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    海賊版サイト「捜査を渋る」日本の警察こそ弊害である

    楠正憲(国際大学グローコム客員研究員) 10月15日に行われた政府の「インターネット上の海賊版対策に関する検討会議」は、中間とりまとめを提出できないまま無期限延期となった。検討が不十分なまま、海賊版サイトのブロッキングに突き進まなかったことは英断だった。 今年4月に、民間の自主的取り組みとして、「漫画村」「Anitube」「Miomio」の3サイトに対するブロッキングが適当との緊急対策が示された。しかし、実際にはブロッキングが実施されないまま、3サイトともサービス閉鎖に追い込まれた。これは個人やニュースサイトによる「草の根」調査を通じて、海賊版サイト運営者の正体に迫ったことによる成果である。 検討会議では、現行制度で海賊版サイトに対してどこまでの対抗措置を行うことができるのか、実際に試すことのないまま臆測が語られた。例えば、検討会議では当初、多くの海賊版サイトを配信している米コンテンツ配信サービス(CDN)大手のクラウドフレア(Cloudflare)は権利者からの照会には応じないとされたが、これは出版社が作品の著作権を保有しておらず、米国で裁判を起こしていなかったからだった。 実際の権利者である漫画家がクラウドフレアを相手取って米国で裁判を行ったところ、罰則付き召喚令状(サピーナ、Subpoena)を勝ち取り、クラウドフレアから海賊版サイト運営者の情報について開示を受けている。同じ10月に東京地裁でも、クラウドフレアに対して発信者情報の開示を命じる仮処分を決定している。 中間とりまとめ(案)では、被害規模について業界団体のコンテンツ海外流通促進機構(CODA)が試算した数字が採用されたが、明らかに過大である。試算では、「漫画村」だけで3192億円の被害があったとしている。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 算定根拠は、アクセス解析サイトのシミラーウェブ(SimilarWeb)で「漫画村」のドメイン(インターネット上の住所)を解析し、17年9月から18年2月の延べアクセス数の6億1989万に、漫画や雑誌の平均単価515円を掛け合わせた額という。 そもそも、2017年の紙と電子のコミック市場全体で4330億円、前年比で2・8%減となっている。これを被害算定の6カ月分に換算すると2165億円となる。本当に「漫画村」だけで3千億円以上の被害が出たならば、コミック市場は消滅どころかマイナスに突き抜けてしまっている。あるべき法治国家の姿とは 著作権法114条では著作権侵害による損害金額について二つの算定方法を認めている。一つは「譲渡等数量✕著作権者等が販売できた場合の1件あたりの利益額」で、もう一つは加害者が得た利益の額である。いずれの方法で試算しても、「漫画村」による被害額はCODAの試算よりも少なくとも1桁から2桁は小さいのではないか。 権利者団体が、被害を自らに有利な基準で主張することは当然の権利だ。しかし、政府が法令をつくる前に立法事実を明らかにする場合には、権利者団体の主張を鵜吞みにするのではなく、改めて法令や過去の判決に基づいて実質的な損害を推定すべきである。 このように、残念ながら検討会議では、海賊版サイトに対する現行法での対抗策や被害規模といった最も基礎的な立法事実についてさえ、知的財産戦略本部事務局がブロッキング推進派の主張を鵜呑みにするばかりで杜撰な調査しか行われなかった。しかも、その点が記事や検討会議で指摘された後も姿勢を改めなかった。こうした不誠実な進め方が、結果として検討会議の空中分解を招いたことは明らかだ。 検討会議と並行して行われた民間での自主的な取り組みによって、海賊版サイトの配信元や広告ネットワーク・広告主を追跡し、権利者である漫画家と連携して米国や日本で裁判を起こしたならば、サイト運営者を突き止めて、サイトを閉鎖に追い込める可能性が明らかになった。 こうした経験を踏まえて、出版業界と権利者が連携して海賊版サイトと対抗する方法の糸口はつかむことができた。検討会議が空中分解したとしても、今回の騒動を通じて得られた知見に基づいて、民間での海賊版サイト対策は着実に推進すべきだ。 とはいえ、漫画家や出版社にとって、当然の権利を行使するためだけに、日本や米国で裁判を起こさなければならないのでは負担が重過ぎることも確かだ。本来であれば、警察に海賊版サイトの存在を通報して被害届を出すだけで、警察が捜査を行って海賊版サイトの犯人を逮捕し、サイトを閉鎖することが、あるべき法治国家の姿である。2018年4月、サイバー関連部署の新庁舎の開所式で、手を重ね合う警視庁サイバー犯罪対策課の平川敏久警視(右から2人目) 海賊版サイトを閉鎖できれば、単に日本国内でブロッキングを行う場合と違って、海外利用者に対する海賊版コンテンツの配信も止めることができる。まさに、知的財産戦略本部の役割である、海外に対する日本のコンテンツ振興のために必要な施策といえるだろう。 ところが、実際には、警察は海賊版サイトをはじめとしたサイバー事案について被害届の受理を渋り、仮に受理したとしても捜査着手は難しいと聞いたことがある。何より捜査を担当する都道府県警に技術に精通した捜査員が少ないからだ。招かざる「ディストピア」 それだけではなく、海外にある事業者やサーバーに対しては捜査権が及ばず、海外の捜査当局との執行協力には英語や専門知識が必要で時間がかかってしまう。ところが、被害届を受理した警察署の認知件数に加算されてしまうため、捜査の難しいサイバー犯罪の被害届を受理すると、結果として検挙率が悪化してしまうらしい。 たまたま、出版社の所在地であったり、漫画家の居住地だからという理由で海賊版サイトの被害届を受理したとして、警察署の所轄とは本来は関係ないのに検挙率が下がるとはおかしな話だ。サイバー犯罪で被害届の不受理による泣き寝入りを防ぐためには、国際的なサイバー犯罪を捜査できる全国レベルの専門組織を整備し、サイバー犯罪専用の被害届提出窓口を別に用意することが求められる。さらには、地域とのつながりが薄いサイバー犯罪については、各警察署の検挙率の計算から除外するといった配慮が必要となるのではないか。 県境や国境のないインターネットに跋扈(ばっこ)している犯罪者は、海賊版サイトだけではない。オンラインカジノや未届の仮想通貨交換業者によるマネーロンダリング(資金洗浄)、違法薬物や偽造身分証を扱うダークマーケットなど、さまざまな犯罪が野放しにされているのが実情だ。 これらの多くは海賊版サイトと違って、発信元を突き止めることも、裁判を通じて争うことも極めて難しい。米欧の捜査当局はこうした悪質な事案に対して、国家レベルの特別組織を編成し、域外執行協力や囮(おとり)捜査を駆使して摘発している。だが、日本の警察は、敗戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策を通じて都道府県単位で分断されて、その捜査手法も厳しく制限されている。 サイバー犯罪で泣き寝入りしているのは、漫画や映像の権利者だけではない。素人相手に大っぴらに商売するには、日本国内に配信拠点を持つCDNとの契約が必要で、主要国で法令が整備されていて、裁判で争うことも容易な海賊版サイトは、国際的に見ても対策が確立している犯罪類型といえる。 一度海賊版サイトに対してブロッキングを認めてしまっては、もっと対策が難しい個人の権利侵害に直結している名誉毀損(きそん)やフェイクニュース、ソーシャルネットワークによる児童誘引など、さまざまな犯罪を口実として、ブロッキングの対象が拡大してしまうだろう。2018年7月、米ニューヨーク証券取引所で、画面に表示されるツイッターの株価(ロイター) そして、気付いたときには、中国やアフリカ・中東の専制国家のように、ツイッターやフェイスブックでさえ自由に使えない、権力者にとって都合の悪いニュースは遮断されてしまう国になってしまう可能性すらある。それでサイバー犯罪を抑止できるかというと、悪質な犯罪者はブロッキングの及ばないダークウェブに逃げてしまうだけで、何ら効果がないばかりか、犯罪捜査が難しくなって泣き寝入りする被害者は増えてしまいかねない。 こうしたディストピア(反理想郷)を招かないためにも、海賊版サイト対策としてはブロッキング実施よりも前に、まずは権利者と業界との連携を通じた民間での自主的取り組みと、警察によるサイバー犯罪に対する捜査態勢の強化から手を付けるべきではないか。犯罪者を野放しにしたまま、政府に検閲の手段を与えることは明らかに本末転倒だ。

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    飲酒ひき逃げ、吉澤ひとみは「孤独の病」を克服できるか

    過失傷害)と道交法違反の罪で起訴された。酒を飲んだ後にひき逃げをしたというだけでも十分ショッキングな事件だが、その後の報道でさまざまな事実が明らかになるにつれ、ショックを通り越し、怒りを禁じ得なかった人も多いのではないだろうか。 まず、吉澤被告は事件の15分後に自ら110番通報したというが、すぐに停止しなかったのは、停車するスペースがなかったからだと言い訳をしていた。また、飲酒量についても過少申告し、後になって供述を変えたという。 さらに、極めつけは、ひき逃げの瞬間の動画が公開されたことだ。これを見る限り、相当なスピードで信号無視をし、横断歩道を渡っている女性をはねたことがはっきり分かる。報道によると、法定速度を約20キロ超える時速86キロで走行していたという。しかも、一度ブレーキランプが点灯したものの、その後は制止しようとした人を振り切って、むしろ加速してその場から逃げていた。 また、路肩にはほとんど停車中の車はなく、止まろうとすればすぐに止まることはできたはずで、嘘をついたのは明白だ。事故の直後で気が動転していたのは分かるが、ひき逃げという悪質さに加え、その後の言い訳や嘘の数々に至っては、醜悪としか言いようがない。 その他にも吉澤被告の行動に関しては、首をかしげたくなる点が多かった。例えば、事故当時、車で仕事に向かっていたとのことだが、朝から仕事だというのに、酒が残るほど深酒をしていたことだ。 また、そんな状態であるにもかかわらず、車で仕事に行こうと考えたことも不思議だ。タクシーを使うなり、マネジャーに連絡するなり、他の手段はいくらでもあるだろう。 しかも、彼女は交通事故で実弟を亡くしているという。そんな痛ましい経験を持つ者が、どうして平気で酒気帯び運転などできるのだろうか。そして、事故後も平気で嘘を重ねることができるのだろうか。 これらの答えは簡単である。それは、彼女が「アルコール依存症」に陥っている可能性が極めて高いからだ。実際、飲酒運転で事故を起こした人の大半が、アルコール依存症だという調査結果もある。道交法違反罪などで起訴された吉澤ひとみ被告 アルコール依存症の簡単なスクリーニングテストとして知られる「久里浜式アルコール症スクリーニングテスト(KAST)女性版」によると、「飲酒しながら仕事、家事、育児をすることがある」、「自分の飲酒についてうしろめたさを感じたことがある」、「せめて今日だけは酒を飲むまいと思っていても、つい飲んでしまうことが多い」などの項目があり、一つでも当てはまると「要注意群」とされている。 吉澤被告の場合、今回の事件を見ると、上記の項目にすべて当てはまる可能性が高いため「アルコール依存症の疑い濃厚」と判断できる。 また、世界保健機関(WHO)のアルコールスクリーニングテスト「AUDIT」では、「あなたの飲酒により、あなた自身や他の人がケガをしたことがありますか」という項目があり、これだけで4ポイント(8ポイント以上が危険性が高い飲酒者)と大きな加算となる。他に本件から簡単に推測できる項目を加算し、飲酒量や頻度などを合わせて集計すると、それらを最低限度に見積もっても、吉澤被告の場合「危険な飲酒レベル」となる。希薄な対人関係 「飲んではいけないときに飲んでしまう」「思っていた以上に深酒をしてしまう」「飲酒が原因で社会的な問題を引き起こしてしまう」「自分の飲酒には問題がないと考える」。これらはいずれもアルコール依存症の症状なのだ。 このように、吉澤被告がアルコール依存症だとすれば、朝から仕事なのに深酒してしまったこと、平気で車を運転して事故を起こしてしまったことなどは何の不思議もない。 そもそも、アルコール依存症の人にとっては、アルコールが何より大事になってしまっており、身内を事故で亡くしたことなどは、二の次、三の次となってしまう。つまり、脳がアルコールに乗っ取られた状態であり、悲しいことではあるが、それがこの病気の恐ろしいところなのだ。 また、重要な点は、アルコール依存症は単に多量の飲酒をするというだけの病気ではないということだ。世の中の大多数の人が飲酒をするのに、しかも相当多量に飲む人も多いのに、大半の人が依存症にはならない。それはなぜだろうか。 アルコール依存症だけでなく、あらゆる依存症は「関係性の病」、「孤独の病」と言われ、依存症の根本には、必ず希薄な対人関係や孤立があるからだ。 報道によれば、吉澤被告は前日、自宅で夫と飲酒をしていたというが、夫は彼女が危険な飲み方をしていることに、これまで気づいていなかったのだろうか。翌朝から仕事だと知らなかったのだろうか。車で家を出たことを知らなかったのだろうか。どれか一つでも知っていたら、この事件は防げた可能性が大きい。 家族や友人の誰もが、彼女の危険な飲み方について注意をしたり、診察を勧めたりしていなかったのだろうか。そうだとすれば、華やかな芸能界にいるように見えて、何という希薄な人間関係、何という孤独な環境だろうかと暗澹(あんたん)たる気持ちになる。 このような重大な事故を起こしてしまえば、ますます周囲から人が離れ、本人も自信や自尊心を失い、孤立を深めていく恐れがある。送検のため警視庁原宿署を出る吉澤ひとみ容疑者(奥)=2018年9月7日 事件について、罪を償うのは当然だが、どれだけ厳しい罰を受けたとしても、アルコール依存症は治らないのが現実だ。そもそも、飲酒運転については厳罰化が進んでいるが、厳罰化はこの種の事件を抑制できないというエビデンス(臨床的根拠)があり、今や常識となっている。 吉澤被告の事件を踏まえ、最も重要なことは、治療につなげることである。そして、その中で新たな人間関係を築き、これ以上自分の体や心を傷つけないようにすることだ。さらに、自尊心を取り戻し、社会生活を取り戻すことが何より大切になる。 また、その一方で、われわれ社会の側も立ち直ろうとする人を受け入れ、バックアップすることが必要だろう。自分を大切にできない人が、他人を大切にできることなどありえない。本当の償いや再出発は、そこからスタートする。

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    「点滴殺人」元看護師の病的心理を読み解く3つの視点

    病院(現横浜はじめ病院)で、点滴に界面活性剤を主成分とする消毒液ヂアミトールが混入され患者が死亡した事件は、2年近くが経過し、ようやく容疑者が逮捕された。逮捕された久保木愛弓(あゆみ)容疑者は、同病院の看護師だった。 ただ、今回の事件は、当初から容疑者は病院関係者との見方が大勢を占めていた。その理由は、点滴袋が保管されていたナースステーションに容易に出入りでき、その周辺にいても怪しまれることがなく、注射器や点滴袋の扱いに慣れた人物である可能性が高いという状況があったからだ。 さらに、被害者の1人は当初は病死と判断されていたことから、直ちに毒殺が疑われるような劇的な症状を呈することのない薬物を選び、点滴という緩慢な方法での投与を選んだという点に、医学的な専門知識がうかがわれたことも挙げられる。 そもそも、命を預ける病院で、医療関係者によるこのような事件が起きてしまったこと、そして事件が想像もつかないほど大規模なものである可能性があることに、慄然とせざるを得ない。 医療は、医学的専門知識の上だけに成り立っているのではない。「害をなすことなかれ」という古代ギリシャの医者、ヒポクラテスの誓詞を引くまでもなく、患者と医療提供者との信頼関係の上に成り立っている。 いくらインフォームドコンセント(患者への十分な告知と同意)を得るなどの手続きを着実に行ったとしても、ひとたび処置を任せば、患者はある意味「まな板の上の鯉」も同然である。 では、なぜ本来患者を守り、命を救うはずの看護師がこのような凶行に出たのだろうか。旧大口病院では事件発覚前、看護師の服が切られたり、飲み物に異物が混入されたりする事件が頻発していたという。 同一人物の仕業かどうか現時点では分からないが、同じ病院にこのようなことをする人物が同時期に複数いるとは考えにくく、一連の事件は同一犯である可能性が大きい。 そもそも、久保木容疑者は警察の調べに対し、「勤務中に患者が亡くなると遺族に説明しなければならず、面倒だった」と動機を供述しているようだが、これが真意かどうかはまだ分からない。送検された久保木愛弓容疑者=2018年7月、横浜市(桐原正道撮影) これらを踏まえれば、当初のいわば嫌がらせ的な「小さな事件」は、直接病院のスタッフに向けられており、病院内での人間関係や処遇をめぐっての恨みが動機として考えられる。 とはいえ、これら「小さな事件」と今回の連続殺人事件との間には、とてつもなく大きなギャップがある。一つは人の命を奪ったという点、そしてもう一つはそれが容疑者の「恨み」とは直接関係ないであろう相手を狙った無差別殺人の可能性が高いという点である。 たとえ病院や病院関係者への恨み、そして病院の評判を貶めたいという動機が出発点であっても、そこからの無差別大量殺人という帰結には飛躍がありすぎる。 それを埋めるものとしてまず考えられるのは、やはり久保木容疑者のゆがんだ心理である。「小さな事件」を起こしても、病院側の態度に変化が見られないと思ったのか、それとも仕返しがまだ不十分だと思ったのか、いずれにしろ恨みを募らせた挙句、犯行が大きくエスカレートした可能性がある。心理的ブレーキが効かなかった容疑者 だが、普通は「ここから先はやってはいけない」というブレーキが働くものだ。そのブレーキとなるものの一つ目は、想像力や共感性である。人間は、何か大きな決断をするとき、「こんなことをすれば、このような結果を招いてしまう」と想像する能力を有している。これが想像力である。そして、その決断が他人を巻き込むものであれば、相手の立場に身を置いて想像する能力も有している。さらに、その行為が重大な結果を招くことが予想されれば、不安という心のシグナルが鳴る。 したがって、重大な結果を招くことが想像できたり、他人に苦痛を負わせるものであることが想像でき、その痛みを共有することができたりすれば、実行を思いとどまるだけの心理的な装置が備わっており、これがブレーキの役目を果たす。 しかし、久保木容疑者はその心理的装置が壊れてしまい、ブレーキにならなかったということである。このような心理の持ち主であれば、おそらく事件について反省もできないであろう。 もう一つ、事件の「間接性」を指摘しておきたい。直接被害者に異物を注射したり、延命装置のスイッチを切ったりすることは、おそらく久保木容疑者もできなかったのだろう。目の前の相手は、何の恨みもない患者だからである。 しかし、前もって点滴袋に異物を混入させておくという行為は、直接自分の手を下して殺すという行為よりは、かなり間接性が増大している。このことがまたこの事件の実行を後押しした要因であろう。 そして、三つ目の理由として考えられるのは、人命軽視という価値観である。2016年7月に起きた相模原市の障害者施設の大量殺人事件は記憶に新しいが、あの容疑者同様の弱者に対するゆがんだ考えが久保木容疑者にも共通しているように思えてならない。 相模原事件の容疑者は、「障害者は生きていても仕方ない」というゆがんだ考えから犯行に至ったと報じられている。旧大口病院には終末期の高齢者が多く入院しており、そのような弱者の生命を軽視し、ためらいもなく標的にした背景には、相模原事件の容疑者と同様のゆがんだ考えはなかっただろうか。 最後に病院側の問題点についても触れておきたい。本件に至るまで、先述の通りたくさんの兆候があった。そして、いくら終末期の患者が多いとはいえ、たくさんの患者が次々に不審死するという異常事態だったにもかかわらず、病院側はほとんど何の手も打っていなかった。点滴を受けた男性入院患者2人が中毒死した旧大口病院=横浜市神奈川区 さらに、最初の被害者が明らかになった後ですら、院長は「職員を信じている」と呑気なコメントをしていた。われわれは何か異常な事態が身の回りに起こっていても「何かの間違いだろう。大丈夫だ」と考えてしまう思考の偏りを有している。それは心理学用語で「正常性バイアス」と呼ぶ。 この事件がかくも拡大してしまった背景には、この正常性バイアスが大きく影響している。正常性バイアスはわれわれに起こりやすい思考のエラーであるが、そうは言っても、人の命を預かる病院にあって、この危機意識の欠如には愕然とせざるを得ない。 このように、さまざまな観点から、久保木容疑者の心理や事件の背景を探ってみたが、現時点では容疑者の供述が転々としており、あくまで推測の域を出ない部分もある。たとえば、点滴袋に毒物を注入したのではなく、点滴の管に注射器で一気に注入したとも報じられている。また、容体の悪い患者だけでなく、比較的安定した患者も標的にされたとの報道もある。まだ事件の全容解明にはほど遠い。 とはいえ、事件の一端が少しずつ明らかになるにつれ、私は暗澹(あんたん)とした気持ちになる。旧大口病院で「老衰」「自然死」として取り扱われていた何十人もの人々の死が、実は殺人であったかもしれないのならば、これは世紀の無差別連続殺人事件である。 だとすれば、本来なら命を救う職業であった久保木容疑者は、何を考え、どんな顔をして、何十もの点滴袋に異物を混入していったのだろうか。そして、なぜ次々と死者が出ても平気でいることができたのだろうか。彼女の中には、われわれの理解をはるかに超えた闇が広がっているのかもしれない。

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    死刑制度はオウム再犯の抑止力になり得るか

    元教祖、麻原彰晃(本名、松本智津夫)ら元幹部7人に対して死刑執行が行われた。1995年の地下鉄サリン事件に代表されるオウムの引き起こした、社会的影響の大きかった一連の残忍な事件について、思いを深くするこの数日だった。 特に、インターネットや新聞、テレビなどで、今回の死刑執行をめぐってその是非が議論されている。中でも、6月に何人かの著名な識者が呼びかけ人となって設立された「オウム事件真相究明の会」が、麻原への死刑執行に対し、事件の真相究明を妨げたとして厳しい批判活動を行っている。 これに対して、ジャーナリストの江川紹子氏は「『真相究明』と言うが、オウム事件は、裁判を通じてすでに多くの事実が明らかになっている」としたうえで、同会に代表されるような麻原への死刑執行を反対する姿勢に「欺瞞(ぎまん)」さえ感じていると、事実検証をもとに詳細な反論を行っている。江川氏の論考を一読した筆者も全くの同意見である。 たいだい、裁判記録に加えて、ネットでは公安調査庁がまとめたオウム真理教関係の事件の概要、被害者やご遺族の方々の声、そしてオウム後継団体の問題点と監視の現状などがまとめられており、これらを参考にできるはずだ。あれほど真相究明に時間と労力・費用をかけて、江川氏の指摘するように核心部分が解明されているのに、「まだ真相究明がなされていない」と断じるのはあまりにも無責任ではないだろうか。 このように、十分な根拠を持たなくても、少しでも「疑惑」や「疑問」があれば、問題の全てを肯定・否定的に扱うやり口が最近、さまざまな事象で「悪用」されている。 地下鉄サリン事件が起きた95年前後でも、オウム真理教を好意的ないし弁護する識者の意見が多かった。それに乗じるマスコミも悪質で、例えばTBSの報道姿勢は弁護士一家殺人事件につながり、今も深刻な問題を残している。2018年6月、記者会見で、松本智津夫死刑囚の執行に反対する雨宮処凛さん(右)と森達也さん また、94年の松本サリン事件では、被害者家族を容疑者扱いにする、まるで魔女狩りのようなテレビ報道も大きな問題であった。このようなワイドショー的な魔女狩り報道は、現在も全く改善されていない。 特に今回の死刑執行に際して、各テレビ局の報道を見ても、TBSの重大な過誤や当時の魔女狩り報道、さらにはオウム真理教の「宣伝」「布教」の場と化していたさまざまな討論番組の功罪については、今日ろくに再検証されていないのが実情である。二十数年を経て、事件を「風化」させているのは、マスコミのこの無反省な姿勢にあるのだろう。無責任極まる「革命」崇拝 オウム真理教に好意的だった当時の一部の識者たちの姿勢を、宗教学者の大田俊寛氏が以下のように簡潔に整理している。大田:このように、中沢(新一)さんや浅田(彰)さんを初めとする日本のポストモダンの思想家たちは、オウムというカルトの運動を見過ごしたし、後押しもしてしまった。しかし、その責任を取ろうとはしませんでした。そして何より、まずはオウムという現象を客観的に分析するというのが学問の本分であったと思いますが、それがまったくできなかった。その代わりに、「オウムは間違ったけれども、次の革命とはこうだ。ポストモダンの社会とはこうあるべきだ」といったナンセンスな革命論が提示され、それに基づいた空虚なアジテーションが繰り返された。それは今もなお、形を変えて反復されています。大田俊寛×山形浩生「「幻惑する知」に対抗するために」 Sangha 2012年8月号 あまりに単純素朴な「革命」崇拝に類した態度は、先の江川氏の論考でも、地下鉄サリン事件発生から3年後(1998年)の雨宮処凛氏の言葉として紹介されている。ムチャクチャありますよ。サリン事件があったときなんか、入りたかった。「地下鉄サリン、万歳!」とか思いませんでしたか? 私はすごく、歓喜を叫びましたね。「やってくれたぞ!」って。吉田豪「ボクがこれをRTした理由」、TABLO 2018.06.08 事件発生当時、このような単純素朴で、それゆえに無責任極まる「革命」崇拝的な姿勢が、有名無名問わず当時の人たちに、いささかなりとも共有されていたことがわかるだろう。ひょっとしたら、このような「革命」崇拝を、今も無反省に続けているのではないだろうか。 次にオウム真理教幹部たちへの死刑執行について、経済学的な考察を紹介しておきたい。まず死刑については、人権尊重から廃止する必要があるとか、反対に社会的な応報感情を満たすために必要である、という価値判断を議論することが重要である。 だが、経済学でも、死刑が凶悪犯罪の抑止に効果的かどうか、しばしば議論されてきた。リフレ派の経済学者としても知られる駒沢大の矢野浩一教授や、法と経済学の専門家である駒大の村松幹二教授らが、1990年から2010年前半までの月次データを用いて分析している。2018年7月、松本智津夫死刑囚ら7人の刑執行について記者会見する上川法相 その研究によると、死刑判決や執行数では、殺人などの凶悪犯罪に対する抑止効果が見られなかったという。一方で、時効の延長、有期刑の上限の延長は、強盗殺人・致死に対して抑止効果がみられたというのである(村松幹二、デイビッド・ジョンソン、矢野浩一「日本における死刑と厳罰化の犯罪抑止効果の実証分析」、『犯罪をどう防ぐか』岩波書店シリーズ「刑事司法を考える」第6巻、2017)。なぜ「重大な再犯」が行なわれないのか ほかにも、死刑があまり凶悪犯の抑止に役立たないことは、米国でもベストセラーとなった『ヤバい経済学(増補版)』(東洋経済新報社)でも簡単に実証されていた。また、村松氏は論文「日本における死刑の近年の動向」の中で、オウム事件の犯罪者たちを「政治犯」として区別し、それを死刑判決数のサンプルの中に入れても入れなくても、上記の結論に関係ないことを示している。 オウム真理教の犯罪者たちを「政治犯」もしくは国家転覆を狙ったテロ組織の一員とみなすのは妥当な見解だろう。欧米でも話題になっているが、テロ犯罪者たちの再犯率のエビデンス(根拠)が不足し、再犯を抑止する政策についてはまだまだ未開拓の領域である。ただしオウム事件に限定してみると、元信者たちのテロなど重大な再犯はほとんど観測されていない。 麻原を含めた犯罪者たちの死刑判決や死刑執行が、オウム元信者の再犯抑止にどのような効果があるのか。また、今も公安の監視対象にある後継組織の抑止に貢献しているのか。これらは明確にわかっていない。社会や公安などの監視の厳しさ、漸増しているとはいえ厳しく制約されている活動資金や人的資源なども、テロの再犯を難しくしている可能性があるからだ。 ただ、以下のことはいえるのではないか。経済学では、さまざまな政策ルールの束というべきレジーム(体制)が変化することは、人々の行動も大きく変えてしまう。死刑判決・執行という「部分」だけに、どうしても目が行きがちである。しかし、それらも含めて、現在の社会監視体制や法体系、刑の執行など「政策」ルールの束が有効に機能しているために、今のところオウム元信者たちの再犯や後継団体による犯罪も未然に防げているのかもしれない。 事実は、それをある程度裏付けてもいる。もちろん、オウムの再犯抑制レジームを支えるもっとも弱いルールとして、死刑判決・執行をとらえることもできるかもしれない。村松氏らの実証はそれをある程度支持している。 ただしルールの束として考えるとなると、一つのルールに注目してその効果を判断することは妥当ではなくなる。例えば、サッカーにおいて、人数はそれほど大きなウエートを占めるルールではないかもしれない。でも、11人制を6、7人制にするルール変更を行えば、試合展開、観客の楽しみ方など含め、ゲームを大きく変化させてしまうだろう。つまり、レジーム転換が起きてしまうわけで、犯罪に関しては犯罪の動機付けを大きく変化させかねない事態を引き起こすのである。2018年7月6日、アレフ大阪道場の調査を終えた公安調査庁の職員ら=大阪市生野区(鳥越瑞絵撮影) 特に日本のように「厳罰化」の流れが生じている中で、大衆が死刑廃止という厳罰化ではないルール変更を受け取ったときに、レジームは大きく不安定化する。これは経済政策でいえば、アベノミクスがデフレ脱却レジームを採用すると言い、金融政策ではデフレ脱却ルールを続けながら、財政政策で消費増税など緊縮ルールを採用することにより、政策効果が大きく損なわれたことに似ている。 もしこの推論が正しければ、安易なレジーム変更につながるような、現在の死刑制度の廃止には筆者は即座に賛成しかねる。あくまでもオウム真理教的な事件に限っての試論的な考察であるが、最小限の予防ルールとして死刑制度を維持すべきという立場を採用したいと考えている。

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    ネット憎悪「Hagex事件」の深層

    行後、ネットにこう書き残したという。「低能先生」などと揶揄され、ネット上でのやりとりに逆恨みした末の事件だった。ネット憎悪がリアル殺人を引き起こす現代社会の病理に迫る。

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    「切込隊長」山本一郎がHagexさんの死に直面して思うこと

    やかな宴会で、面識を得るに至ったわけです。 会ったことがないのに共通の話題があり、それどころか、同じ事件を見て、その解決に協力することはネットではよくあるのです。ネットで起きる変な事件、変わった人たちの書き込み、ヤバい問題などなど、ネットという広大な場所だからこそ、Hagexさんたちと私は「同じ興味や関心を持ったネット民の集団」として知り合うことができます。そもそも、ネット上ではなぜ、お互いをハンドルネームで呼び合い、リアル社会の立場を述べなくても、そこで積極的に活動している誰かを信頼することができるのでしょうか。 会ったことのない人を殺す事件を、皆はビビります。でも、会ったことのない人と協力し、信頼して、場合によってはかなりの時間と費用と労力をかけて問題に取り組む――これが、ネット社会の良さであり、理解のし難さでもあります。信頼関係も築けるネット社会なら、人を殺すような事件が起きてもまったくおかしくないのがネット社会なのです。山本一郎氏 実際に会うと、はにかみ屋で、穏やかな人柄に見える人物が、ネットでは過激で、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いをし、大胆な行動で鳴らしていることもあります。逆に、いつも乙女チックな書き込みで、物腰が静かで、ネット内では信望を集めて多くのユーザーやハッカーを束ねている人が、実際に会ってみると巨大な体躯(たいく)をアロハシャツで纏(まと)い、指が何本かない人であって、むしろ会ったこの場で写真を撮られないよう腐心する、といった具合です。 大手企業の研究職あり、霞が関の技官あり、博士課程を出ても無職あり、無粋な書き込みを連発する妙齢な女性あり。これがネット社会の醍醐味(だいごみ)であり、リアルなのです。 Hagexさん刺殺事件は、そういうコミュニティー全体をも驚きと嘆きと失望に落とし込みました。こんなところで死ぬ人ではなく、運が悪かったとしか言いようがない。メディアでは、会ったこともない人と誹謗(ひぼう)中傷の「応酬」をして殺されたという事件の特異性を書き、そこに「ネットの闇」と報じていました。まあ、確かにそれはそうかもしれない。さて、私らネット民は闇から光を見ていたのでしょうか?むしろ私だったかもしれない インターネットが普及する前、音響カプラーに黒電話をつないでパソコン通信をやっていた時代から、本名よりもユーザーIDとハンドルネームで個体認識をするのが当たり前だったのが、サイバー空間にある人間の絆であり、絆が織りなすネット社会です。普通の人には理解のし難い、変人たちが集まる不思議な社交場に見えているのでしょうか。 そんなサイバー社会は、どんどん大きくなりました。それまでのパソコン通信は、バカ高い電話代をモノともせず、しょぼい性能のパソコンでチャットをしたり、つまらないゲームをしている物好きの集まり。そこからインターネットが発達し、無料掲示板、SNS、ブログにTwitter、Facebookなど、いろんなサービスが立ち上がりました。自分の好みのサービスを、友人たちとの交流に使えるようになって、すごく一般的になっていった。ネットとリアルの融合と言うけれど、実際には世の中には元からリアルしかなかったのです。 ネットの向こうにいる人も、生の人間です。ネットでもアプリでもリアルでも言葉を交わしながら、人は関係を築き絆を紡ぐ。心を通わせる言葉もあれば、「回線切って首吊って死ね」という罵倒も飛び交う、人間の生のコミュニティーが工作する雑踏がネットでした。 そんなネットを愛していたのがHagexさんです。ネットでやらかす人たちが好きだった。また、偉そうなきれい事をネットで言いながら、実際には全然違う行動をする、ダブルスタンダード野郎が大嫌いでもあった。そんなHagexさんが私に相談してきたことは「Hagexと実名を切り分けて活動を広げていきたいと思っているんです」というものでした。 私が結婚や出産を契機にネットでしか通用しない、それでいて居心地の良い「切込隊長」という名前を捨て、ありふれているけど逃れようのない実名「山本一郎」で論述したり研究をしたりしているさまを見て、Hagexさんはその20年近く慣れ親しんだ「Hagex」とは別の活動を始めようと思っていたのです。 そして、私なんかよりよっぽど、家族、所属企業などプロフィールを知られないよう、慎重に対応していたのがHagexさんだったと私は思います。というか、仲良くさせていただいてきたのに、友人一同「えっ、Hagexさん、そうだったの?」っていう情報がいくつもありました。先に言ってよ。それだけ気を遣っていたのに、まさかこんな事件になってしまうなんて悲運としか言いようがない。 下手をすると、殺されているのは私だったかもしれません。というより、脅迫も差出人不明の怪文書も今までの人生たくさん受け取ってきて、裁判も多数やり、拉致されそうになり、恨んでいる人の数で言えば私の方がはるかに多いのです。そんな私より若いHagexさんが死ぬなんて、世の中の不条理を深く感じます。これから何かを為そうとしている男の門出に、出合い頭の不幸な事故だったと、私は無念に思うのです。2018年6月24日、岡本顕一郎さんが刺され死亡する事件のあった福岡市中央区の現場付近 また、今回殺害に及んだとされる容疑者の「低能先生」。全然、低能じゃないHagexさんを殺したこの人の罪は擁護しようもなく、悔い改めて償ってほしいと思う一方、容疑者の魂の平安はどこにあるのか、残された人たちで考えていかなければなりません。 どれだけ嘆いても気持ちの収まらない事件で、何より「これって、どうすれば、何をもって解決なのか?」と考えがグルグルしてまとまりません。緊密に会ったことがない人との関係でも、人間はぽっかりと心に穴が開くことがあるのだ、ということを改めて気づかせる事件だったと思っています。

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    2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」

    いぶ低いと思います。 ちなみに、アメリカやヨーロッパで「イスラム国」(IS)によるテロと言われる殺人事件が毎年起きていますが、中東からテロリストがわざわざやってくるだけではなく、アメリカやフランス、ベルギーなどで育った人が、自分の住んで暮らした社会に幻滅し、その後社会を壊すことを選んで犯行に及ぶケースもままあります。「キモくて金のないおっさん」問題 日本は、毎年2万人以上が自殺をする社会です。社会や未来に希望が持てなくなり、自殺を選ぶわけです。 一方で、たまに、自分を殺して社会から卒業するのではなく、他人を殺すことで社会から卒業しようとする人たちがいます。秋葉原通り魔事件、東海道新幹線殺傷事件、そして今回の事件ですが、犯罪とは程遠い生活をしてきた人が、一転して重大事件の加害者になりました。 逮捕されて、刑務所に入ることが嫌なことであると考える人は、社会に属すことに居心地の良さを感じる人たちだけです。社会に属することを居心地が悪いと感じる人たちにとっては、刑務所や死刑ですら苦痛からの解放のように考えてしまう場合もあるわけです。 個人的にはそういう人を「無敵の人」って呼んでいたりするのですが、無敵の人に対して、既存の刑事罰の強化をしても、犯罪を抑制する効果はあまりないのですね。 さてさて、問題点を出すだけでは無意味な長文になってしまうので、おいらなりの解決策を提示してみたいと思います。 ネットで「キモくて金のないおっさん問題」と言われる、「誰からも好かれていないし、期待されていないおっさんをどうにかしないと社会に悪影響があるよね」っていう問題があります。イギリスだと孤独担当大臣という大臣を作って対処を始めていたり、他の国では問題として認識されて、社会的に解決しようと予算が動いていたりします。 解決するには彼らが社会に未練を残すようにすればいいわけで、「家族や恋人ができたらいいよね」という解決策を言う人もいますが、現実には「キモくて金のないおっさん」と付き合いたい人はそんなに多くないのが実情です。 そこで注目したいのが、南米ベネズエラの食糧危機です。大規模な食糧危機が起きたので、国民の75%が平均約9キロも体重が落ちたそうで、多くの餓死者も出たといいます。 そこで、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、貧困地域に食料としてウサギを配布しました。※画像はイメージです(iStock) ウサギは約2カ月飼育すれば、2・5キロぐらいに育つそうです。毎日の食事も満足にありつけない人たちの食事として各家庭に配って、2カ月ぐらいしたら食べるだろうと思ったら、ペットとして名前を付け、一緒に寝てかわいがっていて、全然食べなかったそうです。ということで、このウサギを配る計画っていうのは大失敗に終わり、今度はヤギで試すらしいです。 人は、弱い存在から頼られることで幸せを感じたりする生き物です。ということで、「キモくて金のないおっさん」にはウサギを配ってみると、「自分が社会からいなくなったら、ウサギの世話をする人がいなくなって、ウサギがかわいそう」ってことで、ウサギの世話をし続けるために社会に居続けてくれるんじゃないかと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。 ちなみに、毎月7万円を国民全員に無条件で配る「ベーシックインカム」っていうのも解決案の一つなんですが、ウサギの方が安上がりだし、面白そうだと思うので、個人的には「ウサギ計画」を無敵の人への対処法として提示したいところです。 という感じで、「キモくて金のないおっさん」側の心情を考えることができるのが「言論」のできることだと思ったりします。

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    リアル殺人を厭わない「ネット弁慶」に突然変異などいない

    でインターネットセキュリティー会社社員の岡本顕一郎さんが、42歳の無職の男によって刺殺される痛ましい事件が起きた。岡本さんは「Hagex」(ハゲックス)のハンドルネームで、「Hagex-day.info」というブログを、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「はてなブックマーク」で開設していた。報道によると、容疑者の男はインターネット上で荒らし行為をしていた「低能先生」と呼ばれる人物だという。「おいネット弁慶卒業してきたぞ」「これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく、俺と議論しておのれらの正当性を示すこともなく(まあネットリンチの正当化なんて無理だけどな)俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」「ただほぼ引きこもりの42歳」「これから近所の交番に自首して俺自身の責任をとってくるわ」 はてなブックマークの匿名ブログ「匿名ダイアリー」には、低能先生と呼ばれる男の犯行声明とみられる上記のような文章が投稿されていた。この男は「動機」について、「通報&封殺」されたことにあると記していたのである。「低能先生という荒しがいる。はてなブックマークに出現し、IDコール利用して複数のユーザーに対して誹謗中傷を繰り返している」「低能先生からコールが来る度に、私ははてなに通報を行っている。当初は『私も含めて、他のユーザーに罵詈雑言を行っている人間です』と丁寧に理由を書いていた。が、最近では『低能先生です』と一言だけ書いて送っていた。その後低能アカウントは凍結される」(岡本さんのブログより) 岡本さんは生前、低能先生による中傷行為を運営側に報告していることをブログで書いていた。つまり、低能先生と呼ばれる男は、はてなブックマークで荒らし行為をしていたことについて、通報されてアカウントを凍結されたことを逆恨みして犯行に及んだと理解できる。 この事件について、インターネット上での争いが現実社会での殺人事件にまで発展してしまった点で、驚きをもって世間では受け取られている。果たして、これは特異な事件といえるのだろうか。 私は弁護士として、ネット上の法的問題をよく取り扱っている。私自身、インターネット上のある誹謗(ひぼう)中傷事件の弁護をきっかけに、ネット上での誹謗中傷に始まり、殺害予告や爆破予告をされた経験がある。 果ては、親族の墓にペンキをまかれる、事務所周辺にビラをまかれる、カッターナイフを送られるなど、現実でも無数の嫌がらせを受けた。唐澤貴洋弁護士になりすましたツイッターの投稿。現在は閲覧できなくなっている(ツイッターより) 現実社会での嫌がらせをしてきた犯人のうち、何人かについては刑事処分が下され、その人物像を私も知ることとなった。そこで見たのは、ネットにしか居場所がない人物の悲しみであった。 私の身に起きた事件の犯人たちは、現実社会では無職だったり、学生であっても通学できていなかったりしていた。そうした他者から肯定的な評価を得る機会が少ない者が、インターネットで居場所を見つけていたのである。突然変異ではない「事件」 そういった者が、ネットでの反応が見たいがために、インターネットや、その延長線上の現実社会で、ネタを作ろうとして異常行動を起こした。ネタとなった行動をした者は、ネット上で無責任な称賛を受け、その賛辞をもって自分の存在を確認していたのである。 彼らはネット上の無秩序の感覚に慣れ親しんでいるためか、ネタを作るためであれば、現実社会で違法と評価されることもいとわない。器物損壊、建造物侵入、窃盗、脅迫、恐喝、業務妨害…。実際、私が受けた行為はれっきとした犯罪だった。 こうした犯罪が刑事事件として立件され、容疑者が逮捕されると、必然的に報道される場合がある。事件報道によって、ネット上に氏名が掲載されることになれば、事件報道は記事として拡散する力が強いために、半永久的に記事が残ることになる。 現実社会で生きている人間からすれば、実社会で何ら関係ない第三者に嫌がらせをして、その行為を犯罪行為として罰せられるリスクを引き受けるということ自体、よく理解できないだろう。 しかし、ネットでのコミュニケーションを通してでしか自己の存在確認ができない孤独な者にとって、ネットでの反応は欠かすことのできないレゾンデートル(存在意義)となっている。 今回刺殺事件を起こした犯人の怒りの根拠は、はてなブックマークで「通報&封殺」されたことだ。この怒りは、たかだかネットで、特に、一部のブログサービスで発言できなくなっただけだと考えるのであれば、理解などできないだろう。2018年6月、福岡市内の松本英光容疑者の自宅アパート インターネット上で居場所として見つけた空間で、アカウントがなくなり、発言もできなくなるということは、引きこもりで現実社会との関係が薄い犯人にとって、自分の存在理由にかかわる重大な事態と映ったのではないか。自らの犯行声明をネット上に投稿した行動からは、結局、自分の行為を伝えて評価を受ける場所がインターネットしかなかったからに他ならない。 インターネットでの存在確保のために、現実社会で異常な行動に出てしまうという理路は、ネット空間での自己認識こそがリアルとなっている者の存在を知らなければ理解できない。自らに起こったことからも考えれば、このような孤独な環境にいる者は少なからずいるのではないかと、私は考えている。 今回の事件は決して何か突然変異で起こっているわけではない。私は、インターネットが出現して人間社会に欠かすことができない存在として扱われるようになったことから、起こるべくして起こった事件であると考えている。

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    かまってちゃんをこじらせた「低能先生」のキケンな化学反応

    のセミナーにおいて講師を務めた後、首や胸など複数箇所をナイフで刺され、出血性ショックで死亡するという事件が起きた。 42歳の無職の容疑者は、事件から約3時間後に血のついたナイフを入れたバッグを持って交番に出頭し、その後「ネット上で恨んでいた。死なせてやろうと思った」と容疑を認める供述をしている。 岡本さんは、ネット上のハンドルネーム「Hagex」として活動していた。セミナーの告知では、講師としてハンドルネームで紹介されていたことから、それを見た容疑者は、自らの感情の赴くままに、ネット世界の恨みを現実世界で晴らすべく殺害計画を画策したのであろう。 今回の事件は、ネット世界が存在しなければもしかしたら生涯出会うことのなかったかもしれない2人がネット上で言論を交錯させたことに起因している。 言うまでもなく、インターネットは、人間が発明した革命的な文明の利器である。時間や場所、関係性を超え、人と人との間につながりを生じさせる。殊に、ネット言論は現実の人間関係で必要なさまざまな前提を無秩序に省略してコミュニケーションを生み出し、世の中の歴史の一部を作り出してゆく。 厄介なのは、われわれはネット社会と現実社会を自由に行き来できることである。というのは、現実の人間関係とネット上の人間関係は、それぞれ異なる特性を持つにもかかわらず、両立し、かつ互いに影響し合っているからである。 しかし、このような「相互乗り入れ」は、実はそんなに簡単なことではない。ネットと現実では、人同士の距離の近さであったり、即時性であったり、匿名性であったり、率直性、コントロール性の面で異なる。ということは、異なる人間関係スキルや表現・言論スタイルが必要であるにもかかわらず、それを行使する主体は、一人の生身の人間でしかないのだ。 もちろん、二つの世界を器用に使い分けられる人が大部分だ。しかし時に、二つの世界のはざまで、人がさまざまな欲求を言動や態度として表出する過程で、アサーティブな(自分や他人を傷つけない)解消ができないことがある。そのとき、心理的なひずみが深められていく背景になるのである。2018年6月26日、送検される松本英光容疑者=福岡・中央署 つまり、ネット不適応に至る場合、人とコミュニケーションを取るスキル(技術)の問題が表面的にはある。だが、実際には、スキルよりももっと心理的には深層の、個人のさまざまな欲求や思考が「ネット言論」という場と化学反応を起こすことによって、それがある人の現実生活や人生までも変えてしまう原因になるということが、今回の事件で象徴的に示されたのではないだろうか。 容疑者はネット上で「低能先生」と呼ばれ、200回以上もIDを変えて、他人の罵倒を繰り返していたという。彼の原動力として、そこに存在していたのは、他ならぬ「自己顕示欲」であろう。揺るがされた存在価値 言葉を換えれば、「承認欲求」でもあったのではないか。あるいは、自分の人生を理想的に展開する「自己実現」の模索に近いかもしれないし、自分の行動のコントロール感を高めたかった行為であるとも見立てられる。 いずれにしても、自分の存在意義を自分で確認する行為である。ネット言論では、異質で偏った言説であっても、リアクションや称賛の対象になりうる。たとえそれが炎上のような、字義通りに捉えればネガティブに見える反応も、本人にとっては「炎上を起こしている主体」として、社会の中での自分の立ち位置を意識化することができる。 そのため、ネット言論における自己顕示は、現実生活でのそれに比べるとハードルが低く、かつ本人の欲求を満たす形で機能しやすい。心理・行動分析学の視点からいえば、自身の行為から60秒以内にリアクションが生じると、その行動が繰り返される糧になる。ネットは、それが得られる格好の場なのである。 しかしながら一方で、その効果は限定的であると言わざるを得ない。ワンパターンの「批判」というあり方でしかない自己主張は、リアクションがなくなることこそないにしても、反応は次第に下火になっていく。エスカレートしないと、自分の求める反応は得られない。そして続ければ続けるほど、敵も増えていくのである。 とはいえ、本人のモチベーションにつながる反応がゼロになるわけではない。加えて再実行のハードルは低い、というかそれしかできない。結果、また批判を繰り返す…。 しかしそこに残るのは、永遠にステップアップしない他者からの承認や、社会的地位を得られないという実感しかない。 もちろん、会社や学校など、他に自己顕示欲や承認欲求が満たされる場があれば、健康は保たれる。しかし、容疑者が無職であったとすれば、満たされない欲求と無力感だけが残る。その中で、岡本さんからの逆批判は、存在価値を根幹から揺るがされる引き金になったことであろう。 そうなれば、あとは実力行使しかない。ネットでは受け入れられない自己の価値を、他の世界、つまり現実社会で確認するほか道は残されていない。だが当然、社会性を失っている場合、短期的に承認を得られる場などあるはずがない。追い詰められてゆがんでしまった思考は、殺人という凶行によって完結したのかもしれない。2018年6月、ITセミナーで講師の岡本顕一郎さんが刺殺される事件のあった福岡市内の旧小学校施設 強いていえば、彼に客観的思考を与える他者がいれば、事件は起こらなかったかもしれない。実は、人間は現実社会の中で他者と関わることにより、ぶつかったり認められたり否定されたりしながらも、さまざまな思考や価値観に触れ、自分の主観的思考を調整している生き物なのだ。カウンセリングにおいても、どんな悩みであれ、「主観的思考」から解き放たれ、「メタ認知」(自分の思考に関する思考)を持つことができたとき、問題は解決するのである。 もし、自分の思考だけに固執せざるを得ない環境だけが彼の居場所だったとすれば、彼の中だけの「正しさ」が芽生え、強固に維持されながら、「自分の何が悪いのか」「相手は何を考えているのか」「この状況はどんな状況なのか」などということさえも適切に理解できずにいたに違いない。時には、被害妄想にも似た感情を抱えていたかもしれない。ネット言論は、そのような暴走を維持する「負の機能」も持ち合わせているのである。 ネット言論が情報の伝達手段として機能するだけではなく、人の欲望や衝動を表出したり解消したりする場であり続けることは、当然のことながら否定されるべきものではない。しかしながら、ネット言論の限界をわきまえ、唯一無二の存在として固執しない・させないマネジメントを行うことが、キケンな化学反応を防ぐ一つの策になるのである。

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    殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

    鉄道ジャーナリスト) 2018年6月9日、東海道新幹線の東京発新大阪着「のぞみ265号」の車内で殺傷事件が発生し、乗客の男性1人が死亡し、女性2人が負傷した。このたびの事件で亡くなられた方とご遺族には謹んでお悔やみを申し上げるとともに、けがをされた方が心身ともに1日も早く回復されますようお祈り申し上げたい。 新幹線約50年の歴史において、車内での犯罪によって死者が生じたケースは、今回の殺傷事件を含めて4件存在する。中でもよく知られているのは、3年前の2015年6月に同じ東海道新幹線の新横浜-小田原駅間で起きた放火事件であろう。 この事件では焼身自殺した70代の容疑者と、火災に巻き込まれた乗客1人の計2人が死亡、乗客2人が重傷を負い、そのほか乗客23人と乗務員3人の計26人が軽傷を負った。 この放火事件後、東海道新幹線を運行するJR東海は数々の対策を打ち出した。正確を期すために、運輸安全委員会が2016年6月に公表した鉄道事故調査報告書に掲載されている該当箇所を引用したい。(1) 乗客に対して、次の①及び②のとおり、啓発活動を実施した。① 注意喚起の強化 a 車内テロップや駅の発車標テロップの注意喚起文の変更 b 注意喚起放送の内容の変更 ② 危険物持込禁止、不審な物、行為発見時に対する啓発ポスターの変更(2) 乗務員室等に「乗務員用防煙マスク・耐火手袋」を搭載した。 (3) 鉄道車内へ持ち込める手回品について、平成28年4月28日から旅客営業規則で、ガソリンをはじめとする可燃性液体そのものの持込みを禁止することとした。(4) 車内の防犯カメラに関する増設及び機能強化の計画を次のとおり策定した。① 平成29年度末までに700系を除く全編成の客室内及びデッキ通路部に車内防犯カメラを増設(筆者注、今回の「のぞみ265号」には完備されていた)② 非常ブザーと車内防犯カメラを連動させ、乗務員室で即座にブザーが扱われた車両の状況を確認できるように改良する。(5) (4)②に伴い、非常ブザーが扱われたときの取扱いについて、ブザーが扱われた車両の状況を防犯カメラの映像で確認し、火災発生を判断する取扱いを追加した。「鉄道事故調査報告書 東海旅客鉄道株式会社 東海道新幹線 新横浜駅~小田原駅間 列車火災事故」(運輸安全委員会) 一見して分かるのは、いま挙げた対策の中に車内のパトロールに関する項目が存在しないということだ。車内巡回に関して、JR東海は火災事故後から、人員や頻度を増やす施策について、前向きに検討していると述べている。 事実、プレスリリースでも「当社では、お客様の安全を確保するため、ハード・ソフト両面においてセキュリティ強化に取り組んできました」と、実際に取り組んでいるかのように発表していた。2018年6月10日、東海道新幹線の車内で乗客が刺され、小田原駅構内を行き来する警察官(吉沢良太撮影) だが、現実にはJR東海は2018年3月から「のぞみ」に乗務する車掌の数を3人から2人に減らしてしまった。ならば、一部の列車で実施されている警察官や警備員によるパトロールの拡充を望みたいところだが、いまだすべての列車に導入されていないというのが現状だ。 実際、今回の殺傷事件が起きた「のぞみ265号」も警察官や警備員は乗務していなかった。当時、車掌2人と主にグリーン車での案内を担当するパーサー2人が車内の巡回担当者として乗務していただけだったという。新幹線のセキュリティー対策は? さて、新幹線車内で死者が生じた残る二つの事件のうち、一つは1988年9月に発生した。東京駅で出発を待っていた「こだま485号」の車内で飲食店の経営者が果物ナイフで刺された殺人事件で、被害者は容疑者を追ってホームに出たところで死亡した。この犯人はいまだに逮捕されていない。 実は、93年8月に起きたもう一つの事件が、今回の殺傷事件と内容が似通っている。事件の詳細は、JR東海の新幹線鉄道事業本部が95年2月に発行した『新幹線の30年-その成長の軌跡』に詳しい。今回の事件の課題、そして今後の防犯対策を探る上で極めて有益な資料であると筆者は考えるので、該当箇所を以下に引用しよう。 平成5(1993)年8月23日20時過ぎ、掛川~静岡間を走行中の博多発東京行『のぞみ24号』の車内で殺人事件が発生した。 犯人は、覚醒剤を常用している奈良県に住む27歳の男性(元モデル)で、9号車(グリーン車)の車内で埼玉県に住む出張帰りの会社員(40歳)に『うるさい』と言い、その約1時間後、持っていた刃渡り30cmのサバイバルナイフで刺し殺した。 これで車内は騒然となり、犯人の『次はどいつだ』の声に、9号車にいあわせた旅客は顔を引きつらせて逃げまどった。中には隣の10号車に逃げたり、子供と一緒にトイレに逃げ込み錠を掛けた人もいた。更に、駆けつけた車掌の『逃げろ』の声に犯人は怒り狂い、今度は車掌に切りかかった。 8時41分(筆者注:20時41分)、『のぞみ24号』が新富士駅に臨時停車すると、今度は待ち構えていた警察官を見て、犯人は前方の車両へ逃走した。11号車付近で追い付いた4人の富士署員に取り押さえられたが、この際、巡査部長1人が犯人にナイフで切りつけられ、重傷を負った。ホームにいた乗降客もこれを見て逃げまどい、新富士駅はこの捕り物に一時パニック状態となった。 新幹線にとって、走行中の車内での殺傷事件は昭和39(1964)年10月の開業以来初めてであった。 では、実際に新幹線のセキュリティー対策はどうあるべきか。筆者は、車内のパトロールを充実させるといっても限界があると考える。 仮に、各車両に1人ずつ巡回担当者を配置したとしても、今回の殺傷事件のように乗客がバッグから物を取り出そうとする動き自体を止めることはできないからだ。万全を期すというのなら、「新幹線の車内では乗り降りの際以外はバッグに触れてはならない」という規則を設けて徹底順守させるしかないわけだが、これは事実上不可能であろう。 一方で、列車内に凶器を持ち込めないよう、駅の改札口などに保安検査場を設置し、金属探知機で乗客自身を、エックス線検査装置で手荷物をそれぞれ検査してから乗車させる方策は効果が高く、犯罪の抑止効果も期待できる。筆者は、保安検査の導入を検討すべき時期に来ていると主張したい。 とはいえ、空港と同じような保安検査を実施することは極めて困難と言わざるを得ない。理由はいくらでも思いつくが、中でも大きなものを二つ紹介しよう。事件が起きたのぞみ265号の車内で待つ乗客=2018年6月9日(乗客提供) 一つは乗客の数が多いにもかかわらず、もともと駅舎内の空間が狭く、保安検査を行うことができないという点だ。実は東海道新幹線の東京駅から乗車する旅客数と、羽田空港の国内線ターミナルの搭乗者数はどちらも1日平均約10万人である。 ところが、羽田空港の国内線ターミナルビルの延べ床面積は第1、第2ターミナルを合わせて約54万平方メートルもある。しかし、東京駅の駅舎面積は、JR東日本が所有する部分を含めても地上部分は約21万平方メートルしかない。羽田の国内線ビルの面積は商業施設が含まれているとはいえ、東海道新幹線の東京駅の駅舎は明らかに狭いのである。 もう一つは「次を待たずに乗車できる」新幹線の利便性を損なうという理由だ。列車の出発時刻ぎりぎりに乗車するという芸当は、新幹線だからこそできることだ。空港での保安検査を嫌って、新幹線を利用する人も多いという点からも明らかであろう。もし、保安検査を実施するとなると、空港のように列車の出発時刻の15分前が乗車の締め切りとなってしまうだろう。JR各社の「所詮は犯罪」 理由はほかにも挙げられる。例えば、検査によって車内に持ち込めなくなった手荷物をどのように扱うかも検討しなければならない。現状では新幹線の車両には荷物室が存在しないため、新たに設置するか、該当の手荷物を放棄してもらうか、旅客に乗車自体をあきらめてもらうほかない。 そもそも、「なぜ新幹線ばかりセキュリティーを強化しなくてはならないのか」という意見だってある。同じ乗り物であれば、在来線や私鉄、地下鉄やバスも対象にすべきであろうし、さらに対象を広げればエレベーターも当てはまるであろう。この点においては、やはり密室になる時間が長く、なおかつ救助が期待される場所、つまり駅に停車できるまで他の乗り物と比べて時間を要するという点を理解してもらう必要がある。 言うまでもなく、筆者も今すぐ新幹線で保安検査を導入できるとは考えていない。最初は抜き打ちや、サイズや重量で明らかに突出した手荷物に対して検査を実施するという具合に段階的に開始し、車両や設備の改良を待つほうが現実的だ。 利便性の低下については一言で言えば、慣れの問題と考える。かつて地下鉄サリン事件が発生した後、地下鉄での保安検査は導入されなかったが、その代わりにより密閉された空間となるドーム球場などで手荷物検査が行われるようになった。導入当初は混乱もあったものの、今では当たり前のこととして人々に認識されている。 痛ましい殺傷事件が起きた今だからこそ、そしてラグビーのワールドカップや東京オリンピック・パラリンピックといった国際的なイベントが控えている今だからこそ、新幹線での保安検査に理解が得られるのではないだろうか。 では、実際に新幹線での保安検査を鉄道事業者が導入するだろうか。結論から言うと、国から強い指導を受けない限り、保安検査が導入される可能性はないと筆者は考える。膨大な手間と費用を要する上に、言葉は悪いが「所詮は犯罪」という鉄道事業者自体に責任のない事象を予防するに過ぎないからだ。 放火事件の場合、責任の所在を問わず、鉄道事業における「列車火災事故」となって、国には改善策を示さなくてはならないが、殺傷事件にはその必要もない。今までの事例から考えれば、一定の頻度で犠牲者が生じるのはやむを得ないと、鉄道事業者が考えているとさえ言える。2015年6月、車内で放火事件が発生し、小田原駅手前で停車する東海道新幹線の車両(川口良介撮影) また、保安検査を導入するにしても、JR東海、そして東海道新幹線の列車が乗り入れるJR西日本の山陽新幹線だけに限定されそうだ。新幹線は2社に加え、JR東日本とJR九州、JR北海道も営業を実施しているが、残りの3社は乗客数の少なさや鉄道事業者の経営状況が悪いことを理由に、頑として導入しないだろう。新幹線の中にも安全に格差が生まれるのである。 利用客も、そして世論もこういった鉄道事業者の考え方に同調するのであれば、それでもいいだろう。しかし、何の落ち度もない人間が、ただ単に新幹線を利用していただけで命を落とし、その教訓がほぼ全く生かされないという事実を、未来の人々が見たらどう思うであろうか。 「新幹線の安全神話」とは、素晴らしい伝統を命懸けで守っていくことではないのか。これこそが正しい保守主義だと筆者は考えるが、世論から間違っているといわれるのであれば、それも致し方あるまい。

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    山口達也が即解雇にならなかった、本当の理由とは

    度の事情聴取をしたが、山口が事務所に報告したのは4月16日だった。4月25日にNHKの報道でようやく事件が明らかとなり、他のメンバーは初めて何が起きたかを知った。TOKIOの山口達也が強制わいせつ容疑との一報を受け、ジャニーズ事務所前には報道陣が集まった=2018年4月25日、東京都港区(桐山弘太撮影) 翌日、山口が謝罪会見を開き、5月2日には、城島、国分太一(43才)、松岡昌宏(41才)、長瀬智也(39才)のメンバー4人が緊急の会見を開いた。  松岡はその場で、「正直、あなたは病気です」と山口に直接伝えたことを明かした一方で、複数の病院で、「アルコール依存症という診断はなかった」と話した。山口達也の本当の病名 この騒動は不可解な点がまだ多く残されている。なぜ山口は肝臓を休めるための入院から退院したその日にすぐに酒を口にしたのか。それなのになぜアルコール依存症ではないのか。山口の酒癖の悪さは業界の一部では有名だったというのに、なぜ手が打たれなかったのか。打てなかったのか。なぜ事務所はすぐに事件を公表し、山口を解雇しなかったのか。なぜ事務所はすぐに辞表を受理せず、少し経ってから、契約解除にしたのか。それらの疑問を解くカギは、山口の「本当の病名」にある。「山口さんはアルコール依存症の疑いがあると報じられていますが、本当の病名は『双極性障害』、いわゆる『躁鬱病』だそうです。マライア・キャリーも先日、17年間も双極性障害に苦しんでいると初告白しました。日本で『鬱病』の患者数は500万人いるといわれています。山口さんももう6〜7年は前から苦しんでいるそうです。この病気のため精神が不安定になったことが、今回のさまざまな出来事の根幹にあります」(音楽業界関係者) メンバーが会見する前々日の4月30日、都内の高級ホテルの一室にTOKIOが勢ぞろいした。事件発覚後、初めてのことだった。「4人が先に集まり、今後のことを協議していたところ、入院中の山口さんが合流して1時間半ほど話し合いました。入院先の病院で情報を遮断されていた山口さんは世間の厳しい声やメンバーの反応を一切知らず、事の重大さを理解できていなかったところもあった。そのことに苛立ちを隠せないメンバーもいたそうです」(芸能関係者) だが、その場でメンバーが必要以上に山口を責めることはなかった。なぜなら、全員が山口が何に苦しんできたかを知っていたからだ。画像はイメージです(iStock)「長年にわたる躁鬱苦で山口さんの精神が弱りきっている上に、今回の事件で彼の心は完全に壊れていた。“自ら命を絶ってしまわないか”と周囲は本気で心配していました。だからメンバーは追及できなかった。事件発覚後すぐ解雇しなかったのも、ショックのあまり突発的なアクシデントが起こることを恐れたからです。そのため、拙速に対応するのではなく、山口さんが辞表を提出してからも時間をかけて、最後に自らの決断で身を引くかたちにしたんです」(前出・芸能関係者)  事務所が幕引きに時間をかけたのは、未成年の被害者に配慮したからでもある。「女子高生の保護者が“誰一人の未来もこの事件によって奪われてほしくない”というコメントを出しました。そこに気を遣ったようです。国民的人気グループのメンバーである山口さんが不本意な形ですぐにクビにされれば被害者の女子高生が責められてしまう風潮になりかねません。実際、ネット上では被害者を特定し、“数千万円の示談金をもらった”との根も葉もない中傷が飛び交っています。風評被害を最小限にするため、山口さんが納得した上で契約解除し、今後も事務所がサポートする方向にすることがベストでした」(前出・スポーツ紙記者)関連記事■ 山口達也 ”VIP病院”への極秘入院姿を撮った■ TOKIOの4人が怒り隠さなかった「山口達也の無責任な行動」■ 二宮和也&伊藤綾子 車中の初ツーショット写真を公開■ 山下智久 Nikiとのハワイ1週間ラブラブバカンスの様子■ チュートリアル徳井、チャラン・ポ・ランタンももと自宅デート

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    ハンドル握れば人格変わる「あおり運転」の謎

    ハンドルを握ると、なぜか人格が変わってしまう。こんな経験、一度はないだろうか。急増する「あおり運転」も、普段は大人しいのに、車に乗ると危険ドライバーに豹変したという事例も多いらしい。あおり運転はなぜ後を絶たないのか。ドライバーの運転心理や社会的背景を読み解く。

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    身近に潜む「あおり運転」危険ドライバーの深層心理

    為、あるいは実際に危害を及ぼす行為も含んでいる。海外では、口論の結果、相手を銃で撃ち殺すというような事件も度々報じられている。 一方、「アグレッシブドライビング」は、極度の速度超過、短い車間での追従、無茶な割り込み、頻繁で不必要な車線変更、意識的な信号無視、進路妨害など、故意に交通法規を破って危険な運転をする行為だ。 日本よりも早くクルマ社会となった欧米諸国でも、これら「ロードレイジ」「アグレッシブドライビング」はかなり以前から問題視されているが、有効な解決策が見いだせていないのが現状だ。 特に「あおり運転」は、車間をピタッと詰めて追走してくる、あの逃げられない恐怖感は経験するとしばらくは忘れることができない。そして、各種調査では、多くのドライバーがあおられた経験を持つことが明らかになっている。 なぜこんなことをするのかと憤り、なんとかならないのかと考えるが、その一方で自分も過去にあおり運転をやったことがあると思い出すドライバーも多いであろう。あおるという行為には、実はちょっとはずみでやってしまう危険性が潜んでいる。 このあおり運転を攻撃行動とみなし、心理学者であるダラードの「欲求不満―攻撃仮説」やバーコウィッツの「攻撃手がかり仮説」を適用すると以下のようになる。 我々の普段の生活は、次から次へと問題が発生して対応に追われ、慢性的に不満やストレスを抱えている。車に乗る直前に発生した何がしかの出来事のせいでむしゃくしゃしているようなこともある。そして車に乗って走り出すと、渋滞に巻き込まれたり、前をノロノロと走る車がいたり、不意に割り込まれたり、大したことではないのにクラクションを鳴らされたり、怒りやイライラで興奮が高まる材料があちらこちらに転がっている。 真夏には強い日差しの中でじっと運転席に座っているということすら不満の種となる。そして「欲求不満―攻撃仮説」によると、欲求不満が高まると不快な生理的興奮や怒りがもたらされ、それらを解消する手段として攻撃行動が生じる。アクション映画を見て痛快でスカッとした気分になったときのことを思い浮かべてもらうと、攻撃行動がカタルシス効果(心の浄化作用)を持っていることがわかる。ハンドルを握ると豹変する人たち 「攻撃手がかり仮説」では、欲求不満だけでなく他者からの攻撃や過去の攻撃習慣によって攻撃へのレディネス(準備状態)が高まり、攻撃を連想する手がかりが目に入ることによって攻撃行動が起きるとされる。 他車のせいでハンドル操作やペダル操作をしなければならないことや、自分の思うような運転ができない状況は、不本意ながら対応せざるを得ないという点では攻撃を受けたのと同じであり、そういう状況をもたらした他車に対して報復や制裁をという思いが生じる。 一方で、あおり運転をやっても警察に捕まったり誰かから咎(とが)められたりすることはほとんどないため、あおることは習慣化しやすい。仮説に従うと、悪いことに回数を重ねれば重ねるほど簡単にレディネスが高まるようになるとされる。 車は人を殺傷することができる武器であり、ハンドルを握っていることは銃を手にしていることと同じだ。運転をする行為そのものが攻撃行動を誘発する格好の手がかりであることは言うまでもない。標的となるのは、すぐ目の前を走っている車である。 もちろん、欲求不満が高まり興奮したからと言っても、すべてのドライバーがあおり運転をするわけではない。人の性格や生育環境はさまざまであり、欲求不満になると他の人よりも怒りが生じやすく、他人に対して攻撃的になりやすいタイプの人たちがいる。こういった人たちは、他人からの敵意を過度に感じやすいとも言われている。 意図的ではない偶然の出来事であっても、自分に向けられた悪意と思い込む「敵意帰属バイアス」がかかってしまう。そして、報復として相手を攻撃してしまうのである。怒りを鎮める方法としては相手に怒鳴ることもできるが、残念ながら車の中では怒鳴っても相手には聞こえない。運転時に手軽に行うことができる攻撃手段は相手をあおることである。 また、攻撃的な運転をする人たちは普段の生活においても他人に攻撃的である可能性が高い。運転とライフスタイルが関連していることは多くの研究で指摘されており、交通違反が多い人は交通事故も多く、そういう人たちは運転以外の社会生活においても規則を守らなかったり他人とトラブルを起こしがちであったりすることが明らかにされている。2017年10月、移送される石橋和歩被告=福岡空港署 その一方で、ハンドルを握ると豹変する人たちがいる。生まれ持った気質としては攻撃的であったり、刺激を求める欲求が強かったりするのに、普段は大人しく振る舞っている人たちであろう。現代社会では粗暴な仕草や言動は嫌われるため、われわれは小さい頃から礼儀を失しないように振る舞う教育を受けてそれが習性となっている。 自分の家の中や車の中などプライベートな空間は周囲の目を気にする必要がないため、本来の自分が出やすくなる。特に、車の場合はスピードが興奮をもたらすため、その興奮が呼び水となって、攻撃的で刺激を求める本来の自分が呼び起こされやすくなるのではないだろうか。 また、服装によって自分の気持ちや振る舞いが変わるように、運転する車によってドライバーの気持ちや運転が変わる。大きな車、スピードの出る車、高級車に乗っているような場合は、自然と車のサイズ、パワー、価格などが周囲のドライバーに対する優越感をもたらしてくれる。 運転が楽しめ、満足感が得られること自体は悪いことではなく、そういった車を所有し、運転することで生活の質が向上するのであれば歓迎すべきことだ。しかし、中にはそういった優越感から他人を下に見て自己中心的な運転を行ってしまう人たちもいる。匿名性が助長する「あおり」 あおり運転に話を戻すと、あおり運転が危険で重大事故を招く可能性があることは明白だが、本人にその意識や罪悪感はまったくないのが特徴だ。自分は運転が上手いと思い込んでいることもあり、自分はいつもの車の中にいて安全と信じて疑わない。加えて、後でトラブルに発展すると想像できないことも、軽い気持ちでやってしまうことを後押ししている。 さらに、あおり運転をしてもすぐに身元がバレないことも大きい。似たような車は沢山走っているので、どこの誰だかわからないだろうと思い込んでいるドライバーは多い。匿名性が高いときに自制心が弱くなりがちであることは、ネットのトラブルで知られている通りである。 そして、すぐに逃げることができる。高速移動手段である車に乗っているので、興奮が収まれば、あるいはヤバイと思えば、あおっていた車からすぐに離れることが容易である。逃げてしまえば、報復されるようなことはない。 他にも、あおり運転を生じさせやすくしている原因はいろいろあるが、もう一つだけ付け加えるならば、相手(あおられている側)のドライバーの顔が見えないことも大きいであろう。顔が見えないために、相手がどう感じているかを想像することができず、共感による攻撃の抑制が生じにくい。 相手の様子を見て思いとどまる、適当なところでやめるといった機制が働かないのだ。人に対してというよりモノに対して接している感覚で、一方的に攻撃をしかけるということになる。 こうしたあおり運転の横行に対して、2018年1月に警察庁は、「いわゆる『あおり運転』等の悪質・危険な運転に対する厳正な対処について」を全国の警察に通達した。この通達には、悪質・危険な運転が認められた場合には、積極的に証拠資料を収集し、道路交通法違反だけでなく、危険運転致死傷罪、暴行罪などの法令を駆使して捜査の徹底を期すこと、積極的に交通指導取締りを実施すること、教育や広報啓発活動を推進することなどが指示されている。2017年12月、チラシを手に、ドライバーにあおり運転の禁止を呼び掛ける警視庁の白バイ隊員=首都高速平和島パーキングエリア しかしながら、諸外国も長年懸案事項としながらも有効な解決策が見いだせていない問題であり、そう簡単に解決できるとは思えない。常習者は取り締まりを多少強化したところで見つかるはずがない、捕まるわけがないと思っているであろう。 今後は、法の整備やITS(高度道路交通システム)を使った取り締まりシステムの活用、あおり運転ができない車の開発などに期待したいが、当面は自衛することが必要となる。ドライブレコーダーを設置して客観的証拠を残すようにすることは一つの手であるが、そもそもの標的とならないようきっかけを与えないことが重要だ。 あおられたドライバーは、理由もなく急にあおられたという印象を持つことが多い。しかし、気づいていないだけで実際には相手があおりたくなるなんらかの行為を行っていたであろうことがほとんどである。追い越し車線をノロノロと走っていたり、車線変更のときにちょっと危ない割り込みとなってしまったというようなことは要注意である。 前後左右、周りをしっかりと見ること、そして周囲の車に配慮を示すことが安全運転の基本であるが、現時点ではこれがあおられることを防ぐ最も有効な対策なのだ。

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    危険運転致死傷罪と過失運転致死傷罪を分ける「法律の壁」

    道路で運転妨害を繰り返したうえに、追い越し車線に車を停車させ、追突事故を引き起こし夫婦の人命を奪った事件。逮捕された石橋和歩容疑者(25才)。その逮捕容疑は「過失運転致死傷罪」だ。 同罪は「7年以下の懲役または禁錮もしくは100万円以下の罰金」と定められている。これは通常の人身事故と変わらない刑罰で、罰金刑で済む可能性すらある。交通事故に詳しい東京永田町法律事務所の加藤寛久弁護士が解説する。「交通事故には、最高20年の有期刑を科す『危険運転致死傷罪』があります。ただし、これを適用するには、運転手の行為が酩酊運転、高速度運転、未熟運転、妨害運転等に該当しなければならない」 一見すると石橋容疑者の行動は「妨害運転」に該当しそうだが、司直の見解は異なる。「危険運転致死傷罪が成立するのは、先の危険運転で“人を死傷させた”ケースです。今回の事故でいえば、石橋容疑者が妨害運転をしたと認定されても、彼自身が死傷させたと判断できるかどうか。ここに法的な難しさがあるんです。今後の捜査次第で危険運転致死傷罪に該当すると判断できる可能性もあるが、現時点では難しい。このため、警察は刑の軽い『過失運転致死傷罪』で逮捕したのだと思います」(加藤弁護士) 石橋容疑者が危険運転致死傷罪での逮捕ではなかったことについて、「事故のきっかけを作っておいて、なぜ?」と疑問が噴出している。『バイキング』(フジテレビ系)でも、坂上忍(50才)が「法の矛盾を痛感する」と憤り、山本譲二(67才)も「殺人だと思う」と断言した。 過失運転致死傷罪と危険運転致死傷罪を分ける「法律の壁」は、これまで何度も議論となってきた。 2000年4月、神奈川県座間市で検問から猛スピードで逃走した車が歩道に突っ込み、通行中の大学生2人を即死させる「小池大橋飲酒運転事故」が発生した。運転手は飲酒していた上、無免許だったにもかかわらず、判決は業務上過失致死罪で懲役5年6か月。 これに対し、遺族の母親が、「人を殺めながら窃盗罪(10年以下の懲役)より軽い罪なのはおかしい」と法改正を求める署名を始めた。2006年9月、福岡・海の中道大橋飲酒運転事故の現場で、犠牲となった幼いきょうだいの冥福を祈る人ら。裁判では危険運転致死傷罪の適用が争点となった 前年(1999年)には一家4人が乗る乗用車に飲酒運転の12トントラックが追突し、女児2人が死亡する「東名高速飲酒運転事故」が起きており、相次ぐ悪質な事故とそれに見合わぬ刑罰に国民の不満が爆発。遺族は37万人超の署名を集め、2001年11月、危険運転致死傷罪が成立した。 以降、悪質な交通事故が同法で裁かれるケースは確かに増えた。2006年8月、福岡県福岡市の「海の中道大橋」で、会社員の乗用車が飲酒運転の車に追突されて博多湾に転落。同乗していた3人の子供が亡くなる事故が起きた。当時22才の運転手に同法が適用され、最高裁で懲役20年の刑が確定している。関連記事■ 東名夫婦死亡事件 被害者母が告白「解明導いた長女の強さ」■ 千野志麻「逮捕されなかったのは著名人だから」との見方あり■ 東名死亡事故石橋容疑者 女性と一緒だと態度がひどくなる■ 死亡事故被害者遺族 千野志麻に「一生、憎みます」と告げた■ 娘を失った風見しんごが「人生どうにかしなきゃ」になるまで

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    「アンガーマネジメント」できていれば東名死亡事件なかった

    が、これに対して「罪が軽すぎる」などと議論が巻き起こり、萩山さんの母も本誌の取材に対して「これは殺人事件。容疑者を厳罰に」と悲痛な思いを訴えた。 そんな遺族感情に応えるように、10月31日、横浜地検はより刑の重い危険運転致死傷罪で石橋被告を起訴した。(iStock) だが、遺族の悲しみは消えるわけではない。石橋被告の犯した罪は重い。彼があのとき感情をコントロールすることさえできていれば、今も萩山さん一家は幸せな日々を送っていたはずなのだから…。 なぜ石橋被告はキレてしまったのか、怒りを抑えることができなかったのか。寝不足、スマホの使いすぎで怒りやすくなる寝不足、スマホの使いすぎで怒りやすくなる「怒りは瞬間的にスイッチが入ります」と語るのは、早稲田大学研究戦略センターの枝川義邦教授だ。 そもそも動物が「怒り」をあらわにするのは、身を守るための行為なのだという。「脳の『扁桃体』は、五感がキャッチした多くの情報が集まる場所で、好き嫌い、快不快、不安、恐怖、悲しみといったさまざまな強い感情が湧き出るときに働いている。そして、扁桃体がかかわる感情は立ち上がりが早い。感情を向ける対象者が敵の場合、目前の敵から逃げるか、戦うかの判断を早くしないとならないからです。目の前の敵に対するストレス反応ともいえます」 石橋被告は萩山さんを敵と認識し、攻撃に転じたのだろう。だが、本来、怒りは長時間持続することはない。「人間は怒っているときには交感神経が優位になるので、心拍数や血圧が上がり、呼吸も速くなる。このようなストレス反応は長期間続かないような仕組みが体に備わっています。交感神経とバランスを取るように副交感神経の活動が高くなったり、理性を司る脳の『前頭前野』が活発化し、その怒りにブレーキをかけようとする」(枝川教授) しかし、近年、石橋被告のように、そのコントロールができない人が増えている。「寝不足、スマホの使いすぎなどでも前頭前野の機能は低下します。ストレスホルモンである『コルチゾール』の分泌が増えることでも前頭前野の機能は低下することから、ストレスに晒され続けている人は理性のブレーキが利きにくくなり、怒りが爆発しやすくなるのでしょう」(枝川教授)(iStock) だが、「怒り」はコントロールすることができるという。「自分の『怒り癖』を自覚し、『アンガーマネジメント』すれば、今よりも生きやすくなるはず」と話すのは、日本アンガーマネジメント協会の安藤俊介代表理事だ。「アンガーマネジメント」とは、その名の通り、怒りの感情を自ら管理すること。「石橋被告も『アンガーマネジメント』できていれば、きっと事故は起こらなかった。2人の命は救えたはずだし、多くの人々の人生が変わることはなかった」(安藤氏)関連記事■ 東名死亡事故石橋容疑者 女性と一緒だと態度がひどくなる■ 怒りのピークは6秒程度 社会人失格の扱いを回避する対処術■ 東名夫婦死亡事件 被害者母が告白「解明導いた長女の強さ」■ 怒る原因は自分以外にあると思いがち 実は受け取り方にある■ 東名死亡事故被害者の母「私が生きてる間は外に出さないで」

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    西部邁「自殺の死生観」の罪と罰

    「おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくない」。今年1月に自殺した保守論客、西部邁氏は遺稿の中でこう綴っていた。西部氏の自殺に絡み、私淑の2人が幇助容疑で警察に逮捕されたが、彼らはなぜ罪を犯すまで心酔したのか。西部邁が遺した「死の哲学」を問う。

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    西部邁の「自裁死」を私の友人が手助けした心奥は理解できる

    木村三浩(「一水会」代表) 今年1月、東京・大田区の多摩川で亡くなった評論家、西部邁(すすむ)先生の「自裁」を手助けしたとして、4月8日、自殺幇助(ほうじょ)容疑で、東京MXテレビ子会社社員の窪田哲学、会社員の青山忠司の両容疑者が逮捕された。西部先生の自裁そのものもメディアで大きく報じられたが、それ以上に注目されたのが、2人の逮捕であった。 窪田氏とは、MXテレビの番組『西部邁ゼミナール』などで何度も会い、酒席をともにしたこともある友人だ。とても礼儀正しい人物で、優しさとともに強い正義感を持った好青年である。青山氏に関しては、正確にいえば西部先生の密葬の際に初めて紹介を受けて話をしたので、それまでは面識がなかった。 私は西部先生と酒席でご一緒することが多かったが、先生はよく「おい、窪田君を呼んでくれ!」と言って電話をかけ、窪田氏も時間が折り合う時にはその場に駆けつけていた。西部先生が窪田氏をとても頼りにしていたのがよくわかった。窪田氏は、口数は少ないが、自身の立場をわきまえた振る舞いができる人であり、西部先生が使う独特の表現や形容を、自身でかみ砕いて体得していた。また、西部先生の考え方や生き方に強く惹かれているように見えた。 いつものように酒を飲んでいる時、究極的に信頼できる人間とはどんな人間かという話題になった。西部先生は戦後の高度成長を支え「電力の鬼」と呼ばれた財界人、松永安左エ門の言葉を借りて「刑務所に入ったことがある人」「大病をしたことがある人」「放蕩したことがある人」であると答えると、窪田氏が深くうなづきながら「そうですね」と共感していたことが印象に残っている。 青山氏については、西部先生が主宰する私塾「表現者塾」で塾頭を務め、先生の政治的スタンスや問題意識、哲学にいたるまで、深く理解し共有していた人物だと思う。 そんな私の友人である窪田氏と青山氏が、西部先生の死生観に共鳴し、自裁を手助けするまでに至ったことに驚きはしたものの、理解はできた。 2人とも尊敬する西部先生の思いを尊重し、覚悟を決めての行動ではなかったかと思う。常日ごろから言葉だけで敬意を表するのでなく、いざというときに本領を発揮してこそ、本物の尊敬である。その意味でいえば、「知行合一」(ちこうごういつ)の実践なのであろう。東京MXテレビの番組「西部邁ゼミナール」に出演中の西部邁氏(同局提供) もちろん、両氏にも家族がおり、逮捕された以上、自分自身のこれまでの立場や身分を失うだけでなく、家族にまで影響が出ることも予想していただろう。早い段階から、彼らの自宅付近にはテレビカメラを持った人物がうろついたりして騒ぎになっていただけに、両氏にしてみれば覚悟の上とはいえ、複雑な心境だったにちがいない。 こういう事態になると、決まってさまざまな方向から批判の声が上がってくるものだ。報道で大きく取り上げられていることから、西部先生に対する批判が身内からも上がっていた。 「なぜ、独りで自己完結されなかったのか」、「『人に迷惑をかけることを潔しとせず』を旨としていながら、両氏を巻き込むとは、もはや西部の論理は破綻した」という声もある。 その指摘は十分理解できるが、西部先生と彼らの心情がどのようなものであったか、それは当事者しかわからない事だ。まだ、真相がわからない段階で「破綻した」などと断定的な結論を出すのは、いささか性急だと思えてならない。幇助容疑の2人は「悪人」か むしろ、「やむにやまれず」「自分たちが何とかしなければ本懐が遂げられない」との逡巡(しゅんじゅん)、葛藤、苦悩から来る行動だったのではないだろうか。「いくら西部先生からの頼みとはいえ、断るのが普通だ」という意見も側聞されている。 だが、主従関係の問題ではなく、優しさや人情の問題であり、自分自身を勘定に入れない振る舞いの意識の発露だろう。ややもすると、法律に抵触するかもしれないことを前提にしても、そう簡単にドライに割り切れないのが、人間関係の厄介なところだ。 それにしても、警察は2人を逮捕しなければ、事実を解明できなかったのであろうか。西部先生の遺体の口に劇薬が入った瓶が差し込まれていたことや、防犯カメラの映像などから窪田氏、青山氏の関与が浮上したのはわかるが、2人とも捜査に協力していたうえ、任意の取り調べにも全面的に応じていた。逃亡する意思も見えず、否認もしていない。 したがって、警察が逮捕、勾留したことについては、疑問と違和感をおぼえる。さらに、テレビや新聞などの連日の報道は、窪田、青山両氏の映像や写真を大々的に流し、窪田氏が護送車で移送されるシーンは繰り返し流された。まだ起訴もされていない段階から、「周到に計画していた」などと、彼らを「悪人」のように扱う印象操作にも、激しい違和感を禁じ得ない。 西部先生に忠誠を誓い、葛藤しながらも手助けをした両氏やその家族まで巻き込み、皆がある意味で本意でない展開になってしまったことは、西部先生自身が予想したものでもなかったはずだ。いま現在の私の心境を語れば、「残念」という言葉で片付けられる問題ではないが、本当に悔しい。 振り返れば、西部先生はもう15年以上前から「自裁したい」と私にも語っており、年齢を重ねるにつれ、ここ数年は「自分の意思もわからない状態で看取られるのは耐えられない」、「もうそろそろ限界だ」とも言っていた。 そこで私が、「ちょっと待ってください、まだまだですよ。この腐り切った日本に喝を入れていかなければなりません」と、気持ちを翻意させようとすると、西部先生は「もう覚悟はできているんだ。君のほうこそ覚悟を決めて受け入れてくれよ」と真面目な顔で、やや凄むように言ったこともあった。奈良「正論」懇話会で講演をする評論家の西部邁氏=2010年3月、奈良市 実は、自裁する5日前、西部先生と私は駐日ロシア大使館を表敬訪問していた。日本とロシアの友好について、ロシア代理大使と意見交換を行い、その後はテレビ局のスタッフを交えて、夜半まで酒をごちそうになった。翌日にお礼の電話をしたとき、西部先生は「昨日は会えて楽しかったよ。でも、もう会えないからね」と私に言った。 そして1月21日、西部先生の言葉は現実になった。訃報を聞いて思わず涙がこぼれてしまい、しばらくは心が重苦しい日々が続いた。数日後、渋谷区幡ヶ谷の代々幡斎場に遺体が棺に納められて安置され、最後のお別れをさせていただいた。 西部先生の顔を撫でることなど生前は想像だにしていなかったが、お別れと思ってお顔に手を当てたらひんやりと冷たかった。まるですべてを成し遂げた後のような美しい表情であった。火葬にも参列させていただき、出棺前には、先生が好んで歌われた「蒙古放浪歌」を、僭越(せんえつ)ながら花向けに高唱し、棺の中に歌詞が書かれた歌集を納めた。その後、ご遺族、近親者の方々とともに、骨揚げもさせていただいた。 私にとって印象深いのは、西部先生が抱いていた憂いだ。亡くなる前、西部先生は、安倍政権が次々に進める対米隷属政策に対して、「日本は独立の気概を失ったのか。まさに『JAP.COM』だな。ざまあみろ」と、嘆いていた。「JAP.COM」とは、西部先生の最後の著書『保守の遺言』(平凡社新書)にあるように、日本人のほとんどが会社員の振る舞いのように、目先の利害に反応して右、左へと喋々(ちょうちょう)していることを指している。 いま、私は西部先生のこの言葉を自分なりに反芻(はんすう)している。西部先生は、保守という言葉の意味を理解しようとしない人ばかりであるとも嘆いていた。 西部先生が旨としていたことを集約すると、「公正、節度、寛容、義俠」を大切にしていたのではないかと思う。西部先生は、これらの精神を失うことなく、自身の知識や教養を積み重ね、客観的評価にも堪え得る説得力を持っていたのであろう。 西部先生には長年にわたり、公私ともにお世話になった。力不足かもしれないが、先生の言霊(ことだま)をしっかり胸に刻み込んで、その意志を自分なりに体得していきたいと思っている。心より、ご冥福をお祈り申し上げる。

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    西部邁が死ぬまで許せなかった「大衆社会の病理」

    舛添要一(前東京都知事) 西部邁(すすむ)さんが1月21日、多摩川に入水自殺した。その後、警察の捜査で自殺幇助(ほうじょ)の容疑で、東京MXテレビの番組『西部邁ゼミナール』の担当者と、西部さんが主宰していた「表現者塾」の元塾頭の2人が逮捕された。2人は西部さんのいわば「信者」で、「先生の死生観を尊重して力になりたかった」と供述している。 また、2人は昨年から周到に準備したと言うが、刑法202条の規定により、自殺幇助は6月以上7年以下の懲役または禁錮となる。西部さんに頼まれたとしても、彼の承諾・同意が違法性阻却事由とはならない。 西部さんも「信者」の2人も、自殺幇助が刑法上の犯罪に当たることは知っていたと思う。そのために多摩川へ向かうときに防犯カメラの設置されている幹線道路を避けたのであろう。本人は自殺願望を遂げたとしても、何となく後味の悪い結末となってしまった。 1987年から89年にかけての教官採用人事をめぐる「東大駒場騒動」では、村上泰亮教授、公文俊平教授、西部さん、それに助教授だった私の4人が辞表を出して大学を去った。このときは、新進気鋭の文化人類学者、中沢新一・東京外国語大助手を、駒場キャンパスにある教養学部の助教授に採用しようとしたが、それを推薦したのが西部さんだった。ところが、反対する「守旧派」は正当な手続きさえ踏みにじり、この提案は葬り去られてしまった。 西部さんが辞表を出した最大の理由は、この人事を進めた村上教授や佐藤誠三郎教授に多大の迷惑をかけたというものであった。つまり、他人に迷惑をかけるのを嫌った人だったので、自殺幇助で2人に迷惑をかけることは躊躇(ためら)ったはずである。 しかし、それでも実行したのは、奥さんに先立たれ、手も不自由になって、生きる気力を失ったのであろう。また、今日の日本社会の状況にも絶望し、一日も早く死にたいという思いが募ったのかもしれない。1997年11月、国際政治学者として活躍していたころの舛添要一氏 西部さんは「60年安保」当時、全日本学生自治会総連合(全学連)中央執行委員として指導的役割を果たしたが、その後転向し、保守の思想へかじを切る。そのときに、彼に浴びせかけられた冷ややかな大衆の目が、彼の大衆への懐疑を生んだものと思われる。 そして、東大教養学部の教授会は、ルールを無視し、多数の横暴によって人民裁判的に一定の結論に導こうとする大衆社会の危うさを再認識させたものと思われる。駒場時代には、政治学と経済学という専門の違いはあっても、よく昼食時などに議論を戦わせたものである。 特に話題にしたのが、スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』(1930年)だった。2人で大衆がいかに信用ならないかを確認し合ったものである。彼は、その考えを『大衆への反逆』(1983年)という評論集にまとめ、保守主義者として世間の注目を集めた。 当時は、本を出版すると同僚教授たちに献呈するのが常であった。西部さんは「お礼を言われるどころか、本が売れてもうかっていいなと嫌みを言われる。だから、もう本をあげるのは止めるよ」と苦笑していたことを思い出す。大学のキャンパスは、嫉妬の渦巻く閉鎖社会であった。深刻化する「大衆社会の病理」 私は欧州留学から1978年に帰国し、しばらくしてから駒場の助教授のポストに就いた。だが、日本人の集団主義、画一主義、権威主義には辟易(へきえき)としていた。そのような状況の中で、駒場キャンパスは東大の中でも自由な雰囲気があり、優秀すぎたり、個性が強かったりして、本郷キャンパスから放逐された者が集まっている梁山泊(りょうざんぱく)のような感じであった。 この自由なキャンパスの中で、社会科学者のわれわれは、社会学、経済学、政治学、社会思想史、国際関係論などと分化した学問を再統合すべく、相関(interdisciplinary)社会学科というプラットホームを立ち上げた。そのときに、中心になったのが、駒場騒動で辞任した教授連であるが、守旧派からの猛攻撃にさらされたことは言うまでもない。 西部さんもまた、ケインズなどの伝統的経済学と政治思想史との連結を図り、新たな分野を切り開こうとしていた。しかし、いつの間にか頑迷固陋(ころう)な教授たちが力を増しており、そのような新しい試みは無理だと考えた私たちは、駒場キャンパスを去っていったのである。 西部さんはその後、論壇で、また『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)などで、保守主義者としての考え方を遠慮なく披瀝(ひれき)していった。舌鋒(ぜっぽう)鋭く相手を論破するが、語り言葉は長く、冗長となることもあった。また、文字の語源をたどって、そこから議論を始めることがよくあった。そのようなとき、私は「また、西部さんの『ブチブチ』が始まった」と揶揄(やゆ)したものである。 25年前の4月8日、カンボジアで国連ボランティアの中田厚仁さんが銃撃され、死亡した。当時現地にいた私は、危険なシェムリアップ州から比較的安全なプノンペンに戻ってきたところで、彼に会い、インドネシアの精鋭部隊も交えて談笑する機会があった。彼は選挙監視のために地方へ行くと語ったので、私はくれぐれも注意するように諭したものである。 中田さんのお父様も立派な方で、息子が亡くなったとき、狼狽(ろうばい)することなく静かなほほ笑みを絶やさずに対応された。その態度を批判する一部の論者に対して、厳しく叱咤(しった)したのが西部さんであった。悲しみのときに、あのような高貴な姿勢を維持できる人間の素晴らしさ、それに比べてテレビのワイドショーに出演するコメンテーターの低劣さ、それこそが西部さんが許すことのできない「大衆社会の病理」なのであった。秀明大学教授時代の西部邁さん その病理は、病膏肓(こうこう)に入るといえるくらいにひどくなっている。大衆迎合主義、ポピュリズム、排外的ナショナリズムを自由な民主主義の祖国である米国のトランプ大統領が鼓吹(こすい)している。 欧州でも同じ風が吹いている。西欧諸国のみならず、ポーランド、チェコ、ハンガリーのような東欧諸国でも同様である。ファシズム前夜と言ってもよい状況で、自由な民主主義の行方には暗雲が垂れ込めている。西部さんの絶望の深さが、私にはよく分かる。 西部さんは酒が好きだった。そして、仲間と朝まで飲み明かすのを楽しみとした。私は、酒よりも食事のほうに専念するほうなので、深夜の酒に付き合ったことはあまりない。彼は、実は大いなる寂(さみ)しがり屋で、気の置けない友との酒席での語らいに孤独を紛らわせていたのかもしれない。今ごろは、天国で「ファシズム再来前にこの世からおさらばできてよかったよ」と一人酒を楽しんでいるかもしれない。

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    なぜ西部邁は死生観に合わない「自殺幇助」を選んだのか

    藤井靖(明星大学心理学部准教授、臨床心理士) 評論家の西部邁(すすむ)さんが1月21日、多摩川で遺体となって発見されてから3カ月半、西部さんの出演番組を担当していた東京MXテレビ子会社社員と、知人で会社員の2人が自殺幇助(ほうじょ)の疑いで逮捕された。 2人は容疑を認め、「先生の死生観を尊重し、力になりたいと思った」などと供述した。また、西部さんの身体に安全ベルトを巻いたり、ロープを川岸の木にくくりつけたりしたことを認めている。現場で見つかった遺書については、MXの子会社社員が西部さんの代わりに書いたものだという。 既に報道されている通り、西部さんは独自の死生観を近著の中でつづっている。 述者は、結論を先にいうと病院死を選びたくない、と強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくないからだ。『保守の真髄』(講談社) 西部さんが自らの死について語るのは近著に始まったことではない。本人いわく「かなり若いときから死について考える性癖が強かったように思う」というように、彼は長い間かけて、死または生に向き合い続けた結果、死生観が形成され、熟成されてきたことは想像に難くない。 著書の中にも、生や死に関連づけられた記述や話題が非常に多い。心理学的にいえば、自ら死を望む者のうち、心理的な背景にある種の性格、信条がある場合、実は、その行動を止めるのは非常に困難である。死亡した西部邁さんが発見された多摩川の現場付近。西部さんの体はロープで土手の樹木に結びつけられていた=東京都大田区 厚生労働省の調査によれば、日本における自殺者は8年連続で減少している。しかし、2017年でも年間2万人以上の自殺者が出た。行方不明者の一部が自死を遂げている可能性があることを踏まえると、数字よりも多数の自殺者が存在していると考えられる。 自殺の背景は多岐にわたるが、原因や動機として最も多く計上されているのは、「健康問題」である。身体の病気に起因するもの、うつ病や統合失調症などの精神疾患、アルコール依存症や薬物乱用などの嗜癖(しへき)の問題などがそれにあたる。しかし、これらには心理療法や精神医学的な治療など、自殺を防ぐための一定の効果を有する対処法が存在する。 また「経済・生活問題」、つまりお金に起因した背景は景気の動向と連動している。そのため、自殺対策として、例えば個人の債務に対する法律的側面からの援助や、政治・行政的な施策が大局的には奏功することもある。さらには、職場の環境などの「勤務問題」、いじめや不適応、人間関係や進路の問題に起因した「学校問題」も早期発見・対応や環境改善により対処が可能である。死生観に合致しない「自殺幇助」 しかし、これらのどれにも当てはまらない、いわゆる個人の信条として死への近接性や親和性が伴われている場合は、考え方を変えたり、死ぬことを思いとどまらせたりすることが難しい。まさに西部さんはこのタイプに該当すると考えられる。 とはいえ、西部さんの自殺の背景が自らの死生観によるものだったかといえば、そこには疑問符が付く。裏付けの一つとして、自殺の幇助を依頼している点が挙げられる。 もちろん、西部さんは自ら死ぬことを決断しながらも、死体が流されたり、死体の発見が遅れることによる家族や周囲の人々への悪影響を懸念して、依頼したのは間違いないだろう。また、遺書を書かせたのも、自分が自殺したことを明確に示すことに他ならない。 しかし一方で、西部さんは、自殺幇助が刑法に触れることを当然知っていただろう。しかも、発覚した場合は自分と距離の近い「信奉者」とも位置付けられ、それぞれ家族もいる2人の協力者が罪に問われることが容易に想像できたはずだ。 そして、他人に幇助させることは、そもそもこれまでの西部さんの死生観に関する言説にも合致しているようには思えない。そこで、他の心理的背景が働いていた可能性があると考えるのが自然なのではないだろうか。 一つ考えられるのは、身体の不調である。テレビ番組の中で「頭の調子は悪くないのですが、身体の調子があまりよくない」と述べていたことに加えて、持病に起因した背中の激しい痛みや、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という、手の皮や爪が剝げてしまう疾患を抱えていたともいわれている。 科学的な心身相関論に基づけば、長期間の身体の痛みは心をむしばむ。そして、心の痛みはさらに身体をむしばむ。そのような悪循環に陥っていた可能性があるのではないか。具体的な精神的状態像でいえば、抑うつ感情が高まっていたかもしれない。原則、うつが強くなっている状態の思考というのは、正常な判断ができにくい。うつ病の治療上も、重要な決断は先送りするのが定石である。 加えて、西部さんの夫人が2014年に亡くなっている。米国の社会生理学者、ホームズとレイが作成した「社会的再適応評価尺度」によれば、「配偶者の死」はストレスの強さでいうと人生で経験する出来事のうちで一番強力な影響を有すことが知られている。また、妻を失ったことによる喪失感と孤独感は、生きがいを見いだしにくくする。2010年3月、奈良市内で講演をする西部邁さん(前川純一郎撮影) そのような中で、身体的な不調も重なったとすれば、気分の浮き沈みが激しくなったり、物事に対する悲観的な考えが強く出るようになったり、落ち込む時間が長くなることも十分に想定される。あるいは、死生観とは別のところで、衝動的に死にたくなることもある。それらが自殺の企図につながったという可能性もあるのではないだろうか。 つまり「自殺をする死生観」を持っていたとしても、それがそのまま今回の行動につながっていたという可能性だけではなく、死生観とは別の、併存する精神的状態や症状が自殺につながることも有り得るのである。幇助に走らせた「心酔効果」 その意味では、幇助した2人の容疑者の存在が自殺へ走る行動に一定の影響を及ぼしたことも考えられる。死生観も含め、思想を共有する間柄であった西部さんと2人の間には、ある種特有の心理的な結びつきが生じていたのであろう。 「思想」というのは抽象的であり、あいまいなものであることが多い。それが良さでもあるが、悪いほうに転がった場合は、具体的な言葉以上に力を持ってしまうことがある。 例えば、宗教や神事における目に見えないルールは、それを解釈する本人の力によって影響が大きくなってしまうことがあるので、余白が大きい分、人を逸脱した行動に走らせる力を持っている。 精神症状に起因して発せられた西部さんの言葉や行動が、思想というフィルターを通して信奉者に伝わり、相互コミュニケーションを通じてネガティブに増幅されたとき、集団として、自殺に向かって抜け出ることができないスパイラルにはまっていたことは否定できない。 大前提には、2人の容疑者の西部さんに対する相当な心酔があったのだと思われる。人はある対象に心酔すればするほど、行動や感情の振れ幅は大きくなるので、よい方にも悪い方にも大きく振れやすい状態だったのだろう。通常、仮に「思想を実現させたい」「世話になった西部さんに貢献したい」と思っていても自殺幇助のような大それた行動は取りえないものなのである。 関係性ということでいえば、2人の容疑者はある意味では家族以上の存在であっただろう。そもそも家族は自殺を受け入れる存在ではない中で、信奉者が自らの思想を受け入れ、そのことを前提に話を聞いてくれるとすれば、当然お互いの結びつきは強くなる。2018年4月、西部邁さんの自殺幇助容疑で家宅捜索中を受けたMXエンターテイメントが入るビル(桐山弘太撮影) あるいは、西部さんのような専門性、立場になると、今まで社会的に見せていた自分とは違う自分、例えば身体が弱って心も弱くなっている状態を見せるのはなかなか難しくなってきていたことが想像される中で、2人にはそれを見せることができたとしたら、日々の生活の中で絶大な心理的支えになったり、依存対象となる。 心理学的には、時に近しい関係の中で行われる「弱みを見せる(見せ合う)」という行為は、非常に強力な、人と人との心理的距離を詰める機能を持っているからだ。以上のような背景があったと仮定すれば、「自殺の死生観」を持った人であっても、なんらかの形で援助し、行動を止められる切り口はあったのかもしれない。 「自殺の死生観」を持つ西部さんの死は「自分で決めて死ぬことは悪いことなのか」「ダメなことだとすれば、なぜダメなのか」ということを改めてわれわれが考える種にもなる。「生きる死ぬ」は個の自由西部邁著『保守の真髄』(講談社現代新書) 私たち専門家は、心理カウンセリングで死にたい気持ちを示す方々に対しては「あなたが生きる死ぬということは、あなたの自由」ということを提示する場合がある。もちろん、「死にたい」は「よりよく生きたい(でもできない)」のメッセージであることが多いので、自殺しないで済む方法を考えていく。 ただ根本的に、生きる死ぬというものは、やはり本人、つまり個の自由なのではなのではないだろうか。というのは、どうしても自死は「他人の迷惑になる」「周りが悲しむ」「生きたくても生きられない人がいる中でもってのほか」などと、全体主義的な観点で考えられがちだ。 しかしながら、人が悲しんだり迷惑を被ったりする自殺はダメでも、人を助けたり救ったりする自死は時に美談としても扱われる場合がある。例えば、特攻隊として国のために死ぬ、踏切で自分の身を犠牲にして高齢者を助ける、といった話がそうだ。このような「価値観のダブルスタンダード」が起こる全体主義的な考え方は、個人が尊重された態度とはいえない。 個人の尊厳を重視する観点に立てば、西部さんのように自分で死ぬことを決め、そして他者に幇助を依頼すること自体は、善悪でいうと完全に悪いとはいえない。安楽死の議論も、日本においてももっと進むべきなのかもしれない。 ただ、幇助を依頼される側は、気持ちを受け止めつつも、それを断る強さや本質を見極めようとする姿勢をも持つ必要がある。本質的な意味で個人を尊重するためにも、「死ぬという決断って、本当に正しいのですか?」ということをとことん検証し、繰り返し自分自身に問いかける、その手助けをする義務があるのではないだろうか。 かつて東大教養学部教授でもあった西部さんは上述の著書の中でこのようにも述べている。 大学教師について一言の苦情を述べれば「自分たちはアカデミッシャン(学術研究者)だ」という自負くらい学生を誑(たぶら)かす所業はないといってよい。アカデミズムの逆をジャーナリズムということにすれば、それは「日々(ダイアーナル)生起する出来事に関する総合的な解釈」を本来は必要とする。だから、自分もまたそれらの出来事のなかで生を送っている者として、教授はみずからの表現の中にジャーナルな出来事をアカデミックに解釈し、同時に「夜間(ノクターナル)」の仕事ともいうべきアカデミックな成果をジャーナルな出来事に関連づける、という相互乗り入れをなさなければならない。『保守の真髄』 そして、彼は「そういう教授陣が異様なまでに数を減らしている」とも言及している。私はこの言説を自らの学者としてのあり方を俯瞰(ふかん)する基盤にしたいと思う。そして、物事の全体的な輪郭と奥行きを知るための総合的な教養を身につけるためのきっかけを、学生には提供していきたいと考えている。 この寄稿も、そんな「西部イズム」を意識した論理や展開を心がけたことをもって、西部さんに深く敬意を表すとともに、心よりご冥福をお祈りしたい。

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    「グルが神になる日」死刑執行秒読みの波紋

    オウム真理教をめぐる一連の事件で、死刑が確定した教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)ら13人の死刑執行が秒読み段階に入った。執行には慎重論も根強いが、その最たる理由は「教祖麻原の神格化」である。グルが神になる日はやって来るのか。議論の核心を読む。

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    上祐史浩手記、麻原を「不死の救世主」にしてはならない

    上祐史浩(「ひかりの輪」代表) まず、一連のオウム事件の被害者、遺族の方々に、当時の教団の活動に重大な責任を有した者の一人として、改めて深くお詫び申し上げたいと思います。これを踏まえた上で、今回依頼されたテーマである麻原彰晃(本名、松本智津夫)の死刑執行などについて論じたいと思います。 ご存じの通り、麻原の死刑執行が近いとされています。そして、ようやくその時が来たというのが今の私の率直な心境です。 1997年前後、麻原は自分のハルマゲドン予言が外れ、心身に変調をきたし、裁判で不規則発言を始めました。その頃から、私は以前のように、麻原を絶対視することに、徐々に無理を感じるようになりました。その後、悪戦苦闘しつつも、麻原信仰から脱却し、その10年後の2007年に、アレフ(現Aleph・旧オウム真理教)を脱会し、「ひかりの輪」を設立しました。 私が脱会する前のアレフは、当時代表だった私に賛同する者と、麻原の家族(麻原の妻、三女、次女ら)に賛同する者(主流派)に分裂しました。その中で、私たちは、麻原の絶対性を否定し排除している「グル外し」と激しく非難され、教団活動からも排除され、そして幽閉されました。彼らの言う「グル外し」の最たる理由は、私たちが麻原の事件への関与を認めた上に、麻原の刑死を前提とした話をしたという事が含まれていたのです。 その後も主流派は「グル(麻原)の死を前提にした話をするなどとんでもない」と激しく非難を続けました。彼らの主張は「教団は事件に関与していない」という陰謀説や、「最終解脱者のグルが事件をなしたとすれば、それを総括・否定できない」、さらには「グルが(刑死を含めて)死ぬのは弟子がグルを求めないから(帰依しないから)」といったものでした。すなわち、麻原の死自体が、アレフでは「タブー」だったのです。 この背景には、麻原が変調を来す前に、獄中から改めて予言を説き、自分は不死の身体(陽身)を作るといったメッセージを出して、麻原の予言の成就・復活を期待させるような言動をしていたことがあります。麻原は刑死さえしない「不死の救世主」という主張です。 こうした状況の中で、2006年9月に麻原の裁判が終結し、アレフでは現実的かつ合理的、合法的な活動はできないという考えを私たちは強くしました。それが、翌2007年に脱会し新団体「ひかりの輪」を設立して、麻原への依存から脱却する枠組みを作る理由の一つとなりました。 そして、あれから10年以上経った今年、麻原の死刑執行の本格的な検討が始まりました。私たちが10年以上前から考え続け、試行錯誤しながら行動したことがようやく今、現実的な意味を持つようになりました。1996年4月、厳戒態勢のなか東京地裁に向かう麻原彰晃被告を乗せた護送バス=東京拘置所 もちろん、一連の事件後、麻原の死刑執行を望まれてきた被害者、遺族の方々のお気持ちとは比べものになるものではありません。ただ、この間、自分を取り巻く状況が目まぐるしく変わり、麻原の死刑執行について「ようやくだな」というのが率直な思いです。 では、麻原の死刑が執行された場合、アレフはどんな反応を示すのでしょうか。よく一般の方にイエス・キリストが処刑された後に復活し、救世主として神格化されたように、アレフにおいても麻原が死刑によって神格化されることはないのか、と聞かれることがあります。 私はそうした心配はないと思います。なぜかというと、既に「神格化」されているからです。アレフは麻原から物理的に離れて久しく、いつでもどこでも麻原は自らの「超能力」で信者を見守っており、例えばアレフの道場にも、麻原は存在すると説いているそうです。極めて低い報復テロの可能性 さらに、妄想的な信者の中には「麻原の姿を見た」という者もいます。そもそも瞑想(めいそう)を好み、トランス状態に入りやすい人たちが多い教団ですから、そうした話は出てきます。笑い話になりますが、20年ほど前、私が拘置所に拘留されていた際、拘置所の外で私の姿を見たと言う人や、道場に私の姿が現れたという人がいたほどです。 重要なことは、死刑が執行されなければ、逆に本当の意味で神格化される可能性があることです。というのは、麻原は獄中メッセージの中で「不死の身体を得る修行をしている」と主張し、逮捕前の著作で「私はイエスのように負ける(=処刑される)のではなく、ダビデのように(戦いに)勝つ救世主である」と示唆しています。 さらにアレフの幹部信者は、弟子たちが帰依を深めれば、麻原は涅槃(他界・死亡)しないと説いています。実際、2012年前後に平田信、菊地直子、高橋克也の3人が出頭ないし逮捕され、麻原の死刑執行が延期になった際には「自分たちが麻原の帰依を深めていたからである」と説いています。自分たちの帰依が麻原に通じて、麻原の「超能力」によって、平田らが出頭したという話になっているとも聞いたことがあります。 よって、死刑を執行しなければ、信者の多くが麻原の予言通り、イエスを超えた「不死の救世主」となったとか、「自分たちの帰依と麻原の超能力が死刑を止めた」と解釈する可能性があります。その結果、アレフ教団がますます勢いづく可能性は否定できません。 そして、宗教における神格化とは多くの場合、信者が自己の信仰を守り、自尊心を充足させるために行うものであり、時には自己防衛反応によるものだと思います。よって、そうした必要がない心理状態を別に与えない限りは、周囲が過剰に心配しても、何ら良い方向に行かないと思います。 結論は非常にシンプルです。社会が麻原を他の死刑囚と同じように扱い、いかなる意味でも異なる扱いをしないことが、麻原の神格化を最小限にして、アレフを善導することになると思います。逆に、過剰反応して社会が普通と異なる扱いをすれば、結果として教団と社会が悪い意味で「共鳴振動」するかもしれません。 その意味で先日、オウム死刑囚の死刑執行を粛々と行うよう法務大臣に求めた被害者団体の方々の姿勢は、神格化を防ぐ手立てになると思います。法務省や警察関係者は、執行に向けて入念な準備が必要だと思いますが、メディアが過剰に騒ぎ立てれば、アレフの抑制のためには「逆効果」となるのではないでしょうか。記者会見する麻原彰晃死刑囚ら=1990年 さて、一部報道では、死刑執行の際、信者による報復テロなどが起きるのではないかと心配する声がありましたが、私の知る限り、そうした心配もまずないと思います。 なぜならアレフは、自分たちは不殺生の戒律を守り、過去にも殺人やテロは一切やっていないという立場だからです。そもそもオウム事件は「何者かの陰謀である」と布教しており、過去にも未来にも、殺生をする者ではないという意識があるからです。 この背景として、過去の事件に関与した者たちは、拘置所に収監中であり、現在アレフにいる信者は、95年までの教団武装化に関与した主要なメンバーではなく、過去の教団のテロ事件を実体験していないという事情があります。 ただ、麻原は逮捕される直前に、同じ旧上九一色村(現・山梨県富士河口湖町)にいた側近の幹部信者に「自分が逮捕されたらテロを続けろ」とか、「自分を奪還しろ」と焦りのあまり言ったことがあったそうです。麻原と同等ではない6人の子供 しかし、逮捕後はそのようなことをすれば破壊活動防止法(破防法)に抵触する状況から、破壊活動はしないよう指示し、破防法適用申請の弁明手続きの中でも、信者による奪還やテロ行為を明確に否定しています。 そもそも、麻原は逮捕直後、弁護士を通して「一連の事件の関与を認めないのは、外にいる自分の弟子たちの修行を確保する(=教団を維持する)ためだ」と伝えています。奪還やテロは致命的になるため、それを放棄したと考えられます。ましてや、死刑執行後に「報復テロをしろ」という指示は一切ありません。 そして、オウム真理教の教義では、仏教の戒律に反する殺生・殺人などの行為を正当化できるのは、麻原だけであるとされています。これは捜査と担当した警察関係者やオウム専門の弁護士なども確認しています。 しかも、そうする場合は、麻原の指示通りに行う必要があり、「死刑が執行されたならば報復テロをしろ」という麻原の具体的な指示がないにもかかわらず、信者が勝手にそれをやれば、「殺人の悪行によって地獄に落ちる」行為になると解釈されています。 とはいえ、念のために言えば、今から18年前の2000年前後には、ロシア在住のオウム信者のグループが麻原を奪還しようと、日本での爆弾テロを計画した事件があり、当時未成年だった麻原の家族がこれを称賛するなどして波紋を広げました。 しかし、そのグループの中で疑問を感じた者が、グループ外のロシア信者と連絡を取り、ちょうど出所して教団に復帰した私にも連絡が届いたので、私は麻原自身が奪還テロを否定したことを繰り返し伝え、家族にも奪還を否定するメッセージを表明するよう要請しました。 さらに、日本とロシアの捜査当局に告発して、教団信者も捜査に協力したので、彼らはロシアで逮捕され、爆弾テロは未然に防がれました。 これは、外国人の信者と当時未成年だった家族が、あまり事情を理解できていなかった結果だと思います。この事件以降、そうした行為の無意味さを改めて実感した信者は多いと思います。そして、私が知る限りでは、この事例以外に妄想的な願望のレベルではなく、具体的な構想・計画として、奪還を考えた事例があったとは思いません。仙台拘置支所に到着したオウム真理教の死刑囚を乗せたとみられる車両=2018年3月、仙台市若林区 次に、麻原の家族が報復テロなどを指示する可能性を考えてみましょう。まず、麻原と同等に「最終解脱者」と位置付けた6人の子供がいます。そのうち2人が麻原の妻の長男と次男で、他の4人はいわゆる愛人の子供です。しかし、あくまで麻原が根源(開祖)です。よって、麻原自身が違法行為を禁じたことを理解している限り、麻原の指示を子女が覆すとか、子女に指示された幹部信者が、それに従うことは考えにくいと思います。   また、アレフの信者の中に、麻原と同等に麻原の子女を信じている者は、さすがにいないでしょう。さらに、2000年には三女・次女と長女の対立が刑事事件に発展し、2013年末からは、再び家族内で分裂が生じました。そのため、古参信者を中心に家族への求心力は低下し、「やめたいが行き場もないし…」という消極的な形で、教団に残る出家信者が多いという情報もあります。 さらに、多少内部的すぎる話になりますが、破防法弁明手続きでの麻原の考えを厳密に理解するならば、仮に麻原の子女が最終解脱者だとしても、麻原同様に殺人を指示できる者とはしていません。これは、元オウム信者のためにも、念のためにお伝えしておこうと思います。終焉したオウムのテロ 麻原の死刑執行は理論上、オウムの教義上、殺人を指示・正当化できる権能を有する者がいなくなるという意味で「オウムによるテロ事件の終焉(しゅうえん)」だと私は思います。それが今年であるならば、くしくも平成元年(1989年)に、内部信者と弁護士一家の殺害で始まった一連のオウム事件が、ちょうど平成の間に清算の時を迎えることになります。 もちろん、麻原の死刑が執行されれば、実際にアレフなどの信者はかなり精神的ショックを受けると思います。前述したように、アレフの少なくとも一部は「信者がグル(麻原)を必要とし、帰依を深めて、涅槃(他界・死亡)しないように懇願すれば、(その超能力によって)延命する」と説いていますから、一種の挫折感が生じるかもしれません。 これは、逮捕された後も20年間以上、麻原が過去の一連の事件に関与した事実、その予言が現実ではなかった事実、超人ではなかったという事実を受け入れることなく、自分の信仰・思想の過ちを直視して清算することができなかった結果と言わざるを得ません。 逆に言えば、国が何らかの理由で、死刑執行を中止した場合、アレフは教祖とその信仰実践が正しかったと考え、彼らのいわば「宗教的な勝利」と解釈し、信仰と布教を深める可能性があるということです。 他にも、麻原の死刑執行に伴い、「後追い自殺をする信者はいないのか」と聞かれることがあります。私はその可能性は低いとは思いますが、全くないとは言い切れません。 15年以上前の話ですが、麻原の家族の一人が「麻原の後を追っていい」という教えがあるとの解釈をしていました。また、彼女に自殺を求められた幹部信者や他の家族の話も聞きました。とはいえ、これらは随分前の話であって、現在はそうした精神状態ではないと思いますし、そう信じたいと思います。 その意味で本稿でも確認しておきたいことは、麻原とオウム真理教の教義において、「グル(麻原)が死んだら後を追うべきである」という教義はないし、自殺は今生の苦しみから逃げるものと解釈されて、後追いしていいとはされていないのです。 さらに、麻原は逮捕以前に私を含めた当時の高弟に対して「後を追うことは許さない。なぜならば後追うことができないからだ」という趣旨の話をしています。「後を追うことができない」とは、死んだ後に転生しても麻原と同じ世界に転生できないという意味です。 こうした問題の背景には、いまだにアレフが「教団が一連の事件に関与していない」という陰謀説を唱えていることがあります。とはいえ、教団を裏で支配しているとされる麻原の家族の一部やアレフ上層部が、自ら陰謀説を信じているかというと、これまでの経緯を考えればそうではないと思います。 麻原の事件への関与は、多くの弟子たちの証言によって既に多くの裁判で認定され、事実が確定しています。また、麻原は逮捕前、私個人にサリン事件に関して「教団が悪いことをやった」と言いました。 さらに、逮捕後に接見した弁護士にも「死刑を覚悟している」と話しながら、「もし関与を認めても共犯の弟子たちは救われないし、外にいる弟子たちの修行を確保しなければならない」として、事件関与を認めない方針を示しています。この弁護士とのやりとりは、麻原の家族や最高幹部など当時の教団上層部には伝わっています。外国特派員協会で会見するオウム真理教の上祐史浩氏=1995年4月 そして、麻原の妻は、自身が内部信者の殺人現場に同席し、有罪判決を受け、教団の武装化を逮捕以前から知っており、裁判でも麻原の事件関与を認めています。麻原の娘たちやアレフの現在の最高幹部Nなどにも、私は麻原や教団が事件に関与したことを繰り返し伝えました。その件で、彼らが多かれ少なかれ悩んでいたことも知っています。最高幹部のNは、起訴はされませんでしたが、教団武装化には関与していました。 よって、真実は分かりませんが、彼らは麻原や教団の事件関与を理解しながらも、麻原への帰依や信者の維持・獲得などのために一般信者にはそれを隠しているのではないか、と感じざるを得ません。 そして彼らの行動が、私がサリン事件発生当時に麻原の関与を否定する広報活動を行ったことと、重なって見えてしまいます。麻原の逮捕前後の私は焦っていました。逮捕不可避の流れにあらがって必死に広報活動を行いましたが、その愚かな行動の結果は、みなさんがご存じの通りです。 ただし、これもまたあくまで私が感じていることですが、客観的に見れば、通常なら麻原が事件に関与したと推察するに十分な証言や証拠があるのに、それを信じたくないという思いが強かったり、関与は疑わしいと他人に主張している間に、通常の推察ができなくなる現象のようにも思えます。オウムは平成を象徴した宗教 あくまで一般論ですが、人は自覚して嘘をつくよりも、真実だと思い込んでその通りに動く方が楽です。自己を救世主と位置づけた麻原にも、そうした面があったのではないかと感じています。心理学的にも「空想虚言症」という概念があるからです。 ともかく、原因や動機は別にして、アレフは新しい信者に陰謀説を説いて、入信や麻原への抵抗感を弱めています。そして、新しい信者は陰謀説を信じてしまえば、麻原の死刑がひどい冤罪(えんざい)であって、必然的なものとして受け入れられることではなくなってしまうのです。 これらの現状を踏まえれば、今後のアレフには、麻原の死刑執行に加えて今まで避けてきた「過去の清算」として、二つの問題が生じる可能性があります。 一つは、被害者に対する賠償の問題です。長年続いていた被害者団体とアレフの調停が、アレフが拒絶する形で昨年12月に決裂し、今年2月初めに被害者団体が10億円以上の賠償を求めて東京地裁に訴える事態に至りました。基本的にアレフは信者の教化活動において、麻原の事件関与を認めずに陰謀説を説いており、それは賠償と相矛盾する行為です。 今後、アレフが現有資産を流出させて支払いを回避する恐れや、被害者団体が差し押さえの措置を取るか、また裁判がどのくらいのスピードで終了するかが、注目されると思います。 さらに、脱会した信者によると、支払いを逃れるためか、アレフの幹部信者が1年半ほど前から教団の自主解散を検討しているという情報もありました。言い換えれば、こうした水面下の駆け引きが被害者団体とアレフの間で続いてきたということです。 二つ目は、麻原の死刑執行とともにアレフに起こり得ることは、彼らが使用している麻原個人やオウム真理教の著作物に関する著作権問題です。アレフは、麻原やオウム真理教の著作物を使って教団を運営し、収益を上げています。これに対して、被害者団体はオウム真理教の著作権が宗教法人オウム真理教の破産業務の終結とともに、被害者団体に譲渡されており、その使用の停止をアレフに求めてきました。オウム真理教事件をめぐる賠償の状況  これに対して、アレフは「麻原個人の著作物であり、被害者団体に著作権はない」と反論し、事態は膠(こう)着しています。ところが、麻原が死刑になると、これらの著作権は麻原の妻と子供たちに相続されます。 相続者が複数いる場合、すべての相続者が合意しない限り、アレフに著作権の利用を認めることはできず、1人の相続者だけでも単独で、他者が著作物を使用することを差し止め、損害賠償を求める手続きができるようです。  その中で、麻原の四女はメディア上で両親とアレフを繰り返し否定しており、アレフの使用を認めないと思われます。また、三女、次女、長男も「自分たちはアレフとは関係がない」と主張しており、アレフの著作権使用には反対するかもしれません。こうして相続人全体がアレフの使用で合意する見込みは乏しい中で、利用を拒む正当な理由があるか否かが問題となります。そのために、家族間で訴訟が起きる可能性もあります。 仮にアレフの使用が禁じられた場合、それを無視すれば犯罪になる可能性があります。著作物とは、書籍や説法ビデオに限らず、教学用の説法集や瞑想(めいそう)教本、詞章・歌・マントラなどの映像・音響教材の一切を含み、その複製、販売、陳列、上映などが禁止されますから、教団には大きな打撃になると思われます。 こうしてみると、オウム事件は平成元年に始まり、2018年以降平成の時代の終わりとともに、アレフが教祖、教え(教材)、教団組織という、宗教団体の要となる三つの要素すべてにおいて、過去の清算を迫られる重要な時期を迎える可能性があるということになります。 こうした意味でも私は、オウム・アレフが「平成の宗教」だったのではないか、という印象を今強くしています。

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    死刑執行後「教祖麻原の遺骨」は誰が引き取るのか

    死刑囚が拘置されている状況がずっと続いている。中には、死刑が執行されず病死する者も少なくない。 同一事件の共犯は同時に執行されることが慣例にもなっているが、オウム真理教の事件の場合、確定死刑囚の数は13人に及んでいる。これを一度に執行することは、これまでの歴史を考えると相当に難しいであろう。 しかも、2019年には現在の天皇の退位と、新天皇の即位が予定されている。20年は、東京五輪が開催される。こうした年に死刑を執行することは、これまでの例からしても考えにくい。実際、前回の東京五輪が行われた1964年には1件も執行されなかったし、90年から92年にかけても執行されていない。となれば、逆に今年中の執行が現実味を帯びてくることになる。 オウム真理教事件は複雑である。しかも、キーパーソンだった教団の科学技術省大臣、村井秀夫元幹部が殺害されたこともあり、サリンの散布を含めた殺人の実行を誰が決定し、指示したのかでははっきりしない部分が少なくない。地下鉄サリン事件でも、最終的な決定は麻原死刑囚と村井元幹部の間で行われた。麻原死刑囚が法廷で事件の詳細について証言しなかったこともあり、実行の決定がどのようになされたのか、決定的なことは分かっていない。 だが、教団がサリンなどの毒ガスを製造して数々の殺人を実行したこと、事件全体の首謀者が麻原死刑囚であることは間違いない。その点で、麻原死刑囚から執行される可能性が高い。では、麻原死刑囚が執行された場合に、それはどのような影響を与えるのだろうか。 麻原死刑囚は、裁判の途中から証言を拒否し、沈黙を貫くようになった。それは、東京拘置所でも変わらないようで、最近の報道では、一日中床に座っていることが多く、食事は独りで食べ、運動には出るものの、家族が面会を求めて東京拘置所にやってきても、それに対しては一切反応しないという。2004年3月、に死刑判決後、東京拘置所に戻ってきた麻原彰晃(本名・松本智津夫)被告を乗せたとみられる護送車(寺河内美奈撮影) したがって、現在の麻原死刑囚が家族や、彼らを介して後継団体「アレフ」など残存している教団に対して何らかの指示を下しているわけではない。2015年には、アレフのメンバーが拘置所までやってきて、壁の前で上を見上げて手を合わせ、何かをつぶやいていると報道されたが、麻原死刑囚とメンバーとの間の交流は一切絶たれているのである。 それゆえ、麻原死刑囚が死刑になることで、アレフなどの教団運営に何らかの具体的な影響が出ることは考えにくい。今でも彼らは麻原死刑囚を宗教的指導者を意味する「グル」として崇拝しているが、麻原死刑囚から新しいメッセージが伝えられる状況にはなっていない。「宗教上有力な武器」が生まれる これは、公安当局が最も危惧していることでもあるようだが、何より問題になってくるのは、死刑が執行された後の遺体をいったい誰が引き取るかである。一般の死刑囚の場合には、遺族が引き取らないケースが多いようだが、教団の教祖となれば、火葬された後の遺骨が崇拝対象になる可能性がある。引き取り手のめどがつくかどうかも、執行の判断に影響するようだ。 現在の日本社会では、100パーセント近い遺体が火葬され、遺族はたいがい墓や納骨堂に遺骨を納め、それを墓参りして拝んでいる。遺骨に故人の魂が宿っているというとらえ方がなされているとも言える。 遺骨に対する崇拝の念が強いのが中世のキリスト教社会で、聖人の遺骨を崇拝し、それによって奇跡が起こることを期待する「聖遺物崇拝」が盛んだった。教会はこの聖遺物を祭るために建てられるもので、現在でも遺骨に対する信仰は受け継がれている。 これが、オウム真理教とも深くかかわる仏教だと、開祖である釈迦(しゃか)の遺骨が「仏舎利」として信仰の対象になってきた。仏舎利を祭るための塔(ストゥーパ)が建てられるようになり、それがやがて寺院へと発展していったのだ。麻原死刑囚の遺骨がそうした形で信仰の対象となり、アレフなどの信仰体制を強化する役割を果たす可能性は十分に考えられる。 さらに、遺骨を所持する人間は権威としてカリスマを帯びることになる。それが麻原死刑囚の家族であれば、麻原死刑囚に代わって教団を率いていく立場にたつことができるのである。 ただ、死刑が執行されたからといって、アレフなどが、かつての事件の二の舞のようなことをくり返すとは考えにくい。当局の監視下にあるわけだし、これまでも麻原死刑囚を奪還するような試みは行われてこなかった。それを実行に移そうとしたのは、ロシアの信者たちだった。彼らは逮捕され、禁錮刑を科されている。インド・クシナガルにある大涅槃寺とストゥーパ。遺跡の上に新しい堂塔が建っている=2011年10月撮影 オウム真理教が、さまざまな事件を起こしたのは、一挙に拡大して多くの信者を抱え、また、バブル経済の影響もあって、布施やパソコン事業などで莫大(ばくだい)な収益を上げたからである。現在のアレフも一定の資産を保有しているものの、その規模はかつてとは比べ物にならない。 だからテロ事件再発の可能性は低いが、教団が教祖の遺骨という宗教上有力な武器を得ることが、これからの拡大に結びつくことはあり得る。しかも、麻原死刑囚は膨大な説法を残しており、独自の修行の方法も確立していた。 現在でもアレフなどに入信していく人間が現れるのも、特異な宗教教団としての体制が整えられているからである。そこに、遺骨という強力な武器が備わったとき、どうなるのか。すぐにそれが教団の爆発的な発展に結びつくこともないだろうが、将来は分からない。 死刑は執行しても、遺骨は家族に渡さない。それは、現在の法律では難しいだろうが、国民の安全を確保するために、国が一定の期間遺骨を預かるといったやり方を検討してもいいのかもしれない。

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    オウム教祖、麻原彰晃の「神格化」を止める手立てはない

    がオウム真理教の元信者、高橋克也の上告棄却を決定したことをもって(無期懲役確定)、オウムによる一連の事件(坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件)に関する刑事裁判がすべて終結した。 共犯者全員の裁判が終了し刑が確定してから死刑囚の死刑が執行される慣例があるが、高橋の裁判が終結したことにより、オウム真理教事件における死刑囚の刑の執行が可能となった。 3月14~15日には、教祖麻原彰晃こと松本智津夫をはじめとする13人の死刑囚のうち中川智正・新実智光・林(現:小池)泰男・早川紀代秀・井上嘉浩・横山真人・岡崎(現:宮前)一明の7人が東京拘置所から死刑の執行が可能な大阪・名古屋・仙台・広島・福岡の各拘置所・支所に移送された。 その移送が共犯死刑囚における死刑の同日執行の慣例を前提に、オウム真理教死刑囚の同日執行に備えるものであるという推測から、いよいよ近づいているとの見方が広まっている。  近代以降の日本において法と新宗教の摩擦の例は枚挙にいとまがなく、刑事裁判において有罪判決を受けた宗教者は多数存在するが、宗教の創始者(教祖)の死刑判決及びその執行の例は、ほとんどない。 著名教団創始者の死として、1945年の創価学会創始者、牧口常三郎の獄死を想起する向きもあるかもしれないが、牧口の死は治安維持法違反並びに不敬罪裁判中の栄養失調による獄中死である。 小規模な宗教集団においては、死者6人を出した1995年の福島悪魔祓い殺人事件の主犯とされた祈祷師、江藤幸子の死刑が2012年に執行された例はあるが、一定規模以上に教勢を伸ばして社会的に知られた教団の教祖が死刑判決を受けた例はオウム真理教事件以外には存在しない。無期懲役の判決を言い渡された元オウム真理教信者の高橋克也被告=2015年4月、東京地裁(イラスト・宮崎瑞穂) このことは無差別テロを含むオウム真理教による一連の犯罪が近代史上においても稀有な例であることを示すものでもある。 他の先進国(共産主義国を除く)に目を向けても、教祖の死刑は、アメリカのカルト集団「ファミリー(マンソン・ファミリー)」指導者チャールズ・ミルズ・マンソンが1972年に死刑判決を受けた例(死刑制度廃止により終身刑に減刑後、2017年獄中死)がある。そして、同じくアメリカのモルモン系カルト小集団の教祖ジェフリー・ラングレンが1990年に死刑判決を受けた例(2006年執行)など、少数が目にとまる程度である。近代史上において稀有な死刑 また、1844年に起きた末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の創設者ジョセフ・スミス・ジュニアの死は、反逆罪容疑での収監中に暴徒に襲撃されて死亡したものである。※画像はイメージです(iStock) さらに、第二次世界大戦後に世界を驚かせた宗教集団教祖の衝撃的な死としては、1978年の人民寺院の創設者ジェームズ・ウォーレン・“ジム”・ジョーンズ、1997年の「ヘヴンズ・ゲート」(UFOを信仰するカルト)創設者のマーシャル・アップルホワイトの死などが知られているが、いずれも信者を巻き込んだ集団自殺によるものであった。 1993年のセブンスデー・アドヴェンチスト分派の「ブランチ・ダビディアン」の教祖、デビッド・コレシュ(本名:バーノン・パウエル)の例も教団の武装化に対する強制捜査中の火災による焼死だった。 また、2010年のカナダのカトリック系カルト集団「アント・ヒル・キッズ」の教祖、ロック・タリオの死は、終身刑で服役中に獄中で他の囚人により殺害されたものであり、いずれも死刑によるものではない。 つまり、仮に麻原の死刑が執行された場合、一定規模以上の宗教集団の教祖に対する死刑執行という点で、近代先進諸国の歴史上においても稀有(けう)な機会が到来することになる。 こうしたことから、来るべき麻原の死刑執行が、オウム後継団体などの信者らによる麻原らの神格化をもたらすのではないか、また、報復的テロ活動や死刑執行前の教祖奪還に向けた実力行使が生じるのではないかという懸念の声が上がっている。 たしかに、そのような可能性は否定できないであろう。しかし、そうしたリスクをもって、麻原らの死刑執行を回避するとすれば、つまり「教祖」がゆえに死刑執行を慎重にするならば、逆に「教祖」の死刑執行が宗教集団の指導者であるがゆえに早められるような事態と同様、法の下の平等の観点から問題が生じることになる。 ただ、オウム真理教に関しては、國松孝次警察庁長官狙撃事件など未解決の「謎」も残っている。もし、死刑囚らからそうした「謎」に関する有益な社会的・国家的情報が得られる機会があったとすれば、これまでに高度な政治的・行政的判断として「司法取引的手法」が用いられたかもしれない。問題は麻原が心神喪失か否か しかし、今日に至る、長期にわたる裁判などの経過を踏まえれば、現段階で改めて有用な情報が得られる可能性は高くないように思われる。 また死刑廃止論の観点から、今回の事件を「利用」する論調にも与すべきではない。制度としての死刑廃止の是非は、今回の死刑執行が伴うリスクとは切り離して、立法論的に検討すべきであろう。 再審請求中の死刑囚の権利保護に関する国際法的な視点はひとまず措くとすれば、死刑廃止論を、現行法を前提に振りかざすことは立憲主義(死刑制度は判例上合憲とされている)や法治主義の重視とは相容れない。 残る問題は麻原が心神喪失の状態にあるか否かである。これまで、拘置所における麻原の異常行動が報じられてきたが、それが詐病か否かについて判断する具体的で確かな情報を得る手段は、我々には存在しない。 最終的には法務省の判断によることになるが、仮に麻原が心神喪失の状態にあるとされれば、刑事訴訟法上彼の死刑執行は停止される。13人という共犯死刑囚の多さも関わり、共犯者同時執行の「原則」をこの場合あてはめないとしても、麻原を除外して他の共犯者のみの死刑を執行することが、事件の性質上妥当なのか否かという判断の余地は残る。 麻原が心神喪失状態にないとすれば、オウム死刑囚の死刑執行に対する法的障壁はないことになる。執行に伴って懸念される報復テロや教祖奪還の違法活動の可能性に対しては、警戒警備を厳にすることによって対応するより他ないであろう。会見するオウム真理教の麻原彰晃教祖 ただ、後継団体などの信者による麻原らの死刑執行後の神格化については、それは人間の内心の自由に属する領域に関する事柄であり、神格化を他律的に防ぐ手段はそもそも存在しない。 さらに言えば、麻原らの死刑が仮に今後も執行されず、後に彼が老衰や病気によって獄死したとしても、「殉教者」とされる可能性がゼロになるわけではない。我々の社会が自由な社会であるためには、神格化の可能性とそれに伴う社会的リスクを警戒しつつも許容するしかないのである。(敬称略)

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    恐怖感もオーラも感じなかった麻原彰晃、28年前のインタビュー

    樫山幸夫 (産経新聞前論説委員長) 平成の犯罪史上最悪といわれるオウム真理教事件の裁判が先日、すべて終了した。今後は元教祖の麻原彰晃(本名、松本智津夫)死刑囚らの刑の執行が焦点になるという。30年近く前、教団の恐ろしさが喧伝され始めたころ、筆者は〝尊師〟麻原にインタビューした。坂本堤弁護士一家殺害事件との関係を問いただしたが、もちろん〝全面否認〟だった。会見する麻原彰晃ら=1990年 その後、教団は松本サリン事件、13人が犠牲になった地下鉄サリン事件と次々に凶悪なテロを引き起こしていった。ここまで恐ろしいとは当時は想像もできなかった。「執行の検討」というニュースにはやはり感慨を禁じえなかった。 1990年(平成2年)2月。筆者は東京の政治部で、同月18日に投票が行われた総選挙の取材中だった。オウム真理教が「真理党」という政党を設立、党首の麻原教祖はじめ25人の候補者を擁立した。当時は中選挙区制で、麻原は旧東京4区(渋谷、杉並)から出馬した。 当時、教団の存在は捜査当局だけでなく、国民の間でも、ようやく関心と警戒が高まってきていた。オウム問題に取り組んでいた坂本弁護士一家3人が1989年に横浜の自宅から行方不明となった事件への関与が疑われていた。選挙取材にかこつけて、麻原教祖にインタビューし、この問題を直接聞いてみようと思い立った。 教団の広報担当者に取材を申し込むと、あっさりとオーケーが出た。メディアに登場することで、宣伝になると考えたようだ。条件がひとつだけつけられた。「インタビューするときは、教祖のことを必ず、〝尊師〟と呼んでください」というのがそれだった。 指定された場所は、麻原候補が演説をするJR阿佐ヶ谷駅前。ちょうど先日のように雪が降りしきるたそがれ時、待つこと数刻、一行が選挙カーでやってきた。麻原教祖が演説を終えた後、近くに止めたベンツに案内され、車内インタビューが始まった。 型通りに主要な公約として掲げていた福祉政策について聞いてみた。自らも目が不自由というだけに、「弱者のための福祉政策」をしきりに強調していた。こちらは聞き流してはいたが……。 話が一通り終わった。頃合いはよし。ずばり聞いてみた。「坂本弁護士一家事件に教団が関与しているといわれていますが」 〝尊師〟は怒ったり、声を荒げたりするでもなく、静かに答えた。「そういううわさがあることは知っています。私の不徳の致すところです。私自身まだまだ修行が足りないということです」ー。 「教団の犯行ではないのですね」 「十分に修行を積んで尊敬されるようになれば、そういうことをいわれることもないのでしょうがね」と殊勝な言葉を繰り返した。 30分くらいか。あとで聞いたら「クルタ」と呼ばれるのだそうだが幹部用の服に身を包んだ麻原〝尊師〟からは、凶悪な事件を起こす教団のトップという怖さは全く感じなかった。一方で多くの信者の心をとらえ、崇拝を集めたオーラのようなものも感じられなかった。あの通りの魁偉な人相風体をのぞけば朴訥、物静かな語り口は、風変わりな青年といった印象だった。いま62歳というから当時は30歳半ばに差しかかるころだったろう。 5年後、死者13人、6000人を超える負傷者を出した地下鉄サリン事件が起きた。その日、95年3月20日は筆者は、政治部デスクで朝刊当番にあたっていた。朝から取材現場、社内は大変な騒ぎだった。深夜になって防衛庁(当時)から送られてきた写真、いまでも鮮明に覚えているが、防護服に身を固めた自衛隊員が地下鉄車両内の洗浄作業を行っている生々しい光景の写真を見て、麻原教祖とのやりとりを思い起こしながら、朝刊最終版締め切りぎりぎりに写真を出稿した。幻になったインタビュー記事 オウム犯行説は、その日の早い段階、毒物がサリンと断定された時から、メディアの間で広がっていた。早くも、その2日後には、山梨県旧上九一色村(その後、甲府市などと合併)にあった教団本部などを警視庁が別件の容疑で捜索した。 しかし、麻原教祖らが逮捕されるのは、その年の5月16日まで待たなければならなかった。 逮捕当日、社会部に麻原インタビューの記事を出稿できると伝えたが、諸般の事情からインタビュー記事が日の目を見ることはなかった。  地下鉄サリン事件は、日本国内にとどまらず、世界を震撼させた。思えば、新しい時代における新しい脅威を象徴する事件だった。 地下鉄サリン事件が起きた年の秋、米上院政府活動委員会の小委員会が都市型テロ防止に関する公聴会を開いた。筆者は、夏にワシントン特派員として赴任していたので、この公聴会を取材したが、オウム真理教NY支部長らが証言したことから、米国民の関心を引いた。 東京、モスクワなどオウム関連の都市に派遣された議会調査官が取りまとめた報告者が明らかにされ、日本政府からの情報として、オウムは自らへの捜査の手が伸びてきたことから、かく乱するために日米戦争を引き起こすことを画策。この年に11月に大阪で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)を標的にし、クリントン米大統領も攻撃対象になっていたという。 FBI(連邦捜査局)の担当官は、「核や化学兵器による攻撃はテロリストの能力からみて無理とみられていたが、オウムはそれが誤りだったことを証明してしまった」と将来の大量破壊兵器によるテロ攻撃に強い懸念を示した。 このころ、クリントン大統領は、冷戦終結後の新しい脅威として、「国際テロリスト集団の跳梁、国際犯罪組織、国際麻薬組織の非合法活動」などに機会あるごとに言及した。かならず、「トウキョー・サブウェイ・システムへのナーブ(神経)ガス・アタック」という枕詞を冠するのがつねだった。小渕恵三首相と昼食に向かうクリントン大統領=1998年11月20日 米情報機関で構成する国家情報会議が2012年暮れにまとめた「グローバル・トレンド2030」は、近未来の世界で主役を担うものとして非国家、非政府組織などをあげ、多国籍企業、大規模NGO、強大な研究機関などが、環境問題や貧困問題などで世界をリードしていくだろうと予測。これに加えて、テロリスト集団や犯罪者集団もやはり活動を活発させ、世界の安全保障への脅威となると分析した。 2014年ごろからつい最近まで、シリア、イラクに偽似国家を作り上げ、暴虐非道の限りをつくしたイスラム教スンニ派過激派組織、「イスラム国」(IS)の暗躍ぶりをみるにつけ、これらの予測は不幸にして的中したというべきだろう。 オウムはまさに、冷戦後の新たな脅威の象徴ともいうべき存在だった。考えるべき制度の本質 オウム真理教元幹部らの裁判に話を戻す。一連の事件で、起訴されたのは192人。そのうち13人が死刑を言い渡され、無期懲役は5人。全面無罪だったのはわずか2人だったという。 オウム裁判終結を受けて1月20日の各紙は、13人の死刑確定者の執行について法務省が検討を始めるという記事を掲載した。 刑事訴訟法によると、死刑確定後6カ月以内に執行しなければならないと定められている。しかし、実際は執行までには何年も経過するケースがほとんどだ。また、共犯者が逃走中の場合、逮捕、起訴されてその裁判が始まったのち、確定者が証人として出廷することがあるため、執行は中止される。実際、今回のオウム最後の裁判で無期懲役が確定した高橋克也被告の公判では、6人の死刑確定者が証人として喚問された。 1月20日付の読売新聞は、「全員の刑が確定するまで執行できなかった。裁判終結を機に慎重に検討することになるだろう」という法務・検察幹部のコメントを掲載している。  執行までには多くの問題が残されているという。各紙がそのあたりも詳しく分析しているから、多くを繰り返す必要はなかろうが、そもそも検討といっても、何をどう検討するのだろう。 執行については法務省内部で検討し最終的に法務大臣の署名によってゴーサインが出るという。(iStock) オウム真理教は、その後3団体に分派したが、なお麻原教祖への帰依を深めている団体もあるというから、執行によってことさら神格化され、報復のテロが起きる事態も懸念される。テロを恐れて執行を躊躇し、その懸念のないほかの確定者の執行は行うということになれば、法の精神、正義に反するだろう。 麻原教祖は、裁判の当初から異常なふるまい、行動が目立ち、自ら真相を語ることはなかった。自分の家族はどうして命を奪われなければならなかったのか、割り切れぬ思いを抱える遺族たちの立場に立ってみても、麻原教祖から直接思いを聞くことができないというのでは、悔しいだろう。 13人のうち、だれが先に執行されるかという問題もある。1月20日付読売新聞は、「松本智津夫が最初ではないか」という別な法務・検察首脳のコメントを掲載していたが、異様な挙措を繰り返す麻原死刑囚の場合はどうだろう。 刑事訴訟法では心神喪失の場合、執行は見送られる。麻原教祖については、家族が横浜地裁に起こした民事手続きに関して、東京拘置所が2017年5月、「明らかな精神障害は生じていない。面会はかたくなに拒否している」という報告書を提出しているというが、微妙なところだろう。 教祖は先送り、ほかの教団幹部が先ということでは、これまた、物議をかもす。 専門家の見解を聞いてみた。弁護士で刑事事件に明るい法科大学院教授の一人は解説する。   「死刑の執行そのものがどのように検討されているのかは、外からでは全くはうかがい知れない。あれこれ予測することは困難だ。〝執行を検討〟というのも、まったくの憶測記事だろう。政府は重大な国家権力行使である死刑制度についてもっと情報を公開すべきであり、むしろ、これを機会に、死刑制度について、広く考える機会にしてもいいのではないか」ー。 執行はいつか、誰が先かなどを興味本位に論じるのではなく、制度の本質について真剣に考えるべきということだろう。含蓄ある示唆だった。かしやま・ゆきお 産經新聞前論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

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    若い熱狂的信者の量産 幸福の科学は新宗教の中でトップクラス

     地下鉄サリン事件から22年が経ち、新宗教の信者数は激減している。有力教団のデータからその傾向は明らかだ。 平成に入ってからの1990年、地下鉄サリン事件後の2000年、最新版の2014年で比べると信者数の推移は以下の通りだ(文化庁・宗教統計調査)。■天理教 183万人→175万人→116万人■立正佼成会 634万人→574万人→282万人■PL教団 125万人→111万人→90万人■霊友会 320万人→170万人→134万人■生長の家 83万人→85万人→52万人 それは現在与党の一角を占める創価学会もまた同様だと宗教学者の島田裕巳さんが指摘する。 「創価学会が公表する会員数は827万世帯で近年は変化がなく、実態はよくわからないが、実際の信者数は、現在250万人ほどと推定されます。今は高度成長期に入信した信者の高齢化が進み、宗教的な活動を行うことが難しくなった。昔ほど人間が移動しなくなって地域に定着したため、各地でゆるい地域共同体ができて宗教に人間関係を求める必要も減っています。創価学会本部別館=2014年8月6日、東京都新宿区(大山実撮影) しかも現在、悩みを持つ若者が頼るのは神ではなく、スマホやネットです。スマホはすぐ答えが返ってくるが、宗教は修行などで時間がかかり、スピード感のなさが若い人には物足りない。実際に米国の研究では、無宗教者とネット利用者の増加に相関関係があることがわかり、『グーグルは神の最大の敵』『神殺しの犯人』といわれています」  かつてと比べて現在は、新宗教の勧誘が難しくなっていると指摘するのは、カルトに詳しい紀藤正樹弁護士だ。 「1995年のオウム真理教事件後、新宗教が駅前などで行う街頭での伝道活動が減りました。新しい信者の獲得が難しくなり、教勢が停滞するようになりました」 新宗教が一斉に冬の時代に入るなか、生き残りを賭けて大きく動いたのが女優・清水富美加(22才)が出家した幸福の科学だった。幸福の科学を長く取材しているフリーライターの藤倉善郎さんが解説する。「幸福の科学は1991年のフライデー事件後、霊言の公表をやめてメディアと対立しなくなったが、2009年ごろから再び活動が活発化しました。政治団体の幸福実現党を結党して大規模な宣伝活動を開始し、大川隆法総裁は霊言を連発するようになり、広報活動の一環としての映画製作件数も多くなりました。2012年の映画『ファイナル・ジャッジメント』は、中国を想起させる国が日本を侵攻し、それを宗教が救うというストーリーです。それまでの宗教的な活動に政治的な意味が加わるようになりました」宗教の役割は終わるのか 新しい信者の獲得が難しくなった幸福の科学は、2世信者の「宗教教育」を徹底するようになったという。「幸福の科学は小中高生向けの教団内学習塾、中学校と高校などを運営しており、2世信者への教化教育を徹底しています。高校生の2世信者の中には、『主(大川教祖)に命を捧げる!』と演説する者もいるほどです。出家後初の公の場に法名の千眼美子として出演し、満面の笑みで手を振る女優・清水富美加=2017年8月2日、東京ドーム (撮影・高橋朋彦) 若い熱狂的信者を量産する点では、幸福の科学は新宗教でもトップクラスです。こうした信者が成人して社会人や教団職員になることで、教団内部の結束がより強固になります。清水富美加さんもまさにそうした2世信者の1人でしょう」(藤倉さん) しかし、國学院大学神道文化学部の井上順孝教授は、今後は親から子への「信仰継承」も難しくなると指摘する。「情報化とグローバルの時代になり、これまでの常識が通用しない世の中になりました。これから先は、“親が信者だったから自分も信者になる”という構図が壊れて、親から子への継承も減ることでしょう。 これは新宗教や伝統宗教に限らず宗教全体に起こっていることで、これまで当たり前とされた先祖供養や葬式のやり方も変わってきているのが一例です。時代の変化に応じて宗教もまた変わっていくんです」 では、このまま宗教は役割を終えてなくなっていくのだろうか。井上さんはいくら時代が変化しても、「変わらないもの」もあると主張する。「それは、“生きている意味”を求める人間の心です。たとえば病気になったら、人間はその病気の原因やメカニズムを知るだけでなく、“どうして私は病気になったのだろう”と意味を考えます。 実際に今、宗教に入信するのは、不幸があったり、困っているのに手を差し伸べてくれる人がいなかったり、難病に苦しんでいたりして、“なぜ私は苦しいのだろう”と考える人ばかり。そういう人は“答え”がほしくて宗教に入信します。こうした深い悩みをスマホやネットで解決するのは難しい。いつの時代も、宗教が苦しんでいる人に“答え”を与えてくれることに変わりはありません」 信仰が人を救うこともある。「東北に元気を」「日本を信じよう」――さまざまな掛け声とともに、人々が心を1つに祈り、犠牲者を悼んだ3.11が今年も間もなくやってくる。 2011年3月11日に東日本を襲った大震災は、1万8000人以上の死者・行方不明者を出し、さらに原発事故で多くの家族が故郷を追われ、分断された。そんななかで宗教は、人々の大きな拠り所の1つになったと作家で僧侶の玄侑宗久さんが語る。「震災で大切な人を亡くした人々は頭では喪失を理解はしていても、心がついていかずに苦しみました。そんな時、仏教の葬儀や儀式の力を再発見することも多かったと思います。深い悲しみにとらわれた人が、祈りの時と場所を得られたことが大きかった。 どんな宗教かを問わず、人は苦しみや悲しみにとらわれた時、“目に見えないものがわれわれを支えている”という宗教的な心を必要とします。今は雇用が不安定だったり、一部で格差も広がっています。先行きが見えず、不安の多い時代だからこそ、現実とは少し違った価値観を提供する宗教の出番があるのです」関連記事■ 幸福の科学、創価学会等 新宗教の信者数最新ランキング紹介■ 新宗教の信者激減 10年後に消滅する教団も■ 創価学会、霊友会、真如苑…世界で支持される日本の新宗教■ 高度成長期に伸びた立正佼成会 過去10年で約240万人信者減■ 聖教新聞 公称550万部で毎日新聞の400万部を上回る数字

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    佐藤優と片山杜秀、オウム真理教「尊師マーチ」への解釈

     平成の時代相を決定付けたのが、1990年代半ばのオウム真理教による一連の凶悪事件、そして“無差別テロ”の地下鉄サリン事件だった。音楽を巧みに取り入れて宣伝などに利用したオウム真理教について、元外務省官僚としてロシアと接点のあった作家・佐藤優氏と慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀氏が語り合う。片山:平成6(1994)年4月に細川連立内閣の後を受けて発足した羽田内閣が64日間で退陣し、村山連立内閣が成立しました。この時期、激しく動いたのは政治だけではありません。半袖スーツの省エネルックで記者会見する羽田孜元首相=1994年8月、国会(共同) 平成6年6月にオウム真理教による松本サリン事件があり、さらに翌年3月20日には地下鉄サリン事件が起きた。その間には阪神・淡路大震災も発生した。佐藤:大震災翌日の1月18日、私は秘密文書を届けるために一時帰国しました。成田空港からのタクシーで聞いたラジオ番組がとても重苦しい雰囲気で話していたのを覚えています。片山:あの震災では自衛隊の出動の遅れが問題になりました。戦後の日本ではじめてリアルな危機対応が求められた災害だった。佐藤:一方、その2か月後の地下鉄サリン事件では、埼玉県の大宮駐屯地から完全防備の化学防護隊がすぐに駆けつけた。あの映像を見て、私は日本の化学戦対応能力は決して低くないと感心しました。 実は地下鉄サリン事件の数日後、3月末日に東京に戻る私のためにロシア人たちがモスクワでお別れパーティを開いてくれたんです。ロシア人の間でもオウムの話題で持ちきりでした。片山:オウム真理教は、ロシア人でキーレーンという名の交響楽団を編成し、来日公演をさせていましたね。「尊師マーチ」作曲者の今 ソ連は音楽家の宝庫でしたが国家の崩壊で大勢が食いつめた。そこをうまくつかまえて上祐史浩がなかなか上手なプレーヤーたちをお金で集めました。そしてカッサパというホーリーネームの東京音大出身の信者が、麻原彰晃の口ずさんだメロディを麻原彰晃作曲として交響曲や交響詩にして、コンサートで演奏した。会見する麻原彰晃ら=1990年佐藤:いま、その人はどうしているんですか?片山:カッサパの消息はその後、聞きませんね。「ショーコー、ショーコー、ショコ・ショコ・ショーコー」という歌詞で広く知られた『尊師マーチ』もカッサパの作曲と言われています。 私は1993年に新宿文化センターでカッサパ指揮するキーレーンの演奏会を聞きました。麻原彰晃が「この大幻想曲『闇から光へ』は自由な形式で作曲しました」などと舞台中央で説明するのです。佐藤:口ずさんでいるだけですから、確かに自由な形式ではありますね(笑)。片山:創価学会の池田大作が山本伸一名義で作詞したり、天理教の中山みきが「お歌」を作ったり、遡れば親鸞の和讃もありますから、教祖が音楽を作るのは宗教の根幹的行為のひとつかもしれません。 けれど交響曲まで作るのは珍しい。交響曲はひとつの世界観の表現として発達した分野ですから。麻原彰晃はゴーストライターを使って、ひとつ極めたわけです。●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。共著に『新・リーダー論』『あぶない一神教』など。本誌連載5年分の論考をまとめた『世界観』(小学館新書)が発売中。●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究家。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。関連記事■ オウム事件 1週間に40~50時間も各局から報道されていた■ モンテネグロで拘束のオウム信者は東大・京大卒の超エリート■ 麻原彰晃 「三女を含め4~5年誰も面会できていない」の証言■ 麻原彰晃死刑執行なら遺骨を確保した者が後継者になる可能性■ 元オウム女性幹部 NHK特番の放送後、認識の甘さ思い知る

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    津久井やまゆり園事件、「障害者差別」当事者からの悲痛な叫び

    。 去る平成28年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」にて前代未聞の大量殺人事件が発生しました。死者19人、負傷者26人という惨劇を引き起こした犯人は、同施設元職員の26歳の男性で、彼もまた精神を病んでいたようです。 「障害者は不要な存在だ、この世からいなくなってしまえばよい」という趣旨の発言を繰り返しているそうです。はらわたをえぐられるような思いで、その報道を見ていました。事件に衝撃を受けて 彼が本気で正義の執行だと信じて行った所業であるのか、それとも自己否定をこじらせた末の破壊衝動を理由付けするために障害者を利用したのかは、彼のみが知るところでしょう。献花台が設けられた「津久井やまゆり園」正門で目頭を押さえる女性=2016年8月、相模原市(三尾郁恵撮影) いずれにせよ彼の主張が正しいとしたなら、人類そのものを抹殺しなければなりません。障害者がこの世に存在しているという事実が、人類の存在を肯定している、たった一つの証しであるというのに、人のなんたるかを指し示す根源の指標であるというのに。彼は自らの存在理由を、存在意義を、存在価値を、真っ向から否定してしまったのです。 1859年にイギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィンによって『種の起源』が出版されました。彼の提唱した「自然選択による進化」の概念は、彼のいとこフランシス・ゴルトンをして「優生学」を構築するに至りました。彼は、社会的弱者には遺伝的欠陥があり、その生存および生殖の継続を社会が容認することは、人類に対して本来起こるべき自然淘汰(とうた)をゆがめ、進化を妨げていると主張しました。現在においても「進化」に関して、見解の統一はなされておらず、外的誘因、内的原因、偶発的要因、さまざまに入り乱れた複雑系であろうと思われます。 ダーウィンの進化論は、遺伝子の分子的な理解もない時代の理論ですので「進化」の「とある一面」を示唆したに過ぎません。例えるなら、幼児教育に用いる「積み木ブロック」のレベルです。 ゴルトンの誤りは、「生物種の環境適応」と「社会の繁栄」とを混同してしまったことです。しかし彼と同じように完璧であることを夢見た者たちによって「優生思想」は世界中に広がりを見せました。家畜と同様に人類にも品種改良が必要と唱える者たちさえ現れました。 最も過激な事例としてアドルフ・ヒトラー率いる「国家社会主義ドイツ労働者党」通称ナチス・ドイツが行った「T4作戦(障害者抹殺)」および「ホロコースト(ユダヤ人虐殺)」があります。ヒトラーの主張は、「アーリア系ドイツ民族こそが最も優秀な民族であり、支配者として純血を保持し、劣化の原因となる劣等分子は駆逐しなければならない」というものです。私の感覚からすると、病的な強迫観念を持つ人物の発想に思えるのですが、皆さんはどう思いますか。 社会の繁栄をなし遂げて維持しようと欲するのであれば、まずはその社会が信用と信頼とで満たされて、好循環を醸成するように「利他」の精神を養うものでなければ、到底実現できるものではないでしょう。 しかし、選民思想は「利己」を根源として咲くあだ花なので、逆行こそすれ繁栄の礎となり得る道理がないのです。白熱した身を幾度も打たれて、鋼は強靭(きょうじん)さを備えるのです。病理がはびこる世の中 沈没しかけた船から荷物を投げ捨てるのは、取り返しの付かない過ちを重ねた結果です。彼らは強くなりたいと願っておきながら、実には脆弱(ぜいじゃく)化の方策を実践してしまったのです。道理を踏み外したその結果は、万人の周知とするところです。不完全であるからこそ求める動機が発生し、前進する意思が働くのです。不完全であることこそが人にとって価値のある要素であると、私は考えます。(iStock) 第二次世界大戦の後も、優生思想に基づく「優生政策」は、小規模ではありましたが継続されていました。日本においても「優生保護法」が平成9年まで存続し、法改正により「母体保護法」となりました。この法律に関しても賛否両論ありますが、現在の社会の現状にあっては、女性の意思決定権を私は優先的に支持したいと考えています。 手あたり次第に試行錯誤する進化の中で人は生まれ、貧弱な体躯(たいく)で過酷な環境を生き延び、子孫を残すために悩みに悩んで、やがてその溝の中に「哲学の素」を見い出しました。さまざまな不可思議を不可思議であると認識し、答えを求め続け、ある時は真理を垣間見て、ある時は止めどなく迷走し、知識を積み重ね随分と便利な暮らしを人類は手に入れましたが、捕食者におびえ暗がりに隠れ住み、小枝から小枝へと逃げ回っていた頃の臆病で卑屈な性質を、どれ程までに克服することができているのでしょうか。 人類の英知が越えていかなければならないいくつもの課題のうち、最も克服しがたいのは己の正体を達観することだと考えています。  簡単にいえば、自分が不完全の出来損ないであるとは、おいそれと容認のできるものではありません。社会的地位の高く、あるいは経済的に豊かな、はたまた己の努力と成果を自負する者にはたわ言でありましょう。いかにもその功績は素晴らしいものであることに、全く異論の余地はありませんが、私の価値観においては、ものすごく頑張った「障害者」が手にした栄光であって、「健常者」だから成し遂げられたものではないと考えています。 思い通りにならない人生を誰かのせいにしたがるのが人の常であります。向上心の裏側で、あいつよりマシだと安堵(あんど)するのが人の性(さが)であります。誰かを見下すことで自己の優位性を誇示しようと計らうのが人の愚かさでしょう。悪癖は容易に治らないから悪癖と呼ばれます。 しかしながら、昔に比べれば随分と改善されてきたのも事実でしょう。個々の人の認識に今昔の目覚ましい違いは感じませんが、少なくとも日本社会全体の流れとしてはマシな方向に進んで来たと考えます。「集合知の歩み」と表現したくなります。  ぜいたくをいわせていただけるなら、できればもう少し速く歩いてもらえると有り難いのですよ。人の寿命は結構短いのです。 返す返すも口惜しい事件です。いっそのこと忘れてしまいたいくらいです。しかしながら、忘却は過ちによって犠牲になられた方々に対する冒瀆(ぼうとく)でしょう。彼の主張、彼の衝動は、彼1人の特異なものではないからです。悲痛な祈りは届くのか? 拡散され希釈されて、日常の表には現れないかすかなよどみを、私は肌で感じながら生活してきました。何の因果因縁かは知りませんが、たまたま彼を核として凝集してしまったのでしょう。口にしづらい、話題にしづらい事柄ではありますが、せめて義務教育の現場においては、主要なテーマとして思索を深めていただきたいものであります。 これはあくまでも私の個人的な肌感覚なのですが、子供の純粋であるがゆえの残酷で幼稚な理性では、障害者に対する悪感情を制御することは難しいでしょう。私が「インクルーシブ教育」に半信半疑である理由であります。(iStock) 子供は大人の顔色を瞬時にくみ取ります。障害者をサポートしている職員が少しでも困ったそぶりを見せると、それが「障害者は負担」だとする印象につながりかねません。また、各家庭での会話の中で何気なしに言った言葉を、子供は意外な程にピックアップしているもので、それが障害者に否定的なものであれば、深く思慮することのないまま学校に持ち込んでくるものです。 児童期にそのように刷り込まれると、長期間にわたって修正困難であるように思います。社会正義などの「公共性」の概念が理解できる年齢、せめて中等教育以降に適用する方が望ましいと考えます。準備不足の危険性を軽視すべきではないと思います。 うかつに子供を神聖視すると、そのつけが障害を持つ児童に無慈悲な打撃となるかもしれません。教育現場において、一つや二つの成功体験を一般化してしまうのは早計に過ぎるかと思います。千差万別、全てがオーダーメードであろうと考えています。それを担うことのできるプロフェッショナルが、どの程度に拡充しているのでしょうか。無理難題を押し付けられる現場の教職員の方々も、また気の毒なのです。 障害者に無条件で優しくしろとか、過剰な好待遇をせよとか、そんなばかげた主張に、私は一切の賛同をしません。相手に不愉快な思いをさせて己は愉快な気分に浸りたいなどとは笑止千万の極みなのです。自らを惨めな存在におとしめてどうするのでしょうか、対等である以上の喜びを私は知らないのです。それぞれの場所、それぞれの立場で、持たざる者の意地を張り倒すしかないのだと思います。 私のささやかな願いは、厚生労働省の公式見解として「健常者」という概念を否定していただけないかと思うのです。「障害者と健常者が共に」などと表現しているのが、まるで別の生き物を共生させようと苦心惨憺(さんたん)するサファリパークの運営会社の思惑のようで、胸くそが悪いのです。「健常者」を廃止し「軽微障害者」と再設定していただいて「普通障害者と軽微障害者が共に」であれば、溝も随分と狭くなるかと思うのです。 だからといって障害者差別がなくなるものでもないと考えています。障害者同士の間でさえ差別意識はあるのですから、人の業の深さは計り知れないのですよ。楽園から追放されたその時から、人は皆「神様規格」から外れた「わけあり物件」です。願わくば相互理解の遍(あまね)く広がりますようにとつぶやいてみるのですが、底辺貧乏無神論者の祈りは誰に届くのでしょうか。

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    渋谷暴動事件、大坂正明が戦うべき「真の敵」は誰だったか

    著者 永井文治朗 大坂正明容疑者が逮捕、起訴された。1971年に起きた渋谷暴動事件で警察官を殺害し、その後46年間逃げ回ったという。72年生まれの私の記憶にあるのは、交番前に貼られたポスターの人物である。物心ついたときには事件から10年経っており、例の手配写真をみて、「こんなに時間が経っていて捕まるのか」というのが率直な印象だった。大坂正明容疑者の情報提供を呼び掛けるポスター=5月23日、共同通信 そもそも私の世代は左翼活動家や「プロ市民」でもない限り、警官隊とやり合うような時代に生きていない。街中で暴れてまで通すべき主張があるとは思えないし、完璧で正しいイデオロギーなんてないのが本音である。けれども「国民主権」と「民主主義」こそが正しいと信じており、良きにつけ悪しきにつけ、国民が選んだものと国民が支持する考えを尊重すべきだと思っている。その上で「言論の自由」は最も尊重されるべきだと考える。 しかし、60~70年代に活動家だった人たちは自分の世代についてどのように考えているのだろう。私の母は44年、父は終戦の年に生まれている。父は集団就職で熊本から大阪のパン製造会社に勤めた後、上京して飲料メーカーに再就職した。伯父はその会社の重役まで務めたが、父は出世もおぼつかないまま退社し、鬼籍に入った。 大坂被告は両親よりも一回り下の世代である。つまり、団塊の世代だが、同時代に勉学そっちのけで学生運動にハマっていた連中について、大学出の伯父は理解していたようだが、父はあからさまに憎んでいたのを覚えている。父は向学心もあったが、家庭の事情で大学進学を断念させられたらしい。はっきり言えば、伯父が進学したので弟である父は我慢させられたのである。「損な役回り」世代 父のような存在は、活動家たちに言わせれば明らかにプロレタリアート(労働者階級)だ。活動家たちと近い世代や同世代の労働者に対してさえ、共感が広がらなかった活動に何の意味があったのだろう。そして、同い年の巡査をリンチ殺人したことへの反省はあるのだろうか。ガソリンにまみれて倒れた相手に火炎瓶を投げつけて焼死させたという行為は、山岳キャンプで凄惨(せいさん)なリンチ事件を起こした日本赤軍の連中となんら変わらない。残虐非道であり、自らの持つ暴力性に政治思想をこじつけただけである。1971年(昭和46年)11月14日に発生し、火炎瓶が飛び交った渋谷暴動事件=東京都渋谷区 客観的に見て、これほどバカげた話はないと思う。60~70年代は大学どころか、家庭の事情で高校進学さえもできない人たちが多かったと聞く。NHKの連続テレビ小説『ひよっこ』で有村架純演じるヒロイン、谷田部みね子とその仲間たちのようにやむにやまれぬ事情で上京し、当たり前のように故郷の家族に仕送りをし、不景気で勤務先が倒産という憂き目に遭うなど、散々な思いをしながら高度経済成長を下から支えていた世代である。 学歴偏重社会に生まれ、就職超氷河期を体験させられ、個性をとことん無視された私は今も一人で病身と戦い続けている。社会の矛盾に対し、「報復」をしても許されるとも思う。けれども、私たちは自制し、自己批判をし、あらゆる物事に懐疑的かつ慎重な態度を取る。そして、青田買い世代を上に、サカキバラ世代やゆとり世代を下に抱え、貧困の再生産と呼ばれる状況と世代間の隔絶。あるいは世代間冷戦の調停役として社会の矛盾、世代間の矛盾の間に立って耐えている。学歴社会で両親の果たせなかった夢を負わされ、ファミコン世代として将来訪れるデジタル社会の先駆けとなり、それが当然のものと考えて聞く耳を持たない世代をなだめる「損な役回り」だ。共産主義の幻影 1989年、ベルリンの壁崩壊を18歳で目の当たりにしたとき、「今まで共産主義を信奉していた人間は公の場で謝罪し、断筆しろ」と激しい怒りを感じた。いまだに共産主義の幻影とともにあり、暴力革命の方針を捨てず、慰安婦問題という「一大ファンタジー」を信じている人たちや組織とは何なのだろうと思う。彼らに言わせると大坂正明は権力に屈せず戦い抜いた「闘士」なのだろうか。渋谷暴動事件で殉職した新潟県警の中村恒雄警部補の慰霊碑=6月6日午後、東京都渋谷区(春名中撮影) いや、そんな風には到底思えない。職務のため命を張った警察官こそが英雄であり、21歳の若さで命を落とした巡査と彼の家族を同情するばかりである。大坂正明は分別のつく年齢になっても、罪を償えなかった小さな人間としか思えない。とはいえ、でき得るなら彼にはそうでないと否定してほしい。一日も早く、自らの言葉で反省でも後悔でも居直りでも開き直りでも、その心の内にあるものを口にしてほしい。私はその言葉には誠実に向き合いたい。 ただ、この殺人犯を半世紀近く逃げ回らせた日本の公安警察にも不信感を抱く。米国の「赤狩り」により左翼活動家を追い回すことで下級戦犯を免除された元特高警察たちは「狡兎死して走狗烹らる」(役割を終えた必要悪はいずれ社会によって裁かれる)ことへの不安、職務への後ろめたさからあえて見逃したのではないかとも疑う。そもそも左翼活動家に言質を与えたのは、戦前の特高警察だと言っても過言ではない。前述のように「言論の自由を最も尊い」と考える私は、特高警察こそが先の大戦のA級戦犯だったと思っている。そして、罪のない国民の命がカルト教団の思想で危機にさらされたオウム事件の時ですら、彼らは何の役にも立たなかった。それでいていまだ秘密主義やら独自捜査の権限を持つ。大坂さん、貴方が本当に火だるまにすべきだった相手は一巡査ではなく、彼らだったのではないですか? 時代の変遷により、いつしかなれ合いの関係に陥っていたことも、大坂正明の逃亡を後押ししていたのではないかと大いに危惧する。

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    青年市長が絶望した「司法の闇」

    全国最年少の28歳という若さで市長に当選し、その後事前収賄罪などで逮捕、起訴され有罪が確定した岐阜県美濃加茂市の前市長、藤井浩人氏がiRONNAに独占手記を寄せた。一貫して無罪を主張し、出直し市長選でも圧勝した異例づくしの経歴。青年市長はなぜ司法と闘い続けたのか。

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    【前美濃加茂市長独占手記】「それでも私は無実である」

    罪」が平気で生み出される時代であることを、改めて自ら認識し、美濃加茂市長を辞することとなりました。 事件の内容は、一審からずっと共に闘ってくださった郷原信郎弁護士の著書『青年市長は“司法の闇”と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開』にある通りですので、ここで多くは記しません。 しかし、やはり現金30万円を2回に分けて、しかもファミリーレストランや大衆居酒屋において第三者がいるにも関わらず「渡した」とするなんの証拠もない作り話を事実だと認定してしまう、なんでもありの警察、検察、裁判所が身近にあるということを、多くの国民のみなさんには知っていただきたい。そしていつか自分や自分の周りの大切な人が冤罪の当事者になってしまう可能性があること、誰も目を向けないと司法を取り巻く環境が変わらないことを考えてもらうために筆を取らせていただきました。最高裁が上告を棄却し、決定を通知する文書を手に記者会見する、岐阜県美濃加茂市長の藤井浩人被告=2017年12月13日(文書の一部を画像加工しています) 12月14日に市長辞職となり、50日以内に行われる市長選挙に向けて美濃加茂市は動き始めています。今回の辞職にあたっての私の最後の役目は、これまで市民や多くの関係者の人たちと築いてきた美濃加茂市政を滞りなく引き継ぐことだとして、休む間もなく東奔西走しております。 私は、岐阜県警の警察官の父、パートタイムで働く母に2人の弟を持つ3人兄弟の長男として育てられてきました。幼い頃は駐在所を転々とし、公務員住宅アパートで小学生までを過ごし、美濃加茂市には中学生から暮らしはじめました。政治家という職業には全く関係がない環境で、趣味のサッカーに撃ち込み、地元の高校、理系の大学と進み、就職活動をはじめました。 そんな最中、学生の間で流行したSNS「mixi」(ミクシィ)や雑誌、テレビの影響を受け、アジア諸国へとバックパッカーに出かけました。 大阪から船に乗り、安宿と安価なバスや電車を利用しながら、中国、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、タイを約2カ月に渡り移動しました。日本の地方で育ち海外留学等の経験もなかった私は、これまでに見たことのない景色や、触れたことのない生活、活気あふれる人々と交わることができました。おかげで、現在の経済的な豊かさがあっても幸せを実感することのできない日本の価値観、海外の若者たちの目標意識の高さ、東南アジアで暮らす子供たちのハングリーな姿勢と日本に対する羨望のまなざしなど、自分自身の生き方を根本から覆されるような衝撃を受けました。 当時、学習塾でアルバイトをしていた私は、この自分が感じた衝撃を子供たちに伝えたいという気持ちとなり、居てもたってもいられず、大学院を修士論文を残した状態で辞め、アルバイト先の塾で働かせてもらうことになりました。政治家を目指した理由 それから数年、学習塾でのやり甲斐に満ちていた頃、中学生から「先生は、世界のことや世の中のことを色々と話してくれるけど、25歳を過ぎてどうして政治家にならないの」と、何気ない質問を受けました。 その時、私自身は社会や我が国の将来に対する思いがありながらも、批判や文句を吐き出すだけで、正面から何も向き合っていないことを深く反省させられました。そして、間もなく、美濃加茂市議選に出馬し、多くの友人やその家族をはじめとした支援者に支えていただき、26歳でトップ当選をすることができました。平成22年10月のことです。28歳で市長に初当選した藤井浩人被告=2013年6月、岐阜県美濃加茂市 さて、市議時代の活動が、今回の事件容疑となるわけですが、26歳で市議となり、政治家としての基礎がない私は、様々な分野の勉強会や視察に出かけ、資料や本を読みあさり、地域や市民活動にも参加するなど、がむしゃらに行動していました。学びを進めることで、共に切磋琢磨できる地方の若手政治家が全国には何人もいることも知ることができ、その活動範囲は加速しながら拡がっていきました。 逮捕から数日経った取り調べの中で、警察官から「市議ってこんなに勉強するものなのか?専業じゃないんだろ?」と押収した資料の量や中身について話をしたときのことが印象的で、私のスタンスとは異なる地方議員像を警察は私に当てはめていたのだろうと感じました。 議員としての活動が手についてきた頃、23年3月11日。東日本大震災が発災しました。議員としてできることに限界を感じながらも、結果的に役に立てたのかは不明ですが、支援物資を集め、3月中に被災地福島県に届けることができました。その後、何度もボランティアとして現地を訪れましたが、震災復興に対して何ができるのかを考える一方で、美濃加茂市における災害に対する備えの不十分さに強い危機感を持ちました。 災害時の備蓄品や、避難方法、インフラのメンテナンス、情報発信など、災害に対する対応についてほぼ毎回の議会において質問を行い、市の執行部に対して提案を行い、議員としての活動に努めました。 そのような活動を進める中、自然エネルギーに対する資料収集や勉強会を通じて、ある男性と出会うこととなりました。男性は、様々な分野の斬新なアイデアを持っており、私もそれなりの知識を持っていたため会話は弾みました。 そして、再度、話をする機会を設けた際、私に現金を渡したとするN氏が現れました。紹介してもらった男性同席のもと数回の会食を行い、使われなくなった学校プールの水を災害時の生活用水としての利用を目的とした、確かなメーカー元である浄水器の実証実験が市の費用負担ゼロで始まりました。 N氏が融資詐欺を繰り返していた人間だったという事を逮捕により知るわけですが、私としては当時、数十人数百人の人と出会い話をする中でも、N氏の人間性と思惑を見抜けなかったことは反省しています。 そして私は市長就任から約1年を迎えたころ、逮捕されました。26年6月24日早朝、目が覚めると自宅の周りにはおびただしい数の記者。近所迷惑になることは明らかであり、急いで支度を済ませ市役所へ入ると、まもなく愛知県警から携帯電話に連絡が入り、任意動向に応じて警察本部へと連れていかれました。 少し前から、テレビや新聞の記者が家にくることがあり、何事かと警戒はしていましたが、現実に何が起きているのか把握できなかったのが正直な感想です。すぐに帰ってこられると自信を持ちながらも、これだけの騒ぎは簡単におさまらないのではないかと強い不安を感じながら、移動車内でTwitterにメッセージを書き込みました。 私の乗せられた車には、何台ものマスコミの車が追跡していることが窓からもよくわかり、県警本部の入り口ではフラッシュがたかれ、ニュース番組を見ているかのような錯覚に陥りました。必要なのは司法改革 状況が飲み込めない中、何人もの私服警官に周りを固められ、奥に長く続く廊下を歩き、狭い取調室にいれられました。携帯電話や電子機器は全て預けるようにと、言われるがままにすると、席に座るやいなや、事情を聞くと言いながら、「さっさと自首をしろ!」と部屋に響き渡る罵声を浴びせられました。今でも鮮明に思い出されます。 「何の容疑なのか」という質問には一切答えず、「往生際が悪い」「自分の心に聞いてみろ」「こんな若造を市長に選んだ美濃加茂市民の気が知れない」…、2人の警察官が交互に私の耳元で罵声を浴びせ続けました。少しでも自分の知っている限りの話をしても一切耳を傾けることも興味を示すこともなく、机に置かれたバインダーの上の白い紙には何も書かれないまま数時間が過ぎました。 らちが明かないと考え、「市役所に帰らせて欲しい」というと、「市役所に戻ったところでマスコミが取り囲み大変なことになる。まずは早く自白して、こっちで対応した方がいい」と、既に逮捕ありきであることを確信させるようなことを言い出しました。「本日中に逮捕状が出なければ帰る」という条件で、その場に残ることとなりましたが、その夜、私の目の前に逮捕状が届けられました。しかし、「10万円と20万円の2回も」との内容。「は?」というのが正直な心境でした。 どんな容疑をかけられているのか全容が分からない不安と、必ず間違いであると証明され、すぐに帰れるだろうという自信との葛藤。そして何より、美濃加茂市はどうなっているのか。市役所や市民の皆さん、支援者の人たちは大丈夫なのか。そんな中、名古屋で活躍されている弁護士の方々を知り、郷原弁護士とも出会うことができました。 その後と裁判の詳細は著書に譲りますが、「証拠は全てそろっている」と言いながら、恫喝(どうかつ)を繰り返す取り調べや、今回の事件とは直接関係のない、市長選の関係者に厳しい捜査が及んだことを振り返ると、捜査に携わった人たちは果たして「藤井は有罪である」ことに確信を持っていたのか疑問を感じます。 最高裁での判断は上告棄却となり、残された異議申し立てをしましたが、12月26日付でこれも退けました。この先は、再審請求を含めて、民事訴訟なども進めながら今回の事件事実を明らかにする活動を続けていきます。2017年12月13日、上告棄却を受けた記者会見後、支援者(左)に励まされる岐阜県美濃加茂市長の藤井浩人被告 同時に、冤罪事件の当事者として身をもって知ることとなった司法の改革の必要性や、5年間で獲得することができた地方自治体における課題の解決、市民の皆さんをはじめ多くの方々からいただいたご支援に対し恩返しをするためにも、政治家としての再起を念頭に努めていきたいと思います。

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    美濃加茂市長事件で露呈した「日本版司法取引」の危険性

    となどあり得ないと信じていた。 ところが、12月11日、最高裁の上告棄却決定が出された。それは、この事件の捜査段階から上告趣意書提出までの経過を詳細に述べ、明らかな冤罪(えんざい)であることを訴えた『青年市長は“司法の闇”と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開』(KADOKAWA)が発売された8日金曜日から週末を挟んだ翌月曜日のことだった。最高裁決定への異議申し立て後、記者会見する前岐阜県美濃加茂市長の藤井浩人被告(左)。右は主任弁護人の郷原信郎弁護士=2017年12月18日、東京・霞が関の司法記者クラブ 上告棄却決定の理由は、 弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。というものだった。そのわずか3行半の決定文すら、弁護人の上告趣意の内容に対応していない。上告趣意の内容を把握し検討した上で出された決定とは到底思えないものだった。 刑事訴訟法では、上告理由は、405条で(1)「憲法違反」、(2)「判例違反」に限定されている。そして、411条で(3)「上告理由がない場合でも、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる」とされている(職権破棄)。「三行半」の上告棄却決定 上告趣意書では、二つの「判例違反」の主張と、「重大な事実誤認」の職権破棄を求める主張を行った。弁護団で検討した結果、「判例違反」と「重大な事実誤認」で十分に破棄が期待できる事案なので、「憲法違反」の主張をする必要はないと判断し、「憲法違反」の主張はあえてしなかった。ところが、上告棄却決定では、「憲法違反をいう点を含め」と書かれており、主張していない「憲法違反」を主張したことにされている。 しかも、「判例違反」の主張について「事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく」としているが、上告趣意で主張する「判例違反」のうち、平成24年の「チョコレート缶事件判決」は、本件と同様に、一審の無罪判決が控訴審判決で覆った事件についてのもので、本件と「事案を異にする判例」などとは絶対に言えない。 そして、上告趣意書でも特に全力を挙げて主張したのが、「控訴審判決が贈賄供述の信用性を認めたことが事実誤認だ」ということであり、それは、刑訴法405条の上告理由には当たらないが、「著しく正義に反する重大な事実誤認」なので判決に影響を及ぼす、として、刑訴法411条による「職権破棄」を求めたものだ。 ところが、決定では「単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない」と述べている。もちろん、職権調査は上告審の裁量なので、職権破棄を求める主張をした場合に、それに何も触れないまま例文で棄却されることもある。しかし、重大な事件であれば、職権破棄を求める主張に対して、破棄しない場合には、「所論に鑑み記録を精査しても、411条を適用すべきものとは認められない」などと記載される場合も多い。本件は、人口5万6千人の美濃加茂市の現職市長が逮捕・起訴され、被告人でありながら、市長職にとどまっており、有罪が確定すれば失職するという事件であり、重大な事件ではないなどとは決して言えないはずだ。職権調査をしたともしないとも言わず「上告理由に当たらない」というのは、上告趣意にまともに答えているとは思えない。  名古屋地裁の一審判決は、多くの証人を直接取り調べ、被告人質問で藤井氏の話も直接聞き、丁寧な審理を行った心証に基づき、無罪を言い渡した。ところが、控訴審では、贈賄供述者の取り調べ警察官の証人尋問以外に新たな証拠もなく、毎回欠かさず控訴審の公判に出廷していた藤井氏には発言の機会すら与えることなく、一審判決を破棄して、驚愕(きょうがく)の「逆転有罪判決」を言い渡した。上告趣意が真摯(しんし)に受け止められ、検討されていたら、このような不当極まりない控訴審判決を、そのまま是認し、有罪が確定することなどあり得ない。最高裁は、上告趣意をほとんど検討もせず、最初から結論を決めてかかって、上告趣意の内容とはかみ合わない「三行半」の例文で上告棄却決定を出したとしか思えない。2016年11月、名古屋高裁(後方)で逆転有罪の控訴審判決を受けた、岐阜県美濃加茂市長の藤井浩人被告 最高裁が最初から有罪方向で異論のない事件のように結論を決めてかかったとすれば、それはなぜか。その理由として考えられるのは、贈賄供述者が既に自らの贈賄と融資詐欺の事実を全面的に認め、早期に有罪判決が確定していることだ。贈賄者と収賄者とで事実認定が異なるのは司法判断の統一性を害するとの配慮から、最高裁には本件を無罪方向への見直しを行う気は最初からなかったということが考えられる。確かに、過去30年余りさかのぼって記事検索をしても、贈賄事件での有罪判決の認定と正面から相反する収賄事件での無罪判決が出された例は、藤井氏の一審無罪判決以外にない。「日本版司法取引」の最大の問題 藤井氏の事件では、業者が藤井氏への贈賄供述を始めた段階では2100万円の融資詐欺しか立件されていない段階で、贈賄者が合計3億円以上の悪質な融資詐欺を自白していたのに、その後、余罪は不問に付された。弁護人がそれらの事実を告発したことで、検察官が8カ月も放置していた4千万円の融資詐欺事実を追起訴せざるを得なくなったことなどを重視した一審裁判所は、「闇取引」自体は否定したものの、贈賄証言の信用性を否定する背景事実として「虚偽供述の動機が存在した可能性」を指摘して、藤井氏に無罪判決を言い渡した。 この事件のように、贈賄者に意図的な虚偽供述の動機がある場合にも、贈賄者の事件での有罪判決が確定したことが、収賄事件の無罪判決を妨げる決定的な要因になるとすると、収賄事件で起訴された被告人・弁護人にとって、賄賂授受を全面否認して無罪判決を獲得することは絶望的となる。 2018年6月までには改正刑事訴訟法が施行され、被疑者・被告人が他人の犯罪事実を明らかにするための捜査・公判協力を行う見返りに、検察官がその裁量の範囲内で一定の処分または量刑上の恩典を提供することを合意する「捜査公判協力型協議・合意制度」が導入される。 この「日本版司法取引」の最大の問題は、自分の罪を免れ、あるいは軽減してもらう目的で行われる「虚偽供述」によって、無実の人間の「引き込み」による冤罪の危険が生じることである。最高裁判所(寺河内美奈撮影) 虚偽の贈賄供述で合意にこぎつけ、自分の罪の軽減などの恩典を得た者は、藤井氏の事件の贈賄供述者と同様に、自らの裁判ではその罪を全面的に認めて早期に有罪が確定する。それによって、身に覚えのない収賄の疑いをかけられた側は、絶望的な裁判に追い込まれることになる。 藤井氏は、警察・検察、そして控訴審裁判所という「司法の闇」と闘い続けてきた。しかし、その先にある、最高裁を頂点とする日本の刑事司法自体が、実は「真っ暗闇」だということが、今回の上告棄却決定で明らかになった。「日本版司法取引」が導入されることで、その「闇」は一層深くなることになりかねない。

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    人気小説家が逮捕・拘留で身にしみた「司法の現実」

    暴走するんです。作家・冲方丁さん=2016年9月29日、東京都渋谷区(山崎冬紘撮影)―最後に、一連の事件を総括して、冲方さんにとってどんな意味があったとお考えですか。冲方:作家としては大きな糧を得ました。ロープに縛られて骨がきしむ音の様子など、監禁された人間の描写が普通にできるようになった(笑)。また国民という観点からすると、それこそ揺りかごの中から出てきたような、目覚めさせられた気分です。 司法は私1人ではとても観察しきれない大きな組織なので、テレビや雑誌がもっと積極的に警察や検察という「面白い組織」をネタにしてくれないか、と。一般の国民も、1日留置場体験をしてみるとよいかもしれません。客観的に留置場をみれば、まさにアメージングワールド。日常生活では絶対に出会わないタイプの人に出会えます(笑)。うぶかた・とう 小説家・アニメ脚本家。1977年生まれ。岐阜県出身。96年に『黒い季節』(角川書店)で第1回スニーカー大賞金賞を受賞し、デビュー。2003年に『マルドゥック・スクランブル』(講談社)で第24回日本SF大賞を受賞。10年に『天地明察』(角川書店)で第31回吉川英治文学新人賞、第7回本屋大賞、第4回舟橋聖一文学賞、第7回北東文芸賞を受賞。12年に『光圀伝』(同)で第3回山田風太郎賞を受賞。近著に、『十二人の死にたい子供たち』(文藝春秋)などがある。関連記事■ 冤罪を防ぐための「検察憲章」私案■ 新海誠 「日本の風景」で世界を驚かせたい■ https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3752

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    日本の刑事裁判の有罪率は99.9%超 北朝鮮や中国並みの体制

     袴田事件の再審が決定したが、その決定において捜査当局による証拠の捏造も指摘された。 袴田事件だけでなく、後に無罪となった足利事件など、重大事件でも多くの冤罪が発覚しているが、それでも世間には「それらはごく一部のこと」と見る空気がいまだ強い。再審開始決定の報告集会に参加した袴田巌さん(左)と姉の秀子さん=2014年4月14日、東京都千代田区(鴨川一也撮影) 果たしてそうだろうか。疑う最大の理由は捜査当局の「見込み捜査」と正義感の問題である。日本の警察はいまだに“刑事のカン”で動き、しかも強固な官僚組織で上司の「見立て」に逆らえない風潮が残っている。そのため、ベテラン刑事などの見立てで捜査が主導され、そうでない可能性を潰してゆくという大事な過程が疎かにされて真相解明を妨げる傾向がある。 こうした警察当局を増長させたのが司法である。日本の刑事裁判の有罪率が99.9%を超えていることは異常だ。先進諸国では7~8割程度であり、日本では「起訴されたら有罪確定」と考えて間違いない。それだけ無実の罪で服役する(あるいは死刑になる)者も多いはずだ。 裁判所は検察の言い分はよく聞くが、被告の主張はほとんど退ける。裁判員裁判が始まって以降も、裁判官だけで審理する上級審では、裁判員が「疑わしきは被告人の利益に」と無罪にしたものを逆転有罪にする判決が目立つ。 もっともこれには司法サイドに言い訳があって、日本では検察が起訴と不起訴を峻別しているから、有罪の確証があるケースだけが起訴されているというロジックだ。が、それこそ勘違いも甚だしい。検察は有罪、無罪を決める場ではない。 このロジックに従えば、つまり検察は捜査当局であり、司法まで担うというわけだ。それでは北朝鮮か中国である。同様の病巣が警察の検挙率にもあって、かつて日本では警察が告訴や告発を門前払いするケースが多く(夫婦間のレイプや暴行、親族間の窃盗・詐欺、ストーカーなどは「話し合って解決しなさい」などと言って相談に乗らないケースが少なくない)、それが犯罪件数を低く見せていただけで、実際の犯罪発生数はもっと多く、従って検挙率はもっと低いとする説もある。 最後に、マスメディアの責任も見逃すわけにはいかない。袴田事件や足利事件でも、新聞やテレビなど記者クラブ・メディアは警察、検察に張り付いてそのリークを報じるばかりで、独自取材で捜査やDNA鑑定を検証する姿勢は乏しかった。司法記者クラブが裁判を批判することもまずない。われわれ雑誌メディアは権力べったりではないが、そのかわり猟奇事件などではワイドショー的な興味本位の描写に走りがちだ。 すべての関係者が、無実の市民が受けた(あるいは今も受けている)苦痛に真摯に向き合い、反省すべきは反省する勇気を持たなければならない。関連記事■ 奥田英朗のサスペンス大作『オリンピックの身代金』が文庫化■ 遠隔操作ウイルス事件に“強盗殺人犯級”な300万円の懸賞金■ 検察による有罪率「99.9%」と裁判官退職金「8千万円」の関係■ 大阪府警財務捜査官が経済系組織犯罪の現場や真相を記した本■ 鈴木宗男 自身の逮捕は「ムネオハウスかと思ったらやまりん」

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    日馬富士騒動に便乗したワイドショーの「場外乱闘」がみっともない

    会も事あるごとに「力士の品格」を口にしては所属力士たちを律するが、そんなものどこ吹く風で、品格のない事件や騒動は後を絶たない。 その要因は、意外に思われるかもしれないが「相撲は日本の国技ではない」という事実にあると筆者は感じている。 より正確に表現すれば、相撲は、国旗国歌法のように法律で「国技」であると定められているわけではない。演芸や工芸でもないので、文化財保護法における「重要無形文化財」でもない。菊の紋章のように、慣例的に「日本の国章」になっている類いのものでもない。 つまり、大相撲を頂点とした相撲文化が、日本の「国技」であることを示す法的な根拠はないのである。2017年9月、両国国技館で行われた土俵祭(撮影・加藤圭祐) 一方で、多くの日本人は相撲が日本を代表する武道であり、わが国の象徴的な「伝統文化=国技」であるとして受け入れることにやぶさかではない。多くの国民から「国技」であるとイメージされ、そこで活躍する力士たちも、日本の伝統文化を継承する人気者であるにもかかわらず、「国技の継承者」としては明確に定められていないという矛盾がある。 国民からの「国技の継承者=国の代表」としての認識は、力士たちと相撲協会に大きな収益や知名度といった特権を与えている。対外的にも「国技」としての役割も存分に担わされているにもかかわらず、日本相撲協会という民間団体だけによってコントロールされているのが実態だ。  メディアにとっては検証や批判がしづらい大相撲の高いコンテンツ力。「国技」としてのイメージを担わされ、特別な立場を享受している事実。しかし、実は単なる民間の競技団体でしかないという大相撲の実態。この相容れない3つの重なりが生み出す矛盾にこそ、日本の伝統文化にもかかわらず、品格なき事件を生み出す要因があるのではないだろうか。 もっとかみ砕いて言えば、大相撲で活躍するモンゴル人力士たちの中に、日本の「国技」を支えてきた、という自負が生まれ、それが品格なき「増長」をも許してしまうのではないか。 連日過熱する日馬富士騒動だが、ワイドショーを中心としたマスコミは「関係者」たちによる臆測報道ばかりで、こういった問題に対して言及することはあまりない。相撲界を正常化させ、より発展させるために期待される役割は決して小さくない。 無関係な人たちによる無責任な想像力を楽しむことも節度を守れば必ずしも悪いとは言い切れないが、それよりもメディアが取り組むべき魅力的なテーマは、他にいくらでもあるだろう。

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    日馬富士騒動、ワイドショーの悪ノリが痛い

    テレビをつければ、連日連夜くだんの日馬富士騒動だが、各局のワイドショーは軒並み高視聴率だという。騒動とは無関係の元モンゴル人力士が「場外乱闘」まで繰り広げ、ワイドショーの悪ノリもここまで来るともはや「公害」である。このバカ騒ぎの元凶はテレビなのか、それとも視聴者か。

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    「マスゴミの象徴」ワイドショーはどこへ行く

    取れる話題を求めるのは当然だ。そして時に、すべての話題がワイドショー化していく。 例えば、力士の暴力事件が大きな話題になり、人々の関心の的になれば、もちろんワイドショーはその話題を取り上げる。ニュース番組も新聞も同じ話題を取り上げるが、取り上げ方が違う。ワイドショーならジャンルを問わず、一番の話題として、最も関心度が高いテーマを取り上げることができる。 週刊誌も、読者が最も読みたがる話題を自由に取り上げられるが、さすがに雑誌のページの半分がその話題で占められることはないだろう。だが、ワイドショーならそれも可能だ。番組の始まりから力士暴力事件など一番話題のテーマを取り上げ、間で少し他のニュースやコーナーを行い、また力士暴力事件に戻ることも、しばしばある。ワイドショーこそ、テレビそのもの 各局で視聴率争いを行い、1分刻みの視聴率の変化に一喜一憂する。それがテレビだ。だから、うっかりすると、どのチャンネルのワイドショーもみんな同じテーマを取り上げることになる。しかも、今日も明日もあさってもだ。よほどその話題に関心を持つ人でないならば、うんざりすることもあるだろう。だが、別の話題にして視聴率が下がるようであれば、やはりこの話題を取り上げ続けるだろう。2017年11月、大相撲九州場所が行われている福岡国際センターで、役員室へ向かう貴乃花親方 ともかく話題を提供し続けなければならない。視聴率を取らなければならない。そうなると、同じような出演者(専門家)が、各局のワイドショーをはしごして出演することもある。少しでも他局のワイドショーより目立とうと思えば、センセーショナルな表現を取ってしまうこともある。 容疑者段階の人間を完全に犯人扱いし、ひどく侮辱することもある。おどろおどろしい表現で、必要以上に危機感をあおることもある。自殺の現場を生々しく撮影し、詳しい自殺方法を伝えてしまうこともある。これは、自殺予防の観点からすると大きな問題だ。 また少しでも新しい話題を提供しようと思えば、友人や知人、近所の人など雑多な人々にインタビューし、またスタジオに招くこともある。そこで価値ある情報が得られればよいが、不正確な情報を流してしまい、視聴者をミスリードする危険性もあるだろう。時には、内容が薄くなってしまうこともあるだろう。 テレビにとっては、わかりやすさは最重要事項の一つだ。わからないものは面白くない。わからなければ意味はない。テレビは、小学校4年生にもわかるように作ると語った人がいるが、確かにおじいちゃんも小学生も孫も一緒に楽しめるのがテレビだ。わかりやすいことは確かに大切だ。わかりやすく、そして意味あることが大切だ。時には、テレビで長々と放送されたものを見てもよくわからなかったものが、新聞記事を読んでわかることもある。ただし、集中してじっくり読まなければならないが。 マスコミのことを「マスゴミ」などと言って揶揄(やゆ)する人がいる。ワイドショーをばかにする人もいる。同じ放送局の中にも、事件現場に最初にワイドショーが入ってインタビューをすると「現場が荒らされる」と嘆く報道スタッフもいる。そういうこともあるのだろう。視聴率争いは激烈なのだから。 しかし、ワイドショーのスタッフたちも、心ある人々はもちろんよい番組作りを願っている。事件現場で、心のこもった思いやりあるインタビューをしようとしているリポーターのことも、私は知っている。 自由で楽しくてわかりやすい生放送。ワイドショーこそ、テレビそのものなのかもしれない。ワイドショーはどこに行くのか。それがテレビの未来像なのだ。

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    「八角理事長、許すまじ」貴乃花のガチンコ相撲道

    下の平幕力士貴ノ岩を暴行したのだろうか。当初、単なるモンゴル人力士同士の飲み会での乱行と思われていた事件は、不可解な経緯をめぐってメディアが大騒ぎしたため、意外な様相を見せるようになった。ただ、これまでの報道を見ていると、あまりにもピント外れなことが多いので、ここで、きちんと整理しておきたい。 まず、今回の事件をきっかけに「モンゴル人力士は日本の相撲を理解していない。横綱の品格がない」などという批判がもっともピント外れである。また、「もともと日馬富士は酒癖が悪かった」などと、個人的な問題に矮小(わいしょう)化してしまうのも、事件の本質を捉えていない。さらに、殴ったのがビール瓶であるかどうかも実は本質的な問題ではない。 ただ、この事件の背景に、貴ノ岩の師匠の貴乃花親方(元横綱)と日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)との間の「確執」があったというのは的を射ている。なぜなら、もしそうでなければ、貴乃花親方は相撲協会への報告をすっ飛ばして鳥取県警に被害届を出したりしないはずだし、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の「わび」を受け入れていたはずだからだ。 今回の事件のキーポイントは、その後に判明し、事件の伏線となった9月25日の「錦糸町ナイト」での貴ノ岩の発言だ。 このとき、酒に酔っていた貴ノ岩はモンゴル出身の若い衆に説教をしていた。彼には説教癖があるのか、時々声を荒らげるので、同席していたモンゴル出身の元幕内力士や元十両力士(いずれも現在は引退)らが「ほかにお客さんもいる」と注意したが止めなかったという。そのうち、矛先は注意した元力士やそのとき来日して同席していたという白鵬の友人らに代わり、「オレは白鵬に勝った」「あなたたちの時代は終わった」「これからはオレたちの時代」などと言い放ったのだという。2016年の秋場所で対戦した横綱日馬富士(左)と貴ノ岩=両国国技館 この話を初めて耳にしたとき、私は、正直、貴ノ岩は、日本の相撲というものを何もわかっていないと思った。ここでいう相撲とは勝負のことではなく、一つの「日本的な組織体」としての相撲である。これを全く理解していないから、こんな言葉が飛び出すのである。スポーツではない相撲のシステム 「あなたたちの時代は終わった」「これからはオレたちの時代」などといえば、言われた側はカチンとくる。相撲界であろうとなかろうと、自分の力をひけらかすのは、日本では控えるべきこととされている。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるくらいだ。したがって、横綱・白鵬に1回勝ったぐらいでこんなことを言ったら、「いい加減にしろ」となるのは当然だ。 ところが、貴ノ岩は相撲をスポーツだと考えていたようだ。スポーツなら実力、勝敗がすべてである。勝者が絶対の世界だ。しかし、日本の相撲は実力勝負とはいえ、その秩序は実力だけで成り立っているのではない。相撲の一番、一番は「注射」と「ガチンコ」で成り立っていて、これが「談合」と「カネ」で微妙に采配されることにより、横綱以下の序列が決まるようになっている。2017年1月、大相撲初場所14日目で貴ノ岩(手前)に寄り切られて敗れ、険しい表情の白鵬=両国国技館 だから、相撲にはテニスやゴルフのような、明確な実力ランキングは存在しない。スポーツならチャンピオンは1人だが、相撲の横綱は何人もいる。実際、現在は異例とも思える4横綱の時代である。しかも、力士(プレーヤー)は部屋に所属し、同部屋対戦がないので、本場所はトーナメントでもリーグ戦でもない。 これが、相撲という組織体のシステムであり、日本のほとんどの組織は、みなこのような原理で動いている。したがって、単に横綱に「ガチンコ」で勝ったぐらいで、「オレたちの時代」は訪れない。  貴ノ岩はモンゴル人だから、そんなことは知らないでいいではないかという見方もできる。しかし、彼の先輩のモンゴル力士たちは、みなこのシステムを受け入れ、日本人力士以上に相撲という「美しき伝統文化」を継承してきたのである。 はっきり書くが、もしモンゴル人力士がすべて「ガチンコ」だったら、いまの相撲界はまったく違ったものになっていただろう。モンゴル人力士の草分けである旭鷲山、そしてモンゴル出身で初の横綱になった朝青龍などがいたから、いまの相撲界がある。さらに、貴ノ岩を殴った日馬富士、大横綱の白鵬などが、このシステムを理解・実践してきたから、伝統文化は守られたのだ。「全部ガチンコなら体がもたない」 「注射」による相撲を八百長と呼ぶメディアがあるが、それでは理解が浅すぎる。 「注射文化」は江戸時代からあったという。しかし、戦後、相撲が大衆娯楽としての地位を得たことで花開いた。最初の大々的な「注射相撲」は、1955年3月場所の栃錦・若乃花の両横綱による全勝対決とされる。 このとき、若乃花は2場所前に栃錦に星を貸していたので、それを返してもらって優勝する絵図を描いた。しかし、栃錦も自分も全勝優勝したいと譲らず、両部屋の話し合いになったのである。当時を知る中島克治氏(元幕内力士の大ノ海の息子で、自身も1967年から4年間、花籠部屋所属力士)の証言(『週刊現代』2011年2月26日号)によると、栃錦が転ぶことを了承し、取り組みの細部まで突っ込んだ打ち合わせがあったという。  時代は下って、衝撃の「八百長告白」を行って謎の死をとげた大鳴戸親方(元高鉄山)によると、「八百長の全盛期のきっかけを作ったのは柏戸さんで、確立したのは北の富士だといえるんじゃないでしょうか」(『週刊ポスト』1996年2月2日号)という。さらに、このシステムを盤石にしたのが、先ごろ相次いで亡くなった名横綱千代の富士(九重親方)と、北の湖(第9代、第12代相撲協会理事長)だった。 そしていま、こうした伝統を受け継いで、土俵を盛り上げているのが、一大勢力となったモンゴル人力士たちなのである。  ところが、貴乃花親方は誰もが証言するように、「注射」は「相撲道」ではない、まして伝統文化などではないと考えている。それは、自身が現役時代、かたくなに「ガチンコ」を貫いてきたからだろう。「ガチンコ一直線」で来ると、フェアプレーでない取り組みが許せなくなる。なぜなら、スポーツの最高の価値はフェアプレーにあるからだ。2001年の大相撲夏場所、武蔵丸との優勝決定戦で仕切り中の横綱貴乃花=両国国技館 かつて週刊誌で編集者をやっていたとき、私はある現役力士に「なぜ『注射』をするのか?」と聞いたことがある。そのときの答えをいまも鮮やかに覚えている。「全部『ガチンコ』でやったら体が持ちませんよ。だから、最初はガチンコでも、勝ち進んで幕内に上がると『注射』の魅力に勝てなくなるんです。ただ、『注射』といっても『ガチンコ』で強くないとできません。はなから勝てる相手に誰も『注射』など持ちかけてきませんからね」 相撲の勝負は、言い換えれば巨体が全力で激突することである。それを15日間続ければ、体力は消耗し、場合によっては故障してしまう。「注射」はそれを避けるための知恵でもある。「もし、15日間全部『ガチンコ』でやれば、半分の力士が故障します。そうなったら、場所が成り立ちませんよ」 実際、無気力相撲や八百長相撲がメディアで問題化し、協会が対策に乗り出した後の場所では、故障・休場力士が続出している。貴乃花親方が許せない「相手」 今回の事件の背景には、貴乃花親方の協会執行部、特に八角理事長に対する根強い不信感があるとされる。貴乃花親方と八角理事長は、昨年の理事長選で対決し、6対2で貴乃花親方が敗れている。貴乃花親方の「正論」、つまり「改革」(ガチンコ改革)についていける親方衆はほぼいないからだ。2007年に時津風部屋で新弟子が暴行で死亡する事件が起きたときも、貴乃花親方は相撲界の改革を訴え、協会の透明化を主張した。相撲をスポーツにしようとしたのだ。 そんな貴乃花親方だから、現役時代の八角親方の生き方が許せるはずがない。現役時代の八角親方、つまり横綱・北勝海は、同部屋(九重部屋)の大横綱・千代の富士に次ぐ2番手の横綱として、千代の富士からの星回しで8回、優勝している。しかし、これは典型的な「注射システム」による優勝だった。次は、北勝海が優勝した8回の成績を、千代の富士の成績と比較したものだ。 見ればわかるように、千代の富士が優勝を捨てるか、あるいは休場した場所でしか北勝海は優勝していない。これは、千代の富士が優勝を捨てた場所では、千代の富士は下位力士に星を売り、その見返りに下位力士は北勝海に負けるというパターンが繰り返されたからである。こうすると千代の富士の黒星は白星となって北勝海に集まり、北勝海が優勝できることになる。そして、次の場所でこの逆をやれば、今度は千代の富士が楽に優勝できるというわけだ。実際、北勝海は千代の富士の引退後、1回も優勝していない。 前述したように、国民栄誉賞を受賞した名横綱・千代の富士の時代は「注射システム」が全盛の時代だった。そのとき、「注射」を「中盆」(仲介人)として仕切った板井圭介氏(元小結板井)を、私が所属する日本外国特派員協会が呼んで、記者会見を開いたことがあった。 2000年1月のことで、このとき、板井氏は現役時代の「注射」を認め、「注射」にかかわった20人の力士の実名を公表した。慌てた相撲協会は板井氏に謝罪を求める書面を送付したが、最終的に「板井発言に信憑(しんぴょう)性はなく、八百長は存在しない。しかし板井氏を告訴もしない」という玉虫決着で、この問題は終息した。 千代の富士や北勝海の「注射時代」を終わらせたのは、ほかならぬ貴乃花親方である。いまでも語り継がれるその出来事は、1991年の5月場所の初日で起こった。このとき、18歳9カ月の貴花田(当時)は、千代の富士を真っ向勝負で一気に寄り切ったのである。初挑戦での金星だっただけに、千代の富士のショックは相当なものだった。しかも、この18歳9カ月という金星は、若秩父の記録を破る最年少金星なのだから、角界も相撲ファンも世代交代の流れをハッキリと意識した。案の定、千代の富士はこの敗戦から2日後に引退を表明している。 貴花田はその後、相撲界の期待のヒーローとなり、翌年の初場所で最年少優勝を果たして横綱に昇進した。そして、引退するまで「ガチンコ」で11回優勝した。言うまでもないが、この優勝は北勝海の優勝とは中身が違うものだ。最近の「注射相撲」は本当につまらない 「注射」と「ガチンコ」。この二つは切っても切り離せないもので、これがある限り、相撲は観戦していて面白い。なぜなら、「注射」か「ガチンコ」かのどちらかになるまでに、さまざまな背景、人間関係、そのときの場所のムードなどが複雑に絡んでくるからだ。大相撲九州場所14日目、福岡国際センターを通って、東京へ出発する故北の湖理事長を乗せた霊きゅう車を見送った八角親方(右)と貴乃花親方=2015年11月(中川春佳撮影) 相撲を単にどちらの力士が強いかという見方で観戦してしまうと、日本の伝統文化に触れることはできない。 ところが、最近の「注射相撲」は本当につまらなくなった。かつてのように、綿密な事前打ち合わせなしで行われることが多いからだろう。 かつて私は、1年間の幕内の全取組の決まり手を調べ、それをランキングしたことがある。そうした結果、「寄り切り」「押し出し」「はたき込み」の三つの決まり手が上位を独占していることがわかった。現在、「注射」のほとんどは、この三つの決まり手のどれかで行われているとみていい。 なぜ、こうなるかといえば、力士がよほどの場合をのぞいて、複雑なシナリオを嫌うからだ。力士が一番嫌うのが、投げ飛ばされるなどして身体に砂がつくことだ。また、下手な倒れ方をしてケガをしてしまうこと。こんなことになったら、「注射」した意味がなくなってしまうからだ。となると、やはり「ガチンコ相撲」のほうが面白いとなるが、果たしてそれでいいのだろうか。 さて、モンゴル人力士たちが引き継いだ日本の伝統文化だが、師匠・貴乃花の教えで「ガチンコ」を貫く貴ノ岩のような力士の出現で、大きく揺らぐことになった。また、モンゴル人力士が増えすぎたため、同じモンゴル人力士のなかで「派閥」ができてしまったことも、伝統文化を脅かしている。 よく知られているように、傷害事件を起こして事実上協会から追放された朝青龍は、一大派閥を形成していた。反朝青龍の先鋒(せんぽう)は旭鷲山で、現役時代、風呂場で口論となった後、朝青龍は旭鷲山の車のサイドミラーを壊す騒動を起こしたのは有名だ。  現在の大横綱白鵬は、朝青龍の派閥を引き継いで、モンゴル人力士たちのまとめ役となっている。2006年5月場所で優勝したとき、白鵬は朝青龍から「注射」により300万円で星を買ったという(『週刊現代』2007年6月9日号)。以来、白鵬は朝青龍の派閥に組み込まれ、日馬富士も朝青龍の忠実な配下になったといわれている。 今回の事件でも、朝青龍は「本当の事聞きたくないか?お前ら」、「ビールびんありえない話し」などと、ツイッターに連日投稿している。  というわけで、今後、この事件がどういう展開になっていくのかは、私にはわからない。日馬富士が「傷害罪」で書類送検されるという話があるが、そうなれば、引退を余儀なくされ、モンゴルネットワークの一角が崩れるだろう。注射は土俵の上では効くが、カラオケ店のような「場外」では効かないのだ。 かといって、貴乃花以来の「ガチンコ一直線」の日本人横綱稀勢の里は満身創痍(そうい)である。「ガチンコ」と「注射」。これは、相撲を相撲たらしめている根本文化である。「ガチンコ」だけの相撲など成り立たないし、また、面白くもなんともない。 来年、2018年の初場所が本当に楽しみだ。

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    貴乃花親方がなんだかおかしい

    「角界のプリンス」ともてはやされたころから気難しそうな印象はあったが、今回の日馬富士騒動でもその掴みどころのない言動に周囲はヤキモキしているようである。ダンマリ貴乃花の胸の内もさることながら、そもそもこの騒動自体、なんだかスッキリしない。というわけで、本日は相撲ファンによる言いたい放題、大放言!

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    自らの出世のために「綱」を汚した貴乃花親方が小憎らしい

    杉江義浩(ジャーナリスト) 横綱日馬富士が貴ノ岩を殴りつけたとされる暴行事件は、本当にそんなに悪質な大事件なのでしょうか。必要以上にマスコミが振り回されてはいないでしょうか。一人の大相撲ファンとして報道される内容を見ていると、むしろ加害者である日馬富士の方が気の毒になり、貴乃花親方の方が小憎らしく思えてくる、不思議な感情にとらわれてしまいました。 もちろん張り手一発でも、土俵の外で行われれば、暴力は暴力です。許されて良いという道理はありません。ましてや日本の国技である大相撲の頂点に君臨する、神聖なる横綱ともあろうものが、暴行事件を起こして警察に取り調べられるなどとは、情けない限りであります。しかし今回はそのような正論はワイドショーに任せて、私は一連の騒動の本質に迫ろうと思います。 私は十数年前、奇しくも同じ九州場所の真最中に、横綱武蔵丸を密着取材したことがあります。苦労して日本相撲協会からもらった取材許可書には、但し書きが付いていました。力士が気乗りしないときには取材を断ることがあり得る、という文言とならんで、取材中に力士からいかなる暴力を受けても訴訟しないこと、という一文がありました。 どんな恐ろしい取材現場になるのだろう。私はビクビクしながら福岡の武蔵川部屋宿舎を訪れました。まもなく早朝から竹刀を持った親方の前で、新弟子たちの迫力満点のぶつかり稽古が始まりました。なんと立ち会いの瞬間、額と額を全力で激突させるのです。 頭と頭の骨がぶつかり合う「ゴーン」という音が部屋中に響き渡り、若い力士は脳震盪(のうしんとう)を起こしてふらふらになります。意識を取り戻して再びガツン。文字通りのガチンコ相撲の繰り返し。これでは死んでしまう、と思わず親方に言いたくなった頃、土俵の上は交代し、力士たちは互いに頭を左右によけて、相手の肩にぶつかるような稽古が始まりました。稽古総見で汗を流す日馬富士(右)=2017年9月、両国国技館の相撲教習所 相撲の歴史をひもとくと、戦国時代の勧進相撲では、相手を殺してしまうことも普通に行われていたようです。そんなルーツを持つ相撲の凄みに、私はぐいぐいと引き込まれていきました。先輩力士から受ける新弟子の稽古では、土俵の内外を問わず、私の目には暴力としか映らない光景も多く目にしました。その異様な雰囲気の朝稽古に比べると、稽古の終盤に現れた武蔵丸は、おおらかでユーモアがあり、ようやく私をホッとさせてくれました。 なぜこの話をしたかというと、大相撲の世界というのは、我々の非常識が常識になるような、特殊な世界だということを強調しておきたいからです。究極の暴力を日本の伝統文化にまで昇華させた、世界に例を見ない存在です。力士の身体はそれだけで武器です。ですから日馬富士の件でスポニチが第一報を出したとき、私は非常に違和感を持ちました。関取は素手が凶器 まずビール瓶で貴ノ岩を殴ったという表現。力士がそんなことするだろうかという疑問でした。実はビール瓶というのは、中身が入っている状態では重く威力のある鈍器になりますが、中が空の状態では軽いし瓶の方が割れてしまって武器としては微力なものです。 それよりは力士の素手の方が、ずっと破壊力がある凶器です。私のような素人が力士に張り手で頭をはたかれたら、それだけで死んでしまうかも知れません。日馬富士がわざわざビール瓶で殴るという行為には、どうしても意味が見いだせずに、首をかしげるしかありませんでした。カラオケのリモコンであろうと何であろうと力士の場合関係がありません。素手そのものが凶器なのですから。 もう一つは報じられた診断書です。「右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」という記載です。本当に髄液漏など起こしていたら、全治2週間どころではない重傷です。いや命に関わる重態でしょう。でも医師は「疑い」と書いているだけであり、よく読めばそれほどでもないことがわかります。全治2週間というのも負傷した10月26日から起算して2週間です。 実際に貴ノ岩は翌日に鳥取の巡業に参加していますし、いくら力士が並外れた体力を持っているとはいえ、2週間での復帰は現実離れした回復力だということになります。ワイドショーが日馬富士の暴行のひどさを語るために、こぞって引用したこの診断書は、実はちゃんと正しく読めていなかっただけで、本当は軽傷に近いものだったのではないかと私は思っています。 何よりも理解に苦しんだのは、日本相撲協会の理事でもある貴乃花親方が、この事件を協会の八角理事長や危機管理委員会に報告せず、いきなり県警に被害届を診断書とともに提出したということです。引き揚げ時、テレビのインタビューに答える八角理事長=2017年11月、福岡国際センター(撮影・中島信生) もちろん一般社会の常識としては、暴力事件などが起こったらまず警察、それから内部調査という手順を踏むべきだとされています。しかし日本相撲協会というのは、文部科学省管轄の公益財団法人です。日本の国技としての伝統や精神を受け継いでいくために、さらに言えば暴力を神格化させた特殊な世界の自治のために、半官半民の立場を与えられています。 日本相撲協会には、不祥事などに備えて、組織の内部で解決するためのシステムがあります。危機管理委員会です。それは外部から招いた元地検特捜部の検事や弁護士などを含む、特別な委員会。すなわち今回のような内輪の事件が起きたときには、真っ先に相談すべき機関です。なぜそこに貴乃花親方は最初から報告しなかったのか。通報義務を無視して単独行動に出たのか。 組織の力学、というものがあります。組織の力は、その組織を守る方向に作用する、という法則です。それに従えば、貴乃花親方は今回のような事件の場合、まずは日本相撲協会に通報して、危機管理委員会の判断をあおぐ。その上で警察沙汰にするかどうか、結論を下すというのが自然な流れです。 その自然な流れに逆らって、今回の軽微な事件を最初から警察沙汰にし、刑事法廷も辞さない構えでマスコミにアピールした貴乃花親方の態度は、組織を守るというよりも、組織を相手にして追い詰めているように見えます。狙いは理事長ポストか 組織と敵対して追い詰めると、いったい何のメリットが貴乃花親方にあるのか。それを考えていくと、日本相撲協会の理事長の座をめぐる、現在の八角理事長と、理事長選に負けた貴乃花親方との確執以外考えられません。来年3月の理事長選に向けて貴乃花親方は、なんとしても八角理事長をスキャンダルで退任に追い込みたかった。そう考えるのは邪推でしょうか。  現役力士としての頂点である横綱を極めた貴乃花が、引退した後も管理職としての親方株を引き継ぎ、ついには大相撲界管理職の頂点である理事長の座を極めるべく情報戦にもつれ込む。そんなドロドロとした相撲協会内での勢力争いが垣間見えます。横審終了後囲み取材を受ける貴乃花親方=2016年3月両国国技館(今野顕撮影) 日馬富士の暴行事件をすっぱ抜いたのは、スポニチ一社だけでした。事件から20日も空白の期間があったとはいえ、見事なスクープ記事だったように見えます。しかしスポニチは貴乃花部屋と関係が深い、いわば貴乃花一門のお抱え新聞社です。そのことを考えると実態は、貴乃花親方によるリークであった可能性が十分考えられます。 自らの出世のために、神聖な横綱の真っ白な「綱」を汚す。その行為が大相撲ファンの私には許せなかったのかもしれません。 傷害容疑で日馬富士は書類送検となるとのことです。それにより横綱の立場は致命的なものになります。暴力を振るった日馬富士も悪いけど、先輩である横綱白鵬からの説教の最中に、スマホで恋人とのやりとりをした貴ノ岩にも非があるでしょう。そのどちらも大相撲という特殊な世界の中では、比較的軽微な罪だと私には思えるのです。 大相撲の世界で、現役の横綱を、現役の親方が警察に突き出す。それこそが日本の国技である大相撲が、今まで受け継いできた美しい伝統と、守り抜いてきた神聖なる「綱」の重みを、一瞬で台無しにしてしまう、極めて残念な行為なのだ、と私には感じられます。 私がかつて取材した九州場所での横綱武蔵丸は、番組のために特別に「綱」を見せてくれました。部屋の後輩力士たちが3人がかりで、白い手袋をはめて木箱から取り出し、持ち上げて見せてくれた「綱」は、塵一つ付いていない見事な純白のしめ縄でした。横綱はご神木と同様に、神様の扱いなのです。 その「綱」を締めたときはどんな気分か、という私のインタビューに答えた、当時の武蔵丸の言葉が、「綱」のまぶしい白さの印象とともに思い出されます。「コレつけると緊張するよ。悪いことできないから」 武蔵丸はアメリカ人横綱でしたが、日本の心をしっかりと理解していると感じました。日馬富士はモンゴル人横綱ですが、同様に日本の心を理解していると信じたいです。 酒の席で先輩が後輩に手を上げてしまった。今回の事件は一般の社会ではありふれた事件であり、たいていの場合は示談で片づくレベルの事件です。それがなぜ協会内部で解決できないのか。この事態を最も残念に感じ、嘆いているのは、事件のために汚されてしまった、横綱が締める純白の「綱」自身かもしれません。

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    ダンマリを決め込む貴乃花が抱えた「大人の事情」

    も疑わしいところがあるといった報道が出ている。その詳細について、貴乃花親方は一切、口をつぐんでいる。事件の発覚以来、貴乃花親方は沈黙を守り、警察の捜査にすべて委ねる形になっている。 そんな中、日本相撲協会は、巡業部長である貴乃花親方を今場所後の巡業から外し、代役を立てる方向だと報じられた。いまの貴乃花親方に、他の部屋に所属する力士を任せるわけにいかないという判断だ。それは、管理責任者としての資質を否定され、協会公務からの追放を示唆するものとも受け取れる。貴乃花親方(中井誠撮影)  「いずれは理事長になる」、引退直後は協会関係者もファンも多くがそう考えていた。引退後も貴乃花は、「角界のプリンス」であり続けるはずだった。それがなぜ、このような孤立を生んだのだろう。このままでは、来年早々、理事選後に予定される次期理事長選挙でも、過半数の支持を得るのは難しい情勢だ。さらに言えば、孤立を深める貴乃花親方がこのまま日本相撲協会の一員として活動し続けてくれるのか、そんな心配さえ広がる。 貴乃花親方は、日頃から「相撲という日本の伝統文化を改めて身近な人気分野にしたい」「老若男女、とくに子供がもっと日頃から親しむ環境を作りたい」といった主旨の夢を語り続けている。協会内で主張しているのも、その夢を前提にしたビジョンだ。 ところが、日本相撲協会の大勢は、そのような広い視野に立った深淵なビジョンではなく、当面の本場所や巡業の運営、日々の相撲部屋の経営に目が向けられている。それでなくても不祥事が続き、長年維持してきた財団法人としての既得権や恩恵が揺るぎかねない事態が続いている。権益や経営権をできる限り相撲界の外部に流失させず、相撲界の中に保持し続けたい、そのことに意識とエネルギーが注がれているように、貴乃花親方には感じられ、苛立ちが募っているように見える。 理想を追い、根本的な改革を目指す貴乃花親方は、自らを正しいと信じ、「これを成し遂げなければ相撲の未来はない」とさえ、危機感と使命感を募らせているように見える。そのことに異論はない。変化はあの「貴の乱」から だが、正義を背負い、自分には邪心がないと確信する人間が「現実論」「大人の事情」を斟酌せず、組織の中で摩擦を生ずることは往々にしてある。貴乃花親方はまさにその状況ではないか。自分が正しいと信じるがゆえに、理解しない周囲に物足りなさを感じ、敵視する傾向に向かう。2010年1月、二所ノ関一門からの離脱と日本相撲協会の理事選に立候補することを表明する貴乃花親方 2010年の理事選では、それまでの慣習を破って理事選に立候補し、「貴の乱」と形容された。改選前に一門同士が調整し、無投票で理事を決める慣例を破ったのだ。このころから、協会のぬるま湯的な体質に反発する積極的な姿勢と行動が目立つようになる。 貴乃花は、現役時代から「孤独」を感じ続けていたように感じられる。 横綱に昇進し、着実に優勝回数を重ねていた当初は、明るく、角界のスターそのものだった。ところが、横綱になって4年目ころから、親方や兄・若乃花と距離が開き、親しく会話しなくなったと伝えられた。ケガが重なり、休場も多くなり、次第に難しい顔が目立つようになる。 孤高の存在になる予兆は、現役時代にも見られた。 角界を背負う使命感とそれを理解してくれない周囲への苛立ちと失望。横綱時代、7場所連続全休という過去に例のない時期を過ごした。ケガの回復のため、入院したのはフランスの病院だった。 ケガから復帰し、次第に強さを取り戻した2001年5月場所での優勝は、いまも語り継がれる。小泉純一郎首相(当時)が、「痛みに耐えてよくがんばった、感動した、おめでとう」と言って内閣総理大臣杯を渡した。あの時の「鬼の形相」は多くの相撲ファンにいまも刻まれる記憶だが、思えば、あれほどのケガを負いながら土俵に上がり、そして勝った貴乃花を動かしたのは、尋常ではない背景によって生み出された精神的エネルギーだったのだろう。それも「孤高」と背中合わせの快挙だったように感じる。 引退を発表した日、貴乃花の表情は清々しかった。引退会見では「非常にすがすがしい気持ち」「心の底から納得しております」と繰り返し語った。 私はその日、貴乃花本人とNHKで会い、インタビューする機会に恵まれた。 「フランスの病院に入院して、いろいろなフランス人と接する中で日本の相撲の伝統、横綱への敬意を痛感して、日本の伝統を担う責任の重さを改めて感じた」と、素直な眼差しで語ってくれた。正直、その眼差しに魅了され、貴乃花親方による相撲界の改革に心から期待を感じた。 だが、使命感と意気込みが強ければ強いほど、相撲協会の現実、改革を本気で志向せず、現状維持によって自分たちの権益や収入を守ろうとする勢力への失望と憤りは募っていったのではないだろうか。 孤立を深めた背景には、部屋付きの親方で貴乃花親方の右腕と呼ばれた音羽山親方(元大関貴ノ浪)の早すぎる死もあった。ひとつ年上の貴ノ浪は、ストイックな貴乃花とは対照的に、大らかで明るく、部屋の垣根を越えて親しまれる存在だった。排他的な貴乃花親方 2年前の6月、音羽山親方が43歳で亡くなり、貴乃花親方は腹心を失った。協会業務で部屋を留守にすることの多い親方に代わって、稽古は音羽山が中心になって部屋を盛り立てていた。今回の「被害者」貴ノ岩も、音羽山親方が熱心に育てた弟子のひとりと言われる。いずれ貴乃花が理事長になるときには音羽山親方が右腕になる、カリスマ性が強く、近寄りがたい雰囲気がどうしても拭えない貴乃花親方を支える影の存在として、貴ノ浪が周囲との融和を図る役目を担うと多くの関係者がみていた。その貴重な存在を失ったことも貴乃花の孤立に拍車をかけたかもしれない。 沈黙を守る貴乃花親方から読み取れるのは、協会の現執行部への深い不信感、「警察の調べですべてが明らかになれば、自分の正しさが理解される」との確信。2005年1月、断髪式で音羽山親方(元大関貴ノ浪、手前)の大銀杏を切り落とす師匠の貴乃花親方=両国国技館(斎藤浩一撮影) だが、たとえ事実によって貴乃花親方の正義が立証されても、世の中はそれだけで円滑に動かないことを貴乃花親方も受け入れてほしいと、老婆心ながら思う。 妥協せよ、長いものに巻かれろと、具申したいのではない。改革は、ひとりではできない。支持があって初めて為される。いま貴乃花親方が敵視する執行部やその周りに連なる親方衆との融和がなければ、貴乃花親方が目指す相撲界の改革、相撲の普及も実現しない。 私は、貴乃花親方に共鳴し、相撲がさらに愛され、発展する夢を重ねるからこそ、その孤高ぶり、排他的な現在の貴乃花親方を案じる。 日馬富士やモンゴル勢を追放することが、日本の相撲界に活況をもたらす切り札ではない。悪しき慣習は、モンゴル勢だけではない。 真剣勝負の場所前に、戦う者同士が親しく杯を交わす「モンゴル会」の存在にも貴乃花親方は異議を唱えていたと伝えられる。確かに、それも一理あるが、異国を離れ、モンゴル語で話す相手のいない孤独な相撲部屋暮らしの中で、同胞との交流は彼らにとって貴重な時間ではないだろうか。親しければ八百長につながる、というのは事実ではない。こうした実情を理解し、受け入れる柔軟さ、発想の転換も、角界のリーダー、革命児には必要ではないだろうか。

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    日馬富士を「犯罪者」扱いするにわか相撲ファンが許せない

    逃れができないものだ。かつて不祥事が続いた頃、盛んに叫ばれた「品格」はそこにはない。これはただの暴行事件ではなく、暴行をトリガーにして、相撲界の悪しき体質が露呈された事件だといえるだろう。 だが、この混乱は果たして品格なき日馬富士と相撲協会だけが招いたものだろうか。 戦犯探しをすることが問題解決につながるとはかぎらないし、安全圏から悪い誰かを責めることは憂さ晴らしをする行為につながりやすいので気を付けねばならない。ただ、今回ばかりは日馬富士の騒動をかき乱した、2人の登場人物について触れねばならない。 騒動の原因を産み出したのが日馬富士で、適切な処理を怠ることで騒動を大きくしたのが相撲協会なら、不確かな情報を拡散し、事態を混乱させているのは間違いなくマスコミである。 夜の羽田空港で日馬富士を大勢で取り囲み、朝になればホテルの前を占拠してこれまでの経緯を報じる。有名人たちが番組内で不確かな情報を元に無責任なコメントを発し、今度はそれを元にネット記事が作成される。話題が朝から晩まで日馬富士で埋まるのは、彼らがこうして自ら話題を創り上げているからである。果たしてこのような報道姿勢が問題解決につながるのだろうか。 さらにその情報の中には、マスコミによって印象操作されているものまで存在している。 例えば、一連の報道でよく使われている貴ノ岩の写真の一つに、浴衣姿で顔がアザだらけのものがある。誰がどう見ても、これは日馬富士の暴行によってできたものだと思うはずだ。事実私もそうだった。十両に昇進し、会見の冒頭、貴乃花親方(右)と握手を交わし笑顔を見せる貴ノ岩(左)=2012年5月23日、東京・中野区の貴乃花部屋(大橋純人撮影) だが、実はこの写真は今回の事件と一切関係ない。貴ノ岩が数年前に昇進したときに撮られたものだ。アザだらけの貴ノ岩が貴乃花親方とガッチリ握手をしている写真も存在している。少なくともフジテレビ系情報番組「グッディ」と「めざましテレビ」でこの写真が使われていることまでは確認できている。 特にこの写真は有名なものではない。ネット検索しても、ヒットする順位はかなり低い。だから、偶然この写真を使ってしまったという言い分は通用しない。つまり貴ノ岩が被害者である印象を植え付けるために、マスコミが意図的にこの写真を選んだということである。 問題を解決する気がないだけでなく、問題を意図的に操作して伝える彼らは、果たして何がしたいのだろうか。そこに報じる立場としての自覚はあるのだろうか。そして、彼らが日馬富士に求めている「品格」が、彼ら自身にあると言えるだろうか。恐るべき「にわかアンチ相撲ファン」の正体 もう1人の触れておくべき登場人物は、マスコミの情報を元に事態をさらに混乱に陥れている「にわかアンチ相撲ファン」というべき人物たちである。 相撲ファンと彼らは明確に異なる。相撲ファンであれば、日馬富士の9月場所での活躍、3横綱が場所前に休場する中で不調にあえぎながらも15日間を戦い抜き、優勝にまでこぎ着けた姿を知っている。そして、大相撲がどん底の頃から人気回復のために土俵に立ち続けてきたことを知っている。だから日馬富士の功績の部分を考慮した上で、苦しみながら厳しい処分を求めている。 だが、にわかアンチ相撲ファンは、日馬富士を「犯罪者」であるとし、懲役や解雇、永久追放という言葉を並べて批判する。そして、ビール瓶で数十発殴ったという行為を声高に叫ぶ。当初の情報をうのみにして、その後の情報には目も向けない。そして、日馬富士の力士としての貢献には一切言及しない。だから、厳しい処分を求める以外は何もしない。 なぜ彼らがこうしたスタンスを取るのか。それはにわかアンチ相撲ファンが普段相撲を見ていないからだ。彼らの興味はあくまでも不祥事を起こした人物、会社、組織である。彼らの行動を見てみると、その前にかみついていたのは小池百合子であり、巨人の山口俊であり、宮迫博之のような人物たちであった。にわかアンチ相撲ファンは時ににわかアンチ野球ファンになり、時ににわかアンチ吉本興業になる。 だからこそ、彼らは「にわか」に相撲をたたく。つまり「にわかアンチ相撲ファン」というわけである。 にわかアンチ相撲ファンの恐ろしさは、実はこうした意見が一定数存在することで、世論に少なからず影響を与えることだ。彼らも世論の一部だ。そして、彼らとそれ以外の人の意見を区分けすることは難しい。なぜなら「にわかアンチ」という概念がまだ理解されていないため、彼らの意見を排除するという発想がないからだ。福岡空港に到着する横綱・日馬富士=2017年11月21日、福岡空港(仲道裕司撮影) 「にわかアンチ相撲ファン」もまた、見る側としての、そして意見を出す者としての品格がない。声高に非難する対象には品格を求めながら、彼ら自身は自らを省みない。 こうした状況の中で、相撲を愛する者も、そうでない者も、等しく日馬富士の騒動をこれから目の当たりにし続けることになる。正しい情報は何か。印象ではなく、事実に基づいて一視聴者として判断を下す必要がある。情報があふれているからこそ、自分が心地よい情報を選択する傾向にあるが、心地よく加工された情報、そして心地よい反応に囲まれていることを自覚せねばならない。 品格を求めるのであれば、まずは自らが品格を求めて考え、行動すること。日馬富士の事件が教えてくれたのは、われわれには見る側としての品格が必要だということである。

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    日馬富士殴打事件で「貴乃花クーデター第3幕」の幕開けか

    撮影) モンゴル出身の横綱・日馬富士(伊勢ヶ濱部屋)が同郷の後輩力士・貴ノ岩(貴乃花部屋)を殴打する事件が、巡業先の鳥取で起きたのは10月25日の夜。事件が表沙汰になったのは、九州場所3日目の11月14日朝だ。両者の間には秘密裏に示談交渉があったともされ、深刻化した背景には親方同士の理事選をめぐる遺恨もあるという。さらにモンゴル勢内部の「溝」も浮き彫りになった(※日本相撲協会に事件公表が遅れた経緯、示談交渉の存在について問うたが、広報部は「調査中につき取材はお断わりする」とするのみだった)。 角界の“分断”を白日の下に晒した今回の事件が、簡単に収まるはずもない。2018年2月には2年に一度の理事選が控えている。 2010年に日馬富士が同郷の先輩として慕っていた横綱・朝青龍が暴行事件をきっかけに引退に追い込まれた。その際には、師匠の高砂親方(元大関・朝潮)が監督責任を問われ、役員待遇から2階級降格処分を受けた。今回も、伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は理事からの降格処分は避けられないだろう。 2016年2月の理事選では、自身の一門が持つ票だけでは理事になれない伊勢ヶ濱親方が、貴乃花グループから票を回してもらって当選した経緯がある。もしも伊勢ヶ濱親方も高砂親方と同様に降格処分をくらったらどうなるか。「そうなれば、貴乃花グループと関係の切れた伊勢ヶ濱親方が理事に返り咲くのは難しい。伊勢ヶ濱一門からの後任理事は貴乃花親方に近い浅香山親方(元大関・魁皇)になるとみられる。“貴派”の理事を一枠、奪い返せるわけです。さらには、横綱の不祥事だけに協会の最高責任者である八角理事長(元横綱・北勝海)の責任問題につながってくる。ここ数年、貴乃花親方への支持はじわじわと広がっていたものの、来年の理事長選はまだ劣勢とみられていた。それが今回の暴行事件をきっかけに、一気に形成逆転の芽が出てきた」(ベテラン記者)貴クーデター、待ったなし 協会改革を掲げてきた貴乃花親方は、事前の候補者調整で各一門が理事ポストを分け合い、本場所、地方巡業を含め様々な興行の利益配分を行なう既存体制に強い疑念を投げかけてきた。大相撲十一月場所5日目、会場入りする貴乃花親方=2017年11月、福岡国際センター(仲道裕司撮影) 2010年の理事選では、所属していた二所ノ関一門を割って出馬。貴乃花一門を立ち上げ、「貴の乱」「クーデター」と騒がれた。 そして昨年の理事長選では、敗れたものの正面から協会トップの座に挑んだ。「今回の事件は、『貴クーデター・第3幕』の幕開けになりうる」(同前) もちろん、“開戦”となれば、主流派も黙ってはいないだろう。「貴乃花親方も現執行部派から批判に晒されるようになるでしょう。事件が起きたこと自体に責任はなくても、巡業中の事件であり、巡業部長として責任を問われ、理事から降格処分となるかもしれない。また、協会に報告せずに被害届を提出したことでも責められる。ただ、貴乃花親方は、自分のグループの票で理事の座には戻れるし、なにより、世論を味方につけられると踏んでいるのではないか」(同前) 土俵外の闘いはむしろこれから、待ったなしの本番を迎える。関連記事■ 日馬富士殴打事件 深刻化の裏に「理事選での親方同士の遺恨」■ 日馬富士と貴ノ岩 本来、宴席に居合わせるはずはなかった■ 日馬富士殴打事件 秘密裏に金銭による示談交渉あったとの証言■ 【横綱・日馬富士暴行】貴乃花親方、冬巡業帯同させず 現執行部への不信感が問題複雑に ■ 相撲協会、貴乃花親方外しで反撃開始 冬巡業帯同させず、NHK解説は交代…敵対的姿勢看過できず

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    日馬富士と貴ノ岩 本来、宴席に居合わせるはずはなかった

     モンゴル出身の横綱・日馬富士(伊勢ヶ濱部屋)が同郷の後輩力士・貴ノ岩(貴乃花部屋)を殴打する事件が、巡業先の鳥取で起きたのは10月25日の夜。事件は根深い問題を表面化させた。 この夜、鳥取のちゃんこ屋での1次会には日馬富士、貴ノ岩のほかに横綱の白鵬、鶴竜、関脇・照ノ富士らモンゴル出身力士が多数参加した。「ただ、同郷の集まりというよりは、地元の相撲強豪校・鳥取城北高校に関係する力士を中心に集まっていた。貴ノ岩らはモンゴルから鳥取城北に相撲留学したOB。白鵬は、同校相撲部の石浦外喜義・総監督の息子である十両・石浦を内弟子に取っていて関係が深い。大相撲九月場所(秋場所)14日目の日馬富士=2017年9月、両国国技館(蔵賢斗撮影) 貴乃花親方は弟子たちに対し、稽古場を除いては他の部屋の力士と仲良く交流することを禁じています。本来、貴ノ岩が部屋をまたいだモンゴル勢の集まりに顔を出すことはないわけですが、高校の相撲部OB会ということで、親方の許可が出たとみられています」(ベテラン記者) さらに、ある鳥取城北高校OBはこんな話をする。「本来、日馬富士と鶴竜は鳥取城北高校とは何も関係ないから来るはずがなかった。数年前に鳥取への巡業があった時の同じような夜の会合には自分も顔を出したが、日馬富士と鶴竜はいなかった。今回は、白鵬がたまたま声をかけたんじゃないか」 モンゴル勢の集まりには顔を出さないはずの貴ノ岩と、鳥取城北の集まりには来ないはずの日馬富士が居合わせ、結果として2次会の席で事件は起きた。 つまり、幕内に9人(横綱3、関脇1、平幕5)という一大勢力であるモンゴル人力士たちは、全く一枚岩ではないのだ。「一言にモンゴル勢といっても前頭筆頭の玉鷲をはじめ、貴ノ岩、荒鷲、逸ノ城らは同郷の先輩とは積極的に交流しないし、土俵上でも遠慮なく全力でぶつかっていく。今年の初場所では、白鵬から貴ノ岩と荒鷲が金星をあげています。 2011年に発覚した八百長事件でモンゴル勢でも引退勧告を受けた力士がいたことから、若手はことさらガチンコを徹底しようとする。だんだんと世代間の溝が深まっていた」(前出のベテラン記者) 今回の事件は、単なる突発的な事故では片付けられない、モンゴル勢内部の「溝」の存在を裏付けている。関連記事■ 日馬富士殴打事件 秘密裏に金銭による示談交渉あったとの証言■ 横綱昇進の日馬富士 素行の悪さで“ミニ朝青龍”と呼ばれる■ 日馬富士殴打事件 深刻化の裏に「理事選での親方同士の遺恨」■ 協会が身内に牙むいた!貴ノ岩“仮病疑惑”浮上 「頭蓋底骨折」はあくまで“疑い”■ 【横綱・日馬富士暴行】貴乃花親方、冬巡業帯同させず 現執行部への不信感が問題複雑に

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    「ヒトラーとは考えが違う」植松聖被告が獄中ノートに綴った本心

    ただきありがとうございます」。植松聖被告はそう言って、面会室で立ったまま深々と頭を下げた。あの凶悪な事件を起こした犯人と思えないような丁寧な対応をするというのは聞いていた通りだ。 2016年7月26日未明、津久井やまゆり園に侵入して、障害者19人を殺害、多数に重症を負わせた植松被告に接見したのは17年8月22日のことだった。グレーのTシャツを着てさっぱりした印象なのだが、報道されてきたイメージと印象が異なるのは、髪の色が違うからだろう。逮捕後の植松被告については、彼が送検時に車の中で不敵な笑いを浮かべた映像が何度も公開されたが、あの金髪が強い印象を与えているようだ。髪の色が黒くなった植松被告は、ごく普通の若者という感じで、街中に現れても周囲の人は彼だと気づかないだろう。植松聖被告(フェイスブックより) 「髪を染めていたのを黒に戻したの?」。そう尋ねると彼はこう答えた。 「いや、伸ばしたままにしているだけです。だから後ろの髪の先のほうはまだ前のままなんです」。そう言って首をひねると、後ろで束ねられた髪の先が確かに金髪だった。 津久井やまゆり園の事件については、改めて詳細を語るまでもないだろう。精神鑑定の結果、植松被告は「自己愛性パーソナリティ障害」という診断を受け、刑事責任能力ありと判定されて2月24日に起訴された。驚いたのはその直後から彼が立て続けに新聞社の取材に応じたことだ。24日は金曜だったが週明けの27日月曜から、東京新聞、朝日新聞、毎日新聞、神奈川新聞と各紙が接見した。 接見は1日1組と制限されているので、毎日各社が接見希望を出したのだが、3月3日に接見予定だった通信社の依頼を植松被告は拒否。その後、マスコミの接見には応じていない。唯一、朝日新聞記者が事件の犠牲者の家族を同行していったのに応じただけだ。今回、本人に確認すると、毎日1社ずつ会っていってもきりがないと思ったことと、弁護士に止められたこともあったという。引きずり出されたタブー その後、植松被告は接見は拒否したが、マスコミの手紙による依頼には応じて、多くの新聞・テレビに自分の考えを書き送ってきた。ただそこに書かれていた内容は、彼が事件を反省するどころか、改めて障害者を安楽死させよといった主張だったため、大手マスコミは内容を公開せず「身勝手な主張」などと紹介したのみだった。植松被告の主張は昨年2月に、衆院議長のもとへ彼が届けた手紙とも基本的には同じだった。それゆえ差別思想を増幅させてはならないとマスコミが内容を伏せたのは当然と言えた。 そうした中で、『創』は敢えて2017年9月号で手紙の全文を公開した。その後、手紙のやり取りは頻度を増し、接見も行った。植松被告からは獄中で書いたノートも送られてきた。それらを今回、掲載することにした。この事件では植松被告が精神疾患によってあの事件を起こしたのか、それともそれは排外主義的な「思想」と考えるべきなのか、つまり彼は病気なのかそうでないのかが最大の争点だ。それを判断するためには、彼の主張や行動を検証する必要がある。しかも、この事件は、障害者差別や、犯罪と精神医療の問題など、ある意味でタブーになってきた問題を引きずり出した。植松被告がどこまで自覚していたかは別として、まさに「パンドラの箱」を開けてしまったのだ。事件発生から1年を前に報道陣に公開された「津久井やまゆり園」=2017年7月、相模原市緑区(共同) そうだとしたら、それらの問題に、社会は相当な覚悟を持って立ち向かわねばならない。司法だけに任せるのでなく、精神科医を始めとするいろいろな人の叡智を結集すべきことだと思う。そのためには情報をできるだけ公開することが必要だ。新聞やテレビのように否応なく情報が家庭に飛び込んでくるメディアと違って、雑誌は目的意識的に購入するもので、その点ではこういう作業に向いているとも言える。これまでも本誌は、幼女連続殺害事件の宮﨑勤死刑囚(既に執行)など多くの凶悪事件の手記を掲載してきた。それをまとめた宮﨑死刑囚の著書『夢のなか』『夢のなか、いまも』は、この事件の記録としては最も重要なものと言える。 相模原事件は単に死傷者が多かったという単純な理由でなく、日本社会が曖昧にしてきた問題をさらけ出したという意味で非常に深刻だ。それゆえ本誌も積極的にこの事件の解明に取り組むことにした。一番恐ろしいのはあれだけ衝撃的な事件だったにもかかわらず、1年たって風化の兆しが見えることだ。事件やニュースがものすごい速さで消費されていく今日においては、深刻な事件であっても、多くの人がすぐに、もう昔の事件であるかのような感覚になっていく。いったい何が植松被告をあの凶行に駆り立てたのか。それは理解可能なものなのか。まずは植松聖という人物に接触することから解明の糸口を見つけたい。前号で彼の手紙を掲載し、今回、彼との接見記録を公開するのはそういう理由からだ。障害者差別とは違う 以下の記述はメモをもとにしたものだし、そもそも裁判傍聴のようにメモをとることに専念できるわけではないから、細部は正確でない部分もあると思う。ニュアンスが違っているといった指摘が植松被告からなされた場合は、次号で訂正していくことにしよう。正確さを期すために、被告の見解はできるだけ手紙などの文書で送ってもらうのが望ましいのだが、なかなかそうはいかないこともある。以下の内容は、植松被告との接見の直後、記憶をたどってメモをまとめたものである。 篠田 この間、君はヒトラーの思想と同じだとよく言われているけれど、君自身は手紙で、それは違うと言っている。だからヒトラーと君の考えのどこがどう違うのか確かめたい。君は昨年2月に津久井やまゆり園で職員らと話をした時に、「それじゃヒトラーと同じじゃないのか」と言われ、それを覚えていたので、措置入院の時に「ヒトラーの思想が降りてきた」と語ったという。それで間違いない? 植松 その通りです。もともとヒトラーがユダヤ人を殺害したのは知っていましたが、障害者をも殺害していたことは知らなかったんです。その時、職員から初めて聞きました。 篠田 措置入院の時に「ヒトラーの思想が降りてきた」と言ったのはどういう意味だったの? 植松 それほど深い意味を考えて言ったわけではありません。今ちょうど『アンネの日記』を読んでいるのですが、ヒトラーと自分の考えは違います。ユダヤ人虐殺は間違っていたと思っていますから。 篠田 じゃあナチスが障害者を殺害したことについてはどう思うの? 植松 それはよいと思います。ただ、よく自分のことを障害者差別と言われるのですが、差別とは違うと思うんですね。 篠田 君は津久井やまゆり園で起こした事件については、今も間違っていたと思っていないわけね。 植松 安楽死という形にならなかったことは反省しています。 篠田 つまり死を強制してしまったことね。でも殺されるほうは同意するわけないじゃない。今『アンネの日記』を読んでいると言ったけど、君の優生思想と言われる考え方については、いろいろ調べたりしているの? 前の手紙でも難しい本を挙げていたよね(本誌前号参照)。ええと何という本だっけ。 植松 『アサイラム』ですね。あれは記者の方に教えてもらったのです。 篠田 君自身はどんな本を読んでいるの。 植松 鑑定のために一時立川署にいたのですが、その時はいろいろな本を読みました。医療関係の本とかですね。 篠田 精神医療ということ? 植松 延命治療とか安楽死とかについてです。 篠田 ああ、そういうことか。君は精神鑑定で「自己愛性パーソナリティ障害」と診断されたけど、それについてはどう感じているの? 植松 指摘されたことについては、ああそういうこともあるのかと、自分の欠点を指摘されたと思いました。ただ、それを「障害」と言われると違うと思います。 篠田 鑑定は君の責任能力を見るために行われたわけだけれど、君は昨年2月に衆議院議長に届けた手紙で、心神喪失という診断で無罪にという話を書いていた。今回の鑑定では責任能力ありと診断されたわけだけれど、そこのところはどう考えているの? 植松 あの手紙のその部分については、そこまで深く考えて書いたわけではないのです。「不敵な笑い」はまずかったなあ 篠田 君は自分のことがどう報道されているかある程度は知っているのだと思うけれど、テレビは見ているの? 植松 テレビは見ていません。 篠田 じゃあ送検の時の「不敵な笑い」と言われた君の表情については動画では見てないの? 植松 それは新聞で見ました。まずかったなあと反省しました。 篠田 「不敵な笑い」と言われても自分ではそんなつもりはなかったと。 植松  はい。 篠田 取材陣が殺到する異常な光景を見て思わず笑ってしまい、「不敵な笑い」と言われるのは、こういうケースでよくあることだよね。テレビを見ている人には取材陣が大混乱している様子が映されないから、事情がわからない。君はマスコミとの接見は拒否しているけれど、友人や家族とのやり取りはできているわけでしょう。 植松 はい。 篠田 昨年、措置入院から退院した後、両親と一緒に暮らすと言っていながら、実際はまたそれまでと同じ家に戻って一人暮らしをはじめ、それが君へのフォローができていなかったひとつの理由と、厚労省の報告でも分析されていたけれど、あの時はどうしてそうしたの? 植松 別に深い理由があってそうしたわけではありません。 篠田 君は退院の後、友人などに、障害者を安楽死させるという話を語って驚かれていた。君のその考えが拒絶されたことについてはどう考えていたの? 同意する人はいなかったでしょう。 植松 いや、そうでもありません。確かに拒絶する人もいましたが、理解はしたうえで、でもそれは法律上許されないからという人もいました。自分としてはそう指摘されて、それなら法律を変えなくてはいけないと思いました。 篠田 でも君の考えに同意する人はいないと思うけどなあ。 植松 自分の考えをきちんと説明すればわかってくれる人もいると思っています。 篠田 いたとしてもごく少数だろう。 植松 いやきちんと説明すれば半分くらいの人はわかってくれると思っています。 篠田 半分はいないでしょ。 植松 逮捕されてからもいろいろな人にこの話をしていますが、皆聞いてくれています。 植松被告が、自分の主張をきちんと説明すればわかってくれるだろう人を「半分くらい」と言ったことに対しては私も驚き、「いやそんなにいないだろう」と少し応酬になった。半分はいくら何でも多いだろうが、それは私が「君の考えは周囲にはほとんど同意されなかったはずだ」と強調したので、もしかすると彼も反発して強気の発言をしたのかもしれない。津久井やまゆり園での事件から1年が経過し、献花台に献花する園関係者=2017年7月、神奈川県相模原市(桐山弘太撮影) 私はこれまで世間で凶悪犯罪と言われた事件の当事者に何人も接してきたが、植松被告の特異な点のひとつは、あれだけの事件を起こして社会から指弾されながら、いまだに自分の考えは正しいと思い込み、それだけでなくそれを世に問いたいと考えていることだ。彼が接見禁止が解けて以降、マスコミ取材に応じてきたのは、それが理由だったのだろう。この強固な思い込みをいったいどう考えたらよいのか。そうした思い込みを実行に移そうとまでしたのがこの事件だが、そうした彼のパーソナリティをどう考えるべきかも精神分析の対象だろう。手紙からわかった客観的な目 その話に入る前に、ここでこの間、植松被告とやり取りした手紙の内容を紹介しておこう。そうしたやり取りを経て、この接見に至っているわけで、実際、彼の手紙には興味深い記述も少なくないからだ。【8月2日付、植松被告の獄中からの手紙】 同封してもらいました「ドキュメント死刑囚」を拝読させていただきました。宮﨑勤に関して執行までに12年かかっているわけですが、1食300円として食費だけで12年間で432万円の血税が奪われております。意思疎通がとれない者を認めることが、彼らのような胸クソの悪い化け者を世に生み出す原因の一つだと考えております。 第二次大戦前のドイツはひどい貧困に苦しんでおり貧富の差がユダヤ人を抹消することにつながったと思いますが、心ある人間も殺す優生思想と私の主張はまるで違います。赤ん坊も老人も含め全ての日本人に一人800万円の借金があります。戦争で人間が殺し合う前に、まず第一に心失者を抹殺するべきです。とはいえ、1千兆円の借金も返済できる金額ではなく、戦争をすることでしか帳消しにできないのかもしれません。 ゴミ屋敷に暮らす者は周囲の迷惑を考えずにゴミを宝と主張します。客観的思考を破棄することで自身を正当化させております。新聞のコピーも同封して貰いまして誠にありがとうございました。人生の多くを費やした者を無駄とされ憤るお気持ちはとてもよく分かります。ですが、遺族や障害者協議会など関係者に対して「現実逃避障害」と診断させていただきます。(以下略) 冒頭の『ドキュメント死刑囚』云々は拙著を送ってあげたことへの返事だが、執行までに12年というのは植松被告の勘違いで、12年は私が宮﨑死刑囚と接した年月だ。実際には逮捕から執行までは20年近く費やしている。私が拙著を送ったのは、死刑囚の現実について彼に知っておいてもらったほうが今後のためだという思いからだった。でもそれに対して、死刑囚をも早く執行しないと税金の無駄だと主張したのには驚いた。植松被告は自分もこのままでは死刑囚になるかもしれないという思いがあまりないのか、それともそれをわかったうえで早期執行をと言っているのだろうか。死刑執行を延ばすのは税金の無駄使いだという主張はこれまでにもあったけれど、植松被告がそれを主張するのは意味が異なる。【8月9日付、植松被告からの手紙】 先日は『創』9月号を差し入れていただきまして誠にありがとうございました。多くの利権を壊す私の考えは世間に出ることは無いと半ば諦めておりましたので『創』を読んだ時は手が震えてしまいました。死と向き合い、魂を燃やされている篠田先生、並びに創出版の皆様に心の底から脱帽致しました。 この度は篠田先生に折り入って御願いを申し上げたいのですが『創』10月号をセブンイレブン様、及び各コンビニのレジ横に置いて頂くことはできませんでしょうか。 大変恐縮ではございますが、読書ばなれが進む日本で本を販売されることはとても困難と思われます。加えましては中国やアメリカ合衆国、世界に向けて翻訳された7項目の提案に賛否を集計できましたら、形だけの選挙よりも実りある答えがだせるのではないかと考えております。 例の無い提案に多大なお手数をおかけしているのですが、一度ご検討いただけますことを切に願っております。せん越ではありますが、改めまして龍のイラストを描かせていただいております。また篠田先生に鑑査して貰えましたらとても嬉しく想います。 なにとぞ宜しく御願い申し上げます。 この手紙で驚いたのは「私の考えは…」というくだりだ。自分の考えが世に受け入れられ難いことを認識していることを示していたからだ。自分についてやや客観的に見る目も彼は持っているようだ。それをどの程度持っているかは、彼が精神的障害なのかそうでないのか考えるうえでひとつの判断材料になるように思う。できれば時間を無駄にしたくない【8月15日付、植松被告からの手紙】 お手紙を書いていただきまして誠にありがとうございます。度重ねて手紙を出してしまい申し訳ございませんでした。 鯉は自分のイメージで描かせていただきました。今描いている龍は「闇金ウシジマくん」の滑皮さんを参考にしています。 差し入れて貰いました報告書を読みましたが、ここが違うという箇所はありませんでした。6、7、8月は新聞を読ませていただいております。 それにしても送検時の表情はゾッとする思いです。走る車に人波が突撃しても、笑顔をみせるべきではなかったと反省しております。 鯉と龍は、彼が描いているイラストだ。差し入れた報告書というのは、昨年秋に出された厚労省の検討チームの発表した「中間とりまとめ」のことだ。この報告書では、植松被告が昨年、措置入院後に退院して事件を起こすまでの経過が詳細に追跡されている。その過程で事件を未然に防ぐことはできなかったのかというのが検討課題だったわけだ。犯行を予告してから実行に至る何カ月かの彼の行動を検証し、未然に防ぐためには何が可能だったか考えることは重要なのだが、その前提として報告書の記載が正しいかどうか本人に確かめたのだ。 植松被告は自分の考えていることを自分なりに整理した獄中ノートをその後送ってきた。彼は「7項目の主張」なるものを様々なマスコミに送っていたのだが、それをさらにまとめて「新日本秩序」なる冊子にし、世に問おうと考えたのだった。冊子の末尾には、それぞれの項目についての賛否を問うアンケートがつけられていた。 植松被告はそれを冊子として出版し、書店やコンビニで販売することを考えたのだが、現時点で相模原殺傷事件の被告である彼の主張をまとめたものをそのまま出版流通に乗せるのは簡単なことではない。それよりも事件後の出頭した時点からでよいから、今日まで彼がどう行動し、何を体験したか手記を書いてほしいと頼んだ。接見でも改めてそう依頼すると、彼はいささか意外な言葉を口にした。 「できれば時間を無駄にしたくないんです」 「安楽死」を含む7項目の主張を世に問うことが急務で、それ以外のことは時間を無駄にすることになるというのだった。いったい彼は何を急いでいるのか。あるいは自分の裁判がいずれ始まり、このままだと死刑判決が出される可能性が高いことをどの程度認識し、それについてどう考えているのか。 植松被告の手紙を最初に見た時、まず驚いたのは、事件当時と変わらぬ主張を繰り返していたことだ。あれだけの事件を起こして報道され、世の中に自分に対する指弾の空気が横溢していることに全くひるむ様子が窺えなかった。例えば2001年、小学校に押し入って児童を次々と殺傷した付属池田小事件の宅間守死刑囚(既に執行)も、裁判中に被害者を冒涜するような言辞を吐いていたが、それは植松被告の場合と事情が違う。宅間死刑囚の場合は、最初から自分は死ぬつもりで、どうせなら世の中に一矢報いて死にたい。そのために「エリートの卵」が通う学校の子どもたちを標的にした。社会を憎悪し、それに復讐して死ぬことを決意して事件を起こした。それゆえ謝罪や反省は彼にとってありえないことだった。秋葉原無差別殺傷との違い 同じような無差別殺傷事件でも、2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚の場合は、そこまで目的意識が明確でなかったためか、事件の被害者や遺族に対して法廷で一貫して謝罪を続けた。多数の被害者や家族が特別傍聴人として法廷に来ていたのだが、加藤死刑囚は入廷と出廷の時に必ず、その席へ向かって頭を下げた。1審の法廷では、それら被害者や遺族が次々と証言台に立って、犠牲になった家族の思い出を語り、法廷にいる被告人に怒りの声を直接ぶつけた。7人が死亡したこの事件で、それぞれの被害者ごとに公判が組まれ、それが繰り返されるという、ある意味で壮絶な法廷だった。そして2審になると、加藤死刑囚は法廷に姿を見せなくなった。既に死刑を覚悟していたから、それ以上出廷する意義はないと思ったのだろう。加藤智大死刑囚 植松被告の裁判では、今のところどうやら犠牲者の家族は法廷でも実名が出ることを拒否しているようだ。恐らく出廷もしない可能性がある。植松被告はその法廷で、いったい事件に対して、被害者やその家族に対してどういう姿勢を見せるのだろうか。 彼が接見禁止解除後報道陣と接見した時に、障害者の家族などを辛い目にあわせ事件に巻き込んだことを謝罪したのは知られている。実は8月22日の接見の時、『創』9月号にインタビューを掲載した津久井やまゆり園の家族会前会長、尾野剛志さんの話も出た。彼は職員だった当時、尾野さんの息子とは担当していたホームが別だったため、あまり接点はないようだった。その話をしていた時、植松被告は突然、「尾野さんに手紙を書こうかと思っているのですが、篠田さんから渡してもらえませんか」と言い出した。 尾野さんの息子も重傷を負った被害者だから、家族への謝罪をしたいという趣旨かと思い、「どういうことを書くの?」と尋ねたところ、彼は「尾野さんは障害者を持ち上げすぎていると思うんです」と言うのだった。え、ちょっと待って…と思い、「家族なんだから当然でしょ」と言った。植松被告とは少し応酬になったのだが、彼が被害者やその家族へどう向き合おうとしているのか真意を測りかねる面がある。実際に彼がその手紙を書いてくるかどうかわからないのだが、どういう表現で自分の気持ちを示そうとするのか、もし届いたら尾野さんには声をかけてみたいと思う。そんな手紙は読みたくもないと尾野さんが言えばその場で破棄することになるかもしれない。 ちなみに『創』に掲載した尾野さんの言葉、「黙ってしまうと植松に負けたことになる」には、障害者を育てる親としての強い意志が感じられて胸を打たれた。19人の犠牲者の匿名問題については、いろいろな変化が出てきている。尾野さんの言葉は、その匿名のあり方を被害者家族の立場から語ったたものだ。当事者がこういう主張を行う意義は大きいと思う。彼の主張に同意する人は一定数いる 事件直後に、植松被告の犯行は精神的障害によるものか、そうでないのかは関心の的となった。もし彼の犯行が精神的疾病によるもので、責任能力も問えないとなった場合は全てがそこで終結してしまうのだが、この間の植松被告の発言を見てもわかるように、どうもそうではないことが明らかになりつつある。本誌前号にも精神科医の松本俊彦さんと香山リカさんの見解を紹介したが、今回、改めて斎藤環さんにも聞いてみた。 篠田 植松被告の書いたものなどをご覧になって、まずどんな印象でしょうか。 斎藤 彼の主張を見ると、それが精神医学的な妄想、心性妄想の類いでないことははっきりしたと思います。彼の主張は極端であり社会的にも容認され難い内容ですが、それでも彼の主張に同意する人は一定数いるでしょう。 篠田 平たく言うと精神的な病気によるものではない、ということですか。 斎藤 人格障害とか発達障害とかの概念を含めて考えた場合に、あれは妄想ではないとは言えるのですが、それが病気ではないと断定するのはいささか材料不足だと思います。 篠田 彼の場合はただ思い込んだだけでなく、実際の犯行に踏み出してしまったわけですが、それについてはどう考えればよいのでしょうか。 斎藤 『創』の以前のインタビューでも話しましたが(昨年10月号)、やはり私は、措置入院の問題が大きかったと思っています。彼が障害者を軽蔑していたとすると、それと同じ存在として自分が遇されたわけで、それは彼にとって屈辱だったと思われるのです。私はそれが事件の引き金になってしまったような気がしてならないのです。 斎藤さんは、相模原事件に対する対処として出てきた精神保健福祉法改正などについても見解を語ってくれたのだが、そうした問題については改めて論じることにしよう。 こうして植松被告の事件を追っていて気になるのは、彼の発想や考え方が、いま世界的に拡大している排外主義とどう関わっているのかということだ。アメリカでは誰もがまさかと思っていたトランプ大統領が誕生したし、欧州ではネオナチの流れを汲んだと言われる極右政党が勢力を広げている。社会が閉塞すると排外主義が拡大すると言われるが、日本におけるヘイトスピーチの台頭もそのひとつだろう。さらに言えば、安倍政権の根強い支持層のひとつがネトウヨと言われる勢力であることも挙げられる。 そうした流れと植松被告の思想は通底しているのだろうか。彼の獄中ノートを見ると、いろいろな言葉を断片的に書き留めた中に、こういう一節があった。 「やまゆり園で勤務している時に、テレビでISISの活動とトランプ大統領の演説が放送されていました。世界は戦争により悲サンな人達が山程いる、トランプ大統領は真実を話している、と感じました」 障害者19人を殺害するという植松被告の犯した事件を我々はどう考えればよいのか。今後も解明を続けようと思う。

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    新聞、テレビが絶対に報じない「障害者殺人」植松被告の罪意識

    篠田博之(月刊『創』編集長) 相模原障害者殺傷事件の植松聖被告との手紙のやりとりや接見の内容を掲載してきたが、今回は、彼自身が書いた手記も掲載した。彼はいまだにあの凄惨な事件を起こした自分の主張を誤っていたと認めておらず、むしろそれを多くの人に訴えたいと考えている。手記でも、その彼の考えが随所に語られており、新聞・テレビなどの大手マスコミでは到底掲載不可能な内容だ。しかし、あの忌まわしい事件を解明するためには、彼がどんな動機で事件を起こしたかを知らねばならない。 そのために彼自身の言葉をなるべく原文のまま『創』で取り上げていこうと思う。植松被告の言葉は、多くの人にとって差別的で許せないものだろう。しかし、そうであっても彼の主張を記録し公開することに意味があると思う。現状においては他のマスコミが植松被告と接触できておらず、彼の言葉を伝え得るのが『創』だけという事情もある。そのことも敢えて掲載していこうと思う理由である。 さて今回は、この間、植松被告と交わしてきた「死」または「死刑」についての議論を紹介しよう。これまで書いたように、彼は「意思疎通のとれない人間」を「心失者」と呼び、心失者は生きていても仕方ないと主張する。それが昨年、障害者を殺傷した動機でもあるのだが、同時に死刑を宣告された死刑囚についても、税金の無駄なので早期に執行すべきと主張する。このままであれば彼自身も死刑を宣告される可能性があるのだが、自分の死については、彼はいったいどう考えているのか。 また植松被告は、障害者を殺傷したことは正しかったと言いながら、被害者の家族を悲しい目にあわせたことは本意ではなかったと謝罪している。ナチスの大量虐殺についても、障害者を虐殺したことは正しかったが、ユダヤ人虐殺は誤っていたという。しかし、そういう線引きは果たして可能なのか。大切だと認める命と価値がないという命をどう区別するのか。そんな疑問をこの間、植松被告にぶつけてきた。(iStock) まず最初に9月5日に植松被告に接見した時のやりとりの一部を紹介しよう。 篠田 君は昨年、津久井やまゆり園に侵入した時、抵抗した職員に向かって、自分も命を賭けているんだと言ったそうだけど、この事件で死刑になる可能性があることは理解しているわけね。 植松 はい。 篠田 死刑になるかもしれないと覚悟してやったわけだ。 植松 はい。 篠田 君は2月に接見禁止が解除された直後にマスコミの取材を受けて、事件の被害者家族に謝罪をしたけれど、家族には申し訳ないと思っているわけね。 植松 そうです。 篠田 でも障害者への気持ちは今も変わらない。そこがわかりにくいのだけれど、どの命も大切だという考えはないの? 植松 いや、そこは全然違うと思います。「罪を償う」とは「人の役に立つ」 彼との議論はいつも平行線だ。でも次に届いた手紙を読むと、「とても考えさせられました」と書いている。そうであればこそ、植松被告とは今後も議論していかなくてはならないと思う。(iStock) 私が接見したその日に、彼はすぐに手紙を書いたようだ。9月5日付の手紙でこう書いてきた。【9月5日付、植松聖被告の手紙】 本日も遠くまで面会に足を運んで頂きまして、誠にありがとうございました。 この度の面会で、篠田先生の言われました最後の質問は、とても考えさせられました。そして、上手く言葉にしてお伝えするには難しい内容ですが「人間が幸せに生きる為に、心の無い者は必要ない」と、考えております。 大変恐縮ですが、篠田先生は死刑囚の肩をもつ文章が見受けられますが、それは、長年つきあう中で産まれた哀れみや同情と思います。 それこそ人間のもつべき心情ではありますが、心失者を擁護しては誰も幸せになりません。「罪を償う」とは「人の役に立つ」と、考えることはできないでしょうか。 しかし、人の役に立つことは容易ではございません。 生きる為には常に与えられる必要がありますので、その対価を支払えないと判断され、死刑になるのは仕方が無い選択ではないでしょうか。 なにとぞ、宜しく御願い申し上げます。 その前の8月26日付の手紙で彼はこう書いていた。【8月26日付、植松聖被告の手紙】 私の推測では、これから日本は戦争の中心となり、その戦火で私は死ぬと考えています。残念ではありますが、命を賭けた結果ですので、死を受け入れてはいます。 篠田先生は「死」について、どのようにお考えでしょうか。私は十中八・九「無」だと思っています。 終わりが無なら、がんばっても意味が無いと考えることもできますが、それでは“人間”として生まれた幸運を無駄にしてしまいますし、分からないことを考えても仕方がありませんので、自分ができることを精一杯がんばります。 「現実を見ろ」と人は言う。しかしそれは、絶対にたやすいことではない。特に組織の“自転”の中では、それは不可能に近いことであろう。 人に本当の現実が見えるのは、一瞬「我に帰った」ときだけかもしれない。「我に帰る」。すると急にすべてが、どうみてもおかしい。 ――一下級将校の見た帝国陸軍より 『創』に接見時の植松被告とのやりとりを紹介し、ニュアンスが違うという指摘が植松被告からあったら次号で訂正する、と書いた。それに関する9月21日付の彼からの手紙を紹介しておこう。大麻を吸うと「生きている喜び」を実感します【9月21日付、植松聖被告の手紙】 この度も『創』10月号を差し入れて貰いまして誠にありがとうございます。 篠田先生がほとんど頭のメモだけで鮮明に記した対談を拝読させて頂きました。優れた脳ミソは、創りがどう違うのか、とても気になります。 そこで、訂正ではないのですが、私は謙遜して「半分の同意」と答えています。「意思疎通がとれない者を安楽死させる」考えを本心で否定するのは「バカ」と「ブサイク」です。 バカは自分で考えることができずに、常識を丸呑みし、ブサイクは風当たりが厳しい為に、周囲の意見に同調します。更に言うと「自分より下の存在」が欲しいだけかもしれません。 希望の無い者は人の足を引っぱることしかできませんし、山程ある問題を何も解決せずに否定をすることが博識と勘違いしています。「私は考えています」それを主張する為に「障がい者」「障碍者」と述べる識者を、本当はバカなんだろう。と、疑っています。 もし、手足がなければ面倒で不便な障害ですが、それを克服して強くなる姿に感動を覚えるはずです。 人を想う心があれば、障害者も健常者も関係ありません。人生は、大麻を吸って楽しくお喋りすれば、それで充分です。  日本人は「大麻」に対する無知の知を認め、学ぶ必要があります。 大麻が「薬」になる理由は、楽しい心が身体を「超回復」させる為です。 大麻は生産性が落ちると指摘されますが、それは完全な誤解であり、その原因は“気温”です。 大麻を認めない本当の理由は「タバコ・精神薬」を売り捌く為です。 大麻を吸うと「生きている喜び」を改めて実感します。生きることが当たり前の社会では、命に対して無自覚になります。 皆様は、首輪でしばられた番犬の気持ちを考えたことがあるでしょうか。 津久井警察署の前の家では番犬を飼っていましたが、その鳴き声は「人間死ね‼」と、憎しみに満ちていました。 私は、大麻を吸って障害者支援の夜勤をしたことがあります。それは、より心を開き会話を試みる為ですが、それでも、心失者とは会話ができませんでした。 話を戻しますと、年金・生活保護受給者などの自立できないヒマ人ばかりが声を挙げる日本で、私の考えに賛同できるはずがありませんし、空気を読めばそれが異質な思想であると分かります。 ですが、その集団から離れて個人に問いかけた時に、心失者を擁護するわけがございません。彼らを安楽死させることは仕方が無いことです。 このような文章では反感を買うだけかもしれませんが、私に人心掌握する技術はございませんので、自分の信じる正論を述べることしかできません。投げかけられる本質的な疑問 『創』10月号で紹介した面会室でのやりとりについては、概ね間違っていないというわけだ。それから9月号で雨宮処凛さんが引用した朝日新聞取材班『妄信 相模原障害者殺傷事件』の記述について、こう指摘してきた。 職員を叱責したのは本当ですが、勤務先の周りでビラを配ることはしておりません。 余談になりますが、叱責した女性職員は、真夜中にも拘らず、利用者様に布団を運ばせる仕事を手伝わせていました。 それが、本人のできる仕事を与える前向きな考えであれば、良い支援かもしれません。 朝日新聞取材班の『妄信』は、この事件の取材に総勢50人を動員したというだけあって、事実経過が詳しく書かれており、私も参考にしている。大新聞社だからこそ書ける労作だが、それゆえにこそ本人が誤りだと言う箇所は指摘しておきたいと思う。原文はこうだ。 2月ごろには「障害者が生きているのは無駄だ」などと書いたビラを、勤務先の周りで配り、園の聞き取りにも自説を曲げなかった。(『妄信』より) それに関連して書いておくと、植松被告についてのネットにあふれた情報には裏の取れていない怪しげな情報が少なくない。凄惨な事件だけにおどろおどろしい話が流布されがちなのだ。こうして本誌が植松被告自身の言葉を報じるのも、少しでも正しい情報が伝えられることを期待してのものだ。 ちなみに、植松被告は、昨年の事件を最初は10月頃敢行する予定だったが、ヤクザに狙われるかもしれないので計画を前倒ししたと供述したとされている。これも背後に黒幕組織があったのではないかなどと憶測を呼ぶ一因になっているのだが、接見の時に聞いてみると、「そういうこともあり得ると思っただけで、深い意味はありません」とのことだった。 さて、この間、本誌が植松被告の発言を詳しく掲載しているとあって、いろいろな方から手紙やメールをいただいている。その中には精神科医や障害者施設関係者も少なくない。例えば、私がヤフーニュースに書いた記事を見て、こんなコメントが寄せられた。 いわゆる障害者と一緒にいる職場でずっと働いてきたものとして、いちばん知りたいのは彼が何年間かいっしょに時間を過ごしてきた事件の被害者たちを死んだ方がいいと思うようになった経緯です。彼が働き始めた頃に書いた文章を読んだのですが、若者らしい希望のある文章でした。・その彼がなぜ、長い時間をいっしょにすごした人たちを殺そうと思うに至ったのか?・そう思い至るような「やまゆり園」の処遇があったのか?・そして、地域で生き生きと暮らす重度の知的障害者の姿を見たことがなかったのか?・長い時間、いっしょにすごしたのに言語以外のコミュニケーションを使って、彼や彼らの思いを感じることができなかったのか? などです。 ぜひ、篠田さんには彼との信頼関係をもとに、そこまで聞き出して欲しいです。 これは結構本質的な疑問で、既に私も植松被告とは議論している。おいおい明らかにしていこうと思う。

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    相模原事件、植松聖被告「獄中ノート」

    神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった事件は、海外メディアの注目も集めた。昨年7月に相模原市の障害者施設で起きた入所者殺傷事件を引き合いに出すメディアもあったが、猟奇殺人はなぜ後を絶たないのか。相模原事件で起訴された植松聖被告の「獄中ノート」からシリアルキラーの闇に迫る。

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    植松被告の「障害者無用論」は思想か妄想か

    篠田博之(月刊『創』編集長) 日本中を震撼させた津久井やまゆり園での障害者殺傷事件から1年余を迎えた。『創』は2016年10月号で総特集を組んだのを皮切りに、11月号、2017年2月号、5・6月号と継続してこの事件を取り上げてきた。雑誌メディアでは最も多く誌面を割いてきたのではないだろうか。そして今回、事件から1年を迎えて、その事件を引き起こした植松聖被告の獄中からの手紙を公開することにした。彼はこの間、多くのマスコミの依頼に応じて自分の気持ちを手紙に書いているのだが、趣旨は概ね同じだ。2016年2月に衆院議長あての文書に書いたのと同じ、障害者殺傷を目論んだ自分の信念を表明したものだ。事件から1年経っても、それは変わっていないのだ。 発生1年を機に多くの新聞が相模原事件を特集し、植松被告の手紙を紹介しているが、ほとんどがその要旨を紹介しただけで全文掲載はしていない。その内容が改めて被害者や遺族を傷つけることへの配慮からだろう。その姿勢はひとつの見識だと思う。ただ『創』は独自の判断で、植松被告の手紙をなるべく詳細に掲載していこうと思う。なぜそうするのか、その説明の前にまず、この半年間ほど植松被告がどんな行動をとってきたか振り返っておこう。津久井やまゆり園前に設置された献花台=2017年12月、相模原市緑区 2016年9月21日から17年2月20日まで、植松被告は精神鑑定を受けていた。その結果、責任能力を問えると判断して横浜地検は2月24日、彼を起訴したのだった。その直後、世間を驚かせたのは、植松被告が続けざまに新聞記者の接見に応じたことだ。起訴と同時に接見禁止が解かれたようなのだが、24日金曜日の後、週明けの27日月曜から連日、彼は取材に応じていった。27日は東京新聞、28日は朝日新聞、そして3月1日に毎日新聞、2日に神奈川新聞という具合だ。接見が行われたのは津久井警察署だが、接見は1日1組と決められている。朝一番で各社が接見申し込みを行い、そのうち1社だけが認められる。彼が接見に応じていることはすぐに各社に知れ渡り、申し込みが連日殺到することになった。 混乱を避けるために記者クラブで調整がなされたようで、3日以降も共同通信、その後はテレビ局などと接見の予定順番が決まっていた。しかし、植松被告は4日間応じた後、5日目から記者との接見を拒否するようになった。接見時間は15分以内とされていたが、実際には植松被告があらかじめ言いたいと考えていたことを話して10分弱で終わってしまうことが多かったようだ。裁判で争うべき事件の内容に触れることは原則禁止という条件だったから、あまり踏み込んだ取材はできていない。ただその接見で植松被告が謝罪したことだけは報道によって明らかにされた。彼が「謝罪した」その中身 例えば3月1日付東京新聞では、植松被告が「私の考えと判断で殺傷し、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことを心から深くおわびします」と語ったことが報じられている。世間には彼が「謝罪した」という印象が広まったと思うが、問題はその中身だ。今回の手紙によって改めて明らかになったのは、植松被告は事件については謝罪反省をしておらず、犯行に踏み切った彼の思いは変わっていないことだ。つまり2月末に彼が謝罪した対象は障害者の家族など健常者で、それらの人たちを事件に巻き込んだことを謝罪したのだった。犠牲になった障害者に対する見方は、犯行当時と変わっていないのだった。マスコミ報道はある程度目を通しているらしいのだが、それでも日本中が衝撃と悲しみに包まれたこの1年を経ても、彼の思いは変わっていない。ある意味では驚くべきことかもしれない。相模原殺傷事件から1年となり、事件があった津久井やまゆり園に設けられた献花台に花を供える入倉かおる園長(右から2人目)ら=2017年7月、相模原市緑区 彼は2016年の事件の時も、侵入した津久井やまゆり園で、職員らには危害を加えるつもりはないことを告げており(実際には抵抗した職員などに暴力を行使しているのだが)、自分が何を標的にしているかについては明白な意思を持っていた。記者との接見においても、遺族に対しては謝罪し、その後彼は朝日新聞記者の仲介で遺族の接見を受け入れ、直接謝罪もしている。 さて、この事件の裁判で植松被告の責任能力が大きな争点となることは間違いない。刑法39条では被告が犯行時、心神耗弱ないし心神喪失であったと判断された場合は、それぞれ罪を減じたり無罪にすることが決められており、弁護団も恐らくそれを主張すると思われる。それゆえ植松被告の精神鑑定の中身は重要なのだが、起訴前の鑑定では、彼に「自己愛性パーソナリティ障害」という診断がくだされている。「パーソナリティ障害」は人格障害とも言われ、要するに精神障害ではない、責任能力はあったという診断だ。 例えば私が12年間関わった宮﨑勤死刑囚の場合は、精神鑑定の診断が精神科医によって幾つにも分かれるという異例の事態となった。それだけ精神鑑定とは難しいものなのだが、社会で大きな問題になった事件の場合は、最終的に裁判所が採用するのは「責任能力あり」と認定したものであることがほとんどだ。裁判所としては社会秩序の維持といったことを念頭に置いて裁きを行うから、どうしてもそうなるわけだ。 『創』2016年10月号の特集で精神科医の香山リカさんと松本俊彦さんが対談し、その中でも語られているが、今回の事件での植松被告の考え方を「思想」と見るべきか「妄想」と見るべきか、つまり彼は精神障害なのかどうかというのは事件についての一番のポイントだ。彼の主張は「思想」か「妄想」か 対談の中で松本さんはこう語っていた。 「最初は僕は病気じゃないと思っていたし、そもそもなぜ医療の中に入っていたんだろうと思ったりもしたんです」 「でもその後、冷静になって、改めて彼が書いた手紙を読んでみたんです。最初に読んだ時には、こんなに詳細に計画していたのかと。犯行は周到に計画されて、準備万端だし、しかも犯行後出頭したということは、違法であるという認識もあったと考えられます。これで精神鑑定がなされたら、完全責任能力ありで犯罪になる。そう思ったんですが、2回目に改めて読んで思ったのは、よく考えてみると荒唐無稽じゃないですか。革命を起こすとか5億円くれとか。 思想と妄想ってどこが違うかって、ずっと僕も考えたんですよ。思想というからには、少なくともそれを読んで、ある程度は、『よし、俺もその革命の同志になろう』という、人を募れる言説じゃなきゃいけない。でも、あれではたぶん誰もついてこないですよね」 植松被告についてどう見るべきなのか、彼の主張は「思想」なのか「妄想」なのか。松本さんと香山さんは、その後、本誌の2017年2月号でも対談を行っており、今回改めて、本誌に届いた植松被告の手紙を見てコメントもしていただいた。 また松本さんは2016年10月号の対談でこうも語っていた。 「病気であったとしても、妄想だとか言動も社会のいろいろなものを吸い取りながらなされるから、社会的問題だということは否定しないし、その通りだと思います」 病気であったとしても、妄想も社会のいろいろなものを吸い取りながらなされる。これは示唆に富む指摘で、仮に植松被告が何らかの精神障害に冒されていたとしても、彼の「障害者無用論」の背景にあるものを考えることは必要だ。何人かの識者も指摘しているように、植松被告の事件は、弱者を排除しようとする排外主義的な機運が世界中に広がっていることと無縁ではないような気がする。 そして今回、植松被告がマスコミに送った手紙の中には、トランプ大統領とイスラム国に言及したものもあった。例えば朝日新聞に送った手紙には、トランプ大統領の当選前の演説をニュースで見たのがひとつのきっかけだったと書いていたという。彼の犯行とトランプ演説やイスラム国との因果関係がどの程度あるのかはわからないが、気になるところだ。パンドラの箱を開けた相模原事件 そしてそのことに伴う次の大きな問題点は、植松被告の障害者観がいったいどういう体験を通じて彼の中に生まれたかということだ。この事件の衝撃はとりわけ、障害者施設の職員だった人物があのような観念に支配されるようになったという事実だ。ここは裁判でも恐らく大きな論点になるに違いない。植松被告が具体的に津久井やまゆり園の職員の仕事をしながら、障害者観が具体的にどう変わっていったのか、自分のその想念が優生思想とどう違うと認識しているのか。そのあたりの核心的な事柄については、彼のさらなる説明を聞いてみなければならない。(iStock) 相模原事件が衝撃的なのは、単に死者が多かったからといったことではなく、戦後、日本社会が敢えて直視してこなかったいろいろな問題を、パンドラの箱を開けるように引きずり出したことだろう。例えば措置入院のあり方についてだ。精神障害の恐れのある者の犯罪については、警察もなかなか対応できずに精神科医に匙をなげるといった対応で、かつ精神障害者の事件であることがわかった時点でマスコミ報道も途絶えてしまうため、実際にどういう対応がなされてその後、当事者はどうなったのかについてはほとんど闇の中だった。 植松被告についても、措置入院のあり方や退院手続きが適正だったかなど、当初問題になりかけたのは記憶に新しい。その後、厚労省の検証チームでもそのことの検討はなされ、精神科医の判断に問題はなかったという見解が出されている。しかし、退院後の植松被告へのフォローがきちんとなされていなかったことなど、対応のシステムに大きな問題があったことも指摘されている。これについては、措置入院患者の退院後の支援強化を図るための精神保健福祉法改正が次の臨時国会に提出される予定だ。 平成の時代になって、精神鑑定が鍵になるような難しい事件が目につくようになった。その走りは平成元年の宮﨑勤死刑囚の連続幼女殺害事件だったと思うのだが、精神科医の見解が分かれたというのは象徴的なことだ。裁判所は宮﨑勤に死刑を宣告したことで「裁き」は行ったのだが、ではあの事件が解明されたかといえばそうは言い難い。私は彼が処刑されるまで12年間、密につきあったのだが、わからないことの方が多かったと言うべきかもしれない。 現在の司法システムではなかなか事件の解明に至らない事例が目につくのは、恐らく今の社会で犯罪が複雑化したことの反映だろう。相模原事件はこのままなら裁判員裁判で裁かれる予定だが、こういう難しい事件をきちんと解明することができるのか、司法や社会の側の力量が問われることになると思う。私は、こういう難しい事件は、社会全体の叡智を結集しないと解明は困難ではないかと思っている。だから事件に関する情報はできるだけ社会にオープンにして、司法関係者だけでなく、精神医学や様々な専門家の知見を生かしていく必要があると思う。匿名であり続ける日本社会の「現実」 この事件はそのほかにも様々な問題を社会に投げ掛けた。犠牲になった19人がいまだに匿名であるということも、その背後に差別の問題があることを考えれば深刻な事柄だ。さる7月14日、参議院議員会館で日本障害者協議会(JD)主催の集会が開催され、被害者家族の尾野剛志さんがスピーチした。その話はまさに犠牲者が匿名である問題に触れたものだった。警察が今回は特例だと言って匿名発表にしたのだが、これも障害者に対する差別ではないのか。尾野さんがそう言った時、会場から拍手が湧きあがった。匿名問題は報道機関にとってだけでなく、障害当事者にとっても大きな関心事なのだ。(iStock) 今回の事件後1年の報道では、19人の犠牲者遺族のうち匿名ではあるが取材に応じる人が増えた。35歳で亡くなった女性の写真は新聞・テレビで公開された。名前は出せないが、娘の笑顔の写真をぜひ多くの人に見てほしいという親の意思なのだろう。 NHKが行っているキャンペーン「19のいのち」のウェブサイトには、遺族の言葉が掲載されているが、その35歳の女性の遺族はこう語っている。 「いま思うことは、『ごめんね』というおわびの気持ちだけです。犯人への憎しみよりも、施設に預けた方が悪いという気持ちが強いのです。容疑者の『障害者は不幸を作る』という言葉には憤りを感じ、違うという気持ちは当然あります。でも社会の中にはそう考える人はいるし、それ以上に優しい人もいます。社会を変えなくてはと思うより、社会はそうしたものだと受け止めています。最近は家族の間で彼女のことを話題にしないようにしています。つらくなるからかもしれません。静かに過ごしたいため、このまま名前を公表せずにいることを望んでいます」 このほかにも「いつか名前を出して伝えたほうがいいという気持ちもあります。ですが、名前を出せば何か差別を受けるのではないか、誰かが家に押しかけてくるのではないかと、社会の反応が怖く、今はまだそういう心境にはなれないのが現状です」と語る遺族もいる。 日本社会の現実を思えば、この遺族の不安も理解できる。匿名問題は、障害者差別の深刻な実態を浮き彫りにしたといえる。匿名か顕名かを原則論のレベルで議論することもあってよいが、それにとどまらず遺族や当事者に対して粘り強く働きかけ、壁を超えていく努力を、もっとマスコミはすべきなのだろう。そして、それを一歩一歩超えていくプロセスを社会に明らかにすることが大切だ。これはまさにジャーナリズムに問われた課題だといえよう。課題はあまりにも多いのに、この1年間、果たして議論や事件の解明がどれだけ進んだのかと考えると、絶望的にならざるをえない。事件1年を機にこの間、再び報道はなされているが、一方で事件の風化も指摘されている。この事件にどう立ち向かうべきか、どこまで解明できるのか。日本社会がそのことを問われているように思う。

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    ナチスT4作戦、NHK番組が伝えた「価値なき者を殺す」衝撃事実

    藤井克徳(日本障害者協議会代表) 2016年7月26日未明に津久井やまゆり園で起きた事件は、障害のある人たちに深刻な影響を及ぼしており、いまだに怖いと言う人が多いですね。特に施設の元職員だった人物が容疑者だったことに衝撃を受けている人が多いようです。 もうひとつの衝撃は、やはりあの容疑者の衆院議長公邸に届けられた手紙の内容です。ナイフはいまだに自分たちに向けられている感じがするという声も少なくないようです。 3つ目は、今回の事件を通じて精神障害者への偏見が増すのではないかという恐れですね。障害当事者から多く出ている声です。送検のため神奈川県警津久井署を出る植松聖容疑者 =2016年7月、神奈川県相模原市 8月10日に第1回の会合が開かれた相模原事件再発防止検討会で塩崎恭久厚労大臣は「現行制度のもとでどこが悪かったのか検討したい」と言ったようです。「措置入院制度を見直す」とも言っているようです。検証の視点としては、現行制度そのものについてもメスを入れるべきであり、そもそも容疑者が精神疾患という見立て自体に疑問を持つ専門家が少なくない。誤った見立てを前提とした政策判断から見えてくるのは社会防衛策の強化であり、障害者政策に新たな混乱を持ち込みかねない。国は冷静に対処してほしいと思います。 今回、障害者問題がある意味で社会化したわけですが、普通の目線、感覚で見ることが肝心だと思うんです。そうすれば入所施設の異常性が、そして地域移行を加速できないでいる障害者政策、障害者行政の問題点や弱点がみえてきます。 もうひとつ、犠牲になった19人の氏名がいっさい伏せられている問題ですね。これも普通の感覚から言えば不自然な感じがします。さらに今なお90人近くがあの事件の後も同じ敷地内の体育館に住んでいるというのも普通ではあり得ない。 障害者を対象とした入所施設の数は、全国で3095カ所(2015年11月現在)存在しています。知的障害者は公表されている最新データでは74万1000人で、そのうち11万9000人、16パーセントが入所施設に入っている。6人に1人ですね。施設での虐待は後を絶たず、地域社会から遠隔地にあるものも少なくありません。こうした施設が抱えている体質と今回の事件とが無縁とは思えません。 そう考えると、今回の事件は、日本の障害者問題の縮図の側面があり、特にものを主張できない人に対する構造的な問題としてとらえるべきではないでしょうか。 今回の事件の容疑者の発想が優生(ゆうせい)思想だとして問題になっていますが、私はこの何年か、NHKと共同してナチスの「T4作戦」について調査を進めています。 T4作戦というのは、その作戦本部があったベルリン市内のティーアガルテン通り4番地という地名に由来する呼び方ですが、簡単に言うと、価値なき生命の抹殺を容認する作戦です。ここでいう価値とは、働けないもの、戦闘能力がないもの。要するに国家の役に立たないもので、そういうものは抹殺しても構わないというヒトラーの命令によって展開されました。ドイツ国内に限っただけでも20万人以上が虐殺されたと言われます。 しかもそれに精神科医を始め、医療関係者が手を貸した。これには、優生思想に基づくヒトラーの命令があるのですが、同時に、精神疾患に対する薬物療法ができてきて、治らないものが邪魔になる、さらには人体実験をやりたかったとの証言もあります。つまり医師がヒトラーの優生思想を隠れ蓑にして虐殺に積極的に関わったわけですね。 そして、ここで培われたガスを使っての大量殺人の方法が、翌年の1942年から始まったユダヤ人虐殺に使われました。だからこれはホロコーストのいわばリハーサルだったのではないかというわけです。T4作戦とホロコーストの関係 私がその問題に関わった最初のきっかけは、2004年にドイツに行った時に、3時間ほど空いたのでパンフレットに紹介されていた盲人の障害者が作った共同作業所を訪ねたことでした。私自身、作業所問題に関わっていたものですから関心があったのです。 そしたら、そこは廃屋同然で、人もいなかったのですが、たまたま玄関のパネルにオットー・ヴァイトという人のことが書いてあった。オットー・ヴァイトは全盲だけれど、戦前、また戦時中に全盲と全聾のユダヤ人を多数支援したり救出したと書いてあったのです。 それがずっと気になっていたので、2014年にフランクフルトでの視覚障害者の福祉機器展を観に行った時に、再度ベルリンを訪れました。そしたらEUの補助を受けたオットー・ヴァイト盲人作業所博物館という立派な施設に替わっていた。外観は変わらないんですが、内側はミニ博物館になっていました。そこでオットー・ヴァイトも大事な人物なのだけれど、T4作戦というのがあって、たくさんの障害者が虐殺されているという資料を手にしたのです。 そこで帰国後、一緒に取材をしませんかと何人かのマスコミ関係者に声をかけたところ、興味を示してくれたのがNHKのハートネットTV班でした。NHKは大変慎重で、リサーチャーを通して調査をして、2015年の1月にようやく、やりましょうと返事が来ました。NHK放送センター外観全景=東京都渋谷区 そこから共同体制を作って、同年の5月17日から26日まで第1次取材、7月26日から8月3日まで第2次取材を行い、番組を作ったんです。 ちょうど2015年が戦後70周年ということもあり、NHKのハートネットTV班によって、オットー・ヴァイトやT4作戦を主題にEテレや総合テレビ、ラジオを合わせて全部で6種類の番組が作られました。再放送を入れると15回以上放送されました。最後は今年の1月でしたが、女優の大竹しのぶさんのナレーションで、総合テレビで1時間放送しました。今年も私は個人で6月に調査に行っています。 実は、T4作戦とホロコーストとは本当に関係あるのかどうか、日本国内の研究者でも意見がいくつかありました。ドイツで、何人かの社会学者や歴史学者に意見を伺いました。これらの証言によると、T4作戦に携わった職員のアウシュビッツなどの収容所への異動、ガス室で使われた装置や道具が移されたなど、間違いなく関係性が深いのです。NHKの番組では、明確に関係性があるという立場をとりましたが、これに対する異議は出ていないと聞いています。 わかってきたことは、ヒトラーが政権をとった同じ年の1933年の7月14日に断種法と言われている遺伝病子孫予防法が成立するんです。国民投票法、いわゆる一党独裁法と言われる政党新設禁止法、それに断種法の3つの法律が同じ日に生まれたんです。断種法の制定以降の流れをみると、断種法で約40万人障害者や病人が断種手術を強要され、T4作戦で20万人以上の障害者が殺された。その後、ユダヤ人虐殺へと続くわけですが、「価値なき者」を殺すという考え方や精神科医を中心とする医師が手を下したという事実は段階的であり、連続していたわけです。優生思想と民族浄化思想 その根底にあったのが、徹底した優生思想と民族浄化思想です。1920年に精神科医のエイリッヒ・ホッへと法学者のカール・ビン・ディンクの二人が合作した『価値なき生命の抹殺を容認する書』というのがあるんですが、そこに優生思想が語られている。ナチ党が政権を獲得する前からドイツにはそうした考え方があったんですね。ドイツに脈々と流れていた優生思想や民族浄化の考え方をヒトラーはうまく利用したわけです。ナチス・ドイツの総統だったアドルフ・ヒトラー ちなみに、優生思想そのものはドイツが最初ではなく、1800年代の半ば以降に英国に端を発し、米国や他の欧州各国でも研究だけではなく政策として実行されていたのです。ただし、規模といい、方法といい、ナチスのやり方は次元を異にしていました。 そうした歴史的事実のふりかえりの節目となったのが、2010年11月26日のドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の総会でした。総会会期中の追悼式典で、当時のフランク・シュナイダー会長は謝罪を骨格とする総括談話を行いました。70年余の沈黙を破る出来事でした。これをきっかけにドイツ社会でじわじわと表に出てきたんですが、それまではドイツでもこの問題は潜在していたと言っていいと思います。 ヴァイツゼッカーの名言で「過去に目をつむる者は現代においても盲目だ」というのがありますが、目をつむっていたもののひとつにT4作戦の問題があると思います。ユダヤ人の大虐殺については国をあげての総括と補償が行われましたが、T4作戦の問題はこれとは異なる道をたどることになりました。 2015年、フランク・シュナイダーが、日本の精神医療の学会に招かれた折に、NHKとしての取材ということで2時間のインタビューの機会を得ました。一つ印象深かったのが、「なぜ70年間黙っていたのですか」と質問した時に、「はっきりとはいえないが、関わったのは恩師の世代で、尊敬する恩師が生きているうちは……」といった趣旨のことを話していたことです。医者の世界独特の師弟関係も手伝って総括がしにくかった、私にはそう聞こえました。 DGPPNは総括講演の中で、国際検証委員会を設けて、ドイツ人以外の歴史学者や社会学者で検証し、2年後には発表しますと言ったのですが、遅れに遅れて、2015年11月にやっと検証報告書が出ました。500ページ余のドイツ語版です。何とか翻訳したいのですが、経費のことを含めて現在思案中です。 T4作戦には、6つの障害者専用殺戮施設が設けられました。現存しているのが、ハダマーというドイツ中西部の町に残っており、市民も見られるようになっています。NHKの番組制作ということで、学芸員からは特別に丁寧に解説してもらいました。 ガス室は地下室なんですが、12平米、7畳半くらいの部屋に一回に50人ずつ閉じ込めて、医者が一酸化炭素ガスを注入する。その後ナチスはさらに殺傷力の強いチクロンBを開発し、アウシュビッツなどで大量殺害を行うのですが、もともとガスを使った殺人は、T4作戦で培った方法なんです。 いまは、ベルリン・フィル・ハーモニーの本拠地になっている場所が、かつてT4作戦の本部だったんですが、そこに記念碑が出来上がったのは2014年9月。このこと自体が、長い間目をつぶっていた証拠だと思うんですね。遺族の高齢化が進み、証言者もどんどん亡くなっています。 NHKの番組の反響はすごかったですよ。特に障害を持った方の反応が大きかった。大学の授業でも視聴されたようで、学生からの感想もたくさん寄せられました。難があっても雇わざるを得ない T4作戦に精神科医が協力していたという歴史的事実は、日本の精神医学にとっても大きな衝撃だと思います。先ほど、昨年の6月にDGPPNの元会長のフランク・シュナイダーを日本の学会が招請したと言いましたが、その折に、学会の会場にT4作戦に関する「移動展示場」を持ってきてくれました。ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の舞台となったアウシュビッツ強制収容所=ポーランド南部のオシフィエンチム(ロイター) 厳密に言えば、写真はオリジナルで、文字は神奈川県立精神医療センター芹香病院の岩井一正先生等の尽力で日本語に翻訳されていました。私の印象では、案外見てくれる人が少なく、フランク・シュナイダーの特別講演も結構空席がありました。 日本の精神医学界では、T4作戦そのものを正確に知る人はそう多くなく、関心が薄い。私が精神医学関係の雑誌に書いても、初めて知りましたという人が少なくありません。まとまった書籍としては、精神科医でもある小俣和一郎先生が何冊か出していますが、まだ関心が偏っている感じです。本当は精神医学からもっと光を当ててほしいと思います。私は人権や障害という観点から焦点を当てており、NHKの番組制作も人権と障害の観点に重心を置いています。今後、日本でも精神医学の観点からの検証を期待したいですね。 私なりに追い続けてきたT4作戦の問題や優生思想が、こんな形で日本社会の今に現れたというのは何とも言えない驚きであり、戦慄です。ただ冷静に見れば、石原慎太郎氏が都知事時代に入所施設を見学した後「こういう人に人格ってあるのかね」と言ってみたり、去年の11月に茨城県の教育委員が「生まれる前に障害の有無がわからないのか」「茨城県は障害者を減らしたい」と発言した事例がありました。国会でも、尊厳死法案問題がくすぶっていますが、その中に障害者が入るのかどうか、グレーゾーンになっています。 特に近年は、格差社会や不寛容社会、多様性排斥とか言われますが、強いものが幅をきかせるのと並行して人権意識が薄らいでいる。そういう日本社会を覆う流れのなかで起きたのが今回の事件です。極めて特異な容疑者の人間性に光を当てると同時に、それを許すような社会的背景についても議論をしていかなければならないと思います。 この間の障害者政策をめぐっても、市場原理の影響を受けた規制緩和とか成果主義、自己責任論などが色濃く反映されています。たとえば、規制緩和策の一環と言ってもいいかと思いますが、非常勤職員で職員定数の頭数を合わせてもいいことになっています。営利企業の障害分野などへの参入も気になります。 いま全産業労働者の平均賃金が、厚労省の調査で月額30万円ちょっとなんですが、保育や障害者福祉関係は21万円くらい。これでは職員を募集してもなかなか応募者がいない。今回の容疑者は1年以上非常勤でしたが、どういう人物かは大体わかったはずです。津久井やまゆり園に限らず、全国的にみて多少難があっても雇わざるを得ないというのが福祉施設の実情です。福祉労働と言われる分野は、公費が抑えられていますが、その背後には、社会投資論の観点から見返りが乏しいという考え方が根強くあるのではないでしょうか。 津久井やまゆり園での事件については、こうした観点を含めて、さまざまな角度からとらえる必要があります。犠牲者や負傷者に報いるためにも、今回の大惨劇を、インクルーシブな社会を創っていくための新たなきっかけにしていかなければと思います。(談)

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    「障害者の命に価値はないのか」今も私たちを苦しめる負のループ

    女の特徴だ。映画はいろいろなところで自主上映されている。機会があればぜひ観ていただきたい。――相模原事件について、発生当時感じたこと、それから何カ月か経って、周りの人の変化とか、話していただければと思います。海老原 最初は、事件の残虐さに対してショックを受けました。19人の方が抵抗もできない中で殺されていった場面を想像すると、本当にショックです。 でも一方で、事件が起きたことに対しては驚かなかったというのが正直なところなんです。私は、重度障害者として生きてきた中で、ずっと差別をされてきました。差別というとすごく強い言葉ですが、排除ですね。障害を持っていると常に社会から排除されながら生きていくことになるんです。「津久井やまゆり園」正門前には献花台が設けられたくさんの人が花を手向けに訪れていた=2016年7月29日午後、相模原市(三尾郁恵撮影) 生まれてすぐ、普通は赤ちゃんが生まれたら周りの人たちから良かったね、おめでとうと言われます。だけど、障害を持った子が生まれてきたとなると、周りから絶対におめでとうって言われないんです。自分のところに子供が生まれて、その子に重度障害があると言われたら、多分周りの人は絶句しますよね。なんて声をかけたらよいかわからない。可哀想ねというのも申し訳ないけど、大変ねって。雰囲気悪くなりますよね。 生まれた瞬間から障害者って歓迎されていないんですよ。そういう中で生きていく過程で、保育園や幼稚園にも、事故を起こすと困るから入れてもらえない。小学校中学校とかになると特別支援学校の方が人手もあるし、その子のペースにあった勉強ができるからよいんじゃないですかと言われ、地域の学校に入れてもらえない。卒業して、地域で暮らそうと思っても今度は、火事でもあったらどうするんですかと、アパートを貸してもらえない。一人暮らしを始めようとしても、24時間ケアが必要なら施設に行ったらどうですかと言われて、地域から隔離されて排除されていく。常に排除されて生きているんですね。事件が起きて一番変わったこと そういう境遇の中でずっと、「でも私は地域にいたいんです」ということで生きてきました。でもやはり障害者が身近にいると面倒くさいし、コミュニケーションも取れないし、どうしたらよいかわからない。いないほうがよいと思っている人が実はたくさんいるんですね。 あの事件を受けて、可哀想だね、価値のない命なんてないのに、なんであんなことをするんだろうねって、みんな口々に言うけれども、じゃあ「なんで重度障害者の命に価値があると思うんですか」と逆に聞くと、ちゃんと答えられる人はいないんですよ。津久井やまゆり園前に設置された献花台=2016年12月8日、相模原市(古厩正樹撮影) なぜその命が大事なのか。命が大事だということは、学校の道徳とかで習うけれども、なぜ大事なのかは習わないんですね。そんなものは一緒に生きていく中で感じとることだけれども、共に生きる環境がないから感じ取れないし、誰も教えてくれない。その中で起きた事件なので、背景には複雑な環境があるのだろうけど、起こるべくして起きた事件なのかなと私は思っています。 あの事件が起きたあと何が変わったかというと、一番思ったのは何も変わっていないということかなと思います。変わったことと言えば、重度障害者という人達が集まる施設があって、そこに障害者がたくさんいるんだということが世の中にちょっと広く知れたということですね。 でも障害者の命の価値を考える機会にはなっていないし、植松容疑者が本当に狂った人で、あんな危ない人を野放しにしておけないから、精神科病院や刑務所に早く入れてほしいと思う人が多いんでしょうね。危ない人、よくわからない怖い人をどこかに隔離しておいてほしいというのは、重度障害者の人は接し方もわからないし、ケアも大変なので施設に入れておいてほしい、という考え方と全く一緒なんです。 そういう負のループというか、人手もお金もかかる重度障害者という人がいて、その人達の間で起きた事件というように、ちょっとどこか他人事な受け止め方が多いのではないでしょうか。国民一人ひとりが自分にとってどういう影響があるかと、自分に結びつけて考えていけていないんじゃないかなと思います。 だから、私の周りにいる人でも、あの事件についてどう思うかとか、議論が盛り上がることがあまりないんですよ。私の生活は変わらない、皆さんの生活も変わらない。ごく一部の特殊な場所で起きた特殊な事件なんだと片付けられてしまっているという、そういう怖さが私の中にはずっとあります。匿名報道は当事者からみてもおかしい――周りの人の接し方で、事件の後、何か思うところはないですか?海老原 障害者にも色々いるんですね。私はあまり自分のことを障害者だとは思っていなくて、ただの人、ただの海老原宏美だとしか思っていない。だから障害者として扱われるとすごく違和感があるし、もっと普通に話してくれればいいじゃんという感覚があります。 私は聞かれて嫌なことは何もないんです。なんで身体ぐにゃぐにゃなのとか、なんでそんなにガリガリなのとか、全然聞かれて嫌じゃないし普通に答えられるんですよ。ただ、障害者の中には、特に年配の世代はそうですけど、障害を持っていることがすごく特別で、それをちゃんと意識してくれないと嫌だし、配慮してくれないと嫌だと言う人もいます。 障害者自身が自分を特別扱いしてほしい、だって自分は障害を持っていて、すごく大変なんだから、ちゃんと考えてよ、みたいに思っている人もいる。そういう人は一般人と同じように扱われると逆に怒るんです。「私、大変なのわかるでしょう」って言われたりする。 本当に障害者って面倒くさくて、そういうところは統一できないかなと思います。事件の時に、例えば匿名性のことが大きく取り上げられたじゃないですか。被害者の名前が出ない、顔が出ないのはどうなのかという意見があった。私もあれはおかしいというか、同じ障害を持つ人間としてすごく寂しかったんですね。事件のあった「津久井やまゆり園」に花束を持って訪れた人=2016年7月26日、相模原市 家族によっては、公表するとすごい取材が押し寄せて、落ち着いて悲しむ時間もなくなってしまうと考えた人もいると思います。そういう大変さはわかるのだけれど、あまりに被害者の背景やその人がどういう人なのかがわからなくて、障害者が殺されたということで一括りにされてしまう。誰が亡くなったということではなく、重度障害者が殺されたということで一括りにされてしまい、それで終わってしまう。そのことに悲しさを感じました。この事件を個人のものとして、被害にあわれた方や関係者、施設で働いている人たち、そういう個人に対する事件として片付けようとしているのか、それとも社会の問題として取り上げるのかということで、その差が出てくるのではないかと思うんです。 私たちは自立生活センターというところで活動をしていて、障害を持っていても、障害を持っていない人と同じように地域で当たり前に人として生きていける、そういう社会を作るための運動をしているんですね。こういう社会運動を障害当事者が始めた最初のきっかけは、1970年代に「青い芝の会」という団体が障害児殺しに対して起こした運動なんです。障害者は殺されてもいい存在なのか 障害を持った子供の将来を悲観して、自分も介護がすごく大変だということもあって、親が障害を持った子供を殺したんです。その殺したことに対して近所の人たちが、どうかあのお母さんを刑罰に処さないでほしい、だって大変だったもの、すごく苦労していたのはわかっていたから、だから許してあげてということで、減刑嘆願運動が起きたんです。 それを受けて障害者たちが、自分たちは殺されてもいい存在なのか、ということで起こした運動が最初なんですね。私はそれをすごく思い出したんです。障害者って殺されても仕方がない存在なのかなということが、今回の事件とリンクして、頭の中に浮かんできたんです。 それを施設だけの問題だとか、重度障害者をもった家族だけの問題ということにしないで、社会運動としてこの事件の意味をちゃんと取り上げて広げなければ、ますます私たち重度障害者の生きていく場所がなくなっていくんじゃないか。そう思ったので、匿名性をどうするかという問題、個人の問題とするのか社会の問題とするのかは大事なことだと思います。――この事件を通じて、障害者に対する社会意識が変わったということはないのでしょうか?海老原 私が当事者として感じることは、良かれと思ってやってくれることがだいたい差別なんです。特別支援学校とかもそうですよね。送迎をつけて、保護者の負担を減らして、人手も増やして、学校の中で手厚く見てもらえる。あたかもその子のためになっている感じがしますが、学校の中ではそれでよいかもしれないけれど、社会に1回出たら障害を持った人のペースで社会は動いていないんです。あっという間に取り残されていくわけで、それをフォローする仕組みは社会にはないんです。「津久井やまゆり園」の献花台で花束を手向けた後、目頭を押さえる女性=2016年8月2日、相模原市(三尾郁恵撮影) 確かに同じペースの子しかいない環境ではいじめもないと思いますが、社会に出たらいじめられるんです。トロいとか、仕事ができないとか。挙句の果てに殺されたりするわけじゃないですか。それに対応する力は、特別支援学校では身につかないんですね。良かれと思ってやることは大概差別だ そういうふうに良かれと思ってやってくれることが大概差別だという思いが私の中にあって、行政っていつもそういうところを勘違いしているなと思います。私が一番大切だと思っているのはインクルーシブ教育で、常に障害者だけでなく外国人だったり、いろんな人達が学校の中で共同生活をする中で、どうやって自分と全然違うタイプの人と生活していくか学び合っていくことがすごく大事だと思っています。日本は今、全く逆のことをやろうとしているので、勘違いが多いと私は思っています。 私も街を歩いてて「偉いわねえ」って泣かれることがあります。でも、おかしいでしょう? ただ普通にバスに乗っただけなのに、感動してお金くれる人がいるんですよ。もらいますけど(笑)。 そういうのはちょっと違うんじゃないかなと思っていて、偉いわねっていう言われ方はすごく他人事な感じがします。どういう言われ方をするとよかったと思うかというと「私はあなたがこういうことをやっているのを見て勇気をもらいました。だから自分も明日からこういうことをやってみようかなと思います」とか、自分にちゃんと関連付けて、自分にとって私の存在がどういう意味があったかというところまで伝えてくれると、わー生きててよかったな、呼吸器つけながらバス乗っていて良かったなと思いますね。(iStock) 当事者として生きていて思うのは、周りが思っているほど私は大変じゃないんですよ。大変なことも多いですけど、結構面白いんですね。目の前に障害が治る薬があったら飲みますかと言われたら、私は多分飲まないと思うんです。障害と生きるって大変なことがありすぎて面白いんです。別に強がりではなくて、障害があることで、健常者にはない喜びを得られる機会がもの凄くたくさんあって、色んな人に出会えたり、指が動く、手が動くことを凄く幸せに感じられたりだとか、世の中の一個一個の現象に対してすごく敏感になるんです。 私は進行性の障害なので、いつどう死んでいくかわからない、いつまで生きられるか、いつまで体が動くかわからないという状態に置かれている。死ぬことが身近にあるんですね。だから逆にいまやれることやらなくちゃとか、生に対する、生きるということに対する意識が健常者に比べると日常的に自分の中に湧き上がる機会も多い。1日1日を面白く楽しく生きていこうという思いが凄くあって、障害者として生きるってすごく面白いなと思うんですね。「死にたい」なら殺してあげようは間違っている――海老原さんたちは今、映画を作って自主上映を呼びかけていますが、どういうきっかけでそれを製作したのですか。海老原 もともとこの映画を作ろうと言い出したきっかけは、尊厳死法制化の動きがあって、何とかそれに反対したいということでした。私たちは人工呼吸器を使っている人たちの地域生活支援をやっています。尊厳死を法制化していこうという流れは長年あるのですが、この映画を作ろうとした直前に、にわかに盛り上がって、法律の案が出てきたんですね。映画『風は生きよという』公式HPキャプチャ その案を読んでみると、医師は、患者本人が望まない延命治療を行わなくても責任は問われないと書いてあって、その延命治療の中に私たちが使っている人工呼吸器とか、経管栄養が入っていたわけです。自分の死を自分の望むタイミングで選ぶというのはすごく美しい言葉に聞こえるんですけれど、私は、本当に死にたい人はこの世にいないと思っています。死にたいと言っている人はたくさんいますが、それはこんなふうに生きたいという思いが強いが故に、それが叶えられないから辛くて死んでしまいたいと言うのだと思うんですね。だから、まず社会を変えるとか、安心して生きていける環境を整えていくことが先なんじゃないの、という思いが私たちの中に強くあります。死にたいと言った言葉だけをパッと取り上げて、じゃあ殺してあげようよというのは間違っていると思うんです。 それを伝えるためにどうしたらよいかを色々考えました。まず人工呼吸器をつけて生きるってどんなイメージですかと聞くと、集中治療室でたくさんの管につながれて、意識もなくて会話もできなくて、ただ死を待つだけというイメージが皆さんの中で大きいんですね。私たちみたいに普通に地域で呼吸器を使いながら生活している人もいる一方で、そういうイメージだけが先行してしまっている。そういう現実が怖かったので、まずは自分たちの生活を見てもらい、知ってもらって、その上でもう一回考えてというふう社会に投げかけたいと思ったのです。それが映画を作ったきっかけですね。 ※映画『風は生きよという』の上映予定などは公式ホームページをご覧ください。

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    被害者の「匿名問題」に隠された障害者差別という現実

    尾野剛志(津久井やまゆり園家族会前会長) 津久井やまゆり園での事件からもう1年ですが、考えてみればあっという間でした。1日1日を考えた時は凄く長くて、やっと今日も終わったという感じでした。僕は2015年3月まで17年間、津久井やまゆり園の家族会の会長を務めてきました。園や家族のほとんどが実名を出さず、取材も受けないという中で、僕だけは話をしなくちゃいけないという気持ちに駆られて名前を出しました。報道陣の取材に応じる尾野剛志さんと妻のチキ子さん=2017年1月26日、相模原市(共同通信) 多くのマスコミの方から取材していただいて、1日1日、事件について聞かれるのが辛かったんです。でもこうして1年経ってみると、早かったなというのが今の気持ちです。 2016年7月26日は、朝7時半に園に行きました。5時15分に妻の友達から電話で起こされたんです。「尾野さんの息子、津久井やまゆり園だよね? 大変なことになってるから、ちょっとテレビつけて」と。慌ててつけたら、もう植松が逮捕されていて「15人死亡」というテロップが流れている。その後、犠牲者は19人になりました。 これは大変だということで私が駆けつけたのが7時ちょうど。園の中に入ったのが7時半でした。既にほとんどの遺族の方はいらしていたようで、僕は自分の息子の一矢のことが心配だったので、体育館に行ったのですが、そこにA4の紙が4枚あって、1課、2課、3課、4課と書いてありました。息子がいる施設は4課なんですが、その4課を見たら、〇が書いてあるのが5つ、×が書いてあるのが4つあって、何も書いてないのが8つか9つ。その何も書いてないところに息子の名前があって、立川の災害医療センターと書いてあったんです。だからすぐに向かいました。 一矢は何針も縫う大けがで、お腹を刺されて大腸がちぎれる寸前でした。全部割腹して、きれいに洗って縫い上げました。手術が終わった後も「明日の朝までは予断を許さない」と言われました。 その時、「本人と会っていって下さい」と言われて会いました。一矢は麻酔が効いているはずなのに、僕が看護師さんと話している時に、娘が「お父さん、一矢が泣いてるよ。お父さんの声、聞こえるんだよ」と言ったんです。見るとホントに涙が出ているんですよ。僕もどうやって家に帰ってきたかわからないほどのパニックでした。一矢は結局、23日間入院しました。 もともとお父さんとかお母さんとは喋らない、自分の言いたいことしか言わない子でした。それが、入院した時、4日めに行った時、急に「お父さん」という言葉を出してくれて、僕も感動しました。退院してきて、今は顔を見て「お父さん」とか「お母さん」と言って、話をしてくれるんです。だから一矢のために、生きている間は頑張ろうと思いました。匿名報道は親族が差別を恐れるから その後、遺族はいっさい匿名になってマスコミの前で名前と顔を出して話すことはないのですが、僕はそのことに反対なのです。7月26日、僕が行く前に遺族の方が5時半くらいにいらしてて、入倉かおる園長に絶対に名前を出さないで下さいとお願いをしたらしいんです。そこで園長と家族会の大月和真会長が津久井警察署に電話をしたんですね。 警察署は最初断ったようです。被害者の方は実名報道ですよ、ということで断られた。でも遺族の方が園長と会長に懇願して、もう一度津久井署に電話をしました。それで警察の方は本庁とも協議したんでしょう。「今回だけは障害者なので特例として匿名を認めます」ということで、匿名になったというんです。 しかも遺族だけじゃなくて負傷者の家族までいつのまにか匿名になってしまった。家族で実名を出して取材に応じたのは僕ともう一人だけでした。 僕はそれが納得できなくて、警察が「障害者だから匿名にします」というのは、差別じゃないかと思うんですね。僕は障害者という言葉自体も嫌いなんですけれど、健常の方も障害を持っている方もそれぞれ個性、特性があるんです。うちの一矢も一人の人間なんです。 この事件で「障害者だから匿名を認める」となると、犠牲になった方は名前が出ないわけですよ。19人の中には津久井やまゆり園で何十年も暮らしていた人もいたのに、そこにいたことにならなくなってしまう。彼とか彼女の人生は何だったのかなと思うと、植松にも殺されて家族にもまた殺されてしまったという気がするんです。 敢えてきつい言い方をさせていただくと、名前を出したくないという家族の方々が、被害を受けた当人でなくて、家族が差別されるから名前を出したくない。自分の保身で出さないんだと、僕はそう思っています。障害者施設「津久井やまゆり園」正門前には献花台が設置され、施設関係者や地域住民らが犠牲者らに思いをはせた=2017年5月26日、神奈川県相模原市 亡くなった人はこういう人生を歩んできたんだよ、大変なんだって知ってもらうことが、この事件を風化させないことだと思っているんですが、今はそうなっていない。ただ、最終的に決めるのはご家族だから、心が癒えて話してくれるのを待つしかない。僕がそれに対して「実名にしなさい」とは言えません。 匿名にする理由は、障害者が差別されてきた、偏見がなくなっていないからです。だから多くの家族は子どもを隠しているんです。私の知っている人ですが、1日だけテレビで顔を出したのですが、故郷の方から電話がかかってきたそうです。自分の子が障害者とわかったら、親戚、近所みんなから言われて恥ずかしい思いをする。だから、それまで知らせてなかったようなんです。そういう差別が続いてきたことが、今回の事件で犠牲者が匿名になった理由です。植松とは面識があった 僕は妻と再婚しましたから一矢は僕の子ではないのですが、一矢が4歳の時に知り合って、全然恥ずかしいと思ったこともないし、障害を持った子がいることを隠そうと思ったこともありません。事件で一時意識不明の重体となった尾野一矢さん(中央)と父の剛志さん(右)と母のチキ子さん=2017年6月(河野光汰撮影) 僕が知っている範囲でも、子どもが津久井やまゆり園にいるのに一度も来ない人がいるんです。障害をもった人が亡くなった時に、家族がお墓に入れないという例もあるんです。これが現実なんです。知的障害者であっても自分の子どもはかわいいんですが、それをわかちあえない。だから仕方なく隠す人がいるんです。 家族会の人たちは互いに顔も知っていますし、匿名でという人たちに僕がおかしいとか言う立場ではないと思います。事件の後、家族会でその問題について話す機会もありませんでした。2016年10月6日のお別れ会には、県の部課長も来たのに、遺族は一人も来ませんでした。まだ気持ちの整理がついていなかったのでしょうね。 ただ、それから時間がたって、今年7月22日に芹が谷園舎で祈りの集いをやったのですが、その時は亡くなった19人のうち8人の方の遺族、親戚なども含めて十数人が来ていらっしゃいました。 僕が名前と顔を出して息子のことを語るのも、黙ってしまうと植松に負けたことになるんじゃないかと思うからです。 僕は家族会の会長を17年もやっていたので、植松とも面識があるんです。息子のいたホームとは別のホームの職員だったために親しくはなかったのですが、話したことも二度くらい覚えています。 植松は僕のことを知っているから、「会長会長」と言ってました。催し物などの時にも「会長さん、一矢さん元気にやっていますよ」と言ってくれました。 逮捕されたのをテレビを見た時、最初は彼ではないと思ったんです。全然違う顔でした。職員になりたての写真が出て、初めて彼だとわかったんです。もともとの植松は、好青年で凄く朗らかでした。 でも、ある日突然刺青をしていることがばれてしまった。その刺青をどうすべきか園の会議でいろいろ意見があったけれど、当時は真面目にやっていたから刺青があるだけで辞めさせるのは酷じゃないかとなったのです。入浴介助や夏のプールの時はウェットスーツを着て刺青を隠してやってきました。 でもその頃から植松の言動が変わったと言われるんです。障害者に対しても馬鹿にするような言葉の虐待をするようになって、職員が注意すると「わかりました。すいません」と言うのですが、またそれを繰り返す。そうするうちに衆院議長のところへ手紙を持っていくというあの事件につながっていったわけですね。津久井やまゆり園の建て替えをめぐる議論 2016年7月26日の事件の後、津久井やまゆり園をどうするのかという問題が起こりました。ダメになってしまった部屋が幾つかあって、被害がなかった部屋に入所者がギュウギュウ詰めで入り、それでも入れない人たちは9月1日まで2カ月ほど体育館で暮らしました。 その後、三浦しらとり園、県の建物で厚木の七沢の老人介護だかの建物、かながわ共同会が運営している秦野精華園と愛名やまゆり園、厚木精華園に何人かずつお願いをして、入所者が移りました。9月21日にうちの息子も七沢に行ったのです。それで事件当時津久井やまゆり園にいた135人が全員、居場所を確保したわけですね。 そして9月に神奈川県の黒岩祐治知事が、私たちの要望に対して150名収容の昔の状態のままで建て替えますとおっしゃったんです。10月か11月に青写真が出来まして費用が60~80億円かかるとされました。 そしたらその頃、全国の障害者団体だとかグループホームやってる人たちとか、いろいろな人たちから「歴史に逆行してるんじゃないか」「地域で暮らすことが幸せなんだから、大きな建物を建てずグループホームなどにすべきだ」と反対の声があがったんです。 そこで、県としては「ではもう一度改めて検討しましょう」ということで、検討委員会の部会が出来たのです。部会は全部で12~13回やるのでしょうか。8月2日に最終結論を出して知事に報告する。あとは知事と県議会とかそういう人たちで精査して、最終的な県の方向性を発表するようです。「津久井やまゆり園」の殺傷事件で、県が設置した第三者検証委員会の初会合であいさつする黒岩祐治知事=2016年9月21日、横浜市 昨年秋に知事が発表して青写真まで作ったのにひっくり返ってしまったわけです。全国の障害者関連団体の方が反対をしています。ただ反対する人たちは津久井やまゆり園のことを知らない人たちで、家族とも会っていません。 もちろん反対の意味がわからないわけじゃないんです。2003年に支援費制度が出来、国が改革した支援制度の一つとして、コロニー的な大規模施設は縮小しなさい、あとはグループホームなどにして、地域で共生社会の流れを作りなさいということになった。そこで宮城県、群馬県、兵庫県とか、長野県もそうですけど、全部ある程度小さくしたんです。神奈川県の対応は順序が違う 昨年、神奈川県が建て替えか改修かで打診して来た時に、僕ら家族会はもう改修は不可能ですと申し上げたんです。家族はほとんどの方が建て替えをお願いしたいということで、知事や県議会議長のところにお願いに行きました。その結果、知事が建て替えをしますと言ったのに今ひっくり返ってしまったので、家族会としてはすごく憤慨しているんです。家族の気持ちが全然汲まれていないことに、すごい憤りを感じています。事件発生から1年となった知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、献花を終えた車いすの男性=2017年7月26日、相模原市 津久井やまゆり園の建て替え問題では、県障害者施策審議会の専門部会がやっている結果はまだ出ていないんですが、8月2日に報告書を県にあげるということなので、大月家族会会長が「8月5日の夕涼み会の日に堀江部会長に芹が谷に来て頂き、説明を聞きたいと思っている」と発言しました。8月5日夜は津久井やまゆり園の納涼祭なんです。 結局、専門部会は僕ら家族会の要望と違う方向に向かっているんです。分散化とか二極化とか色々言われてますが、施設を小さくしてグループホームとかにしようという方向にいってるので、それは僕ら家族会が県にお願いしたのとは、話が違うのです。 僕があちこちで話させていただいているのは、要するに順序が違うということです。グループホームに行きなさいというのであれば、先に津久井の周辺とか座間とか相模原とかに作って下さい。そうして僕らに選択肢を下さいよと。体験入所して、良ければ入所していけばいいんです。それが支援制度なんですから。 先にそういう受け皿を作ってもらって、それから話してくれれば、僕ら家族もちゃんと協力もします。津久井やまゆり園じゃなくたって、利用者がいつでも穏やかに暮らせるところがいいわけですから。 この建て替え問題にしても、匿名の問題にしても、知的障害者を含めた障害者と言われる方々が差別されているという現実が、まず問題だと思っています。  そうした差別は日本の文化や風土と結びついていて、根本的に変えるには100年かかるかもしれません。でも、僕はこの事件の背後にある差別や偏見をなくしていくことが一番大事なことだと思っているんです。 (談/2017年7月収録)