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    「国民連合政府」構想は共産党による巧みな野党間の競争戦略

    です。それと、もうひとつは、候補者を立てる余裕がなくなってきたのではないかという疑いです。 共産党は政党交付金を受けていません。それでもやってこれたのは「しんぶん赤旗」が党を支える大きな資金源となってきたからです。しかし、「しんぶん赤旗」はウィキペディアによると、日刊紙の部数は過去10年で約36万部から約24万部に減少し、月2億円の赤字となっているとか。それでは台所が回りません。もし窮して政党交付金を受ければ、これまでの主張への厳しい批判が殺到します。 おなじくウィキペディアによると、かつては40万人を超えていた党員も、今ではおよそ25万人程度にまで減ってしまったおり、衰退に歯止めがかかっていないようです。党費も、赤旗からの収入も減少するなかで候補者をすべての選挙区でなにがなんでも立てるというのは厳しいのではないでしょうか。 どうせ当選しない候補者を無理に立てずとも、自民党であっても、民主党であっても、共闘することによって共産党の存在感をアピールすることも、恩を売ることもでき、党の退潮傾向に歯止めがかかるという計算が働いているのではないかと思いたくもなります。 大阪のダブル選挙では、表面上はさすがに今回は自民党との共闘は掲げていないようですが、候補者を立てなかったことは、実質は「国民連合政府」構想ならぬ、「府市民連合地方政府」構想そのものです。しかし、大阪は、もしかすると、自民党と共産党で、「革新」も「保守」ももはや何の意味もなく、選挙戦のためのキャッチフレーズのひとつにすぎないことを見せてくれている政治先進地帯なのかもしれません。(「大西宏のマーケティング・エッセンス」より2015年10月19日分を転載)

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    共産党変身の仕掛け人? 小沢一郎氏が野党共闘のキーマンに

    とされる。「野党がバラバラで選挙を戦っても自民党には勝てない」が持論の小沢氏は、衆参わずか5人のミニ政党(生活の党と山本太郎となかまたち)の共同代表で「もはや小沢の時代ではない」(自民党ベテラン)と見られながら、再び野党共闘のキーマンに浮上した。関連記事■ 渡辺喜美氏 民主は自民との連立失敗し分裂する可能性指摘■ 自民党幹部「小沢氏無罪で党資金200億円握れば選挙大惨敗」■ 小沢一郎氏 非自民勢力の結集を最後の仕事と考えているか■ 総選挙 票が取れなくても自民圧勝の反民主主義的な結果予想■ 進次郎vs細野で次世代対立軸示せれば旧世代安倍氏の政治終焉

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    「SEALDs」の限界は今の日本のリベラルの限界

    小谷哲男(日本国際問題研究所 主任研究員) 戦後70年の節目の年が終わろうとしている。2015年は、安倍政権の歴史認識と平和安全保障法制に国内外の注目が集まった。歴史認識問題は、8月の安倍総理談話が中韓など一部を除いて国外で歓迎され、国内でも大きな反発はみられず、一応の決着がついた。総理談話の線に沿って、韓国との間で長年の懸案だった慰安婦問題についても、進展があった。一方、平和安保法制は国際社会からは概ね歓迎されているが、国民の多くの理解を得られたとはいえないのが実情だ。 平和安保法制への国民の理解が深まらなかったのは、野党の非建設的な批判が影響した。法案の審議が始まった当初、野党は攻め手を欠き、法案の中身よりも、重箱の隅をつつくような質問が相次いだ。ところが、衆院の憲法調査会で3人の憲法学者が同法案について「違憲」と意見表明すると、野党はこれに便乗し、「違憲な」法案の破棄を求めるようになった。加えて、戦後70年という節目に多くの国民が戦争の悲惨さや不戦の誓いを新たにする中、野党やリベラル系メディアがこれを「戦争法案」と呼び、国民の不安を煽った。2015年夏、安保法制に反対する市民の反対運動が各地で起きた(Getty Images)かつてはあった建設的な議論が失われた日本 特に民主党の対応は無責任だった。民主党政権時代でも、集団的自衛権の行使と集団安全保障への参加の拡大は検討されていた。にもかかわらず、岡田・枝野執行部は対案をとりまとめることを放棄し、代わりに「反対のための反対」という道を選んだ。民主党の中でも、長島昭久議員などから建設的な対案を求める声も上がったが、執行部にかき消された。結果として、民主党は支持を伸ばすこともなく、国民の信頼を失い、解党の一歩手前に自らを追い込んだ。 維新の党は集団的自衛権の行使にも前向きだったため、安保法制に当たって自民党と協力できる余地もあった。だが、内部抗争を抱えた維新の党がまとめた対案は、集団的自衛権の行使を個別的自衛権の拡大で行うというものであり、また海上交通への脅威に対しては自衛権の発動は行わないという非現実的なものだった。集団的自衛権の行使を個別的自衛権の拡大とするのは、そもそも国連憲章違反になる。また、日本は貿易立国であり、第二次世界大戦の敗戦も通商破壊と海上封鎖によってもたらされたことを考えれば、海上交通の保護は最重要課題の1つだ。維新の党が現実的な対案を出せなかったため、結果として安保法制に関して公明党の影響力が増すことになった。 有識者や市民団体、著名人も、法案の中身を理解しないまま、反対運動を繰り広げた。特に、SNSを利用し、全国でデモを繰り広げた学生団体「SEALDs」に注目が集まった。野党やリベラルな知識人は安保闘争の再現を狙ってか「SEALDs」を持ち上げたが、デモでは「安倍を叩き切る」など過激な主張も出てきたため、国民の共感を得ることに失敗した。「SEALDs」の限界はまた、今の日本の言論界におけるリベラルの限界を表している。 かつて、日本では『中央公論』と『世界』を中心に、現実主義者と理想主義者が論陣を張る論壇が存在した。現実主義者は勢力均衡の観点から日米安保を肯定し、理想主義者は「一国平和主義」の立場から非武装中立を唱え、議論を戦わせてきた。前者の代表だった故高坂正堯教授は、非武装中立論が勢力均衡を無視している点を批判しながらも、理想主義者たちが日本国憲法の平和主義の理念を国際政治に取り入れようとする努力を評価した。国家が追求すべき価値を考慮しないなら、現実主義は現実追従主義になってしまう。どのような国家を目指すのかという視点を、かつての理想主義者たちは提供しようとしていたのだ。 しかし、今日の日本には論壇は事実上存在せず、双方が交わることのない議論を繰り広げている。日本から論壇が消えた主な理由は、リベラルな知識人が現代の国際社会において日本が追求すべき国家像を提供できていないからだ。中国による現状変更や、イスラム国によるテロ、シリアの難民問題など、国際社会が直面する問題を解決するには、武力を否定し、対話を呼びかけるだけではだめなことは火を見るより明らかだ。リズムに乗って「戦争反対、憲法守れ」とただ叫ぶ「SEALDs」の姿は空虚に映り、彼らの思考停止を物語っていた。多くの国民は彼らの運動に理念がないことを見抜いていたのではないか。 他方、現実主義者たちは日本の目指すべき価値を提示し、それを実践するようになった。実際、安倍首相とそのブレーンたちは、第一次政権では、民主主義や人権保護、法の支配という普遍的な価値を重視する「価値外交」を提唱し、第二次政権はそれをさらに発展させた「積極的平和主義」を国家安全保障戦略の哲学としている。 積極的平和主義とは、一言で言えば一国平和主義の否定だ。戦後の日本では、長らく日本だけが平和であれば、国際社会の問題に関わるべきではないという考えが広がっていた。その背景には、戦争への深い反省という一面があったことも否定できない。しかし、日本の平和と繁栄は国際政治とは切り離すことはできない。積極的平和主義は、この事実を踏まえ、積極的に国際社会の問題に取り組み、それによって日本の安全と繁栄を確保することを目指している。安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段 積極的平和主義は、日本の戦後70年にわたる平和主義への絶対的な自信に裏づけられたものだ。この点は、戦後70年の総理談話に表現されている。総理談話に関しては、村山談話で使われた「お詫び」と「侵略」、「植民地支配」というキーワードが入るかどうかという点に注目が集まってしまったが、重要なのはより大局的な観点からのメッセージだった。70年談話は、日本がかつて国際秩序への挑戦者となり、国内外に多大な損害と苦痛を与えたことを深く反省し、国際社会に復帰した後は、国際システムの受益者となって安全と繁栄を享受する一方、不戦の誓いを実践してきたことを評価している。その上で、中露や北朝鮮などが国際システムに挑戦する動きを見せる中、これを守っていく決意が込められている。 安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段だ。従来の憲法解釈では、国際システムに対する挑戦に有効に対処できないため、安保法制が必要だったのだ。ただ、恣意的なパネルの使用など、政府による法案の説明に不適切なものがあり、安倍首相を含め政権側の言動におごりが見えたことも国民の支持が十分広がらなかった一因だろう。政権がおごるのは、野党やメディアの批判が的外れだったからでもある。橋下徹前大阪市長らとの会談後、ホテルから出てくる安倍晋三首相=2015年6月19日、東京都千代田区 国民の間に安保法制に関する理解が広がっていないからといって、国民がこれに反対しているわけではない。安保法制成立直後に各社が行った世論調査では、内閣支持率が不支持率を一時下回り、安保法制についても評価しないが過半数を超え、評価するは3割程度に留まった。ただし、評価しない理由は、議論が尽くされていないというものが7割ほどで、法案の中身よりも審議の進め方に対する不満が見て取れる。 安保法制は3月に施行され、4月には南スーダンのPKOで駆けつけ警護が可能となる。日本の防衛に関しても、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)に沿って、作戦計画や運用に変更があるだろう。緊張が高まる南シナ海で、日米が共同作戦を行うこともあるかもしれない。自衛隊の任務が実際に変わる中、安保法制に関する国民の理解を再度丁寧に行う必要がある。 安保法制は、決して戦後日本の安全保障の大転換などではない。日本人は、戦後を通じて憲法の平和主義の理念を維持しながらも、国際政治の現実の中で現実的な政策を積み重ねてきた。今回の法制は、特に冷戦後に日本が直面してきた課題に取り組むために必要最低限の措置を講じるものだ。 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が2014年5月に出した最終報告書では、集団的自衛権の全面行使と国際安全保障活動への全面参加が提言されていた。しかし、政府はこれを受け入れず、集団的自衛権の限定行使と、集団安全保障への部分参加とし、それを安保法制に反映させた。つまり、実際の安保法制の中身は、慎重な世論を背景に、かなり抑制的な中身となっている。言い換えれば、日本の平和主義の理念は十分に反映されているのだ。 政府はこの点を丁寧に国民に説明する必要がある。一方、日本国民はもっと自らの平和主義に自信を持ち、国際社会における日本の役割を議論するべきだろう。

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    民主党は極左を排除して「リベラル純化」せよ

    極左的だ。  東西冷戦終結後における世界の政治では、伝統的な価値観と市場経済への信頼を基調とする保守政党が一方にあり、市場化の流れは容認しつつも、その行き過ぎへの歯止めとか、人権、環境などにおける新しい思想を擁護するリベラルないし穏健左派の政党があって、それが交代で政権を担うのが普通だ。 イギリスでは保守党と労働党、フランスでは共和党と社会党、ドイツではキリスト教民主党と社会民主党。アメリカでは共和党と民主党だ。 アメリカでは二大政党しかないようなものだが、ヨーロッパでは環境派、地域政党、宗教政党、それに過激な左翼や右翼が中小政党として二大政党で吸い上げきれない声を国会で反映させるために存在し、政権参加することもある。 二大政党それぞれのカラーについては、アメリカでは反社会主義が国是みたいなもので、民主党の左派といってもヨーロッパの中道派以上に右寄りであるなど、それぞれの国で違いがあるが、国際的信用を失ったり政策の激変の繰り返しで経済が疲弊しない程度の差で中道右派と中道左派で二大政党になっている。民主・維新の統一会派運営協議会設置総会に臨む岡田克也代表(右)と松野頼久代表=2015年12月15日、国会内(斎藤良雄撮影)  その意味で、岡田克也民主党代表が、翁長雄志沖縄県知事の陳情に対して「辺野古移転以外に選択肢はない」ことを明言したことなどは良かったと思う。辺野古移転は鳩山政権の末期に政策修正してから揺るぎない民主党の方針のはずで、その方針維持がニュースになって意外と受け取られるのは困ったことだが、遅ればせながら態度を明確にしたことは結構なことだ。 リベラルを標榜する限りは、少なくともアメリカや西ヨーロッパの信頼を日本国家が失うような政策提案はやめてほしいし、それは、民主党が政権復帰に値する選択肢であり続けるための最低条件なのである。安倍談話で歴史認識論争は終わったはず安倍談話で歴史認識論争は終わったはず 民主党政権は経験不足と小沢代表時代の浅ましい権力欲から人気取りで非現実的なマニフェストを掲げて政権をとったが、思い通りにいかず一期で下野した。それならば、民主党政権時代より現実的な政策を打ち出すことに踏み切ってこそ、政権復帰の可能性もあるし、また、何かの拍子で復帰したときに前回より長持ちすることになるはずなのだ。 ところが、実際には思いっきり左翼バネを働かして野党らしい野党になってしまった。安保法制についていえば、アメリカとの軍事協力は戦後一貫して、すこしずつだが前進してきた。安保条約締結、安保改定、PKO創設、そして、今回の後方支援である。 これから、世界情勢が軍事協力の必要性を減らすような方向に行ったらいいのだが、そうでないなら、少しずつ協力を前進させざるを得ない。そのときに、憲法違反で解釈はこれからも変えられないのでこれ以上はびた一文無理と言ってしまっては、憲法を改正しない限り対米関係がもつわけない。 辺野古の問題は、自民党政権の時代に、いちおう沖縄も了解したものを、あたかも妙案があるかのように「最低でも県外」といい、それがめどが立たないといって辺野古にもどったのは民主党政権なのだから、尻ぬぐいを安倍政権にしてもらっている立場らしい謙虚さが当然だ。 なにもアメリカの顔色ばかりうかがうのがいいのでないが、日本はアメリカの共和党と民主党と両方がいちおう納得するような外交をすれば、だいたい安泰なのである。アジア各国もヨーロッパもそれなら納得せざるを得ない。 ところが、これまで、戦前から日本は共和党政権とはうまくやれたが、民主党政権とはぎくしゃくし続けて、ルーズベルト大統領との悪い関係が太平洋戦争につながった。そういう意味では、安倍首相も当初は民主党のオバマ首相との関係がもうひとつしっくりしなかったが、周到な努力を重ねて、アメリカ議会での演説と「70年談話」でリベラル派の信頼も勝ち得た。 「70年談話」の示した歴史認識は、ひとことでいえば、あの戦争で「日本は道を誤った」。しかし、「日本が何もかも悪かったのではない」「近代日本の世界への功績も認めるべきだ」ということだったと思う。とくに、アメリカのリベラル勢力にも十分に説得的なものであったことが重要でまさに安倍外交の完全勝利だった。 そして、歴史認識問題はこれで決着がついたのだと思う。保守派の安倍首相が「日本は何も悪くない」という立場を否定したのだから、そういう考え方は個人的な意見としてはともかく、現実的な外交の場で日本政府はもはや取れない。 一方、「日本がすべて悪かった」といわなくても、アメリカのリベラルも納得したのだから、日本の左派が全面謝罪しないと世界で通用しないと言い張ってももはや説得力はないからだ。 それに対して民主党(日本)のいまの傍観者的な立場では、アメリカの民主党政権すら説得できないし、まして、共和党政権になったらどうして付き合っていくつもりだろうか。 中国や韓国とも、安倍政権の足を引っ張ることでお褒めを頂いているだけで、過去と違って世界的覇権を狙って膨張する中国にどう対処するかなんのビジョンも持っていない。 それに、中韓との関係が悪化したのは、民主党政権時代の稚拙な外交で意味なく摩擦を激化させたからで、安倍政権になってむしろ改善しつつある。国際標準と意識がずれている「日本のリベラル」国際標準と意識がずれている「日本のリベラル」  イスラム過激派問題でも民主党は歯切れが悪い。欧米のリベラル派や左派はイスラム過激派に融和的ではない。明確なリベラル派であるアンジェリーナ・ジョリーが「日本が戦後70年で成し遂げたことは明白だ。同盟国、友人、優れた民主国家、経済大国の日本は、現在、国際的な平和と安全のために主導的役割を果たそうとしている。日本は中東に安定をもたらし、過激主義と戦うため、20億ドル以上の支援を表明している。誇るべき貢献だ」といっているのを見ても、国際標準のリベラルの論理と日本でリベラルと自称する人の意識がいかにずれているか如実になっている。 そもそも、奴隷として女性を売買し、女子教育施設にテロをしかけるイスラム過激派ほど女性の人権を踏みにじっている勢力はないはない。それにリベラルや左翼だと称する女性が融和的なことほど不思議なものはない。 経済政策では、アベノミクスを効果が出てないと批判するが、代替案の提案はどこからもないに等しい。それどころか、原発の再稼働や輸出、武器輸出、TPPなどをはじめ、経済成長に役立つ改革にはだいたい政府より後ろ向きだ。 そんななかで、原発については、少なくとも再稼働については、経済的に明らかに有利だという世界の常識を前提に議論して欲しい。原発に限らず、経済的には損だが、他の配慮でやらないということがあっても良いと思うが、経済的にもお得だと強弁してしまっては、真摯な議論ができなくなってしまう。 経済対策については、本当は民主党が自民党より大胆な政策を打ち出せるはずという面もあるはずなのだ。医師会と農協は自民党支持層の核心だ。ならば、民主党は彼らに遠慮せずに改革へ切り込みをできたはずだが、政権獲得時もやらなかったし、いまもやろうといない。それでは、だめだ。社民党の吉田忠智党首 ただし、私は自民党より保守的な小政党があって良いと思っているのと同様に、社民党的な左派政党の価値も認めたい。アメリカ以外にはどこでも非共産党系の左派政党がある。あるいは、社会党や労働党に左派がいる。そういう価値観を持つ人は一定割合いるのだから、受け皿は必要だし、現在の世界で基調となっている市場経済重視の政策に対しては、彼らのような立場からの批判はあってしかるべきでもある。 日本の民主党で、国際的な尺度ではリベラルといえないような左派はむしろ社民党と合体して二大政党の枠外に出れば野党らしい野党としてそれなりの存在感を示せるはずだ。 そもそも社民党は、共産党と戦わないから衰退した。共産党は西欧的な民主主義の政党であるか疑わしいままだ。少なくとも社民党にしても民主党左派にしてもその点においては疑わしい存在でないのだから、社民党は共産党と戦うことで勢力を広げるべきだし、それがリベラルな民主党と連立を組むことで自公連立との対立軸になることは可能なはずだ。 その場合に、社民党は鳩山内閣のときのように、単一の問題で意見が通らないというだけで連立離脱などするべきでない。小政党の意見が議席数以上には通らないのは当然だ。 公明党でも自民党と意見が違うことも多いが、批判があっても安直に連立解消とまではいわない。そういうのが、世界的に常識的な連立政権の作法であるべきだと思う。共産党は西欧民主主義の政党に一新せよ共産党は西欧民主主義の政党に一新せよ 共産党については、もちろん、ヨーロッパの共産党のように西欧民主主義の政党として生まれ変わる可能性はあるし、そうすべきである。ただ、そのためには、党名も変えるべきだし、宮本・不破時代への反省を明らかにするのが大前提であろう。 また、自民党や民主党の政府の政策への批判は明快だが、もし、共産党が政権をとったらどんな国にしたいのかよく分からない。かつてのソ連のような国なのか、あるいは、キューバあたりがモデルなのだろうか。 しばしば、フランスではミッテラン政権に共産党が参加したことがあるのだから、同じではないかという人がいる。しかし、フランスではレジスタンスの過程で、共産党は主力として参加し大活躍した。そして、解放直後の第一次ドゴール政権にも参加した。 そういう経過もあってのことだ。それに、国防や外交については関与させないことになっていたとはいえ、そもそも、もともと反日的な日本の共産党と違って三色旗のもとでレジスタンスの主力として戦ったフランス共産党の愛国心に疑問はない。 ちなみに、フランスで保守政権が徴兵制を廃止したとき、共産党は社会党ともに反対している。ヨーロッパでは左派は徴兵制が民主的で公平だと支持するのが普通だ。徴兵制がいいとは思わないが、国防を真面目に考えない日本の左翼とは大違いである。 選挙協力については、選挙区調整までは、ぎりぎり容認範囲であるが、いまなお西欧的な民主主義の範疇に入らないままの現在の共産党では、それ以上に共闘に踏み込むのは筋が通らない。それをやってしまったら、万が一、政権をとっても、先進民主主護国として非常識な左寄り過ぎる政策をとって短命で終わるしかあるまい。  いずれにせよ、いまの日本の政治地図が保守と極左に二分化されて、リベラルとか穏健左派といえる政治家がほとんどいないというのは、まことに不思議でよろしくないと思う。※日本の自称リベラルの非常識さについては当欄の「悪辣なテレビショッピングと化した古舘伊知郎と『報道ステーション』」や夕刊フジの連載を元にした拙著「誤解だらけの平和国家・日本」(イースト新書)で詳しく論じています。

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    民主党よ、どこへ行く

    民主党がまたも「お家騒動」に揺れている。共産党が提案した連立政権構想「国民連合政府」に党執行部が秋波を送ったかと思えば、今度は維新の党との合流を模索する「解党論」まで党内で浮上し、最大野党としての存在感は日に日に翳りをみせている。呉越同舟か解体的出直しかー。岡田民主党はどこへ行く。

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    民主解党しても「根なし草」では泡沫の集団に終わる

    いました。 おおさか維新の会は、大阪という地域に照準を絞っています。紆余曲折がありましたが、再び地方政党という立ち位置の原点回帰をしています。 有権者は数字ではありません。「私と私たち」ひとりひとりが共感できることを主張してくれ、実現しようと努力し、しかももしかすると実現するかもしれないという希望を感じさせてくれる政治家、政党を信頼し、支持します。 小さい集団であればあるほど、数ではなく、いかに深い共感や連帯感を得るかが勝負になってきます。これは戦いの鉄則です。 細野さん、前原さん、そして江田さんは、いったいどのような「私と私たち」のために、新党をつくろうというのでしょう。まずはそれがないと根っこのない浮き草でしかなく、結党から光が消えかかっているのです。(「大西宏のマーケティング・エッセンス」より2015年11月12日分を転載)

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    「民主党の政策こそが日本の経済を立て直す本質」〜枝野幹事長が会見

    ができているということはありません。」「我々は20万人の党員・サポーター、47の地方県連を抱える組織政党ですので、国会議員の一部だけで党をなくすとか、一緒になるとか決められる政党ではありません。大方の皆さんは党を立てなおしてもう一度政権を取ろうという考えだ」との認識を示した。  また、共産党の志位委員長が呼びかけている「国民連合政府」構想については、  「理念・政策が決定的に違うので、志位さんがおっしゃっている、"連立政府を組む"というお話は正直言って難しいというふうに思います。野党が別れて戦うと与党を利するだけだ、という思いを共有していることについては評価したいと思いますが、共産党と深い協力をするということでは、逆にそのことで投票を避ける有権者層も一定数いるわけで、結果的に共産党との連携を深めることで自民党が喜ぶ、ということも現実的にはきちっと考えなければならない。」 と述べ、こちらも改めて慎重な姿勢を示した。野党再編については、  「特定の方を排除はいたしませんがないが、いずれにしても民主党主導でなければ、圧倒的な野党第一党が民主党ですから、我々が主導権を取らせていただいて、小さな政党に配慮しながら進めていく以外に無い」 「小選挙区を軸とする選挙制度を採っている以上は、いずれにしろ政権交代というものが選挙制度に組み込まれていますので、私はいずれ必ず政権交代が起こると思います。」 「小選挙区制度を採っている国でも、いわゆる第三極、第三勢力が力を持ったりすることが一時的にあります。しかしそれはイギリスを見ても、大きな波があると思います。日本において、第三勢力に期待をするという波は幸い終わった。終わった時点でうちが第二党であるということですので、第三勢力に期待する次の波が起こるまでに政権交代をすればいい、ということだと思います。」 と述べた。  さらに、民主党の考えが"リベラル"とされる一方で、自民党の党名の英訳にも"リベラル"が入っていることについて問われると、 「今の安倍さんの姿勢は、アメリカで言えば保守派に近いかもしれないし、むしろ極右に近いのかもしれないが、日本の歴史と伝統はアメリカの歴史と伝統は違いますので、アメリカの保守と近いのが日本の保守なわけがありません。日本は"和を以って貴しと為す"に始まる多神教文明をベースとする、アメリカで言えばリベラルな考え方がそもそもの伝統文化で日本の伝統文化に適っているのは、アメリカで言えばリベラルに該当する我々こそが保守本流だと思っています。」 と答えた。冒頭発言の全文冒頭発言 私はここ数日の動きを、党の危機だとは決して思っておりません。  私どものいま唯一と言っても良い最大の課題は、どうやって来年の参議院議員選挙で与党を改選の過半数割れに持ち込みむか、そのための戦いです。  一つのテーマは、安全保障法制をめぐる、「立憲主義」と「法の支配」。これが争点です。念のため申し上げると、「安全保障政策」ではありません。 「立憲主義」と「法の支配」です。これだけでは追い込むことはできない。そしてこれだけでは与党を過半数割れに追い込むことはできないと思っていまして、もうひとつは広い意味での「経済」です。  私どもとアベノミクスの違いをご説明します。 アベノミクスは、短期的な経済政策としては一定の効果を上げていると思いますし、理に適った部分もあるということは認めたい。金融緩和や財政出動は間違いなく短期的な経済にプラスでありますし、規制緩和も、特に労働市場の緩和は、目先の企業収益を上げる意味は持っている。  しかしながら、20年余りにわたる日本の経済の低迷を治療するという意味からはあくまでも痛み止めやカンフル剤にすぎないという風に思っております。本質的な治療をするためには、わが国の潜在成長率を上げなければいけない。これが圧倒的に落ちている中では、いくら短期的な刺激策を取っても効果はない、というのが私たちの考えです。  日本の明治維新後の近代化と戦後復興・高度経済成長期、こうしたものを作り上げてきたのは、二つの意味での「分厚い中間層」です。  一つは経済的な意味での「分厚い中間層」で、これがもともと充実し、それがさらに分厚さを増していったからこそ、日本は輸出主導の新興国型の経済から、内需の拡大による先進国型の経済へと高度成長で転換することができた。  もう一つは、知識、学力、スキルと言ったら良いでしょうか、そういった意味での「中間層」です。明治維新の時点で、当時の世界各国と比較しても、我が国は圧倒的に高い識字率を誇っていました。だからこそ、産業革命による近代文明を短期間で全国津々浦々まで共有することができた、それが日本の近代化、その後の経済発展につながっていったと思います。  これが、この20年の間に急激に崩れてしまっています。貧困の連鎖。親が貧困であるがために、虐待や離婚、当然のことながら、家庭教育も学校教育も十分に身につける機会のないまま義務教育を終えるという子どもの数が急激に増えている。  あるいは日本には「奨学金」という名前の"教育ローン"しかありませんで、本当の意味での奨学金はすくないものですから、意欲と能力ありながら高等教育を断念する若者が増えてきている。さらには雇用の規制緩和によってオン・ザ・ジョブ・トレーニングによってスキルを高める機会に恵まれない労働者は全体の4割を超えている。  経済的に「分厚い中間層」が壊れているということはご承知の通りだと思いますが、これが当然のことながら国内消費を冷え込まえせる大きな要因になっていますし、貧困の連鎖によって少子化がさらに加速するという状況で、これも消費を冷え込ませている。購買力のあるのは、国内金融資産の大部分を持っている高齢者でありますが、高齢者も年金・医療。介護の不安のために老後のために蓄えた資金を消費に回さない。  従って、経済的な理由で教育を受ける機会に恵まれない若者、子どもをなくすこと。そして、安定的な雇用をもう一度取り戻すこと。老後や子育ての安心を確立すること。それらは社会福祉政策ではなくて、経済の抜本的強化のために取り組まなければいけない課題である、と考えています。  いずれも即効性のない、中長期的に効果があるものでありまして、即効性のあるアベノミクスと比較すると、どうしてもアピール力が弱いわけでありますけれども、実は我々の考え方の方が日本経済の成長には効果を上げると自負しています。  皆さんは御存知かもしれませんが、民主党政権3年3ヶ月における日本の実質経済成長率は年率1.7%でありました。しかも、東日本大震災によるダメージを含んでの数字です。安倍内閣は間もなく3年になりますが、この間の経済成長率は年率で0.9%にとどまり、しかも直近の四半期は2期続けてマイナスです。 私は、私どもの政策こそが日本の経済を立て直す本質だと思っておりますし、そのことをしっかり掲げて参院選を戦いたいと思います。 関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

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    劣化する左翼リベラル 民主党よ、国民は健全な野党を求めている

    共産党が政権参加姿勢を示すという「戦争直後以来の事件」が起きており、民主党の左翼リベラル思想に基づく政党の体質が変わらないどころか、益々劣化している点にある。 実際、松本剛明氏が離党すると、党内では前原誠司氏らから解党要求が出るなど、大混乱を始めた。2009年から12年まで3年3ヶ月の民主党政権は結局、「政権交代」が目標に過ぎず、その弱点は「政治思想」にあった、というのが「民主党政権悪夢と恐怖の3年3ヶ月」を書いた私の「総括」であった。例えば、東日本大震災、尖閣諸島をめぐる中国との紛争など安全保障問題を解決できない。マクロ経済政策では円高デフレ政策をズルズルと続け、社会保障のために消費税を上げようとした。沖縄の基地問題は、「最低でも県外」と言いながら当初の辺野古基地に戻し、その後全く解決不能に追いやった。当時、「世界の情勢がリベラル政党が主流だから、リベラル政党で政権が獲れる」と指摘され、その安易な発想による日本の国益を考慮しない負の政策は、日本国民にとって大きな不幸であった。衆院本会議で民主党などが退席するなか安保関連法案が可決した=7月16日午後、国会内 彼らの過去の失敗の原因の一つは、民主党が革命的思想ばかりに目を向け、日本の歴史的・伝統的政治手法を無視したことがある。それは事実上、「国家を敵視した反体制的価値観」や、マルクス主義から変化を遂げたかつてのスターリン主義のように、「国家転覆による革命」を目指す共産・社会主義の「階級闘争・革命史観」に追従する思想である。だが、これは政権を獲得するためには有効だが、外部への事実に基づかない「レッテル貼り」や「反対のための反対」に陥りやすい。 実際に、かつては安保法制に理解を示していた岡田代表は、いまや「戦争法案」と呼ぶことに同調し、党内の保守系議員からの批判をよそに、共産党との選挙協力には前向きな姿勢を示している。また枝野幸男幹事長も、自民党の安保法制に対して「相手の出方を見る」と、あたかも中国の毛沢東と瓜二つの発言を行っている。この執行部の言動を見る限り、民主党は3年前と変わっていないようだ。 今回の「国民連合政府構想」でも、民主党がいまだに共産主義を捨てていない共産党と共闘する限り、マクロ的な日本の国益を阻害する方向へと向かざるを得ず、ゆくゆくは、共産党の戦略に利用されて終わるだろう。 もし民主党が本当に政権を取りたいのならば、まずやるべきことは、安倍政権への「外部批判」ではなく、日本と日本人のための「安定的かつ繁栄できる政策」と、「内なる政治思想の変革」だからだ。国民の約4割が安全保障面でも経済政策的にも、日本を守ることの出来る「健全な野党」を求めているのに、それを無視し、反対方向へと向く政治方針への「先祖返り」は、政権時代の経験がまったく生きない「劣化」そのものなのである。

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    前原、細野ラインでは無理がある  民主・維新の新党構想は烏合の衆

    てからも一向に支持率は戻ってきません。私は、民主党が解党し、維新の党や社民党なども巻き込んで、新たな政党を作るのは一案ではあると思います。前原ー細野ラインが主導権を持ってこのことを行うのは無理があります。いったん、岡田代表ら執行部に預け、民主党執行部も主導権を持つ形で再スタートすることが必要でしょう。時期も今年末にこだわることはないでしょう。政党交付金とかいう変な制度がありますから、今年末の再編の話にもなるのかもしれません。政党交付金のことは無視して進める方がいいでしょう。 解党⇒新党結成となるのであれば、桜の咲く春ですね。参議院選挙まえに、心機一転、新たなスタートを切るというのが最高の時期です。共有する志のもとどのような現実的な政策を作っていくのか。時間もあります。3~4ヶ月かけて、烏合の衆でない政党を作り上げることが必要です。共通の理念と志、そして現実的な政策が新民主党には求められます。民主党が長期にわたっての弱小野党にとどまるか、新たな再スタートをすることができるのか。来年が岐路の時期だと思います。(Yahoo!個人 2015年11月15日分を転載)

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    真の平和の敵はだれなのか 偽りの立憲主義を叫んだ民主党

    岩田温(政治学者) 「平和の敵」。 何度もこの言葉が思い浮かんだ。 老若男女、決して少なくない人々が、安倍政権の進めようとする安保法案に反対の声をあげた。冷静な批判の声よりも、論理を越えた絶叫に近い声で満ちているのが残念だった。 彼らは、日本の将来を憂うるからこそ、反対の声をあげたのだろう。その姿勢は非難されるべきではない。政権がおかしな政策を進めようとする際に、反対の声をあげることは民主主義社会で重要なことだ。 だが、問題は中身だ。 「徴兵制がやってくる」 「立憲主義が破壊される」 「戦争が始まる」 あまりに極端な言葉が並んでいた。 だが、冷静に振り返って見れば、これらの表現は極端で、事実に反するものであった。実際に、法案が成立して以降、徴兵制の導入などなされていないし、戦争も始まっていない。 湾岸戦争以降の国際政治の中で、集団的自衛権の行使は、日本の課題であり続けてきた。「何故、今なのか」と執拗に問い続けていた人もいたが、私などからすれば、「何故、今までこの問題を解決しようとしなかったのか」、と反問したい気持ちになる。  多くの日本国民は、安全保障に関して、知識が乏しい。小学校、中学校、高校、大学を出ても、「個別的自衛権」、「集団的自衛権」「集団安全保障」等の基礎的な知識を身につける機会がない。これは非常に大きな問題だ。だから、極端な議論が展開されても、その極端さが見抜けない。例えば、集団的自衛権を行使すれば、日本は戦争に巻き込まれる、という話ばかりが繰り返された。「有識者」と称する人々が、そういう話を繰り返すのであれば、多くの国民が不安にかられるのは当然と言ってもいい。国会前での安保関連法案に反対する集会に参加、気勢を上げる(左から)生活の党と山本太郎となかまたちの玉城デニー幹事長、民主党の岡田克也代表、共産党の志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首=9月14日午後、東京・永田町 だが、集団的自衛権は世界中、どこの国でも保持しているし、殆どの場合、自由に行使が出来る。しかし、世界中で戦争が始まっているだろうか。 日本だけが集団的自衛権を行使容認になると、直ちに戦争が始まるという議論は、日本を特別に貶めるヘイト・スピーチだといっても過言ではない。日本も世界の各国も対等だ。日本だけが集団的自衛権の行使が許されず、仮にその行使が決定した瞬間に戦争になるというのは、論理的に無理のある議論だ。 安全保障の議論は、空理空論であってはならない。集団的自衛権の行使容認によって、「立憲主義」が破壊されるという議論も、おかしな議論だ。調べてみると、今回立憲主義が破壊されると叫んでいる人の多くが、PKO法案に反対し、「立憲主義が破壊される」と叫んでいた人々だ。 しかし、PKO活動が可能になって、二〇年以上の歳月を経た現在、PKO活動で立憲主義が破壊されるという主張はなされていない。自衛隊が海外に派遣され、自然災害等々で苦しんでいる人々を救援していることは、多くの日本国民にとって誇りだ。弱い立場にある人々を救援して、立憲主義が破壊されるとは、滑稽な空理空論でしかない。 多くの憲法学者は、本音では自衛隊の存在こそが、「違憲」だと考えている。多くの事例を拙著『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)で挙げておいたから、参照して頂きたいが、ここでは一つだけあげておく。 「憲法学者のほとんどがそう解釈するように、自衛隊を違憲とみることが憲法解釈としては自然であり、したがって存在そのものが違憲である自衛隊を前提とした自衛隊の海外派遣(派兵)も当然に違憲であり、自衛隊の派遣を内容として含むPKO協力法もまた当然に違憲とみなさざるを得ないものである以上、もし本当に自衛隊の存在やPKO協力法が必要であるなら、そして国民がそれを本当に望んでいるとする自信があるなら、改憲の手続きを先行させるべきであったろう」(横田耕一「立憲主義が危機に瀕している」『世界』1992年、8月号、四〇頁)   私は彼の論理は極端なもので、全く賛同できないが、正直な議論だとは思う。自衛隊が違憲というならば、PKOへの派遣も違憲だろうし、集団的自衛権の行使容認も違憲だ。 だが、何にでも違憲と判断するこの憲法解釈では、我が国の安全保障体制は破壊される。非武装中立では国家を守れない。 本来であるならば、すみやかに憲法を改正し、自衛隊の存在を憲法に明記すべきだ。 だが、憲法改正が為されていないからといって、極端な憲法解釈によって、安全保障体制を壊滅させるわけにもいかないのも当然だろう。  立憲主義が破壊されると叫んだ多くの憲法学者が「偽りの立憲主義」の信奉者であった。彼らの理屈に従えば、自衛隊の存在そのものが違憲なのだから、当然、その主張は、「立憲主義を破壊する自衛隊を解体せよ」としなければならなかった。自衛隊を違憲だと認識しながら、集団的自衛権の行使容認によって、立憲主義が破壊されると叫ぶのは、国民を欺く偽りの立憲主義だ。 今回の対応で、最も残念な対応に終始したのが民主党だった。 本来、リベラルとて、現実を直視しなければならない。だが、彼らは現実を直視しなかった。「非武装中立」こそが正当な憲法解釈だと考えるような極端な憲法学者たちの意見に付き従い、集団的自衛権の行使が立憲主義を破壊する行為であるかのような主張を展開した。しかし、民主党の野田佳彦元総理は、過去に集団的自衛権の行使容認の必要を説いていた。彼らは、立憲主義を否定するような危険な人物を総理として選出したのだろうか。 そうではあるまい。野田元総理の指摘は、常識の範疇に属する指摘だった。我が国の安全保障体制をより堅牢なものとするために、集団的自衛権の行使は、必要だったのだ。 平和の敵。それは現実を見つめようとせずに、偽りの立憲主義で国民を欺くリベラルな人々のことだ。

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    民主党vs櫻井よしこ氏の呆れた場外乱闘 民主は「本来の場」で頑張って!

    9月27日のNHK『日曜討論』で国会議員ではない方々が安全保障法制を振り返って議論しました。この中で出演した評論家の櫻井よしこさんが「岡田さん(克也・民主党代表)はかつて、集団的自衛権は必要ですと、民主党政権の外務大臣として言った人が、いまは必要ありませんと180度変わっ」たと指摘したことに対し、民主党が「何ら根拠がなく、公共放送の場を借りて野党第一党の代表を批判し、視聴者・国民に重大な誤解を与え」ることで看過できないとして、櫻井さんに質問状を出したそうです。これに対し櫻井さんは以下のように回答したとのことです。「岡田克也氏が「民主党政権の時の外務大臣として」「集団的自衛権は必要です」と言ったと、私が語ったのは事実です。「外務大臣として」という部分は「民主党が野党時代の幹事長として」の思い違いであり、訂正します。」とまず、事実関係と異なっていた点について訂正。その上で、この”民主党が野党時代の幹事長として”の発言とは、「仮に集団的自衛権を憲法なり法律なりで認めるとしても、きちんと制限を明示したほうがいいだろう。いずれにせよ、より具体的な形で議論すべきだ。」というものだったと指摘しています。私が注目している点は「より具体的な形で議論すべきだ」という部分です。さきの国会でまさに野党第一党の民主党には「具体的な形で議論」して欲しかったからです。このような櫻井さんの回答・反論に対して民主党はさらに再質問するという押し問答を繰り返していますが、民主党には頑張って欲しいと思えばこそ、安保の議論は国会の内で本来もっと精を出すべきでした。安保法制議論を行っている国会会期中、民主党は国会の外でデモの参加者と一緒になって国会に対峙していました。今回もまたリングを降りて場外乱闘戦に自ら出て行ったような形であり、このようなことをやり続けると、逆に「民主党はそこまで追い詰められているのか?」とさえ思われてしまうのではないかと心配します。野党はいくつかありますが、政権経験がある民主党は国民に再び政権を担う能力があるということを見せていく必要があります。有権者は民主党に政権を任せたのにそれを担いきれなかったことを今でも引きずっています。だからこそ過去の失敗を教訓にして未来に向かうスタンスで臨んで行った方が民主党にとってもよいはずです。ある意味では今の安倍総理はそのようにしてリーダーに戻りました。今の国会では、単に反対するだけでなく、よい点は認め、指摘する点はお互い変えていく議論ができる是々非々の野党がほとんど無くなってしまいました。私が維新の会や次世代の党で国対(国会対策委員会)委員長のときは、本当に是々非々路線でした。ところが、残念ながら今はほとんど反対野党と化しています。ぜひここは民主党には、場外乱闘ではなくて、国会議員同士の議論、そして政府との議論に力を入れてもらいたいと思います。(2015年10月5日「中田宏公式WEBサイト」ブログより転載)

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    頑張れ民主党! 再浮上に必要なのは「型破りの指導者」と「権力欲」だ

    タビューで「民主党の将来は心配していない」「野党の協力は必要だが、『一つの党に』とはならない」「改革政党の原点に戻って政策を練り直す」「自民党政権に代わり得る選択肢を用意」「泥を被ってでもやる覚悟が必要」と語った。 1年後の14年暮れ、安倍晋三首相が解散・総選挙を敢行した。民主党は12年総選挙に続いて大敗し、「1強多弱」の継続を許してしまう。その直後、岡田党首が実現した。 12年暮れの野党転落以後、民主党の凋落と衰弱は誰の目にも明らかだが、岡田代表は表面上は急ぐ気配はない。党の団結と結束の維持、安倍自民党に代わる政策パッケージと民主党再生プランの用意など、党の足腰強化こそ重要と見て、地固め最重視の方針を取っているのかもしれない。だが、長期低迷中という状況は変わっていない。安保法案での安倍首相暴走という「敵失」で、追い風を背に受けたかに見えたが、安保国会終了後の今年10月7~8日の共同通信の世論調査では、民主党の支持率は10.4%にすぎず、自民党(36.8%)の3分の1に満たない。岡田克也氏、細野豪志氏、長妻昭氏 岡田代表が「3年後」と口にした2016年はとても無理だが、安倍首相の自民党総裁任期と衆議院議員の任期が満了となる「決戦の18年」までに、民主党は自公政権追撃態勢に持ち込めるかどうか。その前に16年夏の参院選で「与野党逆転」を実現して「衆参ねじれ」に追い込むことができれば、政治の景色が一変し、追撃が現実味を帯びる。 参議院の過半数は122議席だが、現在、与党の自公両党の合計は135で、そのうち59が16年参院選で改選になる(非改選は76)。そこで自公両党の当選者数を14減の45以下に押さえ込めば、計算上は与党過半数割れが起こる。岡田民主党の最初の関門は「自公14減」を実現できるかどうかだ。 16年参院選で「衆参ねじれ」、決戦の18年で「1強打破」「与野党伯仲」をつくり出すには何が必要か。2000年以後の2つの事例が手本となる。第1は09年の政権獲得までの民主党の挑戦、第2は09年から12年まで野党を体験した自民党の3年3ヵ月だ。 見逃してはならないのは、09年までの民主党も野党時代の自民党も、「政権交代可能な2大政治勢力による政党政治と政権選択選挙を志向する民意」を頼りに、政権獲得を目指したという点である。「1強多弱」の今も、民意は変わらず政権交代システムと政権選択選挙を希望していると見て間違いない。であれば、現行の選挙制度の下では、「ねじれ」も「一発逆転」も不可能とはいえない。 その民意を視野に、09年の政権獲得までの民主党は、政権交代実現と政権選択選挙に対する国民の期待感の醸成に努め、右往左往や紆余曲折を経て、その期待感を政権獲得に繋げることに成功した。この教訓を生かさなければならない。現在、民主党に対する国民の期待感は完全消滅の状態だが、どうすれば再び国民の期待感を背に受けることができるのか、真剣に考える必要がある。 期待感再醸成の条件は、自公体制との明確な対立軸、自公に取って代わることができる統治能力、それに国民から熱い眼差しを浴びる「型破りの有能な指導者」の3点だろう。だが、残念ながら、現在の民主党の路線と政策、政権担当能力(特に経済政策運営力)、リーダーたちの顔触れでは不合格だ。 一方、3年3ヵ月の野党の自民党は、党再生と自己改革については見るべきものはなかったが、民主党の自滅に助けられ、他力本願で再浮上した。その野党体験から学ぶことができるのは、落ち目にもかかわらず、なんとか持ち堪えた耐久力と党の統一と結束、与党の自滅を誘う攻撃力と仕掛け、それに加えて政権復帰を渇望する飽くなき権力欲だろう。 ここへきて、維新の党の空中分解が現実となったが、最大の原因は、大阪都構想阻止の急先鋒だった民主党との連携に走る党内野党再編派との対立である。民主党側には「維新はいずれ分裂必至。そのときは大阪組以外を吸収すればいい」という声が根強かった。 だが、「維新分裂を待つ民主党」に民意は冷たかった。民主党が政権交代を視野に自公政権を追い詰めるつもりなら、大阪組も含めて維新をまるごと野党側に引き寄せる作戦に立つべきである。連合傘下の労働組合など、都構想阻止の民主党支持層を説き伏せて、民主党全体が都構想支持に回るという選択肢もあったはずだ。大きな民意と結託して大局に立った決断を下せる「型破りの指導者」と、党全体が「政権再奪取を渇望する健全な権力欲」を備えることが民主党再浮上の出発点となるだろう。頑張れ民主党!

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    創価学会が公明党を見限るとき

    公明党と支持母体の創価学会の関係に異変が起きている。結党以来、「平和の党」を標榜しながら、安保法制をめぐる党の姿勢に公然と批判する学会員まで現れた。コバンザメのように自民党にすり寄り、もはや存在感を失いつつある公明党。創価学会との「蜜月」まで終焉を迎える日が来るのか。

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    創価学会 会員の安保反対デモ止めた背景に後継者を巡る動揺

     安保法制への国民の反対運動は、いまや「自民党最大・最強の集票マシン」と呼ばれる創価学会内部に大きな亀裂を生んだ。 デモが全国に広がり始めた頃から、池田大作・名誉会長が定めた「勝利」(赤)「栄光」(黄)「平和」(青)を意味する創価学会の三色旗をバックに、〈戦争法案即時廃案〉〈バイバイ公明党〉──などと書いたプラカードを掲げる創価学会員が参加するようになったからだ。(天野達志氏撮影) 公明党は「平和の党」だと教えられてきた学会員たちが、安保法制に反対するのは自然なことだろう。ところが、法案審議の半ばから、学会員のデモ参加者が増えなくなった。学会上層部からこんな指示が出たというのだ。「最初は何もいわれなかったのに、途中から『デモには行くな』『ろくなコトにはならんぞ』と締め付けが厳しくなった」(デモに参加した学会員) 公明党議員の「安保法案は憲法違反ではない」という説明を聞く集会も開かれるようになった。 創価学会が会員の“戦争法案反対デモ”への参加を止めたのはなぜか。背景には、ポスト池田の後継者選びに絡む組織の動揺があると見られている。 創価学会の原田稔・会長(74)は来年任期(5年。現在2期目)を迎える。前任の秋谷栄之助・元会長は75歳で会長を退いており、年齢的にも原田氏は交代という見方が強い。そうなると次期会長の有力候補は谷川佳樹・事務総長と正木正明・理事長の2人と目されている。創価学会に詳しいジャーナリスト・乙骨正生氏が語る。 「谷川氏は原田会長と同じ東大出身で組織運営に長け、自民党寄りで知られるホープ。対する正木氏は学会主流派の創価大出身で自民党とは距離がある。次期会長には原田会長が推している谷川氏が本命視されているが、正木氏は池田大作氏の長男・博正氏(副理事長)の世話役を務めて池田ファミリーに近く、逆転の可能性もまだ消えていない」 実際、自民党の下野が確実視されていた福田内閣当時、正木氏は聖教新聞(2007年10月4日付)の座談会で「さんざん応援してもらいながら大恩ある支持者を裏切る。逆恨みする。悪党と結託して牙を剥く。そういう恩知らずどもとは徹底的に戦おう」と、選挙協力をした自民党への批判とも受け取れる発言をしているし、2009年に自民党が野党に転落すると次期会長レースで“本命”の谷川氏を逆転したという情報も流れた。 池田氏が元気であれば、次期会長は指名で決まると思われる。しかし、池田氏は聖教新聞でたまに動静が報じられるものの、「学会組織内で2人が次期会長を競うという権力争いが起きているということは、これまでグリップを効かせてきた池田氏の力がはたらいていないということでしょう」(同前)とみられている。関連記事■ 創価学会二代目会長の戸田城聖氏 姓名判断に凝り何度も改名■ 信者一千万人の頂点に君臨する池田大作氏の「謎」を作家指摘■ 回復の池田名誉会長に創価学会幹部面会できぬのは遺産問題か■ 集団的自衛権で公明党議員は真っ青 与党合意が分裂の火種に■ 創価学会婦人部 女性遍歴が激しい舛添氏に反感と学会関係者

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    なぜ創価学会に違和感を持つかがわかった

    ん。 私はたくさんの創価学会の会員さんを知っています。みんなとても良い方ばかりです。でも、それが組織政党となったら、平気で日本の国益とは反することをする。矛盾していると思います。宗教団体は政治にかかわるべきではないと思っております。 違和感、それは日本人としての違和感です。私たちは、世のため人のために自分の命を投げ出す覚悟を持つ日本人です。自分さえよければという考え方を前面に出された信仰をどうしても理解できません。 一心不乱に御題目を唱えれば唱えるほど、御仏の心は違う方に行っているのではないでしょうか。(『井上政典のブログ』より2015年3月23日分より転載)

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    公明党結党50年・自公協力15年——その曲折と妥協の歴史

    にあるが、これまでの道のりは曲折の連続でもあった。同党の歩みを振り返り、直面する課題を分析する。戦後政党史で3番目に長い歴史公明党全国大会で気勢を上げる山口那津男代表(中央)ら=2014年9月21日、東京都港区(栗橋隆悦撮影) 公明党は2014年11月17日で、結党満50年を迎える。また、1999年10月の小渕恵三内閣における自民、自由、公明3党連立内閣への参画以来,“自公協力”は15年となった。 戦後の政党史の中で、公明党は共産党、自民党に次いで3番目に長い歴史を持つ。しかし、その歴史は、保守でも革新でもない“中道”路線、日米安保条約の段階的解消などを掲げた野党時代、1993年の細川内閣における政権与党化、その後の自公対立を経たうえでの「自公協力」、さらには最近の自公連立政権と、曲折の連続であった。 一方で、支持母体である創価学会との“政教分離”問題や出版言論妨害事件など、同党の存立にかかわる問題にも直面してきた。 第2次安倍内閣では、「平和の党」を大看板とする公明党が、集団的自衛権の行使容認をめぐる憲法解釈変更問題で苦渋の選択を迫られた。同党は山積する課題の中で、責任ある政党として国民の支持を得られ続けるか、大きな分岐点にさしかかっている。政界浄化と大衆政党 公明党の結党大会は1964年11月17日、東京・両国の日大講堂で行われた。しかし、創価学会は結党前の56年7月に行われた第4回参議院選挙で、初めて無所属候補として全国区2人、大阪地方区1人の3人を当選させ、第6回参院選(62年7月)までの3回の参院選で15人の参院議員を擁し、「参院公明会」という国会内会派を結成するまでになっていた。 その後、創価学会の池田大作名誉会長が、1960年5月に32歳の若さで第3代会長に就任すると、翌61年11月に「公明政治連盟(公政連)」を結成した。掲げた目標は「政界浄化」であり、その3年後に公明党の結党が実現する。 結党大会で掲げた方針は、①政界浄化②議会制民主主義③大衆福祉―の3本柱で、あいさつに立った池田会長は「大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」と、大衆政党としての立場を強調した。 同時に、公明党は、結党のもう1つの基本理念として「王仏冥合」「仏法民主主義」を掲げた。現在では政教分離原則が厳しくチェックされているが、こうした基本理念は仏法の絶対平和思想が、世界を戦争から守る道だとするもの。こうした理念はのちに同党とは切り離された。キャスチングボートを握り野党として躍進 公明党は1956年に参議院で議席を得た後、衆議院に議席を獲得するまで11年かかかっている。しかし、その躍進ぶりは政界の台風の目となり、“黒い霧解散”といわれた67年1月の第31回総選挙では25人を当選させ、自民、社会、民社3党に次ぐ第4党に躍進した。 69年12月の第32回総選挙には47人を当選させ、民社党を抜いて第3党に躍り出た。この結果、竹入義勝委員長、矢野絢也書記長の新執行部体制が発足、政界のキャスチングボートを握った。 だが、政党としての路線は、揺れ動き続ける。結党当初は保守、革新のどちらにも偏しない「中道」を模索していたが、結党2年後には日米安保条約の段階的解消を打ち出し、”反自民”を鮮明にして野党化した。 自民党長期政権のもとでの金権腐敗政治の横行など、政界浄化を掲げた公明党は、さらに野党化の流れを強め、72年の「中道革新連合政権」構想を経て、73年9月の「安保即時廃棄」論へとエスカレートした。自衛隊、安保条約容認で保守化 公明党が“野党路線”から保守化傾向を強めたのは、1978年の第15回党大会以降で、竹入委員長は自衛隊と日米安保条約を容認し、原子力政策推進の立場も明確にした。特に、公明党が自民党の進めようとした有事法制の研究を容認したことで、それまでの「社公民路線」を転換することになった。81年12月の第19回大会では、さらに踏み込み、自衛隊の「条件付き合憲」を容認、安保体制の存続を主張した。 この時期、公明党が構想していたのは、自らを軸とする「中道連合政権構想」で、保守系グループの連携相手は河野洋平(元衆院議長)氏らが76年に自民党を離党して立ち上げたばかりの新自由クラブだったといわれる。 公明党の保守化のもう1つの要因は、同党が国政選挙だけでなく、地方議会での勢力拡大に力を入れてきたことだ。そのシンボルが東京都議会であり、69年7月の都議会選挙では擁立した25人全員が当選、社会党を抜き第2党となった。創価学会の宗教法人認可の権限は東京都にあり、「都議会は公明党の死活問題」とまで言われた。地方議会における与党化が、中央政界における“保守化”を促した。「妥協の連続」だった自公協力15年初の政権参加もあっけなく野党転落 公明党は、「55年体制」の崩壊といわれた1993年の政界地殻変動以降、再び大きく揺れ動く。自民党長期政権の崩壊直後にできた“非自民・非共産”の細川護熙内閣に初めて政権参加し、郵政、労働両省、総務、環境両庁の4つの大臣ポストを占めた。だが、細川内閣の後継である羽田孜内閣が64日間で崩壊すると、次の村山富市内閣は自民、社会、さきがけ3党の連立内閣となり、公明党は再び野党に転落した。 政界再編のあらしが吹き荒れる中、94年12月には公明党を解散し、「公明新党」と「公明」に分党。その直後に「公明新党」は小沢一郎(現「生活の党」代表)氏が率いる新進党に合流するという慌ただしい動きを見せた。 95年の第17回参院選挙では新進党として選挙に臨み、自民党の単独過半数の阻止に貢献する。特に、新進党は比例区で第1党となる大躍進を遂げたが、その裏に創価学会の大きな選挙支援活動があった。 その結果、自民党内に、公明党に対する極めで強い警戒感が生まれた。地下鉄サリン事件(95年3月)などの影響もあって、自民党は政教分離基本法の制定や、池田会長の国会証人喚問要求を突きつけた。自公両党の関係が、最も険悪になった時代といえる。“自公連立”を後押しした94年選挙制度改革 しかし、「自公和解」は意外に早く訪れる。新進党が小沢代表の党運営をめぐる混乱などから97年12月に分党したためだ。98年11月には分裂していた「公明」と「新党平和」などが合流し、「公明党」を再結成。 99年10月には自民党と小沢氏が率いる「自由党」との連立に加わる。小渕第2次改造内閣の時で、「自自公連立内閣」といわれた。保守路線への回帰であり、これ以降、政権与党、野党両時代を含めて「自公協力」は15年となる。 自自公3党の合意文書を交換する前列左から小沢一郎自由党党首、小渕恵三首相、神崎武法公明党代表。後列は左から藤井裕久自由党幹事長、森喜朗自民党幹事長、浜四津敏子公明党代表代行、冬柴鉄三公明党幹事長=1999年10月4日、東京・首相官邸(時事) そして「自公連立内閣」が実現したのは、第2次小泉内閣時代の2003年11月。それまで与党を形成していた保守新党が解散したのに伴い、名実ともに「自公連立」政権となった。 こうした連立・連携の動きは、細川内閣時代の1994年に実現した小選挙区比例代表並立制導入が大きく影響している。2大政党制を目指す選挙制度改革は、創価学会という強力な組織票を持つ公明党にとって、全国区で多くの当選者を出したとしても、選挙区では自民党などの有力政党と連携しない限り、一定の勢力を維持できないからだ。 自民党と連携した背景には、70年代の日中国交回復に関連して、自民党旧田中派との連携があったことや、地方では共産党などの革新勢力と票の奪い合いをするケースが多く、逆に自民党とは地方と都市とで地盤を分け合うことが容易だったことなどが挙げられる。「妥協の連続」だった自公協力15年 15年を迎えた「自公協力」だが、その過程は妥協の連続の歴史ともいえる。第2次安倍内閣での集団的自衛権行使容認をめぐる協議は、すきま風が吹きながらも“条件付き容認”で決着した。公明党に「政権離脱という選択肢はほとんどなかった」というのが実情だからだ。公明党の党大会で続投が正式に決まった山口代表(左)と握手する安倍首相=2014年9月21日午後、東京都港区 2006年12月に成立した改正教育基本法でも、「愛国心」をめぐり自公対立はあったが、最終的には自民党が折れ、公明党の主張した文言を盛り込み妥協が成立している。 一方、自民党にとっても公明・創価学会の支援がないと小選挙区では当選が難しいという事態に直面。「公明党は生命維持装置」とまで言われる状況になっている。 こうした、相互補完関係の結果、2009年に民主党が総選挙で大勝し、政権交代が実現した際も、自公協力は崩れなかった。背景には、民主党が大勝しすぎたため、公明党の協力をほとんど必要としなかったことがある。また、民主党内には公明党・創価学会に対する「政教分離」問題へのアレルギーが、自民党より根強いということもあった。 結党50年の公明党に、今後期待されるのは何か。政権与党として国民本位の政策形成、合意に向けた貢献ができるかにあるといえる。党代表に4選された山口那津男代表は2014年9月の第10回全国大会で、「国民のための政策実現に不退転の決意で邁進する」とあいさつ。井上義久幹事長は「公明党の保守・中道路線の真価は、政治の左右への揺れや偏りを正す」ことだと強調した。出版言論妨害事件で政教分離 最後に、公明党の歴史を振り返る時、「出版言論妨害事件」(1969年~70年代初め)を避けて通ることはできない。69年11月に刊行された藤原弘達明治大学教授(政治評論家)の『創価学会を斬る』に対し、創価学会が猛烈に反発、出版される前から出版社、流通、書店などに露骨な圧力をかけ妨害した。 公明党大躍進の時期であり、その影響は極めて大きく、創価学会・公明党の密接な関係が政教分離原則の観点から激しい社会的批判にさらされた。池田大作会長(当時)は70年に「言論妨害の意図はなかった」としながらも公式に謝罪した。その上で、池田会長は政界に進出しないことを明言するともに、公明党議員は創価学会の役職からすべて離れた。多くの同党議員が創価学会の幹部出身者で占められていたからだ。 あれからすでに45年。高齢と健康問題で公式の場にほとんど姿を見せなくなった池田名誉会長だが、公明党の支持母体が創価学会であることに変わりはない。しかも連立政権の与党として、大きな責任を担う。カリスマ的な創価学会の指導者である池田名誉会長の後継問題が、公明党の今後に影響を及ぼすのは不可避だといえる。

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    創価学会が公明党から離れる日は来るのか

    玉野和志(首都大学東京教授) 公明党は、いうまでもなく創価学会の会員によって支えられている政党である。もともと創価学会の政界進出のためにつくられた政党であり、当初は組織的にも未分化で、きびしい批判を招いたほどである。その後、組織的には分離されたが、公明党の党員が主として創価学会員であることは自明なことであろう。そんな一枚岩的で、不即不離とみられた両者の関係に、今回の安保法制をめぐる一連の過程で、学会内から公然と反対の声が上がったり、国会前のデモに創価学会の三色旗がひるがえったりということで、変化の兆しがみられるのではないかという見方が広がっている。ある時期、創価学会の会員に関する調査を行う機会をもった者として、この点について私見を述べてみたい。 私としては、今回のことはそれほど驚くべきことではないように思う。以前のPKO(国連平和維持活動)協力法のときも、いわゆる「9.11」(アメリカ同時多発テロ事件)以降にテロ撲滅への動きが激しくなったときも、学会内から公明党を含めた与党の方針への反対の動きがあったことは知られている。もともと宗教団体としての創価学会の原点は平和主義にあり、戦時下の弾圧にあってもこれに屈しなかった初代会長牧口常三郎は獄中に没し、同じく投獄されていた二代会長戸田城聖が戦後これを再建したという沿革からいっても、学会内から今回の一連の政治的な動きにたいする反対の声が上がったとしても不思議ではない。 また、私の知るかぎり、一般の学会員は驚くほど率直に幹部への批判を口にする。「幹部といったって、ろくに信心していないやつがいる」とか、「座談会での教義の説明がわかりにくい幹部は、すぐにあいつはだめだという評価になる」といった言葉がよく聞かれる。創価学会はけっして、しばしば一般に信じられているような一枚岩的で上意下達の宗教団体ではない。したがって、公明党を含む与党の政策に反対する声が学会内で上がったとしても、そのことで創価学会のたがが緩んできたとか、組織として変質してきたという話にはすぐにはならないだろう。創価学会と公明党の関係第12回「公明党・創価学会連絡協議会」で創価学会に選挙の協力を呼びかけた公明党の冬柴鉄三幹事長=2003年7月31日(渡辺大輔撮影) むしろ、ここで問題なのは、創価学会と公明党の関係がどうなのかということである。平和主義という創価学会の基本的な思想・信条に一見反するような動きを示した公明党への支持が、今後も維持されるのかどうかということである。この点についても、私の見解は単純ではない。公明党の支持母体としての創価学会のあり方がそう簡単に崩れるとは思わないが、かといって盤石であるとも思わない。実はこれまでもそれほど牢固なものではなかったのである。どういうことかというと、これまでも公明党の動きによって、創価学会員は熱心に応援したり、それほどでもなかったりしたのである。実際に分析したことはないが、選挙の際に獲得する公明党の票数は、そのときどきによってかなり上下しているはずである。 とりわけフレンド票とよばれる創価学会員の呼びかけに応じた学会員以外の票は、そのときどきの創価学会員の本気度によってかなり違ってくる。選挙になると決まって連絡がある知人の学会員の電話の頻度や熱意がいつも同じではないことに気づいている方も多いだろう。私が会った若い学会員は、「選挙で強制なんてできるわけありませんよ。本当に本人が納得していないと、他人に働きかけることなんてできません」といって、世間がよく「組織票」と呼んであたかも自動的に集まるかのようにいうことに疑問を呈していた。自民党と選挙協力をするようになってからは、公明党や公明党の議員への応援ですらなくなったわけであるから、自民党が次の選挙で学会の票を当てにできず、戦々恐々とするのもうなずけることなのである。 かといって創価学会員が公明党以外の政党を支持するようになるかといえば、そう単純ではない。創価学会員と公明党の議員には同じ宗教を奉じているというだけではなく、日常的な議員と支持者との関係が保持されている。「あいつのいうことはわかりにくいからだめだ」という批判が成り立つということは、あいつがどんな言動をするかをよく知っているということであって、公明党の議員はそのような厳しい一般学会員の評価という洗礼を経て、ようやく候補者として認められるようになるのである。党の政策が少々学会員の意向と食い違ってきたとしても、他党に鞍替えする前に党に政策の変更を求めていくのが先だろう。 そうすると問題は、創価学会員の意向と公明党の政策が、どの程度スムーズに調整されていくのかということである。今回公明党は右傾化する自民党に自分たちこそが歯止めをかけているのだという論理で、創価学会員の理解を求めている。これがどこまで通用し、どこで無理がくるかということである。そして、それは公明党と創価学会の関係が崩れたり、創価学会のたがが緩んだりする前に、公明党が自民党との連立や選挙協力をどうするかという方向でまずは調整されるはずである。今回のことに創価学会の衰退や公明党と創価学会の関係の変化を期待する声が多いようだが、それよりも前にまっとうに組織された政治勢力の民主的な政策調整と合従連衡の行く末に注目する方が、よほど生産的ではないだろうか。

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    創価学会と公明党 いまでも本当に一体なのか

    員は、創価学会の幹部を辞職し、池田氏も、政界へ出ないことを約束したのである。 その際に、公明党は国民政党へ脱皮することをめざし、支持層を創価学会の会員以外にも広げようとした。しかし、それは難しく、結局、公明党は選挙活動については創価学会に全面的に依存する形が続き、それは今日にまで至っている。 選挙のときのことがあるために、一般の人たちは、創価学会と公明党が一体であると感じる。しかし、人的な面で政教分離がはかられたことの影響は大きい。創価学会と公明党は別の組織になり、両者が協議する機会も限られている。創価学会が公明党の政策に口出しすることもほとんどなくなった。 政教分離以降の公明党は、安保条約の即時破棄を打ち出すなど、革新寄りの姿勢を示したことがあるが、それはあくまで社会党や民主党と連携して中道革新路線による政権奪取を目指してのことで、創価学会の意向が反映されてのことではない。 創価学会本部別館 逆に創価学会の側も、1974年に、日本共産党とのあいだで、お互いに誹謗中傷しないことなどを約束した「創共協定」を結ぶが、その際には、公明党にはそれを知らせないまま実行した。 一度、組織が分離されると、時間の経過とともに、両者の関係は離れていく。公明党の議員も、創価学会のなかで活動した経験の乏しい人間がなるようになり、それに拍車をかけた。 今回、安保法制をめぐって、創価学会の会員のなかに、公然と公明党の方針を批判する人間たちが現れたのも、こうした創価学会と公明党との歴史が関係している。 創価学会としては、政教分離の建前がある以上、公明党の政策に公然とは干渉できない。公明党が、政権与党の座にとどまるために、自由民主党に対して過度に歩みよっても、それを是認するしかない。 そうなると、公明党は、自民党の方針に引きずられていく形になる。いくら、公明党が歯止めをかけたと主張し、創価学会も『聖教新聞』などでそれを評価してたとしても、それに納得しない学会員が出てくる。一般の国民がそう思っているように、彼らにも公明党は自民党に利用されているだけに見えてしまうのだ。 現在では、強力な集票能力をもつ圧力団体は、農協に代表されるように、消えつつある。そのなかで、創価学会は依然としてその力を有し、公明党を支えるだけではなく、自民党が政権の座に座り続けることを可能にしている。 そうであれば、公明党が自民党と連立を組んでいることそのものが、今回の安保法制の実現を可能にしたとも言える。これはあまり指摘されていないが、創価学会の会員のなかにそれに気づいた人間たちもいることだろう。 今、軒並み宗教団体は、既成宗教であろうと、新宗教であろうと、信者の高齢化などで危機にある。創価学会も、世代交代は実現したものの、若い会員は、年配の会員に比べて選挙活動に熱心ではない。 池田が表に出なくなった影響もある。今回の出来事は、創価学会自体が一枚岩でなくなりつつあることを象徴しているのではないだろうか。

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    あの学会員が怒りの独白! 創価学会はもう「公明党教」に成り下がった

    に根差した「平和主義」「人間主義」といった仏法に基づいた政治の世界に反映すべく努力を続けていたはずの政党が、安倍首相・自民党が主導していた集団的自衛権容認のブレーキ役になるどころか、人の命を軽んじてしまう可能性があることに疑問を抱きはじめたわけです。すぐに私は地元の壮年部や党の集まりで、他の学会員に公明党への疑念をぶつけましたが、「行使容認に新3要件を付けたので憲法の範囲内で歯止めを掛けている」と言われ、少ない議員で頑張ってくれていたんだなとその場は思い直しました。 しかし今年6月、衆院の憲法審査会で3人の憲法学者によって安保関連法案が「違憲」と指摘されたことで、それまで聞いていた認識とは違うのではないかと思うようになりました。法案が公明党が言うような歯止めにもならず、与党が名付けた「平和安全法制」が、平和どころか米国の戦争に巻き込まれてしまいかねないと考え、法案成立を阻止しなければならないと立ちあがりました。(天野達志氏撮影) 6月末に学会員以外の色々な人の話を聞きたくて、ツイッターで「ひとりの学会員」というアカウントを取りました。フォロワーからは「公明党は本来の姿を失っている」「私たちが信じている仏法の考え方に基づくこととは違うことをやろうとしている」「絶対廃案させたほうがいい」といったメッセージをいただき、自分だけの認識ではないと意を強くしました。でもツイッターやSNSで議論を交わしていても現実は変えられない、法案撤回を求める署名なら自分でも社会にアクションが起こすことができると考えて7月30日にホームページを立ち上げました。法案反対デモに初めて参加 立ち上げ前の7月14、15日には東京・日比谷の法案反対デモに初めて参加しました。開催をツイッターで知り、自分の思いを形にしたいと思ったからです。ですから私は学会員として安保法案に賛成できないと意味を込めて学会のシンボル、三色旗を持参して臨みました。三色旗を持ってデモに行くことは「なぜ公明党を支援する奴がここにいるんだ」と罵声を浴びせられることを恐れたので、非常に勇気が入ることでした。しかし実際にデモの場に立ってと三色旗を振ってみると、「公明党はもっとしっかりしろよ」とむしろ私を激励してくれる人がたくさんいたんです。そのとき、勇気を出して参加して本当によかったと思います。それからは国会前のデモに何度も足を運ぶようになりました。 署名集めやデモに参加した私に対して、地元の学会員からは特に嫌がらせや圧力などはありませんでした。活動を始めたのがちょうど「友好期間」と呼ばれる夏休みの時期で、会合もなかったことも幸いしたのかもしれません。会合があって他の人と雑談しても、あまりこの話題には触れたがりませんでした。しかしツイッター上や国会前に集った学会員の中には家族から参加をやめるように言われたり、地元組織から疎んじられていたり、嫌がらせやバッシングを受けていたという話は聞きました。 私の国会前デモ参加が一部の極左団体に利用される? どうしてそのような考えになるのか理解できませんし、参加するしないは別の問題だと考えます。第一そのような勢力から金銭的援助を受けたことはありませんし、あくまで私は学会員としての思いを素朴に表現しただけです。ただ賛同してくれる人の中に、この機に乗じて公明党や創価学会叩きを狙う輩がいることは認識していますが、私は利用されたとは思っていません。むしろそんな輩には毅然とノーを突きつけたいます。安保法案の白紙撤回を求める請願書を公明党職員に手渡す天野氏(左) 署名を始めて1カ月で9177人分が集まり、いよいよ公明党の山口那津男代表に請願書を届けることになりましたが、受け取ってもらうまでには紆余曲折がありました。党本部に「山口代表に直接お渡ししたい」と伝えても「代理の人間が受け取る」と言ってらちが明かないので、9月8日に署名を持参して党本部を訪れました。それでも担当者からは「代表は受け取れない。代理の警備員に渡すか、持って帰って欲しい」と拒否されました。頑なな態度が変わったのは3日後、「私一人が党本部に入る」「職員が受け取る」「写真・ビデオ撮影禁止」の条件を提示してきました。それでは納得出来ないので交渉を続けると、次の日ようやく「党本部にもう1人帯同」「職員による撮影」の許可を得て、請願書を手渡すことが出来ました。信じていた公明党とはすっかり変わってしまった 現在の公明党には弱い人間の声を聞く、庶民の側に立つ、戦争には絶対反対し、権力の暴走を監視するという従来持っていた姿勢からは大きくかけ離れました。私たちが信じていた公明党とはすっかり変わってしまったわけですから、来夏の参院選で党に一票を投じたり、友人や知人に支援活動をする気などなれません。党として今回の総括を行い、原点に返らない限り続くことになると思います。 また創価学会も安保法制を推し進める公明党を今も変わらず支援しているわけですから、私はその姿勢には疑問です。地元の会合でも参院選に向けて、党を諫めるどころか支援の動きが活発になりつつあります。学会本部からは三色旗を振ってデモに参加している我々を「とうの昔に学会を辞めた人たちだ」「学会員のふりをしているけどニセモノで、共産党かぶれだ」と言っているようです。幹部を通じて会合の参加者に関わらないほうがいいと警告しているようですね。 それでも私は学会員として活動を続けて行くつもりです。本来の創価学会の仏法の考え方であれば、学会員であれば安保法案に必ず反対するはずなのに、政治の世界が絡んでしまって「法案の中身はよくわからないけど、私達の信じている公明党だから間違いない」という論理で進んでしまっているんでしょう。つまり今の学会員は「公明党教」になってしまっている。非常に危険な考え方を心配して、国会前で声を上げていたわけです。でも異論を唱える人々は学会内部でレッテルを貼られたり、会合に呼ばれなくなって、最悪除籍の場合もある深刻な状況が生まれつつあります。だから私が創価学会にどこまでも身を置いて正しいことを貫くことで、他の学会員にも目を覚まして欲しいと願っています。 私は池田大作名誉会長を指導者として尊敬しています。何より学会を築き上げた第3代会長ですし、池田先生が書かれた著作や各国要人との対談集も精読し、私は「師匠」と呼んでいます。安保法制が間違いだと思うようになったのも先生の対談集がきっかけのひとつです。有名な英国の歴史学者、アーノルド・J・トインビー氏との対話本「21世紀への対話」の中で、先生は集団的自衛権に絶対反対で、憲法9条を守らなければいけないとの主旨を明確に述べられていました。そんな池田先生の平和哲学こそが仏法の根幹の思想だと思っています。ですから先生の著作に書いてある内容なのに、先生を尊敬しているほかの学会員はなぜ安保法案に賛成なのか、本を読んでいないのかと疑問に思ってしまいますね。(聞き手・iRONNA編集部、松田穣)

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    わが国の平和と安全を真面目に考えられなくなった日本共産党

    筆坂秀世(政治評論家)「上からの演繹」で多くの判断間違い どの政党でも自らを天まで持ち上げる傾向があるが、なかでも日本共産党という政党ほど、自己を持ち上げる政党はあるまい。最近でこそ、「前衛」という言葉や労働者階級の中での「最高の階級的組織」などという言い方はしなくなったが、革命の指導政党としてあらゆる組織や運動の一段上に立つ組織というのが、共産党という政党の最大の特質なのである。社会主義国の憲法に、表現はいろいろだが共産党が「指導政党」として明記されていることでも、そのことは明らかである。 こういう絶対的権威を持つ政党は、知らず知らずに無謬主義(誤りを犯さない)に陥ることがある。だが実際には、どうか。文学者、評論家で東大教授でもあった竹山道雄著『昭和の精神史』(中公クラシックス)に次のような指摘がある。「まずある大前提となる原理をたてて、そこから下へ下へと具体的現象の説明に及ぶ行き方は、あやまりである。(中略)このような『上からの演繹(えんえき)』は、かならず間違った結論へと導く。事実につきあたるとそれを歪(ゆが)めてしまう。事実をこの図式に合致したものとして理解すべく、都合のいいもののみをとりあげて、都合のわるいものは棄てる」。まさしくこの通りである。 例をあげればきりがないが、朝鮮戦争(1950年~1953年)も最初はアメリカ帝国主義が仕掛けた侵略戦争という評価であった。社会主義国は「平和・進歩勢力であり、侵略などしない。悪いことはしない」という原理を先に立てていたから、このような判断違いを犯す。社会主義国の核実験は「防衛的」などというのも同じ類である。このような事例は、枚挙にいとまがない。ソ連が崩壊した時、ソ連を「巨悪」と表現して崩壊を歓迎してみせたが、そのソ連を社会主義国として最も高く評価してきたのは、日本共産党であった。レーニンの時代は良かった、スターリンになって変質したというが、そのスターリン時代も、その後も、基本的にはソ連を社会主義国として評価してきた。これによってどれほど多くの若者を誤導してきたことか。このことへの反省は微塵もない。 もっと言えば、「前衛」だとか、「最高の階級的組織」などという思い上がった共産党の立場こそが、一党独裁、全体主義を生み出してきた。このことへの根本的反省こそなされるべきであろう。融通無碍―憲法9条に唯一反対した政党が「9条は世界の宝」と いま日本共産党は、「護憲」を大看板にしている。だが憲法制定時、日本共産党は天皇条項と9条に明確に反対し、政党としては唯一現憲法の制定に反対していたのである。その政党が「憲法9条は世界の宝」というプラカードを掲げているのを見るとあきれ果てるしかない。参議院本会議で代表質問をする日本共産党の野坂参三議長=昭和39年1月24日 1946年8月24日、衆議院本会議で反対討論に立った野坂参三は、次のように述べて憲法9条に反対している。 「現在の日本にとってこれ(草案第9条)は一個の空文にすぎない。われわれは、このような平和主義の空文を弄する代わりに、今日の日本にとって相応しい、また実質的な態度をとるべきであると考えるのであります。要するに当憲法第二章は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえに我が党は民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない」 誠に正論である。当時、吉田茂首相が自衛権すら否定する答弁をしていたこともあったが、平和主義を空文とまで批判しているのである。もともと改憲政党であった 最近、共産党は、その後、吉田首相が自衛権は保持していると国会で答弁したのでこの評価を改めたと説明している。 だがそうではない。野坂討論は、民族の独立のためには、自衛権を持ち、自衛軍を持たなければならないと主張しているのである。他方で現在の9条の下では、自衛隊は憲法違反の軍隊だと規定している。ではどうやって民族の独立を守るのか。憲法9条を改正し、憲法で認められた自衛軍を持つというのが、共産党の立場でなければならないはずだ。 実際、共産党は1990年代後半まで、改憲を目指していた。1973年11月の第12回党大会で「民主連合政府綱領提案」が採択されるが、自衛隊は憲法違反なのでいったんは解散させるが、その後、憲法を改正して「最小限の自衛措置をとる」としていた。1985年版『日本共産党の政策』という政策集でも、「将来の独立・民主の日本において、国民の総意で最小限の自衛措置を講ずる憲法上の措置が取られた場合には、核兵器の保有は認めず、徴兵制は取らず志願制とし、海外派兵は許さないようにします」と明記していた。どこから見ても疑いようのない改憲政党だったのである。 一国の独立、民族の独立を考えるのであれば、至極まっとうな立場であった。それが日米安保条約も廃棄する、自衛隊も解散させる、という丸腰論にまでなってしまったのが、現在の共産党である。 ただ卑劣なのは、自衛隊の解散も、日米安保の廃棄も、「国民合意でやります」と言っていることである。こんな国民合意などできるはずもないことを百も承知でこういうのである。つまり自衛隊の解散も、日米安保の廃棄も真面目で、本気の主張ではないということだ。 少なくとも憲法制定時の日本共産党の態度は、日本の平和と安全にもう少し真面目に対応していたはずだ。にもかかわらず憲法が公布されてから68年、いまでは日本の平和と安全を真面目に考えることが出来なくなってしまったということでもある。核エネルギーの平和利用が一貫した主張だった 日本共産党は、もともと核エネルギーの研究・開発に賛成の立場であった。核実験についても、かつてはソ連の核実験は「防衛的」なものとして賛成していた。そもそも核エネルギーの平和利用について、原理的に反対したことは一度もない。それは当然のことで典型的な進歩主義である科学的社会主義の立場に立つなら、新しい技術開発やエネルギー開発を肯定するのが当然だからである。 だからこそ終戦直後には、共産党は「光から生まれた原子、物質がエネルギーに変わる、一億年使えるコンロ」(日本共産党出版部『大衆クラブ』1949年6月号)とか、「『原子力を動力として使えば、都市や工場のあらゆる動力が原子力で動かされ』、冷暖房自在で『飛行機、船舶その他ありとあらゆる動力として、つける』」(日本共産党当時書記長徳田球一の『原爆パンフ』)などと原子力を絶賛していた。 広島、長崎への原爆投下についても、終戦直後に批判したことはなかった。なにしろポツダム宣言を絶賛し、占領軍を「解放軍」と評価したぐらいなので、ある意味当然のことであった。 その後、既存の原発の安全性について、厳しい批判を行ってきたことは事実である。だがそれでも「核エネルギーの平和利用」を否定したことはなかった。 それが3・11以降、急きょ「原発ゼロの日本」を主張し始めたのである。だが共産党の政策文書を見ると「脱原発」という表現はなく、「原発ゼロ」という表現で統一されているようだ。原発をゼロにするための廃炉などのために、原子力の基礎研究は引き続き行うとしているが、「平和利用」のための基礎研究は行わないということなのだろうか。 行わないとするならば、「平和利用」を主張してきた政党として、そもそも「平和利用」という主張自体が原理的に間違っていたという総括をすべきではないのか。そうでなければ無責任の誹りを免れないであろう。

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    いまの自民党がつまらなくなった

    戦後70年の今年、自民党にとっては結党60年の節目である。戦後日本の政治史をひも解けば、それは自民党政治の歴史と言っても過言ではない。この60年、自民党は何が変わり、これからどんな未来が待っているのか。

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    特殊な集合体「自民党派閥」の変遷と実体

    けは論功行賞にありついたという図式となりました。 自民党の派閥といえば、中選挙区(後述)時代は一つの政党に匹敵するぐらいの力を持っていて「領袖」と俗称される派閥トップへの就任が総裁へのステップだった時代もありました。そこで、自民党の派閥とはいかなる歴史があり、実体はどうなのか?について、改めて振り返ってみます。今いくつある? 自民党の派閥 「派閥」は非公式で私的な集団で主に自民党内のグループを指します。一般の会社でもよく「派閥」という言葉が用いられますが、事務所まで設けて独自活動するケースはみられないので「自民党の派閥」は特殊な集合体です。 また「派閥」はたいてい表向きは政策集団を装っていて対外的にはそちらの名称を名乗るのが普通です。岸田派の「宏池会」のように。多くは定例会を木曜日に開きます。 現在存在する自民党の派閥は主に8つ。他に谷垣禎一党幹事長の谷垣派(約30人)がありますが他派閥に「本籍」を置いている議員もいてマスコミのなかには「谷垣グループ」と区別しているところもあります。・細田派(細田博之)95人・額賀派(額賀福志郎)53人・岸田派(岸田文雄)45人・麻生派(麻生太郎)36人・二階派(二階俊博)34人・石破派(石破茂)20人・石原派(石原伸晃)14人・山東派(山東昭子)10人(人数は朝日新聞9月29日付朝刊を参照)主な派閥の歴史とそれぞれのカラー 戦後の2大保守政党であった吉田茂氏が率いた自由党と鳩山一郎氏の日本民主党が1955年に合同して自民党が誕生しました。派閥の源流は吉田系と鳩山系、および日本民主党の前身にあたる改進党の三木武夫氏の流れが加わります。吉田系(自由党系)の後継が後に首相となった池田勇人氏と佐藤栄作氏の池田派と佐藤派。鳩山系(日本民主党系)の後継が岸信介氏と河野一郎氏の岸派と河野派。そこに三木武夫氏の三木派が加わります。この5派から現在の派閥の経緯を確認すると・池田派→岸田派、麻生派、谷垣派・佐藤派→額賀派、石破派・岸派→細田派・河野派→二階派、石原派・三木派→山東派と分類できます。石破氏はかつて額賀派に所属していたので佐藤派系統に入れています。 派閥の名称で有名なのは前述の宏池会(岸田派)のほか、佐藤派系の田中角栄氏が率いた「木曜クラブ」と跡を襲った竹下登氏の「創政会」(後の経世会)、岸派の跡目である福田赳夫氏が作った「清和会」(後継の現細田派も「清和政策研究会」を名乗る)などが有名です。総裁へのステップと内閣改造で存在感 自民党結成の55年保守合同そのものが吉田自由党と鳩山日本民主党の2大潮流があり、党そのものが最初から一つの政党というより派閥(実質的政党)の「保守連合」の趣がありました。一般に吉田系が「ハト」(穏健)、鳩山系が「タカ」(強硬)とみなされてきています。 こうした政策的な違いに加えて派閥は1947年から93年まで続いた衆議院議員総選挙で採用されていた中選挙区制(1つの選挙区からおおむね3人から5人を選出)が存在感を増す理由となっていました。55年体制から93年の総選挙で敗れるまで自民党は83年~86年の新自由クラブとの連立を除いて単独与党でした。過半数維持のためには3人区で1人ではダメで2人当選を目指します。4人区、5人区となるとさらに当選者を増やさなければなりません。同じ選挙区で自民党同士が争うわけです。 となると、普段から仲良くしている同派閥で戦えず他派閥と表立っては「協力」しながら、実際には党内同士で血で血を洗う選挙戦を展開したのです。その結果、最大派閥になれば自民党総裁選挙で有利になるので領袖は少しでも議員数を増やそうと集金力や人材発掘に力を入れ、新人議員は領袖を「オヤジ」と称して奉仕し、当選回数を重ねるごとに重鎮となっていき、やがては派閥を譲り受けたり、反乱を起こして乗っ取ったりして次代の領袖を目指していきます。疑似血縁関係にも似た構図です。自民党初代首相の鳩山氏から竹下氏までの歴代首相は鈴木善幸氏を除いて領袖です。鈴木氏にしても急死した大平正芳首相の大平派(池田派の流れ)の家老のような存在で後に派を継承したので事実上の領袖です。 中選挙区制度下の自民党は政権が行き詰まるとカラーの異なる別派閥の領袖を立ててイメージを変えるという疑似政権交代をしばしばやってきました。タカ派の岸内閣が60年安保条約改定と引き換えに辞任するとハト派の池田勇人氏に代わったり、田中首相(佐藤派の流れ)が金銭スキャンダルで追われた際には「クリーン三木」として清潔イメージがあった三木氏を押したりといった具合です。田中氏と福田氏のようにガチンコ対決で生きるか死ぬかの抗争を展開した例もあります。 いずれにせよある領袖が総裁(単独政権下ではイコール首相)になると他派閥は少しでも内閣に自派の議員を押し込もうとします。総裁(=首相)もある程度は飲まないと足下が不安定になるので各派閥の推薦リストに沿って受け入れてきました。内閣改造も同じで当選回数を重ねた「適齢期」の議員を内閣に入れてバランスを取ります。この手法は述べ約150人もの大臣を「製造」した吉田氏以来の伝統でした。ただあまりに入れ替えると「クビを切られた」との怨念が渦を巻いて内閣を弱体化させる欠点もあり改造人事は現在でも大変難しいとされています。中選挙区時代に権勢を誇った派閥中選挙区時代に権勢を誇った派閥昭和54年10月の衆院選で自民党が敗北し、記者会見する大平正芳首相 岸、池田、佐藤の3氏だけで5612日、15年以上にわたる長期政権が続いた後に、三木、田中、大平、福田、中曽根康弘(河野一郎派の流れ)の「三角大福中」の5氏の領袖による政権争奪戦はすさまじいものがありました。田中氏から三木氏へのバトンタッチ後は党内から猛烈な「三木降ろし」が吹き荒れ、結果として政権についた福田氏は政敵の大平氏を幹事長(総裁が首相職で忙しいため事実上の自民党トップ)にすえて安定を図るも再選を目指した総裁選の予備選挙で宿敵田中氏の強力な援護を受けた大平氏にまさかの敗北。 大平政権では福田氏らが反主流に回って国会の首相指名選挙で自民党から大平、福田の2氏が争うという異例の展開となり、かろうじて制した大平氏も野党が出した不信任決議案が福田派や三木派が大量欠席したため可決成立してしまい解散を選択し総選挙中に急死。 鈴木氏を挟んで政権を握った中曽根氏はロッキード事件のただ中にあった田中氏の支援を受け「田中曽根内閣」とからかわれていたのもつかの間、田中氏が東京地裁判決で実刑となるや田中氏との決別を宣言し得意の「風見鶏」の姿勢を露わにする……など凄まじいバトルを展開しました。田中氏のロッキード事件についても「政治は数。数は力。力はカネ」というあけすけな政治信条が「熱いお金」に手を突っ込ませたところが背景にあると推測されます。小選挙区制への移行で弱体化 前述のように派閥政治の源泉ともいうべき中選挙区制が93年発足の細川護煕非自民連立内閣が進めた「政治改革」で現行の小選挙区比例代表並立制に変わり、また派閥の弊害の最たるものとされたうさんくさいカネ集めを止めるべく導入した政党交付金によって派閥の意味に違いが生じてきました。 それ以前にも派閥の限界を感じさせる出来事はありました。平成に入って最初の首相である宇野宗佑氏と次の海部俊樹氏はいずれも領袖ではありません。海部氏の後の宮澤喜一政権(領袖。池田派の流れ)で自民党が野党に転落し細川内閣が誕生。そこでの改革が大きな変化を生みます。 小選挙区は1選挙区で1人しか当選しません。同一選挙区で他派閥と公認権や当落を競う必然性がなくなったのです。公認権を持つのは幹事長。したがって小選挙区導入時は党執行部が権力を握りました。野中広務、古賀誠といった大物幹事長が差配しました。 ところが2001年に誕生した小泉純一郎政権あたりから雰囲気が異なってきます。「偉大なるイエスマン」といわれた武部勤氏を幹事長にすえるなど総理総裁が自ら候補者を決める権限を振るい始めたのです。真骨頂が2005年の「郵政選挙」で首相が推し進める郵政民営化に反対した自民党議員を公認せず、おまけに対立候補を公認して送り込むという徹底振りで大勝しました。 小泉首相は政権発足から派閥の大臣推薦リストも無視してオリジナルな組閣を心がけました。派閥の大きな役割であった「適齢期に順送りで大臣になれる」システムも崩壊したのです。以後の自民党総裁・首相で領袖なのは麻生氏のみ。小泉、安倍、福田康夫の各氏は違います。人材育成などで派閥の功績も 「三角大福中」や「安竹宮」(安倍晋太郎、竹下、宮澤の各氏で派をあげて首相を競った)時代を知る政治家や記者の多くがこう言います。「ロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件……。確かに自民党の腐敗はひどかったし、政策無視の政争も醜かった。でも」と。当時の政治家は今に比べてスケールが大きく、その育成は派閥の功績だったかも知れないというのです。 中選挙区時代は同じ選挙区の自民党議員と似たり寄ったりでは勝ちが覚束ないので違いを出すためにもさまざまな意見や主張が交わされました。派閥の領袖や先輩議員はカネを配るだけでなく選挙のイロハから教え込み、当選後は派閥ごとの得意分野の委員会などに所属して「族」となっていきました。この「族」もまた派閥政治の弊害とみなされる半面、一定分野に精通した専門家を育てたという面もあります。派閥を継承させるのが目的とはいえ有望な若手・中堅を次代の担い手に引き上げようという気風もみなぎっていました。田中氏は佐藤派に属しながら分離独立して田中派を立ち上げ、竹下氏はその田中派から分離独立しました。いわば飼い犬に手をかまれたも同然ですが、それでも「こいつはできる」という人材を排除せず要職にすらつけたのです。 中選挙区は総得票の3分の1程度かそれ以下でも取り込めば当選可能でした。だから明確なカラーを打ち出しやすかったという面もあります。ところが小選挙区は仮に2大政党の激突となれば理論上51%を制しなければなりません。どうしても総花的な主張になりやすくなります。 選挙区の小ささも問題で例えば東京都世田谷区は2つの選挙区をまたいでいます。区長選挙より狭いのです。当然そこでの議論も天下国家より身近な話題となりがちです。一方で「勝てる候補を」と考えるとどうしても地元に知名度がある二世や世襲が増えてきて大衆の生活目線など味わった経験のない「殿様」「姫様」を擁立する傾向にあります。 派閥の力が低下したと言われるなかかつて「脱派閥」を唱えていた石破氏が新派閥を作るのはなぜでしょうか。一つには大臣こそ派閥順送りが廃されつつあるも、政府の副大臣、政務官や国会の役職、党役員人事などではまだまだ権限を振るう余地が大きく無派閥のままではそこに仲間を送り込んだり国政選挙で新人に公認をもらったりといった効果が期待できないためでしょう。総務省に派閥を政治団体として届け出れば政治資金パーティーも開けます。パーティーは既存の派閥も有力な資金源としているのでカネの面での配慮でもあるようです。 岸田派は今回の内閣改造での冷遇で反主流派となるかというと、どうもそうした気配がありません。岸田氏自身は総裁選無投票に協力したのに待っていたのがこの仕打ちとなると、反安倍というより「うちのボスは大丈夫か」との方角へ向かいかねません。半面で古賀氏の影響力も衰えるでしょう。「安倍1強」状態維持で打った今回の人事はどうやら安倍氏の勝利に終わりそうです。ばんどう・たろう 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】

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    田原総一朗がひも解く自民党60年の政治史

    角栄が総理大臣になるとき、そう1972年ですね。香山健一とか佐藤誠三郎とか、公文俊平あたりが、新しい政党の在り方、みたいな論文出すんですよ。その論文が何だったかと一言で言えば、これからは自民党に投票される票数が減っていくという内容だった。要するに、自民党も社会党もどんどん減っていって、これからは無党派層が増えると展望した。 では、彼らが指摘した無党派層とは何かと言うと、政治に無関心な層といった意味ではなく、従来の自民党の在り方、従来の社会党の在り方に不満がある層が増えていると。これになんとしてでも手を打たなきゃいけないと。で、時の内閣は何をしたかと言えば、香山健一とか彼らを自分たちのブレーンにして、大平が「田園都市国家構想」とかね、いろんなものをつくった。 これからは経済中心の時代ではなく、人間中心の時代へ変えなきゃいけない。もっと自民党が自由に討論できる党にしなけりゃいけない。大平の指示で9つの委員会をつくって百数十人の学者、文化人を大量動員して検討を始めたんだけれども、大平は(一般)消費税を導入するというようなことを言い出して、自民党が選挙に負けちゃった。それから自民党内では「四十日抗争」があって、また選挙をしたんだけど、大平が選挙の途中で死んでしまった。その後、大平がつくったブレーンをそのまま自分が引き受けて活用したのが中曽根康弘だった。1983年11月、東京・西多摩の山荘で、来日したレーガン大統領(奥)、ナンシー夫人にお点前を披露する中曽根康弘首相 だから中曽根政治ってのは大平政治そのものなんです。その中曽根は自分が総理大臣になるまでは「憲法改正」と言ってたんだけど、総理大臣になった途端、改正を言わなくなった。それはなぜか。香山健一も書いてたんだけど、当時は自民党内でもリベラル勢力が強かった。共産党や社会党も今よりはずっと強かった。中曽根にしてみれば、もし憲法改正を前面に出してしまえば、自民党に獲って代わってリベラル政党が政権を獲るんじゃないかという恐れもあった。だから自民党はね、党内の派閥の結束を固めて、ミニ政党と手を組まないと政権維持できなくなった。こうした側面もまた、自民党の戦後政治の流れなんです。 この流れはしばらく続いたんだけど、これがひっくりかえる大事件が起きた。1980年代末のリクルート事件ですよ。この事件をきっかけに、これまでの選挙区制度をめぐる国民の不満が爆発した。現在の小選挙区制になる前は中選挙区制でしたよね。中選挙区制で自民党が政権を維持しようと思うと、例えば5人区の中で過半数以上の3人は当選させなきゃいけない。仮に当選した3人は、政策が基本的には同じなんだから、どこに差が出るかと言えば、やっぱり金だ。だから金権選挙になる。金権選挙になれば、当然選挙のための腐敗を招く。 リクルート事件では自民党の幹部たちがみんなやられちゃったから、国民世論は「金権選挙はダメだ」となって選挙制度改革が進んだ。僕もその時、当時宮沢内閣の副総理だった後藤田正晴に言われて「やっぱり小選挙区がいいな」と思った。そのことを後に僕が宮沢さんへのインタビューで突っ込んだんだけど、宮沢さんは全然はっきり答えなかったんだよね。 あの時は僕が宮沢さんをつぶしちゃったとか世間から言われたけど、宮沢さんは政治改革ができなくて結局失脚してしまった。長く続いた自民党政権の終わりを告げる「55年体制」の崩壊なんて当時は騒がれたけど、その後に誕生した細川護熙内閣で選挙制度改革が行われ、中選挙区から小選挙区に変わった。今になって思えばね、小選挙区になったことは良くないと思うんだ。どうもこれが社会を悪くしたと思っている。 小選挙区制は一選挙区で1人しか当選しないでしょ? でも自民党の良さはね、反主流派と非主流派がごっちゃになって絶えず足の引っ張り合いをやっているのが良かったんです。言い換えれば、党内の右も左も自由に討論出来るところが良かった。55年体制当時、自民党の総理大臣が失脚するきっかけは必ずといっていいほど、時の反主流派の台頭によって潰された。社会党や共産党に潰されるんじゃない、反主流派によって潰されたんです。 僕もそうだったけど、当時の政治記者って、社会党や共産党には全然興味ないんですよ。自民党の主流派と反主流派の喧嘩を取り上げるのがとにかく面白かった。これが日本の政治を決める真の論争であり抗争だった。ところが、小選挙区制になって反主流派がいなくなっちゃった。だから、自民党の中でも論争が行われなくなった。やっぱりね、かつての方が良かったんじゃないかな。今の自民党は、安倍首相の「独裁」とか揶揄する人もいるけど、これは安倍が悪いわけじゃない。自民党の中に非主流派や反主流派がいなくなっちゃたことが一番悪い。自民党の中でかつてのような論争が起こらないことが悪い。まあ、強いて言うなら、公明党が唯一、自民党の非主流派の役割をしているみたいなもんだよね(笑)。小泉純一郎を「天才」だと思う理由《55年体制崩壊後、細川護熙率いる連立政権が樹立し、自民党は戦後初めて下野した。当時流行した「新党ブーム」が沈静化すると、自民党は紆余曲折を経て再び政権与党に返り咲いたが、それまでの派閥政治を打破する政治家の登場で自民党はその後大きく姿を変えることになる。そう、小泉純一郎である》 小泉内閣の誕生については、僕は詳しい一人だと思うんだけど、あの時はね、小泉内閣で政調会長や幹事長をやった中川秀直から突然連絡があったんです。「田原さん、一回飯食おうよ」って言われ、東京・赤坂の料理屋の2階で中川と一緒に飯を食った。そしたらね、中川が大真面目な顔で僕にこう聞いてきたんだよ。自民党総裁選挙、小泉純一郎候補(右)のスーツに付いた埃をとる、応援に駆けつけた田中真紀子議員=2001年4月20日、神戸市中央区 「いま小泉純一郎が総裁選に出ようか出まいか迷っている。田原さんはどう思う?」。いきなりそんな事聞かれるから、僕も冗談半分に「今までの自民党は、経世会に全面的な支持を受けるか、あるいは経世会の人間しか首相になれなかった。もし、小泉が経世会の田中派とまともに喧嘩するというなら僕は支持してもいいなー」と言った。でもその後すぐにね、こうも付け加えたんだ。「でもね。経世会とまともに喧嘩したら暗殺されるかもしれないよ(笑)。小泉は本当に政治生命がなくなるかもしれない。それでも、経世会と本気で喧嘩するなら、僕は支持するよ」と。 僕の考えをそう伝えたら、中川がおもむろに「じゃ、ちょっと待ってて」と下へ降りいった。しばらくすると、小泉が中川に連れられて僕の前に現れた。僕もまさかとは思ったけど、中川に言ったことをそのまま小泉にも言ったら、小泉はね、こう言って返したきたの。「おれは殺されてもやる!」ってね。 僕はこっから先の話が、小泉が「天才」だと思う理由なんだけど、もし総裁選に出馬した小泉があの時、国民に向かって「経世会田中派と喧嘩する」とか「潰してやる」とか言ってもね、普通の有権者は何のことかよく分からないし、何が変わるのかさっぱり分からなかったと思う。でも小泉は選挙になると「自民党をぶっ潰す」というフレーズに変えて言った。この人は言葉を巧みに操る天才だと素直に思った。本音のところは、自民党をぶっ潰すというより「経世会田中派」という派閥をぶっ潰すという意味だったんだろうけど、彼はそれを「古い自民党」を壊すという建前にすり替えて広く国民の支持を得た。だから、小泉は凄いと素直に思った。 アメリカでもイギリスでも保守とリベラルっていう思想が根づいている。アメリカで言えば、共和党が保守で民主党がリベラル。イギリスで言えば保守党が保守で、労働党がリベラル。保守とリベラルのどこが違うかと言えば、保守は自由競争。そして、あまり政府は経済に介入しない。「自由競争」「小さな政府」という伝統的な考え方が保守なの。でも、自由競争と小さな政府が続くと、どうしても社会には格差がどんどん開いてくる。 そうすると、市民の不満がどんどん募り、今度は選挙でリベラルが勝つ。民意を得たリベラルは一転して、社会格差をなくすために規制をどんどんつくる。社会保障や福祉の充実をガンガンやろうとするから、今度は財政赤字になる。財政赤字になって市民が危機感を募らせると、次の選挙ではまた保守が勝ってしまう。日本では、自民党が一応、保守政党と言われるんだけど、実は自民党がやってることはリベラルなの。なるべく税金を上げないで福祉をガンガン充実させようとしている。これは日本にとって本当に不幸なことなんだけれど、自民党がダメになって民主党に政権が移ると、もっとリベラルになってしまう。だから、日本には保守政党なんてないの(笑)。でも、日本の政治家の中で唯一、小泉だけは保守だったと僕は思っている。「痛みを伴う構造改革」っていうのは、保守の考え方そのものなんです。こうして振り返ってみると、小泉の後に続いた自民党総裁はいずれも保守ではなくリベラルだった。だから、短命政権で終わったんだと思う。 自民党政治をいろいろ振り返ってきたけど、やはり一番の問題は選挙制度が変わったことだね。これはね繰り返しになっちゃうけど、僕はあの選挙制度改革の時に後藤田に言われて「小選挙区制がいい」と思ったんだけども、やっぱり問題ばかりだったね。ただ、自民党の幹部の何人かに聞くと、小選挙区制が問題なのは分かっているけど、中選挙区制には変えたくないと言うんだ。それはなぜか。一言で言ってしまえば「カネ」。中選挙区制の時はとにかく選挙に金がかかって、1回選挙やれば、一人につき億単位の金がかかったっていうぐらいだから、今の自民党ではとてもそんな大金を用意することはできない。いや、できなくなった。 さっきも言ったように、最大野党の民主党も今のままじゃあダメなんだから、せめて自民党の中に反主流派を育てて、党内で論争が起きるくらいにならないと日本の政治はもっとダメになる。本音を言えば、もっと野党が強くならなきゃという思いもあるんだけど、今の野党は弱いから、もうどうしようもないね。民主党だってさ、安保法制であんだけ自民党を批判したんだから、当然対案ぐらいは出すべきなのに出さなかったよね。13回忌となる池田勇人元首相をしのぶ会で、参院選の勝利を喜び合う(左から)田中角栄元首相、福田赳夫首相、大平正芳自民党幹事長=1977年7月、東京・芝公園のホテル 実を言うとね、僕が好きな政治家は田中角栄なの。いま振り返ってみても、田中角栄が言ったことは全部当たりだったんだよね。田中角栄がやったことはみんな良かったと思う。大体、法案っていうのは役人がつくるわけで、すり替えたり出来ないのよ。政治家は全然勉強してないし。これは堺屋太一(元経済企画庁長官)が言ってたんだけれども、一つの法案を作るときには、これが今までなかった法案であることを世に示さなきゃいけない。だから、政治家だって物凄く勉強しなきゃいけないんです。田中角栄は首相在任中に33もの法案をつくった。こんな政治家いませんよ。彼ほど政策が分かり、人心掌握術があり、官僚を見事に使いこなした政治家なんて見たことがない。ニッポンの戦後は田中角栄が予言した通りに動いていると言っても過言ではないと思う。僕はロッキード事件だって田中角栄は無罪だと思ってるから。僕が講談社から出した「田中角栄無罪論」(『戦後最大の宰相 田中角栄〈上〉ロッキード裁判は無罪だった』)、もしよかったら読んでよ(笑)。 でも、角栄の時代とは違ってね、高度成長の時代が終わって日本の政治家はみんな小粒になった。よく「田中角栄に匹敵する政治家がいるか」とか聞かれるけど、もちろんいなくはない。でもね、一番の問題はやっぱり自民党の中で論争が出来ないことが大きいの。派閥の中でいろいろな論争があって、それを乗り越えてきたからこそ、田中角栄みたいな政治家が生まれた。論争が起こりもしないぬるま湯の中で良い政治家なんて育ちやしない。論争に揉まれていくうちに政治家は逞しくなっていくんでね。それが今はないのが一番残念なんだよね。(聞き手 iRONNA編集長、白岩賢太/編集部、川畑希望)

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    「タカ」も「ハト」も不毛だ

    は、今の自公政権との大きな違いが出せる分野です。 政治改革によって小選挙区制度が導入できたのは、二大政党制による緊張感のある政治を国民が求めたからです。上記のような民主党の理念と政策を早急にとりまとめ、野党再編の受け皿をつくることが岡田新執行部のミッションだと考えます。政党同士の合併かどうかは別にして、来夏の衆参同日選挙を戦うには、野党第1党は衆議院で三桁の議席を確保した上で、全小選挙区に候補者を立てる必要があります。 2009年、2012年の総選挙共に、野党第1党が100を超える現有勢力で戦い、小選挙区の特性によって過半数の議席を獲得し政権交代を実現しています。民主党が自公政権との差別化に成功し、国民の信頼を回復した上、野党再編の要になることこそ歴史的な使命であると確信します。関連記事■ 二大政党制じゃなくてなぜ悪い!?■ やまもといちろうが考察 野党であるために何ができるのか?■ 「派閥の政党化」が2大政党制へのカギ

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    民主党に未来を語る資格はあるか

    民主党は新代表に岡田克也氏を選んだ。「自民は右」と指摘し、一度は封印した中道路線への回帰を明言した岡田氏。次期衆院選での政権交代を見据えた党運営も示唆したが、国民の期待を裏切り続けた政権担当能力にはやはり疑問符もつく。新しい民主党に日本の未来を語る資格はあるのか。

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    民主党代表選で選ばれたものは何だったのか

    2~3割を占める、リベラルな価値観を信奉する有権者の受け皿としてのそれであろう。いわゆるリベラル系の政党には、共産党も社民党もあるのだが、特に組合票の受け皿として、民主党がこの層の支持を集める中心的存在であり続ける可能性は高い。だが、小選挙区という制度の特性や、一票の格差の問題を考え合わせると、リベラル票/組合票の支持に基づく獲得可能議席はせいぜい衆議院で100議席前後である。その意味で、民主党の衆議院での73議席は、野党の分裂によって自民党を利している部分があり、実力以下の議席であると考えていい。民主党代表選は決選投票にもつれ込んだ=1月18日午後、東京・紀尾井町のホテル(酒巻俊介撮影) しかし、それは民主党がリベラル票と組合票を代表する存在である限り、民主主義の数の現実においてはそれ以上の存在とはならないということでもある。実際に、2009年の政権交代選挙において300議席を獲得した民主党も、それまでは、せいぜい130議席前後しか獲得できていなかった。自由党を吸収して保守層に支持を広げてはじめて180前後の議席を獲得できるようになったのである。 だからこそ、民主党代表選に意味があったわけだ。細野元環境相が掲げた路線は、マイルドな保守層にも支持を広げて本格的な政権交代を実現する路線であったのだと思う。選挙期間中は、民主党内の世論に配慮して、細野氏自身もまずは民主党の再生をということを強調していた。党首選の最中に飛び出して泥仕合となってしまった維新との統合話について、言った言わないのごたごたの真相は不明だが、野党再編についてもより前向きであったと考えていいだろう。 仮に、この路線が勝利していたならば、リベラルから保守までを包含した旗印を掲げる必要が出てくるので、政策的には、民主党が従来から有している難しさを抱え込むことになったはずだ。今後も、野党再編の火はくすぶり続けるであろうが、その一番の難しさは統一的な意思決定の下に行動できる集団を作れるかであろう。 岡田代表の選出で、野党再編の可能性は遠のいたと考えていいのだが、仮に民主と維新が統合するような場合を考えるとすれば、ポイントは自民党との違いを出すためにどのような政策に焦点を当てるかだ。民主党は地方分権に近い地方分散というようなことも言っているわけだから、部分的には、維新と協力できる可能性はある。統治機構の改革は、大阪における展開を見ても、確かに自民党と大きな違いが出せる可能性がある領域である。 国家観や外交・安全保障についてはどうしても相容れないだろうから、経済政策の部分で、何とか折り合いをつけ、自民党との違いを出すしかない。この点、細野氏は、自民党の経済政策をトリクルダウン経済だとした上で、ボトムアップ経済を主張していた。残念ながら、細野氏が掲げる政策は、すべて分配に関わる点であり、マクロ経済の視点も、グローバル競争の現実を踏まえていなかった。今後、マイルドな保守層を取り込みたいのであれば、日本経済の競争力について語らねばならないし、マクロ経済について語らねばならない。そもそも、政権交代を現実の視野に入れる政党が分配政策以外の経済政策を持たない状況は異常であるという認識から始めねばなるまい。 対して、民主党の議員やサポーターが選択した岡田路線とは、簡単に言えば、民主党をリベラル票と組合票の受け皿として本来の実力を発揮できるところまで再生しようということである。政策的には多少すっきりするであろうが、仮に、自民党に敵失があったとしてもせいぜい150議席程度を目指すという路線である。 であるからには、連立政権を想定しない限りはかつての社会党のような批判勢力、牽制勢力としての意味しか持ち得ないわけだ。岡田路線で、再び単独の政権交代を目指すことには殆どリアリティーがないが、この現実を受け入れて、連立戦略をとり、政権の一角を占める存在として存在感を発揮するという道は、実はなかなか面白い。 維新と連立する場合、維新が掲げる踏み込んだ地方分権や規制改革を飲み込んだ上で、社会保障などの分野でリベラル色の強い政策を実現することになるだろう。維新と連立を組む緊張感によって、官の無駄を省くという政策にも成果が期待できるかもしれない。 反対に、自民党と大連立することで、社会保障や税制の改革から党派性を取り除き、この国に不可欠な、しかし、政治的にはなんとも難しい改革を前に進めることも可能かもしれない。寄り合い所帯の不決断が民主党の悪しき伝統なので、実現可能性は低いかもしれないが、日本政治において再び意味のある存在となるチャンスはある。 思えば、日本的経営の躍進を支えた企業別組合は、正社員の保護に過剰にこだわって弱体化したけれど、資本主義経済の競争的側面に盲目ではなかった。だからこそ、日本企業はグローバルな競争力と、従業員の一定の福祉や平等をバランスしてこられたわけである。民主党が、リベラル票、組合票の価値観にこだわりつつも、それでも、社会の中で前向きな存在となるためには、現実的な経済政策を掲げることは必須である。新代表には、まず、その点に取り組んで頂きたい。関連記事■ やまもといちろうが考察 野党であるために何ができるのか?■ 次世代の党 壊滅の意味とその分析■ 自らの過ちを省みぬサヨク・リベラル勢力の現状>

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    国民の期待を裏切った反省も総括もせず

     岡田克也氏、細野豪志氏、長妻昭氏による三つ巴戦となった民主党代表選(1月18日投開票)。代表選出が有力視される岡田氏だが、過去の実績を見ると、岡田氏には勝負勘がない。 2012年には副総理として当時の野田佳彦首相の解散を後押しし、結果、歴史的惨敗によって政権の座から転落した。代表時代の2005年の郵政解散でも、自民党が分裂選挙となったことから「これで政権交代が実現できる」と喜び勇んだ挙げ句、自民党に圧勝を許した。政策がひどいのは同じでも、選挙に強いだけ安倍自民のほうが役者が上かもしれない。 もっとも、細野、長妻両氏も反省が足りないという意味では同じ。 「明るい細野」を掲げた細野氏は福島第一原発事故の後、菅・野田両内閣で原子力担当相を務めて「事故収束宣言」を出したが、被災者の多くは今も帰還できず、将来が見えない「暗い生活」を強いられている。 「年金守ります」をキャッチフレーズにした長妻氏も、厚生労働大臣として年金改革の責任者の立場にあったが、改革どころか年金崩壊はさらに進んでいる。3人とも国民の期待を裏切り、反省も総括もしていない。 にもかかわらず「ブレない」「明るい」「年金守ります」というフレーズを臆面もなく打ち出すコップの中の争いでは党の再生などできるはずもない。関連記事■ 民主党代表選 内ゲバ的な非難の応酬で国民は呆れるしかない■ 石破茂氏 解散決定時に国会内で使用制限の携帯メールしてた■ 「ブレない」岡田氏 政権取る前と後で発言と行動ブレていた■ 進次郎vs細野で次世代対立軸示せれば旧世代安倍氏の政治終焉■ 民主党 安倍政権と歩調を取れる「岡田・細野」軸に代表選準備

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    国民は知っている「ブレた」岡田氏

     1月18日に投開票が行なわれる民主党代表選。そもそも岡田克也氏が大手を振って代表選に出てくること自体、この党が国民の信頼を失った原因を全くわかっていないことの象徴だ。 「ブレない岡田」のフレーズは野党再編を巡って発言が変わった細野豪志氏との違いを際立たせるために用意したものだろうが、政権を取る前と後で岡田氏の発言と行動がどうブレたか、国民はよく知っている。 2009年の政権交代選挙の街頭演説で岡田氏は「私たちは、208兆円ある一般会計と特別会計、このなかで、約9兆円の金を作り出すといっている」(同年8月19日)と増税なしでマニフェストを実現すると約束しながら、野田政権の副総理時代には、「次の世代のために消費税を上げないと財政がもたない」(2012年3月31日の政府の対話集会)と恥ずかしげもなく増税に舵を切った。 あるいは、民主党がマニフェストの柱にしていた官僚の「天下り根絶」にしても、民主党政権時代に「現職出向」制度の拡充などで逆に天下り規制は骨抜きになり、シロアリ肥大化を招いた。それは霞が関が東日本大震災の復興予算を流用しまくっていたことでも明らかだ。 そんな岡田氏が「ブレない岡田」とはチャンチャラおかしいが、それを誰もツッコまない民主党全体の感覚にも驚くばかりだ。関連記事■ 自民政権が50年間達成できず民主政権が2年で達成できたこと■ 民主党代表選 内ゲバ的な非難の応酬で国民は呆れるしかない■ 消費増税の民主党はマニフェスト破り 国民を騙した詐欺行為■ 女子高生 演説の野田首相に「野田のせいで道通れん」とグチ■ 公約破り追及された岡田副総理 「次は投票するな」的回答する

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    「党再建最後のチャンス」を失った民主党

    古谷経衡(著述家) 民主党の新代表に岡田克也氏が就任した。意外だった。 何故なら、同じく代表選挙に立候補していた細野豪志氏が、なんだかんだ言って勝利する、と予想していたからだ。 しかも第一回投票では僅差で細野氏が上回っていたのが、決選投票では岡田氏がこれまた僅差で逆転する、という波乱があった。  岡田克也氏と言えば、多くの国民は2004-2005年に代表を務めた、当時小泉政権下の岡田民主党を思い浮かべるだろう。更に2009年からの民主党政権でも、何度も総理候補として名前があがったが、結局、菅・野田の両政権で幹事長を務めたので、岡田さんといえば「幹事長」という役職が真っ先に思い浮かばれる方も多いだろう。 正直なところ、「岡田新代表」と聞いて、「へーまたやるの…」という冷めた見方をする国民が大多数だと思う。 岡田氏は今回の代表戦で「オール民主」を繰り返したが、決選投票でほぼ、党内がまっぷたつに細野氏と割れたことから、「民主党はバラバラになるのではないか(1月19日付、産経新聞紙上で自民党国防関係議員のコメント)」との意見も、今後の展開としては大いに有り得ると思う。もし細野豪志氏が代表になっていれば… 「後の祭り」と言ってしまえばそれまでだが、民主党は今回、細野豪志氏を新代表に選ばなかったことで、「党再建最後のチャンス」を失ったとみるべきである。 細野氏本人の政治家としての能力はともかく、岡田克也氏(61歳)とくらべて圧倒的に若い細野豪志氏(43歳)は、脂が乗り腹が出っ張った政治家業界の中では断トツに端正なルックス。 かつて岡田代表の後継として新代表に選出された前原誠司氏が「民主党のジャニーズ系」と持て囃されたが、ハッキリ言って同性の私からみても、前原氏には失礼だが細野氏のほうが圧倒的に写真映りが良く男前だ。 細野氏が民主党の新代表となったならば、「刷新」のイメージが先行して、すくなくとも民主党の支持率はピクリと何ポイントか、急上昇したに違いない。細野豪志・民主党元幹事長 こんなことを書くと「有権者は顔で投票先を選んでいる」みたいな、有権者蔑視ともとられかねないところだが、何を隠そう2005年の総選挙(小泉政権下・いわゆる郵政選挙)で惨敗した岡田民主党は、その敗因の一つを「笑顔がなく、いつも陰鬱な感じのする岡田さんが、陽性の小泉に負けた」と散々言われていたのだから、あながちルックスも侮る無かれ、である。 そしてなんといっても、細野豪志氏は1997年に英国史上最年少で首相に就任したトニー・ブレアと同い年の43歳。ブレアと細野氏を政治家としてどう比較するのかはともかく、「日本のブレア」などと、選挙戦で「刷新」を存分にアピールすることができる。 若者層の格差や貧困、などが社会問題になっているだけに、首相就任時のブレアと同い年という細野氏の「若さ」は何者にも代えがたい武器になっただろう。 しかし、民主党は岡田克也氏を選んだ。後世この代表選は、後悔してもしきれぬ、「民主党最大にして最後の大失敗」と記憶されるだろう。「バルジの戦い」と民主党 1944年12月、ノルマンディー上陸後に連合国がフランスを解放して東進する中、劣勢のドイツ軍はベルギーのアルデンヌ付近で一大反転をかけるべく、西部戦線でほとんど持てる全ての機甲戦力を動員して「ドイツ軍最後の大反撃」と呼ばれる「ラインの守り作戦」を敢行した。 当時、東へと進む連合軍部隊は、ドイツ軍にもはや大規模な反撃能力は残っていないと見做し、さらに天候不良も手伝って全く油断した状況にあった。そこに、不意を付く形でドイツ軍が反撃してきたのだから、連合軍は大混乱に陥った。 連合軍は一時的にアルデンヌから駆逐され、後退を余儀なくされた。ドイツ軍の反撃は成功、連合軍を圧倒し、勝利を収める。この戦いは、ドイツ軍が地上戦で勝利した最後の作戦と成った。 しかし結局、体制を立て直した連合軍が航空優勢の元、盛り返してドイツ軍は敗退するのだが、戦線の中にドイツ軍の反撃で盛り上がるように突出した部分が出来たことから、戦後、この戦いは「バルジの戦い」と呼ばれるようになった。「バルジ」とは、「突出」という意味である。 先の総選挙でも振るわず、海江田代表が落選するという衝撃的な結末を迎え、じりじりと後退する、大戦末期のドイツ軍の趨勢にそっくりの民主党も、今回、細野豪志氏を代表にしていれば、この「バルジの戦い」程度の「反撃」が出来ただろうことは、想像に難くない。 後退が続く民主党の、最後の総力を振り絞って乾坤一擲の大反撃を行うためには、誰よりも若く「刷新」と看做される「細野新代表」しか居なかった。 自民党だって、「細野新代表」となれば、ある程度の脅威となる、と考えていたに違いない。 しかし民主党は、「最後の賭け」にも撃って出ること無く、まるでもはや書類上だけの存在になった主兵力を温存するかのように、決戦を避け後退戦術を選んだ。 ここぞ、という時に「若者」に最後の希望を託せなかった民主党は、あれよあれよと坂道を転がり落ちていくに違いない。 大抵の戦争では、主兵力として温存された「虎の子」の部隊は、そのまま使われること無く終戦を迎えるか、或いは「虎の子」の部隊そのものが末期状況の中で分裂し、四散するかのどちらかである。 野党協力にも終始消極的で、結果、党も二分する結果になった岡田民主党は、果たしてこのまま冷えて終わるのか、それとも分裂四散するのか、見ものである。関連記事■ 次世代の党 壊滅の意味とその分析■ やまもといちろうが考察 野党であるために何ができるのか?■ 日本共産党への警戒を緩めるな

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    自民党よ「一強多弱」でも 驕るなかれ

    ミクス選挙だが、「一強多弱」となった勢力図の中で、共産党の躍進に注目が集まった。自民、民主の二大保守政党アレルギーの受け皿となったとの分析もある。数の論理では圧倒的優位に立つも、驕るなかれ自民党。

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    日本共産党への警戒を緩めるな

    はその政治信条では自民党と余り変わらないが、共産党は共産主義というイデオロギーに基づく世界観を有した政党だ。イデオロギー色は少なくなったが、同党が共産主義思想を破棄したとは聞かない。 日本の有権者は共産主義の実態を理解しているのだろうか、と懸念する。冷戦時代、東西両欧州の架け橋的な位置にあったオーストリアは共産主義諸国の実態を間近に目撃してきた。連日、旧ソ連・東欧共産政権から人々が命がけで逃げてきた。オーストリアは冷戦時代、200万人の政治難民を収容した。だから、大多数の国民は共産主義が間違った思想であり、国民を幸福にしないことを教えられなくても知っている。 オーストリアにも共産党は政党として存在するが、国民議会で戦後、議席を獲得したことがない。国民は共産党を信頼しないからだ。一方、日本はどうだろうか。共産党が政権への批判の受け皿になった、ということは何を意味するのだろうか。繰り返すが、共産党の歴史観、世界観、人間観が人間を幸せにしないことは実証済みだ。 多分、日本の有権者の中には、共産党イデオロギーを支持はしないが、与党批判の声として票を投じた国民が多くいたのだろう。冷戦を身近に体験してきた当方は日本の共産党が正式にその思想から決別するまで警戒を解くべきではないと考えている。(ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より)

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    自民党が勝ったわけではない 「普通の感覚」の勝利だ 

    古谷経衡(著述家)総選挙の結果を振り返る 総選挙が終わった。自民党が2議席減、公明党が4議席増で自公政権全体で2議席増と、当初「微減」も囁かれた自公政権にとっては現有議席を積み増す「大勝利」となった。一方、投票率は過去最低を更新した。  今回の選挙をどうみるべきか。それは「安倍政権を積極的に全肯定はしないが、強く否定はしない。でもあんまり過激なのは駄目だよ。とりあえず2年じゃ分からないから、もうしばらくやってみては」という事に尽きる。 要するに日本人は、微温的に「現実路線を選んだ」という事だ。 第二次安倍政権が発足してから未だ2年。アベノミクスの光と影、等と言われることが多いが、経済政策は安定的で統一的な政策が長く続いてこそ、遅効的にその効果が確認できるというもの。2年で経過時点ではそもそも判定のしようがない、というのが正直なところだ。 だから、私は今次の総選挙に「大義がない」とよく言われたことについては概ね同意だった。どう考えても争点が希薄だった。だって「たった2年で何を判断しろというのか」というのが、率直な感想だったからだ。 それでも政権与党が衆議院を解散し、国民に信を問うた。国民の側としては、「いまだ判断材料が足りず、よって黒とも白とも判断できないから、とりあえず継続してみたら」という、消極的だが微温的な現政権への信任という回答が返ってきた。「2年という時間で或る政権の良し悪しを判断するのは無理」というのは、至極現実的で常識的な判断だと思う。平成期、ほぼ1年毎に政権が変わってきた、これまでのあり方が明らかに異常だった。 政権への判断基準は、明らかに「政策」ではなく「失言」とか「イメージ」だった。或いは、世論と関係のない党内力学といった「政局」の結果だった。誠に不健康な政治情勢が続いた。常識のレンジ(間隔)の範囲内で ここに来てようやく有権者は、現実の皮膚感覚に見合った「普通の感覚」で、腰を据えて政治を見るようになってきた。今回の総選挙を一言で締めくくるとすれば、それは日本人が常識的に併せ持つ「普通の感覚」の勝利だといえる。「自民党より右」を標榜して選挙戦を戦った次世代の党が、壊滅的状況となり、野党の中で「一人負け」をしたことも、この「普通の感覚の勝利」を大きく証明することだと思う。 公明党をぶっ潰せ、とか外国人(在日朝鮮人など)の生活保護受給批判、などの主張は、政治的にニュートラルな多くの日本人にとっては「過激」と映った。一部のネット空有では「スタンダード」な言説であっても、市井の日本人にとってそれは普通ではない。 これだけネット社会が拡大し、細分化した「島宇宙」にようになっているネット空間の中の、とりわけ保守的な言説を選択して選挙戦で主張した(ように見える)次世代の党のやり方は、多くの日本人の「普通の感覚」からは乖離していた。 さらには、次世代の党の主張の中には、例えば生活保護に関してそもそも事実と異なる主張も散見された。有権者は冷静に、そのあたりの誠実さの有無を見抜いていたのだろう。全く賢く、常識的で、「普通の感覚」が有権者をして投票所に向かわせたと断言するよりほか無い。穏健な「保守」政権の継続を 安倍内閣の政策には、良い部分もあるが、と同時に様々な問題もある。しかし、だからっと言って、100点ではないから、を理由に使い捨てライターの如く、次から次へと首の挿げ替えを行っていては、「安定的で一貫性のある政策」を実行することは出来ない。だからとりあえず、「経過観察」を続けよう―。 この常識的な理屈が、有権者の中に共有されていた「普通の感覚」なのだ。有権者は、極端なものや過激を嫌い、常識的で微温的で穏健な「保守」を支持した。このことは、間違いのない議席となって今次選挙で証明されたのである。 どんどん、世の中の全てのサイクルが短くなっている。映画もアニメも短いものが好まれるようになった。短期間で結果を出すことが殊更強調されるようになった。 一日の長さは太古の昔から変わっていないのに、我々はより短いもの、より短い期間での判断を求めるようになっている気がする。物事がどんどん短くなり、人々は長いものや長いことに我慢ができなくなり、せっかちになっている。このような風潮は、確実に政治や政治家に、短期間での結果を求めがちな風潮に繋がっていると思う。 今次の選挙は、このような風潮に歯止めがかかった、と言える。腰を落ち着けて物事を判断しようという、当たり前の事に有権者は漸く気がついたのかもしれない。 これから発足するであろう、第三次安倍政権には、こういった「普通の感覚」を背に、極端でも過激でもない、常識的で微温的で穏健な「保守」政権として進んでもらいたいと思う。 今次選挙は、自公政権が勝ったのではない。日本人の中にある、「普通の感覚」が勝利したのだ。

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    「靖国参拝党」をつくってみませんか

    平成8年から導入された小選挙区制により、幕を開けたはずの「二大政党」対決の構図が崩れつつある。日本の政党政治はどこへ向かうのか。もし、あなたが「二大政党」を考えるなら、どんな線引きをしますか。

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    二大政党制じゃなくてなぜ悪い!?

    古谷経衡(著述家) 日本では二大政党制というのは中々定着しない。「55年体制」に於ける自民党と社会党だって、二大政党制とは程遠かった。「二大政党」というには余りにも社会党の議席が小さすぎたし、そのせいで政権交代の可能性がなかった。アメリカやイギリスなどは、4~8年位のスパンで、明確に温度差のある二つの政党が交代を繰り返しているが、このようなダイナミック性が日本政治にはあまり観ることが出来ない。 私は日本において二大政党制が定着しないことは、全く悪いコトだと思わない。寧ろ、白黒をはっきりさせず、微温的な支持で政権が選択されること自体は、物事を常に中間で観るという志向が定着しているからで、健全な感覚に近いと思う。 アメリカの共和党や民主党は、個別の政策という以上に、明らかに人生観や倫理観の違いが本質的な対立点になっている。同性婚の是非、人工妊娠中絶の是非云々、というアメリカの保革の両極で熾烈な争点になりがちなイシューは、個別の政策というよりもそれらを支持する人々の宗教観を背景にしたものである。日本にはこのような、宗教観を背景とした人生や倫理を問う話題が、真っ二つに分裂し、そこに党派性が宿るという事例は、ほとんど観られない。 日本で見られる保革の両極による熾烈な激突は、例えば憲法「9条」問題に観ることができるが、実際には9条の改正については、自民党、維新の党、次世代党などが「改憲」、公明党が「加憲」、民主が「創憲」と、現状の国会における議席の、9割近い議席を占める各党が、現行憲法に対して何らかの形での変化を望んでいることからも、実際にはその方法論はともかく、「国論を二分する状態」になっているとは言いがたい。 日本における護憲政党はわずかに共産・社民・生活などの少数野党で、この全部を合計してもかつての社会党の議席にも遠く及ばない。日本の有権者は常に、極端で過激な主張を嫌い、中間的で微温的な意見に耳を傾けているからだ。 それでも、「もし二大政党制が日本で実現するとしたら」を想像するのは楽しい。日本で、両者が激突する熾烈なテーマというのは何だろうか。 例えば「モテ党」と「非モテ党」というのはどうだろうか。前者は異性に不自由しない人々の団体で「一夫多妻制法案」や「重婚解禁法案」を提出する。他方、異性にモテない後者の団体は、「童貞軽減税制」や「クリスマス禁止法」の制定を求める。国会内で大激論が交わされるのは必至だし、時として流血の事態にすら成るかもしれない。 更に進めば「猫党」と「犬党」というのも大きな対立点だ。基本的に猫や犬を飼っている人間というのは、自分の飼っている動物が「世界で一番カワイイ」と信じ込んでいる。そこへきて、「猫飼育優遇税制」、「犬飼育優遇税制」などが提起される。限られた予算を、犬と猫で奪い合うという骨肉の争い。こちらも大紛糾に成るだろう。 少し真面目な話に戻せば、「持ち家党」と「借家党」。これは大きな対立点になりうる。「持ち家党」は固定資産税の減免と住宅ローン減税を求める。持ち家のバリアフリー化や耐震診断や補強工事を100%国が助成せよと迫る。とにかく土地所有者に有利な法整備をどんどん提言する。自身が大家になる場合もあるから、所謂「敷金訴訟」などは、徹底的に大家側の味方だ。 一方、「借家党」は国による公営住宅の増設やURの入居審査の緩和、借地借家法の更なる弾力化と、特定優良賃貸住宅の入居基準の緩和と物件数の拡大などを要求する。「敷金訴訟」では、預けた敷金の倍額を慰謝料で払え、等という無茶苦茶な大家への濫訴も支持する。礼金や保証金を法律で禁止し、「更新料」を廃止し、家賃値上げ訴訟の場合、弁護士費用は無料にしろと主張する。違反した大家や仲介業者には熾烈なパナルティーを課す。とにかく借り主に有利な法整備をどんどん提言する。 恐らく、これこそが最も大紛糾に陥るのではないか。土地持ちの老人と、もたざる若者の間で本格的な世代間闘争が勃発し、全国各地で粗暴事件や訴訟が激増するだろう。 やっぱり、「二大政党制」は無い方がいい。

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    「派閥の政党化」が2大政党制へのカギ

    くから地盤固めをしっかりしてきた自民党が抜きん出た格好だ。 第三極は沈没し、民主党は伸び悩んでいる。政党政治としてブレていないのは結局、共産党だけ(だからといって、政権担当能力があるというわけではない)というのが透けて見えるのが分かる。 政権交代を可能とした小選挙区制度。確かに、過去に政権交代は起きたが、非自民党政権は長くは続かず、今回の衆院選でも「民主党はノー」という“民意”が突きつけられそうだ。現在の自民党に反対したいのに、投票先がない、野党で受け皿がない。そんな声をよく耳にする。本来、片方がダメならもう片方に任せようとなるのが、2大政党制の持つ意味だからだ。つまりいまなお、日本には自民党に代わる政権担当能力を持つ政党がないということに他ならない。だとしたら、どのような政党であれば、2大政党制が安定して続けられるのだろうか。 2大政党制に関しては、たとえば外交・防衛のスタンス、経済のスタンスなどで振り分けられる。米国の共和党と民主党は、前者が小さな政府、後者が大きな政府(ざっくりとした分け方ですが)を求めている。はっきりした差異が2大政党制には必要で、現在の日本の与野党ではこの差が分かりづらい。それが2大政党制を困難にしている要因の一つだろう。 たとえば、現在の野党を見てみれば分かりやすい。次世代の党は元自民党の石原慎太郎氏、平沼赳夫氏が先頭で引っ張っているが、石原氏は元青嵐会、平沼氏は元師水会で、いずれもタカ派路線。右寄りの議員が多く、安倍首相に近い。 維新の党は、新自由主義を目指し、地方分権、霞が関改革、議員定数削減などを掲げており、経済政策の面で見れば、より強烈なアベノミクス推進だ。 一方、民主党は複雑だ。リベラル保守の色合いを持つものの、ご存知のとおり支持母体に連合があり、旧社会党系の議員もいることから左寄りの政策も出たり、かといえば、松下政経塾出身者による新自由主義寄りの考えを打ち出すこともある。 生活の党、社民党はイデオロギーで異なるものの、政策面では左寄りで似かよっている。 つまり、左寄りの政策か、極端に右に振れているか、それともどっちつかずかが、現在の野党だ。これでは、非自民党の受け皿が見当たらないという有権者の悩みは当然とも言えるだろう。 つまり、リベラル保守が決定的に欠けている。この解決の道は、「派閥の政党化」がカギではないか。これまでの歴史を振り返ってみれば、自民党の派閥による政権たらい回しだった。非自民党政権を樹立したのも、小沢一郎という元自民党の“剛腕”あってのことだった。つまり、自民党で経験した人が中心となって、違った政党で競い合っていく。 ことさら自民党が優れているということではない。しかし、政権を担当するということは、正論を言う、与党を追及するといったことに腐心する野党では計り知れない調整力と先見性、広い視野と冷徹さが求められる。その学習を、階段を一段ずつ上るようにさせていたのが、かつての自民党の派閥だった。 現在の安倍晋三首相は清和会出身。安倍首相の祖父、岸信介元首相の岸派の流れを汲むもので、親米を基調としながら自主憲法制定を唱え、再軍備に積極的であるなどタカ派色が強い。 一方、リベラル色が強く、政策通を自負しているのが宏池会だ。吉田茂元首相をルーツにし、池田勇人元首相が立ち上げた派閥で、その後も大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一が首相の座に就いた名門派閥である。 タカ派とハト派ーー。憲法改正派と九条堅持派は、米国の共和党と民主党のような小さな政府と大きな政府にも分けられる。保守という点では変わりないものの、双方の“思想”には大きな隔たりがある。 現在の自民党内を見れば、宏池会のほか、田中角栄元首相の木曜クラブを前身とした平成研、三木武夫・河本敏夫の流れを汲み“党内左派”と呼ばれたこともあった番町研など比較的ハト派派閥と、清和会のほかには麻生太郎元首相が会長を務める為公会、石原伸晃前環境相が会長の近未来政治研などがタカ派色の強いグループとされる。 この自民党の派閥が分かれることで、野党もどちらかに加わり、徐々に2大政党に収斂していくことが現実的で一番の近道ではないか。いずれにしても、このままでは閉塞感と失望感だけの政治になってしまう。政治家には、一刻も早く2大政党制への道程を突き進んでもらいたい。そう切に願っている。

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    保守二大政党にしかリアリティーがない

    こともあるでしょう。しかし、それが長期的に健全な状況でないことは明らかです。だとすれば、長期的に二大政党制、あるいは政権交代の緊張感を与えるための構造とは何か、ということが大事になってきます。 保守二大政党にしかリアリティーない 日本に安定的な二大政党制が確立したのは大正デモクラシーの時期の政友会と民政党の時代です。権力の中枢であった藩閥との距離感や地域的な偏りなど細かいことはありますが、すごく乱暴に言うとこの二大勢力は、それぞれ「統治利権」と「経済利権」を代表しており、今の感覚から言うと双方ともに保守です。だからこそ、双方が全国的に支持を広げることができたのです。ここで言う「利権」とは、代表される利益や権力基盤という意味です。 日本の地方の実態からすると、そこではいわゆる名望家によるリーダーシップが、明治時代から変わらず、今日に至るまで重要です。地方の首長や地方議会の議員は、地域の有力者であり、大半は経済的・文化的な背景から本質的に保守的傾向があります。日本の選挙制度は、一票の格差や参院選挙区の定数の関係から地方票の影響力が大きくなるように設計されています。結果として、地方の有力者を包含した全国的な組織政党を作り上げるには、保守である以外にリアリティーがないのです。 もちろん、大きな工場が集中して立地され、組織労働者の割合が大きくなった地域では労働界に近い層が力を持つこともありますし、経済的に貧しい階層が集中する地域では左派的な政党が支持を集めやすいという傾向はあるでしょう。しかし、それらはあくまで例外です。 日本という国には、たいへん幸福なことですが、国民の間に深刻なクリービッジ(=分断)が存在しません。これは、明治以来の中央集権化の重要な成果です。二大政党制を安定的に機能させている国にはこの分断があります。英国にとっては階級ですし、米国では人種を中心とする国家像の違いです。そして、この分断が地域的にある程度固定化してしまっています。日本には、これがありません。日本の地方は全部保守で、全部自民です。経済改革を前面に出した野党に期待 自民党の強さの本質は、経済利権と統治利権の両者の上にどっかりと居座っていることです。ですから、日本に二大政党制が確立するかどうかは、野党がこのどちらかを突き崩せるかにかかっています。 経済利権をとりにいくのであれば、政策志向は資本主義重視であり、小さな政府であり、規制緩和や現役世代の負担軽減が重要になってくるでしょう。ただ、通常は小さな政府の主張だけでは有権者の多数を惹きつけられませんので、社会政策や歴史問題などの面で保守的な傾向を併せ持つことになるはずです。 反対に、統治利権を重視するならば、政策志向は大きな政府で反資本主義的で、権威主義的でありながら戦後リベラリズムを擁護する立場となるでしょう。官僚組織とも一定の協力関係を築き上げるような政権です。自民党の議員の多くが二世/三世で経済的にも特権階級化しつつあることを攻撃し、公平な予備選挙を実施したり、女性の比率も高めたりすることになるでしょう。 ここで効いてくるのが国民の中に存在する民主党政権の失敗の記憶です。民主党の中でも、市民運動の流れを汲む方々はムダな公共事業を攻撃し、官僚を攻撃するDNAを持っています。民主党は本質的には統治利権側の政党であるにも関わらず、経済利権的な政治的エネルギーで政権に就いたことに矛盾がありました。それでも、政権を担っている間に、統治能力を発揮できたならば歴史は変わっていたでしょう。歴史に「もし」はありません。日本政治に存在したかもしれない統治利権の側から日本を変えるチャンスは失われました。そのチャンスは、おそらく一世代の間は戻ってこないでしょう。 だからこそ、当面は経済利権のプレッシャーに期待せざるを得ません。経済利権を旗印にした改革は民主党政権では全く進みませんでした。アベノミクスの第三の矢も本当に的を射ることができるか、まだまだこれからです。日本の政治に緊張感を取り戻すためには、野党各党が単なるパフォーマンスの域を超えた本当の経済改革を主張できるかにかかっています。今般の選挙では期待できないとしても、延命したあかつきには、ぜひお願いします。

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    今回の選挙は「夢想家」と「現実主義者」の対決である

    それは、文字通りの“55年体制の終焉”である。周知のように、日本では、1955(昭和30)年に左右の政党がそれぞれ合同し、「自由民主党」と「日本社会党」が誕生した。以後、長く「左右のイデオロギー対立」の時代がつづいた。 その「55年体制」は、90年代半ばに日本社会党が消滅し、自民党も単独での政権維持が不可能になって“終焉”し、今では過去のものとなっている。国際的にも1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、世界史的な左右の闘いの決着もついている。 しかし、その考え方を基礎とした対立が、いまだに支配的な業界が「1つ」だけある。それが、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。古色蒼然としたこの左右の対立に縛られているのが、マスコミなのだ。いつまで経っても、ここから抜け出せないことを、私は“マスコミ55年症候群”と呼んできた。 マスコミは、さまざまな業界の中で、最も「傲慢」で、最も「遅れて」おり、最も「旧態依然」としている世界だ。なぜか? それは、マスコミに入ってくる人間の資質に負うところが大きい。マスコミを志向するのは、いろいろな面で問題意識の高い学生たちである。だからこそ、ジャーナリストになりたいのだ。 しかし、そういう学生は、得てして「理想論」に走り、現実を見ない傾向がある。ほかの業界では、社会に放り出されれば「現実」を突きつけられ、あちこちで壁に当たりながら「常識」や、理想だけでは語れない「物の見方」を獲得していく。 だが、マスコミは違う。たとえ学生の時の「書生論」を振りかざしていても、唯一、許される業界といっていいだろう。書生が、そのまま“年寄り”になることができるのが、マスコミ・ジャーナリズムの世界なのだ。 その代表的なメディアが、朝日新聞だ。ただ、理想論をぶち、現実に目を向けず、うわべだけの正義を振りかざしていればよかったメディアである。上から下まで書生ばかりで、“白髪の書生記者”の集合体だと言える。つまり、夢想家、空想家の集団だ。 彼らは、ひたすら現実ではなく、理想や、うわべだけの正義に走ってきた。つまり「偽善」に支配されたメディアである。平和を志向するのは、日本人すべてなのに、自分たちだけが平和主義者だと誤信し、日本に愛着を持ち、誇りを持とうとする人を「右翼」と規定し、「右傾化反対」という現実離れした論陣を張るのである。 その朝日新聞が、信奉してやまないのが中国だ。ひたすら中国の言い分と利益のために紙面を使ってきた朝日は、今、自分たちが書いてきたことが、実は「中国人民のため」ではなく、「中国共産党独裁政権のため」だったことに気づき始めた記者もいるだろう。世界が懸念する「中国の膨張主義」の尖兵となっていたのが、実は「自分たち朝日新聞ではなかったのか」と。脅威かポンコツか、真の実力が問われる中国の空母「遼寧」(中国国防部HPより) 中国が南シナ海のほぼすべてを自分の“領海”であると主張し、フィリピン、あるいはベトナムとの間で、小競り合いをつづけながら、強引に他国の島に滑走路を建設したのも周知の通りだ。 私は、この11月24日に中国が南沙諸島の「永暑礁」周辺を埋め立て、滑走路の造成をしているニュースが流れた時、2008年3月、米太平洋軍の司令官が、「中国海軍が太平洋を二分し、米国がハワイ以東、中国がハワイ以西を管理する分割支配を提案してきた」と暴露したことを思い出した。 すでに中国共産党の雑誌では、尖閣どころか沖縄も中国のものだと主張されている。今回のAPECでも習近平・国家主席はオバマ大統領との首脳会談で「太平洋は米中2つの大国を受け入れる十分な広さがある」と伝え、オバマの「同意」を得ている。11月20日に発表された民主・共和両党で構成する「米中経済安全保障調査委員会」の年次報告書は、「習近平国家主席は、高いレベルの緊張を引き起こす意思を明確に持っている」と指摘している。 朝日新聞などは、「いたずらに中国脅威論をぶち上げる勢力がある」と批判しているが、“脅威”ではなく、もはや中国の侵略の恐怖は“現実”であることは明らかだ。浮世離れした日本の「空想的平和主義」が通用する時代では、すでになくなっているのである。もし、日米安全保障条約「第5条」にのっとって、尖閣を守ろうとした米軍が攻撃されたり、また、邦人を輸送中の米艦船が攻撃されたとしよう。その時、「アメリカの若者だけが血を流していればいいんだ」と、日本が知らんぷりをした瞬間に日米関係は「終わる」だろう。 集団的自衛権とは、いわば日本人の「エゴ」と「覚悟」の闘いであろうと思う。それは同時に現実に目を向けずに理想ばかり語っている「dreamer(夢想家・空想家)」と「rearist(現実主義者)」との対立でもある。 左右対立の時代はとっくに終わっている。お互いを「右翼だ」「左翼め」と罵っている時代ではない。今は、現実を見つめるか、空想に浸っているか、の時代である。つまり、左右対立ではなく、日本はやっと「DR戦争の時代」を迎えたのである。「歴史の転換点」という所以(ゆえん)だ。 それは、インターネットで闘わされている議論を見ても明らかだ。古色蒼然とした「左翼」と「右翼」の対立ではなく、ニューメディアの登場・発展によって、時代は、とっくに「DR戦争」に突入していたのだ。12月14日に有権者がどんな判断を下すか、私は大いに注目したい。