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    大阪万博成否のカギ「カジノマネー」をめぐる悲しき思惑

    のに、なぜ大阪はこれほどまでにIR誘致を急ぐのか。そこには大きな理由がある。万博開催の前提となる公共交通の敷設に、IR開発業者の「資金協力」が不可欠だからである。 大阪万博の開催地として決定した夢洲だが、実はこの人工島は現在、道路での上陸が唯一の交通手段となっており、大阪市域からのアクセス環境は劣悪だ。大阪府は万博の来場客数を2800万人と予測しているが、現在の交通インフラでは、予想来場者の輸送など到底不可能であり、新たな公共交通手段の敷設が必要となる。そこで持ち上がっているのが、夢洲周辺を走る各鉄道の延伸計画である。 敷設コストが最も安く、最有力と言われているのが18年4月に民営化されたばかりの大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)中央線の延伸だ。夢洲の南側から大阪市住之江区を経由して地下鉄で接続する案だが、最もコストがかからないと言われているこの敷設案でも、整備費用は540億円にも及ぶとされる。 一方でこの大阪メトロ中央線は、大阪の中心市街地である梅田周辺には直結しておらず、中心市街地へのアクセスには乗り換えが必要となる。そのため、万博誘致に伴う観光波及の側面からみると、必ずしも「最良の計画」とは言い難い。2016年3月、JR桜島線(ゆめ咲線)のユニバーサルシティ駅で開かれた開業15周年記念セレモニー。エルモなどのキャラクターも祝福に駆けつけた そこで、もう一方で検討が進められている鉄道アクセス案が、JR桜島線の延伸である。これは夢洲の東側から大阪市此花区を経由して大阪市域を結ぶ案だが、予想される整備費用は1700億円と、大阪メトロ延伸よりも、はるかにコストがかさむ。 だがJR桜島線は、大阪の中心市街地・梅田周辺へと直結しているだけでなく、大阪観光のもう一つの目玉であるユニバーサルスタジオ・ジャパンにも連結しており、路線としてのポテンシャルはこちらが圧倒的に高い。JR西日本は18年4月に発表した「中期経営計画2022」の中で、既にJR桜島線の延伸検討を盛り込んでおり、今回の万博誘致が決定したことで、延伸計画の本格的な検討が始まることとなる。遠回しの批判にも強気 そして、2025年の万博開催が決定した今、現実のものとして頭を悩ませなければならない問題が、開催のために必須となる各鉄道の延伸費用負担の問題である。現時点で最有力とされる大阪メトロ中央線の延伸費用に関して、大阪市は整備費用540億円のうち128億円を負担し、残りの210億円を大阪メトロ、そして202億円は万博予定地の隣に整備されるIRの開発事業者に負担を求める方針を示している。 この地下鉄延伸の費用負担こそ、大阪がIR誘致を急ぐ理由である。実は、夢洲への公共交通敷設費用を含めて考えると、IR業者の資金的協力なくして、万博成功はあり得ないのである。 この202億円の事業者負担に関して、大阪でのIR参入を検討している一部の大手カジノ事業者からは「インフラ整備は行政が担当すべき」とする遠回しの批判が出ている。しかし、大阪市の吉村洋文市長も「(202億円は)IR事業者が受益者として負担すべきもの」と一歩も引かない構えだ。 業界関係者の間では、現在予定されている負担額の限りであれば「許容範疇(はんちゅう)」ではないかとする声も多い。ただし、関係者が危惧するのは、現在約200億円とされている事業者負担の「積み増し」である。 前述の通り、大阪市域と夢洲を結ぶ鉄道の延伸計画は、大阪メトロ中央線の他にJR桜島線の延伸計画の検討が進んでいる。ここで、1700億円の整備費用を、大阪メトロの延伸コストの費用負担率にそのまま当てはめてみよう。その場合、1700億円のうち403億円が大阪市の負担になり、661億円が鉄道運行業者となるJR西日本、そして634億円がIRの開発事業者の負担となる。 大阪市は、今のところJR桜島線の延伸費用負担に関して直接の言及を行ってはいないが、吉村市長の説明する「受益者負担」の原則を当てはめた場合、そこにさらなるIR開発事業者に対する費用負担の積み増しは十分に起こり得る。2018年11月、2025年万博の大阪開催が決定し、握手を交わす大阪府の松井一郎知事(左)と大阪市の吉村洋文市長=フランス・パリのOECDカンファレンスセンター(恵守乾撮影) 逆に、積み増しが「ない」とするのならば、それが大阪メトロ延伸のケースとどう違うかを、早いタイミングで明言する必要があるだろう。その説明次第で、今後の大阪におけるIR誘致の実現性が変わってくるだけに、大阪市の一挙手一投足に業界の注目が集まっている。■ 記事カネの流れが経済の原点 カジノに勝る「特効薬」はこの世にない■ 「賭博」を全面解禁せよ! 矛盾だらけのギャンブル禁止はもう限界■ 的場文男の金字塔に思う「ギャンブル大国」の行く末

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    監視社会と日本人の奇妙な関係

    れてしまう。 いつ、どこからどこへ、誰と一緒に、何をしながら空間を移動したのか。今後、電車という公共交通機関を用いることで、そうした個人情報を曝し出しながら日々の生活を送ることを私たちは強いられるだろう。 そもそも「移動する自由」は、「居住、移転の自由」と同様に個人に与えられた基本的な権利であるはずだ。どこへ行って、何をするのかは文字通り個人のプライバシーであり、他人から干渉される事柄ではない。 幸いなことに、物理的な移動を強権的に制限されることは今の日本社会ではまれであろう。だが、ネット空間と現実世界とが地続きとなったSNS時代を迎え、今後、ビッグデータの必要性と有効性が喧伝されるなか、人々がたどる移動の経路と履歴はデータとしてどこまでも追跡され捕捉される事態を免れないだろう。 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、電車利用をはじめとする都市空間での人の流れ(human mobility)に対する監視が徹底されていくならば、これまで当たり前に享受されてきた「移動の自由」はどのような変貌を遂げていくのだろうか。※画像はイメージです(GettyImages) 来るべき未来における「移動の自由」をめぐる技術的かつ社会的条件の変化。そこに潜む課題を「あの人たち」ではなくほかならぬ「私たち」自身の問題として考える想像力を持てたとき、日頃ごく自然に受け止めがちな公共の場に置かれた防犯カメラは、これまでとはどこか違った風景として眼前に立ち現れてくるかもしれない。■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

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    「監視社会もゲーム感覚」痴漢常習者の頭の中

    斉藤章佳(精神保健福祉士、社会福祉士) 「痴漢常習者の中には、より難易度の高い環境で問題行動を成功させることに達成感や優越感を抱き、さらに耽溺(たんでき)していく人がいる」。これは、ある痴漢常習者、いわゆる痴漢依存症当事者の発言である。 確かに、多くの痴漢依存症者と関わっていると、この発想にはうなずけるところもある。依存症の分類の中でも、その行為に耽溺する「行為依存(プロセス依存)」のメカニズムを考えると、その特徴は「反復的」「衝動的」「強迫的」「貪欲的」「有害的」「自我親和的」「行為のエスカレーション」という七つの特徴があり、防犯カメラの監視機能を凌駕(りょうが)するであろう、さまざまな要素を兼ね備えている。 痴漢行為が始まって間もないころや初犯のケースの場合、つまり、まだ常習化してない段階では、罰や監視は非常に有効なアプローチであると考えられる。しかし、一方でクレプトマニア(常習的な窃盗行動)同様、罰や監視が本人の問題行動をより亢進(こうしん)するという側面がある。 つまり、ある種のゲーム性やレジャー感覚をその痴漢行為に求めているものにとって、その対象行為は「ロールプレーイングゲーム」にたとえられ、より困難な環境で問題行動を成功させることでレベルアップしていくという罠にハマっていく。 中には、手帳に正の字を書くなど「痴漢日記」を毎日つけている勤勉な痴漢もいるぐらいだ。そう、彼らは異常なほど勤勉なのだ。刑務所でも模範囚である。 では、ここで話を戻すと、今回のテーマである「痴漢の再犯防止に防犯カメラは効果があるのか」という問いに、何らかの答えを出さなければならない。筆者の見解としては、再犯防止に最も効果があるのは治療、つまりエビデンスに基づいた行動変容のための再発防止プログラムである。それについて、ここで治療の全容を書くほどの紙面はないため、筆者が昨年8月に出版した『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)を参照にしていただきたい。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ただ、いくら効果的な治療を行っても、痴漢を繰り返す人の実態を知らなければ、具体的な対策を採ることができない。では、彼らの実態とはいかなるものなのだろうか。受診者で最も多い階層は? 筆者が勤めるクリニックに、常習的な痴漢問題で受診する人が年々増加している。また、彼らが痴漢行為を始めてから専門治療につながるまでの平均期間は約8年である。その間、彼らは毎日の通勤電車で痴漢行為を繰り返す。単純計算しても、数千人単位の被害者を出していることになる。 そして、驚くべきことに、受診者で最も多い階層は、四大卒で家庭があるサラリーマンである。つまり、痴漢を繰り返す人は見た目ではわからない、ごく普通に社会生活を送っている男性ということになる。もしかしたら、その人はあなたの職場にもいるかもしれない。 では、彼らはなぜ痴漢になっていくのだろうか。ここで「なっていく」と表現したのは、彼らは最初から痴漢として生まれてくるわけではない。つまり、先天的、遺伝的要因ではないのだ。 また、「将来の夢は痴漢です」と答える人がいないように、痴漢になりたいと思って生きているわけではない。彼らは、この日本社会の中で痴漢になっていくのだ。 つまり、環境やライフスタイルへの適応行動としての痴漢という側面がある。痴漢は学習された行動である。 最近のケースで、数年前に海外から日本に派遣されてきたあるエンジニアが、「日本に来て痴漢になった」と診察場面で言っていた。母国では満員電車も無いが、痴漢を含む性犯罪をした経歴も無い。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 彼は、日本のライフスタイルに適応するプロセスで「CHIKAN」になったのである。当クリニックにたどり着いたころには、既に常習化しており、執行猶予期間中の再犯であった。 痴漢たちは自らの問題行動を繰り返すために、現実を都合よく歪(ゆが)めて捉えている。これを私たちは「認知の歪み」と呼んでいる。この認知の歪みには多種多様なものがあり、それを私は「痴漢神話」という形でまとめているため、その一部を紹介する。20の「痴漢神話」① 露出の多い服を着ている女性は痴漢されたい(されても仕方ない)人である(女性の性的挑発)。② 最初は嫌がる女性が多いが、痴漢されているうちに多くの女性は気持ちよくなってくるものだ(願望の投影)。③ ちょっと触れるぐらいなら気づかれていないし、もっとひどいことをやっている奴はたくさんいる(比較による過小評価)。④ こちらをチラチラ見ている女性は、もしかしたら痴漢されたいと思っているのではないか(自己の願望の投影)。⑤ 女性は無意識のうちに痴漢されたいという願望を持っている(女性の被痴漢願望への過度な期待)。⑥ 露出の多い女性は性欲が強いはずだ(偏った決め付け)。⑦ 隙が多い(寝ている・飲酒・終電など)女性は触られても仕方がない(自己責任論)。⑧ 今週も1週間仕事を頑張ったから、自分は痴漢しても許される(自己報酬型)。⑨ こんなに惨めな気分になったのは全て女性のせいだ。だから痴漢をしても許される(被害妄想的仕返し)。⑩ 女性は男性から痴漢されることで性的満足を得るものである(暴力的な性の容認)。⑪ 痴漢の事件の中にも、美人局(つつもたせ)のように捏造したものもあるから、少しぐらい痴漢しても許される(すり替え)。⑫ 相手から近づいてきたから痴漢してもいいだろう(加害者のパーソナルスペースの歪み)。⑬ 痴漢の多い埼京線だから、やってもいいだろう(環境への責任転嫁)。⑭ まだ目標人数に達していないから、もう一人ぐらい触ってもいいだろう(ノルマ的思考)。⑮ 10人に1人は痴漢されることを望んでいるのではないか(確率的思考)。⑯ 自分も被害にあったことがあるから、時々痴漢してしまうことは仕方ない(加害者における被害者感情)。⑰ 妻とは随分セックスレスだから、痴漢に走っても仕方がない(妻への責任転嫁)。⑱ スイッチが入り、気づいたら触ってしまっていた(脳の不随意運動)。⑲ 「痴漢は犯罪です」というポスターを見て、自分のやっていることは少し触るだけで痴漢ではないから犯罪ではない。⑳ 女性専用車両に乗っていない女性は、痴漢されたいと思っている(願望の投影)。 いかがだろうか。この病理の一端が垣間見える。 何度も言うが、彼らはこのように現実を自分の都合よく捉えながら痴漢行為を繰り返す。彼らの頭の中には、怖くて抵抗できない、恐怖で身動きできない女性は痴漢「OK」のサインである。体を震わせていれば感じていると捉え、ふらついて近くにきたら自分から体をすり寄せてきたと捉え、にらんできたらアイコンタクトと捉えるような歪んだ認知である。 また、痴漢常習者は被害者について、よく勉強をしている。つまり、おとなしそうで泣き寝入りしそうな人を選び、多少痴漢をしても相手が被害を訴えることは稀で、通報するのも10人に1人ぐらいであるという警察庁の調査「電車内の痴漢防止に係る研究会の報告書」(2011)も頭に入っている。 また、仮に逮捕されたとしても、初犯で容疑が「迷惑防止条例違反」の場合、実刑になることはなく、刑事事件に強い弁護士に頼めば示談にすることも可能だ。法律や刑事手続きについても熟知しているし、情報収集に余念が無い。ということから、実は常習者の場合、痴漢で人生が終わるわけではないのである。 ここまで、痴漢常習者の頭の中について、その一端を見てきた。果たして、彼らは防犯カメラ設置で、その「生きがい」ともいえる問題行動をやめることができるだろうか。 仮に、専門治療以外のハード面で痴漢の再犯防止を考えるのなら、防犯カメラの設置だけでなく、被害を訴えやすいようにするためのアプリを活用した防犯ブザーや、満員電車解消のための日本人の働き方改革を考えたほうが現実的である。特に後者は、サラリーマンの出勤時間を変えることで企業側に何らかのインセンティブを与えることができれば、メンタルヘルスにもいいのではないだろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 痴漢問題に対して、私たちができることはその正確な実態を理解することだ。痴漢問題を社会問題と捉え直し、他人事(ひとごと)ではなく自分事であると一人ひとりが当事者性を持つことこそ、今必要なことであると考えている。■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

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    「世界一安全な日本の鉄道へ」防犯カメラ、AI活用で広がる未来

    es) 社会の合意を得ることは、鉄道会社だけでなく社会全体の話ですから、その整理は国の役割です。国土交通省が警察庁と連携し、国民の生命と財産を守るための得策だと示し、かつ悪用されない仕組みを導入することをきちんと説明することで検討が進みます。そして日本は、技術力のあるメーカーがサポートし、国民の賛同を得て導入するというプロセスを踏める民度の高い国だと信じています。 国民の間で、防犯カメラに対する違和感や嫌悪感はかなり薄れてきたと思います。さらに、そのAIシステムにより、車内や駅に忘れ物をしたときに教えてくれたり、体調が悪くて倒れた人がいたら救急車が自動手配されたり、さらには傍若無人の輩(やから)を警察に通報してくれるようになります。鉄道大国ニッポンの使命 高速道路のサービスエリアのトイレの個室にまで、忘れ物センサーが導入され始めています。そういったメリットも周知しつつ、「監視社会への不安」を解消できるよう、一つずつ丁寧にメリットとリスクヘッジを伝えていきたいです。 さらに、早期に導入するには費用負担の整理も不可欠です。AIシステムの導入に伴う投資と経費増は、トラブルの低減などによる鉄道会社の収益増と経費削減だけでは賄えません。 社会全体の安全・安心のために一定の税金を投入することは、丁寧な説明により人々の理解と賛同を得られると考えます。費用分担は、国・自治体・鉄道会社で3分の1ずつくらいが適切でしょう。鉄道会社の負担分として、運賃の値上げも一策です。 2020年の東京五輪まで2年を切った今、テロ対策をはじめとした防犯対策は重要なテーマです。ITと通信システムの高度化により、私がJRの社員時代に実体験した人海戦術ではなく、システムの力で不安要素をピックアップし、要所では人が判断・行動する効果的な防犯システムを開発できる時代になりました。 日本以上にテロに困っている欧米各国には、すさまじい数の防犯カメラが設置されていますが、AI活用やネットワーク化は進んでおらず、費用のわりに効果が不十分と感じます。東京五輪は世界にアピールできるチャンスであり、このシステムで万全の安全を達成すれば、世界中が同じシステムの導入を望むでしょう。株式会社ライトレール代表取締役社長・阿部等氏 世界的にテロから身を守りたいという機運が高まる中、日本の治安が良いことは、それ自体が日本に訪れる一つの要因です。AIシステムを導入できれば、より大きな財産になり、かつ日本発の技術として世界に広められます。いや、世界一の鉄道を持つ日本が広めなければいけません。(聞き手/専修大学・大江茉那、小松幸男、山田風香) あべ・ひとし 株式会社ライトレール社長。昭和36年、東京都生まれ。東京大工学部都市工学科修士終了。JR東日本にて鉄道の実務と研究開発に17年間従事。平成17年にライトレールを創業し、交通計画のコンサルティングに従事。著書に東京都の小池百合子知事が公約に掲げた「満員電車ゼロ」のベースとなった『満員電車がなくなる日 改訂版』(戎光洋出版)。■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ■ イスラム国テロ組織が絶好の標的として虎視眈々と狙う「東京五輪」■ イスラム国に共鳴した日本人テロリストが「聖戦」に走る最悪シナリオ

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    殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

    梅原淳(鉄道ジャーナリスト) 2018年6月9日、東海道新幹線の東京発新大阪着「のぞみ265号」の車内で殺傷事件が発生し、乗客の男性1人が死亡し、女性2人が負傷した。このたびの事件で亡くなられた方とご遺族には謹んでお悔やみを申し上げるとともに、けがをされた方が心身ともに1日も早く回復されますようお祈り申し上げたい。 新幹線約50年の歴史において、車内での犯罪によって死者が生じたケースは、今回の殺傷事件を含めて4件存在する。中でもよく知られているのは、3年前の2015年6月に同じ東海道新幹線の新横浜-小田原駅間で起きた放火事件であろう。 この事件では焼身自殺した70代の容疑者と、火災に巻き込まれた乗客1人の計2人が死亡、乗客2人が重傷を負い、そのほか乗客23人と乗務員3人の計26人が軽傷を負った。 この放火事件後、東海道新幹線を運行するJR東海は数々の対策を打ち出した。正確を期すために、運輸安全委員会が2016年6月に公表した鉄道事故調査報告書に掲載されている該当箇所を引用したい。(1) 乗客に対して、次の①及び②のとおり、啓発活動を実施した。① 注意喚起の強化 a 車内テロップや駅の発車標テロップの注意喚起文の変更 b 注意喚起放送の内容の変更 ② 危険物持込禁止、不審な物、行為発見時に対する啓発ポスターの変更(2) 乗務員室等に「乗務員用防煙マスク・耐火手袋」を搭載した。 (3) 鉄道車内へ持ち込める手回品について、平成28年4月28日から旅客営業規則で、ガソリンをはじめとする可燃性液体そのものの持込みを禁止することとした。(4) 車内の防犯カメラに関する増設及び機能強化の計画を次のとおり策定した。① 平成29年度末までに700系を除く全編成の客室内及びデッキ通路部に車内防犯カメラを増設(筆者注、今回の「のぞみ265号」には完備されていた)② 非常ブザーと車内防犯カメラを連動させ、乗務員室で即座にブザーが扱われた車両の状況を確認できるように改良する。(5) (4)②に伴い、非常ブザーが扱われたときの取扱いについて、ブザーが扱われた車両の状況を防犯カメラの映像で確認し、火災発生を判断する取扱いを追加した。「鉄道事故調査報告書 東海旅客鉄道株式会社 東海道新幹線 新横浜駅~小田原駅間 列車火災事故」(運輸安全委員会) 一見して分かるのは、いま挙げた対策の中に車内のパトロールに関する項目が存在しないということだ。車内巡回に関して、JR東海は火災事故後から、人員や頻度を増やす施策について、前向きに検討していると述べている。 事実、プレスリリースでも「当社では、お客様の安全を確保するため、ハード・ソフト両面においてセキュリティ強化に取り組んできました」と、実際に取り組んでいるかのように発表していた。2018年6月10日、東海道新幹線の車内で乗客が刺され、小田原駅構内を行き来する警察官(吉沢良太撮影) だが、現実にはJR東海は2018年3月から「のぞみ」に乗務する車掌の数を3人から2人に減らしてしまった。ならば、一部の列車で実施されている警察官や警備員によるパトロールの拡充を望みたいところだが、いまだすべての列車に導入されていないというのが現状だ。 実際、今回の殺傷事件が起きた「のぞみ265号」も警察官や警備員は乗務していなかった。当時、車掌2人と主にグリーン車での案内を担当するパーサー2人が車内の巡回担当者として乗務していただけだったという。新幹線のセキュリティー対策は? さて、新幹線車内で死者が生じた残る二つの事件のうち、一つは1988年9月に発生した。東京駅で出発を待っていた「こだま485号」の車内で飲食店の経営者が果物ナイフで刺された殺人事件で、被害者は容疑者を追ってホームに出たところで死亡した。この犯人はいまだに逮捕されていない。 実は、93年8月に起きたもう一つの事件が、今回の殺傷事件と内容が似通っている。事件の詳細は、JR東海の新幹線鉄道事業本部が95年2月に発行した『新幹線の30年-その成長の軌跡』に詳しい。今回の事件の課題、そして今後の防犯対策を探る上で極めて有益な資料であると筆者は考えるので、該当箇所を以下に引用しよう。 平成5(1993)年8月23日20時過ぎ、掛川~静岡間を走行中の博多発東京行『のぞみ24号』の車内で殺人事件が発生した。 犯人は、覚醒剤を常用している奈良県に住む27歳の男性(元モデル)で、9号車(グリーン車)の車内で埼玉県に住む出張帰りの会社員(40歳)に『うるさい』と言い、その約1時間後、持っていた刃渡り30cmのサバイバルナイフで刺し殺した。 これで車内は騒然となり、犯人の『次はどいつだ』の声に、9号車にいあわせた旅客は顔を引きつらせて逃げまどった。中には隣の10号車に逃げたり、子供と一緒にトイレに逃げ込み錠を掛けた人もいた。更に、駆けつけた車掌の『逃げろ』の声に犯人は怒り狂い、今度は車掌に切りかかった。 8時41分(筆者注:20時41分)、『のぞみ24号』が新富士駅に臨時停車すると、今度は待ち構えていた警察官を見て、犯人は前方の車両へ逃走した。11号車付近で追い付いた4人の富士署員に取り押さえられたが、この際、巡査部長1人が犯人にナイフで切りつけられ、重傷を負った。ホームにいた乗降客もこれを見て逃げまどい、新富士駅はこの捕り物に一時パニック状態となった。 新幹線にとって、走行中の車内での殺傷事件は昭和39(1964)年10月の開業以来初めてであった。 では、実際に新幹線のセキュリティー対策はどうあるべきか。筆者は、車内のパトロールを充実させるといっても限界があると考える。 仮に、各車両に1人ずつ巡回担当者を配置したとしても、今回の殺傷事件のように乗客がバッグから物を取り出そうとする動き自体を止めることはできないからだ。万全を期すというのなら、「新幹線の車内では乗り降りの際以外はバッグに触れてはならない」という規則を設けて徹底順守させるしかないわけだが、これは事実上不可能であろう。 一方で、列車内に凶器を持ち込めないよう、駅の改札口などに保安検査場を設置し、金属探知機で乗客自身を、エックス線検査装置で手荷物をそれぞれ検査してから乗車させる方策は効果が高く、犯罪の抑止効果も期待できる。筆者は、保安検査の導入を検討すべき時期に来ていると主張したい。 とはいえ、空港と同じような保安検査を実施することは極めて困難と言わざるを得ない。理由はいくらでも思いつくが、中でも大きなものを二つ紹介しよう。事件が起きたのぞみ265号の車内で待つ乗客=2018年6月9日(乗客提供) 一つは乗客の数が多いにもかかわらず、もともと駅舎内の空間が狭く、保安検査を行うことができないという点だ。実は東海道新幹線の東京駅から乗車する旅客数と、羽田空港の国内線ターミナルの搭乗者数はどちらも1日平均約10万人である。 ところが、羽田空港の国内線ターミナルビルの延べ床面積は第1、第2ターミナルを合わせて約54万平方メートルもある。しかし、東京駅の駅舎面積は、JR東日本が所有する部分を含めても地上部分は約21万平方メートルしかない。羽田の国内線ビルの面積は商業施設が含まれているとはいえ、東海道新幹線の東京駅の駅舎は明らかに狭いのである。 もう一つは「次を待たずに乗車できる」新幹線の利便性を損なうという理由だ。列車の出発時刻ぎりぎりに乗車するという芸当は、新幹線だからこそできることだ。空港での保安検査を嫌って、新幹線を利用する人も多いという点からも明らかであろう。もし、保安検査を実施するとなると、空港のように列車の出発時刻の15分前が乗車の締め切りとなってしまうだろう。JR各社の「所詮は犯罪」 理由はほかにも挙げられる。例えば、検査によって車内に持ち込めなくなった手荷物をどのように扱うかも検討しなければならない。現状では新幹線の車両には荷物室が存在しないため、新たに設置するか、該当の手荷物を放棄してもらうか、旅客に乗車自体をあきらめてもらうほかない。 そもそも、「なぜ新幹線ばかりセキュリティーを強化しなくてはならないのか」という意見だってある。同じ乗り物であれば、在来線や私鉄、地下鉄やバスも対象にすべきであろうし、さらに対象を広げればエレベーターも当てはまるであろう。この点においては、やはり密室になる時間が長く、なおかつ救助が期待される場所、つまり駅に停車できるまで他の乗り物と比べて時間を要するという点を理解してもらう必要がある。 言うまでもなく、筆者も今すぐ新幹線で保安検査を導入できるとは考えていない。最初は抜き打ちや、サイズや重量で明らかに突出した手荷物に対して検査を実施するという具合に段階的に開始し、車両や設備の改良を待つほうが現実的だ。 利便性の低下については一言で言えば、慣れの問題と考える。かつて地下鉄サリン事件が発生した後、地下鉄での保安検査は導入されなかったが、その代わりにより密閉された空間となるドーム球場などで手荷物検査が行われるようになった。導入当初は混乱もあったものの、今では当たり前のこととして人々に認識されている。 痛ましい殺傷事件が起きた今だからこそ、そしてラグビーのワールドカップや東京オリンピック・パラリンピックといった国際的なイベントが控えている今だからこそ、新幹線での保安検査に理解が得られるのではないだろうか。 では、実際に新幹線での保安検査を鉄道事業者が導入するだろうか。結論から言うと、国から強い指導を受けない限り、保安検査が導入される可能性はないと筆者は考える。膨大な手間と費用を要する上に、言葉は悪いが「所詮は犯罪」という鉄道事業者自体に責任のない事象を予防するに過ぎないからだ。 放火事件の場合、責任の所在を問わず、鉄道事業における「列車火災事故」となって、国には改善策を示さなくてはならないが、殺傷事件にはその必要もない。今までの事例から考えれば、一定の頻度で犠牲者が生じるのはやむを得ないと、鉄道事業者が考えているとさえ言える。2015年6月、車内で放火事件が発生し、小田原駅手前で停車する東海道新幹線の車両(川口良介撮影) また、保安検査を導入するにしても、JR東海、そして東海道新幹線の列車が乗り入れるJR西日本の山陽新幹線だけに限定されそうだ。新幹線は2社に加え、JR東日本とJR九州、JR北海道も営業を実施しているが、残りの3社は乗客数の少なさや鉄道事業者の経営状況が悪いことを理由に、頑として導入しないだろう。新幹線の中にも安全に格差が生まれるのである。 利用客も、そして世論もこういった鉄道事業者の考え方に同調するのであれば、それでもいいだろう。しかし、何の落ち度もない人間が、ただ単に新幹線を利用していただけで命を落とし、その教訓がほぼ全く生かされないという事実を、未来の人々が見たらどう思うであろうか。 「新幹線の安全神話」とは、素晴らしい伝統を命懸けで守っていくことではないのか。これこそが正しい保守主義だと筆者は考えるが、世論から間違っているといわれるのであれば、それも致し方あるまい。

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    ハンドル握れば人格変わる「あおり運転」の謎

    ハンドルを握ると、なぜか人格が変わってしまう。こんな経験、一度はないだろうか。急増する「あおり運転」も、普段は大人しいのに、車に乗ると危険ドライバーに豹変したという事例も多いらしい。あおり運転はなぜ後を絶たないのか。ドライバーの運転心理や社会的背景を読み解く。

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    身近に潜む「あおり運転」危険ドライバーの深層心理

    過、短い車間での追従、無茶な割り込み、頻繁で不必要な車線変更、意識的な信号無視、進路妨害など、故意に交通法規を破って危険な運転をする行為だ。 日本よりも早くクルマ社会となった欧米諸国でも、これら「ロードレイジ」「アグレッシブドライビング」はかなり以前から問題視されているが、有効な解決策が見いだせていないのが現状だ。 特に「あおり運転」は、車間をピタッと詰めて追走してくる、あの逃げられない恐怖感は経験するとしばらくは忘れることができない。そして、各種調査では、多くのドライバーがあおられた経験を持つことが明らかになっている。 なぜこんなことをするのかと憤り、なんとかならないのかと考えるが、その一方で自分も過去にあおり運転をやったことがあると思い出すドライバーも多いであろう。あおるという行為には、実はちょっとはずみでやってしまう危険性が潜んでいる。 このあおり運転を攻撃行動とみなし、心理学者であるダラードの「欲求不満―攻撃仮説」やバーコウィッツの「攻撃手がかり仮説」を適用すると以下のようになる。 我々の普段の生活は、次から次へと問題が発生して対応に追われ、慢性的に不満やストレスを抱えている。車に乗る直前に発生した何がしかの出来事のせいでむしゃくしゃしているようなこともある。そして車に乗って走り出すと、渋滞に巻き込まれたり、前をノロノロと走る車がいたり、不意に割り込まれたり、大したことではないのにクラクションを鳴らされたり、怒りやイライラで興奮が高まる材料があちらこちらに転がっている。 真夏には強い日差しの中でじっと運転席に座っているということすら不満の種となる。そして「欲求不満―攻撃仮説」によると、欲求不満が高まると不快な生理的興奮や怒りがもたらされ、それらを解消する手段として攻撃行動が生じる。アクション映画を見て痛快でスカッとした気分になったときのことを思い浮かべてもらうと、攻撃行動がカタルシス効果(心の浄化作用)を持っていることがわかる。ハンドルを握ると豹変する人たち 「攻撃手がかり仮説」では、欲求不満だけでなく他者からの攻撃や過去の攻撃習慣によって攻撃へのレディネス(準備状態)が高まり、攻撃を連想する手がかりが目に入ることによって攻撃行動が起きるとされる。 他車のせいでハンドル操作やペダル操作をしなければならないことや、自分の思うような運転ができない状況は、不本意ながら対応せざるを得ないという点では攻撃を受けたのと同じであり、そういう状況をもたらした他車に対して報復や制裁をという思いが生じる。 一方で、あおり運転をやっても警察に捕まったり誰かから咎(とが)められたりすることはほとんどないため、あおることは習慣化しやすい。仮説に従うと、悪いことに回数を重ねれば重ねるほど簡単にレディネスが高まるようになるとされる。 車は人を殺傷することができる武器であり、ハンドルを握っていることは銃を手にしていることと同じだ。運転をする行為そのものが攻撃行動を誘発する格好の手がかりであることは言うまでもない。標的となるのは、すぐ目の前を走っている車である。 もちろん、欲求不満が高まり興奮したからと言っても、すべてのドライバーがあおり運転をするわけではない。人の性格や生育環境はさまざまであり、欲求不満になると他の人よりも怒りが生じやすく、他人に対して攻撃的になりやすいタイプの人たちがいる。こういった人たちは、他人からの敵意を過度に感じやすいとも言われている。 意図的ではない偶然の出来事であっても、自分に向けられた悪意と思い込む「敵意帰属バイアス」がかかってしまう。そして、報復として相手を攻撃してしまうのである。怒りを鎮める方法としては相手に怒鳴ることもできるが、残念ながら車の中では怒鳴っても相手には聞こえない。運転時に手軽に行うことができる攻撃手段は相手をあおることである。 また、攻撃的な運転をする人たちは普段の生活においても他人に攻撃的である可能性が高い。運転とライフスタイルが関連していることは多くの研究で指摘されており、交通違反が多い人は交通事故も多く、そういう人たちは運転以外の社会生活においても規則を守らなかったり他人とトラブルを起こしがちであったりすることが明らかにされている。2017年10月、移送される石橋和歩被告=福岡空港署 その一方で、ハンドルを握ると豹変する人たちがいる。生まれ持った気質としては攻撃的であったり、刺激を求める欲求が強かったりするのに、普段は大人しく振る舞っている人たちであろう。現代社会では粗暴な仕草や言動は嫌われるため、われわれは小さい頃から礼儀を失しないように振る舞う教育を受けてそれが習性となっている。 自分の家の中や車の中などプライベートな空間は周囲の目を気にする必要がないため、本来の自分が出やすくなる。特に、車の場合はスピードが興奮をもたらすため、その興奮が呼び水となって、攻撃的で刺激を求める本来の自分が呼び起こされやすくなるのではないだろうか。 また、服装によって自分の気持ちや振る舞いが変わるように、運転する車によってドライバーの気持ちや運転が変わる。大きな車、スピードの出る車、高級車に乗っているような場合は、自然と車のサイズ、パワー、価格などが周囲のドライバーに対する優越感をもたらしてくれる。 運転が楽しめ、満足感が得られること自体は悪いことではなく、そういった車を所有し、運転することで生活の質が向上するのであれば歓迎すべきことだ。しかし、中にはそういった優越感から他人を下に見て自己中心的な運転を行ってしまう人たちもいる。匿名性が助長する「あおり」 あおり運転に話を戻すと、あおり運転が危険で重大事故を招く可能性があることは明白だが、本人にその意識や罪悪感はまったくないのが特徴だ。自分は運転が上手いと思い込んでいることもあり、自分はいつもの車の中にいて安全と信じて疑わない。加えて、後でトラブルに発展すると想像できないことも、軽い気持ちでやってしまうことを後押ししている。 さらに、あおり運転をしてもすぐに身元がバレないことも大きい。似たような車は沢山走っているので、どこの誰だかわからないだろうと思い込んでいるドライバーは多い。匿名性が高いときに自制心が弱くなりがちであることは、ネットのトラブルで知られている通りである。 そして、すぐに逃げることができる。高速移動手段である車に乗っているので、興奮が収まれば、あるいはヤバイと思えば、あおっていた車からすぐに離れることが容易である。逃げてしまえば、報復されるようなことはない。 他にも、あおり運転を生じさせやすくしている原因はいろいろあるが、もう一つだけ付け加えるならば、相手(あおられている側)のドライバーの顔が見えないことも大きいであろう。顔が見えないために、相手がどう感じているかを想像することができず、共感による攻撃の抑制が生じにくい。 相手の様子を見て思いとどまる、適当なところでやめるといった機制が働かないのだ。人に対してというよりモノに対して接している感覚で、一方的に攻撃をしかけるということになる。 こうしたあおり運転の横行に対して、2018年1月に警察庁は、「いわゆる『あおり運転』等の悪質・危険な運転に対する厳正な対処について」を全国の警察に通達した。この通達には、悪質・危険な運転が認められた場合には、積極的に証拠資料を収集し、道路交通法違反だけでなく、危険運転致死傷罪、暴行罪などの法令を駆使して捜査の徹底を期すこと、積極的に交通指導取締りを実施すること、教育や広報啓発活動を推進することなどが指示されている。2017年12月、チラシを手に、ドライバーにあおり運転の禁止を呼び掛ける警視庁の白バイ隊員=首都高速平和島パーキングエリア しかしながら、諸外国も長年懸案事項としながらも有効な解決策が見いだせていない問題であり、そう簡単に解決できるとは思えない。常習者は取り締まりを多少強化したところで見つかるはずがない、捕まるわけがないと思っているであろう。 今後は、法の整備やITS(高度道路交通システム)を使った取り締まりシステムの活用、あおり運転ができない車の開発などに期待したいが、当面は自衛することが必要となる。ドライブレコーダーを設置して客観的証拠を残すようにすることは一つの手であるが、そもそもの標的とならないようきっかけを与えないことが重要だ。 あおられたドライバーは、理由もなく急にあおられたという印象を持つことが多い。しかし、気づいていないだけで実際には相手があおりたくなるなんらかの行為を行っていたであろうことがほとんどである。追い越し車線をノロノロと走っていたり、車線変更のときにちょっと危ない割り込みとなってしまったというようなことは要注意である。 前後左右、周りをしっかりと見ること、そして周囲の車に配慮を示すことが安全運転の基本であるが、現時点ではこれがあおられることを防ぐ最も有効な対策なのだ。

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    心理学者が指摘する「あおり運転」しやすい人の身体的特徴

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) クルマを運転する際の犯罪(道路交通法違反)は、ある意味で特殊である。その理由の一つは「一部の物損事故、人身事故を除く多くの違反が、重大な被害に結びつかない確率が高い」という点である。 同じ犯罪でも殺人や放火、窃盗、詐欺などは、そこには明確な被害者の存在がある。しかし、スピード違反や一時停止違反、シートベルト装着義務違反、駐停車違反、追い越し・転回・後退禁止違反…これらは事故にならない限り、どれも直接的な被害者は存在しないことがほとんどである。 そのため、仮に取り締まりに遭遇しても、「罪を犯した」という意識が他の犯罪に比べて相対的に低くなりやすい。だから、反省したり自分を責めたりするどころか、「まさか見つかるとは思っていなかった」「運が悪かった」「なんで捕まえるんだ」「これぐらいならいいじゃないか」「誰も困らないじゃないか」などと警察官を恨めしく思ってしまうことも多いだろう。 また、検挙される・されないに関わらず、厳密に言えば日常的に罪を犯している人が他の犯罪カテゴリーに比べて多いという点もある。例えば、見通しの良い幹線道路や高速道路で、制限速度をオーバーしたスピードでクルマの流れができていることは決して珍しいことではない。同じく取り締まりにあったときに、「みんなやっているじゃないか! なんで自分だけが罰を受けるんだ」と怒りをあらわにする人は決して少なくないだろう。 さらには、それが違反だったということが、免許所持者の間で完全に知られているとは言い難い違反もある。「高速道路で追い抜き車線を走行し続ける」「運転席・助手席のヘッドレストを取った状態で走る」「ライトを常にハイビームにしておく」「クラクションの乱用」…。実はわが国では、これらが全て道路交通法違反であることが明示されている。2017年5月、ゴールデンウイークのUターンラッシュで渋滞する東名高速道路の上り海老名サービスエリア付近(菊本和人撮影) このように、(1)直接的な被害者がいないことも多い(2)日常的に多数の検挙されない違反者がいる(3)違反と認識されていない行為もある、という特徴を持つ交通違反は、心理学的には「価値基準の混濁」が起こりやすい。 「価値基準の混濁」とは、何がやってもよいことで、何がやってはいけないことかが明確に認識されづらく、その場の状況や判断、文脈によって、基準がコロコロ変わり一定しないことを指す。例えば、同じ人間であっても、仕事で急いでいるときは、制限速度を上回るスピードを出していても罪の意識は薄い。一方で、休みの日で急いでいないときなどは、一時停止や歩行者の存在、スピードメーターにも相対的に強く意識が働いており、順法精神が普段より保たれている場合もあるだろう。「あおり運転」二つの分岐点 その意味では、客観的には異常行動で、常軌を逸しているように見える「あおり運転」も、当の本人からすると「自分は早く行きたいのになんで前のクルマはこんなにトロいんだ」「なんで早くどかないんだ」「あおられて当然だ」と思い込んでしまう。その行為のただ中にいる際は、特に「悪いのは相手。私の行為はおかしなことではない」と自分を過度に正当化し、「危険性の判断」の優先度も低くなってしまっているのである。 しかしながら無論、価値基準の混濁が生じているからといって、すべての人に「あおり運転」のような危険行為が伴うわけではない。 その一つの分岐点は、個人のストレスへの易反応性(反応しやすさ)である。そもそも、運転している状態が、基本的には人間の心理・身体的にはストレスフル(多くの負担がかかる)である。 言うまでもなく、運転中はさまざまなことに気を配る必要があるからだ。まず前を見て、アクセルワークをして、前車との距離を調整し、かつルームミラーやサイドミラーで後ろや横を確認する。さらにはスピードや標識を確認し、時には目的地までの道のりを考えたり、時間に間に合うかどうかのタイムマネジメントも意識しなければならない。 注意力には人それぞれのキャパシティーがある。気を配るべき対象が多くなっている状態で、前のクルマが遅いといったさらなる心理的ストレスがかかると、脳の中で理性的かつ論理的で自制心を働かせる前頭前野の力は働きにくくなる場合がある。 そのため、怒りなどの感情に率直な、衝動的な行動が出やすくなるのである。仕事で疲れていない朝は理性的に運転できても、疲労した帰りの運転は荒い、という場合も衝動性をコントロールしきれなくなっている脳の機能低下が疑われる。対向車線にはみ出して進路をふさごうとするトラック(JAFメディアワークス提供、画像の一部を処理しています) また、ストレスがかかると、身体的には「緊急反応」という、ストレス事態に対して身体的な能力を一時的に向上させ、対抗しようとする状態が生じる。具体的には、血圧や体温が上がり、心拍が早くなるなどの交感神経系の緊張と、アドレナリンの分泌が促進される。このことが、怒りの感情が生起しやすい身体的背景である。 もう一つの分岐点は、欲求阻害状況への耐性である。つまり、自分の運転やクルマに対して求めるものや考えが、他者によって阻害されたときに、その状況にどれだけ耐えられるかということである。もし耐性が低ければ、暴走、あおりといった危険行為につながりやすいと考えられる。あおり耐性を簡易的に数値化してみる そこで、個人の耐性を簡易的に数値化してみよう。下記の「運転やクルマに対して求めるもの(個人のスキーマ・図式)」の各項目に「どれだけ自分の考えに当てはまるか」を100点満点で、「他者からの阻害要因(怒り・不快の誘発因)」の各項目に「どれだけ怒り・不快感を抱くか」に100点満点で点数をつけ、それぞれの10項目の平均得点を掛け合わせる。その結果、掛け合わせた点数が高ければ高いほど、欲求阻害状況への耐性が低い、つまり「あおり・暴走運転」をしやすいと考えられる。<運転やクルマに対して求めるもの>・クルマの中は自分だけの落ち着くける空間である・クルマは自分の思い通りに移動できる・クルマでの移動はすぐに目的地に着けるものである・自分は運転の上級者だと思う・自分の運転で他人に迷惑をかけることはない・クルマの中は安全で他人に侵されることはない・自分のクルマと違う属性のクルマ(例:自分は乗用車、相手はトラックなど)に怒りを感じやすい・運転中に怒りを感じたときに、怒りの発散対象や仕返しの方法がイメージできる・信号が青に変わったら極力間髪入れずに発進すべきだ・できるだけスピードが出る道を走りたい<他者からの阻害要因>・急な車線変更や割り込みをされる・身に覚えがないのにクラクションを鳴らされる・追い越し不可の道で前のクルマが低速走行し続ける・2車線の道路で両車線のクルマが並行して低速走行している・自分のクルマがすっぽり隠れるくらいの車高の高いクルマに前方視界を遮られる・低速走行しているわけではないのに、過度に車間を詰めて走行される・後ろを走っているクルマのライトがまぶしい・他車のオーディオやエンジン音がうるさい・前のクルマが不必要にブレーキを踏む・運転の下手なドライバーが多い そのほかにも、運転は生活上の文脈効果に左右されやすい。つまり、その日の生活状況や感情、運転前に蓄積した心理的ストレスに非常に影響を受けやすいことや、日頃から運転を通じて蓄積された怒りや不快感がある日突然爆発してしまうことがあること、プライベート感覚や匿名性が高まって喜怒哀楽の感情が表出されやすいこと、なども背景として挙げられる。 ちなみに、最後に付け加えておきたいのは、よく「運転すると人が変わる」と言われることがあるが、それは確からしくない。運転中の人物像も「その人そのもの」、つまり本質が出ていると言ってもよいし、別の一面が表出しているだけにすぎないのである。 ただ、「あおり運転」につながる個人の怒りやすさは、心理カウンセリングの一技法である認知行動療法的アプローチや、怒りを制御する「アンガーマネジメント法」などによって、自己コントロールできる場合も少なくない。少しでも自覚的に問題意識がある場合は、感情をコントロールするトレーニングも可能なのだ。(iStock) なお、当然のことながら、不法で危険なあおり運転は言語道断であり、一義的に悪い。とはいえ、あおりの対象になるクルマの中には追い越し車線を走り続けるなど違反にあたる走行をしていることもある。 一方で、違反でなくとも多くの他車にとって迷惑行為にあたる走行をしている場合もある。使い古された言葉ではあるが、やはり運転には、お互いを思いやり、譲り合う心と感覚、常に周囲に気を配れる注意力が必要なのではないだろうか。

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    「路上のクレーマー」あおり運転はこうすれば回避できる!

    が多い。他車を追い越すつもりなどないのに追い越し車線をゆっくり走り続ける車を見ることさえある。 道路交通法では、高速道路で追い越しが完了したあとも追い越し車線を走り続けるのは「通行帯違反」であり、立派な交通違反だ。一方で追い越し車線に居座る遅い車を走行車線、つまり左側から抜く行為もまた通行帯違反となる。一般道路とは車線のルールが違うのだ。(iStock) つまり片側2車線の高速道路で、追い越し車線に遅い車が居座っていると、その車両は永遠に追い抜けないことになる。こうした状況があおり運転を誘発する可能性もあるだろう。 この通行帯違反、高速道路では速度超過(スピード違反)に続いて多い違反になっている。昨年11月から制限速度が時速100キロから110キロに引き上げられた静岡県の新東名高速道路では、80キロに据え置かれた大型トラックの追い越し車線走行が禁止されたこともあり、重点的に取り締まりを行っているという。 冒頭に書いたように、あおり運転の多くは加害者側の感情のコントロールが主因と考えている。しかし、被害者側があおられる原因をつくり出さないこともまた大切なのである。

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    人工知能が危険運転を取り締まる日

    ) AIは自動運転に欠かすことの出来ない要素だが、それだけではなく航空機、宇宙ロケット、そして日々の交通機関にも大きな変化をもたらすと予測されている。 AIワールド・コンベンションでは、自動車、交通産業の未来へのAIの影響についてのパネルディスカッションが行われた。パネリストはエアバス・ベンチャーの投資パートナー、マリアナ・センコ氏、現在は自動車メーカーと自動運転に必要なシステム開発にたずさわるNVIDIA社の自動車部門上級部長ダニー・シャピロ氏、18カ月前にスタートしたばかりのベンチャーながら急速に業績を伸ばすNauto 社の創設者フレッド・スー氏の3名。 まず、航空機会社というイメージが強いエアバスだが、実際には航空機部門の他ヘリコプター、そして航空宇宙産業の3つの部門を持つ。そのエアバスのベンチャー部門では米シリコンバレーに1億5000万ドルの資金を持ち、将来が有望なベンチャー企業への投資をおこなっている。 NVIDIA社はゲーミングにGPU(グラフィックス プロセッシング ユニット=画像処理)を導入、その後スパコンを使って車関係のビジネスに乗り出した。現在ではフロントカメラ、レーダーなどからのデータを集約し、自動運転に役立てるシステムを構築し、自動車メーカーやサプライヤーと協力関係にある。 Nauto社はダッシュボードカメラのメーカーで、タクシー、トラックなどの商業ドライバーの行動をモニター、安全性を高めると共に事故が起きた際のドライブレコードなどのサービスを提供。同社ではカメラから得られた映像にAIをミックスして「ドライバーが不注意、危険運転をしている」と判断した場合に警告音を鳴らすなどの安全対策が多くの企業から評価されている。 司会者から現在急速に自動運転への試みが進み、11月に入るとUberが「1人乗りのEVによる都市型コミューター(自動運転)」「エアタクシー」という2つの提案を行ったことに関し、「今後3年間で交通はどのように変化すると思うか」という質問がされた。(iStock) シャピロ氏の答えは「3年後にはすべての市販車がなんらかの自動運転システムを備えているだろう。ボルボはすでにドライブ・ミーと名付けた100台の自動運転車両の顧客への貸出を中国などで2017年から開始すると発表した。自動運転システムにより道路は非常に安全になる」というものだった。 しかし、センコ氏は「自動運転の定義すらまだ各国政府により異なっているのが現状で、完全な自動運転車両が販売、実用化されるのはもっと先になる。それよりもドローンによる宅配サービスなど、地上の交通規制のない空の方が自動運転化は先になるのでは。エアタクシーが実用化になるかもしれない」と回答。 スー氏もやはり「自動運転の車を集積したデータにより現在よりさらにスマートにする、という段階が必要となる。また政府による認可も事故はドライバーの責任なのかメーカーの責任なのか、という点を含めて確定するまでに時間がかかるだろう」との意見だった。臓器移植にも影響が出る? 自動運転車両の実現は自動車メーカーに大きな影響を与えるが、保険会社への影響も大きい。ドライバーの走行距離とクルマ自身の走行距離に差が生じることも想定される。ヒトが運転した距離とクルマが自動運転を行った距離を分けて保険料請求を行うのか、など課題は多い。 もちろん自動運転が導入されても「自分で運転したい」と考える人は一定数存在するはずだから、そのようなドライバーには高額の保険料を課す、という考え方も生まれるかもしれない。なぜなら自動運転が導入されるなら、100%自動運転になった方が道路の安全性は格段に増す。 ただしスー氏とシャピロ氏は「ヒトからクルマへの運転主導権の移転」にはゲーミングのシミュレーションの適用が有効だ、という点で意見が一致する。完全自動運転はまず大学キャンパス内(米国では大学が広大なため、学生の移動のために学内バスが運営されているところが多い)などで実用化になるのでは、という見方だ。 また、日本では想像できない問題点も指摘された。「自動運転が導入され、事故が大幅に減った未来を考えるとき、医療にも変化がもたらされる」というものだ。その理由は「若いドライバーの交通事故死が減少する、ということは臓器提供も減ることを意味する。臓器不全を抱える患者の数は変化しないから、医療の場では移植以外の治療法を早急に見つけ出す必要に迫られるだろう」という。かなりショッキングな指摘ではあるが、これも自動運転の未来の一部なのだ。 センコ氏はエアバスが実際にUberと同様の1人乗りEVやエアタクシーの開発に乗り出している、とも明らかにした。現時点でこれらが実用を認められる可能性は低いが、開発してそこからデータを集め、システムを改良していく、という準備が必要なためだという。同氏によると2018年には貨物や宅配の分野でエアタクシーの実用は可能、20年には人を乗せるエアタクシーが実現しているだろう、と予測する。 また3人のパネリストが口を揃えた点は、こうした技術は「ネットワークに頼らない」という点だ。数年後に自動運転や自動航空機、ドローンを可能にするだけの高速かつ途切れのないインターネット網が実現する可能性は低い。こうした技術はマッピングデータに依存し、リアルタイムでなくともルートの詳細の把握、あとはセンサーによる障害物察知などがメインになる、という考えだ。(iStock) 確かに交通規制の少ない空の方が自動運転は導入が容易かもしれない。今年1月のCESで中国企業が「人を載せられるドローン」を発表して話題になったが、その考え方を進めればエアタクシーというのは非常に合理的な近未来の交通手段になるかもしれない。

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    危険運転致死傷罪と過失運転致死傷罪を分ける「法律の壁」

    円以下の罰金」と定められている。これは通常の人身事故と変わらない刑罰で、罰金刑で済む可能性すらある。交通事故に詳しい東京永田町法律事務所の加藤寛久弁護士が解説する。「交通事故には、最高20年の有期刑を科す『危険運転致死傷罪』があります。ただし、これを適用するには、運転手の行為が酩酊運転、高速度運転、未熟運転、妨害運転等に該当しなければならない」 一見すると石橋容疑者の行動は「妨害運転」に該当しそうだが、司直の見解は異なる。「危険運転致死傷罪が成立するのは、先の危険運転で“人を死傷させた”ケースです。今回の事故でいえば、石橋容疑者が妨害運転をしたと認定されても、彼自身が死傷させたと判断できるかどうか。ここに法的な難しさがあるんです。今後の捜査次第で危険運転致死傷罪に該当すると判断できる可能性もあるが、現時点では難しい。このため、警察は刑の軽い『過失運転致死傷罪』で逮捕したのだと思います」(加藤弁護士) 石橋容疑者が危険運転致死傷罪での逮捕ではなかったことについて、「事故のきっかけを作っておいて、なぜ?」と疑問が噴出している。『バイキング』(フジテレビ系)でも、坂上忍(50才)が「法の矛盾を痛感する」と憤り、山本譲二(67才)も「殺人だと思う」と断言した。 過失運転致死傷罪と危険運転致死傷罪を分ける「法律の壁」は、これまで何度も議論となってきた。 2000年4月、神奈川県座間市で検問から猛スピードで逃走した車が歩道に突っ込み、通行中の大学生2人を即死させる「小池大橋飲酒運転事故」が発生した。運転手は飲酒していた上、無免許だったにもかかわらず、判決は業務上過失致死罪で懲役5年6か月。 これに対し、遺族の母親が、「人を殺めながら窃盗罪(10年以下の懲役)より軽い罪なのはおかしい」と法改正を求める署名を始めた。2006年9月、福岡・海の中道大橋飲酒運転事故の現場で、犠牲となった幼いきょうだいの冥福を祈る人ら。裁判では危険運転致死傷罪の適用が争点となった 前年(1999年)には一家4人が乗る乗用車に飲酒運転の12トントラックが追突し、女児2人が死亡する「東名高速飲酒運転事故」が起きており、相次ぐ悪質な事故とそれに見合わぬ刑罰に国民の不満が爆発。遺族は37万人超の署名を集め、2001年11月、危険運転致死傷罪が成立した。 以降、悪質な交通事故が同法で裁かれるケースは確かに増えた。2006年8月、福岡県福岡市の「海の中道大橋」で、会社員の乗用車が飲酒運転の車に追突されて博多湾に転落。同乗していた3人の子供が亡くなる事故が起きた。当時22才の運転手に同法が適用され、最高裁で懲役20年の刑が確定している。関連記事■ 東名夫婦死亡事件 被害者母が告白「解明導いた長女の強さ」■ 千野志麻「逮捕されなかったのは著名人だから」との見方あり■ 東名死亡事故石橋容疑者 女性と一緒だと態度がひどくなる■ 死亡事故被害者遺族 千野志麻に「一生、憎みます」と告げた■ 娘を失った風見しんごが「人生どうにかしなきゃ」になるまで

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    「アンガーマネジメント」できていれば東名死亡事件なかった

     怒りは敵だと思え──。こんな諺があるように、「怒り」を表に出せば、人の恨みや反感を招き、最終的には自分の身を滅ぼしかねない。だが、こんな教えは理解しつつも人は「怒る生き物」であり、時に取り返しのつかない行動を取ってしまう。東名高速夫婦死亡事故で罪のない夫婦を死に至らしめたドライバーはその典型だろう。人生を狂わせないためには「怒りのタイプ」を知ることから始めることが重要だ。 もし彼が「アンガーマネジメント」を学んでいたら、この痛ましい事故は起きなかったかもしれない──。 15才と11才の姉妹を残して、両親が無念の死を遂げた東名高速夫婦死亡事故。今年6月、東京への家族旅行の帰路、静岡市在住の萩山嘉久さん(享年45)は、神奈川県の中井パーキングエリアの出口をふさぐように停車していたワンボックスカーに対して注意をした。これに激昂した運転手は、萩山さん一家の車を追跡すると、進路妨害を繰り返し、追い越し車線に無理矢理停車させた。 その直後、後方から大型トラックが一家の車に追突し、同乗していた姉妹は軽傷で済んだものの、萩山さんと妻・友香さん(享年39)は帰らぬ人となってしまった。 事故発生から4か月後の10月11日、悪質なあおり運転で事故の原因をつくったとして、ワンボックスカーの運転手である石橋和歩被告(25才)は過失運転致死傷罪で逮捕。だが、これに対して「罪が軽すぎる」などと議論が巻き起こり、萩山さんの母も本誌の取材に対して「これは殺人事件。容疑者を厳罰に」と悲痛な思いを訴えた。 そんな遺族感情に応えるように、10月31日、横浜地検はより刑の重い危険運転致死傷罪で石橋被告を起訴した。(iStock) だが、遺族の悲しみは消えるわけではない。石橋被告の犯した罪は重い。彼があのとき感情をコントロールすることさえできていれば、今も萩山さん一家は幸せな日々を送っていたはずなのだから…。 なぜ石橋被告はキレてしまったのか、怒りを抑えることができなかったのか。寝不足、スマホの使いすぎで怒りやすくなる寝不足、スマホの使いすぎで怒りやすくなる「怒りは瞬間的にスイッチが入ります」と語るのは、早稲田大学研究戦略センターの枝川義邦教授だ。 そもそも動物が「怒り」をあらわにするのは、身を守るための行為なのだという。「脳の『扁桃体』は、五感がキャッチした多くの情報が集まる場所で、好き嫌い、快不快、不安、恐怖、悲しみといったさまざまな強い感情が湧き出るときに働いている。そして、扁桃体がかかわる感情は立ち上がりが早い。感情を向ける対象者が敵の場合、目前の敵から逃げるか、戦うかの判断を早くしないとならないからです。目の前の敵に対するストレス反応ともいえます」 石橋被告は萩山さんを敵と認識し、攻撃に転じたのだろう。だが、本来、怒りは長時間持続することはない。「人間は怒っているときには交感神経が優位になるので、心拍数や血圧が上がり、呼吸も速くなる。このようなストレス反応は長期間続かないような仕組みが体に備わっています。交感神経とバランスを取るように副交感神経の活動が高くなったり、理性を司る脳の『前頭前野』が活発化し、その怒りにブレーキをかけようとする」(枝川教授) しかし、近年、石橋被告のように、そのコントロールができない人が増えている。「寝不足、スマホの使いすぎなどでも前頭前野の機能は低下します。ストレスホルモンである『コルチゾール』の分泌が増えることでも前頭前野の機能は低下することから、ストレスに晒され続けている人は理性のブレーキが利きにくくなり、怒りが爆発しやすくなるのでしょう」(枝川教授)(iStock) だが、「怒り」はコントロールすることができるという。「自分の『怒り癖』を自覚し、『アンガーマネジメント』すれば、今よりも生きやすくなるはず」と話すのは、日本アンガーマネジメント協会の安藤俊介代表理事だ。「アンガーマネジメント」とは、その名の通り、怒りの感情を自ら管理すること。「石橋被告も『アンガーマネジメント』できていれば、きっと事故は起こらなかった。2人の命は救えたはずだし、多くの人々の人生が変わることはなかった」(安藤氏)関連記事■ 東名死亡事故石橋容疑者 女性と一緒だと態度がひどくなる■ 怒りのピークは6秒程度 社会人失格の扱いを回避する対処術■ 東名夫婦死亡事件 被害者母が告白「解明導いた長女の強さ」■ 怒る原因は自分以外にあると思いがち 実は受け取り方にある■ 東名死亡事故被害者の母「私が生きてる間は外に出さないで」

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    運転をやめられない老人ドライバーに潜む認知症のリアル

    ーも免許更新に成功してしまうため、現在の制度では不十分であること、(3)認知症の原因により運転行動や交通事故の危険性に違いがみられること、(4)高齢者(認知症)の運転中止は本人のQOL(生活の質)や家族の生活にも影響が大きく、運転中断後の対策は不十分であること、であった。高齢者の運転する軽トラックで登校していた小学生らが巻き込まれた事故現場=2016年10月28日、神奈川県横浜市港南区 したがって運転継続が危険な認知症(痴呆)ドライバーを早期に診断・発見し、尊厳ある運転中断方法を作ることが重要であり、取り組むべき課題として、(1)認知症(痴呆)患者に適した正確な運転能力評価方法の確立、(2)認知症(痴呆)患者が運転を中断しても生活できる介護保険などを利用した社会資源づくり、(3)国家的な対策と省庁横断的なさまざまな専門領域の協力体制づくりが必要である、といった内容である。  現在さまざまな提言がなされているが、今振り返ってみても解決のための手法はほとんど変わっていないように思える。そしてたとえ高齢であっても、認知症のような病気があっても、運転免許は運転能力で評価・判断すべきである、ということである。 その後、高齢ドライバーに対する対応として、警察庁は2009年から75歳以上の高齢者の免許更新に際して、講習予備検査(認知機能検査)を導入し、記憶や判断力の低下が見られた場合は、認知症かどうかを診断する臨時適性検査を受けるよう義務付けた。このような制度は世界的にみても例がなく、充実した制度であるが、これまで認知症と診断されて免許の取り消しや停止となったケースは、65歳以上の高齢ドライバーが2014年に1600万人を超えたことを考えても、極端に少ないと言えるだろう。 2014年6月からは医師が認知症と診断した場合、任意で都道府県公安委員会に通報を行うことが可能となり、診断書提出により運転中断や免許停止とすることも可能となっているが、この任意通報制度の利用自体もまだまだ少ないといわれている。そこで2017年の3月からは改正道路交通法の施行により、臨時適性検査の対象が大幅に拡大され、講習予備検査で認知症と疑われた場合、すべての高齢者が医師の診察を受けるようになる。  数値的には現在年間200-300人程度が認知症かどうかの判断を警察から医師に要請されていたものが、新制度では年間6万5000人と100倍程度に著増すると予想されているが、認知症専門医の不足、行政コストの増大など懸念されている課題も多い。同時に、今回の改正はある面、認知症の早期発見・早期診断につながる可能性も大きく、一定の成果が期待されている。運転をやめられない高齢者  それでは日本ではいったいなぜ、世界にも類のない社会制度がつくられながら、認知症の人の運転の問題がなかなか解決しにくいのかを考えてみたい。 そもそも自動車事故による死者はほぼ毎年減り続けており、年齢層別でみれば比率は高齢者でも16―19歳の若者と大きな違いはなく、死亡事故自体の実数は40-44歳の世代が最も多いという統計データが存在する。したがって高齢者が特段事故を起こす危険な存在であるかのような報道のイメージで判断すべきではない、ということも一理あるのであろう。 私も認知症の人=走る凶器、といったことは全く考えていない。それは、認知症とはある日突然症状が出現し、数カ月後には寝たきりになるかのようなイメージがあるのかもしれないが、認知症の原因の過半数を占めるアルツハイマー型認知症では、発症からほぼ寝たきりの状態になるまで15-20年はかかるのであり、発症直後から常に運転が危険であるとはいえないと考えられる。  また最近は認知症予防ブームとして書籍やマスコミを通じたさまざまな予防方法が宣伝されている。「○○をすれば認知症が治った」といった類と同様に、外来診療において「運転をやめるとボケてしまう、認知症になってしまう」「運転をやめるとボケが進むから、運転はリハビリとして続けさせたい」というご家族に最近よく出くわす。ご家族にとっても藁にもすがる思いからの発言であろうと思われるが、筆者は運転をやめることが直接的に認知症を発症させたり、もしくは進行のスピードを加速するとは考えていないため、やんわりと「現時点では危険ではないと感じていても、今後認知症が進行して運転継続が危険になってからでは遅い。リハビリを勧めた人や書籍が事故の賠償金を補償はしてくれない」と説明するのだが、本人や家族の顔は納得していないと感じる。まだまだこの問題については正しい情報や正解があるわけではなく、医療者側にも存在しないことが阻害要因と思われる。  また、認知症の人とその家族に運転中断を医師として勧告してきた経験から言えば、運転自体は、公共交通機関の整備が脆弱である地方都市や中山間地域では、認知症の人のみではなくその家族の通院や生活必需品の購入といった地域生活に欠かせない存在であり、生きる権利を奪われることに等しいと認識されたり、ドライブが生きがいであったり、孫の送り迎えが家族への唯一の貢献でありその役割を奪われることへの抵抗を示す方もこれまで多数経験してきた。運転をやめた後、高齢者が地域で生きていく手段や生きがいづくりをなかなか提案することが難しい点も、この問題解決を阻害する要因であろう。  また見逃せないのは自動車運転とは実にさまざまな行政領域と関係していることである。運転免許は警察庁、自動車やカーナビシステムは経済産業省、自動車保険・自賠責・道路環境は国土交通省、民間保険は金融庁、病気は厚生労働省というようにさまざまな省庁にまたがっている。そのため、これまでは運転免許というと警察庁が主導であり、他の省庁と連携が取りにくかったため、認知症と自動車運転の問題を包括的に考え、解決策をとることができなかったことは想像に難くない。 例えば以前、認知症の人とそのご家族に事故の有無について調査を行い、気付かされたことがあった。事故を起こした認知症の人とは、スピードや右左折する場所などこと細かく助手席から指示を出す家族の場合であり、事故を起こしそうで事故がない認知症の人とは、家族が助手席からアドバイスをするにしても必要最低限で繰り返し指示を出さない傾向の人であった。  自分の経験でも、カーナビ付きの車で目的地を入力して出かけると、目的地周辺に着いたカーナビは「目的地周辺です、目的地周辺です」と繰り返し、慣れない初めての場所だとかえってパニックとなり、目的地周辺をぐるぐると回るだけでよそ見をするし、急停止をするしで事故を起こしそうな経験をしたことから、高齢者向けのカーナビなどは音声の出し方に工夫があってもいいのではないかと痛感した。いろいろな場所で講演をするたびに話をしているが、このようなカーナビはできたのだろうか? 自動運転の時代がもうすぐそこに来ているといわれているが、そこまでとは言わないまでも高齢者の老化に合わせた車造りや補助システムの工夫があってもいいと思う。  自動車は人が造った機械であり文明の所産であるのは間違いないが、それを動かすのは人間である。そして人間は高齢になると65歳以上の15%が認知症になると疫学調査でも判明している。認知症とは大脳の病気で、その原因は何種類もの病気から引き起こされるが、自動車運転の問題を考えるとき、やはり基本は認知症に対する正しい知識や対応が必要である。  私が尊敬する医師の一人である後藤新平は明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家である。その後藤が常日頃言っていた言葉に「社会施策は生物学の法則に従わなければならない」と述べている。その意味は「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉(ちしつ)し、状況に合わせた施政を行っていくべきである」とも解釈されている。  医師という立場であるが故に親近感から納得するのかもしれないが、認知症と自動車運転の問題解決には、単なるブームや社会問題化ではなく、もう一度基本に立ち戻り、認知症という病態を生物学的な法則という視点で経験や研究の成果を今後も積み上げ、継続していくことが大事であると考えている。昨年11月15日に安倍総理が最近多発する高齢者の事故対策を指示したと聞いている。これを機会に本当の意味での国家的な対策が、科学的研究や生物学の法則をもとに作られることを期待したい。

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    クルマへの思いが強い高齢者に運転を控えてもらう方法があった!

    衰えには個人差があるので、単純に年齢で区切ることについては賛成しかねる。今年3月に施行される改正道路交通法では、逆走や信号無視などの交通違反をした75歳以上のドライバーに臨時の認知機能検査を課すなどの内容になっているが、75歳未満でも危険な状況は起こるはずである。車両側でもできる原始的な対策 それに人間側ではなく、車両側での対策もできるのではないかと考えている。自動運転のようなハイテクではなく、原始的な方法でだ。一部の人が提案しているように、高齢者はマニュアル・トランスミッション(MT)車限定とすることである。 MT車はクラッチをつなぐ操作をしないと発進しない。つまりアクセルとブレーキのペダル踏み間違い事故は防げる。また加減速のたびにギアを切り替える必要があるなど、考えながら運転することが必須となる。考えながら運転することができなくなったら運転を控えてもらうという判断は理に叶っていると考えている。 問題はその結果、クルマの運転に適さないというジャッジが下った高齢者の移動をどうするかだ。東京ならともかく、公共交通が限られる地方都市では、移動の自由が奪われることに等しい状況になってしまう。 クルマを運転できなくなった高齢者の移動の足として親しまれている乗り物に、電動車いすがある。しかし日本の法律ではこれは歩行者扱いであり、最高速度は時速6キロに制限されている。これのすぐ上が時速100キロ出せる軽自動車というのは、あまりに差が大きすぎる。 欧州で暮らす人に聞くと、現地でも認知症が原因の事故はあるそうだが、MT車の比率が圧倒的に多いので、ペダルの踏み間違いは少ないはずだ。さらに免許を返納した人にも、代わりの移動手段がいくつか用意されている。 ひとつはさきほどの電動車いすだが、最高速度は国によって異なるものの、自転車に近い時速15〜20キロとしているところが多い。これだけで移動のストレスはぐっと減る。さらにその上には軽自動車がない代わり、それより小さなエンジンやモーターを積んだ超小型モビリティがある。 こちらは2つのカテゴリーがあり、最高速度が時速45キロに制限された低いクラスは運転免許がなくても乗れるので、高齢者の移動手段として根強い支持を受けている。高速道路は走れないので、悲惨な逆走事故を起こす心配も少ない。遠方へ行く際には、電動車いすや超小型モビリティなどで最寄りの鉄道駅やバス停留所へ向かい、そこから公共交通を使うパターンが一般的だ。 日本でも超小型モビリティは存在するが、専用カテゴリーが存在せず、使い勝手の良い2人乗りは軽自動車をベースとした認定制度という、中途半端なルールで運用されている。しかも原付扱いの1人乗りを含め、普通自動車免許が必要となる。免許を返納したら、時速6キロしか出ない電動車いすしかない。歩行中の事故死者、日本で突出する理由 日本は先進国の中で、交通事故死者に占める歩行中の事故死者の割合が極端に高い。2012年のデータでは、米国が14.1%、ドイツが14.4%なのに対し、日本は36.4%と倍以上になっている。そして歩行中死者の約7割は高齢者となっている。ちなみに電動車いすは歩行者に含まれる。ちょうどいい乗り物がないから歩くしかなく、その結果事故に遭うという状況が多いのかもしれない。住宅に突っ込み、炎上する高齢男性の軽乗用車。この事故で男性にけがはなく、住人は仕事で不在だった=2016年12月10日、三重県四日市市 もうひとつ日本と欧州で違うのは、都市の形である。日本は都市の範囲が広く、住宅が散在しているが、ヨーロッパは都市を抜ければ次の都市まで家ひとつ見ないことも多い。つまり生まれながらのコンパクトシティなのである。だから街中は歩行者中心、郊外は自動車中心という、道の役割分担ができている。歩行者が自動車事故の犠牲者になる確率は少なくなる。 しかも欧州の都市では、横断歩道の手前の路面に盛り上がりをつけて減速を促す「ハンプ」や、リモコンでポールを上下させることで車両の通行を規制する「ライジングボラード」などをひんぱんに見かける。歩行者優先の思想が徹底している。 対する日本は、スクールゾーンを設置しても通勤のマイカーが駆け抜け、重大事故が起これば集団登校や通学路の設定がやり玉に挙がる。恐ろしささえ覚えるほどの自動車優先がまかり通っている。  高齢ドライバーによる事故を完全になくすことはできない。でもそれを単独事故に留めることは可能かもしれない。小学生の列に突っ込んだり、コンビニに直撃したり、高速道路を逆走したりという悲惨な事例を減らすために、依然として多いMT車、低速モビリティの充実、コンパクトシティ、そして歩行者優先という特徴を持つ欧州の状況は、少しは参考になるのではないだろうか。

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    高齢ドライバー対策は限界? もうクルマを進化させるしかない

    小早川悟(日本大学理工学部教授) 近年、高齢ドライバーの交通事故のニュースには枚挙にいとまがない。高齢ドライバーの免許を強制返納させればよいといったような意見もあるが、高齢ドライバーの事故は複数の問題が複雑に絡み合っており、その対策はそう簡単ではないように思われる。 高齢ドライバーの事故の話をするときに、よく出てくるキーワードに「認知機能」という言葉がある。ドライバーは、「認知」→「判断」→「操作」という機能を繰り返しながら自動車を運転している。ここでの「認知」とは、周りの状況を把握するという意味であり、運転中に入ってくる様々な情報を受け取れている状態を示している。そのうえで、進むのか停まるのかといった「判断」を行い、最終的にブレーキやアクセルあるいはハンドルの「操作」を行っている。暴走して大破した高齢女性運転の車=2016年11月、東京都立川市 2017年3月から施行される改正道路交通法では、75歳以上の高齢ドライバーに対して、認知機能が低下した際に行われやすい一定の違反(信号無視や通行区分違反など)をした場合に、臨時認知機能検査を行うことが定められた。この場合の認知機能検査で使用されている「認知」という言葉は、前述した「認知」とは、若干ニュアンスが異なってくる。この臨時認知機能検査により、認知症のおそれがあると判断された場合には、臨時適性検査(医師の診断)を受けるか、主治医等の診断書を提出しなければならないとされる。 この改正により、これまでは運転免許の更新時にしか行われなかった認知機能検査が、ある一定の違反行為があった場合にも実施されることになり、より頻度の高い検査の実施が可能となった。また、臨時認知機能検査によって認知症のおそれはないものの検査の結果が悪くなっている場合には、臨時高齢者講習を行うこととなっている。 この仕組みは、基本的には認知症のおそれがある高齢ドライバーを探し出すことには有効であると考えるが、それ以外の高齢ドライバーへの対策としては不十分である。高齢ドライバーの特徴や事故発生状況等の分析を行うことで、「認知症」ではないが「認知機能が低下」している高齢ドライバーへの対策を今後さらに考えていく必要があろう。 今回の改正道路交通法では、認知症と認められた場合や臨時適性検査または医師の診断を受けない場合には、免許停止や取り消しを含む行政処分の対象となる。しかし、現状ではすべての高齢ドライバーに対して免許の「強制返納」をおこなうことは困難であり、あくまで「自主返納」に頼っている状況にある。 その理由のひとつに、都心部の人々は自動車がなくても生活していくことができるが、公共交通機関が発達していない地域で生活している人々にとっては自動車が生活必需品であることが挙げられている。公共交通機関の空白地域(または不便地域)の問題は、地方部の自治体が抱える大きな問題となっている。 もともと公共交通機関は、マス・トランジット(大量交通機関)を前提に考えられており、ある程度の利用者数が見込めないと維持管理をしていくことが困難となってしまう。そのため、民間の鉄道会社やバス会社が人口密度の低い地域で路線を維持していくことが困難となり、各自治体が税金を使ってコミュニティバス等を走らせている。自動走行自動車の実用化に残る課題 しかし、これらの交通機関の維持に関しても利用率の低さから税金の無駄遣いではないかといった議論が起こることが多い。このような問題に対しては、事前予約を行うデマンド式のバスに変更したり、タクシーの割引チケットを配布したりするといったような対応もあるが、コミュニティバスの撤退や路線変更には地域住民からの反対意見が多く、なかなかデマンド型のシステムが浸透するには至っていない。 免許を返納してもらうためには、地域の交通インフラや交通システムの整備が不十分な地域が存在しているということも合わせて考えなければならない。免許制度自体は交通管理者である警察が管理しているが、地域の道路や都市を管理しているのは各自治体にある都市計画課や交通対策課などであり、これらが連携して対策を検討していくことが重要であろう。 前述してきたような問題に対して、自動走行車が導入されることで、すべてが解決するのではないかという意見もある。確かに、自動走行車が街中を走りまわり、乗りたい所まで迎えにきて降りたい所まで運んでくれるのであれば、交通空白地域もなくなり交通事故の発生件数も大幅に減少することが予想される。 しかし、このような完全自動走行が実現するまでには、法律や制度面における問題や人々のコンセンサスの形成など、解決しなければならない多くの課題が存在している。出典:官民 ITS 構想・ロードマップ2016 表1は、2016年5月に公表された「官民 ITS 構想・ロードマップ2016」に掲載されている安全運転支援システム・自動走行システムの定義であるが、レベル4の完全自動走行までにはいくつかの段階がある。完全自動走行を目指すことは決して悪いことではないが、レベル1のような安全運転支援システムの更なる普及に対しても、もっと注力をしてもよいのではないかと考える。 わが国の交通事故死者数は、1992年以降減少傾向にあり、2016年は4000人を下回った。交通事故対策等により交通事故件数を減らすことが重要なことではあるが、シートベルトやエアバックという衝突安全対策の普及も、これまでの交通事故死者数の減少に影響を与えていることが明らかとされている。これと同様に、他者や道路施設等との衝突回避を行うシステムに関しても、もっと普及する必要がある。 これらの技術はすでに実用化されており、「認知」「判断」「操作」の能力が衰えてくる高齢ドライバーが運転する自動車にこそ、衝突回避のシステムが組み込まれた自動車が必要である。レベル4のような完全自動走行の技術開発を行っていく長期的な計画と合せて、レベル1のように安全運転支援システムの導入が推進されていく制度が必要ではないかと考える。

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    「走る凶器」老人運転は防げない?

    ブレーキとアクセルの踏み間違え、高速道路の逆走…。超高齢社会が加速する日本で、老人運転による痛ましい事故が後を絶たない。抜本的な対策として高齢者の免許を強制的に取り上げるべきとの意見もにわかに活気づくが、これにはやはり難題も多い。老人運転を「走る凶器」にしない方法はあるのだろうか。

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    高齢者の免許返納に伴う認知症リスク 識者「運転は脳トレ」

    て65歳を超えた高齢者の「免許自主返納」を盛んに促す状況が続いている。 来年3月に施行される改正道路交通法では、75歳以上の免許更新時の認知症検査体制が強化される。11月15日に開かれた政府の関係閣僚会議でも、この改正道路交通法の円滑な施行に万全を期すとともに、事故防止の対策を積極的に講じるよう指示が出された。運転は“脳トレ” だが、こうした動きのなかで、語られていない側面がある。それは「免許返納に伴う高齢者の健康リスク」だ。山梨大学大学院総合研究部の伊藤安海・准教授がいう。「自動車の運転は相当な刺激を脳に与える、いわば“脳トレ”になっています。ハンドルを操作するときは道や歩行者の状況など、短い時間内に多くの情報を処理・判断して動かなければならない。一つ判断を間違えると事故を起こしてしまう恐れがあるので、脳をフル回転させている。 実際にドライビングシミュレータ運転中の脳の活性度を計測してみると、80代の方でも運転中には若い年齢の人と同じくらいに活性度が上がっている場合が多く見受けられます。そうした“脳トレ”の習慣を急にやめてしまうと、一気に認知能力が落ちる危険性があるのです」 また、運転をやめることで買い物や病院通い、友人に会うといった行動が一気に減ると、同様に脳の機能を低下させる恐れがあると伊藤氏は続ける。「移動手段がなくなることで、引きこもりのような状態になってしまうリスクが増します。また、運転免許を持っていることは、“まだ自分も現役だ”というある種のプライドにつながっている場合もあるのです。 例えば80代の方でも、自分より高齢の人や足の不自由な人を車で郵便局や病院に連れていったり、孫の習い事の送り迎えをしたりすることで“歳をとっても社会の役に立てている”“必要とされている”と感じ、それが心の支えになっている場合が多い。 それを失うと“自分は生きていても役に立たない”“ただ面倒を見てもらって生きているだけ”などと自信を無くし、気持ちが沈みこむ。そうした気分の落ち込みは脳の機能低下につながります」返納だけでは不幸な事故は減らない 実際に免許を自主返納した後に認知症を発症したというのが、茨城県在住の85歳男性・A氏だ。A氏は「認知症予防のために」と69歳からゴルフを始め、自分で運転して地元のゴルフ場に通うのを楽しみにしていた。しかし、事故を心配した家族に説得され、昨年、半ば強制的に免許を自主返納させられた。A氏の長男がいう。「本人は『まだ自分は頭もしっかりしているし、車を取り上げられたら自由に動けなくなる』と怒っていました。しぶしぶ自主返納した後はゴルフに行く機会がめっきり減り、家でボーッと過ごす時間が増えました。しばらくすると認知症の症状が出始めた。免許を取り上げたのがいけなかったのか、と少し後悔しています」 埼玉県在住の87歳男性・B氏も、免許の自主返納後、健康状態に大きな影響が出た。B氏の知人の話。「このあたりはバスの便も少なく、車がないと出かけるのが大変。Bさん夫婦も以前は車に乗って隣町のスーパーに買い物に行ったり、公園の散歩なんかによく出かけていたけど、免許がなくなってからはほとんど家にこもりっきりで認知症の症状も出てきた。今では奥さんの病院通いもタクシーなので、“お金がもたない”と嘆いています」 免許返納によって認知症リスクが高まると、それが不幸な事故につながっていく可能性もある。認知症になった高齢者が免許返納したことを忘れて車に乗ってしまい、事故を起こすリスクがあると指摘されている。 具体的な対策としては、免許返納後も高齢者が不便を感じないような交通システムの整備を行なうことが不可欠だ。「住民の移動手段を確保するために地方自治体が提供しているコミュニティ・バスはまだまだ本数が少なくて不便。自動運転により走行本数を増やす、人工知能を使って上手な配車サービスのシステムを作るなど、少ない予算でも高齢者の活動が維持できるような環境作りが必要です。 高齢者向けの電動カートや電動車椅子のような自分で簡単に乗ることができる移動手段の導入も提案されていますが、その普及も進めなければいけません」(伊藤氏) そうした議論を置き去りにした「返納キャンペーン」だけでは、不幸な事故を減らすことはできないのではないか。関連記事■ 認知症の疑いある男性高齢者の6割が運転継続との調査結果も■ 高齢者ドライバー加害者親族 認知症検査は机上の空論と語る■ 高齢の夫の免許証を自主返納させたい 弁護士の見解■ 65歳以上高齢ドライバーに「免許返納」を促す取り組み進む■ 高齢者の運転免許 闇雲に取り上げると認知症誘発の危険性

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    老人運転は危険か 高齢者ドライバーの事故激増のウソを暴く

    死傷。十月二十八日には横浜市で軽トラックが小学生の列に突っ込み七人死傷。十三日にも小金井市と千葉県で交通死亡事故。運転していたのはいずれも八十歳以上の高齢者とある。こう続くと俺も運転するのが怖くなってくる。主:たしかに年を取ると、自分ではちゃんとしているつもりでも判断能力や運動神経がどんどん鈍ってくるからな。俺も気を付けるようにしてはいるけどね。客:しかしこの横浜の事件では、認知症の疑いがあったそうだ。認知症だったら「気を付ける」なんて次元の問題じゃないだろう。主:その人はいくつだったの。客:八十七歳。主:八十七歳かあ。そんなに高齢じゃ、認知症を疑われるのも無理はないな。家族がちゃんと監視して運転をやめさせるべきだな。客:いや、一人住まいだったのかもしれない。孤独な老人が増えてるからな。それに、認知症でなければいいのかというとそうも言いきれないだろう。あと数年で俺たち団塊も七十五歳だぞ。こういう事件がどんどん増えるんじゃないか。主:でも、地方の過疎地域なんかでは車がないと買い物にも医者にも行けない人が多いんだろう。簡単に免許返納というわけにもいかんじゃないか。客:自動運転車の早期実用化や地域の協力体制が求められるな。でも、それを待っているあいだにも事故は起きるだろうしな。だから、どうしても規制強化が必要だと思う。自信過剰は最大の敵主:いまの道交法では、高齢者の免許に対する規制はどうなっているんだっけ。客:七十五歳以上の免許更新時に認知機能検査をやって、「認知症の恐れがある」とされても、交通違反がなければ免許の取り消しとはならないんだそうだ。これははなはだ不十分だな。で一応、二〇一七年三月の改正道交法では、「恐れがある」場合には医師の診断が義務付けられて、認知症と診断されると免停か取り消しになることになってる。俺はこれでも甘いと思うよ。さっき言ったように、認知症でなくたって危ないからな。主:そうすると、君の考えでは、免許返納を制度面で強化することと……。客:うん。高齢者の自覚を促すキャンペーンを盛んにして、家族もこれに協力して自主的な免許返納のインセンティブを高める必要があると思う。俺ももうそろそろ免許証を返上しようかと思ってるよ。君も考えたほうがよさそうだぞ。自信過剰は最大の敵だ。主:なるほど。われわれは都会に住んでるから、車がなくてもなんとかやっていけるしな。でも俺の場合はいまのところどうしても必要だから、できるだけ慎重な運転を心掛けて、もうちょっと続けることにするよ。ところでこれはけっして自信過剰で言っているんじゃなくて、免許返納制度の強化というのにはちょっと異論があるな。客:どうして? 免許を更新するときにもっと厳しいテストを課せばいいじゃないか。主:それは口で言うのは簡単だけど、膨大な免許保有者に対していちいち時間のかかる厳しいテストを課すことが、いまの警察の限られた交通安全対策施設や人員で可能だろうか。客:それは、ITをフルに活かした最新鋭の診断システムを導入するとか、早急に増員を考えるとかすればいいだろう。主:それだって、そうとう時間がかかるぞ。君がさっき言っていたとおり、そういうシステムが整うのを待っているあいだにも事故は起こるだろう。しかも一律規制を厳しくして、テストに引っ掛かった過疎地の人はどうするのかね。客:……。高齢者が起こす事故は本当に多いのか高齢者が起こす事故は本当に多いのか主:じつは俺の異論というのは、いま話したような問題点だけじゃなくて、もっと根本的な疑問に関わっているんだ。昔と違っていまの時代は、ふつう想像している以上に元気な高齢者がわんさかいる。また、最近は車の性能がすごく進化しているから、歩いたり走ったりするのが困難な人でも精神さえしっかりしていればむしろ運転のほうが容易な場合が多い。そういう人たちの意思や行動の自由を拘束するのはあまりよくないと思う。身体障害者に対しては、条件さえ整えば健常者と同等に免許が取れるように制度が整備されてきたよね。精神は確かだけど体にガタがきている高齢者って、一種の身体障害者だと思うんだ。そうすると、たんに高齢者だからという理由で規制を厳しくするのは矛盾してないか。客:そうはいっても、その意思や行動の自由が、生命を奪うことになりかねないんだぜ。これは「個人の自由」を尊重するか、「生命の大切さ」を尊重するかという問題で、俺は無条件に「生命の大切さ」を選ぶね。だって、当の高齢者ドライバー自身の命も懸かってるんだし、たとえドライバーが命も失わず怪我も負わないにしても、人を殺めてしまったら、加害者やその家族のほうも計り知れない有形無形の苦痛を背負うだろう。主:待て待て。そう興奮するな。いま君の議論を聞いていて気付いたんだが、「個人の自由」か「生命の大切さ」かというような抽象的な二項選択問題に持って行く前に、もっと冷静に考えておくべきことがある。いままで俺たちは、高齢者ドライバーの引き起こす事故が増えていることを前提に議論してきたよな。でも、それって本当なのかね。客:だって、現にこんな短期間に八十歳以上のドライバーが次々に事故を起こしている事実が報道されているじゃないか。まさか君はそれを認めないわけじゃないだろう。主:個々の事故報道を疑っているわけじゃないよ。だけど、「超高齢社会・日本」というイメージがわれわれほとんどの日本人の中に刷り込まれていて、それに絡んだ問題点を無意識のうちに拡大して捉えてしまう傾向が、もしかしたらありゃしないだろうか。昔からよくいうよな、「ニュースは作られる」って。これはニュースの発信者と受信者が同じ空気を醸成していて、いわばその意味では、両者は共犯者なわけだ。発信者は「八十七歳の高齢者ドライバーによる死亡事故がありました」と報道する。聞くほうも、「えっ、それはたいへんだ。そんな高齢者に運転させるのは間違いだ」と即座に感情的に反応してしまう。そこから「規制をもっと強化しろ」という結論までは簡単な一歩だ。客:しかしごく自然に考えて、年を取れば取るほど生理的に衰えてくるから、運転の危険度も増すことは否定できないだろう。君だってそれは認めていたじゃないか。主:もちろん認めたよ。でもそれを認めることと、高齢者への運転規制を強化しろという結論を認めることとのあいだには、まだ考える余地があるといっているんだ。俺が何でこんなことにこだわるかというと、俺たちはマスメディアの流すウソ情報にさんざん騙されてきたからだ。たとえば旧帝国軍隊は韓国女性をいわゆる「従軍慰安婦」として強制連行しただとか、三〇万人に上るいわゆる「南京大虐殺」があっただとか、アメリカは自由・平等・民主主義といういわゆる「普遍的価値」のために戦ってきただとか、ヨーロッパを一つにするEUの理想は素晴らしいだとか、自由貿易を促進するTPPは参加国の経済を飛躍的に発展させるだとか、いわゆる「国の借金」が国民一人当たり八〇〇万円だから、財政を健全化させるために消費増税はやむをえないだとか、トランプ候補はとんでもない差別主義者で暴言王だとか……。だけど、これらはよく調べてみると全部デタラメだということがいまでははっきりしている。客:わかった、わかった。それが君の持論だということは俺も君の本(*注1)やブログ(*注2)を読んだから認めるよ。だけど高齢者ドライバーがもたらす危険性については、事実が証明しているんじゃないか。少し疑り深くなりすぎてやしないか。主:そうかもしれない。じゃ、ちょうどパソコンの前に座っているから、はたして高齢者ドライバーが起こす事故が、他の世代に比べて多いかどうか調べてみようじゃないか。客:もとより異存はないよ。(主、しばらくパソコンを操作する)マスメディアの情報に踊らされてはダメマスメディアの情報に踊らされてはダメ主:まず、こういう資料が出てくる。内閣府のデータ(*注3)だが、交通事故の「死者数」はここ十三年間減少の一途で、平成二十五年では四三七三人、うち六十五歳以上の死者は二三〇三人で、やはり減少気味だが、他の世代の減少カーブのほうが圧倒的に急なので、交通事故死者全体の中で占める割合としては増加していることになる。でも、これは「被害者」のほうだからね。歩いている老人がはねられるというケースが多いんだろう。 このことは別の資料(*注4)に当たってみると確かめられる。歩行中が一〇五〇人くらいで、約半数。自動車乗車中は六〇〇人から七〇〇人のあいだを推移していて横ばいだ。「乗車中」ということだから「運転中」はもっと少ないことになるよね。いずれにしても、「高齢者は交通事故に遭いやすい」ことは当然で、それは高齢者ドライバーが他人を殺める割合が高いかどうかとは直接の関係がない。でも世間では「高齢者は危ない」というイメージを抱いていて、そのことと、「高齢者ドライバーは事故を起こしやすい」という先入観とを混同しているんじゃないかな。だから報道の関心がそちらのほうに集中して、そういう事件を好んで取り上げるようになる。どうもそう思えるんだけどね。客:先入観か事実かどうか、まさにそこを調べるわけだろ。主:そのとおり。その前に、君が初めに挙げた五つの事故の「死亡者」は、全部合わせると六人になる。約一カ月のあいだに六人という数字は、年間に換算すると七〇人余り。亡くなった方には不謹慎な言い方になって申し訳ないが、この数字は、現在の年間交通事故死者総数約四〇〇〇人という数字に比べて多いといえるだろうか。割合にするとわずか一・八%にしかならないよ。もっとも八十歳以上の高齢者ドライバーの数はすごく少ないだろうし、また報道されない事故があった可能性もあるけどね。客:もう少しびしっと結論付けられる資料はないのかな。主:それをいま探しているところだ。……あった、あった。これは少し古いが決定的だ(*注5)。丁寧に読んでみてくれ。(一部語句、改行など変更) 平成二十四年の六十五歳以上のドライバーの交通事故件数は、一〇万二九九七件。十年前の平成十四年は八万三〇五八件だから、比較すれば約一・二倍に増えている。これだけを見ればたしかに「高齢者の事故は増えている」と思ってしまうだろう。しかし、六十五歳以上の免許保有者は平成十四年に八二六万人だったのが、平成二十四年には一四二一万人と約一・七倍となっている。高齢者ドライバーの増加率ほど事故の件数は増えていないのだ。 また、免許保有者のうち六十五歳以上の高齢者が占める割合は一七%。しかし、全体の事故件数に占める高齢者ドライバーの割合は一六%で、二十代の二一%(保有者割合は一四%)、三十代の一九%(同二〇%)に比べても低いことがわかる。 年齢層ごとの事故発生率でも比較してみよう。平成二十四年の統計によれば、十六~二十四歳の事故率は一・五四%であるのに対し、六十五歳以上は〇・七二%。若者より高齢者のほうが事故を起こす割合ははるかに低い。この数値は三十代、四十代、五十代と比較して突出して高いわけでもない。 また、事故の〝種類〟も重要だ。年齢別免許保有者一〇万人当たりの死亡事故件数を見ると、十六~二十四歳が最も高く(八・五二人)、六十五歳以上はそれより低い件数(六・三一人)となっている。客:うーむ。主:つまり、これから推定できることは、認知症の人は別として、高齢者は概して自分の心身の衰えをよく自覚していて、また経験も豊富なので、慎重な運転を心掛けているということになる。だから、マスメディアの流すイメージを鵜呑みにして、「高齢者の免許証を取り上げろ!」などと乱暴なことを言う人が多いけど、それはナンセンスだな。俺のドライバー歴は約三十年だけど、俺も若いころのほうが事故を起こしていたよ。ここのところけっこう車を使っているが、十年ばかり無事故だ。でもたしかに自信過剰は禁物だね。また一口に高齢者といっても、六十五歳と七十五歳と八十五歳とでは衰え具合が全然違うだろう。その辺のきめ細かな分析視点も大事だと思うよ。客:うーむ。マスメディアの流す情報に踊らされてはダメだということだな。俺も免許証返上や規制強化論については、少し考え直すことにしようか。こはま・いつお 批評家。1947年、横浜市生まれ。横浜国立大学工学部卒業。 2001年より連続講座「人間学アカデミー」を主宰。家族論、教育論、思想、哲学など幅広く批評活動を展開。現在、批評家。国士舘大学客員教授。著書に、『日本の七大思想家』(幻冬舎新書)、『デタラメが世界を動かしている』『13人の誤解された思想家』(ともにPHP研究所)など多数。関連記事■ 「サンデーモーニング」の何が気持ち悪いのか■ 救急医がすべきこと、すべきでないこと―「命」の現場での判断■ 【危ない!韓国】日韓合意というデタラメ

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    強制力がなければ防げない! 高齢者の自動車免許返納を制度化せよ

    とが必要でしょう。 それこそ年間の自動車税とガソリン代と同等の代金を払い込むことによって地域での公共交通の無料化という施策なんかどうでしょうかね。補助の額はかなり減らせると思うのですが。どちらにしても何か動かないと、悪化するのみです。(「中村ゆきつぐのブログ」より2015年10月31日分を転載)

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    タクシー運転手は実質定年なしの現状 暴走対策は万全か

    にあたる年齢だが、タクシー業界ではまだ“現役バリバリ”でハンドルを握っている世代だ。2014年に国土交通省が発表した調査によれば、タクシー運転者の平均年齢は58.7歳で、全産業労働者の平均42.9歳と比べると15歳以上も高い。 では、タクシー運転手に定年はないのだろうか。「法人タクシーの事業所に就職した運転手は社員扱いなので、一般企業と同じように60~65歳を定年に定めている会社が多い。だが、定年を迎えた後でも1年更新のアルバイト(嘱託)として働ける事業所がほとんどで、運転に問題がなければ75歳程度まで働き続けられる仕事といえる」(経済誌記者) 定年後にタクシー運転手に転職する人が多いのは、こうした門戸の広さにあるといえる。 しかし、いくら運転に自信を持っている人でも、年齢を重ねることで、知らず知らずのうちに長時間の運転に耐えられる体力や咄嗟の判断力が衰え、大きな事故に繋がるケースが多々ある。それは乗務経験の長いプロのタクシー運転手でも例外ではない。 東京・下町界隈を流す50代のタクシー運転手が語る。「ウチの事業所も高齢化が進み、私より年上のドライバーはたくさんいますが、やはり年を取れば取るほど事故を起こすリスクが高まります。 交差点での人や自転車の巻き込み事故や、視界不良の夜や雨の日の追突事故、無線呼び出しに焦ってアクセルとブレーキを踏み間違え、電柱や民家の塀に突っ込むなど、様々な事故報告を聞きます。深夜に道路上で寝ている酔っ払いに気付かずひいてしまったなんて事故もありました。 細心の注意を払っていれば未然に防げた事故もたくさんありますが、やはり年を取るに従って判断力や認知力が鈍ってくることは確か。歩合制で過酷な勤務スタイルを強いられていることも要因だとは思いますが……」高齢ドライバーに忍び寄る突然死 法人タクシーの勤務形態は、1回の乗務で8時間ほど運転し、月22~24回乗務する「日勤」のほか、20~30時間のインターバルを挟めば最大21時間(3時間の休憩含む)連続で運転できる「隔日勤務」がある。ほぼ丸1日運転に従事していれば、タクシードライバーでなくても疲労が溜まるのは当然だ。「どうしても不規則な生活で運動不足になりやすく、肥満体型の運転手も多い。会社からは定期健診のほかに、メタボ改善のプログラムや無呼吸症候群の検査なども勧められますが、なかなか病院に通う余裕がありません。 乗務当日の健康状態は、行きと帰りの『点呼』の際にちょっとした体調の変化でも報告することが義務付けられています。 特に高齢ドライバーは風邪っぽいと言うだけで休まされることもありますが、先日の事故のように突然死までは防ぐことができません。乗務中ではなく自宅の風呂場で倒れてそのまま亡くなる運転手の話もよく聞きますし、それだけ不健康になりやすい仕事であることは確かです」(前出の50代運転手) とはいえ、業界を問わずに進む労働者の高齢化や、慢性的な人手不足を考えれば、タクシー業界の高齢化もさらに深刻になる恐れがある。「高齢ドライバーの運転技能講習を頻繁に開いたり、より厳しい健康状態のチェックを徹底することはもちろん、不測の事態を避ける対策は必要不可欠といえる。自動ブレーキなど運転支援システムの標準装備、場合によっては運転手以外でもボタンを押せばクルマが止まる『緊急停止装置』も交通事故防止に役立つかもしれない」(前出・経済誌記者) いま、人々の移動手段の進化形として、一般ドライバーでもタクシー運転手になることができる「ライドシェア(相乗り)」サービスの解禁が叫ばれている。だが、人命を預かるサービスである以上、高齢ドライバーの“暴走対策”の観点も含め、安全議論を尽くさなければならない。関連記事■ 年収の官民格差 バス運転手は公務員677万円、民間435万円■ 年収1000万円のタクシー運転手 イベントをネットでチェック■ 静岡にバーベキュータクシー登場 ゴミも持ち帰ってくれ好評■ タクシー運転手の卵は読モ兼タレント女性 「優しく見守って」■ タクシーから「道のわからない運転手」なくす3つの方法

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    自動運転の覇権狙うグーグルに待った! トヨタの「仁義なき逆襲」

    ュニケーション・モジュール(DCM)と呼ぶ通信端末を標準搭載して、インターネットにつなぐという。G7交通相会合でトヨタ自動車の自動運転車に乗り込む米フォックス運輸長官。日本政府関係者が固唾をのんで見守る=9月24日、長野県軽井沢町 このほか、トヨタは16年5月に提携したライドシェア大手の米ウーバーテクノロジーズとともに、個人間のカーシェアリング事業にも力を入れる方針だ。 アップルやグーグルが自動車産業を牛耳る日はやってくるのか。あるいは、既成の自動車メーカーが今後とも覇権を握るのか。次世代車のプラットフォームの構築をめぐる競争には、自動車メーカーの生き残りがかかっているのは間違いない。

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    こんなクルマ本当にいるの? 実は誰も望まない「完全」自動運転車

    り引く、あるいはタダにしてしまうといったことも理論的には可能となる。 東京のタクシー最大手である日本交通の川鍋一郎会長は、ITを使った無料タクシーについてすでに言及しており、これは決して空想上の話ではない。AI(人工知能)が普及してくれば、スマホの方から「○×に行きたくありませんか?無料タクシーを呼びましょうか?」などとアドバイスしてくることになるかもしれない。 一連の技術やサービスが普及すると、社会における人の動線が変化する可能性がある。冒頭で小売店や外食産業にも影響があると述べたのはこうした理由からだ。当然、行政による街作りも変わってくるだろう。存続が困難になる既存の損害保険 自動運転社会では、空いている駐車スペースをシステムが検索し、自動的に駐車スペースに移動してくれる。商業施設や公共施設が広大な駐車スペースを確保する必要はなく、車の台数分の駐車場だけが一定範囲に存在すれば事足りる。 自動運転車が普及すれば非常に便利な社会になりそうだが、多くの人が懸念しているのはやはり安全性だろう。自動運転車の安全性がどの程度なのかについて、まだ完全な答が得られている状況ではない。 自動運転車の実証実験中にグーグルが交通事故を起こしたことや、運転支援システム(厳密には自動運転ではないが)を搭載していたテスラモーターズの車が死亡事故を起こしたことなどが報じられ、一部の人は自動運転に対して強い警戒感を持っている。 米バージニア工科大学の調査では、グーグルの自動運転車の事故率は、一般的な公道での事故率より低いという結果が出ている。事故率の数字はどこまでを事故と捉えるのかで大きく変わってくることや、調査がグーグルの依頼を受けて実施されたことなどを考えると、この結果は、ある程度、割り引いて考える必要があるだろう。ただ、自動運転車の事故率は、人が運転することに比べて突出して高いというわけではない。グーグルが公道での走行試験をしている自動運転車 一部の識者は、自動運転が普及すれば、高齢者や若者による暴走事故、飲酒運転による事故を激減できると主張しているが、この考え方に一理あるのも確かだ。 事故そのものの確率もさることながら、その責任問題をどうするのかについても十分なコンセンサスが得られているとはいえない。自動運転の場合には、すべてメーカー側が責任を負うという考え方もあるが、もしそうなってしまうと、既存の損害保険会社は存続が難しくなってしまうだろう。損保会社は売上げの多くを個人の自動車保険に依存しているからである。 自動運転車は都市インフラの設計にも影響を与える極めて公共性の高い技術である。最終的にこの技術をどう活用するのかについては、国民的議論を重ねた上で決めていくしかないが、残された時間は意外と少ない。冒頭でも述べたように、自動運転車が目の前に現われてくるまであと数年である。

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    「自動運転社会」になっても、高齢者が幸せになるとは限らない

    高齢者が皆、幸せな毎日を送れる」という筋書きに対して、筆者としては違和感がある。 地域社会の中では、交通を含めて「自助・公助・共助」という理念が今後も必要不可欠。その中で、地域交通のすべてが自動化されるのではなく、地域の諸問題が解決できうる場合に限って、自動運転を適合する努力をするべきだ。あくまで自動運転は近未来の交通の「方法論の一つ」に過ぎない。G7交通相会合でトヨタ自動車の自動運転車に乗り込む米フォックス運輸長官。日本政府関係者が固唾をのんで見守る=9月24日、長野県軽井沢町自動運転は大きく2つに分類 自動運転について論じる際、基礎知識として知っておいて頂きたいことがある。それは、自動運転には大きく2つの種類があることだ。一般的に、この認識がないため、自動運転に関する勘違いが横行し、その結果として多くのメディアが自動運転に関する最新の動向を正しく伝えていない。 順を追って説明すると、一つ目の自動運転とは、ADAS(アドバンスド・ドライバー・アシスタンス・システム)進化型である。最近の新型車には、「自動ブレーキ」と呼ばれることが多い衝突被害軽減ブレーキ、前車との車間距離を一定に保つクルーズコントロール(アダプティブ・クルーズ・コントロール)、そして車線逸脱防止装置などが標準装備されている。そうした機器の総称がADASだ。自動車メーカーは、このADASの機能をさらに向上させることで、運転の自動化の度合いを徐々に引き上げていく計画だ。 その度合いについては現在、アメリカの自動車技術会(SAE)が2013年に設定したレベル0~レベル5という区分けを採用することが多い。日本はこれまで、政府も自動車メーカーも米運輸省が2013年に設定した、レベル1~レベル4を使用してきた。だが、米運輸省が2016年9月に自動運転のレベル表記をSAE方式へ転換すると発表したため、日本でも今後はSAE方式が採用される。 つまり、ADAS型自動運転の開発とは、手動運転のレベル0を基点に、人間が運転の主体となるレベル1~3を経て、レベル4~5というシステムが主体となる高度な自動運転を目指すのだ。現在、ADAS型を推進しているのは、既存の自動車メーカーだ。『日産セレナ』の「同一車線・自動運転機能」、また米テスラ『モデルS』『モデルX』や独ダイムラー『メルセデスEクラス』の「自動運転機能による車線変更」などは、レベル2に相当する。レベル3から4への大きな壁 一方で、最初からレベル4ないしはレベル5を狙う開発を進めるのが、完全自動運転型。または、無人運転(=ドライバーレス)型ともいう。こちらを推進する代表例は、米グーグル(親会社はアルファベット)。日本では、DeNAの「ロボットタクシー」や、ソフトバンクの「SBドライブ」など、ベンチャー企業が積極的に開発を進めている。こうした、「ADAS進化型」と「完全自動運転型」それぞれについて、日本の政府は来年度から3年間に渡り、公道などでの実証実験を行う。そのため、来年になると、メディアはこぞって同実証実験の模様や今後の動向について報道するはずだ。レベル3から4への大きな壁 現時点で、日系自動車メーカーは完全自動運転型について否定的な立場をとっている。それは至極当然のことだ。なぜなら、完全自動運転は、ADAS進化型における「最終到達点」であり、達成目標は2025年以降に設定しているからだ。 ADAS型の開発に、どうしてそれほど時間がかかるかというと、レベル3とレベル4の間に、技術的に大きな壁があるからだ。レベル3までは、クルマの操縦の管理の主体はドライバーにあるが、レベル4からはシステム(=クルマの制御系統)が主体となる。そのため、レベル3とレベル4との間では、管理責任の所在が行き来することになる。 そのなかで、課題はレベル4からレベル3に戻る時だ。この場合、ドライバーが寝てしまっているケースが考えられ、手動運転への復帰を確実に実行することが難しい。自動車メーカー各社は、車内のモニタリングを徹底する研究などを進めている段階だ。 一方の完全自動運転型については、レベル4またはレベル5のみの走行であり、面倒な手動運転と自動運転の切り替え作業がない。IT企業はこの点に注目しており、「専用空間で、遠隔操作(または管理)を前提に行えば、ADAS進化型より安全性は高く、コストは安い」と主張している。グーグルが公道での走行試験を行っている トヨタ自動車の「レクサス」をベースとした自動運転車。 以上のように、自動車メーカーとIT企業がそれぞれ独自の自動運転事業の開発計画を練っているなか、自動運転技術や、自動運転の道路交通法の解釈に関する基準化の議論が進んでいる。 その舞台は、国際連合の欧州経済委員会(UN-ECE)における、自動車基準調和世界フォーラムだ。自動車の安全・環境基準についてはWP29、また自動車の道路交通規則についてはWP1と呼ぶ枠組みで参加加盟国が議論が重ねている。そのなかで、日本は重要なポジションを確保している。 だが、こうした基準化とはまったく別に、アメリカではIT系企業が連邦政府に対する積極的なロビー活動を続け、自動運転技術に関するデファクトスタンダード(事実上の標準化)を握ろうとする動きが目立つ。 さらには、来年1月以降のトランプ政権において、アメリカの強みとして自動運転のデファクトを政府自らが推し進める可能性も十分にある。これから先の数年間、自動運転に関する動向から目が離せない。

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    「完全自動運転」のとんでもない未来

    自動運転車革命の時代がいよいよ幕を開ける。世界各国の自動車メーカーが技術開発に注力する中、日本でも国を挙げてのルール作りや普及を後押しする動きが本格化した。ただ、お察しの通り、自動運転車の実用化にはさまざまな死角もある。「完全自動運転」社会の到来は、本当に明るい未来なのだろうか。

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    タクシーの日本交通とトヨタが組んだワケ

    )といった新しい移動手段が登場する「移動革命」が起きつつある中で、タクシー・ハイヤー業界最大手の日本交通の川鍋一朗会長は、このほど日本記者クラブで講演、「配車アプリなどITを活用して世界最高のタクシーサービスを提供できるようにしたい。これからのタクシー業界はスマートフォンを使って呼べる時代に、さらには自動運転の時代になっていくだろう。今後10年、15年かけてこの変化を乗り越えていかなくてはならない」と述べた。 「ウーバー追撃」iStock 日本交通はタクシー業界の規制緩和が進む中で、国際的にも高いとされる東京都23区(武蔵野市、三鷹市を含む)のタクシー初乗り運賃を現在の730円を410円に引き下げる申請をするなど、タクシー業界を新しい方向にリードしてきた。来年10月にはタブレット型パソコン端末を積んだ「ジャパンタクシー」が東京に登場するそうで、このタクシーは外国語の自動翻訳が可能で、利用者がタブレット上で行き先を指定すれば目的地まで行ってくれて、クレジット決済ができる。川鍋会長は「タクシー専用にトヨタ自動車が開発した。車内のスペースは広く、お客様に送風する風を調整でき、座席暖房もできるなど細かいサービスが行き届き、しかも初乗りが410円で、間違いなく世界一のタクシーサービスが提供できる。 ロンドンの『ブラックキャブ』やニューヨークの『イエローキャブ』と比較しても価格競争力がある。(この車の開発には)東京都からも予算をもらっており、東京オリンピックまでには東京で走っているタクシーの3台に1台はこの車に変えたい」と抱負を語った。配車アプリの現状については「日本交通はボディーに『アプリで呼べる』と書いたタクシーを走らせている。すでに日本のタクシーのうち4万台がアプリ配車のできるタクシーだ。来年の2、3月にはこれに東京無線のタクシー4千台が加わるし、個人タクシーも入ってくる。配車アプリでいまはウーバーが先行しているが、どんどん追いついている」と指摘、「ウーバー追撃」の動きが強まっている。 このほか、規制緩和とアプリ配車の実現により、来年以降には乗車前に運賃を事前に決める「前決め運賃」や、急に雨が降ってタクシーが捕まらないときに少し割増料金を払うことにより捕まりやすくなる「ダイナミックプライシング」、相乗りなどのタクシーの新しいスタイルが登場してくるという。東京五輪までに自動運転タクシー東京五輪までに自動運転タクシー 自動運転車については「自動運転の車が出て来ると、タクシーは要らなくなるのではと思われるが、お客を運べるのは旅客運送事業の免許をもらっている我々しかできないので、タクシー会社が自動運転をやれば勝てそうと思った。そこで、自動車メーカーで最も強くてタクシーの8割の比率があるトヨタと全国ハイヤー・タクシー連合会が今年8月に自動運転車の開発に関して覚書を交わした。20年の東京五輪までにトヨタが開発した自動運転タクシーのデモを行う。 自動運転に必要なデータは毎日4千台のタクシーを走らせている日本交通が最も蓄積しているので、トヨタのデータリサーチ会社に送って分析してもらう。これを使って再来年までに東京の3D地図を作成する」と述べ、自動運転タクシーの実現に向けて準備を進めていることを明らかにした。 自動運転のタクシーは、今年9月に米国のベンチャー企業がシンガポールで試験走行を開始、ウーバーも同月に米ピッツバーグの路上で試験走行を開始している。 AI(人工知能)の活用については「渋滞した際にどの道を走るかはこれまではドライバーの経験に頼っていたが、AIを使えば簡単に最適のルートを選択することができ、テスト段階の現在、AIを活用することで売上が10%上がってきている。タクシーのコストの73%が人件費なので、AIを使って効率的に管理すれば、圧倒的な人件費比率を下げられる余地がある。その意味でタクシー業界はローマージンではあるが、新しいテクノロジーを使えば利益が拡大するチャンスがある。これを生かせるかどうかは経営者の私の才覚にかかっている」と述べた。アプリを武器に業界を再編 日本全体で24万台あるタクシー会社はオーナー企業が多く、その多くは先代の経営者が残っているため、アプリについての理解が乏しく、なかなか新しい時代に対応して動いてくれないという。川鍋会長は「その中で戦いたい人にはアプリという武器を渡して、業界再編をしていく中でタクシー業界をもう少し強くしたい。市場規模は年間1兆6千億円あるが、業界トップの日本交通の売り上げは5百数十億円でシェアは3%しかない。トップ企業のシェアがこれほど低い業界はほかにはない」と述べ、最新のテクノロジーを積極的に導入することで新しい時代を生き抜きたい方向を示した。 配車アプリサービスでウーバーとの違いは「日本交通はタクシーなので、ウーバーよりも圧倒的に捕まえやすい。ウーバーはハイヤー車両なので素敵ではあるが、料金はわが社の方が安い」と話し、競争力は十分あることを強調した。リスク許容度に違い ライドシェアが日本の都市部で認められない点には「ウーバーはタクシー事業者ではあるが、事故が起きた時などの事業者責任は負わないと言っている。このため、政治家や国土交通省は事業責任をだれが負うのかについて非常にリスクを感じている。国交省は今年1月に軽井沢で起きたスキーツアーバス事故以来、安全面などの規制を強化してきている。インターネットの世界なら、事業者責任を取らなくてもいいのかもしれないが、事故が起きたらだれが責任を負ってくれるのかということになるので、東京ではなかなか難しい。これが認可されない最大のハードルになっている。米国は車検もないし、国によって交通に関しての抜本的なリスク許容度が異なる。ウーバーのアプリは素晴らしいので良い面は吸収したい。しかし、素晴らしくないのは事業責任を認めないことだ」と述べた。 今年5月に京都府京丹後市でスタートした自家用車を使ったライドシェアについては「京丹後市か京丹後市が委託したNPO法人が事業責任を負うということで事業責任が担保されたので認可されている」と説明、ライドシェアが認可されるためには事業責任の明確化が求められるとの見方を示した。 自動運転車の登場によりタクシードライバーが必要なくなることに関しては「ドライバーは1年間に10%は入れ替わるので、10年間採用しないと、2、3割しか残らない。自動運転車はいきなり出てこないが、自動運転になってもヘルパー、ベビーシッター、観光案内など人間が関与する部分は残るので、若い新卒のドライバーにはキッズ(子供)、介護、観光のうちのどれかのプロになるように指導している」と述べた。川鍋一朗(かわなべ・いちろう) 1970年生まれ。慶応大学卒業後、米国の大学でMBAを取得、マッキンゼー日本支社を経て2000年に日本交通入社、05年に社長、昨年10月から会長。東京最大のタクシー会社の創業家3代目で、「タクシー王子」と呼ばれる。東京タクシー協会の会長も務める

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    世界の誰よりも早いロボットタクシーの事業化を目指す

    谷口恒(ZMP社長)【連載 経営トップの挑戦】第3回〔株〕ZMP代表取締役社長 谷口恒 2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでに、ドライバーのいない自動運転タクシーを実現させる。そんな大きな夢に向かって、政府のあと押しも受けながら突き進んでいるのが、ロボットタクシー社だ。同社はZMPとDeNAの合弁会社。カギとなる自動運転技術を担うのがZMPである。自動運転といえば、日米欧の自動車メーカーが開発にしのぎを削っている技術。その中で、ベンチャーであるZMPはどのような戦略を取っているのか。勝算はあるのか。ZMPの創業社長であり、ロボットタクシー社の会長も務める谷口恒氏にうかがった。ヒト型ロボットでやれることはやり切ったZMP・谷口恒社長 ――まず、ZMPを起業された経緯をお教えください。谷口 私は、メーカーと商社を経て、1999年にインターネットの会社を創業したのですが、翌年にITバブルが崩壊しました。会社への影響はほとんどなかったものの、「これからどうしようか」と思っているときに出会ったのがロボットでした。 取引先の方が文部科学省所管の科学技術振興機構の技術参与になられたので、そこでロボットを研究しているのを見に行ったんです。2足歩行をするものの、まだ頼りない感じではあったのですが、「ロボットには可能性があるな」と思いました。 2000年はロボットが世の中に出始めた頃で、人びとがその未来に心をときめかせていました。大きな夢があったのです。ソニーがAIBOを発売したり、ヒト型ロボットを開発したりしていて、ホンダもASIMOを開発していた。自分も、そんな大手企業がやっている事業に参加したい、という想いもありました。そこで、ロボット開発会社のZMPを設立したのです。 ――具体的に、ロボットでどういうビジネスをしようと思われていたのですか?谷口 初めの頃はあまり考えていませんでした。『PINO』(右写真)という高さ70cmの2足歩行ロボットを作ったのですが、そういうロボットは珍しいということで、イベントへの出演依頼が来たんですね。そこへキャスティングして、出演料をいただいていました。芸能事務所みたいな仕事ですね(笑)。アルバイトに手伝ってもらいながら1人でやっていたので、出演料の金額設定も自分で考えて決めていました。テレビCMに出演することもありましたし、宇多田ヒカルさんの『Can you keep a secret?』のミュージックビデオに出演したこともあります。 そうしているうちに、だんだんお金が入るようになって、人も採用できるようになりました。そこで、技術者を採用して、自分たちでロボットを開発することにしました。それまでの、技術移転を受けて製品化していたロボットは、すぐに壊れてしまっていたんです。 ――科学技術振興機構からの技術移転ですか?谷口 そうです。移転を受けたのは研究段階の技術だったので、それを自分たちで高めていくことにしたわけです。目指したのは、家庭用のヒト型ロボットで一番乗りをすること。家庭用ロボットとしては、それまでにもAIBOがありましたが、ヒト型はありませんでしたから。 ――家庭用というのは何をするのでしょうか? 家事とか?谷口 いやいや。今でも家事ができるロボットはないですよね。ヒト型ロボットを量産する、というだけです。やったのは、家庭で買える値段にすること。当時、高いノートパソコンが30万円くらいでしたから、それくらいに抑えることを目標にしました。コストを下げるために、モーターの数を減らしました。モーターの数を減らすと、大きなものは作れないので、小さくなります。小さくなりすぎるとまた高くなるので、40㎝くらいの大きさに落ち着きました。また、量産するにはお金がかかるので、ベンチャーキャピタルからの出資を受け入れました。そうして2004年に発売したのが『nuvo』(左写真)です。結局、58万8,000円になってしまいましたが。 高くなった要因は、ほぼすべての部品が世の中になく、自ら特注品を作ったからです。また、目がカメラになっていて、携帯電話でアクセスをすると、その映像を見ながら遠隔操作できるようにもしました。この技術はNTTドコモさんと共同開発したもので、特許も持っています。 発売すると、最初は勢いよく売れました。でも、どんどん鈍化していく。値段が高いですからね。では、頑張って40万円にしたら売れるかといえば、そんなことはないだろうと思いました。というのは、ヒト型ロボットには、機能が「面白さ」以外にないからです。 ――言ってしまえば、おもちゃにすぎない、ということですか。谷口 おもちゃとしても、乱暴に扱うと壊れてしまうし、高価ですから、どうかな、と。 発売することによって、ユーザーの要望を聞けるのではないかという期待もありました。それを機能として製品に搭載することを考えていたのです。しかし、出てくる要望は、それこそ「家事をしてほしい」といったものばかりで、現実的ではない。ユーザーの期待と実際にできることとのギャップがあまりに大きすぎました。そこで、在庫は売り切って、次の量産はしないことにしたのです。 ヒト型ロボットに対する期待と実際にできることのギャップは、今でも当時とほとんど変わっていません。多少変わったのは、音声認識の性能や画像認識がよくなったくらい。でも、それは入力インターフェイスの1つにすぎなくて、ヒト型ロボットとして、歩行する、手で何か仕事をする、などの技術ではないですよね。家庭用の歩くヒト型ロボットは、ZMPが出して以来、どこも出していません。音楽ロボットの開発から「自律移動」の技術が始まった ――ヒト型ロボットの開発に区切りをつけたあとは、どうされたのですか?谷口 ヒト型ロボットには、値段が高いということの他に、歩くことが飽きられるという問題もあります。最初は、歩いたり、自分で起き上がったりするのが面白がられていたのですが、次第に、歩くことが欠点に変わってきたのです。遅くて移動に時間がかかるし、倒れやすいわけですから。しかも、モーターをたくさん使うので、電池が持ちません。 そこで、次に開発した『miuro』(上写真)というロボットは、モーターを2つだけ使って車輪で移動するものにしました。そのほうが速いし、自由に動けるうえに、電池も長く持ちます。 機能については、私はエンターテインメントが好きなので、音楽を運んでくれるロボットにしました。自分の好きなときに、好きな場所で音楽が聞ける、新しいミュージックライフを作ろうと考えたのです。たとえば、夜の10時くらいにウイスキーを飲んでくつろいでいるところに来てジャズを流してくれる。朝、寝室に来て、ロックで目を覚まさせてくれる。そんなロボットです。 そのためには、自律移動の技術が必要でした。『miuro』は、世界で初めての、自律移動する家庭用ロボットです。この技術はSLAM(Simultaneous Localization and Mapping)と呼ばれるもので、今、話題になっている自動車の自動運転にも使われています。 たとえば、miuroに玄関からソファまで来てほしいとすると、まずは、リモコンで玄関からソファまで操作します。するとmiuroは、移動しながら、車輪についた距離計で距離を測り、障害物センサーで周囲のモノとの距離を測って、自分が通るべき道の地図を作ります。同時に、カメラでところどころの写真を撮って、目印にします。そうすることで、作った地図の中での自分の位置を特定することができるわけです。 ――高度な技術だと思いますが、自社で開発されたのですか?谷口 そうです。miuroは飛ぶように売れたのですが、さらに量産しようとしたところでリーマンショックが起きて、資金調達ができなくなってしまいました。そこで、自律移動技術を4輪に応用して、2008年からRoboCarの開発を始めました。量産するものではなく、研究開発用に自動車メーカーなどに販売するものです。私はもともと自動車関連のメーカーにいたことがあり、自動車については明るかったので、「これから自動車もロボットになる時代が来るだろう」と考えたのです。翌年、まずは、miuroと同じくらいの、乗用車の10分の1サイズ(429×195×212.2mm)のRoboCarを発売したところ、よく売れて、そこからだんだんサイズを大きくしていきました。 ――この技術は、他の企業は開発していなかったのですか?谷口 していませんでした。今は自動車の自動運転で注目されている技術ですが、いきなり自動車のような大きなもので実現しようとすると、かなり難しいのです。私たちは、miuroという小さなもので開発したから、実現できたのだと思います。それから、小さな4輪で実現して、1人乗りの電気自動車で実現して、プリウスで実現して、と、段階的に、継続して開発してきました。 ――今、世界中の自動車メーカーが自動運転技術の開発を競っています。その中で、先行者としての強みがあるということでしょうか?谷口 全部、イチから自分たちでやっているという強みはありますね。 自動運転に必要なのは、目と頭、つまり、ステレオカメラとしてRoboVision、人工知能として膨大なデータを計算するコンピュータIZACだけです。今の自動車は電子制御になっていて、電気信号を出せば動きますから、運転をするための身体は必要ありません。カメラと人工知能はロボットの開発でフォーカスしてきた技術ですから、その点でも強みがあると思います。 また、RoboCarを販売した自動車メーカーからのフィードバックが得られるのも、当社の強みです。 ただ、技術ということだけで言うと、すでに自動運転に必要なものは論文などで世の中に出回っています。今は、いかに精度を上げるか、高価なセンサーをいかにコストダウンするか、といった実用化のフェーズに移っています。このフェーズで最も重要なことは、その技術を何に使うか。この点で、自動車メーカーと私たちは決定的に違っています。 自動車メーカーの顧客はドライバーです。ドライバーが、好きな自動車を買って、運転する。それが安心、安全にできるように支援するために、自動運転の技術を使うわけです。つまり、これまでのビジネスの延長上に自動運転がある。 一方、私たちが顧客として決めているのは、高齢者や子供、障害者、外国人観光客など、運転免許を持っていない人や自分で運転できない人、あるいは自分で運転したくない人です。そういう人たちのためのロボットタクシーに、自動運転技術を使います。要するに、私たちは旅客業をやるのです。 ですから、自動車メーカーと競合するわけではありませんし、グーグルとも競合しません。自動運転タクシーというものは、ZMPとDeNAさんの合弁会社であるロボットタクシー社が世界で初めて謳ったものです。最近、ウーバーが自動運転車を開発すると発表していますから、それは競合になり得るでしょうが、自動運転タクシーという市場に誰よりも早く参入して、広く使われるようになれば、それが最大の強みになります。これはもう技術の問題ではありません。 ――今はプリウスなどを改造して自動運転の実証実験をされていますが、将来的には完成車メーカーになろうというお考えはありますか?谷口 「完成車」というとわかりにくいのですが、自分たちでイチから自動車を作るかといえば、ノーです。やはり、今から自動車生産を始めるのは利口ではない。一般のタクシーは市販の自動車を改造して使っていますよね。同様に、ZMPが自動車メーカーから車両を購入して自動運転車に改造し、それをロボットタクシー社に販売する、という形を取ります。 ――ロボットタクシー社は、あくまでタクシー会社なのですね。谷口 そうです。車両はフランチャイズすることも考えられますね。配車はインターネットを使って行ないます。たとえば、1週間後に日本に来る外国人旅行者が、羽田空港から浅草まで乗りたいと思えば、インターネットで予約しておける。言葉の通じないドライバーを相手に苦労をしなくても、快適に観光ができるわけです。 ――タクシー事業に参入することになると、タクシー業界から反発があるのではないでしょうか?谷口 タクシー業界からは歓迎されるのではないかと思います。というのは、人手不足の業界で、人件費がかさんで採算が悪化しているからです。しかも、ドライバーには高齢の方が多く、今後ますます人手不足が深刻化していくと見られています。体力的にきつく、事故を起こしてしまうと人生を棒に振る可能性もある大変な仕事ですから、若者が就職したがるわけでもありません。ロボットタクシーが参入して、人手不足の問題が解消することは、業界にとっても、利用者にとっても、良いことではないでしょうか。 ――それでは、タクシー業界におけるロボットタクシーの強みはどこにあるのでしょうか?谷口 1つは、ドライバーがいないので人件費がかからず、運賃を抑えられることです。とはいえ、極端に安くするつもりはありません。原価が低い電子書籍の値づけが紙の本を基準にしているように、ある程度、他社と足並みをそろえるつもりです。 もう1つは、完全な個室になること。ドライバーの目を気にする必要がありません。他人に聞かれたくない話もできます。実は、タクシーのクレームで多いのはドライバーの加齢臭や体臭なのですが、ロボットタクシーなら、そんな心配もありません。すべての道をロボットタクシーが走る必要はない  ――実際のところ、実用化できるところまで技術の精度は上がっているのでしょうか?谷口 私は、まずは、極力、一般のドライバーが運転する自動車と混在させないようにしようと思っています。2020年の東京オリンピック・パラリンピックのときにはタクシー専用のレーンができるでしょうから、職業ドライバーしか走らない、そのレーンを走らせることを考えています。 また、全国あまねく、すべての道路を走れるようにしようとは思っていません。たとえば、センターラインが引かれていない道路や歩道と車道が分離されていない道路は危険ですから、走らせるつもりはありません。 ――走れるところを走ればいい、と?谷口 そうです。国道と都道府県道くらいの幹線道路だけ走れれば、実用的には十分です。実際、皆さんがタクシーを拾うときは、幹線道路まで出てきているのではないでしょうか。 ――なるほど。ロボットタクシーの事業について、よくわかりました。他に、御社が注力されている事業には、どのようなものがあるのでしょうか?谷口 ロボットタクシーの次に皆さんの関心が高いのが、物流ロボットの『CarriRo』(右写真)です。 メーカーなどの物流の現場も、タクシー業界と同じで、人手不足が深刻です。倉庫の中はほとんど自動化されておらず、人の手で荷物が運ばれているので、作業者の身体への負担が大きい。それなのに、働いているのは65歳以上の方が多いのです。 CarriRoは台車の形をしたロボットで、経路をインプットしておけば、自動で荷物を運んでくれますから、作業者の身体への負荷を大きく減らせます。また、カルガモのように、1台のCarriRoのあとを複数台のCarriRoがついていくので、作業効率も上がります。 2016年に量産を始める予定で、すでに130社以上から引き合いがあります。その半数以上が東証1部上場の大手です。 ソニーモバイルコミュニケーションズさんとエアロセンスという合弁会社を設立して、一般的な4枚羽根のドローンや固定翼のVTOL(垂直離着陸型)も作っています。ドローンといっても趣味用ではありません。土木工事や建築の現場で、工事の進捗の過程を空撮して記録するためのものです。デベロッパーなどに、すでに一部、サービスをご利用いただいています。ちゃんと図面どおりに工事が進んでいるかが確認でき、品質保証になるわけです。 ――ロボットが日々の仕事の中で活躍しているイメージが浮かんできました。本日はありがとうございました。革新的なサービスを、日本から 2015年10月1日、ロボットタクシー社と内閣府は、2016年から神奈川県藤沢市で自動運転タクシーの公道での実証実験を始めると発表した。谷口氏にとって、待ちに待った実験だ。 谷口氏が政府にロボットタクシーの構想を伝えたのは3年ほど前のこと。しかし、法的な問題もあり、なかなか話が進まなかった。そこで谷口氏は、さまざまなメディアの取材を積極的に受け、ロボットタクシーの構想と必要性を説き、講演でも紹介を行なってきた。そしてようやく世論も動き始め、小泉進次郎氏のあと押しも得ることができ、政府が動くに至ったのだ。 可能な限り早く事業を始めるため、谷口氏はさまざまな手段を取っている。ロボットタクシー社を設立するに当たって合弁相手にDeNAを選んだのも、スピードを重視したからだ。複数のIT企業が関心を示していただが、最も決断が速かったのがDeNAだったのだ。加えて、ロボットタクシー社の社長に就任した中島宏氏(現在、DeNA執行役員オートモーティブ事業部長を兼任)の情熱が決め手だったと谷口氏は言う。 ZMPで働く技術者は、国内外を問わず募集し、優秀な人材を集めている。採用要件に日本語ができることは入れていない。社内では英語での会話が飛び交っているそうだ。これも、技術開発のスピードを速めるためだ。 世界に先駆けて、日本でロボットタクシーが実用化されれば、日本の先進性を世界にアピールすることにもなる。その日が来るのが、今から楽しみだ。《写真撮影:まるやゆういち》《製品写真提供:〔株〕ZMP》たにぐち・ひさし 〔株〕ZMP代表取締役社長。兵庫県生まれ。大学卒業後、エンジニアとして制御機器メーカーで商業車のアンチロックブレーキシステムの開発に携わる。その後、商社の技術営業、ネットコンテンツ会社の起業を経て、2001年、〔株〕ZMPを設立。01年に研究開発用2足歩行ロボット『PINO』、04年に家庭向け2足歩行ロボット『nuvo』、07年に自律移動する音楽ロボット『miuro』を発売。08年から自動車分野へ進出し、09年、自動運転技術開発プラットフォーム『RoboCarシリーズ』を発売。15年、〔株〕ディー・エヌ・エーとの合弁会社ロボットタクシー〔株〕を設立。同年、ソニーモバイルコミュニケーションズ〔株〕との合弁会社エアロセンス〔株〕を設立。

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    自動車メーカーは置き去り  Googleが目指す完全自動運転

    識があり、歩行者がいて、実はコンピューターではバイクと見分けがつきにくい自転車もある。一般道は各国で交通ルールも若干異なり、地域の暗黙の了解といったものもある。クルマに搭載されたコンピューターが状況判断に窮することは容易に想定される。 そこでディープラーニングの有効性が注目されている。ディープラーニングによって学習した画像認識は、2015年には人間のエラー率より低くなったといわれる。米国を競争の場として世界中でこうした研究開発が急激に進んでいる。今年3月、Googleの囲碁AI「アルファ碁」が韓国の世界トップレベルのプロ棋士・李セドル九段に勝つなど、この分野におけるGoogleの技術力は圧倒的だ。 ディープラーニングでは周りの人間や自動車の動きに対して、こうした状況ではこのように走り抜けるのが「最も正しい」といったことを、環境データや走行データから、自ら状況把握して学習する。人間よりも早く走行方法を最適化して、そのソフトウェアを逐次クルマのコンピューターにダウンロードする。それを販売後のクルマに対しても行うようになる。複数の対象物を同時に早く正確に認識するなど、人間には困難なこともやってのけ、結果的には、さも人間が運転しているかのごとく自動運転車が走るようになる。 とりわけ自動運転の開発は、「人間の運転」を置き換える部分に集約され、人工知能の一つの初期的適用分野として最適である。クルマは2足走行ロボットや工事現場や荒地を走行するロボットとは異なり、まず人間が運転できる道であることを前提としている。日常生活の全てをこなすことを求めているわけではなく、交通ルールを守るという前提や、道路上で想定し得る全ての事象を認識・分析・判断対象として網羅することも課題を限定しており、十分限定的な条件設定が可能だ。 ディープラーニングを行う際は、大量の「生データ」が必要になる。Googleはカリフォルニア州マウンテンビューに行けば誰の目にもとまる物量で公道実走試験を行い、せっせとデータを溜めこみ分析している。 Googleが毎月公開している報告書によれば16年4月30日時点で、特徴的な形をしたSelf-Driving Carのプロトタイプ計34台がカリフォルニア州マウンテンビュー、テキサス州オースチン、ワシントン州カークランド、アリゾナ州フェニックスで走行しており、これまでの総走行距離数は約150万マイル(約240万キロメートル)に及ぶ。1週間で1万〜1.5万マイルも、「ソフトウェアがクルマを運転しておりテストドライバーは手動(足を含む)の操作レバーにタッチしていない」クルマが走行データを積み重ねている。Googleに依存せざるを得ない自動車メーカーGoogleに依存せざるを得ない自動車メーカー 更に、昨年3月のTEDカンファレンスでは、Googleの自動運転開発責任者であるクリス・アームソンが毎日300万マイル(約480万キロメートル)もの距離を自動運転車がコンピューター上でシミュレーション走行しているとコメントしている。 クルマにディープラーニングを適用させるには、個人情報的な観点からはもちろんの事、競合上の観点からもデータを他社に出すことはできない。Googleのように自社の実走試験から得た「生データ(一次データ)」をいかに確保できるかがポイントになる。自動運転車が走れば走るほど、学習するデータが増え、ソフトウェアの運転は更に上手くなる。 ただ、データさえあれば誰でもディープラーニングを行えるのかというと、そうではない。ディープラーニングには複雑な計算を解く極めて高度な数学的知識やネットワークを介した分散処理、計算機としてのコンピューターの特性に対する高度な理解が必要だ。SAE(米自動車技術会)の年次総会にて、自動運転のカンファレンスに登壇したGoogle自動運転部門幹部のロン・メッドフォード氏(撮影:生津勝隆) 今後は、ディープラーニングを利用するためのいろいろな支援ツールが出てきて、現状よりは広く扱えるようになる可能性はある。しかし、究極的な問題解決には常に先駆的な人間の卓越した能力が必要だ。今後は更に広範なAI全体に対する知識や、脳神経科学、分子生物、遺伝学、倫理、法学といった学際的知識も必要となる。このような高レベルの人材を一番抱えているのはGoogleだろう。Googleが送った50項目以上の質問状 13年5月30日に、NHTSA(米国運輸省道路交通安全局)が「クルマの自動化」に関する提言(Preliminary Statement of Policy Concerning Automated Vehicles)を発行した。その冒頭でNHTSAは、過去100年間で構築されてきた人とクルマの関係が、今後10〜20年でこれまで以上の変化を遂げると指摘した。 更に、レベル4の完全自動運転に対して、「それを実現する技術やクルマと人間とのかかわりに関する多くの課題は、今後レベル3の開発と公道試験を通して解決されるものと確信する」とし、それを実現する社会的メリットを含め必要性を強調している。これが3年前の話であり、提言中に示した研究期間を4年としているので、17年にはレベル4の定義が明確に提示されることが期待されている。 このNHTSAとの間でGoogleは、「コンピューターがドライバーとして認められるか否か」について、50以上の項目に対して詳細な議論や具体的な解釈、事実のやりとりを行っている。「クルマが自ら運転する」レベル4の自動運転開発がGoogle内部で具体的に進んでいることを示している。 昨年開催されたTED カンファレンスではGoogleの自動運転開発責任者、クリス・アームソン氏が登壇。TEDのHP上ではこの際の映像が確認でき、Googleの自動運転開発の状況が一目でわかる。日本語版も閲覧可能(http://www.ted.com/)ソフトウェアは競争領域 ようやく認識した日本ソフトウェアは競争領域ようやく認識した日本 トヨタは1月、AIの研究開発を行うTRI(トヨタ・リサーチ・インスティテュート)を設立した。 方向性としては正しいが、製造業のど真ん中を走ってきた日本の自動車メーカーが、これからいかにソフトウェア技術においてGoogleをキャッチアップし追い越し得るのか。高い壁であることは間違いない。 自動車メーカーだからこそ、膨大な実験のデータは得られるだろう。車載センサー、地図、走行用ソフトウェアの開発を全て自らやろうとする発想を否定はできない。しかし、これから世界中で独自の地図を作成しメンテナンスすることなど、経済性から見てもコストが合わない。大きく先行するGoogleよりも効果的なディープラーニングが行えるかも疑問だ。撮影:生津勝隆 Googleは走行アルゴリズムを開発するために、「三次元地図」と呼ぶ詳細な地図情報を自ら開発して利用している。三次元地図は車載センサーが得た情報を照らし合わせるため、道路の勾配やカーブの角度などをデータとして持つ。しかし、IT的な発想からすれば、Googleは今後どんな第三者から新たな三次元地図が出てきても、ソフトウェア自体に手を加えずに例えばデータ形式の変換のみで、自動運転が行えるよう開発を進めているはずだ。 彼らの作るソフトウェアは自分自身の地図や相手のハードに縛られることなく利用できる形式になっているだろう。つまり、コンピューターが言った通り正確に走れるクルマを自動車メーカーが造れば、そこにGoogleのソフトウェアを載せて一足飛びに自動運転領域で名を上げる可能性がある。  フォードが1月に公開した雪道での自動運転の実験動画は、Googleに近い自動運転技術を使ったものだった。 自前技術に固執している時間はない。協調すべき領域は積極的に協調し「クルマが自ら運転する」、自動運転時代にふさわしい自動車開発に向けて、自社の優位性が発揮できる競争領域に集中し進んでいかなければ、自動運転領域で日本の自動車メーカーは国際競争力を失いかねない。

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    日産の自動運転 他社の技術者はどう見ているか

    くなるのと同じような感覚だった。 プロパイロットはあくまで運転支援システムであり、システムがその場の交通状況や道路環境に対処できなくなったときにはシステムがキャンセルされ、ドライバーが即座に主体的な運転をすることが求められる。が、アイサイト以上に自律走行機能が強化されているとしたら、運転への注意力を保持することもより難しくなる。「完全自動運転」実現への理想と現実 日産は発表会のプレゼンにおいて、帰りの運転を心配することなく目一杯遊べるとメリットを説明していたが、プロパイロットはクルマの中で寝ていていもいいことを保証するものではない。日産だけでなくどのメーカーも同じことだが、ドライバーが運転への専念義務から解放されないかぎり、この問題は自動運転技術が進化するにつれて、むしろ深刻になっていくものと考えられる。 では、クルマに乗る人が運転への注意を払わなくてもよい、言い換えれば免許がなくても、酒を飲んでいても、あるいは車内でスマホに興じていても大丈夫なようになる時はいつやってくるのだろうか。これについては自動車業界だけでなく、人工知能開発の最前線ですら懐疑的な見方のほうが圧倒的に多い。「囲碁のプロがコンピュータに敗れたといったことで機械学習が万能視され、中には人間がコンピュータに支配される、コンピュータに滅ぼされるといった話まで飛び出していますが、荒唐無稽な話だと思います。そんなことができるなら、現時点でコンピュータのプログラムのバグフィクスなど、たちどころにすべて完璧にこなせてしまうはず。 でも、現実にはそうなっていない。人間と機械では考えるという行為の目的が違うことを知らなければならない。完全自動運転を実現するには、人間が走らせるということが前提の道路づくりを全部変えるところから始めなければ不可能だと思います。 自動運転はまずアメリカで飛び出し、欧州、日本と追従しているものです。これまでも米国や欧州はいろいろなバラ色のロードマップを描くことがありましたが、必ずしも世の中がそうなるとは限らないことも頭に入れておくべき」(ロボット開発者) 自動運転のニーズは多い。過疎地に住む高齢者をはじめとするモビリティ弱者や長距離トラックなどは、自動運転時代が来ればその恩恵を大きく受けられることだろう。 しかし、その実現は現在の正常な技術進化の延長線上にはない。もちろん技術開発競争に負けてはいけないが、プロパイロットの意味合いを誤解して世の中が間違った期待をかけると、技術の方向性やインフラ整備の方向を誤らせる原因にもなりかねない。 あくまでクルマを使ったモビリティは人が主体という時代が続くという現実を踏まえながら、それから脱するにはどうしたらいいかということを考えていく必要がある。関連記事■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 眞子さまがエコノミーで渡英 秋篠宮家の質素倹約と台所事情■ 浴衣の新人レースクイーン「ずっと私のことを応援し続けて」■ 鳥越俊太郎氏 ネットとテレビでなぜ評価が異なるのか■ 写真集が話題・深田恭子の体の仕上がりを撮影した写真家語る

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    自動運転車 そう簡単に実現しないこれだけの理由

     人間がハンドルを握らなくても、コンピュータが人混みの市街地を巧みに運転し、時に高速道路を疾走して遠方の目的地まで運んでくれる――。そんな「自動運転車」の開発が、日進月歩で進んでいる。 だが、近い将来、運転手不要のクルマが当たり前のように普及する時代が本当にやってくるのか。自動車ジャーナリストの井元康一郎氏は、懐疑的な見方をする。* * * 自動車の世界で近年、開発競争が激化している“自動運転技術”。日本でも昨年、自動運転に前がかりになっている日産自動車が高速道路、一般道の両方を自動で走るための公道実験を開始。今年1月にはアメリカのEVベンチャー、テスラ・モーターズの「モデルS」にオプション設定されるセミ自動運転機能「オートパイロット」の使用ができるようになった。 安倍政権は2020年の東京オリンピックまでに自動運転の実用化のみならず、普及もさせると息巻く。 気の早いメディアの中には、運転免許がいらなくなる、手動運転車は10年もしないうちになくなる、果てはドライバー不要の時代が来るといったセンセーショナルな論調の記事を掲載するところも出てきている。が、本当に自動運転車が走り回る日がそんなに早くやってくるのだろうか。「もちろん自動運転の技術は重要だし、ウチも昔から継続的に研究してきました。また、本当に完全自動運転が実現できれば、一定のニーズもあると思う。しかし、今の自動運転ブームは完全にムードが先行してしまっていると思います。 コンピューティングの世界で機械学習(コンピュータが自分で経験を積み、知見や予見を得る技術)がクローズアップされるにつれて、人工知能(AI)が人間を支配するなどというSFまがいの話がもてはやされているのと似ています」 昨年、新たにAI研究のためのラボラトリー、トヨタリサーチインスティチュートを設立するなど、クルマの知能化のための基盤技術強化を加速させているトヨタ自動車のAI研究者の一人は、自動運転の意義は認めながらも、今のブームは過熱ぎみだという見方を示す。 この研究者が引き合いに出した機械学習が長足の進歩を遂げていることは、クルマの運転を自動化させたほうがいいという風潮に拍車をかけている。 先日もGoogle傘下のラボラトリーが開発した囲碁ソフト「アルファ碁」が韓国のトッププロを打ち負かし、世界ランキング2位になった。この“学ぶコンピュータ”が小型・高性能化すれば、ハンドルのない自動運転車の公道実験で脚光を浴びたGoogleが主張する通り、もはやクルマの運転で人間の出る幕はなくなるのか。「完全自動運転」に違和感が出る理由 実は、人間が介在しない完全自動運転に違和感を覚えるという声は、クルマと直接関係がないロボット開発などのAI分野から多く聞かれる。若手トップアルゴリズマー(情報処理技術者)の一人は言う。「自律ロボットのソフトウェアプログラミングをしていて、これが人間に置き換わると思ったことは一度もない。ロボットの知覚は、部分的にはとてつもなく優れていますが、人間の知覚のパラメーターの多さはロボットなど足元にも及ばない。 それに、コンピュータの最終目的は正解の割り出し。でも、僕もそうですが、人間の目的って正解じゃないですよね。願望の充足であり、夢の実現ですよね。この両者の間には越えられない壁がある。 自動運転車は走ることに特化したロボットのようなものですが、そもそも作るのが難しいという点は置いておくとして、人間が本当に運命を託せるようなものになるかどうか。今のイメージでは、せいぜい使う人にそう錯覚させるくらいしか思い浮かびません」 現状では自動運転車のプロトタイプは、人間が見えないものを知覚することができる半面、人間がひと目で見えるものを知覚できないという段階で、どのような状況にも対応できるというわけではない。が、センサーなどを用いた認識技術は日進月歩なので、今抱えている問題は日を追って解決していくことになろう。 問題は、前出のアルゴリズマーが語った、意思らしきものを持つ機械と意思を持つ人間が本当に重なり合うのかということだ。 これはクルマの楽しさ、快楽に関することばかりではない。自動運転車だろうが手動運転車だろうが、外部要因による事故がなくなるわけではない。そんなとき、自動運転車の出した答えが乗員の望みと一致するとは限らない。 例えば、猫が飛び出してきた時に避けたほうがいいのか轢いてしまったほうがいいのか、対向車が飛び出してきたときどっちに行けばいいのか、人が飛び出してきた時は?……こうした様々なケースにおいて、人間の取る行動は個人の思いによってさまざまだ。 人身事故の場合、十分に減速して被害を最小限に抑えられそうでも、当たりどころが悪いと死亡事故になることもある。「そうなるくらいなら自分の命が危険にさらされようとも自爆したほうが……」と考える人が乗っている自動運転車が相手を低速ではね、挙句死亡してしまった場合、その人は自動運転車の判断をそれこそ死ぬほど恨むだろう。 ならば、そういうときには自損事故を選択するようなプログラムを実装すれば解決するのかというと、それも否だ。 カタログに「このクルマは人身事故が起こりそうになったら自爆します」などと書いてあろうものなら、自己犠牲の精神を持ち合わせている人も含めて「そんなもんを高い金を出して買うくらいだったら自分で運転するわ」と思うのは必定であろう。 この例は極端だとしても、AIが人間の感性にフィットすることの難しさという点は一事が万事。人間と機械が、たとえほんの部分的にでもいいから意思の疎通を図れるようになって、初めて完全自動運転車は人間と仲良くなれる。 そうなるまでは、衝突回避システムや運転支援システムの延長線上にある部分的自動運転にとどめ、完全自動運転は限定された空間のみで運用し、新しい「マン・マシン・インターフェース(人間と機械との仲介を行なう機器)」の技術の登場を待ったほうが、かえって技術の普及は早まる可能性が高い。自動運転普及政策において、そこをいまいちど熟考すべきだ。関連記事■ 【キャラビズム】今は自動運転車、将来は自動運転飛行機も?■ 島耕作の妻役で声優に挑戦の壇蜜「小2で読んだ。刺激的」■ 【TMS2015】ホンダが威信かける新型NSXと純白スキニー美女■ 自動運転車の普及 警察OB天下り先の利権確保が障壁となるか■ 日立製作所 自動運転の内製化で世界シェア20%を狙う

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    写真のためなら手段を選ばない「撮り鉄」の恐るべき本性

    線路と公道とを仕切る鉄柵を乗り越え、線路の間近で列車の写真を撮影していたという。 筆者は、鉄道という交通機関への理解を人々に深めてもらうことを主眼として執筆、講演、コメントといった活動を行っていると自負する。そして、鉄道のよき理解者である鉄道愛好家に対しては、一般の人々の手本となり、社会人として他人に迷惑をかけない存在であるように訴え、筆者自身も鉄道愛好家という立場で活動する際にはそのように実践してきた。今回の件で何の落ち度もない人々に被害を与え、不快な思いをさせてしまった点に弁解の余地はない。この場を借りて皆様にはおわび申し上げる。誠に申し訳ございませんでした。 鉄道を扱う出版社やその関係者には、撮り鉄による今回の一連の騒動を一部の不心得者の悪行と切り捨てる者も多い。特に鉄道ライター、それもいまから10年ほど前の鉄道ブーム前後に異業種から参入した者にその傾向は顕著に見られる。自分自身と撮り鉄との間に一線を画したいのであろう。一個人の考え方であるから支持するものの、鉄道メディア業界に長く身を置く筆者としては今回の撮り鉄の所業は他人事であるとはとても思えない。今回の撮り鉄の行動は昨日の自分自身ではないとしても、20年前、30年前の自分の姿を見ているようだ。 よくある誤解を解いておこう。それは近年になって撮り鉄が行き過ぎた行動を取るようになったのではないという点だ。かつてはいまよりもはるかにひどく、なおかつ頻繁に発生していたのでニュースにすらならなかった。そうした状況が徐々に改善された結果、トラブルが発生するとかえって大きく取り上げられるようになったのだ。40年前、手段を選ばない撮り鉄に感じた恐怖 過去の撮り鉄の行動がいかに常軌を逸しているかを示すものとして、「京・阪100年号」にまつわる死亡事故を挙げておこう。この列車は、国鉄が京都-大阪間の開業100周年を記念して1976(昭和51)年9月4日に同区間を走った記念列車である。すでに引退した蒸気機関車が牽引するということもあり、「京・阪100年号」を撮影しようと沿線に集まった撮り鉄の数はすさまじく、一部は線路内に立ち入ってカメラを構えていた。 言うまでもなく、東海道線の京都-大阪間は1日に列車が数本しか運転されないローカル線ではない。線路は複々線となっていて、数分間隔でどこかの線路を列車が通るのだ。そのようななかで線路に立ち入っているのであるから、当時の感覚で眺めても異常である。 悲劇は茨木駅の手前で起きた。大阪駅を出発した「京・阪100年号」を撮影しようと線路内に飛び出した小学生を「京・阪100年号」がはねてしまったのだ。小学生は頭や足の骨を折り、3時間後に死亡する。事故後も「京・阪100年号」は何とか動き出したものの、高槻駅に到着の時点で運転の続行は不可能と判断が下された。列車の運転は続けられたが、撮り鉄が追っていた蒸気機関車は切り離され、当時の撮り鉄にとってあまり興味のない電気機関車へと交換される。 筆者は事故が起きたという事実をことさら強調したいのではない。実は事故後に撮り鉄が取った行動に末恐ろしさを感じ、その恐怖を多くの人々に認識してほしいと考えて紹介しているのだ。 撮り鉄の行動は翌9月5日付けの毎日新聞朝刊19面に掲載された写真によってわかる。写真の転載は著作権上からもまた肖像権上からも不可能であろうから、言葉で説明させていただこう。この写真は「京・阪100年号」の車内から前方の蒸気機関車に向かって撮影されている。画像の左下に見えるのは、はねられて線路に横たわる小学生の姿だ。この光景も十分にショッキングだが、何よりも驚かされるのは、列車が停車したことをこれ幸いと、蒸気機関車の周りに群がってカメラを向けている撮り鉄である。その数は小学生をはねる前よりも増え、やっと動き出した「京・阪100年号」は徐行したこともあり、蒸気機関車が2、3メートル前に近づくまで線路内から立ち退かずに撮影する撮り鉄もいたという。 2016年にしろ、40年前の1976年にしろ何がここまで撮り鉄を狂気に追い立てているのであろうか。理由は岐阜県内で検挙された撮り鉄が警察関係者に語った文言がすべてを物語っている。「迫力のある写真を撮りたかった」と。エリートですら手段を選ばない 大勢の人たちが集まっているなかであるとか、手前に障害物があるというなかでより優れた写真を撮ろうと試みた場合、撮り鉄に限らずどんな人間でも本能的に一歩前に踏み出す。お子さんの運動会で同様の経験をもつ人は多いに違いない。 建前や道徳論はこの際捨てて言っておこう。筆者がかつて勤めた鉄道趣味雑誌の編集部では、編集部員が撮影した写真にこの「一歩」が足りないと上司の説教を受けた。撮り鉄から投稿された写真を雑誌に掲載するかどうかを決める重要な要素の一つもこの「一歩」だ。人よりも前に出て撮影された写真は確かに優れている。その写真がどのような経緯で撮影されたであろうとだ。 いままでの説明で、撮り鉄とは困った性癖をもつ社会不適格者という烙印を押したくなったであろう。この10年ほどの間に他の業種から参入した鉄道ライターのなかにもその点を主張する人も見られる。しかし、もう少々お待ちいただきたい。 撮り鉄と対照的な人間とはいかなる人物であろうか。頭脳明晰、冷静で自己を完璧にコントロールできる人物、たとえて言えばエリートと呼ばれる人たちをイメージするはずだ。鉄道会社にエリートは多い。特に旧国鉄やJR各社の経営幹部はエリート中のエリートだ。そのエリートたちのなかに撮り鉄が多く存在することをご存じであろうか。 実名は挙げないものの、東京大学を卒業して国鉄に入り、経営幹部にまで登り詰めた人で熱心な撮り鉄という人の名を鉄道メディア関係者ならばすぐに何人か挙げられるに違いない。もちろん筆者も知っているし、面識もある。 こうした人たちが国鉄時代に趣味で撮影した写真を見ると頭を抱えたくなる内容のものが多い。線路の中に入って撮影するのは当たり前、駅ではプラットホームから線路に降りていたり、さすがに許可は得たのであろうが、トンネル内で待ち構えて目の前にやって来る電車を撮影した写真すらある。このようにして撮られた写真は鉄道趣味誌で繰り返し使用されて撮り鉄のお手本となっているし、JRのある会社では貸出用の写真に混じっているほどだ。 要するに、撮り鉄が目的のために手段を選ばないのは、その人間に欠陥があるというよりもむしろ人間の本能だと言える。そしてその本能をかつては鉄道会社を含めた社会が容認してきた。いまは時代が変わり、コンプライアンス重視の世となって悪行と言われるだけになっただけの話である。撮り鉄が薄気味悪く感じる理由 もちろん、昔はよかったから大目に見てほしいなどと言うつもりは毛頭ない。ならばどうすればよいのであろうか。 鉄道を前にすると冷静さを失ってしまうと自覚している撮り鉄ならば、カメラを持たずにただ列車の行き来を眺めてほしい。人間の目は優れたもので、カメラのファインダーを覗いていたときには気になってたまらなかった人垣や障害物がうそのように見えなくなる。したがって、人より一歩前に出て撮影しようとは考えなくなるはずだ。 そうして冷静に鉄道を見つめられるようになったら、動画での撮影を勧めたい。基本的に1回のシャッターチャンスだけの写真と比べれば、動画はある程度の挽回が利く。また、圧倒的に記録量の多い動画には撮影時の情景を思い起こさせる効果も得られる。裏を返せば、列車だけの撮影では後に見直したときに退屈なので、列車だけでなく周囲の人々や景色といったものを写し込みたくなるはずだ。そのような動画は人よりも一歩前に出て列車に近づいても撮影できない。 最後に、撮り鉄の問題とはとどのつまり人間関係の問題であるので、できれば撮影に赴いた地域の人々とコミュニケーションを取りたいものだ。コミュニケーションと言っても大げさなものではない。「おはようございます。ここで電車の写真を撮影してもよいですか」という具合だ。 一般の方々にとって撮り鉄とは邪魔な存在である。本能のままに行動する人間が集団でうごめいているから、できれば見たくないであろう。だからといって完全に排除してほしくはない。なぜ薄気味悪く感じるのかは撮り鉄が周囲の人々に理解を求めないていないことが原因だ。だから撮り鉄には地域の人々とコミュニケーションを取ることを筆者は勧めたい。 人とのコミュニケーションに努めているうちに一つの法則に気づくであろう。人はどのように生きていても必ず人に迷惑をかけるというものだ。カメラを構えて公道で列車を待つことは法律には反していないものの、人によっては不快に思われる。いっぽうで、地域の人が犬を散歩させているとしよう。糞の始末はどんなに手を施しても難しく、撮り鉄から見てマナーがなっていないと感じるかもしれない。お互いの欠陥をあげつらうのではなく、自らを律し、相手には寛容という姿勢を取ることができれば、撮り鉄は迷惑な存在から一目置かれる存在となり得る。 大多数の撮り鉄はマナーを守って撮影しているという前提で言うと、撮り鉄自身も一部の撮り鉄の行動に舌打ちしたくなるであろう。とはいえ、自分に関する点だけにしか謝ろうとしない人はたとえ40歳でも子どもである。大人とは自分以外の人間の不始末についても謝罪できる人を指す。だから、一部の撮り鉄の迷惑行為で地域の人が怒ってしまったら、他の撮り鉄はまずは謝っておこう。解決はそれからだし、それがすべてかもしれない。

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    はっきり言って「撮り鉄」がウザい!

    公共交通である鉄道を周囲の迷惑も顧みず、わが物顔でカメラに収める「撮り鉄」のトラブルが後を絶たない。一部の不心得者による傍若無人な振る舞いとはいえ、最近は世間からも白い目で見られがちな撮り鉄。「趣味」と言えば聞こえはいいが、マナーも守れないバカに、鉄道ファンを名乗る資格などない!

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    あわや感電! 地下鉄線路立ち入り動画を投稿した女子高生

    され、行為を注意するなどの書き込みが殺到。投稿者は自らのアカウントごと削除した。地下鉄を運行する同市交通局によると、生徒は地下鉄車両へ電気を送る給電レールを覆うカバーを踏んでいた。同局関係者は「感電などの危険があり、何があっても線路内には立ち入らないでほしい」と、あらためて強く注意を呼びかけている。生徒が線路上に降りたホーム付近。赤丸は生徒が足を着いた給電用レール(名古屋市営地下鉄名城線の砂田橋駅 投稿された動画は、制服姿の女子高校生1人が同駅の大曽根方面行きホームと本山方面行きホームを区切る壁の境目あたりから線路上に降りて、ホームによじ登る様子が記録されている。 関係者の話によると、動画投稿に関わったのは同市内の高校に通う女子生徒の1年生3人。9日午後1時30分ごろ、3人が「ツイッターに動画を載せて大変なことになった。ふざけてやってしまった」と、担任に線路立ち入りや動画投稿について打ち明けた。 アカウント削除については、動画投稿後にコメントが多数届いたために、動揺して消したという。深く反省しつつも、泣き崩れるなど精神的に落ち込んだ状態だという。3人の保護者への説明や、県警の事情聴取、市交通局に対する説明は、同日中に終えた。 学校では、近日中に全校集会を開いて今回の事案を説明し、マナーやモラルのある行動を呼びかけるという。3人は後日、同駅などに謝罪へ行くことにしている。学校関係者は「お叱りの電話などを多数いただいている。多方面に迷惑をかけてしまい申し訳ない。生徒への指導を徹底する」と話している。電圧は直流600ボルト 市交通局が今回のことを知ったのは同日夕、通報を受けたとされる県警からの連絡だった。ホーム上には通勤通学ラッシュの朝と夕方の時間帯に係員が常駐するが、今回の動画撮影は係員がいない時間帯に行われたという。 同線には走行用のレール脇にサードレール(3本目のレールの意味)と呼ばれる給電用レールがある。このレールと車輪のあたりから出るバーが触れて、車両に電気が供給される仕組みだという。 サードレールはプラス極となり、電圧は直流600ボルト。感電の危険があることから、サードレールは木製のカバーで覆われている。投稿された動画では、生徒がサードレールのカバーに足を着き、その後マイナス極となる走行用レールに立ってから、ホームによじ登る様子が確認できる。駅利用者に呼びかける「線路内立入厳禁」の看板。その真下には車両への給電レールが走る(名古屋市営地下鉄名城線の砂田橋駅) 同局によると、線路点検の際は、サードレールの電気を止めて行う。線路上に誤って人が転落した場合は、ホーム上の電車緊急停止ボタンを押して、サードレールの給電を止めて救出する。物が線路上に落ちてサードレール付近にある場合も、電気を止めてから拾うなど、感電防止策をしてから、各種作業を行っている。 サードレールは乗客が乗り降りするホームの反対側にあるため、乗客が接近することはない。同局関係者は「サードレールも走行用レールも電気が通るところなので、触れたり近づいたりするのは大変危険。電車と接触するおそれもあるので、線路には降りないように呼びかける」と話した。 今回の生徒らの行動について、同駅を利用する男性は「していいことと、悪いことの区別がつかなかったのか」と、困惑した様子で話していた。(斉藤理/MOTIVA)

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    「撮り鉄」だけが悪者ですか? レッテル貼りでは解決しないマナー問題

     恵知仁(「乗りものニュース」編集長) 今年2016年4月、茨城・栃木県内を走る真岡鐵道沿線に咲く菜の花が、「撮り鉄」によって踏みつけられたことが大きな話題になった。しかし、30年近くの「撮り鉄」経験がある筆者にとって、この話題に対する印象は“世間”での盛り上がりに対しひどく冷静なものだった。意外性も不思議もなにもない、十分に想定内の出来事だったからだ。多くのファンらに見送られ、上野駅を発つ臨時寝台特急「北斗星」 =2015年8月21日、東京・JR上野駅 (奈須稔撮影) 「撮り鉄」による鉄道敷地内への不法侵入、線路脇の“撮影地”に残されるゴミ、珍しい列車を撮ろうと人が殺到し飛び交う罵声。これまで幾度、見てきただろうか。 しかし、だからといって無関心、諦観しているわけではない。長年のあいだ同じ趣味を持つ人間として、いわゆる「撮り鉄問題」に対し危機感を抱くのはいまに始まったことではなく、すでに自身の心になかに強くあるもの。こう書くのも残念だが、特段いまさら、衝撃を持って受け止めるものではないだけだ。 これは逆にいえば、「撮り鉄問題」はそれだけ長期にわたって存在しているということである。なぜそれは解決せず、しばしば“世間”を騒がせつづけるのだろうか。 まず、明確にしておきたいことがある。これを「撮り鉄」という枠のなかで語り、「撮り鉄の問題」としてしまうのは必ずしも正しくないということだ。 過剰な場所取りやゴミが問題になるお花見、コース外へ逸脱するスキーヤー、渋滞時に路側帯を走っていくドライバー。場所や目的などが違うだけで、そうした行動をする心理は「撮り鉄」と同じである。 廃止される列車などに集まる「葬式鉄」もそうだ。たとえば、日々の通学に使っていた路線が廃止されるとき、その最終日に現地へ向かい別れを惜しむ感情に対し、疑問を抱く人は少ないだろう。しかしそうしたことがなくとも、「廃止」、すなわち貴重だとか、「もう見られない」といった限定感に価値を見いだす人もいる。「貴重」や「限定感」に価値を見いだすのは、「撮り鉄」だけではない。 また、ホームの端に撮り鉄が集結しているときは大抵、珍しい列車がやって来るときだ。こうした「貴重」であったり「レア」な列車を撮る(写真として自分のものにする)と、メディアに掲載されることがあるほか、SNSにアップした際の反応も良く、簡単にいえば「自慢」ができる。これも「撮り鉄」特有の心理ではない。鉄道に関心がない人から見ればその何が良いのか分からないだろうが、「興味がない人から見れば価値がないもの」など世界には溢れている。『撮り鉄』という遠い世界、別の人種の話」ではない いわゆる「撮り鉄問題」は、「撮り鉄」の問題ではあるが、「『撮り鉄』という遠い世界、別の人種の話」ではない。そう考えると見誤るだろう。線路脇の“撮影地”でゴミを捨てる人は、線路脇以外でもそうしていておかしくない。 そしてこれが、「撮り鉄問題」の解決が難しい理由かもしれない。根本的には“極めて一般的で普遍的な人間のモラル”に関するものだからだ。現実的には、世にあるさまざまなそうした問題と同様に、強制的に規制し排除する、マナー向上を訴えるという話になってしまう。画像はイメージです とはいえ、そうした一般的な心理であろうが、「撮り鉄の問題」が起きているのは事実。そして「一般的」でありながら「撮り鉄の問題」が目立つのは、公共的な場所でその活動が行われるからだろう。 しかし状況は、過去と現在で確実に変わっている。かつて、人はもっと簡単に線路に降りていた。当然、「撮り鉄」もそうだ。 上り線と下り線、ふたつの線路がある「複線」の区間は多くの場合、上下線が隣接して敷設されているが、ところによっては離れ、その上下線のあいだに“中州”のような空間が生まれる。そしてこの“中州”がしばしば「名撮影地」になり、趣味雑誌などにもそこで撮られた写真が掲載されていた。 しかしその“中州”へ行くには当然のことながら、基本的に線路を渡る必要がある。もちろん踏切などない。 現在では鉄道会社の啓発などもあり、「撮り鉄」のあいだでもそうした場所での撮影はNGという認識に変わっている。 また数年前、あるローカル線の駅で、70歳前後に見える男性が突如ホームから線路へ降り、引退が迫っている電車の写真を撮ろうとした。 「線路に降りるなよ! いまだにお前らみたいなのがいるから、『撮り鉄』が悪く言われるんだ」 そのとき、ホームから大きな声で聞こえてきた言葉だ。発していたのは40歳前後に見える男性だった。「時代の変化」でもあるが、「撮り鉄」の安全やマナーに関する認識は変わってきている。言い方はともかくとして。 ただ根本的にはやはり「撮り鉄」としてではなく、「人間」としての個人の資質が問題なのを忘れてはならないだろう。 数年前のある夜、23時頃、埼玉県の某駅に珍しい列車を撮ろうと出かけたことがある。大勢の「撮り鉄」が集まっていたそこには、中学生ぐらいに見える男子も、子供ひとりでその場にいた。 「駅員! そこにいたら撮れないんだよ!」 駅員に対し「どけ」と罵声を発していたのはその男子である。「撮り鉄」以前に、そもそもどうなっているのだろうか。「撮り鉄の問題」として他人事にしてはいけない。

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    鉄道ファンからも望みたい!「悪質な不心得者に法の裁きを」

    者のマナーの悪さを際立たてしまった。趣味の世界のトラブルは、趣味の現場で起きる。鉄道趣味は現場が公共交通である。だから他の趣味より目立ちやすい。 2013年2月にしなの鉄道沿線で起きた「桜の木の伐採事件」も一般によく知られた事件である。浅間山を背景に列車をきれいに撮れる有名な場所で「線路の手前の木が電車の車体を隠して邪魔だ」と、不心得者がノコギリかチェーンソウのような道具で伐採してしまった。「不心得者がふだんから伐採道具を所持しているのか」と驚かせた。その木が日本の象徴ともいうべき桜だった。開花が近づき、つぼみも赤くなってきた頃だ。それが鉄道ファン以外の人々も憤慨させた。 鉄道会社の対応は、あれからなにも進歩していない。SNSで困惑を表明しても、なにも解決にならないばかりか、「鉄道ファンはマナーが悪い」という風評が拡散する。紳士的な趣味人にとっては肩身が狭い。駅や線路際でカメラを持っているだけで怪しまれる。不心得者の存在は、鉄道会社だけではなく、鉄道ファンにとっても迷惑だ。 現代は口コミ社会である。空(インターネットクラウド)に向かって叫ぶよりも手を打つべし。それで不心得者は排除され、更正の機会を得る。その対処はネットで拡散し、なにがしかの啓発になる。鉄道会社の毅然とした態度は不心得者を遠ざける。そのかわり善良な鉄道ファンを含む多くの人々から賞賛されるだろう。鉄道ファンをかたる不心得者は鉄道の客ではないファンをかたる不心得者は鉄道の客ではない 鉄道会社が不心得者に対して明確な態度を取らない。その理由は「鉄道ファンを逆なでしたくない」「鉄道ファンと良好な関係を維持したい」からであろう。媚びるつもりはなくても、なにか気に障ることをして大勢の鉄道ファンから反感をもたれたくない。炎上したくない。その気持ちはわかる。しかしそれは鉄道ファンを誤解している。 本稿で慎重に書き分けているように、鉄道ファンと不心得者は違う。鉄道会社はまず、それを認識すべきだ。鉄道ファンは本来「鉄道を好きで、好きな対象である鉄道やその沿線の人々に迷惑をかけない」人である。迷惑行為を繰り返す者は鉄道ファンではない。不心得者である。犯罪者もしくはその予備軍だ。サクラのピンクと菜の花の黄色の合間を縫って、ゆったりと走るSLを撮影しようと詰めかけた 鉄道愛好家ら=栃木県真岡市 これはどんな趣味の世界でも当てはまる。たとえば芸能人にとってファンは大切。しかし、芸能人に迷惑をかけたり、危害を加える人物をファンとして扱えるか。芸能人だけではない。映画、玩具、スポーツカー、釣り、カメラなど、どの趣味ビジネスでも共通だ。趣味の対象に対して迷惑をかける人物は、どんなに物品を買ってくれたところで、一線を越えればファンではなく犯罪者だ。 不心得者に対して毅然とした態度を取らないと、趣味の対象となる個人や会社も危険だし、他のファンも安心できない。趣味の提供側とファンが良好な関係を気づけないと、ファンが離れてしまう。ファンを当てにした趣味ビジネスが成り立たなくなる。 鉄道会社は、こうした趣味ビジネスよりも厳しい態度を取っていい。なぜなら、鉄道事業は趣味ビジネスではないからだ。鉄道事業の主な顧客は通勤通学、買い物、旅行など、用事があってきっぷを買って列車に乗る人々である。 鉄道ファンは鉄道会社の主な客ではない。「業務に差し支えない範囲で楽しんでいただく分には問題なし」という相手だ。古来からの鉄道ファンも、そこをわきまえて鉄道会社と無難な関係を築いてきた。本来、遊びの対象ではないもので遊ばせていただいている。その謙虚な自覚が「大人の鉄道趣味」を成立させてきた。 鉄道会社にとっては、不心得者から迷惑行為を受けたり、不法行為の被害に遭ったら、遠慮なく処罰感情を持って対処すべきだ。主な客ではないから遠慮は不要だ。 不心得者に対して正しい態度を取れば、それを好感した鉄道ファンが増える。撮り鉄の作品や乗り鉄の体験談が観光誘客に結びつくかもしれないし、彼らはオフィシャルグッズを率先して買ってくれるかもしれない。 お客さんやファンを増やしたいなら、不心得者を徹底的に排除すべきだ。なにも恐れることはない。鉄道会社は法律に則って、正しいことを粛々と実行してほしい。

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    なぜ撮り鉄は「タイガーロープ」を嫌うのか

    恵知仁(「乗りものニュース」編集長) 福島県内を走るJR東北本線で「タイガーロープ」が撤去されているのが見つかり、警察が撮り鉄の犯行とみて捜査しています。この「タイガーロープ」、過去にも撮り鉄が勝手に撤去した事例が存在。なぜ撮り鉄は「タイガーロープ」を忌み嫌うのでしょうか。 2015年6月8日(月)、JR東日本・東北本線の福島県内、白河~久田野間で線路に設置されていた鉄の棒とロープが何者かに撤去されたことが判明。テレビ朝日系(ANN)の報道によると、警察は鉄道の写真撮影を趣味とする「撮り鉄」の犯行とみて捜査しているといいます。 このとき何者かに撤去された鉄の棒とロープは、線路が2本並んだ「複線」区間で、上り線と下り線を分割するように設置されているもの。撮り鉄からは「タイガーロープ」と呼ばれています。 撮り鉄の一部にこの「タイガーロープ」を毛嫌いする人がおり、今回、福島県で起きたものと同様と思われる事例が過去にあります。列車の手前、線路と線路のあいだに設置されているのが「タイガーロープ」(2011年11月、恵 知仁撮影)。 2012年9月8日、長野県のしなの鉄道が開業15周年を記念し、特急「そよかぜ」の復活運転を実施。沿線には大勢の撮り鉄が集まりました。この日のことについて、しなの鉄道は同社社員が管理するTwitterの公認非公式アカウントで、次のようにつぶやいています。 「本日の件につきまして、ご説明をいたします。上りそよかぜの通過前、平原、小諸間におきまして、撮影者の一人が線路内に立入り、上下線間のロープ及び杭を撤去したものであります。ロープの一部は切断され線路外へ放置されていました。当社から警察へは連絡済みであります」 撮り鉄が「タイガーロープ」を撤去したのです。しなの鉄道の公認非公式Twitterアカウントはその前日、次のようにつぶやいていました。 「撮り鉄の「一部の方」に、上下線間のタイガーロープが邪魔だと仰る方がいます。あのロープは上下線間をきちんと分離することで線路内の工事や作業を安全に行うために必要なものです。線路が安全に保たれなければ、列車も走ることができないということを知っておいていただければと存じます」 にもかかわらず、「タイガーロープ」を撤去する撮り鉄が出てしまいました。 安全に線路の保守作業を行うため、必要な「タイガーロープ」。なぜ撮り鉄はそれを嫌うのでしょうか。「タイガーロープ」がない区間は車両が綺麗に写せると、撮り鉄から人気が高い(2010年9月、恵 知仁撮影)。 理由はとても明快です。「タイガーロープ」は車両を綺麗に撮影するうえで、邪魔になるからです。特に新しい「タイガーロープ」は黄色が目立つことから、嫌悪する人もいます。 列車が先頭から最後尾まで、図鑑の写真のように綺麗に収まった鉄道写真は「編成写真」と呼ばれ、「鉄道写真のブツ撮り」と表現する人もいます。「ブツ撮り」は写真業界の用語で、簡単にいえばカタログに載せるような商品写真の撮影です。 商品写真に邪魔なものが映り込んでは台無しです。そのため「編成写真」においては邪魔なものが入っておらず、とにかく車両が綺麗に写っているものを良しとするひとつの価値観があります。その価値観に従うと、列車の前に張られた「タイガーロープ」は邪魔でしかないとして、しばしば一部の撮り鉄が暴走するわけです。 しなの鉄道は先述の事件の際、公認非公式Twitterで次のようにつぶやいています。 「今回の件はマナー以前の話です。また線路は公表している時刻表以外にもたくさんの列車が走ります。撮り鉄のみなさんには改めて安全な場所からの撮影をお願いしたいと思います。本当に、今回の件は非常に残念です」 鉄道ファンの大部分も「非常に残念」と思っているでしょう。こうした行為をする撮り鉄は、一部の人です。しかし1960~70年代の「SLブーム」時なども同様の事例が起きており、いまに始まったことではありません。(「乗りものニュース」より2015年6月10日分を掲載)

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    夜空に舞う顔写真数百枚、ネット拡散で撮り鉄に下った「私刑」

     ビル10階の広場に立った少年2人は夜空に向け、数百枚の写真を思いっきり投げ捨てた-。大阪市北区のJR大阪駅ビルで9月、大量の写真が突然、空から舞い散る騒動があった。写真はいずれも同じ男性が撮影されたもの。「誰が、何のために」と通行人らを気味悪がらせたが、“犯人”は鉄道撮影が趣味という「撮り鉄」の少年2人で、「撮影現場で割り込みをしたやつへの嫌がらせ」が動機だった。都会のど真ん中で写真がばらまかれるという衝撃の事件に、ネット空間は沸騰。ばらまいた少年や撮影された男性、果ては「撮り鉄」全体もやり玉に挙げられる事態となった。顔のアップから全身まで 9月19日夜、人通りの多いJR大阪駅前で通行人の足を止めさせたのは、頭上から突然舞い落ちてきた数百枚の写真だった。写っていたのは、短髪の若い男性。顔がはっきりと分かるアップもあれば、首から一眼レフをかけて電車の優先席に座り、携帯電話を操作している全身の写真もあった。 「一体、誰がなんのために…」 だれもが思ったに違いない疑問に対する答えは、まもなく明らかになった。当時現場近くにいた16、17歳の少年2人が、大阪府警曽根崎署の任意聴取に、あっさりと「自分たちがやった」と白状したのだ。 動機は「電車の撮影現場でいつも割り込んでくる悪いやつがいて、面白半分、嫌がらせ半分でばらまいた」というもの。ビルの上から写真をばらまくという派手な“演出”の割に、撮り鉄同士の些細(ささい)なトラブルの延長だった。 ビル10階の広場に立った少年2人は夜空に向け、数百枚の写真を思いっきり投げ捨てた-。大阪市北区のJR大阪駅ビルで9月、大量の写真が突然、空から舞い散る騒動があった。写真はいずれも同じ男性が撮影されたもの。「誰が、何のために」と通行人らを気味悪がらせたが、“犯人”は鉄道撮影が趣味という「撮り鉄」の少年2人で、「撮影現場で割り込みをしたやつへの嫌がらせ」が動機だった。都会のど真ん中で写真がばらまかれるという衝撃の事件に、ネット空間は沸騰。ばらまいた少年や撮影された男性、果ては「撮り鉄」全体もやり玉に挙げられる事態となった。 9月19日夜、人通りの多いJR大阪駅前で通行人の足を止めさせたのは、頭上から突然舞い落ちてきた数百枚の写真だった。写っていたのは、短髪の若い男性。顔がはっきりと分かるアップもあれば、首から一眼レフをかけて電車の優先席に座り、携帯電話を操作している全身の写真もあった。 「一体、誰がなんのために…」 だれもが思ったに違いない疑問に対する答えは、まもなく明らかになった。当時現場近くにいた16、17歳の少年2人が、大阪府警曽根崎署の任意聴取に、あっさりと「自分たちがやった」と白状したのだ。 動機は「電車の撮影現場でいつも割り込んでくる悪いやつがいて、面白半分、嫌がらせ半分でばらまいた」というもの。ビルの上から写真をばらまくという派手な“演出”の割に、撮り鉄同士の些細(ささい)なトラブルの延長だった。 「助けて、死にたい」 居合わせた通行人らが気味悪がったこの奇妙な出来事は、ツイッターで投稿され始めると、一気に拡大した。 「梅田で誰かの写真が大量にふってるなう」 「めっちゃ写真何百枚ってまかれてた!」「ゆがんだ正義感の発露」 中には、画像を修正したりせず、男性の顔がはっきりと分かるまま投稿したものもあり、「誰だよ」「氏名もじきに分かるだろう」といったツイートも登場した。 男性の顔写真は瞬時に拡散。ネット上には、少年らの軽はずみな行動を批判する声があふれたが、同時に、被害者である男性に対しても、写真をみた印象から「確かにマナー悪い。優先席にえらそうに座ってるからなぁ。こいつ何様って感じ」と攻撃的な書き込みがなされた。同じ男性の顔写真がばらまかれたJR大阪駅ビル前の広場=大阪市北区  そうした結果、被害者とみられる男性は、こう書き込んだ。 「俺の写真が大阪駅にばらまかれてる。助けて、死にたい」 「撮り鉄やめよかな、辛い、病んでます」 今回の騒動がここまで過熱したのは、登場人物が「撮り鉄」だったことも影響しているかもしれない。実際一連のツイートの中には、「また撮り鉄か。ホント迷惑なやつらだわ」などとする投稿もあった。「撮り鉄」がらみのトラブルが時折、話題になったりするのが背景にあるのだろう。 「おい、邪魔だ! 下がれよ、こらあ!」 「手出してるやつ死ね!」 今年3月、寝台特急「あけぼの」のラストランを迎えたJR大宮駅(埼玉県)のホームでは、撮り鉄たちの怒号が飛び交っていた。その様子が動画投稿サイトにアップされているが、記録されているのは押し合いへし合いする撮り鉄たちと、耳をふさぎたくなるような罵声(ばせい)。殺気立った雰囲気が伝わってくる。 10月には同じ埼玉県のJR上尾駅で、臨時列車を撮影しようとした撮り鉄が興奮し、転落防止のためにホームに進入禁止のロープを張った駅員らに詰め寄る場面があった。同様に動画がアップされたが、「撮り鉄が駅員に暴行して逮捕された」という誤った情報も流れた。 「撮り鉄」のマナーの悪さなどを批判する声はたびたび聞かれる。だが、「撮り鉄」を自称する大阪市内の男性会社員(29)は「非常識な行動をするのは、自分勝手な一部の人。その人たちのせいで、同じ趣味を持つ自分たちまで悪く思われるのは、勘弁してほしい」と話す。「ゆがんだ正義感の発露」 スマートフォンが一般に浸透し、ツイッターやLINEといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は生活の一部となりつつある。 だが、ネット問題に詳しい神戸大大学院の森井昌克教授(情報通信工学)は「多くの人はそうしたツールを使いこなしているように見えるが、実はそうではない。安易に写真や情報を投稿することの怖さを分かっていない」と警鐘を鳴らす。 ネット上には、他人の顔写真や個人情報を勝手にネットに投稿する「晒(さら)し」行為が蔓延(まんえん)している。万引犯を盗撮して晒したり、他人のツイッターから未成年の飲酒写真を引っ張ってきて晒したり…。何も悪いことをしていなくても、気付かないうちに晒されることだってあるかもしれない。いつどこで、自分のどんな情報が晒されているか、分かったものではない時代だ。 森井教授は晒す行為を「悪いことをした人に制裁を加えようとする、ゆがんだ正義感に裏付けられている」と指摘する。ひとたび晒されれば、それを見た人たちがあっという間に個人を特定し、ネット上で悪口を言い、ときには学校に通報したり、自宅に嫌がらせの電話をかけたりして追い詰める。 「私刑」と揶揄(やゆ)されることもある。森井教授は「正義だと思って、その場のノリでやっているだけなので、当人は罪悪感が薄い」と語る。 大都会で写真をばらまくという、ど派手な行動が注目を集めた今回の騒動。問題の根っこにあるのは、陰湿な晒しを好物とする現代の世相なのだろうか。(2014年10月14日掲載)

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    「撮り鉄」のマナーが悪化する鉄道写真界特有の原因とは

     真岡鉄道が怒った! 栃木県を走るローカル鉄道「真岡鉄道」が、フェイスブックに鉄道写真を撮るアマチュアカメラマン、いわゆる「撮り鉄」たちに踏み荒らされた菜の花の写真とそのマナーの悪さを戒める投稿をアップして話題を呼んでいる。ネットでもしばしば一部の撮り鉄のマナーの悪さは指摘される。なぜ彼らはそんなに行儀が悪いのか。カメラ誌に記事も書いているフリー・ライターの神田憲行氏が取材した。* * * くだんの投稿は11日朝に行われた。踏み荒らされた菜の花の写真3枚とともに、《どう感じますか?/踏みつけられた菜の花。/何を撮影したいのですか?/たかが菜の花?/綺麗に咲いている菜の花を踏みにじって何も感じないのでしょうか?/地元の方たちが手をかけて咲かせていることをわからないのでしょうか?》 と疑問を投げかけ、最後に《この投稿を見て、もしも該当するような事をされてしまった方がいらっしゃいましたら今後はそのような事を絶対にしないでください。関係無い、今迄通り好き勝手やる、そう思った方はもう来ないで下さい。》 と厳しく諫めている。 私はこの投稿を読んで、「よくぞ言ってくれた」と膝を打った。実は今まで一部の撮り鉄のマナーの悪さについて鉄道会社に取材を申し込んでも、まず受けてもらった経験がないからだ。問題意識がないわけではなく、ただ多くの人に利用して貰う鉄道会社として言いにくい、という事情があるからだ。真岡鉄道としては、自分たちの鉄道を撮るために付近の住民に嫌な思いをさせたくない一心で、厳しい論調になったのだろう。真岡鉄道の勇気に拍手を送りたい。画像はイメージです それにしてもなぜ撮り鉄のマナーの悪さが目立つのだろうか。90年の歴史を誇る写真とカメラの雑誌「アサヒカメラ」(朝日新聞出版)の佐々木広人編集長は、これまで定期的に撮影マナーについての特集を組んでいる。どれも好評だという。「というのは、一部のマナーの悪いアマチュアカメラマンの態度にプロ写真家も大多数の良質なアマチュア写真家も怒っているからです。彼らと一緒にされてはたまりません」 佐々木氏自身、小湊鉄道に撮影のため訪れたとき、近所の庭の生け垣に直径10センチほどの穴が開けられているのを見つけた。その家の人に聞くと、庭に無断で侵入し、生け垣に穴を開けてその穴越しに前を走る列車を撮ろうとしていた人がいるらしい。その穴の近くにレンズキャップまで落ちていた。 なぜ「撮り鉄」にそんな異常な人が現れてしまうのか。実は鉄道写真界特有の原因がある。全国の有名鉄道には、有名写真家が傑作をものした撮影スポットが存在する。「そういう撮影スポットを通称『お立ち台』と呼びます。お立ち台から撮ればその写真家の傑作に近い構図が得られるので、アマチュア写真家が集中する。1箇所に押し合いへし合い人が集まれば、なかには柵を乗り越えたり花を踏み荒らす人が出てきます」(佐々木編集長)ここで疑問なのは、大勢で一緒に同じような写真、しかもすでにプロの傑作があるような写真を撮って面白いのか?ということである。たとえば写真コンテストで入選するのだろうか。「ダメですよ(笑)うちでも鉄道写真コンテストをやったことがありますが、『お立ち台』から撮った写真は選考委員のプロの鉄道写真家が見れば一発でわかる。結局、コンテストの審査基準で重要なオリジナリティに欠ける、という評価になります。また明らかに立ち入り禁止エリアから撮影したであろうものも、選考対象から外しています」(佐々木編集長) さらに先の真岡鉄道の投稿に対して「鉄道利用者に対してその物言いはいかがなものか」という反論もある。だが、そもそもそういうマナーの悪い撮影者は「お客様」なのだろうか。プロの鉄道写真家は、たとえば真岡鉄道のようなローカル鉄道の撮影前には必ず電車に乗って一往復する。それが敬意であるからだ。しかしマナーの悪い撮り鉄は得てして、車で『お立ち台』目当てに一直線で行って、電車を利用しないという。撮り鉄の大前提である「鉄道が好き」かもわからない。 結局、マナーの悪い一部の撮り鉄は(あくまで一部ですよ!)、マナーが悪いだけでなく写真のセンスもない、本当に鉄道好きかも疑わしい人物だということに他ならない。関連記事■ 公共の場でのデジカメ撮影 「ごめんなさい」という気持ち重要■ 103歳ゴルファーから若者へ 「素振りとマナーを身につけよ」■ 撮り鉄マナー学ぶ小1男児 「迷惑かけぬよう気をつけます」■ 「復旧時間差の理由」等震災を機に鉄道のあり方を問う書登場■ ある初代新幹線0系の末路 教習車となった後朽ち果て姿消す

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    新幹線の裏にある「不都合な真実」

    昨年の北陸新幹線の開業に続き、今年は北海道新幹線が開通した。今年もマスコミは新幹線狂騒曲を奏で、華やかに報道するだろう。しかし、その裏側にある赤字在来線の穴埋めをする自治体や住民の負担のことには触れない。政治家と国民が忘れてはいけないお金の話とは。

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    新幹線は地方を幸せにするのか

    務を抱え、当の国鉄は民営化されたものの、その債務返済に国民はいまもなお巨額の税金を納めている。 国土交通省はその具体的な金額を公表していないが、同省の「平成25年度:日本国有鉄道清算事業団の債務等の処理に関する法律に定める施策の実施の状況に関する報告」(平成27年2月)によれば、平成25年度の1年間に債務残高が2970億円減少、同年度末段階で18兆1083億円にまで元本部分の償還がなされたことがわかる。したがって、旧国鉄債務の元本償還費および利払い費は、いまなお年間約5000億円前後に達しているものと推察される。そして、これらの支払い財源については、「郵便貯金特別会計からの特別繰入(平成14年度まで)、たばこ特別税収、一般会計国債費等により手当した」旨が記載されている。 各種メディアもその現実を知らせないままに浮かれた話題だけを煽るのだから、新しいもん好きの国民はそんなことを露(つゆ)とも知らずブームに乗る。地域経済に恵みの特需がずっと続けばいいが、必ずブームは去っていく。メディアで北海道新幹線の話題を見聞きするたびに、私は「またか」と思いつつ、ますます疲弊していくわが国の将来に暗澹たる気持ちになる。整備新幹線の二つの問題整備新幹線の二つの問題 近年、次々に開業している新たな新幹線を整備新幹線と呼ぶ。はたして整備新幹線とは何か。昭和45年の全国新幹線鉄道整備法の制定以前に事業化された東海道新幹線や山陽新幹線、上越新幹線は整備新幹線とは呼ばない。その後、同法に基づき事業化された路線が整備新幹線である。昭和48年に政府が整備計画を決定、昭和62年の旧国鉄の分割・民営化を経て、平成元年から着工された。その対象は、冒頭に述べた北海道新幹線(新青森・新函館北斗)のほか、平成22年に全線(東京・新青森)が開業した東北新幹線、平成23年に鹿児島ルート(博多・鹿児島中央)が開業した九州新幹線、そして平成27年3月に長野・金沢間が開通した北陸新幹線(高崎・金沢)である。 整備新幹線が構想された昭和40年代は、地方も含め日本全国の人口がどんどん増えた時代である。東京をはじめ大都会に若い労働力が大量に流入し、中央集権体制の下で地方も戦後の貧困から脱し発展し続けていた。地方自治体の税収も地方の中小企業の業績も右肩上がりで、日本中が高度経済成長に沸いていた。その後も、日本の人口は伸び経済は発展し続けるものと誰もが考え、「国土の均衡ある発展」などの美しいフレーズも謳われるなかで整備新幹線は計画された。 だが、当時から半世紀近く経ったいま、「失われた20年」とも揶揄される長期のデフレ経済にもがき苦しみ続けているのが21世紀の日本だ。想定された社会環境がまったく違うのだから、歪みが生じないわけがないだろう。結果論をいっているのではない。人口減少などはもう何年も前からわかっていて、不肖私を含めてその指摘をする者もいたが、残念ながらそうした指摘は無視されたままかつての計画は次々に建設着工に至った。 第一の指摘は、整備新幹線そのものが巨額の建設コストに見合う収益を上げられるものなのかという点である。構想から半世紀近く経ってようやく開業にこぎ着けたということは、逆にいえばその間の社会環境の変化により、当初の構想段階での投資損益の予測と現実がまったく異なってしまうということだ。要するに、造った新幹線は本当に元を取れるのかということだ。その間には、昭和62年に経営主体である旧国鉄の分割・民営化が実現し、これに伴う形で平成8年には建設のための財源スキームも大きく変容を遂げている。口惜しいが、この採決時、私は衆議院運輸委員会でただ一人反対した。孤独な謀反だった。第三セクター・しなの鉄道の観光列車「ろくもん(ROKUMON)」の出発式でテープカットする藤井武晴社長(左から2人目)、デザイナーの水戸岡鋭治氏(中央)ら=2014年7月11日、しなの鉄道・軽井沢駅 第二の問題は、整備新幹線の開業時にJRの経営から分離される「並行在来線」をどうするかという点である。こちらはより深刻だ。これまでJRの経営から分離された並行在来線はすべて地元自治体の出資する「第三セクター」が受け皿となってきた。並行在来線沿線の地元自治体には、地元住民の「身近な足」を維持・存続すべき責務がある。 しかし、現実にそれは可能なのか。一口に「第三セクター」による並行在来線の経営といっても、急激な少子高齢化とそれに伴う乗車人員の減少が続く地域にあって、本業の旅客輸送で売り上げを伸ばすことは至難の業である。運賃を引き上げようにも、主な利用者は減り続ける通勤客・通学生であるから自ずと限界がある。観光客を惹き付けるため、観光列車を仕立てたり観光施設を整備したり、何とか知恵を絞って頑張ったとしても、一時的にはともかくその経営の安定化に成功した例はない。だいたい鉄道に限らず、第三セクターという組織が経営を成功させている事例がどれほどあるだろうか。 さらに、第三セクターの経営に責任を負う地元自治体の財政状況はどうか。そもそも大多数の自治体は、人口減少や地方経済の低迷等により、税収の減少に歯止めがかからない状況にある。とくに、平成21年度から施行された地方財政健全化法により、すべての自治体は第三セクターを含めた負債や資金不足について財政運営上の一定の制約が課せられており、「健全化判断比率」という複数の財務指標が監視対象とされている。したがって、第三セクターによる並行在来線の経営の失敗は、そのまま地元自治体の財政破綻に直結するのだ。整備新幹線の甘い将来予測整備新幹線の甘い将来予測 具体的に見てみよう。整備新幹線を建設すれば、地域経済もJRも潤うといった夢のような時代はすでに過ぎ去っている。鉄道が開業することで交通不便な地域に光が当たり、人が住み、職場ができ、新たな経済圏ができる時代ではないということだ。半世紀近く前に構想された整備新幹線の需要や投資損益をきちんと予測するのは人智を超えている。そして、どうしてもバラ色の未来といった甘い将来予測になりがちなバイアスがかかるのが世の常である。 たとえば、整備新幹線のなかでも最も早く開業した長野新幹線(北陸新幹線の高崎―長野まで)の需要予測と実績を対比してみよう。昭和63年に政府・与党の着工優先順位専門検討委員会が公表した平成12年度(開業次年度)の需要予測は2万3000人キロ/日・㎞であるのに対して、同年度の実績輸送密度は1万7600人キロ/日・㎞にすぎず、予測の77%にとどまっている。 現在、国土交通省は、整備新幹線の路線ごとに需要予測に基づく収支採算性や投資効果を見積もった上で、着工の優先順位等を判断するとしている。 では、その収支採算性とはいったい何か。国土交通省の資料によれば、収支採算性とは次のような概念とされる。まず、整備新幹線の開業後30年間にわたる交通需要予測に基づき、各年度の(1)新幹線を整備した場合の利益(整備新幹線の利益+既設線の利益)と、(2)新幹線が整備されない場合の利益(並行在来線の利益+既設線の利益)を比較した上で、(1)の利益が(2)の利益を上回る場合、その差額を収支改善効果(年額)と呼ぶとともに、鉄道・運輸機構がその整備新幹線の建設を進めることとする。そして、上記収支改善効果(年額)の30年分の平均値(年額)を収支採算性と呼ぶのだそうだ。典型的な霞が関文学のなせる業であり、一読しておわかりになる向きはほとんどいないのではないだろうか。 そもそも整備新幹線の開業後30年間にわたる交通需要予測は、将来人口の予測値のほか、実質GDP成長率や物価上昇率をベースとして計算されており、いずれ実態と大きく乖離する恐れがある。また、(1)新幹線を整備した場合の利益(整備新幹線の利益+既設線の利益)と、(2)新幹線が整備されない場合の利益(並行在来線の利益+既設線の利益)とを比較するというが、そこでの「利益」計算では、新幹線の建設コストはいっさい考慮されておらず、開業後の運営コストのみで比較がなされているのだ。要するに、収支採算性というもっともらしい言葉で国民を煙に巻き、将来、赤字が発生してもその時に考えればいい……という安易な考えさえ見て取れる。最初から破綻した理屈なのだ。 なお、整備新幹線の開業後、JRは、収支改善効果(年額)の30年分の平均値とされる収支採算性(年額)の範囲内で、鉄道・運輸機構に貸付料等を支払うこととされている。要は、JRは絶対に損をしない仕組みが約束されているのだ。これは、JRは並行在来線等の不採算部門を切り離した上で、整備新幹線で利益が出たなかからだけ新幹線建設費を鉄道・運輸機構に払うということにほかならない。国鉄時代とは隔世の感がある。ここにこそ、民間企業になったJRが新幹線を引き受けるカラクリがあるのだ。 たとえば、平成24年に国土交通省が取りまとめた「収支採算性及び投資効果に関する確認」によれば、北海道新幹線(新函館・札幌)の収支採算性の予測として、(1)新幹線を整備した場合の利益が年11億円であるのに対し、(2)新幹線が整備されない場合の利益は年間でマイナス24億円であるから、収支採算性は年間で35億円のプラスとされている。だが、その両者の内容を子細にみると、開業後にJRの経営から分離される並行在来線の収支採算性は年間でマイナス75億円。したがって、赤字の並行在来線を切り離すだけで必ず整備新幹線の収支採算性はプラスになるのだ。そのような赤字の並行在来線を押し付けられる地元自治体にとってはたまったものではないといいたいところだが、熱心に新幹線誘致をしてきたのは当の自治体だ。結局、誰も社会全体での採算性を計算していないのだ。並行在来線問題とは何か並行在来線問題とは何か 並行在来線とは、整備新幹線に並行して走る在来線を指す。新幹線開業前はJRの特急も鈍行も走ってきた地域の大動脈だが、新幹線開通後は新幹線を除く列車が走る。たとえば、九州新幹線ができる前は、鹿児島―熊本―博多の間には旧鹿児島本線があり、特急つばめも鈍行も同じ線路を走っていた。だが、九州新幹線開業に伴い旧つばめは廃止され、いまは快速と鈍行が走るのが並行在来線だ。 整備新幹線の建設・開業に伴い、並行在来線をどうするかという点については、平成2年、「整備新幹線着工等についての政府・与党申合せ」により「建設着工する区間の並行在来線は、開業時にJRの経営から分離することを認可前に確認すること」が合意された。その後、平成8年の政府与党合意「整備新幹線の取扱いについて」で、「具体的なJRからの経営分離区間については、当該区間に関する工事実施計画の認可前に、沿線地方公共団体及びJRの同意を得て確定する」こととされた。 これまで整備新幹線の開業に伴いJRから経営分離された並行在来線は、地元自治体を主体とする第三セクターが経営してきた。「しなの鉄道」(長野県)、「青い森鉄道」(青森県)、「IGRいわて銀河鉄道」(岩手県)、「肥薩おれんじ鉄道」(熊本県・鹿児島県)などである。昨年3月の北陸新幹線(長野・金沢)の開業時からは、同様に「えちごトキめき鉄道」(新潟県)、「あいの風とやま鉄道」(富山県)、「IRいしかわ鉄道」(石川県)の運行が始まった。「青い森鉄道」の筒井駅(青森市)に到着した電車 新たに新幹線ができる地方はいずれも人口減少の真っただ中にあり、当然、並行在来線に乗るパイは年々減っている。とはいえ、新幹線では通勤・通学はできないから、地域住民の足としての鉄道を絶対に残さなければならない。長距離の乗車料金を払った上に、特急料金やグリーン料金まで払ってくれる〝おいしい〟客は全員JRの新幹線に乗り、通勤・通学の割引料金で乗る人とたまのお出かけの人を客として並行在来線は運行し続ける。すでにお察しだと思うが、すべての並行在来線の経営状況は当然にきわめて厳しい。 そこで、平成23年6月、国鉄債務処理法を改正して対策が講ぜられた。JR貨物が並行在来線に対して支払うレール使用料に鉄道・運輸機構が金額を上乗せする「貨物調整金」について、鉄道・運輸機構の特例業務勘定の利益剰余金(1兆2000億円)のうち1000億円を10年間で分割して支出することとされたのだ。しかし、10年間の収入増が約束されたとしても、そもそも経営構造として黒字化できない鉄道だからあくまで一時しのぎにしかならない。 さらにいえば、そもそも鉄道・運輸機構の特例業務勘定とは、旧国鉄職員の年金支給や国鉄資産の売却などを行なう国鉄清算業務の経理に関する勘定であり、そこに利益剰余金が溜まったからといって並行在来線の赤字救済に支出するというのは、まったく筋違いの政治的決定でしかない。 いまや立派に民間企業マインドを有するJRは、お荷物路線を切り離すことと引き換えに整備新幹線を引き受けているのだ。よって、万年赤字が宿命づけられた並行在来線こそが新幹線狂騒の裏にある最も深刻な問題といえる。 以下、すでに過去10年前後の実績のある4事例(しなの鉄道、青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道、肥薩おれんじ鉄道)を具体的にみてみよう。いずれも沿線人口や利用者の減少、運賃の大幅な高騰、地元自治体の負担の増大といった問題が生じている。赤字垂れ流しの並行在来線赤字垂れ流しの並行在来線(1)しなの鉄道 平成9年、長野新幹線の開業に伴い、長野県の第三セクターとしてスタートした。当初、長野県は、開業からの10年間、毎年1.5%ずつ輸送人員が増加するとの予測を公表していた。 しかし、現実はまったく逆で、開業2年目の平成10年の1235万人から平成22年の998万人にまで一貫して輸送人員は減少した。平成13年には債務超過に陥り、しなの鉄道は早くも経営危機を迎える。長野県は、しなの鉄道に対する無利子融資約103億円を出資に切り替えた上で減損損失と相殺し、実質的な債権放棄を余儀なくされた。すなわち、約103億円の長野県民の税負担ということだ。運賃も、JR当時と比較すると、普通運賃が1.24倍、通学定期は1.61倍、通勤定期は1.49倍に高騰した。 その後、輸送人員は平成23年度の1004万人から、一時的には沿線のワイナリーのワインを楽しめる観光列車「ろくもん」の運行開始などもあって平成25年度に1037万人にまで回復したものの、ブームは長続きせず、平成26年度には再び1005万人にまで減少した。(2)青い森鉄道 平成14年、東北新幹線の盛岡以北の延伸に伴い、青森県の第三セクターとしてスタートした。並行在来線として初めて「上下分離方式」を採用し、青森県が線路設備の維持・管理を行ない、青い森鉄道が県に線路使用料を支払い列車を運行する仕組みである。 平成15年の開業翌年から平成22年まで輸送人員は減少の一途をたどり、営業収支、経常収支ともに赤字基調が続いた。新青森まで全線開通した平成23年度以降一転して黒字になるが、それは旅客運輸収入等の本業による収入増の寄与ではない。そのからくりは、上述のJR貨物から支払われる貨物調整金の増額が主要因であり、いわば形だけの黒字である。 さらに青い森鉄道の場合は、青森県に対して支払うべき線路利用料の減免がある。具体的には、平成25年度には7億436万円発生した本来の線路使用料のうち、8割超の5億9094万円の減免を受けている。上下分離方式の下、青森県は線路設備の維持・管理を外部委託しており、本来、青い森鉄道から青森県に対して支払われる線路使用料は、青森県の保守管理に要する経費(鉄道施設事業費)に充当されるべきものであるが、それが8割超も減免されているのである。 実際に青森県は、平成25年度に46億6494万円の鉄道施設事業費を支出している。裏を返せば、青い森鉄道の経営は、青森県民の税金でほとんど丸抱えされている。JR当時と比較すると、普通運賃は1.37倍、通勤・通学定期は1.65倍に高騰している。(3)IGRいわて銀河鉄道 平成14年に青い森鉄道と同時に岩手県内での運行をスタートした。IGRいわて銀河鉄道は青い森鉄道とは異なり、鉄道施設の保有および運行の両方を行なっている。平成15年の開業翌年から、平成18年を除き、一貫して輸送人員は減少した。その間、開業時から平成22年度までは営業収支、経常収支ともに赤字を垂れ流し続け、累積赤字は4億1500万円にまで達した。平成23年度以降、東北新幹線の新青森までの延伸に伴ってIGRいわて銀河鉄道も延伸され、線路利用料収入の増加に加え、上述の貨物調整金の大幅な増額があり、平成25年度決算でようやく累積赤字を解消した。 JR当時と比べて、普通運賃で1.58倍、通学定期と通勤定期はそれぞれ1.99倍、2.12倍に倍増させた。〝日本一〟の沿線住民負担で努力しているものの、年間10億円にも達する貨物調整金頼みの経営となっている。(4)肥薩おれんじ鉄道 平成14年、鹿児島県、熊本県、沿線10市町、JR貨物の出資による第三セクターとして設立された。平成16年、九州新幹線鹿児島ルートの一部開業に合わせて鹿児島本線(川内・八代)の運行をJR九州から引き継いだ。 輸送人員は、開業2年目の平成16年度の18万8000人から平成23年度の14万5000人にまで一貫して右肩下がりで減少している。運賃も、JR時代と比較すると、全体で平均1.3倍となった。経営状況は、これまで述べてきた既存の四つの第三セクターのなかでも最悪である。開業以来、一貫して経常赤字を垂れ流し続けており、黒字転換の目処は立たない。平成16年に約5億円の「肥薩おれんじ鉄道経営安定基金」を設置したものの、すでに底を突きつつある。平成24年には今後10年間で、熊本県および同県沿線自治体(約16億円)、鹿児島県および同県沿線自治体(約7億円)、鹿児島県市町村振興協会(約10億円)の補助を行なう計画が立てられたが、たんなる延命措置にすぎず、抜本的な経営改善の見通しはまったく立たない状況にある。(5)北陸新幹線の開業に伴いスタートした第三セクター 以上、既存の四つの第三セクターの惨憺たる実績に鑑みれば、北陸新幹線の開業による「新幹線フィーバー」の陰でスタートした三つの第三セクター「えちごトキめき鉄道」、「あいの風とやま鉄道」、「IRいしかわ鉄道」の前途も赤字垂れ流し線になることは確実といえる。 運賃はすでに高騰が始まっている。えちごトキめき鉄道の場合、移管後5年間はJRと同水準とし、6年目以降は利用者の動向を踏まえて決定するとしているが、あいの風とやま鉄道の場合、開業後5年間は激変緩和措置として、普通運賃と通勤定期はJRの1.12倍、通学定期はJRの1.03倍とし、6年目以降、普通運賃と通勤定期はJRの1.19倍、通学定期はJRの1.05倍に値上げする計画としている。 また、IRいしかわ鉄道の場合、普通運賃と通勤定期は5年目までJRの1.14倍、6年目から11年目までJRの1.19倍、通学定期は5年目まで据え置き、6年目から11年目までJRの1.05倍に値上げする計画とされている。各線とも、その後のさらなる値上げは避けられないだろう。なぜならば、IRいしかわ鉄道は、開業後10年間で約11億円の累積赤字をすでに見込んでいる。そこで、石川県は約30億円の基金を設置して経営を支援することにしているが、赤字解消の具体策は何らなく食いつぶすだけになるだろう。富山県も約65億円の基金を設置して、あいの風とやま鉄道の経営を支援するが、基金は開業後10年間で底を突く予定という。政治家も国民も悪い政治家も国民も悪い 整備新幹線の開通によって恩恵を受けるのはいったい誰なのか。最速かつ快適に移動できる新幹線の乗客、そして不採算の赤字在来線から手を引き新幹線の売り上げを見込めるJR各社だ。その裏で赤字在来線の穴埋めをするのが当該自治体であり、従来に比べ不便を強いられた上に穴埋めのための納税をするのが当該住民たちだ。日常生活で新幹線を利用することの少ない地元住民、とくに新幹線のルートから外れた地域や通過されるだけとなった駅周辺の住民にとっては、負担のみを押し付けられることになる。もっとも、20年以上前には、対象地域の県庁や市役所は「一日も早い新幹線を」などという横断幕を掲げ、決起集会を催していた。住民も新幹線が来ることが地域の発展になると淡い期待をもって、「早期実現」署名に応えていたはずだ。北海道新幹線報道試乗会、車窓から函館山が見られる区間もあった=1月28日午前、北海道北斗市付近(撮影・春名中) いまさら恐縮だが、平成9年4月15日、衆議院運輸委員会での法案採決の場面を思い起こさずにはいられない。JRから並行在来線を切り離すことやJRは受益分からの建設費負担にするなどの建設スキームを変更する法案に、私は共産党以外でただ一人反対した。自民党議員は「オレが引っ張ってきた」というために建設推進一色、野党議員は「妨害した」と地元から思われたくない一心で皆賛成した。私自身は当時の所属政党だった新進党内で厳しい視線に晒され、党議違反ということで厳しく注意された。政策議論であるはずなのに、先輩議員からは「生意気だ」といわれもした。私以外にも上述の問題を予想していた政治家も学者も国民も少なからずいたはずだが、「わがふるさとにも新幹線を」の声にかき消された。後先を考えないこうした政策決定が日本をますます疲弊させている。 現在、新青森と新函館北斗を結ぶ北海道新幹線の工事も最終盤を迎え、今月には開業予定である。また、新函館北斗から札幌までの区間もすでに平成24年8月に着工しており、平成43年春に開業予定だ。青函トンネルを通る海峡線は、新幹線と在来線が共用するのでJRの経営からは分離されないものの、経営難とそれに伴う安全対策の不備により重大事故が多発しているJR北海道の運行もまた手放しで喜べない。そして、江差線(五稜郭・木古内)については、新青森・新函館北斗間の開業と同時に第三セクター「道南いさりび鉄道」に移管される。すでに見たように並行在来線の第三セクターによる経営はすべてが失敗事例だ。ましてや、JR北海道でも立派にできない北の大地での鉄道事業を、不慣れな地方自治体主体の第三セクターがうまく経営できるとは思えない。 北海道新幹線が開通する今回も、マスコミはまた華やかな一面だけを伝え、その裏側にある現実を国民に伝えないのだろうか。第三セクターの赤字穴埋めのための財政負担に耐え切れなくなった各地方自治体はやがて国に補助金等の陳情に走る。国だろうが、地方だろうが、税負担による穴埋めは国民に回ってくる。結局、政治家も国民も悪いのだ。共に「我田引鉄」で万年赤字になった国鉄の教訓をすっかり忘れている。わが国の財政の窮状を国民に正直に伝える勇気のない政治家と、甘い政策には飛び付くものの自らが負担する覚悟のない国民がわが国を蝕んでいるのである。なかだ・ひろし 1964年生まれ。青山学院大学経済学部を卒業後、松下政経塾に入塾(第10期生)。93年、衆議院議員に初当選。以降、通算4期務める。2002年、横浜市長に政令市史上最年少で当選、2期務める。総務省顧問、大阪市特別顧問などを歴任。著者に『政治家の殺し方』(幻冬舎)、『失敗の整理術』(PHPビジネス新書)などがある。

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    新幹線ができること、できないこと

    新幹線の開業によってなぜ新たな移動が生じるのか。確たる理由は不明ながら、やはり人々は巨大かつ安定した交通機関の誕生を強く意識するのであろう。実際に近年開業の新幹線は500人から1000人程度の旅客を一度に移動させることができるし、たいていの駅では1時間に1本程度以上の割合で列車がやって来る。運行についての安定度も高く、列車が大きく遅れる事態は少ない。 航空の場合、輸送需要に見合った設定ながら、多くの路線では頻繁と言えるほどの便数ではないし、実際には天候によって運休する例は少ないとはいえ、多くの人々は欠航の可能性の高い不安定な交通機関であると認識している。また、自動車の場合は自らハンドルを握って移動することが多いため、交通渋滞であるとか万一の事故といった不安定な要素がさらに増す。空港や高速道路の建設によってその地域にもたらされた恩恵は、ことによると新幹線よりも大きいかもしれないにもかかわらず、人々は新幹線によりありがたみを感じ、実際に利用するのだ。人々の移動に関して万能でもできないこと 新幹線の開業後に生じる新たな移動需要の具体例を挙げよう。それは結婚式だ。東京で行われる結婚式に対し、関東以外に在住する親類や知人を招待する範囲を端的に言うと、新幹線が通っている場所であろう。東海道新幹線の開業前には関西での結婚式に関東の人が招かれることはほとんどなかった。私事ながら、関東在住の筆者も北陸新幹線開業直後に長野市内での結婚式に招待されたことがある。この3月26日に予定されている北海道新幹線の開業以降、函館で執り行われる結婚式に首都圏や東北地方在住の人が招待されるケースは間違いなく増えるはずだ。 人々の移動に関しては万能に見える新幹線にもできないことがある。現時点で新幹線は貨物を運べないため、物流の担い手にはなり得ないのだ。 どの地域も「新幹線が開業すると大都市圏から多くの人が訪れ、それに企業も進出して大いに発展する――」と開業効果を見込む。前半部分は間違っていない。いままで述べたように、移動者数の増加は「新幹線マジック」としか形容せざるを得ない現象によってもたらされる。しかし、後半部分は場所にもよりけりで、一定していない。成功例のほうが少ないと言える。 企業の進出と完全にリンクしているとは言えないものの、新幹線の開業による経済波及効果を図る意味合いで、物流の変化の度合いを、例によって関東対青森県、関西対熊本県とで表2にまとめてみた。サンプルが少ないながら、表2を見る限りでは新幹線の開業は物流には影響をもたらさず、それどころかむしろ貨物の輸送量は減少している。 北陸、東北、九州の各整備新幹線の開業後に関係者に話を聞くと、一様に同じことを言う。大勢の観光客が押し寄せて名所、旧跡は芋の子を洗うような状況になった反面、新たな産業が勃興するケースは少なかったと。ただし、ストロー現象によって地域の経済力が大都市圏に吸い取られるといった事態は事前の心配をよそにあまり起きていない――。以上の発言が新幹線のできること、できないことを如実に物語っていると筆者は考える。その理由はと言うと、航空や自動車と異なり、新幹線が旅客の移動に特化した特殊な乗り物であるからだ。九州新幹線全線開業1周年記念の出発式。熊本行き「つばめ」の発車の合図を送る女優の村川絵梨さんら=2012年3月17日、JR博多駅 今後も新幹線の整備は続けられる。いまのところは北海道新幹線の新函館北斗-札幌間と北陸新幹線の金沢-敦賀間、九州新幹線西九州ルートの武雄温泉-長崎間が建設中、敦賀-大阪間の建設も時間の問題であり、他の区間も建設されるかもしれない。他方、新幹線の建設費の有力な財源となる国や地方の財政事情は悪化の一途をたどり、好転の兆しは見えない。いかに新幹線の開業で多くの人が移動するようになるからといって、従来よりもさらに多くの経済波及効果が得られなければ建設は非常に困難だ。 いま挙げた理由から、これからの新幹線は新たな役割を果たさなくてはならない。それは並行する在来線が果たしていたすべての機能の置き換えだ。 既存の新幹線は並行在来線の機能のうち、長距離旅客の輸送だけを引き受け、先に述べたように貨物の輸送をはじめ、近距離の通勤、通学客の輸送は肩代わりしてこなかった。莫大な建設費を要する新幹線であるから、今後は在来線をそっくり置き換えるほどの能力をもたせなければ無駄が多く、経営上も成り立たないとさえ筆者は考える。 新幹線が貨物を輸送するに当たり、既存の新幹線にも物流拠点を建設するケースが生じるかもしれない。近距離の輸送を実施するには、現在よりもはるかに多くの駅を設置する必要が生じる。そうした困難を乗り越えてなお、新幹線を整備すべきと判断された区間であれば、2020年代以降の日本にあっても立派に役割を果たし、地域にとって大きな力となるであろう。

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    盛り上がりに欠ける? 北海道新幹線 テレビでは開業日に特番ラッシュ

    (THE PAGEより転載) 【北海道・札幌】3月26日、北海道に「新幹線」がやって来ます。第1号列車はすぐにチケットが売り切れましたが、それ以外の予約率は、開業日から9日間では25%にとどまっていることが報じられました。 テレビでは毎日のように「いよいよです!」と北海道新幹線の開通を歓迎ムードとともに報じていますが、北海道民全員が盛り上がっているわけではないように思います。予約率は25%にとどまるJR札幌駅の外観にも「いよいよ」の文字が躍る ここで、北海道新幹線の開業に向けた昨年末からの動きを簡単におさらいしておきましょう。●2015年10月JRグループが北海道新幹線に関わる料金表を発表。東京~新函館北斗間は片道2万2690円(運賃1万1560円/指定席1万1130円)に決定。東京~札幌間は2万6820円(同1万4140円/1万2680円)。●2015年12月JRグループが3月26日以降のダイヤを発表、東京~新函館北斗間は最短で4時間2分で運行することが判明。接続などを含むと東京~札幌間は最短で7時間44分で、これまでのダイヤよりも1時間23分の短縮。収支試算は年間48億円の赤字(収入111億円、支出160億円)という厳しい数字。●2016年2月マスコミも多数乗車して行われた避難訓練中に5分間の停電。JR北海道は「送電の手順に誤りがあった」と人為的なミスであることを発表。●2016年3月JR北海道が、3月26日の北海道新幹線開業日から9日間の指定席予約状況が25%に留まっていることを発表。また「はまなす」「カシオペア」などの北海道と本州の架け橋的電車が相次ぎ休止。特に「はまなす」は、「最後の急行列車」として愛された存在だった。 このように、決して好調とはいえない指定席の予約状況や厳しい収支予想が発表される中でも、開業PRキャラクター「どこでもユキちゃん」がラベルに登場する記念フードが販売されたり、新幹線に関係する各駅ではイベントが催されたり、札幌ではスキー場で開業を祝う花火大会が開催されたりするなど、開業を歓迎する動きは見られます。今回は「札幌」まで開通しない朝から二部構成で各局が特番放送 一番顕著なのは、テレビの特別番組ラッシュです。開業に向け、これまでも折にふれて特集が組まれてきましたが、 26日の開業日には民放5テレビ局が軒並み特別番組を放映します。(時間はいずれも午前)●HBC(北海道放送/TBS系列)「北海道にガッチャンコ!新幹線がやって来たまるわかりスペシャル!」(第1部5時45分~7時30分、第2部9時25分~11時45分、ゲスト:杉村太蔵他)●STV(札幌テレビ放送/日本テレビ系列)「みるみる北の新幹線!北海道開業スペシャル」(第1部5時58分~6時28分、第2部9時30分~11時25分、ゲスト:サンドウィッチマン他)●HTB(北海道テレビ放送/テレビ朝日系列)「新幹線がやってきた!ユメをのせて出発進行」(第1部5時30分~8時00分、第2部9時50分~11時45分、ゲスト:タカアンドトシ他)●UHB(北海道文化放送/フジテレビ系列)「みんなの新幹線」「ゆったりしあわせ旅」(それぞれ9時55分~11時15分、12時~12時55分、ゲスト:矢野直美他)●TVh(テレビ北海道放送/テレビ東京系列)「体感LIVE!新幹線1番列車~期待と課題載せ出発進行~」(6時30分~7時、3月22日に池上彰司会の特別番組を編成)今回は「札幌」まで開通しない ほぼ同時刻に、ほとんどの局が早朝から昼までの長時間にわたる二部構成で特集するという 「テレビ報道の加熱ぶり」と、わずか25%という新幹線の 「低調な予約率」のコントラストが浮き彫りになっています。それにはさまざまな背景があると考えられます。 まずは、今回のタイミングでは札幌まで開通しないこと。予定では2030年度末に札幌に開通するので、後15年ほどかかります。札幌市の人口は190万人強、函館市の人口は26万人強ですから、単純に7分の1の人口規模では全道へ盛り上がりを波及させるのは至難の業です。北海道新幹線の路線図(北海道庁ホームページより) しかも、札幌駅から新函館北斗駅まででも3時間半近くかかります。プラスして、新函館北斗駅があるのは函館市に隣接している北斗市。新函館北斗駅から函館駅までも、新設される「はこだてライナー」などを利用し20分近くかかってしまいます。 SNSをのぞいてみると、「26日の時点では札幌まで開通しないこと」「新函館北斗駅が函館市にないこと」はあまり知られていないようです。 時間的な面・費用的な面などでも、飛行機に後れを取ってしまっている北海道新幹線。「試される大地」(ここ数年北海道のキャッチフレーズに採用されている文言)に乗り込んでくる新しい列車たちは、まさに北の大地で試されようとしています。(ライター・橋場了吾)

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    北海道新幹線 路線図・車両・料金とその沿線

     北海道新幹線は、東北新幹線の新青森(青森市)と札幌を結ぶ延長約360キロメートルの路線だ。今回は新青森-新函館北斗(北海道北斗市)間の約148キロが開通。奥津軽いまべつ駅(青森県今別町)、木古内駅(北海道木古内町)が設置され、両駅の間は世界最長の海底トンネルである青函トンネル(約54キロ)を走る。営業主体はJR北海道。新函館北斗と函館は、在来線「はこだてライナー」で約20分。新函館北斗-札幌間は在来線特急で3時間10分~3時間40分ほど。列車と停車駅東北新幹線と乗り入れ、東京と新函館北斗を乗り換えなしで結ぶ「はやぶさ」は、1日上下各10本。最も速い列車は大宮、仙台、盛岡、新青森のみに停車し、東京-新函館北斗間を4時間2分で運行する。このほか、仙台と新函館北斗を結ぶ「はやぶさ」、盛岡-新函館北斗間の「はやて」、新青森-新函館北斗間の「はやて」がそれぞれ上下各1本。車両と車内JR北海道は、新幹線用車両として「H5系」を4編成(40両)投入。JR東日本のE5系と基本仕様は同じだが、車体中央の帯色を紫色とした。内装の一部にも北海道独自のデザインを取り入れた。東京と新函館北斗を結ぶ「はやぶさ」はH5系かE5系の10両編成。グランクラス、グリーン車が1両ずつ置かれるのは、これまでの東北新幹線・東京-新青森間と同様。どちらの車両の座席にも電動リクライニング機能のほか、レッグレストや読書灯が付く。普通車を含めた全座席に電源コンセントを備える。グランクラス車内。東京―新函館北斗間で運行される「はやぶさ」では、 専任アテンダントによる車内サービスが行われる(写真提供=JR北海道)グリーン車(写真提供=JR北海道)普通車(写真提供=JR北海道)運賃・料金主な区間の運賃・料金の総額(通常期)沿線の見どころは?沿線の見どころ新函館北斗、木古内から  函館人口約27万人の函館市は、年500万人近くが訪れる観光都市。1859年、箱館港が横浜、長崎とともに国内初の対外貿易港となり、異国情緒あふれたエキゾチックな街並みが形成された。函館山(標高334メートル)の山頂から見る夜景は「日本でも屈指」と評判だ。好漁場が近くにあり、「函館朝市」「大門横丁」などで四季折々の海の幸が楽しめる。特にイカとコンブが特産品。観光資源としてはほかに、赤レンガの倉庫群、日本初の西洋式要塞である五稜郭、湯の川温泉などが知られている。函館・冬の夜景(写真=函館観光画像ライブラリー)函館朝市(写真=函館観光画像ライブラリー)大沼国定公園大沼、小沼など3つの沼を中心としたリゾート地。駒ケ岳(標高1131メートル)を眺めながらの散策やバードウォッチング、カヌー、サイクリングなどが楽しめる。JR大沼公園駅下車。新函館北斗からのバス便もある。夏の大沼国定公園(写真=みなみ北海道フォトライブラリー)江差かつて北前船の往来とニシン漁で栄えた港町。幕末までは北海道唯一の商業港で、江戸期から大正にかけての商家や蔵、歴史的建造物が多く残る。江差沖で沈没した幕末の軍艦、開陽丸の復元船、引揚げ品を展示した「開陽丸青少年センター」も見どころ。現在の人口は約1万人。江差までは木古内からバスで約1時間20分。函館からは約2時間。江刺の商家・横山家(写真提供=横山家)松前旧松前藩が置かれた、北海道唯一の城下町。江戸時代には地域における政治・経済・文化の中心だった。松前城、藩屋敷などが主な観光スポット。全国屈指の桜の名所としても有名。開花時期は例年4月末から5月中旬ごろ。松前へは木古内駅からバスで約1時間30分。松前城(写真提供=松前観光協会)奥津軽いまべつから  龍飛崎(たっぴざき)津軽半島の最北端に位置する岬。津軽海峡と北海道が見渡せ、海から一日中、強い風が吹き付ける土地。龍飛崎灯台や、青函トンネル記念館などがある。龍飛崎(写真=青森県観光情報サイト「アプティネット」)津軽半島奥津軽いまべつ駅と津軽鉄道の終点、津軽中里駅を結ぶ路線バスが1日4往復運行(所要時間70分、大人1200円)。冬季のストーブ列車が人気の同鉄道を使い、金木や五所川原など、津軽半島の各地へ足を延ばすことができる。津軽鉄道のストーブ列車(写真=青森県観光情報サイト「アプティネット」)金木金木(津軽中里駅から約15分)は、作家・太宰治の故郷で、生家の豪邸「斜陽館」が観光スポット。叩きつけるようなバチさばきで弾く独特な奏法の津軽三味線が生まれた土地でもあり、「津軽三味線会館」では生演奏が行われている。斜陽館(写真=青森県観光情報サイト「アプティネット」)津軽三味線会館でのライブ(写真=青森県観光情報サイト「アプティネット」)五所川原五所川原(津軽中里駅から約40分)は、7階建てのビルに相当する高さ22メートルの「立佞武多」(たちねぷた)=武者などを模した人型の山車灯籠=の祭りで知られる。祭りの期間は8月4日から8日まで。「立佞武多の館」では、常時実物を見ることができる。立佞武多(写真=青森県観光情報サイト「アプティネット」)

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    採算度外視の整備新幹線 安倍政権になって一気に建設が加速

     安倍晋三首相は選挙に勝つと、国民に次から次へと負担増を押し付ける。社会保障の給付金を中止し、相続税など増税ラッシュが続く。 政府が1月14日に閣議決定する予定の2015年度予算案は98兆円規模になるとみられている。自民党内にはいまや安倍首相に逆らう声はなく、野党にもその力はない。巨大予算は与野党の機能不全でチェックを受けず、無駄が垂れ流される。石川・福井視察のため、北陸新幹線に乗車した安倍首相=2015年4月11日午前(内閣広報室提供) 安倍首相は早速、建設中の整備新幹線3ルート(北海道、北陸、九州)の大幅な完成前倒しから手を付けた。背後には首相を操るシロアリたちと地元の利権を貪る政治家がいる。「開業前倒しには5400億円の資金が必要になる。財務省は慎重だったが、わが省は官邸を味方につけた。ここで予算を投じて工期を早めることが景気回復、地方創生につながると省を挙げて官邸にプッシュし、ゴーサインを出させた」(国交省キャリア) 整備新幹線は「昭和の三大バカ査定」のひとつで、かつて推進役だった自民党幹部は「最初はクマしか乗らないかもしれないが、そのうち人が住んで乗るようになる」と言い切った採算度外視の公共事業の代表格。民主党政権時代に一時凍結され、安倍政権になって一気に建設が加速した。 国交省は北海道の延伸を5年、北陸の延伸を3年前倒しするのが悲願だ。国費投入は年間720億円という財務・国交次官合意があるが、官邸の力をバックに来年度予算で100億円の増額を目指している。関連記事■ 安倍晋三氏「この状況では靖国参拝表明はない」と安倍氏側近■ 羽田~成田空港都心直結線整備事業 東京五輪に間に合わず■ 国交省が当て込む公共事業費 対前年度17%増の5兆1986億円■ 【日韓比較・政治編】ODA実績、国連分担金、腐敗認識指数ほか■ 首相の復興予算青天井宣言に各省庁 「こんな機会もうない」

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    新幹線開業で勃発する「函館ホテル戦争」の期待と不安

     北海道初の乗り入れとなる新幹線開業(3月26日)まで1か月強と迫っているが、北の玄関口となる函館周辺では、観光客の大幅増加を見込んだホテルの新規開業計画や改装が目白押しで、顧客争奪戦が激化しそうだ。 函館港に面する人気のベイエリア地区では、「センチュリーロイヤルホテル(札幌)」を運営する札幌国際観光が2017年のオープンを目指して200室規模のリゾートホテルを建設予定。またJR函館駅前の市有地では大和ハウス工業がホテルと物販の複合施設の建設を提案しているほか、新幹線駅の新函館北斗駅前でも、地元経済界がホテルやレストランの入る施設をつくる計画となっている。 既存ホテルのリニューアルも着々と進んでいる。リーマン・ショックなどの影響で閉鎖されていた函館市内のホテルを買い取ったWBFリゾートは、2014年に「函館グランドホテル」、2015年7月に「函館グランドホテル別館 ラ・ジョリー元町」を次々オープン。会議室や展示場などのコンベンションを備える「函館国際ホテル」もおよそ3億円を投じて客室を大改装した。北海道函館市で人気が高いホテル「ラビスタ函館ベイ」=3月11日 注目ホテルはまだある。ホテル評論家の瀧澤信秋氏は、〈サービス拡充〉〈周辺余波〉というキーワードで2棟のホテル名を挙げる。「口コミサイトなどで“朝食のおいしいホテル”としての人気が定着している『ラビスタ函館ベイ』は食事だけでなくサービス全般の拡充に力を入れています。 また、新幹線駅からは少し距離がありますが、人気リゾート地として知られる大沼公園周辺では、ホテル営業が一旦休止されていた『クロフォード・イン大沼』が新幹線開業に合わせてリニューアルオープンする予定です」 さらに、湯の川温泉地区の旅館改装も急ピッチで行なわれている。オリックスグループのオリックス不動産が観光ホテル「ホテル万惣」を買収して全面改装をしているのはその一例だ。 その他、「東横イン」「ルートイン」「スーパーホテル」など全国チェーンのビジネスホテルも鎬を削る中、函館ホテル戦争は“新幹線特需”の奪い合いの様相を呈してきた。 しかし、不安要素も多いと指摘するのは、前出の瀧澤氏だ。「函館は『さっぽろ雪まつり』のような注目イベントが少なく、ホテル業界も夏の繁忙期と冬の閑散期の稼働率の差に苦しめられてきました。昨年は中国の航空会社が相次いで函館との定期路線就航を果たしたおかげで中国人観光客に救われましたが、インバウンド効果はいつまで続くか分かりません。 もちろん、新幹線の開業に伴って本州からの観光客も集中するでしょう。しばらくはホテルの予約が取れないほど盛況になるのは確実ですが、北陸新幹線が開業した金沢などと比較すると、どうも街の話題性が少ないことが気になります。 ホテルは観光地の人気を如実にあらわします。そういう意味では、北海道新幹線の開業によって函館の実力が試されるといってもいいでしょう」(瀧澤氏) いま、函館の観光業界は、単に施設や名所を巡る「見る」観光だけでなく、体験型プランなどを組み込んだ「する」観光を前面に掲げ始めている。ホテル業界も同様、リピーターを増やす集客策を練らなければ、いくら立派な施設を築いても一時的な新幹線効果で終わってしまうだろう。関連記事■ 新幹線建設の歴史を振り返り新幹線網整備が急務と提言した本■ 元新幹線運転士の著者ならではのエピソードが満載された本■ 銀座の金沢アンテナ店 芸妓さんとのお座敷遊びも定期的開催■ 新幹線だけじゃない 注目の九州観光列車&特急列車■ 新幹線延伸で注目の金沢・富山ビジネスホテル 評論家が推奨

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    地域活性化の現実を見よ 維持費と借金が地方を苦しめる

    らはそのような地域は諦めます。やることさえ決められないのであれば、前に進まないですから。飯田:やはり交通網も発達しているから、事実上の責任者になってくれそうな地元財界人は、一定以上の成功を収めると地元からいなくなってしまいますしね。木下:本当にそうなんですよ。僕の知っている地方のお金持ちは多くは、家は地元にある。でも東京にセカンドハウスも持っていて、週の半分かもしくはウイークデーは東京に来ている。週末だけ地元に戻るけど、友だちは東京のほうが多いという人も少なくありません。息子娘は高校の時から海外、という人もいますからね。飯田:僕の友だちも山梨県で会社を経営しているけど、奥さんと娘さんは東京に住んでいます。本人も週の半分くらいは東京にいるようです。そもそも山梨なら通勤できる範囲でもありますしね。木下:そういう行動形態が普通にある。時間とお金に余裕がある人ほど、そういったライフスタイルになりやすい。「二地域居住」などとしきりに言われていますが、昔からいくらでもあったし、すでにみんながやっていることなんです。地方の経営者層や資産家、いわゆる名士の人たちの往来は本当に活発です。飯田:九州地域の活性化事業に携わっている人たちと打ち合わせをする機会があって、「小倉か博多あたりでやりますか?」と言ったら「いえ、みんなだいたい東京にいますから」という返事でした。誰も九州にいなかった(笑)。木下:一番集まりやすいのが東京ということは多いです。飯田:許認可関係も東京に来なければなりませんからね。木下:東京集中はネガティブに語られやすいですけど、まず「仕事がしやすいから東京にいる」という現実を認めないといけない。 東京で会う地方の名士の人たちの実家に行くと、古墳みたいなお墓があったりします。どの地域にも一人くらいはスケール感のまったく違う人がいますよね。明治維新で利権が四十七都道府県に分割されて、一県ずつにその利権を継承している人がいる、そんなふうにさえ思えます。そういう人たちは、ちょっと昔までは地元に利益を還元する役割を負っていたはずですが、今はそういう人ほど東京や海外に進出していかざるをえない。そうなると地元への影響力も低下していく。その人への関心もなくなっていくから、「あの人が首をタテに振ればなんとかなる」という存在はどんどん減ってきています。飯田:「どんな人かは知らないけど、でかい屋敷に住んでいる」くらいの認識になってしまったら、もうダメですよね。木下:ダメですね。「最後はあの人に」という認識が、地域内でなくなってしまう。企業で言えば、誰が社長なのか、決裁者なのか見えなくなってしまうのと同じです。飯田:「気が向くと市長を電話で呼びつけて、一緒に昼飯を食べている」みたいなノリの人が残っていれば、いろいろと話は早いのですが、そういう人は少なくなっている。「子どもの頃は飛行機で東京の塾に通っていた」なんて人もいましたからね。木下:マイルがすごい勢いで貯まりますね(笑)。迷走するコンパクトシティ迷走するコンパクトシティ木下:人口減少社会では、地方は交通網で統合されつつ機能や産業も集約されて、集約された土地と土地を人が活発に移動する、このシナリオの上ですべてを考えなければいけないのだと思います。 今までの地方は、人口規模も産業集積も無関係にひとまとめになって存在していたといえます。そこでの生活のイメージを転換しなければいけないし、イメージの変容を待たずに現実はそうなりつつある。「住む家があって、会社まで電車で通勤する」というイメージが共有されていて、そこに生活の軸が寄っているけれども、地方を見れば居住も働き方もどんどん変わりつつあることが明白です。そこに人々の感覚がどこまで追いついていけるのか、産業構造の問題としてもそれが問われていると思うんですよね。 これまでは、やっぱりそれぞれの「場所」に拘束されていた。これからは大都市では人が集まり、それ以外の地域では移動が活性化する。そういうふうになるのではないかと思っています。飯田:ある場所が人々の繋留点、わざわざ足を止めるポイントになるためにはやはり何かが集積していないといけないですからね。やはりしきりに喧伝されているキーワードに「コンパクトシティ」がありますが、これは研究者泣かせの概念で、なぜなら論じている人によって定義がまったく違うんです(笑)。 コンパクトシティに関連して、もっともまともな考え方だと思ったのは、「DID」※という概念です。※DID(Densely Inhabited District):1平方キロメートルに4000人以上の人口密度のある区域が隣接して、人口5000人以上となる地域のこと。2010年の国勢調査の結果では、全国1728市町村の約48%に当たる829市町村で、1319地区がDIDとして設定された。参照:内閣府『地域の経済2012 集積を活かした地域づくり』 http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr12/chr120303.html経済学の立場から都市と地方のあり方を模索する飯田泰之さん飯田:人口集中地域を分散させずに連続させて、隣接区域全体の人口密度を上げていく。それくらいが当面の目標なのに、出来上がってみると「学校、市役所、県の出先機関をひとつの庁舎に入れました!」というハコモノになっている。「それはたぶんコンパクトシティじゃないんだけどな」と思います。木下:目標を取り違えていますよね。飯田:東京都がそれを行うなら意味はあるかも知れない。希少な土地の節約にもなるし、高層建築の低層階に公的な機能を集約させて、それ以上の高層階はすべて住宅にするということもできるでしょう。でも、地方都市はそういう場所ではない。むしろDIDが途切れないようにする、市の中に10箇所のDIDが分散するのではなく、せめて1箇所に集約させる。そういう誘導が必要だと思うんですよね。木下:高層にしなくてもいいものを高層にしてしまう流れが未だに地方にもあって、地方都市にはタワーマンションなんかも増えている。売れるのは分かりますが、何十年後にあれどうするんだろう? と思いますね。田んぼのどまんなかにタワーマンションがあったりして、目を疑うこともあります。飯田:高層マンションは維持費だけでもとんでもない額になります。その維持費を払ってもペイするくらい地価が高いならともかく、そうでないなら無用の長物ですよ。木下:どの程度の密度があれば、住むために必要な機能がその地域で保持されるのか、今の段階ではよくわからないというのが正直なところだと思うんです。 DIDをある程度連続させれば、その環境下なら人が移動しながら生活できて、機能が保持される。密度を上げてサービス効率が向上するから、財政負担も大きくならず、一定以上のサービスを受けることができる。これが無理のない着地点だと僕も思います。 いまコンパクトシティを議論している人たちには、「負担によって受益がある」という発想があまり感じられないんです。「みんなが安心して歩けるような街を」といったイメージ先行の議論ばかりで、実際に地方に行けば猛烈な車社会だったりするのに、何を見て何を言おうとしているのかがわかりません。LRT(次世代型路面電車)待望論も相変わらず多いのですが、土木事業をやればコンパクトシティができるとでも思っているのかと言いたくなります。「コンパクトな路面電車で市街地と郊外をつなぐんです!」ってそれ、ちっともコンパクトじゃない(笑)。飯田:コンパクトなはずがどんどんスケールが上がっていく(笑)。木下:人のいる街中どうしをつなぐのであれば、まだ意義はわかるのですが。路面電車を整備しながらも、さらに「自動車を使う人にも配慮した設計を」とか言い出してしまうし。飯田:何にでも配慮しますよね(笑)。そもそもコンパクトシティは選択と集中の話なんですから、平等なわけがない。というかどの地域にも平等ならそれはコンパクトではないですよ。木下:そんなことしたら、市民の負担は膨大に膨れ上がります。結局は生活環境が急に破綻しないためには致し方ない集約という話であるわけです。あれもこれも配慮なんてできないのに、それをいうと市長などは選挙に負けてしまうとかそういう当座の話になってしまう。せめて選挙に受かったらやって欲しいですが、受かったら受かったで、結局は議会には郊外出身者議員も多数いて、全てに配慮した話に丸め込まれてしまう。数年もしたら財政負担がとんでもないことになるのは目に見えています。けど、地方の方々には、未だに最後は国がどうにかしてくれると信じている方も少なくありません。シムシティには「維持費」を盛り込むべき?シムシティには「維持費」を盛り込むべき?飯田:ついでに「国土強靭化」もディスっておきましょうか(笑)。強靭化政策の推進者も支持者も、建物や建造物には維持費がかかるというシンプルな理屈を、まったく理解していないんですよね。 ありえない仮定ですが「建てて終わり」であれば、一応は「景気対策としてやった」という理屈は成立するかも知れない。でも借金で建ててしまえば、そのあとは借金の金利と維持費を払い続けることになります。建造時のイニシャルコストよりも、維持していくランニングコストのほうが高くなるという点を意識しないといけない。逆に維持費がペイできる事業であれば、ある程度の必要性はあると言えるでしょう。木下:まったくそうなんです。イニシャルコストだけ国や自治体が支援しても、あとは自走可能な設計であれば全然OKだと思います。飯田:いまは国債利回りも低いのでたいした金利負担ではありませんから、自走可能だったらGOサインを出しても構わない。ところが、もしその事業が本当に自走可能であれば、これだけの低金利下では自治体や国が出てくるまでもなく、とっとと民間企業がやるはずなんですよ。木下:すでに民間がやれる条件になっている。飯田:となるとまあ、そもそも無理な計画なんだろうな、と(笑)。木下:国土強靭化路線の人たちは、「作らなければダメだ!」と言い続けてきて、いざ「朽ちるインフラ」※問題が表面化すると、「ほら見たことか! 作り続けないからこういうことになるんだ!」と言い始めていますね。※朽ちるインフラ:根本祐二『朽ちるインフラ――忍び寄るもうひとつの危機』(日本経済新聞社、2011年)で指摘された、東京オリンピックや大阪万博開催前後に集中的に建設された道路、橋梁、学校、上下水道などのインフラ老朽化問題。同書では、現存の社会資本を単純に更新するだけでも、年間8.1兆円の投資を50年間続けなければならないと試算されている。木下:基本的にはストックを作り続けることがすべての前提なんですよね。でも国費が負担してくれるのはイニシャルコストであって、維持費ではない。なかには「すべての道路を国道にしよう」と主張する人までいる。けど、ない袖が振れないのは地方だろうと、国だろうと同じであることを忘れてはいけません。飯田:私たちでは維持費をまかなえないから、他地域の税金で維持してくださいという発想ですよね。木下:最近は国道を県道に、県道を市道にとどんどん移譲されていますが、「国道が県道になったら草が生えるようになった」とか、「県道が市道になったら窪みを直すスピードが遅くなった」とか、必要性も考えずにマリー・アントワネットも真っ青になるようなご発言をする方が多くてびっくりします。全部対応していたら、どれだけ予算があっても足りません。最低限の必要性や、どこで収支を合わせるかとったことをトップがあらかじめ決めておかないと、際限がないですね。一番危ないのは、ある年だけバーっと自治体の予算が膨れ上がって、一斉に公共事業が行われるケースです。飯田:翌年から維持費が爆発する。木下:待ち受けるは維持費地獄、建設時に行った地元負担の借金地獄ですよね。維持費と借金で自治体が潰れていく。でもこういう計算が全然なされていない。施設整備計画が発表されて資料が公開されても、どこを探しても総事業費しか出ていないことがほとんどです。国がいくら出してくれたとか、そういうことしか発表されないし、地元紙にも出ていない。たとえば100億円の庁舎を建てたら年間の維持費がどれくらいになるのか、財政根拠はどうなっているか、そんな情報は一切出ない。議論もされない。飯田:僕はかねがね、「シムシティ」は維持費の設定を厳しくするべきだと思っているんです(笑)。木下:シムシティでは維持費の概念が弱いですよね(笑)。道路とか延伸すればその分、歳出は増加しますが、もっと現実に則して重くしたほうがいいですね。飯田:建てるときだけ金がかかって、そのあとはそこから税収が上がってくる設定だったりしますからね。赤字になることはあるけど、もっと維持費を厳しくしていい。わけのわからない場所にわけのわからないものを建てたら、ひたすら金が出ていくだけという設定にすべきです(笑)。むしろ壊したほうが安上がりになることさえあることを、教えるべきだと思います。木下:そうなんですよ。そんな事業はやればやるほど、地方が苦しくなる。作っているときはお金が回るし、人も雇用される。でも工事が終わった瞬間から地獄が始まります。ずっと財政支出が続くことの怖ろしさが、ほとんど社会に共有されていないことが不思議です。地方議会では常にこういう議論をすべきだと思うのですが、基本的には作りたい人たちしか集まっていない。作らせて、工面できれば万事OK、という世界です。経済活性化は事業活動を行う民間中心で取り組むしかない飯田:地方議会でもわかっている人はわかっているはずです。わかっていて、口をつぐんでいたほうがトクだという計算が働いているのだと思うんです。地方議会や住民だけではなく、日本国民のほとんどに維持費という概念があまり理解されていない。たとえば家を買ってずっと住んでいると、老朽化してくる。それでもまあいいじゃないか、と思えるのはそれが一戸建てだからなんですよね。木下:タワーマンションなんかの長期修繕計画は大変ですよね。多くの場合、長期修繕積立が安すぎるという話もあります。でも即座に売るためには安く見せないといけない。分譲マンションについては、30~40年後にはおそらく……飯田:大変なことになりますよね。木下:都内でも、区役所の上層階をマンションにした大型複合施設が数年後に完成しますが、あれ、建て替えのときはどうするんでしょうか。賃貸か、せめて定借物件として売るのならまだいいのですが、分譲など区分所有で売ってしまったら、次の建替えの時、実務的には建て替えできなくなるんじゃないでしょうか。飯田:そういえばそうだ(笑)。木下:入居者すべてを立ち退かせて建て替えるとなったら、莫大なお金が必要です。だから、そういう物件を買った人はラッキーです(笑)。割安で買えて、おそらく退去時にも大金が入ってくるんですから。飯田:役所の立て替えが必要なときに、自治体としては大枚払って出て行ってもらうしかないわけですもんね。木下:分譲売却により建築コストが安上がりになったと喜んでいますけど、それこそ行政が意識すべき中長期的な視点が欠落しているように思います。維持費とか、数十年後にやってくるリニューアルについて、公的建造物ほどゴーイング・コンサーンを考えなければいけないはずなのに、総事業費を捻出するためだけの一過性の論理でああいうことをやってしまうのは、単年度で予算を工面する発想なのだと思います。これは全く経営合理的ではありません。飯田:ディベロッパーの人は「マンションは買うな」と言いますよね。「もし買うのであれば低層中古にしろ、戸建てが買えるのだったら戸建てにしなよ」と言われたことがあります。戸建てだったらダメになったときに、直せれば直せばいいし、直せなくてもいわば自己責任だから諦めがつく。木下:長期的な維持に関する視点、この発想は地方にいくほど希薄になるように感じています。国土強靭化や公共事業が短期的には工事期間中では地方での経済効果を生み出す反面、中長期的に地方を、特に地方自治体の財政を悪化させているのは、これら施設維持費の問題が大きいわけです。公共投資を撒いている間は、雇用も生まれるし地域にお金も回るのですが、それは文字通りの意味でカンフル剤に過ぎません。ライフサイクル全体でいえば、建設時の4~5倍の維持費がかかる現実に知らぬ間に直面し、みんなで汲々としているのが現状です。 かつてのように税収が上がり続けているのなら維持費も払えるわけですけど、その維持費で汲々としている状態で、その他行政サービスの拡充との兼ね合いでさらに悩まなくてはならない。医療と福祉でさらに切羽詰まっているなかでのことですから。自治体の人件費さえ地元税収で払えない役所もあるこの時代、せめてハードの整備については発想を変えましょう、と言っているのですがなかなか変わりません。なんだかんだいって経済活性化は事業活動を行う民間中心で取り組むしかありませんが、せめて行政には地域で負担すべき金額だけは軽減していける、行政経営のあり方を考える時代に来ていると思うわけです。きのした・ひとし 1982年生まれ。一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表理事、内閣官房地域活性化伝道師、熊本城東マネジメント株式会社代表取締役、一 般社団法人公民連携事業機構理事。高校時代に全国商店街の共同出資会社である商店街ネットワークを設立、社長に就任し、地域活性化に繋がる各種事業開発、 関連省庁・企業と連携した各種研究事業を立ち上げる。以降、地方都市中心部における地区経営プログラムを全国展開させる。2009年に一般社団法人エリ ア・イノベーション・アライアンス設立。著書に『まちづくりの経営力養成講座』(学陽書房)、『まちづくりデッドライン』(共著、日経BP社)など。いいだ・やすゆき 1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授、シノドスマネージング・ディレクター、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書に『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。

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    弱者でも悪者でもなく 法改正で見つける自転車の「居場所」

    山口浩(駒澤大グローバル・メディア・スタディーズ学部教授) 改正道路交通法が6月1日施行された。中でも一部で注目されているのは、自転車への取り締まりの強化だ。一定の「危険行為」を繰り返す悪質な運転者に対し講習の受講を義務付けるとする部分は、厳密にいえばこれは法ではなく施行令に盛り込まれたものだが、法の運用にも当然影響があるだろう。これまで刑事罰にはそぐわないとして事実上見逃されてきた行為に対し、講習というかたちで事実上の負荷を課す今回の対応が、自転車の運転者に対してより積極的な取り締まり姿勢で臨もうという意志のあらわれであろうことはいうまでもない。警察庁「自転車運転者講習制度」https://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/bicycle/pdf/H270304/leaflet.pdf こうした動きの背景には、自転車の加害者としての側面に注目が集まっているという現状がある。これまでもっぱら、対自動車の事故における「交通弱者」として関心の対象となってきた自転車だが、対歩行者の事故では多くの場合加害者となる「交通強者」としての顔も持っている。もちろん実際には、統計でみる限り、自転車事故の8割以上は対自動車事故であり、対歩行者事故はほんのわずかしかない。全体としてみれば、自転車は依然として「交通弱者」の側だ。その意味で、一部の自転車運転者などから、過剰あるいは不当な規制強化だとの声が出るのもわからなくはない。一般社団法人日本損害保険協会『知っていますか 自転車の事故~安全な乗り方と事故への備え~』http://www.sonpo.or.jp/protection/jitensya/pdf/jitensya/jitensya.pdf しかし近年、自転車が加害者となる事故が増加傾向にあるのは事実であり、中には重大事故に発展して高額の損害賠償を求められるケースも出てきている。子供など若年者の事故が多いのも懸念材料だ。加えて、事故までは至らなくとも、路上で歩行者や自動車の運転者が、自転車の傍若無人な運転によりヒヤッとさせられるケースが少なからずあることは否定できない。こうしたことから自転車への不満が積み重なり、もっと自転車に関するルールを強化すべきだという声が高まっていったのかもしれない。国民生活センター「自転車の事故 その被害の現状と対策」(2013年7月)http://www.kokusen.go.jp/wko/pdf/wko-201307_16.pdf日本経済新聞「自転車事故で高額賠償 保険で万が一の備え」(2014年3月12日)http://www.nikkei.com/money/features/77.aspx?g=DGXDZO6790290007032014W04001内閣府『平成22年度 自転車交通の総合的な安全性向上策に関する調査報告書』(参考資料編)「3 事故・ヒヤリハット経験」http://www8.cao.go.jp/koutu/chou-ken/h22/pdf/ref/2-3.pdf 規制強化に異論を唱える一部の自転車運転者と一般との意識の差には、おそらく、自転車運転者の多様性に起因する部分がある。いうまでもないが、自転車は道路交通法上「軽車両」にあたり、(幼児が乗るもの以外は)歩行者とは異なる法的な取扱いがなされるが、実際に取り締まりの対象となることは少ない。そのせいか、自転車運転者の中で、交通ルールをきちんと守っているのはむしろ少数派といってよいのではないか。実際、自転車事故による死傷者の過半数には何らかの法令違反がある。街中を走り回る自転車を見ている実感からいえば、自転車運転者全体でみてもその割合は大きくは変わらないのではないかと思う。ルール自体を知らない者も少なくないだろう。警察庁「平成25年中の交通事故の発生状況」(2014年2月)http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Pdfdl.do?sinfid=000023626210 自転車事故発生状況を分析した以下の論文では、このような状況を「自転車には自らを歩行者と認識するものと、自らを軽車両と認識するものに区分することができ、(中略)多種多様な通行挙動を示す」と指摘している(武田圭介・金子正洋・松本幸司「自転車事故発生状況の分析と事故防止のための交差点設計方法の検討」土木計画学研究・講演集vol.38、2008年)。もちろん、「軽車両」としての交通ルールをきちんと守って通行する自転車運転者もいるが、赤信号で止まらず平気で信号無視をする人、当然のように歩道を通行し、歩行者に向かって「邪魔だ」とばかりにベルを鳴らす人もいる。自動車に匹敵する速度で走るものもあれば、歩行者並の速度で走るものもある。自転車はどのようなふるまいをするか予想がつきにくいために、実際以上に危険ないし迷惑な存在として意識されてしまうように思われる。 そのような状況を少しでも改めようというのが今回の改正の趣旨なのであろう。講習によって守るべきルールについての啓蒙をはかるだけでなく、講習を受けなければならないという負担自体が実質的なペナルティとして機能し、自転車運転者の行動変容を促すというわけだ。それ自体は、必ずしも悪い方向性ではないように思われる。自転車の地位を高める方向性示せ自転車の地位を高める方向性示せ しかし、手放しに歓迎できるものとはいいがたい。千葉県船橋市の市道に設置された自転車専用レーン。道路左側を水色に塗装した=2012年11月(江田隆一撮影) まず、ルールを変えたとしても、それが実効性のあるものでなければ、かえって無用な混乱を招きかねない。この点において、今回の改正が、実施される6月に入っても多くの人々の意識に上っておらず、内容もほとんど知られていないという点は、すこぶる問題が大きいように思われる。もう少し周知に力を入れてもいいはずだ。 また、仮に知られていたとしても、今回の規制がただの「取り締まりの強化」でしかないと思われれば、自転車運転者は不公平感を持つだけで、ルールを守ろうという意識は生まれないだろう。ルールを作った、講習を行う体制を整えたというだけでなく、路上において自転車運転者が新しいルールに従おうという具体的なインセンティブを与えるしくみづくりが必要だ。 その意味で、自転車に関わるルールだけでなく、交通ルールやシステム全体の中での自転車の位置付けを高める方向性も同時に示すべきだろう。実際のところ、路上における自転車の地位は、いまでも「厄介者」の域を出ていないように思われる。しかし、自転車だけを悪者にすればいいというものでもない。たとえば歩道を通る自転車が絶えないのは、車道では安全に通行できないと考える自転車運転者が多いからだろう。その中には車道の逆走など自転車側の問題もなくはないだろうが、多くの車道が自転車の通行を前提としていないという面があることは否定できない。 このような状況を変えようとする取り組みも、一部で既に行われている。近年各地で、車道の脇に自転車専用レーンを作る動きが広まっている。車道を色分けしただけのものが多いようだが、完全に車道と分離するより柔軟性が高いというメリットもある。松浦晋也「専用レーンを走る自転車の最大の敵、実は自転車だった!」(日経トレンディネット2015年05月11日)http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20150430/1064188/ とはいえ、こうした道路は、全体からみればまだごく一部にすぎない。大規模に実施するには、コスト面もさることながら、自動車交通への影響をどうするかという問題があるのだろう。しかし、そうした「配慮」がこれまで抜本的な対策を阻んできたという側面もある。少なくとも公共交通機関の発達した都市部においては、現状よりもう少し、自動車の方に譲ってもらってもいいのではないか。 その意味で京都市の試みは注目される。京都市では、四条通の河原町付近1.1kmの区間で車道を4車線から2車線に減らし、歩道の標準的な幅員をこれまでの3.5mから6.5mに広げる工事を行っている。歩行者が歩きやすくすることで、まちのにぎわい創出を促そうというものだ。自転車対策との直接の関係は低いだろうが、これまで自動車最優先で考えられてきた市街地道路のあり方を変えようという試みと考えれば、自動車に譲ってもらい、自転車をこれまでより優遇する道路づくりも、考えられなくはないはずだ。日本経済新聞「マイカーよりもウオーカー 京都中心部で車道を半減 日本大改造(10)」(2015年5月15日)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO86089460U5A420C1000000/ 京都の場合は観光が大きな関心事だろうが、東京でも、2020年に東京オリンピックを控えている。健康への関心を高めるという意味で、自転車を優遇する街づくりへシフトするという発想は充分ありうるだろう。また、社会全体として化石燃料への依存を下げていくということであれば、これは国全体の課題でもある。自転車レーン整備へ向けた気運は高まりつつあるのではないか。 より長期的な視点で、自転車の交通ルールを、超高齢化社会を迎えようとする我が国におけるこれからの交通を考えるうえで重要なテーマであるパーソナルモビリティとの関連でとらえることも意味があるかもしれない。パーソナルモビリティについては自動車各社もさまざまな動きをみせているし、その嚆矢ともいえるセグウェイの公道走行へ向けた動きも始まっている。レスポンス「次世代モビリティ市場、セグウェイなど立乗り二輪が2030年に55倍に…富士キメラ」(2015年05月26日)http://response.jp/article/2015/05/26/252001.htmlトヨタ自動車「トヨタ自動車、「TOYOTA i-ROAD」の実用化に向け、企業・生活者と共同で取り組む新たな施策にトライ」(2015年5月7日)http://newsroom.toyota.co.jp/jp/detail/7769855朝日新聞「セグウェイ、7月から公道で走行可能に 誘導員など条件」(2015年4月25日)http://digital.asahi.com/articles/ASH4S546JH4SUTIL03W.html いってみれば、自転車は人力のパーソナルモビリティであり、電動アシスト自転車のような、動力付きのパーソナルモビリティとの中間的な存在もある。こうした小型の乗り物を路上でどのように位置づけるかは、パーソナルモビリティ全体の国内市場の趨勢に大きな影響を及ぼすだろう。この分野で世界に後れを取れば、日本の主力産業である自動車産業への影響も避けられまい。これまでとは異なる考え方が、道路や交通のあり方にも求められている。 あらゆる制度変更は、程度の差こそあれ混乱を招く。今回の法改正もおそらくそうなるだろうが、それを政府だけのせいにしていては、状況の改善は望むべくもない。自転車の問題が自転車運転者だけに起因するのではないのと同じように、その解決も政府や自治体だけの責任ではない。自動車や歩行者も含め、交通システム全体と、人々の実際の行動を変えていく必要があるのだろう。その前提となるのは、私たち自身がこの問題に関心を持つことだ。自らが住む街をどうしたいのか、これを機会にどんどん議論していくといいと思う。時間もかかるだろうが、自転車が弱者でも悪者でもなく、路上できちんと「居場所」を見つけられるようになるといい。やまぐち・ひろし グローバル・メディア・スタディーズ学部教授、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員。博士(経営学)。専門分野はリアルオプション、予測市場、その他ファイナンス、経営学、仮想世界の経済等。関連記事■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」■ 弱者は女性だけじゃない! 女性専用車両の不思議■ 赤ちゃん連れも舌打ちおじさんも満員電車では同じ弱者

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    改正道交法の施行にまつわる「病状」と「処方箋」の齟齬

    の悦楽」(マガジンハウス)「自転車の安全鉄則」「自転車生活の愉しみ」(朝日新聞社)など、自転車と都市交通に関する著書多数。関連記事■ 日本はイタリア地方都市のように国家や政府に頼らず世界化を■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」■ 世界であまり例がない 東京一極集中の是非を考える

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    2020年東京五輪へ 自転車革命で世界に追いつけ

    内海潤(特定非営利活動法人 自転車活用推進研究会事務局長) この6月1日から道路交通法が改正され、自転車の取り締まりが厳しくなる。ネット上には様々な憶測や情報が飛び交っているが、常日頃から自転車ルールを守って走って来た一部の自転車乗りからは歓迎する声が挙がっている。一方で「やはり車道を走るのは怖い」、「14項目の危険行為とは具体的に何か良く分からない」といった声も聞かれる。今回の法改正によって、3年間に2回摘発されると正味3時間に及ぶ講習を5,700円も払って受講しなくてはならなくなり、拒否すると5万円以下の罰金刑が課されて前科が付く。途中、休憩はあるもののテストが最初と最後で2回あり、寝て過ごせない。お金持ちで暇な人なら怖いもの見たさで行くかもしれないが、普通の人ならご勘弁を、と思うはずだ。 従来、日本では自転車の通行空間を歩道上に整備し、現場の警察官達も歩道へ誘導して来た経緯があり、クルマのドライバーや当の自転車乗り達にも、歩道こそ自転車の居場所だと刷り込まれてきた。1960年代に始まった交通戦争の対策として1970年に自転車の歩道通行(但し徐行義務あり)が例外的に認められ、1978年には普通自転車という新しい概念が持ち込まれて、なしくずし的に歩道通行が定着化した。普通自転車とは、全長が1.9m以内、全幅が0.6m以内の自転車のことで、要するに歩道を通行できる自転車の規格である。併せてこの時「自転車及び歩行者専用」の青い標識も登場する。「自転車は歩道」の概念が定着する中で(但し徐行義務あり)の部分は忘れ去られて、いつの間にか歩道の暴君と化した。歩道上で追い抜かれることもないから後方を確認するミラーは不要となり、そればかりか、店頭にある自転車ラックで隣の自転車とぶつかるので完全に邪魔者扱い。ミラーも付けずに車道を走れば怖いのは当たり前だ。原付バイクは右側だけミラーの装着義務があるが、車道左側走行を徹底させるなら自転車にもミラーの装着を義務化すべき、といった声すらある。緊急避難的だったはずの歩道通行を常態化させたことで、ガラパゴス化した普通自転車という世界に類を見ない乗り物が歩行者をベルで脅かしながら縦横無尽に暴走しているのが現代の日本なのだ。五輪に向けて設けられたロンドン市内の自転車専用道の案内標識=2012年1月17日 一方でヨーロッパには自転車先進国が数多く存在する。では一体、どのような工夫をして先進国になり得たのだろうか? 1960年代以降、やはりヨーロッパでも交通戦争は起きた。ただし日本と違い、自転車を歩道へ逃がして歩行者と共存をはかるのではなく、ドライバーの教育と自転車の走行空間作りを長い時間かけて行ってきた。結果「車道は怖い」という声が出る一方、歩道通行を認めなかったので一時的に自転車の利用率は著しく下がることになる。ところが時間が経ってインフラが整備され、教育や広報が行き届き、自転車が安心して走れる環境が整ったら徐々に人々はまた自転車に乗るようになった。これまで日本では現場の躊躇もあり、自転車の違反を見て見ぬふりして取り締まって来なかったけれども、例えばドイツではベルリンの壁が倒壊される前から警察ではなく各都市が条例で自転車の違反内容と罰金を明文化し、厳格に取り締まって来た歴史がある。罰金は違反ごとに1,000円から2,000円程度と軽微だが積もれば大きな額になり、できれば払いたくないから市民はルールを守るようになった。日本で東京・千代田区が最初に歩きタバコに対して2,000円の科料を取り始め、それがその後に他区へと広がったように、ドイツでは地道な自転車のインフラ整備とドライバー教育に、実効性のある取り締まり制度を加えた三本柱がうまく機能して、やがて自転車先進国と呼ばれるようになったのだ。 今回の法改正で従来からある罰則規定が変わった訳ではない。運用を変えて悪質な自転車運転者に講習を受けさせることができるようになっただけだ。今後は摘発すると手間をかけてでも本人特定をしてカウントする。この時点で大概の人は二度と摘発されないよう用心するだろう。それが今回の目的だ。警察とて日本中を前科者だらけにしたいと思っている訳ではない。これまで「信号機はクルマ用だから自転車は関係ないのよね」とばかり無視してきた人達に、「自転車も赤信号で停止しないと検挙されるかもしれない」と警戒させ、事故抑止効果を期待している訳だ。自転車を歩行者の延長として捉えていたなら、この機会にしっかりとルールを認識してもらいたい。そして日本人全体が今後ますます高齢化しても、安心して歩いて暮らせるまちづくりを実現させたい。 今、世界中で自転車の活用が進んでいる。2012年のロンドンオリンピック・パラリンピックでは、渋滞を尻目にシェアサイクルが大活躍した。各国のメディアクルー達は機材を抱えて自転車に飛び乗り、街中を素早く移動してチャンスを逃さず撮影できたと聞く。郊外とオフィス街とを自転車専用レーンで結ぶスーパー・サイクルハイウェイが縦横に走り、ボリス・ジョンソン市長は自転車で通勤する。クルマの停止線より前に設けられたバイクボックスには自転車がずらりと並び、先に出ない限りクルマは発進できない。ロンドンは自転車革命を起こしたが、東京は世界に追いつけるか。2020年まで、あと5年しかない。うつみ・じゅん NPO法人 自転車活用推進研究会 事務局長。株式会社エクスゲート 代表取締役。東京サイクルデザイン専門学校の非常勤講師として次世代の自転車人を育てる一方、イベントや講演会などを通じて自転車の楽しさや正しい活用を訴える活動を続けている。テレビへの出演多数。共著書に「これが男の痩せ方だ!」がある。関連記事■ パラリンピックが変える東京の街とこころ■ 東京強靭化 必ずやってくる「巨大地震」に備えよ■ 「東京一極集中」が招く人口減少の悪循環

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    自転車に家族を殺されるということ

    危険な運転を繰り返す悪質な自転車利用者に講習を義務付ける改正道交法が1日、施行された。近年のサイクルブームとともに、自転車が「加害者」となる重大事故が後を絶たない。本日は、突然の事故で家族の命を奪われた被害者遺族の原稿などをご覧いただき、この問題について真正面から向き合いたい。

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    自転車は本当に「車のなかま」になれるのか

    森口将之(モータージャーナリスト) 「自転車は車のなかま」 今回の道路交通法改正を前に、警察庁がオフィシャルサイトに用意した特設ページの最初に掲げられていた言葉である。たしかに日本の自転車利用者の一部は、自転車は歩行者の仲間と考えているような気がする。  わが国の道路交通法では、自転車は軽車両に属する。 他に軽車両と言えば、荷車、馬車、人力車などがある。軽車両は自動車などが属する車両の一種となっている。なのになぜ、自転車を歩行者の仲間とみなす人がいるのか。 理由のひとつに、運転免許を必要とせず、税金は掛からず、速度制限や車検制度がなく、ヘルメットの着用義務がないなど、車両としてはルールが厳格ではないことが関係しているかもしれない。  しかしこれらは、諸外国でもある程度共通している。大きく異なるのは、1970年の法令改正で、自転車の歩道走行を認めたことである。自動車の台数が急激に増加し、自転車と自動車の接触事故が急増したことが背景にあったらしい。 その結果、全国各地に自歩道、つまり自転車歩行者道が生まれた。 多くの自転車が歩道を走り、自転車レーンの整理が進まない状況は、このときの判断に起因しているだろう。 自転車が車両であることを考えれば、ミスリードだった。それが近年、自転車と歩行者の接触事故が多くなってきたことで、露呈してしまった。ゆえに「自転車は車のなかま」とアピールするようになったのだろう。 ところが依然として、安全のためやむを得ない場合など、条件付きで歩道通行を認めている。この曖昧さと、免許不要で速度制限がないという自由さが重なって、ルールは知らない、ルールは破ってもいいという風潮を生んだのではないかと考えている。  興味深いのは、ルールを知らない人とルールを破る人とで、違反の傾向が異なることである。前者で多いのは右側通行や歩道での歩行者優先義務違反、後者で多いのは信号無視や一時停止違反である。  歩道を通行する自転車利用者で多いのは、車道は危ないという意見である。しかしドライバーやライダーからの目線では、同じ道路の左側を同方向に走行する自転車はもっとも認識しやすい。逆に歩道は、車道との間に街路樹がある場合もあり、存在が確認できない場合も多く、肝を冷やすことがある。  右側通行は、目的地が右側にあるからという言い訳が多い。しかしドライバーやライダーから見ると、交差点ではどこから自転車が走ってくるか分からない状況であり、事故に結び付きやすい。自分の安全のためにも左側通行を遵守してほしい。  信号無視や一時停止義務違反が確信犯であることは、多くの人が認めるところだろう。赤信号や「止まれ」の文字を見たら停止しなければいけないことは、小学生でも知っている。ところがそれすら守れない自転車利用者がいる。 幹線道路で自動車やオートバイと競うように高速走行する自転車が最近目立つ。街中では自転車が一番速いとアピールしているかのようである。 それでも自動車やオートバイのほうがスピードが出るので一度は追い抜くが、赤信号で停止すると自転車はそのまま通過していく。本人は「勝った」と優越感に浸っているのだろうか。  自転車に税金が掛からないのは、環境負荷の低さや道路占有率の小ささを考えれば納得できるところであるが、度を超えた高速走行による事故が頻発するようになれば、免許制度や速度制限などが導入される可能性もあるだろう。 懸念しているのは、ルールを知らない人とルールを破る人とが、相手側の事故や違反ばかりを取り上げ、自分たちの不備を認めようとしない傾向である。自動車の世界における、いわゆる走り屋とサンデードライバーと呼ばれる人々の関係に似ている。走り屋は高速道路の追い越し車線をノロノロ走る車両を非難するが、サンデードライバーは左から高速で追い抜く車両を怖いと感じており、意見が噛み合わない。 すべての自転車利用者が現状の問題を共有し、ともに解決を目指すような状況を作ることができれば、厳罰化は避けられたかもしれない。ただ今回の講習制度は、自動車の交通違反取り締まり制度に似ており、自転車は車両であると認識する人が増えるのではないかという期待はある。また取り締まりの対象は14歳以上なので、家庭や学校での自転車教育充実も望める。 しかし今回の講習制度導入ですべてが解決するわけではない。なによりもインフラの整備は欠かせない。自転車レーンの整備を早急に進めるべきである。そうすれば歩行者との接触事故はかなり減るだろう。 ただし私は、一部の自転車専門家が提唱するような、自転車レーンであっても車道左側にこだわる主張には同意しかねる。 日本の多くの都市はインフラが出来上がっており、自転車レーンを新たに構築するには困難がつきまとう。車道左側が無理な場合は歩道を区切って設置したり、両側への設置が無理な場合は対面通行にするなど、臨機応変な対応があって良い。車道でも歩道でも対面通行は当たり前なのに、自転車だけが危険という主張は理解に苦しむ。 現に私が見てきたヨーロッパの都市も、自転車王国と言われるオランダの首都アムステルダムをはじめ、対面通行や歩道通行の自転車レーンは存在していた。レーンの位置にこだわるよりも、まずレーンを作ることが大事である。そして「自転車は自転車レーンまたは車道左側を走りましょう」と呼びかければ良いだろう。  フランスの首都パリなどで設置が進んでいるバイクバスレーン、つまり自転車とバスの共用レーンを日本でも導入する例も出てきた。自家用車よりも環境に優しい交通をまとめる、分かりやすい施策である。この場合に心掛けたいのは、お互いのペースに合わせるという共存の精神である。 パリのデータによれば、バスレーンを走るバスの平均速度は約12㎞/hで、 自転車と大差ない。もちろんバスは停留所に停車するが、それを無理に抜こうとするのではなく、待つぐらいの余裕が欲しい。現に私も現地でサイクルシェアリング(公共自転車)のヴェリブを借りて走った際にはそうしていた。 自転車は車両であり、歩行者とは違う。しかし歩行者も自転車も自動車も、道路という公共空間を共同利用するという立場は同じである。 私は常々、交通については競争よりも共存が大事であると言い続けてきた。他の乗り物を思いやる気持ちもまた、事故の減少につながるはずである。関連記事■ トヨタが本気の理由 水素社会の未来は不透明■ UBERは「何でも運べる魔法のじゅうたん」? ■ 東京強靭化 必ずやってくる「巨大地震」に備えよ