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    麻生氏「医療費あほらしい」は暴論か

    る。3年ぶりに解放されたジャーナリスト、安田純平さんに対してもそうだったが、不摂生で病気になった人の医療費負担をめぐり「あほらしい」と指摘した麻生太郎財務相の発言もまた物議を醸した。麻生氏の発言は暴論か、それとも一理あるのか。

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    医療費は控除から手当へ、麻生氏「あほらしい」発言は一理ある

    で病院の世話になったことはほとんどない」と前置きした上で、「『自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」と述べた。 この発言に対しては、各方面から批判の声が高まっている。「誰も好き好んで病気になっているわけではない」「健康保険制度の趣旨を理解していない」というような反論である。 麻生氏は「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と記者会見の中で「弁明」はしているが、彼特有の、トランプ的な率直かつ上品とは言いがたい表現が批判に輪を掛けている。あるいは、麻生氏に対しては「のれんに腕押し」で、何を言っても無駄だという諦めも広がっている。 確かに、表現は適切でないかもしれないが、麻生氏の言っていることにも一理はある。そのような考え方は、米国、特に共和党支持者の間では一般的であり、麻生氏が米国の政治家なら拍手喝采されたであろう。それは、公的な健康保険制度を充実させようとするオバマケアに対する批判が、なぜ強いかを考えるとよく分かる。 「代表なくして課税なし」という原則が米独立戦争の理念であり、米国人は税金の徴収、使途について厳しく監視する。自分のできることは自分で行い、政府の役割をできるだけ小さくして税金を最小限にするというのが平均的な米国市民の考え方である。その結果は、小さな政府であり、夜警国家である。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 私は、米国の建国の基礎は「銃とキリスト教」だと考えているが、大都市はともかく、地方では、保安官を雇わなくても、自らの銃で家族やコミュニティーを守っていくという発想が今なお健在である。 もちろん、現代では緊迫する国際関係の中で、外交や防衛などに巨額の予算が必要である。しかしながら、米国は連邦国家であり、各州はいわば独立国家であるため、各人の生活に関わることは州や市町村レベルで処理することになっている。日本の考え方は欧州型 将来起こり得る病気やけがに対しては、各人が民間の保険会社と契約して備えをする。これが普通の考え方であり、日本のような国民皆保険制度を積極的に導入することに賛成の米国人はあまりいない。 まさに「天は自ら助く者を助く」であって、麻生氏が言うように、「なぜ不摂生して病気になった者の面倒などみる必要があるのか」というわけである。もちろん、格差の拡大とともに、保険料の支払いもできない貧困層が拡大しており、彼らをどう救うかという問題は大きな政治問題となっている。 米国では、慈善事業(チャリティー)や寄付の文化が定着しているが、公的な救済制度がなくても、それが大きな貢献をしていることを忘れてはならない。米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が典型的だが、成功して大富豪となった者は、寄付という形で利益を社会に還元する。米国の企業家、富裕層の友人たちと話をすると、必ず慈善事業をどうするかというテーマが出てくる。 例えば、米国の私学は授業料が高い。それでも、成績優秀で品行方正であれば、卒業生で成功した先輩たちが奨学金制度を作り、毎年多額の寄付をしているので、学生はその恩恵にあずかることができる。 欧州では少し事情が違う。移民が形成した「新興国アメリカ」と違って、伝統社会である。社会主義といえば、マルクスやレーニンの名が浮かぶかもしれないが、元祖社会主義は、サン・シモンに代表されるようにフランスである。そのフランス社会主義の理念とは、医療や教育の分野が貧富の格差に影響されてはならないというものである。 他の欧州諸国もほぼ同様であり、ドイツのビスマルクは、19世紀後半に全国民強制加入の社会保険制度を作り上げている。最近は極右の台頭で凋落(ちょうらく)したが、長い間、欧州では社会民主党が政権を担ってきたことを忘れてはならない。ドイツの「鉄血宰相」ビルマルク(ゲッティイメージズ) 日本は米国型ではなく、欧州型である。国民皆保険や国民皆年金を廃止し、米国のように、個人で民間の保険会社と契約することに賛成する日本人はほとんどいないと思う。しかし、医療費の無駄遣いについては、厳しく点検し、制度の不断の見直しが不可欠である。 昨年度の医療費は42・2兆円にも上っている。国の予算が約100兆円なので、その額の大きさがよく分かる。別の比較をすれば、トランプ大統領が怒っている米国の対中貿易赤字も同額である。発想と制度の転換を 私が厚生労働大臣のときも、伸び続ける医療費抑制のために、さまざまな政策を動員してきたし、今もその努力は続けられている。後発医薬品(ジェネリック医薬品)の活用、定額支払い制度の導入、自己負担分の拡大、高額療養費制度の見直しなどである。 笑い話で言われるように、かつては「元気なときは喫茶店やサロンに行く気分で病院に行く、病気になったら寝込んで病院に行かない」「リハビリと称してマッサージ代わりに使っている」といった無駄遣いの指摘が多かったが、これも最近では相当に改善されている。私も股関節手術後にリハビリに通ったが、マッサージ代わりに使っている高齢者はほとんどいなかった。 医療費の抑制は全国民の課題である。日本人の平均寿命は、男性が81・09歳、女性が87・26歳であるが、健康寿命は男性が72・14歳、女性が74・79歳である。 問題は健康寿命、つまり自立した生活を送れる期間であり、これを伸ばさなければならない。そのためには、麻生氏が言うように、摂生し、適度な運動をし、生活習慣病の予防を図ることが肝要である。 もう一つ、発想と制度の転換を提案しておきたい。今は、医療費がかかると、税金から控除される対象になる。つまり、節税のためには医療費を使ったほうが得をする気がするのである。これが控除という制度の問題であり、健康手当という形で支給する仕組みに変えるのも一つの手である。 かつて、企業や団体が主管する健康保険組合では一定期間、例えば1年間病院の世話にならないと、ご褒美として報奨金を支払う制度があったが、それと同じ発想である。つまり、控除ではなく、皆に健康手当として、月に例えば3千円支給する。2009年5月、新型インフルエンザ対策本部であいさつする麻生太郎首相。左は舛添要一厚生労働相(酒巻俊介撮影) それを使って健康のための活動を積極的に行ってもらう。そして健康保険を1年間使わなかった人には、ボーナスとして1万円を支給するといった政策である。 「控除から手当へ」という制度は、民主党政権下で子ども手当が導入されたが、民主党政権の説明の拙劣さと政権運営のまずさから、あまり評判はよくなかった。しかし、医療費控除から健康手当へという発想の転換は、麻生氏の期待にも応えるものと思っている。

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    麻生さん、病気に「自己責任論」を持ち出すのはやっぱり酷です

    ンター副部長) 麻生太郎財務相が10月23日に行った閣議後の記者会見の内容が波紋を広げている。 予防医療推進に関する質問に対し「『自分で飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思って聞いていた」と答えたというもの。記者から自身の考えを問われると「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と補足説明した。 麻生氏の同様の発言は、実は今回が初めてではない。内閣総理大臣在任中の2008年11月の経済財政諮問会議では「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。(中略)たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言している。 2013年4月の都内会合でも「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで糖尿になって病院に入るやつの医療費は俺たちが払っているんだから、公平じゃない」と発言。いずれも健康の維持に努力している人とそうでない人での医療費に関する不公平感を述べたものであるが、一部が「病気になるのは本人の自己責任」と受けとられたことから議論になった。 折しも、中東で監禁、釈放されたフリージャーナリストの安田純平氏に自己責任論が噴出しているが、病気も自己責任なのか。そこには一概にそうとはいえない事情が隠れている。 2015年度の国民医療費は42兆3644億円で、前年度から約1兆5000億円増加し過去最大となった。政府の推計によるとこの額は2040年度には68兆5000億円まで膨らむ見通しである。その理由としては高齢化に加え、新薬の薬価が高騰していることが挙げられる。閣議終了後、記者団の質問に答える麻生太郎副総理兼財務相=2018年9月、首相官邸(春名中撮影) ノーベル賞で話題となったオプジーボは画期的ながん治療薬であるが、当初の薬価は1瓶(100mg)あたり約73万円。体重60キロの患者が1年間使用すると、なんと年額3500万円にも及ぶものだった。 相次ぐ高額な新薬に対し、財務省は10月9日の財政制度等審議会で、経済性に応じて公的医療保険の適用外にすることも検討するという、かなり突っ込んだ改革案を示している。同改革案には予防医療に関して「予防医療による経費節減効果は明らかでない」とも示されている。 予防医療医療費削減と思われがちだが、実は予防医療のうち医療費抑制に有効なのは約2割しかないとの報告がある。予防で病気の発症を遅らせても、いずれは何らかの病気になり医療費がかかる、つまり予防医療はかかる医療費を先送りにしているにすぎないというわけだ。予防医療のメリットはむしろ、医療費削減ではなく健康長寿にあると思った方がよい。寿命の延長により家族や友人と過ごせる期間が延びることは経済では語ることができない。「きれいな長谷川豊」論争 さらに、その間に就労が可能であれば社会活動に伴う税収増にも寄与しうる。安倍政権は、予防医療による健康長寿と高齢者雇用の拡大を社会保障改革の柱としている。予防医療の推進は医療費削減ではなく、健康長寿とそれによる社会生産性向上を目的として議論すべきである。 この問題で思い出されるのは2016年のフリーアナウンサー、長谷川豊氏による「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」というブログ記事である。本件に対してはあっという間に批判が殺到し、人工透析患者の偏見につながるとして全国腎臓病協議会も抗議文を出すに至り、結果として長谷川氏は当時の全ての番組を降板することになった。 結論から言うと、病気に自己責任論を持ち込むのは無理がある。なぜなら、危険を伴う地域への渡航と異なり、自ら進んで病気なる人は誰もいない。そして、生活習慣の努力の程度は、線引きが事実上不可能だからである。病気は複合的な要因で生じるため、遺伝や社会環境など個人ではどうしようもない部分があり、自助努力だけで防ぐことはできない。 一方で、過度の飲酒や喫煙、運動不足で自堕落な生活をしていても病気にならない人もいる。病気に対する自己責任論を突き詰めると、国民皆保険制度の崩壊につながってしまう。その先の未来がどうなるかはアメリカの医療をみれば明らかであろう。 予防医療の目的を純粋に健康長寿とした場合、健康意識や健(検)診受診率の向上を目指すにはどうしたらよいのであろうか。「2020年以降の経済財政構想小委員会」のまとめを発表する自民党の小泉進次郎氏=2016年10月、東京・永田町の自民党本部(斎藤良雄撮影) 一つが健康状態のいい人や健康管理に努力している人を優遇するというやり方である。民間保険ではリスク細分型保険というカテゴリーの商品がすでに定着している。非喫煙者を対象としたノンスモーカー割引は、ニコチンを検出する唾液検査をクリアすることが条件で、保険を契約する際に通常の保険料の10~30%の割引を受けることができる。 第一生命は健康診断割引特約として健康診断書などを提出するだけで保険料を割引し、体格指数(BMI)18以上27以下、血圧が最低85mmHg未満かつ最高130mmHg未満、40歳以上ではHbA1c5・5%以下といった良好な健康状態の人はさらに割引になる商品を開始した。民間保険は加入が任意なので、このような方法でなんら問題はないが、公的保険に関してはかつて議論が巻き起こった。 小泉進次郎衆議院議員らが2016年10月に雇用や社会保障に関する政策提言の中に取り入れた「健康ゴールド免許」制度である。この制度はIT技術を活用することで、個人ごとに健(検)診履歴などを把握し、健康管理に取り組んできた人へ「健康ゴールド免許」を付与し、病気になったときの自己負担割合を3割から2割に減免するというもの。しかし、発表直後から賛否が巻き起こり、否定派からは「きれいな長谷川豊」と言われ、その後すっかり話題に上らなくなってしまった。進次郎が失敗したワケ 自助を促す趣旨には賛同できるが、努力だけではどうしようもない部分まで含むスキームが悪かったのだろう。このような健(検)診や健康管理に一生懸命取り組んでいる人への優遇は一見有効に見えるが、実際は限界がある。事実、特定健診を受けない人は、高年齢、低学歴、低所得の人が多く、病気になったときのことまで考える余裕がない。自己負担の減免の恩恵を受けられるのは結局のところ、普段からスポーツジムで汗を流して健康管理ができる富裕層ということになる。 それでは、健(検)診を受けない健康意識の低い人たちを振り向かせるにはどうしたらよいのであろうか。まずは、マイナンバーを活用し、健(検)診受診と判定結果による治療介入の有無をしっかり把握することである。未受診者や要治療者にははがきによる個別勧奨を積極的に行う。インセンティブには健康マイレージが良いだろう。 NTTドコモでは自治体向けにスマホと歩数計、リストデバイスを用いてウオーキングや特定健診の受診、自らの健康管理の程度に応じてポイントがたまる健康マイレージサービスを行っている。ポイントに応じて景品と交換できる仕組みである。 宮崎県木城町は、国民健康保険と後期高齢者医療の被保険者を対象にした健康マイレージを行っている。特定健診や各種がん検診などの受診でポイントがたまり、町内の登録店舗で利用できる商品券と交換できる。町内経済の活性化も狙えて一石二鳥だ。 貧富や教育などの社会的要因に対するアプローチも重要である。例えば、タバコ代を上げると低所得者層ほど禁煙するというデータがある。小中学生に対する予防医療教育も将来的な健康格差の縮小につながるだろう。健(検)診を受診できる日を選択する機会を増やすことも有効だ。福岡市健康づくりサポートセンターの健(検)診は、土曜、日曜、祝日にも実施している。さらに、月に1度は平日の夜間にも実施しており、仕事帰りの利用にも対応している。 がん検診の受診率上昇には韓国の政策が参考になる。胃がんを例にとると、韓国の胃がんの検診受診率はなんと70%を超えているそうだ。その要因は、住民登録番号を利用したデータ管理、保健所による個別受診勧奨、検診料は健康保険でカバーされ健康保険料下位50%は本人負担ゼロ、指定を受けた医療機関であれば全国どこでも受診可能、という徹底したものだ。「県コバトン健康マイレージ」事業で使用する歩数計と読み取り機器=2017年4月4日、埼玉県(菅野真沙美撮影) さらに公的がん検診で発見されたがんには治療費の補助も行われる。ここまでやるには予算もそれなりに必要だが、本気で受診率の上昇を目指すのであればこれくらいの対策が必要ということだ。 麻生氏は冒頭の発言の際、予防医療の必要性についての理解も示したが、予防医療の推進は医療費削減どころか、さらにお金がかかることもある。医療費の議論は別にして、健康長寿のための予防医療を効率的に推進する政策を期待したい。

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    この先もあると思うな国民皆保険、麻生発言は全然アホらしくない

    してくださったのは、麻生閣下です。 麻生太郎副総理兼財務相が10月23日の会見で「不摂生している人の医療費を健康に努力している人があほらしい」との意見に同調する発言をしたことが問題視されており、ネットを中心に大炎上しております。 麻生氏の発言は下記になります。 「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」 また、「自身も同じ考えか」という質問に麻生氏は「生まれつきのものがあるし、一概に言える簡単な話ではない」と答えています。ちなみに、2008年にも「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と経済財政諮問会議で発言し、後に陳謝しています。 この発言を読んでも、まあいつもの麻生閣下のことであるなと特に驚きもしなかったのでありますが、日本の一定層の人々の怒りに唐辛子を塗り込むような効果があったことは間違いありません。この一定層の人々というのは国民皆保険サービスというのは当たり前のことであり、誰しも平等に医療を受ける権利があると信じている人々のことです。財政制度等審議会の財政制度分科会であいさつする麻生太郎財務相(右)=2018年10月 しかし、ちょっと振り返って考えてみましょう。実は国民皆保険サービスというのが始まったのはそんなに昔の話ではありません。日本やイギリスをはじめとする各国で始まったのは、第二次世界大戦後のことでありました。 なぜかと言うと、戦争であまりにも多くの負傷者や障害者が出てしまい、医療費を払えない人が大量に発生してしまったため、これでは破壊された街を復興させるための労働力を確保できないので困るとして各国の政府が国民皆保険サービスというものを考えついたわけです。 国民皆保険サービスというのは収入がある人たちから一定のお金を集め、それを使って医療サービスを提供するという、まあある意味宝くじのような仕組みです。提供する医療サービスというのはたくさん払っても少なく払っても平等というのが建前です。建前というか、実質そういう国がほとんどです。低下する医療の質 前述したように、国民皆保険サービスが日本や欧州で設計されたのは戦後すぐのことでした。戦争でかなりの数の人が亡くなり、人口も今より少なく人の移動もほとんどありませんでした。当時は人々の収入格差も今と比べて大きく、高額納税者の所得税は70%とか80%に達することもありました。つまり、ごく少数の大金持ちからお金をむしり取ってそれを貧民の健康維持に使い、社会全体を何とか回して行こうという仕組みでありました。 しかし、この仕組みは、使う人の数が少なければ成り立つのですが、使う人が多く、さらにその数が急に増えたりするとシステムが崩壊してしまいます。この状況がかなり過激なことになっているのがイギリスをはじめとする欧州各国の国民皆保険制度です。EUの移動の自由化で何が起きたかと言うと、東欧や西側諸国の貧しい国や町から豊かな都市へ人々が大規模に移動して住み始めたことでした。住むのも働くのも許可が一切いりませんから、当たり前の状況です。 そして、10年ばかりの間に特定の町の人口が急激に増え、病院利用者が大幅に増加しました。しかし、病院の予算は国保や税金で賄われており、その予算が急激に増えるわけではありません。移動してきた人の中には短期滞在の季節労働者や学生も大量にいました。  さらに、欧州では日本のように高齢化が進んでいるので、高齢者の病院費用も激増しました。そこで発生したのが質の激烈な低下です。イギリスの場合は時間外の夜間緊急窓口に行った場合、4時間から8時間待たされるということも珍しくありません。  重症者を優先するからという言い訳がありますが、かなり具合が悪くても廊下で長時間待たされることがあります。MRI(磁気共鳴画像装置)やCTスキャン(コンピューター断層撮影装置)などの機器も少なく、検査を受けるのに2カ月、3カ月待たされることも当たり前です。  病院はお金がなく、人が雇えませんので外科医やスタッフの数も多くはありません。手術が当日や前日になってキャンセルされてしまい、数カ月先に延ばされてしまうということもあります。また、入院ベッドの数も足りないので一般家庭に患者の面倒を見ることを外注する仕組みにまで手を出し始めています。 私は世界各地のいろいろな病院で世話になっていますが、イギリスの病院の中には中国やロシアの病院よりもひどいところがありました。(ゲッティ・イメージズ) このような状況にもかかわらず、健康保険の費用というのは安くはなく、年収が700万円ぐらいまでの人は収入の9%を支払い、年収が700万円を超える人の場合は2%を払います。高額収入者の場合はこの2%というのは莫大な金額になりますが、受けられるサービスは、病院によっては発展途上国並みのサービスです。  高いお金を払ってもサービスを受けられないので中流以上の多くの人は民間の保険に入ってプライベートで医療サービスを受けています。つまり自分が払っている健康保険は他人の治療に使われているわけです。  このような状況ではありますが、イギリスの国立病院は太り過ぎの人に減量手術を提供したり、海外で整形手術を受けて豊胸手術に失敗した人に対して修正の手術を行います。海外から飛行機でやってくる臨月の妊婦は無料で出産をすることができます。かなり進行した白内障の老人が海外から飛行機でやってきて緊急で手術を受けることもあります。費用を徴収しようとしても外国に逃げてしまうので回収できないことも多いです。欧州では不満噴出 このように、イギリスの場合、かなり極端な例が多いわけですが、同国だけではなく欧州でも国民皆保険に対しては制度が既に崩壊していると言って不満たらたらの人が多いのです。  日本は、クレジットカードの多重債務者のような財政状況であるのに医療費は惜しまず、どんどん使いまくっていますし、地方交付金も配りまくり、市役所や道路にお金を使いまくっています。育児支援だってはっきり言ってほとんどの欧州の国より充実しているんです。 恐ろしいスピードで少子高齢化が進んでいる日本で役所が財布のひもを締め始めた場合、今のレベルで医療サービスの質が維持されると思っている方はどのぐらいいるでしょうか? 医療サービスの質が下がるということは、月6万円の健康保険料を払っても自分が手術を受けられるのは1年後ということが当たり前になるということです。 病院のベッドのシーツは取り換えられず、医療スタッフは給料削減で働く人はいないので外国人だらけになります。病院食はレンジでチンするだけの冷凍食品になります。心臓の手術を受けても退院するのは翌日です。 こういう状況にサラリーマンの皆さんが直面することが当たり前になるようになっても、・不摂生で太りすぎた人の減量手術を優先してあげましょう・不妊をしなかったので妊娠してしまった10代の母の出産費用は全部無料にしてあげましょう・アルコール中毒になった人の治療は全部無料にしてあげましょうといった寛容性を維持できるのかどうか、私には分かりません。(ゲッティ・イメージズ) 私は社会全体の幸せや安定性というものを保つために国民皆保険というのはあった方が良いと思います。社会というのは多くの人がいてモノを売り買いし、サービスを消費するからこそ豊かになるのです。 モノを消費するのには仕事をして稼ぐことが重要ですし、安心して仕事をするためには病気になっても手軽に治療を受けられて自己負担が少ないという仕組みは、とても重要です。ごく一部の豊かな人がレベルの高い生活を享受するアメリカ型のモデルは日本には合いませんし、社会の安定性は失われます。 しかし、残念ながら日本にはお金がないのです。多くの人に質の高い医療サービスを提供することが難しくなっているのです。その現実をいったい何人の人が自覚し、自分は高い保険料を払っても治療が受けられないと言った立場になるのか。それをきちんと理解すべきではないのでしょうか。

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    風邪らしい患者なら、受診料は安く、薬代は高くすべし

    己負担を上乗せするという見直し案をまとめたようです 。軽い病気でも気楽に診察を受ける患者が多いので、医療費が嵩んでいる、というのが理由のようです。財務省が財政再建に熱心なのはわかりますが、一工夫必要でしょう。 風邪だとわかっていれば、受診の必要はありませんが、怖いのは「風邪のような症状の悪質な感染症」である可能性です。「風邪だと自己負担が高いから、受診しない」という患者が悪質な感染症であった場合、症状が悪化して周囲に感染させてしまう可能性があります。従って、そうした可能性のある患者は気楽に受診してもらい、風邪だとわかればそれで良いでしょう。 風邪だとわかるまでの診察料は、自己負担を少なくして積極的に受診してもらう一方で、風邪だとわかった後の風邪薬は、自己負担率を100%にすれば良いと思います。単なる風邪なのに、市販薬より安く処方薬が手にはいる必要性はありませんから。 問題は、風邪だとわかっている患者が受診している例も多そうだ、ということです。時間が十分にある高齢者が風邪に罹患した時、「薬局へ行って市販薬を買うよりも、国民健康保険を利用して診察を受けて処方薬を買った方が安い」と考えて受診する可能性があるからです。 これは、ぜひともやめて欲しいです。金銭面で国民健康保険の負担が大きいですし、診療所の混雑によって多忙な現役世代の患者が「待ち時間が長いので、諦めた」ということにもなりかねないからです。 そのためには、風邪薬の自己負担率を100%にすることが有効だと思われます。「風邪薬は自己負担率100%」という制度ができれば、風邪だとわかっている高齢者は診療所へ行かずに薬局へ直行するでしょう。診療を受けると、時間も金(自己負担分)もかかる上に、隣の患者のインフルエンザに感染してしまうリスクもありますから。そうなれば、国民健康保険は大助かりです。 話し相手がいない孤独老人が診療所の待合室をサロンとして使っているという笑い話もありますが、もし本当にそれが心配ならば、「診療所の開設を認可する条件として、待合室のほかに談話室を設けること」と定めればよいのです(笑)。 風邪かもしれない、という場合には、診察を受けないと風邪だとわかりませんから、診察は必要でしょう。しかし、慢性疾患の場合には、診察を受けなくても自分の問題点が分かっているわけですから、頻繁に受診する必要はないでしょう。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) たとえば軽度の高血圧の場合、降圧剤を処方されて飲んでいる患者の血圧は正常でしょう。そうだとすると、患者が自分で血圧を測定し、正常であることを確認すれば、診察を受ける必要は無ないはずです。つまり、降圧剤の処方箋の有効期限を「患者が異変を申し出るまで」としておけば良いのです。現実的には「1年あるいは2年に1度は受診するように」、ということで良いと思います。 そうなれば、受診の回数が減り、本人も健康保険組合も助かるでしょう。本人が血圧を自宅で測定するのを怠って異変に気付くことができなくても、それは自業自得ということで良いでしょう。感染症と異なり、他人に迷惑をかける話ではありませんから。医薬品はジェネリックをデフォルトに 高血圧以外の慢性疾患についても、基本は同じで良いと思います。感染症の場合を除き、基本は「自己責任で異変を感じた時に受診する。異変を感じなければ、1年か2年に1度受診する」で良いと思いますが、いかがでしょうか。 受診回数を減らすほかにも、患者に安い薬を使ってもらえる工夫が必要でしょう。 昨年のノーベル経済学賞を受賞したのは行動経済学分野でした。その研究成果の一つとして、「人間は面倒なことを嫌う」というものがあります。そんなことはノーベル賞学者に教えていただかなくても、誰でも知っていることでしょうが(笑)。 現行の制度でも、これが利用されています。医師が処方した薬に、効き目が同じで値段が安い別の薬としてジェネリック医薬品が発売されていて、医師が「変更不可」と指示していない場合には、患者がジェネリックへの変更を薬剤師に願い出ることができるという制度になっているのです。 「医師が変更可能と指示している場合には変更できる」という制度と比較した場合、ジェネリックの利用が増えることは明らかです。「医師が面倒だから何もしなかった」という場合には、ジェネリックを使い得るからです。これは、優れた制度です。 しかし、どうせなら、もう一段の改善をして欲しいものです。それは、医師から「変更不可」の指示がない場合には、「患者が拒まない限り、薬剤師はジェネリックを選択しなければならない」と定めればよいのです。 現在でも、患者が「ジェネリックを希望する」と薬剤師に伝えれば、ジェネリックを使える制度となっていて、その方が患者の自己負担も健康保険会計の負担も軽いのですが、患者がそのことを知らなかったりジェネリック薬品の存在を知らなかったり「申し出るのが面倒だ」と思ったりした場合には、ジェネリックではない高価な薬が使われるわけです。 そうした場合でも、上記のような定めがあれば、患者はわざわざ拒むのは面倒なので何もせず、結果として自動的にジェネリック薬品が使われることになりますから、患者本人にとっても健康保険組合にとってもよいことでしょう。 ちなみに、上記は財務省の観点から書いたものです。政治家の観点からは、医師や薬局の票が減りかねない危険な案に見えるでしょうから、採用されるか否かは何とも言えませんが(笑)。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    麻生氏の「通院なし70歳以上に10万円」案は理にかなっている

    ティーで、「70歳以上で、年に1回も通院しなかった人には10万円あげる」と、大胆な提案をした。膨らむ医療費を削減するためのアイディアだが、麻生氏は、以前にもこんな発言をしている。「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、インセンティブ(動機づけ)がないといけない。予防するとごそっと減る」 この「ごそっと減る」には2つの意味がある。もちろん前述の問題にあった高齢者の患者数そのもの。そしてもう一つは、増大を続ける「医療費」の問題だ。 厚生労働省の資料によれば、平成22年度の「国民医療費」の総額は37.4兆円。これは昭和60年度と比較すると2倍以上となっている。このうち75歳以上の後期高齢者の医療費に絞れば、昭和60年度は4兆円だったものが、平成22年度には12.7兆円。なんと3倍に膨れあがり、全体の34%を占めているのだ。 特筆すべきは、そうした医療費における1人あたりの自己負担額及び保険料である。再び麻生氏の弁。「生まれつき体が弱いとか、ケガをしたとかは別の話だ。食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」 実際に、増大する高齢者医療を支えるために、若い世代が、医療費に対して倍以上の負担を強いられているのだ。 現在、医療費における患者負担は、義務教育就学後~69歳は3割、70歳以上は1割(住民税課税所得が145万円以上の者は3割)となっている。このうち70~74歳については、今年4月1日から2割負担となる予定だったが、今月6日、来年度以降に先送りされることが決まった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「参院選を睨み、政府が票田である高齢者の反発を避けたのではないかといわれています。負担増によって受診を控えてしまい、病状の悪化が懸念されるという反対意見がありましたからね。ただその一方で、今後団塊の世代が次々に70歳代に突入すると、負担がさらに増大するのは目に見えています」(全国紙記者) その意味でも、今回の麻生プランは理にかなっている。病気でもないのに病院に来れば、当然医療費が発生する。だからインセンティブを出し、高齢者が不要不急の通院を減らせば、医療費は減り、さらに空いた時間で本当に必要な人が医療サービスを受けられる、という話なのだ。関連記事■ 麻生氏の「自民支持者は新聞不要論」が説得力持つ理由■ 麻生氏「ナチス発言」報道でメディアの場当たり的姿が露わに■ 麻生氏はなぜ福田次官をかばい、首相は更迭方針撤回したのか■ 麻生氏が「悪いのは昭恵だろう!」と怒鳴る声が役人に話題■ 安倍退陣なら後継に麻生氏か メディアも麻生番増強へ

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    4月の診療報酬改定で「大病院」→「かかりつけ医」へシフト

    診る場合の報酬がひと月2160円増える。 増え続ける高齢者が大病院に集中すると、重症者や救急患者への医療提供に支障が出てしまうため、一般の患者を地域のクリニックに誘導する必要に迫られている。だからこそ、国は「かかりつけ医」優遇に動いたわけだ。『かかりつけ医は選ぶ時代』(北國新聞社刊)の著者で金沢市・ティーズ内科クリニック院長の土山智也医師が言う。「今でも大病院を受診するにはかかりつけ医の紹介状が必要で、紹介状がない場合は5000円以上の定額料金を診断料とは別に取られる。今後はますます大病院での受診がしづらくなると考えられます。 患者にとって、かかりつけ医の存在はこれまでより大きくなり、大げさな話ではなく、かかりつけ医に自分の命を預けることになるのです」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) もしかかりつけ医が判断を誤れば、大病院を受診する前に病状が悪化し、手遅れになる可能性もある。「近所にあるから」といった安易な理由でかかりつけ医を選ぶと、後悔することになりかねない。関連記事■ やたらと多くの診療科目を掲げている町の診療所 注意が必要か■ 病院で混雑を避ける方法とTVで有名な名医の診察受ける方法■ かかりつけ医の見分け方 多い診療科目、出身大学の注意点■ 良かかりつけ医の見分け方 病院のスリッパ、雑誌も判断材料■ かかりつけ医の見つけ方・医師の本音や外国の事情が分かる本

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    みんな、まるちゃんが好きだった

    漫画家、さくらももこさんが53歳の若さで亡くなった。代表作『ちびまる子ちゃん』の主人公、まるちゃんはさくらさん自身の子供時代を投影したものだったという。「みんな、まるちゃんが好きだった」。こんなタイトルをつけて、さくらももこさんの追悼特集をお届けしたい。

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    がん闘病を告白しなかったさくらももこは心底すごいと思う

    くの人が応援し、さらには同じ病気で悩んでいる人を励ますこともできる。良い時代になったと思う。同時に、医療が発達して「がん≒死」というイメージが払拭された結果だとも言える。 一方、これだけ多くの人が闘病をカミングアウトしている時代は、医療者泣かせの時代でもある。告白しないほうが少数派「私が読んでいるこのブログの人はこういう治療をしているがどう思うか」「この芸能人が通っている免疫療法クリニックを紹介してくれ」「余命半年と私は言われたが、このタレントさんは私と同じ状態でもう10年も生きているがどう思うか」 ご丁寧に、その有名人のブログをプリントアウトした紙を持って来院する人もいる。検索が過ぎる人ほど、間違った情報を仕入れているケースが多い。 そうしたブログに(無作為に)掲載される治療法やクリニックの広告も、中には首をかしげざるを得ないものもある。グーグルに頼る前にちゃんと検診を受けて、まずは主治医の話に耳を傾けてほしいのだ。患者さんの誤解を解くことから治療を始めなければならないことも多く、悩ましい問題である。 むしろ昨今は、「病気を周囲に告白しない」ほうが少数派ではないだろうか。 先日、53歳の若さで亡くなられたさくらももこさんの死は「なぜ、がんの報道、闘病の報道がなかったのか?」ということが、余計世間に衝撃を与えたようにも見える。「黙っていた、隠していた」こと自体が大きく報道されるなど、25年前には考えられなかったことである。 詳しい病状は一切明らかにされてはいないが、かなり以前より乳がんの闘病をされており、ごく親しい人にしか打ち明けていなかったという。強い人だったのだろう。 2年前にさくらさんと同じ乳がんで、51歳の若さで旅立たれた『ちびまる子ちゃん』のお姉さん役の声優、水谷優子さんの死を知ったとき、あるいはたった3カ月前の、「まる子」の永遠のアイドル、西城秀樹さんの死を知ったとき、さくらさんはどんな気持ちだったろうか。「実は私も…」とつい告白してしまいそうな状況だったと想像するが、さくらさんはそれをかたくなにしなかった。2018年5月、西城秀樹さんの葬儀・告別式で弔辞を読む野口五郎(右、代表撮影) 日本中の誰もが知る国民的漫画家であるのに、さくらさん自身は、ほとんどメディアに出ることはなかった。『ちびまる子ちゃん』の作品性への影響を考えてのことだったかもしれない。  がんを告白するのも勇気なら、今の時代、しないこともまた勇気だ。そして、どちらの勇気も肯定されるべきだと私は考える。漫画業界こそ働き方改革が必要 あなたが誰かからがんを告白されても、間違っても、自分が見つけてきた治療法や健康食品や根拠の薄い情報を勧めるような善意の押し付けをしてはいけない。また、告白されなかったからと言って、「なんで教えてくれなかったの!?」などと責めたりするのは愚の骨頂だ。 がんになったからといって、「がん患者」としてあなたに扱ってほしいのではなく、今までと変わらぬ付き合い方をご本人は求めているはずだから。 それにしても、漫画家という職業は短命の人が多い印象がある。作品の産みの苦しみと闘いながら、長時間机に向かい続ける仕事。当然、疲労がたまり血流も悪くなる。 売れっ子であればあるほど、運動不足になっていくのではないだろうか。そして、締め切りというプレッシャー。あれほど精神的に追い詰められるものはない。漫画業界こそ、働き方改革が必要だと思われる。 睡眠時間さえ確保するのが難しいであろう多忙な人に、運動する暇などないのかもしれない。しかし、そういう人はただ歩くだけでいいのだ。 事務所に移動するまでの距離を一駅分だけ歩いたり、夕食の買い物は、わざと遠いスーパーまで出掛けたりと、工夫次第で歩行距離は増やせる。1日1キロ歩行距離を増やせば、1年間で365キロ多く歩いたことになる。 2016年に、米国立がん研究所、米国立衛生研究所、米国がん学会の合同チームが、ウオーキングなどの運動を習慣にすると、13種類のがん発症リスクが下がるという研究結果を発表している。内訳は以下の通りだ。<食道がん(42%) 肝臓がん(27%) 肺がん(26%)腎臓がん(23%) 胃がん(22%) 子宮体がん(21%) 骨髄性白血病(20%)骨髄腫(17%) 結腸がん(16%) 頭脛部がん(15%) 直腸がん(13%) ぼうこうがん乳がん(10%)>2018年8月、作者のさくらももこさんが死去し、静岡市内の「ちびまる子ちゃんランド」に設置された記帳台で記帳する来場者 もちろん、漫画家に限ったことではない。座りっぱなしの仕事の人は、ぜひ少しだけライフスタイルを改めてほしいのである。私も24時間365日年中無休の町医者のため、規則正しい生活とは無縁の人間だ。偉そうに言える立場ではないのだが、在宅患者さんへの往診で日々歩き回っているため、60歳を過ぎてもまあまあ健康でいられるのかなあと思う。 この原稿を終えた今から、乳がん患者さんのところに往診に行く。西城秀樹さんが歌ったちびまる子ちゃんのテーマ曲、『走れ正直者』を歌いながら、尼崎の町を歩く。

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    「がん治療に100%はない」さくらももこの訃報に思う

    術が進めば進むほど情報が増えて錯綜し、100%の答えを出すことが難しくなっています。そして、これだけ医療が進歩しても治しにくいがんがあることも事実なのです。国立がん研究センターがん予防・検診研究センター つまり、がんといわれたら、治療すべきか経過をみるべきか、手術するのかしないのか、抗がん剤や放射線治療をするのかしないのか、正直そのがんによって選択肢は全く異なるということになります。悪性リンパ腫の中でも濾胞性リンパ腫とびまん性大細胞型リンパ腫があるように、同じ名前の一つのがんでも、本当にさまざまな多様性があるのです。 当然、同じ名前のがんでも、治療への反応が違うし、個人でも反応が違います。そのようなことを考えた上で、現場では個別に治療を変える必要が出てきていますし、悪性度、個人の状態によって薬の量を変えることなどはもう当然のこととして現場で行われています。最適ながん治療との向き合い方とは このように、がんの多様性を知れば知るほど、全てのがんに効果のあるとうたう健康食品などは間違いということが理解できると思います。そういろいろながんがあるのに薬が一つでいいわけないのです。 このことを踏まえた上で、今現在ある最適ながん治療との向き合い方はなんでしょうか。最善の方法は医療者との信頼関係の構築、良好なコミュニケーションになります。 患者さんは、がんの種類とは関係なく、年齢、価値観、社会的状況、経済的状況、いわゆる生き方(宗教など)によって全く異なります。その意味でも、どのように治療を行っていくかは医療従事者と患者さんのコミュニケーションによって成り立ちます。 今、医療従事者ができることは、エビデンスや医学的アセスメントに基づき、意思決定のためにさまざまな情報を与えることになります。1・十分な情報提供からの治療選択肢の提示、医学的助言、意思決定の支援(がん治療の緊急性、生命予後などの情報)2・医療の提供(副作用に対処しながらさまざまな治療法の実施)3・患者の教育機会の提供(治療における必要事項など) 正直その医療の質はかなり異なりますし、専門的な部分も多くわかりにくいものです。そして、その情報を患者自身が確認した上でできること、すべきこととして以下の3点が挙げられます。1・治療への能動的参加(受動的ではがんが治っても寝たきりになってしまう恐れ、リハビリなど)2・さまざまな自己管理(タバコ、アルコール、リハビリなど)3・精神的安定を含めての医療者とのコミュニケーションの継続(気軽に話し合える、弱音を出せるなど)さくらももこさんのオフィシャルブログに掲載された死去のお知らせ これらを踏まえた上で患者の自己決定権に基づき治療法を決め治療を継続していくことがより良いがん医療となります。 私が最終的に患者さんたちに答えとして言えることは「がんはまだまだわからないことがいっぱいあります。だから今はっきりと証明されている一番いいといわれていることを医療者と一緒に淡々とやっていきましょう。答えは100%ではないかもしれませんが、最大の確率で恩恵が受けられます」です。俗にいう「標準治療」ということになります。 その上で信頼できる医療者と切磋琢磨(せっさたくま)し、新しい情報をしっかり整理し、自分の価値観で予防法、診断法、治療法などを決めていってください。その「標準治療」で稼いだ時間でまた次のいい治療が受けられるかもしれません。

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    10年近く闘病していたさくらももこさん 夏前に急激に悪化

     漫画家のさくらももこさんが8月15日、乳がんのため亡くなった。53才だった。《深い悲しみがまとめて湧いてきた。今、目の前にいる大切な人達とも、いつの日かを境に二度と会えなくなるのだと思うと、悲しすぎると思い、毎晩布団の中でむせび泣く日が続いた。むせび泣きは、一年以上続いていたように思う。》(『おんぶにだっこ』小学館刊) さくらももこさんは、祖母と近所のおばあちゃんの死に直面した5才の頃を回想し、そう綴った。 日常の中にある子供の瑞々しい感覚を、絶妙なタッチで描き出した国民的漫画『ちびまる子ちゃん』。テレビアニメとしては28年間も放送が続いている。主人公・まる子のモデルはさくらさん自身だという。怠け者で、お調子者だが、子供らしい鋭い感受性を持った女の子だった。「さくらさんの乳がんの闘病はもう10年近くになるはずです。40代半ばでのがん発覚後も治療を続けながら仕事のペースは落ちず、以前と変わらず穏やかな笑いのある漫画を描き続けていました。しかし、近しい人以外にはがん闘病のことは一切明かさず、病気と向き合っていました。感性の塊のような人なので、孤独の中にさまざまな葛藤があったと思います」(さくらさんの知人) 病気が発覚したすぐ後に、東日本大震災(2011年3月11日)が起きた。さくらさんは、直後は作品中では触れるべきではないと考えたが、震災1週間後、まる子が花畑の中で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描いた。その後2週間、新聞の連載を休んだ。さくらさんはその時期が本当につらかったと振り返っている。 優しく穏やかで明るい日常を描き続ける一方で、その繊細な感性で「死」とも向き合い続けていた。「病状はずっと膠着状態でしたが、この夏前になって、急激に悪化したそうです」(前出・知人)※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 東京都心にある自宅からすぐ近くにある総合病院に通って治療を続けていたようだ。奇しくも、そこは、乳がん闘病の末に昨年、命を落とした元アナウンサーの小林麻央さん(享年34)もがん発覚直後に通っていた病院だった。「最期は、静岡から上京して都内の自宅で一緒に暮らしていたご両親や20代半ばになった息子さんらに看取られたそうです」(前出・知人)関連記事■ 市川海老蔵、麻央さんと住んでいた一戸建ての売却を検討■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 小林麻耶 ”海老蔵似”夫と手つなぎデートで幸せ絶頂写真5枚■ 告別式で奇跡のブラスバンド 20歳で逝った若者の生き様■ 「誤診がん」の恐怖 12人に1人が検診で間違われる衝撃調査

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    東京医大「差別入試」は必要悪?

    東京医科大が女子や3浪以上の受験者の得点を一律減点し、合格者数を抑制していたことが明らかになった。受験者の属性による「差別入試」の背景には、女性医師の高い離職率などがあったようだが、それを必要悪と短絡的に受け止めてもいいのか。議論の核心を読む。

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    医学界に蔓延する女性差別、現役女医が明かした「男社会」の現実

    山本佳奈(医療ガバナンス研究所内科医・研究員)  東京医科大が女子受験生を一律減点し、恣意(しい)的操作を行っていたことが発覚した。裏口入学に続いて、あきれた実態が続々と明らかになっている。前代未聞の不祥事であり、海外でも報道され注目を集めている。 新聞報道によれば、2010年の医学科一般入試において、女子の合格者数が全体の38%に達したため、2011年頃から女子受験生を一律に減点し、女子の合格者数を3割に前後に抑えていたという。 その理由として、女子は結婚や出産で医師を辞めるケースが多いことや、緊急手術が多く勤務体系が不規則な外科系の診療科では「女3人で男1人分」と、出産や子育てを経験する女性医師は男性医師ほど働けないことを挙げていた。系列の病院で勤務する医局員不足を懸念しての「必要悪」であり、「暗黙の了解」であったという。 報道の翌日、勤務先の病院の女性医師の医局部屋では、この話で持ち切りだった。「女子だからって減点するなんてひどい」「子育てしながら働いているのに」「女医が辞めざるを得ない環境を改善することが大事なのに」「某私大もそうみたいよね」などと議論は尽きなかった。 一般的に女子の方が男子に比べて優秀な受験生が多く、普通に試験をするとどうしても女子が多くなるという。どうしても男性の方が多く欲しいのであれば、良いか悪いかは置いておくとして、募集要項に男女各々の募集人数を堂々と書けばいい。受験生は、その募集要項に従うしか選択肢はないのだから。どうして、水面下でコソコソと女子だけ不利に扱うのだろう。不正入試問題の内部調査報告を受けて記者会見に臨む東京医科大の行岡哲男常務理事(左)ら2018年8月7日、東京都内のホテル(斎藤良雄撮影) 私自身、医師になりたい一心で受験勉強をしてきた。高校1年の夏、医師を夢見て勉強を始めた。同時に、思春期真っ盛りだった私は、体型を気にしてダイエットを始めた。いつの間にか、摂食障害に陥っていた。1年半後のある日、「明日死んでしまうよ」と私は医師から宣告された。摂食障害を克服できたのは、医師になりたいという強い思いだった。それを支えてくれたのは、高校の担任教諭であり、両親だった。 一浪し、なんとかつかんだ医学部合格だった。予備校時代、多浪するほど医学部に入りにくくなる、なんて噂は聞いたことがあったが、医学部入試で女子差別がされているとは夢にも思っていなかった。今もそうだが、私が受験生だった時も、国公立のほとんどの医学部で男子の合格者数の方が女子よりも多かった。 この事実について、私自身まったく疑問を持っていなかった。というのも、生まれ育った関西には、中学入試で偏差値の高い私立男子校が大阪や京都、神戸、奈良に何校もある。一方で、女子校や共学は少なかったからだ。中高の教育レベルが、医学部の合格者数に比例するのだろうと勝手に思っていた。女子差別の実態があると知っていたら、それでも私は医師を目指していたのだろうか。「退職」ではなく「転職」 医学生の頃は、憧れを抱いたままだった。医学部5年時の病院実習(「ポリクリ」と呼ばれていた)は、あくまで見学であり、実際に働く訳ではない。ある外科を研修していると、女性医師が「女を捨てた」と言っているのを聞き、外科系は出産や子育てなどができない、と学生ながら感じることもあれば、別の科ではオンオフがはっきりしているから「女性も働きやすいよ」としつこく言われた。 だが、初期研修医になると、医師としてさまざまな診療科を回り、各診療科の仕事内容やハードさを、身をもって体験する。仕事も続けたいが、いつかは出産も育児もしたい。だから、緊急手術や夜間の呼び出しの有無、身体的・精神的に耐えられるかどうかなど、女性として働くことが可能かどうかを考え、初期研修を終えるまでに診療科を選ばなければならなかった。いや、むしろ診療科を切り捨てて行った、という方が正しいのかもしれない。 東京医大の言い分が正しいのかというと、当然ながら正しくない。一般に、女性の労働力は、結婚や出産期に当たる年代にいったん減少し、育児が落ち着いた頃に再び上昇することが知られている。これを「M字カーブ」というが、女性医師も例外ではない。 平成18年度厚生労働科学研究「日本の医師需給の実証的調査研究」によると、女性医師の就業率は、医学部卒業後減少傾向を認め、卒後11年目(36歳)で76%まで落ち込んだ後、再び回復している。結婚や出産を機に医師を辞める選択をする女性医師がいることも事実だが、ベビーシッターを雇いながら勤務を続ける医師もいれば、出産後すぐに復帰して第一線で働く医師もいる。 さらに、多くの女性医師は職場や働き方を変えながら、医師を続けている。東京医大の経営者にしてみれば「退職」と同じだが、当事者の女医からみれば「転職」だ。東京医大の経営者は、自分のところで働く医師にしか関心がないのかもしれない。 実は、この点こそが今回の問題の本質である。医学部の入学試験は、単なる大学入試ではない。大学医局への就職試験という側面もある。大学経営者にとっては、卒業後医師として自らが経営する大学病院や系列病院で働いてくれる人を選ぶ「採用試験」でもある。だから、出産や子育てを理由に辞めてしまう、あるいは男性に比べて戦力にならない女性医師はいらない、ということになる。東京医科大学正門前=2018年7月4日、東京都新宿区(萩原悠久人撮影) 一律減点や裏口入学は、実は医大経営者の本音を表しているのだ。だが、医学部は教育機関であるにもかかわらず、医学部合否の基準に卒後の働き方が入っていることを誰もおかしいと感じない。このことが、問題の根深さを象徴している。 実は、これは入試に限った話ではない。医局の勧誘や専門医制度も、医師や医局員不足対策として「囲い込み」をしているにすぎないのだ。 大学5年の時、病院実習として各科をローテーションした。その度に、医局説明会や歓迎会に誘われた。それはまるで部活の歓迎会のようだった。県内に残ることを説得され、「女医は医局に入らないと仕事を続けられないよ」と毎回脅された。 研修医2年目の秋ごろだったと思う。母校の産婦人科教授が、はるばる当時私が勤めていた福島県南相馬市までやって来た。産婦人科を志望していた私に会うためだった。その後、「母校に帰って来なさい。専門医を取得しないと将来の可能性を狭める。母校の産婦人科プログラムは入局を求めているが、個人を縛るものではない。あなたのことが心底心配だ」と何通もメールが来た。それほどに医局員を欲しているのかと驚くほどだった。3年目の医師になり、教授からのメールはパタリと来なくなった。「男社会は仕方ない」 本来、教師は生徒の味方だ。だからこそ、多くの人が社会に出てからも、何か困ったことがあったときに恩師に相談する。ところが、医学部は違う。教授は医局の「経営者」でもある。一人でも多くの若手を囲い込みたい。いろんな理屈をつけて、縛り付ける。それが分かっているから、在校生の時も、もちろん卒業してからも、教授に相談したことは一切ない。 その典型が専門医制度だ。この制度では、若手に「専門医」という肩書をチラつかせ、医局員として働かせている。それにしても「専門医」とは何なのだろう。専門性とは一生かけて取得していくものではないのか。たった数年で取得できるはずがない。まして、学会費を支払い、学会に参加し、決まった症例数と決まった年数をクリアすれば取得できるなんて、どう考えてもおかしな話だ。 ただ、これは医学部教授から見れば有り難い。最も働いてくれる30代前半までの医師を囲い込み、後期研修を終えれば、「雇い止め」することができるからだ。そして、新たな若手を「教育」という名の下で縛り付ける。普通の職業なら、こんな有期雇用は認められない。 裏口入学は、世間でいう「コネ入社」と同じだ。医師になるための切符をくれた大学には一生頭が上がらない。医局員として一生働き続ける。大学の経営者にしてみれば、裏口入学を認めた代わりに、ずっと働いてくれる医局員を確保できる。お安い御用なのだろう。 某私大の皮膚科医局に所属している友人によれば、医局スタッフの約8割を占めている女性医師が、産休や育休を理由に医局を辞めるケースが後を絶たず、特に入れ替わりが激しいという。しかも、女性医師が多いために時短制度を導入できず、フルで勤務せざるを得なくなり、途中でリタイアしてしまう女性が多いそうだ。だから、教授も女性の入局希望者を採用したがっておらず、医局スタッフでさえ男性の入局希望者を優先させたがっているらしい。 この状況は、大学経営者や教授にとっては「女は使えない」ことに等しいが、われわれ女性からみれば「男社会は仕方ない」ことになる。教授や系列病院の部長を目指し、滅私奉公することを私は求めない。 ある病院の産婦人科で研修をした大学6年の時のこと。定時(9時〜17時)で働いている女性医師が患者の急変に気がつかなかったようで、フルタイムで勤務している女性医師が彼女を責め立てていたことがあった。「急変時に対応できないなら、勤務しない方がマシだ。結局フルで働く私たちにしわ寄せがくるんだ」と。定時で帰ってしまう医師をフォローし合うという意識が全く感じられなかったことは、学生ながら残念に思った。 私が医師を目指したのは、大学教授のような「肩書」が欲しいからではない。患者さんを診察して治療し、患者さんに寄り添っていく中で、医療と医学の両方を学びたいからだ。私は、大学医局には属さず、新専門医制度にも登録しなかった。福島県と東京都で臨床医として働きながら、臨床研究にも取り組んでいる。画像:Getty Images 女子受験生を一律減点し、恣意(しい)的に合格者数を抑制していたことは、女子差別であるとしか言いようがない。だが、根底に隠れている問題は、医学教育という名の下、大学において入試や専門医の名を語った医師の囲い込みや就職活動が行われているという現状があることである。そこは典型的な「男社会」だ。私はそのような人生を送りたくない。おそらく同様に感じている女性医師も多いだろう。 こうした現状を打破するには、医学部と大学病院を分ける、といった対応が必要だろう。今こそ「女性差別」という問題だけで終わらせることなく、その裏に隠された医学教育という名の下の体制や慣習にメスを入れる時なのではないだろうか。

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    「男と女どちらが優秀?」差別入試、この議論をしても意味がない

    れどころか「差異の検証」に終始することは、差別の正当化を暗黙に容認する結果すら導いてしまうだろう。「医療現場を調べたところ、男性医師は女性医師より出産による離職率が低いので女性より優秀であることが実証された。よって優秀な男子を入試で優遇することは正当化され、差別ではない」といった結論が出てしまいかねない。もしくは、極端かもしれないが、「女性医師の出産による離職が問題なので、女性医師の産休、育休を認めない」とか、「一定数の女性を強制的に外科や救急に配属し、出産を制限する」などの不当な処遇が「男女平等」の未来予想図にされてしまう可能性もある。2018年8月、東京医科大前で「#女だからというだけで」と書かれたプラカードを掲げ、抗議活動する女性 私たちは今一度、何をどうすれば「平等」だと言えるのか、そのイメージを明確にしなければならない。求めるものは何なのか。性別による差異があることは前提として、その差異をどう扱えばより社会的な理想に近づけるのか。 男性医師と女性医師の差異をあげつらって「どちらが優秀か」などと泥仕合をしている場合ではない。また、ある分野で特に男性医師の労働力が求められているからといって、そこへ全員の医師が照準を合わせなくてはならない前提を疑ってかかることも必要だろう。 本件をきっかけに、私たちは男女平等のあり方と医療現場の現状を考えるべきである。しつこいようだが繰り返したい。何をどうすれば「平等」だと言えるのか、はっきりしたイメージがないままに男女差を検証するだけの不毛な議論は、もう終わりにしたい。

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    教授に媚び製薬会社にたかる「白い巨塔」が差別を生んだ

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 東京医科大が世間の注目を集めている。裏口入学が状態化していたことに加え、8月2日、入試で女性受験者の点数を一律に切り下げていたことが明らかになった。このことは海外でも報じられ、言うまでもなく前代未聞の不祥事である。 報道等によれば、東京医大による女子合格者の抑制は2006年から始まったという。2010年の医学科の一般入試では、女子の合格者数が69人と全体(181人)の38%に達したことに強い危機感を抱いたらしい。大学関係者は取材に対し、出産や子育てを抱える女性医師は男性医師ほど働けないと説明している。特に、外科系の診療科では「女3人で男1人分」との言葉もささやかれていたという。 私が驚いたのは、メディアのこのような論調に誰も疑問を呈さないことだ。今回、問題が発覚したのは東京医大の入試である。東京医大病院の就職試験ではない。どうして、入試の合否の基準に卒業後の働き方が考慮されるのだろうか。 医師不足が深刻な社会問題となっている昨今、確かに彼らの言い分は一定の説得力を持つ。男性と比較して、女性が働き続けるのは困難を伴う。激務の医療現場ならなおさらだろう。 ただ、この問題は医療界に限った話ではない。医療界でも看護師は同じ問題を抱える。日本看護協会をはじめ、看護師の業界団体も、この問題に取り組んで来た。安倍政権も女性活躍を目指して多くの政策を立案している。 医学部医学科以外で、卒業後に大学で学んだ技術を用いた仕事に就かないから、入試で差別する、というばかげた主張がまかり通ることはない。 なぜ、こんなことが真剣に議論されるのだろうか。それは東京医大の場合、医師国家試験に合格した卒業生の大半が、東京医大病院をはじめ系列の病院で働くことになるからだ。つまり、大学入試が「東京医大グループ」への就職試験を兼ねていることになる。おそらく、このような形で運用されているのは、大学の学部では医学部だけだろう。 医学部教授は学生を指導する教員であると同時に「病院の経営者」でもある。病院経営の観点から考えれば、給与が安くてよく働く若手医師をできるだけ多く確保したいというのが本音である。 東京医大に限らず、若手医師の待遇は劣悪だ。東京医大のホームページ(HP)によれば、東京医大病院後期研修医(卒後3から8年程度の若手医師)の給料は月額20万円だ。これに夜勤手当、超過勤務手当てなどがつく。この給料で、新宿近辺でマンションを借りて生活しようと思えば、親から仕送りをもらうか、夜間や休日は当直バイトに精を出すしかない。 しかも、この契約は3年間で満了となり、その後は一年契約となる。さらに常勤ではなく、仮に妊娠した場合、雇用が契約されるか否かは、東京医大に委ねられる。 大学病院経営の視点から考えれば、女性より男性が安上がりであることは間違いない。男性はめったに産休などをとらず、待遇面での不満や特別な事情でもない限り一生働き続けるからだ。入学試験の成績が多少悪かろうが、男性を合格させたいという考えも理解はできる。東京医科大学内に入る女性ら= 2018年 8月2日、東京都新宿区(吉沢良太撮影) 実は、このような主張も屁(へ)理屈だ。女医に限らず、女性は出産・子育ての時期に一時的に仕事を離れることが多い。これを「M字カーブ」という。 少し古いが、2006年の長谷川敏彦・日本医科大学教授(当時)の研究を紹介しよう。この研究によれば、医師の就業率は男女とも20代は93%だが、30代半ばで男性は90%、女性76%と差がつく。メディアは、このことを強調する。 ただ、これは今回の不正入試の本当の原因ではない。東京医大が主張する通り、入学者の4割が女性になったことが問題で、これを全国平均の3割に抑えたとしても、それで増加する医師はわずか1人である。その程度の効果しかないのに、東京医大の幹部が不正のリスクを冒したのはなぜなのか。教授に媚びる男性医師 問題の本質は、結婚や出産した女性医師が職場を変えることだ。本件に関して言えば、東京医大病院や関連病院を辞めてしまう、ということである。 例えば、東京医大の内科系診療科の場合、HPに掲載されている循環器内科など8つの内科系診療グループのスタッフに占める女性の割合は、教授・准教授で5%、助教以上のスタッフで22%、後期研修医で37%だった。女性は年齢を重ねてキャリアが上がるにつれて、東京医大病院で働かなくなっていることが分かる。 医師の平均的なキャリアパスは24歳で医学部を卒業し、2年間の初期研修を終え、その後、3~5年間の後期研修を受ける。その時点で30代前半になる。 その後のキャリアは雑多だ。東京医大の場合、「臨床研究医」などの医局員を経て、助教、講師へと出世していくようだが、速い人であれば40歳代前半で准教授となる。 大学病院は教授を目指した「出世競争の場」である。主任教授になれば、医局員の人事を差配し、製薬企業や患者から多くのカネを受け取る。東京医大のある内科教授は、2016年度に115回も製薬企業が主催する講演会の講師などを務め、計1646万円もの謝金を受け取っていたことが明らかになっている。 大学で出世するためには、安月給でも土日返上で働き、論文を書かねばならない。一方、私大医学部の経営者は、医師の名誉欲を利用する。知人の私立医科大の理事長は「大学の肩書をつければ、人件費を3割は抑制できる」と打ち明けてくれた。 ところが、女医にはこの作戦は通用しない。医師の世界で男性は保守的、女性は進歩的なケースが多い。食いっぱぐれのない医師は、親が子供に勧める職業の一つである。男性医師の多くは親や教師の勧めに従順に従って、医学部に進む。だが、女性は違う。苦労を知りながら、「女だてら」に医師になる。多くの女医は、狭い医局の世界で出世争いに汲々(きゅうきゅう)とする男性医師を見て嫌になり、医局を辞めていく。 週刊ポストは8月10日号で、製薬企業からの謝礼が特に多い主要医学会の幹部医師50人の実名を公開した。その中に含まれる女性医師はわずか1人だった。 大学病院から女医が去って行くのは、勤務体系が劣悪という理由だけではない。診療や研究そっちのけで、教授に媚(こ)び、製薬企業にたかる体質に嫌気が差しているからだ。東大医学部を卒業した知人の女性医師は「男性は本当に肩書が好きですね。私たちには分からない」と本音を漏らす。画像:Getty Images 国民の視点に立てば、女医はどこで働いてもらってもいい。彼女たちが育児と両立しやすい職場に移ればいい。象牙の塔を離れ、市中で診療してくれるのは、むしろ有り難いことだ。 彼女たちが大学病院を辞めて本当に困るのは、経営者だけである。とりわけ、彼らは「女性は使えない」と思い込んでいる。だからこそ、女子受験者を一律減点し、入学を制限しようとしたのである。 大学教育とは一体何なのか。むろん学生を育てることである。それは医学部だろうが、他学部だろうが関係ない。ところが、東京医大は学生を自らが経営する大学病院の「労働者」としてしか見ていない。 この問題を解決するには、情報公開を徹底するしかない。さらに、大学病院を医学部から分離する、あるいは卒業生の入局を制限するなどの対応が必要だろう。 これは学生にとってはプラスである。進学校から医学部に進み、そのまま入局して、一生母校の医局にいたら、まともな人間になるはずがない。不正に関与した東京医大の幹部はまさに反面教師である。 近年、大学医学部で不祥事が続発している。今こそ、学生教育という本来の目的に立ち返り、徹底的に議論し改革を促すべきだ。

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    東京医大「差別入試」 気になる違法性はここが分かれ目

    、前時代的かつ働き方や資格制度の在り方といった問題の本質から目を背けている。 確かに大学病院は、地域医療に多大な貢献を行い、それぞれの医師が寝る間も惜しんで医療サービスを提供している実情があること、その職場環境が非常に厳しいものであることは理解できる。 しかし、試験の結果は当然、知識力や思考力や判断力、さらにそういった能力を培うための、本人の継続的な努力によって形成されたものである。今回の東京医大の対応は、「試験時点」の「能力で勝る女性医師の卵」と「能力で劣る男性医師の卵」を比べ、後者の方を優先させるという判断をしたものだ。しかし、上記したような能力で劣るものを優先して、本当に医療サービスの確保を目的としているといえるだろうか。 少なくとも、「医療サービスの確保」を理由に正当化するのであれば、その理由についての明確な根拠が必要であろう。 東京医大レベルの医学部入試のためには、多くの受験生が高額な費用を予備校に払い、浪人も厭(いと)わずに受験に臨む。さらに入試にはその学校独自の特性もあることを考えると、この学校に入りたいと思って受験している学生の中には、受験前にこうした事情を知っていれば、「そもそもこんな大学は候補に入れない」という受験生も多くいたことだろう。 仮に大学が本気で男性を優先的に合格させたいのであれば、それを明言すればよかった。しかし、そのような対処をすると大学としての評判を下げ、結果的に人気校と言えなくなることや、女性の進出に否定的な大学といった風聞が立つ。そうなれば自身のブランディングに影を落とすことを気にしたのだろう。 こうした受験生の状況も考えると、性別の評価要素は説明が必要な重要事項であろう。事前の告知が一切受験生にされていないということが重要な問題点だ。そして説明をしなかった以上は、後から「性別が実は大事な要素だ」というのは不合理な主張と考えられる。(ゲッティイメージズ) 今回の試験について、仮に性別を考慮することが他事考慮といえる場合、女性受験生が法律上できると考えられるのは、慰謝料請求、損害賠償の請求と、試験に合格したとして東京医大の学生としての身分の確認請求を行うことだ。 本来合格だった者が、不合格を言い渡されることは、その者に精神的苦痛を与えるものであり、さらには知っていれば受けなかった受験生らの無駄になった受験料なども損害といえ、慰謝料請求や損害賠償の請求が可能であると考えられる。 さらに、性別による評価が他事考慮であるとすれば、その点数分はいわば「採点ミス」である。このような「採点ミス」の結果不合格になった者を再度評価し、合格点を超えていれば、その学生には東京医大での学生の地位が与えられる可能性がある。 もちろん、その地位を「当該女性が望むのであれば」ということにはなるが。

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    「女性医師が担当なら死亡率が下がる」──異色論文の根拠

    イムスなど一般紙からツイッターまで、メディアやSNSでの引用状況をもとに論文の影響力を評価している。医療関係者はもとより、一般社会にも大きなインパクトを与えた、という評価です」(医療経済ジャーナリストの室井一辰氏)「メディケア患者」とは、米国の高齢者医療制度を利用している患者のことで、調査対象となったのは、2011~2014年の間に、米国で肺炎や心疾患、慢性閉塞性肺疾患などの病気で内科に入院した65歳以上の男女約150万人だ。入院日から30日以内の死亡率と、退院後の30日以内に再入院する確率を、女医が担当したケースと男性医師が担当したケースとで比較した。 その結果、女医が治療を担当した場合の死亡率と再入院率は男性医師と比べて、共に約4%低いという結果が出たのだ。女医なら3万人死亡者減 4%という数字は決して小さくない。論文執筆者で『「原因と結果」の経済学』(ダイヤモンド社刊)の著書もある、医師の津川友介・カリフォルニア大学ロサンゼルス校助教授が語る。女医さんが担当だったら喜ぶべし「4%というのは、過去10年間の医学界における死亡率の改善とほぼ同じレベルです。臨床において、日々、新しい薬や医療機器が開発されていますが、それらを全部合わせて10年蓄積した分と同じですから、臨床的にも意味のある数字だと考えます。論文の前提に立って、もし男性医師が女性医師と同程度の医療の質だったとしたら、全米で死亡者数を年間約3万2000人減らせる計算になります」 しかし、なぜ女医のほうが、死亡率や再入院率が低くなるのか。津川氏が解説する。<日本の女医もうなずいた「調査結果からは、女性医師のほうが男性医師よりも“リスク回避的”であることが分かりました。臨床ガイドラインとエビデンス(根拠)に基づく診療を忠実に守る傾向が強かったのです。 さらに、予防医療により多くの労力をかけており、コミュニケーションスキルも高い。患者さんの話をよく聞くこと、周りの医師にも相談することで、より慎重かつ個々の患者さんに適した治療が選択されているのだと思います」 こうした女医の細やかなケアが、高齢者の“異常”を上手く拾い上げた、と見られている。日本の女医もうなずいた 同内容の論文は医学界の“トレンド”でもある。「『メディカルケア』という学術雑誌に掲載された2016年のカナダでの研究によれば、女性医師にかかった場合、緊急手術を行なう事態になる可能性が17%低く、入院の可能性は11%低いと出ています」(前出・室井氏) 逆に、男性医師のほうが質の高い医療を提供しているとする研究結果はほとんど報告されていないという。この研究結果を女医たちは実感としてどう受け止めるのか。里見英子クリニックの里見英子・院長(内科医)は納得の様子で語る。「私は大病院での勤務経験が長いんですが、男性医師は患者さんを早く退院させることに重きを置きすぎる傾向にあると思います。回転率を上げたほうが病院から評価され、出世すると考えられているからです。ガイドラインから外れても、『自分が判断したからいいんだ』という考えが強いように思います。女性医師のほうが患者の話をよく聞き、ガイドラインを守るという指摘は、その通りだと思います」 津川氏は今回の研究の成果について、こう語る。「米国でも日本でも、担当医が女性であるというだけで不安に思う患者さんがいますが、データを見る限りでは、杞憂であることがわかります。米国では女性医師のほうが給与が安かったり、昇進が遅かったりすることが社会問題になっていますが、女性医師の診療の質が高いことが今回の研究で明らかになりました」 女医の割合がおよそ2割の日本の医療界は、米国以上に男社会といわれる。患者側が、「女医に当たってラッキー」と考えるようになれば、医学界も変わっていくかもしれない。関連記事■ かかりつけ医の良し悪し 受診中に注意したい4つのポイント■ 名医が教える 危ない“かかりつけ医”を見分ける薬の目安■ 病院で混雑を避ける方法とTVで有名な名医の診察受ける方法■ 死亡率減少する「内科は若手医師・外科は高齢医師」の根拠■ カルシウム摂り過ぎると死亡率2.6倍の根拠を医療専門家解説

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    夏の高校野球「朝日の熱中症対策」医師の私が言葉を失った理由

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 熱波がわが国を襲っている。7月23日には埼玉県熊谷市で観測史上最高の41・1度を記録した。東京の青梅市でも40度を超えた。 これは日本に限った現象ではない。共同通信によれば、米国カリフォルニア州デスバレーでは52度、ロサンゼルス近郊のチノでも48・9度を記録。さらに、北欧のノルウェーのバルドゥフォスで33・5度、フィンランドのケボでも33・4度を記録した。スウェーデンでは50カ所の森林火災が確認されているという。近年の地球温暖化はすさまじい。 私が初めて猛暑を実感したのは1994年の夏だった。後に「1994年猛暑」と記録される年だ。この年は、8月3日に東京都千代田区で39・1度を記録し、大分県日田市では22日間連続の猛暑日(最高気温が35度以上の日)を記録した。現在も破られていない日本記録だ。 この年、私は大宮赤十字病院(現さいたま赤十字病院)の2年目の内科研修医だった。7月半ば、私は意識障害で救急搬送されてきた50代の男性患者を受け持った。初診時の診察で体は焼けるように暑かった。正確な体温は覚えていないが40度以上はあったと思う。皮膚は乾いており、心電図モニターをつけると不整脈が頻発していた。血圧は低下しており、集中治療管理となった。 指導医が「典型的な熱中症」と教えてくれた。体外・体内から冷却し、10リットル程度の点滴を続けたが、状態は改善しなかった。やがて、全身に皮下出血が生じた。最終的には腹腔(ふくくう)内出血で死亡した。 この患者は工事現場の労働者で、猛暑の中での作業中に倒れた。熱中症による循環不全が生じ、播種(はしゅ)性血管内凝固症候群(DIC)という重症合併症を合併した。DICになると出血が止まらなくなる。このため、皮下出血がおこり、腹腔内にも出血する。これが、この患者の命取りとなった。気温が上がり、JR渋谷駅前の交差点を日傘を差すなどして待つ人たち=2018年7月23日、東京都渋谷区(松本健吾撮影) 私は大学時代まで剣道をしていた。真夏でも防具をつけて稽古をしていた。熱射病で死ぬなど、考えたことすらなかった。当時、研修医だった私に、この症例は強烈な印象を残した。 わが国で熱中症への関心が高まるのは、この年からだ。日経新聞が運営する新聞データベース『日経テレコン』を用いて、全国紙、および共同通信、時事通信、NHKニュースで報じられた熱中症に関する記事は、この年、前年の37報から229報に増加した。 厚生労働省も動いた。95年以降、熱中症による死者の統計を公開している。2010年までは5年ごと、2012年以降は毎年だ。 この統計のおかげで、猛暑の年に熱中症の患者が急増することが確認できる。2005年までは年間300例程度だったのが、2010年には1,731例に急増する。「観測史上最も暑い夏」と呼ばれた年だ。 2013年にも猛暑が襲う。この年は1077人が死亡した。この中には22人の10~30代も含まれる。詳細は開示されていないが、基礎疾患があるか、猛暑の中で激しい運動や労働を続けたのだろう。この年、前出の全国紙に掲載された熱中症の記事数は2567報と、過去最多を記録する。本稿を執筆している7月24日現在、今年の熱中症の記事数は2007報。2013年を抜くのは確実だ。携帯する人が増えた「OS-1」 このような多くの報道を通じ、わが国での熱中症の認知度は向上した。いまや、熱中症対策の根幹が水分補給であることは多くの人々が知るようになった。私も、夏場に高齢の患者を診察するときは、「水分を取るように」と助言することにしている。特に6月末から7月にかけては、繰り返し注意している。真夏に加え、この時期も熱中症が起こりやすいからだ。 真夏に熱中症が起こりやすいことは、誰もが想像がつく。ところが、梅雨の晴れ間や梅雨明けの急に暑くなったときが危険だとは、あまり認識されていない。 なぜ、この時期が危険なのだろうか。それは、体が暑さになれていないためだ。徐々に体を暑さに順応することを暑熱順化と呼ぶが、暑熱順化の効率には湿度が影響することが分かっている。 人体は発汗量を増やすことで、熱を発散し体温を下げる。しかしながら、周囲の湿度が高いと汗が蒸発しにくくなり、十分に発汗できない。 わが国の特徴は、6月に梅雨の影響で湿度が急上昇し、7月にピークを迎えることだ。この時期の東京の平均湿度は約80%となる。梅雨の晴れ間や梅雨明けに急に気温が上がったときには、体も慣れておらず、さらに湿度も高い。この結果、十分に汗をかけず、熱中症になりやすくなる。私が経験した症例も、この時期に起こった。 どうすれば、被害者を減らすことができるか。それは、こまめに水分を補充し、高温多湿な環境を避けるしかない。そのためには、日常生活での工夫が必要だ。わが国は、個人および社会のレベルで着実に変わりつつある。祇園祭の後祭。猛暑のなかの巡行で山鉾の足下もとはかげろうのようにかすんで見えた=2018年7月24日午前、京都市中京区(鈴木健児撮影) 例えば、筆者は毎週月曜日の16時から21時まで、ナビタスクリニック新宿で診療しているが、最近は「OS-1」などの経口補水液を携行している人が増えた。彼らは発熱、倦怠(けんたい)感を主訴(しゅそ)に受診しているのだが、来院前から熱中症の可能性を疑い、「OS-1」を飲んでいる。これは医学的に適切な対応だ。 「OS-1」は、2001年に大塚製薬工場が発売した製品で、水分だけでなく、汗で失った電解質も補充できる。所ジョージ氏のCMで有名だ。彼は、2010年に家庭菜園の手入れをしている最中に熱中症で倒れた。 「OS-1」は美味な飲み物ではない。それでも、患者さんが「OS-1」を購入するのは、それだけ、熱中症に対する認識が深まったことを意味するのだろう。 社会も変わった。屋外での作業時間を工夫するようになった。2011年に起こった福島第一原発の廃炉作業では、東京電力は午後2時から5時までの屋外の作業を控え、それ以外の時間でも作業員に対して、「クールベスト」と呼ばれる保冷剤入りの作業着を配布した。 今年は京都の夏の名物である祇園祭の花傘巡行が中止となった。着物姿の女性たち1000人程度が、午前10時から2時間にわたり、市内中心部約3キロを歩くのだが、主催者は暑さが許容レベルを超えていると判断したようだ。こうなると、猛暑を自然災害と見做(みな)したことになる。朝日の記事に唖然とした 夏と言えば高校野球だ。高校球界も対応に余念がない。滋賀県予選では、7月21、22日に4試合ずつ行う予定だった3回戦を午前開始の2試合のみとし、21-24日の4日間に分散した。暑い午後の時間を割けたことになる。 京都府予選では、午後1時半に開始予定であった第3試合を午後4時開始とし、第4試合は午後7時からのナイターにした。この日の最高気温は38・7度だったという。 おそらく全国各地で、同様のことが起こっているだろう。真夏のスポーツの在り方が変わりつつある。 全国高校野球選手権を主催する日本高校野球連盟と朝日新聞社も対応に余念がない。7月19日に各都道府県の高野連に対し、熱中症対策に万全を期すように呼び掛けた。 全国選手権では、スポーツドリンクや氷囊(ひょうのう)も準備するそうだ。1日あたり14-8人の理学療法士を待機させ、全身状態もチェックするらしい。朝日新聞は7月19日の記事で、彼らの取り組みを大きく報じている。 朝日新聞の真意は分からないが、私はこの記事を読んで唖然(あぜん)とした。選手を守ろうという点で、滋賀県や京都府の高野連の対応と全く異なるからだ。捕手の防具は仲間が着け、当人は水分補給=2018年6月2日(岩崎吉昭撮影) もちろん、氷嚢(ひょうのう)やスポーツドリンクを用意すること、メディカルスタッフを待機させることが悪いとは言わない。ただ、そんなことをしても、熱中症を予防するのは限界がある。もっとも有効なのは、滋賀県や京都府の高野連がやったように、炎天下での試合を避けることだ。具体的には午前の試合開始を早め、午後は夕方からに遅らせることだ。おそらく、朝日新聞にはテレビ放送など大人の都合があるのだろう。 今年で100回目を迎える夏の全国高校野球選手権大会は、わが国を代表する国民的行事だ。この大会を通じ、毎年スターが誕生し、そこからプロ野球やメジャーリーグで活躍する人物が生まれる。この大会は、わが国の野球を支える「ふ卵器」のような存在だ。この大会がなくなれば、わが国の野球は衰退するだろう。 地球温暖化が進み、猛暑が常態化した日本で、夏の全国高校野球選手権大会はどうすれば続けていけるだろう。今こそ、球児の健康を第一に考え、その在り方を問い直すべきだ。

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    西城秀樹「ギャランドゥ」な人生考

    歌手、西城秀樹さんが63歳という若さでこの世を去った。スーパースターとしての逸話は数知れない。中でも1983年のヒット曲『ギャランドゥ』は後年、ヒデキを象徴する代名詞になった。今では体毛の濃い男性を意味する俗語として定着したが、その男っぷりは彼の人生そのものだった。昭和を飾った大スターの生き様を考える。

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    西城秀樹さんも懸命に続けた「脳梗塞リハビリ」知られざる現実

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 5月16日、歌手の西城秀樹さんが亡くなった。享年63歳だった。西城さんは、70~80年代に数々のヒット曲を飛ばした大スターだった。代表曲『YOUNG MAN』が流行ったのは私が小学校5年のときだった。林間学校へ向かうバスの中、みんなで歌ったことを覚えている。 実は西城さんは、最近まで私にとって身近な存在だった。それは研究所のスタッフ、西村有代さんが西城さんの熱烈なファンだったからだ。2003年に西城さんが脳梗塞を発症したときは、その話題で職場は持ちきりとなった。 その後、必死のリハビリで回復し、06年にシングル『めぐり逢い』を発売したときは、みんなで応援した。ところが、残念なことに11年に脳梗塞は再発した。 西城さんとは、最近になってもう一つご縁があった。それは私が社外取締役を務める株式会社ワイズとNPO法人脳梗塞リハビリ研究会が共同で運営する「脳梗塞リハビリセンター」に西城さんが通院していたからだ。 ワイズ社の早見泰弘社長は「身体トレーニングや自主リハビリ以外に、懸命に言語リハビリもされていた。巡業などの仕事で休む以外には、いつもリハビリに取り組まれていました」と振り返る。西城さんが最期まで復帰を目指し、懸命な努力をしていたのである。西城秀樹さん=2017年3月、東京都世田谷区 ところで、「脳梗塞リハビリセンター」という名前をお聞きになった方はおられるだろうか。都内で10施設のリハビリを経営しているが、医療機関ではない。完全自費であり、理学療法士が個別対応する。 実は、西城さんが「脳梗塞リハビリセンター」に通い、懸命にリハビリを続けたことは、わが国のリハビリ医療の現状を象徴する出来事だった。本稿では、この問題を紹介したい。 高齢化社会ではリハビリの需要が増加する。脳卒中はもちろん、整形外科疾患から心臓病、がんの手術後まで、多くの疾病からの回復に必要不可欠だ。ところが、厚生労働省は2006年にリハビリを最大180日に制限した。東大の多田富雄名誉教授(免疫学)が主導し、48万人の署名を集めて反対したが、それでも厚労省は押しきった。 2008年10月からは入院後6カ月以内に退院する患者が6割を下回る病院への診療報酬が大幅に引き下げられた。この結果、重症患者の受け入れを断る病院が増えた。今春の診療報酬改定では、急性期を乗り越えた後の回復期リハビリ病棟は3段階から6段階に細分化され、実績によって加算が変動することとなった。重症患者を受け入れる病院はますます不利になる。 さらに月に13単位(1単位は20分)を上限として認められている外来でのリハビリが廃止された。厚労省は外来でのリハビリを介護施設に集約する方針だが、高齢者を対象としたデイケア(通所リハビリテーション)の目的は機能維持だ。脳卒中の麻痺からの機能回復を期待する患者には、充分なサービスを提供できない。 この結果、わが国は「リハビリ難民」であふれるようになった。多くの国民がけがをしたり、脳卒中になっても十分なリハビリを受けることができないでいる。 さらに、わが国の理学療法士は偏在が著しい。医師・看護師と同様に西高東低の形で偏在している。2018年3月現在、わが国の人口1000人あたりの理学療法士の数は0・91人で、上位は高知(2・3人)、鹿児島(1・7人)、熊本、佐賀、長崎(いずれも1・6人)と続く。リハビリで回復する脳梗塞 一方、下位は東京、神奈川、栃木、秋田(いずれも0・6人)、埼玉(0・7人)で、団塊世代が高齢化する首都圏で理学療法士が不足している。このような状況で出現したのが、自費リハビリだ。最近、この業界が急成長しつつある。「脳梗塞リハビリセンター」はその最大手である。 知人のリハビリ専門医は「(西城さんのような)若年患者を中心に維持期の集中的なリハビリのニーズは以前から感じていました。診療報酬上での制約がある病院でのリハビリは、徹底して患者に寄り添うことができず、どこかお茶を濁しているような気がしていました。民間企業の参入は、このような患者にリハビリの機会を提供する事になるかもしれません」と言う。 では、自費リハビリの実態は、どんな感じだろう。具体例を紹介しよう。私が医師として関わった公認会計士の60代男性のケースだ。都内のリハビリ専門病院から退院後、「脳梗塞リハビリセンター」に通院し、リハビリを継続した。彼は「自費リハビリを選んで本当によかった。再び立てる日が来るなんて夢のようです」と振り返る。 この男性は2016年1月、突然の四肢の麻痺と呼吸困難を訴えて、都内の大学病院に緊急入院となった。検査の結果、脊髄膿瘍と診断され、緊急手術を受けた。主治医は「病変が呼吸中枢にまで及んでいました。数時間遅れていれば、亡くなっていました」と説明した。そして術後、集中治療室に控える家族に、主治医は「命の保証はありません。一命を取り留めても、寝たきりになる可能性が高い」と話したという。 術後の経過は医師の言う通りだった。意識こそ回復したものの、四肢は動かず、自発呼吸は不十分で、人工呼吸器に繋がれていた。男性は「呼吸器が外れそうになり、痰が詰まりそうになっても、アラームすら押せません。このまま死んでしまうのか。あのときの恐怖は忘れられない」と回想する。 その後、自発呼吸は回復し、人工呼吸器からは離脱した。男性はツテを頼りに、リハビリで有名な都内の病院に転院した。そこで徹底的なリハビリを受けた。その結果、上半身は動くようになり、介助があれば車椅子に座ることも可能になった。 ただ、半年間のリハビリが終わった段階で、下半身は麻痺したままだった。胸より下にしびれが残り、下腹部に力が入らなかった。座位を維持できず、このままでは公認会計士としての社会復帰は難しかった。 だが、男性の希望は「再び歩けるようになりたい」というものだった。彼は、ありとあらゆる手段を探した。サイバーダイン社が開発したロボットスーツ「HAL」の使用や、神経の再生医療を受けることも考えた。そして、ここで私が勧めたのが、自費のリハビリだった。 彼は藁(わら)をもつかむ思いで「脳梗塞リハビリセンター」に通い、週に2回、1回2時間のリハビリを始めた。当初はペダル付き車椅子に乗っても、左手が安定せず、ハンドルを操作できなかった。下半身に力が入らないため、自分ではこぐことはできなかった。 リハビリが進むにつれ、状態は改善した。さまざまなノウハウも身につけた。「ほんのちょっと手の位置を変えるだけで腹筋の力の入れやすさが、こんなに変わるんですね。病気になる前は気にしたこともなかった」と言う。 最近では、ハンドルを自分で持ち、まっすぐ車椅子を進めることができるまで回復した。「この車椅子が私の愛車です。フェラーリです」と周囲に笑いながら語っている。さらに、支えられながらではあるが、立てるようになった。はじめて立ったときには「自分の足で立っている。この感覚は久しぶりだ」と語った。そして発症から28カ月、この男性は、公認会計士としてすでに社会復帰している。一人で歩けるようになるため、現在もリハビリを続けているという。 自費リハビリによる改善例は、この患者に限ったことではない。「脳梗塞リハビリセンター」は改善事例の動画をユーチューブで公開している。恐らく、みなさんの予想を超えているはずだ。 自費リハビリを受けた患者が回復したのは、医学的には合理的だ。これまで医療保険の都合でリハビリが打ち切られていただけで、リハビリを継続すれば、さらに回復する人がいても不思議ではない。 病院で受けるリハビリより、自費リハビリの方が有利な点も多い。それは、健康保険の縛りがないため、患者のニーズにあわせて、メニューを微調整できることだ。リハビリ期間を延長することも可能になる。あふれるリハビリ難民 「脳梗塞リハビリセンター」で働く理学療法士は「自費リハビリは真剣勝負です。効果がなければ、患者さんは来なくなります。健康保険から費用が支払われる病院と違い、患者さんから費用をいただく自費リハビリでは、理学療法士には大きなプレッシャーがかかります」という。おそらく、このような緊張関係が治療成績の底上げに貢献しているのだろう。 では、どんな患者が自費リハビリを利用するのだろうか。比較的若年の患者が多いのが特徴だ。例えば、ワイズの利用者の71%が60代以下である。西城さんとほぼ同世代である。 脳卒中患者の約6割が70代以上であることと対照的だ。高齢患者は現状の機能を維持することを目標とするのに対し、若年患者は機能を回復し、職場に復帰することを望む。必要とするリハビリは違う。従来の医療保険では、このようなニーズに対応できていなかった。民間企業が試行錯誤することで、多様なサービスの開発が進みつつある。 そして、このような自費リハビリの成長を、厚労省はどう考えているのだろうか。知人の厚労官僚は「診療報酬を抑制し続けなければならない昨今、自費リハビリは厚労省にとってもありがたい」と言い切る。今後、リハビリ難民が増えた際の批判を逸らすために、応援していると言っても過言ではない。 理学療法士及び作業療法士法では、「医師の指示の下、理学療法を行う」ことが原則だが、「侵襲性のない行為については、医師の指示のもとにない理学療法士等がリハビリを行うことは、法令上は名称独占であるので違法とは言えない(前出の厚労官僚)」と解釈を緩和している。 もちろん、自費リハビリにも問題はある。それは費用だ。「脳梗塞リハビリセンター」の1日あたりの費用は1万5000円。これだけの費用を長期間にわたって負担できるのは、西城さんのような一部の富裕層に限られるだろう。 また、安全性についても検証が必要だ。今後、民間リハビリの市場が拡大すれば、低レベルの業者が参入するからである。未熟な理学療法士が、脳卒中後の麻痺で拘縮(こうしゅく)した関節を無理に動かせば、関節を傷つけることもあるだろう。※写真はイメージ(iStock) 前出の厚労官僚は「事故が起こり、メディアが大きく報じれば、厚労省も規制せざるを得なくなります」という。そうなれば、医療機関と連携しているところなど一部を除き、自費リハビリ施設は閉鎖となる。リハビリ難民があふれ、寝たきりの高齢者が増加する。そんな状況は誰も希望しない。 脳梗塞の新規発症者は年間に25万人。高齢化が進むわが国で、さらに患者は増える。この結果、リハビリの需要は急増する。ところが、リハビリの提供体制は脆弱(ぜいじゃく)だ。どうすれば、リハビリを受けることができるか、お上頼みではなく、社会で議論し、新しい仕組みを作っていかなければならない。自費リハビリは、その一例である。 西城さんが亡くなり、脳梗塞のリハビリが国民の関心を集めている。今こそ、地に足のついた議論をしようではないか。

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    『10万個の子宮』に思う「デフレ不況論争」20年の苦闘

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 医師でジャーナリストである村中璃子氏の新刊『10万個の子宮』(平凡社)は、若い産婦人科医が口にした衝撃的な問いから始まる。村中璃子氏の著書『10万個の子宮』(平凡社) 「僕たち日本人の医者だけ、あとどのくらい子宮を掘り続ければいいんですか?」 「子宮を掘る」とは、子宮を摘出することを意味する。日本では毎年、子宮頸(けい)がんで3千人余りが命を落とし、そして1万の子宮が摘出されている。この子宮頸がんを予防するワクチンが存在し、日本でも2013年4月に定期接種化が行われた。日本政府は積極的な接種勧奨政策を採用していた。関係機関や医学界の協調、また地方自治体の接種費用補助制度の貢献などによって、定期接種化以前でも日本では約70%の接種率を実現していた。この定期接種化によってさらに接種率の向上と国民のワクチン利用への理解を促すことが期待されていた。 だが、定期接種化からわずか2カ月後に、政府は「積極的な接種勧奨の一時差し控え」という急激な政策変更を行った。もちろん現在も子宮頸がんワクチンの定期接種は行われている。だが、この急激な政策変更によって接種率は大きく低下してしまい、なんと各自治体の接種率が軒並み1%以下に落ち込んでしまった。筆者によれば、まさに「事実上の接種停止状態」だという。 この政府の急激な政策変更の背景は、接種後にけいれん、歩行不可能、慢性的な痛みや神経の異常を訴える人たちが続出したことに加え、そしてテレビや新聞などのメディアが大きくこの事態を報じたことにある。村中氏の『10万個の子宮』は、この子宮頸がんワクチンをめぐる「事実上の接種停止状態」を問題視し、ワクチン接種の積極的勧奨の再開や、接種率の向上といった事態の打開を目指す苦闘の記録になっている。 未成年の少女たちが訴えるけいれんや歩行困難などの症状が、実は心因的である可能性が高いことが本書で指摘されている。例えば、ワクチン接種後に決まった時間にけいれんを起こす少女が、時間がわからない病室ではまったく発作が起こらなかったエピソードが紹介されている。ただ、少女らの保護者たちは病院の説明に反発を強めたという。「接種率向上」が限界な理由 村中氏は科学界で権威ある雑誌『ネイチャー』などが主催するジョン・マドックス賞を、この子宮頸がんワクチンに関する啓蒙的なジャーナリズム活動によって受賞した。受賞理由は、敵意や困難に負けずに、公益に資する科学的理解をジャーナリズム活動として行ったことに対するものだった。本書を読めば詳細に書かれているが、被害を訴える個人や団体、そしてワクチンの「害」を訴える医者や識者たちを相手に、村中氏がいかにエビデンス(証拠)と科学的見解で闘ってきたかがよくわかる。2017年11月、ジョン・マドックス賞の授賞式でマドックス氏の娘(右から2人目)らに祝福される医師でジャーナリストの村中璃子氏=ロンドン(本人提供) また、読者に専門的な知識がなくても、村中氏の冷静でその都度、根拠となる論理とデータをわかりやすく明示しているので、読む負担が少ない。世界保健機関(WHO)に代表される国際機関、日本の医学界は、子宮頸がんワクチンの安全性と効果について肯定する声明を出している。だが、本書を読むと、これらの「外圧」「内圧」いずれも、子宮頸がんワクチンの接種率を向上させるには限界があることがわかる。 その「限界」を生み出している一つの要因は、子宮頸がんワクチンに関する集団訴訟の存在だ。もちろん訴訟を起こす権利は誰にでもある。ただ、この集団訴訟が仮に最高裁まで審理されれば、10年ほどの時間がかかる。問題と感じるのは、政治や官僚たちはその間、子宮頸がんワクチンの積極的勧奨の再開を避けるだろう、という点だ。そもそも日本の政治家は官僚的だし、官僚も自ら「責任」をとって行動をすることはほぼない。政府の10年の不作為によって、1年で1万個、10年で10万個の子宮が失われ、そしてまた多くの人命が失われる可能性がある。これが題名の『10万個の子宮』の由来するところだ。つまり政府の不作為=過剰なリスク回避が、国民の生命を危機に陥れるかもしれないのだ。 本書には、新宗教やカルト、弁護士、メディアなど、この現象に群がる人たちが指摘されている。そして医薬品メーカーを批判的にとらえた言説も流布している。どんなエビデンスを明示した議論も受け付けようとしない現状もある。ここまで読んでいくと、私には自分がかかわってきたこの二十数年の日本の「デフレ不況論争」をどうしても思い出させるのだ。 例えば、「デフレから脱却するにはインフレ目標が重要である」と主張すると、「そんなものを導入すれば副作用でハイパーインフレが起きる」というトンデモ理論が当時流行していた。また、今のデフレは貨幣的な現象ではなく、「中国やインドなど新興国からの輸入品の価格が低下しているから起きている」というエビデンスの乏しい議論も流行った。壁を破るにはどうしたらいいか また、インフレ目標には政策を行う側の「責任」が生じるためか、日本銀行も政治家もあえて採用するよりも、できるだけ避けた。むしろ、インフレ目標政策など危険だと、回避を「後押し」するような姿勢をみせていたのである。このような態度は、村中氏が指摘する現在の厚生労働省の「存在しない薬害に実体を与え続ける姿勢」と極めて類似している。 仮に、この対比が正しいのであるならば、問題が深刻なように思える。われわれが主張する経済政策も海外の中央銀行が軒並み採用しても、時の日本銀行首脳はインフレ目標の採用を最後まで拒否した。最終的には、安倍晋三政権になってインフレ目標が採用されて現在の経済「回復」が実現されている。しかし安倍首相と数人ほどしかこのインフレ目標政策を支持する政治家が未だにいないのだ。2010年5月、子宮頸がんワクチンの集団接種を受ける小6女児=栃木県内の小学校(代表撮影) 政治家と厚労省の子宮頸がんワクチンについての不作為=「リスク回避」の壁も予想以上に高い可能性がある。ただし、メディアの意見は潮目をみて変化することがあるし、すべてのメディアが「敵」でもないだろう。ただし「官僚的なるもの」は体質を全く異にしており、政策責任を極力避ける仕組みなのだ。この壁を破るにはどうしたらいいだろうか。 われわれはそのために政治家たちに積極的に接近した。それは長くとても長く、多くは無意味に思える行動の積み重ねだった。政策に反対する人たちは同意できないだろうが、安倍首相がインフレ目標政策を中核とするデフレ脱却政策を採用したことは実に運がよかった。だがその背景には、根気強い政治への運動があったのである。 子宮頸がんワクチンの積極勧奨や接種率の向上も、やはり政治が動かないとどうしようもない。もちろんマスコミが積極的な勧奨キャンペーンに転じれば、状況はかなり変わるかもしれない。ただし、日本のマスコミも「リスク回避」=間違いを正さない風土が強い。こうした事象にマスコミが結果的に加担したのであれば、それを大胆に転換することは、日本のマスコミの官僚的風土では極めて困難である。 もっとも、これはかなり悲観的な見方かもしれない。村中氏の『10万個の子宮』を多くの人が読み、本書がたくさんの読者を獲得することで国民の声が高くなれば、政治も官僚もメディアも動かざるをえないかもしれない。その意味でも、ぜひ多くの人に読んでほしい書籍である。

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    日本人は安楽死に耐えられるか

    人気脚本家、橋田壽賀子氏の近著『安楽死で死なせて下さい』が波紋を呼んでいる。「人に迷惑をかける前に死に方くらい自分で選びたい」。現在92歳の彼女が人生の最後に望むのは「究極の選択」である。海外では既に安楽死を認めた国や自治体もある。とはいえ、日本人に安楽死を受け入れる覚悟が本当にあるのだろうか。

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    「安楽死」と「自殺」はなにが違うというのか

    ている間に医者が「他人の身体」にこれらの行為をすることは許されないだろうか。そんなことになれば、救急医療は成立しないだろう。(画像:istock) やはり自殺幇助罪は奇妙な法律なのである。そして、この法律が安楽死を否定している。現在、医師であろうと親族や友人であろうと、安楽死に協力すると自殺幇助に問われる。それで安楽死は実現しない。だが、安楽死を望む人の99%は、自分では安楽死ができない。安楽に死ぬ体力・気力、方法を持っていないからだ。当然、協力者が必要になる。しかし、刑務所に入ってまでも安楽死の協力者になろうという人はいない。 日本は高齢化社会になり、安楽死を求める声はふえている。しかし、観念的・抽象的生命尊重論が横行する中で、安楽死を主張しにくい。障害者問題もからんでくるだろう。福祉充実論も隣接している。 それでも現実に安楽死合法化は、もちろん偽装殺人などを防ぐ手立てを考えた上で、真剣に待ち望まれている。少なくとも私にとって、重要な問題なのである。

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    これを知れば日本で「安楽死」を望む人はいなくなる

    幇助・他殺という「殺」行為をさせることです。医師も人です。これは迷惑の極みです。安楽死と似ている緩和医療の「副作用」 先ほど、日本では安楽死は認められていないと書きました。実は日本の緩和医療に、安楽死と似ている「持続的深い鎮静」があります。2016年1月、私がコメンテーターとして出演させていただいたNHK『クローズアップ現代』で、持続的深い鎮静が「終末期鎮静」として取り上げられましたが、ここでもう一度考えたいと思います。 「持続的深い鎮静」とは、死期が近づいた患者に対し、耐え難い痛みがあるときにだけする医療行為です。持続的深い鎮静を行うと、患者本人は死ぬまで昏睡(こんすい)状態に陥るので二度と目覚めることがなく、開始したときが今生の別れになります。まず「心の死」を迎え、その後「肉体の死」も迎え、完全に死にます。つまり、二度死ぬのです。 持続的深い鎮静を行う場合は、本人だけでなく、家族の同意も必要です。緩和医療として行う場合は、「耐え難い痛みや苦しみから解放してあげたい」という思いで同意する家族が多いのですが、実際に持続的深い鎮静をかけてしまうと、今までの栄養点滴を減量・中止し、肉体の死を迎えるので、「自分たちが殺してしまった」と後悔し、苦しみ、精神障害を起こした遺族もいるなど、尋常な看取りとは言えません。また、持続的深い鎮静をかけても、その時点では完全に死ぬことができず、肉体の死を待つだけの姿を見ていることは、家族にとって複雑な気持ちだと思います。(iStock) この持続的深い鎮静は、病院や緩和ケア病棟、在宅医療を行う一部の診療所においては、かなりの頻度で実施されているところもあると聞きます。しかしながら、安易に鎮静をかけ過ぎると、関わった看護師などの心が折れ、燃え尽き症候群になるなど、精神的に疲弊してしまうこともあるようです。 このように、「安楽死」も「持続的深い鎮静」も、多くの人に迷惑をかけながら死んでいくことに違いありません。持続的深い鎮静を行うことは、本人が穏やかに生き、安らかに旅立つことができないだけでなく、残された人も離別の悲しみに加え、「殺」の気持ちが加わり、清らかな気持ちになれないと思います。だからこそ私は、持続的深い鎮静を最後の手段であるとは認識ながらも、「抜かずの宝刀」と呼び、抜かないことに意義があると考えています。 「持続的深い鎮静を行わなくてはいけないくらい、耐え難い苦痛があったらどうすればいいのか」という質問があった場合、私はこう答えます。「ほとんどの痛みは取ることができます。もし、持続的深い鎮静を行わなくてはならないほどの耐え難い苦痛を患者に与えているとすれば、その時点で、提供されている緩和ケアが不十分なのでしょう」と。 在宅でも緩和ケア病棟でも、医師や看護師・チームのスキルがあれば、おおむね痛みのコントロールは可能です。持続的深い鎮静を行わなくても、最期まで穏やかに過ごすことができるはずです。人は痛みを感じたり我慢したりしていると、身体の痛みだけでなくこころの痛みも増幅します。だからこそ、素早く痛みを取ることが必要不可欠なのです。痛みを取る5つの方法 痛みを取る方法や課題は次の通りです。①必要な薬は使う…痛みの軽減に最も有効である医療用麻薬のモルヒネを使いこなすスキルを身に付けることが大切です。モルヒネは以外にも痛みを取る鎮痛薬はありますが、副作用の点から使用量には限度があり、増量しにくいという欠点があります。ところがモルヒネは5ミリグラムぐらいから使用を開始し、痛みが強いときには安心して痛みの程度に合わせて3~3000ミリグラムくらいまで使用することができます。薬価の問題や医療用であるとはいえ麻薬を大量使用することへの不安から、800ミリグラム以上のモルヒネを使用しない医師もいますが、痛みが取れるまで増量しないと痛みは取れませんし、モルヒネは痛みの治療をしている限り安全ですので、積極的に使用してほしいと思います。しかし、低用量に比べ高用量のモルヒネの薬価が高すぎるのも課題です(表1参照)。 副腎皮質ホルモンのソル・メドロールも副作用が少なく有効なので、使用してほしいと思います。【注】内服薬30㎎は注射薬12㎎と概ね同効果。モルヒネは内服換算で3~3000㎎使用する②点滴は減量する…点滴を減量することも苦痛の軽減に有効であり、患者を笑顔にするコツです。これまで、入院から在宅医療へ切り替えてきた患者をたくさん診てきましたが、病院では必要以上の点滴を投与されているケースがとても多いと感じます。しかし必要以上の点滴投与は、苦痛を与えるだけでなく、寿命を縮めることもあります。だからこそ、持続的深い鎮静を行ってから点滴を減量したり中止するのではなく、持続的深い鎮静を行う前に減量してほしいと思います。③夜、ぐっすり眠ること…眠れないことも不安や痛みを増幅させる要因のひとつです。夜、全く眠れない時は「夜間セデーション」と呼ばれる鎮静を行うことも大切です。夜間セデーションは持続的深い鎮静とは異なり、夜の間だけぐっすり眠らせる鎮静ですので、朝には人間らしい目覚めができますので、医療者の方にはぜひそのスキルを身に付けてほしいと思います。④ACPの勧め…アドバンスド・ケア・プランニング(ACP)とは、もしもの時に備え、前もって患者の意思を確認するためにケアを提供する者が家族と一緒に患者と話し合うことです。どのような旅立ちを望んでいるのかなどの人生観も含め、どんな治療を行っていくのが最善かを話し合うことによって、最期は患者本人が願う旅立ちを実現することができます。不思議なもので、①②③の説明をすると「最期は入院する」と言っていた人でも、臨終の間際には「このまま家にいたい」と気持ちの変わる方がとても多いことを実感しています。「死ねる喜び」は幸せの極み⑤THPケアシステムは日本を救う…「安楽に生きたい、安楽に死にたい」と願う人々のために、在宅ホスピスの心を理解し、「希望死・満足死・納得死」を届け、実践できるチーム作りを進めていくことが急務だと思っています。チームのスキルを上げるために、多職種連携・協働・協調することはもちろん、その司令塔としての役割を果たす「トータルヘルスプランナー(THP)」が必要です。安楽死の必要のない日本にするためには、THPを増やすことが必要だと考えています。なお、THPは現在名古屋大医学部保健学科や日本在宅ホスピス協会が育成しています。 私の著書『なんとめでたいご臨終』(小学館)は、誰もが願う旅立ちをかなえるための実践本です。私自身も安楽に生きて安楽に死にたいと願っています。だからといって、安楽死や持続的深い鎮静を望むことはありません。なぜなら私は「在宅ホスピス緩和ケア」を知っているからです。私の考える在宅ホスピス緩和ケアの「在宅」とは、暮らしている「処」。「ホスピス」とは、いのちを見つめ、生き方や死に方、看取りのあり方を考えること。「緩和」とは、痛みや苦しみを和らげること。「ケア」とは、人と人とが関わり、暖かいものが生まれ、生きる希望が湧(わ)き、生き力がみなぎることです。だからこそ在宅ホスピス緩和ケアを受けることでQOL(Quality Of Life)が高まり、ADL(Activities Of Daily Living)の向上や延命効果も期待できるのだと思います。 在宅ホスピス緩和ケアは、誰でも受ける権利があります。だからこそ、自分自身が望む処で、「人に迷惑をかけることなく、耐え難い苦痛から解放され、朗らかに生きて、清らかに旅立てる、安楽に生きて安楽に死ねるという在宅ホスピス緩和ケアがある」と知っていれば、安楽死を望む人はいなくなると思います。(iStock) これまでお伝えしたように、安楽死や持続的深い鎮静を選択しても、安楽には死ねません。「安楽に死にたい」と願う人々が「なんとめでたいご臨終」を迎えることができれば、1991年の東海大学医学部付属病院での安楽死事件などは起こらなかったのではないでしょうか。 人は一度しか死ねません。どうせ死ぬなら笑って死にたい、遺(のこ)された人の役に立ちたい。そんな「死ねる喜び」を感じられたなら、幸せの極みだと思います。  多くの国民のそんな願いをかなえるためには、国家戦略として在宅ホスピス緩和ケアを推進していくこと、在宅ホスピス緩和ケアを国民に啓蒙(けいもう)していくことが近道だと考えます。それができれば、QOD(Quality Of Death)はさらに高まり、朗らかに生き、笑顔で旅立てる、つまり「なんとめでたいご臨終」を享受できる日本になると思います。と同時に、安楽死という言葉が不要になる日本になってほしいと願っています。

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    「安楽死で逝かせて」橋田壽賀子の主張はここがおかしい

    に関わると、9割以上の確率で自宅で看取っている。 延命治療を行わず枯れていくことを容認し、上手に緩和医療を行えば、死ぬときは一般の人が想像するように苦しみはない。旅立つその日まで食べたり話したりできる。看取るのは末期がんだけではなく、半数はがん以外である。認知症や老衰、神経難病や慢性心不全や慢性腎不全など病気の種類を問わず、自宅での穏やかな最期が可能である。在宅医療というと家族介護のイメージが強いかもしれないが、独居の末期がんや認知症終末期であっても、本人が在宅での最期を希望すれば普通に看取っている。 その詳細は、昨年末に上梓した『痛くない死に方』に詳しく述べた。また、全国の在宅看取りの現状に関しては私が監修した週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん』に詳細なデータが公開されている。「独居の看取り」に関しても、勇美記念財団の支援を得て私がリーダーとなり実態調査やそれが可能となる町づくりのための提言を行っているところだ。たとえ独居の認知症であっても、24時間定期巡回型の訪問介護・看護があれば最後まで自宅で楽しく暮らすことに、なんの問題もない。しかし、多くの市民や病院のスタッフはこうした実態を知らないし、なかなか信じてもらえない。橋田さんが恐れる「認知症」の正体 「平穏死」という言葉は石飛幸三医師の造語であるが、自然死ないし尊厳死と同義である。穏やかな最期を迎えるためにはいくつかの知識が要る。それは『「平穏死」10の条件』のなかで詳しく述べた。そして「平穏死」は在宅だけでなく、介護施設や療養病床でも可能になりつつある。 話を戻そう。ディグニタスを見学した率直な感想は「欧米人はなぜこんなことをするのか。在宅医療も在宅緩和ケアも平穏死という概念もないんだ。日本は自宅で平穏死できるのに」であった。しかし橋田さんはわざわざそこに行って死にたい、と主張されている。私は「橋田さん、ちょっと待って。それは誤解。そんなことしなくても大丈夫!」と声をかけたい。たとえ天涯孤独な認知症でも最期まで人間の尊厳を保ったまま旅立てる国が日本である。いや、皮肉なことに家族がいないからこそ「必ず」それがかなうのである。もちろん介護保険制度の恩恵は必須条件である。 13年前に造られた「認知症」という言葉は罪深い、と思う。それまでは「ボケ」であったものが「病気」に格上げされた途端に「抗認知症薬」の対象にもなった。あるいは有吉佐和子氏の『恍惚(こうこつ)の人』のイメージが強烈に焼き付いている。橋田さんに限らず、誰もがそれを極度に恐れる。自分が自分でなくなる前にこの世から消えてしまいたいという発想は、欧米人的な発想である。しかし、日本人はそもそも自分がなく、自己決定できない人が多い。実は、終末期医療における意思決定は家族が代理していることが大半で、「自分で決める」という人はわずか1~2%にすぎない。脚本家の橋田壽賀子さん=2017年9月(宮崎瑞穂撮影) 私が在宅で最期まで診ている認知症の人は、最期の日までなにかしら口から食べている。たとえ認知機能の指標であるミニメンタルテスト(MMSE、満点は30点)がゼロ点になっても、会話が可能なら意思表示もそれなりに可能である。たとえ口頭であっても自分の希望を表明できる。以上は『ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!』(丸尾多重子氏との共著)や家族よ、ボケと闘うな!』(近藤誠氏との共著)のなかで繰り返し述べてきた。 末期がんの平均在宅期間が1カ月半であることに比べて、認知症のそれは年単位に及ぶので臨床経過はかなり異なる。しかし適切なケアがあれば、最期まで食べられるしトイレでの排泄(はいせつ)もできる。要介護5になっても外国旅行も十分可能である。丸尾氏が主宰するNPO法人「つどい場さくらちゃん」は毎年、要介護5の認知症の人たちと沖縄や台湾を旅行している。私は「旅行療法」と呼んでいるが、外出することはとても大切だ。徐々に食べる量が減ってきても胃ろうは不要である。手づかみで食べれば、最期の最期まで自力で食べられることを「かいご楽会(がっかい)」などで丸尾氏とともに広く発信してきた。認知症とはピンピンコロリ(PPK)とはいかなくても、準PPKの病気である。しかし、認知症の自然経過を診る機会は少ない。 橋田さんは認知症に対する不安や恐怖がとても大きいのだろう。人に迷惑をかけたくない、というから潔く優しい人だ。いずれにせよ「自分で自分が分からなくなる」「人に迷惑をかけるのでは」という恐怖は誰の頭の中にもある。しかし、多くの認知症の人を外来や在宅医療の現場で診ている町医者から見れば、大きな偏見であると言いたい。リビングウイルを法的担保していない日本 何にせよ、認知症や老いの不安に駆られている橋田さんには「日本は最期まで住み慣れた自宅で自分らしく暮らせる国です。心配要りませんよ」とお伝えしたい。保険診療では診療所から16キロ以内しか在宅医療を提供できない。しかし、自費診療ならば可能なので、もしかなうならば主治医になってもいい。 以上の話は尊厳死である。尊厳死とは、終末期以降に延命治療を控えて十分な緩和医療を受けて迎える最期である。安楽死は、まだ余命が半年もあるのに医師が薬物を用いて患者を死なせる行為であり、尊厳死とは全く異なる。いずれも本人の書面による意思表示、すなわちリビングウイル(LW)の存在が前提となる。日本尊厳死協会でLWを表明している人は日本人のわずか0・1%に過ぎないが、最近は介護施設や自治体が類似のLWを啓発しているので、保有率は1~2%と推定されている。それでも諸外国に比べるとひとケタ以上低い。日本人は自己決定せず、意思決定が苦手な民族である。しかし加速度的に医療技術が進歩する中、もはやそんな悠長なことは言っておられない。 最近、政府は人生の最終段階の医療の意思決定をアドバンス・ケア・プラニング(ACP)という手法で乗り切ることを固めた。ACPとは、いざという事態に至る前、まだそこそこ元気であるときから本人の意思を引き出して、それを尊重しながら家族、そして医療・介護職が集まり何度も話し合った経緯を書面に記録しておくことである。ACPの核となるのはもちろん本人の意思、すなわちLWである。 だが、LWが法的に担保されている先進国のなかで、担保されていないのはもはや日本くらいになった。欧米では当たり前となっている基本的人権である。国連教育科学文化機関(ユネスコ)がうたう医療における生命倫理の根幹は、本人意思の尊重である。しかし、残念ながら日本だけがそれがかなわない国のままだ。そうなると、本人の意思よりも家族の意思を優先しなければ、遺族から訴えられる可能性が出てくる。年金が多い人にはそれをあてにする子供がいるので、できるだけLWを書いておくことを勧めている。 いずれにせよ、日本はLWが法的担保されていない国だから、どうしても過剰医療、延命医療に偏らざるを得なくなる。アジアにおいては、台湾では2000年にLWの法的担保がなされ、2回の改正を経て17年が経過した。韓国でも16年に可決され、今年11月から施行されている。LWの相談所にははや長蛇の列ができているという。 一方、国会における尊厳死議論にも触れておきたい。「終末期における本人意思の尊重を考える議員連盟」には超党派の約200人の国会議員が加入している。しかしこの数年間、議論自体がほぼ停止している。一昔前、マスコミに「尊厳死法案」という文字が躍ったが、誤りである。正しくは「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」、つまり「LWの法的担保の法案」という表現が正しい。尊厳死法案について話し合う超党派の国会議員連盟の会合=2012年7月、東京・永田町 争点となったのは「2人以上の医師が終末期であると判断すれば延命処置を中止できるのか」という点であった。ここで忘れてはならないのは、あくまで本人がLWを書き、家族の同意があるという大前提である。しかし法曹界や宗教界から法的担保への反対の声が大きい。特に障害者団体の反発が激しいため議論自体が封殺されたままで、国会への法案上程の目途はまったくたっていない。尊厳死と安楽死を取り間違えるマスコミ マスコミではよく尊厳死と安楽死を取り間違えて報道している。2年前の11月1日に脳腫瘍で余命半年と宣告された29歳のブリタニー・メイナードさんが、予告通り米オレゴン州の自宅で亡くなった。これは自殺ないし医師による自殺幇助(ほうじょ)ないし安楽死である。しかし、多くのマスコミはこれを「尊厳死」と誤報した。しかしその後修正も検証もない。 また「尊厳死させられる」とか「安楽死させられる」という表現を見かけるが、尊厳死にせよ安楽死にせよ「受動態」では決してなくあくまで「能動態」である。障害者施設の入所者殺傷事件において「安楽死させた」という表現は誤りである。あのような忌まわしい事件は単なる殺人事件であり、安楽死とはなんの関係もないことは明記しておきたい。 以上をまとめると、橋田さんがいくら安楽死を望んでも、ディグニタス側は彼女を受け入れないのではないだろうか。なぜなら、日本はLWさえも法的担保されていない(できない)国であることを彼らはよく知っているからだ。彼らは国内法に基づいて粛々と本人の意思を尊重しているだけであり、裁判沙汰や国際的事件になることを嫌う。そもそも日本は、LW前提の安楽死どころか尊厳死すら議論が封殺されているような国だ。そんなややこしい国からやってきた人をスイス人が殺したらどんなことになるのか…病気になり判断能力が失われた場合の処置を、事前に記したリビングウイル さらに、内閣府がLWの啓発自体を明確に否定している現状も明記しておきたい。その理由は「患者がLWを表明すると医師の訴訟リスクが高まる」である。私は逆だと思う。在宅看取りのほとんどが尊厳死であるが、患者さんがLWを表明していると私たち医療スタッフは本当に助かる。多くの尊厳死を診ている在宅医仲間も同意見である。あまりにも時代に真っ向から逆行する政府の見識である。しかも、2017年秋から「LW裁判」という行政訴訟が東京地裁で始まっているような国である。もし機会があればその行方についても論じたい。 いずれにせよLWを書き、それを受け入れてくれる近くの医師や看護師を探しておけば、そんな異国の地にわざわざ行かなくても、橋田さんは住み慣れた自宅で最期まで暮らしピンピンコロリに近い形で穏やかに暮らすことができる。日本に法律はないけども、LWを包みこむACPという「和」の文化や「阿吽(あうん)の呼吸」がある国である。 橋田さんの安楽死願望を水泳に例えてみよう。日本はまだ10メートルも泳げない「世界一のカナヅチ」の国だ。しかし、橋田さんがいきなり「私は10キロ泳ぎたい」と主張しても現実的ではない。もしかなうならば、橋田さんにまずはLWやそれに基づく尊厳死の啓発に協力していただきたい。小泉純一郎元首相や脚本家の倉本聰さんには日本尊厳死協会の顧問としてLWの普及啓発に努めていただいている。 日本人にはなじまない安楽死に世論を導くのではなく、日本が「在宅での尊厳死(平穏死)」が可能である国であることを広く橋田ファン、そして世界に発信していただきたい。しかし、これまであまりにもタブー視されてきた「死」に関する議論に大きな風穴を開けていただいたことには深く感謝を申し上げたいのである。

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    「人生100歳時代」ただ長生きするより安楽死の方が幸せである

    佐野秀光(「支持政党なし」代表、「安楽死党」代表) 日本では現在、安楽死制度が法律で明示的に容認されていません。ですが、私は全国民に安心感を与えるためにも安楽死制度が必要だと思います。 私は政治団体「支持政党なし」の代表として国政選挙を経験しているかたわら、政治団体「安楽死党」の代表も務めています。過去に2012年12月の衆院選では安楽死党として、2010年7月の参院選と2009年8月の衆院選では「新党本質」という政治団体名で「日本でも安楽死制度を」と訴えて立候補しており、日本で安楽死制度の必要性を主張して国政選挙を戦ったことがある唯一の政治団体の代表です。 そもそも人間は生まれてきた時から、人それぞれ多様な考え方があり長生きしたいと思う人もいる一方で、逆に死にたいと思う人がいるのも自然です。一時期、自殺者も年間3万人以上にのぼり、現在は2万1000人近くに減少はしていますが、死にたいと思う人がたくさんいるのは事実です。 長く生きたいと思う人の気持ちを尊重するのは当然ですが、死にたいと思っている人の気持ちを尊重するのも本来の「人間の尊厳」を重視することとして大切ではないでしょうか。むしろ死にたいと思っている人に安楽死を認めない方が「人間の尊厳」を損なうのではないでしょうか。※iStock 現在でも海外では安楽死制度を認めている国もありますが、病気などによる終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないなどという医学的な病症や疾患を伴うことが条件になっています。安楽死先進国のオランダでは健康上の問題がなくても「生きるのに疲れた」などと訴える高齢者にも安楽死の適用を広げるという政府の提案が波紋を呼んでいるようですが、私は賛成です。 自分が将来、病気になって治る見込みもなく痛くて苦しい時に、楽に死を選べるというのは安楽死制度の基本として大事ですが、人間の悩み苦しみというのは肉体的なことだけに限らず多岐に渡ります。だからこそ健康上の問題がある時に限らず健康上の問題がなくても安楽死を認めることは「人間の尊厳」を重視する上で大変重要だと考えています。 私の提唱する安楽死制度というのは、人生の終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないという医学的な病症や疾患を伴う場合はもちろんのこと、65歳以上の高齢者にも安楽死を認めたいという思いがあります。さらには健康上の問題がなく、65歳以上の高齢者でなくても安楽死を希望する場合には臓器提供を条件として安楽死を認めるべきです。一億総活躍に必要な「安楽死」 現在日本で自殺者が2万人程度いる中で、どうしても生きていきたいと思い、体の疾患を臓器移植でしか治癒できない患者で臓器提供を待っている人も1万5000人ほどいます。臓器提供を条件に安楽死を認めることはまさに生きたいと思う人の思いも尊重でき、かつ死にたいと思う人の意思も尊重できることになります。 死にたいと思う人に思いとどまって頑張れと言葉をかけるのは簡単ですが、ただ頑張れと言うだけでは何の励ましにもなりません。死にたいと考えている人がもう少し頑張ってみようと思うためには、どんな励ましの言葉よりも最後には安楽死という選択肢もあるということこそが、もう少し頑張ってみようという気持ちに繋がるのではないでしょうか。 政府は一億総活躍社会の実現などと提言していますが、一億総活躍するためにはまさに安楽死制度が必要です。安楽死という人生の選択肢があってこそ、やりたいことがやれ、自分の最後も自分で決められるという、これこそが安心感をもって充実した一生を送れる基礎になるのではないでしょうか。一億総活躍国民会議であいさつする安倍晋三首相(左から2人目)=2016年2月、首相官邸(酒巻俊介撮影) 政府は一見、聞こえのよい政策などを掲げ、国民の支持を得ようとしますが、どんな政策も実現することによって得をする人もいる一方で、必ず誰かが損をすることになります。国民全員が納得をする政策というものはそもそもないのです。どんな法案も可決されれば得をする人と損をする人が出るのは当然です。 ただ、安楽死を認める法案は違います。仮に日本で安楽死制度の法案が可決したらどうでしょうか。安楽死制度を認める法案は全国民に一律に安楽死を強要するものではなく国民は一つの自分の将来の選択肢が増えることになります。 いつか病気になって痛くて苦しくなった時はもちろん、病気でなくても死にたいと思った時には安楽死という制度も使えるという人生の選択肢が増えれば、安心感に繋がります。世の中誰しも自分がいくつまで生きられるのかはわかりませんし、どのような病気になってどのような最後を迎えるのかということもわかりません。 だからこそ人生の一つの選択肢として安楽死制度があるということは全国民に必要なのです。さらに安楽死を認める法案には多くの予算を必要としないため、予算をかけずに実現できるというメリットもあります。 多くの国民は自分の老後を考え一般的には貯金をしますが、貯金を残して突然死んだらどうでしょうか。子供や子孫に財を残したいという人もいるでしょう。また、人生で稼いだお金は全て使い切りたいと考える人もいるでしょうし、ある一定の財産は家族に残し後は自分の好きなことで使い切りたいと思っている人もいるのではないでしょうか。「安楽死」は人生の選択肢 しかし、安楽死制度がない中では自分の人生の最後の予定を立ててお金を使い切ることなどできません。多くの国民は先の見えぬ将来の不安のために身を削って節約し、将来に備えて貯金をしているのが現状です。でも、仮に安楽死制度があればお金を自分の人生計画に併せて使い切るという選択肢も可能です。自分の人生の区切りの最後を決められることこそが思い切って自分のやりたいことがやれる人生になるのではないでしょうか。 この価値観の多様化する世の中で国民が抱える将来の不安をいかに軽減させられるのかを真剣に考えるのは、政府として取り組むべき最も重要なことではないでしょうか。だからこそ日本でも安楽死制度を確立して人生の一つの選択肢を広げるべきです。 くり返しますが、安楽死制度は全国民に強要するわけではなく、使いたい人だけ使えばよい制度です。消費税の増税の様に全国民に一律に課される政策ではありません。使いたくない人は無視して使わなければよいのです。 一般的には子供のころから人生は頑張ることが美徳とされてきました。何がなんでもどんなに人生が苦しくても頑張らなければならない。健康状態が悪くても頑張って最後の最後まで生き続けなければいけない。その様なプレッシャーこそが人々が悩み不安に陥る大きな要因になってきたのではないでしょうか。※iStock  現在安楽死制度はオランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、アメリカのいくつかの州、最近ではオーストラリアの一部の州でも法律で認められ始めており、世界で広がりつつありますが、未だ多いとは言えません。 ですが、人生100年と言われる中で、ますます国民は将来の不安との戦いの時代になります。もうこれ以上生きていたくないと思った時や苦しい病に侵された時にも自分の意思で自分の最後を決められるということは、ひいてはやりたいことをやって生きていけることになります。 ただ長生きするだけの人生でなく、自分で自分の人生計画を立てて充実した一生を送るためにも今後、安楽死制度を求める人は増えるはずです。それなのに日本の国会では、安楽死制度は一部で議論されているだけです。ぜひ、国民の安心感のために安楽死制度の確立に向けて真剣に国会で論議され、法律で明示的に容認されることを期待します。そして、できれば私自身がその一助になりたいとも思っています。

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    「終活」の前に考えたい 死の迎え方と送られ方

    わこ 科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師。元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)。

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    橋田壽賀子さん 「うまく死なせる医療」があってもいい

    れるわけじゃなし、ただベッドに横たわって死ぬのを待つだけ。そんなの、まっぴらごめんです。小笠原:在宅医療や在宅ホスピス緩和ケアでいちばん大事なのは、本人が苦しまないことです。それと、本人がどういう希望を持っているかきちんと聞いておき、最終的に本人も家族も満足する生き方なり死に方なりを選んでもらうことですね。だから橋田さんのように、家族や医師など周囲の人に、予め自分の意思を語ったり、書き残しておくことが必要です。橋田:ああ。小笠原先生が今おっしゃったことは、私がイメージしている希望の安楽死と似ています。前もって自分の意思を書面にし、周りに伝えておき、第三者がチェックして、本人の希望を叶える。 私がなんらかの苦痛をかかえて病院に行っても、そのお医者様は、私がどうやって生きてきて、守りたい尊厳や譲れないプライドはなんなのかは診ない。でも、いいホームドクターがいれば、私がどんな価値観を持っていて、どんなことを望むかを予めご存じです。「この人にそんな治療をしても幸せじゃない」というところまでケアしてくださると思うんですね。この高齢化社会、生かす医療だけでなく、「うまく死なせる医療」もあってもいいと思いますけどね。小笠原:われわれからすると、病院は「強制的に生かす医療」が過剰になりすぎる傾向がありますね。病院で息も絶え絶えになっていた患者さんがいました。家族が退院させたいというので家に戻ってもらい、点滴の量や酸素の量を減らすと、その患者さん、元気になったんですよ。橋田:ああ、そういうこともあるんですね。小笠原:ぼくは、病院で心臓が止まったり、心肺停止した7人の患者さんを治療して、その後、元気になった患者さんから臨死体験を聞いたことがあります。でも、今の話を聞いたので、ぼくの目の前で橋田さんが心肺停止になっても──。橋田:助けない(笑い)。小笠原:そっと看取ります。そして死亡診断書を書きます(笑い)。関連記事■ 橋田壽賀子氏×小笠原文雄医師「安楽死」と「安楽な死」の違い■ 『渡鬼』の植草克秀は「まだヤブ医者かも」と看取りの名医■ 築地本願寺が終活遺言作成等を支援 各地の寺が戦々恐々■ 延命治療の中止を巡って最高裁まで争った女性医師の告白■ 小笠原文雄・上野千鶴子対談 「持続的深い鎮静」は抜かずの宝刀

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    延命治療の中止を巡って最高裁まで争った女性医師の告白

    うべきか。初公判を終え、横浜地裁を出る須田セツ子氏=2003年3月27日 あの事件から19年。日本の医療界において、安楽死の殺人罪で起訴され、最高裁まで闘った医師は、彼女一人だった。 ヨーロッパから一時帰国していた私は、都内のホテルで須田の著書を一気に読んだ。『この本を手にとってくださったあなたにお聞きしたいのです。私がしたことは殺人ですか?』(青志社)。調査を重ね、その質問の最終的な答えを、私なりに見つけたいと思った。 日本では、患者本人の意思の有無にかかわらず終末期の患者を積極的に死に導いた場合、民事訴訟だけでなく、刑事訴訟に発展し、医業停止命令や免許取り消しといった行政処分を受ける(*注)。【*注/苦痛に苛まれる患者に対して、投薬などによって意識レベルを下げ、死に導く「緩和医療」は、認められている。また、延命治療などを施さず、自然な死を迎えさせることは「尊厳死」と呼ばれ、これも一部認められている】 背景には、日本独特の慣習や法律が根差している。当時、川崎協同病院・呼吸器内科部長を務めていた「殺人者・須田セツ子」本人の口から、それらが実際の医療現場の常識とどう、かい離しているかを探りたかった。 1998年11月16日、事件は、神奈川県川崎市にある川崎協同病院の南病棟2階228号室で起きた。気管支ぜんそくを罹患していた58歳の男性患者、土井孝雄さん(仮名)が、鎮静剤の後、筋弛緩剤「ミオブロック」を投与され、息を引き取った。その時、主治医だった須田が、「4年後」の2002年12月、殺人罪で起訴された。 型枠大工の工務店を営んでいた土井さんは、1984年から川崎公害病患者に認定されていた。その4年前から同病院に勤めていた須田は、外来主治医として、この患者をよく知っていた。普段は無口だった彼が、須田に会うと、時々、言う口癖があった。「自分はずっとこの仕事をやってきた。この仕事が大事なんです」 14年間、通院を続けた土井さんは、ある月曜午前の仕事中にぜんそくが悪化。午後には、重積発作(深刻なぜんそく発作)を起こし、心肺停止状態となって病院に運び込まれた。 心肺蘇生が行われたが、低酸素血症で大脳と脳幹に障害が残り、昏睡状態に陥った。以後、痰を吸引するための気管内チューブを装着された土井さんは、所謂、植物状態だった。4年後に事件化 事件当日午後、土井さんの容態が急変。駆けつけた家族11人が見守る中、須田は、すでに相談を受けていた延命措置の中止尊厳死のため、気管内チューブを抜いた。しかし、患者が上体をのけぞらせてもがくという想定外の反応を見せたため、鎮静剤「ドルミカム」3アンプルを静脈注射した。 その後も苦悶が収まらず、同僚医師の助言により筋弛緩剤「ミオブロック」投与を決定。須田本人が1アンプルを生理食塩水点滴バッグに溶かし、徐々に「尊厳死」へと向かわせた。これについて、須田は、「鎮静剤使用の延長線上の処置」とみなし、冒頭の「安楽死という認識ではない」ことを主張する。◆4年後に事件化 大倉山診療所は、大倉山駅から徒歩約10分の住宅地の中に挟まれていた。自転車で子供を乗せてくる母親や、マスクを付けた学生服姿の高校生、そして老人たちが次々と診療所を出入りしていた。「あ、こちらへどうぞ」 受付の係員に話しかけた後、須田が私を呼んだ。白衣を着た華奢な女性は、そのままそそくさと診察室に消え、私はその後を追った。「なんかバタバタしていて、ごめんなさいね。メールも返さずになんだか……」 この患者の数を見るだけで、彼女が多忙なのは判断できる。さっそく問いかけた。川崎協同病院事件で殺人罪に問われた医師、須田セツ子氏 =2009年12月、横浜市港北区  川崎協同病院事件のお話なんですが。 須田は、最後まで聞かず、返答は早口で長かった。質問は遮るが、言いたいことは、とことん言う。それが須田セツ子だ。彼女は、「安楽死の認識はない」と断言した上で、治療中止の曖昧さについて語り始めた。「心肺停止で運ばれてきた患者を心臓マッサージや吸引をさせたりして蘇生を試みるけれど、それだって10分やる人と1時間やる人がいます。どこまで続けるか、手を離した瞬間が死亡時刻になってしまう」 須田の話を聞いている最中、私は、スイスのプライシック女医の顔が、突然、浮かんできた。世代も近く、女性である部分が重なったのだろう。一方で、奇妙な感覚に襲われた。スイスの女医は、末期患者やそうでない患者に対し、年間に80人以上の死を幇助し、私に安楽死の仕事を堂々と語る。それに対し、須田は、一人の末期患者を楽にしようと、筋弛緩剤を使用したことで「殺人者」となり、こちらに所々慎重な口ぶりで話す。 そもそも、筋弛緩剤とは、いつ、どんな時に使用されるのか。一般的には、手術の麻酔時に気管内挿管を行う際、筋肉を弛緩させるためにあるものだ。従って、日本の現状では、筋弛緩剤が延命治療中止目的で使われ、患者が死亡した場合、「異例事態」と見なされてしまう。本誌・SAPIO6月号でも紹介した京都市立京北病院事件でも、「レラキシン」という筋弛緩剤が使われ、末期患者が死亡した。当時、病院長だった山中祥弘も、「いかに早く患者を穏やかな表情にしてあげられるか」を考え、患者に投与している。須田もさらりと言う。「宮下さんが見てこられたように、お薬を使ったり注射したりしてストンというような安楽死は、日本にはあり得ないでしょう」 確かに、私が見てきた安楽死の薬は、青酸カリ系などの劇薬で、それをコップに入れて飲むか、点滴の中に投与すれば、数十秒で死に至る。まさにコロリと逝くのだ。殺人医師と書き立てる週刊誌 須田は、土井さんに投与した薬が、直接の死因ではないと言いたいようだ。実際、安楽死を意図していたのであれば、鎮静剤さえ使用していなかっただろう。これについて、須田は、著書の中で、特徴的な持論を述べている。〈もうじき亡くなるとわかっていながら、(中略)最後の最後まで、やれることはすべてやるというのが医療者なのです。どうせ死ぬのだからそんなことする必要はないじゃないか、というようには考えないのです〉 私に質問の隙を与えず、須田は続けた。「薬を使ってストンと逝かせるのは殺人です。でも例えば鎮静剤を打って、薬が効いていったら息が止まった。それが思わぬ早さだった、といって殺人にはならないと思います」 筋弛緩剤でなければ、彼女は逮捕されることも起訴されることもなかったに違いない。苦痛を和らげ、延命治療中止の延長線上の処置を行い、土井さんは永眠した。家族は、須田に「お世話になりました」と会釈をし、納得のいく死亡診断書も受け、この件は終わったはずだった。だが、4年という年月を経て、この出来事は「事件化」した。それは、病院内部の事情に詳しい、ある医師が、マスコミにリークしたことが発端だった。◆「けっして笑顔を見せないように」 組織力に定評のある日本でも、情報漏洩や内部告発は多発する。そこには、「個」を表現し難い、日本特有の国民性が関係していることもあろう。「個人の生や死」を自己決定できないことも、善悪は別として、間接的にそうした国民性と繋がっていると思う。 リーク情報は、すぐさま大手各紙を賑わせ、週刊誌は「殺人医師」と書き立てた。2002年12月26日に横浜地検は殺人罪で起訴。翌年の3月27日から横浜地裁で公判が始まった。 最終的に「呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡させて殺害した」として、須田に懲役3年執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。 植物状態だった土井さんの命が残りわずかだったと予測される中、須田が気管内チューブを外し、想定外の反応を見せた患者に鎮静剤を打ち、最後に彼女自身が筋弛緩剤を投与したという事実を、詳細に説明する機会は訪れなかった。呼吸器内科のベテラン部長だった須田によると、土井さんを安らかに眠らせるため、家族とは事前に相談済みだったという。それは、気管内チューブ抜管の承諾だった。 だが、裁判官は、須田が家族に「九分九厘、植物状態だった」と言ったことに対し、「衝撃的で不正確な説明」、「配慮に欠ける対応をして家族らとの意思疎通を欠いた」と押し切った。だが、須田に反論の余地はない。当時の弁護士は、須田に口を酸っぱくして言った。「被告人なのだから神妙にしていてください。けっして笑顔を見せたりしないように」「あと少し早ければ」 実際は、どうだったか。患者が息を引き取る当日の午後、須田が土井さんの妻と交わしたという会話を、著書をもとに再現しよう。「この管をはずしてほしいんです」「えっ? これを抜いたら呼吸できなくて生きていけませんよ」「わかっています」「早ければ数分で最期になることもあるんです。奥様ひとりで決められることではないんですよ。みなさん了解してらっしゃるんですか?」「みんなで考えたことです」川崎市の川崎協同病院の筋弛緩(しかん)剤事件で 患者に投与された筋弛緩剤と同種のアンプル=2002年08月   だが、裁判における供述では、土井さんの妻は、この時間帯に病院には行っていないと言った。つまり、抜管は、「医師の独断」によるものだったという判断が下された。さらに、須田にとどめを刺したのが現場に居合わせた一人の看護師の証言だった。 その看護師は、筋弛緩剤を注射したのが自分であって、それを指示したのが主治医の須田だったと供述。ミオブロックを投与した量も、即死に至る3アンプルだと証言した。実際に投与した1アンプルの3倍だった。その状況について、須田は、ため息まじりの声を漏らして語った。「なんで看護師が注射するんですか? 事実とまるで異なる。だから私は、最高裁まで闘いました。そんなことをしたら、本当に殺人です。医療現場で筋弛緩剤を3本も使うなんて、誰も信じないと思っていたんですけど」 一審の横浜地裁では、妻の発言に加え、看護師の証言も採用された。しかし、2005年3月からの控訴審の東京高裁では、看護師の証言は変わらず採用されたが、家族側の証言を証拠不足で取り下げ、求刑も3年から1年6か月に減刑された。また、看護師の態度は一変し、涙ぐんで証言をする場面もあったと、須田は振り返る。「一審の時、彼女(看護師)が私と話をしたいって言ってくれたんです。私もなぜ、彼女がそう思い込んでいるのか分からないから、喜んでというところだったのに、(病院側の)弁護士に彼女が止められたんです。控訴審に出てきたときは、一審のときとは全然喋り方が違ったので、(自らの虚偽に)気がついていたんでしょうね」 2007年3月、須田は、控訴審判決に対する不服申し立てで、最高裁に上告した。事実審でなく法律審である最高裁では、「患者の自己決定権」や「医師の治療義務の限界」が主に審議された。それは須田を納得させる議論には至らず、2009年12月、「延命治療の中止を行ったことは法律上許されず、殺人罪に該当する」と最高裁は結論を下した。 最高裁は「延命治療の中止は、昏睡状態にあった患者の回復をあきらめた家族からの要請によるが、その要請は余命を伝えた上でなされたものでなく、患者の推定的意思に基づかない」と判断した。これに関しては、私も頷かざるをえない。だが、SAPIO6月号に紹介した山中祥弘医師とは違って、須田は安楽死ではなく延命治療中止との認識であり、彼女の独断で投与を決めていない点も差し引く必要があるように思えた。 もちろん、須田の話を全面的に信じれば、の話であって、真偽は分からない。皮肉にも、土井さんが他界した直後、ぜんそくの特効薬となる吸引ステロイドの新薬が導入された。これにより、ぜんそくの歴史が変わった。「あと少し早ければ、この事件も起きなかった」と、須田は苦笑いした。◆息子の告白 2週間後、私は、土井さんの子どもの一人が働く職場を訪ねた。入り口の扉を開けると、1人の小柄な男性が奥の廊下から、こちらに向かってくるのが見えた。土井秀夫(仮名)だった。私が、ここを訪ねた意図を説明すると、彼は、すかさず言った。「あ、親父の話? あれはもう思い出したくないんだよ」 だが、無理やり追い払う気配はなく、むしろ、目元には笑みが浮かんでいた。言いたいことがあるのだろうか。「絶対に書くな」と念を押す彼だったが、私は、これから伝える話が、須田や彼を巻き込んだ遺族両者を咎めるというよりも、本来は当事者のはずなのに第三者のように対応した病院側の行動を伝えるため、敢えて書くことにする。「看病して介護するつもりだった」 彼は、父の死後について、渋々と話し始めた。「俺は、あの時、仕事が忙しかったんだけど、急に病院に呼び出されてね。そりゃ、何が起きたのかまったく分かんなかったよ。何であんなことになったのかって。俺は、お袋やきょうだいからなんも聞かされていなかったから」 秀夫は、両腕を組み、威圧感を漂わせる口ぶりで、私にそう言った。父が死に到った過程を、息子は一切知らされていなかった。そうした父の死に関する疑念は、4年後、事件化されたことで家族への不信に変わり、家族関係に亀裂を走らせた。苛つく表情で、話を続ける。「向こう(疎遠の家族)は、須田先生とは何度も話し合いをしてきたみたいなんですよ。だからなんかあったんだろうなぁ。それで、俺が病院に駆けつけたら、急に管かなんかが外されて、注射を打たれて親父が死んじまってね。何が起こったのか、まったく分かんなかったんだ。そん時ね、俺、なんかおかしくねぇかって。俺は、親父の意識がなくても、ちゃんと看病して家で介護するつもりだったんだよ。それがあんなふうに死んじまった」 当時を鮮明に思い出したのか、口数が次第に増えていく。その怒りは事後の病院対応に向かっていった。「数年後、突然、うちに病院の関係者が4人来たんだよ。あの件について、どうか伏せていてくれとね。で、お金も持ってきたんだけど、俺は『金なんかいらねえんだよ、俺が欲しいのは親父の命なんだよ』ってね。ぶん殴ってやろうかと思いましたよ。それで、俺はこんなだから、口悪いし、短気だからさ、黙ってないんだよ。あいつらに俺は『あれって安楽死じゃねぇのか』って言ったんだよ。俺は起こったことをそのまま言うぞって言ったら、あいつら自身が病院で会見したんだよ」保釈されタクシーで神奈川県警を後にする 須田セツ子氏=2002年12月 おそらく前段にマスコミにリークがあり、病院側は慌てて、家族のもとへ足を運んだのだろう。病院側は、金銭の補償もちらつかせた。だが、秀夫さんには、その行動こそ、父の命を軽視していると映った。 2002年4月19日、院長らが、記者会見を行い、「安楽死の要件は満たしていない」と発表し、謝罪した。つまり、組織防衛のために須田一人を見殺しにした形だ。秀夫さんは、他の従業員が中に入ってくると、話を打ち切った。「今日はたまたま従業員がいないからこんなこと話せたけど、もしいたら、あんたのことを押し倒してでも追い払っていたからな」 一家の大黒柱だった父親を失った彼の思いは、十分に伝わってきた。だが、その話を聞いて改めて思う。この事件は、本当に殺人事件として、扱われるべきものだったのか。数々の疑問が残るばかりだが、須田の結論は、こうだった。「司法は、死を他人が導いてはいけない、と判断した。“自分で決める死”と“他人が決める死”には明確な線が引かれるべきだ、と。でも私は、必ずしもそうは思わない。自分のことを一番よく分かってくれている人を側に置いて死ねれば、それは最高だと思う。自分でない他人に(死を含める)すべてを委ねられるって、最高に幸せじゃないですか」「自分で決める死」、つまりは「個人の死」の捉え方は、人によってさまざまだ。欧米と違い、日本では、「個人」が「家族」という土台の上に存在している。須田のいう「他人」が家族を指す場合、個人とも連なっていることになる。これらを、司法で明確に分けることは困難だろう。 日本では、死の議論が未成熟な上、なおかつ「終末期の判断」を医師任せにしている。それが最終的に、患者や家族や医師の間で摩擦を引き起こす。延命治療を中止した医師は、訴訟になれば無罪は勝ち取れない。これこそ、日本の現状であると思う。 私なりの最終的な答えは出た──須田がしたことは殺人ではない。関連記事■ 延命治療中止で裁かれた医師はなぜ患者のチューブを抜いた?■ 患者多い総合病院 カネ払ったサクラ患者がいると看護師暴露■ 産科のマニュアル 絶対に「赤ちゃんは第一子ですか?」と訊く■ 管理が甘過ぎ病院 入院患者が近所スナックで点滴並べて飲酒■ モンスター患者「ゴルフに行くから朝7時から診療してくれ」

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    「ドクターX」では救えない地域医療クライシス

    未知子の「群れない生き方」に共感する人が多かったとはいえ、現実に目を向ければ、医師ゼロに直面した地域医療が崩壊の危機にある。ドクターXでは救えない僻地医療の「病巣」とは。

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    なぜ女性医師は都市部での勤務を好むのか

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 日本の医療が崩壊の瀬戸際にある。「戦犯」は厚労省の医系技官だ。医系技官とは、医師免許をもつキャリア官僚。一つの次官級ポスト、一つの局長ポストを持つ一大勢力だ。彼らは「医師偏在是正」を大義名分に、医療への国家統制を強化しようとしている。 読売新聞は12月4日の朝刊で、「医師が地方で不足する偏在対策をめぐる議論が、年内の取りまとめへ向けて大詰めを迎えている」と紹介した。この記事では、病院長になるには「地方勤務」が要件となることが取り上げられたが、これは序の口だ。 来年度の通常国会に提出予定の医療法改正は「暴挙としか言いようのない施策(厚労省関係者)」のオンパレードである。本稿を執筆している12月5日現在、読売新聞は有識者の意見を踏まえて、議論が進んでいると解説しているが、実は、この法案は既に内閣法制局に提出されている。国民はもちろん、現場の医師に何も説明することなく、事態は進んでいることになる。 私は、国家統制も一つの選択肢だと思う。ただ、全ての政策には長所と短所がある。民主主義国家では、政府は政策の長所と短所を国民に説明しなければならない。最終的に判断するのは国民だからだ。医系技官は民主主義を尊重する気はないようだ。その際、マスコミが重要な役割を果たす。ところが、今回の法改正について、マスコミはほとんど報じない。(iStock) 筆者の知る限り、もっとも詳細に報じたのは、11月18日に毎日新聞が「医師不足把握に新指標 地域偏在是正に活用へ」と報じた記事だ。この記事の中では、「この20年間で、麻酔科や放射線科、精神科の医師は6~8割程度増えたが、激務の外科医や産婦人科医は横ばいだ。厚労省は診療科ごとの各都道府県の需要を予測し、必要な専門医数の目安を示して勤務先を誘導する。来年度導入される新専門医制度でも、研修病院が都市部や大学病院に偏らないよう日本専門医機構が都道府県と調整することを、法律に明記する」と書かれている。 書き方は穏やかだが、中身は「国家統制」そのものだ。複雑化した社会で、こんなことが出来ると本気で信じているのだろうか。もし、そうなら20世紀の共産主義国家の失敗から何も学んでいないことになる。 医師不足・偏在の解決は、国家統制による強制配置だけではない。まずは、医師の供給を増やすと同時に、医師の需要を減らすことを考えるべきだ。前者は医学部定員の増員や外国人医師の勤務解禁、後者は医師の業務独占の緩和や人工知能や遠隔診療の導入などが挙げられる。 いずれも日本医師会の抵抗が予想される政策だ。厚労省は世論の後押しがなければ推進できない。いや、官僚ではなく、本来、政治の仕事だ。いまの安倍政権には、そのつもりはなさそうだ。 情けないのは、マスコミまでが、厚労省の言うがまま思考停止していることだ。知人の全国紙の記者は「役人が記者クラブの連中の先生です。言われたまま書いています」という。これは新聞の「自殺」だ。新聞が経営危機に瀕しているのは、読むべき記事が減っているのが大きい。新専門医制度の悪影響 実は、厚労省や業界団体による統制は、すでに医療現場に悪影響を及ぼしている。その具体例が新専門医制度だ。厚生労働省本庁舎が入る東京・霞が関の中央合同庁舎第5号館の看板(宮川浩和撮影) 医療界では、来春より専門医の教育制度が変わる。従来、専門医資格を目指す若手医師は、自由に勤務する病院を選べたが、今後は大学病院を中心としたプログラムに基づき、各地を回ることになる。特に専門領域が多岐にわたる内科と外科は、将来、自分が専攻しない分野も研修する必要があり、専門医資格をとるのに時間がかかる。 仙台厚生病院の遠藤希之医師の調査によれば、来年度の内科専攻医の登録者は2554人で、例年より2割程度少ない。外科は772人で、例年より1割少ない。増加したのは眼科や泌尿器科だ。 内科医志望医が15人以下の県が8県、外科志望者が5人未満の県は11県もある。これでは地域医療は確実に崩壊する。 代わって増えたのは東大や慶応大の医局だ。内科の場合、例年の専門医取得数は10人以下だが、来年度の応募者は東大が43人、慶応大は33人だ。厚労省の意図と全く逆の結果となっている。 医師不足の辻褄合わせに使われるのは、若手医師にとってたまらない。彼らは、自らのキャリア形成にとって合理的な選択をしただけだ。地域医療が、こんなことになっていることを、果たしてどれくらいの人が知っているのだろうか。 実は、厚労省の医療法改正の素案に書かれていることは、こんなレベルではない。本稿では詳述しないが、医学部地域枠の拡充、卒業後の地域勤務の義務化など、医学生や若手医師を雁字搦めにするための具体策が網羅されている。 我が国の医師不足は深刻だ。多少、医師の人権を抑制しても、厚労省の政策で医師偏在が解決されるなら、仕方がないとお考えの方々も多いだろう。厚労省の素案を多くのメディアが批判しないのは、厚労省記者クラブの記者たちが、このように考えているからだろう。 ところが、そもそも厚労省の政策は前提自体が間違っている。我が国の医師偏在は、厚労省や審議会の委員が主張するような、若手医師が田舎に行くのを嫌がり、都会に留まるから、あるいは若手医師が激務の外科や産科を嫌がり、楽な診療科を選択するからではない。私どもの研究所のスタッフで、福島県の相馬中央病院の内科医である森田知宏医師の調査が面白い。 森田医師は2004~2014年にかけての、国内の医師の偏在を経済格差の研究で用いられるジニ係数を用いて評価した。 ジニ係数は所得分布の不平等などを評価する際に利用される経済学の指標だ。0が完全に平等、1が完全独占だ。この間で数値が大きくなるほど、格差が増す。ちなみに、我が国の所得のジニ係数は0・57(2014年)だ。 実は、調査期間を通じて、医師偏在に関するジニ係数は0・21~0・22程度でほぼ横ばいだった。厚労省の主張するような医師の偏在は悪化していない。 興味深いのは、ジニ係数に大きな男女差があることだ。女性のジニ係数は0・17で、近年、少しずつ増加している。一方、男性医師のジニ係数は0・14から0・13へと低下した。特に40~59才の男性医師のジニ係数は低いのに、調査期間中にさらに0・11から0・09へと低下していた。カギを握る女医の増加 我が国の医師の偏在の悪化要因は女医の増加なのだ。2004~2014年の10年間に女性医師の数は約4万5千人から6万4千人へと42%も増加した。いまや5人に1人が女医で、20代に限れば女医の比率は35%だ。 OECD(経済協力開発機構)加盟諸国の女性医師の割合の平均は41・5%だ(OECD Health Data2011 )。一方、日本は18%だ。他の先進諸国並みに女性の社会進出が進めば、ますます、女医の割合が高まるだろう。今後の医師偏在を議論する上で女医の存在抜きに考えられない。 これまで議論されてこなかったが、女医は男性医師より都市部での勤務を好む。その理由は都会生活が好きで、僻(へき)地が嫌いだからではない。地方都市では、子供が十分な教育を受けられないと考えているからだ。(iStock) 最近、シングルマザーで出産した40代の女医は、「現在は給与・職場・育児環境がよい地方病院で働いていますが、子供が小学校に入り、塾に通い始めたら、どんなに待遇が悪くなっても東京に戻ります」という。彼女は都内の進学校から旧帝大医学部を卒業した。子供は「海外の一流大学に進学させたい」と希望している。 女医の子供の多くが有名中学を受験する。少し古いが2010年に日経メディカルオンラインの亀甲綾乃記者の調査によれば、医師の子弟の56%が私立・国立の中学校に進学する。これは全国平均の8%を大きく上回る。 中学受験は「ママの戦い」だ。彼女たちは、人生の一時期、仕事よりも子供と過ごす時間を増やすことを選択する。 現在、議論されている新専門医制度は、彼女たちに優しくない。それは、専門医の資格を取るのに、実績や実力でなく、「最低4年以上の認定施設での研修」などの過程が重視されるからだ。 現在の医師養成システムでは医学部を卒業し、初期研修を終了するのは最短で26歳。専門医研修を終えるのは早くて30歳だ。新専門医制度が始まり、若いうちは外科医や産科医、年をとったら内科医に転向するようなキャリアは難しくなった。 新専門医制度は、2004年に始まった臨床研修制度で影響力を失った大学教授たちが復権を目指したものだ。当初から、大学に医師が集まり、地方医療が崩壊することが懸念された。4月14日には、全国市長会が塩崎恭久・厚労大臣(当時)に対して、「国民不在の新専門医制度を危惧し、拙速に進めることに反対する緊急要望」を提出した。塩崎氏は厚労大臣在任の最終日である8月2日に、吉村博邦・日本専門医機構理事長と面談し、改めて危惧を伝えた。 厚労省も日本専門医機構も、この問題は十分に認識している。だからこそ、一定期間を僻地勤務に充てることを義務づけようとしている。ところが、女医にとって、こんな強制はたまらない。内科や外科をやるなら専門医資格はあった方がいい。専門医資格がなければ、給与や昇進で差別されるおそれがあるからだ。それなら、最初から育児と両立できる診療科を選んだ方がいい。これは合理的な判断だ。地方を求める男性医師 女医の増加は必然的に特定の診療科への偏在を加速する。彼女たちに人気がある診療科は皮膚科、産科、眼科、麻酔科だ。女医が占める割合は、それぞれ49%、46%、37%、37%だ。産科を除き、当直や緊急の呼び出しの負担が少ない診療科だ。現在でも女医の3割が出産・子育てを理由に辞職している。地方勤務を義務づければ、「医師を続けることにはこだわりはない(都内の女性勤務医)」人たちが辞職するだけだ。 厚労省は、さまざまな機会に「病院における柔軟な勤務形態等、妊娠・子育て中の女性医師の就労継続・復職支援に資する取組の推進」と打ち上げているが、この程度のことは地方病院はとっくにやっている。 地方に欲しいのは、自分の子供を入学させてもいい進学校だ。東日本大震災の被災地の市長は「ここに開成高や灘高が来たら、女医はもちろん、若いお母さんが大量に移住してくる」という。女医が求めるのは、子供の学校であり、それは一朝一夕にできない。 実は、女医の増加による医師偏在を穴埋めしてきたのは、中高年の男性医師たちだ。この世代のジニ係数はもともと低いのに、この10年でさらに減少した。この層が医師全体の37%を占める主流派で、女医の増加による医師偏在の悪化を埋め合わせている。結局、医師偏在を埋め合わせたのは、医師数の増加ということになる。 40代以降の男性医師が、地方病院に異動する理由は二つだ。一つは体力。勤務医の1週間の平均労働時間は53・2時間。35%は毎月60時間以上の残業をこなす。20代、30代なら兎も角、中高年になると体がもたない。地方の慢性期病院でのんびりと過ごしたいと考える医師が増えてもおかしくない。 もう一つは金だ。特に東京の勤務医の給料は安い。東京は、医師は多いが看護師が少ない。診療報酬の抑制に対応するため、医師の給与を切り下げてきた。都内の大学病院なら、教授クラスでも年俸は1000万円に満たないことがある。一部の有名教授は患者からの謝金や、製薬企業からの講演料などで高額の収入を得ることが出来るが、大部分の教授はアルバイトで食いつなぐ。部下の生活はもっと悲惨だ。40代の助手クラスなら年収は700万円程度だ。平日は勿論、週末も当直バイトに精を出す。知人の私大の外科系准教授は「平日の病棟は無医村です。医局員は手術室か外来、あるいはアルバイトに行っています」と言う。最近、都内の私大病院で不祥事が続くのも宜(うべ)なるかなだ。(iStock) 医師の給与は完全な市場メカニズムで決まる。首都圏も埼玉県北部までくれば、40代の内科医で年俸は2000万円を超すのも珍しくない。住宅ローン、教育費を抱える中高年医師にとって、このような病院での勤務は魅力だ。加速する医師不足 首都圏の大学病院を辞めて、北関東の民間病院に就職した医師は「大学医局の煩(わずら)わしい人間関係もなく、給与も高い。医師が少ない分、症例もそれなりに多く、技量も維持できる。週末、都内の自宅に戻ればよく、いまの環境に満足している」という。 我が国の医師偏在が、このレベルで留まっているのは、女医の増加に対応して、需給バランスに適う形で中高年の男性医師が地方の病院に異動していったからだ。つまり、合理的な選択を積み重ねた結果だ。決して、厚労省や大学医局が適切に人材を配置したからではない。 ところが、厚労省は各都道府県の「地域医療支援センター」の機能を強化し、「医師のキャリア形成支援・配置調整ができるよう」にする方針だ。この枠組みは、厚労省は都道府県に丸投げし、都道府県は地元の大学医局に丸投げする。 もちろん、この枠組みは機能しない。強制的に地方に派遣されることになる若手医師は「海外で働くことを考えている」と言うし、一方、地方に出る若手の穴を埋めるため、大学病院などで働かされる中高年の医師は「企業の産業医か、製薬企業で働きたい」と言う。この結果、医師不足は加速する。 この枠組みで得をするのは、天下り先が増える県庁の職員と、再就職先が確保出来る定年間際の医学部教授たちだけだろう。 問題はこれだけではない。厚労省は医師の地域定着を目指すため、「地域枠」を拡充し、卒業後は地元に縛り付けようとしている。若者は異文化と交流して成長する。これは古今東西変わらない原理原則だ。こんなことをすれば、医学生のレベルが下がるだけだ。 世界の医学教育は優秀な生徒を集めるため、グローバルな競争を続けている。近年、日本の若者がアメリカだけでなく、東欧の医学部に進学するようになったのも、その一環だ。グローバル化が進んだ世界で、厚労省が独善的な政策を押しつければ、優秀な若者は海外の医学部に進学するだけだ。2008年4月、参院予算委で質問に答える舛添要一厚生労働相(酒巻俊介撮影) 厚労省は一体、何のためにあるのだろう。医師不足、医師偏在は元をただせば、彼らの失政が原因だ。80年代、将来医師は余ると主張し、医学部定員を削減した。この方針は閣議決定され、2009年、舛添要一厚労相(当時)が撤回するまで続いた。この点を反省することなく、最近になって時代遅れの国家統制を押しつけようとしている。その先にあるのは、我が国の医療の崩壊だ。 情報化、グローバル化が進んだ21世紀に求められるのは、時代錯誤な国家統制を振りかざすのではなく、地域の実情に即したきめ細かい施策だ。情報開示を進めるとともに、オープンに議論することだ。日本の医療政策を、官僚と専門家たちに独占させてはならない。

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    28歳の女医があえて「Dr.コトー」を目指したワケ

    いという一心で勉学に励んだ。医学生になってからは、目の前の試験に追われながら、医学を知るようになり、医療を知るようになった。そして、いろんな医師像があることを知り、自分はどんな医師になりたいのかを真剣に考えるようになった。 だが、医学生の私がみていた医療は、大学病院中心の医療でしかなかった。病気を治すだけでなく、住民の健康を守るという役割も医師が担っていることを、地域医療に携わって初めて知った。また、南相馬にやってきて初めて、関西ではクリニックや医師を自分の意志で選択できるという恵まれた環境で育ったことに気がついた。 医師になってからは、主治医としての臨床経験を一例でも多く積むことを考えるようになった。患者さんのことはもちろん、患者さんと家族の関係や、家族の思いは、医学知識をいくら詰め込んでも分からない。やりとりを重ねることで、医療を学び、その地域の考え方や文化や歴史に触れ、自分もその地域に受け入れてもらえるようになってきた。新しい地域に慣れ、地域に溶け込むには長い歳月が必要であることを、慣れ親しんだ地域を離れることで痛感した。強制でやりがいを見出せるのか 好きでもないことを「やりなさい」と言われ、泣く泣くやった、なんて経験は誰にでもあると思うが、「僻地勤務の義務化」はまさに同じことだと思う。私だったら、モチベーションが維持できず、やりがいを見失ってしまうだろう。何よりも、地域の人の健康を守っていく責任は負えない気がする。 他にも、「地元出身者を医学部入試で優先する枠の増加」が、医師の偏在解消策の一つとして検討されているという。だが、この案は7年も先の将来の進路を高校生に迫るだけでなく、さまざまな地域に飛び込むチャンスを奪い取る案でしかないと思う。 医学部受験の際、奨学金貸与を検討したことがあった。「地域医療に強い意欲を持ち、卒後県内の病院で勤務する意思を有する者に対しては、県より医師養成奨学金を与える」というものだった。医師になるためには、医学部に進学するしかない。医者になれるなら、どこの大学でも、どんな制度でもいいという一心だった高校生の私には、「卒後数年間は、県内で勤務せねばならない」ということも重みを理解できていなかった。 一般枠で合格し、すっかり制度自体を忘れていたが、大学5年生になり、卒後の進路を考え始めた時、いわゆる「地域枠」という縛りが自分にはなくてよかったと実感した。もちろん、地元の医療を支えたいという強い意志を持ち続け、自ら地元に残ると言っていた同期もいた。河合診療所の山本均院長から話を聞く 三重大学医学部の学生たち=2016年9月、伊賀市 だが、医学生ながら医療の実態を垣間見て、私はどこでどんな医師になりたいのかを考えたときに、働く場所が定められていることは選択肢を大幅に狭めることに、その時初めて気がついた。医師になりたいという一心の高校生に、医師免許をあげるから県内に残って医師として働きなさいといっているにすぎなかったのだと、ようやく分かったのだった。 今では、卒業と同時に生まれ育った関西を離れたことは、とてもよかったと思っている。先入観や固定観念を持っていたことに気づき、地元関西の良さを再確認するきっかけにもなった。たくさんの出会いもあった。異なる環境に身を置くことは、つらいこともたくさんあったが、それ以上に自分自身を成長させてくれるチャンスを与えてくれると実感している。 医師として地域に飛び込み、地域に溶け込み、地域に根ざし、住民の健康を守ることは、制度で縛ることも強制することもできない。自ら志願して来てくれた医師と、来させられた医師の、どちらに診てほしいだろうか。どちらの医師に、自分の命を預けることができるだろうか。若手医師に僻地医療を強制させよと議論している人に、そういう視点が欠けている気がしてならない。

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    僻地への派遣制度は医師ゼロ解消の切り札になるか

    山田隆司(公益社団法人地域医療振興協会地域医療研究所長) 医師の地域偏在の問題が深刻である。特に地域を支える中小規模の病院では医師確保は存続にも関わる重大な問題となっている。 医師の研修制度が変更されるなか、多くの医学部卒業生は優秀な指導医、効率の良い研修、ライフワークバランスの良い環境を求めて都市部、大病院、特定の診療科へ集中する傾向が否めない。 また、来年から開始されることになった新専門医制度でも、地域偏在を解消する対策を講じたにもかかわらず、都道府県格差あるいは診療科間の格差が広がっており、地域偏在の流れを食い止めるどころかさらに加速させるような勢いである。 さて、そこで出てきた地域偏在の解消策としての「僻(へき)地への強制医師派遣制度」である。強制派遣というといかにも物々しい印象で、医療界からは、「医師の自由を損なう」、あるいは「プロフェッショナルオートノミー(職業的自律)に委ねるべき」などという反論が聞こえてきそうだ。 しかし、今や反論しているだけではすまされない状況で、国全体の地域医療をどうやって守るのか、医療者全体のあり方が問われている。 そもそも医療は国民全体のニーズに応えるべきであって、個々の医師の自由を振りかざして反論している場合ではなく、まさしくプロフェッショナルオートノミーのもと責任ある回答が医療界全体に求められている。(iStock) 医師という職業自体が社会的責務を負っているからこそ、プロフェッショナルオートノミーが尊重されるのであって、この対応によっては日本社会における医師という職業の価値観に影響を及ぼすと言っても過言ではなかろう。 これまで僻地など、医師不足地域の問題は、実際にそういった地域の病院や診療所の開設者・管理者の問題であり、主に自治医科大学や、地域枠の卒業生が担うべきことだとしか認識されてこなかった側面がある。 多くの医師には当事者意識がなかったと言っても過言ではない。奨学金という金銭的な契約で拘束された対象者だけで解決すべきという極めて短絡的な手法に頼っていたのである。今回も単なるインセンティブを与えることで、一部の医師のみが関係する問題として帰結してしまわないよう十分留意する必要がある。 今回「医師少数区域」での一定期間以上の勤務経験を有する医師を厚労省が認定し、認定医師であることを広告可能としたり、地域医療支援病院など、一定の病院の管理者になる際に評価したりすることが提案されている。 筆者は自治医大卒業生であり、義務として僻地医療に従事してきた医師であるが、その立場からは僻地医療の経験が評価されることについては喜ばしい提案だと受け止めている。技能習得に傾きがちな医師 僻地や医師不足地域の問題が一部の特定の医師の問題ではなく、多くの医師が関わることに繋がる施策が提案されることに賛意を表したい。地域偏在の問題を不足する地域だけが問題視し、対策を講じようとしても所詮無理がある。偏在という問題を医師全体が共有し、解決に向けて知恵と力を合わせることが今求められているのだ。 私の場合は自治医大という枠組みに入ったおかげで、僻地の問題を知り、地域医療や総合診療に興味を持つことになったわけだが、僻地医療の問題は単に僻地固有の問題ではなく、地域医療、総合診療、臨床医学、医学教育全体に関わる問題であると認識している。 僻地医療の問題に取り組むことで、これまで日本の医療がないがしろにしてきた課題が凝集して見えてきたのである。 これまでの臨床医養成がともすると疾病に対する知識、技能の習得に傾きがちで、患者を取り巻く家族、地域社会などを理解し、それを踏まえた上で診療することで社会貢献に繋げようとするような幅広い人格形成の面が疎かになってきたことは否めない。そのような視点からは地域での研修、とりわけ家族やコミュニティーを理解しやすい僻地のような地域は臨床医にとって人格形成の面でこの上ない恵まれた環境なのである。 今回の医師の地域偏在の問題をきっかけに、医学教育の視点から医師養成全体を再検討し、卒前教育、初期研修、専門医研修、生涯学習まで一体的な改革が提案されることを願っている。 それはすなわち、医学生は低学年から地域で住民に触れ、コミュニケーションを学び、医療者として信頼されるような人格を涵養(かんよう)する。卒後の臨床研修では全身を把握し、適切な臨床推論ができるよう、総合的な臨床教育を徹底する。(iStock) 特に初期研修や総合診療研修では主に医療資源が限られた地域の中小規模の病院を活用し、基本的な診療能力を鍛える。臨床医のキャリア形成のなかで、すべての医師が僻地を含めた医師不足地域を経験し、多くの医師が被災地や医療資源に恵まれない地域の住民に配慮できるような、そんな医師養成が実現することを望むばかりである。 僻地や医師不足地域の問題を医師全員で真正面から受け止め、議論し、安易に次世代にツケを回すのではなく、まずは今の現役世代で解決策を見いだし、実践することが我々に課せられている。

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    「白い巨塔」再び、若手医師の僻地派遣に隠された厚労省の思惑

    中村幸嗣(元自衛隊医官、血液内科医) 「医療過疎」である僻地(へきち)への医師の強制的な派遣が取り沙汰されています。2018年度からスタートする「新専門医制度」とも連動しています。12月8日に厚生労働省の医師需給に関する検討会の分科会に提出された第2次中間取りまとめ案には、「医師偏在に関する客観的で有効なデータに基づき、他の医療政策と整合的かつ主体的に医師偏在対策を講じることができる仕組み」とあります。では、このテーマを自分なりに解釈していきます。取りまとめ案からは、医師偏在対策として四つのポイントが挙げられています。(1)都道府県自治体における医師確保対策の実施体制の強化 具体性はよく見えないのですが、地域が「医師確保計画」を策定し、地域大学と連携することで今機能していない「地域医療対策協議会」の実効性を高める、つまり医師を実際に確保する組織にすることが挙げられています。(2)医師養成課程を通じて自治体が介入し地域における医師確保 策定した「医師確保計画」に基づき、都道府県が臨床研修病院の指定や、卒業後の地元勤務を条件に奨学金を設ける医学部の「地域枠」を含めた定員などに介入する権利を持たせるとのことです。ただ、こんな能力を持つ地方職員がいるでしょうか。「医師余り」といわれる東京ですら医療過疎地が存在し、地方自治体ごとにも格差が目立つ現状で、どれだけのことができるのでしょうか。 また、地方の医師を確保するためには都会地域における臨床研修医などの定員を抑制する必要が出てきます。これは地域だけでは不可能です。それこそ建前上は強制ではなくプロフェッショナル・オートノミー(職業的自律)により、18年度から運用される新専門医制度においても、事前に明記されていなかった「地域、専門科の制限」がすでに実施されているようです。都会への一極集中がかなりひどいといわれているとはいえ、公務員でもないのに、若手医師には職業選択と居住という、二つの自由がすでに制限されているのです。厚生労働省が入っている中央合同庁舎第5号館 そして今後、行政による介入の範囲を明確化し、都道府県別・診療科別の必要医師数の算定を計画に基づき実施するということですが、やはり具体性が全く見えません。ちなみに必要医師数に内科はひとくくりで考慮されており、血液内科や神経内科といった専門は全く分けられていません。私が望んでいる医療改革は題材にもあがらないのです。地域に必要な医療には総合臨床医、かかりつけ医がいればいいということなのでしょうか。でも、この分野の修練も本当に難しい上に、社会のコンセンサスが取れていないのです。(3)地域における外来医療機能の不足・偏在などのデータ収集 外来患者のデータを集積し、地域別の外来医療機能の偏在・不足などに関するデータを集めて可視化するとしています。つまりはっきり言うと、在院患者と違い、今は外来患者のデータがほとんどないわけです。それに伴い現在の必要医師数のデータの根拠が弱いことがわかります。(4)僻地勤務を促す厚労省による医師に対する認定・インセンティブ 「僻地で勤務しても医師が疲弊しない持続可能な勤務環境の整備」と書かれているのですが、財源含めて具体性はありません。またインセンティブとして挙げられているのは、僻地に勤務する医師に対する認定制度の創設と、認定医師に対して一部の地域医療支援病院のような医療機関の管理者、つまり院長の資格を与えるというというものですが、今の若手医師にはなんの魅力もないと思われます。診療所の開設権(いわゆる開業制限)でないことも中途半端です。客観的なデータはどこにある? つまり、今回の施策をまとめると、地域医療連携部と各大学医学部・病院を直結することに伴う「医局制度の復活」ということになります。特に地域における人事面で目立ち、まるで昔の良き時代を求めているようです。そしてもう一つは、地域医療における都道府県地方自治体の介入の法的担保です。(iStock) ところが、今の医局、特に地方医大の力は弱くなっていますから、正直大丈夫かと疑問がわきます。まして、協力する根拠が薄弱(特に私立医大)にもかかわらず、教授たちが協力するでしょうか。さらに、介入する地方自治体の能力によっても差が出るでしょう。 少し詳しく書いていきます。まず今回、厚労省は医療過疎である僻地に医師を派遣するにあたり、先ほどから出ている「地域偏在に関する客観的で有効なデータ」をもとにするとしていますが、この客観的なデータはどこにあるのでしょう。 もし、医師不足や偏在対策のために各都道府県が策定した「地域医療構想」のデータを、厚労省が現在使っているとすれば、正直5年後にはそのデータは使い物にならない可能性があります。実は、地域医療構想においては、数年前の医療ニーズに基づいて患者の数を予想し、そこから地域の医師の必要数を含めた医療を評価しています。そのデータに今後の医療の進歩は入っていません。 それこそ、がん治療薬のオプジーボ、次世代型キメラ抗原受容体発現T細胞(CAR-T)療法といった先進医療は全く入っていないのです。よって今後必要になってくる新たな「がんサバイバー」の増加への対処は全く考慮されていません。そうすると、大学のような3次医療機関で必要な医師数が増加するため、最初の必要医療者数の前提が不安定となり、そこから導き出される計画はいい加減といわざるを得ません。ちなみに、厚労省が定義する「医師偏在の度合い」のデータは以下の条件を考慮して作成し、全国ベースで客観的に比較・評価することができる指標とされています。(1)医療需要(2)将来の人口・人口構成の変化(3)医師偏在の度合いを示す単位(区域、診療科、入院/外来)(4)患者の流出入(5)医師の年齢分布(6)僻地や離島などの地理的条件 ただし、今までがん統計すらなかった日本にこれだけのデータが今あるのか不思議です。医療需要も定義によっては、倍以上の変動が出るからです。若手医師が地方に行きたくない理由 医師数が10万人あたり152・8人と最少の埼玉県を例に考えましょう。確かに、最大の京都府(307・9人)と比べて、国公立大学の数(実質私立のみ)、人口動態(東京都から埼玉県へ定年退職に伴う移動)、自治体の面積、経済状況など本当に必要な医師数を求めるためのパラメーターがあまりにも異なります。また、地域によっては近隣の東京、群馬、栃木の医療にある意味「おんぶに抱っこ」だった埼玉の医療状況が県単位でまとめられるかは疑問です。(iStock) 聖路加国際大学の福井次矢(つぐや)学長は「都道府県が効果的な医師派遣に向けて大学と話し合うとされているが、(大学の)『持ち駒』がなく、実効性がない」と分科会で現在の大学の力の無さを指摘されていますが、当然でしょう。今でも大学医師のほとんどが過剰労働なのに、地方の大学がどれだけの医師を僻地に派遣できるのでしょうか。 ところが、厚労省医政局は「地域枠の卒業生が今後増加していくし、それ以外の卒業生も合わせ、ほとんど機能していなかった地域医療支援センターを強化していくことで対応できる」と説明しています。今まで医学部の定員を増やしても変わらなかったのに、改善できるという根拠がよくわかりません。結局、若い医師を半強制的に総合臨床医にして僻地に派遣することでやっと改善するというのでしょうか。 若手医師が地方に行きたくないのは、東京などの都会に比べて、希望する内容の仕事ができなかったり、労働環境や専門医としてのスキル獲得などに不安があるからです。ましてその地方の中でもさらなる僻地です。一般の人間がそこに住む自由を認めながら、医師がそこに住まない自由を認めないのはどうしても納得できません。 この分科会の出席者で、僻地勤務は「医師が少なくても学びが多く、医師としての充実感が得られる」と述べている方がいますが、それは臨床の現場から離れた価値観でしかないでしょう。仕事内容や労働環境の改善、キャリアパスなどの障害の除去、インセンティブを確定する前に、時代遅れな個人の価値観を押し付けて派遣される若い医師は厚労省や有識者の奴隷ではありません。 実際、若手医師の活用が少し成功している地域では、地域医療を続ける方策として「医師への教育の提供」を第一に挙げています。ボランティアで一生懸命教えてくれる人がいて、その教育環境が良ければ、自分から若い先生は飛び込んできます。それを医療行政に素人の地方自治体を船頭に、根拠の乏しいデータをもとに見切り発車し、失敗しても財源などのフォローがないのではまさに若手医師が「無駄死」するだけです。 医療に対する行政側の知識のなさは、病院人事に介入して医師が逃げ出した例が複数の地域であることで明らかです。こんな自治体トップがいる病院に行って若い医師が学問を遂行できないのはまさに戦力の無駄です。素人事務に「丸投げ」厚労省のひどい策 でも、厚労省がある地域の典型的医療データを出して、日本の有識者の誰も答えを見つけていない「効率的な地域の医療の運用」という結果を、地方の素人事務に求めて「丸投げ」することはひどい施策だと思っています。 私は防衛医大出身で、一般の医学部とは異なり卒業後に自衛隊で勤務する大学に最初から自分の意思で入りました。だからこそ、一番勉強が必要な若い時期に専門から少し外れ、一般内科、健康管理、医療行政、防衛問題、海外派遣といった普通の臨床医とは異なる仕事をしてきました。私個人はその経験がよかったと思っていますが、それが嫌でお金を払って早期に辞めていった人間もたくさんいます。そして彼らの一部は精進し、他の大学医学部の教授になっています。だからこそ、医学を勉強したいと思っている若い医師たちに学問や職業選択、居住の自由を持たせず、自分たちの希望しない僻地勤務を強制させるのは、民主主義国家の医師として絶対反対です。 3年前、私のブログに書いたように、自治体の身勝手さは変わっていません。もちろん地域枠の医師はある程度意思を宣言されていますので仕方がないとは思います。だけど、いつから他の医師を勝手に配置する根拠ができたのでしょうか。(iStock)  「医療機関の管理者になるなら、医師不足区域に行くべきだ、という仕組みが、強制と取られるのは無理がない」「強制的なイメージを伴うので、今の時代に合っていない。僻地で医師が少ない地域に、国民を住まわせるなら、医師へのインセンティブでやるのではなく、国の責任として医療を提供する仕組みを作るべきだ。医師に『一肌脱げ』という仕組みを作るのはやはり違うと思う」「地方では総合診療専門医などが必要とされる。どんな医師を育成するのかという視点も含めて議論してもらいたい」と、分科会に出席した有識者からはまともな意見も出ています。でも、これらの意見は正直無視されていくのでしょう。 日本の医療を前進させることは大切ですし、今の地域医療もある程度の整備が必要です。でもその整備を、僻地に勤務していいと宣言していない若手医師の犠牲で成り立たせてはいけません。尊厳死や安楽死、胃ろう、延命処置などどこまでの医療を行うか、現状の必要性が定まっていないのに、形だけ定数として若手の医師を僻地に配置し、彼らの進歩を犠牲にしてはいけません。若手医師にだけ犠牲を求めてはいけないのです。

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    医療や福祉による地域づくりは生き方を決められる社会運動

     諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師がたちあげた一般社団法人地域包括ケア研究所では、「医療・職業・住環境」という3つの要素をベースに人々が本当に幸せな暮らしができる街づくりの実現を目指している。鎌田氏が、これからの時代に求められる医療や福祉による地域づくりについて語る。* * * 昨年秋、ぼくは一般社団法人地域包括ケア研究所を立ち上げた。メンバーは、ブランディングのプロやファンドマネジャー、人材教育のプロ、介護の理論家や実践家などだ。国は2025年までに「地域包括ケアシステム」を全国につくろうと提案している(写真は埼玉県幸手市のコミュニティ喫茶「元気スタンド・ぷリズム」)。  地域包括ケアシステムとは何か。医療や介護の多職種や、NPOやボランティア団体、地域住民など、いろいろな地域資源をネットワークでつなぎ、歳をとっても、障がいを負っても、地域で暮らし続けられるようしようというものだ。 なぜ、こうした発想が出てきたのか。団塊の世代が後期高齢者になる8年後、43万人の介護難民がでるかもしれない。でも、特別養護老人ホームなどの施設をどんどんつくるお金はない。だから、身近な地域で何とかしなさい、というのが、国の本音だ。 だが、ぼくの考えはちょっと違う。30年ほど前から、諏訪中央病院を中心に地域包括ケアに取り組んできたが、やり方しだいでは、地域の課題を解決し、高齢者や障がいのある人だけでなく、だれもが生きやすい社会を築くことができると思っている。 この考え方は、『社会的共通資本としての医療』(宇沢弘文、鴨下重彦・編集、東京大学出版会)でも述べた。今年は、本格的に地域包括ケアを形にし、あたたかな資本主義へ方向を変える年にしたい。 医療や介護の世界は、人材不足であえいでいる。特に地方では深刻だ。そうした課題を解決すべく、リゾート地や地方に医師や看護師、介護の専門家を送り込むベンチャー企業を、リゾートバイトで成功している会社と協働してつくる計画だ。単なる介護問題の解決策ではない 医療や介護の世界で働く人たちは、みんな燃え尽きそうになっている。そんな人たちに、リゾート地や地方の空気のいいところで3か月~1年、ゆったりと働いてもらう。元気になったら帰ってもいいし、地方が気に入ったら、そのまま居つくこともできる。 こうした事業が軌道に乗りだしたら、お金もない、土地もないが、夢はあるという若者に、無担保でお金を融資してもいいと考えている。医療や福祉による地域づくりは、新しいアイデアが求められている。それを応援したいのだ。 たとえば、日本には約800万の空き家があるといわれる。この空き家を利用して、小規模多機能の介護サービスの拠点をつくったり、シングルマザーのシェアハウスをつくったりする。(iStock) 従来、この2つは交流することは少ない。だが、地域包括ケアのネットワークでつないでいくとおもしろいことが起こる。子どもを育てるシングルマザーが、保育園に子どもを預け、小規模多機能施設で働きながら介護を勉強し、ライセンスを取ることもできる。小規模多機能を利用するお年寄りが、子どもとふれあい、簡単な世話をすることもできるかもしれない。 託児所付きの風俗店などがあるというが、風俗店に負けないサポート体制が必要だ。子育て中の若い親たちがもっと働きやすくすることと、歳をとって必要になる介護の問題を、切り離さずに考えていくことが大切だと思う。 ぼくが考える地域包括ケアとは、単なる介護問題の解決策ではない。介護をする側もされる側も、住民一人ひとりが地域づくりに主体的に参加するシステムであり、生き方や死に方を自分で決めることができる社会運動でもある。 自分で判断し、責任をもつこと。それは、服従に抵抗する第一歩である。厳しい世界の動きに流されないためにも、身近な地域でしっかりと地に足を着けていきたい。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に『「イスラム国」よ』『死を受けとめる練習』。関連記事■ 家庭での介護 介護保険法改正のポイントは「地域包括ケア」■ 親が元気なうちにすべき介護準備 自治体広報誌を捨てない等■ 公明党 安倍首相が社会保障問題で公明党切りに動くのを感知■ 高齢者対象の行政サービス 緊急通報装置の貸し出しもある■ 特養老人ホーム入所かち取る方法 ベテランケアマネを選ぶ他

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    通院時間を短縮できる遠隔診療、慢性疾患にも向いている

     スマホやパソコンなどの通信機器を通じて、医療サービスを医師が行う「遠隔診療」。離島などでの医師不足の救世主として登場したこのサービスは、今、都会で忙しく働く会社員や、診療時間外の乳幼児の医療相談などへと広がっている。(iStock) 東京都港区六本木にある『新六本木クリニック』は、遠隔診療向けアプリ『CLINICS』(メドレー社)を2016年2月に導入。以来、300人以上の患者が遠隔診療を利用している。 院長で、精神科医の来田誠さんは、遠隔診療のメリットは、通信機器さえつながれば、自宅はもちろん、会社や出張先など、患者の居場所に制限がなくなることだ、と言う。「通院するには、移動時間も含めて半日近くの時間を要することもあり、忙しいビジネスパーソンが平日の昼間に通うのは難しい。その点、オンラインを使った遠隔診療なら、移動時間は不要なので、診療時間+前後5分ほどを確保すればいいわけです。仕事の合間に15分程度、ひとりになれる場所があれば、そこでスマホやタブレットのテレビ電話機能を使って診察が受けられます。生活習慣病など、継続を要する治療を、仕事で多忙でも中断することなく続けられるので、効果が得やすくなります」 これまでに、会議室で、移動中に車を止めて車中で、さらには、旅行中にも遠隔診療を受けた人がいるという。症状が安定した慢性疾患に向いている 遠隔診療は、離島やへき地など、医師による直接の対面診療を受けるのが難しい地域において、対面診療と組み合わせながら行われるなど、限られた場合のみに行われていた診療スタイルだったが、2015年8月、厚生労働省が出した通知により、遠隔診療の対象は、「離島やへき地の患者に限らない」と明言された。この通知では、糖尿病、喘息、高血圧、アトピー性皮膚炎など9種類を適用疾患の例に挙げている。 東京都町田市で訪問診療を中心に行っている『おおぞら会つばさクリニック』は、「遠隔診療ポケットドクター」(MRT社・オプティム社)というサービスを利用して遠隔診療を導入し、約1年になる。現在は十数人の患者が利用しており、院長の鈴木智広さんはこう話す。自宅から出るのが難しいケースで奏功も「症状が安定している慢性疾患や、高血圧症・高脂血症・糖尿病などの生活習慣病、薬だけで落ち着いているうつ病、不眠症などは、毎月1回の受診が基本。半年に1回は血液採取などの検査のために通院が必要ですが、これと遠隔診療を組み合わせると、通院が楽になると好評です」 皮膚科では、アトピー性皮膚炎などアレルギー系疾患の継続治療などに加え、以下のような場合にも向いている。「粉瘤(アテローム)ができて皮膚科で切り取ってもらいました。術後は遠隔診療を利用して、スマホに映して確認してもらいました。実は、お尻にできていたので、病院で診てもらうのに抵抗があり、スマホが使えたのはありがたかったです」(20代・男性) また、治療を中断してしまうことが多い禁煙外来でも、新六本木クリニックで遠隔診療を利用した場合、4回のプログラムを全うした人が約8割近くに。これは、対面診療の約1.5倍だ。ほかにもAGA(薄毛外来)、ED(勃起不全)などを遠隔診療で行うところも多い。 うつ病や引きこもりなどでも、自宅から出るのが難しいケースで遠隔診療が功を奏することがある。「精神科や心療内科を訪れることに抵抗があるかたも少なくないでしょう。そうした際、遠隔診療が活用できます。たとえば、引きこもりのお子さんについて相談を受けたケースでは、お子さんは家から出られず、強い不安を抱いていました。病院とはいえ、知らない場所で、知らない人に自分のことを話すのは、相当にストレスが強いものです。そんなとき、テレビ電話を使えば、お子さんの様子を直接見ることができます。画面を通じて何度か話をして信頼関係を作ってから、こちらに来ていただくというステップを踏むことができ、治療にも繋げられるのです」(来田さん) ただし、これはあくまでも“相談”の範囲。精神科はカウンセリングなど対話中心の治療を行うケースが多いとはいえ、薬を扱ったり、検査を行うことも多い。テレビ電話で何回か話しただけでは薬を出すことはできない。治療を開始する際には、通常の医療と同様に、病院で直接対面での診察を受けることが必須条件だ。関連記事■ 通院する時に気をつけたい診療時間外、深夜、休日の加算料金■ 歯科クリニック問診票 治療費多寡の「踏み絵」を迫られる■ TPP参加で「自由診療」普及 金持ち用病院登場する可能性も■ 愛犬の治療 町の獣医さんと高度治療行う専門医の通い分けを■ 激太り目立つ金正恩に欧州から医師招く「特別医療体制」

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    小林麻央さんが遺してくれたもの

    フリーアナウンサーで乳がん闘病中だった小林麻央さんが34歳の若さで亡くなった。昨秋にブログを開設して以来、352回ものメッセージを発信し、多くの人々の心を動かした。麻央さんは私たちに何を伝え、何を遺してくれたのか。その意味を考えたい。

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    小林麻央さんのブログが変えた「日本人の死生観」

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 有名人や芸能人の人生は、私たちに大きな影響を与え、時に社会を変えていく。山口百恵のように、人気絶頂のアイドルが結婚を機にすっぱりと引退し、専業主婦として生きていくといった姿は、当時の日本女性に強いインパクトを与えただろう。そして「山口百恵」は伝説化されていく。1977年秋に極秘来日し、インタビューに応じたジョン・レノン(右)とオノ・ヨーコ=東京都内のホテル さらに「死」にまつわることは、より普遍性が高いために、多くの人々の生き方にさえ影響を与える。スポーツカーで事故死したジェームズ・ディーン、愛と平和を歌いながら暗殺されたジョン・レノン、民家の軒先で遺体が発見された尾崎豊。彼らは、その芸能活動と死にざまがあいまって、熱狂的なファンを生み神格化されていった。 人はみんな死ぬ。有名人も権力者も金持ちも関係ない。死から免れる人はいない。だから問題は、どう死ぬかだ。涙で包まれた穏やかな臨終の場面はドラマでよく登場するシーンだが、現実とは異なる「様式美」とさえ言えるよう最期が描かれたりする。事故死は、突然の死であり、ご遺族にとってはとても辛いことになる。だが、だからこそこの衝撃的な死に方も物語にはよく登場する。現実世界の芸能人も、事故死の方がその芸能人のイメージのままで死を迎えられるために、「永遠のスター」として私たちの記憶に残ることもある。 だが、病気はなかなか辛い。徐々に体が弱る。痩せ細るなど容姿が変わることもある。長く苦しむこともある。病人の周囲では良いことばかりが起こるわけではない。体と心の苦しみ、お金の問題、看病、人間関係の問題など、さまざまなトラブルが起こることもあるだろう。辛さだけが残る最期もある。だから、有名人の中には闘病生活をほとんど世間に知らせない人もいる。華やかな結婚式や、授賞式や、一家だんらんなど公私にわたる人生を公開してきた人も、死期が近づいている闘病生活は公開しない。夢を売ってきた芸能人として、それも当然のことだろう。 だからこそ、フリーアナウンサーの小林麻央さんの活動は注目された。彼女のネット発信は素晴らしものだった。「私は前向きです」「今、前向きである自分は褒めてあげようと思いました」「何の思惑もない優しさがこの世界にも、まだたくさんある」「がんばれっていう優しさもがんばらなくていいよという優しさも両方学んだ」「今は今しかない」「今日、久しぶりに目標ができました。娘の卒園式に着物で行くことです」「空を見たときの気持ちって日によってなんでこんなに違うのだろう」「苦しいのは私一人ではないんだ」「私はステージ4だって治したいです!!!」「奇跡はまだ先にあると信じています」。小林麻央さんのブログには、宝石のような言葉があふれた。死との向き合い方のお手本のようだ。人生の苦悩と希望を届けてくれた 酸素チューブを鼻に入れた写真。ウイッグ(カツラ)の写真。闘病中の姿も、美しく、ユーモラスに公開した。そして彼女は語る。6月20日、小林麻央さんが最後に自身のブログに掲載した写真(本人のブログから) 「私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。『まだ34歳の若さで、可哀想に』『小さな子供を残して、可哀想に』でしょうか?? 私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」。闘病生活をつづったブログなのだが、麻央さんのプログは闘病記ではなかったのだ。 もちろん、公開されたことだけが事実ではないだろう。家族にしか言えない苦しみがあったことだろう。死も闘病も、きれいごとだけですまない。しかしそうだとしても、2016年9月1日に始まった麻央さんのブログは、人生の苦悩と希望を私たちに届けてくれた。それは日本人の心を動かし、世界にも報道された。彼女の言葉に、慰められ、励まされた人々はどれほどたくさんいたことだろう。そしてその活動が、小林麻央さん自身の癒しと勇気にもつながったことだろう。 どう死ぬかという問題は、どう生きるかという問題であり、死生観が関わる問題だ。そして死生観には、宗教が絡む。普段は無宗教という人でも、葬儀の時には宗教的なことをする。しかし、世界的に宗教の力は落ちている。日本でも、簡易な家族葬、無宗教の葬儀、そして「直葬」と呼ばれる宗教的葬儀なしに火葬場へ行く方式も増えている。仏教式の葬儀を行っても、以前ほど戒名などにこだわる人は減っているだろう。宗教への熱い信仰があれば、どう生きてどう死ぬかの指針になる。だが、非宗教化した現代社会で、人々は新しい死生観を求めている。 インターネットは、まるで新しい宗教だ。人は確かに生きて日々活動しているのだが、人生とは各自が振り返ってみたこれまでの記憶とも言える。同じような生き方をした人でも、良い記憶でまとめられた人生もあるし、悪い記憶でまとめられた人生もある。人生は、当人の記憶であると同時に、周囲の人々の記憶だ。多くの人々の記憶が、その人の人生を形作る。 神仏を信じていれば、神仏が私の人生を見守る。神仏は私に関する出来事を全て記憶し、私の人生に意味づけをする。心理学の研究によれば、信仰を持っている人の幸福感は高い。神仏的なもの抜きで人生の意味づけをすることは、簡単ではない。 インターネットは、新しい神にもなるのだろう。私の人生を、ネット上で記録できる。世界に発信できる。世界の人々は、ネットを通して私を見て、リツイートしたり、「いいね」したりする。その記録は半永久的に残る。ネット世界でも人は包まれる インターネットの黎明期(れいめいき)から、人生を語る人々はいた。一般の人の中にも、闘病生活を発信した人はいた。まだブログもなく個人ホームページも数少なかった頃、母であり教師であるある一人の女性は、死期が近づく中で、普及し始めた電子メールで配信を始めた。「私は、なぜ病気になったのかではなく、何のために病気になったのかと、考えるようになりました」と。その活動は、多くの友人、知人たちを力づけた。 このような活動は、今や多くの人々に広がっている。ある元校長は末期のガンであることをブログでカミングアウトし、それでも最期まで自然に親しみ、グルメを楽しみ、家族や病院スタッフに感謝する。家族がそれを見守り、友人や知人が応援し、見ず知らずの読者との温かな会話が始まる。同じ病で苦しむ読者とも交流が生まれる。それは、どれほど素晴らしく意味あることだったことだろう。 ネットを通して、記録を残し、思いを伝え、人々とつながる。それは、真剣に命と向き合っている人にとって、かけがえのない活動だ。死期が迫った終末期は、人生の中でもっともコミュニケーションを必要とする時期だ。しかし、しばしば死期が迫っているからこそ、孤独感に襲われることもある。だがネットは、豊かなコミュニケーションを提供する。神仏の腕に包まれるように、ネット世界で人は包まれることもあるだろう。 余命いくばくもない人にとって必要なことは、安易な慰めでもなく、客観的だが悲観的なだけの情報でもない。必要なのは「祈り心」だ。神仏に祈れる人もいる。同じ宗教の信者たちに祈ってもらえる人もいる。健康心理学の研究によれば、祈られている人は病気が治りやすくなる。そして祈り心は特定宗教によらなくてもできる。祈り心とは、客観的には厳しい状況であることを知りつつ、同時に希望を失わない心だ。 東日本大震災の時に、日本は祈りに包まれた。「Pray for Japan」、日本のために祈ろうと、世界が日本の支援に乗り出した。国連はコメントしている。「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」。 義援金や救助隊員を送ってくれたことはもちろんうれしい。だが金や人だけではなく、その心に熱い想いを感じた人も多かったことだろう。真実の祈りは行動が伴い、真実の行動は祈りが伴う。世界はマスコミ報道により日本の状況を知り、そしてインターネットによってさらに詳細な情報が伝わり、人々はつながっていった。つながりこそが、人間の本質だ。 このようなことは、個人でも起こる。今回は、小林麻央さんというたぐいまれな人格と文才を持った女性が、苦悩と希望を発信してくれたことで、大きな祈りと交流が生まれたといえるだろう。ネットは世界を変えた。ネットは私たちの死生観をも変えるのかもしれない。

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    小林麻央さんの乳がんを「誤診」した医師の責任は問えるか

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 小林麻央さんが乳がんで亡くなった。享年34歳だった。夫である市川海老蔵氏と二人三脚の闘病生活をブログで報告し、多くのがん患者を勇気づけた。心からご冥福を祈りたい。彼女は夫ともども、有名人だ。病名発表時点からマスコミが大きく報じた。メディア報道によれば、彼女の闘病生活は順調ではなかったようだ。イベントに登場し、笑顔を見せる小林麻耶さん(左)と妹で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻、麻央さん=2014年10月16日東京都墨田区 たとえば、『FLASH』2016年11月1日号には「ステージIVに追い込んだ2人の医師を直撃 小林麻央奇跡への第一歩!」という記事が掲載されている。 見出しからして穏やかではないが、この記事によれば、小林麻央さんが最初に乳がんの可能性を指摘されたのは、2014年2月に人間ドックを受診したときだ。 彼女はすぐに東京都港区の有名病院の専門医を受診した。このとき、乳がんとは診断されなかった。詳細はわからないが、幾つかの検査を追加し、乳がんとは言えないと診断されたようだ。結果論だが、主治医は「誤診」したことになる。 8カ月後、彼女は乳腺の腫瘤(しゅりゅう)を自覚し、この医師を再診したらしい。このときに、乳がんと診断された。精密検査の結果、リンパ腺への転移も認められ進行していた。この後の闘病生活は広くメディアが報じる通りだ。 小林麻央さんのがんは進行が速い。一般論ではあるが、このようなタイプは、仮に早期診断しても治癒は難しい。早期診断したころには、すでに遠隔臓器に転移していることが多いからだ。メディアの中には「誤診」した医師の責任を問う声があるが、それは医学的には妥当な判断かわからない。 ただ、遺族には「もし、最初の主治医が誤診しなければ、治っていたかも」という思いが残る。早期に診断し治療していれば、治癒は期待できなくても長期に生存できた可能性は十分にある。小林麻央さんはもっと子供の成長を見ることができたかもしれない。その意味で、最初の主治医には責任がある。ただ、この主治医を断罪しても問題解決にはならない。医者を過信するべからず 読者の皆さんには、言い訳に聞こえるかもしれないが、医師は誤診する。特に早期の乳がんの診断は難しい。早期がんを画像診断や生検で正常と判断してしまうことは珍しくない。重要なことは、最初の医師が見落としてしまった乳がんを拾い上げるシステムである。この点において、最近、南相馬市立総合病院の尾崎章彦医師らが興味深い研究を英国の医学誌『BMC Cancer』に報告した。 尾崎医師は乳がんを専門とする外科医だ。2010年に東大医学部を卒業し、千葉県旭市、福島県会津若松市で研修を終え、3年前から南相馬市立総合病院に勤務している。 南相馬で診療を続けるうちに、「病状が進み、手遅れになってから来る患者が多い」と感じるようになったそうだ。特に独居の人が目立ったという。 彼は南相馬市立総合病院で保存されている病歴を用いてこの仮説を検証した。その結果は衝撃的だった。 2005年から震災までに乳がんと診断された122人の患者と比較し、震災から2016年3月までに乳がんと診断された97人の患者では、腫瘤(しゅりゅう)など乳がんの所見を自覚してから病院を受診するまでに3カ月以上を要した人の割合が1・66倍も高かった。さらに、12カ月以上受診が遅れた患者の割合は4・49倍も増えていた。いずれも統計的に有意な水準である。尾崎医師の予想通り、進行がんに成って受診する患者の割合は増加していた。 では、どんな患者が危険なのだろう。これも尾崎医師の予想通りだった。12カ月以上治療開始が遅れた患者18人のうち、子供と同居していたのはわずかに4人だった。症状自覚から12カ月以内に治療を開始した79人では、42人が子供と同居していた。家族、特に子供との同居が病院受診に影響したことになる。 このような反応は心理学の世界では「正常性バイアス」と呼ばれる。不都合な事態に直面すると、人はそのことを過小評価しがちになるのは万人に共通する傾向だ。東日本大震災で津波警報が出ても避難しなかった人がいたり、沈没船から脱出せずに溺死する人が多いのは、この機序(きじょ)によると考えられている。正常性バイアスを防ぐには 皆さんも体の異変に気づいたときに、「まあ大丈夫だろう」と思い、放置した経験がおありだろう。「病院に行ってきたら」と家族に勧められ、渋々、病院を受診した人も少なくないはずだ。家族の存在が正常性バイアスを防いでいることになる。 乳がんの患者の場合では、夫より子供がこのような役割を担うことが多いことが知られている。 ところが、福島県では原発事故が起こり、若者たちが避難した。福島県内の65歳以上の独居老人、あるいは高齢者夫婦の人数は、2010年の29万7144人から2015年の31万6096人と6.3%増加している。家族構成の変化が住民の健康に影響した可能性が高い。 では、小林麻央さんはどうだったろうか。彼女の2人の子供は5歳と4歳である。自らの病気を相談できる年齢ではない。夫の海老蔵氏は多忙だ。そもそも乳がんに関して、夫は相談相手にならないことが多いことに加え、十分に時間が取れなかったのではなかろうか。 小林麻央さんが最初の医師に「がんでない」と言われてから、再受診するまでの8カ月をどのような気持ちで送っていたかは、私にはわからない。おそらくだんだん大きくなる腫瘤(しゅりゅう)に対し、不安を感じていただろう。その際、「専門医が問題ないと言ったのだから、安心してもいい」と自らを信じ込ませていたのではなかろうか。典型的な正常性バイアスだ。 もし、周囲に「一度、病院に行ってくれば」という人がいれば、彼女は再度、受診したのではなかろうか。 確かに、はやい段階で病院を再受診しても、転帰は変わらなかったかもしれない。ただ、本人や家族の納得は違った可能性が高い。 乳がんは40~50代の女性に多い疾患だ。多くの患者が子育て中であり、核家族だ。子供が幼少の場合、相談相手がいないという点で状況は南相馬市と同じだ。子育て世代の女性は社会的に孤立していると言っていいかもしれない。 この問題を解決するには、問題の存在を社会的に認識し、普段から健康問題を相談できるような新たなコミュニティーを作ることだ。乳がん患者の支援には社会的な視点が欠かせない。

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    「ステージ4でも治したい」小林麻央さんの闘病記に感じた妙な胸騒ぎ

    それらには強い憤りを感じざるをえません。 先日、インターネット上に横行する虚偽・誇大広告を禁ずる改正医療法が成立しました。しかし、そのような対処はあくまでも広告のあり方に対するものです。現状、日本では、倫理やモラルの観点から「エセ医学」そのものを裁くような法的規制はありません。 したがって、科学的根拠の乏しいモノを「医療」と称して商売をしている関係者は、欧米のように法のもとで裁かれたり、資格免許が剝奪されるようなことはほとんどありません。翻ると、わが国は先進諸国の中でも世界一「エセ医学」に寛容だということです。麻央さんのエピソードを決して無駄にしないよう、一人ひとりが自身の死生観を顧みながら、賢いがんリテラシーを身につけて欲しいと願います。

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    小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由

    に辛いことは知らせないという文化の日本。そう、がんが患者本人にほとんど告知されていなかった昔の日本の医療において、家族でサポートして最後までだまし続ける「嘘も方便」の方法が取られていた時代があります。 欧米から「がん告知」の文化が輸入されましたが、それに伴う心理的影響を和らげてくれる宗教的フォロー(神父の病院常駐など)、カウンセラーの充実といった気持ちをサポートする制度の導入は正直日本では一部でしか行われませんでした。それだけが原因ではないですが、死生観について日本ではあまり深い議論もなされてきませんでした。 また、がんを告知する医師も相手の気持ちに寄り添う行為についてはトレーニング不足で、その結果、日本には自己責任の名の下、気持ちが落ち着かない告知後の患者たちがどんどん増えていたのです。 本来であれば緩和医療を含め、がん患者に対するサポートは、行政、医療、家族、友人が行っていくべきなのですが、非正規、共働き、核家族化、高齢化した日本では、ともに寄り添いながら話ができる時間も場所も限られています。それこそ最近できたがん患者の支援施設「マギーズ東京」以外ほとんどありません。 家族会なども本当にがんばっているのですが、いかんせんネットに飛び交ういい加減な情報、そして閉じこもりがちになる告知後の患者の傾向、病院においては共感しにくい教科書的対応など、結果患者は誰にも相談しにくい状況となり、今までのがん患者さんの気持ちを和らげる方法が正直足りていなかった可能性があります。 なぜ、麻央さんのブログがここまで共感を得たのか。そして医療的には今後どのようにしていくことが望ましいのか、医師としての自分の意見を述べさせていただきます。共感したのはがん患者だけではない 彼女ががんと告知された後の言葉で理想の母親像とのギャップについて話している部分があります。 全てやるのが母親だと強くこだわっていました。それが私の理想の母親像でした。 これは昔の日本の姿かもしれません。そういう思いがありながら病のために自分の体が動かない状況に麻央さんは最初隠れることを選びました。行動できない自分に対する負い目として。 緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。「がんの陰に隠れないで!」。私は気がつきました。元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印(らくいん)を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。 この時の悩む様は巷(ちまた)にあふれているがん闘病患者の共感を得ました。そう、麻央さんと同じように悩んでいる患者さんが多いということもありますが、がん患者だけでなくいろいろなことに悩みを抱えて誰にも話すこともできず一人で生きてきた普通の少し弱っている人間も共感したのです。 そしてがんという死の淵にある彼女がここまで笑顔でがんばっていることを応援するとともに、こうした境遇の人を応援することで自分もがんばろうという気持ち、人間としての共感が湧いてきたことが予想されます。 以下は海老蔵さんの言葉です。 「(ブログで)同じ病の人や苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合っている妻の姿は、私からすると人でないというか、なんというか……すごい人だなと」 「総合的に教わったこと、そして今後も教わり続けることは『愛』なんだと思います」 そう、今の日本における、足りない他者に対する「愛」を麻央さんのブログに感じたのです。この現象はおそらく「純粋」な彼女でなければ得られなかったでしょう。自分がどんなに辛くても他人を思いやる行動を見せようとする彼女。ブログに出てくる写真は笑顔がほとんどでした。その笑顔の奥に読者たちは無償の「愛」を感じることができたのです。妻の小林麻央さんの死去について会見で話す市川海老蔵さん=2017年6月、東京都渋谷区(撮影・早坂洋祐) そして麻央さんのテレビでの言葉です。 「もし私がこの病気を乗り越えて、いま私なりにある試練っていうものを乗り越えられたときに、病気をする前よりも、ちょっといいパートナーになれるんじゃないかな、っていう。なので、すごく思うのは、役者・市川海老蔵をパートナーとして支えられるチャンスを神様ください、っていつも思うんですね」 こんな少し弱音が混じりながらも他人のために生きたいという前に向かっている彼女の言葉は、今苦しんでいるさまざまな人たちを助け、そしてその人たちから贈られる感謝の言葉が彼女を励ましました。そう素晴らしい連動でした。 そして再びブログから。私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。だって、人生は一度きりだから。 この前向きな言葉が共感を呼び、多くの人を巻き込んでいったのです。芸能人の方のブログ、みなさんへの影響力はとても強いものです。そう、一緒にがんばろうという気持ちを読むものに奮い立たせてくれます。そして今回読み手だけではなく書き手にも良い効果が出たことは間違いありません。 そして麻央さんのブログの特徴は、厳しい戦いであることをみんながわかっていたのに、それでも笑顔を絶やさず、そしてたまに弱音を見せてくれる人間としてのありのままの純粋さを見せてくれたことです。こんな純粋な人、今時そうはいないでしょう。だからこそ250万人の読者を得たのだと思います。 ただ、医療者として分析すると、今回の麻央さんのような最期を迎えることができるかといえば、厳しいでしょう。患者と家族、医療がうまくかみ合った成功例 今回の麻央さんのような在宅における周りのサポートは正直一般の家庭では難しいからです。麻央さんが若かったことで親が看病できたという部分もあると思いますし、核家族ではないという点でもそうです。 他の大部分の家族ではおそらくサポートしようとすると家族がつぶれてしまうことも予想されます。BuzzFeedのこの記事における「仕事をしましょう」という主治医のおせっかいな言葉はまさにそれを表しています。そして献身的看病のため体調を壊す姉の麻耶さんの存在もこの在宅が維持できた一つの理由でもあります。 また、緩和医療の主治医の「がんの陰に隠れないで」という、この言葉で麻央さんがブログを始めたと書かれています。がんの治療はそれこそ麻央さんが望む完治を目指すと言ったものではなかった可能性が高いですが、それでもモチベーションを保つため症状の緩和を主眼とした姑息(こそく)的手術、適応外の放射線治療など、がんの発表後1年生存できたのは病院の麻央さん個人に対応する医療レベルがかなり高かった可能性があります。  そして最後の入院の際、今にも亡くなりそうであった麻央さんは奇跡の復活を迎えます。その時に家に帰した病院の対応、思い切りも正直素晴らしいものです。実際家に帰した後すぐに命を落とすことで訴えられた病院も多数存在します。 この点でも患者、家族、医療がうまくかみ合い、同じゴールを目指していたと思います。ただこの東京での優れた医療が地方を含めて行えるかは、まだ無理と言っていいでしょう。小林麻耶さん(左)と麻央さん=2014年10月、東京都墨田区 人間が当たり前と思っていた「明日」。毎日ただ生きていた人間にとって、それが約束されていない彼女の記録は日常のありがたさ、命の輝き、尊さなどいろいろ思いを気付かせてくれたでしょう。その中でも家族を大切にする彼女の記事は癒やしになったと思います。   子宮がんサバイバーでもあるタレント、原千晶さんのブログからです。 「さらけ出す覚悟」 誰かのために。誰かのために生きる事 それが、自分でも信じられないくらいの力を生み出すことを、がんを経験して知りました。 麻央さんを含め、がんサバイバーのみなさんは、この言葉を伝えたいのだと思います。 教科書的な緩和医療は「傾聴・共感・受容」ということばで患者の痛みを和らげるとされています。ただ、それは医療者だけでなく家族の支え、社会の理解があって初めて成立するものです。そしてこの言葉はがん患者だけに当てはまるのではなく、苦しんでいる人間にとって全てに当てはまるものです。 他人となかなか気持ちを共有できない時代、他人のサポートがなかなか得にくい時代、そして無償の「愛」を与える麻央さんだからこそ得られたこの250万人の読者。今後、悩んでいる読者が減少し、こんなにたくさんのフォロワーを出さないこと、医療体制を含めた整備が麻央さんの望みなのだと思います。

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    2度転院していた小林麻央さん、がん治療法選択の難しさ

    今、セカンドオピニオンという言葉の広まりから、より自分に適した治療を受けられる選択肢が格段に増えた。医療関係者が語る。「世界中のがん治療の統計によって導き出された最も有効とされる治療のガイドラインでは、切除(手術)・薬物・放射線治療が『標準治療』の3本柱とされています。程度の差によって、これを組み合わせていくのが治療の基本です。ところが、ネットなどに膨大な医療情報があふれている現在では、この標準治療を“最低限の治療”と誤解している人も少なくない。お金さえ出せば、ゴッドハンドと呼ばれる医師の元を訪ねれば、別の“特別な治療”を受けられるのではと考え、いつまでも治療方針が定まらないケースもあるのです」 ある著名な女性医師は、次のように警鐘を鳴らしている。「標準治療というネーミングが悪いイメージにつながっているのではないか。特に有名人の場合、標準治療とは一線を画した“スペシャルな治療法”が残されているのではないかという考えに陥ってしまうケースもある」 芸能関係者が明かす。「麻央さんのがんが発覚した前後に海老蔵さんが知り合った人の中に、切らないでがんを治す自然治癒や免疫療法を提案する人がいたそうです。しばらくはその人の方針に従って、数百万円の治療費をかけたと聞いています」 望むような治療方針を示されなかった麻央さんが転院したのはB病院だった。同院もまた、都内にある屈指の大病院といっていい。「最先端の放射線治療や抗がん剤投与を受けながら、『緩和ケア科』に通い、QOLを優先した治療を受けていたそうです」(B病院関係者) 2016年7月には、さらに別の都内の有名大学付属のC病院に移っている。3つの病院はいずれも日本の最高峰の医療を受けられる大きな病院だが、乳がん治療に詳しいベルーガクリニック院長の富永祐司氏(乳腺外科)は「大病院を3つも変えるというのは、非常に稀なことというほかありません」と指摘する。がん“放置”?麻央さんと海老蔵の揺れた心 2度の転院は、麻央さんと海老蔵の揺れる心を表していたのかもしれない。その陰には、当時、医療界に吹き荒れていた風潮が影響した可能性もあるのだろう。 元慶応大学医学部講師の近藤誠医師が2012年12月に著した『医者に殺されない47の心得』は110万部を超えるベストセラーになった。近藤氏はがんを「積極的に放置」する治療法の第一人者といえる。「近藤医師によれば、がんには本物のがんとニセモノの『がんもどき』があり、本物は発見した時点で転移しているため手術の効果はなく、がんもどきは転移しないので放置すればいいというものです。それどころか手術することによってがんが増殖や拡散するケースもあり、手術や抗がん剤治療は無意味とまで断じています。 賛否両論が渦巻く近藤理論ですが、がん患者に与えるインパクトは強く、2年ほど前は手術や抗がん剤治療を拒む患者が続出しました。そうした風潮の中でがんに関するあらゆる情報を集めた麻央さんが“放置”に傾いた可能性は否めません」(医療ジャーナリスト) さまざまな要因が重なって手術を回避した麻央さんだったが、気がついた時には治療の選択肢が限られていた。昨年春には骨や肺への転移が進み、手術もままならない状態になった。海老蔵は今年1月に放送された密着特番『市川海老蔵に、ござりまする。』(日本テレビ系)で当時の様子をこう明かしている。「早かったら3、4、5月でたぶんダメだった。夏は絶対無理だと思った」 そのシーンが撮影されたのは昨年10月。奇跡のような状況の一方で、麻央さんの命は着実にがんに蝕まれていった。今年4月、麻央さんはがんが顎に転移したことを公表した。「5月末に退院して在宅医療に切り替えた頃には、ひどい頭の痛みにも苦しんでいたみたいです。それでも麻央さんは生きようとしていた。もし、もっと麻央さんに合った治療を最初からできていれば…。そう考えると後悔してもしきれません」(梨園関係者) 綿密な研究に裏打ちされた最新の治療法から、根拠に乏しい民間療法まで、世の中には数え切れないほどの情報が氾濫している。ごく限られた一例が大々的に話題になることで、それまでの治療法の一切が否定されたようなブームとなることさえある。私たちに必要なのは、統計や調査、研究の上に立った正確な情報を取捨選択し、耳当たりのいいだけの不確かな煽り文句に踊らされないことなのだろう。関連記事■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 切らない選択をした麻央さん 「できれば3人目」という思い■ 麻央さん娘・麗禾ちゃん 明るく振る舞う姿に周囲が心痛める■ 病院の海老蔵・麻央を隠し撮りしたフジ 怒られなかった理由■ 小林麻央 暴走族グループの報復が怖くていまも眠れない

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    切らない選択をした麻央さん 「できれば3人目」という思い

    、患部のみ切除して乳房を温存する『部分切除』があり、患部の場所やがんの進行具合に応じて判断します」(医療関係者)治療方針は示されたが…治療方針は示されたが… 乳がん治療に詳しいベルーガクリニック院長の富永祐司氏(乳腺外科)は次のように解説する。「麻央さんの場合、乳がんとリンパ節への転移が認められたそうですが、その段階で手術して切除するというのが一般的な治療だと思います。並行して抗がん剤治療やホルモン療法は必要になりますが、充分寛解の可能性はあったのではないでしょうか」 実際、その時点で麻央さんが通っていた都内のA総合病院でも「早めに切るべき」という治療方針が示されたという。「ですが、麻央さんと海老蔵さんは“切らないで治す”方法を模索していたそうです。女性にとって、乳房にメスを入れることには大きな抵抗があります。ただ、それは病院の方針とは食い違うものでした。結局、しばらくして麻央さんは別の総合病院に移ることになりました」(A病院関係者) なぜ、麻央さんは切らないことにこだわったのか。その理由の一端は、麻央さんのブログに垣間見える。《「子供は2人いますので、3人目は考えていません」と何の強がりなのか言ってしまったが、私は、ふたり姉妹で育ってきたので、麗禾に妹ができたらな、とか勸玄にも分かり合える弟ができたらな、と思ってきた気持ちは、高望みだと一気にかき消した》(2016年9月21日) 前出の梨園関係者が明かす。「(小林)麻耶さんとの仲良し姉妹で知られる麻央さんとしては、麗禾ちゃんに妹ができれば幸せだったし、男の兄弟がいなかった海老蔵さんは勸玄くんに弟ができることを夢見ていたそうです。麻央さんには“できれば3人目を…”という思いがあり、なかなか手術に踏み切れなかったというのもあったのでしょう」 一般的に、乳がんの切除と前後して抗がん剤の投与が行われるが、薬の影響で、排卵機能が停止し、そのまま機能が戻らないこともある。また、術後に行われることの多いホルモン療法も、その後の妊娠への影響が懸念される。多くの妊娠を望む女性と同様に、麻央さんにとっても、それが大きな判断基準の1つだったのかもしれない。関連記事■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 麻央さん娘・麗禾ちゃん 明るく振る舞う姿に周囲が心痛める■ 小泉孝太郎、気遣い上手な女性と交際 本人は直撃に認める■ 病院の海老蔵・麻央を隠し撮りしたフジ 怒られなかった理由■ 小林麻央 暴走族グループの報復が怖くていまも眠れない

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    夢のがん治療薬は国を滅ぼす? ボロ儲け製薬企業の「暴走」を阻止せよ

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 新規抗がん剤ニボルマブ(商品名オプジーボ)が話題だ。その理由は高額な薬剤費。肺がん患者に1年間使用すると、薬剤費は約3500万円もかかる。このままでは「医学の勝利が国を滅ぼす(里見清一医師)」ことになりかねない。4月には財務省の財政制度審議会でもやり玉にあがった。本庶祐・京大客員教授との共同開発で小野薬品工業が発売するオプジーボ ニボルマブは、小野薬品がブリストル・マイヤーズスクイブ社(ブ社)と協力して開発した画期的な抗がん剤だ。リンパ球の一種類であるT細胞の表面に発現するPD-1分子に結合することで、がん細胞に対する免疫を活性化させる。世界で初めて実用化されたがん免疫治療薬で、開発者である本庶佑・京大名誉教授はノーベル賞の有力候補となった。小野薬品が臨床開発の候補として白羽の矢を立てたのは悪性黒色腫だ。皮膚癌の一種で、以前から免疫治療に反応しやすいことが知られていた。 年間の発症数は2000人程度と少ない。治療薬を開発する企業には、優遇措置が与えられる。例えば、患者数5万人以下の疾病を対象とした薬剤は「希少疾病用医薬品」に認定される。承認審査は優先され、高い薬価がつく。 14年7月、ニボルマブは悪性黒色腫の治療薬として承認された。世界初の承認だったことが話題となった。この時は、体重1キロあたり2mgを3週間に1回投与することが推奨された。薬価は100mgの静注製剤で72万9849円に決まった。年間470人が使用すると想定され、原価は積み上げ方式で45万9778円と算定された。さらに、画期的な新薬であるため、利益率は標準の16・9%の6割増しとなった。この結果、体重60キロの患者の年間の薬剤費は約1500万円となった。 小野薬品は当初の予定通り、悪性黒色腫以外のがんの開発も進めた。そして15年12月には、切除不能な進行・再発の非小細胞肺がんにも適応が拡大された。この時の治験では、ニボルマブを投与された患者の生存期間は約3カ月延長し、治療から2年の段階で2割の患者が生存していた。 注目すべきは、投与量は世界標準である体重1キロあたり3mgを2週間に1回投与するように増量されたことだ。この結果、1年間の薬剤費は約3500万円に跳ね上がった。肺がんの患者数は悪性黒色腫とは比べものにならない。もし、日本の肺がん患者10万人の半分が1年間、ニボルマブを投与されれば、薬剤費の総額は1兆7千億円になる。これは日本の総薬剤費を2割程度押し上げる数字である。 肺がんに適応を拡大した際、ニボルマブの投与量は2倍以上に増えた。患者も100倍程度増えた。「希少疾病用医薬品」の主旨に照らし、薬価を引き下げるべきだ。子どもでも分かる理屈である。国民皆保険制度が壊れてしまう ところが、厚労省は何もしなかった。当初、厚労省は消費税引き上げに伴う医療機関の損税に対応するため、17年4月に薬価を改定する予定だったが、安倍政権の消費増税延期とともにお流れとなった。 中央社会保険医療協議会(中医協)では、ニボルマブだけでも薬価を引き下げようという話が出てきたが、日本医師会は乗り気ではなかった。その理由は「来年、ニボルマブの薬価を下げると、再来年の診療報酬改定で、医療に回す財源がなくなるから(医療業界誌記者)」だ。結局、何も決まらず、医療費だけが膨張する。迷走を尻目に、小野薬品はボロ儲けした。6月期には252億円を売り上げた。前年同期比17倍の伸びである。全医薬品の中で3番目だ。17年3月期の売上は1260億円と予想されている。 最近、ニボルマブは腎細胞がんにも適応が追加されたし、小野薬品とブ社は、ホジキンリンパ腫、頭頸部がんへの適応拡大を申請中だ。さらに胃がん、食道がん、肝細胞がん、卵巣がんなどへも臨床試験を行っている。小野薬品も批判は理解している。同社社長、相良暁氏は朝日新聞の取材に答え、「先に肺がんで申請していれば、薬価は安くなったに違いありません」とコメントしている。 ただ、「売上高が予想の1・5倍以上で年間1千億円を超えた薬に限り薬価を下げる特例拡大再算定制度も今年始まりました。高額薬を狙い撃ちにしたこれらの制度は経営の見通しを立てにくくさせ、研究開発へ負の影響も出かねません」と理解を求めている。製薬企業の経営者が、しばしば用いるロジックだ。 ただ、20年度には全世界の売上が1兆円近くに達すると予想されているニボルマブに対し、この説明は説得力がない。私は、画期的な新薬に相応の対価を払うことを否定しない。ただ、程度の問題だ。ニボルマブを「夢の新薬」と煽り、高額な薬価を正当化しても、長期的には国民のためにならない。国民皆保険制度が壊れてしまっては、元も子もない。製薬会社の説明を額面通り受け取るな 製薬企業は営利企業だ。彼らの説明を額面通りに受けとってはいけない。製薬企業が生き残るには、利益をあげなければならないからだ。彼らには、彼らの理屈がある。 抗がん剤は数少ない「儲かる」分野だ。年率10%以上の成長が見込め、20年には世界の医薬品市場の15%を占めると予想されている。降圧剤(3%)や糖尿病薬(7%)とは比較にならない。 武田薬品のウェーバー社長も「今後はがん、消化器、神経系の三つの分野に重点を置く」と公言しており、従来、得意だった糖尿病薬や降圧剤からは撤退することを表明している。 製薬企業の「暴走」をチェックするのは、本来、医師の仕事だ。ところが、専門医が、その役割を果たしていない。むしろ、製薬企業と一緒に利益を独占している連中までいる。この問題については、総合情報誌『選択』9月号に秀逸な記事がでている。興味のある方は、お読み頂きたい。https://www.sentaku.co.jp/articles/view/16216 ポイントは高額な薬価差益と、処方権を専門医に限定することによる利権だ。国立がん研究センターの幹部が、自らが理事長を務める学会(日本臨床腫瘍学会)が認める専門医しか処方できないように提言し、それが実現している。 日本臨床腫瘍学会の会員でない医師が、同学会の専門医資格を取ろうとすれば、受験料・審査料・認定料などで18万円を支払わねばなない。「日本臨床腫瘍学会は、利益相反を無視して、高額な薬価から間接的に利益を受けている」と批判されても仕方ない。 資本主義社会で価格の決定は難しい。ただ、常識的な線があるし、小野薬品のやり方は卑怯だ。ニボルマブに幾らの値段を払うか、それは、薬価決定のプロセスも含めて、国民が納得するものでなくてはならない。そのためには、情報開示が必要だ。ニボルマブを国民皆保険の仕組みに、如何にして取り込んでいくかは、国民視点でオープンに議論しなければならない。

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    夢の新薬で「トンデモ治療」? オプジーボに生まれる新たな火種

    臨床試験の結果では、奏功する割合は20-30%程度であり、オプジーボの効果が事前に予測できないことも医療経済的には問題になっているかと思います。そして、メディアは相も変わらず、まるで奇蹟でも起こすかのような「画期的な効果」ばかりに注目して報道しますが、申し上げておきたいのは、オプジーボは治せないものまでも治す「ミラクルを起こす」薬ではないということです。あくまでもがんと上手に共存するための全身治療の一つという位置付けであることに今一度理解しておく必要があります。夢をビジネスチャンスに…乱用するクリニック 効果ばかりに目が行きやすくなるのは仕方ありませんが、元々備わっている免疫バランスを崩して前述したT細胞の攻撃機能を惹起させるので、健常な「自己」組織にもダメージを与えることは知っておいたほうがよいでしょう。要するに、抗がん剤とはまるで違った副作用のある「諸刃の剣」のような薬であることをご理解ください。以下、オプジーボ添付文書より重大な副作用を抜粋してみます。 ・間質性肺疾患 ・重症筋無力症、筋炎 ・大腸炎、重度の下痢 ・1型糖尿病(劇症1型糖尿病を含む) ・肝機能障害、肝炎 ・甲状腺機能障害(甲状腺機能低下症、甲状腺機能亢進症、甲状腺炎など) ・神経障害(末梢性ニューロパチー、多発ニューロパチー、自己免疫性ニューロパチー、ギラン・バレー症候群、脱髄など) ・腎障害(腎不全、尿細管間質性腎炎など) ・副腎障害(副腎機能不全など) ・脳炎 ・重度の皮膚障害(中毒性表皮壊死融解症、皮膚粘膜眼症候群、多形紅斑など) ・静脈血栓塞栓症(深部静脈血栓症など) ・インフュージョン・リアクションなど  これまでに、死亡例が出るほどの重篤な副作用も報告されています。従来の抗がん剤と違って特徴的なのは、様々な臓器をまたいだ自己免疫疾患にも似た副作用が多いということです。その副作用対策のためには、呼吸器内科、内分泌・代謝内科、皮膚科、消化器内科、神経内科など、多職種の専門医たちによるチーム連携でもって安全管理に努めなければいけません。 したがって、誰にでも気軽に扱える新薬ではないということです。現状では、「抗がん剤治療に十分な知識・経験をもつ専門医師のもとで、緊急時に十分対応のできる医療施設で使用するよう」に警告されています。そして、本稿が掲載される時点では肺がんとメラノーマ、そして腎細胞がん以外のがん疾患では適応とはなっていません。 ここで新たな火種となりかねない大きな問題が生じています。この「夢の免疫療法」登場をビジネスチャンスととらえて、適応疾患に関係なくこのオプジーボを乱用する民間クリニックが最近では増えているようです。その中でも、インターネットやメディアを巧みに利用して一般向けに宣伝を強めることで患者さんを惑わしているクリニックが現れました。もともと美容形成ジャンルを扱っている大手クリニックグループが、がん免疫療法専門クリニックを立ち上げ、「当院独自のアクセル+ブレーキ療法」と勝手に題して、およそがん治療の素人に等しい医師が、自前の免疫療法と組み合わせることで、明らかに適正な用法・用量を逸脱したトンデモ診療を行っているようなのです。 また、最近では、危惧されていた事例が起こり問題となっています。自由診療であるクリニック免疫細胞療法がオプジーボと併用して投与されたことで、通常の抗がん剤にはみられない劇症型心筋炎が疑われる心不全で死亡したケースが報告されています(http://www.mhlw.go.jp/file/06-seisakujouhou-10800000-iseikyoku/0000131641.pdf)。要するに、副作用のマネージメントができない専門医不在の民間クリニックには、最初から近寄らないほうが賢明だということです。オプジーボがかつてのイレッサ (一般名:ゲフィチニブ) のように、「夢の新薬」から一転して「悪魔の免疫療法」というイメージに成り下がらないことを願うばかりです。

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    「奇跡のがん治療薬」オプジーボに立ちはだかる5つの現実

    「手術」「放射線」「抗がん剤」の3大治療法しかありませんでした。そしてそれらを組み合わせることでがん医療は治療成績をわずかながら進歩させてきました。しかし同時に目に見える延命効果が僅かであったため、その副作用とクオリティ・オブ・ライフ(QOL=生活の質)悪化のバランスが問題となり、抗がん剤を使わないほうがいいという主張で論争が起きるなど医療不信の原因ともなっていました。 あなたががんと言われても、病変が限局し手術で取りきれば完治の可能性があります。実際手術適応の胃がんでは90%以上手術で治癒、長生きできます。がんが拡がっていて手術できないような時は抗がん剤や放射線が使われますし、それこそ手術前に使用して小さくしてから手術という方法も存在します。ただがん種によって異なりますが、血液疾患等を除いて、抗がん剤等は治癒ではなく延命を目的に行なわれることが多く、再発したがん患者の治癒はほぼ絶望的で、命を一定期間延ばすだけでした。 この3つの治療に加えて現状を打破し新たに出てきた治療法が免疫治療です。抗PD−1遺伝子抗体Nivolumab(オプジーボ)の登場で、奇跡のがん治療が一躍現実のものとなってきています。アメリカのカーター元大統領はPembrolizumab(キートルーダ)と呼ばれる薬の恩恵を得ています。 まさにいいことづくめのようですが、いまある問題点を解説していきます。問題点1 高額な値段2 投与するまで効果の予測が難しい3 やめ時がわからない(Until PD)4 副作用が今までと違う5 併用薬がまだ不明年間3500万円の抗がん剤を使う患者は何割? 最近の新薬に共通して言えますが、オプジーボは何せ高い! 日本の値段設定も問題ですが、薬品代だけでイギリスの4倍、アメリカの2倍の値段が付いています。それこそ年間3500万円! そしてこれは薬の値段だけで、実際にはその他の費用もかかります。それもこれも日本の医療の値段のつけ方がおかしいからです。 ただ日本の保険制度なら1−3割の負担で済む上、高額療養等の制度があるため、患者が払う額は年間最高200万円に抑えられ、その他は税金などで賄われます。欧米に比べたら患者は恵まれてはいますが、国は大変です。 またついこの間初発、つまり今まで治療を受けていない肺がん患者に対しては、今までの抗がん剤と治療成績が変わらないことが報告されました。だからオプジーボは再発後、化学療法後進展し、オプジーボ投与にて効果が出た症例(一般的には投与患者の2−3割のみ)のみ年間3500万円の薬品を使うという予想になります。もちろんこれはすべてのがん患者に当てはまるわけではありません。計算すると、「患者数×再発患者割合×0.2~0.3」になり、全体の1-2割程度になります。それゆえ、お金がすぐにパンクすることはないと考えていますが、せめて値段はイギリス並みにはする必要があるでしょう。 しかも基本効くかどうか、投与するまでわかりません。いや投与してもわからないことがあります。それは、オプジーボの反応が出て腫瘍が小さくなる前にがんが見た目一瞬悪くなる時があり、今までのがんの評価方法が使いにくいのです。そのため免疫治療用の新しいがんの評価方法が作成されています。薬によって今までの治療効果判定基準が変わったのです。 また治療効果を予測するバイオマーカー(生体指標)がないというのもあります。もう一つの抗PD-1抗体薬「キートルーダ」では腫瘍のPD-L1発現50%以上という投与の縛りがありますが、オプジーボの前試験においてPD-L1発現の低い患者でも効果が出ていることが言われています。 この効果を予測するバイオマーカーを、今見つけるためにいろいろなところで研究されています。先ほど挙げたPD-L1発現は概ね一つの候補なのですが、発現が低い症例でも効果が認められています。また腫瘍に浸潤するリンパ球(TIL)が多い方がいいなども上がっています。 実際ホジキン病という悪性リンパ腫は、腫瘍に浸潤するリンパ球(TIL)が多いことで有名なのですが、抗がん剤の効果がなくなった難治性の患者さんに8割以上の反応を見せています。 分子標的医療薬のようなはっきりしたバイオマーカー(例:EGFR=上皮成長因子受容体など)のようなものが見つかれば、投与される患者がさらにセレクトされることになるでしょう。 またPD-L1発現に関しては、新たな抗がん剤耐性のメカニズム、腫瘍免疫誘導の低下として報告されています。遺伝子の変異でPD-L1タンパクの発現増強がATL(成人急性T細胞性白血病/リンパ腫)で言われています。この疾患は抗がん剤耐性のリンパ腫として有名で、まさに今後オプジーボの効果が期待できるでしょう。また悪性リンパ腫として代表的なDLBCL(びまん性大細胞型リンパ腫)においてもPD-L1発現が予後不良因子として報告されています。またビダーザ治療に伴いMDS幹細胞にPD-L1発現が認められており、治療法がないビダーザ耐性のMDSに新たな治療薬が出る可能性があります。今後他のメカニズムを含めてオプジーボはすべての悪性新生物に適応を拡大しそうと考えています。だからこそお金のことも含めてバイオマーカーが必要なのです。「がんの万能薬」だからこそ必要な改善を さらに効果が出ている患者にいつまで使い続けるのかも全くわかっていません。効果が出てがんが消えても再発しないようにとか、治療効果がなくなるまで、悪くなるまで使い続ける、つまり止められないといったもの(Until PDという用語で製薬会社としては最高の利益が出る方法)も問題となっています。ですからいつまでたっても薬の投与が終わりません。免疫治療の理論としては消失したらやめても大丈夫と思うのですが、結果医療費は膨れていきます。 おまけに一般的な抗がん剤と違い、副作用への対処が全く異なります。作用機序は一種の自己免疫誘導!それゆえ疲労感、食欲不振、大腸炎、皮膚炎、間質性肺炎、激症型糖尿病、重症筋無力症などの膠原病に似た自己免疫疾患の副作用が報告されています。それこそ膠原病専門医、消化器専門医、皮膚科専門医、呼吸器専門医、神経専門医、内分泌専門医のチーム診療が必要になり、選ばれた病院でしか治療できない状態です。ただその頻度はさほど多いわけではありません。 またその副作用治療にはステロイドや免疫抑制剤といった免疫を抑制するものが使われています。どうしてもがん免疫治療に対し少し矛盾になってしまいますが、その後の再発率が高いわけではないようです。ここもまだよくわかっていません。 まだ2-3割しか効果がないオプジーボは、その他の薬を併用することでその効果が上昇することが期待されています。事実メラノーマでは別の免疫治療薬ヤーボイとの併用で治療効果増強が報告されています(その分副作用も多いのですが)。 それこそ、初発肺がん患者に抗癌剤と併用すると、抗がん剤単独やオプジーボ単独に比べて効果があるのではと期待されています。その他の免疫治療薬や抗がん剤、分子標的医療薬との併用も、どのがん種でも理論上期待できます。このように免疫治療薬には未来があります。 今まで死ぬことが運命付けられていた再発がん患者が治癒しているこの治療法。正直夢のがん治療、がんの万能薬であることは間違いありません。ただお金、効果、併用薬などはまだまだ改善する必要がいっぱいあります。経済などを含めて考慮されなければいけません。がん撲滅プロジェクト「Cancer Moonshot」について演説する、同プロジェクトを主導するバイデン副大統領=9月16日、ヒューストン(AP) ただ死を待つしかなかった患者さんの数割ではあるものの治癒をもたらすという一番のハードルを超えた今、その他の改善は容易なことが予想できます。アメリカではがん撲滅運動「National Cancer Moonshot」に対して巨額の予算が拠出されました。iPS細胞すら少ない予算しかついていない日本にとっては、またアメリカが恩恵を得るだけになってしまうかもしれませんが、全ての悪性新生物が治癒する時代がくる可能性だってあります。そう考えれば未来は明るいものになるでしょう。

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    夢のがん治療薬「オプジーボ」の光と影

    いま、一つの新薬をめぐり議論が渦巻いている。小野薬品工業が開発したがん免疫薬「オプジーボ」(一般名・ニボルマブ)である。治療効果が高く画期的な新薬との評価がある半面、超高額の薬価は国の財政を圧迫しかねないとの懸念も広がる。夢の新薬が問う「命の値段」。その光と影を考える。

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    肺がん「夢の特効薬」 効果が出るのは患者全体の2割程度

    ある薬の中でも、「治療」と「延命」の境目が曖昧なのが抗がん剤だ。 昨年12月、肺がんの新薬として公的医療保険が適用された「オプジーボ」は“夢の特効薬”として注目を集めた。しかし、がん細胞が縮小するなどの効果が表われるのは肺がん患者全体の2割程度とされ、その効果も1年生存率を39%から51%に押し上げるに過ぎないという海外の臨床試験のデータもある。「肺がんが消えてなくなる」──といった過大な期待は禁物だ。関連記事■ 肺がん治療薬イレッサ 2週間でがん細胞がほぼ消滅した例も■ 抗がん剤使わぬがいいとの説 梨元氏は使用後2か月で亡くなる■ 「抗がん剤は使えば使ほど寿命が縮まります」と近藤誠医師■ 現在の乳がん治療は「切る」「切らない」の二択ではない■ がん治療費 乳がんは5年92万円、肺がんは2年45万円のケース

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    新薬の高騰が止まらない! 抗がん剤が日本を滅ぼす日

    中山祐次郎(外科医、都立駒込病院 大腸外科医師) 抗がん剤が医療費を跳ね上げる時代が来ている。そして医療費はおろか、日本経済を破壊しかねない可能性がある。かねてより筆者は、徐々に高価になってきた抗がん剤の薬価(薬の値段)に強い危惧を持っていた。今回新しい抗がん剤が承認されたことを機に、抗がん剤の薬価について論じたい。 平成27年12月17日、厚生労働省は「オプジーボ(一般名 ニボルマブ)」という新しい抗がん剤を肺がんに対して承認した。この薬はもともと皮膚がん(正式には皮膚悪性黒色腫)に対する抗がん剤として以前から使われていた薬剤で、今回は適応拡大(ある病気にのみ適応となっている薬が、他の病気にも新たに適応となること)の決定となった。 この抗がん剤はこれまでの抗がん剤と違い、免疫に作用することで効果を発揮するという新しい作用機序 (薬が作用し効果を示すためのシステム)を持つため、業界でも大変注目を浴びている。ただ、劇的な効果を持つというわけではなく、例えば肺がんに対する従来の治療法、ドセタキセルという抗がん剤と比べ、生存期間を約3ヶ月延長する(扁平上皮がんでは6ヶ月→9.2ヶ月、非扁平上皮がんでは9.4ヶ月→12.2ヶ月)というものだ。 そして、肺がん以外での承認を目指し他のがんの領域でも様々な臨床試験が行われている。 効果がある新薬の登場は医療現場としても喜ぶべきものだが、今回は手放しで喜べない事態となっている。それは、この薬の価格だ。 肺癌学会ホームページによると、このニボルマブの薬価は1ヶ月で約300万円。筆者の計算でも332万4622円となった(計算の詳細は下記の※)。これは以前使われていたドセタキセル、ジェネリック薬を使えば1ヶ月で5万円以下であることを考えれば、異常に高価である。 販売元である小野薬品工業株式会社は、このようなファイルを公開している。・抗悪性腫瘍剤「オプジーボ点滴静注 20mg、100mg」の平成 28 年 3 月期売上実績および平成 29 年 3 月期売上予想について これによると、平成28年度3月期の売り上げは212億円であり、1年後の平成29年3月期の売り上げは1260億円になると予想している。この極端な増加はもちろん今回の肺がんへの適応拡大により使用する患者さんが増えることによるものだ。さらに計算をすると、一年使ったとして300万円×12ヶ月=4200万円。これを製薬会社が推定している新規使用患者数の15,000人が使うと、4200万円×15,000人で6300億円だ。同じ人数が使ったとして2年で1兆円を超す。どんどん高額化している抗がん剤どんどん高額化している抗がん剤 日本では「高額療養費制度」という制度がある。詳しくはこの厚生労働省ホームページを参照いただきたいが、すごく簡単に言うと「めちゃくちゃ高い治療費を払わなくていいように、月10万円くらい払ってもらえればあとは全額キャッシュバックします」という制度だ。この「月10万円くらい」の額面はその人の収入によって異なっており、例えば年収が1160万円以上の人は約25万円だし、年収が370万円~770万円では約8万円、年収が370万円以下だと6万円くらいになる。さらに「多数回」など色々な制度があるので、実際に払う額はもう少し少なくなる。 そして生活保護制度の受給者はかかった医療費全額が支給されるため、どれだけ医療費を使っても支払う額はゼロだ。つまり、かかった高額な医療費のほとんどあるいは全額が国のお金で支払われることになる。 高価なものはニボルマブだけではない。増え続ける大腸がんの治療薬として広く使われる「アバスチン(一般名 ベバシズマブ)」を使った多剤の治療(FOLFOX+Bev)は1ヶ月に約50万円、「アービタックス(一般名 セツキシマブ)」や「ベクティビックス(一般名 パニツムマブ)」を使った多剤ではだいたい約60-80万円だ。 これらの薬は「分子標的薬」と呼ばれる新しいもので、従来の抗がん剤と比べると比較的副作用が少なく効果が期待できるのが特長だ。今現在でも多数の分子標的薬の開発・臨床試験が進行しており、これからさらに多数の薬が登場してくると予想されている。 多くの薬が使えるようになることはひとりひとりの治療にとっては良いことだが、国全体で考えた場合は医療費を押し上げ続けることにもなる。 そういえば4年前にこんな事件があった。新しい抗がん剤がリリースしたのだが、あまりに高価すぎるためにニューヨークの有力な医師が「高すぎてウチの病院では使わないことにした」と公表したところ、あっと言う間にその抗がん剤の値段が半額になったのだ。 冗談のような話だが、これは実話である。その薬の名は「ザルトラップ(一般名 アフリベルセプト)」。新しい分子標的薬だったが、その薬価の高さ(1ヶ月で約100万円)と効果を考えたそのドクターは、ニューヨークタイムズ紙にこんなレターを送っている。...we must remember that the best medical care is not always the most expensive.出典:'The High Cost of a Cancer Drug: An Oncologist’s View' The New York Times, Oct. 19, 2012「我々医師は、『最も良い医療は、いつもがいつも最も高価なものではない』ということを肝に命じておく必要がある。」(筆者訳) ちなみにこの薬は日本ではまだ保険適応ではない。開発と市場規模、抗がん剤が高価な理由開発と市場規模、抗がん剤が高価な理由 しかし製薬会社にも価格の設定を高価にした理由はある。一つは、新薬開発にかかる費用と時間だ。冒頭で取り上げたニボルマブは、実際に患者さんに投与できるまで10年以上もかかっている。費用は一般に数百億円以上の単位と言われる。このホームページにも1品目あたりのくすりの開発費用は200~300億円にも達します。出典:製薬協ホームページとある。 1992年に京都大学の本庶らが発見したPD-1という遺伝子が同定されて以来10年の時を経て、小野薬品という日本の製薬会社に開発の話が持ち込まれたという。当時は「がんの免疫療法」が医師たちの間ではそれほど信頼のおけるものではなく、周辺の怪しい治療法とともに眉唾と考えられていたため、開発や臨床試験にもかなりの困難を伴ったことだろう。 この開発コストを回収しなければ会社は存続できないし、次の新薬開発の資金もなくなってしまう。 製薬会社としてはそれほど大きくはない規模の小野薬品が、世界のメガファーマと呼ばれる売り上げ3兆円以上を押しのけこの「がん免疫療法」の開発の先陣を切り文字通りトップに立ったことは賞賛に値する。市場もニボルマブを評価していて、小野薬品の株価は上がり続けており現在では1年前の倍以上だ。 もう一つの高価な理由として、抗がん剤市場の規模がある。実は、抗がん剤のマーケットは他の薬剤と比べそれほど大きいわけではない。 例えば高血圧患者さんは日本に906万7,000人いるが、継続的な治療を受けているがん患者さんは152万人と単純な比較でもかなり少ない。そしてがん患者さんの全員が抗がん剤投与を受けているわけではない。さらに言えば、高血圧の患者さんは10年も20年も薬を飲み続ける人が多い(基本的には内服が始まったら殆どの患者さんは亡くなるまで飲み続ける)が、がんの患者さんは「死亡」により抗がん剤使用はストップする。また、抗がん剤は蓄積する毒性により副作用が出るものが多いため、5年も10年も抗がん剤を使用することは稀だ(乳がんでホルモン剤を5年以上使うことはある)。 高血圧の市場は大きく、年間の医療費は1兆8,890億円と報告されている。事実、高血圧の薬は競うようにして毎年開発され、過度な競争がしょうもない事件まで引き起こした(ノバルティスと武田薬品の事件、詳細は各製薬会社ホームページに掲載されている)。詳細は他稿に譲るが、医師主導臨床試験に製薬会社社員を研究者として突っ込み、その研究者によるデータ改ざんをしたり医師用の説明パンフレットで効果があると勘違いしやすいグラフを用いたりという不正だ。業界内で規制がかかる数年前までの、製薬会社によるすさまじい接待攻勢は高血圧治療を担当する循環器内科医には常識的だったのだ。 新規抗がん剤の価格は高騰しており、特にニボルマブは極めて高価である。見通しの明るくない日本経済の中でいかに高価な薬剤を考えるか、がこれからの課題である。この記事が問題提起になることを切に願う。※文中のニボルマブの価格については、60kgの人に2.5回/月投与した計算。添付文書によると、3mg/kgを2週間に1回投与するレジメンである。1回投与する量は3mg/kg x 60=180mgとなり、100mgで72万9849円、20mg x 4で15万0200円 x 4 =60万0800円、合計で180mg、132万9849円となる。2週間に1回投与なので、1ヶ月に2.5回で132万9849円 x 2.5= 332万4622円と算出した。※文中で使用している「抗がん剤」という用語は、あらゆる作用機序のがんに対する薬剤という意味で使っており、殺細胞性抗がん剤のみならず分子標的薬剤や免疫チェックポイント阻害剤なども含みます。※記事は筆者個人の考えであり、所属団体の意見ではありません。製薬会社の方のご意見や反論など、広く歓迎いたします。 (参考)厚生労働省ホームページ「高額療養費制度を利用される皆さまへ」厚生労働省ホームページ「生活保護制度」日本肺癌学会「ニボルマブ(オプジーボ)に関する声明文公開・要望書提出について」小野薬品工業株式会社Nivolumab versus Docetaxel in Advanced Squamous-Cell Non-Small-Cell Lung Cancer Brahmer J. et al. N Engl J Med 373:123, 2015Nivolumab versus Docetaxel in Advanced Nonsquamous Non-Small-Cell Lung CancerBorghaei H. et al.:N Engl J Med 373:1627, 2015一般社団法人 日本生活習慣病予防協会厚生労働省 「がん患者数の年次推移」(『Yahoo!ニュース個人』より2016年4月27日分を転載)なかやま・ゆうじろう 1980年、神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部卒。その後、がん・感染症センター都立駒込病院外科初期・後期研修医を修了。現在は同院大腸外科医師(非常勤)として勤務。資格はマンモグラフィー読影認定医、外科専門医、がん治療認定医。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと〜若き外科医が見つめた『いのち』の現場三百六十五日〜」(幻冬舎)。

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    オプジーボの光と影 日本の医療界は腐っているのか?

    番が違ったら、薬価はもっと安かった~オプジーボの光と影(1)川口恭(ロハス・メディカル編集発行人)(医療ガバナンス学会 2016年4月15日) 免疫チェックポイント阻害剤のニボルマブ(商品名・オプジーボ)が、昨年12月、既に承認されていた「根治切除不能な悪性黒色腫」に続き、「切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌」にも使用が承認されました。 どの程度の効果があるかという説明は、MRICメルマガでは割愛します。 肺がんでは2014年の時点で年間約7万3千人が亡くなっており、非小細胞肺がんはその8割強を占めますから約6万人です。その方々に希望の火を灯すことになります。さらに作用機序から、他の多くのがんにも効果があると考えられており、既に腎細胞がんとホジキンリンパ腫に関しては適応拡大の申請がされています。今後も恩恵に浴することのできる患者は増えていくことでしょう。 このように極めて画期的な素晴らしい薬であるということと同時に、100mgで約73万円、20mgの小瓶は約15万円という薬価の高さも大変な注目を集めています。 その用法用量は、最初に悪性黒色腫のセカンドライン用として承認されたのは体重1kgあたり2mgを3週に1回だったのが、肺がんでの承認を機に体重1kgあたり3mgを2週間に1回投与と、期間あたりの投与量が2.25倍になる使い方も認められました。悪性黒色腫のファーストラインと肺がんの場合、量が多い方の使い方になります。仮に体重60kgの人だと1回180mgということになり約133万円。投与できなくなるまでは続けるという想定なので、1年間続けると52週26回投与で3500万円弱になります。健康保険の高額療養費制度があるため、自己負担は最高(高額所得者)でも約200万円、よって年3300万円以上は保険者の負担となります。 困ったことに、現時点では効くであろう人と効かないであろう人を事前に見分ける方法が見つかっていません。しかも効いているのか効いていないのかも何カ月か様子を見ないと分かりません。さらに、もし効いていた場合に、やめるとどうなるのかもよく分かりません。 このため、何の制限も加えなければ、先ほど説明した年6万人の全員が投与対象となる可能性があり、その人たちの平均投与期間が半年あったとすれば、その健康保険の負担分だけで約1兆円と国民皆保険制度を揺るがす金額になります。 もちろん万策尽きた患者全員に投与するわけはありませんし、使用量を抑制するような様々な関門も設けられてはいるのですが、その関門が必ずしも医学的な妥当性だけから設けられているとは言えないため、医療不信を増幅しそうなのです。詳しくは次回説明します。薬価ルールの不備薬価ルールの不備 さて、この驚くべき薬価は、ルール通りにしたら、こうなったという値段です。そして、ルールの内容を知ったら、皆さんは再び驚くはずです。 オプジーボのように全く新しい薬に値段を付ける時は、原価計算方式で算定します。 物の1個あたり原価は、売れる数に関係なく必要な費用(固定費)と、売れる数によって変動する費用(変動費)の合計額を数量で頭割りすると計算できるというのは、商売をしたことのある方なら常識だと思います。薬価の原価計算も、似たような方法で行われます。 注意が必要なのは、医薬品の場合、開発成功までの研究開発費や製造ラインの設備投資費などの固定費が巨額で、変動費は相対的に小さいことです。つまり、販売数量が大きくなると、加速度的に1個あたり原価は下がっていきます。 オプジーボの場合、薬価収載された時点では、多く見積もって国内罹患者年数千人の悪性黒色腫で、ピーク時で年470人に投与されるという想定で算定されていました。その薬価が、ケタ違いに対象患者数の多い非小細胞肺がんに、しかも用量を増やして、そのまま認められてしまいました。適応拡大を得るための若干の臨床研究費上積みは必要だったにせよ、あまりに理不尽な話です。  ピンと来ない方のために別の言い方で説明すると、先に非小細胞肺がんで承認されていたら、投与対象者数や用量から考えて、10分の1以下の薬価だった可能性もあるのに、悪性黒色腫が先だっただけで今回の薬価になってしまったということです。 適応拡大したら薬価を算定し直すというルールがないため、このように承認の順番が違うだけで同じ物の値段が全く違ってしまうという現象が起きます。用量を増やした方に関しては、用量変更があった場合は1日あたり薬価が同じになるよう調整し直すというルールは今でもあるので、2.25で割るということも不可能でなかったはずですが、4月の薬価改定では調整されませんでした。 オプジーボの薬価は、ルールや運用の不備によって高くなり過ぎているということ、お分かりいただけたと思います。であれば、社会的に妥当な金額まで下げて当然ではないでしょうか。これから次々と登場すると考えられる免疫チェックポイント阻害剤は、オプジーボの薬価を基準に値付けされる可能性が高く、急がないといけません。 そもそも、健康保険の支払い原資が税金・国債で賄った公金と国民が出し合った保険料だということを考えると、業界だけでルールや運用が決められてきたこと、それを許してきたことを、私たち社会の側も反省する必要がありそうです。そして、今回の問題を良いきっかけとして、ルールの決め方そのものの見直しも求めるべきなのだろうと考えます。 薬価とルールの見直しは、一義的には支払側の保険者なり、制度設計を行った厚生労働省なりが発議するべきですが、オプジーボの問題で真っ先に被害を受けるのは、次回に説明するように高過ぎる薬価によって選択肢を狭められる患者、そして対患者・対社会で悪者にされる医療従事者です。その人たちが代わりに声を挙げてもよいのかもしれません。手をこまねいているうちに、ツケを回される若年健康層の怒りが爆発するような事態は避けたいところです。(この文章は、『ロハス・メディカル』4月20日発行号の記事の一部に若干の修正を加えたものです)難民と医療不信が大発生難民と医療不信が大発生~オプジーボの光と影(2)(医療ガバナンス学会 2016年5月17日) 我が国の国民皆保険制度は、普及した医療行為の中で最善のものを誰にでも保証することによって、世界から羨まれてきました。しかしオプジーボ(ニボルマブ)の登場によって、その前提を足元から揺さぶられています。標準治療を最善と確信できない患者や、希望してもオプジーボ投与を受けられない患者が「難民」と化して、皆保険の網から漏れ始めているのです。 オプジーボでは、その投与時にがんに対してメインで攻撃を加えるのは、リンパ球のキラーT細胞だ、と説明されています。 と、いきなり大問題に気づきます。非小細胞肺がんの診療ガイドラインでは、オプジーボを試す前に1次治療として白金併用療法を行うことが定められています。そこで用いられる殺細胞系の抗がん剤は、副作用として免疫抑制を起こします。簡単に言うと、リンパ球を含む血液系の細胞が大量に死んでしまうのです。 そのように免疫細胞を殺してから、オプジーボによって免疫のブレーキを外すというのは、何かおかしくないでしょうか? 腫瘍がブレーキ系の免疫細胞を周囲に呼び集めているので、いったんリセットした方が免疫は働きやすいのだという説もありますが、白金併用療法がそのような免疫のサポートを目的に行われるのでないことだけは確かです。免疫が健全な薬物治療の最初からオプジーボを使えば、もっと効くかもしれないし、薬の量が少なくて済む可能性もあります。効くか効かないかの判定が速やかにできるようになるかもしれません。 これは、ちょっと理論をかじった人なら誰もが抱く疑問だと思いますが、現在の医療では「じゃあ最初から使ってみようか」とは、なりません。 というのも、治療の方針を、人間の浅知恵に過ぎない理論で決めてはならず、厳然たる事実のヒト対象臨床試験の結果(エビデンス)に従う他ないというのが、世界の医学界のコンセンサスになっているからです。薬物治療の最初からというのが認められるためには、現在の標準治療と比較する臨床試験を行って、少なくとも劣らないという結果が出なければなりません。 そしてその臨床試験も、いきなり始めることはできず、それに参加したために現在の標準治療を受けられないことが非倫理的とならないよう、同等以上の成績を望める場合だけ行うことができます。 このため、2次治療のドセタキセルに挑戦するという形でしか、最初の治験は行えなかったわけです。 そして2次治療でオプジーボを使った場合に「効いた」(ここにも問題はあるので次回述べます)割合は2割で、1次治療の白金併用療法が4~5割に「効く」と分かっている現段階では、順番を引っくり返した方が良いだろうと根拠付けるデータはないことになります。 他の治療では、医師が裁量でガイドラインの順番を引っくり返すということがないわけでもありませんが、オプジーボに関しては薬価が高額過ぎるため、ほぼ不可能と考えられます。もしガイドラインと違う使い方を理由に保険者から支払いを拒否された場合(保険者の側は、拒否したくて仕方ないはずです)、その費用は病院の自腹になってしまうためです。倒産してしまうかもしれません。 ドセタキセルを上回ることが確定した現在、ようやく1次治療として使ったらどうかという臨床試験も行われるようになっています。その結果が出てくれば使い方が大きく変わる可能性はあるものの、当面は理論と使われ方の間に矛盾を抱えた状態が続きます。自由診療へ殺到自由診療へ殺到 対象となる患者が全員、少しずつしか変化できない医療界の論理に納得すればよいのですが、実際にはそうでありません。近藤誠医師の理論などを支柱に、殺細胞系の抗がん剤治療は絶対やりたくないという人が一定数存在します。このため、この問題は極めて深刻な影響を生みます。 現段階で患者は、オプジーボを使いたければ白金併用療法を受ける必要があり、それを拒否するとオプジーボを使えないのです。 先ほども説明したように、免疫抑制を起こす殺細胞系の薬物療法を行った後にオプジーボで免疫のプレーキを外すというのは、免疫のことだけ考えれば明らかに変です。 それに加えて、白金併用療法自体、半分以上の患者にとっては効果がないという問題もあります。その人たちは白金併用療法で体力を奪われ、また効果と関係なく免疫細胞は確実に死にますので、次の治療が可能になるまでの時間も奪われます。ガイドライン通りに、白金併用療法をやってからオプジーボでいいじゃないと言えるのは、必ずオプジーボを投与できるという保証がある場合だけで、そんな保証はどこにもありません。オプジーボを投与させないため時間稼ぎしている、と邪推されても反論できないのです。 こんなことから、標準治療を勧める主治医の説明に納得がいかない患者の一定数は、「オプジーボ難民」と化して、自由診療のクリニックに今現在も殺到しています。海外から輸入したオプジーボ(後述するように国内でメーカーから購入できる医療機関には施設基準があります)を少量、旧来の免疫療法と併用してくれるような医療機関です。 そのような自由診療のクリニックで提供されるがん治療は、これまでなら標準治療より成績で劣ることが確実だったため、標準治療ですることがなくなったとか標準治療に加えて何かしたいという場合の受け皿であり、標準治療やその実施医療機関に直接的な脅威を与えることはありませんでした。しかし、抗がん剤で免疫抑制が起きる前にオプジーボを使い、他の免疫療法とも組み合わせるというのは理屈から言うと正しい可能性があるので、その量が適切かどうかはともかくとして、標準治療より成績で劣るとは断言できないものがあります。 自由診療のクリニックは、データをきちんと収集・保管・発表しないことが多く、受けた患者全体の本当の成績がどうなのかは恐らく最後まで分からないことでしょう。しかし、生存・生還を果たす患者は一定数出てくると思われます。 近藤誠医師に依然として強い支持があること、HPVワクチンの問題が膠着状態に陥っていることなど見ても分かるように、医療界は、自分たちが思っているほどには社会から信用されていません。この下地がある中で、自由診療での「生還者」たちが「体験談」を出版したりしたら、一体どうなるでしょうか。「オプジーボの投与を遅らせるため無駄な抗がん剤を受けさせられた」と邪推しかねない患者の割合が半分以上なのですから、標準医療に対して今以上に社会の不信が高まることは間違いありません。このマグマが溜まった危険な状態に気づいていないのは、業界の中の人たちだけです。全身状態の壁全身状態の壁 しかも「オプジーボ難民」は、抗がん剤拒否の人たちだけから生まれるわけではありません。ガイドライン通りに治療を受けてきたのだけれど、オプジーボの投与を病院に断られる、という人たちも発生すると見込まれます。これは治験が、主にPS0・1の全身状態の良い患者を対象に行われており、病状が進んだ状態の悪い患者に使うとどうなるか現時点ではデータがないため、学会は「推奨しない」との立場をとっているからです。最終的には現場の医師の判断に任されていますが、業界には「イレッサのトラウマ」が強く残っており、とにかく慎重を期して無理しないという方針が徹底されています。 投与することのできる施設と医師の基準も決まっています。最初から基準を満たす環境で治療を受けている場合は、主治医との信頼関係の中で、全身状態は悪くとも、「ダメ元」で使ってみるという願いが聞き届けられるかもしれません(ダメ元で試すことが許容されるような薬価か、という議論は棚上げします)。 しかし対象以外の施設で治療を受けていて、万策尽きたので、基準を満たす施設へ転院してオプジーボを受けたいと希望しても、恐らく願いは叶えられません。PSが悪くなり過ぎている可能性は高く、そのような学会が推奨しない人を引き受けてオプジーボを投与する医療機関や医師は存在しないと考えられるからです。こちらも保険者から支払いを拒否される可能性がありますし、それより何より、そのような患者で有害事象が発生したら、イレッサの時と同様に訴訟を起こされる可能性があります。 転院や投与を断られた患者や家族が、そこまでの事情を分かる可能性は低いと思われます。「見捨てられた」という話だけが独り歩きすることでしょう。また、事情を知っていたらオプジーボ投与可能な医療機関で1次治療から受けたのに、という恨みを抱く人もいることでしょう。そして、その何割かは、「オプジーボ難民」となって自由診療クリニックを頼るのでしょう。パンドラの箱開いたパンドラの箱開いた 希望する患者全員に希望通りオプジーボを投与せよ、などと主張するつもりは毛頭ありません。そんなことをしたら、どれほどの有害事象が発生するか分かったものではありませんし、現在の薬価と用法用量のままなら健康保険財政も破綻します。 しかし一方で、投与を希望する多くの患者を納得させられず「難民」化させる現在の対応を正しいと言うこともできません。社会が医療従事者や医療機関を信頼しなくなり、我が国の医療と国民皆保険制度を危機へ追いやるのは明らかだからです。 医療従事者や医療機関は、目の前の患者を支えるため全力を尽くすことが職業倫理に適い、それでこそ社会からの信頼も得られます。自らの良心に恥じず最善を尽くしてもなお患者が納得しないというならともかく、自らも疑問を感じながらルールに縛られて「難民」を生んでしまっているのだとしたら本末転倒、医療不信のタネを自ら撒いているようなものです。 健保財政やルールの番人として患者や社会と対峙するのは、本来は厚生労働省や保険者の役割です。薬価見直しの音頭取りも彼らがしなければなりません。それなのに現在、オプジーボ使用を抑制する防波堤役は現場の医療従事者に押し付けられ、それを不思議に思う人もあまりいないようです。厚労省や保険者が本来の役割から逃げている間に、標準治療を行っている真っ当な医師や医療機関が患者や家族から恨まれるのです。 そして、もしも「難民」たちが頼った自由診療クリニックから標準治療と遜色ない成績が出てきた場合、大変なことになります。 というのも、自由診療クリニックで行われている治療は、自己負担額そのものは高額ながら、費用総額を見れば、オプジーボの投与量が少ない分、ガイドラインと添付文書通りの治療を受けるより、はるかに安いからです。医療界に対する社会の不信は爆発し、取り返しのつかないことになるでしょう。 患者が希望する場合は1次治療でもオプジーボを使えるようにすれば、「難民」はかなり減り、リスクも軽くなります。ただし、そうした場合の保険者からの支払い拒否を防ぐには、薬価を何分の1かに下げておくことが不可欠でしょう。もし薬価引き下げに時間がかかるのだとすると、「難民」発生は避けられず、自由診療クリニックがやっているような治療法の効果も検証して理論武装しておかないと、好き放題を言われかねません。 ところが、その効果検証のために臨床試験を行うのは、現在の枠組みを前提にする限り、ほぼ不可能です。 というのも、自由診療クリニックでやっている治療法は、少量のオプジーボと他の免疫療法の組み合わせです。 オプジーボの量に関しては、既に相当の検討が行われています。量が少なければ効果は落ちると考えられます。また、既存の免疫療法が単独で大した効果を出せないこともハッキリしています。現時点での知見を前提にする限り、組み合わせたところで、標準治療と比較するような臨床試験実施は「非倫理的」となります。 自由診療クリニックが、このように中途半端な治療法を採用しているのは、オプジーボを添付文書通りの用量で使ったら高額過ぎて負担できる患者はほとんどいないからと考えられます。訴訟になるリスクが他人事ながら心配ではありますが、高過ぎる薬価は、このように検証不能な鬼っ子を産み出すことにも、つながっていますす。 たとえ医療倫理の問題を乗り越えたとしても、試験費用の問題が立ちはだかります。 オプジーボの薬価がとてつもなく高いため、メーカーが協力しなければ、試験実施の費用も巨額になります。しかしメーカーには、有害事象の確率が高そうな試験や売上を減らす方向の試験に協力するメリットがありません。個人的には正しいかもしれないと思ったとしても、売上を減らす方向の試験にお金を使ったら、株主代表訴訟を起こされてしまう可能性があります。 つまり、効果検証して理論武装しておくことすら不可能に近いのです。あとは自由診療クリニックを頼って生還した患者が社会に広く認知されないことを祈る他ありません。 要するに医療界は今、自由診療クリニックを頼った「難民」たちが多数生還しないことを祈るしかない、という自分たちの良心の底を覗き見るような悪夢の状況に追い込まれているのです。(この文章は、『ロハス・メディカル』5月20日号に掲載されたものです)「次」はドラッグ・ラグ必至「次」はドラッグ・ラグ必至~オプジーボの光と影(3)(医療ガバナンス学会 2016年7月21日) これまでなら治療法がなかったような難治がんの人たちに希望を与えているオプジーボ(ニボルマブ)ですが、単独で使うと2~3割の人にしか効かないこと、何かと組み合わせるともっと効く人の割合を増やせるかもしれないことが分かってきています。このため、組み合わせると効く割合が上がる「何か」を見つけ出すために欠かせない臨床試験は世界中で猛烈に行われています。しかし、そこに我が国の影は薄く、近い将来、導き出された成果のドラッグ・ラグに悩まされ高値で買わされることが懸念されます。 オプジーボは、これまでに承認されている悪性黒色腫、非小細胞肺がん共に、単独使用での奏効率は2~3割です。免疫に働きかける薬を奏効率で評価するのが果たして妥当なのか、という論点はあるものの、「効かない」人が多いことは明らかな課題です。 その一方、悪性黒色腫で、やはり免疫チェックポイント阻害剤のヤーボイ(イピリムマブ)と併用したら6割の奏効率になったという試験結果があり、組み合わせて「効く」割合を増やす方法はあるはずと考えられます。また、極めて高い薬価や重篤な副作用もあることを考えると、効きそうな人を事前に見分けて、効きそうな人にだけ投与することも大切です。 この、効く人の割合を増やすのと、効きそうな人を事前に見分けるのは、本来なら別個の話ではなく、効く人と効かない人の一体何が違うのか分かれば、それを投与するかどうかの判定材料に使えますし、その状態に働き掛けて効く割合を増やす道も拓けます。ただ現時点では、効く人と効かない人の何が違うのか、決定的な違いは見つかっておらず、併用すべき治療法の本命も見えない状況です。 そして、理屈は何であれ効く割合の増える方法を見つければ良いのだと、世界中で様々なものと併用してみる臨床試験が盛んに行われています。オプジーボ自体も理屈に関して半信半疑の人が多かったのを実際のデータで納得させてきた経緯があり、効くことによって理屈の確かさが証明されるという側面はあるので、試験が行われること自体は当然かもしれません。ただ、実施するには巨額の資金が必要ということを考えると、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、先に当てた者勝ちだ」としか表現しようのない試験の急増ぶりは、この分野がマネーゲームの舞台になっていることも表しています。臨床試験に関する潮流臨床試験に関する潮流 ちょっと脱線して、皆さんがビックリするようなことを書きます。このことを知っておかないと、オプジーボを巡って起きている事態の本当の恐ろしさを理解できないと考えています。 ほんの10年ほど前まで、製薬会社が資金を提供する臨床試験は一部の関係者しか知らないうちに行われ、悪い結果は公表されずに握り潰されていたようです。そのことが明らかになってきて、悪い臨床試験結果が握り潰される(たまたま良い結果になったものだけ公表される)と、効果が過大に、副作用は過少に評価されてしまうことになり、場合によっては薬として認められるべきでないものまで市販されてしまったり、医師の判断を誤らせてしまったりするため、社会的な批判が高まって2007年に米国でFDA法が改正されました。これによって、米国で試験を行うか、製造を行うか、米国で新薬として販売しようとする場合は、米国国立衛生研究所(NIH)運営の「クリニカルトライアルズ・ガブ」というWEB上の臨床試験データベースに事前登録すること、「市販」された薬ではすべての臨床試験結果を報告すること、が義務づけられたのです。  さらっと書いてしまいましたが、ご存じでなかったという方が、ほとんどだと思います。日本でこれについての一般報道は皆無だったと思われ、実は私自身も知ったのは最近です。EBM(科学的根拠に基づく医療)が大事で、それを推進することは患者自身の自律にも役立つと信じてきました。それなのに、科学的と思われてきた根拠自体を疑い直す必要がある、と知って、愕然としているところです。科学的根拠の怪しさを知った上で製薬業界のお先棒を担いできたわけでないことは、ご理解ください。 さて、このような世界の潮流が分かってみると、2013年に発覚した高血圧治療薬バルサルタン(商品名・ディオバン)を巡る臨床研究不正は、ノバルティスにとって存亡の危機につながりかねない大事件で、だからこそ日本法人幹部を直ちに放逐、地域的不祥事として扱い影響を最小限に食い止めたということに気づきます。逆に、関係者が居座っている日本の医療界は、臨床試験を行う場としての信頼を世界から失ったことも分かります。 そして改めて、臨床研究不正を受けて今通常国会に提出された「臨床研究の適正化に関する法律案」(臨床研究法案)を眺めてみると、その余りにも周回遅れの内容に悲しくなります。臨床研究は、プラスの結果が出たにせよ、マイナスの結果が出たにせよ、将来の医療に生かされなければ何の意味もありません。患者が協力しなければできないことでもあり、資金提供者や研究者が私物化して良いものではなく、資金提供者と計画と結果をすべて公開して、その知見を全人類共通の財産にすべきですし、FDA法もその発想です。公開すれば、不正はバレて社会的批判に晒される可能性が高まるので、その抑止効果もあります。ところが、臨床研究法案では研究データの公開を義務づけていないのです。 指導的立場の医師に袖の下を渡す手段として臨床研究が用いられていたという我が国の実態には適合し、その抑止効果はあるのかもしれませんが、より良い治療手段を患者に届けるため行うという臨床試験の大前提に立ち返ると、なぜ公開を義務づけないのか不思議でなりません。何しろ、FDA法の条件に該当するものであれば、日本でやっている臨床試験もすべて「クリニカルトライアルズ・ガブ」での登録・公開の対象です。英語で公開されている日本での試験結果を、日本語では読めないなんて、何かの悪い冗談でしょうか。 ただし、FDA法にも課題はあって、昨年11月にBMJOpenという科学雑誌に載った論文(※)によれば、よく守っている会社と依然として都合の良いものしか公表していない会社があるようです。罰金が、製薬会社の事業規模から見ると極めて小さく、しかも実際に課された例がないため、確信犯的に破っていると考えられます。規定を守らないことに対する制裁を社会が加えないでいると、元のような状態に戻ってしまう危険性は大いにあります。※BMJ Open 2015;5:e009758 doi:10.1136/bmjopen-2015-009758Clinical trial registration, reporting, publication and FDAAA compliance: a cross-sectional analysis and ranking of new drugs approved by the FDA in 2012Jennifer E Miller, David Korn, Joseph S Ross米国に一極集中米国に一極集中 脱線が長くなりました。話を戻すと、オプジーボのような免疫チェックポイント阻害剤は、米国で新薬として売られる前提で開発されているはずなので、「クリニカルトライアルズ・ガブ」を見れば、冒頭に述べた探索競争がどのように行われているか、大体分かるということになります。 で、話が混乱しかねないので今回まで意図的に触れてこなかったのですが、実はオプジーボと同じ所で働くと考えられている薬、つまり市場を奪い合う関係になりそうな薬が、分かっているだけでも他に4種類あります。同じ抗PD-1抗体のペンブロリズマブ(商品名・キートルーダ)と、PD-1が結合する相手のPD-L1の抗体(ややこしいので図1をご参照ください)であるアテゾリズマブ、ダバルマブ、アベルマブです。ちなみに、キートルーダは米国ではオプジーボより先に承認され、日本でも承認申請済みです。 オプジーボは米国に本社のあるブリストル・マイヤーズスクイブ(BMS)の薬(ただし、日本・韓国・台湾では小野薬品工業が権利を保有)、キートルーダはやはり米国のメルク・アンド・カンパニー(MSD)の薬、アテゾリズマブはスイスのロシュ(日本では傘下の中外製薬が担当すると考えられます)、ダバルマブは英国のアストラゼネカ、アベルマブは米国のファイザーとドイツのメルクが共同で開発している薬です。 さて、クリニカルトライアルズ・ガブで、ニボルマブ、ペンブロリズマブ、アテゾリズマブ、ダバルマブ、アベルマブそれぞれの薬剤の開発コードを入力し検索すると、200件、291件、64件、96件、16件の臨床試験がヒットします(2016年5月25日現在)。このうちまだ終了や中断などしていないものだけ抜き出しても189件、286件、64件、95件、16件です。調べる度に件数が増えており、この号が出る頃には、もっと多くなっていると思われます。 試験の規模によって必要な費用は全く異なるため乱暴な話ではありますが、1件あたり平均で10~40億円かかったという2009年の調査報告もあり(※)、試験には多くの市販済み薬剤も使われることから、ここ数年の薬剤費高騰まで考慮に入れると、想像を絶する額の投資が行われていることは間違いありません。それだけ投資した分に利息を付けて、成功した薬で回収するわけですから、値段が高くなるわけだ、とは思います。 それはともかく、問題は、ここからです。クリニカルトライアルズ・ガブは、地域別に臨床試験件数を表示することもできます。表示させてみると一目瞭然、米国が他を圧倒しており、ヨーロッパ、中国、カナダ、オセアニアが続きます(図2)。PD-1を発見しコツコツ研究してきたのは本庶佑・京都大学客員教授と研究室員たち、つまりこの分野の隆盛のきっかけを作ったのは日本の公的機関なのに、次の一手を探す競争で日本の影は驚くほど薄いのです。 この驚きは、各臨床試験を個別に眺めていくと、さらに強まります。登録されている臨床試験は、大きく分けて(1)別のがんへの適応拡大狙い (2)既存の治療への免疫チェックポイント阻害剤の上乗せ(3)免疫チェックポイント阻害剤をベースに何かと併用、の3パターンあることが分かります。 探索競争になっている「併用すれば効く割合を増やせる何か」は、明らかに(2)か(3)からでないと出てきません。詳細は次回説明しますが、オプジーボに関しても米国で行われている試験の主流は(2)と(3)で、未発売の物が多数試されています。ところが、日本で行われている(2)や(3)は、(1)との混合型を含めても9件に過ぎず、未発売の物に限定すると1件しかないのです(表は『ロハス・メディカル』本誌をご参照ください)。 これでは、もし「併用すれば効く割合を大幅に増やせる新しい何か」が見つかったとしても、日本での承認のためには追試が必要(審査を担当するPMDAが国内での臨床試験を要求する)になるはずで、その導入は遅れることでしょう。 「薬価をやたらと下げると、新しい薬が日本に入って来なくなる」という主張をよく目にしますが、世界中で最も高いと考えられる薬価をオプジーボに付けている現在ですら、実情はこれです。 思い起こされるのが、本誌創刊前後の2005年頃に大きな社会問題として取り扱われていた抗がん剤のドラッグ・ラグ問題です。先ほど述べたFDA法改正の前のことですから、今にして思えば「都合の良いデータ」だけで承認申請に至っていたかもしれず、そのデータで僅かの延命効果しか示せていないような薬ですら、「使えない」ことに対する患者たちの怒りは激しいものがありました。オプジーボ(そして、恐らく他の4剤も)の場合、効いたら長続きするので、その効く割合を増やせる薬に関するラグは文字通り生きるか死ぬかの境目になります。ラグが長期化したら、厚生労働行政への社会の批判はとんでもないものになることでしょう。結果として、お上の威光など吹き飛ばされ、メーカーにお願いして申請してもらい猛スピードで承認することになる可能性は高いです。当然の帰結として、その価格も、世界で最も医療費の高い米国を基準に定めざるを得なくなると考えられます。こんなことで本当に良いのでしょうか。有望な併用法が霞む有望な併用法が霞む (2)の臨床試験は、副作用の激しさも懸念されることから、日本で少ないことは理解できないでもありません。しかし(3)が少ないのは大問題です。 というのも、がんに対する免疫の基礎的な研究を日本の研究者たちはコツコツ積み重ねてきており、(3)として有望そうなタネも数多くあるからです。例えば、がんワクチンであり、樹状細胞ワクチンであり、T細胞療法やNK細胞療法、NKT細胞療法、です。 それぞれの治療法については別の機会に説明しますが、比較的安いものも多く、純粋に競争したら米国などの(3)の試験で試されている様々なタネに負けるとは限らない潜在力を秘めているのに、残念ながら臨床試験の土俵にほとんど乗れていません。理由を端的に言うと、費用を賄えないからです。そして、日本勢が大きく出遅れていることは、その研究をしてきた人たちにとって痛手であるだけでなく、国民皆保険制度にとっても痛手です。安くできるはずのタネであっても、出遅れると、高くなるか、一番手としては保険で使えなくなるか、のどちらかだからです。 前回も説明したように、現代の医療は、ひょっとすると他にも良い方法はあるかもしれないという留保は付けながら、有効性を示す臨床試験データのあるものから順番に治療法を選ぶことになっています。新参の治療法は、先にデータを出したものとの比較試験で勝たない限り、二番手以下として扱われます。要するに、ベストの治療法が自動的に一番手に選ばれるのではなく、早く結果を出した治療法が一番手になる、のです。現時点では、どの併用法も同等に一番手になれる可能性を持っていますけれど、ひとたび標準治療と位置づけられる併用法が出現した後は、それとの比較試験を越えなければ一番手になれなくなります。 一番手のメーカーが、挑んでくるものとの比較試験に協力する義理はないので、その薬剤費は挑戦者の試験費用に上乗せされることになります。つまり一番手の値段が高額だったら(この分野は、投資総額から見て間違いなく高額になります)、後から出てくるものの開発費も莫大になり、結局は高く値付けせざるを得ないという構造があります。 だからこそ「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、先に当てた者勝ちだ」という開発競争になっているのです。そして、そのデータに関しては、社会がきちんと監視していないと製薬会社は都合の良いものだけを出してきかねない、というのが先ほど説明した過去の教訓です。投資額が巨大なだけに油断はできません。 製薬業界は盛んに、「イノベーションには、お金がかかる」と主張します。しかし、実際に起きていることを見ると、薬の値段が高くなり続けることを前提にしないと成り立たないバブルの部分が大きいのでないかという疑念も湧いてきます。そして、私たちは今回の問題を国民皆保険制度が破綻するかもしれないという被害者意識で見てきましたけれど、現実には、オプジーボにとんでもない薬価を付けたまま直さないことで、むしろバブルを加速させていると気づきます。 国民皆保険制度を守るためにも、内向き思考をやめて、世界全体にバブルを発生させないよう、発生しているなら軟着陸させるよう貢献する必要があり、制度運用の工夫と日本にあるタネの上手な活用を模索しないといけません。(この文章は『ロハス・メディカル』6月20日号に掲載されるものです)日本の医療界は腐っているのか?日本の医療界は腐っているのか?~オプジーボの光と影 番外編(医療ガバナンス学会 2016年7月25日) 前回、日本はオプジーボに関する臨床試験件数が少なく、ドラッグ・ラグを招きかねないと指摘しました。少ない原因はいくつも挙げられるのですが、世界を唖然とさせるような日本の医療界の不祥事と、それがきちんと医療界内で自律的に処分されないことも、日本での試験実施を敬遠させることにつながってはいないでしょうか? 前回、「クリニカルトライアルズ・ガブ」で検索すると、オプジーボ(ニボルマブ)の臨床試験が全世界で200件ヒットする(5月25日現在)ことを、ご紹介しました。ちょうど1カ月後の6月25日に再検索したら207件ヒットしました。1カ月で7件増えたことになります。1件実施するのに何十億円単位で費用が必要なことを考えると、開発競争の激しさが、改めてよく分かると思います。 なお、地域別に見ると(重複あり)米国と欧州で5件、カナダ、中米、中東、ロシア東欧で1件増えている一方、日本では増えていません。世界との差は開く一方のわけです。そして、臨床試験を個別に見ていくことで、日本は単に試験数が少ないだけに留まらず、他国では当たり前に行われているベンチャー企業によるものや公的団体によるものが、全くないことも分かってきました。そこで、今回はこの日本の特異的構造問題を指摘しようと考えていました。 ところが6月中旬、世界の医療史に刻まれるかもしれないド級の不正疑惑が日本の指導的立場の医師に発覚し、指導層がそういうものに手を染める医療界の体質があるとしたら、それは日本の試験件数が少ないことの原因となっているであろうし、ひいてはドラッグ・ラグを招いて社会に不利益を与えている可能性が高いのに、一般のメディアが全く報じない(記事校了直前になって極めて小さく報じるようになりました)ので、予定を変更、番外編として、そちらを扱うことにしました。 今号が出る段階で既に大騒ぎになっていたら、かなり間の抜けた文章になってしまいますが、後述するように2013年発覚のディオバン事件に関係した医師が1人も免許を剥奪されていないばかりか、中には栄進すらしている例もあり、そのことがメディアでも特に問題とされていないことを考えると、この疑惑に関してもウヤムヤになる可能性は高いと恐れています。ウヤムヤになってしまった場合、多くの日本人が知らないうちに世界の人々から軽蔑され、臨床試験を日本でパスする流れがさらに進んでしまう可能性もあります。ワクチン禍の捏造疑惑ワクチン禍の捏造疑惑 疑惑の舞台になったのは、『ヒトパピローマウイルス感染症の予防接種後に生じた症状に関する厚生労働科学研究事業』です。長くて読むのがイヤになった人も多いと思いますが、単語を区切って読むと、HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を接種後、激しい体調不良に襲われた女子生徒たちが出たことを受けて、厚生労働省が委託した研究であると分かると思います。当然、その費用は公費で賄われました。 主任研究者は、池田修一氏(信州大学医学部脳神経内科、リウマチ・膠原病内科教授)と牛田享宏氏(愛知医科大学学際的痛みセンター教授)の2人(肩書はいずれも研究班としての表記)で、3月に「成果発表会」が行われています。池田氏は、単なる教授ではなく、信州大学の医学部長であり副学長でもありました。 この池田氏の発表会資料に、捏造疑惑が発覚したのです。スクープしたのは、6月20日に発売になった雑誌『Wedge』7月号で、医師資格を持つジャーナリスト村中璃子氏の記事でした。 発表資料59枚目に出てくるマウスを使った実験のスライドに関して、池田氏の説明は虚偽だ、と村中氏は指摘しました。 スライドは、自己抗体があったら緑色に光るよう染めて撮った写真で、他のワクチン接種後のマウスの海馬(脳)は緑色に光らなかったけれども、HPVワクチン接種後のマウスでは緑色に光ったことを示しています。加えて文字でも「サーバリックス(筆者注・HPVワクチン)だけに自己抗体(IgG)沈着あり」と記しています。 自己抗体が沈着しているということは、その組織に対して免疫が攻撃を仕掛けていると考えられ、組織が破壊されても不思議はないことを意味します。脳の組織が破壊されたら、それは色々な不具合が起きることでしょう。発表資料を初めて見た際、私などは、「ああ、なるほど、激しい症状を示す人たちの脳で同じことが起きている可能性はあるな。やっぱりHPVワクチンは、他のワクチンとは違うんだな」と思ったものです。そんな報道をテレビや新聞で見たな、と思い出した方もいらっしゃることでしょう。 この発表には、色々な波及効果が予想されました。まず、生きている人の脳を切り出して抗体検査してみるわけにいかない以上、「ワクチン被害者」の脳でも同様に免疫が暴走している可能性を否定できなくなり、場所が脳だけに体のどこで何が起きても不思議はないので、被害認定・救済のハードルは下がると考えられました。また、そのような免疫暴走を起こしてしまう体質・遺伝的要因を探索して発見することで、要因保持者をワクチンの接種対象から外せるようになり、社会全体としてはより安全にワクチンの利益を享受しやすくなるとも考えられました。 スライドで名を挙げられていたサーバリックスはイギリスに本拠を置く多国籍企業グラクソ・スミスクライン(GSK)の製品ですから、池田氏の発表内容は世界中に知れ渡っていたと考えられ、きちんと論文発表された暁には、世界が注目する画期的発見になるかもしれませんでした。 ところが、村中氏が報じるところによれば、このスライドが完全なデタラメというのです。実験を担当した研究者から、他のワクチンでも緑色に光り、その写真を池田氏に渡したのに、発表スライドでは光らなかったことになっていた、との証言を引き出したと書いています。さらに、実はワクチンを接種したマウスの脳に自己抗体は沈着しておらず、別のマウスの脳切片に(抗体の入った)血清を振りかけただけ、との証言を得たとも書いています。 もし、この記事に書かれていることが本当なら、HPVワクチンだけ脳組織に悪影響を与える可能性があると見える池田氏の発表は、明らかに悪質な捏造です。 起きていないことを起きたことにしてしまうのが自然科学者として許されることでないのは当然として、「副反応」に苦しんでいる人たちの原因究明や治療法探索に誤った情報を与え妨害することになるので医師としての倫理にも反します。厚労省から委託された研究のテーマが「子宮頸がんワクチン接種後の神経障害に関する治療法の確立と情報提供について」だったことも考え併せると、悪質さは一層際立ちます。提訴が予定されている「ワクチン被害者」たちによる民事訴訟への影響も甚大でしょう。 ここまで名指しで嫌疑をかけられた以上、池田氏は研究者生命・医師生命を賭けて反論するのが当然です。本当に発表のような実験結果を得ていたのだとしたら、証拠はいくらでも残っているでしょうから、記事が言いがかりだと示すこと自体は簡単なはずです。村中氏を名誉棄損で訴えることもできます。しかし、なぜかそのような動きは聞こえてきません。記事が正しいので反論できず、むしろ騒がずにいることで世間が忘れるのを期待しているのでないか、という疑念を抱かせます。鈍い医療界の反応鈍い医療界の反応 前述のようにGSKのワクチンを名指しした以上、この疑惑は既に世界中に知れ渡っており、どのように決着するのか大いに注目されていると考えるべきです。 それなのに、研究の費用を出した厚労省、自浄作用を発揮すべき医療界の動きは鈍いのです。先ほど述べたように、記事のシロクロを付けるのは簡単なはずで、もしクロなら言語道断で直ちに処分が必要です。しかし、記事が出て10日経ってから、ようやく信州大学で学内調査を行う方向が出たというノロノロぶりです。 この自律的行動の鈍さを、どのように解釈したらよいのでしょう? まずあり得るのは、医療界の多くの人間が、大した事案だと考えていないということです。 実際、ディオバン事件では、ノバルティス日本法人幹部が放逐され元社員は刑事被告人となった一方、事件の舞台の一つとなった千葉大で研究の責任者だった現・東京大教授が、この6月から日本循環器学会のトップである代表理事に就任しています。「あの程度は大した事案でない」と医療界の多くの人が考えているのでしょう。患者を対象とした臨床試験での不正ですら、こんな受け取り方なのですから、マウス実験くらいで大げさなという人は少なくないのかもしれません。 しかしHPVワクチンを巡って激しい論争が起きている現実がある以上、世の中の普通の人の感覚では、明らかに重大な不正です。それに対して自律的行動が鈍いことは、医療界の多くの人間ができるだけ事を荒立てたくないと考えているから、という解釈が成り立ってしまいます。 私個人としては、単純に面倒なことに関わりたくない人が多いためだろうと考えていますが、邪推しようと思えば、日本の医療界では患者に影響を与えるような研究不正が当たり前に行われていて、変に突っつくと自分にも返ってくる人が多いから荒立てたくないに違いない、と考えることも可能です。 そう邪推できることが、臨床試験件数の少なさの原因になります。企業からすると、試験自体に巨額の投資が必要で、しかも成功確率が高くないわけですから、不確定なリスク要因はできるだけ排除しておくのが当然の危機管理です。日本に研究不正が蔓延している可能性を否定できない以上、他に代わりがない場合以外は、別の国で臨床試験を実施した方が安全です。万一、試験が無効になったら大損害だからです。 現時点で「他に代わりがない」は、日本で承認を得るのに必要な場合に限られ、それは日本で確実に儲かるとの見通しが立つ場合に限られます。つまり、日本の医療界で研究不正が蔓延しているのでないかという世界から抱かれている疑念を払拭しない限り、ドラッグ・ラグや高い薬価となって患者や社会にツケが回されてくるのです。メディアはどうする?メディアはどうする? なお、3月に池田氏の発表を大々的に報じたメディアには、事実関係を検証して、結果的にせよ間違った報道をしてしまっていたなら、訂正する責務があるはずですが、その動きがまた極めて鈍いのです。 メディアや記者に主義主張があるのは当然としても、「事実」を伝えるのは最低限死守すべきラインで、「事実を伝えない」と受け手に見限られてしまった時、異なる主張や立場の人々をつなぐことができなくなり、同人誌・放送と化すので、どうするのか要注目です。もしきちんと対応しないなら、日本のメディアの偏りもまた臨床試験件数を減らす方向に働くでしょうし、ドラッグ・ラグや高い薬価の原因の一つと言えるのでしょう。(この文章は、『ロハス・メディカル』7月20日号に掲載されたものです)