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    加熱式タバコの「人体実験場」ニッポン

    従来の紙巻きタバコから加熱式タバコに切り替える喫煙者が増えている。「紙巻きに比べ害が少なく安全」との認識の広がりが理由の一つのようだが、これを覆す一冊の書籍が注目されている。医学博士、田淵貴大氏の著書『新型タバコの本当のリスク』だ。加熱式の安全神話を徹底論破する衝撃の「事実」とは。

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    医学博士の直言「加熱式タバコなら安全」なんてもう言わせない

    田淵貴大(医師・医学博士)(内外出版社『新型タバコの本当のリスク』より) 日本全国のコンビニエンスストアには、タバコ会社が作った加熱式タバコの広告看板が立ち並び、加熱式タバコのパンフレットがあふれている。 ご存知だろうか、これが、世界の中で、日本だけで起きている現象だということを。2014年に日本とイタリアの一部の都市限定で加熱式タバコ、アイコス(IQOS)の販売が開始され、2016年に世界で初めて日本が全国的にアイコスを販売している国となった。 そして、2016年10月時点で日本がアイコスの世界シェアの96%を占めた。ほとんど全てのアイコスは、ここ日本で使われている。すなわち、日本が新しいタバコ、新型タバコ、加熱式タバコの実験場になっているのだ。 加熱式タバコに関する情報は、タバコ会社が提供するものしか出回っていない。そのため、多くの人はタバコ会社の言うことをそのままに受け止めてしまっている。実は、タバコ会社は意図的に、加熱式タバコには害がないと誤解させるようなプロモーション活動を行っている。 それで、多くの人がまじめな顔で、「加熱式タバコにはほとんど害がないんですよね?」とか「加熱式タバコなら子どもの前で吸っても安全ですよね?」などと筆者に質問を寄せてくる。あまりにも多くの人が誤解させられている事態に筆者はショックを受けた。 これまでの加熱式タバコに関する情報のほとんどは、タバコ産業が発表したものだ。「このタバコの新製品は、今までのタバコ製品と違ってクリーンで害が少ない」と。このタバコ会社からのメッセージは、決して目新しいものではない。タバコ会社は、これまでもずっとタバコを少し改変しては、同じメッセージを繰り返し発表してきた。過去には、タールの少ないタバコが発売された。人々はタールの少ないタバコのほうが安全だと信じたが、タールの少ないタバコも従来のタバコと害は変わらなかったのだ。「glo」の記者説明会で発表するブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンのロベルタ・パラツェッティ社長=2017年5月30日午後、東京都千代田区 現在のところ、アイコスやプルーム・テック(PloomTECH)といった加熱式タバコ製品が今までのタバコ製品よりも害が少ないという証拠はない。それどころか、加熱式タバコから出る有害物質など加熱式タバコの有害性に関して科学的に吟味された学術論文が次々に発表されてきているのだ。徐々に、加熱式タバコについて判断を下すための資料、科学的根拠、疫学データ等の情報が集まってきている。社会は成熟してきている。 筆者の子ども時代や社会人になったばかりの頃の社会と比べて、現在の日本社会はルールや規範がより整い、成熟してきていると感じている。他人のタバコの煙を吸わされることによる健康被害の問題、すなわち受動喫煙の問題についても社会は一歩一歩改善してきている。 子どもの頃に乗った新幹線の自由席は、タバコの煙が充満していて、煙たく、喉がイガイガして気持ち悪くなり、目も痛くなり、つらかった記憶がある。今でも一部、喫煙車両が運行されているが、禁煙の車両を選べば、タバコの煙に悩まされることは格段に少なくなった。まだまだ受動喫煙の対策は不十分だという声があちこちから聞こえてきそうだが、2018年には改正健康増進法が可決され、日本社会も受動喫煙を防止する社会へと確実に舵(かじ)をきっているのである。新型タバコのウソ そんな中で、日本では新型タバコ問題が突如として現れた。タバコ問題に取り組んできていた我々が一切関知しない状態で、新型タバコである加熱式タバコのプルームおよびアイコスが日本で発売されたのである。単にタバコ会社は、新しいタバコの銘柄の発売を開始するのと同じように、いつも通りに財務省に加熱式タバコの発売を申請し、承認されただけなのだ。 しかしその時点では、その加熱式タバコは世界中のどの国でもまだ発売されていない、紙巻タバコとはかなり違ったタイプのタバコであり、おそらく誰にもそれを簡単に許可すべきか否か判断はつかないはずのものであった。それでも日本では簡単に発売が開始されている。 発売の承認にあたり、何らかの議論があったという話さえ聞こえてこなかった。おそらく今までにも販売されたことのある電子式のタバコ製品の一種ということで、簡単に認可されたのだろう。今までの電子式のタバコ製品と同様に、たいして売れない、と考えられたのかもしれない。 ところが、今回の新型タバコはブレークした。これには財務省も驚いたことだろう。加熱式タバコではたばこ税の計算方法もうまくバランスがとられていなかった。売れるとなると税収の面で大きな違いが出てくる。すぐに税制は変更され、加熱式タバコという新しいカテゴリーが作られた。 成熟してきていた日本社会にあって、突如として出てきた新型タバコ、タバコ会社も加熱式タバコがブレークするとは予想していなかったかもしれない。それは加熱式タバコのブレーク当初、しばらく品薄状態が続いたことからもわかる。 新しい未知の問題に対して、我々はどのように取り組むべきなのか?誰も予想していなかった事態である。 この日本での事態を受けて、加熱式タバコを禁止した国もある。しかし、日本は世界で初めて加熱式タバコの販売を許可した国であり、今更すぐに禁止とはできない。加熱式タバコ(電子タバコ)。左からグロー(glo)、アイコス(IQOS)、プルーム・テック(Ploom TECH)=2018年6月8日、東京(早坂洋祐撮影) 個人としても、社会としても、国としても、新型タバコと向き合わなければならない。もうすでに新型タバコは日本で社会に浸透しつつあるのだ。新型タバコにはメリットもデメリットもありそうだ。新型タバコ問題に限らず、世の中の問題のほとんどは、あるかないかのゼロイチではなく、程度の問題である。新型タバコに対してどのように対応するべきなのか、情報も経験も、議論も足りない。 現在、世の中に出回っている新型タバコに関する情報は、タバコ会社の息がかかったものばかりだ。テレビ、新聞、雑誌、コンビニやタバコ店の看板、ありとあらゆるメディアで宣伝、広告、販売促進活動が積極的に展開されている。タバコ会社は、あたかも病気になるリスクが低いかのように伝わる広告メッセージを意図的に広めている。そのため、多くの人は、新型タバコにはほとんど害がないと誤解しているようだ。 まずは、それは誤解だと伝えておきたい。たぶち・たかひろ 医師・医学博士。大阪国際がんセンターがん対策センター疫学統計部副部長。昭和51年、岡山県生まれ。岡山大医学部卒。血液内科臨床医を経て、大阪大学大学院で医学博士取得。専門は公衆衛生学・疫学。平成29年、後藤喜代子・ポールブルダリ科学賞受賞。現在、主にタバコ対策および健康格差の研究に従事。

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    アメトーーク!から始まった加熱式タバコの「人体実験」

    田淵貴大(医師・医学博士)(内外出版社『新型タバコの本当のリスク』より) 皆さんは新型タバコにどのくらい関心を持っているだろうか? 人々が何にどの程度関心を持っているのかを知るための1つの指標としてグーグル(Google)検索ボリュームというものがある。現在の日本では約90%の人がインターネットにアクセスすることができ、そのうちの約60%の人がグーグル検索を使用している。 グーグル社が無料で提供しているグーグル・トレンド(GoogleTrends)というサービスを利用すれば、世界中の人々がグーグル検索でどんなキーワードをどれだけ、いつからいつの間に検索したのか時系列でグーグル検索ボリュームのデータを得ることができる。 グーグル検索ボリュームは指定した条件下(キーワード、期間、国などの地域)において最も多い検索数を100として計算される数値である。例えば、「サッカー」というキーワードを入力し、「過去5年間」という期間、「日本」という地域を指定すると、図表1-5のようなグラフが得られる。 日本で2018年6月24日~30日の1週間において「サッカー」の検索数が最も多く、検索ボリュームの数値が100であった。2014年6月と2018年6月に高いスパイクが認められ、ちょうどサッカーのワールドカップが開催された時期と一致しているとわかる。図表1-5 Google Trendsによる検索例 サッカーワールドカップが開催されると人々のサッカーへの関心が高まり、「サッカー」というキーワードを普段よりも多くグーグル検索で検索しているのである。このようにグーグル・トレンドのデータは、世界の、あるいは日本の人々がどんなキーワードに関心を示しているのかを知るための指標にできる。 日本国内でどれだけ「アイコス(IQOS)」や「グロー(glo)」といった単語が検索されていたのか筆者が調べたグーグル・トレンドの結果を示す。日本での2013~2017年における検索数(検索ボリューム)の推移を示したのが図表1-6である。図表1-6 Google Trends:新型タバコの検索ボリュームの推移 ここでは日本語と英語など複数のキーワードを統合した数値としている。例えば、アイコスは日本語の「アイコス」と英語の「IQOS」を合算している。2016年4月にアイコスの検索数が爆発的に増加していた。その時、何があったのだろうか? なんと、2016年4月28日に放送された人気テレビ番組「アメトーーク!」で「最新!芸人タバコ事情」と題して加熱式タバコ、アイコスが紹介されていたのである。「アメトーーク!」は午後11時過ぎからの放送だが、非常に人気のある番組で視聴率も高い。これまでにも「アメトーーク!」で紹介された電化製品などの新製品がちまたで売り切れになるなどの事象が起きていた。アメトーーク!の裏事情? 「アメトーーク!」で人気芸人たちが自分たちがなぜアイコスを使うようになったのか?どんなふうにアイコスを使っているのか?アイコスや喫煙にまつわるエピソードが面白おかしく伝えられたのだ。 筆者も「アメトーーク!」が好きで、いつも必ず録画して見ていたため、この出来事にもすぐに気付いた。そしてその回の「アメトーーク!」の放送により日本でのアイコスへの関心が高められた事実を調査し、論文にまとめ出版したのである。 今回の知見は、テレビといったメディアが人々に与える影響は非常に大きいことをあらためて認識させられる出来事であった。2016年4月を境にして、アイコスの検索数が激的に増え、4月以降も他の新型タバコ製品と比べて検索数は高く維持されたままだ。 実は、番組内で新型タバコの中でもアイコスだけが取り上げられた。アイコスはちょうど番組が放送される直前の2016年4月18日に、12都道府県限定販売から全国47都道府県での販売へと拡大されたばかりというタイミングだった(番組の収録はそれ以前に行われている)。 2016年4月時点ではグローは販売されておらず、プルーム・テックも全国展開されていなかったため、単純に最もよく知られていたアイコスだけが取り上げられたのかもしれない(図表17)。 その回の「アメトーーク!」でアイコスが紹介された背景には何らかの事情があったのだろうか?図表1-7 加熱式タバコの販売年表 それは筆者にはわからない。電話で問い合わせた番組の関係者によるとタバコ会社からの資金提供はないとのことであった。 どれだけの日本人が新型タバコを使っているのだろうか?2015~2018年にかけて日本在住の15~69歳の男女を対象としてインターネット調査を実施した。楽天リサーチ(現・楽天インサイト株式会社)という調査会社に登録された日本全国の約250万人の中から、アンケート調査の回答者がランダムに選択され、インターネット経由で調査票が回答者に届けられた。 2015年1~2月に実施された最初の調査では、日本全国の15~69歳(2015年1月時点)の男女の回答者数が約9000人に達した段階で調査を終了した。回答者約9000人のうち、回答に矛盾や不正があると考えられた者のデータを除外し、有効回答者8240人についてデータ分析を実施した。2016年以降も毎年、同じ回答者に対して繰り返しアンケート調査が実施された。日本は「実験場」 調査では、新型タバコを含めタバコの使用実態を知るため、それぞれのタバコ製品について次のように質問した。「あなたは、直近30日以内に、それぞれのタバコ製品を吸ったり、使ったりしましたか?」 選択肢は「使わなかった(吸わなかった)」もしくは「使った(吸った)」の2択である。一般にタバコの使用状況が調査される場合には、30日以内に使用したことをもって「現在使用」と定義し、30日以上止やめていることをもって「タバコを止めた(禁煙した、あるいは過去喫煙)」と定義されることが多い。 結果をみてみよう。2015~2017年にかけて、加熱式タバコを30日以内に使用(現在使用)している人の割合は、アイコスでは2015年に0・3%であったのが、2017年には3・6%に増えていた(図表1-8)。 実にこの2年間で10倍以上に増えたわけだ。プルーム・テックや電子タバコの使用者も徐々に増えてきているが、これらの新型タバコ製品と比べると、アイコスだけが突出して増加していた。図表1-8 成人日本人の新型タバコ使用率の推移 日本人成人の3・6%もの多くの人がアイコスを使っていたのである。2017年の調査時点での調査対象者の年齢は17~71歳であった。日本の17~71歳の人口約8600万人から換算すると、日本のアイコス使用者はおよそ310万人と推計された。この調査だけで日本全体のアイコスの使用状況を完全に把握できるとは考えないが、この数字は他の調査会社による推定値やタバコ会社が販売実績データから算出した人数とほぼ一致した。日本だけがアイコスの実験場になっている 加熱式タバコ、アイコスは、2014年に日本とイタリアで販売が開始され、2019年には世界の30ヶ国以上で販売されている(図表113)。日本を除く多くの国では、アイコスの販売は一部の都市に限定されている。2016年4月、日本は世界で初めてアイコスが全国的に販売される国となった。2016年の4月から10月にかけて、日本のタバコ市場におけるアイコス専用スティックのシェアは1・6%から4・9%へと急増した(図表1-14)。図表1-14 日本のアイコス用スティックのシェアの推移 英国の調査会社ユーロモニター・インターナショナルによると、全世界での加熱式タバコや電子タバコの市場規模は合計で2016年には120億ドル(約1兆3000億円)に達したという。同データによると、2016年10月時点で、アイコスの販売世界シェアの96%を日本が占めていたのである。すなわち、アイコスはほとんど全て日本人が使用していると言っても過言ではない。アイコスには一体どんな害があるのかが明らかになっていない中、世界で日本だけがアイコスの実験場となったのである。たぶち・たかひろ 医師・医学博士。大阪国際がんセンターがん対策センター疫学統計部副部長。昭和51年、岡山県生まれ。岡山大医学部卒。血液内科臨床医を経て、大阪大学大学院で医学博士取得。専門は公衆衛生学・疫学。平成29年、後藤喜代子・ポールブルダリ科学賞受賞。現在、主にタバコ対策および健康格差の研究に従事。

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    三原じゅん子手記「がん公表、私の思い」

    日本人の死因トップは依然がんである。2人に1人が罹患するとされ、関心が高いだけに著名人の相次ぐ「がん公表」は反響も大きい。こうした中、10年前、報道によってがん公表に至った元女優で参院議員の三原じゅん子氏がiRONNAに手記を寄せた。誰もが当事者になり得るがんだが、著名人の公表にどう向き合うべきか。

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    三原じゅん子手記「著名人のがん公表、私はこう思う」

    はイメージです(GettyImages) 今では放射線療法や科学療法も著しく進化していますし、ゲノム医療や創薬の発展により、がんは治る病気となりつつあります。しかし安易に自己判断や油断はせずに、しっかり検診と体調管理に努めることが大切です。人生100年時代、そして女性活躍時代に向けてまい進していきましょう。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

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    葛藤の末に選んだ「がん公表」に色眼鏡なんていらない

    9年2月、競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを報じる東京・有楽町の街頭テレビ ここ数十年の医療の進歩により、小児がん(0〜14歳)の70〜80%が治るようになったと言われる背景があり、特に10代、20代の若い世代については、小児に準じる形で治療のスケジュールを組み立てる場合があるというのだ。「心のつえ」はどこに AYA世代のがんは情報も少なく、同じ種類のがんを経験した患者同士で繋がり合いたいというニーズもある。同世代でないと分かり合えない生活上の悩みもある。がんを特別視せず、「必要な人が必要な人とつながっていく手段の一つとして『公表』もありだよね」とフラットに考える人が増えれば、著名人であっても、一般人であっても、もっと安心してがんのことを打ち明けられるようになるだろう。 堀ちえみさんが公表した舌がんを含む「口腔(こうくう)・咽頭がん」は、罹患者数が全がんの約2・3%(国立がん研究センター2018年のがん統計予測)にすぎない。希少がんの患者にとっては、術後の「日常」の発信もまた、大事な情報源になる。 3月9日に堀さんが更新したブログでは、舌がんの手術後に食べ物の嚥下(えんげ、飲み込み)の訓練をする模様をこう記している。 人参ゼリーは、つるんとしているので、舌がもたついているうちに、口の中でどこかにいってしまいます。(中略)右奥の残っている舌が、とても健気でね… もたつく新しい舌を、一生懸命に引っ張ってゼリーを追いかけて。そしてゴール(喉元へ)に向かって、シュート!(中略)これから嚥下の練習は毎食ごとにあります。楽しみながら乗り切っていきたいと思います。 堀さんは舌がんの進行度がステージ4であることも公表しているが、人生の真ん中には暮らしがあり、悩みも笑いもあり、進行がんという色メガネが不要であるということが、じかに、ポジティブに伝わってくる。 もちろん、がん患者本人の発信だからといって、あらゆる患者が分かり合えるわけではない。情報の押し付けは、相手への迷惑になることもある。堀ちえみのブログ「hori-day」 私が望ましいと感じるのは、先にがんを経験した人から後に続く人への「心のつえ」となるような情報が、手を伸ばせばあちこちに、ポン、ポンとさりげなく置かれているような社会だ。その情報を取りたい人が取ればいい。 今は、個人が情報を発信しやすく、自分が「心のつえ」を得た経験を「誰か」に届けることができる時代だ。発信する人の有名無名を問わず、実名と匿名のどちらにせよ、「がんを公表する社会」の最大のメリットは、そこにあるのではないか。 だからこそ、問われるべきなのは、がんの当事者の善意により公開された情報を引用したり、転用したりする側の、情報モラルなのだと思う。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

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    「がん公表」患者へのエールを歪める心理バイアス

    れやすいがんではなく、より深刻な病期の「がん」に罹患したケースを想定しています。有名人に群がる「詐欺医療」 昨年8月、代表作『ちびまる子ちゃん』とともに皆に愛されながら、この世を去られた漫画家、さくらももこさんのように、自身のがんを公表することなく、最期まで黙して人生を全うされる生き方もあります。もちろん、当事者の心理や気持ちについては推し量ることができませんので、個々人の公表の是非について意見を述べるつもりはありません。 ひと昔前までは、医者が「がんであることを本人に告げないでほしい」と家族に切望され、患者本人にはがんであることが伏せられたまま、最期まで手術や抗がん剤治療が施されていた時代がありました。しかし、今はインフォームド・コンセント(十分な説明と同意)が当たり前です。 それに、医療者側の営為が医学的コレクトネス(適切性)の追求に終始するあまり、かえって患者との対話が不足し、患者の幸福にそれほど寄与できていない可能性もあります。そのような昨今、がんであることを知った有名人が自ら公表することにより、支持者からのエールで孤独感や精神的苦痛から少しでも解放されたり、前向きに生きるためのモチベーションを保ち続けられる効果は少なくないでしょう。 一方で、有名人のがん公表は、良きにつけあしきにつけ、個人のプライバシーを越え、大きな影響力を与えてしまうこともあります。また、有名人の病気に対するリテラシー(情報判断能力)や、施されている医療レベルも見て取れることもあるはずです。 そうなると「なぜあのような手術を選択してしまったのだろうか」「インチキ免疫療法だと理解して受けているのだろうか」「非常に辛そうな印象だが、緩和ケアはしっかりされているのだろうか」「怪しい食事療法に妄信的過ぎないか」と思い至ることだって十分考えられます。 しかし、そのようなことを言外に示しただけでも、「本人が納得して下した判断だから、外野から言うのはやめるべきだ」「個人の人生に、後からケチをつけるな」などと、負の感情論が引き起こされ、批判を受けることも少なくありません。ゆえに、ある種の医学情報として公にすることの影響力に関して、有名人は自覚的であってもよいと、個人的には思います。 有名人のように経済的な余裕があるからこそ、「隠れた特別な治療があれば、高額な費用を払ってでも頼りたい」気持ちが募ることもあるでしょう。確かに行動経済学から見れば、「上手な秘訣(ひけつ)」を求めてしまう心理バイアス(偏り)について一定の理解を示すこともできます。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ただ、詐欺的医療ビジネスに関わる人たちは、リテラシー欠如というポイントを突いて、有名人に必死で近寄ろうとします。そして、いつしかエセ医学の広告塔の役割を果たす人までも出てしまうわけです。 そのような、いわゆる「がん克服ビジネス」「生き証人ビジネス」に加担している有名人の話には批判的にとらえた方がよさそうです。サプリメント、青汁などの栄養食品や、食事療法、漢方、インチキ免疫療法、高濃度ビタミンC、点滴療法といったものに「がん免疫力」の効能を強調した場合は要注意といえるでしょう。メディアを動かす「世間の性」 改めて、今回のテーマについて考察するとき、常に意識しておくべきことがあります。それは、有名人のようにスポットライトを浴びることもなく、厳粛なリアルを受け入れながら、同じがんと明るく向き合っている患者さんが、社会には数え切れないほど多くいることです。 歌舞伎役者、市川海老蔵さんの妻の小林麻央さんが、自身が乳がんであることを公表されたときのエピソードは記憶に新しいことでしょう。治癒の難しいがんを背負いながらも、愛する夫、子供、家族のために、1日でも長く、自分らしく生きたいと希求する表現の数々がブログに綴られました。それらは、同じ病気と日々向き合っている、多くの患者さんたちにとっても、大きな勇気や希望となっていたのは間違いありません。 しかし、残念な問題も生じました。有名人が病気になると、世間には、より詳細なプライバシーを知りたい欲求にかられる性(さが)があります。それががんであれば、なおさらの話です。メディアの方も、世間の欲求に応えようと、必死で情報を先取りすべく行動します。 麻央さんの場合でも、ブログでのがん公表以来、どこの病院でどのような治療を受けているか報じようと、メディアが躍起になって麻央さんや家族を追いかけ回しました。揚げ句には、生命予後を勘ぐるような記事までも出てくる始末です。 結局のところ、有名人のがんを報道するメディア側の深層に、がんへの偏見や先入観があるようにみえます。こうして、がんは「死をイメージさせる暗くて怖い特別な病気」のように映るわけです。 一方で、お茶の間の視聴者も、ワイドショーで報じられる有名人のセンセーショナルながん公表に、感情だけを面白おかしくかき立てられ、思考が停滞しているのではないでしょうか。そうなれば、がんに関する考えも論理的ではなく、半ば直感的にしか及ばないことも少なくありません。そのような「ヒューリスティック」と呼ばれる心理バイアスに巧みにつけ込むことで、有名人ががんで死去した途端、さまざまなエピソードを上手に利用して「がんは放置するに限る」というエセ思想の流布に成功した人物さえいました。妻の小林麻央さんが乳がんで1年8カ月間闘病していることを公表した歌舞伎俳優の市川海老蔵=2016年6月(蔵賢斗撮影) がんは、生涯において2人に1人が罹患するリスクを抱えている「国民病」の様相を呈しています。裏を返せば、がんがそれだけ身近な出来事であることを意味します。何も、昨今増えている有名人のがん公表を特別扱いするような話ではないのです。 ワイドショーから流れてくる有名人の「物語」に、一時的に感情的になるのはもちろん自由です。でも、自身や家族にがんというリアルが訪れた際、どのようなリテラシーを育み、どのように振る舞えるか、そちらの方が重要ではないでしょうか。皆さんには、一人一人ががんのことを真摯(しんし)に考える契機となれば幸いです。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

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    樹木希林さん、貴重な「遺言講演」の知られざる中身

     昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)の「言葉」を綴った本がベストセラーとなっている。しかし彼女はメディアから言葉を求められても、「それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ」「そんなこと話して私に何の得があるの」と突き放すこともしばしば。そのため講演を引き受けることはほとんどなかったという。 そんななか発表された貴重な記録が、DVDつき書籍『樹木希林 ある日の遺言 食べるのも日常 死ぬのも日常』(小学館)だ。 2016年10月29日、静岡市で開催された「樹木希林の遺言」という約1時間の講演は、旧知のテレビ・プロデューサー、田川一郎氏(80)によって実現したものだ。田川氏が話す。「その内容は、希林さんの人生観や死生観がしっかり語られ、病気になった人を勇気づける素晴らしいものでした。映画館で公開しようと希林さんに相談したのですが、彼女は“映画館ねぇ、そこは監督さんが必死に作った作品を上映する場所でしょう”と。実現には至りませんでした。 ところが、希林さんは逝ってしまった。このまま埋もれさせてしまうのはもったいない。そこで娘の也哉子さんに相談したんです。そしたら“母の話を聴いてみたい、と言ってくださる方がいるのであればいいのかもしれませんね”と言ってもらえました」“向こう側”を想像して 古い留袖を自ら仕立て直した黒い衣装で現われた希林さんは、軽妙なジョークを挟みながら、観衆を独特な世界観に引き込んでいく。身振り手振りを交え、時にステージを歩き回る姿は、まるで独り芝居かのようだ。 希林さんが話し始めたのは、2004年に乳がんが発覚した時のことだった。手術のため、タイのプーケットでの映画の撮影をキャンセルする。ところが滞在するはずだったその日に、多数の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の津波が、彼の地を襲ったのだという。映画「万引き家族」の完成披露試写会舞台あいさつに出席した樹木希林さん=2018年4月(山田俊介撮影)「(手術の前に)そういうものにぶつかってたわけ。だから、いずれにしても人間はスレスレのところで生きてるんだなっていうふうに感じるわけです。 だから逆に乳がんの手術した時に、もう何があっても、御の字。何かそこで吹っ切れたって覚悟が決まったっていうか、そういう時から、その私のがんの生活、始まったんです」 希林さんは「死」について考えるのは決して悲観的なことではないとも語る。「健康な人も一度自分が、向こう側へ行くということを想像してみるといいと思うんですね。そうすると、つまんない欲だとか、金銭欲だとか、名誉欲だとか、いろんな欲がありますよね。そうしたものからね、離れていくんです」驚きのタロット占い 希林さんがお土産やプレゼントを徹底して受け取らず、一度手にしたものは常に最後まで使い切っていたことはよく知られている。「モノを拒否するってことは、逆にエネルギーが要るのね。だけどしていかないとね、もう片付かないの。(中略、モノは)多けりゃいいというもんじゃないのね。私はモノに対して執着を捨てたときに、ただ捨てるんじゃなくて、モノの冥利も考えて、どう活かすかってことを考える」 冥利とは仏教用語で、仏が与える利益、恩恵のこと。人生もモノも「十分に活かしきること」を考えるのが希林流なのだ。驚きのタロット占い 講演が一際盛り上がったのは、希林さんが夫・内田裕也さん(享年79)について語った場面だった。 娘の也哉子さんがイギリスでタロット占いをしてもらった時のことだ。母親の病気、そしてその後に残されるかもしれない父親について心配していると聞くと、占い師はこう答えたという。「『あ、大丈夫ですよ、お父さんはお母さんが死ぬときに首根っこ捕まえて一緒に連れて行きますから。グーッと連れて行きますから』って、そう言ったんですって。私それ聞いてね、それはいいね、それは安心だね、別にタロット占いを信用してるワケじゃないけど、ほっとしちゃったんですよね。それで夫が機嫌の良いときに話したんですよ。そしたら(裕也さんは)真剣な顔をして『お前な、頼むから一人で行ってくれ』って(笑い)」 このときは笑い話だったが、占い師の“予言”通り、内田裕也さんは今年3月、妻の後を追うようにこの世を去った。2人の因縁を感じさせるエピソードだ。 そして希林さんは、夫についてこうも語った。「すごくいいヤツでね、あの夫じゃなかったらば、こんな面白い人生はなかったと思います」 結婚わずか1年半で別居。夫の生き様に苦しめられたこともある。しかしそれでも、希林さんは夫との出会いを徹底して面白がったのだ。紹介したのはDVDの内容のほんの一部。これ以外にも深く頷かされる言葉を数多く聴ける。関連記事■宮沢りえ、安藤サクラ 希林さん告別式での喪服姿■内田裕也さん“内縁妻”と本木夫婦が「お別れ会」巡り衝突■樹木希林さんの金言、「男にも響く言葉」5選■樹木希林さん がん発症から14年、生き抜いた秘密■樹木希林、西城秀樹に魯山人の器とともに送った直筆のお礼状

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    「がん免疫療法」の闇、高額なのに効果不明瞭の実態

    いました。貯蓄はすべてなくなりました」 そう語るのは、免疫療法をはじめとした標準治療外の治療を複数の医療機関で受けたにもかかわらず、卵巣がんが進行した林紀子さん(仮名・60歳)だ。ある病院では、治療を受ける前に「何があっても当院を訴えません」という誓約書にサインさせられたという。林さんは現在、標準治療である抗がん剤治療を受けている。先進医療を外れた治療 「私のところにも、こうした治療に高額の費用を支払うも効果が出ず、セカンドオピニオンを求めに来る患者が多い」と日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授の勝俣範之氏は語る。こうした声は、今回取材した複数のがん専門医からも耳にした。彼らは一様に「もっと早く来てくれていれば抗がん剤も効いたかもしれないと思うとやりきれない気持ちになる」と嘆く。免疫療法に通った患者の中には、「お金が払えなくなった途端に放置され、相談も聞いてもらえなくなった」という人も多いという。  免疫療法は、現段階で効果が認められていないだけで、将来には効果が認められるかもしれない。それを提供して何が悪いのか? そう思う人もいるかもしれない。事実、免疫療法を提供する病院やクリニックのホームページでは、「現段階ではまだ効果が認められていないが、標準治療で治らなかった患者のために」「がん治療をあきらめない」といった表現がよく見られる。 だが、本当に患者のためならば、その治療が将来、科学的に効果が認められることを目指した取り組みを行うべきではないか。例えば、国が定めた一定の条件を備えた医療機関では、新しい試験的な医療技術を、将来の保険適用を視野に入れ、国が承認する「先進医療」という形で提供される。 また、新しい治療法や薬の候補が標準治療として認められ、広く普及することを目指した研究として、臨床研究法に則った適切なモニタリングや監査を経て行われる「臨床研究」という仕組みがある。効果が認められていない治療を提供するのであれば、このような枠組みに沿ってデータを積み上げながら行うべきだろう。 自由診療で免疫療法を提供する某クリニック主催のセミナーで、自由診療ではなく、臨床研究で行うべきではないかと質問をしたところ、「できれば臨床試験でやりたいとは思っているが、必要な資金が足りず実施できない」という答えが返ってきた。 埼玉医科大学国際医療センター婦人科腫瘍科教授の藤原恵一氏は「高額の治療費をとっているのなら、それらを基金として研究を行い、データを積み重ねればいい。それをしないのであれば、効果があることを証明する自信がないと受け取られても仕方がない」と指摘する。 質の高い専門的ながん医療の提供を行う病院として厚生労働省から認可された病院を「がん診療連携拠点病院」(以下、がん拠点病院)というが、「がん拠点病院の中にも、先進医療から外れた形で免疫療法を提供している病院がある」(若尾氏)というから驚きだ。 あるがん拠点病院のホームページ(9月7日現在)を見ると、「新規に活性化自己リンパ球移入療法を希望する患者には、先進医療A(以下、先進A)の取り扱いは終了しており、自由診療の取り扱いで先進Aと同じ療法で治療を行う」という内容の記載(17年2月14日付)がある。厚生労働省の指示により先進Aから(より厳格な対応が求められる)先進Bへの変更手続きを行うことになり、先進Aを新規希望者に提供することができなくなった。そこで、希望者に対し、全く同じ治療を自由診療で提供している。 がん拠点病院を指定する検討会でも、免疫療法の取り扱いは問題視されている。下の表は、今年の1月12日に行われた、「第12回がん診療連携拠点病院等の指定に関する検討会」の議事録からの抜粋だ。(出所)2017年1月12日の第12回がん診療連携拠点病院等の指定に関する検討会・議事録 (注)新規指定を申請した埼玉県(上尾中央総合病院)の提供する免疫療法に対する発言抜粋 上尾中央総合病院(埼玉県上尾市)のホームページで「樹状細胞ワクチン療法を200万円の自費診療で提供」と表示されていることなどから、自由診療として免疫療法を行っている点が問題視され、地域のがん診療を担う病院として推薦されることに疑義が呈された。ネット上の情報の波に飲まれる こうした免疫療法を提供する医療機関、そしてそれを受ける患者が後をたたないのはなぜなのだろうか。卵巣がん体験者の会スマイリー代表の片木美穂氏によれば、「これ以上できる治療法はないと医師に言われた患者が、何か他に方法はないものかとインターネットや口コミなどで手だてを探そうとし、結果的に免疫療法にたどりつく」という。 標準治療外の治療法に計800万円を費やした先述の林さんは「インターネットや書店でがん治療に関する情報を調べると、『抗がん剤は効かない』といったような標準治療を否定する情報がたくさんあり、それを信じてしまった」と当時の心境を語る。 インターネットで、「がん 治療」と打ち込み検索すると、免疫療法に関する情報が大量に出てくる。こうした情報は国立がん研究センターが提供している科学的にエビデンスのあるものから、個人の体験談までさまざまだ。 現在、医療広告に関しては、医療法に基づく医療広告ガイドラインにより掲載ルールが定められている。例えば、客観的事実であることを証明できない広告や、虚偽・誇大な広告などは禁止されている。今年の6月の医療法改正(1年以内に施行)により医療機関のホームページも医療広告に該当することになった。 活用したいのが厚生労働省が8月24日から始めた『医療機関ネットパトロール』だ。医療機関のウェブサイトにうそや大げさな表示がないかどうかを監視し、問題があれば是正を求める。一般の人々も、専用の窓口に通報することができる。 しかし、これまでもルールから逸脱した医療広告についての問い合わせ窓口を各自治体の保健所が担い、問題のある医療機関に指導を行う体制が組まれていたが、実際は、「保健所によっては、対応できる人員にも限りがあり、効果的に機能していなかった」(インターネット医療協議会事務局長の三谷博明氏)。実効的なものになるかどうかは行政がいかに取り締まれるかにかかっている。 根本的には、科学的に効果の認められていない治療法を、先進医療や臨床研究としてデータを積み上げる形でなく自由診療で提供することに対し、何かしらの条件を設けるなどの仕組みが必要ではないか。この点について、厚生労働省医政局総務課保健医療技術調整官の木下栄作氏は、「高度な専門知識を有した医師によって適切な診療が行われることが大前提。国としては、衛生面など最低限度の規制は行うが、診療内容に関して一律に規制を行うようなことは現実的ではない」と語る。その前提が崩れているという認識はないのだろうか。 問題の解決にはまだまだ時間がかかりそうだ。全国がん患者団体連合会理事の桜井なおみ氏は「本来、効果の認められていない治療を受けるときには担当医に相談しセカンドオピニオンを受けることが一番だが、多くの患者が担当医に気をつかい、それをためらう」と、医師と患者との意思疎通の難しさについても指摘する。 「がんを治したい」と願い、さまざまな治療を受ける患者の気持ちは否定できない。しかし残念ながら、短期的には患者自身で自衛することが必要だ。がん治療に関する正しい情報は、国立がん研究センターが運営する「がん情報サービス」を見たり、無料で相談に乗ってもらえるがん相談支援センターも活用できる。免疫療法を本当に将来の患者に役立てたい者だけが提供を続けられるような仕組みにしていかなければならない。

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    食道がん併発の堀ちえみ 夫の前向きな対応で公表決意か

    んになりやすい体質といえます。定期的に検査を受け、とにかく早期発見に努めることが大切です」(内科医で医療ガバナンス研究所の上昌広さん)取材に応じる(左から)松本伊代、堀ちえみ、早見優=2016年10月、東京都内 舌がんのリハビリ中での新たながん発覚は身体的にも大きな負担になるはずだが、堀はあくまで前向きだ。「ご主人が“このタイミングで検査を受けて見つかったのは運がよかった”とポジティブな対応をしてくれたことで、一時期は落ち込んでいた堀さん自身も気持ちを転換できて今回の公表に至ったようです」(前出・堀の知人) 堀は食道がんを公表したブログを《また癌が見つかったけど、それでも自分の身体が愛おしいです。いろいろな病気を経験してきましたが、全て無意味ではないと思っています。頑張ります!》と締めくくっている。 舌がん発覚後も、一時は面会謝絶状態ながらカラオケや義母の病院付き添いなど奇跡的な回復を見せていた堀。今回も家族一丸で乗り越えていく。関連記事■アクセス数断トツ! 堀ちえみ「決意のグラビア」未公開写真■5児の母・堀ちえみ 24年ぶり決意のグラビアで魅せた肢体■堀ちえみ 新恋人と出会うため犬を連れてウロウロしていた■頻繁に渡韓の堀ちえみ レーザー整形と舌がんに関係あるか■堀ちえみが82年組同窓会を希望、明菜への連絡係は小泉今日子

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    池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる

     確かに、患者一人ひとりの気持ちに寄り添って治療を模索することは、大切だと理解しています。とはいえ、医療の非常識や間違った知識を強制されることに対して、私はどうしても寛容になれません。 実際の臨床でも、医療的におかしな処置であっても、患者の価値観を重視し希望に沿えるよう努めますが、「医療的にはおかしい」と患者には明確に伝えています。医療者として、患者の希望に全て寄り添い、対応することが全部正しいわけではないと考えているからです。 また、マスコミが報じる白血病の「完治」という言葉に対して、「自分の白血病は完治してないのに、マスコミが『白血病が完治する』というのはおかしい」という意見も見かけました。つまり、「40~50%が絶対に完治する」と報じることに問題があるというのです。実際、直接対話した患者からも「『完治する』という言葉はおかしい。『運が良ければ完治する』と言わなければ」と指摘されたことがあります。 背景には、発症前の状態に100%回復するイメージを「完治」に抱く患者と、完全寛解状態が5年以上続き、病気再発も命を落とすこともないことを「完治」とする血液内科の定義に隔たりがあるからです。私も血液内科医として「完治」の定義に従っている以上、この指摘は受け入れなければいけません。2018年8月、パンパシフィック選手権の公式練習で、外国選手と談笑する池江璃花子選手(左)=東京辰巳国際水泳場 もちろん家族に対しては、少し厳し目に説明しています。しかし、まだ治療前で、状態もわからない患者に「完治しないかもしれない」という否定的なことを私は伝えたくはありません。患者が治療に前向きになれば、治療成績は向上するからです。 実際、池江選手と同じ18歳で白血病を発症した女優の吉井怜さんも、「一緒に乗り越えよう」という医師の言葉に元気付けられたことを述べています。たとえ確率的にあまり高くなくても、「完治する」という希望を前面に出すことは間違いではないと、医療者として考えています。■ 「窃盗症と拒食の心理」元マラソン女王が陥ったアスリート魂の限界■ 神童から金メダリストへ 萩野公介に見る「天才」の育て方■ 競泳日本を圧勝させた「攻め」から「待ち」への転換コーチング

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    中国「ゲノム編集」ベビーは許されるか

    中国広東省の南方科技大の賀建奎・元副教授がゲノム編集で遺伝子を改変した受精卵を使い、世界で初めて双子の女児を誕生させた。倫理面や安全性への懸念が広がる中、研究者の功名心や利益目的との報道も出て、まさに批判一辺倒である。負の側面ばかりが注目されるゲノム研究。本当に議論の余地もないのか。

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    ゲノム双子「カリスマ研究者」を潰せない中国当局の戸惑い

    富坂聰(ジャーナリスト、拓殖大学海外事情研究所教授) さすがは中国、そんなことまでやっちゃうのか! 第一報に接した日本の読者のほとんどは、そんな感想を抱いたに違いない。 2018年11月26日、世界を駆け巡った「エイズウイルス(HIV)の免疫を持つ双子誕生」のニュースは衝撃だった。中国の研究者で、南方科技大学の賀建奎(が・けんけい)副教授は、生物の細胞が持つ全遺伝情報(ゲノム)の中で、狙った遺伝子を自由自在に改変する「ゲノム編集」技術を使うことで父親のHIVが細胞に入らないようにした双子の女児、ルルとナナを誕生させたと発表した。 ゲノム編集を人間に施すことは、技術的には可能であっても、安全性に加えて倫理の点からも課題は多く、「越えてはならない一線」と広く認識されてきた。その倫理の壁をやすやすと飛び越えてしまった中国の研究者に対して、世界から非難が集中した。 早い段階で、当事者である賀氏にインタビューし、記事を配信したAP通信は、各国の主要な研究者がそろって否定的な見解を示したことを紹介した。日本の反応も同様で、12月4日には「日本ゲノム編集学会」が「倫理規範上も大きな問題で国際的な指針にも違反した行為に強い懸念を表明する」という声明を出した。 こうした反応は、むしろ織り込み済みだったようにも思えるのだが、興味深かったのは、発表当初から中国のメディアまでが否定的なニュアンスで扱ったことだ。 AP通信の記事を受けた『環球時報』などは「中国人による驚愕(きょうがく)の実験に 外国メディアもショック!」(ウェブ版、11月26日付)の記事の中で、世界各国からさまざまな問題が指摘されていることを紹介した。それだけでなく、わざわざ広東省衛生健康委員会と深圳(しんせん)市医学倫理専門家委員会が、それぞれ組織を挙げてこの問題を調査し、後日その結果を公表すると宣した公告を載せたのである。中央政府が賀氏に対する調査を省政府に指示したとされる。中国深圳にある南方科技大=2018年11月(共同) 賀氏の所属する南方科技大も「(研究は)大学外で報告なく行われたことで、倫理と学問的規範に違反している」との声明を発表。中国を代表する科学者122人も連名で賀氏を批判した。当局「戸惑い」のワケ 『環球時報』は、いわゆる「左派系」(日本でいう「右派」)に分類されるメディアで、外国に対する厳しい論調が持ち味の国際情報紙だ。もし、賀氏の研究が誇るべき成果であれば、外国の反応や他の国内メディアの反応がどうであれ、その功績を称揚する論陣を張ったはずだ。賀氏の研究成果は、まさに四面楚歌(そか)という展開になったのである。 あるメディア関係者は「こうした場合、次に考えられるのは賀氏が公表した研究が虚偽であったと発表されることや、何らかのトラブルで彼が逮捕される展開です」と話す。 ニュースが拡散した直後には「実際に誕生した嬰児(えいじ)が公開されていない」といった批判も多く、どの研究者も「もし本当なら…」という断りを入れていたことが印象的であった。また、騒動から約1週間後に報じた香港紙は、賀氏が大学当局から軟禁されているというショッキングな記事を掲載した。世界から脚光を浴びた賀氏の周りに、暗雲が立ち込めるようであった。 本来であれば、中国でお決まりの「消息不明」から「逮捕」という流れに向かっていくことになる。だが、発覚当初、当局はそのつもりではなかったらしい。 「実は、今回の騒動で戸惑っているのは当局の方だったのです。研究者や専門機関からの反応は確かにネガティブなものが目立つのですが、国民の賀氏への支持は極めて高いのです。海外の反応は気にしつつも、何が何でも彼を処分するといった雰囲気ではありませんでした」 困惑ぶりをこう振り返った党機関紙の記者がさらに続ける。「そもそも賀氏は、この騒動が起きる前から有名な研究者です。米国でも実績を残したことから、中国の未来を担う一人と目されています。特に中国が国として力を入れていこうとしている最先端の分野を担い、同時に会社も8社ほど立ち上げている『若者のカリスマ』ですから。最初から、彼に対して『潰し』ありきの選択はできなかったのでしょう」 AP通信のインタビューの中で、賀氏は「私の責任は重大だと感じている。単に、初めてのケースというだけでなく、彼女を一つの成功例としていかなければならい」と語り、「もし予想外の副作用が出た場合は、その痛みを共有して全責任を負う」と語っていた。折しも、同じ11月末に中国のエイズ感染者が85万人に達したと報じられたのは、何かの因縁だろうか。2018年11月、香港で開かれた国際会議で講演する中国・南方科技大の賀建奎副教授(共同) 2019年に入って、広東省当局の調査結果が公表され、双子誕生のみならず、別の女性1人も妊娠中であることを確認した。賀氏の行為も「自らの名誉と利益のため」と断罪され、立件に向けて公安機関に送致されると、国営新華社通信が報じた。当局の認定により、お決まりの方向に進むことは避けられなくなったのである。■ ファーウェイ敵視にも動じない中国「祖流我放」の冷めた感覚■ 「習近平独裁」を中国人はなぜ歓迎するのか■ ファン・ビンビン巨額脱税、中国当局が狙い撃つ人気女優の利用価値

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    「ゲノム双子誕生」中国を批判、周回遅れの日本が言える立場か

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)  ゲノム編集の在り方が世間の関心を集めている。きっかけは昨年11月、中国南方科技大学の賀建奎(が・けんけい)副教授が、世界で初めてゲノム編集で遺伝子を改変した双子の赤ちゃんを作り出したと発表したことだった。 この行為の妥当性については、既に多くの意見が寄せられている。日本でも報道され、ご存じの方も多いだろう。だが、多くの日本のメディアは、中国の研究者を倫理的側面から批判した。一方で西側先進国の科学研究に一刻も早く追いつこうとした中国の焦りを指摘した報道もある。 私は、一連の報道は妥当だと考える。ただ、今回の件では、中国を批判するだけでいいのだろうかと疑問に思う。私は今こそ、ゲノム編集技術の基礎となる「ゲノム研究」の在り方について議論すべきだと考えるが、そのような指摘は残念ながら皆無である。 ゲノム研究を推し進める原動力は、個別化医療の推進だ。個別化医療とは、主にがんの診療分野で、がんのゲノム情報に基づき治療法を変更することである。この診断・治療法が普及すれば、多くのがん患者が正確に診断され、適切な治療を受けられるようになる。副作用を減らし、より高い治療効果も期待できる。 近年、個別化医療が急速に進歩した理由はゲノムシーケンス(DNAの配列決定)技術の急速な発達にある。1990年に米国が主導して始まったヒトゲノム計画の完遂には、13年の歳月と30億ドルの予算を要したが、最近では数時間、1千ドル程度で解読することが可能になった。 近年は中国企業なども積極的に参入し、競争が激しい。コストは半額以下になるとも言われる。今回、問題となったゲノム修復技術は、その背景を知れば見方が変わってくる。 このような技術革新は、医療業界のパワー・ポリティクス(力の政治)に影響を与えた。具体的には製薬企業や検査メーカーが仕切る領域にIT企業が参入するようになった。最初の標的は遺伝子ビジネスだった。米国では「23andMe」をはじめとした複数の遺伝子検査会社が、DTC(消費者への直接販売)による遺伝子検査を始めた。ちなみに、同社の株主はグーグル創業者の妻である。 また、わが国でもDeNA社が、2014年8月から同様のサービスを開始した。このサービスを利用すれば、唾液を採取して検査会社に送るだけで、がんや糖尿病などにかかるリスクや、肥満や薄毛の体質などが解析できる。費用は検査項目によって異なるが、おおよそ1~3万円だ。 このような成果は当然ながら、がん医療にも応用できる。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 2014年には米国で「マイ・パスウェイ試験」という多施設共同臨床研究が始まった。この臨床研究では、手術や細胞の一部を切り取って調べる「生検」などで患者から採取したがん組織を用いて、「HER2」「EGFR」「BRAF」「ヘッジホッグシグナル伝達系遺伝子」という4種類の遺伝子の変異を調べた。そして、遺伝子の変異の状況に併せて、分子標的治療薬「トラスツズマブ」や「ベムラフェニブ」などの投与を決めた。難病治癒に貢献 個別化医療の進歩は、これだけではない。特定の遺伝子だけでなく、すべてのゲノム配列を分析し、難病の診断や治療に役立てようという動きも始まっている。 例えば、米国のニコラス・ヴォルカー君という4歳児のケースだ。がんではないが、診断・治療の過程が興味深いのでご紹介したい。ヴォルカー君は、出生時より下痢、血便などの腸炎を繰り返していた。さまざまな病院を受診したが、「原因不明の難病」として対症的に治療されただけだった。 2009年、米ウィスコンシン医科大学の研究者たちは、ヴォルカー君の全エクソーム解析(全遺伝子解析)を行い、腸を細菌の攻撃から守る働きに関係していると考えられている「XIAP遺伝子」の変異であることを突き止めた。腸炎の原因は先天性の免疫異常だったのである。 ヴォルカー君は臍帯血(さいたいけつ)移植を受け、その後病気は治癒した。全遺伝子解析を受けていなければ、「原因不明の難病」として、遅かれ早かれ命を落としていただろう。 ヴォルカー君は全遺伝子解析が救命した世界初の症例として注目を集めた。米紙「ミルウォーキー・ジャーナル・センティネル」の取材班は2010年12月にこのニュースを報じ、翌年ピューリッツァー賞を受賞した。 では、日本の状況はどうだろうか。昨年12月、厚生労働省の薬事・食品衛生審議会医療機器・体外診断薬部会は、シスメックス社が承認申請していた遺伝子変異解析キット「オンコガイドNCCオンコパネルシステム」の承認を了承した。 これは、同社が国立がん研究センターと共同で、がんに関する複数の遺伝子を一括で調べる「パネル検査」(パネルシーケンス)だ。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) もう一つ、中外製薬が米ファウンデーション・メディシン社から導入した「FoundationOneCDxがんゲノムプロファイル」という同様の検査も承認が了承された。パネル検査が保険適用になれば、多くのがん患者が遺伝子検査を受け、その結果に基づいた効果の高い抗がん剤治療を受けられるようになる。 しかしながら、今回の承認では、使用は一部の施設に限定され、受診のハードルは高い。対象患者が原発不明がん、標準治療のない希少がん、標準治療が終了または終了が見込まれる「固形がん」で全身状態が日常生活に支障のないレベルの元気な患者という条件がつく。全ての患者が遺伝子パネル検査を受けられるわけではない。 以上の通り、わが国はパネル検査がようやく始まったところだが、果たしてパネル検査だけで十分と言えるだろうか。周回遅れの日本 前出の米ウィスコンシン医大の研究チームで、全遺伝子シーケンスにより発見された約5千の変異を半年間かけて、XIAP遺伝子の変異が原因であることを突き止めたのは、リズ・ワーシー氏だ。 同氏は2017年3月に東大医科学研究所を訪れ、講演している。彼の講演に参加した井元清哉・東大医科研教授は「(冒頭に紹介したパネルシークエンスも全ゲノムシークエンスも)両方をやっている彼らが、全ゲノムシーケンスを推奨していたのは示唆に富みました」という。 実は、パネルシーケンスは、半分以上の関連遺伝子を見逃してしまうことが分かっている。全ての遺伝子を解析できる全ゲノムシーケンスや全遺伝子シーケンスと、特定の遺伝子だけを解析するパネルシーケンスのポテンシャルの差は明らかである。 世界では、ゲノムにとどまらず、全クリプトーム(全転写産物、RNAのこと)解析の臨床応用が始まっている。昨年12月、米ニューヨークゲノムセンターは、全ゲノム解析と全トランスクリプトーム解析を組み合わせたサービスを開始すると発表した。 一方で、パネルシーケンスがようやく承認される見通しとなったわが国は、世界の最先端から「周回遅れ」と言っていい。遺伝子修復ベビーが批判を浴びた中国は、この分野で最先端を走っている。今後、この差はますます広がるだろう。その理由は二つある。 まずは、個別化医療の推進に必須な「情報工学者」の不足である。今や世界のゲノム研究を推し進めるのは、医師ではなく情報工学者だ。 既に知られた遺伝子変異に対しては、それに対する治療法も決まっており、どの医師でも判断できる。しかし、それ以外の遺伝子変異が見つかった場合にどう対処するのか、医師だけでは判断できない。その遺伝子の役割、変異によって引き起こされる病態について、あらゆる論文データを検討しなければならないからだ。 わが国のゲノム研究の中心は、理化学研究所と東大医科学研究所のチームだ。現在のリーダーは情報工学者である宮野悟・東大医科研ヒトゲノム解析センター長だが、2013年には従来の治療が効かない白血病患者の全遺伝子を解読し、IBMの人工知能ワトソン(質問応答システム)を用いて、患者に最適な治療法を提案した。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) この患者の治療は劇的に反応した。これは「人工知能が救命した最初の患者」として報じられたが、このプロジェクトをリードしたのが宮野教授である。前出の井元教授の上司でもある。宮野教授は九州大を卒業した数学者であり、井元教授も九大を卒業した統計家だ。 2人とも医師ではない。今後、個別化医療の研究を進めるには、情報工学の専門家と医師が協同しなければならない。ところが、医学部や医学系研究所における情報工学者のポストは圧倒的に少ない。財政難の国立大学で、医学部に情報工学者のポストを新設するのは難しい。医学部と情報系の学部の交流を加速させるしかないが、昨今の不祥事をみても明らかなように医学部は閉鎖的だ。現状では難しいと言わざるを得ない。変わるがん治療のパラダイム むろん、政治リーダーの見識も不可欠である。米国でがんの個別化医療を推進したのは、バラク・オバマ前大統領だ。彼は自らが主導した2016年度予算で、約2億1500万ドルを「プレシジョンメディスン(精密医療)」に投資した。これはがんの撲滅を目指す「ムーンショット計画」の一環だ。 「プレシジョンメディスン」とは、ゲノム情報などに基づき、最適な治療方法を最適なタイミングで提供することだ。個別化医療の発展形である。特定のがんに対して、特定の抗がん剤をパッケージで投与する従来型の「標準療法」とは対極の考え方である。 個別化医療にとって重要なのは、患者の状況を正確に把握することに尽きる。その一つががんのゲノム情報だが、もう一つは病状及び治療効果の判定だ。この点で注目すべきは「リキッドバイオプシー」という新規技術である。 リキッドバイオプシーとは、血液などの体液のサンプルを用いて、診断や治療効果の判定を行う手法である。ゲノム解析を行うことも可能だ。従来の生検と比べて、はるかに低い侵襲で大きなデータを入手できる。また、患者の状態によっては手術や生検ができないケースも多々あるが、血液検査であれば誰でも簡単にできる。 ただ、この方法には高度な技術を要する。血液中を循環する腫瘍細胞及び腫瘍細胞由来のDNAなどの物質は、ごくわずかだからだ。腫瘍細胞の場合、通常1ミリリットルの血液中に10細胞以下しか存在しない。 とはいえ、世界中の企業が現在、技術開発にしのぎを削っている。既にいくつかの興味深い研究成果も報告されている。 米ジョンズ・ホプキンス大の研究者たちは、昨年1月に米科学誌『サイエンス』に自らが開発した「CancerSEEK」と呼ばれるリキッドバイオプシーの研究成果を公表した。この研究では、一般的な8つのがんを対象に検査を行ったところ、卵巣がんでの診断率は98%だった。臨床応用は近いかもしれない。ただ一方で、乳がんでは40%を下回ったという。 この技術は開発途上だが、企業側の鼻息は荒い。技術開発の筆頭を走るのは、米シリコンバレーのグレイル社だ。ゲノムシークエンス最大手、イルミナ社から2016年に独立した。同社は「2019年までに最初のリキッドバイオプシーを実現する」と宣言している。 この見解に懐疑的な関係者も多いが、遅くとも数年の間に、この技術は臨床応用されるだろう。そうなれば、ゲノム情報に基づく個別化医療だけでなく、がん治療後の再発のスクリーニング(選別)や、がん検診にも応用が期待できる。現在のがん治療のパラダイム(認識の枠組み)が大きく変わることになる。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) がんは多くの先進国で死因の首位を占め、関心を集めている。がんの診断・治療法の開発は、ゲノム研究の進歩とともに日進月歩だ。中国での遺伝子修復ベビーの誕生も、このような流れの一環として理解すべきだろう。この領域では米中がヘゲモニー(主導的地位)を握りつつある。 一方、わが国は米中と比べ「周回遅れ」になりつつある。遺伝子修復ベビーの誕生に関しては、中国を批判するだけでなく、その背景にあるゲノム研究の進歩を理解し、前向きに議論しなければならない。■夢のがん治療薬は国を滅ぼす? ボロ儲け製薬企業の「暴走」を阻止せよ■がんはいずれ「理想の死に方」になる■カネではタフな研究者は育たない 日本人がノーベル賞を取れる理由

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    遺伝子治療の最前線、「クリスパー・キャス9」の衝撃

    最大の発明と称される「クリスパー・キャス・ナイン」の技術の素晴らしさは認められているが、遺伝子治療を医療現場で応用するとなると、解決すべき課題が山積している。そうしたなかで遺伝子治療を実用化に近づけようと、日本でも研究が進められている。 東京大学大学院の生物科学専攻の濡木理(ぬれきおさむ)教授は「『クリスパー・キャス・ナイン』は素晴らしい技術だが、臨床現場では使い勝手が悪い部分がある。いまの『キャス・ナイン』(酵素たんぱく質)は大きすぎて、『クリスパー』(遺伝子配列)を修復したい遺伝子まで運ぶのが難しいので、これを小型化して遺伝子の編集作業を自在にコントロールできる『ミニ・キャスナイン』ができないか研究をしている。この技術が遺伝子治療に幅広く使えるようになれば大きく飛躍できる」と期待する。1億円を超える世界最高薬価 都心から電車に2時間ほど乗った栃木県下野市にある自治医科大学。広いキャンパスの一角にある研究棟ビルの中でブタが十数頭飼育されている。濡木教授は自治医大の再生医学研究部の花園豊教授と連携して、開発した新技術をブタを使って試している。人間に用いるのと同じX線透視装置や手術支援ロボットを備えた手術室もある。 花園教授は「マウスだと小さすぎて、必ずしも正確なデータが得られないが、ブタは人間とサイズや生理学的特徴がよく似ているので、臨床に役立つ結果が得られる。ブタを用いてのこれだけの医療設備があるところはほかにない」と話す。現在、遺伝子の変異によって起きるとされる難病SCID(X連鎖重症複合免疫不全症)の治療がゲノム編集でできないか研究中で、ブタで成功すれば人間による臨床に移り、実用化の可能性が高まる。 いままでFDAが承認した遺伝子治療は、昨年末に承認した網膜ジストロフィーのケースも含めて変異した遺伝子はそのままにしておいて、正常な遺伝子を体内に導入する手法だ。だが、「クリスパー・キャス・ナイン」を使えば、変異遺伝子に狙いを定めて修復ができる。正常な遺伝子を入れる手法の場合、入れた位置が悪かったりして白血病などの副作用を起こすリスクがあるといわれている。 それに比べ、遺伝子を修復する方法は、そうしたリスクが低く、安全性が高い点が指摘されている。「人体の設計図」を意図的に変更することになる遺伝子編集は、安全性を抜きにして実用化はできない。 「クリスパー・キャス・ナイン」のゲノム編集技術は、難病の治療に使われようとしているが、日本人の2人に1人がなるとされる、がんの治療につながるかというと、そう簡単ではない。なぜなら、がん患者は多くの場合、いくつもの遺伝子が変異を起こしているケースが多く、どの遺伝子の変異が、がんの発症につながっているのか識別するのがいまの医療技術では難しいという。このため、いまのところゲノム編集技術は、一つの遺伝子の変異によって発症しているとみられる病気の治療に応用されようとしている。 実際の遺伝子治療はようやく緒についたところだ。17年7月までに全世界で約2400件もの遺伝子治療の臨床研究が行われてきたという。しかし、販売が承認された治療製剤はわずか10件で、日本での承認はない。 開発が順調に進展しなかった理由は、リスクの見極めの難しさにある。いままでの化学薬剤とは異なり、一度遺伝子を改変すると、長期にわたり人体に影響を及ぼす。欧州ではその副作用で白血病を発症し、被験者が死亡した悲劇もあった。 そのため、数年以上の緻密な安全性評価が必要となり、さらに規制を厳格にしたことで研究マインドは冷えていった。しかしこの教訓は生かされ、この数年、欧米でより安全な遺伝子治療の承認が相次いでいる。そこに新しい技術であるゲノム編集が加わり、熱い視線が集まっている。自治医科大学の実験室(写真・WEDGE) 北海道大学の石井哲也・安全衛生本部教授は、開発費用と保険適用の問題を喚起する。「欧米で承認された遺伝子治療製剤は、患者一人あたり数千万円以上と軒並み高額で、中には1億円以上と世界最高薬価を記録した製剤もある。国からみれば高額薬の登場は財政上の問題だ。しかし、患者数が少なく、真に有効な治療法がなかった希少疾病に対する遺伝子治療製剤でさえ国の健康保険でカバーしないなら、それは国民皆保険制度の趣旨から外れる」と指摘する。実際、英国は希少疾病に対する遺伝子治療は保険対象とする見通しだ。 それだけに承認する側の厚労省としては慎重にならざるを得ない。しかし、これをあまりにも厳しくし過ぎると、製剤を開発する側の意欲をそぐことになり、そのバランスが難しい。同省ではがんや難病の治療に遺伝子治療を役立てようと、治療のガイドラインの見直し作業を進めている。目をつけるベンチャーファンド また、がん患者の遺伝子情報に基づいて最適な治療薬を選ぶ「がんゲノム医療」を4月から全国規模で行うことになり、同省は3月27日に100の病院を指定した。手術、抗がん剤、放射線など従来の治療法では効果がなかった希少がん患者などに対して、遺伝子を調べ、臨床研究の結果で適した薬があれば投与、治療する。 ゲノム編集技術は、いま実用化に向けて世界の研究者がしのぎを削っている。米国では一昨年あたりから多くのベンチャーファンドがこの技術の実用化でひとヤマ当てようと、技術の開発に巨額の資金をつぎ込んでいる。ゲノム編集が実用化されると、難病やがんの治療だけでなく、美容やアンチエイジングへの応用も期待されている。 また動植物の遺伝子編集により、人間にとって効率的な食料生産ができるようになるなど、将来的にはマーケットが大きく広がる可能性がある。このため、バイオベンチャーの多いボストンやサンフランシスコでは、先物買いによる遺伝子治療への投資がブームになり、新規上場により資金調達する企業も多い。 濡木教授はこの開発を加速するために、16年1月に産学連携のベンチャーEDIGENE(エディジーン、東京都中央区、森田晴彦社長)を設立。ボストンにもオフィスを構え、米国の研究者をスカウトして遺伝子治療技術の実用化を急ごうとしている。そのためには開発資金が必要で、製薬、化学会社などから16億円の資金を集めることに成功した。日本の製薬会社やベンチャーキャピタルはこれまで、こうしたベンチャーに対して資金を提供することに消極的だった。 しかし、ゲノム編集技術の進化から遺伝子治療実現の期待が高まってきているため、積極的に資金を提供しようとする動きも出始めている。昨年12月、先端医療分野を将来の事業の柱と位置付ける富士フイルムがエディジーンに対して4億7000万円の出資を決定、思い切った先行投資に踏み切った。 同社はこれまで培ってきた高度なナノ技術を活用し、有効成分を効率的に患部に届けて薬効を高めるリポソーム製剤の技術を、遺伝子治療の開発に役立てたいとしている。 中国では15年の時点で医療関係者の間でタブー視されてきた人間の生殖細胞の遺伝子編集を行い、世界の医療関係者のひんしゅくを買った。この分野は米国と中国で先陣争いをしており、科学雑誌「Nature」(16年11月24日付)はその模様を1950年代の旧ソ連の人工衛星開発競争に例えて、「スプートニクVer2」と揶揄している。米国では既にエイズ治療にゲノム編集技術を使っているが、中国はさらに先に進んで、肺がんの治療にこの技術を使っているという。遺伝子(ゲノム)をピンポイントで操作できるのがゲノム編集の特徴(ゲッティイメージズ) 一方、日本はこの分野の論文数や特許件数では大きく出遅れている。日本の製薬会社は、リスクを恐れずに果敢に挑戦してもらいたい。また厚労省もこうした新薬を開発するチャレンジに対しては、15年から新薬の審査期間を通常の半分の6カ月に短縮する「先駆け審査指定制度」を導入、世界レベルの開発競争に負けないように対応しようとしている。 こうした官民の努力が成果を挙げることができれば、日本も遺伝子治療の最先端分野の競争の仲間に入ることができ、将来、大きな果実を得ることができるかもしれない。なかにし・とおる 経済ジャーナリスト。1948年岡山県生まれ。72年共同通信社に入社。88年から91年までニューヨーク特派員、経済分野を取材し、編集委員を経て2010年に退社。現在は経済ジャーナリスト。著書は「ジャパンマネーの奔流―ニューヨーク・東京・ロンドンの24時間」(1987年、ダイヤモンド社)、「日本買い 外資は何を狙っているか」(2005年、PHP研究所)など。

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    中国でブタの臓器のヒトへの移植が秒読み 2年後に実現か

    間にブタの臓器を移植する手術が2年後の2019年までに、中国政府によって許可される見通しであることが医療関係者の証言で分かった。ブタの臓器は人間のそれと機能や大きさがほとんど同じであることが分かっているそうで、これまでもブタの臓器をサルやヒヒに移植し、成功した実験例が報告されているという。 ただ、ブタの体内には人間に対して毒性があるウイルスが存在することが分かっており、中国の医療関係機関では、そのウイルスを持たないクローンブタの増殖実験を繰り返しているという。中国青年報などが報じた。 ブタの臓器移植について、医療関係者の間では世界的に関心が高い。なぜならば、心臓や肺、肝臓などの臓器に深刻な疾患を持つ患者は多く、米国では今年8月現在、11万7000人の移植待機者がおり、ドナー不足から毎日22人の命が奪われているという。 とくに、中国の場合、2010年から2016年までの7年間で10万人以上の患者に人間の臓器が移植されてきたが、移植待機者は毎年、150万人にも上っているという。 中国では2015年まで、死亡した服役囚の臓器が摘出され、移植されてきたが、同年以降、服役囚の臓器の移植は基本的に禁止されており、近年、中国の医療関係者の間で、ブタなどの臓器移植研究への関心が高まりを見せている。すでに、陝西省の第4軍病院や上海、北京、広東省の病院が合同で、国家プロジェクトとして研究を進めている。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ブタの臓器の人間への移植については、日本やアメリカ、欧州各国でも研究されており、これまで動物実験が繰り返されてきた。そのなかでも、中国では研究が進んでおり、ブタの角膜の人間への移植手術が行われており、成功例が報告されている。 ただ、角膜の場合、血液がごく少量で、ブタの体内にあるウイルスが人間に感染する危険性が少ないことから、ほとんど問題はないが、心臓などの臓器には血液を介在して人間に毒性を持つウイルスが侵入することも考えられるだけに、現段階では、各国もブタの臓器の移植手術には慎重な姿勢を示している。 中国や米国では手術の実現を目指し、遺伝子操作でウイルスを無毒化したブタを誕生させ、そのブタのクローンブタを生産する実験に成功している。同紙は第4軍病院の関係者の話として、「ブタの臓器の移植は秒読みで、2年後の2019年には政府から許可がおりる見通しだ」と報じている。また、同紙は米国の研究者の話も紹介し、「ブタの心臓や肺などが人間に移植可能となれば、多くの命を救うことができるようになり、動物の組織を人体で利用するという、異種間移植への道が開かれることになる」との見通しを伝えている。関連記事■ 米での臓器移植金額、高騰させ日本人の渡航移植避ける思惑も■ 中国渡航の臓器移植500~1500万円 後ろめたかった人は2割■ キューバ 臓器移植技術高い上脳死状態の移植を大多数が承諾■ 6才未満の子供からの臓器移植 難しかった理由を医師解説■ 6才未満の子供の臓器移植について賛成派と反対派の意見紹介

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    麻生氏「医療費あほらしい」は暴論か

    る。3年ぶりに解放されたジャーナリスト、安田純平さんに対してもそうだったが、不摂生で病気になった人の医療費負担をめぐり「あほらしい」と指摘した麻生太郎財務相の発言もまた物議を醸した。麻生氏の発言は暴論か、それとも一理あるのか。

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    医療費は控除から手当へ、麻生氏「あほらしい」発言は一理ある

    で病院の世話になったことはほとんどない」と前置きした上で、「『自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」と述べた。 この発言に対しては、各方面から批判の声が高まっている。「誰も好き好んで病気になっているわけではない」「健康保険制度の趣旨を理解していない」というような反論である。 麻生氏は「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と記者会見の中で「弁明」はしているが、彼特有の、トランプ的な率直かつ上品とは言いがたい表現が批判に輪を掛けている。あるいは、麻生氏に対しては「のれんに腕押し」で、何を言っても無駄だという諦めも広がっている。 確かに、表現は適切でないかもしれないが、麻生氏の言っていることにも一理はある。そのような考え方は、米国、特に共和党支持者の間では一般的であり、麻生氏が米国の政治家なら拍手喝采されたであろう。それは、公的な健康保険制度を充実させようとするオバマケアに対する批判が、なぜ強いかを考えるとよく分かる。 「代表なくして課税なし」という原則が米独立戦争の理念であり、米国人は税金の徴収、使途について厳しく監視する。自分のできることは自分で行い、政府の役割をできるだけ小さくして税金を最小限にするというのが平均的な米国市民の考え方である。その結果は、小さな政府であり、夜警国家である。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 私は、米国の建国の基礎は「銃とキリスト教」だと考えているが、大都市はともかく、地方では、保安官を雇わなくても、自らの銃で家族やコミュニティーを守っていくという発想が今なお健在である。 もちろん、現代では緊迫する国際関係の中で、外交や防衛などに巨額の予算が必要である。しかしながら、米国は連邦国家であり、各州はいわば独立国家であるため、各人の生活に関わることは州や市町村レベルで処理することになっている。日本の考え方は欧州型 将来起こり得る病気やけがに対しては、各人が民間の保険会社と契約して備えをする。これが普通の考え方であり、日本のような国民皆保険制度を積極的に導入することに賛成の米国人はあまりいない。 まさに「天は自ら助く者を助く」であって、麻生氏が言うように、「なぜ不摂生して病気になった者の面倒などみる必要があるのか」というわけである。もちろん、格差の拡大とともに、保険料の支払いもできない貧困層が拡大しており、彼らをどう救うかという問題は大きな政治問題となっている。 米国では、慈善事業(チャリティー)や寄付の文化が定着しているが、公的な救済制度がなくても、それが大きな貢献をしていることを忘れてはならない。米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が典型的だが、成功して大富豪となった者は、寄付という形で利益を社会に還元する。米国の企業家、富裕層の友人たちと話をすると、必ず慈善事業をどうするかというテーマが出てくる。 例えば、米国の私学は授業料が高い。それでも、成績優秀で品行方正であれば、卒業生で成功した先輩たちが奨学金制度を作り、毎年多額の寄付をしているので、学生はその恩恵にあずかることができる。 欧州では少し事情が違う。移民が形成した「新興国アメリカ」と違って、伝統社会である。社会主義といえば、マルクスやレーニンの名が浮かぶかもしれないが、元祖社会主義は、サン・シモンに代表されるようにフランスである。そのフランス社会主義の理念とは、医療や教育の分野が貧富の格差に影響されてはならないというものである。 他の欧州諸国もほぼ同様であり、ドイツのビスマルクは、19世紀後半に全国民強制加入の社会保険制度を作り上げている。最近は極右の台頭で凋落(ちょうらく)したが、長い間、欧州では社会民主党が政権を担ってきたことを忘れてはならない。ドイツの「鉄血宰相」ビルマルク(ゲッティイメージズ) 日本は米国型ではなく、欧州型である。国民皆保険や国民皆年金を廃止し、米国のように、個人で民間の保険会社と契約することに賛成する日本人はほとんどいないと思う。しかし、医療費の無駄遣いについては、厳しく点検し、制度の不断の見直しが不可欠である。 昨年度の医療費は42・2兆円にも上っている。国の予算が約100兆円なので、その額の大きさがよく分かる。別の比較をすれば、トランプ大統領が怒っている米国の対中貿易赤字も同額である。発想と制度の転換を 私が厚生労働大臣のときも、伸び続ける医療費抑制のために、さまざまな政策を動員してきたし、今もその努力は続けられている。後発医薬品(ジェネリック医薬品)の活用、定額支払い制度の導入、自己負担分の拡大、高額療養費制度の見直しなどである。 笑い話で言われるように、かつては「元気なときは喫茶店やサロンに行く気分で病院に行く、病気になったら寝込んで病院に行かない」「リハビリと称してマッサージ代わりに使っている」といった無駄遣いの指摘が多かったが、これも最近では相当に改善されている。私も股関節手術後にリハビリに通ったが、マッサージ代わりに使っている高齢者はほとんどいなかった。 医療費の抑制は全国民の課題である。日本人の平均寿命は、男性が81・09歳、女性が87・26歳であるが、健康寿命は男性が72・14歳、女性が74・79歳である。 問題は健康寿命、つまり自立した生活を送れる期間であり、これを伸ばさなければならない。そのためには、麻生氏が言うように、摂生し、適度な運動をし、生活習慣病の予防を図ることが肝要である。 もう一つ、発想と制度の転換を提案しておきたい。今は、医療費がかかると、税金から控除される対象になる。つまり、節税のためには医療費を使ったほうが得をする気がするのである。これが控除という制度の問題であり、健康手当という形で支給する仕組みに変えるのも一つの手である。 かつて、企業や団体が主管する健康保険組合では一定期間、例えば1年間病院の世話にならないと、ご褒美として報奨金を支払う制度があったが、それと同じ発想である。つまり、控除ではなく、皆に健康手当として、月に例えば3千円支給する。2009年5月、新型インフルエンザ対策本部であいさつする麻生太郎首相。左は舛添要一厚生労働相(酒巻俊介撮影) それを使って健康のための活動を積極的に行ってもらう。そして健康保険を1年間使わなかった人には、ボーナスとして1万円を支給するといった政策である。 「控除から手当へ」という制度は、民主党政権下で子ども手当が導入されたが、民主党政権の説明の拙劣さと政権運営のまずさから、あまり評判はよくなかった。しかし、医療費控除から健康手当へという発想の転換は、麻生氏の期待にも応えるものと思っている。

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    麻生さん、病気に「自己責任論」を持ち出すのはやっぱり酷です

    ンター副部長) 麻生太郎財務相が10月23日に行った閣議後の記者会見の内容が波紋を広げている。 予防医療推進に関する質問に対し「『自分で飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思って聞いていた」と答えたというもの。記者から自身の考えを問われると「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と補足説明した。 麻生氏の同様の発言は、実は今回が初めてではない。内閣総理大臣在任中の2008年11月の経済財政諮問会議では「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。(中略)たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言している。 2013年4月の都内会合でも「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで糖尿になって病院に入るやつの医療費は俺たちが払っているんだから、公平じゃない」と発言。いずれも健康の維持に努力している人とそうでない人での医療費に関する不公平感を述べたものであるが、一部が「病気になるのは本人の自己責任」と受けとられたことから議論になった。 折しも、中東で監禁、釈放されたフリージャーナリストの安田純平氏に自己責任論が噴出しているが、病気も自己責任なのか。そこには一概にそうとはいえない事情が隠れている。 2015年度の国民医療費は42兆3644億円で、前年度から約1兆5000億円増加し過去最大となった。政府の推計によるとこの額は2040年度には68兆5000億円まで膨らむ見通しである。その理由としては高齢化に加え、新薬の薬価が高騰していることが挙げられる。閣議終了後、記者団の質問に答える麻生太郎副総理兼財務相=2018年9月、首相官邸(春名中撮影) ノーベル賞で話題となったオプジーボは画期的ながん治療薬であるが、当初の薬価は1瓶(100mg)あたり約73万円。体重60キロの患者が1年間使用すると、なんと年額3500万円にも及ぶものだった。 相次ぐ高額な新薬に対し、財務省は10月9日の財政制度等審議会で、経済性に応じて公的医療保険の適用外にすることも検討するという、かなり突っ込んだ改革案を示している。同改革案には予防医療に関して「予防医療による経費節減効果は明らかでない」とも示されている。 予防医療医療費削減と思われがちだが、実は予防医療のうち医療費抑制に有効なのは約2割しかないとの報告がある。予防で病気の発症を遅らせても、いずれは何らかの病気になり医療費がかかる、つまり予防医療はかかる医療費を先送りにしているにすぎないというわけだ。予防医療のメリットはむしろ、医療費削減ではなく健康長寿にあると思った方がよい。寿命の延長により家族や友人と過ごせる期間が延びることは経済では語ることができない。「きれいな長谷川豊」論争 さらに、その間に就労が可能であれば社会活動に伴う税収増にも寄与しうる。安倍政権は、予防医療による健康長寿と高齢者雇用の拡大を社会保障改革の柱としている。予防医療の推進は医療費削減ではなく、健康長寿とそれによる社会生産性向上を目的として議論すべきである。 この問題で思い出されるのは2016年のフリーアナウンサー、長谷川豊氏による「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」というブログ記事である。本件に対してはあっという間に批判が殺到し、人工透析患者の偏見につながるとして全国腎臓病協議会も抗議文を出すに至り、結果として長谷川氏は当時の全ての番組を降板することになった。 結論から言うと、病気に自己責任論を持ち込むのは無理がある。なぜなら、危険を伴う地域への渡航と異なり、自ら進んで病気なる人は誰もいない。そして、生活習慣の努力の程度は、線引きが事実上不可能だからである。病気は複合的な要因で生じるため、遺伝や社会環境など個人ではどうしようもない部分があり、自助努力だけで防ぐことはできない。 一方で、過度の飲酒や喫煙、運動不足で自堕落な生活をしていても病気にならない人もいる。病気に対する自己責任論を突き詰めると、国民皆保険制度の崩壊につながってしまう。その先の未来がどうなるかはアメリカの医療をみれば明らかであろう。 予防医療の目的を純粋に健康長寿とした場合、健康意識や健(検)診受診率の向上を目指すにはどうしたらよいのであろうか。「2020年以降の経済財政構想小委員会」のまとめを発表する自民党の小泉進次郎氏=2016年10月、東京・永田町の自民党本部(斎藤良雄撮影) 一つが健康状態のいい人や健康管理に努力している人を優遇するというやり方である。民間保険ではリスク細分型保険というカテゴリーの商品がすでに定着している。非喫煙者を対象としたノンスモーカー割引は、ニコチンを検出する唾液検査をクリアすることが条件で、保険を契約する際に通常の保険料の10~30%の割引を受けることができる。 第一生命は健康診断割引特約として健康診断書などを提出するだけで保険料を割引し、体格指数(BMI)18以上27以下、血圧が最低85mmHg未満かつ最高130mmHg未満、40歳以上ではHbA1c5・5%以下といった良好な健康状態の人はさらに割引になる商品を開始した。民間保険は加入が任意なので、このような方法でなんら問題はないが、公的保険に関してはかつて議論が巻き起こった。 小泉進次郎衆議院議員らが2016年10月に雇用や社会保障に関する政策提言の中に取り入れた「健康ゴールド免許」制度である。この制度はIT技術を活用することで、個人ごとに健(検)診履歴などを把握し、健康管理に取り組んできた人へ「健康ゴールド免許」を付与し、病気になったときの自己負担割合を3割から2割に減免するというもの。しかし、発表直後から賛否が巻き起こり、否定派からは「きれいな長谷川豊」と言われ、その後すっかり話題に上らなくなってしまった。進次郎が失敗したワケ 自助を促す趣旨には賛同できるが、努力だけではどうしようもない部分まで含むスキームが悪かったのだろう。このような健(検)診や健康管理に一生懸命取り組んでいる人への優遇は一見有効に見えるが、実際は限界がある。事実、特定健診を受けない人は、高年齢、低学歴、低所得の人が多く、病気になったときのことまで考える余裕がない。自己負担の減免の恩恵を受けられるのは結局のところ、普段からスポーツジムで汗を流して健康管理ができる富裕層ということになる。 それでは、健(検)診を受けない健康意識の低い人たちを振り向かせるにはどうしたらよいのであろうか。まずは、マイナンバーを活用し、健(検)診受診と判定結果による治療介入の有無をしっかり把握することである。未受診者や要治療者にははがきによる個別勧奨を積極的に行う。インセンティブには健康マイレージが良いだろう。 NTTドコモでは自治体向けにスマホと歩数計、リストデバイスを用いてウオーキングや特定健診の受診、自らの健康管理の程度に応じてポイントがたまる健康マイレージサービスを行っている。ポイントに応じて景品と交換できる仕組みである。 宮崎県木城町は、国民健康保険と後期高齢者医療の被保険者を対象にした健康マイレージを行っている。特定健診や各種がん検診などの受診でポイントがたまり、町内の登録店舗で利用できる商品券と交換できる。町内経済の活性化も狙えて一石二鳥だ。 貧富や教育などの社会的要因に対するアプローチも重要である。例えば、タバコ代を上げると低所得者層ほど禁煙するというデータがある。小中学生に対する予防医療教育も将来的な健康格差の縮小につながるだろう。健(検)診を受診できる日を選択する機会を増やすことも有効だ。福岡市健康づくりサポートセンターの健(検)診は、土曜、日曜、祝日にも実施している。さらに、月に1度は平日の夜間にも実施しており、仕事帰りの利用にも対応している。 がん検診の受診率上昇には韓国の政策が参考になる。胃がんを例にとると、韓国の胃がんの検診受診率はなんと70%を超えているそうだ。その要因は、住民登録番号を利用したデータ管理、保健所による個別受診勧奨、検診料は健康保険でカバーされ健康保険料下位50%は本人負担ゼロ、指定を受けた医療機関であれば全国どこでも受診可能、という徹底したものだ。「県コバトン健康マイレージ」事業で使用する歩数計と読み取り機器=2017年4月4日、埼玉県(菅野真沙美撮影) さらに公的がん検診で発見されたがんには治療費の補助も行われる。ここまでやるには予算もそれなりに必要だが、本気で受診率の上昇を目指すのであればこれくらいの対策が必要ということだ。 麻生氏は冒頭の発言の際、予防医療の必要性についての理解も示したが、予防医療の推進は医療費削減どころか、さらにお金がかかることもある。医療費の議論は別にして、健康長寿のための予防医療を効率的に推進する政策を期待したい。

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    この先もあると思うな国民皆保険、麻生発言は全然アホらしくない

    してくださったのは、麻生閣下です。 麻生太郎副総理兼財務相が10月23日の会見で「不摂生している人の医療費を健康に努力している人があほらしい」との意見に同調する発言をしたことが問題視されており、ネットを中心に大炎上しております。 麻生氏の発言は下記になります。 「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」 また、「自身も同じ考えか」という質問に麻生氏は「生まれつきのものがあるし、一概に言える簡単な話ではない」と答えています。ちなみに、2008年にも「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と経済財政諮問会議で発言し、後に陳謝しています。 この発言を読んでも、まあいつもの麻生閣下のことであるなと特に驚きもしなかったのでありますが、日本の一定層の人々の怒りに唐辛子を塗り込むような効果があったことは間違いありません。この一定層の人々というのは国民皆保険サービスというのは当たり前のことであり、誰しも平等に医療を受ける権利があると信じている人々のことです。財政制度等審議会の財政制度分科会であいさつする麻生太郎財務相(右)=2018年10月 しかし、ちょっと振り返って考えてみましょう。実は国民皆保険サービスというのが始まったのはそんなに昔の話ではありません。日本やイギリスをはじめとする各国で始まったのは、第二次世界大戦後のことでありました。 なぜかと言うと、戦争であまりにも多くの負傷者や障害者が出てしまい、医療費を払えない人が大量に発生してしまったため、これでは破壊された街を復興させるための労働力を確保できないので困るとして各国の政府が国民皆保険サービスというものを考えついたわけです。 国民皆保険サービスというのは収入がある人たちから一定のお金を集め、それを使って医療サービスを提供するという、まあある意味宝くじのような仕組みです。提供する医療サービスというのはたくさん払っても少なく払っても平等というのが建前です。建前というか、実質そういう国がほとんどです。低下する医療の質 前述したように、国民皆保険サービスが日本や欧州で設計されたのは戦後すぐのことでした。戦争でかなりの数の人が亡くなり、人口も今より少なく人の移動もほとんどありませんでした。当時は人々の収入格差も今と比べて大きく、高額納税者の所得税は70%とか80%に達することもありました。つまり、ごく少数の大金持ちからお金をむしり取ってそれを貧民の健康維持に使い、社会全体を何とか回して行こうという仕組みでありました。 しかし、この仕組みは、使う人の数が少なければ成り立つのですが、使う人が多く、さらにその数が急に増えたりするとシステムが崩壊してしまいます。この状況がかなり過激なことになっているのがイギリスをはじめとする欧州各国の国民皆保険制度です。EUの移動の自由化で何が起きたかと言うと、東欧や西側諸国の貧しい国や町から豊かな都市へ人々が大規模に移動して住み始めたことでした。住むのも働くのも許可が一切いりませんから、当たり前の状況です。 そして、10年ばかりの間に特定の町の人口が急激に増え、病院利用者が大幅に増加しました。しかし、病院の予算は国保や税金で賄われており、その予算が急激に増えるわけではありません。移動してきた人の中には短期滞在の季節労働者や学生も大量にいました。  さらに、欧州では日本のように高齢化が進んでいるので、高齢者の病院費用も激増しました。そこで発生したのが質の激烈な低下です。イギリスの場合は時間外の夜間緊急窓口に行った場合、4時間から8時間待たされるということも珍しくありません。  重症者を優先するからという言い訳がありますが、かなり具合が悪くても廊下で長時間待たされることがあります。MRI(磁気共鳴画像装置)やCTスキャン(コンピューター断層撮影装置)などの機器も少なく、検査を受けるのに2カ月、3カ月待たされることも当たり前です。  病院はお金がなく、人が雇えませんので外科医やスタッフの数も多くはありません。手術が当日や前日になってキャンセルされてしまい、数カ月先に延ばされてしまうということもあります。また、入院ベッドの数も足りないので一般家庭に患者の面倒を見ることを外注する仕組みにまで手を出し始めています。 私は世界各地のいろいろな病院で世話になっていますが、イギリスの病院の中には中国やロシアの病院よりもひどいところがありました。(ゲッティ・イメージズ) このような状況にもかかわらず、健康保険の費用というのは安くはなく、年収が700万円ぐらいまでの人は収入の9%を支払い、年収が700万円を超える人の場合は2%を払います。高額収入者の場合はこの2%というのは莫大な金額になりますが、受けられるサービスは、病院によっては発展途上国並みのサービスです。  高いお金を払ってもサービスを受けられないので中流以上の多くの人は民間の保険に入ってプライベートで医療サービスを受けています。つまり自分が払っている健康保険は他人の治療に使われているわけです。  このような状況ではありますが、イギリスの国立病院は太り過ぎの人に減量手術を提供したり、海外で整形手術を受けて豊胸手術に失敗した人に対して修正の手術を行います。海外から飛行機でやってくる臨月の妊婦は無料で出産をすることができます。かなり進行した白内障の老人が海外から飛行機でやってきて緊急で手術を受けることもあります。費用を徴収しようとしても外国に逃げてしまうので回収できないことも多いです。欧州では不満噴出 このように、イギリスの場合、かなり極端な例が多いわけですが、同国だけではなく欧州でも国民皆保険に対しては制度が既に崩壊していると言って不満たらたらの人が多いのです。  日本は、クレジットカードの多重債務者のような財政状況であるのに医療費は惜しまず、どんどん使いまくっていますし、地方交付金も配りまくり、市役所や道路にお金を使いまくっています。育児支援だってはっきり言ってほとんどの欧州の国より充実しているんです。 恐ろしいスピードで少子高齢化が進んでいる日本で役所が財布のひもを締め始めた場合、今のレベルで医療サービスの質が維持されると思っている方はどのぐらいいるでしょうか? 医療サービスの質が下がるということは、月6万円の健康保険料を払っても自分が手術を受けられるのは1年後ということが当たり前になるということです。 病院のベッドのシーツは取り換えられず、医療スタッフは給料削減で働く人はいないので外国人だらけになります。病院食はレンジでチンするだけの冷凍食品になります。心臓の手術を受けても退院するのは翌日です。 こういう状況にサラリーマンの皆さんが直面することが当たり前になるようになっても、・不摂生で太りすぎた人の減量手術を優先してあげましょう・不妊をしなかったので妊娠してしまった10代の母の出産費用は全部無料にしてあげましょう・アルコール中毒になった人の治療は全部無料にしてあげましょうといった寛容性を維持できるのかどうか、私には分かりません。(ゲッティ・イメージズ) 私は社会全体の幸せや安定性というものを保つために国民皆保険というのはあった方が良いと思います。社会というのは多くの人がいてモノを売り買いし、サービスを消費するからこそ豊かになるのです。 モノを消費するのには仕事をして稼ぐことが重要ですし、安心して仕事をするためには病気になっても手軽に治療を受けられて自己負担が少ないという仕組みは、とても重要です。ごく一部の豊かな人がレベルの高い生活を享受するアメリカ型のモデルは日本には合いませんし、社会の安定性は失われます。 しかし、残念ながら日本にはお金がないのです。多くの人に質の高い医療サービスを提供することが難しくなっているのです。その現実をいったい何人の人が自覚し、自分は高い保険料を払っても治療が受けられないと言った立場になるのか。それをきちんと理解すべきではないのでしょうか。

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    風邪らしい患者なら、受診料は安く、薬代は高くすべし

    己負担を上乗せするという見直し案をまとめたようです 。軽い病気でも気楽に診察を受ける患者が多いので、医療費が嵩んでいる、というのが理由のようです。財務省が財政再建に熱心なのはわかりますが、一工夫必要でしょう。 風邪だとわかっていれば、受診の必要はありませんが、怖いのは「風邪のような症状の悪質な感染症」である可能性です。「風邪だと自己負担が高いから、受診しない」という患者が悪質な感染症であった場合、症状が悪化して周囲に感染させてしまう可能性があります。従って、そうした可能性のある患者は気楽に受診してもらい、風邪だとわかればそれで良いでしょう。 風邪だとわかるまでの診察料は、自己負担を少なくして積極的に受診してもらう一方で、風邪だとわかった後の風邪薬は、自己負担率を100%にすれば良いと思います。単なる風邪なのに、市販薬より安く処方薬が手にはいる必要性はありませんから。 問題は、風邪だとわかっている患者が受診している例も多そうだ、ということです。時間が十分にある高齢者が風邪に罹患した時、「薬局へ行って市販薬を買うよりも、国民健康保険を利用して診察を受けて処方薬を買った方が安い」と考えて受診する可能性があるからです。 これは、ぜひともやめて欲しいです。金銭面で国民健康保険の負担が大きいですし、診療所の混雑によって多忙な現役世代の患者が「待ち時間が長いので、諦めた」ということにもなりかねないからです。 そのためには、風邪薬の自己負担率を100%にすることが有効だと思われます。「風邪薬は自己負担率100%」という制度ができれば、風邪だとわかっている高齢者は診療所へ行かずに薬局へ直行するでしょう。診療を受けると、時間も金(自己負担分)もかかる上に、隣の患者のインフルエンザに感染してしまうリスクもありますから。そうなれば、国民健康保険は大助かりです。 話し相手がいない孤独老人が診療所の待合室をサロンとして使っているという笑い話もありますが、もし本当にそれが心配ならば、「診療所の開設を認可する条件として、待合室のほかに談話室を設けること」と定めればよいのです(笑)。 風邪かもしれない、という場合には、診察を受けないと風邪だとわかりませんから、診察は必要でしょう。しかし、慢性疾患の場合には、診察を受けなくても自分の問題点が分かっているわけですから、頻繁に受診する必要はないでしょう。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) たとえば軽度の高血圧の場合、降圧剤を処方されて飲んでいる患者の血圧は正常でしょう。そうだとすると、患者が自分で血圧を測定し、正常であることを確認すれば、診察を受ける必要は無ないはずです。つまり、降圧剤の処方箋の有効期限を「患者が異変を申し出るまで」としておけば良いのです。現実的には「1年あるいは2年に1度は受診するように」、ということで良いと思います。 そうなれば、受診の回数が減り、本人も健康保険組合も助かるでしょう。本人が血圧を自宅で測定するのを怠って異変に気付くことができなくても、それは自業自得ということで良いでしょう。感染症と異なり、他人に迷惑をかける話ではありませんから。医薬品はジェネリックをデフォルトに 高血圧以外の慢性疾患についても、基本は同じで良いと思います。感染症の場合を除き、基本は「自己責任で異変を感じた時に受診する。異変を感じなければ、1年か2年に1度受診する」で良いと思いますが、いかがでしょうか。 受診回数を減らすほかにも、患者に安い薬を使ってもらえる工夫が必要でしょう。 昨年のノーベル経済学賞を受賞したのは行動経済学分野でした。その研究成果の一つとして、「人間は面倒なことを嫌う」というものがあります。そんなことはノーベル賞学者に教えていただかなくても、誰でも知っていることでしょうが(笑)。 現行の制度でも、これが利用されています。医師が処方した薬に、効き目が同じで値段が安い別の薬としてジェネリック医薬品が発売されていて、医師が「変更不可」と指示していない場合には、患者がジェネリックへの変更を薬剤師に願い出ることができるという制度になっているのです。 「医師が変更可能と指示している場合には変更できる」という制度と比較した場合、ジェネリックの利用が増えることは明らかです。「医師が面倒だから何もしなかった」という場合には、ジェネリックを使い得るからです。これは、優れた制度です。 しかし、どうせなら、もう一段の改善をして欲しいものです。それは、医師から「変更不可」の指示がない場合には、「患者が拒まない限り、薬剤師はジェネリックを選択しなければならない」と定めればよいのです。 現在でも、患者が「ジェネリックを希望する」と薬剤師に伝えれば、ジェネリックを使える制度となっていて、その方が患者の自己負担も健康保険会計の負担も軽いのですが、患者がそのことを知らなかったりジェネリック薬品の存在を知らなかったり「申し出るのが面倒だ」と思ったりした場合には、ジェネリックではない高価な薬が使われるわけです。 そうした場合でも、上記のような定めがあれば、患者はわざわざ拒むのは面倒なので何もせず、結果として自動的にジェネリック薬品が使われることになりますから、患者本人にとっても健康保険組合にとってもよいことでしょう。 ちなみに、上記は財務省の観点から書いたものです。政治家の観点からは、医師や薬局の票が減りかねない危険な案に見えるでしょうから、採用されるか否かは何とも言えませんが(笑)。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    麻生氏の「通院なし70歳以上に10万円」案は理にかなっている

    ティーで、「70歳以上で、年に1回も通院しなかった人には10万円あげる」と、大胆な提案をした。膨らむ医療費を削減するためのアイディアだが、麻生氏は、以前にもこんな発言をしている。「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、インセンティブ(動機づけ)がないといけない。予防するとごそっと減る」 この「ごそっと減る」には2つの意味がある。もちろん前述の問題にあった高齢者の患者数そのもの。そしてもう一つは、増大を続ける「医療費」の問題だ。 厚生労働省の資料によれば、平成22年度の「国民医療費」の総額は37.4兆円。これは昭和60年度と比較すると2倍以上となっている。このうち75歳以上の後期高齢者の医療費に絞れば、昭和60年度は4兆円だったものが、平成22年度には12.7兆円。なんと3倍に膨れあがり、全体の34%を占めているのだ。 特筆すべきは、そうした医療費における1人あたりの自己負担額及び保険料である。再び麻生氏の弁。「生まれつき体が弱いとか、ケガをしたとかは別の話だ。食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」 実際に、増大する高齢者医療を支えるために、若い世代が、医療費に対して倍以上の負担を強いられているのだ。 現在、医療費における患者負担は、義務教育就学後~69歳は3割、70歳以上は1割(住民税課税所得が145万円以上の者は3割)となっている。このうち70~74歳については、今年4月1日から2割負担となる予定だったが、今月6日、来年度以降に先送りされることが決まった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「参院選を睨み、政府が票田である高齢者の反発を避けたのではないかといわれています。負担増によって受診を控えてしまい、病状の悪化が懸念されるという反対意見がありましたからね。ただその一方で、今後団塊の世代が次々に70歳代に突入すると、負担がさらに増大するのは目に見えています」(全国紙記者) その意味でも、今回の麻生プランは理にかなっている。病気でもないのに病院に来れば、当然医療費が発生する。だからインセンティブを出し、高齢者が不要不急の通院を減らせば、医療費は減り、さらに空いた時間で本当に必要な人が医療サービスを受けられる、という話なのだ。関連記事■ 麻生氏の「自民支持者は新聞不要論」が説得力持つ理由■ 麻生氏「ナチス発言」報道でメディアの場当たり的姿が露わに■ 麻生氏はなぜ福田次官をかばい、首相は更迭方針撤回したのか■ 麻生氏が「悪いのは昭恵だろう!」と怒鳴る声が役人に話題■ 安倍退陣なら後継に麻生氏か メディアも麻生番増強へ

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    4月の診療報酬改定で「大病院」→「かかりつけ医」へシフト

    診る場合の報酬がひと月2160円増える。 増え続ける高齢者が大病院に集中すると、重症者や救急患者への医療提供に支障が出てしまうため、一般の患者を地域のクリニックに誘導する必要に迫られている。だからこそ、国は「かかりつけ医」優遇に動いたわけだ。『かかりつけ医は選ぶ時代』(北國新聞社刊)の著者で金沢市・ティーズ内科クリニック院長の土山智也医師が言う。「今でも大病院を受診するにはかかりつけ医の紹介状が必要で、紹介状がない場合は5000円以上の定額料金を診断料とは別に取られる。今後はますます大病院での受診がしづらくなると考えられます。 患者にとって、かかりつけ医の存在はこれまでより大きくなり、大げさな話ではなく、かかりつけ医に自分の命を預けることになるのです」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) もしかかりつけ医が判断を誤れば、大病院を受診する前に病状が悪化し、手遅れになる可能性もある。「近所にあるから」といった安易な理由でかかりつけ医を選ぶと、後悔することになりかねない。関連記事■ やたらと多くの診療科目を掲げている町の診療所 注意が必要か■ 病院で混雑を避ける方法とTVで有名な名医の診察受ける方法■ かかりつけ医の見分け方 多い診療科目、出身大学の注意点■ 良かかりつけ医の見分け方 病院のスリッパ、雑誌も判断材料■ かかりつけ医の見つけ方・医師の本音や外国の事情が分かる本

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    みんな、まるちゃんが好きだった

    漫画家、さくらももこさんが53歳の若さで亡くなった。代表作『ちびまる子ちゃん』の主人公、まるちゃんはさくらさん自身の子供時代を投影したものだったという。「みんな、まるちゃんが好きだった」。こんなタイトルをつけて、さくらももこさんの追悼特集をお届けしたい。

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    がん闘病を告白しなかったさくらももこは心底すごいと思う

    くの人が応援し、さらには同じ病気で悩んでいる人を励ますこともできる。良い時代になったと思う。同時に、医療が発達して「がん≒死」というイメージが払拭された結果だとも言える。 一方、これだけ多くの人が闘病をカミングアウトしている時代は、医療者泣かせの時代でもある。告白しないほうが少数派「私が読んでいるこのブログの人はこういう治療をしているがどう思うか」「この芸能人が通っている免疫療法クリニックを紹介してくれ」「余命半年と私は言われたが、このタレントさんは私と同じ状態でもう10年も生きているがどう思うか」 ご丁寧に、その有名人のブログをプリントアウトした紙を持って来院する人もいる。検索が過ぎる人ほど、間違った情報を仕入れているケースが多い。 そうしたブログに(無作為に)掲載される治療法やクリニックの広告も、中には首をかしげざるを得ないものもある。グーグルに頼る前にちゃんと検診を受けて、まずは主治医の話に耳を傾けてほしいのだ。患者さんの誤解を解くことから治療を始めなければならないことも多く、悩ましい問題である。 むしろ昨今は、「病気を周囲に告白しない」ほうが少数派ではないだろうか。 先日、53歳の若さで亡くなられたさくらももこさんの死は「なぜ、がんの報道、闘病の報道がなかったのか?」ということが、余計世間に衝撃を与えたようにも見える。「黙っていた、隠していた」こと自体が大きく報道されるなど、25年前には考えられなかったことである。 詳しい病状は一切明らかにされてはいないが、かなり以前より乳がんの闘病をされており、ごく親しい人にしか打ち明けていなかったという。強い人だったのだろう。 2年前にさくらさんと同じ乳がんで、51歳の若さで旅立たれた『ちびまる子ちゃん』のお姉さん役の声優、水谷優子さんの死を知ったとき、あるいはたった3カ月前の、「まる子」の永遠のアイドル、西城秀樹さんの死を知ったとき、さくらさんはどんな気持ちだったろうか。「実は私も…」とつい告白してしまいそうな状況だったと想像するが、さくらさんはそれをかたくなにしなかった。2018年5月、西城秀樹さんの葬儀・告別式で弔辞を読む野口五郎(右、代表撮影) 日本中の誰もが知る国民的漫画家であるのに、さくらさん自身は、ほとんどメディアに出ることはなかった。『ちびまる子ちゃん』の作品性への影響を考えてのことだったかもしれない。  がんを告白するのも勇気なら、今の時代、しないこともまた勇気だ。そして、どちらの勇気も肯定されるべきだと私は考える。漫画業界こそ働き方改革が必要 あなたが誰かからがんを告白されても、間違っても、自分が見つけてきた治療法や健康食品や根拠の薄い情報を勧めるような善意の押し付けをしてはいけない。また、告白されなかったからと言って、「なんで教えてくれなかったの!?」などと責めたりするのは愚の骨頂だ。 がんになったからといって、「がん患者」としてあなたに扱ってほしいのではなく、今までと変わらぬ付き合い方をご本人は求めているはずだから。 それにしても、漫画家という職業は短命の人が多い印象がある。作品の産みの苦しみと闘いながら、長時間机に向かい続ける仕事。当然、疲労がたまり血流も悪くなる。 売れっ子であればあるほど、運動不足になっていくのではないだろうか。そして、締め切りというプレッシャー。あれほど精神的に追い詰められるものはない。漫画業界こそ、働き方改革が必要だと思われる。 睡眠時間さえ確保するのが難しいであろう多忙な人に、運動する暇などないのかもしれない。しかし、そういう人はただ歩くだけでいいのだ。 事務所に移動するまでの距離を一駅分だけ歩いたり、夕食の買い物は、わざと遠いスーパーまで出掛けたりと、工夫次第で歩行距離は増やせる。1日1キロ歩行距離を増やせば、1年間で365キロ多く歩いたことになる。 2016年に、米国立がん研究所、米国立衛生研究所、米国がん学会の合同チームが、ウオーキングなどの運動を習慣にすると、13種類のがん発症リスクが下がるという研究結果を発表している。内訳は以下の通りだ。<食道がん(42%) 肝臓がん(27%) 肺がん(26%)腎臓がん(23%) 胃がん(22%) 子宮体がん(21%) 骨髄性白血病(20%)骨髄腫(17%) 結腸がん(16%) 頭脛部がん(15%) 直腸がん(13%) ぼうこうがん乳がん(10%)>2018年8月、作者のさくらももこさんが死去し、静岡市内の「ちびまる子ちゃんランド」に設置された記帳台で記帳する来場者 もちろん、漫画家に限ったことではない。座りっぱなしの仕事の人は、ぜひ少しだけライフスタイルを改めてほしいのである。私も24時間365日年中無休の町医者のため、規則正しい生活とは無縁の人間だ。偉そうに言える立場ではないのだが、在宅患者さんへの往診で日々歩き回っているため、60歳を過ぎてもまあまあ健康でいられるのかなあと思う。 この原稿を終えた今から、乳がん患者さんのところに往診に行く。西城秀樹さんが歌ったちびまる子ちゃんのテーマ曲、『走れ正直者』を歌いながら、尼崎の町を歩く。

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    「がん治療に100%はない」さくらももこの訃報に思う

    術が進めば進むほど情報が増えて錯綜し、100%の答えを出すことが難しくなっています。そして、これだけ医療が進歩しても治しにくいがんがあることも事実なのです。国立がん研究センターがん予防・検診研究センター つまり、がんといわれたら、治療すべきか経過をみるべきか、手術するのかしないのか、抗がん剤や放射線治療をするのかしないのか、正直そのがんによって選択肢は全く異なるということになります。悪性リンパ腫の中でも濾胞性リンパ腫とびまん性大細胞型リンパ腫があるように、同じ名前の一つのがんでも、本当にさまざまな多様性があるのです。 当然、同じ名前のがんでも、治療への反応が違うし、個人でも反応が違います。そのようなことを考えた上で、現場では個別に治療を変える必要が出てきていますし、悪性度、個人の状態によって薬の量を変えることなどはもう当然のこととして現場で行われています。最適ながん治療との向き合い方とは このように、がんの多様性を知れば知るほど、全てのがんに効果のあるとうたう健康食品などは間違いということが理解できると思います。そういろいろながんがあるのに薬が一つでいいわけないのです。 このことを踏まえた上で、今現在ある最適ながん治療との向き合い方はなんでしょうか。最善の方法は医療者との信頼関係の構築、良好なコミュニケーションになります。 患者さんは、がんの種類とは関係なく、年齢、価値観、社会的状況、経済的状況、いわゆる生き方(宗教など)によって全く異なります。その意味でも、どのように治療を行っていくかは医療従事者と患者さんのコミュニケーションによって成り立ちます。 今、医療従事者ができることは、エビデンスや医学的アセスメントに基づき、意思決定のためにさまざまな情報を与えることになります。1・十分な情報提供からの治療選択肢の提示、医学的助言、意思決定の支援(がん治療の緊急性、生命予後などの情報)2・医療の提供(副作用に対処しながらさまざまな治療法の実施)3・患者の教育機会の提供(治療における必要事項など) 正直その医療の質はかなり異なりますし、専門的な部分も多くわかりにくいものです。そして、その情報を患者自身が確認した上でできること、すべきこととして以下の3点が挙げられます。1・治療への能動的参加(受動的ではがんが治っても寝たきりになってしまう恐れ、リハビリなど)2・さまざまな自己管理(タバコ、アルコール、リハビリなど)3・精神的安定を含めての医療者とのコミュニケーションの継続(気軽に話し合える、弱音を出せるなど)さくらももこさんのオフィシャルブログに掲載された死去のお知らせ これらを踏まえた上で患者の自己決定権に基づき治療法を決め治療を継続していくことがより良いがん医療となります。 私が最終的に患者さんたちに答えとして言えることは「がんはまだまだわからないことがいっぱいあります。だから今はっきりと証明されている一番いいといわれていることを医療者と一緒に淡々とやっていきましょう。答えは100%ではないかもしれませんが、最大の確率で恩恵が受けられます」です。俗にいう「標準治療」ということになります。 その上で信頼できる医療者と切磋琢磨(せっさたくま)し、新しい情報をしっかり整理し、自分の価値観で予防法、診断法、治療法などを決めていってください。その「標準治療」で稼いだ時間でまた次のいい治療が受けられるかもしれません。

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    10年近く闘病していたさくらももこさん 夏前に急激に悪化

     漫画家のさくらももこさんが8月15日、乳がんのため亡くなった。53才だった。《深い悲しみがまとめて湧いてきた。今、目の前にいる大切な人達とも、いつの日かを境に二度と会えなくなるのだと思うと、悲しすぎると思い、毎晩布団の中でむせび泣く日が続いた。むせび泣きは、一年以上続いていたように思う。》(『おんぶにだっこ』小学館刊) さくらももこさんは、祖母と近所のおばあちゃんの死に直面した5才の頃を回想し、そう綴った。 日常の中にある子供の瑞々しい感覚を、絶妙なタッチで描き出した国民的漫画『ちびまる子ちゃん』。テレビアニメとしては28年間も放送が続いている。主人公・まる子のモデルはさくらさん自身だという。怠け者で、お調子者だが、子供らしい鋭い感受性を持った女の子だった。「さくらさんの乳がんの闘病はもう10年近くになるはずです。40代半ばでのがん発覚後も治療を続けながら仕事のペースは落ちず、以前と変わらず穏やかな笑いのある漫画を描き続けていました。しかし、近しい人以外にはがん闘病のことは一切明かさず、病気と向き合っていました。感性の塊のような人なので、孤独の中にさまざまな葛藤があったと思います」(さくらさんの知人) 病気が発覚したすぐ後に、東日本大震災(2011年3月11日)が起きた。さくらさんは、直後は作品中では触れるべきではないと考えたが、震災1週間後、まる子が花畑の中で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描いた。その後2週間、新聞の連載を休んだ。さくらさんはその時期が本当につらかったと振り返っている。 優しく穏やかで明るい日常を描き続ける一方で、その繊細な感性で「死」とも向き合い続けていた。「病状はずっと膠着状態でしたが、この夏前になって、急激に悪化したそうです」(前出・知人)※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 東京都心にある自宅からすぐ近くにある総合病院に通って治療を続けていたようだ。奇しくも、そこは、乳がん闘病の末に昨年、命を落とした元アナウンサーの小林麻央さん(享年34)もがん発覚直後に通っていた病院だった。「最期は、静岡から上京して都内の自宅で一緒に暮らしていたご両親や20代半ばになった息子さんらに看取られたそうです」(前出・知人)関連記事■ 市川海老蔵、麻央さんと住んでいた一戸建ての売却を検討■ 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?■ 小林麻耶 ”海老蔵似”夫と手つなぎデートで幸せ絶頂写真5枚■ 告別式で奇跡のブラスバンド 20歳で逝った若者の生き様■ 「誤診がん」の恐怖 12人に1人が検診で間違われる衝撃調査

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    東京医大「差別入試」は必要悪?

    東京医科大が女子や3浪以上の受験者の得点を一律減点し、合格者数を抑制していたことが明らかになった。受験者の属性による「差別入試」の背景には、女性医師の高い離職率などがあったようだが、それを必要悪と短絡的に受け止めてもいいのか。議論の核心を読む。

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    医学界に蔓延する女性差別、現役女医が明かした「男社会」の現実

    山本佳奈(医療ガバナンス研究所内科医・研究員)  東京医科大が女子受験生を一律減点し、恣意(しい)的操作を行っていたことが発覚した。裏口入学に続いて、あきれた実態が続々と明らかになっている。前代未聞の不祥事であり、海外でも報道され注目を集めている。 新聞報道によれば、2010年の医学科一般入試において、女子の合格者数が全体の38%に達したため、2011年頃から女子受験生を一律に減点し、女子の合格者数を3割に前後に抑えていたという。 その理由として、女子は結婚や出産で医師を辞めるケースが多いことや、緊急手術が多く勤務体系が不規則な外科系の診療科では「女3人で男1人分」と、出産や子育てを経験する女性医師は男性医師ほど働けないことを挙げていた。系列の病院で勤務する医局員不足を懸念しての「必要悪」であり、「暗黙の了解」であったという。 報道の翌日、勤務先の病院の女性医師の医局部屋では、この話で持ち切りだった。「女子だからって減点するなんてひどい」「子育てしながら働いているのに」「女医が辞めざるを得ない環境を改善することが大事なのに」「某私大もそうみたいよね」などと議論は尽きなかった。 一般的に女子の方が男子に比べて優秀な受験生が多く、普通に試験をするとどうしても女子が多くなるという。どうしても男性の方が多く欲しいのであれば、良いか悪いかは置いておくとして、募集要項に男女各々の募集人数を堂々と書けばいい。受験生は、その募集要項に従うしか選択肢はないのだから。どうして、水面下でコソコソと女子だけ不利に扱うのだろう。不正入試問題の内部調査報告を受けて記者会見に臨む東京医科大の行岡哲男常務理事(左)ら2018年8月7日、東京都内のホテル(斎藤良雄撮影) 私自身、医師になりたい一心で受験勉強をしてきた。高校1年の夏、医師を夢見て勉強を始めた。同時に、思春期真っ盛りだった私は、体型を気にしてダイエットを始めた。いつの間にか、摂食障害に陥っていた。1年半後のある日、「明日死んでしまうよ」と私は医師から宣告された。摂食障害を克服できたのは、医師になりたいという強い思いだった。それを支えてくれたのは、高校の担任教諭であり、両親だった。 一浪し、なんとかつかんだ医学部合格だった。予備校時代、多浪するほど医学部に入りにくくなる、なんて噂は聞いたことがあったが、医学部入試で女子差別がされているとは夢にも思っていなかった。今もそうだが、私が受験生だった時も、国公立のほとんどの医学部で男子の合格者数の方が女子よりも多かった。 この事実について、私自身まったく疑問を持っていなかった。というのも、生まれ育った関西には、中学入試で偏差値の高い私立男子校が大阪や京都、神戸、奈良に何校もある。一方で、女子校や共学は少なかったからだ。中高の教育レベルが、医学部の合格者数に比例するのだろうと勝手に思っていた。女子差別の実態があると知っていたら、それでも私は医師を目指していたのだろうか。「退職」ではなく「転職」 医学生の頃は、憧れを抱いたままだった。医学部5年時の病院実習(「ポリクリ」と呼ばれていた)は、あくまで見学であり、実際に働く訳ではない。ある外科を研修していると、女性医師が「女を捨てた」と言っているのを聞き、外科系は出産や子育てなどができない、と学生ながら感じることもあれば、別の科ではオンオフがはっきりしているから「女性も働きやすいよ」としつこく言われた。 だが、初期研修医になると、医師としてさまざまな診療科を回り、各診療科の仕事内容やハードさを、身をもって体験する。仕事も続けたいが、いつかは出産も育児もしたい。だから、緊急手術や夜間の呼び出しの有無、身体的・精神的に耐えられるかどうかなど、女性として働くことが可能かどうかを考え、初期研修を終えるまでに診療科を選ばなければならなかった。いや、むしろ診療科を切り捨てて行った、という方が正しいのかもしれない。 東京医大の言い分が正しいのかというと、当然ながら正しくない。一般に、女性の労働力は、結婚や出産期に当たる年代にいったん減少し、育児が落ち着いた頃に再び上昇することが知られている。これを「M字カーブ」というが、女性医師も例外ではない。 平成18年度厚生労働科学研究「日本の医師需給の実証的調査研究」によると、女性医師の就業率は、医学部卒業後減少傾向を認め、卒後11年目(36歳)で76%まで落ち込んだ後、再び回復している。結婚や出産を機に医師を辞める選択をする女性医師がいることも事実だが、ベビーシッターを雇いながら勤務を続ける医師もいれば、出産後すぐに復帰して第一線で働く医師もいる。 さらに、多くの女性医師は職場や働き方を変えながら、医師を続けている。東京医大の経営者にしてみれば「退職」と同じだが、当事者の女医からみれば「転職」だ。東京医大の経営者は、自分のところで働く医師にしか関心がないのかもしれない。 実は、この点こそが今回の問題の本質である。医学部の入学試験は、単なる大学入試ではない。大学医局への就職試験という側面もある。大学経営者にとっては、卒業後医師として自らが経営する大学病院や系列病院で働いてくれる人を選ぶ「採用試験」でもある。だから、出産や子育てを理由に辞めてしまう、あるいは男性に比べて戦力にならない女性医師はいらない、ということになる。東京医科大学正門前=2018年7月4日、東京都新宿区(萩原悠久人撮影) 一律減点や裏口入学は、実は医大経営者の本音を表しているのだ。だが、医学部は教育機関であるにもかかわらず、医学部合否の基準に卒後の働き方が入っていることを誰もおかしいと感じない。このことが、問題の根深さを象徴している。 実は、これは入試に限った話ではない。医局の勧誘や専門医制度も、医師や医局員不足対策として「囲い込み」をしているにすぎないのだ。 大学5年の時、病院実習として各科をローテーションした。その度に、医局説明会や歓迎会に誘われた。それはまるで部活の歓迎会のようだった。県内に残ることを説得され、「女医は医局に入らないと仕事を続けられないよ」と毎回脅された。 研修医2年目の秋ごろだったと思う。母校の産婦人科教授が、はるばる当時私が勤めていた福島県南相馬市までやって来た。産婦人科を志望していた私に会うためだった。その後、「母校に帰って来なさい。専門医を取得しないと将来の可能性を狭める。母校の産婦人科プログラムは入局を求めているが、個人を縛るものではない。あなたのことが心底心配だ」と何通もメールが来た。それほどに医局員を欲しているのかと驚くほどだった。3年目の医師になり、教授からのメールはパタリと来なくなった。「男社会は仕方ない」 本来、教師は生徒の味方だ。だからこそ、多くの人が社会に出てからも、何か困ったことがあったときに恩師に相談する。ところが、医学部は違う。教授は医局の「経営者」でもある。一人でも多くの若手を囲い込みたい。いろんな理屈をつけて、縛り付ける。それが分かっているから、在校生の時も、もちろん卒業してからも、教授に相談したことは一切ない。 その典型が専門医制度だ。この制度では、若手に「専門医」という肩書をチラつかせ、医局員として働かせている。それにしても「専門医」とは何なのだろう。専門性とは一生かけて取得していくものではないのか。たった数年で取得できるはずがない。まして、学会費を支払い、学会に参加し、決まった症例数と決まった年数をクリアすれば取得できるなんて、どう考えてもおかしな話だ。 ただ、これは医学部教授から見れば有り難い。最も働いてくれる30代前半までの医師を囲い込み、後期研修を終えれば、「雇い止め」することができるからだ。そして、新たな若手を「教育」という名の下で縛り付ける。普通の職業なら、こんな有期雇用は認められない。 裏口入学は、世間でいう「コネ入社」と同じだ。医師になるための切符をくれた大学には一生頭が上がらない。医局員として一生働き続ける。大学の経営者にしてみれば、裏口入学を認めた代わりに、ずっと働いてくれる医局員を確保できる。お安い御用なのだろう。 某私大の皮膚科医局に所属している友人によれば、医局スタッフの約8割を占めている女性医師が、産休や育休を理由に医局を辞めるケースが後を絶たず、特に入れ替わりが激しいという。しかも、女性医師が多いために時短制度を導入できず、フルで勤務せざるを得なくなり、途中でリタイアしてしまう女性が多いそうだ。だから、教授も女性の入局希望者を採用したがっておらず、医局スタッフでさえ男性の入局希望者を優先させたがっているらしい。 この状況は、大学経営者や教授にとっては「女は使えない」ことに等しいが、われわれ女性からみれば「男社会は仕方ない」ことになる。教授や系列病院の部長を目指し、滅私奉公することを私は求めない。 ある病院の産婦人科で研修をした大学6年の時のこと。定時(9時〜17時)で働いている女性医師が患者の急変に気がつかなかったようで、フルタイムで勤務している女性医師が彼女を責め立てていたことがあった。「急変時に対応できないなら、勤務しない方がマシだ。結局フルで働く私たちにしわ寄せがくるんだ」と。定時で帰ってしまう医師をフォローし合うという意識が全く感じられなかったことは、学生ながら残念に思った。 私が医師を目指したのは、大学教授のような「肩書」が欲しいからではない。患者さんを診察して治療し、患者さんに寄り添っていく中で、医療と医学の両方を学びたいからだ。私は、大学医局には属さず、新専門医制度にも登録しなかった。福島県と東京都で臨床医として働きながら、臨床研究にも取り組んでいる。画像:Getty Images 女子受験生を一律減点し、恣意(しい)的に合格者数を抑制していたことは、女子差別であるとしか言いようがない。だが、根底に隠れている問題は、医学教育という名の下、大学において入試や専門医の名を語った医師の囲い込みや就職活動が行われているという現状があることである。そこは典型的な「男社会」だ。私はそのような人生を送りたくない。おそらく同様に感じている女性医師も多いだろう。 こうした現状を打破するには、医学部と大学病院を分ける、といった対応が必要だろう。今こそ「女性差別」という問題だけで終わらせることなく、その裏に隠された医学教育という名の下の体制や慣習にメスを入れる時なのではないだろうか。

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    「男と女どちらが優秀?」差別入試、この議論をしても意味がない

    れどころか「差異の検証」に終始することは、差別の正当化を暗黙に容認する結果すら導いてしまうだろう。「医療現場を調べたところ、男性医師は女性医師より出産による離職率が低いので女性より優秀であることが実証された。よって優秀な男子を入試で優遇することは正当化され、差別ではない」といった結論が出てしまいかねない。もしくは、極端かもしれないが、「女性医師の出産による離職が問題なので、女性医師の産休、育休を認めない」とか、「一定数の女性を強制的に外科や救急に配属し、出産を制限する」などの不当な処遇が「男女平等」の未来予想図にされてしまう可能性もある。2018年8月、東京医科大前で「#女だからというだけで」と書かれたプラカードを掲げ、抗議活動する女性 私たちは今一度、何をどうすれば「平等」だと言えるのか、そのイメージを明確にしなければならない。求めるものは何なのか。性別による差異があることは前提として、その差異をどう扱えばより社会的な理想に近づけるのか。 男性医師と女性医師の差異をあげつらって「どちらが優秀か」などと泥仕合をしている場合ではない。また、ある分野で特に男性医師の労働力が求められているからといって、そこへ全員の医師が照準を合わせなくてはならない前提を疑ってかかることも必要だろう。 本件をきっかけに、私たちは男女平等のあり方と医療現場の現状を考えるべきである。しつこいようだが繰り返したい。何をどうすれば「平等」だと言えるのか、はっきりしたイメージがないままに男女差を検証するだけの不毛な議論は、もう終わりにしたい。

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    教授に媚び製薬会社にたかる「白い巨塔」が差別を生んだ

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 東京医科大が世間の注目を集めている。裏口入学が状態化していたことに加え、8月2日、入試で女性受験者の点数を一律に切り下げていたことが明らかになった。このことは海外でも報じられ、言うまでもなく前代未聞の不祥事である。 報道等によれば、東京医大による女子合格者の抑制は2006年から始まったという。2010年の医学科の一般入試では、女子の合格者数が69人と全体(181人)の38%に達したことに強い危機感を抱いたらしい。大学関係者は取材に対し、出産や子育てを抱える女性医師は男性医師ほど働けないと説明している。特に、外科系の診療科では「女3人で男1人分」との言葉もささやかれていたという。 私が驚いたのは、メディアのこのような論調に誰も疑問を呈さないことだ。今回、問題が発覚したのは東京医大の入試である。東京医大病院の就職試験ではない。どうして、入試の合否の基準に卒業後の働き方が考慮されるのだろうか。 医師不足が深刻な社会問題となっている昨今、確かに彼らの言い分は一定の説得力を持つ。男性と比較して、女性が働き続けるのは困難を伴う。激務の医療現場ならなおさらだろう。 ただ、この問題は医療界に限った話ではない。医療界でも看護師は同じ問題を抱える。日本看護協会をはじめ、看護師の業界団体も、この問題に取り組んで来た。安倍政権も女性活躍を目指して多くの政策を立案している。 医学部医学科以外で、卒業後に大学で学んだ技術を用いた仕事に就かないから、入試で差別する、というばかげた主張がまかり通ることはない。 なぜ、こんなことが真剣に議論されるのだろうか。それは東京医大の場合、医師国家試験に合格した卒業生の大半が、東京医大病院をはじめ系列の病院で働くことになるからだ。つまり、大学入試が「東京医大グループ」への就職試験を兼ねていることになる。おそらく、このような形で運用されているのは、大学の学部では医学部だけだろう。 医学部教授は学生を指導する教員であると同時に「病院の経営者」でもある。病院経営の観点から考えれば、給与が安くてよく働く若手医師をできるだけ多く確保したいというのが本音である。 東京医大に限らず、若手医師の待遇は劣悪だ。東京医大のホームページ(HP)によれば、東京医大病院後期研修医(卒後3から8年程度の若手医師)の給料は月額20万円だ。これに夜勤手当、超過勤務手当てなどがつく。この給料で、新宿近辺でマンションを借りて生活しようと思えば、親から仕送りをもらうか、夜間や休日は当直バイトに精を出すしかない。 しかも、この契約は3年間で満了となり、その後は一年契約となる。さらに常勤ではなく、仮に妊娠した場合、雇用が契約されるか否かは、東京医大に委ねられる。 大学病院経営の視点から考えれば、女性より男性が安上がりであることは間違いない。男性はめったに産休などをとらず、待遇面での不満や特別な事情でもない限り一生働き続けるからだ。入学試験の成績が多少悪かろうが、男性を合格させたいという考えも理解はできる。東京医科大学内に入る女性ら= 2018年 8月2日、東京都新宿区(吉沢良太撮影) 実は、このような主張も屁(へ)理屈だ。女医に限らず、女性は出産・子育ての時期に一時的に仕事を離れることが多い。これを「M字カーブ」という。 少し古いが、2006年の長谷川敏彦・日本医科大学教授(当時)の研究を紹介しよう。この研究によれば、医師の就業率は男女とも20代は93%だが、30代半ばで男性は90%、女性76%と差がつく。メディアは、このことを強調する。 ただ、これは今回の不正入試の本当の原因ではない。東京医大が主張する通り、入学者の4割が女性になったことが問題で、これを全国平均の3割に抑えたとしても、それで増加する医師はわずか1人である。その程度の効果しかないのに、東京医大の幹部が不正のリスクを冒したのはなぜなのか。教授に媚びる男性医師 問題の本質は、結婚や出産した女性医師が職場を変えることだ。本件に関して言えば、東京医大病院や関連病院を辞めてしまう、ということである。 例えば、東京医大の内科系診療科の場合、HPに掲載されている循環器内科など8つの内科系診療グループのスタッフに占める女性の割合は、教授・准教授で5%、助教以上のスタッフで22%、後期研修医で37%だった。女性は年齢を重ねてキャリアが上がるにつれて、東京医大病院で働かなくなっていることが分かる。 医師の平均的なキャリアパスは24歳で医学部を卒業し、2年間の初期研修を終え、その後、3~5年間の後期研修を受ける。その時点で30代前半になる。 その後のキャリアは雑多だ。東京医大の場合、「臨床研究医」などの医局員を経て、助教、講師へと出世していくようだが、速い人であれば40歳代前半で准教授となる。 大学病院は教授を目指した「出世競争の場」である。主任教授になれば、医局員の人事を差配し、製薬企業や患者から多くのカネを受け取る。東京医大のある内科教授は、2016年度に115回も製薬企業が主催する講演会の講師などを務め、計1646万円もの謝金を受け取っていたことが明らかになっている。 大学で出世するためには、安月給でも土日返上で働き、論文を書かねばならない。一方、私大医学部の経営者は、医師の名誉欲を利用する。知人の私立医科大の理事長は「大学の肩書をつければ、人件費を3割は抑制できる」と打ち明けてくれた。 ところが、女医にはこの作戦は通用しない。医師の世界で男性は保守的、女性は進歩的なケースが多い。食いっぱぐれのない医師は、親が子供に勧める職業の一つである。男性医師の多くは親や教師の勧めに従順に従って、医学部に進む。だが、女性は違う。苦労を知りながら、「女だてら」に医師になる。多くの女医は、狭い医局の世界で出世争いに汲々(きゅうきゅう)とする男性医師を見て嫌になり、医局を辞めていく。 週刊ポストは8月10日号で、製薬企業からの謝礼が特に多い主要医学会の幹部医師50人の実名を公開した。その中に含まれる女性医師はわずか1人だった。 大学病院から女医が去って行くのは、勤務体系が劣悪という理由だけではない。診療や研究そっちのけで、教授に媚(こ)び、製薬企業にたかる体質に嫌気が差しているからだ。東大医学部を卒業した知人の女性医師は「男性は本当に肩書が好きですね。私たちには分からない」と本音を漏らす。画像:Getty Images 国民の視点に立てば、女医はどこで働いてもらってもいい。彼女たちが育児と両立しやすい職場に移ればいい。象牙の塔を離れ、市中で診療してくれるのは、むしろ有り難いことだ。 彼女たちが大学病院を辞めて本当に困るのは、経営者だけである。とりわけ、彼らは「女性は使えない」と思い込んでいる。だからこそ、女子受験者を一律減点し、入学を制限しようとしたのである。 大学教育とは一体何なのか。むろん学生を育てることである。それは医学部だろうが、他学部だろうが関係ない。ところが、東京医大は学生を自らが経営する大学病院の「労働者」としてしか見ていない。 この問題を解決するには、情報公開を徹底するしかない。さらに、大学病院を医学部から分離する、あるいは卒業生の入局を制限するなどの対応が必要だろう。 これは学生にとってはプラスである。進学校から医学部に進み、そのまま入局して、一生母校の医局にいたら、まともな人間になるはずがない。不正に関与した東京医大の幹部はまさに反面教師である。 近年、大学医学部で不祥事が続発している。今こそ、学生教育という本来の目的に立ち返り、徹底的に議論し改革を促すべきだ。

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    東京医大「差別入試」 気になる違法性はここが分かれ目

    、前時代的かつ働き方や資格制度の在り方といった問題の本質から目を背けている。 確かに大学病院は、地域医療に多大な貢献を行い、それぞれの医師が寝る間も惜しんで医療サービスを提供している実情があること、その職場環境が非常に厳しいものであることは理解できる。 しかし、試験の結果は当然、知識力や思考力や判断力、さらにそういった能力を培うための、本人の継続的な努力によって形成されたものである。今回の東京医大の対応は、「試験時点」の「能力で勝る女性医師の卵」と「能力で劣る男性医師の卵」を比べ、後者の方を優先させるという判断をしたものだ。しかし、上記したような能力で劣るものを優先して、本当に医療サービスの確保を目的としているといえるだろうか。 少なくとも、「医療サービスの確保」を理由に正当化するのであれば、その理由についての明確な根拠が必要であろう。 東京医大レベルの医学部入試のためには、多くの受験生が高額な費用を予備校に払い、浪人も厭(いと)わずに受験に臨む。さらに入試にはその学校独自の特性もあることを考えると、この学校に入りたいと思って受験している学生の中には、受験前にこうした事情を知っていれば、「そもそもこんな大学は候補に入れない」という受験生も多くいたことだろう。 仮に大学が本気で男性を優先的に合格させたいのであれば、それを明言すればよかった。しかし、そのような対処をすると大学としての評判を下げ、結果的に人気校と言えなくなることや、女性の進出に否定的な大学といった風聞が立つ。そうなれば自身のブランディングに影を落とすことを気にしたのだろう。 こうした受験生の状況も考えると、性別の評価要素は説明が必要な重要事項であろう。事前の告知が一切受験生にされていないということが重要な問題点だ。そして説明をしなかった以上は、後から「性別が実は大事な要素だ」というのは不合理な主張と考えられる。(ゲッティイメージズ) 今回の試験について、仮に性別を考慮することが他事考慮といえる場合、女性受験生が法律上できると考えられるのは、慰謝料請求、損害賠償の請求と、試験に合格したとして東京医大の学生としての身分の確認請求を行うことだ。 本来合格だった者が、不合格を言い渡されることは、その者に精神的苦痛を与えるものであり、さらには知っていれば受けなかった受験生らの無駄になった受験料なども損害といえ、慰謝料請求や損害賠償の請求が可能であると考えられる。 さらに、性別による評価が他事考慮であるとすれば、その点数分はいわば「採点ミス」である。このような「採点ミス」の結果不合格になった者を再度評価し、合格点を超えていれば、その学生には東京医大での学生の地位が与えられる可能性がある。 もちろん、その地位を「当該女性が望むのであれば」ということにはなるが。

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    「女性医師が担当なら死亡率が下がる」──異色論文の根拠

    イムスなど一般紙からツイッターまで、メディアやSNSでの引用状況をもとに論文の影響力を評価している。医療関係者はもとより、一般社会にも大きなインパクトを与えた、という評価です」(医療経済ジャーナリストの室井一辰氏)「メディケア患者」とは、米国の高齢者医療制度を利用している患者のことで、調査対象となったのは、2011~2014年の間に、米国で肺炎や心疾患、慢性閉塞性肺疾患などの病気で内科に入院した65歳以上の男女約150万人だ。入院日から30日以内の死亡率と、退院後の30日以内に再入院する確率を、女医が担当したケースと男性医師が担当したケースとで比較した。 その結果、女医が治療を担当した場合の死亡率と再入院率は男性医師と比べて、共に約4%低いという結果が出たのだ。女医なら3万人死亡者減 4%という数字は決して小さくない。論文執筆者で『「原因と結果」の経済学』(ダイヤモンド社刊)の著書もある、医師の津川友介・カリフォルニア大学ロサンゼルス校助教授が語る。女医さんが担当だったら喜ぶべし「4%というのは、過去10年間の医学界における死亡率の改善とほぼ同じレベルです。臨床において、日々、新しい薬や医療機器が開発されていますが、それらを全部合わせて10年蓄積した分と同じですから、臨床的にも意味のある数字だと考えます。論文の前提に立って、もし男性医師が女性医師と同程度の医療の質だったとしたら、全米で死亡者数を年間約3万2000人減らせる計算になります」 しかし、なぜ女医のほうが、死亡率や再入院率が低くなるのか。津川氏が解説する。<日本の女医もうなずいた「調査結果からは、女性医師のほうが男性医師よりも“リスク回避的”であることが分かりました。臨床ガイドラインとエビデンス(根拠)に基づく診療を忠実に守る傾向が強かったのです。 さらに、予防医療により多くの労力をかけており、コミュニケーションスキルも高い。患者さんの話をよく聞くこと、周りの医師にも相談することで、より慎重かつ個々の患者さんに適した治療が選択されているのだと思います」 こうした女医の細やかなケアが、高齢者の“異常”を上手く拾い上げた、と見られている。日本の女医もうなずいた 同内容の論文は医学界の“トレンド”でもある。「『メディカルケア』という学術雑誌に掲載された2016年のカナダでの研究によれば、女性医師にかかった場合、緊急手術を行なう事態になる可能性が17%低く、入院の可能性は11%低いと出ています」(前出・室井氏) 逆に、男性医師のほうが質の高い医療を提供しているとする研究結果はほとんど報告されていないという。この研究結果を女医たちは実感としてどう受け止めるのか。里見英子クリニックの里見英子・院長(内科医)は納得の様子で語る。「私は大病院での勤務経験が長いんですが、男性医師は患者さんを早く退院させることに重きを置きすぎる傾向にあると思います。回転率を上げたほうが病院から評価され、出世すると考えられているからです。ガイドラインから外れても、『自分が判断したからいいんだ』という考えが強いように思います。女性医師のほうが患者の話をよく聞き、ガイドラインを守るという指摘は、その通りだと思います」 津川氏は今回の研究の成果について、こう語る。「米国でも日本でも、担当医が女性であるというだけで不安に思う患者さんがいますが、データを見る限りでは、杞憂であることがわかります。米国では女性医師のほうが給与が安かったり、昇進が遅かったりすることが社会問題になっていますが、女性医師の診療の質が高いことが今回の研究で明らかになりました」 女医の割合がおよそ2割の日本の医療界は、米国以上に男社会といわれる。患者側が、「女医に当たってラッキー」と考えるようになれば、医学界も変わっていくかもしれない。関連記事■ かかりつけ医の良し悪し 受診中に注意したい4つのポイント■ 名医が教える 危ない“かかりつけ医”を見分ける薬の目安■ 病院で混雑を避ける方法とTVで有名な名医の診察受ける方法■ 死亡率減少する「内科は若手医師・外科は高齢医師」の根拠■ カルシウム摂り過ぎると死亡率2.6倍の根拠を医療専門家解説

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    夏の高校野球「朝日の熱中症対策」医師の私が言葉を失った理由

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 熱波がわが国を襲っている。7月23日には埼玉県熊谷市で観測史上最高の41・1度を記録した。東京の青梅市でも40度を超えた。 これは日本に限った現象ではない。共同通信によれば、米国カリフォルニア州デスバレーでは52度、ロサンゼルス近郊のチノでも48・9度を記録。さらに、北欧のノルウェーのバルドゥフォスで33・5度、フィンランドのケボでも33・4度を記録した。スウェーデンでは50カ所の森林火災が確認されているという。近年の地球温暖化はすさまじい。 私が初めて猛暑を実感したのは1994年の夏だった。後に「1994年猛暑」と記録される年だ。この年は、8月3日に東京都千代田区で39・1度を記録し、大分県日田市では22日間連続の猛暑日(最高気温が35度以上の日)を記録した。現在も破られていない日本記録だ。 この年、私は大宮赤十字病院(現さいたま赤十字病院)の2年目の内科研修医だった。7月半ば、私は意識障害で救急搬送されてきた50代の男性患者を受け持った。初診時の診察で体は焼けるように暑かった。正確な体温は覚えていないが40度以上はあったと思う。皮膚は乾いており、心電図モニターをつけると不整脈が頻発していた。血圧は低下しており、集中治療管理となった。 指導医が「典型的な熱中症」と教えてくれた。体外・体内から冷却し、10リットル程度の点滴を続けたが、状態は改善しなかった。やがて、全身に皮下出血が生じた。最終的には腹腔(ふくくう)内出血で死亡した。 この患者は工事現場の労働者で、猛暑の中での作業中に倒れた。熱中症による循環不全が生じ、播種(はしゅ)性血管内凝固症候群(DIC)という重症合併症を合併した。DICになると出血が止まらなくなる。このため、皮下出血がおこり、腹腔内にも出血する。これが、この患者の命取りとなった。気温が上がり、JR渋谷駅前の交差点を日傘を差すなどして待つ人たち=2018年7月23日、東京都渋谷区(松本健吾撮影) 私は大学時代まで剣道をしていた。真夏でも防具をつけて稽古をしていた。熱射病で死ぬなど、考えたことすらなかった。当時、研修医だった私に、この症例は強烈な印象を残した。 わが国で熱中症への関心が高まるのは、この年からだ。日経新聞が運営する新聞データベース『日経テレコン』を用いて、全国紙、および共同通信、時事通信、NHKニュースで報じられた熱中症に関する記事は、この年、前年の37報から229報に増加した。 厚生労働省も動いた。95年以降、熱中症による死者の統計を公開している。2010年までは5年ごと、2012年以降は毎年だ。 この統計のおかげで、猛暑の年に熱中症の患者が急増することが確認できる。2005年までは年間300例程度だったのが、2010年には1,731例に急増する。「観測史上最も暑い夏」と呼ばれた年だ。 2013年にも猛暑が襲う。この年は1077人が死亡した。この中には22人の10~30代も含まれる。詳細は開示されていないが、基礎疾患があるか、猛暑の中で激しい運動や労働を続けたのだろう。この年、前出の全国紙に掲載された熱中症の記事数は2567報と、過去最多を記録する。本稿を執筆している7月24日現在、今年の熱中症の記事数は2007報。2013年を抜くのは確実だ。携帯する人が増えた「OS-1」 このような多くの報道を通じ、わが国での熱中症の認知度は向上した。いまや、熱中症対策の根幹が水分補給であることは多くの人々が知るようになった。私も、夏場に高齢の患者を診察するときは、「水分を取るように」と助言することにしている。特に6月末から7月にかけては、繰り返し注意している。真夏に加え、この時期も熱中症が起こりやすいからだ。 真夏に熱中症が起こりやすいことは、誰もが想像がつく。ところが、梅雨の晴れ間や梅雨明けの急に暑くなったときが危険だとは、あまり認識されていない。 なぜ、この時期が危険なのだろうか。それは、体が暑さになれていないためだ。徐々に体を暑さに順応することを暑熱順化と呼ぶが、暑熱順化の効率には湿度が影響することが分かっている。 人体は発汗量を増やすことで、熱を発散し体温を下げる。しかしながら、周囲の湿度が高いと汗が蒸発しにくくなり、十分に発汗できない。 わが国の特徴は、6月に梅雨の影響で湿度が急上昇し、7月にピークを迎えることだ。この時期の東京の平均湿度は約80%となる。梅雨の晴れ間や梅雨明けに急に気温が上がったときには、体も慣れておらず、さらに湿度も高い。この結果、十分に汗をかけず、熱中症になりやすくなる。私が経験した症例も、この時期に起こった。 どうすれば、被害者を減らすことができるか。それは、こまめに水分を補充し、高温多湿な環境を避けるしかない。そのためには、日常生活での工夫が必要だ。わが国は、個人および社会のレベルで着実に変わりつつある。祇園祭の後祭。猛暑のなかの巡行で山鉾の足下もとはかげろうのようにかすんで見えた=2018年7月24日午前、京都市中京区(鈴木健児撮影) 例えば、筆者は毎週月曜日の16時から21時まで、ナビタスクリニック新宿で診療しているが、最近は「OS-1」などの経口補水液を携行している人が増えた。彼らは発熱、倦怠(けんたい)感を主訴(しゅそ)に受診しているのだが、来院前から熱中症の可能性を疑い、「OS-1」を飲んでいる。これは医学的に適切な対応だ。 「OS-1」は、2001年に大塚製薬工場が発売した製品で、水分だけでなく、汗で失った電解質も補充できる。所ジョージ氏のCMで有名だ。彼は、2010年に家庭菜園の手入れをしている最中に熱中症で倒れた。 「OS-1」は美味な飲み物ではない。それでも、患者さんが「OS-1」を購入するのは、それだけ、熱中症に対する認識が深まったことを意味するのだろう。 社会も変わった。屋外での作業時間を工夫するようになった。2011年に起こった福島第一原発の廃炉作業では、東京電力は午後2時から5時までの屋外の作業を控え、それ以外の時間でも作業員に対して、「クールベスト」と呼ばれる保冷剤入りの作業着を配布した。 今年は京都の夏の名物である祇園祭の花傘巡行が中止となった。着物姿の女性たち1000人程度が、午前10時から2時間にわたり、市内中心部約3キロを歩くのだが、主催者は暑さが許容レベルを超えていると判断したようだ。こうなると、猛暑を自然災害と見做(みな)したことになる。朝日の記事に唖然とした 夏と言えば高校野球だ。高校球界も対応に余念がない。滋賀県予選では、7月21、22日に4試合ずつ行う予定だった3回戦を午前開始の2試合のみとし、21-24日の4日間に分散した。暑い午後の時間を割けたことになる。 京都府予選では、午後1時半に開始予定であった第3試合を午後4時開始とし、第4試合は午後7時からのナイターにした。この日の最高気温は38・7度だったという。 おそらく全国各地で、同様のことが起こっているだろう。真夏のスポーツの在り方が変わりつつある。 全国高校野球選手権を主催する日本高校野球連盟と朝日新聞社も対応に余念がない。7月19日に各都道府県の高野連に対し、熱中症対策に万全を期すように呼び掛けた。 全国選手権では、スポーツドリンクや氷囊(ひょうのう)も準備するそうだ。1日あたり14-8人の理学療法士を待機させ、全身状態もチェックするらしい。朝日新聞は7月19日の記事で、彼らの取り組みを大きく報じている。 朝日新聞の真意は分からないが、私はこの記事を読んで唖然(あぜん)とした。選手を守ろうという点で、滋賀県や京都府の高野連の対応と全く異なるからだ。捕手の防具は仲間が着け、当人は水分補給=2018年6月2日(岩崎吉昭撮影) もちろん、氷嚢(ひょうのう)やスポーツドリンクを用意すること、メディカルスタッフを待機させることが悪いとは言わない。ただ、そんなことをしても、熱中症を予防するのは限界がある。もっとも有効なのは、滋賀県や京都府の高野連がやったように、炎天下での試合を避けることだ。具体的には午前の試合開始を早め、午後は夕方からに遅らせることだ。おそらく、朝日新聞にはテレビ放送など大人の都合があるのだろう。 今年で100回目を迎える夏の全国高校野球選手権大会は、わが国を代表する国民的行事だ。この大会を通じ、毎年スターが誕生し、そこからプロ野球やメジャーリーグで活躍する人物が生まれる。この大会は、わが国の野球を支える「ふ卵器」のような存在だ。この大会がなくなれば、わが国の野球は衰退するだろう。 地球温暖化が進み、猛暑が常態化した日本で、夏の全国高校野球選手権大会はどうすれば続けていけるだろう。今こそ、球児の健康を第一に考え、その在り方を問い直すべきだ。

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    西城秀樹「ギャランドゥ」な人生考

    歌手、西城秀樹さんが63歳という若さでこの世を去った。スーパースターとしての逸話は数知れない。中でも1983年のヒット曲『ギャランドゥ』は後年、ヒデキを象徴する代名詞になった。今では体毛の濃い男性を意味する俗語として定着したが、その男っぷりは彼の人生そのものだった。昭和を飾った大スターの生き様を考える。

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    西城秀樹さんも懸命に続けた「脳梗塞リハビリ」知られざる現実

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 5月16日、歌手の西城秀樹さんが亡くなった。享年63歳だった。西城さんは、70~80年代に数々のヒット曲を飛ばした大スターだった。代表曲『YOUNG MAN』が流行ったのは私が小学校5年のときだった。林間学校へ向かうバスの中、みんなで歌ったことを覚えている。 実は西城さんは、最近まで私にとって身近な存在だった。それは研究所のスタッフ、西村有代さんが西城さんの熱烈なファンだったからだ。2003年に西城さんが脳梗塞を発症したときは、その話題で職場は持ちきりとなった。 その後、必死のリハビリで回復し、06年にシングル『めぐり逢い』を発売したときは、みんなで応援した。ところが、残念なことに11年に脳梗塞は再発した。 西城さんとは、最近になってもう一つご縁があった。それは私が社外取締役を務める株式会社ワイズとNPO法人脳梗塞リハビリ研究会が共同で運営する「脳梗塞リハビリセンター」に西城さんが通院していたからだ。 ワイズ社の早見泰弘社長は「身体トレーニングや自主リハビリ以外に、懸命に言語リハビリもされていた。巡業などの仕事で休む以外には、いつもリハビリに取り組まれていました」と振り返る。西城さんが最期まで復帰を目指し、懸命な努力をしていたのである。西城秀樹さん=2017年3月、東京都世田谷区 ところで、「脳梗塞リハビリセンター」という名前をお聞きになった方はおられるだろうか。都内で10施設のリハビリを経営しているが、医療機関ではない。完全自費であり、理学療法士が個別対応する。 実は、西城さんが「脳梗塞リハビリセンター」に通い、懸命にリハビリを続けたことは、わが国のリハビリ医療の現状を象徴する出来事だった。本稿では、この問題を紹介したい。 高齢化社会ではリハビリの需要が増加する。脳卒中はもちろん、整形外科疾患から心臓病、がんの手術後まで、多くの疾病からの回復に必要不可欠だ。ところが、厚生労働省は2006年にリハビリを最大180日に制限した。東大の多田富雄名誉教授(免疫学)が主導し、48万人の署名を集めて反対したが、それでも厚労省は押しきった。 2008年10月からは入院後6カ月以内に退院する患者が6割を下回る病院への診療報酬が大幅に引き下げられた。この結果、重症患者の受け入れを断る病院が増えた。今春の診療報酬改定では、急性期を乗り越えた後の回復期リハビリ病棟は3段階から6段階に細分化され、実績によって加算が変動することとなった。重症患者を受け入れる病院はますます不利になる。 さらに月に13単位(1単位は20分)を上限として認められている外来でのリハビリが廃止された。厚労省は外来でのリハビリを介護施設に集約する方針だが、高齢者を対象としたデイケア(通所リハビリテーション)の目的は機能維持だ。脳卒中の麻痺からの機能回復を期待する患者には、充分なサービスを提供できない。 この結果、わが国は「リハビリ難民」であふれるようになった。多くの国民がけがをしたり、脳卒中になっても十分なリハビリを受けることができないでいる。 さらに、わが国の理学療法士は偏在が著しい。医師・看護師と同様に西高東低の形で偏在している。2018年3月現在、わが国の人口1000人あたりの理学療法士の数は0・91人で、上位は高知(2・3人)、鹿児島(1・7人)、熊本、佐賀、長崎(いずれも1・6人)と続く。リハビリで回復する脳梗塞 一方、下位は東京、神奈川、栃木、秋田(いずれも0・6人)、埼玉(0・7人)で、団塊世代が高齢化する首都圏で理学療法士が不足している。このような状況で出現したのが、自費リハビリだ。最近、この業界が急成長しつつある。「脳梗塞リハビリセンター」はその最大手である。 知人のリハビリ専門医は「(西城さんのような)若年患者を中心に維持期の集中的なリハビリのニーズは以前から感じていました。診療報酬上での制約がある病院でのリハビリは、徹底して患者に寄り添うことができず、どこかお茶を濁しているような気がしていました。民間企業の参入は、このような患者にリハビリの機会を提供する事になるかもしれません」と言う。 では、自費リハビリの実態は、どんな感じだろう。具体例を紹介しよう。私が医師として関わった公認会計士の60代男性のケースだ。都内のリハビリ専門病院から退院後、「脳梗塞リハビリセンター」に通院し、リハビリを継続した。彼は「自費リハビリを選んで本当によかった。再び立てる日が来るなんて夢のようです」と振り返る。 この男性は2016年1月、突然の四肢の麻痺と呼吸困難を訴えて、都内の大学病院に緊急入院となった。検査の結果、脊髄膿瘍と診断され、緊急手術を受けた。主治医は「病変が呼吸中枢にまで及んでいました。数時間遅れていれば、亡くなっていました」と説明した。そして術後、集中治療室に控える家族に、主治医は「命の保証はありません。一命を取り留めても、寝たきりになる可能性が高い」と話したという。 術後の経過は医師の言う通りだった。意識こそ回復したものの、四肢は動かず、自発呼吸は不十分で、人工呼吸器に繋がれていた。男性は「呼吸器が外れそうになり、痰が詰まりそうになっても、アラームすら押せません。このまま死んでしまうのか。あのときの恐怖は忘れられない」と回想する。 その後、自発呼吸は回復し、人工呼吸器からは離脱した。男性はツテを頼りに、リハビリで有名な都内の病院に転院した。そこで徹底的なリハビリを受けた。その結果、上半身は動くようになり、介助があれば車椅子に座ることも可能になった。 ただ、半年間のリハビリが終わった段階で、下半身は麻痺したままだった。胸より下にしびれが残り、下腹部に力が入らなかった。座位を維持できず、このままでは公認会計士としての社会復帰は難しかった。 だが、男性の希望は「再び歩けるようになりたい」というものだった。彼は、ありとあらゆる手段を探した。サイバーダイン社が開発したロボットスーツ「HAL」の使用や、神経の再生医療を受けることも考えた。そして、ここで私が勧めたのが、自費のリハビリだった。 彼は藁(わら)をもつかむ思いで「脳梗塞リハビリセンター」に通い、週に2回、1回2時間のリハビリを始めた。当初はペダル付き車椅子に乗っても、左手が安定せず、ハンドルを操作できなかった。下半身に力が入らないため、自分ではこぐことはできなかった。 リハビリが進むにつれ、状態は改善した。さまざまなノウハウも身につけた。「ほんのちょっと手の位置を変えるだけで腹筋の力の入れやすさが、こんなに変わるんですね。病気になる前は気にしたこともなかった」と言う。 最近では、ハンドルを自分で持ち、まっすぐ車椅子を進めることができるまで回復した。「この車椅子が私の愛車です。フェラーリです」と周囲に笑いながら語っている。さらに、支えられながらではあるが、立てるようになった。はじめて立ったときには「自分の足で立っている。この感覚は久しぶりだ」と語った。そして発症から28カ月、この男性は、公認会計士としてすでに社会復帰している。一人で歩けるようになるため、現在もリハビリを続けているという。 自費リハビリによる改善例は、この患者に限ったことではない。「脳梗塞リハビリセンター」は改善事例の動画をユーチューブで公開している。恐らく、みなさんの予想を超えているはずだ。 自費リハビリを受けた患者が回復したのは、医学的には合理的だ。これまで医療保険の都合でリハビリが打ち切られていただけで、リハビリを継続すれば、さらに回復する人がいても不思議ではない。 病院で受けるリハビリより、自費リハビリの方が有利な点も多い。それは、健康保険の縛りがないため、患者のニーズにあわせて、メニューを微調整できることだ。リハビリ期間を延長することも可能になる。あふれるリハビリ難民 「脳梗塞リハビリセンター」で働く理学療法士は「自費リハビリは真剣勝負です。効果がなければ、患者さんは来なくなります。健康保険から費用が支払われる病院と違い、患者さんから費用をいただく自費リハビリでは、理学療法士には大きなプレッシャーがかかります」という。おそらく、このような緊張関係が治療成績の底上げに貢献しているのだろう。 では、どんな患者が自費リハビリを利用するのだろうか。比較的若年の患者が多いのが特徴だ。例えば、ワイズの利用者の71%が60代以下である。西城さんとほぼ同世代である。 脳卒中患者の約6割が70代以上であることと対照的だ。高齢患者は現状の機能を維持することを目標とするのに対し、若年患者は機能を回復し、職場に復帰することを望む。必要とするリハビリは違う。従来の医療保険では、このようなニーズに対応できていなかった。民間企業が試行錯誤することで、多様なサービスの開発が進みつつある。 そして、このような自費リハビリの成長を、厚労省はどう考えているのだろうか。知人の厚労官僚は「診療報酬を抑制し続けなければならない昨今、自費リハビリは厚労省にとってもありがたい」と言い切る。今後、リハビリ難民が増えた際の批判を逸らすために、応援していると言っても過言ではない。 理学療法士及び作業療法士法では、「医師の指示の下、理学療法を行う」ことが原則だが、「侵襲性のない行為については、医師の指示のもとにない理学療法士等がリハビリを行うことは、法令上は名称独占であるので違法とは言えない(前出の厚労官僚)」と解釈を緩和している。 もちろん、自費リハビリにも問題はある。それは費用だ。「脳梗塞リハビリセンター」の1日あたりの費用は1万5000円。これだけの費用を長期間にわたって負担できるのは、西城さんのような一部の富裕層に限られるだろう。 また、安全性についても検証が必要だ。今後、民間リハビリの市場が拡大すれば、低レベルの業者が参入するからである。未熟な理学療法士が、脳卒中後の麻痺で拘縮(こうしゅく)した関節を無理に動かせば、関節を傷つけることもあるだろう。※写真はイメージ(iStock) 前出の厚労官僚は「事故が起こり、メディアが大きく報じれば、厚労省も規制せざるを得なくなります」という。そうなれば、医療機関と連携しているところなど一部を除き、自費リハビリ施設は閉鎖となる。リハビリ難民があふれ、寝たきりの高齢者が増加する。そんな状況は誰も希望しない。 脳梗塞の新規発症者は年間に25万人。高齢化が進むわが国で、さらに患者は増える。この結果、リハビリの需要は急増する。ところが、リハビリの提供体制は脆弱(ぜいじゃく)だ。どうすれば、リハビリを受けることができるか、お上頼みではなく、社会で議論し、新しい仕組みを作っていかなければならない。自費リハビリは、その一例である。 西城さんが亡くなり、脳梗塞のリハビリが国民の関心を集めている。今こそ、地に足のついた議論をしようではないか。

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    『10万個の子宮』に思う「デフレ不況論争」20年の苦闘

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 医師でジャーナリストである村中璃子氏の新刊『10万個の子宮』(平凡社)は、若い産婦人科医が口にした衝撃的な問いから始まる。村中璃子氏の著書『10万個の子宮』(平凡社) 「僕たち日本人の医者だけ、あとどのくらい子宮を掘り続ければいいんですか?」 「子宮を掘る」とは、子宮を摘出することを意味する。日本では毎年、子宮頸(けい)がんで3千人余りが命を落とし、そして1万の子宮が摘出されている。この子宮頸がんを予防するワクチンが存在し、日本でも2013年4月に定期接種化が行われた。日本政府は積極的な接種勧奨政策を採用していた。関係機関や医学界の協調、また地方自治体の接種費用補助制度の貢献などによって、定期接種化以前でも日本では約70%の接種率を実現していた。この定期接種化によってさらに接種率の向上と国民のワクチン利用への理解を促すことが期待されていた。 だが、定期接種化からわずか2カ月後に、政府は「積極的な接種勧奨の一時差し控え」という急激な政策変更を行った。もちろん現在も子宮頸がんワクチンの定期接種は行われている。だが、この急激な政策変更によって接種率は大きく低下してしまい、なんと各自治体の接種率が軒並み1%以下に落ち込んでしまった。筆者によれば、まさに「事実上の接種停止状態」だという。 この政府の急激な政策変更の背景は、接種後にけいれん、歩行不可能、慢性的な痛みや神経の異常を訴える人たちが続出したことに加え、そしてテレビや新聞などのメディアが大きくこの事態を報じたことにある。村中氏の『10万個の子宮』は、この子宮頸がんワクチンをめぐる「事実上の接種停止状態」を問題視し、ワクチン接種の積極的勧奨の再開や、接種率の向上といった事態の打開を目指す苦闘の記録になっている。 未成年の少女たちが訴えるけいれんや歩行困難などの症状が、実は心因的である可能性が高いことが本書で指摘されている。例えば、ワクチン接種後に決まった時間にけいれんを起こす少女が、時間がわからない病室ではまったく発作が起こらなかったエピソードが紹介されている。ただ、少女らの保護者たちは病院の説明に反発を強めたという。「接種率向上」が限界な理由 村中氏は科学界で権威ある雑誌『ネイチャー』などが主催するジョン・マドックス賞を、この子宮頸がんワクチンに関する啓蒙的なジャーナリズム活動によって受賞した。受賞理由は、敵意や困難に負けずに、公益に資する科学的理解をジャーナリズム活動として行ったことに対するものだった。本書を読めば詳細に書かれているが、被害を訴える個人や団体、そしてワクチンの「害」を訴える医者や識者たちを相手に、村中氏がいかにエビデンス(証拠)と科学的見解で闘ってきたかがよくわかる。2017年11月、ジョン・マドックス賞の授賞式でマドックス氏の娘(右から2人目)らに祝福される医師でジャーナリストの村中璃子氏=ロンドン(本人提供) また、読者に専門的な知識がなくても、村中氏の冷静でその都度、根拠となる論理とデータをわかりやすく明示しているので、読む負担が少ない。世界保健機関(WHO)に代表される国際機関、日本の医学界は、子宮頸がんワクチンの安全性と効果について肯定する声明を出している。だが、本書を読むと、これらの「外圧」「内圧」いずれも、子宮頸がんワクチンの接種率を向上させるには限界があることがわかる。 その「限界」を生み出している一つの要因は、子宮頸がんワクチンに関する集団訴訟の存在だ。もちろん訴訟を起こす権利は誰にでもある。ただ、この集団訴訟が仮に最高裁まで審理されれば、10年ほどの時間がかかる。問題と感じるのは、政治や官僚たちはその間、子宮頸がんワクチンの積極的勧奨の再開を避けるだろう、という点だ。そもそも日本の政治家は官僚的だし、官僚も自ら「責任」をとって行動をすることはほぼない。政府の10年の不作為によって、1年で1万個、10年で10万個の子宮が失われ、そしてまた多くの人命が失われる可能性がある。これが題名の『10万個の子宮』の由来するところだ。つまり政府の不作為=過剰なリスク回避が、国民の生命を危機に陥れるかもしれないのだ。 本書には、新宗教やカルト、弁護士、メディアなど、この現象に群がる人たちが指摘されている。そして医薬品メーカーを批判的にとらえた言説も流布している。どんなエビデンスを明示した議論も受け付けようとしない現状もある。ここまで読んでいくと、私には自分がかかわってきたこの二十数年の日本の「デフレ不況論争」をどうしても思い出させるのだ。 例えば、「デフレから脱却するにはインフレ目標が重要である」と主張すると、「そんなものを導入すれば副作用でハイパーインフレが起きる」というトンデモ理論が当時流行していた。また、今のデフレは貨幣的な現象ではなく、「中国やインドなど新興国からの輸入品の価格が低下しているから起きている」というエビデンスの乏しい議論も流行った。壁を破るにはどうしたらいいか また、インフレ目標には政策を行う側の「責任」が生じるためか、日本銀行も政治家もあえて採用するよりも、できるだけ避けた。むしろ、インフレ目標政策など危険だと、回避を「後押し」するような姿勢をみせていたのである。このような態度は、村中氏が指摘する現在の厚生労働省の「存在しない薬害に実体を与え続ける姿勢」と極めて類似している。 仮に、この対比が正しいのであるならば、問題が深刻なように思える。われわれが主張する経済政策も海外の中央銀行が軒並み採用しても、時の日本銀行首脳はインフレ目標の採用を最後まで拒否した。最終的には、安倍晋三政権になってインフレ目標が採用されて現在の経済「回復」が実現されている。しかし安倍首相と数人ほどしかこのインフレ目標政策を支持する政治家が未だにいないのだ。2010年5月、子宮頸がんワクチンの集団接種を受ける小6女児=栃木県内の小学校(代表撮影) 政治家と厚労省の子宮頸がんワクチンについての不作為=「リスク回避」の壁も予想以上に高い可能性がある。ただし、メディアの意見は潮目をみて変化することがあるし、すべてのメディアが「敵」でもないだろう。ただし「官僚的なるもの」は体質を全く異にしており、政策責任を極力避ける仕組みなのだ。この壁を破るにはどうしたらいいだろうか。 われわれはそのために政治家たちに積極的に接近した。それは長くとても長く、多くは無意味に思える行動の積み重ねだった。政策に反対する人たちは同意できないだろうが、安倍首相がインフレ目標政策を中核とするデフレ脱却政策を採用したことは実に運がよかった。だがその背景には、根気強い政治への運動があったのである。 子宮頸がんワクチンの積極勧奨や接種率の向上も、やはり政治が動かないとどうしようもない。もちろんマスコミが積極的な勧奨キャンペーンに転じれば、状況はかなり変わるかもしれない。ただし、日本のマスコミも「リスク回避」=間違いを正さない風土が強い。こうした事象にマスコミが結果的に加担したのであれば、それを大胆に転換することは、日本のマスコミの官僚的風土では極めて困難である。 もっとも、これはかなり悲観的な見方かもしれない。村中氏の『10万個の子宮』を多くの人が読み、本書がたくさんの読者を獲得することで国民の声が高くなれば、政治も官僚もメディアも動かざるをえないかもしれない。その意味でも、ぜひ多くの人に読んでほしい書籍である。

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    日本人は安楽死に耐えられるか

    人気脚本家、橋田壽賀子氏の近著『安楽死で死なせて下さい』が波紋を呼んでいる。「人に迷惑をかける前に死に方くらい自分で選びたい」。現在92歳の彼女が人生の最後に望むのは「究極の選択」である。海外では既に安楽死を認めた国や自治体もある。とはいえ、日本人に安楽死を受け入れる覚悟が本当にあるのだろうか。

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    「安楽死で逝かせて」橋田壽賀子の主張はここがおかしい

    に関わると、9割以上の確率で自宅で看取っている。 延命治療を行わず枯れていくことを容認し、上手に緩和医療を行えば、死ぬときは一般の人が想像するように苦しみはない。旅立つその日まで食べたり話したりできる。看取るのは末期がんだけではなく、半数はがん以外である。認知症や老衰、神経難病や慢性心不全や慢性腎不全など病気の種類を問わず、自宅での穏やかな最期が可能である。在宅医療というと家族介護のイメージが強いかもしれないが、独居の末期がんや認知症終末期であっても、本人が在宅での最期を希望すれば普通に看取っている。 その詳細は、昨年末に上梓した『痛くない死に方』に詳しく述べた。また、全国の在宅看取りの現状に関しては私が監修した週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん』に詳細なデータが公開されている。「独居の看取り」に関しても、勇美記念財団の支援を得て私がリーダーとなり実態調査やそれが可能となる町づくりのための提言を行っているところだ。たとえ独居の認知症であっても、24時間定期巡回型の訪問介護・看護があれば最後まで自宅で楽しく暮らすことに、なんの問題もない。しかし、多くの市民や病院のスタッフはこうした実態を知らないし、なかなか信じてもらえない。橋田さんが恐れる「認知症」の正体 「平穏死」という言葉は石飛幸三医師の造語であるが、自然死ないし尊厳死と同義である。穏やかな最期を迎えるためにはいくつかの知識が要る。それは『「平穏死」10の条件』のなかで詳しく述べた。そして「平穏死」は在宅だけでなく、介護施設や療養病床でも可能になりつつある。 話を戻そう。ディグニタスを見学した率直な感想は「欧米人はなぜこんなことをするのか。在宅医療も在宅緩和ケアも平穏死という概念もないんだ。日本は自宅で平穏死できるのに」であった。しかし橋田さんはわざわざそこに行って死にたい、と主張されている。私は「橋田さん、ちょっと待って。それは誤解。そんなことしなくても大丈夫!」と声をかけたい。たとえ天涯孤独な認知症でも最期まで人間の尊厳を保ったまま旅立てる国が日本である。いや、皮肉なことに家族がいないからこそ「必ず」それがかなうのである。もちろん介護保険制度の恩恵は必須条件である。 13年前に造られた「認知症」という言葉は罪深い、と思う。それまでは「ボケ」であったものが「病気」に格上げされた途端に「抗認知症薬」の対象にもなった。あるいは有吉佐和子氏の『恍惚(こうこつ)の人』のイメージが強烈に焼き付いている。橋田さんに限らず、誰もがそれを極度に恐れる。自分が自分でなくなる前にこの世から消えてしまいたいという発想は、欧米人的な発想である。しかし、日本人はそもそも自分がなく、自己決定できない人が多い。実は、終末期医療における意思決定は家族が代理していることが大半で、「自分で決める」という人はわずか1~2%にすぎない。脚本家の橋田壽賀子さん=2017年9月(宮崎瑞穂撮影) 私が在宅で最期まで診ている認知症の人は、最期の日までなにかしら口から食べている。たとえ認知機能の指標であるミニメンタルテスト(MMSE、満点は30点)がゼロ点になっても、会話が可能なら意思表示もそれなりに可能である。たとえ口頭であっても自分の希望を表明できる。以上は『ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!』(丸尾多重子氏との共著)や家族よ、ボケと闘うな!』(近藤誠氏との共著)のなかで繰り返し述べてきた。 末期がんの平均在宅期間が1カ月半であることに比べて、認知症のそれは年単位に及ぶので臨床経過はかなり異なる。しかし適切なケアがあれば、最期まで食べられるしトイレでの排泄(はいせつ)もできる。要介護5になっても外国旅行も十分可能である。丸尾氏が主宰するNPO法人「つどい場さくらちゃん」は毎年、要介護5の認知症の人たちと沖縄や台湾を旅行している。私は「旅行療法」と呼んでいるが、外出することはとても大切だ。徐々に食べる量が減ってきても胃ろうは不要である。手づかみで食べれば、最期の最期まで自力で食べられることを「かいご楽会(がっかい)」などで丸尾氏とともに広く発信してきた。認知症とはピンピンコロリ(PPK)とはいかなくても、準PPKの病気である。しかし、認知症の自然経過を診る機会は少ない。 橋田さんは認知症に対する不安や恐怖がとても大きいのだろう。人に迷惑をかけたくない、というから潔く優しい人だ。いずれにせよ「自分で自分が分からなくなる」「人に迷惑をかけるのでは」という恐怖は誰の頭の中にもある。しかし、多くの認知症の人を外来や在宅医療の現場で診ている町医者から見れば、大きな偏見であると言いたい。リビングウイルを法的担保していない日本 何にせよ、認知症や老いの不安に駆られている橋田さんには「日本は最期まで住み慣れた自宅で自分らしく暮らせる国です。心配要りませんよ」とお伝えしたい。保険診療では診療所から16キロ以内しか在宅医療を提供できない。しかし、自費診療ならば可能なので、もしかなうならば主治医になってもいい。 以上の話は尊厳死である。尊厳死とは、終末期以降に延命治療を控えて十分な緩和医療を受けて迎える最期である。安楽死は、まだ余命が半年もあるのに医師が薬物を用いて患者を死なせる行為であり、尊厳死とは全く異なる。いずれも本人の書面による意思表示、すなわちリビングウイル(LW)の存在が前提となる。日本尊厳死協会でLWを表明している人は日本人のわずか0・1%に過ぎないが、最近は介護施設や自治体が類似のLWを啓発しているので、保有率は1~2%と推定されている。それでも諸外国に比べるとひとケタ以上低い。日本人は自己決定せず、意思決定が苦手な民族である。しかし加速度的に医療技術が進歩する中、もはやそんな悠長なことは言っておられない。 最近、政府は人生の最終段階の医療の意思決定をアドバンス・ケア・プラニング(ACP)という手法で乗り切ることを固めた。ACPとは、いざという事態に至る前、まだそこそこ元気であるときから本人の意思を引き出して、それを尊重しながら家族、そして医療・介護職が集まり何度も話し合った経緯を書面に記録しておくことである。ACPの核となるのはもちろん本人の意思、すなわちLWである。 だが、LWが法的に担保されている先進国のなかで、担保されていないのはもはや日本くらいになった。欧米では当たり前となっている基本的人権である。国連教育科学文化機関(ユネスコ)がうたう医療における生命倫理の根幹は、本人意思の尊重である。しかし、残念ながら日本だけがそれがかなわない国のままだ。そうなると、本人の意思よりも家族の意思を優先しなければ、遺族から訴えられる可能性が出てくる。年金が多い人にはそれをあてにする子供がいるので、できるだけLWを書いておくことを勧めている。 いずれにせよ、日本はLWが法的担保されていない国だから、どうしても過剰医療、延命医療に偏らざるを得なくなる。アジアにおいては、台湾では2000年にLWの法的担保がなされ、2回の改正を経て17年が経過した。韓国でも16年に可決され、今年11月から施行されている。LWの相談所にははや長蛇の列ができているという。 一方、国会における尊厳死議論にも触れておきたい。「終末期における本人意思の尊重を考える議員連盟」には超党派の約200人の国会議員が加入している。しかしこの数年間、議論自体がほぼ停止している。一昔前、マスコミに「尊厳死法案」という文字が躍ったが、誤りである。正しくは「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」、つまり「LWの法的担保の法案」という表現が正しい。尊厳死法案について話し合う超党派の国会議員連盟の会合=2012年7月、東京・永田町 争点となったのは「2人以上の医師が終末期であると判断すれば延命処置を中止できるのか」という点であった。ここで忘れてはならないのは、あくまで本人がLWを書き、家族の同意があるという大前提である。しかし法曹界や宗教界から法的担保への反対の声が大きい。特に障害者団体の反発が激しいため議論自体が封殺されたままで、国会への法案上程の目途はまったくたっていない。尊厳死と安楽死を取り間違えるマスコミ マスコミではよく尊厳死と安楽死を取り間違えて報道している。2年前の11月1日に脳腫瘍で余命半年と宣告された29歳のブリタニー・メイナードさんが、予告通り米オレゴン州の自宅で亡くなった。これは自殺ないし医師による自殺幇助(ほうじょ)ないし安楽死である。しかし、多くのマスコミはこれを「尊厳死」と誤報した。しかしその後修正も検証もない。 また「尊厳死させられる」とか「安楽死させられる」という表現を見かけるが、尊厳死にせよ安楽死にせよ「受動態」では決してなくあくまで「能動態」である。障害者施設の入所者殺傷事件において「安楽死させた」という表現は誤りである。あのような忌まわしい事件は単なる殺人事件であり、安楽死とはなんの関係もないことは明記しておきたい。 以上をまとめると、橋田さんがいくら安楽死を望んでも、ディグニタス側は彼女を受け入れないのではないだろうか。なぜなら、日本はLWさえも法的担保されていない(できない)国であることを彼らはよく知っているからだ。彼らは国内法に基づいて粛々と本人の意思を尊重しているだけであり、裁判沙汰や国際的事件になることを嫌う。そもそも日本は、LW前提の安楽死どころか尊厳死すら議論が封殺されているような国だ。そんなややこしい国からやってきた人をスイス人が殺したらどんなことになるのか…病気になり判断能力が失われた場合の処置を、事前に記したリビングウイル さらに、内閣府がLWの啓発自体を明確に否定している現状も明記しておきたい。その理由は「患者がLWを表明すると医師の訴訟リスクが高まる」である。私は逆だと思う。在宅看取りのほとんどが尊厳死であるが、患者さんがLWを表明していると私たち医療スタッフは本当に助かる。多くの尊厳死を診ている在宅医仲間も同意見である。あまりにも時代に真っ向から逆行する政府の見識である。しかも、2017年秋から「LW裁判」という行政訴訟が東京地裁で始まっているような国である。もし機会があればその行方についても論じたい。 いずれにせよLWを書き、それを受け入れてくれる近くの医師や看護師を探しておけば、そんな異国の地にわざわざ行かなくても、橋田さんは住み慣れた自宅で最期まで暮らしピンピンコロリに近い形で穏やかに暮らすことができる。日本に法律はないけども、LWを包みこむACPという「和」の文化や「阿吽(あうん)の呼吸」がある国である。 橋田さんの安楽死願望を水泳に例えてみよう。日本はまだ10メートルも泳げない「世界一のカナヅチ」の国だ。しかし、橋田さんがいきなり「私は10キロ泳ぎたい」と主張しても現実的ではない。もしかなうならば、橋田さんにまずはLWやそれに基づく尊厳死の啓発に協力していただきたい。小泉純一郎元首相や脚本家の倉本聰さんには日本尊厳死協会の顧問としてLWの普及啓発に努めていただいている。 日本人にはなじまない安楽死に世論を導くのではなく、日本が「在宅での尊厳死(平穏死)」が可能である国であることを広く橋田ファン、そして世界に発信していただきたい。しかし、これまであまりにもタブー視されてきた「死」に関する議論に大きな風穴を開けていただいたことには深く感謝を申し上げたいのである。

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    これを知れば日本で「安楽死」を望む人はいなくなる

    幇助・他殺という「殺」行為をさせることです。医師も人です。これは迷惑の極みです。安楽死と似ている緩和医療の「副作用」 先ほど、日本では安楽死は認められていないと書きました。実は日本の緩和医療に、安楽死と似ている「持続的深い鎮静」があります。2016年1月、私がコメンテーターとして出演させていただいたNHK『クローズアップ現代』で、持続的深い鎮静が「終末期鎮静」として取り上げられましたが、ここでもう一度考えたいと思います。 「持続的深い鎮静」とは、死期が近づいた患者に対し、耐え難い痛みがあるときにだけする医療行為です。持続的深い鎮静を行うと、患者本人は死ぬまで昏睡(こんすい)状態に陥るので二度と目覚めることがなく、開始したときが今生の別れになります。まず「心の死」を迎え、その後「肉体の死」も迎え、完全に死にます。つまり、二度死ぬのです。 持続的深い鎮静を行う場合は、本人だけでなく、家族の同意も必要です。緩和医療として行う場合は、「耐え難い痛みや苦しみから解放してあげたい」という思いで同意する家族が多いのですが、実際に持続的深い鎮静をかけてしまうと、今までの栄養点滴を減量・中止し、肉体の死を迎えるので、「自分たちが殺してしまった」と後悔し、苦しみ、精神障害を起こした遺族もいるなど、尋常な看取りとは言えません。また、持続的深い鎮静をかけても、その時点では完全に死ぬことができず、肉体の死を待つだけの姿を見ていることは、家族にとって複雑な気持ちだと思います。(iStock) この持続的深い鎮静は、病院や緩和ケア病棟、在宅医療を行う一部の診療所においては、かなりの頻度で実施されているところもあると聞きます。しかしながら、安易に鎮静をかけ過ぎると、関わった看護師などの心が折れ、燃え尽き症候群になるなど、精神的に疲弊してしまうこともあるようです。 このように、「安楽死」も「持続的深い鎮静」も、多くの人に迷惑をかけながら死んでいくことに違いありません。持続的深い鎮静を行うことは、本人が穏やかに生き、安らかに旅立つことができないだけでなく、残された人も離別の悲しみに加え、「殺」の気持ちが加わり、清らかな気持ちになれないと思います。だからこそ私は、持続的深い鎮静を最後の手段であるとは認識ながらも、「抜かずの宝刀」と呼び、抜かないことに意義があると考えています。 「持続的深い鎮静を行わなくてはいけないくらい、耐え難い苦痛があったらどうすればいいのか」という質問があった場合、私はこう答えます。「ほとんどの痛みは取ることができます。もし、持続的深い鎮静を行わなくてはならないほどの耐え難い苦痛を患者に与えているとすれば、その時点で、提供されている緩和ケアが不十分なのでしょう」と。 在宅でも緩和ケア病棟でも、医師や看護師・チームのスキルがあれば、おおむね痛みのコントロールは可能です。持続的深い鎮静を行わなくても、最期まで穏やかに過ごすことができるはずです。人は痛みを感じたり我慢したりしていると、身体の痛みだけでなくこころの痛みも増幅します。だからこそ、素早く痛みを取ることが必要不可欠なのです。痛みを取る5つの方法 痛みを取る方法や課題は次の通りです。①必要な薬は使う…痛みの軽減に最も有効である医療用麻薬のモルヒネを使いこなすスキルを身に付けることが大切です。モルヒネは以外にも痛みを取る鎮痛薬はありますが、副作用の点から使用量には限度があり、増量しにくいという欠点があります。ところがモルヒネは5ミリグラムぐらいから使用を開始し、痛みが強いときには安心して痛みの程度に合わせて3~3000ミリグラムくらいまで使用することができます。薬価の問題や医療用であるとはいえ麻薬を大量使用することへの不安から、800ミリグラム以上のモルヒネを使用しない医師もいますが、痛みが取れるまで増量しないと痛みは取れませんし、モルヒネは痛みの治療をしている限り安全ですので、積極的に使用してほしいと思います。しかし、低用量に比べ高用量のモルヒネの薬価が高すぎるのも課題です(表1参照)。 副腎皮質ホルモンのソル・メドロールも副作用が少なく有効なので、使用してほしいと思います。【注】内服薬30㎎は注射薬12㎎と概ね同効果。モルヒネは内服換算で3~3000㎎使用する②点滴は減量する…点滴を減量することも苦痛の軽減に有効であり、患者を笑顔にするコツです。これまで、入院から在宅医療へ切り替えてきた患者をたくさん診てきましたが、病院では必要以上の点滴を投与されているケースがとても多いと感じます。しかし必要以上の点滴投与は、苦痛を与えるだけでなく、寿命を縮めることもあります。だからこそ、持続的深い鎮静を行ってから点滴を減量したり中止するのではなく、持続的深い鎮静を行う前に減量してほしいと思います。③夜、ぐっすり眠ること…眠れないことも不安や痛みを増幅させる要因のひとつです。夜、全く眠れない時は「夜間セデーション」と呼ばれる鎮静を行うことも大切です。夜間セデーションは持続的深い鎮静とは異なり、夜の間だけぐっすり眠らせる鎮静ですので、朝には人間らしい目覚めができますので、医療者の方にはぜひそのスキルを身に付けてほしいと思います。④ACPの勧め…アドバンスド・ケア・プランニング(ACP)とは、もしもの時に備え、前もって患者の意思を確認するためにケアを提供する者が家族と一緒に患者と話し合うことです。どのような旅立ちを望んでいるのかなどの人生観も含め、どんな治療を行っていくのが最善かを話し合うことによって、最期は患者本人が願う旅立ちを実現することができます。不思議なもので、①②③の説明をすると「最期は入院する」と言っていた人でも、臨終の間際には「このまま家にいたい」と気持ちの変わる方がとても多いことを実感しています。「死ねる喜び」は幸せの極み⑤THPケアシステムは日本を救う…「安楽に生きたい、安楽に死にたい」と願う人々のために、在宅ホスピスの心を理解し、「希望死・満足死・納得死」を届け、実践できるチーム作りを進めていくことが急務だと思っています。チームのスキルを上げるために、多職種連携・協働・協調することはもちろん、その司令塔としての役割を果たす「トータルヘルスプランナー(THP)」が必要です。安楽死の必要のない日本にするためには、THPを増やすことが必要だと考えています。なお、THPは現在名古屋大医学部保健学科や日本在宅ホスピス協会が育成しています。 私の著書『なんとめでたいご臨終』(小学館)は、誰もが願う旅立ちをかなえるための実践本です。私自身も安楽に生きて安楽に死にたいと願っています。だからといって、安楽死や持続的深い鎮静を望むことはありません。なぜなら私は「在宅ホスピス緩和ケア」を知っているからです。私の考える在宅ホスピス緩和ケアの「在宅」とは、暮らしている「処」。「ホスピス」とは、いのちを見つめ、生き方や死に方、看取りのあり方を考えること。「緩和」とは、痛みや苦しみを和らげること。「ケア」とは、人と人とが関わり、暖かいものが生まれ、生きる希望が湧(わ)き、生き力がみなぎることです。だからこそ在宅ホスピス緩和ケアを受けることでQOL(Quality Of Life)が高まり、ADL(Activities Of Daily Living)の向上や延命効果も期待できるのだと思います。 在宅ホスピス緩和ケアは、誰でも受ける権利があります。だからこそ、自分自身が望む処で、「人に迷惑をかけることなく、耐え難い苦痛から解放され、朗らかに生きて、清らかに旅立てる、安楽に生きて安楽に死ねるという在宅ホスピス緩和ケアがある」と知っていれば、安楽死を望む人はいなくなると思います。(iStock) これまでお伝えしたように、安楽死や持続的深い鎮静を選択しても、安楽には死ねません。「安楽に死にたい」と願う人々が「なんとめでたいご臨終」を迎えることができれば、1991年の東海大学医学部付属病院での安楽死事件などは起こらなかったのではないでしょうか。 人は一度しか死ねません。どうせ死ぬなら笑って死にたい、遺(のこ)された人の役に立ちたい。そんな「死ねる喜び」を感じられたなら、幸せの極みだと思います。  多くの国民のそんな願いをかなえるためには、国家戦略として在宅ホスピス緩和ケアを推進していくこと、在宅ホスピス緩和ケアを国民に啓蒙(けいもう)していくことが近道だと考えます。それができれば、QOD(Quality Of Death)はさらに高まり、朗らかに生き、笑顔で旅立てる、つまり「なんとめでたいご臨終」を享受できる日本になると思います。と同時に、安楽死という言葉が不要になる日本になってほしいと願っています。

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    「安楽死」と「自殺」はなにが違うというのか

    ている間に医者が「他人の身体」にこれらの行為をすることは許されないだろうか。そんなことになれば、救急医療は成立しないだろう。(画像:istock) やはり自殺幇助罪は奇妙な法律なのである。そして、この法律が安楽死を否定している。現在、医師であろうと親族や友人であろうと、安楽死に協力すると自殺幇助に問われる。それで安楽死は実現しない。だが、安楽死を望む人の99%は、自分では安楽死ができない。安楽に死ぬ体力・気力、方法を持っていないからだ。当然、協力者が必要になる。しかし、刑務所に入ってまでも安楽死の協力者になろうという人はいない。 日本は高齢化社会になり、安楽死を求める声はふえている。しかし、観念的・抽象的生命尊重論が横行する中で、安楽死を主張しにくい。障害者問題もからんでくるだろう。福祉充実論も隣接している。 それでも現実に安楽死合法化は、もちろん偽装殺人などを防ぐ手立てを考えた上で、真剣に待ち望まれている。少なくとも私にとって、重要な問題なのである。

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    「終活」の前に考えたい 死の迎え方と送られ方

    わこ 科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師。元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)。

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    「人生100歳時代」ただ長生きするより安楽死の方が幸せである

    佐野秀光(「支持政党なし」代表、「安楽死党」代表) 日本では現在、安楽死制度が法律で明示的に容認されていません。ですが、私は全国民に安心感を与えるためにも安楽死制度が必要だと思います。 私は政治団体「支持政党なし」の代表として国政選挙を経験しているかたわら、政治団体「安楽死党」の代表も務めています。過去に2012年12月の衆院選では安楽死党として、2010年7月の参院選と2009年8月の衆院選では「新党本質」という政治団体名で「日本でも安楽死制度を」と訴えて立候補しており、日本で安楽死制度の必要性を主張して国政選挙を戦ったことがある唯一の政治団体の代表です。 そもそも人間は生まれてきた時から、人それぞれ多様な考え方があり長生きしたいと思う人もいる一方で、逆に死にたいと思う人がいるのも自然です。一時期、自殺者も年間3万人以上にのぼり、現在は2万1000人近くに減少はしていますが、死にたいと思う人がたくさんいるのは事実です。 長く生きたいと思う人の気持ちを尊重するのは当然ですが、死にたいと思っている人の気持ちを尊重するのも本来の「人間の尊厳」を重視することとして大切ではないでしょうか。むしろ死にたいと思っている人に安楽死を認めない方が「人間の尊厳」を損なうのではないでしょうか。※iStock 現在でも海外では安楽死制度を認めている国もありますが、病気などによる終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないなどという医学的な病症や疾患を伴うことが条件になっています。安楽死先進国のオランダでは健康上の問題がなくても「生きるのに疲れた」などと訴える高齢者にも安楽死の適用を広げるという政府の提案が波紋を呼んでいるようですが、私は賛成です。 自分が将来、病気になって治る見込みもなく痛くて苦しい時に、楽に死を選べるというのは安楽死制度の基本として大事ですが、人間の悩み苦しみというのは肉体的なことだけに限らず多岐に渡ります。だからこそ健康上の問題がある時に限らず健康上の問題がなくても安楽死を認めることは「人間の尊厳」を重視する上で大変重要だと考えています。 私の提唱する安楽死制度というのは、人生の終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないという医学的な病症や疾患を伴う場合はもちろんのこと、65歳以上の高齢者にも安楽死を認めたいという思いがあります。さらには健康上の問題がなく、65歳以上の高齢者でなくても安楽死を希望する場合には臓器提供を条件として安楽死を認めるべきです。一億総活躍に必要な「安楽死」 現在日本で自殺者が2万人程度いる中で、どうしても生きていきたいと思い、体の疾患を臓器移植でしか治癒できない患者で臓器提供を待っている人も1万5000人ほどいます。臓器提供を条件に安楽死を認めることはまさに生きたいと思う人の思いも尊重でき、かつ死にたいと思う人の意思も尊重できることになります。 死にたいと思う人に思いとどまって頑張れと言葉をかけるのは簡単ですが、ただ頑張れと言うだけでは何の励ましにもなりません。死にたいと考えている人がもう少し頑張ってみようと思うためには、どんな励ましの言葉よりも最後には安楽死という選択肢もあるということこそが、もう少し頑張ってみようという気持ちに繋がるのではないでしょうか。 政府は一億総活躍社会の実現などと提言していますが、一億総活躍するためにはまさに安楽死制度が必要です。安楽死という人生の選択肢があってこそ、やりたいことがやれ、自分の最後も自分で決められるという、これこそが安心感をもって充実した一生を送れる基礎になるのではないでしょうか。一億総活躍国民会議であいさつする安倍晋三首相(左から2人目)=2016年2月、首相官邸(酒巻俊介撮影) 政府は一見、聞こえのよい政策などを掲げ、国民の支持を得ようとしますが、どんな政策も実現することによって得をする人もいる一方で、必ず誰かが損をすることになります。国民全員が納得をする政策というものはそもそもないのです。どんな法案も可決されれば得をする人と損をする人が出るのは当然です。 ただ、安楽死を認める法案は違います。仮に日本で安楽死制度の法案が可決したらどうでしょうか。安楽死制度を認める法案は全国民に一律に安楽死を強要するものではなく国民は一つの自分の将来の選択肢が増えることになります。 いつか病気になって痛くて苦しくなった時はもちろん、病気でなくても死にたいと思った時には安楽死という制度も使えるという人生の選択肢が増えれば、安心感に繋がります。世の中誰しも自分がいくつまで生きられるのかはわかりませんし、どのような病気になってどのような最後を迎えるのかということもわかりません。 だからこそ人生の一つの選択肢として安楽死制度があるということは全国民に必要なのです。さらに安楽死を認める法案には多くの予算を必要としないため、予算をかけずに実現できるというメリットもあります。 多くの国民は自分の老後を考え一般的には貯金をしますが、貯金を残して突然死んだらどうでしょうか。子供や子孫に財を残したいという人もいるでしょう。また、人生で稼いだお金は全て使い切りたいと考える人もいるでしょうし、ある一定の財産は家族に残し後は自分の好きなことで使い切りたいと思っている人もいるのではないでしょうか。「安楽死」は人生の選択肢 しかし、安楽死制度がない中では自分の人生の最後の予定を立ててお金を使い切ることなどできません。多くの国民は先の見えぬ将来の不安のために身を削って節約し、将来に備えて貯金をしているのが現状です。でも、仮に安楽死制度があればお金を自分の人生計画に併せて使い切るという選択肢も可能です。自分の人生の区切りの最後を決められることこそが思い切って自分のやりたいことがやれる人生になるのではないでしょうか。 この価値観の多様化する世の中で国民が抱える将来の不安をいかに軽減させられるのかを真剣に考えるのは、政府として取り組むべき最も重要なことではないでしょうか。だからこそ日本でも安楽死制度を確立して人生の一つの選択肢を広げるべきです。 くり返しますが、安楽死制度は全国民に強要するわけではなく、使いたい人だけ使えばよい制度です。消費税の増税の様に全国民に一律に課される政策ではありません。使いたくない人は無視して使わなければよいのです。 一般的には子供のころから人生は頑張ることが美徳とされてきました。何がなんでもどんなに人生が苦しくても頑張らなければならない。健康状態が悪くても頑張って最後の最後まで生き続けなければいけない。その様なプレッシャーこそが人々が悩み不安に陥る大きな要因になってきたのではないでしょうか。※iStock  現在安楽死制度はオランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、アメリカのいくつかの州、最近ではオーストラリアの一部の州でも法律で認められ始めており、世界で広がりつつありますが、未だ多いとは言えません。 ですが、人生100年と言われる中で、ますます国民は将来の不安との戦いの時代になります。もうこれ以上生きていたくないと思った時や苦しい病に侵された時にも自分の意思で自分の最後を決められるということは、ひいてはやりたいことをやって生きていけることになります。 ただ長生きするだけの人生でなく、自分で自分の人生計画を立てて充実した一生を送るためにも今後、安楽死制度を求める人は増えるはずです。それなのに日本の国会では、安楽死制度は一部で議論されているだけです。ぜひ、国民の安心感のために安楽死制度の確立に向けて真剣に国会で論議され、法律で明示的に容認されることを期待します。そして、できれば私自身がその一助になりたいとも思っています。

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    橋田壽賀子さん 「うまく死なせる医療」があってもいい

    れるわけじゃなし、ただベッドに横たわって死ぬのを待つだけ。そんなの、まっぴらごめんです。小笠原:在宅医療や在宅ホスピス緩和ケアでいちばん大事なのは、本人が苦しまないことです。それと、本人がどういう希望を持っているかきちんと聞いておき、最終的に本人も家族も満足する生き方なり死に方なりを選んでもらうことですね。だから橋田さんのように、家族や医師など周囲の人に、予め自分の意思を語ったり、書き残しておくことが必要です。橋田:ああ。小笠原先生が今おっしゃったことは、私がイメージしている希望の安楽死と似ています。前もって自分の意思を書面にし、周りに伝えておき、第三者がチェックして、本人の希望を叶える。 私がなんらかの苦痛をかかえて病院に行っても、そのお医者様は、私がどうやって生きてきて、守りたい尊厳や譲れないプライドはなんなのかは診ない。でも、いいホームドクターがいれば、私がどんな価値観を持っていて、どんなことを望むかを予めご存じです。「この人にそんな治療をしても幸せじゃない」というところまでケアしてくださると思うんですね。この高齢化社会、生かす医療だけでなく、「うまく死なせる医療」もあってもいいと思いますけどね。小笠原:われわれからすると、病院は「強制的に生かす医療」が過剰になりすぎる傾向がありますね。病院で息も絶え絶えになっていた患者さんがいました。家族が退院させたいというので家に戻ってもらい、点滴の量や酸素の量を減らすと、その患者さん、元気になったんですよ。橋田:ああ、そういうこともあるんですね。小笠原:ぼくは、病院で心臓が止まったり、心肺停止した7人の患者さんを治療して、その後、元気になった患者さんから臨死体験を聞いたことがあります。でも、今の話を聞いたので、ぼくの目の前で橋田さんが心肺停止になっても──。橋田:助けない(笑い)。小笠原:そっと看取ります。そして死亡診断書を書きます(笑い)。関連記事■ 橋田壽賀子氏×小笠原文雄医師「安楽死」と「安楽な死」の違い■ 『渡鬼』の植草克秀は「まだヤブ医者かも」と看取りの名医■ 築地本願寺が終活遺言作成等を支援 各地の寺が戦々恐々■ 延命治療の中止を巡って最高裁まで争った女性医師の告白■ 小笠原文雄・上野千鶴子対談 「持続的深い鎮静」は抜かずの宝刀

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    延命治療の中止を巡って最高裁まで争った女性医師の告白

    うべきか。初公判を終え、横浜地裁を出る須田セツ子氏=2003年3月27日 あの事件から19年。日本の医療界において、安楽死の殺人罪で起訴され、最高裁まで闘った医師は、彼女一人だった。 ヨーロッパから一時帰国していた私は、都内のホテルで須田の著書を一気に読んだ。『この本を手にとってくださったあなたにお聞きしたいのです。私がしたことは殺人ですか?』(青志社)。調査を重ね、その質問の最終的な答えを、私なりに見つけたいと思った。 日本では、患者本人の意思の有無にかかわらず終末期の患者を積極的に死に導いた場合、民事訴訟だけでなく、刑事訴訟に発展し、医業停止命令や免許取り消しといった行政処分を受ける(*注)。【*注/苦痛に苛まれる患者に対して、投薬などによって意識レベルを下げ、死に導く「緩和医療」は、認められている。また、延命治療などを施さず、自然な死を迎えさせることは「尊厳死」と呼ばれ、これも一部認められている】 背景には、日本独特の慣習や法律が根差している。当時、川崎協同病院・呼吸器内科部長を務めていた「殺人者・須田セツ子」本人の口から、それらが実際の医療現場の常識とどう、かい離しているかを探りたかった。 1998年11月16日、事件は、神奈川県川崎市にある川崎協同病院の南病棟2階228号室で起きた。気管支ぜんそくを罹患していた58歳の男性患者、土井孝雄さん(仮名)が、鎮静剤の後、筋弛緩剤「ミオブロック」を投与され、息を引き取った。その時、主治医だった須田が、「4年後」の2002年12月、殺人罪で起訴された。 型枠大工の工務店を営んでいた土井さんは、1984年から川崎公害病患者に認定されていた。その4年前から同病院に勤めていた須田は、外来主治医として、この患者をよく知っていた。普段は無口だった彼が、須田に会うと、時々、言う口癖があった。「自分はずっとこの仕事をやってきた。この仕事が大事なんです」 14年間、通院を続けた土井さんは、ある月曜午前の仕事中にぜんそくが悪化。午後には、重積発作(深刻なぜんそく発作)を起こし、心肺停止状態となって病院に運び込まれた。 心肺蘇生が行われたが、低酸素血症で大脳と脳幹に障害が残り、昏睡状態に陥った。以後、痰を吸引するための気管内チューブを装着された土井さんは、所謂、植物状態だった。4年後に事件化 事件当日午後、土井さんの容態が急変。駆けつけた家族11人が見守る中、須田は、すでに相談を受けていた延命措置の中止尊厳死のため、気管内チューブを抜いた。しかし、患者が上体をのけぞらせてもがくという想定外の反応を見せたため、鎮静剤「ドルミカム」3アンプルを静脈注射した。 その後も苦悶が収まらず、同僚医師の助言により筋弛緩剤「ミオブロック」投与を決定。須田本人が1アンプルを生理食塩水点滴バッグに溶かし、徐々に「尊厳死」へと向かわせた。これについて、須田は、「鎮静剤使用の延長線上の処置」とみなし、冒頭の「安楽死という認識ではない」ことを主張する。◆4年後に事件化 大倉山診療所は、大倉山駅から徒歩約10分の住宅地の中に挟まれていた。自転車で子供を乗せてくる母親や、マスクを付けた学生服姿の高校生、そして老人たちが次々と診療所を出入りしていた。「あ、こちらへどうぞ」 受付の係員に話しかけた後、須田が私を呼んだ。白衣を着た華奢な女性は、そのままそそくさと診察室に消え、私はその後を追った。「なんかバタバタしていて、ごめんなさいね。メールも返さずになんだか……」 この患者の数を見るだけで、彼女が多忙なのは判断できる。さっそく問いかけた。川崎協同病院事件で殺人罪に問われた医師、須田セツ子氏 =2009年12月、横浜市港北区  川崎協同病院事件のお話なんですが。 須田は、最後まで聞かず、返答は早口で長かった。質問は遮るが、言いたいことは、とことん言う。それが須田セツ子だ。彼女は、「安楽死の認識はない」と断言した上で、治療中止の曖昧さについて語り始めた。「心肺停止で運ばれてきた患者を心臓マッサージや吸引をさせたりして蘇生を試みるけれど、それだって10分やる人と1時間やる人がいます。どこまで続けるか、手を離した瞬間が死亡時刻になってしまう」 須田の話を聞いている最中、私は、スイスのプライシック女医の顔が、突然、浮かんできた。世代も近く、女性である部分が重なったのだろう。一方で、奇妙な感覚に襲われた。スイスの女医は、末期患者やそうでない患者に対し、年間に80人以上の死を幇助し、私に安楽死の仕事を堂々と語る。それに対し、須田は、一人の末期患者を楽にしようと、筋弛緩剤を使用したことで「殺人者」となり、こちらに所々慎重な口ぶりで話す。 そもそも、筋弛緩剤とは、いつ、どんな時に使用されるのか。一般的には、手術の麻酔時に気管内挿管を行う際、筋肉を弛緩させるためにあるものだ。従って、日本の現状では、筋弛緩剤が延命治療中止目的で使われ、患者が死亡した場合、「異例事態」と見なされてしまう。本誌・SAPIO6月号でも紹介した京都市立京北病院事件でも、「レラキシン」という筋弛緩剤が使われ、末期患者が死亡した。当時、病院長だった山中祥弘も、「いかに早く患者を穏やかな表情にしてあげられるか」を考え、患者に投与している。須田もさらりと言う。「宮下さんが見てこられたように、お薬を使ったり注射したりしてストンというような安楽死は、日本にはあり得ないでしょう」 確かに、私が見てきた安楽死の薬は、青酸カリ系などの劇薬で、それをコップに入れて飲むか、点滴の中に投与すれば、数十秒で死に至る。まさにコロリと逝くのだ。殺人医師と書き立てる週刊誌 須田は、土井さんに投与した薬が、直接の死因ではないと言いたいようだ。実際、安楽死を意図していたのであれば、鎮静剤さえ使用していなかっただろう。これについて、須田は、著書の中で、特徴的な持論を述べている。〈もうじき亡くなるとわかっていながら、(中略)最後の最後まで、やれることはすべてやるというのが医療者なのです。どうせ死ぬのだからそんなことする必要はないじゃないか、というようには考えないのです〉 私に質問の隙を与えず、須田は続けた。「薬を使ってストンと逝かせるのは殺人です。でも例えば鎮静剤を打って、薬が効いていったら息が止まった。それが思わぬ早さだった、といって殺人にはならないと思います」 筋弛緩剤でなければ、彼女は逮捕されることも起訴されることもなかったに違いない。苦痛を和らげ、延命治療中止の延長線上の処置を行い、土井さんは永眠した。家族は、須田に「お世話になりました」と会釈をし、納得のいく死亡診断書も受け、この件は終わったはずだった。だが、4年という年月を経て、この出来事は「事件化」した。それは、病院内部の事情に詳しい、ある医師が、マスコミにリークしたことが発端だった。◆「けっして笑顔を見せないように」 組織力に定評のある日本でも、情報漏洩や内部告発は多発する。そこには、「個」を表現し難い、日本特有の国民性が関係していることもあろう。「個人の生や死」を自己決定できないことも、善悪は別として、間接的にそうした国民性と繋がっていると思う。 リーク情報は、すぐさま大手各紙を賑わせ、週刊誌は「殺人医師」と書き立てた。2002年12月26日に横浜地検は殺人罪で起訴。翌年の3月27日から横浜地裁で公判が始まった。 最終的に「呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡させて殺害した」として、須田に懲役3年執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。 植物状態だった土井さんの命が残りわずかだったと予測される中、須田が気管内チューブを外し、想定外の反応を見せた患者に鎮静剤を打ち、最後に彼女自身が筋弛緩剤を投与したという事実を、詳細に説明する機会は訪れなかった。呼吸器内科のベテラン部長だった須田によると、土井さんを安らかに眠らせるため、家族とは事前に相談済みだったという。それは、気管内チューブ抜管の承諾だった。 だが、裁判官は、須田が家族に「九分九厘、植物状態だった」と言ったことに対し、「衝撃的で不正確な説明」、「配慮に欠ける対応をして家族らとの意思疎通を欠いた」と押し切った。だが、須田に反論の余地はない。当時の弁護士は、須田に口を酸っぱくして言った。「被告人なのだから神妙にしていてください。けっして笑顔を見せたりしないように」「あと少し早ければ」 実際は、どうだったか。患者が息を引き取る当日の午後、須田が土井さんの妻と交わしたという会話を、著書をもとに再現しよう。「この管をはずしてほしいんです」「えっ? これを抜いたら呼吸できなくて生きていけませんよ」「わかっています」「早ければ数分で最期になることもあるんです。奥様ひとりで決められることではないんですよ。みなさん了解してらっしゃるんですか?」「みんなで考えたことです」川崎市の川崎協同病院の筋弛緩(しかん)剤事件で 患者に投与された筋弛緩剤と同種のアンプル=2002年08月   だが、裁判における供述では、土井さんの妻は、この時間帯に病院には行っていないと言った。つまり、抜管は、「医師の独断」によるものだったという判断が下された。さらに、須田にとどめを刺したのが現場に居合わせた一人の看護師の証言だった。 その看護師は、筋弛緩剤を注射したのが自分であって、それを指示したのが主治医の須田だったと供述。ミオブロックを投与した量も、即死に至る3アンプルだと証言した。実際に投与した1アンプルの3倍だった。その状況について、須田は、ため息まじりの声を漏らして語った。「なんで看護師が注射するんですか? 事実とまるで異なる。だから私は、最高裁まで闘いました。そんなことをしたら、本当に殺人です。医療現場で筋弛緩剤を3本も使うなんて、誰も信じないと思っていたんですけど」 一審の横浜地裁では、妻の発言に加え、看護師の証言も採用された。しかし、2005年3月からの控訴審の東京高裁では、看護師の証言は変わらず採用されたが、家族側の証言を証拠不足で取り下げ、求刑も3年から1年6か月に減刑された。また、看護師の態度は一変し、涙ぐんで証言をする場面もあったと、須田は振り返る。「一審の時、彼女(看護師)が私と話をしたいって言ってくれたんです。私もなぜ、彼女がそう思い込んでいるのか分からないから、喜んでというところだったのに、(病院側の)弁護士に彼女が止められたんです。控訴審に出てきたときは、一審のときとは全然喋り方が違ったので、(自らの虚偽に)気がついていたんでしょうね」 2007年3月、須田は、控訴審判決に対する不服申し立てで、最高裁に上告した。事実審でなく法律審である最高裁では、「患者の自己決定権」や「医師の治療義務の限界」が主に審議された。それは須田を納得させる議論には至らず、2009年12月、「延命治療の中止を行ったことは法律上許されず、殺人罪に該当する」と最高裁は結論を下した。 最高裁は「延命治療の中止は、昏睡状態にあった患者の回復をあきらめた家族からの要請によるが、その要請は余命を伝えた上でなされたものでなく、患者の推定的意思に基づかない」と判断した。これに関しては、私も頷かざるをえない。だが、SAPIO6月号に紹介した山中祥弘医師とは違って、須田は安楽死ではなく延命治療中止との認識であり、彼女の独断で投与を決めていない点も差し引く必要があるように思えた。 もちろん、須田の話を全面的に信じれば、の話であって、真偽は分からない。皮肉にも、土井さんが他界した直後、ぜんそくの特効薬となる吸引ステロイドの新薬が導入された。これにより、ぜんそくの歴史が変わった。「あと少し早ければ、この事件も起きなかった」と、須田は苦笑いした。◆息子の告白 2週間後、私は、土井さんの子どもの一人が働く職場を訪ねた。入り口の扉を開けると、1人の小柄な男性が奥の廊下から、こちらに向かってくるのが見えた。土井秀夫(仮名)だった。私が、ここを訪ねた意図を説明すると、彼は、すかさず言った。「あ、親父の話? あれはもう思い出したくないんだよ」 だが、無理やり追い払う気配はなく、むしろ、目元には笑みが浮かんでいた。言いたいことがあるのだろうか。「絶対に書くな」と念を押す彼だったが、私は、これから伝える話が、須田や彼を巻き込んだ遺族両者を咎めるというよりも、本来は当事者のはずなのに第三者のように対応した病院側の行動を伝えるため、敢えて書くことにする。「看病して介護するつもりだった」 彼は、父の死後について、渋々と話し始めた。「俺は、あの時、仕事が忙しかったんだけど、急に病院に呼び出されてね。そりゃ、何が起きたのかまったく分かんなかったよ。何であんなことになったのかって。俺は、お袋やきょうだいからなんも聞かされていなかったから」 秀夫は、両腕を組み、威圧感を漂わせる口ぶりで、私にそう言った。父が死に到った過程を、息子は一切知らされていなかった。そうした父の死に関する疑念は、4年後、事件化されたことで家族への不信に変わり、家族関係に亀裂を走らせた。苛つく表情で、話を続ける。「向こう(疎遠の家族)は、須田先生とは何度も話し合いをしてきたみたいなんですよ。だからなんかあったんだろうなぁ。それで、俺が病院に駆けつけたら、急に管かなんかが外されて、注射を打たれて親父が死んじまってね。何が起こったのか、まったく分かんなかったんだ。そん時ね、俺、なんかおかしくねぇかって。俺は、親父の意識がなくても、ちゃんと看病して家で介護するつもりだったんだよ。それがあんなふうに死んじまった」 当時を鮮明に思い出したのか、口数が次第に増えていく。その怒りは事後の病院対応に向かっていった。「数年後、突然、うちに病院の関係者が4人来たんだよ。あの件について、どうか伏せていてくれとね。で、お金も持ってきたんだけど、俺は『金なんかいらねえんだよ、俺が欲しいのは親父の命なんだよ』ってね。ぶん殴ってやろうかと思いましたよ。それで、俺はこんなだから、口悪いし、短気だからさ、黙ってないんだよ。あいつらに俺は『あれって安楽死じゃねぇのか』って言ったんだよ。俺は起こったことをそのまま言うぞって言ったら、あいつら自身が病院で会見したんだよ」保釈されタクシーで神奈川県警を後にする 須田セツ子氏=2002年12月 おそらく前段にマスコミにリークがあり、病院側は慌てて、家族のもとへ足を運んだのだろう。病院側は、金銭の補償もちらつかせた。だが、秀夫さんには、その行動こそ、父の命を軽視していると映った。 2002年4月19日、院長らが、記者会見を行い、「安楽死の要件は満たしていない」と発表し、謝罪した。つまり、組織防衛のために須田一人を見殺しにした形だ。秀夫さんは、他の従業員が中に入ってくると、話を打ち切った。「今日はたまたま従業員がいないからこんなこと話せたけど、もしいたら、あんたのことを押し倒してでも追い払っていたからな」 一家の大黒柱だった父親を失った彼の思いは、十分に伝わってきた。だが、その話を聞いて改めて思う。この事件は、本当に殺人事件として、扱われるべきものだったのか。数々の疑問が残るばかりだが、須田の結論は、こうだった。「司法は、死を他人が導いてはいけない、と判断した。“自分で決める死”と“他人が決める死”には明確な線が引かれるべきだ、と。でも私は、必ずしもそうは思わない。自分のことを一番よく分かってくれている人を側に置いて死ねれば、それは最高だと思う。自分でない他人に(死を含める)すべてを委ねられるって、最高に幸せじゃないですか」「自分で決める死」、つまりは「個人の死」の捉え方は、人によってさまざまだ。欧米と違い、日本では、「個人」が「家族」という土台の上に存在している。須田のいう「他人」が家族を指す場合、個人とも連なっていることになる。これらを、司法で明確に分けることは困難だろう。 日本では、死の議論が未成熟な上、なおかつ「終末期の判断」を医師任せにしている。それが最終的に、患者や家族や医師の間で摩擦を引き起こす。延命治療を中止した医師は、訴訟になれば無罪は勝ち取れない。これこそ、日本の現状であると思う。 私なりの最終的な答えは出た──須田がしたことは殺人ではない。関連記事■ 延命治療中止で裁かれた医師はなぜ患者のチューブを抜いた?■ 患者多い総合病院 カネ払ったサクラ患者がいると看護師暴露■ 産科のマニュアル 絶対に「赤ちゃんは第一子ですか?」と訊く■ 管理が甘過ぎ病院 入院患者が近所スナックで点滴並べて飲酒■ モンスター患者「ゴルフに行くから朝7時から診療してくれ」

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    「ドクターX」では救えない地域医療クライシス

    未知子の「群れない生き方」に共感する人が多かったとはいえ、現実に目を向ければ、医師ゼロに直面した地域医療が崩壊の危機にある。ドクターXでは救えない僻地医療の「病巣」とは。

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    なぜ女性医師は都市部での勤務を好むのか

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 日本の医療が崩壊の瀬戸際にある。「戦犯」は厚労省の医系技官だ。医系技官とは、医師免許をもつキャリア官僚。一つの次官級ポスト、一つの局長ポストを持つ一大勢力だ。彼らは「医師偏在是正」を大義名分に、医療への国家統制を強化しようとしている。 読売新聞は12月4日の朝刊で、「医師が地方で不足する偏在対策をめぐる議論が、年内の取りまとめへ向けて大詰めを迎えている」と紹介した。この記事では、病院長になるには「地方勤務」が要件となることが取り上げられたが、これは序の口だ。 来年度の通常国会に提出予定の医療法改正は「暴挙としか言いようのない施策(厚労省関係者)」のオンパレードである。本稿を執筆している12月5日現在、読売新聞は有識者の意見を踏まえて、議論が進んでいると解説しているが、実は、この法案は既に内閣法制局に提出されている。国民はもちろん、現場の医師に何も説明することなく、事態は進んでいることになる。 私は、国家統制も一つの選択肢だと思う。ただ、全ての政策には長所と短所がある。民主主義国家では、政府は政策の長所と短所を国民に説明しなければならない。最終的に判断するのは国民だからだ。医系技官は民主主義を尊重する気はないようだ。その際、マスコミが重要な役割を果たす。ところが、今回の法改正について、マスコミはほとんど報じない。(iStock) 筆者の知る限り、もっとも詳細に報じたのは、11月18日に毎日新聞が「医師不足把握に新指標 地域偏在是正に活用へ」と報じた記事だ。この記事の中では、「この20年間で、麻酔科や放射線科、精神科の医師は6~8割程度増えたが、激務の外科医や産婦人科医は横ばいだ。厚労省は診療科ごとの各都道府県の需要を予測し、必要な専門医数の目安を示して勤務先を誘導する。来年度導入される新専門医制度でも、研修病院が都市部や大学病院に偏らないよう日本専門医機構が都道府県と調整することを、法律に明記する」と書かれている。 書き方は穏やかだが、中身は「国家統制」そのものだ。複雑化した社会で、こんなことが出来ると本気で信じているのだろうか。もし、そうなら20世紀の共産主義国家の失敗から何も学んでいないことになる。 医師不足・偏在の解決は、国家統制による強制配置だけではない。まずは、医師の供給を増やすと同時に、医師の需要を減らすことを考えるべきだ。前者は医学部定員の増員や外国人医師の勤務解禁、後者は医師の業務独占の緩和や人工知能や遠隔診療の導入などが挙げられる。 いずれも日本医師会の抵抗が予想される政策だ。厚労省は世論の後押しがなければ推進できない。いや、官僚ではなく、本来、政治の仕事だ。いまの安倍政権には、そのつもりはなさそうだ。 情けないのは、マスコミまでが、厚労省の言うがまま思考停止していることだ。知人の全国紙の記者は「役人が記者クラブの連中の先生です。言われたまま書いています」という。これは新聞の「自殺」だ。新聞が経営危機に瀕しているのは、読むべき記事が減っているのが大きい。新専門医制度の悪影響 実は、厚労省や業界団体による統制は、すでに医療現場に悪影響を及ぼしている。その具体例が新専門医制度だ。厚生労働省本庁舎が入る東京・霞が関の中央合同庁舎第5号館の看板(宮川浩和撮影) 医療界では、来春より専門医の教育制度が変わる。従来、専門医資格を目指す若手医師は、自由に勤務する病院を選べたが、今後は大学病院を中心としたプログラムに基づき、各地を回ることになる。特に専門領域が多岐にわたる内科と外科は、将来、自分が専攻しない分野も研修する必要があり、専門医資格をとるのに時間がかかる。 仙台厚生病院の遠藤希之医師の調査によれば、来年度の内科専攻医の登録者は2554人で、例年より2割程度少ない。外科は772人で、例年より1割少ない。増加したのは眼科や泌尿器科だ。 内科医志望医が15人以下の県が8県、外科志望者が5人未満の県は11県もある。これでは地域医療は確実に崩壊する。 代わって増えたのは東大や慶応大の医局だ。内科の場合、例年の専門医取得数は10人以下だが、来年度の応募者は東大が43人、慶応大は33人だ。厚労省の意図と全く逆の結果となっている。 医師不足の辻褄合わせに使われるのは、若手医師にとってたまらない。彼らは、自らのキャリア形成にとって合理的な選択をしただけだ。地域医療が、こんなことになっていることを、果たしてどれくらいの人が知っているのだろうか。 実は、厚労省の医療法改正の素案に書かれていることは、こんなレベルではない。本稿では詳述しないが、医学部地域枠の拡充、卒業後の地域勤務の義務化など、医学生や若手医師を雁字搦めにするための具体策が網羅されている。 我が国の医師不足は深刻だ。多少、医師の人権を抑制しても、厚労省の政策で医師偏在が解決されるなら、仕方がないとお考えの方々も多いだろう。厚労省の素案を多くのメディアが批判しないのは、厚労省記者クラブの記者たちが、このように考えているからだろう。 ところが、そもそも厚労省の政策は前提自体が間違っている。我が国の医師偏在は、厚労省や審議会の委員が主張するような、若手医師が田舎に行くのを嫌がり、都会に留まるから、あるいは若手医師が激務の外科や産科を嫌がり、楽な診療科を選択するからではない。私どもの研究所のスタッフで、福島県の相馬中央病院の内科医である森田知宏医師の調査が面白い。 森田医師は2004~2014年にかけての、国内の医師の偏在を経済格差の研究で用いられるジニ係数を用いて評価した。 ジニ係数は所得分布の不平等などを評価する際に利用される経済学の指標だ。0が完全に平等、1が完全独占だ。この間で数値が大きくなるほど、格差が増す。ちなみに、我が国の所得のジニ係数は0・57(2014年)だ。 実は、調査期間を通じて、医師偏在に関するジニ係数は0・21~0・22程度でほぼ横ばいだった。厚労省の主張するような医師の偏在は悪化していない。 興味深いのは、ジニ係数に大きな男女差があることだ。女性のジニ係数は0・17で、近年、少しずつ増加している。一方、男性医師のジニ係数は0・14から0・13へと低下した。特に40~59才の男性医師のジニ係数は低いのに、調査期間中にさらに0・11から0・09へと低下していた。カギを握る女医の増加 我が国の医師の偏在の悪化要因は女医の増加なのだ。2004~2014年の10年間に女性医師の数は約4万5千人から6万4千人へと42%も増加した。いまや5人に1人が女医で、20代に限れば女医の比率は35%だ。 OECD(経済協力開発機構)加盟諸国の女性医師の割合の平均は41・5%だ(OECD Health Data2011 )。一方、日本は18%だ。他の先進諸国並みに女性の社会進出が進めば、ますます、女医の割合が高まるだろう。今後の医師偏在を議論する上で女医の存在抜きに考えられない。 これまで議論されてこなかったが、女医は男性医師より都市部での勤務を好む。その理由は都会生活が好きで、僻(へき)地が嫌いだからではない。地方都市では、子供が十分な教育を受けられないと考えているからだ。(iStock) 最近、シングルマザーで出産した40代の女医は、「現在は給与・職場・育児環境がよい地方病院で働いていますが、子供が小学校に入り、塾に通い始めたら、どんなに待遇が悪くなっても東京に戻ります」という。彼女は都内の進学校から旧帝大医学部を卒業した。子供は「海外の一流大学に進学させたい」と希望している。 女医の子供の多くが有名中学を受験する。少し古いが2010年に日経メディカルオンラインの亀甲綾乃記者の調査によれば、医師の子弟の56%が私立・国立の中学校に進学する。これは全国平均の8%を大きく上回る。 中学受験は「ママの戦い」だ。彼女たちは、人生の一時期、仕事よりも子供と過ごす時間を増やすことを選択する。 現在、議論されている新専門医制度は、彼女たちに優しくない。それは、専門医の資格を取るのに、実績や実力でなく、「最低4年以上の認定施設での研修」などの過程が重視されるからだ。 現在の医師養成システムでは医学部を卒業し、初期研修を終了するのは最短で26歳。専門医研修を終えるのは早くて30歳だ。新専門医制度が始まり、若いうちは外科医や産科医、年をとったら内科医に転向するようなキャリアは難しくなった。 新専門医制度は、2004年に始まった臨床研修制度で影響力を失った大学教授たちが復権を目指したものだ。当初から、大学に医師が集まり、地方医療が崩壊することが懸念された。4月14日には、全国市長会が塩崎恭久・厚労大臣(当時)に対して、「国民不在の新専門医制度を危惧し、拙速に進めることに反対する緊急要望」を提出した。塩崎氏は厚労大臣在任の最終日である8月2日に、吉村博邦・日本専門医機構理事長と面談し、改めて危惧を伝えた。 厚労省も日本専門医機構も、この問題は十分に認識している。だからこそ、一定期間を僻地勤務に充てることを義務づけようとしている。ところが、女医にとって、こんな強制はたまらない。内科や外科をやるなら専門医資格はあった方がいい。専門医資格がなければ、給与や昇進で差別されるおそれがあるからだ。それなら、最初から育児と両立できる診療科を選んだ方がいい。これは合理的な判断だ。地方を求める男性医師 女医の増加は必然的に特定の診療科への偏在を加速する。彼女たちに人気がある診療科は皮膚科、産科、眼科、麻酔科だ。女医が占める割合は、それぞれ49%、46%、37%、37%だ。産科を除き、当直や緊急の呼び出しの負担が少ない診療科だ。現在でも女医の3割が出産・子育てを理由に辞職している。地方勤務を義務づければ、「医師を続けることにはこだわりはない(都内の女性勤務医)」人たちが辞職するだけだ。 厚労省は、さまざまな機会に「病院における柔軟な勤務形態等、妊娠・子育て中の女性医師の就労継続・復職支援に資する取組の推進」と打ち上げているが、この程度のことは地方病院はとっくにやっている。 地方に欲しいのは、自分の子供を入学させてもいい進学校だ。東日本大震災の被災地の市長は「ここに開成高や灘高が来たら、女医はもちろん、若いお母さんが大量に移住してくる」という。女医が求めるのは、子供の学校であり、それは一朝一夕にできない。 実は、女医の増加による医師偏在を穴埋めしてきたのは、中高年の男性医師たちだ。この世代のジニ係数はもともと低いのに、この10年でさらに減少した。この層が医師全体の37%を占める主流派で、女医の増加による医師偏在の悪化を埋め合わせている。結局、医師偏在を埋め合わせたのは、医師数の増加ということになる。 40代以降の男性医師が、地方病院に異動する理由は二つだ。一つは体力。勤務医の1週間の平均労働時間は53・2時間。35%は毎月60時間以上の残業をこなす。20代、30代なら兎も角、中高年になると体がもたない。地方の慢性期病院でのんびりと過ごしたいと考える医師が増えてもおかしくない。 もう一つは金だ。特に東京の勤務医の給料は安い。東京は、医師は多いが看護師が少ない。診療報酬の抑制に対応するため、医師の給与を切り下げてきた。都内の大学病院なら、教授クラスでも年俸は1000万円に満たないことがある。一部の有名教授は患者からの謝金や、製薬企業からの講演料などで高額の収入を得ることが出来るが、大部分の教授はアルバイトで食いつなぐ。部下の生活はもっと悲惨だ。40代の助手クラスなら年収は700万円程度だ。平日は勿論、週末も当直バイトに精を出す。知人の私大の外科系准教授は「平日の病棟は無医村です。医局員は手術室か外来、あるいはアルバイトに行っています」と言う。最近、都内の私大病院で不祥事が続くのも宜(うべ)なるかなだ。(iStock) 医師の給与は完全な市場メカニズムで決まる。首都圏も埼玉県北部までくれば、40代の内科医で年俸は2000万円を超すのも珍しくない。住宅ローン、教育費を抱える中高年医師にとって、このような病院での勤務は魅力だ。加速する医師不足 首都圏の大学病院を辞めて、北関東の民間病院に就職した医師は「大学医局の煩(わずら)わしい人間関係もなく、給与も高い。医師が少ない分、症例もそれなりに多く、技量も維持できる。週末、都内の自宅に戻ればよく、いまの環境に満足している」という。 我が国の医師偏在が、このレベルで留まっているのは、女医の増加に対応して、需給バランスに適う形で中高年の男性医師が地方の病院に異動していったからだ。つまり、合理的な選択を積み重ねた結果だ。決して、厚労省や大学医局が適切に人材を配置したからではない。 ところが、厚労省は各都道府県の「地域医療支援センター」の機能を強化し、「医師のキャリア形成支援・配置調整ができるよう」にする方針だ。この枠組みは、厚労省は都道府県に丸投げし、都道府県は地元の大学医局に丸投げする。 もちろん、この枠組みは機能しない。強制的に地方に派遣されることになる若手医師は「海外で働くことを考えている」と言うし、一方、地方に出る若手の穴を埋めるため、大学病院などで働かされる中高年の医師は「企業の産業医か、製薬企業で働きたい」と言う。この結果、医師不足は加速する。 この枠組みで得をするのは、天下り先が増える県庁の職員と、再就職先が確保出来る定年間際の医学部教授たちだけだろう。 問題はこれだけではない。厚労省は医師の地域定着を目指すため、「地域枠」を拡充し、卒業後は地元に縛り付けようとしている。若者は異文化と交流して成長する。これは古今東西変わらない原理原則だ。こんなことをすれば、医学生のレベルが下がるだけだ。 世界の医学教育は優秀な生徒を集めるため、グローバルな競争を続けている。近年、日本の若者がアメリカだけでなく、東欧の医学部に進学するようになったのも、その一環だ。グローバル化が進んだ世界で、厚労省が独善的な政策を押しつければ、優秀な若者は海外の医学部に進学するだけだ。2008年4月、参院予算委で質問に答える舛添要一厚生労働相(酒巻俊介撮影) 厚労省は一体、何のためにあるのだろう。医師不足、医師偏在は元をただせば、彼らの失政が原因だ。80年代、将来医師は余ると主張し、医学部定員を削減した。この方針は閣議決定され、2009年、舛添要一厚労相(当時)が撤回するまで続いた。この点を反省することなく、最近になって時代遅れの国家統制を押しつけようとしている。その先にあるのは、我が国の医療の崩壊だ。 情報化、グローバル化が進んだ21世紀に求められるのは、時代錯誤な国家統制を振りかざすのではなく、地域の実情に即したきめ細かい施策だ。情報開示を進めるとともに、オープンに議論することだ。日本の医療政策を、官僚と専門家たちに独占させてはならない。

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    28歳の女医があえて「Dr.コトー」を目指したワケ

    いという一心で勉学に励んだ。医学生になってからは、目の前の試験に追われながら、医学を知るようになり、医療を知るようになった。そして、いろんな医師像があることを知り、自分はどんな医師になりたいのかを真剣に考えるようになった。 だが、医学生の私がみていた医療は、大学病院中心の医療でしかなかった。病気を治すだけでなく、住民の健康を守るという役割も医師が担っていることを、地域医療に携わって初めて知った。また、南相馬にやってきて初めて、関西ではクリニックや医師を自分の意志で選択できるという恵まれた環境で育ったことに気がついた。 医師になってからは、主治医としての臨床経験を一例でも多く積むことを考えるようになった。患者さんのことはもちろん、患者さんと家族の関係や、家族の思いは、医学知識をいくら詰め込んでも分からない。やりとりを重ねることで、医療を学び、その地域の考え方や文化や歴史に触れ、自分もその地域に受け入れてもらえるようになってきた。新しい地域に慣れ、地域に溶け込むには長い歳月が必要であることを、慣れ親しんだ地域を離れることで痛感した。強制でやりがいを見出せるのか 好きでもないことを「やりなさい」と言われ、泣く泣くやった、なんて経験は誰にでもあると思うが、「僻地勤務の義務化」はまさに同じことだと思う。私だったら、モチベーションが維持できず、やりがいを見失ってしまうだろう。何よりも、地域の人の健康を守っていく責任は負えない気がする。 他にも、「地元出身者を医学部入試で優先する枠の増加」が、医師の偏在解消策の一つとして検討されているという。だが、この案は7年も先の将来の進路を高校生に迫るだけでなく、さまざまな地域に飛び込むチャンスを奪い取る案でしかないと思う。 医学部受験の際、奨学金貸与を検討したことがあった。「地域医療に強い意欲を持ち、卒後県内の病院で勤務する意思を有する者に対しては、県より医師養成奨学金を与える」というものだった。医師になるためには、医学部に進学するしかない。医者になれるなら、どこの大学でも、どんな制度でもいいという一心だった高校生の私には、「卒後数年間は、県内で勤務せねばならない」ということも重みを理解できていなかった。 一般枠で合格し、すっかり制度自体を忘れていたが、大学5年生になり、卒後の進路を考え始めた時、いわゆる「地域枠」という縛りが自分にはなくてよかったと実感した。もちろん、地元の医療を支えたいという強い意志を持ち続け、自ら地元に残ると言っていた同期もいた。河合診療所の山本均院長から話を聞く 三重大学医学部の学生たち=2016年9月、伊賀市 だが、医学生ながら医療の実態を垣間見て、私はどこでどんな医師になりたいのかを考えたときに、働く場所が定められていることは選択肢を大幅に狭めることに、その時初めて気がついた。医師になりたいという一心の高校生に、医師免許をあげるから県内に残って医師として働きなさいといっているにすぎなかったのだと、ようやく分かったのだった。 今では、卒業と同時に生まれ育った関西を離れたことは、とてもよかったと思っている。先入観や固定観念を持っていたことに気づき、地元関西の良さを再確認するきっかけにもなった。たくさんの出会いもあった。異なる環境に身を置くことは、つらいこともたくさんあったが、それ以上に自分自身を成長させてくれるチャンスを与えてくれると実感している。 医師として地域に飛び込み、地域に溶け込み、地域に根ざし、住民の健康を守ることは、制度で縛ることも強制することもできない。自ら志願して来てくれた医師と、来させられた医師の、どちらに診てほしいだろうか。どちらの医師に、自分の命を預けることができるだろうか。若手医師に僻地医療を強制させよと議論している人に、そういう視点が欠けている気がしてならない。

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    「白い巨塔」再び、若手医師の僻地派遣に隠された厚労省の思惑

    中村幸嗣(元自衛隊医官、血液内科医) 「医療過疎」である僻地(へきち)への医師の強制的な派遣が取り沙汰されています。2018年度からスタートする「新専門医制度」とも連動しています。12月8日に厚生労働省の医師需給に関する検討会の分科会に提出された第2次中間取りまとめ案には、「医師偏在に関する客観的で有効なデータに基づき、他の医療政策と整合的かつ主体的に医師偏在対策を講じることができる仕組み」とあります。では、このテーマを自分なりに解釈していきます。取りまとめ案からは、医師偏在対策として四つのポイントが挙げられています。(1)都道府県自治体における医師確保対策の実施体制の強化 具体性はよく見えないのですが、地域が「医師確保計画」を策定し、地域大学と連携することで今機能していない「地域医療対策協議会」の実効性を高める、つまり医師を実際に確保する組織にすることが挙げられています。(2)医師養成課程を通じて自治体が介入し地域における医師確保 策定した「医師確保計画」に基づき、都道府県が臨床研修病院の指定や、卒業後の地元勤務を条件に奨学金を設ける医学部の「地域枠」を含めた定員などに介入する権利を持たせるとのことです。ただ、こんな能力を持つ地方職員がいるでしょうか。「医師余り」といわれる東京ですら医療過疎地が存在し、地方自治体ごとにも格差が目立つ現状で、どれだけのことができるのでしょうか。 また、地方の医師を確保するためには都会地域における臨床研修医などの定員を抑制する必要が出てきます。これは地域だけでは不可能です。それこそ建前上は強制ではなくプロフェッショナル・オートノミー(職業的自律)により、18年度から運用される新専門医制度においても、事前に明記されていなかった「地域、専門科の制限」がすでに実施されているようです。都会への一極集中がかなりひどいといわれているとはいえ、公務員でもないのに、若手医師には職業選択と居住という、二つの自由がすでに制限されているのです。厚生労働省が入っている中央合同庁舎第5号館 そして今後、行政による介入の範囲を明確化し、都道府県別・診療科別の必要医師数の算定を計画に基づき実施するということですが、やはり具体性が全く見えません。ちなみに必要医師数に内科はひとくくりで考慮されており、血液内科や神経内科といった専門は全く分けられていません。私が望んでいる医療改革は題材にもあがらないのです。地域に必要な医療には総合臨床医、かかりつけ医がいればいいということなのでしょうか。でも、この分野の修練も本当に難しい上に、社会のコンセンサスが取れていないのです。(3)地域における外来医療機能の不足・偏在などのデータ収集 外来患者のデータを集積し、地域別の外来医療機能の偏在・不足などに関するデータを集めて可視化するとしています。つまりはっきり言うと、在院患者と違い、今は外来患者のデータがほとんどないわけです。それに伴い現在の必要医師数のデータの根拠が弱いことがわかります。(4)僻地勤務を促す厚労省による医師に対する認定・インセンティブ 「僻地で勤務しても医師が疲弊しない持続可能な勤務環境の整備」と書かれているのですが、財源含めて具体性はありません。またインセンティブとして挙げられているのは、僻地に勤務する医師に対する認定制度の創設と、認定医師に対して一部の地域医療支援病院のような医療機関の管理者、つまり院長の資格を与えるというというものですが、今の若手医師にはなんの魅力もないと思われます。診療所の開設権(いわゆる開業制限)でないことも中途半端です。客観的なデータはどこにある? つまり、今回の施策をまとめると、地域医療連携部と各大学医学部・病院を直結することに伴う「医局制度の復活」ということになります。特に地域における人事面で目立ち、まるで昔の良き時代を求めているようです。そしてもう一つは、地域医療における都道府県地方自治体の介入の法的担保です。(iStock) ところが、今の医局、特に地方医大の力は弱くなっていますから、正直大丈夫かと疑問がわきます。まして、協力する根拠が薄弱(特に私立医大)にもかかわらず、教授たちが協力するでしょうか。さらに、介入する地方自治体の能力によっても差が出るでしょう。 少し詳しく書いていきます。まず今回、厚労省は医療過疎である僻地に医師を派遣するにあたり、先ほどから出ている「地域偏在に関する客観的で有効なデータ」をもとにするとしていますが、この客観的なデータはどこにあるのでしょう。 もし、医師不足や偏在対策のために各都道府県が策定した「地域医療構想」のデータを、厚労省が現在使っているとすれば、正直5年後にはそのデータは使い物にならない可能性があります。実は、地域医療構想においては、数年前の医療ニーズに基づいて患者の数を予想し、そこから地域の医師の必要数を含めた医療を評価しています。そのデータに今後の医療の進歩は入っていません。 それこそ、がん治療薬のオプジーボ、次世代型キメラ抗原受容体発現T細胞(CAR-T)療法といった先進医療は全く入っていないのです。よって今後必要になってくる新たな「がんサバイバー」の増加への対処は全く考慮されていません。そうすると、大学のような3次医療機関で必要な医師数が増加するため、最初の必要医療者数の前提が不安定となり、そこから導き出される計画はいい加減といわざるを得ません。ちなみに、厚労省が定義する「医師偏在の度合い」のデータは以下の条件を考慮して作成し、全国ベースで客観的に比較・評価することができる指標とされています。(1)医療需要(2)将来の人口・人口構成の変化(3)医師偏在の度合いを示す単位(区域、診療科、入院/外来)(4)患者の流出入(5)医師の年齢分布(6)僻地や離島などの地理的条件 ただし、今までがん統計すらなかった日本にこれだけのデータが今あるのか不思議です。医療需要も定義によっては、倍以上の変動が出るからです。若手医師が地方に行きたくない理由 医師数が10万人あたり152・8人と最少の埼玉県を例に考えましょう。確かに、最大の京都府(307・9人)と比べて、国公立大学の数(実質私立のみ)、人口動態(東京都から埼玉県へ定年退職に伴う移動)、自治体の面積、経済状況など本当に必要な医師数を求めるためのパラメーターがあまりにも異なります。また、地域によっては近隣の東京、群馬、栃木の医療にある意味「おんぶに抱っこ」だった埼玉の医療状況が県単位でまとめられるかは疑問です。(iStock) 聖路加国際大学の福井次矢(つぐや)学長は「都道府県が効果的な医師派遣に向けて大学と話し合うとされているが、(大学の)『持ち駒』がなく、実効性がない」と分科会で現在の大学の力の無さを指摘されていますが、当然でしょう。今でも大学医師のほとんどが過剰労働なのに、地方の大学がどれだけの医師を僻地に派遣できるのでしょうか。 ところが、厚労省医政局は「地域枠の卒業生が今後増加していくし、それ以外の卒業生も合わせ、ほとんど機能していなかった地域医療支援センターを強化していくことで対応できる」と説明しています。今まで医学部の定員を増やしても変わらなかったのに、改善できるという根拠がよくわかりません。結局、若い医師を半強制的に総合臨床医にして僻地に派遣することでやっと改善するというのでしょうか。 若手医師が地方に行きたくないのは、東京などの都会に比べて、希望する内容の仕事ができなかったり、労働環境や専門医としてのスキル獲得などに不安があるからです。ましてその地方の中でもさらなる僻地です。一般の人間がそこに住む自由を認めながら、医師がそこに住まない自由を認めないのはどうしても納得できません。 この分科会の出席者で、僻地勤務は「医師が少なくても学びが多く、医師としての充実感が得られる」と述べている方がいますが、それは臨床の現場から離れた価値観でしかないでしょう。仕事内容や労働環境の改善、キャリアパスなどの障害の除去、インセンティブを確定する前に、時代遅れな個人の価値観を押し付けて派遣される若い医師は厚労省や有識者の奴隷ではありません。 実際、若手医師の活用が少し成功している地域では、地域医療を続ける方策として「医師への教育の提供」を第一に挙げています。ボランティアで一生懸命教えてくれる人がいて、その教育環境が良ければ、自分から若い先生は飛び込んできます。それを医療行政に素人の地方自治体を船頭に、根拠の乏しいデータをもとに見切り発車し、失敗しても財源などのフォローがないのではまさに若手医師が「無駄死」するだけです。 医療に対する行政側の知識のなさは、病院人事に介入して医師が逃げ出した例が複数の地域であることで明らかです。こんな自治体トップがいる病院に行って若い医師が学問を遂行できないのはまさに戦力の無駄です。素人事務に「丸投げ」厚労省のひどい策 でも、厚労省がある地域の典型的医療データを出して、日本の有識者の誰も答えを見つけていない「効率的な地域の医療の運用」という結果を、地方の素人事務に求めて「丸投げ」することはひどい施策だと思っています。 私は防衛医大出身で、一般の医学部とは異なり卒業後に自衛隊で勤務する大学に最初から自分の意思で入りました。だからこそ、一番勉強が必要な若い時期に専門から少し外れ、一般内科、健康管理、医療行政、防衛問題、海外派遣といった普通の臨床医とは異なる仕事をしてきました。私個人はその経験がよかったと思っていますが、それが嫌でお金を払って早期に辞めていった人間もたくさんいます。そして彼らの一部は精進し、他の大学医学部の教授になっています。だからこそ、医学を勉強したいと思っている若い医師たちに学問や職業選択、居住の自由を持たせず、自分たちの希望しない僻地勤務を強制させるのは、民主主義国家の医師として絶対反対です。 3年前、私のブログに書いたように、自治体の身勝手さは変わっていません。もちろん地域枠の医師はある程度意思を宣言されていますので仕方がないとは思います。だけど、いつから他の医師を勝手に配置する根拠ができたのでしょうか。(iStock)  「医療機関の管理者になるなら、医師不足区域に行くべきだ、という仕組みが、強制と取られるのは無理がない」「強制的なイメージを伴うので、今の時代に合っていない。僻地で医師が少ない地域に、国民を住まわせるなら、医師へのインセンティブでやるのではなく、国の責任として医療を提供する仕組みを作るべきだ。医師に『一肌脱げ』という仕組みを作るのはやはり違うと思う」「地方では総合診療専門医などが必要とされる。どんな医師を育成するのかという視点も含めて議論してもらいたい」と、分科会に出席した有識者からはまともな意見も出ています。でも、これらの意見は正直無視されていくのでしょう。 日本の医療を前進させることは大切ですし、今の地域医療もある程度の整備が必要です。でもその整備を、僻地に勤務していいと宣言していない若手医師の犠牲で成り立たせてはいけません。尊厳死や安楽死、胃ろう、延命処置などどこまでの医療を行うか、現状の必要性が定まっていないのに、形だけ定数として若手の医師を僻地に配置し、彼らの進歩を犠牲にしてはいけません。若手医師にだけ犠牲を求めてはいけないのです。

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    僻地への派遣制度は医師ゼロ解消の切り札になるか

    山田隆司(公益社団法人地域医療振興協会地域医療研究所長) 医師の地域偏在の問題が深刻である。特に地域を支える中小規模の病院では医師確保は存続にも関わる重大な問題となっている。 医師の研修制度が変更されるなか、多くの医学部卒業生は優秀な指導医、効率の良い研修、ライフワークバランスの良い環境を求めて都市部、大病院、特定の診療科へ集中する傾向が否めない。 また、来年から開始されることになった新専門医制度でも、地域偏在を解消する対策を講じたにもかかわらず、都道府県格差あるいは診療科間の格差が広がっており、地域偏在の流れを食い止めるどころかさらに加速させるような勢いである。 さて、そこで出てきた地域偏在の解消策としての「僻(へき)地への強制医師派遣制度」である。強制派遣というといかにも物々しい印象で、医療界からは、「医師の自由を損なう」、あるいは「プロフェッショナルオートノミー(職業的自律)に委ねるべき」などという反論が聞こえてきそうだ。 しかし、今や反論しているだけではすまされない状況で、国全体の地域医療をどうやって守るのか、医療者全体のあり方が問われている。 そもそも医療は国民全体のニーズに応えるべきであって、個々の医師の自由を振りかざして反論している場合ではなく、まさしくプロフェッショナルオートノミーのもと責任ある回答が医療界全体に求められている。(iStock) 医師という職業自体が社会的責務を負っているからこそ、プロフェッショナルオートノミーが尊重されるのであって、この対応によっては日本社会における医師という職業の価値観に影響を及ぼすと言っても過言ではなかろう。 これまで僻地など、医師不足地域の問題は、実際にそういった地域の病院や診療所の開設者・管理者の問題であり、主に自治医科大学や、地域枠の卒業生が担うべきことだとしか認識されてこなかった側面がある。 多くの医師には当事者意識がなかったと言っても過言ではない。奨学金という金銭的な契約で拘束された対象者だけで解決すべきという極めて短絡的な手法に頼っていたのである。今回も単なるインセンティブを与えることで、一部の医師のみが関係する問題として帰結してしまわないよう十分留意する必要がある。 今回「医師少数区域」での一定期間以上の勤務経験を有する医師を厚労省が認定し、認定医師であることを広告可能としたり、地域医療支援病院など、一定の病院の管理者になる際に評価したりすることが提案されている。 筆者は自治医大卒業生であり、義務として僻地医療に従事してきた医師であるが、その立場からは僻地医療の経験が評価されることについては喜ばしい提案だと受け止めている。技能習得に傾きがちな医師 僻地や医師不足地域の問題が一部の特定の医師の問題ではなく、多くの医師が関わることに繋がる施策が提案されることに賛意を表したい。地域偏在の問題を不足する地域だけが問題視し、対策を講じようとしても所詮無理がある。偏在という問題を医師全体が共有し、解決に向けて知恵と力を合わせることが今求められているのだ。 私の場合は自治医大という枠組みに入ったおかげで、僻地の問題を知り、地域医療や総合診療に興味を持つことになったわけだが、僻地医療の問題は単に僻地固有の問題ではなく、地域医療、総合診療、臨床医学、医学教育全体に関わる問題であると認識している。 僻地医療の問題に取り組むことで、これまで日本の医療がないがしろにしてきた課題が凝集して見えてきたのである。 これまでの臨床医養成がともすると疾病に対する知識、技能の習得に傾きがちで、患者を取り巻く家族、地域社会などを理解し、それを踏まえた上で診療することで社会貢献に繋げようとするような幅広い人格形成の面が疎かになってきたことは否めない。そのような視点からは地域での研修、とりわけ家族やコミュニティーを理解しやすい僻地のような地域は臨床医にとって人格形成の面でこの上ない恵まれた環境なのである。 今回の医師の地域偏在の問題をきっかけに、医学教育の視点から医師養成全体を再検討し、卒前教育、初期研修、専門医研修、生涯学習まで一体的な改革が提案されることを願っている。 それはすなわち、医学生は低学年から地域で住民に触れ、コミュニケーションを学び、医療者として信頼されるような人格を涵養(かんよう)する。卒後の臨床研修では全身を把握し、適切な臨床推論ができるよう、総合的な臨床教育を徹底する。(iStock) 特に初期研修や総合診療研修では主に医療資源が限られた地域の中小規模の病院を活用し、基本的な診療能力を鍛える。臨床医のキャリア形成のなかで、すべての医師が僻地を含めた医師不足地域を経験し、多くの医師が被災地や医療資源に恵まれない地域の住民に配慮できるような、そんな医師養成が実現することを望むばかりである。 僻地や医師不足地域の問題を医師全員で真正面から受け止め、議論し、安易に次世代にツケを回すのではなく、まずは今の現役世代で解決策を見いだし、実践することが我々に課せられている。