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    恐怖政治強化の序章か、ナワリヌイ逮捕が示す暗黒国家ロシアの本領

    中村逸郎(筑波大教授) 2020年8月20日、ロシア・西シベリアのトムスク市から発したモスクワ行きのS7航空2614便に搭乗していた反体制指導者でブロガーのアレクセイ・ナワリヌイ氏は、離陸から30分後に気分が悪くなりトイレに駆け込んだ。同氏はその直後、意識不明の重体に陥る。 「ウォー…ウォー……」と、彼のものと思われるうめき声が機内で響く。 「アレクセイ、飲むんだ、息をしろ」、必死に薬を飲ませようとする仲間たちの叫び声。 そこはまさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の様相だった。なお、この顛末の詳細は、拙著「ロシアを決して信じるな」(新潮新書)を参照されたい。 このナワリヌイ氏に対する惨劇は、今年1月に入ってからロシア全土で繰り広げられた反政権集会の引き金となる。ロシア出身の在米化学者であるビル・ミルザヤノフ氏は昨年9月10日、ロシアの人気ラジオ局「エーホ・モスクワ(モスクワのこだま)」のインタビューで以下のように断言している。 「ナワリヌイ氏の症状はノビチョクによる症状と似ています。18年にロンドンに住むロシア情報機関職員だったセルゲイ・スクリパリ氏に使用されたノビチョクA-234よりも毒性が強力なものだったかもしれません。ノビチョクを製造できるのはロシアの国立研究所だけです」と同氏は述べている。そしてこの毒物が世界に知れ渡るようになったのは、このスクリパリ氏暗殺未遂事件がきっかけなのだ。 実はこのミルザヤノフ氏は、ノビチョクの開発者の一人でもあった。この毒物は旧ソ連時代の1970年代前半に開発が始まったが、実態については20年近く国家秘密として隠されてきた。ソ連崩壊直後の92年、反ソ連体制派の科学者たちはノビチョクが化学兵器であることを告発しようと試みたが失敗に終わった。その一人が彼だったのである。 意識不明となったナワリヌイ氏はロシアから飛行機でドイツのシャリテー・ベルリン医科大に移送され、自力で呼吸できるまでに回復し、一命をとりとめた。毒殺未遂事件に関わったとされる工作員と電話で話すナワリヌイ氏(右)=ドイツ(NAVALNY.COM提供、ロイター=共同) 現時点ではノビチョクが本当に使用されたのかどうか、決定的な証拠はドイツやロシアでも公表されていない。推測の域を出ないが、疑惑にとどまるからこそ逆にロシアらしい怪奇な仕業といえる。 ロシアのメディアはナワリヌイ氏を含めて事件や事故を大々的に報道することがあっても、真実を報じることはないと私は思う。ロシアでは、真実はニュースにならないからである。毒を持って毒を制す ロシアは昔から、政治的な陰謀や政敵への復讐に毒物が用いられてきた歴史がある。古代ロシアでは、公や候(公爵)が祝宴のテーブルで致死量を超える毒が盛られて、召し使いに看取られながら死ぬ場面が絵画として残されている。 当初、植物由来の激しい毒性を持つアルカロイド系の毒物が用いられてきたが、中世に入ると、ヒ素化合物の使用が主流となった。 この毒物は筋肉のけいれんを引き起こすコレラと似た症状が見られ、20世紀初頭まで広く使用されていた。それらが「毒の王様」と形容されたのは、致死率が低く、相手を苦しめるのに効果があったからだ。すぐに死に至らない毒物として重宝されたのである。 ソ連時代になると、政府機関が化学兵器の開発を推進し、放射性物質ポロニウムの研究やノビチョク開発が進められた。こう見ると、ロシアは「独裁国家」というよりも、実態は「毒裁国家」と形容できる。 それにしても私が納得できないのは、ナワリヌイ氏の言動である。彼は1976年6月4日生まれの44歳であり、11年に政治家や官僚の汚職を告発する「反汚職基金」を創設し、翌年から無許可の反プーチン集会を仕掛けるようになった。 そのたびに身柄を拘束され、19年には収監されていたモスクワの施設で顔が腫れ上がり、片目が開けられないなどの中毒症状を起こした。その悲惨な様子はインターネットでも拡散されている。 プーチン政権からたびたび警告を受けているにもかかわらず、いわば自分の命と引き換えに果敢に反政権活動を断行している。もちろん彼なりの正義感があるにしても、ドイツでの治療によって中毒症状が改善したのに、先月1月17日にモスクワに帰った。 実はナワリヌイ氏は身柄を拘束され、虐待を受けるたびに一般市民からの寄付金が先の反汚職基金に寄せられる。彼の不幸な映像や様子がインターネット上で拡散されると、気の毒に思うロシア人が一定数いる。モスクワ中心部で反体制派ナワリヌイ氏の支持者を排除する治安部隊=2021年1月23日(タス=共同) ロシアには、数奇な運命に翻弄(ほんろう)される人たちに同情する文化が根付いている。その理由は、かの国の苦難の歴史にある。13世紀から240年も続いたタタールの支配やナポレオン、ナチスドイツの侵略など、ロシアは外敵の脅威にさらされてきた。 国内に目を向けると、ピョートル大帝、イヴァン雷帝、さらにはスターリンなどの残忍な支配者たちの抑圧や飢餓に苦しめられた。とりわけ迫害された芸術家や作家に対する人々の同情は並大抵のものではない。ナワリヌイ氏の政治思想に賛同できなくても、そうした暗い歴史を紡ぎ、戦禍や恐怖政治に耐えてきた背景があるからこそ、その苦悶(くもん)に共感する人たちがいる。ナワリヌイ氏が持つ闇 ナワリヌイ氏が受け取った2019年の寄付金の総額は、5億8800万ルーブル(約11億円)まで達したらしい。だからこそ今回は快方に成功したからといって、いつまでもドイツに滞在するわけにはいかない。祖国ロシアでプーチン政権を非難し、いわば危険な目にあうことで寄付金を集めなければならないからだ。 そしてその寄付金の約半分はナワリヌイ氏が私的流用し、さらに仲間40人ほどにも回しているという疑惑が国内メディアで報じられている。もちろん真偽は分からないが、その闇もロシアらしい。ナワリヌイ氏は、まるで「反プーチン活動ビジネス」を展開しているかのようだ。そのやり方は「炎上商法」に近い。 他方で、彼の帰国を許可した政権側の思惑も見え隠れする。ナワリヌイ氏はしょせん、ブロガーである。彼が反政権運動のリーダーにとどまるならば、どんなに盛り上がってもプーチン政権を揺るがすほどの脅威にならない。 むしろ集会を半ば容認することで、反政権勢力が国内にどの程度広がっているのか、ある種の世論動向を探ることができるそうだ。ナワリヌイ氏を政治利用しようという、当局の策略が透けて見える。 結局のところ、ナワリヌイ氏とプーチン政権は、いわば持ちつ持たれつの関係にあるという構図が浮かび上がる。 しかし、今月2日、両者の関係に大きな変化が生じた。ナワリヌイ氏に対して、過去の詐欺事件で受けた有罪判決の執行猶予が取り消される決定が下された。ナワリヌイ氏は2年8カ月の実刑が言い渡され、収監された。 今年1月下旬にロシア全土で広がった大規模な反政権集会に、プーチン政権は歯止めをかける必要性に迫られたためだ。ナワリヌイ氏の仲間たちも身柄を拘束されてしまい、かの「反プーチンビジネス」は終焉(しゅうえん)を迎えてしまったようだ。年末恒例の記者会見をオンライン形式でモスクワ郊外の公邸から行うロシアのプーチン大統領=2020年12月17日(タス=共同) 反政権派のシンボルだったナワリヌイ氏の逮捕により、この先ロシアはどのような運命が待ち受けているのだろうか。今後は反政府集会が開催されることもなく、普通の人々が抱くプーチン政権への怒りは社会の底に沈殿していく。そうなると、皮肉にもプーチン政権は彼らの動向を見失ってしまう。 社会全体に疑心暗鬼の空気が充満し、かつてのロシア皇帝のようにプーチン氏がテロリストの標的として狙われることも考えられる。テロ活動を警戒するプーチン政権は、治安部隊を社会の隅々に配置して恐怖政治を強めるかもしれない。いずれにしても今後、ロシア史に暗黒の時代が刻まれるのは確かである。  ※文中の筆者の著書「ロシアを決して信じるな」(新潮新書)は2021年2月17日発売

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    日本軽視のライス氏重用、「チームバイデン」に漂う危うさ

    前嶋和弘(上智大総合グローバル学部教授) 来年1月のジョー・バイデン政権発足を踏まえ、ホワイトハウスの国内政策会議を統括する補佐官にスーザン・ライス氏が指名された。その背景を考えてみたい。 ライス氏は、バラク・オバマ氏が大統領だった時代に前半4年間は国連大使、後半4年間は国家安全保障担当の大統領補佐官を務めた「外交のプロ中のプロ」のはずだ。同政権で副大統領だったバイデン氏との個人的な信頼関係もあり、副大統領候補や国務長官候補に浮上していた。黒人であることも多様性を強調する次期バイデン政権にとっては重要なアピールポイントだった。 そのライス氏を、なぜホワイトハウス国内政策担当補佐官に任命するのか。同氏の外交政策での経験を考えると、予想外の動きだ。 これは、共和党側がライス氏の外交手腕に大きな疑念を持っているため、という一言に尽きる。2012年9月にリビア東部ベンガジで米領事館が襲撃され、スティーブンス米国大使を含む4人の米国人が殺害された事件についての対応があまりにもまずかったという批判である。 米領事館襲撃事件の際、国連大使だったライス氏は各種メディアに登場し「自然発生的なデモが暴走したもの」という見解を繰り返した。しかし、実際には、リビアではイスラム過激派による襲撃計画があり、スティーブンス大使らが警備の増強を要請していたにもかかわらず、オバマ政権が放置していたことが判明したのだ。ちょうど、オバマ氏は再選を目指す選挙戦の最中だった。「選挙にマイナスにならないように対応が遅れ、真相を隠したのでは」と当時の国務長官であったヒラリー・クリントン氏だけでなく、次期国務長官候補の筆頭だったライス氏を、共和党は強く批判した。 12年の大統領選挙でオバマ氏は再選を果たすが、上院での承認時に共和党から激しい反発が出ることが予想され、ライス氏は国務長官ではなく、承認がいらない国家安全保障担当の大統領補佐官に収まった。代わりにオバマ第2期政権の国務長官になったのは、ジョン・ケリー氏だった。ケリー氏は上院議員、2004年の民主党大統領候補などの経験があり、今回のバイデン政権でも気候変動問題担当特使に指名されている。 ライス氏については、そのときのデジャビュ(既視感)のような印象もある。バイデン政権の国務長官候補の筆頭に、ライス氏の名前は常に挙がっていた。おそらくバイデン氏は11月3日の議会選挙で民主党が伸び悩んだ状況を見て判断したのだろう。スーザン・ライス氏=2016年4月(AP=共同) 来年1月5日に行われるジョージア州の2議席(現在2議席ともに共和党)の決選投票待ちだが、もともと共和党が強い地盤を持つ地域だ。最終的に2議席とも共和党が取り、上院全体では共和党52対民主党48(民主党側は統一会派の無党派を含む)で共和党が多数派を維持する可能性が高くなっている。 上院で共和党が多数を占めた場合、ライス氏の承認が困難、もしくは非常に荒れることが予想される。結局、国務長官にはバイデン氏の側近で、オバマ前政権下で国務副長官を務めたアントニー・ブリンケン氏が起用された。日米同盟を軽んじる発言も 省庁のトップではなく、アドバイザーや調整役にすぎない補佐官の場合、上院での承認が不必要である。ライス氏の場合、国家安全保障担当の補佐官は既にオバマ第2期政権で経験しており、外交分野でのポジションがない中、ホワイトハウス国内政策担当補佐官に落ち着いた。ただ、この役職はこれまでは調整役であって、実務に徹する人ばかりだった。一部で報じられた「国内政策チームのトップ」という感じではないのだが、ライス氏の起用でおそらくポストの機能強化を目指すとみられる。 それでも疑問なのが、共和党側から嫌われているライス氏にバイデン氏がなぜこだわるのか、という点だ。 今回のバイデン政権の閣僚や任命ポストの多くが「また昔の人を」といった選び方が特徴である。上述のケリー氏にしろ、退役軍人省長官のデニス・マクドノー氏や農務長官のトム・ビルサック氏にしろ、指名されたのはオバマ政権の要職だった人物ばかりだ。まるで「team of repeats(リピーターのチーム)」という表現がぴったりで、あとはオバマ氏が加われば「第3期オバマ政権」である。 それだけ人事でバイデン氏との個人的な関係が重要なようだ。ライス氏はそのお友達人事の象徴だ。お友達である分、たとえ内政であっても近くに置きたかったのだろう。 ところで、日本の外交関係者の中にはライス氏を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う人もいる。東アジアの安全保障に関わるこれまでの発言が、ことごとく的外れだったためだ。 ライス氏の甘いと言わざるをえない東アジアの現状認識を象徴するのが、13年11月、ジョージタウン大でオバマ政権のアジア・太平洋政策について語った演説である。安全保障担当補佐官だったライス氏は「米中は新たな大国関係を機能させようとしている。競争は避けられないが、利害が一致する問題では協力を深めていく」と述べた上で、「中国とは新たな大国関係を機能させようとしている」と中国の習近平国家主席が提唱した太平洋分割論を容認したような発言をした。習氏は同年6月、オバマ大統領との首脳会談で「太平洋には米中両大国を受け入れる十分な空間がある」と、太平洋を米中で分割支配しようという日米同盟を完全否定する提案をしていた。 さらに、ライス氏は講演後の質疑で尖閣問題を問われると「米国は主権の問題には立ち入らない」と、尖閣が日本の施政権下にあるという、これまでの米政府の公式見解から後退した発言も行っている。 米国にとって中国は競争者であるが敵対者ではない、というのがライス氏の持論のようで、その後も同じ話を繰り返してきた。さすがに最近では考えを改めたかもしれないが、「中国は近隣諸国を不法占領しているわけでもない」と言い出したこともある。デラウェア州ウィルミントンのバイデン次期米大統領(右)=2020年12月17日(ロイター=共同) ライス氏が外交政策に直接関与しないことになり、日本にとっては「まずはよかった」と言えるのかもしれない。ただ、内政の中でも外交に関連するようなものも今後出てくるだろう。特に分極化が激しい国内政治の状況を考えると、内政の観点からさまざまな外交政策が再定義されてしまうようなこともあり得よう。中国に対する気候変動対策などがその象徴だ。 国内政策では要職にあり、バイデン氏と近いライス氏の発言については、日本は今後も引き続き要注意だ。

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    フィンランドは30代の女性首相、北欧はいかに「男社会」を脱したか

    リングダール裕子(ベルゲン大常勤講師、日本語・ノルウェー語教師) 北欧というと、まず何よりも高福祉制度で知られ、幸福度についても世界でトップクラスを誇っている。それに加え女性の政界進出も少しずつ注目を浴びるようになってきた。 北欧諸国のどの国も三権分立に基づいており、政治家の汚職も世界で一番少ない。そもそも北欧における政治制度は、他のヨーロッパ諸国よりも社会派民主主義に基づいている。 理由として挙げられるのが、19世紀におけるマルクスの「資本論」、そして1848年革命の思想がきっかけとなり、次第に社会派民主主義が築かれてきた。また、20世紀初頭には労働組合の大規模な政治活動などが起こっている。 そのような情勢の中、女性の権利向上のための運動がさまざまな意味で起こり、普通参政権を要求するようになってきた。そして参政権取得後に、女性が少しずつ政界に進出してきたのだ。 昨年12月、フィンランドで34歳という若さの女性首相、サンナ・マリン氏が誕生した。しかも首相を含む4人の女性大臣たちは、皆30代という若さである。他の北欧を見ても、現在のデンマーク首相(42歳)やアイスランド首相(44歳)も女性だ。 また、私の住むノルウェーでは、もし現在のアーナ・ソルベルグ首相(女性)がコロナ感染などで、一時的に自宅隔離という状況になった場合、現在の貿易・産業大臣のイセリン・ニーブー氏(女性38歳)がソルベルグ氏の代行として首相になるそうだ。 さらに、最近、子供・家族大臣のチェル・インゴルフ・ロプスタ氏(男性)の育児休暇のために、当時27歳であったイダ・リンバイト・ローセ氏(女性)が代行を受け継いでいる。 では、なぜ北欧ではこのように多くの女性が、しかもその中にかなり若い女性が年上の男性と肩を並べ、政界で活躍しているのだろうか。北欧の高福祉制度と男女平等は単なる偶然なのだろうか。2020年5月4日、新型コロナウイルスについて、女性閣僚とともに記者会見するフィンランドのサンナ・マリン首相(中央)(ロイター=共同) まず、北欧における性の平等の政策は、何よりも家族政策と結びついている。歴史を振り返ると、北欧も昔は家族の世話をしたのは女性であった。しかし、女性の権利が向上するに伴い、女性の就労は当たり前になってきた。 現在では両親が共に仕事を持てるということが基本であり、それに伴い保育所施設の充実が重要であることは言うまでもない。また、病気やけがの場合の保証も必要である。家庭によっては男性だけが仕事をしている場合もあるが、その男性が病気になれば、それを補う必要がある。その後、子供や老人のための福祉制度も、国家を通じて保証されるようになった。女性の就職率74% しかしながら、いくら女性たちが集団でデモ行進などをして権利を訴えても、肝心の政治自体が変わらなければ、無意味である。ジョン・スチュアート・ミルが著書『代議制統治論』(1861年初版)で訴えたように、女性の権利を守るには法律による保護が重要である。そのために女性が行ったことは次の事項である。 まず、第一に女性普通参政権の取得である。これはもちろん選挙権と被選挙権の両方が必要だ。北欧諸国の普通女性選挙権が取得された年を挙げると、1906年にフィンランド、13年にノルウェー、デンマークとアイスランドは15年、そしてスウェーデンは19年である。その後徐々に女性が政界入りし、少しずつ政治改革を進めていった。 参政権を取得し、女性議員が増えていった次は、女性の首相誕生である。これについては、他の北欧諸国と比較するとノルウェーが秀でており、81年に最初の女性首相が誕生している。そしてフィンランドが2003年、アイスランドが09年、そしてデンマークが11年と続く。これらの国々は、後に別の女性首相が現れてもいる。スウェーデンは他のさまざまな面では他の北欧と同様、女性の進出も多いが、女性首相誕生においてはまだである。 女性が政界入りし、社会を変えていくことが可能だと証明して見せた事項が、例えば人工妊娠中絶の取り組みである。どの国も中絶の権利は、女性の政治参加に非常に大事であったが、例えばノルウェーでは、20世紀初頭から中絶の権利について真剣に話し合われるようになった。 そしてノルウェー初の女性首相である、グロ・ハーレム・ブルントラント氏は、医師であり、中絶の権利について何年も訴え続けていた。1974年には国会で問いかけ、物議を醸したほどであった。男性議員から中傷を受けても負けずに、ブルントラント氏は活動を続け、ついに78年に国会で中絶の権利が議決された。 ブルントラント氏が86年に再び首相に就任した際には、24人の大臣のうち8人が女性だった。今でこそこの割合は少ないように見えるが、当時としては大きな変化であった。戦後から72年までは、女性大臣はほぼ1人だったが、その後少しずつ増加をたどり、86年には、前の政府の4人からその倍の8人に増加した。尚、現在のソルベルグ政府では22人中20人が女性大臣である。 次に北欧の女性進出と高福祉制度について触れてみよう。北欧諸国の女性進出の特徴は、次の8項目が挙げられる。 まず、経済協力開発機構(ОECD)諸国における女性就職率の平均は66%だが、北欧では74%が仕事に就いている。理由は、子供や高齢者の福祉が充実しているからだ。 保育所の充実は、特に女性の就業率に大きく影響する。北欧での保育所施設の普及については、0~2歳までは約30〜65%と数値に開きがあるが、3~5歳までは、フィンランドでは約75%で、その他の北欧ではどの国も約95%という高い数値が出ている。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 二つ目は、高学歴の女性が多いことと、両親が有給の育児休暇が取れるという理由である。また、政治における議員候補者の一定数を、女性に定める「クオータ制度」が充実しており、女性も男性ばかりの職場での就職が可能であり、逆に男性も女性の多い仕事につきやすい。平均育児休暇日数は年345日 第三の理由は、子供の福祉に関する費用だ。北欧では幼稚園など子供を預ける施設の費用が収入のほぼ10%に抑えられている。同じヨーロッパでも英国では平均が34%、また米国では26%である。 四つ目は、両親が仕事と子育ての両立をしやすいようになっている。一つ目でも触れたが、育児休暇において北欧では1年で平均345日の育児休暇が取れることになっている。スウェーデンが最長で70週の有給育児休暇が取れる。一方、アイスランドは北欧で最短の40週である。 五つ目は、父親の育児休暇である。母親より少ないとはいえ、北欧の父親たちは育児休暇の長さにおいて世界でもトップクラスだ。特にアイスランドとスウェーデンではそれぞれ28%と25%が育児休暇を取っているという統計がある。 次は仕事の時間帯の柔軟性だ。デンマークとフィンランド、スウェーデンの三国は、柔軟な仕事の時間帯を供給する企業がヨーロッパで一番多い。北欧の労働者の半分以上が、都合に応じた時間帯で働くことが可能である。つまり男女ともに仕事と育児の両立が可能ということだ。 一つ目の理由で高学歴の女性が多数いるということに触れたが、北欧では大学や大学院を修了した人の61%が女性である。これは職場における性の平等にも影響しやすいことは、明確であろう。 最後に女性リーダーが北欧では36%を占めるということもある。高学歴の女性が多いということは、職場における男女の比率にも影響し、当然のことながらリーダー職の比率にも影響を与えることは、当然と言えるだろう。 ここで、忘れてならないことは、若者の政治参加だ。北欧では年齢面での平等も重要であり、例えば昨年メディアを賑わした、スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんは、当時16歳であった。 北欧に限らずヨーロッパでは若者の政治参加も珍しくなく、例えば多くの政党の下に、13歳から入党可能な若者を対象とした非政府組織(NGO)が存在し、大人と若者のグループでそれぞれの活動をしたり、選挙が近づくと共同で選挙活動をしたりしている。 また、選挙で若者が選ばれて、政治家になることもそう珍しくはなく、それにより年齢差も縮まっていくことは不思議ではない。昨年9月のノルウェーの地方選挙では、22歳の男性が全員一致で市長に選ばれたり、北欧以外にもオーストリアでは2017年に30歳の男性が外務大臣に選ばれたりしている。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 米国では18年に29歳と30歳の女性が国会議員に、そしてイタリアでは31歳という年齢で男性が首相になり、同じ男性が2年後に外務大臣になっている。また、出産後に子供を国連総会に連れてきたことでも知られている、ニュージーランドの首相、ジャシンダ・アーダーン氏は、17年に就任した当時37歳だった。「バイキング時代」から平等概念 ある地域のアフリカや欧米全般にも言えることだが、若者の政治的活動が活発であり、20代や30代で政治家になっている。このような中で最近フィンランドに誕生したのが、34歳のマリン首相だ。同国政府は19人の大臣からなり、そのうち首相を含む12人が女性で占められている。 他の北欧諸国の女性大臣の数を挙げると、スウェーデン政府は、23人の大臣で女性は12人である。デンマークでは20人の大臣のうち首相を含む7人が女性で、アイスランドでは11人のうち、ここもまた首相を含む5人が女性である。 これらをまとめると北欧全般においては、それほど目立った違いが見られないし、すでに女性が首相や他の重要なポストに就くことは、北欧では何も特別なことではない。日本語の表現に「女子供」というものがあるが、北欧では全く通用しない。 それでは北欧各国の特徴を簡単に説明してみる。北欧諸国が同じような経過を辿って、女性の政界進出が起きたというわけではなく、専門家によると、それぞれの国の経過に相違がかなりあるということだ。 ノルウェーでは性の平等とは違うが、もともと平等という概念がバイキング時代からあったとされている。また、他の北欧諸国と違い、貴族という特権階級がほとんど存在しなかったという歴史的背景もあった。 さらにクオータ制が国会で承認されたのも1980年代であり、89年の国政選挙では女性の数は国会議員の36%を占め、以来その割合の大きな変化はない。北欧全体と比較するとノルウェーは中間を占める。 アイスランドについては、もともと女性の政界進出にはそれほど活動的ではなかったが、2013年にクオータ制を取り入れ、短期間で女性の政界進出が大きく変わり、10年間で女性の国会議員の数が25%から48%までになった。17年の世界経済フォーラムでの男女格差では世界のトップに位置している。 一方、デンマークはどうだろうか。以前から女性の政界進出において肯定的な伝統はあるのだが、具体的な取り組みはなく、北欧諸国の中では最低値を示しているという。政界に限らず、経済界でも同じように北欧諸国の中では女性の進出で最低の数値を示している。 しかしながら、国連開発計画(UNDP)の人間開発報告書(2018年)におけるジェンダーギャップ指数では、スイスに次いで2位に輝いている。ちなみにスウェーデンは3位、ノルウェーは4位、フィンランドは7位でアイスランドは9位だった。 スウェーデンは北欧で唯一女性首相がまだ誕生していない。しかし、その他の政界における女性リーダーの数値では、他の国とそれほど大きな違いは見られないものの、特に国有企業での女性活躍が、他の北欧諸国よりは少し進んでいるようだ。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 例えば5年前の資料だが、ノルウェーでは国有企業の女性所有者が18・6%だが、スウェーデンでは32%となっている。違いの理由は、ノルウェーでは、国ではなく企業の役員が性の平等の推進を進めるという役割を担っており、そのために平等な促進を進めることは難しくなる。ところがスウェーデンでは国自体が企業に推進を働きかけるため、企業としては進めることをやむなくされるということになる。高い国会議員の女性比率 さて、最年少の女性首相を生んだフィンランドではどうか。女性が進出するには、まず子供を預ける施設の充実が必要だが、子供を預ける施設の数がそれほど多いわけでもない。それにもかかわらず、妥当で質の良い幼稚園や保育園が、他の北欧と比べ非常に充実しているという。また、女性のパートタイム労働者の割合は、ノルウェーでは39%だが、フィンランドでは19%である。 女性の政界進出を他の欧州と比較しても、北欧はこれについても秀でており、女性政治家の数は北欧のどの国でも、同一に高い。北欧女性の普通選挙権取得年を挙げると、1位は1893年のニュージーランド、そして1902年のオーストラリアに次ぎ、06年にはフィンランド、ノルウェーは13年となっており、15年にはデンマークとアイスランド、スウェーデンは少し遅れて19年となっている。ちなみに日本は1945年である。 女性の政界リーダーについては、フィンランドとアイスランド両国で女性の大統領が存在し、現在存在する女性の首相はフィンランド初めノルウェー、アイスランドとデンマークで活躍している。また、政界リーダーではないが、デンマークでは英国やオランダと同じく、1972年から女性国王がいることも忘れてはいけない。 さらに、北欧の国会議員の女性比率は世界でも最高となっている。2016年は、北欧では41%だが、世界の平均値は23%未満だ。日本の衆院議員は10・1%、参議院は20・7%(2018年)となっている。 他のヨーロッパと比較してみよう。国連の「ジェンダー不平等インデックス」(2012年)によると、経済的平等についてはドイツやフランス、イタリアなどの保守的な国々は59・1%、英国やアイルランドなどのリベラル国家では67・6%だが、北欧では76・8%だ。民主的な一致については保守的国家が38・6%でリベラル国家は32・3%だが、北欧は67・5%と極めて高い。 北欧全般に言えることだが、労働者の政治的活動がもともと活発で、地理的にもお互い影響を受けやすい。その結果、民主社会的な社会を目指す政治的概念が育つと同時に、女性の連盟が19世紀前後に誕生し、活動し始めた。 また、前述したように、家族の世話をするのは多くの場合女性であり、連盟を通して女性の権利のための改革や運動を行っていた結果が、高福祉社会を産んだのである。つまり性の平等なしには、高福祉国家はあり得ないと言える。ベルギー・ブリュッセルでの会議に出席したフィンランド首相就任前のサンナ・マリン運輸・通信相=2019年12月(ゲッティ=共同) さらに、北欧において、若者や女性も政治活動に自由に参加する権利があるのは、当然であると一般的にも知られている。このような環境にいることで、北欧諸国の国民が女性や若年層の政治参加ということに順応していくのも不思議ではないだろう。それゆえ昨年12月にフィンランドで34歳の女性のマリン首相が誕生したということは、それほど驚くこととは言えないのだ。 日本の政界ではいまだに女性はおろか若年層のリーダーもほんの一握りしか存在していない。日本で女性首相が誕生することを心から願うばかりである。

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    飛び交うフェイクニュース、旧ソ連諸国が引く現代型戦争のトリガー

    ノ・カラバフの後ろ盾となり、一方的にアルメニア人によるアルツァフ共和国の独立を宣言した。だが、これは国際的には承認されず、結果としてアゼルバイジャン系の住民は多くが難民化し、アゼルバイジャンに逃れた。 ナゴルノ・カラバフというのは、「山地の」カラバフの意味だが、自治州だった地域周辺のアゼルバイジャン領もアルメニア側が占領してしまい、今日の対立へと至っている。国連は安全保障理事会や総会でも、アルメニアに対し占領を止め、撤退すること、ナゴルノ・カラバフがアゼルバイジャン領であることを安保理や国連総会決議でも確認してきた。アルメニアの焦り しかし、事態は何も進展していなかったというのが、今回の戦闘の背景である。このあたりの事情は、イスラエルがパレスチナに占領地を拡大していく過程と似た面がある。そのため戦闘が始まって以来、アゼルバイジャンは「占領地を解放すること」を目標に掲げているのだ。 ならば今回の衝突はアゼルバイジャン側が仕掛けたのかというと、どうもそうとは言えない。アルメニアでは、2018年に「ビロード革命」と呼ばれた民主的な選挙によって、現在のニコル・パシニャン首相の政権が誕生した。政権発足時には、長年の懸案だったアゼルバイジャンとの関係改善にも積極的だったが、1年もたたないうちに、アゼルバイジャンに対する挑発が目立つようになった。 転機は19年8月5日、彼はナゴルノ・カラバフの主要都市ステパナケルトを訪問し、「アルメニアとナゴルノ・カラバフとは一体だ」と訴えたことだった。これはアゼルバイジャン側にとっては政治的解決の道が閉ざされたことを意味するものだった。そして、今年7月には、北部の国境地帯で両軍の間で衝突が発生し、双方で17人が犠牲となったのである。  8月、英国のBBCは『ハード・トーク』という討論番組にアルメニアのパシニャン首相を招いた。司会者のステファン・サッカーは、かなり厳しい口調で「なぜナゴルノ・カラバフ問題で挑発するのか」を問いただした。首相は「ナゴルノ・カラバフは数千年にわたってアルメニア人の土地だ」と反論したが、司会者は「歴史を尋ねているのではない、今、あなたは何をしようとしているのか?」と畳みかけた。 しかし、パシニャン首相はそれには答えなかった。そして9月末の、今回の戦闘へと至ることになる。アルメニア側が挑発を繰り返した原因については、政権を掌握した後も経済が好転せず、新型コロナ感染対策の失敗も重なり、焦りがあったとも言われている。 対するアゼルバイジャン側は、四半世紀以上、不当な占領に対して軍事力による攻勢をかけてこなかった。アルメニアとは以前のセルジ・サルキシャン政権の時代に、具体的成果はなかったものの、政治的解決に向けての交渉を継続していた。その間アゼルバイジャンは、原油と天然ガス開発によって経済力を飛躍的に高めただけでなく、軍の組織改革と装備の拡充を図ってきた。 03年には病死した父のハイダル・アリエフから世襲による政権移譲でイルハム・アリエフが大統領に就任し、大統領に権力を集中させた。その意味では、アルメニアが西欧の民主国家型であるのに対し、アゼルバイジャンはロシアのプーチン政権に近い。国力については、一言でいえばアゼルバイジャンが圧倒的に勝っていた。国連総会一般討論でビデオ演説するロシアのプーチン大統領=2020年9月22日(AP=共同) アルメニアは先に述べたように、CISの集団安全保障条約によってロシア軍が5千人規模で駐留しているゆえに安全保障ではロシアを頼りにしていた。少なくとも軍事力の点で、アルメニアが単独で90年代のような戦争に乗り出せば不利なことは分かっていたはずであるし、ロシアが簡単にアルメニアを支援するものと期待していたのであれば、重大な読み違いをしたことになる。ここに、民主的なリーダーとして登場したパシニャン首相の未熟さが表れている。 戦闘が開始されると、さらに不可解なことが起きた。アルメニアのパシニャン首相に続いて、フランスのエマニュエル・マクロン大統領が突然「敵はトルコだ」と主張したことである。広がるプロパガンダ戦争 パシニャン首相は「トルコ軍がアゼルバイジャン軍を支援して戦闘に参加しており、トルコ軍のF16によってアルメニア軍のSu25が撃墜された」と発表した。 さらに、トルコはシリア内戦での反政府勢力からジハード戦士の傭兵を募り、アゼルバイジャン側に送り込んでいると主張するのである。パシニャン首相はこの戦いを「キリスト教vsイスラムの戦い」に例えた。トルコ、アゼルバイジャン両国は即座にこれを悪質なデマだと否定し、パシニャン首相とマクロン大統領を激しく非難した。 だが、シリアの戦闘員をアゼルバイジャン側に加勢するために派遣したという話は瞬く間に世界に広がり、日本の主要なメディアも全て追随した。これは今回の戦闘における、最大の「プロパガンダ戦争」の始まりだった。 筆者自身も現地にいるわけではないから、以下はあくまで論理的に見て、これはあり得ないという見立てであることを留意されたい。 シリア内戦でトルコが支援する反政府勢力の多くは、イスラム系スンニ派のジハード組織である。しかし、アゼルバイジャンのアリエフ体制は、そもそも父のハイダルが共産党と秘密警察である国家保安委員会(KGB)の幹部だったことから分かるように、イスラムに限らず宗教が政治に出てくることをひどく警戒している。そのため、友邦トルコにイスラム主義政党の公正・発展党政権が誕生した2000年代以降、エルドアン政権のイスラム主義志向には接近しなかった。 心情的には「民族の義兄弟」と言いつつ、リアルポリティクス(現実政治)では一定の距離を保ってきたのである。そのアゼルバイジャンにとって、シリアなどから来るスンニ派の戦闘員というのは、テロリストと同義であるから受け入れる可能性はない。もちろんトルコもそのあたりの機微を熟知しているから、シリアから戦闘員を送ることはない。これはアルメニア側が国際社会の同情を買うためのフェイクニュースであると思われる。実際、戦闘が開始されて2週間がたっても、シリアから送り込まれた戦闘員の証拠は出ていない。 このフェイクニュースに信ぴょう性を与えたのは、トルコが北アフリカのリビアへも傭兵の戦闘員をシリアから派遣したという情報である。この問題に深入りする余裕はないが、リビア内戦に関してトルコは、国連が承認している暫定政権側を軍事的にも支援している。この軍事支援には、もちろん国会の承認を得ているから周知の事実だ。トルコ・イスタンブールで演説するエルドアン大統領=2020年8月(AP=共同) リビアで反政府側の軍閥であるハリファ・ハフタル将軍派を、ロシアは傭兵派遣企業を通じて兵員を派遣している。トルコもそれを知っているので、同等の活動を展開するためには傭兵企業を通じてシリアから戦闘員を派遣することは、戦略としてあり得ることになる。こうしたリビアへの傭兵派遣の話から、今回のアゼルバイジャンへの類推はロシアの報道にも見られた。なぜならリビアで対立するトルコの行動にロシアが不快感をもっていることは明らかだから、当然、この種の報道はロシアからも出たのだ。 しかし、ロシア政府はトルコを名指しして、ナゴルノ・カラバフ戦争に関与しているとは言わない。そこには同盟国ではないが、ケース・バイ・ケースで協力せざるをえない両国のあうんの呼吸がある。トルコ空軍のF16による、アルメニア空軍機Su25の撃墜報道も同じで、その後、確たる証拠が出ていない。だが、10月8日、ナゴルノ・カラバフに近い、アゼルバイジャン国内にあるギャンジャ国際空港にトルコ空軍のF16が民間の人工衛星によって確認されたという報道がなされた。曲げられるトルコの意図 この報道に関してアリエフ大統領は米CNNのインタビューでトルコ空軍のF16が国内にいることを認めたものの、戦闘には参加していないと否定しているが、結果として疑念を再燃させてしまった。 しかし、現在軍用機であっても、レーダー画像から撃墜が容易に解析できるにもかかわらず検証報道が出ないことからみて、筆者の見解としては、撃墜報道はアルメニア政府による意図的なフェイクニュースであるとみている。 さらに言えば、トルコがアゼルバイジャンに対するモラルサポートを強調したとしても、軍事支援を行ってアルメニアとの戦闘に出るのは、あまりにリスクが高いのである。それはトルコとアルメニアの間の歴史にある遺恨によるものだ。 第一世界大戦当時、アルメニア人が大量にアナトリア半島からシリア側に追放され、多くの犠牲者が出た。いわゆる「アルメニア人虐殺」である。この問題について、アルメニアとトルコ両国の立場は全く一致していない。この問題が発生したのは、現在のトルコ共和国が成立する以前のオスマン帝国時代のことであり、しかも帝国自体が欧州列強に侵略される中で、ドイツ側について第一次世界大戦に参戦し敗れ、国土もズタズタにされる寸前の時代であった。 当時欧米が持ち込んだ民族主義は、帝国時代には共存が成り立っていた諸民族、諸宗教の間に要らざる敵意を増幅させ、幾多の悲劇が起きた。そして多くのアルメニア人がその後、米国やフランスなど西欧諸国に移住したため、現在もなお、この問題は欧米からトルコに対するネガティブ・キャンペーンの主要な材料にされている。そのことを十分にわきまえているトルコが、アゼルバイジャンへの軍事支援のために、突然アルメニアとの戦闘を開始することなど、あり得ないのである。 昨年秋、トルコはクルド人のテロ組織、人民防衛隊(YPG)とクルド労働者党(PKK)を掃討するためにシリア内戦に介入したが、そのときもクルド人が虐殺されるという起こり得ないフェイクニュースが世界を駆け巡った。なぜならトルコ国内にも多数のクルド人がおり、近年はシリア北部での内戦を逃れてトルコに逃れたクルド難民も数十万人におよぶ。シリア北部アレッポで、アサド政権の部隊と銃撃戦を展開する反体制派武装組織「自由シリア軍」の兵士ら-=2013年10月(ロイター=共同) もしトルコが北シリアに介入する理由がクルド人の抹殺にあるのなら、先に国内のクルド人を弾圧するなり殺害するなりしないと話のつじつまが合わない。しかし、そのようなことは全く起きていなかった。このときは、米国が国際テロ組織「イスラム国」を掃討するためにシリアに介入して、同じく国際テロ組織であるクルド人武装組織のYPGと、米国でもテロ組織認定しているPKKを支援するという矛盾した行動をとった。 そこでトルコがついに「テロとの戦い」のダブルスタンダードだとして介入に踏み切り、あわや米軍と衝突する寸前までいった。「クルド人虐殺」のフェイクニュースは米国がさかんに流したが、このうわさはクルド人の多いヨーロッパでも増幅された。このあたりから、トルコはロシアとの協力体制を強化したのである。 トルコはさらにリビア内戦で国連承認の政権側を支援すると、フランス、エジプト、UAEなどから非難され、東地中海のガス田開発ではギリシャやフランスから激しい非難を浴びている。そうした国々の中でも、とりわけ合理性がないのがフランスのマクロン政権によるトルコ非難である。物事の本質を見極める フランスは地中海の東側には何ら利権もなく、キプロスに領土としての軍事基地を持った英国を差し置いて空母を派遣し、トルコをけん制するに至っては、トルコ政府も「常軌を逸した行動」と反論している。このような状況のもとで、国内では新型コロナの感染対策に注力している。そのさなかに、極めてセンシティブな歴史的関係を持つアルメニアとの戦争に乗り出す理由などトルコにはなく、それだけの財政的余力もない。 アルメニアのパシニャン首相が、「トルコがナゴルノ・カラバフでの衝突に介入している」、「トルコが主敵だ」と非難したのは、衝突が起きた直後であり、これはトルコ国民にとっては寝耳に水の話だった。トルコという国は国軍と情報機関への信頼度が高い。自国の安全保障や関連する情報は、事前に政府筋から流れるのが通例だ。そのため軍を派遣するには、議会で喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をした上で議決している。 まったく何の前触れもなく、突然、アルメニアがアゼルバイジャンとの国境地域を攻撃し、アゼルバイジャン軍が反撃したというのがトルコで流れた第一報だったのである。その直後にトルコが関与していると報じられたことによって、逆にトルコ政府のみならず国民も事態の背景をすぐに理解した。一言でいえば、アルメニアのパシニャン政権が暴走したというのがトルコ側の理解である。そこでアゼルバイジャン政府との緊密な情報共有によって、紛争の調停をロシアに働きかけることに集中したのである。 この問題に関するトルコの立場は以下の2点と明確である。・ナゴルノ・カラバフがアゼルバイジャン領であり、アルメニアは違法な占領をやめて占領地から撤退しなければならない。・本件に関して、アゼルバイジャンがとる決定について全面的に支持する。 現時点でトルコ自身はあくまでモラルサポートに徹し、アルメニアの挑発には乗らない姿勢を明確にしている。そしてロシアがこの問題に関して、アルメニアに冷静な態度を促すことを期待している。 実際、ベラルーシでの反政府デモ、さらに政敵アレクセイ・ナワリヌイ氏への毒殺未遂疑惑で国際的非難を受けているプーチン政権にとって、ここでアルメニアがアゼルバイジャンと衝突したことは不愉快な事件以外の何物でもない。しかもパシニャン首相は前任者たちと異なり、彼が欧米諸国に認められようと動いてきたことも、ロシアにとっては不快感を増幅させる一因となっている。アルメニア側が実効支配するアゼルバイジャン・ナゴルノカラバフ自治州で、戦闘に巻き込まれ負傷した2歳男児に付き添う母=2020年9月29日、ステパナケルト(ゲッティ=共同) ロシアが停戦順守を両国に訴えたのにもかかわらず、10月12日の段階で停戦は機能していない。さらに、両国は自国民に犠牲者が出ていることを国際社会に訴えている。この問題でのプロパガンダ戦争の検証を妨げているのは、新型コロナウイルスである。モスクワに拠点を置くメディアも、ヨーロッパに拠点を置くメディアも、現地で取材をすると帰国できない可能性が高い。したがって、両国の発信する情報、それも移民の多いアルメニア側の情報が圧倒的な強さをもって世界中に流布する状況をつくり出していることに疑いの余地はない。 日本において、この紛争を取り上げる報道は少ない。だが、南カフカス地方の小国同士が繰り広げるこの紛争は、現代の戦争の姿を体現している。ドローンによる攻撃、会員制交流サイト(SNS)やフェイクニュースによる情報戦など、新たな形の戦いが見て取れる。だからこそ、両者の歴史や背景、地理的要素など複合的な視点から分析し、安易に流されないようにすることが、国際関係のみならず、物事の本質を見極めるのに重要であろう。

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    敵か味方か、ハリスより黒人票を動かすカニエ・ウェストの本気度

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) 今秋の米大統領選の民主党候補、バイデン氏は8月11日、ハリス上院議員を副大統領候補に指名した。初の黒人女性副大統領候補であることについては画期的である。母はインド移民の生物学者で、父はジャマイカ移民(黒人)の経済学者だ。ハリス氏は、カリフォルニア州検事総長などを経て2017年から上院議員となり、現在55歳。 バイデン氏がハリス氏を副大統領候補にした背景には、彼が得意としトランプ氏が苦手とする黒人票と女性票を固めたい意向があるのだろう。特に4年前と同様に重要な激戦州で意外にもバイデン氏の支持が盤石でないことが重視されたようだ。 だが、ハリス氏は昨年の民主党大統領候補選びに参戦していた際の実績などを考慮すると、それほど黒人の支持は高くない。強いて言えば、「女性」だから女性にアピールすることが期待される程度だろう。 いずれにしてもハリス氏は副大統領候補に決まったばかりで、バイデン氏にとってどれほど効果があるか分からない。むしろ、米国ではミネソタ州ミネアポリスで起きた警察官による黒人暴行死事件の余波が根強いだけに、米国における黒人の政治支持構造を分析する方が重要ではないだろうか。そう考えると、別の注目すべき人物の存在が浮かび上がってくる。 米国の建国記念日である7月4日、カニエ・ウェストという黒人が無所属での大統領選への立候補を表明した。ウェスト氏はミュージシャンであり、人気ラッパーとして知られる。これまでにも大統領選への出馬をほのめかすなどしていたが、何度も立ち消えになっていた。 しかし、今回はこれまでと少々違う。今回は米電気自動車メーカー、テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)がウェスト氏の支持を明らかにするなど、それなりの有力者を巻き込んでいるのだ。 そもそも、米国の大統領選は各州に候補者登録をしなければならない。人口が多い重要州のテキサスを含むいくつかは、すでに候補者登録を打ち切った後だ。そのため540人の代議員のうち、それらの州に割り当てられた225人を確保できない状況だ。 だが、ウェスト氏は、オクラホマでは候補者登録ができた。他にも候補者登録を締め切っていない州で登録を目指しており、勝敗を分ける激戦州のウィスコンシンとオハイオ、そして超大票田のカリフォルニアなどでも候補者登録に挑戦。8月初旬時点で代議員88人分の州に候補者登録できているとされる。ハリス上院議員=2019年1月、米カリフォルニア州(ロイター=共同) 一方、ウィスコンシン、イリノイ、ニュージャージーなどでは候補者登録に必要な署名を集めて提出したものの、州の選挙管理委員会が内容を精査した結果、不備が多く登録はされないようだ。オハイオ、カリフォルニアなどでも同様の状態になれば、(あり得ないが)候補者登録ができた全ての州で勝ったとしても代議員の過半数271人に到達せず、選挙に出ていること自体が全くの「冷やかし」になる。 だが、候補者登録に州民の署名が必要ないバーモントやコロラドなど、12を超える州の候補者登録申請は8月中旬だ。ウェスト氏は最後まであきらめないかもしれない。署名集めも有力な業者に依頼している。カニエ・ウェスト氏、今回は本気? つまり、ウェスト氏は今回、かなり本気なようなのだ。ウェスト氏は黒人ながらトランプ氏の強い支持者だった。実際、立候補表明してから、妊娠中絶反対など共和党的政策を主張している。宗教にも熱心である。 彼は立候補を表明したとき、トランプ氏への支持を捨てたと言った。だが、同時に「黒人の側にも自助努力が足りなかったのではないか?」、「民主党の黒人過保護政策が、黒人をダメにしてしまっていないか?」という趣旨の発言も繰り返している。 もちろんバイデン氏の「自分に投票しない黒人は黒人ではない」という発言にも激怒している。同じようなことをFОXテレビの黒人女性キャスターであるキャンディス・オーウェンズ氏が、しばしば主張していて、それも米国社会に影響を与えている。 実際、民主党は、米国の4100万人の黒人すべてに対し、南北戦争以前の奴隷制度の謝罪として、莫大な賠償金を払う決議をしようとしている。これは南北戦争以前の奴隷の子孫だった黒人に対する過保護政策との批判もある。 しかもこれを実現した場合、6兆ドル以上が必要になる。このような過保護政策が真に米国の黒人のためになるのかも疑問だ。 実際、7月中旬に実施されたワシントンポストとABCの合同世論調査では、回答者の63%が反対。黒人回答者の82%が賛成だったが、白人の賛成は18%にとどまっている。 前後関係その他から見ても、ウェスト氏の立候補表明は、バイデン氏を支持する黒人票を割り、バイデン氏を落選させるための作戦である可能性もある。前記のようにいくつもの州で立候補届出ができなかったのは事実で、無所属候補が各州で二大政党の候補より多くの票を獲得して代議員を得た例はないと言ってよい。だが、地方の州だけでも彼が本気で選挙運動を行えば、バイデン氏の黒人票が割れトランプ氏に有利になる。 ちなみにウェスト氏に依頼されて署名集めを行っている専門業者は、共和党系の業者だ。いくつもの州で共和党関係者がウェスト氏を支援していることが確認されている。現に、オハイオに提出されたウェスト氏の大統領選代議員10人中6人が共和党関係者だった。 トランプ政権は関係を否定しているが、実はウェスト氏に紹介した可能性もある。バイデン氏の黒人票を割るためなのか、あるいはウェスト氏の本気度に動かされたのか。 ただ、ウェスト氏はメンタル面に問題があるとされ、今回の立候補も本気ではないとの声も多い。実際に署名を集めて立候補届出をして却下された州では、メンタル面の問題を指摘する声が出たため、精査が行われた州もある。カニエ・ウェスト氏=2019年11月、米ニューヨーク(AP=共同) 指摘したのは、もちろん民主党関係者である。だが、彼は宗教活動に熱心で共和党的な発言が多いだけに、トランプ氏の票が割れるという見方もある。また、彼が多くの若者に愛されるスターであることは大きい。黒人支持が脆弱なバイデン氏 5月にワシントンポストに掲載された全米民主主義基金などの分析によると、警察の残虐行為と人種差別に対する全国的な抗議の中で、デモの多くで主導権を握った若い黒人有権者はバイデン氏に懐疑的だ。主要な結果を整理すると、以下のようになる。・65歳以上の黒人有権の91%がバイデン氏に投票・18~29歳の黒人有権者の68%がバイデン氏に投票・18~29歳の黒人有権者の13%はトランプ氏に投票 また、6月に実施されたワシントンポストと大手リサーチ会社イプソスの世論調査では、黒人有権者の92%が11月にバイデン氏に投票する意思を示している。その理由については、ほぼ半々に分かれている。50%が主にトランプ氏に反対しているためであるとし、49%は主にバイデン氏を支持すると回答している。 つまり、特に若い黒人のバイデン氏支持は意外に脆弱で、せいぜい反トランプ感情の受け皿でしかない。ハリス氏が副大統領候補になってもあまり変わらないかもしれない。 ハリス氏が副大統領候補に指名される前日の8月10日に行われた政治ニュースメディア、ポリティコの世論調査では、バイデン氏はいまだトランプ氏を9ポイントリードしているが、回答者の9%が態度を未定としている。そしてウェスト氏の支持率は2%だ。ただ、2%の支持を第三候補に獲られたことで、ゴア氏もヒラリー氏も、あのような負け方をしている。しかも人気ラッパーだけに20代のウェスト氏に対する支持率は6%もある。こうなると、若い黒人有権者は、ウェスト氏が州内で候補者登録した場合、バイデン氏ではなくウェスト氏に投票する可能性が低くない。 過去の大統領選を振り返ると、2004年に再選を目指したジョージ・W・ブッシュ氏が、黒人票の11%を獲得して勝利。16年のヒラリー氏に対して、トランプ氏は黒人票の8%で勝利した。 こうした中で、調査会社のラスムッセン・レポートは7月のホワイトハウスウォッチで、黒人の21%がトランプ氏の再選を支持していると報告。5~6月の各種調査会社の世論調査でトランプ氏の黒人支持が10%を割り込んでいたが、これが「異常」だったことが分かった。ホワイトハウスでトランプ米大統領(手前)と抱き合うカニエ・ウェスト氏=2018年10月(ゲッティ=共同) 異常だったというのは、トランプ氏に対する黒人の支持率は、そもそも20%程度あり、コロナ不況や今回の黒人暴動で一時的に下落していただけなのだ。減税による景気刺激に影響された黒人雇用の増大や、間違いを犯した黒人の社会復帰支援、そして学校民営化による黒人の子供に合った教育など、トランプ政権による改革は黒人の20%近い支持を得ている。 この20%という数字は、共和党の大統領としては、異例の高い黒人支持率だ。ちなみに、民主党候補は95%の黒人票が獲得できなければ当選しないとされている。黒人社会でも進む「分断」 このように実は底堅いトランプ氏に対する黒人の支持を、ハリス氏を副大統領候補にしたからといって、バイデン氏は打破できるだろうか。 より深い問題がある。米国の黒人の1、2割が、南北戦争以前の奴隷の子孫ではなく、アフリカ大陸などから60年代以降に移民として来た人々だ。その人々の多くは、努力して働いて子供を良い学校に行かせ、比較的エリートとして生活をしている。オバマ氏も、そしてハリス氏も、その典型だろう。 そこまで行かなくとも今回の黒人暴動で、仲間の暴力的行動を抑止した黒人も少なくない。そのような人々が抗議デモで、どのようなプラカードを掲げていたかと言えば「学費無償化」といった建設的で実現不可能とは言えない主張が多い。その人々が、カレッジぐらいは卒業していたであろうことは、想像に難くない。  このような人々の代表がウェスト氏だと考えてもよいのではないだろうか。つまり、今の米国では黒人の間でも、エリートと非エリートと中間層の違いが拡大しているのである。 こうした分裂現象は、黒人だけではない。ユダヤ系も従来型のリベラルが8割、宗教熱心な保守系が2割。前者が反トランプ、後者が親トランプなことは、言うまでもない。ヒスパニック系もキューバから来た人の子孫は反共産政権の立場から共和党支持、他は民主党支持だが、二世、三世以降で米国社会に溶け込み努力し裕福になった人は共和党支持も多い。 また、共和党は今、民主党とは違う医療費の透明性向上改革を断行中であり、これはオバマケア以上に医療費を下げられるのではないかとされ、特に女性の高い支持を得ている。トランプ氏が女性有権者に弱いとされているが、今後どうなるかは分からない。 さらに、今年の米国国勢調査の中間報告によると、10代の米国人は、ついに白人が過半数を割った。それよりも重要なことは10代よりも70歳前後の、いわゆる団塊の世代の方が人口に占める割合が増加する趨勢にあることだろう。 米国でも合計特殊出生率は、08年のリーマン・ショック後には少なくとも白人では1・7%と日本と大差がない。また、黒人やヒスパニックの人口増加率も次第に頭打ちになってきている。こうなると、当然若者よりも70歳前後の意見の方が社会の中心になる。これは、4年前や今年の、大統領候補の高年齢を考えれば分かるであろう。 これまで述べてきたように、大統領候補としてのウェスト氏は、話題性はあるとしても、考慮しなければならない存在とは言えない。彼は実際には候補者登録不備などの理由で大統領選に立候補できない可能性もある。 奇跡が起きて彼が大統領になったところで、米国を再統一することは無理だろう。それは、ハリス氏が副大統領候補になったことでバイデン氏の名の下に米国民が糾合することが、選挙前後に一時的にあったとしても同じなのだ。米デラウェア州で演説するバイデン前副大統領(左)とハリス上院議員=2020年8月12日、(ロイター=共同) それくらい米国の社会は人種、年齢その他の問題で、今まで以上に分断されているのだ。この点を理解しなければ今後の日米関係を望ましい形で維持することは難しいだろう。

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    「ハム太郎」が変える、人気キャラで勢いづくタイ反政府デモの新境地

    外山文子(筑波大人文社会系准教授) 先月、タイ王国における民主主義の象徴、民主記念塔周辺に多数の高校生と大学生が集結した。彼らは日本の人気アニメ『とっとこハム太郎』に登場するキャラクターのぬいぐるみを持ち、ハム太郎の替え歌を歌いながら、プラユット首相の現政権に対する抗議を開始して国内外から多くの注目を集めた。 彼らは主題歌「ハム太郎とっとこうた」のメロディーに乗せて、「大すきなのは ヒマワリのタネ」という歌詞を「大すきなのは 納税者のお金」と置き換えて政権を批判した。 なぜ、タイの学生たちは政府に抗議するにあたり、ハム太郎の歌を使ったのだろうか。また彼らの運動の背景には何があり、どのような意味を持つのか。そして、こうした運動が今後のタイ政治に対してどのような影響を与えうるのか。本稿ではそういった側面から、今回のタイにおける政治運動について考えたい。 まず、この混乱の背景として、06年にタクシン政権が軍のクーデターによって打倒されたことに始まる。もともと、そのクーデターの前後において、地方農民や低所得者の住民はタクシン首相に対する支持が集まり、上流階層や公務員層などの都市部の住民はタクシン氏に反発する構図が生まれていた。 その反タクシン派から支持を受ける「黄シャツ」陣営と、一般的にタクシン派とみられる「赤シャツ」陣営に分かれた大規模な大衆デモが、首都バンコクを中心にタイ全土で繰り返されていた。こうして、14年5月に軍が再びクーデターを起こすまで、国を真っ二つにしたある種の内戦状態となった。 そのクーデター後に登場したプラユット氏が率いる軍事政権は、大衆デモを封じるために非常に厳しい言論統制を実施し、19年3月の民政復帰に向けた総選挙までの約5年間統治を続けた。ただ、その総選挙でも、親軍の「国民国家の力党」と官選の上院の支持により、プラユット氏が続投することになった。そのため現在も、実質的には軍事政権と言った方が適切かもしれない。 今年2月には反軍政を掲げ、若い学生から多くの支持を集めていた「新未来党」が憲法裁判所により解党された。そのため学生たちの間からプラユット政権に対する不満の声が上がり、各地の大学構内などで抗議集会が開かれるようになった。ただ、3月以降は新型コロナウイルスの感染防止策もあり、いったん反政府運動は沈静化していた。 しかし、新型コロナの影響で多くの国民が経済的に深刻なダメージを受ける中、プラユット政権は効果的な救済策を打ち出すことができず、経済的理由から自殺者さえ出るようになった。他方、政府は米国からの武器購入計画を実行しようとしたり、閣僚の不祥事が表面化するなど、国民の間に政権に対する怒りと不満が日増しに大きくなりつつあった。  タイでの過去の例に照らし合わせれば、今回も多数の国民による反政府デモが起こるはずであった。しかし、14年のクーデター以降、従来のような広がりと継続性を持った大規模なデモは行われなかった。最大の理由としては、プラユット政権による厳しい言論統制がある。 ただ、実際のところ、06年以降に起きた「赤」と「黄」のシャツにより、国家が二分された大規模デモによる混乱の再来を嫌う人々も、エリート層を中心に数多く存在する。これが大きな反政府デモにつながらない理由の一つでもある。集会で気勢を上げる、タクシン派で「赤シャツ」と呼ばれる反独裁民主統一戦線(UDD)のメンバーら=2011年5月19日、バンコク市内 ゆえに多くのタイ国民はプラユット政権に対して不満を持ちつつも、先の苦い記憶から反政府運動を展開できずにいた。こうした状況下で登場したのが、学生たちによる「ハム太郎デモ」であった。 ハム太郎デモの特徴は、参加者の多くが高校生と大学生である点である。06年以降の大規模デモには高齢者や活動家、非政府組織(NGO)、そして政治家が多数参加していた。そのため、たとえ「赤シャツ」陣営が民主主義の復権をうたっても、そのデモが持つ「政治性」を警戒する国民が少なからず存在した。ハム太郎が用いられた理由 これに対して、今回のハム太郎デモはほとんどの参加者が若い学生のため、従前のデモに比べて「純粋である」と国民から見なされているようだ。学生たちの要求は3点と明確である。①プラユット首相の辞任と国会の解散②軍事政権下で制定された現行憲法の改正③表現の自由を行使する活動家への嫌がらせの中止 また特に、ハム太郎という日本のアニメキャラクターを使用したことが大きく注目されている。ハム太郎を起用した理由としては、「海外からの注目を集めやすくするためだった」とデモを企画した女性が語っている。 「ジュディ」と名乗る女性は「当初はここまで注目を集めるとは思っておらず、自分でデモの様子を撮影して、海外メディアなどに映像を送るつもりだった」と述べ、主催者側としても、ハム太郎は想像以上の効果を持っていたようだ。 アジアの民主主義運動において、人気の高い日本のアニメキャラクターが用いられたのは香港でも例があり、いずれも動機は海外からの注目を集めるためであった。香港やタイの若者たちは、国内のみならず外国に対して、ソーシャルメディアなどを通じ国内の政治状況を訴えることにより、政治闘争を有利に進めようとしている。 今回のハム太郎デモも、新しいデモのトレンドに乗ったものだといえよう。デモを主催する学生団体「FreeYOUTH」は自らのメッセージやデモの様子を頻繁にツイッターに投稿し、「#FreeYOUTH」や「#respectdemocracyTHAI」などのハッシュタグを付けて効果的に情報を拡散している。 加えてデモの様子はユーチューブにも投稿され、多くの人々が視聴できるようになっている。まさに、新世代による新しいデモの手法といえよう。 また、今回のハム太郎デモの成功を受けて、今度はハリーポッターに扮装(ふんそう)した学生も登場するようになった。このタイのハリーポッターは、魔法の杖ではなく箸を使って呪文を唱え、主権を為政者から国民に取り戻そうとしている。 ハム太郎やハリーポッターを用いることで、タイの若者たちは思惑通りに国内外からの注目を集めることに成功した。もし、このまま学生主体でデモが継続された場合、プラユット政権への決定的な打撃にならなくても、一定の圧力にはなりうる。政権側でも、学生たちが平和的に見えるハム太郎の歌を歌いながら走っている間は、暴力的な弾圧を控えるのではないかと思われる。2017年10月26日、バンコクの王宮前で、前国王の葬列に加わり歩く、プラユット暫定首相(中央) 混乱が起こるとすれば、デモの性質が変わり、再びデモが「政治性」を帯びた場合であろう。タイの政治史を振り返ると、幾度となく民衆が路上に出て、政権に対し抗議運動を行ってきた。そしてこれらのデモにおいても、大学生を中心とする学生たちが重要な役割を果たしてきた。しかし近年、特に06~14年のデモでは参加者の多様化により、学生以上に活動家やNGO、政治家たちが中心的な役割を果たすようになった。 それとともに、デモはさらに大規模で暴力的に変化していった。前述のように、デモに政治家が関与している場合、たとえ民主主義を求めるメッセージを発していても、そうした運動を懐疑的な目を向ける人々も存在する。変わりつつある情勢 現在のハム太郎デモは学生主体の運動だが、国内外から注目されているために政治家や活動家が関心を寄せ始めている。「赤色シャツ」陣営の指導者の一人は「今回のデモは若者のデモといった雰囲気だ」と現況を分析した上で、「何人かの国会議員が人気取りのために会場に出向いており、他の政党が同様の目的のためにデモを利用しないよう、合流を控えている」と述べている。ただ、「デモ隊に万が一のことがあった場合には、応援に駆け付ける」といった趣旨の話もしており、デモ参加への関心を見せている。 8月に入ると、デモがグレードアップされることが明らかになる。「FreeYOUTH」が会社員や労働者、農民といった学生以外の人々も参加する運動として、団体名を「Free People」に変更したからだ。新団体名発表のポスターにも、参加者が若者だけではないことが強調されている。 ここから鑑みるに、今後のデモは学生だけでなく、さまざまな国民が参加する政治運動へと変化していくのであろう。プラユット政権を打倒し、政治的な変革を求めるためには、確かに学生だけの力では不十分だ。デモの規模を拡大し声を大きくするには、大人たちの力が必要である。だが同時に、運動が不本意な形で「政治」に巻き込まれる可能性もあり、今後の展開は不透明でもある。 そして既に、デモの性質を変化させかねない動きが起きつつある。学生たちがハム太郎デモを続ける民主記念塔付近で、人権派弁護士で政治活動家でもあるアーノン・ナムパー氏が、タイ最大のタブーである王室批判を行ったのである。 タイではプミポン前国王が国民の敬愛を一身に集めてきたとされるが、06年のクーデター後から、プミポン前国王が過去に幾度もクーデターを承認するなど非民主的な対応を行ってきたとして、一部の国民の間から王室批判の声が上がり始めていた。 加えて16年に即位したワチラロンコン国王は、皇太子時代から評判があまり良くなく、数々のスキャンダルも報じられてきた。新型コロナの世界的な感染拡大が続く3月末にも、数百人の側近とともにドイツの高級ホテルで自主隔離生活を続けていたことがドイツ紙にスクープされ、ツイッター上で批判が集中した。 こうした動きの中から、アーノン氏は6月、政府の苦情受付センターを通じてプラユット首相に王室に関する予算の調査を求めた。ただ、彼は、王室予算に関するフェイスブックの投稿について、コンピューター犯罪法違反で訴えるという脅しも受けている。 8月3日夕刻、アーノン氏はデモの雰囲気に合わせてハリーポッターの仮装をして登壇し、次の点について政府を強く批判した。・軍事政権が制定した現行憲法が、王権を拡大するものであること・国王がドイツにいることが多いため、外国人からからかわれるようになった・国王の帰国を待つ必要があるため、行政において迅速な対応がしにくい・王室財産の管理に問題があるだけでなく、その予算には不要なものが多い そして彼は「君主制が憲法に基づく制度になるように憲法改正すべきである」と主張する。彼の演説の聴衆からは歓声とともに、幾度も大きな拍手が起こった。アーノン氏の演説はオンラインメディアで内容が報じられたことに加え、フェイスブックにも動画がアップロードされ、多くの人々の間でシェアされている。タイの首都バンコクで開かれた反政府集会=2020年7月18日(共同) アーノン氏がタイ最大のタブーである王室問題にまで切り込んだことにより、今後はデモの雰囲気も変化することが予想される。タイは、再び以前のような内戦状態になるのだろうか。 タイは日系企業や在留邦人が数多く存在するだけに、今回のデモは決して他人事ではない。プラユット政権がこれらのデモについて、どのような対応に出るのか、今後の動向を注視する必要がある。

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    国安法ありとて「香港魂」は死せず

    国家安全維持法(国安法)が施行された香港に対し、国際社会は絶望感を募らせている。だが、「一国二制度の崩壊」「香港は死んだ」と評される一方で、長年自由を享受してきた香港の人々の闘争心は失われていない。確かに香港は中国共産党に踏みにじられたとはいえ、自由を求める「魂」までは奪えないのではないか。

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    新型コロナで中国のGDPアメリカ逆転はかなり早まったか

     新型コロナウイルスの感染は世界で第一波の嵐が過ぎ、第二波、第三波、そしてアフター・コロナを念頭においた社会や経済の模索が始まっている。経営コンサルタントの大前研一氏が、アフター・コロナ時代を生き抜くため、世界情勢のリスクの読み方を考察する。* * *「アフター・コロナ(コロナ後)」の日本企業は、海外で感染拡大が終息しない最悪のケースに備え、次善策の「プランB」を周到に準備しておかねばならない、と提言した。 簡単におさらいをすると、教訓とすべきは、第一次世界大戦終盤の1918年から3年間にわたって世界中で猛威を振るった100年前のパンデミック「スペイン風邪」だ。その後、景気刺激策を連発した欧米ではインフレが加速、1929年にアメリカの株バブル崩壊に端を発した世界恐慌へとつながっていった。 世界恐慌はスペイン風邪から約10年後に到来したわけだが、今回の新型コロナ禍でもアメリカや日本をはじめとする世界各国が緊急経済対策のために国債を乱発しまくるので、これから世界経済が大混乱することは避けられない。もしかすると、身勝手なリーダーによる「一国主義」の加速や原油価格の暴落が引き金となって、戦争が勃発する恐れさえあるだろう。 実際、新型コロナ禍への対応では、各国指導者の危機管理能力のなさが露呈した。アメリカのトランプ大統領は、失業急増と株価下落などで支離滅裂な言動を繰り返し、もはや常軌を逸している。安倍晋三首相も対応が後手後手かつ粗略で、事業規模200兆円超の緊急経済対策は中身がなく、実効性が非常に疑わしい。自らがコロナウイルスに感染したイギリスのジョンソン首相しかり、中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領しかりである。※写真はイメージ(Getty Images) また、米中首脳は新型コロナをめぐっても責任をなすりつけ合う不毛ないがみ合いを続けているが、ここで想起されるのは、スペイン風邪の前後に起きた「世界の主役」の交代だ。 19世紀の世界の主役は、七つの海を支配したイギリスだった。しかし、1870年代末にアメリカがGDP(国内総生産)でイギリスを超え、第一次世界大戦・スペイン風邪後に1人あたりGDPでも逆転が決定的となり、それ以降、イギリスがアメリカを上回ることは二度となかった。そして、主役が交代すると、世界秩序が大きく乱れる。その時と同じことが、もしかすると、現在のGDP第1位のアメリカと第2位の中国の間で起きつつあるのではないかと思うのだ。中国躍進の壁 たとえば、感染症対策で世界最強と謳われたCDC(疾病対策センター)を擁するアメリカは、新型コロナへの対応が遅れ、感染者数も死者数も世界最多になっている。このためトランプ大統領は「(発生地の)中国がひどい間違いを犯した。愚かな人間がいたのだろう」「断交してもいい」などと中国に責任転嫁するとともに、経済活動の再開を強引に推し進めている。しかし、本稿執筆時点(5月26日)では、アメリカが感染終息に向かっているとは言えず、経済活動の再開を急げば、さらなる感染拡大を招きかねないだろう。 かたや中国は、新型コロナの「封じ込め」に成功したと喧伝する一方で、すでに経済活動を再開し、感染が拡大している他の国々にマスクや防護服などの医療物資を提供する「マスク外交」も展開している。これから中国が世界で主導権を握ってくると、たとえば自動車はEV(電気自動車)化が一気に加速して中国のメーカーが台頭するだろうし、IT業界でも「BATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)」が世界を席巻すると思う。 そういう中でも、「GAFAM(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフト)」をはじめとするアメリカの優良企業は生き残るだろう。だが、大勢として世界経済全体のバランスは、アメリカから中国に大きくシフトしていくと思われる。 従来のペースで行くと、GDPで中国がアメリカを抜くのは今から10年後の2030年頃と見られていた。しかし、それが今回の新型コロナ禍によって、もっと早まる可能性もある。 ただし、その前に大きな問題がある。中国共産党の一党独裁体制である。自国の経済圏を世界的に拡大するための「一帯一路」構想は21世紀の“新・植民地主義”であり、そのドクトリン(基本原則)のままで中国企業を受け入れる国は少ないだろう。※写真はイメージ(Getty Images) したがって、これから中国企業がグローバル化するためには、(情報を全部共産党に吸い上げられるような)一党独裁体制が弱体化するプロセスと同時進行することが前提条件になる。逆に言えば、共産党による一党独裁支配が終焉しない限り、世界のリーダーにはなれないと思う。●おおまえ・けんいち/1943年生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、本社ディレクター等を経て、1994年退社。現在、ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長、ビジネス・ブレークスルー大学学長などを務める。最新刊は小学館新書『経済を読む力「2020年代」を生き抜く新常識』。ほかに『日本の論点』シリーズ等、著書多数。関連記事■デジタル国家になれない日本 現金給付もテレワークも遅れ■大学のオンライン授業 どうすれば学生は寝なくなるのか■コロナで8か国100兆ドル賠償請求に中国「ならリーマンは?」■アメリカ大統領選挙 トランプ氏にコロナ逆風は吹くか■トランプ氏提唱「体内に日光を照射でコロナ対策」は効くのか?

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    新型コロナでわが道を貫くスウェーデン「集団免疫」の毀誉褒貶

    リングダール裕子(ベルゲン大常勤講師)  ノルウェーとスウェーデンは同じスカンジナビア半島にある国家で、言語や文化もよく似ている。特に、話し言葉はそれほど難なく理解し合えるし、対岸に位置にするデンマークを含め、お互いを兄弟と呼ぶほどである。 そんな両国が、今回の新型コロナウイルスに関する政策で全く対照的な方針を打ち出している。しかも、スウェーデンの「緩やかな政策」については、世界各国から批判が相次いでいる。 筆者の住むノルウェーでは、3月中旬に全国の小中高を休校とし、デジタルによる授業に切り替えた。大学も全ての授業をデジタル化し、外国への留学も一時停止になった。 屋内外のさまざまな活動も中止となり、ノルウェー人の多くが郊外などに所有しているキャビン(山小屋)への宿泊も、住民登録している市町村以外では禁止になり、6人以上の集会を禁じた。一般の商店や飲食店をはじめ、物理療法施設や美容室など多くの商業活動が一時休業を余儀なくされ、国中で大きな経済的打撃を受けるようになった。 そのため、国家保証局に失業手当を申請する企業や個人事業主のほとんどが、2メートルのソーシャルディスタンス(社会的距離)を設定するように、政府から要請された。ノルウェーでは政府の要請に従わない場合、2万クローネ(約21万円)の罰金が科されるが、一部の医療専門家はさらに厳しい取り組みをすべきだとまで言っている。それでも、多くの一般人は、感染を防ぐために現状の厳しい政策は仕方ないと考え、ほとんどの人が政府の要請に従っている。 ところがスウェーデンでは、全く異なる独自政策を採用した。小中高の授業は校舎で行われ、飲食店なども通常通りの営業で、サッカーなど室内外の運動施設も閉鎖されることはなかった。 規制も緩やかで、禁止ではなく、あくまで「勧め」となっている。70歳以上の高齢者や持病のある人には、自宅待機と他の人との交流を避けるように求めるにとどまっている。 「ここではカフェやバブなどで全く自由に人と交流し、ハグやキスをして、他の人のグラスから飲んだり、大声で唾を飛ばしながら会話をしている。病院では医療関係者が感染をあまり厭(いと)わずに行動したりしている。これでは感染者や死亡者が増えるのは当たり前だ」。スウェーデンの緩い対応策に、ノルウェー人記者が呆れ顔でこのようにレポートしたほどだ。スウェーデンの首都ストックホルムのレストランで楽しむ人たち=2020年4月20日(AP=共同) ノルウェーと隣接している地域には、普段多くのノルウェー人が安価な食物や商品を求めて訪れるが、現時点では一時的に国境閉鎖されている。5月に入って、スウェーデン側は、ノルウェーが国境を開いて、以前のように多くのノルウェー人が買い物に訪れることを望んでいるが、ノルウェー側は懐疑的である。 スウェーデン政府の新型コロナ政策に関する公でのディベートはないが、スウェーデン人の7割超がもっと厳しい対策を望んでおり、ロックダウン(都市封鎖)を望んでいる人も約4割に上る。何よりも毎日平均して何十人も新型コロナによる死亡者が出ていることに、多くのスウェーデン人は憂いの表情を隠せない。 しかも、医療専門家の多くが、スウェーデン政府と対策を主導する疫学者の戦略に懐疑的である。他国のように厳しく取り組むべきであり、さもないとスウェーデンは今までにない危機を迎えるだろうと、憂慮している。それでも、スウェーデン公衆衛生局で新型コロナ対策を主導した疫学者のアンダース・テグネル氏は「現在の政策は非常に効果があり、これからも継続させるつもりである」と強調している。「ほんの少し」違う政策 数字を見ても、隣国の違いは明らかだ。面積と人口では、スウェーデンはノルウェーの2倍である。ところが、人口100万人当たりの死者数で見ると、ノルウェーは40人前後でほぼ世界平均だが、スウェーデンは300人を超え、総計でも3500人を超えた。 感染者数も、ノルウェーは約8千人だが、スウェーデンでは約3万人に上っている。もっとも感染者の数値に関して、国内で初めて確認した時期の差はあるが、いずれにしても、スウェーデンでの新型コロナ死者数はノルウェーの15倍の水準に達した。 厳しい取り組みの甲斐もあってか、ノルウェーでは感染者の伸びは次第に緩やかになり、死亡者も少しずつ減りはじめ、入院患者数も減少を見せるようになった。ノルウェー政府はまず4月中旬から順次、幼稚園、小学校の低学年と試験的に再開させた。少人数でグループを作り、念入りな手洗いやソーシャルディスタンスを徹底させた上で、常に同じグループで行動するという指針のもとで行われた。 これらと同時に、美容院なども営業を再開するようになった。4月30日には50人以下の集会も許可されるようになり、ソーシャルディスタンスも1メートルに短縮された。 5月11日からは、残りの小中高の学校授業も再開された。大学はまだ再開の見通しは立っていないが、ノルウェーは少しずつ通常の状態に近づきつつある。 一方、スウェーデンでは、多少の変動はあっても、新型コロナによる感染者や死亡者の数が徐々に減少しているとは依然として言い難い。連日、メディアから死者数の多さを指摘されるたびに、テグネル氏は当局が入念な研究をしていないことはあり得ず、スウェーデンの政策は他国と「ほんの少し」違っているだけだと訴えている。 4月中旬に発表された報告によると、スウェーデンの首都ストックホルムにおける集団免疫は早くとも5月に獲得できるということだが、集団免疫は、人口の一定割合がウイルスへの免疫を獲得することで、初めて感染抑制が可能になる。 ワクチンは未だ開発中であるため、接種はできない。となると、大勢の人がまず新型コロナに感染する必要があるということになる。 感染しても、健康な人の8割は軽症で済むと報告されているが、危篤状態に陥る可能性があるし、回復後に肺などに後遺症が残るとも報告されている。死亡する人の多くは老人や持病のある人々だが、集団免疫が必要だからといって、これらの人々を感染の危険に晒すことは、人道的に受け入れられることではない。ノルウェーの首都オスロにある臨海地域、ビョルヴィカ(ゲッティイメージズ) このように、スウェーデンは他の北欧諸国とは違う独自のコロナ政策を続けているが、どうしてだろうか。その一因として挙げられるのが、200年以上にわたって直接的な戦争経験がほとんどないことである。 19世紀以降だけを見ても、北欧諸国は激動の歴史に揺れている。第2次世界大戦で、中立を表明していたノルウェーとデンマークは1940年にナチス・ドイツの侵攻を受け、ともに占領下に置かれた。フィンランドは国境を接していたソ連の侵略に対抗するため、ナチスと手を結び、敗戦国となってしまった。実は「良いモデル国」 一方、スウェーデンはナポレオン戦争以降に重武装中立主義を採用した影響で、約200年間戦いのない状況が続いている。ナチスの侵攻の危機に晒された第2次大戦でもなんとか中立を貫き通し、日本のポツダム宣言受諾の連合国への通告も、中立国であるスウェーデンとスイスの日本公使館を通じて行われている。 スウェーデンのジャーナリストによると、同国が他の国と違うコロナ政策を持っている理由の一つとして、このように200年以上平和が保たれていたことで、かえって危機に対する意識ができていないためだという。要するに、スウェーデン人は「平和ボケ」しているというのだ。 この意識は、第2次大戦にナチスとソ連に翻弄され、危機に対して常に用意周到なフィンランド国民と対照的である。スウェーデン国民の政府に対する信頼は非常に強く、政府から与えられた情報に対する自己責任も、反発よりむしろ高い忠誠心をもたらす。この忠誠心が正しいことは、歴史が証明してきたという。 多くの国や医療専門家から批判を浴びているにもかかわらず、スウェーデンは世界保健機関(WHO)から、新型コロナ対策について称賛を受けている。WHOによると、将来における良いモデル国ということだ。 スウェーデンは全国的な封鎖措置をとっておらず、学校や企業活動もいつも通り続き、外出制限や移動規制も行われていない。もし本格的な第2波が到来するなど新型コロナと長期間の戦いを強いられたら、世界中の国で封鎖を行わずに社会生活を存続させることも考えなければならないが、そのときはソーシャルディスタンスを異なる形で規定しなければならない。 つまり、現在のわれわれの生活様式を、新型コロナに対応させて変える必要がある。スウェーデンではそれを実際に行っている、とWHOで緊急事態への対応を統括するマイク・ライアン氏は指摘する。 新型コロナ危機は否定的なことばかりだけではない。今や新型コロナウイルス撲滅は全人類の共通の目標である。戦争とは、国と国が互いに敵味方に分かれて戦うが、この戦争は全世界の人が同じ目標を持ち、共に協力し合って解決するのである。いわば、全人類が同志といえる。 以前から環境問題への取り組みはさまざまな形で行われていたが、新型コロナ危機の影響で、別のアプローチによる取り組みも検討され始めている。例えば休暇の過ごし方について、今まで、北欧の人々は南国で数週間のバカンスを取ることが多かった。 しかし、今回の経済的打撃の影響で、航空会社の経営不振に伴う運賃上昇が危ぶまれている。それならば、環境問題も踏まえて、持続可能な休暇の過ごし方を考えるべきだろうという意見が増えてきているようだ。山岳地帯の多いノルウェーでは、山へハイキングに出かけることは日常的なことであるが、これからは山や森の中で休暇を過ごす時間が多くなるかもしれない。世界保健機関(WHO)で緊急事態対応を統括するマイク・ライアン氏=2019年5月(ロイター=共同) 自然に対するアプローチとともに忘れてはならないことが、人間社会のあり方である。新型コロナ危機で、大都市集中一極化の危険性が浮き彫りになった。何よりも、今回の危機を踏まえて民主主義に依った国政運営が求められる一方で、地域社会の重要さも忘れてはならない。デジタル化の推進で社会から孤立する人が増えてきたが、地域社会の充実を図ることで、緩和できるかもしれない。 今回、世界各国は新型コロナ対策として、ロックダウンや集団免疫をはじめ、さまざまな政策を採用した。ただ、パンデミックが世界で繰り返し起こってきたことは、歴史が証明しているし、新型コロナが終息に向かっても、いつか別のパンデミックが起こることだろう。それまで人類は今回の教訓をよく踏まえ、次の危機が訪れる前に備える必要があるが、果たしてどれだけの国が備えられるのだろうか。

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    対コロナでどうなる?アフリカを覆い尽くす中国の「アメ」と「ムチ」

    常に高い。同国が国境を接しているのは、スーダン、南スーダン、ケニア、ジブチ、ソマリア、エリトリアに、国際的にはソマリアの一部であるものの、実質的には独立国家状態のソマリランドを加えた7カ国だ。 このうち、比較的政情が安定しているのはケニアとジブチだけであり、内陸国であるスーダンや南スーダンから港まで資源を運ぶためにはエチオピアの安定と発展が不可欠なのだ。エチオピアの首都アジスアベバにあるアフリカ連合(AU)本部(ゲッティイメージズ) その一方で、国の借金である対外債務の17%を中国が占め、中国からの輸入25億3800万米ドルに対し、輸出は3億450万米ドルにとどまり、21億9300万米ドル(約2412億円)の輸入超過となっている。今回の新型コロナウイルスへの対応においても、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)に160万米ドルの支援を要求している。 先日、国連食糧農業機関(FAO)は、1カ月ほど前に東アフリカ一帯に大被害を与えたサバクトビバッタによる蝗害(こうがい)の第2波発生が予測されると警告した。被害地域では、約2千万人が既に深刻な食糧危機の状況にあるが、専門家によると、第1波の20倍の規模に達する可能性があるという。伸び悩む日本のプレゼンス 新型コロナウイルスによる経済活動の停滞に加え、国間の移動が制限されている現状では、大規模な飢饉(ききん)が発生すると、エチオピアを含む東アフリカ地域の安定が大きく崩れてしまうかもしれない。 アフリカにおける中国の影響力を顕著に現しているのは貿易額だろう。国連統計部のデータによると、1992年から中国におけるアフリカ諸国との輸出入額は以下の通りになる。輸入1992年 4億9千万ドル(617億円)2018年 803億4千万ドル(8兆3300億円)輸出1992年 12億6千万ドル(1587億6千万円)2018年 1049億5千万ドル(11兆5445億円)※1992年は1ドル=126円、2018年は1ドル=110円で算出 データが残っている1992年からの26年間で、輸入は約164倍、輸出も約83倍にまで激増した。当然、輸入決済通貨を徐々に米ドルから人民元に切り替えつつあるという。 日本は中国に先んじて、1993年にアフリカ諸国との間で初のアフリカ開発会議(TICAD)を開始した。アフリカにおける日本のプレゼンスを高めたものの、貿易面では完全に伸び悩んでいる。輸入1992年 8578億円2018年 9913億円(約1・2倍)輸出1992年 4616億円2018年 9001億円(約1・9倍) 影響力の拡大は経済面だけでなく、多岐にわたる。 ソマリア沖海賊の脅威に対応するため自衛隊も拠点を置いている東アフリカのジブチに、2017年、中国が初の海外軍事基地を置いたことは記憶に新しい。その背景には、国連平和維持活動(PKO)として常時2千人以上の要員を配置するなど、国連安全保障理事会の常任理事国で最大の兵力拠出国であり、「アフリカの平和と安定を守る」と公言していることも大義名分になっている。第7回アフリカ開発会議(TICAD)昼食会を兼ねて開かれた「西インド洋における協力特別会合」であいさつする河野太郎外相(奥右から2人目)=2019年8月、横浜市内のホテル(代表撮影) 他方、武器貿易においても、中国の存在感は増している。米戦略国際問題研究所(CSIS)によると、2008年以降のアフリカへの武器輸出額はロシアと米国に次ぐ3位で、約32億米ドル(3520億円)となっている。 ソフト面においても、軍関係者からの支持を得るための根回しは広く行き渡っている。将校以上の軍人を自国に招き、数カ月にわたり研修の場を提供するなど、その影響力を強めている。デジタルでも進む中国の「道」 政情不安な国が多いアフリカにおいて、政治家はクーデターなどで退場するが、クーデターを起こすのは軍人であり、その中心にいるのは必ず将校以上の軍人だ。つまり、軍内部に広いパイプがあれば、たとえ政権が変わっても引き続き影響を持ち続ける事ができるのだ。 中国による、アフリカ各国を鉄道網や高速道路で繋ぐ計画も進行中だが、インフラ面で現在最も進んでいるのは「海上のシルクロード」の要となる港湾への影響拡大だろう。CSISによると、既にケニア、タンザニア、モザンビーク、アンゴラ、ナイジェリアなど20カ国以上の46の港湾で、資金提供・建設・運営などの影響力を持ち、米国は現状に危機感を募らせているという。 また、発展途上国に光ファイバーネットワークを確立する「デジタル・シルクロード」構想も進んでいる。 先鋒を担っているのは、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)だ。海底光ファイバーの敷設だけでなく、第4世代(4G)移動通信システムネットワークの設置や「スマートシティー」への取り組み、今年に入ってからは南アフリカなどで5Gの運用も始めている。 年平均10%以上と大きく伸びるアフリカのスマートフォン市場でも、中国の存在は大きい。ローエンド(低価格帯)のスマホを充実させることで支持を得て、シェア1位のテクノ(伝音控股、トランシオン)(20%)と4位ファーウェイ(9%)だけで、市場の29%を占めている。 コンテンツの分野でも、大手メディアの四達時代(スタータイムス)がアフリカ30カ国以上に展開し、月額2千円程度で、地上デジタルと衛星のテレビサービスを2600万人のユーザーに提供している。放送されている番組は他のケーブルテレビ同様、欧州サッカーなどの人気コンテンツだ。もちろん、中国で制作されたドラマやニュースもある。 スタータイムスはハード面でも、アナログテレビからデジタルテレビに切り替える国や放送局に技術を提供するとともに、貧困層の多い農村部からも衛星放送にアクセスさせるプロジェクト「Access to satellite TV for 10,000 African villages」を行っている。その目的は農村地域における情報格差(デジタル・デバイド)を減らすことだ。 一方で、自由と民主主義を監視する国際非政府組織(NGO)フリーダムハウスからは、体制側による言論統制やインターネットへの接続制限などネット上の自由を脅かすノウハウを、中国がアフリカ諸国に提供していると非難されている。会談前に握手する中国の習近平国家主席(右)とWHOのテドロス事務局長=2020年1月、北京の人民大会堂(共同) サイバーセキュリティーとネットのガバナンスを監視するNGO、ネットブロックスによると、体制側によると思われるネットへの接続制限・遮断が行われたという。昨年はアルジェリア、エジプト、スーダン、エチオピアなど10カ国で、今年に入ってからもトーゴとギニアの選挙前に実施されたと報告されている。 これらの事件に対する関与の有無は不明だが、アフリカで流れるデジタル情報の根幹を、中国が担っていることは間違いない。中国関与で分かれる「三層」 中国とアフリカの関係性が深まるとともに、アフリカに移住する中国人も増え続け、現在は100万人に達したともいわれている。中国製品と中国人がアフリカの人々の生活に関わる度合いが増すことで、そのイメージが大きく三つに分かれてきたように感じる。 一つは政治家や富裕層、高級軍人のように、さまざまなメリットを享受できる「高支持層」。続いて、生活インフラの充実や日常生活で「メイド・イン・チャイナ」の恩恵を被る「中庸層」。そして、中国人労働者に仕事を奪われたことで反感を持つ「反発層」だ。 私が体感的にその変化を感じたのは、街中で見知らぬ人から投げかけられる、あいさつともからかいともとれる言葉だ。東洋人といえばカンフー映画、のイメージが強かった1990年代では、どの国でも決まって「ジャッキー(ジャッキー・チェン)」と声をかけられた。 2000年ぐらいからは「ナカタ」「ナカムラ」、2010年代になると「カガワ」「ホンダ」と、欧州のビッグクラブでプレーする日本人サッカー選手の名前が続いた。 ところが、2000年代半ばころから「チャイナ」と声をかけられることも増えてきた。そして、2010年を過ぎたころから「チーノ」という言葉を聞くようになった。 チーノという言葉には、中国人を含む東洋人を侮蔑する意味合いが含まれる。特に、大人が使う際には悪意が込められているケースが多い。 私の友人にも2000年代は中国を絶賛していたが、その後政府要人と癒着した中国企業に仕事を奪われ、さらに中国本土に発注した商品が代金を振り込んでも届かず、「反中国」に変わった者がいる。そんな反発層の不満が一気に爆発し、アフリカ人の声として世界に届けられることになったのが、今回のアフリカ人差別問題だろう。 新型コロナウイルス発生前まで、2020年のアフリカの経済成長率は4%を越えると予想されていたが、国境閉鎖や経済活動の停止などで大きく下回る可能性が高い。終息するタイミングによっては、数年間停滞が続くかもしれない。 それでもなお、人口中位年齢19・7歳、2050年には人口25億人に達するといわれるアフリカは、中国にとって今後も成長が見込めるマーケットでもあり、安定した資源の確保先としても重要視され続けるだろう。そして、そのためには、反発層を始めとする反中感情をいかにコントロールするのかが、ポイントになってくる。南アフリカのケープタウンで、食事の配給に並ぶ子どもたち=2020年4月21日(AP=共同) 新型コロナウイルスの影響で、大きな痛手を被ると予想されるアフリカ諸国。既に、多くの国は政治、経済、物流、情報、軍事、あらゆる分野に中国の影響を色濃く受けている。 もしも、中国が、今回のアフリカ人差別で露呈した反中の声をかき消すほどの支援を行うのであれば、「アフターコロナ」の世界において、アフリカは中国の独壇場になるだろう。アフリカに向けて打たれる次の一手が、アメかムチか、その対応が注目される。

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    新型コロナ禍、海外邦人の憂い

    世界に拡大した新型コロナウイルス禍は、日本も厳しいとはいえ、特に欧米各国で深刻さを増している。爆発的な感染と多数の死者、そして「ロックダウン」(都市封鎖)といった過酷な環境下でどう暮らしているのか。終息が見えない中、今回は欧米在住の日本人に、生々しい現地の様子や思いを綴ってもらった。

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    読めぬ「ロックダウン」解除、徒労感募るイギリスで何が起きているか

    小林恭子(在英ジャーナリスト) 日本でもいよいよ、緊急事態宣言が発令され、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための本格的な動きが始まった。 筆者が住む英国では、3月中旬から外出自粛要請が出ていたが、本格的な「ロックダウン(都市封鎖)」状態になったのは3月23日からだ。現在4週目となっているが、5月上旬まで続く見込みだ。 ロックダウンの内容は国によって異なるが、英国では「自宅にこもる(stay at home)」をキーワードにした、人と人の間に距離を置く「社会的距離」(social distancing)政策が実行されており、具体的には、以下の3本柱になる。1.外出禁止2.一定のビジネス活動の停止、集会場所の閉鎖3.(同居していない)2人以上による公的空間での集合停止 なお、外出禁止には、以下の例外がある。・食料や医薬品などの生活必需品の買い物。しかし、可能な限り頻度を少なくする。・1日1回、一人であるいは同居する家族とともに、運動のために戸外に出ることができる。例えば、走る、歩く、ジョギングをする、など。・医療サービスを受ける、献血をする、あるいは支援が必要な他者を助けるためには出掛けてもよい。・自宅勤務が不可能な仕事には、出掛けてもよい。 以上の条件で外出した場合でも、他者とは2メートルの距離を取る必要がある。同居していない家族や友人に直接会うことも原則、禁止である。 「一定のビジネス活動の停止、集会場所の閉鎖」とは、より具体的にはパブ、映画館、劇場、先のような生活必需品を扱う以外の小売店、図書館、地域センター、レジャー施設、スポーツクラブ、教会、ホテル、キャンプ場などの閉鎖を指す。逆に言うと、開いているのはスーパーやそのほか日用必需品を売る店、郵便局、銀行などだ。レストランやカフェはテイクアウトサービスのみを提供でき、通常のような形では営業できない。学校も休校措置となっている。英政府から届いた手紙(右)とパンフレット(筆者撮影) また、政府から頻繁にメッセージも届く。「自宅にいてください」「社会的距離を取ってください」「それが医療サービスを助けることになります」といった内容だ。政府はこれらのメッセージを繰り返し発信している。毎日、首相官邸で記者会見を行うと同時に、街中にはこのメッセージが入った広告があちこちに出ている。筆者の携帯電話にも「自宅にいるように」というテキストメッセージが入った。 また、ボリス・ジョンソン首相からの手紙と自宅にいる必要性を書いたパンフレットが、どの家庭にも郵送された。ツイッターを開けると、時々、同様のメッセージが出ることもあり、「これでもか!」というほど頻繁に情報が発信されている。4月5日と11日には、エリザベス女王が国民にメッセージを伝える番組まで放送された。ロックダウン下のイギリス 働く人の多くが自宅勤務となり、日中、通りを歩くと、一人であるいは家族連れで日用品の買い物に出かける人、のんびり散歩する人、あるいはジョギングする人などをよく見かける。 スーパーや銀行、郵便局などに行くと、場合によってはいったん入り口の外に並び、一人ずつ中に入る。スーパーでは床に2メートル間隔にテープが貼ってあったり、立つ場所を指定されたりする。ほかの客と近づき過ぎないようにするためだ。 日本で多く見られる、マスクをかけている人はあまりいない。英国ではマスクを付ける人は原則医療関係者のみだった。しかし、最近ではさすがに使用する人を見かけるようになった。それでも、ちらりほらりという程度だ。「マスクでは、新型コロナの感染は防げない」と何度も言われてきたからだろう。 一時は買いだめのためにスーパーの棚がよく空になっていたが、今は大体のものはそろうようになった。ものによっては、買える数が制限されていたが、今はその制限もほぼなくなった。 どのスーパーも朝の1時間は高齢者専用としている上に、医療サービスで働く人専用の時間を設けている場合もある。 どれほどの企業が自宅勤務に切り替えたのかは不明だが、ロンドン市内の観光地の写真を見ると、人通りが少なく、まるでゴーストタウンのようだ。 公共交通機関の利用は激減しており、政府がまとめた資料によると、外出自粛要請があった2~4月中旬までに自動車及び公共交通機関の利用は60%減、鉄道・地下鉄の利用は97%減少している。英国でも鉄道の駅の利用は激減している(ネットワーク・レール」駅利用客数の推移、英政府資料より) 通りを走るバスの中をのぞくと、ほとんどガラガラだ。 しかし、一気に外出禁止とさまざまなビジネスの閉鎖が生じた英国では、職を失った人や失いそうな人は少なくない。失業保険や住宅手当、児童手当などが一元化された社会福祉手当となる「ユニバーサル・クレジット」に対する申請件数は100万人を超えている(ちなみに、英国の人口は日本の約半分の6700万人である)。 また、シンクタンク「インスティテュート・フォー・エンプロイメント・スタディーズ(institute for employment studies)」によると、この2週間ほどで「150万人から200万人が失業した」という。2008年の世界金融危機では最大でも74万人が失業者となっており、このときよりはるかに大きな人数だ。「コロナ前」は英国の失業率は3・9%だったが「コロナ後」では、7・5%まで上昇する可能性があるという。いつ、ロックダウンは終わるのか また、政府の決定によりビジネスが一時停止したことになるため、財務省は国内総生産(GDP)の15%に相当する巨額の資金をコロナ対策にあてている。 企業が社員を解雇することを防ぐため、「一時解雇」措置とした場合には、従業員一人当たり、給与の最大80%(あるいは最大で2500ポンド=約33万円)を政府が負担することになっている。自営業の場合も、税の申告をしている場合、同額が支払われる。また、中小企業に対する一時金の支払いもある。 ただ、なかなか実際にお金が企業側に入ってこないという不満が多い。財政支援を申請した企業の中で、銀行が資金を出したのは10分の1という報道が出ている。 経営難に陥ってた慈善組織を助けるべきという声が上がり、リシ・スナク財務相は4月8日、慈善組織の支援に7億5千万ポンド(約1012億円)を拠出すると発表した。 しかし、先の社員あるいは自営業者への支援も含め、「いつ、確実にお金が入ってくるのか」という問題や、支援の受け取りには条件が付くので「自分は当てはまらない」と嘆く人々の声がよくメディアで紹介されている。 ロックダウンは感染者、そして死者を減少させるための方策だが、その結果が感染者数・死者数に反映されるまでには「あと1〜2週間はかかる」と言われている。 実際、政府資料によると、どちらの数字も増える一方で、筆者自身、徒労感を抱くこともある。4月15日時点で、9万8千人が感染者となり、死者数は1万2千人を超えている。新型コロナウイルスによる疾病「Covid-19」にかかって集中治療を受けている人の数(地域別)(英政府資料より) 英国民の最大の関心事は「いつ、ロックダウンが終わるのか」だ。当初、今回のロックダウンは4月16日前後に終了するはずだった。しかし、感染者数・死者数ともに大幅な減少には至っておらず、来月まで延長となった。 一時はマット・ハンコック保健相に続き、ジョンソン氏も新型コロナウイルスに感染した。ハンコック氏は無事回復して職場に復帰、ジョンソン氏もロンドンの病院に入院し、一時集中治療室へと搬送されるなど危機的状況だったが、現在は回復し退院、首相公式別荘で静養中だ。それでも、英国では不安感が漂っている。 また、依然として、医療関係者を保護する保護メガネ、マスク、ガウン、手袋の一式の不足、検査数がなかなか伸びないことも悩みの種だ。日本は大丈夫か 日本では、4月7日夜に安倍晋三首相が緊急事態宣言を出したが、その内容を見ると、確かに欧州各国の「ロックダウン」と状況が異なり、制限が若干緩いように見えた。 日本の場合、欧米と比較して感染者数・死者数が非常に少なく、経済活動を維持することへの配慮が背後にあったのだろう。 しかし、東京の緊急措置体制はより厳しくなっており、罰金はないものの、欧米のロックダウンの状況に似ている。 欧米の方式が日本のやり方よりも優れているのかどうか。今のところ、確固としたことは言えない。また、経済活動の維持を重視した政策も一つの政治的な選択ではある。 とはいえ、死者数が突出しているイタリアやスペイン、それに米国のニューヨークの例を見ていると、どの国も「命を守ることが大事」という切迫した思いで動いていることが分かる。英国も感染者数・死者数の増加が止まらない状態で、イタリアやスペイン並みにならないとは限らない。 だいぶ自粛されたとは言うものの、日本では危機意識がまだそれほど切羽詰まったものになっていないのではないか。電車に揺られる多くの人がいる光景を、メディアを通してみるたびにそんな思いを持つ。新型コロナウイルス感染症を受け、ロンドンで建設が進む「ナイチンゲール病院」=2020年3月31日(AP=共同) もう一つ、日英の違いがある。英国の専門家の意見を集約すると、新型コロナウイルスについては「分からないことが多い」と言う。例えば、いったん感染した人が回復し、そのあとまだ感染することがあるのかどうか、もしその場合、どのぐらいの期間「安全」なのかについても、まだ分からないそうだ。 筆者は日本に住む人から特定のワクチンの効き目について聞かれ、「分からない」と答えたが、「効くのは確実だ、事実だ」と反論された。その人は筆者よりは科学の専門知識が豊富かもしれないが、英国の最先端の科学者や医療専門家が「分からない」「確固としたことは言えない」と答えている状態では、筆者は特定の答えを持たないし、「分からない」と言わざるを得ない。 専門家であろうと誰であろうと「分からない」こともある。だからこそ、「分からないこともある」と受け止めることも必要ではないだろうか。そう思えば、さまざまな情報に一喜一憂せず、冷静に情報を受け止め、行動を起こすことが可能であると、筆者は思う。 最後になったが、日本の自粛政策が功を奏することを、心から願っている。

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    日本の危機意識はまだ薄い、コロナで激変したスペイン社会の「距離」

    夏目佐季子(スペイン在住英語学校共同経営者) 私はスペインのバレンシア州にある人口30万人ほどの中小都市に住んでいるが、およそ1カ月前の3月12日のことが印象深かった。 その前日まで一般市民の間には、ほとんど新型コロナウイルスに関する緊張がなかった。だが、信じられないような爆発的な感染拡大が起き、突如として、その日を境に市民の意識が変わったのだ。 それまでもニュースでは近隣国のイタリアでの感染拡大が大きな話題になっており、その日までの死亡者が1千人(AFPによると4月15日現在、約2万1千人)を超えたところだった。スペインでの新型コロナウイルスによる死亡者は、ある統計では、3月12日時点で86人(同、約1万8千人)とされていた。  もちろん、それまでも新型コロナウイルス対策の注意喚起はあり、手洗いなどが奨励されていたが、一般市民に緊張感はほとんど見られなかったのである。誇張ではなく、マスクをしている人を一人として街で私は見かけたことはなかった。 今となっては信じられないような話だが、本当に3月12日の昼頃まで市民はいつもと変わらない生活を送っていた。 そもそも、イタリアもそうだが、スペインでもあいさつは、いわゆる「濃厚接触」だ。ちょっと久しぶりに会った人とはハグや頬にキスをする。実は私もその前日の11日、同じマンションの階下の女性に久しぶりに会ったので、濃厚接触のあいさつをしている。 12日の朝、「来週から学校が閉鎖されるらしい」と周囲で話題になり、そして同日午後には、その情報が確実になった。すべての教育機関は翌日13日が最終日。そして、すべてが急ピッチに進んだ。 土曜日にあたる14日には、非常事態宣言が発動され、食料品店と薬局以外の店、レストランやファーストフード店を含むすべての飲食店も一斉閉店となった。週明けの16日からは外出禁止令が出された。そしてマドリードを中心とした首都圏を中心に起きた爆発的感染拡大の様子は皆さんもニュースで見た通りだ。 要するに、爆発的感染拡大は一度起きてしまうと、歯止めが効かなくなるということを実感した。私の住んでいる州は首都圏のようにひどくはないが、悲惨なニュースが毎日流れてくる。たとえば、高齢者施設で集団感染があっても、家族は手の施しようがないといったことだ。 こしうた中で、最近の日本のニュースを見ていて、どうしても気になることがあった。「社会的距離」が時によって、いとも簡単に崩れてしまうことがあるという危うさだ。 スペインではその日を境に、接触を伴うあいさつが習慣だった市民の間に、「社会的距離」が瞬く間に浸透したのには驚いた。 私のマンションでは、非常事態宣言が出るや否や、自治会から「自宅にとどまってください。社交距離は建物内でも1メートルを守ってください」との注意書きが配られた。自治会から配布された注意書きの一部(筆者提供) また、スーパーの外の歩道にも1メートル間隔で線が引かれた。並んで待つのも1メートルずつ間隔を空ける。スーパー内のレジ前の床にも間隔を置いて線が引かれた。 市内バスは運転手との距離を確保するため乗客は後方乗降口のみを利用、よって料金の受け取りはなくなり無料となった。かなりの間隔を取って座席はテープで隔離された。向かい合わせの4人掛け席に座れるのはたった一人。四方1・5メートルの間隔はとっているので、乗車できるのは10人にも満たないかもしれない。 定員オーバーで乗車できなかった客は、次のバスを待つ。「社会的距離」という明確な指針があるためか、静かに従っている。危機感を覚えた日本の意識 さらに、私が驚いたのは、規定では1メートル以上となっている「社会的距離」であるが、市民は実際には2メートルの間隔を取っているということだ。スーパーでの行列では自発的に線をもう一つ空け、2メートル間隔で並んでいる。自宅前のクリニックに並ぶ患者も、線があるわけでもないのに、2メートルほどの間隔で立っていた。 「密集」を避けるために、店でも人数制限は徹底している。これがスムーズに行われているのは驚いた。大手スーパーでは出入口にスタッフを配置。1人出たら1人入るのだが、まず手に消毒ジェルをかけてくれて、使い捨てビニール手袋を渡してくれる。だからキレイな手で店の商品を触れるということになる。 人手がない小さな店では、自動ドアが外から開かないように調節するなどして、「1人出たら、1人入る」というルールが徹底されている。自動ドアすらない小さな八百屋や薬局でも、同じルールを客は粛々と守っている。注意書きがなくても、客が自主的にどこでも行っている。 さらに、個人的な対策として、今のスペインではマスクだけではなく、多くの市民が手袋をしている。お札や硬貨を触るときも気を付けている。私も今はティッシュペーパーを持ち歩き、一歩家を出ると、エレベーターのボタンもドアノブも素手では触らない。 ところで、欧州ではマスクをする習慣がそもそもない。先にも触れたが、本当に私は3月12日まで街でマスクをしている人を見ていないのである。それまでの緊張感のなさと、確かに対策の遅れがあっただろうが、現在のスペインでは国も市民もよく協力している。それまでの生活スタイルを即座に改めた柔軟性には驚愕した。 イタリアと同じように、スペインも高齢者を大切にする国柄で、休日には祖父母を囲んで家族が集まる風習があるが、それもピタリとなくなった。市民はマスクと手袋をして、粛々と「社会的距離」を保って生活している。若者と高齢者のふれあいが多い生活習慣が、知らないうちに感染拡大につながったかもしれないと思うと、胸が痛む。 スペインでは、外出禁止令が出ておよそ1カ月になるが、それでも感染拡大はピークには達していないという。意識が一変するあの日までの生活状態の結果が現在の悲惨な状況を招いているのは言うまでもない。 一方、私は少し前まで「さすが日本。コロナを何とかくい止めている!」と感心して誇らしく思いながらニュースを見ていた。 ところが、3月下旬の花見シーズンでの気の緩み、欧州からの帰国者の無責任な行動が目立つのを見て、危機感を覚えた。「スペインのようになってほしくない!」。スペインでは経済活動休止措置をとるところまで悪化し、経済が止まるとどのようなことになるかは、一目瞭然である。 日本でも4月7日に緊急事態宣言が発令されたが、まだ自粛のレベルで、スペインのような事態になるのを、今なら何とかくい止めることができるかもしれない。個人も社会も、できることをまずしていこうと、強く呼びかけたい。  「社会的距離」という意識は、都会だけではなく、高齢者の多い地方でも役に立つと思う。距離を置いての社交、あいさつなどが手短になっても礼に欠けるかもしれないとの気遣いもなくなる。外出禁止が続くスペイン・バレンシア州のスーパーで、マスクや手袋で感染対策をする来店客ら=2020年3月(共同) その規定は例えば1メートルであっても「社会的距離」という明確な方針があることで、人々の行動を変える即効的な引き金になると思う。 重ねて強調しておくが、日本のある百貨店で人が密集している様子をニュースで見て怖くなった。日本では幸い、欧米ほどの感染者や死者数が出ていないことなどから、緊張感が薄いのだと思う。だが、日本での光景は、いまやスペインではありえないのだ。 何とか新型コロナを食い止めていた日本ではないか。今が正念場だ。自分を守り、家族を守ろう。そして国を守ろう。爆発的な感染拡大は絶対にくい止めなくてはならないと切に思う。

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    新型コロナ禍を「世界戦争」にしてしまったWHOと中国の大罪

    は計り知れないが、その元凶にWHOという意味不明な機関や中国という国家の「大罪」があることについて、国際社会がもっと問題視するべきではないだろうか。

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    「社会主義ノスタルジー」で変貌する世界

    旧ソ連が共産党独裁を放棄して30年。この間、世界の大半を資本主義が覆い尽くし、事実上、社会主義は淘汰されたといっても過言ではない。ただ、ここにきて広がりつつあるのが「社会主義ノスタルジー」だという。米国でさえ格差社会への疲弊によって芽吹き始めているこの現象、世界を変貌させる原動力となるのか。

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    貧困と格差に知らぬ顔、もう一度「富裕層への革命」を起こせ

    ったのかといえば、そのようなこともない。忘れられない話が、共産党指導下の青年組織である民主青年同盟の国際部長を勤めた時期(80年以降)にある。「発達した社会主義国」を標榜(ひょうぼう)するソ連の共産主義青年同盟(コムソモール)の代表がやってくると、「全般的危機」にあるはずの資本主義国のわれわれに対し、「シェーバーをプレゼントしてほしい」とおねだりするのである。 そこで日本製を渡そうとすると、「いや、ひげが濃いので、ブラウンでなければ」とごねる。社会主義国の指導的立場にある人でも、自国の体制が優位にあるなど少しも思っていないどころか、外に向かってそれを隠そうとさえしなかったわけだ。それでも、「そもそもの出発点が低かったのだから仕方がない」と思い、貧しいなりに社会主義らしく平等を重視したり、人間を大切にしているところを評価しようとしたりして、私なりに努力してみた。 例えば、妊娠した女性に対する産休や育児休暇の保障などに関して、ソ連は世界でも高い水準にあり、「男女平等の分野では優位なところがある」と宣伝したこともある。確かに、統計の数字上ではそういうことも言えた。しかし、のちに国際労働機関(ILO)の報告などで明らかになったのは、ソ連ではそうやって女性に特化して権利を保障することによって、女性だけが育児や家事に縛り付けられる「不平等社会」が築かれていたということだ。 マルクス主義を知っている人にしか通用しない言葉ではなく、現代の国際政治でも通じる概念に置き換えて言えば、マルクスが唱えた「共産主義」というのは、政治的権利といった国民の自由権も、生存権などの社会権も、等しく高いレベルで保障されている社会のはずであった。ところが、現実の社会主義はそれとは真逆の存在だったわけである。 「もしも」の話になるけれど、自分がソ連や中国、北朝鮮で生まれていたとしたら、そしてコミュニストとしての素養を積んでいたら、その国の体制を容認できるかが問われていた。私は、自分が学んできたコミュニズムの思想と照らして、目の前の体制が社会主義だとは少しも思わないだろうし、その体制を打倒しなければならないと決意するだろうと考えた。 最近、ベルリンの壁崩壊前夜の東ドイツの姿を描いた須賀しのぶの小説『革命前夜』を読み、共産主義体制を倒した後に資本主義でもない新たな体制を望む人々がいたことを知った。ただ、その体制がどんなものかを提起できない状況では、倒れた先に資本主義しか待っていなかったことは歴史の必然だったと考える。1989年11月9日、東西ドイツの国境開放後にベルリン・ブランデンブルク門前の「ベルリンの壁」の上に立つ人々(DPA提供・AP=共同) それでもなお、私はコミュニストであり続けた。なぜなのか。それは何よりも、日本のコミュニストの代表格である日本共産党がソ連の独裁体制や覇権主義と公然と闘っていたからだ。様変わりした批判の鋭さ 1948年の世界人権宣言以来の努力によって、組織的で広範囲な人権侵害は「国際問題」とされ、外部からの批判は内政干渉に当たらないという慣行がつくられてきた。裏を返せば、ソルジェニーツィン一人だけの人権侵害のような場合は国際問題とはみなされないことになる。 日本の共産党は、そうした国際慣行にもかかわらず、「ソルジェニーツィンへの迫害は国際問題だ」としてソ連共産党を厳しく批判してきた。アフガニスタンへの軍事介入や核軍拡路線にも公然と異を唱えてきた。人権侵害も覇権主義も「社会主義の原則に反する」という立場からだ。 当時、私も民青同盟の代表として国際会議などに参加し、ソ連批判を展開することがあったが、相手からどんな反撃があっても屈服してはならないという日本共産党の指導を忠実に守り抜いたものである。 ソ連が崩壊したとき、日本共産党が直ちに「諸手を挙げて歓迎する」という談話を出すことができたのは、そういう過去の実績があったからだ。「ソ連は社会主義ではなかった」という大胆な認定も行った。当時、私は金子満広書記局長(故人)の秘書をやっていたが、後援会の旅行で祝杯をあげ、「ソ連崩壊で万歳をしている共産党は世界の中で日本共産党だけだろう」という金子氏のあいさつを聞いたことを鮮明に覚えている。 ソ連崩壊の直前、少しずつ存在感を増してきた中国で、1989年、あの天安門事件が起きた。これについても日本共産党は厳しく批判し、中国共産党のことを「鉄砲政権党」などと揶揄(やゆ)したりもした。 ちょうど、東京都議会議員選挙が戦われている最中であり、私は八王子選挙区に派遣されていたが、「どのように中国を批判すれば効果的か」夜を徹して仲間と語り合い、宣伝チラシをつくったものである。何カ月かして、欧米が経済制裁を続行している中で、日本政府がいち早くそこから脱落したが、その弱腰ぶりを厳しく追及したのも日本共産党であった。 その当時、60年代に起こった中国共産党による日本共産党への内部干渉の影響で、両党の関係は断切していた。その後、両党関係が正常化したことで、もう中国を批判することはできないだろうという観測も流れた。 しかし、日本共産党は、関係回復したからといって重大な人権侵害を許すわけにはいかないと、天安門事件10年になる1999年には批判論文を出すほどであった。 日本で共産主義の「体制」ができるときは、既存の社会主義国とは別のものになる。日本共産党の批判の鋭さは、そう思わせるに十分であった。 けれども、詳細は書かないが、21世紀になるのを前後して、共産党は中国の人権問題を批判しなくなる。天安門事件20年にあたる2009年では、10年前とは異なり、『しんぶん赤旗』に1行の批判も論評も掲載されなかった。1989年6月、北京の天安門広場に近い長安街で、戦車の前に立ちはだかる男性(左下、ロイター=共同) ソ連のことは「社会主義でなかった」と言い続けながら、中国については「社会主義をめざす国」と肯定的に認定し、積極的に交流を進める。06年に成立した北朝鮮人権法に対しては、北朝鮮の人権問題は国内問題だとして反対することになる。 ソルジェニーツィン一人だけへの人権侵害を「国際問題」として批判していた当時とは様変わりしてしまった。こうしてその直後、根本的な理由は別にあるのだが、共産党の政策委員会に勤務していた私は、小池晃政策委員長に退職を申し出、受理されることになった。コミュニストであり続ける理由 ただし、共産党の名誉のために言えば、天安門事件30周年の昨年、『しんぶん赤旗』は新聞の「社説」にあたる「主張」で、事件を振り返った批判を20年ぶりに掲載した。また、中国を「社会主義をめざす国」とする綱領の規定を削除する改定案を今年1月の党大会で採択している。 話は戻るが、党を退職した私は、それでもコミュニストであり続けている。それはなぜなのか。 そこにあるのが、今回のテーマの共通した題材である共産主義「体制」へのノスタルジーと言えるだろうか。ノスタルジーという言葉の響きがもつ「懐かしさ」とは無縁で、日本語で表現すると「渇望」が近いけれども、共産主義体制が切実に必要性とされていることへの思いである。 共産主義が崩壊し、一人勝ちした資本主義の現状をどう評価すべきか。このままの日本が続けば幸せになれると、どれほどの人が感じているのだろう。 現在の日本は、少し古い言葉を使えば、「負け組」には将来への不安が募るだけの世の中である。正規雇用に就けず、永遠に「負け組」から抜け出せないと言われる40歳前後の「ロスジェネ世代」を再雇用する試みが話題になっているが、その世代が世に出た2000年頃、25%程度だった非正規雇用は、いまや4割程度にも上昇している。 ロスジェネ問題はなくなったのではなく、より普遍的な広がりを持つようになったのである。正規雇用者になれたところで、やれブラック企業だの過労死だの、押し潰されるような暮らしを余儀なくされている者が少なくない。 その一方で、企業の内部留保は400兆円を超え、この10年で3倍以上になっている。2018年1月、国際非政府組織(NGO)オックスファムが公表した報告書も話題をさらった。世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を上位1%の富裕層が独占していること、下から半分(37億人)の貧困層は財産が増えなかったとするものだった。 翌年には、世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているとの報告書を発表した。「負け組」の犠牲で「勝ち組」が肥え太っていく。「勝ち組」には笑いの止まらない世界が広がっているわけだ。 それなのに、肥え太っていく企業や富裕層に対して厳しく向き合い、自分の利益だけでなく、社会全体のことを考えて行動せよと迫る仕組みがない。それが世界規模で顕著に表れているのが気候変動問題だ。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」 科学の見地では、二酸化炭素の排出量を激減させなければ、地球の未来さえ危ないことは明白だ。それでも、資本主義の中核に存在する巨大企業は、いまだに石炭火力発電に頼り(日本は増加させつつある)、科学よりも目の前の自己の利益を優先させ、世界を次第に破滅的危機へと導いているのである。 「わが亡き後に洪水よ来たれ」─。マルクスはフランス王ルイ15世の愛人であったポンパドゥール侯爵夫人のものとされるこの言葉を『資本論』で引用し、資本の醜い本性を暴いた。ルイ15世の治世から250年たっても、資本の本性は変わらないままなのだ。「8時間労働制」という変化 その資本の本性が、歴史上一度だけ挑戦を受け、醜さを覆い隠したことがある。それがロシア革命であり、共産主義「体制」の出現であった。 現代に生きるわれわれが普通に享受しているものとして、8時間労働制がある(日本では制度が脅かされているが)。これは、マルクスらが1866年に創設した第1インターナショナル(国際労働者協会)が呼びかけた課題である。 20年後の1886年5月1日、米国の労働組合が全国的なゼネストを行って要求し、その後、5月1日がメーデーとされることになった。しかし、どの国の資本も、こうして労働者がゼネストをして要求しても、自己の利益を優先させて応じることはなかったのだ。 そこに変化が生まれたのが、今からちょうど100年前、第1次大戦後のベルサイユ平和会議において、1919年に国際労働機関(ILO)が創設されたことだ。ILOの創設後、最初に採択された条約が、1日の労働時間を8時間、週の労働時間を48時間に制限する内容で、その後、この制度が世界に広がっていくことになる。 また、ILOはこうした条約の採択を決める総会で、1国が4票を投じるのだが、うち1票は労働者代表に与えられることになっている(2票は政府、残り1票は使用者)。最近、国際条約の策定にあたりNGOが役割を果たす事例が増えているが、ILOはその先駆けであり、今でも最も先進的な仕組みとなっている。 なぜそんな革命的な変化が生まれたのかといえば、ロシア革命があったからなのである。その秘密をILO関係者と日本の高級官僚に語っていただこう。ILOのガイ・ライダー事務局長 ILOに関する概説書として20世紀を通じて親しまれたのが、1962年刊行の『ILO 国際労働機関』という本である。その著者の1人である労働省(当時)の審議官で、ILO総会の日本政府代表を務めたこともある飼手真吾氏は次のように述べている。 (ベルサイユ)平和会議に臨んだ列国の政治家をして、平和条約において労働問題につきなんらかの措置を講ぜざるをえないと考えせしめるに至った決定的要因は、ロシア革命とその影響であった。日本労働協会『ILO 国際労働機関』改訂版 飼手氏は、本著でこのことを書いた際、第4代事務局長であったエドワード・J・フィーランの同機関創設30周年記念論文を引用している。その記念論文は次のようなものであった。 ロシアのボルシェヴィキ革命に引続いて、ハンガリーではベラ・クンの支配が起った。イギリスでは職工代表運動が多数の有力な労働組合の団結に穴をあけその合法的な幹部達の権威を覆えした。フランスとイタリーの労働組合運動は益々過激に走る兆候を示した。(中略) 平和条約の中で労働問題に顕著な地位を与えようという決定は、本質的にいえば、この緊急情勢の反映であった。平和会議は、条約前文の抽象論や、提議された機構の細目等については余り懸念することなしに労働委員会の提案を受諾したのである。こういう事情でなかったならば、おそらくは、機構の細目における比較的大胆な革新──例えば、国際労働会議において非政府代表者にも政府代表者と同等の投票権や資格を与えるという条項の如き──は、受諾し難いものと考えられたであろう。「ILOの平和への貢献」、『ILO時報』1950年1月号(原典はINTERNATIONAL LABOUR REVIEW,Jun.1949) 当事者自身が、ILO創設はロシア革命の影響だと述べているわけだ。それがなければ、労働者代表にも投票権を与えるような大胆な革新はなかっただろうと認めているのである。「資本の横暴」許すのか これは当時の情勢を考えればよく理解できる。1917年10月に革命を成功させたロシア新政権は、1日の労働時間を8時間とする布告を直ちに発表した。 この中で、「労働時間は『一昼夜に8時間および一週に48時間を超えてはならない』ことが確定された。……同布告によって休息および食事のために労働日の義務的な中断が定められ、休日と祭日が決定され、時間外労働の使用は厳格な枠によって制限された。女子および未成年者の労働に対しては特別な保護が規定され」(『ソヴィエト労働法 上巻』)たという。 その半世紀前から、各国の労働者は1日8時間労働を求めてきた。それに対して各国の資本はそれに耳を傾けず、労働者を酷使してきた。政府も労働者に手を差し伸べなかった。ところが、社会主義を掲げて誕生したロシアで、一挙に8時間労働が実現してしまう。 各国政府の驚きはいかばかりだっただろうか。当時、各国にも強力な労働運動が存在し、共産党を名乗る党もあった。そういう勢力が、ロシア革命の成功を受けて、8時間労働が夢物語ではなくリアルなものであることを実感し、フィーランが書いているように各国で革命を目指した運動を活発化させるのである。それが国民の支持を受けていた。 自ら8時間労働を採用することを宣言しないと革命が起きてしまうかもしれない─。そういう恐怖感の中で、ロシアに続いて17年中にフィンランドが、翌18年にはドイツなど5カ国が、19年にはフランスなど8カ国が8時間労働制に踏み切ったとされる。ILOの8時間労働条約も、そのような動きの中での出来事であった。 ここには、資本の横暴がどのような場合に抑えられるのかということについて、生きた事例が存在しているように思える。今の世界に求められているのも、資本の横暴を許したままにしていては、国民の暮らしが脅かされるにとどまらず、資本が存立している社会、地球さえ脅かされるということへの自覚である。もし、資本がそれに無自覚なままで居続けるなら、「2度目のロシア革命」が現代でも再現される必要があるのだ。 ただしかし、2度目のロシア革命は、同じことの繰り返しであってはならない。新しくできる「体制」は、これまで理解されてきた共産主義体制とは、二つの点で異なるものであるべきだろう。 一つは、既に述べたことだが、それが共産主義体制かどうかを判断する基準は、国民の自由権と社会権が共に高い水準で実現しているかどうかである。その実現を目標に据えるべきである。 ここには2種類の含意がある。まず、自由権さえ不十分な国を共産主義と見なすなど、かつての愚は二度と犯してはならないということだ。同時に、社会権の実現のために必要だからといって、生産手段の社会化を社会主義の目標として位置づけることはしないということだ。多くの人たちを前に演説するレーニン。ロシア革命を成功させ、ソビエト政府をつくった(ゲッティイメージズ) これまで、共産主義運動の中では、生産手段(工場など)が資本家や大株主などにより私的に所有されていることが、社会の利益よりも私的な利益が優先される原因になっているとして、それを社会のものにすることが目標とされてきた。ロシア革命後に実施された国有化が破綻したことをふまえ、働く労働者の共有にするなど、いろいろな模索があったが、社会化の進展具合を共産主義実現の進展具合に重ねる見方は変わらなかった。 しかし、この問題で一番大事なことは、国民の社会権が高い水準で実現することである。生産手段の社会化は必要なことではあるかもしれないが、それは「手段」にすぎない。新しい体制を表す言葉 手段に熱中して目標を脇に置いてしまっては、生産手段が社会化されても国民の権利は保障されなかった共産主義体制の誤りを繰り返すことになる。中国企業で世界に最も影響力のある華為技術(ファーウェイ)が形式的には民間企業であることを見ても、「社会的所有」か「私的所有」かによって、社会への影響が違うとする議論の虚しさを感じる。 もう一つは、その新しい体制を表す言葉だ。私はそれを、「共産主義体制」ではなく、「コミューン」と呼びたい。 共産主義(コミュニズム)の語源はコミューンである。英語のコモン(common)にあたるが、もともとはフランス語で、「共通」「共同」「共有」などを意味する。そこから転じて、中世の欧州では、領主から住民による自治を許された都市を指していた。 つまり、共産主義を生み出した欧州の人々が、共産主義という言葉からイメージするものは、日本人がイメージするものとは根本的に異なっているのだ。現在の世界でコミュニズムという言葉を聞く欧米の人々は、資本の横暴に対して自治を許された住民が共同して立ち向かい、社会を支え合うことをイメージするのではないか。 そうでなければ、あの米国における若者を対象にした世論調査で、「社会主義に好意的」と答えた人が51%にのぼり、「資本主義に好意的」の45%を上回った事実を説明できない。米コロンビア大が、米国やカナダ、英国などの大学の講義要目(シラバス)をチェックし、使われているテキストを自然科学も人文科学も社会科学も併せて調べたことがある。93万件のシラバスの中で、3番目に多かったのがマルクスの『共産党宣言』で、『資本論』も44位に入ったそうである。 日本人の多くは、共産主義と聞いて、「財産の共有」を思い浮かべる。日本のコミュニストにしても、多くも「生産手段の共有」を表す言葉だと信じている。そして、生産手段の社会化の形態や度合いの議論に集中してしまう。しかし、この言葉を生み出した欧米の人々は、今の資本主義では解決できない自治や共同、共存などが実現する社会を思い浮かべる。 これはもう、言葉の問題ではない。求められる体制をどういうものとして構想するのかという問題だ。 だから、新しい社会はコミューンであり、それを実現する革命はコミューン革命である。外来語を使わないで中身を表現するとすれば、新しい社会は「共同社会」とも呼べる。ただ、コミューンの経験のない日本人には「共同社会」と言ってもイメージできないだろうから、それを「支え合う社会」と呼んでもいい。まさに、人が支え合うコミューン=共同体を実現することだ。 この社会にどんなに貧困と格差が広がっても「われ関せず」という富裕層や大資本に対しては、「社会を支える側に立て」と迫っていく国家権力が不可欠だ。どんなに温暖化が進んでも「石炭火力は必要です」という企業に対しては、「目先の利益だけでなく、人類の未来のことも考えよ。地球を支え合う思想を持て」と強制する権力が必要なのだ。 それが「支え合う社会」である。ノスタルジーとしてではなく、現実に不可欠なものなのである。東京都渋谷区の日本共産党本部(桐山弘太撮影) 私が共産党の政策委員会に在籍していたころ、選挙などで問い合わせしてくる共産党の支部長なども、「共産主義は怖い体制だ」と述べるほどであり、「共産主義体制」なるものは、いまや日本のコミュニストでも実現を希望していない。しかし、目指すのが「支え合う社会」なら、米国で社会主義を望む人ほどは日本にも支持者が出てくるのではないだろうか。

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    「右か左か」ではなく「上か下か」が呼び覚ます社会主義ノスタルジー

    小倉正男(経済ジャーナリスト) 今の「グローバリゼーション」が開始されたのは1992年とされている。前年末にソビエト連邦が崩壊し、アメリカを中心とする西側諸国とソ連を中心とする東側諸国との冷戦が終わった。アメリカの単独覇権が確立され、資本主義が社会主義に勝利した。共産党独裁国がいくつか残ったが、全世界のほとんどが資本主義に塗り替えられた。 「グローバリゼーション」によって顕著にもたらされたのは、資本の世界化、ボーダレス化である。資本には、国境がなく、究極的には祖国もナショナリズムもない。資本の「祖国」は、資本であり、利益あるいはおカネということになる。 中国は、ソ連崩壊直後の1992年から“社会主義市場経済”を標榜する転換を行った。中国は、共産党独裁という政治権力構造を残存させながら経済は市場を中心とする資本主義という異形なシステムに移行した。かつてならソ連に「修正主義の極み」と非難されていた変貌だった。 中国は極度に低迷する経済を抱えて貧困や飢餓、失業に喘(あえ)いでいた。社会主義市場経済という“羊頭狗肉の策”まで用いて、閉ざしていた国を開かざるをえなかった。中国もこのままではソ連と同じく体制崩壊が避けられない。中国は背に腹は代えられない行動に出たのである。 過剰なほど豊富な人口による安い労働力、そしてマーケットの巨大な潜在力を睨(にら)んでドイツなどEU(欧州連合)、アメリカ、そして日本、さらに韓国、台湾などからも資本、設備機械、技術が中国に流入していった。最初は恐る恐るというものだったが、2000年代前半あたりからどっと流れ込んでいった。 中国は瞬く間に「世界の工場」となり、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に飛躍をとげた。今では中国を核にして世界の製造業サプライチェーンが網の目状に構築されている(新型コロナウイルスによる今の世界的な経済停止状況は、中国に過剰にサプライチェーンが集中しており、「世界の工場」になり過ぎていることのクライシスを顕在化させた)。 「グローバリゼーション」の恩恵を最大に享受したのは、まぎれもなく中国だった。豊富で安い労働力というものだけで、世界の資本、設備、技術を中国に呼び込んで事実上わがものにしたのである。 この「グローバリゼーション」によってもたらされたものは、世界的な「貧富の格差」だった。当の中国もそうだが、アメリカなどで極端な「貧富の格差」という問題が生じている。中国の安い労働力が、世界の中・低資産階級から仕事を奪い取っていったという事実が否定できない。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) 「右か左か」ではなく、「上か下か」ということが今、世界的に問われている。アメリカでは納税者の上位0・1%の人々が富の20%を握っているといわれている。上位1%で39%の富を握り、90%の人々が貧困に喘いでいる。ドナルド・トランプ大統領は上のクラスにいるのは間違いないが、案外なことに「貧富の格差」という問題が彼を大統領にした側面がある。トランプを勝たせた「ラストベルト」 トランプ大統領は不動産業がビジネス基盤であるためか、「グローバリゼーション」、自由貿易には当初から反対の立場を表明してきた。「アメリカファースト」=「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」がトランプ大統領の立場である。「一国主義」を基本としており、「グローバリゼーション」や自由貿易はアメリカの中・低資産階級にとって災いであると主張している。 トランプ大統領は、米中貿易戦争を引き起こして「中国は長年アメリカの知的財産を奪い、アメリカから雇用、技術など富を盗んでいる」と非難してやまない。中国が「中国製造2025」で巨額補助金を注ぎ込んで半導体などハイテク覇権を奪い取るという行動に出ているとして、「アンフェア」と批判の限りを尽くしている。 「グローバリゼーション」の恩恵を一身に浴びた中国が、世界のハイテク覇権を奪おうと「一国主義」に走っているというロジックになる。ハイテク覇権は、経済覇権のみならず軍事覇権につながる。共和党、そしてトランプ大統領を批判している民主党を問わずアメリカは、中国はアメリカの世界覇権を奪おうとしているという警戒感を強めている。 アメリカの「ラストベルト」では製造業、重工業が衰退して、白人など労働者が仕事を失った。アメリカの中・低資産階級が消滅していった。これは経済のサービス化、あるいは世界競争による産業の新陳代謝でもたらされた衰退という要因が半分だが、中国が人件費コストで圧倒的な優位に立って「世界の工場」になっている事実を要因にする方が誰にも分かりやすい。 前回の大統領選挙では、「ラストベルトはトランプをアメリカ大統領にした」といわれている。トランプ大統領は、見捨てられていたかつての中・低資産階級の票を掘り起こした。 トランプ大統領はアップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)に対して「アメリカで生産すれば関税を心配する必要はない」と、iPhone生産を中国からアメリカに戻せと要求している。こうしたトランプ大統領の発言が、失業して貧困層になっている人々に投票させる誘因になっている。 トランプ大統領は、それ以前にもフォードやハーレーダビッドソンに「工場(雇用)を国外に移すな」と怒ってみせている。 こうしたトランプ大統領の反グロ-バルな「一国主義」は、大統領選挙マーケティングでは勝利を呼ぶ決め手であることは前回で証明済みだ。資本には国境が存在せずグローバルに動いていくが、選挙の投票権はあくまで国境の内側にある。選挙の票は「ローカル」であり、トランプ大統領はそこを外さない。米ホワイトハウスで新型コロナウイルスの対策について記者会見するトランプ大統領=2020年3月(UPI=共同) トランプ大統領のフォード、ハーレー、アップルに対する「工場を国外に移すな」「工場をアメリカに戻せ」というのはアメリカ国内の雇用確保・雇用増への主張である。無理は承知でも、票はローカルであり、有効なメッセージになりうる。米国で深刻化する格差 だが、本来でいえばトランプ大統領(国)がアップルなど民間資本(企業)に口出しするのはルール違反といえる。もともとのアメリカ資本主義の原理原則でいえば、国が民間を統制するものになり、これらは社会主義のレッテルが貼られかねない言動にほかならない。中世、君主(国)が民間に口を出したり手を出したりという人治を嫌悪して、そこから抜け出してきた市民革命の歴史もある。トランプ大統領のケースは、法律によらず、王権のように気ままに民間に口出ししている。 アメリカは資本主義のいわば総本山であるという矜持(きょうじ)が強かった。大統領(国)が民間にいささかでも口出しをすることは一線を超えるものであるとされてきた。それほど敏感な問題だったが、そのアメリカで「社会主義ノスタルジー」、あるいは「社会主義シンドローム」が当たり前に起こっている。トランプ大統領は“何でもあり”にしたわけだ。その背景には「貧富の格差」があり、アメリカでも背に腹は代えられないという現象が起こっている。 民主党の大統領候補を争っているバーニー・サンダース上院議員は、トランプ大統領がアメリカの「貧富の格差」を拡大していると批判している。自らを「民主社会主義者」として、富裕層に重所得税を課して恩典の大半を剥奪し、公立大学の無償化、公的医療保険設立など社会的再配分を行うとしている。 だが、サンダース氏は、「グローバリゼーション」がアメリカ製造業から雇用を失わせたとして環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)には強く反対した経過がある。前回の大統領選挙では、「グローバリゼーション」に肯定的なヒラリー・クリントン氏より、反グローバルを主張する共和党のトランプ氏の方が“現実志向でまし”と評価していた面がある。 サンダース氏は、反グローバルで「一国主義」であることはトランプ大統領とほとんど変わらない。中国の覇権主義を強く警戒しているのも変わるところがない。「一国主義」で海外での戦争などに手を出すことには消極的である。むしろ海外から兵を帰還させる方には傾いている。根底の問題意識はトランプ大統領とかなり通底しているところがある。 アメリカで「民主社会主義者」が大統領候補に名乗りを上げるのは異例のことだ。これもアメリカの貧富の格差が生んだ「社会主義ノスタルジー」、はたまた「社会主義シンドローム」といえる現象である。アメリカの大統領、あるいは大統領候補も誰であれ「乱世の梟雄(きょうゆう)」だ。トランプ大統領もサンダース氏もその最たるもので「グローバリゼーション」が生み出した「乱世の梟雄」にほかならない。 トランプ大統領もサンダース氏もアメリカの「貧富の格差」を俎上に上げている。いわば右と左の両極サイドから「右か左か」ではなく、「上か下か」という問題を提起している。 ひと言だけ触れれば、仮に「サンダース大統領」が実現すれば、アメリカから「資本の逃避」が本格化することは確実である。資本は祖国の国境を容易に越えて、資本の本領ともいうべき行動に出るに違いない。反グローバルで票を獲得できても、従来とは異なる「グローバリゼーション」をさらに拡大する結果を呼び込みかねない。米アイオワ州の集会で支持を訴えるサンダース上院議員=2020年2月(上塚真由撮影) 資本が逃げれば、「上か下か」という貧富の格差を解決する“原資”というべきものを失うことになりかねない。サンダース氏の「社会主義ノスタルジー」現象にはそうしたアイロニー(皮肉)が内包されている。韓国で進む「社会主義」政策 お隣の韓国の文在寅大統領は、社会主義経済政策を連発している。文大統領は、映画『パラサイト』にみられる韓国の極端なほどの「貧富の格差」を解決するということを基本政策として登場している。 3年連続で16%以上の最低賃金アップすると公約して、これはさすがにすべてを実現できずに頓挫しているが、労働時間の大幅短縮、法人税増税などを行っている。文大統領の社会主義政策はサムスン電子などを筆頭に資本(企業)サイドには、大幅な人件費増などをもたらす結果となっている。資本サイドは人件費コスト急増から、当然なことに新しい正規雇用には二の足を踏み、それどころか資本の逃避現象を呼び起こしている。 労働組合など守られた既得権を持つ労働者層には恩恵を与えたが、トータルでは若者の失業者を実体上増大させ、中小企業・個人商店の廃業、資本の海外逃避など「ヘルコリア」を増幅している。 「不平等解消を最高の国政目標にしているが、反対も多く、すぐに成果が現れないので歯がゆい」。文大統領は、『パラサイト』のポン・ジュノ監督らとの昼食会で、韓国の「貧富の格差」が解決していないことを認めて「歯がゆい」と嘆いてみせている。韓国が社会主義経済を実行しているのは大変な実験といえる。 だが、文在寅大統領の過去3年にわたる在職は、韓国の「貧富の格差」をなんら解決できないどころか、むしろそれを増大させている。『パラサイト』はその断面を描いており、これこそ「社会主義ノスタルジー」、いや「社会主義シンドローム」といえるかもしれない。 最後に日本だが、160兆円の年金を運用する「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が民間資本の株式を購入している。これは国が民間資本の株主になるということであり、「超」が付きかねない「社会主義ノスタルジー」「社会主義シンドローム」にほかならない。 やってしまったことは後戻りができないし、マーケットへの衝撃面から辞めることもできない。日本の「社会主義ノスタルジー」はガラパゴスといえばガラパゴス系の進展といえるかもしれない。 「グローバリゼーション」は、日本にも「貧富の格差」拡大傾向をもたらしているのは間違いないが、世界のように「貧富の格差」の極大化は避けられている。「貧富の格差」というファクターとの直接的な関係性はまだみられない。GPIFの株式運用は、これはこれで必要があってこうなっているのだろうが、独自な「社会主義ノスタルジー」「社会主義シンドローム」の道を歩んでいる。年金積立金管理運用独立行政法人=東京都港区 日本のケースは、以前から緩やかな社会主義の優等生といえる面があり、それを自覚していないという特徴があるようだ。中国のように共産党独裁体制ではないわけだが、中央官庁が各業界を監督する一種の“社会主義市場経済”が根付いている面がみられる。GPIFの株式運用も自覚したものではないと推定されるが、資本主義としてはかなり異形であるかもしれない。 ちなみにアメリカは各州ベースの年金ファンドはいまでは株式の運用を組み入れている。低金利の国債運用で、利回りが低下しているためだ。 だが、国の二つの年金ファンドは株式運用には頑として手を染めていない。市場流通性のない「特別国債」、すなわち特別財務省証券で運用されている。国の年金ファンドが、かりそめにも民間企業の株式を運用に組み込んで大株主になれば、それこそ“社会主義統制”に映るからである。 アメリカの国の年金ファンドが、株式運用に手を出していないのはアメリカ資本主義の矜持といわなければならない。ただし、先は分からない。というのも、米連邦準備制度理事会(FRB)が、新型コロナウイルスへの緊急経済対策でリーマンショック時と同様にゼロ金利政策を再採用したからだ。 仮にゼロ金利政策が長期に及ぶことにでもなれば、国の年金ファンドは利回り低下から今の年金給付を維持できない苦境に陥る可能性がある。アメリカ資本主義の矜持も風前の灯火になりかねない状況に直面している。「社会主義ノスタルジー」の亡霊たちはそこまで押し寄せているのである。

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    混迷の米大統領選、ブティジェッジもかすむ「隠れた勝者」の存在感

    今村浩(早稲田大社会科学総合学術院教授)  今年のアメリカ大統領選挙最大の不確定要因は、何と言っても「民主党の候補者が誰になるのか」ということであろう。対決の構図が全く描けないのでは、予想も何もできはしない。その意味で、初戦となるアイオワ州の支持者集会を注視していた。ところが思わぬ展開というか開票の失態で、肝心の候補者の勝敗よりも、アイオワ州の支持者集会自体に疑問が呈されることになったのは御承知の通りである。 とりわけ、何と言っても、3年にもわたって2016年選挙の正当性に疑問を言い立ててきた民主党が、自身の設計した制度でつまずいて、その信頼性を損なってしまった、俗に言えば「コケて」しまったのだから、民主党に好意的でない向きにはこたえられない展開となった。 やれ、「(ローマ教皇選出のための中世以来の)コンクラーベですら、煙の色で結果を知らせられるというのに」だの、「民主党の投開票管理能力は、古代アテネにも及ばない」だの、揚げ句は「ニューハンプシャー州予備選挙について、民主政治にとって朗報だったのは同州が票の集計の仕方を分かっていたことだ」とか、もういいように言われている。ついには哀れ、アイオワ州民主党委員会委員長が辞職に追い込まれた。 アイオワ州が先陣を切る特権が正当か、そもそも支持者集会という形式が適切なのかということは、確かに重大な問題ではあろう。しかし、アイオワとニューハンプシャーという、失礼ながら、取るに足りぬ小州が、かくも大きな影響を及ぼすのは公正なことなのかという疑問は、実は4年ごとに提起されてきた。 長らく大統領選挙を見続けている身には、正直「あぁ、またか」という感想しかわかない。確かに、両州とも人種の多様性に乏しく、アメリカ全体を代表する州とは言えないだろう。しかし、ではどの州ならアメリカの縮図と言えるのか? 実は、そんな州はありはしない。結局こうした議論は、アメリカ全土で同じ日に予備選を実施するのが公正だということに落ち着く。それはまた別の問題を孕(はら)むから、ここでは、これ以上は触れない。 アイオワ州とニューハンプシャー州の結果を手短に論評しておこう。現時点(2月16日)のアイオワでの全票開票確定とされる得票率は以下の図を参照されたい(ただし、アイオワの結果には再集計の申し立てがなされており、結果はまだ変動するかもしれない。しかし、大幅には変わるまい)。数字はReal Clear Politicsより引用。図:編集部作成 何と言っても、穏健中道派の敗者はジョー・バイデン氏、急進左派の敗者はエリザベス・ウォーレン氏であると言える。バイデン氏の場合、とにかく過去にアイオワ州で4位になって指名を得た者はいないのだから、縁起が良くないことこの上ない。実は、支持者集会というやり方は、圧倒的多数でなくとも、熱心な支持者を持つ候補者に有利であり、バイデン氏のような、強烈な個性を持たない、よく言えばマイルドな、悪く言えば退屈な候補者には、そもそも向かないとは言える。 しかし、ニューハンプシャー州は予備選であり、そんな言い訳はきかない。しかも得票率で伏兵エイミー・クロブシャー氏の半分にも及ばぬ、主要候補者中、事実上の最下位となった。ここまで下位に甘んじるとは予想外と言ってよかろう。ウォーレン氏も南隣のマサチューセッツ出身という地の利を生かせず、クロブシャー氏にも大きく差をつけられた。同じく急進左派のサンダース氏に、完敗したと言ってよい。 一方、アイオワ州では、得票率で僅差(誤差の範囲とも言える)であれ首位に立ったピート・ブティジェッジ氏は、0・1ポイント差で後塵(こうじん)を拝したバーニー・サンダース氏と並ぶ紛れもない勝者であろう。さらに、ニューハンプシャー州では隣接州の出身であるサンダース氏にわずかに後れを取るだけの2位につけ、同じ数の代議員を確保した。ただし、全国支持調査の平均(2月16日時点)では、23・6%で首位のサンダース氏に対して10・6%のブティジェッジ氏は大差をつけられている。 隠れた勝者は? とはいえ、当初は20数人がひしめいた大混戦が、やっと5人ほどに絞られただけだとも言えるし、全国調査の平均では、首位の候補者、現時点ではサンダース氏ですら、辛うじて4人に1人の支持を得ているにすぎない混戦状態に変わりはない。そこで大局を見るならば、緒戦の真の勝者はドナルド・トランプ大統領であるとの、うがった論評は一面の真理を突いている。  しかし、今一人の勝者とまでは言わぬにせよ、この失態と混乱、番狂わせの混戦にまんざらでもない人物がいるように思う。それは、マイケル・ブルームバーグ氏である。彼は2月中の党員集会・予備選には参加しない、と言うか参入時期が遅かったため正式には参加できなかった。それでも参入したのは、混戦を抜け出す候補者は出てこないものと読んだからであろう。 2018年の民主党の規則改正で、従来は一連の予備選で抜け出して先頭を走る候補者に結集して、早期に指名を確定させてきた特任代議員の投票が制限された。 7月13日に予定されるミルウォーキー大会第1回投票で、特定の候補者が、一般代議員の誓約を基準にして代議員総数の約6割の圧倒的な過半数を得る見込みとなった場合以外は、特任代議員は投票できない。1回目の投票で過半数の1990票を得る候補者が出ず、再投票となったときには特任代議員も投票できる。故に、ブルームバーグ氏は党大会の1回目の投票では、すんなりと候補者が決まらないという可能性に賭けたと言える。 すなわち、バイデン氏がこのまま失墜していけば、左派の票をサンダース、ウォーレン両氏が奪い合い、ブルームバーグ氏が中道派の支持を、ブティジェッジ氏、クロブシャー氏と競い合う構図に持ち込める。中道派とは政策路線もさることながら、とにかくトランプ氏に勝てる候補者を求め、サンダース、ウォーレンでは左寄り過ぎてトランプ氏の再選を許してしまうと危惧する層のことでもある。 一方、クロブシャー氏の善戦には瞠目(どうもく)すべきものがある。アイオワ州での善戦は、彼女が北隣の州であるミネソタ州の出身という「地の利」を若干割り引く必要があるにせよ、ニューハンプシャー州での躍進で今しばらく目を離せない候補者になったと言える。2月3日、米アイオワ州デモインで支持者らを前に話す(左から)サンダース上院議員(共同)、ブティジェッジ氏、ウォーレン上院議員(ともにロイター=共同)、バイデン前副大統領(AP=共同)、クロブシャー上院議員(ゲッティ=共同) そこで、未知数のクロブシャー氏を一応視野の外に置き、仮にブルームバーグ氏がブティジェッジ氏との対決となれば、前ニューヨーク市長と前サウスベンド市長という経歴が、いやでも対比して取り沙汰されることになろう。共に市長経験者とはいえ、両氏の実績と経験の差は覆うべくもない。 片や知らぬ者なき世界的大都市であり、一方はアメリカ人でさえどの州にあるのかほとんど知らない人口10万人ほどの小都市である。しかも、元来共和党でありながら民主党に転じて、市政を超党派で運営したブルームバーグ氏だ。これこそ分断に悩むアメリカに必要な資質と実績だと宣伝しうる。事実、共和党から立候補した市長選挙では、民主党支持者の票を得なければ当選できたはずはないから、うそではない。黒船、ブルームバーグ氏 何かにつけて富豪だ、富豪だと言われるトランプ氏の17倍もの個人資産を持つというブルームバーグ氏は、既に一切の献金を受けない旨表明し、テレビ広告に前代未聞の1億2500万ドル(約137億円)以上の資金を投じる予定であるという。選対本部には、有給スタッフ2400人を擁し、既に撤退した民主党候補者の陣営スタッフを高給で雇い入れていると言われる。また、トランプ氏とは違い、私生活は質素であり、女性スキャンダルが出てくる可能性も低い。 無論「金権候補者」という非難は今後ともついてまわろう。早くから、とりわけサンダース、ウォーレン両氏は、それを公言してはばからなかった。当面の火種となるかもしれないのは候補者討論会への参加問題であろう。従来民主党は、主要全国世論調査の平均支持率と小口献金額についての基準を定め、それを満たした候補者にのみテレビ中継される討論会への参加を認めてきた。 そして、その条件を次第に厳格化して乱立気味の候補者を淘汰(とうた)しようとしてきたのである。ところが、ネバダ州支持者集会に先立つ2月19日の候補者討論会に参加する条件が1月31日に発表され、小口献金についての条件が撤廃されたのだ。一切の献金を受けない方針のブルームバーグ氏に参加する道が開かれたことになる。このことは、民主党指導部の急進リベラル派外しの陰謀だと、サンダース、ウォーレン支持者を憤激せしめることになろう。 ただし、ブルームバーグ氏の思惑が実現するには、バイデン氏のあまりに急速な失墜は、かえって望ましくなかろう。バイデン氏が予想よりも低迷しつつも、いわば「死に体」のまま、ずるずると3月に入るというのが、むしろ望ましい。その意味では今月末のサウスカロライナ予備選に注目したい。 民主党有権者の6割が黒人という同州にバイデン氏は望みをかけているであろう。現時点では、そこでのバイデン氏の支持率は、まだ首位を維持している。しかし2月11日まではサンダース氏に14ポイント差をつけていたのに、最新の数字では6・5ポイント差に追い上げられている。  同州の有権者からは勝って当たり前と見られてしまい、またしてもメディアが勝手に勝敗の基準を引き上げてしまうであろう。ただ勝つだけではなく、2位以下に大差をつけて大勝を博す必要があると言い出すに決まっている。それがかなわなければ、いよいよ撤退の臆測が流れ始め、ブルームバーグ氏としては、ついに出番がきたということになるのであろうか。2019年12月11日、COP会場でのイベントで講演するブルームバーグ前ニューヨーク市長=マドリード(共同) 混迷するばかりで、党をまとめる穏健中道派の候補者を絞り込めず、トランプ氏に漁夫の利を与えてしまいそうな、まさにそのとき、白馬の騎士よろしく登場する。そんなことを思い描いているのかもしれない。ただし、そのためには、3月のスーパーチューズデーで一定の成果を収めなければならないことは言うまでもあるまい。ブティジェッジ氏の当選はあるか? これ以上の予想は、ネバダ州とサウスカロライナ州の結果を見るまでは控えておくとして、躍進著しいブティジェッジ氏について述べたい。とはいえ、実は彼の将来は、あまりに前例がなく全く予測不可能だ。 当面の課題は、クロブシャー氏と同じく黒人層への浸透である。地元のインディアナ州もミネソタ州と同じく、白人が人口の8割以上を占める。両者とも緒戦のアイオワとニューハンプシャーを乗り切ることに精いっぱいで、黒人層への対応に手が回らなかったのであろう。しかし、何でも起こり得るというのは、何も言っていないに等しいから、ここでは彼の躍進の原因について、以下の図を用いながら他の候補者との対比で考えてみたい。 仮に「候補者とは自身が実現したい、実現すべき政策のメッセンジャーである」とするならば、その候補者が人気を集めて当選するには二つの評価基準があることになる。一つ目は「メッセージ(政策)の内容、それ自体」これを横軸とする。二つ目は「メッセンジャーの人物像やキャラクター」こちらを縦軸とする。縦軸には、経歴、背景、宗教、人格等々があり、それはメッセージの実行能力の評価にもつながる。当たり前だが、2軸共に新味がなく平凡であるなら人気も出ず当選しない。 では、両方とも新鋭で革新的であればよいのかというと、そうでもない。 具体的には、従来の基準ではあり得べからざる属性と個性を持つ破天荒の人物が、これまた従来の基準では極端な(保守的であれリベラルであれ)政策を公約に掲げるとしよう。その人物に魅力を感じ政策に共鳴する人々は、政策も人物も新鋭で革新的であると、少し「引いて」しまうかもしれない。つまり、両者のいずれか一方は、安心できる旧来的、伝統的なものである方が受け入れられやすい。 ブティジェッジ氏とサンダース氏とは、この意味で完全な対極に位置する。サンダース氏は、前回の選挙で既に「民主的社会主義者」を公言していた。それは、アメリカにおいては、革新的な主張であったし、今もそうである。しかし、サンダース氏は長い政治経歴を持ち、物議を醸すような前歴はない。ブティジェッジ氏との対比で言えば、高齢であることは指摘せざるを得ない。一方その政策は、単一事業体(おそらく連邦政府)による全国民対象の医療保険制度、大学無償化を含み、巨額の財源、つまり「増税」を要する。 ブティジェッジ氏はと言えば、彼の人物像は誠に新鋭的である。何より自ら公言する同性愛者であり、当選すれば女性の大統領を待たずして史上初の「ファースト・ジェントルマン」が誕生する。さらに、地中海の小さな島国マルタからの移民を父に持つ。 世界中からの移民で成り立つアメリカにあっても、絶対数は少なく珍しい。つづりからは、にわかに発音しにくい姓は、多分マルタが、かつてアラブに支配されていた歴史に由来するのであろう。ハーバード大学からローズ奨学金でオックスフォードに留学している。絵に描いたような超エリートコースである。小都市の市庁舎から州を飛び越えてホワイトハウスを狙うとは、まさしく前例がない。 しかも、38歳という若さはサンダース、バイデン両氏の孫であってもおかしくない。ところが、彼の掲げる政策は伝統的な民主党のそれであり、民主党の基準では穏健なものである。費用を勘案して医療保険の一元化には慎重であり、公立大学の学費無償化や学費ローンの免除を唱えはしても、全家庭、全債務者を対象にはしていない。「大部分の」ということのようだ。銃規制強化をうたうのも、民主党候補者としては標準的である。 ただし、いくつか注意するべき点もある。銃規制については、実はサンダース氏の立場は微妙に見える。犯罪が多発する大都市とは違い、地元バーモント州では、あまりに厳格で一律の銃規制は好まれていない。自身が狩猟を趣味とし、全米ライフル協会からの寄付も受けていた。 また、民主的社会主義者を自称はしていても産業の公有化を唱えてはおらず、日本を含む他の主要先進民主国からすれば、特に過激ではない。巨大IT企業に対する厳しい独禁政策を提唱してはいても、国有化は提案していない。国民皆保険が既に実現している日本から見ればサンダース社会主義とは、いわばノンアルコールビール程度である。 対照的な二人の個性 人物像としては、アメリカでは、かつてほどではなくとも、まだまだ宗教が重要である。サンダース氏はユダヤ教徒である。しかし、彼の信仰が大きな話題にならないことは、近年のアメリカの大きな変化の象徴として印象的である。一方、ブティジェッジ氏は敬虔(けいけん)な聖公会派キリスト教徒である。同派はカトリックや福音派と異なり、同性愛を容認していることで知られる。とにかく、確かな信仰心を持つ点については2人とも問題はない。 2人のことを要約すると「新鋭な経歴・プロフィルな一方、民主党としてはむしろ平凡な政策のブティジェッジ氏」と、「よく知られた、なじみのある人物像と大胆で革新的な政策のサンダース氏」という、ちょうど対偶の関係にあると言えよう。この両者が折り合うことは困難であると言わざるを得ない。 ただし、前例のない破天荒な人物が物議を醸す政策を掲げて選挙を戦い、現に今ホワイトハウスにいることも事実である。トランプ氏の経歴は、前例がないという点でブティジェッジ氏をもしのぐ。トランプ氏には公職に就いた経験もなければ、軍務も経験していない。 だが、ブティジェッジ氏にはどちらの経験もある。また、トランプ氏が信心深い人物だとはあまり思われていない。彼の信仰心を理由に彼に投票した人などいないであろう。 アメリカの政党は、近年開放性を追求するあまり、外部からの敵対的買収に脆弱(ぜいじゃく)になってしまっている。サンダース氏が完全なアウトサイダーかどうかは、議論の分かれるところであろう。しかし、議会内の民主党会派に属さず、無所属議員であり、アメリカ的基準では過激で極端な政策路線を取る以上、主流でないのは間違いない。2020年1月15日、米アイオワ州デモインで開かれた大統領選の民主党候補者討論会に出席した(左から)バイデン前副大統領、サンダース上院議員、前サウスベンド市長ブティジェッジ氏(ゲッティ=共同) 今まさに、民主党は、敵対的買収に直面していると言えるのかもしれない。しかし、4年前敵対的買収を防ぎきれなかった共和党は、結果としてホワイトハウスの奪還に成功した。アメリカの政治は、既に前回の大統領選挙から未知の領域に入ってしまったのかもしれない。であればなおさら、何が起こっても驚くべきではないのであろう。※文中の選挙結果や世論調査の数字は、米政治専門サイト「Real Clear Politics」による。

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    台湾新世代の「天然独」が拒絶した習近平の求愛

    「台湾は事実上の独立国家だ」という解釈を貫いてきた。 北京当局は蔡氏の当選を厳しく批判すると同時に、国際社会に対しても「一つの中国」原則を守るよう強要している。しかし、選挙の後、当の国民党の少壮派から「92年コンセンサス」を見直すべきだとの声が上がっている。言い換えれば、国民党はあまりにも「92年コンセンサス」の枠組みに束縛されたことから大敗に繋がったと、彼らは認識している。 台湾と中華人民共和国が「一つの中国」かどうかはともかく「92年コンセンサスは時代遅れになった」との見方は国民党内の主流になりつつあるのは事実である。これに対し、北京の習近平当局がどのように対応するかが注目されるだろう。 蔡氏が大差で国民党の候補を打ち破った要素はいくつもあるが、最大の要因の一つは香港情勢であろう。中国は香港で「一国二制度」を実施し、「成功」したあかつきには台湾にも踏襲させるという壮大なビジョンを描いてきた。 しかし、民主主義制度は大幅に後退し、市民と学生が容赦なく弾圧されてきた2019年後半の歴史を見れば、いわゆる「一国二制度」は完全に破綻した事実が示された。「今日の香港は明日の台湾」、つまり中国共産党の標榜する「一国二制度」を受け入れれば、台湾も早晩、香港の轍(てつ)を踏む命運をたどる、と台湾国民、それも若者たちは悟った。そうした覚醒が彼らの投票を大きく左右した。換言すれば、習近平総書記が蔡氏の「最強の選挙応援者」だったのである。 ただ、「蔡英文総統の応援者」習氏が「一国二制度」の旗を降ろすとは考えられない。そもそも現在の香港に大陸と異なる制度がどれほど残っているかすらも怪しい。それでも、半死状態の香港の「一国二制度下の繁栄」を謳歌しながら、武力による台湾侵攻の可能性を強めてくる危険性がある。 2隻の空母を擁する人民解放軍は今まで以上に頻繁に台湾海峡を遊弋(ゆうよく)し、威嚇行動に出てくるだろう。そして、南シナ海の軍事要塞化を容認しない米海軍との一進一退劇も繰り広げられるだろう。太平洋に向け航行する中国海軍の空母「遼寧」=2019年6月(共同、防衛省提供) 台湾海峡は日本にとってのシーレーン上に位置し、中東から運ばれる資源はすべてこの要衝を通過する。日本がいかに自らの生命線の安全を確保すべきかも今まで以上に問われるに違いない。悪夢でしかない「一国二制度」 では、台湾には習氏の「一国二制度」による「求愛」を受け入れる素地はあるのだろうか。答えは否だ。中国と周辺民族との近現代史が台湾国民に中国共産党の欺瞞性を教えたからだ。 例えば、内モンゴルの歴史を回顧してみよう。中国共産党は結党直後の1922年7月に「モンゴルとチベット、それにウイグルとは連邦を形成する」と宣言していた。その後、27年にも「内モンゴル民族には自決権がある」と同党の綱領で書いていた。 言うまでもなく、自決権とは分離独立権を指す。そして、共産党の軍隊(紅軍)が毛沢東に率いられて南中国から北部中国の延安に逃亡してきた35年12月には宣言書を公布し、「モンゴル民族にはトルコやウクライナ、それにコーカサス諸民族のような分離独立権がある。また、他の民族と連邦を形成する権利を有する」と強調していた。このように、中国共産党は結党当初から日中戦争が終結するまでずっと開明的な民族政策、それも完全な分離独立権(自決権)を認める政策だった。少数民族には少なくとも漢民族の中国人とは連邦制に基づく国家を建立する権利がある、との政策を打ち出していた。 しかし、いざ日中戦争が終わり、国民党政権が台湾に移行すると、ただちに民族自決権を与えるとの約束を反故にした。約束を否定したうえで現れたのが「民族区域自治」だ。今日、内モンゴル自治区と新疆ウイグル自治区、それにチベット自治区などすべてが限られた地域で、文化的自治を実施する、という有名無実の制度である。 では、この区域自治制度が守られているかというと、こちらも答えは否だ。内モンゴルでは遊牧していたモンゴル人が強制的に定住を命じられ、エリートたちは文化大革命中(1966~76)に数万人単位で粛清された(拙著『墓標なき草原』岩波現代文庫参照)。 当時、人口約150万人弱のモンゴル人に対し、中国は34万人を逮捕し、12万人を傷つけて身体障害者とし、2万7900人を殺害した。今日、人口約800万人のウイグル人に対し、約100万人を強制収容所に閉じ込めている。こうしたジェノサイド(民族を滅ぼしかねない大量殺害)の規模と過酷さはどれもナチスドイツを彷彿とさせるし、台湾国民にとって、まさに「一国二制度」がもたらす悪夢に見える。新疆ウイグル自治区の区都ウルムチのモスク(イスラム教礼拝所)周辺で警戒に当たる治安要員ら=2018年9月 台湾と香港、そして内モンゴルと新疆。中国共産党の少数民族政策も「一国二制度」も、当事者にはすべて悲劇をもたらしている。こうした悲劇は今日、中国の対外膨張に伴って世界各国にも悲劇を与えつつある。その中国の「独裁者」習氏が今春に国賓として日本にやってくる。日本国民は現代史から何を学び、どう行動すべきかということも真剣に考えなければならない。

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    英王室をぶっ壊す? メーガン妃のヤバすぎる「本性」

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) 年明けのイギリスメディアは、EU離脱(ブレグジット)をすっかり忘れ、一日中ヘンリー王子とメーガン妃の話でもちきりです。 ヘンリーとメーガンの「王室離脱」が発表された翌日、エリザベス女王は2日連続で自らランドローバーを運転してハンティングに出かけました。 女王様はムカつくことがあると銃撃しに行くのですよ。93歳なのよ、この人…。射撃の的がハリーとメーガンだったのかどうかは知りまへん。 戦時中は軍用車両整備して軍事訓練してたというガチなミリ(ミリタリー)系の硬派女子ですからね、この人は。お洋服とかネイルよりマシンガンとか狩猟が好きなんですよ。趣味は競馬だし。硬派なのよ。 で、そんな硬派な女王様、今回の件では「激おこ」です。 女王様のお怒りはバッキンガム宮殿が出した声明を読むとよく分かるんですよ。Discussions with The Duke and Duchess of Sussex are at an early stage.We understand their desire to take a different approach, but these are complicated issues that will take time to work through. 「サセックス公夫婦との議論はまだ初期段階です。彼らが異なったやり方をとりたいことは理解しますが、これは大変複雑な事柄ですので、方法を見いだすには時間がかかるでしょう」 これをイギリス人のうちの家人に正しく翻訳してもらったんですけどね。 「われ!!!!! なにやっとんねん!! ワイらの組を舐めとんのか!! どう落とし前をつけんじゃ、ぐぉら!!」 ですとよ。京都の5万倍恐ろしいどすえ。 イギリスの調査会社YouGovの最新世論調査によりますと、「ヘンリーとメーガンが女王様に事前通知しなかったのはおかしい」「2人は王室から追い出されるべき」「警察警備不用」「イギリスの納税者は費用負担すべきではない」が、いずれも70%を超えております。 さらに「女王様にひどい扱いをした」「家と改修費用返せ」が60%と過半数で、はっきり言って一般民は「激おこ」です。 はっきり言うと、この件はK.KOMUROをめぐるあれこれを50倍ぐらいヤバくした案件で、ワタクシ的には50KOMUROという指標で評価したい。このやらかしは日本なら街宣車が来るレベルなのですよ。 さてその理由を解説いたしましょう。(1)王族ブランドで銭儲けする気満々 まず「激おこ」ポイントの一つはヘンリーとメーガンのやらかしです。・一年前からウェブサイト構築、ドメインネーム取得・構築会社は大麻販売会社(合法)のサイト運営・王族ブランドを商標登録・王族ブランドの商品を100以上登録・オバマの広報コンサルを雇用 これら全て王室への相談も承認もなし…。著作権とかどうなってんやお前、という感じですが、一年前から王族ブランドで金儲けする気満々で準備していたわけですからね。 一年前ってあんた結婚したばかりですよ。エリザベス女王(左)と並んで立つメーガン妃(中央)とヘンリー王子=2018年7月、ロンドン(AP=共同) そんな前から準備してたってなんや? お前最初から王室で銭稼ぎたかったんか? ウェブサイト構築会社の他の客がなんで大麻関連なんや? オバマの広報コンサルってなんや?? これは女王様だけではなく国民ドン引きです。今まで通りカネをよこせ!(2)ニートやりたいけど今まで通り銭よこせ ヘンリーとメーガンは老舗の次男分家で広報を手伝う代わりに本家の資産もらって、地主の本家のお父はんから年3億2千万円お手当もらって、6億円ぐらいかかる警備費を国に払わせてたんですけどね。そらあんた、本家の商売の邪魔した上に、うちら分家で勝手に商売やらせてもらいますわ。だけどな、今までみたいにお手当くださいよ、不動産ももらうわよ。14億円の別荘もな。カナダにあんだけどね。 そらね〜本家は怒りますよ。だいたいね、嫁ははるかに格下の家から来てて、本家にたかってるわけですからね。嫁だから取締役にしただけで、次男もボンクラなんだけど、親族だから役員にしてやってるだけの話でね。 じゃあ、あんた全部一人で稼ぎなよって話ですよ。(3)兄嫁の誕生日に独立勝手に発表、正月に実家に行かず 次にヤバいのが独立をインスタグラムで勝手に発表したのが兄嫁の誕生日!!! これはイギリス的にはかなりヤバい。なぜなら誕生日は日本の数倍重要な日で、冠婚葬祭なんですわ。親戚とか小姑(こじゅうと)、舅姑(しゅうとめ)の誕生日にはカードやプレゼントを欠かさず盛大に祝わないと後で報復がきます。葬式に呼ばれないとかね。 うちも義母の誕生日前後は絶対旅行とかいけないですから。 つまりこれ兄嫁にケンカを売ってしまったのと同じ!! さらにクリスマスに本家に行かず!! これは新婚若夫婦が金をもらってる本家の正月に顔出さないのと同じ!! ヤバい、これはヤバい!!(4)ロイヤル世田谷自然左翼モード全開 今イギリスは雇用不安が大きい。国民の一番の関心は仕事の先行き。若い大卒は非正規だらけ。仕事が高度化して経験者採用ばかりだし、次々に優秀な外国人が来ますからね。格差もすさまじくなっている、家を一生買えない人が多い。ブレグジットで先行きが分からない。 しかーし、この状況でこのカップル、プライベートジェットに乗って「環境保護を訴える旅」に出ていた! 何やお前、言ってることとやってることが矛盾やろ!! この偽善者が! とロイヤル世田谷自然左翼カップルに国民が「激おこ」です。しかもこの人らもお友達は世田谷自然左翼だらけ。(5)メーガンはん、家業をぶち壊す気満々 メーガンはんは意識高い系どす。 「アテクシは先進的なフェミニストよ!! 伝統? クソだわ!! 13歳から女性差別を訴えているのよ!! アテクシが有色人種だからって人種差別すんじゃないわよ!!」 と最初から強気でございました。 さらに、生足での行事への出席、女王陛下より先に車に乗る、一般民にサインする、一般民にベロ出しててへぺろのご挨拶等々、ことごとく権威を否定いたしました。 しかし、王室は伝統と古臭さを見せて商売にするのが家業。そういう見世物です。歌舞伎とか能と変わりまへん。だからフェミとか先進性とかいらないの。 家業ぶち壊してどうすんですか、あんた。観光資源がなくなると困るので国民「激おこ」です。 しかしですね、この件で思いますのは日本の皇室というのはいかに上品かつ秩序を保っているかということであって、日本の方々はこのような真面目な皇室があって非常に幸運だということです。 皇室の方々は激務な公務をこなし、その合間に学術研究、芸術活動など非常に知的な活動を行っておられ、皇室ブランドで銭儲けするなんてゲスな方はおりませんし、プライベートジェットにも乗りませんね。 伝統と継続性というのは過激なリベラルとかフェミとは概して相性が悪いもので、象徴とか精神性というのは改革と無縁だからこそ保たれるものでもあります。 変化が大好きなアメリカ人がイギリス王室の一番のお客で、ロンドンは王宮を見に来るアメリカ人で溢(あふ)れかえっているというのはなんとも皮肉ですが。南アフリカ・ケープタウンのモスクを訪れたヘンリー王子(右)と妻メーガン妃=2019年9月24日(ゲッティ=共同) 観光資源をぶち壊そうとするメーガンはんはアメリカ人のこともよく分かっていないのでしょう。 皇室が日本の統合の象徴として末永く栄えることを祈念いたしましょう。(文中一部敬称略)

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    ジョンソン英首相を「ポピュリスト」認定したがる勘違い日本人

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) イギリスの総選挙でボリス・ジョンソン首相率いる保守党が1987年以来最大の勝利、労働党は1935年以来最悪の敗北となりましたが、これは私の予想通りです。 今回の選挙の論点は「EU離脱」の一本です。国立病院をどうするとか、移民をどうするかという話もありましたが、有権者的には「とりあえずどうにかしやがれこの野郎、俺らもう飽きたんだよ」です。 なぜ有権者がこんなにイライラしているかというと、EU離脱を決めた国民投票から早くも3年近くたち、イギリスが本当に離脱するのか、一向にまとまらず、イライラしている人があまりにも多いからです。 先行きが分からないので不動産価格は下がってますし、買い控えも広がっていて経済は様子見。しかしイギリス経済自体の調子は悪くはなく、離脱の優柔不断が足を引っ張っているのが明らかだからです。 ところで日本のメディアは視点がずれまくっていて、論点が「ポピュリストであるジョンソンの人柄」みたいになってますけどね、これ大間違い。 ジョンソン首相は元々オスマン帝国(現在のトルコ)の革命戦士系の家柄で、政治家や外交官だらけのエリート金持ち出身。20人の歴代首相を輩出する超有名私立のイートン校で最優秀学生、オックスフォード大では古代ギリシャ語やラテン語をやってた超スーパーエリートなんですよ。オックスフォードでも古典やるのって超優秀中の優秀の人だけ。 この人ね、頭がいいからわざと簡単な言葉を使って見た目も偽装してるんですよ。ただのポピュリストじゃないし、トランプおっさんともN国の立花孝志とも大違いですからね。日本のメディアは分かってないけど。 ちなみにイギリスの有権者はジョンソンが何者かみんな知ってるんですよ。あの髪型もだらしない服の意味もね。 EU離脱が争点だった今回の選挙における各政党の主張を超雑にまとめてみましょう。保守党「さっさと離脱すんぞ、俺がEUのクソは恫喝(どうかつ)してなんとかしてやるぜ! 移民は来んじゃねえぞ、特に貧民! 金持ち偉い! 金儲け応援すんぞ! 減税すんぞ! ユダヤは万歳! ハマス(イスラム原理主義組織)はクソ! 公務員はクソ! 何でも民間でやれ! ストやってんじゃねえ!! 資本主義はいいぞ!」労働党「離脱やめだがやり方シラネ! 移民無制限、貧民はじゃんじゃん来てくれ! 金持ちクソ! 金持ちクソ! 金もうけクソ! 増税すんぞこの野郎! ユダヤはクソ! ハマスはカッケー! 公務員は一律給料増やすぞ! 国営化しまくってやる!! ストは好き放題やれな!! 共産主義はいいぞ!」自由民主党「人間殺して環境保護! グレタ(環境活動家)最高!! 離脱やめだがやり方シラネ! 移民無制限、貧民はじゃんじゃん来てくれ! 金持ちクソ! 金持ちクソ! 金儲けクソ! 増税すんぞこの野郎!」スコットランド国民党「スコットランド独立! イングランドはクソ! 離脱やめだがやり方シラネ!」離脱党「やり方知らんけど離脱したい」その他「とりあえず離脱やめい」 結果は想像するまでもありませんね。全盛期のアントニオ猪木をしのぐこの保守党の男気。俺がなんとかしてやるぜ。ドスを抱えた高倉健さんであります。 一方で世田谷自然左翼(左翼富裕層)が持ち上げまくっていた労働党でありますが、経済問題でイライラしている有権者が保守党に逃げてしまうのは見るからに明らかですね。 しかも元々熱心な支援者であったユダヤ人を思いっきりディスりまくっており、今回の選挙ではロンドンの選挙区のいくつかでは、ユダヤ人候補者が警備員をつけないと動き回れないという状態になってしまっております。 イギリスの世田谷自然左翼の皆さまは多様性うんぬんみたいなことを言っているのですが、ユダヤ人に対しては保護しなくてもいいという考え方のようであります。英下院総選挙で大勝し、首相官邸前でポーズをとるジョンソン首相=ロンドン(ロイター=共同) そういうわけで、今回の選挙では、「レッドウオール」(赤い壁)と呼ばれる元々労働党が強い北部の元炭鉱地帯とか、貧民地帯の有権者が保守党に寝返るという現象が起こり、労働党が大敗したわけです。例えば北部の元炭鉱地帯ブライズバレーで保守党が圧勝するのはなんと1950年以来初めてであります。イギリス地元民の恐怖 イギリスの田舎の方というのは食品工場のパック詰めとかキャベツ収穫といった仕事しかないんですよ。DQN(無教養で非常識な行動をする人)だらけでストばっかりやって仕事しないやつらにしびれを切らしたサッチャー元首相がダメな会社をボコボコにつぶしてイギリスは金融とかIT(情報技術)主体な国になりましたから。こういう貧困地帯は仕事といえばその他は病院や役所くらいしかない。 うちの家人の実家は北部の炭鉱地帯なのですが、本当にこんな感じです。住民は貧乏で運動も嫌いで寒いので早く死にます。 で、工場や農場はブルガリアとかラトビアの若い人を最低賃金で雇う。母国は月収5千円とか5万円な世界だから、そりゃイギリスで超働きます。怠惰な地元民は雇われないですよ。クリスマスに休みたいとか言うから。 EUに加盟していると、この勤勉な激安労働力が自由に来ちゃうわけです。分かりますか、地元民の恐怖が。 さらに今は資産格差の広がり方がすさまじいから、昔より格差がひどいわけです。ロンドンの通勤圏に持ち家があったら中古でも値段がぐんぐん上がる。過去20年で、ど田舎の貧困地帯とロンドン周辺の住人だと資産格差が5倍、6倍。地方民は一生貧民のままですよ。賃金が安すぎるし、家も売れないからロンドンに転居して家を買うこともできません。 こんな状況なわけですから、とっととEU離脱して移民を入れたくないという貧民や、なんとか経済が良くなってくれて仕事が増えればいいなと思っている人が大半です。 労働党の支援者というのはその多くが貧民ですからね。そういう貧民の意思に反して公務員の給料を増やしてやるとか仕事はつくんねーよ、激安移民はバンバン入れるとかいったらそりゃね、投票しないですよ。 労働党の真っ赤かな政策に賛成するのは、世田谷自然左翼ですよ。なぜかって言うとこの人たちは大企業とか役所に勤めていて、激安移民が増えれば安い派遣社員とか子守が雇い放題になりますからね。儲かるんですよ。ストやられても関係ないのよ。自家用車で移動だし、巨大な家に住んで何でも使用人がやるんで。 保守党勝利はイギリスに良いことだらけです。 まず「合意なきEU離脱」の良い点。イギリスの租税権、つまり自分のところで税金決める権利が安泰ってことです。EUは税制を全加盟国で統一したいんですよね。目的? それは金持ちからもっと搾り取りたい。だから何が起きるかというと、金を守りたい金持ちは、イギリスにさらに集まってくるんですよ。 すでにロンドンは欧州だけじゃなく世界中の金を守りたい金持ちが集まっているんですが、それが加速するでしょうね。フランスやドイツは実に商売がやりにくいし、金をむしり取られますから。 金持ち保護だから商売もさらにやりやすくなりますよ。イギリスは起業も破産も恐ろしく簡単だし、労働法も欧州で一番緩い。創業者利益も一番でかい。日本よりはるかに金持ちにフレンドリーですよ。 次にEUから勝手に人が入ってきたり、住んだり働いたりできるのを制限すると何が起きるか。EU経由で入ってくるテロリストや犯罪者を防げるわけです。今までユルユルだったので。これは治安維持にプラスです。さらにEU(要するにドイツ)が各国に押し付けている難民割り当てからもさようなら。 貿易については、イギリスはEUから買う方で、輸出はEU以外が多いので問題なし。困るのはドイツ。G7外相会合の記念撮影の合間に握手を交わす河野外相(右)と英国のジョンソン外相※ともに当時=2019年4月、カナダ・トロント(ロイター=共同)  さらにね、イギリス国内では世田谷自然左翼は没落ですね。労働党内部でのリーダーシップ抗争が勃発してますから。労働党が伝統的な労働者支持路線に戻り、もう少し緩いリベラルになるのか、過激路線のままでいくのか知らんけど。 日本のメディアの人々はロンドンに住んでいるから付き合うのは世田谷自然左翼だらけ。イギリスの地方や貧民地帯の実態を知らないから選挙結果が大外れしたわけですよ。イギリスのバスにはKFC(ケンタッキーフライドチキン)の骨を吐くやつなんて、いないと言い張る左翼は信用しちゃだめですよ。特に為替と株をやってる方はね。(文中一部敬称略)

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    ブルームバーグが呼び覚ますヒラリーの「黒い噂」

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) 前ニューヨーク市長のブルームバーグ氏が、来年の民主党大統領候補選びに名乗りを上げたことを受け、ワシントンでは困惑が広がっている。それは彼の出馬に刺激されて、先の大統領選挙で出馬したヒラリー・クリントン氏も再び立候補する可能性が出てきたからだ。そしてこれは、全世界にとって悪夢の始まりといっても過言ではないだろう。 まず、ブルームバーグ氏が出馬に名乗りを上げた理由は、以下のような背景があったと思われる。 ①民主党の候補者選びが混戦している。 ②2020年はスーパー・チューズデー(予備選挙及び党員集会)が前倒しになり、特に500人の代議員を持つ大票田のカリフォルニアの予備選挙が3月初旬に行われる。 ③党則の改正により、予備選挙の結果に左右されない特別代議員は、予備選挙で過半数の代議員を取った候補者がいなかった場合にのみ、党大会で投票できることとなった。 こうした背景から、ブルームバーグ氏は、スーパー・チューズデーで大勝利して多くの代議員を得た上で、夏の党大会で特別代議員を説得して過半数を確保し、大統領候補になる戦略のようだ。そのため初戦で勢いを付けるために重要と言われるアイオワ、ニューハンプシャーなどでは、党員集会や予備選挙を戦わない方針だ。これらの州は最初に予備選挙などが行われるため候補者の勢いが重視されるが、人口の少ない地方の州なので代議員数は多くはないからだ。 ただ、このブルームバーク氏の戦略には、いくつもの問題がある。第一に、カリフォルニアなどでは黒人も多く、オバマ前大統領の後継者と思われているバイデン前副大統領が有利だ。ブルームバーグ氏はニューヨーク市長時代に、日本の警察官職務執行法と似た条例を制定し、黒人差別的と批判された。他にも最低賃金の引き上げなどにも反対していたことなど、黒人票は期待できない。 第二に、2008年に弁護士で元ニューヨーク市長のジュリアーニ氏(共和党)が、アイオワやニューハンプシャーなどを無視し、大票田のフロリダに賭ける戦略を取り、失敗している。この年、彼は共和党内で有力視されていた。 第三に、90年代以降、選挙の年の前年秋になって立候補を表明した人は、党内で有力だったにもかかわらず、誰も大統領候補になれなかった。  これら以外にも問題がある。著名な世論調査会社「Five Thirty Eight」(ファイブサーティエイト)が2019年初めに作成したグラフがあるが、縦軸が(ネット)好感度を、横軸が民主党的な価値観を表しており、これに2020年の民主党大統領選挙に立候補しそうな人をあてはめてみると、他の立候補予定者が45度線に近い場所にいるのに対し、ブルームバーグ氏は右に外れた場所にいる。 また、ハフィントンポストが10月初旬に行った世論調査では、民主党支持者の83%が、現状の候補者に満足している。そのためか、FOXが11月3日に発表した世論調査では、ブルームバーグ氏が立候補した場合、必ず投票すると答えた人は6%しかいなかった。「考慮する」を入れても38%にとどまった。前ニューヨーク市長のブルームバーグ氏(共同) ただ、今年1月段階に行われた複数の世論調査では、ブルームバーグ氏の支持率は平均して3%しかなかった。つまり、直近では倍になっており、その理由は主要候補の混戦にあるとみられる。ブルームバーグ氏は、ここに勝機を見いだしたのだろう。また、別の著名な世論調査機関「Real Clear Politics」(リアルクリアポリティクス)の調査では、ウクライナ疑惑の影響で40%以上あったバイデン氏の支持率が25%まで低下し、ウオーレン上院議員に一瞬でも抜かれたのも大きいと言われる。複雑化する政治ニーズ 余談だが、候補者選びのディベートを繰り返す度に、バイデン氏の「物忘れ」の酷さが明確になり、7月には支持率が25%にまで落ちていた(その後、一時30%台まで回復し、ウクライナ疑惑が小康状態になった後も30%台に戻ってはいる)。この7月の時点でトランプ氏がバイデン氏に脅威を感じていたからといって、リスクの高いことをするとは思えない。大統領として当然のことだが、自国の有力政治家の裏マネー疑惑解明が目的だったと考えてよいだろう。 いずれにしてもブルームバーグ氏は、ウオーレン氏が主張する富裕層増税は、米国の経済活力を減退させるとして反対してきた。同様に経済活力向上のため、銀行業務への規制にも反対している。また、ユダヤ系であるため中東情勢に関しては共和党以上にタカ派だ。この辺がブルームバーグ氏を、民主党の中では「右」に位置付けている理由だろう。 ただ、彼は銃規制や地球温暖化対策に関しては、非常な積極論者である。しかし、銃規制や温暖化対策に積極的な民主党の若手のホープが2人も候補者選びから脱落している。それを考えてもブルームバーグ氏が大統領候補になるのは容易ではない。ちなみにブルームバーグ、バイデン、ウオーレンそしてトランプ各氏は、70歳代半ばで、高齢だ。彼ら自身が米国での団塊世代であり、その世代の支持が中心と言われている。民主党の若手のホープたちは、いま20代くらいのミレニアム世代の支持が多い。 だが、米国でも白人は少子化が進んでおり、移民によって若年人口が増えているように見えるに過ぎない。そのため、ミレニアム世代の政治的ニーズは非常に複雑で、それを二大政党が吸収できなくなっている。ミレニアム世代の棄権率は、非常に高い。 実際、若手のホープで最も支持の高い候補者でも支持率は10%未満だ。だが、逆に見ると、従来の二大政党とは異なる政策の組合せを行う候補者が現れれば、その人物が非常に有利になる可能性もある。ただ、トランプ氏については、選挙の前年に作成された好感度と党の政策との一致度を表したグラフで、45度線から外れていたにもかかわらず、当選した。彼の支持者は中高年の貧しい白人が多かったとされているが、若者同様に政治的ニーズが複雑化していたとも考えられる。 今の米国は税制、規制、銃問題、環境問題などにおいて、今までと同じ政策パッケージでは、国民の複雑化したニーズに応えられなくなっている。それを理解した上で、2020年の大統領選挙だけではなく、これからの米国の政治全般を予測し、そして日米関係に関する戦略を練ることが、今後の日本にとって重要になる。 そのためには、ファイブサーティエイトのグラフのような分析の中で、45度線から外れた候補者でも注目し、その人物の当選に備え、あるいは主張している政策パッケージを分析することが重要だ。このような考え方を2016年当時からしていれば、多くの日本の有力な政府機関や大企業などが、トランプ氏当選を予測し、それに備えた政策を準備しておくこともできたかもしれない。 ちなみに私は2016年の大統領選挙の直後に、ニューヨークとワシントンを取材して回ったが、その際、日本の有力な政府機関や大企業の関係者から「トランプ氏が当選すると思っていなかったので、彼とパイプがなくて困っている」と相談されたことが何度もあった。 こうした米国民の政治的ニーズの複雑化にブルームバーグ氏も活路を見いだしたのだろう。だが、彼にとって強大なライバルになり得る人物がいる。その人物こそ、冒頭で触れたヒラリー氏だ。FOXの世論調査では、ヒラリー氏が立候補した場合、確実に投票する人と回答したのは27%で、「考慮する」まで含めると65%を超え、ブルームバーグ氏を大きく引き離した。政治集会で演説するヒラリー・クリントン氏=2016年11月、オハイオ州クリーブランド ヒラリー氏であれば今からでも巨額の資金を集めることが可能だ。2016年の組織を復活させれば、組織力についても問題はない。彼女は米国の公共放送PBSの番組で、意欲満々とも受け取れる発言をしている。ブルームバーグ氏と同様のことを、彼女も考えたのかもしれない。奇矯な言動が目立つヒラリー その一方で、彼女はニューヨーク・タイムズなどに対しては、「最終的に州の取り方で勝てる候補を民主党が選ぶことの方が重要だ」とも述べている。先の大統領選では、全米でトランプ氏に300万票上回ったにもかかわらず、州の取り方で負けた経験を踏まえた発言だろう。あのときも3つの激戦州のトータル8万票差で、ヒラリー氏は負けている。 現状を見てみると、11月4日に発表されたニューヨーク・タイムズの調査結果では、激戦州と考えられる6つの州のうち、4つでバイデン氏の支持率がトランプ氏の支持率を上回っている。だが、サンダース氏やウオーレン氏の場合、逆に4つの州でトランプ氏に引き離されている。 とはいえ、いずれも2016年の3つの激戦州で、トランプ氏が直前までヒラリー氏に負けていた支持率差程度である。ゆえに、トランプ氏がバイデン氏を倒す可能性も十分ある。これを踏まえてトランプ陣営は、既に各州の住民の政治的ニーズを調査し、それをコンピューターで分析した精密な選挙戦略を立て始めている。 確かにFOXの調査でも、トランプ氏の支持率は、例によって40%台で低迷していて、バイデン、サンダース、ウオーレン各氏の誰と戦っても負けが予想されている。だが、それは現段階での全国レベルでの数字である。先に述べた州の取り方の問題だけではない。バイデン氏は前述のように重度の「物忘れ」がある。サンダース氏も何度か心臓発作を起こしている。ウオーレン氏は医療改革などで具体的な財源を示していない。3人が有利な激戦州は、それぞれ違う。そう考えると6つの激戦州で勝てそうな状況になれば、ブルームバーグ氏にも、そしてヒラリー氏にも勝機がないとは言えない。 前述したが、民主党の候補者選びが混乱している理由は、誰も予備選で過半数を取れなければ、党大会で特別代議員が投票する制度改革のおかげで、誰もが絶対的な支持を受けられなくても、数の勢いさえ見せつければ党大会で逆転できると考えているからだ。そのためか比較的無名の若い女性議員も何人か立候補している。その一人でヒラリー氏と親しかった女性議員に対して、ヒラリー氏が「あなたは民主党を分裂させてトランプを再選させようとしているロシアのスパイだ」と急に言い出し、物議を醸したことがある。 このように、ヒラリー氏はトランプ氏との大統領選挙に敗れて以来、奇矯な言動が多く、それが日に日に悪化している。それだけではない。 多くの有力者に少女の性接待を行うことで富豪になったと言われるエプスタインという人物が、性接待に関する容疑で連邦拘置所に拘置中、自殺する事件が8月に起きた。エプスタイン氏の顧客には、ヒラリー氏の夫であるビル・クリントン元大統領もいた疑惑があり、それをトランプ支持の有名芸能人がツイッターで指摘。これをトランプ氏がリツイートしたことがあったが、そのとき、ヒラリー氏は「あと数日でエプスタインは自殺する」と事前に言っていたというツイートなどが、米国中で何百万も飛び交ったという。安倍晋三首相(右)との会談を前に握手するビル・クリントン元米大統領 =2015年3月、首相公邸(代表撮影) また、ヒラリー氏の電子メール問題を追及し、もう少しで動かぬ証拠をつかみかけていたジャーナリストが、曖昧な内容の遺書を残して自殺したり、「これ以上、不正に手を貸すことは良心が許さない」と言っていた、ヒラリー氏の選挙対策本部(正確には民主党本部)のサーバー管理者が何者かに背後から射殺されたりしている。 ロシア疑惑に関しても、若手のホープたちは解明に積極的で、ベテラン民主党議員が消極的という不思議な現象がある。ロシア疑惑でもウクライナ疑惑でも、ヒラリー氏関係のロビースト事務所などが莫大なマネーを動かしていた疑惑の方が重要で、それに民主党のベテラン議員も深く関係しており、それを隠蔽するためにトランプ氏に罪を被せようとしているとの見方がある。また、それを明らかにすることで、若手のホープたちは自らの支持率浮上を狙っているのかもしれない。 一方、若手のホープではないが、オバマ前大統領が自ら本命の後継者と考えているとされるパトリック元マサチューセッツ州知事も、ブルームバーグ氏の次に出馬を表明。彼は黒人だが、金融ビジネスで成功しており、ユダヤ系で大富豪のブルームバーグ氏とは似た部分もある。「ヒラリー大統領」は悪夢 そもそも、オバマ前大統領やヒラリー氏が医療改革にこだわったのは、医療保険会社を通じて金融市場にマネーを回し、ウオール街を儲けさせるためだったという説もある。いずれにしてもビル・クリントン時代の金融規制緩和などが、世界的な格差拡大の元凶であることは間違いない。 これと戦って、額に汗してモノを作ったり売ったりする人々の雇用を守ろうとしているのがトランプ氏であり、ヒラリー氏やパトリック氏、そしてブルームバーグ氏を含む金融ビジネスに近い民主党の候補者らこそが、米国と世界を格差拡大で混乱させようとしていると理解することも可能だろう。このように考えると、金融界や医療保険問題に近しい民主党の候補者が米国大統領になるのは、極めて望ましくない。特にヒラリー氏の奇矯な言動を踏まえれば彼女が米大統領になることは、悪夢であることは想像がつくだろう。 また、ヒラリーもユダヤ系の多い金融ビジネスとの関係からか、中東情勢に関してはトランプ氏よりタカ派である。むやみに中東戦争を起こされては、石油調達の面などを考慮すれば、日本への影響は甚大だ。だが、彼女の周囲には金融ビジネスで世界を動かす勢力がいる。そのマネーの力は侮れない。 2016年の大統領選挙でヒラリー氏はいくつかの激戦州で、1%未満の差でトランプ氏に敗れたため、大統領になれなかった。実は、このような事態には、同年夏時点で複数の世論調査機関が予測していた。 だが、なぜか多くの米国の主流メディアや学者らが、「トランプが勝つはずがない」などと軽々しく断言していた。その答えは、「エプスタイン氏の死」やヒラリー氏の関係者の自殺や他殺が教えてくれたように思う。ヒラリー氏がトランプ氏に敗れるという予測をすれば、予測実現効果が起きかねない。その結果、エプスタイン氏らのようになりたいと思う人が、誰もいなかったのであろう。ホワイトハウスで記者団の取材に応じるトランプ大統領=2019年9月(UPI=共同) このように、ヒラリー氏、そして民主党の金融界に近い政治家を巡っては、多くの恐怖がある。バイデン氏の息子もウクライナ問題だけではなく、中国マネーを使って米国の精密機械の会社を中国の兵器会社に売却している。多くの国務省の関係者がウクライナ問題でトランプ氏に不利な証言をしているが、共和党の反対尋問を受けると曖昧なことしか言えず、何かを恐れているようにも思える。 これが今の米国の実相である。それをよく理解して日本は米国と向き合うべきだろう。【イベントのお知らせ】当サイト執筆陣の吉川圭一氏が代表を務めるグローバル・イッシューズ総合研究所と一般財団法人尾崎行雄記念財団の共催(協力/産経デジタル「iRONNA」、近代消防社)によるパネルディスカッション「阪神大震災と地下鉄サリン事件から25年-あの時、何が起こったか?あれから何が変わったか?」が、令和2年1月21日(火)午後6時~8時に、憲政記念館(東京都千代田区永田町)で開催されます。パネラーは自衛隊元高官の松島悠佐氏と濵田昌彦氏で、日本の危機管理の課題などについて問題提起します。参加費は2千円(当日受付にて)。参加希望者は、氏名・所属・電話番号を「info[a]ozakiyukio.jp」へ電子メールでお送り下さい([a]をアットマークに置き換えてください)。メールで申込み頂いた時点で受付完了となり、財団などから確認の連絡は致しません。急遽中止など緊急の場合のみ連絡致します。

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    「死者300人」イラクデモを報じない日本はどうかしている

    るものではない」と明確に答えた。 ここ数世紀のアラブとペルシャの戦いの憎悪を一気に象徴するがごとく、国際社会の目が届かないのをよいことにイラクは地獄絵的な惨状となっている。何よりも、1980年から8年間続いたイラン・イラク戦争、そして2003年のイラク戦争の爪痕は深い。 イラン・イラク戦争終結後、イラクは湾岸戦争に敗れた。しかし、サダム・フセイン体制が存続していた頃は、経済制裁を受けていたものの、今日のような混乱を招くまでには至っていなかった。米国のジョージ・ブッシュ大統領、英国のトニー・ブレア首相(ともに当時)による「大量破壊兵器をイラクが保有している」というでっち上げによって2003年3月20日、イラク侵略攻撃が開始され、めちゃくちゃに破壊しつくし、以後、同地ではとめどない混乱が続いているのである。 イラク攻撃が終わった後の結末はどうであったか。大量破壊兵器など存在していないばかりか、この間違った情報による攻撃であったことを米英両首脳が認め、謝罪したのだ。この戦争により、すでに多くのイラク人が殺傷された。後から謝られたとしても、人の命は還ってくるものではない。 当時、日本国内でも「イラクが大量破壊兵器を保有している以上、それを自ら認め、解体しない限り、米英の攻撃は仕方ない」という意見が散々出されていたが、私は「イラクは大量破壊兵器を保有していない。米英の宣伝に乗れば取り返しのつかないことになる」と主張してきた。米国の侵略攻撃前に、夜中の討論番組に呼ばれ何人もの政治家やジャーナリスト、学者などと議論を交わした。イラク開戦を受けて日本の政府の立場を表明する小泉純一郎首相、後ろは川口順子外相=2003年3月20日、首相官邸(撮影・小松洋)  結果的にイラクに対する濡れ衣は晴れたが、いわゆる有志連合によるイラクの占領が8年9カ月続けられた。この間の情勢は、イラクの混乱に目をつけたアルカイダ、「イスラム国」(IS)などが猛威を振るい、テロと混乱の時代を過ごすことになる。 しかも、「これらに対応することは国益に適わない」と、米軍は食べ物を食い散らかすがごとく、めちゃくちゃにした挙げ句、無責任にも撤退したのであった。その後、イスラム教シーア派中心の勢力がイランとの親和性からイラクを牛耳り、政権運営を続けてきたのが今日の現状である。日本の常識は世界の非常識 イラク国民は自らに国益が一切還元されていないことに、当然の不満を示している。原油輸出による恩恵を全く実感できず、その利益はどこへいってしまっているのか、本来豊かさを持つ国が全くそれを実感できないのは、イランやイランの傀儡政権の悪政などに、その原因があると彼らは認識している。 こうしたことがデモを引き起こさせる主因であるが、これだけの短期間で多くの人々が殺傷されているにもかかわらず、日本のマスメディアの扱いは全くナンセンスであり、異常であると言えるだろう。 冒頭のように、在日イラク人のマフムードが憤慨するのは無理もない話であり、正当な言い分である。地域的な問題なのか、在留邦人がいないからなのか、イラクに興味を持って現場に行かれたら困るからなのか。どういう理由があるのか知らないが、ほとんど報じない頰かぶりはわが国のメディアの怠惰ぶりを露呈するばかりか、ジャーナリズムの恥でもあり、その死すら証明している。 加えてわが国は、混乱の主因となっているイラク侵略攻撃を当時、日本の小泉純一郎首相が世界に先駆けて支持したのであり、米国の要求を満たすため、イラク特措法に従って自衛隊をサマワに派遣したのである。そのような関わりを取ってきた経緯からみても、今日のイラクの現状に対して、日本も責任を負うのが筋である。 米英の侵略に対し、厚顔無恥にも当時その行動をいち早く支持した小泉政権が「世界に先駆けて事をやれば日本の存在が米国に高く売れる」「勝ち馬に乗る」という損得勘定で軽率に対応したことを、後に政府高官が証言している。実に、正義の判断を追求するというより、姑息(こそく)で卑怯な選択により、「対米植民地」の極みを演じたのである。 日本政府は自分たちの目で大量破壊兵器の保有の有無を確認しようともせず、ただ米国情報をうのみにして時流に流され、状況をうまく利用すればいいという最も卑しい振る舞いに終始した。そのような軽率な発想が、11月9日に発表したイラクの混乱に対する今回の外務報道官の談話にも出ていると言えよう。 すでに米国、英国、ドイツ、フランス、エジプト、スウェーデンなどが事態を危ぶみ、声明を発表している。むしろ積極的に事態の沈静化と平和的な解決に向けて対応しているのだ。 日本メディアの忖度(そんたく)報道も本分を忘却した異常対応だが、日本政府も責任の所在に頬かぶりする恥ずべき外交対応と言わざるを得ない。ホルムズ海峡付近で攻撃を受けた後、アラブ首長国連邦沖に停泊する日本のタンカー=2019年6月(ロイター=共同) イラクだけでなく、イランでも反政府デモが行われており、混乱が中東全体に広がる可能性もある。日本への影響を考えれば、日運会社のタンカーも航行する原油輸送の大動脈、ホルムズ海峡のさらなる緊迫化や、政府が検討している自衛隊の中東派遣における隊員の安全確保にも大きく関わる。予断を許さない中東情勢を今後も注視していく必要がある。

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    米国が「世界の警察」をやめる前に日本は独り立ちできるか

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) シリア北部(トルコとの国境地帯)からの米軍撤収を決めたトランプ大統領に批判が集まっている。米下院は10月16日、反対決議案を共和党からも多くの賛成者が出て圧倒的賛成多数で可決した。以前にもシリアからの撤収に関しては上院の3分の2の多数で反対決議が通ったことがある。ウクライナ疑惑で上院の3分の2の多数が必要とされる弾劾の危機に晒(さら)されているトランプ氏が、なぜ急にシリア北部からの撤収を言い出したのか?  その背景にはワシントン内部での「内戦」状態がある。トランプ氏としては、それを突破し、当初からの公約である「世界に広げ過ぎた米国の軍事力をできるだけ縮小する」ことを実現したいのではないか? そうなれば日米安保などの関係で、日本にも大きな影響が出てくる。この問題に関して考えてみたい。 いまワシントン、特に共和党内部では、ウクライナ問題とシリア問題を巡って、分裂があるようだ。例えばウクライナ問題ではトランプ氏擁護派の議員が、シリア問題ではトランプ氏を批判したりしている。ところが、これが彼らや共和党そしてトランプ氏に有利にも作用している。 このような議員は、トランプ氏と自分は一体ではないと主張して、次の選挙を有利に戦える。共和党を支持する田舎の選挙民にとっては、シリア問題にあまり関心がない。シリア北部にはキリスト教徒も多いため、キリスト教保守派の反発はあるものの、これからの最高裁判事指名などを考えると、ウクライナ問題でトランプ氏が弾劾されたりしたら困る。 このように共和党に有利な状況もある。しかし10月8日に発表されたワシントン・ポストの世論調査によれば、共和党支持者の20%がトランプ弾劾を支持しているという。さらに保守系のFOXが10月9日に発表した世論調査によれば、米国民の51%が、トランプ弾劾を支持しているという。この数字は、ワシントン、特に共和党を震撼(しんかん)させた。 しかし両調査でも、トランプ氏の支持率は40%台半ばで安定したままである。共和党支持者内でのトランプ弾劾賛成が増えたのは、共和党内の反トランプ系議員の発言などの影響が大きいのではないかと思われる。つまり一過性のものである可能性も低くない。FOXの調査でもトランプ氏の絶対的支持者である貧しい白人や地方居住者の間では支持率が10%前後も増えていて、シリア問題を懸念しているはずのキリスト教保守派の間でも5%支持率が上昇している。 非常に興味深いのは、米国で最も信頼される調査機関ゾグビー社(Zogby)が、同じ時期に行った調査の結果だろう。この調査によれば、米国民の53%が弾劾調査を支持。反対は40%。47%が弾劾手続きも支持。反対は41%だ。 ところが米国民の46%が、トランプ氏は来年の大統領選挙で再選されると考えている。そう考えない人は33%なので非常な大差である。 この調査でも、トランプ氏への支持が最も低い女性とヒスパニック(中南米系)以外の人々の間では、若者、高齢者、大都市居住者、地方居住者、労働組合員、富裕層、どれを取っても2020年にトランプ氏が再選されると思う人が思わない人を上回っている。女性とヒスパニックの間でも、再選されると思う人と思わない人は、40%前後で拮抗(きっこう)している。 この調査では、トランプ氏とウクライナ大統領の電話会談を不適切と考える人は46%。考えない人は40%。分からないが14%。 FOXの調査では、弾劾に値するか、適切だったか、それとも不適切だったが弾劾には値しないか?―という聞き方をしている。すると後者の二つを足した数字が、弾劾に値すると、ほとんど同じ40%台半ばなのである。 つまり米国民は調査などによって真実を知りたがっているのではないか? その真実次第では、トランプ氏再選は十分以上にあるということだろう。 例えば共和党内の調査では、2020年の下院の選挙で95の激戦選挙区で、共和党の候補が民主党の候補を、平均して10%近くもリードしている。2016年にトランプ氏がヒラリー氏に勝った下院選挙区に、いま31人の民主党下院議員がいるが、これらの選挙区でも共和党候補者が10%以上リードしている。 このままの情勢でトランプ氏や共和党に有利な真実が次々と明らかになり喧伝(けんでん)されれば、トランプ氏再選の可能性は非常に高い。では米国民が知りたがっている「真実」とは何か? それはFOXの調査の中にヒントがある。この調査によれば、民主党の下院議長やウクライナ疑惑を調査しているペロシ下院情報委員長(民主党)の支持率は、トランプ氏を下回っているのである。トランプ米大統領のウクライナ疑惑に関し、下院情報特別委員会が公開した内部告発の文書=2019年9月26日(AP=共同) 米下院情報特別委員会のシフ委員長は、9月に突然退任したウクライナ担当特別代表ボルカー氏が提出した通信記録のうち、弾劾に有利なメールだけを一般公開した。実はボルカー氏が提出した通信記録の中には、トランプ氏がウクライナ大統領にバイデン前副大統領関係の調査を強制した事実はないことを示すものもあったはずなので、共和党側は全ての通信記録の公開を迫っている。民主党ペロシ議長への不信 しかも中央情報局(CIA)職員と報じられる内部告発者が事前にシフ委員長と相談していた事実が露見し、さらにシフ氏のスタッフの中に二人もオバマ時代の国家安全保障会議(NSC)などで内部告発者と同僚だった人物がいることも判明。そこでシフ委員長が公正でないとして共和党側は彼の解任を求めている。 さらに内部告発者は、オバマ時代にバイデン氏のウクライナ訪問に同行したこともある。これではバイデン氏を庇(かば)うために真実ではないことを言っていることも疑われる。 内部告発者の首席弁護士バカジ氏は、そのような事実を否定しているが、同氏は非常に強固な反トランプ派だ。彼の事務所の若い弁護士ザイド氏は、かつてムラー特別検察官にロシア疑惑に関する調査の内容の機密部分を公開することを提案したことがあり、また政府の情報開示などに関するプロジェクトにも関わっているが、このプロジェクトはヒラリー氏や反トランプの大富豪ソロス氏と深い関係がある。 ウクライナの天然ガス会社とバイデン氏の息子の癒着には、ペロシ下院議長その他の何人かの民主党有力政治家の息子たちも関わっていた事実も判明した。 トランプ氏がウクライナ側に汚職の調査を頼んだと聞いたペロシ氏が、正式の手続きを経ずに弾劾調査を始めた理由は、そこにあるのかもしれない。 このような事実は少しずつ米国のメディアも報道し始めていて、そのためFOXの世論調査のようなペロシ氏たちへの不信のような結果が出ているのかもしれない。いずれにしてもウクライナ疑惑とはロシア疑惑と同様、民主党が自らの不正をトランプ氏に押し付けている部分が大きい。 そして弾劾の調査や手続きが進めば、バイデン氏の息子や内部告発者も議会で証言せざるを得なくなるかもしれない。少なくとも共和党は、それを主張している。 そうなれば、今まで述べてきたような民主党に不利な「真実」が米国民の目に明らかになる。それを米国民も望んでおり、そうなればトランプ氏の再選の可能性も高まる。 もちろん民主党としては、それは望ましくない。 10月10日、バイデン氏の圧力で天然ガス会社の不正追及を断念したことが納得できないウクライナ検察関係者をトランプ氏の顧問弁護士、ジュリアーニ元ニューヨーク市長に紹介した2人の在米ウクライナ人が、ロシアからの莫大(ばくだい)な資金を資金洗浄して、トランプ氏の関係団体に献金していたとして司法省に逮捕されている。 これも今後の捜査を見守らなければ断言できないが、ロシア疑惑と同様、司法省、連邦捜査局(FBI)そしてCIAの中にも反トランプ派が多いことの逆の証明のようにも思われる。 ウクライナ疑惑の内部告発者も、サウジ人ジャーナリスト暗殺事件を仕組んでサウジ王家とトランプ一家の協力を妨害したと思われる人々も、ともにCIA関係者である。司法省やFBI、CIAだけではない。国務省も同様である。 ジュリアーニ氏はウクライナ疑惑への介入に関しても追及されているが、トルコのビジネスマンと協力したトルコ、イラン間での裏マネー作りに関しても追及されている。 それにも関連してトルコ人の在米イスラム教指導者で、反エルドアン大統領派であるギュレン師のトルコへの引き渡しに関係したとも言われる(引き渡しは実現しなかった)。 これはトルコのエルドアン政権とトランプ政権のパイプを太くし、また逆にイラン内の反体制派とのパイプを作ることが目的だったようだが、ロビー活動に関する規制などに触れている可能性もあるらしい。この情報は国務省筋から出たものである。 国務省はトランプ政権になってから弱体化され、2010年には2万3千人の外交官が採用されたが、2018年には9千人未満だった。トランプ氏はエリート官僚の組織よりも優秀な個人に仕事を任せるスタイルである。そういう意味でキューバ危機の時のケネディに似ている。 それが既存のワシントン政治、民主、共和両党の議員だけではなく官僚によるものにも、真に国民のためになるものではないのではないかという疑問が広がり、トランプ氏が当選した大きな理由だったと思われる。 そのため今回のジュリアーニ氏や中東和平をめぐるクシュナー大統領上級顧問のような人々の動きが出てくる。それが既存の国務省の官僚などには非常な不満がある。米ホワイトハウスで開かれた行事で話すトランプ大統領=2019年10月15日、ワシントン(AP=共同) 11日に元ウクライナ大使が議会で、トランプ氏に不利な証言をしたようであるが、そのような背景を考えると国務省の組織防衛が目的であって、信用できないのではないか? 発言内容を精査すると、明らかに民主党を庇(かば)っている。 そしてトランプ政権の「今の弾劾調査は適正手続きにのっとっていない」として下院の弾劾調査に協力しない方針に反して、その後も国務省の官僚による下院での証言は続いている。いかに彼らが国務省の組織防衛に必死かが分かるように思う。それは果たして米国や世界のためになるのだろうか?弾劾手続きの疑問 なお米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を解任されたボルトン氏は、超タカ派ではあっても「国務省の官僚」の側面もある人物だった。ウクライナ疑惑は、彼の関係からリークされたのではないかという説が、ワシントンの一部で囁(ささや)かれている。 このようにトランプ氏が米国と世界のためになる新しい柔軟な政治を実現するには、民主党だけではなく司法省や国務省そして既存の官僚組織と結びついた共和党の政治家とも闘う必要があるものと思われる。 10月18日、首席大統領補佐官代行のマルバニー氏は、このような国務省の官僚主義を批判し、またウクライナへの軍事援助をしばらく保留にしていた理由として、2016年の大統領選挙における民主党本部の電子メール流出問題に関し、ウクライナに調査を依頼する意味もあったと述べた。 そこで弾劾手続きが不思議な意味を帯びてくる。仮に上院での弾劾裁判が始まったとする。共和党支持者内におけるトランプ氏の支持率の高さを見ると、最終的に3分の2の多数で弾劾されることはないものと思われる。以前のシリア撤収反対決議とは重みが全く違う。しかし何名かの賛成者は共和党からも出るのではないか? 共和党の上院議員の中には2020年の選挙で再選が危ぶまれている人が10人前後もいて、この人々は2018年の中間選挙後に、何度もトランプ氏の通したい法案に反対したり、通したくない決議に賛成したりしている。この人々は当然シリア撤収に反対したりしている。だが、そうすることで彼らの一部は、トランプ弾劾に反対しやすくなっている。 また「小さな政府」論者である保守系草の根運動「ティーパーティー」(茶会)は、実は民主党的な「大きな政府」論者であるトランプ氏とは相いれない。しかし2020年以降に党内の主導権を握るため、トランプ弾劾には強硬に反対している。「小さな政府」論者の彼らが、米国が世界に広げ過ぎた軍事力の撤収に賛成する可能性は低くない。 そのような側面もあるものの、何人もの共和党の有力議員がウクライナ問題やシリア問題でトランプ氏に批判的な立場に立っている。彼らは長くワシントン政治に関わってきた。民主党と同様に官僚機構との結び付きの強い人々である。 そこで弾劾裁判で賛成に回った共和党議員には、対抗馬を立てたりスキャンダルを追及したりする方法で、ワシントンから追放する。ないし弱体化させる。それをやってもらうため8月に以前トランプ政権の元首席戦略官だったバノン氏と和解したのかもしれない。 もちろん弾劾裁判のプロセスで、多くの民主党有力者の政治生命がなくなるような「真実」が、出てくるかもしれない。 こうして2020年以降のワシントンがトランプ氏に完全に掌握されたら何が起きるか? それは今のシリア情勢が教えてくれているように思う。 トランプ氏は大統領になる前から外交問題では2つの悲願があった。1.  ロシアと和解、協力して、イランや中国をけん制し、米国にとっての脅威を払拭する。2.  アフガンその他の駐留正規軍を民間軍事会社にできるだけ置き換える。 これは二つとも既存のワシントンの官僚や政治家が彼らの利権や体面を守るために嫌がることなのである。しかし米国と世界に新しい安定をもたらすことを考えると、そうした方が望ましいように思われる。 いま米軍のシリア北部からの撤収によって、イランが後押しする同地域の反米勢力が、一時的には有利になっている。しかしシリアを自らの勢力圏と見做(みな)すロシアと、中東情勢全般に関して交渉することは、より望ましくなったという考え方もある。 実際、10月13日、米国政府はロシアやアサド政権とクルド人の間で協力関係ができたため、より多くの米軍をシリアから撤収させると表明。米軍が両者の挟み撃ちに会うような危険な状態に置かれたからとも言えるが、この三者とトルコの間で力の均衡が成立すれば、米軍がいなくなっても、この地域の安定は保てるかもしれない。 ワシントンの専門家の中にも、クルドが迅速にアサド政権との協力を打ち出したことを以って、アサド政権の力の回復の証明と理解し、それによるISの復活阻止も含めたシリアにおける秩序回復を支持することは、米国にとって現実主義的な対応であると考える人々もいる。 そして10月14日からロシア軍が、トルコ軍とシリア軍およびクルド人勢力の間に入って、米国に代わって力の均衡を作り出そうとしている。これは水面下で行われたトランプ氏とプーチン氏の取引の結果である可能性もあると思う。 これは昔からの協力者シリアのアサド政権のためだけではない。クルド人の脅威を恐れるトルコにも、クルドの脅威から同国を守ることで、ロシアは大きな影響を持てる。  シリア北部で実施された合同パトロールから戻る米国、トルコ両軍=2019年9月8日(ロイター=共同) 北大西洋条約機構(NATO)で二番目の軍事大国で、ロシアが外洋に出るために必要な海峡を抑えるトルコに対する影響力を増やすのは、ロシアにとっても望ましく、今までもミサイル防衛システムの売却などを行ってきた。今後米国がトルコの行き過ぎた軍事行動に干渉するにも、ロシアの仲介が重要になってくるかもしれない。 このように、ロシアに異常接近しているトルコが、シリア北部で戦闘を開始してくれたので、米国としても今後トルコを批判しやすくもなる。実際、既にトルコに対する経済制裁が始まっている。そして、この経済制裁をめぐって、シリア問題で民主党と協力してトランプ氏を批判してきた共和党議員の一部とトランプ氏の協調が起こる可能性もある。民間軍事会社の活用 10月17日、米国政府はペンス副大統領とポンペオ国務長官をトルコに派遣し、シリア北部における軍事行動の停止を説得させた。 そして4日間の戦闘停止と、その間にクルド人勢力が20マイルの緩衝地帯を設けることで合意した。この合意にはトルコと米国が協力しての「イスラム国」(IS)対策も部分的に含まれている。 ただし、トルコのエルドアン大統領は、決して「停戦」という言葉を使わず、また緩衝地帯ができたら、そこのパトロールもトルコが行うと主張している。またクルド人勢力が緩衝地帯を作る約束を守らなければ、攻撃を再開するとも言っている。今後の動向は予断を許さないと思われる。 そこでワシントンの政治家の間では、トルコへの経済制裁を強化する法案なども構想されているのだが、今まで述べたような親トランプ、反トランプあるいはウクライナ疑惑重視、シリア問題重視などの違いにより、まとまるのは難しい状況である。 また10月11日の紅海(こうかい)におけるイランの船舶に対する攻撃を、サウジの責任とするイランの主張に対し、米国が2千人の兵士とミサイル防衛システムをサウジに派遣した。 これらの問題が進展していけば、トルコにおけるサウジ人ジャーナリスト暗殺事件の真実を明らかにし、サウジと米国が協力してイランと対峙(たいじ)するというトランプ氏が構想した方向に、サウジと米国が進路を切り替えやすくなるかもしれない。 なおロシアもサウジに対して数十億ドルの取引を締結した。先に述べたトルコの場合と同様、米国とロシアの協力による新しい中東のバランスが着々と作られつつあるようにも思われる。 いずれにしても今後のシリア情勢次第によっては、撤収した米軍の代わりに民間軍事会社が派遣されるという展開もあるかもしれない。それをさらにアフガンにも応用するためにも、ロシアの背後からの協力は欠かせない。 実際、米国はいったんは反故(ほご)になったタリバン勢力との交渉を再開している(この交渉がいったん頓挫したのもボルトン氏関連からのリークが原因ではないかとワシントンの一部ではうわさされている)。 この交渉は基本的に、タリバンがアルカイダなどとの関係を清算する代わりに、米国はアフガンから撤収するというものである。しかし1万4500人もの米軍を撤収させた後のアフガンの治安維持などには、やはり民間軍事会社の派遣が必要になるのではないか? 仮に撤収のプロセスだけだとしても…。 なおロシアもシリアなどでは民間軍事会社を使っている。21世紀には世界各国が民間軍事会社などに自国の安全保障戦略を任せ、できるだけ正規軍を使わない時代になるのかもしれない。 冒頭で述べたように、シリア北部からの米軍の撤収に関して10月16日、米国の下院で共和党の一部(60人)以外全員が賛成する非難決議が可決された。今後、トルコへの厳しい制裁を含んだ法案が共和党内からも提出される可能性もある。 しかし、トランプ氏は「トルコ、シリア、クルド間の抗争は彼らの問題である」として非難決議に反論。そして「クルド族はシリア政府によって十分に守られている」とも言っている。やはりシリアの背景にいるロシアとの裏交渉ができている可能性もあると思う。 そして同じ日に発表されたエコノミストの世論調査では、米国のシリアからの撤収を共和党支持者の6割近くが支持している。つまり少なくとも共和党内のシリア撤収反対派は、彼らの支持者の意向に反していて、トランプ氏の方が共和党支持者の意向に沿っているのである。そして最初に述べたように来年の選挙で共和党は、決して不利な状況ではないのである。 このようにトランプ政権は2020年以降も続き、しかも世界からは次第に軍を撤収させる方向になる可能性が高いのである。トランプ氏としては、そのためにはイランと中国だけは安全な状態にしたいようであるが、できるだけ軍事力を使わず、金融制裁等で両国の力を弱めたいようである。 サウジ石油施設攻撃の問題でイランの中央銀行を世界から封鎖した。今回の経済交渉で中国に少しの妥協をしたが、それは2020年の大統領選挙のために米国内の景気に最低限の配慮をしただけで、中国から米国への投資の制限等を止める気配はない。サミットの夕食会を楽しむ(左から)トランプ米大統領、安倍首相、ロシアのプーチン大統領=2019年6月28日、大阪迎賓館 このように考えると2020年以降の日本は、石油の問題をめぐり中東で、そして南シナ海などの情勢をめぐり対中国で、かなりのことが軍事的にも自分でできるようにならないと、生きて行けなくなってしまう。 そういう意味でも10月18日に安倍政権がペルシャ湾への自衛隊の派遣を決定したのは間違ってはいない。しかし今のフルスペックの集団的自衛権も使えない自衛隊の自衛隊派遣で十分だろうか?  やはり一刻も早く憲法を改正し、軍事予算もできるだけ多く使うべきだろう。憲法改正に手間取るようなら日本版民間軍事会社を設立し、それを中東に派遣するようなことも考える時期ではないか。言うまでもなくトランプ、プーチン両氏との協力が不可欠であり、以上のことができるのは安倍総理しかいないと私は考える。

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    習近平の逆ギレで始まる「中国の暴走」

    建国70年を迎え、中国の習近平政権は過去最大規模の軍事パレードで軍拡路線をアピールした。一方で、経済大国に成長しながら、共産党一党独裁という政権の異質さは変わっていない。覇権主義を突き進み、悪しき原点と評される「毛沢東時代」に立ち戻ろうとする中国は、暴走の果てにどこへ向かうのか。(写真は共同)

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    なぜ習近平は毛沢東の「暗黒時代」に戻そうとするのか

    使って周辺民族に対する侵略を繰り返し、周辺国との無謀な戦争にも明け暮れていた。しかし結果的には中国は国際社会からますます孤立してしまい、一時は米ソ両大国を敵に回して世界と断絶するような鎖国政策をとった。 やがて毛沢東晩年の文革期になると、嵐のような紅衛兵運動の中で1億人単位の人々が何らかのかたちで政治的迫害を受け、知識人を中心にして数千万人の人々が殺されたり自殺に追い込まれたりした。中国全体はまさに阿鼻(あび)叫喚の生き地獄となった。おそらく中国四千年の歴史の中では、文革の十年こそは最も悲惨なる暗黒期だったのであろう。 そして1976年に毛沢東が死去すると、中国の現代史に大きな転機が訪れた。毛沢東死後の一連の政治闘争を経て党と国家の最高権力を手に入れたのは実務派幹部の鄧小平(とうしょうへい)であるが、彼は政治の実権を握ると、毛沢東の政治路線とは正反対の改革・開放路線を進め始めた。中国建国70年を迎え、北京の天安門の楼上に並ぶ習近平国家主席ら要人(上)と毛沢東の肖像画=2019年10月1日(共同) 「改革」とは要するに、硬直した社会主義計画経済に競争の論理を導入すると同時に民間企業の復活を認めて経済に活力を与えることだ。一方の「開放」とは要するに、毛沢東時代の鎖国政策に終止符を打ち、中国の「国門」を外部世界、特に西側先進国にオープンしていくことによって、諸先進国から経済成長のために必要な資金と技術を導入することである。 そのためには、鄧小平は毛沢東時代の拡張戦略にも一定の軌道修正を加えた。いわば「韜光養晦」(とうこうようかい)戦略の下で、覇権主義的野望を一時的に覆い隠してソフトな外交路線を進めることで西側諸国の警戒心を和らげ、外国資本と技術が中国に入りやすくなるための環境整備を行った。全て共産党体制強化のため 結果的にはこのような鄧小平路線と戦略は大いなる成功を収めた。1980年代からの数十年間、アメリカや日本、そしてEU諸国を含めた西側先進国は皆、「中国はそのまま開放を拡大して成長が続けば、いずれか西側の価値観と民主主義制度を受け入れて穏やかな国になるだろう」との期待感を膨らませて、さまざまなかたちで中国の近代化と経済成長を支援した。 西側先進国の企業も「巨大な中国市場」に魅了されてわれが先にと中国進出を果たして資金と技術の両方を中国に持ち込んだ。その結果、中国は数十年間にわたって高度成長を続け、今や経済規模において経済大国の日本を抜いて世界第二の経済大国となった。そしてそれに伴って、中国という国の全体的国力は、毛沢東時代のそれとは比べにならないほど強大化した。 しかし中国は果たして、西側の期待する通りに普遍的な価値観を受け入れて穏やかな民主主義国家となっていくのだろうか。答えはもちろん「NO」である。 鄧小平は国力増大のために経済システムの改革と諸外国に対する開放政策を進めたが、それはあくまでも共産党一党独裁体制を強化するための手段であって戦略であり、西側の価値観を受け入れて中国を民主主義国家にしていくつもりは毛頭ない。1989年6月、それこそ西側の普遍的価値観に共鳴して中国の民主化を求める学生運動に対し、鄧小平政権が断固として血の鎮圧を敢行したのはまさにそのことの証拠だ。共産党政権の異常なる本質はこれでよく分かったはずである。  だが、残念ながら天安門の血の鎮圧の後でも、アメリカや日本などの先進国は依然として中国への幻想を捨てきれず中国への支援を続けた。特に2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟した後には、アメリカなどの先進国は技術と資金だけでなく、国内市場をも中国に提供することとなって中国の産業育成・雇用確保・外貨の獲得に大きく貢献した。 このため中国の経済規模の拡大は勢いを増したが、それに伴って中国の全体的国力と軍事力が飛躍的に上昇して、中国は西洋諸国をしのぐ世界第二の経済大国になっただけでなく、世界有数の軍事大国になって世界全体に大いなる脅威になっているのである。 この流れの中で、2012年に今の習近平政権が成立してから、中国は鄧小平時代の築き上げた強大な経済力と軍事力をバックにして再び世界制覇・アジア支配の覇権主義的野望をむき出しにして、そのための本格的戦略を推し進め始めた。 習近平主席は就任したときから、いわば「民族の偉大なる復興」を政権の基本的政策理念として全面的に持ち出した。その意味するところはすなわち、中華民族が近代になってから失った世界ナンバーワンの大国地位を取り戻して、かつての「華夷秩序」の再建を果たしてアジアを再びその支配下に置くことである。中国建国70年の記念式典で、人民解放軍を閲兵する習近平国家主席=2019年10月1日、北京(新華社=共同) そのためには習主席と彼の政権は、鄧小平以来の「韜光養晦」戦略と決別し「平和的台頭」の仮面をかなぐり捨て、赤裸々な覇権主義戦略の推進を始めた。 巨額な外貨準備高を武器にアジア諸国やアフリカ諸国を借金漬けにして「一帯一路」による「中華経済圏」、すなわち経済版の「華夷秩序」の構築をたくらむ一方、南シナ海の軍事支配戦略の推進によってアジアと環太平洋諸国にとっての生命線である南シナ海のシーレーンを抑え、中国を頂点とした支配的な政治秩序の樹立を狙っているのである。毛沢東時代に逆戻り それと同時に、習政権は国内的には毛沢東時代以来、最も厳しい思想統制・言論弾圧・人権弾圧・少数民族弾圧を行い、人工知能(AI)技術による完璧な国民監視システムの構築を進めた。その一方、習政権はいわゆる「国進民退」政策を推進して、国有企業のさらなる強大化を図って民間企業を圧迫し、毛沢東時代の計画経済に戻ろうとする傾向さえを強めてきている。 つまり、外交と内政の両面において今の習近平政権は鄧小平以来の「穏健路線」を放棄して、毛沢東時代の強硬政治と過激路線に逆戻りしている。そして、政権運営の仕方に関しても、習主席は鄧小平時代以来の集団的指導体制を破壊して、彼自身を頂点に立つ独裁者とする、毛沢東流の個人独裁体制を作り上げている。そのために彼は憲法まで改正し、国家主席の任期に対する制限を撤廃して自らが終身独裁者となる道を開いた。 しかし、ここまで来たら、鄧小平の改革時代以来、西側先進国の中国に対する甘い期待が完全に裏切られることとなった。中国が成長して繁栄すれば、西側の期待する通りの穏やかな民主主義国家になるというわけでは全くない。 中国が成長して強大化すればするほど、極端な独裁体制になって人民の自由と人権を抑圧し、国際的にはますます横暴になって覇権主義的・帝国主義的拡張戦略を推し進め、アジアと世界全体にとっての脅威となっているのである。 だが、結果的にはそれはまた、西側諸国の中国に対する甘い幻想を粉々にうち壊して、中国共産党政権の変わらぬ本質と中国の危険性を人々に再認識させ、国際社会の警戒心を呼び起こした。 その中で特に重要なのは、習政権の危険なる行いはやがて、数十年間にわたって「中国幻想」を抱くアメリカという国を目覚めさせ、「敵は北京にあり」との認識をアメリカに広げたことである。 今のアメリカでは、民主党、共和党問わず、「中国敵視」こそが政界とエリート層の共通したコンセンサスとなってしまった。習政権は愚かにも、アメリカという世界最強の技術大国・軍事大国を眠りから起こして敵に回した。 こうした中で、2017年に誕生したトランプ政権は成立当時からまさに中国からの脅威への対処を最も重要な政策課題にした。「航行の自由作戦」を展開して中国の南シナ海支配戦略を強くけん制する一方、日本との同盟関係強化や台湾との関係強化を図って中国のアジア支配に「NO」を突きつけてきた。 握手するトランプ米大統領(左)と中国の習近平国家主席=2018年12月1日、ブエノスアイレス(新華社=共同) 2018年になると、トランプ政権はさらに、中国に対する本格的な貿易戦争を発動した。それは実は、今の中国の最も痛いところを直撃するような高度なる戦略である。前述のように、強大化した中華帝国の土台を支えているのはあくまでも今までの経済成長だが、中国経済のアキレス腱(けん)は実は、内需が徹底的に不足している中で、経済の成長は国内の投資拡大と対外輸出の拡大に大きく依存している点である。そして中国の対外輸出の最大の得意様はまさにアメリカであり、中国の貿易黒字の6割は実はアメリカ市場から稼いでいる。 つまり、広大なアメリカ市場こそが中国の経済成長の命綱の一つであるが、トランプ政権が貿易戦争を発動して中国製品に高い関税をかけると、中国の輸出品はアメリカ市場から徐々に締め出されていくことになる。実際、今年の上半期においては、中国の対米輸出は前年同期比で8%以上も減ってしまい、輸出全体もマイナス成長に陥っているのである。 中国経済は沈没の一途 対米輸出と輸出全体が減ってしまうと、当然の結果、国内の輸出向け企業が軒並みに倒産して失業が拡大し、景気の悪化が加速する。その一方、輸出減がそのまま中国の手持ちの外貨の減少にもつながるから、一帯一路推進のための財源も枯渇していく。言ってみれば、トランプ政権が発動した貿易戦争は、中国経済に大きな打撃を与えているのと同時に、習政権の覇権主義的国際戦略の推進に対する「兵糧攻め」にもなるから、まさに一石二鳥である。 貿易戦争の発動と拡大が一因となって、中国経済全体は今や毎月のように減速して沈没への一途をたどっている。政府の公表した数字にしても、中国の成長率はすでに最盛期の10%台から直近では6・2%に陥っているが、中国国内の専門家が明らかにしたところでは、2018年の実際の成長率が1・67%であって、高度成長はほぼ終焉(しゅうえん)しているのである。それ以外には、中国経済はまた、巨額な国内負債問題や史上最大の不動産バブルの膨張などの「時限爆弾」的な大問題を抱えているが、その中の一つでも「爆発」すれば中国経済は一気に崩壊の末日を迎える可能性は十分にあろう。 その一方、国際戦略の推進に関しては、習政権肝いりの一帯一路構想は今や「闇金融」であるとの「名声」を世界的に広げて、欧米諸国から厳しく批判される一方、アジア諸国からの離反も相次いでいる。一帯一路は今、風前のともしびとなっているのである。 こうした中で、中国国内でも習政権にとっては頭の痛い政治的大混乱が起きている。中国の特別区である香港で起きた抗議運動の長期化である。 いわゆる「逃亡犯条例修正案」の提出をきっかけに今年6月に巻き起こった香港の市民運動であるが、香港当局が「条例修正案」の撤回を正式に表明した後でも、運動は静まる気配を一切見せていない。今ではそれは完全に、香港市民の中国共産党政権に対するボイコット運動となっていて、長期化していく様相を呈している。 そして、香港の抗議運動が数カ月にわたって展開していても、中国政府と香港政府はそれを収拾することもできなければ沈静化することもできない。 10月1日、習政権は北京で国威発揚のための建国70周年記念式典・軍事パレードを盛大に行ったその当日、香港市民が黒い服を身につけて大規模な抗議活動を展開していた。習政権のメンツはこれで丸つぶれとなって「国威発揚」はただの笑い話となっているのである。中国・香港で「逃亡犯条例」改正案を発端とした抗議活動をするデモ隊(奥)に、警官隊が催涙弾を撃ち込み現場に立ち込める煙=2019年10月1日(共同) こうしてみると、中国の習近平政権は四面楚歌(そか)・内憂外患の中で建国70周年を迎えたことになっているが、考えてみればそれはまさに、70年前に成立した中国共産党政権の歪(いびつ)な体質をさらに拡大化して独裁と覇権主義を強めた習政権の政治・外交路線のもたらした必然な結果であろう。アメリカも香港市民も、この共産独裁帝国の危険性、そして習政権の危険に気が付いて中華帝国に対する逆襲を始めたわけである。毛主席記念堂参拝の意味 こうした中で、習政権は今後一体どうやって、国内外の難局を乗り越えて活路を見いだしていくのだろうか。それを占うのに示唆の富んだ動きの一つがあった。9月30日、建国70周年記念日の前日、習主席はなんと、最高指導部の面々を率いて、天安門広場にある「毛主席記念堂」を参拝したのである。 鄧小平の時代以来、共産党最高指導部の人々が毛沢東の遺体を安置しているこの記念堂を参拝するのは普通、毛沢東誕辰(誕生日)100周年や110周年などの節目の記念日に限ったことであって、建国記念日に合わせて参拝した前例はない。 習近平指導部による、上述のような前例破りの行動には当然、特別な政治的な意味合いが込められているはずだ。要するに習主席はこの行動をとることによって、自分と自分の政権は今後、まさに毛沢東路線へ回帰することによって内憂外患の難局を打破していく意志であることを内外に向かって宣言したわけである。 人間が窮地に立たされた時には退嬰(たいえい)的な行動をとるのはよくあることだが、それと同様、今になって窮途(きゅうと)末路の習主席と習政権はどうやら、毛沢東時代への先祖返りで政権の自己防衛を図り、生きていく道を切り開こうとしているのである。 こうしてみると、建国して70年がたっても、共産党政権は一向に変わることなく毛沢東時代以来の独裁軍事政権のままであることがよく分かるし、70年間にわたる中国共産党政権の歴史は結局、70年前の悪しき原点に立ち戻ることを最終の帰結としている。 もちろん、毛沢東時代への回帰は中国自身と周辺国にとって何を意味するのかは明々白々である。習政権の下では中国という国は今後、国内的には思想統制と言論弾圧・民族弾圧がますます厳しくなって、経済が再び社会主義計画経済の統制下におかれて活力を失っていくのであろう。そして対外的には、今後の中国は武力と恫喝による台湾併合を進めていくだけでなく、周辺諸国に対してますます覇権主義的強硬外交を展開していき、習政権の中国はこれまで以上に、アジアと世界全体にとっての脅威になっていくのであろう。会談に臨む中国の習近平国家主席と安倍首相=2018年9月12日、ウラジオストク(代表撮影) 毛沢東時代に先祖返りしていく、この凶暴にして退嬰的な巨大帝国の脅威にどう対処していくのか。それこそが今後、日本を含めたアジア諸国が直面していく最大の安全保障上の難題であろう。

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    「ウクライナ疑惑」でむしろトランプ再選の可能性が高まった!

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) トランプ大統領がウクライナ政府にバイデン前副大統領の調査を働きかけたとされる「ウクライナ疑惑」が報じられてから日本国内では、トランプ大統領の政治生命は終わりつつあると考えている人が多いようだ。 特にグローバル経済からメリットを得ている人々が、そう思いたいようである。しかし、それは正しい情報を得ていないことによる誤解だ。ウクライナ疑惑に関する米国報道を見ていると、2024年までトランプ政権が続く可能性は、むしろ高まり、またトランプ氏こそ日本の味方であることが分かる。それを説明してみよう。 そもそもバイデン氏は、2018年1月に外交問題評議会で講演し、その中で「ウクライナとの10億ドルの援助と引き換えに、ウクライナのショーキン検事総長を解任させた」と公言している。つまりトランプ氏がやったと言われていることは、バイデン氏が既にやっていたのである。その講演の様子はユーチューブにもアップされていて、多くの米国民が、それを見てバイデン氏に対する不信を募らせている。 この問題に関してバイデン氏は「ショーキン検事総長が政治的に腐敗していたから解任させた」と釈明している。ところが当時ショーキン氏は、なんとバイデン氏の息子ハンター氏を月5万ドルで雇った天然ガス会社、ブリスマ社の腐敗を追及していた。  しかし、バイデン氏の圧力により、彼は2016年3月29日に解任されてしまった。この段階でブリスマ社の捜査は終了していたと報道するメディアが特にリベラル系に多いが、それは捜査資料の関係で英国に関わる部分の捜査だけであり、その他の部分に関する汚職と脱税に関する捜査は、2017年1月まで続いていた。ショーキン氏解任の1週間後、ハンター氏とも、そしてクリントン家とも親しいブルースター・ストラテジー社のロビイストが、ウクライナ大使館を通じて、ショーキン氏の後任のルツェンコ氏と面談している。 ショーキン氏が追求していたブリスマ社関係の汚職の中には、バイデン氏の友人でブリスマ社の幹部だったアーチャー氏の関係で、米国の関連会社からブリスマ社に流れた300万ドルの資金の性質を調べることも含まれていた。この調査も立ち消えになった。やはり同時に追及されていたブリスマ社の脱税の問題も、ブルースター・ストラテジー社関連の弁護士の力により罰金で済んだ。共同記者発表するバイデン米副大統領(左)と安倍晋三首相=2013年12月3日、首相官邸(酒巻俊介撮影) どうしても納得のいかなかったウクライナ検察の関係者によって、この話は2018年夏に、米国の政治倫理法に違反しているのではないかと通報されたが、米国司法省は相手にしなかったという。そこでウクライナ検察関係者は在米ウクライナ人を通じてトランプ大統領の法律顧問、ジュリアーニ元ニューヨーク市長に相談した。反トランプ派は問題視しているが、トランプ氏の私的顧問のジュリアーニ氏がウクライナ問題に積極的に関係し、ウクライナ政府関係者と面談したりしたことも、不思議ではない。 このようにウクライナ疑惑とは、ロシア疑惑同様、実は民主党の側の疑惑なのである。それをトランプ氏の疑惑にすり替えているのだ。ペロシ下院議長の思惑 確かにウクライナ疑惑が出てから、米国の各種世論調査で、トランプ氏弾劾に賛成する意見が、平均して10%近くも増えている。しかし、実はロシア疑惑が沈静化する前の水準に戻ったに過ぎず、そして弾劾に賛成の意見と反対の意見は、いずれも45%前後で拮抗(きっこう)したままなのである。 特に無党派層の間で反対が賛成を数%でも上回っていることは大きい。良識ある米国人は弾劾騒動による政治の停滞を望んでいないのである。 それは民主党も分かっている。特に激戦選挙区選出の議員は、トランプ弾劾の手続きを進めることに不安を感じている。 これは実はロシア疑惑が最も激しく報じられていたときも同じだった。だから民主党のペロシ下院議長も、トランプ氏弾劾には一貫して反対してきた。 ところが今回は早々に弾劾調査を始めると宣言した。その理由は何か? 一つには民主党内の分裂が大きくなったことが上げられるだろう。例えば今回の問題でバイデン氏に同情が集まり、来年の予備選挙で有利になりそうになれば、その他の候補者などにとっては望ましくない。 そのためかペロシ氏は下院としての弾劾調査を宣言しただけで、下院司法委員会による正式の弾劾調査を開始していない。それは非常に時間と労力が掛かり「国政を停滞させた」という国民からの批判を受ける恐れがある。 またペロシ氏は、2020年大統領予備選が始まる前の、今年中には決着をつけたいとも言っている。クリスマスや感謝祭の休暇を考えると7週間くらいしか時間がない。それで十分な調査ができるだろうか? ペロシ氏は党内の「ガス抜き」のために下院としての弾劾調査を宣言しただけで、実際に弾劾裁判を始めるつもりはないのかもしれない。いずれにしても上院で3分の2の多数を必要とする大統領弾劾が実現する可能性は低いだろう。 では繰り返すが、なぜペロシ氏は、トランプ氏の弾劾調査を下院として始めたのだろうか? それは以上のような問題以前に、バイデン氏には後に述べるものも含めて他にもいくつもの疑惑があり、それは前述のようにロビイスト会社などを通じて、クリントン家に結びつくものもある。また国務省は今、ヒラリー・クリントン氏の電子メール疑惑の再捜査の追い込みに入っている。ヒラリー・クリントン米上院議員(クリントン前アメリカ大統領夫人)UPI=共同 前述のようにウクライナの検察関係者からの通報を司法省は無視している。今回のウクライナ疑惑も内部告発によって発覚したが、その内容は伝聞に基づくもので、そもそも伝聞に基づく内部告発は取り上げない規則だったはずなのである。 そのため告発を受けた国家情報長官が、これを議会に取り次ぐ必要がないと考えたのも、間違いだったとは言えない。ところが告発が行われる直前に規則が改正され、伝聞による内部告発も有効になるようにされてしまっていた。民主やヒラリーが乗っ取り ロシア疑惑も同じだったが、司法省その他が民主党やヒラリー氏に乗っ取られている。そして多くの不正利益をむさぼっていると思われるのである。 その中には中国が南シナ海に進出した直後の2013年12月にバイデン氏が副大統領として北京を訪問した12日後、ハンター氏が中国銀行から数十億ドルを引き出してBHRというファンドを設立した問題もある。ハンター氏はBHRの株を43万ドル分以上、2019年6月の時点でも持っていたことが確認されているが、このBHRは設立以来、世界のエネルギーと兵器産業に莫大(ばくだい)な投資を行ってきたことの方が問題だろう。 さらに2015年にBHRと中国航空宇宙公司がミシガン州の自動車会社を買収した問題でも議会の調査でハンター氏の介入が明らかになっている。この自動車会社の製品は兵器転用可能なので国家安全保障に関わる問題だったからである。にもかかわらず、この会社は中国に買収され、この会社の技術が今では中国の戦闘機生産に使われていると言われている。 いま米国でトランプ弾劾を主張する人々は、トランプ氏が軍事援助と引き換えにウクライナに調査を強制したのなら、それは国家安全保障上の問題であり、ロシア疑惑のような選挙関係のみの場合とは異なると主張している。確かにバイデン氏がウクライナ政府に検事総長を解任させる取引に使ったのは軍事援助ではない普通の援助だった。 しかし、軍事援助と引き換えの取引は、トランプ氏もウクライナ大統領も否定している。そして真に国家安全保障に脅威を与えるようなことを、中国との間で、己のファミリーの利権のために行ったのは、バイデン氏および彼を庇(かば)い立てする民主党の方なのである。 確かにトランプ氏の対中経済制裁のために米国の景気は後退してきている。だが、それでも来年の成長率は予測でも1・6%。今後の動向次第では、もっと高くなる可能性もあると思う。 また、今年の夏から短期金利が長期金利を上回る、いわゆる「逆イールド」現象が起きている。これは普通、景気後退の予兆ではある。だが景気後退が起こるまで18カ月はかかると言われていて、これは大統領選挙の後になることを意味する。 しかも原因が長期運用の余裕がなくなった中国マネーによる短期運用の増加という一過性のものだったからか、逆イールド現象が起きたらすぐに起こるはずの株式の暴落も起きなかった。それほど米国経済は堅調なのである。 そのためかインフレと失業を足した数字も6%程度。これが10%を超えればトランプ氏の再選は赤信号だが、このまま行けば再選される可能性の方が高い。 日本は当面、「トランプのアメリカ」と付き合っていくしかない。それは中国との貿易で儲けるのは難しくなり、米国との絆を経済、軍事両面で強くしていくこと以外の道はないことを意味する。そして、そうしなければ南シナ海情勢の悪化など、日本にとって致命的なことにもなりかねない。記者団らに話すドナルド・トランプ大統領 =2019年2月19日、米ホワイトハウス(ロイター=共同) それは民主党政権になったとしても同じなのだが、トランプ政権の方が民主党政権よりも信用できることは、今まで述べてきたことからご理解いただけると思う。バイデン氏のように中国に軍事情報を売るような政治家が、民主党には他にもいる可能性は、クリントン家と親しいロビイスト会社のウクライナ問題との関わりなどから考えても、低くないように思われる。 そして今後ウクライナ疑惑の真相が明らかになってくれば、大統領選で民主党が勝つ可能性は、ますます低くなる。つまりトランプ再選の可能性は高くなるのである。われわれ日本人は、そこをよく考える必要があるだろう。【iRONNAリアルイベント第2弾を開催!】政治学者で元在沖縄米海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ氏とグローバル・イッシューズ総合研究所代表の吉川圭一氏を講師に迎え、対談形式の講演会を開催します。世界の秩序を大きく変えると共に、貿易交渉や日米安保の見直しなど、日本にとっても大きな影響力を持つ米国大統領、トランプについて激論を交わします。■テーマ「神か? 悪魔か? 米国大統領ドナルド・トランプ」■日時、会場 10月31日(木)午後2時~3時半、産経新聞大阪本社(大阪市浪速区)■定員 50人募集■参加費 3千円■申し込みは産経iDのサイトから。登録(入会金・年会費無料)が必要です。https://id.sankei.jp/※詳細は下記をご確認くださいhttps://ironna.jp/theme/1057

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    戦争をしないトランプが日本にとって「不都合」な理由

    る石油が1億8000万バレルもある。つまり、実は大きな影響があったとは言い切れないのである。 実際、国際石油価格は、この事案前の1バレル約60ドルから、65ドルに上昇した程度である。これは比較的穏やかな変化であると市場関係者は受け止めている。 さらに米国も自国が産油国になった関係上、80年代には1日200万バレルを中東地域から輸入していたのが、今では半分以下である。そのためトランプ政権成立以前から言われている「米国は中東地域に軍を展開させている必要があるのか?」という論調が、米国の有力なメディアやシンクタンク報告書の紙面を踊っているほどなのである。 しかし、サウジがその防衛を米国に依存しており、地域のバランスを考えると、米国も簡単に放棄してしまうわけにはいかない。20カ国・地域(G20)首脳会合 記念撮影に臨む、サウジアラビアのムハンマド皇太子(奥)とドナルド・トランプ米大統領(右)=2018年11月30日、アルゼンチン・ブエノスアイレス(ロイター=共同) そこで9月20日、トランプ政権は、サウジとアラブ首長国連邦(UAE)に、防空システムと追加の兵力を送ることを決定した。ただし国防省高官は、これは防衛的な措置であり、サウジなどに追加派遣される部隊は、数千人規模にはならないだろうと述べている。つまり政治的、象徴的な意味が大きいのである。 それよりも非常に重要なのは、同時に発表されたイランへの新しい金融制裁だろう。 トランプ政権は9月20日、前述のサウジなどへの軍事的支援と同時に、イランの中央銀行および国家開発基金に対する新しい制裁を発表した。その結果、これらの金融機関が米国に持つ資産は凍結され、米国に拠点を持つ金融機関や企業との取引も停止させるだけではなく、これらイランの金融機関とビジネスを行う外国企業などの米国市場へのアクセスも禁止することができる。 ムニューシン米財務長官によれば、これらのイランの金融機関は、レバノン、シリア、イラク、イエメンなどで活動するヒズボラなどの国際テロ組織に資金を供給してきたという。例えば今年1月に国家開発基金は、「イスラム国」(IS)などのテロ組織に48億ドルもの資金提供を行っているという。 このような問題は以前から続いていて、そのため米国は昨年、イラン中央銀行のバリオラ・セイフ総裁を国際テロリストに指定するという非常に珍しい措置を既にとっていた。もちろん他国の中央銀行に対する金融制裁が異例なものであることは言うまでもない。イラン戦争は起きない! もともと米国のイラン強硬路線は、単に核武装阻止だけではなく、テロに対する支援を止めさせることにあった。例えばレバノン、シリア、イラクを中心に展開してイスラエルを狙い、米国の裏庭ベネズエラにまで進出しているイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラは、シリアとイラクだけでも、そこに展開する米軍5200人の20倍以上の兵力を持つ。このヒズボラやイエメンからサウジを狙い今回の石油施設攻撃を行ったと言われるテロ集団などに対し、イランは莫大な資金援助を行ってきた。 そのための重要な送金ルートで、イラン国家開発基金だったわけだが、これは確かにイランの核開発などにも予算を回している。イランの核開発問題に関しては、イラン核合意に参加した欧州の国々などは、いまだに同合意を尊重し、米国の対イラン制裁には積極的ではない。 しかし、国際的なテロ対策が目的であるということになれば、この度の金融制裁に関しても、積極的に協力する可能性がある。例えばイランの中央銀行や国家開発基金が、新しい秘密口座を開設することへの取り締まりなどである。 それが成功すれば、テロ対策に非常に効果的なことは言うまでもない。それだけではなくイランの国内経済が破綻寸前になり、現政府が国民の蜂起で崩壊する可能性もある。それには時間がかかるかもしれない。しかし最初に述べたような理由で軍事攻撃を行うよりはベターと思われる。 もしボルトン氏が国家安全保障会議(NSC)の大統領補佐官を続けていたとしたら今回の石油施設攻撃を契機に一気に対イラン戦争が起こったかもしれない。しかし石油施設の攻撃は、彼の解任から数日後に起こった。そしてイランへの金融制裁などが決定される2日前の9月18日に後任のロバート・オブライエン氏が大統領補佐官になっている。 オブライエン氏はボルトン氏が国連大使時代に副官として仕え、歴代の共和党大統領候補の選挙参謀も勤めたタカ派に近い人物ではある。しかし基本的には在野の弁護士としての業績や経歴の方が大きく、トランプ政権になってからも国務省の国際人質救出交渉担当者として辣腕(らつわん)を振るった。つまり米国人を人質にするような国際テロ組織の問題には精通していると思われる。 そして基本的には交渉人タイプの人材なので、ボルトン氏のように自らの意見を推し進める(そのためにNSC内部の決定プロセスを不透明化する)のとは違い、NSCの決定プロセスを重視するだろうと言われている。 就任2日で、どれくらい影響があったかは分からないが、このような決定スタイルが、この度の金融制裁などには適していることは確かだろう。 ボルトン氏からオブライエン氏に大統領補佐官が交代する期間に、サウジでの石油施設攻撃が起こっている。何か大きな力が働いたのかもしれない。こう考えてみるとアクシデントがない限り当面はイラン戦争はないと考えてよいだろう。スウェーデン・ストックホルムを訪れたオブライエン米大統領特使(AP=共同) だが、それは日本にとって、望ましいわけではない。この金融制裁や今までの石油輸出への制裁が続いて、しかしイランが米国となかなか妥協しない、あるいはイラン政府が倒れない状況が、長く続いたとすると、今年の年末くらいから、1バレル80ドルに近い石油の値上がりが起こる可能性がある。 世界の国内総生産(GDP)の1・2%を占めるイランの経済が大打撃を受ければ、その影響が世界経済に出るからである。これは今の米中間の貿易戦争と同じ0・2~0・3%も世界のGDPを縮小させる。特に中東の石油や経済への依存度が高い日本経済には、はるかに大きなダメージが予想されるように思う。 では日本は、どうしたらいいのか? たとえ苦しい時期はあっても、米国のイラン金融制裁に積極的に協力し、イランを妥協ないし崩壊に追い込むしかないと思う。 米国に逆らってイランと石油などで取引しても、あるいは石油の備蓄を増やしたりしても、米国の金融制裁の世界のGDPなどへの影響は打ち消せない。いずれにしても日本は米国との関係なしに世界では生きて行けない。 特に今回の金融制裁のターゲットが核開発阻止だけなら英仏独などと協力できなくはないかもしれないが、テロ対策が真の目的であることが明確になってきたので、ますます積極的に協力せざるを得ない。また、積極的な協力を正当化できるとも言える。具体的にはイランの金融機関の秘密口座開設の取り締まりなどが重要だろう。 その結果として時間はかかってもイランの現政権が米国に協力的になり、あるいは崩壊してイランが民主化されれば、それがテロ対策も含めて日本にとっても最も望ましい最終的解決になるだろう。【iRONNAリアルイベント第2弾を開催!】政治学者で元在沖縄米海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ氏とグローバル・イッシューズ総合研究所代表の吉川圭一氏を講師に迎え、対談形式の講演会を開催します。世界の秩序を大きく変えると共に、貿易交渉や日米安保の見直しなど、日本にとっても大きな影響力を持つ米国大統領、トランプについて激論を交わします。■テーマ「神か? 悪魔か? 米国大統領ドナルド・トランプ」■日時、会場 10月31日(木)午後2時~3時半、産経新聞大阪本社(大阪市浪速区)■定員 50人募集■参加費 3千円■申し込みは産経iDのサイトから。登録(入会金・年会費無料)が必要です。https://id.sankei.jp/※詳細は下記をご確認くださいhttps://ironna.jp/theme/1057

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    ボルトン解任で「日本の核武装」が現実的になった

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) 9月10日、ボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が解任された。その深層を分析してみると、トランプ政権の実態が見えてくる。そして、それは日米安保の大幅な見直しにもつながっていく可能性が極めて高いのである。 そもそもボルトン氏が前任者のマクマスター氏に代わって国家安全保障会議(NSC)の大統領補佐官になったのは、ポンペオ氏が中央情報局(CIA)長官からティラーソン氏に代わって国務長官になるのと、ほとんど同時だった。部下を戦死させたくない制服軍人のマクマスター氏と石油会社の社長だったティラーソン氏は、共に対イラン強硬路線に反対だった。 ボルトン、ポンペオ両氏は、共にタカ派として知られていた。北朝鮮に対しても先制攻撃論者だったが、二人ともNSCの大統領補佐官や国務長官に任命される前後から、トランプ政権が目指していた北朝鮮との対話路線に積極的になった。つまり、この人事は明らかに対イラン強硬派シフトであったのだ。 日本にとっては残念ながら、この段階で少なくともイラン問題が米国の目から見て解決するまで「二正面作戦」を避けるためにも、北朝鮮とは融和路線を進むことが、トランプ政権の方針だった。 だがトランプ政権は、サウジアラビア人記者、カショギ氏殺害事件を契機として、サウジの協力を得るのが難しくなった。欧州(おうしゅう)諸国を巻き込んだ対イラン有志連合の形成にも手間取っている。いずれにしてもトランプ大統領は、少なくとも2020年の再選までは、流血の大惨事を避けたいと本気で考えているようである。 と言うよりも、トランプ氏はこれまでワシントン既成勢力が行ってきた政治を改め、例えば外交に関しては過度な世界への介入を止めることを主張して大統領になった。そして、マクマスター氏ら制服軍人を含めた既存のワシントンの官僚や政治家を徐々に廃して、この公約の方向に自らの政権を変化させてきた。 ところが、ボルトン氏は印象とは違って、トランプ政権の中では珍しいくらいのワシントン既成勢力派だった。その中では最もタカ派的で、また個人としては真面目な理想主義者だったにすぎない。 それに対して、ポンペオ氏は2010年に下院議員になった元弁護士で、しかも将来は大統領の地位を狙っているとも言われている。ポンペオ氏がトランプ氏の方針に忠実だったのは当然だったかもしれない。 実は、ボルトン氏もこれまで多くの同僚たちとの摩擦が問題になったことはあっても、上司との関係は常に良好だった。しかし年齢も70歳。国家に対する最後の奉仕という気持ちもあったかもしれないし、いずれにしても個人としては実に真面目な理想主義者である。そのため、ボルトン氏は次第にトランプ氏の思惑を外れて対イラン、対北朝鮮その他で、強硬路線をひた走り始めた。 ここで同氏がワシントン既成政治派だったことの影響が出てくる。多くの元同僚を集めることで、NSCを彼は乗っ取ってしまったのだ。イランへの限定的空爆が行われそうになったのも、ボルトン氏がトランプ大統領に正確な情報―100人規模の戦死者が出ることなどを直前まで知らせなかったためだった。このような状況は、その数カ月前から始まっていた。 やはりワシントン既成勢力の一員というべき制服軍人のマティス氏が国防長官を解任されてから、国防長官代行だったシャナハン氏は、民間企業出身でワシントン政治に慣れていなかった。そのためボルトン氏に影響されることが多かった。 そこでシャナハン氏を解任し、ポンペオ氏と学生時代から親しいエスパー氏が国防長官に任命される人事が、イラン空爆の直前に行われた。そこでイラン空爆が直前に中止された経緯がある。ボルトン氏の後任候補 実はエスパー氏も制服軍人なのだが、少なくとも対中強硬派で、しかも宇宙軍創設には積極論者だった。ワシントン既成勢力である古いタイプの軍人や国防省官僚らが、ポストの奪い合いなどを嫌って宇宙軍創設に反対しているうちに、米国は宇宙軍で中国やロシアに後れをとってしまっていた。そこで宇宙軍を創設することもワシントン既成勢力打破を目的とするトランプ政権の重要な役割だった。 それを任されていたのが、ボーイングの元副社長で、理系でキャリアを積んだシャナハン氏だった。彼であれば制服軍人以上に上手くできたかもしれない。 さらに、仮に日米安保の大幅な見直しが行われることがあれば、どの在日米軍基地が本当に米国にとって必要で、どれは撤退させてもよい―といった計算も、コンピューターのプロである彼であれば、できるだけ多くの基地を守りたい制服軍人よりも的確にできただろう。 しかし、理系の彼はワシントン政治のプロであるボルトン氏に影響されすぎた。そこでシャナハン氏も解任され、ポンペオ氏に近く、部下を戦死させることを嫌う制服軍人であるエスパー氏が国防長官になった。これはボルトン氏とのバランスをとるためだったと思われる。 しかし、ボルトン氏は自らの理想と信念をひた走り続けた。イラン、北朝鮮、日本であまり報道されていないベネズエラなどに対して、これまで以上に強硬路線を主張した。そのため軍事境界線で行われた3回目の米朝会談のときは、モンゴルに出張させられていたほどである。 このような摩擦が何度も続き、ボルトン氏の解任の最後の決め手になったのは、9月7日、数日後に予定されていたアフガンのタリバン勢力とのキャンプデービッド和平協議を、トランプ政権がキャンセルせざるを得なくなったことだと言われている。これはテロ勢力との和解に反対する強硬派のボルトン氏によるリークも大きな原因の一つであるとワシントンでは考えられている。 このアフガンからの撤退問題に関しては、トランプ氏は大統領になる前から、正規軍を民間軍事会社に置き換えることを構想している。それは当然、制服軍人を中心としたワシントン既成勢力が嫌うことである。リークはボルトン氏からだけのものだったのだろうか? いずれにしても副補佐官、クッパーマン氏がしばらくは大統領補佐官代行になることになった。ボルトン氏に近すぎる彼が正式に大統領補佐官になる可能性は低いが、ないとは言えないようにも思う。彼はシャナハン氏と同様、ボーイングと非常に縁深く、宇宙軍の創設や世界の米軍展開見直しなどにおける活躍が期待できるからである。ホワイトハウスの執務室でトランプ米大統領(左)の話を聞くボルトン大統領補佐官=2019年8月20日、ワシントン(ゲッティ=共同) ほかにボルトン氏の後任として名前が挙がっているのは、みな今までイランや北朝鮮との対話路線で活動してきた人ばかりである。いずれにしても、今後のトランプ政権はアクシデントがない限り、当面はイランとも北朝鮮とも対話路線でいくことになるだろう。 その結果として、米国まで届く核ミサイルさえ持たなければ、核武装したままの北朝鮮と米国が和解する事態も考えられないわけではない。そうなれば日本は北朝鮮の核の脅威に常に曝(さら)されることになる。日米安保見直しの可能性 ボルトン氏がいてくれれば、日本に味方してくれるのに―と考える日本の保守派は多いかもしれない。しかし、そう一概には言えないだろう。 ボルトン氏は米国の愛国者で米国の国益を何よりも重視してきた。日本が国連安保理常任理事国になることを積極的に支援し始めたのも、彼が主導したイラク戦争が中国の反対で国連による容認決議がとれなくなってからであり、ブッシュ一世政権時代は湾岸戦争に中国も国連で容認したこともあり、その後の日本の安保理常任理事国入りに積極的ではなかった。 拉致問題に非常に積極的に協力してくれたのも、北朝鮮を追い詰めるための手段だ。そしてボルトン氏も実は沖縄米軍基地撤退論者だったはずなのである! この最後の問題も、私のワシントン時代の経験からすると、制服軍人以外のワシントン既成勢力―特に国務省の官僚の共通認識に実は、なってしまっているように思う。ボルトン氏と言えどもワシントン既成勢力の、それも国務省高官の一人である。 そのワシントン既成勢力を打倒することが歴史的使命であるトランプ政権もまた、米国が世界に広げすぎた手を縮めて、その分の予算で国内の格差問題などに注力することが目的だ。 そう考えると、シャナハン氏、クッパーマン氏といった理系のプロ的な人々が、米国の外交政策を取り仕切るようになったときが、米国が日本に日米安保の大幅な見直しを要求してくるときなのではないかと思う。 その際に米国は、核を持ったままの北朝鮮と和解し、日本は常に北朝鮮による核の脅威の下におかれるかもしれない。 日本は、それに備えて憲法を改正し、軍事力を増強するしかないだろう。だが日本の力だけで足りるだろうか? 一縷(いちる)の望みは今の米国の「反中」は本気だということだ。南シナ海でも航行の自由作戦を繰り返し、ボルトン氏の沖縄米軍撤退論も、その替わりに台湾に米軍基地を置くことを主張していた。中国だけではなく、中東方面での有事を考えるとき、在日米軍基地はロジスティクスの拠点として重要なものも多く、そんなに多くの在日米軍基地を削減できるか疑問もある。 今の米中の経済摩擦は、単なる貿易や技術の問題だけではない。通信技術の問題は、軍事力による世界覇権―特に宇宙軍やサイバーの問題と密接に関係している。 むしろここに、日本が米国に協力できる部分があるのではないか? 技術的な問題の一部だとしても、日米共同の宇宙戦やサイバー戦が行えるようになれば、中国や北朝鮮の核の脅威も低減させることができるかもしれない。 いずれにしても米国から購入するような形でも、もう日本も核武装も考える時期だと思う。それはワシントン既成勢力が、最も嫌がることではある。しかし彼らを打倒する歴史的使命を帯びたトランプ氏は、2016年の予備選挙の最中に一度とはいえ、口に出しているのだ。会談の前に握手するボルトン米大統領補佐官(右)と河野太郎外相(当時)=2019年7月22日、東京都千代田区の外務省(佐藤徳昭撮影) もし実はワシントン既成勢力の一員だったボルトン氏が、大統領補佐官のままだったら、それを許してくれただろうか? 今回の「ボルトン失脚劇」は、タカ派とハト派の対立というより、ワシントン既成勢力とトランプ改革政治の対立だった。いずれにしても制服軍人以外は、両者共にそろそろ在日米軍基地の大幅な見直しを考えていることは共通している。 しかしトランプ氏には日本の核武装も含めた既成勢力とは異なるビジョンがある。これからも日本はトランプ政権の人事その他の動向を注視し、その先手を打って協力するようにしていかなければ、世界の中で生き残ることができなくなってしまうだろう。【iRONNAリアルイベント第2弾を開催!】政治学者で元在沖縄米海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ氏とグローバル・イッシューズ総合研究所代表の吉川圭一氏を講師に迎え、対談形式の講演会を開催します。世界の秩序を大きく変えると共に、貿易交渉や日米安保の見直しなど、日本にとっても大きな影響力を持つ米国大統領、トランプについて激論を交わします。■テーマ「神か? 悪魔か? 米国大統領ドナルド・トランプ」■日時、会場 10月31日(木)午後2時~3時半、産経新聞大阪本社(大阪市浪速区)■定員 50人募集■参加費 3千円■申し込みは産経iDのサイトから。登録(入会金・年会費無料)が必要です。https://id.sankei.jp/※詳細は下記をご確認くださいhttps://ironna.jp/theme/1057■宮崎正弘×吉川圭一対談 米国が描く中国崩壊シナリオはこれしかない■トランプ政権誕生を暗示した?三島由紀夫「50年後」の予言■「結果的に得する」中国を叩きのめしたいのはトランプだけじゃない

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    宮崎正弘×吉川圭一対談 米国が描く中国崩壊シナリオはこれしかない

    介により、ミサイルや核の協力関係があるとされています。アメリカの裏庭のベネズエラに、イランの支援する国際テロ組織の支部ができて、ロシアも軍事顧問団的なものを送っているようです。 非常に複雑な立体地図の中で、トランプとプーチンと習近平がどう動くのか、それに対して日本も先読みして安倍晋三首相がどう動くか。それによって日本がこれからの生き残れるのか決まってくると思います。G20首脳会議のデジタル経済に関する特別イベントであいさつする安倍晋三首相(中央)。左はトランプ米大統領、右は中国の習近平国家主席=2019年6月、大阪市住之江区(代表撮影) 宮崎 もう一つ、昨年の10月4日に、ペンス米副大統領が演説で「われわれは今までハッカー戦争で受け身だったけれども、これからは攻撃型に変える」と言っています。それと宇宙軍を作ることも明言しています。 これがどういうことかと言えば、例えば5Gで中国が先んじた場合、通信速度は現状の100倍ぐらいになる。今0・001秒差ぐらいなのが、0・00001秒ぐらいの差で中国のハッカーが米国防総省(ペンタゴン)の中枢に入り込んで命令系統をズタズタにしたら、アメリカは戦えない。だから宇宙軍を作って、アメリカが先に中国の指揮系統を叩く、そういう戦争になっていくと思いますね。ソ連型と異なる「中国崩壊」 吉川 そういうことも今までのワシントン政治では既成勢力の予算獲得競争などで上手くいっていなかったのが、トランプが大統領になってから軌道に乗り始めた。そのようなサイバー攻撃や宇宙軍がしっかりしていれば、超音速で飛ぶミサイルも、事前に宇宙から索敵しておいて撃墜することなどもしやすくなります。そういう新スターウォーズ構想のようなものをトランプは中間選挙の後に明らかにしました。 最初のスターウォーズ構想は、レーガン大統領が言い出したものです。まったく同じことは当時のソ連には技術的にできなかったから、ソ連は降参して冷戦は終結したわけですが、それと同じような形にもっていこうとしているのではないかと考えています。 宮崎 ソ連の場合、経済制裁を受けていましたが、ソ連には全く輸出するものがなかった。原油とウォッカとマトリョシカくらいじゃないでしょうか。でも、中国は山のように輸出するものがあって、外貨が入ってくる。だから、経済的に中国を干すというのはなかなか難しい。つまり、ソビエト型の崩壊というシナリオは考えにくいでしょう。 吉川 そうでしょうね。ただ国際政治の理論で、「軍事競争というものは量的な競争であり、量的な競争をやっていれば接戦になるので熱い戦争になるけれども、質的な競争は一方が急激に伸びて圧倒的に勝つ可能性があるので、もう片一方が何らかの形で降りざるを得なくなる」という考え方もあります。米ソ冷戦はそういう形になったわけですが、今回の米中の5Gやサイバーというのも、質的競争で決着がついてくれればいいなと思います。 宮崎 先ほど米中対立は、次に金融戦争になると言いましたが、アメリカにはもう一つ癪(しゃく)に障っていることがあるからです。それは「ドル体制」という戦後のブレトン・ウッズ体制を中国がひっくり返そうとしていることです。 中国が進めているのは、まず人民元の勢力圏を作ること。アジアインフラ投資銀行(AIIB)なる奇怪な銀行をつくって、それから国際通貨基金(IMF)に人民元が入ってきた。そして通貨スワップ、もしくは人民元決裁権を方々に広げています。例えばタイでは食堂に入っても人民元が使えるぐらいです。ロシアとの貿易決済も一部人民元にしています。 これをどうやってアメリカが食い止めるかなのです。つまり、通貨覇権を絶対に死守するということですが、これから使うであろう手というのは、中国の外貨を払底させるというのが一番でしょう。そうすると人民元という価値がぐっと下がりますから。二番目に実行するのは、中国の銀行の信用力を崩壊させることです。こういうわれわれには全く見えない手を打っているのだろうと思います。完全に機密になっているので、今は想像でしか言えませんが。 ただ、こうした状況を見ていると、中国は自壊が始まっているようです。何しろ、中国の負債総額が日本円で6千兆円ぐらい、一説によれば9900兆円という見方もあります。ただ、中国の国内総生産(GDP)は1千兆円ぐらいあるでしょう。このGDPの飛躍をどこで止めるかですが、そもそも大半が不動産投資です。だから簡単で、金融を閉めたら不動産投資にいかない、いかないばかりかこれまで不動産のローンを組んだ人たちは相当哀れな結末になるのではないかと思います。要するに、アメリカが金融面における攻撃を始める前に、中国が自滅していくのではないでしょうか。すでに包商銀行が危うくなって、中国政府が救済しました。徐々にアメリカで起きたサブプライムによる破綻で起きたリーマン・ショックと似た状況になっている。中国政府もまだ小さな銀行は助けますが、次に大手がひっくり返ったときは危ないですよ。評論家の宮崎正弘氏=2019年7月、東京都千代田区(三尾郁恵撮影) 吉川 アメリカの新聞を見ているだけでも、25%の関税のおかげで輸出ができなくなって困った中小企業を助けるために、そういう中国の大手銀行が積極的に貸出するように中国政府が命令して貸し出した。しかし、お金をもらった中小企業は何をやっているかというと、どうせ新しい工場を建てても輸出はできないから、不動産投資をやっている。どんどん中国経済の実態がなくなってきているわけで、関税政策が中国の金融崩壊を速めているのは確かですね。親中派も多い自民党 宮崎 ではこの状況に日本はどうすればいいのかと言っても、74年間憲法を変えられない国が主体的にどうしようと言っても無駄な気がしますし、基本的なことを言うしかない。自分が正しく判断したことを、主権を行使してやりなさい、という。これはどの国でも基本でしょう。リーマン・ショックのときには、三菱UFJ銀行が銀行を買わされて、野村証券が、中東かどこかのリーマンブラザーズを強制的に買わされたじゃないですか。ということは、中国が悲鳴を上げて日本に助けを求めたときに、お人好しな自民党政権はやっぱり助けると思います。 吉川 そうですね。自民党は親中派も多いですからね。 宮崎 そうそう、そこが危ない。特に伊藤忠商事はまだ、中国に投資していますから。中国と心中するつもりなのでしょうか。 もう一つ留意すべきは、大々的に生産しているトヨタ、日産、ホンダが結局どうするかでしょう。最悪のシナリオはかつての満洲と同じように財産を全部おいて逃げ帰ってくることですね。中間的なシナリオとしては、トランプが仕掛けた今の貿易規制がますます強化されるでしょうから、日本企業のハイテク部門やケミカル関係など、すべて影響を受けることになります。 吉川 すでに昨年末の段階で、南部中国アメリカ商工会の調査によると、会員企業の約7割が中国からの撤退の準備をしているそうです。別の統計ですが、オバマ政権末期には456億ドルもの対中投資を米国企業はしていたのに、2018年は20億ドル。サプライチェーンは切断され始めています。そうなれば、経済・金融・技術面での覇権争いで、アメリカが優位になれるだけではありません。軍事的な「熱い戦争」をしてもアメリカは困らなくなる。 私は南シナ海問題がこれからもっと深刻になってくると思いますね。南シナ海はほかに比べて水深が深いので、水中発射でアメリカまで届く核ミサイルを装備した潜水艦を沈めておけます。ですから、アメリカは南シナ海で行われる中国の軍事訓練に非常にナーバスになっていて、人工島やミサイル発射台を撤去してほしいと強硬に言っていますし、南シナ海では部分的に「熱い戦争」になる可能性もあるのではないでしょうか。 第一列島線である沖縄、台湾、フィリピンあたりに、核は積まないにしても中距離弾道ミサイルを置いておけば中国をつぶせるという戦略が、ワシントンのシンクタンクからも正式に出ています。そのために米国は中距離核戦力全廃条約(INF)から撤退しました。結局80年代の欧州と同じで、そういうものを一度配置して、中国側が南シナ海から撤退するならアメリカもそれを撤去し、かつ関税も下げるというような取り引きが、トランプと習近平の間で来年の選挙後ぐらいにあるのではないかと予想しています。 宮崎 G20前後に言っていたトランプの日米安保条約破棄というのは冗談ではなく、かなり本気の部分があると言えます。でも、それは大いに歓迎すべきことではないかと思います。わが国が主権国家であるならば、自分で防衛するのは当然ですからね。それをトランプは早くやれと言っているわけです。 吉川 米ソ冷戦が終結したときにアメリカが一方的に日本を守らなければいけない理由がなくなったので、日米安保の見直し、日本の憲法問題、核武装など何から何まで考えなければならなくなることを、冷戦終結当時に何人かの先生と話した記憶があります。 ところが、そこへいわゆる「瓶の蓋(ふた)」論が出てきた。「もし米軍が撤退したら、日本はすでに相当な能力を持つ軍事力を、さらに強化するだろう。誰も日本の再軍備を望んでいない。だから、われわれ(米軍)は(軍国主義化を防ぐ)瓶の蓋なのだ」という考え方です。そしてクリントン政権というものができてしまった。彼は非常に理性的な学歴エリートで、その彼と体質を同じくするワシントンの役人も、日本が軍事大国になるのは脅威ではないかという考え方だったわけです。その考え方をする官僚らが25年もワシントン政治を仕切ってしまった。本来、私の認識では25年前に出るべき「日米安保の見直し」論が、クリントン政権以来、延び延びになっていたのが、今になって出てきたのではないかと思います。吉川圭一氏=2019年7月、東京都千代田区(三尾郁恵撮影) 宮崎 その前に、1980年に日米安保改定20周年のシンポジウムを開催しており、これはフォード前大統領と岸信介元首相が共催したものです。そのときにアメリカから「もう改定して20年も経っているのだから、中身が不均衡なものをより対等なものに改定する必要がある」と提案がありました。日本の新聞も報道はしましたが、それで終わってしまう。誰も重視していなかった。日米安保の改定というのは本来なら日本が言い出すべきですが、そのままずるずると時間だけが過ぎていったのが事実です。 だからトランプは「非常にアメリカだけ負担が大きい、それからアメリカだけが犠牲になる」と認識している。戦争でもし闘っても、日本はそれをソニーのテレビで見ているだけだと、不満がマグマのように噴出しているのが分かります。障害は日本の現行憲法 吉川 トランプは大統領選挙、特に予備選挙の最中からそういうことを言っていました。今回トランプから日米安保の見直し論が出てきたのは、イランのことがあるからだと思います。 イランがアメリカの無人機を攻撃したので、それに対する報復攻撃をやろうとしたが、直前で思いとどまった。そのときに、日本は消費する石油の6~7割をペルシャ湾から買っているにもかかわらず、日本がペルシャ湾の防衛をやらないのはおかしいのではないかとツイッターでつぶやいて、G20後の記者会見でもそのことは言っていました。こういう一連の流れからすると、トランプは本気なのではないかと私は思いますね。 宮崎 本気であることが分かる一方で、トランプは日本に関する勉強をほとんどしてないから、理解度は低いですね。北朝鮮危機のときも、日本に協力しろ、と言ったら日米安保条約、日米地位協定、それから日本の憲法があってできないということを初めて知ったようで、本当にびっくりしたという話もあった。日本は戦争に巻き込まれるようなものではなく、後方支援や終わった後の地雷処理とか、そういう協力しかできないことを今はだんだん分かってきたのではないでしょうか。 だから次にその不満をどこにぶつけるかというと、結局日本の障害になっている憲法だと。だから、憲法改正を迫るのは内政干渉になるけれども、形を変えて言ってくるのではないかと思いますね。 吉川 「在日米軍基地駐留経費の日本側負担を何倍かに値上げしろ!」などですね。それくらい言われたらさすがの日本人も、そんなお金を払うなら憲法を改正して強力な自前の軍隊を持った方がよいと目覚めるかもしれません。米国製の兵器と今まで引き取ってきた米国債を交換してもよい。その代わりに、むしろ在日米軍基地駐留経費を今までは7割負担していたのを5割にしてくれと交渉する。最初から5割と言えば6割にされてしまうので、3割と言っておいて5割で手を打つ。それくらいのことを日本がしてもよいと思います。 そうなれば、在日米軍基地の見直し問題も出てきます。マティス国防長官が退任後、しばらく国防省のトップが不在でしたが、今年6月にボーイング社の理系重役だったシャナハン国防長官代行が国防長官への指名を断ったのです。彼はボルトン大統領補佐官に影響されてイランとの早期開戦論者だった部分があるので、イランとの流血の大惨事を少なくとも来年の選挙まではしたくないというトランプの意向が、もしかしたら少しあったのかもしれない。そしてポンペオ国務長官の陸軍士官学校時代からの友人で、マティスと同様に元制服軍人だからこそ部下を戦死させるようなことは避けたいエスパーが国防長官に就任しました。 ただ、本当に日米安保を見直すということになった場合、「この基地とこの基地は日本の領土上になくてよい」などとコンピューターで計算して交渉をするなら、シャナハンが最適だったと思います。エスパーのような制服軍人はどちらかというと、日本の軍事基地は守りたい方が多いのです。 日米安保を大きく見直す、日本側も憲法を大きく見直さざるを得ないという話が出てくるとしたら、エスパーから民間出身の人に再び国防長官が代わったときではないか、と今の段階では思っています。米ホワイトハウスで、エスパー国防長官(左)を見やるトランプ大統領=2019年7月(AP=共同) 宮崎 いずれにしても、すべてまた劇的に変わり始めるのは選挙の後でしょう。その前に中国の自滅が金融面で始まると思いますがね。 吉川 それと中国国内の知的財産権保護と産業補助金制度撤廃という米国の主張が関税などの圧力で実現するか?そうすれば5Gでもアメリカが中国に巻き返しできるかもしれない。 これは、われわれ日本人には既視感があります。80年代に日本がアメリカにされたこととよく似ています。あのときは、そういう日本国内の構造改革そしてドル安誘導や国際決済銀行の規制がバブル崩壊へと繋がりました。そういう意味でも宮崎先生の考えは間違っていないと思います。 みやざき・まさひろ 昭和21年、金沢市生まれ。早稲田大中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長を経て、貿易会社を経営。58年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇へ。著書に『拉致』(徳間文庫)『中国大分裂』(文藝春秋)『出身地で分かる中国人』(PHP新書)『中国権力闘争 共産党三大派閥のいま』(文芸社)など多数。 よしかわ・けいいち 政策コンサルティング事務所「グローバル・イッシューズ総合研究所」代表。2016年まで米国ワシントンDCにも拠点を持ち、 東日本大震災を契機に一般社団法人日本安全保障・危機管理学会防災(JSSC)ワシントン事務所長として、日本に米国と同様の危機管理専門省庁の立ち上げを目指す政策提言活動に取り組む。2017年以降は日本国内をベースに、テロ対策や米国政治に関する政策提言活動を続ける。著書に『911から311へ—日本版国土安全保障省設立の提言』『東京オリンピック・パラリンピックは、テロ対策のレガシーになるか?』(近代消防新書)など多数。■「米国はもう崖っぷち」5G戦争、ファーウェイ排除のウラ側■「宇宙軍創設」トランプの真意は中国への宣戦布告に他ならない■日本の円圏構想をパクった中国の「一帯一路」はどうせ失敗する

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    呉智英が読む平成30年史「日本人はどう変わったか」

    呉智英(評論家) 平成三十一(二〇一九)年四月三十日、今上天皇の退位をもって平成は終わる。元号にしろ、西暦にしろ、紀年法では序数詞(英語で言えばfirst、second…)を使うので、必ず「数え年」になる。従って平成は満三十年で終了ということになる。 平成は、一九八九年一月八日、前日の昭和天皇崩御の翌日から始まった。この三十年間の総論として文明史・精神史的にふり返ってみよう。日本人の意識、感覚がどんな事件によってどのように変わったかということである。 平成という時代区分は、天皇の崩御・即位という偶然によって始まり、その終焉(しゅうえん)もまた天皇の高齢による退位という偶然によるものである。これは西暦であっても同じであり、十九世紀だろうと二十世紀だろうと単に数字上の区分にすぎず、そこに意味を求めることはできない。 一方、弥生時代、鎌倉時代、あるいは中世、近代といった時代区分はこれと違い、経済や政治形態の変化、さらにそのため起きた文化、生活、思考の変化に基づくものである。平成の三十年は、平成時代と命名し得るほどの大きな特徴があったわけではないが、時代のテンポが激しい現代であればこそ、やはりそれなりの特徴が現れるだろう。 まず、平成元年、西暦一九八九年という年である。この年、世界的な大変動があった。国内に直接的な影響はなかったように見えるが、じわじわと日本にもこの変動が波及してきた。 それは、同年秋のベルリンの壁崩壊であり、それに続く東欧社会主義の解体である。二年後の一九九一年には、ついに本家ソ連が瓦解した。これと直接の関係はないものの、一九八九年六月には中国で天安門事件(第二次天安門事件、または六四天安門事件)が起きている。奇(く)しくも、この年はフランス革命二百周年にも当たっていた。 これによって、世界的な政治バランスが変わるとともに、社会主義の評価が決定的に覆ることになり、保守と革新、左翼と右翼という対立項の意味付けも変わることになった。最近の世論調査などによると、特に若い世代では、保守とは左翼のことであると思っている人が多いという結果が出ているが、混乱はここに始まっていると見るべきだろう。 また、言論人などが競うようにして保守派を名乗る風潮も軌を一にしている。ただし、後者では正しく「右寄り」の意味で使われている。 これに拍車をかけたのが、平成十四(二〇〇二)年十月の北朝鮮拉致被害者の一部帰国である。これによって北朝鮮の犯罪性は明々白々となり、たとえその「社会主義」が変質を遂げた偽りのものであったとしても、左翼と革新の言説の信頼性は著しく低下することになった。24年ぶりの帰国を果たした蓮池薫さん(中央)と母親のハツイさん=2002年10月 さらに追い討ちをかけたのが、二〇一四年八月五日の朝日新聞による「慰安婦報道」の取り消し記事である。変貌したナショナリズム 戦時中、慰安婦にすべく朝鮮で女性を強制連行したとされる話を積極的に報じてきた同紙が、これは「虚言師」の作り話に基づくものであったと認め、検証と謝罪の記事を大きく掲載した。この記事は言論界に大きな衝撃を与え、朝日新聞には抗議と定期購読解約が殺到した。これによって同紙は数十万部の発行部数減になった。 こうした中でナショナリズムの風潮も台頭するようになった。これが従来のナショナリズムと様相を異にするのは、思想界・言論界から始まったものではなく、二〇〇七年発足の「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が典型的なように、一般市民の運動、発言として出現したことである。 これには平成期に驚異的発達を遂げた通信、情報の拡大が背景にある。要するにパソコン、携帯電話、スマホが爆発的に普及し、これによって「大衆的言論空間」とでも呼ぶべきものが出現したのである。このことは出版文化の低迷を招くことにもなり、かつて出版界にあった知識、情報の階層秩序も崩れ始め、悪しき平準化が観察できるようになった。 また、平成七(一九九五)年には、社会の「安全」にかかわる大災害、大事件が続いて起こった。 一つは、一月十七日の阪神淡路大震災である。平成二十三(二〇一一)年に東日本大震災が起きるまでは、戦後最大の災害で、伊勢湾台風(一九五九年=昭和三十四年)の死者五千人を超えて、約六千人の死者を出した。 もう一つは、三月二十日のオウム真理教による東京地下鉄のサリン散布事件である。この凶暴かつ異常な宗教団体の犯罪によって、信教の自由論を含む日本人の宗教観は大きくゆさぶられ、治安意識にも変化が現れだした。 六年後の二〇〇一年九月十一日、ニューヨークの世界貿易センタービルにイスラム系テロ組織のハイジャックした旅客機が突入自爆し、二千七百余人の死者が出た。宗教の種類は異なるものの、宗教が常に平和を実現するものとは限らないことを、内外のテロ事件は教えている。米中枢同時多発テロで、ハイジャックされた航空機よって炎上する世界貿易センタービル=2001年9月11日 そして、二〇一一年三月十一日の東日本大震災は、千年に一度の規模の広範な巨大災害であり、「安全」と同時に「国土」という意識をも喚起したと言えよう。死者は約一万六千人にも及び、今なお行方不明者の遺体が発見されている。この大災害は原発破損ももたらし、直後に関東圏から西日本に避難する人たちもあった。保守系の反原発論者の主張には、安全な国土という意識が垣間見られる。 ただ、これほどの大災害にもかかわらず、日本国民は冷静に対応して世界から称賛され、ボランティアなどの支援活動は現在も継続している。「国民意識」が健全な形で定着していたことが、期せずして明らかになったと言えよう。※文中の「中国」は、呉智英氏の「支那」の表記を編集部が変更しています。■憲法上の問題をはらんだNHKの天皇陛下「ご意向」スクープ■新元号をめぐる「タブーなき議論」こそ平成と昭和の差である■本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない

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    サウジ記者殺害「事件の黒幕」ムハンマド皇太子とは何者か

    き皇太子はこれまで、脱石油を目指して新たな産業構造への転換を図ったり、女性の権利を広げたりするなど、国際メディアでも「改革派の旗手」のようなプラスなイメージで紹介されるケースが多かった。「逆らう者は許さない」鉄の掟 しかし、国内統治に目を向けると、2017年11月にライバルだった王族多数を汚職容疑で逮捕するなど、権力層への粛清を断行。外交でも、イランとカタールを極端に敵視し、特にカタールとはイランやイスラム・テロ人脈との関係を口実に、2017年6月に断交するなど、強硬な姿勢を打ち出している。 もっとも、サウジにおける王家体制の恐怖支配は、ムハンマド皇太子がいきなり始めたわけではない。もともとサウジは徹底した警察国家であり、政治的な自由は全くない国だった。少しでも王家に批判的と判断されれば生き残ることは難しい。事実上、王家批判は存在を許されないと言っていい国家である。 反体制派としては、イスラム過激派「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」、あるいは東部に居住する少数宗派のシーア派の指導者、あるいは民主改革派ブロガーなどは、王家に反逆する者として激しい弾圧を受けた。ムハンマド皇太子の強権的な手法は、その伝統を受け継いでいるということになるが、彼の場合はそれだけでなく、ライバル関係にある有力な王族メンバーへの弾圧まで乗り出したというところまで、専制的な姿勢が徹底している。 こうしたムハンマド皇太子の強権的な統治に対しては、サウジのエスタブリッシュメント層からも批判が出ている。王族のメンバーからの批判もあるが、カショギ記者の批判もその流れにある。 カショギ記者自身はもともと王族と親しい関係だったが、ムハンマド皇太子の強権的な統治手法を批判して国外に出た。ただし、身の危険から「王室批判ではない」ことを本人はかねてより強く主張していた。 それでも、逆らう者は許さないのがサウジ王家だ。ムハンマド皇太子はそうした伝統にのっとって、批判者を「処刑」したのだろう。 もっとも、ムハンマド皇太子の暴虐は、こうしたサウジ国内の反皇太子派などに向けたものにとどまらない。実は、国外ではそれよりずっと大掛かりに「殺戮(さつりく)」を行っている。隣国イエメンでのサウジ軍による空爆がそれだ。 イエメンでは2015年から内戦が本格化した。同年1月、少数宗派シーア派系のフーシ派というグループがクーデターを実行。ハディ大統領の政権が崩壊し、同年2月にはフーシ派が首都サヌアを制圧し、政権を掌握した。2018年3月、ロンドンを訪問したサウジアラビアのムハンマド皇太子(AP=共同) それに対し、シーア派の勢力拡大を敵視するサウジが主導し、同年3月、湾岸諸国が参加する有志連合が組織された。そして、サウジ空軍を主力として、フーシ派制圧エリアへのすさまじい無差別空爆を開始したのだ。 サウジは米国から大量の新式兵器を購入しているが、そうして整備された強力な空軍による空爆により、フーシ派エリアでは一般住民の被害が激増した。民間人居住地への無差別攻撃は明白な戦争犯罪だが、こうしてサウジは非道な戦争犯罪を極めて大規模に、現在に至るも継続している。欧米も「ムハンマド離れ」 ロンドンを拠点とする中東ニュースウェブメディア「ミドルイースト・アイ」の10月29日のリポートによると、サウジの空爆が始まった2015年3月から今年末までの予想犠牲者(武力攻撃によるもの。食料・医薬品不足など人道問題での死亡は含まない)は7~8万人で、その最大の犠牲者が、サウジ主導の無差別空爆による民間人の殺戮という。 しかも、その殺戮のペースは2015年に比べて、2016年以降に急激に上がっている。2016年1月から2018年10月までの数字だけ見ても、5万6000人以上の犠牲者がカウントされているが、これは紛争初年に比べて5倍以上のペースとなる。 この殺戮のペースの急増も、原因はサウジ軍の無差別空爆の強化だ。その戦争犯罪度もより悪質になっており、病院、バスなどの交通機関、インフラ施設なども狙われていることが報告されている。 こうした非道なサウジ軍の無差別空爆を実行している張本人こそ、ムハンマド皇太子である。 彼は皇太子になる前、2015年1月にアブドラ前国王が死去して、実父のサルマン国王体制が誕生すると同時に、国防相に就任していた。前述したイエメン内戦激化は、ムハンマドの国防相就任とほぼ同時の出来事であり、同年3月のイエメンへの軍事介入を決めたのは、ムハンマドにほかならなかった。 サウジの過剰なイエメンへの軍事介入は、殺害されたカショギ記者も批判していた。ムハンマド皇太子としては、自分が最初から強引に進めてきた「政策」への批判は、もっとも許せないことだったろう。 ただし、今回のカショギ記者殺害を機に、欧米主要国もムハンマド皇太子に距離を取り始めた。イエメンでは空爆だけでなく、コレラなどの伝染病のまん延、さらには飢餓まで広く発生しつつあり、地獄のような状況になっている。 そうしたニュースを欧米の主要メディアも、ショッキングな画像とともに報じており、10月30日には米国のマティス国防長官とポンぺオ国務長官が「30日以内の停戦」を呼びかけるなどの反応をようやく示し始めている。2018年10月、トルコ・イスタンブールのサウジアラビア総領事館の入り口付近に設けられた警察のバリケード(ゲッティ=共同) サウジの軍事戦略はいまだにムハンマド皇太子の掌中にあるが、非人道的な無差別空爆に対する批判が国際社会で高まった場合、国際社会でのイメージが悪化している彼が、どのような対応をするかが注目される。 直近のサウジ軍の作戦行動を見ると、10月の空爆回数そのものは9月に比べて半減したが、標的のほとんどが民間施設で、民間人の被害は一向に収まっていない。また、大規模な地上部隊を送り込み、特に航海沿岸の港湾都市ホデイダの制圧に乗り出している。停戦協議の再開も見据えて、いまだ攻撃の手を緩める兆候はない。

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    北朝鮮のグアム攻撃に右往左往する小野寺防衛相の方が危なっかしい

    柳澤協二(元防衛省幹部、国際地政学研究所理事長) 北朝鮮がグアム周辺へのミサイル着弾計画を公表し、トランプ大統領が核攻撃による報復をにおわせるような発言をしたことで、危機感が一気に盛り上がった。その中で、一番右往左往したのが他ならぬ日本だった。 北朝鮮が予告したミサイル飛翔経路に当たる島根、広島、高知と愛媛の各県では、自衛隊が迎撃ミサイルPAC-3を展開し、ミサイル落下に備えた警報・避難の訓練が計画されている。テレビのワイドショーでは、日本上空を飛ぶ無数の民航機を地図上にプロットして、航空機にミサイルが衝突する危険を訴えていた。 物事の本質を見ない者は、危機にうろたえ、意味のない行動に走る。ミサイルは、日本上空の宇宙空間を超えてグアムに向かう。その段階では、すでに数百キロの高度にあるミサイルが、高度1万メートル以下を飛ぶ民航機と衝突することはない。 軍用機と民航機の衝突や、軍艦と民間船舶の衝突は枚挙にいとまがない一方、宇宙を飛ぶ無数の人工的物体が落下してくるのは現実の危険ではあるが、それは今回のミサイルに限ったことではない。 仮に失敗して日本に落下するとしても、北朝鮮からグアムまで3700キロ飛ぶミサイルが島根から高知までの200キロの間に落ちる確率は、単純計算でも200÷3400=5・4%だ。しかもそれは、ミサイルが途中で故障する確率を100%と仮定したときの確率である。仮に、一段目が成功して日本に届く出力を発揮し、2段目が失敗して日本を超えない範囲に落ちるような故障をする可能性を考えれば、限りなくゼロに近い。つまり日本は、限りなくゼロに近い危険を想定して膨大なエネルギーを費やしている。 落ちてくるのが心配なら、大気圏への再突入で大半が焼失するミサイルの残骸よりも、発射地点の近傍に落下することが確実なPAC-3の胴体のほうが心配だ。島根駐屯地から撃てば日本海の海岸近くに、広島市内の海田駐屯地から撃てば広島市内に、松山駐屯地から撃てば瀬戸内海に、高知駐屯地から撃てば高知市近傍に、PAC-3の胴体が落ちてくる。陸上自衛隊松山駐屯地に配備されたPACー3=2017年8月12日、松山市 おまけに、PAC-3は、自分をめがけて落ちてくる弾頭を迎撃すべく設計されているので、配備された駐屯地の位置が実際のミサイルの経路から外れていれば迎撃できない。また、大気の抵抗を受けるために落下経路を計算できない物体に迎撃ミサイルを命中させることは、多分、できないと言う方が正しい。こうして、PAC-3による迎撃によって、落下物から身を守りたいという目的とは正反対の行動をとることになる。これを右往左往と言わずして何が右往左往か。 その右往左往の極みが、小野寺五典防衛大臣が国会で、グアムへのミサイル発射について存立危機事態を認定してミサイルを集団的自衛権によって迎撃する可能性に言及したことだ。テレビのワイドショーが危機を煽るのは無知だから仕方がないとしても、国家理性を体現すべき国会の場でこうした議論が大真面目に行われるに至っては、それこそ国の存立が危うい。おかしな集団的自衛権の議論 北朝鮮が言う通りグアムの周辺30~40キロの公海上にミサイルが着弾したとすれば、それは、当然にアメリカの自衛権行使を正当化することにはならない。アメリカへの威嚇ではあっても、アメリカへの武力攻撃であるとは言えないからである。 万一、狙いがそれてグアムに着弾したとしても、実弾頭ではなくダミーであるはずだから、それだけで北朝鮮の武力攻撃を認定するには無理がある。こうした行為が繰り返されるようであれば、それは、新たな形態の武力攻撃と言えなくもないが、例えば日本の領域に侵入した外国の軍用機が爆弾を落とさずに部品を落としていった場合にそれを武力攻撃と認定できるか、という問いと同じだ。 こうしたミサイル発射は、他国領域に被害をもたらす無法な行動であり、それ自体も国連安保理決議によって禁止されている違法な行為であるが、武力攻撃の意図がなく、外形上も武力攻撃と認める理由が乏しければ、自衛権は発生しない。国際法は、相手が国際法に違反したことをもって自衛権の発動を認めていない。イラク戦争で、サダム・フセインは国連安保理決議に違反していたが、それはアメリカの武力行使を容認しないというのが安保理構成国の多数意見だった。 アメリカが自衛権を主張して反撃することも十分考えられるが、その場合、アメリカもダミーの弾頭を積んだミサイルを撃ち込むのだろうか。そうなれば、まるで子供の喧嘩だ。意味を持つ行動をとるなら実弾頭で攻撃するしかないが、それは報復としてもやりすぎの批判を免れない。つまり、アメリカの対応はかなり難しい計算が求められる。北朝鮮も、そのギリギリの線を狙った嫌がらせをしている、というのが問題の本質だ。 そのような客観的条件のもとで、日本が集団的自衛権を行使する議論がどうして出てくるのだろうか。小野寺大臣によれば、それは、グアムが攻撃されて機能を失えば、日本を守るための抑止力が減殺するから、日本の存立を危うくする可能性がある、という論理だ。だが、この論理は、何か変だ。衆院安全保障委員会の閉会中審査で、特別防衛観察の結果などを報告する小野寺五典防衛相=2017年8月(斎藤良雄撮影) 第一に、グアムが破壊されるのは、ミサイルが日本を超えて正常に飛翔する場合である。日本海にいる日本のイージス艦は、ミサイルの最高高度近くで迎撃する。グアムに向かうミサイルの最高高度はイージス艦の迎撃ミサイルの迎撃可能高度を上回っている。ゆえに、日本がこのミサイルを打ち落とすことは物理的に不可能なので、集団的自衛権行使を論じる意味がない。右往左往するだけの日本 第二に、こちらのほうがより本質的な論点であるが、抑止とは、攻撃を仕掛ければさらに大きな力で反撃をするという意志と能力を示すことによって、攻撃の意志を封じ込め、戦争をさせないようにすることだ。グアムのアメリカ軍は、まさしくそのような役割りを果たしている。 だから、恐怖にかられた北朝鮮が攻撃することはあり得ないことではない。一方、グアムへの攻撃を防ぐために日本が集団的自衛権で、ミサイルでも潜水艦でも、これを迎撃するとすれば、それは国家意志による武力行使であり、戦争にほかならない。 ということは、「戦争させない力である抑止力を守るために武力に訴える」すなわち「戦争を防ぐために戦争する」ということであるから、論理的に矛盾している。仮にグアムが攻撃されるとすれば、それはアメリカの抑止が破たんしたということであって、そこに守るべき「抑止力」は存在しない。グアムのアンダーセン空軍基地。グアムは太平洋地域の戦略拠点の一つで、基地には戦略爆撃機も配備されている。 そこにあるのは報復力であって、すでに戦争が始まった以上、目的が抑止から戦勝に変わっている。言い換えれば、抑止力とは、戦争に勝つ力と同じことであり、そうであればこそ、相手に「勝てない」という計算を余儀なくさせて戦争を防ぐ力になり得る。 ところが、多くの日本人は、「アメリカの抑止力さえあれば戦争にならない」という勘違いをしている。アメリカの抑止力とは、抑止が破たんして戦争になることを覚悟したうえで、戦争になれば必ず勝つ力のことであって、「戦争をしない力」ではないのだ。抑止力を論じるには、戦争を覚悟することが前提となる。それが、抑止のパラドクスにほかならない。その前提への理解がないから、日本は、国家理性さえも右往左往することになる。 第三に、仮に日本がグアムに向かうミサイルを迎撃したとすれば、そして、グアムを破壊する北朝鮮の意志がゆるぎないものだとすれば、北朝鮮がとるべき道は、グアムの破壊を阻害する日本の能力をまず破壊することを優先せざるを得なくなる。言い換えれば、グアムへの攻撃を阻止することは、日本に戦争を引き寄せるという意味がある。だから、アメリカの報復力を守ることは日本の安全を守ることと両立しないのだ。 日本に問われているのは、一発二発のミサイルを覚悟してもアメリカの抑止力=報復力を守るのか、それとも、グアムにミサイルが飛んでも日本にミサイルが飛んでこないことを優先するのか、という究極の選択だ。いずれかの覚悟をしなければ、日本は、いつまでたっても自分が何をしているかさえわからない状態で右往左往を繰り返すことになるだろう。

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    北朝鮮ICBM技術「流出の黒幕」はウクライナではなく中国だった?

    ト) 北朝鮮の弾道弾技術の進展が目覚ましい。大陸間弾道弾(ICBM)の実験に先月2度成功して、まさに国際社会は大騒ぎになったが、無理もない。一昨年には北朝鮮にICBMなど10年早いと見られていたからだ。 ところが昨年、ICBMのエンジンの噴射実験に成功し、今年、発射に成功した。もちろん、技術的に問題は残されており、実戦配備は来年以降と見られるが、ひとたび配備されれば、金正恩の気まぐれ一つで、米国のどこに向けても発射され得るわけである。 つまり、昨年から今年にかけて北朝鮮のICBM技術は突然、進展した。当然、技術の提供元があると考えられる。そこで米国の研究者がそれは「ウクライナだ」と言い出した。ウクライナは旧ソ連時代にはソ連の支配下にあってICBMなどの兵器を製造し、ソ連軍に納品していた。 ソ連が崩壊しウクライナが独立した後も、主要産業は兵器産業で、主にロシア軍に納入していた。ところが、ウクライナの民主化に伴いロシアと対立し始め、ロシアに兵器を売れなくなってしまっている。 そこで、兵器技術が闇市場に流れ、最終的に北朝鮮の手に渡ったというのが、米国の見立てである。ウクライナと対立するロシアは、これに同調してウクライナを非難し、ウクライナはとんでもない言い掛かりだと反論するに至った。 米国の研究では北朝鮮のICBMのエンジンはウクライナで製造されたエンジンRD250系に類似するという。これだけ聞くとRD250系はあたかも最新の技術で製造されたエンジンのように思われようが、実は1970年代の旧式である。北朝鮮の労働新聞が7月29日掲載した「火星14」発射の写真(共同) 冒頭で北朝鮮のICBM技術の、特にここ2年間の進展の目覚ましさを強調したが、それはこれまでの進展の遅さと対比しての話であって、現在の北朝鮮ICBMが世界的なレベルで最新というわけではない。 特に注目すべきは、北朝鮮のICBMが液体燃料を使用している点である。弾道弾の燃料には液体燃料と固体燃料の2種類があるが、液体燃料は保管が難しく、発射前に数時間かけて注入しなければならない。 固体燃料は入れっ放しにして、いつでも発射できるから、世界的に新式の弾道弾はすべて固体燃料である。北朝鮮でも潜水艦発射型弾道弾(SLBM)は固体燃料を用いているから、固体燃料がないわけではないのに、最新のICBMが旧式の液体燃料を用いているのはいかなるわけか。 これは、北朝鮮がエンジン技術を自主開発していない事を意味する。つまり他国から与えられた技術を鵜呑みにしているため、SLBMの固体燃料をICBMに応用することができないのであろう。 そこで技術の提供元はウクライナだと米国が言い出したわけだが、その技術は50年も前の技術であって、50年間にさまざまな国に流出した技術である。どこをどう通って北朝鮮にたどり着いたかは、慎重に検討すべきであって、ウクライナだけが非難されるべきではない。 50年間にさまざまな国に流出したと書いたが、一体どこから流出したのか。ウクライナが発明したわけではない。ソ連でもない。液体燃料型エンジンを完成させたのは他ならぬ米国である。技術提供元は結局米国? 先日のNHKニュースで大同大学の澤岡昭名誉学長がこう述べている。「これは非常に古いエンジンでアメリカのアポロ計画の時代1960年代に開発が始まって、アメリカが月へ行った頃に完成したと言われています」 澤岡氏の言を俟(ま)たずとも、旧ソ連が米国の科学技術を盗み取っていたのは軍事技術者の間では有名な話で、米国が1970年代、戦闘機F15イーグルを開発すると、それに対抗してソ連はミグ29とスホイ27を開発したが、形状はF15にそっくりである。 つまり、ソ連が米国のエンジン技術を盗み、ウクライナに製造させていたのがRD250系であって、技術の提供元をしつこく探れば、結局米国という事にもなる。一歩間違えばブーメランにもなりかねないリスクを米国は冒しているわけである。 ウクライナから闇の市場を通って北朝鮮にたどり着いたと言われているが、このエンジンの製造をウクライナは2000年代初頭に停止しており、10年以上も闇の市場を漂っていたとは考えられない。 しかもウクライナは、製品をすべてロシアに納入しているから、ロシアから北朝鮮に流出したと言うが、現在の両国の経済状況から見てロシアに、無料で技術供与をする余裕はなく、また北朝鮮に金を払う余裕もないであろう。 むしろ、ここで関与が疑われるのは中国であろう。中国にはまだ北朝鮮を支援するだけの経済的余裕がある。しかも1998年に中国はウクライナから空母を購入して、後に「遼寧」として就航させている。 2000年前後において、ロシアの軍縮によってウクライナの兵器産業はひっ迫しており、経済成長を始めた中国は新しい顧客として優遇されていた。ウクライナが中国にRD250系を二束三文で売り払ったとしても不思議はない。 もちろんウクライナの主張のようにすべてがロシアに納入されているとすれば、ロシアから中国が買った可能性もある。いずれにしてもRD250系は旧式であるから欧米としても特に問題視しなかったであろう。エンジン流出源について記者会見に臨んだウクライナ宇宙庁のラドチェンコ長官代行=2017年8月15日、キエフ 中国としては当初、非軍事の宇宙ロケットの開発に転用する計画だったであろうが、やがて北朝鮮が核実験に成功するに及び、新しい利用法を発案した。つまり北朝鮮のミサイル開発の支援に利用するのである。 北朝鮮が核ミサイルを独自開発してしまえば、そのミサイルが中国に向かう可能性をはらんでいる。中国が全面的に支援して北朝鮮のミサイル開発自体をコントロールすれば、中国製のGPSを組み込むことにより、その可能性を排除できるのである。 今回、米国がブーメランのリスクを冒してまで、同盟国ウクライナを苦境に追い込んだのは興味深い。トランプ政権はロシアとの接近を図っているが、その最大の障害はロシアとウクライナの対立であり、ウクライナの譲歩があれば、米露接近は可能になる。 一方、米露接近を最も警戒しているのが中国であり、ロシアを中国側に引き込み中朝露と日米韓の対立の構図を演出している。だが、この対立の構図は安定したものではなく、むしろ不安定で危険である。なぜならそれは世界大戦を指向しているからである。

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    デジタル通貨が生む「宝の山」 データ産業革命が社会を変える

    小黒一正(法政大経済学部教授) 思想や技術革新は世界を動かす。第4次産業革命の成否を最初に握るのは「データ」であり、情報通信技術(ICT)革命の次は「データ産業革命」という認識が、世界トップ層の中でひそかに浸透しつつある。この本丸は金融、中でも仮想通貨やデジタル通貨であり、米経済誌フォーブスでは「どこかの中央銀行が5年以内にデジタル通貨を実現するだろう」という予測も登場している。 というのは、データ産業革命の行き着く先に見えているのは、次のような世界であるからである。まず、一番上に人工知能(AI)という「脳」があり、その下にはハイテク機器にモノのインターネット(IoT)などが組み込まれ、そこが人間でいうと神経細胞のようになる。当然、この神経細胞には、インターネットで張り巡らされた既存の情報ネットワークやそこから生成されるさまざまな情報なども含まれ、これらの情報(ビッグデータ)は特定の場所にプールされる。 ただ、ビッグデータも頭脳がなければ意味がなく、人間が目指す目的を設定・制御しつつ、人工知能が解析しながら深層学習(ディープラーニング)で価値を見いだしていく。この意味で、ビッグデータは人工知能が進化するために必要不可欠な「食糧」に相当し、経済学的には「資産」でもあり、さまざまなデータを融合することで莫大(ばくだい)な価値を創造できる。 すなわち、データ産業革命の本丸は「金融」、中でも、ネットワークで結んだ複数のコンピューターが取引を記録するブロックチェーン技術を活用した仮想通貨といっても過言ではなく、ITを使った金融サービス、フィンテックはその一部でしかない。理由は単純で、われわれが経済活動で何か取引を行ったときに必ず動くものは「マネー」であり、仮想通貨が経済取引の裏側で生成するビッグデータは「スーパー・ビッグデータ」であるからである。 このような状況の中、スウェーデンの中央銀行、リクスバンク副総裁のスキングスレー氏がeクローナと呼ばれるデジタル通貨の発行に向けて本格的な検討を開始することを講演で明らかにした。 また、英国の中央銀行、イングランド銀行(BOE)も、デジタル通貨に関する興味深い論文を公表した。この論文では、米国経済をモデルに分析を行っており、対国内総生産(GDP)比で30%のデジタル通貨を導入すると、金融取引のコストなどが抑制でき、定常状態のGDPが3%押し上げられる可能性などを明らかにしている。GDPで500兆円の規模を有する日本でいえば、15兆円の経済効果に相当する。 さらに最近では、インド準備銀行(中央銀行、RBI)が実証実験を行った後、デジタル・ルピーの発行を推奨する報告書を発表した。インドのプラサド電子・情報技術相も「電子決済や電子行政を含む同国の「デジタル経済の規模が3-4年で倍増し1兆ドル(約110兆円)に達する」との見方」(日本経済新聞2017年7月5日朝刊)を示している。中国もデジタル通貨の発行を検討しているとの噂もある。データこそが「資産」になる スウェーデンやインドがデジタル通貨の発行を急ぐ背景にはさまざまな戦略が存在するはずだが、デジタル通貨を利用した取引が生成するビッグデータは、さまざまな可能性を秘めていることを考えると納得がいく。 例えば、経済取引の裏側で生成されるビッグデータを政府が1カ所のクラウド(インターネット上のサーバー)に収集することができれば、マネーの動きが詳細に把握でき、成長産業の「芽」を分析・予測できよう。また、家計消費や企業投資の動きも把握でき、いま日本で問題になっているGDP統計の問題解決にも利用できることが期待できる。 もしデータ・プラットホームを構築し、個人情報が特定不可能な形式に加工した上で、誰でも利用できる形で公開すれば、さまざまなビジネスに利用できよう。 ところで、中央銀行が発行する現代の紙幣は、偽造防止技術(ホログラム)や特殊な紙・印章を含めて最高水準のテクノロジーを利用したものだが、紙であるために「誰が何を買ったか」「誰が紙幣を保有しているか」といった情報は、紙幣を発行した者から切り離されているという視点も重要である。すなわち、現代の紙幣は、民主的・分権的でプライバシー保護に役立っており、消費者は安心して買い物ができる。 中央銀行が仮想通貨を発行するとき、最も注意する必要があるのはこの視点である。つまり、経済取引の裏側で生成されるビッグデータを政府が1カ所のクラウドに収集する場合、仮想通貨を受け取った側のデータは蓄積するが、家計・企業といった簡単な属性区分を除き、仮想通貨を渡した側のデータは基本的に蓄積してはならない。 なお、サービス産業の生産性を高める観点から、北欧諸国では「キャッシュレス経済」が進展しつつあるが、中央銀行による仮想通貨の発行はその動きを加速するはずだ。 しかも、中国では政府主導でビッグデータの取引市場の整備が始まっている(例:貴州省貴陽に設立されたビッグデータ取引所)。データの生成量は人口規模や経済規模に依存するため、中国やインドなど人口で日本を上回る国々の情報をどこまで日本の市場で活用できるかも、これから考えていかなければならない。ICT革命が急速に進んだのと同様に、データ産業革命も急速に進むことが予想され、いまこそ日本の戦略が問われている。 いずれにせよ、いま世界では「データ=アセット(資産)」になる時代が近づいている。ICT革命では「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの米大手4社)に日本企業は敗北したが、データ産業革命はこれからが本番だ。成長戦略の一環として、日本版デジタル通貨である「J-coin」(仮称)の発行を含め、日銀・財務省を中心に日本もデータ産業革命の推進を本気で検討してはどうか。

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    日本の円圏構想をパクった中国の「一帯一路」はどうせ失敗する

    に問題かは、通貨バスケット制やドルペッグ制のような広い意味での固定相場制の問題点を考えてみればよい。国際経済学には、安定的な為替相場、国際間の資本移動の自由、および金融政策の自立的な運営の三つが確立しないという「不整合な三角形」と呼ばれる関係がある。この関係のもつ政策的な意味はきわめて大きい。すなわち、固定相場制(安定的な為替相場)を維持しようとすれば、資本移動を規制するか、金融政策の自立性を放棄するしかない。そして、固定相場制というのは投機攻撃にさらされやすいのである。(若田部昌澄『経済学者たちの闘い』東洋経済新報社)会談の席に向かう安倍首相(左)と中国の習近平国家主席=7月8日、ドイツ・ハンブルク 産経新聞の北京支局に9年勤務し、昨年末に帰国した矢板明夫記者によると、中国共産党幹部は総じて元高を歓迎しているという。なぜなら人民元の価値が高い方が外国企業を買収するのに都合が良いと考えているからだそうだ。まさに円圏構想的な発想にとらわれていると言っていいだろう。 私に言わせれば、彼らは基軸通貨というものの本質が全く分かっていない。為替レートを高く維持することと、その通貨の利便性が高いことは必ずしも一致しないからだ。実際に、彼らが頭でっかちに考えているほど、プロジェクトは進んでいない。フィナンシャル・タイムズは次のように報じている。中国商務省のデータによると、一帯一路の沿線国家に対する中国からの直接投資は昨年、前年比で2%減少し、今年は現時点で18%減となっている。沿線53カ国に対する昨年の金融を除く直接投資は総額145億ドルで、対外投資全体のわずか9%だった。しかもこの投資の減少は、中国の対外直接投資が前年と比べて40%も増え、過去最高を更新する状況の中で起きた。中国当局が資本流出を止めるために対外取引の制限に動いたほどだ。(日本経済新聞 2017.5.12) やはり、一帯一路は巨大な不良資産の山を積み上げて終わるかもしれない。かつて、日本が円圏構想でバブル崩壊を迎え、その後長期停滞に陥った歴史が被って見えるのは気のせいだろうか。注1:「インドネシア高速鉄道建設、中国ようやく融資に合意」(朝日新聞デジタル 2017年5月15日)

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    安倍首相の「一帯一路に協力」は早計だったかもしれない

    済評論家) 中国が提唱する現代版シルクロード構想「一帯一路」が徐々に動き始めている。5月に北京で初の国際会議が開催され、中国はインフラ投資基金の増額を表明した。安倍政権は一帯一路について、二階俊博幹事長を会議に派遣するなど積極姿勢を見せているが、同じく中国が提唱するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関しては様子見の姿勢を続けている。一帯一路はまだその全体像が見えていないが、現時点における位置付けについて考察してみた。会談を前に握手する自民党の二階幹事長(左)と中国の習近平国家主席=北京の釣魚台迎賓館(共同) まずは、一帯一路とはどのような構想なのか再整理してみよう。一帯一路は、中国の習近平国家主席が2013年に提唱した中国と欧州を結ぶ巨大経済圏構想である。中国から欧州に至る経路は主に2つが想定されており、ひとつは陸路を使って中欧アジアを経由し、欧州に続くルートで、中国ではこれを「一帯」と称している。 もう一つは海路で南シナ海からインド洋を通り、欧州に向かうルートで、こちらは「一路」とよばれている。両者を合わせて一帯一路ということなのだが、当然のことながら、一連の構想は、かつて東洋と西洋を結ぶ重要な交易路であったシルクロードをイメージしたものとなっている。 沿線の国は70カ国に及び、中国は一帯一路に沿って、インフラ投資や貿易を活発化することによって自国経済圏を拡大しようとしている。 中国は似たような構想としてAIIBも提唱している。AIIBは、中国主導の地域開発金融機関で、米国主導で作られたアジア太平洋地域における開発金融機関であるアジア開発銀行に対抗して作られた。アジア各国や欧州各国が参加しているが、日本と米国はガバナンスが不十分といった理由から参加を保留している。 中国がどのように説明しようが、両構想とも中国の覇権を強化するための枠組みであることは間違いないのだが、安倍政権はAIIBに対しては慎重姿勢を示す一方、一帯一路については積極的だ。このスタンスの違いは一帯一路とAIIBの質的な違いをそのまま表しているといってよい。 安倍政権が一帯一路に対して積極的なのは、一帯一路は、インフラ投資の活性化による景気対策という面が大きく、日本企業にとってうま味があるというのが最大の理由と考えられる。 確かにシルクロードという誰もが知る歴史的テーマを前面に押し出した一帯一路構想は、大きな政治的インパクトをもたらすかもしれない。だが、地政学的なリアリズムに徹した場合、一帯一路構想の重要度はAIIBよりも低い。その理由は、海上交通網が整備された現代においては、陸路の輸送力は経済的に見てあまりにも貧弱だからである。 大航海時代以前であれば、ユーラシア大陸における物資の移動は陸路に頼るしかなく、シルクロードはまさに交易の拠点であった。だが近代以降は貿易の中心は海上交通路となり、その図式は今も変わっていない。 中国は現在、世界の工場としてあらゆる工業製品を米国や日本、欧州に輸出しているが、これらの大半はコンテナ船など使って海上輸送される。電子部品など軽量で即納が必要なものは空路で輸送されるケースもあるが割合は少ない。その理由は、船の経済性が突出していることによる。 条件によって輸送コストは異なるので単純な比較は難しいが、筆者が各種データから試算したところでは、1トンの荷物を1000キロ輸送するコストは、船が約1万円 鉄道は1万2千円、トラックは2万5千円、航空機は15万円になる。船は港があればすぐに運用が可能であり、鉄道や道路という長大なインフラを建設する必要がない。トータルすると船による輸送は圧倒的な経済力を持つことになる。アジアの地域開発に変形させた中国 地政学という学問は英国で発達したものだが、そのベースとなっているのは地理学である。地政学の世界では、ユーラシア大陸の中央部には西と東を断絶するエリア(ハートランド)があり、これが各国のパワーバランスを決める大きな要因になっていると考える。このハートランドこそが、中央アジアであり、まさにシルクロードの中枢部ということになる。 中国は西部に行くと高い山や砂漠が連なり環境が厳しくなる。中央アジアも基本的に山岳地帯が多く、ここに道路や鉄道を建設するコストは極めて高い。仮に建設できたとしても、その輸送能力には限界がある。ハートランドが世界のパワーバランスに大きく影響するのは、このエリアを境に東西の移動が極端に難しくなるという根源的な要因が関係しているのだ。 2105年度における中国の貿易総額は4・3兆ドル(約480兆円)と日本のGDPに匹敵する金額だが、このうち18%が欧州向け、14%が北米向け、7%が日本向け、15%が豪州、アフリカ、中南米向けとなっている。これらの貿易の多くは海上輸送となっており、ロシアやインドといった内陸部の国との貿易はごくわずかしない。上海の港に並べられたコンテナ=上海(ロイター) 中国にとっては海洋覇権の方が圧倒的に重要度が高く、そうであるがゆえに、南シナ海や東シナ海における制海権にこだわっている。 一帯一路における海上ルートは、現時点においては、米軍が制海権を握っており、中国は手も足も出ない。陸路の開拓は、経済的にはある程度の効果はあるものの、地政学的な状況を劇的に変化させるほどの力を持つとは考えにくい。結果として一帯一路は、道路や鉄道といったインフラ建設による景気対策という側面が強くなる。 中国経済は、何とか6%台の経済成長を維持しているが、国内のインフラ建設は完全に飽和状態にある。景気対策としてのインフラ投資を、アジアの地域開発という形に変形させたものが、今回の一帯一路ということになる。 案件を受注する日本企業にとってはうま味がある話かもしれないが、基本的には中国企業が潤うためのプロジェクトであることに変わりはない。AIIBに対して慎重であるにもかかわらず、一帯一路については積極的ということでは、中国側に足元を見透かされる可能性がある。中国に対して距離を置くのか、積極的にコミットするのか、もっと包括的な判断が必要だろう。

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    習近平の「一帯一路」に吹く逆風

    岡崎研究所 習近平の外交政策の目玉である「一帯一路」構想は着々と成果を上げているように見えるが、内実は順風満帆ではない、と5月4日付け英エコノミスト誌が報じています。要旨は、以下の通りです。海峡の町、マレーシアマラッカのマラッカ橋 4月10日、ロンドンを発った貨物列車が3週間後に中国の義烏に到着した。海路に比べて約1カ月の時間短縮だった。また4月11日には、ミャンマーのチャウピュー港と昆明を結ぶパイプラインで石油輸送が始まった。同パイプラインを使えば、マラッカ海峡を迂回できる。 二つの出来事は、習近平の「一帯一路」構想が事実を確立しつつあることを示すものだ。習は、東南アジアや中央アジアで年間1500億ドルのインフラ支出を行い、中国のための新たな市場と影響圏を創ることを期待している。5月14日、15日にプーチンやスーチー等、28カ国の首脳を迎えて開催する同構想の祝賀会では、自国のグローバル・リーダーとしての自信を誇示するだろう。 しかし、外見とは裏腹に、習は一帯一路で逆風に直面している。問題の第一は、同構想の優先事項や責任主体に関してだ。各省に加えて数百もの国営企業が同構想について独自の投資計画を持っている上に、政府の支援を受けて多数のプロジェクトが異例の速さで立ち上げられた。しかし、日常的に統括する者がいない。その結果、数千の財政的に覚束ない計画が一帯一路のプロジェクトとして認可されてしまった。 第二に、ユーラシア通商ブロックの創設というその壮大な目的に見合う、十分な数の利益になるプロジェクトは容易に見つからない。例えば、ロンドン=義烏鉄道は、船舶の倍以上の輸送コストがかかり、どの程度成功するかわからない。また、中国は高速鉄道の建設技術の輸出を考えているが、中国が短期間に何千キロもの鉄道を建設できたのは、安い労働力と住民の強制立ち退きが可能だったからで、これは外国では再現できないかもしれない。 既に破綻しかけているプロジェクトもある。カザフスタンの製油所では、稼働能力の6%以上の原油は買えないことが判明した。中国はパキスタンでは投入資金の80%、ミャンマーでは50%、中央アジアでは30%を失うとの試算もある。 第三に、中国の高圧的なやり方や、不穏当な政権にすり寄る手口に対して各地で批判や反対運動が起きている。2011年には、ミャンマーが中国出資の大規模ダムの建設工事を中断し、住民の喝采を受けた。スリランカでも中国資本による港湾建設を巡って論争が続いており、パキスタンでは、中国は「他国の内政不干渉」の金看板を捨て、グワダルと新疆を結ぶ中パ経済回廊の建設を妨害しないよう反対派の政治家たちに訴えた。 諸国は巨大な中国に圧倒されることを恐れている。例えば、中国輸出入銀行の融資だけでキルギスタンの対外債務の3分の1を占める。中国の中では貧しい雲南でさえ経済規模はミャンマーの4倍だ。諸国はこうした中国からの投資を切望すると同時に恐れてもいる。 中国もやり方を変えようとはしている。東南アジアのNGOは、中国企業が現地の批判に耳を傾け始めたと言う。中国の銀行も、より高度な基準の確保を願って、外国の政府系投資ファンドや年金基金等に一帯一路プロジェクトへの融資を呼び掛けている。北京の集まりでは、中国は一帯一路が脅威ではないことを示そうと、他のインフラ・プロジェクトと一帯一路との関連性を強調するだろう。一帯一路の列車は既に発車したが、中国は単に車内サービスの向上に努めているに過ぎない。 「出 典:Economist ‘China faces resistance to a cherished theme of its foreign policy’ (May 4, 2017)」あまりに粗雑すぎる構想 上記解説記事は、「一帯一路」構想の現実をかなり正確に描写していると言って良いでしょう。中国のやり方は、大体こういうものだからです。日本スタンダードからすれば、あまりに粗雑すぎ失敗は避けがたいということとなるでしょう。中国でも、この構想を「10年後には誰も覚えていないでしょう」と冷たく突き放す学者もいます。「中国の対外借款はほぼすべて不良債権となる。これ以上借款を供与すべきではない」と主張する学者もいます。しかし習近平が、自分のイニシアチブで打ち出した構想が失敗するのを座視することも考えられません。習近平時代は少なくともあと5年続きます。 習近平がこの構想を打ち出した最大の狙いは、「中国の特色ある大国外交」を内外、特に国内に示すためでしょう。習近平の新外交は、「鄧小平外交-韜光養晦+中国の特色ある大国外交」で収まってきたと見ることができます。そのためにも新たに付け加わった大国外交を成功させる、少なくとも国内的にそう見られる必要があります。5月14日から開催された「一帯一路」首脳会議は、この意味で重要です。今後も、この方面の努力は続けられるでしょう。 この構想の中国にとって考え得る実際上の経済的効果は、欧州経済との関係を強めることにあると考えられます。ただ、鉄道による陸路の輸送が、経済的に見合うことを早く証明しないと、このプロジェクト自体が、赤字が積み上がり何の意味もないことになります。

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    世界の超大国になりきれない中国

    次の通りです。 一帯一路構想は中国版マーシャル・プランだと言われてきた。5月15日に閉幕した一帯一路国際会議は地政学的効果を狙うものだ。中国はユーラシアにまたがる勢力圏を築き、場合によっては米国を凌駕するような超大国になろうとしている。 この構想により習近平は「中国の夢」を実現するかもしれない。少なくとも既に建設が進行中のパキスタン、ラオス、ミャンマー、インドネシア等途上国で鉄道網や港湾、発電所が建設されていくだろう。しかし、トップダウンで専制的、そして、中国の利益になるプロジェクトばかりを集めるようなやり方では構想の狙いを達成できないだろう。 習近平の構想は、欧州の民主主義国家の復興のために米国が支援したマーシャル・プランとは相違するという点で、失敗する可能性が高い。中国の構想には民主主義や透明性は全くない。中国企業によるインフラ投資により、中国は自国製品の輸出を増大させ、パキスタンのグワダル港などを中国海軍の補給基地にし、また、その過程で中国の一部「エリート」は私腹を肥やすことになるかもしれない。スリランカでは港湾建設等を巡り政治的反発が起きている。 5月14日に習近平が約束した1240億ドルの投資は過剰設備を抱える中国の製鉄、セメント産業の助けになるだろう。建設業界は活性化し、何万という中国人労働者は海外に渡り働くだろう。ほとんどの資金は中国の銀行からの借り入れとなる。鉄道建設が進められているラオスやケニアなどの貧しい国々は将来債務の返済に悩まされるだろう。 周辺国の利益にならないと言っているのではない。電力不足のパキスタンは発電所を必要としている。東南アジアや東アフリカで建設される鉄道網は対中輸出を可能にするだろうが同時に対中輸入の手段にもなる。西側企業も分け前を得たいと考えている。トランプ政権や欧州の代表者は会議で公開入札(コスト削減や汚職防止にもなる)の必要性を説いて回った。 習近平は、自由貿易・投資の旗手のように振舞っている。中国のプロパガンダ機関は一帯一路を「グローバリゼーション2.0」と称している。周辺諸国や西側企業はそれが事実でないことを知っている。しかし、トランプは米国と11の太平洋の国々を結びつけるはずだったTPPから離脱した。そのことは、米国が中国の構想に対する対案を欠いていることを意味する。もし習近平が勢力圏構築に成功すれば、それは米国が自ら譲ったからだということになる。出典:‘China has a plan to become a global superpower. It probably won’t work.’(Washington Post, May 15, 2017)  社説は、「一帯一路(OBOR)」という超大国構想には民主主義や透明性はなく、インフラ建設プロジェクトは旨く行っているとは言えず、構想が成功するかどうかは分からない、としています。現実的な分析でしょう。会議は巨大な外交ショー 中国主催の「一帯一路」国際会議(BRF)は5月14、15日、北京で開催されました。会議にはプーチン、エルドアン、シャリフ、ドゥテルテ等30の政府首脳や国連事務総長、世銀総裁、IMF専務理事等が出席、100カ国以上が参加しました。米国からは、NSCのポッティンガー東アジア部長、それに、ポールソン元財務長官が参加しました。インドは会議をボイコットしましたが、これは、カシミール地方が「中パ経済回廊」と呼ばれる「一帯一路」関連事業の対象地域となっているためと言われています。 習近平は基調講演で中国は関連プロジェクトに1240億ドルを追加融資すると述べる(国営通信によると既に1兆ドルが投資されているという)とともに、構想推進に当たって中国は「古い地政学的な策を弄することはしない」と述べました。各首脳が署名した共同声明は「開放された経済を築き、自由で包含的な貿易を確保し、あらゆる形態の保護主義に反対する」と述べています。また、協力原則として、①平等な立場での協議、②相互利益、③調和と包含、④市場重視、⑤均衡と持続可能性を挙げています。そして、習近平は2019年に第2回会議を開催することを会議閉幕後明らかにしました。 会議は巨大な外交ショーでした。具体的な議論は乏しかったようです。それにもかかわらず増大する中国の国力を世界に印象付けることになりました。この会議は、習近平による秋の党大会への布石の一つとも言われます。共同声明は素晴らしいレトリックを述べていますが、中国中心主義的な思考は一向に変わっていません。協議重視が共同声明の協力原則に掲げられているものの、AIIB(アジアインフラ投資銀行)を含め、多国間主義の手法は十分に取られていません。 一帯一路構想が今後どうなるかは、まだ注意深く見ていく必要があります。関係国の間では債務拡大の懸念も広まっています。尤もな心配です。さらに習近平はジャカルタ・バンドン高速鉄道、中国・ラオス鉄道、アジスアベバ・ジブチ鉄道、ハンガリー・セルビア鉄道の建設を加速化し、グワダル港(パキスタン)、ピレウス港(ギリシャ)を改修した、と述べましたが、プロジェクトの実施は遅れ、スリランカのハンバントタ港については債務の膨張や中国の影響力の増大などで住民の反対運動が起きていると言います。 中国がこの構想を推進する背景には、習近平の国内基盤強化や超大国としての勢力圏の構築という大きな野望があります。しかし、同時に、貯まるカネを国際的にリサイクルしていかねば経済が回らないという経済的必要性も大きいのではないでしょうか。野望と必要性の双方があります。 西側は中国に見合う対応をしていかねばなりません。トランプによるTPP離脱決定は近視眼的な米国第一主義による間違った決定でした。社説が米国は自ら中国に譲ったのも同然である旨述べるのは、全くその通りです。米国抜きの「TPP11」の進展などが強く期待されます。

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    なぜ世界で唯一ニュージーランドだけがヒアリを「根絶」できたのか

    村上貴弘(九州大学決断科学センター准教授) 5月26日に兵庫県尼崎市のコンテナ内から「世界の侵略的外来種ワースト100」に入っているヒアリが発見されてから1カ月あまり。次々に見つかるヒアリに付近住民のみならず多くの人々が心配をしている状況です。私の知り合いの息子さんもヒアリに刺される夢をみているという連絡があり、心を痛めています。多くの人々に正しい情報を提供し、正しく恐れることを目的に本稿を書き進めたいと思います。ヒアリの女王アリとみられる個体(環境省提供) まず、第一点目は、ヒアリの毒はアリの中で最も強い毒というほど強くはないということです。世界には、もっと強い毒を持ったアリが複数存在します。 では何が問題なのでしょうか? 一番の問題はその繁殖力です。現在、米国では、アラバマ州、テキサス州、フロリダ州など南部の18の州に定着しています。そして、地域住民の約50~90%(約1000万人)がヒアリに刺された経験を持つといわれています。この数の多さが厄介なのです。 その中でアナフィラキシーショックを示すのが約1~2%、亡くなられた方が約100名ということで致死率は0・001%程度です。したがって、死への恐怖をあおるというのは正しくなく、広範囲に定着して多くの人が刺されてしまうということを心配することが正しいと思います。 現段階の日本の現状をまとめてみましょう(2017年7月11日現在)。これまで6地点(尼崎、神戸、大阪、名古屋、春日井、東京)で侵入が確認されています。そのうち春日井市(愛知県)の事例を除いてすべてが港のコンテナ内、もしくはコンテナ保管場所から見つかっています。内陸の春日井市では1個体の働きアリが見つかっています。女王アリは大阪港で見つかっています。これらの情報から現段階で日本へのヒアリの進出状況は『侵入』段階で、『定着』には至っていません。 ヒアリの駆除には初期対応が重要です。ヒアリは1930年代にアメリカ合衆国に侵入・定着した後、カリブ海、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、中国に侵入・定着しています。 アメリカ合衆国は、もっとも対応を誤ってしまった国です。問題点として①気づいたときには多くのヒアリが定着していた(初期対応の不足)、②ヒアリ駆除の方法論が確立されていなかった、③レイチェルカーソン著「沈黙の春」でヒアリの被害が過小評価され、DDTやBHCなどの強力な殺虫剤を使えない状態になってしまった、④南米では天敵となっているノミバエを使った生物防除の大規模実証研究もしていますが、有効な手段にはなっていません。 現在、米国では年間5000~6000億円の経済被害が出ています。おもな被害は農作物の食害、電気設備の配線を食い破りショートさせる、公園などに営巣したコロニーの除去、敷地内に巣がある場合の不動産価値の低下などがあげられています。中国と台湾の場合 オセアニア2カ国は非常に参考になる対応をしています。 まずニュージーランドですが、01年にオークランドの空港そばの敷地にヒアリの巣を空港関係者が発見しました。その後、ニュージーランド農務省は迅速に対策チームを結成し、殺虫剤を使ったコロニーの駆除、発見場所から1キロ圏内を定着ハイリスクエリアに設定し徹底してモニタリング、5キロ圏内を要注意エリアとして調査を行うことで03年の夏までに根絶宣言を出すことができました。この作業にかかった費用は約1億2千万円です。その後も複数回港のコンテナ内からヒアリが発見されましたが、定着前に駆除されています。 オーストラリアでも01年にブリスベーンに定着が確認されました。ニュージーランドに比べると定着した巣の数が多く、駆除は難航しました。ニュージーランド同様、迅速にヒアリ根絶国家プログラムが発動し、6年後の07年にはブリスベーンに定着したヒアリの99%を駆除できたと発表しています。しかし、残りの1%は現存しており、いまでも繁殖の危険性はゼロにはできていません。また、14年と15年にも侵入が確認され、継続的に予算をつぎ込んでおり、この15年間で270億円を費やしています。 この2カ国の対策の違いは非常に参考になると思います。ニュージーランドで発見されたヒアリの巣は定着後半年から1年以内と推定され、わずか1コロニーだけでした。この場合、根絶は可能でした。しかしながら、ブリスベーンでは巣は複数同時に確認され、ニュージーランドより大規模に根絶プログラムが発動しましたが、根絶できませんでした。かかった費用も約200倍以上です。いかに初期対応(定着前に発見すること)が重要か分かると思います。 隣の台湾には04年に侵入・定着しています。台湾も国家紅火蟻防治中心(National Red Imported Fire Ant Control Center)を迅速に設立し国家プロジェクトでヒアリの根絶を進めています。08年の報告では桃園のヒアリの88%、嘉義では94%を駆除できたとしています。台湾ではヒアリ探索犬を開発するなどユニークな取り組みをしていますが、それでも根絶にはいまだにいたっていません。台湾では年間約2億円の予算を計上していました(09年当時)。 中国も2004年に深圳市に侵入・定着し、急速に分布範囲を広げており、07年の報告では広東省、広西チワン族自治区、湖南省、福建省、江西省まで拡大しています。中国本土でも駆除対策のみならず、基礎研究を行っており2013年の論文では95本の研究論文が少なくとも報告されていることが明らかになっています。 以上のように、これまで侵入・定着した国と地域で根絶に成功したといえるのはニュージーランドのみです。繰り返すようですが、初期対応の違いで大きく結果が違ってきます。巣を壊したときの反応 次に、ヒアリの特徴を説明します。 ヒアリはもともとブラジル、アルゼンチン、パラグアイ国境の熱帯雨林に生息するアリです。体長は2.0ミリ~6.0ミリとばらつきが大きいのが特徴です。体は、頭部と胸部がやや赤茶色、腹部が黒色で全体的に光沢があります。 ただ、一般の方がヒアリを形や色からだけで識別できるかというと、かなり難しいのではないかと思います。現在、日本社会性昆虫学会がサイトでQ&A形式で基本的な情報をビジュアル付きで解説しております。 日本のアリとの大きな違いはその動きと攻撃性です。たとえば、巣を壊したときの反応が非常に素早く、また躊躇(ちゅうちょ)なく刺してきます。  また、女王アリの産卵能力が高いことでも知られており、1個体の女王アリが条件さえ整えば1時間に平均80個ほど卵を産むことができます。女王アリの寿命は6~7年。生涯で産む卵の数は200~300万個といわれています。 原産地では一つの巣に女王アリは1個体いることが多いのですが、侵入地では10個体前後、多いときには100個体を超える女王アリがいて、それぞれが産卵している場合もあります。このことが、さらに繁殖力を高めています。 原産地では、ヒアリは熱帯雨林の中に巣を作らずに川べりの赤土の露出したところに巣を作ることが多いです。そういった場所は雨期には増水し、巣を破壊します。そのときにヒアリは働きアリ同士が協力して「イカダ」を作ります。その上に女王アリや幼虫・卵・さなぎを乗せ、川を下っていきます。そうして適した場所にたどり着いたら、上陸しそこでまた新たな巣を作っていきます。コンテナ周辺でヒアリがいないか確認する鳥取県職員ら=7月6日、境港市の境港 まさに、自然条件下でも厳しい環境の変化に適応しており、それが侵略的外来種としての特質をすでに持っていたということもいえるかもしれません。  これから私たちはどのようにしていけばよいのでしょうか? まずは落ち着いて行動しましょう。現在、過度にヒアリの被害を強調されています。それらの情報に振り回されないよう冷静に対処しましょう。現段階でヒアリがすぐに大繁殖することはありません。その上で適切な対応を考えていきましょう。 特にこれは行政・研究者レベルの話ですが、まずは供給源となっている地域を特定し、その地域と連携しながらヒアリの駆除プロジェクトを立ち上げるべきです。 より広範囲にわたって貿易を行い、しかもそのスピードも頻度もどんどん増加している21世紀。私たちは今回のヒアリの侵入から、人間活動の活発化がもたらす光と影を深く理解し、影の部分のリスクに対してしっかりとした覚悟を持って対処していくことが大切です。

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    ワカメやコイも 「世界を侵略する」日本固有の生物はこんなにいた!

    止し又はそのような外来種を制御し若しくは撲滅すること(第8条・生息域内保全)」がよく引用されている。国際自然保護連合の「世界の侵略的外来種ワースト100」に入っているワカメ 外来種対策は、そもそも生物多様性を保全するという大きな将来目標を実現するための一つの対策として、考えられているものである。 海外から侵入した外来種による問題が昨今、多く取り上げられているが、日本も世界の生物多様性に影響を及ぼしている加害者である。ワカメもコイも「侵略者」 例えば、私たちが日ごろから食しているワカメは、国際自然保護連合(IUCN)による「世界の侵略的外来種ワースト100」の選定種の1つである。ワカメの遊走子(べん毛を持って水中を泳ぐ胞子)が日本からの商船の「バラスト水」に混入した状態でニュージーランドやオーストラリア、ヨーロッパ諸国の沿岸域に運ばれ、そこでバラスト水とともに放出されて、沿岸域に定着。増殖して、侵略的な外来生物になっている。ワカメを食べない文化圏の国々にとっては、大きな問題となっている。 バラスト水は、船舶が空荷の時に、船舶を安定させるため、重しとして積載する海水で、主に貨物を積む港において排出される。世界では、年間30-40億トンのバラスト水が移動していると推計されている。日本には、年間およそ1700万トンのバラスト水が持ち込まれ、約3億トンが持ち出されているとみられる。バラスト水に存在する生物が、船舶を介して本来の生息域でない海域に侵入し、繁殖して、被害が発生するのである。国際自然保護連合の「世界の侵略的外来種ワースト100」に入っているコイ 日本の河川や公園の池でよく見かけるコイは、比較的流れが緩やかな川や池や沼、湖、用水路などにも広く生息する淡水魚である。しかし、コイは、汚染に強く雑食性で何でも食べ、さらに低温にもよく耐える生きものである。30センチを超す大きさに育つので天敵が少なく、淡水域の水底において優占して問題となっている。移入された北アメリカでは泥臭いという理由で食用にされないこともあって、爆発的に個体数を増やして問題となっている。 日本の固有種ではないが、日本から生物が海外に広がり希少なカエルが絶滅したと思われる例もある。生態系への深刻な影響として、一時話題となった、カエルツボカビ症問題にふれざるを得ない。 カエルツボカビは感染力が強く、野外での根絶が不可能といわれ、海外では、地域的にカエル類の絶滅が起こったり、一部のカエルが絶滅したりしているケースが見受けられる。アジア起源のカエルツボカビが世界に拡散 2006年12月、日本で初めて飼育下におけるカエルツボカビ症が確認された。そして、07年1月「カエルツボカビ症侵入緊急事態宣言」がWWFジャパンも含めさまざまな学会から16団体が共同署名して、全国に発信された。その後、飼育下および流通過程において、カエルツボカビ症の感染が明らかとなり、6月には、野生のウシガエルからカエルツボカビ菌が検出された。そこで、全国のカエルツボカビの拡散状況が研究者によって調べ上げられた。特定外来生物に指定されているウシガエル 国立環境研究所などの調査で日本のカエルから約30系統のカエルツボカビ菌が見つかったが、中米や豪州では1系統しか見つかっていないということで、アジア起源のカエルツボカビが世界に拡散し被害をもたらしたと考えられている。日本・中国・韓国などで感染の報告があっても被害の報告がないこととも符合する。 10年9月時点で50タイプのカエルツボカビ菌が確認されており、調査したカエルのサンプルの3%が菌に感染していたが大量死は発生していないこと、1932年のオオサンショウウオの標本からもこの菌が検出されていることなどから、日本ではカエルツボカビ菌が昔から自然に存在し、日本の両生類は、これにすでに抵抗力を持っている可能性が高いと考えられている。むしろ日本の研究者や採集家が用いるフィールドワーク時の装備などを通じて、カエルツボカビ菌が世界に拡散した可能性があると揶揄(やゆ)された。 『エルトンの侵略の生態学』の原著が59年前に出版されており、半世紀以上が過ぎた。この間、私たちは、外来生物対策として、今まで何をしてきたのだろうか。先人の知恵を謙虚に受け止め、学び、対処していれば、防げたことが世の中に多数存在するのではないだろうか。 外来種対策は、私たちが将来健全に生活していくために必要な生物の多様性や生態系を健全に保つための一施策である。 環境省では、外来生物被害予防三原則として、(1)入れない(悪影響を及ぼすかもしれない外来生物をむやみに日本に入れない)、(2)捨てない(飼っている外来生物を野外に捨てない)、(3)広げない(野外にすでにいる外来生物は他地域に広げない)としている。だが、日本起源の外来種が世界で悪影響を及ぼさないためにも、4項目めとして、「日本から出さない」ということを加えたい。引用文献(※1)川那部浩哉・大沢秀行・安部琢哉訳(1971):侵略の生態学,思索社(※2)カエルツボカビ症について:WWFジャパン(※3)日本由来の外来種

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    北朝鮮ICBM、それでもトランプには最後の「制裁カード」がある

    である「戦略的忍耐」は間違っている、と繰り返し表明している。「戦略的忍耐」とは、北朝鮮は経済的困窮と国際的孤立で困難に直面しているから、核開発放棄を宣言するまで放っておけば、必ず助けを求めてくるという楽観的見通しに立つ、問題先送り政策だった。ところが、オバマ政権の10年間で、北朝鮮の核ミサイル開発は格段の進歩を見せ、数年以内に米国本土に届く核ミサイルを保有するところまできてしまった。 トランプ政権はすべての手段をテーブルの上に置き、まず北朝鮮の9割の貿易相手国である中国に経済制裁を強めさせて、圧力を加えるという政策をとっている。中国は本当に北朝鮮に圧力を加えているのか。トランプ大統領は7月5日、「中国と北朝鮮との間の貿易は第1四半期に約40%増加した。米国は中国と手を組んできたが、こんなものか。でもわれわれは試してみるしかなかった」とSNSに投稿した。別荘の中庭で中国の習近平国家主席(右)と歩くトランプ米大統領=4月7日、米フロリダ州 私はここで「試してみるしかなかった」という部分に注目する。今年4月、米韓軍事演習の実施、米国空母が2隻、朝鮮近海に出動するなどを受けて、米国が北朝鮮への爆撃を行うのではないかという予測が、日本の一部専門家やマスコミの中で沸騰した。そのとき、私は「まだ早い、米国はまだ試していないことがある、それを試してみてダメだったら軍事攻撃が浮上する」とコメントしていた。 それでは何を「試す」のか。中国と国際社会に対して強度の経済制裁を実施させる。具体的には北朝鮮の統治資金を徹底的に締め付けることと、石油の対北輸出を止めさせることだと考えていたが、7月になっても北朝鮮は音を上げず、ついにICBMの発射を行った。 しかし、トランプにはまだ、試してみるべきカードが残っている。それは北朝鮮と取引をしている第3国企業と銀行に対して、ドル取引を停止するといういわゆる「セカンダリー・サンクション(2次制裁)」だ。ICBMの発射の直前にその一部はすでに発動されていた。水面下の中朝取引 米政府は6月29日、北朝鮮の核、ミサイル開発を支援した中国企業「Dalian Global Unity Shipping Co」と2人の中国人および、北朝鮮のマネーロンダリング(資金洗浄)に関与した中国の銀行1行、丹東銀行(Bank of Dandong)に対して米国との取引停止、ドル取引停止という制裁をかけた。丹東銀行は北朝鮮が米金融システムにアクセスするための入り口の役割を果たしてきたと米財務省は指摘している。同行顧客のドル口座は取引の17%が北朝鮮に関連したものだったという。ムニューシン財務長官は調査を続けており、追加制裁を行う可能性もあるとした。 私は5月に米国軍に近い情報関係者から、中国と北朝鮮の関係について次の話を聞いていた。 「これまで25年間の中朝関係はやらせ詐欺であり、①北朝鮮が軍事挑発を行う②中国も加わって国際制裁が決議される③中国がわれわれも対北制裁していると明言する④北朝鮮が中国を批判⑤中国が国際社会に対北制裁をよくやっているとアピールする、という循環が繰り返された。しかし、水面下での中朝取引は続き、事実上、中国は北朝鮮の核ミサイル開発を助けてきた。われわれは、もはやそれにはだまされない。数年前から北朝鮮と取引をしている中国企業を徹底的に調査してきた。その調査結果の一部が、C4ADSという米国のシンクタンクが昨年8月に公表した報告書(※注1)に載っている。アルミニウムパイプを風呂桶として対北輸出している企業などがある。まず、ここまで分かっているということを教えるために代表的な10社を選んでリストを作った。その10社のリストをあなたにもあげますよ」 6月21日にワシントンDCで開かれた米中安保対話では、そのことが議題になったという。米紙「ウォールストリート・ジャーナル」によると、米政府は中国に2次制裁候補として調査が終わっている代表的な10社のリストを渡したという。中国銀行、ニューヨーク支店の外観=2011年10月 私が5月に上記関係者からもらった10社のリストと、安保対話で中国に渡されたリストが同じものかどうか確認できていない。 すでに、ウォールストリート・ジャーナルは4月25日付の社説で中国4大商業銀行の一つ、中国銀行(Bank of China)への二次制裁をかけよと主張した。「国連の専門家パネルによれば、昨年、中国銀行のシンガポール支店が北朝鮮の事業体の決済に605回関与している。中国政府はこの国連リポートの発表を阻止したが、内容はメディアにリークされた」「(中国銀行への二次制裁は)トランプ氏の真剣さに関する最小限のテスト」だと書いている。 中国銀行は、資産規模2・5兆ドルで世界4位だ。米シティバンクの2倍、三菱東京UFJ銀行の1・5倍の超巨大銀行であり、昔の東京銀行のように国際金融市場で中国を代表する銀行だ。その銀行が、ドル取引ができなくなることは国際金融秩序と米中経済関係に多大な影響を与えるだろう。しかし、軍事行動に比べれば少なくとも人命被害は出ない。これすらできなければトランプも結局、戦略的忍耐と同じことをしていると批判されるだろう。(※注1)報告書名は「In China’s Shadow Exposing North Korean Overseas Networks」。

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    「核とミサイルの罠」金正恩を追い詰める父の亡霊と内なる敵

    父の金日成(イルソン)主席や父親の正日氏と全く異なる。特に中国の習近平国家主席と会談できない事実は、国際社会から追い詰められた現実を物語る。日米は中国の意向も尊重し、決定的な制裁は控えている。米国のヘイリー国連大使は、国連安保理での軍事的対応にも言及し始めている。すぐに軍事的な措置が取られる可能性はないが、やがて大きな議題になりそうだ。7月3日、「火星14」の発射実験を承認するため報告書に署名する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長。朝鮮中央通信が配信した(朝鮮通信=共同) 北朝鮮軍は核実験実施を強く求めていると伝えられているだけに、金委員長は大きなジレンマに直面している。核実験に踏み切れば、中国とアメリカから大きな制裁を受ける。核実験ができなければ、米中を恐れる弱気の指導者と国内で陰口をたたかれ、権威が失墜する。 それを避けるために、「核兵器の完成」「ミサイルの完成」を宣言し、「核とミサイルの実験をしない」交渉に乗り出すとの戦略が、平壌から流されたこともあった。戦略への期待が急速に失われている。

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    どれもこれも嘘ばかり、感情で動く「無責任メディア」の北朝鮮報道

    潮匡人(評論家) 私が予測した通り、北朝鮮は7月4日の米独立記念日に発射した。いわゆる大陸間弾道ミサイル(ICBM)である。なぜ予測できたのか。今後どうなっていくのか。その答えは、発射当日のテレビ東京やニッポン放送の番組でコメントさせていただいた。詳しくは拙著最新刊『安全保障は感情で動く』(文春新書)に書いたので、ぜひ、御購読いただきたい。 ここでは発射後の報道検証に絞ろう。上記ニッポン放送の番組出演は以前から予定されていた。夕方の生放送番組「ザ・ボイス」である。リスナー間では、私が出演すると決まって大事件が起こる、というジンクスがささやかれており、今回もそうなった。 当日午前、発射のニュース速報を見て、やはり撃ったか…と思っていた矢先、テレビ東京から出演オファーを頂戴した。番組が同じ夕方の生放送(ゆうがたサテライト)のため、昼過ぎにコメントを収録する格好になった。 北朝鮮が国営放送を通して画像を公表するかもしれない、それらを確認した上でコメントしたい…そう思い、バスの時刻を気にしつつ、当日正午のNHKニュースを見て、驚いた。「台風、大雨関連のニュースを中心に時間を(12時45分まで)延長してお送りします」と始まり、いつまで待っても報道しない。やむなく見切り発車でバスに飛び乗った(後で見たら途中に台風報道をはさみながら12時21~28分まで報じていた)。 かくして少ない情報をもとに当日の番組でコメントする羽目に陥った。だから分析を間違えた云々の言い訳ではない。視聴者はご存じのとおり、発射直後から私は「ICBM」と明言した。ニッポン放送の番組でも評論家の宮崎哲弥さんと放送時間の大半を割いて「ICBM発射」の意義を語った。あの時点で「ICBM」と断じたのは、マスメディアでは私だけ。日本政府も翌日まで明言できず、「分析中」と言葉を濁し続けた(防衛相の会見など)。 そもそもニュースの扱いが小さい。小さすぎる。発射当日夕刻には、北朝鮮が「ICBM火星14型発射に成功」と「特別重大報道」したにもかかわらず、同夜のNHK「ニュース7」もトップ項目は「台風と前線」だった。同様に「ニュースウオッチ9」のトップも「台風3号」。なぜ、みな過小評価したのか。それがICBMとは思わなかったから。そういう次第であろう。北朝鮮のミサイルが日本の排他的経済水域(EEZ)内の日本海に着水したことを報じるNHKニュース=2017年7月4日、東京都内(AP) 他方、世界の主要メディア(と当局)は大きく扱った。米韓両国は言うに及ばず、北朝鮮のICBMが届かないイギリスの公共放送BBCもトップ項目で詳しく報じた。例外は日本だけ。 ところが、翌5日に至り、それらが一変する。理由は単純だ。アメリカ連邦政府がようやく「ICBM発射」(国務長官)と認めたからである。その途端、反米論調で知られる新聞や番組も含め、みな一斉に「ICBM」と報じ始めた。日本政府も例外でない。脱力感を覚える。 過去ずっと、こうだった。北の「火星12型」が発射された今年5月も、今回と同様の展開をたどった(詳しくはアゴラ関連拙稿)。今年4月のバカ騒ぎも思い出す。マスコミが重用する「識者」やジャーナリストらは、みな4月15日や4月25日を「Xデー」と断じ、危機を煽(あお)った。知り得るはずのない「米軍の最高機密」を論拠にした猛者もいる。私は一貫して異論を唱えたが、NHK以下多くの主要メディアは聞く耳を持たなかった。識者は無責任な放言ばかり 結局、4月15日にも4月25日にも、何も起きなかった。4月の軍事挑発は私が予測したとおりイースター(復活祭)の朝、5月も予測どおり米メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)となった。同様のことは2013年にも、2009年にも、2006年にも起きた。一貫してそう主張してきたが、日本の政府とマスコミには馬耳東風。関係国の当局者だけが耳を貸した(詳しくは前掲拙著)。 みな口をそろえて「ICBM発射はアメリカにとってレッドライン(越えてはならない一線)」と断言してきた。主要メディアとも7月5日までそう断定してきた。NHKも例外でない。今回、北朝鮮はその「レッドライン」を越えた。 当然アメリカが軍事行動を起こすはずだが、発射から数日経った今も、その兆候は見えない。「レッドラインは(ICBMが届く)アラスカではなく東海岸」との釈明まで出始めたが、開いた口が塞がらない。 要は「Xデー」同様、「レッドライン」をめぐる報道もフェイク(偽物)だった。北朝鮮関連報道自体フェイクだったと評してもよかろう。それなのに、テレビ画面に映る「識者」らの顔は、いつまで経っても変わらない。代わり映えしない。出す方も、出る方もどうかしている。ここまで予測と分析を間違えておきながら、恥じることを知らない。破廉恥きわまる。朝鮮中央テレビが放映した、ICBM「火星14」発射実験の写真(共同) 今回「また潮が危機を煽った」云々の批判を受けた。事実関係のみ反論しておく。やれXデーだ、レッドラインだと危機を煽ってきたのは、連日ワイドショーなどでコメントしてきた著名な「識者」やジャーナリストのみなさまである。私ではない。私は事実と今後の予測を述べただけ。 もし、それが「危機を煽った」ように聞こえたなら、失礼ながら事実を直視できないからか、あるいは私の予測を受け入れ難い〝良心〟(感情)があるからなのか。どちらにしても私の責任ではない。 ICBM発射当日、私の長女(自衛隊員)は航空自衛隊の主力戦闘機F-15DJに搭乗飛行していた。もし今後、拙著の予測どおり展開するなら、そのとき、隊員は「危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえ」なければならない(自衛隊法)。 最近まで危機を煽ってきたのは、そうしたリスクを背負う気概すらない無責任な連中である。どいつもこいつも放言しているだけではないか。彼らの眼には、自分が見たいものしか映らない。私は見たくもない現実を直視している。彼らと私では、そこが決定的に違う。 北朝鮮の脅威は核や弾道ミサイルだけではない。いま最も警戒すべきはテロ・ゲリラ攻撃である。本来なら軍隊たるべき自衛隊が対処すべきだが、残念ながら、戦後日本では警察(または海上保安庁)が対処の任を担う。 案外知られていないが、交番の警官が着用しているのは防弾チョッキではない。防刃ベストである。そのとき、私の次男(警察官)が凶弾に倒れるかもしれない。その私が今回、危機を煽ったなど、聞き捨てならない。 拙著の予測は外れてほしい。もうこれ以上、当たってほしくない。ひとりの父親としては、心からそう願っている。きっと誰よりも、その思いは強い。

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    中国が北朝鮮を止められない3つの理由

    させられると考えるのだ。自国(現在の統治システム)の生存のための核兵器及び弾道ミサイル開発を、たとえ国際秩序に反すると非難されても、北朝鮮があきらめるはずがない。 こうした状況の下で、米国の中国に対する期待は高い。米国は、自国の軍事的圧力だけで、北朝鮮に核兵器・弾道ミサイル開発を放棄させることは難しいと考え、特に、2017年4月に行われた米中首脳会談以降、強く中国に協力を要求してきた。北朝鮮指導部に対して唯一影響力を持つ国であり、北朝鮮が経済的に依存している国であると考えられているからだ。 2017年6月13日、ティラーソン国務長官が、上院外交委員会の公聴会において、核兵器・弾道ミサイル開発を続ける北朝鮮への制裁に関し、「次の段階に進みつつある」と述べ、北朝鮮を支援し続ける第三国に対する制裁を検討していることを明らかにした。中国などを念頭において、国連安保理の制裁決議の履行が不十分だとしてけん制したものと捉えられている。 国連の制裁決議後も、中国から北朝鮮に資金や物資が流れているのは事実である。2017年6月15日、米検察当局は、北朝鮮のマネーロンダリング(資金洗浄)に関わったとして、中国遼寧省の貿易会社に対して、約2億1千万円の差し押さえを求めて、米国の首都ワシントンの連邦地裁に提訴したと述べている。検察当局によると、北朝鮮に関わる差し押さえとしては最高額となるというが、「最高額」と言うからには、これ以外にも複数の同様の案件が発生しているということだ。中露関係を利用する北朝鮮 それでは、中国は、本当に北朝鮮に対して経済制裁をかける気がないのだろうか?これまでに何度も言ってきたことだが、中国が北朝鮮に対して強い経済制裁をかけきれない理由は大きく3つある。 1つ目は、北朝鮮が暴発することだ。北朝鮮の経済状態が悪化すれば、社会が不安定化して指導者に対する不満が増大するだけでなく、核弾頭及び弾道ミサイル開発に用いる資金が枯渇し、部隊を動かす燃料さえ不足する可能性がある。追い詰められた北朝鮮が、自棄になって軍事的に暴発するかもしれないと恐れるのである。朝鮮中央テレビが放映した、「火星14」が地上に立てられる映像(共同) 2つ目は、北朝鮮が中国のコントロール下から外れてしまうことだ。これまでも、中国が強い経済制裁をかければ、北朝鮮はロシアにすり寄ってきた。中国とロシアの間には、不信が充満している。相互に、自国が安全保障のために重要だと考えるエリアで、相手の影響力が高まることを警戒するのである。 例えば、ロシアは、中国海軍がオホーツク海で行動することに対して警戒を露わにしている。2013年7月に実施された中ロ海軍合同演習「海上連携2013」後、中国海軍は、演習参加艦隊の一部を分離して宗谷海峡を抜け、オホーツク海に入ったが、この直前、ロシア海軍艦隊が宗谷海峡からオホーツク海に入っている。ロシア海軍は、「ここがロシアの海だということを中国に知らしめるためだ」と述べていた。 ロシアが、北方四島、特に、国後島及び択捉島を決して日本に返還しようとしないのは、この2島がオホーツク海を囲い込む重要な一部だからであり、安全保障上、極めて重要な位置に存在するからでもある。 中国も同様に、極東でロシアが影響力を増すのを警戒している。二国は、グローバルな視点では協調姿勢を見せることが多いが、それは中国もロシアも米国という最強の地域覇権国をけん制する必要があるからだ。しかし、極東に焦点を合わせて見ると、違った中ロ関係が見えるのである。 これら2つの理由の背景には、自国にとっての米国との間の緩衝材としての北朝鮮を失い、戦略的縦深性を失いたくないという中国の意識がある。 3つ目は、前述の2つの理由とは異なり、中国国内政治に関わる理由である。中国における中央と地方の微妙な関係の反映なのだ。北朝鮮との貿易等で利益を上げているのは中央ではない。遼寧省等の地域なのである。 今回、米検察当局が差し押さえ対象にした中国の貿易会社は、その遼寧省に所在する企業である。この遼寧省という地方には問題がある。遼寧省は、2016年の経済成長率が中国全省の中で唯一マイナスになった地域なのだ。北朝鮮との取引が遼寧省経済に占める割合に関わらず、北朝鮮に対する経済制裁は、遼寧省の経済にマイナスの影響を与えることは間違いない。中国に北朝鮮への軍事援助義務はあるのか? 習近平総書記は、秋の中国共産党第19回全国代表大会(19大)を控え、地方の反発を買いたくはない。習近平総書記及びその周辺は、2016年初めから、各省など地方を含む共産党内で習近平総書記を核心とするキャンペーンを行ってきたが、各地方の反応を見た中国メディアの記者や研究者の中には、「19大は微妙だ」という者たちもいる。 習近平総書記にとって、現在は、国内政治のパワー・ゲームの季節なのだ。それでも、中国は遼寧省と北朝鮮の関係を黙認している訳ではない。2016年9月、遼寧省丹東市の遼寧鴻祥実業発展有限公司の会長が、北朝鮮に核とミサイル開発物資を密輸した容疑で逮捕されたのに続き、丹東市のトップも更迭された。丹東市は、遼寧省の中でも、北朝鮮との貿易の最前線として知られる。習近平氏 中国は、北朝鮮国内が暴発しない程度、米国の圧力とロシアの思惑、国際関係と国内政治、それぞれの及びそれら相互間のバランスをとろうとしているに過ぎない。 東アジア地域における米国の軍事的影響力が増すことは、中国にとっての「平和で安定した地域情勢」を崩すものだ。中国は、米国の妨害なしに発展し、地域及び国際秩序の構築を主導したいと考えている。中国が北朝鮮の核弾頭・弾道ミサイル開発に反対する理由もここにある。北朝鮮が核を振りかざして米国を挑発するのは、手招きして、米軍に「来て下さい」と言うに等しい行為だからだ。 一方で中国は、現実主義者である。中国自身が、これまで不満国家として、国際社会における自らの権利を変更しようとしてきたのだ。「全ての国家は既存の国際秩序を守らなければならない」という主張が、強者によるユートピアニズムであることを知っている。中国は、北朝鮮もまた自らの権利を変更しようとしていることを理解しているし、また、それゆえに北朝鮮が核弾頭と弾道ミサイルの開発を止めることに対しては悲観的である。 そして、その行き着く先に米国の軍事力行使があることも中国は想定しているということでもある。しかし、中国は、現段階で米国と軍事衝突しても勝利できないことを理解している。中国は、米国が北朝鮮に軍事力を行使した場合、この戦争に巻き込まれたくないと考えるのは当然のことだ。 実際、2017年4月頃から、中国国内で、中朝友好協力相互援助条約の「参戦条項」の無効を主張する声も上がっている。「一方の国が戦争状態に陥った場合、他方の国は全力で軍事援助を与える」と規定した第2条に従えば、北朝鮮が米国と開戦した場合、中国は軍事援助の義務がある。しかし中国は、同第1条の「両国は世界平和を守るためあらゆる努力を払う」という規定を盾に取り、「北朝鮮の核開発はこれに違反している」ので、中国には援助義務がないと主張するのである中国の「本音」は 「血の友誼」を謳う同盟国である中国のこうした態度に、北朝鮮は怒っているだろう。しかし、中国も北朝鮮に腹を立てているのだ。中国にとって、北朝鮮は中国と同じではないのである。中国は、経済発展して強者を目指しつつ、国際社会における自らの権利を変えようとしているが、北朝鮮は経済的実力もないのに挑発行為を繰り返すのだ。中国が、改革開放政策を取り入れて経済発展するよう促しているにもかかわらず、北朝鮮はこれに応じようとはしない。 北朝鮮の核兵器開発や核による恫喝は、1960年代に毛沢東主席(当時)が行ったことと同様である。「弱者の選択」として、核開発に国内資源を集中しなければ、米ソの妨害を排除して生存を続けることができないと考えたのだ。これも、現在の北朝鮮の考え方と同様である。天安門に掲げられた毛沢東の肖像画の近くで警備する武装警察隊員=北京(共同) しかし、中国には、鄧小平氏がいた。彼は、1978年の党第11期三中全会において「改革開放」政策を打ち出してから、経済発展を追求してきた。しかし、改革開放政策は、経済政策だけでなく、集団意思決定及びボトムアップの政策決定の制度化にもつながるものであった。金一族の独裁的統治システムである北朝鮮には、これが受け入れられない。 一方で、中国は、金一族の統治、少なくとも金正恩氏の統治にはこだわらない。対外的な問題を抱えたくない中国にとって、米朝軍事衝突といった事態は避けたい。中国の状況を考慮すれば、中国は、米朝軍事衝突が起きるくらいであれば、北朝鮮国内でクーデター等によって勝手に体制が変えられることを望むはずだ。 それでも、北朝鮮国内でのクーデターは、積極的に期待できるとは考えられない。米国と北朝鮮の主張は交わることはなく、衝突コースを進んでいる。もし、米国が北朝鮮に対して軍事力を行使したならば、中国は、自らが参戦せずに済む短期間で戦闘が終了することを願うだろう。 中国にとっては、中国が発展し強者となって国際社会の支配的国家グループの仲間入りをし、中国にとって経済的に有利である「自由」な国際秩序を構築することが、何より重要である。

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    侵略と人権弾圧の歴史、中国「パンダビジネス」はこんなにエゲつない

    を思い出すべきだ。中国による激しい人権弾圧が繰り返されるチベットでは、抗議の焼身自殺が相次いでいる。国際社会はチベットを無視してはならない。 次に、中国が行っているパンダの有料レンタルビジネスの正当性がすでに失われていることについて指摘したい。これは私が勝手に言っているのではなく2016年9月の、世界自然保護基金(WWF)の公式な見解だ。 この見解の中で、WWFはパンダの格付けが「絶滅危惧種(endangered)から危急種(vulnerable)に引き下げられた」ことを朗報として伝えている。国際自然保護連合(IUCN)によれば、2014年までの10年間で中国国内の野生のパンダの頭数は17%増加し1864頭になったそうだ。私が子供のころ、パンダは千頭しかいないと言われてていたが、いつのまにこんなに増えたのだろうか。IUCNの「レッドリスト」にも「Current Population Trend(最近の頭数の傾向) : Increasing(増加中)」との表記があった。 パンダがもはや絶滅危惧種ではなくなった以上、有料でレンタルして共同研究を進める正当性もかなりグラついていると思える。しかし、中国にこのビジネスをやめる気配はない。元々、チベットから盗んできた動物なのに、なんと図々しいことだろう。 元々パンダに罪はない。罪深いのは中国だ。私たちはパンダを見るたびに、その背後にあるドロドロしたものから目を背けてはならないのだ。

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    台湾統一から世界覇権まで「パンダ外交」で膨らむ中国の夢

    パンダのメンメン(夢夢)とチアオチン(嬌慶)が6月24日、ドイツの首都ベルリン近郊のシェーネフェルト国際空港に、ルフトハンザ航空の特別貨物機で到着した。ベルリン動物園で15年間飼育されることになった2頭のパンダに、毎年約92万ユーロ(約1億1000万円)がドイツ側から中国側に支払われる。空港から動物園まで信号ノンストップで移動したメンメンとチアオチンは、盛大なセレモニーで歓迎され、敷地面積約5500平方メートルの「新居」を準備された。 7月5〜7日にドイツを公式訪問した中国の習近平主席は、ドイツのメルケル首相とともに、ベルリン動物園でのパンダ館開館式に出席した。中独国交樹立45周年を迎えた2017年の「パンダ外交」は、ハンブルクでの20カ国・地域(G20)首脳会合に出席のために習主席が訪れたドイツで、友好ムードの演出を大いに盛り上げるものとなった。6月24日、ベルリンの空港に到着し、輸送用コンテナの中から外を見るパンダ(DPA=共同) 国交正常化45周年を迎えた日本でも、上野動物園でリーリー(力力)とシンシン(真真)の間にメスのパンダが誕生し、祝福ムードが続いている。自民党が東京都議会選挙で大敗した7月2日に、中国海軍の情報収集艦1隻が津軽海峡で日本の領海を侵犯するなど、中国の挑発的なニュースが絶えない。しかし、上野のパンダ誕生については、日本の多くのメディアが和やかに祝意を示している。中国艦船による領海侵入をあまり報道しなかったメディアでも、パンダ誕生については時間や紙面を割いて伝えている。パンダの「威力」は大きい。 パンダ外交の歴史は古い。太平洋戦争の最中、国民党政権が日中戦争にアメリカから協力を得ようと、プロパガンダ(宣伝)の手段としてパンダを贈呈したことに遡(さかのぼ)る。蒋介石夫人の宋美齢がアメリカに贈ったパンダは、1941年12月、日米開戦における負傷兵の第1便とともに、サンフランシスコに到着している。 ただ、中国が「パンダ(と信じられている動物)」を外交に登場させたのは、658年に唐の則天武后(在位690-705年)が日本の斉明天皇に国礼としてつがいのパンダを贈ったことに始まる、という説を報道した中国メディアもある。しかし、これは歴史的に証明されていない。 中華人民共和国建国後、中国がパンダを贈与したり貸与したりすることの意義や狙いは、何だろうか。パンダ外交は大きく3つの時期に分類できる。その変遷によって、パンダ外交の意義や効果は広がってきている。政治家にはできない「親善大使」の影響力 最初の時期(1957-1983年)のパンダは、「友好国としてアピールしたい国」に「親善大使」として贈与された。1957年にピンピン(平平)を贈られたのは、中ソ論争がまだ対立へ発展していなかった時期のソ連であった。65年には北朝鮮にも贈られた。中ソ対立が激化して中国と米国が接近すると、72年以降は、贈与対象国が米日英仏などの西側主要国にも広げられていった。 日中が国交正常化した72年、戦闘機で護衛された旅客機に乗ったランラン(蘭蘭)とカンカン(康康)が、日本への親善大使として贈られてきた。国交を回復したばかりの中国は、「竹のカーテン」で覆われていた。しかし、その不透明な中国のイメージを、愛くるしいランランとカンカンが爆発的なパンダ・フィーバーを日本に巻き起こし、払拭した。パンダは、中国との友好のシンボルとしてアイコン化していった。政治家ではできない影響力と効果であった。 第2の時期(84-2008年)は、パンダ外交が「無料で贈与」から「期間限定で貸与」に切り替えられていったことで、「外貨獲得」と「シンボル」の意味が高められていった。世界自然保護基金(WWF)のロゴ。シンボルにパンダが使われている パンダは、米中接近以前の61年に、世界野生生物基金(WWF)のシンボルマークになっていた。創設メンバーのピーター・スコット卿がデザインしたものだ。86年にWWFは世界自然保護基金に名称を変更するが、パンダは今に至るまで、そのシンボルマークになっている。70年代に生育環境の保護も含めた活動が広がっていった中、中国は81年に野生動物の国際取引を規制するワシントン条約に加盟した。加盟時点では、パンダは比較的規制の緩い「附属書III」に分類されていた。 しかし、84年には、パンダが条約の中で最も規制が厳しい「附属書I」に分類されることになった。パンダが絶滅危機にあることなどを理由に国際間の移動が制限されると、中国は香港や台湾などをのぞき、外国への贈呈をやめて「貸与」することにした。そのため、パンダの贈呈は、82年にやってきたフェイフェイ(飛飛)が最後となった。 貸与に伴い、借用国が支払う「レンタル料」は、パンダの繁殖生態研究費に充てられている。ワシントン条約で保護されているパンダを、政治的に贈呈したり無料で貸したりすることには厳しい制約がある。そこで、中国はパンダ繁殖研究基金を払わせる代わりに、研究のために貸し出しているのである。高額なレンタル料は、パンダの希少性への価値を高めることになり、高額な外貨獲得のみならず、外交交渉での優勢性や機会などの付加価値を中国側にもたらすことになった。パンダの貸与継続交渉を通じて、外交交渉における中国の姿勢を知らしめる機会を中国側に提供することになる。中台統一工作に利用されるパンダ また、中国はワシントン条約が「国際取引の規制」を趣旨としていることを利用して、中国国内だと誇示したい地域に、パンダの贈呈を政治利用している。中国政府は80年代後半から台湾へのパンダ贈呈を何度か試みたものの、台湾側が受け入れを拒み続けていた。2005年に台湾国民党の連戦主席が訪中して60年ぶりの国共トップ会談を実現させたとき、中国が台湾にパンダの贈与を表明した。当時は民進党の陳水扁政権であったため、ワシントン条約を問題視し、パンダの贈呈はすぐにはかなわなかった。しかし、中国に対して積極的な政策を進めた国民党の馬英九政権が08年5月に誕生したことで、同年8月、台湾はパンダの受け入れを決定し、12月には中国が台北市立動物園につがいのパンダを「貸与」した。中国から台湾に贈られたパンダのつがい(共同) このケースでは、中国では「国内移動」の手続きを取り、台湾での手続きでは「国際移動」と解釈できるようにした。また、中国で一般公募されたとする台湾へ貸与したパンダの名前がトアントアン(団団)とユエンユエン(円円)であり、「団円」という中国語が「離れていた家族の再会」を意味することから、中国がパンダ外交を中台の統一工作に利用していることがうかがえよう。この中国のパンダ工作を、06年4月3日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルは、「トロイの木馬」をもじって「トロイのパンダ」と指摘している。 第3の時期(09年以降-現在)は、リーマン・ショックによる世界金融危機後に、中国がグローバルな経済パワーとしてのプレゼンスを強めた時期でもある。この時期のパンダ外交は、世界中で愛されているパンダのイメージを活用し、国連開発計画(UNDP)などの活動において、中国のプレゼンスを高めている。例えば、16年にUNDPは、世界五大陸の14カ国から17人の「パンダ大使」を選出し、国連の持続可能な17の発展目標を宣伝している。それは、UNDPの活動への理解を深めるだけでなく、中国のイメージアップにも貢献している。 以上、概観してきたように、中国にとってパンダ外交の意義や狙いは、友好のアピールから外貨獲得、台湾統一、イメージ操作まで幅広い戦略や戦術がある。 中国のパンダ外交をめぐり、そのレンタル料が高いという議論が交わされている。しかし、商業的な議論は、経済的効果が黒字であるならば、それをあえて否定することもないだろう。問題は、中国のソフトパワーのアイコンとしての「丸くてふわふわ、モコモコ、愛らしいパンダ」が、中国の膨張主義や地球的課題への対応で、ネガティブな側面をこれからも覆い隠していくのかどうかである。そのことをクリティカルに議論していく必要が、日本国民と日本のジャーナリズムに求められているということだろう。

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    中国のパンダ外交よりもひどい日本の歪んだ「動物格差」

    岡田千尋(NPO法人アニマルライツセンター代表理事) 野生のパンダの数は少し増加し、絶滅危惧種から危急種に引き下げられています。中国はかわいいパンダを保全することのメリットを十分に把握しており、飼育下での繁殖だけでなく、より重要なパンダの生息域の保全も行っています。キーとなる動物の生息域を保全することは他の動物種にとっても恩恵があり、パンダに害を及ぼさない限りにおいて、その生息域では人為的脅威からは守られます。パンダの保護はパンダ自体が増えることが意義深いのではなく、生息域での自然保護が進むという点でこそ意義深いものです。パンダの野生での個体数を増やすことに成功した実績は、中国のイメージを向上させ、評価されるでしょう。 しかし、パンダ外交としてパンダを外交交渉の手段にすることや、海外の動物園に有償レンタルすることは、保全の意味を損なっています。 まず、中国はパンダをレンタルやプレゼントするにあたっては「若い・きれい・健康・活気がある・かわいい」という5つの基準を重視しているそうです。この人間にとって優性な遺伝子選択をしていくことは、パンダの多様性を奪い、種の本来の姿をゆがめていく可能性があります。 パンダの保全に日本の動物園が協力しているのだとする意見も聞かれますが、中国での繁殖技術や飼育環境は日本より優れていますので、遠く離れ生息地とも環境が異なる東京都での生息域外保全は、現状パンダにとって特に必要はなく、純粋に中国は外交カードや商売として、東京都は娯楽の対象や集客集金ツールとして利用しているにすぎません。上野動物園のジャイアントパンダの雌シンシン =5月19日、東京・上野 さらに、国にメリットをもたらす動物種だけを守るという姿勢は、生態系保全とはいえません。自然保護のためにキーとなる動物としては、パンダよりも行動範囲が広いトラのほうが重要だと考えられますが、中国では野生のトラは絶滅に瀕(ひん)しています。一方で中国のトラ牧場には数千~数万頭のトラが、毛皮や骨のためにひどい福祉状態で監禁され飼育されていますが、野生への再導入は行われていません。中国の姿勢は明快です。外交カードとして「使える」動物はその保護の重要性を説きながら保全をし、外交カードにしては「使えない」が死体でお金をもうけられる動物は、保全するのではなく養殖して殺して利用します。 守りたい動物だけ守り、利用したい動物は守らずに利用し尽くすというのは、誤った生態系保全ですし、あからさまな差別の肯定であるといえます。  中国だけを非難するつもりは特にありません。なぜならこれらのゆがんだ動物利用や保全は日本でも一般的であるからです。 かつてほど話題にならないとしても、東京都はかわいくて人寄せに利用できるパンダには多額のお金と労力をつぎ込み続けます。お金を費やすことについては採算がとれる限りにおいては批判されないかもしれません。しかし、パンダのようにお金を稼げる動物の福祉は向上し、そうではない動物の福祉が低下するという動物格差が生じているという点は、大いに問題であるといえます。動物たちの「格差」 上野動物園の飼育環境は国内動物園の中では良い方であると思いますが、それでも一部動物の環境は非常に乏しく、また動物園での飼育に限界のあるホッキョクグマなどの動物は常同行動(異常行動)をし続けています。その他、同じく東京都が養っている動物の多くも、低い福祉環境の中、監禁生活を強いられています。上野動物園のホッキョクグマ=2011年10月 叩く蹴るなど能動的な行為だけが虐待なのではなく、動物がその動物らしい行動を発現できず、動物福祉の5つの自由(飢餓と渇きからの自由。苦痛や傷害または疾病からの自由、恐怖および苦悩からの自由、不快さからの自由、正常な行動ができる自由)が守られていないことも虐待的な飼育です。欧米や南米で批判を受けたり閉鎖したりする動物園の環境を見ると、日本ではトップクラスといえるような環境であったりします。それほど日本の動物園のレベルは大変低く、私たちアニマルライツセンターも海外観光客から日本の動物園がひどすぎるという相談を度々受けています。動物の自由を奪い飼養管理することの責任を重く捉え、動物の福祉改善に必要なお金と労力を費やしてほしいと思います。 また、子どもたちに、本来の行動を取れない環境下に置かれた動物を見せ、あれがクマだよ、ゾウだよ、と教えることは誤った認識を植え付ける行為です。比較的優遇された動物と冷遇された動物が混在していることも精神的悪影響を与えます。パンダや犬や猫のようなかわいい動物は守り、畜産や実験に使われる動物や好みに合わない動物は守らず、ひどい状態のままでよいとすることが、当たり前と感じてはいないでしょうか。明らかな差別行動ですが、その差別に人々は気が付くこともなくなってしまっています。 犬猫の保護以外、日本の動物保護は他国から後れを取っていますが、その理由の一つは幼少期に虐待状態の動物と動物格差を見慣れてしまっているということにあると私たちは分析しています。動物園の役割の中に「教育」を入れるのであれば、動物の生態や行動が観察できる広い環境と本来の行動を発現させるケアを、飼育するすべての動物に等しくとり入れなくてはなりません。人気のある動物以外、動物福祉の5つの自由を担保したケアが保証できないということであれば、動物種、動物の数を思い切って減らしていくべきではないでしょうか。  パンダの赤ちゃんが産まれた上野動物園で、今後パンダたちはまさに「人寄せパンダ」としての見せ物になるという仕事を囲いの中でこなさなくてはなりません。パンダに限らず、人気のある動物の赤ちゃんの出産があれば、動物園はそれを使って集客し、そして一部の人々は週末の娯楽に動物園を選択します。動物の赤ちゃんが生まれるかどうかは、動物園にとっては死活問題なのかもしれません。しかし、一生自由を奪われ狭い囲いの中に閉じ込められ続けることは、それが希少種であろうと、かわいかろうと、個々の動物にとっては悲劇でしかないということに変わりはないということも、認識してほしいと思います。

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    ヘイトを逆手に取る「差別ビジネス」から沖縄を護れ

    博治被告」の国連人権理事会のスピーチを実現させたのは、NGOヒューマンライツナウの伊藤和子氏と反差別国際運動(IMADR)の藤田早苗法学博士の両名であり、ここでも、「慰安婦」「在日朝鮮韓国活動家」「同和」「社民党」のキーワードですべてがつながってきます。ちなみに、平成10年に3人の女子高校生が同じ場所で「制服強制は人権弾圧だ!」と叫んだのもこういう人たちのお膳立て。国連では「甘ったれ!」と相当なひんしゅくを買っていました。伊藤和子弁護士(NGOヒューマンライツナウ) 13%の少女売春について情報提供を行ったと言われ、本人は否定していますが、ブキッキオと唯一の接触者であったことは認めています。また、その前後の特別報告者とも密接な関係を持っていることから、そう言われても仕方が無い。藤田早苗法学博士(英エセックス大学、IMADR) 伊藤和子弁護士が表に出ている中で、国連のキーマンと内通し、非常に巧妙にそして戦略的に日本をおとしめている陰の立役者。私も目撃しましたが、「さなえ」「デービッド!」とハグをするくらい特別報告者と親密で、本来必要のなかった来日を実現させたのも彼女だと言われています。政府の共謀罪法案をすぐに英訳し、特別報告者に送ったり、とにかく国連人権屋界隈では日本政府をしのぐ力を持っています。 ヒューマンライツナウの理事長は、青山学院大学教授で在日朝鮮人の申惠丰(シンヘボン)氏。その申氏が同じくIMADRの理事にしっかり入っているし、在日活動家の名前と同和団体(部落解放同盟)の幹部もIMADRの役人に名を連ねています。 この二つの組織を連携させた功績を持っているのが先述の「のりこえねっと」辛淑玉氏だと言われています。その彼女が「沖縄ヘイト」という言葉を生み出し、「沖縄人も日本人じゃない」「琉球人として差別されてきた」「一緒に戦おう」などと沖縄に介入し始めてから沖縄県がおかしくなり始めました。 つまり、陳腐化し、マンネリ化してきた彼らの組織活動にとって、沖縄県は、これら差別ビジネス、被害者ビジネスの一番ホットな「稼ぎ頭」または「存在意義」となりつつあり、これについては、本来反戦平和の運動を担ってきた地元の共産党員のほとんどがかなり困惑している状態なのです。 社民系は手段を選びません。「暴力を平気で使う」「言葉や態度が汚い」「対話ができない」といった共産党幹部が吐いた言葉からそれが分かります。 上記組織を簡単に説明すると、組織的「差別ビジネス」の在日版と同和版。つまり沖縄県をこれらの「魔の手」から護ることは、わが国日本を守ることなのです。 彼らの得意な戦略(手口)は、国連に自ら「告げ口」しておいて、日本のメディアの取材を受けて「日本政府の独裁体制は国連で問題視されている」と喧伝すること。日本に対して国際基準に合わせた人権意識をしっかり持ってほしいと言います。海外に一歩出れば分かりますが、こんなに人権が保障された国は世界でも珍しいくらいです。これだけねつ造された事実で日本をおとしめた特別報告者だって、自分の国については一切言わない。「国連は自分以外の国の恥部をさらけ出し、辱めるところだ」と表現する人もいるくらいです。国連人権委で行ったスピーチの内容を説明する我那覇真子さん(右)。左はともに国連人権委に出席した筆者=6月16日、日本記者クラブ 日本国民の国連に対する「公共的な国際機関」に対する信頼が逆手に取られ、国内の反日団体のスピーカーとして利用されているのです。国際社会での風評を落としたくないという政府の寛容な態度が逆に反日活動家たちの格好のステージを用意してしまっていると言えます。 私たちの先祖が護ってきた誇りある日本を取り戻す必要があると強く信じています。そのためにも「ダメなものはダメ」と毅然と対処する政府を作らなければなりませんし、そのための政治家を育てていかなければなりません。

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    中国の「沖縄包囲網」は最終段階に入った

    た協議を進めることなど6項目の取り組みを約束した。締結式には翁長氏や中国の高燕商務次官のほかに、日本国際貿易促進協会(国貿促)の会長、河野洋平元衆院議長も出席した。沖縄県は、県産品や沖縄を中継した国産品の輸出拡大を図る絶好の機会とみている。 さて、辞任した安慶田氏の後任として副知事に就任したのが、沖縄国際大学元学長の経済学者で、県政策参与を務めていた富川盛武氏である。富川氏は、参与時代からさまざまな沖縄経済の発展構想を県のホームページで発信しており、その構想に期待を示す県民も少なくないだろう。 実は、富川氏が示しているプランは、沖縄県が福建省と締結した覚書と同じ路線にある。それが「福建-台湾-沖縄トライアングル経済圏」構想である。沖縄県の経済特区、福建省の自由貿易試験区、台湾の経済特区のトライアングルをつないだ経済圏を構築するものだ。それは、沖縄県産品のみならず、那覇空港をハブと位置付けて日本全国の特産品を福建省に送る「沖縄国際物流ハブ」構想だ。 確かに沖縄は「アジアの玄関口」として物流の中継点に好立地である、という発想は正しい。 しかし、少し立ち止まって考えていただきたい。経済的視点から、沖縄が「アジアの玄関口」であることは、軍事的に見れば「日本侵略の要所」「日本防衛の最前線」でもあるということだ。現に、昨年度の航空自衛隊のスクランブル発進は1168回(前年比295回)と過去最高であり、そのうち、中国機に対する発進が851回(前年比280回)で7割超を占めている。前年比から増加したのはほぼ中国機である。沖縄自民党にすりより始めた中国 そして、ここで忘れてはならない重要なことは、中国は尖閣諸島を福建省の一部と位置付け、天気予報まで行っているということだ。つまり、沖縄県はあろうことか、海と空から尖閣実効支配の既成事実を作ろうとしている中国の、一地域と主張する福建省の経済圏に自ら入り込もうとしているのだ。 中国との経済交流を進める動きは行政だけではない。今年2月3日、那覇市内のホテルで、「沖縄県日中友好協会」の設立を記念した祝賀会が開催され、中国の程永華駐日大使の講演会も行われた。駐日大使の講演があったということは、この組織が中国共産党、中国政府の肝いりということがうかがえる。 この祝賀会には、日中友好協会の丹羽宇一郎会長も参加し、乾杯の音頭をとっている。だが、参加した政治家は翁長氏を応援する「オール沖縄」系ではなく、自民党などの保守系がほとんどだった。中国の一部メディアは、沖縄県日中友好協会が「沖縄県議会議員の提唱によって、官民ともに設立した一般社団」と報じている。その県議会議員とは特別参与に就任した県議会議員を指していると推測されるが、彼もやはり自民党所属議員だ。 沖縄県と福建省の経済的な動きは既に加速度的に進み始めている。県内企業の中国貿易を支援する琉球経済戦略研究会(琉経会、方徳輝会長)は2月23日、中国国際貿易促進委員会の福建省委員会と貿易や投資促進を目指す覚書を交わした。会長の方氏は貿易業のダイレクトチャイナ社長であり、中国現地の会社と連携して県産品を中国に送り込むビジネスを展開している人物である。県と福建省が昨年12月から規制緩和や手続きの簡素化に取り組む中、企業間交流を加速させ、具体的な取引を始めさせる算段だ。中国・福建省の中心都市、廈門(アモイ)の海岸 3月には新たな福建省に進出が決まった企業のニュースも報じられた。沖縄本島南部にある与那原町の合同会社「くに企画」が7月から県産化粧品7商品を福建省のドラッグストアで販売することが決まったというのだ。この実現には県と中国政府の手厚い支援がある。中国では化粧品を輸入する会社は、政府の国家食品薬品監督管理局の許可を得ることが必要である。「くに企画」の商品を輸入するケースでは、「上海尚肌(しょうき)貿易有限公司」が許可を取得し、福建省内のドラッグストア十数店と契約を締結した。 一方、沖縄県のほうでも、くに企画に政府系金融機関の「沖縄振興開発金融公庫」から1000万円の融資が行われたという。くに企画を調べると、2015年10月設立された法人の存在は確認できるが、会社のホームページすら存在しない。その実態は、くに企画によるビジネスというより、中国の会社が沖縄からの仕入れを計画し、くに企画にたまたま白羽の矢が立って、沖縄振興開発金融公庫が融資を行ったようにしか見えないのだ。人民解放軍の軍人が潜伏? 日本では日中国交正常化以来、中国に進出した企業の多くは、人件費の高騰や政策変更などリスクがつきまとい、撤退を始めている。しかし、現在の沖縄では、福建省に進出するといえば誰でももうけさせてもらえるような、上げ膳据え膳のサポート態勢が整いつつある。沖縄では20年以上遅れて、中国と福建省の合作で人為的な中国進出ブームが起きようとしているのだ。 一方、観光客のみならず、さまざまな切り口で沖縄に中国人を呼び込むプロジェクトも進められている。昨年3月、中国で高齢者福祉などを支援する中国老齢事業発展基金会(李宝庫理事長)が、中国への介護技術の普及に向けた「沖縄国際介護先端技術訓練センター」建設のために、本島南部の南城市にある約4300平方メートルの土地を買収したのだ。 沖縄をモデル地域に位置付け、中国からの研修生が日本の介護技術を習得し、中国国内約300都市に設置予定の訓練センターで介護技術普及を図るという。この案件を進めたのも、前述した河野洋平氏が会長を務める国貿促だ。国貿促の担当者は沖縄を選んだ理由に、アジアの中心に位置し国家戦略特区であることを挙げたという。 その訓練センターの事業体として、昨年9月13日、東京都赤坂のアジア開発キャピタル(網屋信介社長)と中国和禾(わか)投資(周嶸、しゅうえい代表)が共同出資を行い、新会社「アジア和禾投資」を設立した。新会社はアジアキャピタルの連結子会社となり、所在地もアジアキャピタルと同じビルとなっている。新会社への出資比率はアジアキャピタルが55%と多いが、社長は中国に多くの人脈を持つ中国和禾投資の周代表が就いている。沖縄に中国人が社長を務める巨大な介護訓練センターが出現するのだ。 もう一つ、気になるプロジェクトがある。航空パイロットの育成を手がけるFSO(玉那覇尚也社長)が中国の海南航空学校と業務提携の覚書を締結し、今年から70人程度の訓練生を受け入れるというのだ。FSOは沖縄県にフライトシミュレーターと実際のフライトを組み合わせた訓練場を、宮古諸島にある下地島空港の活用策として提案しており、県から空港利活用の候補事業者としても選定されている。中国人訓練生の中には人民解放軍の軍人が潜り込んでいる可能性もあり、かなり危険なビジネスである。有事の際、下地島空港で破壊活動や工作活動をされるリスクを招くのではないだろうか。翁長敗北で起こる「最悪のシナリオ」 沖縄は既に、多くの中国人観光客が訪れ、街も変貌してきたが、これら2つの事業が本格化しただけで沖縄のビジネス界も様変わりしてしまう。沖縄は既に中国経済に飲み込まれるレールが敷かれているのだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する集会で演説する沖縄県の翁長雄志知事=3月25日午前、沖縄県名護市 以上、中国による官民一体となった沖縄経済の取り込み工作の実態を確認してきた。このままいけば、沖縄では中国人観光客があふれるだけではなく、「社員が中国人」という会社が多くなり、「私の会社の社長は中国人」というケースも増えていくことになるだろう。そんな中、来年の県知事選で辺野古移設阻止に失敗した翁長氏を自民党系候補が破り、県政奪還に成功しても、新知事も福建省との経済交流推進者にならざるを得ない「最悪のシナリオ」が起こる可能性は大きい。自民党にターゲットを定めたかのような沖縄県日中友好協会の設立はそのための伏線ではないだろうか。そうなれば、沖縄が後戻りすることはもはや不可能になってしまう。 また、尖閣諸島で紛争が起きたとき、中国政府は中国進出企業との取引を停止する制裁を科すだろう。「中国依存度」の高い会社からは、政府や沖縄県に取引再開の交渉を求める声が当然上がってくる。会社が倒産したら、社員の明日の生計が立たなくなるからだ。琉球新報や沖縄タイムスには「政府は無人の尖閣諸島より県民の生活を守れ!」という趣旨の見出しが掲載されるだろう。そこで、中国は紛争の解決策として「尖閣諸島の共同管理」を提案してくることは間違いない。そのとき「沖縄は中国と経済交流してここまで豊かになってきた。中国と戦争して貧しくなるより、尖閣諸島を共同管理、共同開発して豊かな生活をしたほうが良い」という声が上がったら否定するのは極めて困難になってくる。 現代の戦争は軍事衝突だけではない。平時においても戦争は行われている。それは外交戦、経済戦、歴史戦、国際法律戦など、ありとあらゆる手段を使った戦争が行われているのだ。武力戦が始まるときにはほぼ勝負は決まっている。今、東シナ海の真ん中にある沖縄は、その総力戦のまっただ中にある。 沖縄をハブ空港として発展させるビジョンは正しいが、その背後に経済・防衛政策がなければならない。なによりも、沖縄を日本の経済圏の中に断固として組み込み、中国にコントロールされるような隙をつくらないことが必要だ。沖縄防衛は自衛隊だけでは不可能な時代である。手遅れにならないためにも、日本政府は経済や歴史、文化侵略など、あらゆる側面から沖縄防衛計画の策定を急がなければならない。