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    亀井静香氏の「賊軍」靖国合祀提案に総理経験者ら300人賛同

    こで私が靖國合祀への賛同を呼びかけたところ、中曽根康弘氏、森喜朗氏など総理経験者を含め、与野党問わず政治家や有識者が多く賛成してくれた。新聞に意見広告を出し、昨年10月には賛成者の署名を添えて、「西郷隆盛や白虎隊、新選組などの賊軍も合祀してほしい」と徳川宮司に申し入れた。賛同者は今現在、300人を超えている。 長州がルーツの晋三総理にも申し入れ書を手渡してある。靖國の問題だから彼はとくに神経質になるだろうが。ただこの問題はA級戦犯とは異なり、中国もとやかく口を挟まないだろう。 我々の申し入れに対して徳川宮司は、公式には「無理だ」「直ちにそうしますとは言えない」と発言しているが、本心ではやりたいと思っているはずだ。靖國神社と一緒になって事業を行う「靖國神社崇敬奉賛会」(崇敬会)の扇千景会長からも「理事会にかけます」との言質を得ている。 問題は、官軍と賊軍の区別にこだわり、強硬に反対する人が一部にいることだ。とくに崇敬会の総代である小田村四郎氏は、決して首を縦に振らない。日本会議の一部も合祀に反対している。 今の世界を見渡してみると、米国のトランプ大統領に代表されるエゴイズムばかりだ。彼らは相手の立場を顧みず、自分の主張を繰り返すばかりなので、世界の至るところで分断や分裂が生じている。世界が寛容さを失った時代だからこそ、日本が誇る「和」の精神が必要であり、賊軍の合祀こそ、日本的な心の象徴のはずだ。衆院議員の亀井静香氏 合祀に賛成する多くの人は、「靖國創建150年となる2019年に合わせて合祀すればいい」と言っている。だから我々はこれから根回しを進めて、創建150年を目標に合祀をめざす。近いうちに徳川宮司とも会って、改めてじっくりと合祀をお願いするなど、この夏には何らかのアクションを起こしたい。 いくら強硬な反対があっても、靖國神社は民間の宗教法人であり、最終的な決定権を持つのは徳川宮司だ。実際、1978年10月にA級戦犯ら14人を合祀したのも、当時の松平永芳宮司の独断だった。だから我々は、できる限り合祀の判断を下しやすい環境を作ることで、宮司の背中を押すつもりだ。【PROFILE】亀井静香●1936年、広島県生まれ。東京大学経済学部卒業。1962年警察庁入庁、1977年退官。1979年、衆院初当選、運輸大臣、建設大臣を歴任。2005年国民新党を結党。2009年、国務大臣金融・郵政改革担当に就任。現在無所属。近著に『「YES」と言わせる日本』(石原慎太郎氏との共著/小学館刊)、『亀井静香天下御免!』(岸川真著/河出書房新社刊)など多数。取材■池田道大関連記事■亀井静香氏「西郷隆盛や白虎隊など賊軍を靖国に合祀せよ」■靖国神社元幹部の「A級戦犯合祀」批判に専門家が反論■島田裕巳氏が指摘「靖国神社が消える日は遠くない」■日中戦争80年目のスクープ写真入手 南京事件前夜の真実とは■関ヶ原武将子孫座談会 徳川氏遅刻で石田氏の表情険しくなる

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    明治維新150周年に徳川家末裔が靖国宮司を“大政奉還”

     東京・九段の靖国神社で2013年から宮司を務めていた徳川康久氏が、2月末に退任した。この人事が、神社界で波紋を呼んでいる。「徳川宮司は現在69歳。75歳を通常の定年とする靖国神社の宮司が、それ以前に退任するのはきわめて異例です」(神社関係者) 退任理由は「一身上の都合」とされているが、徳川氏については、“独自の歴史観”が問題視されていた。 靖国神社は戊辰戦争で亡くなった官軍の兵士を祀るために創建された神社だが、徳川氏は最後の将軍・徳川慶喜の曽孫で、“賊軍”の末裔に当たる。 そこで過去のインタビューでは、「私は賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた」(共同通信)と発言。その後、亀井静香・元衆院議員らによって「西郷隆盛や白虎隊などの賊軍を靖国神社に合祀する運動」が起きるきっかけとなった。 著書『靖国神社が消える日』(小学館刊)で徳川氏の発言を批判した宮澤佳廣氏(靖国神社の元総務部長)はこう語る。「徳川氏の賊軍合祀に対する態度は靖国神社の存在意義を揺るがすもので、神社内外で問題視する声は多かった。ただし、それはご本人の信念だったはずなのに、なぜ何の説明もなく辞めてしまうのか。来年は神社創建150年で記念行事計画も進んでいたのに、それまで放り出す形となったのは、理解できません」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 後任は伊勢神宮で幹部神職の禰宜を務めていた小堀邦夫氏で、3月1日に着任した。「靖国神社はその性格上、全国の神社を包括する神社本庁には属さず、一線を画してきた。天皇の祖先を祀る伊勢神宮から宮司を迎え入れるということは、今後、神社本庁の影響力が増すことになるかもしれない」(前出・神社関係者) 明治維新150年の節目に当たるこの年に、徳川家の末裔が宮司職を“大政奉還”することになるとは。関連記事■靖国神社150周年 西郷隆盛や幕府軍の合祀計画が急浮上■靖国神社元No.3が「A級戦犯合祀手続きは間違いだった」と告白■神社本庁の集金システム 全国約8万の神社から10億円の収入■靖国神社の徳川宮司「明治維新という過ち」発言の波紋■ケント氏「韓国には嘘が恥ずかしいという概念がないのか」

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    中国が仕掛ける「移民戦争」日本侵略はもう始まっている

    言うならマフィアとのトラブルを理由に申請した人は、この中の3・4%) また、一見いかにも難民らしい「政治活動」「宗教」「人種」といった理由も入っていますが、これらはあくまで「申請理由」であり、調査の結果、その申請された情況が確認できず、その立証もできなかったため却下されているのです。中国で発生する大量失業 こんな情況ですから「そうだ難民しよう!」というイラストもあながちウソではなく、少なくとも日本においては99%言い得ていたと評価できるイラストなのです。詳しくは入国管理局が公表している「平成29年における難民認定者数等について」をご確認ください。 さて、こうした難民の実態に直接接し、なおかつその人権を最大限に尊重して対処していた入管も、現場からの報告と突き上げ、業務の困難化や、法やシステム構築の前提としていた外国人像と実際の姿の乖離に直面し、円滑かつ効率的な職務遂行のためには組織を上げて対処せざるを得ませんでした。そこで昨年2月にこの審査システムを大幅改善し、審査のスピード化と真正難民へのバックアップ強化を図ると同時に、偽装難民の身柄確保と排除を実行し、その実績をもって覚悟を示しています。 その結果、昨年1月から3月の間に難民認定を申請した外国人は、前年同期比13%減の3015人(速報値)だったことを発表。四半期の比較で減少は8年ぶりだそうですが、なぜ入管が審査システムを変えたらたったの3カ月で申請件数が減るほど世界が平和になったのか? 世の中は複雑過ぎて私ごときには読めませんが(笑)、減った理由はみなさんがご想像の通りでしょう。 そして冒頭でお伝えした法改正により入管は「入国管理局」から「入国在留管理庁」として拡大拡充することで、来るべき東京五輪に付随する来日外国人の入国、さらには中長期滞在者(つまり移民)の「在留」を管理できる組織に生まれ変わろうとしているわけです。 しかし、ここで米中貿易戦争や情報インフラの防衛戦が展開され、解放軍の影響が強い中国通信機器メーカーのファーウェイが世界市場から排除され兼ねない事態となりました。 さらに、反中共勢力メディアの「大紀元」が昨年(2018年)12月28日、アップルがiPhone生産の拠点を中国からインドに移し、これに伴い下請けのフォックスコン(富士康/鴻海科技集団)もインドに拠点を移すとの噂が中国国内を駆け巡って人々の間に不安が生じているとの記事を掲載。記事によれば、韓国聯合通訊社が12月28日付の報道でアップル社は大部分の携帯端末機器の製造を中国最大のフォックスコンに依頼しているとのこと、さらにその下請けの関連零細企業まで含めると、アップル社の業務には中国国内で480万カ所の業務単位が関連しているとのことでした。 これが本当なら、中国で大量失業の発生は間違いなしでしょう。もともとインド市場ではアップルの人気が低すぎて、実績あるベテラン幹部3人が市場開拓をしくじった末に退職するなど「絶望的展開」だったのですが、その不人気の原因はiPhone端末自体がインドの平均収入に比してあまりに高価だから。 逆に言うなら、インドなら安い人件費で大量に生産できまますし、さらに本社があるアメリカの大統領方針決定と、これを支持するトランプさんが抑えに回っているほどに怒りの熱を帯びた米議会の様子を知っているはずで、企業としてそのように舵を切る可能性も高く、噂によって失業率の増加も現実化する可能性は高いといえるでしょう。 ファーウェイが失速し、失業者が増加し、その上また米中貿易戦争がさらに進んだりする中、職を失くした民衆が極端な収入格差を目の当たりにしながら苦しい生活を続けていれば、必ず暴動が発生します。中国・上海にあるアップルショップ(ゲッティイメージズ) 台湾系技術者の話によると、中国の地方都市は既に経済的に壊滅状態であり、その税収が進まず困窮した地方都市政府(地方自治体)に目をつけたロシアのファンドが、なんとその収税業務を地方政府から高額で買い取っていて、地方政府はそこで得た多額の資金を切り崩しながら細々と職員の給料を支払っているため、警察も公共機関もろくに機能していないそうです。そして、そうした各級地方政府が全国の半数近くに上っており、この金が尽きたときが中国の終わりの時であるという。そして、それを知っている中国の資産家が今国外に資金を移して、いつでも身一つで脱出できるように準備を進めるものが増えているらしいのです。「対岸の火事」ではない それを聞いたときには私もびっくりしました。台湾国語(台湾訛りのある北京語)で聞いたため、一瞬聞き間違えたかと思いましたが、その場にいたもう一人も驚いて英語で聞き直したので、これは間違いないと思います。そして、これら資産家の間では、そのタイムリミットはあと3年(昨年9月ころに聞いたので執筆段階から言えば、あと2年半ほど)とみているらしいのです。この話はロシアに行った友人からも全く別ルートで聞いておりますので、そういうことが発生しているのは間違いないと思います。 そして、そうした状況の発生を喜ぶ勢力も存在します。反習近平派や反共産党勢力、あるいは宗教団体や、決起して当然の少数民族過激派団体が暴動を扇動し、場合によっては連携してデモから暴動に移行するため、中国各都市を中心に経済だけでなく、政府活動そのものが停止することになると思われます。つまり暴動が起きてもこれを鎮圧する部隊が動かない可能性があるのです。 しかし日本のマスコミはスポンサーが不機嫌になって広告を引き上げるようなネタは、それが事実であっても報道しません。具体的に言うと、中国市場においてスポンサー企業の販売利益に損害が出る、あるいは現地工場の生産性に悪影響を及ぼすニュースは報じません。当然ながら中国各地で暴動が発生したとしても、新聞各社やテレビ各局は伝えざるを得ない状況に追い込まれるまで、決して伝えることはないのです。 逆に言うと、テレビや新聞で日本に中国での暴動の様子が伝えられるようになった時点では、もうかなりやばいことになっている可能性が大です。したがって、テレビの報道で情報を得ることが多い日本人から見ると、事態が急加速・急展開しているように見えるかもしれません。だが、実際にはその予兆は既に現れていて、それは私がこれまでの拙著でお伝えしている通りなのです。 日本人はその様子をむしろ「当たり前だろ」「もっとやってりゃいいんだ」と、起こるべくして起こった因果応報的な対岸の火事を生暖かく白眼視したり、「いいぞトランプもっとやれ!」と声援を送ったりすると思いますが、すでに突き進んだその状況は刻々と変化、拡大していきます。 最悪の事態を想定してみましょう。特に暴動が激化し空港の運営にまで支障をきたせば、来日・在日中国人たちも帰国できなくなりますし、もちろんその時点では中国警察の治安維持活動が期待できるレベルではないのも確実です。帰えるに帰れず帰っても祖国が不安定であるなら、難民申請するしかなくなるでしょう。 まあ、私個人としては広大な中国領土の一角に暴動発生が認められない地方が僅かにでも存在するなら、そこが出身の省であろうがなかろうが、中国人としてお帰りいただくのが筋であると思いますし、「そこに行くのは嫌だ」と言っても強制送還すべきだと思いますけどね。「上海人」や「北京人」として来日を許可しているのではなく、滞在期限内に帰国することを前提とした「中国人」として入国を許可しているのですから、内陸にまだ平和なエリアがあるなら、その近くの空港に下ろしても問題ないはずです。 しかしこうなるともう、難民申請者1万9000人を超えたところで危機を感じ、舵を切った「入管」も対処できません。なぜなら日本には昨年の段階で74万人を超える中長期滞在者と、これを遥かに上回る旅行客などの短期滞在者が存在していて、その数は軽~く100万人を超えるからです。中国の上海浦東国際空港(ゲッティイメージズ) 実際の数を書くと現実離れしていてみなさんピンとこないでしょうから、私も明記するのを避けていますが、実際にはこれら中長期滞在者=移民74万人の他、平成29年中のデータを参考にするなら、中国人「短期滞在」資格では新規入国人口だけでも473万人弱。これから先の話ですし、それがいつ発生するのかを考えると、特に短期滞在者人口に関しては不透明ですが、仮にその審査が受け付けられれば認定前であるとしても、実質上の一時滞在者になることは確実です。当然ながら、既存の収容施設に全員を収容するのは不可能ですから、彼らは私たちと同じ空間にそれまで同様に生活します。 そして彼ら自身も生きるため、カネを生む仕事を必要とします。一方、彼らを安く使いたくて仕方ない企業はたくさんあります。移民の増加を不安視しながらも、そんな企業が作る安い製品を喜んで買う日本国民もいるのですから、彼らが定着しないわけがないのです。これもまた因果応報 前例がないほどに数を増し、低賃金と長時間労働から不満を募らせた外国人たちが、かつてないほどの密度で横連絡を可能とした携帯端末を使い、個々の意識を確認・共感して共通の利益を求め団結すれば、社内で暴力的手段により賃上げ要求を繰り出すに至るまでには、そう時間はかからないでしょう。また、仕事を求めてデモを始め、暴徒化する可能性もあります。 なぜなら●同じく情報端末の普及により連絡密度を濃くして情報をキャッチし共有できるようになった日本社会では、犯罪者による民族的悪評や、中国人各自が無意識のうちに日本人に与える道徳レベルの差が周知の事実となりつつあり、中国人の社会的評判は決して良くないため、彼ら自身が疎外感を感じている●おまけに本来は来日して働く必要がなかった旅行客までもが難民として職を求める結果、既に存在する特定技能1号などの実質的単純労働者と労働市場が競合してしまい、低賃金雇用が加速して日本人労働者の雇用や収入にも影響を与えるため、最も多い中国人は日本社会でさらに怨みを買いやすい●日本人レベルでは奴隷労働と認識し得ない当たり前のレベル達成を求められるため、中国人はこれを苦役と感じる●中国人難民を含めた外国人の雇用に伴う賃金低下によりデフレも深刻化するため、今よりさらに社会感情的な悪化を肌で感じるなどの状況が発生します。 しかし、そんな日本の労働社会に反発する民族的動きに気付いて情報を拡散する語学力を持った人間は少ないため、日本人が言葉の壁を超えて、そうした彼らの思いや動きに気づくことは遅れるでしょう。怒りを爆発させた彼ら中国人労働者は、日本人のようにお行儀良くあぐらをかいて座りこみ団体交渉したりしません。 昭和の左翼労働運動が華やかだった頃のように、社長室で社長や幹部を監禁状態に置いて問い詰めたりするならまだ上出来で、複数の幹部を殺害したり仕事場を破壊したりするのはよくあることです。中国共産党の地方政府や警察は、そうした状況に手を焼いていたからこそ、軍事費を上回る治安関連予算を組んでいるのです。 「自分の会社を破壊するような賃上げ要求なんかするわけない」 「中国人なら不満があれば暴れると決めつける坂東はヘイト野郎だ」 という人は、50都市を超える中国各地で自分の街の商店や工場を襲い破壊し、火を付け略奪し車をひっくり返して気炎を上げて自国民に死傷者まで出した2012年の反日暴動の動画を、いま一度点検すべきでしょう。また日本国内で集団暴徒化した彼らの様子は、2008年の北京オリンピックに際し、長野で行われた聖火リレー通過時の暴れっぷりを動画検索してご覧いただくのが一番ですが、あれは聞くところによれば、領事館の指示に従い日当5000円に弁当付きで集まった、滞在資格身分のある中国人留学生諸君です。切羽詰まった中国人による、自らの利害や生存を賭けた暴徒集団ではない部分を差し引いて、参考までに御覧ください。中国新疆ウイグル自治区のカシュガル市の毛沢東像(ゲッティイメージズ) そしてそこには、なぜか中国共産党だけでなく日本共産党も長年目指していた、日本政府の根本的「改革」、つまり国家転覆への希望の光が差し込むのです。これらの動きを利用しようとする左翼系市民団体も連携し、日本人をどこかに置き去りにした「人権」のために立ち上がることは明白でしょう。仕方がありません。 実際に大企業は奴隷労働的、低賃金長時間労働者を欲していて、その大企業のサービスを平然と受けていた国民が私たちなのですから。そしてそうした奴隷的労働は実在し、私も不法滞在者などからその実態を聞いているので、同じアジア人として同情すべき部分はあるのも事実です。これもまた因果応報というものです。血で血を洗う接近戦 それでも私たちは生きなくてはいけません。そして警察組織人口を超える彼らの暴力的集団犯罪には打つ手がありません。各地で多発する暴動でてんてこ舞いの警察や機動隊が来てくれるまで、「暴力反対」を訴えながら、傷つけられる大切な家族や仲間を目の前に、話し合いで時間をつくりますか? 加害者たる暴徒たちの人権を守って「殺すより殺されよう」と仲間に呼びかけますか? この状況に至って、それでも日本の国を守るなら、血で血を洗う接近戦を覚悟した日本人有志の武装団結による武力的防圧殲滅活動以外、日本人と善良な外国人の生命・身体・財産の安全を確保する方法はなくなるでしょう。今、ヨーロッパがこの境地に差し掛かっています。 そしてもう一点。 こうした状況を作るのは、中国だけではないという点を忘れないでください。難民を出して、あるいは日本国内から難民を発生させて、そうした状況を作る可能性が高いのはむしろ、お隣の韓国です。 あの国が●「民族の悲願」どおりに平和裏に南北統一して経済混乱した場合●または不信感をつのらせた米軍が撤退し、統一より金王朝存続の可能性が高いと見た北朝鮮が武力統一の好機と捉えて南下してきた場合●アメリカに睨まれ、北朝鮮の抑えも効かない切羽詰まった中国が、国境を超えて北朝鮮に攻め込んだ場合などなど、半島難民が発生するに至るいくつかの経緯が考えられますが、こっちの方がはるかに深刻かもしれません。 対馬のすぐ対岸には韓国第二の都市、釜山があり、海流は山口県から青森県まで警察官人口の少ない日本海沿岸の各自治体を沿うように流れ、しかも上陸可能地点は太平洋側より多く、沿岸線も長い。これを匿(かくま)い、あるいは利用しようとする半島系組織は既に全国各地に存在しているのですから。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) みなさん、心の準備は出来ていますか? 何を準備すべきだと思いますか? そのために、あなたに出来ることは何ですか? 政府に任せっきりにして政治に文句を言うだけでなく、国民一人ひとりができる予防と対策を、手を尽くして講じるべきでしょう。ばんどう・ただのぶ 宮城県出身。警視庁で交番勤務員、機動隊員を経て北京語通訳捜査官を歴任し、警視庁本部、新宿、池袋署などで中国人犯罪者や参考人を扱う。平成15年に退職後、地方司法通訳、作家として活動し、外国人犯罪の実態をわかりやすくタブーに切り込みながら、さまざまな角度で分析、問題提起している。著書に『寄生難民』(青林堂)。

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    日本国総理大臣、安倍晋三

    安倍首相の総裁任期をめぐり異例の発言が飛び出した。自民党の二階俊博幹事長が4選の可能性ついて「今の活躍なら有り得る」と述べたのである。首相在任期間はかの吉田茂を超え、憲政史上最長も射程に入った安倍氏だが、なぜ長期政権を維持できるのか。その解に迫りたい。

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    なぜ安倍首相は憲政史上まれにみる長期政権を実現できたのか

    三浦瑠麗(国際政治学者) 安倍晋三政権の通算の在職日数は、2月に吉田茂(2616日)を抜き歴代4位になりました。日本の憲政史上歴代最長の政権を視野に入れているこの政権を、どのように評価すべきか。 そして、第1次政権の終盤にはあれほど脆弱(ぜいじゃく)であった安倍政権は、なぜこれほど長く続いたのか。現代の日本政治を考える際には、これらの問いに答える必要があるかと思います。 私は昨年に出版した拙著『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)の中で、この二つの問いに答えることを試みました。この本は、第2次以降の安倍政権の中期を扱っています。 2015年に出版された前著『日本に絶望している人のための政治入門』(文春新書)は安倍長期政権の初めの3年間を対象とし、その間に垣間見えた政権の性格、政治の対立軸を扱っていました。しかし、『あなたに伝えたい政治の話』を上梓するころには、安保法制をめぐって日本政治が激しい分断を経験し、かつて政権を担った野党が分裂するというように、日本政治を取り巻く環境が大きく様変わりしていました。 それはいわば、55年体制の「カムバック」でした。日本政治が安保政策、経済政策、社会政策という三つの重要な領域を横断した二大政党の分断を見つけられず、自民党と最大野党との対立軸が、安保政策と憲法における分断に回帰したからです。 そして、他の野党が掲げる経済政策や社会政策におけるそれぞれに独自性のある主張は、日本政治にもはやダイナミズムをもたらしていない。「変革を望む勢力」という安倍政権の設(しつら)えも、それとともに段々と変化してきました。憲法改正はいまだ果たせず、民主党の分裂や日本維新の会の弱体化とともに、道州制の導入などの地方分権を巡る機運も弱まっており、むしろ「安定」と「王道」こそが安倍政権の特長となっているからです。2015年9月19日未明、安全保障関連法成立後に記者の質問に答える安倍晋三首相(鈴木健児撮影) 野党がまとまれない最大の理由はおそらく人間関係ですが、野党が分裂した理由は「憲法」と「安保」という論点が際立ってしまったからでしょう。そして、安倍政権はそうした分断線が主要な対立軸となることで大きく利益を享(う)ける側にいます。日本人の多数派は、日米同盟や憲法について意見に濃淡はあるものの、政権としては「安保現実派」を望むからです。 安倍政権は安保現実派です。安保法制を通じて日米同盟を維持・強化する一方で、「専守防衛」という言葉も堅持し、その中で防衛力を広げていっています。日米同盟を基軸とし続けることで、オールドな右翼が望んだ対米自立は捨て、その代わり米軍との協働を高めながらお金を節約する。 中国の目覚ましい軍拡と対外拡張主義、北朝鮮の核保有に加えて、米国の内向き化傾向を考えに入れると、もはや吉田茂の軽武装路線を維持できないであろうことは明らかです。しかし、その中でさえ、国際情勢に鑑みれば日本はもっと軍拡していてもおかしくないところ、防衛費を節約しています。最右派が採った「現実主義」 平成31年以降に関わる防衛大綱でも、政府は対外的な脅威認識を示しつつも、合理化を標榜し、選択と集中を行っています。言うなれば、安倍政権は現実主義の吉田茂の路線を、「米国一極」の世界の終焉(しゅうえん)と中国の台頭に合わせてアップデートしたものであるということができるでしょう。 吉田茂にとって、日米同盟は利害に基づく同盟であり、かつ国内における自らの権力基盤を維持するために役立つものでもありました。安倍政権が米国と共通する価値や理念について説くとき、それは利害に基づく同盟としての表現の一部なのであって、決してご本人が関係性を見誤って理想主義に立っているわけではないだろうと私は思います。それは、くしくもトランプ大統領が「日本が米国をうまく利用してきた」と指摘した通りなのです。 では、安倍政権は本来2倍の水準が要求されるはずの防衛費を大して増額せずに、節約したお金で何をしたか。社会保障費の切り下げや増税をマイルドな水準にとどめて痛みを先送りし、公共事業費をかつての水準にまで回復させたのです。つまり、もっとも対米自立的なセンチメント(感情)を代表していたはずの自民党最右派が吉田茂的な現実主義路線を採ったところに、政権が長期化した理由の一端があったわけです。 しかし、安倍政権は比較的短期に刻んだ衆院選で勝つ短期政権の積み重ねでもあります。内閣支持率に関しては、いったん低迷した後にまた上がるという、他国ではなかなか見られない現象も繰り返し経験しています。 その原因を、メディアは「他に選択肢がないから」という一点で説明しようとします。確かに野党が弱く、自民党内に有意な対抗勢力が存在しないからという理由には納得感があります。けれども、それは長期政権に伴う症状、つまり現象面の指摘であって、本当の原因を抉(えぐ)るものではありません。 安倍政権が長期安定政権を築くことができている戦略とは、「攻めと守り」「積極性と消極性」のバランスを巧みにコントロールすることで選挙に勝ち続けるプラスのサイクルを維持していることです。 積極性のうち最大のものは、アジェンダ(課題)設定が国際的、歴史的にまっとうなものであるということです。要するに、根本方針において間違っていないということです。 例えば、今の「中国台頭」の流れの中で、軍縮や非武装化を目指したり、同盟から離脱したりすることは見当外れです。グローバル化の流れの中で「貿易立国」日本が「鎖国」を目指すのも、民間企業の競争力において各国としのぎを削る中で法人税を上げようというのも見当外れです。2017年11月、安倍晋三首相(左)との会談を前に栄誉礼を受けるトランプ米大統領(松本健吾撮影) 反対に、消極性が見られるのが自民党内、あるいは支持基盤を割りかねない論点です。安倍政権は、そうした自らの支持基盤を危険に晒(さら)すような政策には踏み込んでいません。 経済政策は官僚機構の通常運転に味付けする程度の「安全運転」に終始しています。成長戦略は「競争」を促進する必要があります。しかし、どうしても既得権益層との対立が生じてしまうため、「大玉」の改革案件はほとんど先送りされてきました。政権が繰り出した攻めの一手 しかし、これだけだと政権は課題設定だけして何の実績も挙げられないことになってしまう。そこで、政権が最も攻めに出たのが、民主主義による合意形成の必要が低い外交と金融の分野でした。 金融政策は日銀が行うもので、外交では首相のリーダーシップが広く認められているからです。こうして実績を上げつつ、直近5回の選挙に勝ち抜くことで、長期政権が可能となったのです。 長期政権の維持そのものが自己目的化することは危険です。しかし、安倍政権は選挙での度重なる勝利で得た政治的資源を、「戦後レジームからの脱却」案件を進めるために投入してきました。 これまで、安倍政権は長期安定政権の維持の代わりに「戦後レジームからの脱却」を放棄したのだという論説も数多く見られましたが、私はそれは誤りであると思います。政権が「戦後レジームからの脱却」という言葉を使わなくなったのは、それが単に紛らわしい言葉であるからです。 「戦後レジームからの脱却」を英訳すれば、「Overcoming Post-war Regime」となります。この場合の「戦後レジーム」とは、国連と国際法を頂く第2次世界大戦後の国際社会そのものです。 さらに、米国を中心とする西側の秩序という含意もあるでしょう。つまり、「戦後レジーム」から脱却するというのは、第2次大戦時の旧敵国から見れば、軍国主義日本の復活と帝国建設の野望という話になるし、西側諸国からすれば、日本が米国との同盟を破棄して中国のような異質な政治・経済体制を打ち立てようとするという荒唐無稽な話になります。 その代わり、「戦後レジームからの脱却」という言葉を使わずに、安倍政権は「一国平和主義」的な発想を時代遅れなものとして位置付けることに成功し、2015年に成立した安保法制では、集団的自衛権の行使を部分的に容認しました。2017年10月、咲き誇る「バラ」の前で、座る場所を間違えて笑みを浮かべる安倍晋三首相(自民党総裁)=自民党本部(沢野貴信撮影) 日本の政軍関係における特有の制約になっていた文官優位システムを改め、日本のシビリアンコントロール(文民統制)のあり方を世界標準に近づけて政治の補佐体制を強化しつつあります。 また、歴史問題においては、保守優位の下でリベラルな価値観に歩み寄って和解を達成し、国民の間に一定のコンセンサス(合意)が生まれました。国民の多くが「後の世代に謝罪を続ける義務を負わせるべきではない」という主張に賛同し、また圧倒的多数が慰安婦問題において、韓国政府ではなく日本政府寄りの立場を支持しています。長期安定政権「最大の代償」 こうして、戦後レジームからの脱却を図ってきた安倍政権ですが、官僚との関係や官僚機構の問題をめぐって、ここしばらく停滞しつつあります。「モリカケ問題」に加えて、統計不正問題が加わったことで、最近は守勢に立たされていると言えるでしょう。 しかし、安倍政権以外の勢力がまるで見えない今、いったんは政権交代を経験した野党はほぼ解体して細分化され、官僚などエリートに対する不信も広がっています。政権後期に突入した安倍政権が、単なる保身に走らずに何を成し遂げることができるのか。ここで、対応が求められる課題を挙げておきたいと思います。 長期安定政権の最大の代償は、構造改革が遅々として進まないことでした。中長期における日本の最大の課題は少子高齢化であり、潜在成長率を改善できていないことです。 特に、人口減少局面における成長は、基本的には生産性の改善を通じて見いだすしかないにもかかわらず、成果はほとんど出ていません。ここに取り組むべきでしょう。 次に、憲法改正と自前の防衛力強化です。憲法改正は「戦後レジームからの脱却」案件の中でも最後に残された課題の一つです。ここに取り組むことなしには、もはや次の政権も意味ある改革を安全保障政策において進めることができないだろうと思われます。 憲法改正によって自衛隊を位置付けることは、再軍備を禁じられた敗戦国としての地位からの脱却を意味しますから、それ相応に先進国並みの体制とシビリアンコントロールの整備が必要です。 沖縄に集中する米軍基地を、負担軽減の意味も併せて徐々に自衛隊の基地に移行していくこと、そして、その中で緊密な米軍との連携と駐留を可能にすることは、将来を見据えて大きく舵(かじ)を切らなければいけない課題と言えるでしょう。2019年2月、衆院予算委で答弁する厚労省の姉崎猛元統計情報部長。右端は安倍首相 2020年には米大統領選が行われますが、今の米国政治の実態を踏まえれば、日米関係の距離感を実態に即してあらかじめ修正し、自前の防衛力を強化しておくことはぜひとも必要です。その上で、周辺国との関係についても引き続き円滑な経済関係や広い意味での防衛協力について取り組んでいくべきでしょう。 政権はいつの時代においても、その後期において、自らの歴史的使命を意識したものへと変化します。憲政史上まれに見る長期政権だからこそ、その目標値は高い所に置かなければならないのだと言えるでしょう。

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    「スイッチが入った政治家」安倍晋三のリベンジ

    年間の雌伏を経て、政権に復帰するとジャーナリズムを手玉に取って長期政権を実現した。その明暗は鮮烈だ。政治コミュニケーションの観点からは、メディア化した政治に再チャレンジして見事に対応した世界的にもまれなケースだと思われる。 1990年代に入り、「政治のメディア化(mediatization of politics)」という議論が欧州でも登場してきた。政治におけるメディア、特にテレビの影響力が高まってきたという話である。 20世紀後半において、政治の中心は組織や団体にあったが、それらの影響力が弱くなっていく中、人々はメディアを通じて政治的な情報を得るようになっていった。一方、メディアは政府の規制から自由になり、ジャーナリズムや商業主義など自分たちの論理(media logic)で報道するようになった。特に、基幹的なマスメディアに成長したテレビにおいては「絵になる」ことが重要になっていく。 それらの流れが20世紀末に出会うことで、政治におけるメディアの重要性が増し、テレビで政治家がいかに映し出されるかが重要になってきたという議論だ。 イタリアのベルルスコーニ元首相、フランスのサルコジ元大統領、英国のブレア元首相などが「政治のメディア化」に対応した政治家ということになろう。日本においても平成に入り、テレビの政治的な影響力が強くなってきた。 平成の日本政治は消費税導入とリクルート事件から始まり、政治改革が大きなテーマとなったが、そこにはテレビの強い政治的影響力が働いた。日本における「政治のメディア化」の始まりだ。 それに対して、海部俊樹元首相や細川護熙元首相、小泉純一郎元首相などが「政治のメディア化」という状況に対応した首相像を演じた。特に、小泉氏は55年体制的な組織や団体を忌避する世論が強まっていた中で、テレビ上の自身のイメージを巧みに演出して政権を維持した。そういう意味で、小泉氏は「テレビ政治家」の最たる存在であり、日本政治史上「政治のメディア化」に最も巧みに対応した首相であったといえる。2006年9月、両院議員総会で自民党新総裁に決まり、笑顔を見せる安倍晋三官房長官(右)と小泉純一郎首相(大井田裕撮影)  その小泉氏の後を次いで登場したのが安倍氏だ。だが周知のように、2006年からの第1次政権において、安倍氏は世論対策にもマスメディア対策にも失敗した。第1次政権「失敗の理由」 第1次安倍政権は、先代の小泉氏が「個人芸」で対応していた「政治のメディア化」の状況に、ホワイトハウス型のチームで挑もうとした。その象徴が補佐官制度であったが、この試みは内部に軋轢(あつれき)を生じ、結果的に失敗する。 また、政策面でも、安倍氏が重要だと位置付けたさまざまな政策を性急に行おうとしたことも、国民世論との乖離(かいり)を招いた。彼自身、第1次政権の失敗について以下のように振り返る。 「戦後レジームからの脱却」という大きなテーマを掲げ、幸い衆議院の多数がありましたから、やらなければいけないことを今のうちにどんどん進めようという気持ちが強かった。教育基本法の改正、憲法改正のための国民投票、公務員制度改革-。しかし、私がやりたいことと、国民がまずこれをやってくれということが、必ずしも一致していなかった。そのことがしっかり見えていなかった。私が一番反省しているのは、その点です。(中略)私としては、国民の関心の有無にかかわらず、今、自分がやるべきだと思うことをやるのが正しいんだと、そう考えていました。祖父の岸信介は安保改定の意義が十分に理解されていなかったとき、「俺の信念は正しい」と、国会を十重二十重にデモ隊に囲まれようとも貫き通した。私もそうあるべきだと思っていたんです。(中略)でも、大きな政策を実行するには国民の理解を高めていくことが重要ですが、それには時間がかかる。時間がかかることに取り組むためには、まず政権を安定させ、継続させなければならない。これが前回辞めて、初めてわかったことです。「阿川佐和子のこの人に会いたいスペシャル 安倍晋三首相VS.阿川佐和子」『週刊文春』2013年5月2日号 当時はテレビの政治報道も元気な時期だった。2005年の郵政選挙で小泉氏がテレビを利用したことの反作用だったか、テレビも政治をより気軽に扱う「政治のメディア化」が頂点に達していた。 テレビ番組では国会議員たちがちょんまげ姿で政局劇を演じ、芸人たちが議員たちを怒鳴り飛ばしていた。その中で、世論と違うことを行おうとした安倍氏は「KY(空気が読めない)」と揶揄(やゆ)されるようになった。 その後、安倍内閣は年金問題や国会議員のスキャンダル・失言の中で参院選に敗北し、敗北後はマスメディアによる「辞めろ辞めろ」の批判の中、体調を崩して退陣した。昭恵夫人は以下のように当時を振り返る。 2007年の参議院選挙の後からというのは、わたしたちにとって公邸での生活は地獄のような日々だったんです。毎日やらなくてはいけないことがある一方で、主人の体調がどんどん悪くなっていく。そういうなかで批判も多くなるし、外国訪問にも行かなくてはならない」「父のあとを継いで、とんとん拍子に総理にまでなってしまっていたので、持病があったとはいえ、あの辞任は初めての大きな挫折だったと思います。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」『新潮45』2013年9月号 ところが、5年間の雌伏を経て、安倍氏はカムバックする。マスメディアの政治部も含め、ジャーナリズムからはほぼノーマークからの総裁選の出馬と当選、そして首相就任であった。2006年9月、就任会見に臨む安倍晋三首相。右手奥には小池百合子氏など首相補佐官が並んだ(大西史朗撮影) カムバック当時、筆者がマスメディアの記者たちと話していると「また、安倍が出てきたけど、どうせ腹が痛くなってやめるんだろう」とか「オレたちがまた痛い目にあわせてやるぜ」といった雰囲気が強かった。政治学者の多くも安倍政権の「高転び」を予測していたと思う。しかし、その雰囲気はすぐに一変し、安倍氏は戦後最長はもとより、憲政史最長の在任期間を迎えようとしている。挫折を糧に「変わった」 かつて「政治のメディア化」への対応に失敗した安倍氏が、なぜ長期政権を実現できたのか。成功の要因には昭恵氏が指摘するように安倍氏自身が挫折を糧に「変わった」ことが大きい。 人間って、やはりドンと落ちたときに、何かが変わるのではないかと思うんです。主人について、そこで何が変わったか、と言われると、わたしも具体的に言うのは難しいのですが、主人の中で何かスイッチが入ったのは、確かだろうと思います。 前回の辞任以来、人事にしても動き方にしても、自分の中で『こうすればよかった』という思いがある。それを五年間考えてきたようです。(中略)特に野党時代は時間が比較的自由になって、座禅に行ったりランニングなどもしていました。いろんな人にいっぱい会いましたし、たくさん本も読んでいました。この五年間は大きかったようです。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」 それでは、どのように変わったのか。政治コミュニケーションの面で第2次政権以降の変わったところは大きく二つある。 第一は、経済政策の「前景化」だ。2012年の総選挙で政権に復帰した安倍氏は「経済再生」を第一のテーマに掲げた。具体的には、日本銀行の超低金利政策による「アベノミクス」で景気を演出し続ける。 経済という国民の関心の高いものに対して手を打って、株価や失業率の改善など目に見える「結果」を出して政権を安定させ、継続させる。第1次政権の反省がもたらした、再チャレンジ成功の最も基本的な要因である。 加えて、政治コミュニケーションに携わっている人物の構成も長期政権化の大きな要因となっている。第2次政権では、首相官邸の有様は第1次政権のホワイトハウス型から従来型に戻るが、そこに登用された政権のコミュニケーションを支えている人々は安倍氏との深い人間関係で結ばれ、かつ「メディア化した政治」の洗礼を受けた人々である。この間、苦い思いをたっぷり味わってきた。  麻生太郎副総理兼財務大臣は、首相時代に「解散やらないKY」「漢字読めないKY」などとテレビなどで揶揄されて支持率を大きく減らし、衆院選で敗北し民主党に政権を譲った経験を持つ。菅義偉(よしひで)官房長官も第1次安倍政権での総務相を経て、自民党の選挙対策総局長、選挙対策副委員長(福田内閣)、同委員長代理(麻生内閣)として、この間の「政治のメディア化」、特にマスメディアによる選挙時の「攻撃」を責任者としてつぶさに体験している。菅氏の総務相時代にもテレビ番組への行政指導が多数出された。2019年2月、参院本会議で立憲民主党の福山幹事長の質問を聞く(左から)菅官房長官、茂木経済再生相、麻生財務相、安倍首相 また、官邸で政権を支える官僚たちも、第1次政権では事務担当秘書官として広報を担当した今井尚哉(たかや)政務担当首相秘書官を筆頭に、第1次政権での挫折と屈辱を安倍氏とともに味わった者たちが中心である。その点では、現政権は第1次政権で、マスメディアと大衆に傷つけられたエリートたちの「リベンジ政権」だともいえよう。 もちろん、その他の外部環境的な条件も大きい。何と言っても、野党の力が弱く、自民党にも強いライバルがいない。そのため、さまざまな批判はされるものの、「よりどころ」が存在せず、政局には結びつきにくい。地獄から這い上がった「根性」 また、インターネット、中でも会員制交流サイト(SNS)の登場によるメディア環境の変化も、マスメディアの力を相対化している。加えて、マスメディアの政権に対する論調が分かれていることも、メディアの力を削いでいる。また、政権がメディアの報道によって5年で5人も変わるという「政治のメディア化」に対する倦(う)みも国民の間にあるのだろう。 とはいえ、2017年の解散総選挙前に巻き起こって消えた「小池旋風」に見られたように、メディアが政治に強い影響力を与える「政治のメディア化」の状況が終わったわけではない。 そもそも「政治のメディア化」は、団体や組織といったリアルな結びつきが弱体化した中で進行していったのである。事実、労働組合や農協といった55年体制下の中心的な団体の組合員数や自民党の党員数も本格的な回復は見られない。 その点で、ネットを含めてメディアが政治のイメージをどのように伝えるかは、依然重要なポイントである。安倍氏が民主党政権時代を批判し続けたり、「アベノミクス」「三本の矢」「まち・ひと・しごと創生」「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」とさまざまなキャッチフレーズを唱え続け、自らの仕事ぶりをアピールすることも必要性も理解できよう。 これらの言動に対しては「5年もたっているのに民主党を批判し続けるのはおかしい」とか「『やってる感』を演出しているだけ」との批判もある。しかし、メディアによって地獄を見た安倍氏にとっては馬耳東風の批判だろう。 むしろ、問題は、野党または自民党の中に「スイッチが入った」政治家がいないのかということだ。敗北を敗北として捉え、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、次に向けて勉強し、仲間を維持し、(再)チャレンジを試みる。そういう政治家は見つかるのだろうか。 正直、安倍政権の政策や政権運営にはおかしいと思うところも多々ある。しかし、第1次政権末期、テレビや新聞のマスメディアと2ちゃんねる(現5ちゃんねる)などのインターネットが一緒になって、批判や揶揄、嘲笑を行っていた。いわば「一億総軽蔑」ともいえる「地獄」の中で退陣を余儀なくされたところから、5年の充電を経て、一気に政治的頂点に復活した安倍氏の根性は正面から評価されるべきだと思う。2014年9月、「まち・ひと・しごと創生本部事務局」の看板を掲げる(左から)石破茂地方創生担当相、安倍晋三首相、菅義偉官房長官(代表撮影) しかも、政権復帰に伴い、かつての部下などがある意味、退路を断って脇を固め、自分たちの失敗経験を生かしながら長期政権に寄与する。このような人間関係の持ちようも、政権運営術や政治コミュニケーションの観点からは、きちんと評価されるべきだろう。 政治にせよ、政治コミュニケーションにせよ、「天下一人を以て興る」(中野正剛)にせよ、すべて一人でできるわけではない。「ポスト安倍」を準備している「スイッチが入った」者がいるのか、日本の政治コミュニケーションの課題である。

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    「安倍時代の終焉」が現実的とは言えない理由

    むね高いレベルを維持し続けていることに驚嘆せざるを得ない。これはなぜなのか。 私は元外交官であり国内政治の専門家ではないので安倍政権長期化の理由、背景を総括的に解説することはできない。一般に言われていることは、「アベノミクス」という経済財政政策が長期デフレに苦しむ日本経済に再生の可能性を示し、国民に対して明るい未来展望を切り開くことに成功したこと、その一方で3年3カ月余にわたる民主党政権3代の失政に多くの国民が失望し、野党として自民党に取って代わり得る存在と見られていないこと、の2点のようである。 もちろん、自民党内に安倍総理の後継たり得る有力な政治家が見えてこないという事情もあるが、安倍内閣への支持率が相対的に高い以上、総理に退任いただくべき事由はないので、後継不在の問題は安倍政権長期化の主たる理由にはならない。 国民の多くが安倍政権を支持し続ける理由の一つに総理の外交手腕に対する高い信頼があるように思う。日本外交の柱は何といっても日米関係の安定・強化であるが、安倍総理はオバマ大統領、トランプ大統領という全く異質な米国指導者二人とそれぞれ良好な関係を構築するという驚くべき対人能力を発揮した。 しかも相互の信頼関係のレベルも共に極めて高く、日本の歴代総理と比べても傑出した外交成果であると評価されなければならない。これは安倍総理の人柄もさることながら、何よりも、東アジアをはじめとする世界情勢全般に対する認識を共有し、外交・安全保障戦略をおおむね分かち合える関係を構築できたからに他ならない。その第一が安保法制の整備だったと私は考える。カナダでのG7サミットでドナルド・トランプ米大統領(右端)に向かい身を乗り出すドイツのメルケル首相(中央左)=2018年6月9日(ドイツ政府提供、AP=共同) それでは、中国や朝鮮半島の問題についてはどうか。過去10年ほどの地域情勢を特徴づけるものは中国の超大国化と覇権主義的な対外政策、そして北朝鮮の核・ミサイルの開発である。これらはいずれも短期的な問題ではなく、中長期にわたって日本を取り巻く安全環境の桎梏(しっこく=手かせ足かせ)となるものであり、小手先の外交対応は意味をなさない。 この点で日本の政治指導者には確固たる外交理念を打ち出すことが求められるが、安倍総理には多くの国民を納得させるだけの信念があり、このことも政権の長期化が支持される理由になっているのではないか。 習近平国家主席にしろ金正恩労働党委員長にしろ一筋縄ではいかない人物であり、しかも長期にわたって指導者の地位にとどまることが確実である以上、日本の総理にコロコロと代わられては困るのである。韓国の文在寅大統領についてはいまだ在任2年に満たず、安倍総理からすれば「新参の政治家」であって余裕をもって対応できる。韓国側がドタバタすればするほど、日本側のどっしりとした腰の据え方が光ることになる。短期政権にはない安定感が際立ち、国民の支持を得ることにもつながっている。メルケルに学ぶべきこと もう一つ、安倍外交の特徴は環太平洋連携協定(TPP)、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)といった広域自由貿易圏の構築に積極的なことである。これは「自由で開かれたインド太平洋戦略」と相まってアジア大洋州各国の対日信頼を醸成することに寄与している。 特に、インドと東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国は日本との関係を重視しており、安倍総理への信頼も厚い。広域自由貿易圏の構築は「アベノミクス」の柱の一つだが、それと同じくらい関係各国の経済発展にも寄与する。長期政権でなければこうした外交は展開できない。 先進7カ国(G7)の中で安倍総理の在任期間はドイツのメルケル首相に次いで長い。そのメルケル首相も昨年末にキリスト教民主同盟の党首を辞任し、首相としての在任期間も最長で2021年9月までの現任期をもって終了することが確実である。 2005年11月にドイツ首相に就任して以来13年が過ぎ、「ヨーロッパの顔」としての彼女の権威にも陰りが見え始め、「メルケル時代」の終焉(しゅうえん)が近いことを感じさせる。メルケル首相の強みは堅実な経済運営と中道の左右両派を取り込んだ政治の安定だった。 しかし、2015年からの難民・移民の大量流入に寛容な政策をとったことが国民の反発を招き、拠って立つ支持基盤であるキリスト教保守層も離反・弱体化して、2017年の連邦議会選挙で敗北、昨年秋には2つの有力州における議会選挙に連続して大敗したことで与党党首の座から降りざるを得なくなった。 確かに、難民問題は選挙敗北の直接の引き金ではあったが、もう少し長い政治潮流の中で見れば、キリスト教保守層という従来の支持基盤が崩れたことと、世論が右派ナショナリズムと左派ポピュリズムに分裂していく中で国民の多くがキリスト教民主同盟の中道路線に飽き足らないものを感じ始めていたという事情がある。 このことは日本の与党、特に自民党にとって教訓に満ちている。自民党にとっては長いこと農協を軸とした農業従事者が支持基盤とされたが、今や状況は大きく変貌しているし、国民世論も右に傾いて中道を志向する空気ではなくなっている。ドイツと違って安倍政権が安定を維持している背景には安倍総理個人、そして自民党が日本国内におけるこうした政治潮流の変化をしっかりと読み切り、適切に政権運営をしているという事情があるのではないか。首脳会談を前にドイツ・メルケル首相(左)と握手を交わす安倍晋三首相=2019年2月4日、首相官邸(春名中撮影) 今、トランプ政権の登場と「アメリカ第一主義」が国際政治経済に大きな影響を及ぼし、米国と欧州の対立が深まる中で、安倍総理の存在は両者をつなぎとめる鎹(かすがい)になっている。G7の会合でも決裂しかかる議論の流れを押しとどめ協調と連帯を何とか維持する上での安倍総理の役割はますます大きい。 中国が超大国化し強権的な対外政策を展開する中でアジア諸国の多くが安倍総理にバランサーとしての役割を期待している。国民は内政面だけでなく対外関係においても安倍総理の存在・役割が大きいことを感じており、これが政権の長期化を支えるもう一つの重要な要因になっているように思われる。

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    中国におけるドイツは「一日にして成らず」

    樋泉克夫 (愛知県立大学名誉教授) 2月初め、ドイツのメルケル首相が久々に来日した。 首相就任以来の訪中回数に比例して緊密度を増す一方だった対中関係に対し、訪日回数は対照的に少ない。これは日本軽視の現われである。このままドイツ企業が中国市場にのめり込み続け、ドイツ経済の中国依存度が高まるなら、いずれ沈没するはずの中国経済の影響を真正面から受けてしまう。中国傾斜はメルケル政権にとって命取りになる――これまで我が国では、こんな主張が聞かれたものだ。であればこそ今回の訪日は「メルケルよ!ドイツよ!やっと目を覚ましたか」と迎えられたようにも思える。 報じられるところでは、日独両国首脳会談で両国は安保・防衛協力を進めることを確認したとのこと。共同記者会見における「インド太平洋地域の平和と安定へのコミットを支援する。これは中国の領土的野心とも関係している。中国とは緊密に協力しなければならないが、簡単にことを進めてもらっては困る」とのメルケル首相発言から、中国に対する融和策から牽制策にドイツは大きく舵を切ったと歓迎する向きも、わが国には見られるようだ。 だが、中国市場におけるドイツの振る舞いを歴史的に振り返ってみるなら、最近のドイツの“方向転換”を手放しで喜んでばかりはいられないように思う。 ここで時計の針を1世紀ほど昔の清国末年に戻してみたい。共同記者会見を終え、握手を交わすドイツのメルケル首相(左)と安倍晋三首相=2019年2月4日、首相官邸(春名中撮影) 日露戦争が勃発した明治38(1905)年3月から7月にかけて湖北省宜昌から長江を遡り、成都、嘉定、重慶など四川省各地を踏査したのは、山川早水である。四川高等学堂で日本語教師を務めていたこと以外、生没年も経歴もはっきりしない。それにしても、あの国家危急の時代、中国内陸深奥部の四川で日本語教師を務める日本人がいたとは……蛮勇なのか無謀なのか。個人的意志なのか。それとも国策が絡んでいるのか。いずれも不明だが、やはり驚く外はない。 帝国海軍がロシア・バルチック艦隊を打ち破った日本海海戦(5月27日~28日)に先立つこと2カ月余りの「明治三十八年三月十八日、神戸を発し」た山川は、上海を経て長江を遡る。途中の旅館の設備の悪さに閉口しながら四川(蜀)に向かったが、四川省に入る手前の宜昌で山川はドイツ製品の進出ぶりに驚かされる。 市街の西洋雑貨店に並ぶ商品は、「独仏品其大部分を占め、英米之に次」いでいた。日本商品より種類は豊富で値段も安い。日本製といえば「福神漬巻紙、洋傘置時計」くらいのもの。これでは西洋製品に太刀打ちできそうにない。 山川は忸怩たる思いに駆られるのだが、本屋を覗いて「新訳書の多きには一驚」する。9割方が日本の科学書から漢訳したものであり、大部分が東京で学ぶ留学生が担当して上海辺りで出版したものだ。宜昌のような地方都市の書店でも「本邦諸科学書」からの翻訳書籍が売られていたとは、やはり驚きというしかない。ドイツの勝因 雑貨店の商品ではドイツ、フランス、イギリス、アメリカの後塵を拝する日本だったが、科学技術関連書籍では西洋を圧倒していたことになる。かくて山川は「安んぞ心に快からざるを得ん」と、ひそかに喝采を叫ぶ。当時、先進科学知識・技術が日本経由で中国内地にまで持ち込まれていたことが判る。 やがて四川省の省都・成都へ。 当時、成都は対外開放されてはいなかったことから外国商人は公然と営業することが出来ず、「諸店は、皆支那人の名義を借れり」といった状況だった。 成都での「外国商品は主として独、仏、英及日本等より輸入せらる、而して其運搬は皆上海より宜昌まで汽船に由り」、以後は陸路と水路を経る。殊に水路が危険なため、上海の保険会社が取り引きを断っている。勢い運送費などが嵩むことから、日本製品は国内価格の3、4割高で売られていた。 店頭に並んだ商品は、「毛布、大小時計、靴、玻璃類、莫大小類、金属器具、玩具、缶詰、酒烟、菓子、薬品、西洋食器、陶器、洋傘、洋紙、文具等」に他の雑貨を加えた日用雑貨で、人気が高かったのはドイツ製品だった。「独乙独特の瀬戸引器具即ち洗面盤、薬缶、手提割盒など」が売れ筋らしい。山川は品質堅牢で低廉価格、その上に消費者の嗜好習慣を捉えているからドイツ製品に人気が集まると考えた。いわば消費者のニーズを読んだドイツ・ビジネスの勝利である。 ドイツの巧みな販売戦略の一例として、山川は手提げ小型重箱ともいえる手提割盒を挙げる。それまで中国には「携帯用の数段に重ねたる竹製(中略)の割盒ありて、家居旅行共に欠く可からざる一要器に数へら」れていたが、竹製だから長期使用には耐えられないばかりか、汁物を扱えないという欠点があった。この点にドイツは着目したというのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「独乙は即ち此要求此欠陥とに乗じ、例の瀬戸引を以て、同式のものを供給せり」。従来からある中国の竹製よりは高いのは致し方がない。だが、長期使用に耐える点を考えるなら、割安感は増す。そこで中国人は1つといわず、2つ3つと“爆買い”した。 なぜドイツ製品は中国の竹製に勝るのか。山川は、ドイツ製品の勝因を「第一は堅牢、第二は盛る所の食品に乾湿を択ふを要せず、第三火に翳すを得、第四好看(中略)なり」と読んだ。「好看」は「美しさ」とすべきか、「みてくれ」と訳すべきか。ともかくも彼ら中国人は「見懸によらず、体裁を喜ぶなり」。だから、そういった中国人の消費動向を見抜くドイツ商人の“慧眼”には改めて驚かされる。 おそらく日本人のように《中国人はこういうものだ》という一知半解な固定観念に煩わされることがないのだろう。考えれば中国とドイツの間には、日中関係を覆ってきた一衣帯水も、同文同種も、子々孫々の友好などといった煩わしさは微塵もない。あるのは「双贏(ウイン・ウイン)関係」だけ。これは現在でも変わりはない。ドイツ「ヤカン」で成功 こうしてドイツ商品は「如何んぞ彼等(中国人)の喝采を搏せざるべき、果して彼らは旧を棄てゝ新を取ること、水の卑きに就くが如」きであり、「今や独乙輸出品中の主要を占め、又外国商品中の要品と推さるゝに至れり」。新しくていいものなら、躊躇うことなく買うということだ。いわば中国人の趣味嗜好と消費動向を十二分に計算しているがゆえにドイツの販売戦略は大成功である。 もう一つの成功例として山川はヤカンを挙げた。 中国では「湯沸としては、殆ど錫銅の二種に限られ(中略)、其蓋は墜落するを防ぐか為、必ず紐を以て把手に繫げり」。この点にドイツは目を着けた。すぐ切れてしまうような紐ではなく、堅牢な「金属の小鎖を以てせり」。かくて消費者から「少からざる賞讃を搏」したのである。やはり鎖と紐では耐久性が断然違う。 ドイツの巧みな販売戦略はまだ続く。たとえば「ランプのホヤに製造所の名号を記するに、英字と漢字とを以てせることなり」。ドイツ語音に近い音の漢字で記すが、「自国の文字」が普及していないゆえに、敢えて「英字を以て之に代へ」たのである。 ドイツ語の綴りが通じないのなら、取りあえずは英語式で済ませておこう、である。“文化的自尊心”なんぞよりも、やはり目前の利益である。 このように消費者の動向に臨機応変に対応するドイツ式ビジネス戦略を、山川は「其敏、称すべきに非ずや」と称賛したうえで、「需要には広狭多少の別あれども、既往に於て(現地消費者より)収めたる愛着心と信用とは、将来に及ぼして、無限の勢力を大陸に敷けるものと謂ふべきなり」と見通した。ドイツ製品が獲得した「愛着心と信用」があればこそ、将来の中国においてドイツは有利に振る舞うことができるだろう、ということか。これこそソフト・パワーというのではなかろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 山川に従うなら、やはりドイツの成功は「独乙が真面目なる研究の結果に外ならず、歩を進めて考ふれば、善く詳に身を需要者の側に置」いているからだ。ドイツがこういった行動・判断ができる背景には何があるのか。どうやらドイツ人は「主として在留の官商間に於て油断なく注意を払ひ居るものと覚江らるなり」と推測してみた。これを現代風に言い換えるなら、成都在留のドイツ官民が共同し現地における消費動向を抜かりなく観察し、ビジネスに生かしているということだろう。 ここで山川の視線は日本式ビジネスに転じた。「本邦人の多くが物物しく視察とか研究とかに出懸け、上海、漢口、北京、天津と紳士旅行の素通りしたとて、何の功か之有らん」。モノモノしいばかりで通り一遍の「紳士旅行」なんぞは、当然のことだが昔も無意味だった。そのうえに「上海天津等に居留する本邦商人は、数字の上にては数百数千を以て計へんも、其中の少数を除けば、大抵共喰商人に属」するばかり。日本は「正直者のバカ」? たしかに大都市の一等地に大きな看板を掲げ表向きは派手な商売をしているものの、内実は心許なく、同胞による陰湿な足の引っ張り合いが常態化している。なにやら21世紀初頭の現在を思い浮かべてしまうから不思議だ。 山川は四川における日本ビジネス不振に思い至る。「余(山川)は商業に於て門外漢なり、然れども、旅行及び在留の間、これは必ず当らん、これは必ず向かんと思ひたるもの十数目にして止らず」。だから専門家が「仔細に観察したらんには、無尽蔵の利源を発見せん」。加えて地理的にも歴史的にも欧米より有利な立場にあるにもかかわらず、日本製品の販路が拡がる気配がみられない。やはり官民共々に日本側は努力が足りないのだ。かくて「余(山川)は資本の欠乏を以て専ら之が弁解の辞となすを許さず、余を以て観れば、我国官民を通じて、之を思ふに精ならず、之を行ふに実ならざるに由るとなすものなり」となる。要するに官民協力しての現地理解への努力がみられない。営業努力が足りない、ということだろう。「本邦品は従前曽て諸種の雑貨、成都に輸入せられしが、価格割合に低廉なりし為め一時は随分捌けたるども、品質の脆弱は、直に彼等の排斥するところとなれり」。それでも「名古屋製置時計、大阪洋傘」などは一定の販売量を保持しているが、単なる見てくれから売れているだけ。本格的に「品質堅牢」「耐久力」を問われたら、将来的には販売不振に陥ることは明らか。ドイツ製品に駆逐されてしまうこともあり得るだろう。 加えて日本商人は「支那向として、特に粗質品を択べる」傾向がみられる。こういった傾向が依然として改まる様子が見られない。このままでは中華ナショナリズムに火が点き、日貨排斥運動を招きかねないと山川は苦言を記した。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) かくして山川は「之を要するに、成都に於ける日本商品は当初に一頓挫を招きてより、今日に至るまで回復する能はざる状態に在りといふべし」と結ぶ。反省はないのか。 民が民なら官も官。五十歩百歩といった状態だった。 成都における日本の外交活動を指して「固より正路に遵ふものなり」ではあるが、四川省の政府幹部との間にパイプを築き、諸般の情勢を調査し、四川在住各国公館の動向を観察することを怠っている。一方、列強諸国が「正路に遵ふ」というのはタテマエに過ぎない。実質的には宣教師を手足のように使い、必要に応じて「高圧手段」を混ぜながら巧妙に外交を展開するわけだから、山川の説くように日本は「少なからざる不便あるを覺悟せざるべからず」ではある。つまり正直者はバカを見るのではなく、外交における正直者は度し難いバカを意味するというわけだ。ドイツと中国の因縁 成都に先んじて対外開放されていた重慶における「日、英、仏、米、独の四国」の領事を比較して、「英、仏、独の三領事は常に遊歴滞在の名の下に常に成都に駐在し」ている。口実を設けて未開放都市の成都に常駐し、後日を期して一帯の状況を探索している。これに対し「正路に遵ふ」ところの「日本領事は重慶に留まったままであり、四川全体の情勢把握に向けた努力が見られない。重慶の中心街に置かれた英国領事館に較べ、中心街を外れた場所で「支那家屋」を借用した「我領事館の見栄無きに対しては、人情忸怩」とせざるをえない。見栄えが大事なのだ。 重慶における列強海軍の配置をみると、各国ともに長江上流の激流に適するように「特別建造の小砲艦」を停泊させている。イギリスの3隻は重慶の上流にまで遡航するが、フランスの1隻は重慶に係留されている。ドイツに至っては軍艦で商品を運んでいる。 これに対し、「我日本は一艦を廻航せしむるの議ありとは夙に聞くところなるが、今は之が實行を見ず」。ともかくもグジグジと理屈を捏ねるばかりで前に進まない。英独両国艦船が彼らの利権、在留民、商権を守る任務を帯びていることは敢えて想像するまでもないだろう。 山川は成都の将来と日本の関係について考える。 在留邦人はいるが、その中の期限付き任用の教員に現地定着の考えは期待できない。商人は将来展望を持たない。ならば、やがて対外開放され、鉄道が引かれ成都にビジネス・チャンスが生まれようとも、これまでの状況からして「恐くは本邦商人の発展」など期待できそうにない。甚だ心許ないばかりかイザとなった時に「独米の妨害あれば、(中略)成都の地には、邦人の影を留めざるに至らんも亦た知る可からざるなり」と、じつに悲観的だ。 これでは四川において、日本が外交でもビジネスでも影響力を発揮することができるわけがない。山川が憤慨した日本外交当局の不作為・消極性、さらには官民の連携の悪さという宿痾は、それから1世紀ほどが過ぎた現在に至っても完治したとは言い難いように思える。 そういえば日中戦争時、日本人から考えるなら首を傾げざるを得ないような形でドイツは蔣介石政権支援の態勢を崩そうとはしなかった。あれはナチスであるからか。それともドイツであるからか。山川の指摘からするなら、やはり後者ということになろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ならば現在の両国の関係の根底に、20世紀初頭以来のドイツの中国市場に対する“営々たる努力”が隠れていることを考えておくべきだろう。「ローマは一日にして成らず」の俚諺に倣うなら、やはり中国におけるドイツは一日にして成らず、といっておきたい。 1978年末の対外開放から現在までの40年に及ぶドイツと中国の外交関係、ドイツ企業の中国市場における振る舞いを考えた時、ドイツと中国との間の1世紀以上に及ぶ因縁浅からざる結びつきを軽視してはならない――山川の四川体験が、そのことを示しているように強く思う。

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    平成前期の政治を振り返る 「細川連立政権」で始まった激動

     平成の政治を10年刻みで見ていくと、それぞれのディケイド(10年間)に大きな特徴がある。平成元年(1989年)~平成10年(1998年)で存在感が際立っていた政治家の功罪を辿る。◆「山が動いた」55年体制崩壊の序曲 平成元年(1989年)、竹下登首相がリクルート疑獄で退陣。金権腐敗という「昭和の政治」の負の部分が露呈して自民党長期政権は末期を迎えていた。そんな中、歯切れの良い自民党批判で国民の心を掴んだのが、「おたかさん」こと土井たか子・社会党委員長だ。 土井氏は1989年の参院選に女性候補を数多く擁立、「マドンナ旋風」を起こして圧勝し、参院で自民党を過半数割れに追い込んだ。「山が動いた」の名セリフはこのとき生まれた。「憲政史上初の女性党首のおたかさんは女性政治家のパイオニア。政治史的にも、この年の参院選で万年与党の自民党と万年野党第一党の社会党が馴れ合いで政治を進める昭和の55年体制は終わりに向かい始めた」(政治ジャーナリスト・野上忠興氏)◆「小沢の乱」で誕生した非自民・細川政権 自民党長期政権崩壊の立役者となったのが小沢一郎氏だ。「功罪相半ばするが、2度の政権交代を実現。平成史には欠かせない政治家」(筆坂秀世・元共産党参院議員)小沢一郎自由党党首(右)と小泉純一郎元首相=2018年7月、東京都新宿区(納冨康撮影) 小沢氏は海部内閣で自民党幹事長に就任して小選挙区制導入の「政治改革」を掲げたが、次の宮沢喜一首相が政治改革に消極姿勢をとると、内閣不信任案に賛成して倒閣に動く。宮沢首相は衆院を解散、この1993年総選挙で自民党は小沢氏ほか大量の離党者が出て過半数割れに追い込まれた。 総選挙後、小沢氏は社会党、自民党離党組の新党さきがけなど8党派による非自民・非共産の連立内閣を誕生させ、日本新党の細川護煕氏を首相に担いだ。社会党の土井たか子氏が衆院議長に就任する。 この自民党敗北から細川内閣成立までの“残務整理期間”に宮沢内閣の河野洋平・官房長官が発表したのが「河野談話」である。「まさか」の連立◆自民・社会「まさか」の連立 38年ぶりの非自民政権の細川内閣は短命に終わる。 野党・自民党は河野氏、橋本龍太郎氏、石原慎太郎氏の「サンフレッチェ(三本の矢)」を看板に細川首相の政治資金問題、連立に加わった公明党の政教一致問題を追及。次第に細川内閣を追い込んでいく。 細川退陣後の羽田孜内閣で社会党が連立を離反すると、自民党と社会党が連立交渉を行ない、「安保反対」の社会党左派だった村山富市氏を首相に自社さ連立政権が誕生する。村山氏は就任会見で従来の主張を転換し、「日米安保は堅持する」と表明した。「国民に政治家の語る『理念』は演技だと白日の下にさらした」(嶋聡・多摩大学客員教授) 村山首相は1996年1月に退陣を表明。橋本内閣が誕生し、自民党は3年ぶりに政権を奪還する。橋本内閣は中央省庁再編など行革に取り組んだが、消費税率5%への増税後、参院選に大敗して退陣。日本経済に金融危機が深まる中、小渕恵三・首相が登場する。三党首会談後、記者の質問に答える小渕恵三首相=2000年4月、官邸「アジアや沖縄に対する視線が素晴らしかった。『公』の基本は『私』だという考えもそれまでの首相にはないもので、早世しなければ日本は変わっていたはず」(寺脇研・京都造形芸術大学教授) 小渕首相は野党案を丸呑みして金融再生に取り組み、自民党を飛び出した小沢自由党に連立を要請。このとき、野中広務・官房長官は「悪魔にひれ伏しても」と政敵の小沢氏に頭を下げた。「野中氏は自民党を倒した小沢氏を『悪魔』と呼んだが、国会空転は国民のためにならないと手を組んで自公連立をつくった」(政治評論家・木下厚氏)関連記事■ 眞子さま 小室圭さんと最後にお会いになった時の行為が波紋■ 安倍昭恵さん、絢子さん結婚晩餐会で酒豪ぶりが驚かれた?■ 眞子さま、婚約延期も職場では「結婚します!」と幸せオーラ■ 渡辺恒雄氏 なぜ一介の番記者から総理動かす政治力持ったか

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    「安倍の次はまた安倍」 消極的待望論も出る深刻な人材不足

    代表が「私こそポスト安倍だ」と語るほど政界は人材不足だ。 その状況が一番危うい。「究極のポピュリスト政治家」が彗星のように現われ、有権者の支持を集める危険がある。米国でトランプ大統領が誕生した時のように。 国民にとって最悪の政治状況が生まれるのを避けるには、“政治的ハーム・リダクション”の選択もある。 ハーム・リダクションとは公衆衛生用語で、個人が健康被害をもたらす行動習慣をただちに止めることができないとき、健康被害がより少ない行動を取らせるという意味。政治にあてはめれば、“安倍首相が辞めた後に極右政治家が出てくるくらいなら、安倍続投の方がまだ国民の被害は小さい”という判断になる。 安倍首相はタカ派と見られているが、そのナショナリストぶりは底が深くない。社会学者の筒井清忠・帝京大学日本文化学科教授が指摘する。「安倍氏のタカ派発言はスローガンばかりで、実行している政策は現実的なもの。『移民は入れない』と言いながら労働力不足になれば外国人労働者の受け入れを増やし、教育無償化といった社会民主的な政策も打ち出す。憲法改正もどこまで本気で取り組む気があるかはわかりません」経済財政諮問会議で発言する安倍晋三首相=2019年2月、首相官邸(春名中撮影) 安倍首相が総裁4期目も続投するとなれば、国民が不安視する来年の消費税増税が延期、あるいは凍結、廃止される展開もある。安倍ブレーンの高橋洋一・嘉悦大学教授が語る。「安倍さんは自分で決めたことは自分で発表する性格。ところが、先月の消費税10%への引き上げは菅官房長官が記者会見した。増税は基本路線ではあるが、総理はまだ最終的に上げるかどうか迷っているのではないか。景気に大きなマイナスの影響が出ると判断したら、増税延期を決断する可能性は残っている」 大統領の3選を憲法で禁じている米国と違って、自民党の党則を変えれば安倍首相の総裁4選は可能だ。「安倍の次はまた安倍」──そんな選択肢が思い浮かんでしまうほど、この国の政治の人材不足は深刻だ。関連記事■ 安倍政策を支配する「内閣官房参与」という妖怪の実態■ 安倍昭恵さん、絢子さん結婚晩餐会で酒豪ぶりが驚かれた?■ 安倍首相の後継「岸破義信」が争う間に極右台頭の土壌も■ 韓国作成「徴用工企業299社リスト」に日本企業の担当者絶句■ 徴用工判決で日本企業から「韓国撤退」思わせる動きも発生

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    「菅長官vs望月記者」バトルの波紋

    東京新聞の望月衣塑子記者と菅義偉官房長官のバトルが続いている。度重なる官邸側からの申し入れにも「報道の自由の侵害だ」と真っ向から反発する。そんな彼女を支える勢力の中には、これを倒閣運動の足掛かりにしたいとの思惑もアリアリだ。それだけに話はややこしくなるばかりである。

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    「今の記者クラブはバカの集まり」官邸vs望月記者、舛添要一の苦言

    からの質問に対しては、「フェイクニュース」と断罪し、次の回からはその記者を指名しない。 もし、日本の政治家が「トランプ流」の受け答えをすれば、非難の嵐となろう。2年前、今村雅弘元復興相が記者に対して「(会見室から)出て行きなさい!」と激高して批判されたが、それが「日本の風土」である。 第二の論点は、望月記者の質問中に、官邸報道室の上村室長が「簡潔にお願いします」「質問に移ってください」などと、何度も質問を遮ったという点だ。この点については、上村室長の介入が適切か、あるいは表現の自由を阻害するような類いの不適切なものか、判断が必要である。 そして、記者については、一定の品位を保った質問をしているか、質問に関連することを十分に調査し、勉強しているか、ということが問われることになる。 東京新聞側から見れば、上村室長の介入は「限度を超えている」という見解であろう。また、官邸側から言えば、望月記者は記者会見で「最低限守るべき礼儀を欠いている」という理屈になる。2019年2月28日、ハノイでの米朝首脳会談を終え、記者会見する米国のトランプ大統領(左)とポンペオ国務長官(共同) ベトナムの首都、ハノイで開催された米朝首脳会談の最中、ワシントンではトランプ大統領の元個人弁護士、マイケル・コーエン被告が下院の公聴会で証言したが、ハノイでこの件について質問した4人の記者が、首脳会談と無関係なことを質問したとして、記者会見への参加を拒否された。これは、ホワイトハウスの権限で行われたものである。官邸側も、できれば望月記者をつまみ出したいというのが本音だろう。記者クラブは「甘えの構造」 第三の論点は、前述した第二の論点にも関連するが、そもそも記者クラブ制度は必要か、そして役所の報道担当(今回は官邸報道室)と記者クラブの関係はどうあるべきか、という問題とも直結する。 以上の3点について、私自身の経験も踏まえて答えると、まず記者クラブ制度は本来果たすべき機能を果たしておらず、存在する意味がなくなっているように思う。品位に欠ける言動や、長すぎる質問時間、何度も同一人物が質問を繰り返すといった行為は、記者クラブがしっかりしていれば、未然に防げるはずである。 望月記者への申し入れは、本来は内閣記者会が行うべきである。定期的に代わるにしても、責任を持つ幹事社が記者クラブ加盟社の中にいるはずである。それができていないというのは、記者クラブが自治能力を失っていることを意味するに等しい。 もともと記者クラブは「甘えの構造」であり、取材先である諸官庁に場所を無償で提供してもらっている。それは、「報道の自由」という「錦の御旗」の威光をかさに着ているからである。 そして、役所側が無償で便宜を供与するのは、その見返りがあるからである。言い換えれば、権力側からの「情報操作」が可能であることを意味する。 国務大臣などの権力者になると番記者がつく。政治家の立場からは、彼らをどう味方につけるかが腕の見せ所となる。官房長官会見を見ていても、明らかに権力側に取り入ろうとする記者が何人かいて、率先して質問する。むろん彼らから見れば、望月記者は異端に映るだろう。2019年2月25日、定例会見に臨む菅義偉官房長官(春名中撮影) 記者の長すぎる質問や事実誤認をその場で注意すべきは、役所内、つまり官邸の報道室長ではなく、記者クラブの幹事社のはずである。だから、報道室長が介入するというのは、記者クラブに自治能力がないことを意味する。 東京都庁の場合、報道担当責任者は「記者クラブ主催ですから、何もできません」と全く関与しない。知事が術後で健康状態が悪いことを知らされていながら、会見時間が3時間に及んでも知らん顔していたこともあった。まさに文革の「紅衛兵」 はっきり言って都庁記者クラブは自治能力がなく、時間管理も質問管理もできない。また、ミニコミ紙やインターネット、フリーの記者と制限なく入室させている。「わが記者クラブは自由ですから」という触れ込みだが、人権尊重の念も、品位も礼儀もなくても、「記者」と称すれば誰でも入れる。まさに、中国の文化大革命の「紅衛兵」と五十歩百歩と言えよう。 また、記者の不勉強も度を超している。税制や予算の説明をしても、質問すら出ない。たまりかねた私は都知事時代、ある全国紙の社会部長に「若い記者にもう少し本を読むように言ったどうですか」と提案したが、「わが社会部は馬鹿の集まりですから、知事さん、無理ですよ」という答えであった。 そこで、記者の勉強の助けにと思って、私が知事になってからは、記者に公表期限付きで事前に資料を説明させるよう職員に指示した。そうでもしない限り、記者会見で重要政策の説明をしても、理解する意欲も能力も欠けているのである。 都庁記者クラブは、社会部記者が仕切っている。ちなみに、望月記者も社会部所属だが、なぜ政治部記者が中心の官房長官会見に毎度顔を出しているのか、正直よく分からない。 私が厚労相の時には、よく勉強する番記者が集まっていて、役所が出さないデータを発掘して質問される機会がよくあった。また、彼らは「夜討ち朝駆け」で早朝から深夜まで自宅に来て、年金記録問題や薬害肝炎訴訟対応などの政策について、繰り返し質問されたものである。 ところが、都庁では記者会見の場でも、一部の例外を除いて、難しい政策課題には質問が出ず、時間を持て余していた。また、都の政策に関する取材で、私の自宅まで来た記者はまずいない。霞が関から新宿に移ったとき、それこそ記者クラブ文化の違いを肌で感じた。2008年8月、福田改造内閣での留任が決まり、記者会見で抱負を述べる舛添要一厚生労働相(飯田英男撮影) いずれにしても、記者クラブの在り方や、クラブと役所の癒着などにメスを入れるべき時期に来ている。日本では司法とマスコミは聖域にように扱われ、まさに「甘えの構造」の根源となっている。 前者は日産自動車前会長、カルロス・ゴーン被告の長期勾留で国際的に批判を浴びており、それが改革のきっかけになる可能性がある。今回の「菅長官vs望月記者」のバトルが、後者の大改革につながることを期待したい。

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    記者会見で失言や醜態を晒した政治家たちの「器量」

    樫山幸夫(産經新聞元論説委員長) 言葉は政治家にとって命にも等しい。人の心をとらえる弁舌で語りかけ、説明責任を果たすー。それができなければ、器量、資質を問われる。 河野外相が、先日の記者会見での自らの不作法を謝罪した。遅きに失したというべきだが、愚弄されたメディア、憤慨した国民は矛を収めるかもしれない。しかし、一件落着とまでは言い切れまい。北方交渉に関する質問を無視したことが、ロシア側につけ入る隙を与えることにならないか。そうなって国益を損なったとしたら、謝罪では済まない。 今回の騒ぎによって、過去のいくつかの記者会見を想起させられた。いずれも、政治家や政府高官が失言や問題発言、醜態を晒して物議を醸したケースだ。そのせいかどうか、不幸にして、当事者たる政治家たちはその後、いずれも声望を取り戻すことなく、表舞台から消えていった。 今月15日の外相のブログは、11日の記者会見での対応について「お詫びしてあらためる」と陳謝し、「いつものように『お答えは差し控える』と答えるべきだった」と反省の弁を開陳。「交渉に影響が出かねないことについて発言を控えていることをご理解いただきたい」と釈明した。 最初からそうしていれば、記者団を失望させることはあっても、反発、怒りを買うことはなかったろう。 外相はこれまでも、対露関係については、省内でのインタビューや夜回り取材で、聞こえないふりをしたり、とぼけたりすることを繰り返してきたという。今回の態度は予想されたことではあった。韓国と電話会談し、記者団の取材に応じる河野太郎外相=2019年1月、東京・霞が関の外務省(松本健吾撮影) それに加えて、首相官邸主導で進められて領土交渉の「責任者」に、アルゼンチンでの日露首脳会談で急きょ指名されたため、過剰なほどの慎重姿勢を取ったとの見方もささやかれている。 日本政府がこれまでの「4島返還」から「2島返還」に方針を転換したと伝えられていることもあって、交渉がきわめて微妙な時期にきていることはまちがいない。それだけにだけに、氏の態度に関する推測も的外れと言えないかもしれない。 外相が無視した質問は、「(北方領土は)第2次大戦の結果、ロシア領になったと日本は認めるべきだ」というラブロフ外相の発言についてだった。一切言葉を発することなく無視すること4度、「次の質問どうぞ」を繰り返した。日米関係を損なう発言も 北方領土問題での過剰な慮りは、ロシア側に都合のいい解釈をさせることにならないか。今後の交渉の場で、「責任者」の外相がいくら理詰めでわが方の主張を展開しても、「あなたは国民に説明する場で何の反論もしなかった」などと先方が攻勢に出てくる可能性もあろう。牽強付会な解釈を持ち出し、片言隻句をとらえて交渉を紛糾させることが、旧ソ連時代からの常套手段であることを考えれば、取り越し苦労とばかりは言えまい。少なくとも、宣伝材料に利用される恐れはある。 こんどのように国民が驚き呆れた記者会見といえば、比較的高齢の人なら覚えているだろう。1972(昭和47年)6月17日の佐藤栄作首相の退陣会見。佐藤氏はテレビを通じて直接国民にお別れの挨拶をしようとしたところが、首相官邸の会見室に新聞社を含む記者団がいたため、にわかに機嫌を損ねた。「新聞はウソを書くから嫌いだ」と暴言を吐き、追い出してしまった。たったひとり、ガランとした会見室でカメラに語りかける姿は異様に映った。在任中、いやなことまで遠慮会釈なく書き立ててきた新聞への恨みつらみを、最後の最後に押さえきれなくなったようだ。7年8カ月という長期政権、沖縄返還など多くの実績をあげた総理大臣には似つかわしくない児戯に類する態度だった。 もっとも、佐藤会見は個人的な鬱憤晴らし、新聞への侮辱ではあったが、それ自体、国益を損なうものではなかった。 深刻だったのは1981(昭和56)年5月の鈴木善幸首相(当時、故人)のケースだ。 首相は大型連休を訪米してレーガン大統領(同)と会談、5月8日に発表された共同声明に初めて「同盟」という言葉が盛り込まれた。いまでこそ、日米関係の代名詞になっているが、当時としては画期的なことだった。 そのせいでもあるまいが、首相は発表直後の記者会見で、「(同盟という言葉に)軍事的意味合いは全くない」と言い放ち、「自由と民主主義、市場経済体制を守るということだ」と理解不能な説明をして、日米両国をびっくりさせた。 外務省は最初から軍事的側面を含むという立場であったことから、首相との関係がぎくしゃくし、外務省高官が堂々と首相を批判するなど対立が先鋭化した。首相は、会談前に共同声明がとりまとめられるなど、その作成方法をめぐっても不満漏らし、これに抗議した伊東正義外相(同)が辞任する騒ぎに発展した。新聞記者の引き上げた会見場で、テレビカメラに向かって退陣の所信を表明する佐藤栄作首相=1972年6月17日、首相官邸 政府は「軍事的側面をもつことは認めるが、あらたな意味合いを付加したものではない」という統一見解で沈静化を図ったが、米国の当惑は少なくなかった。「〝同盟〟は米国が日本に押しつけたものではない」、「軍事的な側面は含まれるが、ことさら振りかざすつもりはない」などと釈明、当惑を隠せなかった。 米政府は実質よりも形式にこだわる日本の姿勢に失望と強い疑念を抱き、その後長い間にわたって日米間のしこりとなった。天皇を政治利用? 鈴木首相は自ら率いる派閥(宏池会、池田勇人元首相創設)の伝統から〝平和主義〟へ強い憧憬をもっていたといわれ、事務方の手で自らの考えとは異なる方向に進んでいくことに我慢がならなかった、という見方もある。行政府の長として指導力を発揮すればよいものだが、それをできないところに限界があった。 鈴木氏は在任2年の翌年秋、総裁選で再選確実とみられていたにもかかわらず、政権を投げ出す形で突然、退陣を表明した。 天皇まで巻き添えにした失言もあった。1973(昭和48)年5月の増原恵吉防衛庁長官(同)の「内奏問題」がそれだ。 増原長官は5月26日、昭和天皇に「当面の防衛問題」についてご進講。終了後、記者団に対し、あろうことか、陛下とのやりとりを漏らしてしまった。氏によると陛下は「近隣諸国に比べて防衛力が大きいとは思えない。国会でなぜ問題になるのか」と疑問を示された。長官は「おおせの通りでございます。専守防衛であり、野党から批判されるものではありません」とお答えしたという。 陛下と会話を明かすことは、たとえ雑談であっても許されないことだが、ご丁寧にも、当時難航していた防衛2法案(防衛医大設置、自衛隊改組など)の審議に向けて「勇気づけられた」とやったものだから、「天皇を政治的に利用した」と猛烈な批判を浴びた。反論の余地はなく、増原氏は即座に辞任に追い込まれた。昭和天皇も迷惑されたことだろう。 氏は前年夏、岩手県上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突、旅客機の乗客・乗員162人が死亡した事故(雫石事故)当時の防衛庁長官。その責任を取って辞任し、その翌年に返り咲いたものの、自身の不祥事で2度目の辞任を余儀なくされる結果になった。 行政管理庁長官、北海道開発庁長官(当時のポスト、いずれも閣僚)などを歴任したベテラン政治家だったが、その後、入閣することはなかった。 1996(平成8)年暮れから翌年春まで続き、筆者も現地で取材したペルー・リマの日本大使公邸占拠事件。リマを訪れた日本の外務大臣(当時)の狼藉ぶりも忘れられない。日本大使公邸占拠事件。ペルーで会見する池田外相=1997年4月、オリバーツホテル(代表撮影) 外相は11月17日の事件発生直後に到着、解決に向けて指揮を執っていたが、22日の記者会見で、滞在日程などを聞かれたことに激高。会見後、質問した産経新聞記者を呼び出し、「この野郎何で質問した。人命がかかっているんだ」と怒鳴り、やりとりをメモしていた他社の記者のペンを振り払った。大臣とは思えない野蛮な行為だが、日程が犯人グループであるテロリストに知られ、交渉相手に引っ張り出されかもしれないことを恐れたからといわれている。「大人気なかった」と謝罪したが、事件直後、状況もわからぬまま現地に派遣された戸惑い、不安があったとみる向きもある。クリントン氏もウソで窮地に 外相は、首相を経験した有力政治家の女婿。その後も自民党役員などを歴任したものの目立った活躍はできなかった。岳父が創設した派閥の跡目を継ぐこともかなわず、ほどなく議員在職中に亡くなった。 海外のケースでは、不倫・偽証疑惑を真っ向から否定したビル・クリントン元米大統領の会見だ。 自分の娘といくつも年の違わないホワイトハウスの元実習生との不倫関係を暴露された直後の1998年1月26日の記者会見、「私は、あの女性といかなる性的関係ももったことはない。この申し立てはウソだ」と強弁した。ワシントン特派員だった筆者は、テレビで見てすぐに東京に送稿したが、その時のクリントン氏の恐ろしい形相は忘れられない。後ろめたいことがあると、人はあのような表情になるのか。 ウソをついていたのは「あの女性」ではなく、自分であることを認めざるを得なくなり、これも一因となって、米憲政史上2人目の弾劾裁判という不名誉な事態に追い込まれた(1999年2月、上院で無罪票決)。 あの場で不倫の事実を認め、率直に謝罪していたら、その後の厄介な展開はあり得なかったろう。 話を河野外相に戻す。ブログでの発言だけでは、あの時、どういう心境だったのかは、よく理解できない。ムシの居所が悪かっただけなのか、われわれの及ばない深慮遠謀があったのか。はたまた、不勉強、同じ質問を繰り返し、時に居丈高になる記者団に辟易していたのか。それなりの理由があるなら、さらに説明を望みたい。外相は今週水曜日、19日に日本記者クラブで会見する予定で、この場で何らかの発言があるかもしれない。 今回の問題は、記者会見というもののあり方に一石を投じるかもしれない。IT時代の昨今、政治、経済を含む多くのイベントがネット中継され、ビューアーから即時に反応が返ってくる。テレビで放映されず、されても仕事で見られない人たちのために、記者が代表して会見に出席し、読者、視聴者に伝えるという従来のスタイルも変化を迫られている。いま以上に開かれた〝国民会見〟になることも予想される。どのとき、当局はどう対応し、メディアはどういう役割を果たせばいいのか。 新しい時代の会見のあり方を模索する契機になるかもしれない。かしやま・ゆきお 産經新聞元論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

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    官房長官vs東京新聞記者の内幕と「がっかり発言」沈静化理由

     国会や首相官邸で日々取材する政治部記者には、見聞きしても絶対に書けない記事がある。首相や官房長官、与党幹部が番記者にふと漏らした本音は、「夜回りメモ」や「オフ懇メモ」として本社のデスクに報告されるが、決して紙面に載ることはない。しかし、本来そうした話こそが、この国の政治に何が起きているかをありのままに知ることができる生の情報なのだ。 そこで覆面政治部記者座談会を開催し、“核心”に迫ることにした。本誌・週刊ポストの呼びかけに、政権に食い込みながらも“冷めた目”で権力を分析するデスククラスのA氏、首相官邸や自民党を長く担当して主流派、反主流派のどちらにも太いパイプがあるベテランB氏、そして夜回り取材の第一線で飛び回る中堅の2人、“安倍肯定派”のC氏、政権に距離を置くD氏という政治部記者4人が匿名を条件に応じた。A氏は、「安倍総理は菅さんに嫉妬しているフシがある」と切り出し、話は菅義偉官房長官の現状に至った。司会:政権の緩みと言えば、菅官房長官と東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者とのバトルも大人げない。官邸報道室が内閣記者会に「事実を踏まえた質問」をするよう文書で要請したことに、新聞労連が抗議声明を出す騒動になっている。現場の記者として本音はどうなのか。記者D:官邸の報道室長名のクレーム文書が届いたとき、東京新聞の政治部ではデスクたちが大爆笑したそうです。こんな文書を出せば官邸が批判されるのに、損なことをどうしてやるのかと。あまりにも官邸に余裕がなくなっている。文書を作成したのは官邸報道室長の上司にあたる長谷川榮一・内閣広報官だとみられているが、長谷川さんはもともとオフレコでよく喋ってくれる記者にはありがたい人だが、最近は取材しにくい。記者C:官房長官番はみんな大迷惑。会見後に囲み取材で菅さんに話を聞こうとしても、カッカしているから出てくるのは望月記者のことばかりで、本来予定していた質問ができない。「(彼女は)インターネットで報じられるから、自分の意見を言いたいだけ」「自分の講演のネタづくりがしたいだけじゃないか」と望月記者の悪口集ができあがる。記者B:新聞労連の抗議にしても、実は南彰・委員長は望月記者と共著がある人物だから、現場の記者は冷めて見ている。それに官房長官会見を除けば、一時期のような政権による言論介入はみられなくなった。会見に臨む菅義偉官房長官=2019年1月、首相官邸(春名中撮影) 民放の記者が言うには、ロシア外交について聞かれた河野太郎・外相の「次の質問どうぞ」という質問無視や桜田義孝・サイバーセキュリティー担当相の「USBは穴に入れるらしい」といった発言をワイドショーでコメンテーターが厳しく批判しても、官邸や自民党からは何も言ってこない。 水泳の池江璃花子選手についての桜田大臣の「がっかり発言」に野党は噛みついていたが、夜のニュースから報道をやめたのは、池江さんの心労の種になってはいけないという局内の自主判断といっていた。記者D:政権の直接介入が減ったのは、メディア側が自主規制するからじゃないですか。沖縄の基地移設をめぐる県民投票結果を朝日、毎日、東京3紙は2月25日付朝刊で〈辺野古「反対」72%〉(朝日)など1面トップで報じたが、産経新聞のトップ記事は「海自観艦式 韓国招待せず」、読売に至っては「適量ですか 高齢者の薬」という企画ものを1面トップで報じた。政権に不利なことを書かないという自主規制がここまでなされれば、官邸は注文をつける必要もないでしょう。●レポート/武冨薫(ジャーナリスト)関連記事■ トランプ氏にノーベル賞推薦報道、一番驚いたのは安倍首相■ 「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■ 「拉致被害者2名生存情報」今後の日朝関係にどう影響するか■ もし日韓戦わば… 軍事力の差は歴然だった■ 韓国で女児の胸が大きくなる「性早熟症」、囁かれる原因

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    菅長官が東京新聞望月記者に「選挙出れば」挑発オフレコ発言

    』というのが菅さんの考え。『選挙に出れば』という言葉にはそういう皮肉が込められているのではないか」(政治部記者) しかしこの発言が、永田町では別の意味に受け取られている。 「望月氏が本当に野党から出馬すれば間違いなく目玉候補になる。野党はこぞって彼女に接近を試みており、実際に立憲民主党の山尾志桜里氏や自由党の森ゆうこ氏など、野党の女性政治家が次々とメディアで彼女と対談している。彼女の質問力を国会で発揮してもらえれば、与党を追い込む切り札になるのは間違いない。菅長官もそれを意識しているのかと思った」(野党の議員秘書)経済財政諮問会議に臨む安倍晋三首相(左)と菅義偉官房長官=2017年5月、首相官邸(斎藤良雄撮影) 望月氏本人に、オフレコ発言や出馬の可能性について聞くと、いきなり大笑い。 「そんなこと言っていたんですか! 知りませんでした。すみませんが、これ以上は会社を通してもらわないと……」 発言を気にしている様子はみじんもなかった。情けないのは、国会質問で政府与党を本気で追い込む野党議員が見当たらないという現状である。関連記事■ 東京新聞望月記者「政権の矛盾のしわ寄せを受けるのは官僚」■ 望月衣塑子氏「官房長官ら大物議員は自分さらけ出す覚悟感じる」■ 山尾志桜里氏 望月衣塑子氏に“私と同じ事されてる”の感想■ 東京新聞望月記者 ペジー事件の捜査が政権に及ぶ可能性指摘■ TBS青木アナ「彼はうまくないけど一生懸命」とオフレコ発言

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    テレビ局いじめ? 首相の反撃が始まった

    国民の共有財産である電波利用料の引き上げが決まった。増額は携帯大手が2割、NHKと民放キー局が5割とそれぞれ大幅な負担増となる。これまで利用料は3年ごとに見直されたが、今回は1年前倒しとなった。「テレビ局いじめ」「安倍政権の反撃」といった意見も聞かれる中、公共電波の意味を改めて考えたい。

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    電波利用料5割増が「テレビ局いじめ」と言えない3つの理由

    湧口清隆(相模女子大学教授) わが国では、電波利用料制度は1993年に導入され、2005年に料金体系が大幅に変更されています。しかし、電波利用者が電波利用にかかる共益費用を負担する、いわば受益者負担の制度であるという性格は、導入から四半世紀経過した現在でも変わっていません。ただし、共益費用の範囲や料金体系は時代とともに常に変化し続けています。 私自身は、2005年と2008年の改正の際に総務省の研究会構成員として、改正の議論に参加しました。その立場から申し上げると、2019年の改正は抜本的な見直しとはいえませんが、二つの点で驚きがあります。 まず、通常3年ごとの見直しですので、本来であれば今年は改正年ではなかったはずです。 それにもかかわらず改正をするという背景には、官邸主導の規制改革推進会議から強い要請があったことは事実でしょう。実際、それは2018年6月に発表された「骨太の方針2018」や2017年12月に発表された「新しい経済政策パッケージについて」にみることができます。 その意味で放送業界から声が上がっているように、「改定が1年前倒しされ、放送事業者の多くは予期せぬ『値上げ』を強いられることになる。適用期間の流動化は放送事業者にとって経営上のリスク」(改正に対するパブリック・コメント)になることは事実です。 しかも、これまで「負担額は改定前の2割程度」だった激変緩和措置が、今回5割に拡大されたため、各社の2019年度の予算に億単位の大きな影響が出てきてしまいました。過去にそのような例がないかといえば、人工衛星局のように2005年の改正時には数千倍ものオーダーで値上がりした無線局もありました。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 次に、通信事業者と放送事業者との間で長年繰り広げられた「公共性」論争に、総務省がよく決着をつけたという点です。通信で届けられる内容は「通信の秘密」で守られた私信であり、放送で届けられる内容は「番組調和原則」や集中排除原則で規制された公共性の高い通信であるという論理から、従来は放送には「公共性」を見いだせるが、通信には見いだせないとして、電波利用料を割り引く特性係数は放送のみに適用されていました。 しかし、近年、災害時の救助要請や情報伝達において会員制交流サイト(SNS)の活用が進んでいます。結果、私信だから「公共性」が小さいという議論の根拠が薄れ、携帯電話にも同様の「公共性」を適用すべきだ、という通信事業者や国民からの主張が強くなってきました。 そこで今回、携帯電話事業者へも特性係数を適用することになりました。そのため、電波利用料の歳入全体の約85%を占めていた携帯電話事業者の負担割合が減り、10%弱しか占めていなかった放送事業者の負担割合を大きく増やすことになったのです。しかも、共益費用の範囲や金額が拡大したことから、基幹放送事業者の料金改定は極めて大きな額、大きな変動率になりました。「放送局いじめ」じゃない 以上のように考えていくと、今回の改正は、そうでなくともインターネットのせいで視聴率低下が叫ばれ、経営的に苦しい放送事業者をいじめるものであるように感じられます。しかし、今回の改正内容は、理論的観点からグランドデザインを見れば、放送事業者いじめではなく、理にかなったものになっています。 第1に、地上デジタルテレビ放送と携帯電話との間での周波数をめぐる競合問題が挙げられます。現在、地上デジタル放送用には470~710MHz(メガヘルツ)の周波数が1チャンネル当たり6MHz幅で割り当てられています。一方、米国では、614~698MHzの周波数帯が放送用周波数から「5G」と呼ばれる第5世代移動通信用に再編され、既にオークションで通信事業者に割り当てられています。 わが国では周波数オークションは導入されていませんが、仮に(ただし極めて非現実的ですが)オークションで周波数が割り当てられ、落札者が自由に用途を選べるなら、おそらく同じ周波数資源を使って、放送に比べて十倍以上の売上高のある携帯電話事業にこの周波数を用いるでしょう。その意味では、人為的に特性係数を用いて放送用周波数の料額を安価に設定することは、資源配分上適切とはいえません。 しかも、わが国の地上デジタル放送は技術的にSFN(単一周波数中継)方式を採用しており、理論上はチャンネル数をもっと減らすことが可能です。ただし、混信対策上、東京スカイツリーのような放送用の電波塔を多数建てる必要があり、現在までの電波利用料水準では合理的とはいえませんでした。 しかし、電波利用料が上がるのであれば、電波塔を建設して、不要なチャンネルを返上し、周波数を開放する方が得策になるかもしれません。 今回の改正は、5G時代を前にそのようなインセンティブや認識を放送事業者に与える効果を持っています。米国で実施した半ば強制的な周波数開放とは違い、ソフトな形で漸進的にテレビ放送業界に影響を与えるものです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 第2に、共益費用の範囲の拡大が挙げられます。新たに、「電波の利用価値の向上につながる事務」(a群)に「5G等の無線システムを支える光ファイバー網の整備」、「電波の適正な利用を確保するために必要な恒常的な事務」(b群)に「安心・安全な電波利用環境の整備」が追加され、総額が年620億円から750億円に増加します。 一見すると、光ファイバー網の整備は無線通信と無関係のように見えます。しかし、現実には携帯電話用の周波数が不足する中で、われわれは携帯電話のネットワークではなく、無線LAN経由で膨大なデータ通信をおこなっています。しかも、かつては音声通信を利用していた通話まで、「LINE電話」などデータ通信を活用しています。 ネットゲームやネット動画の利用などでますます通信量が増える中で、今後も高速でデータ通信が利用できるようにするためには、無線LANを利用する場合でも10GHz(ギガヘルツ)帯以上の高周波数帯の5Gネットワークを利用する場合でも、バックボーンとなる十分に高容量の光ファイバー網が整備されている必要があります。テレビ局のチャンス ところが、現在の個人向け光ファイバーの料金は定額制であることから、通信需要に対応してネットワークを整備しても、光ファイバー事業者にとっては増収にはつながりにくい構造になっています。そのために、インフラ投資が遅れる危険性が危惧されています。 実際、日本の高速固定通信速度が、2015年には経済協力開発機構(OECD)加盟36カ国中7位でしたが、18年には23位に転落したことが日本経済新聞(2月15日付)から発表されました。このように民間で投資が進まないけれど必要な財の整備に、補助金を充てることは公共経済学的には伝統的な手法の一つです。しかも、その財源が受益者負担であることは合理的です。 第3に、多様な伝送手段でコンテンツが配信される中で、ますます放送事業者が制作したコンテンツが無線インターネットでも配信され、放送事業者が販売益を得る可能性は増大しています。放送用に4K、8Kで制作されたコンテンツも通信ネットワークで配信される未来が見えてくる中で、共益事務の範囲が拡大して光ファイバー網の整備が行われることは、巡り巡って放送事業者の収入増につながる可能性があります。 このように考えると、放送事業者がコンテンツ制作面で、放送事業者以外が制作するネット動画などのコンテンツに対して優位性を持つ限り、電波利用料の値上げと同時にインフラ整備や技術開発への使途が拡充する今回の電波利用料の改正は必ずしも悪いものではないといえるでしょう。また、国民的視点に立てば、国民1人当たり年額約100円の支出増で、現在よりもデータ通信速度の低速化を回避できるのであれば、決して悪い選択肢とはいえないのではないでしょうか。 もちろん、むやみに共益事務の範囲を拡大して共益費用を増やしたり、不必要な事業や効果の薄い事業を実施したりすることは絶対避けなければなりません。費用の直接的、間接的負担者と受益者との間でコンセンサスがとれることが大切です。実はそれを担保するために、電波利用料額は電波法の中に直接書かれ、国会で法定される仕組みが採用されています。多くの報道陣が集まった東京拘置所前=2018年12月、東京都葛飾区(納冨康撮影) 近年、欧州を中心に、携帯電話事業者からオークションで高額な免許料を徴収したことが、インフラ整備やサービス展開に遅れをもたらす要因となったという考え方が主流になりつつあります。 そのような意識の中で、例えばフランスのように携帯電話事業の再免許にあたり、オークションをせずに、国や規制当局、事業者との間でインフラへの投資協定を結ぶという事例も出てきたほか、オークションではなく人為的に既存事業者に均等に周波数を配分する方が望ましいという考え方も出現しています。 電波利用料は、市場で直接決定されるものではなく人為的に設定されているため、周波数逼迫(ひっぱく)対策において必ずしもオークションに完全に代替するとはいえません。しかし、周波数の逼迫度や電波利用度合いに応じて電波利用料の区分を精緻(せいち)化する試みは、計画経済の中で少しでも市場価格に近づける試みとして評価できるのではないでしょうか。■テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!■池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

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    電波利権「波取り記者」の恐るべき政治

    改革を急がなければならないという「常識的」なもののように感じられた。ところが、実際には放送の既得権が政治を動かし、全く改革は進まなかった。2005年10月、第3次小泉改造内閣発足後の記念撮影が終了し、安倍晋三官房長官(左)と話をする竹中平蔵総務相(小野淳一撮影) 総務省在籍当時、筆者の仕事部屋は大臣室の隣にある秘書官室だった。筆者とは面識のない多数の方が秘書官室に訪れ、名刺を配っていく。筆者も秘書官室の一員であるので、名刺を頂いた。それを見ると、メディア関係の方々だ。その中には「波取り記者」と呼ばれる人も含まれていた。 「波取り記者」の「波」とは電波のことだ。「波取り記者」とは、記事を書かずに電波利権確保のために電波行政のロビイングをする人たちだ。こうした人は新聞業界にもいた。ようやく機は熟した 彼らの政治パワーは強力であり、その結果として上に述べたように改革が全く進まなかったのだ。これは、日本の電波・放送行政が先進国で最も遅れた原因である。 本来であれば、10年以上前にやっておくべきであった。それができずに、時間を無駄にしてしまった。 ところが、技術の進展は目覚ましく、インターネットを使っての「放送」は安価に誰でもできるようになった。 筆者も私塾をやっている。かつては講義内容をテキストにして配信していたが、今ではビデオ配信だ。その方がコストも安く、速報性にも優れている。いうなれば、今や電波の希少性を超えて、誰でも「放送」ができるようになったわけだ。 しかし、この「放送」は放送法の範囲外である。放送法では、電波に希少性があるので与えられる対象が少なくならざるを得ない。このため与えられた少数の既得権者は公共のために放送法を順守しなければいけない。 ところが、「電波の希少性」という物理的な制約がなければ、放送法の規制は最小必要限度となり、さまざまな主体の参入を認めて、その競争に委ねるという政策が可能になる。 特に日本では先進国の中で唯一の電波オークションを認めず、放送では新規参入がなく「波取り記者」のような人がいたくらいの「後進国」なのだ。総務省=2018年8月撮影 冒頭で「今の放送業者は、電波を『不当に』安く使っている」と書いたのは、今の電波利用料は役人が決めた水準だからだ。本来であれば、電波という国民共有財産は、入札(オークション)という公明正大な方法で価格を決めなければいけない。今の役人が電波を割り当てして、入札で決められたはずの水準より安いから「不当に」安いと書いたのだ。 ようやく機が熟したといえるだろう。少なくとも今の安倍政権はこうした規制改革に、他の政権より熱心である。その背景として、マスコミに左派傾向があるという意見もあるが、日本のメディアが国際的になるのであればそれは国益に資するだろう。入札が先進国の常識 電波利用料は本来入札で決めなければいけない。この常識は、先進国でまさに常識であり、先進国35カ国の状況を見ると、今では電波オークションではないのは、日本だけになっている。 2017年度の電波利用料は646・8億円。その内訳は、携帯電話550・9億円、テレビ業界60・1億円などである。 同じ2017年度の日本テレビホールディングス(HD)の売上高は4237億円、当期純利益374億円であったが、負担した電波利用料は4・5億円にすぎない。テレビ朝日HDも売上高3025億円、当期純利益158億円に対し、電波利用料は4・4億円だ。 もし、電波オークションが導入されていれば、少なくとも電波利用料は1桁以上大きいはずである。この意味では、放送業界は、電波オークションなしでの既得権者である。 テレビ番組で、公共事業について、入札ではなく随意契約しているので工事単価が高くなり、血税が余分に使われるという批判をよく取り上げる。しかし、それは電波利用料でもいえることだ。 今回の電波法改正にも、今国会に提出予定の興味深い法律改正がある。放送法改正である。その内容は、NHKによる放送番組のインターネット常時同時配信を容認することだ。総務省は、NHKに常時同時配信を認める条件として、受信料の引き下げや民放との連携強化、子会社を含めた統治強化、業務の見直しなどを要求している。 民放の方は、制度上既にインターネット常時同時配信が可能であるが、行うことを躊躇(ちゅうちょ)している。スポンサー離れなどを心配しているようだが、実は、インターネット常時同時配信になると、独自コンテンツを持たず、中央のテレビ局からの配信に依存している地方テレビ局が深刻な経営苦境に陥るというところが本音だろう。地方テレビ局には中央のテレビ局からの天下りが多くおり、そうした人たちの死活問題になる。NHKのロゴマーク(ゲッティイメージズ) そうした状況に、インターネット常時同時配信をやりたがっているNHKを利用するという、「毒には毒を」というえげつない戦略を総務省は採ったのだろう。 民放には大きな試練が訪れている。キー局に対しては5割にもなる電波利用料の引き上げ、電波の割り当て審査に価格競争要素導入(一部オークション化)、NHKによるインターネット常時同時配信と、包囲網がじわりと狭まったようだ。筆者が総務省にいたときから10年以上経って、遅ればせながら、動き出したようだ。■ 偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!■ テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■ 池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

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    テレビへの圧力? 電波独占料、負担増に漂う安倍政権のうさん臭さ

    杉江義浩(放送プロデューサー、ジャーナリスト)                    政府がテレビ局や携帯通信事業者に課している電波の利用料を、大幅に値上げする案を含めた電波法改正案が閣議決定され、国会に提出されました。NHKや民放キー局5局に対しては、5割増しということで、テレビ局の経営状況に与える影響の大きさは衝撃的なものです。 民放キー局は、収入とCM制作に関しては広告代理店任せ、番組制作に関しては制作プロダクション任せ、となりつつあり、唯一放送局として発言力を持っているのは編成権ぐらいではないかという状況です。 その編成権を裏付けるのが、電波利用権の独占です。各テレビ局は地上波、衛星放送それぞれに、一定の周波数の独占的な利用を政府から認められていて、その対価として電波の利用料を支払います。 科学に強くない人にも誤解を与えないために言っておくと、電波そのものは自然界にもともと存在する物理的な現象であり、誰のものでもないし、特にお金が発生するものでもないのです。ただ、自然界に存在する限りある周波数帯域しかない電波は、使い道を秩序立ててコントロールしなければ大変なことになります。 例えば、同じ地域で地上波テレビと携帯電話が、あるいはラジオと警察無線が、同じ周波数を使ったら、混線してしまって使い物になりません。そんなことが起きないように、周波数帯域が用途別に細かく切り分けられていて、決まった周波数を使うように義務づけられています。 それぞれの放送局には、あらかじめ放送に使ってもよい周波数が割り当てられていて、その周波数を独占的に使います。また、携帯電話に使ってもよい周波数はどこからどこまで、船舶無線に使ってもよい周波数はどこからどこまで、といった具合に細かく定められていて、総務省(かつては郵政省)がルールに従って電波を使うように整理してきました。 電波の利用料というのは本来、その整理やコントロールの事務作業にかかる「手間賃」ぐらいであり、もともと自然界に存在する時点では、電波に値段はありません。 例えば、数十メートルしか電波が飛ばないWi−Fi(ワイファイ)などでは、装置を用意するのにお金はかかりますが、Wi−Fiの電波利用料というのは特にかかりません。免許のいらない小出力のトランシーバーやアマチュア無線にも、電波利用料はかかりません。 ただ、何十キロメートルもの長距離を飛ぶ、テレビやラジオの地上波に関しては、公共の電波を広範囲にわたって一定の周波数を独占することによって収益を得ているという意味から、一定の電波利用料を国に納めるようにした方が良いのではないか、というのが電波法の趣旨です。2018年8月、雷が落ちた東京スカイツリー。NHKや民放キー局のテレビ放送の電波を送信している(宮崎瑞穂撮影) 携帯通信事業者が使う電波に関しても同様です。しかし、もともと無料で自然界に存在する電波ですから、利用料の算出根拠は極めて曖昧(あいまい)です。 電波利用料というより「電波独占料」という方が、しっくり馴染むような気がします。いずれにしても総務省の胸先三寸で決まる、いわば電波の「ショバ代」であって、コストなどの合理的な根拠に基づく金額ではないのです。 適正な電波利用料がいくらかは、算出する根拠がないのですから、政府の言い値でしかありません。「電波を独占して利益を上げているのだから、これくらい払いなさいよ」という非常に漠としたものなのです。 今回の電波法改正案では、将来の5G(次世代無線方式)携帯電話環境の開発、推進に当てる財源として、平成31年度に750億円を見込んでいて、それが「電波利用料の算出根拠である」と政府は説明しています。不明瞭な電波利用料 しかし、私が思うには、本当に5Gのインフラ整備が国民にとって必要なら、税金を使ってやればいいのではないでしょうか。テレビ局に請求するのは、なんだか筋が違っている気がします。 自動車税が高速道路などの建設に使われる、道路特定財源制度のような、受益者負担の合理性は、そこには感じ取れません。新しく携帯電話の通信環境が整備されることによって、テレビ局が何か利益を得るのでしょうか。利益を得るのは国民ではないでしょうか。 だったら税金でまかなうべきです。テレビ局に課すべきではありません。今回の電波法改正案には、そういった根本的な胡散(うさん)臭さが感じられます。 胡散臭さという点から派生したのでしょうか、巷(ちまた)では今回のテレビ局への「5割増し」は、ニュースやワイドショーなどで政権批判を繰り返す、テレビ朝日やTBSへの、牽制(けんせい)措置ではないかという言説も見かけます。 これはまったく的外れだと私は思います。比較的政権に近い報道姿勢を見せるフジテレビや日本テレビ、NHKに対しても、5割増しを同様に課しているのですから、テレビ局への圧力だと勘繰るのは、いささか過敏すぎると言えるでしょう。  もちろん、民間放送は電波を独占することによって直接的に収益を上げ、利潤を追求する私企業であるという一面はありますが、別の側面では公共の電波の独占を許されているが故に、公共の福祉を担う社会的責務を持つ特殊な事業体であると言えます。私は後者の方こそ、今注目しなければならない重要な側面だと考えています。 限られた電波の有効利用という、根本の原則に立ち返ってみましょう。そもそもなぜ特定の放送局だけが、貴重な地上波の相当規模の周波数帯域を独占利用することが認められているのか。 それは放送法に定められた通り、放送局は公共の福祉に資する放送を送信していると認められているからであり、本当に放送局が公共の福祉に貢献しているのなら、極論すれば電波利用料は無料にするのが筋ではないかと私は考えます。逆に言えば、公共の福祉に寄与しないような放送局は、電波を独占する根拠も失ってしかるべきです。 地上波のテレビ局が一つ消えてなくなり、その局が独占していた1チャンネル分の周波数帯域を移動体通信事業で有効に使うことができたなら、かなりの経済的メリットが生まれるはずだと試算した人もいました。テレビと移動体通信事業は、地上波という限られたパイを分け合う敵同士です。どちらが公共の福祉に、あるいは社会の発展に役立っているのか、シビアに比較される時代でもあります。 今は、動画はネットで見る時代かもしれません。ネット発で受信する動画もあれば、テレビ発でネットで受信する動画もあります。しかし「家族でくつろぐお茶の間に入り込む」存在であるテレビには、特有のテレビ文化というものが歴然と存在していて、また確立しています。2018年4月、衆院予算委の集中審議で、疲れた表情を見せる安倍首相 家族そろって楽しめるスポーツ中継、しっかりと作り込まれたドラマやドキュメンタリー、これらはリビングの4K、8Kのテレビ画面で見たいと、私などは思います。ぐらっときた時、すぐに地震速報を見られるのもテレビの心強さです。テレビが興隆しても映画文化は廃れなかったように、ネットが興隆しても、テレビ文化は決して廃れることはないでしょう。 政府には算出根拠の不明瞭な電波利用料などでテレビ局に負担を強いるのではなく、公共の電波を使うテレビならではの、健全な文化を育成するような政策をとってもらいたいものです。■ テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■ テレ朝、TBS「モリカケ報道」のどこが悪い■ 池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

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    中国並みのトランプ「言論弾圧」ではっきりしたメディアの受難

    、新聞を読んでいただけると、あらたな興趣もわいてくるだろう。かしやま・ゆきお 産經新聞元論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

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    民放テレビでやけにドラマが増えている理由とは

     テレビ局にとって視聴率はスポンサーを説得するための絶対の営業ツールであり、テレビマンが胸を張って誇るための「物差し」だった。 だが、その“目盛り”は時代とともに変わり、10%を超えれば大ヒットとなり、一桁も当たり前。冬の時代を迎えたテレビ界はいま、現状打開のために導入した「新指標」、タイムシフト視聴率で“目盛りの読み方”まで変えようとしている。 従来の視聴率は、ビデオリサーチ社が調査対象世帯に専用の受像器をセットし、その世帯が「いま見ている番組」を集計して算出。その数字を元にテレビ局は各企業に営業をかけていた。 リアルタイム視聴率の低下により、新たに導入されたのは、録画再生の視聴割合を指す「タイムシフト視聴率」だ。従来の視聴率だけでなく、1週間のタイムシフト視聴率を合算した数字をもとに、スポンサーと広告代理店、テレビ局が取引することになった。この2つを足すことにより「視聴率は高いですよ」とアピールできるよう動いているのである。 だが、肝心の番組制作サイドは、新指標に振り回されている。フジテレビのドラマ制作スタッフが嘆息する。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「確かにタイムシフト視聴率でいえばウチのドラマは好調です。1~3月期の『海月姫』や『FINAL CUT』はリアルタイムよりタイムシフトのほうが数字がよかったし、7~10月期のドラマでも『グッド・ドクター』と『絶対零度』はタイムシフト視聴率で毎週8%以上稼いでいた。 それでも広告収入が増えたという話は聞かないし、制作費はこの数年削られる一方です。最近は上から『録画でも数字を取れるコンテンツを意識しろ』と言われ、現場は混乱するばかりです」上層部からの「無茶ぶり」 新指標を元にした上層部からの“無茶ぶり”は、他局でも起きている。別のキー局社員が語る。「最近、幹部が『報道やスポーツを録画して見る視聴者はいない。録画視聴者の多いドラマの枠を増やそう』なんて言い出したんです。それを伝え聞いた報道スタッフは激怒していましたよ。『俺たちの仕事をなんだと思ってるんだ!』って。リアルタイムの視聴率を諦めるような発言は、現場のモチベーションを下げるだけです」 その言葉を裏付けるかのように、各局は“ドラマ重視”の姿勢を鮮明にする。 テレビ朝日は4月から日曜午後9時にドラマ枠として「日曜プライム」を新設し、テレ東も月曜午後10時に「ドラマBiz」を開設。フジも昨年10月から、月曜深夜0時25分を「ブレイクマンデー24」として深夜ドラマ枠を新設している。元NHKの番組ディレクターで次世代メディア研究所の鈴木祐司氏が語る。「制作費もキャストのギャラもかかり、コストパフォーマンスの悪いドラマ枠は一時各局で縮小傾向が見られましたが、タイムシフト視聴率を意識して、この1年で復活しました。最近はドラマだけではなく、映画、アニメといった『録画でじっくり見たい番組』を各局の編成担当は増やそうとしています」 最近、テレビを付けると妙にドラマばかりやっている──そんな気分になるのは、気のせいではなかったわけだ。「スポンサーもテレビ局のドラマ偏重を理解しており、その作品に登場する俳優を使ったCMを意図的に流すなど、“録画でも飛ばされにくい”作りを意識しています。昨今、ドラマの続きかと思うようなCMが多いのも、このためです」(元テレビプロデューサーで上智大学文学部教授の碓井広義氏)関連記事■ テレビ局、CM取引新指標「タイムシフト視聴率」導入の深刻度■ 新垣結衣 主演ドラマ「けもなれ」で解禁した「タブー」とは■ 新ドラマ絶好調の米倉涼子、「海老蔵と復縁」説の真相■ 星野源 新垣結衣に「なんでそんなにかわいいの?」と直球質問■ 『逃げ恥』で使われた部屋「家賃13.6万円」騒動の真相

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    安倍首相 メディア幹部と積極会食し巧妙に操縦、その参加者

    相は再登板以来、メディアの幹部と積極的に会食し、懐柔の手段としてきた。新聞・テレビの論説委員クラスや政治評論家には、総理との食事に招かれただけでコロッと参ってしまい、政権のスポークスマン役を買って出ている者が少なくない。 安倍首相のメディア対策が歴代首相に比べて効果をあげているのは、大手メディアの社長や会長と個別に宴席を囲む“社長懇”を慣例化したことだ。この1年を見ても、4月2日にパレスホテルの宴会場「桔梗」で渡辺恒雄・読売新聞グループ本社主筆、福山正喜・共同通信社社長(当時)、熊坂隆光・産経新聞社会長らと食事したのをはじめ、日本テレビの大久保好男社長、日経新聞の喜多恒雄会長、岡田直敏社長と個別に会合を持った。 首相の政治指南役とみられている渡辺氏(6回)と日枝久・フジテレビ相談役(2回)は別格にしても、共同の福山社長は3回も食事している。政治アナリストの伊藤惇夫氏が指摘する。「総理が論説委員や各社の官邸キャップとその時々の政治テーマについて懇談するのは歴代内閣で行なわれてきた慣例で、記者にとっては取材活動です。しかし、安倍首相が社長懇を開くようになって、現場の記者は政権を強く批判すると社長に迷惑を掛けると忖度して記事を書くようになった。それが安倍さんのメディア操縦の巧妙なところです」 政治評論家の田崎史郎・元時事通信社特別解説委員(2回)などとくに首相に近いとされる各社の論説委員やOBたちは、首相から会食に誘われた回数で“いかに政権に食い込んでいるか”を競い合っている。2018年3月、プロ野球巨人戦を観戦する安倍晋三首相(左)と渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆(矢島康弘撮影) もちろん、政官財界からマスメディアまで権力に群がるのは今に始まったことではない。だが、安倍首相は性格的に「敵」と「味方」を選別し、待遇に差を付ける。この政権の「お友達政治」の本質は、インナーに入れなければ排除され、政権の便宜も重要な情報も一切得られなくなることだ。 安倍氏にとって、会食やゴルフはそのための踏み絵でもある。「敵」と見なされれば最初から排除される。大手新聞社の経営トップでは、朝日新聞の社長は2013年7月に首相と1回会食しただけで、その後は動静には一切登場しない。関連記事■ 政官財マスコミ 華麗なる安倍人脈大図解■ 進次郎氏の嫁探し 条件の一つは「昭恵さん的な発言をしない」■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ 安倍首相お友達人脈格付け サシの食事→ゴルフ→焼きそば■ 安倍首相の「悪だくみ人脈」 始まりは昭恵さんだった

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    江田憲司手記「普天間秘録」

    「普天間返還の原点、その真実を書き記すことが私の使命と考えた」。1996年、沖縄・普天間飛行場の返還をめぐり日米両政府が合意し、今に続く基地問題はここから始まった。当時、橋本龍太郎元首相の秘書官だった江田憲司衆院議員がiRONNAに独占手記を寄せた。普天間秘録。初めて明かされる「23年目の真実」とは。

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    【独占手記】江田憲司が初めて明かす普天間合意「23年目の真実」

    跡地開発をしっかりやりたい」 金武町長「希望が見えた。町民全体が燃えている」 読谷村長「日本の生きた政治を見る思い。村長をして22年になるが、総理が初めてボールを沖縄に投げた。もうやるしかない」   これを受けて、橋本総理があいさつに立った。 「私がひねくれていた頃、数ある従兄弟(いとこ)連中と片っ端からけんかをしていた。その中で岡山にいた源三郎兄、彼は海軍の飛行練習生だったが、唯一私をかばってくれた。最後に会ったのは昭和19年の初夏、その時、彼は、継母になじむように私に小言を言ってくれた。そして、『今度会うときは靖国で』と言って、その年の10月、南西方面で還らぬ人となった。だから、これまで春と秋の例大祭には必ず、私は靖国神社を参拝してきた。それが我が国の外交に影響するのであれば自制したいが、彼が戦死した南西諸島というのが沖縄だということを知ったのは、戦死公報が届いた後のことだった」 ここで不覚にも、私までが涙してしまったことを覚えている。1997年9月、組閣のために官邸入りする橋本龍太郎首相 普天間飛行場の返還。それは、当時の橋本総理が、まさに心血を注いで成し遂げたものだ。元々、幼少期に可愛がってくれた従兄弟を沖縄戦で亡くしたという原点もあり、何度も総理として沖縄入りし、また、都合17回、数十時間にわたり、当時の大田昌秀沖縄県知事と直談判して、まとめあげたものだ。 1996年1月に発足した橋本政権は、村山富市前政権から困難な課題を二つ、引き継いでいた。一つは「住専問題」、そして、もう一つが、この「沖縄の基地問題」だった。1995年9月に起こった海兵隊員による少女暴行事件、それに端を発する沖縄県民の怒り、基地負担軽減、海兵隊の削減等を要求する声は頂点に達していた。  こうした声を受けて、橋本総理は、政権発足早々から一人、この沖縄問題を真剣に考えていた。夜、公邸に帰ってからも、関係書物や資料を読みふけったり、専門家の意見を聞き、思い悩んでおられた。意を決したクリントン会談 そんな時、旧知の故・諸井虔氏(元日経連副会長・秩父セメント会長)から、秘書官である私に「大田知事とは、彼を囲む沖縄懇話会というのをやっている。当選の時から懇意にしているから本音の話もできる。知事からも外務省や防衛庁などの官僚ルートを通さず、総理に直接、生の声を伝えたいとの希望がある」との話があった。私と諸井氏は、私が通産省窯業建材課勤務の時に、セメント産業の構造改善事業を通じて交友があった。 そこで、早速、このルートで知事の意向を確かめたところ、諸井氏から「普天間飛行場の返還を、初の首脳会談の場で口の端にのせてほしい。そうすれば県民感情は相当やわらぐ」との感触を得た。1996年2月21日のことだ。あえて「人払い」のため、役所出身の事務秘書官がいる官邸執務室ではなく、わざわざ自民党本部の総裁室で、私は総理と諸井氏との会談をセットしたのだ。 ちなみにこの時、大田知事は決して「反米」ではなく、むしろ「アメリカのファン」で、また、橋本龍太郎という政治家を信頼し尊敬していることも分かった。今後、この問題では、総理⇔江田⇔諸井⇔知事のルートで進めていくことも確認した。 しかし、この「普天間飛行場の返還」について、外務、防衛当局、殊に外務官僚は、いつもの「事なかれ主義」「対米追従主義」で全く取り合おうとはしなかった。普天間飛行場のような戦略的に要衝の地を米軍が返すはずがない、そんなことを政権発足後初の首脳会談で提起するだけで同盟関係を損なう、という考えだった。あたかも、安全保障の何たるかも知らない総理という烙印を押され、馬鹿にされますよと言わんばかりの対応だったのである。したがって、クリントン大統領との首脳会談(96年2月24日/サンタモニカ)用の事前の「総理発言要領」には、「普天間」というくだりはなかった。 橋本総理も、この外務当局の頑ななまでの対応を踏まえ、ギリギリまで悩まれた。首脳会談の直前まで決断はされていなかったと思う。しかし、クリントン大統領と会談をしているうちに、米国側の沖縄に対する配慮、温かい発言もあって、ついに総理は、その場で意を決して「普天間飛行場の返還」を切り出したのだ。「難しいことは分かってはいるが、沖縄県民の切なる願いは、普天間飛行場の返還である」。 当時、絶対返すはずがないと思われていた普天間飛行場の全面返還合意。それが実現できたのは、ひとえに、この総理のリーダーシップと沖縄に対する真摯な思い、それを背景に事務方の反対を押し切って「フテンマ」という言葉を首脳会談で出したことによる。会談後、総理からその首尾を聞かれた私は「フテンマという聞き慣れない四文字を、クリントン大統領の耳に残しただけで、この首脳会談は成功だと思います」と申し上げた。1996年9月、沖縄米軍基地問題で沖縄県の大田昌秀知事(左)と会談する橋本龍太郎首相 この会談を機に、クリントン大統領も早速動き、その3日後にはペリー国防長官に検討を指示した。ペリー氏(あの黒船のペリーの末裔)も沖縄での従軍経験から、沖縄県民の思い、苦悩、実情を十分理解し、軍(特に海兵隊)との調整に大変な努力をされた。副大統領経験者の大物・モンデール駐日大使(当時)も含め、日米の首脳レベルの連携プレーが見事にワークした事例だったのである。この交渉が極めて異例な総理主導であったことは、担当の外務大臣、防衛庁長官にすら、その交渉そのものが知らされていなかったことに象徴されている。歴史的な一日 その「返還合意」発表の96年4月12日。この歴史的な一日の動きを、改めて私の日記で再現してみたい。 18時半。総理から沖縄県知事に電話。 「今夜モンデール大使とギリギリの交渉をする。そのためには、今ある基地とは別の所にヘリポートをつくらなければならない。アセスの実施や地主の協力を得るためには県の協力が得られなければとてもやれない。それだけは約束を。交渉の中味は死に物狂いでやるが、どうなるかわからない。普天間を何とかするために全力を尽くす。県が全力を挙げて協力してくれないと後が進まない。古川官房副長官を中心にチームを作るので県も参加してほしい。私は、外務省、防衛庁、他の閣僚も飛ばしてやろうとしている。それだけの決心だ。県内に適地を探す、また本土の基地を含め、緊急時の使用も検討する」 これに対し、大田知事は、当初は「県の三役会にかけなければ」と口を濁していたが、「そこまで総理が言われるなら、できるだけのことをやります」 その後、モンデール大使と執務室で会談。返還合意。終了後、外務大臣、防衛庁長官、渡辺嘉蔵、古川貞二郎両副長官が入り、総理より説明。 「両大臣には申し訳ないが、私の責任で決めさせていただいた。各省庁には記者会見で知ってもらう」 外務大臣「総理の決断に感謝。日本側としては誠実に対応し、あらゆる努力をしていきたい」。ここで総理が防衛庁の局長に問題点の説明を促す。 防衛局長「アセスメントと地元対策に時間がかかる。跡地対策には原状回復と米軍への協力等が必要」 19時。総理より沖縄県知事に再び電話。 「今、大使と握手した。普天間基地は全面返還する。ここ5年から7年のうちに。条件は基地機能の維持。約束を果たしたことを認めてくれるか。そこでヘリポート問題。跡地について県の最大限の協力をいただきたい。各省庁にまたがる。古川副長官の下にタスクフォースを設置。そこに吉本副知事と調整官が入る。こうなれば、5-7年を1年でも早くするかどうかは私たちの問題。一緒にやろう」 「知事に喜んでいただいた。国と県が協力していこうと確認した」と総理が同席者に。その後、総理に促されてモンデール大使と知事が英語で電話。知事は、突然、大使が電話に出て驚くも良いムード。モンデール大使「知事の最善の努力をお約束していただき、ほっとしている」 20時より記者会見。「返還合意」をモンデール大使と発表。1996年4月、沖縄の米軍普天間飛行場返還で共同記者会見する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日大使 この会見後、公邸に先回りして待っていた私は、思わず、帰ってこられた総理とどちらからともなく抱き合い、喜びあったことを覚えている。その時は、大田知事も「総理の非常な決意で実現していただいだ。全面協力する」との声明を出したのである。 ただ、普天間飛行場の返還は決まったものの、その移設先については日米交渉がデッドロックに乗り上げていた。移設先が決まらなければ返還も不可能となる。「普天間飛行場の代替機能を確保する」というのが条件だったからである。苦渋の海上施設案 もちろん、沖縄にとっては県外移設に越したことはない。しかし、そもそも当時は、「返すはずがない」という出発点からの交渉だったため、「県内移設」しか考えられなかったことも実情だった。 やはり「キャンプ・シュワブ沖案」しかないか。しかし、ここは珊瑚礁がきれいでジュゴンも生息する美しい海岸地帯だ。そこで、こうした生態系や騒音をはじめとした環境への負荷も比較的少なくてすみ、地元住民の負担もなるべく軽減、かつ日米安保からの要請も満たすという諸点をギリギリまで追求し、発案したのが「海上施設案」だった。土砂による「埋立て案」や、「メガフロート案」のようなコンクリート製の防波堤を打ちこむ必要のある工法では、その生態系に多大な影響を与える。誰もが納得する百点満点はなく、そのベストミックスを考え抜いた末の、苦渋の決断が「海上施設案」だった。 この案の経緯は、ある日、羽田空港に向かう車中で総理から「江田君、海上構造物というのは、一体技術面やコスト面でどこまでクリアーされているのか調べてくれ」という指示を受けたことからはじまる。私には、総理秘書官という立場上、色々なルートから様々な情報が入ってきていた。その中に、「あるいは最終局面では海上案も検討に値する。その場合は既に実用化されている浮体桟橋工法(QIP)が有効だ」という情報があった。私は「それなら良い工法がある。沖ノ鳥島やニューヨークのラガーディア空港に実例があるし、何といっても環境影響が少なく、かつ、容易に撤去可能で、基地の固定化の懸念も払拭できる」と答えた。  総理もこれなら、粘り強く理解を求めれば沖縄の人たちもギリギリ受け入れてくれるのではないかと決断された。相変わらず、事務当局は否定的であったが、別ルートで探ったところ、米国からも良い感触が伝えられてきた。その結果、1996年12月2日、米国とのSACO(沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会)最終報告で、この案が採用されたのである。 その報告書にはこうある。「海上施設は、他の2案(注:嘉手納飛行場への集約とキャンプ・シュワブ内における建設)に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質にも配意するとの観点から、最善の選択であると判断される。さらに、海上施設は、軍事施設として使用する間は固定施設として機能し得る一方、その必要性が失われたときには撤去可能なものである」。 そう、日米双方の合意として、この時は「将来的な基地の撤去可能性(出口)」についても言及されていたのである。 その後、この移設先を巡っての沖縄との交渉は紆余曲折を経た。しかし、97年12月24日、比嘉鉄也名護市長は官邸執務室で橋本総理と向き合い、自らの市長辞職と引き換えに、名護市辺野古への移設受入れを表明したのである。1997年12月、橋本龍太郎首相との会談を終え、代替ヘリポートの受け入れを決めた名護市の比嘉鉄也市長(瀧誠四郎撮影) 「知事がどうあろうと私はここで移設を容認する。総理が心より受け入れてくれた普天間の苦しみに応えたい(ここで総理がすっと立って頭を下げる)。その代わり、私は腹を切る。場所は官邸、介錯は家内、遺言状は北部ヤンバルの末広がりの発展だ」。 まさに市長の身命を賭した「侍の言」に、その場にいた総理をはじめ皆が涙したものだ。 思えば、ことは、国と沖縄との関係、日米安保体制の下での基地負担のあり方ということにとどまらず、本当に総理と沖縄県知事、名護市長との、「人間対人間」の関係の極みまでいった交渉であった。いや、それを支えた梶山静六官房長官を含めて、当時の内閣の重鎮二人が、心の底からうめき声をあげながら真剣に取り組んだ問題であった。理屈やイデオロギー、立場を超えて、人としてのほとばしる力、その信頼関係に支えられたと一時本当に信じることができた、そういう取り組みだったのである。大田知事の「方便」 しかし、このような全ての努力にもかかわらず、結論を延ばしに延ばしたあげく、最後に自らの政治的思惑で一方的にこの「極み」の関係を断ち切ったのが、大田知事だった。それまでの知事は「県は、地元名護市の意向を尊重する」と言っていたにもかかわらず、名護市長が受入れを表明した途端に逃げた。当日、時を同じくして上京していた知事は、岡本行夫首相補佐官らの説得にもかかわらず、名護市長とは会おうともせず、官邸で徒(いたずら)に先送りの方便を述べるだけだった。「方便」とは「移設先検討のための有識者委員会の設置」。それは知事側近さえ知らなかった、その場逃れの思いつきの提案だった。 これに怒声を上げたのが、意外なことに、いつもは温厚で感情を表に出さない古川官房副長官だった。「あなたはこれまで名護市の意向を尊重すると言ってきたじゃありませんか! 名護市長が命をかけてやるというなら、それをサポートするというのが筋でしょう! それは格好をつけるためだけの、先送りの委員会だ!」。その言葉に、知事は下を向いてうなだれるしかなかった。 大田知事にも言い分はあるだろう。しかし、私は、当時の橋本総理の、次の述懐がすべてを物語っているように思える。「大田知事にとっては、基地反対、反対と叫んでいる方がよほど楽だったのだろう。それが思わぬ普天間返還となって、こんどは自分にボールが投げ返されてきた。その重圧に堪えきれなかったのかもしれない」。 そして、この総理と沖縄県知事の「人と人との関係の極み」は、それからまもなくのこと、98年2月、たった一本の電話で断ち切られたのである。それは、この問題を十数回もひざ詰めで進めてきた、知事と総理との直接の会談の場ではなく、秘書官風情の私への、一本の電話だった。 「総理に代わりましょう。この問題は総理と知事でやってこられたわけですから」と私が何度言っても、「その必要はない」「辺野古への移設は絶対に認められない」と言って、知事は一方的に電話を切ってしまった。 この普天間飛行場の返還が、これまで解決できなかった理由は多々あるが、橋本、小渕政権が終わり、森政権以降、総理に「沖縄」の「お」の字も真剣に考えない人間が続いたことが一番大きい。それに加えて、政治家や官僚にも、足で生の情報を稼ぐ、県民の肉声に耳を傾ける、地を這ってでも説得、根回しをするという努力が決定的に足りなかった。そういう人たちによる政治や行政が、沖縄県民に受け入れられることもなく、積年の不信感をぬぐい去ることもできなかった。 特に、民主党への政権交代時には、この分野では最もやってはいけない政治的なパフォーマンスが繰り広げられ、それが「パンドラの箱」を開け、その代償は限りなく大きいものとなった。「覆水盆に返らず」。「ガラス細工」のように周到に積み上げられた先人の努力は脆くも崩れ去り、沖縄との信頼関係は「橋本政権以前」にリセットされてしまったのである。 そして今、安倍政権は「辺野古が唯一の解決策」と言い募り、強引に沖縄を押し切ろうとしている。しかし、本当に辺野古は、移設先として「唯一の解決策」なのだろうか? 鳩山政権時の「ダッチロール」があるだけに、政府として慎重にならざるを得ない立場はわからないでもないが、何よりもこの問題は、「沖縄の心」に真に寄り添わなければ、決して最終的に解決しはしない。安倍総理も心底「沖縄の皆さんの心に寄り添う」と言うなら、一旦ここで立ち止まって、今一度、再検証をしてみる必要があるのではないか?  96年当時と今は、東アジアを巡る安全保障環境をはじめ諸般の状況も大きく変わった。当時正しかったことが、今でも正しいとは限らない。そして、この普天間飛行場の返還を決めた時、同時に「海兵隊の削減」も沖縄は求めたが、当時の状況からは、橋本総理ですら、とてもそこまでは踏み込めなかった。しかし、それから10年以上が経ち、むしろ、米国の方から在沖縄海兵隊の8000人削減(グアムへの移転)が提案されたではないか(2006年5月/「再編実施のための日米のロードマップ」)。ことほど左様に、沖縄の米軍基地の必要性、その役割、機能等を巡っても、「10年スパン」でみれば、今時点では不可能と思えることが可能になることもある。1997年12月、橋本龍太郎首相との会談を終え、報道陣に囲まれる沖縄県の大田昌秀知事(瀧誠四郎撮影) また、既に知られているように、普天間飛行場の代替機能は、沖縄県内に必ずしも置かなければならないものでもない。安全保障や軍事戦略上、海兵隊の即応能力や機動性等を確保するためには、県外移設でも十分にそれが担保されうる場合がある。海兵隊の運用は、「教育・訓練」「演習や実任務」「次に備えた部隊再編成・教育」というフェーズに分かれ、実際、在沖縄海兵隊も、これらに合わせ、普天間飛行場だけでなく、アメリカ本土、太平洋の各地をローテーションして動いており、半年間以上、沖縄を留守にしているともいわれる。心血注いだ橋龍 さらに、最近では、北朝鮮のミサイル能力の向上に伴い、米軍側に、海兵隊を沖縄のような前線に常置しておいて良いのか、抑止力や反撃能力のことを考えれば、むしろ、もっと後方(例えばグアム)に配備した方が戦略的に正しいのではないかとの声も上がり始めたと聞く。        そうした機会をとらまえて、日本、沖縄においても米軍基地の再編が起こる可能性は十分にあるだろう。そうした時に「代替機能」が本当に沖縄に、日本国内に必要なのか、その問題提起をもう一度、米国にしてみる価値はあるのではないだろうか。少なくとも、そうした「思考回路」を持つことが、この問題を解決に導くこともあるということを、常に為政者は頭に置いておくべきだろう。 2015年4月18日。私は故翁長雄志知事と公舎でお会いした。その時、知事が一番懸念されていたのが「流血事故」の起こる可能性だった。基地建設、土砂搬入を阻止しようとする「人間の鎖」で「流血事故」の惨事にまで発展したら…。想像したくもないが、それが瞬く間に全世界にインターネットで配信されるようなことになれば、「人権大国」を自負する米国にとっても決して好ましい事態ではないはずだ。 改めて言う。普天間飛行場の返還、それは、当時の橋本総理がまさに心血を注いで成し遂げたものだ。こんな戦略的要衝の地を米国が返すはずがないという外務省の反対を押し切って、96年4月、クリントン大統領との直談判で確約を取りつけたのだ。 それほど、この国のトップリーダーが、時々の国際政治、安全保障環境、国内、特に沖縄の実情等を総合的に勘案して、決断、実行していくべき課題なのである。その自覚が、認識が、今の安倍総理にあるだろうか? それは、安倍総理の沖縄への向き合い方をみれば明らかだろう。当時の橋本総理のそれとは比肩すべくもない。 振り返れば、この問題で、安倍総理は故翁長知事に、彼の当選後、4カ月以上経っても会おうとしなかった。普天間飛行場の代替機能の確保が、国の安全保障上重要な課題だと言うなら、知事当選後、本来なら速やかに総理の方から沖縄に出向いてでも協力を要請すべきだった。その後も時折、ふと思いついたように不承不承、知事と会うことはあっても、原則、この問題の処理を菅義偉(よしひで)官房長官に任せている。 当時の橋本総理が知事と直接、しかも二人きりでひざ詰めで談判していたのとは彼我の差だ。そうした対応が「これまでは被支配者の苦悩の歴史だった」沖縄の人々の心に響くわけもなく、これでは到底、辺野古移設への沖縄県民の理解は得られないだろう。2019年2月、衆院予算委で質問する立憲民主党会派の江田憲司氏 そして、昨年12月14日、法的手段の応酬にまで発展し泥沼化した双方の対立は、とうとう、辺野古への土砂投入という重大局面に突入した。沿岸部の埋め立てによる飛行場建設は、96年の返還合意時に採用された「海上施設(杭打ち桟橋方式)案」とは違い、将来にわたって恒久施設化する可能性が高く、また、藻場やリーフの破壊、海流の変化による生態系への悪影響等環境への負荷が著しく大きい。そして、何よりも、日々刻刻、もう「後戻り」できない可能性が高まる選択肢でもある。 この「ヤマトンチュ政権」の強行に、玉城デニー知事は「本当に胸をかきむしられるような気持ち」と天を仰ぎ、琉球新報は「軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を『南の関門』と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)と重なる」と書いた。  今、橋本総理が生きておられたら、こうした事態を目の当たりにし、一体、何とおっしゃるのだろうか。■ 稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■ 「ヤンキーゴーホーム」はヘイトではない! 高江で見た基地問題の本質■ 基地依存から脱却「アベノミクスの逆説」が変えた沖縄の民意

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    有田芳生が問う「安倍首相よ、それでも沖縄の民意を踏みにじるのか」

    に「無意識の植民地主義」(沖縄出身で広島修道大の野村浩也教授)である。沖縄差別の現代的表現 今、日本政治の焦点になっている辺野古新基地建設問題の思想的・精神史的背景には、意識的にせよ無意識にせよ、日本本土と沖縄との間のこうした深刻な問題が横たわっているのだ。 いい機会なので、沖縄差別の驚くべき事実を紹介しておこう。「人類館」をどれだけの日本人が知っているだろうか。1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会で設けられた展示である。沖縄、アイヌ、朝鮮人など、生きた人間が見世物として展示されたのである。 いまだ克服できない外国人差別やヘイトスピーチの地盤は、日本人の歴史の中に陰湿に隠れ、時に腐臭を発しながら噴出する。その現代的表現が辺野古問題であり、本土と沖縄との大きな「溝」なのである。 米国の戦略により沖縄の海兵隊は縮小の方向にあり、抑止力の観点からいっても辺野古新基地は必要ない。なぜなら、米朝接近により朝鮮半島有事に対応するというSACO(日米沖縄特別行動委員会)合意の前提が大きく崩れつつあるからだ。 それでも工事を強行する安倍晋三首相と菅義偉(よしひで)官房長官の発言には唖然とするしかない。平然と虚偽を語り、あるいは隠蔽(いんぺい)していることは、いくら言葉で逃れようとしても、厳然たる事実である。 まずはサンゴ問題だ。安倍政権は2018年12月14日から辺野古に土砂投入を始めた。県民の強い反対を踏みにじっていることは言うまでもない。2018月12月14日、米軍普天間飛行場の移設工事で、埋め立て用土砂の投入作業が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部(小型無人機から) 沖縄県は1995年10月に赤土等流出防止条例を施行した。土砂に赤土が相当程度混入していることは条例違反の可能性が高く、県と沖縄防衛局との約束違反だ。 赤土は、海においてはサンゴをはじめとする自然を破壊する。土砂投入は海流に影響を与えることで、絶滅危惧種や準絶滅危惧種であるサンゴを傷つける。藻場が荒れることで、絶滅危惧種であるジュゴンの生態にも影響を与えている。安倍首相「サンゴ」のデマ 安倍首相は1月6日に放送されたNHK『日曜討論』でこう語った。「土砂投入をしていくにあたって、あそこのサンゴについては移している」。発言の文脈は明らかだ。土砂投入する前に、そこのサンゴは移植しているとしか読めない。 安倍政権は希少価値のサンゴを移植しながら基地建設を進めているという印象操作をやりたいのだろうが、流行りの言葉を使えばフェイク(事実でないこと、あるいはデマ)だ。ここで、NHKが収録番組にもかかわらず、誤った事実をそのまま垂れ流した問題は指摘しておくだけにする。 安倍首相や首相官邸は、辺野古の海を埋め立てるにあたって、サンゴを移植したとしているが、言葉によるごまかしだ。新基地建設現場海域のサンゴは約7万4千群体。しかし、その中で移植したのはわずか9群体である。 海洋専門家によれば、サンゴは移植したとしても、そこで生き残るのはわずかで、環境保全策にはならないという。土砂投入海域付近に準絶滅危惧種であるヒメサンゴがあることも環境省によって確認され、レッドリストに掲載されている。 かくして「政府と沖縄の溝」は、辺野古新基地建設用地に集中している。沖縄の基地問題には大きな誤解がある。普天間飛行場の機能が辺野古新基地に移転するのではない。新たに軍港、弾薬庫などが設置され、耐用年数は200年とも評価されている。 日本で唯一の地上戦を経験した沖縄では「アメリカ世(ゆー)」が戦後もいまだ続き、さらに「ヤマト世」が重なり、基地があることによる事件や事故が頻発している。基地が返還された方が経済が振興する事実については、いまや沖縄では常識に属する。にもかかわらず沖縄にはいまだ自己決定権がないのである。 沖縄差別に抗した翁長雄志前知事に続き、玉城デニー知事の圧勝で誕生した沖縄の民意は鮮明だ。「政府と沖縄の溝」を解決するには、安倍政権が文字通り沖縄の民意に寄り添い、米政府と真剣に交渉し、「第三の道」を模索していくことだ。安倍政権がそれをしないというのなら、私たち野党は辺野古に新基地を作らない新しい政府の樹立を目指していく。2018年12月、辺野古沿岸部への土砂投入開始を受け、厳しい表情で記者会見に臨む沖縄県の玉城デニー知事 紆余(うよ)曲折はあったものの、2月24日に全県で行われる県民投票の底流には、琉球・沖縄の苦難の歴史が流れている。沖縄県民が求めているのは「イデオロギーよりアイデンティティー」(翁長雄志前知事)なのである。■ 変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■ 沖縄のデマ垂れ流し「ニュース女子」お寒い番組制作に絶句する■ 「沖縄に関心がない」東京のメディア 地元紙が痛感した温度差

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    宮古島市長手記「県民投票に参加しない」私の真意を改めて語ろう

    があると考えています。■稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■ウーマン村本に知ってほしい「沖縄モヤモヤ史観」

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    沖縄県民投票、辺野古埋め立て反対は「有効な武器」になり得ない

    残念なことである。■ 稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■ 変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■ 自衛隊を排斥しても「オール沖縄」玉城デニーのデタラメな論理

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    統計不正「官邸の圧力」追及、ならば辻元氏もあの疑惑に答えよ

    学部教授) 立憲民主党の辻元清美衆院議員は、同党の国会対策委員長の重責を担い、マスコミへの露出も多い政治家である。それだけではなく、客観的データがないのであくまで感想レベルだが、日本の政治家の中で、デマなどで最も誹謗(ひぼう)中傷されている議員の一人ではないか。 完全に対照的な政治的立場にいると目される自民党の杉田水脈(みお)衆院議員と、インターネット界隈では「両翼」といっていいかもしれない。ただし、2人を大きく超える安倍晋三首相という「別格」がいることも忘れてはならない。 辻元氏も自身に対するデマの多さは問題視していて、彼女の近著の題名『デマとデモクラシー』(イースト・プレス)はまさにその象徴だし、辻元氏のホームページにも同氏についての「10大デマ」についてきちんとした反論がある。 率直に言えば、ひどいデマが多すぎる。デマやフェイク(嘘)では、政治も政策も何もよくはならないことをぜひ理解してほしいと、その10大デマを見ていて思った。 デマや誹謗中傷はもってのほかだ。ただし、辻元氏に対するネット上での批判には理由がないわけではない。 今日の立憲民主党の国会運営における主軸であり、世間に向けての大きな論点は、今に至るも森友・加計学園問題である。最近では、これに厚生労働省の統計不正問題が加わった。 両方とも安倍首相本人の関与か、もしくは「首相官邸の圧力」があったことを、立憲民主党を中心とした野党は問題視している。先に結論を書けば、モリカケ問題もそうだったが、今回の統計不正問題も安倍首相の関与や圧力は事実としてない。2018年11月、パーティーであいさつする立憲民主党の辻元清美国対委員長(酒巻俊介撮影) 例えば、今統計調査のサンプル入れ替えが、官邸の「圧力」があったために行われ、それが賃金水準の「かさ上げ」に至ったとする見方がある。統計調査のサンプル入れ替えは、公開された委員会で審議され、そこで統計的手法の問題点なども議論されてきた。何の不透明性も、そこにはない。 いわばデマ、嘘の類いだ。だが、辻元氏らは、この問題を国会の貴重な時間をまさに「浪費」して、政治的な観点で政権批判を繰り返すことに大きな役割を果たしている。問われるべきは「ダブスタ」 一方ではデマを批判し、他方ではデマに加担しているともいえる、その「ダブルスタンダード」が問われているのではないだろうか。もちろん、辻元氏をデマで攻撃するのは全く悪質なことだけは再三注意を促したい。 このようなダブスタ的な政治姿勢に対する批判は理解できる。また、今後も辻元氏だけでなく、立憲民主党の国会運営や政策観については問題視すべきだと思っている。 ちなみに、辻元氏の経済政策観は、成長よりも再分配重視のものだ。辻元氏のホームページには、経済学者で法政大の水野和夫教授が、辻元氏本人の言葉を引いた形で応援メッセージを寄せている。 「何が何でも成長優先の安倍政権では、企業は収益を内部留保せざるをえない。働く人への還元こそが未来の安心と消費を生み、経済の好循環をつくる」 企業の内部留保を活用して、それを再分配して勤労者に還元する。辻元氏にどのような具体策があるかわからない。ただ、もし勤労者に企業から還元することで、経済の好循環を目指すならば、安倍政権の経済政策をさらに進化させて、大胆な金融緩和と積極的な財政政策で、さらに雇用を刺激し、賃金の上昇を高めていけばいいのではないか。 さらに、2012年の消費増税法案に辻元氏は賛成しているが、国会運営を担う立場から、今こそ消費増税の凍結か廃止法案を提起すべきではないだろうか。だが、どうも『デマとデモクラシー』での思想家の内田樹(たつる)氏との対談や、水野氏の推薦文などを見ていると、辻元氏の経済政策観は、全体のパイの大きさを一定にしたまま、そのパイを自分たちの政治的好みで切り分けるというものだ。2019年1月、与野党国対委員長会談に臨む自民党の森山裕氏(左)と立憲民主党の辻元清美氏 つまり、民主党政権時代の「実験」で、国民を悪夢、いや地獄に突き落とした政策観と変わりがない。反省なき旧民主党議員の典型であろう。 辻元氏にはデマではなく、今日、政治家として答えるべき二つの問題がある。一つは外国人からの献金問題である。筆者が辻元氏に聞きたいこと この点については、多くの識者が指摘しているように、辻元氏だけに発生する問題とはいえない。政治資金規正法では外国人からの献金を禁じている。 だが、どんな国会議員でも、現在の制度では、献金を日本人が行ったのか外国人が行ったのか分かりづらく、完全には防ぎようがない。そのため、辻元氏には、ぜひこの問題を率先して国会で審議する道をつくるべきだと思う。 だが、どうもその種の動きはない。あるのは、全く事実に基づかない「疑惑」だけに依存した「官邸の圧力」を審議しようとする「国会の浪費」である。 もう一つは、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関生支部)との政治的な関係である。一部報道にあるように、大阪市内の生コン製造会社でミキサー車の前に立ちふさがって業務を妨害したなどとして、威力業務妨害容疑で同支部執行委員長の武建一被告らが逮捕、起訴された事件である。この武被告と辻元氏との関係が特に注目されている。 『夕刊フジ』や『デイリー新潮』などで、両者の関係が政治献金などの繋がりを含めて問題視されている。この関係について、辻元氏は説明をする必要があるのではないか。 ちなみに、私が今回、あえて辻元氏の政治的姿勢や政策論の一部について取り上げたのは、この関生支部との関係が気になったからである。政治的立場は異なるが、筆者と同じリフレ政策を主張する立命館大の松尾匡(ただす)教授や、穏健な人柄で国際的にも著名なマルクス経済学者の東京大の伊藤誠名誉教授、そして大阪産業大の斉藤日出治名誉教授らが、この武被告の主導する「関生型労働運動」を代替的な経済モデルの一つとして評価していたからだ。2018年11月、自身のパーティーで出席者にあいさつする立憲民主党の辻元清美国対委員長(酒巻俊介撮影) 今回の論考を書くために、彼らの文献をはじめ、武被告の発言や著作を読んだ。また、労組に過度に期待する者は、今回の逮捕劇を「権力vs労組」でとらえていることも知った。だが、一般の国民は、今回の逮捕劇が罪の存否を含め、司法の場で裁かれるべきものだと考えているだろう。 辻元氏が、過去に支援を受けた組織の大規模な逮捕劇、さらには関生支部の活動を今どのように評価しているのか、筆者はその点を聞いてみたい。少なくとも、それを明らかにしないようでは、「辻元氏はずっと他者の疑惑には厳しく、自分には甘いダブルスタンダードである」という批判から逃れることはできないのではないか。■ 統計不正も実質賃金も「アベガー」蓮舫さんの妄執に為す術なし?■ 「昭和天皇は慰安婦戦犯」韓国の理屈に加勢した朝日とあの政治家■ 辻元さん、あなたに安倍総理と同じ「悪魔の証明」ができますか?

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    望月衣塑子記者に教えたい「硬骨のエコノミスト」の戒め

    という。2017年2月に菅氏は、政府の統計改革推進会議の議長に就任。様々なGDPの嵩上げや統計不正は政治的圧力がなければ、起きえなかったのでは。望月衣塑子氏の2019年2月11日のツイート「モリカケ」でうま味? 要するに、望月記者は自社の記事を引用する形で、毎月勤労統計調査に関する「統計不正」問題を、安倍政権の政治的圧力によるものと、疑惑を表明したのである。だが、そもそも今言われている「統計不正」は、第2次安倍政権以前から十数年にわたって行われてきた「不正」である。これを安倍政権の圧力とするのは理解できない。 東京新聞の当該記事でも、「2004年ごろ厚生労働省が東京都の500人以上の事業所の抽出調査を始める」としている。望月記者は安倍政権の「疑惑」にご執心のようだが、むしろなぜこの統計不正が始まったか、そちらの事実の追及をすべきではないだろうか。 嘉悦大の高橋洋一教授や筆者も、この問題が起きてすぐに指摘したように、統計予算の緊縮によって人材の確保や育成に失敗している可能性が高い。すなわち、緊縮主義が「統計不正」の背景となる見方である。 この点が正しいかどうか、報道による追及が待たれるが、どうも多くのメディアは安倍政権の「政治的圧力論」が大好物である。おそらくこの数年続いている「モリカケ問題」でうま味を得ているのかもしれない。 さらに、望月記者だけではなく、反安倍を強く主張する野党やマスメディアでは、「実質賃金」だけを「疑惑」の対象として非常に強く打ち出している。特に強調しているのが、「実質賃金の変化率が2018年にマイナスに落ち込んだ」ことである。 しかし、安倍首相が国会でも答弁したように、安倍政権の経済政策は実質賃金の水準やその変化率をことさら目的にしてはいない。特に、実質賃金の変化率は、経済の状況(デフレを伴う停滞期、停滞からの脱出期、完全雇用が達成された後など)に応じて、それぞれ複雑な動きをすることが知られている。衆院予算委で答弁する厚労省の大西康之元政策統括官。手前右端は安倍首相=2019年2月12日 例えば、デフレを伴う経済低迷期の場合、実質賃金の水準も高い。なぜなら実質賃金は、名目賃金を物価水準で割ったものである。デフレで物価が低ければ、それに応じて実質賃金は上昇するからだ。 民主党政権の時代を今よりもはるかに良かったという主張を目にするが、その根拠として、実質賃金の水準やその変化率が高いことを挙げている人がいる。デフレは総需要が総供給に満たないときに起きていた。この場合、経済状況は「不況」である。他方で、実質賃金は高めになり、またデフレが継続するほどにその変化率も増加する。これでは「不況がいい」と言っているに等しいことになる。 他方で、経済低迷から脱出するときは、失業状態にあった人や働くことを諦めていた人たちが、雇用に参加することになる。失業率が低下すると同時に、就業者数も増加していく。実質賃金を強調「悪しき経済論者」 このとき、新規雇用された人たちは、新卒者や再雇用者のように給料の低い人たちが多いだろう。すると、平均賃金は低下する可能性が大きい。しかも同時に総需要が増加していけば、その過程で物価も上昇する。これらは実質賃金の水準を低下させるし、変化率も大きく低下するだろう。だが、この実質賃金の低下が雇用を回復させることにつながるので、国民の暮らしには大きくプラスに働くのである。 望月記者は、あたかも安倍政権が実質賃金の低下を強く懸念し、それが政治圧力に至ったという「疑惑」を抱いているようだ。そもそも、アベノミクスは実質賃金の水準を低下させ、またその変化率は場合によればマイナスでもかまわない、という形で経済を回復させる政策なのである。むしろ、実質賃金にいかなる状況でもこだわり続けるのは、望月記者らアベノミクスに批判的な人たちに見られる現象である。 もちろん、経済が完全雇用に達すれば、実質賃金の水準は向上していくだろう。それだけの話である。ちなみに、2013年以降の実質賃金の変化率(対前年同月比)と失業率の推移をグラフ化してみた。 実質賃金の変化率は、5人以上の事業所の現金給与総額のものであり、その従来の公表値と修正値の両方を提示している。また、よく話題に上る共通事業所での継続標本による実質賃金の変化率も似たような動きだ。グラフを見れば分かるように、安倍政権になって失業率は継続的に低下しているが、他方で実質賃金の変化率自体は大きく上下動している。このように、複雑な動きをしていることが分かれば十分である。 変化率の上下動は、先ほど説明したような、雇用の回復をもたらす実質賃金の「水準」自体の低下が寄与している場合もあるだろうし、物価水準の上昇や下降が寄与していることもある。さらには2014年では、消費増税の影響が特に顕著だったのかもしれない。要するに、変化率の方は複雑な動きをしているため、これだけを特段に重視することはあまり意味がないのである。 実は戦前でも、望月記者たちのように、経済停滞からの脱出期に実質賃金をことさら注目し、経済政策を批判した人たちが多くいた。それらの人たちが当時の政策議論を混乱させていたのである。日本を代表する保守リベラリストであり、優れたエコノミストであった石橋湛山は、1930年に起きた昭和恐慌に際して次のように記し、実質賃金をことさらに強調する「悪しき経済論者」を批判していた。1.不景気から好景気に転換する場合には労働者にしてもサラリーメンにしても、個々人の賃金俸給は用意に増加せぬ。だから従来継続して業を持ち、収入を得ている者からは、収入は殖えぬに拘らず物価だけが高くなると観察せられる。2.けれども斯様(かよう)な時期には、個々人の賃金は殖えずとも、少なくとも就業者は増加する。故に勤労階級全体としては収入が増える、購買力が増す。3.而(しこう)して斯様に大衆全体の購買力が増えばこそ、其個々人には幸不幸の差はあるが、一般物価(ここで問題の物価は、云うまでもなく生活用品の価格だ)の継起的騰貴も起り得るのである。『石橋湛山全集』第9巻454ページ だが、望月記者たちの「疑惑のインフレーション」を止めることはできないだろう。何年やっても、安倍政権の圧力など全く事実を見いだせなかったモリカケ騒動と同じ構図が生まれようとしている。石橋湛山元首相 石橋湛山も批判したような「トンデモ経済論」を背景に持った人たちが、政権批判のためにさらに経済政策の議論を混乱させていくのかもしれない。その不幸だけは避けなければいけない。■ 豪雨災害「クーラーデマ」を否定しない蓮舫議員もどうかしている■ 民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない■ 「蓮舫降ろしの密約」内部崩壊した民進党が政権復帰するために

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    北方領土に留まらない、拉致・改憲の目標下方修正する首相

    付ける。そうなれば、将来の日本にとって悪影響になりかねない。「歴代最長の安倍政権は“負のレガシー”(政治的遺産)しか残さなかった」という歴史の刻まれ方をする危険も孕みつつ、任期は日々少なくなっている。関連記事■ 「北方領土は2島で」 安倍首相は歴史に名を残したいだけか■ 安倍首相の後継「岸破義信」が争う間に極右台頭の土壌も■ 北方領土問題に大前研一氏「3島返還になる可能性が高い」■ 北方領土問題 安倍首相に近いNHK女性記者の気になる動向■ 暴力団がらみの北方領土密漁 カニからナマコへシフト

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    「節操のない裏切り者」政治家、細野豪志に同情する

    、非自民の連立政権である細川政権が誕生した時であった。当時、自民党の長期政権に対する批判が高まり、「政治改革」が一大ブームを巻き起こした。若者を悩ます「選挙区事情」 そのブームに乗って、政界入りを目指す若者も多かった。それは、旧社会党や旧民社党、市民運動系だけではなく、前原氏や野田佳彦元首相ら「松下政経塾出身者」が中心の保守的な政策志向を持つ若者も少なくなかったのである。 政界を目指す保守系の若者にとって、大きな壁になったのが「選挙」だった。日本の選挙では「地盤・看板・カバン」の三バンが重視され、それを持たない新人が政治家になるのは難しかった。また、自民党が長期政権化する中で、戦後の混乱期から高度成長期に保守政治を支えた議員たちが引退し、その後を継ぐ世襲議員が増えてきた時期だったことも、政治を志す若者にとっては困難となった。 保守系の若者が議員になりたくても、地元選挙区には自民党現職がいるだけではなく、その後継者まで既に決まっていることが多かった。そういう若者の受け皿となったのが、細川氏が立ち上げた日本新党をはじめとする「新党ブーム」であったことは言を俟たない。 そして、保守系新人の発掘や受け入れという点では、実は自民党と新党は水面下でつながっていた部分がある。細川氏は元々、自民党参院議員であり、その後は熊本県知事を歴任した保守系の政治家であった。その細川氏に、かつて自民党の森喜朗元首相が相談を持ち掛けたという逸話がある。 昨年、加計学園問題でメディアに頻繁に登場した愛媛県の中村時広知事は、松山市長だった父親の縁で自民党清和会(現清和政策研究会)を通じ、当初は衆院で立候補しようとした。ところが、選挙区には世襲議員でハーバード大卒・日本銀行出身の塩崎恭久元官房長官と、同じく世襲議員の関谷勝嗣元建設相が顔をそろえ、自民党の公認が取れなかった。 そこで、清和会幹部だった森氏が細川氏に「中村の面倒を見てやってくれ」と頼んだという。その結果、中村氏は93年に日本新党から立候補して当選した。要するに、保守系新人がどの党から立候補するかは、政策志向や思想信条の違いではなく、単に選挙区の事情だったのである。 当時、新党から政界入りすることになった保守系議員は、自民党から離党したグループと合流した。その一方で、旧社会党や旧民社党、市民運動出身者の「リベラル派」とも同じ党として活動することになった。自民党の二階俊博幹事長 その後、「反自民」を旗印に政権交代に向けて98年に結成した民主党は、彼らを取り込むことで党勢を拡大し、憲法・安全保障という基本政策をめぐる党内対立に常に苦しみ、「寄り合い所帯」と批判され続けていくことになる。細野氏もまた、この過程で民主党に合流した保守系の若者の一人だった。 2009年、総選挙で圧勝した民主党は悲願の政権交代を実現した。しかし、リベラル派を中心に打ち出した「子ども手当」「高校無償化」「高速道路無料化」「農家戸別所得補償制度」の「バラマキ4K」と呼ばれた社会民主主義的な政策は、そもそも細野氏ら保守派が心から望んだものではなかった。 財政赤字が拡大する中、財源を確保できずにバラマキ4Kが次第に撤回に追い込まれ、民主党政権は財政再建路線にかじを切った。保守派の野田政権は、党内から多数の造反者を出しながらも、自民党・公明党と「三党合意」を結び、消費増税法案を成立させた。しかし、その代償として、12年の総選挙で敗北し、民主党は政権の座を追われてしまった。野党保守派の「無茶な行動」 政権陥落後、民主党内の保守派は、より苦境に追い込まれていく。保守的な政策志向の安倍晋三政権に対抗するため、民主党は共産党などとの「野党共闘路線」を選び、急速に左傾化していったからである。 特に、2015年に「安全保障法制」が審議された際、野党側は法案の廃案を求める戦術を採った。細野氏ら保守派も、国会を取り巻くデモに参加し、徹底的に反対した。 だが、それは保守派の本意ではなかっただろう。民主党の保守派は、集団的自衛権の限定的行使など安全保障政策に関して、政権担当経験もあったために、現実的な政策志向を持っており、自民党と考え方に大きな差異はなかった。しかし、徹底的な反対路線を貫く党方針によって、安倍首相率いる自民党との間にあった「議論のパイプ」さえも失ってしまったのである。 2017年8月、細野氏は民主党の後継であった民進党を離党し、同年9月には、かつて日本新党から国会議員となった経歴を持つ東京都の小池知事らと希望の党を結成した。そして、同年10月の解散総選挙の直前に、民進党代表に就任した前原氏が「何が何でも安倍政権を倒す」と宣言し、党内分裂の引き金になった「荒業」が希望の党への合流だった。それは、結果的に立憲民主党というリベラル政党の結成を促し、衆院選は大惨敗に終わった。 細野氏や前原氏らが主導した無謀な行動の背景には、「野党の左傾化」による孤立という強いストレスがあった。結局、細野氏が迷走を続けた末に、とうとう自民党に走った背景には、自民党に入りたくても入れなかった「新党保守派」としての運命があったに違いない。言い換えれば、政治家の苦闘と迷走の歴史が後押ししたとも言える。 だが、自民党に移ったとしても、細野氏には明るい将来はないだろう。石破茂元幹事長や船田元(はじめ)元経企庁長官など、自民党は離党しての「出戻り組」にさえ冷たくて厳しい不文律がある。自民党所属経験のない細野氏が自民党に入っても冷遇されるのは目に見えている。 ましてや、次の選挙も危ないだろう。同じ選挙区には自民党・岸田派の元職がいて調整は難しい。分裂選挙になる懸念がある上に、「裏切り者」のそしりを受けかねない細野氏に対しては、野党も絶対に対立候補を立ててくるだろう。加えて、細野氏は選挙に強いとされてきたが、これまでの支持者が今回の行動を理解してくれるかどうか分からない。 しかし、この件について細野氏を「節操がない裏切り者」とバッシングして終わっていいのだろうか。そもそも、安倍首相や麻生太郎副総理・財務相、甘利明選対委員長、世耕弘成経産相ら「保守派世襲議員」がどれだけ立派な政治家だと言うのか。2018年6月、証券会社から5千万円の提供を受けた問題で、記者の質問に厳しい表情の細野豪志元環境相 親の地盤を引き継ぎ、若くして議員になって、自民党の「当選回数至上主義」という年功序列システムの中で早く出世できる世襲議員よりも、一代で政治家になった人物の方が、時に「節操がない」「裏切り者」とされる行動を取ってでも、「生き馬の目を抜く」政界で生き残りを図るのが難しいのは明らかである。 もちろん、自民党など多くの政党が「候補者公募」を実施するようになって、政界入りの障壁は以前と比べると随分と低くなったように見える。とはいえ、今の自民党を見渡しても、若手のリーダー格で次期総裁候補と呼ばれるのは「四世議員」の小泉進次郎氏であり、世襲議員は小泉氏以外にもまだまだいる。 「地盤・看板・カバン」を持たない若者にとって、政界入りはいまだ高いハードルである。また、入っても出世するには大きなハンデがあると言わざるを得ない。細野氏の二階派入りは、選挙制度、有権者の政治意識、自民党のキャリアシステム、未熟な野党など、日本政治の構造的な問題を考える契機にすべきである。■ 派閥議員スキャンダル連発でも二階氏が「安倍政権の要」たる理由■ 前原誠司のアベノミクス批判はあながち間違っていない■ マスコミの掌返し「小池バッシング」が浅ましい

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    「政権が倒れるぞ」大坂なおみ国籍問題

    「政権が倒れるぞ」。全豪オープンテニスで優勝した大坂なおみの二重国籍問題をめぐり、毎日新聞の潮田道夫客員編集委員がツイッターでこうつぶやき炎上した。常識的に考えれば「政権が倒れる」とは思えないが、潮田氏自身の願望もあったのだろうか。せっかくなのでこの問題を一度整理しましょう。(写真は共同)

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    大坂なおみの国籍で「政権倒れる」毎日新聞記者のあきれた論理

    田氏の経歴を知って驚愕(きょうがく)した。東京大学経済学部卒業。1974年に毎日新聞社入社。経済部、政治部、ワシントン特派員、経済部長、編集局次長、論説委員、論説委員長、専門編集委員などを経て2013年からは客員編集委員。 いわゆるエリートである。だから深刻なのだ。 大坂は米国を拠点にしているのだから、今年10月に迎える22歳の誕生日までに米国籍を選ぶ方が合理的である。もしそうなったら、われわれ日本人ファンはがっかりするが、それでも「日本人の心」を宿した「なおみちゃん」を応援し続けるだろう。それがまともな日本人の発想だ。ましてや、安倍政権は何ら関係ない。潮田氏の発想は全く日本人的ではなく、驚きを禁じ得ない。2018年4月、英国を破って、フェド杯WG2部復帰を決め、日の丸を手にする(左から)土橋登志久監督、奈良くるみ、大坂なおみ、二宮真琴、加藤未唯 私はこの事実を知らされるまでこのツイートを見ていなかったし、見ていたとしても反応しなかっただろう。いや、それどころか見なかったことにしようとするだろう。なぜならば、このツイートを見て私の胸によみがえるのは昨年1年間、ケント・ギルバートさんと朝日新聞を追及している際に何度も味わった「ほの暗い絶望感」があったからだ。 ケントさんと私は、イデオロギーを横に置き、純粋に朝日新聞の「自己矛盾」を追及した。歴史認識を巡る議論ではなく、朝日新聞自身の一貫性のなさ、すなわち「欺瞞(ぎまん)性」を事実に基づき、理論的にとことん追及した。 朝日新聞の社員であれば、世間一般では「エリート」「インテリ」で通って来た。高学歴なのも当然である。朝日との「顕著な共通性」 しかし、8度に及ぶ書簡交換で送られてきた朝日新聞の回答は、われわれに衝撃を与えた。ケントさんは「慇懃(いんぎん)無礼」だと怒ったが、むしろ私は「内容の空虚さ、論理的整合性の欠如」に愕然(がくぜん)とした。 どれほど論理破綻しても、それを認めず、何が何でも自分たちの偏狭なイデオロギーにしがみ付く。その結果、まともな回答もできなくなり、ついにはとてもプロが書いたとは思えない文章を平気で返してきた。朝日の回答は、まさに「証拠? ねーよ、そんなもん」の世界に満ちていたのである。 彼らは「何かが壊れている」と感じた。朝日新聞追及の顛末をまとめたケントさんとの共著『日本を貶め続ける朝日新聞との対決 全記録』(飛鳥新社)にも書いたが、確かに朝日新聞にはマルクス主義的な「反日活動家メンタリティ」という伝統がいまだに宿っており、特異な精神構造を維持している。しかし長年、日本を離れていた私は朝日新聞の異常性と並行して「現代日本における高学歴エリート・インテリ層の劣化と瓦解(がかい)」が急速に進行しているのではないか、という気がしてならなかった。 だから、朝日新聞の回答書簡を読むたびに、私は「日本という国は壊れかけているのではないか。それは戦後のいびつな教育に起因しているのではないか」との思いを徐々に抱くようになった。それは、不誠実な朝日新聞への憤りとは別に、漠然とした不安と焦燥感、そして「ほの暗い絶望感」とでも形容すべき感情である。 潮田氏のツイートを見た瞬間、その忘れかけていた「ほの暗い絶望感」がよみがえってきた。笑う気にも怒る気にも、なれなかった。 そしてもう一つ、朝日新聞との顕著な共通性が見て取れる。自己の思想信条から意識的に距離を置くことができず、強引な「結び付け」を行ってしまうことである。 私が朝日新聞に対して疑念を抱くようになった契機は多々あるが、最大のものはやはり1989年の「サンゴ事件」だ。朝日新聞のカメラマンが自作自演で沖縄・西表島のサンゴに傷を付けて落書きし、その写真と手書き原稿をもとに、企画報道室の記者が書き直し、虚構の新聞記事を書いたとされる捏造事件だ。サンゴ汚したK・Yってだれだ これは一体なんのつもりだろう。(中略)この「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。(中略)日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の…。にしても、一体「K・Y」ってだれだ。「朝日新聞東京本社版」1989年4月20日付夕刊一面より沖縄・粟国島近海のサンゴ礁(ゲッティイメージズ)  この記事の大きな特徴は、貴重なサンゴに傷をつけて落書きする、という不届きな行為を日本人全体の精神的貧困とすさんだ心に無理やり結び付けているところだ。普段から「日本人を民族として貶めたい」という欲求に駆られていたとしか思えない飛躍ぶりである。われわれの二つの「望み」 件の潮田氏のツイートにも類似した飛躍がある。大坂なおみが米国籍を選択したら、どうして安倍政権が倒れるのだろうか。本人どころか誰にも全く説明できない飛躍であり、「安倍政権を倒したい」という潮田氏の願望に無意識に結びついているとしか思えない。 第三者から見れば、極めて無理な発想なのだが、ご本人にとっては自然なのだろう。なぜ、自身の思想信条から距離を置いて、事実を客観的に捉えられないのか。 しかし、われわれには「望み」がある。二つ例を挙げたい。まずは大坂なおみ、その人が「希望」だ。グランドスラム初優勝を飾った昨年の全米オープンテニスの表彰式で、彼女が取った態度が今も忘れられない。 準優勝のセリーナ・ウィリアムズがプレー中に審判に暴言を吐くなど、試合が終わっても会場は異様な雰囲気に包まれていた。そんなセリーナのかんしゃくで晴れの舞台を台無しにされ、表彰台でセリーナびいきの観客からのブーイングを受けたとき、大坂はとっさにキャップのつばをずり下ろし、涙を隠した。 それでも、彼女は理不尽な扱いに怒ろうともせず、「優勝してどんな気持ちか?」という質問には答えずに「皆がセリーナの応援をしているのは知っていたわ。こんな終わり方になってごめんなさい。私が伝えたいのは『試合を見てくれてありがとう』っていうこと。ありがとう!」と観客に呼びかけた。そして、セリーナに対しても「あなたと試合ができて本当に感謝しています。ありがとう!」と伝えたのである。 私を含む多くのファンが「なぜ君が謝るんだ!」と心の中で憤りながら、同時に彼女の美しい心持ちに感動し、涙がこみ上げて来たのではないだろうか。もちろん、大坂にはこれからもずっと日本を代表して輝かしいキャリアを築いてほしい。 でも「なおみちゃん」がどんな選択をしても、われわれ日本人はずっと日本人の心を宿した彼女を応援し続ける。それが日本人だ。政権とは何の関係もない。潮田氏にはせめて、その事実だけでも気付いてほしい。2019年1月、テニスの全豪オープン女子シングルスで優勝し、笑顔で記者会見する大坂なおみ(共同) もう一つは、教育制度の大きな変化である。「AI(人工知能)時代」を迎えて、大学の在り方も知性の測り方もそうだが、日本の教育制度はようやく変わらざるを得なくなった。マークシートで1点を競い合い、高学歴エリート層を築いてきた無意味な学習から、一日も早く脱却しなくてはならない。 求められるのはAIが代替できない創造力と柔軟な知性だ。日本は今、「失われた30年」を経て、「二流先進国」に脱落する危機にある。それは根本的に、「日本的教育の敗北」を意味する。「壊れかけたインテリ」という戦後教育の残骸を乗り越えて日本を再興するためには、若い知性の育成が何よりも急がれる。■ 日本人らしさって何? 大坂なおみの快挙を「雑音なし」に称えよう■ 「最終セットで負けない」錦織圭の勝負強さを支えた怒りの感情■ 「自然と敵が強く見える」錦織圭が苦しむウィンブルドンの魔物

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    大坂なおみを待ち受ける日本の「国籍ルール」はここがヘン

    世のうるさ方の俎上(そじょう)にのって喧(かまびす)しい議論と相成った。しかし、これは国益にかかわる政治家のことであり、やはり問題にならざるを得ないというのは理解できなくもない。 実はオーストラリアでも議員が英国籍を保有しているということで問題になったことがある。国籍の問題ではなくとも、例えば、ミャンマーでは現行憲法では英国籍の夫(死去)との子供(英国籍)を持つがゆえに、アウン・サン・スー・チーは大統領になれない。二重国籍は黙認が実情 これは極端ではあるが、インドではかつての首相候補だったソニア・ガンディーの出生地がイタリアだったというだけで批判を浴び、首相に就任できなかったということもある。バラク・オバマ前米大統領が国籍問題でずっと執拗(しつよう)なネガティブキャンペーンを張られていたことも記憶に新しい。しかし、これはどれも国益を預かる政治家の問題であり、一般人では特に問題が生じるような話ではない。 事実、日本の法務省のスタンスは「二重国籍は黙認」というのが実情である。 これは日本の法律と海外の法律との整合性が取れないことに起因する。例えば、ブラジルは原則として国籍離脱が認められていない。よって日本国籍を取得したブラジル人は自動的に二重国籍にならざるを得ない。蓮舫議員のケースでいえば、日本が国家として承認しているのは中華人民共和国だが、本人が台湾(国)籍を主張した場合、どちらの法を適用しても両国にとっておかしなことになる。 こうして日本のように単一国籍の原則が、世界の実情にそぐわなくなっているというのは、当の法務省も認めるところであり、これまで何度か法務省内でも議論になり、検討事項となっているようだ。要するに、日本の国籍に関する法律が「ガラパゴス化」しつつあることを意味する。 こうした中、大坂なおみが日米どちらの国籍で東京五輪に出場するのか、ということが話題になっている。もし彼女が一般人であったならば、法務省も目くじらを立てることはなく、二重国籍状態のままでいただろう。だが、彼女はテニスの世界四大大会のうち二大会連続制覇という偉業を成し遂げた時の人である。とかく国籍問題に口うるさい人間が跋扈する日本社会では、簡単にはいかないだろう。 そうすると「国の代表」と皆が思っている五輪選手として、彼女もいずれはどちらかを選ばなければならなくなる。五輪のルールでは、国籍変更などがあった場合、所属する国を変更することができる(ただし国籍変更後3年間の猶予期間がある)。全豪オープン女子シングルス決勝前日、決勝に向けた調整で笑顔を見せる大坂なおみ=2019年1月25日、豪メルボルン(共同) むろん、国籍変更に関してスポーツ界ではそれぞれルールがある。ところが、日本の国籍法が世界のさまざまな国籍法と齟齬(そご)をきたしているように、世界の196カ国、さらにはまだ承認されていない国、または無国籍者などを受け入れているスポーツ界はさらに難しい事態に直面している。しかし、その解決策は意外とシンプルなこともある。 例えばサッカーの場合、ナショナルチームの所属について、国籍という概念よりも、どの国のパスポートを保有しているかということが重視される。例えば、北朝鮮代表の経験がある現清水エスパルスの鄭大世(チョン・テセ)の国籍は韓国だが、彼は北朝鮮のパスポートを保有しており、さらには韓国でも日本でも代表として試合に出場した実績がないため「北朝鮮代表」で国際大会に出場した経歴を持つ。大坂のコメントを改訳? 彼はもちろん韓国Kリーグに所属したこともあるから、韓国のパスポートもある。さらに言えば、在日コリアンとしてパスポートに準ずる日本在住の外国籍に発行される渡航書類も入手可能だろう。つまり、日本と韓国、北朝鮮のどの国でも代表選手になろうと思えばなれたわけである。こういうケースは日本では珍しがられるだろうが、国境を陸で接して人々が行き来する国では常識である。 スポーツ競技であるから、ナショナルチームの所属のルールをつくるが、そこに過剰な意味は見いださないというのがスポーツ界のおおよその考え方だ。事実、五輪憲章ではスポーツに過剰なナショナリズムを持ち込まないことが求められており、むしろその壁を越えることがスポーツの使命でもある。 国籍や民族といったものは、一人の人間の実存の前にはフィクションに過ぎない。大坂なおみの「アイデンティティーは深く考えない。私は私」というコメントを聞くと、こうした思いをさらに強くする。 さて、「グローバリズム」は資本主義の拝金主義的な拡大であるといった「古臭いガラパゴス」民族主義左翼のような物言いをされることがしばしばある。それがまたインターネットというグローバリズムの権化ともいえる場所でのことなのだから、皮肉なものである。 グローバリズムとは資本だけが越境するものではない。ヒト・モノ・カネ、さらには情報や文化までもが越境する。大坂なおみの存在もその一つだ。そこには、やはり貴重な何かがある。 日本のガラパゴスルールは「国籍唯一の原則」という古いルールをいまだ更新できず、世界の潮流からまた少しずつ後退していくのである。そういえば、台湾のイケメン選手と結婚した卓球の福原愛の子供も、いつか国籍を選ばなければならないだろう。その時、また国籍唯一の原則や台湾か、中国かという古臭い問題に法務省は再び頭を抱えることになるのだろうか。テニス全豪オープン女子シングルス準決勝で決勝進出を決め、笑顔でインタビューを受ける大坂なおみ=2019年1月24日、豪メルボルン(共同) 大坂なおみについて言えば、日清食品のアニメCMで彼女の肌の色が白く描かれ、いわゆる「ホワイトウォッシュ」(有色人種の見た目を白人に近づけて描くこと)という差別行為ではないかと物議を醸した。しかも、この騒動について言及した大坂のコメントが誤訳(改訳?)され、さも「何も問題はない」と語っているかのように報道されてしまったことも話題になり、グローバルな21世紀とはとても思えない事態が立て続けに起きている。 今後、グローバル社会に直面する意識の問題は、二重国籍問題に限らないだろう。わたしたちは、むしろ今回の議論を大坂なおみという「グローバリズムの申し子」が古臭い日本社会にプレゼントしてくれた課題として前向きに受け止めていくべきではないだろうか。■日本人らしさって何? 大坂なおみの快挙を「雑音なし」に称えよう■「最終セットで負けない」錦織圭の勝負強さを支えた怒りの感情■羽生結弦、異次元の強さを支える「硬質には表れない野生」

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    毎日記者ツイート炎上で大坂なおみが日本に失望しないことを願う

    杉江義浩(放送プロデューサー、ジャーナリスト) テニスの大坂なおみが、1月26日に全豪オープン決勝でペトラ・クビトバを制して優勝し、男女通じてアジア人初の世界ランキング1位になりました。これはスポーツ界のみならず、明るいニュースに乏しい昨今、まれに見る歴史的な快挙と言えるでしょう。試合そのものも素晴らしい内容だったし、抜きん出た実力に似合わないシャイな性格は、そのキャラクターでも世界を魅了しました。 私が完全に大坂のファンになったのは、昨年夏の全米オープンで彼女が初優勝したときです。力強いショットを生み出す恵まれた体格は、北海道出身の母親と、ハイチ出身の父親のミックス、それに米国の育成環境が融合して生まれたのだという解説を聞いて以来、私はずっと彼女に注目してきました。 今回の全豪オープンで大坂を応援していたのは、もちろん私たち日本人だけではありません。彼女の父親の出身地ハイチでも、地元のテレビ局が彼女の全試合を生中継し、国を挙げての熱狂ぶりでした。 日本のテレビ局よりも、ハイチのテレビ局の方が、より熱く彼女を見守っていたようです。彼女がハイチの国籍を持っていないにもかかわらず、ハイチのマスメディアは彼女に非常に好意的でした。 日本のメディアは、ハイチのそれに比べると、彼女の戦績を後追いしている感が否めません。とりわけネット上で交わされた日本の議論は、彼女の偉業とはほど遠い、ガッカリするような内容でした。 毎日新聞客員編集委員で帝京大教授の潮田道夫氏が「大坂なおみの国籍選択の期限が来る。五輪もあるし、多分米国籍を選択すると思うが、そのときの日本人の失望はすごいだろうな。政権が倒れるぞ、下手すると。マスコミも困るだろうな。どうする諸君」とツイートしたところ、それに反応した作家の百田尚樹氏が「ふーん、毎日新聞の編集委員というのは、こういう考え方をするのか。クソみないな人間やね!」とツイートし、このやりとりが炎上しました。 いい年をした大の大人が、他人を指して「クソみたいな人間」と人格否定する発言には驚きましたし、「毎日新聞の編集委員というのは」とひとくくりにする浅薄な言論には、ベストセラー作家としての知性のかけらも感じられません。まるで子供のネット掲示板レベルのやりとりです。ネット上の議論というのはここまで落ちぶれたのでしょうか。 一方で引用された潮田氏のツイートも、ジャーナリストとは思えない、とんでもない論理の飛躍です。「大坂なおみが米国籍を選択する」すなわち「政権が倒れる」とは、いったいテニスと日本の政権にどういう因果関係があるのか、首をかしげるばかりです。大坂の優勝を報じるオーストラリアの地元紙(共同) 百歩譲って潮田氏のツイートを「風が吹けば桶屋が儲かる」式に解釈してみるとするなら、「日本とアメリカの二重国籍である大坂が、米国籍を選択して日本人選手じゃなくなると、多くの日本人はガッカリするだろう」ということが言いたかったのだと理解することはできます。 大坂は2020年の東京オリンピック強化指定選手に認定されていますから、日本オリンピック委員会としては、彼女にはぜひとも日本人でいてもらわないと困るのでしょう。熱意はハイチに及ばない 彼女が日本人選手でなくなることによって「政権が転覆する」とは私にはとても思えませんが、できれば大坂が日本国籍を選択してくれればいい、という願望は私にもあります。もちろん大坂本人が決める問題であって、日本と米国、どちらの国籍を選ぼうと彼女の自由です。第三者にとやかく言う権利はありません。 だからこそ、彼女に選択してもらえる、魅力ある国でなければならない、というだけです。日本人であることと米国人であることの、メリットとデメリットを彼女が天秤にかける日が来るかもしれません。日本のメディア、特に公共放送であるNHK、あるいは政府は、どれだけ本気で彼女を応援してきたか。それが問われる日がいずれやって来るということです。 相撲の世界では、米国籍の力士が日本国籍を取得して帰化したという事例もあるのはご存じの通りです。それだけ日本の相撲に魅力があったと言えるでしょう。 一方で、ノーベル賞を取るような科学者が、日本では満足な研究費が出ないと言って米国籍を取得した「頭脳流出」も実際に起こっています。どちらに転ぶ可能性もあるのです。 大坂自身、国籍問題にナーバスになっているかもしれません。そうした重要な時期に、潮田氏のような大メディアの編集委員が冗談にしろ、今回のツイッターのような発信をすることこそ、彼女が日本に失望するきかっけになりかねません。 幸いにして大坂は今のところ、テニスの世界では日本人選手として登録することを選択し、メンタリティーも日本に魅力を感じてくれているようです。主要スポンサーも日清食品やヨネックスなど、日本の大企業が多く支えています。彼女が日本国籍を選択してくれる要素は多々ありますが、冒頭で述べたように、メディアとしての応援の熱意はハイチに及ばないという現実もあります。 彼女が大ファンだというフィギュアスケートの羽生結弦は、個人としては史上最年少で紫綬褒章、そして国民栄誉賞も受章しています。「大坂にも同様に」とはあえて言いませんが、日本のメディア、あるいは政府が彼女に対してできることはあるはずです。国民栄誉賞の表彰状を安倍晋三首相から受け取る羽生結弦選手=2018年7月、首相官邸(春名中撮影) 肌の色が違う、外国人の血が混じっている、日本語がたどたどしい、そんなことを理由に彼女に差別的な視線を向けるようなことは、間違ってもあってはなりません。 一部の日本人の中には「日本人は純血民族だ」などと誤った言説に基づく民族意識を持っている人もいますが、言うまでもなく日本人は大陸から、半島から、その他さまざまな血が混じり合って成立していることは歴史的にも明らかです。 日本から本当に有能な人材を海外に流出させてはならない。その点では本稿でツイッターを引用させていただいた潮田、百田両氏も、同意してくれるのではないかと思います。大坂の活躍をきっかけに、複数の民族から生まれる日本人のパワーと価値を、われわれは改めて認識すべきではないでしょうか。■日本人らしさって何? 大坂なおみの快挙を「雑音なし」に称えよう■「最終セットで負けない」錦織圭の勝負強さを支えた怒りの感情■羽生結弦、異次元の強さを支える「硬質には表れない野生」

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    大坂なおみの祖父「日本人として試合に出続けたらうれしい」

     「女子テニスに新しいスターが誕生」「世界1位になる可能性を秘めている」「テニス界の未来を体現する存在だ」 大坂なおみ選手(20才)が、元世界女王で過去23回もグランドスラムを制したセリーナ・ウィリアムズ選手(36才)を破り、全米オープンテニスで優勝を果たした9日(日本時間)、国内外のメディアはこぞって彼女の快挙を報じた。 決勝は彼女にとって戦いにくい試合だった。セリーナ選手は主審に違反を指摘され猛抗議。ペナルティーでゲームを失うと、彼女の優勝を期待する観客から大ブーイングが起こった。表彰式でも再びブーイングが起こる中、大坂選手は「皆さんがセリーナを応援しているのはわかっています。こんな終わり方でごめんなさい」と涙ながらに語った。 米メディアはセリーナ選手の抗議や観客らの態度を酷評。「全米テニスが大坂選手にしたことは恥ずべきこと。これほどスポーツマンシップに反する出来事は記憶にない」などと批判する記事を掲載した。 逆に、“神対応”が称賛された大坂選手について、日本メディアも大きく持ち上げた。だが、どのメディアも触れていない盲点がある。 それが国籍問題だ。彼女は、ハイチ系アメリカ人の父と日本人の母を持つ。大阪で生まれ、3才の時にアメリカに移住し、現在はフロリダ州在住。日米の二重国籍を持つが、テニスプレーヤーとしてはこれまで“日本人”を選択してきた。 「彼女は2016年のリオ五輪前から“東京五輪は日本代表として出場してメダルを取りたい”と公言している。今年4月の国別対抗戦フェドカップでは、日本代表として戦ったことで、実質、東京五輪で米国代表を選ぶことはなくなったとみられています。オリンピック憲章では、一度、その国を代表した選手は、3年が経過しないと他国の代表になれないためです。彼女は日本企業の日清食品に所属していますし、このまま国籍も日本を選ぶとみられています」(スポーツ紙記者) しかし、そうも楽観視できない現状がある。 「日本の法律では22才になるまでにどちらかの国籍を選ばなければなりません。つまり、それまでに彼女の気持ちが変われば、アメリカ人になる可能性もゼロではないのです。実際に2年前に、アメリカは大坂の父親に対して“あらゆる面倒を見る”とアプローチをかけたことがある。その時は日本を選んだが、大坂の今の実力、そしてアメリカも若手が育っていないことなどを考えると、今後、アメリカが大坂に本気で再接近することも充分考えられます」(前出・スポーツ紙記者)大坂なおみの全豪オープンテニス優勝を喜ぶ祖父鉄夫さん=2019年1月、北海道根室市 アメリカはグランドスラムの開催国であり、日本よりも環境が整っている。大坂選手は日本語は聞き取ることはできるが、しゃべるのは片言。何より日本にほとんど住んでいない彼女が、日本国籍を選ぶハードルは、決して低いものではない。 大坂選手が22才になるのは来年の10月。それまでにどういった選択をするのか。現在の心境を北海道根室市に住む、大坂の祖父・鉄夫さんに代弁してもらった。 「東京五輪には、日本代表として出場したいという気持ちは変わっていないようです。ただ国籍については、直接本人に聞いたことがないので、ぼくには断言できませんな。まぁ、じいさんには関係ないことだからね(笑い)。でも日本人として、この先も試合に出続けてくれたら嬉しいね」 ぜひ、日本人として初となる金メダル、世界ランク1位を目指してほしい。関連記事■ 福原愛、宮里美香… 錦織圭の過去の恋人と現在意識する女性■ すでに大人気・松岡修造の娘、宝塚はいじめ阻止の態勢■ 片山晋呉に激怒した「プロアマ」招待客はどんな人物か■ 松岡修造熱血語録 分娩室の妻に「勝負だ、勝負に出ろ!」■ 吉澤ひとみ逮捕の4日後、義母が緊急搬送 自殺未遂か

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    平成改元「運命の一日」官邸発表までの舞台裏

    合間を縫って総理主催の官邸内幹部ら内輪の慰労会が行われた。その席上で竹下総理は、一国の総理たる気概・政治理念を熱く語った後、隣の小渕長官を見ながら「俺は消費税で『名』を残したが、この小渕は元号で『顔』を残した」と言って皆を爆笑させた。 テレビでは連日、元号発表報道がなされ、小渕長官には「平成おじさん」の異名が付いていたことは先に述べた。鎌倉時代の説話集『十訓抄』に「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」とあるが、映像時代にあっては、「皮」と「名」に加え、「顔」も付け加えなければならないだろう。■新元号をめぐる「タブーなき議論」こそ平成と昭和の差である■こうして元号は「時代を映す鏡」になった■67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった

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    天皇大権を蔑ろにする「元号の事前公表」黒幕は誰か

    法律は、法制局の審査(つまり許可)がなければ、閣議決定されない。今の日本国に、法制局の見解に逆らえる政治家と官僚は、一人もいない。その法制局は「天皇ロボット説」に固執し続けている。今上陛下の譲位に際しても徹底的に抗い続け、「天皇の意思による譲位はさせない」との立場を貫いた。衆院憲法審査会の参考人発言に対する政府見解について説明に臨む横畠裕介内閣法制局長官(手前)=2015年6月、国会内(酒巻俊介撮影) 今回、法解釈による元号の事前変更を安倍内閣にさせようとしている。安倍内閣の意思だけで、そんな大それたことができるわけがない。法制局の見解がお墨付きを与えていないはずがない。もしかしたら、安倍内閣の閣僚は、誰も事の重大性を分かっていないのではないか。改元大権を干犯しようとしていること、大化以来の先例を蹂躙(じゅうりん)しようとしていることの重大性を。 立法ではなく法解釈により改元前に事前公表すると、天皇の元号ではなく、政府の元号となる。新たな元号の下で、皇室も、政治家も、政治家を選んだ国民も、法制局の権威の下で生きていくということだ。 安倍内閣に申し上げたい。今からでも遅くはない。元号の事前公表など、はっきりやらないと宣言すべきだ。 確かに元号は常に時の権力者に左右されてきた。その意味で、改元大権は最も蔑(ないがし)ろにされた天皇大権の一つである。それでも、皇室は今まで生き残ってきた。だから、今回も改元大権が蔑ろにされたところで、天皇にも皇室にも傷はつかない。 しかし、これだけは言っておく。蔑ろにした者は、逆賊だ。(文中一部敬称略)■67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった■日本人に覚悟を問う「皇室は民主主義のロボットではない」■皇室の未来と「象徴」の地位を縛りかねない陛下のお言葉

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    平成史対談 歯車狂えば田中眞紀子総理誕生の可能性もあった

     平成という時代に強い風が吹こうとしていた。史上最低の支持率に苦しんだ森喜朗政権は、国民に政治不信を植え付け、それを払拭する役目を次期総理・小泉純一郎氏が担うことになる。「自民党をぶっ壊す」──こう宣言した男が壊したもの、壊せなかったものとは何か。作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が当時を振り返る。片山:森内閣退陣後に「自民党をぶっ壊す」をキャッチフレーズにして登場したのが、小泉純一郎でした。 彼は本当に自民党を、いや、政党政治を根本からぶっ壊した。まず長期政権を担ってきた自民党の支持母体だった郵便局や農協を狙い撃ちにした。 遡れば、1980年代以降、右派も左派も組織をひたすら破壊してきました。三公社五現業(※注1)も解体されて、労働組合も組織を維持できない。個人と国家の間に存在していた中間団体が排除されてしまった。※注1/日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社の三公社と、郵政・造幣・印刷・国有林野・アルコール専売の五事業の総称。国有林野事業を除きすべて民営化されるか、独立行政法人に移管。佐藤:霞が関では、小泉政権ではなく、野中(広務)政権擁立の方向で動いていました。そこで小泉さんは奇策に出た。党内での根回しを一切せず、数寄屋橋で田中眞紀子さんと2人で「自民党をぶっ壊す」と演説する姿をテレビで流させた。国民は「これだ!」と共鳴した。小泉さんはこれまでの政治とは違う政治力を用いて当選した。片山:小泉内閣が様々な組織を破壊した結果、支持政党もイデオロギーも持たない人が増え続けた。こうして自ら生みだした無党派層を煽って作り出した風を掴んだ。風は、瞬間最高支持率と言いかえられます。瞬間支持率を維持するには、破壊を続けて、大衆を熱狂させ続けるしかない。これがいまの政治モデルの原型である小泉劇場です。 安倍政権も小池都知事も小泉劇場を模倣しているに過ぎません。冷戦構造崩壊以後、思想や主義に関係なく、政党が組み替えられていく流れが、小泉内閣誕生で決定的になった。金正男と見られる男を返した田中眞紀子佐藤:霞が関村は野中政権を望んでいたのですが、外務省だけは小泉政権を歓迎しました。それは外務省が、伝統的に清和会人脈が強い組織だからです。橋本政権以降、経世会の政権が続きましたが、小泉政権下では清和会人脈が優遇されるようになった。外相や文科相を歴任した田中眞紀子元衆院議員=2012年10月(三尾郁恵撮影)片山:小泉政権になり、外務省はタカ派路線で行けると喜んだわけですね。外務大臣の田中眞紀子との関係はどうだったんですか?「反主流派」の出世チャンス佐藤:ほとんどの人間が田中さんだけは勘弁してほしいと考えていました。でも、徐々に省内で田中派が強くなっていった。やがて死ぬまでついていきますという連中まで出てきた。片山:(苦笑)。そんな人たちがいたんですね。佐藤:主流派から冷遇されていた人にとって、田中外相誕生は出世のチャンスだったんです。片山:田中眞紀子が外相だった2001年に金正男と見られる男が成田空港で拘束されました。しかし慌てて帰国させてしまった。彼を日本で確保しておけば、日朝外交の切り札になったのではないですか。佐藤:おっしゃるとおりです。でも田中眞紀子さんが「そんなの怖いからすぐに帰しちゃいなさい」と政治主導で帰還させてしまったんです。 また9・11直後に田中さんは、アメリカ国防省がスミソニアン博物館に避難しているという機密をマスコミにしゃべってしまった。ここでやっと外務省内でも田中さんに対する危機感があらわになった。片山:すごい話ですね。佐藤:田中さんをパソコンにたとえれば、OSが違うから説明しても意味がないし、どんなにいいソフトをダウンロードしてみても、どう動作をするかが分からない(苦笑)。片山:とはいえ、ある時期、小泉首相と田中外務大臣を圧倒的多数の国民が支持した。歯車が狂えば、田中総理誕生の可能性もあった。佐藤:そうなったらトランプとドゥテルテを足して3で割ったような騒動になっていたでしょうね(苦笑)。片山:なるほど。日本はトランプ政治の混乱を先取りした可能性もあったのか。佐藤:そうです。だから鈴木宗男さんの政治家としての最大の功績は、田中眞紀子と刺し違えて公職から外したことなんですよ(※注2)。※注2/鈴木の圧力で、アフガン会議にNGO代表が参加できなかったと田中が糾弾。鈴木は否定し、衆議院議員運営委員長を辞任(その後、自民党も離党)。田中は外相を更迭された。●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究家。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。共著に『新・リーダー論』『あぶない一神教』など。本誌連載5年分の論考をまとめた『世界観』(小学館新書)が発売中。関連記事■ 佐藤優と片山杜秀、オウム真理教「尊師マーチ」への解釈■ 佐藤優氏「田中角栄は永遠に生きたかったんじゃないか」■ 佐藤優氏と片山杜秀氏がオウム、スプーン曲げなどを語り合う■ 罪深い小選挙区比例代表並立選挙政策 いまだ修復不能■ 年収300万円、15年前は低収入だったがいまやマシな時代

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    激変の時代、平成ニッポン証言録

    平成がいよいよ終わる。「平成最後の」という言葉が世に溢れるが、今年は文字通り新たな時代の幕開けである。「衰退の時代」とも揶揄された平成はどんな時代だったのか。各界のキーマンたちの証言録で30年史を振り返る。

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    「日本が真の独立国になるために」鳩山由紀夫、平成最後の反省文

    にとっては「消えた年金を返せ」「官僚の天下りを止めさせろ」「税金の無駄遣いを止めさせろ」「官から民へ政治を取り戻せ」という叫びの熱気でした。そして、多くの民主党の議員たちも自民党政治の政官業の癒着を追及して、喝采を浴びていたのです。 長い自民党一党支配の政治が続く中で、権力の癒着が起きるのは当然でした。権力構造の内部にいる一部の者だけが利益にあずかり、そうではない多くの国民は被害に遭うばかりとなれば、多くの国民が怒るのは無理からぬことでした。そこで鳩山政権として、事業仕分けを行い、子ども手当、高校授業料の無償化、農家の戸別所得補償、障がい者対策、地域主権、新しい公共などの政策を矢継ぎ早に打ち出しました。普天間移設の真相 ただ、癒着の構造は政官業のみではなく、実際には植草一秀氏が指摘しているように、米官業政電、すなわち米国とメディアも含めて癒着しており、この構造を打破しなければ、政治を国民の手に戻すことはできず、日本が真に独立した国には戻らなかったのです。 私は米国に対しては、普天間の移設先を最低でも県外に求めました。メディアに対しては記者会見のオープン化、記者クラブ制の廃止を求めました。残念ながら、私自身の力不足で、その双方共に挫折をして、結果として総理を辞めることとなりました。 特に沖縄の問題に関しては、米官の癒着というか、米国を忖度(そんたく)した外務官僚が、事実でないことを書いた文書を作成し、それを信じた私が普天間の移設先は辺野古しかないと諦めてしまい、沖縄県民の期待を裏切ってしまったことを、今でも遺憾に思っています。今ではモリカケ問題に見られるように、役人が嘘をつく、文書を隠ぺいしたり改ざんしたりすることは日常茶飯事となっていますが、当時、総理をだますとはゆめゆめ思っていなかった私が浅はかだったのでしょう。 自民党長期政権の間に必然的に生じた米官業政電の癒着構造を打ち破ることは並大抵のことではありません。特に米官政の癒着は、防衛省が全く役に立たない1機100億円以上もするF35を100機以上米国から購入するなど、安倍政権において極めて重篤です。いくら性能の優れた戦闘機を導入しても、滑走路や空母をミサイルでやられたら、飛び立つことができないのですから。 日本のような小さな島国では、現代の兵力戦において、武力で自己防衛を完遂することは不可能なのです。その意味において、核抑止力もそうですが、米国に追従していれば日本は平和であると考えるのは幻想なのです。 では、どうすれば日本は平和を保てるのでしょうか。それは難しいことではありません。武力で真の平和を築くことはできないと気付くことです。そして、周辺諸国と徹底的に仲良くすることです。あらゆる問題を対話と協調の友愛精神で解決する仕組みを作り実践することです。鳩山由紀夫元首相=2018年10月、東京・永田町の事務所(酒巻俊介撮影) 私は日中韓3カ国が軸になって、東アジア共同体を作ることを訴えてきましたが、北朝鮮が平和に向けて大きくかじを切り、朝鮮半島が非核化する可能性が高まってきた今こそ、その時期が到来したと信じています。国と国、地域と地域、コミュニティーとコミュニティーの連帯を友愛の理念で可能にするのです。 明治維新は薩長(さっちょう)の力によって実現しましたが、結果として力による他国の支配を行い、第2次世界大戦での敗戦を招きました。ただその頃に、横井小楠や坂本龍馬などは、公武合体論を唱え、朝廷と幕府を協力させて議会を作ろうとしていたのです。いわば、共に和する共和主義の発想です。残念ながら、彼らはみな殺されてしまいましたが、私は彼らのような思想こそ、これからの日本の歩む道にヒントを与えてくれているのではないかと思量いたします。■稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■「自衛隊は違憲の軍隊である」 この現実をあなたはどう思いますか?■国民投票はパンドラの箱 民主主義の「怪物」は日本人にも宿る

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    小選挙区制度が変えた平成ニッポンの民主主義

    三浦瑠麗(国際政治学者) 「平成」という時代の日本の民主主義は一体何だったのでしょうか。平成は、国際的には冷戦が終結してからの時代とそっくり重なっています。 今上陛下が即位したのが1989年1月8日。時を同じくして、米国ではジョージ・H・W・ブッシュ大統領が就任。その年の終わりにベルリンの壁が崩壊し、ブッシュ大統領はソ連のゴルバチョフ書記長とマルタで会談を行い、敵対関係を改めました。91年初頭の湾岸戦争では、米ソが同じ側についたことで、冷戦が名実ともに終わります。 ソ連の崩壊で、社会主義経済が立ち行かないことは実証されました。西側陣営のリベラルは、その教訓をもとに90年代には改革を志向するようになります。改革派左派の政権は、国防予算の減額によって平和の配当をもたらし、政府の効率化を進め、社会主義ではなく努力した者が報われる社会を目指しました。米国のクリントン大統領、ドイツのシュレーダー首相、英国のブレア首相などがその系譜に当たります。 日本人にとっても、平成とは迫りくるグローバルな変化に徐々に自覚を迫られる30年であったはずなのです。しかし、日本はその時期、91年にバブルが崩壊して「失われた10年」と呼ばれる90年代を過ごすことになります。 一時期は「冷戦が終わって勝ったのは日本だ」とまで言われた国ですが、日本は世界の帰趨(きすう)にほとんど影響を与えることもなく力を失っていきます。日本経済の長期低迷、政治の停滞は際立っていました。 政治停滞の理由は、日本でそうした改革志向の左派政権が成立しなかったことに求められるでしょう。例えば、スウェーデンでは平和主義の解釈や軍の海外派遣をめぐって、二大政党の間に広範な合意が存在しますが、日本では「左右対立」の核心は今も憲法9条や安全保障でありつづけています。 憲法9条や安保が与党と野党第一党の間の主要争点である限りは、「55年体制」と同じ構図が、より左派が弱まった形で展開せざるを得ません。つまり、日本における左派政党の弱さは、それが安保や憲法以外の広範な政治課題を獲得できなかったことによるものなのです。2009年8月、開票センターのボードを埋め尽くした「当確」のバラに笑顔を見せる民主党の鳩山由紀夫代表(早坂洋祐撮影) 唯一の例外が、民主党政権の誕生でしょう。民主党は有権者に構造改革志向の政党と見做(みな)され、また必ずしも従来の革新政党の枠にはまらない、安保に対する考え方の多様性を持っていたからです。しかし、ご案内の通り、民主党政権は短命に終わります。 日本政治で大きな盛り上がりを見せたのは、実はイデオロギーや政策課題を巡る論争ではなくて、制度改革、とりわけ衆院選での小選挙区制導入を巡る動きでした。しかも、その小選挙区制の導入を巡る議論は自民党の中から出てきたのです。小選挙区制の「意図した結果」 小選挙区制度は、昨今の政治停滞や長期政権の弊害などを語る際に、「犯人」として挙げられることの多い制度です。88年のリクルート事件以降、高まった国民の政治不信が向かった先が、汚職や利権を生みやすいとされた中選挙区制度でした。今は自民党内に競争がないという批判の方が優勢ですが、派閥政治こそが当時は悪であるとされたわけです。 94年に小選挙区比例代表並立制が導入され、政党交付金がつくようになります。小選挙区制が導入されてから初めての衆院選が96年のことです。それ以来、22年間に8回に及ぶ衆院選が行われていますから、現在の若手はもちろんのこと、中堅から大臣クラスに至るまでの多くが、小選挙区制しか経験していない議員で占められているわけです。 小選挙区制に対しては、政治家を小粒にしたとか、官邸に対する萎縮や官僚主導を招いたという批判があります。選挙結果だけでなく、解散の争点も批判の対象となりました。そもそも、橋本政権による選挙制度改革後初の選挙は「大義なき解散」と呼ばれましたし、2005年の郵政解散も、14年の消費税増税延期解散も、17年の消費税使途を巡る解散も、ポピュリズムだとか、大義がないと言われたものです。 また、選挙のたびに「死票」の存在が問題視され、獲得票数の差よりも議席数で大差がつくことが問題視されてきました。 けれども、小選挙区制度は、もともと政権交代を容易にし、二大政党を定着させようという観点から主張された制度であったわけです。したがって、議席数の差は意図せざる副産物ではなく、意図した結果なのです。 また、「政治主導」という考え方は90年代から現在に至るまで一貫して主張され、改革が試みられてきました。その政治主導が、かつてのような与党と官庁の間で政策が決まっていく図式ではなく、人事権と解散権を手中にした首相の権力が強くなったことで、官邸発の政治主導となっていったのです。 実は、世代的にはほぼ小選挙区制度しか知らない世代、つまり45歳から下くらいの世代は、小選挙区制に基づく政治の特徴を受け入れている傾向にあります。それは、典型的には首相のリーダーシップに対する評価に集約されます。小選挙区比例代表並立制の導入を柱とした政治改革関連法案を巡る細川護熙首相と河野洋平自民党総裁の合意文書のコピー(撮影・堀誠) 財務省のスキャンダルをめぐり、麻生太郎財務大臣が辞任すべきかどうかを聞いたFNN・産経合同の世論調査で、世代別に大きな回答の差が生じたのはその表れであると言えます。大臣は首相が任免するものであり、また与党が多数の議席を支配しているうちは、その政権が続くことは当然だという考え方です。 つまりは、辞任や権力の浮き沈みをめぐる人間模様ではなく、政党をもとに選挙で決すべきだとドライに考えている世代がこの45歳以下の世代であるということです。こうした候補者ではなく政党を中心とした発想は、都市化と相まって、日本の選挙風土を徐々に変えていくはずです。 国会議員を見ても、小泉進次郎氏や福田達夫氏といった次世代のホープが集う勉強会では、「国会改革」などの合理化提言は示されても、小選挙区制の見直しにはまるで関心が持たれていないのが現状です。小選挙区制の導入は、日本政治の根源的な変化をもたらすものであり、すでに多くの議員はそのような前提で行動しているということです。旧時代の「多数派」が消える 有権者も、現在の45歳以下世代が65歳以下になる今後20年の間に、行動様式が変わるはずです。小選挙区制を肯定的に捉え、そのもたらす意味合いに適応して生きている層が多数を占めるようになるからです。 言葉を換えれば、平成の政治改革をめぐって今交わされている批判の多くが、旧時代の前提に沿って考えられており、そのうちそうした意見は多数派ではありえなくなるということです。 中選挙区制のリバイバルは起きません。日本経済新聞編集委員の清水真人氏が著書『平成デモクラシー史』で指摘するように、小選挙区制の導入を中心とした政治改革は、実際には権力闘争の形で推進されました。 その事実は、当時の改革に向けた政治家の熱量を理解するうえでも重要であり、そこまでの熱量をもってして初めて、大改革が実現したのです。そして、現在の日本政界を見渡しても、中選挙区制を復活させるだけの凄まじい権力闘争の熱量はどこにも存在しません。 問題は、「強い首相」が政権交代の想定なしに続くことの弊害にいかに対処するかという点であり、どのようにして強い野党を育てるのかという論点です。その意味で、昨年は平成の終わりに向けて政治を取り扱った良書が並びました。前出の清水氏や東大教授の牧原出氏『崩れる政治を立て直す』など、平成の政治改革を大筋で肯定しつつも、メンテナンスやアフターケアが必要であると捉える専門家の本が、昨年はいくつか出版されました。 強い野党のイメージは、前大阪市長の橋下徹氏が展開していますが(『政権奪取論』)、それは必然的に都市型政党の「第三極」とならざるを得ないでしょう。そうした強い野党をいかに作り出すか、現状の野党とその四分五裂状態を眺めつつ、ため息をついてしまうのが現状です。 平成の次の御代の民主主義では、どのような競争が行われるのでしょうか。日本のガラパゴス的特徴としては、やはり憲法や安保を巡る問題が一つの軸とならざるを得ないでしょう。 ただ、グローバルに見れば、グローバル化や資本主義と民主主義を共存させていくために、それぞれの先進国の中で「国民国家」強化の旗印の奪い合いが起きるはずです。この場合の国民国家とは、必ずしも特定の民族を中心とする国家観ではなく国民というメンバーシップに着目する立場からする表現です。2018年12月、日本記者クラブで講演する自民党の(左から)福田達夫、小林史明、村井英樹、小泉進次郎厚労部会長(萩原悠久人撮影) 日本の左右両極はともに、裡(うち)に孤立主義的感情や反資本主義的感情を抱えてはいますが、こうしたグローバルな国民国家強化の「旗印」の奪い合いに乗れる条件を備えつつあります。今後、分配と成長のバランスをめぐって、あるいは社会政策をめぐって十分に争点を作れるはずです。 その意味では、日本のガラパゴス的特徴が延命することは、政党間競争にとってマイナスでしかありません。憲法を巡る、あるいは日米同盟を巡るイデオロギー対立を中心とした政党間対立ではなく、もっと広範なイシュー(課題)に対する政策競争で切磋琢磨(せっさたくま)したらいいのではないでしょうか。平成の改革が根付いた今、日本政治は新たな課題に取り組まなければならないのです。■変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■内閣改造で見えた安倍総理の「改憲メッセージ」■民衆とつながる天皇像 「お気持ち」に表れた今上陛下の自信

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    平成の代替わりを仕切った石原信雄氏が語る「平成後」の変化

    は、どんな時代の転換点だったのか。 「平成とは、『内平かに外成る』という意味ですが、本当に平和、民主政治が定着した時代だったと思う。元号が平成に決まったとき、当時の小渕恵三・官房長官が記者会見で『平成』という字を額縁に入れて掲げた。あれが国民に『激動の昭和は終わった、日本は変わったのだ』と実感させるためのスローガンとして機能したのではなかったか」石原信雄・元官房副長官 来年の天皇の代替わりは、過去3代とは違う。崩御ではなく、今上天皇の意思表明によって、約200年ぶりに皇室典範に定めのない譲位(生前退位)という形式で行なわれる。「昭和から平成に時代がかわるとき、昭和天皇はそれ以前からずっと重篤な状態でした。崩御されたら、われわれ行政は次の瞬間から元号やら何やら具体的な準備をすぐ進めなければならない。でも、天皇陛下が崩御されることを前提に行政が動いているなんていうことを公にはできなかった。 今回の代替わりは一応法律をつくって行なわれることではありますが、発端は今上陛下の率直なお気持ちの表明からであったことは誰もが知っています。ですから、政府には今後の手続きも本当にオープンに進めてほしいと思います」〈天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます〉動き始めた“平成後” 2年前にそう述べられた天皇のお言葉から始まった譲位の動きは、それがオープンに進められてきたが故に、国民は近づく平成という時代の終わりを日々感じながら、新しい時代に向けた不安と希望に心を波立たせているのだ。動き始めた“平成後” 果たして“平成後”は国民の意識、生活、社会にどんな変化が起きるのだろうか。石原氏に問うた。「平成という時代は確かに『内平かに』という国内の平和は実現できましたが、国際的にみると中東や北朝鮮の問題があり、世界の秩序は揺れ動いている。次の時代の日本の課題でしょう。 そして国内的にも平成という時代はこの国の将来に大きな負の財産を残している。一つは赤字国債の乱発で国はたいへんな借金を抱えてしまった。子や孫たちに申し訳ない。平成は地震、台風など自然災害も多発し、これに備える国づくりもこれからです。 こうした負の財産を解決できずに次の次の時代にまで持ち越すことだけはやってはいけない。大切なのは、国民の一人一人が能力に応じて社会を支えるための負担に向き合うことではないでしょうか。 私の生まれた頃は3世代同居の大家族が当たり前、兄弟はライバルで支え合う仲間でもあった。また、昔の地域社会では子供が悪いことをすれば近所のおじさん、おばさんが叱ってくれた。そういうことが本当になくなってしまった。平成の課題を解決するには、日本社会が地域や家族の絆を復活できるかどうかがカギを握っているように思える」関連記事■ 小室圭さん、看板のない個室マッサージに月2回通う■ 雅子さま、ご成婚25周年で会見を開かれなかった本当の理由■ 小室圭さんの留学先が異例の優遇、ロイヤルパワーの濫用か■ 新元号発表から大嘗祭まで 天皇退位と即位に関する日程■ 眞子さまと小室圭さん、6か月間デートしていない状態

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    「官僚の本分忘れた驕り」森友問題、泥沼化の本質はここにある

    など市場競争スキームを採用すべきであった。だが、おそらく近畿財務局、そしてその親元である財務省には「政治的な配慮をすることが自分の任務である」という驕(おご)りがあったのではないだろうか。財務省は特に、政治的な振る舞いを政治家以上に行う風土が存在する。その意識が、末端まで波及していても不思議でもなんでもない。実に傲慢(ごうまん)な姿勢だ。 もちろん「安倍ありき」「昭恵夫人ありき」で魔女狩り的な報道を繰り広げたマスコミ、それに煽られやすい世論も問題だろう。この点については、近著『増税亡者を名指しで糺す!』(悟空出版)の中で丁寧に解説したので、ここでは省略する。 近畿財務局、財務省の政治的な驕りは、森友問題の「深刻なスピンオフ」ともいえる文書改竄(かいざん)問題でも明らかである。訴訟化はならなかったが、国民の信頼を踏みにじる不遜ともいえる行為であった。この文書改竄もまた特定の人物や組織、つまり財務省高官の厚生を改善するために、適正な公文書管理という効率化を犠牲にした「厚生増進政策」だといえるだろう。繰り返すが、その根源には官僚があたかも政治家のように振る舞う、その傲慢な姿勢がある。学校法人森友学園前理事長の籠池泰典被告=2018年11月撮影 森友問題は、日本の官僚たちの日常的に行っている厚生増進政策の「負の側面」が大きく世に知られたものだと思う。官僚たちが、本来の職分である効率化政策への特化に至るにはまだ「道はるかに遠し」である。 それでもマスコミや野党は、官僚制の問題を議論することに熱意を示さない。安倍首相と昭恵夫人の「関与」という、2年近く経過しても全く証拠も出ていない問題に、まさに報道機会と国会の審議時間、それぞれの「ムダ」使いを続けるばかりだ。 おそらく来年の参院選での「安倍降ろし」を狙って、またモリカケ問題が再炎上する可能性がある。そしてワイドショーレベルの情報で満足する高齢層を中心とした、ずっと「疑惑」を深めている人たちを「釣る」のだろう。まさに救いのない「扇動ゲーム」だといえる。■ 新聞、テレビの受け売り「モリカケ安倍陰謀説」の無責任■ 政治的娯楽「モリカケショー」があまりにバカバカしい■ 「安倍マンセー保守」たちよ、森友文書改ざんの罪深さを認めよ

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    青山繁晴手記「総理、足元の声をお聴きですか」

    本が建国以来初めて抱擁する自前資源の探索にあたり、彼女が幼い子二人を残して遠洋航海に出た時は、忙しい政治記者だったわたしが子育てをした、そんな事実が影響しているのかもしれない。 その女性局事務局長の務めとして参加した地方のブロック会議で、公式会議が終わると地方議員の女性が複数、寄ってこられ「妊婦に金銭負担やストレスを与え、何より大事な水を売り渡し、日本の女性や中高齢者を雇わずに外国人を、総理が国会で答弁なさっていることと違って、実際には多くは低賃金で雇う。総理はいったい何なの。これで来年、選挙をやれと言うの」とわたしに厳しく問うた。 では総理の真意はどこにあるのか。 再登板後の安倍総理は現実主義者である。不肖わたしも長年、安全保障・危機管理を民間から担う実務者であったから、現実を常に見ている。ところがお話ししていると総理には、はっとさせられるほどリアルな現実把握、みごとな現実認識がある。 安倍総理がたった今、冷徹に把握している現実は、後継者がいない事実だ。日韓合意以来、わたしと安倍総理は意見の違うことばかりだが「安倍総理の後継総理は国家観、歴史観が共通する人でないと、苦闘の果てに積み上げてきた平和安全法制や特定秘密保護法という敗戦後の日本の在り方見直しが無に帰する怖れがある」という認識では一致している。 だから総理は今、「一定の仕上げを自分でやっておかないと」という危機意識でいっぱいだ。そのために「人手不足倒産をとりあえず解消しないとアベノミクスが続かない。水道をはじめインフラの更新をとりあえずできるようにしないといけない」となる。 前者には「最大でも35万人の外国人だから、あくまで労働者だ。移民じゃない」、後者には「水道の管理責任はあくまで公(おおやけ)、自治体にある」という自己弁明が付く。そして妊婦加算は、国会で答弁を求められるまではおそらくあまりご存じなかった。 これらは不肖わたしの推測だが、もとより単なる推測ではない。総理側と交渉をするなかで明瞭に伝わってきた総理の真意である。 わたしは一回生議員に過ぎない。入管法改正の廃案を叫び、ただ反対するだけなら一回生議員にもできる。だが叫ぶだけだ。おのれの支持者の喝采を待ち、結果には責任を持たない、一つの保身である。内政だけでもズレがある まだ後輩議員もいない身も顧みず、やらねばならないのは政府原案修正の実現だ。入管法改正案はこのままでは、ぼくらの祖国を見知らぬ国にしてしまう。日本国民の中高齢者、女性、そして引き籠もりや鬱によって就職できずにいた若者の就労を実現する、あるいは外国の国民が日本の社会保障を悪用しないと同時に、日本国民と同じ人権が守られる。そのための法案修正に与野党が合意するよう、勝手に、非力のまま水面下で動いている。 そのとき、もっともしっかり確認しておかねばならないのが総理の意思だ。 修正は議員間で行われる。しかし特定秘密保護法も、安倍総理と渡辺喜美・みんなの党代表(当時)の秘密合意があったから、議員間修正が実現した。入管法改正についても「修正OK」という総理の意志が背景にないと修正が進まない。それを確かめる過程で、わたしなりに総理の危機意識を把握したのだった。 その危機感を知りつつ、あえて総理にお尋ねしたい。長年、選挙への出馬要請を断ってきたわたしがついに決断したのは、西暦2016年6月の参院選公示が迫るなか、突然に掛かってきた総理からの電話がきっかけだった。 「青山さんが国会に来れば、外務省が変わる。あと経産省も変わるな。それから部会で発言すれば自民党の議員も変わる」。これは順に、拉致被害者帰還交渉の難渋、メタンハイドレートをはじめ自前資源の意図的な放置、党の利権構造、それらを変えたいという安倍晋三総理の強い願いの表れであり、現場で協力してほしいという要請に他ならなかった。 総理は忙しさでお忘れかもしれないが、これほど印象深い電話も、半生にない。記憶はまことに鮮明だ。そして法務部会で熱心にわたしの反対を聞いてくれた自由民主党代議士のひとり、行政経験の豊かな神谷昇・元泉大津市長は、わたしが講演でこのエピソードを話したとき、「変わった、変わった。確かに議員が変わった」と明るい声で叫ばれた。 総理、まずは足元の党内の声を聴き、それぞれの地元の有権者の声を集めることを急ぎ、なさってくださいませんか。それ無しでは、来年、仮に衆参ダブル選挙に打って出ても、野党の選挙協力の成否にかかわらず大敗し、政権を失いかねません。ロシアのプーチン大統領と会談後、取材に応じる安倍首相=2018年11月、シンガポール(共同) 本稿では訪中、北方領土交渉という最近の安倍外交には、字数の制約もあり、あえて言及しなかった。だが内政だけでこれだけの足元の声とのズレがある。改憲と拉致被害者の全員救出、この再登板後の安倍政権の本来の目的のためにも、ここではわたしが僭越ながら、こころの電話をお掛けします。「批判されても仕上げを急ぎたい真意を受け止めたうえで、総理、日本を取り戻すためという再登板の志に戻りましょう」と。

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    「移民法案」このままで大丈夫か

    外国人労働者の受け入れ拡大を図る出入国管理法改正案が衆院を通過した。法案はこれまで認めなかった単純労働を容認し、実質的に外国人の永住に道を開く内容である。事実上の「移民法案」とも揶揄され、将来に禍根を残しかねない。労働市場の人手不足が大義名分とはいえ、なぜ急ぐ必要があるのか。

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    「外国人労働者は移民ではない」日本はドイツの失敗を直視せよ

    失敗が大きく影響しているのは、言うまでもない。移民や難民の受け入れは、ドイツにおいて最も関心度が高い政治テーマの一つだ。 とはいえ、ドイツの外国人受け入れについてのニュースが日本で大々的に報じられるようになったのは15年の難民危機以降である。もしかしたら、「それまではうまくやっていたのに一度に大量の難民が押し寄せてきたからパンクしたんだろう」と思っている人もいるかもしれない。 しかし、歴史を振り返ってみれば、決してそういうわけではないことが分かる。ドイツの外国人受け入れ政策の失敗の一つに「外国人労働者を移民と認めなかったこと」が挙げられるからだ。 旧西ドイツは、戦後の人口増加が緩やかだった上に、戦死者が多く、経済成長に伴い人手不足に陥った。労働時間短縮や有給休暇制度の改善を求める権利闘争が盛んになったこともあり、外国人を「ガストアルバイター」として受け入れ始める。ガスト=ゲスト、アルバイター=ワーカー。分かりやすく訳せば、助っ人外国人である。 彼らは安く雇用できる上に、本国に仕送りするためによく働いてくれるし、ドイツ人がやりたくない仕事もやってくれる。便利も便利、超便利である。 ガストアルバイターはあくまで「一定期間ドイツに出稼ぎに来ている人」だから、1960年代はまだ「ドイツは移民国家ではない」というのが共通認識だった。しかし、ドイツの予想を裏切り、ガストアルバイターの多くは家族を呼び寄せたり現地で結婚したりして、ドイツに定住することになる。 1973年に一度外国人労働者の受け入れを停止するが、その後再び人手不足に陥り、受け入れを再開。2000年、ドイツの総労働力人口における外国人の割合は8・8%で、人口の7・3%が外国人という状況だった。 21世紀になって少ししてから、ドイツはやっと「移民国家」としての舵を切る。ドイツ語教育やドイツの社会、歴史などを学ぶ市民教育を統合講習として受講を義務化し、移民の社会統合を目指し始めたのだ。2018年10月、ベルリンで記者会見するドイツのメルケル首相(ゲッティ=共同) しかし、時すでに遅し。すでにドイツ人と外国人(移民背景がある人たち)の収入格差や学歴格差、言語の壁や宗教問題など、課題は山積みになっていた。 15年に大量の難民を受け入れたことで、ドイツが混乱したのは事実だが、それはあくまできっかけにすぎない。移民とそうでない人との間にある火種は、15年に突然生まれたものではなく、それよりも前にくすぶっていたのだ。ドイツと同じ轍を踏む? しかし興味深いのは、これほど多くの外国人を受け入れたのに、ドイツは2018年10月、欧州連合(EU)域外から専門的資格とドイツ語能力を持つ人を呼ぶための新移民法を制定したことである。 スイスの国際ビジネス教育・研究機関IMDによる「World Talent Ranking 2017」で「高度外国人材にとっての魅力度」が世界16位であり(ちなみに日本は51位でアジア最下位)、これだけ多くの外国人を受け入れているのにもかかわらず、新たに法を制定しなくてはならないほど高度人材が足りていないのだ。 こういったドイツの事情を踏まえて、改めて日本について考えてみよう。 日本は現在、深刻な人手不足に陥っている。中小企業を中心にバブル期並みの人手不足となっており、45%もの企業で常用労働者が足りていない。だから「移民ではない」という建前で外国人労働者をどんどん受け入れているわけだが、このままでは「気づいたら移民が増えていたので対策します」というドイツの二の舞になってしまいそうだ。 ドイツと同じ轍を踏まないために、外国人労働者の受け入れは移民政策の一貫として、戦略的に行う必要性があるのではないだろうか。 「移民」という言葉に抵抗感がある人も多いだろうが、「移民国家」を認めたことで起こる反発より、それを認めずに実質移民国家となり「日本人vs外国人」と対立するほうが、私にはよっぽど恐ろしく思える。 そもそも、日本で働いている人の多くは既に「移民」と呼べるし、そうでなくとも定住する可能性のある移民予備軍なのだから、「移民」という言葉にだけ反対していても意味がない。 では、必要とされる移民政策とは、例えばどういうことをいうのか。ドイツ・ベルリンのアラブ人街を歩く男女=2018年6月(共同) まずは、外国人の経済的安定が不可欠である。ドイツ連邦雇用庁によると、16年の失業率は、ドイツ人が5・0%、外国人は14・6%。収入にも格差があり、15年のフルタイム労働者の収入は、ドイツ人とそうでない人で21・5%もの差があった。社会保障費を減らすという点でも、外国人が経済的に不利にならないよう予防することは必要である。 また、過労死がすでに多くの国で報じられている日本で、外国人搾取が続き、それが公になれば、国際的なイメージに影響することも理解しておかないといけないだろう。「事前対策」現場だけでは限界 次に教育だ。家庭内の第一言語がドイツ語でないためドイツ語を話せないという小学1年生が増加し、現在ドイツでは教育レベルの低下が懸念されている。言語的ハンデが低学歴につながり、学歴格差がさらに収入格差として現れるのも問題である。 日本は私立の高校、大学が多いため、経済的に不利な外国人家庭の子供が進学を断念したり、公立高校に殺到したりするかもしれない。そうならないためにどうするか。 他にも宗教の問題がある。日本は比較的宗教に寛容とはいえ、勤務中の礼拝をどう扱うか、学校の修学旅行が京都・清水寺でいいか、半袖の制服着用を義務化していいか、といったことも考えていかなくてはいけない。職場飲み会もNGになるかもしれないし、社食では牛や豚を使わないメニューを用意する必要があるかもしれない。宗教において「ここは日本だから合わせろ」は通用しない。 これらは、外国人を受け入れる以上、起こり得る想定内の課題である。それならば当然、事前対策を求められる。多くの国が移民問題に揺れているのだから、「移民国家じゃないので対策しません」というのは、あまりにお粗末だ。 それぞれの自治体や学校、職場で社会統合に向けての個別努力は行われているが、現場だけでは限界があるだろう。 もうさっさと移民を受け入れていると認めて、横断的に受け入れ政策を担当する省庁、ドイツでいう連邦移民難民庁(BAMF)のような公的機関を用意した方がいいのではないだろうか。移民を認めず社会統合のスタートでつまずいたドイツと、わざわざ同じ道をたどる必要はない。 「外国人労働者を受け入れるべきか否か」という議論も大事ではあるが、既に「移民」と向き合うべき段階になっているんじゃないかと思う。求められているのは、「移民かどうか」という言葉遊びではなく、受け入れた外国人と共存・共栄するための議論だろう。 そして最後に言いたい。人手不足解消のために、引きこもりの社会復帰促進や、闘病中・介護中・育児中の人の就職支援など、国内でできることはまだまだたくさんある。政府は高度外国人材を呼び込むために最短1年で永住権を認めることにしたが、日本にだって優秀な人はいるのだから、修士以上の高学歴者の優遇や研究費の支援なども検討すべきだ。 外から人を呼ぶのは一つの選択肢だが、国内の「自給自足」も忘れないでいてほしい。

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    256万人の「移民予備軍」に口ごもる自民党の矛盾

    善することなく、さらなる労働力を呼び込むために、出入国管理法が改正されようとしている。自民党は、票や政治献金を生み出す企業や団体の要求を拒むことができないからだ。 改正の目玉は「特定技能1号・2号」という在留資格の追加だ。改正案は、1号に「相当程度の知識または経験」、2号に「熟練した技能」を要求し、外国人材を受け入れるとしているが、各号の求める具体的水準は不明だ。 その資格の詳細に関する説明は他に譲るが、改正案に対して、自民党法務部会では発言議員の9割が反対を表明したという。しかし、残る1割が賛成側に立ち、現実の倒産要因にまでなっている「人手不足解消」の大義名分を掲げて押しまくった。2018年10月、自民党法務部会であいさつする長谷川岳部会長(奥中央) 反対の議員も「具体的に何人が何年必要なのか」「要らなくなったら『帰れ』でいいのか?」と押し返すなど激しいせめぎ合いを展開した。各業界団体のヒアリングも交えた討議の結果、安易な枠の拡大や基準の引き下げで移民政策にならないよう、法務部会と厚生労働部会で具体的なハードルを設定した部会決議を法案に付した。国民も外国人も不幸にする しかし「与党グセ」がついている自民党は、いつまた野党に落ちて、このハードルが取り払われるかなど考えていない。まるで「玄関」は開放されたと言いつつも、上がり口を高さ2メートルにし、天井下30センチしかない隙間をくぐって入る客だけを歓迎するかのようだ。 でも「家」の中を見渡せば、窓にはスパイ防止法という「網戸」さえなく開けっ放しで、泥棒がよく入る上に、「家庭崩壊」寸前で「だからレベルの高い外国人メイドが必要」というオヤジをあなたは信用できるか。私たちはそんな国「家」の家族なのだ。 たとえ実習生が高度プロフェッショナル人材であっても、帯同する家族も歓迎すべき人材とは限らない。また、実習生本人も歓迎に値する人材で有り続けることを期待したり、矯正することはできない。 そして、本人が労働意欲を失ったり、何らかの理由で評価に値する技能を発揮することが不可能になっても、企業は面倒を見てくれない。収入に困った彼らによる犯罪やその被害回復の責任がどこに帰するのかも不明だ。まさに、国民も外国人も不幸にする改正法案である。 おまけ、国別の枠の割り当てもないため、隣国の中国や韓国の人材が多くなるのは必定だ。滞在中に母国崩壊が発生すれば、彼らは日本に居ながらにして難民になる。 実際に米国が進める「米中経済戦争」は政権転覆や社会の混乱、つまり国外脱出者が現れるレベルを目指し、締め上げにかかっている。そうして、難民発生の際には、国際社会が日本に対して国庫を傾けるほどの保護を求めてくるに違いない。 一方、単純労働者を求める労働市場では、難民を含む外国人材の雇用で、大企業の上層だけが潤い、収入格差は広がるばかりだ。彼らへの厚生や福祉で不可避となった消費増税がデフレを加速し、日本人は疲弊する。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 今でさえ円安路線を維持した日本は既に国際的デフレ国家であり、日本人の賃金は先進国内で驚くべき低レベルだ。外国人旅行客の目には、サービス最高の「おもてなし激安国家」と映るのだから、オーバーステイしたくなる気持ちも理解できる。 そもそも、問題は「労働力不足」である。ニートが高齢化しても、シングルマザーになっても生きていけるほどの社会制度が、きしみながらこれを支え、今やその福祉制度が外国人に食われるほど、生きる力と競争する意欲を失った日本人が問題なのだ。批判覚悟の「提案」 そこで、批判を覚悟の上で提案したい。海外展開を行っている大企業はアベノミクスの恩恵を受け、株価も上昇している。ところが、今の経営陣はバブル崩壊の経験者であるため、内部留保を積み上げ、賃上げによる支出を恐れ、さらなる安価な労働力を外国人に求める。そこで、労働基準法にでも「企業トップと末端の賃金格差は○倍まで」と定めれば、さっぱり進まない賃上げもトップから進めざるを得なくなり、社会問題である収入格差も緩和、労働意欲も上がるのではないか。 また、企業が大卒や新卒にこだわらず、独自の採用基準で若い人材を求めれば、就職のためのカタパルト(射出機)と化した意味無き大学は淘汰(とうた)され、大学全体のレベルも向上して洗練されるだろう。 こうして、企業が学歴偏重の採用基準を変えれば、親は借金してまで子供を大学に送る必要がなくなり、その資金を老後に回せる。子供は10代から社会に出ていれば、20代後半にはベテランの域に達するので、結婚資金も貯(た)まる。短期的には成婚率が、中期的には出産率と出産人口が、長期的には労働人口も上がるのではないか。 そのためには企業トップの意見を尊重する自民党の他に、勤労者のための、健全で主体性のある野党が必要だ。本来であれば、企業に君臨する「ブルジョア階級」の収入を規制し、「プロレタリア」の賃金を底上げする政策については、日本共産党あたりに期待したいところではある。また、「自民あっての反自民」を貫く立憲民主党は、今回の実質的移民政策にも反対するのだろうか。 安倍晋三内閣は「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)に「移民政策を採らない」としているが、自民党議員は移民の定義を知らないか、口にできない。国連人口部の定義によれば、移民とは「主権のある母国を1年以上離れて外国に暮らす人」を指す。そして、この移民の概念には、密入国者や不法滞在者、帰化した初代が含まれる。 既に日本には、留学生を始めとする移民と「移民予備軍」が256万人以上も存在するが、自民党議員がこれを口にすることは骨太方針の矛盾をさらけ出すことになる。だから「移民」という言葉に異を唱え、改善できる議員はいないのだ。 そもそも、議員の仕事は理想の発表や世論啓発ではなく、法の立案や審議である。法改正案に部会決議文で歯止めを盛り込んだ党内の反対議員も、議論に参加し論議を尽くした以上は、組織としての決定に文句をつけることはできない。それを期待するのが酷であることは、何らかの組織に属する社会人ならわかるはずだ。自民党本部=2018年9月(納冨康撮影) だが、読者諸兄は昨年の流行語をお忘れか。そう、ここに「忖度」が必要である。発言議員の9割ほどいた反対議員は心の中で、決議文を付けても力が及ばず手を離れたこの法改正案を誰かに潰してほしいのだ、と私は「忖度」した。 国民の政治参加は選挙のみにあらず。世論を大いに盛り上げ、燃え上がらせて法案を灰にするよう、ともに声を上げようではないか。

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    「高齢者時給500円」移民反対論をなくすにはこれしかない

    を「移民特区」で提供すれば、地方の活性化にもつながる。 ただし、たびたび議論される外国人参政権による政治の浸食、住民投票権の外国人付与につながらないよう、細心の注意を払う必要はある。これらの規制を強化できず、富裕層の資金力であらゆるものが買収されては、移民の脅威の解決策ではなくなってしまうからだ。 もう一つが起業家だ。アメリカのシリコンバレーの半数は外国人である。そもそも、起業は勉学ができるだけでうまくいくものではない。ハングリー精神も必要であり、草食系が多いとされる日本の若者から優秀な経営者が多数生まれるとは思えない。 日本も「2025年経営者問題」があり、経済産業省は今ある法人がこのままだと経営者の高齢化や後継者難で、国内総生産(GDP)の22兆円分が失われると警鐘を鳴らしている。ゆえに新陳代謝を促す上でも若者の起業率を上げるより、外国人起業家を日本で展開しやすくする方が経済のすそ野を広げる上で重要だと考える。 最後に、なぜ移民反対派であろう安倍首相が移民法を推進し、移民受け入れ賛成派であるはずのリベラル、左系野党が反対するかについて説明しておく。衆院予算委員会で外国人受け入れ問題について答弁を行う安倍晋三首相=2018年11月、国会(春名中撮影) 安倍首相の入管法改正案は、最低賃金が上昇し続けていることを踏まえ、経団連のガス抜き的な意味合いが強い。現状のような骨抜きの方がかえって、実績を出さなくても文句も出ないし逃げ道を作っておくことができるからだ。様子見しながら方針転換ができるようにしているとしか思えない。 一方、野党を見ていると、安倍政権の「移民法案」に反対なだけで、本音は賛成なのに相も変わらずのパフォーマンスと責任逃れをしているだけだ。本来なら、野党は移民を促進し、外国人参政権を解禁し、夫婦別姓で婚外子の促進が狙いだが、今、欧米で起きていることを体現しようとするなら無責任としか言いようがない。

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    「シルバーデモクラシー」の根底にあるもの

    れた。しかし、民主党政権は多くの国民の期待を裏切ってあっさりと倒れ、現在は自民党の一強多弱と呼ばれる政治状況が続いている。 一方で、「国家権力への反対運動」はなくなったわけではない。ここ数年だけみても、例えば、特定秘密保護法をめぐって反対運動を行った「SEALDs(シールズ)」と呼ばれる学生グループが注目を集めたことや、学校法人「森友学園」への国有地売却や、学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題での倒閣運動もあった。「アベ政治を許さない」などというプラカードとともに、国会周辺で政権に退陣を迫る〝闘争〟は今も続いている。だが、そこに集う人々をよく見ると、ほとんどが高齢者である。近年、雑誌などでシルバー民主主義をテーマにした論考が多くなっている 文庫化にあわせ、以前取材した元闘士たちの何人かに連絡をとったが、やはりというべきか、長期政権となった安倍晋三政権を批判し、野党のふがいなさを嘆く人が少なくなかった。本書でも指摘しているように、当時の大学進学率は15%前後。団塊の世代イコール全共闘世代とは言えないし、全共闘世代のその後の人生もひとくくりにはできない。ただ、彼らの世代には今も、根底に心情左派的な意識が広がっているのではないかと感じる。 それは、若いころに好んで聞いた音楽をいくつになっても聴き続けるような感覚なのかもしれないが、そのようなノスタルジーの中に彼らは今も生き続けているのだろうか。 60年代後半に学生時代を過ごした「全共闘世代」はリーダー不在の世代ともいわれる。タレントや作家など個性的な才能を発揮している人は多いものの、与党政治家やカリスマ的な経営者は意外に少ない。自民党の総理経験者でいえば、小泉純一郎氏(42年生まれ)から安倍晋三氏(54年生まれ)までの空白の期間にあたる。福田康夫氏は36年、麻生太郎氏は40年生まれで、2人はともに小泉氏より年長だ。かつて大学で何があったのか 全共闘世代で総理になったのは、やはりと言うべきか、民主党政権での2人だけである。鳩山由紀夫氏(47年生まれ)と菅直人氏(46年生まれ)だ(野田佳彦氏は安倍氏より若い57年生まれ)。2人の評価はあえてしないが、全共闘世代を代表する政治家と言っても過言ではない。 学生運動の収拾に最前線であたった警察幹部の一人で、先ごろ亡くなった元内閣安全保障室長の佐々淳行さんは本書の中で興味深い分析をしている。30(昭和5)年生まれで、全共闘世代とは一回り以上違う佐々さんは警視庁警備1課長として東大安田講堂事件の攻防戦を指揮。72年の連合赤軍によるあさま山荘事件も担当するなど、警察側から見た歴史の証言者である。 佐々さんは、年の離れた弟のような全共闘学生に対して一定の理解を示しつつも、「文明批評的にみると、昭和ヒトケタ生まれの自分たちと昭和20年代生まれの彼らの間には、埋めがたい世代間の亀裂があった」と指摘。「戦前、戦中、戦後を死にものぐるいで生き残ったわれわれと比べ、彼らは、もの心ついたときには経済復興が済み、自由と平和が保障されていた。仮にすべての人間の深層心理に闘争本能というものが潜んでいるとするならば、彼らの行動は疑似戦争体験のようにも思えた」と言う。 だが、激しい攻防となった安田講堂事件については、逮捕された計633人の学生のうち東大生はわずか38人で、全体のわずか6%。残りは他大学から駆けつけた「外人部隊」だった。東大全共闘のメンバーの多くは「勢力温存」を理由に学外に逃げ出していたという。 こうした見方をめぐっては全共闘OB側から反論もあるが、佐々さんは「まるで敵前逃亡だと思った。当事者でありながら、いざとなると日和る要領のよさと精神的なひ弱さも彼らの世代の特徴だ」と話し、次のように述べた。 「闘っている全共闘には理ありと感じていたが、問題はその後現在に至るまでの総括です。沈黙している人はまだ良いが、自分のことを棚にあげて『いまどきの若者は』なんて言うのは許せない。誰がどうだったと明らかにするつもりはないが、何も総括していないのに、いっちょ前のことを言うなと思うんです」 佐々さんは、紛争を通じて逮捕したり動向調査をしたりした闘士たちが、その後、政治家や評論家などに転身した姿をテレビなどで見かけることがよくあった。警察庁を含む中央官僚や著名な経済人にも全共闘出身者がいたという。彼らに対し、佐々さんは「早く引退しろ」と手厳しかった。 「総括もできないようでは、リーダーシップもとれない。早く次の世代にバトンタッチすべきだ。若い世代もとっくに見抜いていると思う」 そして、07年の東京都知事選を例に出し、昭和ヒトケタ世代の石原慎太郎氏=1932(昭和7)年生まれ=と対抗馬だった全共闘世代の浅野史郎氏=1948(昭和23)年生まれ=を両世代の代表と見立て、2人の勝敗を分けた要因を「若者の支持」と分析した。 「若い世代の全共闘世代への不信感が選挙結果にあらわれた。総括できない頼りないお父さんではなく、いざというときに頼れるおじいちゃんを選んだということだと思うのです」 本書では、元日大全共闘議長の秋田明大さん、元赤軍派議長の塩見孝也さん(故人)、元日本赤軍最高幹部の重信房子受刑者、元東大全学連リーダーの西部邁さん(故人)ら学生運動を内側から見ていた人たちに加え、佐々さんのような外側から見た人々や教職員の視点、そして数多くの無名の元全共闘学生たちの声を集めている。元赤軍派議長の塩見孝也さん=2008年6月撮影 今や戦争体験者の多くが鬼籍に入り、戦場体験者となれば、ゆうに90歳を超えてしまう時代になった。つい、20~30年前までは、それほどの苦労もなく探すことができた歴史の当事者たち、証言者たちが、次々と私たちの前から姿を消しつつある。 「全共闘世代」は今70歳前後。当時を記した作品はいくつかあるが、当事者目線のノスタルジックな回顧録も多い。本書は、多数の学生を巻き込んだ熱気が潮を引くように沈静化した理由について、多角的な視点で検証を試みている。かつて大学で何があったのかを知る入門書であり、シルバーデモクラシーの功罪を考える一助にもなるかもしれない。