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    西城秀樹「ギャランドゥ」な人生考

    歌手、西城秀樹さんが63歳という若さでこの世を去った。スーパースターとしての逸話は数知れない。中でも1983年のヒット曲『ギャランドゥ』は後年、ヒデキを象徴する代名詞になった。今では体毛の濃い男性を意味する俗語として定着したが、その男っぷりは彼の人生そのものだった。昭和を飾った大スターの生き様を考える。

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    西城秀樹さんも懸命に続けた「脳梗塞リハビリ」知られざる現実

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 5月16日、歌手の西城秀樹さんが亡くなった。享年63歳だった。西城さんは、70~80年代に数々のヒット曲を飛ばした大スターだった。代表曲『YOUNG MAN』が流行ったのは私が小学校5年のときだった。林間学校へ向かうバスの中、みんなで歌ったことを覚えている。 実は西城さんは、最近まで私にとって身近な存在だった。それは研究所のスタッフ、西村有代さんが西城さんの熱烈なファンだったからだ。2003年に西城さんが脳梗塞を発症したときは、その話題で職場は持ちきりとなった。 その後、必死のリハビリで回復し、06年にシングル『めぐり逢い』を発売したときは、みんなで応援した。ところが、残念なことに11年に脳梗塞は再発した。 西城さんとは、最近になってもう一つご縁があった。それは私が社外取締役を務める株式会社ワイズとNPO法人脳梗塞リハビリ研究会が共同で運営する「脳梗塞リハビリセンター」に西城さんが通院していたからだ。 ワイズ社の早見泰弘社長は「身体トレーニングや自主リハビリ以外に、懸命に言語リハビリもされていた。巡業などの仕事で休む以外には、いつもリハビリに取り組まれていました」と振り返る。西城さんが最期まで復帰を目指し、懸命な努力をしていたのである。西城秀樹さん=2017年3月、東京都世田谷区 ところで、「脳梗塞リハビリセンター」という名前をお聞きになった方はおられるだろうか。都内で10施設のリハビリを経営しているが、医療機関ではない。完全自費であり、理学療法士が個別対応する。 実は、西城さんが「脳梗塞リハビリセンター」に通い、懸命にリハビリを続けたことは、わが国のリハビリ医療の現状を象徴する出来事だった。本稿では、この問題を紹介したい。 高齢化社会ではリハビリの需要が増加する。脳卒中はもちろん、整形外科疾患から心臓病、がんの手術後まで、多くの疾病からの回復に必要不可欠だ。ところが、厚生労働省は2006年にリハビリを最大180日に制限した。東大の多田富雄名誉教授(免疫学)が主導し、48万人の署名を集めて反対したが、それでも厚労省は押しきった。 2008年10月からは入院後6カ月以内に退院する患者が6割を下回る病院への診療報酬が大幅に引き下げられた。この結果、重症患者の受け入れを断る病院が増えた。今春の診療報酬改定では、急性期を乗り越えた後の回復期リハビリ病棟は3段階から6段階に細分化され、実績によって加算が変動することとなった。重症患者を受け入れる病院はますます不利になる。 さらに月に13単位(1単位は20分)を上限として認められている外来でのリハビリが廃止された。厚労省は外来でのリハビリを介護施設に集約する方針だが、高齢者を対象としたデイケア(通所リハビリテーション)の目的は機能維持だ。脳卒中の麻痺からの機能回復を期待する患者には、充分なサービスを提供できない。 この結果、わが国は「リハビリ難民」であふれるようになった。多くの国民がけがをしたり、脳卒中になっても十分なリハビリを受けることができないでいる。 さらに、わが国の理学療法士は偏在が著しい。医師・看護師と同様に西高東低の形で偏在している。2018年3月現在、わが国の人口1000人あたりの理学療法士の数は0・91人で、上位は高知(2・3人)、鹿児島(1・7人)、熊本、佐賀、長崎(いずれも1・6人)と続く。リハビリで回復する脳梗塞 一方、下位は東京、神奈川、栃木、秋田(いずれも0・6人)、埼玉(0・7人)で、団塊世代が高齢化する首都圏で理学療法士が不足している。このような状況で出現したのが、自費リハビリだ。最近、この業界が急成長しつつある。「脳梗塞リハビリセンター」はその最大手である。 知人のリハビリ専門医は「(西城さんのような)若年患者を中心に維持期の集中的なリハビリのニーズは以前から感じていました。診療報酬上での制約がある病院でのリハビリは、徹底して患者に寄り添うことができず、どこかお茶を濁しているような気がしていました。民間企業の参入は、このような患者にリハビリの機会を提供する事になるかもしれません」と言う。 では、自費リハビリの実態は、どんな感じだろう。具体例を紹介しよう。私が医師として関わった公認会計士の60代男性のケースだ。都内のリハビリ専門病院から退院後、「脳梗塞リハビリセンター」に通院し、リハビリを継続した。彼は「自費リハビリを選んで本当によかった。再び立てる日が来るなんて夢のようです」と振り返る。 この男性は2016年1月、突然の四肢の麻痺と呼吸困難を訴えて、都内の大学病院に緊急入院となった。検査の結果、脊髄膿瘍と診断され、緊急手術を受けた。主治医は「病変が呼吸中枢にまで及んでいました。数時間遅れていれば、亡くなっていました」と説明した。そして術後、集中治療室に控える家族に、主治医は「命の保証はありません。一命を取り留めても、寝たきりになる可能性が高い」と話したという。 術後の経過は医師の言う通りだった。意識こそ回復したものの、四肢は動かず、自発呼吸は不十分で、人工呼吸器に繋がれていた。男性は「呼吸器が外れそうになり、痰が詰まりそうになっても、アラームすら押せません。このまま死んでしまうのか。あのときの恐怖は忘れられない」と回想する。 その後、自発呼吸は回復し、人工呼吸器からは離脱した。男性はツテを頼りに、リハビリで有名な都内の病院に転院した。そこで徹底的なリハビリを受けた。その結果、上半身は動くようになり、介助があれば車椅子に座ることも可能になった。 ただ、半年間のリハビリが終わった段階で、下半身は麻痺したままだった。胸より下にしびれが残り、下腹部に力が入らなかった。座位を維持できず、このままでは公認会計士としての社会復帰は難しかった。 だが、男性の希望は「再び歩けるようになりたい」というものだった。彼は、ありとあらゆる手段を探した。サイバーダイン社が開発したロボットスーツ「HAL」の使用や、神経の再生医療を受けることも考えた。そして、ここで私が勧めたのが、自費のリハビリだった。 彼は藁(わら)をもつかむ思いで「脳梗塞リハビリセンター」に通い、週に2回、1回2時間のリハビリを始めた。当初はペダル付き車椅子に乗っても、左手が安定せず、ハンドルを操作できなかった。下半身に力が入らないため、自分ではこぐことはできなかった。 リハビリが進むにつれ、状態は改善した。さまざまなノウハウも身につけた。「ほんのちょっと手の位置を変えるだけで腹筋の力の入れやすさが、こんなに変わるんですね。病気になる前は気にしたこともなかった」と言う。 最近では、ハンドルを自分で持ち、まっすぐ車椅子を進めることができるまで回復した。「この車椅子が私の愛車です。フェラーリです」と周囲に笑いながら語っている。さらに、支えられながらではあるが、立てるようになった。はじめて立ったときには「自分の足で立っている。この感覚は久しぶりだ」と語った。そして発症から28カ月、この男性は、公認会計士としてすでに社会復帰している。一人で歩けるようになるため、現在もリハビリを続けているという。 自費リハビリによる改善例は、この患者に限ったことではない。「脳梗塞リハビリセンター」は改善事例の動画をユーチューブで公開している。恐らく、みなさんの予想を超えているはずだ。 自費リハビリを受けた患者が回復したのは、医学的には合理的だ。これまで医療保険の都合でリハビリが打ち切られていただけで、リハビリを継続すれば、さらに回復する人がいても不思議ではない。 病院で受けるリハビリより、自費リハビリの方が有利な点も多い。それは、健康保険の縛りがないため、患者のニーズにあわせて、メニューを微調整できることだ。リハビリ期間を延長することも可能になる。あふれるリハビリ難民 「脳梗塞リハビリセンター」で働く理学療法士は「自費リハビリは真剣勝負です。効果がなければ、患者さんは来なくなります。健康保険から費用が支払われる病院と違い、患者さんから費用をいただく自費リハビリでは、理学療法士には大きなプレッシャーがかかります」という。おそらく、このような緊張関係が治療成績の底上げに貢献しているのだろう。 では、どんな患者が自費リハビリを利用するのだろうか。比較的若年の患者が多いのが特徴だ。例えば、ワイズの利用者の71%が60代以下である。西城さんとほぼ同世代である。 脳卒中患者の約6割が70代以上であることと対照的だ。高齢患者は現状の機能を維持することを目標とするのに対し、若年患者は機能を回復し、職場に復帰することを望む。必要とするリハビリは違う。従来の医療保険では、このようなニーズに対応できていなかった。民間企業が試行錯誤することで、多様なサービスの開発が進みつつある。 そして、このような自費リハビリの成長を、厚労省はどう考えているのだろうか。知人の厚労官僚は「診療報酬を抑制し続けなければならない昨今、自費リハビリは厚労省にとってもありがたい」と言い切る。今後、リハビリ難民が増えた際の批判を逸らすために、応援していると言っても過言ではない。 理学療法士及び作業療法士法では、「医師の指示の下、理学療法を行う」ことが原則だが、「侵襲性のない行為については、医師の指示のもとにない理学療法士等がリハビリを行うことは、法令上は名称独占であるので違法とは言えない(前出の厚労官僚)」と解釈を緩和している。 もちろん、自費リハビリにも問題はある。それは費用だ。「脳梗塞リハビリセンター」の1日あたりの費用は1万5000円。これだけの費用を長期間にわたって負担できるのは、西城さんのような一部の富裕層に限られるだろう。 また、安全性についても検証が必要だ。今後、民間リハビリの市場が拡大すれば、低レベルの業者が参入するからである。未熟な理学療法士が、脳卒中後の麻痺で拘縮(こうしゅく)した関節を無理に動かせば、関節を傷つけることもあるだろう。※写真はイメージ(iStock) 前出の厚労官僚は「事故が起こり、メディアが大きく報じれば、厚労省も規制せざるを得なくなります」という。そうなれば、医療機関と連携しているところなど一部を除き、自費リハビリ施設は閉鎖となる。リハビリ難民があふれ、寝たきりの高齢者が増加する。そんな状況は誰も希望しない。 脳梗塞の新規発症者は年間に25万人。高齢化が進むわが国で、さらに患者は増える。この結果、リハビリの需要は急増する。ところが、リハビリの提供体制は脆弱(ぜいじゃく)だ。どうすれば、リハビリを受けることができるか、お上頼みではなく、社会で議論し、新しい仕組みを作っていかなければならない。自費リハビリは、その一例である。 西城さんが亡くなり、脳梗塞のリハビリが国民の関心を集めている。今こそ、地に足のついた議論をしようではないか。

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    『10万個の子宮』に思う「デフレ不況論争」20年の苦闘

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 医師でジャーナリストである村中璃子氏の新刊『10万個の子宮』(平凡社)は、若い産婦人科医が口にした衝撃的な問いから始まる。村中璃子氏の著書『10万個の子宮』(平凡社) 「僕たち日本人の医者だけ、あとどのくらい子宮を掘り続ければいいんですか?」 「子宮を掘る」とは、子宮を摘出することを意味する。日本では毎年、子宮頸(けい)がんで3千人余りが命を落とし、そして1万の子宮が摘出されている。この子宮頸がんを予防するワクチンが存在し、日本でも2013年4月に定期接種化が行われた。日本政府は積極的な接種勧奨政策を採用していた。関係機関や医学界の協調、また地方自治体の接種費用補助制度の貢献などによって、定期接種化以前でも日本では約70%の接種率を実現していた。この定期接種化によってさらに接種率の向上と国民のワクチン利用への理解を促すことが期待されていた。 だが、定期接種化からわずか2カ月後に、政府は「積極的な接種勧奨の一時差し控え」という急激な政策変更を行った。もちろん現在も子宮頸がんワクチンの定期接種は行われている。だが、この急激な政策変更によって接種率は大きく低下してしまい、なんと各自治体の接種率が軒並み1%以下に落ち込んでしまった。筆者によれば、まさに「事実上の接種停止状態」だという。 この政府の急激な政策変更の背景は、接種後にけいれん、歩行不可能、慢性的な痛みや神経の異常を訴える人たちが続出したことに加え、そしてテレビや新聞などのメディアが大きくこの事態を報じたことにある。村中氏の『10万個の子宮』は、この子宮頸がんワクチンをめぐる「事実上の接種停止状態」を問題視し、ワクチン接種の積極的勧奨の再開や、接種率の向上といった事態の打開を目指す苦闘の記録になっている。 未成年の少女たちが訴えるけいれんや歩行困難などの症状が、実は心因的である可能性が高いことが本書で指摘されている。例えば、ワクチン接種後に決まった時間にけいれんを起こす少女が、時間がわからない病室ではまったく発作が起こらなかったエピソードが紹介されている。ただ、少女らの保護者たちは病院の説明に反発を強めたという。「接種率向上」が限界な理由 村中氏は科学界で権威ある雑誌『ネイチャー』などが主催するジョン・マドックス賞を、この子宮頸がんワクチンに関する啓蒙的なジャーナリズム活動によって受賞した。受賞理由は、敵意や困難に負けずに、公益に資する科学的理解をジャーナリズム活動として行ったことに対するものだった。本書を読めば詳細に書かれているが、被害を訴える個人や団体、そしてワクチンの「害」を訴える医者や識者たちを相手に、村中氏がいかにエビデンス(証拠)と科学的見解で闘ってきたかがよくわかる。2017年11月、ジョン・マドックス賞の授賞式でマドックス氏の娘(右から2人目)らに祝福される医師でジャーナリストの村中璃子氏=ロンドン(本人提供) また、読者に専門的な知識がなくても、村中氏の冷静でその都度、根拠となる論理とデータをわかりやすく明示しているので、読む負担が少ない。世界保健機関(WHO)に代表される国際機関、日本の医学界は、子宮頸がんワクチンの安全性と効果について肯定する声明を出している。だが、本書を読むと、これらの「外圧」「内圧」いずれも、子宮頸がんワクチンの接種率を向上させるには限界があることがわかる。 その「限界」を生み出している一つの要因は、子宮頸がんワクチンに関する集団訴訟の存在だ。もちろん訴訟を起こす権利は誰にでもある。ただ、この集団訴訟が仮に最高裁まで審理されれば、10年ほどの時間がかかる。問題と感じるのは、政治や官僚たちはその間、子宮頸がんワクチンの積極的勧奨の再開を避けるだろう、という点だ。そもそも日本の政治家は官僚的だし、官僚も自ら「責任」をとって行動をすることはほぼない。政府の10年の不作為によって、1年で1万個、10年で10万個の子宮が失われ、そしてまた多くの人命が失われる可能性がある。これが題名の『10万個の子宮』の由来するところだ。つまり政府の不作為=過剰なリスク回避が、国民の生命を危機に陥れるかもしれないのだ。 本書には、新宗教やカルト、弁護士、メディアなど、この現象に群がる人たちが指摘されている。そして医薬品メーカーを批判的にとらえた言説も流布している。どんなエビデンスを明示した議論も受け付けようとしない現状もある。ここまで読んでいくと、私には自分がかかわってきたこの二十数年の日本の「デフレ不況論争」をどうしても思い出させるのだ。 例えば、「デフレから脱却するにはインフレ目標が重要である」と主張すると、「そんなものを導入すれば副作用でハイパーインフレが起きる」というトンデモ理論が当時流行していた。また、今のデフレは貨幣的な現象ではなく、「中国やインドなど新興国からの輸入品の価格が低下しているから起きている」というエビデンスの乏しい議論も流行った。壁を破るにはどうしたらいいか また、インフレ目標には政策を行う側の「責任」が生じるためか、日本銀行も政治家もあえて採用するよりも、できるだけ避けた。むしろ、インフレ目標政策など危険だと、回避を「後押し」するような姿勢をみせていたのである。このような態度は、村中氏が指摘する現在の厚生労働省の「存在しない薬害に実体を与え続ける姿勢」と極めて類似している。 仮に、この対比が正しいのであるならば、問題が深刻なように思える。われわれが主張する経済政策も海外の中央銀行が軒並み採用しても、時の日本銀行首脳はインフレ目標の採用を最後まで拒否した。最終的には、安倍晋三政権になってインフレ目標が採用されて現在の経済「回復」が実現されている。しかし安倍首相と数人ほどしかこのインフレ目標政策を支持する政治家が未だにいないのだ。2010年5月、子宮頸がんワクチンの集団接種を受ける小6女児=栃木県内の小学校(代表撮影) 政治家と厚労省の子宮頸がんワクチンについての不作為=「リスク回避」の壁も予想以上に高い可能性がある。ただし、メディアの意見は潮目をみて変化することがあるし、すべてのメディアが「敵」でもないだろう。ただし「官僚的なるもの」は体質を全く異にしており、政策責任を極力避ける仕組みなのだ。この壁を破るにはどうしたらいいだろうか。 われわれはそのために政治家たちに積極的に接近した。それは長くとても長く、多くは無意味に思える行動の積み重ねだった。政策に反対する人たちは同意できないだろうが、安倍首相がインフレ目標政策を中核とするデフレ脱却政策を採用したことは実に運がよかった。だがその背景には、根気強い政治への運動があったのである。 子宮頸がんワクチンの積極勧奨や接種率の向上も、やはり政治が動かないとどうしようもない。もちろんマスコミが積極的な勧奨キャンペーンに転じれば、状況はかなり変わるかもしれない。ただし、日本のマスコミも「リスク回避」=間違いを正さない風土が強い。こうした事象にマスコミが結果的に加担したのであれば、それを大胆に転換することは、日本のマスコミの官僚的風土では極めて困難である。 もっとも、これはかなり悲観的な見方かもしれない。村中氏の『10万個の子宮』を多くの人が読み、本書がたくさんの読者を獲得することで国民の声が高くなれば、政治も官僚もメディアも動かざるをえないかもしれない。その意味でも、ぜひ多くの人に読んでほしい書籍である。

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    日本人は安楽死に耐えられるか

    人気脚本家、橋田壽賀子氏の近著『安楽死で死なせて下さい』が波紋を呼んでいる。「人に迷惑をかける前に死に方くらい自分で選びたい」。現在92歳の彼女が人生の最後に望むのは「究極の選択」である。海外では既に安楽死を認めた国や自治体もある。とはいえ、日本人に安楽死を受け入れる覚悟が本当にあるのだろうか。

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    「安楽死」と「自殺」はなにが違うというのか

    ている間に医者が「他人の身体」にこれらの行為をすることは許されないだろうか。そんなことになれば、救急医療は成立しないだろう。(画像:istock) やはり自殺幇助罪は奇妙な法律なのである。そして、この法律が安楽死を否定している。現在、医師であろうと親族や友人であろうと、安楽死に協力すると自殺幇助に問われる。それで安楽死は実現しない。だが、安楽死を望む人の99%は、自分では安楽死ができない。安楽に死ぬ体力・気力、方法を持っていないからだ。当然、協力者が必要になる。しかし、刑務所に入ってまでも安楽死の協力者になろうという人はいない。 日本は高齢化社会になり、安楽死を求める声はふえている。しかし、観念的・抽象的生命尊重論が横行する中で、安楽死を主張しにくい。障害者問題もからんでくるだろう。福祉充実論も隣接している。 それでも現実に安楽死合法化は、もちろん偽装殺人などを防ぐ手立てを考えた上で、真剣に待ち望まれている。少なくとも私にとって、重要な問題なのである。

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    これを知れば日本で「安楽死」を望む人はいなくなる

    幇助・他殺という「殺」行為をさせることです。医師も人です。これは迷惑の極みです。安楽死と似ている緩和医療の「副作用」 先ほど、日本では安楽死は認められていないと書きました。実は日本の緩和医療に、安楽死と似ている「持続的深い鎮静」があります。2016年1月、私がコメンテーターとして出演させていただいたNHK『クローズアップ現代』で、持続的深い鎮静が「終末期鎮静」として取り上げられましたが、ここでもう一度考えたいと思います。 「持続的深い鎮静」とは、死期が近づいた患者に対し、耐え難い痛みがあるときにだけする医療行為です。持続的深い鎮静を行うと、患者本人は死ぬまで昏睡(こんすい)状態に陥るので二度と目覚めることがなく、開始したときが今生の別れになります。まず「心の死」を迎え、その後「肉体の死」も迎え、完全に死にます。つまり、二度死ぬのです。 持続的深い鎮静を行う場合は、本人だけでなく、家族の同意も必要です。緩和医療として行う場合は、「耐え難い痛みや苦しみから解放してあげたい」という思いで同意する家族が多いのですが、実際に持続的深い鎮静をかけてしまうと、今までの栄養点滴を減量・中止し、肉体の死を迎えるので、「自分たちが殺してしまった」と後悔し、苦しみ、精神障害を起こした遺族もいるなど、尋常な看取りとは言えません。また、持続的深い鎮静をかけても、その時点では完全に死ぬことができず、肉体の死を待つだけの姿を見ていることは、家族にとって複雑な気持ちだと思います。(iStock) この持続的深い鎮静は、病院や緩和ケア病棟、在宅医療を行う一部の診療所においては、かなりの頻度で実施されているところもあると聞きます。しかしながら、安易に鎮静をかけ過ぎると、関わった看護師などの心が折れ、燃え尽き症候群になるなど、精神的に疲弊してしまうこともあるようです。 このように、「安楽死」も「持続的深い鎮静」も、多くの人に迷惑をかけながら死んでいくことに違いありません。持続的深い鎮静を行うことは、本人が穏やかに生き、安らかに旅立つことができないだけでなく、残された人も離別の悲しみに加え、「殺」の気持ちが加わり、清らかな気持ちになれないと思います。だからこそ私は、持続的深い鎮静を最後の手段であるとは認識ながらも、「抜かずの宝刀」と呼び、抜かないことに意義があると考えています。 「持続的深い鎮静を行わなくてはいけないくらい、耐え難い苦痛があったらどうすればいいのか」という質問があった場合、私はこう答えます。「ほとんどの痛みは取ることができます。もし、持続的深い鎮静を行わなくてはならないほどの耐え難い苦痛を患者に与えているとすれば、その時点で、提供されている緩和ケアが不十分なのでしょう」と。 在宅でも緩和ケア病棟でも、医師や看護師・チームのスキルがあれば、おおむね痛みのコントロールは可能です。持続的深い鎮静を行わなくても、最期まで穏やかに過ごすことができるはずです。人は痛みを感じたり我慢したりしていると、身体の痛みだけでなくこころの痛みも増幅します。だからこそ、素早く痛みを取ることが必要不可欠なのです。痛みを取る5つの方法 痛みを取る方法や課題は次の通りです。①必要な薬は使う…痛みの軽減に最も有効である医療用麻薬のモルヒネを使いこなすスキルを身に付けることが大切です。モルヒネは以外にも痛みを取る鎮痛薬はありますが、副作用の点から使用量には限度があり、増量しにくいという欠点があります。ところがモルヒネは5ミリグラムぐらいから使用を開始し、痛みが強いときには安心して痛みの程度に合わせて3~3000ミリグラムくらいまで使用することができます。薬価の問題や医療用であるとはいえ麻薬を大量使用することへの不安から、800ミリグラム以上のモルヒネを使用しない医師もいますが、痛みが取れるまで増量しないと痛みは取れませんし、モルヒネは痛みの治療をしている限り安全ですので、積極的に使用してほしいと思います。しかし、低用量に比べ高用量のモルヒネの薬価が高すぎるのも課題です(表1参照)。 副腎皮質ホルモンのソル・メドロールも副作用が少なく有効なので、使用してほしいと思います。【注】内服薬30㎎は注射薬12㎎と概ね同効果。モルヒネは内服換算で3~3000㎎使用する②点滴は減量する…点滴を減量することも苦痛の軽減に有効であり、患者を笑顔にするコツです。これまで、入院から在宅医療へ切り替えてきた患者をたくさん診てきましたが、病院では必要以上の点滴を投与されているケースがとても多いと感じます。しかし必要以上の点滴投与は、苦痛を与えるだけでなく、寿命を縮めることもあります。だからこそ、持続的深い鎮静を行ってから点滴を減量したり中止するのではなく、持続的深い鎮静を行う前に減量してほしいと思います。③夜、ぐっすり眠ること…眠れないことも不安や痛みを増幅させる要因のひとつです。夜、全く眠れない時は「夜間セデーション」と呼ばれる鎮静を行うことも大切です。夜間セデーションは持続的深い鎮静とは異なり、夜の間だけぐっすり眠らせる鎮静ですので、朝には人間らしい目覚めができますので、医療者の方にはぜひそのスキルを身に付けてほしいと思います。④ACPの勧め…アドバンスド・ケア・プランニング(ACP)とは、もしもの時に備え、前もって患者の意思を確認するためにケアを提供する者が家族と一緒に患者と話し合うことです。どのような旅立ちを望んでいるのかなどの人生観も含め、どんな治療を行っていくのが最善かを話し合うことによって、最期は患者本人が願う旅立ちを実現することができます。不思議なもので、①②③の説明をすると「最期は入院する」と言っていた人でも、臨終の間際には「このまま家にいたい」と気持ちの変わる方がとても多いことを実感しています。「死ねる喜び」は幸せの極み⑤THPケアシステムは日本を救う…「安楽に生きたい、安楽に死にたい」と願う人々のために、在宅ホスピスの心を理解し、「希望死・満足死・納得死」を届け、実践できるチーム作りを進めていくことが急務だと思っています。チームのスキルを上げるために、多職種連携・協働・協調することはもちろん、その司令塔としての役割を果たす「トータルヘルスプランナー(THP)」が必要です。安楽死の必要のない日本にするためには、THPを増やすことが必要だと考えています。なお、THPは現在名古屋大医学部保健学科や日本在宅ホスピス協会が育成しています。 私の著書『なんとめでたいご臨終』(小学館)は、誰もが願う旅立ちをかなえるための実践本です。私自身も安楽に生きて安楽に死にたいと願っています。だからといって、安楽死や持続的深い鎮静を望むことはありません。なぜなら私は「在宅ホスピス緩和ケア」を知っているからです。私の考える在宅ホスピス緩和ケアの「在宅」とは、暮らしている「処」。「ホスピス」とは、いのちを見つめ、生き方や死に方、看取りのあり方を考えること。「緩和」とは、痛みや苦しみを和らげること。「ケア」とは、人と人とが関わり、暖かいものが生まれ、生きる希望が湧(わ)き、生き力がみなぎることです。だからこそ在宅ホスピス緩和ケアを受けることでQOL(Quality Of Life)が高まり、ADL(Activities Of Daily Living)の向上や延命効果も期待できるのだと思います。 在宅ホスピス緩和ケアは、誰でも受ける権利があります。だからこそ、自分自身が望む処で、「人に迷惑をかけることなく、耐え難い苦痛から解放され、朗らかに生きて、清らかに旅立てる、安楽に生きて安楽に死ねるという在宅ホスピス緩和ケアがある」と知っていれば、安楽死を望む人はいなくなると思います。(iStock) これまでお伝えしたように、安楽死や持続的深い鎮静を選択しても、安楽には死ねません。「安楽に死にたい」と願う人々が「なんとめでたいご臨終」を迎えることができれば、1991年の東海大学医学部付属病院での安楽死事件などは起こらなかったのではないでしょうか。 人は一度しか死ねません。どうせ死ぬなら笑って死にたい、遺(のこ)された人の役に立ちたい。そんな「死ねる喜び」を感じられたなら、幸せの極みだと思います。  多くの国民のそんな願いをかなえるためには、国家戦略として在宅ホスピス緩和ケアを推進していくこと、在宅ホスピス緩和ケアを国民に啓蒙(けいもう)していくことが近道だと考えます。それができれば、QOD(Quality Of Death)はさらに高まり、朗らかに生き、笑顔で旅立てる、つまり「なんとめでたいご臨終」を享受できる日本になると思います。と同時に、安楽死という言葉が不要になる日本になってほしいと願っています。

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    「安楽死で逝かせて」橋田壽賀子の主張はここがおかしい

    に関わると、9割以上の確率で自宅で看取っている。 延命治療を行わず枯れていくことを容認し、上手に緩和医療を行えば、死ぬときは一般の人が想像するように苦しみはない。旅立つその日まで食べたり話したりできる。看取るのは末期がんだけではなく、半数はがん以外である。認知症や老衰、神経難病や慢性心不全や慢性腎不全など病気の種類を問わず、自宅での穏やかな最期が可能である。在宅医療というと家族介護のイメージが強いかもしれないが、独居の末期がんや認知症終末期であっても、本人が在宅での最期を希望すれば普通に看取っている。 その詳細は、昨年末に上梓した『痛くない死に方』に詳しく述べた。また、全国の在宅看取りの現状に関しては私が監修した週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん』に詳細なデータが公開されている。「独居の看取り」に関しても、勇美記念財団の支援を得て私がリーダーとなり実態調査やそれが可能となる町づくりのための提言を行っているところだ。たとえ独居の認知症であっても、24時間定期巡回型の訪問介護・看護があれば最後まで自宅で楽しく暮らすことに、なんの問題もない。しかし、多くの市民や病院のスタッフはこうした実態を知らないし、なかなか信じてもらえない。橋田さんが恐れる「認知症」の正体 「平穏死」という言葉は石飛幸三医師の造語であるが、自然死ないし尊厳死と同義である。穏やかな最期を迎えるためにはいくつかの知識が要る。それは『「平穏死」10の条件』のなかで詳しく述べた。そして「平穏死」は在宅だけでなく、介護施設や療養病床でも可能になりつつある。 話を戻そう。ディグニタスを見学した率直な感想は「欧米人はなぜこんなことをするのか。在宅医療も在宅緩和ケアも平穏死という概念もないんだ。日本は自宅で平穏死できるのに」であった。しかし橋田さんはわざわざそこに行って死にたい、と主張されている。私は「橋田さん、ちょっと待って。それは誤解。そんなことしなくても大丈夫!」と声をかけたい。たとえ天涯孤独な認知症でも最期まで人間の尊厳を保ったまま旅立てる国が日本である。いや、皮肉なことに家族がいないからこそ「必ず」それがかなうのである。もちろん介護保険制度の恩恵は必須条件である。 13年前に造られた「認知症」という言葉は罪深い、と思う。それまでは「ボケ」であったものが「病気」に格上げされた途端に「抗認知症薬」の対象にもなった。あるいは有吉佐和子氏の『恍惚(こうこつ)の人』のイメージが強烈に焼き付いている。橋田さんに限らず、誰もがそれを極度に恐れる。自分が自分でなくなる前にこの世から消えてしまいたいという発想は、欧米人的な発想である。しかし、日本人はそもそも自分がなく、自己決定できない人が多い。実は、終末期医療における意思決定は家族が代理していることが大半で、「自分で決める」という人はわずか1~2%にすぎない。脚本家の橋田壽賀子さん=2017年9月(宮崎瑞穂撮影) 私が在宅で最期まで診ている認知症の人は、最期の日までなにかしら口から食べている。たとえ認知機能の指標であるミニメンタルテスト(MMSE、満点は30点)がゼロ点になっても、会話が可能なら意思表示もそれなりに可能である。たとえ口頭であっても自分の希望を表明できる。以上は『ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!』(丸尾多重子氏との共著)や家族よ、ボケと闘うな!』(近藤誠氏との共著)のなかで繰り返し述べてきた。 末期がんの平均在宅期間が1カ月半であることに比べて、認知症のそれは年単位に及ぶので臨床経過はかなり異なる。しかし適切なケアがあれば、最期まで食べられるしトイレでの排泄(はいせつ)もできる。要介護5になっても外国旅行も十分可能である。丸尾氏が主宰するNPO法人「つどい場さくらちゃん」は毎年、要介護5の認知症の人たちと沖縄や台湾を旅行している。私は「旅行療法」と呼んでいるが、外出することはとても大切だ。徐々に食べる量が減ってきても胃ろうは不要である。手づかみで食べれば、最期の最期まで自力で食べられることを「かいご楽会(がっかい)」などで丸尾氏とともに広く発信してきた。認知症とはピンピンコロリ(PPK)とはいかなくても、準PPKの病気である。しかし、認知症の自然経過を診る機会は少ない。 橋田さんは認知症に対する不安や恐怖がとても大きいのだろう。人に迷惑をかけたくない、というから潔く優しい人だ。いずれにせよ「自分で自分が分からなくなる」「人に迷惑をかけるのでは」という恐怖は誰の頭の中にもある。しかし、多くの認知症の人を外来や在宅医療の現場で診ている町医者から見れば、大きな偏見であると言いたい。リビングウイルを法的担保していない日本 何にせよ、認知症や老いの不安に駆られている橋田さんには「日本は最期まで住み慣れた自宅で自分らしく暮らせる国です。心配要りませんよ」とお伝えしたい。保険診療では診療所から16キロ以内しか在宅医療を提供できない。しかし、自費診療ならば可能なので、もしかなうならば主治医になってもいい。 以上の話は尊厳死である。尊厳死とは、終末期以降に延命治療を控えて十分な緩和医療を受けて迎える最期である。安楽死は、まだ余命が半年もあるのに医師が薬物を用いて患者を死なせる行為であり、尊厳死とは全く異なる。いずれも本人の書面による意思表示、すなわちリビングウイル(LW)の存在が前提となる。日本尊厳死協会でLWを表明している人は日本人のわずか0・1%に過ぎないが、最近は介護施設や自治体が類似のLWを啓発しているので、保有率は1~2%と推定されている。それでも諸外国に比べるとひとケタ以上低い。日本人は自己決定せず、意思決定が苦手な民族である。しかし加速度的に医療技術が進歩する中、もはやそんな悠長なことは言っておられない。 最近、政府は人生の最終段階の医療の意思決定をアドバンス・ケア・プラニング(ACP)という手法で乗り切ることを固めた。ACPとは、いざという事態に至る前、まだそこそこ元気であるときから本人の意思を引き出して、それを尊重しながら家族、そして医療・介護職が集まり何度も話し合った経緯を書面に記録しておくことである。ACPの核となるのはもちろん本人の意思、すなわちLWである。 だが、LWが法的に担保されている先進国のなかで、担保されていないのはもはや日本くらいになった。欧米では当たり前となっている基本的人権である。国連教育科学文化機関(ユネスコ)がうたう医療における生命倫理の根幹は、本人意思の尊重である。しかし、残念ながら日本だけがそれがかなわない国のままだ。そうなると、本人の意思よりも家族の意思を優先しなければ、遺族から訴えられる可能性が出てくる。年金が多い人にはそれをあてにする子供がいるので、できるだけLWを書いておくことを勧めている。 いずれにせよ、日本はLWが法的担保されていない国だから、どうしても過剰医療、延命医療に偏らざるを得なくなる。アジアにおいては、台湾では2000年にLWの法的担保がなされ、2回の改正を経て17年が経過した。韓国でも16年に可決され、今年11月から施行されている。LWの相談所にははや長蛇の列ができているという。 一方、国会における尊厳死議論にも触れておきたい。「終末期における本人意思の尊重を考える議員連盟」には超党派の約200人の国会議員が加入している。しかしこの数年間、議論自体がほぼ停止している。一昔前、マスコミに「尊厳死法案」という文字が躍ったが、誤りである。正しくは「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」、つまり「LWの法的担保の法案」という表現が正しい。尊厳死法案について話し合う超党派の国会議員連盟の会合=2012年7月、東京・永田町 争点となったのは「2人以上の医師が終末期であると判断すれば延命処置を中止できるのか」という点であった。ここで忘れてはならないのは、あくまで本人がLWを書き、家族の同意があるという大前提である。しかし法曹界や宗教界から法的担保への反対の声が大きい。特に障害者団体の反発が激しいため議論自体が封殺されたままで、国会への法案上程の目途はまったくたっていない。尊厳死と安楽死を取り間違えるマスコミ マスコミではよく尊厳死と安楽死を取り間違えて報道している。2年前の11月1日に脳腫瘍で余命半年と宣告された29歳のブリタニー・メイナードさんが、予告通り米オレゴン州の自宅で亡くなった。これは自殺ないし医師による自殺幇助(ほうじょ)ないし安楽死である。しかし、多くのマスコミはこれを「尊厳死」と誤報した。しかしその後修正も検証もない。 また「尊厳死させられる」とか「安楽死させられる」という表現を見かけるが、尊厳死にせよ安楽死にせよ「受動態」では決してなくあくまで「能動態」である。障害者施設の入所者殺傷事件において「安楽死させた」という表現は誤りである。あのような忌まわしい事件は単なる殺人事件であり、安楽死とはなんの関係もないことは明記しておきたい。 以上をまとめると、橋田さんがいくら安楽死を望んでも、ディグニタス側は彼女を受け入れないのではないだろうか。なぜなら、日本はLWさえも法的担保されていない(できない)国であることを彼らはよく知っているからだ。彼らは国内法に基づいて粛々と本人の意思を尊重しているだけであり、裁判沙汰や国際的事件になることを嫌う。そもそも日本は、LW前提の安楽死どころか尊厳死すら議論が封殺されているような国だ。そんなややこしい国からやってきた人をスイス人が殺したらどんなことになるのか…病気になり判断能力が失われた場合の処置を、事前に記したリビングウイル さらに、内閣府がLWの啓発自体を明確に否定している現状も明記しておきたい。その理由は「患者がLWを表明すると医師の訴訟リスクが高まる」である。私は逆だと思う。在宅看取りのほとんどが尊厳死であるが、患者さんがLWを表明していると私たち医療スタッフは本当に助かる。多くの尊厳死を診ている在宅医仲間も同意見である。あまりにも時代に真っ向から逆行する政府の見識である。しかも、2017年秋から「LW裁判」という行政訴訟が東京地裁で始まっているような国である。もし機会があればその行方についても論じたい。 いずれにせよLWを書き、それを受け入れてくれる近くの医師や看護師を探しておけば、そんな異国の地にわざわざ行かなくても、橋田さんは住み慣れた自宅で最期まで暮らしピンピンコロリに近い形で穏やかに暮らすことができる。日本に法律はないけども、LWを包みこむACPという「和」の文化や「阿吽(あうん)の呼吸」がある国である。 橋田さんの安楽死願望を水泳に例えてみよう。日本はまだ10メートルも泳げない「世界一のカナヅチ」の国だ。しかし、橋田さんがいきなり「私は10キロ泳ぎたい」と主張しても現実的ではない。もしかなうならば、橋田さんにまずはLWやそれに基づく尊厳死の啓発に協力していただきたい。小泉純一郎元首相や脚本家の倉本聰さんには日本尊厳死協会の顧問としてLWの普及啓発に努めていただいている。 日本人にはなじまない安楽死に世論を導くのではなく、日本が「在宅での尊厳死(平穏死)」が可能である国であることを広く橋田ファン、そして世界に発信していただきたい。しかし、これまであまりにもタブー視されてきた「死」に関する議論に大きな風穴を開けていただいたことには深く感謝を申し上げたいのである。

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    「人生100歳時代」ただ長生きするより安楽死の方が幸せである

    佐野秀光(「支持政党なし」代表、「安楽死党」代表) 日本では現在、安楽死制度が法律で明示的に容認されていません。ですが、私は全国民に安心感を与えるためにも安楽死制度が必要だと思います。 私は政治団体「支持政党なし」の代表として国政選挙を経験しているかたわら、政治団体「安楽死党」の代表も務めています。過去に2012年12月の衆院選では安楽死党として、2010年7月の参院選と2009年8月の衆院選では「新党本質」という政治団体名で「日本でも安楽死制度を」と訴えて立候補しており、日本で安楽死制度の必要性を主張して国政選挙を戦ったことがある唯一の政治団体の代表です。 そもそも人間は生まれてきた時から、人それぞれ多様な考え方があり長生きしたいと思う人もいる一方で、逆に死にたいと思う人がいるのも自然です。一時期、自殺者も年間3万人以上にのぼり、現在は2万1000人近くに減少はしていますが、死にたいと思う人がたくさんいるのは事実です。 長く生きたいと思う人の気持ちを尊重するのは当然ですが、死にたいと思っている人の気持ちを尊重するのも本来の「人間の尊厳」を重視することとして大切ではないでしょうか。むしろ死にたいと思っている人に安楽死を認めない方が「人間の尊厳」を損なうのではないでしょうか。※iStock 現在でも海外では安楽死制度を認めている国もありますが、病気などによる終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないなどという医学的な病症や疾患を伴うことが条件になっています。安楽死先進国のオランダでは健康上の問題がなくても「生きるのに疲れた」などと訴える高齢者にも安楽死の適用を広げるという政府の提案が波紋を呼んでいるようですが、私は賛成です。 自分が将来、病気になって治る見込みもなく痛くて苦しい時に、楽に死を選べるというのは安楽死制度の基本として大事ですが、人間の悩み苦しみというのは肉体的なことだけに限らず多岐に渡ります。だからこそ健康上の問題がある時に限らず健康上の問題がなくても安楽死を認めることは「人間の尊厳」を重視する上で大変重要だと考えています。 私の提唱する安楽死制度というのは、人生の終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないという医学的な病症や疾患を伴う場合はもちろんのこと、65歳以上の高齢者にも安楽死を認めたいという思いがあります。さらには健康上の問題がなく、65歳以上の高齢者でなくても安楽死を希望する場合には臓器提供を条件として安楽死を認めるべきです。一億総活躍に必要な「安楽死」 現在日本で自殺者が2万人程度いる中で、どうしても生きていきたいと思い、体の疾患を臓器移植でしか治癒できない患者で臓器提供を待っている人も1万5000人ほどいます。臓器提供を条件に安楽死を認めることはまさに生きたいと思う人の思いも尊重でき、かつ死にたいと思う人の意思も尊重できることになります。 死にたいと思う人に思いとどまって頑張れと言葉をかけるのは簡単ですが、ただ頑張れと言うだけでは何の励ましにもなりません。死にたいと考えている人がもう少し頑張ってみようと思うためには、どんな励ましの言葉よりも最後には安楽死という選択肢もあるということこそが、もう少し頑張ってみようという気持ちに繋がるのではないでしょうか。 政府は一億総活躍社会の実現などと提言していますが、一億総活躍するためにはまさに安楽死制度が必要です。安楽死という人生の選択肢があってこそ、やりたいことがやれ、自分の最後も自分で決められるという、これこそが安心感をもって充実した一生を送れる基礎になるのではないでしょうか。一億総活躍国民会議であいさつする安倍晋三首相(左から2人目)=2016年2月、首相官邸(酒巻俊介撮影) 政府は一見、聞こえのよい政策などを掲げ、国民の支持を得ようとしますが、どんな政策も実現することによって得をする人もいる一方で、必ず誰かが損をすることになります。国民全員が納得をする政策というものはそもそもないのです。どんな法案も可決されれば得をする人と損をする人が出るのは当然です。 ただ、安楽死を認める法案は違います。仮に日本で安楽死制度の法案が可決したらどうでしょうか。安楽死制度を認める法案は全国民に一律に安楽死を強要するものではなく国民は一つの自分の将来の選択肢が増えることになります。 いつか病気になって痛くて苦しくなった時はもちろん、病気でなくても死にたいと思った時には安楽死という制度も使えるという人生の選択肢が増えれば、安心感に繋がります。世の中誰しも自分がいくつまで生きられるのかはわかりませんし、どのような病気になってどのような最後を迎えるのかということもわかりません。 だからこそ人生の一つの選択肢として安楽死制度があるということは全国民に必要なのです。さらに安楽死を認める法案には多くの予算を必要としないため、予算をかけずに実現できるというメリットもあります。 多くの国民は自分の老後を考え一般的には貯金をしますが、貯金を残して突然死んだらどうでしょうか。子供や子孫に財を残したいという人もいるでしょう。また、人生で稼いだお金は全て使い切りたいと考える人もいるでしょうし、ある一定の財産は家族に残し後は自分の好きなことで使い切りたいと思っている人もいるのではないでしょうか。「安楽死」は人生の選択肢 しかし、安楽死制度がない中では自分の人生の最後の予定を立ててお金を使い切ることなどできません。多くの国民は先の見えぬ将来の不安のために身を削って節約し、将来に備えて貯金をしているのが現状です。でも、仮に安楽死制度があればお金を自分の人生計画に併せて使い切るという選択肢も可能です。自分の人生の区切りの最後を決められることこそが思い切って自分のやりたいことがやれる人生になるのではないでしょうか。 この価値観の多様化する世の中で国民が抱える将来の不安をいかに軽減させられるのかを真剣に考えるのは、政府として取り組むべき最も重要なことではないでしょうか。だからこそ日本でも安楽死制度を確立して人生の一つの選択肢を広げるべきです。 くり返しますが、安楽死制度は全国民に強要するわけではなく、使いたい人だけ使えばよい制度です。消費税の増税の様に全国民に一律に課される政策ではありません。使いたくない人は無視して使わなければよいのです。 一般的には子供のころから人生は頑張ることが美徳とされてきました。何がなんでもどんなに人生が苦しくても頑張らなければならない。健康状態が悪くても頑張って最後の最後まで生き続けなければいけない。その様なプレッシャーこそが人々が悩み不安に陥る大きな要因になってきたのではないでしょうか。※iStock  現在安楽死制度はオランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、アメリカのいくつかの州、最近ではオーストラリアの一部の州でも法律で認められ始めており、世界で広がりつつありますが、未だ多いとは言えません。 ですが、人生100年と言われる中で、ますます国民は将来の不安との戦いの時代になります。もうこれ以上生きていたくないと思った時や苦しい病に侵された時にも自分の意思で自分の最後を決められるということは、ひいてはやりたいことをやって生きていけることになります。 ただ長生きするだけの人生でなく、自分で自分の人生計画を立てて充実した一生を送るためにも今後、安楽死制度を求める人は増えるはずです。それなのに日本の国会では、安楽死制度は一部で議論されているだけです。ぜひ、国民の安心感のために安楽死制度の確立に向けて真剣に国会で論議され、法律で明示的に容認されることを期待します。そして、できれば私自身がその一助になりたいとも思っています。

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    「終活」の前に考えたい 死の迎え方と送られ方

    わこ 科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師。元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)。

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    橋田壽賀子さん 「うまく死なせる医療」があってもいい

    れるわけじゃなし、ただベッドに横たわって死ぬのを待つだけ。そんなの、まっぴらごめんです。小笠原:在宅医療や在宅ホスピス緩和ケアでいちばん大事なのは、本人が苦しまないことです。それと、本人がどういう希望を持っているかきちんと聞いておき、最終的に本人も家族も満足する生き方なり死に方なりを選んでもらうことですね。だから橋田さんのように、家族や医師など周囲の人に、予め自分の意思を語ったり、書き残しておくことが必要です。橋田:ああ。小笠原先生が今おっしゃったことは、私がイメージしている希望の安楽死と似ています。前もって自分の意思を書面にし、周りに伝えておき、第三者がチェックして、本人の希望を叶える。 私がなんらかの苦痛をかかえて病院に行っても、そのお医者様は、私がどうやって生きてきて、守りたい尊厳や譲れないプライドはなんなのかは診ない。でも、いいホームドクターがいれば、私がどんな価値観を持っていて、どんなことを望むかを予めご存じです。「この人にそんな治療をしても幸せじゃない」というところまでケアしてくださると思うんですね。この高齢化社会、生かす医療だけでなく、「うまく死なせる医療」もあってもいいと思いますけどね。小笠原:われわれからすると、病院は「強制的に生かす医療」が過剰になりすぎる傾向がありますね。病院で息も絶え絶えになっていた患者さんがいました。家族が退院させたいというので家に戻ってもらい、点滴の量や酸素の量を減らすと、その患者さん、元気になったんですよ。橋田:ああ、そういうこともあるんですね。小笠原:ぼくは、病院で心臓が止まったり、心肺停止した7人の患者さんを治療して、その後、元気になった患者さんから臨死体験を聞いたことがあります。でも、今の話を聞いたので、ぼくの目の前で橋田さんが心肺停止になっても──。橋田:助けない(笑い)。小笠原:そっと看取ります。そして死亡診断書を書きます(笑い)。関連記事■ 橋田壽賀子氏×小笠原文雄医師「安楽死」と「安楽な死」の違い■ 『渡鬼』の植草克秀は「まだヤブ医者かも」と看取りの名医■ 築地本願寺が終活遺言作成等を支援 各地の寺が戦々恐々■ 延命治療の中止を巡って最高裁まで争った女性医師の告白■ 小笠原文雄・上野千鶴子対談 「持続的深い鎮静」は抜かずの宝刀

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    延命治療の中止を巡って最高裁まで争った女性医師の告白

    うべきか。初公判を終え、横浜地裁を出る須田セツ子氏=2003年3月27日 あの事件から19年。日本の医療界において、安楽死の殺人罪で起訴され、最高裁まで闘った医師は、彼女一人だった。 ヨーロッパから一時帰国していた私は、都内のホテルで須田の著書を一気に読んだ。『この本を手にとってくださったあなたにお聞きしたいのです。私がしたことは殺人ですか?』(青志社)。調査を重ね、その質問の最終的な答えを、私なりに見つけたいと思った。 日本では、患者本人の意思の有無にかかわらず終末期の患者を積極的に死に導いた場合、民事訴訟だけでなく、刑事訴訟に発展し、医業停止命令や免許取り消しといった行政処分を受ける(*注)。【*注/苦痛に苛まれる患者に対して、投薬などによって意識レベルを下げ、死に導く「緩和医療」は、認められている。また、延命治療などを施さず、自然な死を迎えさせることは「尊厳死」と呼ばれ、これも一部認められている】 背景には、日本独特の慣習や法律が根差している。当時、川崎協同病院・呼吸器内科部長を務めていた「殺人者・須田セツ子」本人の口から、それらが実際の医療現場の常識とどう、かい離しているかを探りたかった。 1998年11月16日、事件は、神奈川県川崎市にある川崎協同病院の南病棟2階228号室で起きた。気管支ぜんそくを罹患していた58歳の男性患者、土井孝雄さん(仮名)が、鎮静剤の後、筋弛緩剤「ミオブロック」を投与され、息を引き取った。その時、主治医だった須田が、「4年後」の2002年12月、殺人罪で起訴された。 型枠大工の工務店を営んでいた土井さんは、1984年から川崎公害病患者に認定されていた。その4年前から同病院に勤めていた須田は、外来主治医として、この患者をよく知っていた。普段は無口だった彼が、須田に会うと、時々、言う口癖があった。「自分はずっとこの仕事をやってきた。この仕事が大事なんです」 14年間、通院を続けた土井さんは、ある月曜午前の仕事中にぜんそくが悪化。午後には、重積発作(深刻なぜんそく発作)を起こし、心肺停止状態となって病院に運び込まれた。 心肺蘇生が行われたが、低酸素血症で大脳と脳幹に障害が残り、昏睡状態に陥った。以後、痰を吸引するための気管内チューブを装着された土井さんは、所謂、植物状態だった。4年後に事件化 事件当日午後、土井さんの容態が急変。駆けつけた家族11人が見守る中、須田は、すでに相談を受けていた延命措置の中止尊厳死のため、気管内チューブを抜いた。しかし、患者が上体をのけぞらせてもがくという想定外の反応を見せたため、鎮静剤「ドルミカム」3アンプルを静脈注射した。 その後も苦悶が収まらず、同僚医師の助言により筋弛緩剤「ミオブロック」投与を決定。須田本人が1アンプルを生理食塩水点滴バッグに溶かし、徐々に「尊厳死」へと向かわせた。これについて、須田は、「鎮静剤使用の延長線上の処置」とみなし、冒頭の「安楽死という認識ではない」ことを主張する。◆4年後に事件化 大倉山診療所は、大倉山駅から徒歩約10分の住宅地の中に挟まれていた。自転車で子供を乗せてくる母親や、マスクを付けた学生服姿の高校生、そして老人たちが次々と診療所を出入りしていた。「あ、こちらへどうぞ」 受付の係員に話しかけた後、須田が私を呼んだ。白衣を着た華奢な女性は、そのままそそくさと診察室に消え、私はその後を追った。「なんかバタバタしていて、ごめんなさいね。メールも返さずになんだか……」 この患者の数を見るだけで、彼女が多忙なのは判断できる。さっそく問いかけた。川崎協同病院事件で殺人罪に問われた医師、須田セツ子氏 =2009年12月、横浜市港北区  川崎協同病院事件のお話なんですが。 須田は、最後まで聞かず、返答は早口で長かった。質問は遮るが、言いたいことは、とことん言う。それが須田セツ子だ。彼女は、「安楽死の認識はない」と断言した上で、治療中止の曖昧さについて語り始めた。「心肺停止で運ばれてきた患者を心臓マッサージや吸引をさせたりして蘇生を試みるけれど、それだって10分やる人と1時間やる人がいます。どこまで続けるか、手を離した瞬間が死亡時刻になってしまう」 須田の話を聞いている最中、私は、スイスのプライシック女医の顔が、突然、浮かんできた。世代も近く、女性である部分が重なったのだろう。一方で、奇妙な感覚に襲われた。スイスの女医は、末期患者やそうでない患者に対し、年間に80人以上の死を幇助し、私に安楽死の仕事を堂々と語る。それに対し、須田は、一人の末期患者を楽にしようと、筋弛緩剤を使用したことで「殺人者」となり、こちらに所々慎重な口ぶりで話す。 そもそも、筋弛緩剤とは、いつ、どんな時に使用されるのか。一般的には、手術の麻酔時に気管内挿管を行う際、筋肉を弛緩させるためにあるものだ。従って、日本の現状では、筋弛緩剤が延命治療中止目的で使われ、患者が死亡した場合、「異例事態」と見なされてしまう。本誌・SAPIO6月号でも紹介した京都市立京北病院事件でも、「レラキシン」という筋弛緩剤が使われ、末期患者が死亡した。当時、病院長だった山中祥弘も、「いかに早く患者を穏やかな表情にしてあげられるか」を考え、患者に投与している。須田もさらりと言う。「宮下さんが見てこられたように、お薬を使ったり注射したりしてストンというような安楽死は、日本にはあり得ないでしょう」 確かに、私が見てきた安楽死の薬は、青酸カリ系などの劇薬で、それをコップに入れて飲むか、点滴の中に投与すれば、数十秒で死に至る。まさにコロリと逝くのだ。殺人医師と書き立てる週刊誌 須田は、土井さんに投与した薬が、直接の死因ではないと言いたいようだ。実際、安楽死を意図していたのであれば、鎮静剤さえ使用していなかっただろう。これについて、須田は、著書の中で、特徴的な持論を述べている。〈もうじき亡くなるとわかっていながら、(中略)最後の最後まで、やれることはすべてやるというのが医療者なのです。どうせ死ぬのだからそんなことする必要はないじゃないか、というようには考えないのです〉 私に質問の隙を与えず、須田は続けた。「薬を使ってストンと逝かせるのは殺人です。でも例えば鎮静剤を打って、薬が効いていったら息が止まった。それが思わぬ早さだった、といって殺人にはならないと思います」 筋弛緩剤でなければ、彼女は逮捕されることも起訴されることもなかったに違いない。苦痛を和らげ、延命治療中止の延長線上の処置を行い、土井さんは永眠した。家族は、須田に「お世話になりました」と会釈をし、納得のいく死亡診断書も受け、この件は終わったはずだった。だが、4年という年月を経て、この出来事は「事件化」した。それは、病院内部の事情に詳しい、ある医師が、マスコミにリークしたことが発端だった。◆「けっして笑顔を見せないように」 組織力に定評のある日本でも、情報漏洩や内部告発は多発する。そこには、「個」を表現し難い、日本特有の国民性が関係していることもあろう。「個人の生や死」を自己決定できないことも、善悪は別として、間接的にそうした国民性と繋がっていると思う。 リーク情報は、すぐさま大手各紙を賑わせ、週刊誌は「殺人医師」と書き立てた。2002年12月26日に横浜地検は殺人罪で起訴。翌年の3月27日から横浜地裁で公判が始まった。 最終的に「呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡させて殺害した」として、須田に懲役3年執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。 植物状態だった土井さんの命が残りわずかだったと予測される中、須田が気管内チューブを外し、想定外の反応を見せた患者に鎮静剤を打ち、最後に彼女自身が筋弛緩剤を投与したという事実を、詳細に説明する機会は訪れなかった。呼吸器内科のベテラン部長だった須田によると、土井さんを安らかに眠らせるため、家族とは事前に相談済みだったという。それは、気管内チューブ抜管の承諾だった。 だが、裁判官は、須田が家族に「九分九厘、植物状態だった」と言ったことに対し、「衝撃的で不正確な説明」、「配慮に欠ける対応をして家族らとの意思疎通を欠いた」と押し切った。だが、須田に反論の余地はない。当時の弁護士は、須田に口を酸っぱくして言った。「被告人なのだから神妙にしていてください。けっして笑顔を見せたりしないように」「あと少し早ければ」 実際は、どうだったか。患者が息を引き取る当日の午後、須田が土井さんの妻と交わしたという会話を、著書をもとに再現しよう。「この管をはずしてほしいんです」「えっ? これを抜いたら呼吸できなくて生きていけませんよ」「わかっています」「早ければ数分で最期になることもあるんです。奥様ひとりで決められることではないんですよ。みなさん了解してらっしゃるんですか?」「みんなで考えたことです」川崎市の川崎協同病院の筋弛緩(しかん)剤事件で 患者に投与された筋弛緩剤と同種のアンプル=2002年08月   だが、裁判における供述では、土井さんの妻は、この時間帯に病院には行っていないと言った。つまり、抜管は、「医師の独断」によるものだったという判断が下された。さらに、須田にとどめを刺したのが現場に居合わせた一人の看護師の証言だった。 その看護師は、筋弛緩剤を注射したのが自分であって、それを指示したのが主治医の須田だったと供述。ミオブロックを投与した量も、即死に至る3アンプルだと証言した。実際に投与した1アンプルの3倍だった。その状況について、須田は、ため息まじりの声を漏らして語った。「なんで看護師が注射するんですか? 事実とまるで異なる。だから私は、最高裁まで闘いました。そんなことをしたら、本当に殺人です。医療現場で筋弛緩剤を3本も使うなんて、誰も信じないと思っていたんですけど」 一審の横浜地裁では、妻の発言に加え、看護師の証言も採用された。しかし、2005年3月からの控訴審の東京高裁では、看護師の証言は変わらず採用されたが、家族側の証言を証拠不足で取り下げ、求刑も3年から1年6か月に減刑された。また、看護師の態度は一変し、涙ぐんで証言をする場面もあったと、須田は振り返る。「一審の時、彼女(看護師)が私と話をしたいって言ってくれたんです。私もなぜ、彼女がそう思い込んでいるのか分からないから、喜んでというところだったのに、(病院側の)弁護士に彼女が止められたんです。控訴審に出てきたときは、一審のときとは全然喋り方が違ったので、(自らの虚偽に)気がついていたんでしょうね」 2007年3月、須田は、控訴審判決に対する不服申し立てで、最高裁に上告した。事実審でなく法律審である最高裁では、「患者の自己決定権」や「医師の治療義務の限界」が主に審議された。それは須田を納得させる議論には至らず、2009年12月、「延命治療の中止を行ったことは法律上許されず、殺人罪に該当する」と最高裁は結論を下した。 最高裁は「延命治療の中止は、昏睡状態にあった患者の回復をあきらめた家族からの要請によるが、その要請は余命を伝えた上でなされたものでなく、患者の推定的意思に基づかない」と判断した。これに関しては、私も頷かざるをえない。だが、SAPIO6月号に紹介した山中祥弘医師とは違って、須田は安楽死ではなく延命治療中止との認識であり、彼女の独断で投与を決めていない点も差し引く必要があるように思えた。 もちろん、須田の話を全面的に信じれば、の話であって、真偽は分からない。皮肉にも、土井さんが他界した直後、ぜんそくの特効薬となる吸引ステロイドの新薬が導入された。これにより、ぜんそくの歴史が変わった。「あと少し早ければ、この事件も起きなかった」と、須田は苦笑いした。◆息子の告白 2週間後、私は、土井さんの子どもの一人が働く職場を訪ねた。入り口の扉を開けると、1人の小柄な男性が奥の廊下から、こちらに向かってくるのが見えた。土井秀夫(仮名)だった。私が、ここを訪ねた意図を説明すると、彼は、すかさず言った。「あ、親父の話? あれはもう思い出したくないんだよ」 だが、無理やり追い払う気配はなく、むしろ、目元には笑みが浮かんでいた。言いたいことがあるのだろうか。「絶対に書くな」と念を押す彼だったが、私は、これから伝える話が、須田や彼を巻き込んだ遺族両者を咎めるというよりも、本来は当事者のはずなのに第三者のように対応した病院側の行動を伝えるため、敢えて書くことにする。「看病して介護するつもりだった」 彼は、父の死後について、渋々と話し始めた。「俺は、あの時、仕事が忙しかったんだけど、急に病院に呼び出されてね。そりゃ、何が起きたのかまったく分かんなかったよ。何であんなことになったのかって。俺は、お袋やきょうだいからなんも聞かされていなかったから」 秀夫は、両腕を組み、威圧感を漂わせる口ぶりで、私にそう言った。父が死に到った過程を、息子は一切知らされていなかった。そうした父の死に関する疑念は、4年後、事件化されたことで家族への不信に変わり、家族関係に亀裂を走らせた。苛つく表情で、話を続ける。「向こう(疎遠の家族)は、須田先生とは何度も話し合いをしてきたみたいなんですよ。だからなんかあったんだろうなぁ。それで、俺が病院に駆けつけたら、急に管かなんかが外されて、注射を打たれて親父が死んじまってね。何が起こったのか、まったく分かんなかったんだ。そん時ね、俺、なんかおかしくねぇかって。俺は、親父の意識がなくても、ちゃんと看病して家で介護するつもりだったんだよ。それがあんなふうに死んじまった」 当時を鮮明に思い出したのか、口数が次第に増えていく。その怒りは事後の病院対応に向かっていった。「数年後、突然、うちに病院の関係者が4人来たんだよ。あの件について、どうか伏せていてくれとね。で、お金も持ってきたんだけど、俺は『金なんかいらねえんだよ、俺が欲しいのは親父の命なんだよ』ってね。ぶん殴ってやろうかと思いましたよ。それで、俺はこんなだから、口悪いし、短気だからさ、黙ってないんだよ。あいつらに俺は『あれって安楽死じゃねぇのか』って言ったんだよ。俺は起こったことをそのまま言うぞって言ったら、あいつら自身が病院で会見したんだよ」保釈されタクシーで神奈川県警を後にする 須田セツ子氏=2002年12月 おそらく前段にマスコミにリークがあり、病院側は慌てて、家族のもとへ足を運んだのだろう。病院側は、金銭の補償もちらつかせた。だが、秀夫さんには、その行動こそ、父の命を軽視していると映った。 2002年4月19日、院長らが、記者会見を行い、「安楽死の要件は満たしていない」と発表し、謝罪した。つまり、組織防衛のために須田一人を見殺しにした形だ。秀夫さんは、他の従業員が中に入ってくると、話を打ち切った。「今日はたまたま従業員がいないからこんなこと話せたけど、もしいたら、あんたのことを押し倒してでも追い払っていたからな」 一家の大黒柱だった父親を失った彼の思いは、十分に伝わってきた。だが、その話を聞いて改めて思う。この事件は、本当に殺人事件として、扱われるべきものだったのか。数々の疑問が残るばかりだが、須田の結論は、こうだった。「司法は、死を他人が導いてはいけない、と判断した。“自分で決める死”と“他人が決める死”には明確な線が引かれるべきだ、と。でも私は、必ずしもそうは思わない。自分のことを一番よく分かってくれている人を側に置いて死ねれば、それは最高だと思う。自分でない他人に(死を含める)すべてを委ねられるって、最高に幸せじゃないですか」「自分で決める死」、つまりは「個人の死」の捉え方は、人によってさまざまだ。欧米と違い、日本では、「個人」が「家族」という土台の上に存在している。須田のいう「他人」が家族を指す場合、個人とも連なっていることになる。これらを、司法で明確に分けることは困難だろう。 日本では、死の議論が未成熟な上、なおかつ「終末期の判断」を医師任せにしている。それが最終的に、患者や家族や医師の間で摩擦を引き起こす。延命治療を中止した医師は、訴訟になれば無罪は勝ち取れない。これこそ、日本の現状であると思う。 私なりの最終的な答えは出た──須田がしたことは殺人ではない。関連記事■ 延命治療中止で裁かれた医師はなぜ患者のチューブを抜いた?■ 患者多い総合病院 カネ払ったサクラ患者がいると看護師暴露■ 産科のマニュアル 絶対に「赤ちゃんは第一子ですか?」と訊く■ 管理が甘過ぎ病院 入院患者が近所スナックで点滴並べて飲酒■ モンスター患者「ゴルフに行くから朝7時から診療してくれ」

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    なぜ女性医師は都市部での勤務を好むのか

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 日本の医療が崩壊の瀬戸際にある。「戦犯」は厚労省の医系技官だ。医系技官とは、医師免許をもつキャリア官僚。一つの次官級ポスト、一つの局長ポストを持つ一大勢力だ。彼らは「医師偏在是正」を大義名分に、医療への国家統制を強化しようとしている。 読売新聞は12月4日の朝刊で、「医師が地方で不足する偏在対策をめぐる議論が、年内の取りまとめへ向けて大詰めを迎えている」と紹介した。この記事では、病院長になるには「地方勤務」が要件となることが取り上げられたが、これは序の口だ。 来年度の通常国会に提出予定の医療法改正は「暴挙としか言いようのない施策(厚労省関係者)」のオンパレードである。本稿を執筆している12月5日現在、読売新聞は有識者の意見を踏まえて、議論が進んでいると解説しているが、実は、この法案は既に内閣法制局に提出されている。国民はもちろん、現場の医師に何も説明することなく、事態は進んでいることになる。 私は、国家統制も一つの選択肢だと思う。ただ、全ての政策には長所と短所がある。民主主義国家では、政府は政策の長所と短所を国民に説明しなければならない。最終的に判断するのは国民だからだ。医系技官は民主主義を尊重する気はないようだ。その際、マスコミが重要な役割を果たす。ところが、今回の法改正について、マスコミはほとんど報じない。(iStock) 筆者の知る限り、もっとも詳細に報じたのは、11月18日に毎日新聞が「医師不足把握に新指標 地域偏在是正に活用へ」と報じた記事だ。この記事の中では、「この20年間で、麻酔科や放射線科、精神科の医師は6~8割程度増えたが、激務の外科医や産婦人科医は横ばいだ。厚労省は診療科ごとの各都道府県の需要を予測し、必要な専門医数の目安を示して勤務先を誘導する。来年度導入される新専門医制度でも、研修病院が都市部や大学病院に偏らないよう日本専門医機構が都道府県と調整することを、法律に明記する」と書かれている。 書き方は穏やかだが、中身は「国家統制」そのものだ。複雑化した社会で、こんなことが出来ると本気で信じているのだろうか。もし、そうなら20世紀の共産主義国家の失敗から何も学んでいないことになる。 医師不足・偏在の解決は、国家統制による強制配置だけではない。まずは、医師の供給を増やすと同時に、医師の需要を減らすことを考えるべきだ。前者は医学部定員の増員や外国人医師の勤務解禁、後者は医師の業務独占の緩和や人工知能や遠隔診療の導入などが挙げられる。 いずれも日本医師会の抵抗が予想される政策だ。厚労省は世論の後押しがなければ推進できない。いや、官僚ではなく、本来、政治の仕事だ。いまの安倍政権には、そのつもりはなさそうだ。 情けないのは、マスコミまでが、厚労省の言うがまま思考停止していることだ。知人の全国紙の記者は「役人が記者クラブの連中の先生です。言われたまま書いています」という。これは新聞の「自殺」だ。新聞が経営危機に瀕しているのは、読むべき記事が減っているのが大きい。新専門医制度の悪影響 実は、厚労省や業界団体による統制は、すでに医療現場に悪影響を及ぼしている。その具体例が新専門医制度だ。厚生労働省本庁舎が入る東京・霞が関の中央合同庁舎第5号館の看板(宮川浩和撮影) 医療界では、来春より専門医の教育制度が変わる。従来、専門医資格を目指す若手医師は、自由に勤務する病院を選べたが、今後は大学病院を中心としたプログラムに基づき、各地を回ることになる。特に専門領域が多岐にわたる内科と外科は、将来、自分が専攻しない分野も研修する必要があり、専門医資格をとるのに時間がかかる。 仙台厚生病院の遠藤希之医師の調査によれば、来年度の内科専攻医の登録者は2554人で、例年より2割程度少ない。外科は772人で、例年より1割少ない。増加したのは眼科や泌尿器科だ。 内科医志望医が15人以下の県が8県、外科志望者が5人未満の県は11県もある。これでは地域医療は確実に崩壊する。 代わって増えたのは東大や慶応大の医局だ。内科の場合、例年の専門医取得数は10人以下だが、来年度の応募者は東大が43人、慶応大は33人だ。厚労省の意図と全く逆の結果となっている。 医師不足の辻褄合わせに使われるのは、若手医師にとってたまらない。彼らは、自らのキャリア形成にとって合理的な選択をしただけだ。地域医療が、こんなことになっていることを、果たしてどれくらいの人が知っているのだろうか。 実は、厚労省の医療法改正の素案に書かれていることは、こんなレベルではない。本稿では詳述しないが、医学部地域枠の拡充、卒業後の地域勤務の義務化など、医学生や若手医師を雁字搦めにするための具体策が網羅されている。 我が国の医師不足は深刻だ。多少、医師の人権を抑制しても、厚労省の政策で医師偏在が解決されるなら、仕方がないとお考えの方々も多いだろう。厚労省の素案を多くのメディアが批判しないのは、厚労省記者クラブの記者たちが、このように考えているからだろう。 ところが、そもそも厚労省の政策は前提自体が間違っている。我が国の医師偏在は、厚労省や審議会の委員が主張するような、若手医師が田舎に行くのを嫌がり、都会に留まるから、あるいは若手医師が激務の外科や産科を嫌がり、楽な診療科を選択するからではない。私どもの研究所のスタッフで、福島県の相馬中央病院の内科医である森田知宏医師の調査が面白い。 森田医師は2004~2014年にかけての、国内の医師の偏在を経済格差の研究で用いられるジニ係数を用いて評価した。 ジニ係数は所得分布の不平等などを評価する際に利用される経済学の指標だ。0が完全に平等、1が完全独占だ。この間で数値が大きくなるほど、格差が増す。ちなみに、我が国の所得のジニ係数は0・57(2014年)だ。 実は、調査期間を通じて、医師偏在に関するジニ係数は0・21~0・22程度でほぼ横ばいだった。厚労省の主張するような医師の偏在は悪化していない。 興味深いのは、ジニ係数に大きな男女差があることだ。女性のジニ係数は0・17で、近年、少しずつ増加している。一方、男性医師のジニ係数は0・14から0・13へと低下した。特に40~59才の男性医師のジニ係数は低いのに、調査期間中にさらに0・11から0・09へと低下していた。カギを握る女医の増加 我が国の医師の偏在の悪化要因は女医の増加なのだ。2004~2014年の10年間に女性医師の数は約4万5千人から6万4千人へと42%も増加した。いまや5人に1人が女医で、20代に限れば女医の比率は35%だ。 OECD(経済協力開発機構)加盟諸国の女性医師の割合の平均は41・5%だ(OECD Health Data2011 )。一方、日本は18%だ。他の先進諸国並みに女性の社会進出が進めば、ますます、女医の割合が高まるだろう。今後の医師偏在を議論する上で女医の存在抜きに考えられない。 これまで議論されてこなかったが、女医は男性医師より都市部での勤務を好む。その理由は都会生活が好きで、僻(へき)地が嫌いだからではない。地方都市では、子供が十分な教育を受けられないと考えているからだ。(iStock) 最近、シングルマザーで出産した40代の女医は、「現在は給与・職場・育児環境がよい地方病院で働いていますが、子供が小学校に入り、塾に通い始めたら、どんなに待遇が悪くなっても東京に戻ります」という。彼女は都内の進学校から旧帝大医学部を卒業した。子供は「海外の一流大学に進学させたい」と希望している。 女医の子供の多くが有名中学を受験する。少し古いが2010年に日経メディカルオンラインの亀甲綾乃記者の調査によれば、医師の子弟の56%が私立・国立の中学校に進学する。これは全国平均の8%を大きく上回る。 中学受験は「ママの戦い」だ。彼女たちは、人生の一時期、仕事よりも子供と過ごす時間を増やすことを選択する。 現在、議論されている新専門医制度は、彼女たちに優しくない。それは、専門医の資格を取るのに、実績や実力でなく、「最低4年以上の認定施設での研修」などの過程が重視されるからだ。 現在の医師養成システムでは医学部を卒業し、初期研修を終了するのは最短で26歳。専門医研修を終えるのは早くて30歳だ。新専門医制度が始まり、若いうちは外科医や産科医、年をとったら内科医に転向するようなキャリアは難しくなった。 新専門医制度は、2004年に始まった臨床研修制度で影響力を失った大学教授たちが復権を目指したものだ。当初から、大学に医師が集まり、地方医療が崩壊することが懸念された。4月14日には、全国市長会が塩崎恭久・厚労大臣(当時)に対して、「国民不在の新専門医制度を危惧し、拙速に進めることに反対する緊急要望」を提出した。塩崎氏は厚労大臣在任の最終日である8月2日に、吉村博邦・日本専門医機構理事長と面談し、改めて危惧を伝えた。 厚労省も日本専門医機構も、この問題は十分に認識している。だからこそ、一定期間を僻地勤務に充てることを義務づけようとしている。ところが、女医にとって、こんな強制はたまらない。内科や外科をやるなら専門医資格はあった方がいい。専門医資格がなければ、給与や昇進で差別されるおそれがあるからだ。それなら、最初から育児と両立できる診療科を選んだ方がいい。これは合理的な判断だ。地方を求める男性医師 女医の増加は必然的に特定の診療科への偏在を加速する。彼女たちに人気がある診療科は皮膚科、産科、眼科、麻酔科だ。女医が占める割合は、それぞれ49%、46%、37%、37%だ。産科を除き、当直や緊急の呼び出しの負担が少ない診療科だ。現在でも女医の3割が出産・子育てを理由に辞職している。地方勤務を義務づければ、「医師を続けることにはこだわりはない(都内の女性勤務医)」人たちが辞職するだけだ。 厚労省は、さまざまな機会に「病院における柔軟な勤務形態等、妊娠・子育て中の女性医師の就労継続・復職支援に資する取組の推進」と打ち上げているが、この程度のことは地方病院はとっくにやっている。 地方に欲しいのは、自分の子供を入学させてもいい進学校だ。東日本大震災の被災地の市長は「ここに開成高や灘高が来たら、女医はもちろん、若いお母さんが大量に移住してくる」という。女医が求めるのは、子供の学校であり、それは一朝一夕にできない。 実は、女医の増加による医師偏在を穴埋めしてきたのは、中高年の男性医師たちだ。この世代のジニ係数はもともと低いのに、この10年でさらに減少した。この層が医師全体の37%を占める主流派で、女医の増加による医師偏在の悪化を埋め合わせている。結局、医師偏在を埋め合わせたのは、医師数の増加ということになる。 40代以降の男性医師が、地方病院に異動する理由は二つだ。一つは体力。勤務医の1週間の平均労働時間は53・2時間。35%は毎月60時間以上の残業をこなす。20代、30代なら兎も角、中高年になると体がもたない。地方の慢性期病院でのんびりと過ごしたいと考える医師が増えてもおかしくない。 もう一つは金だ。特に東京の勤務医の給料は安い。東京は、医師は多いが看護師が少ない。診療報酬の抑制に対応するため、医師の給与を切り下げてきた。都内の大学病院なら、教授クラスでも年俸は1000万円に満たないことがある。一部の有名教授は患者からの謝金や、製薬企業からの講演料などで高額の収入を得ることが出来るが、大部分の教授はアルバイトで食いつなぐ。部下の生活はもっと悲惨だ。40代の助手クラスなら年収は700万円程度だ。平日は勿論、週末も当直バイトに精を出す。知人の私大の外科系准教授は「平日の病棟は無医村です。医局員は手術室か外来、あるいはアルバイトに行っています」と言う。最近、都内の私大病院で不祥事が続くのも宜(うべ)なるかなだ。(iStock) 医師の給与は完全な市場メカニズムで決まる。首都圏も埼玉県北部までくれば、40代の内科医で年俸は2000万円を超すのも珍しくない。住宅ローン、教育費を抱える中高年医師にとって、このような病院での勤務は魅力だ。加速する医師不足 首都圏の大学病院を辞めて、北関東の民間病院に就職した医師は「大学医局の煩(わずら)わしい人間関係もなく、給与も高い。医師が少ない分、症例もそれなりに多く、技量も維持できる。週末、都内の自宅に戻ればよく、いまの環境に満足している」という。 我が国の医師偏在が、このレベルで留まっているのは、女医の増加に対応して、需給バランスに適う形で中高年の男性医師が地方の病院に異動していったからだ。つまり、合理的な選択を積み重ねた結果だ。決して、厚労省や大学医局が適切に人材を配置したからではない。 ところが、厚労省は各都道府県の「地域医療支援センター」の機能を強化し、「医師のキャリア形成支援・配置調整ができるよう」にする方針だ。この枠組みは、厚労省は都道府県に丸投げし、都道府県は地元の大学医局に丸投げする。 もちろん、この枠組みは機能しない。強制的に地方に派遣されることになる若手医師は「海外で働くことを考えている」と言うし、一方、地方に出る若手の穴を埋めるため、大学病院などで働かされる中高年の医師は「企業の産業医か、製薬企業で働きたい」と言う。この結果、医師不足は加速する。 この枠組みで得をするのは、天下り先が増える県庁の職員と、再就職先が確保出来る定年間際の医学部教授たちだけだろう。 問題はこれだけではない。厚労省は医師の地域定着を目指すため、「地域枠」を拡充し、卒業後は地元に縛り付けようとしている。若者は異文化と交流して成長する。これは古今東西変わらない原理原則だ。こんなことをすれば、医学生のレベルが下がるだけだ。 世界の医学教育は優秀な生徒を集めるため、グローバルな競争を続けている。近年、日本の若者がアメリカだけでなく、東欧の医学部に進学するようになったのも、その一環だ。グローバル化が進んだ世界で、厚労省が独善的な政策を押しつければ、優秀な若者は海外の医学部に進学するだけだ。2008年4月、参院予算委で質問に答える舛添要一厚生労働相(酒巻俊介撮影) 厚労省は一体、何のためにあるのだろう。医師不足、医師偏在は元をただせば、彼らの失政が原因だ。80年代、将来医師は余ると主張し、医学部定員を削減した。この方針は閣議決定され、2009年、舛添要一厚労相(当時)が撤回するまで続いた。この点を反省することなく、最近になって時代遅れの国家統制を押しつけようとしている。その先にあるのは、我が国の医療の崩壊だ。 情報化、グローバル化が進んだ21世紀に求められるのは、時代錯誤な国家統制を振りかざすのではなく、地域の実情に即したきめ細かい施策だ。情報開示を進めるとともに、オープンに議論することだ。日本の医療政策を、官僚と専門家たちに独占させてはならない。

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    28歳の女医があえて「Dr.コトー」を目指したワケ

    いという一心で勉学に励んだ。医学生になってからは、目の前の試験に追われながら、医学を知るようになり、医療を知るようになった。そして、いろんな医師像があることを知り、自分はどんな医師になりたいのかを真剣に考えるようになった。 だが、医学生の私がみていた医療は、大学病院中心の医療でしかなかった。病気を治すだけでなく、住民の健康を守るという役割も医師が担っていることを、地域医療に携わって初めて知った。また、南相馬にやってきて初めて、関西ではクリニックや医師を自分の意志で選択できるという恵まれた環境で育ったことに気がついた。 医師になってからは、主治医としての臨床経験を一例でも多く積むことを考えるようになった。患者さんのことはもちろん、患者さんと家族の関係や、家族の思いは、医学知識をいくら詰め込んでも分からない。やりとりを重ねることで、医療を学び、その地域の考え方や文化や歴史に触れ、自分もその地域に受け入れてもらえるようになってきた。新しい地域に慣れ、地域に溶け込むには長い歳月が必要であることを、慣れ親しんだ地域を離れることで痛感した。強制でやりがいを見出せるのか 好きでもないことを「やりなさい」と言われ、泣く泣くやった、なんて経験は誰にでもあると思うが、「僻地勤務の義務化」はまさに同じことだと思う。私だったら、モチベーションが維持できず、やりがいを見失ってしまうだろう。何よりも、地域の人の健康を守っていく責任は負えない気がする。 他にも、「地元出身者を医学部入試で優先する枠の増加」が、医師の偏在解消策の一つとして検討されているという。だが、この案は7年も先の将来の進路を高校生に迫るだけでなく、さまざまな地域に飛び込むチャンスを奪い取る案でしかないと思う。 医学部受験の際、奨学金貸与を検討したことがあった。「地域医療に強い意欲を持ち、卒後県内の病院で勤務する意思を有する者に対しては、県より医師養成奨学金を与える」というものだった。医師になるためには、医学部に進学するしかない。医者になれるなら、どこの大学でも、どんな制度でもいいという一心だった高校生の私には、「卒後数年間は、県内で勤務せねばならない」ということも重みを理解できていなかった。 一般枠で合格し、すっかり制度自体を忘れていたが、大学5年生になり、卒後の進路を考え始めた時、いわゆる「地域枠」という縛りが自分にはなくてよかったと実感した。もちろん、地元の医療を支えたいという強い意志を持ち続け、自ら地元に残ると言っていた同期もいた。河合診療所の山本均院長から話を聞く 三重大学医学部の学生たち=2016年9月、伊賀市 だが、医学生ながら医療の実態を垣間見て、私はどこでどんな医師になりたいのかを考えたときに、働く場所が定められていることは選択肢を大幅に狭めることに、その時初めて気がついた。医師になりたいという一心の高校生に、医師免許をあげるから県内に残って医師として働きなさいといっているにすぎなかったのだと、ようやく分かったのだった。 今では、卒業と同時に生まれ育った関西を離れたことは、とてもよかったと思っている。先入観や固定観念を持っていたことに気づき、地元関西の良さを再確認するきっかけにもなった。たくさんの出会いもあった。異なる環境に身を置くことは、つらいこともたくさんあったが、それ以上に自分自身を成長させてくれるチャンスを与えてくれると実感している。 医師として地域に飛び込み、地域に溶け込み、地域に根ざし、住民の健康を守ることは、制度で縛ることも強制することもできない。自ら志願して来てくれた医師と、来させられた医師の、どちらに診てほしいだろうか。どちらの医師に、自分の命を預けることができるだろうか。若手医師に僻地医療を強制させよと議論している人に、そういう視点が欠けている気がしてならない。

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    「ドクターX」では救えない地域医療クライシス

    未知子の「群れない生き方」に共感する人が多かったとはいえ、現実に目を向ければ、医師ゼロに直面した地域医療が崩壊の危機にある。ドクターXでは救えない僻地医療の「病巣」とは。

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    僻地への派遣制度は医師ゼロ解消の切り札になるか

    山田隆司(公益社団法人地域医療振興協会地域医療研究所長) 医師の地域偏在の問題が深刻である。特に地域を支える中小規模の病院では医師確保は存続にも関わる重大な問題となっている。 医師の研修制度が変更されるなか、多くの医学部卒業生は優秀な指導医、効率の良い研修、ライフワークバランスの良い環境を求めて都市部、大病院、特定の診療科へ集中する傾向が否めない。 また、来年から開始されることになった新専門医制度でも、地域偏在を解消する対策を講じたにもかかわらず、都道府県格差あるいは診療科間の格差が広がっており、地域偏在の流れを食い止めるどころかさらに加速させるような勢いである。 さて、そこで出てきた地域偏在の解消策としての「僻(へき)地への強制医師派遣制度」である。強制派遣というといかにも物々しい印象で、医療界からは、「医師の自由を損なう」、あるいは「プロフェッショナルオートノミー(職業的自律)に委ねるべき」などという反論が聞こえてきそうだ。 しかし、今や反論しているだけではすまされない状況で、国全体の地域医療をどうやって守るのか、医療者全体のあり方が問われている。 そもそも医療は国民全体のニーズに応えるべきであって、個々の医師の自由を振りかざして反論している場合ではなく、まさしくプロフェッショナルオートノミーのもと責任ある回答が医療界全体に求められている。(iStock) 医師という職業自体が社会的責務を負っているからこそ、プロフェッショナルオートノミーが尊重されるのであって、この対応によっては日本社会における医師という職業の価値観に影響を及ぼすと言っても過言ではなかろう。 これまで僻地など、医師不足地域の問題は、実際にそういった地域の病院や診療所の開設者・管理者の問題であり、主に自治医科大学や、地域枠の卒業生が担うべきことだとしか認識されてこなかった側面がある。 多くの医師には当事者意識がなかったと言っても過言ではない。奨学金という金銭的な契約で拘束された対象者だけで解決すべきという極めて短絡的な手法に頼っていたのである。今回も単なるインセンティブを与えることで、一部の医師のみが関係する問題として帰結してしまわないよう十分留意する必要がある。 今回「医師少数区域」での一定期間以上の勤務経験を有する医師を厚労省が認定し、認定医師であることを広告可能としたり、地域医療支援病院など、一定の病院の管理者になる際に評価したりすることが提案されている。 筆者は自治医大卒業生であり、義務として僻地医療に従事してきた医師であるが、その立場からは僻地医療の経験が評価されることについては喜ばしい提案だと受け止めている。技能習得に傾きがちな医師 僻地や医師不足地域の問題が一部の特定の医師の問題ではなく、多くの医師が関わることに繋がる施策が提案されることに賛意を表したい。地域偏在の問題を不足する地域だけが問題視し、対策を講じようとしても所詮無理がある。偏在という問題を医師全体が共有し、解決に向けて知恵と力を合わせることが今求められているのだ。 私の場合は自治医大という枠組みに入ったおかげで、僻地の問題を知り、地域医療や総合診療に興味を持つことになったわけだが、僻地医療の問題は単に僻地固有の問題ではなく、地域医療、総合診療、臨床医学、医学教育全体に関わる問題であると認識している。 僻地医療の問題に取り組むことで、これまで日本の医療がないがしろにしてきた課題が凝集して見えてきたのである。 これまでの臨床医養成がともすると疾病に対する知識、技能の習得に傾きがちで、患者を取り巻く家族、地域社会などを理解し、それを踏まえた上で診療することで社会貢献に繋げようとするような幅広い人格形成の面が疎かになってきたことは否めない。そのような視点からは地域での研修、とりわけ家族やコミュニティーを理解しやすい僻地のような地域は臨床医にとって人格形成の面でこの上ない恵まれた環境なのである。 今回の医師の地域偏在の問題をきっかけに、医学教育の視点から医師養成全体を再検討し、卒前教育、初期研修、専門医研修、生涯学習まで一体的な改革が提案されることを願っている。 それはすなわち、医学生は低学年から地域で住民に触れ、コミュニケーションを学び、医療者として信頼されるような人格を涵養(かんよう)する。卒後の臨床研修では全身を把握し、適切な臨床推論ができるよう、総合的な臨床教育を徹底する。(iStock) 特に初期研修や総合診療研修では主に医療資源が限られた地域の中小規模の病院を活用し、基本的な診療能力を鍛える。臨床医のキャリア形成のなかで、すべての医師が僻地を含めた医師不足地域を経験し、多くの医師が被災地や医療資源に恵まれない地域の住民に配慮できるような、そんな医師養成が実現することを望むばかりである。 僻地や医師不足地域の問題を医師全員で真正面から受け止め、議論し、安易に次世代にツケを回すのではなく、まずは今の現役世代で解決策を見いだし、実践することが我々に課せられている。

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    「白い巨塔」再び、若手医師の僻地派遣に隠された厚労省の思惑

    中村幸嗣(元自衛隊医官、血液内科医) 「医療過疎」である僻地(へきち)への医師の強制的な派遣が取り沙汰されています。2018年度からスタートする「新専門医制度」とも連動しています。12月8日に厚生労働省の医師需給に関する検討会の分科会に提出された第2次中間取りまとめ案には、「医師偏在に関する客観的で有効なデータに基づき、他の医療政策と整合的かつ主体的に医師偏在対策を講じることができる仕組み」とあります。では、このテーマを自分なりに解釈していきます。取りまとめ案からは、医師偏在対策として四つのポイントが挙げられています。(1)都道府県自治体における医師確保対策の実施体制の強化 具体性はよく見えないのですが、地域が「医師確保計画」を策定し、地域大学と連携することで今機能していない「地域医療対策協議会」の実効性を高める、つまり医師を実際に確保する組織にすることが挙げられています。(2)医師養成課程を通じて自治体が介入し地域における医師確保 策定した「医師確保計画」に基づき、都道府県が臨床研修病院の指定や、卒業後の地元勤務を条件に奨学金を設ける医学部の「地域枠」を含めた定員などに介入する権利を持たせるとのことです。ただ、こんな能力を持つ地方職員がいるでしょうか。「医師余り」といわれる東京ですら医療過疎地が存在し、地方自治体ごとにも格差が目立つ現状で、どれだけのことができるのでしょうか。 また、地方の医師を確保するためには都会地域における臨床研修医などの定員を抑制する必要が出てきます。これは地域だけでは不可能です。それこそ建前上は強制ではなくプロフェッショナル・オートノミー(職業的自律)により、18年度から運用される新専門医制度においても、事前に明記されていなかった「地域、専門科の制限」がすでに実施されているようです。都会への一極集中がかなりひどいといわれているとはいえ、公務員でもないのに、若手医師には職業選択と居住という、二つの自由がすでに制限されているのです。厚生労働省が入っている中央合同庁舎第5号館 そして今後、行政による介入の範囲を明確化し、都道府県別・診療科別の必要医師数の算定を計画に基づき実施するということですが、やはり具体性が全く見えません。ちなみに必要医師数に内科はひとくくりで考慮されており、血液内科や神経内科といった専門は全く分けられていません。私が望んでいる医療改革は題材にもあがらないのです。地域に必要な医療には総合臨床医、かかりつけ医がいればいいということなのでしょうか。でも、この分野の修練も本当に難しい上に、社会のコンセンサスが取れていないのです。(3)地域における外来医療機能の不足・偏在などのデータ収集 外来患者のデータを集積し、地域別の外来医療機能の偏在・不足などに関するデータを集めて可視化するとしています。つまりはっきり言うと、在院患者と違い、今は外来患者のデータがほとんどないわけです。それに伴い現在の必要医師数のデータの根拠が弱いことがわかります。(4)僻地勤務を促す厚労省による医師に対する認定・インセンティブ 「僻地で勤務しても医師が疲弊しない持続可能な勤務環境の整備」と書かれているのですが、財源含めて具体性はありません。またインセンティブとして挙げられているのは、僻地に勤務する医師に対する認定制度の創設と、認定医師に対して一部の地域医療支援病院のような医療機関の管理者、つまり院長の資格を与えるというというものですが、今の若手医師にはなんの魅力もないと思われます。診療所の開設権(いわゆる開業制限)でないことも中途半端です。客観的なデータはどこにある? つまり、今回の施策をまとめると、地域医療連携部と各大学医学部・病院を直結することに伴う「医局制度の復活」ということになります。特に地域における人事面で目立ち、まるで昔の良き時代を求めているようです。そしてもう一つは、地域医療における都道府県地方自治体の介入の法的担保です。(iStock) ところが、今の医局、特に地方医大の力は弱くなっていますから、正直大丈夫かと疑問がわきます。まして、協力する根拠が薄弱(特に私立医大)にもかかわらず、教授たちが協力するでしょうか。さらに、介入する地方自治体の能力によっても差が出るでしょう。 少し詳しく書いていきます。まず今回、厚労省は医療過疎である僻地に医師を派遣するにあたり、先ほどから出ている「地域偏在に関する客観的で有効なデータ」をもとにするとしていますが、この客観的なデータはどこにあるのでしょう。 もし、医師不足や偏在対策のために各都道府県が策定した「地域医療構想」のデータを、厚労省が現在使っているとすれば、正直5年後にはそのデータは使い物にならない可能性があります。実は、地域医療構想においては、数年前の医療ニーズに基づいて患者の数を予想し、そこから地域の医師の必要数を含めた医療を評価しています。そのデータに今後の医療の進歩は入っていません。 それこそ、がん治療薬のオプジーボ、次世代型キメラ抗原受容体発現T細胞(CAR-T)療法といった先進医療は全く入っていないのです。よって今後必要になってくる新たな「がんサバイバー」の増加への対処は全く考慮されていません。そうすると、大学のような3次医療機関で必要な医師数が増加するため、最初の必要医療者数の前提が不安定となり、そこから導き出される計画はいい加減といわざるを得ません。ちなみに、厚労省が定義する「医師偏在の度合い」のデータは以下の条件を考慮して作成し、全国ベースで客観的に比較・評価することができる指標とされています。(1)医療需要(2)将来の人口・人口構成の変化(3)医師偏在の度合いを示す単位(区域、診療科、入院/外来)(4)患者の流出入(5)医師の年齢分布(6)僻地や離島などの地理的条件 ただし、今までがん統計すらなかった日本にこれだけのデータが今あるのか不思議です。医療需要も定義によっては、倍以上の変動が出るからです。若手医師が地方に行きたくない理由 医師数が10万人あたり152・8人と最少の埼玉県を例に考えましょう。確かに、最大の京都府(307・9人)と比べて、国公立大学の数(実質私立のみ)、人口動態(東京都から埼玉県へ定年退職に伴う移動)、自治体の面積、経済状況など本当に必要な医師数を求めるためのパラメーターがあまりにも異なります。また、地域によっては近隣の東京、群馬、栃木の医療にある意味「おんぶに抱っこ」だった埼玉の医療状況が県単位でまとめられるかは疑問です。(iStock) 聖路加国際大学の福井次矢(つぐや)学長は「都道府県が効果的な医師派遣に向けて大学と話し合うとされているが、(大学の)『持ち駒』がなく、実効性がない」と分科会で現在の大学の力の無さを指摘されていますが、当然でしょう。今でも大学医師のほとんどが過剰労働なのに、地方の大学がどれだけの医師を僻地に派遣できるのでしょうか。 ところが、厚労省医政局は「地域枠の卒業生が今後増加していくし、それ以外の卒業生も合わせ、ほとんど機能していなかった地域医療支援センターを強化していくことで対応できる」と説明しています。今まで医学部の定員を増やしても変わらなかったのに、改善できるという根拠がよくわかりません。結局、若い医師を半強制的に総合臨床医にして僻地に派遣することでやっと改善するというのでしょうか。 若手医師が地方に行きたくないのは、東京などの都会に比べて、希望する内容の仕事ができなかったり、労働環境や専門医としてのスキル獲得などに不安があるからです。ましてその地方の中でもさらなる僻地です。一般の人間がそこに住む自由を認めながら、医師がそこに住まない自由を認めないのはどうしても納得できません。 この分科会の出席者で、僻地勤務は「医師が少なくても学びが多く、医師としての充実感が得られる」と述べている方がいますが、それは臨床の現場から離れた価値観でしかないでしょう。仕事内容や労働環境の改善、キャリアパスなどの障害の除去、インセンティブを確定する前に、時代遅れな個人の価値観を押し付けて派遣される若い医師は厚労省や有識者の奴隷ではありません。 実際、若手医師の活用が少し成功している地域では、地域医療を続ける方策として「医師への教育の提供」を第一に挙げています。ボランティアで一生懸命教えてくれる人がいて、その教育環境が良ければ、自分から若い先生は飛び込んできます。それを医療行政に素人の地方自治体を船頭に、根拠の乏しいデータをもとに見切り発車し、失敗しても財源などのフォローがないのではまさに若手医師が「無駄死」するだけです。 医療に対する行政側の知識のなさは、病院人事に介入して医師が逃げ出した例が複数の地域であることで明らかです。こんな自治体トップがいる病院に行って若い医師が学問を遂行できないのはまさに戦力の無駄です。素人事務に「丸投げ」厚労省のひどい策 でも、厚労省がある地域の典型的医療データを出して、日本の有識者の誰も答えを見つけていない「効率的な地域の医療の運用」という結果を、地方の素人事務に求めて「丸投げ」することはひどい施策だと思っています。 私は防衛医大出身で、一般の医学部とは異なり卒業後に自衛隊で勤務する大学に最初から自分の意思で入りました。だからこそ、一番勉強が必要な若い時期に専門から少し外れ、一般内科、健康管理、医療行政、防衛問題、海外派遣といった普通の臨床医とは異なる仕事をしてきました。私個人はその経験がよかったと思っていますが、それが嫌でお金を払って早期に辞めていった人間もたくさんいます。そして彼らの一部は精進し、他の大学医学部の教授になっています。だからこそ、医学を勉強したいと思っている若い医師たちに学問や職業選択、居住の自由を持たせず、自分たちの希望しない僻地勤務を強制させるのは、民主主義国家の医師として絶対反対です。 3年前、私のブログに書いたように、自治体の身勝手さは変わっていません。もちろん地域枠の医師はある程度意思を宣言されていますので仕方がないとは思います。だけど、いつから他の医師を勝手に配置する根拠ができたのでしょうか。(iStock)  「医療機関の管理者になるなら、医師不足区域に行くべきだ、という仕組みが、強制と取られるのは無理がない」「強制的なイメージを伴うので、今の時代に合っていない。僻地で医師が少ない地域に、国民を住まわせるなら、医師へのインセンティブでやるのではなく、国の責任として医療を提供する仕組みを作るべきだ。医師に『一肌脱げ』という仕組みを作るのはやはり違うと思う」「地方では総合診療専門医などが必要とされる。どんな医師を育成するのかという視点も含めて議論してもらいたい」と、分科会に出席した有識者からはまともな意見も出ています。でも、これらの意見は正直無視されていくのでしょう。 日本の医療を前進させることは大切ですし、今の地域医療もある程度の整備が必要です。でもその整備を、僻地に勤務していいと宣言していない若手医師の犠牲で成り立たせてはいけません。尊厳死や安楽死、胃ろう、延命処置などどこまでの医療を行うか、現状の必要性が定まっていないのに、形だけ定数として若手の医師を僻地に配置し、彼らの進歩を犠牲にしてはいけません。若手医師にだけ犠牲を求めてはいけないのです。

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    医療や福祉による地域づくりは生き方を決められる社会運動

     諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師がたちあげた一般社団法人地域包括ケア研究所では、「医療・職業・住環境」という3つの要素をベースに人々が本当に幸せな暮らしができる街づくりの実現を目指している。鎌田氏が、これからの時代に求められる医療や福祉による地域づくりについて語る。* * * 昨年秋、ぼくは一般社団法人地域包括ケア研究所を立ち上げた。メンバーは、ブランディングのプロやファンドマネジャー、人材教育のプロ、介護の理論家や実践家などだ。国は2025年までに「地域包括ケアシステム」を全国につくろうと提案している(写真は埼玉県幸手市のコミュニティ喫茶「元気スタンド・ぷリズム」)。  地域包括ケアシステムとは何か。医療や介護の多職種や、NPOやボランティア団体、地域住民など、いろいろな地域資源をネットワークでつなぎ、歳をとっても、障がいを負っても、地域で暮らし続けられるようしようというものだ。 なぜ、こうした発想が出てきたのか。団塊の世代が後期高齢者になる8年後、43万人の介護難民がでるかもしれない。でも、特別養護老人ホームなどの施設をどんどんつくるお金はない。だから、身近な地域で何とかしなさい、というのが、国の本音だ。 だが、ぼくの考えはちょっと違う。30年ほど前から、諏訪中央病院を中心に地域包括ケアに取り組んできたが、やり方しだいでは、地域の課題を解決し、高齢者や障がいのある人だけでなく、だれもが生きやすい社会を築くことができると思っている。 この考え方は、『社会的共通資本としての医療』(宇沢弘文、鴨下重彦・編集、東京大学出版会)でも述べた。今年は、本格的に地域包括ケアを形にし、あたたかな資本主義へ方向を変える年にしたい。 医療や介護の世界は、人材不足であえいでいる。特に地方では深刻だ。そうした課題を解決すべく、リゾート地や地方に医師や看護師、介護の専門家を送り込むベンチャー企業を、リゾートバイトで成功している会社と協働してつくる計画だ。単なる介護問題の解決策ではない 医療や介護の世界で働く人たちは、みんな燃え尽きそうになっている。そんな人たちに、リゾート地や地方の空気のいいところで3か月~1年、ゆったりと働いてもらう。元気になったら帰ってもいいし、地方が気に入ったら、そのまま居つくこともできる。 こうした事業が軌道に乗りだしたら、お金もない、土地もないが、夢はあるという若者に、無担保でお金を融資してもいいと考えている。医療や福祉による地域づくりは、新しいアイデアが求められている。それを応援したいのだ。 たとえば、日本には約800万の空き家があるといわれる。この空き家を利用して、小規模多機能の介護サービスの拠点をつくったり、シングルマザーのシェアハウスをつくったりする。(iStock) 従来、この2つは交流することは少ない。だが、地域包括ケアのネットワークでつないでいくとおもしろいことが起こる。子どもを育てるシングルマザーが、保育園に子どもを預け、小規模多機能施設で働きながら介護を勉強し、ライセンスを取ることもできる。小規模多機能を利用するお年寄りが、子どもとふれあい、簡単な世話をすることもできるかもしれない。 託児所付きの風俗店などがあるというが、風俗店に負けないサポート体制が必要だ。子育て中の若い親たちがもっと働きやすくすることと、歳をとって必要になる介護の問題を、切り離さずに考えていくことが大切だと思う。 ぼくが考える地域包括ケアとは、単なる介護問題の解決策ではない。介護をする側もされる側も、住民一人ひとりが地域づくりに主体的に参加するシステムであり、生き方や死に方を自分で決めることができる社会運動でもある。 自分で判断し、責任をもつこと。それは、服従に抵抗する第一歩である。厳しい世界の動きに流されないためにも、身近な地域でしっかりと地に足を着けていきたい。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に『「イスラム国」よ』『死を受けとめる練習』。関連記事■ 家庭での介護 介護保険法改正のポイントは「地域包括ケア」■ 親が元気なうちにすべき介護準備 自治体広報誌を捨てない等■ 公明党 安倍首相が社会保障問題で公明党切りに動くのを感知■ 高齢者対象の行政サービス 緊急通報装置の貸し出しもある■ 特養老人ホーム入所かち取る方法 ベテランケアマネを選ぶ他

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    通院時間を短縮できる遠隔診療、慢性疾患にも向いている

     スマホやパソコンなどの通信機器を通じて、医療サービスを医師が行う「遠隔診療」。離島などでの医師不足の救世主として登場したこのサービスは、今、都会で忙しく働く会社員や、診療時間外の乳幼児の医療相談などへと広がっている。(iStock) 東京都港区六本木にある『新六本木クリニック』は、遠隔診療向けアプリ『CLINICS』(メドレー社)を2016年2月に導入。以来、300人以上の患者が遠隔診療を利用している。 院長で、精神科医の来田誠さんは、遠隔診療のメリットは、通信機器さえつながれば、自宅はもちろん、会社や出張先など、患者の居場所に制限がなくなることだ、と言う。「通院するには、移動時間も含めて半日近くの時間を要することもあり、忙しいビジネスパーソンが平日の昼間に通うのは難しい。その点、オンラインを使った遠隔診療なら、移動時間は不要なので、診療時間+前後5分ほどを確保すればいいわけです。仕事の合間に15分程度、ひとりになれる場所があれば、そこでスマホやタブレットのテレビ電話機能を使って診察が受けられます。生活習慣病など、継続を要する治療を、仕事で多忙でも中断することなく続けられるので、効果が得やすくなります」 これまでに、会議室で、移動中に車を止めて車中で、さらには、旅行中にも遠隔診療を受けた人がいるという。症状が安定した慢性疾患に向いている 遠隔診療は、離島やへき地など、医師による直接の対面診療を受けるのが難しい地域において、対面診療と組み合わせながら行われるなど、限られた場合のみに行われていた診療スタイルだったが、2015年8月、厚生労働省が出した通知により、遠隔診療の対象は、「離島やへき地の患者に限らない」と明言された。この通知では、糖尿病、喘息、高血圧、アトピー性皮膚炎など9種類を適用疾患の例に挙げている。 東京都町田市で訪問診療を中心に行っている『おおぞら会つばさクリニック』は、「遠隔診療ポケットドクター」(MRT社・オプティム社)というサービスを利用して遠隔診療を導入し、約1年になる。現在は十数人の患者が利用しており、院長の鈴木智広さんはこう話す。自宅から出るのが難しいケースで奏功も「症状が安定している慢性疾患や、高血圧症・高脂血症・糖尿病などの生活習慣病、薬だけで落ち着いているうつ病、不眠症などは、毎月1回の受診が基本。半年に1回は血液採取などの検査のために通院が必要ですが、これと遠隔診療を組み合わせると、通院が楽になると好評です」 皮膚科では、アトピー性皮膚炎などアレルギー系疾患の継続治療などに加え、以下のような場合にも向いている。「粉瘤(アテローム)ができて皮膚科で切り取ってもらいました。術後は遠隔診療を利用して、スマホに映して確認してもらいました。実は、お尻にできていたので、病院で診てもらうのに抵抗があり、スマホが使えたのはありがたかったです」(20代・男性) また、治療を中断してしまうことが多い禁煙外来でも、新六本木クリニックで遠隔診療を利用した場合、4回のプログラムを全うした人が約8割近くに。これは、対面診療の約1.5倍だ。ほかにもAGA(薄毛外来)、ED(勃起不全)などを遠隔診療で行うところも多い。 うつ病や引きこもりなどでも、自宅から出るのが難しいケースで遠隔診療が功を奏することがある。「精神科や心療内科を訪れることに抵抗があるかたも少なくないでしょう。そうした際、遠隔診療が活用できます。たとえば、引きこもりのお子さんについて相談を受けたケースでは、お子さんは家から出られず、強い不安を抱いていました。病院とはいえ、知らない場所で、知らない人に自分のことを話すのは、相当にストレスが強いものです。そんなとき、テレビ電話を使えば、お子さんの様子を直接見ることができます。画面を通じて何度か話をして信頼関係を作ってから、こちらに来ていただくというステップを踏むことができ、治療にも繋げられるのです」(来田さん) ただし、これはあくまでも“相談”の範囲。精神科はカウンセリングなど対話中心の治療を行うケースが多いとはいえ、薬を扱ったり、検査を行うことも多い。テレビ電話で何回か話しただけでは薬を出すことはできない。治療を開始する際には、通常の医療と同様に、病院で直接対面での診察を受けることが必須条件だ。関連記事■ 通院する時に気をつけたい診療時間外、深夜、休日の加算料金■ 歯科クリニック問診票 治療費多寡の「踏み絵」を迫られる■ TPP参加で「自由診療」普及 金持ち用病院登場する可能性も■ 愛犬の治療 町の獣医さんと高度治療行う専門医の通い分けを■ 激太り目立つ金正恩に欧州から医師招く「特別医療体制」

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    小林麻央さんが遺してくれたもの

    フリーアナウンサーで乳がん闘病中だった小林麻央さんが34歳の若さで亡くなった。昨秋にブログを開設して以来、352回ものメッセージを発信し、多くの人々の心を動かした。麻央さんは私たちに何を伝え、何を遺してくれたのか。その意味を考えたい。

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    小林麻央さんのブログが変えた「日本人の死生観」

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 有名人や芸能人の人生は、私たちに大きな影響を与え、時に社会を変えていく。山口百恵のように、人気絶頂のアイドルが結婚を機にすっぱりと引退し、専業主婦として生きていくといった姿は、当時の日本女性に強いインパクトを与えただろう。そして「山口百恵」は伝説化されていく。1977年秋に極秘来日し、インタビューに応じたジョン・レノン(右)とオノ・ヨーコ=東京都内のホテル さらに「死」にまつわることは、より普遍性が高いために、多くの人々の生き方にさえ影響を与える。スポーツカーで事故死したジェームズ・ディーン、愛と平和を歌いながら暗殺されたジョン・レノン、民家の軒先で遺体が発見された尾崎豊。彼らは、その芸能活動と死にざまがあいまって、熱狂的なファンを生み神格化されていった。 人はみんな死ぬ。有名人も権力者も金持ちも関係ない。死から免れる人はいない。だから問題は、どう死ぬかだ。涙で包まれた穏やかな臨終の場面はドラマでよく登場するシーンだが、現実とは異なる「様式美」とさえ言えるよう最期が描かれたりする。事故死は、突然の死であり、ご遺族にとってはとても辛いことになる。だが、だからこそこの衝撃的な死に方も物語にはよく登場する。現実世界の芸能人も、事故死の方がその芸能人のイメージのままで死を迎えられるために、「永遠のスター」として私たちの記憶に残ることもある。 だが、病気はなかなか辛い。徐々に体が弱る。痩せ細るなど容姿が変わることもある。長く苦しむこともある。病人の周囲では良いことばかりが起こるわけではない。体と心の苦しみ、お金の問題、看病、人間関係の問題など、さまざまなトラブルが起こることもあるだろう。辛さだけが残る最期もある。だから、有名人の中には闘病生活をほとんど世間に知らせない人もいる。華やかな結婚式や、授賞式や、一家だんらんなど公私にわたる人生を公開してきた人も、死期が近づいている闘病生活は公開しない。夢を売ってきた芸能人として、それも当然のことだろう。 だからこそ、フリーアナウンサーの小林麻央さんの活動は注目された。彼女のネット発信は素晴らしものだった。「私は前向きです」「今、前向きである自分は褒めてあげようと思いました」「何の思惑もない優しさがこの世界にも、まだたくさんある」「がんばれっていう優しさもがんばらなくていいよという優しさも両方学んだ」「今は今しかない」「今日、久しぶりに目標ができました。娘の卒園式に着物で行くことです」「空を見たときの気持ちって日によってなんでこんなに違うのだろう」「苦しいのは私一人ではないんだ」「私はステージ4だって治したいです!!!」「奇跡はまだ先にあると信じています」。小林麻央さんのブログには、宝石のような言葉があふれた。死との向き合い方のお手本のようだ。人生の苦悩と希望を届けてくれた 酸素チューブを鼻に入れた写真。ウイッグ(カツラ)の写真。闘病中の姿も、美しく、ユーモラスに公開した。そして彼女は語る。6月20日、小林麻央さんが最後に自身のブログに掲載した写真(本人のブログから) 「私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。『まだ34歳の若さで、可哀想に』『小さな子供を残して、可哀想に』でしょうか?? 私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」。闘病生活をつづったブログなのだが、麻央さんのプログは闘病記ではなかったのだ。 もちろん、公開されたことだけが事実ではないだろう。家族にしか言えない苦しみがあったことだろう。死も闘病も、きれいごとだけですまない。しかしそうだとしても、2016年9月1日に始まった麻央さんのブログは、人生の苦悩と希望を私たちに届けてくれた。それは日本人の心を動かし、世界にも報道された。彼女の言葉に、慰められ、励まされた人々はどれほどたくさんいたことだろう。そしてその活動が、小林麻央さん自身の癒しと勇気にもつながったことだろう。 どう死ぬかという問題は、どう生きるかという問題であり、死生観が関わる問題だ。そして死生観には、宗教が絡む。普段は無宗教という人でも、葬儀の時には宗教的なことをする。しかし、世界的に宗教の力は落ちている。日本でも、簡易な家族葬、無宗教の葬儀、そして「直葬」と呼ばれる宗教的葬儀なしに火葬場へ行く方式も増えている。仏教式の葬儀を行っても、以前ほど戒名などにこだわる人は減っているだろう。宗教への熱い信仰があれば、どう生きてどう死ぬかの指針になる。だが、非宗教化した現代社会で、人々は新しい死生観を求めている。 インターネットは、まるで新しい宗教だ。人は確かに生きて日々活動しているのだが、人生とは各自が振り返ってみたこれまでの記憶とも言える。同じような生き方をした人でも、良い記憶でまとめられた人生もあるし、悪い記憶でまとめられた人生もある。人生は、当人の記憶であると同時に、周囲の人々の記憶だ。多くの人々の記憶が、その人の人生を形作る。 神仏を信じていれば、神仏が私の人生を見守る。神仏は私に関する出来事を全て記憶し、私の人生に意味づけをする。心理学の研究によれば、信仰を持っている人の幸福感は高い。神仏的なもの抜きで人生の意味づけをすることは、簡単ではない。 インターネットは、新しい神にもなるのだろう。私の人生を、ネット上で記録できる。世界に発信できる。世界の人々は、ネットを通して私を見て、リツイートしたり、「いいね」したりする。その記録は半永久的に残る。ネット世界でも人は包まれる インターネットの黎明期(れいめいき)から、人生を語る人々はいた。一般の人の中にも、闘病生活を発信した人はいた。まだブログもなく個人ホームページも数少なかった頃、母であり教師であるある一人の女性は、死期が近づく中で、普及し始めた電子メールで配信を始めた。「私は、なぜ病気になったのかではなく、何のために病気になったのかと、考えるようになりました」と。その活動は、多くの友人、知人たちを力づけた。 このような活動は、今や多くの人々に広がっている。ある元校長は末期のガンであることをブログでカミングアウトし、それでも最期まで自然に親しみ、グルメを楽しみ、家族や病院スタッフに感謝する。家族がそれを見守り、友人や知人が応援し、見ず知らずの読者との温かな会話が始まる。同じ病で苦しむ読者とも交流が生まれる。それは、どれほど素晴らしく意味あることだったことだろう。 ネットを通して、記録を残し、思いを伝え、人々とつながる。それは、真剣に命と向き合っている人にとって、かけがえのない活動だ。死期が迫った終末期は、人生の中でもっともコミュニケーションを必要とする時期だ。しかし、しばしば死期が迫っているからこそ、孤独感に襲われることもある。だがネットは、豊かなコミュニケーションを提供する。神仏の腕に包まれるように、ネット世界で人は包まれることもあるだろう。 余命いくばくもない人にとって必要なことは、安易な慰めでもなく、客観的だが悲観的なだけの情報でもない。必要なのは「祈り心」だ。神仏に祈れる人もいる。同じ宗教の信者たちに祈ってもらえる人もいる。健康心理学の研究によれば、祈られている人は病気が治りやすくなる。そして祈り心は特定宗教によらなくてもできる。祈り心とは、客観的には厳しい状況であることを知りつつ、同時に希望を失わない心だ。 東日本大震災の時に、日本は祈りに包まれた。「Pray for Japan」、日本のために祈ろうと、世界が日本の支援に乗り出した。国連はコメントしている。「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」。 義援金や救助隊員を送ってくれたことはもちろんうれしい。だが金や人だけではなく、その心に熱い想いを感じた人も多かったことだろう。真実の祈りは行動が伴い、真実の行動は祈りが伴う。世界はマスコミ報道により日本の状況を知り、そしてインターネットによってさらに詳細な情報が伝わり、人々はつながっていった。つながりこそが、人間の本質だ。 このようなことは、個人でも起こる。今回は、小林麻央さんというたぐいまれな人格と文才を持った女性が、苦悩と希望を発信してくれたことで、大きな祈りと交流が生まれたといえるだろう。ネットは世界を変えた。ネットは私たちの死生観をも変えるのかもしれない。

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    小林麻央さんの乳がんを「誤診」した医師の責任は問えるか

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 小林麻央さんが乳がんで亡くなった。享年34歳だった。夫である市川海老蔵氏と二人三脚の闘病生活をブログで報告し、多くのがん患者を勇気づけた。心からご冥福を祈りたい。彼女は夫ともども、有名人だ。病名発表時点からマスコミが大きく報じた。メディア報道によれば、彼女の闘病生活は順調ではなかったようだ。イベントに登場し、笑顔を見せる小林麻耶さん(左)と妹で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻、麻央さん=2014年10月16日東京都墨田区 たとえば、『FLASH』2016年11月1日号には「ステージIVに追い込んだ2人の医師を直撃 小林麻央奇跡への第一歩!」という記事が掲載されている。 見出しからして穏やかではないが、この記事によれば、小林麻央さんが最初に乳がんの可能性を指摘されたのは、2014年2月に人間ドックを受診したときだ。 彼女はすぐに東京都港区の有名病院の専門医を受診した。このとき、乳がんとは診断されなかった。詳細はわからないが、幾つかの検査を追加し、乳がんとは言えないと診断されたようだ。結果論だが、主治医は「誤診」したことになる。 8カ月後、彼女は乳腺の腫瘤(しゅりゅう)を自覚し、この医師を再診したらしい。このときに、乳がんと診断された。精密検査の結果、リンパ腺への転移も認められ進行していた。この後の闘病生活は広くメディアが報じる通りだ。 小林麻央さんのがんは進行が速い。一般論ではあるが、このようなタイプは、仮に早期診断しても治癒は難しい。早期診断したころには、すでに遠隔臓器に転移していることが多いからだ。メディアの中には「誤診」した医師の責任を問う声があるが、それは医学的には妥当な判断かわからない。 ただ、遺族には「もし、最初の主治医が誤診しなければ、治っていたかも」という思いが残る。早期に診断し治療していれば、治癒は期待できなくても長期に生存できた可能性は十分にある。小林麻央さんはもっと子供の成長を見ることができたかもしれない。その意味で、最初の主治医には責任がある。ただ、この主治医を断罪しても問題解決にはならない。医者を過信するべからず 読者の皆さんには、言い訳に聞こえるかもしれないが、医師は誤診する。特に早期の乳がんの診断は難しい。早期がんを画像診断や生検で正常と判断してしまうことは珍しくない。重要なことは、最初の医師が見落としてしまった乳がんを拾い上げるシステムである。この点において、最近、南相馬市立総合病院の尾崎章彦医師らが興味深い研究を英国の医学誌『BMC Cancer』に報告した。 尾崎医師は乳がんを専門とする外科医だ。2010年に東大医学部を卒業し、千葉県旭市、福島県会津若松市で研修を終え、3年前から南相馬市立総合病院に勤務している。 南相馬で診療を続けるうちに、「病状が進み、手遅れになってから来る患者が多い」と感じるようになったそうだ。特に独居の人が目立ったという。 彼は南相馬市立総合病院で保存されている病歴を用いてこの仮説を検証した。その結果は衝撃的だった。 2005年から震災までに乳がんと診断された122人の患者と比較し、震災から2016年3月までに乳がんと診断された97人の患者では、腫瘤(しゅりゅう)など乳がんの所見を自覚してから病院を受診するまでに3カ月以上を要した人の割合が1・66倍も高かった。さらに、12カ月以上受診が遅れた患者の割合は4・49倍も増えていた。いずれも統計的に有意な水準である。尾崎医師の予想通り、進行がんに成って受診する患者の割合は増加していた。 では、どんな患者が危険なのだろう。これも尾崎医師の予想通りだった。12カ月以上治療開始が遅れた患者18人のうち、子供と同居していたのはわずかに4人だった。症状自覚から12カ月以内に治療を開始した79人では、42人が子供と同居していた。家族、特に子供との同居が病院受診に影響したことになる。 このような反応は心理学の世界では「正常性バイアス」と呼ばれる。不都合な事態に直面すると、人はそのことを過小評価しがちになるのは万人に共通する傾向だ。東日本大震災で津波警報が出ても避難しなかった人がいたり、沈没船から脱出せずに溺死する人が多いのは、この機序(きじょ)によると考えられている。正常性バイアスを防ぐには 皆さんも体の異変に気づいたときに、「まあ大丈夫だろう」と思い、放置した経験がおありだろう。「病院に行ってきたら」と家族に勧められ、渋々、病院を受診した人も少なくないはずだ。家族の存在が正常性バイアスを防いでいることになる。 乳がんの患者の場合では、夫より子供がこのような役割を担うことが多いことが知られている。 ところが、福島県では原発事故が起こり、若者たちが避難した。福島県内の65歳以上の独居老人、あるいは高齢者夫婦の人数は、2010年の29万7144人から2015年の31万6096人と6.3%増加している。家族構成の変化が住民の健康に影響した可能性が高い。 では、小林麻央さんはどうだったろうか。彼女の2人の子供は5歳と4歳である。自らの病気を相談できる年齢ではない。夫の海老蔵氏は多忙だ。そもそも乳がんに関して、夫は相談相手にならないことが多いことに加え、十分に時間が取れなかったのではなかろうか。 小林麻央さんが最初の医師に「がんでない」と言われてから、再受診するまでの8カ月をどのような気持ちで送っていたかは、私にはわからない。おそらくだんだん大きくなる腫瘤(しゅりゅう)に対し、不安を感じていただろう。その際、「専門医が問題ないと言ったのだから、安心してもいい」と自らを信じ込ませていたのではなかろうか。典型的な正常性バイアスだ。 もし、周囲に「一度、病院に行ってくれば」という人がいれば、彼女は再度、受診したのではなかろうか。 確かに、はやい段階で病院を再受診しても、転帰は変わらなかったかもしれない。ただ、本人や家族の納得は違った可能性が高い。 乳がんは40~50代の女性に多い疾患だ。多くの患者が子育て中であり、核家族だ。子供が幼少の場合、相談相手がいないという点で状況は南相馬市と同じだ。子育て世代の女性は社会的に孤立していると言っていいかもしれない。 この問題を解決するには、問題の存在を社会的に認識し、普段から健康問題を相談できるような新たなコミュニティーを作ることだ。乳がん患者の支援には社会的な視点が欠かせない。

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    「ステージ4でも治したい」小林麻央さんの闘病記に感じた妙な胸騒ぎ

    それらには強い憤りを感じざるをえません。 先日、インターネット上に横行する虚偽・誇大広告を禁ずる改正医療法が成立しました。しかし、そのような対処はあくまでも広告のあり方に対するものです。現状、日本では、倫理やモラルの観点から「エセ医学」そのものを裁くような法的規制はありません。 したがって、科学的根拠の乏しいモノを「医療」と称して商売をしている関係者は、欧米のように法のもとで裁かれたり、資格免許が剝奪されるようなことはほとんどありません。翻ると、わが国は先進諸国の中でも世界一「エセ医学」に寛容だということです。麻央さんのエピソードを決して無駄にしないよう、一人ひとりが自身の死生観を顧みながら、賢いがんリテラシーを身につけて欲しいと願います。

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    2度転院していた小林麻央さん、がん治療法選択の難しさ

    今、セカンドオピニオンという言葉の広まりから、より自分に適した治療を受けられる選択肢が格段に増えた。医療関係者が語る。「世界中のがん治療の統計によって導き出された最も有効とされる治療のガイドラインでは、切除(手術)・薬物・放射線治療が『標準治療』の3本柱とされています。程度の差によって、これを組み合わせていくのが治療の基本です。ところが、ネットなどに膨大な医療情報があふれている現在では、この標準治療を“最低限の治療”と誤解している人も少なくない。お金さえ出せば、ゴッドハンドと呼ばれる医師の元を訪ねれば、別の“特別な治療”を受けられるのではと考え、いつまでも治療方針が定まらないケースもあるのです」 ある著名な女性医師は、次のように警鐘を鳴らしている。「標準治療というネーミングが悪いイメージにつながっているのではないか。特に有名人の場合、標準治療とは一線を画した“スペシャルな治療法”が残されているのではないかという考えに陥ってしまうケースもある」 芸能関係者が明かす。「麻央さんのがんが発覚した前後に海老蔵さんが知り合った人の中に、切らないでがんを治す自然治癒や免疫療法を提案する人がいたそうです。しばらくはその人の方針に従って、数百万円の治療費をかけたと聞いています」 望むような治療方針を示されなかった麻央さんが転院したのはB病院だった。同院もまた、都内にある屈指の大病院といっていい。「最先端の放射線治療や抗がん剤投与を受けながら、『緩和ケア科』に通い、QOLを優先した治療を受けていたそうです」(B病院関係者) 2016年7月には、さらに別の都内の有名大学付属のC病院に移っている。3つの病院はいずれも日本の最高峰の医療を受けられる大きな病院だが、乳がん治療に詳しいベルーガクリニック院長の富永祐司氏(乳腺外科)は「大病院を3つも変えるというのは、非常に稀なことというほかありません」と指摘する。がん“放置”?麻央さんと海老蔵の揺れた心 2度の転院は、麻央さんと海老蔵の揺れる心を表していたのかもしれない。その陰には、当時、医療界に吹き荒れていた風潮が影響した可能性もあるのだろう。 元慶応大学医学部講師の近藤誠医師が2012年12月に著した『医者に殺されない47の心得』は110万部を超えるベストセラーになった。近藤氏はがんを「積極的に放置」する治療法の第一人者といえる。「近藤医師によれば、がんには本物のがんとニセモノの『がんもどき』があり、本物は発見した時点で転移しているため手術の効果はなく、がんもどきは転移しないので放置すればいいというものです。それどころか手術することによってがんが増殖や拡散するケースもあり、手術や抗がん剤治療は無意味とまで断じています。 賛否両論が渦巻く近藤理論ですが、がん患者に与えるインパクトは強く、2年ほど前は手術や抗がん剤治療を拒む患者が続出しました。そうした風潮の中でがんに関するあらゆる情報を集めた麻央さんが“放置”に傾いた可能性は否めません」(医療ジャーナリスト) さまざまな要因が重なって手術を回避した麻央さんだったが、気がついた時には治療の選択肢が限られていた。昨年春には骨や肺への転移が進み、手術もままならない状態になった。海老蔵は今年1月に放送された密着特番『市川海老蔵に、ござりまする。』(日本テレビ系)で当時の様子をこう明かしている。「早かったら3、4、5月でたぶんダメだった。夏は絶対無理だと思った」 そのシーンが撮影されたのは昨年10月。奇跡のような状況の一方で、麻央さんの命は着実にがんに蝕まれていった。今年4月、麻央さんはがんが顎に転移したことを公表した。「5月末に退院して在宅医療に切り替えた頃には、ひどい頭の痛みにも苦しんでいたみたいです。それでも麻央さんは生きようとしていた。もし、もっと麻央さんに合った治療を最初からできていれば…。そう考えると後悔してもしきれません」(梨園関係者) 綿密な研究に裏打ちされた最新の治療法から、根拠に乏しい民間療法まで、世の中には数え切れないほどの情報が氾濫している。ごく限られた一例が大々的に話題になることで、それまでの治療法の一切が否定されたようなブームとなることさえある。私たちに必要なのは、統計や調査、研究の上に立った正確な情報を取捨選択し、耳当たりのいいだけの不確かな煽り文句に踊らされないことなのだろう。関連記事■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 切らない選択をした麻央さん 「できれば3人目」という思い■ 麻央さん娘・麗禾ちゃん 明るく振る舞う姿に周囲が心痛める■ 病院の海老蔵・麻央を隠し撮りしたフジ 怒られなかった理由■ 小林麻央 暴走族グループの報復が怖くていまも眠れない

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    小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由

    に辛いことは知らせないという文化の日本。そう、がんが患者本人にほとんど告知されていなかった昔の日本の医療において、家族でサポートして最後までだまし続ける「嘘も方便」の方法が取られていた時代があります。 欧米から「がん告知」の文化が輸入されましたが、それに伴う心理的影響を和らげてくれる宗教的フォロー(神父の病院常駐など)、カウンセラーの充実といった気持ちをサポートする制度の導入は正直日本では一部でしか行われませんでした。それだけが原因ではないですが、死生観について日本ではあまり深い議論もなされてきませんでした。 また、がんを告知する医師も相手の気持ちに寄り添う行為についてはトレーニング不足で、その結果、日本には自己責任の名の下、気持ちが落ち着かない告知後の患者たちがどんどん増えていたのです。 本来であれば緩和医療を含め、がん患者に対するサポートは、行政、医療、家族、友人が行っていくべきなのですが、非正規、共働き、核家族化、高齢化した日本では、ともに寄り添いながら話ができる時間も場所も限られています。それこそ最近できたがん患者の支援施設「マギーズ東京」以外ほとんどありません。 家族会なども本当にがんばっているのですが、いかんせんネットに飛び交ういい加減な情報、そして閉じこもりがちになる告知後の患者の傾向、病院においては共感しにくい教科書的対応など、結果患者は誰にも相談しにくい状況となり、今までのがん患者さんの気持ちを和らげる方法が正直足りていなかった可能性があります。 なぜ、麻央さんのブログがここまで共感を得たのか。そして医療的には今後どのようにしていくことが望ましいのか、医師としての自分の意見を述べさせていただきます。共感したのはがん患者だけではない 彼女ががんと告知された後の言葉で理想の母親像とのギャップについて話している部分があります。 全てやるのが母親だと強くこだわっていました。それが私の理想の母親像でした。 これは昔の日本の姿かもしれません。そういう思いがありながら病のために自分の体が動かない状況に麻央さんは最初隠れることを選びました。行動できない自分に対する負い目として。 緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。「がんの陰に隠れないで!」。私は気がつきました。元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印(らくいん)を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。 この時の悩む様は巷(ちまた)にあふれているがん闘病患者の共感を得ました。そう、麻央さんと同じように悩んでいる患者さんが多いということもありますが、がん患者だけでなくいろいろなことに悩みを抱えて誰にも話すこともできず一人で生きてきた普通の少し弱っている人間も共感したのです。 そしてがんという死の淵にある彼女がここまで笑顔でがんばっていることを応援するとともに、こうした境遇の人を応援することで自分もがんばろうという気持ち、人間としての共感が湧いてきたことが予想されます。 以下は海老蔵さんの言葉です。 「(ブログで)同じ病の人や苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合っている妻の姿は、私からすると人でないというか、なんというか……すごい人だなと」 「総合的に教わったこと、そして今後も教わり続けることは『愛』なんだと思います」 そう、今の日本における、足りない他者に対する「愛」を麻央さんのブログに感じたのです。この現象はおそらく「純粋」な彼女でなければ得られなかったでしょう。自分がどんなに辛くても他人を思いやる行動を見せようとする彼女。ブログに出てくる写真は笑顔がほとんどでした。その笑顔の奥に読者たちは無償の「愛」を感じることができたのです。妻の小林麻央さんの死去について会見で話す市川海老蔵さん=2017年6月、東京都渋谷区(撮影・早坂洋祐) そして麻央さんのテレビでの言葉です。 「もし私がこの病気を乗り越えて、いま私なりにある試練っていうものを乗り越えられたときに、病気をする前よりも、ちょっといいパートナーになれるんじゃないかな、っていう。なので、すごく思うのは、役者・市川海老蔵をパートナーとして支えられるチャンスを神様ください、っていつも思うんですね」 こんな少し弱音が混じりながらも他人のために生きたいという前に向かっている彼女の言葉は、今苦しんでいるさまざまな人たちを助け、そしてその人たちから贈られる感謝の言葉が彼女を励ましました。そう素晴らしい連動でした。 そして再びブログから。私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。だって、人生は一度きりだから。 この前向きな言葉が共感を呼び、多くの人を巻き込んでいったのです。芸能人の方のブログ、みなさんへの影響力はとても強いものです。そう、一緒にがんばろうという気持ちを読むものに奮い立たせてくれます。そして今回読み手だけではなく書き手にも良い効果が出たことは間違いありません。 そして麻央さんのブログの特徴は、厳しい戦いであることをみんながわかっていたのに、それでも笑顔を絶やさず、そしてたまに弱音を見せてくれる人間としてのありのままの純粋さを見せてくれたことです。こんな純粋な人、今時そうはいないでしょう。だからこそ250万人の読者を得たのだと思います。 ただ、医療者として分析すると、今回の麻央さんのような最期を迎えることができるかといえば、厳しいでしょう。患者と家族、医療がうまくかみ合った成功例 今回の麻央さんのような在宅における周りのサポートは正直一般の家庭では難しいからです。麻央さんが若かったことで親が看病できたという部分もあると思いますし、核家族ではないという点でもそうです。 他の大部分の家族ではおそらくサポートしようとすると家族がつぶれてしまうことも予想されます。BuzzFeedのこの記事における「仕事をしましょう」という主治医のおせっかいな言葉はまさにそれを表しています。そして献身的看病のため体調を壊す姉の麻耶さんの存在もこの在宅が維持できた一つの理由でもあります。 また、緩和医療の主治医の「がんの陰に隠れないで」という、この言葉で麻央さんがブログを始めたと書かれています。がんの治療はそれこそ麻央さんが望む完治を目指すと言ったものではなかった可能性が高いですが、それでもモチベーションを保つため症状の緩和を主眼とした姑息(こそく)的手術、適応外の放射線治療など、がんの発表後1年生存できたのは病院の麻央さん個人に対応する医療レベルがかなり高かった可能性があります。  そして最後の入院の際、今にも亡くなりそうであった麻央さんは奇跡の復活を迎えます。その時に家に帰した病院の対応、思い切りも正直素晴らしいものです。実際家に帰した後すぐに命を落とすことで訴えられた病院も多数存在します。 この点でも患者、家族、医療がうまくかみ合い、同じゴールを目指していたと思います。ただこの東京での優れた医療が地方を含めて行えるかは、まだ無理と言っていいでしょう。小林麻耶さん(左)と麻央さん=2014年10月、東京都墨田区 人間が当たり前と思っていた「明日」。毎日ただ生きていた人間にとって、それが約束されていない彼女の記録は日常のありがたさ、命の輝き、尊さなどいろいろ思いを気付かせてくれたでしょう。その中でも家族を大切にする彼女の記事は癒やしになったと思います。   子宮がんサバイバーでもあるタレント、原千晶さんのブログからです。 「さらけ出す覚悟」 誰かのために。誰かのために生きる事 それが、自分でも信じられないくらいの力を生み出すことを、がんを経験して知りました。 麻央さんを含め、がんサバイバーのみなさんは、この言葉を伝えたいのだと思います。 教科書的な緩和医療は「傾聴・共感・受容」ということばで患者の痛みを和らげるとされています。ただ、それは医療者だけでなく家族の支え、社会の理解があって初めて成立するものです。そしてこの言葉はがん患者だけに当てはまるのではなく、苦しんでいる人間にとって全てに当てはまるものです。 他人となかなか気持ちを共有できない時代、他人のサポートがなかなか得にくい時代、そして無償の「愛」を与える麻央さんだからこそ得られたこの250万人の読者。今後、悩んでいる読者が減少し、こんなにたくさんのフォロワーを出さないこと、医療体制を含めた整備が麻央さんの望みなのだと思います。

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    切らない選択をした麻央さん 「できれば3人目」という思い

    、患部のみ切除して乳房を温存する『部分切除』があり、患部の場所やがんの進行具合に応じて判断します」(医療関係者)治療方針は示されたが…治療方針は示されたが… 乳がん治療に詳しいベルーガクリニック院長の富永祐司氏(乳腺外科)は次のように解説する。「麻央さんの場合、乳がんとリンパ節への転移が認められたそうですが、その段階で手術して切除するというのが一般的な治療だと思います。並行して抗がん剤治療やホルモン療法は必要になりますが、充分寛解の可能性はあったのではないでしょうか」 実際、その時点で麻央さんが通っていた都内のA総合病院でも「早めに切るべき」という治療方針が示されたという。「ですが、麻央さんと海老蔵さんは“切らないで治す”方法を模索していたそうです。女性にとって、乳房にメスを入れることには大きな抵抗があります。ただ、それは病院の方針とは食い違うものでした。結局、しばらくして麻央さんは別の総合病院に移ることになりました」(A病院関係者) なぜ、麻央さんは切らないことにこだわったのか。その理由の一端は、麻央さんのブログに垣間見える。《「子供は2人いますので、3人目は考えていません」と何の強がりなのか言ってしまったが、私は、ふたり姉妹で育ってきたので、麗禾に妹ができたらな、とか勸玄にも分かり合える弟ができたらな、と思ってきた気持ちは、高望みだと一気にかき消した》(2016年9月21日) 前出の梨園関係者が明かす。「(小林)麻耶さんとの仲良し姉妹で知られる麻央さんとしては、麗禾ちゃんに妹ができれば幸せだったし、男の兄弟がいなかった海老蔵さんは勸玄くんに弟ができることを夢見ていたそうです。麻央さんには“できれば3人目を…”という思いがあり、なかなか手術に踏み切れなかったというのもあったのでしょう」 一般的に、乳がんの切除と前後して抗がん剤の投与が行われるが、薬の影響で、排卵機能が停止し、そのまま機能が戻らないこともある。また、術後に行われることの多いホルモン療法も、その後の妊娠への影響が懸念される。多くの妊娠を望む女性と同様に、麻央さんにとっても、それが大きな判断基準の1つだったのかもしれない。関連記事■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 麻央さん娘・麗禾ちゃん 明るく振る舞う姿に周囲が心痛める■ 小泉孝太郎、気遣い上手な女性と交際 本人は直撃に認める■ 病院の海老蔵・麻央を隠し撮りしたフジ 怒られなかった理由■ 小林麻央 暴走族グループの報復が怖くていまも眠れない

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    「奇跡のがん治療薬」オプジーボに立ちはだかる5つの現実

    「手術」「放射線」「抗がん剤」の3大治療法しかありませんでした。そしてそれらを組み合わせることでがん医療は治療成績をわずかながら進歩させてきました。しかし同時に目に見える延命効果が僅かであったため、その副作用とクオリティ・オブ・ライフ(QOL=生活の質)悪化のバランスが問題となり、抗がん剤を使わないほうがいいという主張で論争が起きるなど医療不信の原因ともなっていました。 あなたががんと言われても、病変が限局し手術で取りきれば完治の可能性があります。実際手術適応の胃がんでは90%以上手術で治癒、長生きできます。がんが拡がっていて手術できないような時は抗がん剤や放射線が使われますし、それこそ手術前に使用して小さくしてから手術という方法も存在します。ただがん種によって異なりますが、血液疾患等を除いて、抗がん剤等は治癒ではなく延命を目的に行なわれることが多く、再発したがん患者の治癒はほぼ絶望的で、命を一定期間延ばすだけでした。 この3つの治療に加えて現状を打破し新たに出てきた治療法が免疫治療です。抗PD−1遺伝子抗体Nivolumab(オプジーボ)の登場で、奇跡のがん治療が一躍現実のものとなってきています。アメリカのカーター元大統領はPembrolizumab(キートルーダ)と呼ばれる薬の恩恵を得ています。 まさにいいことづくめのようですが、いまある問題点を解説していきます。問題点1 高額な値段2 投与するまで効果の予測が難しい3 やめ時がわからない(Until PD)4 副作用が今までと違う5 併用薬がまだ不明年間3500万円の抗がん剤を使う患者は何割? 最近の新薬に共通して言えますが、オプジーボは何せ高い! 日本の値段設定も問題ですが、薬品代だけでイギリスの4倍、アメリカの2倍の値段が付いています。それこそ年間3500万円! そしてこれは薬の値段だけで、実際にはその他の費用もかかります。それもこれも日本の医療の値段のつけ方がおかしいからです。 ただ日本の保険制度なら1−3割の負担で済む上、高額療養等の制度があるため、患者が払う額は年間最高200万円に抑えられ、その他は税金などで賄われます。欧米に比べたら患者は恵まれてはいますが、国は大変です。 またついこの間初発、つまり今まで治療を受けていない肺がん患者に対しては、今までの抗がん剤と治療成績が変わらないことが報告されました。だからオプジーボは再発後、化学療法後進展し、オプジーボ投与にて効果が出た症例(一般的には投与患者の2−3割のみ)のみ年間3500万円の薬品を使うという予想になります。もちろんこれはすべてのがん患者に当てはまるわけではありません。計算すると、「患者数×再発患者割合×0.2~0.3」になり、全体の1-2割程度になります。それゆえ、お金がすぐにパンクすることはないと考えていますが、せめて値段はイギリス並みにはする必要があるでしょう。 しかも基本効くかどうか、投与するまでわかりません。いや投与してもわからないことがあります。それは、オプジーボの反応が出て腫瘍が小さくなる前にがんが見た目一瞬悪くなる時があり、今までのがんの評価方法が使いにくいのです。そのため免疫治療用の新しいがんの評価方法が作成されています。薬によって今までの治療効果判定基準が変わったのです。 また治療効果を予測するバイオマーカー(生体指標)がないというのもあります。もう一つの抗PD-1抗体薬「キートルーダ」では腫瘍のPD-L1発現50%以上という投与の縛りがありますが、オプジーボの前試験においてPD-L1発現の低い患者でも効果が出ていることが言われています。 この効果を予測するバイオマーカーを、今見つけるためにいろいろなところで研究されています。先ほど挙げたPD-L1発現は概ね一つの候補なのですが、発現が低い症例でも効果が認められています。また腫瘍に浸潤するリンパ球(TIL)が多い方がいいなども上がっています。 実際ホジキン病という悪性リンパ腫は、腫瘍に浸潤するリンパ球(TIL)が多いことで有名なのですが、抗がん剤の効果がなくなった難治性の患者さんに8割以上の反応を見せています。 分子標的医療薬のようなはっきりしたバイオマーカー(例:EGFR=上皮成長因子受容体など)のようなものが見つかれば、投与される患者がさらにセレクトされることになるでしょう。 またPD-L1発現に関しては、新たな抗がん剤耐性のメカニズム、腫瘍免疫誘導の低下として報告されています。遺伝子の変異でPD-L1タンパクの発現増強がATL(成人急性T細胞性白血病/リンパ腫)で言われています。この疾患は抗がん剤耐性のリンパ腫として有名で、まさに今後オプジーボの効果が期待できるでしょう。また悪性リンパ腫として代表的なDLBCL(びまん性大細胞型リンパ腫)においてもPD-L1発現が予後不良因子として報告されています。またビダーザ治療に伴いMDS幹細胞にPD-L1発現が認められており、治療法がないビダーザ耐性のMDSに新たな治療薬が出る可能性があります。今後他のメカニズムを含めてオプジーボはすべての悪性新生物に適応を拡大しそうと考えています。だからこそお金のことも含めてバイオマーカーが必要なのです。「がんの万能薬」だからこそ必要な改善を さらに効果が出ている患者にいつまで使い続けるのかも全くわかっていません。効果が出てがんが消えても再発しないようにとか、治療効果がなくなるまで、悪くなるまで使い続ける、つまり止められないといったもの(Until PDという用語で製薬会社としては最高の利益が出る方法)も問題となっています。ですからいつまでたっても薬の投与が終わりません。免疫治療の理論としては消失したらやめても大丈夫と思うのですが、結果医療費は膨れていきます。 おまけに一般的な抗がん剤と違い、副作用への対処が全く異なります。作用機序は一種の自己免疫誘導!それゆえ疲労感、食欲不振、大腸炎、皮膚炎、間質性肺炎、激症型糖尿病、重症筋無力症などの膠原病に似た自己免疫疾患の副作用が報告されています。それこそ膠原病専門医、消化器専門医、皮膚科専門医、呼吸器専門医、神経専門医、内分泌専門医のチーム診療が必要になり、選ばれた病院でしか治療できない状態です。ただその頻度はさほど多いわけではありません。 またその副作用治療にはステロイドや免疫抑制剤といった免疫を抑制するものが使われています。どうしてもがん免疫治療に対し少し矛盾になってしまいますが、その後の再発率が高いわけではないようです。ここもまだよくわかっていません。 まだ2-3割しか効果がないオプジーボは、その他の薬を併用することでその効果が上昇することが期待されています。事実メラノーマでは別の免疫治療薬ヤーボイとの併用で治療効果増強が報告されています(その分副作用も多いのですが)。 それこそ、初発肺がん患者に抗癌剤と併用すると、抗がん剤単独やオプジーボ単独に比べて効果があるのではと期待されています。その他の免疫治療薬や抗がん剤、分子標的医療薬との併用も、どのがん種でも理論上期待できます。このように免疫治療薬には未来があります。 今まで死ぬことが運命付けられていた再発がん患者が治癒しているこの治療法。正直夢のがん治療、がんの万能薬であることは間違いありません。ただお金、効果、併用薬などはまだまだ改善する必要がいっぱいあります。経済などを含めて考慮されなければいけません。がん撲滅プロジェクト「Cancer Moonshot」について演説する、同プロジェクトを主導するバイデン副大統領=9月16日、ヒューストン(AP) ただ死を待つしかなかった患者さんの数割ではあるものの治癒をもたらすという一番のハードルを超えた今、その他の改善は容易なことが予想できます。アメリカではがん撲滅運動「National Cancer Moonshot」に対して巨額の予算が拠出されました。iPS細胞すら少ない予算しかついていない日本にとっては、またアメリカが恩恵を得るだけになってしまうかもしれませんが、全ての悪性新生物が治癒する時代がくる可能性だってあります。そう考えれば未来は明るいものになるでしょう。

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    夢のがん治療薬は国を滅ぼす? ボロ儲け製薬企業の「暴走」を阻止せよ

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 新規抗がん剤ニボルマブ(商品名オプジーボ)が話題だ。その理由は高額な薬剤費。肺がん患者に1年間使用すると、薬剤費は約3500万円もかかる。このままでは「医学の勝利が国を滅ぼす(里見清一医師)」ことになりかねない。4月には財務省の財政制度審議会でもやり玉にあがった。本庶祐・京大客員教授との共同開発で小野薬品工業が発売するオプジーボ ニボルマブは、小野薬品がブリストル・マイヤーズスクイブ社(ブ社)と協力して開発した画期的な抗がん剤だ。リンパ球の一種類であるT細胞の表面に発現するPD-1分子に結合することで、がん細胞に対する免疫を活性化させる。世界で初めて実用化されたがん免疫治療薬で、開発者である本庶佑・京大名誉教授はノーベル賞の有力候補となった。小野薬品が臨床開発の候補として白羽の矢を立てたのは悪性黒色腫だ。皮膚癌の一種で、以前から免疫治療に反応しやすいことが知られていた。 年間の発症数は2000人程度と少ない。治療薬を開発する企業には、優遇措置が与えられる。例えば、患者数5万人以下の疾病を対象とした薬剤は「希少疾病用医薬品」に認定される。承認審査は優先され、高い薬価がつく。 14年7月、ニボルマブは悪性黒色腫の治療薬として承認された。世界初の承認だったことが話題となった。この時は、体重1キロあたり2mgを3週間に1回投与することが推奨された。薬価は100mgの静注製剤で72万9849円に決まった。年間470人が使用すると想定され、原価は積み上げ方式で45万9778円と算定された。さらに、画期的な新薬であるため、利益率は標準の16・9%の6割増しとなった。この結果、体重60キロの患者の年間の薬剤費は約1500万円となった。 小野薬品は当初の予定通り、悪性黒色腫以外のがんの開発も進めた。そして15年12月には、切除不能な進行・再発の非小細胞肺がんにも適応が拡大された。この時の治験では、ニボルマブを投与された患者の生存期間は約3カ月延長し、治療から2年の段階で2割の患者が生存していた。 注目すべきは、投与量は世界標準である体重1キロあたり3mgを2週間に1回投与するように増量されたことだ。この結果、1年間の薬剤費は約3500万円に跳ね上がった。肺がんの患者数は悪性黒色腫とは比べものにならない。もし、日本の肺がん患者10万人の半分が1年間、ニボルマブを投与されれば、薬剤費の総額は1兆7千億円になる。これは日本の総薬剤費を2割程度押し上げる数字である。 肺がんに適応を拡大した際、ニボルマブの投与量は2倍以上に増えた。患者も100倍程度増えた。「希少疾病用医薬品」の主旨に照らし、薬価を引き下げるべきだ。子どもでも分かる理屈である。国民皆保険制度が壊れてしまう ところが、厚労省は何もしなかった。当初、厚労省は消費税引き上げに伴う医療機関の損税に対応するため、17年4月に薬価を改定する予定だったが、安倍政権の消費増税延期とともにお流れとなった。 中央社会保険医療協議会(中医協)では、ニボルマブだけでも薬価を引き下げようという話が出てきたが、日本医師会は乗り気ではなかった。その理由は「来年、ニボルマブの薬価を下げると、再来年の診療報酬改定で、医療に回す財源がなくなるから(医療業界誌記者)」だ。結局、何も決まらず、医療費だけが膨張する。迷走を尻目に、小野薬品はボロ儲けした。6月期には252億円を売り上げた。前年同期比17倍の伸びである。全医薬品の中で3番目だ。17年3月期の売上は1260億円と予想されている。 最近、ニボルマブは腎細胞がんにも適応が追加されたし、小野薬品とブ社は、ホジキンリンパ腫、頭頸部がんへの適応拡大を申請中だ。さらに胃がん、食道がん、肝細胞がん、卵巣がんなどへも臨床試験を行っている。小野薬品も批判は理解している。同社社長、相良暁氏は朝日新聞の取材に答え、「先に肺がんで申請していれば、薬価は安くなったに違いありません」とコメントしている。 ただ、「売上高が予想の1・5倍以上で年間1千億円を超えた薬に限り薬価を下げる特例拡大再算定制度も今年始まりました。高額薬を狙い撃ちにしたこれらの制度は経営の見通しを立てにくくさせ、研究開発へ負の影響も出かねません」と理解を求めている。製薬企業の経営者が、しばしば用いるロジックだ。 ただ、20年度には全世界の売上が1兆円近くに達すると予想されているニボルマブに対し、この説明は説得力がない。私は、画期的な新薬に相応の対価を払うことを否定しない。ただ、程度の問題だ。ニボルマブを「夢の新薬」と煽り、高額な薬価を正当化しても、長期的には国民のためにならない。国民皆保険制度が壊れてしまっては、元も子もない。製薬会社の説明を額面通り受け取るな 製薬企業は営利企業だ。彼らの説明を額面通りに受けとってはいけない。製薬企業が生き残るには、利益をあげなければならないからだ。彼らには、彼らの理屈がある。 抗がん剤は数少ない「儲かる」分野だ。年率10%以上の成長が見込め、20年には世界の医薬品市場の15%を占めると予想されている。降圧剤(3%)や糖尿病薬(7%)とは比較にならない。 武田薬品のウェーバー社長も「今後はがん、消化器、神経系の三つの分野に重点を置く」と公言しており、従来、得意だった糖尿病薬や降圧剤からは撤退することを表明している。 製薬企業の「暴走」をチェックするのは、本来、医師の仕事だ。ところが、専門医が、その役割を果たしていない。むしろ、製薬企業と一緒に利益を独占している連中までいる。この問題については、総合情報誌『選択』9月号に秀逸な記事がでている。興味のある方は、お読み頂きたい。https://www.sentaku.co.jp/articles/view/16216 ポイントは高額な薬価差益と、処方権を専門医に限定することによる利権だ。国立がん研究センターの幹部が、自らが理事長を務める学会(日本臨床腫瘍学会)が認める専門医しか処方できないように提言し、それが実現している。 日本臨床腫瘍学会の会員でない医師が、同学会の専門医資格を取ろうとすれば、受験料・審査料・認定料などで18万円を支払わねばなない。「日本臨床腫瘍学会は、利益相反を無視して、高額な薬価から間接的に利益を受けている」と批判されても仕方ない。 資本主義社会で価格の決定は難しい。ただ、常識的な線があるし、小野薬品のやり方は卑怯だ。ニボルマブに幾らの値段を払うか、それは、薬価決定のプロセスも含めて、国民が納得するものでなくてはならない。そのためには、情報開示が必要だ。ニボルマブを国民皆保険の仕組みに、如何にして取り込んでいくかは、国民視点でオープンに議論しなければならない。

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    夢のがん治療薬「オプジーボ」の光と影

    いま、一つの新薬をめぐり議論が渦巻いている。小野薬品工業が開発したがん免疫薬「オプジーボ」(一般名・ニボルマブ)である。治療効果が高く画期的な新薬との評価がある半面、超高額の薬価は国の財政を圧迫しかねないとの懸念も広がる。夢の新薬が問う「命の値段」。その光と影を考える。

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    夢の新薬で「トンデモ治療」? オプジーボに生まれる新たな火種

    臨床試験の結果では、奏功する割合は20-30%程度であり、オプジーボの効果が事前に予測できないことも医療経済的には問題になっているかと思います。そして、メディアは相も変わらず、まるで奇蹟でも起こすかのような「画期的な効果」ばかりに注目して報道しますが、申し上げておきたいのは、オプジーボは治せないものまでも治す「ミラクルを起こす」薬ではないということです。あくまでもがんと上手に共存するための全身治療の一つという位置付けであることに今一度理解しておく必要があります。夢をビジネスチャンスに…乱用するクリニック 効果ばかりに目が行きやすくなるのは仕方ありませんが、元々備わっている免疫バランスを崩して前述したT細胞の攻撃機能を惹起させるので、健常な「自己」組織にもダメージを与えることは知っておいたほうがよいでしょう。要するに、抗がん剤とはまるで違った副作用のある「諸刃の剣」のような薬であることをご理解ください。以下、オプジーボ添付文書より重大な副作用を抜粋してみます。 ・間質性肺疾患 ・重症筋無力症、筋炎 ・大腸炎、重度の下痢 ・1型糖尿病(劇症1型糖尿病を含む) ・肝機能障害、肝炎 ・甲状腺機能障害(甲状腺機能低下症、甲状腺機能亢進症、甲状腺炎など) ・神経障害(末梢性ニューロパチー、多発ニューロパチー、自己免疫性ニューロパチー、ギラン・バレー症候群、脱髄など) ・腎障害(腎不全、尿細管間質性腎炎など) ・副腎障害(副腎機能不全など) ・脳炎 ・重度の皮膚障害(中毒性表皮壊死融解症、皮膚粘膜眼症候群、多形紅斑など) ・静脈血栓塞栓症(深部静脈血栓症など) ・インフュージョン・リアクションなど  これまでに、死亡例が出るほどの重篤な副作用も報告されています。従来の抗がん剤と違って特徴的なのは、様々な臓器をまたいだ自己免疫疾患にも似た副作用が多いということです。その副作用対策のためには、呼吸器内科、内分泌・代謝内科、皮膚科、消化器内科、神経内科など、多職種の専門医たちによるチーム連携でもって安全管理に努めなければいけません。 したがって、誰にでも気軽に扱える新薬ではないということです。現状では、「抗がん剤治療に十分な知識・経験をもつ専門医師のもとで、緊急時に十分対応のできる医療施設で使用するよう」に警告されています。そして、本稿が掲載される時点では肺がんとメラノーマ、そして腎細胞がん以外のがん疾患では適応とはなっていません。 ここで新たな火種となりかねない大きな問題が生じています。この「夢の免疫療法」登場をビジネスチャンスととらえて、適応疾患に関係なくこのオプジーボを乱用する民間クリニックが最近では増えているようです。その中でも、インターネットやメディアを巧みに利用して一般向けに宣伝を強めることで患者さんを惑わしているクリニックが現れました。もともと美容形成ジャンルを扱っている大手クリニックグループが、がん免疫療法専門クリニックを立ち上げ、「当院独自のアクセル+ブレーキ療法」と勝手に題して、およそがん治療の素人に等しい医師が、自前の免疫療法と組み合わせることで、明らかに適正な用法・用量を逸脱したトンデモ診療を行っているようなのです。 また、最近では、危惧されていた事例が起こり問題となっています。自由診療であるクリニック免疫細胞療法がオプジーボと併用して投与されたことで、通常の抗がん剤にはみられない劇症型心筋炎が疑われる心不全で死亡したケースが報告されています(http://www.mhlw.go.jp/file/06-seisakujouhou-10800000-iseikyoku/0000131641.pdf)。要するに、副作用のマネージメントができない専門医不在の民間クリニックには、最初から近寄らないほうが賢明だということです。オプジーボがかつてのイレッサ (一般名:ゲフィチニブ) のように、「夢の新薬」から一転して「悪魔の免疫療法」というイメージに成り下がらないことを願うばかりです。

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    年3500万円の抗がん剤、患者負担約3%で残りは公的負担のホラー

    れ、さらに2015年12月には切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌への効能が追加承認された。ここにきて医療従事者だけでなく、にわかに巷間の衆目を集めた理由は、この薬をがん治療に用いた際にかかる莫大なコストだ。 この問題を提起された、日本赤十字社医療センター化学療法科部長の國頭英夫氏(専門は胸部腫瘍、臨床試験方法論)の試算によると、体重60kgの患者が1年間、オプジーボを使うと年3500万円の費用がかかる。 氏は追加承認された非小細胞肺癌の患者数を約10万人強と推定。早期がんなどを除き、オプジーボの対象になる人を5万人程度に対して1年間投与すれば3500万円×5万人で、1兆7500億円となる計算だ。2013年度の国民医療費、約40兆円のうち薬剤費は約10兆円なので、いきなり2割近くもの薬剤費が跳ね上がることになる。医療費や薬剤費はその約4分の1は国家予算に占める社会保障費で賄われているので、単純に考えても4000〜5000億円レベルの影響が出るということになる。 ところでこの問題は、オプジーボに設定されている超高額の薬価に端を発していることが明らかだ。新しい薬が開発された際の薬の価格(薬価)は、既存の類似薬が無い場合は、厚生労働省中央社会保険医療協会(中医協)にて定められた、「原価計算方式」と呼ばれる方法で薬価を算定される。下図シミュレーションを参照のこと。 ※2015年4月現在、注4の営業利益率は16.2%、既存治療と比較した場合の革新性や有効性、安全性の程度に応じて、平均的な営業利益率の-50%~+100%の範囲内の値を用いることとなっている。(出典:2015/03/20 m3.com 医療維新レポート)もはや適切とはいえない薬価 ここで気になるのは、原価計算方式による薬価算定時に用いられる営業利益率の高さだ。図表8にあるように、全製造業の売上高営業利益率が毎年約5%程度で推移しているのに比べて、医薬品製造業のそれは毎年約3倍だ。 日本大学商学部教授の高橋史安氏(専門は原価計算、管理会計)の論文には、会計学者醍醐聡氏の図表を引用して次のようにあった。図表8では医薬品・化粧品等卸業、スズケンの収益性を分析し、医薬品・化粧品等卸業の売上高総利益率は全製造業の水準を下回り、医薬品製造業よりも格段に低い水準にあること、さらに売上高営業利益率は1%台という薄利の状況を分析している。 醍醐は、以上の結果から「わが国の医薬品の価格水準を決定する主たる要因は医薬品卸売業から医療機関に納入される際の値決めにあるのではなく、その前段階の医薬品メーカーから医薬品卸売会社に販売される際の医薬品の値決め(仕切価格)にあるといってよく、この段階で製造原価との対比で異例ともいえる高い水準で値決めがされていることが、保険医療機関が社会保険診療報酬支払基金や国民健康保険団体連合会に請求する薬剤料を高騰させる決定的要因になっている」と指摘している。高橋史安「わが国における薬価原価計算の現状と課題」p.118-119 元々ずば抜けて営業利益率が高い業界に、さらに(16.2+α)%の加算をつけるというのはずいぶん大きい。オプジーボの場合は薬価収載時、従来の抗がん剤とは異なる免疫機能を高める作用機序で既存薬に対する優位性などが評価され、原価計算方式の営業利益率としては過去最高の60%もの加算をつけられた。 当時はメラノーマのみにしか適応が無かったが、適応が拡大して患者数が爆増した今となっては、この薬価はもはや適切とは言えないにも関わらず、次ような報道があった。国と製薬会社、高額薬めぐる攻防 引き下げルール化に米業界反発「1日延命 いくら払えるか」「企業の立場は理解するが、国民皆保険を維持する仕組みとして、のみ込んでほしい」 平成28年度予算案の編成を目前にした昨年末、処方薬や治療の価格を決める国の会議(中央社会保険医療協議会=中医協・薬価専門部会)で、売れすぎた薬の価格を引き下げるルールが決まった。(中略)新薬の価格設定は年4回、製薬会社と厚生労働省の間で行われる。製薬会社は新薬に高い価格をつけたい。国は、企業に開発費を回収してもらいつつ、なるべく安い価格をつけたい立場だ。双方の折り合いがつかず価格がつかなければ、患者は次のタイミングまで、治療の選択肢を失いかねない。 特に難しいのが、他に比較する対象のない革新的な薬の価格決定だ。開発にかかった費用などを、売れる見込みの薬剤数で割り、そこに1剤ごとの材料費を足すのが基本。患者予測数が少ないと、単価は上がる。 「オプジーボ」もそんな薬だ。2年前、皮膚がんの一種「悪性黒色腫」の薬として登場。患者予測はピーク時でも470人と少なく、高単価となった。1年半後、非小細胞肺がんに適応が拡大されたため、患者数は2桁も変わり、財政インパクトが一気に膨らんだ。今月13日に開かれた中央社会保険医療協議会。出席した委員から、オプジーボを念頭に値下げを求める意見が相次いだ。オプジーボは4月に適用された価格引き下げの新ルールの対象品目ではない。次の見直し時期は2年後だ。日本医師会の中川俊男副会長は「適応が拡大された際に薬価を見直す仕組みにできないか。早急にルール変更をお願いする」と要求。(2016/04/28 産経新聞) 日本には国民皆保険制度の他にも高額療養費制度というものがあり、年収が約770万円未満の患者の自己負担限度額は年間100万円程度で済むのだが、例えばオプジーボを用いる場合は総額3500万円の3%も満たさず、残りの97%は全て公的負担ということになる。 本稿では超高額の医薬品や新薬の薬価算定方法のごく一部にフォーカスしたが、常に医療費の問題の根底にあるのは、私たち国民全員がメーカーや医療の担い手、厚労省、または患者といったそれぞれの立場で我田引水の施策を続けた挙句に招いてしまった圧倒的な財源不足である。今やとっくに日本の国民皆保険制度=保険財政が破綻の危機に瀕していることを、一体どれだけの国民が認識しているのだろうか。《参考記事》■【蟻の一穴】セルフメディケーションによる医療費抑制は眼前の急務だ。(山浦卓 薬剤師・医学博士)https://045310.com/blog/self-medication/■医療費40兆円突破の元凶、医療機関へのフリーアクセスを抑制する方法。(山浦卓 薬剤師・医学博士)https://045310.com/blog/40trillion-yen-medical-bills/■年間損失500億円。「残薬」解消の糸口を薬剤師が客観的に考えてみた。(山浦卓 薬剤師・医学博士)http://sharescafe.net/47148790-20151209.html■コンビニ弁当で健康に?厚労省が来年4月に認証マーク導入という愚。(山浦卓 薬剤師・医学博士)http://sharescafe.net/40235965-20140807.html■医薬品ネット販売の賛否は一旦さておき、現場ではたらく薬剤師が考える他愛もないけど重要な事。(山浦卓 薬剤師・医学博士)http://sharescafe.net/34951271-20131119.html

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    新薬の高騰が止まらない! 抗がん剤が日本を滅ぼす日

    中山祐次郎(外科医、都立駒込病院 大腸外科医師) 抗がん剤が医療費を跳ね上げる時代が来ている。そして医療費はおろか、日本経済を破壊しかねない可能性がある。かねてより筆者は、徐々に高価になってきた抗がん剤の薬価(薬の値段)に強い危惧を持っていた。今回新しい抗がん剤が承認されたことを機に、抗がん剤の薬価について論じたい。 平成27年12月17日、厚生労働省は「オプジーボ(一般名 ニボルマブ)」という新しい抗がん剤を肺がんに対して承認した。この薬はもともと皮膚がん(正式には皮膚悪性黒色腫)に対する抗がん剤として以前から使われていた薬剤で、今回は適応拡大(ある病気にのみ適応となっている薬が、他の病気にも新たに適応となること)の決定となった。 この抗がん剤はこれまでの抗がん剤と違い、免疫に作用することで効果を発揮するという新しい作用機序 (薬が作用し効果を示すためのシステム)を持つため、業界でも大変注目を浴びている。ただ、劇的な効果を持つというわけではなく、例えば肺がんに対する従来の治療法、ドセタキセルという抗がん剤と比べ、生存期間を約3ヶ月延長する(扁平上皮がんでは6ヶ月→9.2ヶ月、非扁平上皮がんでは9.4ヶ月→12.2ヶ月)というものだ。 そして、肺がん以外での承認を目指し他のがんの領域でも様々な臨床試験が行われている。 効果がある新薬の登場は医療現場としても喜ぶべきものだが、今回は手放しで喜べない事態となっている。それは、この薬の価格だ。 肺癌学会ホームページによると、このニボルマブの薬価は1ヶ月で約300万円。筆者の計算でも332万4622円となった(計算の詳細は下記の※)。これは以前使われていたドセタキセル、ジェネリック薬を使えば1ヶ月で5万円以下であることを考えれば、異常に高価である。 販売元である小野薬品工業株式会社は、このようなファイルを公開している。・抗悪性腫瘍剤「オプジーボ点滴静注 20mg、100mg」の平成 28 年 3 月期売上実績および平成 29 年 3 月期売上予想について これによると、平成28年度3月期の売り上げは212億円であり、1年後の平成29年3月期の売り上げは1260億円になると予想している。この極端な増加はもちろん今回の肺がんへの適応拡大により使用する患者さんが増えることによるものだ。さらに計算をすると、一年使ったとして300万円×12ヶ月=4200万円。これを製薬会社が推定している新規使用患者数の15,000人が使うと、4200万円×15,000人で6300億円だ。同じ人数が使ったとして2年で1兆円を超す。どんどん高額化している抗がん剤どんどん高額化している抗がん剤 日本では「高額療養費制度」という制度がある。詳しくはこの厚生労働省ホームページを参照いただきたいが、すごく簡単に言うと「めちゃくちゃ高い治療費を払わなくていいように、月10万円くらい払ってもらえればあとは全額キャッシュバックします」という制度だ。この「月10万円くらい」の額面はその人の収入によって異なっており、例えば年収が1160万円以上の人は約25万円だし、年収が370万円~770万円では約8万円、年収が370万円以下だと6万円くらいになる。さらに「多数回」など色々な制度があるので、実際に払う額はもう少し少なくなる。 そして生活保護制度の受給者はかかった医療費全額が支給されるため、どれだけ医療費を使っても支払う額はゼロだ。つまり、かかった高額な医療費のほとんどあるいは全額が国のお金で支払われることになる。 高価なものはニボルマブだけではない。増え続ける大腸がんの治療薬として広く使われる「アバスチン(一般名 ベバシズマブ)」を使った多剤の治療(FOLFOX+Bev)は1ヶ月に約50万円、「アービタックス(一般名 セツキシマブ)」や「ベクティビックス(一般名 パニツムマブ)」を使った多剤ではだいたい約60-80万円だ。 これらの薬は「分子標的薬」と呼ばれる新しいもので、従来の抗がん剤と比べると比較的副作用が少なく効果が期待できるのが特長だ。今現在でも多数の分子標的薬の開発・臨床試験が進行しており、これからさらに多数の薬が登場してくると予想されている。 多くの薬が使えるようになることはひとりひとりの治療にとっては良いことだが、国全体で考えた場合は医療費を押し上げ続けることにもなる。 そういえば4年前にこんな事件があった。新しい抗がん剤がリリースしたのだが、あまりに高価すぎるためにニューヨークの有力な医師が「高すぎてウチの病院では使わないことにした」と公表したところ、あっと言う間にその抗がん剤の値段が半額になったのだ。 冗談のような話だが、これは実話である。その薬の名は「ザルトラップ(一般名 アフリベルセプト)」。新しい分子標的薬だったが、その薬価の高さ(1ヶ月で約100万円)と効果を考えたそのドクターは、ニューヨークタイムズ紙にこんなレターを送っている。...we must remember that the best medical care is not always the most expensive.出典:'The High Cost of a Cancer Drug: An Oncologist’s View' The New York Times, Oct. 19, 2012「我々医師は、『最も良い医療は、いつもがいつも最も高価なものではない』ということを肝に命じておく必要がある。」(筆者訳) ちなみにこの薬は日本ではまだ保険適応ではない。開発と市場規模、抗がん剤が高価な理由開発と市場規模、抗がん剤が高価な理由 しかし製薬会社にも価格の設定を高価にした理由はある。一つは、新薬開発にかかる費用と時間だ。冒頭で取り上げたニボルマブは、実際に患者さんに投与できるまで10年以上もかかっている。費用は一般に数百億円以上の単位と言われる。このホームページにも1品目あたりのくすりの開発費用は200~300億円にも達します。出典:製薬協ホームページとある。 1992年に京都大学の本庶らが発見したPD-1という遺伝子が同定されて以来10年の時を経て、小野薬品という日本の製薬会社に開発の話が持ち込まれたという。当時は「がんの免疫療法」が医師たちの間ではそれほど信頼のおけるものではなく、周辺の怪しい治療法とともに眉唾と考えられていたため、開発や臨床試験にもかなりの困難を伴ったことだろう。 この開発コストを回収しなければ会社は存続できないし、次の新薬開発の資金もなくなってしまう。 製薬会社としてはそれほど大きくはない規模の小野薬品が、世界のメガファーマと呼ばれる売り上げ3兆円以上を押しのけこの「がん免疫療法」の開発の先陣を切り文字通りトップに立ったことは賞賛に値する。市場もニボルマブを評価していて、小野薬品の株価は上がり続けており現在では1年前の倍以上だ。 もう一つの高価な理由として、抗がん剤市場の規模がある。実は、抗がん剤のマーケットは他の薬剤と比べそれほど大きいわけではない。 例えば高血圧患者さんは日本に906万7,000人いるが、継続的な治療を受けているがん患者さんは152万人と単純な比較でもかなり少ない。そしてがん患者さんの全員が抗がん剤投与を受けているわけではない。さらに言えば、高血圧の患者さんは10年も20年も薬を飲み続ける人が多い(基本的には内服が始まったら殆どの患者さんは亡くなるまで飲み続ける)が、がんの患者さんは「死亡」により抗がん剤使用はストップする。また、抗がん剤は蓄積する毒性により副作用が出るものが多いため、5年も10年も抗がん剤を使用することは稀だ(乳がんでホルモン剤を5年以上使うことはある)。 高血圧の市場は大きく、年間の医療費は1兆8,890億円と報告されている。事実、高血圧の薬は競うようにして毎年開発され、過度な競争がしょうもない事件まで引き起こした(ノバルティスと武田薬品の事件、詳細は各製薬会社ホームページに掲載されている)。詳細は他稿に譲るが、医師主導臨床試験に製薬会社社員を研究者として突っ込み、その研究者によるデータ改ざんをしたり医師用の説明パンフレットで効果があると勘違いしやすいグラフを用いたりという不正だ。業界内で規制がかかる数年前までの、製薬会社によるすさまじい接待攻勢は高血圧治療を担当する循環器内科医には常識的だったのだ。 新規抗がん剤の価格は高騰しており、特にニボルマブは極めて高価である。見通しの明るくない日本経済の中でいかに高価な薬剤を考えるか、がこれからの課題である。この記事が問題提起になることを切に願う。※文中のニボルマブの価格については、60kgの人に2.5回/月投与した計算。添付文書によると、3mg/kgを2週間に1回投与するレジメンである。1回投与する量は3mg/kg x 60=180mgとなり、100mgで72万9849円、20mg x 4で15万0200円 x 4 =60万0800円、合計で180mg、132万9849円となる。2週間に1回投与なので、1ヶ月に2.5回で132万9849円 x 2.5= 332万4622円と算出した。※文中で使用している「抗がん剤」という用語は、あらゆる作用機序のがんに対する薬剤という意味で使っており、殺細胞性抗がん剤のみならず分子標的薬剤や免疫チェックポイント阻害剤なども含みます。※記事は筆者個人の考えであり、所属団体の意見ではありません。製薬会社の方のご意見や反論など、広く歓迎いたします。 (参考)厚生労働省ホームページ「高額療養費制度を利用される皆さまへ」厚生労働省ホームページ「生活保護制度」日本肺癌学会「ニボルマブ(オプジーボ)に関する声明文公開・要望書提出について」小野薬品工業株式会社Nivolumab versus Docetaxel in Advanced Squamous-Cell Non-Small-Cell Lung Cancer Brahmer J. et al. N Engl J Med 373:123, 2015Nivolumab versus Docetaxel in Advanced Nonsquamous Non-Small-Cell Lung CancerBorghaei H. et al.:N Engl J Med 373:1627, 2015一般社団法人 日本生活習慣病予防協会厚生労働省 「がん患者数の年次推移」(『Yahoo!ニュース個人』より2016年4月27日分を転載)なかやま・ゆうじろう 1980年、神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部卒。その後、がん・感染症センター都立駒込病院外科初期・後期研修医を修了。現在は同院大腸外科医師(非常勤)として勤務。資格はマンモグラフィー読影認定医、外科専門医、がん治療認定医。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと〜若き外科医が見つめた『いのち』の現場三百六十五日〜」(幻冬舎)。

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    オプジーボの光と影 日本の医療界は腐っているのか?

    番が違ったら、薬価はもっと安かった~オプジーボの光と影(1)川口恭(ロハス・メディカル編集発行人)(医療ガバナンス学会 2016年4月15日) 免疫チェックポイント阻害剤のニボルマブ(商品名・オプジーボ)が、昨年12月、既に承認されていた「根治切除不能な悪性黒色腫」に続き、「切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌」にも使用が承認されました。 どの程度の効果があるかという説明は、MRICメルマガでは割愛します。 肺がんでは2014年の時点で年間約7万3千人が亡くなっており、非小細胞肺がんはその8割強を占めますから約6万人です。その方々に希望の火を灯すことになります。さらに作用機序から、他の多くのがんにも効果があると考えられており、既に腎細胞がんとホジキンリンパ腫に関しては適応拡大の申請がされています。今後も恩恵に浴することのできる患者は増えていくことでしょう。 このように極めて画期的な素晴らしい薬であるということと同時に、100mgで約73万円、20mgの小瓶は約15万円という薬価の高さも大変な注目を集めています。 その用法用量は、最初に悪性黒色腫のセカンドライン用として承認されたのは体重1kgあたり2mgを3週に1回だったのが、肺がんでの承認を機に体重1kgあたり3mgを2週間に1回投与と、期間あたりの投与量が2.25倍になる使い方も認められました。悪性黒色腫のファーストラインと肺がんの場合、量が多い方の使い方になります。仮に体重60kgの人だと1回180mgということになり約133万円。投与できなくなるまでは続けるという想定なので、1年間続けると52週26回投与で3500万円弱になります。健康保険の高額療養費制度があるため、自己負担は最高(高額所得者)でも約200万円、よって年3300万円以上は保険者の負担となります。 困ったことに、現時点では効くであろう人と効かないであろう人を事前に見分ける方法が見つかっていません。しかも効いているのか効いていないのかも何カ月か様子を見ないと分かりません。さらに、もし効いていた場合に、やめるとどうなるのかもよく分かりません。 このため、何の制限も加えなければ、先ほど説明した年6万人の全員が投与対象となる可能性があり、その人たちの平均投与期間が半年あったとすれば、その健康保険の負担分だけで約1兆円と国民皆保険制度を揺るがす金額になります。 もちろん万策尽きた患者全員に投与するわけはありませんし、使用量を抑制するような様々な関門も設けられてはいるのですが、その関門が必ずしも医学的な妥当性だけから設けられているとは言えないため、医療不信を増幅しそうなのです。詳しくは次回説明します。薬価ルールの不備薬価ルールの不備 さて、この驚くべき薬価は、ルール通りにしたら、こうなったという値段です。そして、ルールの内容を知ったら、皆さんは再び驚くはずです。 オプジーボのように全く新しい薬に値段を付ける時は、原価計算方式で算定します。 物の1個あたり原価は、売れる数に関係なく必要な費用(固定費)と、売れる数によって変動する費用(変動費)の合計額を数量で頭割りすると計算できるというのは、商売をしたことのある方なら常識だと思います。薬価の原価計算も、似たような方法で行われます。 注意が必要なのは、医薬品の場合、開発成功までの研究開発費や製造ラインの設備投資費などの固定費が巨額で、変動費は相対的に小さいことです。つまり、販売数量が大きくなると、加速度的に1個あたり原価は下がっていきます。 オプジーボの場合、薬価収載された時点では、多く見積もって国内罹患者年数千人の悪性黒色腫で、ピーク時で年470人に投与されるという想定で算定されていました。その薬価が、ケタ違いに対象患者数の多い非小細胞肺がんに、しかも用量を増やして、そのまま認められてしまいました。適応拡大を得るための若干の臨床研究費上積みは必要だったにせよ、あまりに理不尽な話です。  ピンと来ない方のために別の言い方で説明すると、先に非小細胞肺がんで承認されていたら、投与対象者数や用量から考えて、10分の1以下の薬価だった可能性もあるのに、悪性黒色腫が先だっただけで今回の薬価になってしまったということです。 適応拡大したら薬価を算定し直すというルールがないため、このように承認の順番が違うだけで同じ物の値段が全く違ってしまうという現象が起きます。用量を増やした方に関しては、用量変更があった場合は1日あたり薬価が同じになるよう調整し直すというルールは今でもあるので、2.25で割るということも不可能でなかったはずですが、4月の薬価改定では調整されませんでした。 オプジーボの薬価は、ルールや運用の不備によって高くなり過ぎているということ、お分かりいただけたと思います。であれば、社会的に妥当な金額まで下げて当然ではないでしょうか。これから次々と登場すると考えられる免疫チェックポイント阻害剤は、オプジーボの薬価を基準に値付けされる可能性が高く、急がないといけません。 そもそも、健康保険の支払い原資が税金・国債で賄った公金と国民が出し合った保険料だということを考えると、業界だけでルールや運用が決められてきたこと、それを許してきたことを、私たち社会の側も反省する必要がありそうです。そして、今回の問題を良いきっかけとして、ルールの決め方そのものの見直しも求めるべきなのだろうと考えます。 薬価とルールの見直しは、一義的には支払側の保険者なり、制度設計を行った厚生労働省なりが発議するべきですが、オプジーボの問題で真っ先に被害を受けるのは、次回に説明するように高過ぎる薬価によって選択肢を狭められる患者、そして対患者・対社会で悪者にされる医療従事者です。その人たちが代わりに声を挙げてもよいのかもしれません。手をこまねいているうちに、ツケを回される若年健康層の怒りが爆発するような事態は避けたいところです。(この文章は、『ロハス・メディカル』4月20日発行号の記事の一部に若干の修正を加えたものです)難民と医療不信が大発生難民と医療不信が大発生~オプジーボの光と影(2)(医療ガバナンス学会 2016年5月17日) 我が国の国民皆保険制度は、普及した医療行為の中で最善のものを誰にでも保証することによって、世界から羨まれてきました。しかしオプジーボ(ニボルマブ)の登場によって、その前提を足元から揺さぶられています。標準治療を最善と確信できない患者や、希望してもオプジーボ投与を受けられない患者が「難民」と化して、皆保険の網から漏れ始めているのです。 オプジーボでは、その投与時にがんに対してメインで攻撃を加えるのは、リンパ球のキラーT細胞だ、と説明されています。 と、いきなり大問題に気づきます。非小細胞肺がんの診療ガイドラインでは、オプジーボを試す前に1次治療として白金併用療法を行うことが定められています。そこで用いられる殺細胞系の抗がん剤は、副作用として免疫抑制を起こします。簡単に言うと、リンパ球を含む血液系の細胞が大量に死んでしまうのです。 そのように免疫細胞を殺してから、オプジーボによって免疫のブレーキを外すというのは、何かおかしくないでしょうか? 腫瘍がブレーキ系の免疫細胞を周囲に呼び集めているので、いったんリセットした方が免疫は働きやすいのだという説もありますが、白金併用療法がそのような免疫のサポートを目的に行われるのでないことだけは確かです。免疫が健全な薬物治療の最初からオプジーボを使えば、もっと効くかもしれないし、薬の量が少なくて済む可能性もあります。効くか効かないかの判定が速やかにできるようになるかもしれません。 これは、ちょっと理論をかじった人なら誰もが抱く疑問だと思いますが、現在の医療では「じゃあ最初から使ってみようか」とは、なりません。 というのも、治療の方針を、人間の浅知恵に過ぎない理論で決めてはならず、厳然たる事実のヒト対象臨床試験の結果(エビデンス)に従う他ないというのが、世界の医学界のコンセンサスになっているからです。薬物治療の最初からというのが認められるためには、現在の標準治療と比較する臨床試験を行って、少なくとも劣らないという結果が出なければなりません。 そしてその臨床試験も、いきなり始めることはできず、それに参加したために現在の標準治療を受けられないことが非倫理的とならないよう、同等以上の成績を望める場合だけ行うことができます。 このため、2次治療のドセタキセルに挑戦するという形でしか、最初の治験は行えなかったわけです。 そして2次治療でオプジーボを使った場合に「効いた」(ここにも問題はあるので次回述べます)割合は2割で、1次治療の白金併用療法が4~5割に「効く」と分かっている現段階では、順番を引っくり返した方が良いだろうと根拠付けるデータはないことになります。 他の治療では、医師が裁量でガイドラインの順番を引っくり返すということがないわけでもありませんが、オプジーボに関しては薬価が高額過ぎるため、ほぼ不可能と考えられます。もしガイドラインと違う使い方を理由に保険者から支払いを拒否された場合(保険者の側は、拒否したくて仕方ないはずです)、その費用は病院の自腹になってしまうためです。倒産してしまうかもしれません。 ドセタキセルを上回ることが確定した現在、ようやく1次治療として使ったらどうかという臨床試験も行われるようになっています。その結果が出てくれば使い方が大きく変わる可能性はあるものの、当面は理論と使われ方の間に矛盾を抱えた状態が続きます。自由診療へ殺到自由診療へ殺到 対象となる患者が全員、少しずつしか変化できない医療界の論理に納得すればよいのですが、実際にはそうでありません。近藤誠医師の理論などを支柱に、殺細胞系の抗がん剤治療は絶対やりたくないという人が一定数存在します。このため、この問題は極めて深刻な影響を生みます。 現段階で患者は、オプジーボを使いたければ白金併用療法を受ける必要があり、それを拒否するとオプジーボを使えないのです。 先ほども説明したように、免疫抑制を起こす殺細胞系の薬物療法を行った後にオプジーボで免疫のプレーキを外すというのは、免疫のことだけ考えれば明らかに変です。 それに加えて、白金併用療法自体、半分以上の患者にとっては効果がないという問題もあります。その人たちは白金併用療法で体力を奪われ、また効果と関係なく免疫細胞は確実に死にますので、次の治療が可能になるまでの時間も奪われます。ガイドライン通りに、白金併用療法をやってからオプジーボでいいじゃないと言えるのは、必ずオプジーボを投与できるという保証がある場合だけで、そんな保証はどこにもありません。オプジーボを投与させないため時間稼ぎしている、と邪推されても反論できないのです。 こんなことから、標準治療を勧める主治医の説明に納得がいかない患者の一定数は、「オプジーボ難民」と化して、自由診療のクリニックに今現在も殺到しています。海外から輸入したオプジーボ(後述するように国内でメーカーから購入できる医療機関には施設基準があります)を少量、旧来の免疫療法と併用してくれるような医療機関です。 そのような自由診療のクリニックで提供されるがん治療は、これまでなら標準治療より成績で劣ることが確実だったため、標準治療ですることがなくなったとか標準治療に加えて何かしたいという場合の受け皿であり、標準治療やその実施医療機関に直接的な脅威を与えることはありませんでした。しかし、抗がん剤で免疫抑制が起きる前にオプジーボを使い、他の免疫療法とも組み合わせるというのは理屈から言うと正しい可能性があるので、その量が適切かどうかはともかくとして、標準治療より成績で劣るとは断言できないものがあります。 自由診療のクリニックは、データをきちんと収集・保管・発表しないことが多く、受けた患者全体の本当の成績がどうなのかは恐らく最後まで分からないことでしょう。しかし、生存・生還を果たす患者は一定数出てくると思われます。 近藤誠医師に依然として強い支持があること、HPVワクチンの問題が膠着状態に陥っていることなど見ても分かるように、医療界は、自分たちが思っているほどには社会から信用されていません。この下地がある中で、自由診療での「生還者」たちが「体験談」を出版したりしたら、一体どうなるでしょうか。「オプジーボの投与を遅らせるため無駄な抗がん剤を受けさせられた」と邪推しかねない患者の割合が半分以上なのですから、標準医療に対して今以上に社会の不信が高まることは間違いありません。このマグマが溜まった危険な状態に気づいていないのは、業界の中の人たちだけです。全身状態の壁全身状態の壁 しかも「オプジーボ難民」は、抗がん剤拒否の人たちだけから生まれるわけではありません。ガイドライン通りに治療を受けてきたのだけれど、オプジーボの投与を病院に断られる、という人たちも発生すると見込まれます。これは治験が、主にPS0・1の全身状態の良い患者を対象に行われており、病状が進んだ状態の悪い患者に使うとどうなるか現時点ではデータがないため、学会は「推奨しない」との立場をとっているからです。最終的には現場の医師の判断に任されていますが、業界には「イレッサのトラウマ」が強く残っており、とにかく慎重を期して無理しないという方針が徹底されています。 投与することのできる施設と医師の基準も決まっています。最初から基準を満たす環境で治療を受けている場合は、主治医との信頼関係の中で、全身状態は悪くとも、「ダメ元」で使ってみるという願いが聞き届けられるかもしれません(ダメ元で試すことが許容されるような薬価か、という議論は棚上げします)。 しかし対象以外の施設で治療を受けていて、万策尽きたので、基準を満たす施設へ転院してオプジーボを受けたいと希望しても、恐らく願いは叶えられません。PSが悪くなり過ぎている可能性は高く、そのような学会が推奨しない人を引き受けてオプジーボを投与する医療機関や医師は存在しないと考えられるからです。こちらも保険者から支払いを拒否される可能性がありますし、それより何より、そのような患者で有害事象が発生したら、イレッサの時と同様に訴訟を起こされる可能性があります。 転院や投与を断られた患者や家族が、そこまでの事情を分かる可能性は低いと思われます。「見捨てられた」という話だけが独り歩きすることでしょう。また、事情を知っていたらオプジーボ投与可能な医療機関で1次治療から受けたのに、という恨みを抱く人もいることでしょう。そして、その何割かは、「オプジーボ難民」となって自由診療クリニックを頼るのでしょう。パンドラの箱開いたパンドラの箱開いた 希望する患者全員に希望通りオプジーボを投与せよ、などと主張するつもりは毛頭ありません。そんなことをしたら、どれほどの有害事象が発生するか分かったものではありませんし、現在の薬価と用法用量のままなら健康保険財政も破綻します。 しかし一方で、投与を希望する多くの患者を納得させられず「難民」化させる現在の対応を正しいと言うこともできません。社会が医療従事者や医療機関を信頼しなくなり、我が国の医療と国民皆保険制度を危機へ追いやるのは明らかだからです。 医療従事者や医療機関は、目の前の患者を支えるため全力を尽くすことが職業倫理に適い、それでこそ社会からの信頼も得られます。自らの良心に恥じず最善を尽くしてもなお患者が納得しないというならともかく、自らも疑問を感じながらルールに縛られて「難民」を生んでしまっているのだとしたら本末転倒、医療不信のタネを自ら撒いているようなものです。 健保財政やルールの番人として患者や社会と対峙するのは、本来は厚生労働省や保険者の役割です。薬価見直しの音頭取りも彼らがしなければなりません。それなのに現在、オプジーボ使用を抑制する防波堤役は現場の医療従事者に押し付けられ、それを不思議に思う人もあまりいないようです。厚労省や保険者が本来の役割から逃げている間に、標準治療を行っている真っ当な医師や医療機関が患者や家族から恨まれるのです。 そして、もしも「難民」たちが頼った自由診療クリニックから標準治療と遜色ない成績が出てきた場合、大変なことになります。 というのも、自由診療クリニックで行われている治療は、自己負担額そのものは高額ながら、費用総額を見れば、オプジーボの投与量が少ない分、ガイドラインと添付文書通りの治療を受けるより、はるかに安いからです。医療界に対する社会の不信は爆発し、取り返しのつかないことになるでしょう。 患者が希望する場合は1次治療でもオプジーボを使えるようにすれば、「難民」はかなり減り、リスクも軽くなります。ただし、そうした場合の保険者からの支払い拒否を防ぐには、薬価を何分の1かに下げておくことが不可欠でしょう。もし薬価引き下げに時間がかかるのだとすると、「難民」発生は避けられず、自由診療クリニックがやっているような治療法の効果も検証して理論武装しておかないと、好き放題を言われかねません。 ところが、その効果検証のために臨床試験を行うのは、現在の枠組みを前提にする限り、ほぼ不可能です。 というのも、自由診療クリニックでやっている治療法は、少量のオプジーボと他の免疫療法の組み合わせです。 オプジーボの量に関しては、既に相当の検討が行われています。量が少なければ効果は落ちると考えられます。また、既存の免疫療法が単独で大した効果を出せないこともハッキリしています。現時点での知見を前提にする限り、組み合わせたところで、標準治療と比較するような臨床試験実施は「非倫理的」となります。 自由診療クリニックが、このように中途半端な治療法を採用しているのは、オプジーボを添付文書通りの用量で使ったら高額過ぎて負担できる患者はほとんどいないからと考えられます。訴訟になるリスクが他人事ながら心配ではありますが、高過ぎる薬価は、このように検証不能な鬼っ子を産み出すことにも、つながっていますす。 たとえ医療倫理の問題を乗り越えたとしても、試験費用の問題が立ちはだかります。 オプジーボの薬価がとてつもなく高いため、メーカーが協力しなければ、試験実施の費用も巨額になります。しかしメーカーには、有害事象の確率が高そうな試験や売上を減らす方向の試験に協力するメリットがありません。個人的には正しいかもしれないと思ったとしても、売上を減らす方向の試験にお金を使ったら、株主代表訴訟を起こされてしまう可能性があります。 つまり、効果検証して理論武装しておくことすら不可能に近いのです。あとは自由診療クリニックを頼って生還した患者が社会に広く認知されないことを祈る他ありません。 要するに医療界は今、自由診療クリニックを頼った「難民」たちが多数生還しないことを祈るしかない、という自分たちの良心の底を覗き見るような悪夢の状況に追い込まれているのです。(この文章は、『ロハス・メディカル』5月20日号に掲載されたものです)「次」はドラッグ・ラグ必至「次」はドラッグ・ラグ必至~オプジーボの光と影(3)(医療ガバナンス学会 2016年7月21日) これまでなら治療法がなかったような難治がんの人たちに希望を与えているオプジーボ(ニボルマブ)ですが、単独で使うと2~3割の人にしか効かないこと、何かと組み合わせるともっと効く人の割合を増やせるかもしれないことが分かってきています。このため、組み合わせると効く割合が上がる「何か」を見つけ出すために欠かせない臨床試験は世界中で猛烈に行われています。しかし、そこに我が国の影は薄く、近い将来、導き出された成果のドラッグ・ラグに悩まされ高値で買わされることが懸念されます。 オプジーボは、これまでに承認されている悪性黒色腫、非小細胞肺がん共に、単独使用での奏効率は2~3割です。免疫に働きかける薬を奏効率で評価するのが果たして妥当なのか、という論点はあるものの、「効かない」人が多いことは明らかな課題です。 その一方、悪性黒色腫で、やはり免疫チェックポイント阻害剤のヤーボイ(イピリムマブ)と併用したら6割の奏効率になったという試験結果があり、組み合わせて「効く」割合を増やす方法はあるはずと考えられます。また、極めて高い薬価や重篤な副作用もあることを考えると、効きそうな人を事前に見分けて、効きそうな人にだけ投与することも大切です。 この、効く人の割合を増やすのと、効きそうな人を事前に見分けるのは、本来なら別個の話ではなく、効く人と効かない人の一体何が違うのか分かれば、それを投与するかどうかの判定材料に使えますし、その状態に働き掛けて効く割合を増やす道も拓けます。ただ現時点では、効く人と効かない人の何が違うのか、決定的な違いは見つかっておらず、併用すべき治療法の本命も見えない状況です。 そして、理屈は何であれ効く割合の増える方法を見つければ良いのだと、世界中で様々なものと併用してみる臨床試験が盛んに行われています。オプジーボ自体も理屈に関して半信半疑の人が多かったのを実際のデータで納得させてきた経緯があり、効くことによって理屈の確かさが証明されるという側面はあるので、試験が行われること自体は当然かもしれません。ただ、実施するには巨額の資金が必要ということを考えると、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、先に当てた者勝ちだ」としか表現しようのない試験の急増ぶりは、この分野がマネーゲームの舞台になっていることも表しています。臨床試験に関する潮流臨床試験に関する潮流 ちょっと脱線して、皆さんがビックリするようなことを書きます。このことを知っておかないと、オプジーボを巡って起きている事態の本当の恐ろしさを理解できないと考えています。 ほんの10年ほど前まで、製薬会社が資金を提供する臨床試験は一部の関係者しか知らないうちに行われ、悪い結果は公表されずに握り潰されていたようです。そのことが明らかになってきて、悪い臨床試験結果が握り潰される(たまたま良い結果になったものだけ公表される)と、効果が過大に、副作用は過少に評価されてしまうことになり、場合によっては薬として認められるべきでないものまで市販されてしまったり、医師の判断を誤らせてしまったりするため、社会的な批判が高まって2007年に米国でFDA法が改正されました。これによって、米国で試験を行うか、製造を行うか、米国で新薬として販売しようとする場合は、米国国立衛生研究所(NIH)運営の「クリニカルトライアルズ・ガブ」というWEB上の臨床試験データベースに事前登録すること、「市販」された薬ではすべての臨床試験結果を報告すること、が義務づけられたのです。  さらっと書いてしまいましたが、ご存じでなかったという方が、ほとんどだと思います。日本でこれについての一般報道は皆無だったと思われ、実は私自身も知ったのは最近です。EBM(科学的根拠に基づく医療)が大事で、それを推進することは患者自身の自律にも役立つと信じてきました。それなのに、科学的と思われてきた根拠自体を疑い直す必要がある、と知って、愕然としているところです。科学的根拠の怪しさを知った上で製薬業界のお先棒を担いできたわけでないことは、ご理解ください。 さて、このような世界の潮流が分かってみると、2013年に発覚した高血圧治療薬バルサルタン(商品名・ディオバン)を巡る臨床研究不正は、ノバルティスにとって存亡の危機につながりかねない大事件で、だからこそ日本法人幹部を直ちに放逐、地域的不祥事として扱い影響を最小限に食い止めたということに気づきます。逆に、関係者が居座っている日本の医療界は、臨床試験を行う場としての信頼を世界から失ったことも分かります。 そして改めて、臨床研究不正を受けて今通常国会に提出された「臨床研究の適正化に関する法律案」(臨床研究法案)を眺めてみると、その余りにも周回遅れの内容に悲しくなります。臨床研究は、プラスの結果が出たにせよ、マイナスの結果が出たにせよ、将来の医療に生かされなければ何の意味もありません。患者が協力しなければできないことでもあり、資金提供者や研究者が私物化して良いものではなく、資金提供者と計画と結果をすべて公開して、その知見を全人類共通の財産にすべきですし、FDA法もその発想です。公開すれば、不正はバレて社会的批判に晒される可能性が高まるので、その抑止効果もあります。ところが、臨床研究法案では研究データの公開を義務づけていないのです。 指導的立場の医師に袖の下を渡す手段として臨床研究が用いられていたという我が国の実態には適合し、その抑止効果はあるのかもしれませんが、より良い治療手段を患者に届けるため行うという臨床試験の大前提に立ち返ると、なぜ公開を義務づけないのか不思議でなりません。何しろ、FDA法の条件に該当するものであれば、日本でやっている臨床試験もすべて「クリニカルトライアルズ・ガブ」での登録・公開の対象です。英語で公開されている日本での試験結果を、日本語では読めないなんて、何かの悪い冗談でしょうか。 ただし、FDA法にも課題はあって、昨年11月にBMJOpenという科学雑誌に載った論文(※)によれば、よく守っている会社と依然として都合の良いものしか公表していない会社があるようです。罰金が、製薬会社の事業規模から見ると極めて小さく、しかも実際に課された例がないため、確信犯的に破っていると考えられます。規定を守らないことに対する制裁を社会が加えないでいると、元のような状態に戻ってしまう危険性は大いにあります。※BMJ Open 2015;5:e009758 doi:10.1136/bmjopen-2015-009758Clinical trial registration, reporting, publication and FDAAA compliance: a cross-sectional analysis and ranking of new drugs approved by the FDA in 2012Jennifer E Miller, David Korn, Joseph S Ross米国に一極集中米国に一極集中 脱線が長くなりました。話を戻すと、オプジーボのような免疫チェックポイント阻害剤は、米国で新薬として売られる前提で開発されているはずなので、「クリニカルトライアルズ・ガブ」を見れば、冒頭に述べた探索競争がどのように行われているか、大体分かるということになります。 で、話が混乱しかねないので今回まで意図的に触れてこなかったのですが、実はオプジーボと同じ所で働くと考えられている薬、つまり市場を奪い合う関係になりそうな薬が、分かっているだけでも他に4種類あります。同じ抗PD-1抗体のペンブロリズマブ(商品名・キートルーダ)と、PD-1が結合する相手のPD-L1の抗体(ややこしいので図1をご参照ください)であるアテゾリズマブ、ダバルマブ、アベルマブです。ちなみに、キートルーダは米国ではオプジーボより先に承認され、日本でも承認申請済みです。 オプジーボは米国に本社のあるブリストル・マイヤーズスクイブ(BMS)の薬(ただし、日本・韓国・台湾では小野薬品工業が権利を保有)、キートルーダはやはり米国のメルク・アンド・カンパニー(MSD)の薬、アテゾリズマブはスイスのロシュ(日本では傘下の中外製薬が担当すると考えられます)、ダバルマブは英国のアストラゼネカ、アベルマブは米国のファイザーとドイツのメルクが共同で開発している薬です。 さて、クリニカルトライアルズ・ガブで、ニボルマブ、ペンブロリズマブ、アテゾリズマブ、ダバルマブ、アベルマブそれぞれの薬剤の開発コードを入力し検索すると、200件、291件、64件、96件、16件の臨床試験がヒットします(2016年5月25日現在)。このうちまだ終了や中断などしていないものだけ抜き出しても189件、286件、64件、95件、16件です。調べる度に件数が増えており、この号が出る頃には、もっと多くなっていると思われます。 試験の規模によって必要な費用は全く異なるため乱暴な話ではありますが、1件あたり平均で10~40億円かかったという2009年の調査報告もあり(※)、試験には多くの市販済み薬剤も使われることから、ここ数年の薬剤費高騰まで考慮に入れると、想像を絶する額の投資が行われていることは間違いありません。それだけ投資した分に利息を付けて、成功した薬で回収するわけですから、値段が高くなるわけだ、とは思います。 それはともかく、問題は、ここからです。クリニカルトライアルズ・ガブは、地域別に臨床試験件数を表示することもできます。表示させてみると一目瞭然、米国が他を圧倒しており、ヨーロッパ、中国、カナダ、オセアニアが続きます(図2)。PD-1を発見しコツコツ研究してきたのは本庶佑・京都大学客員教授と研究室員たち、つまりこの分野の隆盛のきっかけを作ったのは日本の公的機関なのに、次の一手を探す競争で日本の影は驚くほど薄いのです。 この驚きは、各臨床試験を個別に眺めていくと、さらに強まります。登録されている臨床試験は、大きく分けて(1)別のがんへの適応拡大狙い (2)既存の治療への免疫チェックポイント阻害剤の上乗せ(3)免疫チェックポイント阻害剤をベースに何かと併用、の3パターンあることが分かります。 探索競争になっている「併用すれば効く割合を増やせる何か」は、明らかに(2)か(3)からでないと出てきません。詳細は次回説明しますが、オプジーボに関しても米国で行われている試験の主流は(2)と(3)で、未発売の物が多数試されています。ところが、日本で行われている(2)や(3)は、(1)との混合型を含めても9件に過ぎず、未発売の物に限定すると1件しかないのです(表は『ロハス・メディカル』本誌をご参照ください)。 これでは、もし「併用すれば効く割合を大幅に増やせる新しい何か」が見つかったとしても、日本での承認のためには追試が必要(審査を担当するPMDAが国内での臨床試験を要求する)になるはずで、その導入は遅れることでしょう。 「薬価をやたらと下げると、新しい薬が日本に入って来なくなる」という主張をよく目にしますが、世界中で最も高いと考えられる薬価をオプジーボに付けている現在ですら、実情はこれです。 思い起こされるのが、本誌創刊前後の2005年頃に大きな社会問題として取り扱われていた抗がん剤のドラッグ・ラグ問題です。先ほど述べたFDA法改正の前のことですから、今にして思えば「都合の良いデータ」だけで承認申請に至っていたかもしれず、そのデータで僅かの延命効果しか示せていないような薬ですら、「使えない」ことに対する患者たちの怒りは激しいものがありました。オプジーボ(そして、恐らく他の4剤も)の場合、効いたら長続きするので、その効く割合を増やせる薬に関するラグは文字通り生きるか死ぬかの境目になります。ラグが長期化したら、厚生労働行政への社会の批判はとんでもないものになることでしょう。結果として、お上の威光など吹き飛ばされ、メーカーにお願いして申請してもらい猛スピードで承認することになる可能性は高いです。当然の帰結として、その価格も、世界で最も医療費の高い米国を基準に定めざるを得なくなると考えられます。こんなことで本当に良いのでしょうか。有望な併用法が霞む有望な併用法が霞む (2)の臨床試験は、副作用の激しさも懸念されることから、日本で少ないことは理解できないでもありません。しかし(3)が少ないのは大問題です。 というのも、がんに対する免疫の基礎的な研究を日本の研究者たちはコツコツ積み重ねてきており、(3)として有望そうなタネも数多くあるからです。例えば、がんワクチンであり、樹状細胞ワクチンであり、T細胞療法やNK細胞療法、NKT細胞療法、です。 それぞれの治療法については別の機会に説明しますが、比較的安いものも多く、純粋に競争したら米国などの(3)の試験で試されている様々なタネに負けるとは限らない潜在力を秘めているのに、残念ながら臨床試験の土俵にほとんど乗れていません。理由を端的に言うと、費用を賄えないからです。そして、日本勢が大きく出遅れていることは、その研究をしてきた人たちにとって痛手であるだけでなく、国民皆保険制度にとっても痛手です。安くできるはずのタネであっても、出遅れると、高くなるか、一番手としては保険で使えなくなるか、のどちらかだからです。 前回も説明したように、現代の医療は、ひょっとすると他にも良い方法はあるかもしれないという留保は付けながら、有効性を示す臨床試験データのあるものから順番に治療法を選ぶことになっています。新参の治療法は、先にデータを出したものとの比較試験で勝たない限り、二番手以下として扱われます。要するに、ベストの治療法が自動的に一番手に選ばれるのではなく、早く結果を出した治療法が一番手になる、のです。現時点では、どの併用法も同等に一番手になれる可能性を持っていますけれど、ひとたび標準治療と位置づけられる併用法が出現した後は、それとの比較試験を越えなければ一番手になれなくなります。 一番手のメーカーが、挑んでくるものとの比較試験に協力する義理はないので、その薬剤費は挑戦者の試験費用に上乗せされることになります。つまり一番手の値段が高額だったら(この分野は、投資総額から見て間違いなく高額になります)、後から出てくるものの開発費も莫大になり、結局は高く値付けせざるを得ないという構造があります。 だからこそ「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、先に当てた者勝ちだ」という開発競争になっているのです。そして、そのデータに関しては、社会がきちんと監視していないと製薬会社は都合の良いものだけを出してきかねない、というのが先ほど説明した過去の教訓です。投資額が巨大なだけに油断はできません。 製薬業界は盛んに、「イノベーションには、お金がかかる」と主張します。しかし、実際に起きていることを見ると、薬の値段が高くなり続けることを前提にしないと成り立たないバブルの部分が大きいのでないかという疑念も湧いてきます。そして、私たちは今回の問題を国民皆保険制度が破綻するかもしれないという被害者意識で見てきましたけれど、現実には、オプジーボにとんでもない薬価を付けたまま直さないことで、むしろバブルを加速させていると気づきます。 国民皆保険制度を守るためにも、内向き思考をやめて、世界全体にバブルを発生させないよう、発生しているなら軟着陸させるよう貢献する必要があり、制度運用の工夫と日本にあるタネの上手な活用を模索しないといけません。(この文章は『ロハス・メディカル』6月20日号に掲載されるものです)日本の医療界は腐っているのか?日本の医療界は腐っているのか?~オプジーボの光と影 番外編(医療ガバナンス学会 2016年7月25日) 前回、日本はオプジーボに関する臨床試験件数が少なく、ドラッグ・ラグを招きかねないと指摘しました。少ない原因はいくつも挙げられるのですが、世界を唖然とさせるような日本の医療界の不祥事と、それがきちんと医療界内で自律的に処分されないことも、日本での試験実施を敬遠させることにつながってはいないでしょうか? 前回、「クリニカルトライアルズ・ガブ」で検索すると、オプジーボ(ニボルマブ)の臨床試験が全世界で200件ヒットする(5月25日現在)ことを、ご紹介しました。ちょうど1カ月後の6月25日に再検索したら207件ヒットしました。1カ月で7件増えたことになります。1件実施するのに何十億円単位で費用が必要なことを考えると、開発競争の激しさが、改めてよく分かると思います。 なお、地域別に見ると(重複あり)米国と欧州で5件、カナダ、中米、中東、ロシア東欧で1件増えている一方、日本では増えていません。世界との差は開く一方のわけです。そして、臨床試験を個別に見ていくことで、日本は単に試験数が少ないだけに留まらず、他国では当たり前に行われているベンチャー企業によるものや公的団体によるものが、全くないことも分かってきました。そこで、今回はこの日本の特異的構造問題を指摘しようと考えていました。 ところが6月中旬、世界の医療史に刻まれるかもしれないド級の不正疑惑が日本の指導的立場の医師に発覚し、指導層がそういうものに手を染める医療界の体質があるとしたら、それは日本の試験件数が少ないことの原因となっているであろうし、ひいてはドラッグ・ラグを招いて社会に不利益を与えている可能性が高いのに、一般のメディアが全く報じない(記事校了直前になって極めて小さく報じるようになりました)ので、予定を変更、番外編として、そちらを扱うことにしました。 今号が出る段階で既に大騒ぎになっていたら、かなり間の抜けた文章になってしまいますが、後述するように2013年発覚のディオバン事件に関係した医師が1人も免許を剥奪されていないばかりか、中には栄進すらしている例もあり、そのことがメディアでも特に問題とされていないことを考えると、この疑惑に関してもウヤムヤになる可能性は高いと恐れています。ウヤムヤになってしまった場合、多くの日本人が知らないうちに世界の人々から軽蔑され、臨床試験を日本でパスする流れがさらに進んでしまう可能性もあります。ワクチン禍の捏造疑惑ワクチン禍の捏造疑惑 疑惑の舞台になったのは、『ヒトパピローマウイルス感染症の予防接種後に生じた症状に関する厚生労働科学研究事業』です。長くて読むのがイヤになった人も多いと思いますが、単語を区切って読むと、HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を接種後、激しい体調不良に襲われた女子生徒たちが出たことを受けて、厚生労働省が委託した研究であると分かると思います。当然、その費用は公費で賄われました。 主任研究者は、池田修一氏(信州大学医学部脳神経内科、リウマチ・膠原病内科教授)と牛田享宏氏(愛知医科大学学際的痛みセンター教授)の2人(肩書はいずれも研究班としての表記)で、3月に「成果発表会」が行われています。池田氏は、単なる教授ではなく、信州大学の医学部長であり副学長でもありました。 この池田氏の発表会資料に、捏造疑惑が発覚したのです。スクープしたのは、6月20日に発売になった雑誌『Wedge』7月号で、医師資格を持つジャーナリスト村中璃子氏の記事でした。 発表資料59枚目に出てくるマウスを使った実験のスライドに関して、池田氏の説明は虚偽だ、と村中氏は指摘しました。 スライドは、自己抗体があったら緑色に光るよう染めて撮った写真で、他のワクチン接種後のマウスの海馬(脳)は緑色に光らなかったけれども、HPVワクチン接種後のマウスでは緑色に光ったことを示しています。加えて文字でも「サーバリックス(筆者注・HPVワクチン)だけに自己抗体(IgG)沈着あり」と記しています。 自己抗体が沈着しているということは、その組織に対して免疫が攻撃を仕掛けていると考えられ、組織が破壊されても不思議はないことを意味します。脳の組織が破壊されたら、それは色々な不具合が起きることでしょう。発表資料を初めて見た際、私などは、「ああ、なるほど、激しい症状を示す人たちの脳で同じことが起きている可能性はあるな。やっぱりHPVワクチンは、他のワクチンとは違うんだな」と思ったものです。そんな報道をテレビや新聞で見たな、と思い出した方もいらっしゃることでしょう。 この発表には、色々な波及効果が予想されました。まず、生きている人の脳を切り出して抗体検査してみるわけにいかない以上、「ワクチン被害者」の脳でも同様に免疫が暴走している可能性を否定できなくなり、場所が脳だけに体のどこで何が起きても不思議はないので、被害認定・救済のハードルは下がると考えられました。また、そのような免疫暴走を起こしてしまう体質・遺伝的要因を探索して発見することで、要因保持者をワクチンの接種対象から外せるようになり、社会全体としてはより安全にワクチンの利益を享受しやすくなるとも考えられました。 スライドで名を挙げられていたサーバリックスはイギリスに本拠を置く多国籍企業グラクソ・スミスクライン(GSK)の製品ですから、池田氏の発表内容は世界中に知れ渡っていたと考えられ、きちんと論文発表された暁には、世界が注目する画期的発見になるかもしれませんでした。 ところが、村中氏が報じるところによれば、このスライドが完全なデタラメというのです。実験を担当した研究者から、他のワクチンでも緑色に光り、その写真を池田氏に渡したのに、発表スライドでは光らなかったことになっていた、との証言を引き出したと書いています。さらに、実はワクチンを接種したマウスの脳に自己抗体は沈着しておらず、別のマウスの脳切片に(抗体の入った)血清を振りかけただけ、との証言を得たとも書いています。 もし、この記事に書かれていることが本当なら、HPVワクチンだけ脳組織に悪影響を与える可能性があると見える池田氏の発表は、明らかに悪質な捏造です。 起きていないことを起きたことにしてしまうのが自然科学者として許されることでないのは当然として、「副反応」に苦しんでいる人たちの原因究明や治療法探索に誤った情報を与え妨害することになるので医師としての倫理にも反します。厚労省から委託された研究のテーマが「子宮頸がんワクチン接種後の神経障害に関する治療法の確立と情報提供について」だったことも考え併せると、悪質さは一層際立ちます。提訴が予定されている「ワクチン被害者」たちによる民事訴訟への影響も甚大でしょう。 ここまで名指しで嫌疑をかけられた以上、池田氏は研究者生命・医師生命を賭けて反論するのが当然です。本当に発表のような実験結果を得ていたのだとしたら、証拠はいくらでも残っているでしょうから、記事が言いがかりだと示すこと自体は簡単なはずです。村中氏を名誉棄損で訴えることもできます。しかし、なぜかそのような動きは聞こえてきません。記事が正しいので反論できず、むしろ騒がずにいることで世間が忘れるのを期待しているのでないか、という疑念を抱かせます。鈍い医療界の反応鈍い医療界の反応 前述のようにGSKのワクチンを名指しした以上、この疑惑は既に世界中に知れ渡っており、どのように決着するのか大いに注目されていると考えるべきです。 それなのに、研究の費用を出した厚労省、自浄作用を発揮すべき医療界の動きは鈍いのです。先ほど述べたように、記事のシロクロを付けるのは簡単なはずで、もしクロなら言語道断で直ちに処分が必要です。しかし、記事が出て10日経ってから、ようやく信州大学で学内調査を行う方向が出たというノロノロぶりです。 この自律的行動の鈍さを、どのように解釈したらよいのでしょう? まずあり得るのは、医療界の多くの人間が、大した事案だと考えていないということです。 実際、ディオバン事件では、ノバルティス日本法人幹部が放逐され元社員は刑事被告人となった一方、事件の舞台の一つとなった千葉大で研究の責任者だった現・東京大教授が、この6月から日本循環器学会のトップである代表理事に就任しています。「あの程度は大した事案でない」と医療界の多くの人が考えているのでしょう。患者を対象とした臨床試験での不正ですら、こんな受け取り方なのですから、マウス実験くらいで大げさなという人は少なくないのかもしれません。 しかしHPVワクチンを巡って激しい論争が起きている現実がある以上、世の中の普通の人の感覚では、明らかに重大な不正です。それに対して自律的行動が鈍いことは、医療界の多くの人間ができるだけ事を荒立てたくないと考えているから、という解釈が成り立ってしまいます。 私個人としては、単純に面倒なことに関わりたくない人が多いためだろうと考えていますが、邪推しようと思えば、日本の医療界では患者に影響を与えるような研究不正が当たり前に行われていて、変に突っつくと自分にも返ってくる人が多いから荒立てたくないに違いない、と考えることも可能です。 そう邪推できることが、臨床試験件数の少なさの原因になります。企業からすると、試験自体に巨額の投資が必要で、しかも成功確率が高くないわけですから、不確定なリスク要因はできるだけ排除しておくのが当然の危機管理です。日本に研究不正が蔓延している可能性を否定できない以上、他に代わりがない場合以外は、別の国で臨床試験を実施した方が安全です。万一、試験が無効になったら大損害だからです。 現時点で「他に代わりがない」は、日本で承認を得るのに必要な場合に限られ、それは日本で確実に儲かるとの見通しが立つ場合に限られます。つまり、日本の医療界で研究不正が蔓延しているのでないかという世界から抱かれている疑念を払拭しない限り、ドラッグ・ラグや高い薬価となって患者や社会にツケが回されてくるのです。メディアはどうする?メディアはどうする? なお、3月に池田氏の発表を大々的に報じたメディアには、事実関係を検証して、結果的にせよ間違った報道をしてしまっていたなら、訂正する責務があるはずですが、その動きがまた極めて鈍いのです。 メディアや記者に主義主張があるのは当然としても、「事実」を伝えるのは最低限死守すべきラインで、「事実を伝えない」と受け手に見限られてしまった時、異なる主張や立場の人々をつなぐことができなくなり、同人誌・放送と化すので、どうするのか要注目です。もしきちんと対応しないなら、日本のメディアの偏りもまた臨床試験件数を減らす方向に働くでしょうし、ドラッグ・ラグや高い薬価の原因の一つと言えるのでしょう。(この文章は、『ロハス・メディカル』7月20日号に掲載されたものです)

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    肺がん「夢の特効薬」 効果が出るのは患者全体の2割程度

    ある薬の中でも、「治療」と「延命」の境目が曖昧なのが抗がん剤だ。 昨年12月、肺がんの新薬として公的医療保険が適用された「オプジーボ」は“夢の特効薬”として注目を集めた。しかし、がん細胞が縮小するなどの効果が表われるのは肺がん患者全体の2割程度とされ、その効果も1年生存率を39%から51%に押し上げるに過ぎないという海外の臨床試験のデータもある。「肺がんが消えてなくなる」──といった過大な期待は禁物だ。関連記事■ 肺がん治療薬イレッサ 2週間でがん細胞がほぼ消滅した例も■ 抗がん剤使わぬがいいとの説 梨元氏は使用後2か月で亡くなる■ 「抗がん剤は使えば使ほど寿命が縮まります」と近藤誠医師■ 現在の乳がん治療は「切る」「切らない」の二択ではない■ がん治療費 乳がんは5年92万円、肺がんは2年45万円のケース

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    夢の新薬で日本の医療保険制度が崩壊するかもしれない

    げられるテーマの一つに国民皆保険制度がある。日本では現在、この制度が機能しているので経済格差を超えて医療を受けられるようになっている。だが、新しい抗がん剤などの利用で制度が崩壊するかもしれない現実について、鎌田實医師が解説する。 * * * 新しいタイプの抗がん剤が注目されている。免疫細胞には、免疫が暴走しないようにブレーキの働きをする「免疫チェックポイント」という仕組みがある。悪賢いがん細胞はその仕組みを利用して、自分を攻撃する免疫(T細胞)にブレーキをかけさせている。この新しい薬は、がんを直接叩くのではなく、ブレーキの働きを抑えることで、免疫ががん細胞を攻撃できるようにする。免疫チェックポイント阻害薬と呼ばれている。 昨年12月に肺がんに適応認可されたオプジーボ(一般名ニボルマブ)はその代表的な薬だ。肺がんの非小細胞肺がん、手術したが再発した場合や、手術できない患者に使われる。効果は2割程度だといわれているが、選択肢が増えることは肺がんの患者さんには朗報である。開発には、アメリカのベンチャー企業も関係しているが、日本人の研究が中心になっているというから、喜ばしい。 このオプジーボ、薬の値段も瞠目に値する。抗がん剤の適量は、体重を目安に決められるが、60キロの肺がん患者さんが1回使うと、133万円かかる。これを2週間おきに点滴すると、年間約3500万円というべらぼうな費用になる。 医療保険には高額療養費制度がある。患者さんの1か月の自己負担額が一定額を超えると、超えた金額が戻ってくる。上限額は所得に応じて決められ、70歳未満の一般所得区分の場合は、概ね8万円程度となっている。 しかし、患者の窓口負担が減っても、国の医療費の負担は大きい。オプジーボを1年間使用する患者さんが5万人いるとすると、年間1兆7500万円がかかる。日本の医療費は40兆円。そのうちの10兆円が薬剤費といわれているが、期待の新薬だけで2割近くも占めてしまう計算になる。 高い薬だからといって、混合診療にして薬代だけ患者の負担にすれば、貧富の差による医療格差が大きくなってしまう。お金を持っている人だけが薬を使用できるというのは、いいことではない。 アメリカの保険会社は、日本の国民皆保険制度が壊れるのをじっと待っている。高い薬が出れば出るほど、民間保険に入っていないと安心できなくなる。高額な新薬を使うために、民間保険に入らざるを得なくなっていくのだ。すでに日本郵政は、アメリカの保険会社のがん保険を販売している。 2016年度薬価制度改革により、年間販売額が非常に大きい薬に関しては、薬価を引き下げる「特例拡大再算定」も設けられた。年間販売額が1000億~1500億円で予想の1.5倍以上売れたものは薬価を最大25%引き下げ、年間販売額1500億円超で予想の1.3倍以上売れた場合は薬価を最大50%引き下げる。これにより、3か月で500万円かかっていたC型肝炎治療薬が3割下がった。しかし、これだけでは足りない。 なぜ、こんなに高額なのか。もともとオプジーボは、悪性黒色腫の治療薬として認可された。悪性黒色腫は日本人には比較的少ないがんで、患者数が限られている。 患者の数と、開発にかかわった研究費や薬の製造費などを考えて、薬価が高くなった。ここまではしかたがないことだったと思う。 その後、患者数の多い肺がんに適応承認され、将来的にはほかのがんにも承認されていく可能性もある。今のままの高額な価格設定で、多くの患者さんに使われるようになると、日本の医療費は膨れ上がり、医療保険制度そのものが破綻しかねない。 医療は、経済的な格差を乗り越えて、多くの人が平等に受けられるべきものだ。理想かもしれない。だが、決して忘れてはならない理想である。かまた・みのる 1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に『「イスラム国」よ』『死を受けとめる練習』。

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    肝心なのは食材の数ではなかった!「一日30食品」健康法の神髄

    活で人の健康や寿命が左右されると考える人はそれほど多くはなかった。健康や寿命を左右するのは、ひとえに医療の力であると、多くの人が考えていた。iStock 半世紀ほど前まで、日本人の死因の第1位は結核や肺炎などの感染症だった。日本人の疾病構造が変わり、今では多くの日本人が糖尿病や高血圧症や脂質異常症など、いわゆる生活習慣病を主原因とする脳卒中や心疾患によって、死に至るようになった。ガンや認知症でさえ、生活習慣が深く関わっている。つまり、生活習慣を改善することによって、これらの致命的な病気になるリスクを下げ、健康で長生きできるらしいということが明らかになってきたのだ。 それ以来、日本(に限らず先進国)の多くの人が健康情報・食情報を追い求めるようになったのだ。かつては、著名な学者や医師の経験を頼りに、健康や長寿の道を探っていた(今でもそれに頼る人はものすごく多いのだが)。最近になってようやく、個人の体験や推測に基づくのではなく、きわめて多くの根拠ある科学的データ(エビデンスという)に基づいた食事法や生活習慣が効果的であると気づいたのである。一般人にはハードルの高い「食事バランスガイド」一般人にはハードルの高い「食事摂取基準」や「食事バランスガイド」 ここでは、主として、ビジネスパーソンを念頭に、健康・長寿に役立つ情報を提供していきたい。とはいっても、対象がビジネスパーソンだろうが、成長期の児童・生徒であろうが、中高年であろうが、お年寄りであろうが、健康にいい食習慣の基本に大きな違いはない。一口でいえば「バランスよく、適量」を食べればいいのだ。しごく単純である。ただし、単純ではあってもけっして簡単ではない。 エビデンスから導かれた理論が明らかになってはいても実践が伴わないからだ。私たち日本人にとって、「何をどれだけ食べれば健康で長生きできるか」は相当にたしかな情報によってすでに明らかになっている。その最新情報は『日本人の食事摂取基準2015』(※1)という形で提供されている。時間と興味のある人は一度見ていただきたい。かなり詳細な情報が、きわめて確かな根拠に基づいて、明らかにされている。 が、その情報は「料理」ではなく「食材」でもなく「栄養素」という形で提供されている。そのため、これを理解できる人はほとんどいないといってよいだろう。たとえ管理栄養士や医師であっても、勉強不足の人では「手に負えない」だろうと推測する。もちろん、素人には「何のこっちゃわからん」というシロモノだ。「たんぱく質60グラム」といわれてもわかる人はほとんどいないだろう。 現在、これを実際に役立てている人といえば、たとえば学校給食や病院給食の献立を考えている管理栄養士、あるいは糖尿病や高血圧症の患者に食事指導をする専門医くらいではなかろうか。 これではいけないと(思ったかどうか定かではないが)食事摂取基準を「料理段階」にまで落とし込んだ「例」を、2005年、厚生労働省と農林水産省が(文部科学省の協力も得て)作成した。それがコマ型の『食事バランスガイド』(※2)だ。このイラストには「一日に何をどれだけ食べればいいか」が「料理」で示されている。食事摂取基準よりもはるかに具体的になってはいるが、使いこなすのは、やはり、難しい。「何を=質」はかろうじて理解できても、「どれだけ=量」がわかりづらい。「食パン1枚」や「ロールパン2個」などはわかりやすいかもしれないが、「野菜サラダ」や「野菜の煮物」をどれぐらいの量食べればよいのかは、このイラストからはよくわからないだろう。【※1】http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/000004195...【※2】http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou-syokuji.html 小中学校の食育授業などで、九九(くく)のように覚え込ませてしまうか、「守らないと致命的な病気になってしまいますよ」と脅された中高年が必死で覚えるか、しか身につかないのではなかろうか。日常業務に忙しいビジネスパーソンには、これとてハードルが高い。一日に三〇の食材を食べる健康法を勧める一日に三〇の食材を食べる健康法を勧める では、そんなことをしているヒマが(やる気も)ないビジネスパーソンが「バランスよい食事」をとるためにはどうすればいいのか・・・。私が勧めるのは『一日三〇食品』を食べる方法だ。 これはまったく根拠のない食事法ではない。2005年に『食事バランスガイド』が発表されるまで、厚生労働省が「健康に長生きするための食事法」として推奨していた方法である。年配のビジネスパーソンなら聞いたことがあるはず。 その日食べた「食材」を、1つ、2つ、3つ・・・と数え上げていけばいい。小学生以上ならだれにでもできる方法だ。もちろん多少の数え間違いなど気にしなくていい。いたって簡単で、有効な食事法だと、私は今でも思っている。 なぜこれが『食事バランスガイド』にとってかわられたのか? 基本的にはエビデンスがイマイチだったこと。つまり『一日三〇食品』を食べる方法よりも『食事バランスガイド』による食事法のほうが、たしかであるという科学的根拠が揃ったということ。 ただし、絵に描いた餅よりも小さなきびだんごのほうが腹の足しになるように、まったく実行不可能な『食事バランスガイド』よりも、多少は実行可能性のある『一日三〇食品』のほうが、ビジネスパーソンにとっては有益であると、私は考える。 『一日三〇食品』法の神髄は「食材の数」ではない。「できるだけ多種類の食材を食べる」という点にある。これを心がけよう。やってみるとわかるが、食材の数を増やすためには、野菜の種類を増やすしかテがない。「肉で3種類」とか「魚で5種類」とは至難の業。つまりは「多種類の野菜を食べよう」という提案になる。 ただし、『一日三〇食品』を実行すれば健康になれる!などと早合点しないでもらいたい。これは、『日本人の食事摂取基準2015』や『食事バランスガイド』を実行することができない人の「次善の策」「次々善の策」である。大きな効果を期待できるわけではないが、何もやらないよりはずっといい、という程度であると自覚してほしい。 このコラムでは(今回のような)ビジネスパーソンが実行可能な健康法、とりわけ食事法をご紹介していきたい。最後に書いたように、これさえ実行すれば健康・長寿が実現できるなどと思い込まないでほしい。健康や食事に関する知識レベルや実践レベルは、個人によって天と地ほどの差がある。そのレベルを仮に「松・竹・梅」としよう。理想的には「松」の方法がいいことはわかっていても、それを「梅」の人に提供しても効果的ではない。ここでは「梅」の人を「竹」の方向に導く実践的な情報を提供する。できることが一つでもあればぜひ実行していただきたいと願う。 次回は「何を、どれだけ」のうちの「どれだけ=量」の問題を取り上げたいと思う。

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    大橋巨泉のがん闘病に何を学ぶ

    たタレント、大橋巨泉さんが11年にも及ぶがん闘病の末、82歳で亡くなった。死後、妻の寿々子さんが在宅医療の医師によるモルヒネ系鎮痛剤の「誤投与」を訴え、物議を醸した。巨泉さんの死は「天命」だったのか、「無念」だったのか。その是非を問う。

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    患者は厚かましくても構わない、大橋巨泉「殺された」報道に思うこと

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 大橋巨泉さんの最期が話題だ。 週刊現代8月6日号には「独占!巨泉さん家族の怒り「あの医者、あの薬に殺された」~無念の死。最後は寝たきりに」という記事が掲載されている。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49309 この記事によれば、巨泉さんは、国立がん研究センターを退院し、在宅医療を受けるつもりだったが、がんの終末期医療と勘違いした在宅医が、過剰にモルヒネ製剤を処方し、亡くなってしまったらしい。故大橋巨泉氏の遺影と祭壇 =9月5日、東京都港区 この話を聞くと、ほとんどの読者は「在宅医療担当医はとんでもない男だ」と思われるだろう。巨泉さんは有名人だから、この医師も慎重な対応をしたはずだ。それなのに、患者・家族に、ここまで不評を買っているのだから、この医師に、何らかの落ち度があった可能性は高い。 ただ、今回のケースを、この医師個人の資質の問題で片付かせてしまっていいのだろうか。週刊現代の記事によると、巨泉さんはモルヒネ系の薬を飲み始めて2日目には、「フラフラして一人で歩けなくなり」、3日目になると「二人がかりじゃないと支えられないほど」になっている。そして、5日目には在宅医から「今日がヤマです」と告げられている。その後、集中治療室に担ぎ込まれて、亡くなった。 週刊現代によれば、巨泉さんが使用した麻薬はMSコンチンやオプソだったらしい。 MSコンチンとは、モルヒネの徐放剤だ。10~20mgの12時間毎の投与から始め、痛みがコントロールされるまで、一日量を40mg、60mg、80mgという風に増量していく。オプソは、急に痛みが強くなったときに、一日に必要なモルヒネの量の6分の1程度を補充する速放モルヒネ製剤だ。 このように少量から開始して、増量していくのは、研修医でも知っている常識だ。在宅医が、このルールを破っていたなら問題だが、おそらくそうではないだろう。 巨泉さんの場合、モルヒネ投与2日目から、体調の異常が出現した。週刊現代では、このことを問題視している。ただ、モルヒネは投与開始時に悪心、嘔吐、傾眠傾向、便秘などの副作用が生じることが多い。多くの場合、モルヒネを続けるうちに、体は慣れてくる。便秘以外の副作用は、やがて改善する。多くの医師は電話よりメールや手紙を好む モルヒネ開始時の副作用には、大きな個人差がある。その評価は、時に、経験豊富な主治医でも難しいことがある。 週刊現代によれば、国立がん研究センターの二人の主治医は、「異口同音に『痛み止め(モルヒネ)の使用法に問題がありそうだ』と、再入院をすすめた」そうだ。状況が切迫していたのだろう。 ただ、この部分を読んで、私は「そんなことを言うくらいなら、なぜ、国立がん研究センターの医師が、電話で直接、在宅医と連絡と取り合わなかったのだろうか」と疑問を感じる。 国立がん研究センターの医師は、がんの専門家だ。在宅医よりも、モルヒネの管理には慣れているだろう。モルヒネには拮抗薬が存在することも知っていたはずだ。巨泉さんの死因に麻薬の過量投与が絡んでいるとすれば、早い段階で拮抗薬を投与すれば、救命できていた可能性もある。画像はイメージです 私は、巨泉さんの本当に死因を知らない。週刊現代の記事を額面通りに受け取れないところもある。ただ、医療は結果が全てだ。巨泉さんとご家族が、巨泉さんの亡くなり方に納得していなかったことは間違いない。どうすれば、このような不幸を繰り返さずに済むのだろうか。 私は当事者間のコミュニケーションが重要だと思う。特に、専門病院から在宅医療に患者を紹介するときなど、主治医間で密にやりとりする必要がある。「診療情報提供書」を送って終わりではなく、疑問があれば、すぐにスマホで話したり、LINEやフェースブックメッセンジャーでやりとりすればいい。そうすれば、臨機応変な対応も可能になる。 ところが、これが難しい。多くの若き医師を指導した経験から言えば、多くの医師は、電話で直接やりとりするより、メールや手紙で情報を送ることを好む。先方に情報を提供したという証拠が残るため、厚労省が「診療情報提供書」を介したやりとりを推奨していることもあろうが、直接、見知らぬ人(医師)と話すのは精神的なストレスが強く、回避しているのが本当のところだろう。医師のコミュニケーション力に問題があるのだが、この状況は一朝一夕では変わらない。患者・家族が賢くならねばならない。 巨泉さんのご家族も、遠慮せず、「先生同士でもっと話して下さい。先方の携帯番号をお伝えしますから、かけてください」くらい言えば良かったのではないだろか。 昨今、在宅で終末を迎えることを希望する患者が増えている。在宅治療では、専門病院から在宅専門医に主治医が交代することが多い。また、24時間、看護師がつきそう入院治療と比較して、患者の細かい変化は見落としがちだ。どうすれば、安全で満足できる治療を受けることが出来るか。それは、関係者の間で密なコミュニケーションをとることだ。医師任せにすべきではない。厚かましいと思われてもいい。どんどん、主治医に希望を伝えることだ。

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    40歳、モーレツ仕事人間ががんになった

    高山知朗(IT企業経営者)30歳でIT企業を興して経営者となった高山知朗さん。ところが猛烈に働いていた40歳の時に脳腫瘍、さらに42歳の時に白血病と、2回の異なるがんを経験します。5年生存率はそれぞれ25%と40%、かけ合わせると10%という低い確率です。『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』では高山さんが2度の闘病経験から学んだ、病を生き抜くヒントを丁寧に解説しています。今回はその中から「前書き」を試し読みとして公開します。生存率10%を生き抜いた高山さんが選んだ、がん治療法とは!?*  *  * 私は40代前半の頃、悪性脳腫瘍と白血病の2回のがんを経験しました。30歳で株式会社オーシャンブリッジというIT関連会社を起業した私は、経営者として事業拡大に邁進してきました。「会社経営=自分の人生」のような生き方をしてきました。 そんな中、40歳で悪性脳腫瘍を告知されたのです。娘がまだ1歳の頃でした。 その闘病から2年後、仕事に復帰してまた忙しくしているときに、2度目のがんである白血病・悪性リンパ腫を告知されました。脳腫瘍の再発ではなく、全く別のがんでした。 がんでよく言われる「5年生存率」は、脳腫瘍では25%、白血病では40%でした。かけ合わせると10%です。つまり10人に1人しか5年生きられないという低い確率です。 その2回のがんを、手術、放射線治療、抗がん剤治療のいわゆる「がんの三大治療」で乗り越えてきました。脳腫瘍の手術からは区切りとなる5年が経過し、白血病の入院治療終了からはもうすぐ3年が経過しますが、再発の兆候も全くなく、普通の生活を送っています。 私はがん治療においては代替療法、民間療法、食事療法などの類(たぐい)には頼っていません。退院後、治療による副作用や後遺症の軽減、免疫力の回復のために東洋医学を一部取り入れていますが、がんそのものの治療については、完全にがんの三大治療だけを信じました。 今、日本では2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬと言われています。そしてマスメディアでは、有名人のがんに関するニュースに加え、「抗がん剤は効かない」「がんは放置すべき」など、西洋医学を否定するような意見が報道されています。そうした報道に不安を覚える人、混乱する人も少なくないのではと思います。「もし自分ががんになったときには、どうすればいいんだろう?」と。 この本は、私が2回のがん闘病経験から学んだ、がんを受け入れ、立ち向かい、克服するための具体的な心構えをまとめたものです。 まず第一章、第二章では、私自身の脳腫瘍、白血病の闘病体験を書いています。生存率10%に入るために私が考えたこと、やったことの記録です。 そして第三章では、その闘病体験から学んだ「気づき」や「知恵」を、できるだけ多くの方に参考にしていただけるようにまとめています。病院選び、医師とのコミュニケーション、入院、手術、抗がん剤治療、副作用、治療費などの闘病の段階ごとに、みなさんの参考にしていただけそうなポイントをまとめました。 第四章では、私が闘病中に精神的な苦しみの中で気づいていった、がんになることの意味、がんを引き寄せてしまう考え方とその手放し方、そして人生のシナリオなどについても書いています。 この本の内容は私個人が経験したこと、考えたことですので、全てのがん患者さんに当てはまるわけではありません。でも、実際に2回のがん闘病を経験して、そこから学んだことの中には、他の患者さんやご家族にとって多少でも参考にしていただけることがあるのではないかと考えています。 この本が、がんと闘っている患者さんやそのご家族をはじめ、健康に漠然とした不安を感じているみなさんに、少しでもお役に立つのであれば幸いです。一人でも多くの患者さんががんを乗り越えて幸せな人生を歩まれることを願っています。 (高山知朗『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』に続く)たかやま・のりあき 1971年、長野県伊那市生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループにて各種コンサルティングプロジェクトに従事。その後Web関連ベンチャーを経て、2001年、株式会社オーシャンブリッジを設立し、代表取締役社長に就任。現在、同社代表取締役会長。海外のソフトウェアやクラウドサービスを発掘してローカライズ(日本語化)し、日本企業向けに販売する事業を展開。11年7月に悪性脳腫瘍(グリオーマ)摘出手術を受ける。13年5月には白血病・悪性リンパ腫を発症し、7ヶ月間の入院による抗がん剤治療を経て、現在維持療法中。2度のがん闘病の記録をつぶさにつづったブログは、がん患者とその家族から「勇気と希望がわいた」「冷静で客観的な文章で分かりやすい」と反響が大きく、全国の医師からのアクセスも多い。オーシャンブリッジ高山のブログ http://www.oceanbridge.jp/taka/関連記事■ 病院選びは命の長さを選ぶのと同じ■ 人間ドッグだけでがんは見つからない■ 受験生を上手に褒めるちょっとしたコツとは■ 「美容」にまつわるメモ ひとり暮しの手帖

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    大橋巨泉の誤投与はきっと防げた  「これも天命」と思える医師選び

    から死亡の連絡があったのだという。医師や看護婦はその急変のについての経緯を十分に説明しきれず、母親は医療ミスを疑った。実際に医療ミスによる死だったかは分からないのだが、病院側の対応に強い不信感が残ったのは事実だ。それでも、相談した弁護士や専門家は「医療ミスは立証が難しい」として訴訟など法的な抗議を起こすには至らず、泣き寝入りしたという。死の後に医師への不信感が残ったという意味では巨泉さんのケースと同じだ。 6月、歌舞伎役者の市川海老蔵さんは、妻の小林麻央さんが乳ガンであることを発表。海老蔵さんはマスコミへの追跡取材を強く拒んでいたが、これは妻への配慮だけでなく、病院側との距離感も理由だったといわれる。実際にその後、一部週刊誌では治療方針を巡って海老蔵さんが一部の医師と対立、転院したことが伝えられた。信頼できる医師でなかったらそういう選択肢もあるから、記者が情報を小出しにすることを嫌がったのかもしれない。 筆者がかつてテレビマンだった時代、現場で優しく声をかけてくれた元フジテレビのアナウンサーの故・逸見政孝さんは、仕事合間の雑談の中でたまたま「医師選びはしっかりとね」と言っていたのだが、93年9月にテレビカメラの前で「私がいま侵されている病気の名前、病名はガンです」と告白。闘病の決意表明をした。医師選びに賢明だった逸見さんだけに、その覚悟の強さだけでなく、信頼できる医者が付いていることを感じたものだ。軽視できない「かかりつけ医」の役割 ただ、有名タレントのようなセレブでもなければ、私たち一般人が海老蔵さんや逸見さんのように有能な医者探しをするというのはなかなか難しい。大病院に行ったところで、どの医者が担当するかは分からず、それは病院側に託される。 どんな人にもあるのが生命への執着で、それこそが生きている証なのだが、それと対峙する医師は大きな責任を負うだけに「医療ミス」の可能性については隠ぺいしやすいのが現実だ。巨泉さんのようにミスがすぐに分かった話ばかりではない。あの東京女子医大でさえも過去、手術中に亡くなった患者のカルテ改ざんがあったほどだ。これは遺族が医療ミスを疑って調査を申し出たことで、警察も捜査に踏み切ったものだった。 こうしたことをゼロにすることは私たち自身の手では不可能なことで、揉めたところで死者が帰ってくるわけでもない、あくまで事後のトラブルに過ぎず、結局は名医だろうがヤブ医者だろうが私たちは医師たちに我が命を委ねる、死ぬ可能性も含めてそれを委ねるという覚悟に立たされることに変わりはない。 その点で軽視できないのが「かかりつけ」の医者の役割だ。変な例えだが、今日初めて乗った新車では小さな異常があっても気づきにくいが、3年間乗り続けた愛車なら、微細な違和感も気付きやすい。日ごろから自分の体調をデータとして持っている「かかりつけ」の医師は少なくとも最初のチェックゲートになる可能性は高く、もっと重要視されてもいいのではないか。 かかりつけ医は北欧のデンマークなどが法的な制度を厳格に運用している。これは患者がまずかかりつけ医の診察を経ないと専門医療を受診できないというもの。ヨーロッパではこのかかりつけ医の方が高収入であるケースも多く、中でも先進のデンマークでは自分で治せる軽い風邪程度の病気については病院が対応せず、薬も処方しない。代わりに大きな手術や難しい治療が必要なものは無料、すべて税金で医療費をまかなっていることで、入院患者を減らすことにも成功。眼科や耳鼻科などは例外とするなど柔軟な対応もとっている。日本では些細なことでも病院を利用するため、ちょっとした症状でも多数の検査をしてしまい、病院内は常に混雑。重い症状の人の手当てが遅れ、慢性的な医師不足にも陥っている。その流れでは医師の技量も向上しにくく、高齢化社会に嫌でも向き合う日本にとっては検討すべき重要な話だ。命を預けられる医師と出会えてましたか? 巨泉さんの担当医が、どのぐらい巨泉さんと付き合いのあった医師なのかは分からないが、重病には相応の慎重な判断が求められ、それには医師の環境も含めた国民全員の意識改革や議論が必要かもしれない。 筆者も実は長年の「かかりつけ医」に頼っていて、逆流性食道炎や過敏性腸炎を患っていたことで、少しでも具合が悪くなると「とりあえず診察」をしてもらってきた。その点では医師を酷使しすぎたと反省する次第だが、6年前に医師が亡くなって病院自体が閉院。そうなると長年の治療履歴が書かれたカルテ(医療情報)が『特別な事情がないかぎり渡せない』と、別な病院への資料提出も拒まれてしまった。マイナンバー制度の導入でカルテの共有ができるようになったということでは、ひと安心する部分もあるが、新たなかかりつけ医が定着するまでの間は非常に不安であり、我が身をもって日本が「かかりつけ医」の問題を認識した次第だ。新たな医師にイチから病状を説明しても、それはあくまで表面的な症状を伝えているにすぎず、きちんと理解してもらえるのか疑問だった。いまも新たな担当医には、その肩書きだけでは見えない「信頼」を構築できているとは言いきれず、いつなんどきそれが「薬の過剰投与」みたいなことになるかとも思ってしまう。 もし、信頼できる「かかりつけ医」にすべてを預ける覚悟が私にあれば、たとえ医療ミスで死んだとしても、死の瞬間「先生に任せたのだから、これも天命」と思える気がするが、そうでないなら遺族ともども無念極まりない。巨泉さんの死については、医学的な知識がないからその治療方法の是非にまで触れることはできないが、ひとつ問えるとすれば、「命を預けられる医師と出会えてましたか」ということ。医師も人間である以上、ミスは起こしてしまうもの。それだけに我々は必要とするのは、医師との信頼をどうやって作っていくか、である。制度の見直しは急務だと思う。

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    40代からの「カラダ」見直し術

    白澤卓二(白澤抗加齢医学研究所所長)健康な人vs.病気になる人の違いは「食と背骨」にあった!「体力の衰えを感じる」「メタボが気になる」「仕事で無理が利かなくなった」など、40代に近づくにつれ、身体の変調を来す人は多いだろう。基礎代謝が落ちてくる40代以降は、それまでと同じ生活をしていては疲れが溜まる一方。では、その後の人生を健康に過ごすために、今、何をすればいいのか、抗加齢の専門家である白澤卓二先生に話をうかがった。 40代は、今までの「ツケ」を払う時期 これまでと同じ生活をしているのに、最近、疲れやすくなった、お腹回りの肉が目立ってきた、慢性的な腰痛や肩こりに悩まされる――40歳が近づいてくる頃から、そんなことを感じる人は多いのではないでしょうか。 40代は、身体の機能が老いに向かい始める年頃。基礎代謝、ホルモン、体力、免疫力の低下が顕著に進んできます。 また、疲れやすくなるなどの不調の原因は、今の生活だけではなく、20、30代の生活習慣が蓄積した結果でもあります。若い頃は、表に出てこなかったものが、いよいよ表面化してくるのです。 さらに、職場での責任が増え、中間管理職として部下を抱え、ストレスも増えてきます。このように、40代は多様な要因が重なって、身体の変調を来しやすい人生のターニングポイントでもあるのです。 それに加えて、現代人を取り囲む生活環境は実に過酷ですこの半世紀ほどで人類の生活環境は劇的に変わりました。自動車や電車などの交通機関が発達し、身体を動かさずして長距離を移動できるようになりました。その結果、現代人の足腰は衰える一方です。 食べ物についても、人類史上例を見ない飽食の時代を迎えた一方、品種改良や農薬、添加物など、別の意味での「食の危機」にさらされています。 また、ここわずか十数年で急速に進んだIT化で、一日中座りっぱなしでパソコンやスマホの画面とにらみ合って過ごす人が急増しています。 こうした生活環境は「当たり前」のように思えますが、長い人類の歴史から見ればつい最近のこと。人間の身体は、その生活にまだ対応しきれていないのです。 そのことに気づかず、身体を動かさずラクをして、食べたい物を食べて、垂れ流しの情報におぼれていれば、この先の自分の健康はとうてい守ることはできません。糖尿病や高血圧などの生活習慣病も忍び寄ってくることとなり、これらは、がん、心筋梗塞、脳卒中などにもつながって、50代での突然死を引き起こすこともあります。 40代はまさに、これまでの生活習慣を見直し、自分の身体と向き合うのに最適な時期でしょう。それをするかしないかで、今後の人生は大きく変わってきます。 とはいえ、難しいことをする必要はなく、日常生活の中で少し気をつければ変えられることばかり。まずは、その基本となる「運動」と「食」について説明します。筋トレより「歩く」ほうが効果的筋トレより「歩く」ほうが効果的 現代人の多くは、便利な生活に慣れきって運動不足の傾向にあります。とくに長年、デスクワークを続けているビジネスマンは、足腰の衰えが引き起こす背骨のゆがみ、それを原因とする腰痛や肩こりが顕著になってきます。 40代が近づいてきたら意識してほしいのが「背骨」回りを鍛えることです。40歳頃から、背骨の骨と骨の間にある椎間板というクッション組織が軟化してきます。それによって椎間板が骨に押し出されて神経を刺激し、腰痛を発症しやすくなるのです。椎間板組織の変性は加齢現象ですが、背骨の筋肉がしっかりさえしていれば、筋肉が骨を支えるので椎間板を守ることができるのです。 背骨回りを守る運動として効果的なのが「歩く」ことです。足を左右交互に出して骨盤を回転させることで、背骨のゆがみが矯正されていきます。また、脳への血流が良くなるので脳の機能が活性化し、カロリーも消費されます。単純なことですが、「歩く」ことは最良の健康法なのです。 また、電車通勤の方にお勧めなのが、あえて大きなターミナル駅を乗換駅にすること。歩く距離が自然に増えることに加え、階段を利用することで、階段の上り下りをエクササイズにできるのです。階段の上り下りは、平地を歩くのに比べて、下半身の筋肉と骨におよそ3倍の負荷がかかります。このように少し負荷のかかる階段エクササイズを、日常生活に効果的に取り入れるといいでしょう。 一方、筋トレはあまりお勧めしません。筋トレは一方向に筋肉を使う反復運動なので、偏った筋肉がつきがち。やはり、バランス良く身体を使うことが大切です。身近にある意外な「ジャンクフード」とは?身近にある意外な「ジャンクフード」とは? 食に関してはさまざまな健康習慣がありますが、短期間でてきめんに効果が現われやすいのが、ジャンクフードを避ける食生活に切り替えることです。 ジャンクフードと言うと、スナック菓子や炭酸飲料などが思い浮かびますが、意外と知られていないのが「パン」です。たとえば今、日本で最も多く流通している、ふわふわもっちりした食感のパン。しかし本来、パンは硬くてパサパサしているものです。この柔らかさは、人工的にグルテン含有量が増強された、品種改良された小麦に起因します。それを長い間食べ続けていれば、身体が不調を起こすのも当然かもしれません。 それでは、私たちはこれからどんな食べ物を摂ればいいのでしょうか。答えは簡単。日本人の伝統的な食生活に戻ることです。ご飯(できれば玄米)、野菜、魚介、豆、海藻類を中心とした食事です。 人生後半戦にさしかかる40代――これからの生き方は、自分の身体の変化に向き合い、できるところから少しずつでも行動を変えていく。そして、世の中の「当たり前」を疑い、その異常さを自覚して、自分の頭で考え、バランスを取っていくことが肝要です。こうした知性ある健康管理が、人生後半を健康に、楽しく過ごす秘訣なのです。《取材・構成:麻生泰子》しらさわ・たくじ 白澤抗加齢医学研究所所長・医学博士。1958年、神奈川県生まれ。1982年に千葉大学医学部を卒業後、東京都老人総合研究所分子病理部門研究員、老化ゲノムバイオマーカー研究チームリーダーなどを経て、2007~15年、順天堂大学大学院医学研究科加齢制御医学講座教授。15年より、米国ミシガン大学医学部客員教授。専門は、寿命制御遺伝子の分子遺伝子学、アルツハイマー病の分子生物学・分子生理学、アスリートの遺伝子研究など。テレビ、雑誌、講演、書籍などでの老化防止対策のわかりやすい解説に定評がある。 日本抗加齢(アンチエイジング)医学会理事。主な著書に『100歳までボケない101の方法』(文春新書)、『2週間で効果がでる!〈白澤式〉ケトン食事法j(かんき出版)、『「砂糖」をやめれば10歳若返る』(KKベストセラーズ)など。

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    知らないうちに進行する「あの病気のリスク」

    森田豊(医療ジャーナリスト)健康診断「問題なし」でも要注意!40代になると、身体に無理がきかなくなり、さまざまな不調を感じる人が多いだろう。若さでカバーできた20代や30代と同じ生活をしていると、病気にかかるリスクも高くなる。不摂生を続けると、どんな病気の危険性があるのか。そして、病気にならないために普段の生活をどのように見直すべきか、アドバイスをいただいた。 脳梗塞 ~その前兆を見逃すな!~ 脳梗塞とは、脳の血管を血の塊である血栓が塞ぎ、脳細胞の一部が死んでしまう病気です。血液が脳に届かなくなり、ある日突然バッタリ倒れることも。 脳梗塞の患者数は、この30年で3倍以上に増えています。その背景にあるのは、食生活が豊かになったことによる糖尿病や高脂血症、肥満の増加。その結果、血管にコレステロールや脂肪が溜まり、動脈硬化を起こす人が増えているのです。 突然襲ってくるイメージの強い脳梗塞ですが、実は本人が気づかないだけで、前兆がある場合も多いのです。それを見逃さないよう気をつけることが、脳梗塞のリスクを回避する何よりの方法と言えるでしょう。 チェックリストのうち、とくにリスクが高いのは「左右どちらかの身体や手足がしびれて動かせない」「足がふらつく」「ろれつが回らない」です。これに当てはまる人は、要注意。すでに脳に血栓ができているのに、まだ症状が出ていない「隠れ脳梗塞」の可能性があります。 隠れ脳梗塞は自覚症状がなく、症状が現われてもごく短時間で回復するため、本人も「気のせいだったのか」と放置しがちです。しかし、隠れ脳梗塞ができて数年以内に、約3割の人が脳梗塞を起こしているというデータがあります。本格的な脳梗塞を発症したら、4時間半以内に専門的な治療を受ければ予後が良好になる可能性が高まります。ただ、そうなる前に先ほどの3つの項目に当てはまる人は、一度脳ドック(MRI検査)を受診することを勧めます。 脳梗塞の前兆は、顔にも現われます。鏡の前でにっこり笑ってみてください。片方の唇が下がり、顔がゆがんでいたら、軽い麻痺が起こっている証拠です。顔の表情に左右差があるときは、危険信号と考えてください。 他にも、「ラリルレロ」「パピプペポ」が発音しづらくないか、などが脳梗塞の前兆に気づくきっかけになります。定期的にチェックをして、顔や手、言葉に異変があれば脳梗塞を疑い、病院で診察を受けましょう。 なお、朝と入浴時は脳梗塞を起こしやすいので注意しましょう。就寝中の発汗や長湯による脱水状態によって、血液がドロドロになって血栓ができやすくなるのです。予防のために、就寝時と起床時、入浴の前後に、必ず水分補給する習慣をつけてください。脳梗塞チェックリスト1.文字が上手く書けなくなるなど、手先が不器用になったと感じる。2. 手先に力が入りにくいことがある。3.左右どちらかの身体がしびれて動かせない。震えが止まらない。4.立ち上がろうとして足がもつれたり、階段を登るときつまずいたりする。5.突然ろれつが回らなくなる。6.笑顔になったとき、片方の唇が下がっている。7.顔の表情に左右差がある。8.最近、もの忘れがひどくなった。9.時々、めまいや耳鳴りがする。10.早口で話をされると理解しにくい。難解な本を読んでも頭に入ってこない。11.食べ物を飲み込みにくく感じる。むせやすい。12.視野の半分が欠けてみえることがある。13.突然冷や汗が出たり、動悸が出たりすることがある。糖尿病 ~健診OKでも安心はできない~糖尿病 ~健診OKでも安心はできない~ 40代になると、男女ともに糖尿病になる人が増えます。厚生労働省の2012年の「国民健康・栄養調査」によると、糖尿病が強く疑われる人の数は約950万人、可能性を否定できない人は1,100人に上ります。40歳以上に限れば、3人に1人は糖尿病もしくはその予備軍だというデータもあります。 糖尿病予備軍とは、「血糖値が正常よりは高いが、糖尿病と診断される値よりは低い状態」の人たちです。正常値は空腹時の血糖値が110㎎/dl未満で、食後の血糖値が140㎎/dl未満。糖尿病と診断されるのは、空腹時の血糖値が126㎎/dl以上、または食後の血糖値が200/dl以上です。この間にいるのが“予備軍”になるわけですが、会社の健康診断で「問題なし」と言われた人も安心はできません。一般的な健診では空腹時の血糖値しか測定しないので、食後の血糖値が上がりやすい“隠れ糖尿病”の人は見逃されているかもしれないからです。 しかも糖尿病は、ある程度進行するまで自覚症状がありません。典型的な症状とされる「のどが渇く」「体重が減って疲れやすくなる」などは、かなり進行した段階で現われるもの。知らないうちに病状を悪化させないよう、チェックリストで隠れ糖尿病のリスクを確認しましょう。 もし4項目以上当てはまったら、病院の内科で「ブドウ糖負荷試験」という検査を受けることをお勧めします。これは食後の血糖値の変化を正確に測るもので、ブドウ糖を摂取し、30分後、1時間後、2時間後などと時間を置いて、数回にわたり血糖値を測定します。 検査によって、自分が隠れ糖尿病だと判明したら、病気を進行させないよう、食生活を見直すことが大切です。まずは、食物繊維の多い野菜を多くとること。そして、血糖値の急激な上昇を抑える効果のある酢を使ったメニューを積極的に取り入れることなどです。 食べる順番にも気をつけましょう。最初に、血糖値が上がりにくい肉や野菜類をゆっくり食べ、最後に、血糖値が上がりやすいごはんやパンを食べるようにしましょう。 食品のカロリーやおおよその摂取量を把握しながら、食べすぎを防ぐことも必要。栄養の知識を身につければ、食事を楽しみながら血糖値をコントロールすることも可能になります。糖尿病チェックリスト1.肉親に糖尿病患者がいる。2.肥満である。3.40歳以上である。4.運動不足である。5.食べたいものを好きなだけ食べている。6.お酒をよく飲む。飲むときは、よく食べる。7.食事が不規則。8.朝食を抜くことが多い。9.甘いものが好き。10.ストレスを溜めている。※0~3は経過観察。4~6個なら医師に相談を。7個以上は、精密検査を受けてください。五十肩 ~女性はとくに注意~五十肩 ~女性はとくに注意~ 重い荷物を持ったり、ゴルフの素振りをした瞬間、肩に激痛が走ったことはないでしょうか。俗に言う「五十肩」の症状ですが、実際には40代にも多く見られます。デスクワーク中心で運動量が少ない人も、五十肩になりやすいのです。 五十肩(正式名称は「肩関節周囲炎」)になるのは、長年腕や肩を動かすうちに、肩関節にある回かい旋せん腱けん板ばんが疲労してもろくなり、周辺組織が炎症を起こすから。つまり、関節の老化です。 チェックリストの2番目から6番目の動作で痛みを感じたら五十肩の疑いがあります。 とはいえ、痛みが出ても適切な治療をすれば症状は和らぎます。日頃からストレッチや肩の運動をするのも効果的です。たとえば、肩のリハビリに有効なのが、お風呂で行なう「指階段療法」。湯船に肩まで浸かって身体を温めたら、痛むほうの腕の人差し指と中指を壁に当て、2本の指で歩くようにして、少しずつ腕を上げていきます。これ以上は上がらない地点まできたら、腕に身体を預けるように寄りかかり、10秒キープ。毎日続ければ肩や腕の筋肉が伸びて、肩の稼働域が広がります。五十肩チェックリスト1.40歳以上である。2.両腕を真上に上げると痛い、またはスムーズにできない。3.両腕を肩の高さで上下させると痛い、4.またはスムーズにできない。5.両腕を曲げて、外に開くと痛い、またはスムーズにできない。6.両腕を腰の後ろで組むと痛い、またはスムーズにできない。7.両腕を首の後ろで組むと痛い、またはスムーズにできない。8.日頃、運動をほとんどしていない。9.デスクワークが多く、身体を動かすことが少ない。10.ひどい肩こりである。11.左右の肩の形が違う。※1に該当し、2~6のうちの1つでもあてはまれば、「五十肩」の疑いがあります。がん ~「前立腺がん」が増えている!?~がん ~「前立腺がん」が増えている!?~ がんは日本人の死因の第1位を占める病気です。1950年には全死亡者数の7%に過ぎませんでしたが、81年以降は死因トップを走り続け、2013年の死亡者数は全体の3割を超える36万人強まで増加しました。つまり、日本人の3人に1人はがんで亡くなっているのです。 身体が正常な状態であれば、約60兆個の細胞の数はほぼ一定に保たれます。しかし、食生活や生活環境などさまざまな理由で遺伝子が突然変異すると、細胞の数が無制限に増えてしまう。これが「がん」であり、ほぼすべての臓器にできる可能性があります。 最新の統計によれば、がんの中で最も死亡者が多いのは「肺がん」。2位が「大腸がん」、3番目が「胃がん」です 。※国立研究開発法人国立がん研究センター 2015年のがん罹患数、死亡数予測より ただし、1位~3位には入っておりませんが、中でも注意したいのは近年患者数が伸びている「前立腺がん」。死亡者数は2015年で12,200人に上ると予測され、2000年の2倍以上、1995年の約3倍に上ると推定されています。 前立腺がんが急増した理由は、いくつかあります。まず、日本人の寿命が延びたこと。前立腺がんは比較的進行が遅く、年齢が上がるごとに発症率が高まります。 さらに、日本人の食生活が欧米化し、動物性脂肪を多く摂るようになったことも原因の一つでしょう。 一方で、近年は血液検査だけで前立腺がんを早期発見できる「PSA検査」が普及し、患者が顕在化しやすくなったという背景もあります。 いずれにしても、がんで命を落とさないためには、何よりも早期発見・早期治療が肝心。あなたの前立腺がんのリスクはどの程度か、チェックリストで確かめてください。 どのがんの予防にも効果的なのは、食生活の改善です。肉類の食べすぎを避け、緑黄色野菜を多く摂るよう心がけてください。洋風の食事よりは、和食のほうがバランスよく野菜を摂れるのでお勧めです。 また、大豆や緑茶などは、前立腺がんの予防に効果的と言われていますので、普段の食事に積極的に取り入れましょう。 適度な運動を習慣づけ、肥満にならないよう心がけることも、がんのリスク低下につながります。前立腺がんチェックリスト1.50歳以上である。2.父親や兄弟など、血縁者に前立腺がんの患者がいる。3.チーズ、牛乳などの乳製品が好きだ。4.肉類など、動物性脂肪が多い食べ物が好きでよく食べる。5.緑黄色野菜が嫌いであまり食べない。6.日頃、運動をほとんどしていない。7.肥満である。8.性活動が活発である。9.生活パターンが一定しておらず、不規則な生活をしている。10.ストレスが多い。 ※3個以上当てはまれば経過観察。4個以上もしくは2に該当する人はなるべく早くがん検診を受けましょう。骨粗しょう症 ~老後の寝たきりにつながる~骨粗しょう症 ~老後の寝たきりにつながる~ 骨粗しょう症は、骨量の低下によって骨が弱くなる病気です。主な原因は加齢で、40歳以上の骨粗しょう症患者数は1,280万人。そのうち女性は980万人、男性は300万人と推定されます。骨粗しょう症は女性がなりやすいイメージがありますが、男性の患者数も決して少なくないことがわかります。 高齢化社会において、骨粗しょう症は大きな問題。高齢者が寝たきりになる原因の約20%が「骨折」であり、それをきっかけに認知症が進行するケースも多いのです。「まだ若いから大丈夫」と思うかもしれませんが、骨量の低下は40代から始まります。 予防のためにとくに大事なのが、食事。カルシウムは1日に800㎎の摂取を目標とし、乳製品や大豆製品、海草類を積極的に食べましょう。また、ビタミンBやマグネシウムも欠かせません。前者は鮭やサンマなどの魚に、後者は玄米や豆類に多く含まれます。 なお、リンを含むスナック菓子やインスタント食品を摂りすぎると、カルシウムが尿から排泄されやすくなるので注意してください。骨粗しょう症チェックリスト1.55歳以上である。2.女性の場合、閉経している。3.細身の体型である。4.ちょっとしたことで骨折したことがある。5.最近、背が縮んだ。6.あるいは背中や腰が曲がってきたと感じる。7.乳製品や大豆製品をあまり食べない。8.運動不足である。※3つ以上あてはまる人は、骨量の低下に警戒が必要です。取材・構成 塚田有香もりた・ゆたか 医療ジャーナリスト。1963年、東京都生まれ。秋田大学医学部卒、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。東京大学医学部附属病院助手、米国ハーバード大学医学部専任講師、埼玉県立がんセンター医長、板橋中央総合病院部長を経て、現職。医師として現場に立ちながら、テレビや雑誌で医療情報を発信。近著に『今すぐ「それ」をやめなさい!』(すばる舎)など。関連記事■ 「間違いだらけの食習慣」を見直し、若く健康な身体を手に入れよう■ 疲れがスッキリ取れる!  入浴の正解■ 気になるあの「食のウワサ」はウソ?本当?

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    歯の不健康が、がんや心筋梗塞を引き起こす!?

    九州歯科大学講師、岩手医科大学助教授、国立感染症研究所部長、九州大学教授(厚生労働省併任)、国立保健医療科学院部長を経て、2008年より現職。この間、健康日本21計画策定委員などを務める。著書に『白米が健康寿命を縮める』(光文社新書)などがある。関連記事■ 40歳を超えたら、運動は「8,000歩/20分」のウォーキングで十分■ 40代からの「カラダ」見直し術■ 健康管理の決め手は自律神経と腸内環境

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    大橋巨泉氏のモルヒネ投与医師はニキビ治療専門家だった

    た巨泉さんは、国立がん研究センターで放射線治療などを受けた後、今年4月に退院し、千葉県内の自宅で在宅医療を受けていた。2001年8月7日、参院選後の臨時国会で初登院した民主党の大橋巨泉さん。半年で辞職した=東京都千代田区 それを担ったのが、近所の在宅診療所の院長であるA医師だった。A氏は、巨泉さんが「背中が痛い」というと、モルヒネ系の鎮痛剤を処方したという。巨泉さんはその後、一人で歩けなくなるほど体力が低下し、再びがんセンターに入院。それから約3か月後にこの世を去った。寿々子さんは今も鎮痛剤の服用を後悔しているという。巨泉さんの親族が語る。「親族はみな後悔の気持ちでいっぱいです。あとで調べたら、A氏は皮膚科や美容形成外科の分野で有名な医師だったと知り、驚きました」 A氏はもともと防衛医科大学校病院の形成外科医として勤務後、都内に美容皮膚科クリニックを開業。重症のニキビに対する光線力学療法で話題を呼び、ニキビ治療に関する著書も出版するなど、業界内では有名な存在だった。 だが、その得意分野においてもこんな過去があった。防衛医大病院の形成外科医時代の1998年に、あざの治療をめぐって医療事故訴訟を起こされていたのである。原告であるフリーライターの井上静氏によれば、裁判では「十分な説明がなされないまま手術をした診療契約上の債務不履行にあたる」として、勤務する防衛医大=国に、500万円の賠償命令が下された。井上氏はこういう。「私は背中の手術だったため、命に影響はなかったが、巨泉さんは違う。形成外科医ががん患者の在宅医療に携わっているとは思いもよりませんでした」 今回の背景には、高齢化が進むなかで注目を集める「在宅医療」の構造的問題があると、この分野のパイオニアとして知られる長尾クリニックの長尾和宏院長がいう。「多くの医師が在宅医療に続々参入していますが、終末期医療や在宅緩和ケアに関する教育体制が追いついていません。皮膚科や眼科など緩和医療の研鑽を積んでいない医師が、末期がんの在宅患者を診ている場合もあるのが実情です」 A氏が経営する診療所に取材すると、「(巨泉さんのことも裁判のことも)何も答えられない」というのみだった。 終末期における治療には、慎重な対応が求められる。関連記事■ 水原希子 天安門中指写真に「いいね!」で謝罪の背景■ 嵐・二宮と熱愛報道 伊藤綾子アナに松潤ファン激怒の理由■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ SMAP 「香取の乱」で25周年コンサートが絶望的■ 故・大橋巨泉さん 献身の妻が後悔する「在宅がん治療」

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    大橋巨泉さんでも叶わなかった「平穏死」

    ていた『週刊現代』の連載を終了させました。「いつまで生きられるかわからない」と認め、4月に受けた在宅医療の際の、モルヒネの誤投与に対しても指摘をしています。「在宅医からモルヒネをなぜだか大量に渡された」「モルヒネ投与からたった5日で意識が薄れ、歩行もままならぬ身体になったのだから恐ろしいことだ」とも記しているのです。また、安楽死を望むも、看病をしていた弟さんから、「今の日本の法律では安楽死は認められていない」と言われ、「生きている意味がない」とまで書いています。 そして今年の7月12日、入院先の千葉の病院で死去されました。82歳でした。奥様の寿々子さんは、マスコミ宛のFAXで以下のように心境を吐露されています。 先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです 私は、約1000人の患者さんを在宅で看取った医師として、とても複雑な想いで一連の報道を見ていました。モルヒネの誤投与、これは絶対にあってはならない事です。医療用麻薬の取り扱いについては、在宅医によってその技術は一様であるとは残念ながら言えません。今後、多死社会に向けて、国は在宅医療への推進に懸命ですが、そのスピードに質が追い付かず、モルヒネにあまり慣れていない在宅医が存在することも事実だと思います。 もし誤投与が真実であるとすれば、これはあってはならないことですし、真相を究明するべき事態です。医療用に使われるモルヒネは、あくまで痛みを取り除くものであり、少量からさじ加減をしながら適切に使用すれば意識が無くなることも中毒になることもありません。ましてや、死期を早めることもなく、安全で効果的な緩和ケアに欠かせない薬です。安楽死は法律で認められていない 私は常に10人くらいの末期がんの患者さんを、最期まで自宅で診させて頂いていますが、モルヒネ(医療用麻薬)無しでは到底それはできません。ですから、今回の件により在宅医療に対して誤解が生まれることは、今まで若い在宅医を育てるために啓蒙活動をしてきた私にとっては、甚だ不本意、残念で悲しいことです。 そして巨泉さんが言うように、日本では安楽死は法律で認められていません。しかし、尊厳死や平穏死は叶います。安楽死の定義、尊厳死の定義は、「広辞苑」にはそれぞれこう書かれています。 【安楽死】⇒助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること。 【尊厳死】⇒一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、あるいは迎えさせること。近代医学の延命技術などが、死に臨む人の人間性を無視しがちであることへの反省として、認識されるようになった。 さらに、辞書「新明解」ではここまで具体的に説明があります。会場隣に設置された人気番組「クイズダービー」のセットに座る女優、竹下景子=9月5日午後、東京都港区(納冨康撮影) 【尊厳死】⇒人間として、自分の意志で死を迎えること。現在の医療技術では回復が不可能で死を迎えるしかないがんの末期などの場合、延命のための治療行為を断り、自らの意志で死を迎えようとする考え。リビングウィル(の結果)。 また、こういう捉え方もできます。日本の尊厳死=自然死=平穏死/日本の尊厳死=欧米では当たり前のことなので該当する言葉は無い/日本の安楽死=欧米の尊厳死/欧米の安楽死=日本では、殺人罪。 私は、約12万人の会員が加入されている一般財団法人・日本尊厳死協会の副理事を拝命しています。そして「平穏死」と名のつく本をたくさん書いてきました。「尊厳死」を市民に身近に感じてもらうべく、ほぼ同じ定義なのですが二つの言葉を使っています。尊厳死(平穏死)を望むには、リビングウィルが不可欠です。 リビングウィルとは、終末期医療への意思を、伝えられない状態になる前にあらかじめ書面で明らかにしておくこと。自己決定を表した文書です。普段から家族に話してあるから大丈夫、とはならないのです。必ず文書で残すこと。こうすることで、ご家族も「私を人殺しにさせないで」という想いに囚われなくても済むのです。 巨泉さんは最期の最期まで、自らの闘病に対し冷静な分析を行い、その都度ベストな選択肢を選びながら、世の中に多くのテーマを投げかけられました。実にお見事な最期だったと思います。医師として私も、多くの宿題を頂いたような気がしています。 大橋巨泉さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。ながお・かずひろ 長尾クリニック院長。1958年香川県出身。1984年に東京医科大学卒業、大阪大学第二内科入局。阪神大震災をきっかけに、兵庫県尼崎市で長尾クリニック開業。現在クリニックでは計7人の医師が365日24時間態勢で外来診療と在宅医療に取り組んでいる。趣味はゴルフと音楽。著書は「長尾先生、「近藤誠理論」のどこが間違っているのですか?」(ブックマン社)、「『平穏死』10の条件」(同)、「抗がん剤10の『やめどき』」(同)。

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    大橋巨泉氏の薬の誤投与 特殊なケースではない

    た。11年間にわたるがん闘病生活を送ってきた巨泉氏は、亡くなる約3か月前に千葉県内の自宅に戻り、在宅医療を受けた。 しかし、在宅医は背中の痛みを訴えた巨泉氏に大量のモルヒネを投与。意識障害を起こすなどした巨泉氏は退院してわずか6日後に再入院し、そのまま帰らぬ人となった。大橋巨泉さんが司会を務めたTBS系「世界まるごとHOWマッチ」の収録風景。左はアシスタントの西村知江子さん=東京・渋谷ビデオスタジオ(1988年5月28日)〈一つ愚痴をお許し頂ければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです〉 妻の寿々子さんが死後、発表した手記の一文だ。巨泉氏の在宅医は「元々は皮膚科の専門医」だったことが明らかになっている。巨泉氏のケースが特殊ではないと話すのは、埼玉県在住の霧島文子さん(仮名・60)である。「長く認知症を患っていた母は1年ほど前から寝たきりが続き、褥瘡(じょくそう=床ずれ)に悩まされていました。在宅医に相談すると、軟膏を塗ってガーゼを貼って“これで大丈夫”と言うだけ。でも、日が経つにつれて患部は広がり、とうとうお尻一面がただれたように真っ赤になってしまいました。 近くの大学病院で診断を受けたところ、患部の皮下組織が壊死している。“切開手術が必要です”と言われたのです。すぐに在宅医に伝えると、“私の専門は泌尿器科ですから!”と逆ギレされました」 他にも在宅医療を選択した家族に話を聞くと、「夜中に往診を頼んだ時、酒に酔って家に現われた」(60代・男性)「80代の父が夜中に“胸が痛い”と訴えたので、在宅医に往診を頼んだら不機嫌そうな顔でやって来て、鎮痛剤を飲ませて3分で帰ってしまった」(50代・女性) などの証言を得た。関連記事■ 大橋巨泉氏 終活の日々と叶わなかった「金婚式の夢」■ 大橋巨泉氏のモルヒネ投与医師はニキビ治療専門家だった■ 故・大橋巨泉さん 献身の妻が後悔する「在宅がん治療」■ がん難民コーディネーターと在宅医療従事医師による対談集■ 金子哲雄氏の妻 遺作に「臨終の瞬間」書き足すべきか悩んだ

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    それでも娘に受けさせますか? 子宮頸がんワクチンが「危険」な理由

    患者の支援活動を行っている。CFS/MEは厚労省が定める難病のリストにないため、研究は進んでないし、医療費の助成や生活支援も無い。医師からも「心因反応」とか「詐病」だとみなされることが多い難病だ。 2011年にHPVワクチン接種後に日常生活が困難となった女子中高生のことを知り、HPVワクチン接種後の症状とCFS/MEの症状との共通性、そして患者達の社会状況の類似性に驚いた。 私はHPVワクチンについては慎重の立場だ。被害者を診療してないので、形式的には当事者ではないが、全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会とは昨年から連絡を取り合っている。私が今日までかかわってきた経験を基礎として、HPVワクチン問題の創造的な解決に役立つ“種”となるような言説を展開したい。会見で全身の痛みや記憶障害などの深刻な症状を涙で話す被害者の谷口結衣さん (中央)=3月30日、東京都港区(早坂洋祐撮影)「HPVワクチン接種後症候群」の症状 「HPVワクチン接種後症候群」という呼称は私が独自に使用している。症候群とは症状と医師の診察による徴候の組み合わせとの意味である。これらは以下のような多彩な症状の組み合わせで特徴づけられる。1. 運動系障害: 姿勢保持・起立・歩行障害、不随意運動、痙攣、筋力低下、運動後の疲労回復の遅延2. 感覚系障害: 頭痛、四肢・関節などの疼痛、光・音・嗅覚過敏、激しい生理痛3. 自律神経・内分泌系障害: 過敏性腸症候群、体温調節障害、発汗異常、睡眠障害、生理不順、ナルコレプシー、起座位での低血圧や頻脈4. 認知・情動系障害:無気力、だるさ、幻視、幻聴、妄想、暴言、記憶障害、学習障害、集中力低下、肉親の顔をみても認知できない テレビの映像でよく取り上げられる手足が勝手に動くという不随意運動・痙攣は症状の一つに過ぎなく、どの患者にも必ず出現するのではないことは強調されねばならない(ワクチンによる被害を軽視する一部の医師は、不随意運動・痙攣だけを取り上げて、昔からそんな症状を呈する未成年はしばしばいると見当違いのことを言っている)。 上記の諸症状の多くが、接種後すぐに一度に現れるのではなく、長い経過の間に出現したり消えたりする。慢性的な極度の疲労や歩行障害が出現したら、通学不能となる。痛みや脱力を我慢して通学はしても、学習が困難なケースが少なくない。読者にはこのような多彩な症状が自らにふりかかったら、生活がどうなるかを想像して欲しいと願う。車いす生活を余儀なくされている女子中高生が何人も存在する事実の重みを考えていただきたい。 患者を実際に診療した医師達は最初の患者をみて、このような症状の組み合わせは「みたことがない」と驚き、似たような症状の患者が幾人も外来に来て、HPVワクチン接種が共通項であることに気づいた。患者を何人も診療した医師達は互いに連絡を取り合い、共同で研究し、診断基準を作成したが、未だにそれは仮説段階である。「HPVワクチン接種後症候群」が新たな疾患だと示唆される理由 ちなみに、HPVワクチン接種後症候群とCFS/MEとの相違点は、後者では「不随意運動、痙攣、幻視、幻聴、妄想、暴言」等がほとんどみられないこと。被害者会に登録している女子中高生の中には真のCFS/ME患者が一人以上「紛れ込んで」いると推察されるが、そのことは問題とするに足らないことは常識的に考えて自明であろう。 この項の最後に、名古屋市による計7万人のHPVワクチン接種・非接種者についての調査報告に触れないわけにはいかない。名古屋市は様々な症状の一つ一つについて「だけ」比較したため、当然のことながら明確な結果は出なかった。HPVワクチン接種後症候群というくくりで、複数の症状を組み合わせての比較(当然、組み合わせは何種類も必要)をしなかった理由は不明だ。症状の組み合わせでの比較検討は厚労省の研究班による調査報告に期待する。 新たな「疾患」だと示唆される理由 新たな疾患として世界レベルの医学界で認知される条件としてあげられるのは、症状の新規性はもちろん、時間と空間の広がりの二点で未知の疾患が発生していると考えないと説明がつかないこと。原因の判明も客観的な検査による診断が可能なことも、新たな疾患と認定される必須条件ではない(例えば、CFS/MEは原因不明で、しかも検査による診断は不可能であるが疾患として認知されている)。1. 空間の観点 米国、イギリス、アイルランド、デンマーク、フランス、ドイツ、オーストラリア、インド、コロンビア等の諸国において、HPVワクチン接種後症候群が多数報告されており、日本と同様に多かれ少なかれ社会問題化している。医師組織が接種中止を求めたり、被害者・家族が裁判に訴えたりしている事実はネットで検索したら枚挙にいとまがない。一部の医師は「日本だけで社会問題化」しているように主張しているが、根拠を欠いている。2. 時間の観点 HPVワクチンを接種した生来健康な女子達の一部が、多彩な症状で日常生活が困難になっている事実が第一に重大(一部の医師は、出来事の時系列関係は因果関係を証明しないと当然のことを言い、被害者団体を揶揄しているが、言うまでなくそんなことは被害者も父母も理解している)。このような症状の発現が他のワクチンでも極めて稀にはあったと考えられるが、社会問題化することはほとんどなかったという事実も重大だ。 決定的なことは、厚労省が積極的な接種推奨を中止した2013年6月以降は接種が激減し、それ以後に接種してから発症した患者の被害者会へ登録は二人しかいないこと。HPVワクチン接種後症候群を診療している医師達は「新たな患者さんは(ほとんど、あるいは全く)来てない」と証言している。 思い起こしていただきたい事実がある。チェルノブイリ原発事故後に、小児甲状腺癌が激増したとき、放射線による増加ではないと一部の医師は主張したものの、その後に発病が経時的に減少したために、主張の誤りが明らかとなったことを。 一部の医師は、「そのような症状の患者はもともと存在しており、減じてない」との根拠無き仮説を未だに維持し、「HPVワクチン接種が激減したから、HPVワクチンが原因とは疑わないので、HPVワクチン接種後症候群をみている医師のところにはいかないだけだ。被害者連絡会に登録などしないのだ」と主張するかも知れないが、事実による根拠を提示できるとは思えない。 これら二点の重要性は、医学的知識がない一般の方々にも自明だと思う。接種後に症状が長期化した女子の数接種後に症状が長期化した女子の数 ワクチン接種後、日常生活に支障がでるほどの副作用が数か月続く頻度が、何万人に一人なら、あなた、あるいは、あなたの娘への接種を容認するであろうか。50~100万人に一人なら、大多数の人はリスクを許容すると思う。5~10万に一人なら、少なからずの人々は接種を控えるのではあるまいか。5~10万に一人がそうなってしまうようなワクチンを厚生労働省が医薬品として認可するとは考えられないのではなかろうか。 約338万人が接種(延べでない)した。もしも5万人に一人ならば、68人くらいしか深刻で長期にわたる健康被害は発生してないこととなる。その程度の発病者数であれば、被害者会が発足するような事態にはなるまい。  厚労省が昨年公開した報告書より引用。未回復の186人の生活状況は、入院した期間あり87人、日常生活に介助を要した期間あり63人、通学・通勤に支障を生じた期間あり135人 この186人という数値は、あくまでも医療機関が副反応疑いとして自発的に報告した2584例のうち、どうなったか判明した1739例についてのもの。186人の全員が長期にわたり日常生活に支障をきたしたわけではない。「期間」ありという表現が「今はそうではない」ということを必ずしも意味するわけでもない。 被害者会に登録されている患者は約550人。登録者の全員が「日常生活に支障がでるほどの副作用が数か月ないし今日まで継続している」わけではないことは言うまでもない。被害者会の550人中の3分の1、すなわち183人が「長期にわたり日常生活に支障をきたした(ている)」と仮定し、厚労省調査で未回復の186人という数値を参考に推定しみよう。 「二万人に一人」との推定頻度になるのだ。338÷2=169。183・186を少なめに169とするならば。「二万人に一人」という推定頻度は、娘への接種を控えさせるに十分に高いのではないのだろうか。提訴のため車椅子で大阪地裁に入る原告=7月27日、大阪市北区の大阪地裁中枢神経系の機能異常 多彩な症状の多くは中枢神経系の機能異常そのものであるが、客観的な検査による機能異常に関連する生理的異常の裏付けはまだまだ不足している。私が注目したのは、2015年5月、日本神経学会における信州大病院の医師による報告。症状を説明できる脳の特定部位において、頭部MRIでは異常はないが、血流ないしブドウ糖取り込みの異常が認められたとのこと。 ちなみに、同大学の池田修一教授はマウスでの実験結果の途中経過をマスコミに公開した。脳内炎症の存在を「示唆」するという控えめの結論であったが、その手法について一部の医師は「ねつ造」との行き過ぎた表現をし、それどころか教授の人格も攻撃した。中枢神経系の機能異常は厳然たる事実であり、そのことに疑問を呈する医師は私の知る限りいない。 池田教授は中枢神経系の機能異常についての仮説を検証するためにマウスで実験しただけのことであり、同教授の手法に一定の限界があるのは医学研究の経験がある医師には自明のこと。研究手法の限界を理由に、中枢神経系の機能異常の存在自体を否定することは原理的に不可能なことを念のために強調しておく。予防・慎重の原則と医師の倫理予防・慎重の原則と医師の倫理 医薬品は人の生命・生活を左右する。医薬品による健康被害をゼロにすることはできないが、最小限にするための適正な手続きは必須であり、諸国において法令により厳密に定められている。健康被害が発生した後に、完全に回復させる治療法が無い限りは予防するという大原則だ。 もう一つは「疑わしきは使用を認めない」という慎重の原則。HPVワクチン接種後症候群に関して言えば、地球上の諸国において同様の症状を呈する女子が高頻度に発生しており社会問題化している。HPVワクチンが原因か否かの判定にはまだまだ年余にわたる研究が必要であることは言うまでもない。 一部の医師はワクチンの安全性は「確立」されていると信じて、厚労省は積極的な推奨を再開すべしと主張しているが、安全性の根拠は何であろうか。事実上は、ワクチン製造会社がほとんどの資金を提供した臨床治験だけなのだ。莫大な資金提供を受けた医師であっても、不都合な結果がでないように研究をデザインしたり、結果を可能な限り捻じ曲げないだろうと、一般市民の大多数は信じないのではないだろうか。製薬会社による医学研究者の事実上の買収による結果ねつ造事件は数多い。だから、HPVワクチンもそうに「違いない」とまでは言わないのであるが。画像はイメージです 医師の倫理についても触れないわけにはいかない。様々な理由や動機(製薬会社からお金をもらっているとか、そうではなくて、論文を読んだから安全性と有効性を信じたからでもよい)により、医師がHPVワクチンの推進再開を強く提唱するだけならまだしも理解できる。しかしながら、一部の医師は被害者会の方々を医師倫理に違反する疑いのある言葉で非難している。 例えば、私の元友人である上昌広医師。彼は特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長で、2010年に私がCFS/ME患者についての支援をお願いしたとき、直ちに患者会代表と面会し、絶大な支援をしてくださった。HPVワクチン接種後症候群とCFS/MEの症状が類似しており、社会的状況もほとんど同一なのに、どうしたものか上氏はHPVワクチン接種後症候群については最初からその重大性を軽視している。HPVワクチン推進言動では非常によく知られているが、なんと上氏は「16歳の高校生を利用した『社会運動』、そろそろやめたらどうだろう」とツイッターで言明した。 患者と家族の怒りを買ったことは言うまでもない。同じく元友人の医師、久住英二氏(医療法人社団鉄医会理事長)も被害者会の活動を「醜悪」と表現して、轟轟たる非難を浴びた。両人とも患者と被害者団体による批判など馬耳東風で今日に至るまで、相変わらず「患者の診療をすることなく」、「医学研究の結果に対しては、独自の研究で反証を試みることもなく」、ほとんどネット上だけで同じ主張を繰り返している。 正直のところ、元友人の実名をあげて批判することは心苦しいのであるが、彼らは実名をさらして言論を展開しているからには、覚悟の上なのであろう。匿名でHPV推進を声高に提唱し、池田教授や被害者団体の誹謗中傷を継続して実行している一部の医師については言及するに値しないので直接には触れないが、彼・彼女らも元友人の両人と同様に患者を実際に診療しての「根拠」を何一つ示していない。問題解決のために最も重要なこと問題解決のために最も重要なこと HPVワクチン接種後症候群に関しては、まだまだ不明の点が数多いことでは推進派も反対・慎重派も一致していると思える。両派が対立することは、必要なことだった考えるが、私は両派の人々に問題解決のための協業を模索しようと呼びかける(この提唱は、ワクチン製造会社のエージェントとして活動している医師は対象外)。 協業実現の必要条件の一つは、推進派が自らの決定的な欠陥を自覚することだ。患者をみることなくネット空間や非医学雑誌で声高に主張しても、医学専門誌や学会において有力な証拠を提示できない限りは、無力であり続けることを。反対・慎重派の医師達はHPVワクチンについての医学論文を読んだ上で、現実の患者を診療して危険性がわかったので警鐘を鳴らしている。これに対して、推進派は外国の他人が執筆した論文だけが主張の根拠。この決定的な非対称性が解消しない限りは、両派の協業などできないであろう。 推進派の医師達は被害者会と真摯な対話を始めるべきだ。これまでのような言動を無反省に継続すると、いつの日か医療界での信用を決定的に失うことになろう。 問題解決のための協業における、具体的な諸目標の中で最も重要と考えられることを一つだけ挙げる。 本人・家族のアレルギー体質、白血球型(HLA)、人種とか様々なファクターと、HPVワクチン接種後症候群の発病頻度との関連性を明らかにすること。そのためには、338万人の既接種女子について、50万人くらいは調査する必要があろう。既に健康を害している被害者とその家族の全員については特に詳細な調査が必要であろう。なお、調査のための資金は、国庫支出金プラス製薬会社の拠出金によってまかなわれることになろう。 調査のデザインは精緻かつ偏らない態様であらねばならない。名古屋市の調査はテザインに決定的な欠陥があったため、意味のある結果を出せなかった。そのようなことを防止するためには、調査・研究デザインの作成には、ワクチン専門家たけでなく、推進派と反対・慎重派双方の医師を加えるべきではあるまいか。 調査・研究の結果、個人のリスク評価が可能となれば、厚労省として「これこれに該当する方には推奨しない」と明確なガイドラインを作成できる。個々のリスクを数値化して、合計点により定量的なリスク評価をする手法も確立できるかも知れない。 リスクが高いと判定された女子は受けないであろうが、そのことにより死亡リスクが高まることがないように、実際に必要な検診を受ける確率を高めるための、実効的なシステムの構築も必要であろう。 そもそも、接種したとしても、子宮頸がんの原因ウイルスは幾種類もあり、ワクチンの攻撃対象ウイルスはそのごく一部。接種したことで安心して、検診をしないことによりかえって死亡率が高まる危険もあるから、検診体制を先進国並みに整備することは是非ともなされねばならない。 リスクを評価する手法が確立することにより、実際の被害者の実数は大きく減じることであろう。被害者の実数が著明に減じることは、ワクチン製造企業にとっての利益であることも言うまでもない。リスク評価手法の確立は、女子中高生にとって必須なことであり、ワクチン製造企業、推進派、反対・慎重派、厚労省の四者ともそれに賛成し、四者は協業できるのではなかろうか。医師としての倫理を踏み外したように見える元友人の医師二人へ元友人の医師二人へ HPVワクチン推進派の代表格とみなされる二人の医師、上昌広氏と久住英二氏には、2008年以来、個人的に絶大な恩義がある(2008年、私は厚生労働大臣を被告として、リハビリ棄民政策の差し止めを求めて二件の行政訴訟を開始。真っ先に支援を開始してくれたのは両人だった)。HPVワクチン問題への姿勢が異なるために、両氏は私をツイッターでブロックする形で、私との人間関係を断った。『女性セブン』の2016年4月14日号において、私は上氏の言動を「医師としての倫理」の観点から非難した。 彼らは「現場からの医療改革推進」を実践してきた。両氏が苦境に陥った患者達(CFS/MEという難病患者だけでない)を救うために絶大な努力を重ねてきたことを、私は深く知っている。現場・現実を直視して問題を同定し、解決するための方策を試みるという両人のかつての姿勢と、HPVワクチン接種後の患者をみることなくして被害者会(の人々)を揶揄・誹謗・中傷するような言動とは明らかに矛盾している。彼らがどのような経緯で道を踏み外したのか、幾通りもの説明が考えられるが、それは言わない。 私が昨年6月に被害者のある方とコンタクトを取った時に、(被害者会から憎まれている)上・久住両医師とは昔からの知り合いだと正直に言ったため、「スパイ」の疑いをもたれてしまった。誤解が解けてからは、被害者会の方々と情報・意見交換を重ねてきている。私には上氏らと被害者会とを仲介する用意がある。このような立ち位置にある医者は私以外にそんなにいないはずだ。 両氏に呼びかける。まずは、これまでの医師倫理に反する言動について、被害者会の人達に真摯に謝罪すること。謝罪が受け入れられたら、現実の患者さんをみさせて下さいとお願いすること。HPVワクチンの「有効性」と「安全性」を示唆する百の医学論文よりも、現実世界で苦境に陥っている数人の女子中高生をしっかりとみる方が大切ではなかろうか。 HPVワクチンの被害者達が7月27日に集団訴訟に踏み切った。上氏も久住氏も私が「勝てる見込みがほぼゼロの裁判」を起こした時は絶大なる応援をしてくれた。然るに、久住氏はHPVワクチン被害者は裁判で勝てるはずがないと公言し、被害者会の事務局長を執拗にツイッターで揶揄している。上氏と久住氏が本来の「現場主義」の姿勢に戻ることを願って、本稿の終わりとする。 善とは人と人とを結び付けること、悪とは人と人とを離反させること(トルストイ)

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    計り知れぬ潜在被害者 暴かれた子宮頸がんワクチン禍の真相 

    問題も見えてきました。推進派と慎重派の間には、ワクチンに対する評価、それを支える公衆衛生観、あるべき医療リテラシー、などに大きな超え難い壁があるかもしれません。 しかし、こと子宮頸がんワクチンについては、「いらないものを入れて被害を発生、拡大。副作用を原因不明の病気、心因性のものとして接種との因果関係をかたくなに否定する」国の姿勢への漠然とした不信感は共有できるのではないでしょうか。身を挺した少女たちの訴えに対してマスコミももっと真摯に耳をかたむけるべきでしょう。 今回の提訴を契機に、被害の実相や関係者の果たした役割が明らかになることを隠したい個人や機関(組織)、それを擁護する学識者等を中心に、ワクチンの有効性のことさらの強調、国際平準化を根拠とした根拠のない因果関係の否定論や無過失補償の提言などが散見します。本来導入すべきでないものを導入した責任を回避するだけでなく、被害者の権利回復と国の誤った制度設計責任を問う国民の権利に対する侵害であり大きな問題と言わざるを得ません。実態が不透明なワクチン被害被害の実態が不透明 子宮頸がんワクチンは、接種後の過剰な免疫応答により、神経障害(中枢神経系症状、抹消神経症状)をおこしています。①感覚系障害(頭痛、関節痛、筋肉痛、視覚障害、痺れ等)、②運動系障害(不随意運動、脱力、筋力低下、歩行運動失調、けいれん)、③認知・情動系障害(学習障害、記憶障害、見当識障害、睡眠障害)、④自律神経・内分泌系障害(発熱、月経異常、過呼吸)などを発生させているとされます。 今回の提訴者の中には重篤な副作用である、ギランバレー症候群、複合性局所疼痛症候群(CRPS)、多発性硬化症(MS)、全身性エリテマトーデス、体位性頻拍症候群(POTS)などの自己免疫性疾患や脱随性疾患など難病の診断を受けている人もいるようです。「第15回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、平成 27年度第 4 回薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会」(合同開催:2015 年9月17日)で、厚労省は「子宮頸がんワクチン副反応報告」を提出しました。 この中で、これまで副反応報告で集積した2584人を副反応疑い例とした上で、発症日・転帰が確認できたものが1739人、うち未回復者を186人と発表していますが、この数はあまりにも少ないとの批判があります。今なお重篤な副作用のために治療中の被害者が調査の報告中に入っていなかったり、調査自体が国や自治体ではなくメーカーのMR(医薬情報担当者)が主導していたこと、救済窓口となるべき自治体の中には救済制度はおろか、この問題についての大きな情報格差があることなどから、もの言えぬ被害者が多く存在することが予想され、国の把握している被害者数は氷山の一角に過ぎないと思われます。 全国子宮頸がん被害者連絡会に寄せられた被害者登録では①被害者は全国におよぶこと(とりわけ首都圏に多い)、②接種年齢は13歳をピークに12、14、15歳が大半を占めること、③20代~45歳までの接種者もいることなどが報告されています。初交以後の接種も含め、このワクチンの有効性についての正確な情報提供がされないままに接種が推進されていたことがわかります。2016年3月の提訴会見以後、被害者登録数は530件余になったとされていますが、潜在的な被害者数は計り知れません。認められない副作用被害 2016年8月3日の子宮頸がんワクチンに関するPMDAの報告では、ADEMやギランバレー症候群(GBS)など添付文書にも副作用として書かれている症状についてもたった1件しか認められていません。また、市販後、2016年6月30日までに決定(判断)された件数は129件ですが、うち28例が不支給、救済されたのは101例とされています。救済申請自体が多くの書類や医師の診断書等の労多いものですが、重篤な副作用にあい、ようやく申請までこぎつけても否認が大多数というのが実態です。大半は医療費と医療手当のみの支給に留まり、被害救済に資するものとなっていません。そもそも、申請自体にたどりつけない被害者が大半です。 子宮頸がんワクチンは定期接種前の被害者が大半を占めます。ですから定期接種以外の PMDA での審査も詳しく公表される必要があります。公表されることで、同じような症状に悩むより多くの全国の被害者が被害に気が付くことが必要です。入院レベルでないものも救済するとしていますが、入院できずにさまざまな不調を訴えたり、学校に通えなくなっている多くの子どもがいます。接種から数年たち、患者記録の保存もむずかしくなってきています。症状が改善している例もありますが、症状によってはこうした救済の土俵にすら上がれない人も多くいます。医学的な原因解明の困難にどう立ち向かうか 筆者が相談を受けた中には、3年近くたってからうつ病となったという方もいます。精神科を含む病院を受診し、学業を中断され、実家への帰郷を余儀なくされた本人の苦しみ。家族の心労や、経済的負担も驚くほどです。しかし、当初から、ワクチンの副作用とは全く気付かれませんでした。気づいたとしても申請すらできないし、「どうしたらよいかわからない」という状態です。この方に限らず、遅延性のものがあり、状態も好悪を繰り返す被害者も多くいるようです。 こうした中、医療者、研究者の間では、個別の症状を分断してとらえたり既存疾患にあてはめたりしないで、ワクチンによる過剰な免疫反応が引き起こす疾患群として、HPVワクチン関連神経免疫異常症候群(HPV vaccine-associated neuroimmunopathic syndorome)と呼ぶことも提唱されています。検査では異常はでない、治療法が確立していないものについて、丁寧な分析をし、救済への足がかりを提供するものといえます。 これに対して、国の審議会の座長はHANSは病名ではないとして、殊更無視をしています。心因性のものとして認知行動療法をすすめる国と、多くの症例をていねいに分析して被害救済を訴える研究者、どちらが医療者として適格か、良心があるかは明白でしょう。国が因果関係は治療に無意味との見解を重用し、因果関係を否定し、責任を認めることをあくまでも拒否するのであれば訴訟以外に取るべき道はありません。医学的原因解明の困難にどう立ち向かうか 子宮頸がんワクチンの副作用の医学的な原因は未だ解明されていません。子宮頸がんワクチンは遺伝子組み換え技術で作成されたウイルス様粒子(VLP)にアジュバントと外来DNAなど自然免疫を活性化する数種の成分が含まれているとされています。どの成分が激烈な免疫応答を示すかは科学的に解明されていません。よく、海外では副作用被害は発生していないとか、日本ほど発生していないなどと言われますが、海外でも副作用は大きな問題となっており、報告のトップは神経系関連障害とされています。自己免疫疾患や神経障害が多数報告されています。日本でも海外でも医学的な原因究明の努力がされていますが、未だ、原因は明らかになっていません。 子宮頸がんワクチンに限らず、ワクチンにより自然免疫の強力な活性化や炎症反応により、神経障害の臨床症状が発生することは、その原因物質がアルミニュームや水銀(チメロサール)に由来するのではないかと指摘されてきました。原因がわからない中で、どう法的救済につなげるのか。因果関係が認められなければ、当然損害論までたどり着けない日本の司法制度の中で、過去の4大裁判でいかに原告が勝訴することができたのか。白木4原則が果たした役割を紹介します。 予防接種禍4大裁判で原告側証人として活躍され、水俣病、スモンでも原告側の証人として証言された、白木博次博士は著作(藤原書店 冒される日本人の脳より「 」内引用)の中でこう述べられています。白木博次博士は、優れた臨床神経病理学者ですが、化学物質とそれよる被害の因果関係の立証は極めて困難とし、終始、厳密細心に自然科学の手続きを踏みながら、同時にそのなかで、(物)の局面での「客観性」に固執して魂の訴え(自覚症状など)を軽視する科学の手法の本質的な限界に警鐘を鳴らしながら、今日の科学技術文明は、自然には存在しない人工化学物質の多用による速効性の追求と、反面、そのマイナスの副作用の顕在化を特色とするとしています。 ワクチン禍の医学的解明は、ほとんど不可能に近いとし、ワクチン禍の総論または原則論を組み立てるのに参考になる医学関係のわが国の文献は全くないに等しいということで、自分で考えられたのです。白木博士の因果関係の立証のための白木4原則は、①ワクチン接種と予防接種事故とが、時間的、空間的に密接していること、②他に原因となるべきものが考えられないこと、③副反応とその後遺症(折れ曲がり)が原則として質量的に強烈であること、④事故発生のメカニズムが、実験・病理・臨床などの観点からみて、科学的・学問的に実証性や妥当性があること、の4つを組み合わせて、その蓋然性の高低の視点から、ワクチン禍の有無を考えることを提唱しました。 そして、現にある被害は動物実験のように条件づけできないので、あるがままの状態を受け取る経験科学ととらえ、4つの原則論の組み合わせによって蓋然性が60%以上の確率によりワクチン禍の存在を肯定すべきとし、これが全国の裁判所に受け入れられたのでした。(その後の因果関係判定のためのルンバール事件[注3]も同様のロジックである[注2])。白木博士の卓越した点は、東京裁判以外の全患者を診察、CT、MRI、PET、脳波などの特殊検査を加味し、主として母親と近親者の聞き取り調査も行い、死亡した患者の剖検所見も参考として、その実態について総合的に把握することを怠たらずにされたことです。もう一度問い直す子宮頸がんワクチンの危険性 その上で、因果関係の立証は、動物実験のように条件づけできないので、あるがままの状態を受け取る経験科学として、4つの原則論の組み合わせによって蓋然性が60%以上の確率によりワクチン禍の存在を肯定させたことです。こうした化学物質による被害の因果関係の立証については、経験医学、社会医学の観点から解決されるべきだと提唱されています。 予防接種問題についての白木博士はいくつか「遺言」を残されています。まず、白木博士は、ワクチンがどう改良されても絶対になくならないと断言しています。「ワクチンを製造・管理する人が自らいわれているように、ワクチンは所詮「毒をもって毒を制する必要悪」であって、「たとえ防御抗原のみの純粋な製剤が開発されたとしても、それ自体は抗原であるから、アレルギー反応による神経系の傷害を惹起する可能性を避けられないであろう。(中略)。正と負の効果(アレルギー反応とワクチン禍)とは常に表裏一体をなしている。特に神経障害のように、少数であっても犠牲者が出てしまうことを、今後いかにワクチンを改良しようとも避けて通ることができないのは、理論上または経験上からも明白である。またもし副作用を避けるために本来の毒性を薄めてしまうなら、その防御効果は全く期待できないことになる。しかも神経細胞は容易に失われやすい事実に加えて、失われた神経細胞は二度と再生されることはなく、後遺症として永久かつ不可逆性に残ってしまうという厳然たる事実がそこにある。これが神経組織が他の臓器や組織と違う最大の特徴をなしている」 「①弱毒化したワクチンが強毒化する点についての症例は述べなかったが、これはワクチン自体の問題か、それとも接種を受ける個体側の問題か、それは大きな学問的な問題として未解決。いずれ実現するであろう遺伝子組み換えワクチンによる安全性について、特に大きな問題になるであろう。遺伝子組み換えの基礎的な部分が完全にわかっていないのではないだろうか。②ワクチン禍には第1から第4アレルギー型まであり、それぞれ相互の移行型もあり免疫学の領域から見ても未知の部分が数多く残っている。また、遅延型アレルギーの重大な問題が残っている。4原則目は、医学のうちの特に免疫学のうちで、未知の領域が数多く残っている。今後のワクチンの改良、強制接種の廃止、その他によって、将来の問題としてクローズアップされるのは、国賠がそのまま適用できなくなるというのは思い過ごしか。(中略)どのようにワクチンが改良され、被害者の数は減ってこようと、ワクチン禍がなくなってしまうことは考えられないとすれば、今後のワクチン禍訴訟は、どのような総論・原則論に基づき、国の責任論はどのようなものになるのかの問題を今からでも真剣にかんがえておかなければならない」。白木博士が、1998年12月に危惧されていた問題提起は、子宮頸がんワクチン問題の発生を見据えていたかのような重みがあります。もう一度問い直す、子宮頸がんワクチンの必要性 長年予防接種問題に取り組む中で、シンプルな結論にたどり着きつつあります。それは、「ワクチンの安全性や有効性に優先するものは当該ワクチンの必要性についての徹底した検証」です。一言でいえば、「やらなくてよいワクチンで、利益より被害が多いものはやるべきではない」ということです。現在、0才までに13回(2016年10月からはB型肝炎ワクチンも導入されるために16回)のワクチン接種が定期接種とされています。勢い、複数ワクチンの同時接種が勧められ、同時接種後の死亡例も発生しています。効果に疑問のあるインフルエンザワクチンも1994年の改正時には30万本まで減少したものが、5500万本を超える生産高となっています。 2000年代に入り、一方で、被害者救済が強調されることは、より多くの感染症による被害を予防すべきワクチン行政をゆがめるという指摘のもと、ワクチンで予防できる病気という原語が、ワクチンで防げるものは防ぎたい(防ぐべき)という標語のもとに、Vaccine Preventable Desease(VPD)という考え方が台頭し、予防接種推進の巻き返しを図る医師会とワクチンの世界戦略が跋扈するなか、2012年5月23日の厚生科学審議会予防接種部会の「予防接種制度の見直しについて(第二次提言)[注4]以降、厚労省も基本政策としてVPDの考えを採ることを明確に打ち出しています。しかし、いまこそ、ワクチンがあるから接種すべきというのではなく、本当にそのワクチンが必要であるのかどうかという原点に返って考え直さなければならない時期にきていると思います。子宮頸がんワクチン問題はそのことを警告していると言っても過言ではありません。 接種再開論者は、「日本だけがワクチンを接種しないことで将来子宮頸がんで死亡する不利益がある」と言います。しかし、当初から、ワクチン接種だけでは原因ウイルスであるHPVの感染を防ぐことはできず、検診の重要性が強調されていました。ワクチンの有効性については添付文書ですら、断定していません。がん予防効果は証明されていない上、前がん病変の予防効果も限定的、継続感染におけ効果持続期間すら不明です。以下は拙著[注1]からの引用です。厚労省は予防接種行政を見直すべき HPVというのは、大体100種類くらいあって、皮膚と粘膜に、ほとんど常在的にいるウイルスです。そのうちの15種類くらいが、ハイリスクグループと言われ子宮頸がんと関係があります。ワクチンが効くのはわずか2種のウイルスです。HPVは100種類くらいあり、子宮頸がんと関わるハイリスクHPVといわれるのは15種類です。日本人の場合、子宮頸がんで見つかる16型、18型の頻度は併せて58.8%。認可されているワクチンは16型、18型が対象のもの(サーバリックスでハイリスクの方はガーダシルの同様)ですが、日本人でそれ以外に多いのが52型、58型、33型があります。このワクチンでは16型、18型以外のハイリスクHPVの感染は、予防できないのです。 しかも、ウイルスを取り込んでも、自然のメカニズムでウイルスの存在がなくなり、持続感染になるのはごく一部で、さらにその一部、HPV感染を起こしたものの0.15%だけしかがんにならないのです。HPVというのは皮膚常在のウイルスで、ウイルス単独で存在しても、そこで増殖することはできません。細胞の中に入り込んで、その中で細胞の機能も利用しながら増殖するのです。 たとえば、HIV(エイズウイルス)はリンパ球の中で増え、B型肝炎ウイルスは肝細胞の中に入って、そこで増殖するという特徴があります。HPVは、子宮頸部の粘膜の上皮細胞の中に入り込んで、そこで生き続けていくわけです。他のワクチン療法と違って難しいのは、ワクチンを使うことによって、HPVの感染を防ぐことはできますが、がんそのものを防ぐことはできないのです。 HPVに感染することにより、その後、細胞の異形成をつくり、それらががん化し、さらに進行して浸潤がんになるということであれば、この最初のHPVの感染をワクチンで防ごうという考え方が出てきたわけです。しかし感染してからがん化して浸潤がんに変化するまでには、数年から十数年という時間がかかります。非常にゆっくり進んでいくので、現在の検診のシステムで充分この変化を捉えていくことは可能です。そうしたことを考えて、ワクチンの必要性も考えていくべきでしょう。 うつらない病気、他に安全で有効かつ経済合理性ある対策があることを情報提供し、副作用被害防止のために必要な政策へシフトすることが必要ですが、子宮頸がんワクチンはまさに、WHOが推奨しているとか、世界では日本のような被害はない、最近では、ワクチン接種をやめたままでいると将来的に日本は、子宮頸がん対策で世界の遅れをとるなどの意見があり、被害者を詐病や思春期の一過性の症状扱いしたり、提訴を「不幸なこと」などと揶揄したりする主張がされています。しかし、実際にはがん予防効果は限定的であり、「がん予防ワクチン」というネーミング自体おかしいこと、世界的にも深刻な副作用被害が多発していることなどが明らかになっているのです。厚労省は予防接種行政を根本的に見直すべき 全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会や自治体議員や教員、市民の支援者による取り組み、民間の研究者による治療や原因究明への努力は、国の救済に向けた動きを促してきたものの、国は未だに被害と接種との間の因果関係を認めず、相談体制や協力医療機関の設置など、小手先の対応に終始してきました。厚労省の検討部会は2014年、ワクチン後の症状について「心身の反応によるもの」との検討結果をまとめる一方、健康被害を訴える患者を診る協力医療機関を整備し、研究班を作って治療法の開発などを急いでいるとされていますが、その対応は被害者の救済支援とは程遠いものです。 2016年7月22日、厚労省の「ヒトパピロマーウイルス感染症の予防接種後に生じた症状の診療に係る研修会」で出された「当面の対応」は、2015年9月17日の審議会での結論を敷衍したものでした。被害者の声を無視できない厚労省は、頑なに因果関係を認めない一方で、2015年9月17日に、副反応を検討する審議会の合同開催の委員であり、疾病・傷害認定審査会感染症・予防接種審査分科会(分科会長五十嵐隆、稲松孝思、岡部信彦、多屋馨子(敬称略))連名で、「ワクチン接種後に生じた症状に関する今後の救済に対する意見」(以下、有志の意見書)をだしました。ここでの結論は、因果関係は認めないまま、ある程度の救済は行うという中途半端なものでした。 その内容は、①患者とのていねいな個別交渉で対応する、②入院以外にも医療費、医療手当を払う(接種を受けた時期が定期接種化(2013年4月)の前か後かで救済範囲に差があるのを改善し、定期接種化前では入院相当しか出なかった医療費と医療手当(月額 34,000~36,000円)を、定期接種化後と同じように通院でも出す)、③患者の治療のために患者からの研究への協力を得やすくする仕組みを検討する(因果関係が否定された場合でも、治療が必要な人には研究に協力してもらうとの名目で支援金を出す)、④協力医療機関が全都道府県に整備されたが、患者に適切な治療ができるよう、更に診療の質の充実を図る、⑤患者の学習支援や教育現場との連携等、患者の生活を支えるための相談体制を拡充する、というものでした。利益相反体制の下で適正な議論がなされるか 翌9月18日から疾病・障害認定審査会感染症・予防接種分科会(認定部会)ではHPVワクチンの審査が始められました。しかし、申請自体が多くない中、しかも定期接種前の接種が大半であることから、もともと被害者を絞っておこなう審査制度は真の被害者の救済のための審査とは程遠いものといえます。2016年7月22日の、「研修会」では、「診療の質を高める」「被害者で診療調査協力者には支援金を出す」「事業接種時のPMDA法では救済されない入院相当でない通院についても医療費・医療手当の範囲とする予算事業措置をする」と確認されました。目新しいところでは、「臨床的観点からの研究に加え、疫学的観点からの研究を実施する」というものですが、現在の被害者のためにどれだけ役立つ研究がされるのか疑問です。 この「研修会」は、「回復例」の報告研修会と称し、国の協力指定病院のうちの4例を医療機関の医師(ペインクリニック等)が回復例として紹介しましたが、痛み感覚障害や脱力、意識消失発作、記憶力低下、頭痛、耳鳴り、まぶしさ、立ちくらみなど、それぞれ患者の接種歴や主訴、初診時の様子や経緯を説明し、医療者が患者に親切に冷静に対応すること、普通の生活をさせること、慢性疾患となった副作用被害に病名をつけることは意味がないこと、ワクチンとの因果関係を追及することは痛みに対するネガティブな思考となり症状を悪化させること、原因のわからない痛みは多くあることなどを患者に説明している等と報告されました。 牛田班[注2]が提唱していたように、認知行動療法(慢性疼痛の原因治療と慢性痛と心理社会的要因の相互作用から物事の受け取り方や考え方である「認知」に働きかけて物事のとらえ方を改善し、日常生活でできることを増やし、痛みがあっても安心してできることをする、因果関係や病名を特定することは意味がないなど、決して因果関係を認めようとしない国の立場に添うため、ワクチンとの関係を棚上げしたままで対処方法をすすめているように受け止められました。心因性の病気には心因性治療で対応するというものでしょうか。 そもそも、政府の予防接種関連の審議会は、ワクチンの導入から、評価、救済にいたるまで、一貫してワクチン擁護の立場を取っており、その委員構成は利益相反を強く疑わせるものです。子宮頸がんワクチンも最初にワクチンの医学的な評価をするためのファクトシート作成にあたって、グラクソスミス・クライン(GSK) 社員の論文が重用されたり、関係委員がメーカーからの寄付金を受け取っていたことなども明らかにされていますが、このようなことは氷山の一角です。 副反応の検討すべき審議会(厚生科学審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会と予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会の合同開催、以下合同開催)の委員長が、メーカーから多額の寄付金を受け取っていて、合同開催の審議規程により参加できないことも多々あります。しかし実際はその委員の知見が必要として発言を許し、審議会の議論をリードしています。しかも、その委員が最終的な個々の副反応を審査する認定部会の部会長をしているのがこの国の実態です。信頼できる審議会体制とは到底言えないところで、実質的な予防接種行政を決定づける審議会は国の責任回避のためのノウハウを蓄積しているとしか思えません。 それ以上に問題なのは、こうした失政が明らかになると審議会内の一部委員が「意見」を出して小手先の救済の対応(ポーズ)をとることです。2015年9月17日の「有志の意見書」はその典型例です。国としては訴訟回避しながら被害者の声にこたえるための苦肉の策かもしれませんが、責任をあいまいにする姿勢は許されるものではありません。訴訟ではどこまでこうした意思決定が問われるのか、注視していきたいと思います。無過失補償制度は被害者保護になるのか 4大裁判やMMR裁判を経て、1994年に予防接種禍4大訴訟の敗訴をうけた国は、予防接種法を改正しました。予防接種は集団社会防衛から個人の健康を守るため個別接種となり、接種は基本的に義務ではなくなりました。どのようなワクチンも基本的には、接種を受ける側が選択できることが保障されたわけです。しかし、その後の制度設計そのものが、経済成長戦略の観点から、ワクチンの増加による市場規模の急速な拡大と、り患するリスクの少ない疾病についても、ワクチンで防げるものは防ぐVPD(Vaccine Preventable Diseases)という考えのもと、国と業界、医師界の太宗、一部マスコミをあげての接種推進政策が続けられている点に根本的な問題があります。 ネット等で被害者へのバッシングともうけとれる論調に、「国際的にはHPVワクチンの有用性・安全性は確立されています」との前提のもとに、「因果関係がないことは国際的にも明らか」とか、「米国疾病予防管理センター(CDC)や欧州医薬品庁(EMA)もHPVワクチンの安全声明を出し、『これまでの科学的検討から、HPVワクチンが複合性局所疼痛症候群(CRPS)や起立性調節障害(POTS)を引き起こすことを支持する知見はない』と断言している」とし、(被害者の副作用を)「日本で年間約3000人の命を奪う子宮頚がんの脅威と比べて、ゼロではないとしても如何に小さい『副反応』であるかはあきらか」としたうえで、(私の目的は提訴に踏み切った)「彼女たちを『科学的ではない』と批判することにはありません。彼女たちは『HPVワクチン接種後に、それぞれの後遺症を受けた』被害者です。科学的方法とは、A→Bの順番に起こったことをそのまま『因果関係』と認めることではありません。適切な証拠、明確な結論、証拠と結論を結ぶ推論過程、並びに事象の再現性。このような条件を揃えて、科学者はある事象を(少なくともその時点での)科学的事実と捉えます」としています。 「(原告となることを決めた『被害者』12人を批判する気はありません。『因果関係』が科学的に認められようと認められなかろうと、彼女たちが『被害』を受けたことは事実であり、それに対して『無過失補償』を行うことは必要だと考えています。最終的に因果関係が明確に否定される(あるいは「被害者」たちが納得する)日が来たら、『無過失補償』ではなく、通常のCRPSやPOTSに対する保険診療のみで対応しても良いでしょうが、まだ原告たちが納得できる社会状況にはないと考えています。)としています。(「 」内2016年4月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会寄稿文より抜粋) 因果関係に関する主張の当否は別として、このほかにも、無過失補償をすべきとの議論があります。訴訟という多大なる時間と費用を考えた場合に、無過失補償という立法的解決は有用な選択肢であることも論を待たないでしょう。現にこれまでの薬害エイズやB型肝炎訴訟、スモンなどの一連の訴訟では敗訴または和解後、国は被害者救済のための特別立法での救済の対応を行っています。 しかし、それも因果関係を認めさせ、訴訟という過酷な手続きを経ての成果です。「因果関係はともかく、被害を受けたから無過失補償でいいじゃないか」という考えは、真の意味での原因究明や責任の所在をあいまいにするものであり、失政やそれに加担した真の原因者の責任をあいまいにし、将来にわたって化学物質等における被害救済にとって組織的過失を繰り返す元凶だということに思いを致す必要があります。なによりも、被害者はなぜ、このようになったのか、その原因を知りたい、そしてもとの状態にもどしてほしいというのは当然の権利というべきものです。 そもそも予防接種法自体が。国が強制(積極的勧奨)をしたことによる損失補償的な観点からつくられた法律ですから、本来は国の無過失責任を保障するものであったはずです。1994年の法改正以後、迅速な救済と情報公開の理念のもとに改正された法律ですが、その改正を跨いで、予防接種法上の救済と国家賠償法による救済が両方とも司法で認められたことが、改正後の予防接種法の解釈に混乱を期待している原因のように思われます。ここでもう一歩、法的救済について考えてみましょう。 日本では、民事上、行政上被害を受けた場合の被害回復の金銭的な填補として、損害賠償と損失補償という制度があります。損害賠償は、民事上、債務不履行や不法行為等の違法な行為によって損害が発生した場合に損害を与えた者が、損害を受けた者に対してその損害を賠償して、損害がなかった状態と同じ状態にすることをいいます。損害賠償で賠償される損害の範囲は、原則として不法行為や債務不履行等の原因事実と相当因果関係に立つ全損害。国が損害を与えた場合は、国家賠償法によるとされます。 これに対して、損失補償とは、適法な公権力の行使によって損なわれた特別の犠牲による財産的補償をいいます。一般的な法律の定めはありませんが、憲法第29条第1項は、「財産権は、これを侵してはならない」と定め、同条第3項では、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」と定め、損失補償の根拠とされています。米国の制度は優れているのか 予防接種禍の法的救済としては、第1に,1976年,予防接種法が改正され予防接種健康被害救済制度(以下,被害救済制度)が作られているので,それによる給付を求める(予防接種法の救済)、第2に,国が行っている予防接種制度によって被害を受けたとして,国家賠償法に基づき裁判に訴えて損害賠償を求める、第3に,一方で,被害救済制度は不十分であり,他方で,損害賠償請求訴訟では過失の立証その他,被害者に重い負担があるとして,損失補償の理論による救済を求めることができるとされてきました。 被害救済制度による給付請求では予防接種と後遺症との因果関係が,国家賠償法による損害賠償では過失の有無および後遺症との因果関係が問題となりました。この場合の過失とは何か,そしてそれぞれの手続で争われた因果関係はどのような内容のものかが論点とされました。1986年に福島県で提訴された訴訟(筆者も傍聴)では、1996年に不支給処分取り消しとして、第1の請求が認められました。また、2001年,東京地裁は,本件接種に過失があり,それによって原告は損害を被ったとして因果関係も肯定し、第2についても原告勝訴の判決を出しました。 その後、第1が認められると自動的に第2も認められることから、被害者救済に厚い反面、国が認めない方向に固執し、逆に被害者救済を阻害することになったいう見解も出され、「疑わしきものは認定」ということで、国の因果関係を肯定する姿勢を躊躇させ、逆に被害者救済逆に阻害する可能性が出てきたとの見解もだされています。第3の請求のロジックは今のところ日本の高裁レベルでは否定されていますが、米国はこれに近い考え方取っており、低額ではあっても無過失補償を得るか、弁護士を立て徹底的に損害賠償を争うかの二者択一をさせるという制度を取っています。米国の制度は優れているのか 米国では、1970年代から80年代にかけて,予防接種による被害者がワクチン製造業者や予防接種を実施した医師を被告として訴える訴訟が増加しました。予防接種を推進した州政府や連邦政府を訴えなかったのは,アメリカでは伝統的な主権免責法理の下で国家責任を問うことが難しいこと,主権免責を放棄した州についても予防接種自体が効果的な公衆衛生の施策だと評価されている限り,そこに過失を伴う不法行為があるという立証は不可能に近いと考えられたからだとされています。 そこで,アメリカでは,当時製造物責任一般について判例法による無過失責任(厳格責任)等の救済が拡大していたことから、ワクチン製造業者に対する製造物責任訴訟が主要な被害者救済手段となりました。1980年から1986年までの間に,予防接種被害に関する製造物責任訴訟の請求額は総額で35億ドルにも上り,賠償責任を恐れて,製薬会社でワクチン製造から手を引くものが増加したとされています。 アメリカの場合には,社会の個人主義的傾向にもかかわらず,強制という要素を伴わせて1988年に救済制度が連邦政府の下で作られました。しかも,アメリカの場合,その救済を選択すると損害賠償請求の訴権を失う形(補償としての被害救済制度と損害賠償請求訴訟が択一的で,どちらかを選択しなければならない)になっているのです。その代わり,被害救済制度では過失を立証する必要がなく,予防接種によって被害を受けたことだけを立証すれば救済が与えられるとされています。 アメリカの弁護士には,予防接種によって被害を受けた人に相談をされた場合,この救済制度が存在することを知らせる義務が課されており,不法行為訴訟に訴える前に救済制度への請求をしなければならない形になっているそうです。しかしながら、米国の救済制度がうまくいっているわけではなさそうです。 無過失補償と言っても、① 軽微な損害を除外するため,損害は少なくとも6か月以上継続し,死亡かまたは入院や手術を必要とする重症の場合に限定した。②救済を請求する期間に一定の出訴期限を設けた。③請求にあたっては,百日ぜきなど限定列挙された一定範囲の感染症に対する予防接種を受けた事実とそれによって被害を受けたことを証明する医療記録を提示することが求められている。④法律には付表(table)が付けられており,そこには予防接種の種類ごとに一定の副反応と接種後発症する通常の期間が明記されている。それに当てはまる請求は付表型として因果関係ありとの推定が働く。しかし,それが当てはまらないケース(非付表型)では,被害者は予防接種によって被害が生じたことの立証責任を負う。⑤請求は裁判所に行う。Court of Federal Claims(連邦請求裁判所)に訴え,補助裁判官(special master)が240日以内に認定を行い,通常はそれに従った決定の形で判断がなされる。上訴も可能であり,その場合,Court of Appeals for the Federal Circuit(連邦巡回区控訴裁判所)への上訴がなされ,最終的には連邦最高裁へも上訴する可能性がある。国の責任追及と訴訟への支援を その実態は、被害者に手厚い保護を与えるための制度だと強調していたにもかかわらず,実際の運用は敵対主義的になっており,容易に因果関係が認められない状況になっている。予防接種と副反応との因果関係が現代の医学では十分にわからないことのリスクを,どちらかといえば被害者に負わせているのである。なお2001年から2005年までの期間で,この救済制度の恩恵を受けた被害者は年平均66件である。(以上、医療と法を考える 法学教室 2007 June № 321 予防接種被害と救済 樋口範雄より抜粋引用)日本のこれから~国の責任追及と訴訟への支援を これまで述べてきたように、子宮頸がんワクチンはいまだに定期接種の対象に入っています。未だに接種を受けている人がいるのです。また、いつ被害が発症するかとの不安な思いを持っている接種をした人に十分な説明責任を果たすためにも、定期接種から外し、政策の誤りを認め公的に謝罪すべきでしょう。まずはここから始めるとしても、被害者のための救済体制の整備もされていません。厚労大臣は超法規的な救済も視野に入れるとの発言をして、予防接種リサーチセンターで、わずかばかりの救済事業を始めましたが、医療費や医療手当の支給の留まり、その手続きも煩雑で被害者を苦しめています。 こうした中で、定期接種からもすでに5年を超えた今、法的裏付けのある公的な救済体制を求めての提訴は当然の権利です。提訴にネガティブな意見がネット上散見されますが、再発防止の観点から、国は真摯に訴えを受け、検証委員会を設置し、第三者機関として導入の経緯から再発防止の観点から、国自らがこれまでの姿勢を問うことがなければなりません。それをしないで、接種再開など許されるはずがないことは言うまでもありません。 最期に、お子さんがインフルエンザワクチンで被害に遭われ、「私憤から公憤へ」の著者であり、4大裁判の被害者をまとめ上げ26年の訴訟を戦い抜かれた吉原賢二さんの言葉を引用させていただきます。少数の被害者は「ひとごと」ではなく、もしかしたら自分にもあたるかもしれない災厄であり、社会の多数者の問題として意識されなけれならないということです。人がそれぞれの知恵とわざをもって造りあげた文明社会で、連帯の精神を忘れたらどうなるでしょう。社会は崩れるほかないと思います。予防接種が社会問題となって約40年、このことを明らかにしてきた私どもの運動はそれなりに意義があったと確信します。(中略)伝染病と人類の闘いは有史以来ですが、ワクチンは万能ではなく、その効果の限界、副反応の状況をよく把握して使わなければなりません。  問われているのは、私たち一人ひとりの医療リテラシーかもしれません。子宮頸がんワクチン禍訴訟を全力で支援していきます。[注1] 新刊ブックレット それでも受けますか?予防接種~知っておきたい副作用と救済のこと(コンシューマネット・ジャパン)[注2] http://www.aichi-med-u.ac.jp/mpcmhlw/H25研究報告.html(代表研究者 牛田享宏  愛知医科大学医学部学際的痛みセンター教授)[注3]ルンバール事件(東大病院ルンバール事件) 1975年10月24日に下された最高裁判決(民集29巻9号1417)。因果関係について、裁判所が因果関係の証明に関して「指導的な判断」を示した判例[注4]厚生労働省「予防接種制度の見直しについて(第二次提言)」(この提言で7つのワクチンの積極的推進の方向が出されたが、特に子宮頸がんワクチンについては委員間で疑問も呈される中、座長の加藤達夫氏が異例の意見書を出していた)

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    子宮頸がんワクチン「脳障害」に根拠なし 誤報の震源は医学部長

    社会学修士。その後、北海道大学医学部卒。WHO(世界保健機関)の新興・再興感染症対策チーム等を経て、医療・科学ものを中心に執筆中。京都大学大学院医学研究科非常勤講師も務める。

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    名古屋市子宮頸がんワクチン副反応調査「事実上撤回」の真相

    社会学修士。その後、北海道大学医学部卒。WHO(世界保健機関)の新興・再興感染症対策チーム等を経て、医療・科学ものを中心に執筆中。京都大学大学院医学研究科非常勤講師も務める。

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    子宮頸がんワクチン研究班捏造問題を報じぬメディアの罪

    上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)「上昌広と福島県浜通り便り」  6月17日、村中璃子氏が『ウェッジ』で衝撃的なレポートを発表した。タイトルは「子宮頸がんワクチン薬害研究班に捏造行為が発覚」だ。 6月23日には、「子宮頸がんワクチン研究班が捏造 厚労省、信州大は調査委設置を 利用される日本の科学報道」という続報が公開された。 村中氏は、これらのレポートで、子宮頸がんワクチンが重大な副作用をもたらすと主張してきた池田修一・信州大学教授(同大副学長、医学部長)らが提示したデータが捏造されたものであったことを示した。 村中氏は、子宮頸がんワクチンがマウスの脳に障害を起こす証拠として提示された写真が「ワクチンを打ったマウスの脳のものではない」こと、および「ワクチンを接種したノックアウトマウスから血清(血液の液体成分)を採取。その血清を別の正常なマウスの脳切片にふりかけて撮った画像」であることを挙げた。 子宮頸がんワクチンが脳障害を起こしたと主張したいなら、血液中に抗体があり、それを実験室で正常脳組織と反応させるだけでは不十分だ。血液と脳の間には血液脳関門と言われるシステムがあり、血液内のたんぱく質の大部分が脳には移行しないからだ。 血中の抗体が脳に移行し、実際に脳組織を破壊していることを示さねばならない。実は、池田氏は、マウスを解剖し、この点も分析していた。おそらく、結果は問題なかったのだろう。この結果は村中氏に追及されるまで隠していた。自分に都合のいいデータだけを取り上げ、牽強付会な論理を構築する。池田氏の態度は科学的には不適切であり、「捏造」と言われても仕方がない。 3月16日、池田教授が研究成果を発表したとき、マスコミは大々的に取り上げた。例えば、TBSは看板番組の「NEWS23」で「子宮頸がんワクチン副反応『脳に障害』国研究班発表」、共同通信は「脳の症状、免疫関与かー子宮頸がんワクチン研究班」と報じている。 3月16日の段階で、各紙が池田教授の発表を、そのまま報じたことは仕方がない。信州大の副学長を務める人物が、厚労省の研究班の班長として発表したのを、「捏造かもしれない」と考える記者はいないだろう。 では、ウェッジのレポートを各紙はどう扱っただろうか。重要なのは、池田氏の発表が不適切であったことが判明したあとのマスコミの対応だ。残念ながら、ウェッジのレポートが発表されてから一週間の6月24日現在、テレビ・新聞はどこも報じていない。 知人の医療を専門とする全国紙の記者に聞いたところ、「社内で揉めている。このことを書きたい記者がいるが、被害者サイドにたつ記者が書かせないようにしている」と言われた。 被害者の救済と、子宮頸がんワクチンの安全性の議論は別物だ。こんなことをしていると、ワクチンを使うことで、予防できるかもしれない子宮頸がんをみすみす見逃すことになる。 どんなワクチンでも副作用はある。メリットとデメリットを天秤にかけねばならない。ワクチン接種は社会全体で考える問題だ。そのためには、正確な情報が国民に伝わらなければならない。これはメディアの仕事だ。今回のような対応は、自らその責任を放棄したことになる。マスコミの自殺と言っていい。 記者が主義・主張をもつことは大いに結構だが、都合の悪いニュースを無視してはならない。短期的に国民を騙せても、やがて信頼を失う。子宮頸がんワクチン問題に関して、マスコミ関係者の奮起を期待したい。