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    「シルバーデモクラシー」の根底にあるもの

    れた。しかし、民主党政権は多くの国民の期待を裏切ってあっさりと倒れ、現在は自民党の一強多弱と呼ばれる政治状況が続いている。 一方で、「国家権力への反対運動」はなくなったわけではない。ここ数年だけみても、例えば、特定秘密保護法をめぐって反対運動を行った「SEALDs(シールズ)」と呼ばれる学生グループが注目を集めたことや、学校法人「森友学園」への国有地売却や、学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題での倒閣運動もあった。「アベ政治を許さない」などというプラカードとともに、国会周辺で政権に退陣を迫る〝闘争〟は今も続いている。だが、そこに集う人々をよく見ると、ほとんどが高齢者である。近年、雑誌などでシルバー民主主義をテーマにした論考が多くなっている 文庫化にあわせ、以前取材した元闘士たちの何人かに連絡をとったが、やはりというべきか、長期政権となった安倍晋三政権を批判し、野党のふがいなさを嘆く人が少なくなかった。本書でも指摘しているように、当時の大学進学率は15%前後。団塊の世代イコール全共闘世代とは言えないし、全共闘世代のその後の人生もひとくくりにはできない。ただ、彼らの世代には今も、根底に心情左派的な意識が広がっているのではないかと感じる。 それは、若いころに好んで聞いた音楽をいくつになっても聴き続けるような感覚なのかもしれないが、そのようなノスタルジーの中に彼らは今も生き続けているのだろうか。 60年代後半に学生時代を過ごした「全共闘世代」はリーダー不在の世代ともいわれる。タレントや作家など個性的な才能を発揮している人は多いものの、与党政治家やカリスマ的な経営者は意外に少ない。自民党の総理経験者でいえば、小泉純一郎氏(42年生まれ)から安倍晋三氏(54年生まれ)までの空白の期間にあたる。福田康夫氏は36年、麻生太郎氏は40年生まれで、2人はともに小泉氏より年長だ。かつて大学で何があったのか 全共闘世代で総理になったのは、やはりと言うべきか、民主党政権での2人だけである。鳩山由紀夫氏(47年生まれ)と菅直人氏(46年生まれ)だ(野田佳彦氏は安倍氏より若い57年生まれ)。2人の評価はあえてしないが、全共闘世代を代表する政治家と言っても過言ではない。 学生運動の収拾に最前線であたった警察幹部の一人で、先ごろ亡くなった元内閣安全保障室長の佐々淳行さんは本書の中で興味深い分析をしている。30(昭和5)年生まれで、全共闘世代とは一回り以上違う佐々さんは警視庁警備1課長として東大安田講堂事件の攻防戦を指揮。72年の連合赤軍によるあさま山荘事件も担当するなど、警察側から見た歴史の証言者である。 佐々さんは、年の離れた弟のような全共闘学生に対して一定の理解を示しつつも、「文明批評的にみると、昭和ヒトケタ生まれの自分たちと昭和20年代生まれの彼らの間には、埋めがたい世代間の亀裂があった」と指摘。「戦前、戦中、戦後を死にものぐるいで生き残ったわれわれと比べ、彼らは、もの心ついたときには経済復興が済み、自由と平和が保障されていた。仮にすべての人間の深層心理に闘争本能というものが潜んでいるとするならば、彼らの行動は疑似戦争体験のようにも思えた」と言う。 だが、激しい攻防となった安田講堂事件については、逮捕された計633人の学生のうち東大生はわずか38人で、全体のわずか6%。残りは他大学から駆けつけた「外人部隊」だった。東大全共闘のメンバーの多くは「勢力温存」を理由に学外に逃げ出していたという。 こうした見方をめぐっては全共闘OB側から反論もあるが、佐々さんは「まるで敵前逃亡だと思った。当事者でありながら、いざとなると日和る要領のよさと精神的なひ弱さも彼らの世代の特徴だ」と話し、次のように述べた。 「闘っている全共闘には理ありと感じていたが、問題はその後現在に至るまでの総括です。沈黙している人はまだ良いが、自分のことを棚にあげて『いまどきの若者は』なんて言うのは許せない。誰がどうだったと明らかにするつもりはないが、何も総括していないのに、いっちょ前のことを言うなと思うんです」 佐々さんは、紛争を通じて逮捕したり動向調査をしたりした闘士たちが、その後、政治家や評論家などに転身した姿をテレビなどで見かけることがよくあった。警察庁を含む中央官僚や著名な経済人にも全共闘出身者がいたという。彼らに対し、佐々さんは「早く引退しろ」と手厳しかった。 「総括もできないようでは、リーダーシップもとれない。早く次の世代にバトンタッチすべきだ。若い世代もとっくに見抜いていると思う」 そして、07年の東京都知事選を例に出し、昭和ヒトケタ世代の石原慎太郎氏=1932(昭和7)年生まれ=と対抗馬だった全共闘世代の浅野史郎氏=1948(昭和23)年生まれ=を両世代の代表と見立て、2人の勝敗を分けた要因を「若者の支持」と分析した。 「若い世代の全共闘世代への不信感が選挙結果にあらわれた。総括できない頼りないお父さんではなく、いざというときに頼れるおじいちゃんを選んだということだと思うのです」 本書では、元日大全共闘議長の秋田明大さん、元赤軍派議長の塩見孝也さん(故人)、元日本赤軍最高幹部の重信房子受刑者、元東大全学連リーダーの西部邁さん(故人)ら学生運動を内側から見ていた人たちに加え、佐々さんのような外側から見た人々や教職員の視点、そして数多くの無名の元全共闘学生たちの声を集めている。元赤軍派議長の塩見孝也さん=2008年6月撮影 今や戦争体験者の多くが鬼籍に入り、戦場体験者となれば、ゆうに90歳を超えてしまう時代になった。つい、20~30年前までは、それほどの苦労もなく探すことができた歴史の当事者たち、証言者たちが、次々と私たちの前から姿を消しつつある。 「全共闘世代」は今70歳前後。当時を記した作品はいくつかあるが、当事者目線のノスタルジックな回顧録も多い。本書は、多数の学生を巻き込んだ熱気が潮を引くように沈静化した理由について、多角的な視点で検証を試みている。かつて大学で何があったのかを知る入門書であり、シルバーデモクラシーの功罪を考える一助にもなるかもしれない。

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    シルバーデモクラシーと全共闘

    シルバーデモクラシー。既得権を守りたい高齢者が政治プロセスを支配する現象だが、わが国ではその中心が団塊世代である。彼らの青春時代、大学キャンパスは「全共闘」と呼ばれた学生たちに占拠され、まさに「革命前夜」だった。あれから半世紀。「老害」とも揶揄されるシルバー民主主義の功罪を考えたい。

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    今どきの若者は「保守化」も「安倍支持」もしていない

    ある。 ここでわが国の話に戻ろう。保守の定義は、守るべき歴史や伝統文化を、何に求めるかであろう。仮に政治体制とした場合、日本国憲法体制の擁護が保守であるとしても、必ずしも間違いではなかろう(と冒頭の若者たちが考えているとは到底思えないが)。では、政治体制こそが、その国の歴史文化伝統であるかと言えば、必ずしもそうは言えない。 たとえば、アメリカ合衆国は、合衆国憲法に規定される政治体制こそが、国家体制そのものである。ジョージ・ワシントンがジョージ3世の圧政に対し武器を持って立ち上がったという建国神話から始まる歴史、その結果として続いている憲法体制こそがアメリカの伝統そのものである。ただし、そのアメリカでも国柄や国民性は存在し、必ずしも憲法典から派生するわけではない。十七条憲法は死文化? 一方、イギリスには統一的憲法典は存在しない。「日本国憲法」「〇〇国憲法」のような「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国憲法」などという名前の法典は存在しない。 ただし、憲法そのものは存在する。「衡平(Equity)」「伝統(Common Law)」などと呼ばれる法原理そのもの、それらに基づく判例、大憲章(マグナカルタ)に始まる歴史的文書、議会法のような憲法として扱われる重要な法律、習律と呼ばれる重大な慣例、等々の体系がイギリスの憲法である。時に、「フェアプレーの精神」も憲法として扱われる。 イギリスでは相手の人格を否定する最大級の罵倒語が、「アンフェア」だとか。わが国で「卑怯」(ひきょう)と名指しされたら、いかな沈着冷静な武士も激高(げきこう)したようなものか。イギリスは憲法政治の母国とされるが、長い歴史の中で卑怯な振る舞いをした政治家が制裁を下されることによって、慣例が確立してきた。 イギリス人が統一的憲法典を持たないのは、条文よりも運用が大事なのだと知っているからである。もっとも、それができるのは世界でイギリス人だけであるので、いまだに「憲政の母国」として尊敬されるのだが。ちなみに、伊藤博文はイギリスの実情を調査し、これをまねすることを早々とあきらめている。 ところで、1215年制定の大憲章がいまだにイギリスでは憲法として扱われているのに、驚く向きもあるのではないか。わが国が「十七条憲法」をいまだに憲法の一部と見なしているようなものか。 もちろん、今となっては裁判で使われる法規範ではないし、近代的な憲法の要件を満たしているわけではない。しかし、イギリス人は「法によらない刑罰を下してはならない」「国王は好き勝手に税金を取ってはならない」など、今となっては当たり前のことが当たり前ではない時代のことを忘れないために、過去の遺物とは扱わないのだ。 聖徳太子憲法第八条には「役人は遅刻早退するべからず」とあるが、「常識的範囲の遅刻」という概念が存在する今の霞が関を見るにつけ、十七条憲法は「死文化」しているようにも思える。というのは冗談としても、第一条「和を以て貴しとなす」も死文化しているだろうか。 良くも悪くも、日本人は「和」の民族であり、仮に「これからの時代はグローバル化だから、和を大事にしてはならない」などと憲法典に書き込んだとしよう。それで日本人の民族性が変わるだろうか。良くも悪くも「空気を読む」日本人の民族性が変わるとは思えない。大正時代の教科書「尋常小學國史」にある聖徳太子の記述(大空社復刻版より) 長々と徒然なるままに保守とは何かを書いたが、本題は「今どきの若者は保守化しているのか」である。その狙いは、70代以上の全共闘世代の投票行動が政治を左右しているとみられ、その対比としての若者分析だ。 ここで三流の言論人ならば、テレビや新聞しか見ない老人は情報弱者だが、ネットや保守の著作で真実を知っている若者は安倍政権を支持しているなどと、したり顔で説教を始めるだろう。 たとえば、自分に都合のよい世論調査を探してきて、もっともらしい「データ分析風」の講釈をたれて、自分の固定客に媚(こ)びた言説をまき散らして小銭稼ぎをする光景が目に浮かぶ。大学生の卒業論文なら目こぼしもできようが、プロの言論では立証されていない議論に意味はないので、「全共闘世代の悪あがきにトドメを刺せ」式の読者を気持ちよくさせるための言論をする気はない。 さてさて命題は、「今どきの若者は保守化しているのか」である。常識で考えよ。しているわけがないではないか。それが「安倍政権を支持しているか」との定義ならば、なおさら。 そもそも今の時代に、政治に多大な関心がある若者がどれほどいるのか。大正デモクラシーの政治運動が最も盛り上がった時代の大学では最も人気があるサークルは弁論部だったが、今はそんな話は聞かない。平成初頭の政治改革が最も盛り上がった時代ですら、どこの大学弁論部も新人勧誘に苦労していたくらいだ。「安倍支持」=「保守」ではない ちなみに、あまりにも情けないので大学名は秘すが、明治時代に創設の某名門弁論部はホームページで「国家公務員試験合格者数」を売りにしていた。明治時代に主要私立大学で弁論部が次々と発足されたのだが、藩閥官僚に対抗する党人政治家を養成するためだ。 早稲田大学雄弁会創設者の大隈重信を筆頭に、尾崎行雄、犬養毅、三木武吉、松村謙三、中野正剛、緒方竹虎、浅沼稲次郎、大野伴睦、三木武夫、等々。いずれも官僚政治と戦った人たちである。どうでもいい話だが。 一応、弁論部出身者として後輩諸君を弁護しておくと、1998年以降の大不況で、「大学生の中心活動が就職活動」という愚かな時代に巻き込まれたのである。政治どころか、自分の生活から心配しなければならない状況だ。 さらについでに、民主党政権の頃に私は大学弁論部の弁論大会の審査員として何度も招かれたものだが、天下国家を語る弁論など、ゼロ。過半数は、「年金弁論」である。19や20の若者が自分の年金について心配するなど、異常な状況ではないか。社会に関心がある若者の集団でこれである。 だから、「いまどき」の若者が政治に関心を持っているはずがなく、その中の少数の若者の中のどれくらいの多数派が安倍政権支持なのかは知らないが、少数派の中の多数派の割合を分析しても何の意味もない議論であることは説明不要であろう。 もう一つ、ついでに言うと、どこの業界でも「若者のネット離れ」の深刻さに悩んでいるし、逆に高齢者のスマホ普及率は劇的に向上している。確かに、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどの代表的ネットメディアの年齢別利用率は若者の方が高いが、高年齢層の利用率も年々あがっている。また、インターネットを利用する若者の中で最も関心が高いのはゲームである。政治に関心を持つ若者自体が少数派である。 よって、老人はテレビしか見ない左翼だから「テレサヨ」、若者はネットで右翼的傾向になるから「ネトウヨ」などというステレオタイプの大根切りは控えるべきだろう。ということで、「老人」「若者」という括(くく)りもどれほどの意義があるのか不明だが、あえて踏み込んでみる。 老人と若者の世代間対立を生む問題と言えば、何を言っても経済である。蓄えで暮らす年金受給世代にとって低金利は不利だが、若者にとってはアベノミクスによりバブル期以来の就職売り手市場である。若者が安倍政権を支持するのは当たり前だろう。これを「保守」が支持されたなどと勘違いしては、思い上がりだろう。 リーマンショックで日本を地獄にたたき落した無能な麻生政権に辟易(へきえき)した国民が「鳩山由紀夫でもイイから、麻生太郎は嫌だ」と民主党政権を選び、目も当てられない鳩山・菅・野田の三代の内閣に飽き飽きしたところに、返り咲いた安倍首相が景気を回復軌道に乗せてくれている。 6年もたって「民主党(と麻生)よりはマシ」以外に何の実績があるのか知らないし、財務省と喧嘩してメソメソと負けるような頼りない首相だが、今のところ他に代わる人もいないので消極的に支持している。こんなところだろう。これが保守化と言えるのか。 ただし、「保守」には「現状変革を望まない」との意味がある。老年世代の中で左傾の人たちは安倍政権のやることなすことが気に入らないだろうから、日曜の朝はTBS系の「サンデーモーニング」を見て留飲を下げ、チャンスがあれば沖縄県知事選で自民党を負かす投票行動をする、というくらいのことは言えるかもしれない。それとて、日本国憲法体制という大きな視点で見れば「保守」とも言えるのだが。 若者に関して言えば、何と言っても地獄のような就職活動から解放してくれたのだ。安倍首相を支持するのは当然ではないか。確かに今から消費増税を宣言し、「増税しても景気を悪化させないよう対策する」などマヌケな言動を繰り返している。少し学力のある大学生なら、首相の知性を疑うだろう。参院予算委員会で答弁を行う安倍晋三首相=2018年11月、国会・参院第1委員会室(春名中撮影) 「景気が悪化するなら最初から増税するな」「そんなに増税したかったら、景気を完全回復させてみろ。それまで待てないのか」「結局、いくら屁理屈(へりくつ)を並べても財務省と喧嘩して負けただけではないか。その屁理屈作文も財務省に用意してもらったのではないのか」と。それでも、今のところは景気が悪化しているわけではないし、積極的に倒閣して現状変革して余計に状況が悪化しても困る。その意味で保守化しているのは確かではないか。 そもそも今の日本の言論界での保守の定義は、「安倍政権への支持」である。現実の論壇での多数派のようなのでその定義に一応は従うが、その支持の実態を少しは分析してみないと、「若者の投票行動が安倍政権支持だから保守だ」などと短絡的に考えると色々なものを見誤るだろう。 いいかげん、「安倍0点」の左下と「安倍100点」の右下の不毛な議論から卒業しないと、取り返しがつかなくなる。その二つ以外のマトモな議論の存在する余地がないからだ。人間の評価に二者択一の100点か0点かなど、ありえない。絶対に間違っている二択の議論は、国を亡ぼす元(もと)だ。

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    「民主党の失敗」が呼び覚ました団塊世代に眠る全共闘のDNA

    もに、このような長期政権を「一党優位制(one party dominance)」と名づけ、私も含め政治学者たちは研究を進めた。2018年9月、安全保障関連法成立から3年、抗議集会後、東京都千代田区内をデモ行進する参加者 「政権イコール自民党」であって、外交や経済や社会に問題があれば、それは政権、つまり自民党に問題があるという結論以外にはなかったのである。 第二は、戦後の東西冷戦である。単純化すれば、自民党は米国主導の自由主義陣営、社会党はソ連が支配する社会主義陣営と色分けでき、日米安保や自衛隊に反対するのが「革新」、賛成するのが「保守」という区分けになっていた。高度成長が許した「甘え」 先述した「進歩的文化人」は、当然のことながら「革新」であり、メディアの多数はこちらの陣営に属した。政治学者の丸山真男に代表される学会や評論家も彼らの支配下にあったと言ってよい。自民党政権に好意的な態度を取ると「保守反動」と罵られるため、知識人はポーズだけでも「革新」ということにせねばならなかった。 これは、実は戦後の高度経済成長が許した「甘え」だったと言ってもよいが、そのぬるま湯に漬かった日本人に冷水を浴びせかけたのが、73年に起こった石油危機である。79年にも第2次石油危機が訪れるが、この二つの石油危機が、第三の要因である。 原油価格次第では日本の繁栄は砂上の楼閣となるかもしれず、もはや「革新ごっこ」を楽しんでいる余裕などなくなった。団塊の世代も、生きていくためには「革新」という仮面を捨てるしか手がなかったのである。 第四の要因は、1989年のベルリンの壁崩壊であり、東西冷戦の終焉(しゅうえん)である。米ソ二大陣営間の競争はソ連の敗北に終わり、日本でも革新勢力の影響力が大幅に減退し、「進歩的文化人」も博物館入りするようになっていった。しかしながら、自民党が政権を担う状況は続いており、国のかじ取りに対する不満は自民党の責任にする以外になかったのである。 ところが、90年代に入ると、そのような政治にも変化が現れる。政権交代である。これが第五の要因である。 93年には、非自民・非共産の細川護煕政権が誕生するが、263日で退陣し、後継の羽田孜内閣も64日の短命に終わった。その後、自民党・社会党・さきがけの連立による村山富市内閣を経て、96年11月には、連立政権を引き継いでいた橋本龍太郎による自民党単独政権となる。 93年の政権交代は、自民党から飛び出した小沢一郎や羽田孜が主導したものであり、結局は旧自民党の「へその緒」をつけたものであったと言っても過言ではない。 しかし、2009年9月の政権交代は、自民党と正面から対決した民主党の圧勝によるものであり、初めての本格的なものであった。私は麻生内閣の閣僚であったが、政策の中身よりも「政権交代」の4文字に負けたと思っている。 多くの国民が、変革への期待を民主党に寄せたのである。「コンクリートから人へ」というスローガンなどが、自民党による旧態依然とした利権政治に風穴を開けるもとして魅力的に映ったのであろう。ついに「選挙で権力を倒す」 団塊の世代にとっては、自民党政権は岩盤のように強固で、何度挑戦しても倒せなかった。ところが、2009年夏の総選挙では、ついに「選挙で権力を倒す」ということが可能となりそうになり、がぜん元気づいたのである。 選挙となった瞬間に、大臣の私は敗北を覚悟したし、麻生首相が解散のタイミングを間違えたと残念に思ったものである。仲間の選挙応援のために全国を回りながら、敗北が避けられず下野することは確実だという認識を強めていった。 政権に就いた民主党は、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と3人の内閣総理大臣を輩出したものの、大きな改革もできず、東日本大震災・原発事故も起こり、失敗のうちに2012年12月に終わった。成果を上げる前にわずか3年で潰えてしまった民主党政権は、団塊の世代にとっては、批判をしようにも、余りにも短期政権過ぎたのである。 自民党が政権に復帰し、安倍長期政権が盤石なものとなるにつれて、野党は分裂し、非力なものとなっていく。もはや選挙による政権交代は夢物語となり、団塊の世代は、若い頃のベトナム反戦デモのように、直接街頭に出たり、市民運動に参加したりしながら、政治への不満を発散していく。定年退職後で時間も十分にある。 民主党政権の失敗は、選挙によって国を変革するという可能性を摘んでしまったと言ってもよい。自民党の一党支配が再開されたのであり、それはまた長く続くと思われている。 もともと、反政府的、反権力的なDNAを持つ団塊の世代は、安倍長期政権に批判的な態度を示すのである。民主党政権がもう少し長く続き、実績も積み上げていたならば、「政権イコール自民党」という図式も壊れていたであろうし、団塊の世代の態度もまた変化していたであろう。2012年8月、衆院本会議に臨む菅直人前首相(左)と鳩山由紀夫元首相(酒巻俊介撮影) 「政権交代」というスローガンで権力の座に着いた民主党は、政権運営に失敗し、「政権交代」という言葉は輝きを失った。元気で知識も時間も潤沢にあるシルバー世代は、民主党や後継の諸政党に代わって、自民党政権を監視する役割を果たしている気分なのである。 団塊の世代の安倍政権に対する批判的な姿勢は、民主党政権に対する絶望が原点だと言ってもよい。民主党政権の責任は極めて重い。

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    「九条の会」会場 高齢者多く中座や居睡も目立っていた

     参院選挙の投票日を約一ヶ月後に控えた6月6日の夜、私(古谷経衡)は東京都中野区の「中野ZERO」に向かった。現代的設備を完備した区営の大公演会場である。お目当ては『九条の会 東京2016 in中野』。革新系文化人らを筆頭に、9条護憲を唱えるリベラル系市民運動の総本山が「九条の会」だ。 同会の発足は2004年、イラク戦争の翌年である。時代は小泉内閣。「テロとの戦い」を掛け声に日本政府がブッシュ・ジュニアと積極的共同歩調を取った。 共産、社民など革新・護憲勢力が選挙のたびに明確な衰微を繰り返していたこのとき、彼らの滾る(たぎる)危機感をして「草の根」の革新・護憲運動の結集として作られたのが正に「九条の会」だ。東京での大集会は全国に支部を持つ同会の運動を象徴する、その中枢でもあった。 折しも前日の6月5日には沖縄県議選が投開票され、翁長沖縄県知事を支持する社民、共産、社大(沖縄社会大衆党)らの県議会与党が、過半数を3議席上回る27議席を獲得、自民党に大勝した。社民・社大党候補は全員当選、共産も1名を除き当選する大金星であった。 沖縄で革新勢力が勝つのは珍しいことではないが、「安倍一強」が喧伝される中、「九条の会」にとってはまたとない反転攻勢の一里塚である。 約1200名を収容する大ホールは熱気に包まれ、平日夜にもかかわらずほぼ満席であった。前日、沖縄県議選の投開票と合わせて「九条の会」が主導した「安倍内閣退陣!国会前総行動」の翌日であるにも関わらず、連日出席する熱心な参加者の姿があった。 しかし、その多くは高齢者である。「国民怒りの声」を立ち上げ参院選出馬を表明した憲法学者の小林節氏が出席取りやめを告げる旨のFAXが読み上げられると、会場からは失笑の声。元来自民支持から転向した小林氏への革新中枢の反応は芳しくない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 会は荘厳なオーケストラから始まり、浜矩子(同志社大学大学院教授)、小森陽一(東大教授)ら登壇文化人が次々と「安倍退陣」の掛け声を上げるや、大喝采に包まれる。 最後には高校生らが壇上に立ち、「護憲平和」の大合唱。が、連日の疲労がたまった高齢者は流石に眠気が襲ったと見え、中座・居睡も目立った。安倍への敵愾心も寄る年波には勝てぬ、といったところか。●文/古谷経衡【ふるや・つねひら】1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。主な著書に『愛国ってなんだ 民族・郷土・戦争』『左翼も右翼もウソばかり』。近著に『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』。関連記事■ 「九条の会」の逞しき商魂 右派は寄付のみで物販の発想なし■ 奨学金財源 休眠口座や高齢者の金融資産1700兆円活用を■ 揺らぐ「高齢者」の定義 「准高齢者」登場など見直しも進む■ 『バイキング』低迷 一貫性なく出演者多く噛み合ってないから■ 細野・枝野大臣 全国原発市町村協議会を「国会ある」と中座

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    基地依存から脱却「アベノミクスの逆説」が変えた沖縄の民意

    憲について、野党にも統一した主張も戦略もない。また、来年の参院選に国論を二分するほど、改憲そのものが政治的スケジュールに上がっているのか、現段階では不透明である。 要するに、沖縄知事選は確かに安倍政権に打撃を与えたが、それがそのまま国政レベルでの野党勢力の伸長につながるとはいえそうもないということだ。 このような野党のふがいなさはさておき、今回の沖縄知事選には筆者には無視できない「教訓」があると思う。それは「アベノミクスの逆説」とでもいうべき事態だ。 沖縄県の経済構造は、日本への復帰以降続いていた「基地依存」体質から改善している。しかも、2012年末今日にかけて県民総所得、つまり沖縄経済全体に占める観光所得のウエートが急上昇している。今では、沖縄経済に占める基地関連収入の割合が、せいぜい5%台なのに対し、観光はその3倍近くまで増加しているのである。 直近の経済指標を見ても実質成長率が高く、消費や投資、雇用も堅調に推移している。観光を中心に、県内の「民需」が堅調なために、地価も上昇し、これが担保価値を高めることで、県内への銀行の貸し出しの伸びも高い。2018年9月、新執行部が発足し、立憲民主党の枝野代表(左から2人目)と握手する国民民主党の玉木代表 勘のいい読者は当然お分かりだろうが、この沖縄経済の好調は、2012年終わりからのアベノミクスによる金融緩和政策、その一つの表れである円安によって観光収入が大きく改善したことにある。 沖縄県の入域観光客数は7月にストップするまで、2012年10月以降69カ月連続で前年同月比を上回った。国内からの観光客の増加もあるが、要因はやはり国外からの観光客の伸びが顕著なことにある。不十分だった安倍政権の「応援団」 いわば、沖縄経済が基地依存から脱却していく上で、アベノミクスが大きな貢献を果たしているのである。だが他方で、基地依存からの脱却を経済的にも強く意識した沖縄の人々の心理を、安倍政権はおそらく今回の選挙できちんと拾えていなかったと思われる。これが「アベノミクスの逆説」の意味だ。 ただ、沖縄経済は活況とはいえ、もちろん1人当たりの県民所得は全国最下位に変わりない。社会保障の面でも深刻な問題を抱えたままである。一例だが、子供の貧困率も、全国水準が16・3%に比べて、29・9%と極めて高い。 つまり、沖縄の人たちの生活は現状ではまだまだ改善すべきなのだ。その方策はアベノミクスのさらなる加速、すなわち民需中心の経済成長、そして貧困対策など再分配政策の拡充だ。 だがこの面で、今回の沖縄知事選では、佐喜真氏に対する安倍政権の「応援団」には不十分なものを感じた。佐喜真氏の経済政策面での公約は、県民所得を底上げし、そして教育の無償化や子育て支援、貧困対策も強調していた。その意味では、成長と再分配のバランスの取れた政策を提起していた。 佐喜真氏は、子ども食堂への公的援助をめぐる発言で、あたかも子供の貧困を軽視するかのようだとして批判を受けた。ここは反省すべき点もあっただろうが、基本的な経済政策面のバランスは趣旨としてはよかったように思える。 問題は、それを実現できるのは、国の経済政策の在り方に大きく依存しているということだ。ところが、菅義偉(よしひで)官房長官らが沖縄入りしたが、そこでは携帯電話料金の引き下げなど来年の消費増税対策の「目玉」と政権が妄信しているような主張が大きく報道されていた。それではダメだろう。 佐喜真氏の経済政策をバックアップするはずの国の政策観が、消費増税ありきなど緊縮政策にとらわれてしまっているのではないか。沖縄経済をさらに改善していく意欲が国に見られない、と県民に判断されたのかもしれない。それはさらにいえば、経済面での基地依存から脱却しつつある沖縄の人々の意識に、安倍政権がきちんと向きあっていなかったといえるかもしれない。2018年9月の沖縄県知事選、石垣市内で街頭演説を行う菅義偉官房長官 翁長知事の時代は、アベノミクスの成果を受けていた、沖縄経済の基地依存からの脱却が急激に進んだ過程でもある。沖縄の人々の翁長氏への根強い支持の背景には、この経済状況の好転も大きくあったのではないか。そして、翁長氏を政治的に継承することをうたった玉城氏に有権者の票が大きく流れた可能性がある。ここにも「アベノミクスの逆説」があるのではないか。 今回の沖縄知事選の教訓を、日本全体の経済政策に生かすとしたら、どんなことがいえるか。それはもっと現実の経済成長率を高め、それを安定化し、より積極的に貧困・教育などの再分配政策に力点を置くことであり、そして人々の対立する政治的価値観、安全保障観と政治家が面と向かうことだろう。

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    「石破潰し」安倍人事の皮算用

    第4次安倍改造内閣が発足した。首相自ら「全員野球内閣」と銘打ったものの、ホンネは「石破潰し」の報復人事だろう。とはいえ、政権に課された最大の命題は憲法改正である。長期政権の弊害を憂う声は日増しに高まるが、残り3年の任期で実現できるのか。安倍人事の皮算用を読む。

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    ポスト安倍より憲法改正 「歴史に名を刻む」改造内閣の布石

    い。そうなると、自分の後も自分と同じ方向の政策を継続してもらいたいと願っているはずだ。しかも、特定の政治家を後継指名した途端にレームダック(死に体)が始まるのが永田町の常である。このため、どのように後継者争いで競わせて求心力を維持するのかが注目される。 今回、菅義偉官房長官、岸田文雄政調会長と茂木経済再生担当相を留任させることになった。過去にも、佐藤栄作氏が「三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)」を重用することで競わせ、長期政権を維持したことがある。また、竹下登氏も「竹下派七奉行(橋本龍太郎、小渕恵三、梶山静六、羽田孜、奥田敬和、渡部恒三、小沢一郎)」を競わせて、首相辞任後も一定期間、影響力を残した。 安倍氏も総裁選で安倍支持が遅れた岸田氏を「ポスト安倍」の前提とせず、陰で安倍内閣を支え続けた菅氏にスマートフォンの料金引き下げという政策を主張させたり、茂木氏に日米通商交渉を任せてスポットライトを浴びさせたりするなど、総裁任期満了近くになるまで後継者競争をさせるのではないか。自民党臨時総務会を終え記念撮影に臨む総裁と新執行部4役(左から)甘利明選対委員長、加藤勝信総務会長、安倍晋三首相、二階俊博幹事長、岸田文雄政調会長=2018年10月2日、東京・永田町(春名中撮影) 今後の安倍政権の焦点は、安倍氏が憲法改正の発議をいつ行うのかである。今秋の臨時国会で自民党案を提出する意向であるが、衆参両院での発議にまで持ち込むためにはいくつかのハードルがある。 まず、公明党の賛同を得るためには、来年の消費税率引き上げに対する食料品などの軽減措置でどこまで譲歩できるのかである。超高齢化に伴う社会保障費の上昇を考えれば、これ以上の引き上げ先送りは難しい。公明党がかねてから主張する軽減措置を受け入れる代わりに、9条2項を削減しない範囲での憲法改正に賛成してもらう合意形成ができるかどうかがハードルの一つである。来夏「衆参同日選」の可能性 また、衆参両院での発議が来年夏の参院選以降に持ち越される場合には、参院選で議席を増やすことができるかが鍵になる。今回改選となる2013年参院選では自民党が大勝しただけに、一層の議席増のためには、状況次第で衆院選との同日選挙の可能性もゼロではない。 ただ、公明党が同日選挙に同意しなければ、自民党単独で参議院の3分の2を確保できない以上、参院選を単独で戦わざるを得ず、来年夏の景気をどのように良好な状態に持っていくのかが安倍氏の腕の見せ所になる。消費税率引き上げを決定すれば、来春から来夏にかけての駆け込み需要を期待できる一方、トランプ大統領との日米首脳会談の結果如何(いかん)やイランからの原油輸入ができなくなれば、来夏の景気にとって大きなマイナス要素になる。 安倍政権の課題は、先月の総裁選の党員票にみられたように、自民党支持者の中には安倍氏の党運営に批判的な者もいることだ。今回の内閣改造・党役員人事で石破派の当選回数が多い議員や参議院竹下派からの大臣や党の主要役職就任が見送られたことが、憲法改正の国民投票にどのような影響をもたらすのかが注目される。 この点、長期政権を継続した佐藤氏は、どんなに総裁選で厳しく争っても総裁選が終わればノーサイドとして、自分の方針に従う限り当選回数主義(衆院議員当選3回で政務次官、当選5~6回で大臣など)で挙党一致態勢を作り上げた。 今回の内閣改造が吉と出るか凶と出るかは、今後、安倍氏が懐深く党内をまとめていけるかどうかにかかっている。特に沖縄県知事選で、安倍氏についていけば選挙に勝てるという「不敗神話」が崩れただけに、来年の参院選が党内の求心力の行方を占う試金石となる。皇居に向かうため官邸を出る安倍晋三首相=2018年10月2日、東京都千代田区(飯田英男撮影) ただ、安倍氏にとって救いなのは、野党の足並みが乱れていることだ。立憲民主党も結党時より支持率を下げており、国民民主党に至っては1%前後の支持率である。 さらに、参院選での野党共闘については、共産党と組むことへの批判を避けるために市民連合を核にした共闘協議をしたい立憲民主党や国民民主党と、「選挙協力は政党と政党で協議するのが筋」とする共産党の間の溝が現時点で埋まっていない。今後、野党がどのように一つにまとまって参院選を戦うかどうかも、安倍政権の行方に大きな影響をもたらすことになる。

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    「男を下げても天下取り」小泉進次郎よ、イメチェンは今しかない

    向谷匡史(作家、ジャーナリスト) 男たちが居酒屋で盛りあがるテッパンの話題は三つ。「政治」「悪口」「下ネタ」である。中でも政治の話題は悪口とセットになるだけでなく、高尚そうな雰囲気も味わえるため、一定世代のオジさんたちは大好きである。それだけにホンネが飛び交う。 このたびの安倍改造内閣を目前に控えた夜のこと。私がなじみの店で「居酒屋フレンド」たちと飲んでいると、「麻生(太郎副総理兼財務相)の野郎、態度がデカくねぇかい?」。年かさの店主が威勢よく切り出して、政治が酒のツマミになった。 「それだけ麻生には力があるということだろう。でなければ、とっくに表舞台から消えておる」 元商店主のご隠居がしたり顔で言えば、赤い顔をしたサラリーマンが割り込んできて、「石破(茂元幹事長)、総裁選でよくやったじゃないの。石破を内閣に取り込むかどうかで、安倍の器量が問われるんじゃないの?」 「政治を器量の問題で語ってはいかん」。ご隠居がたしなめつつも、話は次第に盛りあがっていくのだが、「だけどよ、石破についた進次郎の野郎、これからどうするんだ?」。店主のこのひと言に、みんなが言葉を探すように押し黙った。 昨年8月、安倍改造内閣の目玉として話題になったのが、小泉進次郎氏の入閣問題だった。是々非々のスタンスとはいえ、安倍政権を批判して人気の進次郎氏を取り込めば、内閣支持率は確実にアップする。 自民党の二階俊博幹事長も、進次郎氏の入閣、もしくは党役員就任について「安倍総理の念頭にあるはず」、「何の役でも何大臣でも務まる人だと思っていますよ」とラブコールを送ったが、結局、進次郎氏は「入閣拒否」。党の筆頭副幹事長に就いた。 このときは居酒屋フレンドの口もなめらかで、「若けぇからな。出る杭(くい)になって頭をたたかれることを嫌ったんだ」「今、入閣すれば、安倍に『塩』を送ることになる」「安倍内閣より本体の自民党で力を蓄える。当然の戦略だな」 それぞれが政治評論家になるほど、進次郎氏の入閣問題は「絵解き」がしやすく、店主が締めくくって、こう解説した。 「ほれ、昔、ロックやフォークの人気歌手がNHK『紅白』の出演要請を蹴(け)飛ばすことで人気を煽(あお)っただろう? 進次郎もあれと同じようなもんだな、うん」 ところが今度の改造内閣は、「もし、入閣要請があった場合、進次郎氏はどうするだろうか」ということについて、居酒屋フレンドの面々は昨年のようにペラペラと分析はできなかった。国会改革に関する提言をまとめ、記者会見する自民党の小泉進次郎氏=2018年6月 言い換えれば、彼らの沈黙は入閣うんぬんとは別次元において、進次郎氏の立ち位置とイメージが微妙に変わってきたことの証左と言えるだろう。 これまでの爽やかイメージであれば、進次郎氏は早々と石破支持を表明し、旗幟(きし)を鮮明にしたはずだ。負け戦を承知で、己が掲げる大義と信念に殉(じゅん)じる。これが進次郎氏の魅力であり、国民の多くが期待した。私もそうするものと信じていたし、メディアも進次郎氏の支持表明によって石破大逆転もあると報じた。進次郎はそろそろ将来に備えよ だが、進次郎氏は態度を明らかにせず、なんと投票開始わずか10分前になって石破氏への投票を表明した。石破支持を覆(くつがえ)せば「安倍に転んだ」と批判される。アリバイづくりとの批判は覚悟の上だったのだろう。「男を下げた」、「安倍と石破のどちらにもいい顔をした」とメディアで揶揄(やゆ)された。 「総裁選は武器を持たない戦争みたいなもの。どうやって生き抜いていけるようにするか、非常に学びのある総裁選だった」。投票後、進次郎氏が記者団に語った言葉に、苦渋の決断が読み取れる。 ニューリーダーは、いつの時代も「体制」に対する批判を掲げて登場する。だが、「反体制」は「体制」があって成り立つ。居酒屋の店主が喝破したごとく、『紅白』という体制(権威)があって初めて、「出演しない」がステータスを持つのだ。 進次郎氏の立ち位置も同様だ。イケメンで、爽やかで、時の権力者である安倍総理に噛(か)みつくことで人気を得たが、「反体制」をバネにのし上がれば一転、今度は自分が「体制」として批判される側に立つ。 このことは、細胞が代謝するように、いつの時代も、どの分野でも恒常的に繰り返されていることだが、「反体制」から「体制」へと移ったところで理想主義者の多くがつまずき、「変節漢!」と批難されるのは、国内外を問わず事例が示す通りだ。 このことを進次郎氏が考えていないわけがない。となれば、そろそろ将来に備え、理想論から脱却して現実的な処し方に舵を切ることで、政治家としてイメージチェンジを図っていく必要がある。党内での立ち位置も再考しなければならない。 「そのあらわれが、総裁選で垣間見えたのではないか」。私が居酒屋フレンドにそんな話をすると、店主がそれを引き取ってこう総括した。 「つまり、清純派でデビューした若手女優が年を食ってきたってことだな。いつまでも清純派ってわけにゃいかねぇだろう。となりゃ、あとは脱いだり汚れ役をやったりして『演技派』にイメチェンだ。進次郎だってそうだろう? キャーキャー騒がれる時代は短いからさ。『脱ぎ時』ってぇことを考えるんじゃねぇか?」 分かりやすいたとえで、これまた「なるほど」と感心すると、「それも一理ある。だが、わしは別の見方をしておる」と、ご隠居がおもむろに口を開いた。 「貴乃花親方を見なさい。協会改革を叫び、邁進(まいしん)し、世間もそれを支持し、そして玉砕した。いくら人気があろうと、反体制を旗印にした人間は体制を倒すか、体制の中で確固たる地歩を占めない限り、放逐されていく。これを世の習いという。進次郎にそれがわからないわけがあるまい」退職届を出し、記者会見する貴乃花親方=2018年9月、東京都港区(松本健吾撮影) この夜の前日だったか、貴乃花親方の引退騒動がメディアをにぎわせており、ご隠居はそのことを引き合いにして言ったのだった。 安倍総理は三選を果たした。株価も2万4千円の大台を回復したものの、国内外に問題は山積している。沖縄知事選の敗北で安倍内閣の求心力低下が懸念され、来夏の参院選の結果次第ではレームダック(死に体)になる可能性も指摘されている。 それを見据える進次郎氏は、「戦略なき貴乃花親方」の蹉跌(さてつ)を目の端にとらえながら、これから現実路線に大きく舵を切っていくだろう。「総裁選は武器を持たない戦争みたいなもの」という彼の言葉が、私には「天下取り」に向けた進軍ラッパに聞こえるのだ。

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    「石破を干し、次を育てる」安倍人事の容赦なき適材適所

    数は約3500日となり、歴代1位の桂太郎の2886日をはるかに上回って、歴代最高となる。 イタリアの政治思想家、マキャベリはかつて「人の上に立つ者が尊敬を得るには、大事業を行い、前任者とは違う器であるということを、人々に示すことである」と喝破した。桂は首相在職2886日の中で、日露戦争を戦い、関税自主権を回復し、韓国からは批判されているが、日韓条約を結んだ。では、歴代1位の在職日数をうかがう安倍首相の「大事業」とは何になるのか。 大事業のためのさらなる3年間が与えられたとしたならば、安倍首相がその中で執念を燃やしている大事業は「憲法改正」か「北方領土返還」か、はたまた「日朝国交回復」か。 長期政権が実現したのは、安倍首相の力だけでなく、周囲の支え、そしてやや意地悪な言い方をすれば、権謀術数があったればこそ、ということに尽きる。安倍首相の、長期政権ならではの「大事業」を期待したいが、本稿ではそれは置いておこう。 政治リーダーに求められる資質は数多くあるが、その中核となるのが「時代の動きに合わせ、次の時代を見越した改革を行う実行力」「次の世代を育てる育成力」であることは論を俟(ま)たない。実行力も育成力も、政治リーダーの人事でつまびらかにされる。 10月2日、党役員人事と内閣改造が行われた。残る総裁任期は3年、「実行力」だけでなく、「次の世代を育てる育成力」も問われる人事だ。戦後の長期政権である佐藤栄作政権、中曽根康弘政権、小泉純一郎政権における「次のリーダーの処遇」から、今回の安倍人事を読み解いてみたい。2018年9月、新潟市内のホテルで開かれた党員集会で気勢を上げる安倍首相 佐藤栄作首相は1964年11月から72年7月まで約7年8カ月首相を務めた。在職は2798日で、現在のところ、桂太郎に次ぐ第2位の日数だ。 佐藤首相の後を継いだ田中角栄首相は、第1次佐藤内閣のもとで大蔵大臣を務めた後、自民党幹事長を通算約4年務め、71年7月に発足した第3次佐藤改造内閣では通産大臣を務めている。「後継育成」のパターン 当時、佐藤首相の後継と目されていたのは福田赳夫氏だった。福田氏は、65年6月からの第1佐藤改造内閣で蔵相となり、66年12月から約2年、自民党幹事長で党務を担った。68年11月の第2次佐藤第2次改造内閣で再び蔵相、71年7月の第3次佐藤改造内閣では外務大臣に横滑りし、佐藤首相の退陣まで務めた。 熾烈(しれつ)な「角福戦争」の末、田中氏が佐藤首相の後継を射止めたが、田中氏、福田氏とも、佐藤首相のもとで党幹事長や蔵相、通産相、外相などの主要閣僚を務め、「後継に足る実力者」と自他ともに認める存在となっていった。  中曽根康弘首相は82年11月から87年10月までの約5年間首相を務めたが、通算1806日、歴代7位の在職日数となる。このときは、安倍首相の父親である安倍晋太郎氏、竹下登氏、宮澤喜一氏の3人、「安竹宮」が後継候補とされた。 中曽根首相の後を継いだ竹下首相は、82年11月の中曽根内閣発足と同時に蔵相となり、約4年間務めた。その後は自民党幹事長となり、87年10月まで幹事長を全うして後継総理・総裁となった。 同じようにポスト中曽根の有力候補であった安倍氏も、中曽根内閣発足と同時に外相となり、竹下氏同様に約4年務め、自民党総務会長となった。竹下内閣になると、党幹事長に就任して、「ポスト竹下」の最有力候補となったが、病を得て首相の座を目前にしながら91年にこの世を去った。 宮澤氏は、1984年10月から自民党総務会長、86年7月に発足した第3次中曽根内閣で蔵相を務めている。1985年8月、箱根でゴルフを楽しむ自民党のニューリーダーたち。左から安倍晋太郎外相、西武鉄道の堤義明社長、宮沢喜一総務会長、竹下登蔵相 小泉純一郎首相は2001年4月から06年9月までで、通算在職日数は1980日、歴代6位の記録だ。今の安倍首相は、小泉政権下の03年9月から1年間自民党幹事長を務めた。また、05年10月に発足した第3次小泉改造内閣で官房長官に転じ、小泉首相の後継となった。 このように見てくると、「長期政権における後継人材の育成」には、一定のパターンがあることに気づく。長期政権の後継者は、必ず、その間に自民党幹事長を務めていること、蔵相(財務相)、外相、官房長官などの主要閣僚を経験していることだ。では、安倍政権下ではどうだろうか。見えない「懐の深さ」 この際、第1次内閣は置くとして、民主党から政権を奪還した第2次内閣以降で自民党幹事長を務めたのは、石破茂、谷垣禎一、二階俊博の3氏である。この中で、谷垣氏は「ポスト安倍」の最有力とされていたが、自転車事故で療養を余儀なくされ、政界を引退した。 二階氏は、1939年生まれの79歳。後継首相総裁として育てられる立場ではない。小泉進次郎氏までのつなぎに適任者が育たない、となれば、麻生太郎副総理兼財務相、菅義偉(よしひで)官房長官と並び、「つなぎ総理」を狙うことになるかもしれないが。 では、石破氏はどうか。今回の人事で、石破氏は党の要職にも閣僚にも起用されず、「干された」形となった。ここで、佐藤→田中、中曽根→竹下、小泉→安倍という後継総理・総裁と石破氏では異なるパターンがあったことに気付く。 田中氏、竹下氏、安倍氏ともに、前任の総理・総裁と総裁選で戦った経験はない。いわば、恭順の意をひたすら表し、要職を務めあげながら、長期政権の後継を狙っていたわけだ。 だが石破氏は、安倍首相にとってはいわば「不倶戴天の敵」である。2012年の総裁選では、安倍首相が石破氏の後塵(こうじん)を拝し、2位に甘んじて決選投票で逆転するという薄氷の勝利だった。また、今回の総裁選では、政策論争を通じて、「反安倍」的な政策を唱える石破氏と対立した。 マキャベリの言に「人間というものは、危害を加えられると思っていた人から、恩恵をあずかると普通に受ける場合よりはるかに恩義を感じて、その人に深い好意を抱くものである」とあるが、今回の人事にはその懐の深さは見えない。イタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館にあるマキャベリ像(ゲッティイメージズ) 石破氏を党の要職にも就けず、主要閣僚にも登用しないとなれば、これは、安倍首相が、石破氏を後継にしたくない、というサインに他ならないだろう。また、「入閣待機組」からのすさまじい嫉妬を計算した起用なのか、当選3回の山下貴司氏を法務大臣に「一本釣り」し、石破派への風当たりが強くなる人事をやってのけた。 いずれにせよ、これまでの「定石」であった、長期政権下で党幹事長を務めた人材から後継者が出ることは、石破氏がよほど挽回しない限り難しい。 では「つなぎ総理」ではなく、本格的なポスト安倍にふさわしい人材はいるのだろうか。マキャベリは、「君主たるものは、才能ある人材を登用し、その功績に対しては、十分に報いることも知らねばならない」とも述べている。残された時間は多くない 総裁選で安倍支持の中核となり、留任した二階幹事長、菅官房長官、岸田文雄政調会長の中で、派閥の領袖である岸田氏は安倍首相からの禅譲をうかがう。だが、支持表明の時期の遅れから、禅譲に黄信号がともった。 一方で、新たに党三役の総務会長となった加藤勝信氏は、旧大蔵省出身で、安倍政権下で厚生労働大臣など閣僚も経験し、竹下派でありながら安倍3選を支持して首相にも近く、今回の登用でポスト安倍の可能性が出てきた一人だといえる。 河野太郎氏は外務大臣を引き続き務めることになったが、党三役の経験がない。今後、困難な外交状況をうまく安倍首相をサポートしてこなし、党三役を務めることになれば、ポスト安倍に向けた「育成モード」につながるだろう。 小泉進次郎氏を今回の人事で処遇しなかったことで、小泉氏は「次の次」に回るか。定石とは異なるが、現在のところ、幹事長経験者以外からポスト安倍を、という方向が見えてきた。 麻生氏、二階氏、菅氏の「つなぎ総理」か、岸田氏、河野氏、加藤氏の3者の中から誰かが頭角を表すことになるのか。 来年は統一地方選と参院選が控えている。この二つの選挙は、おそらく安倍政権のもとで行われるが、ポスト安倍と目されたニューリーダーが火の玉になって、「この人が後継であってほしい」と自他ともに認知される状況を自らの力で作っていかなければならない。 もし参院選を花道に二階幹事長が勇退、後任にその人材が座れば、文句なしのポスト安倍一番手となるだろう。今回の人事でポスト安倍がはっきり見えなかったことは、参院選を経てポスト安倍に躍り出るチャンスだということを、本人たちも痛いほど分かっているに違いない。2018年9月、沖縄県知事選、那覇市内の街頭演説で手をつなぎ、支持を訴える(左から)菅官房長官、佐喜真淳氏、小泉進次郎自民党筆頭副幹事長 華やかな小泉氏とは違うキャラクターで、安倍政権のプラスを伸ばし、マイナスをゼロにする政治リーダーが育つことが、国益にもかなう。勝負に残された時間は多くないことを、彼らにも自覚してもらいたい。

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    総理の外交スピーチライターが見る「安倍政権の使命」

    民党の総裁選が控えています。 私は安倍内閣の参与として、安倍総理の命を受け働きながら、安倍晋三という政治家についてあれこれ観察してきました。人物について、政策について、観察をまとめたのがこの本です。 何をして総理に仕えてきたか明らかにせざるをえませんから、外交政策スピーチの起案をしてきたことを打ち明けています。そんな立場の人間として、私は安倍総裁三選を願います。たんに勝つだけでなく、断固圧倒的に勝ってほしい。 政権というもの、株式会社と違って、現政権を否定する人へとトップが交代したら、その時点で一度「自己資本」がご破算になる性質のものだからです。国も企業も、風雪に耐える資本の蓄積が必要です。 煉瓦を積むようにして堅牢な自己資本を築かないといけませんが、いまの日本には、安倍総理が積んだ煉瓦を崩し、一から新しい政治・外交・経済政策をやり直す余裕はありません。安倍首相の「外交スピーチライター」を務める谷口智彦内閣官房参与(春名中撮影) たとえば日銀の金融政策には、安倍総理、麻生太郎財務大臣、黒田東彦日銀総裁の緊密な関係により、ある程度の見通しがついています。これなどにも大きな疑問符が付き、外国投資家は一度手仕舞いするでしょう。 安倍政権発足直前から市場が反応し始めたことも勘定に入れると、アベノミクスはかれこれ6年続き、2012年12月から始まった今回の景気回復は、期間にして戦後2番目の「いざなぎ景気」より長続きしています。『何者』で描かれた政権発足前の空気 それなのに企業が倹約モードから抜け切らない。企業は用途不詳の現預金を積み上げ続け、2012年度190兆円だった現預金残高は、16年度229兆円です。日本企業は全体として、何かを恐れてキャッシュを溜め込み続けている。何を恐れているかといったら、「未来」の不確かさでしょう。 企業が本格的に現預金を使って前向きな投資をしたり、家計でいえば子育て中の若い夫婦が新しい家を買ったり、若者が将来の伴侶を見つけて結婚し、子どもをつくってみようと思うには、中長期的な見通しが必要です。 戦後日本の若者にとって「未来」という二文字は、明るい希望の象徴でした。ところがいまは未来=不安、あるいは未来=不確かです。 少子高齢化により高齢者に対する社会保障の負担が増えていくため、将来に希望を抱けない若い世代は悲観せざるをえない。これではお金を使うことはできません。 直木賞を受賞した朝井リョウさんの小説『何者』(新潮社)には、現代を生きる若者の葛藤がリアルに描かれています。大学4年生の主人公たちは、就職活動に対する不安から疑心暗鬼に陥り、友情にも亀裂が入ってしまう。 この本は第二次安倍政権発足直前の2012年11月に発刊されましたが、まさに日本の、あのころの空気を象徴しています。当時の大学生にとって社会に出ることは、まるで暴風雨のなかに飛び込んでいくようなことだったのではないでしょうか。2018年9月、米ニューヨークで行われた国連総会の一般討論演説を行う安倍首相(共同)  大人はよく「いまの若者は挑戦意欲がなく、留学にも二の足を踏んで海外に出ない」といいます。しかし、若い人たちは、状況に対し合理的に行動しているにすぎません。 就職自体があまりにも困難で、不確かなものだというのに、さらに留学という時間とお金のリスクを取る余裕など彼らにあるはずがない。若者の気持ちが縮んだのだとしたら、それはあくまで経済状況に順応した行動の結果だったと思うのです。未来は君たちの手で明るくできる 第二次安倍政権以降、とりわけ昨今の学生には、楽観意識が垣間見えます。それもそのはず、高卒就職率も大卒就職率も98%で、次代を担う若者が将来に希望を持ち始めている。待ち望んでいたことです。 2013年9月、2020年の東京五輪・パラリンピック開催が決定したとき、ある女性の学生が私にメールを送ってくれました。 その文面には「私の世代で7年後に希望があるという感覚は初めてです。斜陽の国に育ったから、信じられる明るい未来を描いて生きるのは初めてです。希望がある時代っていいですね」と書いてありました。 私はこのメールを見て、日本の土台となる若い世代に、たしかに前を向けるようになってもらう、それこそ安倍政権の使命だと感じたのです。 若い人たちの力がなければ、国全体の機運は盛り上がりません。その認識が、安倍総理には強くあると思います。総理はコマンダー・イン・チーフ(最高指揮官)であると同時に、期せずして若者を応援する「チアリーダー・イン・チーフ」の役割を務めているわけです。 フィギュアスケートの羽生結弦選手に国民栄誉賞を授賞したのは、「若者を激励したい」と心から思っているからでしょう。2018年7月、国民栄誉賞の受賞式で安倍晋三首相(右)と談笑する羽生結弦(春名中撮影) 若者のみならず女性の活躍を政府が推進しているのも、男女のワークライフバランスを改善し、賃金の差別もなくして、若いカップルが子どもを産みやすくなる環境にしたい、という願いがあるからです。 一にも二にも経済を良くし、「未来は君たちの手で明るくできる」というメッセージを伝え、その後押しをすることが、安倍総理が選び取った役割なのだと思います。たにぐち・ともひこ 内閣官房参与。1957年、香川県生まれ、東京大学法学部卒業。日本朝鮮研究所(のちの現代コリア研究所)などを経て、84年、『日経ビジネス』誌編集部(日経BP社)に入る。同誌で記者、主任編集委員などを務めるかたわら、米プリンストン大学フルブライト客員研究員などを歴任。2005年、外務省に入省し、14年4月より現職。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。主な著書に、『通貨燃ゆ』(日経ビジネス人文庫)、『明日を拓く現代史』(ウェッジ)など。関連記事■ 篠田英朗と松川るいが激論! インド太平洋戦略VS一帯一路■ LGBTを政争の具にする「保守」と「リベラル」■ 「私が長官を撃ちました」 國松長官狙撃事件の真犯人は誰か

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    安倍3選、米への従属に邁進し有事に攻撃されるリスク懸念

    ベントが続きます。その間隙をぬって、安倍首相が憲法改正のための重要な一手を打つ可能性は否めません」(政治ジャーナリストの鈴木哲夫さん) 安全保障面では対米従属が続きそうだ。2018年9月、安倍首相との会談で、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長からの書簡を手にするトランプ米大統領=米ニューヨーク(共同)「安倍首相はアメリカから高額の武器や兵器を買ってトランプ大統領のご機嫌取りをします。今後もアメリカから独立するより、積極的に従属する道をひたすら歩むはず。仮に朝鮮半島で有事が起きれば、アメリカと一体化した日本は敵の攻撃にさらされる可能性が高い」(青木さん)関連記事■ 安倍3選 記者クラブの「官製スクープ」は鵜呑みにするな!■ 安倍首相の芸能界人脈 アグネス・チャン、松本人志ら■ 安倍首相お友達人脈格付け サシの食事→ゴルフ→焼きそば■ 安倍首相 メディア幹部と積極会食し巧妙に操縦、その参加者■ 政官財マスコミ 華麗なる安倍人脈大図解

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    竹中平蔵氏ら“第二官僚”の登場、要は総理のお友だち

    でしょう。片山:その感情は、左派やリベラル派への怨念としか形容できません。ファシズムの本質がエリート政治とするなら、ルサンチマンが原動力では弱いですね。現政権のファシズムも未完に終わる運命でしょうか。【PROFILE】かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究者。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『「五箇条の誓文」で解く日本史』。【PROFILE】さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。片山杜秀氏との本誌対談をまとめた『平成史』が発売中。関連記事■ 小泉純一郎氏、とにかく女の話しかできないと先輩が評す■ 安倍首相の「悪だくみ人脈」 始まりは昭恵さんだった■ 安倍首相「お友達人事」の明暗 日銀総裁人事と官僚論功行賞■ 安倍首相のお友達人事 守られる人と捨てられる人の境界線は■ 安倍首相お友達人脈格付け サシの食事→ゴルフ→焼きそば

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    いまも続く「ポッポロス」 「アベロス」起きる可能性は

    歴代首相のなかでもネット人気が高いのは、2009年に第93代内閣総理大臣に就任した鳩山由紀夫氏だろう。政界を引退したいまも、その再登場を望む声があがるほどだ。では、安倍晋三首相が自民党で総裁選に敗れたら、どんな反応が起きるのか。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が分析する。 * * * 自民党総裁選は安倍晋三氏の圧勝との見方が出ているが、安倍氏が負けた場合に喪失感を抱くのは誰か? 安倍内閣での入閣を目指していた議員や地元の支援者は当然ながら、案外「反アベ」の人々が脱力するのでは。アベは日本を戦前の状態に戻そうとする危険な独裁者であり、この人権蹂躙の政権を倒さぬ限り市民生活は暗澹たるものになる──。 これがこの5年8か月ほど彼らが主張してきたことであり、デモではアベの顔にヒトラー風のチョビ髭をつけたプラカードを掲げたり、アベの宴会芸用マスクをブルドーザーで潰すパフォーマンスをしたりする。ヒトラーと並ぶ悪党扱いをしてきたアベが消えた場合、「イシバ」とカタカナで呼んで悪党扱いするのもまだ想像できない。というか、毛沢東やスターリンや金正日はあまり悪党扱いしないんだよな、彼ら。 アベの反対の立場ではあるものの、ネットでは「喪失感」が過去に蔓延したことがある。それは、2009年9月から2010年6月まで首相を務めた鳩山由紀夫氏をめぐってのことである。 当時ネット上で鳩山氏はかっこうのオモチャだった。沖縄の米軍基地について「最低でも県外」と安易に言ったり、米・オバマ大統領と会ってもらえなかったり、中韓に対して媚びまくったりしたのだから、右派が強い傾向があるネットではそうなるのは自明だった。「宇宙人」や「ルーピー(バカ)」と呼ばれるほか、89歳の母親から弟の邦夫氏も共に合計42億円ずつの献金を受けていたことから「高額子ども手当」と揶揄された。鳩山氏の話題が出ると当時の2ちゃんねるでは、2ちゃんねる発のキャラ「やる夫」をベースとしたAA(文字を組み合わせて作る絵)が登場し、このAAに間抜けなことを言わせるのがブームとなった。インタビューに答える鳩山由紀夫元首相=2018年4月23日、東京・永田町の事務所(酒巻俊介撮影) 基本的な行動パターンは、親に甘え、自分では立派なことを言っていると思ってキリッとするも周囲は嘲笑しており、余計なことを閃き謎の行動力を発揮する、といったものだった。呼び名はルーピーに加え、鳩にひっかけて「ポッポ」もあり、散々バカにされた。だが、いざ同氏が「国民が徐々に聞く耳を持たなくなった」と辞任して菅直人氏が首相になると「ポッポロス」が発生した。 同年7月、2ちゃんねるに『鳩山前首相「“ぽっぽ帰れ”と言われた」』というスレッドが登場。応援演説に訪れた同氏に対してこうヤジが飛んだのだという。この時に書き込まれた意見には「菅なんかよりポッポの方が19倍マシ」「だんだん可愛そうになってきたwww」「いまさらだが、本当はいい奴かもとか思ってしまう」などが並び、「なにこのポッポ人気www」とまで書かれた。 8月第2週にも翁長雄志氏の逝去を受けての沖縄知事選候補に鳩山氏の名前が登場、という記事に対しては「面白そうやし出てほしいw」という声も出るなど、鳩山人気は相変わらずである。「ポッポロス」はまだ続いているが「アベロス」は今回はなさそうなので反アベ派にとっては闘志がかきたてられる材料が残り、案外良かったのでは。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■ 「戦後歴代最低の総理大臣」調査、3位は鳩山由紀夫氏■ 鳩山由紀夫氏が重慶爆撃を謝罪 中国人も「さすが宇宙人」■ “ポッポのスタンドプレー”が民主党内抗争激化させる可能性■ テキーラ40杯注文 米倉涼子と飯島直子がベロベロでAKB熱唱■ 1980年代の困った舅 ベロベロになりオシッコシャワー発射

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    憲法改正はタブー、反安倍カルトよりヤバい「増税ハルマゲドン」

    があることをにおわし、それをあおったマスコミの報道は、要するにこの政権の改憲志向を許容できない勢力の政治的な動きであったと思う。当面は、自民党総裁選や来年の参院選での安倍政権の終焉(しゅうえん)、百歩譲って首相の政治的求心力の低下を図るのが、この反安倍勢力の目指すところだろう。 取りあえず、総裁選は、安倍首相が3選を果たしたが、この総裁選を契機にして安倍政権のレームダック(死に体)化が始まるとする観測や、石破茂元幹事長の善戦をしきりに報道するメディアや識者が多い。それらは、実は総裁選前から仕込まれたネタでしかないだろう。つまり、「何が何でも反安倍」という価値判断から出てくるものでしかない。 こう書くと、反安倍系の人たちはすぐに「安倍擁護」「安倍御用」なる批判をするのであるが、筆者は、残念ながら安倍政権のマクロ経済政策の骨格に積極的評価を与えているだけである。政策ベースでの評価でしかないのに、それで「御用」と見なすならば、批判する側がカルト化しているだけだろう。 そんな良識もないままカルト化したり、そして特に確証もなくいまだにモリカケ問題の「疑惑」が解消されないと信じている世論が一部で存在している。反安倍系マスコミや識者の生み出した負の遺産は深刻である。 今回、筆者は安倍3選の報道を、少し空間的に距離を置いて台湾から見ていた。その台湾の蔡英文総統や米国のトランプ大統領らが、安倍3選にツイッターで積極的な賛辞を贈る中で、安倍政権に対する日本のメディアのゆがんだ報道にはやはりあきれ果てるしかなかった。2018年9月23日、ニューヨークでの夕食会を前にトランプ米大統領(右)の出迎えを受ける安倍首相(内閣広報室提供・共同) 総裁選前夜のテレビ朝日『報道ステーション』では、安倍政権への支持を占うには、党員票が55%を超えることが注目点であると、ジャーナリストの後藤謙次氏が発言していた。要するに、この55%を超えないと党員(世論の一部)と永田町(国会議員)の間に政治的意識の開きがあることになり、また石破氏の今後の政治生命にも関わるだろう、というのが報ステの伝え方であった。 ふたを開ければ、国会議員票は石破氏73票に対し、安倍首相332票と、首相の占有率は81・8%に上った。また、党員票は石破氏181票で、224票であった安倍首相の占有率は55・3%を占めた。この「党員票55%」というのは、安倍政権に批判的なマスコミや識者が設定した高めのハードルだったと思われる。 ところが、このハードルを安倍首相が超えても、日本のマスコミでは石破氏の善戦や、党員票獲得で首相側が苦戦したと伝えるものが多かった。客観的に見てもダブルスコアの得票差であり、まさに首相の地すべり的勝利と言っていい。改憲案に潜む「日本弱体化」 しかし、それを一切認めないのが日本のマスコミと、それに誘導されている世論の一部、特にテレビのワイドショーなどの影響を多く受ける人たちであろう。本当にあきれるばかりである。安倍政権を批判するならば、もう少し首尾一貫してほしいと思うのは筆者だけではないだろう。 さらに「安倍政権レームダック論」も根強い。これは総裁選前から筆者の周囲でも至るところで見かけた発言だ。それが、3選後にはマスコミでも積極的に取り上げられている。安倍政権への印象操作以外で「レームダック論」の真意を挙げるとすれば、やはり来年の参院選における与党敗北、そして憲法改正もできぬまま、安倍首相が退陣するというシナリオが前提になってのものだろう。本当に徹頭徹尾の世論操作である。 確かに、安倍首相が今回の総裁選で意欲を示していた憲法改正は、ハードルが極めて高い。演説で主張するのは簡単だが、まだどのような改憲案が憲法審査会に提出されるかさえも、はっきりしない。 安倍首相の演説だけを読み解くと、憲法9条に第3項を追加して自衛隊の存在を明記することと、教育の無償化がまず挙げられていた。しかし、自民党の改正草案には、財政規律の明示化など、筆者のような経済学者からしても無視することが到底できない条項が入っている。 これは財務省的な緊縮政策を志向する条項であり、防衛費も十分なインフラ整備や防災、教育支出さえも、この条項が入ることで大きな制約に直面するだろう。いわば「日本弱体化条項」である。このような経済関係でもトンデモ条項が入っているのだが、この草案をそのまま出すのか、それとも首相が総裁選で言及した項目だけなのか、それもまだ不透明だ。 さらに憲法改正には、憲法審査会による議決、国会での発議、そして国民投票が必要であり、これら一連の流れを考えても、やはり政治的ハードルが高い。具体的な動きも、早くて来年になる可能性が高い。 今までの反安倍マスコミのやり口では、憲法改正の議論を広く国民に訴えるよりも、何がなんでも言論封殺的な動きに出てもおかしくはない。その一端が、実はモリカケ問題であったはずだ。2018年9月、安倍首相が意欲を示す憲法改正を巡り、批判する立憲民主党の枝野代表 筆者は、憲法改正を政治の最優先課題にするには反対の立場である。だが他方で、国民が広く憲法改正を議論する意義はあると思ってもいる。当たり前だが、憲法改正が言論のタブーであっていいわけはない。しかし、それが長い間認められなかったのが日本のマスメディアの空間だった。 筆者は上記の通り、憲法改正を最優先する安倍政権の戦略は正しいものとは思えない。最優先すべきは、経済の安定と進歩である。これがなければ、どんなに憲法を変えてもわれわれの生活は貧しくなるだけである。 現状の日本経済を見れば、ようやくデフレ停滞の影響からほぼ脱した段階にある。これからが本当のリフレ過程になるのである。消費増税ハルマゲドン リフレ過程とは、バブル経済崩壊後の日本経済が失ってきた名目経済価値(代表的には名目国内総生産(GDP)の損失分)を回復するための動きを指す。具体的には、国民の一人ひとりの名目所得が、前年比4%以上拡大しなければならない。しかも、その期間は何十年にも及ぶものにしなくてはいけないのだ。 現状では、そのリフレ過程にまだいたっていない。金融緩和政策を主軸にし、積極財政政策でアシストすることで、このリフレ過程に乗せる必要がある。安定的にリフレ過程に乗せれば、マクロ経済政策の優先度は自然と後退していくだろう。だが、今の日本で政策優先度は第1位である。 そのためには、来年の消費増税について、事実上の凍結を狙うことが最優先であろう。だが、今のところ消費税凍結などの動きは、安倍政権には見られない。デフレ脱却完遂を目前にしながらの増税などという、緊縮政策への転換はどんな事態を引き起こすか、言うまでもないだろう。 ところで、最近「消費増税したら日本経済終焉=ハルマゲドン」という極端に悲観的なトンデモ論をよく目にする。この説がもし正しければ、税率を8%に引き上げた2014年4月で終焉していただろう。 もちろん、消費の大幅な落ち込みとその後の経済成長率の鈍化、インフレ目標達成の後退(金融政策の効果減退)が消費増税でもたらされたことは確かだ。しかし、この「消費増税したら日本経済終焉」論者たちは、その後も雇用改善が持続していることを無視しているか、「雇用改善は人口減少のおかげ」といったよくある別なトンデモ論を信奉しているだけである。 では、なぜ消費増税の悪影響が出ても、日本経済は「終焉」せずに、歩みが後退しながらも持続的に改善していったのか。その「謎」は、そもそも日本の長期停滞が日本銀行の金融政策の失敗によって引き起こされたことを踏まえていないからだ。 現状では、改善の余地は多分にありながらも、日銀の金融緩和は継続している。つまり、問題があるとはいえ、長期停滞脱出の必要条件を満たしている状況を、このハルマゲドン論者たちは見ていないのだろう。もちろん消費増税に筆者も全力で反対である。だが、それは消費増税を日本破滅のように信じている極端論者(それは事実上、金融政策を無視し財政政策中心主義に堕しているに等しい)とは一線を画すということもこの際、マイナーな論点だが注記したい。買い物客でにぎわう心斎橋筋商店街。2019年10月に予定される消費税率引き上げで、個人消費への影響が懸念される=2017年11月(門井聡撮影) では、消費増税をわれわれでは阻止することができないのか。そんなことはない。今の政治家やマスコミ、官庁もみなインターネット上の世論の動きを見ている。 例えば、官僚組織の一部では、識者のネット上の発言でリツイートの多いものを幹部で回覧しているという。彼らはネット世論を無視できないのだ。識者の発言へのリツイートや「いいね」をするコストなどないに等しいだろう。つまり、誰でも簡単に行うことができるレベルでも、国民が消費増税に抗する手段になるのである。

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    自民党総裁選がちっとも盛り上がらない

    戦後長らく自民党総裁選は権力闘争の頂点であった。その所以は、わが国のリーダーを決める事実上の首班選挙だったからである。安倍首相と石破茂元幹事長の一騎打ちとなった今回、党内には「安倍三選」ムードが蔓延し、国民の関心も低い。なぜこんなにも盛り上がらないのか。

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    安倍三選に支配された自民党の空気が「悪しき記憶」と重なる

    である」という理にのっとるならば、その「無難な判断」に走った岸田氏の姿勢は、「ポスト安倍」をうかがう政治家のものとして果たしてふさわしかったのか。少なくとも確実に指摘できることは、岸田氏は総裁選に出馬しなかったことによって、自らの政見を披露し、自ら「ポスト安倍」を担うにふさわしいということを世に認知させる機会を捨てたということである。 岸田氏に限らず、石原伸晃元幹事長や野田聖子総務相のように「ポスト安倍」として名が挙がる政治家も、同じ対応に走っている。自民党は、此度の選挙を「争論の舞台」としてだけではなく「『次代』のお披露目の舞台」としても実の伴ったものにしなかったわけだが、そのことの代償は、先々に大きなものになるのではなかろうか。「安直」や「安逸」の芽 第2次安倍内閣発足以降、自民党が5度の国政選挙に勝利を収めてきたことには、旧民主党内閣3代の政権運営への「悪しき記憶」が反映されている。むろん、民主党内閣3代の政権運営をネガティブ一色で語ることは、決して適切ではない。というのも、特に野田佳彦内閣下の安全保障政策展開には、安倍首相の再登板に向けて「下地」を作ったという側面があるからだ。 ただし、米軍普天間基地移設案件で「最低でも県外」を標榜(ひょうぼう)し、対米関係に無用の混乱を来した鳩山由紀夫内閣の対応、さらには東日本大震災や福島第1原発事故に際しての菅直人内閣の対応は、8500円前後から1万1000円前後で推移した日経平均株価が象徴する経済情勢に併せ、世に「混乱と停滞」を印象付けた。民主党内閣3代への「悪しき記憶」は、こうした「混乱と停滞」の印象と深く結びついている。 最も、こうした民主党内閣下の「混乱と停滞」の印象は今後、時間を経るに従って薄らいでいくのであろう。そのことは、「自民党に政権を委ねる必要性」が剝げ落ちていくことを意味する。 仮に今後、自民党内閣下の政権運営で「混乱と停滞」が生じ、それが民主党内閣下の「混乱と停滞」の印象を上書きするようなことがあれば、自民党が再び政権を失う光景も、現実のものになるかもしれない。自民党にとっては、民主党内閣三代の歳月の教訓とは、「自民党が何時でも無条件に政権を委ねられているわけではない」という一事に他ならない。 現下、「安倍晋三に任せるべきである…」というのは、国民各層の大方が受け入れる常識的な判断であるかもしれない。しかし、それが「安倍晋三に任せればよい…」といった姿勢に転ずるならば、そこに「安直」や「安逸」が生じるのであろう。自民党総裁安倍晋三選挙対策本部「発足式」で気勢を上げる安倍晋三首相(中央)=2018年9月3日午後、東京都千代田区(春名中撮影) 振り返れば、小泉純一郎内閣退陣以降、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の3代の政権樹立に際して、そのような「安直」や「安逸」を国民各層の大方が嗅ぎ取ったことにこそ、2009年の政権交代の遠因がある。今、安倍支持で大勢が決しつつある自民党の内に、そのような「安直」や「安逸」の芽が再び生じつつあるということはないのか。

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    「何も語らない小泉進次郎」総裁選の関心事がこれでどうする

    も今回ほど低調な選挙は過去に類を見ない。 始まる前から勝負がついてしまっている。まれにみる「茶番」に政治部の報道も低調だ。告示日前日、産経新聞は次のような分析記事を掲載している。 20日投開票の自民党総裁選は7日に告示される。産経新聞は投票資格を持つ党所属国会議員405人の支持動向を探った。安倍晋三首相(党総裁)が9割に迫る345人の支持を固め、石破茂元幹事長の50人に大差をつけている。国会議員票と同数の党員・党友票でも首相が6割前後の支持を集めているとみられ、首相の連続3選はほぼ確実な情勢となった。(産経新聞 2018.9.6) 過去の総裁選でも、圧倒的大差がついた例はある。 1956年の第一回自民総裁選では鳩山一郎に394票が集まり、2位の岸信介の4票とは、実に390票もの大差をつけている。 また、1957年の総裁選では岸信介が471票を集め、2位の松村謙三の2票に469票差をつけて雪辱を果たしている。 だが、これらは例外的だ。なにしろ、当時の総裁選は立候補制をとっておらず、前者は結党直後の現職総理だった鳩山を選出、後者は石橋湛山首相の倒れた直後の国会で首相指名を受けたばかりの岸を選出しており、それぞれが信任投票の意味しか持たない総裁選だったからだ。 こうした例を除けば、自民党総裁選は常に激しい権力闘争の歴史を持っていたとも言える。 1964年の総裁選の激しさはいまだ語り草になっている。ともに保守本流を自認する池田勇人と佐藤栄作が直接対決したこの選挙では、2・3位連合などが企図され、「実弾」も激しく飛び交ったという。そもそも、自民党総裁選は公職選挙法の規定外である。それゆえに、当時の金額で10億円とも15億円ともいわれる「実弾」、つまり裏金が各陣営の間を飛び交ったのだ。 激しい権謀術数(けんぼうじゅっすう)が渦巻き、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する永田町である。だからこそ次のようなエピソードも語り継がれることになる。 自民党の国会議員が、二つの派閥から同時に金をもらうことを「ニッカ」といい、同じく三派閥から同時に金を受けとることを「サントリー」、派閥や個人事務所も含めて4カ所以上から金をもらう場合は「オールドパー」といった。こうした隠語が生まれるほど、総裁選は「実弾」すら飛び交う、何でもありの闘いだった。池田勇人(自民党)首相による新内閣の記者会見=1964年7月 さらに、この1964年の総裁選では、佐藤派の田中角栄がぎりぎりになって池田派に寝返ったり、読売新聞記者の渡辺恒雄が、病床にいて面会謝絶中の大野伴睦(意識不明という説もあり)の「代弁者」として、池田支持を派閥に指示したりと、手段を選ばない陰謀も繰り広げられたことで知られる。安倍首相だけが原因ではない 1978年から導入された予備選は総裁選をさらに激しくさせることになった。現職首相の福田赳夫に対抗する大平正芳は、田中派の支援を受けて全国でローラー作戦を展開する。一方で、一般投票に絶対の自信を持つ福田は、自ら「予備選で100票差のついた場合は2位の者が辞退すること」とけん制したが、結果は皮肉なことに「天の声もたまには変な声がある」とセリフを残して福田が敗北することになる。 筆者は過去のこうした激しい総裁選にノスタルジーを抱いているわけではない。「勝てば官軍」がまかり通り、平気で金品が飛び交うような下品な政治の姿を求めているわけでもない。 旧田中派の議員秘書だった筆者自身の経験から「ローラー作戦」の凄さを誇っているわけでもない。もちろん過去の総裁選が健全だったと言うつもりなどない。 ただ、激しい権力闘争の陰には、政治に欠かせない人間ドラマや、見えにくいながらも政策論争が存在していたことを忘れてはならない。 外交、経済、金融、福祉、公共事業、米国など戦後日本の保守政治の基軸となる政策議論を盛んに行った。それは権力闘争の中にも、確実に散りばめられていたのである。果たして、今回の総裁選はどうか。権力闘争どころか、政策論争すらないことに危惧を覚える。 低調な総裁選は首相の安倍晋三だけが原因ではない。実は「何も語らない」ある人物の存在がこの選挙を低調にし、彼が口を閉ざせば閉ざすほど注目を浴びるという珍現象に起因している。 そう小泉進次郎である。彼が具体的なビジョンや姿勢を表明することなく、今回の総裁選のキーパーソンに祭り上げられているのは自民党にとって絶望的なことだ。 彼が何を考え、一体どういう政策を提示しているのか。それを説明のできる自民党員は多くはないだろう。また、彼は派閥を束ねるような政治力を持っているというわけでもない。少なくとも、彼の父である小泉純一郎は、派閥の領袖(りょうしゅう)を経験したし、旧大蔵族として財政投融資や郵政民営化などの政策を打ち出すなど、政治家としての顔がはっきり見えた。超党派議連の会合に臨む自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長=2018年7月12日、国会 では、メディアが祭り上げる小泉進次郎がいったい何をしたのか。まったくバカげた話である。自民党総裁選の低調ぶりは、国の停滞も呼び込んだに等しい。 政治はしょせん権力闘争である。その権力闘争もできない自民党に未来はないだろう。

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    名門派閥に泥塗った岸田氏 「首相禅譲」の望みは不出馬で絶たれた

    。 一方、安倍首相の有力な対抗馬とみられていた岸田文雄政調会長は、結局不出馬となった。岸田氏は「今の政治課題に、安倍首相を中心にしっかりと取り組みを進めることが適切だと判断した」と不出馬の理由を語った。 当初、岸田派「宏池会」内は、若手を中心に出馬を促す「主戦論」と、ベテランを中心に今回は出馬せず、次回の総裁選で安倍首相からの禅譲を目指す「慎重論」で割れていた。そのような状況の中で、岸田氏は総裁選に出馬するかを慎重に検討してきた。 結局、自民党内に「安倍首相は余人をもって代え難し」という「空気」が広がる中、勝機が全く見えないことから、勝てない戦を避けて、安倍首相からの将来の「禅譲」に望みを託すことに決めた。 岸田氏が領袖(りょうしゅう)を務める宏池会は、吉田茂元首相の直系の弟子である池田勇人元首相によって創立されて以来、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一と4人の首相を輩出し、河野洋平、谷垣禎一と野党時代の総裁も2人出している。経済政策通の池田氏と、彼を取り巻く官僚出身議員を中心につくられ、「軽武装経済至上主義」を掲げて、高度経済成長を成し遂げた。長く自民党長期政権の中核を担ってきた伝統から、「保守本流」の名門派閥とみなされてきた。自民党総裁選挙への不出馬を発表する岸田文雄政調会長=2018年8月24日(春名中撮影) 自民党が下野していたときも、野田佳彦政権(旧民主党)が実現した「税と社会保障の一体改革」の民主・自民・公明の「3党合意」を主導したのは、自民党の谷垣総裁(当時)だった。経済通がそろう宏池会で育った谷垣氏は、若手のころから財政再建の必要性を訴える「財政タカ派」のリーダー的存在であった。総裁時代には、民主党政権のマニフェスト政策の完全撤回を要求する「強硬路線」を突き進んでいたが、消費増税の必要性には理解を示していた。 谷垣氏は、野田首相と極秘会談し、消費増税について「協調路線」にシフトした。民主党と自民党は、社会保障政策の考え方が大きく異なっていたが、考えの異なる点については「社会保障制度改革国民会議」を設置して議論することを提案するなど、谷垣総裁は野田首相に「助け舟」を出したのである。 国会論戦では、かつて「自社さ連立政権」時代に一緒に税制改革に取り組んだことを例に挙げて、「あなたたちの先輩は、税制改革実現のためにもっと汗をかいていた」と、民主党を厳しく諭し、合意形成に導いた。 結局、3党による消費増税のコンセンサスが形成されることになり、民主党の分裂騒ぎがありながら、消費増税関連法案は圧倒的多数で可決された。実に国会議員の約8割が賛成する「大政翼賛会」並みの大規模な合意形成を実現した立役者が、谷垣総裁だったのだ。 だが、「税と社会保障の一体改革」は第2次安倍政権の登場後に頓挫した。安倍首相は最初の組閣・党役員人事で、谷垣前総裁を法相、伊吹文明元財務相を衆院議長、石原伸晃前幹事長を環境相に起用するなど、3党合意を主導した谷垣執行部の幹部を経済政策「アベノミクス」の意思決定から排除したのである。 宏池会のホープだった岸田氏を外相に起用したのも、安倍首相が岸田氏を「盟友」と信頼する一方で、財政再建派として警戒し、アベノミクスに関与させない意図があったかもしれない。 逆に、安倍首相は3党合意から外されていた麻生太郎元首相を副総理兼財務相に、甘利明氏を経済再生相に起用した。また、経済学界では少数派にすぎなかった「リフレ派」の学者や評論家たちが、首相官邸に経済ブレーンとして招聘(しょうへい)された。アベノミクス「狂騒」の後 安倍首相は、明らかに3党合意には冷淡だったといえる。3党合意で決まっていた消費増税は、2014年4月の5%から8%への引き上げこそ予定通り実行したが、10%への引き上げは2度も延期を決断した。 また、3党合意では、増税分で得られる14兆円の新たな財源については、財政再建に7・3兆円、社会保障関連費に2・8兆円、基礎年金の国庫負担引き上げに3・2兆円と使途が決められていた。 だが、安倍首相は19年10月に、延期されてきた消費増税を予定通り実行する代わりに、その使途を広げて「教育の無償化」に充当する意向を示した。そして、その財源は財政再建に充てる予定の財源を削って捻出するとした。これは、「財政再建を放棄して新たなバラマキをする」という宣言だといえる。安倍首相は「3党合意」を事実上ほごにしたのだ。 安倍首相がアベノミクスを力強く推進し、「狂騒」といっても過言ではないほどの高い支持を得た一方で、3党合意が次第に無力化していったとき、宏池会領袖の岸田氏は何をしていたか。12年12月から17年8月まで、戦後では在職期間が歴代2位となる長期にわたって外相を務めたときはもちろんのこと、その後政調会長に転じてからも、岸田氏が明確に「アベノミクス」を批判したのを聞いたことがない。 前述の通り、岸田氏は総裁選不出馬を表明し、「今の政治課題に、安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進める」と宣言した。「今の政治課題」に、経済財政政策や社会保障政策は当然含まれる。 かつて、宏池会が中心となって実現した「税と社会保障の一体改革」の3党合意をほごにして進められているアベノミクスに、挙党態勢で全面的に協力すべきと、岸田氏は主張したのである。 岸田氏は、本音では安倍政権下で財政再建が遅れていることについて、いろいろと思うことはあるはずだ。だが、安倍首相からの「禅譲」を期待して、それを封印し続けているのだろう。しかし、岸田氏の思いに対して、安倍首相は冷淡である。自民党の地方議員研修会後の懇親会で談笑する岸田政調会長(左)と安倍首相=2018年4月、東京都内のホテル 岸田氏の総裁選不出馬表明が、安倍首相の出身派閥である細田派、そして麻生派、二階派が支持表明した後になったことは、岸田氏の迷いを示している。だが、安倍首相側から「いまさら支持するといわれても遅すぎる」と言われてしまった。総裁選後の人事で岸田派が冷遇される可能性が出てきた。 戦後政治の歴史を振り返れば、かつて宏池会会長だった前尾繁三郎元衆院議長が、1970年の佐藤栄作元首相による佐藤4選の総裁選で、「人事での厚遇」の密約を理由に不出馬を決めたが、結果的に佐藤氏に約束をほごにされ、派内の反発を買って宏池会会長の座を大平正芳元首相に譲らざるを得なかったという、「宏池会会長交代事件」があった。岸田氏も、総裁選後の人事で冷遇されれば、首相の座を禅譲してもらうどころか、派閥の領袖の座から引きずり降ろされるかもしれない。 岸田氏がアベノミクスに対する批判を封印し、全面協力を決めたことは、単なる一人の政治家の個人的な判断を超えた、深刻な影響を今後の日本政治に与えかねない。 安倍首相は常々、「アベノミクス、この道しかない」と主張している。しかし、筆者はこれまで、一貫してアベノミクスを徹底的に批判してきた。アベノミクスとは、実はつぎ込むカネの量が異次元だというだけで、実は旧態依然たるバラマキ政策である。アベノミクスの円高・株高で恩恵を受けるのは、業績悪化に苦しむ斜陽産業ばかりで、新しい富を生む産業を育成できていないからだ。 政権発足から6年になろうとしているが、いまだに政権発足時の公約である「物価上昇率2%」は実現できず、経済は思うように復活していない。バラマキ政策とは「カネが切れると、またカネがいる」だけで、効果がさっぱり上がらないものだ。アベノミクスも、異次元緩和「黒田バズーカ」を放って、効き目がなければ、さらに「バズーカ2」を断行し、それでも効き目がないのでマイナス金利に踏み込んでいる。補正予算も次々と打ち出されている。まさに、「カネが切れるとまたカネがいる」の繰り返しではないか。昔ながらのバラマキ政策と何も変わらない。ただ、そのカネの量が異次元というのが、アベノミクスの本質であるということだ。 そして、なにより問題なのは、「アベノミクス」という安倍首相の名前をつけた経済政策であるため、その間違いを認められなくなっていることではないだろうか。例えば、日銀は7月31日の金融政策決定会合で、「フォワードガイダンス」と呼ばれる将来の金融政策を事前に約束する手法を新たに導入し、「当分の間、現在の極めて低い長短金利の水準を維持する」こととした。批判を許さない空気 しかし、今回の政策変更の真の目的は、「金融緩和の副作用」を和らげることだという。インフレ目標である物価上昇率2%の達成が早期に難しくなり、金融緩和の長期化が避けられないことから、金融機関の収益の低下や、国債市場での取引の低調といった副作用が生じているとの声が高まっており、これに日銀は対応せねばならなくなったのである。 今回、2%物価目標について、物価上昇率見通しを引き下げたことで、少なくとも2020年までは2%目標を達成できそうにないことが明らかになった。要するに、物価目標は事実上放棄されたということである。これは、日銀の実質的な「敗北宣言」のように思える。 ところが、黒田東彦(はるひこ)日銀総裁は「『長短金利操作付き量的・質的金融緩和』の持続性を強化する措置を決定した」と記者会見で述べ、あたかも新たな手を打ち出したかのように見せようとした。「異次元の金融緩和」がより強化されるという印象を与えようとしているのだ。 要するに、日銀は詭弁(きべん)を弄(ろう)してでも、かたくなに「敗北」を認めようとしないのである。そして、日銀だけではない。多くの政治家や学者、評論家の口から出る、首相に恥をかかせないためのさまざまな詭弁が横行している。例えば、単に人口減で労働力が減っているだけなのに「人手不足は経済成長しているからだ」と言ったり、派遣労働者が増えているだけなのに、雇用が拡大していると強弁するなどしている。 それは、アベノミクスという「首相の名前」がついた政策であるために、その過ちを認めることは、首相に恥をかかせるからではないだろうか。これでは、神格化された独裁者を守るために、都合よく事実が曲げられる、どこかの全体主義国家の「個人崇拝」と変わらないように思える。 そして、財政再建の必要性を認識し、明らかにアベノミクスに対して批判的であるはずの宏池会領袖の岸田氏が、言いたいことを封印してアベノミクスへの無批判な支持を表明した影響は大きい。安倍首相の軍門に下ったような印象を国民に強烈に与えることになり、アベノミクスに対する「批判を許さない空気」を、一挙に日本社会全体に拡散することになってしまったのではないだろうか。 だが、いくらアベノミクスへの批判が許されない「空気」が広がっても、「カネが切れたら、またカネがいる」のバラマキ政策であることは間違いないのだから、いつまでも続けられるわけがない。ましてや、その規模が異次元であれば、その被害も甚大なものとなろう。安倍政権は、何が何でも東京五輪までは経済を維持しようとするだろう。政治家や官僚、学者、評論家、メディアは、それに疑問を感じても、物申すことなくアベノミクスを礼賛し続けるのだろうか。だが、五輪後には必ずや大きな反動がやって来る。株価の下落を示す掲示板=2018年7月、東京都内 その時、アベノミクスを支持していた人たちは、安倍首相とともに総退陣していただくしかないだろう。本来であれば、「税と社会保障の一体改革」の3党合意を推進し、財政再建に取り組むはずの宏池会が、アベノミクス後を見据えた政策スタンスを掲げるべきである。だが、派閥領袖の岸田氏自身が「アベノミクスを支える」と宣言してしまっている以上、安倍首相と心中するしかなくなってしまうだろう。 アベノミクス後の経済政策は誰が担い、どんな政策になるのだろうか。ただ、実際に起こることはそれどころではなく、日本は経済的にただの焼け野原のようになり、政策がどうだと論じる余裕などなくなるのかもしれない。 さまざまな政治体制の中で、民主主義だけが持っている利点は、「学習」ができるということである。民主主義には多くの政治家や官僚、メディア、企業人、一般国民などが参加できる。選挙などのさまざまな民主主義のプロセスにおいては、多様な人々による、多様な考えが自由に示され、ぶつかり合う。時には、為政者が多くの国民の反対によって、自らの間違いに気づかされることがある。一方で、国民自身が自らの誤りに気づいて、従来の指導者を退場させて、新しい指導者を選ぶこともできる。 他方、民主主義の対極にあるのが全体主義であろう。よく、「国家の大事なことはエリートが決めればいい。民主的な選挙に委ねるのは間違い」という主張があるが、正しいとは思わない。エリートは自らの誤りになかなか気づかないものである。たとえ誤りに気付いても、素直に認めない。いや、認めようとしない。データや文書を改竄(かいざん)するなどして、それをなかったことにしてしまう。 そして、エリートに対する批判を許さず、エリートへの「個人崇拝」を国民に求めるようになる。エリートを批判する者が現れれば断罪する。しかし、そんな全体主義は長くは持たない。間違いを間違いではないように操作し続けても、いずれつじつまが合わなくなって、体制は不安定化する。 全体主義では、エリートの失敗を改めるには、政治や社会の体制そのものを転覆するしかない。それは、大変なエネルギーを必要とするし、国民の生活は崩壊してしまう。かつての共産主義国など、エリートがすべてを決める全体主義の国はほとんどが失敗したが、当然のことである。 何度でも強調するが、民主主義の最も良いところは、すべての国民がお互いに批判できる自由があり、間違いがあればそれを認めることができることだ。多彩な人たちの多様な考え方が認められているから、一つの考えが失敗しても、また別のアイデアが出てくる。政治や社会の体制を維持し、国民の生活を守ったまま、為政者の失敗を修正できるのである。 アベノミクスという首相の個人名がついた政策が、「批判を許さない空気」を社会に広げていくことで、戦後日本が守ってきた民主主義が崩壊しないことを祈りたい。

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    「アベ栄えて国滅ぶ」面従腹背の自民党議員よ、今こそ声を上げよ

    が及ぶと考えた結果、現在のような「安倍一強」になっているだけではないのか。 国民のために尽くすことが政治家としての最大の任務だと考えるのであれば、そして自民党がその名が示すように自由と民主主義を尊重する政党であるというのであれば、総裁選に打って出る候補者がもっと出現し、かつ活発な政策論議が行われなければおかしい。 少なくとも、一人でも多くの総裁候補が現れ、政策論争が展開されるのであれば、自民党員だけではなく、一般国民の中にも自民党の政策に関心を示す人が増えるはずだ。 だが、現状は首相自身がそのような政策論争を極力避けているようにしか見えない。それどころか、政策論争には関係なく、総裁選で圧勝すべく議員に「誓約書」を書かせることばかりに専念しているようだ。 安倍首相は、総裁選での勝利は間違いないと言われているにもかかわらず、なぜそこまで圧勝することにこだわるのか。その理由はひとえに森友・加計疑惑を過去のものとして葬り去りたいからだろう。自民党総裁選の立候補者討論会に臨む安倍晋三首相(左)と石破茂元幹事長=2018年9月14日、東京都千代田区・日本記者クラブ(納冨康撮影) しかし、政策論争抜きで単に圧勝を目指す首相の姿勢は、国民をしらけさせるだけである。だとしたら、総裁選によって政治家としての命は長らえるであろうが、自民党という政党は国民からますます遠ざかってしまうに違いない。 そして、そんな首相をリーダーの座に据えるわが国の国力は低下の一途をたどるだけではないだろうか。要するに、「アベ・シンゾウ」を守るために自民党、あるいは日本全体が犠牲になっているとしか思えないのである。

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    安倍晋三vs石破茂、結局は森vs青木 だからつまらん

    共産党)の筆坂秀世氏(70)らが、なぜ総裁選がつまらないのかについて語り合った。村上:前はもっと今の政治に怒りがあったんだけど、最近は総裁選と聞いても、カリカリすら来ないんだよ。興味を失った。自民党員のなかでは安倍支持が80%というけど、そんな高い数字が示すような熱気なんて国民の間にまるで感じないよ。筆坂:ホントそう。国民の関心はほとんどゼロ。村上:自民党総裁選というのは、次の日本を背負っていく人を選択する選挙なんだよ。どうしてこうなった。筆坂:総裁選は自民党にとって活力の源でしたよ。派閥が健在だった時代は、派閥の力を試す場だった。派閥の領袖こそが本来は総裁選を戦う候補のはず。 だけど、今の自民党の派閥トップで総裁狙っているの何人いる? 細田(博之)さんなんてまるっきり狙っていない。あれは今でも実質、森(喜朗)派ですよ。細田派のある議員から聞いたけどね、今でも森さんは派閥の会合にときどき顔を出すんだけど、そのときが一番空気がピーンと張り詰めるんだって。ふだんは緩んでるのに。平野:いまだに“森一強”なんですよね。筆坂:“東京2020一強”なんだよ。村上:そうそう。平野:そもそも森政権を作ったのは誰だって話になるからやめましょう(笑い)。村上:オレかっ!筆坂:いやいや、そういうことじゃなくて。二階(俊博)さんだって派閥のトップだけど、総理を目指していない。幹事長を握っていればそれでいいわけで。村上:石原(伸晃)派だって、相変わらず山崎(拓)派だよ。竹下派が復活したけれども、あれも青木(幹雄)派だ。筆坂:そう、青木派。安倍vs石破だって結局は森vs青木でしょう。 私は自民党の責任は重大だと思っているの。政権争いする野党がいないんだから、疑似政権争いを自民党の中でやるしかないのに、それを放棄したら政治に活力なんか生まれない。森喜朗首相(当時)と青木幹雄官房長官(左)=2000年5月、東京都(小松洋撮影)平野:今回の総裁選は面白くなりそうだったんです。岸田(文雄)さんは憲法九条を守ると言っていたから、自民党内で議論が起きるかと期待していたんですが、結局、安倍さんに折伏された。宏池会はこれでお終い。村上:岸田は禅譲を狙ったんだよ。筆坂:禅譲なんかないよ。権力の座というのは闘って奪い取るものなんだよ。村上:その通り。今まで禅譲なんて一度もなかった。平野:岸信介さんは日米安保改定に協力する見返りに、大野伴睦、河野一郎、佐藤栄作に順に政権委譲すると約束した。確認文書に児玉誉士夫が裏書きしてね。筆坂:あった、あった。だけど、そんなのどっかいって後継は池田勇人さんになった。佐藤栄作さんも福田赳夫さんに禅譲しようとしたけれど、角福対決で角さんが勝ったわけじゃない。平野:禅譲なんて幻ですよ。関連記事■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ 進次郎氏の嫁探し 条件の一つは「昭恵さん的な発言をしない」■ 平野貞夫氏が安倍首相を「内乱予備罪」で告発した理由■ 石破茂氏の妻 最初のプロポーズを断った過去とその理由■ 政官財マスコミ 華麗なる安倍人脈大図解

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    安倍首相への評価「嫌われるほど大した政治家ではない」

    、田中角栄が典型的だけど、日本列島改造みたいに積極的に何かをやろうとするために時には悪役も引き受ける政治家がいた。幼い頃から新潟が雪に埋もれて忘れ去られていることへの怨念があって、好きな人はものすごく好きだし、嫌いな人はめちゃくちゃ嫌う。安倍の祖父の岸信介だって、60年安保で全学連に「殺す」って言われて、実際に右翼には太ももを刺されるほど憎まれたわけでしょう。 だけど、安倍の場合は、自慢できるのは血統ぐらいしかなくて、はっきり言って嫌われるほど大した政治家ではない。だから何かで底上げしてやらないと、憎む対象にすらならないんだ。中川:なるほど。素っ頓狂な昭恵夫人に、お友だちの籠池理事長と教育勅語をセットにして、ようやく嫌いになれるってことですね。「安倍嫌い」こそ最強の味方?呉:金丸(信)の金の延べ棒や田中角栄のロッキードなんかに比べたら悪行のスケールが全然小さいから、“忖度”みたいな茫漠した周囲の空気も含めて「安倍」にしないといけない。中川:「ヒトラーの再来」とか言うけど、そんなわけないだろうって。呉:小泉(純一郎)ならまだしも、安倍にヒトラーほどの大衆扇動能力があるわけがないだろう。中川:盛り上げるためにとにかく巨悪に見せかけようとするわけですよ。国会前で太鼓叩いてドンチャン騒ぎして。こいつらより安倍のほうがまだマシじゃんって思っちゃう。呉:あの人たち、昔と言っていることがまったく同じで、「軍靴の響きが聞こえてくる」とか、それこそ60年前、朝鮮戦争の頃から言っているけど、どんどん戦争から遠ざかっているじゃないかって。中川:デモの力で政治を変えようと言い続けて、何の成果も出ていない。あの、どうしようもないほどバカな杉田水脈のLGBT発言(*)にしても、安倍はLGBTを差別する発言なんてしたことないのに、「安倍の弟子っぽいヤツが言っているぞ」と無理やり反政権デモに利用している。何も学ばず同じことを続けているという意味では、彼らのほうが保守かもしれない。【*自民党の杉田水脈・衆院議員が月刊誌『新潮45』8月号で、「同性カップルは生産性がない」などと寄稿し批判を浴びた】「お前が国難」「安倍首相を応援しよう」のプラカードを掲げる聴衆=2017年10月18日午後、東京都豊島区(松本健吾撮影)呉:政権だってこんなの敵とも思っていない。むしろ日本は意見が自由に言える国だというアピールになると思っているんじゃないか。中川:安倍ぎらいこそ安倍一強の最強の味方ですね。【PROFILE】◆くれ・ともふさ:1946年生まれ。評論家。日本マンガ学会理事。8月に本誌連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)を刊行。◆なかがわ・じゅんいちろう:1973年生まれ。ネットニュース編集者。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)など。関連記事■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ 政官財マスコミ 華麗なる安倍人脈大図解■ 進次郎氏の嫁探し 条件の一つは「昭恵さん的な発言をしない」■ 美人妻が語る石破茂氏 肩身が狭そう、娘に冷たくされる■ 麻生氏が「悪いのは昭恵だろう!」と怒鳴る声が役人に話題

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    なぜ今、サマータイム導入なのか

    最高気温が40度を超えても、さほど驚かなくなったのは気のせいか。こんな猛暑の国で2年後には真夏の五輪が開催される。さすがの政府も、サマータイムの導入を本気で検討し始めたようだが、国民生活への影響が極めて大きいこの議論を拙速に進めてホントに大丈夫か?

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    サマータイムが「東京五輪のレガシー」とは安易すぎやしないか

    舛添要一(前東京都知事) 2020年東京五輪組織委員会の森喜朗会長が、暑さ対策として時間を2時間早めるサマータイムの導入を提案し、安倍晋三首相に直談判したことから、大きな話題になっている。賛否両論が沸騰しているが、今のところ反対論の方が多いようである。 それにしても、今年の夏の暑さは異常である。日本だけではなく、地球全体がそうであり、世界各地で山火事や熱中症による被害が多発している。 2年後の東京五輪でも同じような猛暑となれば、マラソンや競歩など、屋外競技は選手にとっても観客にとっても過酷なものとなる。インターハイ出場の陸上競技選手経験者としては、参加したくない大会である。 今年のような猛暑でなくても、日本の夏は高温多湿でスポーツに適していない。私は若いころ、欧州諸国に留学したが、地中海性気候で夏は高温でも乾燥しており、木陰に入ると涼しく、エアコンなどは必要なかった。日本で言えば北海道のような気候である。もっとも、北海道も欧州も、最近の猛暑にエアコン需要が高まっているらしい。 身体が欧州の気候に順応して帰国したので、日本の夏の高湿度は耐えがたかった。40年前の話である。 その後の地球温暖化を考えると、事態はもっとひどくなっており、夏休みに観光で日本を訪れる欧州の人々は驚いているのではないか。フランス人観光客は「日本は熱帯か」と嘆いていたが、私の個人的体験から言うと、いまアジア大会が行われている熱帯のジャカルタの方が過ごしやすい。 実は、2014年10月に、森会長は講演で「一番暑いときにマラソンをしたら倒れる人がいっぱいいるんじゃないか」と懸念を示し、安倍首相に会った際に「思い切って2時間くらいのサマータイムをやったらどうか」と伝えたという。これに対し、安倍首相は「なるほど、考えておく。しかし役所は反対するんだよな」と答えたと報じられている。 このサマータイム提案に対しては、反対意見が続出したという。当時、私は都知事であったが、この森発言報道の記憶はないし、森会長とサマータイムについて議論したこともない。2018年8月、首相官邸を訪れた東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長(中央左)らと談笑する安倍首相(同右) ただ、マラソンが厳しい気象条件下で行われることについては危惧しており、朝5時よりも前にスタートすべきだと周囲にはいつも話していた。しかし、2016年6月に都知事を辞任したので、その後この件について、後任の小池百合子知事がどのような采配をしたかはつまびらかでない。 とまれ、夜明けとともにマラソンがスタートということについては、森サマータイム案も私の案も同じことになるが、実は大きく異なる点がある。「森案」と「舛添案」の違い 第一は、菅義偉(よしひで)官房長官が言うように、サマータイム案は「国民の日常生活に影響が生じ、大会までの期間が2年と限られている」という問題がある。私は、国際大学グローコムの教授時代に、コンピューターの2000年問題に取り組んでいたが、技術的に大変な難問であり、多くの時間とコストを費やしたことをよく覚えている。 サマータイムとなると、各家庭で時間合わせをする手間だけでも大変である。だが、それに見合うだけのプラスが得られるかということになると、否定的にならざるを得ない。 私が欧州に滞在していた40年以上前は、今ほどコンピューター社会になっておらず、IoT(モノのインターネット)などの発想もなかった。サマータイムを経験しながら、要するに、電気のなかった昔のように、夜明けとともに起きて仕事をするのだと思ったものである。夜も早く就寝するので、照明用の電気代が節約できてよかった。 また、長期休暇が日常化している欧州では、仕事を終えた後、明るい夕方をレジャーなどに有効に使えるので、楽しい思い出もたくさんできた。手間といえば、家に2、3個あるアナログ時計の針を動かすだけであった。 しかし、今では家の中にあるデジタル化された家電製品の時間調整だけでも大変な作業である。社会全体では、交通機関や生活インフラなどの時間調整に膨大なコストがかかるであろう。 サマータイムの本家本元の欧州では、健康障害などのマイナスが大きく、省エネ効果もほとんどないということで、廃止論が高まっている。コンピューター化、エアコンの普及によって、私が若いころのような「電気代の節約」という根拠がなくなったと言ってもよい。 このように考えてくると、サマータイム導入に軽々に賛成するわけにはいかなくなる。 第二の問題は、ゴールデンタイムを狙ったテレビの放映時間である。マラソンのスタートを、東京で午前7時にすると、ニューヨークは午後6時、ロサンゼルスは午後3時、ロンドンは午後11時開始になる。 もし、2時間早めて午前5時にするなら、それぞれ、午後4時、午後1時、午後9時となる。どちらがよいかは、各地の視聴率にもよりけりであるが、国際オリンピック委員会(IOC)が午前7時に決めたのは、その要素を勘案した上でのことだと思う。2018年8月、猛暑の中、皇居(こうきょ)の近くを走るランナー。政府などが暑さ対策でサマータイムを話し合っている 1984年のロサンゼルス五輪から、商業主義を五輪に取り入れたため、今では五輪収入の半分を放映権に依存するようになっている。極論すれば、競技日程もテレビ局の都合次第ということになる。 森会長のサマータイム案だと、東京が午前5時になっても、ニューヨーク午後6時、ロサンゼルス午後3時、ロンドン午後11時は、そのままである。私の案では、さらに2時間の時差が生じてしまう。IOCとのトラブルを避けようとすれば、森案の方がよいことになる。ところで小池さんとの関係は? 7月27日、森会長は安倍首相を首相官邸に訪ね、「2020年に限ってでも良いのでサマータイムを導入する法改正を検討してほしい」と申し入れた。その後、8月7日に、森会長は遠藤利明組織委副会長、林芳正文部科学相、鈴木俊一五輪相らと官邸を再訪し、安倍首相に正式に申し入れを行った。これに対して、安倍首相は自民党内で検討するように指示したという。 申し入れの席で、森会長は「地球環境をどう維持するかという大きな見地に立ち、五輪を日本のレガシーとして使ってほしい」と述べたという。27日の提案以来、サマータイム反対論が続出したため、「五輪のレガシー」というロジックを使ったのであろうが、やはり「五輪の暑さ対策」のためという「にわか仕立て」の印象がぬぐえない。 「2020年限り」から一気に「レガシー」、つまり永続的にという飛躍には多くの国民がついていけないのではあるまいか。しかも、先述したように、欧州では廃止論が強まっているという報道が相次ぎ、サマータイム導入論は風向きが悪くなっている。 ところで、五輪反対派を説得するために、これまでさまざまな論理が使われてきた。1964年の東京五輪のように、戦後復興、経済成長をうたうのは、発展途上国で開催する場合の常套(じょうとう)手段であった。ところが、開催費用の高騰で先進国以外の開催が難しくなると、この論理は使えなくなる。そこで、2012年のロンドン五輪で「レガシー」というスローガンが導入されたのである。 私は、都知事のとき、海外で「1964年は新幹線を残した。2020年は何をレガシーとして残すのか」という質問をよくされたが、私は「水素社会」だと答えていた。しかし、電気自動車が主流になり、水素自動車の普及が遅れている今日、この答えのままでよいのかと自問している。 このように、「レガシー」という言葉で五輪の目的を定めるのは、実は難しいのである。新幹線や首都高速道路といったハードの公共財については分かりやすいが、サマータイムをレガシーとするという考え方は安易にすぎる。2018年7月、東京五輪・パラリンピックのマスコットデビューイベントに出席した森喜朗組織委会長(左)と小池百合子東京都知事(飯田英男撮影) また、8月7日の首相官邸での森・安倍会談をテレビニュースで見ていて、実は不思議に思ったことがある。それは、小池知事が同席していなかったことである。「五輪の暑さ対策」という重要な問題を首相と正式に議論するのに、開催都市である東京の知事が参加しないでよいのであろうか。 森・小池の関係が悪いのか、小池知事がサマータイムに反対なのか、理由は分からないが、サマータイムについて小池知事の考えが全く聞こえてこない。組織委と東京都がこのような関係で、果たして東京五輪は問題なく実行できるのであろうか。 私が都知事のときは、意見の相違があると、正面から森会長に直言した。森会長は「生意気な奴だ」と思ったであろうが、理のある意見はきちんと受け入れてくれた。 五輪も人間が運営するものである。2020年大会の成功のためにも、組織委と東京都、森会長と小池知事の意思疎通が円滑になることを期待している。

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    デメリットはあれど、サマータイムはやはり導入すべきである

    伊藤元重(学習院大学国際社会科学部教授) 日本にサマータイムを導入するべきである、という議論は随分昔からあった。議論が少しは盛り上がることもあったが、その都度賛成と反対のさまざまな議論が出てきて、いつの間にか議論がしぼんでしまう。国内に賛成と反対の意見があり、どちらもそれほど強力な意見ではない時、今の制度を変更することは難しい。サマータイムの制度とはそういったものなのかもしれない。 後で理由を述べるように、私は日本がサマータイムを導入することには賛成の立場だった。今でもそうだ。ただ、経済学者としては、サマータイムの是非よりももっと重要な政策問題がたくさんあった。マクロ経済政策、財政問題、社会保障制度、貿易摩擦、規制改革などの問題だ。そうした問題を差し置いて、サマータイムの論議に情熱をつぎ込むことはできない。 これは賛成の立場であっても反対の立場であっても、同じことだろう。日本にとって最重要な課題でもない中で、メリットとデメリットがある制度変更を、あえて断行するということにはなりにくいのだ。 そうした中で、最近の異常とも言える猛暑と2年後に迫ったオリンピックの開催がきっかけとなり、日本でサマータイムの問題が再度盛り上がっていることは興味深い。この論議の行方は分からないが、なぜ私がサマータイムに賛成の立場か、改めて整理してみよう。 私が初めてサマータイムを経験したのは、23歳の時、留学先の米国であった。その時の印象は、不思議な生活感覚であるということだ。朝から夕方6時ぐらいまで忙しく大学院生の課題をこなして、夕方になってもまだ日が高いところにある。それから9時近くまで明るい。友人とバーベキューパーティーをやったり、公園の中をゆっくり散歩したりした。なんだか1日が倍になったような得をした気分だった。 夏の日の出は早い。それに合わせて起きるように生活を変える。日の出とともに起きるような生活をすれば、明るい日差しの中で夕方の時間を有効に使えるし、それだけエネルギーの節約になると、その時に知った。確かに夕方以降の照明の電気コストが節約できるようだ。「これがサマータイムの時計よ」と子供が指差す1時間早い時計(右)と標準時の時計=2004年7月21日、札幌市 日本の猛暑への対応ということでは、サマータイムの制度は効果がない、という意見もある。朝早くから活動を開始するのはよいとして、夕方になってもまだ日が高く、冷房費がかさむのでは効果が少ないという意見だ。そのような面はあるかもしれない。ただ、サマータイムは7月と8月だけではない。米国のように3月の中旬から11月初旬までとするなら、期間全体としての省エネ効果は大きい。日本は先進国か、途上国か 日本が地球の環境問題にどのように取り組むのかという姿勢を明確にするためにも、サマータイムを導入することのメッセージは大きい。オリンピック開催のレガシーとすることができるのなら、それも好ましいことである。 サマータイムにすると、日が高い分だけかえってダラダラ長く働くことになる、という否定的な議論もある。しかし、働き方改革を真剣に実行しようとするなら、むしろサマータイムをうまく活用して、日の高いうちに仕事とは別の活動をするというライフスタイルを模索すべきではないだろうか。 ところで、世界の先進国のほとんどはサマータイムの制度を採用している。日本はその例外であると言ってもよい。他の国がやっているので日本も採用すべきであるというのは、必ずしも説得力のある意見ではない、と思われるかもしれない。 ただ具体的にみれば、メリットとデメリットが共存する中で、結果的に大半の先進国が採用しているということの事実は重い。多くの先進国が結果的にサマータイムを選択しているのには、それだけの理由があると考えるべきだ。 アジアではどの国もサマータイムを採用していない。だからアジアモンスーン気候の日本も採用する必要はない、という議論がある。でもサマータイムを採用していないのは、アフリカや南米など途上国や新興国も同じであり、採用するか否かの線引きは先進国か途上国かにあるようだ。 最近は、欧州などでもサマータイムをやめるべきだという意見もある。ただ、その議論を積極的にしているのはフィンランドなど北の国のようである。白夜があるような国ではそうした意見が出るのはもっともだが、これが先進国の主流の意見とも思えない。北欧デンマークの首都コペンハーゲンで、人魚姫の像を眺めて夏の一日を楽しむ観光客。EUではサマータイム廃止が検討される=2017年8月(共同) また、サマータイムに反対する意見の中には、電車の時刻表や情報システムのソフトウエアなどを毎年2回変えることのコスト負担が大きいというのがある。確かにそうしたコスト負担はあるだろう。ただ、欧米ではそうしたコストを取り込んでサマータイムの仕組みが回っている。 コンピューターの調整が難しいのでサマータイムの導入は難しいという議論を聞いていると、レジのシステムの対応が難しいので、1%ずつ小刻みに消費税を上げるのは難しいという議論を聞いているのと変わらない。もっと言えば、システムの都合に制度を合わせるような議論である。これは正しい議論ではない。あるべき制度をまず議論して、それに合わせたシステム設計を行うという考え方でなくてはいけない。

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    サマータイム導入「2019年問題」で日本は大パニック?

    加谷珪一(経済評論家) 猛暑の中での開催が確実視される東京五輪の暑さ対策として、サマータイム導入論が急浮上している。サマータイムは過去、何度も議論の対象となったものの、導入が見送られてきたという経緯がある。サマータイムの導入について議論することは大いに結構だが、五輪の暑さ対策として、拙速に導入するというのはあまりにもリスクが大きい。 このところ酷暑ともいえる状況が続き、各地で熱中症の被害が相次いでいる。こうした中、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長は安倍晋三首相と会談、暑さ対策としてサマータイムの導入を要請した。これを受けて政府・与党内ではサマータイム導入の是非について議論が行われている。 サマータイムは、日照時間が長い夏季に限定して標準時よりも時間を進める制度で、欧米では広く導入されている。朝の涼しい時間帯を有効活用できるほか、外が明るい時間帯に仕事を終えられるので、個人消費も活発になるといったメリットがある。 今回は、こうした全般的なメリットを考えてというよりも、猛暑対策として涼しい時間帯を活用したいという部分が大きいと考えられる。 夏の期間だけ1時間もしくは2時間、時間を早めれば、ある程度の暑さ対策になるのは間違いない。だが、五輪という一大イベントのためということであればなおさらだが、想定されるリスクの大きさを考えると導入は見送った方が賢明だろう。 サマータイム導入に伴う最大のリスクは情報システムのトラブルである。 あらゆる情報システムは、何らかの形で時間を認識して作業を行っている。コンピューターのプログラムというのはすべて時間をベースに動いていると思ってよい。2011年6月、東京電力福島第1原発事故をきっかけに、企業で導入されたサマータイムで午前8時前に出社する女性(鳥越瑞絵撮影) だが、どのような方法で時間を認識するかはシステムによって異なっている。システム内部に時計機能があって、そこで時間をカウントするものもあるし、衛星利用測位システム(GPS)を使って時間を取得するシステムもある。サマータイムを導入する場合には、ある期間だけその時間を早め、その後、元に戻すという作業が必要となるので、時間をシフトする機能を実装していないシステムの場合にはシステム改修が必要となる。 日本では過去、何度もサマータイムが議論されてきたので、情報システムの中には、サマータイムに対応できるよう時間をシフトする機能をあらかじめ組み込んでいるものもある。だがすべてのシステムがそうではないため、いざ導入ということになった場合には、あらゆるシステムを検証し、必要なものについては改修を実施しなければならない。貧弱なインフラもリスク 現代では、複数の情報システムが互いに連携して動作しているので、一つのシステムが時間認識で不具合を起こすと、連鎖的にその影響が広がる可能性がある。既存システムの維持・管理の業務や新規のシステム構築業務に加えて、全システムについて夏時間対応の検証や改修を実施するのは、コスト的にも人員的にもかなりの負担となるだろう。 今、筆者は情報システムと述べたが、業務用の情報システムだけが改修の対象となるわけではない。家庭用の録画装置やエアコン、自動車に搭載されている各種機器類など、身の回りにある、ありとあらゆる機器類について対応が必要となる可能性がある。 家庭用機器の場合、時間がずれても致命的な問題にはならないので、一部の製品については利用者に諦めてもらうという選択肢もあるかもしれない。だが、そうはいかない製品も数多くあることを考えると、このリストアップだけでも大変な作業量だ。 しかも2019年には、天皇陛下の譲位に伴う皇太子さまの即位による改元が予定されており、システム会社はこの対応に追われている。ただでさえ人手不足で苦慮しているところにサマータイムも入るということになると、システム業界は相当な混乱となるだろう。 それだけではない。万が一、情報システムに不具合が発生した場合、社会や経済に対する影響があまりにも大きいという現実を見過ごすわけにはいかない。 東京は各種のインフラが貧弱であり、五輪開催時に大量に押し寄せる観光客をスムーズにさばけるのか心配する声も多い。こうした中で、システムの不具合による鉄道や航空機のダイヤの乱れなどが発生すれば、それこそ目も当てられない状況となる。 大きなリスクを背負ったとしても、得られるメリットが極めて大きければ、取り組む価値があるという考え方もある。だが、サマータイムによって得られる効果が限定的であることは、多くの人が実感しているはずだ。 酷暑となる日は、夜半過ぎになっても気温は下がらず、かなりの高温状態で日の出を迎えることが多い。1時間から2時間、時計の針を進めたとしても、競技中の平均気温を大きく下げることは難しいだろう。皇室会議により、譲位と即位、改元の日程が決まったこの日、皇居周辺に集まった大勢の観光客=2017年12月1日 一部では今回の議論をきっかけに、本格的にサマータイムのメリットについて検討し、恒久的な制度として導入を検討すべきという意見も出ているようだ。だが、サマータイムについては欧米でも賛否両論があり、総合的なメリットとデメリットを検討するには、相応の時間が必要となる。 今回のサマータイム導入が東京五輪の暑さ対策として浮上してきたのであれば、あくまで論点は五輪に絞った方が、議論は混乱しない。五輪の暑さ対策に的を絞り、抱えるリスクの大きさと得られるメリットを比較した場合、得られる結論は、導入見送りということにならざるを得ないだろう。

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    サマータイム導入はやはりデメリットが大きい

    力需給緊急対策本部によりサマータイムの導入が検討されたが、結局、見送られた。 そもそもサマータイムは政治家でもあり科学者でもあったベンジャミン・フランクリンが英国からの独立直後のアメリカの外交官としてフランスに滞在していた1784年、Journal de Paris誌に送った投書“An Economical Project for Diminishing the Cost of Light”の中で、人々が夏の間太陽のサイクルに合わせた生活を送れば、当時の照明の主力であったロウソクの使用量を減らして節約できるはずだと提案したことに起源があるとされている。記者会見する森喜朗会長(右)と御手洗冨士夫・有識者懇談会座長=2018年7月30日午後、福島県(共同) フランクリンの提案以降長らく実行には移されてはいなかったが、カナダオンタリオ州の現在のサンダーベイの住民が1908年7月1日にカナダの標準時より1時間時計の針を進め、世界に先駆けてサマータイムを実施した。一国単位では、第1次世界大戦中の1916年4月30日にドイツとその同盟国オーストリアが燃料不足対策を目的として実施したのが初めてであり、次いでイギリスやフランスが導入したのを契機に欧州に広がった。 アメリカでも1918年に導入したものの国民から不興を買い2年で廃止。しかし、やはりエネルギー資源節約を目的として第2次世界大戦中に再導入され、1986年の改正を経て現在まで続いている(アリゾナ州・ハワイ州等は不採用)。世界を見渡すと、現在、サマータイムを一部の地域ででも実施している国は、70か国以上あり、その多くは夏の間、日照時間が極端に長くなる中高緯度の北半球に集中している。「環境のため」は本当か それでは、現在の日本にサマータイムを導入することによるメリットやデメリットにはどのようなことが考えられるのだろうか。現時点では具体的にどのような形でサマータイムが企画立案されるのか確固とした情報がないという制約はあるものの、次の5つの論点について、原理原則から考え、検討することとしたい。(1)論点1:環境への効果 サマータイムはその着想から実際の導入に至るまで、エネルギーの節約が主眼にあった。日本においてもサマータイム導入の目的の一つは同様であり、起床時間を早めることで早朝の涼しい時間帯に活動すれば冷房も利用せずに済む上、夕方の明るい時間帯が長くなり、かつ日没から就寝までの時間も短くなることで、照明機器の使用を減らせるため、省エネルギー・温室効果ガス削減効果があるとされている。 例えば、環境省「地球環境と夏時間を考える国民会議」(平成11年5月)の試算によれば、年間約50万kL(原油換算)の省エネルギー・温室効果ガス削減効果があるとされている。しかし、東西に細長く伸びている日本では、東日本と西日本とで日の出・日の入りの時刻にズレが生じ、全国一律のサマータイム導入が馴染むのか疑問が残るし、節電や温室効果ガス削減効果については、日本は湿度が高く、日没後も蒸し暑さが続くため、帰宅後の冷房需要が大きく、勤務時間をずらしたとしても、節電効果は少ないと考えられる。 現代の日本においては、日照時間ではなく気温が電力の消費を大きく左右すると考える方が自然だろう。 実際、国立研究開発法人産業技術総合研究所安全科学研究部門井原智彦氏(当時)「夏季における計画停電の影響と空調(エアコン)節電対策の効果(第二報)」(2011年7月31日)によると、東京電力管内でサマータイムを想定した生活時間の前方1時間シフトの空調電力削減効果を試算したところ、業務用では確かに▲10%削減となるものの、家庭用では戸建住宅+23%増加、集合住宅+27%増加となり、合計では+4%増加との結果を得ているし、さらに、電力中央研究所社会経済研究所今中健雄氏「時刻、休日、連休シフトによる夏季ピーク負荷削減効果」(2011年4月6日)では、近年は昼間の特定の時間帯にピークがあるのではなく昼間全体が比較的高い電力需要で推移しているため、削減効果はピーク負荷の1%程度と誤差の範囲内に過ぎず、効果は少ないと結論付けるなど、環境へのプラス効果はゼロではないかもしれないもののほとんど存在しないものと考えられる。※画像はイメージです(GettyImages) しかも、後述するように、サマータイム推進派は効果の一つとして余暇活動の増加を挙げているが、そうなればその分余計に電力消費したがって温室効果ガスが増加することになるだろう。さらに、損得で言えば、サマータイムを導入すればそうでない場合よりも朝早く出勤し暑いさなかに帰宅することになるので、企業側はその分の光熱費を削減できるものの、家計では光熱費が余分にかかることになり、結局、企業が得、家計が損をすることになる。経営者団体がサマータイム導入を推進する理由の一端が垣間見られる。「外が明るいと消費が増える」のウソ(2)論点2:消費喚起効果 サマータイムの導入によって就業時間終了後明るい時間が2時間増えることになるので、娯楽・レジャー・外食などの機会が増え、それが消費喚起につながるとされている。第一生命経済研究所首席エコノミスト永濱利廣氏「不確実性の高いサマータイム効果」(2018年8月8日)によれば、日照時間の増加が名目家計消費にプラスに影響することで約7,532億円の経済効果があるとのことである。 しかし、少し考えれば分かることであるが、外が明るいので消費が増えるということは、外が暗い場合消費が減るということ意味している。そこで、総務省統計局「家計調査」により夏の間の家計消費額(夏1:6月から8月、夏2:7月から9月)と冬の間の家計消費額(12月から翌年2月)を比較したのが下図1である。 図1によれば、夏の取り方を変えても日照時間が短いはずの冬の消費額の方が多いことが分かる。さらに、図2は夏の間の平均消費性向と冬の間の平均消費性向を比較したものである。平均消費性向とは所得からどれだけ消費に回すかを示すもので、平均消費性向が高いほど消費意欲が旺盛であることを示す。次項図2からも日照時間が短いはずの冬の方が消費意欲が大きいことが分かる。つまり、日照時間が増えることで消費が増えるとは結論できない。 仮に永濱氏の分析の通り日照時間が延びることで消費額が増えるとの主張を認めるにしても、サマータイムを導入するより冬の間だけでも2時間ほど太陽が出ている昼間に休憩を与えてショッピング等の機会を与えた方がより効果的だろう。図1 夏と冬の消費額の比較(二人以上の世帯)(出典)総務省統計局「家計調査」より筆者作成 なぜなら、永濱氏の分析は日照時間と消費の関係を示したに過ぎず、日照時間が延びるのであれば別にサマータイムに限らずとも、冬の間であってもゴールデンウィークであっても違いがないからだ。また、就業時間終了後になにか余暇活動を行うにしても、サマータイムが導入されていない場合に比べて外気温が高いので、屋内での余暇活動が伸びたとしても屋外での余暇活動が減るので結局経済効果は相殺される。 さらに、夏の楽しみといえば、夜祭りや花火大会があるが、サマータイムが導入されれば、そうでない場合より開始時間を先送りせざるを得ないため、終わりの時間が遅くなる結果、門限や電車の時間の関係で早々に引き揚げざるを得ない人々が出てくる。穿った見方をすれば、それこそプレミアムフライデーの進化形であるシャイニングマンデーで月曜日は午前休を取りなさいということなのかもしれないが釈然としないものが残るのも事実である。(3)論点3:企業負担の増加 サマータイムの導入は正確には時計の針を一定時間だけ先に進めるというよりは、日本標準時に一定の時間を加えたり(開始時)、加えた時間を引いたり(終了時)する必要があるため、必然的にコンピュータプログラムの変更、サマータイム切替日における航空・鉄道等交通機関の運行ダイヤの調整、産業機械の時計の修正、一部交通信号機の調整等を惹起する。日照時間が短い冬は労働効率が落ちるのか? 環境省「地球環境と夏時間を考える国民会議」の推計によれば、こうしたプログラム修正によるコスト負担はハードウェア改修費(610億円)とソフトウェア改修費(420億円)の総額で1,030億円と試算されている。この試算は1999年当時になされたものでありコンピューターへの依存がさらに進んだ現代ではコスト負担はもっと大きくなっている可能性が高い。 実際、すでにサマータイムに対応済みのアメリカで2007年に省エネルギーのためサマータイムの期間を4週間延長したことに伴うシステム改修費用は3.5億ドルから10億ドルと見積もられている。 しかも日本にサマータイムが導入される場合、高度にコンピューターに依存した世界第3位の経済規模を誇る社会において、世界にも例を見ない2時間の繰り上げを無数のシステムに一から施さなければならないのであり、先の環境省の費用推計は、日米の経済規模の違いや、試算の前提と今回の想定の違いなどを割り引いたとしてもいかに過少推計であるかが理解できるだろう。 問題は企業の負担増だけにはとどまらない。もう一つの深刻な問題はたった一つのプログラムの修正がうまくいかなかっただけで全てのプログラムがストップし、経済・社会機能がマヒしてしまうことにある。世の中に存在するすべてのコンピューターやいろいろな機器に組み込まれたチップのチェックを完全に行い、しかも完璧に修正し得たことを誰が確認できるのだろうか。 さらに、現時点の計画に基づいて、システムを修正するには、来年5月に控える天皇陛下の代替わりに伴う元号の変更に対応しつつ、6月のサマータイム導入に間に合わせる必要がある。これはただでさえ過剰労働気味のシステム担当者の更なる労働強化をもたらすだけであろう。なお、「システム対応への支出が増えるからGDPにはプラス」との議論もあるが、これは無駄な公共工事でもGDPが増えるというのと同じ理屈であり、詭弁に過ぎない。図2 夏と冬の消費意欲の比較(勤労者世帯)(出典)総務省統計局「家計調査」より筆者作成(4)論点4:労働環境への効果 サマータイムの導入により、外が明るいうちに仕事を終わらせようと頑張った結果、一部企業では労働効率が上がり残業時間が減少したとの報告がある。もしそれが本当だとすれば、夕方には外が暗くなってしまう冬の間は労働効率が下がることになるはずである。 結局のところ、日照時間と労働効率に正の相関関係が存在するのであれば、夏だけ日照時間と労働効率を関連付けるのではなく、冬の間も日照時間と労働効率を関連付けるのが企業にとっては最適なはずであり、サマータイムに固執する必然性は薄い。また、日本の企業の多くはサマータイムを導入していないアジア諸国の企業との結びつきが強いので、残業時間が増えるだけとの批判には説得力がある。 結局、日照時間と労働効率に正の相関関係が存在し、自らに利益が多く及ぶと考える企業が個別に、労働者が個人で始業・終業時刻を変更できるフレックスタイム制の導入や、企業単位で始業時刻や終業時刻を早めたり遅くしたりできる繰り上げ出勤(退社)を採用するなど、働き方改革を進めればよいだけだ。しかも、サマータイムの導入で労働時間が増加するとすれば現在政府が進めている長時間労働の是正に反する結果となってしまう。本当にサマータイムは酷暑対策なのか(5)論点5:政策の目的と手段は整合的か そもそも今回のサマータイム導入の動きは、2020年に開催される東京五輪・パラリンピックの競技が灼熱の暑さの中実施されるのを回避したいとの思惑から発したものであるが、政策を評価する上では、政策の目的と政策の手段とが整合的か否かが重要となる。 つまり、国際オリンピック委員会との間で日本時間の朝7時以前にはマラソン競技を開始してはならないという取り決めがあるのなら別であるが、種々の競技開始時刻が朝の早い時間に前倒しできるのであればそれで対応すればよいだけであろう。しかも、競技によっては開始時間が前倒しされることにより、サマータイムが導入されない場合に比してかえって暑い環境下で競技が行われることになることも見逃せない。 そもそも、東京五輪・パラリンピックは建前上は東京都が責任を持つべき大会であり、極端な話、残りの46道府県には全く関わりのない話である。にもかかわらず、サマータイムなどという全国を巻き込む、場合によっては東京五輪・パラリンピックまでの時限立法的なその場しのぎの対応を是認できる国民はどれだけいるだろうか。 また、就業時間終了後様々な余暇活動に時間を費やすことで消費を喚起すると見込むことはそれが実現すれば睡眠不足をもたらすことになるし、サマータイム開始時及び終了時に時計の針を進めたり遅くしたりすることで睡眠障害をもたらすなど、健康を害するリスクを考慮しなければならない。東京五輪ではマラソンや競歩の会場となる皇居外苑で、穴の開いたチューブから散水を行い、暑さ対策の実証実験が行われた=2018年8月13日、東京都千代田区(川口良介撮影) 実際、ロシアではサマータイム移行時に心筋梗塞患者が増加したため結局サマータイムを廃止したし、オーストラリアでは、サマータイム移行時に男性の自殺が増える傾向があることも指摘されている。つまり、サマータイムの実施により消費が喚起され経済効果が得られたところで医療費が嵩み、人命が失われることになれば、経済ばかりでなく社会的にもメリットがデメリットを上回るとは言い難いだろう。気になるご都合主義のエリート姿勢 サマータイム推進派は、サマータイムの導入が、東京五輪・パラリンピックの一部競技の成功を目的とする以外に、エネルギー節約・温室効果ガス削減、消費喚起、労働時間の短縮といった日本が抱える構造的な課題に対して、これまで論じてきた様々なデメリットを考慮したとしてもなお抜本的な解決策になり得るのだという客観的かつ説得力のある根拠を示せないのなら、東京五輪・パラリンピックを口実としたなし崩し的なサマータイム導入への国民的な合意を得るのは非常に困難であると自覚すべきだ。 以上のように、自民党での検討が予定されているサマータイムの導入がわれわれの生活に与えるメリット・デメリットについて、5つの論点を取り上げ検討したところ、メリットに比してデメリットの方が大きく、特に、システム修正にかかる企業負担や、システム修正に失敗した場合に起こり得る経済・社会の混乱が深刻なリスクを孕んでいるとの結論に達した。 サマータイム導入の目的が、オリンピックを成功させるためというだけの矮小化されたものではなく、日本人の働き方やライフスタイルを時計から解放するのが目的であるならば、夏に限らず一年中太陽のサイクルに合致するよう労働時間を柔軟に変更・調整できるような仕組みを各企業なり組織が採用しやすくなる法的枠組みを整備すればよいだけではないだろうか。プレミアムフライデーで百貨店を訪れた経団連の中西宏明会長(左から2人目)=2018年7月27日日、東京都中央区(大塚昌吾撮影) サマータイムの導入が労働効率を上げ残業時間を減らすとの期待は、2016年に政府が勤務時間を1時間程度前倒しして朝早くから働き夕方からは家族や友人との時間を大事にする「夏の生活スタイル変革」を目論んだものの残業時間が増えただけに終わった「ゆう活」の失敗、さらには消費喚起に関しては、政府や企業団体の大号令にもかかわらず所定の効果を上げておらず迷走を続けるプレミアムフライデーの失敗から教訓を得、学習した形跡が政治家や政府、経営トップ層に全く見られず、国民の事情を考慮することなく自分たちの都合だけを一方的に押し付ける日本のエリート層の姿勢が個人的にはとても気になっている。

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    桂米丸や杉下茂ら、70年前に体験したサマータイムへの反発

     93歳になった落語芸術協会の最高顧問、4代目・桂米丸師匠が、約70年前の“苦い記憶”を振り返る。「前にサマータイムが導入されたのは、ちょうど私が師匠・古今亭今輔の前名である桂米丸を襲名した頃でした。“社会全体が能率的になる”という話でしたが、寄席では厄介なことが起きましたよ。始まる時間を勘違いして1時間遅れで会場に来てしまうお客さんが、大勢いたんです。そうしたお客さんたちから、“もう終わっちまうのか”と不満をいわれ、閉口しましたよ」 大混乱を日本中に巻き起こすことになった原因は、1948年に導入されたサマータイム制度だった。「占領統治下にあった政府は当時の電力不足を緩和するため、GHQ経済科学局電力班の指示を受けるかたちで『夏時刻法』を制定した。4~9月までの間、時刻を1時間早めるという法律でした(1950年からは5~9月)。ところが実際に導入されると、国民からは不評ばかりで、結局、占領が終わる間際の1952年4月に、わずか4年で廃止に追い込まれました」(経済部記者) 1951年に政府が行なった〈サンマータイムに関する世論調査〉(※編集注・当時の表記ママ)によれば、「やめた方がよい」が53%と、「続けた方がよい」の30%を大きく上回っていた。だが、70年の時を経て、そんな「不人気政策」が甦ろうとしている。落語家の桂米丸=2017年9月9日(栗原智恵子撮影) その理由は2年後に迫った東京五輪の「暑さ対策」だ。午前7時スタートの男女マラソンでは、選手がゴールする9時過ぎには、気温35度前後に達する見込みだ。“死者が出るかも”といった懸念が百出したことを受け、森喜朗・五輪組織委員会会長が、導入を呼びかけた。「森会長が『時計の針を2時間進めればより涼しい時間帯にスタートできる』と導入を要請すると、安倍晋三首相は、『一つの解決策かもしれない』と応じて与党に検討を指示しました。推進派は、秋の臨時国会で関連法案を成立させ、2019年からの実施を目指している」(自民党関係者) あまりに大袈裟である。選手の暑さ対策が目的なら、競技ごとに開始時間を変更すればよいだけではないのか──。アスリートから見ても「効果なし」 かつての“サマータイム体験者”からは、今回の唐突な導入論への反発が相次いでいる。導入2年目の1949年に中日ドラゴンズに入団した元プロ野球選手の杉下茂氏(92)は、アスリートの立場から「サマータイムは暑さ対策にならない」と話す。「当時のプロ野球は、デーゲームしかありませんでした。試合開始は午後3時。とりわけ名古屋はやたら気温が高くて、とにかく暑かった記憶しかない。試合の時間が1時間や2時間ズレたところで、選手にとってあまり変わりはなかったですよ」 当然ながら、東京五輪ではマラソン以外に昼間、屋外で行なわれる競技も数多くある。杉下氏のようなアスリートの観点からの指摘が、政府・与党に届くことはあるのだろうか。 累計200万部超のベストセラー『思考の整理学』著者で、“知の巨人”とも呼ばれる御年94歳の英文学者・外山滋比古氏(お茶の水女子大学名誉教授)も憤りを隠さない。「70年前は、たしかに時計を1時間早めたぶんだけ、日が高い夕方に余暇時間ができました。でも結局は、多くの人が生活のリズムを崩すだけだった。私の周囲の人たちも、“いつもより早起きになる上に、夜もなかなか寝つけない”と睡眠不足に陥って、疲弊していたと記憶しています。杉下茂臨時投手コーチ=2017年2月、北谷公園野球場(撮影・塚本健一) そもそも北海道から沖縄まで南北3000kmに伸びる日本は、地域によって日照時間が全く違う。法律で一律に夏時間を導入して何かの効果を期待するなどナンセンスで、混乱を招くだけだったのです」 戦後の混乱期だけの話ではない。近年になって地域限定で実施されたサマータイム制度でも、弊害が明らかになっている。 2003年夏、始業時間を繰り上げることでサマータイムの実証実験を行なった滋賀県庁では、職員を対象にしたアンケートで、41%が「労働時間が増えた」と回答(回答数1231人)。北海道内で札幌商工会議所が主体となって役所や企業が参加した実証実験でも、従業員の27%が「労働時間が増えた」と答え、22.6%が「体調が悪くなった」という(同1万780人)。 こうした経緯は、日本版サマータイムがいかに“悪手”であるかを物語る。関連記事■ 高須院長 東京五輪に苦言「死者が出る。10月にずらすべき」■ サマータイム導入 家庭の16時台電力需要増え節電に逆効果■ 蓮舫氏も提案したサマータイム 本当に効果あるか試算■ 東京五輪の「暑すぎ問題」、危険なのは選手よりも「客と馬」■ 東京五輪マラソン暑さ対策に不安 完走さえ難しくなるかも

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    LGBT「杉田論文」女性議員は何を思う

    く表現があった」として本人を指導したが、そもそも何が問題だったのか。iRONNAでは今回、3人の女性政治家に寄稿を募った。「杉田論文」の核心を同性の視点から考えたい。

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    「LGBT、それがどうした」杉田論文の本質はただの差別である

    。この言葉こそ「社会に認められたい」と思い悩む多くの人々が求めているものだと思います。これこそ政府や政治家が発信すべきメッセージ。私が私らしく、あなたがあなたらしく、堂々と生きられる社会こそ目指したい。私は私だ。それが、Pride!

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    高須院長が少子化対策について提言「愛国心こそが解決する」

    が低いゆえに「東京と愛知は生産性が低い」と演説していたというじゃないか。もう何年も前の話であっても、政治家は自分の発言に責任を持たないと。自分は「生産性」という言葉を使っていたのに、自民党の議員が使うのはダメだっていうのは、どうかと思うね。政治家としてダブルスタンダードを良しとするのはありえない。少子化対策について高須院長の提言は…? 結局、野党の政治家だって、LGBTの問題や少子化問題をちゃんと考えていないんじゃないかな? ただ単に、自民党を批判できそうなネタを探しているだけに見える。いつまで経っても「生産性」という言葉の問題ばかりを批判していて、なかなか少子化問題解決に向けた具体的な政策議論には発展しないもんなあ。──少子化問題といえば、先日院長はツイッターで「病根はゲームばかりしている若者だと思います。セックス以外の娯楽を禁止すれば人口は増えます」とつぶやかれていました。高須:ゲームの楽しさの虜になっちゃってセックスをしない若者が多いのは間違いないんじゃないかな。今でも『ポケモンGO』を楽しんでいる僕が言うのも説得力がないかもしれないけどね(笑い)。子供にとっては最高な日本 でも、言うまでもないだろうけど、単純に「ゲームが悪だ」という話ではないんだよ。今の世の中は、ゲーム以外でもセックス以上に楽しいものがあふれている。セックスをしなくても充実して生きられるくらいに、豊かになりすぎてしまったんだ。いろんな娯楽が増えているなかで、セックス自体は昔と変わらないままだから、結果的に少子化になってしまったということだね。まあ、ちょっと極論なのかもしれないけど、根本的には間違ってはいないと思う。原理原則として、娯楽が他になければ人はセックスするし、子供も増えるということ。今の若者たちは、セックス以外にやることがありすぎる。──とはいえ、セックス以外の娯楽を禁止するというのは、現実的ではないですよね?高須:そりゃそうだ(笑い)。だから、若者たちにもっと子供を作りたいと思わせるような日本にしていくことが重要なんだよ。そのためには、日本という国をもっと肯定的に捉えていく必要があると思う。差別だって少ないし、こんなに安全で住みやすい国はないと思うよ。子供にとっては最高な国だよ。 それなのに、なぜだか日本はダメな国だと主張する人がいるのだから、信じられないね。それこそ日本がまるで差別的であるかのような言説を流してまで、安倍政権を批判しようとする人もいる。そんなんだから、若者たちだって子供を作ることに躊躇してしまうんだよ。気楽にゲームを楽しんでいる方がマシだと考えちゃうわけだ。 もっと日本は素晴らしい国であるということを、ちゃんと後世に伝えていかなければいけないと思うね。それが大人の役目であり、政治家の役目でもあると思う。“将来の子供のために”とかいいながら、日本を貶めるような発言をする政治家たちは、絶対に信用しちゃいけない。愛国心こそが少子化問題を解決すると思うね。 セックス以外の楽しみがたくさんある今だからこそ、豊かな日本の未来は明るいんだということを正しく伝えていくべき。それが我々老害のできることだよ(笑い)。2018年7月、国会前で開かれた安倍内閣の退陣を求める集会で、プラカードを手にする参加者* * * 確かに国民が自国の悪口ばかりを言っている国に明るい未来があるとは思えない。少子化問題を解決するためにも、日本の未来をもっと前向きに捉えていく必要がありそうだ。【プロフィール】高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ(イタリアやドイツ)研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。脂肪吸引手術をはじめ、世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。昭和大学医学部形成外科学客員教授。医療法人社団福祉会高須病院理事長。高須クリニック院長。人脈は芸能界、財界、政界と多岐にわたり幅広い。金色有功章、紺綬褒章を受章。著書に『ブスの壁』(新潮社、西原理恵子氏との共著)、『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)、『行ったり来たり 僕の札束』(小学館)、『ダーリンは71歳・高須帝国より愛をこめて』(小学館)、『炎上上等』(扶桑社新書)、『かっちゃんねる Yes! 高須 降臨!』(悟空出版)など。最新刊は『大炎上』(扶桑社新書)。関連記事■ 「僕は寄付するプロ」高須院長が豪雨被害で現地行かない理由■ 印税全額寄付の高須院長「炎上商法ならぬ炎上慈善活動だ」■ 高須院長 米朝会談で指摘「韓国は相当空気が読めてない」■ 高須院長 米朝会談を分析「トランプは損得で動いた」■ 高須院長 金正恩評価する声に疑問「それこそ歴史修正主義」

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    なぜ安倍内閣の支持率は底を打たないのか

    「下がっては上がる安倍内閣の支持率」。朝日新聞が内閣支持率の推移グラフをこんなタイトルで掲載した。モリカケ問題が過熱した数カ月前は、支持率が倒閣の危険水域に入ったとされ、首相の総裁3選も危ぶまれたが、今や再び息を吹き返した感は否めない。なぜ安倍内閣の支持率は底を打たないのか。

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    足立康史手記「野党が猿芝居で満足する限り、安倍内閣は強くなる」

    期待振りまく政権」だった。分かりやすく要約すれば「経済と外交で期待を振りまき、選挙での勝利を最大限、政治的パワーとして生かす。この政治手法は、離合集散を繰り返した野党の自滅と非力さも手伝い、不祥事や政権へのダメージを覆い隠した。5年半は、その繰り返し」と断じている。 また、連載「下」は、「政府も党も、進む『私的機関』化」との見出しで、「政府職員や自民党関係者が『安倍の私的機関』のスタッフかのように動くことは、一般社会にも影響を及ぼしつつある」と、安倍政権を諸悪の根源かのように批判する。 では、安倍政権は、本当に経済と外交で期待を振りまいただけなのだろうか。そんなことはない。まず、経済について、安倍政権は2012年に政権を奪還するや、経済を最重要課題に掲げ、景気と株価のエンジンを目いっぱい吹かしてきた。 それを象徴するのが日銀総裁人事であり、自分の考えに近い国際派の黒田東彦総裁を起用し、2018年2月には54年ぶりとなる再任を決定した。そして、名目国内総生産(GDP)は550兆円の大台を超え、5年前の493兆円から57兆円も拡大させた。 外交についても、安倍政権の成果は、米国の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)離脱後の TPPイレブン妥結など数多く挙げられるが、特に重要なのが、同盟国である米国のトランプ大統領との関係をしっかり築いたことだ。 トランプ氏が大統領に就任する直前の2016年11月、安倍総理はトランプ氏が住むトランプタワーに駆けつけ、懐に飛び込んだ。お互いを「シンゾウ」「ドナルド」と呼び合い、中露や北朝鮮と対峙する中でトランプ大統領は安倍総理の助言を頼り、電話会談は20回を超えるという。こうしたトップ同士の人間関係を甘く見てはならない。 もちろん、北朝鮮の拉致、核、ミサイルの問題でも決して利害が一致しているわけではないし、通商問題では多国間を重視する日本と二国間にこだわる米国との摩擦は避けられない。しかし、トップ同士の関係がよければ交渉も容易になるし、何よりも入ってくる情報の量と質が変わる。これは誰も否定できない安倍政権の成果である。日米首脳会談で握手する安倍晋三首相とトランプ米大統領=2018年6月、ワシントンのホワイトハウス 経済と外交だけではない。経済について、安倍政権の経済重視を象徴するのが日銀人事だと書いたが、憲法も同じである。安倍政権は5年前の2013年8月、フランスから呼び戻した小松一郎大使を内閣法制局長官に充て、憲法解釈の変更を断行した。 安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)の報告書とりまとめに命を捧げた小松長官の「人生をかけた仕事ぶり」(安倍総理)が時代を画するものとなったことは言うまでもない。 憲法改正については、国内の右派からも左派からも極端な意見が寄せられている。だが、そうした中で、2017年5月の公開憲法フォーラムに安倍総理が寄せたビデオメッセージで打ち出した「自衛隊の明記」提案は、卓越したリーダーシップによるものであり、遅々として進まない憲法改正議論に大きな一石を投じることになった。憲法改正の発議と国民投票までには引き続き紆余曲折があるだろうが、安倍政権の間に実現することを確信している。 以上のように、経済と外交そして憲法に係る安倍政権の取り組みを一瞥(いちべつ)しただけでも、「期待振りまく政権」との朝日新聞の見出しが全く事実に即していないことは明らかである。「悪夢の3年3カ月」 安倍政権が高い支持率を維持する理由は、こうした経済から外交に至るまでの実績だけではない。やはり、何といっても、第二次安倍内閣に先立つ民主党政権の「悪夢の3年3カ月」の影響は甚大である。国民は、口から出まかせの政権公約には二度と騙されないぞ、と思っているし、政権担当能力というもののハードルの高さを痛感しているからだ。 1955年の保守合同以来、40年近く続いた自民党一党独裁が崩壊したのは、ちょうど4半世紀前の93年だった。それから間もない96年に設立された民主党は、野党第一党として政局をリードし、2009年には政権交代を果たした。しかし、その政権運営は惨憺(さんたん)たるもので、「悪夢の3年3カ月」として国民の記憶に深く刻まれてしまった。 当時の長妻昭厚労相が主導した派遣労働者に係る専門26業務派遣適正化プラン、いわゆる「長妻プラン」によって50万人もの専門労働者が職を追われ、自民党政権が実現してきた累次の改正案にことごとく反対してきた自衛隊法については指一本触れることさえできなかった。 自分たちが死ぬほど騒いで反対した自衛隊法だったが、いざ政権を担う段になると、3年3カ月の間、何事もなかったように、そのまま自衛隊法を運用し続けたのだ。 朝日新聞は、政府職員や自民党関係者が「安倍の私的機関」のスタッフかのように動くと批判するが、官僚たちが選挙で選ばれた政権トップを支えるのは当然だ。そもそも官僚たちは、二度と民主党政権のような無能な政府に戻ることがないよう安倍政権を支えると誓い合ってきたのである。 私が、民主党政権の閣僚たちの統治能力の低さにあきれ果て、21年務めてきた官界から政治に転じたのは、東日本大震災が発災した2011年3月だった。日本維新の会の結党に参加し総選挙で初当選を果たした12年12月、まさに第二次安倍内閣が樹立された頃の霞が関の雰囲気を、私はよく覚えている。 「悪夢の3年3カ月」から解放された官僚たちは、久しぶりに清々しい空気を吸い込み、二度と民主党政権のような悲劇を繰り返してはならない、と自らに言い聞かせたものである。もちろん、それは「安倍の私的機関」(朝日新聞)としてではない。国家公務員として、国益に奉じるためである。平成23年3月13日、東日本大震災の緊急災害対策本部会合であいさつする菅直人首相(当時)=首相官邸 以上のように、官僚たちが懸命に安倍政権を支えてきた、と書くと、佐川宣寿前理財局長による決裁文書の改ざんや柳瀬唯夫元総理秘書官による国会答弁の混乱などの事例を挙げて、「忖度(そんたく)」云々と騒ぎ立てる向きがあるかもしれない。しかし、こうした官僚たちによる過剰な国会対策は、安倍政権の問題というよりも、自民党国対の「事なかれ主義」にこそ、その元凶がある。 いわゆる「55年体制」が終焉を迎えた1993年から既に4半世紀が経過したが、昨年10月の総選挙を経て政権交代を旗印とする民主党(民進党)は瓦解し、永田町は再び、万年与党と万年野党が猿芝居を繰り広げるだけの「非生産的」な国会に成り下がってしまった。 自民党と立憲民主党は、かつての自民党と社会党のように、表では相争っているように振る舞いながら、裏では政府提出法案の成立を図る見返りに野党に抵抗という見せ場を用意する、予定調和的な猿芝居といえる新「55年体制」を演じている。野党は「食中毒起こしたレストラン」 それが証拠に、通常国会の事実上の会期末となった7月20日に参院本会議場で垂れ幕を掲げるという前代未聞の懲罰事犯に及んだ山本太郎、森ゆうこ、糸数慶子の3参院議員について、伊達忠一参院議長はその場で懲罰委員会に付託することを決めたが、懲罰委員会の溝手顕正委員長(自民党)は、あっさりと懲罰委員会を開会しないことを決め、22日の会期終了をもって審査未了となった。3議員の懲罰事犯は、なんと3日で不問に付されることとなったのである。 2月5日の衆院予算委員会で国民民主党の玉木雄一郎代表や自民党の石破茂元地方創生相の疑惑を取り上げたことなどを理由に、私は5カ月以上にわたって懲罰動議に晒(さら)された。党の不当処分と戦わざるを得なくなった私自身の処遇と比較するわけではないが、今の国会では、かつての55年体制の亡霊が完全に息を吹き返し、「なんでもありの野党」と「ひたすら我慢の与党」とが繰り広げる猿芝居が復活してしまったのだ。日本維新の会の足立康史衆院議員 こうした新「55年体制」の下では、与党(与党に連なるだけの国政維新を含む)の行動原理は、自民党国対の指導の下、「ひたすら我慢」=「事なかれ主義」が徹底されることとなる。 官僚たちは、国会審議で野党の追及の対象となるような材料を提供することがないよう、ひたすら保身に走り、与党議員たちも、失言をしないように、表ではできるだけ発言を控えるようになる。そして、少しでも野党の不興を買うような発言をした場合は、与党国対の指導の下、その内容にかかわらず、即刻、撤回と謝罪に追い込まれるのである。 こうした猿芝居に興じるだけの「非生産的」な国会にあって、政権与党自民党と競い合えるような力のある野党が育つはずがない。枝野幸男代表率いる立憲民主党も、かつての社会党がそうであったように、野党第一党の座に完全に満足しているように見える。 昨年までは、選挙のたびに、まるで「食中毒を起こしたレストラン」のように看板を掛けかえ合従連衡を繰り返してきた旧民主系の国会議員らであったが、今や野党再編を仕掛けるエネルギーさえ失っている。 安倍政権は、経済と外交そして憲法に係る実績と、二度と悪夢を繰り返さないという霞が関の誓いと、そして見せ場を与えられて満足する野党によって、これからも高い支持率を維持するのである。

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    「55年体制の劣化コピー」安倍政権が倒れない七つの理由

    」と訝(いぶか)る。安倍晋三内閣を擁護する良識派も「日々の仕事を黙々とこなす行政官としてはともかく、政治家としての実績は安倍政権には思い当たらない」と首をかしげる。 確かに、吉田茂のサンフランシスコ講和条約、鳩山一郎の日ソ国交回復、岸信介の安保改正、池田勇人の高度経済成長、佐藤栄作の沖縄返還と並べて、「景気が回復軌道に乗った」だの「日米関係が改善した」だのと後世の歴史教科書に書くわけにもいくまい。 本稿では、安倍政権が倒れない消極的な理由を六つ、積極的理由を一つ説明しよう。 では、第一の理由である。自民党内の過半数が安倍支持だからである。そもそも政治のルールを確認しよう。1955年以来、極めてわずかな例外を除いて、自由民主党総裁が総理大臣となる。自民党総裁は総裁選挙に勝利すればなれる。歴代総裁は皆、派閥の支持を得て勝利を勝ち取った。一人の例外もない。 安倍首相の場合は、出身の最大派閥である細田派96人に加え、第二派閥の麻生派59人、そして幹事長がいる二階俊博派44人の合計199人が結束しただけで、衆参両院407人の49%を占める。 これに無派閥の安倍シンパが30人はいると目されているので、過半数を軽く上回る。他の総裁候補と言えば、岸田文雄政調会長の派閥は48人、石破茂元幹事長のそれは20人。野田聖子総務大臣に至っては、自身が無派閥である。彼らがどうやって票集めで勝とうというのか。 安倍首相は、麻生太郎と二階俊博の2人のご機嫌を損ねなければ安泰なのである。現に2人に、副総理兼財務大臣と幹事長、すなわち政府と党の最高の地位を与えて遇している。岸田、石破、野田…誰が対抗馬に立つか知らないが、三派の結束を切り崩す算段や如何に。麻生太郎副総理兼財務相(左)と自民党の二階俊博幹事長=2018年7月(斎藤良雄撮影) ついでによくある勘違いを指摘しておくが、小泉純一郎氏は「脱派閥」で輿論(よろん)の支持を得て最大派閥の橋本龍太郎首相を破ったとされるが、そういうことを言う人は何を見ていたのだろうと思う。小泉元首相ほどの派閥政治家はいない。当選前から派閥の領袖である福田赳夫氏に忠勤尽くし、安倍晋太郎、三塚博、森喜朗ら歴代派閥領袖の覚えがめでたかった。 むしろ安倍晋太郎氏の後継をめぐる争いでは、常に中堅若手に人望の厚い小泉氏が支持した側が勝利した。小泉氏は四代の領袖の下で着実に地盤を固めていたので、「派閥離脱」を演出できたのである。 また、基礎票においても、「YKKトリオ」を組む山崎拓、加藤紘一の両派に自分が所属した森派を合わせれば100人、橋本派と互角である。さらに橋本派と同盟を組む堀内光雄派を切り崩しただけでなく、橋本派の重鎮であり参議院を抑える青木幹雄氏まで味方につけた。 小泉元首相は政権運営において、自民党の他の全員を敵に回しても青木氏との同盟関係だけは尊重したが、小泉、青木の2人が組めば常に自民党の過半数なのだから当たり前である。安倍首相の対抗馬の誰が、かの小泉元首相と同じ芸当ができようか。安倍一強は砂上の楼閣 第二の理由は、なぜ安倍首相は麻生、二階の両氏に媚びへつらうのか、他の派閥ではダメなのかである。理由は、麻生、二階の両氏には、財務省と創価学会がもれなくついてくるからである。 麻生氏は言わずと知れた財務省、特に主計局の走狗(そうく)である。自身の総理大臣時代から消費増税への道筋をつけ、常に増税を迫り、金融緩和への懸念を示す。アベノミクスがどうなろうが知ったことではないのだろう。それが財務省の総意ならば。 麻生氏が罪深いのは、財務省増税原理主義派の走狗として消費増税8%を押し付けてきたことだ。あの時は、霞が関官僚機構の頂点に位置する時の財務事務次官、木下康司氏の号令により、自民党の9割、公明党の全部、民主党幹部、財界と労働界の主流派、6大新聞と地上波キー局のすべてが、消費増税8%を迫り、安倍首相は無残にも屈した。 結果、「2年で景気回復」の約束はどこへやら、いまだにデフレから脱却していない。安倍首相も学習したのか10%への増税は延期したが、来年の10月には予定通り増税すると公言している。何が怖いのか知らないが、安倍首相も財務省を敵に回したくないらしい。 二階氏の権力の源泉は創価学会と公明党との人脈である。先の新潟県知事選挙でも、二階氏が頭を下げたので、投票日直前に創価学会に動いたと報じられる。これまで安倍首相は、あらゆる国政選挙で勝利してきた。ゆえに、安倍首相は「一強」と呼ばれる。しかし、すべては創価学会のおかげである。 今や昔となったが、昨年の秋までは小池百合子東京都知事が率いる都民ファーストが日の出の勢いだった。たった1年前の都議会議員選挙で自民党は大敗した。特に無残だったのが1人区である。自民党は1勝6敗だった。都議選で当選を決めた都民ファーストの会の候補者名に花を付ける小池百合子都知事=2017年7月、東京都新宿区(大西正純撮影) 唯一の勝利は、島嶼(とうしょ)部。新党が絶対に勝ちようがない地区だけである。なぜ、ここまでの大敗を喫したか。創価学会の支援が得られなかったからである。東京も西部は電車も走っていないような超田舎だが、そのような地域ででも創価学会の支援を得られないと勝てない。自民党の組織力とはその程度のものであり、「一強」とは砂上の楼閣なのだ。 自民党が過半数を得る組み合わせなど、いくらでもある。その中で麻生派と二階派を主流派としたい理由は、財務省と創価学会・公明党との協調を維持できるからなのだ。 第三の理由は、政策で無理をしていないことだ。自ら各界からブレーンを集めて「日本のグランドデザイン」を描いた池田勇人内閣まではともかく、佐藤栄作内閣以降の自民党は、官僚機構をシンクタンクとして活用してきた。愚行である。 一般に、近代政党は独自のシンクタンクを有する。行政権力を握る官僚機構に対抗する知見を身につけ、立法府としての役割を果たすためだ。要するに、官僚に騙されないようにするためだ。また、官僚は生態的にポジショントークから絶対に離れられないから、官僚と話す前に勉強しておく。ところが、自民党のように官僚機構をシンクタンクとした場合、官僚が間違えたらどうするのか。政治そのものが間違う。 安倍首相もご多分にもれず、官僚機構に依存しきっている。それでも財務省に対しては、それなりにモノ申す姿勢はある。消費増税10%とて、二度の国政選挙での信任を得て延期するという大仰かつ意味不明なやり方であったが、延期した。 ところが、法律を握る内閣法制局に対しては、最初からお手上げである。嘘だと思うなら、安倍自民党がまとめた「憲法改正案」を一読してみるといい。内閣法制局の解釈を条文化しただけである。内閣法制局とは、日本国憲法の解釈を一手に握ってきた、戦後レジームの総本山である。その法制局の解釈を条文化する案を提示するなど、何の冗談だろうか。「三木武夫の劣化コピー」 だが、見方を変えれば、自分が決して危険な人物ではないと必死かつ巧妙にアピールしているとも評せる。過去の支持者の一部保守層に対し「戦後レジームからの脱却を決して忘れていない」と旗を立てつつ、本気で戦う気はない。タカ派を気取り「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘が5年の長期政権を築いた手法の焼き直しだ。「保守など時々ガス抜きしておけばよい」とするリアリズムである。 もう一つ政策を挙げれば、防衛費増額がある。マスコミは右も左も「戦後最高の防衛費増額」と書き立てる。右は称揚し、左は懸念を示す。しかし、安倍政権は毎年0・8%ずつ上げているにすぎない。 そして見事にGDP0・92~0・95%枠を守っている。言うなれば、「三木武夫の劣化コピー」である。当時は自民党史上最大のリベラル政治家と言われる三木内閣ほどの防衛努力もしていないのに自らをタカ派と演出しているのも、政権維持の知恵であろうか。 選挙は創価学会、予算は財務省主計局、法律は内閣法制局。この三つに依存している限り、「一強」なのである。「戦後レジームからの脱却」など捨ててしまえば、安泰である。 第四に、国際環境が幸運に左右していることである。日本の歴代内閣は、アメリカ大統領に左右されてきた。アメリカの民主党政権は、反日の傾向が強い。逆に共和党政権は、「番犬」としての役割を求め、種々の圧力を加えてくる傾向がある。 だが、前任のバラク・オバマは反日の姿勢が極めて弱かった。ウッドロー・ウィルソン以来、最も反日的ではないアメリカ民主党政権だった。代わったドナルド・トランプは、戦後初めて日本に対等の同盟国になる道を差し伸べてきた。極めて幸運である。 トランプは第二次大戦後の秩序を本気でひっくり返そうとしている。中国が台頭する世界の中で、アメリカの国益を追求する。その同盟国として日本を選んだ。そして、大統領選挙の最中から、東アジア情勢の緊張を鑑みて日本に防衛努力を求めてきた。共同記者会見で、手を差し出す安倍首相(左)とトランプ米大統領=2018年6月 では、この状況に安倍首相はどうしたか。ここでも政策で無理をしない、である。「間違ってもトランプの口車に乗って自主防衛や核武装だの、するものか」と決意しているかのようである。世界中のエスタブリッシュメントとけんかしているトランプに本気で付き合う気はない。 また、核武装や自主防衛など、法制局・主計局・創価学会を敵に回す。考えたくもない。それならば、世界中で嫌われているトランプを各国の首脳と取り持てば、面倒な努力をしなくても恩が売れる。「トランプ内閣の外務大臣」である。 世の中には安倍首相を「トランプの参謀総長」と誇張する御仁もいるようだが、わが国がいつ軍事努力をしたのか。語るに値しない野党 第五は、敵がいないことである。これまで述べてきたように、内閣法制局や財務省主計局、創価学会を怒らせなければ、麻生派や二階派、公明党が応援してくれる。自民党内反主流派がこれを崩すのは容易ではないだろう。 野党に至っては、語るに値しない。海江田万里、岡田克也、蓮舫、枝野幸男…。安倍内閣を「支える」人材が豊富である。彼らが野党第一党の党首を続けてくれる限り、安倍自民党内閣は安泰であろう。 たとえ中途半端でも、景気は回復している。何かの一つ覚えのように「モリカケ」を繰り返すだけの野党に、国民は政権を渡す気はないだろう。安倍自民党に不満が充満しても渡す気にはなれないだろう。「いくらモリカケを騒いでも、野党がザルだから大丈夫」…くらいのことは誰でも言えるが、ではなぜ安倍自民党に対抗できる野党が存在しないのか。 仮に去年の衆院選の際、人気絶頂だった小池百合子氏が「首相を3日やれば死んでもよい」と決心して、後先考えずに全野党を結集していたら安倍内閣は即死だっただろう。だが、できなかった。それを小池氏個人の力量に帰すのは簡単だが、組織の裏付けがないと野党結集など不可能だ。 では、創価学会に対抗できる組織とは何か。労働組合の連合である。現在の連合の首脳は、神津里季生会長と逢見直人会長代行(前事務局長)は、旧民社系で保守色が強い。この2人が「別に安倍内閣が続いてもらってよい」と考えているのではないか。そう考えないと説明がつかないことが多いのだ。 枝野幸男立憲民主党代表にしろ、玉木雄一郎国民民主党代表にしろ、安倍内閣以上の政権運営ができるのか。小池氏にしても然り。すなわち、彼らが政権を獲るよりも、安倍政権に存続してもらった方がアベノミクスで労働者の賃金は上がり、雇用は改善されるのである。立憲民主党の枝野幸男代表(酒巻俊介撮影) もちろん、金融緩和を中核とするアベノミクスとて、消費増税の影響で中途半端だ。しかし、安倍首相以上に景気を回復できそうな総理大臣候補はいない。ならば、何が何でも安倍政権を倒すなどという野党結集など、邪魔した方が合理的だ。 ついでに言うと、連合は組織内に自治労と日教組を抱えている。彼らは景気回復には反対だ。デフレを脱却しなければ民間の賃金は上がらず、公務員の給料は相対的に上がる。神津、逢見の両氏も自治労や日教組を敵に回す度胸はあるまい。安倍首相が、法制局や主計局、創価学会を敵に回す度胸がないように。 ここに、安倍首相と連合首脳の思惑が一致する。口では保守を唱えながら労働者に優しい総理大臣を引きずり下ろす必要など、どこにあるのか。 しばしば「マトモな野党が存在しない」との慨嘆が聞かれるが、組織論からの考察がほとんどなされないのは、どういうことか。しょせん議員の数合わせなど、組織の意向で決まるというのに。復活した「55年体制」 第六が、55年体制が復活していることである。この場合の55年体制とは、「常に衆議院の過半数を自民党が占め、野党第一党が“やられ役”を演じる政治運営」のことである。自民党は与党でいることが唯一の存在意義である。 対して、戦後政治において野党第一党の座を占めてきた、社会党~民進党~立憲民主党の系譜には共通点がある。政権を獲って国政を担う責任感は皆無だが、野党第一党の座は死守したい。そうすれば他人の批判だけで飯が食えるからである。 この意味では、上にあげた三党よりは、旧民主党はマシである。政権を獲る意思があったという一点で。ところが、民進党や立憲民主党は、すっかり社会党に先祖返りした。当選回数が若い議員はともかく、地盤が安定している幹部たちは落選の心配がないのだから、野党第一党の座さえ守れば党勢拡大のような面倒くさいことは考えてもいないのだ。 かつて、「まさか社会党に政権を渡すような非常識はできない」という理屈がまかり通り、自民党の腐敗が悪化し続けた。今はどうか。まったく同じ構造ではないか。 そして、55年体制で忘れられがちな側面がある。政界では保守政党の自民党が与党で、リベラル(昔は革新を名乗った)が“やられ役”だった。その反面、言論界では革新が多数派で、保守は「やられ役」だったのだ。かつては、自民党を革新の立場から論評するのがインテリであるとの風潮さえあった。 では、今はどうか。確かに、インターネットの普及で保守側の言論の発信も可能になった。ネットは右翼的言論が強いから「ネトウヨ」、テレビを見ている層は左翼的言論に影響されるから「テレサヨ」と呼ばれる。 言論界の主流であるテレサヨは「安倍政権は0点だから、何にでも反対しなければならない」と主張し、ネトウヨは「安倍政権は100点なのだから、保守は安倍政権を全肯定しなければならない。一つでも批判する奴はサヨクだ」と罵る。結局、テレサヨは「安倍政権にケチをつけているだけ」であり、ネトウヨは「安倍政権にケチをつけている勢力にケチをつけているだけ」ではないか。安倍晋三首相 しかし、人間界で起こることの評価に100点や0点があるだろうか。1~99点の間の膨大な中間地帯にこそ、正解があるのではないか。結果、冷静な議論はかき消される。 真の権力を握る勢力、すなわち法制局や主計局、創価学会―の既得権益を脅かさないという条件で安倍政権は長期化を認められ、国民からも消去法で選ばれる。「別に安倍でいいではないか?」と。結果、55年体制の劣化コピーの出来上がりである。 こうした言論は、熱心すぎる安倍支持者の怒りを買うだろうが、知ったことではない。安倍政権を支えてきたのは積極的な安倍支持者ではない。そのような勢力は「ノイジーホシュノリティー」にすぎない。安倍政権は、消極的な支持を得ることがてきたからこそ、これまで存続できたのである。それが、安倍政権が倒れない「唯一の積極的な理由」ではなかろうか。 安倍政権には、勝利の方程式がある。すなわち、「日銀が金融緩和をする→株価が上がる→支持率が上がる→選挙に勝てる→誰も引きずりおろせない」である。「株価連動政権」と呼ばれるゆえんである。支持者は政治に興味がない国民 要するに、黒田さんがお札を刷っている限り、安倍政権は倒れないのである。黒田さんとは、もちろん黒田東彦日銀総裁のことである。この人物は今年3月と5年前の人事で安倍首相が押し込んだ。日銀の政策は、1人の総裁と、2人の副総裁、6人の委員が決める。安倍首相は政権発足以来、この9人の人事で勝ち続けた。 旧民主党政権のみならず安倍首相以前の歴代自民党内閣は、お札を刷るのを拒否し続けた。麻生内閣に至ってはリーマンショックで世界中が増刷競争を始めた時に、頑(かたく)なに増刷を拒否し続けた。結果、何の関係もない日本が地獄絵図の惨状に陥った。 アルバニア並みの経済政策である。アルバニアとは、政府主催のねずみ講で国家崩壊に至った国のことである。その張本人のラミズ・アリア大統領は、後に首相に返り咲いている。 リーマンショックの責任者である麻生太郎が副総理兼財務大臣として返り咲くなど、ラミズ・アリアを笑えまい。どこの愚か者が、このようなタワケた人事を行ったのかと糾弾したくなるが、自分の国の自分の総理大臣のやらかしたことだから呑み込もう。 とはいうものの、このような失敗をしつつも、安倍首相は日銀人事で勝ち続けた。そして「勝利の方程式」につながっている。これが、安倍政権が倒れない唯一の積極的な理由である。そして、消費増税の悪影響で緩やかでしかないが、景気は回復してきている。これまで上げてきた理由が重なり、安倍政権が長期化したことで多くの人が救われた。 大多数の国民は、自民党に憲法改正などと言う夢物語を期待していない。くどいが、安倍自民党改憲案は夢としても、まったく魅力がない。 最後に。安倍首相は総裁3選を目指すという。戦後、3期やり遂げた総理大臣と言えば、吉田茂と佐藤栄作しかいない。そして2人とも晩節を汚し、心ある側近は「2期でやめておけば」と後悔した。当たり前の話だが、政権が長く続きすぎること自体が悪なのだ。権力には自浄作用が必要であり、長すぎる政権は硬直化して歪が生じる。 では、安倍首相は3選を目指すにあたり、何を目指すのか。これまでのように政治家ではなく行政官に徹するつもりか。もし、これが「一日でも長く総理大臣を続けたい」だけの愚劣な人間なら巧妙な政争術だ。ただし、その場合は「二度と戦後レジームからの脱却などと生意気なセリフを吐くな!」との批判を甘んじて受ける覚悟だろうが。約1年半ぶりに開かれた党首討論で安倍晋三首相(右手前)に質問する立憲民主党の枝野幸男代表=2018年5月、国会 現時点で安倍政権がやろうとしている政策は、消費増税10%くらいなのである。それも別に安倍首相でなければできない話ではない。むしろ景気回復前の増税阻止ならともかく、増税を公約に3選を目指すのか。さらに来年は統一地方選と参議院選挙がある。増税と9条改正を掲げて選挙に勝てると思っているのか。その場合、安倍首相が勝とうが負けようが、日本人は地獄に落ちる。 安倍政権が安泰なのは、景気回復について、多数の政治に興味がない国民が支持してくれるからであり、本質的には無難な政治しかしていないからである。安倍政権こそ、戦後レジームの護持者として長期政権化しているのである。

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    「新聞読まない人は自民支持」麻生太郎、マンガ的論理の本質

    歳代で自民党支持が高いことを指摘した上でこのように持論を展開し、例によって物議を醸した。 教養溢れる政治家である麻生氏が疑似相関のことを知らないはずはないだろう。それを承知した上での、「自民党支持」=「新聞を読まない」という「カマシ」だったと、ここでは好意的に解釈しよう。 確かに「若者は新聞を読まない」は、麻生氏の指摘通りであり、深刻な問題である。朝、家に届いた新聞を父親が読み、父親が仕事に出掛けた後、学校に行くまでの時間で主要な記事をナナメ読みし、ちょっと大人になった気分を味わう。筆者のような還暦男が小中学生だったころの昭和40年代のノスタルジックな「新聞で1日が始まる風景」は、もはや遠い昔のことになった。2018年7月、自派の夏期研修会で講演する麻生太郎副総理兼財務相(酒巻俊介撮影) 実際、新聞という存在自体が、今の若者にとっては遠い存在になっている。私は大学で「新聞学」を講じているが、自宅通学生は家で新聞を定期購読しているものの、下宿生で新聞を定期購読している学生はほぼ皆無だ。 日本新聞協会のデータでは、2000年の段階で、朝夕刊セットを1部とした新聞の発行部数は約5371万部、1世帯当たりの部数は1・13部あった。ところが、最新の2017年になると、発行部数は約4213万部と2000年の約78%に落ち込んだ。1世帯当たりの部数は0・75部で、単純に言えば4世帯に1世帯が新聞をとっていない、ということになる。「思春期仮説」のバイアス 高齢単独世帯が増え、経済的負担から新聞をとらなくなった側面もあるとはいえ、「新聞離れ」を牽引(けんいん)しているのは若者である。 総務省の平成29年版情報通信白書で、2016年のメディア利用行為者率を見ると、平日に新聞を読んでいるのは全体で28・5%。50歳代で41%、60歳代で55・4%だが、20歳代ではわずか6・7%、30歳代で18・2%だ。20歳代では、ネットが96%、テレビでも70・3%だから、いかに新聞が若者からそっぽを向かれているかが分かる。 同時に「10歳代から30歳代で自民党支持が高い」ことも、各種世論調査で指摘されている。ここでは、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が月1回程度実施している合同世論調査のデータで、自民党支持層の比率の変化を「20歳代・30歳代(2016年4月以降は18、19歳を含む)」の「青年層」、「40歳代・50歳代」の「中年層」、「60歳以上」の「高年層」に分けて見てみよう。 2012年12月の自民党の政権復帰後、全世代で自民支持率は上昇しているものの、「青年層」の支持率が「高年層」のそれを上回るときも見られるようになったのである。保守的で安定を求める「高年層」が自民党を支持し、変化を志向する「青年層」が野党を支持という構図は崩れ、「若者の保守化」と言われる現象が起きている。 政党支持には「思春期仮説」が有効だとも言われている。つまり、若い時代に支持した政党を一定程度引きずっていくということで、全共闘世代で政権批判的傾向が一定の割合でみられるのは、「思春期仮説」の証左ともいわれている。そうすると、若い世代で自民党支持の比率が高いということは、これからも自民党を支持する人たちが一定の比率で40歳代、50歳代になっていくという可能性はある。総裁選出馬を目指す野田総務相のお膝元、自民党岐阜県連会長代行の猫田孝県議(左)は安倍首相の支持を表明した=2018年7月24日 2018年7月の最新合同世論調査では、安倍晋三首相の政権運営を「評価する」と回答したのが10~20代で、男性が73・2%、女性が61・2%と年代別で最も高く、「アベノミクス」を背景に雇用改善や景気回復が進んでいけば、青年層の政権支持も継続していくだろう。 一方で、政権運営を「評価する」と答えた60代以上は男性が40・7%、女性が37・7%にとどまった。経済政策が若者の雇用に好影響をもたらし、自民党支持に結びつくことはあっても、「新聞を読まない」=「自民党支持」と結論づけるのはいくらなんでも乱暴に過ぎよう。 もっとも新聞報道も、いわゆる慰安婦問題のような「誤報」を垂れ流し、訂正もせずに国際社会における日本の立場を損なったままにしてきた面があったことは否めない。そのような報道のあり方に対する不信が、若者の新聞離れを加速させた部分があると言える。だとすれば、新聞などの既存メディアは「信用できないメディアだ」という意識と、新聞の「反安倍ありき」報道のうさん臭さの意識がどこかで結びついているのかもしれない。麻生氏は未来の政治を先取り? 共産党の小池晃書記局長は、麻生氏の発言を受けて、「紙の新聞に普段から親しみのない若い層の人たちに『しんぶん赤旗』の電子版を広げて、そういう人たちが読めばみんな共産党支持になる状況を作り出したい」と意気込みを語った。紙で配達する新聞が衰退していく中でも、若い世代がさまざまな政治的課題について、政党機関紙や新聞の電子版を通して政治的社会化を図っていけるように不断の努力を行うことが求められよう。 「新聞を読まなければ自民党支持」などとあぐらをかいている場合ではないのである。もっとも、麻生氏は「活字離れ」という点ではフロントランナーとして知られている。 何といっても、愛読書がマンガの『ゴルゴ13』である。活字至上主義の世代は眉をひそめたが、漫画世代の若者からは拍手喝さいを浴びた。え、ひょっとして麻生氏は時代を先取りしている? この世の中、「活字離れ」が続いて政治自体も変わっていくのだろうか。 東京・神保町で創業した「五車堂書房」は1967年から国会に書店を出店し、政治家の読書傾向をつぶさに見てきた。五車堂書房の幡場益(はたば・すすむ)店主はかつてメディアのインタビューに答え、伊東正義元外相と倉成正元外相、前尾繁三郎元衆院議長は大変な読書量で「政界の三賢人」とも称され、月に500万円も本代に費やしたこともあったと語っている。 同時に、欧州や米国の政治家は、ギリシャやラテンの古典を勉強しており、日本でも人の上に立つ人は、中国の陽明学や帝王学を学ばないといけないが、あまり読む政治家もいなくなったと慨嘆している。 豊富な読書量に裏付けられた「賢人政治」の時代も今は昔、愛読書は漫画という政治家が若者を中心とする有権者を引きつけ、政治に活字はいらない、とばかりに疑似相関もなんのその、放言連発で政治を革新する時代が来るのだろうか。2016年11月、京都国際マンガミュージアムの10周年記念式典に駆けつけ、蔵書や展示物を鑑賞する麻生太郎財務相(右から2人目)=寺口純平撮影 それとも「活字離れに目くじらを立てる世代は時代遅れだ」と言われる日が来るのだろうか。「放言大臣」麻生氏はマンガのような政治を先取りしているのか。個別の政策には問題を感じながらも、感性で「まあいいや」と流すような世論は、批判しかできない野党のだらしなさがあるにせよ、どこかマンガチックだ。 「若者はマンガが好きである」「麻生氏はマンガが好きである」、すなわち「若者は麻生氏が好きである」などという疑似相関は…いや、まさかとは思うが…。

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    若者は本当に自民党を支持しているのか

    党への投票割合が高まることとなる。(出所)公益財団法人明るい選挙推進協会資料により筆者作成 さらに、政治的満足度と投票政党との関係を図8により確認すると、政治的に満足している層は自民党や与党に投票し、民進党や革新政党に投票するのは政治的に満足していない層であることが分かる。 つまり、自民党の政策のパフォーマンスが良く有権者の生活満足度が高まると自民党への投票割合が高まり、自民党の政治基盤が安定し、有権者の政治的満足度が高まると、有権者はより一層自民党に投票するようになるのだ。アベノミクスはその名の通り安倍総理の経済政策であり、アベノミクスの高パフォーマンスはすなわち自民党への支持に直結する。(出所)公益財団法人明るい選挙推進協会資料により筆者作成 上で見た通り、政権与党の経済政策のパフォーマンスが、想定通りであれ、偶然であれ、良好でありさえすれば、国民の生活満足度が高まり、その結果国民はより政権与党に投票しその結果政権与党の政治基盤が安定すれば、政権与党は現在の経済政策を継続しやすくなったり、場合によってはさらに思い切った経済政策の採用が可能となることで、今まで以上に経済パフォーマンスを向上させることが可能となれば、政権与党にとっては好循環が続くこととなる。こうした業績・生活満足度・政治的満足度のトライアングルがもたらす好循環が現在自民党に有利に働いていると考えられる。 つまり、こうした好循環の結果こそが、若者の自民党支持がそれほど上向かない中で投票先政党として選択されている理由なのである。 これまで見てきた通り、若者は最近突然積極的な自民党支持に転じたわけではなく、イデオロギー・フリーな無党派の立場から、自民党の業績評価に基づく投票を行い、自民党に投票するか野党に投票するかを決定しているに過ぎない。現在、自民党は好調な雇用状況を起点とする好循環に支えられている側面が強い。 これは別のアングルから見れば、自民党の一人勝ちが今後も続くか否かは、経済の動向次第であるとも言える。例えば、2009年に民主党は、高齢世代から子育て世代重視へとそれまでの政策のパラダイムチェンジを行うことで政権を奪取したように、政策上のイノベーションにもう一度成功することができれば、支持を回復することが可能となるかもしれない。2017年10月、衆院選の投開票当日、大阪市内の投票所を訪れた有権者 客観的なデータに基づいて様々な観点から、若者の自民党支持の増加について検証を行った結果、若者の自民党支持が近年特に増加したとの積極的な証拠は見つからなかった。どちらかと言えば、良好な経済・雇用パフォーマンスに支えられた現象に過ぎず、今後の経済動向次第では自民党への支持も一転減少してしまうこととなるだろう。しまさわ・まなぶ 中部圏社会経済研究所チームリーダー。富山県生まれ。1994年東京大学経済学部卒業 同年4月経済企画庁入庁。調査局内国調査第一課、総合計画局計量班、調査局国際経済第一課等を経て2001年内閣府退官。02年秋田経済法科大学経済学部専任講師、04年10月秋田大学教育文化学部准教授。12年4月より現職。

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    新聞記者たちがあっさり騙される安倍首相「信号無視話法」

    た安倍首相の答弁スタイルを「信号無視話法」と名づけたのは都内在住の会社員・犬飼淳氏である。「もともと政治には興味がなかったが、国会で1年以上にわたって騒いでいるモリカケ問題では、非常におかしなことが起きているんだろうと感じていました。しかし、テレビのニュースでは問題の本質が見えてこない。新聞は詳しいが、やはりわかりにくい。そこで自分なりにまず安倍首相の国会での説明を視覚化してみようと考えたんです」 犬飼氏は1年半ぶりに開かれた5月30日の党首討論から、首相が質問にまともに回答した部分を「青」、全く聞かれていないことを答えたり、論点のすり替えで誤魔化した部分を「赤」、なぜか質問内容を繰り返したり、解説した部分を「黄」と“信号機”のように色分けしてみた。するといきなり問題の本質が見えてきた。「首相夫人が公務員を使って、財務省に(森友学園への)優遇措置を働きかけるのはいいことか」などと質問した枝野幸男・立憲民主党代表への答弁では、首相は枝野氏の持ち時間19分のうち12分も喋り続けたが、犬飼氏が文字数を計算すると「青」答弁はわずか4%、しかも「政府はコメントする立場にはない」と、内容的にはゼロ回答だった。 志位和夫・日本共産党委員長の「モリカケ問題で文書の改竄、隠蔽、廃棄、虚偽答弁という悪質な行為が起きた理由をどう考えるか」という質問に対しては、なんと「青」答弁がゼロという結果になった。2018年4月、「桜を見る会」を終え、記者の質問に答える安倍晋三首相(中央)=東京・新宿御苑(代表撮影) 6月27日に行なわれた2回目の党首討論でも、首相は志位氏の「加計学園が総理の名前を使って巨額の補助金を掠め取ったのではないか」という質問に、約6分間も「赤」「黄」答弁を繰り返した挙げ句、「私はあずかり知らない」とゼロ回答だった。説明責任? 何それ?説明責任? 何それ? 新聞記者と同じく追及する側の野党党首の実力不足もあるにせよ、この「黄」「赤」ばかり点灯させる信号こそ、真相解明という“車”が立ち往生し、1年以上も国会で堂々めぐりの議論が続いている原因なのだ。「この視覚化で再認識したのは安倍首相がたいへん不誠実な答弁を続けているということです。メディアは今の政治についてもっとわかりやすく報じてほしい」(犬飼氏) 新聞各紙はさすがに30日の党首討論について、「安倍論法もうんざりだ」(朝日)、「政策を競う場として活用せよ」(読売)、「もっと実のある中身に」(日経)と翌31日付の社説で注文を付けているが、“自民党支持者は新聞を読んでいない”とバカにしているから何と言われても響かない。 そればかりか、6月19日、初めて記者会見に応じた首相の「腹心の友」加計孝太郎・加計学園理事長まで、記者の質問に議論のすり替えや「記憶も記録もない」という首相と同じ「信号無視話法」を駆使し、わずか25分で一方的に打ち切った。 安倍首相を筆頭に、佐川宣寿・前国税庁長官、柳瀬唯夫・元総理秘書官、そして加計理事長と“安倍一味”に共通する態度からは、これからこの国の政治腐敗がどれだけ広がろうと、「総理の友人ならおかまいなしで、国民への説明責任もいらない」という信号無視の暴走政治が始まることを示唆している。 安倍首相は今国会2回目の党首討論でついにこんな言葉まで繰り出した。「(党首討論の)歴史的な使命が終わってしまった」 信号無視どころか、信号機を壊し始めたのだ。そして政治の暴走は止まらなくなる。関連記事■ 信頼失った朝日新聞 安倍―麻生の印象操作の餌食に■ 朝日新聞の信頼度は日本の有力紙の中で最下位 英調査■ 右派系まとめサイトの管理人に「目的」を直撃してみた■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ 麻生氏が「悪いのは昭恵だろう!」と怒鳴る声が役人に話題

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    安倍晋三首相 総裁3選を決めてしまおうと“約束手形”乱発

     9月に自民党総裁選を控えている安倍晋三首相だが、西日本豪雨の夜に衆院赤坂宿舎で行われていた酒盛り(7月5日)、いわゆる「赤坂自民亭」で批判を浴びた。そのため、「総裁選より災害対応」をアピールするために、総裁選出馬表明を延期する方針だと報じられている。だが、「被災者優先」は口先だけだ。 安倍首相は国会後半、岸田文雄・政調会長との「和食会談」(6月18日)や麻生太郎・副総理兼財務相、二階俊博・幹事長との「ステーキ会談」(6月20日)など積極的に実力者との会合を重ねてきた。今回の赤坂自民亭の出席も「竹下氏取り込みが目的」(側近)だと見られている。「総理は一気に総裁3選を決めてしまおうと約束手形を乱発している。岸田さんには“総裁選に出馬しないなら、どこでも望むポストを”と幹事長起用を匂わせ、麻生さんには“政権が続く限り副総理兼財務相に留まってもらいたい”と説得、二階さんには“これからも幹事長として党の重しとなってほしい”と喜ばせている」(細田派議員) それでは幹事長が2人になってしまうが、さらにもう一枚、竹下亘・自民党総務会長にまで約束手形が切られたという。「総理が一番気にしているのが竹下派の動向だ。ここが石破支持に回ったり、岸田に出馬をそそのかすと厄介だ。そのため官邸の安倍側近からしきりに竹下幹事長説が流されている」(同前)“毒まんじゅう”も登場する。安倍自民党は参院定数を6増する公選法改正案を国民の批判を承知で成立させたが、これも総裁選対策のひとつという見方が強い。元参院議員・脇雅史氏の指摘だ。2018年5月、自民党石原派の派閥パーティーで石原前経済再生相(右)と握手する安倍首相=東京都内のホテル「今回の参院の選挙制度改革の内容は参院自民党の党利党略そのもの。安倍総理も筋が通らないおかしな制度だと思っていると推察するが、総裁選やその後の政権運営で参院自民党の支持を取り付けたいから、彼らのいうままに目をつぶって成立させたのだと思う」 自民党の参院議員はこの“毒まんじゅう”を喜んで食べたが、毒が回るのは定数が増える議員の給料を払わされる国民なのだ。関連記事■ “赤坂自民亭”で安倍首相が若手議員に地方行脚を売り込み■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ カジノ3か所開設 横浜、大阪、長崎、沖縄の椅子取りゲーム■ 野田聖子氏も「非常に厳しい」 日本で女性総理は誕生するか■ 大麻解禁派にのめり込む安倍昭恵夫人 官邸は危うさを心配

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    文科省汚職、マスコミの追及が手緩いのは前川喜平さんのおかげである

    ていた前川氏の責任は重いのだが、ご存じのように加計学園問題に関して、彼はマスコミや「反安倍」といえる政治勢力たちに担ぎ上げられている。特に、前川氏自身は講演会などで安倍政権批判を熱心に行っていると報じられている。 その姿勢が「反安倍無罪」とでもいうマスコミの風潮に乗って、マスコミや反安倍勢力での「人気」に結びついているのだろう。だが、前川氏のマスコミ「人気」と、彼が官僚時代に行った不正を比較してみると、「反安倍無罪」というべきマスコミの姿勢の問題性が浮かび上がってくるはずだ。 また文科省の腐敗は、この天下り斡旋だけにとどまっていない。文科省の幹部職員が「裏口入学疑惑」と「接待疑惑」で起訴ないし逮捕されている。両方ともいわゆる「霞が関ブローカー」が関与した、あまりに絵に描いたような汚職事件である。 文科省前局長の佐野太被告がこの「霞が関ブローカー」の調整を受けて、東京医科大側から自分の子供のいわゆる「裏口入学」の便宜を得た。佐野氏はその見返りに東京医科大側に私学支援事業の書き方を指導したとされている。 また、同じブローカーが同省前国際統括官の川端和明容疑者に対して、飲食店だけではなく、高級風俗店などでも長期間接待を繰り返したという。川端容疑者はそれに対して、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士をブローカーの関係する講演会に派遣する便宜を図ったとされている。 このような接待や裏口入学の手引は、まさに古典的な汚職の手段であり、それが今日まで文科省で長く行われていたことは驚くべきことである。この「霞が関ブローカー」の暗躍は前川事務次官時代を含めてかなり長期に及び、その文科省への侵入度合いが、果たしてこの2事例だけでとどまるのか、さらに組織的な広がりがあるか否かが大きな関心の的だろう。幹部職員が相次ぐ逮捕・起訴されている文部科学省(鴨川一也撮影) 実は、筆者は個人的にも大きな驚きをこの事件について抱いている。なぜなら、川端容疑者は筆者の大学生時代の教養ゼミの同級生だからだ。 川端容疑者が大学を卒業してからは全く交流もなく、同窓会などでも遭遇することはなかったと記憶している。そのためこの35年ぶりの「出会い」は本当に驚きであった。この問題も「反安倍無罪」? 筆者の所属していた教養ゼミは学年をまたいで親密になりながら、熱心に議論することで有名であった。先輩や同期はマスコミ関係に進む人間が多く、例えば最近『「共感報道」の時代』(花伝社)を出版したジャーナリストの谷俊宏氏は筆者の1年先輩であり、川端容疑者ともども勉学に励んでいた。 ただ、川端容疑者の報告は、他のゼミ生の報告内容を今でも記憶していることに比して、全く印象に残っていない。地味で目立たず、あまり積極的に発言もしなかった。 コンパの席上でも、他のゼミ生が政治から文化の話題まで幅広く談論風発する中で、川端容疑者は寡黙な人という印象であった。簡単に言うと、華はないが、実にまじめという印象だ。 筆者は海外放浪をして1年留年したので、川端容疑者の方が先に卒業していった。その就職先が科学技術庁(現文科省)と知ったときは、地道で手堅いな、となんとなく納得したものである。 今回、このデタラメとしかいえない汚職の報を聞いて、「彼は昔の彼ならず」なのか、という素朴な感想を持つ。それとも、文科省という組織そのものが、あの実直な青年をここまで堕落させたのだろうか。文科省国際統括官の川端和明容疑者=2018年7月撮影 この問題も、文科省の構造的なものかどうか検証が求められるが、他方で、この事案でも「反安倍無罪」的な報道姿勢がありはしないだろうか。例えば、現状で2人の野党議員の関与が噂されている。すでに一部の識者はラジオなどでその名前も明らかにしている。 だがマスコミ各社の報道の動きは極めて鈍い。もちろん野党自体にも追及の声は皆無に近い。テレビのワイドショーも、普段から「モリカケ」問題で取るに足りない情報だけで大騒ぎし、番組を挙げて政権批判を繰り返してきた姿勢とあまりに対照的である。 ひょっとしたら、モリカケ問題であまりにも官僚側を「称賛」しすぎてしまった反動で、文科省への腐敗追及の手が緩んではいないだろうか。まさかとは思うが、「反安倍無罪」がマスコミにありはしないか、一つの注目点である。

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    豪雨災害「クーラーデマ」を否定しない蓮舫議員もどうかしている

    ではなく間違った内容であっても、「真実」としてネットの中で生き残ることもしばしば見受けられる。特に、政治的な集団が先鋭的に対立している場合では、この「デマの延命」が見られるようである。 西日本の豪雨災害では、いまだ被災地で復旧作業や安否不明者の捜索が懸命に続いている。テレビや新聞の報道だけではなく、実際の被災者がほぼリアルタイムで知らせてくれる現状の一端は、被災地にいる人だけではなく、他の地域に住む人たちにも貴重な情報になっている。 民間の方々はもちろん、自治体や警察、消防、自衛隊などの人たちの必死の努力もネットなどで伝わってくる。事実、ボランティアの参加方法、寄付の注意点、また募金の重要性なども、筆者はネットを中心にして知ることができた。 他方でひどいデマにも遭遇した。中でも「風評被害」だと思えるケースが、岡山県倉敷市の「観光被害」とでもいうべきものだ。 今回の豪雨で、倉敷市の真備地区が深刻な浸水被害を受けた。だが倉敷の市域は広く、県内有数の観光地である美観地区はほとんど被害がない。観光施設や店舗なども平常通り営業している。 だが、「倉敷市が豪雨災害を受けている」というニュースや情報が、テレビでヘリコプターなどから映されている広域にわたって浸水した街の姿などとともに流布してしまうと、市域の広さや場所の違いなどが無視されて人々に伝わってしまう。ただし、観光客のキャンセルなどもあるようだが、この種の「風評被害」は、ネットメディアや一般の人たちの努力で打ち消していく動きも顕著である。2018年7月17日、風評被害により、観光客もまばらな岡山県倉敷市の美観地区(小笠原僚也撮影) 例えば、ツイッター上では「#美観地区は元気だったよ」というハッシュタグによる「拡散活動」が展開されている。また、大原美術館の防災の試みを紹介するネットメディアの記事で、今回は美術館のある美観地区が災害から免れているという紹介もあわせて説明されていて、それがよくネットでも注目を集めている。この種の試みや工夫は非常に重要だ。 これらの試みは、いわば民間の自主的な努力によるものである。言論や報道の自由が、あたかも市場での自由な取引のように行われることで、その権利が保たれるという見解がある。「言論の市場理論」とでもいうべき考え方だ。「クーラーデマ」と「コンビニデマ」 代表的には、19世紀の啓蒙(けいもう)思想家、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』の中で展開されている。今回のようにネットでのさまざまな風評被害を防ごうという試みは、多くは人々の自主的な言論活動で行われている。 他方で、冒頭でも指摘したが、より対応が難しいのは、政治的に対立した人たちが放つデマである。今回の豪雨被害では、ネットを中心に代表的なケースが二つあった。一つは、先週、安倍晋三首相が岡山の被災地を視察に訪れ、避難所を訪問した際のことである。ところが、この訪問後に、ツイッターで「安倍首相が視察に来るので慌ててエアコンを設置した」というデマが拡散した。 最初にデマを「ウソに基づく噂」と書いたことからもわかるように、これは真実ではない。このデマに対しては、世耕弘成経産相がツイッターで即時に否定した。被災各地の避難所へのクーラーの設置は、被災者を多く収容している施設にまずは優先的に行われていることを、世耕氏は指摘したのである。 もう一つのデマは、政府が自衛隊の車両を緊急利用して、品薄が続くコンビニエンスストアに食品や飲料などを輸送したことへの批判である。これには「物流費を肩代わりするとは官民協力ではなく、官民癒着だ」という批判が上がった。また自衛隊への心ない批判も多くみられた。 もちろんこれは「官民癒着」などではなく、デマである。すぐさまネットでは、これらの施策が1年前に「災害対策基本法」に基づいて、「官民が一体となった取組の強化を図るため、内閣総理大臣が指定する指定公共機関について、スーパー、総合小売グループ、コンビニエンスストア7法人が新たに指定公共機関として指定」されたと指摘している。 当然だと思うのだが、被災地のコンビニで、以前と同じように品物がそろうことは被災している人たちにも助けになることは間違いない。「官民癒着」も間違いならば、官民連携によるコンビニ「復旧」を批判するのは、あまりにデタラメではないだろうか。 ただし問題はここからで、このような「クーラーデマ」「コンビニデマ」でも、いまだに政治的に対立する人たち、例えば安倍政権を批判することの好む人たちの中では健在である。だから、取るに足らない理由でデマを延命させている「努力」について、確認することは難しくない。2018年7月11日、岡山県倉敷市の避難所を訪れ、被災者の話を聞く安倍首相 特に野党議員など、国会レベルでの政治的な対抗勢力の人たちがこのデマに加担していることも確認できるだけに、政治的な思惑でのデマの流布により、社会的な損失がしぶとく継続しがちだと思われる。なぜなら、政治的な対立者たちが合理的なデマの拡散者である、という可能性も否定できないからだ。 デマの拡散力とデマを否定する力と、どちらが大きくなるかは、「正しさ」の観点だけで決めるのはなかなか難しい。いずれが打ち勝つかはケースによる、と冒頭でも書いた通りだ。特にこのような政治が絡む案件ではデマは真実だけでは打ち消せないかもしれない。政治的バイアスを打ち砕けるか ネット社会の問題について詳しい法学者、米ハーバード大のキャス・サンスティーン教授が著書『うわさ(On Rumors)』(2009)の中で、類似したケースを紹介している。要するに、人々の自由な言論ではこの種のデマを防ぐことは難しいと、サンスティーン氏は指摘している。 ではどうすればいいのか。サンスティーン氏は「萎縮効果(Chilling Effect)」に注目している。つまり、法的ないし社会的なペナルティーを与えることによって、この種のデマを抑制することである。 例えば、デマの合理的な流布者に対し、悪質度に応じて、法的な制裁やまたは情報発信の制限を与えてしまうのである。これを行うことで、他のデマの合理的な発信者たちに、デマを流すことを抑制できるとする考え方である。 このような「萎縮効果」は確かに有効だろう。だが、あまりに厳しければ、それはわれわれの言論の自由を損なってしまう。 現状でもあまりに悪質なものには、法的な処罰やまたソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のアカウントの制限や削除などが運営ベースで行われている。それが「萎縮効果」をもたらしているかもしれない。「萎縮効果」はやはり補助的なものだと考えた方がいいだろう。 立憲民主党の蓮舫議員はツイッターで以下のようなことを書いている。 総理視察の直前に避難所にクーラーが設置されたとのツイッターに、経産大臣が随分とお怒りの様子で、かつ上から目線のような書きぶりで反応されていたが、もはや避難所にクーラーのレベルではなく、災害救助法上のみなし避難所の旅館・ホテルを借り上げ、被災者の居場所を確保すべきです。蓮舫氏の7月13日のツイッター 「クーラーデマ」を明瞭に否定せずに、世耕氏の発言を「上から目線」として批判することで、かえってデマをあおる要素もこの発言にはある。ただし、この蓮舫氏の宿泊施設への対策が政府にあるかないかについて、即座に自民党の和田政宗議員が次のように反応している。 ご意見有難うございます。ご指摘いただいた前日までに政府は既に対応済みで、12日の非常災害対策本部の会合で、被災者向けに公営住宅や公務員宿舎、民間賃貸住宅など7万1千戸を確保し、旅館・ホテル組合の協力により800人分も受け入れ可能となっている旨、報告されています。r.nikkei.com/article/DGXMZO …和田政宗氏の7月15日のツイッター2018年6月18日、参院決算委員会に臨む立憲民主党の蓮舫氏(春名中撮影) この与野党の国会議員のやりとりを、ネットユーザーが直接見ることができ、それに評価を下すことができる。確かに、政治的バイアスを打ち砕くのは至難の業である。だが、同時にわれわれの言論の自由は、その種の政治的バイアスに負けない中でこそ養われていくことを、災害だけではなく、さまざまな機会で確認したい。

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    「赤坂自民亭」人命より酒宴の安倍政権に心底絶望した

    杉隆(メディアアナリスト) 国民の命が次々と奪われようとしているまさにその時、一国のリーダーが仲間の政治家らと酒宴に興じていたら…。 7月5日、気象庁から西日本各地に歴史的な豪雨への警告が発せられた。その最中、安倍首相ら閣僚は、与党幹部ら約50人と「赤坂自民亭」(衆院議員宿舎で行われる安倍首相と党所属議員の懇親会)で宴を愉しんでいた。 同夜、西村康稔官房副長官や片山さつき議員の会員制交流サイト(SNS)には、サムアップをして記念写真に応じる参加者たちの酔った姿がアップされた。 国民の苦しみや悲しみに共感できない政治に未来はないだろう。また、自分の国に起こり得る悲劇を予見できない政治家には為政の資格もないといえる。 首相や党派への好き嫌いではない。国民の命を軽んじる政治は東日本大震災が起きた2011年3月11日以降の民主党政権で懲り懲りなのだ。 慌てた安倍政権は3日後に非常災害対策本部を設置し、「的確に対応していた」と応じている。また西村官房副長官も「安倍首相の陣頭指揮のもと」と繰り返している。 しかし、果たして本当にそうなのか。【日本人の恥】警察・消防・自衛隊・海保・民間有志は発災当初から国民の命を救ってくれている。自民党の力も総理の指示も関係なく…。政治のフェイク介入は現場の士気を削ぐ。むしろ党派の仲間たちと宴に興じていてください。 @AbeShinzo #西日本豪雨災害【日本人の恥】故郷の人々の顔を思い出さなかったのか?演技でも選挙区の有権者の顔が浮かばなかったのか?初代自民党総裁の孫の元秘書として自民党の変節を嘆く。 @AbeShinzo #岸田文雄 #山口県 #広島県 #豪雨災害【日本人の恥】故郷の人々の顔を思い出さなかったのか?演技でも選挙区の有権者の顔が浮かばなかったのか?初代自民党総裁の孫の元秘書として自民党の変節を嘆く。 @AbeShinzo #岸田文雄 #山口県 #広島県 #豪雨災害 【日本人の恥】防衛大臣、自衛隊員が飲酒しながら救援活動をしていたら懲戒です。#自衛隊 #西日本大水害 @AbeShinzo 100人、200人と国民の命が次々と失われていく様をみながら、筆者は感情的になりすぎたのかもしれない。気づくと、安倍首相や酒宴に参加した閣僚たちに対して、繰り返し抗議のツイートをしていた。「赤坂自民亭」で酒を酌み交わす安倍晋三首相(下段中央)と岸田文雄政調会長(同左)=2018年7月5日夜、衆院赤坂議員宿舎(西村康稔官房副長官のツイッターより) 実は、6年目の長期政権を迎える安倍首相にここまで嫌悪感を持ったのは初めてだった。約10年前、拙著『官邸崩壊』(新潮社)で、安倍政権を徹底的に批判し、首相辞任にまで追いつめた時ですら、安倍首相本人への嫌悪感はほとんどなかった。むしろ、本にも記した通り、安倍首相の周囲に集まる政治家や官僚やマスコミの人間に利用された「被害者」という意識を持っていた。 しかし、今回は違う。6年に及ぶ長期政権への過信と、国民への共感を忘れた奢(おご)りの気持ちが、酒宴を開かせ、記念写真を撮り、それをSNSにアップするという愚行を自ら許したのだ。 そして、その愚行を誰も止められなかったのは、安倍官邸のみならず、自民党という党派そのものの腐敗に尽きる。死刑前日に酒宴に参加する法相 悲しむべきことは、翌6日、オウム死刑囚7人の執行にサインをした上川陽子法相がその場にいたことだ。しかも、酒宴の主催者で集合写真では安倍首相の横で親指を立てている。 かつての筆者のボスである鳩山邦夫法務大臣は在任中に13人の死刑囚の執行にサインをした。歴代最多で、当時は朝日新聞に「死神」と揶揄(やゆ)されたものだ。 しかし、その鳩山氏が死刑執行の週にどういう気持ちでいたか、朝日新聞もメディアも知らないだろう。「自分のサインひとつで一人の人間の人生が終わるんだぞ。眠れなくなるのも当然だろう」とも語っていた鳩山邦夫法相。死刑の週には登庁前に必ず体を清めて墓参していた。朝日新聞に「死神」と書かれたが、そんな優しい「死神」がいるのか?民主党政権や現政権の法相の方が心がない。 @hatoyamayukio 筆者が代表を務めるNOBORDERが運営する報道番組『ニューズ・オプエド』に鳩山元法相の兄の鳩山由紀夫元首相が出演した昨日(12日)、筆者が当時の様子を明かした時の言葉だ。 法相は死刑執行の約48時間前、つまり二日前の火曜日か水曜日に、大臣室で執行のサインを行う。その前、執行者リストの知らせが、法務官僚(大抵は大臣秘書官)から受けるのだが、それが前週末か、当週の月曜日だという。 鳩山法相は、その知らせを受けると、早朝に自宅で身を清めて、東京・谷中にある先祖の墓参りをした。さらに、執行日まで墓参を繰り返し、夜は断酒、死刑囚への祈りを毎日欠かさなかった。 「そうですか。弟のそうした振る舞いは知りませんでした」 番組の中で、兄の鳩山元首相はそう語った。 筆者は、死刑反対論に与(くみ)する者ではない。しかし、人命を奪う最強の国家権力行使に当たって、担当の法務大臣が、前夜に酒宴で首相と並んでサムアップで記念撮影に応じるというのはどうしても容認できないのだ。麻原彰晃死刑囚らの死刑執行を受け、臨時記者会見を行う上川陽子法相=2018年7月6日、法務省(桐原正道撮影) 国民の命を軽視する政権に未来はない。いや、そうした政権の存続を許しているのは私たち国民だ。となれば、私たちの国、日本の未来は…。 政治は結果責任だ。安倍首相と自民党は日本の未来のために潔く決断をすべき時に来ているのではないか。

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    「笑点の安倍ネタは風刺じゃない」石平が綴った怒りの反論手記

    珠玉の一言」を繰り出す設問があった。そしてその中で、いつもの顔ぶれの落語家たちの口から、次のような「政治ネタ」が連続的に放たれたのである。 まずは三遊亭円楽さん、「安倍晋三です。トランプ氏から『国民の声は聞かなくていい』と言われました」。次は林家たい平さん、「麻生太郎です、やかましいィ。」。そして最後には、林家木久扇さんは「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」と嘆いてみせた。 以上が、後にインターネット上などで話題となった『笑点』の「三連発政治批判」である。テレビの前でそれを見た私は、「そんなのは落語としてどこが面白いのか」と思ったのが最初の感想であった。 例えば、最後の木久扇さんの「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」という答えを取ってみても、そこに何か落語の笑いの要素があるというのか。「米軍基地がいつ無くなるだろうか」という、そのあまりにも平板にしてストレートな一言を聞いて、腹の底から笑おうとする人間がいったい何人いるというのか。 程度の差はあっても、一番目の「安倍ネタ」と二番目の「麻生ネタ」も同じようなものである。要するに、この三連発の政治批判は笑いのネタとしてまずつまらないし、落語としての機転も芸も感じさせない。 そこにはむしろ、政治批判が目的となって『笑点』としての面白さは二の次となった、という感がある。はっきり言って、そんなネタはもはや『笑点』ではない。『笑点』の名を借りた政治批判にすぎないのである。 しかも、その時の政治批判は、一般庶民の視点からの政治批判というよりも、特定政党の視点からの政治批判となっているのではないか。例えば、沖縄の米軍基地について、基地が無くなってほしいと思っている庶民が、この日本全国に一体何割いるというのか。地元の沖縄でも、基地反対派と基地維持派が県民の中に両方いるはずだ。2018年1月、米軍普天間飛行場移設に向けた護岸工事が進む沖縄県名護市の辺野古沿岸部(共同通信社機から) 上述の『笑点』三連発の政治批判は、つなげて考えてみれば、要するに「反安倍政権・反米軍基地」となっている。それはそのまま、日本の一部野党の看板政策と重なっているのではないか。 私自身は『笑点』が結構好きで、日曜日の夕方に家にいれば、そしてチャンネル権が女房と子供に奪われていなければ必ずつけてみることにしている。だが、その日の『笑点』を見て、さすがにあきれて自分のツイッターで下記のようにつぶやいた。多くの共感を呼んだツイート先ほど家のテレビで久しぶりに「笑点」を見ていたら、「安倍晋三です。国民の声を聞かなくてよいとトランプに教えられた」とか、「沖縄の米軍基地はいつなくなるのか」とか、まるで社民党の吐いたセリフのような偏った政治批判が飛び出たことに吃驚した。大好きな笑点だが、そこまで堕ちたのか。石平氏の5月27日のツイート このツイッターは結局、ネット上で大きな反響を呼んだ。数日間のうち、8千人以上の方々からリツイートをいただき、1万5千人以上の方々から「いいね」をいただいた。そして私のツイッターには、この件に関して1100件以上のコメントが寄せられて、その大半は私のつぶやきに賛同する意見であった。 私がツイッターを始めたのは今から4年前だったが、今は37万人以上の方々にフォローしていただいている。正直に言って、私の「ツイッター史」において、これほど大きな反響を呼ぶツイッターを放った経験はめったにない。『笑点』の政治批判ネタに対する私の感想と苦言は、やはり多くの人々の共感を呼んだのである。 もちろん、私のツイッターに対する批判や反発の声も挙がった。お笑いタレントで演出家のラサール石井さんが自らのツイッターで、「時の権力や世相を批判し笑いにするのは庶民のエネルギーだ」「政治批判は人間としての堕落だと言いたいのか」と反論したのはその一例だ。 他にも、ネット上や、私のツイッターに寄せられたコメントの中には「権力を風刺し批判するのは落語の伝統だ」「庶民の気持ちを代弁して権力を批判するのはどこか悪いのか」といった批判があった。その中には、「落語の政治批判を許さないというのは言論統制だ、全体主義だ」と、一物書きである私のことを、まるで権力者に対するかのように厳しく糾弾するネットユーザーまでいた。 しかし、私からすれば、こういった反論と批判のほとんどは、まさに的外れのものである。政治風刺や政治批判を行うのは、確かに落語の良き伝統であろう。しかしそれは決して、観客としての私たちが、落語で行った政治批判を何でもかんでも無批判のままで受け入れなければならない、という意味合いではないのである。 政治風刺も政治批判も良いのだが、それには面白いかどうか、特定の政党や政治的立場に偏っているかどうかがつきまとう。それに対し、われわれ観客の一人一人が、自らの基準と心情に従って論評したり批判したりするのはむしろ当然のことだ。私は自分のツイッターで『笑点』のことを「堕ちた」と酷評したのだが、それも一観客としての私の感想にすぎないし、そして私にも私の感想を吐露する権利はあるのだ。2017年6月、『笑点』メンバーの(後列左から)林家三平、林家たい平、三遊亭小遊三、(前列左から)三遊亭円楽、林家木久扇 要するに、『笑点』には政治を風刺し、批判する自由はあるが、われわれ観客にも『笑点』の政治批判に賛同したり、批判したりする自由があるのである。「『笑点』は庶民の声を代弁して権力批判をしているから、『笑点』を批判してはならない」というような論法は、逆に『笑点』に対する批判を封じ込めて、『笑点』そのものを絶対的な権力にしてしまうのである。これこそ、問題の最大のポイントではないのだろうか。

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    『笑点』の安倍ネタは笑えない?

    ネタは昔からよくあった」「そもそもネタとして笑えない」。意見が分かれる今回の炎上騒動を機に、お笑いと政治風刺を考えてみたい。

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    立川談四楼手記、『笑点』はパヨク政権でもからかいます

    で、「『笑点』も墜ちた」ぐらいはまだいいんだ。ロクに番組を観てない人の言い草だからね。ただ「落語家が政治に口を出すな」「落語だけやってりゃいいんだ」にはカチンときた。『笑点』を観てないことについてはいいにしても、落語と落語家の歴史をまるで理解してない輩(やから)のほとんど妄言だからね。「笑点」メンバー(前列左から)司会の春風亭昇太、新メンバーの林家三平、林家たい平(後列左から)三遊亭圓楽、三遊亭好楽、林家木久扇、三遊亭小遊三、山田隆夫=2016年5月 まあ、少人数ならそれも一つの意見だろうとスルーしたけど、名のある人まで言ってるんだ。半面、「落語について無知であります」と表明しちゃってるわけだけど、著名人だけにフォロワーも多く、「いいね」やリツイートする人がかなりいて、一応ちゃんと抗議したということなんですね。  驚いた。私のツイートに対する「いいね」とリツイートが合わせて15000に達したんだ。もちろん「クソリプ(見当外れな返信)」も飛んでくるが、賛同がはるかに凌いで、少し溜飲(りゅういん)を下げる思いがした。私は写真も動画も使わず、140文字のジャストを昼過ぎに3本投稿するのを旨としている。そりゃ過去には3万超えなんていうこともあったけど、1万を超えるツイートはなかなかないんだ。一言で言うと反響が大きかったということです。某紙もそれを取り上げるくらいに。 落語家の政権批判はホント日常なんだ。それが証拠に『笑点』では民主党政権のときもやったし、それは昔からのものなんだ。つまり伝統でね。何しろあの番組は私の師匠の談志が作ったのだから、過激になるのも当然なのさ。 酒で早くに死んでしまったんだが、春風亭梅橋(しゅんぷうていばいきょう)という人はスゴかったね。「酔っぱらい運転はなぜいけないか」の題に梅橋、こう答えたんだ。「轢(ひ)いた時に充実感がないから」。私が高校生の頃だったが、これには引っくり返ったよ。   ある日、なぞかけで「オッパイ」という題が出た。 梅橋「オッパイとかけてヤクザの出入りときます」   「その心は?」 梅橋「すったもんだで大きくなります」ときた。 「パンティ」がお題のときもスゴかった。 「パンティとかけて美空ひばりのおっ母さんとときます」   「その心は?」   「いつも娘にぴったりと張り付いてる」  全編この調子でね。今じゃ完全に炎上案件だよ。視聴率が上がるとスポンサーがうるさくなって、それで談志の降板に至る、という歴史なのさ。だから当時の過激さが少しだけ顔を出したというだけのことなのさ。戦時中の国策落語と禁演落語 戦時中の軍部との戦いにも触れないといけない。落語の本質は「三道楽煩悩(さんどらぼんのう)」の「飲む・打つ・買う」、つまり酒と博奕(ばくち)と女郎(じょうろ)買いなんだ。それをどう描くかで落語家の腕が問われるのだが、戦時中だから、どうしたって不謹慎ということになる。 時代の空気を察した落語家は、いち早く動いた。時局にふさわしくない落語53席を葬ったのだ。これが世に言う「禁演落語」で、これもなぜ53席かで面白い説があるんだ。「東海道五十三次」になぞらえての53席という説と、もう一つは「53(ゴミ)みたいな落語」。つまり、どうでもいいネタを葬って軍部の目を欺いたという説があるんだ。どっちにしろギリギリ反権力をやってるんだね。 しかし「国策落語」にはなす術(すべ)がなかった。なにしろ「お国のために国威発揚(こくいはつよう)の落語を作れ」という命令だから逃げようがないのさ。随分作られ演じられたというが、ほとんど残ってない。終戦直後、いろんな書類が焼かれたというから、ま、そういうことだろうね。落語「出征祝い」を口演する林家三平さん=2016年3月1日、東京都台東区 でも近年、林家三平師が祖父の林家正蔵作と言われる『出征祝い』を演じて話題となった。しかし評判は芳(かんば)しくなかった。慌てて声を大にして言っとくけど、三平師の技量のせいじゃないよ。国威発揚の落語が面白いわけがない、という真理によるものさ。 前述したように、落語の基本は「飲む・打つ・買う」だよ。戦争と相性がいいはずないじゃないか。戦争と落語は180度両極に位置するものだからね。 でね、その最中に志ん生はこう言ったんだ。「国策落語なんて野暮なもの、俺やだよ」。そう言って志ん生は戦時中に円生とともに中国に行ってしまうんだ。興味のある人は調べてみて。面白い話がワンサと出てくるから。 落とし咄(ばなし)をするから咄家(はなしか)と言われてた江戸時代、冒頭のツイートにある通り、わがご先祖は幕府とも戦っていたんだ。スゴいね。「島流し」ってのが。時代劇のお白州(しらす)で発せられる「遠島(えんとう)を申しつくる」ってやつだ。 いや、咄家だけでなく講釈師にもいてね。この人は島抜け、つまり脱走して捕まり、ついには死罪になったという歴史もあるんだ。吉村昭が『島抜け』という題で小説にしてるくらいでね。 どうでしょう。いくらか反権力の歴史がお分かりいただけたでしょうか。あ、今、「共産党が政権を担ったらどうする?」という声がしました。 経緯は省きますが、私は保守論壇の重鎮、西部邁先生にかわいがっていただきまして、あるとき先生が「今、一番まっとうな保守は共産党だ」と言ったのを鮮明に覚えています。それもあって、「共産党政権の誕生も夢ではない」と思う者ですが、約束します。「たとえ共産党と言えども政権を取ったら大いにからかいます」と。 是枝裕和監督の『万引き家族』がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞、安倍さんはメダルや賞が大好きなのにこれを無視、ようやく林芳正文科相が祝意を表明、それを監督が辞退するという日に記す。

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    「お笑いと社会批評の境界」茂木健一郎が考える日本の政治コメディ

    。それが、私たちの課題だ。そのために、「笑い」は大切なきっかけになる。とりわけ、意見が対立しがちな「政治」の分野でこそ、本来、笑いの力が活かせたらと思う。 昨年、私は「日本のお笑い」は「オワコン」だとツイートして、大きく炎上してしまった。その時の経験で、私は、いろいろなことを反省した。最も大きな反省点は、ただ自分の意見を表すだけでは、それは自己満足のようなもので、伝わらないし、世の中においても良い事にはならないというものだった。漫才日本一決定戦「M-1グランプリ2017」開催会見で集まった出場者ら=2017年6月 その苦い経験から、私はネットでの自分の表現の仕方を変えた。何よりも、世間で対立しそうなことに対して、一方の側の意見を書いて満足するというような態度では、何も伝わらないし、変わらないということが身にしみたから、そういう書き方はしなくなった。 結果として、私は意見の表明に対して慎重になり、価値中立的なことか、これは多くの方に知ってほしい、というような情報だけをツイートするようになった。あるいは、他愛もないこと、ほほ笑ましいこと。 ツイッターの書き方を意識的に変えたのは昨年末のことで、以来、ほぼ半年ほど、私のアカウントで「炎上」はないと認識している。このまま、穏やかな時期が続けばよいのだけれども、今後のことは、私の修練と選択にかかっている。英王室風刺にタブーはない 状況も変わるかもしれないし、人ぞれぞれでよい。政治的なことについてストレートに発言を続け、結果として炎上している多くの方々のことは尊敬しているし、応援している。人は、自分が「こっち」と思う方に行くしかないのだ。そのような多様性こそが社会である。  笑いには期待している。意見が分断しがちなネット状況でコメディの精神をうまく使えば、「日本をもみほぐしたい」という願いが叶うかもしれない。しかし、批評的な笑いは難しい。特に、政治的な問題について笑いを適用するのは難しい。 コメディアンの目的は笑いであり、社会批評ではない。社会批評をすることで笑いが起こればそれはすばらしいことだが、社会批評をしても笑いが起こらないとすれば、それはコメディアンの仕事ではない。 以前、英国のBBCで『リトル・ブリテン』というコメディ番組を大ヒットさせたコメディアン、デイヴィッド・ウォリアムスとマット・ルーカスが来日した時、話す機会があった。その時、彼らが言っていたことが忘れられない。英国においては、王室は長年にわたってコメディの対象になってきた。そこには、タブーはなかった。 ただ、目的はあくまでも笑いであって、王室批評自体がゴールなのではない。ここから先は笑えるか、それとも笑えないか。ぎりぎりの境界をコメディアンたちは探っている。 デイヴィッドとマットは、「ダイアナ妃の事故の後しばらく、英国でも王室のことを笑いにするのは難しくなった」と言っていた。ネタにしても、聴衆が笑わなくなったというのである。日本における政治ネタも、それで聴衆が笑えばコメディアンの仕事として成立するのだろうが、笑ってもらえなければ、それは社会批評であってもコメディではない。 もっとも、コメディの「境界」は常にダイナミックに変化するものであって、そのフロンティアを探ってみたいというのが、「コメディ魂」なのであろう。 そんなコメディアンたちを、私は応援したい。日本では、政治的なコメディは難しいと思われがちだが、日本には、批評的コメディのユニークな可能性があるとも思っている。 たとえば、漫才。「漫才」は、批評的スタンスを持ち込むのに適したフォーマットの可能性がある。「ボケ」と「ツッコミ」をうまく呼吸させれば、欧米のスタンダップコメディとは違ったかたちで、日本でも政治的コメディを成立させられるかもしれない。 「ボケ」が過激なことを言い、「ツッコミ」が常識に戻すことでバランスを取る。かつて、ツービートが見事に見せたように、そんなフォーマットならば、難しいと言われがちな地上波テレビでも、放送できる可能性があるのではないか。「ツービート」のビートたけし(左)とビートきよし さらに、「落語」というフォーマットの可能性。落語は、世界の各地での笑いの文化を見渡した上でも、類まれにユニークなかたちをしている。特に、一人の演者が、多数の「登場人物」を演じ分けるという点。長屋で、くまさん、八っつあん、与太郎、ご隠居などの登場人物たちが、それぞれの思惑、個性で動き、全体としておもしろい調和ができる。笑いは脳進化の「智慧」 対立したり、けんかをしたりしても、それらがすべて響き合って、やがて一つの「笑い」となる。そう考えてみると、落語は多様性を許容した「社会的包摂」そのものである。 たとえば、米朝会談を落語にしたと考えてみよう。アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の意見は対立したり、時には口げんかもするのかもしれないが、その双方を落語の一人の演者が演じることができる。 「おい、そろそろ、放棄したらどうだい」 「そうは言っても、お土産がないとなあ」 「放棄したら、お土産をあげるよ」 「だけど、放棄した後で、お土産はないよ、お前の家を壊すよ、というんじゃ、嫌だよ」 「だいじょうぶ。家は壊さないと、保証するから」 「そうは言っても、君の後ろで、こわそうなやつらが腕組みしているぜ」 ……。 そして二人の「対話」が煮詰まったら、町内の「ご隠居」を登場させることもできる。 「おいおい、いい加減にしなよ、もう、お互いに歩み寄って、決めちまいな」などと。もっとも、現実の米朝会談に「ご隠居」はいないかもしれないが。 落語という「ファンタジー」の方が、人間にとっては温かく、楽しい。笑いは、不安や恐怖に打ち勝ち、不確実なことに挑戦するために脳が進化させてきた「智慧(ちえ)」である。大阪市全24区にちなんだ創作落語「参地直笑祭」をスタートした落語家の桂文枝 すべての動物の中で、複雑な認知プロセスを通して笑うのは人間だけだ。人間は、笑うからこそ、居心地のよい「安全基地」から未知の世界に向かうことができる。人間は笑うからこそ、宇宙にも行くし、人工知能も開発できるのだ。笑いはリスクの存在下でバランスを回復し、適切な選択をとるための最前線の「安全基地」となる。 今日の日本のように、さまざまな不確実性に囲まれつつも、やはり前に進むべき状況でこそ、笑いが必要である。笑いに至る「メタ認知」、つまり客観的に自分たちを見つめる能力こそが、難しい状況での判断力を高める。だからこそ、古来、優れたリーダーはユーモアのセンスがなければと言われてきた。 政治は国全体の進む方向だが、一人ひとりの人生にも、進むべき方向がある。人生の選択に、悩む人も多いだろう。どんな学校に行くべきか。会社を辞めるか、それとももう少しがまんするか。 私は、日本で政治コメディの文化が広まるためには、社会全体のメタ認知を高めなければと思っている。自分の状況を見つめ、不確実な状況下で行くべき道を選択して、よりよい人生を生きる、そんな一人ひとりの積み重ねが必要だと感じている。 日本に政治コメディが広がらない理由を、メディアや、政治家、ましてやコメディアンたちのせいにしても仕方がない。(かつて、私が誤解を与える発言をしたことについては、改めてお詫びいたします) 「日本をもみほぐす」ためには、まずは、「自分をもみほぐす」ことが必要なのだ。

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    「放言連発」「上から目線」でも麻生大臣はなぜ逃げ切れたのか

    ある。 対になっているということは「君子豹変」と「小人革面」は好対照を成すということだろう。ある人は政治家の「君子豹変」と官僚の「小人革面」のせめぎあいの歴史が繰り返されていると捉えたりするだろうが、同じ人物に両面を見ることも時にはあるものだ。 学校法人「森友学園」(大阪市)との国有地取引に関する決裁文書の改ざんが発覚してから3カ月近くたった。財務省は6月4日になって、ようやく調査報告書を発表した。 麻生太郎副総理兼財務相は大臣談話として「決裁を経た行政文書を改ざんし、それを国会などに提出するようなことは、あってはならないことであり、誠に遺憾である」「応接録についても、国会などとの関係で極めて不適切な取り扱いがなされていたものと認められる」と謝罪し、閣僚給与12カ月分の自主返納を表明した。結局、財務省では関係者20人に及ぶ処分者を出した。 この3カ月、国民は嫌というほど、森友問題に関する麻生氏の国会答弁や記者会見を聞かされてきた。テレビ朝日の女性記者へのセクハラ問題で、福田淳一前財務次官の更迭に伴うコメントにしてもそうだ。まさに、部下を一瞬にして悪者扱いする「君子豹変」と、自分は悪くないという姿勢を貫き通す「小人革面」の「麻生劇場」が繰り広げられたのである。 2018年2月13日、麻生氏は衆院予算委員会で、佐川宣寿(のぶひさ)国税庁長官(当時)を「国税庁長官としては適任だと判断したもので、事実、国税庁長官としての職務を適切に行っている」と持ち上げた。3月に朝日新聞が決裁文書書き換えの可能性について報じても、参院予算委で「答えることが捜査にどのような影響を与えるか予見し難い。答弁は差し控える」と突っぱねた。2017年2月、衆院財務金融委で答弁する財務省の佐川宣寿理財局長。左は安倍首相、右は麻生財務相=国会 3月9日、佐川氏の辞意表明後の会見でも、麻生氏は「彼が途中で辞めるということになったことに関しては、少々残念な気がする」と、佐川氏が適任であったという認識を変えなかった。それどころか、質問した記者の所属社をわざと「なんとか新聞」と述べ、当てこする始末だった。 それが一転、文書書き換えを認めた3月12日の記者会見で、麻生氏は「極めてゆゆしきことなのであって、誠に遺憾。私としても深くお詫びを申し上げる次第です」とようやく「お詫び」を口にした。それでも頭を下げるようなことはせず、「行政の長として深くお詫び申し上げる」と頭を下げた安倍晋三首相とは対照的に、麻生氏の「傲岸(ごうがん)不遜」を印象付けた。パーソナリティ、三つの特徴 確かに、麻生氏は佐川氏を「職務を適切に行っている」と持ち上げてはいたものの、行政文書の書き換えを認める会見では「佐川の答弁に合わせて、書き換えたというのが事実だと思っています」と文書書き換えが理財局長当時の佐川氏の答弁に合わせて行われた認識を示した。 さらに、「最終責任者が理財局の局長である佐川になると思う」と、理財局トップだった佐川氏に責任があると、「佐川」と呼び捨てにして言ってのけたのである。ただし、「私としては財務省全体の組織が問題とは考えていない」と、財務省全体への責任を否定するのを忘れなかった。 3月16日の参院予算委では、答弁中のヤジに業を煮やし、答えるのをやめて「やかましいなあ。聞きたい? じゃあ静かにしていただけますか」といらだちをあらわにするなど、相変わらず挑発的な姿勢を見せた。 こうして麻生氏は「悪いのは佐川と理財局」という「君子豹変」ぶりを見せ、最終的に佐川氏が主導して理財局が決裁文書の改ざんを行ったという報告書がまとめられたのである。 その財務省本体が、事務次官のセクハラ問題でも揺れた。発端は、女性記者に対する福田氏の「セクハラ発言」を『週刊新潮』が報じたことだが、財務次官の発言としては耳を疑うような内容が並ぶ記事は世間に衝撃を与えた。そのうえ、翌日には記事の元になった音源の一部も公開された。 だが、財務省のヒアリングに対して福田氏はこれを否定した。財務省は、事実関係を明らかにするために、財務省側の弁護士にセクハラ被害を申し出るよう求めた。 4月17日、麻生氏は音源について「俺聞いて、福田だなと感じましたよ。俺はね」と答える一方で、財務省側の弁護士にセクハラ被害を申し出るよう求めた件については「こちら側も言われてる人の立場を考えてやらないかんのですよ。福田の人権はなしってわけですか?」と、一方的に福田氏の側に立った上から目線の発言に終始した。財務省の外観・看板=2018年3月(桐原正道撮影) しかし翌日、事態は急展開する。麻生氏は記者団に対し、福田氏から辞任の申し出があり、認めたと発表した。この間、麻生氏からは「(福田氏が)はめられたという見方もある」「セクハラ罪はない」などいった発言も飛び出している。 この3カ月で、他の政治家には見られない麻生氏のパーソナリティーが遺憾なく発揮されたわけだが、それには三つの特徴がある。 一つ目は、マキャベリの『君主論』よろしく、自らの責任に累が及ばないように、「適材適所」と認めていた部下でもサッと切って捨てる冷酷さだ。「上から目線のお殿様」と揶揄(やゆ)されることもあるが、企業でもお人よしでは組織のトップは務まらない。麻生氏はそれを分かりやすい形で体現しているともいえる。安倍3選失敗で「君子豹変」? 二つ目は、マスコミに対して、ことさら挑発的な姿勢を見せることだ。「なんとか新聞」発言はその際たるものだろう。麻生氏は、米国を除く11カ国の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP11)が署名されたときにも、TPP11のことは一行も書かないで森友問題ばかり報道していたと、「日本の新聞のレベルが低い」と批判してみたりする。マスコミに遠慮して批判を控える政治家が多い中で、ここまでマスコミと事を構える政治家は、一部の有権者にはカタルシスにつながるだろう。 三つ目は、歯に衣(きぬ)着せぬモノ言いで「自分は悪くない」という「小人革面」を変えないが、「麻生さんだから仕方ないな」と思わせるレベルを自らコントロールしたことだ。「それを言ったらおしまいだろう」というグレーゾーンの発言に対して、野党は怒って麻生氏を批判するが、それで終わらせてしまうのである。 あれだけ好き放題に発言して、麻生氏への辞任要求が野党から出ても、辞めずに「逃げ切った」背景には、キレて冷静さを失ったように見せかけた絶妙のコントロールがあったのである。 企業社会に生きる人たちの中で、麻生氏の型破りな言動に快哉(かいさい)を叫びたくなる人も少なからずいるのかもしれない。だからこそ、麻生氏はプロレスのマイクパフォーマンスよろしく、野党やマスコミを挑発して、「俺にかかってこい」と言わんばかりの態度を貫きながら、辞任を逃れたのだろう。 もっとも、麻生氏が辞任してしまっては、さまざまな批判が安倍首相に集中してしまう。麻生氏に報道がフォーカスされるということは、世論の関心が麻生氏に向くので政権の「防波堤」になる、という見方もある。確かに、麻生氏は「絵になる」ので、麻生氏がマスコミにかみつくと、安倍首相や財務省もかすみがちになる部分はある。 ここまで来たら「死なばもろとも」、麻生氏は安倍首相と一蓮托生(いちれんたくしょう)で進んでいくしかあるまい。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界では、9月の自民党総裁選もにらんだ動きが既に繰り広げられている。 自民党の中にも、追及する野党やマスコミに迎合するかのように、安倍批判のトーンを上げる政治家もいる。とはいえ、彼らは「あわよくば」という魂胆がミエミエで、ひんしゅくも買っている。2018年3月、参院予算委で安倍晋三首相(左)と話す麻生太郎副総理兼財務相(斎藤良雄撮影) では、麻生氏は「安倍3選」が果たせなかったときに「君子豹変」してしまうのだろうか。一連の不祥事でも「上から目線」発言を貫いたことを考えれば、「やっぱり安倍には問題あったからね」と切って捨てるように、私には思える。 誰が次の自民党総裁に選ばれても、政治家のパフォーマンスに踊らされ、重要な法案の審議も含め、政治の本質がますます見えにくくなっていく悲劇を繰り返してはいけない。

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    松井一郎手記「安倍総理は敵じゃない」

    大阪市を廃止して特別区に再編する「大阪都構想」をめぐり、逆風に立つ大阪府の松井一郎知事がiRONNAに手記を寄せた。今秋の住民投票実施は見送られたが、一度は否決された構想への抵抗感は強く議論は紛糾。安倍首相の発言も重なり、構想の先行きは不透明だ。渦中の松井氏は今、何を思う。

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    松井一郎手記「安倍総理は本心をごまかしている」

    松井一郎(大阪府知事) 政治行政に100点満点はありえない。政治家が目指すのは、現状よりはマシになるか否かだ。大阪都構想は大阪府と大阪市の二重行政をなくすための役所制度の見直しであり、大阪都構想によって、すべての住民が100%満足する行政を提供できるものではない。 そもそも、行政サービスの原資は国民の税金であり、税収の範囲で成り立つサービスを立案し実施するのが行政の基本だ。だが、現在の日本の社会構造では、少子高齢化などで多様化する行政ニーズは税収の範囲を大幅に上回る。 このような、行財政運営は将来世代にツケを回し、いずれかは我々の子孫がそのツケを清算することになるのは明らかで、次世代から無責任の誹(そし)りを受けることになる。 将来世代にツケを回すことなく増大する行政ニーズを受けた行政サービスを維持する方法を考えると、その手段といえば増税をするか行政経費を圧縮するしかないが、安易な増税は住民生活を直撃することになりかねない。 ならば、まずは「行政経費圧縮から取り組むべき」が我々維新の会の考えだ。この10年、我々は公務員の意識改革、行政の効率化による経費圧縮に徹底的に取り組んできた。 そして大阪において最大の行政の無駄といえば、都市の成長を阻害してきた大阪府と大阪市の二重行政だ。大阪府と大阪市の対立の歴史は古く、1940年代にさかのぼる。当時大阪府から大都市が独立する特別市制度を大阪市は進めていたが、これに大反対したのが大阪府であり、大阪市の独立は大阪府によって阻止されたのだ。 その後、1950年代に大都市に都道府県権限を付与する政令市制度が施行され、大阪市は念願の大阪府からの独立を果たした。このときから大阪市域の行政は大阪市が、大阪市域以外の広域行政を大阪府が担う「二元二重行政」がスタートした。  1950年代から70年代までは、戦後の復興と高度経済成長好景気の影響もあり、大阪市域と市域以外の行政需要にそれぞれが没頭するという、広域行政の役割分担が比較的上手く機能していた時代であった。しかし、これは大阪府と大阪市の政策施策を分断する壁を決定的なものにした時期でもある。日本維新の会の党大会で、あいさつする代表の松井一郎大阪府知事=2017年3月、東京都内のホテル 結果、狭い大阪エリアに大阪府と大阪市が、それぞれバラバラに成長戦略を打ち出すことになり、都市機能強化のためのインフラ整備も停滞、挙句にお互いのメンツやプライドによる高層ビル建設といった公共工事に走り、両者が失敗した。これで莫大な府民市民の税金が無駄になり、大阪の経済を低迷させ、いわゆる、府と市を合わせて「不幸せ」と揶揄(やゆ)されるきっかけになった。 この大阪府と大阪市の不幸な関係を解消すべきということは、大阪の政治家なら誰もが公約したことであり、歴代の知事、市長も解決のための話し合いを実施してきた。太田房江知事と磯村隆文市長の時代には、新たな大都市制度協議会なるテーブルも設置されたが、お互いの主張は平行線のまま全く交わらず、最後は相手を批判して終了となった。 そもそも大阪府と大阪市はあわせて10万人以上の職員を有する巨大な組織で、双方に何十何百という部局課があり、そこで働いている職員は自分たちの仕事に自信を持っている。公僕として公に奉仕してきた矜持(きょうじ)があり、職員が自主的にそれぞれの仕事を仕分けするのは自己否定となりまとまるわけがない。大阪に二重行政はない 職員から見れば二重行政だろうが三重行政だろうが、それぞれはがんばっているのだからいいでしょうと考えるのは当然かもしれない。だからこそ、政治家が大都市大阪の広域行政と基礎自治機能の最適化の方向性を示し実行しなければならない。 ゆえに、私が知事に就任してから6年半、今の大阪に府市の対立、「不幸せ」と揶揄される二重行政はない。2011年の大阪府知事選と大阪市長選のW選挙で橋下徹氏が市長、私が知事になり、まず府市の行政を一体で進めるための行政組織「府市統合本部」を立ち上げたからだ。 そして、知事が本部長、市長が副本部長に就任して府市の担当部局で合意できない場合は、両者が協議して本部長である知事が最終的に意思決定するというルールを定めた。 もちろん、私と橋下市長が目指す大阪の将来像に違いはなかったので、広域行政一体化は一致しているが、これまでそれぞれで実施してきた行政施策を現実に一体で実施するとなると、担当部局同士では具体的な予算の配分や人員配置で折り合わないことは頻繁にあった。 例えば、広域インフラである高速道路や鉄道、JR大阪駅前の再開発「うめきた二期」においては府市で一緒に整備する方向は私と橋下市長で確認していた。だが、うめきた二期開発の公園整備の財源負担となると、大阪府財政当局は大阪市が維持管理する公園に大阪府が財政負担する理屈がないと主張した。「うめきた2期」再開発地区(手前)=大阪市北区 さらに、大阪市を中心に放射線状の鉄道ネットワークを横につなぐ大阪モノレールの延伸については、その大部分が大阪市以外に路線建設されるので、大阪市が財源負担に難色を示すといった具合である。 このような場合は、知事、市長がそれぞれの事務方の言い分を聞いて話し合い、最終的に府市統合本部会議で意思決定する。うめきた二期開発公園事業と大阪モノレール延伸の財政負担は1対1とすることとしたが、これで事業の段取りが全て整ったわけではない。府市統合本部の意思決定はあくまで大阪府と大阪市の幹部の意思決定であり、最終的にそれぞれの議会の議決が組織の意思決定となる。 一方で、この6年半の間に、行政組織が合意しても議会の同意に長時間を要したり、同じ政党なのに府議会と市議会で意見が異なり暗礁に乗り上げている案件もある。 政府が進めていた国立大学の法人統合の議論もその一例だ。少子化によって大学生人口が減少するため、今後定員割れする大学が多数にのぼることが予想される。だが、言うまでもなく、大学はイノベーションの拠点であり、生み出された成果が経済成長に直結する。 だからこそ税金を投入して維持する値打ちがあるのだが、学生が減少し経営が逼迫(ひっぱく)すれば新しい研究もままならず、税金投入の価値はなくなる。これは国立や公立だけでなく、私学でも同様であり、大阪府と大阪市の府立大と市立大も例外ではない。府立大と市立大の運営負担金は年間百億円規模にのぼるが、世界の大学と競争できる環境とは言えない。 そこで、府立大と市立大を統合し公立大学として学生数最大規模、関西で唯一の獣医学部と医学部を有する希少価値の高い大学を目指すことにした。この再編は、2011年から議論をスタートし、18年4月から府立大と市立大の経営法人が統合することとなったが、この法人統合も同じ政党が府議会と市議会で考えが一致せず、長時間を要した。 府議会では17年9月議会で維新、公明、自民が賛成、民進(当時)と共産が反対したが、賛成多数で可決した。一方、大阪市議会は半年遅れの18年2月議会で可決成立したが、維新と公明が賛成、自民と共産は反対した。 この議決の会派の態度に象徴されるのが、大阪の自民の考えは府議会と市議会でバラバラだということだ。自民大阪府連合会という同じ組織に所属しながら、府議会と大阪市議会は意見をまとめられなかったのだ。都構想反対は安倍首相の真意ではない 大阪都構想は、行政制度と成長を担う広域行政組織と住民身近な基礎自治行政の役割を分担すると同時に議会の役割分担でもある。議会の役割も広域と基礎で役割分担することで府議会と市議会のねじれも解消でき、議会の対立による成長施策の停滞を防ぐことができる。 現在は、私と大阪市の吉村洋文市長が同じ方向を向き、府庁と市役所が協議決定できる「副首都推進本部会議」があるので、役所の意思決定がねじれることはないしスピード感を持って進めることが可能な状態だ。 ただ、これはあくまで人間関係による脆弱(ぜいじゃく)なもので、人が変われば元の二重行政「不幸せ」と揶揄された大阪府と大阪市に逆戻りする。過去の大阪に戻さない、議会のねじれによる停滞も解消する、これを制度として確立させるのが大阪都構想である。 大阪都構想は、言うまでもなく、地方制度の一大転換だ。ゆえに、大阪の自民党のように私たちのやり方に反発する勢力があるのも当然だろう。 本来、大阪都構想に前向きだった安倍晋三首相が、4月に行われた自民党大阪府連の臨時党員大会に出席し、「大阪都構想については、大阪自民党の考えを尊重する」と発言した。これで、大阪自民党のみなさんは拍手喝采、大いに盛り上がっているようだ。 ただ、首相が地方の支部大会に出席すること自体が異例であり、安倍首相が都構想に対する自身の考えをごまかさなければならないほど、取り巻く状況が厳しいことは容易に想像できる。党首討論に臨む安倍晋三首相(右)。左は立憲民主党・枝野幸男代表=2018年5月、国会(春名中撮影) 歴史を顧みれば、明治維新のとき、武士の身分がなくなるとなれば、刀や鉄砲を交える殺し合いとなった。現代に置き換えれば、選挙や住民投票がまさに戦(いくさ)だ。 大阪都構想は議会で決めるものではなく、究極の民主主義である住民投票が決戦の場となる。大阪が二重行政で府と市を併せて「不幸せ」と揶揄されることが今後なくなるよう、私の任期中に二度目の住民投票に臨み、勝利したい。

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    「橋下徹のしょぼい提案」をスケールのでかい構想に変える秘策がある

    たように「商いの街」として発展してきた。「阪僑」とジャーナリストの大宅壮一が名付けたように、大阪人は政治よりも商いの中心であることに強い誇りがある。2012年12月、「難波京」跡で発掘された貴族の邸宅か役所とみられる大型建物群跡=大阪市天王寺区(柿平博文撮影) 一方、大阪の近隣には、1000年以上首都の座にあった京都が存在する。京都には「天皇陛下は東京に旅行に行っているだけ」と言い、現在でも京都が日本の首都だと言い張る人がかなりいる。 だが、京都は「府」である。大阪都ができてしまうと、行政区分上はともかく、日本の歴史、文化、伝統的には非常に違和感がある、京都と大阪の「奇妙な逆転現象」が起こってしまう。そのためか、京都では維新の会の支持率が極端に低く、「大阪都構想」は話題にすることすらはばかられる状況にある。 京都以外でも、全国的に大阪都構想は支持を得られていないだろう。もちろん、二重行政の解消や、地方分権の推進という観点から、一定の理解はある。かつては橋下氏の個人的人気から応援する人も多くいた。しかし、橋下氏が政治の表舞台から去っている今、「何で大阪が勝手に都になろうというんだ」と違和感を持つ人が多いのである。「二重行政の弊害」の実態 次に、大阪都構想の目的である「大阪府・市の二重行政の弊害」「既得権者の問題」を考える。端的に言えば、やはりこれらは深刻な問題だとは思う。二重行政の弊害の代表的なものは、大阪府と市が別々に行っている水道事業であろう。 府と市はともに琵琶湖から大阪湾に流れ込む淀川に浄水場を置き、大阪府は府内の市町村へ、大阪市では市内に飲み水を供給してきた。その水道事業を府・市で統合すればコストも安く済み、大阪府民に安価な水を供給できる。だが、いまだに手つかずである。 また、2015年5月の住民投票のときには、大阪府と大阪市の二重行政は134事業あった。例えば、中央卸売市場、信用保証協会、道路公社、病院、大学、体育館、近代美術館などで非効率性が指摘された。その後、このうち、府立大と市立大など一部の統合が決定したが、多くは積み残されたままだ。 さらに言えば、大阪府が関西国際空港の対岸に256メートルの超高層ビル「りんくうゲートタワービル」を建設したら、大阪市も負けじと、「大阪ワールドトレードセンタービル」(現大阪市咲洲庁舎)という同じ高さ256メートルのビルを建設した。結局、どちらとも経営破綻したことも、二重行政の悪例に挙げられるだろう。 一方、前回の住民投票の前に、関西圏の学者106人が、大阪都構想反対の論陣を張った。「地方分権からの逆行」「大阪市民の生活サービスの低下」「財源の使い道を大阪市民が決められない」「権限と財源の縮小」「住民間での負担増や歳出減の押し付け合い」など、さまざまな学問領域からの専門的な反対論の数々は、なるほど傾聴に値する説得力があった。 ただし、読んでいて気になることもあった。学者たちの主張は、概して「現状を変えることの問題」を指摘していた。だが、大阪府・市が抱えている「二重行政」のさまざまな問題については、ほとんど言及がない。 辛うじて、大阪府立体育館は大相撲春場所といったトップレベルのイベントを開催し、大阪市立体育館は市民に密着したサービスを行っているという「役割分担論」に触れている程度だ。その他については全く反論になっていないのである。2018年3月、連日の満員御礼にわく大相撲春場所が行われるエディオンアリーナ大阪(林俊志撮影) 反対派は「今の制度でも二重行政は解消されており、大阪市を廃止する必要はない」と主張していた。大阪府と大阪市の間に「調整会議」が設置されており、その場で話し合いをすれば二重行政は解消できるという。 だが、実際には、前回の住民投票で都構想が否決された後、反対派の会派を中心に調整会議が開催されたものの、各会派が主張を繰り返すだけの場となってしまった。結局、事実上破綻していたと批判されている。橋下市長「独裁」などかわいいもの また、反対派の中には、政治学的な観点から反対論を展開した学者もいる。要するに、それらは当時の橋下市長の「独裁的」「反民主主義的」な政治手法に批判を集中させていたといえる。ただ、筆者が政治学者としての立場から言えば、橋下氏だけを一方的に批判するのは、いささかフェアではないように思う。 それならば、大阪市の交通局、水道局、環境局のような現業部門の職員が非常に巨大な政治力を持つようになっていることも、同時に検証すべきだったのではないか。バスの運転手や、ごみ収集の職員など現業部門が、市長選などで一定の影響を与え、市長、市議といえども現業職員に容易に逆らえない雰囲気があると言われている。これは、学者として見過ごしてはいけない現象だ。 また、橋下氏が住民投票前日の演説で「僕は税金の使い方をとことんやってきた。誰かのポケットに入っていないか。7年半やってきた。職員の給与、組合からアホ、ボケ、カスと言われ、医師会、薬剤師会…」と、公然と名指しした既得権者の問題がある。よくも悪くも真正面から闘ってきた橋下氏は退陣したが、今後、既得権者の問題にどう対処すべきか。政治学者ならば、ぜひ意見表明してほしかったものだ。 正直に言って、橋下市長の「独裁」などかわいいものだったのではないか。住民投票で市民に「NO」と審判を下されたら、それで政治家を辞めるという程度の、あっけないものだからだ。学者として、大騒ぎして批判するほどの価値もなかった。 それよりも、極めて根が深く、複雑で、実態をつかむのが困難な大阪市の「既得権の闇」の問題こそ、政治学者が逃げることなく、正面から追及すべき問題ではないか。これこそが、政治学者としての矜持(きょうじ)だったはずだと、筆者は考える。 このように、大阪府・大阪市の二重行政の弊害解消と既得権の問題は、たとえ都構想がもう一度否決されたとしても、なかったことにはできない非常に重要な問題だ。だが、残念なのは、大阪人にも大阪の外にいる人たちにも、「都構想」をめぐる論争が、どうしても大阪府・大阪市の権限や予算の奪い合いという些末な縄張り争いに見えてしまうことだろう。2018年4月、IRイベントで基調講演を行う橋下徹前大阪市長(前川純一郎撮影) それにわざわざ「都構想」という仰々しい名称を付けているだけという印象なのだ。それでも、橋下氏というカリスマが先頭に立って指揮を執っていた時は、なんとなく様にはなっていた。だが、今や橋下氏は政界引退状態だ。都構想は「化けの皮が剝がされたしょぼい提案」とみなされている。 維新の会が現状を打開したければ、府・市のさまつな縄張り争いという悪いイメージの払拭(ふっしょく)が必要だ。まず、前述の通り「大阪都」というネーミングが悪い。 「行政区分が一つ上がるから都にします」では、いかにも「お役人が考えました」で魅力がない。「グレーター・ロンドン」のようなカタカナでもいい。これから述べるような構想に合致する、魅力的なネーミングを考える必要がある。「商いの街」をリスペクトせよ 次に、「大阪は商いの街」という歴史をリスペクトすることだ。例えば、世界第3位の経済大国である日本で、国際金融市場の機能を持つのが東京市場だけとは寂しすぎる。大阪市場を、東京と同規模に拡張し、シンガポール、香港、上海などとともに、アジアの国際金融市場の中核の一つになることを目指すべきだ。 東京都の小池百合子知事は、アジアの金融ハブを目指す「国際金融都市構想」を軸とする「スマートシティー」を公約に掲げている。日本が国際経済・金融界で確固たる地位を占めるには、東京と大阪がバラバラに動いてはいけない。連携して二大メガシティーが持つ巨大なリソースを有効に使う必要がある。 次に、アジアの国際金融市場の中核の一つが大阪に誕生すれば、従来の中央集権を超えた大胆な発想で、大阪を中心とする「新しい経済圏」構築を目指してはどうだろう。それは、東京を見て商売をするのではなく、大阪とアジア各地に広がる「華人社会」を直接ネットワーク化することである。 中国といえば、われわれは中国共産党だけをイメージしがちだが、実際には華人社会は、台湾、香港からシンガポール、マレーシア、タイなどの東南アジアに広がっている。また、その経済活動は、前述のように欧米の植民地だった時代からの歴史があり、現在でもHSBCやスタンダード・チャータード銀行を通じて欧米と深いつながりがある。華人は、決して共産主義ではなく、日本人と同じ自由民主主義、市場主義の価値観を共有できる存在なのである。 一方、国内に目を向ければ、大阪府・市から少し視野を広げれば、大阪府・京都府の間にある「京阪バレー」がある。それは、ローム、村田製作所、日東電工、日本電産、キーエンス、任天堂、京セラなど、世界でオンリーワンの技術力を誇り、グル―バルな経営展開を誇る優良企業が集積する地帯である。 この地域に、香港やシンガポールなどの優秀な若手経営者の投資を呼び込んではどうか。要するに、「阪僑」が「華僑」とつながって、日本が誇るハイテクノロジーを世界に打ち出していくのである。少なくとも、成長戦略の核であるはずの外資の導入は、中央政府がいくら旗を振っても進まない。だったら、地方主導で行うべきなのかもしれないのだ。 日中関係の改善には、中央政府間の関係だけでは不十分である。台湾、香港、シンガポール、マレーシア、タイなどの華人社会とのコネクションに働きかけることが重要だ。それには、お堅い中央省庁や大企業の東京本社の重役よりも、「なにわの商売人」が出ていくほうが、話が進むのではないだろうか。五代友厚の銅像が立つ大阪取引所 繰り返しだが、大阪都構想の制度設計は法定協で決定される。だが、それは大阪府・市の権限争いというさまつなものにしか見えない。大阪人は「都」と名乗ることに魅力を感じない。維新の会が、大阪人の心をとらえて大阪都構想を実現したいならば、都構想の先にあるものを考えるべきだ。 国の統治機構改革、中央-地方関係の再構築、アジアの中核の一つとなる国際金融市場の創設、「阪僑」と日本のハイテク企業がアジアでダイナミックに活動する。このような大阪人が夢を持てるスケールの大きな構想を打ち出してこそ、大阪都構想への理解も集まるはずである。

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    大阪が副首都になれば、日本はこんなにも変わる

    ど意味しない。「後退した」「終わった」の空気が流れ定着していく。「自然消滅が一番よい」との見方をする政治勢力もあるようだが、では大阪の問題はこれまでと大きく変わったのかと聞きたい。いや、根本は何も変わっていない。個別事業の民営化や事業統合は進みつつあるが根本問題は解けていない。弁護士の橋下徹氏=2017年7月12日午前、東京・赤坂(宮川浩和撮影) というのも、大阪の司令塔を一本化し、大阪をより強くすることで日本を二極構造に変えようという大儀は、強まることはあっても弱まる状況にはないからだ。「東京一極集中」が諸悪の根源、国家の危機管理上大きな問題だとみな口では言うが、じゃあどうすればそれを解決できるかという話になると、誰も具体論を提示できない。その突破口をつくろうというのが大阪都構想のはずである。 連日報道されるモリカケ問題も自衛隊の日報隠しも、日本官僚機構が肥大化し過ぎ、官僚のムラ社会を政治がコントロールできない、ガバナンス(舵取り)なき国家状況と深く関わっている。官僚の情報操作、情報隠蔽などやりたい放題の堕落した日本官僚制を正す―それは証人喚問すれば済むという話ではない。 国民(納税者)から遠い政府(国)に全てを委ねる仕組み、中央集権体制の中で起きている官僚機構の体たらくであることをまず知るべきだ。経営の組織管理上、常にスパン・オブ・コントロール(統制範囲の適正規模)が常に問題視されるように、肥大化し、縦割りしすぎた組織は必ず朽ちる。それをどう正すかが問題の本質にある。 ここ5年余の安倍政権の経済優先、アベノミクスの中で、大きく抜け落ちているのが統治の仕組みを総点検する視点がないことだ。国民の多くは、増税は議論するがワイズスペンディング(賢い支出)の話がない。 幾重にも重なる本省と出先、本省内の縦割り組織が、いかにカネ食い虫で非効率かをなぜ議論しないのか疑問に思っている。他人のカネを他人のために使う。だが、それが他人事のようなカネの使い方になっている。そこが問題なのだ。「大阪大改革構想」 今、賢い政府に変えるための地方分権の推進も、官民の役割見直しも、事務事業の民営化も、道州制移行など新たな統治の仕組みの議論も、みなどこかへ消えている。これが今の政治状況だが、間隙(かんげき)を縫うように政治家と官僚が融合し、国と地方の役割があいまいな中央集権体制の元でぬくぬくと国家官僚が跋扈(ばっこ)している。 大きくなり過ぎ、動きの鈍くなった会社を蘇らせる手法は、事業部制や分社化など組織規模の適正化を図るところから再構築が始まる。働いている社員が元気になるのも「仕事と成果の見える化」があってからこそだ。誰が決め、誰が責任を負っているのか、どうせ誰かやるだろう、こんなことをしてもばれない、といった組織風土の蔓延が組織を堕落させる。 こうした問題認識からいうと、国の官僚機構を立て直すには日本官僚制の組織規模の適正化を図るしかない。東京一極集中は意思決定の一極集中を指すが、それを変えるには大阪に副首都を形成し、首都機能の3分の1ぐらいを大阪副首都に移す。なおかつ内政の決定権の多くは国民の身近な政府に移し、分権国家化の切り札とされる「地方主権型道州制」へ移行することではないか。 それが国民を元気にし、地方創生が実を結ぶ最短の道である。身近な自治体である州政府を内政の拠点に据えれば、税金の集め方も使い方も情報の管理も透明性が高まる。ましてや、陳情請願を繰り返す「意味不明の忖度政治」も消える。 それを実現するのが大阪都構想の最大の目的である。今、大阪の副首都化を目指し、さまざまな都市づくりの試みが始まっている。「2025大阪万博」も大阪IR(カジノを含む統合型リゾート)構想もリニア早期敷設も、その一環と見てよい。 そこで、それにふさわしい統治の仕組み、つまり司令塔一本化によるオール大阪づくりと中心部の基礎自治充実を目指す特別区移行の「大阪都構想」は一体の改革テーマだ。この2つを総称するなら「大阪大改革構想」と呼んでもよい。   本来、これは一地方に委ねるテーマではなく、国を挙げて実現すべき改革である。これが実現していくことで、東京一極集中は大きく抑制され、日本経済も発展するのは明白だ。 誤解があるようだが、大阪都構想は何も「橋下構想」でもなければ、270万都市大阪を4つに分割する分割統治の話でもない。1956(昭和31)年の政令市制度ができて以降、狭い府域で大阪市と大阪府の二元行政、二重行政によるエネルギーの消耗、意思決定の不統一によって関西全体が地盤沈下してきた経緯を忘れてはならない。 その衰退を食い止める切り札、司令塔一本化構想が大阪都構想である。歴代の府知事、大阪市長が「府市合わせ(不幸せ)」状況に終止符を打とうともがいてきたが、誰もできなかった。そこに終止符を打とうというのが、維新政治を誕生させた市民の問題意識であったはずだ。 大阪都構想は単なる府政、市政改革ではなく、大阪の意思決定の仕組みを変える改革である。いま「区」という呼称の下、特別区と総合区が並行して議論の俎上に載っているが両者は似て非なるモノ、全く意味が違う。「区」という呼称に惑わされるべきではない。 聞いていると、総合区と特別区のどちらが安上がりかといった金目の話ばかりしているが、本筋はそこではない。数年前の法改正で制度化された総合区は、60年以上経つ政令市の内部出張所の行政区を拡大充実させようという策に過ぎない。それは中規模市に相当する自治権のある特別区をつくることとは全く違う(図参照)。 特別区は自己決定・自己責任・自己負担の原則で地域の政治行政を運営する地方自治体のことだが、総合区は大阪政令市の中を行政便宜上幾つかに分けて管理しようという拡大行政区に過ぎない。実はカネがかかる割にメリットは少ない。大阪市以外の19政令市のどこも総合区を使う動きがないのは、そのためである。大阪百年の大計 戦後、大都市を強くする特別市制度の実現をもくろみながら、実現不可能とみて昭和31年に妥協の産物として誕生したのが政令市制度である。日本が高度成長に入り、中心となる大都市を伸ばしていくために、市に府県の広域権限を移管して始まった制度だが、その頃、大阪府全体はまだ未開発地域が多く、大阪市が突出して大都市の様相を呈していた。 しかし、それから60年余を経て大阪は大きく変貌した。政令市も20まで増えたが、香川県に次いで狭い府域の大阪府は大阪市以外の地域も大都市化が進み、大都市区域は連担し、大阪市だけを分けて大都市行政を展開する意義は薄れている。 逆に、府と市による二重行政が顕在化し、知事、市長の二頭立てから生まれる二元行政の弊害が顕著になり、益より害が大きくなってしまった。大阪にとって今や政令市は「古い制度」と化している。 これを残したまま、内部を拡大行政区の「総合区」という形にしてどれだけ効果があるか疑問である。そうではなく、広域権限は大阪府(都)に移管集中し、身近な基礎行政は各特別区の公選区長、議会に委ねた方が充実すると考える。諸外国もその例が多い。 もとより、東京に現存する23特別区制度は十分ではない。都から特別区への権限移譲、財源移譲が不十分で特別区の自治権が弱い。ただ、それを大幅に改善したのが大阪都構想である点は銘記されたい。 30~50万規模の自治権の強い中核市並みの特別区が構想されており、権限移譲、財源移譲は現行法制でみる限り、東京の都区制度よりはるかに進化している。「大阪モデル」と称してもよく、東京の23特別区会長は「大阪でこれが実現したら、東京に逆輸入したいぐらいだ」とも述べている。 前回の住民投票の時より制度設計は精緻化し完成度は高い。あとは住民への理解が深まるよう、説明する努力と時間をかけることだ。大阪都構想を単に特別区移行への行革だという矮小(わいしょう)化した議論ではなく、今回は第2首都にふさわしい「大阪副首都」構想とセットで統治機構改革をやる覚悟を示すべきである。大阪府の松井一郎知事=2018年1月4日、大阪府庁(永田直也撮影) そうすれば副首都にふさわしい大阪ができ、若い人たちも夢をもって暮らせるもう1つの大都市が大阪に生まれる。大阪都構想は大阪、関西から日本を発展させようという大都市政策である点も見落としてはならない。 改革を成就させるには橋下氏のような強いリーダーが必要だ。だが、リーダーに頼るだけでは絶対にうまくいかない。志を同じくするリーダーたちが結集し、270万市民に十分説明して熟議し、制度の意義を十分理解させた上で住民投票に持ち込む必要がある。これは大阪百年の大計とも言える。今回の選択は、目先の利害を超えた「国づくり」の選択であることを理解しなければならない。