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    「オトコの育休」モヤモヤして何が悪い?

    育児休業の取得といった、子育てに積極的な男性に対する嫌がらせ「パタハラ」なる言葉をよく耳にするようになった。共働き世帯が急増する中、わずか6%にとどまる男性の育休取得率が象徴的だ。6月には「男性の育休義務化」を推進する自民議連が発足したが、何となく肩身が狭いオトコの育休は変わるのか?

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    宮崎謙介手記「昭和のオトコたちに伝えたい育児休業のススメ」

    宮崎謙介(元衆院議員) 令和を迎えた今、わが国において最も重要な課題だと言っても過言ではないのは「少子高齢問題」である。特に少子化対策については、掛け声もむなしく何十年もその成果はあげられていない。 将来への投資を怠る国に未来はなく、将来世代を温かく育てる風土のない国は衰退するだろう。今ここで、少子化対策について政府だけではなく国民全体が一丸となって意識を変えることが何よりも重要だと考える。 少子化の原因は単純ではない。個人の多様な生き方の表れによって結婚を選択しない人が増えたこと、独身生活や親との同居の快適な生活を手放したくないという考え方や、逆に足元の生計を立てる生活資金さえもままならない中での将来不安によって、結果的に晩婚化が進み、生涯未婚率が上昇していることなど、さまざまな原因が考えられる。 その中でも、近年政府が掲げている「女性活躍」を支援する環境が整っていないことが、この少子化と大きく結びついていると私は考える。 女性の社会進出とそれを阻む、固定的な男女の役割分業意識と雇用慣行、旧来型の企業風土と社会の無理解。徐々に少子化が進む中で、生産年齢人口も逓減(ていげん)していった結果、女性の労働力に頼るべく「女性活躍」を声高に掲げてきたのだ。 もちろん、女性の労働の権利という側面も大きいのだが、現状としては女性に対して「働け、産め、そして育てよ」と負担を全て女性に求めているのが今の社会だろう。 しかし、それは現実的にあまりにもアンバランスであり不平等だ。女性の負担を軽減しなければ、真の女性活躍も達成されず、少子化対策も前進するはずがない。つまり、これから日本が取り組まねばならないことは「少子化対策」と「女性活躍支援」の両立なのだ。 女性が働くことは、日本の経済成長を考えた上では必要不可欠になっている。もしも、再び専業主婦ばかりの社会に戻すのであれば、意外と出生率を上げることにすぐにつながるかもしれない。 しかし、今の世の中の流れと現状を踏まえて女性の社会進出に後ろ向きな発言をする政治家もコメンテーターも皆無であろう。となると、女性に対して「働く」ことを見直すのは今のところ現実的ではない。当然、私も反対だ。 次に「産む」ことについてだが、これはいくら男性の私が産みたいと願っても物理的に叶わないことであり、出産は女性にしかできない大事業だ。だからこそ、産休制度を含めた出産を取り巻く環境は、さらに徹底的に整備しなければならないし、現状においても国からの出産手当などは充実しているといえる。※写真はイメージです(GettyImages) しかし、最も肝心なのは「育てる」ことである。ここがわが国では改善の余地だらけなのだ。待機児童問題などの行政的な支援もそうだが、女性の負担を軽減することで女性活躍支援はさらに前進し、少子化へも効果が表れてくることは間違いない。 このような前提の上で最も効果が出ると思われるのが「男性の育児負担」である。私は男性の育児「参加」という言葉を好まない。というのも、子供の親としての権利と義務の前に男女は関係ない。従って、男性にも等しく育児の義務が課せられていると考えるべきだ。「参加」をするものではなく、既に参加をしているのだ。 ただ、わが国に生きる男性が育児をスムーズに行うことは難しい。では、どこから育児を行うのがベストなのかというと、私は出産直後であると考える。私の育休宣言に対する議論 新生児の段階では、子供も動かず一日の多くを寝て過ごしてくれる。ミルクを飲ませるか、おむつを替えるか、沐浴(もくよく)をするかくらいしか仕事はなく、育児初心者のOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の導入研修としては絶好の機会だ。まさにこの時期に、仕事をセーブして積極的に子育てをしようというのが男性の「育児休業」制度である。 それにもかかわらず、日本においてはまだ男性育児休業の取得率は現状で6・16%(厚生労働省「2018年度雇用均等基本調査」)で、政府目標の2020年に13%取得を達成するのには2倍の開きがある。 ただ、私が育児休業宣言をした3年前は2・8%だったので年々増えてきているのも事実だろう。この流れを加速させていくために障害となることは何か、そしてそれを乗り越えるために効果的なことについて、ここで整理していきたい。 2015年12月、私が衆院議員時代に男性国会議員として初めて育児休業の取得を宣言したときは、大きな議論となった。その時に感じたのは、育休について大きな誤解があったことだ。 育休というと「育児休暇」と異口同音に言われたものだ。正式には「育児休業」であり、決して「休暇」ではなく、夏季休暇といったバケーションの要素の強い言葉と並列して考えられがちだった。少し考えれば分かるのだが、育児は意義深いものであるし、楽しいものではあるが、バケーションのようなバラ色なものではない。これは私も真剣に育児に携わってみて痛感したことだ。 子供をとりまく環境は目まぐるしく変化するし、毎日とにかく気が抜けない。できることなら育児休業制度ではなく、「育児専念」支援制度などと名称を変更した方が世の中の誤解を招くことなく、理解が広がるかもしれない。育休=バケーションということから国民の意識を脱却させることが、まずは大事だ。 育児休業を取得すると国から給与の67%が国から支給される。「育児休業を取得しなかった理由」というアンケート(平成29年度三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査)の中で男性による回答の上位(15・5%)に「収入を減らしたくなかった」とある。 こうした育児休業を取得した場合の収入面の不安も、大きな一つの課題だ。育児休業給付金の支給額は、月給30万円の人の場合は、約20万円の支給となる。※写真はイメージです(GettyImages) 厳密には手取りは約8割の24万円程度なので、4万円程度が不足することになるのだが、若い世帯にとってはこの差額は大きく、貯蓄があまりない家庭にとっては大きな問題だろう。取得しても生活が安心できるように67%の支給から80%水準まで支給額を上げることによって、この15・5%の方々の不安は取り除くことができる。また、実際に現金が手元に届くのが、2~3カ月後になることについても、改善すべきだろう。 私の育児休業取得宣言に対する議論で、最も大きかった反対意見が「大企業は育休取得をさせられるだろうが、中小企業では無理だろう」というものだ。確かに大企業は人材も豊富で、代打を立てることもしやすい環境がある。人材も資金も豊富ではない中小企業では確かに大企業に比べたら苦しいだろう。そこで厚労省は平成28年から「両立支援等助成金」を中小企業に出している。「パタハラ」疑惑の教訓 国から中小企業に対して、男性に育児休業を取得させた場合、57万円(育休1人目の金額、大企業は28・5万円)を支給している。さらに、厚労省が設けている生産性要件を満たした企業には72万円(大企業は36万円)を支給している。中小企業は、ぜひこの資金を活用していただきたいのだが、ほとんど知られていないのが実情だ。厚労省は周知に力を入れていただきたい。 しかし、重要な人材が抜けてしまったら57万円程度でその穴は埋められないし、事業自体が回らなくなってしまうという意見もあるだろう。ここで理解していただきたいのが、育児休業制度の支給要件に月に80時間まで働くことが認められているということだ。 月の営業日が20日間とした際に、1日に最大4時間まで働くことができるのだ。10時に出社し、14時まで働くことができるという計算になる。労働生産性の向上を図れば、十分に業務も回るだろうし、その機に業務を見直し、生産性向上も狙えるだろう。必ずしもマイナスに働くものではなく、プラスにも作用するように皆が一丸となっていく好機ととらえていただきたい。 先日、化学メーカー、カネカ元社員の妻のツイッター投稿をきっかけに、育児をする男性への嫌がらせ、いわゆる「パタハラ(パタニティーハラスメント)」疑惑騒動が起こった。これにより、カネカの株価は一時大きく下落した。これからの時代に男性育児休業制度の整備は企業評価にもつながってくるということが明らかになった。逆に、働き方改革の一環として、男性育児休業制度を整えていった企業は大きく採用力を上げる時代を迎えている。 また、育児休業の取得は雇用保険の加入者、つまり企業に勤務している人や公務員に限る。つまり、フリーランスや個人事業主は対象外となり、仕事を休めば無給となる上に、育休の給付金をもらえないという枠の外にいるのだ。現在の日本におけるフリーランスの人口は1千万人にもなるといわれ、労働力人口に占める割合は17%となる。支援の拡大には、財源の確保などが課題となるが、財源論に終始することなく、職業を問わず男性が育児休業を取得できるようにする社会を目指すべきだ。 私は3年前にある女性議員から指摘をされたことがある。「あなたが休みをとって家にいたって邪魔なだけよ」と。 しかし、私は炊事、洗濯、掃除、全ての家事ができることを告げたところ、驚きを隠せない様子だった。恐らく、ご自身のご主人さまが家事を全くやらない「昭和の男」だったのだろう。これを「父親ゴロゴロ問題」という。育児休業を取得しても「戦力」にならず、子供だけではなく、さらに父親の世話をしなければならなくなれば本末転倒である。筆者の宮崎謙介氏と妻の金子恵美氏 そこでフランスなどで行っているのが父親学級というもので「父親ブートキャンプ」とも呼ばれる。同キャンプでは、約14日間かけて父親に育児と家事を教える。父親が家庭で子育てができる戦力となるよう養成するのだ。日本にも母親学級というものがあるが、それを同時に父親に向けて開催すればいいし、今でも一部でそのような動きが出てきている。企業にも研修を行ってもらい、官民が一体となって取り組めば、この問題は解決できるだろう。自民の保守派に感じたこと 確かに新生児をお風呂に入れる沐浴は、神経も使うし私も苦手だった。私はけっこう不器用なので誤って息子を湯の中に落としてしまったら、耳に水が入って中耳炎になったら…と頭の中で色々と考えてしまって、いつも緊張していた。それに比べて、家事は気楽だった。実は家庭で喜ばれるのは意外と育児の業務よりも、家事の業務の手伝いなのかもしれないと思っている。 ちなみにミルクをあげるのはわが家では取り合いだった。特に私の義父と私の間では、何気なく取り合いになっていたのだ。その反面、食器洗いや掃除などは私が負担すると感謝される。家事の戦闘力を身に着ければ、育児休業の取得も家庭内では大いに歓迎されることとなる。 これまで縷々(るる)、男性育児休業の意義をはじめ、取り巻く環境と課題および解決策について述べてきた。しかし、最も大きな敵は何かというと、それは育児休業制度を利用しにくい「空気」だ。 先の「育児休業を取得しなかった理由」の回答結果で、最も多かった項目が「職場が育児休業を取得しづらい雰囲気だった」というものだ。これは男性だけではなく女性も同様なのだが、この雰囲気・空気によって取得したくても取得できなかったということである。これだけ育児休業制度が周知されても、この見えない壁が大きく立ちふさがっていて取得への一歩を踏み出すことができない。この空気を大きく変えていくためにも、社会全体でこれからの日本を支える次世代を産み育てていくことへの理解と協力を醸成していかねばならない。 先日より自民党の有志が声をあげ「男性育児休業の義務化」を謳(うた)っている。この真の目的は制度改正としての義務化ではなく政治的なメッセージとして「義務化」という言葉を使っている。目指すものはこの見えない空気の壁を壊すことだ。 特に世代間においてのギャップも極めて大きい。それは政治の世界でも同様だった。いわゆる、保守を標榜(ひょうぼう)する人たちは特に反対勢力だった。男が飯炊きをするなどありえない、という温度感だった。これでは社会で活躍する女性が子供を産み育てることは困難だと肌で感じた。彼らに対しては、次の言葉が喉元まで出かかった。はっきりと「女性は働くな、家で働け」と公言すればいい、と。 さらに、これからの日本では介護休業問題にも直面することになるだろう。介護は育児よりも過酷な現実が待っている。育児は年々子供が成長するためにゴールがだんだん迫ってくる。しかし、介護はいつまで続くかわからない上に、容体は悪化する。育児休業に対しての理解ができないのであれば、介護休業についての理解はできるのだろうか。 子供は国の宝である。子供を大切にできない国に未来はない。若者が将来に希望を持ち、安心して仕事をし、落ち着いて家庭を築ける社会にしなければこれからの日本に希望はない。令和の時代を迎え、新たな空気の中で、もはやきれいごとではなく地に足の着いた子育て支援の環境整備を推し進める必要がある。※写真はイメージです(GettyImages) そのためには政治が努力するだけでは難しく、国民一人一人が意識を変え、目先の利益ではなく「将来の日本のために」という視点を強く持つ必要があるのではないだろうか。男性の育児休業を認めて浸透させていくことは、その第一歩であると私は考える。■「子育て」にきびしい国は、みんなが貧しくなる国だ■「保育園をつくるな」論争にみた戦後ニッポンの悲しい必然■【ゆたぼん父手記】わが子を批判する「学校へ行った大人たち」へ

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    男性の「偽善」育休義務化がたどる働き方改革の末路

    常見陽平(千葉商科大学国際教養学部専任講師) 最初に言っておく。私は「イクメン」「イクボス」という言葉が大嫌いである。この言葉を無神経に煽る意識高い系論者やメディアを考えるだけで虫唾(むしず)が走る。 くれぐれも言うが、男性の育児や家事を否定しているわけではない。これらの言葉自体、男性が育児や家事に参加することを特別視していないかという点に疑問を抱いている。俗耳に馴染(なじ)むスローガンを連呼されたところで、具体的に仕事の量や、やり方を考慮しなくては、単なる労働強化になってしまうのだ。 わが国では「働き方改革」の美名のもと、「長時間労働の是正」が行われる。このこと自体は否定しない。職場で労働者が傷つき、倒れ、死ぬ社会は最悪である。 ただ、それが「早く帰れ運動」という単なる「時短」に矮小(わいしょう)化されている。「時短ハラスメント」まで起こっており、自死に至る者さえ現れている。 「イクメン」「イクボス」なる言葉が流行(はや)っただけで、子育てをする家族が救われるわけではない。普遍性を装った美しい言葉による、労働者への犠牲強要の大攻撃を断固としてはねのけなくてはならない。 この手の話をすると、「育児や家事をちゃんとやっているのか」という、個人の取り組みについて問いただす声が飛んでくる。残念ながら(?)、私は過剰なまでに育児・家事に取り組んでいる。2019年3月、働き方改革の取り組みを視察するため、東京都中央区の「味の素」本社を訪れ、社員と懇談する安倍首相(代表撮影) 保育園の送り迎えだけでなく、買い出し、料理、掃除、ゴミ捨てに取り組んでいる。洗濯は主に妻の仕事だが、たまに私も取り組む。料理などはほぼ、私の仕事だ。週末も妻の休息時間をつくるために、娘と一緒に意識的に出掛けることにしている。 平日でも平均すると5時間弱は育児や家事に時間をかけている。このような話をしても決して尊敬はされない。むしろ、「ずっと女性がやってきたことだ、いばるな」と糾弾される。 これだけ育児・家事に取り組んでいても、『日経DUAL』の如き意識高い系育児メディアから取材が来ることもなく、誰から褒められるわけでもなく、日々生活している。別に見せびらかすために育児や家事をしているわけではない。そもそも、育児や家事は生活のためであり、報われること、褒められることを目的としたものではないからだ。究明されるべき「原因」 子供が生まれてから、明らかに筆が遅くなり、連載の仕事もだいぶ減らしてしまったし、書籍を執筆するペースも落ちている。インプットの時間も減っている。いまや「兼業主夫」と名乗ることにしている。 前置きが長くなったが、男性の育児休暇の義務化が検討されている。男性が育児や家事に参加することは賛成であり、むしろやらなければならないことである。 ただ、この「義務化」が「手段」として適切かどうかは疑問が残る。「働き方改革」が「早く帰れ運動」に矮小化されたような、同じ道を歩むのではないか。 さらには「イクメン」「イクボス」なるムーブメントが労働強化につながったことなどと、同じ轍(てつ)を踏んではなるまい。シンパシーの刷り込みだけでは抜本的改善を勝ち取ることはできないのだ。 厚生労働省の「平成30年度雇用均等基本調査(速報版)」によると、男性の育児休業の取得率は6・16%で、前年度より1・02ポイント上昇した。上昇は6年連続となる。それに対して女性の育児休業取得率は1・0ポイント低下の82・2%だった。ここ数年、80%台前半で推移している。 どうすれば、男性の育児休業取得率が増えるのか。この掘り下げと対策なしに、育児休業義務化をうたうのは拙速だと言える。 これまでの取り組みについて、虚心に直視し、真摯(しんし)に省み、敬虔(けいけん)な反省を持ってから打ち手を考えるべきではないか。「だから、義務化が必要だ」という言辞は、あまりにもしらじらしいではないか。イクボス宣言をする塩崎恭久厚生労働相と厚労省職員=2016年12月、厚労省 三菱UFJリサーチ&コンサルティングによる「平成29年度仕事と育児の両立に関する実態把握のための調査研究事業」によると、男性が育児休業を取得しなかった理由として「業務が繁忙で職場の人手が不足していた」(27・8%)や「職場が育児休業を取得しづらい雰囲気だった」(25・4%)などが上位を占めた。なぜ、そうなるのかという根本的な原因を究明しなくてはならない。 突き詰めると、これは「仕事に人をつける」のではなく「人に仕事をつける」、さらには人手不足をマルチタスク、ジェネラリスト型の働き方で補うという日本の雇用システムの問題に行き着くのではないか。 そして、単に売り手市場というだけではなく、今後も若年層は減っていき、採用氷河期が続くだろう。人工知能(AI)や外国人労働者も、すぐには今ある業務を担うことができない。男性の育児休業の取得しづらさは今後も続くのではないか。育休義務化「議論」の欺瞞 企業では実績づくりのための、短期でも男性に育休を取らせる動きも目立つ。いや、少なくとも私が企業で人事をしていたころには社内外でこのような動きを目にしたものである。いかにも意識高い系育児論者、少子化対策論者の、自己目的のように追求してきたことの必然的結果にほかならない。 意識改革、職場改革という意味では否定はしないが、偽善、茶番ではないか。この男性の育児休業の義務化が、このような欺瞞(ぎまん)に満ちた取り組みを加速するのなら、私は反対である。 しかも、国や企業の制度としての育児休業と、労働者が求める「育児のための休み」は根本的に異なるのだ。現状の出産直後の育休だけで十分だと言えるのだろうか。 さらには、休みを育児に関わるものだけの特権にしてはならない。子供や、パートナーがいない人を含め、中長期でキャリアを考え、休む期間を設定するべきである。 なお、男性の育休取得については、キャリアの断絶を指摘する声もある。ただ、それはこれまでも女性がその壁を感じ続けてきたことである。仕事は休む期間があって当然という仕組みづくり、風土づくりが必要だ。 ただ、それを実現するためには、そもそもの仕事の役割分担、量の見直しが必要だ。育児休業の義務化がそれを促すのならよいが、これをなしで議論すると「働き方改革」が労働強化につながったり、サービス残業、時短ハラスメントを誘発したりしていることと同じ結果となる。 この手の議論は男性を仮想敵とした議論に仕立て上げられる。ただ、その論理こそが、男性の育児・家事への参加に対する「もやもや感」を醸成しているのではないか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) このように、これからの日本人の働き方や休み方を根本的に考えずに、育児休業の義務化を叫ぶのは偽善である。欺瞞性、瞞着(まんちゃく)性に満ちた取り組みとなってしまう。現場感のない取り組みになってしまう。 職場深部から、今後の働き方、休み方を考える闘いを、論争を巻き起こさなくてはならない。安易な育児休業義務化論に恭順せず、その欺瞞性、瞞着性、さらには反労働者性を暴き出し、男女の枠を超え、根本的・普遍的な矛盾を含むわが国の働き方、休み方について、非妥協的に議論しなくてはならないのだ。 国民不在の議論に対して、団結した力で打ち倒す鬨(とき)の声を轟(とどろ)かせようではないか。わが国を労働者にとっての「地上の楽園」とするための、国民的議論を巻き起こせ。■ 古い「男らしさ」の呪縛から抜け出せない日本男児に告ぐ!■ 「保育園落ちた日本死ね」から考える政策が必要な人に届かない理由■ 配偶者控除をなくしてどうする? 女性は「家庭」にあってこそ輝く

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    夫を憎みたくなくてFBIに相談した妻

    小川たまか (フリーライター) 『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』(ジャンシー・ダン/太田出版)は、過激なタイトルの一冊だ。著者はNYに暮らすフリーライターの女性で同書は翻訳本だが、タイトルは原題のままだという。 日本でも、「子どもが生まれてから妻は変わってしまった」「出産後、夫に愛を感じなくなってしまった」という夫婦の話は多い。著者・ジャンシーは妊娠中、「出産後に夫と険悪になるなんて、まさか」と思っていたという。ところが実際に育児が始まってからは夫との壮絶な怒鳴り合いを幾度となく経験。疲れ果てた彼女は、夫とこれからも良きパートナーで居続けるためにはお互いがどう変われば良いのかを模索する。出産後の夫婦の闘いと苦悩を綴った前書き部分はやや長いが、夫婦カウンセラーやファイナンシャル・セラピスト、セックス・セラピストから直接聞いたアドバイスは具体的かつ合理的だ。 圧巻は、FBIの元人質解放交渉人のスキルを学びに行くくだり。つまり、家庭内労働に参加しようとしない夫に対して激しい怒りを感じてブチ切れている妻に向き合う夫は、人質をタテに武装する犯人とやり取りする交渉人に似ている。「生理的に興奮している人に、合理的思考を取り戻して」もらうスキルを学ばなければいけないということだ。こう置き換えてみると、何らかの要求をしている犯人(妻)を無視したり、鼻で笑ったり、一方的に自論をまくしたてても事態は好転しないことは明らか。人質交渉人のテクニックは、相手の言葉を言い換えることで理解への姿勢を示したり、最低限の相づちを打ったり、クローズド・クエスチョンではなくオープン・クエスチョンを使うことで、問題への参加意欲を示すことという。 紹介が長くなったが、今回はこの書籍を翻訳した村井理子さんの話を聞いた。双子の男の子を育てる村井さんも、育児中に「夫への憎しみ」を感じた一人だという。==訳者プロフィール==村井理子(むらい・りこ)さん 1970年静岡県生まれ。翻訳家。訳書に『ヘンテコピープルUSA』、『ローラ・ブッシュ自伝――脚光の舞台裏』、『ゼロからトースターを作ってみた結果』、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』、『7日間で完結!赤ちゃんとママのための「朝までぐっすり睡眠プラン」』、『兵士を救え!マル珍軍事研究』など。連載に『村井さんちの生活』(Webでも考える人)、『犬(きみ)がいるから』(Webマガジンあき地)、『村井さんちの田舎ごはん』(COSMOPOLITAN Web)。―多くの母親にとってはピンとくるタイトルだと思いますが、男性にとってはちょっとツラいかもしれません。村井:タイトルを見て激怒した男性から文句が来たりもしました。男性も男性で「何をやっても叱られる」とか、そういうフラストレーションが溜まっている中でのこのタイトルなので、イラッと来る方もいるのでしょうね。逆に、奥さんに買ってプレゼントしたという人も何人かいました。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)―タイトルは過激ですが、本書の中では育児に関する夫婦間の溝を埋めるために、著者があらゆる専門家からアドバイスを受けていて、そのアドバイスは非常に合理的です。とても参考になると思いました。村井:そうですね。8割~9割は、日本の夫婦でも使える内容だと思います。出産後の夫婦のセックスレスについてなど、日本の価値観とは違う部分もありますが。―アメリカは「家族を一番に考える文化」があると言われますし、女性も意見をはっきりと主張するイメージがある。一方で育児に関して妻が夫にフラストレーションを感じやすいのはアメリカでも同じなのか……と思いました。育児も「インスタ映え」?村井:アメリカでも、というのもそうですが、著者のジェンシーはフリーライターで、夫のトムは作家。2人はマンハッタンのソーホーにマンションを持っているっていう、いかにも「進んだ」夫婦なんです。お互いに何でも話し合って解決することができると思って結婚して、実際に妊娠9カ月目まではうまくいっていた。でも産んだ瞬間に(夫婦関係が)がくっと崩れてしまう。そういうことがあり得るんですよね。―知的でユーモアがあり、経済的にも余裕のある夫婦で、同じような働き方をしている。それでも育児となると、負担が妻に偏ってしまう。共働きの場合でも、子どもに睡眠を邪魔される母親の数は父親の3倍という調査が本書では紹介されています。村井:赤ちゃんの泣き声で女性はすぐに目を覚ますけれど男性はそうではなく、彼らにとっては車のアラームや強風の方が潜在的な脅威であるという調査結果も載っていましたね。訓練だとも思うんですけどね。もし妻が出産後に体を壊すとか入院しなくてはいけない状況であれば、同じように起きないかと言ったら恐らく違うので。睡眠って大きなネックだと思います。―睡眠不足はメンタルに直結するのでツラいですよね……。村井:睡眠不足が続くことの恐ろしさっていうのは私も骨身にしみて感じています。子どもが乳幼児の頃は、本当に睡眠を取りづらい。その頃にもし「子ども見てるだけなら疲れないだろ」なんて言われたら、その恨みは一生消えないでしょうね。―村井さんの訳者あとがきには、「『家にいるのになぜそんなに疲れるの?』『一日中、一体何をやっていたの?』という、夫からの何気ないひとことが、妻たちの心を引き裂いていることは、もっと広く認知されてもいいはずだ」とあります。村井:「子育てで疲れたりしないでしょ」って、言われる妻は多いですよね。『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』(ジャンシー・ダン-著、村井理子-翻訳、太田出版)―1日でも子どもを1人で見た経験があれば、言えないですね。村井:最近の若い男性は、育児に参加することを自分のライフスタイルの一つと考えたり、自分の喜びでもあるから奥さんと一緒に育てようっていう意気込みを持っている人が増えていると思います。けれどそれでも、選択的な育児になりがち。たとえばアメリカの場合では、「インスタ映えする育児しからやらない」って言われています。―インスタ映え育児。村井:パンケーキを焼いたり、公園に連れて行って遊ばせたりはするけれど、ウンチのついたオムツは替えない。掃除はするけどトイレ掃除はしないとかね。女性の場合、基本的に選択肢はないのだけれど、男性の場合はそうじゃない。女性は24時間いつでも動かなければいけないんだけれど、男性は「8時間寝た後でいいよね」みたいなのがありますよね。―「母親にしかできない仕事だから」というような言い方もありますね。日本で根強い母乳信仰村井:日本の場合は母乳信仰が未だに強いからっていうのもありますね。断乳していない状態だと男性が介入しようにも介入しづらい部分があるだろうし。アメリカの場合は育休からの復帰も早いこともあり、粉ミルクに対する「罪悪感」は全然ない。「授乳授乳って気持ち悪い」って言う人もいますよ。―日本でそんなことを言ったらすごく非難を浴びそうです。村井:日本のお母さんでも「気持ち悪い」って思ってる人もいると思いますよ。私の場合、双子だったので最初から完全に粉ミルクでした。双子を母乳で育てるとお母さんがギスギスに痩せてしまうこともあるので。病院の先生も「あなたの母乳より粉ミルクの方が栄養価が高い」って。「粉ミルクを山積みに用意して、哺乳瓶は10本買いなさい(毎回消毒をせずにすむ)」と言われて、その通りにしたら本当に楽でしたね。母乳信仰や自然分娩が一番というプレッシャーは未だに強いですよね。―『子どもが産まれても……』の中では、夫婦の時間を楽しむためにたまにはベビーシッターを利用しなさいとか、母親が精神的な安定を保つためにたまには育児や家事を夫に任せたりアウトソーシングしたりして、自分だけの時間を持ちなさいとアドバイスをされる場面もあります。日本だと楽をするために育児をアウトソーシングするという考え方が、非常にタブーだなと感じます。楽をするっていうのは精神的な余裕を持つために必要なことだと思うのですが、ヤフーニュースのコメント欄とかではとても叩かれやすいですね。村井:発言小町とかね。家事をアウトソーシングすることを「愛情がない」って捉える人が多いことがびっくりですよね。たとえば私は自動で揺れるゆりかごとか、いろいろな器具をレンタルしたんです。でも見る人が見たら、こんなことを機械にやらせるのかって。イチから自分で作った離乳食じゃなきゃダメっていう人もいるし、「お金をかけて育児の手間を省く」ことは、「愛情がない」と置き換えられる。それは無痛分娩や帝王切開はダメで自然分娩がいいって考え方にもつながっていますよね。―日本はそもそもベビーシッター文化があまりないですけど、夫婦2人の時間ってやはり大事だし、それナシに夫婦仲良くしろ、なんでも話し合え、そうしている人もいるんだからっていうのも、精神論っていうか、なかなか難しい話だなと思います。村井:本書の中でも、親たちは子どもが「親と一緒にいることを望んでいる」と思っているけれど、子どもたちは「両親のストレスが少なくなってほしい」ことや「両親の徒労が減ってほしい」ことを願っているという研究が紹介されています。―本当は、「子どもはいつでも親といたい」は、親の思い込みかもしれない。村井:ただ、日本でシッターに預けたいと願ってもなかなかできない環境にありますよね。どんどん経済的にも厳しくなっているので、2~3時間の余裕が欲しいからといって5~6000円をベビーシッターに払えるかって言ったら、なかなか厳しい。そういう現実的な問題もあるでしょうね。―確かにそうですね。また、本書では母親が何でもやりすぎる問題、夫の育児に目を光らせる問題も指摘されていますね。それが結果的に母親に負担が偏ることにつながると。村井:夫が何かやると「それは違うわよ」って否定したり、自分がやった方が早いからって先回りしてやってしまう。妻が「門番」の役割をしてしまうと書かれていますね。ずっとそれを続けていると、育児に関して夫を信頼できないままになってしまいます。―村井さんが、本書で印象深かったのはどんなところですか?アメリカと日本のセックス観村井:私がすごく衝撃を受けたのは、家族間の収入差で家事の分担率を変えるべきではないというところ。収入の額にかかわらず、家族全員の作業として家事を分担するという考え方が当たり前に出てくるのですが、日本では今までこういう考え方があったかなと。専業主婦が多かった時代は「あなたが稼いできてくださるから家の中は私が」だったかもしれないけれど、女性が外で働くようになって、そこのバランスがどう変わったのか。―そういえば、知人女性が「夫が家事をしないって話をしたときに、男友達から『でも旦那さんの方が稼いでるんでしょ』って言われた」と怒っていました。実は彼女の方が夫より収入があったので、決めつけも含めていろいろとひどい。村井:口に出さないけれどそう思っている人もいるでしょうし、口に出しちゃうぐらい無自覚な価値観をまだ持っているのかもしれないですね。こういう価値観が前提の中で、子どもを産みたいかってなると、正直産みたくないっていうのはすごくありますよね。女性にとっての出産、どの道に行っても厳しく見えてしまう。―お金も時間も膨大にかかるわけで。村井:それもそうだし、子どもはかわいいっていう夢のような部分しかクローズアップされないけれど、子どもって本当は全然かわいくないときもあるし、別の人間だから自分の思った通りになんか全然育たない。結婚して子どもを産んだら幸せ、お花畑の世界、というわけでは全くないです。―だからこそ、対策は必要ですね。最初にセックスレスの話が出ましたが、日本とアメリカで夫婦間のセックスに関する価値観はどんな違いがあるのでしょうか。村井:アメリカは日本よりも、夫婦間のセックスは重要だと捉えられていると感じます。たとえば日本では「子どもが生まれてから8年間セックスレス」なんて話はよくありますが、アメリカの場合はあまりこういうことがない。1年間セックスレスが続くと、離婚の理由になってもおかしくない。だからアメリカの方が、真剣にセックスレスを克服しようとするのでしょうね。―本書では、家族や子育てに関する非常に多種多様な調査結果が紹介されています。村井:アメリカは家族研究をとても広くやっていると思いますね。たとえば、父親が育児に参加した場合、娘が自由な職業を選ぶ傾向にあるという調査結果が本書の中に出てきますが、日本でこういう調査はすごく少ない。―日本でもやってほしいですね。村井:アメリカと同じように多様な調査を行うには、規模の問題もあるので、なかなか難しいかもしれません。 ただ、ここで紹介されているような調査結果に、育児中の日本のお父さんお母さんがもう少し近づける環境があるといいですよね。手軽に海外の調査内容を読めるような場があれば。この本にしても分厚くて、育児中で時間のない方はなかなか手に取りづらいかもしれない。それでも有用な情報が少しでも届く場があればいいなと思いますね。おがわ・たまか フリーライター。1980年東京生まれ。教育、働き方、性暴力などを取材。『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(2018年/タバブックス)。Yahoo!個人「小川たまかのたまたま生きてる」などで執筆。

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    欧米の一流企業が産休・育休期間でも給与全額支給する理由

     働く人々に対し、子育て支援の拡充が叫ばれているが、現実にはなかなか普及しない。経営コンサルタントの大前研一氏が、欧米の一流企業の子育て支援制度を例にとり、そもそも人材について日本と欧米にはどのような考え方の違いがあるかについて解説する。* * * アメリカでは子育て支援制度を拡充する企業が相次いでいる。 CNNによると、クレジットカード大手のアメリカン・エキスプレスは今年1月から、勤続年数1年以上のフルタイムとパートタイムの男女従業員を対象とした給与全額支給の育休期間を、主に子育てを担う親の場合は従来の6週間から20週間に延長した。出産に伴う療養が必要な女性従業員は、さらに6~8週間の給与全額支給の産休を取得できる。 保険・金融大手のアクサは、勤続年数1年以上のフルタイムとパートタイムの従業員が主に子育てを担う場合、給与全額支給の育休を16週間まで取得できる。家具大手のイケアは、アメリカ国内のパートタイムも含めた従業員を対象に6~8週間の育休期間は給与全額を支給し、さらに6~8週間は半額を支給するという。 一方、日本の場合は法律上、産休を14週間、育休を最長で子供が1歳6か月になるまで取得できるが、産休・育休中は健康保険から出産手当金、雇用保険から育児休業給付金がもらえるため、大半の企業は給与を全く支給していない。 だが、これは世界の先進国の常識から大きく遅れている。欧米の一流企業は前述のアメリカン・エキスプレスやアクサ、イケアのように規定の産休・育休期間は給与全額支給が当たり前で、それを超えて休む場合は給与が減額されたりボーナスや昇進・昇給がなかったりするが、復帰はいつでもできる、という制度が一般的だ。 なぜ、そういう制度になっているのか? 苦労して探し出して採用した社員は、余人をもって代えがたい人材だからだ。優秀な人材は採用が難しい上、会社になじむために最初の数年は大きな投資が必要であり、そうした多大な初期投資をした優秀で貴重な若い人材が出産や子育てのために辞めてしまったら、会社にとって非常に大きな損失となる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) たとえ途中で2~3年休んだとしても、30~40年の勤務スパンで考えれば、女性も男性も好きなだけ育休が取得できて自由に復帰もできるという制度にしたほうが、社員にも会社にもインセンティブがあるのだ。 日本企業の場合、能力のない人間や生産性の低い人間に長い有給休暇を取られたら会社も周囲の社員も納得できないという問題が出てくるかもしれないが、それは入社試験の時に毎年決まった人数を、優秀な人材かどうかを厳しく見定めず、出身校の知名度や偏差値だけで目をつぶって十把一絡げで採用しているからだ。 かたや欧米企業の場合は1人ずつ時間をかけて面接し、経営陣が本当に優秀だと判断した人材しか採用しない。しかも、採用後の社員教育に売上高の10%前後を使っている企業が少なくない。だから、そういう大きな初期投資をした貴重な人材を引き留めるため、懸命に努力しているのだ。関連記事■シャープ人材が日本電産に流出 大前氏は鴻海の電産買収を指摘■金融分野でフィンテック企業が勃興 銀行は淘汰されるか■エストニアの電子政府実現で税理士や会計士の職は消滅した■AIの発達によって日本でもBIが必要になるのか■債務残高2600兆円 借金大国中国の危機は日本のチャンス

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    「つるの剛士になれない」ゼロメン夫を改心させるヒント

     子育てを積極的に行う男性を「イクメン」と呼ぶのに対し、育児も家事もまったく協力しない男性のことを「ゼロメン」と呼ぶ。働く主婦の調査機関「しゅふJOB総合研究所」所長兼「ヒトラボ」編集長の川上敬太郎氏は、4人の子どもの父親でもあるが、「最初の子が生まれてしばらくはゼロメンだった」と話す。そんな川上氏が“脱ゼロメン夫”になるためのヒントを提案する。* * * 厚生労働省は2010年から「イクメンプロジェクト」を推奨し続け、今年4月には三菱UFJ銀行が男性行員に1か月の育休取得を実質的に義務づけると報じられた。日本中の夫を“イクメン化”する動きが進んでいる。 一方、家事も育児もまったく行わない男性は「ゼロメン」と呼ばれる。いまの世の中の風潮を見ると、ゼロメンは絶滅危惧種になりつつあると思えてしまうが、実態はそうではない。 昨年11月、しゅふJOB総研にて仕事と家庭の両立を望む“働く主婦層”に、「2018年を振り返って、夫は家事・育児に十分取り組んでいたと思いますか?」と質問したところ、結果は【別掲1】のグラフの通り(有効サンプル数=451)となった。【図1】夫の家事・子育てぶりについて妻に聞いたアンケート「家事・育児を十分行っていて満足」「家事・育児を少しは行っていて不満はない」との回答があわせて47.7%あるものの、まだ不満を感じている妻の方が多い。そして、「家事・育児をまったく行っておらず不満」と回答した妻が16.9%。“ゼロメン夫”は厳然と存在している。 同じ質問を2017年にも行っているが、その時の結果との比較は【別掲2】のグラフ(サンプル数=638)だ。なんとゼロメン夫の比率は減るどころか、2017年から2018年にかけて、14.6%から16.9%へと増加した。【図2】妻に聞いた「夫の家事・育児ぶりに関するアンケート」(2017年/2018年) そんな状況をよそに、妻が理想とする夫像は、ゼロメンとはかけ離れている。 2018年に「あなたのイメージで、夫婦で共働きする際に理想的な夫だと思う著名人をフルネームで一人お教えください」と質問したところ、【別掲3】の方々がTOP10に選ばれた(総投票数424:敬称略)。【図3】共働きの妻に聞いた「理想的な夫だと思う著名人」アンケート 1位に選出されたのは、育休取得したことなどが話題になったタレントのつるの剛士さん。2位以下も、まさにイクメンとしてのイメージが定着(ご本人たちの中にはイクメンと呼ばれることに抵抗感を持つ人もいるかもしれないが)している方々の名前が並ぶ。“脱ゼロメン”のためのヒント さらに、この方々を理想の夫だと思う理由を尋ねたのが【別掲4】のグラフ(サンプル数=424)。【図4】共働き妻が挙げた「理想的な夫だと思う著名人」の理由「子どもの面倒をよく見てくれそう」がトップ、さらに「家事を快くシェアしてくれそう」と続く。この結果を見ても、理想の夫像にイクメン度の高さが反映されていることがうかがい知れる。 では、これらの結果を見てゼロメン夫たちは、「じゃあ、オレも!」となるのだろうか。 つるの剛士さん、杉浦太陽さん、ヒロミさん、りゅうちぇるさん、DAIGOさん、谷原章介さん……。そうそうたるメンバーが並んでいるのを見ると、自分もそうなろう! という気も起こらないほど遠い存在と感じてしまいそうだ。 そんなゼロメン夫たちに、“脱ゼロメン”のための5つのヒントを提案したい。 だが、その前に知っておいてほしいのは、家事にも育児にも365日休みがないという事実である。ゼロメン夫には毎週休みがあるが、妻には一年中休みがない。そのことを踏まえた上で、5つのヒントの中からどれか1つでも参考にして、脱ゼロメンに向けた具体的行動を起こすきっかけにしていただきたい。ヒント1/自前にこだわらず外部の力を利用する ゼロメン夫が家事・育児を妻に任せるのなら、妻も外部に頼っていいはず。お惣菜を買ったり、外食したり、家事代行を利用したり、ベビーシッターを頼んだり、食洗機を購入したり……。その費用のためにゼロメン夫は、酒やタバコの回数を減らすなどガマンする。ヒント2/夫が妻を養っているのではない 家庭が安泰だからこそ仕事に集中できる。稼ぎは夫だけの力ではなく、夫婦が協力して得ているものだ。「養ってやっている」という上から目線は認識が間違っている。妻には妻のキャリアがあるヒント3/妻には妻のキャリアがある キャリアとは、人それぞれの人生の足あと。夫には夫のキャリアがあるように、妻には妻のキャリアがある。夫婦で応援しあえば、お互いのためにできることが見えてくる。ヒント4/自分のことは自分で 洗濯物は誰がたたむのか。食器は誰が洗うのか。全部妻がやってくれている。ゼロメン夫が自分のことを自分でするだけで、妻の負担は軽減されるはず。ヒント5/子どもだって家事の戦力 家事は家族全員の務め。子どもはゼロメン夫を見て育つ。子どもが成長するにつれて一緒に家事を行うようにすれば、子どもにとってかけがえのない学びになる。 世の妻やイクメン夫からすれば、これら5つのヒントだけでは生ぬるいかもしれない。しかし、ゼロメン夫が一歩踏み出せば、その一歩は次の一歩へとつながっていく。5つのヒントは、いわばその入り口だ。子育てに積極的なイクメン夫は増えているが… 夫婦でどの程度家事をシェアするかは、夫婦ごとにほどよいバランスがある。必ず半々でなければならないものでもない。大切なのは、夫婦で話し合い、互いに納得できるラインを見つけること。 しかし、いつまでも夫がゼロメンのままでは、話し合いすら成立しない。妻が何も言ってこないのは、言う気が起こらないからだということをゼロメン夫は知る必要がある。ぜひ、脱ゼロメンへ一歩を踏み出していただきたい。関連記事■「女性活躍」最大の敵? 夫は妻の昇進になぜ嫉妬するのか■アグネス氏語る「子連れ出勤から考える、令和時代の子育て」■SNSで夢を語るマルチ商法にハマった庶民派専業主婦の末路■日活RP女優・寺島まゆみ PTA経験し俳優の息子と娘を応援中■専業主婦は「ブランク」に非ず 「家オペ力」を侮るな

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    「老後2000万円」のウソとホント

    参院選の公示日を迎え、選挙戦がスタートした。最大の争点は、炎上した金融庁による「老後2000万円不足」問題となる様相だ。高齢社会の中、年金を含む社会保障制度問題は票の行方を左右するだけに野党は鼻息が荒いが、論評が交錯し、いま一つ真偽が分からない。参院選公示を機に、問題の本質を読み解く。

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    面白みのない方法で解き明かす「年金崩壊」のウソ

    維持していくために、年金受給額が減っていくということになります。 また、年金が減っていくというのも、少子高齢化に応じて支給水準の伸びを抑える「マクロ経済スライド」という仕組みの導入の議論などからも、分かっていたことだと思います。これは仕方がありません。日本では少子化が進み、高齢化して高齢者が増えると、どうしてもそうなってしまいます。 良い悪い以前の話であり、人口動態はすぐには変えることができないので、現状を踏まえて考えていくしかないのです。今後、年金の受給額は減っていくとしても、それを何とか自助努力などで補っていくしかありません。 その自助努力の方法は後述します。別に政府の肩を持つわけではでありませんが、当たり前のことを言っているだけだと私は思っています。 よく「年金は減ってしまう」「年金は当てにならない」という人が多くいます。でも、冷静になって考えてみてください。 20歳から65歳まで働いたとすると、45年間です。例えば、その後65歳から95歳まで老後生活すると、30年間もあるのです。 つまり、45年間働いて稼いだお金を使って、30年間の老後生活を賄うということになります。現実的に考えれば、ムリがあることが分かるかと思います。30年間で約1億円以上の生活費が必要になると言われていますから、貯蓄だけでは難しいでしょう。首相官邸前で「年金払え」などと抗議する人たち=2019年6月26日 いずれ多くの人は選択の余地なく、年金に頼らざる得ないでのです。ですから年金をまったく当てにしないで老後生活というのは考えられないと思います。「当てにならない」という漠然とした理由で年金保険料を支払わなければ、後々で困った事態になるかもしれません。 では、今回の金融庁の2千万円足りないという「メッセージ」に対して、国民はどういった対応ができるのでしょうか。結局、それは「自助努力」で老後資金を用意することになります。「不都合」でも、それが真実 そのためには、個人型確定拠出年金「iDeCo(イデコ)」を使うのがいいでしょう。元々、イデコは老後資金を作るのには最も適している制度だといっていいでしょう。政府としても、イデコは「老後資金は自分で用意してね、その代わり税金を優遇しますよ」という感じでできた制度なのですから。 また、これから年金を受け取る人にとって有効な手段として、年金の繰り下げ受給があります。年金を繰り下げることによって、年8・4%増額されます。70歳まで繰り下げたら、42%もの増額になります。 仮に、夫婦の年金受給額が月額21万円の場合で、毎月5万円の赤字だったとすると、年金を3年間繰り下げれば、25・2%増額されますから、約5万円の増額になります。これで毎月の赤字分は解消されます。 仮に70歳まで繰り下げ受給すると、月額21万円のところ、約8・8万円増額されることになります。年金の受取額が将来減っていくと予想されるので、できるだけ70歳まで繰り下げて年金を増やすようにした方がいいでしょう。公的年金は終身で受け取ることができるので、老後資金として非常に役立つのです。 ただし、繰り下げ受給を選択した場合、「早死にすると損になる」と言われています。確かに、早く亡くなると年金の受取額が減るので損ですが、人はいつ死ぬか分かりません。 死亡しても本人は困らないでしょうが、長生きした場合には、老後資金が足りなければ老後破綻を迎えることになります。そうならないためにも、老後資金を少しでも多くする必要があるのです。 金融庁の報告書は、政府にとって「不都合な真実」かもしれませんが、それが真実であることは変わりません。無視をしても、真実は変わらないのです。金融庁が入る中央合同庁舎第7号館 政府としては、老後資金を貯めやすいように、より一層の制度改革や、金融機関の利益誘導にならないようなフィデューシャリー・デューティー(受託者責任)の徹底、さらに、低所得の高齢者に対するセーフティーネットが喫緊の課題だと思います。 そして、私たちは、この状況を踏まえて老後資金の資金計画を考えてみる必要があります。そのためには、金融リテラシーを身につけるのが一番重要だと考えます。 老後資金は可能な限り準備し、長く働いた上で、年金の繰り下げを考える。実に、一般的で面白みのない方法ではありますが、何よりも現実に即した対応ではないかと思います。■ 「老後2000万円不足」報道、こうしてスキャンダルはつくられた■ 「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!■ このままでは「消費税率35%」になる日がやってくる

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    「家計再生」のプロが指南、年金不足に効く3つの処方箋

    横山光昭(家計再生コンサルタント) 金融庁から夫婦で95歳まで生きるには年金だけでは足りず、2千万円ほどの金融資産の取り崩しが必要になるとの報告があったことは、記憶に新しいと思います。各メディアが取り上げ、多くの人が批判をしているという報道が後を絶ちませんでした。 以前から老後資金は3千万円必要だ、いや6千万円必要だなどとされており、年金だけで老後の生活を維持するのが難しいことは、意識されてきたことだと思っていました。そのため、正論を押し付ける気はありませんが、正直個人的には足りなくなるという事実に、なぜこんなにも騒がれているのかと驚きを感じています。意識はされていたとしても「なんとなく」だったわけです。 もちろん、モデルケースの設定などもおかしく(一般的とは言えない)、今回の件に関しては、ツッコミどころが満載でした。自分にはいくらの老後資金が必要なのか、年金が受給できるまではどのような家計的なやりくりで暮らせばよいのか、年金は繰り下げすることがよいのかなどと今まで考えてきたはずなのに、改めて具体的な不足金額として国からの一例を提示されると、深刻さがより現実味を帯び、不安があおられてしまったように感じます。 一応、経緯に沿ってみますが、まずはこの2千万円という数字は、いったいどこから出てきたのか。総務省は毎月、約9千世帯を対象に家計調査をしています。収入や支出、負債や貯蓄などの家計状況を調べているのです。その結果を、1カ月ごとや年次にまとめて、発表しています。 その家計調査の2017年の結果によると、夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯は、収入よりも支出が5万4500円ほど多い、つまり赤字であるという結果が出ています。この金額の30年分が約2千万円である、ということなのです。 要するに、平均的なデータに基づく参考値なのです。ゆえに、この結果が万人に合うとは言えません。また、この生活費の不足だけではなく、老後は介護医療、リフォーム、楽しみなどに備えた「予備費」も必要です。この平均的なデータについて言うならば、予備費を加えて「3千万円が不足する」という方が、妥当な気がします。 必要な老後資金についてお伝えすると、不安を抱かれるかもしれませんが、ここで理解してほしいのは、一般的な必要金額と「自分にとって必要な金額」は、全く違うということです。まずは自分が毎月の生活にいくらの金額を使っているのか、把握することが大切なのです。その必要生活費と毎月もらえる年金額(見込み額)が、今後準備すべき資金となります。自分がいくらの年金をもらえるのか、ということは分かりにくいことだと思いますが、「ねんきん定期便」を参考にしたり、「ねんきんネット」から試算したりしてみると、今よりも具体的になるでしょう。図解入りになる「ねんきん定期便」改善後のイメージ 老後に必要な資金を準備するにあたり、貯めたり、生活を維持するために必要なことは、1、毎月の収入金額を上げること2、毎月の支出金額を減らすこと3、運用などでお金を増やすことであると考えています。 今回の試算の元となった世帯は、夫は会社員、妻は専業主婦という世帯で、夫の厚生年金と妻の国民年金とその他で毎月約21万円の収入です。ですが、この妻がもし共働きで、厚生年金に加入していたとしたらどうでしょう。妻も厚生年金を受け取ることができれば、毎月の収入額は試算よりも増えることでしょう。今は共働き夫婦が多くなっていますから、そういう年金の増やし方も可能です。慌てることはない また、今は雇用延長や65歳、70歳を過ぎても働ける場所があるなど、老後も収入を得られる可能性が高くなっています。長く働くことができ、70歳の上限まで厚生年金に加入できれば、年金額を増やすことができます。働いて得たお金で毎月の暮らしが成りたち、年金の繰り下げができれば、もらう年金を最大42%増しにすることもできます。 年金生活でも、このように収入を増やす方法を考えることはできるのです。 また、支出の削減は必要不可欠です。年金受給額に生活費の金額が近づき、補てん額が少なくなれば、必要な老後資金は減ることになります。もし、年金の範囲で暮らすことができる幸せな状況であれば、老後資金は予備費と楽しみ代程度でよいでしょうし、2万~3万円の補てんで済ますことができれば、必要な老後資金は720万~1080万円と予備費です。退職金などをもらえる人であれば、すぐに何とかできてしまいそうです。 逆に生活の質を下げることがどうしてもできず、老後資金から生活費に補填する金額が10万円、20万円となれば、例え2千万円の退職金がもらえていたとしても、それは8~16年ほどしか持ちません。生活費のかけ方、暮らし方を早急に見直す必要があります。 そして、最後に運用の勧めです。今回の「2000万円不足」の話題では、多くの人が口々に「運用なんて」ということを話していました。たしかに日本人は運用慣れしていませんし、尻込みしている人も多いと思います。 ですが、ここ数年で、「iDeCo(個人型確定拠出年金)」「つみたてNISA」といった、長期分散が可能な、積立型の非課税投資制度を国が用意しています。運用なので全くリスクがないとは言えませんが、長期的に見れば預貯金よりも利回りがよく、老後資金作りには最適な投資制度です。  投資が肌に合わないという人は、無理に始めることはないと思っていますが、インフレリスクにも強く、複利でお金を育てやすい投資は、「貯蓄をしてもなかなかお金が増えない」という人、自営業で退職金制度はないという人にこそ継続的に取り組んでほしいものだと思っています。 iDeCoやNISAを国が勧めるということは、のんきに1500兆円もの個人金融資産を、預貯金などのままにしておいたら、いい加減マズイんですよ!というメッセージにも私には感じ取れるのです。このままでは…という思いはこれまでも幾度となく発信はされてはきたと思いますが、大きくは変わらなかったのです。何をやっても言っても無風、そこからやっと風が吹いたのです。2017年3月、個人型確定拠出年金「iDeCo(イデコ)」の広報イメージキャラクターを務めるフリーアナウンサーの加藤綾子。右は橋本岳厚労副大臣 このように3つのポイントを意識しながら、まだ老後まで時間がある人は準備をするとよいと思いますし、既に老後生活に近づいているという人は実践しつつ、可能な限り自己資金を増やすことに取り組んでいただけたら、老後もそんなに怖くはないと思います。 人生100年時代、現役時代を終了した30~40年を、国の保障だけで、または自分の資産だけで何とかしようとするのは簡単なことではありません。労働に費やした年月と同じ期間の生活費を社会保障や蓄えだけで何とかできる人は少ないのです。 だからこそ、生活費をある程度楽しみが持てる範囲を維持しつつ抑え、かつできるだけ長く働く。これが老後を乗り切るために必要なことだと私は考えています。慌てることはないのです。「自分の場合」を見据えていきましょう。■ 「老後2000万円不足」報道、こうしてスキャンダルはつくられた■ 「老人を鞭打つ」ニッポンの働き方はここが変■ ヤンキーも逃げ出す「超おバカ社会」がニッポンにやってくる

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    働くと年金が減る制度は廃止が当然

    るいは60歳で引退しても、退職金等を考えれば老後の生活は何とかなったわけです。 しかし今、日本経済は少子高齢化による労働力不足の時代を迎えています。高齢者にも是非働いてもらい、労働力需給を改善(労働力の供給を増やす)ことが望まれる時代に、労働者の働く意欲を削ぐような制度は望ましくありません。 個々人の生活を考えても、税収や社会保険料の収入のことを考えても、高齢者には大いに働いて稼いでもらい、老後の生活資金を稼ぐとともに税金や社会保険料を納めてもらうべきでしょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 高度成長期のサラリーマンは、15歳から55歳まで40年間働き、70歳頃には他界する人が多かったようです。要するに、人生の半分以上は働いていたわけですね。 そうであれば、人生100年時代と言われる今後は、少なくとも20歳から70歳まで働くことが必要で、かつ当然だという時代になるはずです。 働いている期間が人生の半分以下では、個々人の生活費という観点から見ても心もとないでしょうし、社会全体として見ても働いている人より支えられている人の方が多いとすれば、現役世代に過重な負担を強いることになりがちですから。支給開始年齢は上昇中 在職老齢年金の話をする前に、そもそも65歳未満の人に対する厚生年金の支払いは、そもそも数年後には行われなくなります。すでに支給開始年齢は段階的に引き上げられていて、男性は2025年度にかけて、女性は2030年度にかけて、65歳まで引き上げられていくわけです。 これ自体は、すでに決まっていて実行されつつあるわけで、「年金制度の改悪だ」と言っても仕方のないことです。むしろ、これによって65歳まで働く人が増えることは、上記からも「望ましいこと」だと筆者は考えています。 そもそも政府が悪いというよりも、良い薬ができたおかげで人々が長生きできるようになったことが年金財政を苦しくしているわけですから、その意味でも「望ましいことの副作用」だと言えるでしょう。 そして、これによって在職老齢年金の問題は大きく改善するでしょう。65歳までの方が65歳以降よりも「一定以上の収入を得たら年金を減額する」という基準が厳しいからです。 大雑把ですが、65歳までは「給料プラス年金が月額28万円を超えたら、超えた分の半分を減額する」、65歳からは「給料プラス年金が月額47万円を超えたら、超えた分の半分を減額する」と考えて良いでしょう。 しかし、それでも制度自体に問題があるのであれば、それはやはり廃止すべきでしょう。 在職老齢年金は、制度自体が時代にそぐわなくなっているわけですから、廃止すべきだと思いますが、それまでの間、政府は現状の制度について国民が正しく理解するよう、啓蒙活動に努める必要があるでしょう。 年金の制度を正しく理解している国民は、決して多くないでしょう。まして、在職老齢年金について正しく理解している高齢者は少ないはずです。そうなると、「高齢者が働くと損をする」という誤解に基づいて働くのを手控えてしまう人が大量に発生してしまいかねません。 まずは国民が制度を正しく理解するように努める必要があるでしょう。「働いたことで収入が減ることはない。働いたことで、本来得られるはずだった追加の収入が半分になることはあり得るが、収入が増えることは間違いない」ということです。 これは「130万円の壁(サラリーマンの専業主婦のパート収入が130万円に達すると、社会保険料の支払い義務が生じるので、年収がむしろ減ってしまう制度)」などとは決定的に異なるわけです。 そこで、まずは制度を正しく理解してもらって高齢者に働いてもらうように努め、平行して不都合な制度は廃止する方向で検討する、ということが望まれるわけです。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    「年金には関心がない」と言い切った麻生氏の金銭感覚のズレ

     「政治家は清貧たれ」とはいわない。たとえ資産家の政治家でも、庶民の生活実感、年金不足への危機感を感じ取ることができるなら、国民は政治に期待を託すことができる。 だが、住居費も交通費も税金で賄われ、飲み代は政治資金、金銭感覚が完全に麻痺した政治家たちに、国民の痛みは分かるまい。 「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて、普通の人には分からんだろうな」──かつてそう語ったとされる麻生太郎氏(78)。「福岡の炭鉱王」の御曹司として育ち、祖父は吉田茂・元首相。若い頃からカネに不自由したことはなく、学習院大学時代にはクレー射撃で当時の大卒初任給の4年分にあたる100万円を年間の弾丸代で使っていたと自慢げに語っている。 国会でも、「ホテルのバーは安くて安全」「(カップ麺は)最初に出たとき、えらく安かったと思うが、いまは400円ぐらいします?」など、世間とはズレた数々の言葉を残している。 総理時代に学生との居酒屋懇談で出た料理を「ホッケの煮つけとか、そんなもんでした」と言って青森選出の大島理森・現衆院議長に「ホッケに煮付けはない。焼くしかないんです」と突っ込まれたこともあった。 その麻生氏は今回の老後資金2000万円不足問題で、こう言ってのけた。 「年金がいくらとか自分の生活では心配したことありません」記者会見する麻生金融相=2019年6月11日 まぁ、そうなのだろう。だが、政府が年金改革を始めるというときに、副総理が“オレは年金なんていらねーよ”といえば、国民は「こんな政治家に任せていいのか」と不安になる。経済ジャーナリスト・荻原博子氏が語る。 「いま庶民にとって一番の関心事は年金がもらえるかどうかです。年金だけでは老後資金が2000万円足りないと聞かされて、一層日々の生活を切り詰め、節約に節約を重ねている。 お金持ちの麻生さんの金銭感覚が庶民と違っているのはかまわないが、政治家に必要なのは国民が何を求めているかを感じ取る力。それが政治家に求められる『金銭感覚』だと思う。しかし、“オレは年金には関心がない”と言い切ったことで庶民の実情を汲み取る感受性が全くないことがわかった」関連記事■「妻パート代25万円」発言の安倍首相、大学時代の金銭的苦労■富裕層の間で「月に行こう」が流行 ZOZO前澤氏の影響か■狙った女性の口座番号を聞く「前金制」の外資系金融男■【動画】Koki,の金銭感覚 友人に選んだプレゼントのお値段は■【動画】山里亮太と蒼井優の「堅実!」な金銭感覚

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    年金返せデモ騒動 集団行動OK派と嫌悪派による考えの差も

     堀江貴文氏が、「年金返せデモ」への否定的な感情をツイッターで表明し、その後デモに対する嫌悪感について出演したテレビ番組でも言及した。一連のつぶやきへの反発は大きく、ちょっとした炎上騒動に発展した。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、なぜこの対立が騒動へと発展したのかについて考えた。* * * 堀江貴文氏が「年金返せデモ」についてツイッターでディスった(批判した)ところ、デモ参加者やリベラル派から批判が多数寄せられた。デモ隊は「老後は2000万円必要」問題について、「年金返せ」と政権批判をしたが、堀江氏は、デモ参加者を「暇人」「税金泥棒」扱い。堀江氏としては、年金政策について今の政権に文句を言っても仕方がないし、個々人がガッツリ稼ぐことが国の安定に繋がる、と言いたかったのだろう。共感も多かったが、人でなし扱いもされた。 その後、「デモ原理主義者まじうぜー。政治家でも利権屋でもない一個人の俺が年金デモ気持ち悪いって言ってるだけなのに、そんな気になるんかいな」ともツイート。さらに『サンデージャポン』(TBS系)では「僕はデモを大体ディスるんですよ」「こいつらバカだ、みたいなことを言い続けてきて」「(デモの)映像見て、気持ち悪い。メッセージとか参加している人達の太鼓叩いているやつとか、超イヤだ」とも発言した。 私も概ね同じ考えである。ただし、香港の200万人とも呼ばれる参加者のデモには同意する。理由は、香港の自由な生活を脅かす恐れがある「逃亡犯条例」を適用されるのは自分が香港人だったとしたらイヤだし、結果的に数の力で「棚上げ」に追い込むことに成功した。だからあのデモは意味のあるデモだと思う。一方、「年金返せデモ」は「2000万円必要」は以前から分かっていたことだし、「今が政権叩きのチャンス!」だから発生したように見える。ここ何年も「アベ政治を許さない」派のデモを見てきたが、今回も同じ人間が参加しているのも確認できた。 堀江氏の「気持ち悪い」「超イヤだ」の大本には、勝手な想像ながら「集団行動が嫌い」ということがあるのではないか。堀江氏言うところの「デモ原理主義者」の主張の根底には、「デモは権力者と官僚機構に対する無辜(むこ)の民による崇高なる抗議手段であり、これぞ民主主義を体現する」との考えがある。そしてデモを批判する人間は権力者に阿(おもね)るクソ、ということになる。 ただ、「デモすりゃエライの?」とも思う。デモに参加せずとも、高額所得者は税金や医療保険という形で社会に貢献しているし、堀江氏もそんな人物だ。 そして、堀江氏の「デモ騒動」は、「集団行動OK派」と「集団行動嫌悪派」の対立という面もあるとも感じた。 子供の頃、全員が校庭にズラリと背の順に並び、「前へ、ならえ!」とやる朝礼が大嫌いだった。合唱コンクールも体育祭も嫌いだった。集団行動に嫌悪感があるのだ。だからこそ、自由に振る舞える大人になったというのに、隊列を組んで一斉にシュプレヒコールを挙げるデモ参加者に「全体主義」を感じ、この統制されぶりが見ていられないのだ。こう書くと「お前はリベラル派のデモだから叩いているのだろう」などと思うかもしれないが、私は在特会のデモはボロクソに叩きまくっている。首相官邸前で「年金払え」などと抗議する人たち=2019年6月26日 集団行動が嫌いな人は「大人のサークル」には入らないし、パック旅行にも行かないし、デモにも参加しない。集団行動の別形態である「行列」も嫌いだからタピオカ屋にも並ばない。今回の騒動はそんな嗜好の差が明確に表われた面もあるのでは。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■国会前デモ、日当が出るならば暇人が一斉に群がるはず■国会前デモは「じいさんたちの同窓会」だった■セクシー女優のHIV陽性判明、感染発覚以降も撮影は行われた■韓国で女児の胸が大きくなる「性早熟症」、囁かれる原因■芸人の「事務所公認闇営業」と仲介者が揺れる「悪魔の囁き」

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    高齢ドライバー対策、ヒントは「ジリ貧教習所」活用にあった!

    志堂寺和則(九州大大学院教授) 東京・池袋で乗用車が暴走し、母子2人が死亡、8人が負傷した事故は、ドライバーが87歳だったために、改めて高齢ドライバーの問題が浮き彫りになった。今後も高齢化がさらに進むと予測されている日本では、緊急の対策が必要な重要課題の一つと言えよう。 公共交通システムの充実や高齢者向け車両の開発と普及など、さまざまな方策が必要であるが、本稿では、高齢ドライバーが起こす事故の状況や現在の免許更新手続きについて確認した上で、免許更新の在り方について考えてみたい。 ここ10年ほど日本の人身事故件数、死亡事故件数はともに減少傾向にある。しかしながら、65歳以上の高齢ドライバーが起こす人身事故件数は多少減少しているものの、死亡事故件数はほぼ横ばい状態である。 その大きな原因は高齢ドライバーの増加にある。警察庁の統計によると、この10年間で免許人口全体ではほとんど増加していない中で、免許を保有する65歳以上の高齢者は1・6倍に増加した。しかもこの増加割合は年齢が上がるに伴って増えており、85歳以上は2・8倍にもなっている。 免許を保有しているからと言って日常的に運転をしているとはかぎらないが、以前と比較すると、道路を走っている高齢ドライバーは確実に増加し、しかも、85歳以上、90歳以上という高年齢のドライバーも運転を継続している。 多くの統計資料における高齢者の定義は65歳以上である。これは、1950年代、60年代に国連や世界保健機関(WHO)が用いた分類が踏襲されているためである。しかし、当時と比較して、健康で活動的な高齢者が増加した現在では、65歳以上を高齢者とすることは現実に合わなくなってきている。 交通事故の発生比率を元にしてドライバーの年齢による危険性を比較すると、75歳くらいまでは特に事故が多いというわけではない。だが、それ以降は加齢とともに次第に事故が増えてくる。原付以上運転者(第1当事者)の免許保有者10万人あたりの交通事故件数で50~54歳と比較すると、70~74歳は1・1倍であるが、75~79歳では1・3倍、80~84歳は1・5倍、85歳以上は1・6倍と増加する。東京・池袋で起きた事故で、現場検証する捜査員ら=2019年4月(佐藤徳昭撮影) そして、免許保有者10万人あたりの死亡事故件数でも同様に50~54歳と比較すると、70~74歳は1・2倍であるが、75~79歳では1・7倍、80~84歳は2・6倍、85歳以上は4・6倍と大きく増加する。高齢ドライバーの事故の場合、事故を起こしたドライバー本人が死亡してしまうケースが多く見られる。 75歳以上のドライバーの死亡事故の場合、60%はドライバー本人の死亡であり、これは、若年ドライバーを除くと他の年齢層の場合の倍の数字である。また、同乗者が亡くなる場合も11%ほどあり、合わせると71%が事故を起こした車内において死亡していることになる。免許取り上げは暴論 また、高齢ドライバーの事故の内容は他の年齢層とは異なる。事故の原因となった違反を見ると、高齢ドライバーの人身事故では、わき見運転や動静不注視の割合が少なく、信号無視や優先通行妨害、一時不停止の割合が多い。事故類型としては、追突事故が少なく、出合い頭事故が多い。 一方、死亡事故では、わき見運転、漫然運転、安全不確認の割合が少なく、運転操作不適、一時不停止の割合が多い。事故類型では、道路横断中の歩行者事故や追突事故は少ないが、出合い頭事故、正面衝突事故、工作物衝突事故が多い。 こうした中、最近の高齢ドライバー事故を伝える報道の影響を受けて、ある年齢に達すると免許を取り上げるべしという意見もあるようだが、これはエイジズム(年齢差別)であり暴論と言えよう。では、どうすれば高齢ドライバーの事故を防ぐことができるだろうか。 政府は1998年に免許更新時の高齢者講習を導入した。その内容は2018年に改正され、現在の高齢者の免許更新の手順は次のようになっている。 70歳以上の高齢者は、免許更新前に指定自動車教習所あるいは警察施設で高齢者講習を受講する。この高齢者講習は合理化講習と呼ばれるもので、双方向型講義30分、運転適性検査(動体視力、夜間視力、水平視野)30分、実車による指導60分の計2時間程度の講習である。実車走行は2、3人一緒に実施するため、実際に運転している時間は15~20分程度であることが多い。実車指導は試験ではないため、運転内容により免許更新ができなくなるようなことはない。 75歳以上になると30分程度の認知機能検査(講習予備検査)が追加となる。この検査は記憶力ならびに判断力の低下具合をみるものであり、検査結果により3つに分類される。認知機能の低下のおそれがみられない第3分類(受講者全体の73%程度)は合理化講習を受けるが、認知機能の低下のおそれがある第2分類(24・5%程度)は、合理化講習に個人指導など60分が追加された計3時間の高度化講習を受講する。 この個人指導は実車走行時のビデオ映像などを見ながら個別に助言を受けるものである。認知症のおそれがある第1分類(2・5%程度)の場合は、認知症の専門医もしくはかかりつけ医による診断を受ける必要がある。認知症と診断されなければ、高度化講習を受けて免許を更新することができるが、認知症と診断されれば、公安委員会が運転免許の取り消しなどの処分を判断することになる。教習所で高齢者講習を受けるドライバーら。シミュレーターを使った反応速度などの確認も行われている=2017年1月、山梨県甲府市 第1分類と判定された高齢者の60%は免許を自主返納したり更新をせずに免許を断念したりしているが、35%は医師の診断を経て運転を継続しており、取り消しなどの処分となるのはわずか5%である。 このように、交通事故防止という視点から考えると、現在の免許更新手続きには大きな問題がある。それは、運転技能の評価を一切行っていない点である。一度、運転免許を取得すると、免許取消処分を受けたり、不適格者となったりしない限りは更新可能である。そこには一度獲得した運転技能は一定レベルが維持されるという想定がある。昭和の時代までは高齢ドライバーの数も少なく、この想定もさほど間違いではなかった。 しかし、現在のように高齢ドライバーの数が増えてくると、この想定は妥当なものとは言えず、想定に基づいた免許更新制度で問題ないと考えることはできなくなってきている。心身能力や運転技能は次第に低下していくものであり、人により早い遅いという違いはあるが、いつかはきちんとした運転ができなくなってしまう。教習所にもメリット そして、人は権利を失うことを嫌う傾向や運転能力を過信する傾向があるため、客観的に運転能力があるかどうかを自分で判断することは難しい。そうであれば、免許更新時に運転技能が維持されているかどうかを確認することは至極当然のことである。 本当は年齢に関係なく免許更新者全員に対して運転技能の確認をすべきであるが、さすがに無駄が多く、現実性に乏しい。このため、加齢の影響が大きくなってきていると思われる年齢に達したときから運転技能の確認をせざるを得ない。 1回の試験で合否を決定するというような形態での実施もまた現実的ではない。高齢者は長らく試験というものから遠ざかっていることもあり、緊張のため普段通りの運転ができない者や体調を崩す者が続出するおそれがある。 免許の有効期限までであれば、何度でも試験(以下では、運転技能の確認)を受けることができるようにしておくのが実施可能で有効な方法であるように思える。そして、レベルに達しなかった高齢者が運転を学び直すことができるようにして、可能な限り運転が継続できるような手段も提供することが必要である。また、判定基準も運転技能の確認向けの判定基準を設ける必要があるであろう。 学び直す場としては、教習のノウハウを持つ自動車教習所が最も適している。ところが、現在、自動車教習所は高齢者講習で苦労している。高齢者講習業務が、免許取得のための教習業務を圧迫するため、高齢者講習を引き受けていない自動車教習所もあるぐらいだ。これは高齢者講習がもうからないためである。 その一方で、少子化の影響で経営の危機に瀕している自動車教習所が増えてきており、年々、自動車教習所の数が減ってきている。高齢者に対する研修などのサービスが自動車教習所の重要な収入源となるような制度設計を施し、高齢ドライバーと自動車教習所がお互いに支え合うような関係を構築できれば「一石二鳥」だ。 現在でも高齢者講習は高いとクレームをつける高齢者がいると聞くが、運転技能の確認や学び直しなどではかなりの経費が必要となる。高齢ドライバーからは大きな反対の声が上がるであろう。しかし、事故を起こす危険性を少しでも下げることができるのであれば、決して高いものではない。低下した運転技能を補償するような運転方法を教えてもらうなど、学び直しは高齢ドライバーにとっては非常に有益な機会となるはずである。自動車保険と同じく、自動車を運転するための必要な出費と考えるべきである。高齢者を対象にした教習で、ポールで狭まれたコースを運転する参加者=堺市 一連の仕組みをうまく機能させるにはいろいろと課題があるが、最初はかなり高い年齢から開始して、徐々に下げていくようにすれば、導入は不可能ではないように思える。そして、その間に自分がその年齢に到達したときにどうするかを考えることもできる。 運転技能の確認や学び直しにかかる時間や経費などを考えて免許返納を決断するのも一つの選択肢であるし、運転継続を選ぶのも自己判断だ。一定のレベルの運転技能を持ち、責任を持てるドライバーのみが運転を行える社会に変えていかなければならない。■強制力がなければ防げない! 高齢者の自動車免許返納を制度化せよ■身近に潜む「あおり運転」危険ドライバーの深層心理■こんなクルマ本当にいるの? 実は誰も望まない「完全」自動運転車

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    元週刊現代編集長の直言「文春でさえ2025年で消える」

    元木昌彦(ジャーナリスト) 「新聞、テレビにできないことをやる」 これが出版社系週刊誌の存在理由である。1956年に『週刊新潮』が出版社初の週刊誌として創刊されてから、多くの編集者、編集長が試行錯誤しながら行き着いたシンプルな結論である。 私は週刊誌の現場に20年以上いた。「たかが週刊誌、されど週刊誌」、そう呟(つぶや)きながら、銀座のクラブから新宿ゴールデン街まで、浴びるほど酒を飲み、野良犬のように新聞、テレビにできないネタを探して毎夜ほっつき歩いた。 『フライデー』、『週刊現代』編集長を7年半ほどやったが、編集部員の案を採用する基準も、これだった。 私が現代の編集長だった1995年は、阪神・淡路大震災が年明け早々に起き、続いてオウム真理教事件が勃発するという騒然とした年であった。 情報を求めて読者は何冊も週刊誌を買い、むさぼるように読んでくれた。今思えば、この頃が週刊誌の黄金時代だったと思う。 週刊誌の部数のピークは1997年から99年にかけてである。それを最後に部数は減り続ける。 週刊誌が読まれなくなった要因はいくつもある。インターネットの普及、ゲームやスマートフォンにカネがかかる、KIOSKなどの売り場の減少などが挙げられるだろう。 だが、一番大きな要因は、週刊誌にしかできないテーマを見失ってしまったことと、週刊誌の最大の読者層であった団塊世代が年齢を重ね、定年、年金生活、高齢者になったことだと、私は思っている。 夕刊紙も同じように苦境に立たされている。『日刊ゲンダイ』の幹部の話では、平日の駅売りはよくないという。売れるのは土曜、日曜の競馬のある日で、コンビニがよく売れるそうだ。経費を節減するために、夕刊フジと流通を一部で協業することを始めたという。 山のように売店に積まれた週刊誌を、満員電車で中づりを見た乗客が次々と買っていく姿は、もう二度と見られないのだ。東京都千代田区にある「文藝春秋」の本館ビル=2016年5月(山崎冬紘撮影) 多くの週刊誌が元気のない中、新谷学編集長率いる『週刊文春』だけがスクープを連発し、気を吐いた。特に、政治家から芸能人まで、これほど多いのかとあきれるほど「不倫」情報が毎週のように誌面に載った。 ジャニーズ事務所、AKB48の情報も文春の一手販売だったが、これには理由がある。講談社や小学館は、少年少女を対象にした雑誌を多く出している。新潮社も10代少女向けの『nicola』がある。 その雑誌に彼ら彼女たちを使いたいから、有名アイドルのスキャンダルは社が嫌がる。30代の頃、現代でジャニー喜多川氏のスキャンダルをやって大騒ぎになり、突然、私を婦人雑誌へ異動させ、講談社はジャニーズ事務所と手打ちにしたことがあった。 AKB48のCDは子会社のキングレコードが発売元である。講談社ではフライデーにAKBスキャンダル禁止令が出たという噂(うわさ)まであった。2025年で消える週刊誌 かつて『噂の真相』という雑誌があった。タレ込んでくるスキャンダル情報はほとんど載せることで有名だった。そうした雑誌に情報は集まる。文春も、スキャンダルをやり続けることで、情報が集まってきたのであろう。 だが、その文春砲にも陰りが出てきた。新谷編集長が交代したこともある。雑誌は編集長のものだから、同じ雑誌でも編集長が替われば中身も変わる。 それに、あれほどスクープを放ったにもかかわらず、部数が減り続けたことである。 2016年7月から12月には約43万部(ABC調査より)あった。だが、2018年1月から6月には約34万部(同)に減ってしまったのだ。 現代と『週刊ポスト』は、元々木曜日校了で月曜日発売のため、生ネタは入れにくい。その上、人員や経費を削減されたから、現代は早々に事件やスクープを追うことを諦めたようだ。 私が現代の編集長だった時、40歳前後だった読者平均が今は60歳前後だろう。その世代にターゲットを絞り、「死ぬまでSEX」「60歳を過ぎたら受けてはいけない手術」「飲んではいけない薬」と、性と健康に絞った企画をやり始めた。 それが一段落すると、次に、団塊世代を親に持つ団塊ジュニアをターゲットにして、40年ぶりに大改正された相続法を詳しく解説する特集を始めた。 それが当たったのだ。今年の新年合併号は前年比130%増という快挙を成し遂げ、相続をテーマにした増刊号も売れているという。 出版界では、柳の下にドジョウが3匹はいるといわれるから、物まねは恥ずかしいことではない。文春、新潮、女性誌までが相続特集をやり始めたのだ。これがローソクの火が消える前の一瞬の輝きでなければいいが。 先日亡くなった作家の橋本治氏が『思いつきで世界は進む』(ちくま新書)で、おやじ系週刊誌は金の話とセックス記事ばかりで、社会で起きていることを伝える記事がほとんどなく、「閉じつつある自分のことしか関心が持てない」と嘆いている。 たしかに今の週刊誌を読んでいると、トランプのアメリカも、中東情勢も、中国で今何が起きているのかも分からない。 芸能人の不倫、女子アナの近況、眞子さまと小室圭さんの結婚問題、相続など、閉じた狭い世界でのことしかない。 なぜこんなに視野狭窄(きょうさく)になってしまったのか。私がいた頃の現代は、政治から事件、国際紛争、風俗からグラビアまで、一冊ですべてが分かる「幕の内弁当」週刊誌といわれたものだった。 現代も、何度かリニューアルしたり、ビジュアル化を試みたり、若い世代を取り込もうとしたが、みな失敗した。『週刊現代』の医療大特集(佐藤徳昭撮影) 結局、団塊世代とともに心中するしかないと思い定めたのであろう。 残念だが、団塊世代がいなくなれば、ほとんどの週刊誌は消えていくことになるのだろう。 文春だけが生き残ったとしても、競合誌のない雑誌は苦戦を強いられる。休刊した雑誌の読者が、他の雑誌へ乗り換えることはない。雑誌とともに読者は消えてしまうのが出版界の常識だからだ。 おやじ系週刊誌に生き残る術はもはやないと思う。団塊世代が全員後期高齢者になる2025年までだろう。だが、消えていく前に、今一度原点に立ち返り、不倫や密愛ではない、週刊誌にしかできないスクープを見せてほしいものである。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

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    高齢読者が「週刊誌ジャーナリズムの牙を抜く」のウソ

    代」をターゲット読者と想定しているから、実際の読者と乖離してきていることはもはや明白である。つまり、少子高齢化が進む現在、これら週刊誌読者も70代前後の団塊世代が、実は本当の読者であり、一方で若い世代の読者がそれほど増えていない現状が見て取れる。 販売部数データを見てみると、『週刊現代』は2018年上半期に20万9025部となり、前年同期比で5万5千部ほど部数を落とし、『週刊ポスト』の21万1336部に後塵(こうじん)を拝するようになった。読者の高齢化が部数減の一因となっているのだが、いずれの週刊誌も誌面をさらに高齢者向けにシフトさせることに傾注し、若い読者を新たに獲得するという「攻め」の余裕も少ないという状況のようである。東京都新宿区にある新潮社本館ビル=2012年3月撮影 ここ数年、『週刊朝日』が2009年に「終活」という造語を世に広めて以来、他誌でも「完璧な終活」(サンデー毎日)、「食べてはいけない」(週刊新潮)の特集のほか、「不眠を防ぐ住まい」「高血圧新目標値130に専門医が異議あり!」(週刊文春)など、高齢者向けの健康を取り上げる記事が目立つようになってきた。老人介護、認知症などを扱った『週刊朝日』の連載漫画「ヘルプマン」も好調のようである。 さらに2018年末から最近まで、『週刊現代』が「死後の手続き」路線を本格化させた「最期の総力戦」特集を13回続け、『週刊朝日』も2019年1月から「書き込み式 死後の手続き」を7回連続して掲載している。 こうして高齢化に伴うあらゆる変化をみてみると、週刊誌が健康雑誌へとシフトしてくるのも時間の問題だったのであろう。 そして、つい最近、象徴的だったのは、ツイッター上で『週刊ポスト』『週刊現代』の二大誌の新聞広告をみたネットユーザーが、「とうとう政治や社会問題を扱わなくなった。消滅した」との指摘もあり、話題にもなっていた。生き残る2つの方法 このように終活雑誌、健康雑誌と化した週刊誌に、かつてのような権力批判の雑誌ジャーナリズムを担えるのか。高齢者向けのコンテンツでしのぐ週刊誌にジャーナリズムを貫く体力は残っているのだろうか。 実は、健康雑誌化については、今に始まったことではなく、すでに業界誌『創』の2017年座談会で同誌編集長の篠田博之氏が述べていたことでもある。このとき、週刊誌の方向性がはっきりと二つに分かれつつあることが指摘されている。 それは、一つには『週刊文春』のように週刊誌本来のスクープ中心主義で部数を伸ばしていくという考え方であり、これがまだ現実性を持っていたことを証明した点で、同誌の健闘は大きな意味を持っていた。ただし、筆者は芸能人の不倫スクープは、明治期のタブロイド判日刊新聞『萬朝報』(よろずちょうほう)の例からも、「公憤」がなければ読者に飽きられること、単なるセンセーショナリズムは限界が来ることを指摘しておいた(『朝日新聞』2018年2月10日記事「『文春砲』に吹く逆風、その背景は」筆者コメント)。 同紙はスキャンダラスな出来事を他紙よりも長期にわたり、ドラマチックに報道することで部数を伸ばし、一時は30万部と東京一の発行部数となった。そして連載「弊風一斑(へいふういっぱん)蓄妾の実例」では、有名人、無名人の愛人関係を実名住所職業入りで暴露したが、こうしたスキャンダル報道だけでは、やがて大衆に飽きられて売れなくなっていった。まさに『週刊文春』も今その限界に直面しているのではないだろうか。 そして、もう一つの方策は、今回の『週刊現代』が典型的なように、高齢の読者に向けて誌面を絞り込んでいくやり方である。実際、2018年以前から『週刊現代』は医療問題などで特集を掲げ、部数も伸ばしていた。ターゲットを絞ってコストパフォーマンスをよくするという方向である。老人雑誌のようになってしまって、それまでの読者からすれば物足りないかもしれないが、『週刊ポスト』もそうした方向を意識している感はある。 期待したいのは、週刊誌と親和性の高いシニア層、すなわち、スマホも使えるかもしれないが、「アンチ・スマホのシニア層」である。今の若者世代は、知りたいことはスマホで検索だけして済ませる。 しかし、それだけでは情報行動としては不十分で、雑誌を一冊丸々読む習慣を持つシニア層は、思わぬ記事に誌面で巡り合える可能性(セレンディピティ)を知っている。(左上から時計回りに)『週刊ポスト』、『週刊現代』、『週刊文春』、『週刊新潮』(佐藤徳昭撮影) また、昭和の回顧記事も多く掲載されているように、ノスタルジーから政治や社会を語ってもいいかもしれない。これも人生100年時代、精神世界の豊かな者の持てる楽しみではなかろうか。 50代のコアターゲットに属する筆者も、かつては講談社の週刊誌編集部をモデルに女性編集者を描いた漫画『働きマン』(安野モヨコ、2004年)をとても面白く読み、共感してきた。雑誌ジャーナリズムにかける熱気を再び取り戻してほしいと思う同世代読者も多いのではないかと思う。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

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    「文春よ、お前もか」気まぐれ読者を追いかける週刊誌の断末魔

    向谷匡史(作家、ジャーナリスト) 「あんなの、週刊誌じゃねぇよ」。辣腕で鳴らした総合週刊誌の元デスクが酎ハイをグイとあおれば、 「同感」と、フリーのベテラン記者がうなずいて、 「あの食品がダメ、この薬がアブナイ、はてまた死ぬ前の手続きがどうしたなんて大特集を毎週読まされたんじゃ、気が滅入っちゃうよ」 「まさにその通り」。女性週刊誌で「鬼」と呼ばれた元編集長が引き取って、「週刊誌はスキャンダルが勝負。斬った張ったで俺たちはメシを食ってきた。健康ネタ、終活ネタは、新書かムックのテーマだ」 一同、大きくうなずき、それぞれのグラスで氷がカラコロと音を立てた。今年初め、気の置けない仲間と一杯やったときのことだった。 私は総合週刊誌の記者として十余年を過ごした。現役批判はOBの常とは言え、総合週刊誌の全盛時代を知る彼らだけに、一杯やると必ず批判や苦言が飛び出す。 「誌面に勢いがない」「現場を踏まなくなった」「企画に工夫が足りない」 だが、こうした批判や苦言は、週刊誌ジャーナリズムという大枠でのこと。誌面づくりは時代によって変化はしても、「ニュース&スキャンダル」という基本は変わらない。クルマにたとえればマイナーチェンジのようなものだった。 ところが最近になって、いきなりフルモデルチェンジ。しかもセダンがワンボックスカーになったようなもので、元辣腕デスクが「あんなの、週刊誌じゃない」と憤慨するほどの変わりようなのである。 週刊誌の変化ぶりは、電車の吊り広告や表紙を見れば一目瞭然だ。目玉の特集記事が「健康」と「終活」になってきた。私の手元にある週刊誌の見出しを拾うだけでも、「食べてはいけない『外食チェーン』」(週刊新潮)、「専門医10人『私は絶対に飲まない薬』」(週刊ポスト)、「間違いだらけの『死後の手続き』」(週刊現代)、「30の症状に効く『最強食』」(週刊文春)…。 タイトルこそ扇情的な週刊誌タッチだが、これらは「実用記事=ためになる記事」であって、週刊誌が王道としてきた「ニュース&スキャンダル」、すなわち「ためにならない記事」の対極に位置するものなのである。 むろん週刊誌に「健康」「終活」の特集があってかまわない。必要な情報でもある。だが、このテーマが毎週、しかもメジャー誌がこぞって掲載するとなると、これはもう「週刊誌のフルモデルチェンジ」である。先に述べたが、クルマにたとえれば一車種だけのモデルチェンジではなく、クルマ業界全体が、売れ行き不振のセダンからワンボックスカーに右へならえしたのと同じということになる。 「健康ネタ」をメーンで打ち出したのは、『週刊現代』が最初だったと記憶する。大胆な変身に戸惑いはしたものの、高血圧の薬を長年服用している私は、「高血圧の薬は不要」といった見出しに目が吸い寄せられた。週刊文春の企画「減らせる薬11『症状別』リスト」 これまで総合週刊誌には見向きもしなかった愚妻も、「あら、血圧の話?」と言いながら、そばからのぞき込んでいる。健康は大いなる関心事なのだ。 さらに「終活」が「健康」の延長線上にあることから特集がこれに向かうのは必然で、辛気くさいテーマではあるが、実年・熟年が興味を引かれることは確かだ。幕の内弁当とビュッフェ 「あんなの、週刊誌じゃねぇよ」と、OBが毒づいたところで、数字は正直。週刊現代は「健康」と「終活」を両輪として部数を伸ばし、2019年1月の雑誌月間売上冊数で、『週刊文春』を抑えて10位に躍進(日販調べ)。「文春砲」を炸裂させても、週刊現代の「健康&終活ガイド」には部数では勝てなかったということになる。 かくして、総合週刊誌は雪崩を打つようにして「健康&終活ガイド」に走り、いまも走り続けているということになる。 私に言わせれば、総合週刊誌は「幕の内弁当」である。スキャンダルがメーンのおかずで、「海老フライ」や「鶏の唐揚げ」がそれに当たる。ニュースやハウツーがサブメーンの「卵焼き」「焼き魚」「天ぷら」で、連載小説やコラムが「煮物」「漬け物」といった添え物ということになる。 細々と何種類もおかずが詰めてあるのは、人によって好き嫌いがあるからだ。言い換えれば、好き嫌いにかかわらず、幕の内弁当は、そのすべてを購入しなければならない。 「私はニンジンが嫌いだから、それを外して卵焼きを増やして」というわけにはいかない。ここがウナギ弁当やアナゴ飯、イカ飯といった単品弁当と違うところで、幕の内弁当が総合週刊誌なら、これらは専門雑誌ということになる。 さらに、インターネットで閲覧する記事はビュッフェである。嫌いなものはスルーして、欲しい食べ物を欲しいだけ皿に取る。「ニンジンが嫌いだから、それを外して卵焼きを増やす」ということが、いくらでもできる。ITの進展、価値観の多様化、そしてそれを認める社会は、生活のすべてにおいて「ビュッフェ時代」になったと言っていいだろう。 こう考えると、幕の内弁当の総合週刊誌は、おかずに何を詰めるかは頭の痛い問題になってきた。ビュッフェ時代にあっては、いくらおかずの品数を増やそうと、従来の「押しつけ」では多くの読者を引きつけるのは難しく、部数はじり貧である。売れ筋だったスキャンダル砲をブッ放してみても、テレビのワイドショーが素早くそれを横取りする。リアルタイムで面白おかしく放送するため、たちまち霞(かす)んでしまう。 実際、ある総合週刊誌の編集長は、「ニュースもスキャンダルも、テレビとインターネットには太刀打ちできない。読ませるものに活路を見いだすしかない」と言い切る。 週刊現代が「健康テーマ」を打ち出したとき、「老人雑誌化」したと業界で陰口を叩かれたが、超高齢時代を背景に大当たり。弁当にたとえれば、「海老フライ」や「鶏の唐揚げ」といった脂っこい総菜を引っ込め、「ヘルシー&栄養」を謳(うた)ったおかずをメーンにしたら大いに売れたということになる。 つまり、総花的な幕の内弁当に、売れ筋の単品弁当をメーンに組み込んだのが、最近の総合週刊誌ということになる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 売れてナンボとなれば、総合週刊誌も読者のニーズに応じて変わっていかなければならない。だが、読者は気まぐれだ。気まぐれを相手にするのは、決して追いつくことのない影を追うようなもので、必ず息切れする。 これから総合週刊誌はどこへ向かうのか。かつて大部数を誇った『週刊明星』、『週刊平凡』は時代の変化の中で消えていった。スキャンダル砲の健闘を期待しつつも、「健康&終活テーマ」に舵を切った総合週刊誌は、まさに自身が〝終活〟を始めたような気が私はするのだ。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

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    「子供部屋おじさん」61万人はニッポンの恥ずべき現象なのか

    荻野達史(静岡大学教授) 内閣府が3月末に公表した調査によると、40~64歳までの「ひきこもり人口」は61万人を超えるという。このことは多々報道され、既にさまざまな反応が示されているが、われわれはこの調査結果のどこにひとまず注目すべきなのだろうか。ひきこもり支援現場での調査を15年以上続けてきた一研究者として思うところを述べてみたい。 半年以上、身体的な病気というわけではないが、社会的交流からかなり遠ざかっている場合、この調査では「広義のひきこもり」とカウントされた。具体的には、趣味のときだけ出かける、近所のコンビニなどには出かける、さらには自宅・自室からほとんど出ないといった場合である。それに該当する人が47人で、これを全国推計数に計算すると61万人になるというわけだ。 この調査結果が報道されると、男性がほぼ75%ということもあり、ネット上では「子供部屋おじさん」という表現も散見された。こうした言葉が即座に用いられるところにも、私には61万人が意味する問題が現れているように思われる。それについては最後に論じよう。 また、47人について5歳刻みの年齢区分で見てみると、40~44歳(12人、26%)、45~49歳(6人、13%)、50~54歳(7人、15%)、55~59歳(10人、21%)、60~64歳(12人、26%)となっている(内閣府ホームページに掲載された報告書を参照)。 これは定年退職後の問題もあるのではないかと思われる。つまり、もっぱら趣味を楽しんでいるという人(あるいは退職してからすっかり孤立した人?)もある程度いるのではという見方もありえたが、その年齢層が多数派というわけではない。 この調査結果を受けて、根本匠厚生労働相が「大人のひきこもりは新しい社会問題だ」と述べたと報じられている。しかし、支援体制や方法が不十分であるがゆえに「取り残されてきた問題」という側面もあるのではないだろうか。詳細な分析が待たれるところだが、報告書の集計値からもその点は伺われる。私が注目するべきと考えるのはこの点だ。参院本会議で答弁する根本匠厚生労働相=2019年1月(春名中撮影) 例えば、「初めて現在の状態になったのは何歳頃か」という質問に対して、40~44歳の層では、30代までにと答えている人の合計は実に83%(20代までは67%)、45~49歳では50%(20代までは33%)である。 30代ということは、10~15年前の期間である。つまり、ひきこもりに関わる支援政策が開始されて以降の時期と重なるのだ。このことの意味は重い。政策的取り組みが開始されたのは2000年からであり、旧ガイドラインは03年に発表され、地域精神保健の中にひきこもり支援を位置づけることが明記された。ひきこもりの「死角」 そして2006年には就労支援機関として地域若者サポートステーション(以下、サポステ)が設置されはじめ、現在では全国170カ所以上ある。09年には厚労省がひきこもり対策推進事業としてひきこもり地域支援センターを都道府県、政令指定都市に設置を開始し、翌年には新ガイドラインも発表された。 つまり、ひきこもりになった40代がまだまだ「若者」として支援対象となりうる年齢にありながら、支援とつながらなかったか、あるいはつながっても相応の効果が得られないまま今日に至るということになる。 実際、相談経験についても質問されており、47人の中で「相談する意思はもっている」と答えた36人について見ても、その半数以上は「関係機関に相談したことはない」と答えている。40代前半の11人については相談経験有りが7人と60%を超えるのだが、その中で利用されたのは病院・診療所が主であり、その他の支援機関を利用したのは1人のみである。 もとより「ひきこもり」該当者50人足らずの中で、さらに年齢層で分ければごくごく少ないケースとなり、それに依拠して全体の傾向を推測するには無理もある。その限界は踏まえなければならない。 とはいえ、大方は30代までに現在の状態が始まったという40代前半の層で、サポステも含め、ひきこもり支援を掲げて設置されてきた機関や相談窓口が、あまり機能してこなかった可能性を示唆する結果であろう(ただし、利用という点では親など同居者の相談経験にも注目すべきではある)。 私はある支援機関で2001年からいわば定点観測をしてきたことになるが、当初は10年以上ひきこもってようやく支援機関につながったという人はまったく珍しくなかった。しかし、近年では、ひきこもりが始まった後、親が支援機関にアプローチするまでの時間は短くなり、本人が20代までである場合などは、ひきこもっていた期間もせいぜい数年というパターンが多くなっているようだ。そして本人が出てくるのも、その後の展開(さまざまな活動への取り組み)も早くなっている。橋本市「若者サポートステーションきのかわ」開設に向けた打ち合わせをするサポステきのかわのスタッフ=2013年9月、橋本市(成瀬欣央撮影) 特に親自身が30~40代ぐらいであれば、ネットなども使った情報収集能力が高くなっていることも伺え、個人的には、ひきこもり支援についての情報がそれなりに浸透してきたことの効果は生じているとも感じてきた。しかし、それは甘すぎる認識であったと反省せざるを得ない。サポステの設計ミス 調査の40~50歳代について見ると、ひきこもり継続期間が5年以上という人が6割程度にもなる。ひきこもりには、長期化することで、往々にして家族全体が疲弊し、援助を求める力がさらに低下する側面がある。親や兄弟が高齢化すればなおさらだ。支援現場では確かに懸命な取り組みが行われてきたのではあるが、政策的には多くの人を取り残してきてしまったというよりない。この点ついては、どのあたりに問題があるのだろうか。 まず、支援資源について地域格差が非常に大きいことが指摘できよう。ひきこもり地域支援センターは都道府県と政令指定都市のレベルに設置されるものであり、誰でも通える範囲にあるわけではない。 また、相談やカウンセリングだけでなく、家族や本人が継続的に通うことができ、社会的交流を取り戻していく場が、ひきこもり支援には不可欠である。 だが、そうした実質的な受け皿が存在する地域は決して多くない。不登校支援以来の集積がある大都市部や、地方都市ではあるが一定の経験と規模を備え、さまざまな支援メニューをそろえた民間支援団体が存在するようなところは、比較的資源に恵まれた地域といえる。あとは、地域の保健所や社会福祉協議会が極めて積極的になんらかの取り組みを行っている場合でもない限り、支援につながることは物理的にも難しい。 また、支援方法や予算配分のあり方にも見直しが必要であろう。サポステは全国170カ所以上と相対的に多い機関である。2006年から10年ほどは、ひきこもり支援も期待され、彼ら彼女らも含めた就労困難層を受け止めるために、受託団体によっては持ち出しで「居場所」を用意することなども行ってきた。広島市で開かれた「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の全国大会=2018年11月(共同) しかし、特に2015年度以降、短期的に一般就労に結びつきそうな層に対象が限定され、現在ではひきこもりは対象外とされている。当然のことではあるが、あくまでも就労支援が中心課題となる機関である以上、少なくともひきこもり状態にある本人や家族を支援する機能には大きな限界があった。サポステについては、「積み過ぎた箱舟」と表現されたこともあったが、そもそも設計上、「積み残された」層もまた大きかったことが、この度明らかになったということであろう。ひきこもり政策は失敗だった こうした現状について、大阪の支援実践者としても経験の長い田中俊英氏が、「サポステは失敗だった」と題する記事をweb上に発表している(3月30日 ヤフー個人)。サポステが一定の役割を果たしてきたことは認めつつも、まだ就労には踏み出せないと感じた若者たちは、サポステに数回通った後に離脱し、潜在化してしまう。ならば、「日常生活支援」を経験すべき段階にある多くの人々をすくい上げるために、サポステを縮小し、その分の予算を「居場所」の設置や運営に投入すべきであると、明瞭に論じている。卓見である。 ひきこもりとは、本人に出会うことそのものが困難であり、また、その背景が非常に多様で、より時間をかけて当人や家族の困難を把握していく必要性の高い問題である。すぐには変わらない状態においても、家族や本人をつなぎ止め、もろもろの回復や生きる場の探索に、伴走的に支援していくことが求められる。いずれ就労に結びつく場合でも、その前にそれとはまた異なる方法と経験を備えた支援の場や過程が必要だ。単に現行支援機関の利用年齢制限を取り外せば済むというものではない。 以上のように支援政策について、早急に問い直すべきことが、この調査結果から読み取るべき課題であると思われる。しかし、政策のあり方だけが、こうした長期化した中高年のひきこもりを生み出してきたわけではなかろう。冒頭でも触れたが、今回の報道後、中高年のひきこもり者を「子供部屋おじさん」と呼ぶ書き込みがネット上で散見された。 「子供部屋おじさん」という表現は、中立的に解釈すれば、実家から離れることなく自室を使い続けながら暮らしている中年男性ということになろう。そうした「離家」がなされないことについては、一人暮らしがしたくてもできない経済的理由も大きいことが、社会調査の結果として既に明らかにされている。そしてこうした状況にある中年男性が、すべからく「ひきこもり」的生活をしているわけではないことはいうまでもない。 しかし、問題は「子供部屋おじさん」という表現が、決して中立的なものではなく、蔑称であることだ。「いい年をして子供のように実家に寄生する中年男」といった侮蔑(ぶべつ)的な意味が込められていることは、その使われ方をみれば明らかであろう。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ある雑誌記事では、働かず、人を避け、アニメに浸りながら、高齢の親には暴君として振る舞い年金を巻き上げる、そんな事例が「子供部屋おじさん」として紹介されていた。長期のひきこもり者が時にこうした暴君となってしまうケースもあることは、関係専門家や支援者は知るところであり、私もこうした人などいないといった反論をするつもりはない(ただ、もちろんこうした人が多いという根拠もないことは確認しておきたい)。「ひきこもりが許せない」 とはいえ、一定年齢を過ぎても実家で暮らしているという一事をもって、あるいはたとえそうした暴君であれ、なぜそのようになったのか、なぜそのようにしか生きられなかったのか、問うことも想像することもないまま、侮蔑の言葉やまなざしを投げかけるとすれば、それは問題であろう。 調査結果で、就職氷河期世代にあたる40代前半の層では、20代前半にひきこもり始めた人が33%と突出して多い。40代後半では17%、バブル世代といわれる50代前半では0%である。もちろん他の要因も検討されるべきであろうが、社会的な状況や個々人のさまざまな事情が折り重なって、ひきこもりという状態が生み出されることは繰り返し確認すべきところである。 そして、そうした背景や事情をなんら考慮しない「子供部屋おじさん」といった言葉が、当人とその家族をさらに孤立させることは容易に想像できよう。一方的に「恥ずべき存在」として侮られ批判されることが十分に予測できてしまう。そして実際にそうした経験もしやすい社会の中で、自分や自分たちの苦境を明らかにしながら支援を求めることは非常に困難だ。支援に結びつくこともなく、事態が悪化していくことをもたらしたのは、世の中のこうした悪意ある言葉やまなざしも影響してのことではないだろうか。 そうした言葉やまなざしを投げつける人々は、もとより当事者を孤立させることこそ望んでいるようにすら見えてしまう。ひきこもり中年やその家族が支援されることなく、苦境に陥っていくことこそ望んでいるのかもしれない。その暗い期待にもそれなりの背景があるようにも思われる。 私が講義でひきこもり支援の話をした際、「いじめや周囲からの暴言にも耐えてここまできた自分と、逃げて自室にひきこもった人間が、同じようにこの世で生きていけるなど許せない」というコメントを寄せた学生がいた。出口無しの感も否めない。 しかし、この学生が激しい痛みを経験したときに、適当な避難場所があったのであれば、違っていたのではないか。この学生を受け止め、ともにその状況に向き合ってくれる存在がいたのであれば、他者への想像力や公的支援についての見方もまた異なるものになりえたのではないだろうか。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ひきこもり問題に限らず、自分や家族だけではどうにも対応できない状況について、より抵抗なく相談でき必要な支援も受けられる社会を求めるか、一度歯車が狂ったら最後、一人でもがき続けるしかない社会を是とするか。後者のイメージも強い日本社会から、前者の社会への転換は、コンセンサスを形成すること自体、困難ではあろう。当面は、各種問題への局所的取り組みや部分的制度変更を通じて、人々の人生や社会についての体験のされ方が変わっていくことに希望をつなぎたい。■老老介護は「セカンドハネムーン」という考え方■「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!■NHK「老人漂流社会」プロデューサーが見た親子共倒れの現実

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    「移民法案」このままで大丈夫か

    外国人労働者の受け入れ拡大を図る出入国管理法改正案が衆院を通過した。法案はこれまで認めなかった単純労働を容認し、実質的に外国人の永住に道を開く内容である。事実上の「移民法案」とも揶揄され、将来に禍根を残しかねない。労働市場の人手不足が大義名分とはいえ、なぜ急ぐ必要があるのか。

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    青山繁晴手記「総理、足元の声をお聴きですか」

    青山繁晴(参議院議員、作家) 諫言(かんげん)などという格好の良いこと、偉そうなことは、できませぬ。しかし、かりそめにも日本の唯一の主人公である有権者から負託されたからには、お聞きせざるを得ません。 総理、どうなさいましたか、と。声をお聴きになっていますか、と。 いや、安倍晋三総理も総理官邸の人々も、国民の声を聴いているおつもりなのだ。 すなわち世論調査では、「モリカケ」という悪質な冤罪によって安倍総理を追い詰めたオールドメディアの行う世論調査であっても、最近では安倍政権の支持率は上がり、不支持率は下がっている。いずれも振り幅は小さいが、ほぼすべての調査に共通する傾向だ。 そして外国の国民を労働者として急に増やすこと、実質的に永住させることを盛り込んだ入管法(出入国管理・難民認定法)改正案も支持が不支持を上回っている。さらに消費増税も支持が不支持を上回る傾向だ。 安倍改造内閣の押し進める政策で、はっきり不支持が多いのは軽減税率やプレミアム付き商品券、ポイント還元制度といった分かりにくい増税対策だけである。しかし消費増税そのものは「やむを得ない」と受け止める国民が多いことになっている。 もちろん世論調査によって色合いは異なるが、なべて言えば、現在こうだ。落とし穴の一つは、実に、ここにある。 かつてはタウンミーティングのように国民の声を直接に聴く場も、ほんの少しはあった。だがこれもやらせ疑惑が出るなどして中止。長くても残り3年弱、来夏の国政選挙で敗北すれば短くてあと8カ月強の「最期の安倍政権」は世論調査しか、耳を持たないのだ。2018年11月、参院予算委で答弁を行う安倍晋三首相(春名中撮影) オールドメディアのそれ以外に、政府与党も長年のノウハウと蓄積データを持つ世論調査を非公開でやる。こちらはオールドメディアほどには質問に仕掛けを作らないので、客観性は高い。だがこの調査も結果は同じ傾向だ。 そのために安倍総理には「保守色の強い支持層には入管法改正や消費増税が不評でも、広範な国民には支持がむしろ回復している」という安心感が生まれている。さらに「これまでも保守政権だからこそやれるという不人気政策をあえて実行してきた。路線が変わったわけじゃない」と政権みずから納得している。「なぜ妊婦をいじめるの」 だが世論調査は、特に安倍政権には間違いの元になる。なぜか。再登板後の安倍政権は、歴代の自由民主党中心の歴代政権とはまったく違う特色を持つからだ。 それは、選挙権を得たばかりの18歳や19歳に支持が高く、50代以上の世代にまったく人気が無いことだ。 世論調査は、回答者が特定の世代に偏らないようノウハウを持って各世代に万遍なく電話で質問していく。ところが法改正でせっかく有権者となった18歳、19歳はほとんど答えない。この世代の回答率は何と、およそ1%である。100人のうち1人答えるか答えないか。したがって世論調査は、安倍政権の本来の支持層が「たった今の政策」をどう考えているかをほとんど反映しない。一方、高齢世代は「日本はすべて悪かった」という教育を受けて育ち、インターネット上の情報の活用もまだまだ少ない。この世代は安倍総理が日本の敗戦後の歩みを変えることを強く警戒してきたから「この頃の現実路線には安心感がある」(70代の元教員)となる。 安倍総理はまずは、足元の党内の声を聴くべきではないか。 例えば、参議院の厚生労働委員会である。わたしはこの委員会に属していない。しかし1回生議員として「雑巾がけ」を積極的にやると決めているから、出席できない議員の差し替えを務めていた。すると野党議員が「妊婦加算」について「おかしいではないか」と問うた。病院で妊婦と分かれば治療費を余計に払えという制度が4月から始まっている。わたしの周りの自由民主党席には医師でもある女性議員が複数いる。その議員らから「人手が足りないから無理にでも外国人を入れようとしているのに、なぜ妊婦を苛(いじ)めるの」という秘めた声が幾つも聞こえた。 わたしは議事の邪魔にならないよう他には聞こえない声で「レントゲン一つとっても医師の負担増は分かりますよね。しかしそれは妊婦ではなく国が負担すべきです。人手不足は人口減で起きているのだから、妊婦こそ国の宝ですね」と応じた。そして野党議員が質問を終えるとき、男女を問わず自由民主党席から自然に大きな拍手が起きた。 この厚労委では、水道法改正案の趣旨説明も行われた。水道事業がこれも人口減で行き詰まりを見せ、老朽化した施設を更新できないでいる。だから自治体が水道の運営権を民間に売れるようにする法改正で、すでに前国会で衆院を通過している。この運営権にフランスの水メジャーと中国が強い関心を持っているとされるが、命の水、ことに日本は水の邦(くに)でもある。少なくとも外資規制を掛けるべきだ。青山繁晴参院議員=2018年9月(仲道裕司撮影) 厚労委で自由民主党のあるベテラン議員は、わたしに「安倍総理は何を考えている。水道法も妊婦加算も入管法改正も人口減への対処が間違ってるよ」と小声で言い、「(自由民主党本部で開かれた)法務部会で青山さんがずっと入管法改正に反対していたあの主張、全く正しいよ。俺(おれ)は立場上、言えないけどね。地元でもみな、そう言っているよ。このままじゃ選挙に負ける。頑張ってほしい」とわたしの眼を覗き込んだ。 その法務部会では、「業界から頼まれてきた。早く外国人が欲しい」と正直に、あるいは露骨に発言した議員もいらっしゃった。ある意味、ミッション(使命、作戦)を帯びた反対論潰しの試みがあったわけだ。ところが部会の外では閣僚経験者や党の重鎮までが党本部のエレベーターや国会議事堂の廊下で「入管法改正反対は正しい。主張を続けてください」と仰る。「反対論はおかしい」という声は部会の外では、皆無だ。総理の真意はどこに おのれに都合のいい声だけを取り上げているのではない。 例えば、選挙の足腰を支える地方の女性党員はどうか。わたしは今、党女性局の史上初の男性事務局長を務めている。配偶者が日本女性で初めて大型船の船長資格を取り、現在も研究調査船に乗船してメタンハイドレートや熱水鉱床といった日本が建国以来初めて抱擁する自前資源の探索にあたり、彼女が幼い子二人を残して遠洋航海に出た時は、忙しい政治記者だったわたしが子育てをした、そんな事実が影響しているのかもしれない。 その女性局事務局長の務めとして参加した地方のブロック会議で、公式会議が終わると地方議員の女性が複数、寄ってこられ「妊婦に金銭負担やストレスを与え、何より大事な水を売り渡し、日本の女性や中高齢者を雇わずに外国人を、総理が国会で答弁なさっていることと違って、実際には多くは低賃金で雇う。総理はいったい何なの。これで来年、選挙をやれと言うの」とわたしに厳しく問うた。 では総理の真意はどこにあるのか。 再登板後の安倍総理は現実主義者である。不肖わたしも長年、安全保障・危機管理を民間から担う実務者であったから、現実を常に見ている。ところがお話ししていると総理には、はっとさせられるほどリアルな現実把握、みごとな現実認識がある。 安倍総理がたった今、冷徹に把握している現実は、後継者がいない事実だ。日韓合意以来、わたしと安倍総理は意見の違うことばかりだが「安倍総理の後継総理は国家観、歴史観が共通する人でないと、苦闘の果てに積み上げてきた平和安全法制や特定秘密保護法という敗戦後の日本の在り方見直しが無に帰する怖れがある」という認識では一致している。 だから総理は今、「一定の仕上げを自分でやっておかないと」という危機意識でいっぱいだ。そのために「人手不足倒産をとりあえず解消しないとアベノミクスが続かない。水道をはじめインフラの更新をとりあえずできるようにしないといけない」となる。 前者には「最大でも35万人の外国人だから、あくまで労働者だ。移民じゃない」、後者には「水道の管理責任はあくまで公(おおやけ)、自治体にある」という自己弁明が付く。そして妊婦加算は、国会で答弁を求められるまではおそらくあまりご存じなかった。 これらは不肖わたしの推測だが、もとより単なる推測ではない。総理側と交渉をするなかで明瞭に伝わってきた総理の真意である。 わたしは一回生議員に過ぎない。入管法改正の廃案を叫び、ただ反対するだけなら一回生議員にもできる。だが叫ぶだけだ。おのれの支持者の喝采を待ち、結果には責任を持たない、一つの保身である。内政だけでもズレがある まだ後輩議員もいない身も顧みず、やらねばならないのは政府原案修正の実現だ。入管法改正案はこのままでは、ぼくらの祖国を見知らぬ国にしてしまう。日本国民の中高齢者、女性、そして引き籠もりや鬱によって就職できずにいた若者の就労を実現する、あるいは外国の国民が日本の社会保障を悪用しないと同時に、日本国民と同じ人権が守られる。そのための法案修正に与野党が合意するよう、勝手に、非力のまま水面下で動いている。 そのとき、もっともしっかり確認しておかねばならないのが総理の意思だ。 修正は議員間で行われる。しかし特定秘密保護法も、安倍総理と渡辺喜美・みんなの党代表(当時)の秘密合意があったから、議員間修正が実現した。入管法改正についても「修正OK」という総理の意志が背景にないと修正が進まない。それを確かめる過程で、わたしなりに総理の危機意識を把握したのだった。 その危機感を知りつつ、あえて総理にお尋ねしたい。長年、選挙への出馬要請を断ってきたわたしがついに決断したのは、西暦2016年6月の参院選公示が迫るなか、突然に掛かってきた総理からの電話がきっかけだった。 「青山さんが国会に来れば、外務省が変わる。あと経産省も変わるな。それから部会で発言すれば自民党の議員も変わる」。これは順に、拉致被害者帰還交渉の難渋、メタンハイドレートをはじめ自前資源の意図的な放置、党の利権構造、それらを変えたいという安倍晋三総理の強い願いの表れであり、現場で協力してほしいという要請に他ならなかった。 総理は忙しさでお忘れかもしれないが、これほど印象深い電話も、半生にない。記憶はまことに鮮明だ。そして法務部会で熱心にわたしの反対を聞いてくれた自由民主党代議士のひとり、行政経験の豊かな神谷昇・元泉大津市長は、わたしが講演でこのエピソードを話したとき、「変わった、変わった。確かに議員が変わった」と明るい声で叫ばれた。 総理、まずは足元の党内の声を聴き、それぞれの地元の有権者の声を集めることを急ぎ、なさってくださいませんか。それ無しでは、来年、仮に衆参ダブル選挙に打って出ても、野党の選挙協力の成否にかかわらず大敗し、政権を失いかねません。ロシアのプーチン大統領と会談後、取材に応じる安倍首相=2018年11月、シンガポール(共同) 本稿では訪中、北方領土交渉という最近の安倍外交には、字数の制約もあり、あえて言及しなかった。だが内政だけでこれだけの足元の声とのズレがある。改憲と拉致被害者の全員救出、この再登板後の安倍政権の本来の目的のためにも、ここではわたしが僭越ながら、こころの電話をお掛けします。「批判されても仕上げを急ぎたい真意を受け止めたうえで、総理、日本を取り戻すためという再登板の志に戻りましょう」と。

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    「外国人労働者は移民ではない」日本はドイツの失敗を直視せよ

    雨宮紫苑(ドイツ在住フリーライター) 日本に一時帰国するたびに、働いている外国人を見かける回数が明らかに増えている。 羽田空港国際線の免税店では、資生堂の販売員も、酒類の販売員も、レジ係も、みんな外国人だった。銀座のアップルショップでも対応してくれたのは外国人販売員。居酒屋やコンビニ、スーパーや回転寿司といった場所でも、言葉のイントネーションや見た目、名前から、外国人と思われる人と日常的に遭遇した。 外国人労働者数を調べてみると、10年前の2008年は約49万人だったが、17年は約128万人と年々増加しているらしい。外国人を見かけることが多くなったのも、当然といえば当然である。 しかし不思議なのが、日本で語られるのは主に「外国人労働者」についてであって、「移民」については全くといっていいほど言及されていないことだ。 国連広報センターによると、「国際(国境を越えた)移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、本来の居住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意」しているのだそうだ。ちなみに移民の移動の形として、移住労働者や出稼ぎなどを例として含めている。 つまり、居住地を海外に変更し、変更先に一定期間住んでいれば、現地で仕事をしていようが留学していようが『移民』と認識できるわけだ。 一方、日本の定義は違う。自民党は「『移民』とは、入国の時点でいわゆる永住権を有する者であり、就労目的の在留資格による受け入れは『移民』には当たらない」としている。2018年10月の自民党厚労部会がまとめた外国人受け入れに関する決議の内容を法務部会で説明する小泉進次郎部会長。左は長谷川法務部会長(春名中撮影) しかし、このまま「外国人労働者は移民ではない」と言い張っていいのだろうか。日本が戦後ドイツの歴史をなぞっているように思えて、どうしても危機感を覚えてしまう。「手遅れ」となったドイツ ドイツが現在、移民と難民問題で揺れているのは周知の事実だ。2018年10月、メルケル首相が率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は南部バイエルン州と西部ヘッセン州の地方選で得票率を大きく落とし、メルケル首相は21年に政界を引退することを発表した。難民政策の失敗が大きく影響しているのは、言うまでもない。移民や難民の受け入れは、ドイツにおいて最も関心度が高い政治テーマの一つだ。 とはいえ、ドイツの外国人受け入れについてのニュースが日本で大々的に報じられるようになったのは15年の難民危機以降である。もしかしたら、「それまではうまくやっていたのに一度に大量の難民が押し寄せてきたからパンクしたんだろう」と思っている人もいるかもしれない。 しかし、歴史を振り返ってみれば、決してそういうわけではないことが分かる。ドイツの外国人受け入れ政策の失敗の一つに「外国人労働者を移民と認めなかったこと」が挙げられるからだ。 旧西ドイツは、戦後の人口増加が緩やかだった上に、戦死者が多く、経済成長に伴い人手不足に陥った。労働時間短縮や有給休暇制度の改善を求める権利闘争が盛んになったこともあり、外国人を「ガストアルバイター」として受け入れ始める。ガスト=ゲスト、アルバイター=ワーカー。分かりやすく訳せば、助っ人外国人である。 彼らは安く雇用できる上に、本国に仕送りするためによく働いてくれるし、ドイツ人がやりたくない仕事もやってくれる。便利も便利、超便利である。 ガストアルバイターはあくまで「一定期間ドイツに出稼ぎに来ている人」だから、1960年代はまだ「ドイツは移民国家ではない」というのが共通認識だった。しかし、ドイツの予想を裏切り、ガストアルバイターの多くは家族を呼び寄せたり現地で結婚したりして、ドイツに定住することになる。 1973年に一度外国人労働者の受け入れを停止するが、その後再び人手不足に陥り、受け入れを再開。2000年、ドイツの総労働力人口における外国人の割合は8・8%で、人口の7・3%が外国人という状況だった。 21世紀になって少ししてから、ドイツはやっと「移民国家」としての舵を切る。ドイツ語教育やドイツの社会、歴史などを学ぶ市民教育を統合講習として受講を義務化し、移民の社会統合を目指し始めたのだ。2018年10月、ベルリンで記者会見するドイツのメルケル首相(ゲッティ=共同) しかし、時すでに遅し。すでにドイツ人と外国人(移民背景がある人たち)の収入格差や学歴格差、言語の壁や宗教問題など、課題は山積みになっていた。 15年に大量の難民を受け入れたことで、ドイツが混乱したのは事実だが、それはあくまできっかけにすぎない。移民とそうでない人との間にある火種は、15年に突然生まれたものではなく、それよりも前にくすぶっていたのだ。ドイツと同じ轍を踏む? しかし興味深いのは、これほど多くの外国人を受け入れたのに、ドイツは2018年10月、欧州連合(EU)域外から専門的資格とドイツ語能力を持つ人を呼ぶための新移民法を制定したことである。 スイスの国際ビジネス教育・研究機関IMDによる「World Talent Ranking 2017」で「高度外国人材にとっての魅力度」が世界16位であり(ちなみに日本は51位でアジア最下位)、これだけ多くの外国人を受け入れているのにもかかわらず、新たに法を制定しなくてはならないほど高度人材が足りていないのだ。 こういったドイツの事情を踏まえて、改めて日本について考えてみよう。 日本は現在、深刻な人手不足に陥っている。中小企業を中心にバブル期並みの人手不足となっており、45%もの企業で常用労働者が足りていない。だから「移民ではない」という建前で外国人労働者をどんどん受け入れているわけだが、このままでは「気づいたら移民が増えていたので対策します」というドイツの二の舞になってしまいそうだ。 ドイツと同じ轍を踏まないために、外国人労働者の受け入れは移民政策の一貫として、戦略的に行う必要性があるのではないだろうか。 「移民」という言葉に抵抗感がある人も多いだろうが、「移民国家」を認めたことで起こる反発より、それを認めずに実質移民国家となり「日本人vs外国人」と対立するほうが、私にはよっぽど恐ろしく思える。 そもそも、日本で働いている人の多くは既に「移民」と呼べるし、そうでなくとも定住する可能性のある移民予備軍なのだから、「移民」という言葉にだけ反対していても意味がない。 では、必要とされる移民政策とは、例えばどういうことをいうのか。ドイツ・ベルリンのアラブ人街を歩く男女=2018年6月(共同) まずは、外国人の経済的安定が不可欠である。ドイツ連邦雇用庁によると、16年の失業率は、ドイツ人が5・0%、外国人は14・6%。収入にも格差があり、15年のフルタイム労働者の収入は、ドイツ人とそうでない人で21・5%もの差があった。社会保障費を減らすという点でも、外国人が経済的に不利にならないよう予防することは必要である。 また、過労死がすでに多くの国で報じられている日本で、外国人搾取が続き、それが公になれば、国際的なイメージに影響することも理解しておかないといけないだろう。「事前対策」現場だけでは限界 次に教育だ。家庭内の第一言語がドイツ語でないためドイツ語を話せないという小学1年生が増加し、現在ドイツでは教育レベルの低下が懸念されている。言語的ハンデが低学歴につながり、学歴格差がさらに収入格差として現れるのも問題である。 日本は私立の高校、大学が多いため、経済的に不利な外国人家庭の子供が進学を断念したり、公立高校に殺到したりするかもしれない。そうならないためにどうするか。 他にも宗教の問題がある。日本は比較的宗教に寛容とはいえ、勤務中の礼拝をどう扱うか、学校の修学旅行が京都・清水寺でいいか、半袖の制服着用を義務化していいか、といったことも考えていかなくてはいけない。職場飲み会もNGになるかもしれないし、社食では牛や豚を使わないメニューを用意する必要があるかもしれない。宗教において「ここは日本だから合わせろ」は通用しない。 これらは、外国人を受け入れる以上、起こり得る想定内の課題である。それならば当然、事前対策を求められる。多くの国が移民問題に揺れているのだから、「移民国家じゃないので対策しません」というのは、あまりにお粗末だ。 それぞれの自治体や学校、職場で社会統合に向けての個別努力は行われているが、現場だけでは限界があるだろう。 もうさっさと移民を受け入れていると認めて、横断的に受け入れ政策を担当する省庁、ドイツでいう連邦移民難民庁(BAMF)のような公的機関を用意した方がいいのではないだろうか。移民を認めず社会統合のスタートでつまずいたドイツと、わざわざ同じ道をたどる必要はない。 「外国人労働者を受け入れるべきか否か」という議論も大事ではあるが、既に「移民」と向き合うべき段階になっているんじゃないかと思う。求められているのは、「移民かどうか」という言葉遊びではなく、受け入れた外国人と共存・共栄するための議論だろう。 そして最後に言いたい。人手不足解消のために、引きこもりの社会復帰促進や、闘病中・介護中・育児中の人の就職支援など、国内でできることはまだまだたくさんある。政府は高度外国人材を呼び込むために最短1年で永住権を認めることにしたが、日本にだって優秀な人はいるのだから、修士以上の高学歴者の優遇や研究費の支援なども検討すべきだ。 外から人を呼ぶのは一つの選択肢だが、国内の「自給自足」も忘れないでいてほしい。

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    256万人の「移民予備軍」に口ごもる自民党の矛盾

    坂東忠信(外国人犯罪対策講師、作家) 日本経済新聞によると、2017年半ばまでの段階で、技能実習生の失踪は既に年間7千人を超えている。受け入れ企業側も実習させてやる程度の賃金で、ろくな実習もないままに単純労働をさせているケースもある。 今や実習生は情報端末を駆使しながら、日本各地で働く同国人や友人のネットワークで、待遇や賃金がより良い職場を求め脱走するが、在留資格が更新できずに不法滞在者となる。新たな職場の雇用側も人手不足のため、そこに働く外国人従業員のツテで受け入れる。 しかし、彼らも人間である。働いている時間以外にも休み、遊び、恋をして、子供をつくる。さらなる収入を得たいし、楽もしたいし、苦しくなれば犯罪に走ることもある。 外国人の「道徳格差」はインターネット上で明確に認識されている。だが、国際的規模に膨れたカネのうなる大企業を広告主とするオールドメディアは、スポンサーの海外でのイメージを守るため、問題の核を「文化の違い」と表現し、道徳レベルの差から発生する国内外国人問題の核心に迫ろうとしない。 こうした問題を放置し、改善することなく、さらなる労働力を呼び込むために、出入国管理法が改正されようとしている。自民党は、票や政治献金を生み出す企業や団体の要求を拒むことができないからだ。 改正の目玉は「特定技能1号・2号」という在留資格の追加だ。改正案は、1号に「相当程度の知識または経験」、2号に「熟練した技能」を要求し、外国人材を受け入れるとしているが、各号の求める具体的水準は不明だ。 その資格の詳細に関する説明は他に譲るが、改正案に対して、自民党法務部会では発言議員の9割が反対を表明したという。しかし、残る1割が賛成側に立ち、現実の倒産要因にまでなっている「人手不足解消」の大義名分を掲げて押しまくった。2018年10月、自民党法務部会であいさつする長谷川岳部会長(奥中央) 反対の議員も「具体的に何人が何年必要なのか」「要らなくなったら『帰れ』でいいのか?」と押し返すなど激しいせめぎ合いを展開した。各業界団体のヒアリングも交えた討議の結果、安易な枠の拡大や基準の引き下げで移民政策にならないよう、法務部会と厚生労働部会で具体的なハードルを設定した部会決議を法案に付した。国民も外国人も不幸にする しかし「与党グセ」がついている自民党は、いつまた野党に落ちて、このハードルが取り払われるかなど考えていない。まるで「玄関」は開放されたと言いつつも、上がり口を高さ2メートルにし、天井下30センチしかない隙間をくぐって入る客だけを歓迎するかのようだ。 でも「家」の中を見渡せば、窓にはスパイ防止法という「網戸」さえなく開けっ放しで、泥棒がよく入る上に、「家庭崩壊」寸前で「だからレベルの高い外国人メイドが必要」というオヤジをあなたは信用できるか。私たちはそんな国「家」の家族なのだ。 たとえ実習生が高度プロフェッショナル人材であっても、帯同する家族も歓迎すべき人材とは限らない。また、実習生本人も歓迎に値する人材で有り続けることを期待したり、矯正することはできない。 そして、本人が労働意欲を失ったり、何らかの理由で評価に値する技能を発揮することが不可能になっても、企業は面倒を見てくれない。収入に困った彼らによる犯罪やその被害回復の責任がどこに帰するのかも不明だ。まさに、国民も外国人も不幸にする改正法案である。 おまけ、国別の枠の割り当てもないため、隣国の中国や韓国の人材が多くなるのは必定だ。滞在中に母国崩壊が発生すれば、彼らは日本に居ながらにして難民になる。 実際に米国が進める「米中経済戦争」は政権転覆や社会の混乱、つまり国外脱出者が現れるレベルを目指し、締め上げにかかっている。そうして、難民発生の際には、国際社会が日本に対して国庫を傾けるほどの保護を求めてくるに違いない。 一方、単純労働者を求める労働市場では、難民を含む外国人材の雇用で、大企業の上層だけが潤い、収入格差は広がるばかりだ。彼らへの厚生や福祉で不可避となった消費増税がデフレを加速し、日本人は疲弊する。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 今でさえ円安路線を維持した日本は既に国際的デフレ国家であり、日本人の賃金は先進国内で驚くべき低レベルだ。外国人旅行客の目には、サービス最高の「おもてなし激安国家」と映るのだから、オーバーステイしたくなる気持ちも理解できる。 そもそも、問題は「労働力不足」である。ニートが高齢化しても、シングルマザーになっても生きていけるほどの社会制度が、きしみながらこれを支え、今やその福祉制度が外国人に食われるほど、生きる力と競争する意欲を失った日本人が問題なのだ。批判覚悟の「提案」 そこで、批判を覚悟の上で提案したい。海外展開を行っている大企業はアベノミクスの恩恵を受け、株価も上昇している。ところが、今の経営陣はバブル崩壊の経験者であるため、内部留保を積み上げ、賃上げによる支出を恐れ、さらなる安価な労働力を外国人に求める。そこで、労働基準法にでも「企業トップと末端の賃金格差は○倍まで」と定めれば、さっぱり進まない賃上げもトップから進めざるを得なくなり、社会問題である収入格差も緩和、労働意欲も上がるのではないか。 また、企業が大卒や新卒にこだわらず、独自の採用基準で若い人材を求めれば、就職のためのカタパルト(射出機)と化した意味無き大学は淘汰(とうた)され、大学全体のレベルも向上して洗練されるだろう。 こうして、企業が学歴偏重の採用基準を変えれば、親は借金してまで子供を大学に送る必要がなくなり、その資金を老後に回せる。子供は10代から社会に出ていれば、20代後半にはベテランの域に達するので、結婚資金も貯(た)まる。短期的には成婚率が、中期的には出産率と出産人口が、長期的には労働人口も上がるのではないか。 そのためには企業トップの意見を尊重する自民党の他に、勤労者のための、健全で主体性のある野党が必要だ。本来であれば、企業に君臨する「ブルジョア階級」の収入を規制し、「プロレタリア」の賃金を底上げする政策については、日本共産党あたりに期待したいところではある。また、「自民あっての反自民」を貫く立憲民主党は、今回の実質的移民政策にも反対するのだろうか。 安倍晋三内閣は「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)に「移民政策を採らない」としているが、自民党議員は移民の定義を知らないか、口にできない。国連人口部の定義によれば、移民とは「主権のある母国を1年以上離れて外国に暮らす人」を指す。そして、この移民の概念には、密入国者や不法滞在者、帰化した初代が含まれる。 既に日本には、留学生を始めとする移民と「移民予備軍」が256万人以上も存在するが、自民党議員がこれを口にすることは骨太方針の矛盾をさらけ出すことになる。だから「移民」という言葉に異を唱え、改善できる議員はいないのだ。 そもそも、議員の仕事は理想の発表や世論啓発ではなく、法の立案や審議である。法改正案に部会決議文で歯止めを盛り込んだ党内の反対議員も、議論に参加し論議を尽くした以上は、組織としての決定に文句をつけることはできない。それを期待するのが酷であることは、何らかの組織に属する社会人ならわかるはずだ。自民党本部=2018年9月(納冨康撮影) だが、読者諸兄は昨年の流行語をお忘れか。そう、ここに「忖度」が必要である。発言議員の9割ほどいた反対議員は心の中で、決議文を付けても力が及ばず手を離れたこの法改正案を誰かに潰してほしいのだ、と私は「忖度」した。 国民の政治参加は選挙のみにあらず。世論を大いに盛り上げ、燃え上がらせて法案を灰にするよう、ともに声を上げようではないか。

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    「高齢者時給500円」移民反対論をなくすにはこれしかない

    まず、日本が長年脱却できないデフレの原因は何だと思うだろうか。諸説あるが、一番イメージしやすいのが、少子高齢化である。ところが、経済学的には、先進国はどこも少子高齢化であり、日本だけがデフレの理由にはならないという視点が必要だ。これは、先進国で日本だけが移民を受け入れていないという点で説明がつく。 ついでに言えば、日本の少子化対策について、欧州の出生率が上がったから日本も女性が働きやすい環境整備をしろという声もあるが、欧州は婚外子を認めたからだ。また、アメリカは女性が働く環境整備がなくても、出生率が上がった。なぜなら、自国民の出生率は低いままだが、移民の出生率が全体を底上げしたのだ。 本来、出生率は、低所得者や難民、地方の生活者ほど高く、都市化とともに減少する。日本も少子化が問題視されているが、地方はさほど少子化は進んではいない。人口は減っているが、都市部に吸い取られているだけだ。同じことは、中国でも起きており、一人っ子政策を緩和しても都市部では2人目は作らない家庭が多く、増えていない。 そこで本題に戻るが、国内で根強い移民反対論にメスを入れるにはどうすればいいだろうか。 そもそも、企業側は労働力不足をカバーしたいので、賃金の安い外国人労働者を増やしたいのが本音だ。経営的側面が移民規制緩和論の根底にあり、主導しているのは経団連だ。だからこそ移民緩和論が台頭しているのだ。 では、企業側が望む時給とはいくらかご存じだろうか。筆者が全国の企業経営者らの講演会で毎回リサーチしているが、500~700円程度である(ちなみに東京都の最低賃金は985円)。しかし、今は労働力が不足し、最低賃金で募集してもどこも人が集まらない。だから、最低賃金で働いてくれる技能実習制度の外国人を受け入れたがるのだ。 こうした経済的側面、経営的側面で見ると外国人労働者の受け入れはメリットが大きいが、なぜ、これほど批判されるのか。それは昨今起きている、イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ現象、世界の排他主義の台頭、すべては、移民がテロや犯罪の温床になり治安が悪化するとされているからだ。そして最も大きな理由は、移民労働者によって自国民の雇用が奪われ、自分たちの生活が苦しくなることへの懸念だろう。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) そこで、まず、最低賃金以下の労働力を確保したい企業の視点から考察する。高齢者3500万人について、国は段階的に年金支給開始年齢を70歳に引き上げたいのが本音で、理想は75歳である。 ところが、働かそうにも企業側の文化が高齢者に向いていない。これをまずは生かせるようにするため、年金受給者の最低賃金を短時間においてのみ限定的に解禁する。 例えば、高齢者を4時間限定の労働なら時給500円で雇用できるとしたらどうか。若者一人ではなく、高齢者2人のシフトを組めば、高齢者であることのハンデと天秤にかけてどちら選ぶだろうか。筆者が経営者らの講演会で挙手を求めるとほぼ、100%この案に賛成である。 つまり、高齢者の雇用促進を加速させる制度をとり、それでも足りない差分が判明したところで、初めて外国人労働者の受け入れと総量を議論すればいい。望むのは富裕層の「移民特区」 かつて、この論を提唱した際、「時給500円で働く人なんかいない」と炎上したが、仮に、500円で働き手がいなければ、自然と時給は上がるはずで、これができなければ、移民もやむなしという世論が形成され、晴れて反対論はほぼなくなる。 最低賃金とは、いわば、イデオロギーと票田稼ぎの思惑が強く、極論かもしれないが、筆者はそもそも、労働規制改革の本丸は最低賃金法の廃止だとも思っている。 また、外国人労働者をどのような方法で受け入れるかについても、最低でも経済連携協定(EPA)締結国に限定すべきだ。これだけでも、労働意欲が薄く、テロのリスクが高いとされる国からの移民にブレーキをかけることができる。 さらに、筆者が大々的に解禁してほしい移民の分野が二つある。一つは富裕層で、もう一つが、起業家である。 海外でもリタイアメントビザ(退職者向けのビザ)を取得できる制度はたくさんある。海外の退職後の富裕層が日本に移住すれば、不動産などの売買も活発になり、不動産価格も上がり、税収も増えるだろう。富裕層なら治安悪化の恐れも少なくて済む。富裕層が日本に永住しやすい環境を「移民特区」で提供すれば、地方の活性化にもつながる。 ただし、たびたび議論される外国人参政権による政治の浸食、住民投票権の外国人付与につながらないよう、細心の注意を払う必要はある。これらの規制を強化できず、富裕層の資金力であらゆるものが買収されては、移民の脅威の解決策ではなくなってしまうからだ。 もう一つが起業家だ。アメリカのシリコンバレーの半数は外国人である。そもそも、起業は勉学ができるだけでうまくいくものではない。ハングリー精神も必要であり、草食系が多いとされる日本の若者から優秀な経営者が多数生まれるとは思えない。 日本も「2025年経営者問題」があり、経済産業省は今ある法人がこのままだと経営者の高齢化や後継者難で、国内総生産(GDP)の22兆円分が失われると警鐘を鳴らしている。ゆえに新陳代謝を促す上でも若者の起業率を上げるより、外国人起業家を日本で展開しやすくする方が経済のすそ野を広げる上で重要だと考える。 最後に、なぜ移民反対派であろう安倍首相が移民法を推進し、移民受け入れ賛成派であるはずのリベラル、左系野党が反対するかについて説明しておく。衆院予算委員会で外国人受け入れ問題について答弁を行う安倍晋三首相=2018年11月、国会(春名中撮影) 安倍首相の入管法改正案は、最低賃金が上昇し続けていることを踏まえ、経団連のガス抜き的な意味合いが強い。現状のような骨抜きの方がかえって、実績を出さなくても文句も出ないし逃げ道を作っておくことができるからだ。様子見しながら方針転換ができるようにしているとしか思えない。 一方、野党を見ていると、安倍政権の「移民法案」に反対なだけで、本音は賛成なのに相も変わらずのパフォーマンスと責任逃れをしているだけだ。本来なら、野党は移民を促進し、外国人参政権を解禁し、夫婦別姓で婚外子の促進が狙いだが、今、欧米で起きていることを体現しようとするなら無責任としか言いようがない。

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    留学生受け入れは「親日」育てる目的なのに“嫌日”が急増中

     日本の専門学校や日本語学校に在籍する外国人留学生が急増している。独立行政法人「日本学生支援機構」によれば、専門学校に在籍する留学生の数は2017年度には5万8711人と、5年間で3万人以上も増えている。「日本語学校」にも、2017年度には8万人近い留学生が在籍し、5年間で専門学校を上回る5万人以上の急増ぶりだ。 本誌SAPIO7・8月号で触れたように、その大半は勉強よりも出稼ぎが目的の“偽装留学生”たちだ。留学生に認められる「週28時間以内」のアルバイトに目をつけ、留学を装い出稼ぎ目的で来日する若者が急増しているのである。本来、留学ビザは「母国から仕送りが見込め、アルバイトなしで留学生活を送れる外国人」に限り発給されるため、新興国からの留学生の多くが借金をしてブローカーに手数料などを払い、親の年収や預金残高などをでっち上げている。 その彼らが、今度は就職して事実上の「移民」となる。法務省によれば、2017年に日本で就職した外国人留学生は過去最高の2万2419人に達した。前年からは約3000人、2012年からは2倍の増加である。その数は将来、飛躍的に増える可能性がある。早ければ2019年春にも、留学生の就職条件が緩和されるからだ。 現状では、留学生は大学や専門学校で専攻した分野に近い仕事で、技術者を含めたホワイトカラーの職種にしか就職できない。それが大学卒の場合は専攻に関係なく就職でき、専門学校卒も「クールジャパン」に関連する仕事であれば就職できるようになる。「単純労働への就職」も可能に 就職条件の緩和に関し、法務省は「優秀な外国人材の国内定着の推進」が目的だとしている。だが、“偽装留学生”が大量に受け入れられた現状を見ても、大学や専門学校を卒業したというだけで「優秀な外国人材」と定義してよいのだろうか。※写真と本文は関係ありません(ゲッティイメージズ) この時期を狙い、政府が留学生の就職条件緩和に踏み切ったのには理由がある。2012年頃から急増し始めた留学生たちが、日本語学校から専門学校、大学を経て、これから続々と卒業、就職の時期を迎えるのだ。 大学を卒業した留学生の就職には、「年収300万円以上の仕事」という制限だけが残る。つまり、現状では認めていない「単純労働」への就職も可能となる。留学制度をめぐる「闇」 専門学校の卒業生には「クールジャパン」関連という条件こそあるが、具体的な職種までは定義されていない。「日本の弁当文化を学びたい」「牛丼を母国で広めたい」といった理由で、弁当工場や牛丼チェーンに就職できる可能性もある。そうなれば、留学生としてアルバイトで働いていた現場で、今度は社員となって仕事もできる。政府は「優秀な外国人材」という詭弁を使い、これまで通り“偽装留学生”を単純労働者として活用したいのかもしれない。そもそも外国人労働者を最も欲しているのはホワイトカラーの職種ではなく、単純労働の現場なのだ。 ひとたび留学生が就職すれば、ビザの更新は難しくはない。就職緩和策は“偽装留学生”の「移民化」にも通じる。だが、日本語が不自由な彼らにはキャリアアップも望めず、移民となっても社会の底辺に固定されかねない。人手不足が緩和されれば、最初に職を失うのも彼らだろう。治安にも影響しかねない。 その兆候はすでにある。外国人の不法残留は今年1月1日時点で6万6498人を数え、4年連続で増加した。うちベトナム人は前年から30%以上も増加して6760人、元留学生の不法残留者も4100人に及ぶ。外国人犯罪の検挙件数も2017年には1万7006件と、前年から約20%増加した。とりわけベトナム人は約3割の5140件に関わり、国籍別に中国を抜いてトップとなった。こうした不法残留や犯罪の増加には、明らかに“偽装留学生”の急増が影響している。 留学生の受け入れは、日本の言葉や文化に親しみ、“親日”となる外国人を育てるのが目的のはずだ。しかし、現状は逆に“嫌日”外国人を増やしている。事実、筆者は過去5年間の取材を通じ、日本に憧れ入国しながら、この国で暮らすうち、“嫌日”となった留学生たちと数多く出会ってきた。日本語学校や専門学校、大学、そしてアルバイト先となる企業に都合よく利用された末のことである。 “偽装留学生”の流入は止まる気配がない。受け入れ先となる学校、そして人手不足の産業界には好都合である。とはいえ、留学生を自国民の嫌がる仕事の担い手として受け入れ、しかも「移民」にまで仕立て上げようとする国など、世界を見回しても存在しない。政府は留学制度をめぐる「闇」をいつまで放置するつもりなのだろうか。取材・文/出井康博(ジャーナリスト)【PROFILE】いでい・やすひろ/1965年岡山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙「ザ・ニッケイ・ウィークリー」記者、米シンクタンクの研究員等を経てフリーに。著書に、日本の外国人労働者の現実を取材した『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社+α新書)、『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社刊)などがある。関連記事■ 「外国人留学生増加で授業の質低下、日本人さらに減る」現実■ 偽装留学生こそ学校にとって「金のなる木」 大学でも増加中■ 日本人女性との偽装結婚を検討した中国人不法就労者の告白■ ベトナム人留学生の犯罪が増加 なぜ彼らは犯罪に走るのか■ 検挙件数が中国人抜き1位、在日ベトナム人「犯罪SNS」潜入

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    日本人女性との偽装結婚を検討した中国人不法就労者の告白

     2018年6月現在、在日中国人の総数は74万人。うち不法滞在者は9500人ほどとされ、彼らの大部分が「黒工」(ヘイゴン)と呼ばれる不法就労者となっている。もっとも日中間の経済格差が縮小した昨今、当初から不法就労を目的に来日する中国人はほとんどいない。 黒工たちの多くは、劣悪な労働環境や低賃金が指摘されている外国人技能実習生が就業先から逃亡したパターンか、留学生がオーバーステイしたパターンである。日本人の目には決して見えてこない、在日中国人社会の最末端にうごめく人々の姿をルポライター・安田峰俊氏がお伝えする。* * * オーバーステイの元留学生が不法就労者になった例を紹介しよう。福建省福清市出身の王晨(仮名、23歳)は、高校卒業後の2014年に来日した。最初は神奈川県内の日本語学校、次に大学の日本語別科に籍を置き、事実上の偽装留学生としてバイトに明け暮れていたという。 王はその後、年度が変わり学籍がなくなってからも日本に残り、黒工として3か月間働いていた。「通常、留学生のバイトは週28時間以内と決まっているが、それに違反して長時間勤務をしても月収は20万円少し。学費は年間78万円かかるし、さらに生活費を差し引けば貯金はできない。学費の負担がない黒工のほうが稼げるのではないかと思った」 まだ在留資格が残っていた今年3月に都内の居酒屋の面接を受け、採用された。職場の日本人経営者は、採用後は在留資格をチェックしなかったので、彼が不法就労者とは最後まで気付かなかったという。「月収は増えたが、東京五輪を前に不法滞在者への取り締まりが厳しくなり、街を歩くたび不安だった。日本にいるために日本人女性との偽装結婚も検討したが、毎年70万~80万円をブローカーに支払うと聞き、(偽装)留学生と出費が変わらないので諦めた」 黒工はトラブルに巻き込まれて入管施設への収容や強制送還に遭うことを非常に恐れており、ケンカや交通違反は「絶対にできない」。他の在日中国人から詐欺に遭ったり、職場で危険な業務を強要されたりしても、告発は不可能だ。「僕自身、中国人の友人に貸した20万円を踏み倒されて泣き寝入りした。いくら日本で働けても、黒工のリスクは大きすぎる」 1か月ほど悩んだが、最終的に帰国を決めた。入管に出頭したところ、収容を受けることもなくあっさりと帰国できた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「日本は街が清潔で気に入っていた。地元の福清市で働けば、月収は2000~4000元程度(約3.2万~6.4万円)にすぎない。合法的に滞在できたなら、日本でもう少し働きたかったな」 懲りない男である。【PROFILE】安田峰俊●1982年滋賀県生まれ。ルポライター。立命館大学文学部卒業後、広島大学大学院文学研究科修了。最新刊に『さいはての中国』(小学館新書)がある。関連記事■ 中国人技能実習生が逃亡し不法就労者「黒工」になるまで■ 不動産会社社員 仕事のため4回偽装結婚、相手の一人は70歳■ 中国の結婚詐欺 14歳の娘に「三重婚」させる手口まで発覚■ 在日中国人向けフリーペーパー「1週間以内入籍可」の広告■ 運び屋に仕立てられる「ラブコネクション」 出会い系経由が増

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    「労働生産性はゼロ成長」人手不足、解決のヒントはここにある

    悩みからきていることになります。 数字でもう一つ注目したいのは、2000年から2010年にかけては、少子高齢化、生産年齢人口の減少に伴って就業者数も減っていたのですが、その後は少しずつですが就業者数は増えています。これは女性や高齢者が就業するようになり、彼らの「労働参加率」が高まったことと、外国人労働者が増えてきたことによると見られます。そしてこうした「限界労働力」の増加が人件費を抑えるとともに、また生産性上昇を抑制している面も否めません。外国人に頼るのは最後の最後 このようにみると、人手不足、低賃金を解消する有力な方法が労働生産性の引き上げで、それを実現するために必要なのは、民間企業の設備投資拡大であり、研究開発投資の拡大となります。産業ロボットや人工知能(AI)などを取り込んだ設備投資の拡大によって、省力化が進み、生産性が上がれば、従業員の給与引き上げも可能になり、人手不足と低賃金解決の「一石二鳥」です。 その点、ただ設備を増やすだけでは、いずれ設備過剰となってストック調整を余儀なくされることがあるので、新技術につながるような研究開発投資が重要です。日本は主要国に比べてこの分野での政府支援が遅れています。官民協力して研究開発を進め、日本のアップル、グーグル誕生のタネをまきたいものです。 このように、人手不足の原因として大きいのは、人口の減少というよりも企業の生産性努力が後退して効率が悪くなっていることが大きく、ここに対策を打つのが先決で、外国人労働力に頼るのは最後の最後で、限界的な対応策としてみる必要があります。 欧米では移民難民問題で国が割れるなど、これが大きな問題になり、ドイツなど、政権を揺るがす状態にある国もあります。米国でも中米からの難民キャラバンに対して、軍隊を用意してまで入国を阻止しようとするトランプ政権のやり方に賛否が分かれています。 日本は地理的な特性もあって、ここまでは移民難民の問題はほとんど経験がなく、難民受け入れも主要国の中では非常に遅れているとの批判もあります。それだけここまでは移民難民問題に慎重に対処してきた日本が、人手不足のために、こうした問題をスキップして外国人労働力の受け入れに急旋回しています。 それも、熟練技能労働者のみならず、上司の指示に従って仕事ができる程度の未熟練労働も受け入れる方向で、最終的にどれくらいの規模になるのか、当局も十分把握していないまま、拙速で話が進んでいます。人件費の安い非正規雇用の次は、やはり人件費の安い外国人の単純労働力を、という安易な動きとも言えなくもありません。その結果として、移民を受け入れる判断をしたのと変わらなくなります。 多民族同居に慣れていない国柄であるため、外国人は新大久保や群馬などに「外国人街」を作りがちで、必ずしも日本社会に十分溶け込んではいません。 そんな中で、労働力として大規模な外国人を受け入れると、それが3年であれ5年であれ、家族も含めると大規模な外国人が日本社会に突然暮らすようになりますが、その社会インフラは整っていません。5年過ぎたら追い返すのか、社会保障は日本人と同様に扱うのか、その負担はどうするのか。まずは日本人が移民難民の受け入れをどう考えているのかも把握する必要があります。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) その上で受け入れ態勢が整うまでは、外国人労働力の受け入れは十分慎重に、徐々に進める必要があります。受け入れ態勢が整わないまま外国人を大量に受け入れ、彼らに不自由、不便な思いをさせ、社会と軋轢(あつれき)を起こすようなら、国際社会から日本の姿勢が非難され、国際的な信用を失います。 人手不足問題に対しては、まず企業の研究開発、技術開発、設備投資による生産性向上努力に注力し、その間安心して子育て就労ができる体制を整え、結婚、出産しやすい環境を作るなど少子化に歯止めをかけるのが先で、その間に外国人労働力、移民受け入れ態勢を法体系も含めて整備する必要があります。それでも必要なら外国人労働に助けてもらう、というのが筋ではないでしょうか。

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    人手不足「移民に頼らない」妙案がある

    世の中、どこも人手が足りないらしい。少子高齢化と人口減少が進むわが国にとって、深刻な事態である。その解決策の一手として外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正の議論も始まった。とはいえ、昨今の人手不足感、どこまで本当なのか。すべてを疑って、一から考えてみよう。

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    労働人口は過去最大なのに「人手不足感」が広がるナゾ

    黒葛原歩(弁護士) 人手不足と言われて久しい。日本は既に人口減少社会となっているので、そう言われるのも無理からぬことかもしれない。大卒求人倍率は2倍近くに上り、求人誌には大量の募集が並ぶ。新聞を読めば、人手不足解消のための外国人材受け入れの記事が毎日のように紙面を賑(にぎ)わせているが、氷河期世代のど真ん中、昭和52年生まれの私からすれば、もはや異次元・別世界の風景である。 ここでは、労働力に関する統計数値を参照しながら、日本の人手不足が、具体的にどのような形で生じているのか、解説してみたい。 まず、日本の労働力人口(15歳以上人口のうち、労働の意思と能力をもつ人の数)の推移を見てみよう。参照しているのは、平成29年労働力調査(総務省統計局)のデータである。 意外なことに日本の労働力人口は、実は減っていない。いや、減っていないどころか、史上最大と言っても過言ではないほどに増えている。 労働力人口は、平成年間に入った平成元年には約6200万人であった。ちょうどバブルの絶頂期のことである。その後平成9年~10年にかけて約6800万人に達しピークを迎えた。その後は微減が続き、平成24年には6565万人と、いったん底を打っている。 ところが、そこから再び増加に転じて、以後一貫して増え続けており、平成30年9月にはなんと6877万人に至った。これは昭和28年以降の労働力調査の統計史上、最大の数値である。 このような状態となった要因は、「シニア」(高齢者)と「女性」の労働者数の増加である。※画像はイメージです(GettyImages) まず、「シニア」について、細かく統計を読み解いてみよう。65歳以上の高齢者の労働力人口は、平成24年には約610万人にとどまっていたが、平成29年には822万人にまで増えており、5年間で200万人以上という爆発的な増加を示している。 日本における健康寿命(介護等を受けず日常生活を送れる期間)は男性72・14歳、女性74・79歳と、国際的にも極めて高い水準にあり、日本の労働者は「高齢になっても健康である」という社会背景の下で、高齢期に入った後も長期間にわたり働き続けようとする傾向が見られる。 また、「女性」についてみると、女性の労働力人口は、平成24年には2769万人だったが、平成29年には2937万人となっており、この5年間で約170万人増加している。この要因としては、待機児童対策の進展や、女性の未婚化・晩婚化といったことを指摘することができる。 このように、幾つかの社会要因が重なり、今や日本の労働力人口は統計史上最高レベルである。この統計数値をそのまま見れば、人手不足という現状認識そのものにクエスチョンを付けざるを得ない。それなのに冒頭で述べたように、世間では人手不足と言われている。なぜなのか。鍵は「世代」と「職種」 その謎を解くカギは、労働力の内訳にある。改めて、労働力調査の数値を細かく読み解いてみよう。ここでのポイントは「世代」と「職種」である。 全体の労働力人口は確かに大幅に増加している。しかし、その中において、顕著な減少を示している部分がある。それは、35~44歳の労働力人口である。この世代の労働力人口は、平成23年に1582万人となって以降、人口減少そのものの影響を強く受けて、じわじわ減り続けている。 平成29年におけるこの世代の労働力人口は1497万人であり、6年で100万人近く減っている(ちなみに、その下の25~34歳の労働力人口も減り続けている)。この傾向は人口減少の影響なので今後も止めようがない。 この世代はいわば「働き盛り」の年代で、さまざまな労働の現場で中核となることが期待される層である。この世代の労働力が減少するということは、「体力と一定の経験を兼ね備えた中堅のスペシャリスト」がいなくなることを意味する。 しかも、現在のこの世代は、平成10年代初頭の「就職氷河期」の影響をまともに受けている人が多く、経験値の高い人材の絶対数はより少ない。結果として、こうした人材は不足することになる。 また、職種による差も大きい。先に述べたように、日本の労働力人口増の要因となっているのは、高齢労働者と女性労働者の増加である。この層の労働者に若年・中年の男性労働者ほどの体力はないから、いわゆる現場系の仕事を全面的に代替することは難しい。ハローワークの統計(平成30年9月)によると、現在有効求人倍率が極めて高いのは「保安」(8・65倍)、「建設・採掘」(4・99倍)、「サービス」(3・56倍)といった職種である。「事務的職業」の有効求人倍率が0・49倍と、人余りの状況を呈していることと比べると、非常に対照的である。※画像はイメージです(GettyImages) このように、労働力人口自体は増えているが、職種によって、求める人材像と大きなギャップが生じており、そのことが「人手不足感」をもたらしていることが分かる。 では、こうした状況にどのように対応すれば良いのか。 国全体として労働力そのものは増えているというのであれば、人手不足の職種への移動を促すというのが、望ましい方法ということになるだろう。近年、増加傾向にある労働者層の多くは非正規労働者なので、もともと流動性が高いといえる。人手不足なのに「派遣切り」 とはいえ、人手不足の職種には、やはりそうであるだけの理由がある。仕事が複雑多岐で覚えにくい、体力的について行けない、仕事をする上で何らかの資格が必要―などといったものだ。 このようなギャップをなくすための工夫が必要である。業務の簡素化やIT化を進めることで、非熟練の人材でも新たに入りやすい職場の形成が求められよう。高負担の業務を見直してワークシェアリング(仕事の分割・分かち合い)を推進することも必要である。 もし、会社内で仕事や負担が集中してしまっている人がいたら、その仕事の中身を分析して、他の人で代われそうな部分を抽出し分業を推進するべきだ。会社の中心としてバリバリ働くのは難しくても、その手伝いだったらできるという労働者は多い。こういった分業の工夫は過重労働の防止になるし、高齢労働者などの活躍の場を増やす上でも有意義である。 また、職場内でのスキルアップ・キャリアアップの機会を増やし、事業者自らが求めているような人材を育成することも期待されよう。非正規労働者を正規に転換するのは、立派な「人手不足対策」である。そこで、平成24年に改正された労働契約法では「5年無期転換ルール」が定められた。これは、有期労働契約が5年を超えて更新された場合、労働者側からの申し込みにより、無期雇用に転換できるというものである。  また、派遣社員の雇用を安定させるために平成27年に労働者派遣法が改正され、いわゆる「3年ルール」が定められた。派遣社員は同一部署で働く期間を一律「3年」と定められ、それ以降は派遣元の派遣会社は派遣先に対してその派遣社員の直接雇用を依頼するなど、派遣社員の雇用を安定化させる措置を採らなければならない。 そもそもこれらの有期雇用の無期転換や、派遣社員の直接雇用というのは、スキルアップや人材育成の実現を意図して導入された制度である。非正規であっても5年や3年という長期間にわたり同じ仕事を続けていたのであれば、きっと仕事の現場において不可欠な存在になっているだろう。だからこそ、その実態と整合するように無期雇用・直接雇用に転換してもらおうということで、こういう制度を作ったのである。 しかし残念なことに、実際には規制逃れの事例が少なくない。無期雇用や直接雇用を期待できるかと思いきや、期限を前に契約終了を言い渡される人が少なくない。人手不足が叫ばれるこの世の中において再び「派遣切り」ともいえるような状況が起こっているとは、いかにも不条理なことである。厳しい雇用環境の中、ハローワークで職を探す求職者=2009年2月、大阪市港区のハローワーク大阪西(桐山弘太撮影)) 有期契約社員や派遣社員の代わりはいくらでもいると思われているのかもしれないが、一つの職場で経験を積み技能を蓄積した従業員の代えはそう簡単に効くものではないし、何でもやってくれる優秀な正社員はそんなに簡単に採用できない。 安易な有期の雇い止めや派遣切りに走る前に、一度立ち止まって「この人材は、本当は会社に必要なのではないか」と冷静に考える姿勢を求めたいところである。

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    人手不足、埋もれた社員の「企業間トレード」も特効薬になる

    田岡春幸(労働問題コンサルタント、元厚生労働官僚) 厚生労働省によると、2018年9月の有効求人倍率は1・64倍となった。1974年1月(1・64倍)以来の高水準で、人手不足感が強い状況が続いている。一方、今まで働いていなかった人の就労も進み、総務省が同日発表した9月の完全失業率は改善し2・3%だった。要は就職しやすい売り手市場になっているのだ。 ただ、これに伴い、企業側もしっかり調べず安易に人材を採用し、かえって採用基準が下がる恐れもある。いわゆる「ブラック社員」のことだが、最近はこうした問題社員を採用するケースが増えている。言うまでもなく、これは企業にとって大きなリスクであり、人手不足になっても安易な採用は控えるべきである。 採用できる企業はまだいいが、近年、人手不足に伴う倒産も増加している。人手不足は残業増加を生み、企業そのものも「ブラック企業」化する。実際、現状のブラック企業は、人手不足が一因になっていることもある。これも企業評価にかかわり、日本経済停滞の一因になり得る。 こうした現状の解決策として、今臨時国会で議論されているのが、外国人労働者の受け入れ拡大である。外国人労働者数は、2017年10月時点の厚労省の調査によると、127万人である。 「出入国管理及び難民認定法」(入管法)改正と「技能実習法」改正による人手不足が深刻な建設や農業、介護など14業種での受け入れが検討されている。これらの業界の特徴は、劣悪な労働条件の企業が多いとされる。 ここで改正案を確認しておこう。改正案は、就労目的の在留資格「特定技能」を2段階で設ける。一定の技能が必要な「特定技能1号」は、最長5年の技能実習を終了するか、技能試験と日本語試験の合格を条件とする。在留期間は通算5年で家族の帯同は認めない。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) さらに高度な試験に合格し、熟練の技術を持つ外国人は「特定技能2号」の資格を得られる。配偶者と子供の帯同を認め、更新時の審査など条件を満たせば永住への道も開ける。両資格とも同じ分野であれば転職も可能となる。 受け入れは、日本人と同等以上の報酬を支払うなど雇用契約で一定の基準を満たすことを条件とする。直接雇用が原則だが、分野によっては派遣も認めるため、派遣法で禁止されている分野との整合性を図る必要が出てくる。 そもそも、技能実習制度の目的・趣旨は、わが国で培われた技能、技術又は知識の開発途上地域などへの移転を図り、当該開発途上地域の経済発展を担う「人づくり」に寄与することである。 だが、実質的には日本の人手不足を補う低賃金の労働者拡充が目的になる可能性が高く、こうした現状でよいはずがない。本来ならば、高度な人材が日本に来て働き、税金を納めてくれるような制度設計にすべきである。そのためには、まず入り口でどのような外国人労働者が日本にとって必要か明確にしておくべきだ。 技能実習法では「労働力の需給の調整の手段として行われてはならない」(第3条第2項)と定めている。だが、政府は人手不足の状況に応じて外国人の受け入れ人数を調節するとしており、原則外国人を雇用の調整弁にすることは法の趣旨にそぐわない。 一方、外国人労働者の雇用拡大をめぐっては、「雇用が不安定になった場合に治安が悪化しないか」「国内の労働者の給与低下や待遇悪化につながりかねない」との懸念もある。欧州の教訓を生かせ 外国人労働者の拡大は、90年代後半から2000年代初頭の欧州がとってきた政策である。この結果、欧州はどうなったか。自国の若者の失業率が増え、治安が悪化し、ここ1、2年の間、欧州はそれを見直そうとする動きが出てきている。この例を見ると明らかに、治安の悪化と日本人の雇用への影響は避けられないだろう。 そもそも、外国人労働者を多数受け入れるとしても、社会保障などの整備といった問題が山積である。本来、社会保障は当該国家との相互制度が基本だが、日本は厚労省の通達があるにもかかわらず、外国人にも生活保護が認められるケースがある。 低賃金の外国人の流入はこの生活保護の問題と密接なかかわりを持ってくるだけに、早急な対応が求められる。困窮した外国人が在留期限を過ぎても居座り、生活保護を受けるということは大いに考えられる。また、不法滞在になった者が日本人と結婚して在留資格を得てしまうこともある。 さらに、健康保険制度との密接なかかわりもある。日本人には皆保険制度を維持し、外国人には審査の上、保険を適用することも考える必要がある。子弟の就学や医療などを含め、生活支援策も必要になる。これを日本の納税者が賄うのは考えものだ。 また、外国人労働者によって、日本の技術流出が起こることも十分考えられる。そして、一人でも加入できるユニオンなどの労働組合とともに、不当な要求などが相次げば、企業存続の根幹を揺るがしかねない。実際、建設現場で働いている外国人労働者を勧誘しているユニオンが既に存在しており、こうしたリスクを回避すべく体制を担保してから慎重に進めるべきであろう。 では、外国人活用以外の策はないのだろうか。まず、企業の残業ありきの人員資本政策を見直す必要がある。どこもギリギリで人員を考えているので、いざという時に対応できない。ゆえに、人手不足は企業単位でなく、業界全体で取り組むべきだ。 人手不足の業界は、労働条件が悪いことが根底にあるだけに、業界全体で労働条件の向上や働きやすい職場作りを進めていく必要がある。業界全体で慣行や構造の転換を図り、業界内で横のつながりを持ち、場合によっては「人材の貸し借り」という経営判断があっても良いのではないか。 また、雇用の流動化の観点から、一つの職場に縛り付けておくのではなく、企業から見れば解雇しやすい、労働者から見れば転職しやすい制度を構築すべきである。要は、過去の労働判例から確立された4つの要件である「整理解雇4要件」(①人員整理の必要性 ②解雇回避努力義務の履行 ③被解雇者選定の合理性 ④解雇手続の妥当性)の見直しを急ぐべきだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) これにより、ある企業では埋もれた人材が、他企業に転職した場合、活躍する事例(プロ野球のトライアウトやトレードによる選手の入れ替え)も増えていくのではないだろうか。そのためには「解雇」=「悪」=「クビ切り」=「無能」といったレッテルを変えていくことが重要であり、企業間同士の人材交流を積極的に行っていくべきである。 人手不足は、日本の根幹を揺るがす喫緊の課題であることに間違いない。それだけに官民の力を合わせての対策が求められる。ただ単に外国人労働者の受け入れ拡大ではなく、様々な政策パッケージを行ってほしい。外国人雇用政策はあくまでも、人手不足の特効薬であるとの認識を持つべきである。

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    「人生100年時代」はいいことばかりじゃない

    うフレーズがしっくりこない理由である。なぜなら、日本では人生100年時代が「到来しようがしまいが」、少子高齢化とそれに伴う人口減少が驚異的なスピードで進んできたからである。もちろん今後もハイペースで進んでいくだろう。 100年の人生で「どう働くか」「どう学ぶか」「どう生きるか」は、寿命が延びるにつれて変化するわけで、必然的に見直さざるを得ない「ライフデザイン上の問題」である。日本の少子高齢化に伴う人口減少問題とは、少し隔たりがある気がしてならないのである。英ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授。安倍政権の看板政策「人づくり革命」を検討する「人生100年時代構想会議」の有識者議員を務める(宮川浩和撮影) 前述のグラットン氏によれば、人生100年時代においては、これまでの「教育」「勤労」「引退」の3ステージの人生からマルチステージの人生へと変化するという。確かに、人生におけるステージが多様になり、そのステージが変化する契機においては「学び直し」も求められるだろう。結果としてそれが個々のスキルを向上させ、高齢化社会における生産力と成長力を上げることにつながっていくことは十分に理解できる。 だが、日本における急激な人口減少と人生100年時代とを関連付けてしまうと、本来、緊急的手当てが必要な少子化対策への意識が希薄になりはしないだろうか。繰り返すが、実際に寿命が延びて人生100年時代が「やってきても」「やってこなくても」日本の少子高齢化は進み、それに伴う人口減少が加速していくのである。 人口減少は国内市場の縮小を生み、国内市場の縮小は投資先としての「魅力の低下」を生んでいく。「学び直し」による個々のスキルアップは生産力と成長力を向上させるかもしれないが、それは急激に進む人口減少から派生するさまざまな弊害を本当に補正しきれるほどのものなのだろうか。「過去の人口に戻る」だけじゃない では、実際に人口減少がこのまま進めばどうなるのか。さまざまな意見があるが、シンプルに考えれば、国土交通省のホームページ(人口減少が地方のまち・生活に与える影響)で指摘している主たる問題が、将来の「都市」についても当てはまるのではないかと思う。以下がその主な問題点とされるものだ。(1)生活関連サービス(小売・飲食・娯楽・医療機関等)の縮小(2)税収減による行政サービス水準の低下(3)地域公共交通の撤退・縮小(4)空き家、空き店舗、工場跡地、耕作放棄地等の増加(5)地域コミュニティーの機能低下 むろん、これらがすべて都市部の人口減少時に引き起こされるわけではないし、影響や程度も地域ごとの特性によるところが大きい。しかし、少なくとも、五つの問題点のうち、(1)(2)(4)は地方・都市部問わず、いずれの地域においても共通して起こり得るものではないだろうか。 これとは逆に、人口減少を肯定的に捉える声も散見される。その中でも多く聞かれるのが、今後人口減少が進んでも「過去の日本の人口に戻るだけ」「イノベーションや働き方改革こそが生産性と成長力を向上させる」といった意見だ。 では、過去の日本の人口と将来の推計人口の中身を比較してみよう。総務省統計局「人口の推移と将来人口」を見ると、1965年の日本の人口は約9920万9000人である。この数字に近い将来推計人口を見てみると、65年から90年後となる2055年の約9744万1000人である。 この数字だけを見れば、確かに「過去の日本の人口に戻るだけ」かもしれない。しかし、その年齢別構成比を見ると明らかに「過去の日本の人口に戻るだけ」が誤った認識だと分かる。1965年の生産人口(15~64歳)割合は68%、老年人口(65歳以上)割合は6・3%であるのに対し、2055年の推計では生産人口割合が51・6%まで減少する一方で、老年人口割合は38%まで上昇するのである。 さらに何よりも重要な点は、今後イノベーションや働き方改革によって生産力や成長力が向上したとしても、上記の人口割合と総人口の減少がこれからの日本ではそれぞれ「一方向」にしか進まないということである。つまり「高スキルの高齢者人口」さえ減少を続けるのだ。2017年11月、自民党の人生100年時代戦略本部の提言を首相官邸で安倍晋三首相(右)に手渡す本部長の岸田文雄政調会長(斎藤良雄撮影) 人生100年時代を見据え、そのための備えをさまざまな観点から官民一体となり提言し、個々がそれに向き合うことは日本のみならず世界にとっての潮流でもあるだろう。しかし、日本のように急激な人口減少が続く場合、まずはそれに歯止めをかけなければならないのではないだろうか。 もちろんその歯止めとは「増加」ではなく、「減少幅」や「減少速度」の縮小で構わない。100年の人生においてそのスキルを個々が磨き続けることにより、生産人口年齢が75歳もしくはさらにその上まで引き上げられたとしても、このままでは「どの年代の人口層すべてが絶え間なく減少」していくのである。そこに触れずに「人生100年時代」を語るのは、やはりしっくりこないのである。

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    日本の少子化対策はここが間違っている

    は今、北朝鮮のミサイルや核開発をきっかけに安全保障問題がクローズアップされている。それだけではなく、少子高齢化や医療、介護、年金といった社会保障、教育、エネルギーなど緊急を要する課題が山積している。それぞれ、優先順位をつけがたい切実な問題であることは言うまでもないが、少子化問題こそ最優先されるべきだと私は考える。 そもそも少子化問題は「少子高齢化」とひとくくりにされがちだ。とりわけ「高齢化」の方に関心が集まってしまうために、「少子化」の逼迫(ひっぱく)性について国民の認識が全く進んでいないと感じる。 確かに「高齢化」は社会保障に直結する。その上、高齢者層をターゲットとした各種産業における新製品やサービスの開発や、近年頻発する高齢者特有の交通事故など、経済的にも社会的にも注目が集まるのは自然なことだろう。それに比べて、少子化問題は一見すると緊急性は低いかもしれない。しかし、国の存続をおびやかす重大な危険をはらんでいる点があることを、一体どれだけの国民が意識しているだろうか。 この問題は、国家予算をいくら投じたところで一気に解決することなど決してない。では、国が現在行っている政策が果たして有効なものといえるだろうか。私はむしろ悪い方向に進んでいる気がしてならない。 その理由は、全ての政策が表面的でしかなく、子育てや家族のあり方といった「少子化」が内包する根本的な問題をあまりにも軽視し過ぎているとしか言えないからだ。一言でいえば、合理性を重視するばかりで「哲学」がないと言うことだ。 今、行われている政策はこうだ。まず個人所得を上げて、結婚や出産がしやすい環境をつくる。保育園を増やして、夫婦共働き家族を増やす。そして、女性の社会進出を推進する。 しかし、そこには「なぜ男女は結婚するのか、そして子供をつくるのか」ということや「子供を保育園に預けることで、親が子供に愛情を注ぎ、育児、しつけを行う時間が少なくなってもよいのか」、「子供の将来にとって望ましい家族の姿とは」という、当然であり最も根本的な部分を見落としている。少子化などの影響で人口が伸び悩み、閑散とする六甲アイランドの中心部=神戸市東灘区(小松大騎撮影) 種族保存の本能とまで言わずとも、多くの人は成人してまもなく自分の子供が欲しくなるものであり、また、異性と結婚して家族を持ちたいと思うものだ。将来を思えば、育ててくれた親は自分よりも先に亡くなり、その後一人で生きていくよりも、若いうちに家族をつくりたいと思うのが一般的であろう。そして、子供が多く欲しければ、各人がそれなりに婚期を考える。 多様性が尊ばれる現在であるが、この点は国策を考える上で基本的に持っておかねばならない共通認識である。不満が募る日本社会の「現実」 しかし、近年は単身者が増加している現実がある。厚生労働省が平成28年に行った調査では、年齢は限定してないものの、単身者が全世帯に占める割合として、昭和61年に18・2%だったが、平成28年には26・9%まで増えている。全国の4世帯に1世帯が単身世帯となっているのである。 子供や身内がいれば社会はあまり関与せずに済むが、単身者は最後に社会が関与しなければならない。国家財政の面でも、単身世帯の増加は大きな影響が生じてくる。 そして、最近は、子供がいても社会の助けを受ける高齢者も多い。以前、子供がいるにもかかわらず単身者として生活し、子供の助けを受けずに国から生活保護を受けていたという矛盾するエピソードを、お笑い芸人が明かしたことで世間の非難を浴びたこともあった。 これは一見、子供が薄情なようだが、必ずしもそうとは限らない。なぜなら、少し前からの風潮か、親が子供に世話をかけたくない、という話をよく耳にするからだ。他人同士ならわからないでもないが、親が生活に支障をきたせば、子が世話するのは当然のことではないのか。 仮に、子供がいる高齢者でも当たり前のように社会の世話になる世の中となれば、国家財政上だけの問題ではなく、もはや倫理上の問題である。家族とは一体何なのか、改めて考えさせられる話である。 現在、国内で起きている問題の多くは、希薄となった家族関係に要因があると考えている。少子化対策を考える上では、まず家族のあり方という点から考えることが求められる。(iStock) 私は単純に家族というものを社会の縮図と考える。多くの家族が不和であるならば、その集合体である日本社会が円満であるわけがない。 裏を返せば、全ての家族が円満であれば、社会も平和となるだろう。全ての社会問題を家族に置き換えて考えてみようというのだ。それも核家族ではない、三世代、四世代といった大家族が分かりやすい。「歴史観」が欠如する少子化対策 大家族となると、関係を平穏に保つために、さまざまな努力と忍耐、辛抱が必要だ。しかし、その結果得られる果実にはとてつもなく大きなものがある。 家族でも夫婦でも親子でも、人が寄ればさまざまな人間関係が生まれ、そこには摩擦と協調や妥協があり、対立や協力関係が生まれる。摩擦には辛抱が求められ、協力関係は強い団結力となる。辛抱できる力と家族の協力関係は、子供が将来大人になって遭遇する数々の障害に対して大きな強みとなるだろう。人間関係が人を成長させるといってもいいだろう。 そして、良好な家族関係から犯罪抑止力や道徳力が自然と育つという点も大きい。自分の過ちのせいで家族に迷惑をかけてはいけないと思うようになるからだ。こうして、家族の中での存在意義や責任感を見いだし、人は健全化していく。さらに、子供や孫という存在と過ごすことで、物の見方や考え方の時間軸も長くなり、心も穏やかになりやすいものである。 今の政策が少子化対策と相反するのは、社会福祉を充実させるというやり方である。まるで「子供は産まなくてもいいですよ。苦労して産み育てることは必要ありません」と太鼓判を押したかのようだ。さらに「あなた個人は自由気ままに生きていくことが最も幸せなんです。あなた個人の老後を日本社会が保証します」というに等しい。 果たして、今の政策立案者は「家族」をどのようにとらえているのだろうか。そこに哲学が存在するのか甚(はなは)だ疑問である。おそらく家族といったところで、核家族と呼ばれる程度のものとしてしか考えていないのだろう。三代、四代、そして永遠に続く家族観を到底考慮には入れているとは思えない。人間関係の縦のつながり、すなわち「歴史観」が欠如しているのである。 むしろ、日本の伝統的家族を顧みることで、少子化問題を解決する糸口がきっと見つかるはずである。そこで、現在行われているわが国の社会保障費の大幅削減を、少子化対策として提案したい。(iStock) それぞれの個人や家族の責任で行うべき事柄に、政治が関与し過ぎている現状をいったん白紙に戻して見直す必要があるのではないだろうか。高齢化に伴い、さすがに高齢者の医療負担は増えるようだが、医療や介護、生活保護にとどまらず、「子供一人当たり何万円の負担」といった福祉制度を見直すべきだ。 国からの補助を削減することで、個人や家族の自助精神を育てる。赤字財政が続き、国の借金が膨らむ中で、少しでも子供の将来を考えてあげる必要があるだろう。何よりも個人、家族の自助精神が高まることによって、各人が自分の将来を考えれば、結婚し、子供を産み、賢くて親孝行な大人に育てることがどれだけ大切なことであるかが理解でき、自然と人口減少に歯止めがかかると信じている。

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    武田邦彦が一刀両断! 生物としての人間に「老後」なんてありません

    武田邦彦(中部大学特任教授)(『科学者が解く「老人」のウソ』「はじめに」より抜粋) 今、人生100年時代と言われています。 しかし、「高齢社会」「高齢者」「後期高齢者」「定年」「老後」という言葉が世の中には溢れています。 かつて、あるテレビ番組では「定年後でも元気な人をどうするか?」などいうことが語られていました。 どうも、「年を取ったら定年がくる」という先入観に縛られているように思います。 日本国憲法には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と書かれています。憲法改正の議論が高まっていますが、法の下の平等については、日本だけではなく世界中で、異論がないところでしょう。 差別は禁止されているのですから、たとえ年を取ってやや疲れ気味になっているとしても、それによって一律の定年を決めるというのはおかしいのではないでしょうか。これでは女性差別ならぬ「年齢差別」です。 でも、このような「年齢差別」とも言える言葉が出てきたのも、人生100年時代というものを迎えて、初めての事態にどう対処すればいいのか、その概念がないからだと思います。つまり、人生100年時代の人生哲学がないのです。2017年11月、政府の看板政策「人づくり革命」を議論する「人生100年時代構想会議」であいさつする安倍晋三首相(中央、斎藤良雄撮影) 私は50歳以上の男性に「生きている意味はない」と言ってきました。「あなたこそ、年齢差別をしているのでは?」 こう疑問に思う人もいるでしょうが、私の真意は違います。50歳以上の男性は、「生物として生きている意味」がないということなのです。 それはどういうことか。 後に詳述しますが、女性で考えると、成長して結婚し、子供を産み、育てるというのはほぼ50歳までに終えます。 男性も同じで、昔は若い人には兵役や徴兵というものがありました。年を取って、体力が落ちて、弱いものを守るために戦えなくなり、肉体労働もできなくなってくるのが50歳くらいだったのです。 つまり、50歳で生物としての人間が終わると私は考えます。その後の人生は“別の理由”で生きる別の人生です。 私たちは、人生は1度だけだと思っています。しかし、それは誤解で、実は、人生は2度あるのです。 生まれてから50歳までの「第1の人生」と、50歳以降の「第2の人生」の2つの人生が1人の人間にはある。その境目が50歳なのです。 私は科学者ですから、「50歳」という年齢に、なにか断層のようなものを感じます。たとえば、糸魚川と静岡の中央構造線(フォッサマグナ)のような断層を感じるくらい、50歳で人生が一区切りされているのがわかります。 ここで強調しておきたいのは、平均寿命が50歳であっても、80歳でも、100歳でも、人生は50歳で大きく変わるということです。人生100年時代がきた 日本人の平均寿命は今では大きく延びていますが、100年ほど前、1920年代前半の日本人の平均寿命は男性が42・1歳、女性は43・2歳で、明治、大正期の日本人の寿命は、おおむね40歳代でした。 なぜ、こんなに平均寿命が短かったのか。 当時の女性は、子供を10人産むことも珍しくなかったので、お産だけでも疲れ果ててしまいました。しかも、お産では出血したり、感染症にかかったり、産後の肥立ちが悪かったりと、命にかかわる危険が多くありました。お産をしたあとには、赤ちゃんに数時間ごとの授乳をし、おしめを替えたりしながら、家族の食事の用意や洗濯などの家事もするのですから、それは重労働でした。当時の一般家庭は貧しかったので、人を雇って家事をまかせることはありませんので、お母さんが1人でやらなければなりません。だから、疲れ切ってしまうのです。 また、その頃の男性は、農業や漁業、林業などの第一次産業や、鉱業や建設業に従事して、クワやツルハシをふるうような肉体労働で身を立てている人が大多数でした。 だから男性は、40歳を超えるくらいになると、腰を悪くしたりして、体はボロボロになり、短命で終わったのです。 そういう事情もあって、戦前は日本人の平均寿命は50年くらいだと思われてきました。(写真はイメージです) 戦後、日本人の平均寿命はどんどん長くなりました。医学の進歩があり、日本人の栄養状態も良くなりましたし、第一次産業も機械化が進んだからです。 2016年の日本人の平均寿命(厚生労働省調査)は、女性は87・14歳、男性は80・98歳で、これは、大きな国の中では共に世界第1位です。前年の調査と比較して、女性は0・15歳、男性は0・23歳延びて、いずれも過去最高となりました。 日本人の死因で多いのはガンや心疾患、脳血管疾患ですから、もし、これらの病気で亡くなる人がいなくなれば、平均寿命は現状よりもさらに延びると推定されています。厚生労働省(厚労省)の試算では、2016年生まれの人が、ガンや心疾患、脳血管疾患で死亡する確率は女性46・5%、男性51・2%で、これらの病気による死亡がゼロになったと仮定すると、平均寿命は女性で5・74歳、男性で6・95歳延びるとしています。 日本のお医者さんの医療技術は世界でもトップクラスですから、今後も平均寿命は延びる可能性があります。日本人の平均寿命は、90歳を超え、100歳に近づくでしょう。人生100年時代の到来です。そうなれば、50年だった人生のあとに、もう1回50年近い人生が繰り返されることになります。50歳からの人生の準備 人生は2度ある。それを若いうちから意識しておかなければいけません。ところが、今の若い人は、哲学や文学をあまり読まないこともあり、人生が2度あるとはっきり意識している人はそんなに多くないと思います。 人生が2度あるなら、50歳までの人生の準備と、50歳以降の人生の準備は、それぞれ別に考える必要があります。 私たちは、訪れる未来に対して常に準備をしています。朝、起きて意識がはっきりしてくると、起き上がってカーテンを開けたりします。顔を洗い、歯を磨いて、1日が始まる準備をします。それが、毎日毎日、1年365日、一生続きますからものすごい回数になります。人間の代謝速度が遅ければ洗顔や洗髪、入浴は1週間に1度でいいかもしれませんが、そうはいかないので、どんなに時間がなくても日々の暮らしの準備が必要になります。 その準備を、第1の人生(50歳まで)という長いスパンの中で考えてみましょう。 自分が家庭を持って子供を作りたいと思うと、この準備は大変です。私の場合は男性ですから男性の場合で考えてみると、まず相手を探さなければいけません。職場にふさわしい女性がいればいいけれども、誰もが配偶者を探すための恵まれた環境にあるわけではありません。女性の友達も少ないかもしれない。さあ、どうしたらいいか……。そういうところから始めて、いろいろと作戦を練ったり、誰かと試しに付き合ってみたり、お見合いをしたりします。 うまく相手が見つかって結婚式を挙げるとなると、さらに大変です。そのあと、子供を持つに至るまでには、多種多様の準備が必要です。 私自身も、なぜこんなにたくさんの準備をしなければならないのかと思うことがありました。考えてみれば、人生というものは準備の連続なのです。 そして第1の人生よりもさらに難しい準備が必要なのが、50歳から始まる第2の人生です。 最も大切な準備は何かといえば、やはりそれは「生き方の準備」だと思います。人生をどのように生きるかは、人間にとって長期にわたる大きなテーマだからです。奈良市の薬師寺で、写経をして先祖をしのぶ参拝者たち=2016年8月 また、その「人生の生き方の準備」では、自分1人だけ、個人の人生だけを考えていては実は準備ができません。自分の人生を考える時には、常に先輩やご先祖がいて、そして自分がいて、子孫がいることに気づかされると思います。たとえば、「自分だけの人生」から「日本人としての自分の人生」というふうに視野を広げると、日本人の先祖がいて、その伝統・文化などの結果として自分がいる、日本人の子孫についても考えなくてはならないということに気づきます。何歳からが老人か 現在、「老後」という言葉が世の中ではよく使われます。何歳からが老人か、というような議論もなされています。しかし、人生は2度あるのですから、「第2の人生」は「老後」ではありません。「老後」と考えるから様々な問題が発生するのです。 「第2の人生」はまったく価値観が異なる別の人生だと思ってください。つまり、「老後」なんてものはありません。そう考えれば、50歳以降の生き方も病気への対処法もすべて納得して準備することができます。 人生が2度あると考えれば、すべてうまくいくのです。 50歳以上の第2の人生においてもっとも影響が大きく、多くの人がもっている錯覚は「私は“老後”を生きている」と思っていることです。 1920年代前半の日本人の平均寿命は男性が42・1歳、女性は43・2歳でした。赤ちゃんのときに他界する方を除いても50歳には達しません。江戸時代には45歳ぐらいで隠居するのが普通でしたが、昭和になっても50歳を超えたら確実に「老後」でした。 戦後になって50歳や55歳以上の人生を「老後」と呼ぶようになったので、今でも「老後」や「高齢者」、もっとひどいものでは「後期高齢者」という言葉さえあります。 この言葉の威力は絶大で、50歳を超えると「俺もそろそろ老後だ」と自分で思ったり、定年を過ぎると「高齢者扱い」を受けたりします。女性も50歳を超えると閉経を迎える時期でもあり、物忘れなどすると、つい「あたしも年取ったわね」とつぶやいたりします。(iStock) 人間は大脳に支配される動物ですから、毎日のように、自分を老人、高齢者、物忘れで年を取った……などと考えたり言ったりしていると、大脳から体の各部分にその指令がいって、本当に老化していきます。 筋肉を増強する方法の1つに、強く筋肉を圧迫することがありますが、これには2つの意味があります。「筋肉を圧迫することによって、筋肉繊維を伸ばし、成長させる」という物理的意味と、筋肉に痛みを与え、その痛みが脳に伝わって、脳が「あそこの筋肉は強くしなければならない」という指令を出す意味を持っています。 このように人間の体は、物質的な変化と、大脳の指令の2つでできていますから、「老後」という概念を持つことは第2の人生にとってとても危険なことです。 仮に「老後」という概念をもって第2の人生を送ると、毎日、確実に「老化」します。足が弱くなる、目がかすんでくる、記憶力が弱くなる……。さらに、血圧降下剤を飲みたくなる、油のものを避けるようになる……。何か不都合なことが起こると年齢のせいにする……と病状が進んできます。 反対に、「老後」という概念を捨て去ると、私はいま75歳ですが、75歳までまったく40歳ぐらいの時と変わりません。 足はかえって強くなりました。これは72歳でゴルフを卒業して、人生で初めてテニスを始めたからです。「テニスからゴルフへ」という普通の流れの逆を行き、ゴルフからテニスに変えてみました。最初は72歳でテニスをするのか? と私自身もやや引いた感じでしたが、アキレス腱のケアや準備体操を十分にして臨みました。 最初の半年は疲れ切って2週間に1回しかテニスができませんでしたし、テニスの後は疲れて寝ていました。でも3年を経た今では週にゆうゆう3回は楽しめ、激しいトレーニングも可能になり、疲れないのでそのまま次の仕事をしたりしています。 70歳を超えてテニス? と思うことが足腰を弱めます。第2の人生は第1の人生より激しく 私の目は強度の近眼と乱視で若い頃から苦労してきましたし、加えて57歳で左目を失い、大手術をして、今は半分は人工の目なのですが、細かい字も平気で読むことができます。日本酒をあまり大量に毎日飲んでいると、若干、目がかすんでくることがありますが、その他は大丈夫です。 瞬発力や記憶力は、さらに磨くように積極的に努力しています。瞬発力は、テレビ番組『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ)に出演しているときに、司会の明石家さんまさんとの掛け合いに耐えられるよう、日常生活でも、返事や対応を早くして瞬発力をつけるようにしています。 記憶力では、専門の物理や材料、原子力といったものだけではなく、歴史、国際政治、経済などを積極的に学び、書籍も書き、批判も受け、知識を増やすようにしています。 国際政治を学ぶときには、ある国、たとえばサウジアラビアのことを本で読んだり、ネットで聞いたりして集中的に学び、ときに国際政治の専門家の方にお会いすると、どんどん質問してさらに覚えるようにしています。 また、ビットコインのような暗号通貨(一般的に言われる仮想通貨)の場合、「わからない」と諦めずに、なんとかして親しみを持つようにいろいろな方法で勉強します。暗号通貨の仕組みである「ブロックチェーン」についてもかなり複雑なのですが、「習うより慣れろ」で何回も読んだり、聞いたりしていると親しむことができます。 このような場合も、「老後だから」というのを捨てて、むしろ「若い頃はできなかったが今はできる」という逆転の発想でやっています。 女性との付き合いも積極的です。第1の人生では結婚や恋愛が目的ですが、今の私の第2の人生では、仕事の付き合いで女性と大いに話をします。そうすると、私の頭も柔らかくなりますし、第2の人生になってからの異性との食事や話はとても快適なものです。フジテレビ系番組『ホンマでっか!?TV』に出演する筆者(一番右)。前列中央は司会の明石家さんま(フジテレビ提供) 食事ではさらに年齢を超えるようにしています。 もともと、肉が好きだったのですが、年を取ってくるとお寿司なども好きになりました。そこで、焼き肉も食べる、寿司も食べるという食事をしています。血圧は年齢に合わせて、(年齢+90)でコントロールしています。そうすると血の循環が良いので元気です。若いときと同じようにお酒を飲み、深夜になると(夜の)クラブ活動に出かけ、11時過ぎに帰るという生活もしています。 お酒は産業医の研究結果に沿って、「酒と女性は2合(号)まで、休肝日2日」などという老化を促進するキャンペーンを疑い、「酒4合、休肝日なし」で暮らしています。酒ばかりではないのですが、「酒を飲むと健康に悪い」のではなく、「健康がすぐれないと酒がまずい」のだと思っています。 幸い、油っぽいものも平気で、天ぷら、ウナギ、三枚肉、カルビなど、オールOKで、「おいしい」と思うとおいしいものです。 総じていえば、「第2の人生では、第1の人生より激しく」ということでしょう。つまり、第1の人生でゴルフをしていたら、第2の人生は私のようにテニスとキックボクシングとか、第1の人生では物理が専門でも、第2の人生では「なんでも来い」というスタンスです。 私は、1週間に4回、テレビ出演しています。講演は年間150回、著作は年に5冊は出版しています。もちろん、大学での教授としての研究や教育も現役です。 私は、生まれつき病弱で、病気に苦しんできましたし、今も体は強いほうではありません。それでもこれほど若い人たち以上に元気いっぱいに活動できるのは、やはり第2の人生の準備を常にしてきたからです。そうして、私は50歳直前で転職をしました。第2の人生を過ごすために、会社員から芝浦工業大学の教授になったのです。「老後」ではない「第2の人生」をよりよく過ごし、よりよく生きるためには、概念的にも、経済面、健康面でも、準備が必要です。 今や人生100年に近づこうとしています。人間の歴史において、「生物として生きている意味がない」50年をどう生きるのか。そういう初めての事態に我々は直面しています。 『科学者が解く「老人」のウソ』(産経新聞出版)では、50歳を境に始まる「第2の人生」を生きる準備、あるいはその意味、生き方について科学的に考え、少し大袈裟に言えば、人類で初めてその概念を明らかにし、さらに踏み込んで具体的に考えてみたいと思います。たけだ・くにひこ 中部大総合工学研究所特任教授。昭和18年、東京都生まれ。日本エネルギー学会賞など受賞多数。環境問題に対して定説と異なる主張を展開して注目を集め、テレビでコメンテーターとしても活躍する。著書に『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(産経新聞出版)『NHKが日本をダメにした』(詩想社新書)など多数。近著に『科学者が解く 「老人」のウソ』(産経新聞出版)。

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    「不老社会」が正直しんどい

    「人生100年時代」がブームである。世界一の超長寿国である日本では、この言葉が明るい未来を暗示するキーワードとしてビジネスや政治など、さまざまな場面で使われている。定年後は年金で悠々自適という理想はどこへやら。「不老社会」の現実は、やっぱり死ぬまで働け?

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    高齢者活躍が「迷惑」と言えないニッポンが生きづらい

    日沖健(経営コンサルタント) 世の中には、正面から反論しにくい主張がある。例えば「家族愛を大切にしよう」と言われたら、「家族愛なんて大切じゃない」と反論するのは困難だ。しかし、家族愛を強調しすぎると、個人の自立が妨げられたり、家族がいない単身者が否定されるといった悪影響が生じるかもしれない。戦前の「大東亜共栄圏」でもないが、一見反論しにくい主張を持ち出されたときほど、悪影響や隠れた論点がないかどうか、注意深く考える必要がある。 「人生100年時代」を迎え、高齢者の働き方が国家的な課題になっている。政府が2月に公表した政策指針「高齢社会対策大綱」では、「年齢によらず意欲・能力に応じて働き続けるエージレス社会の構築」がうたわれている。意欲や能力があっても60歳、65歳で強制的に解雇される定年制は理不尽な仕組みだ。米国など諸外国では、定年制は年齢による差別にあたり、違法である。「高齢者が元気に活躍できる社会を!」と言われると、やはり反論しにくいものである。 このように、絶対的に善だと思われがちな高齢者活躍について、改めて問題点を考えてみよう。 高齢者といっても生活や健康の状態など、実に多様だ。無収入のボランティア・ワーカーを除く高齢労働者は、大きく2種類に分かれる。<タイプA>現役時代から低スキルで、家計を維持するために低収入の単純労働に従事。いわゆる「下流老人」<タイプB>現役時代から高スキルで、経済的余裕があり、社会参加のために専門労働に従事。「中上流老人」 まず、タイプAが好ましくないことは論を待たないだろう。年金受給開始まで収入が足りない、あるいは受給開始後も年金だけでは生活できないという理由で嫌々働くのは、不幸なことだ。 特に体力が落ち、病気がちの高齢者が無理を押して働いている姿を見ると、胸が痛む。東京しごとセンター多摩で開かれたシニア向け再就職対策講座 = 2015年 3月11日、東京都国分寺市 「本人の自己責任」という意見もあるようだが、国のずさんな年金・健保行政の犠牲者という側面もあるはずで、政府の「エージレス社会」という掛け声が空虚に響く。 問題はタイプBだ。「エージレス社会」や「高齢者活躍」の議論で想定されるのはタイプBであろう。政府だけでなく国民も、現役時代に培ったスキルを生かし、社会に貢献しようとして働くのは、絶対的に良いことだと信じている。悪貨は良貨を駆逐する しかし、タイプBにも大きな問題がある。問題とは、タイプBの高齢者がまさに「現役時代に培ったスキルを生かし、社会に貢献しようとして働く」ことだ。 高齢者が「現役時代に培ったスキルを生かそう」とするとき、体力・気力の衰えから、自分で手足を動かすよりも、教育係、コンサルタント、相談役、社外取締役といった立場で働こうとする。私は15年前にコンサルタントとして独立開業し、そこそこ成功しているせいか、近年ほぼ毎月のように定年前後の中小企業診断士から「コンサルタントとして活動したいのだが、どうすれば良いか」という相談をいただく。コンサルタントや社外取締役は、スキル・経験を生かせる上、体力も軍資金も必要なく、タイプBが理想とする職業のようだ。 コンサルタントや社外取締役として活躍するタイプBの本人は、充実した老後で大満足だろう。しかし、彼らから経験に基づく指導を受ける現役世代は大迷惑だ。高齢者が過去の成功体験を持ち出して「俺たちはこんな風に頑張って成功したんだ」と言っても、過去を否定して新しい挑戦をしなければならない現役世代には退屈な昔話である。自分が安全地帯に身を置いていることを忘れて「リスクを取って死ぬ気でやれ」と𠮟咤(しった)しても、今まさにリスクを取ってグローバル競争を戦っている現役世代の心には響かない。(画像:istock) さらに、高齢者が「社会に貢献しよう」と考えることも問題だ。すでに安定した生活基盤を持つBタイプが何とか仕事にありつきたいと願うと、常識ではありえないダンピング価格を提示する。私の知り合いの40歳代の研修講師は、ある企業の研修案件を「2日間40万円」でほぼ受注が決まりかけていたが、後から「3日間12万円」という安値を提示した60歳代後半の研修講師にさらわれた。コンサルティングや企業研修の世界では、この手の話をよく耳にする。 高齢者のダンピングのおかげで、資金力の乏しい中小企業・零細企業でも気軽にコンサルティングや教育研修を利用できるのは、確かに社会貢献だ。しかし、30~50歳代の独立開業希望者からは、よく「報酬が安すぎて、独立しても食べていけそうにない」という不安を耳にする。教育・コンサルティングといったサービス分野では、高齢者が活躍するほど市場全体が低価格化して優秀な若手が市場参入を躊躇(ちゅうちょ)し、結果的に市場の発達が妨げられる。悪貨は良貨を駆逐するのである。高齢者が働かない選択肢を尊重せよ 成功体験を振りかざす高齢者や、「安かろう悪かろう」の高齢者は、「現役世代の評判が悪いから、すぐに淘汰(とうた)されるのでは?」と思うかもしれない。しかし、意外とそうでもない。日本では、コンサルタント・社外取締役・研修講師の起用を決定する経営者や幹部社員の多くが高齢であり、自分も近い将来そういう立場になりたいと考えているから、彼らに対してとてもフレンドリーだ。特に、社外取締役は、東証が社外取締役の導入を上場企業に事実上義務付けたことを契機に、高齢の経営者同士がお互いにポストを融通し合う「老人互助会」というべき状況になりつつある。 はっきり言って、タイプAもタイプBも好ましくない。ならば、高齢者はどう働くべきか。 まず、高齢者が「働かない」という選択肢をもっと尊重するべきである。最近、国を挙げて高齢者が働くことを勧めているが、現役時代にしっかり働き、経済的な余裕を確保し、ゆっくり老後を楽しむというのは、王侯貴族か先進国の成功者にしか許されない恵まれた生き方だ。戦後日本経済の成功の証しと言って良い。「高齢者でも働くことができる」という反論の余地のない主張が「高齢者も働かなくてはならない」に転化してしまうことがないよう、注意したいものである。 もし高齢者が働くなら、第三の働き方としてタイプCを提唱したい。<タイプC>高スキルで、イノベーションを生み出すことを目的に、知識労働やマネジメントに従事する。 タイプCは、高スキルという点はタイプBと同じだが、社会参加を目的とするのではなく、イノベーションの創造を目指して働くというのが特徴だ。イノベーションとは、新商品・新技術・新事業など、何らかの新規性のある事柄を指す。イタリア人指揮者と語り合うクオンタムリープの出井伸之代表取締役(右) =2017年5月、東京都港区のイタリア大使公邸 ブックオフの創業者、坂本孝氏は引退後70歳を超えてレストラン事業を始め、「俺の」をヒットさせた。ソニーの社長・会長だった出井伸之氏は、引退後はソニーを離れてクオンタムリープを創業し、イノベーションの創造に尽力している。二人は、社会貢献とは言わず、真剣勝負でビジネスに取り組んでいる。真剣勝負の中からイノベーションを生み出し、世の中に新しい価値をもたらし、結果として社会に貢献しているわけだ。 マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、プロテスタントが禁欲的に労働に励み、利潤追求を目指したことが、結果として資本主義を生み出したことを明らかにした。自分の仕事が社会貢献になるかどうかは、結果として分かること、社会が判断することである。高齢者活躍が本当に社会にとって良いことなのか、高齢者の社会貢献とは何なのか、改めて考えるべきだろう。

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    「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!

    古川雅子(ジャーナリスト) 世の中、「不老」ブームである。発端は、世界的なベストセラーになった著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著)だ。テーマは「100年時代の人生戦略」。著者の一人、リンダ・グラットンさんは、日本政府の「人生100年時代構想会議」に有識者議員として起用されている。 かつての不老ブームといえば、できるだけ長く健康な状態を保つという意味合いだった。「ピンピンコロリ」を目指そう! などと叫ばれた。これは、長寿国日本の「寝たきり大国」を揶揄(やゆ)した言葉で、「不健康長寿国」になるのを防止するためのスローガンだった。長くベッドに横たわる「ネンネンコロリ」に陥らないようにと。病床数が増えすぎた、日本の医療事情を是正するためのテーマでもあった。 それに対し、今回の「不老」は「長く働ける」という意味合いだ。なにせ、ブームの端緒になった本の著者は、英ロンドンビジネススクール教授のグラットンさんと、その同僚で経済学の権威、アンドリュー・スコットさん。そのメッセージはズバリ、人生100年時代という「長すぎる老後」にどう備えるか-。仕事やお金を中心としたライフプランの再考を促すものだ。 私も、この著書は読んだ。40代で特にマネープランを立てることもなく生活に追われている私自身、「うわっ、将来どうなっちゃうの?」と不安になった。一人の生活者が長期的な視野に立ち、生活や人生の設計を見直すという意味で、大事なテーマだとは思う。個人が時代のうねりに対応していこうとする動きに、なんら異論はない。 だが、一方で引っ掛かりも感じた。私は仕事柄、がんや認知症の人、難病で苦しむ人にインタビューを重ねてきた。一年一年を生きていくことに必死であり、働きたいのに働き続けられない。そんな、もがきの声を聞き取ってきた。だからこそ、政府も含め、社会全体がこのブームに「乗っかって」、人生の後半を築き上げるのは「自助努力」や「自己責任」だと押しつける動きには違和感を覚える。それは長く働けない人にとっては「社会圧」と映る。私は、長く働きたい人は応援しつつも、長く働けない人であっても排除されない社会をつくるという視点での発信も、もっと増やしていくべきだと考える。日本年金機構本部=2010年10月撮影 政府は2月16日の閣議で、中長期的な高齢者施策の指針となる「高齢社会対策大綱」を決定した。そこで、65歳以上を一律に「高齢者」と見なすのを改め、将来的には公的年金の受給開始を70歳超でも可能とする制度改正を検討することも盛り込んだ。60~64歳の就業率についても、2016年が63・6%なのに対し、20年に67・0%まで引き上げるという目標も織り込まれた。拙速なギアチェンジによぎる不安 安倍晋三首相は、閣議に先立ち開かれた高齢社会対策会議で、「高齢者を含めた全ての世代の方が能力を生かし、幅広く活躍できる社会をつくることが重要だ」と述べている。マスコミでは先を見据え、「75歳現役社会」なるキーワードがちらほら目につくようになってきた。 労働力不足を補う上でも、高齢者の労働力で不足分をカバーする「高齢者現役社会」の推進は、世の流れだ。「人生100年時代ブーム」の到来は、その動きを加速しようとしている政府にとって追い風でもある。いや、ブームの「火付け役」を買って出ているのかもしれない。昨年9月から毎月開催されている会議の名は、「人生100年時代構想会議」。その目的を「一億総活躍社会の実現」「人づくり」「人生100年時代を見据えた経済社会の在り方を構想」としている。 私は特に、時代の流れを見越して、誰もがいくつになっても学び直しが出来、どの時点からでも新しいチャレンジが可能な社会を構築するための「人づくり」に注目している。マスコミは今後、長生きリスク的な「脅し」ではなく、「柔軟にチャレンジできる社会づくり」にフォーカスした発信を増やしていけばいいと思う。 先日、長年のがん闘病で、わが子のように大事に思っていた会社をやむなく売却したという40代の男性にインタビューした。創業者でもある彼は、誰よりも仕事を愛した。会社を手放したくないという思いは人一倍強かったはずだ。それでも、長期にわたるがん闘病で体力は衰え、フルタイムでの仕事復帰はかなわなかった。「僕の場合、強制的に定年になったようなもの」という発言には、言葉にならない悔しさが滲んでいた。3度目のがん闘病では、骨髄移植の治療で死の淵(ふち)をさまよった。 厳しい治療から「生還」したタイミングで「人生100年時代」のブームが来たという。かつての仕事仲間の薦めもあり、彼もこの本を手に取った。率直な感想として、「100年後のことを考えろといっても無理です。再発する可能性だってある。発熱とか、胃腸の調子が悪いとか、毎日戦いながら、1日1日乗り越えていくのに精いっぱいです」。世の中が急速に「人生100年時代」に舵を切っていることに、一抹の不安を感じていた。 高齢になっても、長く働くのが「善」とするような拙速なギアチェンジにより、「人生100年時代」と連呼される社会は、一年一年をどう生き延びようかと必死な立場の人にとって居心地が悪い。それと同様に、100年時代を生き抜くような自活の能力を身につけろと強いられるプレッシャーもまた、おそらく多くの「普通のサラリーマン」にとっては酷だろうとも思う。2018年2月16日、高齢社会対策会議であいさつする安倍首相 日々、目の前の仕事に必死であり、「働き方改革」という錦の御旗もむなしく、実態は隠れ残業で長時間労働を強いられているような彼らが、さらに自分磨きまで強要されたら…。「そんなの無理!」というのが本音ではないだろうか。 長期的視野に立つ人生設計から不老社会を説く発信は、今後も増えていくだろう。ただし、「個の啓蒙(けいもう)」と「国づくり(社会保障の制度設計)」とでは目的が異なる。だからこそ、この先「人生100年時代」という用語を目にしたら、「その発信主体は誰か」と注意深く確認することをお勧めする。

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    「老人を鞭打つ」ニッポンの働き方はここが変

    中岡望(東洋英和女学院大客員教授、ジャーナリスト) 少子高齢化は先進国の共通の問題になっている。特に日本の高齢化は顕著である。国連の調査(『世界人口予測―2013年版』)によれば、日本の全人口に占める65歳以上の比率は、2010年の23・0%から2050年には36・5%にまで増えると予想されている。 実は隣国である韓国の高齢化は、日本より急速に進んでおり、40年間に日本は13ポイント、韓国は24ポイントも上昇しているが、それでも2050年に65歳以上の人口が占める比率は34・9%と日本よりは低い。 そもそも人口の高齢化はさまざまな社会的、経済的な問題を引き起こす。まず、高齢人口の増加によって社会的な活力が喪失することは間違いない。さらに、高齢化に伴う生産年齢人口(15~64歳)の減少は国内総生産(GDP)の減少をもたらす。 それに対処するには、生産性の向上、女性の労働市場への参画の促進、65歳以上の非生産年齢層の動員、あるいは移民の受け入れしかない。最近、政府が保育園などの拡充を訴えているのは女性の就業を促進し、労働力を確保する意味合いもある。ちなみに2015年の女性の就業率は64・6%で、男性の81・8%を大きく下回っている。 また、高齢者の労働力化は別な意味でも喫緊の課題となっている。それは、高齢化は政府の財政負担の増加を招くからだ。高齢化によって政府の年金負担、健康保険負担は確実に増加し、財政赤字の拡大、財政の自由度が喪失することになる。高齢化に直面した国の政府は一様に退職年齢や年金支給年齢の引き上げなどの政策を打ち出している。※写真はイメージ(iStock) 安倍晋三政権の「一億総活躍社会構想」や「人生100年時代構想」も、高齢者が健康に働き続ける「不老社会」の実現を目指しているが、同時に財政問題に対処する政策の色合いが濃い。  言い換えれば、政府は高齢者にもっと長期間働き、もっと所得税を収め、それによって政府の年金負担や健康保険負担を軽減させようとしているわけである。老後の悠々自適は夢物語 では、日本の高齢者は現在、どのように働いているのだろうか。65歳以上の労働力率を見ると、日本の高齢者は海外の高齢者に比べると多く働いている。2015年の日本の高齢者の労働化率は31・1%であるが、アメリカは23・4%、カナダは18・0%、ドイツはわずか8・6%に過ぎない。 また、日本の高齢者が置かれている状況は、人生を充実させるために働くというよりは、働かなければ食べていけない状況を反映しているともいえる。例えば、高齢者の生活費に占める収入源を見ると、年金は66・3%と全体の半分以上占めるが、同時に仕事による収入比率も24・3%占めている。一方で、アメリカは、労働収入の比率は20・1%、ドイツとフランスはいずれも9・5%に過ぎない。 この統計から判断する限り、日本の高齢者は一部の富裕層を除き、働き続けなければならない状況に置かれているのである。年金で悠々自適の生活は夢物語であり、収入の不足分は何らかの形で働くか、消費水準を切り下げる以外に道はない。 だが、労働者の長く働きたいという思いとは逆に、日本では厳格な定年制が維持されている。多くの企業では60歳定年が普通で、場合によっては定年後に65歳まで再雇用という制度を採用している企業も多い。とはいえ65歳定年制を採用している企業は多くはない。 他の先進国を見ると、アメリカでは年齢を理由に雇用を制限することは禁止されている。カナダやオーストラリアも同様に禁止しており、イギリスでも2011年から定年制を廃止した。それは経済的理由というよりも、「働く権利」として定年制を禁止している面が強い。※写真はイメージ(iStock) ただ、定年を延期し、年金受給年齢を遅らせることで、高齢者が働かなければならない状況を作ることはできるかもしれないが、それは好ましい方法とはいえないだろう。 なぜなら、すでに述べたように、多くの企業が採用する再雇用制度は高齢者の労働意欲を高め、生産性向上につながるとは思えない。定年前の収入の半分で、かつての部下の下で働くというのは決して精神衛生上好ましいとは言えないからだ。こうした制度の背景には、日本の労働市場の硬直性があると思われる。 アメリカでは、年金受給資格を得たら、今の会社を辞めて、他の会社に移るか、自分で起業するのは当たり前である。先に触れたが、アメリカには定年制がなく、自分の維持で退社を決めることができる。転職も難しくなく、転職で大幅に収入を減らす必要もない。筆者の知人のアメリカ人も、年金受給資格を得たらさっさと会社を辞め、自分でIT関係の会社を設立し、現在でも活躍している。理想は「ソーシャル・ビジネス」 筆者はアメリカの大学で教鞭(きょうべん)を取っていたが、仕事を持った中年の学生が何人もいた。彼らは会社内での昇進や転職のために修士号の資格を取ろうとしていた。アメリカではミッド・キャリア(35~65歳)が会社を辞めて経営大学院に戻り、新たな仕事にチャレンジすることは普通に見られる。 アメリカの労働市場は極めて流動的で、年齢による雇用制限はなく、能力があれば仕事を得ることは難しくない。これも失業したアメリカ人の知人の例だが、彼は再就職についてまったく心配していないと言っていた。事実、すぐに次の職を得た。 年齢に関係なく、能力さえあれば、仕事があるというのがアメリカの労働市場の常識である。極めて流動性が高いだけに、高齢者でも大きな社会的ストレスを感じることなく転職でき、意欲さえあれば働き続けることができる。 こうした自由な労働市場は、逆に個人の自己啓発を促すことになる。会社と大学の間を行き来することで能力を高め、労働市場での価値を高めることができるのである。日本の大学と海外の大学を比べて堅調な違いが一つある。 それは25歳以上の大学入学者の比率である。日本はわずか2・5%だが、経済協力開発機構(OECD)平均では16・6%とはるかに高い水準である。ちなみにスイスでは29・7%に達している。オーストラリアは21・7%、ドイツでも14・8%と高い。 こうした事が可能なのは、労働市場の流動性が高く、高齢でも大学に行くだけの見返りがあるからだ。高齢なって大学や大学院で勉強し、知識を身に付ければ、企業は採用してくれるし、起業する道も開かれてくる。だが、日本のように新卒採用が主体で、中途採用も限られ、ましてや高齢者の採用が見込めない労働市場では、大学院に戻るメリットは極めて低い。※写真はイメージ(iStock) 日本では定年後、大学や市民講座に通う人も増えているが、その多くは趣味の域を出るものではない。あるいは健康を保つのが目的かもしれない。だが、「不老社会」で必要なのは高齢者と社会との結びつきである。多くの日本人にとって働くことは単に収入を得るだけでなく、「自己実現」の道でもある。 その意味で、「不老社会」の一つのあるべき姿は、単に企業で働くだけでなく、高齢者は自分の経験を生かし、さまざまな社会活動を行う「ソーシャル・ビジネス」に携わっていくことである。「不老社会」は、高齢者が自分で人生を選択する可能性のある社会でなければならない。

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    元生保マンが70歳で起業、定年退職者60万人の受け皿作る

    中西享 (経済ジャーナリスト) 毎年大企業の退職者数は約60万人。在職中は優れた技術やノウハウを持ちながら、退職すると生かす場所が見つからず、貴重な人材が埋もれてしまう。ここに目を付けて、仕事がしたいOB人材と、優秀な人材がほしい企業側との人材のマッチング(引き合わせ)に生きがいを見出し、これまでにない官民の知恵を集めた人材活用プロジェクトを創ろうとしている人物がいる。2月に一般社団法人「新現役交流会サポート(SKS)」を立ち上げた保田邦雄代表(71歳)だ。 企業OBの中には、ゴルフや海外旅行だけでは満足できず、世の中のために自分の持っている経験と能力を生かしたいと思っている人材が多くいる。内閣府が2013年に行った「高齢者の地域社会への参加に関する意識調査」によると、65歳以上の人のうち6割以上が働きたいと思っている。にもかかわらず、60歳以上の就業希望者のうち、1割程度しか職につけていないという。7割の高齢者が特に活動をせずに、日がなテレビを見て過ごしている状態だ。ハローワークやシルバー人材センターでは、能力を持っている大企業をリタイヤした彼ら(「新現役」と呼ぶ)にふさわしい仕事は見つけられない。 筆者も退職した際に東京都内のハローワークのパソコンで仕事を検索したことがあるが、60歳以上となると経験を生かせるような仕事はまったく見つからない。あるのは飲食業関連のパートや夜勤務の警備関連の仕事くらいしかない。 保田代表は中小企業庁などが進めている人材マッチング事業が、政策の掛け声倒れで単年度主義のため成果を出していない点に着目、生命保険に勤務していた時に金融機関とのつながりがあったことを生かして、地元の信用金庫を巻き込んで、2009年から手弁当で「交流会」を東京都内で試みてみた。「仕事をしたい企業OBに信用金庫、信用組合など地域金融機関と連携し取引先である求人側の中小企業とを引き合わせる『交流会』という手法で、そのOBの能力を活用できる場所を効率的に見つけ出せる」と力説する。 東京都北区、葛飾区で始めた最初のころは、あまり相手にされなかったが、「交流会」の実績が知れ渡るにつれて参加する企業と金融機関が増え続け、参加した企業は昨年末までで実に2695社にのぼり、支援が成立した件数(マッチング成功率)は50%を超す1378社に達している。人材のマッチング、中でも高齢者の場合は成功率が低くなりがちだが、当事者同士が対面してじっくり話し合える「交流会」があるため、成功率が驚くほど高くなっている。保田邦雄(やすだ・くにお)氏 「交流会」を実施している地域は、いまでは東京都全域から、さらに名古屋、関西、北部九州にまで広がり、「交流会」を開催した金融機関数は71の信用金庫を含む76金融機関にまで増えている。今年に入ってからは、信用組合の幹部もこの「交流会」の評判を聞きつけて、信用組合全体としてもこの「交流会」を積極的に活用し始め今年度開催決定を含めると84金融機関に拡大中だ。中小企業庁の担当者も信用金庫など地域の金融機関を仲介にした「交流会」を使ったマッチングを高く評価している。保田代表はこれまで自分でパソコンを使って資料を作るなど、マッチングの肝になる「交流会」の仕掛け作りに東奔西走してきたが、今後は組織的に手掛けたいとして社団法人を設立することを決意した。 「交流会」の最大のポイントは、仕事を求める企業OB、課題解決ができる人材がほしい中小企業のトップ、中小企業と取引関係のある信用金庫、信用組合など地域金融機関による「3者面談」による本音のやり取りだ。企業OBが人材データベース(DB)への登録に基づいて人材を求める会社と面談して、要望が合致すれば、「新現役」としての仕事を得ることができる。「交流会」の場には求人する側の社長らトップが出席するため、企業OBも仕事内容について遠慮なく聞ける。このため、ハローワークなどに多い実際に働いて見て、こんなはずではなかったというミスマッチングになる事例はほとんどないという。信用組合が注目 仲介する金融機関の担当者は、「交流会」に立ち会うことで、取引先の実情、課題や事業の将来性、可能性についてトップから直接に話を聞ける。新しい人材が加わったことで融資先の中小企業の業績が好転すれば、地域金融機関としてはのどから手が出るほどほしい新規融資の拡大にもつながる。「交流会」は中小企業、企業OB、地域金融機関をハッピーにさせる「一石三鳥」の効果がある。 仕事を得た企業OBは、体調も考慮して週に2~3回マイペースで働けばよい。中小企業庁で予算がついていれば、最初の支援3回分は補助金が支払われる。企業側がこのOBの能力を評価し、OBとも意思が合致すれば、新たに雇用や業務委託契約関係を結んで「再就職」につながるケースもあり、企業OBはまさに「無尽蔵の人材の宝庫」(保田代表)と言える。 中小企業に対する経営指導と言うと、中小企業診断士という国家資格者やコンサルタントがあり、それらのアドバイスを受けている中小企業は多い。だが、その多くは実際の実務経験のない座学に基づくものが多く、中小企業経営者からは「診断を受けても期待外れ」という声が聞かれる。「交流会」に参加する「新現役」の多くは、診断士の資格はなくても得意とする分野に関しては誰にも負けないほどの技量を持った人材が多い。 東京都信用組合協会の八木秀男専務理事は「お金を貸すだけの地域金融機関から、中小企業を『育てる』金融機関への役割の変更が求められている時代の流れの中で、『交流会』は取引先のニーズに答えられるものだ。信用組合の職員も『交流会』で取引先企業のトップから経営課題を直接聞くことができて貴重な勉強の場になっている。これを是非とも定着させていきたい」と、高く評価する。9月21日には都内の主要な6信組と、60企業が参加する大規模な「交流会」の準備が進められており、その成果が注目される。 東京都内に支店網を持っている大東京信用組合の品川支店は昨年11月に開催した「新現役交流会」へ、取引先であるスーパー「平野屋」を経営する堀江新三社長に参加を呼び掛けた。堀江社長はあまり気が進まなかったが渋々参加して、「新現役」8人と面談した。その中から三菱商事をリタイヤして小規模なスーパーの顧問をしている71歳の「新現役」に経営指導に来てもらうことにし、3回にわたりアドバイスを受けた。大東京信用組合で行われたマッチングフェア 厳しく指摘されたのが、店内での部門同士のコミュニケーションが十分でないことだった。堀江社長は地元商店街の仕事などが忙しくて、店の経営を店長などに任せてきた結果、責任体制が明確になっていなかった。家族主義的な経営手法から、社長自らが社員に対してきちんと指示を出すべきだと直言された。堀江社長はこれまでコンサルタントなどに実務に基づかない指導が嫌いなため、部外者からアドバイスを受けなかった。しかし、近くにできた有力スーパーに客を奪われたこともあって、この数年間は売上が落ち込んでおり、「この減少を何とか食い止めなければと思っていたので、貴重な指導を受けて大いに参考になった。長年続けてきた家族主義的なやり方を急に変えるのは難しいが、指摘されたことを少しずつ実践しようと思う」とアクションを取ろうとしている。 「交流会」に同席した大東京信用組合の菊島健二・品川支店長は「社長の話を通じて取引先の現場と中身を知ることができて、デスクワークだけでは分からない店の実態を理解できた」と話す。思いもかけない人材 「交流会」を契機に予想外の海外展開に手掛かりを得られた中小企業がある。品川区にある「フェラーリ」「フィアット」などイタリア車の自動車部品を取り扱う「ビオリー」(従業員20人)の久地岡正義社長が地元の信用組合の紹介で「交流会」に出てみたところ、イタリアの航空会社アリタリアに38年間勤務して退職した「新現役」の宅間武雄さん(68歳)に遭遇した。ローマにも駐在経験があり、現地での交友関係が広いことが分かり、3回の無料支援のあと早速、雇用契約を締結した。 久地岡社長は「『交流会』は思っても見ない素晴らしい人材との出会いだった。これまで国内仕入では困難な古い車等の部品調達やその輸送コスト軽減を考えていたところだったので、4月に宅間さんにイタリアに飛んでもらい、部品の卸企業と交渉した」と話す。部品の発注はこれまでは、日本の大手部品会社を通して発注していたが、宅間さんのおかげで、イタリアの卸会社と直接購入できるルートが開拓できた。これにより、「ビオリー」の顧客に対する信頼性が増し、社長の念願である増収増益にもつながる可能性がある。 仲介した大東京信用組合の柳沢祥二理事長は「取引先の企業を手助けするために『交流会』は役立っている。地域の取引先にも『交流会』の良さを分かってもらうために動画を作成する」と、この手法にほれ込んでいる。 保田代表は「各地で開催される『交流会』では、こうした思いもかけないような『宝の人材』に出会えることが数え切れないほどある」という。 東京都板橋区で理美容師向けにハサミなどを手作りで製造している「ヒカリ」の高橋一芳社長は、12年に地元の滝野川信用金庫に誘われて仕方なしに「交流会」に参加したところ、ホンダを定年退職したエンジニアで、現役時代には2足走行ロボット「アシモ」の開発に携わった西川正雄さんと出会った。経済産業省総合庁舎。中小企業庁は別館に入っている=2001年5月 30人の職人が働く同社は、繊細な手作業が求められるプロ向けのハサミが作れるようになる技術の習得は経験と勘に頼っていたため10年も掛かっていた。それを西川さんが開発した道具を使うとわずか1週間でできるようになり、高橋社長は「『交流会』に参加したことで、思っても見なかった貴重な人材にめぐり会えた」と手放しの喜びよう。80歳になる西川さんは現在も週に1回ほど技術面のサポートをするため顧問として出社、ハサミを製造する機械の開発に携わるなど同社に取ってなくてはならない存在だという。 保田代表が起業した最大目的は、「無尽蔵」にある企業OBという人材の「宝の山」を「交流会」を介して民間企業にマッチングするための全国レベルでのシステム作りだ。そのために必要なことは、「どこからでもアクセスできる新現役データベース(DB)を構築して、登録者数を増やすこと。できれば3年以内に10万人以上にしたい。求人企業数も1万社が目標だ。これだけのDBが整備できれば、このDBと『交流会』を組み合わせることで、年間5千人以上の『新現役』とのマッチングを生み出し、人材難の中小企業に対して力強いサポートが可能になる」と期待している。 「新現役」を登録するDBの制度は2003年に中小企業庁が作りクチコミで全国の企業OB約1万2000人が登録した。しかし、民主党政権の10年にこの制度は十分な新現役の活用手法や課題をもつ中小企業がシステム的に発掘できなかったこともあり「事業仕分け」で消滅してしまった。その後、保田代表の呼び掛けなどにより関東経済産業局管内で再び企業OBの登録制度と地域金融機関との交流会を開始、約1500人が登録した。しかし、人材登録制度が機能するためには地域金融機関とシステム的な連携と、交流会のような仕組みしかけ、多様な職種、能力を持った豊富な人材の登録数が求められる。地域金融機関との連携強化 このため、「1500人程度の登録人数では、地方で交流会開催を希望する金融機関や企業、新現役のニーズを満たすことはできない。また、地方都市は大都市に集中している、経験、技術、知識、知恵、人脈を持つ人材を必要としており、加えて中小企業の海外展開には、JETRO(日本貿易振興機構)、JICA(国際協力機構)だけでは地方のニーズはまかなうことが難しい。全国レベルでの人材の行き来が可能なシステムが地方創生にも不可欠である」と主張する。 現在は約4100人の企業OBが登録しているが、保田代表は「これではまだ不十分で、DBの裾野を拡大することで、より広範囲の人材マッチングが可能になる。そのためにも、中小企業庁など国が主体の全国レベルで人材登録ができるようなDBを作ってほしい」と訴えかける。  もう一つのキーワードはこれまで築いてきた地域金融機関との連携だ。これまで、信用金庫、信用組合と連携してきたが、保田代表は「今後はさらに連携の範囲を広げて、第二地方銀行なども含めた、いまの3倍以上の250以上の金融機関との連携を目指したい」という。「交流会」を通じて地域金融機関が中小企業と深いつながりができれば、担保を取って貸し出すという従来の融資方式から、金融庁の森信親長官が掲げている「融資先の事業性評価」にも役立つ可能性がある。融資先の開拓に苦労してきた地域の金融機関にとって、伸びる可能性のある有望企業の発掘にもつながる。 中小企業庁は、13年に中小企業・小規模事業者の未来をサポートするためのサイト「ミラサポ」を創設した。中小企業に関する相談窓口を想定、このサイトを通じて中小企業者の経営相談、情報交換の場を目指してきた。 しかし、同庁が当初想定していた活用には、発展していないようである。新現役の登録数(DB)を増やすことと金融機関と連携した交流会で、中小企業が支援を受ける仕組みを活性化させ、ミラサポとの連携で双方の活性化が図れないかと中小企業庁の担当者と活用方法について話し合っている。保田代表は「国が作った制度を利用すれば信用力があるので、『ミラサポ』との連携を模索したい」と意気込んでいる。2013年12月、中小企業支援サイト「ミラサポ」の活用について、活発な意見交換が行われた大阪市内でのパネルディスカッション 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が4月10日に発表した「将来推計人口」によると、働き手に当たる15歳から64歳までの生産年齢人口は、いまの7728万人から50年後には4529万人と4割も落ち込む。人口の5人に2人が65歳以上の高齢者になる勘定で、この人口構成の元で日本経済が底割れしないためには、どうしても高齢者の労働パワーを活用していかざるを得ない。 人口減少時代を迎えて、あらゆる業種で深刻な人手不足の続く日本経済。定年でリタイヤしたとはいえ、60~65歳という年齢はまだ十分働ける年代だ。 実際「交流会」で活躍している新現役の中心層は、65才~75才でありこの人材を定年で区切って埋もらせておくのはもったいない。 陰りが見える日本経済を蘇らせるために大企業の業績を回復させることも必要だが、全国に380万社ある中小企業(このうち325万社が小規模企業者、16年版中小企業白書)を元気にさせない限りは、安倍政権が掲げる地方創生は実現しない。そのためには、まだまだ元気で働ける大企業をリタイヤした「新現役」を積極活用することを国策として推進すべきだ。経産省、中小企業庁、金融庁、総務省など「霞が関」の中央政策官庁は、縄張り意識を捨てて、誰でも登録ができる「人材DB」を構築し、「交流会」というマッチング手法と「地域金融機関」をフルに活用して、企業OBのサポートにより日本全体を底辺から再生させてほしい。

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    1億総活躍社会 高齢者は劣悪な労働環境に放り出される

     2015年9月の自民党総裁選で無投票再選し、「一強」の称号をほしいままにしていた安倍首相が打ち出したのが「ニッポン一億総活躍プラン」だった。その正体は、“年寄りを働かせて税金も保険料も納めさせるプラン”である。 自民党・一億総活躍推進本部の「65歳以上のシニアの働き方・選択の自由度改革PT」は〈高齢者〉の基準を見直すべきとの提言をまとめた。 そこでは、〈65歳までは「完全現役」、70歳までは「ほぼ現役」、65歳~74歳までは「シルバー世代」として、本人が希望する限りフルに働ける環境を国・地方・産業界挙げて整備し、「支え手」に回っていただける社会の構築を目指す〉と本音を隠そうともしない。 問題は、“年寄りももっと働け”と煽り立てる一方、その労働環境整備が後回しになっていることだ。 60歳以上で働く人の圧倒的多数は非正規雇用だ。中小企業では、「定年前とほとんど同じ仕事をしているのに、雇用形態は嘱託になり賃金は半減した」(都内に住む60代男性)といった批判が後を絶たない。松山1億総活躍相(左から2人目)=2018年1月 本当に60歳以上の労働力を活用したいなら、年齢にかかわらず能力が給料に反映される「同一労働同一賃金」の導入が不可欠だが、その歩みは立ち後れている。 昨年12月に政府が公表した「同一労働同一賃金ガイドライン(指針)案」では、正社員と定年後の再雇用者の仕事内容が同じ場合に賃金差を認めるのか否かについて、「検討を行う」とするだけで、肝心なところを曖昧にした。 安倍政権はこの秋の臨時国会に、労働契約法改正案などの働き方改革関連法案を提出する予定だという。しかし改革が中途半端に終われば、“年寄りは現役時代から激減した賃金のまま働き続けろ”という状態で放り出されることを意味するのだ。【関連記事】■ 働く高齢者から収奪した在職老齢年金1兆円が政府の埋蔵金に■ 定年後は葬式へ行くな 香典は痛い出費で無駄な義理は不要■ 小泉進次郎氏 子育て財源のため「年金返上を」と言い出した■ 貧困高齢者 介護費捻出のため熟年離婚ならぬ“晩年離婚”も■ 公務員に65歳完全定年制導入で生涯賃金4000万円増

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    年金支給先延ばし 働いた場合手取りは2・6万円低い試算

     年金支給を75歳に引き上げる検討が始まっている。元々「定年後は年金をもらい、贅沢はせずとも時に預貯金を取り崩して旅行をするなど人間らしい生活をしたい」などといったビジョンを持っていた人も方針転換を強いられる。定年後も74歳までは働く必要が出てくることだろう。高齢者が従来もらえていた年金額と同じ月額22万円を稼ぐことができても、給料明細を見てショックを受けることになる。社会保険労務士・蒲島竜也氏の指摘だ。 「収入の額面は同額でも年金と給料では手取りが大きく違うからです」 夫婦ともに65歳以上で合わせて月額22万円の年金を受給する標準モデル世帯の場合、所得税、住民税が原則非課税になる。年金収入には給与所得にはない公的年金控除(65歳以上は1人につき120万円)が認められるからだ。医療保険料は自治体によって金額が違うが、東京都世田谷区の居住者なら年金から国民健康保険料と介護保険料で月額約1万9400円天引きされ、手取りは20万円ほどになる。 ところが、蒲島氏の試算では、同じ世田谷区に住んで65歳以降に月額22万円の給料を得るケースでは、所得税・住民税や健康保険・介護保険料に年金保険料まで加えた約4万6000円が源泉徴収されて手取りは17万4000円になる。年金収入の時よりなんと2万6000円も低い。 政府は働き方改革で「元気な高齢者は働いて年金の担い手になってくれ」と推奨しているが、74歳まで働けば年金保険料を払わされるばかりか、年金生活なら取られない税金までしっかり負担させられ、高齢者が働けば働くほど奪われる仕組みなのだ。蒲島氏が語る。 「ハッピーリタイアをあきらめて年金と同額を働いて稼いでも、従来の年金生活の水準は維持できない。もっと切り詰めなければならなくなるのです」【関連記事】■ 年金75歳支給時代、貯金5000万円あっても足りない■ 人づくり革命 真の狙いは高齢者を働かせ年金給付回避■ 老人も働け!時代、孫世代の若者に使われ精神的にもキツい■ 社会保障カットの決まり文句「子や孫にツケ回さない」の欺瞞■ 年金支給年齢引き上げ 働けば働くほど高い医療費払わされる

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    土地も家も、なぜ所有者不明になるのか

    吉原祥子(東京財団研究員兼政策プロデューサー)  人口減少と高齢化が進む中、相続を契機に故郷の土地の所有者となり、戸惑う人が増えている。 「田舎の土地を相続したが、自分たち夫婦には子供がいない。自分の代で手放したいが、買い手も寄付先も見つからず困っている」「いずれ実家の土地を相続する予定だが、東京に暮らす自分は父親が所有する山林には行ったことがなく、どこにあるのかもわからない」こうした声を周囲で耳にするようになった。司法書士などによる法律相談や不動産会社による相続対策セミナーが活況を呈し、相続対策を取り上げた書籍や雑誌も目立つ。 そうした声と時を同じくして、近年、問題として認識されつつあるのが「所有者不明土地」である。所有者の居所や生死が直ちに判明しない、いわゆる「所有者不明」の土地が災害復旧や耕作放棄地の解消、空き家対策など地域の公益上の支障となる例が各地で報告されている。国土交通省の調査では私有地の約2割が所有者の所在の把握が難しい土地だと考えられるという。(iStock) 個人の相続と、土地の所有者不明化。一見関係ないかに見える両者だが、実はその間には土地の権利と管理をどのように次世代に引き継いでいくのか、という大きな課題が横たわっている。 本稿では、近年、マスコミでも取り上げられることの増えてきた土地の「所有者不明化」問題について、相続という多くの人々にとって切実な問題からひもといていく。そして、問題の背景にある制度の課題と、今後必要な対策について、3回に分けて考えてみたい。 所有者の特定に時間を要し、地域の土地利用や円滑な売買の支障となる「所有者不明土地」。 土地とは、本来、個人の財産であると同時に、私たちの暮らしの土台であり、生産基盤であり、さらにいえば国の主権を行使すべき国土そのものだ。 民法学者の渡辺洋三は、土地のもつ4つの特質として、人間の労働生産物ではないこと、絶対に動かすことのできない固定物であること、相互に関連をもって全体につながっていること、そして、人間の生活あるいは生産というあらゆる人間活動にとって絶対不可欠な基礎をなしているものを挙げ、これらの特質ゆえに土地とは本来的に公共的な性格をもつと結論づけている(注1)。 いま、そうした個人の財産であると同時に公共的性格をあわせもつはずの土地について、その所有者の居所や生死が直ちにはわからないという問題が、様々な形で表面化してきている。なぜ土地所有者不明問題が起きるのか もっとも身近な例が空き家だろう。2015年5月に全面施行された空家対策特別措置法にもとづいて最初に強制撤去された長崎県新上五島町(2015年7月)および神奈川県横須賀市(同10月)の空き家は、いずれも行政のどの台帳からも所有者が特定できない「所有者不明」物件だった(注2)。 一体なぜ、こうした問題が起きるのだろうか。 土地所有者の所在や生死の把握が難しくなる大きな要因に、相続未登記の問題がある。一般に、土地や家屋の所有者が死亡すると、新たな所有者となった相続人は相続登記を行い、不動産登記簿の名義を先代から自分へ書き換える手続きを行う。ただし、相続登記は義務ではない。名義変更の手続きを行うかどうか、また、いつ行うかは、相続人の判断にゆだねられている。 そのため、もし相続登記が行われなければ、不動産登記簿上の名義は死亡者のまま、実際には相続人の誰かがその土地を利用している、という状態になる。その後、時間の経過とともに世代交代が進めば、法定相続人はねずみ算式に増え、登記簿情報と実態との乖離(かいり)がさらに進んでいくことになる。 相続登記は任意のため、こうした状態自体は違法ではない。しかし、その土地に新たな利用計画が持ち上がったり、第三者が所有者に連絡をとる必要性が生じたときになって、これが支障となる。「登記がいいかげんで、持ち主がすぐには分からないために、その土地を使えない」という状態が発生するのだ。 国土交通省によると、全国4市町村から100地点ずつを選び、登記簿を調べた結果、最後に所有者に関する登記がされた年が50年以上前のものが全体の19.8%を占めた。30~49年前のものは26.3%に上っている。この結果について同省は、「所有者の所在の把握が難しい土地は、私有地の約2割が該当すると考えられ、相続登記が行われないと、今後も増加する見込み」と分析している(注3)。 図1は2013年に人口約1.5万人の自治体で事業担当者が実際に作成した相続関係図である。県道敷設に際して用地取得の対象となった土地の一角に、三代にわたり相続登記がされていない土地があった。権利の登記は任意とはいえ、自治体が税金を使って用地取得を行う際には所有権移転登記を行うことが前提となる。そのため、事業担当者は、面積はわずか192平方メートルのこの土地について約150名にわたる相続人を特定した。図1 時間の経過とともに、法定相続人は鼠算式に増加(出典:東京財団『国土の不明化・死蔵化の危機~失われる国土III』2014年) この事例は道路敷設だが、これが農地の集約化でも災害復旧の場面でも、相続未登記の土地の権利移転に必要な手続きは基本的に同じである。相続人全員の戸籍謄本や住民票の写しを取得して親族関係を調べ、相続関係図を作り、法定相続人を特定する。そして、登記の名義変更について、相続人全員から合意をとりつけなければならない。相続人の中に所在不明や海外在住などで連絡のつかない人が一人でもいれば、手続きのための時間や費用はさらにかかることになる。農地全体の2割が所有者不明 近年、各地で表面化している、「土地の所有者が分からず、利用が進められない」という事象の背景には、こうした相続未登記の問題がある。必要な土地の中のごく一部でもこういう土地があれば計画の遅れに繋がる。(iStock) 2014年4月からスタートした農地中間管理機構による農地の集約化の促進でも、同様のことが事業の障害となっている。同機構による農地の貸付は、土地の登記名義人による契約が原則だ。そのため、相続未登記の農地の所有者確認に時間を要し集約の足かせになる事例が各地で報告されている(注4)。 農林水産省が昨年行った初の全国調査によると、登記名義人が死亡していることが確認された農地(相続未登記農地)およびそのおそれのある農地(住民基本台帳上ではその生死が確認できず、相続未登記となっているおそれのある農地)の面積合計は約93万ヘクタール。全農地面積の約2割に達するという(注5)。 こうした未登記農地では、今後、現在の所有者が離農した場合、新たな権利関係の設定には相続人調査と登記書き換え手続きが必要になる。そのため、迅速な権利移転が困難になることが懸念される。 それでは、こうした問題は全国でどのくらい発生しているのだろうか。また、問題の全体構造はどのようになっているのだろうか。筆者らは土地の「所有者不明化」の実態を定量的に把握するため、2014年秋に全国1,718市町村および東京都(23区)の税務部局を対象にアンケート調査を実施した。次回はこのアンケート調査の結果から、全国の実態と問題の全体像を考える。(注1):渡辺洋三(1973)『法社会学研究4 財産と法』、東京大学出版会(注2):日本経済新聞「空き家解体 根拠は『税』」2015年11月30日、同「危険空き家28軒に勧告」同年12月6日。(注3): 国土交通省 国土審議会 計画推進部会 国土管理専門委員会(第1回)「資料6_人口減少下の国土利用・管理の検討の方向性」15ページ。https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/kokudo03_sg_000053.html(注4):例えば、日本経済新聞〔四国版〕「農地バンク利用低調」2015年6月17日、南日本新聞「まちが縮む(5)土地問題 未相続が『足かせ』に」同年9月26日など。こうした実態を踏まえ、政府の「日本再興戦略2016―第4次産業革命に向けて」(2016年6月2日閣議決定)では、「相続未登記の農地が機構の阻害要因となっているとの指摘があることを踏まえ、全国の状況について調査を行うとともに、政府全体で相続登記の促進などの改善策を検討する」ことが明記された。(注5):http://www.maff.go.jp/j/keiei/koukai/mitouki/mitouki.htmlよしはら・しょうこ 東京財団研究員兼政策プロデューサー。東京外国語大学卒。タイ国立シーナカリンウィロート大学、米レズリー大学大学院などを経て現職。国土資源保全プロジェクトを担当。

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    漂流するニッポンの「土地神話」

    利用価値や資産価値のない土地が捨てられはじめている。こうした土地は相続未登記や相続放棄などで所有者不明となり、日本各地で行き場を失った土地が放置されているという。漂流するニッポンの「土地神話」。人口減少時代の象徴ともいえるこの問題に解決の糸口はあるのか。

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    地方から広がった土地の「所有者不明化」問題

    吉原祥子(東京財団研究員兼政策プロデューサー)  第1回目では、所有者不明の土地について、その大きな原因が相続未登記にあることを指摘した。それでは、こうした問題は全国でどのくらい起きているのだろうか。また、問題の全体構造はどのようになっているのだろうか。 筆者らは、土地の「所有者不明化」の実態を定量的に把握するため、2014年秋に全国1,718市町村および東京都(23区)の税務部局を対象にアンケート調査を実施した。相続未登記が固定資産税の納税義務者(土地所有者)の特定にどのような問題を生じさせているかを調べることで、間接的ではあるが、「所有者不明化」の実態把握をめざした。888自治体より回答を得た(回答率52%)。 本調査で明らかになったことは、大きく2つある。順番に見ていこう。 まず1つは、土地の「所有者不明化」問題は、一時的、局所的な事象ではなく、平時に全国の自治体にその影響が及んでいるということだ。 土地の「所有者不明化」によって問題が生じたことがあるか尋ねたところ、63%にあたる557自治体が「あり」と回答した。具体的には、「固定資産税の徴収が難しくなった」(486自治体)がもっとも多く、次いで、「老朽化した空き家の危険家屋化」(253自治体)、「土地が放置され、荒廃が進んだ」(238自治体)がほぼ同数だった。(iStock) 次に、「死亡者課税」について尋ねた。これは土地所有者、すなわち固定資産税の納税義務者の死亡後、相続登記が行われていない事案について、税務部局による相続人調査が追いつかず、やむなく死亡者名義での課税を続けるもので、146自治体(16%)が「あり」と回答した。納税義務者に占める人数比率(土地、免税点以上)は6.5%だった。「なし」は7自治体(1%)のみ。735自治体(83%)は「わからない」と回答し、所有者の生死を正確に把握することが困難な現状の一端がうかがえた。 本調査から明らかになったもう1つの点は、このままでは「所有者不明化」問題の拡大は不可避だということだ。 死亡者課税が今後増えていくと思うか尋ねたところ、「そう思う」もしくは「どちらかといえばそう思う」という回答が770自治体(87%)に上った。その理由を記述式で尋ねたところ、回答は制度的なものと社会的なものに大きく二分された。 まず、制度的な理由として多かったのが、手続きの煩雑さや費用負担の大きさ等を理由とする相続未登記の増加、自治体外在住者の死亡情報がいまの制度では把握できないこと(注1)、人口流出によって不在地主が増加し相続人情報を追うことが困難になっていく、などだ。いつから「所有者不明化」は拡大したのか 社会的な理由として挙がったのは、土地の資産価値の低さや管理負担を理由とする相続放棄の増加や、親族関係の希薄化に伴う遺産分割協議の困難化などだ。 具体的には、「土地の売買等も沈静化しており、正しく相続登記を行っていなくても当面実質的問題が発生しないケースが増えている」、「相続人が地元に残っていない。山林・田畑について、所有する土地がどこにあるかわからない方が多い」、「土地は利益となる場合よりも負担(毎年の税金)になる場合が多いので、相続人も引き受けたがらない」、「過疎地で固定資産の価値も低い上、所有者の子が地元に帰ることがますます少なくなり、固定資産に対する愛着がなくなってゆく」といった記述があった。 さらに、寄せられた回答の中には、相続放棄によって所有者が不存在となった土地の扱いについて、相続財産管理制度などの制度はあるものの費用対効果が見込めず、放置せざるをえない例が少なくないこと、また、その後の当該土地の管理責任や権利の帰属が、実態上、定かでない点があることなど、制度的、法的な課題を指摘するコメントもあった。 こうした結果から、人口減少に伴う土地の価値の変化(資産価値の低下、相続人の関心の低下)と硬直化した現行制度によって、「所有者不明化」の拡大がもたらされている、という問題の全体像が徐々に浮かび上がってきた(図1)(注2)。図1 土地の「所有者不明化」問題の全体像(出所:筆者作成) こうした相続未登記による「所有者不明化」の拡大は、いつ頃から始まっていたのだろうか。 前回、紹介したように、国土交通省が行った登記簿のサンプル調査によると、最後に所有者に関する登記がされた年が50年以上前のものが全体の19.8%、30~49年前のものは26.3%に上っている。 つまり、一世代を30年と考えるならば、一世代以上、所有者情報が書き換えられていない登記簿が全体の半分近くを占めていることになる。相続未登記という現象は、今に始まったことではなく、過去数十年にわたり蓄積されてきているのだ。 実際、地域レベルで見るとこの問題は決して新しいものではない。相続未登記が、地域の土地利用という公益に及ぼす影響については、一部の関係者の間では経験的に認識され、長年、指摘されてきている。 たとえば、林業の分野では、1990年代初頭には、森林所有者に占める不在村地主の割合は2割を超え、林業関係者の間では、過疎化や相続増加に伴い所有者の把握が難しくなるおそれのあることが懸念されていた。柳澤(1992)は、急速に高齢化の進む農山村世帯において、都市部へ転出した子ども世代が相続に伴い不在地主となるケースが増え、林業の支障となることを懸念し、次のように述べている。「問題は彼らが所有する大量の土地の行方である」「不在村対策としては迂遠であるようにみえるかも知れないが、今いちばん必要なのは、将来の不在村所有者とのコンタクトではないか。」(注3)日本の土地制度の課題 農業では、各地で慢性的に発生している未登記農地の問題について、安藤(2007)が、「ただでさえ追跡が困難な不在地主問題を絶望的なまでに解決不能な状態に追い込んでいるのが相続未登記であり、これは農地制度の枠内だけではいかんともしがたい問題なのである」と指摘している(注4)。 自治体の公共事業の用地取得でも、同様の問題は起きていた。「用地取得ができれば工事は7割済んだも同じ」と言われるように、用地取得における交渉や手続きの大変さは関係者の間でしばしば指摘されてきていた。(iStock) しかしながら、こうした問題の多くは、関係者の間で認識されつつも、あくまで農林業あるいは用地取得における実務上の課題という位置づけにとどまってきた。たとえば、堀部(2014)は次のように指摘している。「農業経済学にとって農地制度とその運用は、長い間一貫して強い関心を寄せる対象であったが、それはあくまでも農地市場分析、農業経営における農地集積活動の与件としてであり、それ自体は『実務の問題』とされ、ほとんど分析対象とはならなかったのである(注5)」 関係省庁が複数にわたり、個人の財産権にもかかわるこの問題は、どの省庁も積極的な対応に踏み出しづらいこともあり、政策議論の対象となることはほとんどなかった。それが、近年、震災復興の過程で問題が大規模に表出し、また空き家対策のなかで都市部でも表面化したことで、ようやく政策課題として認識されるようになってきたのだ。 それでは、なぜ、任意の相続登記がされないことで、土地の所有者の所在や生死の把握が難しくなっていくのだろうか。そもそも、日本では土地の所有者情報はどのように把握されているのだろうか。次回は、所有者不明化問題から見えてくる日本の土地制度の課題を整理し、今後必要な対策について考えてみたい。(注1):自治体内に住民登録のない納税義務者(不在地主)が死亡した場合、現行制度では、死亡届の情報が当該自治体に通知される仕組みはない。(注2):アンケート調査結果の詳細は、東京財団『土地の「所有者不明化」~自治体アンケートが示す問題の実態~』(2016年3月、http://www.tkfd.or.jp/files/pdf/lib/81.pdf) を参照いただきたい。(注3):柳幸広登(1992)「不在村森林所有の動向と今後の焦点」林業経済45巻8号1-8頁。(注4):安藤光義(2007)「農地問題の現局面と今後の焦点」農林金融60巻10号2-11頁。(注5):堀部篤(2014)「遊休農地や山林・原野化した農地が多い地域における利用状況調査の取り組み実態」農政調査時報571号29-34頁。よしはら・しょうこ 東京財団研究員兼政策プロデューサー。東京外国語大学卒。タイ国立シーナカリンウィロート大学、米レズリー大学大学院などを経て現職。国土資源保全プロジェクトを担当。

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    「農地・山林はもらっても負担」時代に対応した土地制度の構築を

    吉原祥子(東京財団研究員兼政策プロデューサー)  ここまで、各地で広がる土地の「所有者不明化」の実態について、相続未登記の問題から全体像を見てきた。では、なぜ任意の相続登記の問題が、「所有者不明」というこれほど大きな問題につながってしまうのだろうか。そもそも、日本では土地の所有者情報はどのように把握されているのだろうか。(第1回、第2回) 土地の所有・利用に関する様々な制度を洗い出してみると、見えてくるのが情報基盤の未整備やルールの不十分さだ。 現在、日本の土地情報は不動産登記簿のほか、国土利用計画法に基づく売買届出、固定資産課税台帳、外為法に基づく取引報告、さらに森林調査簿や農地基本台帳など、目的別に作成・管理されている。各台帳の所管はそれぞれ、法務省、国土交通省、総務省、財務省、林野庁、農林水産省と多岐にわたる。台帳の内容や精度もばらばらで、国土の所有・利用に関する情報を一元的に共通管理するシステムは整っていない。 さらに、国土管理の土台となる地籍調査(土地の一筆ごとの面積、境界、所有者などの基礎調査)も、1951年の調査開始以来、進捗率は未だ5割にとどまる。一方で、個人の土地所有権は諸外国と比較してもきわめて強い。(iStock) 「土地の権利関係なら不動産登記簿を見ればすぐわかるのではないか」と思う方も多いかもしれない。実際、各種台帳のうち、不動産登記簿が実質的に主要な所有者情報源となっている。だが、ここまで繰り返し述べてきたように、権利の登記は任意である。そもそも、不動産登記制度とは、権利の保全と取引の安全を確保するための仕組みであり、行政が土地所有者情報を把握するための制度ではない。登記をした後に所有者が転居した場合も、住所変更を届け出る義務はない。そのため、登記がされなければ、登記簿上の名義人がすでに死亡した人のままだったり、古い住所がそのまま何十年も残り続けることになる。 任意の相続登記を相続人が行うかどうか、また、いつ行うかは、個人の事情をはじめ、経済的、社会的な要因などによって影響を受ける。たとえば、景気改善によって都市部の土地取引が活発化し地価が上昇すると所有者の売却意欲が高まり、その準備の一環として相続登記が行われる、あるいは、公共事業が増加し用地の対象となった所有者が売却のために相続発生後何年も経った後に登記を行うなどだ。なぜこれまで政策課題にならなかったのか 図1は相続等による所有権移転登記の件数の推移である。登記件数は近年増加傾向にはあるものの、年によって変動が大きいことがわかる。図1 相続等による所有権移転登記の件数推移(出所)法務省「登記統計」より作成 政府の「経済財政運営と改革の基本方針2016」では、所有者不明化の大きな原因の1つである相続未登記への対策が盛り込まれ、法務省が「法定相続情報証明制度」の創設を進めるなど、徐々に対策が始まりつつある。 しかし一方で、司法書士の間からは、「農地・山林はもらっても負担になるばかりで、相続人間で押し付け合いの状況」とか「最近、相談者から、『宅地だけ登記したい、山林はいらないので登記しなくていい』と言われるケースが出てきた」、「次世代のことを考えれば登記すべきだが、登記は任意であり、無理に勧めるわけにもいかず悩んでいる」といった声も聞かれる。 国土交通省の「土地問題に関する国民の意識調査」によると、「土地は預貯金や株式などに比べて有利な資産か」という問いに対して、2015年度は、「そうは思わない」とする回答が調査開始以来最高の41.3%を占めた。これは1993年度(21%)の約2倍である。 人口減少に伴う土地需要の低下や人々のこうした意識の変化を考えれば、今後、相続登記がいまよりも積極的に行われるようになるとは考えにくい。国による相続登記の促進は当面の対策としては重要だが、人々にとって相続登記をする必要性が低いままであれば、促進策の効果も限定的にならざるを得ないだろう。 考えるべきは、いまの日本の土地情報基盤が、こうした市場動向や個人の行動によって精度が左右される仕組みの上に成り立っている、という点である。 現在の日本の土地制度は、明治の近代国家成立時に確立し、戦後、右肩上がりの経済成長時代に修正・補完されてきたものだ。地価高騰や乱開発など「過剰利用」への対応が中心であり、過疎化や人口減少に伴う諸課題を想定した制度にはなっていない。 「所有者不明化」問題とは、こうした現行制度と社会の変化の狭間で広がってきた問題なのだ。 それでは、なぜ、この問題はこれまで政策課題として正面から取り組まれることがほとんどなかったのであろうか。 その理由として、1つには、問題が目に見えにくいということがあろう。所有者不明化という課題が平時に広く世の中の関心を得る機会は限られる。多くの場合、相続や土地売買、大規模災害時など、「一生に一度」の機会になって初めて、問題の存在や解決の難しさが認識される。土地所有者不明問題は「盲点」 耕作放棄地や空き家といった「管理の放置」の問題は、農地の荒廃や老朽化に伴う危険家屋化など、目に見える形で地域で表面化する。それに対し、相続未登記という「権利の放置」は、登記簿情報と実際の所有状況を照合するまでは、人々の目に見えない。 自治体担当者が公共用地の取得の際などに所有者不明化の実態に直面しても、個別事案への対応に追われ、政策課題として広く共有するまでにはなかなか至らないのが実情だ。用地取得の難しいことは、自治体担当者の多くが経験的に認識してはいるものの、そうした担当者も基本的には数年で異動するため、政策課題として体系だった議論を継続的に提起する人材も輩出されにくい。 この問題は個人の財産権に関わることから行政も慎重にならざるを得ず、積極的に取り組む政治家も少ない。 情報基盤が整っていないために精度の高い基礎情報も少なく、制度見直しの根拠となる不利益の定量化や分析も容易ではない。所有者不明化問題の根本にある制度的要因や経済的損失、さらに対策を講じないことによる負の効果などに関して、全国レベルでの詳細な検証はほとんど行われてきていないといえよう。 さらに、国民の側から見ると、この問題は解決に要するコストが大きい一方で、問題解消によって得られる便益を短期的に実感しづらいという難しさがある。問題が目にみえづらく突発的な事件が起きることも少ないため、マスコミの記事にもなりづらい。 こうした意味で、土地の所有者不明化問題は、さまざまな主体の間の隙間に落ちた「盲点」のような課題だといえる。農地集約化、耕作放棄地対策、林業再生、道路などの公共事業、空き家対策、災害復旧事業など、多くの場面で同様の問題が発生していながら、その根底にある土地制度の課題について踏み込んだ議論が十分に行われることのないまま、問題が慢性的に広がってきていたのだ。(iStock) 所有者不明化問題の1つひとつの事象は小さいかもしれない。しかし、この問題が各地で慢性的に発生し堆積していくことで、再開発や災害復旧、耕作放棄地の解消など、地域社会が新たな取り組みに踏み出そうとしたときに大きな足かせとなる。地域の活力をそぐ問題であり、全国で同じようなことが繰り返されていくことで、長期的には国力を損なうおそれがあるといっても過言ではない。 それでは、今後、どのような対策が必要だろうか。地価の下落傾向が続き、「土地は資産」との前提が多くの地域で成り立ちづらくなるなか、土地制度が大きな転換期にあることは明らかだ。具体的な対策は? まずは国と自治体が協力し、地域が抱える土地問題について実態把握を進めることが必要だ。その上で、国土保全の観点から、どのような土地情報基盤が実現可能か、また、どのような関連法整備が必要か、省庁横断で整理していくことが求められる。 短期的な対策としては、まず所有者、自治体双方にとって各種手続きのコストを下げる必要がある。たとえば相続人による相続登記や、自治体による相続財産管理制度の利用にあたり、費用負担を軽減し手続きの促進を支援していくことなどだ。 同時に、相続登記の促進を図りつつも、登記が長年行われず数次にわたって放置されているものについて、一定の手続きを踏まえた上で利用権設定を可能にする方策など、踏み込んだ対策の検討も今後は避けて通れないだろう。 森林については、所有者不明などの問題の広がりを踏まえ、昨年の森林法改正のなかで、市町村が所有者等の情報を林地台帳として整備することが義務付けられた。ただし、この法案に対しては全国市長会から、「都市自治体では、地域住民の多様なニーズに対処するため、絶え間ない行政改革を断行している中、新たな事務を一律に義務付けるような制度改正については、地方の実情を踏まえ十分な検討を行うことが必要である」との申し入れがあった(注1)。人口が減少し、土地需要も相対的に減っていく中で、国土保全の観点から最低限必要な情報を国と地方が連携して効率的に整備していくことが求められる。(iStock) さらに、長期的な対策として必要なのが、所有者不明化の予防策である。具体的には、利用見込みのない土地を所有者が適切に手放せる選択肢を作っていくことが急務だ。本来、個人が維持管理しきれなくなった土地は、できれば共有したり、新たな所有・利用者にわたることが望ましい。だが、現状、そうした選択肢は限られる。地域から人が減るなか、利用見込みや資産価値の低下した土地は、そのまま放置するしかない。「いらない土地の行き場がないんです」とは、ある自治体職員の言葉だ。NPOなど地域の中間組織による土地の寄付受付の仕組みや、自治体による公有化支援策の構築等、土地の新たな所有・利用のあり方について議論を本格化させる必要がある。自治体も動きにくい あわせて、こうした問題について、日頃から人々が学ぶ機会を設けることも重要だ。学校教育では現行の土地制度について学ぶ機会はほとんどない。多くの人々にとって、土地制度や登記手続きの仕組み(煩雑さ)を学ぶ機会は限られ、相続もしくは被災といった「一生に一度」の場面になって初めて直面する人がほとんどであろう。(iStock) ある自治体の担当者は、次のように言う。「この問題は公共課題でありながら個人の権利に関わる部分が大きく、行政が積極的に動きにくい。しかも、その個人の権利を個人が必ずしも理解していない。まさしく、どこから手を付けて良いのか分からない問題だ。」 多くの人々は、ふだん相続登記をしないままの実家の土地が、公共の利益に影響を及ぼすとはあまり意識することはない。自分が相続登記をしないことが、将来、地域や次の世代の土地利用の足かせになるかもしれないと考えることは、決して多くはないだろう。 財産権にも関わる土地制度の見直しは、国民の理解がないことには進まない。土地が個人の財産であるとともに公共性の高い存在であることを、普段から国民が学び、一人ひとりが理解を深めていくことが大切だ。このままでは、この問題は一部の関係者の間では経験的に認識されつつも、一般の人々の認知や理解を十分に得られないまま、先送りが続いてしまうおそれも否定できない。 親族や自らが所有する土地をどう継承していくかは、個人の財産の問題であると同時に、その対処の積み重ねは生産基盤の保全や防災など地域の公共の問題へと繋がっていく。今後、土地を適切に保全し次世代へ引き継いでいくために、どのような仕組みを構築していくべきなのか。土地問題を人口減少社会における1つの課題と位置づけ、制度見直しを進めることが必要だ。(注1):全国市長会「『森林法等の一部を改正する法律案に対する申入れ-林地台帳(仮称)の整備について-』を森山・農林水産大臣に提出(平成28年2月25日)」http://www.mayors.or.jp/p_action/a_mainaction/2016/02/280225daichoseibi-moushiire.phpよしはら・しょうこ 東京財団研究員兼政策プロデューサー。東京外国語大学卒。タイ国立シーナカリンウィロート大学、米レズリー大学大学院などを経て現職。国土資源保全プロジェクトを担当。

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    空き家だらけの日本 成熟社会の宿命とどう向き合うか

    中村宏之(ジャーナリスト) 日本各地で空き家が増え、多くの自治体や地域の関係者が困っているという古くて新しい問題をわかりやすい言葉で解説してくれる本である。『空き家問題 1000万戸の衝撃』(牧野知弘、祥伝社) 以前、筆者(中村)が住んでいた東京郊外の一角にも、朽ち果てる寸前の木造住宅の空き家があった。昼夜を問わず、人が出入りする気配は全くなく、通行人が投げ捨てるゴミが放置され、異臭を放っていた。毎日その場所を歩くたびにいやな思いをしたものだ。近所の人々も迷惑している雰囲気が明白だった。だいぶ長く放置されてからその空き家は解体され、更地に変わった。同じようなことが全国で起こっているのだろうなと素朴に想像していたが、本書を読むと、こうしたケースは実はまだ救われている方だということがわかる。本書に紹介されている様々なケースは、いまこの国が抱えている空き家問題の深刻さを浮き彫りにしている。 次の東京オリンピック・パラリンピックが開かれる2020年には全国の空き家は1000万戸に達し、空き家率は15%になるという。毎年20万戸数ずつ増加しているというから、驚くべき数字である。 著者は問題の本質について、「増え続ける空き家をどう扱うか、始末するかという対策論ではない。日本の構造的な問題に深く関連している」と指摘する。つまり高齢化、人口の減少、住宅の需要と供給というあらゆる課題を巻き込んだ経済の構造問題として対応してゆく必要があるという主張だ。 人口が減り、働き手が減少してゆく時代。人が減れば住む家も多くはいらない。その中で社会インフラとしての住宅は国内では満たされている。いずれ世帯数が減る時代がくることを考えれば、活用されない住宅は増え、その結果、空き家も増えてくる。こうした状況で空き家問題に対応するには、発想の転換や価値観の見直しが不可欠だ。 持っているだけで価値があり、自然に値上がりして資産形成には最良というイメージが強かった家や土地。ごく少数の例外を除いて、もはやそうした時代ではなくなっているのは明らかだ。家を買うことが人生の目標とはなりえず、人生最大の買い物として買った住宅が、最後はお荷物になってしまい、相続すら拒否されかねないのが今の現実だ。自分の親、あるいは配偶者の親のことを考えると決してひとごとではない。寿命が伸び、多くの人が長い人生を生きなければならない時代だからこそ、この問題は深刻なのである。空き家の活用方法はこれだ! 現在の多くの対策が「対症療法」にすぎず、もはやどうにもならないという著者の指摘は大きな警告である。つまり、いまある法律の枠組みでは解決できないのだ。自治体の空き家条例のように撤去のための助成金を出すだけでは解決は進まないし、代執行も難しい。空き家に固定資産税を大きく賦課しようというハードルも高い。「売れない」から流動化できない、「貸せない」から活用できない、「解体」したら税金負担に耐えられない、だから放置される悪循環に陥っているという著者の説明は明快だ。 ではどうすればよいのか。著者は自らの実務経験などから以下のような処方箋を提示する。・市街地再開発手法の応用・シェアハウスへの転用・減築・介護施設への転用・在宅介護と空き家の融合・隣家との合体 などだ。いずれも確かにそうした方法は有効だと思われるものだ。だがその一方で、既存の法律やルールの枠組みで進めてゆくのはなかなか難しい面もあるのではないか、との印象も受ける。(iStock) 空き家であってもそれぞれの家に所有者がおり、所有権があることから、権利を尊重する必要があることは当然だ。だが、必要な場合には、一定の保護や保証を与えつつ、ある程度の私権の制限を行って、大胆な都市計画などを行うことが必要という著者の考え方には大いに賛同できる。 時代の変化によって、都市計画などに求められる社会のニーズも変化する。人口が減り、生産年齢が減り、家が余り、空き家が増えるというのは、戦後の日本が経験したことのない新しい局面だともいえる。成熟社会の宿命ともいえる方向にいま社会は確実に動いている。固定観念にとらわれず、柔軟な発想をするにはどんな覚悟が必要なのか。「空き家問題」という切り口を通じて日本が直面している喫緊の課題を再認識させてくれる一冊である。なかむら・ひろゆき 1967年生まれ。91年、慶應義塾大学経済学部卒、読売新聞東京本社入社。ロンドン特派員、米ハーバード大学国際問題研究所研究員、経済部デスク、調査研究本部主任研究員などを経て2017年4月より読売新聞東京本社メディア局編集部次長。『御社の寿命』、『世界を切り拓くビジネス・ローヤー』、(いずれも中央公論新社)など

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    今すぐ始めるべき「実家の整理」失敗しない5つの鉄則

    965年、神奈川県生まれ。銀行、出版社などを経て、2016年より〔一社〕実家片づけ整理協会代表理事。少子高齢化社会に特化した「実家片づけアドバイザー」育成講座や、親子で取り組む生前整理、空き家問題、物とお金の整理術、遺品整理などの講座を開講し、講師育成、出張片づけサービスなどを展開中。著書に『カツオが磯野家を片づける日』(SB新書)、『プロが教える実家の片づけ』(ダイヤモンド社)など。関連記事■ 「収納破産」を解消すれば、仕事も人生も一気に好転する!■ 情報は分類しない!進化した「超」整理法■ 自分の頭の中を可視化する「本棚の整理術」

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    なぜ「身寄りのない土地」が今増え続けているのか

    のは生まれ育った思い入れのある土地であっても難しくなっているのでしょう。(iStock) これからは少子高齢化に伴い、人口が減少していくにつれ、土地の需要が徐々になくなってくるのではないでしょうか。不動産は都会の条件のいい土地でない限り「資産」として成り立たず、多くが負担ばかりかかる「負債」になっているのです。 朽ち果てた家や何年も耕作を放棄している土地が、多くの過疎地域でよく見られる光景となる一方、都市部の近郊では新築アパートや建売住宅が次々と建てられています。住宅メーカーは、空き家の問題などはお構いなしに利益追求に走り、それを購入する人の税金を免除するといった国の方針は全く変化が見られません。また、相続した空き家を売るために作られた税金の優遇措置は要件が厳しく、なかなか手が付けられないといった状況です。 これからも資産価値のない「いらない」土地が増えることは間違いなさそうです。最近、困ったときに誰も頼る親類がいない高齢者が多いですが、このような「身寄りのない土地」の処分もさらに問題化してくるのではないでしょうか。 これからの将来、土地の法制度を変えていくことが急務となるでしょう。【参考文献】■タダで簿記の指導をしてもらえる!税務署の無料記帳指導を知っていますか?(浅野千晴 税理士)■ふるさと納税にもはやお得感なし?総務省の要請でブーム終息となるか。(浅野千晴 税理士)■世界のシンデレラストーリーは変わった。それは自分の力で起業することである。(浅野千晴 税理士)■年収1000万円超えの会社員は「税金」で貧乏になる。(浅野千晴 税理士)■相続税や消費税対策が将来の空き家問題を加速させる(浅野千晴 税理士)

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    「大介護時代」の到来にふさわしい処方箋はあるか

    津止正敏(立命館大産業社会学部教授) 「冷遇・衰弱・不衛生」「長寿嘆く20万人寝たきり老人」-これは日本で初めての介護実態調査(全国社会福祉協議会主催)の結果を報じた1968年9月14日の全国紙朝刊記事の見出しだ。日本初の調査報告、いまであれば1面トップを飾ってもおかしくないビッグニュースかもしれないが、当時は社会面で人気の4コマ漫画の下にたった3段組の記事として扱われた。(iStock) 当時の介護問題に対する社会の関心度合いはこのようなものだったのだろう。「介護は家族がするもの」ということを誰もが当然のように受け入れて、そのことを疑う余地すらなかった時代だ。特別養護老人ホームは身寄りがない低所得の高齢者を対象として、全国にわずか4500床しかなかった。介護者は、子供の配偶者(ほとんどが嫁)が49%超とほぼ半数を占め、次が配偶者(大部分が妻)で26%、3番目が娘で14%と、9割以上が婦人の肩にかかっている、と報じられた。この時代、介護する人は「若くて体力もあり、家事も介護も難なくこなし、介護に専念する時間も十分にあって、何より家族の介護を担うことを自然と受け入れている」というような同居女性、とりわけ専業主婦をモデル化したものだった。 あれからほぼ半世紀が経過し、介護の世界は激変した。前述した「嫁・妻・娘」という介護者モデルの劇的な変容がその最たるものだ。今年6月に公表された「国民生活基礎調査」を見て、つくづくそう思う。この調査は毎年実施されている恒例のものだが、3年ごとに介護の項目の入った大規模調査を行っており、今回のものがそれにあたる。 主な介護者をみると、要介護者との「同居」は6割を切った(58・7%)。「別居」して通いながら介護する家族は12・2%で、「事業者」「不明」というのもそれぞれ13・0%、15・2%となっている。在宅の介護実態はますます複雑化しているようだ。「同居」の主な介護者の、要介護者との続柄をみると、「配偶者」が25・2%で最も多く、次いで「子」が21・8%。「子の配偶者」は1割を切って9・7%となっている。また、「同居」の主な介護者を性別にみると、女性が66・0%だが、男性も34・0%と文字通り主な介護者の3人に1人を占めるようになった。 「老老介護」の実態が一段と進んだというのも今回の調査結果で明らかになった。介護する人もされる人も「65歳以上」という世帯が半数を超え(54・7%)、ともに後期高齢者である「75歳以上」という世帯も30%を超えた(30・2%)。「60歳以上」同士に至ってはなんと7割を超えている(70・3%)。もう在宅での介護実態は「老老介護」そのものであるといっていい。さらに、夫婦間での介護となればこの実態はより先鋭化している。これまでのカタチを激変させる老老介護 調査概要には夫婦間での介護する人とされる人の年齢階層を組み合わせたデータは掲載されていないが、介護する夫の83・1%は60歳以上、75歳以上も半数(50・2%)を超えている。また、被介護者のほうはさらに高齢化が進み、65歳以上は89・2%、75歳以上が62・9%に達していることからしても、事態の深刻さは容易に把握することができよう。「老老介護」はもはや一過性のもではなく、さらに加速するように思われる。「人生90年時代」が現実化し、加えて少子化や非婚化の進展によって、家族形態が大きく変容しているからだ。いまや介護は夫婦間が主流となり、その後、ひとりになった親を高齢期に達した息子や娘らが介護するという関係が一般化する。 「老老介護」はこれまでの介護のカタチを激変させる。「家ではコーヒー一杯入れたことがなかった」男性が、介護どころか炊事・洗濯・掃除・買い物など生活全般の困難を抱えながらの介護を始める。これまで何も問題なくこなしてきたに違いない女性の介護者も、年々の体力劣化によって家事にも支障が出てくる。自らも要支援・要介護認定を受けながら、ヘルパーやデイサービス等の介護サービスを利用しつつ介護の役割を引き受けている高齢者も何ら珍しくなくなっている。 こうした「ながら」の介護は「老老介護」に限らない。先述した半世紀前の介護者の専業主婦モデルでは、家族の介護が始まれば介護に専念すると想定されてきたが、それはもう過去の話である。いまあるのは、働きながら、子育てしながら、通いながら、体調不調を抱えながら、就活・婚活しながら、介護する配偶者や子供たちだ。岩手県奥州市で開かれたダブルケアサロンの参加者=2016年8月 では、働きながら介護する人はどれぐらいいるのか。直近の就業構造基本調査(平成24年)という総務省のデータでは291万人。介護者総数(557万人)の半数を超えている。60歳未満という生産年齢層の介護者の中で、働いている人は男性で8割を超え、女性でも6割を超えている。育児と介護を担う「ダブルケアラー」は25万人(男性8万人、女性17万人)ということを内閣府が明らかにしている。 「認知症に克つ」(週刊エコノミスト)「認知症の常識が変わった」(文藝春秋)「家族の介護」(週刊ダイヤモンド)-総合誌でも経済誌でも介護の大特集だ。報道からドラマ、バラエティーまで介護がメディアを席巻し、また時の政権が「介護離職ゼロ」(2015年)を成長戦略の三本の矢の一つに挙げるなど世間を驚かせたが、介護問題をめぐっての上記の状況からすれば何ら不思議でもないように思える。 フランスの著名な歴史人口学者、エマニュエル・トッドは急速に進むわが国の人口減少と人口の老化をあの「幕末の黒船以上の脅威」だと警鐘を鳴らしているが、介護もまた同様にこの時代を象徴する社会問題に違いない。その対処を誤れば社会の崩壊を招くだけである。まさしく「大介護時代」の到来である。 「大介護時代」にふさわしい処方箋こそ、私たちに課せられた重い課題だ。その処方箋のひとつとして、家族介護者への支援とそのための根拠法の制定を挙げたい。現行の介護保険制度は、介護が必要な高齢者への直接的な支援にとどまっており、家族介護者は介護の資源とはみなされても支援対象とはなっていない。介護者の事前評価(アセスメント)や支援プログラムの開発によって、介護する人、される人がともに安心して暮らせる環境づくりが何より急務である。私が代表理事を務める日本ケアラー連盟は、この不可視化されてきた「家族介護者支援」という政策課題を「介護者(ケアラー)支援の推進に関する法案(仮称)」という形にまとめて具体的な政策提言を行ってきた。立法府や行政機関での議論が進み、無理なく介護を続けられる環境が整うことを念願している。

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    大山のぶ代さん「認知症介護」が教えてくれた3つのリスク

    古川雅子(ジャーナリスト) 「妻より先に死ぬわけにはいかない」。そう言い続けていた、俳優の砂川啓介さんが7月11日、入院先の病院で天国に旅立った。80歳だった。 妻はアニメ「ドラえもん」でドラえもんの声などを務めた女優の大山のぶ代さん。砂川さんは妻の認知症を公表し、献身的に介護を続けてきた。2008年に大山さんが脳梗塞で倒れてから10年弱。さらには12年秋、アルツハイマー型認知症と診断されてから5年。自宅介護で重ねてきた時間は、実に長い。大山のぶ代、砂川啓介さん夫妻(2007年6月撮影) 6月に厚労省が発表した国民生活基礎調査によれば、介護をする人とされる人が同居する世帯のうち、介護を受ける側も担う側もともに65歳以上の「老老介護」世帯の割合が過去最高の54%に達した。75歳以上同士の「超老老介護」世帯も30・2%と、初めて3割を超えた。砂川さんと大山さん夫婦は、まさにこの「超老老介護」世帯であった。 介護をする側である砂川さん自身も、13年には胃がんの摘出手術を受け、その他にも帯状疱疹(ほうしん)、肺気腫とさまざまな病気を患っていた。介護によるストレスも関係があると、医師からは指摘されていたという。70歳を超えてからの砂川さんは、自らの老いを突きつけられながらも妻の介護に明け暮れる日々だった。だからこそ、砂川さんは「老老介護」を自認していた。自著の『娘になった妻へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』には、こんな記述がある。〈介護をする側の僕の体調だって万全じゃない。それなのに、介護をする側は、「頑張らなきゃ」「自分がなんとかしなきゃ」と、背負いこんでしまう〉 マスコミは、昨年4月に砂川さんに尿管がんが発覚して共倒れにならぬよう妻を介護施設に入居させたことを「おしどり夫婦を襲った老老介護の悲劇」として伝えていた。80近い齢(よわい)を重ねた男性が愛妻のために自宅介護を続けてきた「美談」と、介護する側が先に倒れるかもしれぬ「悲劇」の予感とが合わさり、そこに「老老介護」というわかりやすいラベルを貼ってニュースが大量生産されて…。そんな構図が垣間見えた。3つの「置き忘れの視点」 しかし、それだけでは「老老介護」の本質は見えてこない。私は一連の砂川・大山夫婦をめぐるマスコミ報道では、3つの「置き忘れの視点」があったと考える。 1つ目は、介護を担っていた側が相手をみとった後の「孤立のリスク」だ。老老介護とはいえ、少なくとも介護を担う側は健常であり、介護される側が遺(のこ)されるよりは何とかなるという思い込みがある。しかし、当初の砂川さんがそうであったように、他人を家に入れて介護サービスを受けるのが苦手、SOSを出すのも苦手な世代でもある。在宅介護を長年続け、まわりとの交流が途絶えた介護世帯が最も陥りやすいのは、孤立である。(iStock) 砂川さんの介護体験で最も学ぶべきだと私が感じたのは、自宅で介護を続けた美談よりもむしろ、妻の認知症を公表し、徐々に人に頼るということを受け入れていった「開く介護」にシフトしていった切り替えスイッチの見事さだった。著名人ゆえに当初は認知症を公表することにも躊躇(ちゅうちょ)していた砂川さんだが、公表してから途絶えていた友人との交流が戻り、支え手は自分だけでないことを知った。それまでは、〈一日中二人きりで家にいると、日によっては、どうしてもいら立ちを抑えられないことがある〉(『娘になった妻へ』より)という状態だったのが、公表してからは激励の電話、砂川さんが好きだった焼酎「百年の孤独」の差し入れ、電話をかけてきた友人などアクセスがどっと増えたという。砂川さんはそれから介護をするにも余裕が生まれ、〈一番変化したのは僕自身〉と著書にも記している。マネジャーや身の回りの世話をするお手伝いの女性にも頼ることが増えていった過程もしっかりと記録していた。仮に、砂川さんが介護をやり遂げ、妻を見送った側になったとしても、おそらくつないできたネットワークの力により孤立を回避しながら喪の時を過ごすことができただろうと想像する。 2つ目は、介護されていた側が遺された場合、その介護を引き継ぐ人との新たな介護関係が孕(はら)むリスクだ。砂川・大山夫婦には、死産など悲しい歴史があり残念ながら子供がいなかったわけだが、核家族で遠方に子供がいる夫婦の場合、老老介護で持ちこたえていた夫(妻)の一方がいなくなり、取り残された「介護をされる側」の引き取り先が子の世帯ということもある。子の側は親と暮らすこと自体に慣れておらず、介護にも不慣れ。その上、晩婚化でまだまだ子育て中というケースもある。介護と子育てとの板挟みで悩む、いわゆる「ダブルケア」状態である。連れ合いの衰えを見抜くのは難しい いきなりダブルケアに突入して混乱する現役世代側のリスクを回避するためには、遠距離で多少コストがかかったとしても、普段からなるべく親元に通って親とのコミュニケーションを増やし、親の生活習慣に目を向ける。他の支え手になりそうな親の交友関係を把握しておく。いずれ親を引き取ることも想定して脳内でシミュレーションをしておく。そんな準備期間を過ごしてきたかどうかが、いざというときに対処できるかどうかの分かれ目になるだろう。 老老介護における3つ目の置き忘れの視点は、本来は介護や手だてが必要なのにそれがなされていないという「見逃しのリスク」だ。老老介護といっても、砂川さんは身体がヨロヨロしてからも、人の手を借りてでも大山さんをしっかりフォローしていた。それは妻が認知症を発症しているという事実を認識していたからこそ。だが、夫婦の一方が認知症などで明らかに判断力が低下していたとして、見張り役の側がその異変に気づいていなかったらどうだろうか。 私が取材した40代の男性は老齢の親夫婦が九州で暮らしていた。現役世代の「子」である男性は東京で所帯を持ち働いている。久しぶりに親元に帰ったとき、80代の父親の運転する車に同乗して「これは危険だ」とそこで初めて親の老いに直面し、時間をかけて運転をやめさせるよう説得したという。一緒に暮らしている母親では日々の暮らしの延長線上にあるため、連れ合いの衰えを見抜くのは難しいのだと感じたという。 砂川さんのように、長年連れ添い自宅介護に難儀する「老老」の側面は確かに悲劇かもしれないが、家族の誰かがいきなり事故を引き起こして「老老」の現実を突きつけられるなら、惨劇である。それではあまりにも遅すぎる。(iStock) 「老老介護」の真の課題は、連れ添う夫婦の美談や介護地獄という悲劇性に涙するところで立ち止まっていては見えてこない。いかに目を背けずに、齢を重ねた者同士が支え合う世帯ならではの孤立、疎遠、無関心といった現実に向き合えるか。事前に対処できるか。それこそが「超老老介護」時代を迎える私たちが忘れてはならない大事な視点なのだと思う。

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    老老介護は「セカンドハネムーン」という考え方

    小山朝子(介護ジャーナリスト、介護福祉士) 老老介護とは一般に65歳以上の高齢者が65歳以上の高齢者を介護することを指す。しかし、私が在宅介護の現場で遭遇する高齢者は75歳以上の後期高齢者が多いようだ。 75歳を過ぎると人は介護が必要になる割合が高くなる。厚生労働省の「介護保険事業状況報告」(2012年度)によると、65歳から74歳で「要支援・要介護」の認定を受けた人は4・4%であるのに対し、75歳以上の「後期高齢者」では31・4%だった。ちなみに、日本老年学会などは今年1月、現在は65歳以上と定義されている高齢者を75歳以上に見直すことを求める提言を発表した。画像と本文は関係ありません ところで、老老介護のなかでも、特に深刻なのが認知症の人が認知症の人を介護する「認認介護」である。公益社団法人「認知症の人と家族の会」のホームページには、80歳前後の認知症高齢者はおよそ20%であることから、80歳前後の夫婦ではおよそ11組に1組が認認介護となる可能性があると記されている。 ある番組で老老介護について取り上げることになり、この番組のスタッフに私が認認介護の事例について紹介したところ、「ニンニンって響きだけを聞くと、かわいい感じなんっすけどね」と話していたが、現場は深刻な状況である。 認知症の妻を介護する認知症の夫が妻を受診させようと病院に同行するが、夫が院内で迷ってしまい、結果的に受診できずに帰ってきたという話も現場では耳にする。一方、認知症の場合、夏なのに冬服を着込んだり、クーラーをつけずに高温の部屋でじっとしているといった事態が起きる。高齢になると体温の調節機能が落ちて暑さを自覚しづらくなるが、そこに認知症の症状のひとつである「見当識障害」(時間や月日、季節感が薄れる症状がある)が加わり、熱中症になるリスクが高まる。  認認介護のお宅を訪問しているあるヘルパーは「冷蔵庫には賞味期限を過ぎた食品でいっぱいになっている。こちらが勝手に処分することもできないですし…」と話していたが、このように第三者が介入しているケースは事件に繋がりにくいこともあり「救われているケース」だといえよう。問題なのは、第三者が介入していない場合である。 私は介護分野を専門とするジャーナリストとして長年にわたり現場の取材を続けてきた。その間執筆した記事のなかで印象深い事件のひとつが2005年に埼玉県富士見市で発覚した「リフォーム詐欺事件」である。 この事件の被害者は当時80歳と78歳だった姉妹である。事件に関わった市の消費生活相談員の話では、「姉妹はともに認知症だった。寡黙な妹と社交的な姉、ともに10分前のことは忘れてしまうレベルだった」という。  この事件に関わった悪質リフォーム業者と姉妹との間で交わされた契約書によると、事件が発覚するまでの4年間で姉妹宅のリフォーム工事に関わった業者は19社あり、姉妹が請求された金額は約4800万円(2005年7月までの判明分)に上った。姉妹は被害に遭った事実も把握できず、近隣の住民が気づいて市に相談しなければ、この事件は明らかにはならなかった。 姉妹が介護保険の申請を行い、介護保険のサービスを手配・調整する介護支援専門員(ケアマネジャー)やヘルパーなどの介護スタッフが出入りすれば、もっと早く事件が表面化し、被害総額もここまで膨らむことはなかったのではないだろうか。老老介護の家で見た驚きの光景 介護保険制度はその人のレベルに応じた介護サービスが受けられるが、自ら申請しないと受けられない。申請は家族も代行することはできるが、介護する側も認知症である場合、介護保険制度の内容を理解し、介護保険の申請窓口である「地域包括支援センター」や自治体の介護保険課などに足を運ぶことは容易いことではない。 各自治体において、未だ認認介護の実態把握が未整備で、その対策が後手後手となっている状況では、上記のような事件が後を絶たないだろう。他方、こんな老老介護もある。 10年ほど前だったか、私は海辺からほど近い神奈川県内のあるお宅を訪問した。老老介護で夫婦ともに生活の一部に介護が必要であった。この夫婦の家の近くにある事業所の管理者であるベテラン女性ケアマネジャーがこまめに足を運んで2人の見守りをしていた。ケアマネジャーとともに2人の住まいにうかがう前、私は2人がどんな生活をしているのかを想像して陰鬱な気分でいた。 しかし、お宅に到着すると、そこには目を疑うような光景があった。足の踏み場もないような部屋のなかで、夫婦はカセットプレーヤーにマイクが付いたカラオケ機器を使い、戦後の歌謡曲を楽しそうに歌っていたのである。老夫婦に促され、ベテラン女性ケアマネジャーも汗を拭きながら懸命に歌っていた姿が目に焼きついている。画像と本文は関係ありません このケアマネジャーのような「キーパーソン」が近くにいることで、老老介護であっても穏やかに暮らしているケースもあるのだなと感じた。この先、2人の生活が成り立たなくなったとしても、キーパーソンがいれば、施設に入居するなどの解決策を提示してもらうこともできるだろう。 同居は無理だという子供でも「つかず離れずの距離」で親を見守ることで、「老親の2人が共倒れ」になるような事態を防いだ例もある。ちなみに、私は今年『なぜ介護殺人は起きるのか』という本を監修したが、この本にも親子の適度な「距離感」は大切だと書いている。 上記の事例のほかにも、80代前半の夫が末期がん、70代後半の妻が認知症というケースがあった。年齢と病状を聞くと大変そうに思えるかもしれないが、お互いが不自由なところを補い合って生活していた。この夫妻の場合、がんの夫はベッドから離れることは難しかったが、認知症でも手足に不自由はない妻に必要な指示を出すことで日常生活は機能していた。 また、芥川賞の選考委員などを務めた作家、大庭みな子さんの介護を続けてきた夫の利雄さんの日記には「介護はセカンドハネムーン」だと記されていたという。1+1=2にはならなくても、0・5+0・5=1で良しとして「今日一日が無事に終わった」ことに安堵する老老介護の日常。そこには2人だけが共有するスローな時間が流れている。マスコミがあまり報じない「穏やかな老老介護」があることも最後に書き添えておきたい。

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    「老老介護」を切り捨てる国、ニッポンの悪夢

    中村淳彦(ノンフィクションライター) 日本は約4人に1人が65歳以上の高齢者であり、2035年には3人に1人になると推測されている。超高齢社会に激増する介護対策として2000年に介護保険制度が始まり、シニアビジネスへの注目が高まるようになって久しい。しかし、「介護」に焦点を当てると、どうもこれからの超高齢社会はお先真っ暗である。 介護保険制度をきっかけに、民間の力を借りて明るい超高齢社会を目指したが、それをあざ笑うかのように、また介護施設で大事件が起こった。岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」では、7月末から8月中旬のわずか半月で、入居する高齢者3人が相次いで死亡、2人がけがをして入院する事態となった。岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」= 8月18日 亡くなった高齢者3人の死因は、のどに食べ物を詰まらせる窒息死のほか、自室で頭を打ったことによる脳挫傷と頭蓋骨骨折、肋骨(ろっこつ)骨折で折れた骨が刺さり肺に血がたまる外傷性血気胸だった。事故か殺人か判然としない中、警察の捜査が続いている。 およそ半月の間で5人もの死傷者が出たのは異常な事態だが、筆者周辺の介護関係者や介護の現状に詳しい人たちは、こうした凄惨(せいさん)な事態に驚いていない。多くは「これから、こんなことばかりだろうね。高齢者はどんどん殺されるよ」と、もはや投げやりだ。 他にも、2014年に東京都北区の高齢者向け賃貸住宅で起きた入居者の80%が身体拘束される虐待事件、2015年の川崎老人ホーム連続転落死事件、さらに2016年の相模原障害者殺傷事件と、介護施設で世間を揺るがせる事件が相次いで起こり、老老介護の末に夫や妻を殺害する悲痛な事件も後を絶たない。 こうした事態の背景にあるのは、現在の介護現場で起きている異常な人手不足だ。無条件に人材採用するため、続々と専門性がない人が介護現場に投入されるといった「質の低下」を招き、それがさまざまな事件や事故の根底にあると言わざるを得ない。介護職は失業者のセーフティーネットに 本来、介護現場の人材不足は慢性的だったが、「募集をしても誰も来ない」という厳しい状況になったのは、第2次安倍内閣の発足以降だ。求人倍率が上昇して求職者が仕事を選択できるようになり、介護職の希望者は激減した。さらに2000年後半の世界不況以降、国の失業者対策で介護は雇用政策に利用されるようになり、介護福祉士の専門学校は入学定員の半分を割るという絶望的な状態になった。多くの報道陣が集まる「津久井やまゆり園」=2016年7月27日、相模原市(古厩正樹撮影) いわば介護は専門職ではなく、失業者のセーフティーネットという状況が続いている。実際、多くの介護施設では介護の「か」の字も知らない人物が介護職としてサービス提供する現実があり、本来は高齢者の命を預かる仕事だったはずだが、職員の質の低下は底なしとなっている。今回のように死をともなう事故、事件が起こることは、もはや関係者の多くが予想していた事態だった。 介護業界としては数々の凄惨(せいさん)な事故、事件に対する改善はなにもされていない。改善どころか、外国人技能実習制度で外国人介護職の大量受け入れることが決まり、刑務所出所者への就労支援で介護を重点分野にする事業が行われるなど、混乱にくさびを打つような人材確保の対策が、続々と繰り広げられている。 多くの事件や事故が象徴しているように、介護人材の質の低下は目を覆うレベルで、明らかに限界まで達している。そんな深刻な状況下で、地域では介護が必要な高齢者を65歳以上が介護する「老老介護」が拡大しているのだ。 総務省国民生活調査(2013年)によると、自宅で暮らす要介護者と主な介護者が65歳以上の世帯の割合は51.2%、介護者と要介護者が75歳以上「超老老介護」の世帯の割合は29%と、在宅介護者の半数以上が老老介護だ。65歳以上の介護者が夫や妻、親の介護をする老老介護は、介護者自身の体力が低下する中で体力的、精神的な負担は大きい。 介護者は自宅に閉じこもりがちとなり、大きなストレスを抱える。要介護者が認知症ならば徘徊(はいかい)などの問題行動が次々と起こり、介護者はどんなに疲れていようと常に目が離せない。要介護認定の理由で、最も多いのは認知症だ。介護者のストレスが大きく、ストレスや加齢から介護者自身も認知症になってしまったりする。要介護者、介護者の両者が認知症を患う認認介護は、現在大きな問題となっている。介護保険制度がどんどん悪くなる 老老介護を超えた認認介護だけでなく、認知症高齢者の単身暮らしも難しい。自立した普通の生活は、まず送れない。見守る人が必要であり、第三者がいち早く気づき、介護保険制度や地域の社会資源につなげ、誰かに助けてもらいながらなんとか生活していくしかない。しかし、苦しむ高齢者や家族にとって、最後のセーフティーネットといえる介護保険制度も、2015年4月からせきを切ったように制度改悪が進行している。 そもそも介護保険制度は3年に1度、改正される。「改悪」の例を挙げていくと、2015年の見直しで、利用者の自己負担金額が一律1割だったものが、一定以上の所得者に関しては2割に引き上げられた。高齢者が支払う金額は一瞬で2倍となった。月の自己負担金額の上限を定める「高額介護サービス費」も3万7200円から4万4400円に引き上げられ、地域のセーフティーネットとして機能する特養老人ホームには、要介護3以上の重症者しか入居できなくなった。 そして、軽度高齢者の切り捨てを目的とした自治体による地域総合事業も始まっている。地域総合事業は要支援1、2という軽度高齢者を制度から切り離し、自治体がそれぞれ支援するという社会保障費削減を目的にした苦しい施策である。 また、来年度の改正では、要介護者の介護度を改善させた自治体に財政支援する財政インセンティブの導入が決まっている。要介護高齢者が少ないほど評価される驚きの内容で、来年度からは要介護認定が厳格になる。地域によっては必要な要介護認定がされなくなり、介護保険制度は圧倒的に使いにくくなる。介護保険制度スタート。特別養護老人ホーム「デイサービス」でヘルパーらと談笑しながら食事をとるお年寄り=2000年4月1日 さらに現役世代並みの収入がある利用者の自己負担は、2割から3割にアップする。介護事業者に支払われる介護報酬も、業種によっては大幅に下がる。説明した通り、介護現場は圧倒的な負の連鎖の渦中、本格崩壊の瀬戸際にあるが、絶対に必要と現場から声が上がり続ける介護職の処遇改善どころか、さらに賃金は低下して人材獲得は困難になり、離職に拍車がかかる。異常な人手不足の中で、賃金が下がるという前代未聞の事態となるのだ。 財政難の国は、見境なく本格的な介護保険制度縮小にかじを切っている。介護保険制度はまだまだ改正を繰り返し、最終的には要介護1、2まで制度から切り離し、自己負担は収入に関係なく一律3割、現役世代の負担はさらに上昇して、高額介護サービス費もまだまだ上がるといわれている。制度から切り捨てられた高齢者の行く末 そして介護で最も手がかかるのは、実は徘徊する層だ。要介護1、2の歩行ができる認知症高齢者である。これまで続いた1割負担の時代は、軽度認知症高齢者は介護者と在宅で過ごしながらデイサービス、ショートステイなどを併用し、なんとか介護者の負担を低減しながら乗り切ってきた。 しかし、利用料を2倍、3倍と跳ね上がらせることによって、多くの中間層の高齢者は介護サービスを使えなくなる。高額な介護保険を使うのは富裕層、もしくは自己負担を公費で賄ってくれる生活保護者が中心となる。老老介護、認認介護に苦しむ多くの世帯は、高額な介護保険を使えない。制度改悪によって、必然的に老老介護、認認介護の世帯は激増することになる。 では、こうした老老介護、認認介護世帯が制度から切り捨てられることで、なにが起こるのか。入居者を介護する職員=8月29日、東京都(納冨康撮影) 認知症高齢者は住み慣れた地域でも、自宅から1歩外に出れば、道がわからない。自宅に戻ることができない。自宅を探して徘徊し、青信号、赤信号の判断もできない。赤信号を平気で渡る。主要道路の赤信号を横断したら、普通に車にひかれるだろう。 また、沿線の線路をひたすら歩くことも考えられる。都市部には踏切のある沿線が多く、認知症高齢者が自宅を求めて線路内を歩く風景が日常になれば、鉄道事故も増える可能性がある。 歩行だけでなく、認知症高齢者には、車で徘徊する人もいる。免許を返納させても、そんなことは覚えていない。信号無視の暴走、高速道路の逆走、アクセルとブレーキを踏み間違えることが相次ぐようになる。子供の集団登校に車が突っ込むような悪夢も、頻繁に起きかねない。 まして認認介護になれば、夫や妻が徘徊していなくなっても近隣に助けを求められないし、警察に通報ができない。自宅からいなくなっても、多くは捜索願すら出ない。高齢者は体が弱いだけに、地域や季節によっては、一晩で凍え死ぬことも起こりうる。 ゆえに、現在着々と進む介護制度の縮小、いわば利用料を上昇させて高齢者になるべく制度を使わせないようにする改悪は、すぐに国民全員に跳ね返ってくるおそろしいことなのだ。

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    「老老介護」とどう向き合う

    厚生労働省によると、介護が必要な65歳以上の高齢者を65歳以上の人が介護する「老老介護」の世帯の割合が過去最高の54・7%に達した。核家族化と超高齢社会が進行し、「大介護時代」に突入したニッポン。私たちはこの現実とどう向き合うべきか。