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    ウクライナ危機で読む複雑怪奇な国際情勢

    2014年のウクライナ危機は、東西冷戦の復活を予感させた。一見、ロシアの暴挙ばかりが指摘されがちだが、欧米を中心としたNATO陣営によるロシアの実態の誤認や無理解が招いた対立であったとの見方もある。そもそも、ロシアを突き動かしたものは何だったのか。「複雑怪奇」ともいえる国際情勢の深層を読み解く。

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    リベラルが招いた悲劇、ウクライナ危機が提起する安全保障のジレンマ

    東義孝(防衛省 元防衛研究所主任研究官) 2014年にクリミア半島の帰属を巡ってロシアとウクライナ間で起こった「ウクライナ危機」を受けて、米国を含む北大西洋条約機構(NATO)に加盟する国々は、16年のワルシャワサミットでバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)およびポーランドへの部隊配備を決定した。 ただ、この原因となったウクライナ危機を引き起こしたのは、当時のバラク・オバマ政権が(冷戦時代のような)ロシアの勢力圏的発想を認めず、ロシアの立場や行動を理解していなかったゆえの結果である。 さらにその無理解によりバルト三国への部隊配備自体もNATOとロシアの関係をセキュリティージレンマに陥れるという二重の悲劇が生じたのである。 ここではNATOの東方拡大とロシアの動きを中心に分析し、国際政治学における、自助行為としての防衛に主眼をおくディフェンシブリアリズム(防御的現実主義)の立場から米国を中心とするNATO諸国がなぜウクライナ危機や安全保障のジレンマ(セキュリティージレンマ)を招いたのかを明らかにする。 なお、この中で示す軍事力の分析手法としては、米国の政治学者であるジョン・ミアシャイマーが、国家の実質的パワーを構成する陸軍力指数の計算方法として推奨する機甲師団等価(Amour Division Equivalent:ADE)を基本とする。そしてランド研究所(米シンクタンク)の訓練レベルや補給レベルのモデルを踏まえて実質化した、陸軍力指数を用いて評価している。 このADEを簡単に説明すれば、師団などに編成された部隊が「組織的軍事力としてどの程度か」を米国の機甲師団を尺度として評価する手法だ。基本的には、ミリタリーバランスにおける各国の戦車、火砲、装甲車などの保有数と各兵器の能力の点数を合計して算出している陸軍力の目安程度の指数である。 空軍力指数では、拙稿「空軍軍事バランスの変化の動向とわが国の安全保障政策」、国際安全保障(10年6月)の評価方法に改良を加えて数量評価したものを用いる。空軍力指数も大ざっぱに言えばADEと似たような算出方法ではあるが、その妥当性はいくつかの空戦史で検証済みである。 このような軍事力の数量評価を通してウクライナ侵攻前後のパワーバランスや米国の政策とロシアの行動を説明し、ロシアのような国には、パワーバランスを踏まえたネオリアリズム的な視点で臨む必要があることを論じたい。 歴史的に見ると、04年、当時のジョージ・W・ブッシュ政権はバルト三国を含むNATOの東方拡大に乗り出した。共和党政権ではリアリズムに基づく外交政策がとられることが多い。 その中でブッシュ政権の外交政策は、新保守主義という自由主義や民主主義を重視して武力行使も辞さない思想を基調としている。それゆえロシアの反発を受け流しつつ、東欧の民主的な国々をNATOの中に取り込んでいった。 しかし、ロシアにとってそれら周辺諸国は自身の勢力圏に属するのであり、米国を中心とするNATO諸国がウクライナのNATO加盟に向けた取り組み、民主化の促進は米国による攻撃的な政策と受け止められた。 軍事的観点で見れば、2000年時点では、ロシア陸軍全体の陸軍力指数222に対し、ポーランドの陸軍力指数は172と、広大なロシア全体に配備されたロシア陸軍の8割近くあった。さらにポーランドとチェコ、ハンガリーと、NATOへの新加盟国の合計指数ではロシアに勝る陸軍力を有していた。図1.ヨーロッパ陸軍力指数の推移(筆者作成)※クリックで拡大 図1の05年の陸軍力指数を見ると、東欧諸国が加盟したばかりの欧州各国軍および在欧米陸軍をあわせたNATOの陸軍力指数の総合計はおおよそ3308で、ロシアの10倍以上である。 だが、10年になると、08年のリーマンショックの影響を受けて各国が緊縮財政に転じ、特にヨーロッパのNATO加盟国において防衛費が急速に削減され始めた。10年時点のNATO加盟国の陸軍力指数は2711であった一方で、ロシアの陸軍力指数は420であった。避けるべきだった対立 15年には陸軍力指数が3分の1になったドイツをはじめ、ヨーロッパ各国で大幅に陸軍が削減されている。それにより独仏伊の3国の陸軍力指数は、ロシアの西部軍管区、南部軍管区の合計と同程度となっている。 特筆すべきは、ロシアと国境を接しているバルト三国のうちラトビアとリトアニア、そしてウクライナも兵力を大幅に削減していることである。 一方、NATO加盟国のエストニアとポーランドは陸軍力指数をほぼ維持しており、ラトビアとリトアニアとは対照的である。 ちなみに15年における欧州各国のNATO軍の陸軍力指数総合計は、およそ1965であり、ロシアの陸軍力指数は442であった。さらに図2のようにNATO空軍の優位も当時拡大しており、NATO軍と通常兵力による全面戦争になれば、ロシアが敗北することに変わりはなかった。図2.ヨーロッパの空軍力指数の推移(筆者作成)※クリックで拡大 なお、14年のクリミア併合に始まるウクライナ危機は、基本的に短期的軍事問題であり 、国際的なパワーの分布や構造の観点で見ると、軍事力が国家のパワー要素の大きな部分を占めていたと考えられるので、そのような前提で議論する。 既述の通り、そもそもロシアは歴史的に西欧諸国との間に緩衝地帯を必要としており、ウクライナのNATOへの加盟には何度も警告を発している。このような警告の後、ジョージアの例に見られる通り、可能であれば軍事力による干渉も辞さないのがロシアである。 だが、ロシアと国境を接するウクライナは、そうした厳しい軍事的環境にあるにもかかわらず、NATO諸国同様にリーマンショック以降、軍事費削減の流れに沿って陸軍の装備を大幅に削減した。NATO軍が域外に兵力を派遣するには加盟国の全会一致が必要で、ウクライナへの軍事的支援を受けられる見込みがないにもかかわらず軍縮が行われた。 もし、ウクライナがポーランドやエストニアのように2010年と同レベルの軍事力を保有していれば、ロシアは軍事介入できなかったであろう。ロシアはバルト三国が04年にNATOに加盟したときのように、ポーランドなどの加盟プロセスを含め、NATO諸国との歴然たる軍事的格差により介入が実行不可能な場合は、軍事力を行使しなかったからである。 このような観点からすると、理解できないのは、ロシアと直接国境を接し、NATO非加盟国であるウクライナが、10~15年に大幅に陸軍力指数を削減した後の対応である。 ウクライナ経済はロシアからの天然ガス供給問題や経済改革の停滞などによって極度に低迷しており、軍事力削減は無理からぬところではあった。また、ヴィクトル・ヤヌコビッチ政権が親露的であったからこそ、陸軍削減が可能だった。 逆にそういう意味で、陸軍の削減はクリミア危機時点での政府の責任でもない。しかしそれゆえに、軍事力の視点に立てばロシアとの対立は避けるべきであった。現に同じくNATO非加盟国であるベラルーシは、ロシアとの集団安全保障条約に加盟しつつ、ロシアへの併合は拒否するという外交スタンスを保っている。ウクライナの政変で反政権デモ隊が拠点とした首都キエフの独立広場=2014年(遠藤良介撮影) それに対し、オレンジ革命をはじめとしてウクライナは、民主化とNATOへの加盟を切望する政治勢力がしばしば政権を握っていた。このように、14年のウクライナ危機は、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領が逃亡し、民主化とNATOへの加盟を望むオレクサンドル・トゥルチノフ暫定政権が成立したのをきっかけに始まったと見ることができる。 新政権成立時の14年初頭には、ウクライナの陸軍力指数は2010年の2分の1である88まで低下していた。その一方で、ウクライナと国境を接するロシアの西部軍管区の数値は111、南部軍管区は107であり、ウクライナの領土奪取やウクライナの政情不安定化を可能とするだけの軍事力があり、ロシア財政も原油価格高騰により潤沢であった。意図に反した軍拡 したがって、東欧において軍事力を中心としたパワーの面でいわゆる力の真空が発生し、ロシアがジョージア侵攻を行ったこととあわせ考えれば、ロシアによるウクライナに対する武力行使の発生や国際システムの不安定化が起こるのは明らかであった。 トゥルチノフ暫定政権としては、当面ロシアと妥協しつつ、ウクライナ軍の支持を得て予備役を招集し、全土に非常事態を宣言してしばらく戦時体制を維持しながら選挙を行うのが現実的選択肢であった。しかし現実は、参謀総長すら欠いたままロシアのクリミア侵攻を迎えたのである。 このような結果を生んだ根本的原因は、主として米国の歴代政権が国際政治の現実を無視して、ウクライナの親西欧側勢力に何の軍事的裏付けもなく、民主化とNATO加盟の夢だけを与えたことにある。そして夢を与えられた側も国際政治の現実を見ないまま行動し、ロシアに付け入る隙を与えてしまった。 ロシアのウクライナ侵攻後、米陸軍は自ら企画し実施した図上演習を元にランド研究所に論文を作成させ、ロシアの能力を評価し、「ロシア軍は60時間でラトビア、エストニアの首都に到達しうる」とした結論を下した。 この論文は有力メディアや米欧州陸軍司令官などあちこちで引用され、ロシアの脅威が過大評価された。図上演習は、シナリオの設定次第で結論をいかようにも操作できる。つまり、将棋でわざと負けたのと同じである。 しかし、現実のロシアの軍事力はNATO軍を相手にするには小さすぎるのである。ロシアの西部軍管区は、ラトビアから大体1500キロの範囲に収まるが、その圏内にあるNATO軍の陸軍力指数合計は15年当時、西部軍管区の3倍であり、ポーランド一国で西部軍管区全体と同じぐらいの軍事力を有していた。 ラトビアから2千キロ圏内にはトルコが入るが、15年にはトルコ一国だけでロシア陸軍全体の約2倍近く強力な陸軍を保有していた。このようにランド研究所による研究ではヨーロッパの軍事バランスを全体として見る視点が全く欠落している。 米議会予算局(CBO)によれば、冷戦末期の中央ヨーロッパのADEを算出すると、ワルシャワ条約機構の諸国軍がNATO諸国軍を1・5倍前後勝っていた。また、筆者の陸軍力指数で再計算するとパリティであった。それゆえに、ソ連崩壊によって衰退した現在のロシア軍に大騒ぎするのは妙な話である。 したがって、冒頭で述べたワルシャワサミットによるNATOが行った部隊配備はそもそも不要であった。この部隊配備は「前方プレゼンス配備」(EFP)と呼ばれ、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニアにそれぞれ千人のNATO軍がロシア国境に常駐し、有事の際には即応するというものだ。 だが、結果としてこのEFP配備がロシアによる軍備増強をもたらし、バルト三国およびポーランドへの軍事的緊張を高めることになってしまった。 そもそもバルト三国のEFP配備の希望を無視したところで、NATO軍は第5条事態(集団的自衛権の発動)になれば同盟として必ず介入するし、そうでなければNATOという同盟は崩壊してしまう。ロシアを刺激してまで、EFP配備を進める必要はなかったのだ。演習のためエストニアのアマリ空軍基地で待機する米軍のF16戦闘機=2015年、エストニアのアマリ空軍基地(内藤泰朗撮影) ロシアは、EFP配備を97年のNATO・ロシア基本文書における新加盟国の領土において、「実質的な戦闘部隊の付加的で永続的な配置」を行わないことに違反していると主張した。 当事国のロシアがそう言うのであるから、NATOが「基本合意違反ではない」といっても詮無きことである。ロシアは合意違反という認識に基づき、西部軍管区に2個師団、南部軍管区に1個師団増強すると宣言し、実際に増強している。ウクライナ危機の教訓 その結果、バルト三国正面の兵力比率は大幅に悪化した。ロシアの防衛力整備計画は、財政難を理由に実行されないことが多い中、対NATO正面の陸軍兵力をいかに重視しているかが分かる。 具体的には、16年5月、NATOによるバルト三国などへのEFP配備がメディアにより明らかにされ、NATO事務総長などによって確認されると、ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相はNATOに対抗するために、西部軍管区に2個師団、南部軍管区に1個師団を新設すると発表した。その後、7月にワルシャワで行われたNATOサミットにおいて、バルト三国へのEFPの部隊配備が正式決定されてしまった。 そしてミリタリーバランス2020年版によると、西部軍管区のロシア軍は約2個師団、南部軍管区のロシア軍は約1個師団実際に増強されていることが、軍管区の編成上もロシア全体の陸軍力指数の評価からも明らかになった。 この結果、20年のバルト三国正面の西部軍管区は、15年の1・5倍前後の戦闘能力を有することになり、NATOの思惑とは逆に軍事バランスは大幅に悪化したのである。 民主主義の価値を重視するオバマ 政権が、政府の一部にすぎない陸軍によって振り回された結果、安全保障環境を悪化させしまったわけであるから、これはオバマ元大統領が重視するリベラルデモクラシーの根幹を揺るがすものであった。 また、現実主義の立場からは、NATO軍が防衛的反応だと考えているものに、ロシア軍のさらなる強硬な対応を招きかえって軍事バランスが悪化する、セキュリティージレンマを生じさせる可能性があるという観点を持つべきであったとの批判が可能であろう。 こうして米陸軍に対する兵力削減圧力の緩和といった組織防衛の目論見に乗せられて、ロシアに3個師団の増強を決定させ、バルト三国正面の軍事バランスをかえって悪化させたと見ることもできる。 では、ウクライナ侵攻をもたらした根本的原因は何であろうか。それは、軍事バランスの構造やロシアの考え方を理解することなくウクライナをNATOに引き入れようとしたNATO諸国の政策であり、とりわけ、ロシアを刺激するのに消極的な独仏を押し切ってウクライナを含むNATOの東方拡大を進めようとした米国の歴代政権の政策である。 ブッシュ政権に続くオバマ政権が、ロシアの勢力圏的発想を19世紀的であるとして認めないのは自由である。しかし、オバマ政権が国際法にのっとってそう主張するだけでロシアを抑止できると考えているのであれば、それはオバマ元大統領のような法律家が陥りがちな考えであろう。 米露中などの大国は、国益の観点からしばしば国際法を無視したリアリズム的な行動をとるにもかかわらず、オバマ元大統領らリベラルな政治家は、「NATOが団結し、民主主義の価値に忠実であれば勝利する」などと主張する。 それは民主党政権、共和党政権を問わず米歴代政権が行ってきたゆえ、再度主張するのは何の問題もない。しかし、実際に現実がそうである思い込んでいるように見える点で「現実の国際政治に立脚していないのではないか」という疑念が消えない。北大西洋条約機構(NATO)首脳会議閉幕 ラトビアの首都リガで開かれたNATO首脳会議で公式写真の撮影を前にくつろいだ表情の(右から)ブッシュ米大統領、メルケル独首相、ヤープ・デホープスヘッフェルNATO事務総長=2010年、ラトビア・リガ(AP=共同) このようにウクライナ危機は、米国およびNATO諸国のネオリアリズム的観点の欠如がもたらした危機であると見ることもできる。これは先日より話題となっているベラルーシ問題を抱える現在に通じる問題であり、ウクライナと同様の轍(てつ)を踏まないよう、注意が必要である。 とはいえ筆者は、国際ルールを誠実に守る明治期の日本や現代の日本のような国があることを否定するものではない。しかし、米露中のような国は、基本的には国際ルールを守りつつも、安全保障上の問題に軍事力で対応する場合があることを忘れてはならない。(本稿は筆者の個人的見解であり防衛省を代表するものではない)

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    恐怖政治強化の序章か、ナワリヌイ逮捕が示す暗黒国家ロシアの本領

    中村逸郎(筑波大教授) 2020年8月20日、ロシア・西シベリアのトムスク市から発したモスクワ行きのS7航空2614便に搭乗していた反体制指導者でブロガーのアレクセイ・ナワリヌイ氏は、離陸から30分後に気分が悪くなりトイレに駆け込んだ。同氏はその直後、意識不明の重体に陥る。 「ウォー…ウォー……」と、彼のものと思われるうめき声が機内で響く。 「アレクセイ、飲むんだ、息をしろ」、必死に薬を飲ませようとする仲間たちの叫び声。 そこはまさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の様相だった。なお、この顛末の詳細は、拙著「ロシアを決して信じるな」(新潮新書)を参照されたい。 このナワリヌイ氏に対する惨劇は、今年1月に入ってからロシア全土で繰り広げられた反政権集会の引き金となる。ロシア出身の在米化学者であるビル・ミルザヤノフ氏は昨年9月10日、ロシアの人気ラジオ局「エーホ・モスクワ(モスクワのこだま)」のインタビューで以下のように断言している。 「ナワリヌイ氏の症状はノビチョクによる症状と似ています。18年にロンドンに住むロシア情報機関職員だったセルゲイ・スクリパリ氏に使用されたノビチョクA-234よりも毒性が強力なものだったかもしれません。ノビチョクを製造できるのはロシアの国立研究所だけです」と同氏は述べている。そしてこの毒物が世界に知れ渡るようになったのは、このスクリパリ氏暗殺未遂事件がきっかけなのだ。 実はこのミルザヤノフ氏は、ノビチョクの開発者の一人でもあった。この毒物は旧ソ連時代の1970年代前半に開発が始まったが、実態については20年近く国家秘密として隠されてきた。ソ連崩壊直後の92年、反ソ連体制派の科学者たちはノビチョクが化学兵器であることを告発しようと試みたが失敗に終わった。その一人が彼だったのである。 意識不明となったナワリヌイ氏はロシアから飛行機でドイツのシャリテー・ベルリン医科大に移送され、自力で呼吸できるまでに回復し、一命をとりとめた。毒殺未遂事件に関わったとされる工作員と電話で話すナワリヌイ氏(右)=ドイツ(NAVALNY.COM提供、ロイター=共同) 現時点ではノビチョクが本当に使用されたのかどうか、決定的な証拠はドイツやロシアでも公表されていない。推測の域を出ないが、疑惑にとどまるからこそ逆にロシアらしい怪奇な仕業といえる。 ロシアのメディアはナワリヌイ氏を含めて事件や事故を大々的に報道することがあっても、真実を報じることはないと私は思う。ロシアでは、真実はニュースにならないからである。毒を持って毒を制す ロシアは昔から、政治的な陰謀や政敵への復讐に毒物が用いられてきた歴史がある。古代ロシアでは、公や候(公爵)が祝宴のテーブルで致死量を超える毒が盛られて、召し使いに看取られながら死ぬ場面が絵画として残されている。 当初、植物由来の激しい毒性を持つアルカロイド系の毒物が用いられてきたが、中世に入ると、ヒ素化合物の使用が主流となった。 この毒物は筋肉のけいれんを引き起こすコレラと似た症状が見られ、20世紀初頭まで広く使用されていた。それらが「毒の王様」と形容されたのは、致死率が低く、相手を苦しめるのに効果があったからだ。すぐに死に至らない毒物として重宝されたのである。 ソ連時代になると、政府機関が化学兵器の開発を推進し、放射性物質ポロニウムの研究やノビチョク開発が進められた。こう見ると、ロシアは「独裁国家」というよりも、実態は「毒裁国家」と形容できる。 それにしても私が納得できないのは、ナワリヌイ氏の言動である。彼は1976年6月4日生まれの44歳であり、11年に政治家や官僚の汚職を告発する「反汚職基金」を創設し、翌年から無許可の反プーチン集会を仕掛けるようになった。 そのたびに身柄を拘束され、19年には収監されていたモスクワの施設で顔が腫れ上がり、片目が開けられないなどの中毒症状を起こした。その悲惨な様子はインターネットでも拡散されている。 プーチン政権からたびたび警告を受けているにもかかわらず、いわば自分の命と引き換えに果敢に反政権活動を断行している。もちろん彼なりの正義感があるにしても、ドイツでの治療によって中毒症状が改善したのに、先月1月17日にモスクワに帰った。 実はナワリヌイ氏は身柄を拘束され、虐待を受けるたびに一般市民からの寄付金が先の反汚職基金に寄せられる。彼の不幸な映像や様子がインターネット上で拡散されると、気の毒に思うロシア人が一定数いる。モスクワ中心部で反体制派ナワリヌイ氏の支持者を排除する治安部隊=2021年1月23日(タス=共同) ロシアには、数奇な運命に翻弄(ほんろう)される人たちに同情する文化が根付いている。その理由は、かの国の苦難の歴史にある。13世紀から240年も続いたタタールの支配やナポレオン、ナチスドイツの侵略など、ロシアは外敵の脅威にさらされてきた。 国内に目を向けると、ピョートル大帝、イヴァン雷帝、さらにはスターリンなどの残忍な支配者たちの抑圧や飢餓に苦しめられた。とりわけ迫害された芸術家や作家に対する人々の同情は並大抵のものではない。ナワリヌイ氏の政治思想に賛同できなくても、そうした暗い歴史を紡ぎ、戦禍や恐怖政治に耐えてきた背景があるからこそ、その苦悶(くもん)に共感する人たちがいる。ナワリヌイ氏が持つ闇 ナワリヌイ氏が受け取った2019年の寄付金の総額は、5億8800万ルーブル(約11億円)まで達したらしい。だからこそ今回は快方に成功したからといって、いつまでもドイツに滞在するわけにはいかない。祖国ロシアでプーチン政権を非難し、いわば危険な目にあうことで寄付金を集めなければならないからだ。 そしてその寄付金の約半分はナワリヌイ氏が私的流用し、さらに仲間40人ほどにも回しているという疑惑が国内メディアで報じられている。もちろん真偽は分からないが、その闇もロシアらしい。ナワリヌイ氏は、まるで「反プーチン活動ビジネス」を展開しているかのようだ。そのやり方は「炎上商法」に近い。 他方で、彼の帰国を許可した政権側の思惑も見え隠れする。ナワリヌイ氏はしょせん、ブロガーである。彼が反政権運動のリーダーにとどまるならば、どんなに盛り上がってもプーチン政権を揺るがすほどの脅威にならない。 むしろ集会を半ば容認することで、反政権勢力が国内にどの程度広がっているのか、ある種の世論動向を探ることができるそうだ。ナワリヌイ氏を政治利用しようという、当局の策略が透けて見える。 結局のところ、ナワリヌイ氏とプーチン政権は、いわば持ちつ持たれつの関係にあるという構図が浮かび上がる。 しかし、今月2日、両者の関係に大きな変化が生じた。ナワリヌイ氏に対して、過去の詐欺事件で受けた有罪判決の執行猶予が取り消される決定が下された。ナワリヌイ氏は2年8カ月の実刑が言い渡され、収監された。 今年1月下旬にロシア全土で広がった大規模な反政権集会に、プーチン政権は歯止めをかける必要性に迫られたためだ。ナワリヌイ氏の仲間たちも身柄を拘束されてしまい、かの「反プーチンビジネス」は終焉(しゅうえん)を迎えてしまったようだ。年末恒例の記者会見をオンライン形式でモスクワ郊外の公邸から行うロシアのプーチン大統領=2020年12月17日(タス=共同) 反政権派のシンボルだったナワリヌイ氏の逮捕により、この先ロシアはどのような運命が待ち受けているのだろうか。今後は反政府集会が開催されることもなく、普通の人々が抱くプーチン政権への怒りは社会の底に沈殿していく。そうなると、皮肉にもプーチン政権は彼らの動向を見失ってしまう。 社会全体に疑心暗鬼の空気が充満し、かつてのロシア皇帝のようにプーチン氏がテロリストの標的として狙われることも考えられる。テロ活動を警戒するプーチン政権は、治安部隊を社会の隅々に配置して恐怖政治を強めるかもしれない。いずれにしても今後、ロシア史に暗黒の時代が刻まれるのは確かである。  ※文中の筆者の著書「ロシアを決して信じるな」(新潮新書)は2021年2月17日発売

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    国民から見放されたロシア軍がすがるしかなかった「ソ連の栄光」

     軍の建て直しが進み、軍人たちの生活環境も改善されたプーチン政権下でもこうなのだから、1990年代にロシア軍がなめた辛酸は想像に余りある。給料は大幅に遅配されるか、期日通り支払われてもハイパーインフレで紙くず同然になった。 手厚い社会保障も滞り、アルコール、ドラッグ、新兵いじめが蔓延(まんえん)する。暮らしていくために兵器や燃料の横流しに手を染める軍人も後を絶たず、国民の軍に対する信頼も地に落ちた。 こうした状況でロシア軍が頼ったのは、かつてナチス・ドイツという「人類悪」を打倒した偉大な軍隊の「後継者」というアイデンティティーである。その一例は、ソ連時代に用いられていた名誉称号をロシア軍が引き続き保持したことであろう。ロシア・モスクワ近郊のモルニ空軍記念館に展示されているスホーイ25攻撃機(手前)とツポレフ144超音速旅客機(ゲッティイメージズ) 93年に成立したロシア連邦憲法第13条は「ロシア連邦はイデオロギー的に多様な国家である」「いかなるイデオロギーも国家的なものではなく、義務ともされない」と謳(うた)っている。それでもなお、ロシア軍はこうした称号を捨てず、「赤旗勲章」、「レーニン記念」、「スターリングラード解放」などの称号が相変わらず冠され続けたのである。「ソ連ノスタルジー」への回帰 一方、2000年に成立したプーチン政権下では微妙な変化が起きた。「強いロシア」を掲げるプーチン政権は、確かに国防予算を増額し、崩壊しかかっていたロシア軍を復活させた。ただ、それはあくまでも経済の負担にならない範囲で、という但し書きのついたものでもあった。 実際、2008年にグルジア戦争が起きるまで、ロシアの国防費増は経済成長率を上回らない範囲に抑制され、その対国内総生産(GDP)比はおおむね2・5%程度に設定されていた。経済力ではるかに勝る米国と軍拡競争を繰り広げ、経済を疲弊させたソ連への反省がそこには明瞭に見て取れよう。プーチン大統領が口癖のように「ロシアは軍拡競争には陥らない」と繰り返すのも、韓国並みの経済力しか持たない現在のロシアの状況を鑑みれば、うなずくほかない。 さらに、プーチン大統領は2007年、軍改革を進めるためとしてアナトリー・セルジュコフ氏を国防相に任命した。軍や情報機関出身者が就任するのが通例であったそれまでの国防相と異なり、家具会社の社長から連邦税務局長を経て国防相に就任したという変わり種である。 セルジュコフ氏は元ビジネスマンらしい経済感覚で軍を徹底的に合理化しようとした。その主眼は、第3次世界大戦のような巨大戦争に備えるのではなく、より蓋然(がいぜん)性の高い小規模紛争への備えを優先した態勢への転換であったが、セルジュコフはこれと並行して、ソ連へのノスタルジーも一掃しようとした。 その一例が前述の名誉称号である。例えば、モスクワ防衛部隊として知られる第2師団は、それまで「十月革命勲章授与・スヴォーロフ勲章授与・カリーニン記念・赤旗第2親衛タマン自動車化歩兵師団」という実に「ソ連的」な名誉称号を冠していた。これが、一回り小さい旅団規模となり、名称も「第5自動車化歩兵旅団」という機能的だが素っ気無いものに変わった。組織改編と同時に、ソ連軍の記憶からの切り離しが進んだのがセルジュコフ時代のロシア軍であった。 ただ、こうした動きは、ロシア軍上層部や保守派からはいかにも苦々しいものとして受け止められた。ソ連の軍事的栄光が忘れ去られていくことに、彼らは感情的なレベルで反発したのである。ソ連時代に米国と戦うことを念頭に軍事教育を受けた旧世代の将軍たちを、セルジュコフ氏が片っ端から更迭していったこともこれに拍車をかけた。2011年5月、ロシア・モスクワの「赤の広場」で対ドイツ戦勝記念日の軍事パレードに参加した兵士ら。背後のスクリーンに映し出された(右から)プーチン首相、メドベージェフ大統領、セルジュコフ国防相(遠藤良介撮影) プーチン政権にしても、ナチスを打倒した歴史は西側諸国との紐帯の証しであり、共産主義イデオロギーが失われた社会をまとめ上げていく上で政治的に一定の利用価値があった。 2011年にセルジュコフ氏が汚職問題とその中心にいた愛人の存在を暴露されて失脚すると、軍の巻き返しが始まった。セルジュコフ氏が合理化によって廃止した大規模な軍事態勢が復活し、それとともに「ソ連的」な名誉称号が再び用いられるようになったのである。前述の第5自動車化歩兵旅団が、再びソ連時代の名誉称号を冠する師団に改編されたのは2013年のことであった。入り混じる「ソ連」と「ロシア」 ナチスへの勝利を記念して毎年5月9日に行われる戦勝記念パレードにも、変化が見られるようになった。勝利の立役者となったT-34戦車などの兵器がきれいにレストア(復元)されて、行進の先頭を飾るようになったことはその一つである。 また、パレード後には、「不滅の連隊(ベススメルトヌィ・ポルク)」と呼ばれる一種の市民行進も催されるようになった。第2次世界大戦に従軍した家族の写真などを掲げて市民が街中を行進するというもので、プーチン大統領も内務人民委員部(NKVD)の破壊工作員として戦った父親の写真を持って、これに加わっている。 何よりも決定的なのは、2014年のウクライナ危機で反米機運が極度に高まったことであろう。対米関係の悪化は、大国を相手に戦える巨大な軍隊の必要性をわかりやすくアピールする機会となり、かつては抑制されていた国防予算も、一時期はGDPの4%以上まで膨れ上がった。 何より、2014年以降の国際情勢は、ソ連が超大国として米国と軍事的覇権を競い合った冷戦期の記憶を、ロシア人一般の間に呼び起こした。こうして、国家を守るロシア軍の姿が、再びソ連軍のそれと重ね合わされるようになったのである。 ただ、現在のロシア軍は、ソ連時代へのノスタルジアのみを威信の源泉としているわけではない。軍事力の復活によってロシアが再び国際政治の表舞台へと返り咲いたこと、ロシア軍の規律が大きく改善されたことなどはロシア軍に対する国民の信頼感を大いに回復させ、世論調査では「信頼のおける政府機関」として大統領の次に名前が挙がるようになった。ソ連軍を持ち出さずとも、ロシア軍は国民の支持をある程度回復したと言える。 また、プーチン政権はソ連崩壊後に息を吹き返したロシア正教会に接近し、近年ではロシア軍にも従軍司祭が置かれるようになった。パラシュート部隊である空挺(くうてい)軍(VDV)には、パラシュート降下資格を持った司祭さえ在籍しているほどだ。 再び軍事パレードに話を戻すと、現在のショイグ国防相は正教式の十字を切ってから赤の広場のパレード会場へと入場するし、パレードを終えて駐屯地へ戻る部隊は国防省前の教会が鳴らす鐘の音で祝福を受ける。モスクワ・赤の広場に建つクレムリンの尖塔(右)と聖ワシリー大聖堂(ゲッティイメージズ) 現代のロシア軍は、その強力な軍事力とソ連時代へのノスタルジー、そしてロシアの民に受け継がれてきた正教への信仰など、さまざまな要素によって支えられていると言えるだろう。「ロシア連邦はイデオロギー的に多様な国家である」という憲法13条の規定は、ここにおいて奇妙な形で実現したと見ることもできないことはない。憲法の起草者たちは夢にも思わなかった形ではあろうが。

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    100年前のロシヤ革命、革命と反革命どちらなのか論じるべき

    主義による国家樹立のきっかけとなった革命からちょうど100年になる。評論家の呉智英氏が、ロシヤ革命(ロシア革命)について、これから様々に現れるであろう論考について、解説する。* * * 今年はロシヤ革命百年に当たる。これから秋にかけてマスコミに愚論が次々に現れるだろう。私はこの連載で逐一これを叩かなければならない。ああ、考えただけで嬉……じゃなかった、面倒くさい。 その序論として、マスコミは1917年にロシヤで起きた政変をどう書くか、考えてみよう。私自身が冒頭に書いたように「ロシヤ革命」だろう。しかし、そうだとしたら、1991年に起きたソ連崩壊は何なのだろう。当然、ロシヤ反革命だろう。74年を経て(1922年のソ連成立からだと69年)、やっと反革命が実現したのだということになる。では、マスコミは1991年の政変を「ロシヤ反革命」とするだろうか。しないだろうな。 今私が書いたように、最もニュートラルに「ロシヤ政変」とするかもしれない。それなら、1789年に起きたフランス革命もフランス政変だろうし、1868年の明治維新も明治政変だろうし、1911年支那の辛亥革命も辛亥政変だろう。 この問題を解決するため便法として、1917年の政変も1991年の政変もともにクーデタと呼ぶ論者も出てきている。半世紀ほど前に受験勉強のために暗記した「645年、大化改新」も、最近は「645年、乙巳のクーデタ(また乙巳の政変など)」と名称変更されている(646年の詔発布を「改新」の始まりとする)。つまり、価値判断の伴う「革命」「改新」という言葉を避けようという意図である。 しかし、大化改新は、クーデタ後に改新は起きたのであり、全体として大化改新である。一方、ロシヤの場合、1917年のクーデタ後の74年間は何だったのか。クーデタ後に地獄の政治が始まったとするなら、1991年のソ連崩壊こそロシヤ革命だろう。 あるいは、1917年の政変はエセ革命であったという解釈もありうる。ソ連共産党内の反スターリン派であったトロツキーの流れを汲む共産主義者なら、そう言うだろう。また、ロシヤ革命直前期の革命勢力のうちの反共産主義の人たち、社会革命党、無政府主義者、さらにメンシェビキたちも、そう言うだろう。 だが、そのエセ革命社会が1991年に崩壊して、その後、トロツキー派や社会革命党が息を吹き返したり注目を集めるようになっているわけではない。ロシヤの民衆がトロツキーの肖像を掲げてプーチン打倒のデモ行進をしたという話は聞いたことがない。 ソ連という地獄の政治への不満や反撥や批判は、民衆からも政治家からも思想家からもずっとあった。しかし、ソ連は約70年間も続いた。これを崩壊させたのは、アメリカのレーガン大統領である。レーガンが核競争を仕掛け、これを受けたソ連も軍拡に走り、経済的疲弊の結果、崩壊に至った。 ロシヤ革命について考えるなら、これらの論点についてこそ考えなければならない。ソ連崩壊後からでも26年経っているんだし。●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。関連記事■朝鮮半島における「礼儀・礼節」 日本とは意味が違う■認知症の初期症状 「面倒くさい」「別にいい」等の口癖増加■奇怪な呼称問題 「石川五右衛門・元死刑囚」と呼ぶべきか■ジャンボ宝くじ 何年買い続けたら1等当せん確率が上がるのか■『正義のYouTube広告』が持つ発信力について考えてみた

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    ロシアにディストピア小説はない、理由はプーチン政権

    ピアもファシズムも、この国は徹底したものを嫌悪するのですね。ぬるま湯以外はいやなんでしょうね。いまのロシアそのもの佐藤:戦前の未完のファシズムも、平成の中途半端なディストピアもそうした日本の社会構造が生んだとも言えます。私はディストピアが求められる社会には、実は希望があると感じます。片山:なるほど。逆説的にいえば、きっとそうなのでしょうね。佐藤:2011年からロシアで放映された『月の裏側』というテレビドラマがあります。モスクワで連続殺人犯を追う警官が1977年のソ連にワープする。警官を続けながら現代に戻る方法を模索する主人公が、ソ連崩壊を経験し、現代に戻ってくる。片山:面白そうなストーリーですね。佐藤:実際、大ヒットして続編が作られた。セカンドシーズンでは前作で起きたあることが原因で、ペレストロイカが行われず、ソ連が崩壊していない。 地上にはソ連製のボロいクルマが走っているんですが、空中には飛行船が飛んでいる。紙幣は廃止されて電子マネーが使われている一方、コカコーラも西側のラジオも禁止。KGBが絶大な権力を持つファシズム国家として存続している。片山:続編はパラレルワールドものになったわけか。興味深い内容ですね。佐藤:でもセカンドシーズンは、ロシア人にまったく受け入れられなかった。まるでいまのロシアそのものじゃないか、と。片山:ロシアの人たちは、現実を見せられた気分になったのか。佐藤:そこですよ。ロシアにはいまほとんどディストピア小説がありません。なぜならプーチン政権がディストピアそのものだから。片山:だから逆にディストピア小説が読まれる社会にはまだ希望がある、と。佐藤:ええ。ただし、あと一歩進めば、小説を笑えなくなる日が来ることも、この国の作家たちは分かっているから作品を発表し続けているのだと思います。●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。片山杜秀氏との本誌対談をまとめた『平成史』が発売中。●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究者。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『「五箇条の誓文」で解く日本史』。■構成/山川徹、撮影/小倉雄一郎関連記事■佐藤優×片山杜秀 ディストピア小説を読むと日本が見える■佐藤優×さいとう・たかを プーチン大統領を怖いと感じる訳■「北方領土は2島で」 安倍首相は歴史に名を残したいだけか■アリババ総帥をネット民礼賛 プーチン氏に「私は若くない」■佐藤優×片山杜秀対談 2度の粛清でおかしな官僚だけ残った

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    偶然装う「ロシアスパイ」の巧妙手口、次の標的はあなたかもしれない

    中村逸郎(筑波大教授) ロシアと聞いて、皆さんは何を想像するだろうか? 自国を軍事大国とあけすけに自慢したり、どんなにドーピング疑惑が深まってもスポーツ大国と得意げな顔を見せたりする国。多くの人は、そうイメージするのではないか。だが、かつてのソビエト連邦を知っている世代からすると、かの国は「スパイ大国」のイメージが強い。 その印象が定着したのは1950年代である。ソ連のスパイが、第二次世界大戦中にアメリカとイギリスが原子爆弾を共同開発した「マンハッタン計画」を盗んでいたことが発覚した。いわゆるローゼンバーグ事件である。スパイの暗闘に、欧米諸国で戦慄が走った。 それから月日がたった2018年2月のある日。寒空が広がるモスクワ都心にて、私自身もロシア人スパイの標的となった。 午前10時過ぎ、私はホテルから閑散とした町並みに出掛けた。日曜日ということで、車も歩行者もまばらだ。私は、ボリショイ劇場の正面を南北に走る目抜通りをくぐる薄暗い地下道を歩いていた。ふと、前方をゆっくり歩く男性の後ろ姿に気づいた。30代とみられる彼は分厚い黒色のコートを羽織り、ポケットに両手を入れながら歩いている。すると突然、ポケットからビニール袋がパシャッと音を立てて路面に落ちた。私は思わずそれに目を向けると、袋の中には無造作にたたまれた数十枚もの100ドル札が入っていた。しかし、その男性は気づかない様子で歩いて行く。私はビニール袋を拾い上げて、彼の後を追った。「お金を落としましたよ」 男性は振り向き、笑顔を浮かべて感謝の言葉を口にした。だがその直後、彼の表情は一変した。彼はもう片方のポケットを探りながら、こう声を荒げた。「あれっ…。あなたは、もう1つのビニール袋を見ませんでしたか。同じようにドル札がたくさん入っていたんです」「えっ、何のことですか。私が拾ったのはこの袋だけです」「そんなはずはない!あなた隠しているんでしょう」「泥棒だ!」 彼はそう大声で叫ぶと、4人の男たちが足早に近寄ってきた。彼らは私の抗議を無視し、口々に「ルビャーンカに行ってから話を聞く」と、そう言い放った。彼らはグルだったのだ。 ルビャーンカとはソ連国家保安委員会(KGB)、現在のロシア連邦保安庁(FSB)の代名詞だ。本庁の豪華な黄色の建物が、ルビャーンカ広場に建っていることに由来する。この地下道から徒歩で10分のところにそれはある。 私は、いつもポケットに携帯電話を入れており、何かあれば日本大使館に通報できるようにセットしていた。「大使館に電話します」。私はそう声を絞り出すと、5人の男性たちはバラバラに立ち去っていった。 こうして私は、なんとかロシア人スパイによる窮地から免れることができた。それにしても、人間の善意を逆手にとり、一瞬にして恐怖に陥れる。ロシア人の友人にその不快な出来事を打ち明けると、次のように説明してくれた。モスクワにあるロシア連邦保安庁(FSB)本部(gettyimages)「ルビャーンカに連れていけば相手は動揺します。彼らは恐怖心をあおり、自分たちの一味に囲い込むのです」ロシア人スパイの手口とは 最近、大手通信会社「ソフトバンク」の元社員が機密情報をロシアの産業スパイに渡していたというニュースが話題となった。元社員は「見返りは十数万円の現金と飲食接待だった」と打ち明けているようだ。 でも、私にはそれが信じられない。ロシア諜報機関が、金銭や飲食の提供、さらにはハニートラップなどの享楽的な機会を提供する見返りとして、機密情報を入手するとは到底思えない。あまりにも衝動的で、あまりにも刹那的なやり方だからだ。  スパイは情報提供者に4、5年にわたる情報提供を要求するわけだから、相手の強い忠誠心が不可欠な条件となる。性格的には、真面目で向上心が強く、虚栄を張っている人がスパイのターゲットになるようだ。 協力者の言動を1年ほど調査し、そのうえで日本国内に限らず、ロシアを含む海外も舞台に、相手を殺人犯や交通死亡事故の加害者に仕立てる。そして精神的な極限状態に追い込むのが、ロシア人スパイの常套的な手口である。  今回の事件では、在日ロシア通商代表部の職員が元社員に接触したらしい。ソ連時代からこの組織は、「スパイの巣窟」と称されてきた。表向きは、日露の経済交流を促進するキャンペーンや合弁企業の創設を任務としており、50人ほどの職員が勤務しているようだ。ただ昔から、5、6人のスパイが混じっているという噂が流れている。 スパイは基本的に単独行動し、互いに情報を交換することはない。もっとも彼らは、だれがスパイなのか知らされていない。スパイはモスクワの本庁からの指示で活動し、コードネーム(暗号名)を使用している。たとえ外国でつかまってもスパイ活動の全容がバレないためだ。 今年2月10日にソフトバンクの元社員から機密情報を受け取っていたスパイが成田空港から出国した。氏名はアントン・カリーニンと報じられたが、本名のはずがない。 ロシアのスパイ活動をたどると、1960年の日米安保改定でアメリカとの軍事協力が強化されてから日本国内でのソ連のスパイ活動が本格化したと考えられる。日本を通して、極東におけるアメリカ軍の機密情報を狙ったのである。そうした状況下、1979年に東京でスパイ活動をしていたレフチェンコのアメリカ亡命は衝撃的なニュースとなった。※画像はイメージ(gettyimages) ソ連の雑誌「ノーヴォエ・ヴレーミヤ」の東京支局長だったレフチェンコは、アメリカで日本でのスパイ活動についていろいろと証言した。日本の警察はその情報にもとづき、スパイと日本人の接点を特定しようとしたがほとんど解明できなかったようだ。というのも、レフチェンコは他のソ連人スパイと自分が工作した以外の日本人を知らなかったからだ。狙われる東京五輪 ソ連邦が崩壊した1991年以降、日本におけるロシアの諜報活動の検挙は9件に及ぶ。しかし、日本の警察は真相をつきとめることができず、ソフトバンクの元社員の一件も氷山の一角としてとらえるべきであろう。 ロシア諜報機関の主要な目的は、日米軍事協力を揺さぶることにある。昨年来、北方領土交渉は暗礁に乗り上げており、プーチン政権は在日米軍を厳しく非難している。 日本への不信感を強めており、ソフトバンクが設置する電話の基地局などの機密情報を入手し、日本国内でのテロ活動を準備していることも想定できる。電力や鉄道系の情報が狙われる可能性も高い。 東京五輪開催の前に日本を動揺させることも目的の一つかもしれない。 というのも、2015年12月23日にアメリカの保安当局が恐怖で震えおののいた事件が起きた。反ロシア勢力が拠点とするウクライナ西部の都市で大規模な停電が発生。約20万人の日常生活が突然停止した。ウクライナ政府はアメリカ情報機関の協力を得て原因を調査したところ、国内の電力会社がロシアからサイバー攻撃を受けたことが判明した。 東京五輪を前に、サイバー攻撃による混乱をどのよう防ぐのか。官民一体でセキュリティー対策を講じておくことが重要となってくる。※写真はイメージ(gettyimages) 日本は昔から、「スパイ天国」と揶揄(やゆ)されてきた。その理由に、スパイ活動を摘発する法律がないことが大きい。2013年に「特定秘密保護法」が成立したが、基本的には秘密にしておく情報を特定するにとどまるため、スパイ活動そのものを取り締まるわけではない。 外国のスパイに関する罪は重罪に処されることが多く、アメリカでの最高刑は死刑、フランスでは無期懲役となっている。 ロシア、中国、さらに北朝鮮によるスパイの脅威にさらされる日本。いまや軍事的な衝突ばかりではなく、情報戦こそ軍事の最前線になりつつある。「桜を見る会」の追及も必要かもしれないが、今こそ日本におけるスパイ活動への監視と対処方法を本格的に議論すべき段階だ。

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    送還期限迫る、ロシアで出会った北朝鮮美女

    ロシア極東の都市、ウラジオストクを今秋、iRONNA特別編集長の山本みずきが訪問した。北朝鮮との国境に近く、要衝として知られるだけに、歴史だけでなく現代の国際問題も多数内包するウラジオストク。現地リポート第1回は、国連制裁決議に基づき送還期限を迎える北朝鮮の出稼ぎ労働者に焦点をあてる。

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    送還直前、北朝鮮美女が働くレストランに潜入してみた

    山本みずき(iRONNA特別編集長) 私は今秋、ロシア極東の港湾都市、ウラジオストクを訪れた。そして向かったのは北朝鮮の国営レストラン。だが、食事をするのが目的ではなく、他に理由があったからだ。 ロシアはこれまで数多くの北朝鮮出稼ぎ労働者を受け入れてきた。特に北朝鮮と地理的に隣接するウラジオストクなどのロシア極東地域には、外貨獲得を目的とした北朝鮮労働者が多数いる。 こうした中、国連安全保障理事会は2017年、核やミサイル開発を続ける北朝鮮への制裁強化決議を採択し、2年以内に全ての北朝鮮労働者を本国へ送還するよう義務付けた。ロシアもこの制裁措置に署名しており、北朝鮮労働者を期限である12月22日までに本国に送還することが命じられている。すでにこのとき、期限までおよそ3カ月に迫っていた。 制裁が厳しさを増す中、私は北朝鮮労働者たちの生の声を聞くことができないだろうか、と考えたのだ。ただ、北朝鮮労働者は皆、党から付与されたバッジを胸につけ、特定の宿舎での生活が義務付けられている。さらに街中で外国人と自由に接触したり、話したりすることは禁止されているという。 ただ、北朝鮮が経営するレストランは、外国人と接触することができる数少ない場所で、外国の情報を取ることのできる貴重な場でもあるそうだ。私がレストランに向かった理由は、もうお分かりだろう。 そもそもウラジオストクに北朝鮮の国営レストランは3つあり、このうち最も客入りがよいという「平壌(ピョンヤン)」を選んだ。 不自然なぐらい派手な色合いのネオンで装飾された外観に圧倒されながら店内に足を踏み入れると、女性店員が席まで案内してくれた。店員はすべて北朝鮮労働者だが、男性店員は一人も見当たらない。北朝鮮国営レストラン「平壌」=2019年9月、ウラジオストク(筆者撮影) 女性店員は誰もが色っぽく仕草がしとやかで、聡明(そうめい)な顔つき。店の奥は壁で仕切られていてのぞくことはできなかったが、大切な客が来ていたのだろうか、女性店員らが甲高い声を上げて場を盛り上げ、まるでキャバクラを想起させるような雰囲気が漂っていた。 当然だが、この店も彼女たち出稼ぎ労働者も、北朝鮮にとっては外貨を獲得するための貴重な存在だ。核・ミサイル開発を続け、拉致問題も未解決の現状で、わずかであっても私が店を利用することで貢献してしまうことは、はばかられた。 ゆえにお腹は空いていたが食欲を我慢し、共に訪れた友人と冷麺をシェアすることにした。冷麺の中に入っていたキムチが辛く、どんどん喉も渇いてきたが、最初に注文したペットボトルの水を2人で分け、それがなくなった後はひたすら我慢。ほんの数百円程度なので何の意味があるのかも分からないが、これはもう「心情」の問題である。駆け込み帰国する労働者 なんとか目的を達成するべく、女性店員との会話を試みたが、オーダーを取るときでさえ、朝鮮語以外は使わない。本来なら、北朝鮮から送り込まれた人材が言語教育を受けていないはずがない。それに、このレストランは外国人の客から会話を盗み聞くことのできる数少ない場所の一つだ。恐らくは朝鮮語以外を話せない「ふり」をしているだけなのだろう。予想通りだが、ガードは固かった。 北朝鮮労働者の生の声を聞くことはできなかったが、北朝鮮という国家に忠実に従う人々の一端を垣間見ることができた。 冒頭でも触れたが、本国への送還期限が迫り、ウラジオストクの北朝鮮労働者たちは慌ただしさを増していた。平壌-ウラジオストク間の航空便は従来、北朝鮮国営の高麗航空が週2回往復するのみだったが、臨時便を週8往復させ平日は毎日運航していた。このように駆け込みで北朝鮮労働者は次々と本国に送り返されている。 現地の人によれば、ウラジオストクでは北朝鮮労働者らの存在は日常的だったが、ロシアが対北朝鮮制裁に加わって以来、めっきり見かけなくなったという。ただ、北朝鮮にとって外貨獲得は非常に重要だ。私たちが訪れたレストランの女性店員らが、送還期限直前にもかかわらず店に立ち続けていた姿が印象深かった。 このように、制裁の厳しさを増す北朝鮮だが、現在外交関係を有している国家は162カ国と意外に多い。北朝鮮は従来、「善隣友好外交」を掲げ、主に旧東側諸国および非同盟諸国との外交活動を展開してきたが、2000年に入り、英独をはじめとして多くの西側諸国との外交関係を樹立した。ただ、それは主に北朝鮮が核兵器不拡散条約(NPT)を脱退する前の時期だ。 そして12月22日、外貨獲得手段の一つである出稼ぎ労働者の送還期限を迎え、さらなる経済的打撃が見込まれる。国際社会から孤立していく北朝鮮は、この難局をどのように乗り越えていくのか、今後の動向が注目される。北朝鮮の国営レストラン「平壌」で働く女性=2019年9月、ウラジオストク(筆者撮影) ところで、モスクワから遠く離れたウラジオストクだが、その名称は「ウラジ(влади)」「ヴォストーク(восток)」から成っており、「ヴォストーク」は「東」を意味し、「ヴラジ-」は「領有・支配する、物件を自由に使う、制御する」を意味する動詞「владеть(ヴラヂェーチ)」からきている。 つまりウラジオストクとは「東方を支配する町」を意味するロシアの戦略的要衝であるのだ。なぜモスクワから遠く離れた同市がロシアにとって重要な地域であるのか。一つには北朝鮮を含む極東アジアの重要なアクターや国家と距離が近いことが挙げられるが、プーチン政権においてウラジオストクはロシア史の転換期を象徴するような、戦略的要衝としての意義を強めている。その点については次回、掘り下げたい。

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    北方領土は返さない! ロシア「反日アイヌ民族」の正体

    ) 「クリル諸島(千島列島と北方領土)は、私たちのものだ。ずっと住み続けよう」 これは北方領土に住むロシア人の声だが、プーチン政権は北方領土を支配する正当性を躍起になって主張している。ラブロフ外相は2019年1月17日の年頭会見の席で、「日本が第2次世界大戦の結果を受け入れる」ように強く求めた。さらに「北方領土」という名称を使用することに不快感をあらわにした。このように北方領土に対するロシアの主権をなりふり構わず打ち立てようとしている。 ラブロフ外相が繰りだす強硬発言に先立つ昨年12月17日、私はロシア国内で報じられたニュースに驚いた。プーチン大統領が「アイヌ民族をロシアの先住少数民族に指定することに賛成した」というのである。プーチン大統領の発言を引き出したのは、ロシア大統領府に設置されている「市民社会と人権擁護評議会」の1人、アンドレイ・バブシキン氏だ。プーチン大統領と面会の際、彼はこう訴えた。 「ロシア国内に住んでいるすべての民族の権利が認められているわけではありません。クリル諸島と極東のアムール川流域にかつて住んでいたアイヌ民族は、ロシア政府が作成している先住少数民族リストに記載されていません。いまアイヌ民族が暮らすカムチャツカ地方知事に、彼らをリストに追加するように要請してください」 こうして北方領土交渉でロシア政府が日本への強硬姿勢を崩さないなかで、最近、これまで知られることがなかったロシア国内のアイヌ民族が注目を浴びるようになったのだ。北方領土引き渡しに反対する集会が開かれ、参加者は「島はロシアの領土だ」などと訴えた=2019年1月20日、露モスクワ(小野田雄一撮影) 補足しておくならば、先住少数民族に認定されると、さまざまな政治的、経済的な権利が付与される。例えば一定の割合で、自分たちの代表者を連邦機関や自治体に選出できる。民族文化や伝統儀式を守るための支援金がロシア政府から支出される上に、居住圏の天然資源を取得する特権も認められる。プーチン政権の思惑は、優遇措置を講じることで先住民族がロシア人に抱く疎外感を払拭(ふっしょく)し、彼らの存在を政治利用することにあるようだ。 話を元に戻すと、千島列島と北方領土(日本政府の公式見解にそって北方領土は千島列島に含まれない)のアイヌ民族が知られるようになったのは、17世紀にさかのぼる。当時は千島列島や北方領土だけではなく、北海道、樺太、アムール川下流域にいたる広範囲に住んでいた。北方領土をめぐって日露は互いに領有権を主張しているが、もともと北方領土と千島列島の先住民族はアイヌ民族であり、ラッコの毛皮や海産物などを日本人やロシア人などと交易していた。ロシアの「アイヌ」が日本批判 でも2010年の時点で、ロシア国内でアイヌを名乗る(おそらく純血)のはわずか109人、そのなかの94人がカムチャツカ半島の南端に暮らすが、まさに民族の消滅に直面している。カムチャツカ半島に開設されている市民団体「アイヌ」の代表はアレクセイ・ナカムラ氏だ。彼のインタビューが、ロシアの通信社が運用するサイト(astv.ru、2017年5月15日)に掲載されている。 「ロシアのアイヌ民族は、日本がクリル諸島の返還を要求していることに全面的に反対しています。実は、アイヌ民族と日本人との間には悲劇的な歴史があるのです。ずっと昔のことですが、日本人はクリル諸島に住んでいたアイヌ民族を殺害しました。アイヌ民族の釣り道具や漁船を奪い取り、日本人の許可なくして漁業にでることを禁止しました。いわば日本人によるジェノサイドがあったのです。このためにアイヌ民族の歴史は損なわれ、日本と一緒に行動することが嫌になりました」  ナカムラ氏の語意は、日本批判をにじませている。ロシアのアイヌ民族は日本人に財産を略奪され、民族差別を受けたと訴えている。自分たちが先住民族なので、北方領土の返還を求める日本政府に真っ向から反対している。 歴史をさかのぼると、江戸時代の松前藩は歯舞諸島から色丹島、国後島、択捉島まで本格的に進出し、先住民族のアイヌ民族と接触した。ただナカムラ氏が声を荒げるほどに、日本人によるアイヌ民族への迫害があったのかどうか、真偽のほどは不明な点が多いが、当初、北方領土に約2000人のアイヌ民族が住んでいた。 いずれにしてもアイヌ民族は、北方領土をめぐる激動の歴史に翻弄された。1855年の日露和親条約で、択捉島と得撫島(ウルップ島)の間に初めて国境線が引かれた。この結果、北方領土のアイヌ民族は日本、得撫島以北のアイヌ民族はロシアの支配権に入った。アイヌ民族博物館では民族伝承の踊りを披露する=2017年3月7日(川端信廣撮影) 1875年の樺太・千島交換条約では、千島列島の全域が日本に編入された。得撫島以北のアイヌ民族も日本の支配下に移り、かれらの多くは色丹島に強制移住させられた。ナカムラ氏のインタビューでは、この強制移住を「日本人によるジェノサイドだ」と非難している。ただ、樺太がロシア領土に編入された際に、樺太に住む多くのアイヌ民族が北海道に移住した。 1905年のポーツマス条約で千島列島に加えて樺太の南部が日本領土になり、北海道に渡ったアイヌ民族の一部は故郷の樺太に帰還できた。でも、第2次世界大戦で侵略してきたソ連軍から逃れるために、ほとんどのアイヌ民族が日本人といっしょに北方領土と樺太から北海道に避難した。このようにアイヌ民族は日露の攻防のなかで居住地の変更を余儀なくされたが、彼らの日本への帰属性は強いのは間違いない。プーチンの算段 他方で、第2次世界大戦の直後に少数のアイヌ民族は侵攻してきたソ連側につき、カムチャツカ半島に移り住んだ。だが、戦後のソ連社会で不遇の時代を迎えることになった。彼らは「ソ連人」に統合され、1953年にはソ連の刊行物からアイヌの民族名が消されてしまった。日本に移住した多くのアイヌ民族はソ連を裏切ったと見なされることが多く、ソ連国内にとどまったアイヌ民族はほかの少数民族と結婚するケースが相次いだ。アイヌ民族を名乗る人は減少し、すでに紹介したように109人ほどにすぎない。 ロシアの市民団体「アイヌ」は北方領土返還を求める日本政府への不信感を強めており、日本国内のアイヌ団体との交流はないようだ。  私が強調したいのは、アイヌ民族をロシアの先住少数民族に加えるプーチン政権の動きは日本政府との北方領土交渉のなかで浮上してきた点にある。ロシア政府の狙いは、領土交渉をより複雑化することにあるのは確かだ。 ロシア政府は、北方領土に進出した日本人がロシアのアイヌ民族を虐待したと言い立て、ロシア世論を領土返還反対の方向により強硬に誘導したいのだろう。外交的には日本政府が唱える「わが国固有の領土」の見解に対抗するために、ロシアのアイヌ民族を北方領土の先住民族に仕立てようとするもくろみも感じられる。 だが本来、北方領土は国家主権にかかわる問題であり、日本外務省の指摘するように「今日に至るまでソ連、ロシアによる法的根拠のない占拠が続いている」といえる。領土主権の問題は、プーチン政権が提起する「北方領土の先住民族」のテーマとは根本的に次元が異なる。日本政府は、「北方領土の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という従来の方針(2001年、森喜朗首相とプーチン大統領が合意したイルクーツク声明)を変更する必要はない。ウラジーミル・プーチン露大統領=2018年10月24日、露モスクワ(タス=共同) 先住民族と国家主権の問題を絡めて議論すれば、世界各地で主権の獲得にむけて民族紛争が噴出し、収拾のつかない、まさに「パンドラの箱」を開けることになる。 日本政府はアイヌ民族を先住民族と明記する「アイヌ法案」を成立させた。これにより「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現」を目指すことになる。これを契機にアイヌ民族に対する日本世論の関心が高まるだろう。これをテコに、アイヌ民族と元島民が共同して「日本の国家主権」を回復させる北方領土返還運動をより促進すべきである。■首相は正気か、北方四島「固有の領土」となぜ言えないのか■北方領土はトランプ・プーチン・習近平「裏サークル」の出方次第■「プーチンは一島も返さない」最悪シナリオは中国への北方領土売却だ

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    安倍外交85点の理由は「欧米と仲良く、中国と喧嘩せず」

    政策上の「構造」が反映されている。 もっとも、安倍首相の対外政策展開にも一つの不安要素がある。現下、ロシアと「西方世界」との関係は険悪である。 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は「西方世界」に対する協調と対抗の論理の相克に彩られたロシア史の中では、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元大統領とは対照的に、その対抗の論理を体現してきた政治指導者である。2018年12月、ブエノスアイレスで会談に臨むロシアのプーチン大統領(右)と安倍首相(共同) 安倍首相は、そうした「西方世界」に親和的ではないプーチン大統領との会談を既に25度も経ているけれども、北方領土問題における六十余年の膠着(こうちゃく)を解くためとはいえ、その対露姿勢は、ロシアと「西方世界」の確執の中で、どのように整合するのか。 もし、安倍首相における対露政策展開が「ロシアと喧嘩しない」という姿勢を示す域に止まらず、対中牽制の思惑をも含んでいるのであれば、そうした没価値的な思考は、安倍内閣下の対外政策展開全体における「つまずきの石」になるかもしれない。万事、「似合わぬ振る舞い」に走ることの危うさは、強調されてよい。■ 「安倍時代の終焉」が現実的とは言えない理由■ 鈴木宗男手記「北方領土交渉、安倍総理を1000%信頼する」■ 「石破を干し、次を育てる」安倍人事の容赦なき適材適所

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    禍根を残す「やったふり外交」安倍首相の評価は65点止まり

    倍外交」を評価するならば「おおむね適切」ということになる。 安倍外交といえば、米国のトランプ大統領やロシアのプーチン大統領など、世界の首脳との「強固な個人的信頼関係」を称えるものや、世界の首脳の中でベテランの域に達した安倍首相が頼りにされているということなどが、巷(ちまた)で言われてきた。ただし、筆者はそのような「高評価」から一線を画すものである。 特に、安倍首相の「個人的な資質」に対する「幻想」が広がっていることには、違和感を持たざるを得ない。2007年9月、第1次安倍政権が発足365日目に崩壊した時のことを思い出してほしい。あのとき、安倍首相は「空気が読めない男」と、政界内やメディアのみならず、街の女子高生にまで言われていた。 テレビカメラを前に記者会見すれば、「ワンフレーズ」でズバリ指摘する小泉純一郎前首相(当時)とは対照的に、長々と説明するが要領を得ないコメントで批判された。国会でも、野党に追及されると感情的な答弁になった。 同じ人が、約5年を経て首相に復帰した時に、世界の首脳という「悪党」たちを相手に、丁々発止の駆け引きをし、国際社会を主導する「スーパーマン」に変貌するということがあり得るのだろうか。そんなことは「幻想」にすぎないと思う。 個人的には、安倍首相は約11年前に退陣した時と何も変わっていないと思う。安倍外交がおおむね適切だったのは、世界の首脳との信頼関係があるからではない。世界の首脳と会い、相手に強く主張することはない一方で、相手の望むこと以上のものを提供し、会談後に日本のメディアを集めて記者会見で大々的に成果を誇る「やったふり外交」がハマってきたからだ。 例えば、トランプ氏の「米国第一主義(アメリカ・ファースト)」によって、ロシアや中国、欧州連合(EU)、イランなどさまざまな国との摩擦が高まる中、「ドナルド・シンゾー」の個人的な信頼の構築によって、「日米関係は過去最高の良好さ」を保ってきたとされる。安倍首相は、他の首脳と違い、トランプ氏の別荘に招かれ、ゴルフに興じながら、サシで話をしてきたという。果ては、トランプ氏に頼まれて、大統領を「ノーベル平和賞」に推薦する文章まで書いたとまで言われている。2019年2月、トランプ米大統領との電話会談を終え、記者団の取材に応じる安倍首相 トランプ氏が、安倍首相を「いい奴だ」と言っていることに嘘はないだろう。だがそれは、ドイツのメルケル首相やフランスのマクロン大統領が米国の保護貿易や移民政策などに正面から異を唱えるのと対照的に、安倍首相が「耳が痛いこと」をなにも言わないからではないだろうか。ロシア「大国」の幻想 また、アメリカ・ファーストの柱である保護貿易主義では、これまで「米国にモノを売りつけてきた国」が厳しい批判の対象となっているが、一方で「米国のモノを買う国」が必要となる。現在、事実上の「敵対関係」にある中国を除けば、最も米国のモノを買える国は日本であることは明らかだ。その意味で、トランプ氏は少なくとも現時点では、日本のことを悪く言うことはないのだ。 日露関係はどうだろうか。安倍首相とプーチン氏の日露首脳会談は通算25回になる。安倍首相は「私とウラジーミルの間で、北方領土問題を解決し、日露平和友好条約を締結する」とぶち上げたが、実際には進展が見られない。 なにせ安倍首相が再三「ウラジーミル」と呼びかけても、プーチン氏は「安倍首相」と返し、決して「シンゾー」とファーストネームで呼んでくれない。それはともかくとしても、プーチン氏が「両国の間にはまず信頼関係の構築が必要だ」と言い、ロシアの求めに応じて経済協力だけが進んでいる。それは、2014年のロシアによるウクライナ南部クリミア半島の併合に端を発した、米国やEUなどの「対露経済制裁」に、日本が足並みを揃えずに進められている協力だということが重要だ。 日露交渉において、北方領土問題を日本側が持ち出すと、ロシアのラブロフ外相が「第2次世界大戦の結果を認めていないのは日本だけだ」と激しく非難するなど、ロシア側の強硬な態度が目立ち、交渉難航が伝えられる一方で、経済協力ではロシアだけが着々と利益を得ている状況にみえる。だが「そもそも論」だが、なぜ日本がロシアに対して「下手」に出る必要があるのだろうか。 ロシアは「大国」のイメージを高めているが、それは「幻想」にすぎない。1991年のソ連崩壊以降のロシアは、英米やEUによる旧ソ連圏や東欧諸国の「民主化」の画策によって、影響圏をドイツの東ベルリンからウクライナまで後退させた。 東欧諸国の多くがEUや北大西洋条約機構(NATO)軍に加盟し、ついにウクライナがそれに加わる可能性が出てきていた。20年間にわたり、ロシアは負け続けていたのである。「クリミア半島併合」は防戦一方の中で、辛うじて繰り出した「ジャブ」のようなものにすぎない。 また、ソ連崩壊後、ロシアは幾度となく経済危機に見舞われてきた。かつて高い技術力を誇った宇宙産業や軍需産業、原子力産業などは見る影もない。過度に石油・天然ガスの輸出に依存する経済で、その価格下落が経済危機に直結する脆弱(ぜいじゃく)な構造だ。2018年11月、会談を前にロシアのプーチン大統領(右)と握手する安倍首相(共同) 「シェールガス・オイル革命」によって世界一の産油・産ガス国になった米国の攻勢で、石油・天然ガス価格は不安定だ。プーチン政権にとって、「脱石油・天然ガス依存」は急務であり、製造業を育成するために日本の支援を切実に望んでいるのだ。 さらに言えば、急拡大してきた中国との関係も微妙だ。ロシアと中国は、極東の天然ガスパイプラインの建設プロジェクトで合意するなど良好な関係にあるとされる。安倍首相自身の焦り しかし、ロシアはシベリア・極東地域の開発を中国だけとやりたくはない。アフリカなどへの進出でも分かるように、中国は海外に進出する際、政府高官や建設業者、労働者から家政婦まで乗り込んで、「チャイナタウン」を作ってしまう。現地にカネが落ちず、雇用も増えないと不満が高まることも多い。 要は、元々人口が少ないシベリア・極東地域を中国と一緒に開発すると、「人海戦術」で中国に実効支配されることを、ロシアが恐れている。だから、日本にも参加してもらいたいのだ。 日露協力は、「経済的」にはロシアが切実に望むものであるが、日本側は進展しなくても別に困らない。もちろん「政治的」には北方領土問題があり、安倍首相は「戦後70年以上動かせなかった問題を、自分たちの時代で解決する」と意気込んでいる。 だが、この意気込みを裏返せば、「70年動かなくても、大きな問題とならなかった」ともいえる。なぜ、これだけ日本が有利な状況にある交渉で、「北方四島のうち、2島だけでも先に返してもらえないか」と下手に出て、ロシアの言うままに経済協力を進めないといけないのか、理解できない。 要するに、安倍首相が世界の強烈な個性を持つ首脳たちと何度もサシで話し合い、笑顔で握手する映像を流し、記者会見で長時間成果を語っているが、相手に何を話しているかわからない。繰り返すが、かつて「空気を読めない男」と呼ばれ、現在でも国会で野党に対してすぐ感情的になる政治家が、日本の主張を強く、論理的に訴えて、説得できるのであろうか。 むしろ、「安倍外交」がおおむね適切だったのは、アメリカ・ファーストのトランプ氏をはじめ、プーチン氏や習氏ら権威主義的な指導者が跋扈する国際社会で、あまり積極的に動かず、日本の公的な主張を棒読みしながら、笑顔で相手の主張にもうなずき続けて機嫌を損ねないという、無理のない対応に終始してきたからではないだろうか。 しかし、今後も安倍首相が、無理のない、おおむね適切な外交を続けられるかどうかはわからない。アメリカ・ファーストを掲げたトランプ氏は「北朝鮮の核・ミサイル開発への介入」「エルサレムのイスラエル首都承認」「米国のイラン核合意離脱」「ロシアのサイバー攻撃への制裁」「米中貿易戦争」と世界を振り回し続けた。安倍首相はトランプ氏に徹底的に従う姿勢で「いい奴」と思われてきたが、今後もそれでいいのだろうか。2017年11月、北朝鮮による拉致被害者家族らと面会後、感想を語るトランプ米大統領(前列右から3人目)。同4人目は安倍晋三首相(代表撮影) そもそも、安倍首相自身に焦りが見られるように思う。例えば、「北朝鮮問題」は、トランプ大統領とサシで話し続けていても、「拉致問題」に動く気配がなく、「北朝鮮の完全な非核化」にしても、大統領が本気で取り組んでいるのかよくわからない。 2度目の米朝首脳会談こそ物別れに終わったが、韓国やロシア、中国などが隠れて経済協力を始めておかしくない。日本に向けて中距離核ミサイルがズラッと並んだまま、日本が「蚊帳の外」になりかねない状況だ。「われ先に利益を」ではダメ またも繰り返すが、北方領土問題で「北方四島のうち、2島だけでも」と自分からハードルを下げている。困っているのはロシア側なのだから、「4島返還でなければ経済協力は難しい」と構えていればいいのだ。 ラブロフ氏が怒り狂っても、静観していればいい。交渉事は、大体怒っている方がうまくいかず焦っているものだ。 安倍首相は、現実的対応というかもしれないが、今、現実的であっても、30年後に現実的な対応だったと評価されるかどうかはわからない。むしろ、後世に取り返しのつかない禍根を残したと評価される可能性が高い。 日本外交に求められることは、アメリカ・ファーストなど、自国第一主義の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈する国際社会の中で、焦って動かないことだ。 大事なことは、着実に経済成長を続けることだと考える。前述のように、アメリカ・ファーストには「米国のモノを買う国」が必要だ。日本が経済力を維持し、米国製のモノを買い続けられる限り、米国は日本を守ってくれるだろう。 また、米中貿易戦争が激化する中で、中国が日本に接近し、日中関係が改善してきている。中国の急拡大は脅威だが、日本が強い経済力を維持している限り、中国は日本を潰そうとはしない。 「慰安婦問題」「徴用工問題」「レーダー照射問題」と日本に対して挑発的な態度を取り続ける韓国も、国内経済が悪化し、大学生は日本での就職活動に熱心だという。日本経済が強ければ、いずれ関係は改善していくと考えられる。  さらに、日本は米国が離脱した後の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を、「TPP11」という形でまとめ上げた。日・EU経済連携協定(EPA)も発効した。TPP11には、英国が「EU離脱後」の加盟に強い関心を持っているという。日本は、権威主義的な指導者による保護貿易主義がはびこる中、「自由貿易圏」をつなぐアンカー役になれる。2017年9月、国連総会出席のため政府専用機で米国へ出発する安倍晋三首相(川口良介撮影) 世界に自国第一主義が広がる中で、日本がわれ先に利益を得ようとすることはない。むしろ、多くの国が自由貿易圏で豊かになれることを、支える役目に徹することだ。それが、日本を守ることになるのである。■「武士の情は通用しない」韓国との情報戦はこう戦え!■「在韓米軍撤収」これが習近平を黙らせるトランプの隠し球だ!■「安倍時代の終焉」が現実的とは言えない理由

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    プーチン大統領が不当要求なら安倍首相は「4島返還」に戻れ

    るかもしれない──。そんな期待がメディアから漂う。だが、今はむしろ交渉するには最悪のタイミングだと、ロシア事情に詳しい名越健郎氏(拓殖大学海外事情研究所教授)は指摘する。 日露平和条約締結を悲願とする安倍晋三首相は遂に、歯舞、色丹の2島引き渡しをうたった1956年の日ソ共同宣言を基礎に決着させることを決め、ロシア側との本格交渉に入る。 平和条約を結ぶ切迫性もないのに、なぜ急ぐのか。面積で4島全体の93%を占める国後、択捉を放棄していいのか。平和条約締結は政権のレガシー(遺産)狙いではないのか。突っ込みどころは満載なのだが、首相はプーチン大統領と交渉の枠組みを決め、2019年6月の大統領訪日時に平和条約基本合意を目指す意向という。3年を切った自らの任期から逆算して、このタイミングしかないと踏み切ったのだろう。 だが、安倍首相は任期中の締結を急ぐあまり、交渉をめぐる内外の環境を十分勘案していない。日露交渉を本格化させるには、ロシアを取り巻く環境は最悪である。特に、欧米が対露非難を強める中、日本の融和姿勢が突出している。 2018年11月末に起きたロシアによるウクライナ艦船拿捕事件も、欧米とロシアの対立を激化させた。 日本を含むG7(主要7カ国)外相は艦船拿捕に「深刻な懸念」を表明し、ロシアによるクリミア併合を改めて非難した。北大西洋条約機構(NATO)はクリミア周辺への偵察飛行を開始、黒海への海軍プレゼンスを拡大している。ウクライナ東部では数カ月前から、ロシアが支援する親露派武装勢力とウクライナ政府軍の武力衝突が続いており、ウクライナ危機が再燃する気配だ。 拿捕事件を受け、トランプ大統領はアルゼンチンでのプーチン大統領との首脳会談をキャンセルした。米国の中間選挙で下院を制した民主党は、ロシアへの新たな大型経済制裁を準備中だ。米議会は超党派で親露派・トランプ大統領の対露制裁緩和権限を奪い、ロシアを封じ込めている。2019年1月22日、共同記者発表を終え、引き揚げる安倍首相(左)とロシアのプーチン大統領(共同) 米露関係がますます悪化する中、プーチン大統領は返還後の2島に米軍基地を設置しない確約を要求している。しかし、歯舞、色丹を日米安保条約の除外地域とすれば、日米地位協定の改定が必要になり、米政府や国防総省は対日不信を強めよう。尖閣には適用し、北方領土には適用しないという都合のいい構想を米側は受け入れないだろう。「日米離間」が常套手段 日米同盟を危惧するロシアは交渉で、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備中止や、クリミア併合に伴う日本政府の対露制裁撤廃を要求するかもしれない。「日米離間」は、ソ連時代からロシアの常套手段だ。プーチン大統領が日米同盟弱体化を狙う要求を貫くなら、安倍首相は交渉を打ち切り、「4島返還」の原則に戻るべきだろう。 ロシアが秋以降、ウクライナだけでなく、世界的に冒険主義路線を取っていることも、交渉のタイミングとしては良くない。ロシアは駐留するシリアでも、11月から反政府勢力支配地区への空爆を再開した。 10月以降、内戦の続くリビアやイエメン、中央アフリカにも数十人から100人の義勇軍や軍事顧問団を派遣し、一方の側を支援している。 ウクライナ東部とシリアで「2つの戦争」を抱えるプーチン政権はここへきて、中東・アフリカで広範に対外冒険活動を展開し始めた。年金問題や経済失速で政権支持率が低下する中、外敵との対決姿勢をアピールし、求心力を回復させようとする思惑が垣間見える。 政権延命を重視するプーチン政権は、領土割譲のような不人気な政策を回避したいところだ。ロシア人たちのブログでは、「プーチンが3月の大統領選で公約しなかった年金改革や日本への領土割譲を行うのは裏切り行為だ」「神聖なる領土は1センチたりとも渡すべきでない」といった勇ましい書き込みが目立つ。 「日本のように国際的評価が高い国と平和条約を結ぶことは、ロシアの孤立回避につながる」といった賛成論もあるが、少数派だ。プーチン大統領が自ら高揚させた戦勝神話と民族愛国主義が、返還の障害となって跳ね返っている。【PROFILE】なごし・けんろう/1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語学科を卒業。時事通信社ワシントン支局長、モスクワ支局長、外信部長、仙台支社長などを歴任後、2011年退社。2012年より現職。著書に『北方領土の謎』(海竜社)などがある。■自民党「北方領土解散」で7月衆参ダブル選挙のシナリオも検討■「北方領土は2島で」 安倍首相は歴史に名を残したいだけか■サカナとヤクザ 司忍組長は水産高校卒業後、漁船に乗った■安倍首相の後継「岸破義信」が争う間に極右台頭の土壌も■羽生結弦や田中圭を抑えて売上1位 プーチンカレンダーの謎

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    北方領土「日本固有」となぜ言えないのか

    島はわが国固有の領土である。にもかかわらず、最近の安倍首相は「不法占拠」された事実を意図的に封印し、ロシア側に一方的に配慮する。交渉事とはいえ、ロシアの言い分を丸呑みして大丈夫なのか。小バカにしながら、ほくそ笑むプーチンの顔が目に浮かびそうである。

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    首相は正気か、北方四島「固有の領土」となぜ言えないのか

    断と推測される。もしそうだとしたら、しかしながら、とんでもない思い違いである。逆効果だろう。それは、ロシア側に向かって誤解を招く誤ったメッセージを送るばかりか、日本側にとっても致命的な外交行為にさえなりかねない。説明しよう。 現プーチン政権は、国境線の決定問題に関して「戦争結果不動論」の立場を取っている。すなわち、国家間の国境線は国際法でなく、武力闘争の結果として決まる。現日露間の国境も第2次世界大戦でソ連が日本に対して勝利し、北方四島の軍事占拠に成功したことによって決定した。プーチン大統領は、2005年にこう宣言し、忠実な部下、ラブロフ外相はとりわけ昨年来両国間で平和条約交渉が本格化して以来、口を開くと必ず「もし交渉を進めたいのであれば、日本側は第2次大戦の結果を認めることが何よりの先決事項」と説く。 上記のロシア指導部の主張は、事実を歪曲(わいきょく)した完全な誤りである。改めて説くまでもなかろうが、この際要旨を記しておく。 戦争が国境線を決める。これは、野蛮、危険かつ間違った考えである。もし万一そのことを認めるならば、永久に戦争は終わらず、国際社会は闇の世界となろう。国境線を決めるのは、戦闘行為でなく、あくまで国際法であるべきだ。さもないと、際限なく戦争が起こるのを防止し得なくなる。東方経済フォーラムの全体会合で、演説に向かうロシアのプーチン大統領(左)に拍手する安倍晋三首相=2018年9月、ロシア・ウラジオストク(古厩正樹撮影) そのような戦争の「負の連鎖」に終止符を打とうとして、第2次大戦終結前後に、連合国は領土不拡大の原則に同意した。「大西洋憲章」「カイロ宣言」「ポツダム宣言」「国連憲章」の条文がそうである。もとより、スターリン下のソ連も、これら全ての条約、協定、申し合わせに同意し、署名した。米国はこの原則を守り、軍事占領した沖縄を日本へ戻した。 以上の協定を唯一順守しなかった国が、スターリン下のソ連だった。ソ連は、日本がポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏宣言し、武力放棄した後にも対日武力攻撃を一向に止めなかった。しかも、ソ連と日本は「日ソ中立条約」を結んでいたので、ソ連の対日攻撃は明らかに同条約の違反行為に他ならなかった。なぜならば、同条約は一方が破棄を宣言しても、その後1年間は有効と定めていたからである。「ロシア式」を分かってない 要するにスターリン下のソ連は、国際法、その他あらゆる諸条約に違反して、北方領土を軍事占領した。だが、他国領土の軍事的占領は、その領域に対する主権の取得を意味しない。米国、日本、全ての諸国は、このことを承知している。ところが、である。旧ソ連/現ロシアだけが北方領土の軍事占領=同地域の主権の入手とみなす。これが法律上通用しないことは、占有権と所有権が異なる二つの概念であることからも自明の理であろう。念のために、例を引いて説明しよう。 ある者が火事場のどさくさを利用して、他人の財産をそのまま己のポケットに入れても、占有権こそ発生するかもしれないが、合法的な所有権は発生しない。そのような不法行為を犯した者は、同財産を可及的速やかに持ち主の手に戻す義務がある。そして、物理的な引き渡しを受けた瞬間に、元の持ち主が完全な所有権を手にすることを、改めて述べるまでもない。泥棒は、所有権は依然として己の手に残るとの屁(へ)理屈を主張し得ない。 ロシアは、戦後70年以上にもわたって日本の「固有の領土」「北方四島」を「不法占拠中」である。これは、客観的に物事を眺める者ならば、100%認めざるを得ない厳然たる事実である。現ロシア指導部がいささかでも、法律が何たるかを理解しているならば、日本政府に対してその不法行為を詫び、70余年間分の賃貸料さえ付けて直ちに返済すべき筋合いのはずである。ところが、プーチン大統領も、ラブロフ外相も、同領土が「第2次大戦の結果、ロシアの主権下に移った」と強弁する。 もし万一彼らの主張を、たとえ一部でも間接的にでも認めるならば、どうであろう。それは日本側にとって取り返しのつかない致命的な誤りになろう。なぜならば、日本政府は、ロシアの主権下の領土を、ロシア政府の特別の好意によって日本へ引き渡してもらうことになる。 同領土の主権は依然としてロシアに残り、日本側に引き渡すのは施政権だけである。また、そのような引き渡しすら即時ではない。周辺の排他的経済水域(EEZ)すら、日本へ引き渡すとは限らない。ましてや、同地域に米軍基地を設置するなど問題外。ロシア側はこのように主張するかもしれない。ロシアへ出発する安倍晋三首相。右は昭恵夫人=2017年4月27日、羽田空港(納冨康撮影) 北方四島がロシアによって不法に占拠されている。これは、誰一人否定しがたい客観的事実に他ならない。にもかかわらず、その言葉を北方領土返還全国大会のスローガンから外した。これは「第2次大戦の結果として四島がロシアの主権下に移った」とのロシア側の主張を認めるに等しいだろう。 おそらく安倍政権はロシアを刺激して平和交渉を停滞させることを危惧しているのだろう。交渉のABC、とりわけロシア式思考や行動様式に無知と評さざるを得ない。ロシア人は、席を憤然と蹴って交渉会場を後にする毅然(きぜん)とした相手との間に初めて真剣な話し合いを行う。「己とプーチン氏の間で必ずや平和条約を結ぶ」と交渉のデッドライン(期限)を設け、実際次から次へと一方的な譲歩を行う。そのような人物とは決して真剣に交渉しようとは思わないのがロシア外交の本質である。■「プーチンは一島も返さない」最悪シナリオは中国への北方領土売却だ■北方領土引き渡し「主権は譲らない」がプーチンの真意■どうなる北方領土交渉 「2島−α」に終わる可能性も

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    北方領土はトランプ・プーチン・習近平「裏サークル」の出方次第

    式見解である「日本固有の領土」という表現を使わず、代わりに「わが国が主権を有する島々」と述べました。ロシア政府が、日本で北方領土を日本固有の領土と表記したり、そもそも「北方領土」と呼ぶこと自体を快く思わず、注文を付けられたことが背景にあった模様です。 安倍総理はプーチン大統領と日ロ首脳会談を25回も行い、信頼関係が築かれているので、日本に理解の深いプーチン大統領の下で、なんとか平和条約締結にこぎつけ、安倍政権の金字塔を打ち立てたいと考えています。 1956年の日ソ共同宣言には平和条約締結の後に、歯舞(はぼまい)群島と色丹島(しこたんとう)を日本に引き渡す、との文言があり、これにすがって少なくとも北方四島のうち、2島だけでも返還してもらえれば、安倍政権の「偉業」として夏の参院選を有利に展開できると期待しました。 その点、プーチン大統領もひところはこの1956年の日ソ共同宣言を基礎として交渉すると言っていました。ところが、ラブロフ外相以下、モスクワの政府要人はこぞって北方領土問題には強硬論を唱え、北方領土は第二次大戦後にソ連の領土となったと主張、肝心のプーチン大統領の発言も微妙に変わりました。共同宣言では「領土の返還」とは書いていないと述べるなど、突然風向きが変わった感があります。 この問題は、もともと国際法上明確な判断が難しい状況にありました。ロシアは1945年2月のヤルタ会談、同年7月のポツダム会談を盾にし、日本に参戦すれば南樺太(みなみからふと)と千島列島をソ連に引き渡す、との欧米認識に依存し、日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で南樺太と千島列島を放棄しました。当初政府は千島列島に国後(くなしり)、択捉(えとろふ)が含まれると言いましたが、56年にこれを否定し、北方四島は依然として日本固有の領土としています。 もっとも、その後米国はヤルタ会談、ポツダム会談を無効とし、ソ連はサンフランシスコ講和条約に調印していません。それだけに、国際法的に白黒をつけるのが難しい面があり、当事国間の信頼関係が重要になり、その点56年の日ソ共同宣言は大きな礎となると見られていました。ロシアのラブロフ外相(左)、ショイグ国防相(右)と会談するプーチン大統領=2019年2月2日、モスクワ(タス=共同) しかし、北方領土問題はこれまでも米国の立場に大きく左右されてきました。日ロ間で2島返還で話がまとまりそうになると、米国から「四島一括返還でなければ沖縄の返還はない」(ダレス元国務長官)と脅され、米国の横やりでまとまる話もまとまらなかった経緯があります。従って、北方領土問題においては、米国の立場が常にカギを握ってきました。 つまり、日本とロシアの関係だけでなく、日本と米国の信頼関係も大きなカギとなります。その点、表向きは米国とロシアは米中関係と同様に対立している印象を与えますが、裏ではトランプ政権の背後にいるキッシンジャー元国務長官を軸に、トランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、そして中国の習近平国家主席は、「裏のトライアングル」を形成し、連携しています。安倍首相は仲間に入れるか 表面的には米ロが対立しているようで、裏ではプーチン大統領はトランプ氏を支持し、これを利用しようとしています。ロシアでの不動産ビジネスを進めているころから、クレムリン(ロシアの大統領府)とトランプ氏は密接なつながりがあると指摘され、一部にはトランプ氏がロシア特有の「ハニー・トラップ」にはまり、ロシアの言いなりとの見方もあるくらいです。それはともかく、米富豪ロックフェラー家の銀行家、デービッド・ロックフェラー氏が存命のころからプーチン氏は裏で米国と協働していたと言われます。 従って、トランプ・プーチン両名の近い関係から、北方領土を日本に返還する意思があるなら、米国は北方領土に米軍を置かないことは、プーチン氏に伝えているはずで、プーチン大統領が安倍総理に「北方領土に米軍を展開させないと米国を説得できるのか」と質していたのは茶番と見られます。トランプ氏からはとうにその点の情報は伝えられているはずです。 要するに、何より重要なことは、安倍総理がこの「トランプ・プーチン・習近平のサークル」に入れてもらえているのかどうか、にかかっています。このインナー・サークルに入っていれば、トランプ大統領から横やりが入ることもなく、むしろ米軍を北方領土に展開しないから話を進めるよう、後押しがあってもよいくらいです。プーチン大統領もその前提で話を進められます。 その場合、モスクワで領土返還阻止行動が起きても、閣僚が反対しても、プーチン大統領のリーダーシップでこれを説得し、あるいは押さえつけることも可能です。 しかし、日本が勝手に両国との「厚い信頼関係」と思い込んでも、当のトランプ大統領、プーチン大統領が安倍総理を仲間と見なさなければ、話は別です。ロシア国民の7割以上が反対する北方領土返還は、プーチン大統領と言えども容易ではありません。 従って、この交渉がうまく進むかどうかは、安倍総理と米ロ両首脳との真の信頼関係が築かれているのか、安倍総理がこのインナーサークルに入れてもらえているのかどうかの「リトマス試験紙」にもなります。最近のロシア側の出方から見ると、25回の首脳会談にもかかわらず、安倍総理に対するロシアの信頼は必ずしも醸成されていないように見られます。今になって、交渉が進むよう日ロの信頼関係構築が急務と言っている始末です。会談前にロシアのプーチン大統領(右)と握手する安倍晋三首相=2018年12月1日、 ブエノスアイレス(共同) その流れからすると、日本が立場を曲げて「2島プラスアルファ」を目指しても、今のロシアからは歯舞色丹の領土返還もなく、元島民の利用権は認める程度の「ゼロ島プラスアルファ」となる懸念も高まっています。それでも安倍政権が長期政権化のために平和条約締結を優先すれば、領土が確定して領土交渉の道は断たれる上に、さらなる経済協力は日本の持ち出しになります。 それでは日本国民は納得しません。これまでトランプ政権、プーチン大統領との信頼を構築するためにどれだけの資金と時間を投じたのか。北方領土問題の返還が果たせないとなれば、「毎月勤労統計不正」以上に安倍政権の存立基盤が大きく揺らぎます。安倍総理はいよいよ正念場を迎えました。■ 「プーチンは一島も返さない」最悪シナリオは中国への北方領土売却だ■ 「21世紀最凶の殺戮者」プーチンがもたらす憎悪の世界■ プーチンからの柔道の誘いを断った安倍首相の甘さ

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    北方領土交渉、韓国に劣る安倍外交はここが危ない

    土」との表現を避けている。共同記者発表を終え、退席する安倍晋三首相とプーチン大統領=2018年9月、ロシア・ウラジオストク(古厩正樹撮影) 安倍政権になって領土問題はかなり言及されるようになったとはいえ、日本外交の稚拙さは相変わらずだ。竹島と尖閣諸島は、歴史的事実においても国際法上も日本の領土であるにもかかわらず、いまだに解決のメドが立っていない。 竹島問題に関しては、1994年に国連海洋法条約が発効した際、日本には解決するチャンスがあった。しかし、日韓が結んだ新「日韓漁業協定」では、日本海の好漁場である「大和堆(やまとたい)」を日韓の「共同管理水域」として、大幅な譲歩をしてしまった。 そのため、大和堆で韓国漁船が違法漁労をしても、日本側にはそれを取り締まる権限がなかったばかりか、竹島問題も解決できなかった。その大和堆には近年、北朝鮮漁船が入り込んでいる。解決のカギは国際世論 島根県議会が「竹島の日」条例を制定し、「竹島の領土権確立」を求めたのは、日本海が乱獲の海と化したからである。だが、日本の外相と外務省高官は、「竹島の日」条例の制定を自粛するよう島根県に求めた。 これと対照的だったのが韓国政府だ。当時の盧武絃(ノ・ムヒョン)大統領は「竹島の日」条例が成立する直前、「歴史・独島問題を長期的・総合的・体系的に取り扱う専担機関の設置」を指示し、その後「東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団」を発足させ、2006年には、政策提言機関としての「東北アジア歴史財団」に改組した。 この「東北アジア歴史財団」では、不法占拠中の独島(竹島)を死守するため、慰安婦問題や日本海呼称問題を使い、国際社会を舞台に、日本批判を繰り広げたのである。その中には、韓国系米国人が多く住む地域に慰安婦像を建て、「東海併記法案」(日本海呼称問題)では、韓人会とともにバージニア州議会の議員の協力を得て、成立させたものもある。 日本では、米国内やフィリピンなどで慰安婦像が建つと、にわかに抗議をしてみるが、それは逆効果である。「東海併記法案」の成立を阻止するため、日本政府は巨額のロビー費を議会工作に使ったとされるが、このロビー活動がひんしゅくを買って、逆に「東海併記法案」の成立を早めたという。 このように日本の外交は、戦略なき戦術の域を出ていない。これは尖閣諸島問題も同じである。尖閣諸島の近海には中国の公船が出没し、中国漁船による不法漁労が行われている。日本政府は、その中国を牽制するため、「日台漁業取り決め」を結んだが、新「日韓漁業協定」同様、日本漁船が締め出されてしまった。これが日本外交の現実である。 これを戦略的な韓国側と比較してみると、決定的な違いがある。韓国には、先に記したが、政策提言をする「東北アジア歴史財団」があり、その理事長は閣僚級で、歴代、歴史研究者が就いている。その補佐役の事務総長には、外交経験のある人士が選ばれ、次官級である。一方、日本には沖縄北方担当大臣がいて、「領土・主権対策企画調整室」があるが、政府の施策を業者か外部の研究機関に委託し、研究者がその下請けで作業をしている。これでは戦略的な対応は、無理である。 北方領土問題の発端は1945年8月9日、「日ソ不可侵条約」を一方的に破ったソ連(現ロシア)が南樺太に侵攻し、千島列島の占守(しゅむしゅ)島に上陸するのは、日本が「ポツダム宣言」を受諾した後である。ソ連が北方領土を奪ったのは9月5日。日本が主張しなければならないのは、北方領土の帰属だけではない。 敗戦国の日本は戦後、東京裁判で裁かれた。だが、日本を裁いた「極東国際軍事裁判所条例」では、「平和に対する罪即ち、宣戦を布告せる又は布告せざる侵略戦争、若は国際法、条約、協定又は誓約に違反せる戦争の計画、準備、開始、又は遂行、若は右諸行為の何れかを達成するための共通の計画又は共同謀議への参加」と規定している。(ゲッティ・イメージズ) ソ連の参戦は、米国のルーズベルト大統領とスターリンの間で密約がなされ、「ヤルタ会談」で決められた。「平和に対する罪」は、敗戦国ばかりが問われるべきものではない。日本がまずすべきことは、ソ連参戦の歴史的事実を明らかにし、国際社会に周知することである。 領土問題は決して拙速にするものではなく、たとえ100年、200年かかろうが、持続的に研究を続け、交渉に臨める国際世論を味方につけてからでも遅くはない。■ 「プーチンは一島も返さない」最悪シナリオは中国への北方領土売却だ■ 韓国に竹島を売った元日本人「保坂祐二」なる人物を知っているか■ 韓国の実効支配はどこまで進んだか、私が撮影した「竹島の近影」

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    北方領土「2島返還」日露首脳の思惑

    安倍首相は、G20サミットに合わせ、ロシアのプーチン大統領との首脳会談に臨んだ。むろん、焦点は北方領土である。先の会談では、日ソ共同宣言に基づく平和条約交渉の加速化で合意したが、これを機に「2島先行返還」論がにわかに注目を集めた。日露首脳の思惑、交渉の行方を読む。

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    鈴木宗男手記「北方領土交渉、安倍総理を1000%信頼する」

    の条件の中には、「樺太のソ連への返還」「千島列島がソ連に引き渡されること」が入っている。この前提で、ロシアが論理を構築している事実をまず認識しなくてはならない。そして9月2日に、日本は降伏文書に署名し、正式に軍事行動を伴う戦争は終わったが、国際法的には戦争状態が続いていた。 その後、51年9月8日、日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を締結し、国際社会に復帰した。この時、全権の吉田茂首相(当時)は、国後(くなしり)島と択捉(えとろふ)島を放棄している。この事実は国会で当時の西村熊雄条約局長(同)の答弁で明らかになっている。 そして、56年10月19日、日ソ共同宣言で両国の戦争状態を終わらせるとともに「ソビエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望に応え、かつ日本国の利益を考慮して、歯舞(はぼまい)群島および色丹(しこたん)島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソビエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と合意した。知床の北海道羅臼町沖に広がる流氷の上を飛ぶ国の天然記念物オオワシ。奥は北方領土・国後島=2018年2月26日 しかし、60年に日米安保条約が改訂されると、ソ連は「外国軍が駐留する国とは、領土問題は存在しない」と主張し、4年前の日ソ共同宣言の中にある「9項」について反故(ほご)にしてきた。領土問題はないというから、日本は強く四島即時一括返還を主張したのである。「四島一括返還」という表現は、あくまでソ連時代の日本の主張なのである。 だが、91年12月、ソ連が崩壊し、登場したエリツィン大統領は「北方領土は未解決の問題であり、法と正義に基づいて話し合いで解決する」と述べ、日本もロシアの柔軟性にかんがみ「四島の日本への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、態様及び条件については柔軟に対応する」との考えに変わった。いわゆる「段階的解決論」である。空白の10年 ここで大事なことは、ソ連時代は「四島即時一括返還」だったが、ロシアになってからは「四島の帰属の問題解決」へと考えを変更したことである。この厳粛な事実を国民等しく、特に国会議員はしっかり頭に入れなくてはならない。 振り返れば、97年1月に就任した橋本龍太郎総理も、98年7月に後を受けた小渕恵三総理も、エリツィン大統領と良好な関係を築いた。さらに、2000年4月に就任した森喜朗総理も、プーチン大統領と新しい信頼関係を築いたことで、01年3月イルクーツクで、歯舞群島、色丹島を日本に引き渡し、国後と択捉は日本、ロシアどちらに帰属するか模索する、いわゆる「並行協議」を提案した。プーチン大統領はこれを「承った」と持ち帰ったのである。 ところが01年4月、小泉純一郎総理になると、「四島一括返還が日本の国是だ」とたびたび言われ、田中真紀子外相に至っては、「日露関係の原点は1973年の田中(角栄)-ブレジネフ会談だ」として、領土問題は存在しないとソ連が主張した時代に、時計の針を28年も前に戻してしまった。 そして02年、田中外相が更迭され、後を継いだ川口順子(よりこ)外相は森前総理の並行協議を取り下げてしまった。プーチン大統領が「日本の方から断ってきた」と主張する所以(ゆえん)である。そして、日露関係は「空白の10年」に入ってしまった。 2012年3月、当時首相だったプーチン大統領が、2度目の大統領に復帰する選挙の直前、内外の主要メディアの代表者との懇談で、北方領土交渉について「引き分け」「はじめ」と表現した。 この懇談の中で、プーチン大統領が「外交はお互い負けなかったといえる外交が良い」と述べたところ、元朝日新聞主筆の若宮啓文氏が「引き分けだと日本は納得しない。二島対二島だ」と話した。これに対し、プーチン大統領は「俺はまだ大統領になっていない。こうしよう、私が大統領になったらロシア外務省を位置につかせる。日本は日本で外務省を位置につかせ、そこで『はじめ』と声を掛けよう」と言われたという。 そして同年12月、日本では安倍総理がカムバックした。そこから新しい日露関係がスタートしたのだ。 さらに、13年2月には、安倍総理の特使としてプーチン大統領と面会した森元総理は「引き分け」「はじめ」の意味を問いただした。この時、プーチン大統領は白い紙に柔道場を書き「今、日本とロシアは柔道場の端、場外すれすれのところで組み合っている。すぐ場外と注意される。それを真ん中に持ってきて中央でしっかり組ませよう」と述べた。これは、2島は返還する用意があり、残りの2島もお互い英知を出そうという考えである。 安倍総理は16年、共同経済活動を織り交ぜた8つの「新しいアプローチ」を提案し、12月に行われた長門会談では北方四島での共同経済活動を提案し、プーチン大統領も呼応した。外交には相手があり、「100対ゼロ」はない。この流れの中で行われた今年11月14日のシンガポール会談で、安倍総理は元島民の思いを受け、大きく踏み出した。日露首脳会談 会談を前にロシアのプーチン大統領(右)と握手する安倍晋三首相=2018年11月14日、シンガポール(共同) 元島民の最大公約数は、下記の3つである。1、自由に島に行きたい 2、一つでも二つでも島を返してもらえるなら返してほしい 3、国後島周辺の海を使わせてほしい 安倍総理は、北方領土問題の解決には元島民の思いを大事にしたいと常に語っている。元島民の平均年齢は83歳で、人生が限られている。人道的な点からも、安倍総理は決断したのである。二島先行返還は間違い そもそも「四島一括返還」を述べる人は、正しい歴史の事実を知ることが大事だ。ロシアの世論は、9割以上が「戦後、国際的諸手続きにより正式に手に入れたわれわれの領土で、一島たりとも還す必要はない」と考えている。にもかかわらず、プーチン大統領は2000年の大統領就任以降「日ソ共同宣言は日本の国会もソ連の最高会議(現在のロシア国会)でも批准し、法的拘束力のある義務だ」と認識しており、全くブレていない。このプーチン大統領の「勇気」を私は高く、かつ敬意を持って受け止めている。 「2島先行返還」と表現するメディアもあるが、これは間違っている。2島を解決し、「さらに2島を」と言えば、ロシアはテーブルに着かない。そうすると今のままで「ゼロ」で終わってしまう。「ゼロ」でいいのかと言いたい。 「2島も返ってこないのでは」という声もあるが、それは過去の経緯をよく分かっていない推論に過ぎない。 ヤルタ協定でのクリル諸島(北方四島と千島列島に対するロシア側の呼称)の「引き渡し」に主権が含まれていることは自明だ。55~56年の日ソ共同宣言に至る松本俊一全権代表の交渉記録からして、「引き渡し」には当然の前提とされていることが読み取れる。領土問題を解決し、国境を画定してからの平和条約締結であることは当然のことである。 島の面積を言う人がいるが、これも現実を分かっていない。北方四島は海が大事である。海の面積が国益にかなうのだ。この点もよく考えてほしい。 私は現実的方策として、歯舞群島と色丹島を日本の主権と認めてもらい、国後、択捉島はロシアの主権と認め、その上で自由往来や共同経済活動における特別の仕組みを合わせた、「特例プラスアルファ」で解決するのが最善であり、この方法しかないと考える。 安倍総理とプーチン大統領、この2人の強いリーダーでしか北方領土問題の解決と、平和条約の締結は成し遂げられない。このチャンスを逃したら未来永劫解決はないのである。 安倍総理は先祖の墓を残し、かけがえのない故郷を離れざるを得なかった元島民の思いと、そして91年4月のゴルバチョフ大統領の来日時、歓迎式典に病身にもかかわらず出席し、その1カ月後に亡くなられた父、晋太郎先生の姿をいつも胸に刻み、領土問題解決と平和条約締結に心血を注いできているその姿に、私は頭の下がる思いだ。嘉納治五郎杯国際大会で日本対ロシア戦を観戦する安倍晋三首相(右)とロシアのプーチン大統領=2018年9月12日、ロシア・ウラジオストク(古厩正樹撮影) 戦争で失った領土は戦争で取り返すしかない。これが歴史的事実である。それにもかかわらず、一滴の血も流さずに話し合いで平和裏に解決したとするなら、安倍総理もプーチン大統領もノーベル平和賞ものである。 私は安倍総理に全幅の信頼を寄せ、必ずやってくれるものと確信している。安倍総理にしか歴史は作れない。

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    「プーチンは一島も返さない」最悪シナリオは中国への北方領土売却だ

    2島先行返還」を交渉材料にするにしても、プーチン氏は1島をも返還する気持ちはないように思えるのだ。 ロシア国民の間には「ロシアの自動車はマイナス20度以下になれば始動するが、日本車は止まってしまう」という冗談がある。どうやらロシア人は寒くなると暴れ出すようなので、警戒が必要だ。 日露平和条約の締結作業が進められている矢先、ロシアが牙をむいたようなニュースが飛び込んできた。獲得した領土への執着をあからさまに見せつける恐ろしさだ。ロシア連邦保安局(FSB)は11月26日未明、ウクライナ軍が所有する哨戒艇に威嚇発砲し、3隻を拿捕(だほ)したと発表した。ロシア当局に拿捕されクリミア半島東部のケルチ港に係留されるウクライナ海軍の小型艦船2隻とタグボート(右端)=2018年11月26日 (タス=共同) 現場は2014年3月に、ロシアが半ば強制的に併合したクリミア半島の周辺海域だ。ロシアは2018年5月、ウクライナとの国境が閉鎖されて経済的に孤立するクリミアとロシアのクラスノダール地方を結ぶ全長19キロのヨーロッパ最大級の橋をケルチ海峡に建設した。この橋の完成で、ケルチ海峡の北側に広がるアゾフ海に面するウクライナ南東部の港湾都市マリウーポリにむけてウクライナの船が自由に航行することが大きく制限された。ウクライナ政府がクリミア併合を認めておらず、ロシア当局はウクライナによるケルチ海峡大橋へのテロ活動を警戒しているからだ。 今回、ロシア監視船がウクライナ海軍の哨戒艇に衝突したのだが、その際のロシア艦長の無線の声を紹介しよう。艦長「こいつの動きは、ロシアへの侮辱だ。あの船を締め付けてやれ。よし。右側にぶつけてやろう。心配することはない。ここで拿捕するぞ」 ここで艦長は、左からウクライナ艦船を追うロシアの汽艇に告げる。艦長「直進しろ。そうだ」副艦長「停止」艦長「ウクライナ船の右側から乗り込むぞ。少しバックしろ。ウクライナ船員の身柄を拘束せよ」 ロシアとウクライナの軍事的緊張が急激に高まり、国連安保理事会の緊急会合が開催されることになった。欧米諸国はロシアによるクリミア併合を承認しておらず、欧州連合(EU)は「ウクライナの主権と領土の一体性に対する新たな侵害だ」と非難し、ケルチ海峡の自由な航行を訴えた。 今回の事件直後、ポロシェーンコ大統領は事態収拾のためにプーチン氏に電話をかけた。でも応答がなかったと報じられており、11月30日からのG20サミットに出席するトランプ大統領にプーチン氏宛の親書を送付したようだ。プーチンの変化球 今後は、欧米諸国によるロシアへの経済制裁がさらに強化される。ロシア経済は2014年以降の経済制裁で衰退しており、財政破綻寸前の状況だという説もある。 ここで日露関係を振り返ってみよう。ロシア極東(きょくとう)の経済拠点ウラジオストク市で2018年9月に開催された東方経済フォーラムでの出来事だ。プーチン氏は突然、こう切り出した。   「日露間は70年間係争問題について議論してきたが、安倍総理から従来のアプローチを変えようという提案があった。これを踏まえて、さらに突っ込んだ話をしたい。そしていま、思いついたことがある。日露間で平和条約を締結しよう。ただ、この場ではなく、年末までに。いかなる条件を付けずにやろう」  思いつきで日露関係を牛耳ろうとするプーチン氏の対応に、私は驚愕(きょうがく)した。それにしても条件抜きの平和条約とは、どんな内容になるのだろうか。1993年の「東京宣言」以降の日本政府の基本方針は、「四島の帰属の問題を解決」することを前提に、平和条約を締結することだった。逆にいえば、平和条約というのは戦後処理のことであり、国境線を確定することは最重要課題のはずだ。2018年11月、会談する安倍首相(左)とロシアのプーチン大統領=シンガポール(共同) 条件抜きの平和条約を提案したプーチン氏は2018年11月14日、シンガポールでの日露首脳会談に臨んだ。だがその翌日、こんな変化球を投げ込んできた。 「安倍総理から日ソ共同宣言を基礎にした協議する用意があると言ってきた。原則として共同宣言には2島を引き渡すと用意があると書かれているが、その条件や主権がどちらに属するのか記されていない」 1956年の日ソ共同宣言には両国間の正常な外交関係が回復した後、平和条約の締結に関する交渉を続けることで合意。ソ連は日本の要望と利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を引き渡すことに合意したと記されている。確かに、平和条約締結後にどのくらいの期限内に引き渡すとは記されていないが、2島を「引き渡す」というのは主権を意味していることに間違いない。北方領土が中国に売られる ロシアの有力なニュースサイト誌「ブズグリャード」(2018年11月15日付)には、プーチン氏の真意を見事に解説している。 「プーチン大統領が日ソ共同宣言にある『引き渡し』という言葉の意味を決めるのは、ロシアだと言っているのだ。『引き渡し』という言葉が意味するのは『土地のレンタル』なのかもしれない」 色丹島には3000人のロシア人が定住しているが、歯舞群島には民間人は住んでいない。いわば空き地となっており、北海道の納沙布岬に隣接する島々の借地権を日本に認めて、土地代を巻き上げようというのがプーチン氏の魂胆のようだ。私たちが目指す北方領土返還の本来の姿とは大きく異なる。 実は択捉島、国後島、色丹島には2011年以降、中国、韓国の水産関連企業が進出しており、新しい水産工場が続々と建設されている。2018年3月には色丹島にアメリカの「キャタピラー社」が二つのディーゼル発電所の建設に着手。そして9月には中国の通信機器大手「ファーウェイ」がサハリンと3島を結ぶ光ファイバー回線の海底敷設工事を完了した。このように北方領土はロシアの主権のもとで外国企業が進出し、既得権を確立している。 このような状況下で日本が領土交渉すると、中国、韓国、アメリカが横ヤリを入れてくるかもしれない。でも、私が最も危惧するのは、シリアやウクライナへの軍事介入、さらには経済制裁で財政難のロシアが、最終的に北方領土を中国に売却する最悪のシナリオだ。実際、ネット上では200兆円という数字が飛び交っており、日本のGDPの4割ほどの額である。 ロシアは1853年から3年間に及ぶクリミア戦争で経済的に疲弊し、アラスカをアメリカに売却した。ロシアは領土拡張に固執する一方で、経済危機に直面すると、平気で国土を切り売りして難を逃れる。2018年9月、ロシア風クレープ「ブリヌイ」を焼くプーチン大統領(右から2人目)と中国の習近平国家主席=ロシア・ウラジオストク(タス=共同) ロシアのことわざに「必要となれば、法律なんてどうでもよいことだ」がある。ロシア政治家の中には、いざとなれば国連の決議や国際法、さらには条約を反故(ほご)にしてもよいと考える人たちがいる。プーチン氏を相手に、平和条約を締結し、領土が返還されるという楽観的な見通しは危険だ。ここは、ロシアのことわざ「オオカミと暮らすならば、オオカミのように吠えろ」で巻き返していこう。日本はプーチン政権に、もっと声高に要求を突き付けてよいと思う。

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    北方領土引き渡し「主権は譲らない」がプーチンの真意

    小泉悠(軍事アナリスト、未来工学研究所特別研究員) 今年11月14日、シンガポールでロシアのプーチン大統領との会談を終えた安倍晋三首相が、「日ソ共同宣言に基づいて、北方領土交渉を加速させる」と述べたことが、大きな波紋を広げている。これが、いわゆる「2島先行返還」論へのシフトを意味するのではないかという観測が強まったためだ。 日ソ共同宣言は1956年、日本の鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相が合意し、日ソ両国の議会が批准したものであり、平和条約を締結した後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すとしていた。 一方、1993年に日本の細川護煕首相とロシアのエリツィン大統領が合意した東京宣言では、北方四島(国後、択捉、歯舞、色丹)の名を具体的に挙げ、これらの帰属問題を解決した後に平和条約を締結するということになっており、その後、日露間で結ばれたさまざまな合意もこうした立て付けを継承している。 にもかかわらず、安倍首相があえて日ソ共同宣言を基礎とすると言明するのは、国後・択捉両島についての交渉を放棄ないし棚上げするものではないか、という疑念が浮かぶのは当然であろう。 実際、森喜朗政権下で「2島先行返還」論が浮上してきた際には、このような警戒論が強まったし、筆者もその公算は大であると考える。「継続協議」ないし「並行協議」といった体裁を取るにしても、実態としては「棚上げ」が落とし所となろう。 筆者はそのような選択を全く否定するものではない。北方四島すべてを返還すべきであるという日本政府の主張を今後も掲げるならば、北方領土問題はこれからも長期にわたって解決しない可能性が高い。 ソ連が侵略の結果として北方四島を併合した以上、日本側は「筋論」としてあくまでも四島返還を訴えていくという立場は、それとして首肯できるものではある。だが、見通し得る将来において現実的な解決を図るのであれば「2島返還」で妥協するしかない、という立場にも理はある。 要は、解決が望み難いことは覚悟の上で「4」を主張し続けるか、現実を見て「2」で妥結するかが日本の取り得る選択肢であり、どちらを取っても何がしかの不満は残るだろう。それでも民主的に選ばれたリーダーが選択した結果であるならば、どちらであっても構わないというのが筆者の立場である。1993年10月、「東京宣言」に署名し、細川護煕首相(右)と握手するロシアのエリツィン大統領 ただし、それは「2島先行返還」が文字通りの「返還」であれば、の話だ。筆者が危惧するのは、「2島先行返還」から「返還」が抜け落ちてしまうのではないという点である。 既に広く知られているように、ロシア側は日ソ共同宣言を素直に履行する意思を示してはいない。安倍首相の発言後、プーチン大統領は「日ソ共同宣言ではソ連が歯舞・色丹を引き渡す用意があると述べているだけで、その根拠や主権については触れていない」と述べている。「一本背負い」を決めさせない シェイクスピアの『ベニスの商人』で用いられた、「肉を引き渡すとは書いてあるが、血については触れていない」論法よろしく、「引き渡すとは言ったが主権まで渡すとは言っていない」という論法である。日本人としては「一休さん」を想起したくなる。 プーチン大統領は今後、日ソ共同宣言の履行方法について「真剣な検討」が必要であるとも述べており、「引き渡し」の中身について厳しい条件闘争に打って出てくる可能性が高い。そこで、ロシアが具体的にどのような条件を突き付けてくるのかを考えてみよう。 前述のように、ロシアは、日ソ共同宣言でいう「引き渡し」には主権が含まれていないという主張を前面に出してくる可能性が高い。この場合、日本には北方領土やその周辺における施政権だけを認め、主権はロシアが保持するという落とし所を提示してくるだろう。 例えば、歯舞・色丹に日本人が渡航したり、島内および周辺海域で経済活動(現状では大きな制約を受けている漁業など)を行うことは認めるが、そこではロシア法が適用され、日米安保条約の対象とすることは認めない、といったことが考えられる。 また、「引き渡し」が時間を掛けて、段階的に行われる可能性もある。「経済協力だけを引き出されて島が帰ってこないのではないか」という「食い逃げ」警戒論が日本にあるように、ロシア側では「島を渡せば経済協力を反故(ほご)にされるのではないか」という「逆食い逃げ」警戒論が存在する。したがって、ロシア側の論理では、問題の解決になるべく時間をかけることで、日本からより多くの見返りを期待できるということになる。 しかも、北方領土をロシア側が支配している以上、時間はロシアの味方である。時間の経過に従って北方領土の「ロシア化」は今後も進行し、島の返還を待ち望む元島民は寿命によって減少していく。実際、かつて約1万7千人を数えた元島民の数は現在までに6千人ほどになってしまっており、存命の元島民も平均寿命が83歳に達している。 厚生労働省の発表によれば、2017年の日本人の平均寿命は男性で81・09歳、女性でも87・26歳。あと10年もすれば、日本政府は元島民がほとんど居ない状態で北方領土交渉を戦わねばならなくなる。ロシア側の狙いは、まさにこのような状況が訪れるまで粘ることであろう。 筆者は高校の体育で柔道をやったが、恐ろしく弱く、毎度面白いほどに投げられた。ただ、投げられているうちになんとなく分かってきたのは、柔道が相手の勢いを利用する武術であるということだ。こちらが必死に向かっていくほどに、相手はその勢いを利用してきれいに技を決めてくる。 柔道家として知られるプーチン大統領もまた、残された時間の少なさに焦る日本の勢いを存分に利用しようとするだろう。安倍政権の任期が残り3年を切り、元島民が高齢化する一方という状況下で、日本が「日ソ共同宣言を基に交渉を加速」させようとする現状は、技を掛ける格好の好機と言える。2018年11月14日、会談前にロシアのプーチン大統領(右)と握手する安倍首相=シンガポール(共同) もちろん、交渉である以上、ロシア側が島の「値段」を最大限につり上げてくるのは当然のことだ。日本としてはあくまで粘り腰に徹し、主権込みでの返還という一線を守るために総力を結集する必要がある。 あるいは、ロシアがあくまでも主権については譲らないというのであれば、それは日本にとっての「解決」とは言えず、受け入れるべきではない。日本国民としては、このような覚悟の下に交渉の行方を見守りたい。

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    どうなる北方領土交渉 「2島−α」に終わる可能性も

    条約交渉の加速化を決めたことで、今後の焦点は宣言が明記した歯舞、色丹2島の引き渡し問題に移る。だが、ロシア側は自動的な引き渡しを否定しており、厳しい交渉になりそうだ。 この交渉によって、2島が上限となることで、「2島プラスアルファ」どころか、「2島マイナスアルファ」に終わる可能性もある。ロシアが主権を譲らない場合、日本は交渉を打ち切るなど毅然(きぜん)と対応すべきだ。 プーチン大統領は11月14日の合意後の会見で、「主権がどちらの国のものになるか書かれていない。真剣な検討の対象になる」と指摘。菅義偉(すが・よしひで)官房長官は「返還されれば、日本の主権も確認される」と述べ、早くも鞘(さや)当てが行われた。 ゆえに、日露の平和条約協議機関では、2島引き渡し問題が最大の争点になろう。ロシアが四島領有の根拠の一つとしている1945年2月のヤルタ密約は、ソ連の対日参戦条件として、「千島諸島はソ連に引き渡される」とし、英語では『hand over』、 ロシア語では『ピリダーチャ』が使われている。56年宣言の表記も「引き渡し」(ロシア語はピリダーチャの動詞)だ。 ソ連はヤルタ合意に沿って千島の主権、水域などすべてを奪ったわけで、それに従えば、ロシアは歯舞、色丹の主権、水域をすべて返還しなければならない。日本側は交渉でこの点を衝(つ)くべきだ。 そもそも、ソ連時代のフルシチョフ政権は56年宣言調印後、歯舞、色丹に入植した島民を国後島などに移住させ、返還準備に着手していた。60年の日米安保条約改定に反発し、「全外国軍隊の撤退」を引き渡しの条件にしたが、一時は2島をすぐにも返還する構えだった。 歯舞諸島はその後も無人島だが、色丹には島民が戻り、ソ連時代は水産加工の有力拠点だった。現在も3000人近い島民が住む。 プーチン政権は07年に開始した「千島社会経済発展計画」で国後、択捉へのインフラ整備を強化し、島の景観は様変わりしたが、色丹の整備は遅れ、島民の不満が強かった。しかし、このところ色丹開発が急テンポで進みつつある。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領=(タス=共同) 筆者が購読している国後島の新聞『国境で』によれば、色丹では3つの水産加工場の近代化計画が進み、中国の技術者が10月に島を視察した。25年まで延長された同計画に沿って、今後5年間に色丹で飛行場や体育館、ゴミ処理施設を建設し、島民の生活改善を図るとしている。 国後、択捉と違って色丹にはロシア軍は駐留しないが、国境警備隊の大型基地があり、数百人の部隊が展開するといわれる。色丹の警備隊はロシア海軍の太平洋への出口となる国後、択捉間の国後水道の警備が任務に含まれるもようだ。米露関係悪化でオホーツク海の戦略的重要性が高まる折から、ロシアにとって色丹の国境警備隊は重要になる。 国境警備隊は連邦保安局(FSB)に統合されており、軍やFSBなど実力組織が島の割譲に抵抗するだろう。複雑な難交渉は必至 交渉では、主権を日本に渡し、施政権は当分の間ロシアが管轄する方式も考えられる。その場合、本土復帰前の沖縄方式となるが、ロシアの施政権が長期に及ぶようでは返還の意味がない。 プーチン大統領は返還後の島に米軍基地を設置しないことを日米首脳が文書で確約するよう要求したとの情報もある。これも日米地位協定と絡んで難題となろう。 ロシア側は引き渡しに際して、経済協力、安全保障、島民への補償など多くの条件闘争を挑むとみられ、複雑な難交渉となりそうだ。 そもそも支持率が低下しているプーチン大統領にとって、領土割譲はリスクがある。大統領が自ら高揚させた民族愛国主義が、引き渡しの障害になりかねない。保守派のロシア人歴史学者、アナトリー・コシキン氏は「2島返還の時機は逸し、現実的に不可能だ」とコメントした。 ロシアのネット上では、「プーチンが大統領選で公約していない年金受給年齢引き上げや日本への領土割譲を実行するのは不当だ」「1センチでも領土を譲るのは裏切り行為だ」といった返還反対の書き込みが目立つ。 「日本と平和条約を結ぶことは、孤立脱却につながる」といった意見は少数派だ。こうした中で、90年代初期に対日政策を担当したゲオルギー・クナーゼ元外務次官は、ラジオ局「モスクワのこだま」の座談会で、「日本の四島返還論には相当の根拠があり、ロシアは歯舞、色丹を返還し、国後、択捉の帰属協議に応じるべきだ」と発言した。墓地に設けた祭壇に手を合わせる元島民 =2017年9月、択捉島の紗那墓地 (代表撮影) クナーゼ氏は在任中の92年3月、外相とともに同様の提案を打診したが、日本側は「四島返還ではない」として却下した。クナーゼ提案に沿って交渉していれば、当時の日露の圧倒的な国力格差から見て国後を含む「3島プラスアルファ」の解決が十分可能だったろう。 政府・外務省は当時の外交失敗が今日の状況につながったことを念頭に、2島の主権確保に全力を挙げるべきだ。

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    「同情するならカネをくれ」金正恩がプーチンを見限った理由

    鮮労働党委員長が一躍国際舞台の主役となり、各国首脳がこぞって面会に動いている。朝鮮半島外交で出遅れたロシアのプーチン大統領も9月にウラジオストクで開かれる「東方経済フォーラム」に金委員長を招待しており、巻き返しに必死だ。 プーチン大統領は9月11~13日の東方経済フォーラムに、安倍晋三首相、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領、中国の習近平国家主席を招待しており、金委員長が出席すれば、5カ国首脳が一同に会することになる。 シンガポールの米朝首脳会談で米朝関係に進展があれば、トランプ米大統領も飛び入りする可能性があり、その場合、歴史的な「6カ国首脳会談」の開催となる。そこでは日朝首脳会談も実現し、日本人拉致問題が一気に解決に向かうかもしれない。 米朝首脳会談に続く焦点は、ウラジオストクの「5カ国(または6カ国)首脳会談」となり、外交によるかけ引きが続きそうだ。こうした中で、プーチン大統領は朝鮮半島の緊張緩和、核問題解決で主導権を握ろうとしているかにみえる。 ロシアのラブロフ外相も最近、「北朝鮮非核化の最終段階で、すべての国が参加する多国間協議の開催は避けられない」と述べ、6カ国プロセスの主導に意欲を見せている。 ロシアは2014年のウクライナ危機後、欧米の経済制裁を受けて孤立が続くが、先のG7(主要7カ国)サミットでは貿易通商問題で欧米の亀裂が露呈。5月にはメルケル独首相、マクロン仏大統領、安倍首相が訪露した。今月14日からのサッカーW杯ロシア大会の主催もあり、一気に国際的孤立の脱却を狙っているようだ。プーチン大統領 積極的な朝鮮半島外交も孤立脱却戦略の一環だろう。朝露間では、5月末にラブロフ外相が9年ぶりに訪朝し、金委員長と会談。段階的な非核化の方向性で一致した。 ロシアでの報道によれば、W杯開会式には北朝鮮の序列ナンバー2、金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が出席する。9月初めには、マトビエンコ上院議長が訪朝し、10月にロシア議会代表団が訪朝するなど、両国の交流が一気に活発化する。 ただ、金委員長が9月にウラジオストクを訪問するかどうかは微妙だ。金委員長は15年5月にもロシアの対独戦勝70周年式典に出席を計画していたが、10日前にドタキャンした経緯がある。 この時は、当時の玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長(国防相)が金委員長の訪露準備で同年4月に訪露したが、帰国後公開処刑され、ロシア側が不快感を表明。その後、朝露関係は停滞していた。「脇役」にすぎないプーチン 外交経験に乏しい34歳の金委員長が、国際会議デビューを果たすのか、プーチン大統領や安倍首相ら首脳外交のベテランと渡り合えるのか。北朝鮮の改革開放を探る上で重要な試金石となる。 ロシアは北朝鮮核問題では、米国の強硬論をけん制し、対話による解決、段階的非核化を支持してきた。 プーチン大統領は6月8日、北京で習主席と会談し、北朝鮮の非核化に歩調を合わせて対応することで一致。北朝鮮が求める体制保証を中国とともに後押しする考えを示した。ウラジオストクに関係国首脳を集め、朝鮮半島外交で一気に主導権を握る野望がにじむ。 しかし、ロシアの朝鮮半島政策には「実力不足」も目に付く。第一に、中国はロシアが主導権を握ることを望んでおらず、中露は半島外交で一枚岩とはいえない。6カ国協議を主催してきた中国は、自らイニシアチブを取ろうとするだろう。 第二に、ロシアには北朝鮮に経済援助を行う能力がない。2015年の朝露貿易は往復8400万ドルにすぎず、57億ドルの中朝貿易の1・4%にすぎなかった。中国が石油や食糧の一部を無償供与するのに対し、ロシアは市場価格での決済に固執しており、援助能力はない。国連安保理決議を受けて、武器輸出も禁止している。 第三に、ロシアはソ連時代と違って、北朝鮮と利害を共有する同盟関係ではなく、後ろ盾でもない。シンクタンク「国際危機グループ」(ICG)が指摘したように、露朝関係は「実利に基づく制限された友好関係」と位置づけられよう。APEC首脳会議の写真撮影に向かうトランプ大統領(手前右)とプーチン大統領=2017年11月、ベトナム中部ダナン(共同) 日本は半島外交で出遅れたといっても、拉致問題が解決して関係が正常化した場合、大型援助を行うことが小泉純一郎首相訪朝時の日朝平壌宣言に明記されており、いずれ日本の出番が必ずくる。 しかし、ロシアには支援能力がなく、北朝鮮はそれを熟知していよう。北朝鮮からすれば、「同情するなら、カネをくれ」ということだ。 ロシアは半島外交で、反米外交を進め、日米韓の連携を阻止し、存在感を高めて孤立脱却を図ろうとするだろうが、しょせん影響力は限られ、「脇役」にすぎない。とはいえ、キーパーソンとなった金委員長の対応次第で、9月にロシアが関係国首脳会議を主催する可能性もあり、見逃せない展開となってきた。

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    「独裁者に降りる道なし」プーチンが最も恐れる復讐の連鎖

    木村汎(北海道大学名誉教授) ロシア大統領、ウラジーミル・プーチン氏の人気は、国内で抜群といえよう。2014年春のクリミア併合以来、80%代の高支持率を維持してきた。それにもかかわらず、当のプーチン氏は、3月18日の大統領選挙で己の当選をいやが上にも確実なものにしようと躍起になっていた。 日ごろ大胆不敵、いや傲慢(ごうまん)にすら映る同氏が、選挙前の数カ月はまるで人が変わったように慎重居士と化していた。ロシア有権者たちの支持率を些(いささ)かも下げないよう極力注意し、彼らを不本意に刺激する恐れのある言動を厳に慎んでいたのだ。本稿では、その具体例を2、3示し、次いでその理由を述べよう。ロシアの新聞社や通信社の代表らと会談し、質問に答えるプーチン大統領=2018年1月11日、モスクワ(タス=共同) まず、プーチン氏はわざわざ法令を改正してまで、大統領選挙の投票日を3月18日に特定した。3月18日こそは、4年前にプーチン氏がクリミア自治州をロシアへ編入した日に他ならない。ロシアの有権者たちがこの併合を近年のロシア外交史上最高のクリーン・ヒットと見なすのならば、そのような偉業をなしとげた人物をぜひとも再選すべし。こうアピールするための選定だった。 次いで、国際オリンピック委員会(IOC)がロシアの平昌(ピョンチャン)冬季五輪への参加を禁じた時、プーチン氏は普段の彼からは信じられないほどの寛大な方針を打ち出した。すなわち、ロシア選手が個人資格で同大会へ参加することを政府は認めたのだ。 さらにプーチン氏は、ヴィタリー・ムトコの降格も決定した。ムトコは、ロシアのスポーツ相時代、おそらくプーチン氏の思惑を忖度(そんたく)するあまり、国家ぐるみのドーピングを指揮した張本人だった。プーチン氏本人がスポーツ狂であるばかりか、ロシアの国威を発揚するための格好の手段として、五輪でのメダル獲得数に異常なまでの執念を示している人物である。ムトコは、このことを誰よりも熟知していた。案の定、彼はソチ冬季、リオデジャネイロ夏季五輪後に副首相へ昇格する栄に輝いた。 ところが、その間IOCはロシアのドーピング疑惑を一向に払拭(ふっしょく)せず、ロシアが国家としての平昌冬季五輪に参加することを認めなかった。ここに及んで、さすがのプーチン氏も、ムトコを来るべき同年6~7月にロシアで開催予定のサッカー・ワールドカップの組織委員長ポストから解任せざるを得なくなった。ムトコをスケープ・ゴート、つまり「贖罪(しょくざい)のやぎ」に仕立てあげ、その代わりに己はロシア国民による批判の矛先から免れようとさえ考えたのである。シリア内戦介入をやめた理由 さらに、シリア内戦への介入の終焉(しゅうえん)も、大統領選が近づいてきたことを意識した行為だった。プーチン氏は、2017年12月11日、シリアを突然訪問し、シリア内戦でのロシア・アサド政府軍による「イスラム国(IS)」に対する軍事勝利を宣言し、同時にロシア軍の撤退を発表した。このような宣言や発表は唐突、かつ時期尚早の政治行為だった。というのも、周知のごとく、その後も厄介な諸問題が残存しているばかりか、新しく発生しており、シリア問題の真の解決にはいまだ程遠い状態だからである。シリア・東グータ地区で破壊された建物や車=2018年2月25日(ロイター=共同) 例えば、アサド政権が化学兵器を使用したと思われる行為が起こった。また、トルコ軍はシリア国内でロシアが支援するクルド人勢力を攻撃した。イラン国内でも政府反対派の動きが活発化している。このような諸事情によって、一時結成されたかのごとくみえたロシア、シリア、トルコ、イラン間の連帯は崩れかけようとさえしている。 事態がこのようにいまだ流動的であるにもかかわらず、プーチン氏はなぜこのように性急な勝利宣言、したがってロシア軍の撤退を公表したのか。数多くの理由が挙げられるだろうが、主な要因はロシア国民間での厭戦(えんせん)気分の高まりをプーチン氏が素早く察知したことだろう。確かに、2015年9月末にロシアがシリア空爆を始めた時、ロシア国民は喝采を送り、プーチン氏は支持率を90%近くにまで押し上げた。 ところが、それから既に2年以上の歳月が経過した。国民は、ウクライナ東南部での事実上の戦争とシリア内戦介入との「二正面作戦」の経済的負担を問題視しはじめた。例えば、17年9月実施の世論調査結果が、このことを証明している。ロシア国民のうち49%がシリア介入作戦の停止に賛成、継続は30%、意見なしは21%となっている。 3月18日の大統領選でプーチン氏が目指していたのは、「70―70」だったという。すなわち、ロシア有権者の70%が投票場へ足を運び、全投票数の70%の得票をもって自らが当選することを目指していた。では、プーチン氏は、そもそもなぜ4選を欲したのか。「権力の絶頂」プーチンの悩み 第一の理由は、ロシアが「選挙で選ばれる独裁制」を採用しているからだろう。つまり、現ロシアの政治制度で大統領は曲がりなりにも選挙の洗礼を受けねばならないとされている。だが、いったん選挙で選ばれた後は、ロシア連邦の大統領はほとんど何をしてもよい。オールマイティー(万能)に近い絶対的な権力を振るうことが可能なのだ。実際、前回の大統領選前の2011年12月以降、しばらくの間反プーチン集会・デモを繰り広げたロシア国内の反対諸勢力は、プーチン氏がクレムリンの主に戻るや否や、たちまち抑圧され、無力化させられてしまった。ロシアのウラジオストクで反政権デモに参加した人たち=2017年10月7日(ロイター=共同) 第二の理由は、今やプーチン氏が己のサバイバルだけを至上命令とみなす「保守主義者」へと化しているからである。彼は、もし自分が大統領ポストから降りるようなことになれば、彼の周囲の護衛団の規模も数もともに減少し、極端な場合、本人及び2人の娘に危害が及ぶことすら真剣に懸念している。 プーチン時代の計18年間には数え切れない数のチェチェン人、ジョージア人、ウクライナ人、ロシア人のジャーナリスト、反対諸勢力のリーダーたちが命を落とした。彼らの親族、仲間、部下たちは、隙あればプーチン氏にリベンジを加えようと虎視眈々(たんたん)と機会を狙っているに違いない。そのような不測の事態に対する懸念のために、プーチン氏はいったん己が大統領の身分を失ったならば、もはや安閑とした余生を送り得ないことを危惧しているのである。 確かに現在、プーチン氏は権力の絶頂にいる。しかし、そのような彼にも悩みがある。まさに、次の言葉は真理といえよう。「独裁政は美しい場所ではあるが、いったん登ると降りる道はない」(『プルターク英雄伝』)。

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    「恐怖の独裁者」プーチンが望む世界

    ロシアのプーチン大統領が再選を決めた。任期満了の2024年まで務めると、四半世紀近い長期政権となる。「大国ロシア」の復権を掲げ、なりふり構わぬ強権ぶりを誇示するプーチン氏。米欧との対立を深め、新冷戦時代に突入した世界はどこへ向かうのか。「ロシアなき世界は不要」とまで言い放つプーチンの野望を読み解く。

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    「21世紀最凶の殺戮者」プーチンがもたらす憎悪の世界

    黒井文太郎(軍事ジャーナリスト) プーチン大統領は今や、世界にケンカを売る「皇帝」としてロシア国民の圧倒的支持を得ている。タイプとしては、大衆扇動型のヒトラーに近い。ロシアのメディアを支配し、巧妙にロシア国民の心理を操作している。 もっとも、プーチンは2000年に大統領になった直後から、世界にケンカを売っているわけではなかった。挑戦的な姿勢を明確に示したのは、2011年のシリア紛争からだ。 それまで国際紛争の処理は米国が主導してきたが、プーチンはそのとき初めて国際社会に正面から逆らい、国連安保理のアサド政権を非難する決議案を拒否権により葬った。プーチンの欧米に対する対決姿勢は、2014年のクリミア侵攻、2015年のシリア軍事介入で決定的となり、2016年には米国大統領選にも介入、今や「世界の敵ナンバー1」と言ってもいい存在になっている。 プーチンが2000年代、対外的に割とおとなしかったのは、まだロシアの国力が1990年代のどん底時代から回復しきっていなかったからである。2010年代に一気に勝負に出てきたのは、当時のオバマ米政権が「世界の警察」から降り、「米国はもう何も手を出さない」ことが明らかになったからだ。 ただし、プーチンはその前から、ロシア国内と周辺国に対しては常に強権的なファイターだった。大統領就任直前の1999年には、大統領が重度のアルコール依存症でレームダック(死に体)状態だったエリツィン政権末期の首相として、チェチェンへの軍の派遣を主導し、第2次チェチェン紛争を仕掛けた。 チェチェンへの攻撃は、一般住民の巻き添えを一顧だにしない苛烈(かれつ)なもので、プーチンはそれを10年間も続けた。2008年にはグルジア(ジョージア)に部隊を差し向けて撃破し、多くの死傷者を出した。軍を直接侵攻させないまでも、2000年代を通じてウクライナで反ロシア派の追い落とし工作を続けた。ビリニュス中心部にある旧KGBの建物 また、プーチンは大統領に就任すると、エリツィン時代に権勢を振るった新興財閥や野党指導者を、旧ソ連国家保安委員会(KGB)系諸機関の総力を挙げて追い落とし、自らの権力基盤を固めた。 まずは「メディア王」ウラジーミル・グシンスキーを2000年に逮捕。主要メディアをプーチンが支配した。2003年には石油業界大物のミハイル・ホドルコフスキーを逮捕し、シベリアの刑務所送りにした。ロシア最大の新興財閥だったボリス・ベレゾフスキーは2001年に身の危険を感じてイギリスに亡命し、反プーチン活動を続けていたが、2013年に自宅で変死を遂げた。プーチンがついた大嘘 野党指導者でも、エリツィン政権時の第1副首相だったボリス・ネムツォフが2015年にモスクワ市内で射殺されるなど、有力者の暗殺や不審死が相次いだ。プーチン政権を批判するジャーナリストも同様で、2006年に反政府系紙「ノーバヤ・ガゼータ」の著名記者アンナ・ポリトコフスカヤが自宅アパートのエレベーター内で射殺されるなど、毎年複数人のペースで殺害されている。元情報機関員だったアレクサンドル・リトビネンコが亡命先のイギリスで放射性物質により暗殺されたのも2006年だ。モスクワ郊外の民間訓練場で射撃訓練に使われたロシア連邦保安局(FSB)元幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏の顔写真を使った標的※テレビ画像複写 (撮影年月日不明) こうしたプーチン批判派で、国内外で殺害された人数は30人以上に上る。今回、旧ソ連が開発した軍事用神経剤「ノビチョク」で暗殺未遂に遭った元情報機関員、セルゲイ・スクリパリのように、殺害されないまでも「攻撃」された人数を含めると、少なくとも40人以上が被害を受けている。多くのケースで犯人は不明だが、これだけプーチン批判派ばかりが襲撃されるというのは異常であり、ロシア情報機関による犯行とみていいだろう。このように、暗殺も厭(いと)わぬ反対派潰しを、プーチンは権力奪取後から一貫して続けているのだ。 もっとも、プーチンが「殺害」した人数は、こんなものではない。前述した第2次チェチェン戦争では、国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調査では、一般住民の死者2万5000人に加え、おそらく死亡したであろう行方不明者が5000人。つまり計約3万人もの一般住民が、プーチンが命令した戦争により殺害された。 また、既に7年も続いているシリア紛争では、最も現地情報を集積している非政府組織(NGO)「シリア人権監視団」によれば、プーチンの命令でロシア軍が直接殺害したシリアの一般住民は、身元が確認された人だけで約7000人。ただし、ロシアの支援によって生き延びたアサド独裁政権陣営が、一般住民を少なくとも12万8000人以上を殺戮(さつりく)しており、合わせて13万5000人以上の一般住人が犠牲になっている。これもプーチンが関与したといっても過言ではないだろう。 他にも前述したグルジア(ジョージア)戦争や、今も続いている東ウクライナでの紛争などを含めれば、プーチンは数十万人もの命を平然と奪っている「21世紀最凶の大量殺人犯」に他ならない。 そんなプーチンの特徴は、平然と嘘がつけることだ。クリミアにロシア軍を送っておきながら「ロシア軍の兵士は一人もいない」と断言し、シリア空爆に踏み切る直前まで「軍事介入などしない」と宣言。シリアではその後も前述した一般住民の殺戮が続いたが、一貫して「攻撃対象はテロリストだけ。一般住民はまったく攻撃していない」と述べている。旧ソ連共産党とKGBの遺伝 そんなプーチンのメンタリティーは、まさに欺瞞(ぎまん)と詭弁(きべん)の塊だった旧ソ連共産党とKGBの遺伝だ。3月11日に公開されたプーチン賛美ドキュメンタリー映画『プーチン』で、彼は自分の祖父がレーニンとスターリンの料理人だったことを誇示しているが、つまりはレーニンやスターリンに憧憬(しょうけい)があるのだろう。また、プーチンは14歳でKGBに採用の方法を聞きに行ったという逸話があるくらい、少年時代からKGBに憧れていたことも広く知られている。 目的のためには殺人も平然と行い、平然と嘘もつく。嘘まみれの宣伝で自国民を洗脳するばかりか、嘘を拡散して世界を操ろうとする。プーチンの情報機関は、米大統領選のときにSNS(会員制交流サイト)でニセ情報を拡散して介入したことにとどまらない。イギリスのEU離脱やスペインのカタルーニャ州分離独立騒動でも大規模な扇動工作をしていたことが判明している。 また、欧米各国で移民排斥、宗教差別、極右運動を扇動し、社会の分断を図っているが、欧州の極右勢力には直接、資金投入して工作をかけていることも分かっている。これは、冷戦時代にKGBが正式な作戦として米帝国主義陰謀論やユダヤ陰謀論などを西側メディアに仕掛けたり、西側の左翼組織に極秘裏に資金を投入したりといった裏工作をしてきたことの、まさに再現である。 冷戦当時はもっぱら左翼が工作対象だったが、現在ロシア情報機関に操られているのは右翼が多い。欧州の極右などは軒並み反米で、プーチン支持者になっている。私たちがネット上で日々接している言説でも、社会の憎悪を煽るような情報は、その出所がロシア情報機関発のフェイクニュースであることが珍しくない。モスクワ中心部の広場での集会で演説するロシアのプーチン大統領=2018年 3月18日 プーチンは権力を手に入れた瞬間からロシア国内で強権的な支配を一貫して強化してきたが、2010年代からは世界にもその邪悪な手を本格的に広げてきた。 3月18日の大統領選で再選され、少なくとも今後6年間はプーチン時代が続く。抵抗する者たちは暗殺され、紛争地の罪なき人々は虐殺される。そして社会には悪意のフェイクニュースが溢(あふ)れ、差別や憎悪が広がっていくことになるのである。

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    世界最悪の秘密警察KGBは「プーチンの道具」に過ぎない

    落合浩太郎(東京工科大学教授、政治学者) ロシア・インテリジェンスの歴史は一般に1917年のロシア革命に伴って発足したチェカー(秘密警察)に始まるとされる。1954年に国家保安委員会(KGB)に改組され、30万人の巨大な規模を誇り、世界最強(悪)のインテリジェンス機関として知られた。 1991年のソ連崩壊に伴ってKGBが解体・分割されて連邦保安庁(FSB)と対外諜報庁(SVR)が発足した。FSBが国内、SVRが外国というのが基本的な分担で、本部建物はチェカーからKGB、さらにFSBへと引き継がれた。プーチン大統領はKGB中佐、退職後にFSB長官を務めている。 2016年にはプーチン大統領がFSBとSVR等を統合してKGB復活を計画しているとの報道があった。KGBやFSBより格下とされるが、軍にも参謀本部諜報総局(GRU)がある。戦前の日本政府中枢に浸透して大きな成果を上げたリヒャルト・ゾルゲも所属し、2000年以降に二度も日本の自衛官が工作対象となる事件を起こしたのもGRUだ。 「米国は冷戦には勝ったが、インテリジェンス戦では敗れた」とも言われる。CIAが運用したソ連人エージェント(情報提供者)の多くがKGBの命を受けた二重スパイで、米国を欺いた。東ドイツとキューバにおいては、全員が二重スパイとも言われる。CIAと互角(以上)に戦ったプロフェッショナリズムがソ連(ロシア)のインテリジェンスの第一の特徴である。 インテリジェンスは独裁国家に共通の「政権の道具」である。ロシアの場合、3月5日に英南部でGRUのセルゲイ・スクリパリ元大佐らが神経剤「ノビチョク」で襲撃された事件、そして2006年にロンドンでFSBの元中佐リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウムの投与による毒殺事件といった一連の元スパイや反体制派の暗殺に見られるように、極めて残虐性が高い。また、プーチン政権はシロビキ(インテリジェンス機関や軍出身者)が牛耳る点でも異例である。2006年に暗殺されたロシア連邦保安局(FSB)元幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏=2002年 ライバルのCIAも含めて西側諸国は暗殺を今日ほとんど行っていない。しかし、KGBもFSBも暗殺は「通常業務」である。なお、KGBも外国人は容赦なく暗殺したが、同胞は刑務所や精神病院送りまでだったのに、FSBは平気で殺害するようになったとの見方もある。プーチン大統領の不正を追及していた女性ジャーナリストのポリトコフスカヤ氏も2006年10月7日に射殺された。大統領の誕生日に合わせた「プレゼント」と言われたが、日本政府も1944年のロシア革命記念日(11月7日)にゾルゲの死刑を執行した。 国威発揚(こくいはつよう)によるプーチン政権の支持率向上のために、2014年に自国でのソチ・オリンピックでFSBの「魔術師」と呼ばれる職員がロシア選手の検体をすり替えて、ドーピングを隠蔽(いんぺい)しようとした。そして、政権と同様に腐敗も深刻であり、アフガニスタンから流入するヘロインを取り締まるべくFSBが麻薬密売組織と結託して賄賂を取っている。日本も「新冷戦」を戦う覚悟を 反体制派ブロガーのアレクセイ・ナワリヌイ氏が2017年に動画投稿サイト「ユーチューブ」でメドベージェフ首相が豪邸やワイン畑を持ち、腐敗していると暴露する動画を公表し、若者らによる大規模な反腐敗デモが起きた。しかしその後、FSB長官の5億円の豪邸が申告もされていないと報道したサイトが閉鎖。ナワルニイ氏は反プーチン派の有力な大統領候補になると目されていたが、「公金横領」の有罪判決を理由に立候補できなかった。 3月18日のロシア大統領選で再選を決め、事実上、1999年から2024年まで25年間、プーチン大統領が統治することになった。愛国心に訴えて対外強硬政策を唱えて支持を得ているが、現実は惨憺(さんたん)たる状況だ。「真の豊かさ」を示す平均寿命は伸びているものの70歳であり、北朝鮮と同水準の世界194カ国中110位にすぎない。石油と天然ガスに歳入の半分、輸出の7割を依存する「油上の楼閣」と揶揄(やゆ)されている。それらの価格は低迷しており、「シェール革命」の影響で高騰は期待できない。脆弱(ぜいじゃく)で遅れた経済の改革、特に製造業の競争力強化はここ20年近く、全く進んでいない。記念撮影する(左から)フィギュアスケート女子で金メダルを獲得したアリーナ・ザギトワ選手、プーチン大統領、銀メダルのエフゲニア・メドベージェワ選手=2018年2月28日 プーチン大統領を「経済が全く分からないKGB中佐」と揶揄(やゆ)する向きもあるが、別の解釈も可能だ。「ピョートル大帝になりたいが、ゴルバチョフになるのを恐れて、ブレジネフに」と喝破(かっぱ)した論者がいる。プーチンのアイドルは18世紀の改革者ピョートル大帝で、自分もロシアを立て直したいと思っている。 しかし、それが不可能に近く、下手をすると社会主義経済を立て直そうとペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を打ち出して、ソ連を崩壊させてしまった「最後の書記長」ミハイル・ゴルバチョフにだけはなりたくない。そこで、経済停滞や社会問題に対処せずに18年無為に過ごした「ソ連崩壊の真犯人」レオニード・ブレジネフ書記長になるとの見立てだ。 そうなると国民の支持を確保するためにも強硬策を続けざるを得ない。2016年のアメリカ大統領選挙に見られる、サイバー攻撃やフェイクニュースを用いて、民主主義国の開放性を悪用して内政に介入するロシアと中国の「シャープ・パワー」への警戒感が昨年から欧米で強まっている。かつてKGBはエイズをアメリカが黒人(アフリカ系)を殺すために作り出した、とのフェイクニュースをインド経由で広めようとして、一時的にせよ世界各国で信じられたこともあった。 ロシアのウクライナ侵攻や欧米に対するシャープ・パワー攻勢を受けて、スウェーデンは徴兵制を復活させ、フランスも検討している。 北朝鮮の核実験やミサイル発射の度に「断じて容認できない」「最大限の圧力を」と繰り返すだけで、ミサイル防衛やアメリカの抑止力に頼り続け、自らの問題として対処しないわが国とは対照的である。今回の暗殺計画もプーチン大統領が自ら決定したとイギリス外相が述べており、再選された「骨の髄までKGB」の彼が何を仕掛けてくるか分からない。幻想を抱くことなく、日本も欧米各国と同じく「新冷戦」を戦う覚悟をしなければならない。

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    プーチンの行き過ぎた「反米親中」路線はもはや限界である

    頭慎治(防衛省防衛研究所 地域研究部長) クリミア半島の併合4周年記念にあたる2018年3月18日、ロシアにおいて大統領選挙が実施され、現職のプーチン大統領が再選された。これにより、事実上の最高指導者だった首相時代(2008~2012年)を含めて、2000年に発足したプーチン体制は四半世紀近く存続することになる。 プーチン氏は65歳、実はロシア男性の平均寿命に近づいている。憲法規定上、大統領の三選が禁じられているため、中国の習近平国家主席と同じく憲法を改正して政権延命を図るニュアンスは残しながらも、プーチン政権は2024年5月に幕を閉じる可能性が大きいとみられる。 2000年から続くプーチン体制は盤石であったように見えるが、経済の低迷、潜在的な反プーチン機運、米露関係の悪化など、プーチン政権最後の6年間はいばらの道をたどることになるだろう。 経済面では、2017年にマイナス成長から脱したものの、ロシアの国内総生産(GDP)は世界第12位にとどまり、資源価格の低迷や欧米からの経済制裁によりウクライナ危機前後の3年間でGDPは半減した。国民の可処分所得は4年連続で落ち込み、さらにこの4年間で貧困層が400万人以上増加するなど、国民の生活実感は悪化している。油価の高騰や経済制裁の緩和が見込めない以上、資源に過度に依存するロシア経済の未来は暗い。 プーチン退任という「2024年の壁」が待ち受けているため、遅かれ早かれ、プーチン氏のレームダック(死に体)化は不可避である。政権後半には、後継者探しをはじめとしたポスト・プーチン体制の模索が本格化する。 そうなれば、大統領交代というレジーム・チェンジに向けて、クレムリンをめぐる権力闘争や国民の間に眠る潜在的な反プーチン機運、イスラム過激勢力によるテロなどがむき出しとなり、内政が混乱する危険もある。領土問題で政治決断が求められる日露間の平和条約締結交渉のタイムリミットは、プーチン氏が内政に専念せざるを得なくなる2021年ごろになるだろう。2018年1月、ニューヨークで行われたトランプ大統領に抗議する大規模なデモで掲げられた、ロシアのプーチン大統領にあやされるトランプ氏が描かれたプラカード(中央)(共同) 前回2012年の大統領選挙では「2020年までのプーチン・プラン」と呼ばれる選挙綱領が存在したが、今回の選挙キャンペーンでは、プーチン氏が得意とする次期政権のストラテジー(戦略)は示されなかった。そのため、明確な政治ビジョンがなく、プーチン氏が惰性で権力にしがみついているような印象が強まっている。プーチンの理想の世界で埋没していく より厳しい課題に直面するのがロシア外交である。2012年に首相から大統領に返り咲いたプーチン氏は、2014年3月にウクライナのクリミア半島を併合した。また、2015年9月にはシリアへ軍事介入するなど、対外強硬路線を極めながら国内で政権浮揚を図り、国際社会において身の丈以上の存在感を発揮することに成功した。 ロシアが期待したトランプ政権との関係改善は実現していない。だが、米露関係の悪化が「欧米諸国に封じ込められるロシアにはプーチン氏のような強力な指導者が不可欠である」という選挙キャンペーンには役立った。 それでも、ウクライナ危機以降、「欧米対中露」という二項対立的な図式に立って、プーチン氏が進めてきた「反米親中」路線を次期政権で貫くことには限界がある。プーチン氏が抱く世界観は、「米欧印中露」から成る多極世界が到来しつつあるというものである。その多極世界の一員たるべきロシアの影響力を、サイバー空間も含めた国際社会に拡大していくことが戦略課題である。最近、プーチン氏が、核戦力を含む軍事力の近代化に注力しているのもそのためである。 国際戦略環境の重心が、それまでの欧米から中印などのアジア太平洋地域に移りつつあるとの認識から、プーチン氏は「ロシアの東方シフト」を進めている。米一極世界下では、ロシアは中国と連携しながら多極世界の構築を目指すという姿勢でよかったが、多極世界において米国から中国へ相対的なパワー・シフトが進む中、米中という二つの極の間でロシアがどのようなポジションを取るかが、次期プーチン政権にとって最大の戦略課題となるだろう。 ロシアが真に影響力を発揮するためには、極端に悪化した米国との関係を改善し、極端に依存した中国との関係を立て直していく必要がある。ロシアがウクライナ危機により欧米諸国から敵視されつづけながら、突出した影響力を持つ中国のジュニア・パートナーに堕することを、プーチン氏自身は望んでいないと思われる。行き過ぎた「反米親中」路線を修正しようとするニュアンスは、プーチン氏が相対的に日本を重視しようとする姿勢からもうかがわれる。2018年3月1日、モスクワで年次教書演説を行うプーチン・ロシア大統領(タス=共同) それでも、「ロシアゲート」に揺れるトランプ政権が対露関係改善の余地を有していないこと、プーチン氏の側も台頭する中国に対して明確な対抗戦略を持ち合わせていないことから、あと数年でレームダック化するプーチン氏が、現行の行き過ぎた「反米親中」路線を修正することもままならないであろう。プーチン氏が理想とする多極世界が到来しても、その中でロシアが埋没していく可能性が高いのである。

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    「裏切り者には悲劇が待つ」憎しみに隠れたプーチンの焦り

    名越健郎(拓殖大学海外事情研究所教授) 3月18日に行われたロシア大統領選の前、内外で奇妙な動きがみられた。プーチン大統領が3月1日の年次教書演説で、激烈な反米演説を唐突に行い、戦略核戦力の開発強化を表明したのだ。この直後に英国で起きた元ロシア軍スパイ暗殺未遂事件は謎めいているが、これも大統領選と関連があったとの見方がある。 8人が立候補した大統領選は、そもそもプーチン大統領の当選が確実な無風選挙だった。事前の世論調査でも、プーチン大統領の支持率は70%前後で、事実上の信任投票だったといえる。このため、選挙戦は盛り上がりに欠けた。出馬を拒否された反体制指導者、アレクセイ・ナバリヌイ氏が選挙ボイコットを呼びかけたこともあり、投票率も低いとみられていた。 これでは欧米諸国から「官製選挙」と批判され、クレムリンのメンツがつぶされかねない状況だったため、プーチン大統領はショック療法に出た。教書演説の最後の3分の1は米国批判で、ロシアが開発している6種類の新型核兵器の動画を公開。「世界中どこでも到達可能な新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発した」「ロシアの最新兵器で米国のミサイル防衛(MD)は無意味になる」などと強調し、ロシアのミサイルが米国の都市に落下する架空アニメまで用意した。 米政府が2月の「核戦力見直し」(NPR)で、限定核使用や小型核の製造を表明したことへの対抗措置だろう。大統領は「ロシアを押さえ込む取り組みは失敗した。現実を直視するがいい」と凄(すご)みを利かせた。 「内容の過激さに議員らも卒倒した」(コメルサント紙)とされ、効果満点だった。米国の核兵器に包囲されているという危機意識を高め、新型核兵器を誇示して国威を発揚し、国民の愛国心に訴えようとしたようだ。選挙で大統領の下に結集させ、投票率や得票率をかさ上げする狙いがあったのだろう。支持者らに向かって演説するプーチン大統領=2018年3月、モスクワのクレムリン近く 前回2012年の大統領選挙でも、プーチン大統領は都市部住民の反プーチン運動という逆風に見舞われており、3期目にウクライナ干渉やクリミア併合、シリア空爆という国粋主義的な強硬路線を推進した。その結果、クリミア併合直後、支持率は空前の90%に達した。 だが、その後、欧米の制裁や原油価格下落で国民の生活苦が広がり、長期化するプーチン体制への閉塞感が出始めた。今回、投票日をクリミア併合4周年に設定したこととあわせ、プーチン政権は再度、米国を手玉に取る強硬外交で選挙を乗り切ろうとしたのだろう。 ただし、プーチン大統領は「落とし所」も用意している。演説の最後に「世界に新たな脅威を作り出す必要はない。むしろ、交渉のテーブルにすわり、新たな国際安全保障システムについて協議すべきだ」と述べた。反逆者への憎しみ 米露間では近年、軍備管理協議が行われておらず、米露交渉を再開し、ロシアが米国と対等の核大国であることを内外にアピールする狙いのようだ。新型核兵器計画は、交渉への呼び水とも取れる。 「誰もロシアに耳を貸さなかった。今こそ聞くがいい」と述べたことも、ロシアの孤立感を浮き彫りにした。友好国の中国を含め、ロシアへの関心が世界的に低下し、無視されていることへの焦りが読み取れる。 一方で、米政府は好戦的な演説に反発した。メルケル独首相も憂慮し、トランプ大統領と電話協議を行った。米露・欧露関係はこの演説でさらに険悪化しそうだ。ただし関係悪化は、国民の危機意識に利用でき、選挙戦にはプラスに働いた。  また、英国で起きた元ロシア軍スパイ、セルゲイ・スクリパリ氏の暗殺未遂事件も決して無関係とは言えないだろう。スクリパリ氏は、英南西部ソールズベリーの公園で3月5日、娘とみられる30代の女性と意識不明で見つかり、重体となった。病院によれば、「正体不明の物質」にさらされたという。意識不明の状態で発見されたセルゲイ・スクリパリ氏(ロイター) スクリパリ氏は、2004年に英国の二重スパイだったとして逮捕され、裁判で自供した。懲役刑を受けたが、2010年に米国とのスパイ交換釈放で英国に亡命していた。今回の事件は2006年、英国亡命中にロンドンで放射性物質ポロニウムを盛られて死亡したロシアの元スパイ、アレクサンドル・リトビネンコ氏の事件を想起させる。 リトビネンコ氏はチェチェン戦争に絡むプーチン政権の闇を告発し、ロシアの裁判所で欠席裁判の末に有罪となった。英捜査当局は元ロシア情報機関員のアンドレイ・ルゴボイ氏の犯行と断定。身柄引き渡しを要求したが、同氏はその後下院議員に当選しており、ロシア側は不逮捕特権を盾に送還を拒否した。英政府の調査委は「プーチン大統領が犯行を了承したとみられる」と主張した。 忠誠心を重視する大統領はかつて「国家への裏切り者には悲劇的な最期が待っている」と述べたことがあり、反逆者への憎しみは人一倍強い。今回の事件は謎が多いが、大統領選のタイミングと奇妙に一致する。欧米との関係悪化を演出し、政権への求心力を高める工作だったという見方も出てきそうだ。

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    プーチン政権の恨みを買った「ヴィトンのバッグを持つ男」の正体

    関屋泉美(ロシア専門家) 日曜日の昼下がり、大聖堂がそびえる英国の小都市で起きた1つの事件が、国際社会を揺るがし、4期目を迎えるロシアのプーチン政権の舵取りを難局に追い込もうとしている。3月4日、人口4万5千人、英国南部のソールズベリーののどかな公園で、現地に住むロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の元大佐、セルゲイ・スクリパリ氏(66)と、前日にモスクワから父を訪ねてきた娘のユーリアさん(33)が何者かに襲撃され、危篤状態に陥った。 2人が公園でぐったりと倒れていたとき、目撃者は「白目をむき、口から泡をはいていた」と語った。英国政府は対テロ専門官を現場に派遣。事件に遭う直前、親子は自宅から車で市中心部に出向き、公園近くのレストランで食事をしていた。防護服を着た捜査員が現場から数々の証拠品を押収し、その後、生物化学兵器を研究するポートン・ダウン(英国の応用微生物研究所)による解析で、襲撃に用いられたのは、ソ連軍が軍事用に開発した猛毒の神経剤「ノビチョーク」であると断定した。 英国のメイ首相は「ロシアが関与した可能性がきわめて高い」と議会で演説し、ロシアに対して制裁措置を発動した。その後、プーチン政権も報復措置を取り、冷戦時代さながらの両国の駐在外交官の国外追放や国連安保理での非難の応酬が勃発した。2018年1月、モスクワでロシアの新聞社や通信社の代表らと会談し、質問に答えるプーチン大統領(中央)(タス=共同) ロシア外務省は声明で「ロシアへの挑発と根拠のない非難」と糾弾。報復措置には、在サンクトペテルブルクの英総領事館の閉鎖と国際文化交流機関「ブリティッシュ・カウンシル」の活動停止も盛り込んだ。一方で、英国社会には、ロシアへの嫌悪感が急速に広がり、「制裁はまだ手ぬるい」として、国会議員らが今年6月にロシアで行われるサッカーW杯へのイングランド代表チームのボイコットを呼びかけている。 スクリパリ氏はなぜ狙われたのか? 英国とロシアの緊張が最高レベルに達する中で、犯人の動機や犯行手口は謎に包まれている。近年、スクリパリ氏の家族が相次いで亡くなっていた事実がある。昨年7月にはロシア・サンクトペテルブルクに住む息子、サーシャが突然、倒れてそのままなくなった。まだ30代。病死だが、家族は死因を疑っていた。2016年には兄が急激に体重を落とし、亡くなっていた。スクリパリ氏を慕っていたユーリアさんも今回、「死のロシアン・ルーレット」に引きずり込まれてしまった。2人は生死の縁をさまよっている。 様々な憶測が飛び交っているが、スクリパリ氏が抱える闇の世界が事件と因果関係があるのは間違いないだろう。彼は英国とロシアの間で暗躍したダブルエージェント(二重スパイ)だった。金回りがよく、「ルイ・ヴィトンのバッグを持つ男」とも言われた。相手と会うために、ヴィトンのバッグを持って渡航しようとする姿がモスクワの空港で隠し撮りされていた。 ソールズベリーでは、煉瓦造りの瀟洒な一軒家に住んでいたが、英タブロイド紙はこの家が約5千万円の価格だったと報じている。BMWの車も所有していた。どこから、このような大金を調達していたのか、収入源についてはまだ明らかにされていない。「快活で、盛り上げ役」「ロシア料理のペリメニが好きで、祖国を愛していた」と近所の人は語ったが、事件が起こるまで、誰もスクリパリ氏の裏の顔を知らなかった。波乱に富むスパイ人生 犯人の動機を浮かび上がらせるため、英国メディアは、スクリパリ氏の波乱に富む人生を詳細に報じている。ここに手がかりはある。1951年、バルト海に望む飛び地、カリーニングラードに生まれた。子供のころ、かすかにラジオから漏れる英BBCのニュースを聞いて育ち、外国語の能力を身につけた。屈強な身体で、ソ連軍のエリート部隊である空挺部隊に選抜され、アフガン戦争にも参加。兵士時代はボクサーとして軍の大会で優勝したという逸話もある。 スクリパリ氏は諜報組織にスカウトされ、80年代にモスクワにある軍事外交アカデミーを卒業した。GRUが管轄し、駐在武官や非合法諜報員に専門教育を施している。その後、彼は外交官の肩書きを持ち、欧州各国で軍事諜報を担う任務に就いた。露紙コメルサントによれば、スクリパリ氏はその時代に、エストニアの首都タリンの英国大使館で勤務していたMI6のエージェントにリクルートされた。モスクワの作家、ニコライ・ルザン氏が自らの著作でスクリパリ氏がどのようにして、情報を流したのかを暴露している。 英国のエージェントはスペイン系の偽名を持ち、スクリパリ氏に接触した。一緒にワインの取引を持ちかけ、資金を稼いだ。ロシアの古参スパイの歓心を得ようと、スクリパリ氏をストリップクラブにも連れて行ったこともある。そうして、関係を深め、ついにスクリパリ氏は機密情報を流すことでエージェントと合意を交わした。その代わり、スクリパリ氏は報酬を受け取った。後に、FSBは口座捜査などから報酬額の合計は10万ドル(約1千万円)だったと算定している。2018年3月8日、ロシア元情報機関員らが意識不明の状態で見つかった現場で捜査する英国当局者ら=英南部ソールズベリー(ロイター=共同) 1990年代後半、スクリパリ氏は健康上の理由でGRUを辞め、モスクワに住んでいた。その後も、MI6のエージェントとの関係は続いたのだという。トルコの観光地イズミールで妻と一緒に旅行し、接触を図った。2000年にプーチン政権が発足してから、GRUの内部組織のデータが盗み出され、英国に渡っていたとの情報もある。そして、ついに秘密の関係がばれ、2004年、ロシア連邦保安庁(FSB)が彼を逮捕した。 露メディアは「スクリパリ氏の裏切りはロシアの国益に深刻な損害を与えた」と報道した。欧州域内で活動していた約300人の諜報員の情報がMI6に流れ、その打撃は、1962年のキューバ危機で米英に機密情報を流し、処刑されたGRU職員、オレグ・ペンコフキーのスパイ事件に匹敵すると言われた。 スクリパリ氏は06年に有罪判決を受け、収監させられた。過酷な仕打ちを受け、拘束時にはFSBの職員により、肩の関節が故意に外されていたのだという。ロシア国内でも、最も劣悪な環境下にあるという露中部モルドヴィア共和国内の刑務所に収監された。「あの頃、刑期を終えたら、家を建てることを夢見ていた。そうすることで自分の精神を保っていた」。ソールズベリーで関係を深めた彼の友人が、刑務所時代の苦難をこう振り返っていたと英メディアに明かした。地獄から天国、そして死につながる階段 しかし、刑務所での生活は長く続かなかった。2010年に転機を迎えた。トップ外交の交渉で、スパイ交換により釈放されることが決まったのだ。スクリパリ氏の目の前に地獄から天国へ登る階段がおりてきたが、それは同時に死につながる階段でもあった。 このとき、米国内で逮捕された「スリーパーセル」の10人と、ロシア側の4人が交換対象となった。米国からモスクワに帰った1人が「美しすぎる女スパイ」と呼ばれたアンナ・チャップマンであり、スクリパリ氏と同様に釈放された1人は、現在、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)の研究員として勤務するイゴール・スチャーギンだった。ウィーンの空港で、それぞれの側に引き渡されたのだという。 スチャーギン氏は今回の事件でも英メディアにコメントを出している。「私と違って、スクリパリ氏には家族がいた。それは大きな喜びだった」「私は彼が狙われたと思わない。なぜなら、釈放されたということはロシアによって恩赦が与えられたということなのだ」と指摘した。スクリパリ氏が狙われた理由については皆目、検討がつかないと打ち明けた。2018年3月、ロシア元情報機関員の襲撃事件の捜査で着用した防護マスクを外す警察官ら=英南部ソールズベリー(ゲッティ=共同) スクリパリ氏はその後、家族とともにソールズベリーに移り住んでいた。なぜ、縁もゆかりもない英国南部の地を選んだのかと疑問がわく。自らをリクルートしたMI6のエージェントが近くに住んでいるから、という情報も浮上している。周囲には、静かに余生を暮らす年金受給者のような人物に映っていた。寄り添った妻は2012年に死亡。スクリパリ氏は妻のお墓に花を添えるのを欠かさなかったのだという。地元の博物館に行くのが好きで、ときに軍事色の強いものや自然ものの展示がお気に入りだった。娘のユーリアさんも頻繁に父の元を訪れていた。 事件の直前、スクリパリ氏はロシアの情報機関に関しての一般向けのレクチャーを行う準備をしていたとの情報も浮上している。しかし、事件の直接的な動機と関与しているかは定かではない。 特別捜査班は、事件発生後、スクリパリ氏の自宅を訪れた警察官1人が神経剤「ノビチョーク」の中毒にかかって倒れたことから、自宅が犯行現場の疑いがあると踏んでいる。防護服を来た捜査員の自宅の捜索は連日、続き、英紙ガーディアンによると、捜査官はスクリパリ氏の最近の動向を聞き回るとともに、隣人からはWi-Fi環境がどのように組まれていたかを聞き出しているという。 裏切り者は抹殺される――。プーチン政権に楯突いたスパイ暗殺をめぐっては、2006年に放射性物質のポロニウム210を摂取して、後に病院で死亡したFSB幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏の事件が記憶に新しい。その後、ポロニウム210の移動の痕跡からモスクワまで辿るルートが解明された。VXやサリンよりも危険な毒物 しかし、今回は、実行犯が誰の指示を受けていたのか、または、ノビチョークはどのようにして現場まで運ばれ、どのように盛られたのかの解明は難航するとみられている。ノビチョークは「VXやサリンよりもさらに危険な毒物」とされ、30秒から2分の間で即効性が表れる。しかし、放射性物質のポロニウム210と違って、痕跡を辿るのは難しい特性があるのだ。 ノビチョークの存在は1990年代に、米国に亡命した元化学者、ビル・ミルザヤノフ氏によって明らかにされた。欧米との軍事衝突に備えるため、冷戦時代の1971から73年にかけて、ロシア南部シハヌィの軍事研究所で「バイナリー・ウェポン」(Binary Weapon=2種混合型化学兵器)の1つとして極秘に開発された。 バイナリー・ウェポンとは、それぞれ単体では危険性が薄い2種類の化学物質を、混ぜ合わすことで致死率の高い毒物を作り出す化学兵器の総体を意味する。素材の物質は国際機関などの禁止薬物リストに含まれておらず、工作員は検査官に察知されず、運搬できる。専門家は「運び屋は健康を害さない形で、構成する物質を別の場所へ移動することができる」と語っている。 つまり、仮に誰かがロシアからノビチョークを運んだとしても、それは毒物そのものではなく、素材の化学物質だけを運び、英国内のどこかの施設で混合されてノビチョークが作り出された可能性があるのだ。仮にノビチョークの出所がわかり、実行犯を割り出せたとしても、ロシアの関与まで結びつけるには、相当の裏付けが必要になってくる。(iStock) さらに、ノビチョークは液体のものもあれば、固体のものあると報告されている。食べ物や飲み物などに粉末状にしたノビチョークを混ぜて、直接、体内に入れ、ターゲットを暗殺することを可能にする。前日に娘のユーリヤさんがモスクワから訪れたことから、娘が持っていた所持品がカギを握っているとの説も浮上している。 さらに、専門家は自宅を出て、ソーズベリーの公園で倒れる時間の長さに着目する。液体を衣服にかけたり、直接、肌に付着させれば、身体に吸収され、機能を失うまで数時間を要することもあるからだ。 注目されるノビチョークについて、ミルザヤノフ氏は英BBC放送の取材に対し、「ロシアはこの毒物を開発し、その知見を有して兵器に転化させた国だ。彼らは完全にこの毒物がどのように循環しているかを熟知している」とロシア犯人説を強調した。 いずれにせよ、事件発生から2週間が過ぎたが、英メディアは、有力容疑者はいまだ浮上していないと報じている。英国内には、プーチン政権に楯突き、近年、死亡したロシア人は少なくとも15人いることも明らかになった。英捜査当局は英政府の指示で、この15人の死因や背景を探る再捜査に入った。 一方、プーチン政権は今回の国家の関与について真っ向から否定し、情報戦を展開している。ロシア外務省は英国社会やメイ政権の反応を、「サーカス・ショーだ」と皮肉を込めて、コメントした。ラブロフ外相も「まったくくだらない」と発言している。日本でも展開される情報戦 リトビネンコ暗殺に関わったとされる、旧ソ連国家保安委員会(KGB)元職員で、現在はロシアの国会議員であるアンドレイ・ルゴボイ氏は事件直後、ロシアメディアの取材に対して、こう語って見せた。 「ロシアから国外逃亡したジェントルマンは英国で相次いで事件の被害者になっていることをみると、今回の事件はあまり驚くべきではないだろう」 「英国人は恐怖心にとりつかれ、深刻な病にあるようだ。ロシア人に何か起こると、すぐにロシア人の足跡を探す」 英国では、ロシア大使館が、自らの国家の関与を否定するツイッター外交を展開しており、キャッチなフレーズやポップな動画像を添付して、連日、英国で反ロシアキャンペーンが行われているというメッセージを送っている。イラストや写真には軽いタッチのものが多く、SNSに慣れ親しんだ若者向けをターゲットにしているが見て取れる。 日本でも、駐日ロシア大使館が、ツイッターの公式サイトに産経新聞の報道を非難するコメントを出した。16日のツイートにこんなメッセージが記された。16日付の産経新聞の主張記事に反対。ロシアがスクリパリ 氏らへの襲撃に関与したというのが英国のプロパガンダ。それが愚かにコピーされているだけだ。露が事件の関与を否定し、国際法に基づく取調べに協力する用意がある、と明確に声明した。この事実が産経の筆者に無視されて、遺憾だ。駐日ロシア連邦大使館のツイート駐日ロシア連邦大使館の2018年3月16日のツイート このコメントには、「PROPAGANDA(プロパガンダ)」という英語の言葉が積み重ねられ、「FAKE NEWS(フェイクニュース)」という文字を浮かび上がらせる画像が付いている。 ロシア側の反応は、事件発生から4日経った3月8日に国営放送ニュース「ブレーミヤ」の司会者キリル・クレイメノフ氏が発した言葉が、おおよその保守系ロシア人や政府関係者の気持ちを代弁しているように思える。 クレイメノフ氏はこう言った。 「私は誰の死も望んでいない。しかし、純粋な教育的な観点で、今回、ある警告を発したい。それは、世界中で最も危険なものの一つは、裏切り者の告発ということだ。(裏切り者が)高齢まで生きることはごくまれだ。薬物の密売人、アルコール依存症、薬物依存症、ストレス、ノイローゼ、自殺なども裏切りものの職業的な病だ。裏切り者やただ単にわが国を嫌いな人に対してはこう言いたい。もし外国に住むなら、英国を選ぶな、と。何かが間違っている。おそらく(英国の)気候が問題なのだ。英国では最近、重大な結果を及ぼすきわめて奇妙な事件がたびたび起きている」 3月18日、ロシア大統領選挙が行われ、プーチン大統領が再選された。ロシアではいま、世界中で反ロシアキャンペーンが進み、国内で起きているネガティブな出来事は「全て欧米の陰謀によるものだ」という雰囲気が渦巻いている。その時代の空気は国営メディアのプロパガンダ報道によってロシア社会の隅々まで行き渡り、「国民はプーチン大統領のもとで一致団結して、欧米に立ち向かうべきだ、それしか選択肢はない」という風潮を増強させている。 今後、スクリパリ氏の事件の真相はもしかしたら曖昧なまま終わるかも知れない。しかし、このダブルエージェントを襲った事件が、プーチン政権の支持基盤をさらに強める追い風になったことは事実であり、大いなる皮肉としかいいようがない。

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    落合信彦氏 「プーチンは戦争したくて仕方がない男だ」

    さえ懸念される。 クリントン政権で国防長官を務めたウィリアム・ペリー氏も一昨年の講演で、「アメリカとロシアの間で核戦争が起きる可能性が大きい」と語っている。ペリー氏の主張が、信憑性を増してきたのだ。(iStock) プーチン自身も、ISによるテロの脅威に晒され始めた。4月3日にサンクトペテルブルクの地下鉄で起きた爆弾テロに、プーチンは大きな衝撃を受けたはずだ。テロはプーチンのサンクトペテルブルク訪問中に起きた。容疑者はキルギス出身で、ISとの関係が取り沙汰されている。 ロシアでは今、多くの若者がISの影響を受け、シリアなどでISと接触してテロの方法などを訓練された後、帰国していると言われる。爆弾を持った不満分子が多数いるという状況だ。サンクトペテルブルクで起きたようなテロは、ロシア国内で今後も繰り返されるだろう。 経済が落ち込み、国民がテロに怯える中で、プーチンが批判の矛先をずらすために戦争を始める可能性は、十分ある。いま世界は、あちこちで戦争に向かう動きが加速しているのだ。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ「プーチンの政策」■ プーチン氏 エリツィン氏の弱み握り大統領にまで上り詰めた■ 猪瀬直樹氏が苦労を共にした夫婦の歴史や5000万円問題語る本■ ロシアンマフィア「プーチンの銀行として機能」との指摘■ ロシア通記者が露大統領再登板のプーチンの実像を記した本

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    健康アピールするプーチン大統領 専用VIP病棟の建設計画

     ロシア人男性の平均寿命の64歳に達しながら、柔道やアイスホッケーの腕前を披露しては国民に健在ぶりをアピールするプーチン大統領。47歳の若さで大統領に就任して以来、一貫して“タフガイな指導者”を演じ続けている。 メディアには「薬も病院も嫌い。蜂蜜やスポーツが健康の秘訣」と語っているが、それは一面にすぎない。今年1月、ロイター通信に、プーチン大統領と最高幹部専用のVIP治療を行う医療施設の建設計画が極秘裏に進んでいることをすっぱ抜かれた。 記事によれば、老朽化しているモスクワ郊外の大統領府中央病院をリフォームする際に、最大10人が入院できるVIP専用の特別病棟を4800万ドル(約50億円)かけて建設する予定だという。 病棟には、一般的なロシアのアパートの3倍の面積となる約200平方メートルのVIPルームを2部屋設置し、治療中でも執務をこなせる会議室やスイミングプールまで作られる予定だ。(iStock) 病院を管理するロシア財務省はこの建設計画を否定しているが、その元となる大統領府中央病院はそもそも“VIP御用達”だった。ロシア情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授・名越健郎氏が語る。「ソ連邦時代から国家の要人が治療を受ける病院で、エリツィン元大統領も米国の著名医師を招いて心臓バイパス手術を受けた。ロシアでは一般的な医療費は安いとはいえ、高度医療は庶民に払える額ではないため、医療の質はカネ次第というのがロシアの実情だ」また記事では、ソ連邦時代は中央病院で治療を受ける政府要人の平均寿命は国民より20年長かったと書かれている。 プーチン大統領も特権的な医療体制の中で、まだまだ現役を続けるつもりかもしれない。関連記事■ ロシア通記者が露大統領再登板のプーチンの実像を記した本■ 【ジョーク】オバマ米大統領とプーチン・ロシア大統領の違い■ 訪露の森喜朗元首相 銅像に献花しプーチン氏の琴線に触れた■ 池上彰氏 メドベージェフ氏の国後島訪問に隠れた意図を解説■ 聖火リレーに同性愛者象徴旗持つ男が乱入しプーチン怒り心頭

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    「北朝鮮は草を食べても核開発」プーチンも苦悩する旧ソ連の大誤算

    健郎(拓殖大学海外事情研究所教授) 北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)用の水爆実験を実施した後、ロシアのプーチン大統領は「北朝鮮は安全を約束されたとの感触を得ない限り、草を食べてでも兵器開発を続けるだろう」と述べ、北朝鮮への制裁強化は「無益で効果がない」と一蹴した。 確かに、北朝鮮は飢餓に見舞われ「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代後半でも核・ミサイル開発にまい進し、国民への配慮は皆無だった。これまでに計6回の核実験を実施し、「金王朝」の悲願である「核保有国入り」を事実上達成しつつある。 「草を食べても…」というプーチン大統領の奇妙な比喩(ひゆ)は本質を突いている。ただ、北の核・ミサイル開発をここまで進展させた旧ソ連・ロシアの責任も小さくない。戦後、核兵器の拡散に反対してきたソ連・ロシアは、自らの誤算で北朝鮮を核保有国にしてしまったところがある。6月15日、モスクワで、報道陣に話をするプーチン大統領 北朝鮮「創業者」の金日成主席が核保有を意識したのは、朝鮮戦争中にマッカーサー連合国軍総司令官が北朝鮮への核使用を提言したことが契機だったとされる。朝鮮戦争で米軍と3年間戦い抜いた金主席は、米国の侵略阻止には核保有が必要と考え、社会主義同盟国のソ連に技術支援を求めた。 そして北朝鮮は1956年、ソ連との間で原子力開発に関する合意を結んだ。合意に沿って、北朝鮮は核技術者を旧ソ連の研究施設に派遣。小規模の実験用原子炉が寧辺(ニョンビョン)に建設された。ソ連は原子力技術提供に際し、あくまで平和利用に限定するよう要求した。一方でソ連は、北朝鮮の技術力は低く、開発したところで核兵器製造には至らないと軽視していたという。 北朝鮮はソ連の要請で、核拡散防止条約(NPT)に加盟する一方、秘密裏に核開発を継続し、80年代には寧辺に新たな核施設が建設された。さらに北朝鮮は1964年に初の核実験に成功した中国に対しても、技術支援を要請したが、中国は拒否したとされる。60~80年代の中ソ対立下、ソ連は北朝鮮を中国に接近させないため、一定の技術支援を提供していた。 そもそも北朝鮮が核保有にまい進する契機になったのは、1991年のソ連邦崩壊だった。最大の後ろ盾だったソ連の解体で、北朝鮮は安全保障の切り札として核・ミサイルを保有することが不可欠と判断し、開発を強化した。94年には、これを察知したクリントン米政権が寧辺の核施設攻撃を計画し、一触即発の危機を招いたこともある。 このころ、北朝鮮外交官は冷戦終結で失業したロシアやウクライナの核・ミサイル技術者を高い給与で一本釣りし、北朝鮮に招いた。北朝鮮のミサイルシステムは、旧ソ連のスカッドミサイルを軸にしており、旧ソ連の技術が開発に貢献した。ロシア外務省は、「ロシア国籍の技術者は現在、北朝鮮には一人もいない」としているが、筆者の得ている情報では、一部のロシア人は北朝鮮の女性と結婚し、国籍も変えているという。広がる北朝鮮の核保有容認論 そして北朝鮮はソ連を崩壊させたエリツィン元ロシア大統領を「社会主義の敵」と糾弾し、関係を事実上断絶した。プーチン政権発足後、金正日総書記はロシアとの関係を再開するが、ロシアはソ連時代のように石油や食糧の無償援助はできない。今日でも、朝露間の貿易額は中朝間の1~2%程度にすぎず、ロシアでは到底中国の肩代わりはできない。ロシア経済自体が中国経済の12%まで縮小してしまった。 2代目の金正日総書記は核・ミサイル開発を強化した反面、米国や韓国、日本との対話も念頭に置き、一定の落とし所が想定できた。しかし、3代目の金正恩委員長は核・ミサイル開発を急速に進めており、対話の糸口が見られない。一種の暴走状態にあることが、危機を一段と拡大させている。金委員長は、大量破壊兵器のなかったイラクやリビアの反米政権が力で倒されたことを熟知しており、同じ運命をたどらないことを誓っている。北朝鮮の故金日成主席と故金正日総書記のモザイク画の前を行き交う車=8月、平壌(共同) 北朝鮮の大量破壊兵器保有に反対する点では、米露は一致し、冷戦終結後、連携して北朝鮮に核開発中止を求めたり、6カ国協議で協力したりしたこともあった。しかし、旧ソ連は金王朝の生みの親であり、北朝鮮がどのような国かは米国以上に理解している。 米カーネギー財団モスクワセンターのドミトリー・トレーニン所長は「朝鮮半島の非核化はもはや現実的ではない。この際、北朝鮮を核保有国として認めるべきだ。そうすれば、交渉は失敗しても破滅は免れる」とし、北朝鮮をインド、パキスタンのように核保有国として容認するよう求めた。 ロシアではこうした現実論者が増えているが、米国でも北朝鮮の核容認論を主張する専門家も出ている。日米韓にとって、北朝鮮の核保有容認は受け入れがたいが、北朝鮮は米国がそれを認めない限り交渉に応じないだろう。 プーチン政権は以前、北朝鮮問題で米国と連携することもあったが、米露関係が極度に悪化した現在は、世界的に反米外交を展開し、北朝鮮問題でも米国の外交を妨害している。日米韓対ロシアという構図の中、双方の求愛を受ける中国がどちらに付くかが焦点となりそうだ。ただ、筆者自身は、中国はロシアに接近するそぶりをしながら、実質的には日中韓と連携していくのではないかと考えている。

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    北朝鮮危機で漁夫の利を狙うロシアはどう動くか

    いるが、実際にその可能性が排除できなくなってきた。 このような中で、北朝鮮の隣国であり友好国でもあるロシア側の立場とはいかなるものであろうか。本稿ではこの点について考えてみたい。 北朝鮮に対するロシアの立場は、原則的には中国と似たものである。すなわち、北朝鮮で体制崩壊が発生し、米国の同盟国である韓国の主導で朝鮮半島が統一される事態は緩衝地帯維持の立場から阻止しなければならない。したがって、両国は北朝鮮に対する米国の強硬姿勢を牽制(けんせい)する姿勢を度々見せてきた。その一方、北朝鮮が長距離弾道ミサイルと核兵器によって核保有国となることは、東アジアにおける米国の軍事プレゼンスを一層確固たるものとし、自国周辺にミサイル防衛システムが配備される事態を招く。この意味では、中露にとって望ましい状況とは、核を持たない北朝鮮の体制が存続することであるといえよう。 ただ、そこには温度差も存在してきた。ロシアにしてみれば北朝鮮は政治経済中枢である欧州部から数千キロも離れた場所にあり、陸上国境は22キロを接しているにすぎない。東北部で1400キロもの国境を接する中国とは、北朝鮮問題に関する切迫性は全く異なる。経済的に見ても、北朝鮮との深いつながりを有する中国とは異なり、北朝鮮の貿易総額に占めるロシアのシェアは3%にすぎない。ただし、中国から北朝鮮に輸出されている原油の一部はロシア産ともいわれ、こうしたシャドー経済を含めると実際の経済的利害関係はもう少し大きい可能性がある。BRICS首脳会議で、記念写真に納まるロシアのプーチン大統領(左)と中国の習近平国家主席=4日、中国福建省アモイ市(共同) 軍事的には、ロシアはバイカル湖よりも東には大陸間弾道ミサイル(ICBM)部隊を配備しておらず、オホーツク海から発射される潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)も北回りのコースを取ることから、東アジアにおいて米軍のミサイル防衛システムが増加してもロシアの核抑止力が直ちに脅かされることはない。ロシアがさらに「北寄り」になったワケ それゆえに、北朝鮮問題に関するロシアの立場は米中の陰に隠れることが多く、「忘れられたプレーヤー」とまで言われてきた。 しかし、ロシアの態度は常に不変というわけでもない。例えば、北朝鮮が2006年に初の核実験を行った際、ロシアはこれを厳しく非難し、北朝鮮に対する武器禁輸措置に踏み切った。また、日本が米国とともに進めているミサイル防衛システムの開発についても、北朝鮮のミサイル脅威を考えればある程度は仕方ないとして、欧州へのミサイル防衛システム配備とはやや異なるトーンで接してきたことも注目される。 これに対して昨今の朝鮮半島を巡る軍事的危機に際しては、ロシアは以前よりも北朝鮮寄りの立場を示している。例えば、今年7月に北朝鮮がICBM「火星14号」を2回連続で発射した際には、同ミサイルが2800キロ(1回目)および3700キロ(2回目)という超高高度に達したことから、実際の最大射程は6700~1万キロ程度に達するであろうと周辺諸国は推測した。これに対して、ロシアは自国の弾道ミサイル防衛システムの観測結果としてこれよりもずっと低い数値を発表し、北朝鮮のミサイルはICBMではないと主張。この「結果」と称するものを国連代表部に配布させ、北朝鮮非難のプレス向け決議の発出を阻止するという挙に出た。8月17日、ロシア・ウラジオストク港に入港する北朝鮮の貨客船「万景峰」(共同) また、ロシアは2013年ごろから日米のミサイル防衛協力にも懐疑的な姿勢を示すようになり、2015年版「国家安全保障戦略」では欧州だけでなくアジア太平洋のミサイル防衛を戦略的安定性の既存要因に初めて含めた。最近ではプーチン大統領が北方領土における軍事力強化を、朝鮮半島における米の高高度ミサイル防衛システム(THAAD)への対抗措置と位置付けたり、ロシア外務省が日本の地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」導入を非難するなど、かつてとは大きく態度を変えてきている。 このようなロシアの姿勢変化は、主に次のような要因によって説明されよう。 第1に、ウクライナ危機などをめぐって対米関係が極度に悪化した結果、ロシアは世界の各地で米国の対外政策を妨害しようと試みるようになった。第2に、北朝鮮の核・ミサイル能力の向上によってこれまでは比較的ローカルな問題であった北朝鮮問題がグローバル化し、ここにおいてロシアの存在感を示すことへの誘因が強まった。そして第3に、西側との関係が悪化することでロシアの対外政策における中国の比重が高まり、中国と安全保障上の歩調を合わせること(あるいはそのように振る舞うこと)の必要性が高まった。特に今年春ごろの時点では、米国のトランプ政権が米中接近によって北朝鮮問題の解決を図ったこともあってロシアが置き去りにされる懸念を抱いていた節もあり、対中協調が一層必要とされたのだと思われる。ロシアは「機会主義的プレーヤー」 総じて言えば、ロシアの抱えるグローバルな問題と北朝鮮問題のグローバル化が相互に共振した結果が現在の状況につながっているといえよう。そして、これを少し違った言い方で表現するならば、ロシアは朝鮮半島問題に死活的な利害関係を有しているわけではなく、北朝鮮に決定的な影響力を及ぼせるプレーヤーでもない、ということになる。どちらかといえば、朝鮮半島問題の緊迫化を利用して自国の利益を最大化すべく機会主義的に振る舞っているとみた方がよいだろう。8月5日、国連安全保障理事会で北朝鮮に対する新たな制裁決議を採択後、握手するロシアのネベンジャ国連大使(右)と米国のヘイリー国連大使=米ニューヨーク(共同) では、このような背景の下で、ロシアは今後、どのような態度に出てくるだろうか。中国と同様、ロシアとしても北朝鮮の核保有を容認したわけではなく、今年8月には中露を含めた国連安全保障委員会の全会一致で北朝鮮に対する制裁強化が決定されている。その一方、中露は北朝鮮のミサイル実験凍結と引き換えに米韓軍事演習も行わないとの「ダブル凍結」提案を行っているほか、ロシアは北朝鮮の核・ミサイル実験を非難しつつも制裁や軍事的圧力では北朝鮮を止めることはできないとの姿勢も打ち出している。当面、ロシアはやや北朝鮮寄りに修正した従来の姿勢を維持する可能性が高いといえよう。 気になるのは、ここにきて米国でにわかに盛り上がっている北朝鮮の核容認論をロシアがどう取り扱うかであるが、おそらくここでもロシアの姿勢は現在の延長線上にとどまるだろう。例えば、北朝鮮の核や長距離ミサイルを破棄ではなく凍結させる代わりに、東アジアにおける米軍のプレゼンス縮小やミサイル防衛システム配備の撤回など、北朝鮮の体制保証の名目でロシアに有利な取引条件を提案してくることが考えられる。 つまり、朝鮮半島問題に関するロシアの利害や影響力が極端に増加する見込みが小さい以上、今後ともロシアは「機会主義的プレーヤー」としての存在にとどまるだろう。ただ、機会主義的であるなりにロシアの存在感が高まっていることもまた事実であり、日米としてこの古くて新しいプレーヤーを北朝鮮問題にどう組み込むかを再考することが求められよう。

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    米露を呑み込む中国の「一帯一路」 巨大利権に潜む習近平の大戦略

    テーマに北京で開かれた国際会議の記念撮影で手を振る各国首脳。前列中央右は中国の習近平国家主席、同左はロシアのプーチン大統領=5月15日(共同) 現状、そこには青写真があるだけで「一帯一路」の全体を把握することは難しい。ましてや成功か失敗かなどを議論する段階ではないのは言うまでもない。ただ、この会議ではっきり伝わってきたのは、中国が次の発展のためにも「一帯一路」の成功を不可欠と位置付けていることだ。同時に中国は、この構想を軌道に乗せるためにも国際社会との関わり方を変えていかなければならないという考えに至ったことも感じさせた。 例えば、「一帯一路」首脳会議で基調演説に立った習近平国家主席は「(シルクロードの)開拓事業に使われたものは、戦馬と長槍ではなく、ラクダのキャラバンと善意であり、頼りにしていたのは艦艇と大砲ではなく、宝船と友情だったのである」と平和の重要性を前面に出した。 会議には南シナ海の領有権をめぐって対立するベトナムやフィリピンからもトップが参加し、習氏の憂いを一つ晴らす材料となったのだが、習氏もそれにこたえるように、「他国の内政には干渉せず、社会制度と発展モデルの輸出もしなければ、それを他国に強要することもしない。中国は地政学ゲームのような古いやり方を繰り返すようなことはせず、安定を打ち破る小さなグループを作ることもせず、平和共存の大家族を築き上げる」と懸念の払拭に努めた。 こうした中国の姿勢は随所に見受けられ、首脳会議の前には「独断で進めるつもりはない」と耿爽報道官(5月5日の中国外交部の会見)が言及している。 この首脳会議には、直前になって米国が代表団を送ることが決まり、実際に代表団が参加したのだが、中国の準備は実に4月上旬の「マール・ア・ラーゴ」(トランプ大統領のフロリダ州にある別荘)における米中首脳会談にまでさかのぼる。 この米中首脳会談は、トランプ氏と習氏の個人間のつながりが生まれた会談として位置づけられているが、一方で中国側からの通商面での強い働きかけがあったことでも知られている。 事実、米中両国の合意の中には「双方は今後、一定期間の重点協力分野と努力目標を確定した。そして、二国間投資協定交渉を引き続き推進し、インフラ建設やエネルギーなどの分野での実務協力を模索し展開していく」(『人民網日本語版2017年4月8日』〈中米首脳会談 積極的シグナルを発信〉)とある。しかも、会談後には習氏が「中米貿易が協力を強化するということの前途には、大きな広がりがある。双方はこのチャンスを逃してはならない。中国は米国が『一帯一路』という枠組みに参加することを歓迎する」と語っている。米経済構想との親和性 この「一帯一路」構想が、実は米国にとってそれほど大きなストレスではないことは、この地域において米国が主導して進めてきた経済構想と「一帯一路」が一体化する方向で話し合いが進んできたことからも推測できる。 それがヒラリー・クリントン元国務長官の下で進められてきた「新シルクロード戦略」である。この「新シルクロード戦略」は、そもそもイランとロシアを分断し牽制(けんせい)する意味から生まれたもので、これに対するロシアの構想が「ユーラシア経済連合」である。 興味深いのは、この「ユーラシア経済連合」も「一帯一路」との一体化を進めていることだ。要するに国際政治の視点からみれば、米露の対立の場であったシルクロードが、比較的中間色の強い中国の「一帯一路」に吸収されるという構図が見て取れるということだ。 一帯一路は、従来モデルの経済発展に限界を感じた中国が、外にその活路を見いだしたことにあるが、考えてみれば次の「成長エンジン」として期待される国が集中している地域でもある。 中国がそこに旗を立てれば、行き場を失っているマネーが流れ込むことは予測できる。そして、一旦そうした流れができれば、この一帯の経済発展は中国だけで手当てできる規模ではないことは明らかだろう。 中国がこのところの見せる対外宥和(ゆうわ)に「ウィンウィン(win-win)」が強調されているのは、こうした背景があるからだ。 こうして政治的な壁を取り払いながら、今後は実を取る作業へと向かうことになるのだが、その先頭を走るのは貨物列車と各地のインフラの整備である。 2011年に中国は貨物鉄道の建設を完成させた。現在、浙江省の義烏から11の国29の都市を通ってスペインのマドリードまで、約18日で結んでいる。この貨物鉄道の開通で、いま中国-欧州間には百億ドルに相当する貨物が行き来するまでになっている。 具体的には、中国から工業製品が運ばれ、帰りにマドリードからオリーブオイルとワインを積んで戻る貨物列車だ。小ロットの運搬が可能な貨物列車の運行により、従来は中国との貿易には無縁であった各国の中小業者が貿易に参入するという効果を生んでいる。それにつれ、互いの利益のために税金や通関制度などでの共通化が劇的に進んでいる。 現状はそうした効果が、本線である義烏とマドリード間だけでなく、北はバルト三国のラトビアの首都リガからロンドン、イタリアのミラノ、西はイランのテヘラン、アフガニスタンのマザーリシャリフなどにも広がっていく可能性が指摘されている。カザフスタン・ホルゴスの〝陸の港〟。右は中国用の線路、左はカザフスタン用の線路=6月12日(共同) まだ始まったばかりの一帯一路を評価することは難しい。ただ、これを「失敗する」と決めつけてしまうのはあまりに早計だ。この構想の背後には、多くの利害共有者がいるという事実も見落としてはならないからである。

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    ロシア疑惑、トランプはいつまで持つか

    米連邦捜査局(FBI)長官の解任に始まったトランプ大統領の「ロシア疑惑」に注目が集まっている。最大の焦点は、トランプ氏の言動が弾劾訴追の対象となる「司法妨害」に当たるかどうかだが、次々と浮上するロシアとの深すぎる絆に憶測も広がる。追い詰められたトランプ政権。その命運やいかに。

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    ロシアゲート4つの疑惑、渦中のトランプが強気でいられる意外な事実

    前嶋和弘(上智大学総合グローバル学部教授) トランプ政権とロシアの関係をめぐる「ロシアゲート疑惑」が全米を揺るがしている。事実なら昨年の大統領選の正統性すら揺るがしてしまうという意味で、米国の歴史の中でも最大の疑獄に発展する可能性すらある。トランプ大統領のことを良く思っていない行政府内の職員からリークも連日続いている。それだけでも異常だが、ただ現時点では、あくまでもそのリーク情報に基づいたメディア主導の疑惑であった。1月22日、大統領就任直後にホワイトハウスで当時のコミー連邦捜査局(FBI)長官(右)と握手するトランプ氏(UPI=共同) メディア主導の中で、ようやくリアルな疑惑解明が動き始めている。6月8日のコミー前連邦捜査局(FBI)長官証言がそれだ。証言では、報道されていた一連の疑惑のうち、司法妨害に関係する疑惑の一端が初めて公になったのが、ロシアとの不適切な接触や選挙への介入疑惑など、コミー氏自身の口で肉付けし、それなりに生々しく語ったことは米国民にインパクトを与えたとみていいだろう。 ロシアとの関係が疑われているフリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の捜査について、2人だけの席での「フリンはいいやつだ。ほっといてやってくれ」という大統領のささやきは、コミー氏にとっては捜査中止の指令に他ならなかった。トランプ氏に否定的なリベラル派の多くは「コミー証言は真実。トランプ氏が言うような作り話どころではない」と怒りをにじませる。 それでもただ、コミー証言は過去の報道内容を大きく超えるようなものではかった。トランプ氏が捜査中止を要望しても、実際に捜査は続いたため、これだけで司法妨害は立証するのはやや難しい。トランプ氏を支持する保守層は「司法妨害でないことを確認した」と胸をなで下ろした。いってみれば、引き分けの結果となった。深すぎるロシアゲート疑惑の闇 ただ、ロシアゲートという米国史の中でも極めて深刻で重大な疑惑の全体像はあまりにも大きい。コミー氏の証言はあくまでも大きなパズルのごく小さなピースでしかなく、全容解明の手始めに過ぎないのだ。 ロシアゲート疑惑は複数のものであり、もし事実だとすると最も深刻な疑惑となるのが昨年の大統領選に対するロシアの介入疑惑である。民主党候補だったヒラリー・クリントン元国務長官の選挙戦を妨害しようと、民主党全国委員会などにロシアがサイバー攻撃を行ったり、クリントン氏を貶めるためのフェイクニュースを流したのではないかという疑惑である。この介入の際に、トランプ陣営が組織的に共謀したという事実がポイントとなる。もし、金銭の授受などの贈賄や、トランプ氏がロシアに何らかの弱みを握られ、恐喝されたような事実も今後明らかになるかもしれない。 2つ目の疑惑は、一連のロシアの選挙介入の捜査をしてきたコミー氏を辞めさせてしまったという、前述の捜査妨害(司法妨害)の疑惑である。これが今回のコミー証言の核心部分だった。 3つ目は、トランプ氏が5月にロシアのラブロフ外相とホワイトハウスで会った際、同盟国のイスラエルから得た秘密情報を同外相に渡してしまったという機密漏えい疑惑である。内容はイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)によるラップトップ型パソコンを使った航空機テロ計画の情報だったとされているが、これも本当なら「同盟国の情報を簡単に漏らすような国」というレッテルが張られ、同盟国からの信頼が薄れ、対テロ作戦を含む外交が大きく揺らいでしまう。 4つ目はまだオバマ政権が続いている大統領就任前にトランプ氏周辺がロシアと接触し、何らかの取引を行ったのではないかという二重外交疑惑である。 最初の2つに比べると、3、4つ目はやや深刻さは下がるものの、それでもロシアゲート疑惑の闇は非常に深い。 今後の疑惑解明は、議会と特別検察官に任命されたモラー元FBI長官の2つのルートで行われる。このうち、特にトランプ氏が恐れているのは、モラー特別検察官による捜査であろう。トランプ氏が疑惑を起訴すべきかを決める大陪審に召喚され、そこで偽証すれば、過去にクリントン元大統領が不倫問題の偽証で弾劾訴追されたように一発で罪に問われかねない。1998年11月、来日中の首相主催夕食会で、小渕恵三首相(右)から贈られた盆栽に笑顔を見せるクリントン米大統領(代表撮影) 各種世論調査を見ると、全体的にはトランプ氏の支持率は4割を割ることもあり、その支持基盤は極めて脆弱といえる。ただ、150日前後の支持率は、就任してやはりアマチュア的な政治手法で混乱した93年のクリントン氏と比較しても実は大差ない。さらに共和党支持者のトランプ氏への支持率は7割程度とまだかなり高い。政治的分極化を背景にしているため、この数字は93年当時の民主党支持者のクリントン氏の支持率よりもやや高いのである。米と世界が失う「大統領の威信」 議会側のポイントとなるのが、来年の中間選挙をめぐる民主党側と共和党側の思惑の違いであろう。共和党支持者の動きを見れば、ロシアゲートについて、トランプを擁護するのが共和党議員の行動の基本原理といえるが、疑惑がさらに出てくれば、このままトランプ擁護を続けると、来年の中間選挙で自分の議席も危なくなってしまう。まさに、民主党側にとってはこれが狙いであり、さらに次のパズルのピースとなる人物を探し出し、今後も時間をかけて喚問していくであろう。 下院の場合、弾劾を上院に訴追するには過半数が必要である。いまのところ、40議席程度共和党の方が多いため、民主党が全員弾劾に賛成するだけでなく、共和党から20人以上を弾劾賛成に引きずり込まないといけない。しかし、党議拘束がない米国の場合、議員は自由に動ける。5月初めに下院を通過した医療保険制度改革(オバマケア)代替法案では、共和党から10人以上が反対に回った。そう考えると、この数字の差は思ったほどではないとも言える。5月7日、米ボストンでキャロライン・ケネディ前駐日米大使(左)から「勇気ある人物賞」を授与されるオバマ前大統領(UPI=共同) 一方、上院の方は弾劾裁判を行う際、3分の2が賛成しなければならないため、ハードルは極めて高い。現在、共和党が52議席、民主党が48議席(無党派で民主党と統一会派を組む2人を含む)であり、下院と異なり全体の数も少ないため、共和党側から20人程度を弾劾賛成に持ってくるのは至難の業だ。 過去にも上院での弾劾裁判にかかった大統領は2人だが、実際の弾劾まで至ったことはない。むしろ、トランプ氏は弾劾される過程で自分への非難が連日続くことに嫌気が差して辞めてしまうシナリオの方が現実的かもしれない。かつて「ウォーターゲート事件」のニクソン元大統領は、下院司法委員会で弾劾勧告が出た段階で、下院の投票が行われる前に辞めてしまっている。いずれにしろ、現時点でトランプ氏の弾劾にはさまざまな疑惑解明が必要で、まだほど遠い状況であるといえる。 一方、ロシアゲートの最大の余波は政治の停滞に他ならない。国内政策なら、税制改革やインフラ投資といった日本経済にも影響する政策の実現が、民主党側の反対で一層遅れてしまう。さらに、トランプ外交の最大の目玉であったロシアとの協力も大きく後退する。ロシアとの外交交渉が遅れ、協力するはずだったIS(イスラム国)対策も進んでいない。また、北朝鮮問題が、外交的な解決を図ることになり、6カ国協議のような枠組みを作る場合にもロシアを引き入れにくくなっている。 ロシアゲートの闇が深く、疑惑解明に時間がかかる分、それだけ米国も世界も、失うものが少なくない。その中で最も大きいのは、「世界を牽引(けんいん)するアメリカの大統領」という威信なのかもしれない。

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    コミー証言は肩透かし? ロシア疑惑はトランプ辞任の引き金にならない

    中岡望(東洋英和女学院大客員教授、ジャーナリスト) トランプ米大統領は選挙で当選した時から、ロシアとの不適切な関係で疑われ、連邦捜査局(FBI)はロシア側が大統領選挙に介入した疑いで捜査を始めていた。さらに、トランプファミリーがロシア政府関係企業と密接で、利権が絡んでいるとの重大な疑惑も浮上。閣僚の中にもロシア政府と秘密裏に接触している事実が明らかになった。 こうした中でトランプ大統領のマイケル・フリン安全保障問題担当補佐官が辞任に追い込まれた。ホワイトハウスは同氏の解任はペンス副大統領に間違った情報を提供したためだと説明したが、その背景にはロシア・コネクションが捜査対象となっていたことに疑問の余地はなかった。「ロシア疑惑」はトランプ政権にとっての棘(とげ)だったといえる。 そして5月9日、トランプ大統領は突然、ジェームズ・コミーFBI長官の解任を発表した。コミー氏は、大統領選の投票日前に、もう終わっていると思われていたヒラリー・クリントン氏の私的メール使用問題の捜査を再開すると発表した人物だ。それがクリントン氏に対する有権者の信頼を大きく損ない、選挙戦最大の敗因になったと言われている。米上院情報特別委員会の公聴会に出席したコミー前FBI長官=2017年6月、ワシントン(AP) ゆえに、トランプ大統領にとってコミー氏は大統領選勝利の「最大の功労者」の一人であった。大統領就任後、トランプ氏は執務室でコミー氏に最大限の賛辞を送り歓迎した。2メートルを超えるコミー氏とハグし合うシーンは象徴的でもあった。コミー氏は、トランプ氏から何度もFBI長官に留まるように要請されたと、後日語っている。それなのに、コミー氏は突然の即刻解任の情報をメディアの報道で知ったという。 FBI長官の任期は10年である。フーバー初代長官が11年以上も長官の座にあり、その間に政治家や官僚の秘密情報を集め、隠然たる影響力を行使したことから、FBIの捜査の独立性を維持することも含め、任期が10年とされた経緯がある。 ただ、かつてビル・クリントン大統領は、セッションズ長官の公私混同が激しいことを理由に、レノ司法長官に彼がポストにふさわしくないとの書簡を書かせて、同長官を解任している。 今回もセッションズ司法長官と副長官にコミー氏が職責にふさわしくないという趣旨の書簡を書かせ、それを根拠に解任に踏み切った。FBI長官を解任するのは、大統領権限である。その限りでは、話はここで終わるはずであった。少なくともトランプ大統領は、そう考えていただろう。 だが、事態は予想外の方向に展開する。コミー氏は1月6日に初めてトランプ・タワーでトランプ次期大統領にFBIとして報告に赴いた時から、4月11日に電話で話をするまでの計5回の会談内容をメモに記録していたのである。 メモを取った理由として、コミー氏はトランプ大統領が人格的に信用できず、しかも二人の間で交わされた会話は誰も聞いていなかったため、もし将来問題になったとき、トランプ大統領が嘘をつくかもしれないとの不安からメモを残したという。 それは単に会話の記録だけでなく、トランプ大統領の表情や対応なども詳しく記録されている。コミー氏はそのメモを知人に託した。そして、ニューヨーク・タイムズ紙が「コミー・メモ」の存在をスクープしたのだ。「司法妨害があった」コミー証言の真偽 メモの中には、トランプ大統領がコミー氏に長官留任を餌に「個人的な忠誠」を示すことを求めたり、フリン前補佐官の捜査を中止するよう求めるなど、自分がFBIの捜査対象になっていないかを懸念するトランプ大統領の様子が詳細に書かれていた。 トランプ大統領は即座にメモが虚偽であると否定し、コミー氏を「嘘つき」と極めて厳しい口調で批判した。そして、コミー氏を解任したのは、彼が目立ちたがり屋で、FBIの機能を麻痺させているとし、執拗な個人攻撃を加えるなど泥仕合に発展した。その後、メディアで相次ぐスクープ報道があり、上院諜報特別委員会は、コミー氏を呼んで公聴会を開くことを決めた。 公聴会直前の6月8日、コミー氏は、大統領と二人だけの会談と電話での会話の内容を詳細に記した「陳述書」を委員会に提出した。その内容は驚くべきもので、トランプ大統領の発言や行動が詳細に書かれていた。 その中で、トランプ大統領がFBIの捜査中止を求めるような記述もあり、メディアは色めき立った。もし、大統領がFBIの捜査に介入したとなると、司法妨害(捜査妨害)の容疑が出てくる。司法妨害は、大統領弾劾の理由になり得るからだ。 米国では過去に、ニクソン大統領とクリントン大統領が司法妨害と偽証を根拠に弾劾に掛けられたことがある。ただ、ニクソン大統領は自ら辞任することで弾劾を免れたが、トランプ大統領に関してはホワイトハウスでの会談を録音していたとの報道もあった。ニクソン大統領が糾弾された最大の理由は、同様の盗聴を行ったことだった。そのため、コミー事件は「第2のウォーターゲート事件」に発展するのではないかと注目されている。 そして6月9日、上院諜報特別委員会でコミー氏の証言が行われた。午前10時から12時40分まで公開で証言が行われ、午後2時から非公開で証言が行われた。公聴会の最大の焦点は、トランプ大統領がフリン前補佐官の捜査を中止するようにコミー氏に「圧力」をかけたかどうかにあった。 ただ、委員の質問に対する答えはメモに書かれていた範囲を超えるものではなかった。コミー氏は、ロシアが大統領選挙に介入したのは事実であると証言。FBIのフリン前補佐官の捜査に関して、「トランプ大統領が私と交わした会話が司法妨害に当たるかどうかはっきりとは断定できない」としながらも、大統領の発言に当惑したと、その場の雰囲気を語っている。トランプ米大統領=2017年6月、マイアミ(AP) また、FBIはトランプ大統領が捜査対象になっていないことを本人に伝えたことも明らかにした。メディアは、コミー氏がトランプ大統領の司法妨害を認めるかどうかに注目していたが、その証言内容は曖昧なものであった。 こうしたコミー氏の証言に対してトランプ大統領は情報漏洩者と非難した。また、ホワイトハウスの弁護団は、コミー氏を情報漏洩で告訴する動きを見せた。これに対してコミー氏は、メモは機密情報ではないと、自分の行為は機密情報の漏洩には当たらないと反論している。「不支持率が60%」の異常事態 このように、諜報特別委員会の公聴会は非常に大きな関心を集めたが、結果的に内容に関しては「肩透かし」であったといえる。そのため諜報特別委員会は再度、コミー氏の召喚を検討しているとも伝えられており、まだまだコミー証言の波紋は続きそうである。 では、この一連の事態を国民はどう見ているのか。米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』とNBCの共同世論調査(5月11日から13日に実施)では、コミー氏解任に関して回答者の29%が「支持する」、38%が「支持しない」、32%が「分からない」と答えている。今のところ、米世論は「支持しない」が多数派である。 ただ、党派別にみると、共和党支持者の58%が支持しているのに対して、民主党支持者の66%が容認できないと党派で評価が大きく分かれている。無党派では、支持は21%、不支持は36%であり、これが標準的なアメリカ人の評価といえる。  また、6月7日に『ワシントン・ポスト』とABCの共同世論調査の結果も発表された。調査はコミー氏の公聴会前(実施日は6月2日から4日)に行われたものである。調査では「トランプは2016年の大統領選挙にロシアが介入した可能性に関する捜査に協力していると思うか、あるいは捜査を妨害していると思うか」との問いに対して、全体の56%がトランプ氏は捜査妨害を行っていると答えている。政党別の支持者でみると、民主党支持者の87%、無党派の58%、共和党支持者の17%がトランプ氏の捜査妨害を肯定した。公聴会で証言するコミー前FBI長官=2017年6月 このようにトランプ大統領に対する信頼は大きく低下している。ただ、共和党支持者のトランプ支持が依然高いことも注目すべきである。トランプ大統領が強気の姿勢を取っているのは、こうした背景があるのかもしれない。  さらに、6月8日に行われたロイターの世論調査では、トランプ大統領支持が38%、不支持が58%であった。ギャロップの調査(6月8日)でも、同様に不支持率は58%、支持率は37%と、ロイター調査とほぼ同じ結果であった。ギャロップ調査では、3月28日に不支持率が大統領就任後最低の59%を記録したが、今回の調査結果はそれに続くものであった。政権発足後、4カ月余りで不支持率が60%というのは異常といっていい数字である。トランプの弾劾訴追はほぼ不可能 多くの国民の気持ちはトランプ大統領から離れつつある。政策面でも目立った成果は上がっていない。加えて、ホワイトハウス内の抗争や、ガバナンスの空洞化も起こっている。 では、トランプ弾劾は現実のものになる可能性はあるのだろうか。現状で考える限り、その可能性は低い。まず共和党と保守派のトランプ支持に揺るぎがみられないからだ。トム・コットン上院議員は「今回の出来事がトランプ辞任の引き金になることはない」と、共和党内の雰囲気を代弁している。ホワイトハウスへのパレードで、声援に応えるトランプ米大統領とメラニア夫人=2017年1月 保守派のジャーナリスト、レベッカ・バーグ女史も「コミー証言は共和党議員のトランプ支持が大きく変わる転換点になるとは思えない」と書いている。先の世論調査でも、共和党支持派の大多数がトランプを支持する結果だった。 さらに下院、上院ともに共和党が多数派を占めている。大統領を弾劾するには、下院の半数の支持を得て大統領を追訴する必要がある。それを受けて、最高裁首席判事を裁判官とする弾劾裁判が上院で開かれ、その3分の2の支持を得て弾劾が成立する。 ゆえに、下院で弾劾決議をする可能性は限りなくゼロに近い。仮にトランプ大統領が弾劾裁判に掛けられても、上院議員の3分の2が賛成することはまずないだろう。民主党やリベラル派がいかに大きな声を上げても、現実的にトランプ大統領を弾劾することは、ほぼ不可能な情勢と言わざるを得ない。 では、何も変化はないのだろうか。ポイントは2つある。トランプ大統領が政策面で大きな失敗をすることだ。その可能性はないわけではない。それが支持率をさらに低下させ、来年に中間選挙を控える共和党議員の中から、トランプ大統領の下では戦えないと考え始めた時、流れが変わるかもしれない。 さらに、コミー事件が拡大し、ロシアとの関係が安全保障問題を引き起こす事態になれば、共和党議員も考え直さざるを得ないだろう。中間選挙は平時であっても与党に不利である。不人気な大統領を要する選挙では、風の向きによっては、共和党は下院で過半数を失う可能性がないわけではない。それがトランプの強気を崩す潮目になる可能性は十分ある。

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    トランプとロシア新興財閥の「深すぎる闇」はどこまで解明できるか

    名越健郎(拓殖大学海外事情研究所教授) トランプ米政権の「ロシアゲート」疑惑をめぐって注目されたコミー前連邦捜査局(FBI)長官の議会証言は、トランプ大統領が捜査に圧力をかけていたことを示したが、決定的な情報はなく、想定の範囲内だった。今後の焦点はモラー特別検察官の捜査に移り、長期化が予想される。こうした中で、関与を全面否定していたロシアは釈明に動き始めた。捜査の焦点は、ロシアの選挙介入疑惑より、トランプ大統領とロシア新興財閥の「深すぎる闇」の解明に移るかもしれない。 プーチン大統領は6月4日、米NBCテレビとの会見に応じ、ロシアが米大統領選にハッカー攻撃を仕掛けたとの疑惑について、「政府機関は一切関与していないが、一部の愛国主義的なハッカー集団が西側の反露政策の報復として行った可能性はある」と述べ、初めてロシア側の介入を認めた。ロシアのサイバー攻撃については、米国の17の情報機関が一致して「攻撃があった」と結論づけており、これ以上の否定は困難とみなしたようだ。 一方で、「米国は他国の選挙結果に影響を及ぼそうと内政干渉してきた」「(得票総数が当選に結びつかない)米大統領の選挙制度自体を変えたらいいのではないか」「米国のような巨大な国の選挙結果をサイバー技術で変えられるはずがない」などと釈明。「現在米政界で起きているロシアコネクションの追及は、反ユダヤ主義を彷彿(ほうふつ)とさせる」と批判した。 プーチン大統領はこの後、米映画監督のオリバー・ストーン氏とも会見し、米議会でロシア非難の急先鋒(せんぽう)である共和党のマケイン上院議員について、「古い世界に住む政治家だが、国益のために全力を尽くす彼の愛国主義が好きだ」と述べ、天敵にエールを送った。さらに、「国際テロや貧困などグローバルな問題で米露は協力すべきだ」と訴えた。安倍晋三首相との共同記者発表で発言するプーチン大統領=4月27日、露モスクワ(共同) 7月7、8両日、独ハンブルクで行われるG20サミットで、プーチン、トランプ両大統領は初会談を行う予定であり、一連のプーチン発言は会談の成果を狙って、米世論を沈静化させる狙いがあるようだ。ロシアは欧州の一連の選挙にもサイバー攻撃を仕掛けたが、仏大統領選で期待した極右のルペン候補は惨敗。オランダ総選挙でも極右政党は敗退したほか、9月のドイツ総選挙もメルケル首相与党の勝利は動きそうもない。 親露派、トランプ大統領の登場で米露関係を改善し、欧州でも極右政党を躍進させ、一気に西側の対露包囲網を突破しようとしたプーチン戦略は破綻した。  主要国でロシアに手を差し伸べるのは安倍晋三首相だけだが、プーチン大統領が北方領土問題で安倍首相を冷たくあしらうのも不思議だ。安倍首相は6月のG7サミットで、ロシアとの対話を重視すべきだと対露融和外交を訴えたが、欧州首脳はそれを無視し、冷淡だったという。トランプ政権もロシアゲートが足かせとなって対露融和外交には動けず、欧米の対露制裁は長期化しそうだ。ロシアゲート疑惑の核心 もっとも、「米国の反露ヒステリーは、国民の危機意識を高めるだけに、来年3月の大統領選でプーチン大統領が再選を果たすには都合がいい」(モスクワ・タイムズ紙)との見方もある。クレムリンは欧米との対決姿勢を維持しながら、極度の関係悪化は防ごうとするだろう。 ロシアゲート疑惑の核心は、トランプ陣営が選挙戦でロシアと接触し、サイバー攻撃を依頼したかどうかにあり、これが判明すれば、国家反逆罪に当たり、弾劾の対象となり得る。しかし、過去半年間のFBIの捜査でも決定的証拠は見つかっていない。ロシアが捜査協力するはずもなく、解明は困難とみられる。ホワイトハウスの執務室で、プーチン大統領と電話会談するトランプ米大統領=1月28日、アメリカ(UPI=共同) むしろ、モラー特別検察官の捜査では、トランプ大統領とロシア新興財閥のドロドロした利権コネクションが浮き彫りにされ、それが決定打になる可能性がある。米国のメディアもこの部分の調査報道を行っているが、トランプ大統領のロシア関与は想像以上で、ロシア新興財閥がトランプ王国の資金源だった実態が判明しつつある。 米誌「ベテランズ・トゥデー」(2017年1月21日付)によると、トランプ大統領がモスクワに来るようになったのはゴルバチョフ時代の1989年で、ソ連指導部からモスクワとサンクトペテルブルクへのホテル建設を依頼された。エリツィン時代には、エリツィン後継の噂もあった実力者、レベジ安保会議書記(2002年にヘリコプター事故で死亡)と関係を深め、先行投資したこともある。しかし、ロシアの新興財閥は自国のホテル建設に関心がなく、むしろ米国にトランプ大統領が保有する不動産に積極投資し、実勢価格の何倍もの価格で購入するお得意様だったという。 トランプ大統領は2000年代初頭、アトランティックシティーのカジノ・ビジネスが破綻し、一時破産するが、その後トランプタワーの住居を高値で購入し、トランプ大統領を救ったのが、ロシアの企業や財閥だったという。トランプ大統領の子息、トランプ・ジュニア氏は「ロシア人は不釣り合いな価格でわれわれの資産を購入してくれた」と述べていた。 トランプ大統領は特に、プーチン政権と関係の深い新興財閥のアラス・アガラロフ、イルガム・ラギモフ、トフィク・アリフォフといった人物とディール(取引)を重ね、2013年にはアガラロフ氏の招待で、ミス・ユニバース・モスクワ大会を主催するため訪露。その際、高級ホテルで売春婦と不適切な関係を持ち、ロシア側に監視された-と元英情報機関幹部が報告書で告発した。 今後の捜査でロシア資金が選挙運動に使われていたことが判明すれば、政治資金規正法にも抵触する。トランプ大統領とロシア新興財閥の「闇の関係」の解剖が、今後のロシアゲート捜査の注目点になりつつある。

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    セッションズ司法長官の声色から分かること

    ションズ氏の証言」です。2017年6月13日、米上院情報特別委員会でジェフ・セッションズ司法長官は、ロシア政府とトランプ陣営が共謀していたのではないかという「ロシアゲート疑惑」に関して宣誓証言を行いました。本稿では、公聴会における同長官の議論の仕方及び表情や声のトーンといった非言語コミュニケーションに焦点を当てます。その上で、誰が公聴会の敗者かについて考えてみます。米上院情報特別委員会で証言するセッションズ司法長官=6月13日、ワシントン(ロイター=共同) 公聴会でマーティン・ハインリッチ上院議員(民主党・ネバダ州)は、セッションズ司法長官がロシアゲート疑惑の捜査に関与しないと表明した時、トランプ大統領は不満を漏らしたか質問を投げかけました。一部の米メディアは同大統領がロシアゲート疑惑から身を引くと発表した同長官に怒り、両氏の関係が不和になったと報道しています。同長官は、同大統領との私的な会話内容は明らかにしないと述べて回答を拒否しました。 セッションズ司法長官はその主たる理由に「司法省の伝統」を挙げて、長年にわたる同省の取り決めであると説明したのです。さらに、同長官は野党・民主党議員の質問に対して「思い出せない」と言い、トランプ大統領を疑惑から守りました。今回の公聴会における同長官のパフォーマンスは、翌日14日に71歳の誕生日を迎える同大統領へのプレゼントになりました。 元米上院議員で軍事委員会及び司法委員会等に所属していたセッションズ司法長官は、公聴会の冒頭、上院情報特別委員会のメンバーに対して「同僚」という言葉を用いて同情を買おうとします。民主党上院議員はその言葉に乗りませんでした。 まず、ロン・ワイデン上院議員(民主党・オレゴン州)がロシアゲート疑惑に対する捜査妨害は受容できないと主張しました。セッションズ司法長官がロシアゲート疑惑に対して不関与を表明したのにもかかわらず、身を引いていないと同議員は議論したのです。これに対して同長官は怒った目と表情を浮かべながら、声のトーンを高めて「不愉快だ」と強い口調で反論したのです。 次に、元検察官のカメイラ・ハリス上院議員(民主党・カリフォルニア州)です。ハリス上院議員は、「選挙期間中、ロシア人のビジネスマンと会話をしましたか」等の質問を矢継ぎ早にセッションズ司法長官に浴びせたのです。 しかも、ハリス上院議員はセッションズ長官が回答中に介入して、次の質問に移るのです。10分の持ち時間を与えられた同議員は、同長官から核心を引き出せないと判断すると、回答の途中でも即座に次の質問に移ったのです。このスキルは討論会の尋問で使用します。公聴会の敗者はだれか? ハリス上院議員は、実際は攻撃的に質問を投げかけているのですが、笑顔を浮かべているので視聴者には威圧的には見えないのです。同議員は、そこが優れていました。 南部アラバマ州生まれのセッションズ長官は、ハリス上院議員のスピードのあるコミュニケーションのペースについていけませんでした。苛立った表情の同長官は、次のように強いトーンで心境を語ったのです。 「あなたは私が嘘をついていると非難している。あなたは私を駆り立てるので神経質になってしまう」 にもかかわらず、ハリス上院議員は「トランプ陣営はロシア政府と連絡をとっていましたか」と同じペースで質問を続けました。同議員とセッションズ司法長官の激しい質疑応答を観察していた共和党の重鎮ジョン・マケイン上院議員(アリゾナ州)がリチャード・バー委員長(共和党・ノースカロライナ州)に、同長官に回答させるべきだと不満を漏らす場面がありました。結局、この公聴会で民主党議員はセッションズ長官からロシア政府とトランプ陣営の共謀及びトランプ大統領による司法妨害の決定的な証拠を引き出すことはできませんでした。 公聴会におけるセッションズ長官が繰り返す「思い出せない」という答弁に不信感を頂いた視聴者は少なくないでしょう。ただ、セッションズ長官の議論の仕方は巧みでした。1つ例を挙げてみましょう。2017年3月同長官はロシアゲート疑惑に関与しないと表明しました。ところが、同年5月コミー米連邦捜査局(FBI)長官解任支持の書簡に著名をしているのです。 これに対してセッションズ長官は、コミー氏がロシアゲート疑惑以外にも捜査を行っていたので、それらに基づいて同氏のリーダーシップ能力を判断したと議論しました。総合的に判断しますと、同長官の「限定的な勝利」であったかもしれません。3月20日、米下院の公聴会で証言するコミーFBI長官(ロイター=共同) 公聴会では、トランプ大統領の擁護派の急先鋒に立つトム・コットン上院議員(共和党・アーカンソー州)が存在感を示しました。同議員は、ロシアゲート疑惑はまるでスパイ小説ないしフィクション映画のようで、まったく根拠がないというメッセージを送ったのです。公聴会の前日、同大統領は与党・共和党上院議員をホワイトハウスに招き昼食を一緒にしています。その際、コットン議員は同大統領の左から2番目に着席しています。 前回の「トランプvs元FBI長官、公聴会の勝者は誰か?」で説明しましたが、2017年2月14日付の米ニューヨーク・タイムズ紙の記事は誤りであるとコミー前長官に証言させたのもコットン議員でした。トランプ大統領が同議員を自分の強力な応援団の一人であると捉えていることは間違いありません。 FOXニュースの人気番組「ハニティ」もトランプ大統領の熱烈な応援団です。「ハニティ」は、今回の公聴会を同大統領の大勝利であったと高く評価しました。そのうえで、ロシアゲート疑惑を「リベラル派による陰謀説」と断言しています。 今回の公聴会において、民主党議員はセッションズ長官を攻めきれませんでした。その点において同党議員が敗者と言えるかもしれません。 民主党議員にはジレンマが存在します。トランプ大統領はツイッターに、ロシアゲート疑惑は米国史上最大の魔女狩りであると繰り返し投稿しています。民主党議員が過度に攻撃的になると、同大統領の主張を正当化してしまうのです。今後、民主党議員は同大統領が仕掛けた魔女狩りの地雷を踏まないで、決定的な証拠を引き出す戦略が必要です。うんの・もとお 明治大学教授、心理学博士。明治大学政治経済学部教授。心理学博士。アメリカン大学(ワシントンDC)異文化マネジメント客員研究員(08~10年、12~13年)。専門は異文化間コミュニケーション論、異文化マネジメント論。08年及び12年の米大統領選挙においてオバマ陣営にボランティアの草の根運動員として参加。16年米大統領選挙ではクリントン陣営に入る。著書に「オバマ再選の内幕―オバマ陣営を支えた日本人が語る選挙戦略」(同友館)など多数。

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    トランプ弾劾はいかに? 過去に2回、不倫で訴追も

    樫山幸夫 (産經新聞前論説委員長) トランプ米大統領をめぐる一連の疑惑、“ロシアゲート”は、コミー米FBI(連邦捜査局)前長官の議会証言が、序盤のクライマックスだった。大統領が捜査に圧力をかけようとした形跡が色濃くにじんでいた。検察官は、トランプ氏自身も捜査対象に加えたとも伝えられている。一方、議会を含め米国内では、大統領を弾劾すべきだという強硬論が台頭してきている。トップをクビにする弾劾裁判―。有罪無罪もさることながら、その手続きが始まるだけで、米国の政治、社会が混乱するのは避けられない。米上院情報特別委員会の公聴会で証言するコミー前FBI長官=6月8日、ワシントン(ロイター=共同) 米国独立以来240年、実際に議会で弾劾裁判が行われたことは、これまで2回ある。いずれも「無罪」評決だったものの、大統領の政治的基盤を損ない、権威を大きく失墜させた。 トランプ氏について、弾劾の可能性を現時点で予測するのは早計だが、過去における「大統領の犯罪」を振り返りながら、今後の見通しを展望してみたい。 最初の弾劾裁判は南北戦争の直後1868年まで遡る。日本では明治維新の年だ。 第17代、アンドリュー・ジョンソン大統領は、有名なアブラハム・リンカーンの暗殺を受けて1865年4月に副大統領から昇格した。民主党員の上院議員でありながら、共和党のリンカーンからナンバー2に起用されたのは、南部と北部、民主、共和両党の和解を実現するにうってつけの人物とみられたからだ。 ジョンソン大統領は前任者の遺志を継ぎ、南北融和に心血を注いだが、南部への遺恨を捨てない議会共和党急進派は、これを苦々しく眺めていた。 1868年2月、ジョンソン追い落としのまたとないチャンスが訪れた。大統領は、当時の陸軍長官(今の国防長官)を、機密情報を自らの政敵に流していたのではないかという疑念から罷免した。 しかし、反大統領勢力は、前年に制定された政府高官の任免に関する法律に抵触するとしてこれを攻撃した。任命だけでなく、罷免にも議会の同意が必要なのに、大統領はそれをしなかったというのが理由だった。  大統領は、陸軍長官任命は、法律制定前のリンカーン時代であり、適用されないなどと反論したが、反大統領派は追及の手を緩めなかった。弾劾訴追するかどうかは下院で審議されるが、共和党が多数を占めていたことから訴追が決まった。  10日後、上院で史上初めての弾劾裁判が開始された。当時の定数54のうち、共和党は弾劾成立に必要な3分の2を超える42議席を確保していた。弾劾成立はだれの目にも明らかに映った。 ところが、起訴事実にあたる弾劾条項11項目の一つについての投票は、賛成35、反対19、3分の2を欠くことわずか一票という際どい結果で、否決されてしまった。クリントン氏のセックス・スキャンダル 権力争いによって大統領を追放することを潔しとしない共和党議員7人が党幹部の圧力をはねつけ、勇気ある造反を企てた結果だった。  10日後に行われた他の2項目の採決でも、賛成、反対同じ顔ぶれ、やはり一票差での否決だった。残りの条項については、もはや採決は見送られた。 こうして、ジョンソン大統領は劇的に弾劾を免れた。 米憲政史上初の弾劾裁判は、政争の色彩が強かった。戦争直後においては、革命騒ぎなど、多くの国で政治、経済、社会の混乱がみられたことは歴史を紐解けば明らかだろう。 それから時を経ること130年。1998年の弾劾裁判は趣が大いに異なっていた。“太平の世”とはいえ、あろうことか、大統領のセックス・スキャンダルが発端だった。 この不名誉な大統領はご存じ、ビル・クリントン氏。1993年から2001年まで在任した。今の若い人には、昨年の大統領選で惜敗したヒラリー・クリントン女史の夫君といったほうがわかりやすいかもしれない。沖縄サミットの開幕を控え、平和の礎前で演説するクリントン米大統領。右は稲嶺恵一知事=2000年7月21日、沖縄県糸満市 クリントン氏の弾劾裁判自体、1998年から翌年にかけてだから、知らない人、記憶が薄れてきている人も少なくないだろう。 筆者は当時ワシントン特派員として、この弾劾裁判、その訴因となったスキャンダルを最初から最後まで取材した。長い記者生活のなかでも忘れられない事件のひとつだ。 クリントン氏のスキャンダルというのはこうだ。 氏は、家庭を持つ身でありながら、就任前から多くの女性と浮名を流していた。ホワイトハウス入りしたのちは、何と、娘といっていい27歳も年下のホワイトハウスのインターン生と密かな関係をもった。それだけなら、道義的にはともかく、罪に問われることはない。しかし、前職、アーカンソー州知事時代のセクハラ事件で訴えられた裁判で、クリントン氏は、インターン生との関係を否定する証言をしてしまった。 このインターン生は、友人に大統領との関係を告白、その会話のテープが、州知事時代の土地取引疑惑などクリントン大統領の一連のスキャンダルを捜査していた当時の特別検察官の手に渡った。 特別検察官は、大統領に偽証の疑いありとして、本格的な捜査に乗り出した。1998年1月のことだ。 覚えている方も多いだろう。世界を驚愕させ、そして多くの人が眉をひそめたあの騒ぎを。 メディアが大統領とインターン生との具体的な“行為”の内容まで報じるに及んで、記事を新聞に掲載する側としては、表現、用語が低俗にわたらないよう、随分と苦労を強いられた。なぜ失職を免れたのか 大統領自身を含む関係者の大陪審への喚問、特別検察官の議会証言、捜査報告書の公表など、一年近くにわたった熱狂の末、下院本会議は98年12月、弾劾訴追を可決した。 訴追条項は、セクハラ事件で大統領が連邦大陪審で行った証言での偽証と、隠ぺい工作など証拠隠滅―だった。 弾劾裁判は翌99年1月から上院で始まり、翌2月12日に投票が行われた。 筆者は採決当日、議場に陣取って見守っていたが、事前の票読みで、いずれの条項も過半数を獲得できないだろうと予測されていたにもかかわらず、議場が異様な緊張感につつまれていたのをおぼえている。 採決は予想通り、いずれも、3分の2はおろか過半数にも届かず、大統領は「無罪」の評決を受けた。 この事件はスキャンダルが発端であり、それだけがことさら大々的に報じられたためか、日本でも、クリントン大統領は不倫によって弾劾裁判にかけられたと思っている人が少なくないだろう。しかし、そうではなく、司法妨害という深刻な犯罪で訴追されたことを理解する必要がある。 それにしても、証拠、証言などから有罪は濃厚だったにもかかわらず、なぜクリントン氏は失職を免れたのか。 当時、米上院民主党の長老だったロバート・バード議員の言葉が含蓄に富んでいる。「大統領の行為は、重大犯罪という弾劾の要件を満たすが、国の団結を守るために無罪評決に賛成した」―。その後に襲ってくる政治的、社会的混乱を防ぎ、国民の間に生じた対立を解消しようという政治的な判断で投票したという告白だ。反対票を投じた多くの議員も同様の認識ではなかったか。 クリントン氏は、こうした破廉恥な行為を暴露されたにもかかわらず、その後も高い支持率を誇った不思議な大統領だった。退陣後の2012年の調査でも「好感を持っている」という市民は6割を超えていたというから驚く。 ところで、弾劾といえば、1970年代に米国を揺るがせたウォーターゲート事件におけるニクソン大統領のケースを無視するわけにはいかない。佐藤栄作首相(右)と会談するニクソン米元副大統領 =1966(昭和41)年8月12日、首相官邸  1968年の選挙で当選した共和党のニクソン氏は72年に圧倒的な強さで再選された。しかし、この選挙中、陣営のスタッフが民主党選対本部に侵入する事件を起こし、その隠ぺいに大統領自ら関与したとして、下院司法委員会で弾劾決議がなされた。 ニクソン氏はその時点で辞職、弾劾裁判が行われることはなかったが、クリントン氏の弾劾裁判の際、共和党による遺恨晴らしだーなどとささやかれたこともある。トランプ弾劾という”政治ショー” さて、今回のトランプ大統領のケースに話を戻そう。 “ロシアゲート”を捜査しているミュラー特別検察官(元FBI長官)が、大統領も捜査対象としているーというニュースは今月15日、ワシントン・ポスト紙が報じた。 上院情報委員会でのコミー証言によると、大統領は、ロシアとの不適切な接触のために解任されたフリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の捜査に関して、「放っておいてくれ」と迫ったという。コミー氏は「大統領の指示と受け止めた」と証言している。フリン前大統領補佐官(ロイター=共同) コミー氏によると、大統領は他にも捜査への介入めいた言辞を弄したという。 ミュラー検察官は、大統領選挙でロシアの不正な干渉はなかったか、ロシアとトランプ陣営との癒着、不適切な接触がなかったかなどロシアゲート全般を捜査しているが、当面は、大統領のこれらの言動を捜査の核心に据えているという。 しかし、捜査の行く手は険しい。 トランプ氏側は、コミー証言によって「捜査妨害などなかったことがむしろ明らかになった」(共和党全国委員会)と強気の姿勢を見せている。 言葉のニュアンスは微妙であり、その場にいた者にしかわからない。しかもトランプ氏は“人払い”したうえで口を開いている。コミー氏の感じ方だけでは、大統領の捜査妨害を立証するのは容易ではないと指摘する専門家は少なくない。  「大統領の犯罪」が立証されても、現職にある間は刑事訴追されないから、それに代わる代償、制裁措置が弾劾だ。 すでに米議会は、民主党のベテラン、ブラッド・シャーマン下院議員(カリフォルニア州)が、捜査介入を具体的な理由として、他の議員にも弾劾へ同調するよう呼び掛けている。アル・グリーン議員(民主党、テキサス州)ら一部に賛成する動きがみられる。 これまで米国で、政府高官らのスキャンダルを捜査する目的で特別検察官が任命されたケースは16回。捜査に要した期間は平均で1100日を超えるという。 ミュラー検察官の捜査は始まったばかりであり、まさに「千里の道の一歩」だ。今後長い間にわたって、紆余曲折をたどることになろう。  仮に立証にたどり着いたとしても、上下両院いずれも共和党が多数を占める中で、下院での訴追決定、上院での有罪評決は現時点では、かなり困難といわざるを得ない。 トランプ弾劾といっても、政治ショーとしては面白いかもしれないが、実現へのハードルは高い。

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    コミー元長官の堂々たる公聴会は「さすがFBI」の一言

    前長官のコミー氏の公聴会について。* * * 先週、米議会公聴会でコミー前連邦捜査局(FBI)長官がロシア疑惑について証言した。公聴会を生中継した放送局は10局、日中とはいえ全米での視聴者は約1650万人という。 退任したばかりのFBI長官が証言する姿など、滅多に見られるものではない。日本で言えば、さしずめ警視庁長官や警察庁長官が証言するようなものだ。メディアの評価は期待通りだったというが、そもそもコミー氏は証言することをどう思っていたのだろう。米議会で証言する連邦捜査局(FBI)のコミー長官=5月3日(AP=共同) 公聴会に現れたコミー氏は、ダークな黒いスーツにえんじ色のネクタイを締めていた。見るからに重厚感があって落ち着いた印象。これは、黒は心理的な強さや重さを感じさせる色であり、えんじ色は大人らしさ、成熟をイメージさせるとともにクールさや理知的、大胆さを感じさせる色の効果でもある。 同じ赤系のネクタイでも、トランプ大統領や日本の失言大臣たちが好んで締める鮮やかな赤のネクタイとは印象がまるで違って見える。 席に着くやカメラのフラッシュが無数にたかれた。だがコミー氏はまるで動じる様子がない。表情ひとつ変えず、あごを上げ正面だけを見据えていた。宣誓を終えると、静かに座って椅子を何度か引き、袖口を直し、証言しやすい態勢を整えた。深く椅子に座り、背筋を伸ばす。堂々としたものだ。 質問する議員が変わる度に、その方向にまっすぐ身体を向け、背筋を伸ばして座る。時には椅子をずらし、机上のマイクの位置まで直す。落ち着いていなければ、ここまで気を使うことはできない。そしてこの動きは、きちんと耳を傾け、向き合って質問に答えますよという相手へのメッセージでもある。 コミー氏の仕草でよく見られたのは、机や膝の上で組まれた手の動きだ。親指を上げて手を組んだり、親指をこすり合わせたりしていた。組んだ手の親指を立てるのは、自分の考えや説明に自信があるからだといわれる。自分の感覚や主張には自信を持っていたが、少なからず公聴会の場で発言することにストレスを感じていたのだろう。親指をこすり合わせていたのは、そのストレスから心を静めよう、なだめようとしたからだ。 感情に合わせて動いたのは眉。「突然、解任された」と話した時は、額や眉間にシワが寄って、八の字のように眉が下がり、いまにも泣きだしそうな表情になった。「いつ解任されても仕方がない立場」と言いつつも、仕事に信念を持ち、残り6年の任期を全うする気でいたコミー氏には、我慢ならなかったであろう。FBIの真実はこれだ 二転三転する解任理由に混乱し懸念したと述べた途端、左眉が下がり右眉だけが上り、わずかに左肩をすくめた。この仕草は、理由に納得できないだけでなく、大統領への皮肉や批判を表しているように見て取れる。自分やFBIをありもしない嘘で貶めたと淡々とした口調で述べたが、その視線は鋭く前を見据えていた。この時感じた怒りは、かなりのものだったに違いない。 そして国民に対して「FBIは正直で、FBIは強く、FBIは常に独立性を保つ」とあごをわずかに上げて、これがFBIの真実だと強調した。大統領の発言を捜査打ち切りの指示と思ったという証言も重要だったし、会話をメモしたという証言も衝撃的だったが、それ以上にコミー長官は、公の場でFBIの名誉挽回をしたかったのかもしれない。 冒頭証言を終え、チェアマンが「ディレクターコミー(コミー長官)」と呼んだ瞬間、反射的に背筋を伸ばし姿勢を正したのも、FBIのトップに立っていた誇りがあったからだと思う。 反面、トランプ大統領には懐疑的だったと見える。メモを残した理由を「大統領の性格から、嘘をつくかも」と述べると、肩を下げ、眉も頬や口角も下がった情けなさそうな表情を見せた。自分の上司が、それもトップが嘘つきと確信した時のやるせなさや情けなさは、なんとも言い難い。それが一国の大統領だったのだから、その失望たるや相当のものだろう。 そんな大統領に求められたという忠誠には、「ロイヤルティー」という言葉を述べながら一瞬、両手の指を2本ずつ上げてクイクイッと曲げた。欧米でよく見る「いわゆる」という意味の仕草だ。忠誠を求められたことに疑問や反発を感じ、忖度する気にはならなかったと思われる。 ところが証言の最中は、言葉と相反する仕草や矛盾する表情は、まるで見受けられない。公聴会が行われた約2時間40分の間、用意された水を飲んだのは1~2度だけ。質問者が変わろうとも、どのような質問を受けても、姿勢も変わらず、身体が揺れることさえなかった。一瞬、戸惑ったり、言葉に詰まったり、感情がわずかに垣間見えた場面はあったが、コミー氏のボディランゲージには動揺や不安が一切表れなかったのだ。 それどころか、「大統領に忠誠を求められた際は、自分は動きもせず、口も開かず、表情も変えず、ぎこちない沈黙が続いた」と証言し、フリン前大統領補佐官の件については、大統領が執務室で他の人を人払いした時の状況や、その場にいたセッションズ司法長官の様子について、細かに証言したのだ。他人のボディランゲージを読み、それによって臨機応変に対応を変えている。さすがである。 FBIの長官までやった人物ならそれぐらい当然なのかもしれないが、訓練されている人間はやっぱり違うなあ。関連記事■ 【ジョーク】ヒラリー・クリントン氏が大統領目指すのはなぜ?■ 激ヤセのクリントン氏 1回数千万円の講演料で年収10億以上■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画【1/2】「根拠のないデマ」■ 【ジョーク】イラン大統領「オバマ無能」への対立候補の反応■ ヘーゲル米国防長官 訪韓時の朴大統領の日本批判に苛立った

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    落合信彦氏「トランプはFBIに追われ大統領職を放り出す」

     “ロシアゲート”疑惑が広がりを見せるなか、トランプ大統領はFBI長官を解任した。だが、長官解任によってむしろFBIは本気でトランプを追い詰めようとするのではないか。そう指摘するのはジャーナリストの落合信彦氏である。* * * こんな状況でも、日本の安全保障はまだ「アメリカ頼み」なのか。トランプが大統領職を放り投げる可能性が、いよいよ高まってきた。任期途中での辞任の可能性は本連載で昨年から指摘していた通りだが、事態はより深刻になっている。 5月9日、全米のテレビで「FBI長官、解任」の速報が流れた。その時、当のFBI長官ジェイムズ・コミーは出張でワシントンから離れ、西海岸のロサンゼルスにいた。ふとテレビを見たコミーは、「面白いイタズラだな」と呟いた。しかし直後、FBI本部に解任通知が届いていることを聞き、「イタズラ」ではないことを知らされる。米ワシントンのフーバービルにある連邦捜査局(FBI)本部 アメリカのメディアは、コミーが慌てて空港に駆けつけて専用機に乗り込み、ワシントンに向けて離陸する様子をライヴで報じた。そうするほどに、異例の事態なのだ。 1973年、ウォーターゲート事件の渦中にあったニクソンは、捜査を担当していた特別検察官たちを突如解任した。“土曜日の夜の虐殺”事件だ。 5月の突然のコミー解任で、ホワイトハウス前に集まった市民は「これは“火曜日の夜の虐殺”だ!」と叫び、トランプを批判した。トランプが、周辺へのFBIの捜査を妨害したのではないかと見られるからだ。 FBI長官の任期は10年。政権交代の影響を受けず中立な捜査ができるよう、長期に設定されている。任期途中で解任されるのは超異例である。「理由は単純だ。良い仕事をしていなかったからだ」 トランプは解任理由を聞かれ、そう語った。これこそ大統領お得意の「フェイク」だ。数多くの大統領を見てきた経験から言えば、トランプは限りなく「クロ」に近い。哲学内、歴史も知らない “ロシアゲート疑惑”は、驚くほどの広がりを見せている。トランプの娘婿のジャレッド・クシュナーは、2016年12月の政権移行のタイミングで、欧米の制裁対象になっているロシア政府系銀行の頭取と面会していた。ロシア駐米大使が面会を仲介したとされる。 大統領選でトランプの選対本部長を務めていたポール・マナフォートはウクライナの親ロシア派から75万ドルものカネを受け取った疑惑が取り沙汰されている。 大統領補佐官だったマイケル・フリンは駐米ロシア大使との近い関係が批判されて辞任に追い込まれたが、その後、ロシア系企業から5万ドル以上を受け取っていたことが明らかになった。 司法長官のジェフ・セッションズも大統領選挙中にロシア側と接触していたことが発覚した。 FBIは、これらを中心としたロシアのアメリカ大統領選への関与を洗っていた。その捜査の手が周辺へ迫り、焦ったトランプがコミーを解任したと見るのが自然だ。トランプの大きな勘違い しかし、トランプは大きな勘違いをしている。FBIは、長官ひとりのクビを切られたくらいで諦める組織ではない。むしろ本気でトランプを追い詰めようとするのではないか。 司法省は早くも、“ロシアゲート”を本格的に捜査するため、コミーの前任だったロバート・ムラーを「特別検察官」に任命した。フリンを辞めさせ、大統領上級顧問のスティーブン・バノンを国家安全保障会議の幹部会議から外すなど、側近を次々に飛ばしているトランプ。捜査が迫れば、今度は自ら職を放り投げて逃げ出すのが関の山だろう。 5月上旬には、トランプ本人がロシア外相のセルゲイ・ラブロフと非公開会談している様子を写した写真が公になった。その写真は表に出ないはずだった。ホワイトハウスの大統領執務室で、トランプはラブロフと笑顔で握手していた。アメリカはロシアに制裁を科しているはずなのに、ロシア側をにこやかに迎えている写真が出ることはあってはならないことだった。 大統領も側近たちも、ロシアとベッタリなのである。ロシア疑惑だけではない。最近のトランプは暴走を加速させている。政権発足から100日の節目を迎えた4月末には、ペンシルベニア州で集会を開いた。そこでトランプは「私の100日を語る前に、メディアの100日を採点してみよう」と語り出し、大統領批判を続ける記者たちを「非常に不誠実だ」と切り捨てた。 北朝鮮問題への対応も支離滅裂だった。「核開発を許さない」と言って空母カール・ビンソンを派遣したのに、1か月も経たないうちに「適切な環境下なら金正恩と会う」と言い出した。新聞は訳知り顔で「硬軟織り交ぜた対応で金正恩を揺さぶっている」と書いていたが、単にブレているだけだ。あの大統領には何の戦略もなく、ただ思いつきで喋っているだけなのだ。 日本人は、いざとなったらアメリカが北朝鮮をぶっ潰して守ってくれると思い込んでいるようだが、トランプは日本を守る気などまったくない。そもそも、東アジアの安全保障にコミットするつもりもないだろう。だから、「金正恩と会う」とか、「金正恩をアメリカに招待する」などと言えるのだ。 本連載の前号でも指摘したが、トランプの外交・安全保障政策には、まったく一貫性がない。娘のイヴァンカが「アサドは化学兵器で子供を殺している。アサドを攻撃すべきだ」と言えば、シリアを空爆する。軍が「北朝鮮に空母を派遣すべき」と言えば、カール・ビンソンを出す。 哲学がなく、歴史も知らないから、軍や側近の言うがままに操られているのだ。関連記事■ 元テレ朝・龍円愛梨氏 資金不足で選挙事務所借りられず■ 都民ファースト幹事長 野田ゴレンジャーとショーパブ会合■ 「SOD女子社員」シリーズ 本当に社員なのか?■ オバマ前大統領の超セレブ引退生活 金遣い荒い妻の意向も■ 無実の男性を痴漢にデッチあげた「中国人女性」の行状

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    露専門家によるトランプ“解剖”

    ニコライ・シェフチェンコ(ロシアNOW) ドナルド・トランプ氏の第45代アメリカ大統領就任式を前に、ロシアの専門家たちが改めてトランプとは何者かを理解しようとし、米国の内政および露米関係への影響を占った。 トランプとは何者か、そしてこの現象が露米関係をどう変えるのか?この問題はロシアの専門家たちを悩ましており、彼らは、同氏の奔放なツィターでの呟きやスキャンダラスな発言の霧を透かして、氏の素顔を見極めようと試みてきた。 ロシアのアメリカ専門家たちは、米国市民に劣らず就任式を待ち構えているが、式目前の1月18日に彼らは、モスクワの国際討論会「バルダイ会議」に集まり、議論を展開した。就任式で宣誓を終え、歓声に応えるトランプ米新大統領 =1月20日、ワシントントランプって何? ロシアの専門家らの関心を引く主な問題は、トランプとは何者かではなく、米国の政治構造の発展の文脈においてトランプとは何であるか、そしてこの現象が外交政策にどのように反映するか、という点にある。「トランプは歴史的必然性か、それとも歴史の破綻か」。モスクワ国際関係大学国際政治プロセス講座のイワン・サフランチュク准教授はこう問題を提起した。 米国におけるトランプの反対者たちとは異なり、ロシアの専門家らは次のような見方に傾いている。つまり、トランプが勝利したのは、ヒラリー・クリントン陣営の選挙戦略の誤りのためではなく、クレムリンが米大統領選に介入した結果でもない。トランプ勝利は、同氏がアメリカ社会の構造的な変動を捉えることができたためだ、と。 「トランプ氏は、アメリカ国民に対し、米国は敗北を喫しつつある、と言ってのけた人物だ」。こう言うのは、バルダイ会議のプログラムディレクターを務めるアンドレイ・スシェンツォフ・モスクワ国際関係大学教授。 スシェンツォフ教授の見解では、こういう強力で並々でない発言をするには、この候補者には「尋常でない勇気」が必要だったはずだという。 トランプ氏には、米国の支配層にとって具合の悪い問題を提起する能力がある、ということだが、これは、氏が別のエリート層の代表者であることで説明される――。こう考えるのはアンドレイ・ベズルコフ氏。氏はかつて米国から追放されたロシアのエージェントで、現在は露石油最大手「ロスネフチ」の社長顧問を務めている。経済大国としてのアメリカの再生こそがトランプ氏の主要なメッセージだ、と氏は考える。露米関係回復の困難さトランプ政権の顔ぶれと対露関係 将来の露米関係に及ぼすトランプ氏の影響は、米国の内政問題に劣らず専門家らを悩ませている。 「トランプ氏は、他のケースなら決してホワイトハウス入りしなかったような“スーパーヒーローチーム”を創るかもしれない。それは、高いキャリアを持ち、何よりも結果を出すことを目指し、これ以前には政治的野心を持たなかった、そんな人たちだ」。スシェンツォフ教授はこう言う。 露米関係を回復させるという課題が実際のところどれだけ実現困難かについては、専門家らは慎重な意見を述べる。モスクワの大統領府で記者会見したプーチン大統領=1月17日 「トランプ氏は、ロシアとプーチン大統領に対してひたすら好意的だったレトリックから、プラグマティックで現実的なそれに移行するだろう。このことを理解する必要がある」。マクシム・スチコフ氏は言う。氏はロシア国際問題委員会の専門家だ。 トランプ氏のレトリックは変化すると予想されるわけだが、これには落ち着いて対応する必要がある。なぜなら露米関係の複雑からして変化は避け難いからだと、同氏は述べる。 「肝心なのは、露米首脳間の良好な個人的関係を築くことにこだわらないことだ。似たようなことを我々はすでに、友人ボリスと友人ビル、友人ジョージと友人ウラジーミル、友人ドミトリーと友人バラクの間で経験してきている。これは、一定期間蜜月の幻想を作り出すが、その後で危機が生じて、露米関係を嘆かわしい状態に陥れる」。こう同氏は結んだ。 9日序盤のモスクワ証券取引所では、主要指標の一つであるMICEX指数は1.44%安の1939.66、ドル建てRTS指数は1.5%安の958.33まで下落した。ロシアの証券会社「ブロケルクレジットセルヴィス」がロシアNOWにこれを伝えた。 ところが、昼にかけて指標は回復し、その後1.5~1.7%高の2000まで上昇した。これはトランプ氏の勝利が伝わった後の世界の市場の反応とは逆である。専門家によれば、アメリカの外交政策が変わって不安定化するのではないかと世界の投資家が恐れたものの、ロシア的には制裁緩和の可能性を意味したのだという。最初の反応 ロシアの投資家の行動には時間差の影響があった。「ロシアの市場が始まったのは、原油、金、ドル、アメリカの株価指数先物の回復を背景に選挙結果が伝えられた後」と、ロシアのFX会社「テレトレード」の上級アナリスト、アレクサンドル・エゴロフ氏は説明する。そのために、ロシアの指標とルーブルの反応は大きくならなかった。投資家は高リスクから「安全な避難所」へ  国際的な投資家の最初の反応は、トランプ氏が選挙戦で示していた複数の公約から、多くの点でネガティブなものとなった。「トランプ氏がアメリカ大統領に選ばれたということは、金融市場の不確実性、それも長期的な不確実性の始まりを意味した」と、FX会社「eトロ」のパーヴェル・サラス・ロシア・CIS統括は話す。トランプ氏の行動は予測困難であることから、投資家はリスクの高い資産から「安全な避難所」へと移り、具体性を待っているという。 トランプ氏の経済公約およびいくつかの発言では、中国との貿易を制限していくことが示されていると、ロシアの大手証券会社「フィナム」の金融アナリストであるティムール・ニグマトゥッリン氏は話す。これ以外にも、欧州連合(EU)との自由貿易圏の創設に関する協議が止まるリスクもあるという。このような取り組みは、短期的にも世界経済の冷え込みを招きかねない。 「世界経済はここ10年で貿易障壁を低め、競争を高めて成長してきたことを考えると、アメリカ政府のこのような取り組みは逆行になる」と、ロシアの証券会社「オトクルィチエ・ブロケル」市場分析部の専門家、ドミトリー・ダニリン氏は話す。 長期的な見通し 中国、EUとは異なり、ロシアにとってトランプ氏の当選は、むしろプラスの変化を意味すると、専門家らは考える。ウクライナ情勢を受けて発動された経済制裁の緩和または解除は、ロシア経済に影響をおよぼす可能性があると、ロシアの投資会社「フリーダム・ファイナンス」取引部のイーゴリ・クリュシュネフ部長は考える。ロシアにより柔軟なトランプ氏は、経済制裁を延長しない可能性があり、早期解除に寄与する可能性もあるという。 「経済制裁の解除、または部分的、段階的な解除は、今後の可能性の一つ。ただ、今のところ、このシナリオの実現について話すのは時期尚早。解除の条件は近い将来、実施されそうにない」と、エゴロフ氏は慎重な見方をする。ニグマトゥッリン氏によれば、トランプ氏は選挙戦で、ロシア政府との対話を確立する必要性について何度も話していたという。 エゴロフ氏によると、いずれにしても、トランプ氏が候補者として発言した内容は、大統領としての具体的な動きとは異なるという。「一つ明らかなことがある。2017年は世界経済にとって変化の年になる。イギリスのEU離脱の問題があり、アメリカの政治の影響を受ける」とエゴロフ氏。(ロシアNOW  2017年1月20日分を転載)

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    プーチンとトランプが惹かれ合う理由

    ロタイプな「無教養で流されやすい貧困層」などではない。 トランプ勝利に喜色満面な人物の筆頭が、現在のロシア連邦を牛耳る「皇帝」ウラジミール・プーチン氏だという。トランプ米次期大統領(左)とプーチン露大統領「力」の信奉者 2013年、内戦真っ只中の中東、シリアでは、独裁体制を敷くアサド政権に対しての国際的な風当たりが日に日に高まっていた。ただ、シリアと軍事的、政治的に深いパイプを持つ(シリア西部の港湾都市・タルトゥースには内戦以前からロシア海軍が駐留)。プーチンは一貫してアサド政権を擁護、アメリカを含めた西側諸国との亀裂は深まるばかりだった。 当時、国務長官であったヒラリー・クリントンはオバマ大統領に幾度となく「シリア内の反体制派組織へ、本腰を入れた援助を向けるべきだ」と進言していたという。しかしオバマはそれを頑なに拒み続けた。まるで中東では何もしたくない、と言わんばかりの態度だった。その間に、シリア北東部のラッカ、さらにはイラクをまたいだ地域に過激派組織イスラム国(IS)が勃興、混乱は世界的に広がっていく。プーチンにとってこれは好機だった。西側の不干渉路線を眼光鋭い「熊」が見過ごす訳がなかった。手始めに、東欧のウクライナにおける騒乱に乗じ、クリミア半島を電撃的に自国へ編入して見せた。 ソビエト連邦崩壊以降、初となる国境線の変更が、武力により公然と断行されたのだ。1994年の国際合意は、何の意味も成さなかった(ブダペスト覚書。米、英、露、ウクライナ四カ国によるウクライナの領土保全を文書で確約、旧ソ連時代に残置されたウクライナ領内の核兵器を西側の経費負担で処分する代わり、クリミア半島はウクライナ領として侵してはならない旨明記)。 さらに、特殊部隊を差し向けられたウクライナ東部地域において、「ノヴォロシア連邦」が独立を宣言、政府軍との苛烈な戦闘は未だ継続中である。 プーチンの思惑通りか、アメリカが主導するロシアへの対抗策は経済制裁のみとなり、軍事介入は無かった。そして、先のシリアにおいてはアメリカのIS対応のもたつきを尻目に2015年に、ロシア空軍による本格的な空爆が開始される。 これによる多数の民間人の死者は数え切れないが、それでもISはじめ、ヌスラフロント(アル=カーイダ系の反政府武装組織)といった国際的なテロ組織の脅威が騒がれる中、ロシア介入に賛同する声も多く聞かれる。トランプ候補も、以上のようなユーラシア大陸におけるプーチンの影響力拡大路線に賛辞を送っている。

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    強欲ロシアと扶助する日本

    東漸に続き南下を狙うロシアと戦った日本。そのロシアの強欲さと、敵兵でも親身に助ける日本の人の好さは今も変わらない。盗人猛々しいプーチン王朝の本質を見誤ってはいけない。

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    プーチンと習近平、彼らはなぜ攻撃的外交という「夢」を見るのか

    はなぜここにきて米国と対立する危険性を冒してまで人工島の軍事化を急ぐのだろうか。北京で会談し握手するロシアのプーチン大統領(左)と中国の習近平国家主席=9月3日(タス=共同) 目を欧州に向ける。プーチン大統領が率いるロシアはウクライナのクリミア半島を編入する一方、北欧領域に潜水艦を派遣するなど軍事的プレゼンスを強めている。クリミア半島の併合宣言は欧米諸国の強い反発を呼び、対ロ制裁が実施中だ。にもかかわらず、プーチン大統領はクリミア半島から撤退する考えはないばかりか、ウクライナ東部の親ロ派勢力への影響力を強めている。 プーチン大統領は、クリミアが伝統的にロシア領土だったと主張し、国境線の不変更という原則を破ったことに対する国際社会の批判に対し一歩も引きさがる様子を見せていない。 ここで問題とすべき点は、なぜプーチン大統領は国民経済への悪影響も恐れずにクリミアの併合に乗り出したのか。なぜ中国の習近平国家主席は米国の反発を知りながら、人工島の軍事化に乗り出しているのかだ。厳密にいえば、なぜ「今」、両国は超大国・米国の反発を知りながら、国際法を無視してまで拡大政策、攻撃的外交を展開させるのか、という点だ。 冷戦時代のソ連共産党の外交を想起すれば、その疑問に答えを見つけることができる。ズバリ、敵が弱い時には強硬政策を貫徹する一方、敵が強いと分かれば、一歩後退し静観する政策だ。相手国が弱いと分かった時、ソ連共産党政権の攻撃性、野蛮性は特出していた。相手国の抵抗を容赦なく力で抑えた。なぜならば、相手が弱いからだ。一方、相手が自分より強いと分かれば、正面衝突を避け、一歩後退する。キューバ危機(1962年)を想起すれば理解できるだろう。 最近では、ソ連の解体は米国が軍事力、経済力で圧倒的に上回っていると理解したゴルバチョフ大統領(当時)がレーガン米政権の力の外交の前に屈服した例だ。レーガン米政権は最後まで力の外交(例・スターウォーズ計画)を緩めることなく、経済的に裨益していたソ連を圧迫したのだ。 それでは、ソ連解体の悪夢に悩んできたプーチン大統領がクリミア半島を併合し、シリア紛争でも米国側の反発を恐れず、反アサド政権派勢力に空爆を繰り返すのはなぜか。答えは、相手(米国)が弱いと分かったからだ。もう少し厳密にいえば、オバマ大統領を指導力のない大統領と判断したからだ。 同じことが言える。大国の地位の確立を願う習近平主席は、米国の力が弱ってきていることを知っているはずだ。だから、米国と正面衝突を回避しながらも、その拡大を慎重に進めているのだ。プーチン大統領も習近平主席も、オバマ大統領が平和を愛し、戦争を回避する大統領ということを知っている。 米国民の最大の関心は次期大統領選に移っている。オバマ大統領にはこの期間、次期大統領に負担となるような外交決定を下しにくいという事情もあるだろう。 プーチン大統領も習近平主席も「夢」を見る指導者だ。プーチン氏は解体した大国・ソ連を再び復興させたいという夢を、習近平主席は中国の大国化という「中国の夢」を見ている。 「夢」(野心)を待つ指導者の登場が世界の平和に幸福をもたらすか、それとも紛争と混乱を誘発させるだろうか。 いずれにしても、世界は「夢」を持つ露・中国指導者の登場に不安な眼差しを向けている。なぜならば、彼らの「夢」がマーティン・ルーサー・キング牧師の「夢」(I have a Dream)とは全く異質のものと感じているからだ。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2015年11月10日分を転載)

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    「樺太って何?」 16世紀からの日本領も現在は死語!?

    、このように載っている。「からふと【樺太】東はオホーツク海、西は間宮海峡の間にある細長い島。明治八年ロシアと協約して全島を千島と交換、明治三十八年日露講和条約により北緯五○度以南は日本領となったが、第二次大戦後ソ連領土に編入。サハリン」 私としては、この記述には抵抗感がある。その理由は後述するし、「樺太」についてちょっとでも調べたことがあれば「自分もこのような記述には抵抗を感じる」という方が少なからず存在するものと確信する。 百科事典の性質も帯びた『広辞苑』は膨大な情報を扱うから「この記述は誤差の許容範囲内」と済ませていいものだろうか。 とはいえ、疑問符が付くこの記述さえ過去のものである。平成十年刊の第五版では「からふと【樺太】サハリンの日本語名。唐太」となる。 この第五版の記述に、私としては、抵抗感のようなものは抱けない。記載が少な過ぎる。ただただ「樺太」という地名が死語になったと感じてしまいそうになる。「感じてしまう」のではなく「感じてしまいそうになる」のだ。それは、私の意識の中で「『樺太』という地名が死語になった」と納得する寸前に、「『樺太』という地名は意図的に使われなくなったのではないのか」という疑義が生ずるからである。 この一例を挙げよう。気象庁ウェブサイト上には「『樺太』は用いない」という備考がある。何故、わざわざ、このような備考を設けているのであろうか。「北海道の北に位置する細長い島」を日本語名で「樺太」と呼ぶことに何か不都合があるのだろうか。あるとすれば、誰にどのような差し障りがあるのだろうか。 いや、この気象庁の件は、不都合や差し障りという類の話ではないのかも知れない。戦後に於いて、我が国が執ってきたあるいは執ってこざるを得なかった政策による、当然の帰結と考えることはできないであろうか。少し論じてみたい。 私は、昭和五十年代に小学校に通ったのだが、この時は、社会科の時間帯に皆で地図帳を広げる機会が度々あって、「北海道の北に位置する細長い島」が「樺太」と呼ばれていた記憶がある。 また昭和の終わり頃に、道行く外国人に世界地図を見せ「日本の範囲をマジックで括ってください」とお願いするテレビ番組があった。外国人の一人が、日本の範囲の中に樺太をも含む状態で我が国を括ったのだが、私は、それを見た進行役の関口宏が「樺太も含まれるのだ」という意味の発言をしたことを覚えている。  つまりは、昭和の終わり頃までは、「樺太」という地名は普通に使われていたものと推測される。ここ三十年の間に、「樺太」という地名を消し去ってしまう程の一大事はあったのであろうか。「大東亜戦争に於ける我が国の敗北」に匹敵するほどの大きな出来事はなかったように思える。 では、戦後、日本政府が執ってきたあるいは執ってこざるを得なかった政策が、ある種の社会現象を引き起こし、その現象が「樺太」を徐々に死語に追いやった(追いやろうとしている)という仮説を立て、話を進める。「日本は悪い」が「樺太」追いやる「日本は悪い」が「樺太」追いやる 戦後、我が国に進駐した連合国軍総司令部(GHQ)が行った言論統制は、「改革」という名の下で、戦勝国側に都合の悪いことは報道及び掲載を規制し、日本国民の脳裏には、学校教育などの場を通して「日本は悪い国であった」という一方的な考えが刷り込まれた。 もちろん、戦時下で過ちを犯してしまった先人もいるだろう。だからと言って、国民がそのような過ちの部分のみに焦点を当て、祖先の偉業を必要以上に否定してしまえば、結局のところ、後世に事実は伝わらない。歴史の歪曲が起こる。 このようなGHQの占領政策よって醸成されたのが、国民自身による「偏った歴史の見方」である。特に、ソ連が樺太を再併合し、ほかの戦勝国がそれを容認するうえで、日本国民が「日本は悪い国であった」と「偏った歴史の見方」をしていてくれることは、大変都合がよかった。 戦勝国側は、我が国によるアジア諸国に対する「植民地支配」を断罪する過程で、敗戦当時は歴とした日本本土であった樺太までも「植民地」と見なし、事実上、これをソ連に引き渡したのだ。 日本政府は、敗戦からサンフランシスコ講和条約に至るまでの間に幾度も、戦勝国側に対し「我が国が樺太を放棄させられることは不当である」という旨を伝えている。これは「植民地ではない日本本土たる樺太まで何故放棄させられなくてはいけないのか」という抗議と解していい。 同条約により、「日本本土」であった「樺太」は無理やり我が国から切り離された。とは言え、この条約は、樺太が最終的にどの国に組み込まれるか規定していない。尚且つソ連は、我が国の樺太放棄を定めたこの条約への署名を拒否した。ソ連は、サンフランシスコ講和条約への署名を拒否したにも関わらず、当時既に占拠し終えていた樺太の実効支配は継続したのである。 平成二十七年現在、ソ連の継承国たるロシア連邦が、何らの国際法にも基づかず樺太の不法占拠を継続している。樺太は今なお、国際法上「帰属未定地」なのである。樺太の北緯50度以南と得撫島以北の千島列島が帰属未定であることを示す地図(全国樺太連盟) 戦後発生した「日本は悪い国であった」という「偏った歴史の見方」は、いわば日本人の歴史に対する思考停止である。この「思考停止」が「樺太は『日露戦争で日本に収奪された土地』であるが、大東亜戦争敗戦による『日本帝国主義の終焉』に伴い、元々の持ち主であったソ連・ロシアに還された」という誤った認識も生み出した。 この誤認が、日本国民の樺太史に対する思考停止をも生み出し、結果として「樺太」という地名を徐々に死語に追いやった(追いやろうとしている)と考えることができる。「樺太」を死語にさせる別要因 樺太の歴史は、世間一般であまり語られることがない。それには、いろいろな原因があるだろう。前述した様な誤認などもあれば、「樺太史はややこしい」ということも一因と考えられる。樺太の歴史は、それを要約する(考える)時に多少骨が折れ、結果として、世間一般はそれを考えなくなった(なってきている)のではないか。 物事とは、ほんの少し骨が折れる限り、よほど関心の強い人たち以外は、それからドンドン遠ざかっていく。樺太史も例外ではない。樺太史は骨が折れるので、世間一般は敬遠するようになり、こうした現象が樺太史を埋没(風化)させ、結果として「樺太」を死語化させた(させている)別要因と言えるのではないか。 学者たちの多くは、このような側面には触れようとしないが、学習人口が減りつつある(と推定される)樺太史を考察するうえでは、こうした現実も、正面から見据えることが欠かせないと思われる。「樺太」の回復と風化の抑制「樺太」の回復と風化の抑制 「樺太」という地名の回復とその死語化の抑制は可能であろうか。不可能ではないと私は考える。ただし、それには若年層に樺太への関心を持ってもらう必要がある。とはいえ、それは容易ならざることである。 樺太について一定の知識をもつ人々が、若年層に伝える必要があるが、その際、伝えられる側の立場(理解力などさまざまな要素)を推し量ってやらないと、現実問題としてほとんど何も伝わらない可能性がある。 〝伝える側〟〝伝えられる側〟相互の努力・作用によって樺太という地名の回復とその死語化の抑制を図れるはずだ。表について多少補足すれば、「伝えられる側」は経験もなく、教育も受けていない若年層ということ。「樺太を直接知らない大人たち」は、「樺太について一定の知識を有する人々」と「若年層」のどちらにも属すと見なした。つまり、自身より樺太を知っている元樺太在住者などと接する時は「伝えられる側」となり、自身より知らない「小中学生以下」などと接する時は「伝える側」となり得るからだ。 長々と定義や補足を書いたが、一言で言い換えるならば、「樺太」という地名の回復とその死語化の抑制には「国民的な関心」が必要であるということになる。樺太の「事実」を列記してみる 私を含む「大人たち」をみても、樺太についての知識は、それぞれの経歴や立場によって千差万別なはずである。そこで、樺太について幾つかの事柄を列記してみる。なるべくわかりやすく書いてみるので、これらの中から樺太について何らかの話題性を見出し、若年層との話の種にしていただければと思う。■横線(北緯五十度線)の意味「北海道の北に位置する細長い島」の日本語名は「樺太」である。何種類もの地図や地図帳で、この島を詳しく見てみると、それらの中には、「樺太」の真ん中に「同島を南北で二分する様な横線」を入れているものが見受けられる。日本語で発行された世界地図には、この線が入ったものが比較的多い。ロシアとの「友好」「協力」ばかりで全樺太がまるで正当なロシア領のように表記する地図(北海道庁) この「樺太を南北に二分するような横線」を一般的には「(樺太上の)北緯五十度線」または「(樺太)国境」と呼ぶ。ご老人や幾分歴史を学んだ学生・生徒には、「北緯五十度線」と聞いた瞬間に、この「樺太上の北緯五十度線」を思い浮かべる人も少なからずいるはずである。■横線(北緯五十度線)の経緯 明治初期、当時のロシア帝国はヨーロッパ列強の一角を占め、強力な領土拡張政策を推し進めており、我が国の統治下にあった樺太も自国に併合しようと目論んでいた。 我が国は、樺太防衛のために手を尽くしはしたものの、強大な軍事力の前に力及ばず、結果として、同国に「(不毛の)北千島十八島と交換」という名目の下、事実上武力で樺太を併合されてしまった。 当時のロシア帝国は、明治後期になると、今度は日本全体をも植民地として吸収することを企て始め、(国力で劣る)我が国は、これを同国との対話によって防ごうと試みた。しかしながら、当時のロシア帝国の野心は収まることを知らず、明治三十七(一九〇四)年、緊張は極限に達し、日露戦争が勃発した。 ロシア帝国は、我が国を打ち負かせると確信していたようではあるが、現実には陸海とも我が国に叩き潰され、翌明治三十八年には、我が国との間に講和条約を結ばざるを得なくなったのである。日露戦争緒戦で大勝した帝国海軍連合艦隊(『日露海戦回顧写真帖』昭和10) この時の和平条件の一つが「ロシア帝国は樺太の南半分を我が国に割譲する」ことであった。この結果、樺太には、「日本に割譲する南半分」と「ロシア帝国が統治し続ける北半分」を明確に区別するため、北緯五十度線に沿って国境線を引くことが決せられた。 樺太の北緯五十度線地帯は当時、密林状態にあったので、日露両国は森林を十㍍幅で伐採して空間を造り、その空間を国境線としたのである。これが、地図上で「樺太を南北に二分するような横線(北緯五十度線)」が入った経緯である。■「割譲」ではなく「返還」 さて、前段で「ロシア帝国は樺太の南半分を我が国に割譲する」という一文がある。「割譲」という言葉に違和感を覚える方もいるはずである。何故ならば、日露講和に於けるこの「割譲」とは、実質的(歴史的)には「返還」「回復」に相当するからである。これは、我々日本人が明確に認識しておかねばならないことではなかろうか。 日露講和の際、我が国はロシア帝国に対し、事実として何を申し伝え、同国からどのような返答を得たのだろうか。わかりやすく端的に表現するならば、次のようになる。 我が国がロシア帝国との和睦に際し、同国に申し伝えた事実上の内容は「貴国が明治初期に我が国から実質的に武力で奪取した樺太を還していただけないだろうか」ということである。 この申し入れに、ロシア帝国は紆余曲折の結果「樺太の南半部だけを譲る(還す)」と応じてきたのである。 補足となるが、日露の役は、我々の先人方が自国の存亡を懸けて、止むを得ず始めた戦争である。先にも書いたように、ロシア帝国は明治後期に我が国を植民地にしようと企て、樺太を奪ったばかりか、満洲、朝鮮と南下を続け、我が国に迫っていた。ところが、自ら墓穴を掘り(陸海とも我が国に殲滅され)、かつて我が国から武力で奪い取った樺太のうち、南半分だけは還さざるを得なくなっただけの話である。「樺太回復期」と「樺太関連呼称」「樺太回復期」と「樺太関連呼称」 元樺太在住者などの樺太関係者の間では「北緯五十度線以南の樺太」が日本領として復帰していた明治三十八(一九〇五)年から昭和二十年(一九四五)年の四十年間を「樺太回復期」と呼ぶことがある。日露戦末期の明治38年7月9日朝、日本軍が樺太・九春古丹(大泊)に上陸した時、ロシアは街を焼き払って退却していた(『日露戦役海軍写真帖』明治39) 前述のとおり、実質的(歴史的)に考えた場合、樺太は日露講和により、その南半分のみが我が国に「割譲」ではなく「返還」された。これによって、樺太は北緯五十度線を以って、「日 本領」と「ロシア帝国領」に分けられたわけである。 その後、北緯五十度線以南を「南樺太」、以北を「北樺樺太」と呼ぶようになった。元樺太在住者の中には、「南樺太」とは五十度線以南の樺太の俗称であり、五十度線以南のみを指す場合でも、単に「樺太」と呼称するのが正しいとする指摘も根強い。 この樺太回復期に、北緯五十度線以北を以南と区別して呼ぶ必要があった場合、これを「薩哈嗹(サガレン)」とも呼称した。「樺太」については、呼び方一つを取っても、難しい側面があると思うので、簡潔に整理してみたい=表②。 樺太=「北海道の北に位置する細長い島」を意味する場合もあれば、状況などにより「北緯五十度線以南の樺太」のみを意味する場合もある。 南樺太=「北緯五十度線以南の樺太」のみを指す場合に用いる(用いることがある)。 北樺太=「北緯五十度線以北の樺太」のみを指す場合に用いる(用いることがある)。 薩哈嗹(サガレン)=樺太回復期  に北樺太を南樺太と特に区別して呼ぶ必要があった場合に用いた。一部文献では樺太全体を指すのに用いているが、樺太回復期に限れば「北樺太」と同義と考えていい。 多くの学者、特に史学者が樺太について述べる際、この様な呼称の違いを理解して自然に使い分けていると思うが、樺太を知らない人々、特に若年層にとっては、同島の呼び方一つを取ってみても、難解な面がある。学者方は、若年層に樺太を語る際、こうした点もぜひ踏まえていただきたい。■樺太呼称と露国号の変遷 樺太と北海道以南の日本との関わりは、出土品等から、七世紀前後に始まったものと推測されている。この長い歴史の中で、樺太の呼称は、江戸時代以降に限っても、幾度か変遷を遂げてきた。また、樺太から我が同胞を二度に渡り締め出し同島を併呑したロシアも、江戸時代以降に限ってもたびたび国号を変えてきた。 これらの史実も、世間一般には樺太史を難解にしている一因かも知れない。そこで樺太呼称とロシア国号の変遷もざっと整理してみたい。 尚、ロシアに先んじて樺太に進出したのは、我が国(松前藩)である。これは重要な史実なので後述もする。また、ロシアが十九世紀に入り突如として樺太の領有権を主張し始め、事実上武力併合したことも、我々日本人が留意すべき史実と思われる。 まず樺太の呼称変遷=表③=で、一口に「蝦夷地」と言っても、その範囲は時代と共に変化してきた。大和の朝廷の統治外にあった東国(東日本)が、蝦夷地と呼ばれていた。私が知る限り、厳格な時系列で蝦夷地の範囲を明確に示している文献は存在しない。よって、ここでは「蝦夷地」とは基本的に江戸時代の「北海道本島」と考えるが、場合により樺太と千島も含まれた。 江戸時代には、場合によって「北海道本島の概ね南半分と千島」を「東蝦夷地」と呼称したが、多くの文献は「北海道本島の太平洋側と千島を東蝦夷地と呼称した」としている。 また江戸時代には、場合によって「北海道本島の概ね北半分」と「樺太」を「西蝦夷地」と呼称したが、多くの文献は「北海道本島の日本海側と樺太を西蝦夷地と呼称した」としている。 江戸時代に樺太だけを指す際、蝦夷地の一部として「唐太(カラフト)」などと呼ばれていたが、幕府は文化六(一八〇九)年に正式名称を「北蝦夷地」に決した。元禄13(1700)年に松前志摩守矩広が江戸幕府に納めた藩領図(写本)。北海道の上方に小さく記載しているのが樺太。測量技術が未発達なため形状はあいまい 明治二(一八六九)年、探検家の松浦武四郎の考案で、明治政府は「蝦夷地」と「北蝦夷地」を、それぞれ「北海道」と「樺太」に改称した。 ロシアの国号の変遷をみる。江戸時代から大正中期までの国号は、細かくみればいろいろあるが、ここでは基本的に「ロシア帝国」に統一する。ソ連の前身国家である同帝国は、大正中期に共産革命により滅亡した。 大正中期から平成初期までの国号は、同じくここでは基本的に「ソ連」に統一する。正式には、「ソビエト社会主義共和国連邦」と邦訳される。ロシア帝国の継承国家であるが、平成初期に民主化によって崩壊した。これ以降の国号を、ここでは基本的に「ロシア連邦」とする。 ロシア帝国(及びその前身国家)は元来、欧州にあるウラル山脈西部で発祥した国家である。十七世紀以降、次々と北アジアを征服し、十七世紀後半には「東進」とも呼ばれる領土拡張の中で、清朝の勢力圏にも入り込むが撃退された。この後、清の勢力圏を避けるようにして、カムチャツカ半島や千島列島北部を併合。十八世紀終盤から十九世紀初頭には遂に、我が国の統治下にあった北海道や樺太に到達し、これらを併呑する兆しを見せ始めた。樺太の概略史樺太の概略史■我が国の「樺太経営」 前述のとおり、「樺太」と「北海道以南(の日本)」との関わりは、出土品などから、七世紀前後に始まったものと推測される。我が国(松前藩)は、樺太にその南部方面から最初に接触した国家であるが、松前藩及び松前氏の先祖がいつ頃から「樺太」の経営(進出)を始めたのかは不明な点も多い。これは、同藩がアイヌ貿易などで得られる利益を独占するため、樺太を含む蝦夷地に関する多くの事柄を外部(時の政権など)に隠していた事が一因と考えられる。しかしながら、遅くとも十六世紀終盤には、松前氏の先祖である蠣崎(かきざき)氏が、豊臣秀吉より、樺太を含む蝦夷地の支配権を付与されている。松前藩は十七世紀前半には、樺太と他の蝦夷地を内包した国絵領図(十五㌻参照)を作成し、これを江戸幕府に提出している。よって、我が国が、最も早く本格的に樺太に進出した国家である事に変わりはない=表④。■シナ王朝と先住民族の関係 周・秦から漢代までの編纂とされる地理書『山海経(せんかいきよう)』には「北倭起于黒龍江口=北倭(倭北部)ハ黒龍江口(河口)ニ起コル」、また一四七一年に朝鮮の領議政(首相)がまとめた『海東諸国記』にも「日本疆域起黒龍江北=日本ノ疆域(領域)ハ黒龍江ノ北ニ起コル」とあり、いずれも黒龍江(河口)より北、つまり樺太北端からが「日本(倭)である」としている。 シナ歴代王朝は、基本的に樺太の直接統治(本格進出)はしなかったが、元王朝だけは例外的に「樺太進撃」を行い、樺太の様子を史上初めて比較的詳しく記録した。十三―十四世に樺太先住民族を朝貢させるために武力で屈服させ、その進撃過程などで樺太について比較的詳しく書き記したのであった。元以降も樺太先住民は、明及び清王朝への朝貢や、大陸沿岸民族との交易などは、途中途切れながらも、十九世紀後半まで続けたが、それは主に樺太北部での北部での出来事であった。 こうしたシナ歴代王朝と樺太先住民の関係は、中華思想の華夷秩序に基づく「周辺の蛮族はみな皇帝に服する」といった程度のもので、直接的な支配や統治はなかった。■領有権を主張し始めたロシア 十九世紀半ば、シナ清王朝は英国との戦争に敗れ、弱体化の一途を辿(たど)る。これに目を付けたのがロシア帝国で、一八五八年に璦琿(アイグン)条約を結ばせた。武力で威嚇した不平等条約で、清国領だった黒龍江左岸を併合した。同時に樺太対岸地域から朝鮮にまで接する外満洲を清露の共同管理地とさせて実効支配を強めた=表⑤。 清朝は「全権使節が勝手に結んだ」として璦琿条約を認めなかったが、ロシア帝国は一八六〇年、同じく不平等条約の北京条約で外満洲を沿海州として併合したのである。樺太対岸地域がロシア領となり、シナと樺太先住民族の関係も途絶えた。 そしてロシア帝国は我が国に対しても、樺太は(清から奪った)樺太対岸地域の属領であるので「我がロシア帝国のものである」と滅茶苦茶なことを言い出したのである。■間宮林蔵の大陸渡航 松前藩は、前述のとおり対アイヌ貿易などの権益は、極力独占しておきたかったので、早い段階からロシア帝国の蝦夷地への南下には気付いていても、江戸幕府への報告を怠っていた。このため、幕府は松前藩の樺太を含む蝦夷地統治能力に疑問をもつようになる。幕府直轄で樺太調査に着手し、文化四(一八〇七)年には、同藩より蝦夷地の統治権を取り上げてしまった。正装して松前藩を訪れる領内のアイヌ酋長一家。従者に土産の干し鮭など担がせている(伝松前藩絵師小玉貞良) 松前藩が十七世紀前半に幕府に提出した地図に、樺太は島として描かれたが、世界的には大陸と地続きの半島という説が広まっていた。幕府は真相を明らかにするため、文化五年に松田伝十郎と間宮林蔵を樺太に派遣した。二人はいったん北海道の宗谷に戻り、間宮が単身で樺太に再渡航。越年して最終的に樺太北部と対岸の大陸の間を船で往復した。高橋是清 この踏査・渡航により、文化六年に樺太が島である事を明確に突き止めた。この功績により、間宮林蔵は歴史に名が刻まれ、海峡名にもなったのである。樺太を平和的に取り戻す■日露和親条約 ロシア帝国は、樺太や千島への武力攻撃を繰り返すなどしたうえで嘉永六(一八五三)年と翌年、日露国境画定などを目的として、我が国にエフィム・プチャーチン提督を派遣した。江戸幕府は、川路(かわじ)聖謨(としあきら)らを交渉役に任じ、長崎と下田で談判を行ったのである。 幕府は、樺太全島及び千島全島が領地であると認識していたが、実際は樺太全島及び南千島までの主張に留めた。樺太について川路は、条約本文の付録に「日本人並蝦夷アイヌ居住したる地は日本所領たるべし」と盛り込むことを主張。「蝦夷島」ではなく「蝦夷」としたことで、蝦夷地(北海道)ではなく「アイヌが住む樺太全島」の意を含み入れたのである。プチャーチンは一旦同意したが、まもなく日本側の意図に気付いて修正・削除を強硬に求めた。 その結果、安政元(一八五五)年に日露和親条約が調印され、樺太・千島の国境画定について次の取り決めがなされた。その内容は、樺太に関して「これまでの仕来りどおり」(これまでどおり樺太は少なくとも北部のラッカ岬辺りまでは日本領であり、そこに境を設けることはしない)とし、千島は「択捉島以南が日本領であり、得撫島以北がロシア領である」とされた。江戸幕府の基本的な主張は、近年樺太にやってきたロシア帝国には、樺太の領有権は全くないというものであった。 ところがロシア帝国は、前述のとおり、清からの黒龍江左岸・外満洲奪取に合わせ、早くも日露和親条約を反故にする兆しを見せる。安政六(一八五九)年には、軍艦数隻を率いたニコライ・ムラヴィヨフ総督を派遣して、樺太は「樺太対岸地域」の属領だから「我が帝国のもの」だと主張したが、幕府はこれを一蹴し、ムラヴィヨフ総督は退散した。■樺太島仮規則と樺太千島交換条約 我が国はムラヴィヨフ総督を駆逐したものの、ロシア帝国の樺太奪取の目論みは続く。慶応三(一八六七)年には、軍事力を背景として樺太島仮規則という仮条約を押し付けてきたのである。内容は「樺太は日露両国の共同管理地(雑居)である」というものであった。ロシア帝国は、仮規則を根拠として樺太を自国の流刑地と見なし、次々と囚人らを送り込んできた。 我が国が明治維新などによる動乱の前後も、樺太領有を巡る交渉を粘り強く続けたため、ロシア帝国は一時「樺太放棄」を考えたが、我が国の高官の中にも樺太放棄論者が存在することに気付くと態度を硬化させ、「樺太奪取に勝算あり」と踏むようになってしまった。我が国は、金銭を支払うので樺太から撤退してほしい旨をロシア帝国に伝えるなど、最後まで抵抗したが不調に終わった。 万策尽きた我が国は、明治八(一八七五)年、樺太千島交換条約を押し付けられ、樺太は「(不毛の)北千島十八島と交換」という名目の下、事実上武力でロシア帝国に奪われ、併合されてしまったのである。■日露戦争と日露講和条約 これも前述したが、日露の役とは、我が先人が自国の存亡を懸けて、止むを得ず始めた戦争である。ロシア帝国は樺太奪取後に続き、我が国を植民地にしようと企てたことで自ら墓穴を掘り(陸海とも我が国に殲滅され)、実質的に武力で奪い取った樺太の南半分だけは我が国に還さざるを得なくなっただけの話である。日露講和条約は、明治三十八(一九〇五)年に締結され、北緯五十度以南が我が国の領土に復帰した。■樺太回復期 我が国の領土に復帰した時期、樺太は「地獄の島(ロシア帝国の流刑地)」から「宝の島(我が国の開拓地)」に生まれ変わった。紙幅の関係でその詳細には触れないが、日本統治下 の樺太は、漁業や製紙業などにより目覚ましい発展を見せた。最盛期には人口が四十万人を大きく超え、島都豊原(とよはら)は市制を遂げた。第二の都市恵須取(えすとる)も市制施行寸前であったが、終戦直前にソ連が中立条約を無視して樺太に侵攻、不法占領したため、市制施行は幻に終わった。■国際法無視の不法占拠 大東亜戦争敗北により、樺太は無理やり我が国から切り離されたが、同島は歴史的に日本領である。然るべき国際機関で帰属が決められないまま、ロシアが不法占拠している事実を、我々日本人は忘れてはならない。国際法に則り正当に帰属が検討されれば、樺太が我が国に返還される可能性がないわけではない。 ならば我々は、樺太を平和的に取り戻す努力をする必要があるのではないか。現実的な手段として買収なども考えられるが、先ずは国民の合意が必要であり、そのために我々自身が樺太を思い出す必要がある。 ソ連を引き継いだロシア連邦は、北方領土問題について樺太・千島どころか四島ですら「領土問題は存在しない」と、ソ連時代以上に強硬になっている。その背景にはどんな狙いがあるのか、我々は警戒を怠ってはならない。たかはし・これきよ 昭和四十六年東京都生まれ。米国の高校、大学及び大学院に通い、主に数学研究科に在籍。帰国後の平成十三年から東京のコンサルティング会社で電子機器市場の分析を担当。幼少時から樺太に関心が強く、十八年に社団法人全国樺太連盟入会、二十五年から同連盟の樺太史広報を担当。著書に『絵で見る樺太史―昭和まで実在した島民40万の奥北海道』(太陽出版)及び『大正時代の庁府県―樺太から沖縄に置かれた都道府県の前身』(同)など。「樺太は、その歴史を知れば日本であることが分かる。百年、二百年かけても平和的に回復すべきであり、それにはまず日本国民への樺太史の広報啓発が不可欠」が持論。東京で沖縄の八重山日報を定期購読し、国境の島々の情勢にも日々目を配る。プロ野球東京ヤクルト・スワローズの熱狂的ファン。趣味は貼り絵作成と神社仏閣巡り。「お授けいただいた御朱印を見ると幸せな気分になる」

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    まやかしの霧が覆う樺太の歴史

    ロシアの武力威嚇によって掠め盗られた樺太。日露戦争で回復した南半は大東亜戦争後にロシアが不法占拠し続けるが、左翼勢力はこれを是とし、侵略された歴史を何が何でも隠そうとする。改めて日本の北方領域・樺太の歴史を振り返る。

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    樺太はこうして掠め盗られた!日本が受けた列強の領土侵奪

    まれるものではない。 本稿では、現在も我国外交にとっての懸案事項となっている北方領土問題に関連して、ロシアの南下以前に日本が「蝦夷地」をどのように管理していたのか、また日露両国間での国境画定がどのようになされたのかを、歴史的に振り返ってみたい。ロシア南下に江戸幕府が防衛体制 ロシア人が「奥蝦夷」地域に進出しはじめたのは、十八世紀半ば以降のことである。ロシア人の同方面への進出は、ベーリング海軍中佐の率いる探検隊がカムチャッカを基地として享保十七(一七三二)年におこなった東方調査を皮切りに、元文四(一七三九)年のスパルベング海軍中佐を隊長とする調査隊の活動を経て、次第に活発化して行った。 そして明和年間(一七六〇年代後半)を迎える頃には、ロシアは得撫島(うるつぷとう)以北の千島諸島を征服して「クリル諸島」と命名し、各島に酋長を置いて「一男一狐貢納の制」を定め、原住民に毛皮の貢納を命じた。また樺太については、安永九(一七八〇)年にラペルーズの率いるロシア探検隊の船二隻が沿岸調査に訪れたのを手始めに、寛政元(一七八九)年にも沿岸測量のためのロシア船来航があり、ロシアの領土的野心は十九世紀に入って顕在化することとなった。 こうしたロシアの南下政策に対して、仙台藩医の工藤平助は『赤蝦夷風説考』を天明三(一七八三)年に著し、蝦夷地の開発と対露貿易の促進を説いて、老中田沼意次(おきつぐ)に献上した。またこれに先立つ明和八(一七七一)年、長崎のオランダ商館長がベニョウスキー伯(カムチャッカから亡命したポーランド貴族)から受け取った書簡の中で、ロシアが蝦夷松前を攻撃するための陰謀を企てている旨の警告がなされたこともあり、幕府としても蝦夷地の現状を把握する必要に迫られていた。田沼は、天明五(一七八五)年に普請役山口高品らを巡検使として蝦夷地に派遣し、実情調査をおこなわせた。しかし翌天明六年に田沼が失脚すると、田沼を中心とした蝦夷地開発計画は中止のやむなきに至った。ただし巡検使の一員であった最上徳内はその後も単身で千島の調査を続け、大石逸平も樺太の調査を続行して情報収集に努めるなど、ロシアの蝦夷地進出に対する警戒は続いた。 田沼失脚後、老中首座となった松平定信は、寛政の改革を通じて田沼政治の粛正を図って行くが、蝦夷地の防衛についても、その開拓と防備を幕府主導で推進しようとしていた田沼の方針を大きく転換した。すなわち松平定信の打ち出した方針は、蝦夷地の防衛は藩領を持つ松前藩に任せ、幕府は津軽海峡以南を固めて有事に備えるというもので、これは当時の幕府の財力や軍事力から見て現実的な施策であった。ラクスマン一行が乗船した帆船エカチェリーナ号(根室市所蔵) こうした折柄、ロシアの女帝エカチェリーナ二世によって最初の遣日使節に任命されたラクスマン(陸軍中尉)が、寛政四(一七九二)年に日本人漂流民大黒屋幸(光)太夫・磯吉らを伴って根室へ来航し、漂流民送還と引き換えに通商を要求した。 幕府は松前に目付石川忠房・村上義礼を宣諭使として派遣し、ラクスマンとの交渉にあたらせた。石川ら宣諭使は、漂流民を受け取る一方で、ロシア使節に信牌(長崎入港許可証)と諭告書を与え、通商を求めるならば長崎に行くよう指示した。結果的にラクスマンは、日本との通商を開くという目的を果たせぬまま、寛政五(一七九三)年に退帆した。通商を要求する初のロシア遣日使節として根室に来航したラクスマン一行。左から3人目が光太夫、右端がラクスマン(天理大学附属天理図書館所蔵) 幕府はラクスマンの来航をうけ、海防掛を新設して松平定信をその職に任じ、鎖国以来初めてといえる海防政策に着手した。松平定信は寛政五年一月、蝦夷地関について次のように建議し、将軍徳川家斉の決裁を得た(渋沢栄一『楽翁公伝』)。・蝦夷地の支配は、従来通り松前藩に任せる。・蝦夷地に渡航するための陸奥沿岸の要衝を天領とし、そこに「北国郡代」を設置する。・有事の際は、南部・久保田両藩に出兵を命じて対処する。・洋式軍艦を四、五隻建造し、その半数を北海警備に充てる。 このような基本方針を踏まえ、幕府は、南部藩から三百七十九人、津軽藩から二百八十一人の兵力を動員し、松前警備を担当させた。しかし松平定信が同年七月に老中の職を退くと、こうした蝦夷地防衛の基本政策は中止の余儀なきに至った。ただし幕府としても、蝦夷地の防衛を具体化するための代案が必要であり、寛政十年には目付渡辺久蔵らに蝦夷地調査を命じて、新たな政策を立案するための情報収集に乗り出した。 これにより総勢百八十人に及ぶ調査隊が編成され、東西蝦夷地のほか択捉島・国後島への巡検が行われた。この時、択捉島に渡った近藤重蔵は「大日本恵登呂府(えとろふ)」の標柱を建て、同島が日本の領土であることを示した。翌寛政十一年、幕府は東蝦夷を上知して天領とし、南部・津軽両藩の兵力を駐屯させて外圧に備えるという施策に踏み切った。 次いで享和二(一八〇二)年、幕府は蝦夷地奉行(程なく箱館奉行と改称)を設置すると共に、東蝦夷地を「永久上知(あげち)」として、南部・津軽両藩に「永々駐兵」を命じた。こうして蝦夷地防衛の態勢を日本側が逐次整えつつある時、ロシア使節レザノフの来航を迎えることになった。ロシアは武力攻撃で日本を威圧ロシアは武力攻撃で日本を威圧 ロシア皇帝アレクサンドル一世により遣日全権使節に任命されたレザノフが、通商を求める国書を携えて日本に来航したのは、文化元(一八〇四)年のことである。レザノフは「露米会社」という、北太平洋において毛皮貿易や漁猟を行うための国策会社の支配人であり、かつて幕府がラクスマンに交付した信牌をもち、津太夫ら四人の漂流民を伴って長崎に入港した。 幕府側では、目付遠山景晋や長崎奉行肥田頼常、成瀬正定らが交渉にあたったが、その対応は冷淡で、遣日使節を半年以上もの間長崎に留め置いたのち、レザノフから出された修好・通商の要求を全て拒否し、翌文化二年に退帆させた。長崎に来航したレザノフ一行。右から2人目がレザノフ(東京大学史料編纂所所蔵) こうした日本側の態度に憤慨したレザノフは、千島・樺太方面での武力的な威嚇行動を企図し、海軍士官のフォヴォストフならびにダヴィノフに対し、その実行を指令した。 フォヴォストフは、文化三年九月に樺太の久春古丹を襲撃し、番人の拿捕や食糧の略奪を行った。続いて翌文化四年四月から五月にかけ、フォストヴォフとダヴィドフは択捉島の内保(ないぼ)や紗納(しやな)に対して同様の襲撃を行ったほか、樺太の於布伊泊(おふいとまり)や留多加(るうたか)でも襲撃を実行した。さらに礼文島沖における日本商船の拿捕・焼却や、利尻島への武力襲撃など、彼らの威嚇行動は「奥蝦夷」地域全体に及んだ。 幕府は文化四年、こうした「露寇」に対し、従来の南部藩・津軽藩に久保田藩・庄内藩を加えた三千人余の兵力を蝦夷地に派遣して警戒にあたらせ、「露船打払い令」を発して「オロシヤの不埒(ふらち)之(の)次第(しだい)に付、取締方きびしく致候条(いたしそうろうじよう)、油断なく可被申付(もうしつくべく)候」との姿勢を明らかにした。また松前藩に上知を命じ、その領地を陸(む)奥(つ)梁川に移して蝦夷地全域を幕府の直轄とする一方、箱館奉行を松前奉行に改組して蝦夷地を管轄させ、ロシアに対する海防強化を図った。 さらに文化五年には、仙台藩・会津藩の兵力が蝦夷地警備に加わり、守備兵の数は四千人余に拡大した。この時、千島の警備を担当したのは仙台藩で、択捉島に七百人、国後島に五百人の藩兵を派遣した。樺太の警備は会津藩が担当し、七百人の藩兵が派遣された(『通航一覧』第七)。 一方ロシア側では、日本との修好・通商を求める政府方針に反したものとして、千島・樺太方面で武力襲撃を敢行したフォヴォストフらを罰しており、その後「露寇」が発生することはなかった。こうした情勢を背景に幕府は蝦夷地の防衛体制を見直し、文化五年の末には、東蝦夷地の警備を担当する南部藩が択捉・国後の両島、西蝦夷地の警備を担当する津軽藩が樺太にそれぞれ藩兵を配置し、有事の際には久保田藩・富山藩へ出兵を命ずるという形に縮小した。また同年、間宮林蔵の調査により「間宮海峡」が発見され、樺太が島であることが確認された。翌文化六年、幕府は樺太を「北蝦夷」と改称した。安政6年に久春古丹に赴いた秋田藩蝦夷地御警衛目付の道中記にある「クシュンコタン湊ノ図」(写本、北大北方資料室所蔵) 文化八年には、国後島に上陸したロシア軍艦の艦長ゴロ―ニンを逮捕するという事件が起こったが、国後島沖でロシア側に拉致された高田屋嘉兵衛との人質交換が文化十(一八一三)年に成立し、これ以後日露関係はしばらくの間平穏となった。 かくて文政四(一八二一)年、幕府は蝦夷地を松前藩に還付することとし、それに伴って松前奉行を廃止、南部・津軽両藩にも蝦夷地から藩兵を撤収させた。旧領に復帰した松前藩は、蝦夷地の各地に十四基の台場と十一カ所の勤番所を設け、警備体制を整えて行った。 寛政年間(一七九〇年代)以降、千島方面におけるロシアの南下政策は日本側に阻まれ、得撫島以北の島嶼征服というラインに留まっていた。ロシアの東方進出を企てる皇帝ニコライ一世は、その矛先を日本の施政下にあった樺太へと転じ、同地域の占拠を露米会社に命じた。 東シベリア総督ムラヴィヨフを通じてこの指令を受けたバイカル号艦長ネヴェリスキーは、嘉永六(一八五三)年七月に樺太へ来航し、フスナイ河口に守備兵を駐屯させた。また陸軍少佐ブッセも、亜庭(あにわ)湾の久春古丹に上陸して駐兵を強行した。こうして樺太への足がかりを得たロシアは、従来からの要求であった通商の開始と、新たな要求となった樺太における国境画定という二つの課題を掲げて、日本に対する三度目のアプローチを試みることとなる。樺太全島領有の「前提」にスキ樺太全島領有の「前提」にスキ ニコライ一世はロシアの樺太進出を企てる一方で、アメリカが日本開国のため艦隊派遣を計画しているとの情報を得ると、海軍中将プチャーチンをロシア極東艦隊司令長官兼遣日大使に任命し、遣日艦隊の編成を急いだ。プチャーチンは、ロシアの首相ネッセリロ―デから老中に宛てた国書を携え、軍艦四隻を率いて嘉永六年七月に長崎へ来航した。 長崎奉行大沢定宅は、老中阿部正弘の指示を仰いで穏便に国書を受け取り、ロシア艦隊の速やかな退去を促したが、プチャーチンは六十日以内の幕府からの返書と、幕閣との接見を要求し、長崎からの退帆に応じなかった。 幕府は筒井政憲・川路聖謨(としあきら)らを露使応接掛に任命し、プチャーチンと交渉させるべく長崎に派遣した。長崎における日露間の会談は、嘉永六年十二月に五回にわたって行われたが、通商や国境画定をめぐる双方の主張には大きな隔たりがあり、容易に決着を見なかった。日露談判に当たった一人、川路聖謨 特に国境問題に関して、日本側は「択捉島ハ元来我所属タルコト分明ニシテ議論ノ余地ナク、樺太ハ各其所有ヲ糺シテ国境ヲ画定スヘク、『アニワ』湾駐屯ノ露国軍隊ハ我地ヲ奪ハントスルニ非スシテ外寇ニ備フルモノナリトノコトニ付境界確定アル上ハ之ヲ撤退セシムルヲ要ス」と主張したのに対し、ロシア側は「日本領ノ界ハ北ハ択捉島及樺太南部『アニワ』湾トス、樺太島上ノ分界ハ遅滞ナク両国官員会同シテ其所在地分ヲ画定」するとの姿勢を示し、結論は先送りとなった(「ロシア使節プーチャーチンと幕府大目付筒井肥前守政憲・勘定奉行川路聖謨との長崎日露交渉に関する文書(要旨)」)。 その要締は、千島における国境は択捉島と得撫島の間に画定することでほぼ合意したが、樺太については北緯五十度以南を自国領とする日本側の主張と、南端のアニワ湾を除く全島が自国領だとするロシア側の主張が対立したため、両国が官員を派遣して実地見分を行ったうえで画定する、ということになったのである。 その後、日露交渉の場は伊豆の下田へと移され、安政元(一八五四)年十一月に九カ条から成る「日露和親条約」が締結されることとなった。この条約によって、日本はロシアに対し箱館・下田・長崎を開港する(第三条)こととなり、あわせて日露双方が領事裁判権をもつこと(第八条)も規定された。 他方、領土問題(特に樺太における国境線画定)について、幕府は樺太全島が日本所領と認識しており、老中阿部正弘はその旨主張すべしとする訓令を川路らに発していた。そのため日露間での最終的な妥結に至らぬまま、次のような暫定的取り決めがなされることとなった。 第二条 今より後日本国と魯西亜国との境「エトロプ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「エトロプ」全島は日本に属し「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島は露西亜に属す「カラフト」島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是迄仕来の通たるへし こうした弥縫(びほう)的な対応の背景には、松前藩に任されていた広大な蝦夷地の防衛が不十分で、ロシアのパワー・ポリティクスに対抗できるだけの態勢が日本側に整っていなかった、という現実的問題が存在していたことは否めない。 さらに長崎における日露会談に際し、ロシア側が示した「境界確定幷ニ露船ノ為二港ノ開港ヲ延期スルニ於テハ日本政府ニ容易ナラサルコト多カルヘシ」との外交的圧力もあいまって、結果的に日本側が一定の妥協を強いられたものともいえる。沿海州同様「雑居」で乗っ取り沿海州同様「雑居」で乗っ取りこのように日露和親条約の締結に際して樺太に国境を画定せず、「是迄仕来の通」という名目で未決着のまま先送りしたことは、その後の日露両国人の雑居という曖昧な状況をつくり出し、ロシア側へ樺太進出の口実を与えるものとなった。 この条約を締結した後、幕府は蝦夷地警備を強化する必要から、安政二年に再び松前藩から松前と江差の周辺を除いた東西蝦夷地の上知を行い、南部藩・津軽藩・久保田藩・仙台藩に蝦夷地警備のための派兵を命じた。このうち仙台藩が択捉島・国後島の警備を担当し、当時「北蝦夷」と呼ばれた樺太の警備は久保田藩が受け持つこととなった。 択捉・国後両島に派遣された仙台藩士達は、同地で越冬するにあたり多大の辛苦を舐め、寒冷地の孤島に所定の兵力を常駐させて継続的な警備を行うことの難しさを、朝野に示した。また樺太については、同地の日本人の多くが出稼ぎ漁民だったことから、久保田藩の兵力派遣は島に出漁者が渡航する夏季のみとし、冬季は留守の番人を置いて引き上げるという、従来の遣り方を踏襲した。 一方ロシア側は、安政四年に少数の兵力を樺太の久春内(くしゆんない)と真縫(まぬい)に送り込んで駐屯させ、日露両国人雑居の既成事実化に着手しはじめた。安政五(一八五八)年に「日露修好通商条約」が締結されると、幕府は蝦夷地警備のさらなる強化を図るため、それまでの五藩に会津藩と庄内藩を加えて七藩体制とし、それぞれの藩に蝦夷地を分与して警衛地を区分した。プチャーチンはこの条約を締結する際にも来日して幕府の応接掛と交渉したが、席上日本側が樺太の国境画定について提起すると、プチャーチンはそれに関する全権を委任されていないという理由で、樺太問題の協議に応じなかった。北方領域をめぐり強引な要求を押しつけたエフィム・プチャーチン 翌安政六年、東シベリア総督のムラヴィヨフは、樺太をロシアの領有とすべく、七隻の軍艦を率いて品川沖に来航した。幕府は若年寄の遠藤胤統(たねのり)以下、外国奉行堀利凞(としひろ)・村垣範正らを露使応接掛に任命し、対応にあたらせた。ロシア側は「条約既定(すでにさだむ)ル而(しかし)テ彊界(きようかい)(国境)ノ大事未タ決セス、頃日(けいじつ)我国支那ト約シ黒龍江ノ地ヲ割(さ)キ我ニ属ス(一八五八年璦琿(アイグン)条約)、薩哈連(さがれん)(サハリン)ハ則(すなわち)黒龍江ト同義ナリ宜(よろし)ク露国ニ属スヘシ、請(こ)フ宗谷海峡ヲ以テ両国の彊界ヲ為」すと樺太全島の領有を主張した。強圧的な欧米列強の艦隊への守りとなった台場の一つ品川台場 ロシアの強硬な態度に、日本側は「海峡ヲ以テ界ト為スハ我カ聞ク所ニ非ス…太賴加(たらいか)、幌古丹若(もし)クハ楠内以南ノ我属地タル事明ケシ請フ断然之ヲ以テ界ヲ定ン」と自らの領有を南部だけにすると譲歩しつつも「ロシアの全島領有」には反論して譲らなかった(『北海道志』巻之十七)。 日露双方の主張はここでも平行線を辿ることとなり、結果的にムラヴィヨフは目的を達することなく退帆した。ここにおいて幕府は、樺太の警備を久保田藩だけに任せる従来のやり方を見直し、文久元(一八六一)年には仙台藩・会津藩・庄内藩をこれに加えて、四藩が二年毎に年番で警備に就く体制とした。仮規則を盾に武力で実効支配仮規則を盾に武力で実効支配 文久元(一八六一)年、老中安藤信正は、正使竹内保徳・副使松平康直・監察京極高明以下十八人から成る使節を、開市開港延期交渉のためヨーロッパに派遣した。一行は翌文久二年、ロシアの首都ペテルスブルクにおいて、ロシア外務省アジア局長のイグナチェフと樺太の国境問題解決に向けた交渉を行った。ここでも日本側は、樺太の北緯五十度ラインに国境を設定することを主張したが、全島領有を図るロシア側は、宗谷海峡に国境を設けることを提案してこれを受け入れず、結局「各吏ヲ遣(や)リ島ニ会シテ議決スルヲ約シテ」交渉は打ち切りとなった。 続く文久三年には、ロシア側から樺太の国境画定問題について協議するための使節派遣を要請してきたが、「尊王攘夷」運動への対処という政治問題を抱える幕府側にその余裕がなく、「多事ヲ以テ遷延シテ果サス」という結果に終わった。 こうして樺太問題が先送りされる中、箱館奉行小出秀実(ほずみ)は、「露人唐太(からふと)ニ在リ米人ト互(たがいに)市ス速ニ彊界ヲ定メスンハ我之ヲ詰ルニ由ナシ…仮令(たとい)数歩ヲ譲リ境ヲ縮ルモ速ニ之ヲ決スルノ弊ナキニ若(し)カサルナリ」との建議を幕府に提出した。 これを重く見た幕府は、小出秀実と目付石川謙三郎を慶応二(一八六六)年にロシアへ派遣し、樺太の国境画定問題に関する交渉を行わせた。同年十二月、ペテルスブルクに到着した遣露使節一行はロシア皇帝に謁見し、翌慶応三年一月~二月にかけて外務省アジア局長のスツレモウホフと八回にわたる会談を行った。外国奉行竹内保徳(左から2人目)ら幕府遣欧使節団主要人員 この席上、日本側はそれまでの北緯五十度線に国境を定めるという主張から譲歩し、「山河ノ形勢ヲ点検シテ以テ議ヲ定(さだめ)ン」ことを提案したが、ロシア側は全島領有を主張してこれを拒否し、合意に達しなかった。 結局この交渉においては、両国の間で調印された「樺太島仮規則」にもとづき、樺太を日露両国人の雑居地として再確認するにとどまった。その内容は、第一条で「『カラフト』全島を魯西亜の所領とすへ」きことが示されながらも、第四条で日本側が「承諾難致節は『カラフト』島は是迄の通り両国の所領と致し置く」ものとされ、「両国の所領たる上は魯西亜人日本人とも全島往来勝手たるへし且いまた建物並園庭なき所歟(か)総て産業の為に用ひさる場所へは移住建物勝手たるへし」との仮議定が付け加えられた。 そしてロシアは、この仮規則を利用して樺太全島を実効支配するため、兵力の派遣と駐留を開始した。しかし日本側は、折からの明治維新に伴う政権交代の中で、こうしたロシア側の動きに対して有効な手立てを講ずる余裕がなかった。 かくて樺太における国境画定問題は、日本国内の政治的混乱に乗じて実効支配を強めたロシア側が一歩リードした形となり、誕生したばかりの明治政府は苦しい対応を迫られることになった。北海道防衛で無念の樺太放棄北海道防衛で無念の樺太放棄 新生の明治政府は樺太問題について、旧幕府がロシアとの間に締結した「樺太島仮規則」にもとづき、同地を日露両属とする立場を継承した。前記したようにロシア側は、「樺太島仮条約」を利用して兵力の駐留・罪人の流刑・開拓移民の奨励など、樺太の実効支配を強化する政策を進めており、明治初期には現地の日本人との間でさまざまな軋轢や衝突を生じるようになっていた(詳細は秋月俊幸「明治初年の樺太―日露雑居をめぐる諸問題―」参照)。樺太千島交換条約の締結交渉に当たった榎本武揚。幕末から欧州軍事事情などを見聞しただけにロシアの脅威を身に染みて感じていたか… ロシアの南下を警戒する日本政府は、明治二(一八六九)年に「蝦夷地」の名称を「北海道」と改めたのに続き、翌明治三年には「樺太開拓使」を設置してこれに備える方針を示したが、十分な対策を実施できる状況になかった。そのため日本政府は、樺太に駐在する官吏から再三にわたって軍隊の出動を要請されたにもかかわらず、武力衝突回避の視点から出兵を見合わせていた。 当時日本側は、樺太問題への対応を誤ればロシアの脅威が北海道にも及ぶとの懸念を有しており、「唐太ハ露人雑居ノ地須(すべか)ラク専(もつぱ)ラ礼節ヲ主トシ条理ヲ尽シテ事ニ従フヘシ卒爾(そつじ)軽挙シ以テ曲ヲ我ニ取ル可ラス或(あるいは)彼(かれの)非理(りあらざる)暴慢ヲ以テ加フル有ルモ必ス一人ノ意ヲ以テ挙動ス可カラス」という姿勢でこれに臨んでいたのである。 樺太開拓使の開拓次官となった黒田清隆は、日本側による樺太経営の現実と限界を踏まえて、明治四年に「樺太に対する建白書」を政府に提出し、「彼地中外雑居ノ形勢ヲ見ルニ、永ク其親睦ヲ全スル能ハス」との観点から樺太放棄論を示すに至った。 黒田はこの建白書で、明治初年から開始した樺太開拓の成果が挙がっていない現状を指摘し、「之ヲ棄ルヲ上策ト為ス、便利ヲ争ヒ、紛擾(ふんじよう)ヲ到サンヨリ一著を譲テ経界ヲ改定シ、以テ雑居ヲ止ムルヲ中策トス、雑居ノ約ヲ維持シ、百方之ヲ嘗試(しようし)シ、左(さ)支右吾(しゆうご)遂ニ為ス可ラサルニ至テ、之ヲ棄ルヲ下策ト為ス」とし、「樺太ノ如キハ姑(しばら)ク之ヲ棄テ、彼ニ用ル力ヲ移シテ遠ニ北海道を経理スル」ことを提案したのである。 日本政府もこうした黒田の意見を容れ、明治八(一八七五)年にロシアとの間で「樺太千島交換条約」を締結した。これにより、「樺太全島ハ悉ク魯西亜帝国ニ属シ『ラペルーズ』(宗谷)海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」ることと、十八島から成る「『クリル』全島ハ日本帝国ニ属シ柬察加(カムサッカ)地方『ラパツカ』岬と『シユムシユ』島ノ間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」ることが定められた。 この条約に関しては当時においても、得撫島(うるっぷとう)以北の千島諸島を代償に、広大な樺太南部を割譲することへの異議が存在していた。しかし明治初期の日本には、樺太の実効支配を「力」で推し進めるロシアを排除し得るだけの国力が備わっておらず、幕末以来の「北門鎖鑰(ほくもんさやく=北方の守り)」という課題に、一定の譲歩を伴いつつ外交的手段で決着をつけざるを得なかったことは、ある意味必然であったといえよう。軍事圧力で領土侵奪した事実軍事圧力で領土侵奪した事実 十八世紀にはじまるロシアの北方領域での南下政策は、当時すでに日本の施政下にあった千島列島・樺太に対する、武力を背景とした外交的侵食という形で進められた。こうしたロシアからの圧力に、徳川幕府はくり返し外交努力を以て対応したが、「日露和親条約」や「樺太島仮規則」の締結を経て、結果的に択捉島以北の千島列島を手放し、樺太についても著しい主権侵害を蒙ることとなった。列強による不平等条約の一つ「樺太千島交換条約」の批准書              さらにロシアは、成立したばかりで政権基盤の固まっていない明治政府に対し、北海道さえ呑み込む勢いで樺太の全島領有化を迫り、「日露和親条約」で自国領とした千島列島を、元々の主権者だった日本側に引き渡すという、強圧的な交換条件を以てその要求を貫徹した。 アジアをめぐる近現代史のなかで、日本はシャム(タイ)と並ぶ、欧米列強からの侵略を受けなかった数少ない国の一つである、と言われることが多い。しかし北方領域における幕末・維新期の日露関係を仔細に見て行くと、この評価は必ずしも正鵠を射たものでないことが知られる。 すなわち、国家としての変革期で財政力・軍事力とも不安定だった当時の日本が、強権的なロシアの領土要求に対して外交的譲歩を強いられるなか、千島・樺太における主権と領土をロシアに侵食されて行った事実を、看過することはできないのである。  このような北方領域における日露関係の歴史を振り返り、その帰属をめぐって両国間で繰り広げられた、外交的攻防の史実を発信することが何より重要である。主要参考文▽献鈴木良彦『日露領土問題総鑑』(平成十)▽開拓使編『北海道志 上・下』(昭和四十八年)▽鹿島守之助『日本外交史 第一巻 幕末外交』(四十五年)▽同『日本外交史 第三巻 近隣諸国及び領土問題』(同)▽原剛『幕末海防史の研究』(六十三年)▽大熊良一『幕末北方関係史攷』(四十七年)▽秋月俊幸「明治初年の樺太―日露雑居をめぐる諸問題」(平成五年)あさかわ・みちお 昭和三十五年東京生まれ。五十九年日本大学国際関係学部卒業、平成二年同大学院法学研究科博士後期課程満期退学。十七年「江戸湾内海の防衛と品川台場」で軍事史学会「阿南・高橋学術研究奨励賞」受賞、二十年「品川台場にみる西洋築城術の影響」で博士号取得、同年軍事史学会理事、二十二年日本大学国際関係学部教授。幕末から明治維新までを中心とした政治・軍事・国際関係史が専門で、江戸の「海上の守り」であった品川台場も研究。著書に『お台場 品川台場の設計・構造・機能』(錦正社)、『江戸湾海防史』(同)、『明治維新と陸軍創設』(同)。共著に『日英交流史三 軍事』(東京大学出版会)、『ビジュアル・ワイド 明治時代館』(小学館)など。論文に「幕末の洋式調練と帯刀風俗」「辛未徴兵に関する一研究」「幕末・維新期における近代陸軍建設と英式兵学」など。