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    日本の少子化対策はここが間違っている

    は今、北朝鮮のミサイルや核開発をきっかけに安全保障問題がクローズアップされている。それだけではなく、少子高齢化や医療、介護、年金といった社会保障、教育、エネルギーなど緊急を要する課題が山積している。それぞれ、優先順位をつけがたい切実な問題であることは言うまでもないが、少子化問題こそ最優先されるべきだと私は考える。 そもそも少子化問題は「少子高齢化」とひとくくりにされがちだ。とりわけ「高齢化」の方に関心が集まってしまうために、「少子化」の逼迫(ひっぱく)性について国民の認識が全く進んでいないと感じる。 確かに「高齢化」は社会保障に直結する。その上、高齢者層をターゲットとした各種産業における新製品やサービスの開発や、近年頻発する高齢者特有の交通事故など、経済的にも社会的にも注目が集まるのは自然なことだろう。それに比べて、少子化問題は一見すると緊急性は低いかもしれない。しかし、国の存続をおびやかす重大な危険をはらんでいる点があることを、一体どれだけの国民が意識しているだろうか。 この問題は、国家予算をいくら投じたところで一気に解決することなど決してない。では、国が現在行っている政策が果たして有効なものといえるだろうか。私はむしろ悪い方向に進んでいる気がしてならない。 その理由は、全ての政策が表面的でしかなく、子育てや家族のあり方といった「少子化」が内包する根本的な問題をあまりにも軽視し過ぎているとしか言えないからだ。一言でいえば、合理性を重視するばかりで「哲学」がないと言うことだ。 今、行われている政策はこうだ。まず個人所得を上げて、結婚や出産がしやすい環境をつくる。保育園を増やして、夫婦共働き家族を増やす。そして、女性の社会進出を推進する。 しかし、そこには「なぜ男女は結婚するのか、そして子供をつくるのか」ということや「子供を保育園に預けることで、親が子供に愛情を注ぎ、育児、しつけを行う時間が少なくなってもよいのか」、「子供の将来にとって望ましい家族の姿とは」という、当然であり最も根本的な部分を見落としている。少子化などの影響で人口が伸び悩み、閑散とする六甲アイランドの中心部=神戸市東灘区(小松大騎撮影) 種族保存の本能とまで言わずとも、多くの人は成人してまもなく自分の子供が欲しくなるものであり、また、異性と結婚して家族を持ちたいと思うものだ。将来を思えば、育ててくれた親は自分よりも先に亡くなり、その後一人で生きていくよりも、若いうちに家族をつくりたいと思うのが一般的であろう。そして、子供が多く欲しければ、各人がそれなりに婚期を考える。 多様性が尊ばれる現在であるが、この点は国策を考える上で基本的に持っておかねばならない共通認識である。不満が募る日本社会の「現実」 しかし、近年は単身者が増加している現実がある。厚生労働省が平成28年に行った調査では、年齢は限定してないものの、単身者が全世帯に占める割合として、昭和61年に18・2%だったが、平成28年には26・9%まで増えている。全国の4世帯に1世帯が単身世帯となっているのである。 子供や身内がいれば社会はあまり関与せずに済むが、単身者は最後に社会が関与しなければならない。国家財政の面でも、単身世帯の増加は大きな影響が生じてくる。 そして、最近は、子供がいても社会の助けを受ける高齢者も多い。以前、子供がいるにもかかわらず単身者として生活し、子供の助けを受けずに国から生活保護を受けていたという矛盾するエピソードを、お笑い芸人が明かしたことで世間の非難を浴びたこともあった。 これは一見、子供が薄情なようだが、必ずしもそうとは限らない。なぜなら、少し前からの風潮か、親が子供に世話をかけたくない、という話をよく耳にするからだ。他人同士ならわからないでもないが、親が生活に支障をきたせば、子が世話するのは当然のことではないのか。 仮に、子供がいる高齢者でも当たり前のように社会の世話になる世の中となれば、国家財政上だけの問題ではなく、もはや倫理上の問題である。家族とは一体何なのか、改めて考えさせられる話である。 現在、国内で起きている問題の多くは、希薄となった家族関係に要因があると考えている。少子化対策を考える上では、まず家族のあり方という点から考えることが求められる。(iStock) 私は単純に家族というものを社会の縮図と考える。多くの家族が不和であるならば、その集合体である日本社会が円満であるわけがない。 裏を返せば、全ての家族が円満であれば、社会も平和となるだろう。全ての社会問題を家族に置き換えて考えてみようというのだ。それも核家族ではない、三世代、四世代といった大家族が分かりやすい。「歴史観」が欠如する少子化対策 大家族となると、関係を平穏に保つために、さまざまな努力と忍耐、辛抱が必要だ。しかし、その結果得られる果実にはとてつもなく大きなものがある。 家族でも夫婦でも親子でも、人が寄ればさまざまな人間関係が生まれ、そこには摩擦と協調や妥協があり、対立や協力関係が生まれる。摩擦には辛抱が求められ、協力関係は強い団結力となる。辛抱できる力と家族の協力関係は、子供が将来大人になって遭遇する数々の障害に対して大きな強みとなるだろう。人間関係が人を成長させるといってもいいだろう。 そして、良好な家族関係から犯罪抑止力や道徳力が自然と育つという点も大きい。自分の過ちのせいで家族に迷惑をかけてはいけないと思うようになるからだ。こうして、家族の中での存在意義や責任感を見いだし、人は健全化していく。さらに、子供や孫という存在と過ごすことで、物の見方や考え方の時間軸も長くなり、心も穏やかになりやすいものである。 今の政策が少子化対策と相反するのは、社会福祉を充実させるというやり方である。まるで「子供は産まなくてもいいですよ。苦労して産み育てることは必要ありません」と太鼓判を押したかのようだ。さらに「あなた個人は自由気ままに生きていくことが最も幸せなんです。あなた個人の老後を日本社会が保証します」というに等しい。 果たして、今の政策立案者は「家族」をどのようにとらえているのだろうか。そこに哲学が存在するのか甚(はなは)だ疑問である。おそらく家族といったところで、核家族と呼ばれる程度のものとしてしか考えていないのだろう。三代、四代、そして永遠に続く家族観を到底考慮には入れているとは思えない。人間関係の縦のつながり、すなわち「歴史観」が欠如しているのである。 むしろ、日本の伝統的家族を顧みることで、少子化問題を解決する糸口がきっと見つかるはずである。そこで、現在行われているわが国の社会保障費の大幅削減を、少子化対策として提案したい。(iStock) それぞれの個人や家族の責任で行うべき事柄に、政治が関与し過ぎている現状をいったん白紙に戻して見直す必要があるのではないだろうか。高齢化に伴い、さすがに高齢者の医療負担は増えるようだが、医療や介護、生活保護にとどまらず、「子供一人当たり何万円の負担」といった福祉制度を見直すべきだ。 国からの補助を削減することで、個人や家族の自助精神を育てる。赤字財政が続き、国の借金が膨らむ中で、少しでも子供の将来を考えてあげる必要があるだろう。何よりも個人、家族の自助精神が高まることによって、各人が自分の将来を考えれば、結婚し、子供を産み、賢くて親孝行な大人に育てることがどれだけ大切なことであるかが理解でき、自然と人口減少に歯止めがかかると信じている。

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    「人生100年時代」はいいことばかりじゃない

    うフレーズがしっくりこない理由である。なぜなら、日本では人生100年時代が「到来しようがしまいが」、少子高齢化とそれに伴う人口減少が驚異的なスピードで進んできたからである。もちろん今後もハイペースで進んでいくだろう。 100年の人生で「どう働くか」「どう学ぶか」「どう生きるか」は、寿命が延びるにつれて変化するわけで、必然的に見直さざるを得ない「ライフデザイン上の問題」である。日本の少子高齢化に伴う人口減少問題とは、少し隔たりがある気がしてならないのである。英ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授。安倍政権の看板政策「人づくり革命」を検討する「人生100年時代構想会議」の有識者議員を務める(宮川浩和撮影) 前述のグラットン氏によれば、人生100年時代においては、これまでの「教育」「勤労」「引退」の3ステージの人生からマルチステージの人生へと変化するという。確かに、人生におけるステージが多様になり、そのステージが変化する契機においては「学び直し」も求められるだろう。結果としてそれが個々のスキルを向上させ、高齢化社会における生産力と成長力を上げることにつながっていくことは十分に理解できる。 だが、日本における急激な人口減少と人生100年時代とを関連付けてしまうと、本来、緊急的手当てが必要な少子化対策への意識が希薄になりはしないだろうか。繰り返すが、実際に寿命が延びて人生100年時代が「やってきても」「やってこなくても」日本の少子高齢化は進み、それに伴う人口減少が加速していくのである。 人口減少は国内市場の縮小を生み、国内市場の縮小は投資先としての「魅力の低下」を生んでいく。「学び直し」による個々のスキルアップは生産力と成長力を向上させるかもしれないが、それは急激に進む人口減少から派生するさまざまな弊害を本当に補正しきれるほどのものなのだろうか。「過去の人口に戻る」だけじゃない では、実際に人口減少がこのまま進めばどうなるのか。さまざまな意見があるが、シンプルに考えれば、国土交通省のホームページ(人口減少が地方のまち・生活に与える影響)で指摘している主たる問題が、将来の「都市」についても当てはまるのではないかと思う。以下がその主な問題点とされるものだ。(1)生活関連サービス(小売・飲食・娯楽・医療機関等)の縮小(2)税収減による行政サービス水準の低下(3)地域公共交通の撤退・縮小(4)空き家、空き店舗、工場跡地、耕作放棄地等の増加(5)地域コミュニティーの機能低下 むろん、これらがすべて都市部の人口減少時に引き起こされるわけではないし、影響や程度も地域ごとの特性によるところが大きい。しかし、少なくとも、五つの問題点のうち、(1)(2)(4)は地方・都市部問わず、いずれの地域においても共通して起こり得るものではないだろうか。 これとは逆に、人口減少を肯定的に捉える声も散見される。その中でも多く聞かれるのが、今後人口減少が進んでも「過去の日本の人口に戻るだけ」「イノベーションや働き方改革こそが生産性と成長力を向上させる」といった意見だ。 では、過去の日本の人口と将来の推計人口の中身を比較してみよう。総務省統計局「人口の推移と将来人口」を見ると、1965年の日本の人口は約9920万9000人である。この数字に近い将来推計人口を見てみると、65年から90年後となる2055年の約9744万1000人である。 この数字だけを見れば、確かに「過去の日本の人口に戻るだけ」かもしれない。しかし、その年齢別構成比を見ると明らかに「過去の日本の人口に戻るだけ」が誤った認識だと分かる。1965年の生産人口(15~64歳)割合は68%、老年人口(65歳以上)割合は6・3%であるのに対し、2055年の推計では生産人口割合が51・6%まで減少する一方で、老年人口割合は38%まで上昇するのである。 さらに何よりも重要な点は、今後イノベーションや働き方改革によって生産力や成長力が向上したとしても、上記の人口割合と総人口の減少がこれからの日本ではそれぞれ「一方向」にしか進まないということである。つまり「高スキルの高齢者人口」さえ減少を続けるのだ。2017年11月、自民党の人生100年時代戦略本部の提言を首相官邸で安倍晋三首相(右)に手渡す本部長の岸田文雄政調会長(斎藤良雄撮影) 人生100年時代を見据え、そのための備えをさまざまな観点から官民一体となり提言し、個々がそれに向き合うことは日本のみならず世界にとっての潮流でもあるだろう。しかし、日本のように急激な人口減少が続く場合、まずはそれに歯止めをかけなければならないのではないだろうか。 もちろんその歯止めとは「増加」ではなく、「減少幅」や「減少速度」の縮小で構わない。100年の人生においてそのスキルを個々が磨き続けることにより、生産人口年齢が75歳もしくはさらにその上まで引き上げられたとしても、このままでは「どの年代の人口層すべてが絶え間なく減少」していくのである。そこに触れずに「人生100年時代」を語るのは、やはりしっくりこないのである。

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    武田邦彦が一刀両断! 生物としての人間に「老後」なんてありません

    武田邦彦(中部大学特任教授)(『科学者が解く「老人」のウソ』「はじめに」より抜粋) 今、人生100年時代と言われています。 しかし、「高齢社会」「高齢者」「後期高齢者」「定年」「老後」という言葉が世の中には溢れています。 かつて、あるテレビ番組では「定年後でも元気な人をどうするか?」などいうことが語られていました。 どうも、「年を取ったら定年がくる」という先入観に縛られているように思います。 日本国憲法には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と書かれています。憲法改正の議論が高まっていますが、法の下の平等については、日本だけではなく世界中で、異論がないところでしょう。 差別は禁止されているのですから、たとえ年を取ってやや疲れ気味になっているとしても、それによって一律の定年を決めるというのはおかしいのではないでしょうか。これでは女性差別ならぬ「年齢差別」です。 でも、このような「年齢差別」とも言える言葉が出てきたのも、人生100年時代というものを迎えて、初めての事態にどう対処すればいいのか、その概念がないからだと思います。つまり、人生100年時代の人生哲学がないのです。2017年11月、政府の看板政策「人づくり革命」を議論する「人生100年時代構想会議」であいさつする安倍晋三首相(中央、斎藤良雄撮影) 私は50歳以上の男性に「生きている意味はない」と言ってきました。「あなたこそ、年齢差別をしているのでは?」 こう疑問に思う人もいるでしょうが、私の真意は違います。50歳以上の男性は、「生物として生きている意味」がないということなのです。 それはどういうことか。 後に詳述しますが、女性で考えると、成長して結婚し、子供を産み、育てるというのはほぼ50歳までに終えます。 男性も同じで、昔は若い人には兵役や徴兵というものがありました。年を取って、体力が落ちて、弱いものを守るために戦えなくなり、肉体労働もできなくなってくるのが50歳くらいだったのです。 つまり、50歳で生物としての人間が終わると私は考えます。その後の人生は“別の理由”で生きる別の人生です。 私たちは、人生は1度だけだと思っています。しかし、それは誤解で、実は、人生は2度あるのです。 生まれてから50歳までの「第1の人生」と、50歳以降の「第2の人生」の2つの人生が1人の人間にはある。その境目が50歳なのです。 私は科学者ですから、「50歳」という年齢に、なにか断層のようなものを感じます。たとえば、糸魚川と静岡の中央構造線(フォッサマグナ)のような断層を感じるくらい、50歳で人生が一区切りされているのがわかります。 ここで強調しておきたいのは、平均寿命が50歳であっても、80歳でも、100歳でも、人生は50歳で大きく変わるということです。人生100年時代がきた 日本人の平均寿命は今では大きく延びていますが、100年ほど前、1920年代前半の日本人の平均寿命は男性が42・1歳、女性は43・2歳で、明治、大正期の日本人の寿命は、おおむね40歳代でした。 なぜ、こんなに平均寿命が短かったのか。 当時の女性は、子供を10人産むことも珍しくなかったので、お産だけでも疲れ果ててしまいました。しかも、お産では出血したり、感染症にかかったり、産後の肥立ちが悪かったりと、命にかかわる危険が多くありました。お産をしたあとには、赤ちゃんに数時間ごとの授乳をし、おしめを替えたりしながら、家族の食事の用意や洗濯などの家事もするのですから、それは重労働でした。当時の一般家庭は貧しかったので、人を雇って家事をまかせることはありませんので、お母さんが1人でやらなければなりません。だから、疲れ切ってしまうのです。 また、その頃の男性は、農業や漁業、林業などの第一次産業や、鉱業や建設業に従事して、クワやツルハシをふるうような肉体労働で身を立てている人が大多数でした。 だから男性は、40歳を超えるくらいになると、腰を悪くしたりして、体はボロボロになり、短命で終わったのです。 そういう事情もあって、戦前は日本人の平均寿命は50年くらいだと思われてきました。(写真はイメージです) 戦後、日本人の平均寿命はどんどん長くなりました。医学の進歩があり、日本人の栄養状態も良くなりましたし、第一次産業も機械化が進んだからです。 2016年の日本人の平均寿命(厚生労働省調査)は、女性は87・14歳、男性は80・98歳で、これは、大きな国の中では共に世界第1位です。前年の調査と比較して、女性は0・15歳、男性は0・23歳延びて、いずれも過去最高となりました。 日本人の死因で多いのはガンや心疾患、脳血管疾患ですから、もし、これらの病気で亡くなる人がいなくなれば、平均寿命は現状よりもさらに延びると推定されています。厚生労働省(厚労省)の試算では、2016年生まれの人が、ガンや心疾患、脳血管疾患で死亡する確率は女性46・5%、男性51・2%で、これらの病気による死亡がゼロになったと仮定すると、平均寿命は女性で5・74歳、男性で6・95歳延びるとしています。 日本のお医者さんの医療技術は世界でもトップクラスですから、今後も平均寿命は延びる可能性があります。日本人の平均寿命は、90歳を超え、100歳に近づくでしょう。人生100年時代の到来です。そうなれば、50年だった人生のあとに、もう1回50年近い人生が繰り返されることになります。50歳からの人生の準備 人生は2度ある。それを若いうちから意識しておかなければいけません。ところが、今の若い人は、哲学や文学をあまり読まないこともあり、人生が2度あるとはっきり意識している人はそんなに多くないと思います。 人生が2度あるなら、50歳までの人生の準備と、50歳以降の人生の準備は、それぞれ別に考える必要があります。 私たちは、訪れる未来に対して常に準備をしています。朝、起きて意識がはっきりしてくると、起き上がってカーテンを開けたりします。顔を洗い、歯を磨いて、1日が始まる準備をします。それが、毎日毎日、1年365日、一生続きますからものすごい回数になります。人間の代謝速度が遅ければ洗顔や洗髪、入浴は1週間に1度でいいかもしれませんが、そうはいかないので、どんなに時間がなくても日々の暮らしの準備が必要になります。 その準備を、第1の人生(50歳まで)という長いスパンの中で考えてみましょう。 自分が家庭を持って子供を作りたいと思うと、この準備は大変です。私の場合は男性ですから男性の場合で考えてみると、まず相手を探さなければいけません。職場にふさわしい女性がいればいいけれども、誰もが配偶者を探すための恵まれた環境にあるわけではありません。女性の友達も少ないかもしれない。さあ、どうしたらいいか……。そういうところから始めて、いろいろと作戦を練ったり、誰かと試しに付き合ってみたり、お見合いをしたりします。 うまく相手が見つかって結婚式を挙げるとなると、さらに大変です。そのあと、子供を持つに至るまでには、多種多様の準備が必要です。 私自身も、なぜこんなにたくさんの準備をしなければならないのかと思うことがありました。考えてみれば、人生というものは準備の連続なのです。 そして第1の人生よりもさらに難しい準備が必要なのが、50歳から始まる第2の人生です。 最も大切な準備は何かといえば、やはりそれは「生き方の準備」だと思います。人生をどのように生きるかは、人間にとって長期にわたる大きなテーマだからです。奈良市の薬師寺で、写経をして先祖をしのぶ参拝者たち=2016年8月 また、その「人生の生き方の準備」では、自分1人だけ、個人の人生だけを考えていては実は準備ができません。自分の人生を考える時には、常に先輩やご先祖がいて、そして自分がいて、子孫がいることに気づかされると思います。たとえば、「自分だけの人生」から「日本人としての自分の人生」というふうに視野を広げると、日本人の先祖がいて、その伝統・文化などの結果として自分がいる、日本人の子孫についても考えなくてはならないということに気づきます。何歳からが老人か 現在、「老後」という言葉が世の中ではよく使われます。何歳からが老人か、というような議論もなされています。しかし、人生は2度あるのですから、「第2の人生」は「老後」ではありません。「老後」と考えるから様々な問題が発生するのです。 「第2の人生」はまったく価値観が異なる別の人生だと思ってください。つまり、「老後」なんてものはありません。そう考えれば、50歳以降の生き方も病気への対処法もすべて納得して準備することができます。 人生が2度あると考えれば、すべてうまくいくのです。 50歳以上の第2の人生においてもっとも影響が大きく、多くの人がもっている錯覚は「私は“老後”を生きている」と思っていることです。 1920年代前半の日本人の平均寿命は男性が42・1歳、女性は43・2歳でした。赤ちゃんのときに他界する方を除いても50歳には達しません。江戸時代には45歳ぐらいで隠居するのが普通でしたが、昭和になっても50歳を超えたら確実に「老後」でした。 戦後になって50歳や55歳以上の人生を「老後」と呼ぶようになったので、今でも「老後」や「高齢者」、もっとひどいものでは「後期高齢者」という言葉さえあります。 この言葉の威力は絶大で、50歳を超えると「俺もそろそろ老後だ」と自分で思ったり、定年を過ぎると「高齢者扱い」を受けたりします。女性も50歳を超えると閉経を迎える時期でもあり、物忘れなどすると、つい「あたしも年取ったわね」とつぶやいたりします。(iStock) 人間は大脳に支配される動物ですから、毎日のように、自分を老人、高齢者、物忘れで年を取った……などと考えたり言ったりしていると、大脳から体の各部分にその指令がいって、本当に老化していきます。 筋肉を増強する方法の1つに、強く筋肉を圧迫することがありますが、これには2つの意味があります。「筋肉を圧迫することによって、筋肉繊維を伸ばし、成長させる」という物理的意味と、筋肉に痛みを与え、その痛みが脳に伝わって、脳が「あそこの筋肉は強くしなければならない」という指令を出す意味を持っています。 このように人間の体は、物質的な変化と、大脳の指令の2つでできていますから、「老後」という概念を持つことは第2の人生にとってとても危険なことです。 仮に「老後」という概念をもって第2の人生を送ると、毎日、確実に「老化」します。足が弱くなる、目がかすんでくる、記憶力が弱くなる……。さらに、血圧降下剤を飲みたくなる、油のものを避けるようになる……。何か不都合なことが起こると年齢のせいにする……と病状が進んできます。 反対に、「老後」という概念を捨て去ると、私はいま75歳ですが、75歳までまったく40歳ぐらいの時と変わりません。 足はかえって強くなりました。これは72歳でゴルフを卒業して、人生で初めてテニスを始めたからです。「テニスからゴルフへ」という普通の流れの逆を行き、ゴルフからテニスに変えてみました。最初は72歳でテニスをするのか? と私自身もやや引いた感じでしたが、アキレス腱のケアや準備体操を十分にして臨みました。 最初の半年は疲れ切って2週間に1回しかテニスができませんでしたし、テニスの後は疲れて寝ていました。でも3年を経た今では週にゆうゆう3回は楽しめ、激しいトレーニングも可能になり、疲れないのでそのまま次の仕事をしたりしています。 70歳を超えてテニス? と思うことが足腰を弱めます。第2の人生は第1の人生より激しく 私の目は強度の近眼と乱視で若い頃から苦労してきましたし、加えて57歳で左目を失い、大手術をして、今は半分は人工の目なのですが、細かい字も平気で読むことができます。日本酒をあまり大量に毎日飲んでいると、若干、目がかすんでくることがありますが、その他は大丈夫です。 瞬発力や記憶力は、さらに磨くように積極的に努力しています。瞬発力は、テレビ番組『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ)に出演しているときに、司会の明石家さんまさんとの掛け合いに耐えられるよう、日常生活でも、返事や対応を早くして瞬発力をつけるようにしています。 記憶力では、専門の物理や材料、原子力といったものだけではなく、歴史、国際政治、経済などを積極的に学び、書籍も書き、批判も受け、知識を増やすようにしています。 国際政治を学ぶときには、ある国、たとえばサウジアラビアのことを本で読んだり、ネットで聞いたりして集中的に学び、ときに国際政治の専門家の方にお会いすると、どんどん質問してさらに覚えるようにしています。 また、ビットコインのような暗号通貨(一般的に言われる仮想通貨)の場合、「わからない」と諦めずに、なんとかして親しみを持つようにいろいろな方法で勉強します。暗号通貨の仕組みである「ブロックチェーン」についてもかなり複雑なのですが、「習うより慣れろ」で何回も読んだり、聞いたりしていると親しむことができます。 このような場合も、「老後だから」というのを捨てて、むしろ「若い頃はできなかったが今はできる」という逆転の発想でやっています。 女性との付き合いも積極的です。第1の人生では結婚や恋愛が目的ですが、今の私の第2の人生では、仕事の付き合いで女性と大いに話をします。そうすると、私の頭も柔らかくなりますし、第2の人生になってからの異性との食事や話はとても快適なものです。フジテレビ系番組『ホンマでっか!?TV』に出演する筆者(一番右)。前列中央は司会の明石家さんま(フジテレビ提供) 食事ではさらに年齢を超えるようにしています。 もともと、肉が好きだったのですが、年を取ってくるとお寿司なども好きになりました。そこで、焼き肉も食べる、寿司も食べるという食事をしています。血圧は年齢に合わせて、(年齢+90)でコントロールしています。そうすると血の循環が良いので元気です。若いときと同じようにお酒を飲み、深夜になると(夜の)クラブ活動に出かけ、11時過ぎに帰るという生活もしています。 お酒は産業医の研究結果に沿って、「酒と女性は2合(号)まで、休肝日2日」などという老化を促進するキャンペーンを疑い、「酒4合、休肝日なし」で暮らしています。酒ばかりではないのですが、「酒を飲むと健康に悪い」のではなく、「健康がすぐれないと酒がまずい」のだと思っています。 幸い、油っぽいものも平気で、天ぷら、ウナギ、三枚肉、カルビなど、オールOKで、「おいしい」と思うとおいしいものです。 総じていえば、「第2の人生では、第1の人生より激しく」ということでしょう。つまり、第1の人生でゴルフをしていたら、第2の人生は私のようにテニスとキックボクシングとか、第1の人生では物理が専門でも、第2の人生では「なんでも来い」というスタンスです。 私は、1週間に4回、テレビ出演しています。講演は年間150回、著作は年に5冊は出版しています。もちろん、大学での教授としての研究や教育も現役です。 私は、生まれつき病弱で、病気に苦しんできましたし、今も体は強いほうではありません。それでもこれほど若い人たち以上に元気いっぱいに活動できるのは、やはり第2の人生の準備を常にしてきたからです。そうして、私は50歳直前で転職をしました。第2の人生を過ごすために、会社員から芝浦工業大学の教授になったのです。「老後」ではない「第2の人生」をよりよく過ごし、よりよく生きるためには、概念的にも、経済面、健康面でも、準備が必要です。 今や人生100年に近づこうとしています。人間の歴史において、「生物として生きている意味がない」50年をどう生きるのか。そういう初めての事態に我々は直面しています。 『科学者が解く「老人」のウソ』(産経新聞出版)では、50歳を境に始まる「第2の人生」を生きる準備、あるいはその意味、生き方について科学的に考え、少し大袈裟に言えば、人類で初めてその概念を明らかにし、さらに踏み込んで具体的に考えてみたいと思います。たけだ・くにひこ 中部大総合工学研究所特任教授。昭和18年、東京都生まれ。日本エネルギー学会賞など受賞多数。環境問題に対して定説と異なる主張を展開して注目を集め、テレビでコメンテーターとしても活躍する。著書に『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(産経新聞出版)『NHKが日本をダメにした』(詩想社新書)など多数。近著に『科学者が解く 「老人」のウソ』(産経新聞出版)。

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    「不老社会」が正直しんどい

    「人生100年時代」がブームである。世界一の超長寿国である日本では、この言葉が明るい未来を暗示するキーワードとしてビジネスや政治など、さまざまな場面で使われている。定年後は年金で悠々自適という理想はどこへやら。「不老社会」の現実は、やっぱり死ぬまで働け?

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    高齢者活躍が「迷惑」と言えないニッポンが生きづらい

    日沖健(経営コンサルタント) 世の中には、正面から反論しにくい主張がある。例えば「家族愛を大切にしよう」と言われたら、「家族愛なんて大切じゃない」と反論するのは困難だ。しかし、家族愛を強調しすぎると、個人の自立が妨げられたり、家族がいない単身者が否定されるといった悪影響が生じるかもしれない。戦前の「大東亜共栄圏」でもないが、一見反論しにくい主張を持ち出されたときほど、悪影響や隠れた論点がないかどうか、注意深く考える必要がある。 「人生100年時代」を迎え、高齢者の働き方が国家的な課題になっている。政府が2月に公表した政策指針「高齢社会対策大綱」では、「年齢によらず意欲・能力に応じて働き続けるエージレス社会の構築」がうたわれている。意欲や能力があっても60歳、65歳で強制的に解雇される定年制は理不尽な仕組みだ。米国など諸外国では、定年制は年齢による差別にあたり、違法である。「高齢者が元気に活躍できる社会を!」と言われると、やはり反論しにくいものである。 このように、絶対的に善だと思われがちな高齢者活躍について、改めて問題点を考えてみよう。 高齢者といっても生活や健康の状態など、実に多様だ。無収入のボランティア・ワーカーを除く高齢労働者は、大きく2種類に分かれる。<タイプA>現役時代から低スキルで、家計を維持するために低収入の単純労働に従事。いわゆる「下流老人」<タイプB>現役時代から高スキルで、経済的余裕があり、社会参加のために専門労働に従事。「中上流老人」 まず、タイプAが好ましくないことは論を待たないだろう。年金受給開始まで収入が足りない、あるいは受給開始後も年金だけでは生活できないという理由で嫌々働くのは、不幸なことだ。 特に体力が落ち、病気がちの高齢者が無理を押して働いている姿を見ると、胸が痛む。東京しごとセンター多摩で開かれたシニア向け再就職対策講座 = 2015年 3月11日、東京都国分寺市 「本人の自己責任」という意見もあるようだが、国のずさんな年金・健保行政の犠牲者という側面もあるはずで、政府の「エージレス社会」という掛け声が空虚に響く。 問題はタイプBだ。「エージレス社会」や「高齢者活躍」の議論で想定されるのはタイプBであろう。政府だけでなく国民も、現役時代に培ったスキルを生かし、社会に貢献しようとして働くのは、絶対的に良いことだと信じている。悪貨は良貨を駆逐する しかし、タイプBにも大きな問題がある。問題とは、タイプBの高齢者がまさに「現役時代に培ったスキルを生かし、社会に貢献しようとして働く」ことだ。 高齢者が「現役時代に培ったスキルを生かそう」とするとき、体力・気力の衰えから、自分で手足を動かすよりも、教育係、コンサルタント、相談役、社外取締役といった立場で働こうとする。私は15年前にコンサルタントとして独立開業し、そこそこ成功しているせいか、近年ほぼ毎月のように定年前後の中小企業診断士から「コンサルタントとして活動したいのだが、どうすれば良いか」という相談をいただく。コンサルタントや社外取締役は、スキル・経験を生かせる上、体力も軍資金も必要なく、タイプBが理想とする職業のようだ。 コンサルタントや社外取締役として活躍するタイプBの本人は、充実した老後で大満足だろう。しかし、彼らから経験に基づく指導を受ける現役世代は大迷惑だ。高齢者が過去の成功体験を持ち出して「俺たちはこんな風に頑張って成功したんだ」と言っても、過去を否定して新しい挑戦をしなければならない現役世代には退屈な昔話である。自分が安全地帯に身を置いていることを忘れて「リスクを取って死ぬ気でやれ」と𠮟咤(しった)しても、今まさにリスクを取ってグローバル競争を戦っている現役世代の心には響かない。(画像:istock) さらに、高齢者が「社会に貢献しよう」と考えることも問題だ。すでに安定した生活基盤を持つBタイプが何とか仕事にありつきたいと願うと、常識ではありえないダンピング価格を提示する。私の知り合いの40歳代の研修講師は、ある企業の研修案件を「2日間40万円」でほぼ受注が決まりかけていたが、後から「3日間12万円」という安値を提示した60歳代後半の研修講師にさらわれた。コンサルティングや企業研修の世界では、この手の話をよく耳にする。 高齢者のダンピングのおかげで、資金力の乏しい中小企業・零細企業でも気軽にコンサルティングや教育研修を利用できるのは、確かに社会貢献だ。しかし、30~50歳代の独立開業希望者からは、よく「報酬が安すぎて、独立しても食べていけそうにない」という不安を耳にする。教育・コンサルティングといったサービス分野では、高齢者が活躍するほど市場全体が低価格化して優秀な若手が市場参入を躊躇(ちゅうちょ)し、結果的に市場の発達が妨げられる。悪貨は良貨を駆逐するのである。高齢者が働かない選択肢を尊重せよ 成功体験を振りかざす高齢者や、「安かろう悪かろう」の高齢者は、「現役世代の評判が悪いから、すぐに淘汰(とうた)されるのでは?」と思うかもしれない。しかし、意外とそうでもない。日本では、コンサルタント・社外取締役・研修講師の起用を決定する経営者や幹部社員の多くが高齢であり、自分も近い将来そういう立場になりたいと考えているから、彼らに対してとてもフレンドリーだ。特に、社外取締役は、東証が社外取締役の導入を上場企業に事実上義務付けたことを契機に、高齢の経営者同士がお互いにポストを融通し合う「老人互助会」というべき状況になりつつある。 はっきり言って、タイプAもタイプBも好ましくない。ならば、高齢者はどう働くべきか。 まず、高齢者が「働かない」という選択肢をもっと尊重するべきである。最近、国を挙げて高齢者が働くことを勧めているが、現役時代にしっかり働き、経済的な余裕を確保し、ゆっくり老後を楽しむというのは、王侯貴族か先進国の成功者にしか許されない恵まれた生き方だ。戦後日本経済の成功の証しと言って良い。「高齢者でも働くことができる」という反論の余地のない主張が「高齢者も働かなくてはならない」に転化してしまうことがないよう、注意したいものである。 もし高齢者が働くなら、第三の働き方としてタイプCを提唱したい。<タイプC>高スキルで、イノベーションを生み出すことを目的に、知識労働やマネジメントに従事する。 タイプCは、高スキルという点はタイプBと同じだが、社会参加を目的とするのではなく、イノベーションの創造を目指して働くというのが特徴だ。イノベーションとは、新商品・新技術・新事業など、何らかの新規性のある事柄を指す。イタリア人指揮者と語り合うクオンタムリープの出井伸之代表取締役(右) =2017年5月、東京都港区のイタリア大使公邸 ブックオフの創業者、坂本孝氏は引退後70歳を超えてレストラン事業を始め、「俺の」をヒットさせた。ソニーの社長・会長だった出井伸之氏は、引退後はソニーを離れてクオンタムリープを創業し、イノベーションの創造に尽力している。二人は、社会貢献とは言わず、真剣勝負でビジネスに取り組んでいる。真剣勝負の中からイノベーションを生み出し、世の中に新しい価値をもたらし、結果として社会に貢献しているわけだ。 マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、プロテスタントが禁欲的に労働に励み、利潤追求を目指したことが、結果として資本主義を生み出したことを明らかにした。自分の仕事が社会貢献になるかどうかは、結果として分かること、社会が判断することである。高齢者活躍が本当に社会にとって良いことなのか、高齢者の社会貢献とは何なのか、改めて考えるべきだろう。

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    「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!

    古川雅子(ジャーナリスト) 世の中、「不老」ブームである。発端は、世界的なベストセラーになった著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著)だ。テーマは「100年時代の人生戦略」。著者の一人、リンダ・グラットンさんは、日本政府の「人生100年時代構想会議」に有識者議員として起用されている。 かつての不老ブームといえば、できるだけ長く健康な状態を保つという意味合いだった。「ピンピンコロリ」を目指そう! などと叫ばれた。これは、長寿国日本の「寝たきり大国」を揶揄(やゆ)した言葉で、「不健康長寿国」になるのを防止するためのスローガンだった。長くベッドに横たわる「ネンネンコロリ」に陥らないようにと。病床数が増えすぎた、日本の医療事情を是正するためのテーマでもあった。 それに対し、今回の「不老」は「長く働ける」という意味合いだ。なにせ、ブームの端緒になった本の著者は、英ロンドンビジネススクール教授のグラットンさんと、その同僚で経済学の権威、アンドリュー・スコットさん。そのメッセージはズバリ、人生100年時代という「長すぎる老後」にどう備えるか-。仕事やお金を中心としたライフプランの再考を促すものだ。 私も、この著書は読んだ。40代で特にマネープランを立てることもなく生活に追われている私自身、「うわっ、将来どうなっちゃうの?」と不安になった。一人の生活者が長期的な視野に立ち、生活や人生の設計を見直すという意味で、大事なテーマだとは思う。個人が時代のうねりに対応していこうとする動きに、なんら異論はない。 だが、一方で引っ掛かりも感じた。私は仕事柄、がんや認知症の人、難病で苦しむ人にインタビューを重ねてきた。一年一年を生きていくことに必死であり、働きたいのに働き続けられない。そんな、もがきの声を聞き取ってきた。だからこそ、政府も含め、社会全体がこのブームに「乗っかって」、人生の後半を築き上げるのは「自助努力」や「自己責任」だと押しつける動きには違和感を覚える。それは長く働けない人にとっては「社会圧」と映る。私は、長く働きたい人は応援しつつも、長く働けない人であっても排除されない社会をつくるという視点での発信も、もっと増やしていくべきだと考える。日本年金機構本部=2010年10月撮影 政府は2月16日の閣議で、中長期的な高齢者施策の指針となる「高齢社会対策大綱」を決定した。そこで、65歳以上を一律に「高齢者」と見なすのを改め、将来的には公的年金の受給開始を70歳超でも可能とする制度改正を検討することも盛り込んだ。60~64歳の就業率についても、2016年が63・6%なのに対し、20年に67・0%まで引き上げるという目標も織り込まれた。拙速なギアチェンジによぎる不安 安倍晋三首相は、閣議に先立ち開かれた高齢社会対策会議で、「高齢者を含めた全ての世代の方が能力を生かし、幅広く活躍できる社会をつくることが重要だ」と述べている。マスコミでは先を見据え、「75歳現役社会」なるキーワードがちらほら目につくようになってきた。 労働力不足を補う上でも、高齢者の労働力で不足分をカバーする「高齢者現役社会」の推進は、世の流れだ。「人生100年時代ブーム」の到来は、その動きを加速しようとしている政府にとって追い風でもある。いや、ブームの「火付け役」を買って出ているのかもしれない。昨年9月から毎月開催されている会議の名は、「人生100年時代構想会議」。その目的を「一億総活躍社会の実現」「人づくり」「人生100年時代を見据えた経済社会の在り方を構想」としている。 私は特に、時代の流れを見越して、誰もがいくつになっても学び直しが出来、どの時点からでも新しいチャレンジが可能な社会を構築するための「人づくり」に注目している。マスコミは今後、長生きリスク的な「脅し」ではなく、「柔軟にチャレンジできる社会づくり」にフォーカスした発信を増やしていけばいいと思う。 先日、長年のがん闘病で、わが子のように大事に思っていた会社をやむなく売却したという40代の男性にインタビューした。創業者でもある彼は、誰よりも仕事を愛した。会社を手放したくないという思いは人一倍強かったはずだ。それでも、長期にわたるがん闘病で体力は衰え、フルタイムでの仕事復帰はかなわなかった。「僕の場合、強制的に定年になったようなもの」という発言には、言葉にならない悔しさが滲んでいた。3度目のがん闘病では、骨髄移植の治療で死の淵(ふち)をさまよった。 厳しい治療から「生還」したタイミングで「人生100年時代」のブームが来たという。かつての仕事仲間の薦めもあり、彼もこの本を手に取った。率直な感想として、「100年後のことを考えろといっても無理です。再発する可能性だってある。発熱とか、胃腸の調子が悪いとか、毎日戦いながら、1日1日乗り越えていくのに精いっぱいです」。世の中が急速に「人生100年時代」に舵を切っていることに、一抹の不安を感じていた。 高齢になっても、長く働くのが「善」とするような拙速なギアチェンジにより、「人生100年時代」と連呼される社会は、一年一年をどう生き延びようかと必死な立場の人にとって居心地が悪い。それと同様に、100年時代を生き抜くような自活の能力を身につけろと強いられるプレッシャーもまた、おそらく多くの「普通のサラリーマン」にとっては酷だろうとも思う。2018年2月16日、高齢社会対策会議であいさつする安倍首相 日々、目の前の仕事に必死であり、「働き方改革」という錦の御旗もむなしく、実態は隠れ残業で長時間労働を強いられているような彼らが、さらに自分磨きまで強要されたら…。「そんなの無理!」というのが本音ではないだろうか。 長期的視野に立つ人生設計から不老社会を説く発信は、今後も増えていくだろう。ただし、「個の啓蒙(けいもう)」と「国づくり(社会保障の制度設計)」とでは目的が異なる。だからこそ、この先「人生100年時代」という用語を目にしたら、「その発信主体は誰か」と注意深く確認することをお勧めする。

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    「老人を鞭打つ」ニッポンの働き方はここが変

    中岡望(東洋英和女学院大客員教授、ジャーナリスト) 少子高齢化は先進国の共通の問題になっている。特に日本の高齢化は顕著である。国連の調査(『世界人口予測―2013年版』)によれば、日本の全人口に占める65歳以上の比率は、2010年の23・0%から2050年には36・5%にまで増えると予想されている。 実は隣国である韓国の高齢化は、日本より急速に進んでおり、40年間に日本は13ポイント、韓国は24ポイントも上昇しているが、それでも2050年に65歳以上の人口が占める比率は34・9%と日本よりは低い。 そもそも人口の高齢化はさまざまな社会的、経済的な問題を引き起こす。まず、高齢人口の増加によって社会的な活力が喪失することは間違いない。さらに、高齢化に伴う生産年齢人口(15~64歳)の減少は国内総生産(GDP)の減少をもたらす。 それに対処するには、生産性の向上、女性の労働市場への参画の促進、65歳以上の非生産年齢層の動員、あるいは移民の受け入れしかない。最近、政府が保育園などの拡充を訴えているのは女性の就業を促進し、労働力を確保する意味合いもある。ちなみに2015年の女性の就業率は64・6%で、男性の81・8%を大きく下回っている。 また、高齢者の労働力化は別な意味でも喫緊の課題となっている。それは、高齢化は政府の財政負担の増加を招くからだ。高齢化によって政府の年金負担、健康保険負担は確実に増加し、財政赤字の拡大、財政の自由度が喪失することになる。高齢化に直面した国の政府は一様に退職年齢や年金支給年齢の引き上げなどの政策を打ち出している。※写真はイメージ(iStock) 安倍晋三政権の「一億総活躍社会構想」や「人生100年時代構想」も、高齢者が健康に働き続ける「不老社会」の実現を目指しているが、同時に財政問題に対処する政策の色合いが濃い。  言い換えれば、政府は高齢者にもっと長期間働き、もっと所得税を収め、それによって政府の年金負担や健康保険負担を軽減させようとしているわけである。老後の悠々自適は夢物語 では、日本の高齢者は現在、どのように働いているのだろうか。65歳以上の労働力率を見ると、日本の高齢者は海外の高齢者に比べると多く働いている。2015年の日本の高齢者の労働化率は31・1%であるが、アメリカは23・4%、カナダは18・0%、ドイツはわずか8・6%に過ぎない。 また、日本の高齢者が置かれている状況は、人生を充実させるために働くというよりは、働かなければ食べていけない状況を反映しているともいえる。例えば、高齢者の生活費に占める収入源を見ると、年金は66・3%と全体の半分以上占めるが、同時に仕事による収入比率も24・3%占めている。一方で、アメリカは、労働収入の比率は20・1%、ドイツとフランスはいずれも9・5%に過ぎない。 この統計から判断する限り、日本の高齢者は一部の富裕層を除き、働き続けなければならない状況に置かれているのである。年金で悠々自適の生活は夢物語であり、収入の不足分は何らかの形で働くか、消費水準を切り下げる以外に道はない。 だが、労働者の長く働きたいという思いとは逆に、日本では厳格な定年制が維持されている。多くの企業では60歳定年が普通で、場合によっては定年後に65歳まで再雇用という制度を採用している企業も多い。とはいえ65歳定年制を採用している企業は多くはない。 他の先進国を見ると、アメリカでは年齢を理由に雇用を制限することは禁止されている。カナダやオーストラリアも同様に禁止しており、イギリスでも2011年から定年制を廃止した。それは経済的理由というよりも、「働く権利」として定年制を禁止している面が強い。※写真はイメージ(iStock) ただ、定年を延期し、年金受給年齢を遅らせることで、高齢者が働かなければならない状況を作ることはできるかもしれないが、それは好ましい方法とはいえないだろう。 なぜなら、すでに述べたように、多くの企業が採用する再雇用制度は高齢者の労働意欲を高め、生産性向上につながるとは思えない。定年前の収入の半分で、かつての部下の下で働くというのは決して精神衛生上好ましいとは言えないからだ。こうした制度の背景には、日本の労働市場の硬直性があると思われる。 アメリカでは、年金受給資格を得たら、今の会社を辞めて、他の会社に移るか、自分で起業するのは当たり前である。先に触れたが、アメリカには定年制がなく、自分の維持で退社を決めることができる。転職も難しくなく、転職で大幅に収入を減らす必要もない。筆者の知人のアメリカ人も、年金受給資格を得たらさっさと会社を辞め、自分でIT関係の会社を設立し、現在でも活躍している。理想は「ソーシャル・ビジネス」 筆者はアメリカの大学で教鞭(きょうべん)を取っていたが、仕事を持った中年の学生が何人もいた。彼らは会社内での昇進や転職のために修士号の資格を取ろうとしていた。アメリカではミッド・キャリア(35~65歳)が会社を辞めて経営大学院に戻り、新たな仕事にチャレンジすることは普通に見られる。 アメリカの労働市場は極めて流動的で、年齢による雇用制限はなく、能力があれば仕事を得ることは難しくない。これも失業したアメリカ人の知人の例だが、彼は再就職についてまったく心配していないと言っていた。事実、すぐに次の職を得た。 年齢に関係なく、能力さえあれば、仕事があるというのがアメリカの労働市場の常識である。極めて流動性が高いだけに、高齢者でも大きな社会的ストレスを感じることなく転職でき、意欲さえあれば働き続けることができる。 こうした自由な労働市場は、逆に個人の自己啓発を促すことになる。会社と大学の間を行き来することで能力を高め、労働市場での価値を高めることができるのである。日本の大学と海外の大学を比べて堅調な違いが一つある。 それは25歳以上の大学入学者の比率である。日本はわずか2・5%だが、経済協力開発機構(OECD)平均では16・6%とはるかに高い水準である。ちなみにスイスでは29・7%に達している。オーストラリアは21・7%、ドイツでも14・8%と高い。 こうした事が可能なのは、労働市場の流動性が高く、高齢でも大学に行くだけの見返りがあるからだ。高齢なって大学や大学院で勉強し、知識を身に付ければ、企業は採用してくれるし、起業する道も開かれてくる。だが、日本のように新卒採用が主体で、中途採用も限られ、ましてや高齢者の採用が見込めない労働市場では、大学院に戻るメリットは極めて低い。※写真はイメージ(iStock) 日本では定年後、大学や市民講座に通う人も増えているが、その多くは趣味の域を出るものではない。あるいは健康を保つのが目的かもしれない。だが、「不老社会」で必要なのは高齢者と社会との結びつきである。多くの日本人にとって働くことは単に収入を得るだけでなく、「自己実現」の道でもある。 その意味で、「不老社会」の一つのあるべき姿は、単に企業で働くだけでなく、高齢者は自分の経験を生かし、さまざまな社会活動を行う「ソーシャル・ビジネス」に携わっていくことである。「不老社会」は、高齢者が自分で人生を選択する可能性のある社会でなければならない。

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    元生保マンが70歳で起業、定年退職者60万人の受け皿作る

    中西享 (経済ジャーナリスト) 毎年大企業の退職者数は約60万人。在職中は優れた技術やノウハウを持ちながら、退職すると生かす場所が見つからず、貴重な人材が埋もれてしまう。ここに目を付けて、仕事がしたいOB人材と、優秀な人材がほしい企業側との人材のマッチング(引き合わせ)に生きがいを見出し、これまでにない官民の知恵を集めた人材活用プロジェクトを創ろうとしている人物がいる。2月に一般社団法人「新現役交流会サポート(SKS)」を立ち上げた保田邦雄代表(71歳)だ。 企業OBの中には、ゴルフや海外旅行だけでは満足できず、世の中のために自分の持っている経験と能力を生かしたいと思っている人材が多くいる。内閣府が2013年に行った「高齢者の地域社会への参加に関する意識調査」によると、65歳以上の人のうち6割以上が働きたいと思っている。にもかかわらず、60歳以上の就業希望者のうち、1割程度しか職につけていないという。7割の高齢者が特に活動をせずに、日がなテレビを見て過ごしている状態だ。ハローワークやシルバー人材センターでは、能力を持っている大企業をリタイヤした彼ら(「新現役」と呼ぶ)にふさわしい仕事は見つけられない。 筆者も退職した際に東京都内のハローワークのパソコンで仕事を検索したことがあるが、60歳以上となると経験を生かせるような仕事はまったく見つからない。あるのは飲食業関連のパートや夜勤務の警備関連の仕事くらいしかない。 保田代表は中小企業庁などが進めている人材マッチング事業が、政策の掛け声倒れで単年度主義のため成果を出していない点に着目、生命保険に勤務していた時に金融機関とのつながりがあったことを生かして、地元の信用金庫を巻き込んで、2009年から手弁当で「交流会」を東京都内で試みてみた。「仕事をしたい企業OBに信用金庫、信用組合など地域金融機関と連携し取引先である求人側の中小企業とを引き合わせる『交流会』という手法で、そのOBの能力を活用できる場所を効率的に見つけ出せる」と力説する。 東京都北区、葛飾区で始めた最初のころは、あまり相手にされなかったが、「交流会」の実績が知れ渡るにつれて参加する企業と金融機関が増え続け、参加した企業は昨年末までで実に2695社にのぼり、支援が成立した件数(マッチング成功率)は50%を超す1378社に達している。人材のマッチング、中でも高齢者の場合は成功率が低くなりがちだが、当事者同士が対面してじっくり話し合える「交流会」があるため、成功率が驚くほど高くなっている。保田邦雄(やすだ・くにお)氏 「交流会」を実施している地域は、いまでは東京都全域から、さらに名古屋、関西、北部九州にまで広がり、「交流会」を開催した金融機関数は71の信用金庫を含む76金融機関にまで増えている。今年に入ってからは、信用組合の幹部もこの「交流会」の評判を聞きつけて、信用組合全体としてもこの「交流会」を積極的に活用し始め今年度開催決定を含めると84金融機関に拡大中だ。中小企業庁の担当者も信用金庫など地域の金融機関を仲介にした「交流会」を使ったマッチングを高く評価している。保田代表はこれまで自分でパソコンを使って資料を作るなど、マッチングの肝になる「交流会」の仕掛け作りに東奔西走してきたが、今後は組織的に手掛けたいとして社団法人を設立することを決意した。 「交流会」の最大のポイントは、仕事を求める企業OB、課題解決ができる人材がほしい中小企業のトップ、中小企業と取引関係のある信用金庫、信用組合など地域金融機関による「3者面談」による本音のやり取りだ。企業OBが人材データベース(DB)への登録に基づいて人材を求める会社と面談して、要望が合致すれば、「新現役」としての仕事を得ることができる。「交流会」の場には求人する側の社長らトップが出席するため、企業OBも仕事内容について遠慮なく聞ける。このため、ハローワークなどに多い実際に働いて見て、こんなはずではなかったというミスマッチングになる事例はほとんどないという。信用組合が注目 仲介する金融機関の担当者は、「交流会」に立ち会うことで、取引先の実情、課題や事業の将来性、可能性についてトップから直接に話を聞ける。新しい人材が加わったことで融資先の中小企業の業績が好転すれば、地域金融機関としてはのどから手が出るほどほしい新規融資の拡大にもつながる。「交流会」は中小企業、企業OB、地域金融機関をハッピーにさせる「一石三鳥」の効果がある。 仕事を得た企業OBは、体調も考慮して週に2~3回マイペースで働けばよい。中小企業庁で予算がついていれば、最初の支援3回分は補助金が支払われる。企業側がこのOBの能力を評価し、OBとも意思が合致すれば、新たに雇用や業務委託契約関係を結んで「再就職」につながるケースもあり、企業OBはまさに「無尽蔵の人材の宝庫」(保田代表)と言える。 中小企業に対する経営指導と言うと、中小企業診断士という国家資格者やコンサルタントがあり、それらのアドバイスを受けている中小企業は多い。だが、その多くは実際の実務経験のない座学に基づくものが多く、中小企業経営者からは「診断を受けても期待外れ」という声が聞かれる。「交流会」に参加する「新現役」の多くは、診断士の資格はなくても得意とする分野に関しては誰にも負けないほどの技量を持った人材が多い。 東京都信用組合協会の八木秀男専務理事は「お金を貸すだけの地域金融機関から、中小企業を『育てる』金融機関への役割の変更が求められている時代の流れの中で、『交流会』は取引先のニーズに答えられるものだ。信用組合の職員も『交流会』で取引先企業のトップから経営課題を直接聞くことができて貴重な勉強の場になっている。これを是非とも定着させていきたい」と、高く評価する。9月21日には都内の主要な6信組と、60企業が参加する大規模な「交流会」の準備が進められており、その成果が注目される。 東京都内に支店網を持っている大東京信用組合の品川支店は昨年11月に開催した「新現役交流会」へ、取引先であるスーパー「平野屋」を経営する堀江新三社長に参加を呼び掛けた。堀江社長はあまり気が進まなかったが渋々参加して、「新現役」8人と面談した。その中から三菱商事をリタイヤして小規模なスーパーの顧問をしている71歳の「新現役」に経営指導に来てもらうことにし、3回にわたりアドバイスを受けた。大東京信用組合で行われたマッチングフェア 厳しく指摘されたのが、店内での部門同士のコミュニケーションが十分でないことだった。堀江社長は地元商店街の仕事などが忙しくて、店の経営を店長などに任せてきた結果、責任体制が明確になっていなかった。家族主義的な経営手法から、社長自らが社員に対してきちんと指示を出すべきだと直言された。堀江社長はこれまでコンサルタントなどに実務に基づかない指導が嫌いなため、部外者からアドバイスを受けなかった。しかし、近くにできた有力スーパーに客を奪われたこともあって、この数年間は売上が落ち込んでおり、「この減少を何とか食い止めなければと思っていたので、貴重な指導を受けて大いに参考になった。長年続けてきた家族主義的なやり方を急に変えるのは難しいが、指摘されたことを少しずつ実践しようと思う」とアクションを取ろうとしている。 「交流会」に同席した大東京信用組合の菊島健二・品川支店長は「社長の話を通じて取引先の現場と中身を知ることができて、デスクワークだけでは分からない店の実態を理解できた」と話す。思いもかけない人材 「交流会」を契機に予想外の海外展開に手掛かりを得られた中小企業がある。品川区にある「フェラーリ」「フィアット」などイタリア車の自動車部品を取り扱う「ビオリー」(従業員20人)の久地岡正義社長が地元の信用組合の紹介で「交流会」に出てみたところ、イタリアの航空会社アリタリアに38年間勤務して退職した「新現役」の宅間武雄さん(68歳)に遭遇した。ローマにも駐在経験があり、現地での交友関係が広いことが分かり、3回の無料支援のあと早速、雇用契約を締結した。 久地岡社長は「『交流会』は思っても見ない素晴らしい人材との出会いだった。これまで国内仕入では困難な古い車等の部品調達やその輸送コスト軽減を考えていたところだったので、4月に宅間さんにイタリアに飛んでもらい、部品の卸企業と交渉した」と話す。部品の発注はこれまでは、日本の大手部品会社を通して発注していたが、宅間さんのおかげで、イタリアの卸会社と直接購入できるルートが開拓できた。これにより、「ビオリー」の顧客に対する信頼性が増し、社長の念願である増収増益にもつながる可能性がある。 仲介した大東京信用組合の柳沢祥二理事長は「取引先の企業を手助けするために『交流会』は役立っている。地域の取引先にも『交流会』の良さを分かってもらうために動画を作成する」と、この手法にほれ込んでいる。 保田代表は「各地で開催される『交流会』では、こうした思いもかけないような『宝の人材』に出会えることが数え切れないほどある」という。 東京都板橋区で理美容師向けにハサミなどを手作りで製造している「ヒカリ」の高橋一芳社長は、12年に地元の滝野川信用金庫に誘われて仕方なしに「交流会」に参加したところ、ホンダを定年退職したエンジニアで、現役時代には2足走行ロボット「アシモ」の開発に携わった西川正雄さんと出会った。経済産業省総合庁舎。中小企業庁は別館に入っている=2001年5月 30人の職人が働く同社は、繊細な手作業が求められるプロ向けのハサミが作れるようになる技術の習得は経験と勘に頼っていたため10年も掛かっていた。それを西川さんが開発した道具を使うとわずか1週間でできるようになり、高橋社長は「『交流会』に参加したことで、思っても見なかった貴重な人材にめぐり会えた」と手放しの喜びよう。80歳になる西川さんは現在も週に1回ほど技術面のサポートをするため顧問として出社、ハサミを製造する機械の開発に携わるなど同社に取ってなくてはならない存在だという。 保田代表が起業した最大目的は、「無尽蔵」にある企業OBという人材の「宝の山」を「交流会」を介して民間企業にマッチングするための全国レベルでのシステム作りだ。そのために必要なことは、「どこからでもアクセスできる新現役データベース(DB)を構築して、登録者数を増やすこと。できれば3年以内に10万人以上にしたい。求人企業数も1万社が目標だ。これだけのDBが整備できれば、このDBと『交流会』を組み合わせることで、年間5千人以上の『新現役』とのマッチングを生み出し、人材難の中小企業に対して力強いサポートが可能になる」と期待している。 「新現役」を登録するDBの制度は2003年に中小企業庁が作りクチコミで全国の企業OB約1万2000人が登録した。しかし、民主党政権の10年にこの制度は十分な新現役の活用手法や課題をもつ中小企業がシステム的に発掘できなかったこともあり「事業仕分け」で消滅してしまった。その後、保田代表の呼び掛けなどにより関東経済産業局管内で再び企業OBの登録制度と地域金融機関との交流会を開始、約1500人が登録した。しかし、人材登録制度が機能するためには地域金融機関とシステム的な連携と、交流会のような仕組みしかけ、多様な職種、能力を持った豊富な人材の登録数が求められる。地域金融機関との連携強化 このため、「1500人程度の登録人数では、地方で交流会開催を希望する金融機関や企業、新現役のニーズを満たすことはできない。また、地方都市は大都市に集中している、経験、技術、知識、知恵、人脈を持つ人材を必要としており、加えて中小企業の海外展開には、JETRO(日本貿易振興機構)、JICA(国際協力機構)だけでは地方のニーズはまかなうことが難しい。全国レベルでの人材の行き来が可能なシステムが地方創生にも不可欠である」と主張する。 現在は約4100人の企業OBが登録しているが、保田代表は「これではまだ不十分で、DBの裾野を拡大することで、より広範囲の人材マッチングが可能になる。そのためにも、中小企業庁など国が主体の全国レベルで人材登録ができるようなDBを作ってほしい」と訴えかける。  もう一つのキーワードはこれまで築いてきた地域金融機関との連携だ。これまで、信用金庫、信用組合と連携してきたが、保田代表は「今後はさらに連携の範囲を広げて、第二地方銀行なども含めた、いまの3倍以上の250以上の金融機関との連携を目指したい」という。「交流会」を通じて地域金融機関が中小企業と深いつながりができれば、担保を取って貸し出すという従来の融資方式から、金融庁の森信親長官が掲げている「融資先の事業性評価」にも役立つ可能性がある。融資先の開拓に苦労してきた地域の金融機関にとって、伸びる可能性のある有望企業の発掘にもつながる。 中小企業庁は、13年に中小企業・小規模事業者の未来をサポートするためのサイト「ミラサポ」を創設した。中小企業に関する相談窓口を想定、このサイトを通じて中小企業者の経営相談、情報交換の場を目指してきた。 しかし、同庁が当初想定していた活用には、発展していないようである。新現役の登録数(DB)を増やすことと金融機関と連携した交流会で、中小企業が支援を受ける仕組みを活性化させ、ミラサポとの連携で双方の活性化が図れないかと中小企業庁の担当者と活用方法について話し合っている。保田代表は「国が作った制度を利用すれば信用力があるので、『ミラサポ』との連携を模索したい」と意気込んでいる。2013年12月、中小企業支援サイト「ミラサポ」の活用について、活発な意見交換が行われた大阪市内でのパネルディスカッション 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が4月10日に発表した「将来推計人口」によると、働き手に当たる15歳から64歳までの生産年齢人口は、いまの7728万人から50年後には4529万人と4割も落ち込む。人口の5人に2人が65歳以上の高齢者になる勘定で、この人口構成の元で日本経済が底割れしないためには、どうしても高齢者の労働パワーを活用していかざるを得ない。 人口減少時代を迎えて、あらゆる業種で深刻な人手不足の続く日本経済。定年でリタイヤしたとはいえ、60~65歳という年齢はまだ十分働ける年代だ。 実際「交流会」で活躍している新現役の中心層は、65才~75才でありこの人材を定年で区切って埋もらせておくのはもったいない。 陰りが見える日本経済を蘇らせるために大企業の業績を回復させることも必要だが、全国に380万社ある中小企業(このうち325万社が小規模企業者、16年版中小企業白書)を元気にさせない限りは、安倍政権が掲げる地方創生は実現しない。そのためには、まだまだ元気で働ける大企業をリタイヤした「新現役」を積極活用することを国策として推進すべきだ。経産省、中小企業庁、金融庁、総務省など「霞が関」の中央政策官庁は、縄張り意識を捨てて、誰でも登録ができる「人材DB」を構築し、「交流会」というマッチング手法と「地域金融機関」をフルに活用して、企業OBのサポートにより日本全体を底辺から再生させてほしい。

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    1億総活躍社会 高齢者は劣悪な労働環境に放り出される

     2015年9月の自民党総裁選で無投票再選し、「一強」の称号をほしいままにしていた安倍首相が打ち出したのが「ニッポン一億総活躍プラン」だった。その正体は、“年寄りを働かせて税金も保険料も納めさせるプラン”である。 自民党・一億総活躍推進本部の「65歳以上のシニアの働き方・選択の自由度改革PT」は〈高齢者〉の基準を見直すべきとの提言をまとめた。 そこでは、〈65歳までは「完全現役」、70歳までは「ほぼ現役」、65歳~74歳までは「シルバー世代」として、本人が希望する限りフルに働ける環境を国・地方・産業界挙げて整備し、「支え手」に回っていただける社会の構築を目指す〉と本音を隠そうともしない。 問題は、“年寄りももっと働け”と煽り立てる一方、その労働環境整備が後回しになっていることだ。 60歳以上で働く人の圧倒的多数は非正規雇用だ。中小企業では、「定年前とほとんど同じ仕事をしているのに、雇用形態は嘱託になり賃金は半減した」(都内に住む60代男性)といった批判が後を絶たない。松山1億総活躍相(左から2人目)=2018年1月 本当に60歳以上の労働力を活用したいなら、年齢にかかわらず能力が給料に反映される「同一労働同一賃金」の導入が不可欠だが、その歩みは立ち後れている。 昨年12月に政府が公表した「同一労働同一賃金ガイドライン(指針)案」では、正社員と定年後の再雇用者の仕事内容が同じ場合に賃金差を認めるのか否かについて、「検討を行う」とするだけで、肝心なところを曖昧にした。 安倍政権はこの秋の臨時国会に、労働契約法改正案などの働き方改革関連法案を提出する予定だという。しかし改革が中途半端に終われば、“年寄りは現役時代から激減した賃金のまま働き続けろ”という状態で放り出されることを意味するのだ。【関連記事】■ 働く高齢者から収奪した在職老齢年金1兆円が政府の埋蔵金に■ 定年後は葬式へ行くな 香典は痛い出費で無駄な義理は不要■ 小泉進次郎氏 子育て財源のため「年金返上を」と言い出した■ 貧困高齢者 介護費捻出のため熟年離婚ならぬ“晩年離婚”も■ 公務員に65歳完全定年制導入で生涯賃金4000万円増

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    年金支給先延ばし 働いた場合手取りは2・6万円低い試算

     年金支給を75歳に引き上げる検討が始まっている。元々「定年後は年金をもらい、贅沢はせずとも時に預貯金を取り崩して旅行をするなど人間らしい生活をしたい」などといったビジョンを持っていた人も方針転換を強いられる。定年後も74歳までは働く必要が出てくることだろう。高齢者が従来もらえていた年金額と同じ月額22万円を稼ぐことができても、給料明細を見てショックを受けることになる。社会保険労務士・蒲島竜也氏の指摘だ。 「収入の額面は同額でも年金と給料では手取りが大きく違うからです」 夫婦ともに65歳以上で合わせて月額22万円の年金を受給する標準モデル世帯の場合、所得税、住民税が原則非課税になる。年金収入には給与所得にはない公的年金控除(65歳以上は1人につき120万円)が認められるからだ。医療保険料は自治体によって金額が違うが、東京都世田谷区の居住者なら年金から国民健康保険料と介護保険料で月額約1万9400円天引きされ、手取りは20万円ほどになる。 ところが、蒲島氏の試算では、同じ世田谷区に住んで65歳以降に月額22万円の給料を得るケースでは、所得税・住民税や健康保険・介護保険料に年金保険料まで加えた約4万6000円が源泉徴収されて手取りは17万4000円になる。年金収入の時よりなんと2万6000円も低い。 政府は働き方改革で「元気な高齢者は働いて年金の担い手になってくれ」と推奨しているが、74歳まで働けば年金保険料を払わされるばかりか、年金生活なら取られない税金までしっかり負担させられ、高齢者が働けば働くほど奪われる仕組みなのだ。蒲島氏が語る。 「ハッピーリタイアをあきらめて年金と同額を働いて稼いでも、従来の年金生活の水準は維持できない。もっと切り詰めなければならなくなるのです」【関連記事】■ 年金75歳支給時代、貯金5000万円あっても足りない■ 人づくり革命 真の狙いは高齢者を働かせ年金給付回避■ 老人も働け!時代、孫世代の若者に使われ精神的にもキツい■ 社会保障カットの決まり文句「子や孫にツケ回さない」の欺瞞■ 年金支給年齢引き上げ 働けば働くほど高い医療費払わされる

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    土地も家も、なぜ所有者不明になるのか

    吉原祥子(東京財団研究員兼政策プロデューサー)  人口減少と高齢化が進む中、相続を契機に故郷の土地の所有者となり、戸惑う人が増えている。 「田舎の土地を相続したが、自分たち夫婦には子供がいない。自分の代で手放したいが、買い手も寄付先も見つからず困っている」「いずれ実家の土地を相続する予定だが、東京に暮らす自分は父親が所有する山林には行ったことがなく、どこにあるのかもわからない」こうした声を周囲で耳にするようになった。司法書士などによる法律相談や不動産会社による相続対策セミナーが活況を呈し、相続対策を取り上げた書籍や雑誌も目立つ。 そうした声と時を同じくして、近年、問題として認識されつつあるのが「所有者不明土地」である。所有者の居所や生死が直ちに判明しない、いわゆる「所有者不明」の土地が災害復旧や耕作放棄地の解消、空き家対策など地域の公益上の支障となる例が各地で報告されている。国土交通省の調査では私有地の約2割が所有者の所在の把握が難しい土地だと考えられるという。(iStock) 個人の相続と、土地の所有者不明化。一見関係ないかに見える両者だが、実はその間には土地の権利と管理をどのように次世代に引き継いでいくのか、という大きな課題が横たわっている。 本稿では、近年、マスコミでも取り上げられることの増えてきた土地の「所有者不明化」問題について、相続という多くの人々にとって切実な問題からひもといていく。そして、問題の背景にある制度の課題と、今後必要な対策について、3回に分けて考えてみたい。 所有者の特定に時間を要し、地域の土地利用や円滑な売買の支障となる「所有者不明土地」。 土地とは、本来、個人の財産であると同時に、私たちの暮らしの土台であり、生産基盤であり、さらにいえば国の主権を行使すべき国土そのものだ。 民法学者の渡辺洋三は、土地のもつ4つの特質として、人間の労働生産物ではないこと、絶対に動かすことのできない固定物であること、相互に関連をもって全体につながっていること、そして、人間の生活あるいは生産というあらゆる人間活動にとって絶対不可欠な基礎をなしているものを挙げ、これらの特質ゆえに土地とは本来的に公共的な性格をもつと結論づけている(注1)。 いま、そうした個人の財産であると同時に公共的性格をあわせもつはずの土地について、その所有者の居所や生死が直ちにはわからないという問題が、様々な形で表面化してきている。なぜ土地所有者不明問題が起きるのか もっとも身近な例が空き家だろう。2015年5月に全面施行された空家対策特別措置法にもとづいて最初に強制撤去された長崎県新上五島町(2015年7月)および神奈川県横須賀市(同10月)の空き家は、いずれも行政のどの台帳からも所有者が特定できない「所有者不明」物件だった(注2)。 一体なぜ、こうした問題が起きるのだろうか。 土地所有者の所在や生死の把握が難しくなる大きな要因に、相続未登記の問題がある。一般に、土地や家屋の所有者が死亡すると、新たな所有者となった相続人は相続登記を行い、不動産登記簿の名義を先代から自分へ書き換える手続きを行う。ただし、相続登記は義務ではない。名義変更の手続きを行うかどうか、また、いつ行うかは、相続人の判断にゆだねられている。 そのため、もし相続登記が行われなければ、不動産登記簿上の名義は死亡者のまま、実際には相続人の誰かがその土地を利用している、という状態になる。その後、時間の経過とともに世代交代が進めば、法定相続人はねずみ算式に増え、登記簿情報と実態との乖離(かいり)がさらに進んでいくことになる。 相続登記は任意のため、こうした状態自体は違法ではない。しかし、その土地に新たな利用計画が持ち上がったり、第三者が所有者に連絡をとる必要性が生じたときになって、これが支障となる。「登記がいいかげんで、持ち主がすぐには分からないために、その土地を使えない」という状態が発生するのだ。 国土交通省によると、全国4市町村から100地点ずつを選び、登記簿を調べた結果、最後に所有者に関する登記がされた年が50年以上前のものが全体の19.8%を占めた。30~49年前のものは26.3%に上っている。この結果について同省は、「所有者の所在の把握が難しい土地は、私有地の約2割が該当すると考えられ、相続登記が行われないと、今後も増加する見込み」と分析している(注3)。 図1は2013年に人口約1.5万人の自治体で事業担当者が実際に作成した相続関係図である。県道敷設に際して用地取得の対象となった土地の一角に、三代にわたり相続登記がされていない土地があった。権利の登記は任意とはいえ、自治体が税金を使って用地取得を行う際には所有権移転登記を行うことが前提となる。そのため、事業担当者は、面積はわずか192平方メートルのこの土地について約150名にわたる相続人を特定した。図1 時間の経過とともに、法定相続人は鼠算式に増加(出典:東京財団『国土の不明化・死蔵化の危機~失われる国土III』2014年) この事例は道路敷設だが、これが農地の集約化でも災害復旧の場面でも、相続未登記の土地の権利移転に必要な手続きは基本的に同じである。相続人全員の戸籍謄本や住民票の写しを取得して親族関係を調べ、相続関係図を作り、法定相続人を特定する。そして、登記の名義変更について、相続人全員から合意をとりつけなければならない。相続人の中に所在不明や海外在住などで連絡のつかない人が一人でもいれば、手続きのための時間や費用はさらにかかることになる。農地全体の2割が所有者不明 近年、各地で表面化している、「土地の所有者が分からず、利用が進められない」という事象の背景には、こうした相続未登記の問題がある。必要な土地の中のごく一部でもこういう土地があれば計画の遅れに繋がる。(iStock) 2014年4月からスタートした農地中間管理機構による農地の集約化の促進でも、同様のことが事業の障害となっている。同機構による農地の貸付は、土地の登記名義人による契約が原則だ。そのため、相続未登記の農地の所有者確認に時間を要し集約の足かせになる事例が各地で報告されている(注4)。 農林水産省が昨年行った初の全国調査によると、登記名義人が死亡していることが確認された農地(相続未登記農地)およびそのおそれのある農地(住民基本台帳上ではその生死が確認できず、相続未登記となっているおそれのある農地)の面積合計は約93万ヘクタール。全農地面積の約2割に達するという(注5)。 こうした未登記農地では、今後、現在の所有者が離農した場合、新たな権利関係の設定には相続人調査と登記書き換え手続きが必要になる。そのため、迅速な権利移転が困難になることが懸念される。 それでは、こうした問題は全国でどのくらい発生しているのだろうか。また、問題の全体構造はどのようになっているのだろうか。筆者らは土地の「所有者不明化」の実態を定量的に把握するため、2014年秋に全国1,718市町村および東京都(23区)の税務部局を対象にアンケート調査を実施した。次回はこのアンケート調査の結果から、全国の実態と問題の全体像を考える。(注1):渡辺洋三(1973)『法社会学研究4 財産と法』、東京大学出版会(注2):日本経済新聞「空き家解体 根拠は『税』」2015年11月30日、同「危険空き家28軒に勧告」同年12月6日。(注3): 国土交通省 国土審議会 計画推進部会 国土管理専門委員会(第1回)「資料6_人口減少下の国土利用・管理の検討の方向性」15ページ。https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/kokudo03_sg_000053.html(注4):例えば、日本経済新聞〔四国版〕「農地バンク利用低調」2015年6月17日、南日本新聞「まちが縮む(5)土地問題 未相続が『足かせ』に」同年9月26日など。こうした実態を踏まえ、政府の「日本再興戦略2016―第4次産業革命に向けて」(2016年6月2日閣議決定)では、「相続未登記の農地が機構の阻害要因となっているとの指摘があることを踏まえ、全国の状況について調査を行うとともに、政府全体で相続登記の促進などの改善策を検討する」ことが明記された。(注5):http://www.maff.go.jp/j/keiei/koukai/mitouki/mitouki.htmlよしはら・しょうこ 東京財団研究員兼政策プロデューサー。東京外国語大学卒。タイ国立シーナカリンウィロート大学、米レズリー大学大学院などを経て現職。国土資源保全プロジェクトを担当。

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    漂流するニッポンの「土地神話」

    利用価値や資産価値のない土地が捨てられはじめている。こうした土地は相続未登記や相続放棄などで所有者不明となり、日本各地で行き場を失った土地が放置されているという。漂流するニッポンの「土地神話」。人口減少時代の象徴ともいえるこの問題に解決の糸口はあるのか。

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    地方から広がった土地の「所有者不明化」問題

    吉原祥子(東京財団研究員兼政策プロデューサー)  第1回目では、所有者不明の土地について、その大きな原因が相続未登記にあることを指摘した。それでは、こうした問題は全国でどのくらい起きているのだろうか。また、問題の全体構造はどのようになっているのだろうか。 筆者らは、土地の「所有者不明化」の実態を定量的に把握するため、2014年秋に全国1,718市町村および東京都(23区)の税務部局を対象にアンケート調査を実施した。相続未登記が固定資産税の納税義務者(土地所有者)の特定にどのような問題を生じさせているかを調べることで、間接的ではあるが、「所有者不明化」の実態把握をめざした。888自治体より回答を得た(回答率52%)。 本調査で明らかになったことは、大きく2つある。順番に見ていこう。 まず1つは、土地の「所有者不明化」問題は、一時的、局所的な事象ではなく、平時に全国の自治体にその影響が及んでいるということだ。 土地の「所有者不明化」によって問題が生じたことがあるか尋ねたところ、63%にあたる557自治体が「あり」と回答した。具体的には、「固定資産税の徴収が難しくなった」(486自治体)がもっとも多く、次いで、「老朽化した空き家の危険家屋化」(253自治体)、「土地が放置され、荒廃が進んだ」(238自治体)がほぼ同数だった。(iStock) 次に、「死亡者課税」について尋ねた。これは土地所有者、すなわち固定資産税の納税義務者の死亡後、相続登記が行われていない事案について、税務部局による相続人調査が追いつかず、やむなく死亡者名義での課税を続けるもので、146自治体(16%)が「あり」と回答した。納税義務者に占める人数比率(土地、免税点以上)は6.5%だった。「なし」は7自治体(1%)のみ。735自治体(83%)は「わからない」と回答し、所有者の生死を正確に把握することが困難な現状の一端がうかがえた。 本調査から明らかになったもう1つの点は、このままでは「所有者不明化」問題の拡大は不可避だということだ。 死亡者課税が今後増えていくと思うか尋ねたところ、「そう思う」もしくは「どちらかといえばそう思う」という回答が770自治体(87%)に上った。その理由を記述式で尋ねたところ、回答は制度的なものと社会的なものに大きく二分された。 まず、制度的な理由として多かったのが、手続きの煩雑さや費用負担の大きさ等を理由とする相続未登記の増加、自治体外在住者の死亡情報がいまの制度では把握できないこと(注1)、人口流出によって不在地主が増加し相続人情報を追うことが困難になっていく、などだ。いつから「所有者不明化」は拡大したのか 社会的な理由として挙がったのは、土地の資産価値の低さや管理負担を理由とする相続放棄の増加や、親族関係の希薄化に伴う遺産分割協議の困難化などだ。 具体的には、「土地の売買等も沈静化しており、正しく相続登記を行っていなくても当面実質的問題が発生しないケースが増えている」、「相続人が地元に残っていない。山林・田畑について、所有する土地がどこにあるかわからない方が多い」、「土地は利益となる場合よりも負担(毎年の税金)になる場合が多いので、相続人も引き受けたがらない」、「過疎地で固定資産の価値も低い上、所有者の子が地元に帰ることがますます少なくなり、固定資産に対する愛着がなくなってゆく」といった記述があった。 さらに、寄せられた回答の中には、相続放棄によって所有者が不存在となった土地の扱いについて、相続財産管理制度などの制度はあるものの費用対効果が見込めず、放置せざるをえない例が少なくないこと、また、その後の当該土地の管理責任や権利の帰属が、実態上、定かでない点があることなど、制度的、法的な課題を指摘するコメントもあった。 こうした結果から、人口減少に伴う土地の価値の変化(資産価値の低下、相続人の関心の低下)と硬直化した現行制度によって、「所有者不明化」の拡大がもたらされている、という問題の全体像が徐々に浮かび上がってきた(図1)(注2)。図1 土地の「所有者不明化」問題の全体像(出所:筆者作成) こうした相続未登記による「所有者不明化」の拡大は、いつ頃から始まっていたのだろうか。 前回、紹介したように、国土交通省が行った登記簿のサンプル調査によると、最後に所有者に関する登記がされた年が50年以上前のものが全体の19.8%、30~49年前のものは26.3%に上っている。 つまり、一世代を30年と考えるならば、一世代以上、所有者情報が書き換えられていない登記簿が全体の半分近くを占めていることになる。相続未登記という現象は、今に始まったことではなく、過去数十年にわたり蓄積されてきているのだ。 実際、地域レベルで見るとこの問題は決して新しいものではない。相続未登記が、地域の土地利用という公益に及ぼす影響については、一部の関係者の間では経験的に認識され、長年、指摘されてきている。 たとえば、林業の分野では、1990年代初頭には、森林所有者に占める不在村地主の割合は2割を超え、林業関係者の間では、過疎化や相続増加に伴い所有者の把握が難しくなるおそれのあることが懸念されていた。柳澤(1992)は、急速に高齢化の進む農山村世帯において、都市部へ転出した子ども世代が相続に伴い不在地主となるケースが増え、林業の支障となることを懸念し、次のように述べている。「問題は彼らが所有する大量の土地の行方である」「不在村対策としては迂遠であるようにみえるかも知れないが、今いちばん必要なのは、将来の不在村所有者とのコンタクトではないか。」(注3)日本の土地制度の課題 農業では、各地で慢性的に発生している未登記農地の問題について、安藤(2007)が、「ただでさえ追跡が困難な不在地主問題を絶望的なまでに解決不能な状態に追い込んでいるのが相続未登記であり、これは農地制度の枠内だけではいかんともしがたい問題なのである」と指摘している(注4)。 自治体の公共事業の用地取得でも、同様の問題は起きていた。「用地取得ができれば工事は7割済んだも同じ」と言われるように、用地取得における交渉や手続きの大変さは関係者の間でしばしば指摘されてきていた。(iStock) しかしながら、こうした問題の多くは、関係者の間で認識されつつも、あくまで農林業あるいは用地取得における実務上の課題という位置づけにとどまってきた。たとえば、堀部(2014)は次のように指摘している。「農業経済学にとって農地制度とその運用は、長い間一貫して強い関心を寄せる対象であったが、それはあくまでも農地市場分析、農業経営における農地集積活動の与件としてであり、それ自体は『実務の問題』とされ、ほとんど分析対象とはならなかったのである(注5)」 関係省庁が複数にわたり、個人の財産権にもかかわるこの問題は、どの省庁も積極的な対応に踏み出しづらいこともあり、政策議論の対象となることはほとんどなかった。それが、近年、震災復興の過程で問題が大規模に表出し、また空き家対策のなかで都市部でも表面化したことで、ようやく政策課題として認識されるようになってきたのだ。 それでは、なぜ、任意の相続登記がされないことで、土地の所有者の所在や生死の把握が難しくなっていくのだろうか。そもそも、日本では土地の所有者情報はどのように把握されているのだろうか。次回は、所有者不明化問題から見えてくる日本の土地制度の課題を整理し、今後必要な対策について考えてみたい。(注1):自治体内に住民登録のない納税義務者(不在地主)が死亡した場合、現行制度では、死亡届の情報が当該自治体に通知される仕組みはない。(注2):アンケート調査結果の詳細は、東京財団『土地の「所有者不明化」~自治体アンケートが示す問題の実態~』(2016年3月、http://www.tkfd.or.jp/files/pdf/lib/81.pdf) を参照いただきたい。(注3):柳幸広登(1992)「不在村森林所有の動向と今後の焦点」林業経済45巻8号1-8頁。(注4):安藤光義(2007)「農地問題の現局面と今後の焦点」農林金融60巻10号2-11頁。(注5):堀部篤(2014)「遊休農地や山林・原野化した農地が多い地域における利用状況調査の取り組み実態」農政調査時報571号29-34頁。よしはら・しょうこ 東京財団研究員兼政策プロデューサー。東京外国語大学卒。タイ国立シーナカリンウィロート大学、米レズリー大学大学院などを経て現職。国土資源保全プロジェクトを担当。

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    「農地・山林はもらっても負担」時代に対応した土地制度の構築を

    吉原祥子(東京財団研究員兼政策プロデューサー)  ここまで、各地で広がる土地の「所有者不明化」の実態について、相続未登記の問題から全体像を見てきた。では、なぜ任意の相続登記の問題が、「所有者不明」というこれほど大きな問題につながってしまうのだろうか。そもそも、日本では土地の所有者情報はどのように把握されているのだろうか。(第1回、第2回) 土地の所有・利用に関する様々な制度を洗い出してみると、見えてくるのが情報基盤の未整備やルールの不十分さだ。 現在、日本の土地情報は不動産登記簿のほか、国土利用計画法に基づく売買届出、固定資産課税台帳、外為法に基づく取引報告、さらに森林調査簿や農地基本台帳など、目的別に作成・管理されている。各台帳の所管はそれぞれ、法務省、国土交通省、総務省、財務省、林野庁、農林水産省と多岐にわたる。台帳の内容や精度もばらばらで、国土の所有・利用に関する情報を一元的に共通管理するシステムは整っていない。 さらに、国土管理の土台となる地籍調査(土地の一筆ごとの面積、境界、所有者などの基礎調査)も、1951年の調査開始以来、進捗率は未だ5割にとどまる。一方で、個人の土地所有権は諸外国と比較してもきわめて強い。(iStock) 「土地の権利関係なら不動産登記簿を見ればすぐわかるのではないか」と思う方も多いかもしれない。実際、各種台帳のうち、不動産登記簿が実質的に主要な所有者情報源となっている。だが、ここまで繰り返し述べてきたように、権利の登記は任意である。そもそも、不動産登記制度とは、権利の保全と取引の安全を確保するための仕組みであり、行政が土地所有者情報を把握するための制度ではない。登記をした後に所有者が転居した場合も、住所変更を届け出る義務はない。そのため、登記がされなければ、登記簿上の名義人がすでに死亡した人のままだったり、古い住所がそのまま何十年も残り続けることになる。 任意の相続登記を相続人が行うかどうか、また、いつ行うかは、個人の事情をはじめ、経済的、社会的な要因などによって影響を受ける。たとえば、景気改善によって都市部の土地取引が活発化し地価が上昇すると所有者の売却意欲が高まり、その準備の一環として相続登記が行われる、あるいは、公共事業が増加し用地の対象となった所有者が売却のために相続発生後何年も経った後に登記を行うなどだ。なぜこれまで政策課題にならなかったのか 図1は相続等による所有権移転登記の件数の推移である。登記件数は近年増加傾向にはあるものの、年によって変動が大きいことがわかる。図1 相続等による所有権移転登記の件数推移(出所)法務省「登記統計」より作成 政府の「経済財政運営と改革の基本方針2016」では、所有者不明化の大きな原因の1つである相続未登記への対策が盛り込まれ、法務省が「法定相続情報証明制度」の創設を進めるなど、徐々に対策が始まりつつある。 しかし一方で、司法書士の間からは、「農地・山林はもらっても負担になるばかりで、相続人間で押し付け合いの状況」とか「最近、相談者から、『宅地だけ登記したい、山林はいらないので登記しなくていい』と言われるケースが出てきた」、「次世代のことを考えれば登記すべきだが、登記は任意であり、無理に勧めるわけにもいかず悩んでいる」といった声も聞かれる。 国土交通省の「土地問題に関する国民の意識調査」によると、「土地は預貯金や株式などに比べて有利な資産か」という問いに対して、2015年度は、「そうは思わない」とする回答が調査開始以来最高の41.3%を占めた。これは1993年度(21%)の約2倍である。 人口減少に伴う土地需要の低下や人々のこうした意識の変化を考えれば、今後、相続登記がいまよりも積極的に行われるようになるとは考えにくい。国による相続登記の促進は当面の対策としては重要だが、人々にとって相続登記をする必要性が低いままであれば、促進策の効果も限定的にならざるを得ないだろう。 考えるべきは、いまの日本の土地情報基盤が、こうした市場動向や個人の行動によって精度が左右される仕組みの上に成り立っている、という点である。 現在の日本の土地制度は、明治の近代国家成立時に確立し、戦後、右肩上がりの経済成長時代に修正・補完されてきたものだ。地価高騰や乱開発など「過剰利用」への対応が中心であり、過疎化や人口減少に伴う諸課題を想定した制度にはなっていない。 「所有者不明化」問題とは、こうした現行制度と社会の変化の狭間で広がってきた問題なのだ。 それでは、なぜ、この問題はこれまで政策課題として正面から取り組まれることがほとんどなかったのであろうか。 その理由として、1つには、問題が目に見えにくいということがあろう。所有者不明化という課題が平時に広く世の中の関心を得る機会は限られる。多くの場合、相続や土地売買、大規模災害時など、「一生に一度」の機会になって初めて、問題の存在や解決の難しさが認識される。土地所有者不明問題は「盲点」 耕作放棄地や空き家といった「管理の放置」の問題は、農地の荒廃や老朽化に伴う危険家屋化など、目に見える形で地域で表面化する。それに対し、相続未登記という「権利の放置」は、登記簿情報と実際の所有状況を照合するまでは、人々の目に見えない。 自治体担当者が公共用地の取得の際などに所有者不明化の実態に直面しても、個別事案への対応に追われ、政策課題として広く共有するまでにはなかなか至らないのが実情だ。用地取得の難しいことは、自治体担当者の多くが経験的に認識してはいるものの、そうした担当者も基本的には数年で異動するため、政策課題として体系だった議論を継続的に提起する人材も輩出されにくい。 この問題は個人の財産権に関わることから行政も慎重にならざるを得ず、積極的に取り組む政治家も少ない。 情報基盤が整っていないために精度の高い基礎情報も少なく、制度見直しの根拠となる不利益の定量化や分析も容易ではない。所有者不明化問題の根本にある制度的要因や経済的損失、さらに対策を講じないことによる負の効果などに関して、全国レベルでの詳細な検証はほとんど行われてきていないといえよう。 さらに、国民の側から見ると、この問題は解決に要するコストが大きい一方で、問題解消によって得られる便益を短期的に実感しづらいという難しさがある。問題が目にみえづらく突発的な事件が起きることも少ないため、マスコミの記事にもなりづらい。 こうした意味で、土地の所有者不明化問題は、さまざまな主体の間の隙間に落ちた「盲点」のような課題だといえる。農地集約化、耕作放棄地対策、林業再生、道路などの公共事業、空き家対策、災害復旧事業など、多くの場面で同様の問題が発生していながら、その根底にある土地制度の課題について踏み込んだ議論が十分に行われることのないまま、問題が慢性的に広がってきていたのだ。(iStock) 所有者不明化問題の1つひとつの事象は小さいかもしれない。しかし、この問題が各地で慢性的に発生し堆積していくことで、再開発や災害復旧、耕作放棄地の解消など、地域社会が新たな取り組みに踏み出そうとしたときに大きな足かせとなる。地域の活力をそぐ問題であり、全国で同じようなことが繰り返されていくことで、長期的には国力を損なうおそれがあるといっても過言ではない。 それでは、今後、どのような対策が必要だろうか。地価の下落傾向が続き、「土地は資産」との前提が多くの地域で成り立ちづらくなるなか、土地制度が大きな転換期にあることは明らかだ。具体的な対策は? まずは国と自治体が協力し、地域が抱える土地問題について実態把握を進めることが必要だ。その上で、国土保全の観点から、どのような土地情報基盤が実現可能か、また、どのような関連法整備が必要か、省庁横断で整理していくことが求められる。 短期的な対策としては、まず所有者、自治体双方にとって各種手続きのコストを下げる必要がある。たとえば相続人による相続登記や、自治体による相続財産管理制度の利用にあたり、費用負担を軽減し手続きの促進を支援していくことなどだ。 同時に、相続登記の促進を図りつつも、登記が長年行われず数次にわたって放置されているものについて、一定の手続きを踏まえた上で利用権設定を可能にする方策など、踏み込んだ対策の検討も今後は避けて通れないだろう。 森林については、所有者不明などの問題の広がりを踏まえ、昨年の森林法改正のなかで、市町村が所有者等の情報を林地台帳として整備することが義務付けられた。ただし、この法案に対しては全国市長会から、「都市自治体では、地域住民の多様なニーズに対処するため、絶え間ない行政改革を断行している中、新たな事務を一律に義務付けるような制度改正については、地方の実情を踏まえ十分な検討を行うことが必要である」との申し入れがあった(注1)。人口が減少し、土地需要も相対的に減っていく中で、国土保全の観点から最低限必要な情報を国と地方が連携して効率的に整備していくことが求められる。(iStock) さらに、長期的な対策として必要なのが、所有者不明化の予防策である。具体的には、利用見込みのない土地を所有者が適切に手放せる選択肢を作っていくことが急務だ。本来、個人が維持管理しきれなくなった土地は、できれば共有したり、新たな所有・利用者にわたることが望ましい。だが、現状、そうした選択肢は限られる。地域から人が減るなか、利用見込みや資産価値の低下した土地は、そのまま放置するしかない。「いらない土地の行き場がないんです」とは、ある自治体職員の言葉だ。NPOなど地域の中間組織による土地の寄付受付の仕組みや、自治体による公有化支援策の構築等、土地の新たな所有・利用のあり方について議論を本格化させる必要がある。自治体も動きにくい あわせて、こうした問題について、日頃から人々が学ぶ機会を設けることも重要だ。学校教育では現行の土地制度について学ぶ機会はほとんどない。多くの人々にとって、土地制度や登記手続きの仕組み(煩雑さ)を学ぶ機会は限られ、相続もしくは被災といった「一生に一度」の場面になって初めて直面する人がほとんどであろう。(iStock) ある自治体の担当者は、次のように言う。「この問題は公共課題でありながら個人の権利に関わる部分が大きく、行政が積極的に動きにくい。しかも、その個人の権利を個人が必ずしも理解していない。まさしく、どこから手を付けて良いのか分からない問題だ。」 多くの人々は、ふだん相続登記をしないままの実家の土地が、公共の利益に影響を及ぼすとはあまり意識することはない。自分が相続登記をしないことが、将来、地域や次の世代の土地利用の足かせになるかもしれないと考えることは、決して多くはないだろう。 財産権にも関わる土地制度の見直しは、国民の理解がないことには進まない。土地が個人の財産であるとともに公共性の高い存在であることを、普段から国民が学び、一人ひとりが理解を深めていくことが大切だ。このままでは、この問題は一部の関係者の間では経験的に認識されつつも、一般の人々の認知や理解を十分に得られないまま、先送りが続いてしまうおそれも否定できない。 親族や自らが所有する土地をどう継承していくかは、個人の財産の問題であると同時に、その対処の積み重ねは生産基盤の保全や防災など地域の公共の問題へと繋がっていく。今後、土地を適切に保全し次世代へ引き継いでいくために、どのような仕組みを構築していくべきなのか。土地問題を人口減少社会における1つの課題と位置づけ、制度見直しを進めることが必要だ。(注1):全国市長会「『森林法等の一部を改正する法律案に対する申入れ-林地台帳(仮称)の整備について-』を森山・農林水産大臣に提出(平成28年2月25日)」http://www.mayors.or.jp/p_action/a_mainaction/2016/02/280225daichoseibi-moushiire.phpよしはら・しょうこ 東京財団研究員兼政策プロデューサー。東京外国語大学卒。タイ国立シーナカリンウィロート大学、米レズリー大学大学院などを経て現職。国土資源保全プロジェクトを担当。

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    空き家だらけの日本 成熟社会の宿命とどう向き合うか

    中村宏之(ジャーナリスト) 日本各地で空き家が増え、多くの自治体や地域の関係者が困っているという古くて新しい問題をわかりやすい言葉で解説してくれる本である。『空き家問題 1000万戸の衝撃』(牧野知弘、祥伝社) 以前、筆者(中村)が住んでいた東京郊外の一角にも、朽ち果てる寸前の木造住宅の空き家があった。昼夜を問わず、人が出入りする気配は全くなく、通行人が投げ捨てるゴミが放置され、異臭を放っていた。毎日その場所を歩くたびにいやな思いをしたものだ。近所の人々も迷惑している雰囲気が明白だった。だいぶ長く放置されてからその空き家は解体され、更地に変わった。同じようなことが全国で起こっているのだろうなと素朴に想像していたが、本書を読むと、こうしたケースは実はまだ救われている方だということがわかる。本書に紹介されている様々なケースは、いまこの国が抱えている空き家問題の深刻さを浮き彫りにしている。 次の東京オリンピック・パラリンピックが開かれる2020年には全国の空き家は1000万戸に達し、空き家率は15%になるという。毎年20万戸数ずつ増加しているというから、驚くべき数字である。 著者は問題の本質について、「増え続ける空き家をどう扱うか、始末するかという対策論ではない。日本の構造的な問題に深く関連している」と指摘する。つまり高齢化、人口の減少、住宅の需要と供給というあらゆる課題を巻き込んだ経済の構造問題として対応してゆく必要があるという主張だ。 人口が減り、働き手が減少してゆく時代。人が減れば住む家も多くはいらない。その中で社会インフラとしての住宅は国内では満たされている。いずれ世帯数が減る時代がくることを考えれば、活用されない住宅は増え、その結果、空き家も増えてくる。こうした状況で空き家問題に対応するには、発想の転換や価値観の見直しが不可欠だ。 持っているだけで価値があり、自然に値上がりして資産形成には最良というイメージが強かった家や土地。ごく少数の例外を除いて、もはやそうした時代ではなくなっているのは明らかだ。家を買うことが人生の目標とはなりえず、人生最大の買い物として買った住宅が、最後はお荷物になってしまい、相続すら拒否されかねないのが今の現実だ。自分の親、あるいは配偶者の親のことを考えると決してひとごとではない。寿命が伸び、多くの人が長い人生を生きなければならない時代だからこそ、この問題は深刻なのである。空き家の活用方法はこれだ! 現在の多くの対策が「対症療法」にすぎず、もはやどうにもならないという著者の指摘は大きな警告である。つまり、いまある法律の枠組みでは解決できないのだ。自治体の空き家条例のように撤去のための助成金を出すだけでは解決は進まないし、代執行も難しい。空き家に固定資産税を大きく賦課しようというハードルも高い。「売れない」から流動化できない、「貸せない」から活用できない、「解体」したら税金負担に耐えられない、だから放置される悪循環に陥っているという著者の説明は明快だ。 ではどうすればよいのか。著者は自らの実務経験などから以下のような処方箋を提示する。・市街地再開発手法の応用・シェアハウスへの転用・減築・介護施設への転用・在宅介護と空き家の融合・隣家との合体 などだ。いずれも確かにそうした方法は有効だと思われるものだ。だがその一方で、既存の法律やルールの枠組みで進めてゆくのはなかなか難しい面もあるのではないか、との印象も受ける。(iStock) 空き家であってもそれぞれの家に所有者がおり、所有権があることから、権利を尊重する必要があることは当然だ。だが、必要な場合には、一定の保護や保証を与えつつ、ある程度の私権の制限を行って、大胆な都市計画などを行うことが必要という著者の考え方には大いに賛同できる。 時代の変化によって、都市計画などに求められる社会のニーズも変化する。人口が減り、生産年齢が減り、家が余り、空き家が増えるというのは、戦後の日本が経験したことのない新しい局面だともいえる。成熟社会の宿命ともいえる方向にいま社会は確実に動いている。固定観念にとらわれず、柔軟な発想をするにはどんな覚悟が必要なのか。「空き家問題」という切り口を通じて日本が直面している喫緊の課題を再認識させてくれる一冊である。なかむら・ひろゆき 1967年生まれ。91年、慶應義塾大学経済学部卒、読売新聞東京本社入社。ロンドン特派員、米ハーバード大学国際問題研究所研究員、経済部デスク、調査研究本部主任研究員などを経て2017年4月より読売新聞東京本社メディア局編集部次長。『御社の寿命』、『世界を切り拓くビジネス・ローヤー』、(いずれも中央公論新社)など

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    なぜ「身寄りのない土地」が今増え続けているのか

    のは生まれ育った思い入れのある土地であっても難しくなっているのでしょう。(iStock) これからは少子高齢化に伴い、人口が減少していくにつれ、土地の需要が徐々になくなってくるのではないでしょうか。不動産は都会の条件のいい土地でない限り「資産」として成り立たず、多くが負担ばかりかかる「負債」になっているのです。 朽ち果てた家や何年も耕作を放棄している土地が、多くの過疎地域でよく見られる光景となる一方、都市部の近郊では新築アパートや建売住宅が次々と建てられています。住宅メーカーは、空き家の問題などはお構いなしに利益追求に走り、それを購入する人の税金を免除するといった国の方針は全く変化が見られません。また、相続した空き家を売るために作られた税金の優遇措置は要件が厳しく、なかなか手が付けられないといった状況です。 これからも資産価値のない「いらない」土地が増えることは間違いなさそうです。最近、困ったときに誰も頼る親類がいない高齢者が多いですが、このような「身寄りのない土地」の処分もさらに問題化してくるのではないでしょうか。 これからの将来、土地の法制度を変えていくことが急務となるでしょう。【参考文献】■タダで簿記の指導をしてもらえる!税務署の無料記帳指導を知っていますか?(浅野千晴 税理士)■ふるさと納税にもはやお得感なし?総務省の要請でブーム終息となるか。(浅野千晴 税理士)■世界のシンデレラストーリーは変わった。それは自分の力で起業することである。(浅野千晴 税理士)■年収1000万円超えの会社員は「税金」で貧乏になる。(浅野千晴 税理士)■相続税や消費税対策が将来の空き家問題を加速させる(浅野千晴 税理士)

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    今すぐ始めるべき「実家の整理」失敗しない5つの鉄則

    965年、神奈川県生まれ。銀行、出版社などを経て、2016年より〔一社〕実家片づけ整理協会代表理事。少子高齢化社会に特化した「実家片づけアドバイザー」育成講座や、親子で取り組む生前整理、空き家問題、物とお金の整理術、遺品整理などの講座を開講し、講師育成、出張片づけサービスなどを展開中。著書に『カツオが磯野家を片づける日』(SB新書)、『プロが教える実家の片づけ』(ダイヤモンド社)など。関連記事■ 「収納破産」を解消すれば、仕事も人生も一気に好転する!■ 情報は分類しない!進化した「超」整理法■ 自分の頭の中を可視化する「本棚の整理術」

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    「大介護時代」の到来にふさわしい処方箋はあるか

    津止正敏(立命館大産業社会学部教授) 「冷遇・衰弱・不衛生」「長寿嘆く20万人寝たきり老人」-これは日本で初めての介護実態調査(全国社会福祉協議会主催)の結果を報じた1968年9月14日の全国紙朝刊記事の見出しだ。日本初の調査報告、いまであれば1面トップを飾ってもおかしくないビッグニュースかもしれないが、当時は社会面で人気の4コマ漫画の下にたった3段組の記事として扱われた。(iStock) 当時の介護問題に対する社会の関心度合いはこのようなものだったのだろう。「介護は家族がするもの」ということを誰もが当然のように受け入れて、そのことを疑う余地すらなかった時代だ。特別養護老人ホームは身寄りがない低所得の高齢者を対象として、全国にわずか4500床しかなかった。介護者は、子供の配偶者(ほとんどが嫁)が49%超とほぼ半数を占め、次が配偶者(大部分が妻)で26%、3番目が娘で14%と、9割以上が婦人の肩にかかっている、と報じられた。この時代、介護する人は「若くて体力もあり、家事も介護も難なくこなし、介護に専念する時間も十分にあって、何より家族の介護を担うことを自然と受け入れている」というような同居女性、とりわけ専業主婦をモデル化したものだった。 あれからほぼ半世紀が経過し、介護の世界は激変した。前述した「嫁・妻・娘」という介護者モデルの劇的な変容がその最たるものだ。今年6月に公表された「国民生活基礎調査」を見て、つくづくそう思う。この調査は毎年実施されている恒例のものだが、3年ごとに介護の項目の入った大規模調査を行っており、今回のものがそれにあたる。 主な介護者をみると、要介護者との「同居」は6割を切った(58・7%)。「別居」して通いながら介護する家族は12・2%で、「事業者」「不明」というのもそれぞれ13・0%、15・2%となっている。在宅の介護実態はますます複雑化しているようだ。「同居」の主な介護者の、要介護者との続柄をみると、「配偶者」が25・2%で最も多く、次いで「子」が21・8%。「子の配偶者」は1割を切って9・7%となっている。また、「同居」の主な介護者を性別にみると、女性が66・0%だが、男性も34・0%と文字通り主な介護者の3人に1人を占めるようになった。 「老老介護」の実態が一段と進んだというのも今回の調査結果で明らかになった。介護する人もされる人も「65歳以上」という世帯が半数を超え(54・7%)、ともに後期高齢者である「75歳以上」という世帯も30%を超えた(30・2%)。「60歳以上」同士に至ってはなんと7割を超えている(70・3%)。もう在宅での介護実態は「老老介護」そのものであるといっていい。さらに、夫婦間での介護となればこの実態はより先鋭化している。これまでのカタチを激変させる老老介護 調査概要には夫婦間での介護する人とされる人の年齢階層を組み合わせたデータは掲載されていないが、介護する夫の83・1%は60歳以上、75歳以上も半数(50・2%)を超えている。また、被介護者のほうはさらに高齢化が進み、65歳以上は89・2%、75歳以上が62・9%に達していることからしても、事態の深刻さは容易に把握することができよう。「老老介護」はもはや一過性のもではなく、さらに加速するように思われる。「人生90年時代」が現実化し、加えて少子化や非婚化の進展によって、家族形態が大きく変容しているからだ。いまや介護は夫婦間が主流となり、その後、ひとりになった親を高齢期に達した息子や娘らが介護するという関係が一般化する。 「老老介護」はこれまでの介護のカタチを激変させる。「家ではコーヒー一杯入れたことがなかった」男性が、介護どころか炊事・洗濯・掃除・買い物など生活全般の困難を抱えながらの介護を始める。これまで何も問題なくこなしてきたに違いない女性の介護者も、年々の体力劣化によって家事にも支障が出てくる。自らも要支援・要介護認定を受けながら、ヘルパーやデイサービス等の介護サービスを利用しつつ介護の役割を引き受けている高齢者も何ら珍しくなくなっている。 こうした「ながら」の介護は「老老介護」に限らない。先述した半世紀前の介護者の専業主婦モデルでは、家族の介護が始まれば介護に専念すると想定されてきたが、それはもう過去の話である。いまあるのは、働きながら、子育てしながら、通いながら、体調不調を抱えながら、就活・婚活しながら、介護する配偶者や子供たちだ。岩手県奥州市で開かれたダブルケアサロンの参加者=2016年8月 では、働きながら介護する人はどれぐらいいるのか。直近の就業構造基本調査(平成24年)という総務省のデータでは291万人。介護者総数(557万人)の半数を超えている。60歳未満という生産年齢層の介護者の中で、働いている人は男性で8割を超え、女性でも6割を超えている。育児と介護を担う「ダブルケアラー」は25万人(男性8万人、女性17万人)ということを内閣府が明らかにしている。 「認知症に克つ」(週刊エコノミスト)「認知症の常識が変わった」(文藝春秋)「家族の介護」(週刊ダイヤモンド)-総合誌でも経済誌でも介護の大特集だ。報道からドラマ、バラエティーまで介護がメディアを席巻し、また時の政権が「介護離職ゼロ」(2015年)を成長戦略の三本の矢の一つに挙げるなど世間を驚かせたが、介護問題をめぐっての上記の状況からすれば何ら不思議でもないように思える。 フランスの著名な歴史人口学者、エマニュエル・トッドは急速に進むわが国の人口減少と人口の老化をあの「幕末の黒船以上の脅威」だと警鐘を鳴らしているが、介護もまた同様にこの時代を象徴する社会問題に違いない。その対処を誤れば社会の崩壊を招くだけである。まさしく「大介護時代」の到来である。 「大介護時代」にふさわしい処方箋こそ、私たちに課せられた重い課題だ。その処方箋のひとつとして、家族介護者への支援とそのための根拠法の制定を挙げたい。現行の介護保険制度は、介護が必要な高齢者への直接的な支援にとどまっており、家族介護者は介護の資源とはみなされても支援対象とはなっていない。介護者の事前評価(アセスメント)や支援プログラムの開発によって、介護する人、される人がともに安心して暮らせる環境づくりが何より急務である。私が代表理事を務める日本ケアラー連盟は、この不可視化されてきた「家族介護者支援」という政策課題を「介護者(ケアラー)支援の推進に関する法案(仮称)」という形にまとめて具体的な政策提言を行ってきた。立法府や行政機関での議論が進み、無理なく介護を続けられる環境が整うことを念願している。

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    大山のぶ代さん「認知症介護」が教えてくれた3つのリスク

    古川雅子(ジャーナリスト) 「妻より先に死ぬわけにはいかない」。そう言い続けていた、俳優の砂川啓介さんが7月11日、入院先の病院で天国に旅立った。80歳だった。 妻はアニメ「ドラえもん」でドラえもんの声などを務めた女優の大山のぶ代さん。砂川さんは妻の認知症を公表し、献身的に介護を続けてきた。2008年に大山さんが脳梗塞で倒れてから10年弱。さらには12年秋、アルツハイマー型認知症と診断されてから5年。自宅介護で重ねてきた時間は、実に長い。大山のぶ代、砂川啓介さん夫妻(2007年6月撮影) 6月に厚労省が発表した国民生活基礎調査によれば、介護をする人とされる人が同居する世帯のうち、介護を受ける側も担う側もともに65歳以上の「老老介護」世帯の割合が過去最高の54%に達した。75歳以上同士の「超老老介護」世帯も30・2%と、初めて3割を超えた。砂川さんと大山さん夫婦は、まさにこの「超老老介護」世帯であった。 介護をする側である砂川さん自身も、13年には胃がんの摘出手術を受け、その他にも帯状疱疹(ほうしん)、肺気腫とさまざまな病気を患っていた。介護によるストレスも関係があると、医師からは指摘されていたという。70歳を超えてからの砂川さんは、自らの老いを突きつけられながらも妻の介護に明け暮れる日々だった。だからこそ、砂川さんは「老老介護」を自認していた。自著の『娘になった妻へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』には、こんな記述がある。〈介護をする側の僕の体調だって万全じゃない。それなのに、介護をする側は、「頑張らなきゃ」「自分がなんとかしなきゃ」と、背負いこんでしまう〉 マスコミは、昨年4月に砂川さんに尿管がんが発覚して共倒れにならぬよう妻を介護施設に入居させたことを「おしどり夫婦を襲った老老介護の悲劇」として伝えていた。80近い齢(よわい)を重ねた男性が愛妻のために自宅介護を続けてきた「美談」と、介護する側が先に倒れるかもしれぬ「悲劇」の予感とが合わさり、そこに「老老介護」というわかりやすいラベルを貼ってニュースが大量生産されて…。そんな構図が垣間見えた。3つの「置き忘れの視点」 しかし、それだけでは「老老介護」の本質は見えてこない。私は一連の砂川・大山夫婦をめぐるマスコミ報道では、3つの「置き忘れの視点」があったと考える。 1つ目は、介護を担っていた側が相手をみとった後の「孤立のリスク」だ。老老介護とはいえ、少なくとも介護を担う側は健常であり、介護される側が遺(のこ)されるよりは何とかなるという思い込みがある。しかし、当初の砂川さんがそうであったように、他人を家に入れて介護サービスを受けるのが苦手、SOSを出すのも苦手な世代でもある。在宅介護を長年続け、まわりとの交流が途絶えた介護世帯が最も陥りやすいのは、孤立である。(iStock) 砂川さんの介護体験で最も学ぶべきだと私が感じたのは、自宅で介護を続けた美談よりもむしろ、妻の認知症を公表し、徐々に人に頼るということを受け入れていった「開く介護」にシフトしていった切り替えスイッチの見事さだった。著名人ゆえに当初は認知症を公表することにも躊躇(ちゅうちょ)していた砂川さんだが、公表してから途絶えていた友人との交流が戻り、支え手は自分だけでないことを知った。それまでは、〈一日中二人きりで家にいると、日によっては、どうしてもいら立ちを抑えられないことがある〉(『娘になった妻へ』より)という状態だったのが、公表してからは激励の電話、砂川さんが好きだった焼酎「百年の孤独」の差し入れ、電話をかけてきた友人などアクセスがどっと増えたという。砂川さんはそれから介護をするにも余裕が生まれ、〈一番変化したのは僕自身〉と著書にも記している。マネジャーや身の回りの世話をするお手伝いの女性にも頼ることが増えていった過程もしっかりと記録していた。仮に、砂川さんが介護をやり遂げ、妻を見送った側になったとしても、おそらくつないできたネットワークの力により孤立を回避しながら喪の時を過ごすことができただろうと想像する。 2つ目は、介護されていた側が遺された場合、その介護を引き継ぐ人との新たな介護関係が孕(はら)むリスクだ。砂川・大山夫婦には、死産など悲しい歴史があり残念ながら子供がいなかったわけだが、核家族で遠方に子供がいる夫婦の場合、老老介護で持ちこたえていた夫(妻)の一方がいなくなり、取り残された「介護をされる側」の引き取り先が子の世帯ということもある。子の側は親と暮らすこと自体に慣れておらず、介護にも不慣れ。その上、晩婚化でまだまだ子育て中というケースもある。介護と子育てとの板挟みで悩む、いわゆる「ダブルケア」状態である。連れ合いの衰えを見抜くのは難しい いきなりダブルケアに突入して混乱する現役世代側のリスクを回避するためには、遠距離で多少コストがかかったとしても、普段からなるべく親元に通って親とのコミュニケーションを増やし、親の生活習慣に目を向ける。他の支え手になりそうな親の交友関係を把握しておく。いずれ親を引き取ることも想定して脳内でシミュレーションをしておく。そんな準備期間を過ごしてきたかどうかが、いざというときに対処できるかどうかの分かれ目になるだろう。 老老介護における3つ目の置き忘れの視点は、本来は介護や手だてが必要なのにそれがなされていないという「見逃しのリスク」だ。老老介護といっても、砂川さんは身体がヨロヨロしてからも、人の手を借りてでも大山さんをしっかりフォローしていた。それは妻が認知症を発症しているという事実を認識していたからこそ。だが、夫婦の一方が認知症などで明らかに判断力が低下していたとして、見張り役の側がその異変に気づいていなかったらどうだろうか。 私が取材した40代の男性は老齢の親夫婦が九州で暮らしていた。現役世代の「子」である男性は東京で所帯を持ち働いている。久しぶりに親元に帰ったとき、80代の父親の運転する車に同乗して「これは危険だ」とそこで初めて親の老いに直面し、時間をかけて運転をやめさせるよう説得したという。一緒に暮らしている母親では日々の暮らしの延長線上にあるため、連れ合いの衰えを見抜くのは難しいのだと感じたという。 砂川さんのように、長年連れ添い自宅介護に難儀する「老老」の側面は確かに悲劇かもしれないが、家族の誰かがいきなり事故を引き起こして「老老」の現実を突きつけられるなら、惨劇である。それではあまりにも遅すぎる。(iStock) 「老老介護」の真の課題は、連れ添う夫婦の美談や介護地獄という悲劇性に涙するところで立ち止まっていては見えてこない。いかに目を背けずに、齢を重ねた者同士が支え合う世帯ならではの孤立、疎遠、無関心といった現実に向き合えるか。事前に対処できるか。それこそが「超老老介護」時代を迎える私たちが忘れてはならない大事な視点なのだと思う。

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    老老介護は「セカンドハネムーン」という考え方

    小山朝子(介護ジャーナリスト、介護福祉士) 老老介護とは一般に65歳以上の高齢者が65歳以上の高齢者を介護することを指す。しかし、私が在宅介護の現場で遭遇する高齢者は75歳以上の後期高齢者が多いようだ。 75歳を過ぎると人は介護が必要になる割合が高くなる。厚生労働省の「介護保険事業状況報告」(2012年度)によると、65歳から74歳で「要支援・要介護」の認定を受けた人は4・4%であるのに対し、75歳以上の「後期高齢者」では31・4%だった。ちなみに、日本老年学会などは今年1月、現在は65歳以上と定義されている高齢者を75歳以上に見直すことを求める提言を発表した。画像と本文は関係ありません ところで、老老介護のなかでも、特に深刻なのが認知症の人が認知症の人を介護する「認認介護」である。公益社団法人「認知症の人と家族の会」のホームページには、80歳前後の認知症高齢者はおよそ20%であることから、80歳前後の夫婦ではおよそ11組に1組が認認介護となる可能性があると記されている。 ある番組で老老介護について取り上げることになり、この番組のスタッフに私が認認介護の事例について紹介したところ、「ニンニンって響きだけを聞くと、かわいい感じなんっすけどね」と話していたが、現場は深刻な状況である。 認知症の妻を介護する認知症の夫が妻を受診させようと病院に同行するが、夫が院内で迷ってしまい、結果的に受診できずに帰ってきたという話も現場では耳にする。一方、認知症の場合、夏なのに冬服を着込んだり、クーラーをつけずに高温の部屋でじっとしているといった事態が起きる。高齢になると体温の調節機能が落ちて暑さを自覚しづらくなるが、そこに認知症の症状のひとつである「見当識障害」(時間や月日、季節感が薄れる症状がある)が加わり、熱中症になるリスクが高まる。  認認介護のお宅を訪問しているあるヘルパーは「冷蔵庫には賞味期限を過ぎた食品でいっぱいになっている。こちらが勝手に処分することもできないですし…」と話していたが、このように第三者が介入しているケースは事件に繋がりにくいこともあり「救われているケース」だといえよう。問題なのは、第三者が介入していない場合である。 私は介護分野を専門とするジャーナリストとして長年にわたり現場の取材を続けてきた。その間執筆した記事のなかで印象深い事件のひとつが2005年に埼玉県富士見市で発覚した「リフォーム詐欺事件」である。 この事件の被害者は当時80歳と78歳だった姉妹である。事件に関わった市の消費生活相談員の話では、「姉妹はともに認知症だった。寡黙な妹と社交的な姉、ともに10分前のことは忘れてしまうレベルだった」という。  この事件に関わった悪質リフォーム業者と姉妹との間で交わされた契約書によると、事件が発覚するまでの4年間で姉妹宅のリフォーム工事に関わった業者は19社あり、姉妹が請求された金額は約4800万円(2005年7月までの判明分)に上った。姉妹は被害に遭った事実も把握できず、近隣の住民が気づいて市に相談しなければ、この事件は明らかにはならなかった。 姉妹が介護保険の申請を行い、介護保険のサービスを手配・調整する介護支援専門員(ケアマネジャー)やヘルパーなどの介護スタッフが出入りすれば、もっと早く事件が表面化し、被害総額もここまで膨らむことはなかったのではないだろうか。老老介護の家で見た驚きの光景 介護保険制度はその人のレベルに応じた介護サービスが受けられるが、自ら申請しないと受けられない。申請は家族も代行することはできるが、介護する側も認知症である場合、介護保険制度の内容を理解し、介護保険の申請窓口である「地域包括支援センター」や自治体の介護保険課などに足を運ぶことは容易いことではない。 各自治体において、未だ認認介護の実態把握が未整備で、その対策が後手後手となっている状況では、上記のような事件が後を絶たないだろう。他方、こんな老老介護もある。 10年ほど前だったか、私は海辺からほど近い神奈川県内のあるお宅を訪問した。老老介護で夫婦ともに生活の一部に介護が必要であった。この夫婦の家の近くにある事業所の管理者であるベテラン女性ケアマネジャーがこまめに足を運んで2人の見守りをしていた。ケアマネジャーとともに2人の住まいにうかがう前、私は2人がどんな生活をしているのかを想像して陰鬱な気分でいた。 しかし、お宅に到着すると、そこには目を疑うような光景があった。足の踏み場もないような部屋のなかで、夫婦はカセットプレーヤーにマイクが付いたカラオケ機器を使い、戦後の歌謡曲を楽しそうに歌っていたのである。老夫婦に促され、ベテラン女性ケアマネジャーも汗を拭きながら懸命に歌っていた姿が目に焼きついている。画像と本文は関係ありません このケアマネジャーのような「キーパーソン」が近くにいることで、老老介護であっても穏やかに暮らしているケースもあるのだなと感じた。この先、2人の生活が成り立たなくなったとしても、キーパーソンがいれば、施設に入居するなどの解決策を提示してもらうこともできるだろう。 同居は無理だという子供でも「つかず離れずの距離」で親を見守ることで、「老親の2人が共倒れ」になるような事態を防いだ例もある。ちなみに、私は今年『なぜ介護殺人は起きるのか』という本を監修したが、この本にも親子の適度な「距離感」は大切だと書いている。 上記の事例のほかにも、80代前半の夫が末期がん、70代後半の妻が認知症というケースがあった。年齢と病状を聞くと大変そうに思えるかもしれないが、お互いが不自由なところを補い合って生活していた。この夫妻の場合、がんの夫はベッドから離れることは難しかったが、認知症でも手足に不自由はない妻に必要な指示を出すことで日常生活は機能していた。 また、芥川賞の選考委員などを務めた作家、大庭みな子さんの介護を続けてきた夫の利雄さんの日記には「介護はセカンドハネムーン」だと記されていたという。1+1=2にはならなくても、0・5+0・5=1で良しとして「今日一日が無事に終わった」ことに安堵する老老介護の日常。そこには2人だけが共有するスローな時間が流れている。マスコミがあまり報じない「穏やかな老老介護」があることも最後に書き添えておきたい。

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    「老老介護」を切り捨てる国、ニッポンの悪夢

    中村淳彦(ノンフィクションライター) 日本は約4人に1人が65歳以上の高齢者であり、2035年には3人に1人になると推測されている。超高齢社会に激増する介護対策として2000年に介護保険制度が始まり、シニアビジネスへの注目が高まるようになって久しい。しかし、「介護」に焦点を当てると、どうもこれからの超高齢社会はお先真っ暗である。 介護保険制度をきっかけに、民間の力を借りて明るい超高齢社会を目指したが、それをあざ笑うかのように、また介護施設で大事件が起こった。岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」では、7月末から8月中旬のわずか半月で、入居する高齢者3人が相次いで死亡、2人がけがをして入院する事態となった。岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」= 8月18日 亡くなった高齢者3人の死因は、のどに食べ物を詰まらせる窒息死のほか、自室で頭を打ったことによる脳挫傷と頭蓋骨骨折、肋骨(ろっこつ)骨折で折れた骨が刺さり肺に血がたまる外傷性血気胸だった。事故か殺人か判然としない中、警察の捜査が続いている。 およそ半月の間で5人もの死傷者が出たのは異常な事態だが、筆者周辺の介護関係者や介護の現状に詳しい人たちは、こうした凄惨(せいさん)な事態に驚いていない。多くは「これから、こんなことばかりだろうね。高齢者はどんどん殺されるよ」と、もはや投げやりだ。 他にも、2014年に東京都北区の高齢者向け賃貸住宅で起きた入居者の80%が身体拘束される虐待事件、2015年の川崎老人ホーム連続転落死事件、さらに2016年の相模原障害者殺傷事件と、介護施設で世間を揺るがせる事件が相次いで起こり、老老介護の末に夫や妻を殺害する悲痛な事件も後を絶たない。 こうした事態の背景にあるのは、現在の介護現場で起きている異常な人手不足だ。無条件に人材採用するため、続々と専門性がない人が介護現場に投入されるといった「質の低下」を招き、それがさまざまな事件や事故の根底にあると言わざるを得ない。介護職は失業者のセーフティーネットに 本来、介護現場の人材不足は慢性的だったが、「募集をしても誰も来ない」という厳しい状況になったのは、第2次安倍内閣の発足以降だ。求人倍率が上昇して求職者が仕事を選択できるようになり、介護職の希望者は激減した。さらに2000年後半の世界不況以降、国の失業者対策で介護は雇用政策に利用されるようになり、介護福祉士の専門学校は入学定員の半分を割るという絶望的な状態になった。多くの報道陣が集まる「津久井やまゆり園」=2016年7月27日、相模原市(古厩正樹撮影) いわば介護は専門職ではなく、失業者のセーフティーネットという状況が続いている。実際、多くの介護施設では介護の「か」の字も知らない人物が介護職としてサービス提供する現実があり、本来は高齢者の命を預かる仕事だったはずだが、職員の質の低下は底なしとなっている。今回のように死をともなう事故、事件が起こることは、もはや関係者の多くが予想していた事態だった。 介護業界としては数々の凄惨(せいさん)な事故、事件に対する改善はなにもされていない。改善どころか、外国人技能実習制度で外国人介護職の大量受け入れることが決まり、刑務所出所者への就労支援で介護を重点分野にする事業が行われるなど、混乱にくさびを打つような人材確保の対策が、続々と繰り広げられている。 多くの事件や事故が象徴しているように、介護人材の質の低下は目を覆うレベルで、明らかに限界まで達している。そんな深刻な状況下で、地域では介護が必要な高齢者を65歳以上が介護する「老老介護」が拡大しているのだ。 総務省国民生活調査(2013年)によると、自宅で暮らす要介護者と主な介護者が65歳以上の世帯の割合は51.2%、介護者と要介護者が75歳以上「超老老介護」の世帯の割合は29%と、在宅介護者の半数以上が老老介護だ。65歳以上の介護者が夫や妻、親の介護をする老老介護は、介護者自身の体力が低下する中で体力的、精神的な負担は大きい。 介護者は自宅に閉じこもりがちとなり、大きなストレスを抱える。要介護者が認知症ならば徘徊(はいかい)などの問題行動が次々と起こり、介護者はどんなに疲れていようと常に目が離せない。要介護認定の理由で、最も多いのは認知症だ。介護者のストレスが大きく、ストレスや加齢から介護者自身も認知症になってしまったりする。要介護者、介護者の両者が認知症を患う認認介護は、現在大きな問題となっている。介護保険制度がどんどん悪くなる 老老介護を超えた認認介護だけでなく、認知症高齢者の単身暮らしも難しい。自立した普通の生活は、まず送れない。見守る人が必要であり、第三者がいち早く気づき、介護保険制度や地域の社会資源につなげ、誰かに助けてもらいながらなんとか生活していくしかない。しかし、苦しむ高齢者や家族にとって、最後のセーフティーネットといえる介護保険制度も、2015年4月からせきを切ったように制度改悪が進行している。 そもそも介護保険制度は3年に1度、改正される。「改悪」の例を挙げていくと、2015年の見直しで、利用者の自己負担金額が一律1割だったものが、一定以上の所得者に関しては2割に引き上げられた。高齢者が支払う金額は一瞬で2倍となった。月の自己負担金額の上限を定める「高額介護サービス費」も3万7200円から4万4400円に引き上げられ、地域のセーフティーネットとして機能する特養老人ホームには、要介護3以上の重症者しか入居できなくなった。 そして、軽度高齢者の切り捨てを目的とした自治体による地域総合事業も始まっている。地域総合事業は要支援1、2という軽度高齢者を制度から切り離し、自治体がそれぞれ支援するという社会保障費削減を目的にした苦しい施策である。 また、来年度の改正では、要介護者の介護度を改善させた自治体に財政支援する財政インセンティブの導入が決まっている。要介護高齢者が少ないほど評価される驚きの内容で、来年度からは要介護認定が厳格になる。地域によっては必要な要介護認定がされなくなり、介護保険制度は圧倒的に使いにくくなる。介護保険制度スタート。特別養護老人ホーム「デイサービス」でヘルパーらと談笑しながら食事をとるお年寄り=2000年4月1日 さらに現役世代並みの収入がある利用者の自己負担は、2割から3割にアップする。介護事業者に支払われる介護報酬も、業種によっては大幅に下がる。説明した通り、介護現場は圧倒的な負の連鎖の渦中、本格崩壊の瀬戸際にあるが、絶対に必要と現場から声が上がり続ける介護職の処遇改善どころか、さらに賃金は低下して人材獲得は困難になり、離職に拍車がかかる。異常な人手不足の中で、賃金が下がるという前代未聞の事態となるのだ。 財政難の国は、見境なく本格的な介護保険制度縮小にかじを切っている。介護保険制度はまだまだ改正を繰り返し、最終的には要介護1、2まで制度から切り離し、自己負担は収入に関係なく一律3割、現役世代の負担はさらに上昇して、高額介護サービス費もまだまだ上がるといわれている。制度から切り捨てられた高齢者の行く末 そして介護で最も手がかかるのは、実は徘徊する層だ。要介護1、2の歩行ができる認知症高齢者である。これまで続いた1割負担の時代は、軽度認知症高齢者は介護者と在宅で過ごしながらデイサービス、ショートステイなどを併用し、なんとか介護者の負担を低減しながら乗り切ってきた。 しかし、利用料を2倍、3倍と跳ね上がらせることによって、多くの中間層の高齢者は介護サービスを使えなくなる。高額な介護保険を使うのは富裕層、もしくは自己負担を公費で賄ってくれる生活保護者が中心となる。老老介護、認認介護に苦しむ多くの世帯は、高額な介護保険を使えない。制度改悪によって、必然的に老老介護、認認介護の世帯は激増することになる。 では、こうした老老介護、認認介護世帯が制度から切り捨てられることで、なにが起こるのか。入居者を介護する職員=8月29日、東京都(納冨康撮影) 認知症高齢者は住み慣れた地域でも、自宅から1歩外に出れば、道がわからない。自宅に戻ることができない。自宅を探して徘徊し、青信号、赤信号の判断もできない。赤信号を平気で渡る。主要道路の赤信号を横断したら、普通に車にひかれるだろう。 また、沿線の線路をひたすら歩くことも考えられる。都市部には踏切のある沿線が多く、認知症高齢者が自宅を求めて線路内を歩く風景が日常になれば、鉄道事故も増える可能性がある。 歩行だけでなく、認知症高齢者には、車で徘徊する人もいる。免許を返納させても、そんなことは覚えていない。信号無視の暴走、高速道路の逆走、アクセルとブレーキを踏み間違えることが相次ぐようになる。子供の集団登校に車が突っ込むような悪夢も、頻繁に起きかねない。 まして認認介護になれば、夫や妻が徘徊していなくなっても近隣に助けを求められないし、警察に通報ができない。自宅からいなくなっても、多くは捜索願すら出ない。高齢者は体が弱いだけに、地域や季節によっては、一晩で凍え死ぬことも起こりうる。 ゆえに、現在着々と進む介護制度の縮小、いわば利用料を上昇させて高齢者になるべく制度を使わせないようにする改悪は、すぐに国民全員に跳ね返ってくるおそろしいことなのだ。

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    「老老介護」とどう向き合う

    厚生労働省によると、介護が必要な65歳以上の高齢者を65歳以上の人が介護する「老老介護」の世帯の割合が過去最高の54・7%に達した。核家族化と超高齢社会が進行し、「大介護時代」に突入したニッポン。私たちはこの現実とどう向き合うべきか。

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    貧困高齢者 介護費捻出のため熟年離婚ならぬ“晩年離婚”も

     政府が年金の支給開始年齢を75歳に引き上げようと検討している。「生涯現役」などのスローガンで高齢者を働かせて社会保障費も負担させようという目論見だ。「働かせて、負担させる」というやり口は介護を巡っても同じだ。とりわけ、介護を巡る問題の場合、負担増が家族の在り方まで変えてしまいかねない。介護施設情報誌『あいらいふ』の佐藤恒伯編集長が警鐘を鳴らす。「来年8月から、現役世代並みの所得がある高齢者が介護保険サービスを利用した場合、自己負担の割合が2割から3割に引き上げられることが決まっています。3割負担になるのは介護保険を受給している人の3%程度ですが、徐々に対象を拡大していくのではないでしょうか。現在は40歳からとなっている介護保険料の支払い開始年齢についても、引き下げられる可能性はある」 そうしたなかで想定されるのが、「世帯分離」の増加だという。佐藤氏が続ける。「たとえば、親夫婦と息子夫婦が一緒に生活している場合、世帯収入を圧縮するために、親夫婦と息子夫婦の世帯を分割する。そうすると介護保険の自己負担が少なく設定できたりするケースがある。“どうやればいいのか”と相談を受けることもよくあります」 ただ、そうした“対策”も、徐々に国による網を掛けられていくことになる。たとえば夫が働いていて妻が介護施設に入居しなければならなくなった場合に、以前は世帯分離をすれば妻が低所得者扱いとなり、利用者負担が一定程度に抑えられていた。 それが2015年8月の介護保険改正によって、世帯分離していても夫が働いていて住民税を課税される状況であれば、負担軽減は認められなくなった。都内に住む70代男性はこう肩を落とす。「年上の妻が特養に入っているのですが、世帯分離による負担軽減が認められなくなり、施設からの請求額は一気に倍近くになってしまいました。子供も自分たちの生活で汲々としていて頼れない。世帯分離でダメなら、もはやかたちの上では離婚してでも、妻が低所得者扱いになるようにして負担軽減を受けるしかない……」 どんどん“対策”が網に掛けられるようになるたびに、こうした事例が増えていくことが懸念されるのだ。 定年後の熟年離婚ではなく、介護費を捻出するための晩年離婚である。関連記事■ 老人も働け!時代、孫世代の若者に使われ精神的にもキツい■ 年金75歳支給時代、貯金5000万円あっても足りない■ 年金支給年齢引き上げ 働けば働くほど高い医療費払わされる■ 年金支給先延ばし 働いた場合手取りは2.6万円低い試算■ 社会保障カットの決まり文句「子や孫にツケ回さない」の欺瞞

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    認知症患者の徘徊、姿が消えてから「1時間以内」に対応を

     超高齢社会が迫るなか、医療・介護現場の人手不足は深刻で、あぶれだした高齢者が施設ではなく在宅での「老老介護」を選ぶしかなくなる。そうしたなかで、認知症の行方不明者は年間1万5000人を超え、かつてないペースで激増しているのだ。「行方が分からなくなるのには“本人なりの理由がある”ことが多い」と指摘するのは日本地域ケア協会・梅澤宗一郎代表だ。「たとえば女性の場合、雨の日にいなくなることが多い。それは認知症を発症する前、健康だった時の習慣的な記憶と関係があるのではないかと考えられています。雨が降ったら『洗濯物を取り込むために急いで帰る』あるいは『小学校まで傘を持って子供を迎えに行かなければいけない』といった不安に駆られていた。それを“思い出している”のではないかということです。 他にも、寒くて閉じこもりがちな冬から春になると体が外出を求める。また年中行事としてお墓参りをしていた人はそうした記憶に突き動かされるのか、お彼岸、お盆に先祖の墓を探しては、とんでもない場所まで行ってから自分がどこにいるのかわからなくなる、ということもあります」 だからこそ、認知症患者の徘徊行動に対して、「頭ごなしに否定するのは逆効果」と梅澤氏は続ける。「日の出前から出勤するモーレツサラリーマンだった方に多いのですが、真夜中に“会社に行く”と言い出す。そういう時は、ただ止めるのではなく、“行ってらっしゃい。でも、その前にご飯食べないと”といったふうに一旦は受け止め、それから家の中に止める理由を言うほうが効果的です」 姿が見えないと気づいた時には「1時間以内」がデッドラインになるという。『認知症の人と家族の会』の阿部佳世・事務局長はこう語る。「初動が重要です。1時間以内に捜索願を出せば同じ町内で発見される可能性が高まる。“周囲に迷惑をかけては……”と遠慮しがちですが、そうしているうちに1時間以上経過すると、町内を出てしまい、顔を知る人物もいなくなる。途端に発見・保護の確率が下がります」徘徊者役の男性(右)に声を掛ける見守り訓練=2016年5月、枚方市 北海道釧路市や福岡県大牟田市では「SOSネットワーク」という新たな取り組みも始まっている。行方不明者の届け出があれば、警察だけでなく、自治体や地元のFM局が連携して情報を発信し、早期発見につなげる取り組みだ。 ただこうした取り組みは緒に就いたばかりで、大都市部を中心にした爆発的な行方不明者の増加をカバーできる態勢には程遠い。「施設から在宅へ」という国の介護政策の大きな潮流の中で、孤独に認知症高齢者と向き合う家族の負担も増える。それはさらなる「行方不明者増」にもつながる。介護施設情報誌「あいらいふ」編集長の佐藤恒伯氏は「独居老人」の増加も見逃せないと指摘する。「10年に500万人だった独り暮らしの高齢者は35年には1.5倍の760万人になるといわれています。独居老人が認知症で徘徊を始めたら、行方がわからなくなっても行方不明になっていることすら知られない。そうして孤独に見知らぬ土地で死んでいく悲劇を今のところ防ぐ手立ては存在しません」“大量行方不明社会”の到来は、すぐそこに迫っている。関連記事■ 認知症行方不明者は年間1万5000人 死亡で発見も多数■ 介護業界に衝撃 施設から抜け出し凍死、賠償2870万円■ 「化粧をしなくなった」「口ひげ」に母親の認知症感じる■ 交通死亡事故に占める75歳以上 10年で7.4%→13.4%に急増■ 認知症の母、IHの登場で50年来の主婦の看板下ろす

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    人口減少危機から日本を救う「新労働力」はこれしかない!

    加谷珪一(経済評論家) 人口減少が日本の社会や経済に極めて大きな影響を与えていることについて知らないという人はほとんどいないだろう。だが、ひとくちに人口減少といっても、その動きは単純なものではなく、社会や経済への波及経路も様々である。本稿では日本の人口動態について分析し、人口減少社会に対してどう向き合えばよいのか考察してみたい。 日本における2016年12月1日現在の総人口は1億2692万人(総務省統計局による概算値)となっており、前年比で約16万人、率にして0.13%減少した。日本では人口減少という言葉が一人歩きしているので、急激に人口が減っているとイメージする人もいるが実際はそうでもない。 2000年の人口は約1億2693万人、2010年の人口は1億2806万人だったので、総人口そのものはあまり変化していない。過去15年間は「人口減少社会」というよりは「人口横ばい社会」だったというのが正しい認識である。 だが、人口が横ばいだからといって社会や経済に対する影響が軽微というわけではない。総人口が変わらなくても高齢化が進み、若年層人口の比率が減少することで、社会のあちこちに歪みが生じるからである。 過去15年間で34歳以下の人口は約22%減少したが、一方、60歳以上の人口は43%も増加した。長期にわたって不景気が続いているにもかかわらず、企業では人手不足が深刻な状況だが、その主な理由は、若年層の労働人口が急激に減っているからである。 最近、注目を集めている長時間労働の是正など、いわゆる働き方改革についても、実は若年層労働人口の減少が大きく関係している。特に外食や小売といった業界は、労働力の中心が若年層労働者であることから影響は大きい。 牛丼チェーンの「すき家」は2014年、深夜の1人運営体制(いわゆるワンオペ)において過重労働が横行しているとの指摘を受け、深夜営業の大幅な見直しに追い込まれた。過重労働が常態化したのは同社の体質にも原因があるが、労働市場で人を確保できないという状況が背景となっている。ワンオペが指摘され営業時間の見直しに追い込まれた「すき家」 昨年末には、「ガスト」や「ジョナサン」を展開する「すかいらーく」が深夜営業を大幅に縮小すると発表し、ロイヤルホストを運営するロイヤルホールディングスも24時間営業の廃止を決定している。これについても事の本質は人手不足である。24時間営業をこなすために必要となる人員の確保が難しくなっており、採算が悪化したことが最大の原因である。 では、今後も同じような傾向が続き、企業は引き続き若年層労働力の確保に苦労するのかというとそうではない。総人口の減少はこれから本格化することになるのだが、人口構成の変化についても、これまでとは大きく様変わりする可能性が高いのだ。 国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によると、2040年の総人口は1億728万人と現在より15%ほど減少する見込みである。しかし、60歳以上の人口はまだまだ増加が続き、2040年には今より374万人多い4646万人になる。 一方で、企業の労働力の中核となっている35歳から59歳までの人口は、現在との比較で何と26%も減少してしまう。次の20年間、日本社会は中核労働力の減少という大きな問題に直面することになる。豊かさを維持するには人工知能しかない 若年層労働力が22%減少した結果、外食や小売といった分野では人不足が深刻化し、サービス残業など社会問題を深刻化させる結果となった。同じようなレベルのインパクトが、今度は一般的な企業の業務にも及ぶことになる。企業の中には、従来のビジネスモデルについて見直しを迫られるところも出てくるだろう。 もし労働力の不足に対応できない場合、不本意ながら生産を縮小する企業が出てくる可能性がある。そうなってくると、労働力不足が供給を制限し、これがインフレを誘発。結果として消費者の購買力が縮小し、需要不足から経済がさらにシュリンクするという負のスパイラルに陥る可能性も否定できない。※写真はイメージ そのような状態にならないためには、企業は生産性を向上させ、少ない人数で同じアウトプットを実現できるよう、業務プロセスを改善していく必要がある。 幸い過去の20年間とは異なり、今の時代にはAI(人工知能)という強い味方がいる。AIについては、人間の仕事を奪ってしまうのではないかというネガティブなイメージを持つ人も多いが、マクロ的に見た場合には、必ずしもそうとは言い切れない。 社会で中核となる労働者の人口が今後、急激に減少することを考えると、AIを積極的に活用し、人間の仕事をうまく機械に代替させなければ、社会の維持に必要な生産を維持することさえ難しくなる。AIに仕事を奪われるというよりも、むしろAIをフル活用しなければ、現在の豊かさを維持できないといった方が正しいだろう。 ただAIを本格的に社会に導入するためには、適材適所に人を再配置する必要が出てくる。同じ組織で同じ仕事をしながら高齢者になるまで、漫然と時間を過ごすといったキャリアプランは描きにくくなる。 AIを活用して人口減少時代をうまく乗り切るためには、時間や場所などにこだわらない、多様性のある働き方が必要となる。政府は従来の労働政策をあらため、副業の本格的な解禁に向けて舵を切ろうとしているが、これは日本人の働き方を変えるひとつのきっかけとなるかもしれない。人口減少をネガティブな要因とは考えず、複線的なキャリアプランを構築するよいきっかけと受け止め、企業での働き方をもっと柔軟に捉えるべきである。

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    3千人の命を預かった老医師の「頓死」が意味するもの

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 年をとれば、誰もが病を患う。健康は高齢者の最大の関心と言っていい。では、高齢社会で医療はどうなるだろう。 メディアで、「医療費を抑制しなければならない」、「医師や看護師が足りない」というニュースや記事を見かけない日は、いまや珍しい。我が国の医療が崩壊の瀬戸際にあるというのは、国民的なコンセンサスといっていいだろう。 ただ、このようなマクロのニュースを読んでも、多くの読者は実感がわかないのではないだろうか。自分の住んでいる町がどうなるかを示されないと、イメージがわかないだろう。 最近、将来の日本の地方都市の医療崩壊のモデルとなるようなケースがあった。舞台は、福島県広野町だ。 広野町は、福島県浜通りに位置する。江戸時代には浜街道の宿場町として栄えた。21世紀に入っても、町内には東京電力の広野火力発電所があり、財政的に豊かだった。2010年度の財政力指数は1.12で、福島県内では大熊町(1.44)についで2位、全国では愛知県の小牧市と並び23位だった。福島県楢葉町と広野町にまたがるサッカーのトレーニング施設「Jヴィレッジ」のスタジアム。福島第1原発事故の収束作業にあたる関係者の中継基地になっており、フィールドには原発事故対応に当たる作業員らの宿舎が立ち並ぶ=2013年2月20日 冬場も雪が降らない温暖な気候のため、1997年にはJヴィレッジが設立された。日本サッカー協会、Jリーグ、福島県、東京電力が共同で出資した、日本サッカー界で初めてのナショナルトレーニングセンターである。 この地域を東日本大震災・津波・原発事故が襲った。緊急時避難準備区域に認定され、住民は避難を余儀なくされた。この認定は2011年9月30日まで続き、広野町役場が元の場所に戻ったのは、2012年3月1日だった。震災前の2010年には5418人いた町民は5042人に減った。このうち、広野町で生活しているのは2849人だ。実に47%の人口減である。 これからご紹介する高野病院は、広野町で唯一の病院だ。福島第一原発の南22キロに存在する慢性期病院で、1980年に高野英男氏が設立した。病床は内科65床、精神科53床で、毎日20名程度の外来患者や、数名の急患を引き受けていた。 高野病院は高台にあったため、津波の被害は免れた。高野院長は「地域医療を守る」と言って、震災後も診療を続けた。震災前、双葉郡には5つの病院があったが、高野病院以外は閉鎖され、高野病院は双葉郡で操業する唯一の病院となった。 震災前、二人いた常勤医のうち、一人は去った。この結果、高野院長は双葉郡で唯一人の「常勤医」となった。高野院長は孤軍奮闘した。病院の敷地内に住み、数名の非常勤医師とともに診療に従事した。 この高野院長が12月30日に亡くなった。享年81才だった。娘で、事務長・理事長を務める高野己保さんは「寝たばこが原因の焼死です」と言う。過労が原因だろう。「福島県は支援に及び腰」 病院が存続するためには、常勤の院長が必要だ。高野院長が亡くなったことで、高野病院は閉院せざるを得なくなった。高野病院が閉鎖すれば、双葉郡からは病院がなくなる。97名の職員は職を失うことになる。このうち看護師は43人、介護士は17人だ。生活するためには、この地域から出て行かざるを得ない。 政府も広野町も住民の帰還を推奨してきた。昨年9月には、遠藤智・広野町長は、今年の3月末までに全町民の8割(約4000人)が帰還すると予想していた。病院は欠かすことの出来ないライフラインだ。高野病院が閉院すれば、絵に描いた餅になりかねない。  お嬢さんの高野己保事務長は、元旦には、広野町の遠藤智町長に対して「患者・職員を助けて下さい。私はどうなっても構いません。病院と敷地を寄附するつもりです」と伝えた。 遠藤町長も事態の深刻さを理解し、福島県および周辺の自治体に支援を求めた。南相馬市立総合病院は即座に協力を表明し、外科医である尾崎章彦医師を中心に「高野病院を支援する会」を結成した。大勢の若手医師がボランティアで診療に従事した。高野病院の診療継続のため開かれた緊急対策会議 =1月6日、福島県広野町 行政も動いた。6日には、福島県・広野町・高野病院などで会議を開いた。翌日の福島民友は一面トップで「医師派遣や財政支援 高野病院診療体制維持へ県 福医大と連携」と報じた。 このような動きを知ると、関係者が一致団結して、問題解決に取り組んでいるように見える。ところが、実態は違う。 この会合に参加した坪倉正治医師は、「福島県は支援に及び腰でした」という。会議の冒頭で、安達豪希・福島県保健福祉部次長は「双葉地方の地域医療と高野病院の話は別です」と発言した。広野町で高野病院が果たしてきた役割を考えれば、こんな理屈は通じない。 福島医大にも危機感はなかった。代表者は「常勤医を出すことはできない」と明言した。筆者が入手した福島県の報告書には「全県的な人材不足の中で、一民間病院に、県立医大から常勤医を派遣することは困難」と記されている。 実は、この説明は虚偽である。福島医大は、星総合病院など県内の複数の民間医療機関から寄付金をもらい、「寄附講座」の枠組みで常勤医師を派遣している。 また、福島第一原発の北の南相馬市原町区に位置する公益財団法人金森和心会雲雀ヶ丘病院には、災害医療支援講座から複数の専門医を派遣していた。約1000億円の新設病院 高野病院も雲雀ヶ丘病院も、原発周辺に位置する民間の精神科病院という意味では全く同じだ。福島医大関係者は「故高野院長は福島医大の医局員でなかったので、震災後も支援されなかったのでしょう」という。被災地で、こんな議論がなされていると、国民は想像もつかないだろう。 東日本大震災以降、福島県浜通りの医療支援を継続してきた小松秀樹医師は、「福島医大のやっているのは火事場泥棒だ」と憤る。小松医師が問題視するのは、復興予算の使途だ。福島民報2011年9月20日号によれば、福島県と福島医大は、約1000億円を投じ、放射線医学県民管理センターなど5つの施設を5年間に新設すると発表した。 2017年1月現在、福島県立医大には、ふくしま国際医療科学センター(放射線医学県民健康管理センター、県民健康管理センターデジタルアーカイブ、先端臨床研究センター、医療-産業トランスレーショナルリサーチセンター、先端診療部門)、ふくしま子ども・女性医療支援センター、災害医療総合学習センターなどが新設されている。先端診療部門には新たに建設された5階建てのみらい棟と呼ばれる壮大な建物が含まれている。高野病院を見捨て、中通りに位置する福島医大に、こんなものを作る意味がどこにあるのだろうか。 福島県・福島医大の暴走は、これだけではない。2018年4月には、福島第一原発から約10キロの富岡町に二次救急病院「ふたば医療センター(仮称)」が開設される。病床数は30だ。 問題は経費だ。総工費24億円で、1床あたり8000万円になる。病院の建設費は、1床あたり、民間病院平均1600万円、公立病院平均3300万円だ。馬鹿たかい。 しかも、この病院は最大5年で閉鎖される。双葉郡の避難指示が解除されると、双葉郡内の県立病院が再開されるからだ。高野病院へはカネは出せないが、県立病院には湯水のようにカネを使う。福島県関係者は「人が住んでいないところに、急性期病院を建てて、どれくらい役にたつかわかりませんが、もう後戻りはできません」という。 なぜ、こんなことになるのだろうか。それは、行政には行政の都合があるからだ。福島県が、このような対応をとったのは、高野病院のケースが初めてではない。福島県のケースは特別ではない 原発事故後、政府は民間業者向けの救済スキームを作った。ところが、福島県は運用の仕方が悪かった。例えば、避難地域の病院経営者は「救済措置を受けるには、営業を再開しなければならなかった。病院を閉鎖している間は支援されず、東電の賠償金でなんとかしろという態度だった」という。勿論、東電の賠償金は十分ではないし、「法人税で三割持っていかれる(前出の経営者)」という。福島県広野町の高野病院=1月6日 さらに、病院を再開しようにも、福島県が策定した地域医療計画が立ちはだかる。「移転が認められるのは、原発被害にあった相双地区か、150キロも離れた南会津だけだった。隣接するいわきでの再開は認められなかった(前出の病院経営者)」そうだ。杓子定規な対応に呆れはてる。 福島県にとっては、民間に補助金を出すより、県直営の機関を作った方が権限とポストが増えるのだろう。彼らにとっては「合理的」な選択かもしれない。 行政を監視するのは、本来、議会とメディアの役割だ。福島県の場合、地元紙が「実態」を報じないのだから、議会もチェックしようがない。県民は何も知らされないまま、事態は進んでいく。 この間、民間病院は内部留保を切り崩し、資産を切り売りして、窮状を凌ぐしかない。しかしながら、それも限界がある。このままでは、早晩、「倒産」するしかない。 読者の皆さんは「福島県のケースは特別」とお考えの方が多いだろう。確かに原発事故が各地で起こるわけではない。その意味で特殊ではある。しかしながら、高野病院の苦境は、原発事故だけが理由ではない。我が国が抱える構造的な問題を反映している。それは地域では民間病院が「構造的不況業種」になりつつあるからだ。 病院の経営は、診療収入に依存している。診療収入は診療単価と患者数のかけ算だ。厚労省は、高齢化に伴い患者数が増加し、医療費が増えると主張している。財政破綻を避けるために、診療報酬を引き下げてきた。確かに、マクロでみれば、この政策は正しい。ただ、例外もある。それは地方都市だ。 高度成長期、団塊世代が地方都市から中核都市に移動した。東京や大阪は、団塊世代が高齢化し、医療・介護需要が逼迫する。一方、地方都市では団塊世代の親世代が亡くなりつつある。中核都市では、総人口は減るが、高齢者人口は増えるのに対し、地方都市では総人口も高齢者人口も減少する。医療機関の収入は急速に減少する。地域医療は「頓死」する 一方、中核都市での医療ニーズが高まるため、地方都市での医師調達コストは高まる。東京から福島県浜通りにアルバイトの医師を呼ぶ場合、その費用は、週末の二泊三日の当直で30万円を超える。東日本大震災以降、アルバイト料は更にあがった。 さらに消費税は患者に転化できないため、医療機関にとっては損税となる。厚労省は、診療報酬で対応しているというが、十分ではない。地方の中小都市の医療機関の経営は急速に悪化する。 このような影響は、すべての医療機関に同じように出るわけではない。対応の仕方が異なるからだ。例えば、開業医は、日本医師会の政治力を使い、診療報酬の引き下げを最小限にしようとする。国公立が多い急性期病院は赤字が出ても、税金で補填される。もっとも影響を蒙ったのが、中小の民間病院だ。彼らも業界団体を形成し、厚労省や与党に陳情しているが、その影響力は日本医師会とは比べるべくもない。高野英男さん(高野病院提供) 我が国では200床未満の民間病院が、全病院数の過半数を占める。つまり、彼らが地域医療を支えている。高野病院は、このような中小民間病院の典型だ。 高野病院では、院長が病院の敷地内に住み、24時間365日対応することで、コスト削減に努めてきた。過労がたたり、3月に体調を崩した。そして、今回の急死となった。壮絶な戦死だ。 実は、このような病院は珍しくない。日紫喜光良医師(東邦大学)の推計によれば、20床以上の日本の病院の約9%が「一人院長病院」だ。多くの院長は高齢だろう。いつ倒れてもおかしくない。高野病院のように、地域で唯一の病院の場合、地域医療は「頓死」する。 今後、このような事態は益々増えるだろう。どのような救済スキームを準備すればいいのだろう。医療機関が国公立だろうが、民間だろうが関係ない。住民視点にたち、ソフトランディングの仕方を議論すべきだ。

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    ヤンキーも逃げ出す「超おバカ社会」がニッポンにやってくる

    山田順(ジャーナリスト) 今年(2017年)になって再び、人口減社会が大きくクローズアップされている。それは、昨年10月、総務省が発表した2015年国勢調査の確定値で、日本の総人口が初めて減少に転じたことが明らかになったからだろう。すでに、住民基本台帳による調査人口は、2008年をピークに減少に転じていた。しかし、今回の発表でそれが決定的になったのである。 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の人口2040年代に1億人を割り込み、2060年に8674万人に減少するという。 人口減社会に関しては、「楽観論」と「悲観論」が交錯している。楽観論では、人口が減っても経済成長は望める、今後のイノベーションによって生産性が向上すれば経済は維持できるという。日本はその潜在力が十分にあるという。 しかし、これは少数意見であり、悲観論のほうが圧倒的に強い。人口減少は経済成長を不可能にし、なにより税収減により社会保障とインフラ維持を困難にさせる。日本はこのままでは衰退せざるをえないというのだ。 日本政府も悲観論の立場で、そのため、なんとか現状を維持できないかという対策を取ってきた。しかし、それは消費税の増税や年金支給額の縮小など、ほとんどが単なる対処療法だから根本的な解決にはなっていない。女性が活躍する社会、高齢者の活用なども同じだ。 また、成長戦略というのも、成長しそうな分野に税金を投入するという旧態依然たるバラマキだから、ほとんど期待できない。 かくして、年々、悲観論が強まってきた。 2年前に元総務相の増田寛也・東大客員教授が座長を務める日本創成会議が、2040年には全国の市区町村の半分にあたる896自治体が人口減により消滅の危機を迎えるという予測を発表して以後は、とくにそういうムードになっている。いまのところ、2020年に東京オリンピックがあるということで、悲観的未来は先送りされているが、それは見たくないものは見ないですませたいという心理があるからにすぎない。未来は、まったく明るくない。2014年7月、佐賀県唐津市で行われた全国知事会で各知事と意見交換する日本創生会議の増田寛也座長(前列左端) じつは、私も悲観論に立っている。というより、このままだとそうならざるをえないと考えている。そこで本稿では、徹底的な悲観論で、日本の人口減社会の行く末を考えてみたい。地方創生で分かれる勝ち組、負け組 これまでに私は、人口減社会を扱った本を2冊書いている。1冊は『人口が減り 教育レベルが落ち 仕事がなくなる日本』(2014、PHP研究所)で、もう1冊は『地方創生の罠』(2016、イーストプレス)だ。このうち、後者では、人口減で衰退する地方が、現状ではどうやっても衰退を免れない。アベノミクスで掲げた「地方創生」策は、完全な愚策で、地方の衰退を速めるだけだということを指摘した。 これまで、日本中で「まちおこし」や「地域活性化」が行われてきた。アベノミクスはこれを言い換えて、「地方創生」としたが、なんら有効な手は打っていない。というか、有効な手、アイデアなどないと言っていい。 人口減を食い止め、市町村がさびれていく現状を食い止めるには、端的に言って「女性がもっと子供を産む」か「他地域から住民を引っ張ってくる」(移住促進)しかない。しかし、経済が衰退していくなかで、子供を育てることが高コスト、高リスクになる社会では、女性は子供を産まない。 移住促進と言っても、たとえそれに成功したとしても、それは日本国内の人口移動に過ぎない。国外からの移民ではないのだから、日本全体としては人口減が解消しない。 現在、日本中で地方創生が行われている。その結果、「ゆるキャラ」が乱立し、「B級グルメ」が全国規模で誕生した。「ふるさと納税」などというバカバカしい制度(税金を右から左に移すだけ)もでき、さらに「地域振興」と称して「プレミアム商品券」というマヤカシにすぎない金券がばらまかれるようになった。 また、中央からコンサルや代理店が出向き、シャッター通りの活性化案、地方発のベンチャー支援策、移住促進プランなどを提案すると、それに自治体は予算をつけて、かえって財政の悪化を招いてきた。JR水戸駅北口から続く商店街もシャッターが目立ち、人通りは少ない=2015年6月(桐原正道撮影) これが行き着く先は、一部の「勝ち組」自治体と、多くの「負け組」自治体の誕生だ。全国規模で同じ競争をやれば、必然的にこうなる。そして、負け組自治体からますます人が出て行き、衰退が速まるだろう。2007年に財政破綻した夕張市がいい例だ。 楽観論者に言わせると、人口減少は一時的なもので、社会の変化により、また人口が増えるときがやってくるという。たしかに19世紀までの歴史ではそうなっている。しかし、それ以後、産業革命と資本主義によって人類人口が爆発的に増え、その結果として、20世紀後半から先進国で少子化が起こった。そして、その最先端を行く日本で人口減少が始まった。 つまり、今後、同じ歴史は繰り返されない。イノベーションはさらに進み、資本主義は続くのだから、人口減少は止まらないと考えた方がいい。しかも、IT革命、第4次産業革命(インダストリー4.0)が進むなか、もはや人間自体が価値を失いつつある。 AIとロボットがなんでもやってくれる世の中で、労働力としての大量の人間が必要だろうか。必要なのは労働力としてのロボットであり、頭脳としてのAIだ。この先、シンギュラリティに突入していくなかで、機械が雇用を奪うとすれば、人口が増える理由が見当たらない。人口減少に逆らっている若者たち 日銀の「黒田バズーカ」による量的緩和が効かないのも、人口減のせいとも言える。いくらカネを刷って市中に供給しても、使う人間が年々減っている。なにしろ、年間20〜30万人の人口が失われている。これは、中規模の都市が一つなくなるのと同じことだ。 銀行にしても預金者が減るのだから、もう業務を縮小せざるをえない。金融緩和になど付き合っていれば、確実に破綻する。 すでに過疎化は進み、鉄道路線、公共交通網は縮小されている。乗客が年々、減っているからだ。そんななかで、整備新幹線だけはまだまだ拡張され、リニア新幹線の建設も始まった。東京−名古屋を1時間ほどで結ぶことに、なにか意味があるのだろうか。それにしてもこのような乗り物にいったい誰が乗るのだろうか。名古屋から東京に通勤する人間が誕生するというのか。 人口減が進むなか、中央アルプスの地下を乗客がまばらな弾丸特急が走るという未来に、なぜ多額の税金を投入する必要があるのだろうか。 すでに地方では、人口減により、学校が減り、病院が減り、飲食店も減った。書店はピークの半分以下、スタバもマックも減り始めた。地方都市の郊外にできたイオンモールのようなSCも、最近では不採算店からクローズされるようになった。 地方都市では結婚式場がなくなったため、若者たちは結婚式を挙げなくなり、またお寺は檀家が減ったために消滅の危機にある。 今後は、Eコマースが進み、流通は自動運転によるトラック輸送やドローンになるから、生活自体が困ることはない。ただし、人口減少はますます進む。 ところで、日本の人口減少に逆らっている若者たちがいる。地方都市や大都市圏の郊外にいる「マイルドヤンキー」たちだ。ひと昔前、ヤンキーと言えば「暴走族」「不良」とほぼ同義だったが、いまは違う。 マイルドヤンキーたちは、日本と郷土をこよなく愛し、地元を離れずに職に就き、同じよう育った仲間たちと暮らすことを好んでいる。彼らの特徴は、20歳そこそこで「早婚」「デキ婚」し、子どもには「キラキラネーム」をつけることだ。そして、子どもをたくさんつくる。 したがって、博報堂ブランドデザイン若者研究所のアナリスト原田曜平氏は、著書『ヤンキー経済-消費の主役・新保守層の正体』(幻冬舎新書)で、彼らを今後の消費の主体、日本経済の新しい担い手とした。  厚労省のデータによると、高学歴女性ほど子どもをつくらない。母親の学歴に反比例して子どもの数が減っている。かつては「貧乏人の子だくさん」という言葉があった。貧困層は貧困ゆえに労働力を必要とし、そのいちばん簡単な解決策としてたくさん子どもをつくった。しかし、社会が成熟し、貧困層が減ると子どもは必然的に減った。 ところが、マイルドヤンキーたちだけが、いまでも子どもをたくさんつくっているのだ。「B級のホラ話」を笑えない日本の未来 少子化のなかで、このような層だけがたくさん子どもをつくっていくとどうなるだろうか。残念だが、ヤンキーたちの多くが勉強嫌いか、勉強が得意ではない。知能程度も低い。彼らが好きなのは、LINEやツイッターなどのSNSやユーチーブの投稿動画だ。最近は、コンビニ店員を脅かして喜ぶ「おでんツンツン男」というユーチューバーも出現している。 こうした子だくさんヤンキーたちが「大活躍」する未来を描いた映画がある。アメリカ映画だが、日本にも当てはまるので紹介したい。 2006年にアメリカで公開され、わずか数週間で上映が打ち切られたB級コメディSF映画『IDIOCRACY(イデオクラシー)(日本タイトル『26世紀青年 ばかたち』)だ。完全にB級のホラ話で、笑いも寒いので、とても見るに耐えないが、よく考えるとホラ話とは言えない。 物語は簡単に言うと、人工冬眠の実験台にされた平凡な男が500年後に目覚めると、アメリカには知能指数50以下のバカしかいなかった―ということ。 主人公のジョー・バウアーズは、軍に勤務する平凡な兵士。アメリカ人の典型で、本など読まず、ジャンクフードばかり食べ、スポーツ好きで女好き。つまり、あまりにも平凡だったので、そこに目をつけられて軍の秘密プロジェクトの実験台にさせられてしまう。 このプロジェクトというのは、冷凍カプセルで1年間の冬眠をし、その後の変化を見ようというものだった。しかし、責任者が売春容疑で逮捕されたことからプロジェクトは忘れられ、なんと彼は、500年間も冬眠してしまう。彼と一緒に一般人のリタという女性(じつは売春婦)も冷凍カプセルに入れられたが、2人は目覚めてびっくり仰天する。 なんと、彼らが目覚めた2505年の社会は、あらゆる人々の知的水準が著しく低下した世界だった。人々は、誰ひとり本を読まず、朝から晩までトイレつきの椅子に座ってジャンクフードを食べながらすごしている。男はスポーツ、女はファッションにしか興味がなく、テレビではお笑いバラエティ番組とスポーツ番組しかやっていない。しかも、ニュースといえば、FOXニュースしか放送してないのだ。 さらに、医者や弁護士もとんでもないバカばかりで、裁判は完全な見世物ショーになっていた。死刑になると、スタジアムでモンスター・トラックと戦わされるという有様だった。「私が日本の若者だったら国を出る」 つまり、アメリカは「バカによるバカのためのアメリカ」が完全にできあがった「超おバカ社会」になっていた。ここでジョーは、社会の異常さに目覚めて病院に行く。すると、自己証明用の刺青がなかったことで警察に逮捕され、刑務所に送られる。しかし、刑務所で知能テストを受けると、なんと彼がこの世界では最高の知性を持っていることが判明する。これを知った元プロレスラーでポルノ男優上がりのカマーチョ大統領は、彼に世界の問題(食料危機、経済停滞、ゴミ問題)を解決するように頼んでくる―。 エリート層、中間層が子どもをつくらず、おバカな低所得層だけが子どもをつくる。その先にある未来が、こうならないと、誰が言い切ることができるだろうか。 映画のタイトル『イデオクラシー』は、「イデオ」(idiot:おバカ)と「クラシー」(cracy)の造語である。クラシーと言えば、デモクラシー(民主政体、民主主義はクラシーが主義の意味でないので誤訳)でわかるように、政治形態のことで、「デモ」(demo)は大衆だから、合わせて「民主政体」となる。だから、「イデオ」+「クラシー」は、「おバカ政体」(衆愚政治)となり、この映画は、現代の人口減社会の行き着く先が、衆愚社会であることを暗示しているとも言えるのだ。 はたして、私たちの社会はこのような方向に向かっているのだろうか。あるいは、すでにそうなりつつあるのか。 フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは、かねてから「日本の最大の問題は人口減である」と言っている。またシンガポールの故リー・クアンユー首相は、日本があまりに保守的な政策を続けて移民を受け入れないことを批判して、「私が日本の若者だったら国を出る」と言っていた。 さらに投資家のジム・ロジャーズ氏もこれまで、将来の日本の財政破綻は確実として、「若者なら国は出るだろう」と言ってきた。 人口減により、この先、国家の借金はますます増え、そのツケはすべて若者たちに回される。ヤンキーたちまで逃げ出すようになったら、この国は本当に終わってしまうだろう。

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    ついに始まった人口減少クライシス

    96万2607人。この数字は、過去5年間で減少した日本の総人口である。かたや、昨年生まれた子供の数は、1899年の統計開始以来初めて100万人の大台を割った。2つの数字は、日本が本格的な人口減少時代に突入したことを意味する。私たちは未来を揺るがすこの危機とどう向き合えばいいのか。

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    少子高齢化で日本経済が迎える黄金時代

    きに読み解く経済の裏側】塚崎公義 (久留米大学商学部教授) 「日本経済は、人口減少で衰退して行くし、少子高齢化で年金も破綻しそうだし、明るい展望など持ちようもない」と考えている人は多いと思います。しかし、少子高齢化にも悪い面と良い面があります。筆者は、今後10年間は少子高齢化の良い面が表面化し、日本経済は明るい時代を迎えると考えています。 少数説ですから、「非常識だ」と考える読者も多いと思いますが、「どこが間違えているのだろう?」と考えながら御読み頂ければ幸いです。読者の頭の体操になれば幸いですし、結果として読者が筆者の誤りを発見できずに、筆者に賛同していただければ、さらに幸いです(笑)。iStockバブル崩壊後の諸問題の源は失業だった バブル崩壊後、日本経済は長期停滞に陥りましたが、その根幹は失業問題でした。失業が多い(労働力の供給超過)ので、賃金が下がり、デフレになり、それが景気を更に悪化させました。失業者が不幸であるのみならず、「辞表を出せば失業する」という恐怖からブラック企業の社員が辞表を出せず、結果としてブラック企業が存続、増加してしまいました。 企業は、いつでも労働力が確保出来るという安心感から、正社員を減らして非正規社員を増やしました。労働力を囲い込む必要を感じなくなったからです。この結果、正社員になれずに非正規職員として生計を立てざるを得ない人が増え、「ワーキング・プア」と呼ばれる人々も出現しました。ワーキング・プアは、結婚できなかったり、結婚しても子供が産めなかったりしたため、少子化に拍車をかける要因となりました。 財政赤字が膨らんだのは、失業対策として公共投資などを行なったことに加え、「増税すると景気が悪化して失業が増えてしまう」という反対論が強かったからです。そして実際に増税して景気が悪化して財政赤字がむしろ悪化してしまったこともありました。景気は「税収という金の卵を産む鶏」であるのに、それを殺してしまったからです。 失業が問題であった真の原因は、日本人が勤勉で倹約家であることでした。勤勉に物を作り、倹約に務めたことで物が余ったのです。余った物は輸出をしましたが、それにより円高を招いてしまい、際限なく輸出を増やすことは出来なかったのです。そこで企業は人を雇わなくなり、失業が増えた、というわけです。今後は失業より労働力不足が問題となる今後は失業より労働力不足が問題となる 少子高齢化によって、現役世代の人口(作る人)が急激に減りますが、総人口(使う人)の減り方は緩やかです。そうなると、失業問題は自動的に解決し、労働力不足が問題となってきます。現在の日本経済は、まさに移行期で需要と供給のバランスが良い時期にあるのです。そして、今後は少しずつ労働力不足の時代になっていきますが、じつは労働力は少し足りないくらいが経済にとって活力になるのです。 非正規労働者の待遇は、労働力の需給を素直に反映するので、労働力が不足すると、非正規労働者の待遇が順調に改善して行くでしょう。そうなれば、非正規労働によって生計を立てている人々の生活が改善し、ワーキング・プアが消滅します。そうなれば、非正規同志が結婚しても子供が産めるようになり、少子化も緩やかになるかも知れません。 1日4時間しか働けない高齢者や子育て中の女性なども、仕事を探せば簡単に見つかるようになります。まさに「一億総活躍社会」ですね(笑)。子育て世代は消費性向が高いので、所得の増加が消費に直結しやすいですし、高齢者も、仕事を見つけられるようになれば、老後の不安が和らぎ、消費が増えることも期待されます。需要が増えれば供給が増える 現在、経済成長率がほとんどゼロなのに、労働力が不足しています。これを見て、「日本経済は労働力不足なので成長出来ない(潜在成長率がゼロである)」と心配している人も多いようですが、これはバックミラーを見ながら運転するようなもので、将来予測としては正しくありません。 心配要りません。需要が増えれば供給も増えるからです。日本企業は、これまで省力化投資を怠って来ました。安い労働力が自由に使えたからです。しかし、これからは労働力不足の時代になるので、企業は省力化投資を迫られることになるでしょう。「省力化投資の必要が無かったから投資をしてこなかった時代」に投資が行われなかったというデータを用いて、今後の投資を予測するのはミスリーディングなのです。 ここで明るい材料は、これまでサボって来た分だけ、日本経済には「少しだけ省力化投資をすれば大幅に省力化できる余地」が充分にあるということです。これは、今後は設備投資が増えて景気が上向くという需要面と、労働力不足でも供給力は増やせるという供給面と、両方で明るい材料です。財政赤字問題も悪化しない財政赤字問題も悪化しない 少子高齢化は財政を悪化させると多くの人が考えていますが、そうでもないでしょう。これまで、「増税をすると景気が悪化して失業が増え、失業対策で財政が悪化する」ということで増税が難しかったわけですが、今後は景気が悪化しても失業が増えないので、「気軽に」増税できるようになるでしょう。 むしろ、インフレ対策として金融引き締めより増税が用いられるようになるかもしれません。金融引き締めで金利が上がると政府の利払いが増加してしまいますから、ポリシーミックスとして「金融は緩和したままにして、景気過熱を増税で抑え込む」ということになるはずです。そうなれば、増税は財政再建とインフレ対策の一石二鳥という事になります。 最期に、本当の極論です。財政は破綻しません。少子化が進むと、日本人の人口は減り続け、最後は一人になります。その人は、1700兆円の個人金融資産を相続します。国の借金が1000兆円あるので、同額の税金を徴収されるでしょうが、手元に700兆円あるので、豊かな一生が送れるはずです。 「財政赤字は、将来世代に増税することになるので世代間の不公平だ」と言われます。その部分だけを切り取れば、その通りですが、日本人の高齢者は(平均すれば)多額の資産を残したまま他界し、遺産を遺します。それも考慮すれば、世代間不公平など存在しないのです。 問題は、遺産が相続できる子と相続できない子がいる、という「世代内不公平」なのです。これをどうするか、相続税や累進課税を増税すべきか否かは、政治の問題なので、本稿で議論するのはやめておきましょう。

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    国連の総合富裕度で日本1位 人口減少でも稼ぐ力ある

     日本の株式市場に「棚ぼたバブル」をもたらしている円安だが、当然いつかは局面が変わる。円安が終わり、円高になれば株価が下落し、輸出・外需依存度の高い日本経済は失速する──と不安視する声もあるが、「それは大間違いだ」というのは、投資銀行家のぐっちーさんこと山口正洋氏である。「すでに日本からの輸出品は円高でも競争力のある高度な技術が求められる製品ばかり。円高で輸出企業が打撃を受けるという論はあまりに安直です。円高で輸入産業は潤い、内需型の株式が買われる。何より日本国民の購買力はどんどん上がる。現在でもGDPの6割は個人消費であり、それが伸びることで経済成長に繋がります」 円安では外貨を集めることができ、円高に振れた時に内需が拡大。円安バブル時に資金を溜め込んでおけば、国内消費の増加率も上がる。より円高の恩恵を受けやすい。「国連はGDPだけでは把握しきれない本当の豊かさを表わす指標として、『総合的な富裕度報告書』という経済統計を発表しています。経済生産を生み出す主体は人であり、その能力の高さを示す『人的資本』、これまで構築されてきたインフラや安全な環境といった『生産資本』、農業や鉱物資源を中心とした『天然資本』などを評価したもので、その最新のランキング(2012年)によれば日本は1位。 この指標が物語るのは、今後人口が減少しても、日本は世界が求める付加価値を生み出す余力がまだある。継続して稼ぐ力がある、ということです。円が強くなった時、日本が今以上に豊かになるのです」(山口氏) 棚ぼたバブルを利用して力を蓄えることで、その後の日本経済は長期にわたり「最強」であり続けるのだ。関連記事■ 円バブルの日本、「外貨」「日本株」「不動産」への投資が吉■ メディアが円高警戒報道するのは「スポンサーが困るから」■ 円高=悪はウソ 東京電力は1ドル80円で年間利益1400億円増■ 韓国への経済制裁 日本からの輸出止めれば失業率30~40%説■ 【書評】異色エコノミストと若き哲学者が経済を徹底討論

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    労働力人口減少と経済成長は無関係、高齢化は技術革新の元

     人口減少・高齢化による日本経済の衰退を不安視する向きは多い。だが、立正大学教授の吉川洋氏は「労働力人口の減少と経済成長は無関係」と、社会に蔓延する悲観論を一蹴する。* * * 現在約1億2700万人の日本の人口は、ある試算では2110年に4286万人まで減少する。今後、社会保障、国家財政、地方過疎など様々なリスクが増大することになる。 しかし、「日本はこの先、人口が減るから経済は右肩下がりになる」という悲観は間違いだ。先進国において、労働力人口の増減と、1国で1年間に作られるモノやサービスの付加価値の総計を表すGDP(国内総生産)は無関係なのである。 実際、日本経済は高度成長期(1955~1970年)に年約10%成長したが、この間の労働力人口の伸びはわずか年1%ほどだった。それでは何が、差し引き9%の成長を支えたのか? その答えは、「労働生産性の上昇」である。すなわち、1人あたりの労働者が作り出す付加価値が増えれば、経済は成長するのだ。 労働生産性の上昇をもたらすものこそ、広い意味での「イノベーション」(技術革新)に他ならない。 労働力人口と経済成長を結びつける者は、ツルハシやシャベルを持った労働者が額に汗して働くイメージを持つ。確かにこの工事現場では、労働者の数が工事の進捗に直結するだろう。 しかし、先進国では、ツルハシとシャベルの現場にブルドーザーやクレーンというイノベーションが起き、100人で行っていた仕事が10人でできるようになった。新しい機械の発明、それへの設備投資、さらに労働者の技術力向上があいまって、生産性が上昇して経済は成長するのである。 人口減と共に進行する超高齢化も実は日本にとって大チャンスとなる。 2015年の日本の高齢化率は26.7%で、国民の約4人に1人が65歳以上の高齢者だ。現役世代と高齢者の人口比は、現在の約3対1から今世紀中頃に1.3対1まで低下する。 高齢者が増えると、社会には様々な「困ったこと」が生じるが「必要は発明の母」との言葉通り、「困ったこと」は新たなニーズを生み出して、イノベーションの元となる。 例えば、電気洗濯機のアイデアを出したのは、洗濯物に苦労していたシカゴの主婦と言われている。主婦のヒントによって企業が潜在的なニーズを発見し、アイデアを製品化したのだ。 日本でもすでに高齢化に対応している産業がある。その典型である自動車産業では、安心・安全な「スマートカー」が出ている。運転に不安の生じる高齢者にとって、「ドライブ・ア・カー」(車を運転する)から「ドリブン・バイ・カー」(車に動かしてもらう)への転換が行われている。 イノベーションはスマートカーなどハードの技術だけではない。「コンセプト」の刷新など、ソフト面での技術進歩も立派なイノベーションとなる。 好例が、赤ちゃん用紙おむつ市場に登場した高齢者用紙おむつだ。生産技術に革新的な進化があったのではなく、「高齢者が使う紙おむつ」という新しいコンセプトを思いついただけで、子供用紙おむつの出荷量を凌ぐ大ヒット商品となった。【PROFILE】よしかわ・ひろし●1951年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業後、イェール大学大学院博士課程修了。ニューヨーク州立大学助教授、大阪大学社会経済研究所助教授、東京大学助教授、東京大学大学院教授を歴任。現、立正大学教授、東京大学名誉教授。専攻はマクロ経済学。近著に『人口と日本経済』(中公新書)がある。関連記事■ 地方の人口減少や都市の高齢者激増等の今後の対策を考える本■ 団塊世代の引退で年金を支える側と支えられる側の人口比逆転■ 「東京オリンピック後日本の地価が3分の1になる」と説く本■ 就労可能生活保護受給者に職業訓練施し移民不要と三橋貴明氏■ 年金制度未整備の中国 60歳以上人口2億人超で財政に不安も

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    人口減少に打ち勝て! 観光が日本の未来を救う

    修繕を行なう小西美術工藝社の社長を務めるという異色の経歴の持ち主である。 アトキンソン氏は受賞作で、少子高齢化による人口減少が日本の経済成長に及ぼすマイナスの影響について指摘し、「観光こそがこれからの日本を救うもっとも重要な分野である」と位置付けている。元アナリストらしく、各種のデータに基づく分析と提言は説得力に富む。その一方で、観光に対する日本人の思い違いを正している部分には、来日25年の氏ならではの鋭い“日本批判”が感じられる。聞き手=Voice編集部効果のある観光戦略を打ち出していない ――山本七平賞の受賞、おめでとうございます。アトキンソン ありがとうございます。 ――2030年に日本は観光立国として外国人観光客が8200万人になり、50兆円規模の経済効果を上げる、という試算をされています。この数字は「むしろ保守的で、現実よりも少々控えめな数値」(「日本の観光客数はマレーシアの約半分 豊かな『潜在力』を活かせ」『2016年の論点100』文藝春秋)ということで、日本人にとっては心強い限りです。ただ、心配なのは、それだけの成長を支える人材が観光業界にいるかどうかです。もともと観光業界というと、休みが不定期なわりに給与水準はけっして高くなく、一流大学の卒業生の就職先としては、敬遠されがちなイメージがあります。アトキンソン そもそも観光業界にそれほど学歴の高い人材が必要なのか、疑問に思いますね。衛星を設計したり半導体を生産するわけではなく、接客業ですから。お客さんに観光地まで来てもらって、楽しんでもらえればそれでよいわけです。それこそ政府や自治体には一流大学出身の方もいますので、彼らが大まかな方針や戦略を立てて、管理していけばいいのではないか、という気がします。家主がいなくなり、道路沿いには老朽化した空き家が並ぶ=2016年2月21日、群馬県南牧村(伊藤弘一郎撮影) ――受賞作では、外国人観光客に向けて情報発信をしたり、集客のためのマーケティングを行なう「地域デザイナー」の必要性を説かれています。そうなると、一定の語学力が必要ですし、マーケティングのセンスも必要です。そうした人材が日本には足りていないのでは?アトキンソン そうでしょうか。日本には国全体の観光戦略を担う観光庁があり、都道府県、市町村、ほとんどの自治体に観光課があります。東京都には一つひとつの区ごとに、観光に携わる役人がいるんですよ。さらに各地域には観光振興協会があります。ですから、人材が足りていない、ということはないでしょう。もし問題があるとすれば、効果のある観光戦略を打ち出していない、という点に尽きます。たとえば「くまモン」のようなゆるキャラをつくり、イベントを行なうことがほんとうに観光客の集客につながるのか。実質的に、これは日本人同士の“お仲間イベント”にすぎないと思います。 スキルのレベルアップと成果の検証の話でしょう。たとえば語学力は筋肉と一緒で、使って鍛えられるものです。幼児でもできるものなのですが、観光客があまり来ていないので、語学力も足りていないと思います。 ――「くまモン」を見て癒やされる日本人は多いと思いますが、外国人には通用しない?アトキンソン 無理でしょう(笑)。軽い負担で来られるアジアの観光客と違って、遠い国から来る人にはあまり効果はないと思います。じつは日本全国で、観光誘致のための予算は合計3000億円もあるそうです。私も最近知った数字で、少々驚きました。つまり、日本は観光に人もお金も掛けている。しかし、効果が上がっていないのです。こうしたパターンの問題が、日本には多い気がします。 たとえば、博物館や美術館をつくると、よく“箱モノ”と批判されますが、ほんとうに無駄なのか。たんに、それらを生かせていないだけなのかもしれません。先日、ある博物館に行きました。展示に外国人向けの英語の解説がないかというと、一応あります。しかし、それはたんにローマ字で書いてあるだけで、意味がある文章になっていませんでした。日本でよく見掛ける例です。「江戸」を「Edo」にしただけでは“お役所仕事” ――ご著書でも触れられていますが、「江戸」をたんに「Edo」とローマ字表記にしただけでは、外国人に意味が伝わるはずがない。まさに“お役所仕事”で、そうした例が多いとすれば、残念というほかありません。アトキンソン そもそも、翻訳は必ずネイティブのチェックを受けるべきです。しかも、その人は日本の文化や歴史に詳しくなければならない。文化財の解説は、その辺りの留学生に気軽に頼んでいい仕事ではないはずです。繰り返しますが、こうしたお粗末な例が日本にはあまりに多い。 ――アトキンソンさんからすれば、日本は当たり前のことができていない、ということですね。受賞作では、京都の二条城には詳しい展示パネルがないため、外国人にはその「すごさ」が伝わらないと書かれていました。その後、何か改善の動きがありましたか。アトキンソン 私がいつも二条城の例を出すため、先方もそうとう意識されているようですね(笑)。先日行ってみたら、見事に展示パネルが増えていました。ただ、「虎の間」を説明するのに「虎と豹の絵が描かれている」というような説明だけでは不十分です。それは見ればわかります(笑)。 ――さらに文化的な背景まで詳しく説明する必要がある、ということですね。アトキンソン 案内板をつくることだけが目的になってしまっているのではないでしょうか。結果的に、日本の歴史文化をきちんと学べる場所になっていない。じつにもったいないと思います。 ――最近は、文化施設や自治体も観光のために熱心にホームページをつくっているようですが。アトキンソン ええ。しかし、私が信じられないと思うのは、それが時として10年以上前の技術によって制作されていることです。地図をクリックすると、いきなりPDFが出てきて、これはいったい、いつの時代のホームページなのか(笑)。日本の各観光地でつくっているから、自分のところでもやりました、というだけの話です。なぜ、そうなってしまうのか。初めから「戦略的に考えて効果を出せ」と指示していないからでしょうか。 ――ヨソでもやっているから、ウチもやる。日本人特有の横並び意識。耳の痛いご指摘が続きます。アトキンソン ある日本の旅行代理店は、集客のための文化イベントをフランスで実施しています。しかし、発信の仕方も広告も、全部日本の会社がやっている。私はよくいうんです。「逆を考えてみてください」と。もし、フランスの大学で日本語学科を出たフランス人がネイティブのチェックも受けずに日本語で広告をつくり、それまで日本に来たことのないフランスのイベント会社が日本で「フランスに来てください」というイベントを行なった場合、日本人はどう思うでしょうか。「馬鹿にされている」と感じるはずです。それと同じ事を、日本の旅行代理店はフランスでやっている。日本は観光に人もお金も掛けています。しかし、中身が十分に伴っていない。だから効果が出ない。私にいわせれば、まだまだ本気になっていないんです。ビジネスプランとは呼べない目標ビジネスプランとは呼べない目標 ――観光分野において、日本は明らかに後進国のようです。明治の日本は、議会制度に始まり、鉄道、造船、あるいは文学に至るまで、アトキンソンさんの母国イギリスに学べ、でした。海軍などは、食事の内容まで英国海軍の真似をしています。現代日本も、観光のやり方は1からヨーロッパに学んだほうが早いかもしれません。アトキンソン 明治時代とは、また極端な例を持ち出しましたね。教えるも何も、それほど難しい話ではありません。たとえば地域デザインといっても、誰をどの駅まで運び、どの場所に誘導して施設を生かしていこう、というだけの話で、子供でもできます。東大を出ている必要はない(笑)。 北海道のニセコのスキー場は、オーストラリアやニュージーランドから多くの観光客が訪れて「リトル・オーストラリア」と呼ばれるほど賑わっています。大きな貢献を果たしたのが、1992年からニセコに移住したオーストラリア人のロス・フィンドレー氏です。彼が大学で観光学を専門に学んだかというと、そうではない。巨額な投資をしたわけでもありません。やるべきことを地道に、真面目に取り組んで、それをお金に換えていったのです。 ――受賞作でも、日本は観光立国に必要な4条件(「気候」「自然」「食事」「文化」)が揃っていると述べられています。その好条件を生かしきれていない。アトキンソン そうです。政府が掲げている「2020年までに訪日外国人2000万人」「2030年までに3000万人」という目標にしても、いかにも官僚がつくったもので、とてもビジネスプランとは呼べないでしょう。本来であれば、国別の目標人数、さらに収入の目標金額など総合的に目標を設定すべきで、そのためにどんな戦略を実行すべきか。それがいまの日本に求められていることです。 私は、観光業の基本はトヨタにあり、と考えています。トヨタの経営は日本人だけで成り立っているかというと、そうではない。海外の販売網の構築では、現地の会社をうまく使っている。日本の会社のなかでは、トヨタはこのようなコラボレーションがもっとも成功している企業だと思います。 さらにトヨタが販売しているクルマをみれば、富裕層向けのレクサスがあり、スポーツカーもあれば、ファミリー向けのクルマもある。日本で売れるクルマもあれば、東南アジアでよく売れるクルマもある。要するに、さまざまな属性を相手にしている。観光も同じで、あらゆる属性の人びとに万遍なく日本に来てもらう必要がある。そうでなければ、大きな産業にならないからです。 ――受賞作の『新・観光立国論』に寄せられたであろう日本人からの反論で想像がつくのは、「超富裕層向けのサービスやコンテンツの充実」です。諸外国に比べて、日本には大金持ちが少なく、ちょっと現実離れしていると思いました。アトキンソン 誤解してほしくないのは、「超富裕層向けのサービスやコンテンツの充実」というのは、あくまで一つの例を示したのであって、これだけをやればよい、というものではありません。観光業で問われるのはあくまで多様性であり、階段に例えれば、超富裕層向けを頂点として、その下にさらに続く階段があるかどうかです。私がいま困っているのは、日本人が観光戦略について、あまりにシンプルな解を求めることです。 そのうえで申し上げれば、たとえばビル・ゲイツ氏が来日した際、ビジネスホテルに泊まるかといえば、泊まらないでしょう。世界で高級ホテルというのは、1泊400万~600万円の価格帯をいうのであって、超富裕層は世界のホテルチェーンを選ぶので日本のホテルや旅館にはまず泊まりません。日本がほんとうに観光立国をめざすのであれば、具体的にどの国から、どの属性の人を呼び、総額でいくら使ってほしいのか、もっと緻密なマーケティングが必要です。抽象的で、情緒的な議論のオンパレード抽象的で、情緒的な議論のオンパレード ――アトキンソンさんは受賞作のなかで、20年余りに及ぶ日本でのアナリスト人生を振り返り、「事実を客観的に分析して、その結果がどんなに都合が悪くても、人間関係を悪化させようとも、建設的な話ができると信じて指摘した結果、反発を招く」ことの繰り返しだった、と書かれています。山本七平氏は代表作の一つである『空気の研究』において、日本人の判断基準になっているものは合理的な分析やデータではなく、空気としかいいようのないものであり、こうした行動様式は第2次大戦の敗戦でも変わらなかった、という意味のことを書いています。もし日本人が合理性を重んじる国民だったら、約70年前、中国、アメリカ、イギリスを相手に同時に戦争をする、という選択は取らなかったでしょう。アトキンソン 石破茂さん(地方創生大臣)がそういうことをおっしゃっていますね。日米開戦の直前、30代のエリートが集まって戦争の見通しを議論した際、絶対にやめるべきだという結論になったらしいですね。 ――1941年(昭和16年)の段階で、緒戦は勝ってもやがて劣勢に陥り、最後はソ連の参戦を招いて敗北すると予測されており、実際にそうなってしまいました。大戦中、物量不足を糊塗するために日本軍で連呼されたのが「必勝の精神」です。日本人はこうした抽象的で、情緒的な言葉に酔いやすい傾向がある。『新・観光立国論』で指摘されているように、「おもてなしの文化」を自慢する無意味さに似ていると思います。アトキンソン おもてなしのアピールの一つの動機は、自己満足でしょう。じつは、いまの日本企業でも似た例があると思います。新聞を読んでいるだけでは具合が悪いから、何かをしなければいけない。しかし、本格的なことはやるつもりはない。要は成果を求められていないから、形だけやっているフリをする。真の成果主義になっていないことが問題でしょう。 もう一つの動機は、こういうと反感を買うかもしれませんが、汗をかくのを嫌がっているのです。マスコミは「日本は技術大国」「農耕民族」「勤勉で手先が器用」などといった、根拠を検証もせずにまさに抽象的で、情緒的な議論が多い。あるいは「これからの観光戦略はインバウンド」とか、「ツーリストからトラベラーと変わって、いまは体験コレクターだ」などと、流行り言葉を並べているだけ。こういうのは、ただの時間つぶし戦略だと私は思っています。 ――日本人にしか通用しない内向きの議論。少なくとも、外国の方には意味不明でしょう。アトキンソン 地方の自治体もよくシンポジウムをやっていますが、地元のいつものホテルで、お友だちの新聞記者を呼んで、記事になりました、といって喜んでいる。参加者は旅行代理店にノルマを課して無理やり集客し、「アトキンソンさん、講演で1時間話して残りは対談でお願いします」などといわれる。昼間に延々とシンポジウムを行ない、夜は懇親会。しかし、その日だけたくさんの人が集まっても、あとが続かない。世界遺産も同様です。先ほどもいいましたが、観光戦略というのは、どの国からどんな人を呼ぶかを考えて、何を楽しんでもらうかを地道に実行するだけです。いまの日本で求められているのは、ある意味でこうした低次元の戦略なのです。でも、皆さんは何か高次元なことをやっているようにみせたいのでしょう。 90年代の不良債権のときも同じでした。不良債権の処理を実際にやろうとすると、大変なことになるから、代わりにシンポジウムを開いて、朝から晩まで不良債権について「ああでもない、こうでもない」とやっていた。いずれ世の中が解決してくれると思って時間稼ぎをしていたんです。 ――まさに“空気”が変わるのを待っていた。日本人にはそういう悪いところがあります。「文化スポーツ観光省」をつくれ「文化スポーツ観光省」をつくれ ――受賞作では、人口減少が日本の経済成長に及ぶ影響について詳しく言及されています。それは同時に、日本が観光立国をめざすべき理由になっています。アトキンソン 私の本を読んだ人のなかには「あなたは反日か」という人がいますが、たんに事実を指摘しているだけです。たとえば、「一人当たりの名目GDP」という指標でみると、日本は世界28位です。2015年10月5日にスタートしたスポーツ庁(大西正純撮影) ――意外に低くて驚きます。アトキンソン そう、事実として低い。しかし、それに気付いている日本人は少ないでしょう。先進国ではない中国を除くと、GDPの世界順位は、アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリスです。ところが、この順番を技術の違いや働き方の違いなど、優劣の問題だと勘違いしている日本人が多いのではないでしょうか。 ――たしかに、「世界第3の経済大国」と聞いたとき、それを自分たちの優秀さの証明だと思っている日本人は多いかもしれません。アトキンソン この前もテレビを見ていたら、戦後の日本は追い付き、追い越せでやってきた、そしてヨーロッパを追い越した、と語っていました。しかし反感を承知でいえば、戦後の日本経済が急成長した大きな理由の一つは、子づくりに専念したからです。日本の高度経済成長は、ベビーブームに象徴される人口の激増が大きく関係しています。これは先進国では例のない現象なのですが、日本の経済の教科書をみても、こうした議論はほとんど目にしません。なかには私に対して、「イギリスは日本の技術なしでは成り立たない」といってくる方もいますが、「その技術は誰が教えたのですか」と言い返したくなります(笑)。 ――日本の近代化はイギリスをはじめ、ヨーロッパが手本になったことは間違いありません。アトキンソン もちろん私は、日本の技術が優れていることを否定しているわけではありません。先進国同士を比較した場合、GDPの大きさは、技術力以外の人口など他の要因が大きく関係している、という客観的な事実について述べているだけなのです。 そしてご存じのとおり、日本では少子高齢化が始まっています。当社のお得意先であるお寺や神社にも、「このまま放っておくと、拝観収入が半減しますよ」といっています。たいてい「えっ」という反応が返ってきますが、日本は現役世代が減っていくのですから、当然のことです。 拝観収入を維持するためには、国内のリピーター客を増やすか、一人当たりの客単価を上げるか、外国から客を呼んでくるしかありません。そうした戦略を考えるのは、私のいまの本業ではありませんが、たまたまビジネス上、日本の人口減が当社のお得意先のマイナスに直結するため、また相手の観光客は外国人なので、私が外国人観光客を呼ぶための戦略を提供しているのです。私は評論家ではありません。私の提案がたんに「興味深い議論でした」で終わってしまうのであれば、残念としかいいようがありませんね。 ――大事なのは、まさに実践ですね。アトキンソン 実際に日本は観光分野において、潜在的な競争力で非常に恵まれています。業界としても、順調に伸びてきている。そうでありながら、まだまだやるべきことは多い。目の前には宝の山が眠っています。 これから私が一つポイントになると考えているのは、観光庁が予算を増やすかどうかです。それと同時に、文化財というコンテンツの管理を担う文化庁が予算を増やすか。こうした点に、日本の本気度が表れるでしょう。さらにいえば、なぜ観光「庁」、文化「庁」なのか。日本がほんとうに観光立国をめざすのであれば、両者に加えて、さらにスポーツ庁を一つにまとめ、「文化スポーツ観光省」に昇格させるべきでしょう。関連記事■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」〔1〕■ ローカルアベノミクスで地方は再生するのか〔1〕■ 松下幸之助さんの人の話を聞く姿はすさまじかった

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    子供はみんなで育てないのがニッポン流?

    千葉県市川市で計画中だった保育園建設が地元住民の反対で白紙撤回に追い込まれた。「付近の道が狭く危険」「子供の声が気になる」…。地域の事情があったとはいえ、この問題は今も広がりをみせる。「子供はみんなで育てるもの」というコンセンサスはもう、現代ニッポンの非常識になったのか?

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    子供の声はうるさい? ドイツでは法改正し「騒音」から除外

    この法律によって、ドイツ全土で子どもが発する騒音については除外し、賠償請求がなされないこととなった。少子高齢化と共に、貧困家庭における子どもの育成が社会問題となっているドイツにおいて、子育て環境の整備は重要な政策課題であり、訴訟リスクにより児童保育施設の整備・充実が阻害されることは望ましくないという考えが、政治的にも一定の広がりをみせた。 当初、高齢者など子育て世代以外からは、子どもの発する騒音を特権化することに対して、「騒音に良い騒音も悪い騒音もない」「権利を持っているのは子どもだけではない。高齢者も権利を持っている」といった異論も出たという。 連邦イミシオン法では、「児童保育施設、児童遊戯施設、およびそれに類する球技場等の施設から子どもによって発せられる騒音の影響は、通常の場合においては、有害な環境効果ではない。このような騒音の影響について判断を行う際に、排出上限及び排出基準に依拠することは許されない」(22条1a)、と記されている。 こうしてドイツでは、「子どもから発生する騒音」を規制から除くことになったわけだが、この「子どもから発生する騒音」とは、子どもが発するあらゆる大声(話し声、歌声、笑い声、泣き声、叫び声等)の他、遊戯、かけっこ、跳躍、そして、子ども自身による騒音だけでなく、保育施設等の場合には、そこに勤務し、子どもの世話に従事している職員が発する音も含まれることになっている。 日本でも「子どもたちの声」をめぐる訴訟が生まれている。ドイツを参考に、とくに自治体からこうした取り組みを始めるべきではないだろうか。東京都でも環境確保条例を見直し東京都でも環境確保条例が見直された 東京都でも、「子どもの声」に関して、都民の健康と安全を確保する環境に関する条例(平成12年東京都条例第215号。以下「環境確保条例」)が2014年に変更された。条例第百三十六条に「別表第十三に掲げる規制基準」を加え、その別表第十三「日常生活等に適用する規制基準(第百三十六条関係)」を以下のようにした。保育所その他の規則で定める場所において、子供(六歳に達する日以後の最初の三月三十一日までの間にある者をいう)及び子供と共にいる保育者並びにそれらの者と共に遊び、保育等の活動に参加する者が発する次に掲げる音については、この規制基準は、適用しない。(一) 声 (二) 足音、拍手の音その他の動作に伴う音 (三) 玩具、遊具、スポーツ用具その他これらに類するものの使用に伴う音 (四) 音響機器等の使用に伴う音 また、騒音規制の特例として、規則第七十二条の二にその特例場所を、認定こども園も含めた保育所、幼稚園、児童厚生施設、公園のほか、知事が認める場所と位置付けた。検討の過程では、子どもの声を巡る問題として、「苦情を受けて、保育所等では園庭活動を縮小する等の対策をとっている事例もある。また、子供の声等に対する苦情が保育所等を新たに設置する際の妨げとなっているという意見もある。また、子供の声を巡る訴訟では、騒音規制法(昭和43年法律第98号)や各自治体の条例に規定する規制基準を基に、不法行為責任が争われている事例もある」とした上で、子どもの健やかな成長・育成への配慮の必要性として、「規制基準を遵守するように子供の声を抑制することは、心身の発達段階にある子供にとってストレスになり、発育上も望ましくないという意見がある」としている。 こうした背景を持っているのは、決して東京都だけではない。むしろ東京都だけで環境が整備されることになれば、川を挟んだ市川市では、さらに子育て環境の格差が生じてしまう。 市川市は、これまでも、川を挟んだ江戸川区での子育て支援に対し、財政状況の差を理由に挙げてきた。しかし、こうした条例による環境整備には、財政状況は影響しない。むしろ現場を持つ基礎自治体ごとに工夫があっていいのではないかと思う。 基礎自治体には何ができるのか、都道府県のような広域行政で何を行うべきなのかを考えていく必要がある。「保育園落ちた日本死ね」とは何だったのか 今回の市川市における社会福祉法人の判断はもっともであり、こんな状況で無理やり開設したところで、住民とトラブルになってしまっては、お互いにとって不幸になる可能性もある。第一、子どもたちが可哀想である。 ただ、ニュースを見てまず感じたのは、「保育園落ちた日本死ね」とは何だったのかということだ。結局のところ自分のことしか考えてない そもそも匿名で書かれたブログを国会での質問材料にすることや、子どもに「死ね」なんて言葉を使うなと言っている立場からすると、こうした言葉を使うことにも違和感があった。 こうなってくると、「保育園落ちた日本死ね」と言った人も、「子どもの声がうるさい」と言っている人たちも、結局のところ自分のことしか考えてないんじゃないのかとすら感じてしまう。 もちろん、待機児童解消の重要性は認識している。2010年に出した著書『世代間格差ってなんだ 若者はなぜ損をするのか?』(PHP新書)では、以下のように書いた。 女性の労働環境の整備とともに、仕事と出産・育児の両立が可能となるような柔軟な働き方を実現するための支援政策が必要だということだ。こうしたことからも保育ニーズに対する対応はいっそう進めていく必要がある。 近年の都市部では、少子化に歯止めがかからない一方で、保育ニーズは年々増えている。もちろん女性の社会進出や経済状況により共働きせざるを得ない状況になっていることも考慮しなければならないが、これまで保育ニーズに表れていなかった新たな層まで保育ニーズが拡大していると考えるべきである。 保育園は、保育に欠ける子どもに対する育児の補完的な役割とされてきたが、核家族化やコミュニティの崩壊など、子育ての負担が両親、とくに母親に偏ってしまう傾向にある。こうした構造は過度に子育てを負担に感じてしまう状況を生み出しており、専業主婦でいるより社会に出たい、専業主婦であっても一時的に子どもを預けられる状況が欲しいという保育ニーズを反映している。 実際現在でも二・五万人の待機児童がいるといわれており、こうした保育ニーズは今後もさらに加速していくことが予想され、まさに子育てを社会全体で支えていくことが求められる。待機児童解消のため、まずは保育サービスへの企業の参入規制を抜本的に緩和するとともに、幼稚園と保育園の幼保一元化などを行うべきである。 また、フランスで合計特殊出生率が回復した少子化対策の一つとして、自宅で保育経験者などが保育する保育ママ制度が頻繁に紹介されるが、仕事との両立支援としての保育の時間延長や、病児病後児保育の整備をしていくとともに、働き方の多様化や保育ニーズの多様化に合わせて、延長保育や一時保育、保育ママ制度など保育園だけでない保育ニーズに細かく応じた対策が求められる。その意味でも、当事者の声を直接反映した仕組みづくりが必要である。 6年前に書いたわりには、まだまだ新しいこと、今になってようやく皆さんの共感を呼ぶこともあるのではないかと思う。当時は「奇抜過ぎる」と指摘された我々の「ワカモノ・マニフェスト」も、いまや多くの政党の政策に反映されるようになった。参院選に向けて、みなさんにももう一度手に取ってもらえればと思う。なぜ市川市議会議員は黙っているのか?なぜ市川市議会議員は黙っているのか? 最後に一つ気になるのは、今回の「(仮称)ししの子保育園市川」の開園断念について、市川市議会議員がネット上でほとんど発言してないことだ。英語に「NIMBY(ニンビー)」という言葉がある。NIMBYとは、「Not In My Back Yard(自分の裏庭や近所以外なら)」の略語で、「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉だ。 私は自治体などに呼ばれて、職員や幹部の研修で、「PI(Public Involvement = 住民参画・市民参画)」について話をすることがある。近年、こうしたPIの重要性が言われ、様々なプロセスでの住民参加の必要性が求められるようになってきた。パブリックコメントなどが取られるようになったのもこの流れからだ だが、一方で、住民の意見を聞こうとアンケート調査などを行うと、非常に表層的な声ばかりが集まることがある。何の情報共有もなく、意見を求められると、どうしても利己的な要求になりがちだからだ。2013年に、内閣府特定地域再生事業の補助金を取って、埼玉県内の自治体で、無作為抽出した市民による「未来政策会議」のプロジェクトを、自治体コンサルとして提案、実施したことがある。学校の跡地利用や公共施設再編について議論したのだが、公共施設再編について市民に意見を求めると、まさに「NIMBY」になる。「公共施設再編の必要性は理解できるが、うちの前の公民館は潰すな」といった具合だ。 ところが、市の財政状況を共有し、公共施設のファシリティ・マネージメントを共に考え始めると状況は一変する。市役所職員と市民が一緒になって市の全体利益を考えるようになる。今回の問題も、報道で誇張されるような「子どもの声がうるさい」という表層的な理由だけでなく、「保育園が面する道路は狭いので危険だ」といった地理的な要因をはじめ様々な要素が交わっているのだろう。PPP(Public Private Partnership)や新しい公共の視点から、これまで行政や政治家に依存していた部分を、市民が共に担っていく仕組みを整備していく必要はもちろんだが、同時にこうした市民ニーズが交錯する問題の中で、市全体の利益を考え、将来を見据えたビジョンと責任を持って決断し、方向性を定めることも、政治家の大きな役目でないかと思う。 統一地方選挙の際に『統一地方選挙の候補者選定に、「政治とカネ」「議会の議員構成」「自治体の共通課題」を考えてみてはどうか』でも触れたが、市川市議会は、政務活動費で切手を大量購入し現金化したとの疑惑が未だに解決できていないほか、この問題で2つの百条委員会ができてしまったことなど、最も質の低い議会ではないかと思われるような状況を全国に発信してしまった経緯もある。こうした一つひとつの問題に対して、身近な人の声だけでなく、住民の声なき声にまで耳を傾けながら、市川市の未来のためのビジョンを描き、決断し、責任を持って行動してもらえるよう期待したい。(Yahoo!個人 2016年4月14日分を転載)

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    「子育て」にきびしい国は、みんなが貧しくなる国だ

    境 治(コピーライター/メディアコンサルタント)保育園問題を実感しにくい中高年にこそ読んでほしい 保育園の問題がこのところ巻き起こっている。2月の「保育園落ちた日本死ね」の匿名ブログがきっかけとなり、3月には国会での議論に広がった一方で、4月には市川市で保育園開設が反対運動で中止に至った。 私は、保育園は首都圏で圧倒的に不足しているので、開設計画は無条件で賛成すべきだ、という立場だ。いくらなんでも「日本死ね」はないだろう、と言う人には、そう言いたくなるくらい保育園は足りないのだと言いたい。 ちなみに私は50代で子どもたちは大学生と高校生。とうに保育時代は終えており、そもそも妻は専業主婦で保育園ではなく幼稚園に通わせた。そんな私がなぜ一方的に子育て世代の肩を持つようなことを主張するのか。そのことの説明を通じて、保育園問題に共感できない人に少しでも状況を理解してもらえないものか。この原稿はそんな思いで書いている。 私は主にメディアがこれからどうなるかを中心にブログなどで情報発信してきた。そんな中で時折世の中の気になったことも書いており、2014年1月にたまたま保育と社会について「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」というブログを書いた。ハフィントンポストに転載されたら、18万という驚くべき数の「いいね!」がついた。・「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」(ハフィントンポスト) 私は決して今でいう“イクメン”ではなかったが、妻との子育てを通して、これは母親一人でできるものではないし、そもそも核家族は子育てに向いていない形態だと認識していた。そのことを書いたら、ものすごい数の「いいね!」がついたのだ。ということは、それだけいまの母親たちが孤独な子育てを強いられているのだと知った。 その後、様々な独自の保育活動をする女性たちを取材してさらに書き進めていった。その内容は、先のブログのタイトルを書名にした本にまとめて一度出版している。・赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。(三輪舎) そして去年は保育園への反対運動について取材していった。その過程で、実際に保活をした親たちの体験談もインタビューした。そうした情報収集で、私はかなり状況がよくわかった。年配の男性にはわかりにくいと思う。私もあまり理解できてなかった。いまの親たちの置かれている状況は我々の頃とまったくちがう。そこを知らないと、保育園問題がどうにもわからないと思う。今後は共働きが必須なのに首都圏の保育園は少なすぎる今後は共働きが必須なのに首都圏の保育園は少なすぎる いま共働きの夫婦が増えている。私たちの若い頃、80年代から90年代にかけても男女雇用機会均等法ができて、共働きは増えた。ダブルインカムノーキッズ、DINKSなどともてはやされた。だが子どもができると、わが家もそうだったが、妻は会社を辞めて専業主婦になった。当時は、バブルがはじけてからもGDPは伸びていて、給料も同じ会社にいれば自然に上がるものだった。だったら辞めてもなんとかなるでしょ、ということで子育てに専念する女性がずっと多かった。 いまはどうだろう。どう見ても、奥さんも働き続けたほうがいい。子育てで会社を辞めてしまうと、ほとんどの人はもう二度と正社員に戻れないからだ。この点をよく理解してもらうといいだろう。子どもが小学校に上がるくらいまでは子育てに専念したいと言う女性はいまも多い。だが日本の会社社会はそういう長いブランクを許さない。一度正社員の立場を離れてしまうと、その先はずっと非正規しかないのだ。だから、これからの時代は共働きを続けないといけないと私は思う。夫の側も、もう同じ会社にずっといればいい状況ではない。そのうえ、多くの会社がバブル以降やリーマンショック時に給与水準を大きく下げている。上の世代と若い世代で給与体系がまるで違う会社だって多い。子育て世代にとっては、共働きは必須だというのが、20世紀までと大きく違う前提条件だ。 そして、子育てをしながら働くには、都心に近い住まいが必須となる。子どもを迎えに行かないといけないからだ。都心の職場で、例え時短勤務だったとしても、片道一時間以上かかる町に住むとお迎えが大きく遅れるし、その後のスケジュールも全体にものすごく遅くなってしまう。だから都心から30分圏内に住む必要がある。 そういう共働き世帯が、首都圏に急激に増えているのがこの数年だ。リーマンショックがあり、東日本大震災があり、日本経済がもう大きく成長しないことが決定的になり、それでも子育てをしようとすると、都心に近い町に住んで共働きせざるをえないのだ。もちろん地方に行けば保育園は足りているし、楽に共働きできるかもしれないが、そんなに都合よく仕事が見つかるわけはない。少なくとも首都圏で働く男女が出会って結婚して子どもを持ったら、30分圏内の共働きになってしまうのだ。そういう夫婦が急激に増えていることが、保育園の圧倒的不足状況を生んでいる。子育て世代の共働きは“必然”なのだという状況を理解してもらいたい。子どもは迷惑をかけながら育てるもの子どもは迷惑をかけながら育てるもの 市川市の保育園について、いい意味で賛否両論出ていたと思う。子どもがうるさいから反対するのかとか、説明なしに建設を進めるのはよくないとか、道路が狭すぎて子どもたちに危険ではないかとか。どれも正しいと思う。 だが私が強く言いたいのは、議論の前提として「ではどうすればここに保育園がつくれるか」を置くべきでは、ということだ。説明が遅れたからちゃんと説明せよ、それはそうすべきだろう。でも説明不足だから建てるな、ということでいいのだろうか。道路が狭いのは確かに危険だろう。では安全を確保するにはどんなルールが新たに必要か。そういう議論がなされるべきではないのか。開園が断念された保育園の建設予定地=千葉県市川市菅野(大島悠亮撮影) 反対運動をあちこちで取材すると、共通しているのは、反対側は「保育園は必要だが、ここは向いていない」と主張することだ。道が危険だ、騒がしい、とネガティブなことを並べ立てるのだが、そんなことを言いはじめたら、100%問題ない保育園じゃないと建てられなくなる。結局、反対側の人びとは、保育園は必要だろうが自分に迷惑をかけるなと言っているのだ。 誰にも迷惑をかけずに子どもを育てられるはずがない。私はみんなに、そのことに気づいてほしい。子育てするなら迷惑をかけるなという人は、子育てをするなと言っているも同然なのだ。 いや、自分は人様に迷惑をかけずに成長したし、結婚してからも誰にも迷惑をかけずに子どもを一人前に育てた。そう胸を張る中高年は多いだろう。だが、それは大きな勘違いだ。 例えば私は九州出身で、福岡市の郊外の住宅街で育ったが、町中が遊び場だった。公園もあったが、空き地もいっぱいあって友だちと秘密基地をあちこちにつくったものだ。道路も舗装がまだ少なくて、遊び場の中に組み込まれていた。そんな子どもたちを、町は許容していたのだ。いたずらをして知らないおじさんに怒られたことはあっても、遊び回ることそのものを叱る人は一人もいなかった。元気な子どもの迷惑を、迷惑とも思わない社会がそこにはあったのだ。 自分の子育て時代も、小さな子どもたちがたくさんの迷惑をかけた。もちろん親としては迷惑をなるべくかけないように気をつけていたが、「赤ちゃんは泣くのが仕事だからねえ」とたくさんの見知らぬおばさんたちに言ってもらった。その頃住んでたマンションの人びとが私の子どもたちをかわいがってくれたし、コンビニのおじさんは時々子どもたちにオマケしてくれた。 だから私は成長できたし、子育ても楽しくできた。迷惑をいっぱいかけたと思うが、そのことで叱られたことなんてなかった。 保育園に反対する人たちは、それなりのいい住宅街の住人が多く、やっと手に入れたマイホームでようやく老後を過ごそうとしているのだろう。静かな土地だから高いお金を払ったのに、子どもたちの声を毎日我慢しなくてはいけないのかと感じているのだろう。だが考えてほしいのだ。子どもたちが育つ場が必要なら、自分たちでその迷惑を引き受けてみようかと。自分が育つ時、自分が育てる時、町中に助けてもらい、手を貸してもらったからここまで来れた。だったら今度は、若い世代に手を貸してあげてもいいのではないか。静かに過ごすはずが賑やかになってしまうけど、昔笑ってくれたおばあちゃんのように、自分も子どもたちに微笑みかけてあげようと考えてはくれまいか。誰とも交流しない静かな老後より、子どもたちと賑やかに関わる老後のほうが、ずっと幸福だと思う。保育を許容しない国は、力が弱まるだけだ保育を許容しない国は、力が弱まるだけだ 私は保育を取材するようになり、いろいろ得た情報の中で、こんなことが議論になるのは日本くらいらしいと知った。海外で子育てを経験した人は、アメリカでもヨーロッパでも、アジアでも、周囲に助けられて子育てがとてもしやすかったと言うのだ。電車にベビーカーで乗る時に、赤ちゃんが泣き出したらどうしようと心配するのは日本だけだ。  これは総務省統計局発表の、これまでの人口推移と今後の人口推計をグラフにしたものだ。 これを見ると、戦後いかに劇的に人口が増えたか、そしてこれからどれだけ急激に人口が減るか、よくわかるだろう。実は日本の高度成長は、人口の急増と都市化によって国内市場が驚くべき勢いで増えたことが大きい。だとすれば、これから坂を転げ落ちるような経済下降が待っているのは明白だ。人口が減る国は、衰退する国なのだ。  赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。私が前に書いた記事はそういうタイトルだった。そしていま言いたい。赤ちゃんが増えない国は、みんなが貧しくなる国だ。 保育園を増やすかどうかをなぜ議論するのだろう。保育園を増やさないと、国が貧しくなるだけなのに。保育園の開設は、最大の経済政策だ。私たちの子どもたちに豊かな未来を描いてもらうためにも、保育園は必要なのだ。 考えてみれば当たり前のこのことに、この国が気づくのかどうか。いま、試されている。その中では、あなたの考えや意見も、重要な要素だ。この稿を読んであなたも自分が思ったことを、発信してくれればと思う。

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    「保育園をつくるな」論争にみた戦後ニッポンの悲しい必然

    北条かや(著述家) 今やすっかりお馴染みの議論になってしまった、「子どもの声は騒音か」問題。先日は、待機児童問題が深刻な千葉県市川市で、4月に開園予定だった私立保育園が近隣住民の反対を受け開園できなくなった。周辺は静かな住宅街で、高齢世帯が多いエリアだそうだ。報道によると、社会福祉法人の説明会が複数回なされたが、「子どもの声は騒音になる」「保育所が面する道路が狭くて危険」などの意見が根強く、断念した。反対運動を起こした住民たちに対しては、「子どもは社会で育てるべきなのに、受け入れないとは何事か」という批判も寄せられているようだ。しかし、批判の前に「大前提」を確認しておく必要があるのではないか。「地域コミュニティの衰退」では不十分 私は子どもが好きだが、やはり子どもの声は「うるさい」。物心つきはじめる4~6歳くらいの子どもたちと遊んでいると癒やされるが、時に彼らは突然「キャーッ!」と叫んだり、耳をつんざくような泣き声をあげたりする。心身ともに疲れている時には、とても相手ができない……こともある。しかし、子どもとは元々そういうものだ。うるさいし、はしゃぐし、それが集団になればすさまじきこと限りない。彼らはただ全力で生きているだけで、そのあり方は何百年も変わっていない。ではなぜ近年、一部の大人が「子どもの声は『騒音』で『迷惑』」と主張するようになったのか。 問題は14年、神戸市の保育所をめぐり、近隣の70代男性が「子どもたちの声がうるさい」として訴訟を起こしたあたりから騒がしくなった。14年末からマスコミも取り上げ始め、NHKはクローズアップ現代で「子どもって迷惑?~急増する保育所と住民のトラブル~」と報じている(2014年10月29日放送)。 今のところ、住民と保育所側の対立要因として挙がっているのは、「送迎の車による事故の危険性が増す」「子どもの声が騒音になる」など、住民たちが抱える環境変化への不安。そして、その背景には「地域コミュニティの衰退」や、「社会の寛容性が失われたことがある」などと説明される。私はこうした議論に今ひとつ、納得がいかない。納得がいかないというより、問題の背景説明としては不十分である。 「地域コミュニティが衰退し、社会の寛容性が失われた」と嘆く論調は、たとえばこんなふうだ。 「昔なら路地裏で子どもたちが大声で遊んでいても、誰もなにも言わなかった。となり近所の顔が見える地域コミュニティが機能しており、地域全体で子どもを暖かく見守っていた。それが核家族化――に加え、時には“行き過ぎた個人主義”によって――地域コミュニティが崩壊し、子どもを異質なものとみなす住民が増えた。社会の寛容性がなくなり、――これまた時には“行き過ぎた個人主義”によって――我慢せずに個人の権利を主張することが当たり前になった。だから子どもの声に対しても寛容性を示さず、自らの権利を訴える人々が増えているのだろう」(※“行き過ぎた個人主義”の是正は、現政権が憲法改正の俎上に乗せたいところでもあるから、あえて強調しておいた。ここで深くは議論しないが、問題が「戦後日本の『自由』と『個人主義』」を反転させる方向へ転がっていかないよう、願ってはいる)国の「思惑」が少子化につながった国の「思惑」が少子化につながった まず事実として、戦後日本における「保育所」の出現がある。1947年に児童福祉法が制定され、「保育に欠ける」子どもを預かる施設に予算を投入するシステムが完成した。それまでは、工場の託児所があったり、大家族の中で支えあって面倒を見たりと、保護者が働いている間の「子どもたちへの待遇」はバラバラだった。重要なのは今と比べて、戦中期から戦後直後のベビーブーム時、1人の母親が産む子どもの数が異様に多かったということだ。10人きょうだいなど珍しくもなんともなく、「人生50年」の間に子を産んでは育て、産んでは育て、そして働く母親が大多数だったのである。 大きく変わったのは戦後。ベビーブーム以降、政府は食糧難の解消や福祉サービスの向上を目指して、「少なく産んでお金をかけて、家庭で大切に育てましょう」というふうに仕向けたのである。仕向けたとは大袈裟だが、そう表現するしかない。高度成長期には、祖父母らと同居する「拡大家族」とは異なる新しい家族=「専業主婦の妻とサラリーマンの夫、子ども2人」が「標準世帯」とされた。三歳児神話がまかり通り、「専業主婦の母親がつきっきりで子を見るのが当たり前」との考えが広まった。 日本の経済成長にともなう専業主婦の増加(=男性賃金の上昇)、戦後の保育所が「保育に欠ける」子どものために作られていたこと、母親が家庭で、少人数の子どもを大切に育てる理想モデル、そして少子化。すべてつながっている。子どもを社会で育てず、核家族内で母親が育てる。これが戦後日本における理想のシステムだったのだ。今さら「社会で育てよう」といっても、急に叶うものではない。新たな寛容性とは 私たちはそもそも「子どもは社会で育てるべき」という考え方を(ホンネの部分では)理解していないのである。「子どもの声は騒音だから、保育所を作るな」の議論が巻き起こるのは、戦後日本社会の悲しい必然だ。 平成になってからはご存知のように、不況や女性の社会進出で、専業主婦モデルが崩れている。共働き世帯の増加に、保育所の増加が追いつかないから、それまで保育所がなかった狭い土地にも保育所を作らなければならない。今までなかった場所に、その環境を大きく変える施設が出現すれば、なんらかの議論は起きる。保育所反対運動が増えるのは、新築マンションブームの裏で、マンションの建設反対運動が盛り上がる構図と似ている。 さらに近年、ものすごい勢いで高齢化が進んでいる。今や4人に1人が65歳以上の高齢者。これだけ社会にお年寄りが増えたのだから、「社会の寛容性」が上がった、下がったのとは無関係に、高齢層の声が大きくなるのは必然だ。 「保育所作るな問題」は、戦後日本の家族システムの問題点が明るみに出た「だけ」ともいえる。と同時にこの問題は、日本の福祉制度が転換期にあることをも示している。社会の寛容性やコミュニティの衰退以前の、単純な、そして重要な社会現象だ。「保育所作るな」という声に、どう向き合うかによって、私たちは「これからどんな社会を理想とするのか」を問われている。そこに新たな寛容性が生まれる素地は、きっとあるはずだ。私は希望を託したいと思う、この社会の一員として。 

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    古市憲寿氏「ビルの中に保育園建設するための制度を」と提案

     現在の日本では「待機児童」の問題など、保育園と保活に翻弄されるママたちの切実な現状がある。『保育園義務教育化』(小学館)の著書を持ち、これからの保育園の新しいあり方を提案する若手の社会学者、古市憲寿さんに改善策を聞いた。「日本はひとりっこ政策をしてこなかったけど、実質的にしているのと同じ。女性が子育てをしにくい環境をつくっているのは国や社会であることに気づいてほしい」。そう語る彼が提唱する「保育園義務教育化」――その仕組みとはどうなっているのか。「保育園義務教育化」が実現できれば、多くの女性に、“子供を産んでも働けるという安心感”も与えられる。「日本の未婚男女の9割が結婚したいと思っていて、理想の子供の人数は2人から3人です。保育園の義務教育化で子育ての環境が整ったら、多くの女性が安心して出産できます。つまり、出生率が向上して少子化解消につながります」(古市さん、以下「」内同) そして、この制度は子供の将来にとっても有益となるという。「ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のヘックマン教授が、“5才までのしつけや環境が人生を決める”と主張しているように、乳幼児教育は子供の人生において決定的に重要です。義務教育化をすることで、すべての保育園の教育レベルが一定水準になります」 さまざまなメリットがありそうな義務教育化だが、実現へのハードルは高い。「義務教育化となれば、保育園を増設しなければいけないし、保育士の待遇の低さを改善しなければいけません」 また保育園の建設場所の確保も問題だ。現在、「園舎は原則2階建て」という厳しい法律があるが、古市さんはこの決まり自体も変えるべきだと言う。「タワーマンションで子育てをしている人もたくさんいるのだから、ビルの中に保育園があってもおかしくないと思っています。ビルといっても自然光が差し込み、充分な広さを確保できるようにすれば、試してみる価値はあるでしょう。そうした保育園を建設するための制度を変えていくべきです」 それらを総合的に考慮した上で、保育園義務教育化は現代の日本に合った制度だ、と古市さんは主張する。「終身雇用で毎年給料が上がっていた時代に正社員と専業主婦という生き方は正解でしたが、時代が変わりました。今は専業主婦は一部の特権階級の人にしかできなくなっている。そのような中、お母さん1人だけに育児を任せるのは負担が大きすぎる。女性が、仕事と子育てを両立できる社会のほうが個人も社会も幸せになれるのです。保育園の義務教育化は日本人全員の将来にかかわります」(古市さん)関連記事■ 保育園義務教育化を提唱する古市憲寿氏「国が悪者になるべき」■ 「プールの日の朝食にかき氷」他 保育士を悩ます保護者実例■ 待機児童問題 2015年の新制度前に保育園に申込み殺到か■ 新しい保育制度 保育認定されても待機児童になる可能性が高い■ 待機児童多い世田谷区内の保育園 見学多すぎ現場運営に支障

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    待機児童多い地域でも子供の声を理由に保育園建設できぬことも

     保育園を必要としながら入れない、働きたいと思いながら働けない、そのような女性が2万人以上もいる日本社会の現実。「子供の声」を理由に保育園新設の理解が進まないケースも出てきた。そんな現状を、保育の問題に詳しいジャーナリストの猪熊弘子氏がリポートする。* * * 整備された静かな住宅街が広がる世田谷区。すでに開園しているところでも、「子供の声がうるさい」という近隣の苦情によって、園庭を使えるのは午前中だけと制限をしたこともある園や、窓を開けられない園もある。それは世田谷区だけではない。私が把握しているだけでも杉並区や大田区で、来年4月に開園予定だった保育園が地域住民の反対で延期になっている。  地域住民の反対で開園予定が延期になった、都内で複数の保育園を経営するある社会福祉法人の理事長はこう語った。「反対運動はある程度予想できたんですが、予想外だったのは、そのことで工事業者の入札がなかったこと。五輪や震災復興で需要があるから、わざわざ反対しているところの工事をやろう、という業者が少ないのです。 うちの区では近隣住民への対処も法人に任せっきり。保育園が必要だという保護者のかたからの応援もいただきますが、このままでは撤退せざるを得ないです」 待機児童数1109人、全国ワースト1が続いている東京・世田谷区。その世田谷区では、保育課の職員が中心になり、地域住民からの反対にも対応している。しかし調整はなかなかスムーズにいかない。保坂展人区長はこう苦渋を明かした。「管轄の職員からは、『保育園を作りたいという区長の気持ちはよくわかるけれど、対応する現場の職員はつらいんですよ』という声も入ってきています。地域住民への対応の難しさについても言われています」 現在の法律では、保育園を建設をするときに地域住民に説明をする義務は、業者にも自治体にもない。横浜市に住む男性が言う。「自宅マンションの隣の土地に建設確認の看板が出て、初めて保育園ができることを知りました。看板に書かれた法人の名前を見て、どんな保育園か調べたところ、庭でたき火をしたり、動物を飼ったりするなんていうことがたくさん書かれていました。静かな環境だからここを選んだのにすごく心配で…。保育園が足りないのは知っていますし、反対するつもりもない。でも、突然こういうことになると、こちらも何か対応策を考えないといけないかと思ってしまいます」 9月には国分寺市の保育園の前で、騒音を訴える近隣住民が斧を振り回すという事件も起きた。兵庫県では訴訟も起きている。 それに対して東京都議会では、「騒音条例の対象の中から子供の声を除外する」という動きもあるが、子供嫌い社会は変わるだろうか。保坂区長が語る。「昔は子供の数も多く、住宅街の路地は子供の遊び場でした。ベーゴマや缶蹴りなどをして遊んだことがある大人は大勢いるんじゃないでしょうか。でも、いつからか、日本の社会は子供の声を聞かない社会になってしまった。それをもう一度、子供の声が聞こえる社会にしていくことは大変です。泣きながら保活をしている親御さんたちを見ていると、どうにかしなければ、と思うのですが…」 少子化と待機児童問題を解決するためには、国でも自治体でもない、実は地域住民の理解がまず大前提なのだ。選挙権もない子供たちの力は弱い。そんな彼ら彼女らが大きくなった時、果たしてこの社会で子供を産み育てたいと思ってくれるだろうか。関連記事■ 新しい保育制度 保育認定されても待機児童になる可能性が高い■ 待機児童問題 2015年の新制度前に保育園に申込み殺到か■ 「プールの日の朝食にかき氷」他 保育士を悩ます保護者実例■ シッター遺棄事件「待機児童ゼロ」宣言した横浜市の責任指摘■ 妊娠発覚した女性 喜びつかの間「保活」タイミング最悪と語る

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    保育園の騒音トラブルは必ず発生する 市川市の開園中止は反面教師

    中嶋よしふみ(シェアーズカフェ・オンライン編集長、ファイナンシャルプランナー)  先日、千葉県市川市で4月に予定されていた保育園の開園が中止されたと報じられた。原因は騒音を理由とした周辺住民の反対によるものだという。「説明会に同席するなどして地域の理解を求めてきた市の担当者は「(住民の反対で)開園が延期したケースは東京都内などであるそうだが、断念は聞いたことがない。残念だ」と言う。<私立保育園>「子供の声うるさい」開園断念 千葉・市川 毎日新聞 2016/4/11」開園が断念された保育園の建設予定地=市川市菅野(大島悠亮撮影) 首都圏にほど近い市川市は東京駅までわずか30分、人口は約48万人、都心部へ通勤する人も多いだろう。 保育園の騒音に関するニュースは度々話題にのぼるが、そのたびに「子供の声をうるさいなんて言う人はおかしい」「自分が子供だった時を忘れたのか」といった批判が起こる。今回も「これじゃあ日本が少子化になるなんて当たり前だ」と多数の批判コメントが寄せられている。しかしこういった批判は完全に的外れだ。今回の開園中止は報道内容を読む限り、当然の結果だと言わざるを得ない。 保育園の騒音問題には多数の誤解や勘違いが含まれており、市川市の開園中止は行政すらまともに騒音問題を理解していなかったことを露呈した。改めて、保育園の騒音問題に関する誤解を一つずつ確認してみたい。なぜ保育園で「騒音問題」が起きるのか 一昔前には、保育園の騒音が報じられることは無かった。もちろんトラブルはゼロでは無かったとは思うが、近年になって多数報じられるようになったことから、この問題を最近になって発生し始めた新しい問題だと考えている人は多いだろう。 そういった視点から「日本人の心が狭くなった」「少子化で子供と接する人が減ったことが原因」といったもっともらしい説明がなされることもある。しかし、ハッキリ言ってどちらもトンチンカンにも程があるという見解だ。 保育園による騒音トラブルが増えた原因は近年都市部に保育園が急激に増えたことが原因である事は明白だ。待機児童の問題は人数が多いことだけではなく、都市部に極端に偏っている事でさらに問題が大きくなっている。これは待機児童は300万人超?園児一人当たりのコストは50万円?「保育園落ちた日本死ね」論争に終止符をでも書いたことだ。 都市部の土地はすでにほぼ開発されつくしており、新しく保育園を作れば民家と隣接せざるを得ない。この状況で多数の保育園を作れば騒音トラブルが発生するのは当然だ。今後も騒音トラブルは今まで以上に増える、そして騒音トラブルは心の問題や気分の問題ではなく、都市部で大量に作られたことによる物理的な問題と考えない限り、解決することは出来ない。当事者にとっては極めて深刻なトラブル 同時に、これは保育園によって起きている問題ではなく「隣人同士の騒音問題」だと考えれば、何十年も前から、おそらくは江戸時代に長屋が出来た時代から発生していたと言えるだろう。 保育園の騒音は「保育園のトラブル」ではなく「騒音トラブル」として考えれば、新しくもなんともない問題である事が分かる。騒音があればどこであろうと、誰であろうとトラブルは発生する。 そして、過去には騒音が原因で殺人事件まで発生しているケースもあり、保育園でも子供の声がうるさいと斧を振り回して逮捕されたケースまである。つまり騒音トラブルは「たかが子どもの声に目くじらを立てるな」などといえるようなものではなく、当事者にとっては極めて深刻なトラブルでもあるということだ。騒音かどうかなんてどうでも良い おそらく子供の声に「騒音」という言葉を使っている時点で不愉快な人は多数いるだろう。しかし、子供の声を不快に思う人は厚生労働省の調査によれば35%にのぼる(2015年・厚生労働省白書)。この数字は一部とも少数派とも言えない。そうでなければこれだけ反対運動が起こるはずもない。国も自治体も保育園を作れば必ず反対運動が起きるという前提で対応すべきだ。 こういった話題で必ず発生する一番多い批判は、子供の声をうるさいと思う人はおかしい、その次がすでに住んでいる人が近くに作る時に文句を言うならまだしも、後から引っ越してきた人が文句を言うな、というものだ。 一つ目についてはこれほど意味の無い批判も無い。ピーマンが嫌いな人になぜお前はピーマンが嫌いなんだ?こんなに体に良い食べ物なのに、と文句を言っても意味が無いことと同じだ。嫌なものは嫌、それだけだ。子供の声をうるさいと思うなといったところで問題は何ら解決しない。クレームを出すなと言ったところで止まる事は無いだろう。 そして、重要なことは子どもの声をうるさいと思う人がいるかいないかに関係なく、保育園の数は増やさないといけないということだ。焦点は保育園の整備を進めることであり、騒音問題では無い。騒音が障害になるのなら粛々とそれを解決するために必要なことをやれば良いだけだ。そういう意味では、今回の市川市のケースで、悪いのは反対住民ではなく遅滞なく建設できなかった自治体ということになる。 私立の保育園であっても国策として保育園を増やすと決めて税金も投入している以上、責任は国や自治体にあるのは当然だ(保育園の建設はあくまで事業者が行うことだが、今回のケースでも住民との話し合いに市の担当者は参加していると報じられている通りだ)。保育園が出来ると資産価値は下落保育園が出来ると資産価値は下落 そしてもう一つのイヤなら引っ越してくるな、という意見だ。今回は新しく作ろうとしたところで住民が反対運動をしたケースだが、それでも関係がある。 好き好んで幼稚園や保育園の隣に引っ越しをする人はいないだろう。オークションと同じで、敬遠する人が増えればそれだけ賃料も価格も下がる。つまり不動産価格に悪影響が発生するから建設反対という人も確実にいるということだ。これもおかしいと文句を言ったところで変わりの無い事実だ。 無責任な事を言うなと批判を受けそうだが、そういう人のほとんどは保育園や幼稚園の隣に住んだ事は無いだろう。自分が現在借りている事務所は幼稚園の隣にある。近くではなく、隣接だ。薄い壁一枚を隔ててすぐ隣が幼稚園で、自分が借りる際には1年近く空き家だったようだ(事務所の環境について詳細は後述する)。子供の声はうるさくない ここまで読んで「コイツは保育園の建設に反対するとんでもないヤツだ」と思われたかもしれないが、以前の記事で東京には数百万人分の保育園が足りないと書いた。自分が問題と指摘していることは、今のような行き当たりばったりの状況では保育園を増やすことはできないということだ。しかし解決策はある。なぜなら子供の声は決してうるさくないからだ。 すでに書いたように、自分は幼稚園の隣に事務所を借りている。午前から午後2時位までは子どもが園庭で遊んでおり、それ以降は子どもを迎えに来たお母さん達が夕方まで園庭でずっと喋り続けていて、子供の声に負けず劣らずという状況だ。お母さんが帰らないのだから当然子どももその場にいてずっと大はしゃぎで遊んでいる。 その隣に事務所があると聞けば、市川市で反対運動をしていた人ならば卒倒しそうな状況だが、室内では驚くほど子供の声は聞こえない。壁の分厚いタワーマンションやごついビルというわけでもなく、エレベーターすらないおんぼろビルだが、子供の声もお母さんの声も全く聞こえない。境目に防音壁などは無く、道路に面した園庭に至っては金網で声はダダ漏れの状況だ。 これは自分が子供の声をうるさいとは思わないとアピールしているわけではなく、仕事で訪れた編集者や相談に訪れたお客さんも、窓を開けると思い出したように「そういえば隣、幼稚園でしたね。こんなに近いのに窓を閉めてると全然聞こえないんですね」と、皆が驚く。工場などでは「消音スピーカー」を使うケースも なぜこんなことが起きるのか。音響マニアの人ならば簡単に分かるだろう。周波数の高い声、つまり子供や女性の声は遮音・防音が簡単だからだ。ドアやコンクリートの壁、あるいはカーテン一枚でもかなり音は防ぐことが出来る。防音対策は何もしていないため通常の壁だけで防音が出来ていることになる(うるさいと文句を言う人は壁の薄いアパートか木造の一軒家なのだろう)。 イメージとは逆に、男性の出す低い声や、工場やクーラーの室外機から出る低音は遮音が難しい。つまり防音設備をキッチリと整備すれば子どもの声を防ぐことは決して難しいことでは無いということだ。 以前、背の高い防音壁が設置された保育園が報道されたときも、子供の遊ぶ庭にこんなものを作るなんて、と批判が多数寄せられていた。しかし、重要な事は保育園をまずは確保することだろう。壁一つで保育園を建設出来るのならいくらでも壁を高くすればいい。 保育園よりもっと大音量の騒音をまき散らす工場や商業施設はどうしているのか。これは消音スピーカーといったものが使われているケースもある。高度な技術により、音を音で打ち消すような仕組みだ。 身近なものではノイズキャンセリング・イヤホンなどにも使われている技術だ。利用したことがある人ならば分かると思うが、ノイズキャンセリング・イヤホンを電車内でつかうと電車の動く音が全く聞こえないくらい効果が出る。道端では車の走行音が聞こえなくて危ないくらいに音楽の世界に入り込める。これはイヤホンで物理的に耳をふさいでいる効果も当然あるが、既に騒音を打ち消す技術はあるということだ。 ただ、これを直ちに保育園や幼稚園に転用は出来ない。工場と保育園・幼稚園では音の性質が全く異なるからだ(先ほど書いた低音と高音の違い)。工場等の騒音は生活のトラブルとして解決する必要があったため開発が進められてきた経緯はあるのではないかと思う。 今後子供の高い声を打ち消す事ができる技術が生まれれば都市部で住宅街のど真ん中に何の心配もなく保育園を建てることも可能だろう。保育園の増加が国策なのであれば、経営危機にある家電メーカーに消音技術の研究開発費でも補助金として出せばいい。稚拙な住民交渉でトラブルが深刻化する 今回の報道で誰も気にしていないが、最も深刻な箇所は先ほど引用した以下の部分だ。「市の担当者は「(住民の反対で)開園が延期したケースは東京都内などであるそうだが、断念は聞いたことがない。残念だ」と言う。」 これが本当に報道の通りならば勉強不足、調査不足にもほどがあるとしか言いようがない。開園が断念されたケースはこれまでにも多数報じられているからだ。例えば以下のケースだ。「さいたま市内では、2011年春の保育所開設を目指した計画も白紙に。断念した社会福祉法人理事長は「住民の反対や地主の貸し渋りであきらめた計画は、他市も含め10以上ある」。隣に保育所、迷惑ですか 騒音・送迎車…各地で建設難航 朝日新聞デジタル 2014/06/3」 延期と断念がどこまで厳密に区分けして報じられているか分からないが、こういった報道は他にも多数ある。東京都内などであるそうだが、といったレベルの話ではない。市川市は他の自治体の成功例・失敗例を知らず、情報不足のまま対応した結果、開園までこぎつける事が出来なかった可能性は無かったのか。説明不足で住民が怒ったと報じられているケースも多い 市川市の問題にとどまらず、国策として保育園を何年も前から増やしているにもかかわらず、どんな手順で工事を初め、どのように住民に説明すれば説得が可能か?といった手順の標準化(マニュアル化)や、各地の自治体が困らないように国が情報共有の手助けをするといったことすら着手していないことも露呈している。保育園の建設反対運動の発端は説明不足で住民が怒ったと報じられているケースも多い。 他にも、保育園の屋上に砂場を作ろうとして周辺住民とトラブルに発展したというデザイナーが暴走しているようなケースや(保育園が足りない 建設めぐり住民と事業者が対立 - Yahoo!ニュース 2015/12/25)、突然保育園の建設を始め「工事の妨害をしたら法的手段を取る」と周辺住民に脅すような文面を建築業者が送りつけて非常識な対応をするケースなど(「憩いの場」に保育園建設…高齢女性の嘆き AERA 2014/11/15)、どう考えても事業者側に問題がある事例も報じられている。保育園に税金が投じられている以上、当然これらのトラブルは全て国や自治体にも責任がある。 既に書いたように建設から開園までにやるべきこと、守るべきルールを標準化し、情報を共有して保育園の設立アドバイザーのような職種を育成・派遣することで不要なトラブルを避ける事は十分可能だ。 保育園不足の原因として財源不足や住民の反対が挙げられるが、行政や立法の怠慢も確実にあるとしか言いようが無い状況だ。※通常、保育園の開園に周辺住民の了承は不要で強行することも可能だが、園児に危害が加えられるような事態を避けるため住民の理解を無視することは当然出来ない。上記の朝日新聞の記事では防音壁や二重窓はもはや当たり前という自治体の声も紹介されている。国は本気ならば「本気の対応」を この記事を書いている最中、沖縄の基地建設に揺れる町に関するドキュメンタリーが放送されていた。その町では国から補償金を貰うべきかどうかで話し合いが持たれ、苦渋の選択として多数決でお金を貰う事にしようと決まった様子が放送されていた。 保育園の周辺で騒音や資産価値下落で困る人がいるのなら、二重窓の工事代金の支払いや補償金の支払いも当然検討してしかるべきだ。反対意見は出るだろうが、それは既に書いた通りピーマンが嫌いな人はおかしいといったレベルの話に過ぎず、耳を傾ける価値は無い。 重要な事は今後も人口の密集した都市部に大量の保育園を作らざるを得ず、一つ作ろうとするたびに住民の反対運動が起きて結局作れませんでした、ということになれば無駄に時間と手間を浪費し、仕事に復帰できないパパやママが大量に生まれるということだ。 今後保育園をスムーズに作るためには予算はもちろん、国がキッチリと関与することが必要だ。保育園の増設には様々なやり方があり、現在のやり方が全て正しいとは思わないが、少なくとも定員の増加は確実に必要だ。そのためには最低限のルールや手順の整備は早急に進める必要がある。 今後は自治体と住民がこれ以上不要なトラブルを起こさないで済むように、国も全国の自治体も市川市の事例を反面教師として環境を整えるべきだろう。【参考記事】■住宅購入の相談に乗っているFPから見た、働くママと会社の関係。|人事のための課題解決サイト jin-jour(ジンジュール)■待機児童は300万人超?園児一人当たりのコストは50万円?「保育園落ちた日本死ね」論争に終止符を。■「資生堂ショック」という勘違いの勘違いについて。■「奨学金のせいで結婚が出来ない」という勘違いについて。■年収240万円で子育てをしながら普通に暮らす方法。

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    「限界マンション」に日本の絶望を見た

    少子高齢化による過疎の波が都心にも迫っている。いま老朽化や空き家の増加により、廃墟と化したマンションが首都圏で急増し、防災上のリスクなどから将来的には公費解体せざるを得ない事態に陥っている。都心に増える「限界マンション」。日本の危機的未来を暗示した「縮図」がそこにあった。

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    廃墟か建て替えか、それとも延命か…老朽マンション「重い決断」

    櫻井幸雄(住宅評論家) マンションの建物は必ず老朽化する。そして、老朽化したときの対応は簡単ではなく、極めて面倒。しかし、マンションを買う人、住んでいる人の多くはそのことを意識していない。  漠然と「鉄筋コンクリート造の建物は半永久的に存在し続ける」と思っているからだ。ところが、実際の建物は半永久的の耐久性を持っているわけではない。  では、実際の耐久性はどれくらいなのか。現在の新築分譲マンションであれば、少なくとも60年から80年、メンテナンスをしっかり行えば、100年に達するほどの耐久性を有すると考えられている。しかし、昭和時代に建設されたマンションの寿命はそれよりずっと短い。 日本にマンションが増え始めたのは昭和30年代から40年代にかけて。その時期に建設された第1世代のマンションが、今、建て替え時期を迎えている。 第1世代のマンションの寿命は40年から50年程度とされている。だから、昭和30年から40年にかけて建設された“第一世代マンション”が、いま続々と建て替えられているわけだ。 この“第一世代マンション”は、寿命が短い一方で、建て替えがしやすいという利点がある。建て替えがしやすい理由は、敷地に対してゆったり建築されていたケースが多く、むずかしい言葉で言うと「容積率に余裕がある」からだ。その場合、建て替えによって従前より戸数を増やすことができ、余剰住戸を一般に分譲することで建設費を捻出。元からの住人は1円も出さず、新しいマンションに移り住むことができた。 これは初期のマンションに限った話。多くのマンションは、建て替えで余剰住戸が生じない。だから、自分たちで建て替え資金を出し合わなければならない。その額は平均的な3LDK住戸1戸あたり2500万円以上とされている。それだけのお金を全住戸が出すことができないと、建て替え計画は暗礁に乗り上げるのだ。 そんなの聞いていない、と思うかもしれない。しかし、「自分でお金を出して建て替えを行う」のは、一戸建てにおいては当たり前のこと。マンションも同様に、お金を出さなければならないのだ。 その際、マンションの問題は「多くの人がお金を出し合わなければならない」ということ。一戸建てならば、1家族の決意で建て替えが実現する。しかし、マンションは多くの住戸の総意をまとめる必要がある。これが大仕事なのだ。 「マンションの建て替えには5分の4の賛成が必要」とされるが、これは、「建て替えの動議が可決するには5分の4の賛成が必要」という意味。5分の4の賛成が得られれば、すんなり建て替えが実現するわけではない。 実際には、動議が可決した後、100%すべての人が「建て替えをしましょう」「お金が必要ならそれを出します」と同意しないと建て替え計画は前に進み出さないのだ。 その結果、「1人でも反対者が残った場合、建て替えはできない」という状況が生まれてしまった。それに対し、現在は最後まで残った少数の反対者住戸を管理組合が強制的に買い取って、建て替えを進める手段が生まれている。いわゆる「強制代執行」だ。建て替えでも廃墟でもない第三の選択肢 ただし、この強制代執行はあくまでも最後の手段=伝家の宝刀のようなもので、1戸か2戸の反対者に対して行われる。反対する人が5人、10人となれば、伝家の宝刀を抜くことはできない。 その結果、建て替えができず、このままでは廃墟になるのを待つしかない、というマンションが日本各地に増え始めている。それが、日本のマンションの実情である。 これは困った問題である。全員でお金を出し合って建て替えるか、廃墟になるのを待つ。この二つしか選択肢がないので、結論を先延ばしにしているマンションが増えているわけだ。 その解決策として、第三の選択肢が生まれている。それは、建て替えではなく、「延命」という方法だ。 「延命」は、3つの段階で行われる。 まず、建物の耐久性を診断し、鉄筋コンクリート造もしくは鉄骨鉄筋コンクリート造の基本構造がしっかりしているかどうかを調べるのが第1段階。これなら、基本構造がまだしっかりしていると診断されたら、共用部にあたる給排水管や建物の外壁、エントランス、玄関ドア、窓などを改修する。これが第2段階で、マンションの見栄えが圧倒的によくなるし、居住性も向上する。 さらに、各住戸内(専有部)も新しくしたい、という人には間取りや設備を一新するリフォームを行う。この第3段階は希望者だけに行うため、資金に余裕のない人は共用部の改修費用だけを負担すればよい。つまり、延命処置ならば、建て替えよりハードルが低くなるわけだ。 もちろん、「延命」した後、いつかは寿命が尽きて「建て替え」ということになる。結論を先延ばしているだけ、とも言えるのだが、長く住み続け、「ここを終の住処にしたい」と考えている高齢者の多くには最良の選択肢になるはずだ。延命したマンションは、少しずつ不動産会社に買い取られ、最後は不動産会社の手によって建て替えられる……そのようなビジネスモデルが今後、増えてゆく可能性が高い。 以上のように、老朽化したマンションの今後を考えると、築30年以上の古い中古マンションを買うことには、リスクがあると言わざるを得ない。もしかしたら、20年後、そのマンションが築40年になったあたりで、建て替えの話が出て、面倒に巻き込まれる可能性があるのだ。 ただし、築30年を超えるようなマンションは、中古価格が安く設定される。安いのはいいのだが、リスクはある。それが、築年数の古い中古マンションの宿命というべきだろう。 リスクがあるが、延命できればラッキー……とはいっても、家族のために買うマイホームで、そのようなリスクを冒すべきではない、という考え方もある。築年数の古いマンションが増えた現在、家探しで新たな迷いが増えてしまった。

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    放置された「限界マンション」は公費で解体するしかない 

    米山秀隆(富士通総研 経済研究所上席主任研究員)  空き家問題は今のところ一戸建てが中心であるが、近い将来、深刻になっていくと予想されるのが分譲マンションである。全国のマンションストックは613万戸(14年末)に達するが、このうち81年6月以前に建設された旧耐震マンションは106万戸、さらに71年4月以前に建設された旧・旧耐震マンションは18万戸ある。 今後マンションの老朽化は急速に進んでいき、築40年超のマンションは、10年後には140万戸、20年後には277万戸に達する(図)。[図] マンションの老朽化 マンションの完成年次別の空室率を見ると、全体の空室率は2.4%に過ぎないが、74年以前完成のマンションでは空室戸数の割合が10%超の物件が増え、69年以前になると空室戸数の割合が15%超の物件が増えていく(国土交通省調べ)。築40年を超えると、マンションの空室率が高まっていくことがわかる。 東京都港区などには、初めてマンションが登場した50年代半ばから60年代にかけて建設された物件が点在している。老朽化マンションに対処する方法の一つは建て替えであるが、建て替えできたものはわずかで、多くはデベロッパー主導によるものである。空室化が進み、管理組合が機能していない例もあり、中にはスラム化しているものもある。 今後はこれまで供給されたマンションの老朽化が進み、同時に居住者の高齢化や空室化が進んで管理が行き届かなくなり、スラム化に至る「限界マンション」が大量に出てくることが予想される。建て替えの限界と解体のハードル 建て替えには、容積率に余裕があって従前よりも多くの部屋を造ることができ、その売却益が見込めなければ、デベロッパーの協力は得られない。筆者がかつて行った試算では、東京都区部では1.6~2.8倍程度容積率を割り増さなければ、採算に合わないとの結果が出た。実際、建て替えできたのは全国で211件、1万6,600戸(15年4月時点)に過ぎない(阪神大震災関連を除く、国土交通省調べ)。 一方、老朽化マンションでは既存不適格物件(建設当時の法令では適法だったが、その後の法改正によって違法となり、従前と同じ容積率で建て替えることができなくなった物件)が多く存在する。既存不適格物件は、70年以前の建設で67%、71~75年の建設で65%もあり(いずれも民間の物件、国土交通省調べ)、これらは建て替えが極めて困難である。 このように建て替えには限界があるため、他の方策も必要になる。マンションの区分所有権を解消し、敷地を売却して終止符を打つ方法がその一つであるが、この場合、区分所有権解消には全員一致が必要という条件がネックになる。この問題は東日本大震災での被災マンションで、全壊判定されたマンションでも解体できない問題として浮上した。これを受け、法改正により、被災マンションについては5分の4の賛成で区分所有権解消が可能とされ(被災マンション法改正)、次いで、耐震不足のマンションについても同様の法改正がなされることになった(マンション建替え円滑化法改正)。最終的には公費解体へ しかし、問題はこれで終わりではない。区分所有権を解消しようとしても、解体費用が捻出できない場合には、老朽化物件が放置される恐れがある。この解決策としては、あらかじめ解体費用を積み立てておくことが考えられる。最近では、修繕積立金の一部が、最後に解体費用として残るよう長期修繕計画を立てる物件も出てきた。 ただし、現在、解体費用を捻出する計画を立てている物件は、立地が良く、敷地が相応の価格で売却できる見通しが立っているケースと考えられる。つまり、一時的に解体費用を負担しても、敷地売却で回収できるケースである。そのような見込みがなければ、解体費用を全額自己負担せざるを得ないが、そこまでの合意ができるとは到底思えない。 解体費用の自主的積み立てが難しいとすれば、次善の策として、固定資産税による解体費用の事前徴収もあり得る。この発想は、今、危険な空き家でも自分で解体してくれないという問題が戸建て、共同住宅を問わず問題になっているが、そうであるならば、住宅を建てた時点から毎年、解体費用を徴収していったらどうかというものである。具体的には、毎年、固定資産税に将来必要になる解体費用を少しずつ上乗せして徴収していくというのが一案である。マンションの場合、特にこうした仕組みが必要かもしれない。しかし、すべての区分所有者の負担が増すため、これも導入は困難が予想される。最終的には公費解体へ 区分所有者が解体の責任を果たさないとすれば、最終的には、行政が買い取って取り壊すという選択肢が必要になる。これは、フランスにおいて、スラム化したマンションで実際に行われた事例がある。もちろん、国土交通省も最終的にマンションがこのような事態に至る可能性に気づいていないはずはなく、関係者の中には、強制収用の仕組みを導入することが将来的に必要との認識を示す人もいる。この場合、すべての物件の強制収用、解体は難しいため、放置しておくことが危険な状態になったものについて、実施するということになるだろう。つまり、現状のままではマンションの最終的な出口は、公費解体ということになる。 区分所有者の中には、ここまで述べてきたことによって、マンションに住み続けること、あるいはマンションを購入したことについて少なからず不安や後悔の念を抱かれた方もいるかもしれない。しかし、現実には本来は所有者が果たすべき責任、つまり寿命が尽きた時の解体の責任は必ずしも厳しく問われるわけではなく、公費解体が最終的な答えになるとすれば、そう心配はしなくてもいいことになる。ただし、そう思われることは、区分所有者のモラルハザードを引き起こすことになるため、今後も国土交通省は管理の重要性を強調していくことには変わりがないだろう。マンション購入者への注意喚起が必要 実際、自分の所有するマンションがスラム化に至るような事態は、できるだけ避けるに越したことはない。そのためには、管理組合を機能させ、必要な修繕を行って資産価値を維持し、中古としても魅力的な物件であるように努力していくことが必要になる。新たな購入希望者が出てくる限り、スラム化に至る可能性は低くなる。ただ、中古としても魅力的な物件であるためには、建物自体に問題はないことはもちろんであるが、立地条件によって大きく左右される。今後は世帯数が減少し、住宅需要は減る一方なので、立地条件の悪い物件はそれだけで不利になる。 また、マンションが建設されある程度の時間が経っていくと、収入に余裕のある層はより条件の良い物件に住み替えたり、一戸建てに移る場合も出てくる。条件の悪いマンションほど、新たな購入者が現れず、新たな購入者が現れたとしても、場合によっては、フランスでスラム化に至ったマンションのように、低所得者層が集まる物件が出てきてもおかしくはない。こうしたところまでは、まだ日本では起こっていないと考えられがちであるが、リゾート物件にはすでにそれに近い現象が起きている。バブル期に大量供給された物件が大幅に値崩れして、数万~数十万円程度で買えるようになり、低所得者層が流入しているケースである。マンション購入者への注意喚起が必要 要するにここまで述べてきたことは、立地条件が良く、敷地に価値がある場合は、老朽化した場合でも建て替えや再利用はもちろん、敷地の買い手も出てくるため、あまり心配はいらない。ところがそうではない大半の物件は、解体費用すら捻出できず、放置される危険性が高いということである。そしてその処理は、現状のままでは最終的には、公費に頼るしかなくなる。公費解体は、区分所有者以外の人々も費用を負担しなければならなくなるため、公平性を欠く。区分所有者が、解体費用を確実に負担する仕組みを確立しておくことが望ましい。 空き家問題との関わりで言えば、今は一戸建ての問題が中心であるが、やがてマンションの問題が深刻化し、そしてその次にはタワーマンションの問題が浮上してくると考えられる。タワーマンションは、当面は、大規模修繕の方式を確立することが課題であるが、やがて来る建て替えや解体の問題は、区分所有者数が多い上、巨額の解体費用を要することから、通常のマンション以上に深刻になる。 通常のマンションにしろ、タワーマンションにしろ、問題が最終的に行き着く先は、解体費用の手当てに集約されると考えられるため、繰り返しになるが、区分所有者が解体費用を負担する仕組みを確立する必要性を強調しておきたい。その場合、現にマンションを保有する人、今後、購入する人の負担は増すことになるが、これまで最終責任について明確に自覚することなく、購入してきたこと自体がおかしかったといえる。マンションを購入する場合は、老朽化した場合のリスクについて、購入時の重要事項説明の中で義務付けることが必要である。

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    「住宅すごろく」から様変わり…タワーマンションと高齢化問題

    牧野知弘(不動産コンサルタント) マンションの曙は1956年、東京、新宿区四谷に誕生した四谷コーポラスが始まりと言われている。以降59年間、マンションストックは全国で601万戸となり、日本の居住スタイルとしてすっかり定着した感がある。 昭和の時代までは、マンションは将来一戸建て住宅を取得するまでのステップという意味合いが強かった。いわゆる「住宅すごろく」という考え方である。結婚して賃貸アパートや賃貸マンションに住む。少しお金がたまれば。分譲マンションを買う。そのうちマンションが値上がりするから、マンションを売却して売却益を使って郊外の一戸建てを取得する。定年後はこの住宅で子や孫に囲まれて穏やかな人生を過ごす。こんな絵にかいたような人生を思い描いてきたのが住宅すごろくだった。 ところが、平成になってマンションは「永住する資産」としての認識が急速に広まった。郊外からの通勤が大変であるのは昔も今も変わらないが、都心部のマンションが安くなって買いやすくなり、今更郊外に住むことなく便利なマンションに永住しようとする考え方が主流となったのである。安くなった原因は小泉内閣だった1996年頃に都心部のとりわけ湾岸部を中心に容積率が大幅に緩和(引き上げ)されたこと、また湾岸エリアにあった工場の多くがアジアへ拠点を移し始めたため、タワーマンションとして供給できる土地が数多く手に入るようになったということである。 しかし、このマンションという建物が今、厄介な問題を抱え始めている。建物の老朽化と住民の高齢化である。旧耐震制度のもとで建設されたマンションは都心部を中心に約106万戸存在する。築40年を超えるこのマンション群では現在建物の大規模修繕や建替えを巡って大紛糾する事態が相次いでいる。 マンションは区分所有法に基づき、大規模修繕には管理組合において、議決権を持つ区分所有者の4分の3以上、建替えにあたっては5分の4以上の賛成が必要となる。ところが、マンション住民の多くが高齢化し、子供や孫がこの資産を引き継がない、引き継いでも実際には居住しないという状況のもと、議案をかけても可決できないのである。 特に年金だけが頼りの生活を続ける高齢者は、大規模修繕や建替えに伴う資金の追加負担には耐えられる構造になく、また高齢化に伴い、問題に対する判断能力にも限界が生じ、「今さえ良ければよい」「何もしないでほっておいてくれ」といった問題先送りが繰り返され、健全な組合運営すら困難になっているところが続出しているのである。 こうしたマンションはやがて意識の高い住民から脱出が始まり、メンテナンスが行き届かないマンションでは空き住戸が急増し、やがてはスラム化への道を歩むであろうことは想像に難くない。人気のタワーマンションで起こる別次元の問題 いっぽうで現在さかんに建設されている人気のタワーマンションはどうであろうか。このマンションの住民層はまだ高齢化が著しくはないであろうが問題は別の次元で存在する。住民層の違いだ。 最近分譲されるタワーマンションの多くは、高層部は中国人をはじめとする外国人投資家と、相続対策が必要な個人富裕層が所有している。いずれも自らが居住することを目的としていない「投資」を行っている人たちだ。いっぽうで中・低層部はタワーマンションをエンジョイしようとする「居住」を目的とした人たちだ。 投資を目的とする中国人たちは2020年の東京五輪の前後に売却して利益を取ろうとする人たちである。中国と日本の習慣の違いもあり、管理組合の提示する管理費や修繕積立金に理解を示さない区分所有者が多数出現して問題となっている。相続対策目的の個人富裕層も相続が発生すれば売却することを予定しているため、管理組合の活動に対してはほとんど関心を示さないという。 こうしたタワーマンションが今後、必要な修繕やましてや建替えの決議が可能であろうか。タワーマンションは平成初期に建設されたのが始まりである。実はまだ、大規模修繕のモデルが確立されていないのが実態だ。たとえば外壁修繕を行おうにも、一般のマンションと異なり足場を組むことはできない。高層用エレベーターは、くるまに例えるならば一般のマンションのエレベーターがプリウスであり、タワーマンションのそれはポルシェくらいに違いがある。大規模修繕にかかる費用は数倍にも及ぶ可能性がある。 マンションが「永住用の資産」と考えた場合、現在旧耐震マンションで生じている問題以上に深刻な問題がこのタワーマンションに生じてくる可能性が高いものと懸念される。 あらためて日本は今後、世界最先端の人口減少・年齢構成の激しい高齢化の時代を迎えることを認識する必要がある。一定限度の「新陳代謝」が行われる限りにおいては「資産価値の維持・向上」を続けることが可能であっても、多くのマンションが新陳代謝できずに、区分所有者とともに急速に老朽化しスラム化していく世界が今、目前に迫ってきている。 建物は劣化する。このあたりまえの事象の前にいま高齢化国家日本の憂鬱がある。

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    全国で深刻化する空き家問題 東京都心で空き家が放置される理由

    本田康博(証券アナリスト・馬主・個人投資家) 先月26日、「平成25年住宅・土地統計調査」の確報値が公表されました。5年ごとに公表されるこの調査は、日本の住宅と土地について、その居住や保有の現状と推移を様々な切り口から明らかにしています。また、その中から住宅数と空き家数にかかわるいくつかの項目を用いることで、空き家率が計算できます。意外に多い? 東京23区の空き家 首都圏の空き家率の推移については、BLOGOS等にも配信されている「マンション・チラシの定点観測」ブログの3月5日の記事「空き家率 1都3県の15年間の変化が分かる地図アニメ」が紹介しています。アニメーションで変化を視覚的に理解できるのは、分かりやすいし、面白いと思います。 記事をご覧になった方は、おそらく、「都心も意外に空き家があるんだなぁ」と、思われたのではないでしょうか? 実際、都心にはたくさん空き家があるのですが、その理由について考えるために、ここでは空室率について少し細かくブレークダウンしてみました。データ時点は2013年10月です。表中の「ボロ」は、元の統計表で「腐朽・破損あり」とされているものです。 こうして細かく見てみることで、いろいろ気づくことがあるものです。例えば、・東京の空き家率は、賃貸物件の空室率の影響が大きい。(23区は全体の52%が賃貸物件、全国では38%。)・賃貸物件の空室率がかなり高い。特に豊島区、大田区、中野区等。・千代田区、港区等、都心の空き家率は高いが、相対的には、特に賃貸以外について顕著な傾向。・江東区はいずれの切り口でも空き家率が低い。・足立区はボロ空き家は多いが、非ボロ空き家は少ない。等々。 こうした気づきを片っ端から深掘りしてみるのも面白いかもしれませんが、ここでは特に都心三区(千代田、中央、港)の空き家率が、特に非賃貸で高い点に注目してみました。なぜ都心で空き家が放置されるのか? 表の右上、賃貸以外の物件の空き家率で上位となったのが、千代田区、中央区、港区の都心三区です。賃貸物件のランキングで中央区だけ空室率が低いように、切り口によっては必ずしも同じ傾向とはなりませんが、賃貸以外の物件に限って言えば、かなり似ています。 結論から言ってしまうと、都心三区で空き家が多いのは、これらの区では活発に不動産開発が行われているからなのです。 空き家が増えているというと過疎化が進むイメージを思い浮かべるのがたぶん普通なのですが、じつはそれとは真逆のことが起こっている場合もあるのです。 例えば、六本木ヒルズの開発では、元々500世帯ほどが住んでいた地区を地上げし、現在の形にするまでに、計画の公表から考えても約17年かかったと言われています。地上げは計画発表前から徐々に進められますし、途中でいったん頓挫して他の業者に引き継がれる場合等もあり、長い場合では数十年もの時間をかけて、その間徐々に、着工に至るまで空き家が増え続けます。 また、六本木ヒルズのような大規模開発ではなくとも、都心では至る所で様々な規模の不動産開発が進行中です。開発が進めば進むほど、一時的には空き家が増加するのです。東京23区の空き家問題とは? ただ、開発は何も都心三区のみで進行しているわけではありません。最も空き家率が低い江東区は、オリンピックに向けて大プロジェクトが目白押しですし、東急による駅周辺の大型開発が計画されている渋谷などもあります。では、なぜこれらの区ではそれほど空き家率が高くないのでしょうか? これは、都心三区では、多くの一般地権者が関係する地区の開発プロジェクトが多いのに対し、江東区では都等が所有する埋め立て地、渋谷区では東急電鉄の鉄道跡地等、地上げの必要がほとんどないような地区が主な開発の対象となっているためでしょう。 グラフは、Googleトレンドで「区名+”開発”」による検索状況を調べた結果(2015/3/6取得)を、別途まとめたものです。(度数は相対的な値です。) 都心三区の開発への関心が相対的に高いのは、明らかでしょう。ただ、おそらくそれは、多くの人が待ちわびているから関心が高いというわけではなく、開発が自分自身に直接関係するという人が多くいるからなのだろうと思います。東京23区の空き家問題とは? 東京都区部では、地方で問題視される戸建ての老朽化した建物が放置されるケースも少なからずあるものの、重要な問題とまでは言えません。もともと割合は小さい上に、その多くは新たな開発に伴うものと考えられるからです。 では、東京都区部では空き家問題が重要ではないのかと言えば、そうではありません。東京には東京で、それとは別の問題があるのです。 東京で本当に問題視すべきなのは、賃貸物件の空室率の高さに象徴される、老朽化した集合住宅の空き家の問題です。老朽化した集合住宅が建て替えできず空室が増えることで、そうした集合住宅がスラム化することも考えられます。 集合住宅は、権利関係者が多いという特徴があります。古い物件の中には現在の建築基準では同じように建て替えできないものも少なくないこともあり、その中で権利関係者間で建て替えの合意に至るというのは、簡単なプロセスではないのです。 空き家が放置される問題では、東京には東京の事情、地方には地方の事情があります。地域特有の問題もいろいろあるでしょう。 空き家問題解決のために何らかの法改正等も期待されるところですが、現状を詳しく吟味することで、そうした様々な事情を汲みつつ、効果的な対策を考えていかなければなりません。 一人一人が当事者として、空き家問題について真剣に考えるべき時が来ているのではないでしょうか。是非、以下の記事も参考にしてください。■ちきりんvsイケダハヤト「通勤手当廃止」論争で語られなかった「住まいの問題」緩和策。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/42894098-20150115.html■新相続税制で注目が増す賃貸併用住宅、本当に怖いのは国税庁よりも空室率です。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/42770251-20150108.html■話題沸騰「正社員制度をなくしたらどうなるか問題」を、ファイナンス論的に考えてみた。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/42781228-20150108.html■一年で3回転職したアラフォー女子、年収倍増は幸運だけが理由じゃなかった。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/42650114-20141230.html■借金返済のために風俗店で働く女子学生の問題が、本当は奨学金のせいではない明らかな理由。 (本田康博 証券アナリスト)http://sharescafe.net/42555365-20141225.html■まとめ・最近公表された「平成25年住宅・土地統計調査」確報値で、各地の空き家率の上昇傾向が確認されています。・東京23区は空き家率の高い賃貸物件の割合が高く、全体の空き家率を押し上げています。・都心三区で賃貸以外の空き家率が高い理由は、大勢の権利関係者がいる不動産開発が多いためです。・東京の空き家問題は、老朽化する集合住宅の建て替え問題と大きく係っています。・東京には東京の、地方には地方の空き家問題があり、効果的な対策が必要です。

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    7戸に1戸が空き家…空き家率が30%超えると町として成立せず

     総務省の「住宅・土地統計調査」(2013年)によれば、全国にある空き家は1958年から右肩上がりの約820万戸。空き家率は13.5%に達し、日本にある住宅の実に7戸に1戸が住人不在の空き家という計算だ。そんな中、「空家対策の推進に関する特別措置法」が適用され、神奈川県横須賀市では、全国初の取り壊しが10月26日に行われた。 空き家は今後も増え続け、野村総研の試算では、25年後の2040年には空き家率が40%以上に達するという。これを受けてテレビ、新聞などでは「空き家問題」という言葉がよく聞かれる。 空き家問題は現状どうなっているのだろうか。そして、将来的に空き家はどうなるのだろうか。空き家列島ニッポンの現在と未来を追った。 そもそも、国の定める「空き家」とは、「居住していないことが常態化」した家のこと。 国のガイドラインでは、1年間誰も居住してないことや電気・水道の使用がないことなどが空き家の目安となる。 前述のとおり、こうした空き家が全国で820万戸を超えるが、その半数はマンションやアパートなどの賃貸用物件で、借り手がおらず空き家になっているもの。より問題なのは、残り4割ほどの「その他」に分類される空き家だと住宅ジャーナリストの山本久美子さんが言う。「『その他』には、“管理されていない空き家”が含まれます。こうした空き家は急速に老朽化が進み、倒壊する恐れがある。空き家対策特措法に基づいて取り壊される木造住宅=2015年10月26日、神奈川県横須賀市 雑草や樹木が伸びて隣宅に侵入したり、ネズミが大量発生したり、臭気が発生するケースもあります。誰も住んでないからと敷地内に大量のゴミが捨てられたり、浮浪者や若者がたむろして犯罪の温床にもなります。 さらに怖いのは、空き家の火事。木造住宅の密集地帯で火事があると、周辺に被害が拡大します。雪国なら、降雪により空き家が倒壊する危険もあります」 実際、ある空き家では庭から伸びた枝木が電線に絡まってあわや火災になりそうになったり、庭が冷蔵庫やパソコンなどさまざまな不用品のゴミ捨て場と化したり、敷地内にヘビやハクビシンが住み着いたこともある。「ゴミ屋敷」ならば少なくとも住人にクレームをつけられるが、空き家では直接、苦情を言う相手がいない。近隣住民にとっては何とも困った話だ。 このまま空き家が増えるとご近所だけでなく、町全体に深刻な影響を与える、と指摘するのは不動産コンサルタントの長嶋修さんだ。「ドイツの研究によると、空き家率が30%を超えると人の住む町として成立しなくなります。人出や税収が減って、上下水道や電気供給など公共的なサービスの効率が悪くなり、治安が悪化して犯罪率が増えると予測されます」 空き家の連鎖が近隣住民を不安にし、ついには町全体を蝕むというのだ。そんな「有害」な空き家がなぜ、野放しになっているのか。『どうする? 親の家の空き家問題』(主婦の友社)の著者の大久保恭子さんは、「持ち主の意識の問題が大きい」と指摘する。「そもそも家を放置する持ち主には、“空き家を維持・管理しなくてはならない”という意識が低い。たとえ意識があっても、空き家から離れた場所に住んでいることが多く、こまめな維持管理が不可能であり、誰に頼めばいいのかもわからない。維持管理する費用がないことも空き家の放置につながります」 税制の問題も大きい。どれほどボロボロでも建物が建っていれば、固定資産税の課税額が更地の6分の1(200平方メートル超の土地は3分の1)になるという税制上の特例措置がある。誰も住んでいなくても、空き家のままにしておけば税金が安くなるため、手付かずで放置しておくのだ。 増大する一方の空き家リスクに、行政もついに重い腰を上げた。今年5月に施行された『空家等対策の推進に関する特別措置法』により、各市町村は倒壊の恐れや衛生上の問題などがある空き家を「特定空家」に指定し、立ち入り調査や持ち主への助言、勧告、命令などができるようになった。 また、空き家の所有者がわからない場合は、自治体が固定資産税などの個人情報を閲覧し、所有者を確認できるようになった。さらに、指導や勧告を無視していると、税制の特例措置を解除することにした。これにより、放置している空き家の固定資産税が一気に6倍になる可能性がある。 いずれも、持ち主に空き家の「適正な維持管理」を促すことが法の目的だ。しかし一方、ここまでしても従わない持ち主には、強制処分が下されることになる。「勧告や命令に従わないでいると、最終的に『行政代執行』という形で法的に行政が空き家を強制的に解体できるようになりました。初めてこの法律を適用した横須賀市のケースでは、固定資産税の情報等で空き家の所有者が特定できず、150万円の費用を市が負担しましたが、所有者が判明した場合は解体費用を所有者から徴収できることになっています」(山本さん) つまり、持ち主が空き家を放置し続けていると、税金が最大6倍にハネ上がり、家を解体された上、その費用も払わなければならないのだ。厳しい処置が取られることとなった空き家問題だが、多くの人が無関係ではいられないと大久保さんが指摘する。 「現在、50代以降の日本人の持ち家率は8割を超えます。これは50~60代の子供世代も、70才を超えるその親世代もともにマイホームを持っているということ。 すると、親が亡くなっても子供が親の家に住まず、必然的に空き家が生じてしまう。これが日本の現実です。“親の家をどうする?”は誰もが避けては通れない問題なのです」関連記事空き家が深刻な「幽霊マンション」建て替え成功は200棟だけマンションが抱える長期修繕問題 後から高額な請求が来る例もマンションの管理に住人以外を入れる「第三者管理方式」とはマンション管理から「コミュニティ形成」の項目が外される?銀座の世界初のカプセル型集合住宅 現在も入居希望者は多数

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    外国人に爆買いされた賃貸マンション入居者が注意すること

    及川修平(司法書士) 中国経済の先行きの不透明感から今後どのような展開を見せるのかわかりませんが、不動産の業界において、日本の不動産が「爆買い」されています。 都心のタワーマンションなどが人気で爆買いされていると言われていますが、私の住んでいる福岡市内でも外国人が投資用のマンションを購入する例は多くなっているという印象があります。 なかには中古のマンションを購入していくケースもありますが、これは入居者側からみると、ある日突然オーナーチェンジとなり、大家さんが外国人に代わるということです。 このようなケースで何が問題となるでしょうか。契約書の書き換えは、契約内容の見直しであることが多い 日頃の業務の中で賃貸契約に関するトラブルの相談を受けることが多いのですが、賃貸物件のオーナーチェンジがあったということはよくあります。 オーナーチェンジとなると、ある日突然、新しい管理会社から「契約書を書き換える必要があるので新しい契約書にサインをしてください」と書類が送られてくることがあります。 これには要注意です。 それまでと同一内容であると安易に考えてサインをしてしまうと、実は契約内容が変更となっていた…というケースが多いからです。 家賃や共益費などの月々発生する費用について変更となっていないと気づきにくいかもしれませんが、実は契約の更新の際に更新料が発生するように変更となっていたり、退去する際に修繕費用の負担に関する部分についての契約条項が変更となっていたりする例もあります。 これが、後々トラブルに発展する…ということもよくあるのです。 契約書の更新のケースでは、新たな契約を締結するわけではないため、不動産仲介業者による重要事項説明がないことがほとんどで、契約内容の変更箇所に気付きにくいのですが、契約書の内容に変更箇所がないか、サインをする前にチェックをすることを忘れないでください。そもそも契約書の書き換えに応じる必要はあるか オーナーチェンジがあった場合、賃貸マンションの契約はどうなるでしょうか。 賃貸マンションの契約は、基本的に新しいオーナーに全て引き継がれます。新しいオーナーは、「以前のオーナーが締結した賃貸契約の付いたマンションを購入した」という取り扱いになるということです。 ですので、本来、契約書の書き換えも必要ありません。 また「契約の書き換えに応じない場合は契約の更新をしない」と言われたとしても、あわてる必要はありません。法律的には、正当な理由がなければ契約の更新をしないなどということはできません。この場合は、以前と同一条件で更新します(法定更新と言われます)。 入居者の立場として契約内容の変更が不利となる場合は、あわてて契約書の書き換えに応じてしまうのではなく、まずは変更点の確認を行い、それからしっかりとした協議をすることが大切です。入居者とのトラブルがより深刻になっていくことも入居者とのトラブルがより深刻になっていくことも 少し古いデータになりますが「民間賃貸住宅を巡る現状と課題(平成21年7月国土交通省住宅局)」という国土交通省が取りまとめた調査があります。そこでは、賃貸住宅に関する修繕計画について、過半数の大家さんが「長期的な修繕計画を作成していない」と回答しているという調査結果となっています。 つまり、既存の賃貸マンションについては、修繕計画に基づいて定期的な修繕を行うというよりも、不具合が出た時点で応急処置的に修繕を行うなどの方法がとられている物件が少なからずあるということです。 また先日国民生活センターから2014年度の消費生活相談の概要に関する資料が発表されていましたが、そこで賃貸借契約をめぐるトラブルの相談は全体の6位に位置されているほど、トラブルの多い分野でもあります。多くは退去時のリフォーム費用の清算をめぐるトラブルです。 外国人に向けて販売されている投資用マンションについて、収益性の算定をするにあたって、大規模修繕等を要する際の費用や個別の物件のリフォーム費用などをどの程度織り込んで算出しているかはわかりませんが、見通しが甘いとそれはやがて入居者とのトラブルに発展する可能性もあります。 例えば、物件の不具合があるにもかかわらず修繕がなされないといったものや退去時のリフォーム費用が過大に請求される…といったトラブルです。 オーナーが日本人であったとしてもトラブルが多いわけですから、これからは外国人オーナーとのトラブルも想定する必要があると思います。 外国人が不動産を爆買いする…というのは、ごく最近の例であって、問題が顕在化するのはこれからかもしれません。外国人に爆買いされた不動産をどのように管理されているのかということについては、今後の動向を注意深く見守っていく必要があります。【関連記事】■司法書士が教える賃貸住宅を退去するときの注意点http://oikawa-office.com/2015/02/20/post-1879/■「敷金返還がスムーズになる」ってホント?http://oikawa-office.com/2015/03/13/post-1892/■現役司法書士が教える「無料法律相談」を過信せずに利用する方法(及川修平 司法書士)http://sharescafe.net/43987078-20150327.html■賃貸住宅を退去するときは「裁判」を意識して書類にサインをする(及川修平 司法書士)http://sharescafe.net/42267839-20141206.html■裁判所で「とりあえず半分でどう?」と言われたらどうする?(及川修平 司法書士)http://sharescafe.net/43559042-20150227.html

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    巨大な権力を握る管理組合理事長 「何年も同じ人」は要注意

    榊淳司(住宅ジャーナリスト) 先日、新潟県南魚沼市にあるリゾートマンションの管理組合前理事長が、管理費など総額11億円余りを着服していた疑いがあることが報道された。 私が知る限り、マンション管理組合の横領事件としては過去最高額だ。この理事長、約15年間もその職にあったという。本来の仕事は公認会計士というから、他の区分所有者もすっかり信用してしまったのだろう。 この事件があったマンションの規模は約550戸。管理組合が集める管理費や修繕積立金等の総額は、年間で3億円前後に達するはずだ。管理費の着服が発覚した大型リゾートマンション=新潟県南魚沼市 この物件はスキーリゾートに立地するが、都心や郊外でも500戸、1000戸規模のマンションは珍しくない。 その規模になると、管理組合に集まるお金は数億円規模。その使い道を決めるのは、管理組合の理事会だ。 管理組合の理事会とはマンション内の行政機関のようなもの。そこで行われることは、市町村の役所がやっている行政のミニ版だと考えるべきだ。ただし、その行政力が及ぶのはマンションの敷地内のみ。また、「管理規約」や各種「使用細則」というルールに縛られる。 あまり知られていないが、管理組合の理事長には巨大な権限がある。その理由は、管理組合の最終的な意思決定を行う総会の決議方法にある。 まず、総会に提案する議題を決めるのは理事会だ。理事会で意見を取りまとめるのが理事長。理事と理事長の意見が違った場合、実質的に理事長の承認なしには総会の議案は決められない。なぜなら、多くの総会では区分所有者の大半が「議長一任」の委任状を出す。総会で議長を務める理事長が、その権限を行使すればどんな議案でも否決することができる。 理事長の権限とは、行政組織の長である市区村長や知事が持っている巨大な権力に近い。そして、行政とはすなわち、予算の立案と執行だ。 500戸以上のマンションの理事長は、年間数億円にもなる管理組合収入の使い道を、実質的に独断で決めることができてしまう。理事は、いってみれば地方議員みたいなもの。理事会で意見を言えるが、予算案やその他の議案を提案しても、理事長に反対されると引き下がらざるを得ない。 多くの管理組合では、理事が輪番制になっている。しかし、やりたがらない人が多い。理事長はだいたいの場合、「理事による互選」で選ばれる。つまり、理事たちがお互いに押し付けあって決めているケースがほとんど。しかし、理事長にはかくも巨大な権力がある。そのことに、多くの人は気づかない。 理事長がその権力を悪用しようとすれば、かなりのことができる。また同じ人間が何年も理事長を続けると、大胆に悪用できる。今回の巨額横領事件がいい例だ。 分譲マンションの区分所有者であるなら、自分たちの管理組合の活動に目を光らせるべきだ。特に何年も同じ人間が理事長を続けている場合は要注意。「絶対権力は絶対的に腐敗する」という政治の法則が、利権化した管理組合にもあてはまるからだ。さかき・あつし 住宅ジャーナリスト。同志社大法学部および慶応大文学部卒。不動産の広告・販売戦略立案の現場に20年以上携わる(www.sakakiatsushi.com)。著書に「年収200万円からのマイホーム戦略」(WAVE出版)など。

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    赤ちゃんは迷惑ですか?

    ネット上でたびたび炎上する話題の一つに子育て論争がある。中でも「電車内でベビーカーをたたむべきか」というベビーカー論争は特に有名である。子育てへの理解が乏しいのか、それとも親のモラルの問題なのか。育児の在り方について考えてみたい。

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    日本男性がベビーカーを手助けしない理由とは?

    田中 結 (プレスラボ) 駅構内の階段などで、子連れの母親が重そうにベビーカーを運ぶ姿を見たことがある人も多いだろう。そんなとき、あなたは母親に手を貸しますか? それとも見過ごしますか? ネット上で「ベビーカー問題」は炎上しがちなトピックだが、今回炎上してしまったのはビジネス系ウェブマガジン「PRESIDENT Online」が10月6日に公開した、「日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか」というタイトルの記事。疑問についての回答を男性ライターと女性ライターがそれぞれ述べるという趣旨のコーナーだった。 このコーナーの女性ライターで、女性のライフスタイルやワーキングマザーの事情に詳しい佐藤留美さんは、「日本人男性がベビーカーを手助けしない理由は2つある」と説明。 「日本の男性が置かれた過酷な勤務状況が、その背景にあると思います。(中略)この忙しさでは、周囲の困った人に手をさしのべる余裕を失いがち」という理由と、友人のデンマーク人男性の言葉を借りつつ「積極的に女性を助けたりすると『アイツ、何、気取ってるんだ』とか思われる。それが嫌で、日本人男性は見て見ぬふりをしている」と分析した。 佐藤さんは、この問題の解決法として「日本の女性は、日本の男性に『すみません、ちょっと助けて貰えますか?』って言えばいい」と提案。そして、「日本人は基本的に優しいから、『助けてください』と言ってくる人を素通りすることはない」とし、潜在的には日本人男性もベビーカーの母親を助ける気質があると分析している。※以上(http://president.jp/articles/-/13601?page=3 )から引用 佐藤さんの回答には読者から批判などはそれほど寄せられていない。炎上してしまったのは、ビジネス誌などで執筆する男性ライターの大宮冬洋さんが語る意見。 まずは自身の行動として、「僕は37歳の日本人男性ですが、ベビーカーなどの重そうな荷物を持っている女性を駅構内で手助けすることはあります」と主張。「目の前で困っている人を助けないほど世間知らずではありません。情けは人のためならず、ですからね」。この行動については「ジェントルマン」とも呼べる行動ではないだろうか。 しかし彼は、この主張を「前置き」として次のような“意見”を語り、多くの批判を集めてしまった。 「ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」に過ぎませんよね。(中略)当のベビーたちもあの「車」に乗りたいのでしょうか。親からの距離が遠くなって不安だろうし」 「僕には子どもがいないので実感はありませんが、ベビーカーで得をしているのは親たちだけでしょう。どんどん体重が増えて重くなる子どもを抱えずに済むし、密着もしないので夏場も汗ジミができにくい。ついでに子ども用品や自分の荷物も載せたり吊るしたり。」「ベビーカーは必需品とは言えない。だから、運搬を手助けしない日本男子を責めることはできない。この意見、どこか間違っているでしょうか?」※以上(http://president.jp/articles/-/13601?page=3 )から引用 子連れの母親たちからは主に「どこへ行くにも子どもをおぶって移動してみてから言ってほしい」という声、男性からも「電車も便利な乗り物だから、使わずに目的地まで歩いたらどうだ」「年老いたり病気になって、お前は必需品とは言えないと言われたらどう思うのか」といった声があがった。 この記事は10日現在、シェア、RTともに1万を超え、佐藤さんの記事の300リツイート、800シェアと比べると、いかに話題にされているかが分かる。とくに、「僕には子どもがいないので実感はありませんが」という立場からこういう意見が出てしまったことが、炎上につながったものと考えられる。 ネット上で炎上しやすい記事の特徴としてひとつ言えるのは、「立場が異なる人間が相手の事情に対して一方的に意見するもの」であること。事情を知らない人間からの「決めつけ」は「想像力に欠ける」と言われやすい危うさがある。 筆者は独身で子育てをした経験はないが、困っているベビーカーの母親がいたら積極的に手助けをしている。「ベビーカー女子を手助け」した立場から言うと、手助けする自分の労力はわずかなのに、手助けされた側は相当助かるので、手助けしない理由はこれっぽっちもないと思う。 実際、電車内でこんなことがあった。ある女性が、ベビーカーに乗せた幼児と3歳ぐらいの2人の子どもを連れて乗車していた。駅に着き、彼女が車両から降りようとベビーカーを下ろしている間に、子どもが車内の奥に走り出してしまったのだ。とっさに気づいた筆者は、その子を捕まえて一緒に駅に降りた。 もし誰かの助けがなければ、母親は駅のホームに幼児を乗せたベビーカーを置いて子どもを追いかけるわけにもいかないし、扉が閉まってしまえば車内に子どもが取り残されてしまう。想像しただけでもぞっとする。そんな事態を避けられる手助けができて、本当によかったという気持ちになった。 たしかに、男性が見知らぬ女性に「手助けしましょうか?」と声を掛けると、不審者だと思われたり、かっこつけていると思われる可能性もあるだろう。でも、もし男性が手助けをすれば、階段でベビーカーを運んでいる母親がベビーカーごと転落する可能性をかなり低くすることができる。男性が自分のリスクを低くするために手助けをしなかったとしても、目の前で親子が階段から転落する様子を見てしまったら相当後味が悪いはずだ。手助けしなくてもリスクはある。 相手が困っているなら助けましょうという意見ももちろんだが、ちょっとした自分の行動で、社会全体のリスクを下げられるならこんなに効率がいい話はない。それはベビーカー問題だけにとどまらない。 女性ライター佐藤さんの記事の中でも、「困っている人を助けるということは、困っている人の気持ちを想像することでもあります。自分と異なる境遇に置かれた人の立場を考えることは、周囲の人々に配慮しなければいけないのだという「コミットメント(責任)意識の形成」に繋がり、ひいては、少子化や高齢化といった社会問題を考えるといったキッカケにもなりうる」と述べられている。まさにその通りで、とてもいい意見だと筆者は感じた。 ネットの記事の中には、PVを獲得するためにわざと批判を狙う「炎上マーケティング」なるものもある。この大宮さんがそれを狙ったかどうかは分からないが、実際にこの記事はかなりのPVを稼いだのではないだろうか。そして、筆者が「いい記事」と感じた佐藤さんの記事はそれほどシェアをされていない。「この記事の意見に賛成だ」という読者よりも、「この記事に反論がある、もの申したい」と考える読者の方がネット上では活発なユーザーであるからだ。 PVやシェア数だけを指標にしてしまうと、偏った意見の記事、間違った意見の記事ばかりが目立ってしまうことになりかねない。「ベビーカー問題」のほかにも、炎上しやすいトピックを見かけたとき、炎上の影でひっそりと掲載された「いい記事」を見逃さないようにしたいと思う。

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    ベビーカーマーク「若い母親甘やかし過ぎ」と年配女性が苦情

     国土交通省が「ベビーカーマーク」を公表し、電車やバスの中でベビーカーを折り畳まなくてもよいとしたことに、一部で反発の声があがっている。こうしたベビーカーに対する“批判の急先鋒”になっているのは、実は先輩ママ、つまり中高年のおばさんたちである。  折り畳み式ベビーカーが普及したのは約30年前から。それ以前に子育てをしていた60代前後のおばさま世代は、もっぱらおんぶや抱っこで外出していた。そのせいか、ベビーカーマークを公表した国交省への苦情も、年輩女性からのものが少なくないという。  「若い母親を甘やかし過ぎだという女性からのお叱りがほとんどです。“私たちの時代は苦労した”と子育ての大変さが滲み出ていました」(安心生活政策課)  ただ「抱っこしろ」という意見の裏には、「ベビーカーのおかげで出歩きやすくなり、子育て中といえども着飾っている若いママたちへのやっかみ」があるのではないかという、現役母親世代の意見もある。  乳児の予防接種で朝から混雑した電車に乗らざるを得なかったという40代会社員の母親は、こう反論する。 「首がすわり始めたばかりの乳児を抱えながら、ベビーカーを畳んで必死に乗り込んだ。片手にベビーカーを持ち、子供を抱え上げて踏ん張って立っているのに、前に座ったおばさんは知らん顔。さらには私のヒール靴を見て舌打ち。この後会社に行くから仕方ないのに、思いやりなんてありゃしない。こんな人たちに何だかんだといわれるのが腹立たしい」  派遣社員として働く30代の母親も頷く。 「この国は少子化だと騒ぎながら、子供を産むと本当に育てづらい。それに注意してくるのは、なぜか大体が女性。こちらは十分注意しているのに、“今のママは楽でいいこと。昔はこうだった、ああだった”って話ばかり。あんたの時代とは違うし、手伝ってくれる人もいなくて今だって十分大変なんだって、(喉元を指さして)ここまで出かかりましたよ(苦笑)」関連記事■ ママが階層化 ベビーカー置き場は高級海外ブランド優先で停車■ 電車急停車の危険考えると子供はベビーカーに乗せた方が安全■ オセロ松嶋 オランダ製10.5万円&日本製5万円ベビーカー購入■ 長谷川理恵 「ベビーカーでバギーラン」で炎上も擁護の声も■ ベビーカー邪魔者扱い 温度差の原因は世代間ギャップにあり