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    3Dプリンターに警鐘? ろくでなし子裁判で東京地裁が示した思惑

    園田寿(甲南大学法科大学院教授、弁護士) 本日、刑法175条(わいせつ物頒布等)に違反したとして起訴されていた、ろくでなし子被告に、東京地裁は一部無罪の判決を言い渡しました。 彼女が起訴されていた事実は3つありました。1.女性向けのアダルトショップ(原則、男性は入店禁止)で女性器をかたどった石膏の作品(「デコまん」)を展示した。2.自らの性器を3Dスキャンし、そのデータをダウンロードできるURLをメールで送信した。3.上の3Dデータを記録したCD-Rを郵送した。 これらの起訴事実に対して、裁判所は、石膏作品は刑法175条の〈わいせつ物〉に当たらないが、3Dデータは同条の〈わいせつ電磁的記録〉および〈わいせつ電磁的記録媒体〉に該当するとしました(罰金40万円、求刑は80万円)。画像はイメージです 判決は、石膏作品については着色や装飾が施されているため、「ただちに女性器を連想させない」と指摘し、さらに、「ポップアートの一種ととらえることは可能で、芸術性、思想性によって性的刺激が緩和されている」として、わいせつ物にはあたらないと判断しました。他方で、3Dデータについては、「女性器の形状を立体的、忠実に再現している」としてわいせつ物にあたると判断しました。 弁護側の冒頭陳述によると、問題の石膏作品は、全体が白色で、かなりのデコレーションが施されていたようです。その点で、作品自体からただちに女性器を連想させるようなものにはなっていなかったと思われます。 これに対して、3Dデータの方は、スキャンされたデータですから、女性器の外観、形状をおそらく忠実になぞったものだったのではないかと思われます。それを3Dプリンターで再生した場合に、忠実に女性器の形状が再現されるかどうかはプリンターの性能に依存するものであり、仮に性能の低いプリンタで再現した場合には粗雑な形状でしか再現されないとしても、その点は本質的な問題ではないと思います。DVDでも、テレビや再生機によって画質が影響を受けるのと同じです。 したがって、この点に関する裁判所の認定は、事実認定の差であって、とくに疑問を呈すべきものはないように思います。芸術性や社会的な価値によってはわいせつ性が減少? 芸術性とわいせつ性に関しては、以前は裁判所は非常にかたくなな態度をとっていました。有名な〈チャタレイ事件判決〉(昭和32年)では、芸術性とわいせつ性は別次元の問題であり、いかに芸術性が高い作品であってもわいせつなものはあるとし、芸術的価値によってわいせつ性は影響を受けることはないとしていたのでした。1957(昭和32)年3月13日、発禁の「チャタレイ夫人の恋人」は、わいせつ文書にあたると最高裁が判断、訳者の伊藤整氏と出版した小山書店の小山久二郎社長の有罪が確定。写真は51年5月、一審の東京地裁法廷に立つ伊藤(右)小山の両被告。 ところが、さすがにこのような高圧的な判断に対しては批判が強く、その後の、〈悪徳の栄え事件判決〉(昭和44年)や〈四畳半襖(ふすま)の下張り事件判決〉(昭和55年)などでは、芸術性や社会的な価値によってはわいせつ性が減少することがあるということを認めるようになりました。 本件でも、石膏作品については芸術性・思想性が肯定され、その点もわいせつ性を否定する根拠の一つとなっています。 ただ、そのような発想が妥当か否かは別の問題であって、私は、裁判所が作品の芸術性を議論し、社会的価値を判定することは、国家の意思に芸術や文芸などの表現活動を依存させることであって、表現の自由にとってはマイナスになりはしないかを懸念します。 やはり、問題の根本は、性表現の何が問題なのかという点です。 確かに、露骨な性表現が多くの人びとに不快感を与え、見たくもない人が性器の直接的な描写を無理やり見せられたりすることや、性器の俗称を聞かされたり、読まされたりすることは、人によってはしゅう恥心や自尊心を大いに傷つけられる場合のあることは間違いありません。しかし、わいせつの裁判では、そのような〈個人の感情的被害〉が問題になっているのではありません。もしもそうならば、見たい人に見せるのは一向に構わないということになります。 では、裁判所は何を問題にしているのでしょうか。 裁判所は、およそ日本のこの社会において、性器や性行為の露骨で直接的な表現、あるいはそのような表現物が流通しているということ自体がダメだと言っているのです。つまり、そのような性表現に直接接することがなくとも、そのようなものが〈この社会に存在していること〉について不快感や嫌悪感をもつ人たちがいて、その人たちの〈仮想的な感情〉を裁判所は問題としています。石膏作品のわいせつ性はなぜ否定された? 〈チャタレイ事件判決〉は、わいせつ性はもっぱら価値判断(法的判断)であって事実認定の問題ではないから、実際にそれを見た人がどう感じたかは問題ではないとされましたが、このような表現の中にもその発想はうかがえます。 わいせつは、〈いたずらに性欲を刺激・興奮させ、普通人の性的しゅう恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの〉と、判例によって伝統的に定義されてきましたが、この定義で重要な部分は最後の〈善良な性的道義観念に反する〉という点であり、〈刑法は道徳を守る最後の砦だ〉という発想です。本判決でも、この点は特に強調されています。 芸術性がわいせつ性を減少させることがあるとした点、そして、露骨な性器表現は道徳的な秩序に反するがゆえに厳格に取り締まられるべきであるとした点では、従来の最高裁の判断を超えるものではありません。 石膏作品のわいせつ性が否定されたのは、事実認定のレベルで〈あのような作品は、従来の基準から判断してもわいせつではない〉とされたものであって、裁判所のわいせつについての考えに変更があったものではありません。 ただ、本件では、3Dデータのわいせつ性を認めたという点で目新しいものを含んでいます。3Dプリンターについては、無限の社会的有用性を含んでいるわけですが、他方で、3Dプリンタで拳銃を製造する事件があったように、その悪用についても予想がつかないものがあります。わいせつについても、将来的には、たとえばポルノ女優の性器データなどを販売したりする事案も出てくるかもしれません。3Dプリンターについての、そのような〈乱れた〉使用の可能性に警鐘を鳴らす意味もあるのかもしれません。そのだ・ひさし 甲南大学法科大学院教授(弁護士)。1952年生まれ、関西大学大学院修了後、関西大学法学部講師、助教授をへて、関西大学法学部教授。2004年からは、甲南大学法科大学院教授(弁護士)。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、青少年有害情報規制などが主な研究テーマ。現在、兵庫県公文書公開審査会委員や大阪府青少年健全育成審議会委員などをつとめる。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『インターネットの法律問題-理論と実務-』(2013年新日本法規出版、共著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。

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    ろくでなし子独占激白! 国家という「ラスボス」との闘いは続く

    れる。釈放後は勾留中の体験を漫画や書籍に執筆し、表現の自由を訴える活動を精力的に続けている。単行本「ワイセツって何ですか?—自称芸術家と呼ばれた私—」(金曜日刊)が発売中

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    ろくでなし子が「一部無罪」でも控訴を決めたホントの理由

    須見健矢(弁護士) 「わいせつ」とは、最高裁判所の判例により、「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」とされてきました。第一審判決後におこなわれたろくでなし子弁護団の説明会(撮影:松田穣) ろくでなし子さんの作る「デコまん」と言われる作品は、女性器を型取りしたものをベースに作成されていますが、事前に情報を与えられなければ、他人にはそのことが全く分からない程の装飾が施されています。  また、彼女は、「デコまん」以外にも人形や建物などのミニチュアを乗せた「ジオラまん」という作品も数多く作っており、これも女性器を型取りした物がベースになっていますが、ユーモアあふれる創作で、笑いを誘うものでしかありません。 「デコまん」も「ジオラまん」も、その一つ一つに彼女の創作意図が込められていますが、どの作品にも共通するのは、決して、これらの作品を見た人、手に取った人の性欲を刺激させるものではないこということです。全て,彼女が自らの女性器を男性から取り戻すという意図で作られたものです。彼女は、人の性欲を刺激するどころか、それとは正反対に女性器が「いやらしいもの」ではないということを、創作を通じて表現しているのです。 しかし、2014年12月、彼女は、デコまん3点を女性向けアダルトショップ店内に展示したとの罪で、起訴されました。 これより前の同年7月、彼女は、自らの女性器を3Dスキャンしたデータを頒布したとして、警察により逮捕されました。これとて、下半身から切り取られた性器部分だけのデータであり、再現したものを見ても、地形図のような無機質な印象しか受けず、性欲を刺激するものとは思えません。 また、その頒布の過程そのものがプロジェクトアートと美術専門家から評されています。つまり、女性器を基に人が乗れる乗り物を作りたいと考えて、実際に女性器をスキャンしたデータからボートを制作するというプロジェクトを立ち上げ、進水式まで行っていますが、その資金をクラウンドファンドに寄付してくれた人へのお礼として、そのデータのダウンロードができるURLをメールで送信したにすぎません。寄付してくれた人は皆彼女のプロジェクトを支持する人ばかりです。3Dデータを納めたCD-Rは「おまけ」にすぎない また、彼女は、自らの女性器の3Dデータを納めたCD-Rを頒布した罪でも起訴されていますが、これもデータ単体で頒布したわけではなく、彼女が制作したボートのミニュチュアを購入した人におまけとして付けたものにすぎません。 こうした彼女の作品は創作活動がアートとして評価されていることは、著名な美術専門家の証言や意見書によって明らかになっています。そのことからしても、彼女のデコまん作品や女性器のデータの性的刺激は相当に緩和されているといえるのであり、到底「わいせつ」と言えるものではないのです。東京地方裁判所=東京・千代田区霞が関 東京地方裁判所は本日5月9日の判決で、デコまん作品については「女性器を象ったものとしても、直ちに実際の女性器を連想させるものとはいえない」「ポップアートの一種であると捉えることは可能」「女性器というモチーフを用いて見る者を楽しませたり、女性器に対する否定的なイメージを茶化したりする制作意図を読み取ることはできる」「このような意味での芸術性や思想性、さらには反ポルノグラフィックな効果が認められる」とした上で、性的刺激が緩和され、わいせつ物に該当しないと判断していますが、至極当然の判断です。 他方で、3Dデータについては「女性器等の形状がリアルな造形により露わなまま再現されており、その表現の生々しさからすれば、閲覧者の性欲を強く刺激することは否定することはできない。」「データ自体からは、プロジェクトアートないしプロセスアートとしての芸術性ないし思想性を直ちに読み取ることはできず、芸術性や思想性による性的刺激の緩和の程度はさほど大きくない」としていますが、実際に3Dデータを再現してみて受ける印象は「生々しい女性器」とは程遠いものですし、プロジェクトアートとしての創作活動の芸術的価値を過小評価するものと言わざるをえません。 今回の判決では、デコまん作品の展示については無罪、女性器の3Dデータの頒布については有罪と裁判所の判断が分かれました。しかし、裁判所は女性器をデフォルメしているから無罪、精巧に再現しているから有罪と言っているに等しく、表現の自由を軽視し、短絡的思考に陥っているものと思います。 本日直ちに控訴をしましたが、まさに性欲を刺激する目的でしかない性行為を撮影した無修正エロ動画や女性器を精巧に再現したとパッケージにもうたっているオナホールが巷で氾濫する中で、何故、彼女がプロジェクトの過程でスキャンして作成した3Dデータがわいせつであり、その頒布行為が処罰されなければならないのか。改めて控訴審で、強く訴えていきたいと思います。

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    わいせつ性は裁判所でどのように判断されてきたのか

    園田寿(甲南大法科大学院教授、弁護士)いたずらに性欲を興奮刺激せしめ… 戦前は、書籍や雑誌等を出版・販売する場合、当時の内務省に対して発売前の納本が義務付けられていて、「検閲」されていました。そして、出版物が「安寧(あんねい)秩序ヲ妨害シ又ハ風俗ヲ壊乱(かいらん)スルモノ」と認められたときには、発売禁止の処分(いわゆる発禁処分)がなされていました(出版法19条、新聞紙法23条)。このため、戦前の大審院(最高裁判所の前身)時代は、わいせつ文書を取り締まる刑法175条は、それほど重要な規定ではなく、わいせつとは何かが正面から大きな議論になることもありませんでした。 戦後になって出版法および新聞紙法が廃止された結果、性的な情報をコントロールする条文として刑法175条の重要性が増すことになり、昭和22年に刑法175条が改正され、従来は罰金刑だけであった法定刑に新たに懲役刑(2年以下)が追加されたのでした。おそらく、事前納本制度が廃止されて、営利目的で行われる同罪の増加、さらに戦後の混乱で性風俗が乱れるのをおそれて、重罰化がなされたのではないかと思われます。 刑法175条に関する戦後最初の最高裁判決は、ある新聞記事について、それが「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ且つ普通人の正常な性的差恥心を害し善良な性的道義観念に反するものと認められる」との理由づけで、わいせつ文書販売罪の成立を肯定した「サンデー娯楽事件判決」(最高裁昭和26年5月10日判決)です。ここで初めて(1)性欲の興奮・刺激、(2)性的羞恥心の侵害、(3)善良な性的道義観念への違反の3点を要件とするわいせつ概念が打ち出されました。この定義は、基本的に大審院時代のそれを踏襲(とうしゅう)していますが、「善良な性的道義観念への違反」が追加されたのは戦後の動きに対応するものであるといえます。 この定義はその後の最高裁に受け継がれており、最高裁の判例は、わいせつ判断の具体的な判断基準・方法をめぐって展開されることになります。文芸作品とわいせつ罪 文芸作品がわいせつかどうかが問われた裁判として有名なのが、「チャタレー事件」です。裁判では、D.H.ロレンスの文学作品である「チャタレー夫人の恋人」の翻訳書がわいせつ文書に当たるかどうかが争われましたが、最高裁(昭和32年3月13日判決)は、上記のわいせつの3要件を前提に、わいせつとは、あくまでも法的価値判断であって、文書の芸術的、思想的、科学的等の価値とわいせつ性とは次元を異にし、前者が後者に影響を与えるものではないとしました。そして、わいせつかどうかは社会通念によって判断されるが、「性行為非公然の原則」が「超ゆべからざる限界」であり、当該文書の12箇所の性的場面の描写は「相当大胆、微細、かつ写実的である」からわいせつだと判断し、作品の一部でもわいせつな表現があれば、いかに高度の芸術性を有する作品であってもわいせつ性を失わないとして、表現の自由に対してかなり厳しい態度をとったのでした。その結果、本書は問題部分に伏せ字(「***」)を用いて出版されることになりました。「チャタレイ夫人の恋人」で有罪判決を言い渡した最高裁大法廷(毎日新聞) この判決の12年後には、マルキ・ド・サドによる「悪徳の栄え」の翻訳書のわいせつ性が争われます。第1審は、本書で問題となっている叙述は残忍醜悪な表現と一体になって性的な表現がなされているのであり、(一般人の)性欲を興奮または刺激するものではなく、むしろ萎縮させるものであるとし、無罪を言い渡したのに対して、控訴審および最高裁はわいせつ性を肯定しました。ただし、最高裁(昭和44年10月15日判決)は、わいせつ性は、(1)文書全体との関連において判断すべきであること、また(2)文書の芸術性・思想性など肯定的価値が文書のわいせつ性を低減・緩和させる場合があることなどを認めており、「チャタレー事件判決」の方向性が修正されたといえます。ただし、その判断の具体的な内容は明らかにはされていませんでした。「七万円くらい、何回でも出しますよ」(「悪徳の栄え」を翻訳した澁澤龍彦)映画「愛のコリーダ」裁判で無罪判決を受けて会見する大島渚監督=1979年10月19日 この判決の11年後、わいせつ性の判断基準は、「四畳半襖(ふすま)の下張り事件」において具体的に示されました。これは、「さるところに久しく売家の札斜に張りたる待合。固より横町なれども、其後往来の片側取ひろげになりて、表通の見ゆるやうになりしかば、・・・・・」といった流麗な文章で始まる(永井荷風作と伝えられている)短編小説で、全体の約3分の2が男女の性交場面等の描写を内容とするものでしたが、出版社社長Sと編集に携わっていた人気作家Nがこれを月刊誌『面白半分』に掲載し、販売したところ、刑法175条のわいせつ文書販売罪(現行刑法における「有償頒布罪」)に該当するとして起訴されました。最高裁(昭和55年11月28日判決)は、文書のわいせつ性の判断に当たっては、(1)当該文書の性に関する露骨で詳細な表現の程度とその手法、(2)その表現が文書全体に占める比重、(3)文書に表現された思想等とその表現との関連性、(4)文書の構成や展開、さらには(5)芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、そして、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、(6)主として読者の好色的興味に訴えるものと認められるか否かなどの諸点を総合的に検討すべきであるとして、被告人らを有罪としました。「四畳半襖の下張り」が掲載された月刊誌「面白半分」(第7号) その後、本判決と同様の判断方法に従った著名な判決として、(阿部定事件を題材にした)「愛のコリーダ事件判決」(東京高裁昭和57年6月8日判決、無罪・確定)があります。わいせつ規制を考えなおすべきわいせつ規制を考えなおすべき わいせつの概念は、時代と社会によって変化する相対的なものです。ある時代にはわいせつ性があると判断された作品も、時代が変われば芸術性や思想性などの価値が、わいせつ性によって侵害される保護法益よりも大きいと判断されることはよくあることで、実際、無修正の「チャタレー夫人の恋人」も「四畳半襖の下張り」も、現在では紙の書籍や電子書籍として合法的に入手可能となっています。このような移ろいやすい抽象的なモノを刑罰で絶対的に保護しようとすることは、社会でもっとも強力な制裁である刑罰の使い方として妥当かどうかは問題だと思われます。 また、世間では、性器部分等にモザイク処理を施したDVDや写真集が多数出回っていますが、最高裁(昭和58年3月8日判決)は、性器等を黒く塗りつぶして修正してある写真集であっても、その修正の範囲が狭く不十分で、現実の性交等の状況を詳細、露骨かつ具体的に伝える写真を随所に多数含み、物語性や芸術性・思想性など性的刺激を緩和させる要素が全く見当らず、全体として、もっぱら見る者の好色的興味にうつたえると認められる場合には、わいせつであるとしています。性器が見えているということは、本来はわいせつとは直結しないのですが(「文書」も規制対象ですから)、取締りを行う側がいつの頃からか「性器が見えているかどうか」を基準にし、そのことによってモザイク処理した画像や映像が世間に氾濫し、また作り方としても、全体として非常に情緒的に作られるようになり、結果的にわいせつ性が高まっていったと思います。 さらに、問題となった作品と同程度の他の作品が、書店やレンタルビデオ店などで一定期間検挙されずに、多数出回っているような事情があったとしても、裁判所は、そのことからわいせつ性が否定されたり、提供側の犯意が否定されたりする理由とはならないともしています(東京高裁昭和54年6月27日判決)。取り締まる側の判断でわいせつかどうかが決まり、それを検挙するかどうかについても取り締まる側の裁量の余地が大きいものを犯罪として残すことにも問題はあります。 わいせつ性が肯定されると、すべての者に対して当該情報が禁止されますが、インターネットが普及し、日本国内で明らかに違法とされる性情報にも容易に接することが可能となっています。1970年代に刑法の脱道徳化(道徳や美風を守ることは刑法の主たる任務ではないという思想)が強く主張されたことがありましたが、18歳未満の者に対するいわゆる「有害図書規制」(書店やレンタルビデオ店などで、性的に過激な図書やDVDなどを「区分陳列」したりすることによって、未成年者がそのような情報に接することを防ぐ制度)がほとんどの地域で機能している原状をふまえ、情報環境が劇的に変化している現代社会で、旧来通りのわいせつ概念を維持し、適用することについて再検討すべき時期に来ているように思います。大阪府における「区分陳列の方法等」の例(「Yahoo!ニュース個人」より転載)関連記事■ 法規制の是非「自由は無制限ではない」「表現の自由を死守せよ」■ 「大阪市長vs在特会会長」のご都合エンタメ志向■ ぐっだらねー! 猿芝居にイチャモンつける阿呆ども

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    ろくでなし子が闘うホントの理由

    女性についているものなので、手とか足とか目とか鼻とか口とかと一緒ですよね。なのに、そこを切り取って「ワイセツ」というのはすごく変だなと思う。もちろん、今すぐ意識は変わらないかもしれないですけど、歴史はそういうものの積み重なりだし、たとえば日本で裁判になった「チャタレイ夫人の恋人」は、発禁処分になったり、出版後には黒塗りされたりもしましたが、いまは普通に読めますよね。何十年後かは分からないですけど、「女性器で裁判した人がいるんだよ」みたいな話にはなるんじゃないのかなと思うんですけどね。 私の作品のコンセプトは「女性の体は女性のもの」だということなので、海外ではフェミニズムアートだと分類されることが多い。でも、日本では「女性器=エロ」っていう意識で凝り固まっている人が多いので、いくら言っても「エロい女」とか、「エロい女が変なことやってる」としか受け止めてもらえないんですよ。 私の作品は、人を笑わせるようなものなので、セックスとはすごくかけ離れたものなんです。私だって、プライベートだったら、笑いながらセックスなんかしませんから。密やかなものも大事だと思っています。それが理解されなくて、「お前は街中で女性器をおっぴろげて歩けるのか」みたいな極端な言い方をする人もいます。 「女性器=エロ」という見方がある一方で、すごく神聖視されることもある。でも、結局は下品に貶めることも、神聖視することも、私にとっては差別でしかないと思っているんです。私自身の体であるものは、単に一つの器官でしかないので。でも、男の人はそれを持ってないから、そこに神秘を求めたがったり、蔑んだりとかしがちなんだと思うんです。 男性器は息子っていう言葉もあるぐらいだから、愛でるんですよね。でも、女の場合にはそんな言葉はない。無視しても生きていけるんですよ。ツイッターで面白いことを言っている人がいて、「性」と「聖」って同じ読み方ですけど、女性は「聖」である処女性が求められて、男性経験があったりすると、とたんに「性」の方に貶められてしまう。 なんていうのかな、そういう二つの分け方をすごくされているなと思って、どっちかなんですよ。女性だって人間だし、性欲はもちろんある。それでも、セックスに積極的なことをちょっとでも言うと変な目でみられてしまう。崇め奉るか、蔑むかみたいに両極端になりすぎていて、すごくバランスが悪いなと思うんです。 女性器の名前なんて言わなくても生きていけるし、気にしなくても生きてはいけますけど、それについて「なんでダメなのか?」と考えていくと、「男尊女卑」という問題にもぶちあたってしまう。 私のペンネームは「ろくでなし子」なんですが、漫画家時代、女性器の整形とか、ろくでもないことをやってきたから「これでいいや」っていうぐらいの軽い気持ちでつけた名前なんです。 よく名前は変えた方がいいとか言われるんですけど、新聞とかに「ろくでなし子逮捕」と載れば、その字面だけを見てもバカみたいじゃないですか。「国と戦うろくでなし子って何だ?」みたいな感じで、それがいかにくだらないかっていうことも、なんとなく伝わる感じがするので、この名前は変えたくないですね。 私が女性器をモチーフにした作品をつくり始めた3年前は、誰に聞いても「バカな女」とか罵られるだけで、大きな湖に一人で石を投げて、ポチャンて跳ね返りがあるぐらいのものでしかなかったんですけど、今では支援者も随分増えて、反応がどんどん大きくなっている。こうして逮捕や起訴されて、起訴自体は理不尽なんですけど、公の場で、みんなで「ワイセツとはいったい何ですか?」ということを議論し合える、いい機会にもなったと思っています。だからこそ、私は自分の主張を貫いて最後まで闘う覚悟です。(聞き手 iRONNA編集部 本江希望)ろくでなし子漫画家。日本性器のアート協会会員。自らの女性器を型どりデコレーションした立体作品「デコまん」造形作家。 著書『デコまん』(ぶんか社刊)。『女子校あるある』(彩図社刊) 2012年6月米国シアトルにて開催されたエロティック・アートフェスティバルに作品出展。 2012年9月銀座ヴァニラマニアにてデコまん展開催。 2013年4月銀座ヴァニラ画廊にてヴァニラ画廊大賞展にて女性器照明器具・シャンデビラ展示。2015年4月、『ワイセツって何ですか? (「自称芸術家」と呼ばれた私)』(金曜日)が発売された。 関連記事■「センゴク」宮下英樹が語る真実の信長■金沢克彦編集長が語るプロレス誌「ゴング」復刊の真相■全公開! 油画 蒙古襲来