検索ワード:交通/59件ヒットしました

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    改正道交法の施行にまつわる「病状」と「処方箋」の齟齬

    の悦楽」(マガジンハウス)「自転車の安全鉄則」「自転車生活の愉しみ」(朝日新聞社)など、自転車と都市交通に関する著書多数。関連記事■ 日本はイタリア地方都市のように国家や政府に頼らず世界化を■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」■ 世界であまり例がない 東京一極集中の是非を考える

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    自転車に家族を殺されるということ

    危険な運転を繰り返す悪質な自転車利用者に講習を義務付ける改正道交法が1日、施行された。近年のサイクルブームとともに、自転車が「加害者」となる重大事故が後を絶たない。本日は、突然の事故で家族の命を奪われた被害者遺族の原稿などをご覧いただき、この問題について真正面から向き合いたい。

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    自転車は本当に「車のなかま」になれるのか

    森口将之(モータージャーナリスト) 「自転車は車のなかま」 今回の道路交通法改正を前に、警察庁がオフィシャルサイトに用意した特設ページの最初に掲げられていた言葉である。たしかに日本の自転車利用者の一部は、自転車は歩行者の仲間と考えているような気がする。  わが国の道路交通法では、自転車は軽車両に属する。 他に軽車両と言えば、荷車、馬車、人力車などがある。軽車両は自動車などが属する車両の一種となっている。なのになぜ、自転車を歩行者の仲間とみなす人がいるのか。 理由のひとつに、運転免許を必要とせず、税金は掛からず、速度制限や車検制度がなく、ヘルメットの着用義務がないなど、車両としてはルールが厳格ではないことが関係しているかもしれない。  しかしこれらは、諸外国でもある程度共通している。大きく異なるのは、1970年の法令改正で、自転車の歩道走行を認めたことである。自動車の台数が急激に増加し、自転車と自動車の接触事故が急増したことが背景にあったらしい。 その結果、全国各地に自歩道、つまり自転車歩行者道が生まれた。 多くの自転車が歩道を走り、自転車レーンの整理が進まない状況は、このときの判断に起因しているだろう。 自転車が車両であることを考えれば、ミスリードだった。それが近年、自転車と歩行者の接触事故が多くなってきたことで、露呈してしまった。ゆえに「自転車は車のなかま」とアピールするようになったのだろう。 ところが依然として、安全のためやむを得ない場合など、条件付きで歩道通行を認めている。この曖昧さと、免許不要で速度制限がないという自由さが重なって、ルールは知らない、ルールは破ってもいいという風潮を生んだのではないかと考えている。  興味深いのは、ルールを知らない人とルールを破る人とで、違反の傾向が異なることである。前者で多いのは右側通行や歩道での歩行者優先義務違反、後者で多いのは信号無視や一時停止違反である。  歩道を通行する自転車利用者で多いのは、車道は危ないという意見である。しかしドライバーやライダーからの目線では、同じ道路の左側を同方向に走行する自転車はもっとも認識しやすい。逆に歩道は、車道との間に街路樹がある場合もあり、存在が確認できない場合も多く、肝を冷やすことがある。  右側通行は、目的地が右側にあるからという言い訳が多い。しかしドライバーやライダーから見ると、交差点ではどこから自転車が走ってくるか分からない状況であり、事故に結び付きやすい。自分の安全のためにも左側通行を遵守してほしい。  信号無視や一時停止義務違反が確信犯であることは、多くの人が認めるところだろう。赤信号や「止まれ」の文字を見たら停止しなければいけないことは、小学生でも知っている。ところがそれすら守れない自転車利用者がいる。 幹線道路で自動車やオートバイと競うように高速走行する自転車が最近目立つ。街中では自転車が一番速いとアピールしているかのようである。 それでも自動車やオートバイのほうがスピードが出るので一度は追い抜くが、赤信号で停止すると自転車はそのまま通過していく。本人は「勝った」と優越感に浸っているのだろうか。  自転車に税金が掛からないのは、環境負荷の低さや道路占有率の小ささを考えれば納得できるところであるが、度を超えた高速走行による事故が頻発するようになれば、免許制度や速度制限などが導入される可能性もあるだろう。 懸念しているのは、ルールを知らない人とルールを破る人とが、相手側の事故や違反ばかりを取り上げ、自分たちの不備を認めようとしない傾向である。自動車の世界における、いわゆる走り屋とサンデードライバーと呼ばれる人々の関係に似ている。走り屋は高速道路の追い越し車線をノロノロ走る車両を非難するが、サンデードライバーは左から高速で追い抜く車両を怖いと感じており、意見が噛み合わない。 すべての自転車利用者が現状の問題を共有し、ともに解決を目指すような状況を作ることができれば、厳罰化は避けられたかもしれない。ただ今回の講習制度は、自動車の交通違反取り締まり制度に似ており、自転車は車両であると認識する人が増えるのではないかという期待はある。また取り締まりの対象は14歳以上なので、家庭や学校での自転車教育充実も望める。 しかし今回の講習制度導入ですべてが解決するわけではない。なによりもインフラの整備は欠かせない。自転車レーンの整備を早急に進めるべきである。そうすれば歩行者との接触事故はかなり減るだろう。 ただし私は、一部の自転車専門家が提唱するような、自転車レーンであっても車道左側にこだわる主張には同意しかねる。 日本の多くの都市はインフラが出来上がっており、自転車レーンを新たに構築するには困難がつきまとう。車道左側が無理な場合は歩道を区切って設置したり、両側への設置が無理な場合は対面通行にするなど、臨機応変な対応があって良い。車道でも歩道でも対面通行は当たり前なのに、自転車だけが危険という主張は理解に苦しむ。 現に私が見てきたヨーロッパの都市も、自転車王国と言われるオランダの首都アムステルダムをはじめ、対面通行や歩道通行の自転車レーンは存在していた。レーンの位置にこだわるよりも、まずレーンを作ることが大事である。そして「自転車は自転車レーンまたは車道左側を走りましょう」と呼びかければ良いだろう。  フランスの首都パリなどで設置が進んでいるバイクバスレーン、つまり自転車とバスの共用レーンを日本でも導入する例も出てきた。自家用車よりも環境に優しい交通をまとめる、分かりやすい施策である。この場合に心掛けたいのは、お互いのペースに合わせるという共存の精神である。 パリのデータによれば、バスレーンを走るバスの平均速度は約12㎞/hで、 自転車と大差ない。もちろんバスは停留所に停車するが、それを無理に抜こうとするのではなく、待つぐらいの余裕が欲しい。現に私も現地でサイクルシェアリング(公共自転車)のヴェリブを借りて走った際にはそうしていた。 自転車は車両であり、歩行者とは違う。しかし歩行者も自転車も自動車も、道路という公共空間を共同利用するという立場は同じである。 私は常々、交通については競争よりも共存が大事であると言い続けてきた。他の乗り物を思いやる気持ちもまた、事故の減少につながるはずである。関連記事■ トヨタが本気の理由 水素社会の未来は不透明■ UBERは「何でも運べる魔法のじゅうたん」? ■ 東京強靭化 必ずやってくる「巨大地震」に備えよ

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    街を安全にできるか 道交法改正という「苦肉の策」

    この改正がなぜ苦肉の策なのかを説明する前に、まず改正までの経緯と概要をおさらいしておこう。 改正道路交通法が公布されたのは平成25年の6月14日。このとき、運転すると危険な病気を隠すと厳罰とか、ラウンドアバウト(環状交差点)の通行方法を決めるといった改正と一緒に、自転車に関する3つの条項が追加された。そのうち、ブレーキの効かない自転車の運転禁止と自転車が通行できる路側帯は道路左側のみという規定はその年の12月1日に施行されたが、悪質な違反を繰り返したら講習というルールは、どの違反を悪質とするかを政令で定めて充分周知するための期間が必要ということで、公布から施行まで2年を要した。改正道交法の内容が書かれたパンフレットを配る水戸署員ら=5月26日午前、水戸市三の丸(桐原正道撮影) 改正道路交通法ではどの行為が悪質かを、道路交通法施行令で定めることになっているので、警察庁は昨年暮れに案を公表し、パブリックコメントを求め、今年1月20日に14項目を閣議で決定した。そして、ほぼ半年後の今日から新ルールが施行され、これらの違反を3年間に2回繰り返すと、有料の講習を受けなければならず、受講しないと5万円以下の罰金刑を課せられることになった。 なにがどうなるのか、具体的にシミュレートしてみよう。 仮にあなたが自転車で赤信号を無視して、検挙されたとしよう。道路交通法第7条には「道路を通行する歩行者又は車両等は、信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等(前条第一項後段の場合においては、当該手信号等)に従わなければならない」とされている。信号無視は、歩行者がやった場合は2万円以下の罰金、自転車を含む車両がやると3月以下の懲役又は5万円以下の罰金という立派な犯罪なので、あなたは検挙、つまり犯罪者として扱われる。まず本人特定ができる身分証の提示が求められるが、免許証やパスポート、顔写真入りの住民基本台帳カードなどを持っていないと、交番に連行され、誰かに引き取りに来てもらって氏名や住所を特定してもらわなくてはならなくなる。この本人特定が一番重要だ。適当に偽名や嘘の住所を書いたり、他人になりすませるような取り調べでは冤罪を生むきっかけになる。警察は軽微な違反には呼び止め、注意して「指導警告票」という、いわゆるイエローカードを渡している。昨年は全国で約173万枚! だが、これでは本人特定は行えない。一方、検挙された自転車は8070件に過ぎない。現場で多忙を極める警察官にとって、本人特定を伴う検挙を執行するのは大仕事である。 さて検挙されたあなたが違反を認めて、反抗せず逃げたりしなければ、そこで、赤い紙に印刷された「交通切符」に署名捺印(拇印)して、帰ることが許される。この紙がいわゆる「赤キップ」。クルマの軽微な違反だと「青キップ」と呼ばれている反則金納付票をもらって行政処分で済むのだが、自転車には反則金制度がないから、道交法の罰則がそのまま適用される。クルマより自転車の方が罪が重いという不可解な状況は今回の改正でも変わらない。 数日後に、呼び出し状が届き、指定された日時に指定された裁判所に出向くことになる。まず、警察の取り調べを受け、検察に送致され(と言ってもすぐ隣にあることが多い)、そこで起訴されるかどうか判定される。起訴されれば、またすぐ隣にある簡易裁判所で刑を言い渡されるのだが、初犯であればたいてい起訴猶予となって放免される。これで反省して、ルールを守るようになれば良いのだが、あなたはまたもや、つい急いで歩道を自転車で走っていて人混みがあったので、車道に飛び出し逆送し、またまた検挙。前回と同じことが繰り返されるのだが、3年以内に2回目となると指定された日に受講費5700円を支払って講習を受けなければならなくなる。講習をさぼると今度は起訴され罰金5万円以下が確定する。 ここで法律に詳しい人はなにか変だな、と思うはずだ。閣議決定までした「悪質」違反14項目は、もともと道交法で罰則付きの違反行為である。本来なら、法律に従って検挙し、起訴して懲役なり罰金なり処罰すればいいのだが、実際には検挙されても起訴されることがほとんど無く、面倒な手続きさえ我慢して反省の色を見せていればなんのお咎めもない。となると、見つからなければ大丈夫、と赤信号を突破する勘違い自転車乗りが横行し、ちゃんと信号が変わるのを待っている善良な人たちまでが、それを真似しはじめ、交通事故は減っているのに自転車関連事故の減り方が小さい。事故を減らし、死者を半減させるという政府の目標を達成するにはとにかく自転車にルールを守らせるしかない。といっても、免許を持たず、道交法を読んだこともない人たちにルールを徹底するのは至難のワザだ。長年、自転車を歩行者の仲間扱いし、違反を見過ごし、罰則付きのルールを、守らなくても罰せられないマナーと言い換えてきたツケが回ってきたのである。変なところがたくさんある危険行為変なところがたくさんある危険行為 法律に基づいて処罰しなければならない違反を、注意だけで済ませることが、むやみに前科者を増やすのは本意ではない、という配慮とちまちました違反でいちいち裁判をやってたら国家財政がパンクするという事情で、常態化してしまった。だが、再び検挙されても金を払って講習を受ければ、またもや無罪放免では、なんのための法律なのか。これを「厳罰化」と言う人は、ルール遵守を促すアナウンス効果を狙ってわざと間違っているのだろう。 法律論としてはとても妙ちくりんなのだが、これまで逆三角形の止まれ標識はクルマのためのモノで、自転車は関係ないのよね、などと都合良く勘違いしてきた人たちに、自転車も停止して安全確認しないと検挙されるかもしれない、と身構えさせる効果はある。また、14項目が列挙され、これらに該当すればただちに検挙できる状態にしたことで、現場の警察官は仕事がしやすくなるはずだ。なにしろ、我が国の道路交通法は世界一難解で複雑怪奇、例外だらけのお化け法律である。特に自転車については、複雑すぎて先生が生徒に教えられないありさまなので、違反を見とがめる警官が、法律のどの条項に該当するか判断に苦しむことも珍しくない。 14項目を眺めてみると、意図はわかるが変なところがたくさんある。1)の(信号機の信号等に従う義務)は当然だが、2)3)4)5)11)はよく読むと同じことを繰り返している。自転車は法律の原則通り車道左を走ればこれらの違反に該当するはずがない。だが、路側帯と路肩を区別して認識している国民はほとんどいない。歩道と歩道等という法律用語も一般人には無縁だ。歩道では相互通行可で、路側帯はダメ、と言われてもなかなか理解は進まない。とにかくクルマと同じ方向に進め、とシンプルなルールにするべきだろう。 6)の踏切や7)8)9)の交差点の規定も常識的な感覚ならやらないことばかりだ。問題は10)の一時停止で、これはこの機会に自転車も止まれを徹底的に啓発したい。自転車事故のほとんどは交差点で出会い頭に起きているから、止まって安全確認すれば事故は激減する。12)のブレーキなしの自転車禁止は一時のブームが過ぎて、危険が認識されてからは滅多に見かけなくなった。むしろ、ブレーキが付いているのに使わないことが大問題だ。13)は実は法のバグに関わるが、いずれにしても飲んだら乗るなが鉄則。いったいなにがどうなるか説明しにくいのが14)で、事故にならなければ適用しないらしいのだが、ケータイ、スマホ、イヤホン、傘差し、ジグザグ運転、夜間の無灯火など、運転が安全でないと見なせばなんでもあり、ということになる。 突っ込みどころは満載だが、それでも法改正が人口に膾炙し、あれは悪質だね、私はやらない、と自分の走り方を見直す良いきっかけにしたい。警察庁が「自転車は車両」とあたりまえのことをわざわざ通達したのは2011年10月25日だった。自転車を歩行者の仲間ではなく原付バイクと同じようなモノだと思わせなければ、現状の改善はできない。原付バイクで信号無視や車道逆走、歩道暴走はしないだろう。ましてや傘を差すバカは物笑いの種である。 自転車なら大丈夫だろう、ちょっとだけならかまわないだろう、と思い込んで事故を起こす人たちを増やさないために、まずは恣意的にでも徹底検挙に踏み切ってもらいたい。常識と良識に従って安全運転を心がけている自転車利用者にとって、街の秩序が保たれることは良いことだ。増え続ける外国人観光客の多くは、日本とは逆の右側通行の国からやってくる。路面にわかりやすく表示しなければ、そうした来街者に安全な通行環境を提供できない。クルマのドライバーをはじめ、みんなが安全快適に移動できる街づくりが急務であり、今回の施行がおもてなしの行き届いた環境をつくる一歩となることを願ってやまない。悪質運転危険行為1)(信号機の信号等に従う義務)の規定に違反する行為2)(通行の禁止等)第一項の規定に違反する行為3)(歩行者用道路を通行する車両の義務)の規定に違反する行為4)(通行区分)第一項、第四項又は第六項の規定に違反する行為5)(軽車両の路側帯通行)第二項の規定に違反する 行為6)(踏切の通過)第二項の規定に違反する行為7)(交差点における他の車両等との関係等)の規定に違反する行為(無理やり進入等)8)(交差点における他の車両等との関係等)の規定に違反する行為(進路妨害等)9)(環状交差点における他の車両等との関係等)の規定に違反する行為10)(指定場所における一時停止)の規定に違反する行為11)(普通自転車の歩道通行)第二項の規定に違反する行為12)(自転車の制動装置等)第一項の規定に違反する行為13)(酒気帯び運転等の禁止)第一項の規定に違反する行為(法第百十七条の二第一号に規定する酒に酔った状態でするものに限る。)14)(安全運転の義務)の規定に違反する行為関連記事■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」■ 東京強靭化 必ずやってくる「巨大地震」に備えよ■ 空き家急増 マンションが新たな火種

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    母の命を奪った自転車という凶器

    東光宏(関東交通犯罪遺族の会[あいの会]副代表)突然の悲劇 6月1日から道路交通法が改正されます。自転車の悪質運転を対象にしたものですが、私は自転車が加害者の交通遺族として、もっと本質からの議論が必要だと感じています。 私は5年前、自転車に乗った加害者に母の命を奪われました。 東日本大震災の前年の1月、買い物途中だった母は、青になった横断歩道を渡ろうとしたところ、信号無視で突っ込んできた自転車に打ち倒されました。加害者は当時42歳の会社員でした。母はそのまま入院し、深夜に意識不明の重体になりました。 既に結婚して別居していた一人息子の私が、父からその事実を知らされたのは、その後でした。両親が私に心配をかけないように黙っていたのです。知らせを聞いて、妻と一緒にあわてて病院に駆けつけると母は手術中でした。手術は朝までかかりました。まだ真冬で、暗くて寒い控室の中、父と妻と私の3人でこごえていたのを今でも思い出します。 それから私と妻は、会社を休んで、実家に泊まり込み、実家から連日病院に通い詰めました。なにも食べられない状態が続きました。病院にいても、ただ見守るだけで、ただ死にゆくのを見守るだけの悪夢の日々でした。 そして着替えを取りに自宅に戻った途端、病院の看護師長さんから連絡が入りました。「今すぐ来られないかな!お母さん、もう駄目なんだよ!」そうせっぱつまった口調で言われました。慌てて病院に駆けつけましたが、結局母の死を看取ることはできませんでした。事件から5日後のことでした。           東京地裁(東京・霞が関)裁判で感じた怒り 逮捕もされず、謝罪にも来ないままの加害者が起訴されたのは、それから半年以上経った8月、公判は10月でした。 公判で加害者は、 「スポーツ用自転車は下を向いているので斜め上の信号なんか見えなくても仕方ない」 「自転車でぶつけて殺したのではなく、自転車にぶつかったあとに道路に頭を打ちつけて死んだんだ」 と意味不明の主張をしてきました。 また法廷で絶叫型の猿芝居まで演じてきました。 弁護士「東様に今ここで謝りたいと思いますか?」 加害者「はい!思います!」 弁護士「では今ここで謝りますか?」 加害者「はい!謝ります!東様!このたびはお母様を死なせてしまい!申し訳ございませんでしたあっ!!!」 まさに猿芝居。 弁護士とリハーサルを繰り返したのでしょう。その努力の跡がありありと残る、セリフ棒読みのお芝居でした。傍聴席からも失笑が漏れていました。  しかし裁判官には当たり外れがあります。 被害者遺族は、どういう裁判官に当たるか、バクチを強いられます。そして私はハズレクジを引きました。担当裁判官は、加害者の猿芝居を見て「反省している」と判決理由に書き、執行猶予を言い渡したのです。執行猶予を言い渡された瞬間、加害者はホーっと安心したように背中を丸め、裁判官に対して「ありがとうございます」とつぶやきました。私はつい「不満です!」と叫びました。すると裁判官は、敵意むき出しの表情で私を睨みつけ、「黙っていて下さい」と吐き捨てるように言いました。 「黙っていて下さい」 これが、裁判官が遺族にかけた唯一の言葉でした。 判決文からも、私の訴えた内容は、最初からなかったことにされていました。 だから私は、2人に母を殺されたと考えています。まず加害者に命を殺され、そして裁判官に尊厳を殺された。そう考えています。 私の母を殺した加害者は、一度も謝罪に来ませんでした。法廷での加害者の言い分は「思いつかなかった」でした。そしていまに至るまで、加害者が謝罪に来たことは一度もありません。これからもないでしょう。刑務所に入らずにすみ、謝罪する演技の必要もない以上、面倒くさいだけということなのでしょう。 反省の演技すらしない加害者。そんな加害者の明らかな茶番を見て、平然と執行猶予をつける裁判官。いまも何も変わりません。課題はまだまだたくさんあります。 刑事公判で、私は被害者参加制度を利用しました。そして加害者の実刑判決を求めて、できることは全てしてきたつもりでした。しかし振り返ってみれば、ただ検事席に座らせてもらっただけ、ただ法廷でしゃべらせてもらっただけ、ただ単に遺族感情のガス抜きに利用されただけでした。被害者参加制度は、少なくとも私にとっては、ただの儀式でした。 その後、民事訴訟もしましたが、ここでも驚くことがいくつもありました。多くの場合、民事訴訟になると、保険会社主導で、手のひらを反してきます。 私の場合も、加害者はファンタジーのような主張をしてきました。「入院中にベッドから転落して頭を打ったことが死因に違いない」 これが民事訴訟における加害者側の主張のほぼすべてでした。 本気でそんな判決が出ると思っていたのか、苦しまぎれなだけだったのか、真相はわかりません。しかし故人と遺族を侮辱する話です。あらためて激しい怒りを感じました。 ただこうして手のひらを返した加害者を見て思うのは、執行猶予付き判決というものが、いかに無意味なものかということです。こうなっても裁判官が判断ミスを問われることはないわけです。たまたま良い裁判官に当たればいいのですが、そうでない場合、被害者遺族は二重三重の苦しみを味わいます。いまもニュースを見ていて、やりきれない感情に襲われる時があります。「・・・で逮捕されました」「・・・に実刑判決が下されました」 この2つが出ると必ず反応してしまいます。特につまらない事件でこの言葉を聞くと、交通犠牲者の命の軽さを思わずにはいられないのです。「こんなくだらないことで逮捕者や実刑が出ている。母の命は一体何だったんだ」と感じてしまいます。 ちなみに私は「交通事故」ではなく、「交通犯罪」という言葉を使います。ここでもそうします。守るべき注意義務を怠り、尊い人の命を奪う以上、それは明らかな犯罪だからです。 その上で述べると、自転車での交通犯罪の場合、車の場合といくつか異なる点があります。 まず重過失致死傷罪で裁かれることです。車の場合、自動車運転過失致死傷罪、悪質な場合は危険運転致死傷罪で裁かれます。しかし重過失致死傷罪だと懲役5年が最高刑です。車の場合は7年です。いまでも多くの交通遺族は、加害者の軽い刑に泣かされていますが、加害者が自転車だと、遺族はもっと軽い刑に泣かされます。 そしてひき逃げが容易なこともあります。自転車でひき逃げをされた場合、まず犯人は捕まりません。 補償問題も考えなければなりません。私の母の命を奪った加害者は、たまたま自宅の火災保険に対人特約がついていました。しかし実際は、個人での賠償となるケースが多く、そうなると結局支払えないという理由で、加害者の逃げ得になっている現実があります。道交法改正への思い道交法改正への思い 自転車をめぐる問題は、時折マスコミでも取り上げられます。 自転車は車両なのだから歩道ではなく車道を走るべきだ。 高額賠償が相次いでいるから、自転車保険に入るべきだ。 これまでのマスコミでの取り上げられ方は、だいたいこの2つです。しかし、これらの議論は本質を欠いていると考えます。 前を向いて運転すること。 信号をきちんと守ること。 この2つさえしていれば、悲劇など起こさずにすむはずだからです。 しかしいまも、そんな当たり前のことができない自転車をたくさん見ます。赤信号無視など日常茶飯事。猛スピードで人ごみをすり抜ける自転車も珍しくありません。 なぜこうした現実が変わらないのかと考えると、自転車が人の命を奪う凶器になりえる認識がまだまだ薄いからだと思います。そして苦しむ被害者や遺族を生み出すかもしれないという想像力がないからだと思います。 高額賠償例が目立っている。 では、自転車保険くらいつけておこう。 多くの人の考えが、そこでストップしてしまっているような気がします。 かつて飲酒運転は当たり前に見る光景でした。しかしいまはほとんどありません。厳罰化されたからです。厳罰化によって、人の命を奪う犯罪行為なんだという認識が定着しました。自転車の悪質運転もそうあるべきだと考えます。 今回の道路交通法改正を考えると、本質からかけ離れた、とても些末な内容だと思っています。講習対象者は、「面倒くさいな」と思いながら、受講するかもしれません。しかし些細なことであっても、わずかな一歩として前進させる種になってほしいと思います。 そうなるためには、絵にかいた餅ではいけません。誰にも手を取られることなく、ただ腐っていくだけの、高級果物店のメロンのようなものであっては困るのです。いま危険運転致死傷罪がそうなりつつあります。交通犯罪遺族が血のにじむ思いで成立させた刑罰がすでに腐り始めています。今回の道路交通法改正はそうならないように、厳正に適用してほしいと思っています。本文と写真は関係ありません遺族の孤独と闘い 最後に、遺族の孤独にも触れたいと思います。加害者が車の場合、遺族や支援者のグループは全国にたくさんあります。しかし自転車で調べても、そうしたものはありません。何をしていいのかわからないまま、悔いだけを残してしまう人がほとんだと思います。 私が知っている自転車の遺族はみなそうでした。 警察が簡単に捕まえられるひき逃げ犯を、 おそらく仕事を増やしたくないだけの理由で、「この人(加害者)にも人生がある」と意味不明な理由で捕まえようとしないケース。 「よくある不幸な事故」と警察から説得されて、ろくな捜査もされないまま終わるケース。 ひどい話しか聞きません。 凶器がバットでも刃物でも、殺人であれば同じ殺人罪のはずです。車でも自転車でも、交通犯罪は交通犯罪のはずです。そんな現実を変えたい思いで、私は遺族活動を続けています。 そんな私も当初、加害者が自転車というだけで、遺族活動からもはじかれそうになりました。 事件から間もない頃、私はすがるところを求めて、全国交通事故遺族の会という団体の存在を知りました。しかし、入会したいと申し出たところ、「自転車が加害者では前例もないし、お力になれない」と最初は断られました。その後「自転車だからと区別されるのはおかしい」と手紙を書いたところ、会の副会長の方から「一度お会いしませんか」と連絡があり、思いを伝えました。そして副会長の方からは「自転車遺族だから入会できないなんてことはない。むしろ自転車問題の旗振り役をしてほしい」と言っていただき、入会しました。その後、全国交通事故遺族の会は、歴史的使命を果たしたとして、その21年間の歴史に終止符を打ちました。しかし、そこで知り合った人たちとの縁は、いまも私の大切な財産となってます。 その後、私は同じ思いを抱える交通犯罪遺族の方々と、関東交通犯罪遺族の会(通称あいの会)を立ち上げました。笑顔、思いやり、共有の3つをモットーに、サークル感覚でお互い寄り添いあえる心の支えを作りたい。そんな思いで、講演会を行ったり、官庁に陳情を行ったり、他の遺族へのフォローを行っています。家族を奪われるという悲しい経験を通じて知り合ったメンバーです。しかし、だからこそ、家族のようなあたたかい繋がりがあります。 遺族ががんばらなくても、失われた命の尊厳は当然守られる。本当はそうあるべきですが、まだまだ遺族ががんばらなくてはならない現実があります。自転車の問題はさらにそうです。私は「自転車に家族を殺されるということ」というブログを書き続けています。時折、そのブログやあいの会を通じて、メッセージが寄せられることもあります。ないがしろにされがちな自転車交通犯罪をめぐる現実を変えるために、これからも発信を続けていきたいと思っています。自転車に家族を殺されるということhttp://ameblo.jp/azumin827/あいの会公式ブログhttp://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/あずま・みつひろ 自転車交通犯罪遺族。関東交通犯罪遺族の会(あいの会)副代表として遺族支援や交通事故をなくす活動を続ける。自身のブログ「自転車に家族を殺されるということ」で、遺族としての思いや、裁判や賠償手続きなどの体験などを綴る。関連記事■あの日を境に変わった私のメディア認識■1日5人が餓死で亡くなるこの国■私たちにつきつけられた 次の災害まで「災間社会」の課題■日本の火山研究者は「40人学級」 御嶽山噴火で露呈した危機■社会的投資の視点で考える 豊かな日本社会の「子どもの貧困」

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    新幹線は北陸に何をもたらすのか

    佐野慎輔(産経新聞特別記者兼論説委員) このところ、北陸新幹線の話題が新聞、テレビにあふれている。とりわけ開業日にあたった3月14日の前後は、他に話題がないのかと思うほどだった。2011年3月の九州新幹線以来の新幹線開業だから無理ないのかもしれないが、こうした話題づくりはどこまで持続するのかなと気になってしまう。朝もやが立ちこめる中、新高岡駅方面(左奥)に向かって疾走する北陸新幹線の上り一番列車「かがやき500号」=14日午前6時12分(本社ヘリから、恵守乾撮影) 北陸新幹線が通る富山県高岡市が故郷である。18歳、まなじりを決してというわけでもなく、ほわーっと大学を受験したときは特急「白山」に揺られて上京した。長野を経由し、6時間以上もかかって上野に着いたとき、思わずよろよろしてしまった。そんな詰まらないことをまだ、憶えている。 爾来40年余り、首都圏に住んでいるが、北アルプスという壁が立ちはだかる東京と新高岡が最短2時間23分で結ばれるとは思いもよらぬことだった。加賀藩2代目藩主、前田利長によって開かれた城下町、五箇山を控えた山間部と良港を持つ氷見、新湊という海浜部との交流点として古くから栄えた商人の町、銅器や漆器、現在では錫工芸で名を馳せる物作りの町、そして父祖の地。近くなったことを大いに喜ぶ反面、どこか粟立つような思いもある。100年に一度の好機 開業2週間前、所用で高岡に帰った。幟やポスター、街中には「北陸新幹線開業」の文字があふれていた。地元メディアも新幹線一色。偶然つけたテレビの画面に、中沖豊・前富山県知事が大写しになった。中沖さんは6期知事を務め、北陸新幹線誘致の先頭にたってきた。その中沖さんが感慨深げに「悲願」と幾度も口にした。そう、この地方にとって長野で止まっていた新幹線を北陸まで延伸することは悲願だったのである。 私がかつて利用した特急白山は長野新幹線開業とともに廃止されたが、その前に上越新幹線が開業し、長岡で特急「北越」に乗り換えて北陸地域に行くルートができた。さらに上越新幹線で越後湯沢まで行き、そこから第三セクターのほくほく線を経由、JR北陸本線に入る特急「はくたか」が北陸地方の乗客輸送の主役となった。時間にして3時間半程度、故郷を離れてしまった私はそれでも十分ではないかと思ったりもしたものだが、地元にとっては何より東京と乗り換えなしに直結することが大事なのだった。 東京と直結すれば、首都圏から観光客が大量に流入する。広い土地、豊かな水量、災害の少ない気候風土、住みやすさでは必ず全国上位を占める土地柄、企業や人材の流入が期待できる。そんな期待が新幹線延伸の原動力になった。 「北陸新幹線はこの地域にとって100年に一度の好機」 安倍政権が掲げる『地方創生』を錦の御旗とする自治体関係者からはそんな声も聞かれる。北陸新幹線開業を契機に観光客の呼び込みや企業誘致に成功すれば、地域は大きく発展していくとの考えだ。 実際、報道によると、日本政策投資銀行は北陸新幹線開業経済波及効果を富山県で88億円、石川県では124億円と試算している。だからこそ、両県では官民あげて観光、企業誘致PRに力をいれてきた。 故郷は遠きにありて…と思う私でも、故郷の見知った観光地や食べ物、名産品などがメディアで取り上げられればうれしい。うれしくなったついでに、人に話し、誇りたくなってしまう。そして気がつけば「行ってみないか」と誘ったりしているのだ。新幹線開業のような画期的な出来事は、人の思いや行動までも変えるのかもしれない。 企業で言えば、世界的なファスナー製造大手のYKKが意識変革に乗り出した。創業者ゆかりの富山県黒部市に北陸新幹線開業を機に本社機能の一部を移転するという。黒部宇奈月温泉駅が同社のそば、まるで専用駅のような装いになる。具体的には首都圏にすんでいた管理部門などの社員230人が黒部市に移り住むわけだが、日帰り可能な新幹線出現が可能にしたといっていい。 ほかにも富山や金沢近辺に工場移転を計画中の企業がでてきている。こうした動きが北陸地方に新たな活力を生むことだろう。 ただ、一方で新幹線効果に疑問をもつ高校時代の友人もいた。曰く、「騒ぎは一過性のものかもしれない」。金沢のひとり勝ち 過日、あるテレビ番組に思わずムッとした。新幹線開業・北陸三都物語とテーマアップされていたので、てっきり「富山、石川、福井」を取り上げた番組だろうと思ってチャンネルをひねってみたら、三都とは金沢、能登、加賀温泉だった。これでは「石川三都物語、金沢三都物語ではないか」。北陸新幹線の開業を祝う市民や鉄道ファンらでごった返すJR金沢駅のコンコース=14日 その番組は極端な例外だったのかもしれないが、金沢ありきの現実もあることはある。 兼六園、石川門、ひがし茶屋街、近江町市場、加賀友禅、金箔…ともかく加賀百万石の城下町・金沢は見るもの、聞くもの、愛でるもの、食べるものに事欠かない。子供のころ、大事なものは金沢で買ったことを思い出す。 「アンノン族であふれた頃以来、いやそれ以上かも知れんね。金沢は人であふれている。観光地が近場にあるし、北陸の経済、文化の中心でもあるから、やっぱり金沢に人が集まってくるよ」 高校時代の友人で、地方自治を専門にする大学教授はそう話すとともに、こうも続けた。 「富山県はスルーされるかもしれん」 富山にも集客の期待できる観光地は少なくない。例えば立山黒部アルペンルートはヨーロッパ的なスケールを誇る山岳リゾートである。山あり温泉あり、ゆっくり楽しむことができる。世界遺産である五箇山の合掌づくりの集落、そして氷見のぶり、滑川のホタルイカなど海の幸にも恵まれた土地だ。だが、それも金沢と比べるとどうだろう。前述の番組ではないが、能登半島や加賀温泉への起点でもある。しかも、現時点での終着駅、旅情をかき立てる。 「『かがやき』が止まるのは富山だけ。新高岡は1日1本、まして中心街から離れた新駅。ちょっと厳しい」。友人の顔が曇った。「だから真剣に対策を講じていかなければならない」 こうした思いは、実は長野県や新潟県の市町村でもおなじだろう。終点・金沢のひとり勝ちが決まる前に生き残る手立てを考えなければならない。 北陸新幹線という線を、いかに地域という面にしていくか。例えば、故郷の例で恐縮だが、高岡は富山と金沢、和倉温泉を結んだトライアングルの中にすっぽり収まる。逆の見方をすればどの場所にも行きやすい。実際、能越自動車道を使えば能登半島の入り口としては金沢よりも好位置にあると言えよう。また、東海北陸自動車道で名古屋と結ばれている。新幹線で伸びてきた線を高速道路によって面で吸収していくことが可能だ。加えて五箇山の南東方向に位置する高山を中核とした飛騨地方とは古くから「ぶり街道」などを通して密接な関係がある。情報を共有し、利用しない手はない。 「ようは意識改革と早急な政策立案が必要だ」。友人が言った。新幹線開業で目が北陸に向いている今だからこそ、手立てを講じる必要がある。一過性な盛り上がりで終わらせてはこの地域に進歩はない。ストロー現象は起きるか JR金沢駅の周辺ではオフィスビルの建設が相次いでいるという。首都圏からの企業の移転などを意識した建設ラッシュか、すでに目算が付いたビル建設かはわからないが、金沢駅周辺が北陸新幹線開業でクローズアップされていることの証明であろう。 首都圏と近づいたことで「企業誘致が進む」という声がある反面、日帰り地域に組み込まれたことで「逆に支店や営業所が撤退するのではないか」という意見も出ている。 長野新幹線ができた後の長野市がそうだったと聞く。首都圏からの所要時間が短縮され、日帰り出張が増えたことによって企業の支店が撤退していった。支店がなくとも、本社から人を派遣すれば、出張費ともかく、支店運営にかかる経費は大幅に縮小できる。だから支店はいらない。ちょうど首都圏がストローで人と金を吸い込む「ストロー現象」が発生した。長野では日帰り出張の増加から経済波及効果も小さかったという。 もっと言えば、人材の流出も招きかねない。支店や営業所の撤退で現地採用の枠が減り、就職事情が厳しくなりかねない。むしろ職を求めて首都圏への人材流出も懸念されよう。中核都市・金沢はともかく、富山や高岡には気がかりなことだ。コールセンターや流通センターの誘致など、別なかたちで人材の確保を考えていく必要もあろう。 買い物にしても、高級志向のおりから目は首都圏を向く。日帰りで東京まで買い物という時代がこの地方に訪れるかもしれない。ゴルフにしても県内のゴルフ場よりは日帰りできる首都圏や長野、とりわけ軽井沢あたりのゴルフ場が盛況となるかもしれない。これらもまた、ストロー現象である。西から東へ、人の動きが変わる 北陸新幹線の開業で在来線が大きく変わる。高校時代の別の友人が話した。 「これまで京都や大阪など関西圏に気軽に出かけることが多かった。でも、新幹線開業の替わりに、富山まで来ていた特急サンダーバードが金沢止まりになった。乗り換えが面倒だから行く機会が減るかもしれない」 すると、もうひとりの友人がこう話した。 「いや、乗り換えを入れても新幹線を使ったほうが早いよ。特急料金も乗り換えを使えば安いし、乗り換えもわかりやすい」北陸新幹線が延伸開業し、富山駅を出発する東京行き一番列車「かがやき」=14日午前6時21分(代表撮影) きっとそうなのだろう。JR西日本にとって北陸地方は、関西圏の人と物が交流する大事な地域である。それなりの措置は講じているに違いない。 しかし、人の流れは変わると思う。これまで乗り換えなしで富山から行くことができた関西圏は乗り換えが必要、越後湯沢なり長岡なりで乗り換えなければならなかった首都圏が直接結ばれる。時間も大差ないとなれば、自ずと楽な方に人の流れはできる。 北陸から関西への流れ、あるいは関西圏から北陸への流れは減ると同時に、首都圏から北陸への双方向の流れができるように思う。 激変するとは思われないが、大学受験生の志望校に影響がでるように思う。私の母校では、東京の大学を指向するものも少なくなかったが、我が同級生たちは結構、関西方面の大学に進んだ。件の大学教授も京都の大学に学び、大阪の大学院で学位をうけた。関西地区の大学もまた、後背地としての北陸を意識し、金沢に受験会場を設けて便宜を図ったりもしていた。 しかし、金沢-東京間、最短2時間28分となれば、意識も異なってくるに違いない。長野や首都圏、とりわけ東京の大学を指向する者が増えていくような気がする。機を見るに敏な大学では早くも北陸地区で説明会を開き、地方入試を実践するところもあった。 一方で国立大学法人の金沢大学や富山大学が長野や新潟、さらには首都圏で説明会を実施している。北陸に人材を集めるための攻撃的な活動は、やはり北陸新幹線延伸の好影響だとみていいだろう。生き残りをかける地方大学が独自の魅力をアピール、受験生を増やすことは将来の人材確保にもつながり、若い人材の流入は地域活性化の最大の要因である。こうした大学の挑戦、戦略に自治体も支援を惜しまないでもらいたい。持続的な成長につなげたい 少子化と共に地方の衰退が語られて久しい。一方では東京への一極集中が危惧されている。整備新幹線は一極集中を加速させるのではないのか、そんな疑問もないわけでない。いや、むしろ大いに心配している。 開業した北陸新幹線は、首都圏と北陸を近づけ、北陸の潜在的な魅力の売り出しに大きく貢献した。これによって、観光面にしろ、経済面にしろ、北陸への波及効果と人の流入が期待されている。 だからこそ、現在のブームを一過性で終わらせてはいけない。いかに、北陸地方をあげて対策を講じていくか、ここ数年の取り組みが将来を左右すると考える。自治体相互の競争とともにある協調、共同歩調が必要だ。官と民、双方の協力もまた重要な要素である。情報の共有、人材の共有、意識の共有…道州制を前倒ししたような「北陸道」としての対処、対応が求められる。それが実現できて始めて、持続的な成長が可能になるだろう。関連記事■ 世界であまり例がない 東京一極集中の是非を考える■ 格差は悪か ピケティは正しいか■ 地方紙はローカルニュースだけでよい

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    北陸新幹線開業 百年に一度の期待と不安

    3月14日、延伸開業した北陸新幹線。首都圏と2時間台で結ばれることで北陸2県合わせて200億円超の経済波及効果が生まれるという。千載一遇の好機に沿線自治体の期待も高まるが“副作用”も指摘されている。果たして北陸新幹線は地方創生につながっていくのだろうか。

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    日本を大きく変える最後の「北陸新幹線」

    小宮一慶(コンサルタント)2015年3月、いよいよ北陸新幹線が金沢まで開業する。北陸地方にとってはまさに悲願だったわけだが、航空網も発達した現在、新幹線開業がどれほどの経済効果をもたらすのか、首をかしげる人も多いだろう。そこで、経済に精通し、年間100回以上新幹線に乗るという「新幹線好き」として知られる経営コンサルタントの小宮一慶氏に、「北陸新幹線で何が変わるのか」についてうかがった。「北陸新幹線」で何が変わるのか? 3月14日、いよいよ北陸新幹線長野-金沢間が開業します。北陸にはお客様も多いため、しばしば行っているのですが、地元ではすでにかなり盛り上がっているようです。新幹線開業直後のホテルや旅館はもう、ほぼ満室とのことです。 実は私は自他ともに認める「新幹線好き」。毎年少なくとも100回は乗っており、『新幹線から経済が見える』という本まで書いているほど。そんな私ですから、もちろん開業は非常に楽しみです。ただ、だからといって全国にどんどん新幹線を走らせればいいと思っているわけではありません。2016年に函館(新函館北斗駅)まで、さらに札幌までの延伸が予定されている北海道新幹線や、九州新幹線の長崎ルートなどは、事業の採算が取れるのかなと心配しています。ただ、この北陸新幹線に関しては、人の流れや経済に確実に大きなインパクトを与えると考えられます。リニアを除いて、日本経済や文化に大きな好影響を与える最後の新幹線と言えるでしょう。金沢を午前6時に出発し、東京駅に到着した上り1番列車「かがやき500号」=14日午前、JR東京駅(鈴木健児撮影) まず、東京と北陸との間の人の流れが変わるのは確実です。現在、東京から富山県や石川県に行く人の大半は、羽田から空路を利用しています。羽田から富山や小松(石川県)への路線は国内で最も短い航空路線の1つで、飛行時間はわずか1時間。空港へのアクセスの時間などを考えても、現状、越後湯沢経由で4時間はかかる鉄道に比べて圧倒的に優位です。 それが、新幹線開通により金沢まで最速2時間半で着くようになります。ドアトゥドアの時間では飛行機と大差ないかもしれませんが、私のお客様に聞いてもほぼ全員が「新幹線を使う」と言います。なぜなら、ビジネスマンにとっては「忙しいときこそ新幹線」だからです。日本の新幹線技術は世界に比類なきもの 飛行機の場合、30分前には空港に到着せねばならず、その後も手荷物検査や搭乗などが慌ただしく続きます。離陸時には何もできず、やっと安定飛行に入ったと思ったらまもなく着陸。さらに空港から市街地まではバスに乗り換えと、落ち着く暇もありません。 一方、新幹線はギリギリに駅に到着してもすぐに乗ることができ、車内では到着まで落ち着いて過ごすことができます。私を含め、新幹線の車内で仕事をする人は多いと思いますが、日本の新幹線は揺れが少ないので、仕事をするにはもってこいの環境です。フランスのTGVなどに乗ってみるとわかりますが、ここまで揺れの少ない高速鉄道は世界に類を見ません。しかも、北陸新幹線に投入される新型のE7/W7系新幹線車両には、普通車にも全席に電源コンセントがついているというのですから、パソコン作業はますます便利になりそうです。さらに、駅から市街地まで近いこと、比較的遅延や欠航がある飛行機に比べ、天候に左右されにくいのもビジネスでは重要です。 東京-金沢間の所要時間2時間半というのは、東京-大阪間とほぼ同じです。言うまでもなく、東京-大阪間を移動する人の多くは新幹線を使っています。とくに、所要時間が2時間強の富山は、ビジネスユースの大半が新幹線に切り替わるでしょう。 ちなみに、北海道新幹線は東京から函館まで4時間10分、札幌までは約5時間の予定。新幹線長崎ルートの時短効果はわずか20~30分。これでは、劇的なシフトが起こるとはとうてい思えないのです。石川・富山の有効求人倍率はなぜ高いのか? 北陸は歴史的に関西圏とのつながりが強い地域で、現在でも大阪-金沢間は特急「ザンダーバード」で約2時間半と、東京より圧倒的に近い。それが新幹線開通でほぼ同じ所要時間になるわけで、当然、北陸と首都圏との結びつきは強化されます。企業同士のつながりや人の移動の増加などが予想されるでしょう。 実は石川県や富山県には、コマツやYKK、インテックなど多数の優良企業があります。有効求人倍率を見れば、石川県1.40倍、富山県1.39倍(平成26年11月)。これは全国平均1.11を大きく上回り、東京都や愛知県などに次ぎトップ10に入っています。それだけ業績のいい企業が多いということでしょう。また、農業や漁業も盛んです。 それもあってか、県民の幸福度ランキングでは北陸の各県が常に上位を独占しています。実際に行ってみると、この地域の家はどこも広く、何より仏壇の大きさに驚かされます。これも裕福さの表われでしょう。 そして、見逃せないのが観光です。とくに古い街並みが残る金沢は、今でも欧米人を中心に多くの外国人観光客を集めていますが、新幹線開通によりさらに増えるのは確実。食べ物もおいしく、今後はアジア系の観光客も見込めるでしょう。こうした観光客をうまく取り込むことができれば、飛行機も意外と利用者が減らないかもしれません。「軽井沢」の成功を再現できるか? さて、こう言うとバラ色の未来ばかりが開けているようですが、もちろん、懸念材料もあります。参考になるのが長野の事例。1998年の冬季オリンピックに合わせて、その前年に開業した新幹線東京-長野間ですが、オリンピックの後、ホテルや旅館は急速な業績悪化に見舞われました。かつては宿泊が必要だった長野出張が日帰りでできるようになり、宿泊客が減少したのです。オリンピックに合わせて整備された中心部の商店街にも、シヤッターが目立つように。これと同じことが、沿線各地で起こり得るわけです。 さらに、新幹線開業と同時に、並行する在来線がJRから切り離され、各県ごとに別々の会社が運営することになります。財務基盤の弱いこれらの会社が運営をすることで、運行本数の減少や運賃の値上げが懸念され、地元の人が不便を強いられる場面も出てくるでしょう。 とくに長野や上越といった「途中駅」の中には、金沢のほうに観光客を持っていかれてしまうという危機意識を持っているところもあるでしょう。上越妙高駅のように、市街地と新幹線駅が離れている場合はなおさらです。 ですが、そこは工夫次第です。たとえば今、軽井沢は数々のショッピングセンターやアウトレットモールが立ち並び、非常ににぎわっています。新幹線が開通したことにより、首都圏から日帰りで行けるスポットとして人気を集めているのです。私もときどき軽井沢のゴルフ場に日帰りで行くのですが、ちょっと遠出をしたくらいの印象しかありません。 考えてみれば、飛行機はこれらの地域を通過すらしてくれなかったわけで、通過してくれる以上、途中下車してもらえばいいのです。金沢に行くついでに善光寺に立ち寄ってもらい、宇奈月温泉に宿泊してもらうにはどうすればいいか。どう魅力を打ち出すかが決め手となるでしょう。実際、すでに糸魚川など沿線各地は、いろいろなPR活動を始めているようです。 今後、北陸および沿線各地がどのような工夫を凝らし、どう変わっていくのか。楽しみに見守りたいと思います。小宮一慶(こみや・かずよし) 経営コンサルタント、〔株〕小宮コンサルタンツ代表。1957年、大阪府生まれ。1981年、京都大学法学部を卒業後、東京銀行に入行。1986年、米国ダートマス大学経営大学院でMBAを取得。帰国後、経営戦略情報システム、M&A業務や国際コンサルティングを手がける。1993年には、カンボジアPKOに国際選挙監視員として参加。1996年、〔株〕小宮コンサルタンツを設立。『小宮一慶の1分で読む!「日経新聞」最大活用術』(日本経済新聞出版社)など、著書多数。関連記事■ 新幹線をつくった伝説のエンジニア・島秀雄とは■ 冨山和彦・なぜローカル経済から日本は甦るのか■ 山本昌・野球界最年長投手のやる気の源とは?

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    新幹線で地方は復活するのか

    方を模索する飯田泰之氏の対話は、戦後日本と地方の関係を象徴する「新幹線」を問い直すことから始まった。交通網の発達で 人もお金も地方から大都市へ 木下:北陸新幹線が来年の春に開通します。地方には相変わらず新幹線待望論が根強いのですが、それが果たして地域活性化につながるのかというと、そうとは限らないと思うんです。つまりそれで地元に流入するお金が増加するのかという問題ですね。 飯田:新幹線の駅があるということには、とてつもないメリットがありますが、それは移動する人、つまりは頻繁に地域間を、もっといえば東京とその地区を行き来する人にとっての利便性でしかないですよね。 木下:その移動に関するメリットは絶大ですよね。地方から仕事の依頼を受けるときも、近くに空港か新幹線駅があるかどうかはすごく気になります。どちらもない場所に行くためには半日、場合によっては丸一日かかってしまう。地域外から行く人にとってのハードルは、きわめて高いですよね。飯田泰之さん(左)と木下斉さん(右) 飯田:そうですね。空港から大きな街が近いとか新幹線の駅前が中心街という地区だと下手すると関東近県のちょっと不便なところよりも「東京に近い」とさえ感じられますからね。 木下:地元の方にとっても利便性がまったく違います。アクセス圏内に駅か空港があれば、地域内から地域外への人の移動は確実に増大します。 飯田:入ってくる人が多くなるということは、出ていく人が多くなるということでもありますよね。 木下:まず個人的なレベルで言えば、お金も時間があるから当然ですけど、やはり富裕層ほど移動が多くなります。知り合いの地方在住者でも、空港の圏内に住んでいる人の中には、年間の交通費が300万円を超えるという方もいます。彼らはちょっとした集まりがあれば、すぐに東京に出てくる。東京にセカンドハウスをもって行き来している場合もあります。国内なら飛行機だったらまぁ1時間半くらいですし、新幹線でも5時間あれば東京などに出てこれる。お金に余裕があって、消費意欲がある人の財布ほど、多様な消費する場が集積している消費地に吸い寄せられてしまう。木下斉さん 企業などの場合にも、新幹線が開通すれば、それまで分散して支社・支店を設けていたものを統廃合してしまいます。出張で行き来できるような範囲にわざわざ事務所を固定的に置くことはしません。ましてや地方は市場縮小のプロセスにあるので、より効率的な配置をしていく。東京資本の企業の支店勤務者は地方では高所得者層になり、地元消費でもそれなりのポジションを占めていたのが、一気に薄くなってしまう。事務所機能なども新幹線などの高速移動網で接続された大都市に、一気に吸い上げられていく。 飯田:交通網の発達により、人とお金が地方から大都市に吸い寄せられてしまう「ストロー現象」は以前から指摘されています。近年の典型例は東北新幹線でしょう。割を食うかたちになったのが盛岡と仙台です。 僕自身は、4時間以内の移動時間だったらなるべく電車で動きたいんですよ。飛行機は本数も限られているし搭乗前に余分な時間を40~50分は取られてしまうこともある。それに比べると新幹線はギリギリに飛び乗ることができますから。『Wedge』も新幹線で毎号読んでいます(笑)。 木下:「買っています」じゃないんですね(笑)。地方の方でもグリーン車に乗っているから読んでいるという方は多いですね。 飯田:まさに地方の富裕層が、東京に出てきて消費してしまう。これは地元経済にとっては非常に深刻な問題です。日本におけるお金持ちはいわゆる名家や地元財界人、医者。そういう人たちが、地元のデパートの外商部を家に呼ぶ、そんな文化は交通網の発達により、おそらくほとんど消滅してしまいました。お客が少なければ品揃えも薄くならざるを得ません。その結果ますます地元百貨店よりも東京や大阪に行って消費ということになるわけです。 木下:そうなんですよね。今の地方の富裕層は本当に良いモノを知っているので、地元百貨店の品揃えではもう満足しなくなっている。消費地に出て行って消費をするというライフスタイルが確立してしまった。北陸新幹線の開通に関しても「これで活性化する」といまだに言われていますが、そんな単純ではない。全国各地の新幹線駅周辺を見れば分かります。普通に東京からの日帰り可能エリアに完全になってしまうわけですから、個人の面でも、企業の面でも、流入よりも吸い上げられる危機感を優先して持ったほうがよいだろうと思うわけです。 飯田:利用する側にとって交通網の整備は本当にありがたい。さらに大消費地にとっては新規顧客のチャンスというわけですが。その一方で、「地元のためになる」を額面通りに受け取ってはいけない部分もあるでしょう。 木下:そうなんですよ、何といっても便利ですからね。「国」という単位で見れば、お金を持っている人の移動が活発になって消費なども喚起され、企業活動が効率化されていくことはメリットですが、「地方」にとっても同じ構造とは限らない。 飯田:交通手段の発達によって、都市への集中はますます進みやすくなっていますからね。 木下:しかも今後はさらにより大きな都市への集中がどんどん進むでしょう。危機感を持たなければいけない人たちが、今は持っていないんです。地域活性化とは「貧困の解消」である 飯田:インターネットが普及し始めたときに、「これで地方でも東京にいるのと同じように仕事ができる」などとさかんに言われました。 木下:はい、リモートワークでどこでも仕事できるという考え方ですね。 飯田:実際は、ほぼすべての実証研究が正反対の結論を出しています。リチャード・フロリダ※などが指摘するところですが、知的生産やクリエイティブと呼ばれるような職種ほど、同じような職種の人たちが集積している場所でないとできないことがわかってきています。 ※リチャード・フロリダ:都市経済学者。「クリエイティブ・クラス」に着目した地域発展論を提唱。邦訳書に『クリエイティブ都市論』(ダイヤモンド社)など。 木下:「分散するだろう」と言われていたのとは、逆の現実なんですね。 飯田:なぜシリコンバレーがいまだに存在しているか、を考えれば明白です。事前の予想では世界で一番リモート・ワークに向いていそうだと思われた人たちが、一番地理的な集積を選んでいるわけです。 木下:物理的に集まっているほうが営業効率も高いし、人材集めも行い易く、何もかもが進めやすいですよね。わざわざ全てを分散させるメリットを探すほうが難しい。しかも多くは付加価値の高い生産をしている人なので、大都市で暮らすコストは吸収できてしまいます。余暇に海や山に行けるのは地方に暮らしたり、サテライト・オフィスなどを設けるメリットではあるけれど、そこを中心拠点にする理由はなかなか見いだせないですよね。小さいうちはできても、規模が大きくなったらやはり大都市に出てこざるを得ない。 飯田:集中することのメリットは確実にある。その上で、あられもなく根本的な話なのですが、いったい何をすれば「地域活性化」なのでしょうか(笑)。飯田泰之さん 木下:僕らがやっているのは「域内をひとつの会社として見立てる」ということなんです。その上で、その「会社」の収支を改善する。論理はシンプルで、地域に入ってくるお金をいかに増加させ、出て行くお金をセーブするか。域内になるべく留保させて、地域内での消費を活性化させる。それが可能になる環境を整備することが「活性化」、というのが我々の定義です。 飯田:ジェイン・ジェイコブス※の「輸入代替」の視点ですね。入ってくるものを自給できるようにし、内部循環を作るという。 ※ジェイン・ジェイコブス:ノンフィクション作家・ジャーナリスト。主著に『都市の経済学-発展と衰退のダイナミクス』(ちくま学芸文庫)など。 木下:ところが、今は稼ぐ手段もなければ、投資する先も地域内になくて地元外になってしまって、どんどん資金も人材も出て行く一方というのが多くの地方の現実です。「地方の衰退」という言葉で語られることが多いですが、我々はあえて「地方の貧困」として捉えています。 それは如実に「貧困」なんです。教育機会も低下していますし、人口も20万人から15万人、さらに10万人と規模が小さくなっていくと、高校ごとの学力レベルの違いもなくなってきて、みんな同じレベルになってしまう。学力の高い子ほど高校入学時点から地域外に出なければいけない状況になってしまうのは、その地域の人口規模の大きさによって、当然のことですが皆が出せる教育負担の総額は縮小するわけで、結果として教育機会の多様性も失われてしまうからです。高い能力のある人ほど、早い段階で地域を離れるのがその個人にとってプラスになる。そして逆の構造もまたそこにある。これは貧困の連鎖であり、そういう地域を活性化するということは、「貧困の解消」を意味します。結局は産業であり、所得であり、それに紐づく税収の問題です。だからすべての問題が経済に立脚しているともいえますね。 飯田:学歴そのものというよりもその都市が稼げる都市か否かの方が収入には有意に影響するというエンリコ・モレッティ※の指摘がありますが、そのキーになる移住の可能性を高めるのはやはり学歴ではないかと私は考えています。大卒者が少ない地域では、そもそも「大学に行く」という概念が希薄です。これは文化資本の問題ともいえると思いますが、大学に行くカルチャーがなければ、高校受験段階で進学校に行く、行きたいという考え方にも至りにくい。つまりは勉強しなければいけないという空気がないんです。 ※エンリコ・モレッティ:労働経済学者。労働人口や投資、雇用の増減に着目し、都市間の格差拡大を分析した『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学』(プレジデント社)が大きな話題に。 飯田:先進国に共通の現象として、大卒者の年収はその国の経済成長率とおおむね同じペースで伸びていきます。ところが高卒者の就く仕事の年収はほとんど上がっていない。ただし起業家の年収になると学歴は関係なくなりますが、これも起業というカルチャーがなければ起こらない。 マーケティング理論では「消費者の選択肢に入る」ということが重視されます。人生においても選択肢に入らない、言い換えれば思い浮かばないものを選ぶことはできないんです。起業することを思い浮かべない人は起業家にはならないし、進学という選択肢が頭から排除されている人は大学には行かない。カルチャーの有無は世代を重ねていくことによって、地域間の格差を拡大させます。いわば国がしだいに分解していくことを意味しています。Uターン組が役所に就職してしまう 木下:分離していく方向性はすごく強いですね。地域のプロジェクトを我々がやっていても、不幸だなと思うのは、せっかく東京で勉強したり、仕事して地元に戻ってきた大卒者の方が付加価値を生まない側に回ってしまうことがとても多いんです。つまり、役所などの公共セクターで働いてしまう。 飯田:そうですね。大卒で、地方で、雇われるとなると公的セクター以外に選択肢がないに等しいという地域もあります。 木下:そうです。教育を受けている世代は非生産的な地域のコストセンターに回ってしまい、逆に地元に残った選択肢が少ない側の人達のみが、自分でできる範囲の商売をしているという現実もあります。こちらもまた公務員になる層とは大きく乖離しています。結局は高卒でバリバリ店やっているとか、中小企業継いでいる人とかのほうが地方経済を支えていて、高度教育だけは受けた人材が行政で地域経済の重荷になってしまうという地方の構造があるのです。 木下:例えば、地域で新たな事業をやろうとして、役所の人たちと話していても、埒が明かないことが多いわけです。東京とかでバリバリ事業をやりたいとか、リスクを取って起業しようとかいう志向がないからこそ、地元に戻ってきて役所に就職して落ち着いてしまっている、基本的にはそういう場合が多いわけです。 そういう方に新規事業の話をしても理解してもらえない。目の前に与えられた仕事をちゃんとやろうというモチベーションは正しいものですが、それだけではもうどうにも地方が立ち行かないことが明らかになっているのに、これまでの仕事の枠組み、進め方以外を自分で開拓していこうとは思わないことが多い。しかし彼らは行政組織として許認可を含めた権力を有しているわけです。ただし、若手の一部にはまだ環境に毒されずに、どうにか新しいことに取り組みたいという人もいます。だけど、自分からは行動できない。このあたりを狙い撃ちにします。 一方で、やる気はあってリスクもバリバリとって事業やるけど、権力もなければオーソライズもされていない人たちこそが、地域で様々な事業を起こし始めています。これらの人たちを街で飲み歩いて発掘することも大切です。 権力を持っているけれど自分達が率先して挑戦できない人と、やる気があってバリバリ挑戦するけど地元では公的立場のない人を組み合わせて事業化を図っていく、これは我々の仕事では極めて重要な役割です。外部の人間であり、かつ市役所にも一定認知されている、そういう存在が間をつなぎながら、地元にいても相容れない2つの層が、互いのメリットを認めて事業をやる枠組みにしないと、しっかりとした実績を上げることは難しいです。 飯田:東洋大学の川崎一泰さん(財政学・公共経済学)※の研究では、地方公務員と民間の官民給与格差が大きい地域ほど、労働生産性が低いことが指摘されています。 ※川崎一泰(2013) 「官民給与格差が地域経済に与える影響」,『官民連携の地域再生――民間投資が地域を再生させる』(勁草書房)、第四章。 合理的に判断する人ほど、給料が高ければ公務員になってしまう。地元に愛着を持っていて、地元を何とかしたいと思っている人は多いでしょう。でも、さあ何をやるか、となるとビジネスに向かわずに、地方公務員になってしまう。 木下:もっとビジネスマインドのある人は東京に来てしまうし、海外にだって行ってしまいますよね。おっしゃるように地域内での給与体系は公務員が一番高いケースが多いし、様々な社会保障も恵まれています。ビジネスを起こそうと思った時に、よりチャンスのあるところでと思うのが自然です。 だからある意味で相対的に行政のポジションが低い「大都市集中」が進んでいくのは自然な流れだと思います。せっかく頑張って地元で事業を興しても、役所で淡々と仕事をしている人のほうが給料高かったら、やはりバカバカしくなるし、生産性なんてあがらないですよね。だから、地域で事業を興しても、規模が一定以上になると大都市に拠点をシフトしてしまう人も少なくありません。地域経済の規模は小さい割にしがらみは多くて、さまざまな「調整」もかかったりします。ビジネスの自由さや公正さでいえば、大都市のほうがフェアなんですよね。 飯田:「都市は人を自由にする」は現代にも生きているのかもしれません。よほど強い動機がないと、地方で事業を興して継続していくのは難しい現実があるわけですね。 きのした・ひとし 1982年生まれ。一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表理事、内閣官房地域活性化伝道師、熊本城東マネジメント株式会社代表取締役、一般社団法人公民連携事業機構理事。高校時代に全国商店街の共同出資会社である商店街ネットワークを設立、社長に就任し、地域活性化に繋がる各種事業開発、関連省庁・企業と連携した各種研究事業を立ち上げる。以降、地方都市中心部における地区経営プログラムを全国展開させる。2009年に一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス設立。著書に『まちづくりの経営力養成講座』(学陽書房)、『まちづくりデッドライン』(共著、日経BP社)など。 いいだ・やすゆき 1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授、シノドスマネージング・ディレクター、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書に『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。やなせ・とおる フリーランス編集者、ライター。1972年伊豆大島生まれ。企画・編集をした本に飯田泰之・雨宮処凛『脱貧困の経済学』、五野井郁夫『「デモ」とは何か―変貌する直接民主主義』、若田部昌澄『もうダマされないための経済学講義』、五十嵐泰正・他『みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』、片岡剛士『アベノミクスのゆくえ』など。※この記事は全4回のうちの第1回です。第2回以降はこちら。第2回 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4260第3回 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4262第4回 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4270関連記事■ 3割が地方定住希望 引退後は地方で学生満喫■ 地方の生き残り、30万都市圏で若者定着を■ 石破氏、「地域再生」キーワードは自立