない。悪意を持たない人間ならば、たとえ小学生でももっと納得の行く記事が書ける。つまり、そこに「悪意」があって悪意に基づいて都合良く記事を書いたとしか思えない。 朝日新聞の見解通りに記者の国語力に問題があったというなら、その程度の読解力しかない記者が入社試験をパスし、天下の朝日新聞の記者として我々一般人が立ち入ることが出来ない場所まで記者章をつけて「取材」出来ることが心底恐怖に思われてならない。 今回の誤報問題は朝日新聞の一企業としての在り方そのものに問題があるものだ。そもそも大本営発表を垂れ流しにした反省から現在のように体制に批判的な左翼メディアになったので、今後今回の誤報問題の反省から体制に迎合的なメディアになったらなったで我々は困る。 一度廃刊して、新しい社名で出直すべきではないのか。当然ながら、現在の読者に対しては違約金を支払う必要があるし、法的措置を受けてからのことになる。 左派メディアは左派メディアとして必要だ。体制に批判的な意見は必要だ。今の日本人はそうしたバランス感覚に長けている。だから、先の総選挙でも日本共産党が躍進した。自民党に対して常に対論を用意する政党の必要性を国民が肌で感じているからこそ、あの党は存在するし支持もされる。 大政党による安定政権は国民の希求だが、一党独裁の弊害は中国を見るまでもなく、55年体制後の自民党が辿った腐敗、派閥、金権政治を我々は散々目にしてきた。そして嫌悪している。だからどこの政党だろうが一党独裁は許さない。それが日本人の多くが抱く本音だと思う。 特定秘密保護法案も出来ることなら、「わけのわからない批判議論」にして欲しくなかった。日本の国益を損なう情報を漏洩する公務員を裁くための法律なのに、「報道の自由が損なわれる」とかいうのは明らかにおかしい。新聞記者は公務員ではないし、国民の知る権利を保障した憲法に明らかに違反する。違憲の法律なら違憲立法審査にかけられる筈だが、そんな話にはなっていない。朝日の主張は明らかに正常な議論を妨害してしまった。もし抜け道があったとしたらそれは特秘法反対の論陣を張った側にある。 体制に批判的なのは結構だが、反日的では困る。それが海外メディアなら仕方の無いことだ。だが、日本のメディアとして反日的態度をとるということは、読者も含めた日本人全員に対して敵対的ということになる。一連の誤報騒ぎは「そこ」に…つまり、朝日新聞の持つ反日的姿勢に問題の核心があるように思えてならない。 だから、朝日新聞を愛読し、支持する読者さえも裏切れたのではないのか。根拠の曖昧な記事を掲載し、誤報の事実を認めようとせず、挙げ句に問題がのっぴきならない段階に入ってから社長の首切りで事を収めようとする。朝日新聞のしたことは我々日本人全員を戦争犯罪人とその協力者に仕立て上げた。その罪は法廷で争うとして、こうしたことが起きた以上は廃刊はやむを得ない。 有志で新しい新聞社を作り、左派メディアとして再出発することが正しい道だと思われてならない。それはインターネットが普及した今日、スポンサーに都合が悪いことが書けず、特定の団体からの圧力に弱く、公務員の不祥事は書き立てるのに自社職員の不祥事は書かず、「報道しない自由」などというものを平然と掲げるマスメディアがその必要性や意義、報道姿勢を問われている今だからこそ必要な措置だと思う。 朝日だからではなく、読売・毎日・産経・日経でも同じ事が起きたら同じような処分にすべきだと思う。サンゴ問題でも椿問題でも尻尾切りで逃げてきた朝日だが、今度ばかりは許されることではない。

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    問われるべきは「信念外交」の成果

    Mich Maruyama(新潟県) 14日の投票日に向け、衆院選各候補の選挙活動は活発化している。 安倍首相は主に消費増税延期の判断、そしてアベノミクスについて国民の信を問いたいとして衆院を解散したが、安倍内閣によって劇的に変化した外交政策も有権者の評価の対象とされるべきだろう。 これまでの外交では、中国、韓国などが日本の政治家の言動、政策等に不満を抱き、首脳会談が開かれない状態に陥ると、特定の政治家、メディアなどが騒ぎ立て、首相の責任を追及するのがお決まりのパターンだった。それに抗しきれず、首相も相手国に言われるがまま土下座外交を繰り返すのが日本外交の歴史だったと言えよう。 しかし安倍首相は、外交においては「友好は手段であり、目的ではない」という持論のもと、首脳会談開催に際して条件を付ける中国、韓国の主張を受け入れず、一方で「対話のドアは常に開かれている」とし、日本は対話に前向きだが、相手国が頑ななのだ、という点を世界に発信してきた。 中国は日中首脳会談開催の条件として、尖閣諸島の領有権を巡る論争が存在すること、靖国神社には参拝しないと公の場で発表することを求めていた。しかし安倍首相は譲らず、逆に中国側は、APECで首相が中国を訪れるにも関わらず、首脳会談を拒み続ければ、中国は国際社会から「失礼な国」と見られることを恐れ、結果として、11月10日、日中首脳会談開催へと至った。中国メディアは、安倍首相からの再三の会談要請を中国側が「聞いてやった」と報じたが、中国が事実上、日本側に突き付けていた条件を取り下げ、首脳会談に応じたのは紛れもない事実だと言える。 ここで重要なことは、第一に、第2次安倍内閣成立以降、上述の首脳会談が開催されるまで約2年間、首脳同士の交流がなかったことで何か不都合があったのか、ということだ。これは対韓国に関しても同様だが、首脳会談が開催されなくても全く問題は生じなかった。 第二に、中韓がいくら日本を非難しようとも、日本が筋の通った対応さえしていれば、理不尽な主張は国際社会では理解されず、逆に国際世論から非難の対象となり得ることも明らかになりつつある。こうした点を浮き彫りにした安倍外交。有権者はこの点も衆院選における評価の対象に加えるべきだろう。 このような安倍首相による「信念外交」と対極にあるのが、尖閣諸島中国漁船衝突事件の際、司法への介入まで行って中国に迎合した、当時の菅首相、仙谷官房長官らによる「売国外交」だろう。そうした愚かな行為は、結局、国益に何ら寄与することなく、むしろ特アを増長させる結果を招いたことは明白だろう。 民主党がいかなる主張を行おうとも、このような政党に国家の安全保障を託せるはずがないということは自明であり、もしこうした勢力に再度この国の舵取りを任せたならば、間違いなく日本国崩壊へと導かれることになるだろう。 民主党はそうした事実には頬かむりをして安倍内閣を攻撃し、あるいは甘言を弄して国民を取り込もうとしているが、主に自身の現状への不満などから、残念ながら一定数はそれを支持するナイーブな有権者がいることも事実だろう。 民主党、あるいはそれに類する左翼政党が政権与党になったとしても、彼らが語るようなバラ色の未来が訪れることは決してない。万一ある個人の生活が多少改善されることがあったとしても、国が外国勢力によって支配され、主権国家足り得ないのであれば、純粋な日本国民が幸せになることはあり得ない。 よく「外交は票にならない」と言われるが、魑魅魍魎が跋扈する国政政治の中で、日本の確固たる地位を維持・拡大していくことこそが、真の意味で日本人の幸福に繋がるものと考える。そういう意味で、有権者は地元の、あるいは目先の利益のみを考えるのではなく(もちろんそれも重要ではあるが)、国益に資する外交を行うことができるのはどの政党、政治家なのかを見極める必要があるだろう。我々の一時の判断が、将来を生きる子供たち、そしてこの国の将来を左右するのだということを忘れてはならない。

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    太政官指令「竹島外一島」の解釈手順

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)はじめに 我が国と韓国との間の竹島領有権論争において語られる争点の一つとして「太政官指令」と言われるものがある。明治10年(1877年)3月に明治政府の最高国権機関である太政官を代表する右大臣岩倉具視が、内務省(内務卿大久保利通の代理として内務少輔前島密)からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文がそれである。 この指令は、現在、韓国と日本の多くの学者・研究者によって、明治10年の時点で日本の政府が今の竹島を「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈されており、それはほとんど「定説」となっていると言うような状況にある。 本稿では、しかしながらその解釈は全く根拠のないものであり未だ証明されていないものであることを指摘することにより、太政官指令をめぐる論争に一石を投じて見たい。太政官指令が発された経緯  竹島領有権論争におけるこの太政官指令の問題は、先般出版された島根県竹島問題研究会編の『竹島問題100問100答』において問題の難易度三段階区分の「難易度3」に分類されていることからも分かるように、いささか難解である。おそらくこの問題の経緯や関係資料を詳しく知っているという人はそれほど多くはないであろう。しかし、指令の正しい解明に向かうためには太政官指令が発された経緯やその関係資料を一通りは見ておく必要があるので、なるべく簡単に説明したいとは思うが、しばらくお付き合いを願いたい。 明治新政府が発足して全国的な地籍調査が行われることになったが、その過程で、明治9年(1876年)10月、島根県が「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と題する伺文書を内務省に提出した。その内容は、隠岐の彼方にある「竹島外一島」を島根県の地籍に入れたいと考えるがそれでよろしいか、というものだった。 島根県の伺文書には、その「竹島外一島」を図示する絵図面である「磯竹島略図」と「竹島外一島」の様子や来歴を説明する「原由の大略」という説明文書が添付されていた。これらを見れば、島根県の伺文書の題名では「竹島外一島」という表現が用いられているが、それは「竹島」(磯竹島ともいう)と「松島」という二つの島を指すものであることが分かり、また、ここが一つのポイントになるのだが、その「竹島」というのは韓国の鬱陵島であり「松島」というのは現在日韓間で紛争が生じている竹島であるということは、見る者が見れば一目瞭然である。 島根県の隠岐と朝鮮半島の間の日本海中には韓国の鬱陵島と現在日韓間で紛争が生じている竹島の二つの島があるが、かつて江戸時代の日本では鬱陵島は大きな竹が多数植生しているところから「竹島」と呼ばれ、今の竹島はおそらく「竹島」と対をなすというような意味合いからか「松島」と呼ばれていた。島根県が提出した資料は江戸時代の商人が鬱陵島に実際に往来していたときの記録に基づくもので、島の形その他の書きぶりがかなり正確であるために、現代において竹島問題を研究する者はそこに書かれた二つの島が現実のどの島であるかを間違うことはまずないと言える。 島根県はそういう書類を内務省に提出した。そして、内務省はそれら書類を見た上で独自調査(古記録の調査)も行い、「竹島」という島は、かつて元禄時代に日本(徳川幕府)と朝鮮との間で領土争いが生じたが最終的に徳川幕府がそれは朝鮮のものだということを承認した鬱陵島であるという事実を確認した。「元禄竹島一件」と言われる事件のことである。 その結果、内務省は、徳川幕府の決定は維持するべきであり島根県が質問して来た「竹島外一島」(竹島と松島)は日本の版図外として扱うことを変更する必要はないであろうとの判断を固めたが、ただし、ことは領土問題なので内務省限りで判断するのもどうかとの考えから、そういう方針で良いかどうか上部機関である太政官の判断を仰いだ。その際には島根県が提出して来た伺文書(「磯竹島略図」や「原由の大略」が含まれる)と内務省の独自調査の結果を併せて太政官に提出した。その結果として出された太政官からの回答が冒頭の指令文である。太政官指令の解釈をめぐる状況 そういう経緯のもとに発出された指令であるから、日本と韓国との間で竹島領有権論争が進行中の現在、多くの学者・研究者から、太政官は島根県が図示して来た「竹島」と「松島」すなわち鬱陵島と今の竹島を「本邦関係無し」(=朝鮮のもの)と指示したのだとする解釈が強く主張されていて、それは圧倒的な多数説を形成している。この解釈は、ふつうに考えて竹島領有権論争において「韓国有利、日本不利」の材料となるから韓国人の学者・研究者で太政官指令について言及する者はほとんど全員がこの解釈である(韓国政府も同じ)のは当然のことかも知れないが、日本人の学者・研究者の間でもこの解釈が多数派である。日本においては、これに対して、そうではない可能性を指摘する研究者も存在するが、全くの少数派である。 そういう現状は、単に竹島領有権論争の争点の一つについての議論の優劣というレベルを越えて、次の二つの点で現在の日本政府の竹島領有権主張の根幹に大きな疑問を投げかける結果となっている。一つは、日本政府は明治38年(1905年)に竹島を公式に領土に編入したのだが、そのときの閣議決定では竹島は「無主地」(どこの国の領土でもない土地)であると前提されているけれども、その28年前に日本政府は竹島を朝鮮の領土であると公式に認定していたのだから、1905年の竹島領土編入は朝鮮領土であることを知りつつ決定した不当なものであったということになる。もう一つは、現在の日本政府は竹島を日本の「固有の領土」と主張しているが、政府がかつて朝鮮領であることを認定していたものを日本の「固有の領土」と主張することは自己矛盾も甚だしいということになる。この二点はいずれも、竹島(韓国では「独島」と呼ばれる。以後、韓国側の主張について述べるときは「独島」ということがある。)の領有権について絶対の自信を持っている韓国の学者・研究者、さらには報道機関においても、日本政府の竹島領有権主張を非難するための格好の材料となっている。 しかも、現在の日本政府の竹島問題の担当部署である外務省が日本に不利のように見えるこの「太政官指令」問題について沈黙している(かつて韓国の新聞社が太政官指令についての見解を外務省に問い、内容調査中であり現時点では回答できない旨の回答を得たことがあるという。また、外務省の竹島問題広報資料にはこの問題が一切触れられていないことが韓国側の研究者などからしばしば指摘される)ことが、韓国側の独島領有権主張に一層の自信を与えているようである。韓国においてこの「太政官指令」問題が広く知られているとまで言えるかどうかは分からないが、近年、報道などで取り上げられることは多くなっていて、太政官指令の存在を知る者たちはまず例外なく「太政官指令によって日本政府の主張が虚偽であることが明らかとなった」と見ていて、太政官指令は竹島領有権論争で日本政府を打ち負かすことのできる決定的な資料であると考えているようである。 一例として、これは先般韓国の一地方紙(ネット版)に掲載されたものであるが、ある大学教授が次のように述べているのを見れば、彼らの自信のほどが窺える。 大統領は1877年に日本政府が発表した「太政官文書」を持って独島を訪問して、世界の言論の前で「日本政府自らが独島は日本領土でない」とした太政官文書を公布することだ。日本政府は韓国大統領の独島訪問に対して強力に抗議するだろうが、大韓民国の大統領が自国領土としての最も強力な証拠を持って自国領土を訪問するのなら、世界の言論の前で日本の抗議はすぐに影が薄くなってしまうだろう。「太政官文書」は近代国民国家に成長した日本政府が国際法に基づいて自ら「独島は日本領土ではない」と領有権を否認した文書だ。 (下線は引用者=筆者が付した。相手国の内部文書を「自国領土としての最も強力な証拠」とする考え方が面白かったからであるが、ともかくも彼らはそういうふうに考えている。)実は根拠のない解釈 上記のような状況にある太政官指令問題だが、一般に流布している多数派的解釈―太政官は竹島=鬱陵島と松島=今日の竹島を日本と関係無しと指令したとする解釈―には実は全く根拠がないと言えば読者はにわかに信じられないと思われるだろうが、太政官指令の解釈にはいくつかの問題が存在していて、多数説が言うほど単純に結論を言うことはできないのである。 その事情を順に述べていくこととするが、まずは、多数派的解釈の理由ないし根拠を確認しておこう。二つの例を挙げる。 太政官決定に言う「竹島」と「外一島」がどの島を指し示しているかは、付属文書の中で明らかにされている。「磯竹島 一ニ竹島ト称ス……次ニ一島アリ松島ト呼フ………」(乙第二十八号) 当時、日本では、現在の欝陵島は付属文書が記すごとく「磯竹島」あるいは「竹島」と呼ばれ、現在の竹島(独島)は「松島」と呼ばれた。これら二島が、現在の欝陵島及び現在の竹島(独島)を指していることは「磯竹島略図」によって決定的に確証される。 しかるに、この決定の言う「竹島外一島」がはたして鬱陵島と竹島のことか否か確認が必要であるが、「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と名付けられたこの資料の末尾に略図が添付されており、そこでは隠岐の島からの方角と距離の書き込みとともに二つの島が描かれており、鬱陵島と竹島であることが明確に示されている。 (下線はいずれも引用者=筆者による) この二つの例に共通すること、それは、「島根県が提出した資料に書かれていること」が太政官の判断の証明になるという考え方だ。 (1)太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは別のもの 上記のように、端的に言えば「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実が多数説の理由ないし根拠なのである。上の二つの例だけではない。他の学者・研究者の説明も筆者が見た限り全てこれと同趣旨である。ここで太政官指令の解釈において存在する問題の一つ目を指摘したいのだが、それは、「太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは全く別のものである」というごく当たり前の事実だ。 太政官指令の解釈において問題とされているのは、太政官(及び内務省。以下同趣旨。)は「どの島とどの島を想定して」本邦とは関係無しと判断したのかということだ。つまり、太政官の認識(あるいは判断、思考、主観というような言い方もできる)を明らかにすることが課題なのである。そのときに、内務省あるいは太政官が作成したものであればともかく、太政官とも内務省とも全く別の機関である島根県が作成して提出した資料に書かれていることが果たして太政官の判断の証明となり得るものなのか。答えは否である。太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは互いに別のものなのだから、島根県が提出した磯竹島略図に客観的に見て正しい事実が描かれているとしても、それは太政官の判断の基礎となった前提情報に過ぎないのであって、それを説明したことで直ちに太政官の判断を説明したことにはならない。太政官がその磯竹島略図を見てどういう判断をしたのか―磯竹島略図に描かれているとおりの正確な判断をしたのかどうか―の説明が必要なのである。ところが、上記の主張の事例に見るように、多数派の人々は一切そういう説明はしない。ただ磯竹島略図に鬱陵島と今の竹島が描かれているという事実を強調するだけなのである。彼らの論理では判断の材料(磯竹島略図)と判断結果(太政官指令)との間は断絶しているのだが、彼らはそれが断絶していることに気づかないまま結論だけを主張している。太政官指令の解釈を示したいならば太政官の判断(思考)に言及することは必須なのにも拘わらず、である。 (2)磯竹島略図に何が描かれているかは誰にでも分かることではない 上の(1)の指摘を読んで、読者はどう思われただろうか。「そんなところをつっついても、結局は太政官は磯竹島略図に描いてあるとおりに判断したのではないのか、筆者は多数説の形式的な説明不足を無意味に指摘しているだけではないか」と思われただろうか。もしそう思われたとしたら、それは多数説と同じ誤りに陥っていることになる。 多数説が「論理の断絶」などということに全く無頓着なのには相応の理由がある。それは「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という客観的事実は「誰が見ても明らかだ」と思っているからなのだ。次の文章は、ある韓国人学者のものである。 「指令文に添付された「磯竹島略図」を見ても「竹島外一島」が現在の欝陵島と独島であることは一目瞭然で誰にでも分かる。」 この例だけでなく、先に挙げた二つの例でも「誰にでも分かる」という考えが前提として存在していることは感じ取れるだろうし、その他の多数派の説明も「誰にでも分かる」という前提に立つものばかりである。 「誰にでも分かる」と思っているので「当然、明治9年の内務省も分かった、太政官も分かった、そのことに議論の余地はない。」ということになる。したがって、太政官はどう判断したのかなどということをことさらに取り上げて説明する必要性を全く感じないのだ。だが、ここで太政官指令の解釈において存在する問題の二つ目を指摘したいのだが、「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実は、実は「誰にでも分かる」ことではない。 この文を読んでいただいている読者の中にもいらっしゃるかも知れないが、世の中には鬱陵島も竹島もあのあたり一帯の地理も知らないという人は多いことだろう。そういう人たちが磯竹島略図を初めて見たときに「なるほど、ここには鬱陵島と今の竹島が描いてあるな」という判断が下せるものだろうか。そんなことはできない。磯竹島略図を初めて見てそこに描かれているのは鬱陵島と今の竹島であると分かるのは、それが分かるだけの基礎知識を有している者に限られる。朝鮮半島と隠岐の間の日本海には鬱陵島と竹島の二つの島がある(その二つの島しかない)という事実、その二つの島のおよその位置や大きさ、大体の形、そしてかつては鬱陵島は竹島と呼ばれ竹島は松島と呼ばれていたという歴史的事実など、鬱陵島と竹島に関するある程度の知識をあらかじめ有していればこそ、それらの知識と磯竹島略図や原由の大略に書かれた内容とを照合して正しく判断することができるわけだ。そういう知識が何もなければ磯竹島略図に描かれている「竹島」と「松島」が現実のどの島であるかを判断することなどできない。「そうか、こんなところにこんな形の竹島という島と松島という島があるのか」と思うだけだろう。 つまり、世の人は磯竹島略図を見た場合にそれが何を表しているか分かる者と分からない者に二分されるということになる。そうであるならば、明治9年に島根県からの質問を受け取った内務省の官僚たちは、そしてさらにその内務省から説明を受けたであろう太政官の官僚たちは、いったいどちらに属する者であったのかが問われなければならないことになる。それを検証しなければ、内務省や太政官が磯竹島略図を正確に理解したかどうかは言えないのである。しかし、多数派の人々はそんな説明は何もしない。ただ磯竹島略図に鬱陵島と今の竹島が描いてあるからそれで太政官の判断が分かるというだけである。いかにずさんな考え方かお分かりいただけるだろうか。 もっとも、磯竹島略図を正確に理解するには、そのための基礎知識を有していることが絶対の条件だというわけでもない。基礎知識を有していないから見た時点では分からなくとも、何か他の資料を調べてそれと突き合わせた結果、そこに描かれているのは鬱陵島と今の竹島に当たる島だと分かるということでも別に差し支えは無い。要は判断を下す時点で必要な知識があれば良いわけだ。ではそういう「他の資料」としては何が考えられるか。それはほぼ一種類に限られるだろう。地図である。 現代でも、磯竹島略図を初めて見てそこに描かれている竹島と松島がどういうものか分からない人がそれを確かめようとするならば、そのときに取る行動は「地図を見る」ということに尽きるだろう。137年前もそれは同じだったはずだ。 つまり、多数説のようなことを主張したいのであれば、指令に関与した者たちが鬱陵島と今の竹島に当たる島について既に必要な知識を持っていたことを証明するか、それができないならば、当時において正しい判断を下すための参考として使用可能なこれこれの資料があった、内務省や太政官はその資料を参照して正しく判断した、というような説明をしてそれを証明すべきだということになる。しかし多数説の人々はそのようなことはしない。何も証明せずに結論だけを主張するのである。それもやはり磯竹島略図に何が描かれているかは「誰が見ても明らかだ」という思い込みがあるからなのだろう。 (3)当時の地図は間違っていた 上の(2)の指摘を読んで、今度は読者はどう思われただろうか。「筆者はくどくどと検証が必要だというが、そこに鬱陵島と竹島の二つしか島が存在しないのならば何か間違える要因があるのか、これもまた単に多数派のちょっとした説明不足を指摘しているだけのことではないか」などと思われたかも知れない。ここで、太政官指令の解釈において存在する問題の三つ目を指摘したいと思う。当時は「竹島」と「松島」を描く地図には大きな間違いが生じていた。少し長くなるが、そのことを御説明したい。 当時(幕末から明治初期)の多くの地図では、竹島(鬱陵島)の実際の位置から西北の方向(朝鮮半島に近い方向)に飛んだ位置に実際には島はないのに竹島(鬱陵島)とそれほど変わらない大きさの一つの島が描かれ、それに「竹島」という名前が付されていた。そしてそういう地図の場合、実際に存在している竹島(鬱陵島)の位置にはもちろん島が描かれているのだが、その名前は「竹島」ではなくて「松島」と表示されていた。今の竹島はどう表示されていたかというと、竹島は相対的にはごく小さな島なのでそもそも全く描かれていない地図もあり、描かれている場合でもその名前として「松島」と表示したものはなく、西洋諸国がつけた「オリウツ・メネライ」とか「ホーネット」あるいは「リエンコヲルトロック」というような名称が付されていた。つまり、この海域にはもともと竹島(鬱陵島)と松島(今の竹島)の二つの島しかないところを三つの島があるように描かれたり、数は二つのままであっても「竹島」と「松島」の位置が実際よりも島一つずつ朝鮮半島寄りにずれて表示されているという状況にあった。「島名の混乱」と言われる状況が生じていたのである。 そういう状況は二つの理由が組み合わさって生じた。一つはイギリスの船が鬱陵島を「発見」してその位置を測量したときにミスがあり、鬱陵島が実際の位置よりも西北の方向に離れた位置にあるように把握されたことである。その結果、島は何も存在していない位置に島(鬱陵島)があるかのように間違って地図に表示されることになった。この島には「アルゴノート」という名前が付された。一方、現実に存在する鬱陵島もフランス船の測量によって地図に表示され「ダジュレー島」という名称が付された。一つの島が二つの位置に表示されるという誤りが生じたわけである。 もう一つの理由は、シーボルトが「アルゴノート島」を竹島と見て、「ダジュレー島」を松島と見て、そういう地図を作成したことだ。シーボルトとは江戸時代末期に長崎の出島のオランダ商館の医師として勤務していた有名なドイツ人シーボルトのことで、彼は後に帰国後に日本地図を作成したが、その地図には当時の西洋の知識に基づいてアルゴノート島とダジュレー島が描かれた。一方で、彼は隠岐の彼方には「竹島」と「松島」という二つの島があるということを知っていたのだが、その知識をアルゴノート島とダジュレー島にあてはめてしまった。アルゴノート島(実は存在しない島)が「竹島」でありダジュレー島(実は鬱陵島)が「松島」ということにしてしまったのだ。 そういう間違いを含む地図がヨーロッパで一般に使われ、幕末以降の日本にも輸入され使用されることとなり、日本人の知識のみによって描かれた旧来型の地図は別として、近代文明を代表する西洋から入って来た新しい地図は「竹島」と「松島」に関しては大きな誤りを含むものだった。一例を挙げる。勝海舟は1867年に「大日本国沿海略図」という地図を発行したが、その地図では西洋の地図の情報に従ってアルゴノート島の位置に島を描き、それに「竹島」という名前を付した。実際の鬱陵島の位置にも島を描き、それには「松島」の名を付した(「鬱陵島」という名前が付されているわけではないということに御注意いただきたい)。今の竹島は正確な位置に小さな二つの点で表示されたがその名は「リエンコヲルトロック」となっている(つまり「松島」とはなっていない)。 江戸時代に竹島、松島と呼ばれていた島は幕末以降の地図の上では違う島を指すように変わってしまった。現実に、そういう地図を見て、実際は鬱陵島である島をそうと知らずに開拓したいとして「松島開拓の議」という申請を出す者も現れるという状況だった。 島根県から質問を受けた内務省や太政官が磯竹島略図を見た上で判断を下そうとするときに有力な参考資料となったであろうと考えられるそのころの時代の地図は、基本的にそういう状況にあった。だから、内務省や太政官が磯竹島略図に描かれた「竹島」と「松島」を見てこれは実際にはどの島とどの島だろうかと見当をつける際に、これら誤った地図の影響によって判断を間違えた可能性―誤った地図に描かれている竹島と松島が島根県が言って来た竹島と松島だと思ってしまったという可能性―はないのか、という一応の疑問が生じてもおかしくはないのである。 しかし多数説の人々はそのようなことはほとんど考慮しない。彼らも「島名の混乱」の影響を受けた誤った地図が存在していたということ自体は認めている。しかし、そのことと太政官指令とを関係付けて論ずることはない。間違えた可能性があることもないことも何も論証せず、ただ太政官の結論は磯竹島略図から明らかだということだけを主張するのである。それも、結局は「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実は「誰が見ても明らかだ」という思い込みが強すぎるから、それが間違って理解された可能性があるかも知れないなどということは考えないのだろう。 要するに多数派の主張は勝手な思い込みに基づくものに過ぎず、現時点ではまだ何も証明されておらず、その意味で全く根拠のない主張なのだ。 (4) 小括 ここで誤解を避けるために申し上げておくが、筆者は「当時は誤った地図があったのでその影響によって内務省や太政官は磯竹島略図を間違って理解した」というような結論をここで主張しているのではない。今述べたいのは、あくまで太政官指令の解明に至る方法論ないしは手順の問題である。 磯竹島略図と原由の大略という資料に「竹島」と「松島」として描かれているのは鬱陵島とその手前にある小さな岩礁―今日の竹島―のことだというのは客観的事実であっても、それが誰にでも分かることではない以上、明治10年の政府官僚が正確にそれを理解できたというためにはいくつかの越えなければならないハードルがあるということを御理解いただけただろうか。官僚たちは書類を見てすぐに分かったのか、すぐに分かるほどのどのような知識を持っていたのか、あるいは地図か何かを参照した結果として分かったのか、地図を参照したとして間違った地図に惑わされることはなかったのか、などである。これらを論理的に説明・立証した上で多数派のような結論になると主張するのであれば、それは筆者も尊重したいと思う。しかし現状はあまりにもひどい。多数派の人々の分析はいまだ島根県が提出した資料の段階にとどまっているのであって太政官の判断にまでは及んでいないのだが、御本人たちは太政官指令を解釈し終えたつもりなのだ。 そうなってしまうのは分からないでもない。竹島領有権問題を調べている学者・研究者たちは鬱陵島や竹島(独島)の位置や大きさ、形、島の歴史などの資料を飽きるほど見て来たはずで、何でも頭の中に入っているだろう。そういう人たちは、磯竹島略図を一目見ただけで、あるいは原由の大略を一読しただけで、そこに描かれているのは鬱陵島と竹島(独島)だと理解する。それは彼らにとって誤読の余地が全くないあまりにも平易な史料なのだ。だからそれは誰でも自分が分かるのと同じように分かるのだと錯覚してしまう。だから磯竹島略図に描かれていることイコール太政官の判断ということになってしまうのだ。だが、結局それは勝手な思い込みに過ぎない。誰にでも分かることではないのだ。 太政官指令というのは137年前の明治政府の首脳が発したものだ。137年前の他人が発した指令の解釈を示したいのならば、自分の解釈を優先させるのでなく137年前のその当事者の立場に立って考察するというのが歴史研究の基本ではないだろうか。多数派の方々は太政官指令問題を解説するときに、たいてい磯竹島略図には間違いなく鬱陵島と竹島(独島)が描かれているのだということを力説するのだが、そんなことよりも、それを見た137年前の政府首脳の眼にそれがどう映じたのかこそが重要であり考察すべき対象なのだということを理解して、果たしてどういう説明ができるものなのか改めて考えていただきたいと思う。直接解明は不可能 では、仮に誰かが筆者のいう手順に沿って太政官の意思を解明しようとした場合、どういう結論が得られるものだろうか。実は、筆者の見るところ結論は何も得られない。解明は不可能だからである。 繰り返しになるが、太政官指令で問題とされているのは、太政官(及び内務省)は「どの島とどの島を想定して」本邦とは関係無しと判断したのかということだ。それは、間違った地図情報がある中で正確に判断したのか間違ったのかという問題でもある。ところが、島根県が提出した伺文書から太政官指令の発出に至るまでの書類をまとめた一件資料(11点の文書・図面)の中には、内務省や太政官が島根県が説明する「竹島」と「松島」を最終的にどの島と考えたのかを示す資料は何もない。その位置とか島の形などについて何と判断したかを示すものは何もないのである。資料が何もないから実際のどの島と考えたのかなどということは、現代の我々は知りようがない。明治9~10年の太政官指令の一件資料から指令を解明するのはもともとできない相談なのだ。「いや、できる」という方がいれば上で指摘したようないくつかの論証に取り組んでいただければいいだろう。その場合に何を材料として考察されることになるのかは筆者には見当がつかないが。筆者の見解としてはそれは不可能であり、多数派は立証できないこと(控えめに言うなら、まだ立証していないこと)をいかにも不動の真実であるかのように言いつのっている。それが太政官指令をめぐる論争の現状だ。他をあたる 以上述べて来たとおり、明治10年太政官指令の一件文書から太政官指令の意図を明らかにするのは無理なのだ。そうだとすれば、太政官指令の解釈というものは不可能なのだろうか。 筆者はそれは不可能ではないと思っている。太政官指令というのは日本海内にある「竹島」と「松島」の取扱いに関する政府の方針だ。そうであれば、太政官指令が発出されたときの一件書類のほかにも、「竹島」や「松島」の取扱いに関する政府の方針に関係のありそうな文書やできごとは存在する。そういう太政官指令に関連のありそうな文書やできごと―それは当然太政官指令の以後に生じたものであるが―から逆にたどって明治10年の太政官指令はどういう内容であったかを推定するという方法は考えられるだろう。 太政官指令がどの島を想定していたかは不明といっても、可能性は二つ、すなわち太政官は磯竹島略図を正しく理解したか間違って理解したかの二つに一つだ。だから太政官指令に関連のありそうな文書やできごとを一つ一つ取り上げて、太政官が磯竹島略図を正しく理解していた(=鬱陵島と今の竹島を版図外と判断していた)と考える方がつじつまが合うかそれとも間違って判断していたと考える方がつじつまが合うか、という観点から見ていけば答えは見つかるかもしれないのである。終わりに この文の3において多数説に対する少数派のことを述べた。少数派というのは島根県竹島問題研究会の関係者のことなのだが、彼らは、上に述べたような太政官指令に関連のありそうな文書やできごとから太政官指令は何を想定していたのかに逆に接近する方法を取っている。正しい方向だと筆者は考える。 もちろんその過程でも議論はあるだろう。「太政官指令に関連のありそうな文書やできごと」として何を取り上げるべきかも問題だし、またその一つ一つについて太政官が磯竹島略図を正しく理解していたと考える方がつじつまが合うかそれとも間違っていたと考える方が妥当かを判断するに当たっても見解はいろいろあるだろう。しかし、とにかく太政官指令の解明はこの方向で考えるしかない。できるならば、少なくとも日本人の学者・研究者にあっては、現在の多数説のような思い込みに基づく非学問的な姿勢を改め、この方向での研究に踏み出していただきたいものだと思う。 なお、筆者自身はこの方向でひととおりの検討を行った結果、結論に到達したと思っているが、その結論を述べることはこの文の趣旨から外れるので控えることとする。 長文を読んでいただいた方に御礼を申し上げる。(平成26年12月3日記)

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    韓国の皆さんへ 嫌・嫌韓本のススメ

    PACO(東京都) 最近、日本では、所謂「嫌韓本」がベストセラーになっており、韓国では、それを非常に問題視されているようですね。 でもね、一つ分かってほしいことがあるんです。こうした本はただの悪口を書いている品のない本ばかりじゃないんです。「韓国ってこういう国」という数多の出典付きのエピソードの紹介があり、その批評や、批判が加えてついているものが大半なのです。読む人の大半はそうした韓国のエピソードに興味を惹かれて読み始めるんです。だって、日本人も韓国の皆さんの「本当の姿」を知りたいのですから。 日本人も他の国に興味がありますから、日夜TVでは遠い海外の国の文化や習慣を面白おかしく報じる番組が花盛り。その一方で隣国韓国のことをこんなに知らなかったなんて!こんな驚くべき国が隣国にあり、それについて全く無知だったなんて!日本人は、韓国についてだけ、「びっくり情報」があまり報道されてこなかったということを知ってしまったので、今、驚いて知識を吸収しようとしているのですよ。 心配しないでくださいね。もし、理屈に合わない悪口が書いてあっても、良識ある人々はちゃんとそれをスルーしていますよ。普通の日本人が知りたいのは、韓国についての真実なのです。 だから、韓国の皆さんが、嫌韓本で気にしてほしいのは「韓国について嘘や誤解が書いてないか」ということなのです。不思議なのは、「嫌韓本はケシカラン!」との意見は多いようですが、「○○という嫌韓本に△△という事実に反することが記載されている」という批判が見られないことです。 おかしいなあ。私はずっと待っています。数多の嫌韓本の「△△は事実じゃない」「△△は経緯を無視しているけど、それを勘案すれば特に矛盾はない」「これは前提が違う」等、内容についての指摘を。納得できる反論があれば、「そういうことだったのね!」と、相互理解が深まるでしょう?「だったら、この批判は言いすぎでしょう。」とか。真実じゃないことがたくさん出てきたら、そうした本の著者も読者の信頼を失いますよ。 誇り高き韓国の皆さん。ここは国内で不満をいうんじゃなくて、威信をもって日本に対して、理論的に反論するところでしょ?私、待ってます。ぜひとも嫌韓本の内容について、「理論的に」「根拠に基づいて」反論した嫌・嫌韓本を出してくださいな。読んでみたい日本人、きっとたくさんいますよ。誤解が解けて納得なのか、さらにびっくりなのか、いずれにせよ、今までよりももっと相互理解が深まりますとも。離れたところで、にらみ合うんじゃなくて、もっと建設的に分かりあいましょうよ? ホント、お待ちしています。

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    恥ずかしい大人たち…左翼ジャーナリスト

    著者 SlowdownStand(北海道) 9月末の「朝まで生テレビ」にて朝日新聞OBは一様に差し障りの無い発言であったが、戦前の世論誘導によって、戦争への加担したことの贖罪意識が戦後の朝日新聞の方向性=反戦を決めたと言うことらしい。これは「PTSD」と診断されてよいのではないか?そう仮定すれば、朝日新聞の不可解さを理解できる。戦前の反省を踏まえ、「真のジャーナリズム」を出発点とする事がなかったのだ。 同日の朝生テレビで時事通信の青木氏や、東京新聞の長谷川氏も、公衆の面前にて堂々と臆することなく、「真の事実報道」をせせら笑っていた。 もちろん彼らの表情には「恥の兆候」が映し出されている。どんな業種業界であれ、現場の本音と建前がある。しかしそのことに居直る事が武士道に悖る、恥ずかしい行為であるのだ、まさに「現場」の人間にとっては。 彼らが言うところの報道は、まず始めに「スタンス」があり「センセーションナリズムの篩(ふるい)」が在るとのことだ。スタンスはバイアスともとれるし、ジャーナリズムが陥ってはならぬ所がセンセーショナリズム、と認識していたが、朝日に限らず「左翼」とはこれほどまでに醜悪な唾棄すべき輩であったとは残念。 正しい5W1Hがあれば、事実のストーリーは書けるはずだが。 さて、朝日新聞不買・廃刊運動も良いのだが、事実報道、真のジャーナリズム(せめて間違いに対する潔さ)とは、との議論があっても良いだろう。「不当にも強制連行された従軍慰安婦」が「戦時における性暴力」とすり替えられた今となっては、わが日本は、「世界に冠たる人間性と社会」を誇りに、「理不尽に強制される女性そのもの」とか「売春そのもの」などと究極地点での哲学とその救済にのりだすしか、この問題の根本解決にはならないと考える。

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    恐るべし、マスコミ

    著者 田中一成(東京都) かつて私は、かなりのアメリカ嫌いだった。しかしこの国に赴いて、多くの誠実な人たちを知るにおよび、自分の偏見を改めざるを得なくなった。同じようなことは、中国人や韓国人についても言える。何しろこの両国が、国を挙げて日本に浴びせた悪口雑言は凄まじかった。そのため私は、いつしか中国や韓国を嫌うようになった。しかし個人的につき合う限りは、憎悪の感情をそれほど強く感じたことはない。少数ではあるが友情を感じる相手さえいたほどだ。 それにしても、個人としては憎悪の感情がないのに、国というマスで捉えたときは、どうしてあのように極端な昂ぶりになるのだろうか。その一つとして考えられるのは政策である。明らかに中国や韓国は、政情が不安定になると国民の不満をそらすために、憎悪の対象を日本に向けさせてきた。しかしもっと恐ろしいのは、マスコミである。この2国および日本の左傾新聞やテレビなどの媒体を通じて、24時間たえまなく日本悪しと喧伝されたら、たまったものではない。並みの人間なら、気がつかないうちに洗脳されてしまうだろう。 現代社会では、マスコミの力は絶大である。それだけにこの仕事を生業にする人たちには、並外れた誠実さと謙虚さと良識の3つが望まれる。しかし実態はどうだろうか。誠実さについていえば、むしろ鼻持ちならぬ偽善しか感じられない。謙虚さについては、その対極にある傲慢そのものではないか。嘗て朝日新聞は、新聞の使命は啓蒙にあると嘯いた。つまり購読者を見下しているのである。良識についてはどうか。 これも同じ朝日新聞記者の言であるが、そのモットーは反権力だという。その表れが、機械的ともいえる反政府一辺倒の論説であった。そもそもマスコミは、政治権力という言葉に偏見を持ちすぎている。現代政治における権力とは、意思決定をおこなうための一機能に過ぎない。意思決定機能がなければ、如何なる組織といえども機能することはできない。この程度のことは常識であり、自明のことではないか。それを悉く否定し反対するのはナンセンスとしか言いようがない。このようなマスコミ人の幼児的な権力アレルギーは、多分ヒトラーかスターリンのような独裁者のイメージに由来するのであろう。いわゆる進歩的マスコミの良識とは、この程度のものなのか。 かくして、マスコミ特に大新聞に期待した誠実・謙虚・良識は、ことごとく裏切られるようになった。それでもマスコミは今なお健在で、立法、司法、行政に次ぐ第4の権力といわれている。しかし先年、民主党の政権樹立に貢献した朝日新聞グループの大キャンペーンを想起すると、マスコミはもはや第一の権力者にのし上がっているというべきであろう。

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    産経新聞の加藤達也前ソウル支局長起訴について

    著者 一市民(愛知県) 私は根っからの日本人ですが、日本の法律すらよく知りませんし、韓国のとなればなおさらです。しかし、このことについて思うところがありますので意見を申し述べます。 韓国の「情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律」の内容は全く知りませんが、同法律により韓国の地検が名誉毀損罪で起訴できるものかどうか疑問に思っています。理由は二点あります。一.直接の利害関係が全くない市民団体が告発 私が報道を見逃しているのかもしれませんが、朴槿恵、チョン・ユンフェ、チェ・テミンの三氏は告訴していません。この三氏が告訴していないにもかかわらず、韓国の地検は直接利害関係のない市民団体の告発を受理し、かつ起訴できるものなのでしょうか。 日本の法律では名誉毀損で罪を問えるのは、直接の当事者による告発の必要があるのではないのでしょうか。韓国も日本と同じ自由民主主義陣営に所属してるのですから、法律の基本というものは大きな違いはないものと考えています。 そうであるなら、市民団体による告発は法律上の利益がないということで、本来、受理すらできないものである、というのが私の考えです。二. 韓国の「情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律」は韓国の国内法 あくまでも韓国内に適用されるものであって、国外にまで適用されるものではないでしょう。このようなことがまかり通ってしまえば、日韓だけの問題ではなくなり、世界中が混乱に陥ります。自国の法律が他国の法律に縛られてしまうことになるからです。地球上に独立国は存在しくなります。 以上、二つの理由により、このたびの起訴は根本において不当であると考えます。 私は、法律を意識して日常生活を送っているなんてことはありません。法律なぞ知らなくても全く問題ありません。ですので、法律内容は知りませんが、自分なりにごく普通に考えたつもりです。 知識不足による意見でありましたらご容赦ください。

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    朝日新聞は廃刊にすべきか?

    敢えてこのテーマに切り込みます。ジャーナリストとしての禁断を犯した記者、それを見逃した 管理者たち。ユーザーはそれをどのように感じているのか?その他、iRONNA編集部に寄せられたご意見を紹介します。

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    日本海溝に国際核廃棄物処分場を建設しよう

    守谷知(埼玉県) 日本ならびに外国で核廃棄物の最終処分の課題を抱えている。そこで日本の排他的経済水域の中にある日本海溝の底に国際核廃棄物処分場を建設すればいい。核廃棄物は水深8000mの環境で静かに眠りについてもらう。海底油田を開発するつもりで、日本海溝を開発しよう。 政治的な問題として、核廃棄物の海洋での処分は条約で禁止されている。そのため日本海溝での処分を特例とするべく、ロンドン条約をはじめとした核廃棄物に関する条約を改正する必要がある。各国にとってみれば世界中の核廃棄物の処分場が確保できるので反対はしづらい。直接に自国で原発の運転をしていない国でも、周辺国が保管している核廃棄物も気になることだろう。 さらに日本国内に最終処分場を持てば、世界の核廃棄物の管理に対して発言力が持てる。大変に平和的な外交力となる。反核団体には是非とも賛成していただきたい。 日本の原発輸出に反対する理由の中に「輸出先で蓄積する核廃棄物の処分をどうするのか」というものがある。日本での核廃棄物の受け入れ態勢を整えれば、日本の原発輸出にも弾みがつくだろう。 仮に日本が輸出しないにしても、各国の原発推進の後押しをすることには意味がある。他国で原発が運転するその分だけ化石燃料の消費や二酸化炭素の排出が抑えられる。 原発からの核廃棄物の他にも、原子力潜水艦や核弾頭などからの軍事利用からの核廃棄物も引き受ける。なにしろロシアの老朽化した原子力潜水艦の経験 ( 外務省: わかる!国際情勢 Vol.11 ロシア極東退役原潜解体協力事業 ~核軍縮・不拡散、環境保全を目指して ) を考慮すると、中国の原子力潜水艦など敵対国の兵器であっても積極的に引き受けたい。軍事利用からの核廃棄物の引き受けには、原発と違い高い処分料を請求してもいいだろう。 国際核廃棄物処分場の建設とはいっても、海溝の底に海流の小さい区域を探し、容器に詰めた核廃棄物を沈めておくだけである。 海溝の底での保管は地層処分と比べて将来世代の接触を避けられる。絶対に避けられるかどうかは別にしても、地層処分では生身の人間が核廃棄物に直接触れる危険があるのに比べ、海溝の底での処分では人間が核廃棄物に直接触れることはできない。潜水艇を通して触れることはあるかもしれないが、少なくとも海底の核廃棄物は人間が直接触れることはない。 海溝での処分に反対する理由の中で、保管する容器が壊れて核廃棄物が漏れ出したらどうするのかという課題がある。そもそも海溝の底で核廃棄物が漏れて何か問題なのか。 プルトニウムやウランなどの重い核種は水深8000mの水の壁に阻まれて浅海まで上昇することはない。セシウムなど水より重い核種も同様である。トリチウムやクリプトンなどの軽い核種については、半減期も短く希釈もできるので目をつぶればよい。 深海の生物と浅海の生物の間の食物連鎖について。海溝の底に生物が放射性物質を取り込んで食物連鎖を通じて浅海まで放射性物質が上がってくるかと心配するかもしれない。その点では、海溝の底から浅海への方向の食物連鎖はない。浅海の生物の死骸が深海に落下することによる上から下への方向の食物連鎖はあるが逆はない。食物連鎖を通じて深海から浅海、下から上への放射性物質の移動はない。 また、海溝に生息する生物の生態系を破壊することになるため反対の意見もあろう。そもそも海溝の生物は浅海や地上の生物に影響もなく、仮に滅んでしまっても問題はない。例えて言うならば遠い宇宙の向こうに生息する生命体が滅ぶようなことである。 とはいうものの最低限、将来的な資源として遺伝子の標本などは採取しておくべきだろう。

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    朝日新聞は廃刊にすべきか?

    著者 Tom Yam(横浜市) 昨今の朝日新聞の廃刊論を聞くにつけて、違和感を禁じ得ない。少し立ち止まって考えてみよう。 と、朝日新聞調の書き出しをしてみましたが、実際に朝日新聞の廃刊を願わない人がどれほど居るのだろうか?と、思いかねないほどの保守論壇やネット界隈の賑わいであります。しかし私としては、今起こっている現象は複雑な背景・複数勢力の思惑などが複合的に混じり合いながら、結果としては「溺れる犬は棒で叩け」的な事をしているようにしか見えないのです。 ところで、「溺れる犬は棒で叩け」とは、人の弱みにつけ込んで蹴落とす「韓国のことわざ」だという風聞をネット界隈で聞いた事があります。しかし、これは間違いです。本来の意味は中国に由来するが「水を求める犬は狂犬である事が多く、溺れている所に下手に哀れんで手をさしのべれば、こちらが水に引きずり込まれかねない」と言うのが本来の意味のようです。 そして今、朝日新聞に対して行われている「溺れる犬は棒で叩け」は正しい意味においても、間違った意味においても行われているように見受けられます。以前から、アカ卑・・・朝日新聞の論調に対して異議を唱えていた保守論壇やネット内の不特定多数の個々人、あからさまに朝日新聞のシェアを奪い取ろうと、扇情的なチラシを配布する某新聞。似た論調であったが故に「私は違うんですよ」と主張するようなチラシを作成する某新聞。揃えたように一斉に手のひらを返すコメンテーターや評論家と呼ばれる「電波芸者」や「自称知識人」達。そして、「巨大組織に反抗する俺ってかっこいー」などと勘違いしたまま、有る種のカタルシスを快感として深い考えもなく流れに乗っている人々。 一応断っておきますが、私個人としては今問題となっている一連の朝日新聞のしてきた事を一切擁護する気はありません。どちらかというと先述の「ネット内の不特定多数の個々人」に入る部類だと思います。しかし、廃刊論があまりにもヒートアップしている事に対して「チョット引いてしまった」のです。 戦後の日本の論壇が朝日新聞を中心とする勢力により、かなり左に傾いていたのは事実でしょう。そもそも戦前に大政翼賛報道を大々的に行ってきた朝日新聞が生き残るにはGHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)に完全に添うように手のひらを返すしか無かったのも事実でしょう。また「レッドパージ」「アカ狩り」によって大手マスメディアから職を追放された方が多い事からも解るように、日本においては元々「自称知識人」には左派傾向が強かったのです。 実のところ、私の知人でも、または身内においてもそのような傾向が強かったりします。そして、その根幹にあるのは、またまた上述した「『巨大組織に反抗する俺ってかっこいー』などと勘違いしたまま、有る種のカタルシスを快感」と感じてしまうところが根幹なんだろうな~等と愚考する次第であります。ある種の陰謀論に傾きやすい人もこういった層に多いように見受けられます。 さて、話を朝日新聞に戻すと、今日に至るまで「とても真面目に」WGIPを延々と続けてきたわけです。その過程で中国や韓国と「論調」が一致して行くのは当然の流れでしょう。そして言論機関においての「論調の一致」とは「利害の一致」に他なりません。そして左派系の知識人を吸収しつつ、涙を誘うほど「日本人的真面目さ」で仕事に邁進してきたのが昨今の結果である、と私などからは見えてしまうのです。ホントに泣いて良いのか笑って良いのか解りません。 朝日新聞がここまで「真面目に」暴走してきた一因は、WGIPで有る事はまず間違いないでしょう。それに対して先ず1980年代に韓国が接近してきたと見るのが正しいのではないでしょうか?少なくとも米国から見れば「従軍慰安婦強制連行」などWGIPの格好の材料です。そして次に靖国問題で1990年代に中国が近づき、結果として朝日新聞は「反日新聞」等と揶揄される体質に変わっていったのでしょう。日韓がある程度仲が悪い方が都合が良く、まだ中国を脅威と見なしていなかった米国もこれを看過した・・・とは陰謀論すぎるでしょうか? 何れにせよ、朝日新聞は営利企業としては大局を見誤ったのでしょう。「ベルリンの壁崩壊」や「ソ連崩壊」に象徴される東西冷戦構造の変化に対応しなかった、もしくは出来なかった。おそらく「対応できなくなる程に社内のイデオロギーが硬直化してしまっていた」のではないでしょうか? そして今日、中国が(皮肉な事に、左派が主導した日本の援助によって)海洋進出をもくろむ程に力を付けるに至って、完全に潮目が変わったのです。一時は米中蜜月などともてはやされた物の、そんな物が長持ちするはず無いのは誰の目から見ても明らかだったでしょう。今や、東アジアにおける日米の仮想敵国は完全に北朝鮮と中国です。更に朴槿惠政権によっては韓国まで含まれる可能性まで出てきてしまいました。しかも、米軍は軍縮の折、日本に対して東アジアでの軍事プレゼンス強化せよと、本来米軍が担っていたプレゼンスの一部を譲渡する方向にまで進んでいます。 この期に及んで、さすがの朝日新聞(の一部)も「ようやく気がついた」のが、先の「従軍慰安婦報道記事の取り消し」だったのではないでしょうか?陰謀論的に言えば米国が「もうWGIPは必要ない。お前らはやりすぎた」とでも通達した・・・とでも言えば良いのかも知れません。個人的には朴槿惠政権の離米随中が大きく寄与しているような気がします。何れにせよ「従軍慰安婦報道記事の取り消し」は朝日新聞上層部主導で行われた事は間違い有りません。 しかし、「(の一部)」に過ぎないのが、さすが我らの(?)朝日新聞と言ったところでしょうか。従来のイデオロギーで突っ走った結果の「吉田調書問題」。「保身」に走った「池上氏記事の不掲載問題」等々。言論機関において硬直化したイデオロギーを覆す事などそう簡単でない事は容易に想像できます。そもそもイデオロギーは「言論の集積」であり、それは言論機関においてはその存在そのものであります。果たして、そんな物を覆しうるのでしょうか? もちろん可能です。出来ないはずが無いじゃないですか。なぜなら朝日新聞には「実績」があるからです。「大政翼賛報道」から「反日報道機関」に華麗に転身した実績が。 おそらく今後、朝日新聞の報道は迷走を極めるでしょう。彼ら自身何を指針に書けばいいのか解らなくなってしまったのです。それこそ「狂犬」のように、あらゆる物に噛み付くかも知れません。(そう言えば既に取り下げた物の、色んな所に「抗議文」と言う形で噛み付いていましたね。) ですから私としましては、「溺れる犬」にわざわざ近づいてまで棒で叩く必要はないと思います。勝手に溺れ死ぬならそれまでのこと。自ら這い上がってきた時にどのような報道機関になっているのか?それを遠くから眺めていた方が、よほど「韓国的」でもなく「中国的」でもない「日本人らしい姿勢」ではないでしょうか?

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    教育改革は大学から

    田中一成(東京都) かつて大学生の4人に1人が「平均」の意味を理解していないと聞いた。この新聞記事を読んだときは、本当にびっくりした。原因は多分、ゆとり教育や日教組による偏向教育、家庭内の躾など、ちまたで言われているあらゆる要因が重なったのだろう。従ってこれをただすには、本来は初等教育の第一歩から中等教育、高等教育の全てについて、抜本的な改革をやらなければならない。しかし積年の弊がもたらした教育の惨状は、そんな悠長な進め方では役に立たないだろう。仮に出来るとしても、何十年掛かるか分からない。こうなってしまったからには、もはやありきたりの方法ではなく、もっと大胆な対策が必要だ。つまり上流から改革を及ぼすのではなく、下流すなわち大学を変えてしまうのだ。 現在における教育体系のゴールは、大学である。したがってゴールを変えれば、それ以下の教育システムは一変するに違いない。もちろんその過程では大混乱が生じるだろう。そのリスクを冒して現行の大学を廃するとして、その代わりに何を想定するか。 答えは専門学校である。そのモデルは、現在の教育システムが米国から強制される以前に、既に日本にあったものである。さらに原型をたどるとドイツのマイスター制度にも行き着くであろう。専門学校の基本的な目的は、高級実務者の育成であった。この実務に即すという考え方は、本来はリアリズムの精神に通じるものだ。それが何時しか実利主義と混同され、さらにはアカデミズムをモットーにした帝国大学系の過大評価と重なって、一段下に位置づけられるようになった。しかし実際の社会生活で本当に役立ったのは、専門学校を出た実務者である。 ではアカデミズムを標榜した旧大学では何を教えたか。文系で学名を挙げると、法学、経済学、文学、哲学であり、理系では理学、医学、工学であった。面白いことに、理系では当初から理論的な理学の他に、実務的な医学や工学を加えている。たぶん理系では、文系のような観念的なアカデミズムは成り立たなかったのだろう。しかし戦後の新制度になると、専門学校がすべて大学に昇格したので、教科の内容は極めて多様になった。なにしろ専門学校の種類が多かったからだ。例示すると、工業、商業、農業、医療、教育、薬学、芸術、語学、体育、軍事など実にきめ細かく網羅されていた。 その一方で、アカデミズムの象徴ともいうべき哲学は姿を変え、教養学?として装いを新たにした。もはや西欧追随型の観念論が、時代遅れになったからだろう。大学型観念論の象徴とも言うべき経済学や哲学は、実社会ではほとんど役に立っていない。今なお健在なのは法学のみであるが、これはもともと実学なのである。また文学はその性格からして、本来は大学で教えられるものではない。大学を出たからといって名作が書けるわけではないのだ。それにも拘わらず文学部をつくったのは、西欧文明へのコンプレックスである。そのためフランス文学とかドイツ文学とか、当該国の名前を頭につけている。結果として、文学部で学ぶのは文学の創造ではなく、その翻訳や分析・解釈になってしまった。ただし国文学や考古学は本質的に事情が違う。その目的が他国の文明を真似るものではなく、自国の文化を研究することにあるからである。 それでは現在の大学を解体するとして、その後どのように再編するか。私の案は次のとおりである。 ① 専門領域別に新専門学校を創設する。新専門学校の種類は、上述した旧制の専門学校を参考にする。ただし社会環境や科学技術の発展を考慮し、それに適合するように種類の増減と改廃を行う。たとえば情報専門学校、文学専門学校、哲学専門学校など。専門学校の種類を増やす一方で、大学は大幅に縮小する。たとえば哲学専門学校の卒業生は極めて少数と思われるが、大学はそこから適性者だけを受け入れる。哲学に限らず卒業後の就職を考えれば、他の専門学校からの大学希望者も自ずから数が決まる。それに対応して大学の数も決まる。そもそも専門学校での履修内容だけで、実業界のニーズには十分に耐えられるはずだ。仮に不足があるとすれば、それは実務を遂行する過程で習得できる。したがって、その上の大学に進むには何か別のミッションが必要である。大学について考えるには、それを明確にしなければならない。たんに修士や博士などの肩書き授与機関では困るのである。今やそんな肩書きが通用する時代ではない。この問題を考えるには、哲学を例にとると分かりやすい。 金沢大学で哲学を教えている仲正昌樹教授は、その著“知識だけあるバカになるな”で次のように述べている。「常識的に正しい答えだと思っていることが、本当に正しいか否かは分からない。それどころか本当の答えがあるかどうかさえ分からない。そんな底なし沼の状態で、自分で答えを見つけようと継続的に頑張ること」。それが大学でやることだ・・・と。 極めて説得力のある説明だが、私はこれに加えて次のように補足したい。「つまり哲学者とは、“疑いの専門家”である。しかしそのような専門家を、実業界は求めるだろうか。すべてを疑う人物が組織の中で活動したら、仕事はまったく進まない。たぶん採用率はゼロだろう。しかし社会全体でみれば、疑いの専門家が存在するのは大へん有意義である。その専門家をどれだけ保有できるかは、その社会が持つ余裕とビジョンで決まるだろう。以上によって哲学専門学校の定員数も算出できるし、上位の大学で収容し得る人数も想定できる」と。 ② 専門学校を主柱にするといっても、大学を全く廃止するのではない。大学には専門学校とは別のミッションが必要である。その要請はあらゆる専門分野ごとに発生する。ただし上でも述べたように、実社会で必要なスキルは全て専門学校の教育で習得できる。その上で何を求めるか。それを極めたら、人員も想定できる。上では哲学の例を取り上げたが、同じことが他の全ての分野でも検討されなければならない。それができない専門分野には大学は必要ないのである。 ③ では、大学の定員はどうやって決めるか。上の例によると、哲学とは底なしの疑問の沼にどっぷり漬かることである。そうだとすると、その営みは哲学専門学校では終わらない。さらに続けるには大学が必要になる。この段階では再び適性者の選定が必要になるだろう。このようにして大学の定員も決めることができる。哲学の例と同じく、他の専門大学も定員を決めることは可能である。私の思い付きに過ぎないが、総平均すると専門学校から大学に進む学生の比率は十%程度になるのではないだろうか。卒業してもその多くが一般企業に就職できないから、別の就職口を設定しなければならない。たとえば大学や専門学校の教職や研究所である。しかし、それだけに限定することはないだろう。新概念に基づく大学卒をどれだけ収容できるかは、前にも述べたように、その国家や社会の余裕とビジョンで決まるはずである。 ④ 大学の再編を上で述べたようにすると、いわゆる専門バカだらけになって、現代社会が求めるマルチ人間の育成がおろそかになると反論されるかもしれない。それには二つの面で答えることができる。 その1は、マルチ能力とマルチ知識は違うということである。たしかにインターネットが普及する以前は、博識というのは一つの才能であった。しかしインターネットが普及した現在では、知識やデータは簡単に検索できる。 その2は、マルチ能力とは何かということである。簡単にいうと、それは異質の情報を組み合わせて、新しい情報を創出する能力のことである。今のところ、その創出を保証できる方法論は存在しない。当然ながら専門家もいない。専門別のカリキュラムはあっても、創造のためのカリキュラムは存在し得ないのである。その意味で、マルチ人間に必要なマルチ能力の開発は、大学のあり方とは無関係である。

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    反・国債亡国論

    著者 daponte(東京都) この国の存立・発展にとって必須の要素はなにか。しばしば主張されることのひとつに「教育の改革、人材の育成」がある。そのとおりではないかと思われる。国の存立・発展のためには、各層・各分野における「人材の育成」が根本であろう。ただそのためには、あるべき教育についての確固たる理念、実行へ向けての強い意欲・覚悟が必要である。また財源(資金・予算)も大切で欠かせない要素であろう。 2020年に予定されるオリンピックの東京開催など短期的なテーマで毎日喧しいが、今こそ長期を展望した喫緊のテーマ、すなわち「教育」について徹底した議論を早急に行い具体的な施策を決定・実行すべきである。その重要な当事者は、中央政府、なかんずく総理大臣であろう。またそれを支える官僚・教育の現場の人たちであろう。 しかし、お金を握っている財務官僚が「国は貧乏で金はない。破産状態だ。教育なんぞに気前よく金を出せと言われても簡単には出せない」と考えているようだ。 今春、消費税が3%引き上げられた。それをもっとも喜んでいるのは財務官僚であろう。財政再建の第一歩が踏み出されたように見えるからである。財務官僚は、「消費税の8%、10%は当然、将来は15~20%への引き上げも視野に入れるべき」と考えている。そして「日本の政治家はもっと日本の財政の現状に留意すべきであろう」と述べている。はたしてそうだろうか。 財務官僚OBの榊原英資氏は、2013年10月2日の産経新聞「正論」で過去の数字をあげて「財務官僚としては新しい結論」を導いているように思われる。すなわち、「日本政府が大幅な財政赤字を出し続けていられたのも、日本の家計や企業の資産が増加し続け、それでファイナンスできたからだ。国債の発行を外国に依存する必要がなかったからだ」と書いている。そのとおりだ。 以下の式とデータをしばらく眺めていると、上記のことが納得できる。 経常収支=(民間貯蓄-民間国内投資)+(政府収入-政府支出)・・・ISバランス式 ここで民間貯蓄とは国民所得から民間消費と政府収入(税金等)を差し引いたものである。右辺の第1項が民間部門の貯蓄投資差額、第2項が政府部門の貯蓄投資差額と呼ばれる。そしてわが国の国債の所有はほとんど国内で占められている。 ただ、榊原氏がこんなことを言うのは初めて聞いた。 彼らは今まではこう言ってきた。「高額の国債を発行し続けると、金融マーケットは政府の償還能力に疑問を抱き、その結果国債の金利の高騰が避けられない。国債の支払い金利は激増し財政は破綻する。政府予算は組めなくなり、その機能は停止せざるをえない」と。しかし、上記の彼らの「新しい結論」が言っているように家計・企業の黒字が国債の原資となり、国債金利は暴騰しなかった。彼らが今まで主張してきたことは、嘘八百だったのだと言わざるをえない。 榊原氏はさらに「経常収支が黒字を維持している間に財政再建をしなくてはならない。再建のために残された時間はそれほど長くは残されていない」「経常収支黒字は急速に減少し、貿易収支は2011年から赤字に転じている」と主張している。本当にそうなのだろうか。 最近のdataを要約すると以下のようになる。国際収支一覧(財務省HP)本邦対外資産負債残高(同)政府(中央政府のみ)の資産・負債バランス          資産     負債    バランス 2009年末    647兆円  1,019兆円  -372兆円 2012年末    628      1,088      -459個人保有の金融資産残高 2012年末   1,570兆円 榊原氏も言うように、わが国の対外純資産・負債バランスは世界ナンバーワンである。すなわち稼ぎ過ぎなのである。かりに経常収支が恒常的に赤字になり、たとえば毎年10兆円の赤字が続いたと仮定しても、わが国の対外純資産・負債バランスがマイナスになるには30年以上の年月が必要である。わが国は、当分PIGS※にはならない。※編集部注 PIGSは、自力での財政・金融再建が不可能になったとみられる国を指す英造語。1990年代から使用例があり、2008年の世界金融危機以降に多用された。当初は欧州のポルトガル(P)、イタリアまたはアイルランド(I)、ギリシャ(G)、スペイン(S)を指した。 また、1992年に比較して2013年の輸出は25兆円(年間)も増加しており、貿易立国は健在である。ただし最近になって原子力発電が停止されたため原油・LNGの輸入が急増している。またその価格高騰も輸入金額増加の大きな要因である。そのため貿易収支は赤字に転じた。ただ経常収支は激減したものの黒字を続けている。そして経常収支が黒字ということは対外純資産・負債バランスは増加を続けていくことを意味している。 さらに付け加えるならば、所得収支はこの20年間に4.5兆円から15兆円へと、約10兆円(年間)増加している。これはわが国の企業や個人が外国で所有・運用する資産の増加によるものである。そして所得収支は今後とも増加を続けるであろう。 以上を総合してみると、この国の対外純資産・負債バランスがマイナスになることは当分の間、想像すらできない。そしてその間国債市場が破綻することはない。 また、榊原氏らは「国の借金が膨大だ」「国が破産する」と言っている。ただし榊原氏らが言う国というのは「中央政府」のことであり、国全体を指している訳ではない。「国」と言うならば企業も個人(家計)も地方政府もすべて含めて考えなければならない。また中央政府の借金は1,000兆円というのは嘘で、資産を差し引けば、約450兆円である。この額は個人保有の金融資産残高の3分の1にも満たない。 さらに最終的に重要なことは国全体の借金が多いかどうかである。つまり国の対外債務の残高である。対外債務は「民間企業」「個人」「政府」の3部門の総負債から総資産を差引いた額である。かりにある国の対外債務が膨大になった場合を考えてみると、外国に対する借金の元本の返済と利息の支払に追われて、その国が必要とする食料やエネルギーを買うことができなくなる。つまりは国が成り立たなくなる。ところがわが国においては 3部門の合計でみると対外純債務は存在していない。それどころか事実は逆であって、わが国は膨大な対外純資産を有している。その額は世界一である。外国から持ちすぎだと非難されているくらいなのである。 また国債残高が累積すると、将来の世代に借財を残すという議論がある。これもまやかしの議論である。確かに将来において国債を償還するためには、政府は増税によってその分の償還資金を調達しなければならない。したがってその点のみに注目すると将来 世代にとっては大きな負担ということになる。国民一人当たりに換算すると、約8百万円という巨額の負担になる。かりに10年賦にするとしても到底負担できる額ではないだろう。しかし 国債を償還するということはそれと同じ金額が国債保有者(わが国の場合はほとんど民間企業と個人=増税の負担者)に支払われるのである。全体ではプラスとマイナスで合計はゼロである。 償還資金を受け取るのは国債保有者のみであり、不公平ではないかという意見が出そうである。それも間違いである。国債保有者はもともとその金額に相当する資産を費消せずに国債を保有したのであって正当な権利の履行を将来に延ばしたのである。国債を保有しなかった民間企業なり個人はその時点でその資産を別の形で所有するかあるいは費消したのである。 最後に一般の金利水準が高騰した場合、国債の金利も上昇しそのため財政が破綻し、大幅な増税が不可避になるという考えがある。これも誤りである。金利が高騰するのはどういう時かというと、経済が過熱して生産手段が払底したり、遊休資金が不足した場合である。すなわちバブルなりインフレになった場合である。今わが国経済はこれと反対の状況に置かれているのであって、どうしたらデフレから脱却できるかが課題になっている。またわが国には1,500兆円もの個人金融資産が蓄積されていることに加えて民間企業にはかつてのような巨大な資金不足は存在していない。民間企業の設備投資資金はほとんど 自己金融でまかなっている状況にある。つまりわが国は構造的な資金過剰経済に変容したのである。金利が高騰する理由はどこにも見当たらない。 それでも国債残高(中央政府の借金)が多いのは問題だというならば、簡単で合理的な解決策がある。国債の日銀引受けである。中央政府の概念に日本銀行を含めて考えるとこの解決策はまったく意味をなしていないという批判を受けるであろう。そのとおりである。借りる相手が個人や企業から日本銀行に変わっただけのことだからである。しかし、それでなにか問題があるのだろうか。かつて通貨は兌換券であったが、ある時日銀券に変わった。そしてなんら問題は起きなかった。それと異なる話であるが、それよりは問題がないと言えると思われる。つめて言えば国債というものは、民間企業や個人の借金と異なり、最終的には返済を要しない(その資金の源泉が国内であるかぎり)ものだという直感的には受け入れがたい実に奇妙な事実なのである。 以上を要するに、国債の累積によってわが国が潰れることはない。そして国の存立にとって重要なことは、中央政府の借金の多寡などでは決してない。重要なことは、有能な人材の数とモラールであり、優れた技術の開発と伝承であり、確固たるインフラの構築・整備であり、国の安全保障が常に確保されていることである。強いて付け加えるならば、対外純資産・負債バランスがプラスであることである。 国債亡国論によって、わが国の持っている巨大なポテンシャルが圧縮され続けてきた。ここ数十年にわたってのその損害は想像を絶する大きさである。国債残高の累増を懸念するあまり、この国の将来にとって必要不可欠な投資や諸施策の実行が先送りされ、あるいは防衛力の涵養が控えられてきたのである。 教育・人材開発のためにもどしどしお金を使うべきである。子孫に借財を残さないことが大事だというならば、増税をして国債残高を減らすことに血道を上げるのではなく、立派な人材を各方面で育てることの方がずっと重要である。