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    政治へのホンネを露わにした小泉今日子の気がかりな「新境地」

    めている。渡辺は「赤旗」で共産党支持を表明し、インタビューなどにもたびたび登場している。小泉も近年、政治的な発言を続けており、しかもリベラルのスタンスを鮮明にしたこともあって物議を醸している。 小泉は、自身が代表取締役を務める制作会社「明後日」の公式ツイッターでも、東京都知事選への投票を呼びかけたり、小池百合子知事の再選という結果を受けて「現実は受け止めないといけないが、投票率の低さに驚いた」と感想をつぶやいていた。 中でも注目が集まったのが、検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案に対して、反対のツイートを連発したことだ。改正案を含む国家公務員法改正案は結局廃案となったが、5月25日には産経新聞記者、朝日新聞元記者との賭けマージャン問題で辞職した東京高検の黒川弘務前検事長の処分について言及していた。多くの人が「おかしい」と感じ、社会的にも反響の大きかった問題だけに、意見を表明すること自体は特筆することでもない。 ただ、その内容が、安倍晋三首相の写真が掲載された記事とともに「こんなにたくさんの嘘をついたら、本人の精神だって辛いはずだ。政治家だって人間だもの」というものだった。明らかに権力者に対する皮肉で、強い政治的メッセージだといえる。 小泉だけでなく、日本の俳優や歌手がこうした問題に意見を述べるたびに騒がれ、「芸能人が政治的発言をすることへの賛否」が持ち出される。ただ、その点への議論が深まることはなく、単に発信者の内容に対する極端な賛否だけがもっぱら注目されて終わってしまう。今回の小泉に対するネット上の反応を振り返っても一目瞭然だ。 「政治利用されている」「共産党に取り込まれた」などと小泉がまるで思考停止した広告塔と勝手に位置づけて批判する声や、「日本から出ていけ」と非国民扱いするものまであった。女優の小泉今日子=2018年9月 一方で反政権の意向を持つ人は、小泉が何者か、その職業に関係なしに「選挙に出てほしい」とか「純粋な思いで発言している」と支持している。このように、発言内容で物議を醸したのではなく、単に有名人が各自の政治信条を述べて、その影響力を含めて賛否を示しているだけなのだ。 三原じゅん子や今井絵理子、蓮舫のように現職だけとってもタレント出身議員は山ほどいるし、山本太郎は参院議員や政党党首に就き、東京都知事選に出馬した。このような現状で、そもそもタレントの政治的関心自体を議論することさえ無意味な話だ。型を破ったアイドル 中には「タレントが政治に首を突っ込むな」という国民の権利や民主主義すら否定する人もいる。しかし、こんな主張は「ではどんな職業だったら政治の話をしていいのか」という反論で一蹴されるのがオチだ。 結局、小泉の政治的発言は、彼女のスタンスに対して好き嫌いを明確にさせただけだ。 そうなると、人気商売の芸能人にとって、国民を分断する論争に積極参加することは、本来得策ではないといえる。多くの芸能プロダクションが所属タレントに政治的発言を控えるようにクギを刺すのは、むやみに嫌われたり、好感度を下げることでCMなどの出演オファーから外されることを恐れるためだ。 事務所の求めに従う芸能人にしても、「ビジネス上の中立」を見せているにすぎず、選挙になれば与野党のいずれかの候補には投票している。米国では、タレントの政治的発言そのものが賛否を巻き起こすことはなく、戦時に反戦を訴えた女性カントリー歌手が保守層の多いファンから猛批判を浴びたことで謝罪した例があったが、こちらもビジネス上の損得を考えた上で撤回しただけだった。 小泉の場合は、急に政治色を強めたようにも見える。だが、もともと彼女はアイドル時代、従来の着せ替え人形のような、それまでのアイドルのステレオタイプから脱却し、自己主張を強めたキャラクターでさらなる人気を得た女性である。 これまで政治的発言が目立たなかったのは、大手事務所に所属していたことが大きい。2018年2月に独立し、自由に発言できる立場になって「たとえ仕事を失ってでも自己主張はやめない」という姿勢を本当にとっているのだから、自己主張キャラはむしろ本物といえるかもしれない。女優の小泉今日子=1984年7月撮影 先ごろ、大手事務所から独立した途端、種苗法改正案に関して言及して物議を醸した柴咲コウも同様である。今後は独立して事務所に縛られずに自由な発言をする芸能人が増え、その言葉に対する好き嫌いの感情を露わにした人たちが支持と批判を繰り返すのだろう。その裏には、19年に芸能事務所を退所したタレントの活動を一定期間禁止するような、事務所が強い立場を利用した契約は許されないと公正取引委員会が判断したことも後押ししている。 しかし、当たり前だが、日本国民として政治的発言は言論の自由であり、何ら問題のない話である。ただ、芸能人という職業を「プロフェッショナル」という視点から捉えればどうだろうか。 お笑いコンビ、ウーマンラッシュアワーの村本大輔は政治的関心を強めるあまり、本業の芸にまでその色を持ち出したため、「笑い」という観点では以前より面白くなくなったとの声が多々ある。もちろん何をしようが彼の自由だが、今や人を笑わせる漫才師というより、評論家に転身してしまったかのようだ。「本業」にはプラス? ただ、ビートたけしのように政治もネタとして扱いながら芸人の枠を超えたスターになった成功例もあるだけに、方向性を間違ったとはいえない。ただ失敗すれば、本業に徹することができない「芸能人の出来損ない」と見られるリスクがある。 独立後、プロデューサー業に専念しているとはいえ、小泉の本業は女優だ。「さまざまな役を演じる」ことが仕事であり、その道のプロとして見れば、わざわざ素のキャラを見せて反政府的な色を付ければ、今後の演技に影響が出ることは否めない。 フーテンの寅さんを演じた渥美清のように、演じる役に感情移入してもらうため、つまりは自分の芸を守るために私生活を見せないようにしてきたプロはたくさんいる。 亡くなるまで家族が笑えるコントで勝負し続けた志村けんは、自ら生み出す笑いに邪魔になるような無駄な主張は控えてきた。ある大物俳優は私生活では熱心な自民党支持者だったが、そのことを公言したことは一度もなかった。 小泉が人として何を主張しようが自由だし、彼女の政治信条を支持する人もたくさんいるはずだ。その中に、彼女の本業である女優としてプラスになるかどうかを考えている人がどれだけいるだろう。これから何を演じても政権批判している素の表情がちらついて、ドラマや映画に集中できない視聴者や観客が出てきたらどうか。 また、この上ないキャリアを築いた大女優として見れば、主張に物足りなさを感じるところもある。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、多くの芸能・演劇関係者が苦境に陥り、政府に俳優や声優の公的支援を求めたことが話題となった。「赤旗」でもこの話を取り上げ、支援のある海外の事例を語って「日本だってやればできるはず」と主張している。タレントの志村けんさん=2016年9月撮影 芸能という娯楽は大衆文化でもあって、必ずしも公的支援を受けなければ成り立たないものではない。プロスポーツでは無観客興行やクラウドファンディングで運営資金を募るなど、知恵を絞って自主努力を進めている。 小泉ほどの立場にある大物女優であれば、同業者の緊急事態に「政府はもっと支援しろ」というのが最初の主張なら少々残念な話だ。それに、彼女の興味が演技から政治にシフトしているという証でもある。 純粋に彼女の芸に惚れてきたファンなら、単に「そんなことよりも、よい演技と歌を見たい」と思っていることではないだろうか。

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    「奇妙な成功」は褒め殺し、コロナ封じ失敗を呼ぶ日本のご都合主義

    小倉正男(経済ジャーナリスト) 日本の新型コロナウイルス感染対策について、米外交誌のフォーリン・ポリシーは「奇妙にうまくいっているようだ」と論評している(5月14日電子版)。 「日本の新型コロナウイルス感染対策はことごとく見当違いに見えるが世界で最も死亡率を低く抑えた国の一つで、結果は敬服すべきもの。単に幸運だったのか、政策が良かったのかは分からない」。東京発の記事である。 半分は皮肉というか、「褒め殺し」のようなものだ。「奇妙な成功」「奇妙な勝利」は決して単純な褒め言葉とはいえない。だが、先行きに自信を持っている人々には、結果から見てともあれ胸を張ってよいと受け止められた模様だ。 日本人は新型コロナに抵抗力があるとされる「ファクターX」という未解明な要因も騒がれた。緊急事態宣言(7都府県に4月7日発令、全国は同月16日~5月6日)がにわかに解除されて経済再開ということになった。 安倍晋三総理は「日本モデルの力を示した」、とスピーチした。この言葉はとりあえずの「新型コロナ終息宣言」なのだろうが、確信を持って凱歌を上げたものには見えなかった。 それかあらぬか新型コロナは、日本の「奇妙な成功」の心許なさにつけ込むように逆襲に転じている。専門家筋の多くは、新型コロナがぶり返すのはこの秋冬という見方だった。新型コロナは本来暑さと湿度に弱く、夏場は一服する。当面の危機は何とか乗り越えたとして、この間に検査、ベッド数といった医療体制を整備する期間としていた。だが、新型コロナはそうした「定説」をあっさり覆している。新型コロナに人々の予断や注文はあてはまらない。 6月後半、東京都は新型コロナ感染者が連日50人を超える事態になっていた。小池百合子知事は、新宿などのホストクラブ、キャバクラといった「夜の街」関係者に予防的に検査を進めたことによる結果という見方を表明した。 しかし、予防的検査を織り込んだとしても、感染経路不明者もじわりと増加していた。はたしてこれらの動きは、新型コロナ感染ぶり返しの大きなシグナルにほかならなかった。 7月2日、新型コロナの感染者数は緊急事態宣言解除後で最悪な記録となった。東京107人、全国196人。3日は東京124人、全国249人。4日は東京131人、全国274人。その後も記録を連日更新する動きとなった。 「しっかりと感染防止策を講じて経済活動との両立を図っていく。これができないなら、もう経済活動できません」「もう誰もああいう緊急事態をやりたくないですよ。休業をやりたくないでしょ。だから感染対策をしっかりとってですね。これ皆が努力しないとこのウイルスに勝てません」(西村康稔経済再生担当相、7月2日記者会見)記者会見する西村経済再生担当相=2020年7月2日、東京都千代田区 西村氏は、東京の感染者が再び100人を超えたのが想定外で衝撃だったのか、やや冷静さを欠いた発言をした。7月2日もそうだったが、その後も何度となく強調しているのは「新型コロナ感染対策と経済の両立」という既定路線である。そして、その都度繰り返しているのが「マスク、手洗い、そして換気」という感染対策である。「補償金」から逃げ回る行政 西村氏が、誰に対して、あるいは何に対して怒ったのか不明だ。おそらくもたらされた現実、あるいは事実というものにいら立ったのかもしれない。だが、もたらされているものは受け止めなければならない。 その現実、あるいは事実からすれば新型コロナ感染症対策の特別措置法の限界が露呈しているように見える。特措法も与野党など人々がつくったものだ。特措法は日本の新型コロナへの対応を偽りなくすべてリアルに映し出している。 特措法では、総理大臣が緊急事態宣言を発令し、都道府県知事が感染防止のために外出自粛、店舗・施設などの使用制限など協力要請をできることになっている。あくまで協力要請で強制力はない。したがって緊急事態宣言による経済損失に補償は想定していない。 強制ではなく協力要請になるため、協力に対する資金などの実質的な支援は自治体の財源次第である。協力要請に対して資金が提供されたり、されなかったりということになる。逆にいえば、財源、資金がないと協力要請も遠慮が生じかねない。 東京都は、休業要請に協力した中小企業、個人事業主に対して「感染防止協力金」を給付している。神奈川、千葉、埼玉3県などが「東京都のような財源がない」と、セコいというか露骨に協力金拠出から逃げ回ったのは記憶に新しいところだ。 国は新型コロナで収入が大幅減となった中小企業、個人事業主に「持続化給付金」を出している。これも補償ではなく、新型コロナ禍に打撃を受けている事業継続への支援金ということになっている。 補償金は出さないが、協力金、給付金は出している。どこかの海沿いの大型温泉旅館の継ぎ足し増改築ではないが、本館、新館、アネックスと複雑な設計となっている。新型コロナとの闘いは、「戦争とは異なる」とお叱りを受けそうだが、「戦争」に例えると誰がどう闘うのか、責任、役割、管轄が曖昧であり、悪くいえば皆が逃げている。本館、新館が迷路のようになっており災害など実際のクライシス時になると下手をすれば大きな混乱の元になりかねない。 特措法を日本の企業組織でいえば、総理大臣が社長で命令を出す、都道府県知事が各部門の執行役員で現場業務を行うようなものである。ただし、執行役員が担当している部署、特に財務・資金ポジションで行う業務内容、業務スタンスも大きく異なっている。 緊急事態宣言発令直前の4月初旬、小池知事が理髪店、ネットカフェ、居酒屋などに休業要請を進めようとした。国が経済への影響を懸念して発令を渋って小池知事にストップをかけた。小池知事は、「社長だと思っていたら、天の声がいろいろ聞こえてきて、中間管理職になったようだった」と。指揮命令系統、役割分担、責任など曖昧につくられているため運用面でも混乱が避けられない。東京都知事選で再選を果たし安倍晋三首相にあいさつする小池百合子氏(左)=2020年7月6日、首相官邸(春名中撮影) 緊急事態宣言では一度目がそうだったが、国も自治体も財源問題があって、補償にはお互いの顔を見て尻込みすることになりかねない。責任や役割、権限が曖昧で国、自治体、あるいは自治体同士が押し付け合ったり逃げたりすることになる。結局は、世論という「空気」待ちになる。これではコンセンサスを形成するのに手間暇がかかる。二兎を追ったツケ そうしたことから総理大臣が緊急事態宣言を発令するとしても、タイミングがどうしても遅れ気味になる。新型コロナ感染拡大を叩くタイミングではなく、自然にピークアウトしたころに発令する事態を招きかねない。 新型コロナウイルスに関連して、すでに当サイトに4本寄稿している。5月10日の「コロナ戦争新フェーズ、政府と企業が陥る『二正面作戦』の罠」で、新型コロナ対策と経済再開の両立に移行という動きについて、「二兎を追えば一兎も得ず」という可能性に触れている。   新型コロナ感染症対策の特措法は3月13日に成立している。せめて特措法成立直後の3月後半に緊急事態宣言を発令して、強制力はないにしても強い協力要請を示す必要があった。補償はできないが、実質的に資金支援するような手法で新型コロナ封じ込めを徹底する。まずは新型コロナという「一兎」を叩いて封じ込める運用が先決だった。 ところが、この「一兎」を徹底して叩くという仕事が不十分だった。緊急事態宣言が「遅い」、しかも運用が「緩い」という不徹底さが否定できないものだった。これが今の新型コロナのぶり返しの根源をなしているとみられる。 経済のためにも主要な敵である新型コロナ封じ込めに全力を傾ける。迂遠な道に見えるが、税金や時間をセーブするのが、新型コロナという「一兎」を徹底して叩くという手順への集中だった。 工場などで問題が発生し生産ラインが順調に動かなくなったケースを想像してほしい。なぜ故障が発生しているのか。機械なのか、あるいは人がからんだ使い方に問題なのか。どこに問題があるのかを究明して根因を突き詰める。トヨタ自動車に「5W1H」(5つのWHY、1つのHOW)という危機管理手法がある。 トヨタ式の危機管理では、あらゆる視点で問題の根因を究明する。(社内の情実抜きで)「事実」を徹底して突き詰める。それが5WHYだ。5WHYで「事実」が究明できたら、どうしたらよいか方向性(1HOW)が自ずと判明する。 その「事実」究明から派生して生み出されたのが、今は一般化した「見える化」だ。「見える化」は、「事実」を曖昧にすると会社は倒産するという危機感から生み出された「トヨタ語」にほかならない。さまざまな情実や不都合よりも「事実」究明が最も重要だという危機管理手法になる。トヨタ自動車東京本社の外観=東京都文京区(宮崎瑞穂撮影) 国も自治体も拙速気味に緊急事態宣言を終わらせて経済再開を急いだ。「withコロナ」「コロナとの共存」=新型コロナ感染防止と経済の両立という「新しい生活様式」を総括なしでいわばなし崩しに既定路線としてスタートさせた(日本式というのか、5WHYどころか1WHYもなかった)。幸運に頼りすぎた戦略 新型コロナ防止と経済が両立するということは都合は極めてよいが、「二兎を追う」ことになる。上手くいけばよいが、「二兎を追えば一兎も得ず」がお定まりになりかねない。新型コロナ感染が急増すれば、経済の稼働に支障が及ばざるを得ない。 東京で新型コロナ感染者が一日50人を超えるということは、すぐに100人超になるリスクを抱えていたことが、すでに実証されている。感染者が100人超になれば、次は200人超に爆発する。そして7月9日、それは現実となった。 中途半端な「二正面作戦」、「二兎を追う」という罠にすっぽりとはまろうとしているように見える。もともと「二正面作戦」というのは難しいものである。そんな難しい作戦を運用できると思っていることにリスクが内在している。 小池知事は、「夜の街など予防的に検査をしている結果で、緊急事態宣言ということではなく、ピンポイントで感染対策を行う」としている。しかし、感染者が100人超程度にとどまればよいが、200人超に爆発するリスクもあった。はたしてピンポイントで感染対策を行うというのは可能なのか。 これまでの寄稿でも指摘したが、今川義元の桶狭間では、上洛作戦なのか尾張攻略なのか戦略目標が曖昧だったことが敗因として指摘されている。ミッドウェー作戦では、敵空母殲滅なのかミッドウェー島攻略なのか、これも戦略目標が曖昧だった。いずれも「最善の想定」で臨み、「最悪の結果」を招いている。「二正面作戦」の罠である。 経済再開が最終目標であるならば、その阻害要因にして主たる敵である新型コロナを徹底して封じ込める作業を先行させることが不可欠である。「安心・安全」の完璧までの達成は無理としても、「安心・安全」をある程度確立できれば、経済は稼働させられる。しかし、緊急事態宣言が「遅い」「緩い」では「奇妙な成功」でしかなく、幸運に頼りすぎているといわれても仕方がない。 新型コロナ対策のみならず「クライシスマネジメント」では、「最悪の想定」に立つのが基本だ。だが、特措法、特措法による緊急事態宣言、解除後の新型コロナ対策と経済の両立などで、ほとんど一貫しているのは「最善の想定」でクライシスマネジメントが行われている。控えめにいっても、そうしたきらいがあり、払拭できていない。 日本人の多くは、国や東京都の協力要請に従順に行動してくれる。だが、新型コロナウイルスは、国や地方自治体の要請を考慮してくれるわけではない。「誰も緊急事態宣言などやりたくないでしょ」。だが、これはそうであるにしても「やりたくない」というのは願望でしかない。新型コロナ感染対策と経済と両立させるというのも国、地方自治体の都合というか願望の部類にほかならない。JR品川駅周辺で、マスク姿で職場に向かう人たち=2020年5月26日、東京都港区(宮崎瑞穂撮影) 都合がよい悪いということでいえば、新型コロナはこれほど都合が悪い存在はない。願望や都合で新型コロナに対応するなら、むしろ「税金と時間を食う」といった最も避けなければならない道を歩むことになりかねない。 今さら迂遠すぎる、後戻りもできない。とはいえピンポイントで効果的に感染防止を行うというのも言うほど簡単ではない。新型コロナは、「最善の想定」すなわち願望や都合で闘える相手ではない。「事実」からリセットしなければ、新型コロナ対策と経済の両立を急ぐという効率的な「日本モデル」は、ことごとく「見当違い」といわれかねない。

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    東京都知事選は「遊び場」にあらず、信念なき乱立候補に怒り心頭!

    議員) 6月18日に告示された東京都知事選がクライマックスを迎えようとしている。日本一の人口を誇り、政治、経済、文化などが一極集中する首都東京のトップとなると、総理大臣に引けも取らぬほどの存在だ。そのため政財界はもちろんのこと、あらゆる業界が都知事選の行方に注目している。 選挙以外であっても、東京都知事は他の地方の首長と異なり、メディア露出の機会も多く、現職は総じて知名度が高い。また、新型コロナウイルスの感染拡大への対応発表により、ここ数カ月は小池百合子知事の顔を見ない日はなかったと言っても過言ではない。 さらに言えば、現在の日本の選挙というものは未熟で、個人の政策や人柄うんぬんよりも有名度やどの政党が公認や推薦、支持しているかで、勝敗が大方決着する。ゆえに、今回の結果は選挙前から既に見えているだろうから、私が前回指摘した河井夫妻の公職選挙法違反(買収)事件のようなケースは発生する隙もないはずだ。 とは言いつつ、都知事選はいつも個性豊かな候補者が勢ぞろいし、まるでフェスティバルのように感じる。しかも今回は過去最多となる22人が立候補しているため、数人しか出馬しない選挙よりは選択肢も一応増える。けれども、当選を一切目的としない人たちの立候補は、私自身いかがなものかと思ってしまう。 一人の人間が選挙で立候補するにあたり、人件費もろもろの費用が税金で賄われている。当選が難しくとも、継続的に自身の政策を街頭活動などで訴え続けている候補者には、それなりの支援者が存在する。 そうした候補者であれば、現在の政界にくさびを打つ鉄槌(てっつい)ともなり得る。しかし、金もうけのために自身の知名度や信用を得たいなどという、利己的な理由で立候補するのはもってのほかだ。最近はユーチューバーなどの動画配信者が300万円の供託金という「投資」を行い、その数倍にもなる視聴料を稼ぐために選挙を利用しているという話も聞く。そのため話題性だけで立候補する候補者は、私としては大変許し難い。 ユーチューバーといえば、NHKから国民を守る党(N国)の立花孝志党首がなぜか「ホリエモン新党」という政治団体を設立し、自身も含め3人が立候補をしている。ポスターには「私も(堀江貴文氏)も応援しています」などの文言がないので、公選法上では問題ない。 ただ、著書やユーチューブなどで発信しているとはいえ、堀江氏の政策が何なのか、さらにはNHKをどうしたいのか、いまいち分かりにくい。掲示板に張られた東京都知事選の候補者ポスター=2020年6月18日、東京都新宿区(土谷創造撮影) 推測できるのは、立花氏が「小池氏や堀江氏と同姓同名の候補者を出馬させる」とできもしない話を流し、マスコミに注目させ、ユーチューブの広告収益につなげようとしていることくらいだ。立花氏からすれば、結果として「知事選と同じ投開票日の都議補選に出馬した候補者の支援にでもなればいい」というところだろう。 N国の丸山穂高副代表は、この状況にどのような気持ちでいるのだろうか。政党助成金を満額で受け取り、今後の生活の糧としたい彼の気持ちも分かる。ただ、かつての同僚として彼の名誉のために忠告しておくと、衆院議員としての最後は離党して終えた方がいいのではないか。ぜひお勧めしておきたい。共闘の難しさ なお、私と丸山氏の古巣の日本維新の会はといえば、結党当初から愛用していたグリーンの政党カラーをすっかり小池氏に取られてしまった。今回の都知事選で、維新は熊本県副知事だった小野泰輔氏を推薦している。 しかし本来であれば、候補者は別の人間が適任ではないだろうか。都議選での恩義をあっさりと踏みにじり、一時期落ち目だった小池氏に後ろ足で砂をかける形で反目し、維新にくら替えし、東京選挙区で当選を果たした音喜多駿参院議員こそ、本来立候補するのが政界の筋であろう。 音喜多氏の地元・東京北区の選挙区では多少なりとも支持層はいるだろうから、音喜多氏の出馬は維新の顔も立つはずだ。ゆえに参院議員を潔く辞した上で、小池氏に対抗する自身の公約と政策を都民のために掲げてほしかったものだ。 もっとも、職業議員気質の人は落選確実の選挙に現職を辞してまで立候補する気はないだろうし、勝ち馬の小池氏を敵とするほどの改革精神などは持ち合わせていない。 ゆえに、助けを求めてきたとはいえ、熊本県の副知事を差し出したという格好であれば、立候補した小野氏が少々気の毒だ。音喜多氏の「議員であり続けるためなら何だってする」というその執念は悪くないが、改革を掲げる議員としてはふさわしくないのも確かだ。 難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を患うれいわ新選組の舩後靖彦参院議員が新型コロナ感染の防止を目的に国会を一時欠席したとき、音喜多氏は「歳費返納がなければ厳しい」とツイートしたが、買収疑惑が浮上した際に欠席した河井夫妻に対しては同様の言及がなかったと指摘され、謝罪に追い込まれた。その程度の政治理念だから、彼の言葉はいつも支離滅裂なのだ。 ちなみに私が興味深く見守っているのが、宇都宮健児氏と山本太郎氏の獲得票数である。両氏の立候補は、野党の票を分裂させることになってしまった。願わくば、野党一本化した状況での宇都宮氏、山本氏それぞれの獲得票数を見たかったところだ。 だが、野党共闘というのは本当に難しいものだ。2017年の衆院選の際に、私も3期目に挑戦するかどうか判断する際に、身に染みて思い知らされた。当時の私は無所属として、議員となった当初の志である「政権と対立軸を立てて国民のために戦うという」原点を貫き、人権、福祉制度、中小企業支援や森友・加計問題などを中心に国政に携わっていた。かつて所属した維新も、12年はこうした理念を持つ政党だった。 そのため、野党共闘候補として立候補できないか、小沢一郎衆院議員など重鎮議員らと話し合いもしていた。地元の野党系支持層も「どうせ応援するならば無名の候補者よりは、当選する可能性がある有名な候補者を野党共闘で応援したい」と掛け合ってくれていた。 しかし、私の選挙区となると、マスコミが殺到するのを予想して「今の人生がパッとしないので知名度を上げたい。あわよくば議員になりたい」という腐った口八丁の輩(やから)がちょろちょろし出すのだ。そんなこんなでコトはすんなりと進まず、急な解散で私の選挙区は自民党候補の一人勝ちとなった。維新や野党共闘ができなかった共産党候補者も比例復活できないほどの惨敗を喫した。 野党統一候補として出馬すれば、選挙区事情のほか、「当選した後、どこの党に所属するのか」だの「議員の支援者が立候補者したいと言っている」だの「立候補できるなら寄付したいという人がいる」などと有象無象のしがらみや眉唾(まゆつば)話満載で、収拾がつかなくなってくる。東京都の対策本部会議後、記者会見する小池百合子知事=2020年7月2日、都庁 ここは、野党議員がもう少し国民のために政権交代を実現するという、力強い信念を持たなければならない。 いずれにせよ、新たな都知事の肩には、第2波が危惧(きぐ)される新型コロナへの対処、そして1400万人の都民の未来がかかっている。候補者たちには、その重責の意味をしっかりと胸に抱いてほしいと願うばかりである。

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    イージス・アショア「白紙撤回」の教訓

    河野太郎防衛相が突然表明したイージス・アショアの計画停止は、事実上の白紙撤回だけに波紋が広がっている。ただ、日本のミサイル防衛の在り方を根本から見直す契機と捉えれば、決してマイナスとはいえない。この教訓をどう生かすべきか、森本敏元防衛相と田母神俊雄元航空幕僚長が日本の防衛体制の未来像を説く。

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    イージス・アショアはいらない! 自衛隊に必要なのは「矛」である

    かったのかもしれない。もともとイージス・アショアの日本導入は、閣議決定による自衛隊が関わらない形での政治決定であったので、防衛相がその撤回を最初に表明したのではないだろうか。 いずれにせよ、米国製の兵器システムの導入を自衛隊を介さずに政治決定するのは間違っていると考える。なぜなら自衛隊自身で新たな兵器システムを導入する場合、まずその導入条件がどうなるか、現場の自衛官が米軍と交渉することになるからだ。内容としては価格をはじめ、維持整備の要領、ソフトウエアの開示レベルやそれらに対する自衛隊の関与度合いなど細かなとり決めを必要とする。 外交文書で兵器の取得を決めたとしても、その下では日米軍関係者の間でさらに多くの覚書を締結している。私の現役時代でも、それはもう膨大な量を経験した。だが兵器の導入が政治決定になっていると、米軍は自衛隊との交渉に応じてくれない場合が多い。条件が悪くとも、自衛隊側がどうせ買うことが分かっているからだ。 そのため、条件が悪い状態で交渉するのであれば、交渉過程で自衛隊が導入を見送る可能性を織り込ませなければならない。兵器システムの導入にあたっては、まずは現場で折り合いがつけ、その後政治家がそれを吟味した上で承認すればよい。 先の大戦を境に、軍事力の役割は大きく変わっている。それまでの軍事力は「戦争をするためのもの」であり、戦争は日常的なことだった。 しかし、人類が二度にわたる大戦の悲劇を教訓としたことで国際連合が誕生し、国家が理由もなく戦争を起こすことはできなくなった。ただ、大国間での戦争は減少した一方で、核兵器の誕生が「相互確証破壊」という「戦争を起こしたら負け」という軍事的緊張関係を生み出した。※写真はイメージ(Getty Images) 今では、軍事力は「戦争を起こさないためのもの」として必要となった。そしてその根幹として「やられたらやり返す」という攻撃能力の部分が一層重要な役割を果たすことになる。相手からの攻撃を防ぐためにも、国家は軍事力を整備し、被害を受けても泣き寝入りはしないという姿勢が重要なのだ。 しかし戦後のわが国では、世界の善意に期待して「戦争を起こさない」というおとぎ話が大手を振って歩いており、自衛隊が攻撃能力を持つことはタブー視されてきた。この軍事力の役割変化を認識できない日本国民が今でもかなり多いのが現状である。そろそろ日本国民も目覚めて、世界の現実をきちんと見られるようになってもらいたい。

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    河井夫妻逮捕で思い出す、選挙の裏でうごめく「クレクレ族」の面々

    をしているが、裏では税金などを原資とする不適切な金銭が飛び交っている。それが分かれば、国民はますます政治にバカバカしさを覚え、投票に行く気持ちも削がれでしまうのではないだろうか。この事件をきっかけに、政治の現場から一刻も早く膿(うみ)を出し切らねばならない。 私は常々「今の選挙は『どの政党が一番好きですか選手権』で候補者なんて誰でも一緒ですよ」と話している。なので、裏で多少の金銭が動くことがあっても、河井夫妻のようにここまで多額の札束が飛び交うことはレアケースであろう。 もちろん、多少の金銭授受であっても明確な公選法違反だ。しかし残念ながら、政治の現場ではそうした状況が数多く存在している。 まずは今回、渦中となった広島の選挙区事情に目を向けてみよう。昨年の参院選では、新人の案里氏のほかに自民党からもう一人、当時現職で岸田派の溝手顕正元参院議員会長が立候補していた。広島選挙区の改選数は2人で、野党の現職候補もいる中で自民党の公認候補が2人出たわけである。これでは自民党の支持票を案里氏と溝手氏で二分することとなり、下手をすれば片方の候補が落選する可能性が生じる。 地元議員や利権を狙う支援者なんて薄情なものだから「参院議員を長く続けていて、気心も知れている溝手さんの方が使い勝手がいいから勝ってほしいけど、勝ち馬には乗っていたいなぁ」というのが本音で、両者への思い入れなどはない。河井夫妻からの金銭授受を認め、記者会見で辞意を表明する広島県三原市の天満祥典市長=2020年6月25日午後、三原市役所 要するに、昨年の参院選は自民党票を二階派と岸田派が死に物狂いで取り合う「仁義なき戦い」が広島で繰り広げられていたのだ。二階氏は、案里氏が自身の派閥所属ということもあり、幹事長のプライドをかけてがっちりサポートすることに決めていたに違いない。 よくある話だが、「溝手氏が当確で、河井氏は危ない」という情報を流せば、溝手陣営は気が緩むし、党本部も案里氏を落選させないよう真剣にテコ入れを始めてくれる。その証拠に、応援演説で安倍晋三首相をはじめ、自民党幹部が続々と選挙区入りした。巨額の公認料もその流れで決められたのだろう。群がるクレクレ族たち 私は人生で2度の衆院選を経験してきたが「選挙を手伝ってあげますから」だとか「私は票を数百票持っていますから」とうそぶいて、金銭などを要求してくる「クレクレ有権者」がいたものだ。 他にも「選挙区に住んでいるので、自分は有権者なんです」と印籠のように一票を掲げて、常識では考えられないような高額な商品やサービスを押し売りする人や、賃貸物件や事務所工事などで理不尽な契約を強要しようとする業者が頻繁に現れた。誰が仲介者でお金を抜いているのかと考えると、本当に頭にくる。 ウグイス嬢自身からの売り込みも激しかった。「選挙になるとウグイス嬢は確保できませんよ。私なら、今決めていただく条件で特別に法定人件費の2倍でお受けします」などと、堂々違法話を持ち込んでくる輩(やから)が数多くいるのだ。 もちろん、当選確実である与党議員にはそんなことはなく、むしろ「先生を私どもにも応援させてください」と献金やボランティアのオンパレードですり寄っていく。一方、野党議員や若手議員は足元を見られた揚げ句、多くが「クレクレ有権者」の言いなりになる。初陣が20代の小娘だった私など「いいカモが来た」と思われたに違いない。 幸いにも、私は選挙に関してド素人だったので悪しき習慣を知らず、「お金の話でややこしくなるのは嫌なので」と一般常識的な思考から「クレクレ有権者」を追い返すことができた。 だが、同じ「クレクレ」でも地方議員は巧みだった。「これは選対会議を皆で集まって開いたときの会議代や。立て替えといたからお金をくれや」と同じ飲食店の手書き領収書を大量に渡されたりした。 他にも「俺の娘が今仕事してないんや。秘書に雇ってくれてもええで」だとか「君の選挙を手伝うには、なんやかんやで日頃からお金がかかる。持ってきといてくれなあかん。君と僕が言えへんかったら誰にもバレへん。安全や」などなど、枚挙にいとまがない。何度も何度も巧妙で危うい要求をされたものだ。比例での復活当選を果たした日本維新の会・上西小百合氏2012年12月17日、大阪府吹田市(志儀駒貴撮影) 「お金にキレイな政党」と主張しているくせに、有権者の負託を受けた人間の言葉とは思えない悪質な要求をする議員を私は許せなかった。だが、その「クレクレ議員」を一蹴したところ、私の所属していた日本維新の会はなにぶん地方議員の立場が強い党だったので、急に党大阪本部で冷遇されるようになった。 しかし、恐喝めいた要求や圧力におじけることなく、国民の代表である職責を果たす人間として、違法行為に手を染めなかったことは社会的に正しい。私の肌感覚でいえば「俺は票を持っているんだぞ」と言って見返りを要求してくる輩は、そもそも投票すら行っていないのではないか。 真の支持者はそんなことを言わず、候補者の仕事ぶりや人柄を見て、きちんと応援してくれているものだ。だからこそ、こうした「クレクレ族」に金銭を渡すということは、支持者に対する侮辱行為だと私は思う。清い一票のために 私の実体験から、選挙でいかに不適切な金銭が動くことが多く、慣例となっているかが透けて見えることだろう。それを裏付けるのが、私が2回目となる2014年の衆院選に出馬した際の出来事だ。 同期の若手衆院議員であった村上政俊氏が、維新の党幹事長だった松井一郎現大阪市長から「支えてくれた大阪府議会や大阪市議会の地方議員の心をつかみ切れないのに、国民の心はつかめない」などとめちゃくちゃな言いがかりで公認を剥奪(はくだつ)されたのだ。代わりの公認候補となったのが、現在の吉村洋文大阪府知事である。 この松井氏の言葉からも分かるように、「国会議員の選挙に出たければ、政治理念で賛同を得るのではなく、その選挙区の地方議員にゴマをすり、選挙に動いてもらうのが当然」という悪しき慣例が政治の世界でまかり通っている。繰り返すが、与党の重鎮議員は例外だ。 昨年4月に行なわれた統一地方選の前後で、克行氏が地元政界関係者に20万~30万円の現金を渡したというのも、上述した悪しき慣例の一部であろう。現金は「陣中見舞い」や「当選祝い」名目だったとされるが、そんなもの、阿吽(あうん)の呼吸で、どのようなお金か政治関係者なら一瞬でピンとくる。地獄の沙汰もなんとやらだ。維新の会の松井氏が発言した「心をつかみ切るもの」が何かは、これまでの私の連載をお読みの皆さんならピンときてくださるだろう。 このような環境下で行われる選挙に加え、案里氏の選挙区事情を鑑みれば、今回の買収劇も「なるほど」と思わなくもない。だが、そろそろこの負の慣例を断ち切っていかねばならない。 しかも、今回は自民党から支出された資金が買収の原資とされており、そもそも税金だ。異例とも言われるほどの多額の現金が選挙買収に使われているとすれば看過できないし、コロナ禍によって困窮極める生活に陥った国民からすれば、許し難い行為であろう。広島市のホテルで開かれた政治資金パーティーで、ステージに立つ河井克行前法相(右)と、誕生日を迎えた妻の案里参院議員=2019年9月23日 今回の買収劇は金銭を譲渡した河井夫妻だけでなく、それを授受した側も公選法違反罪に問われる。公選法第1条では、次のように記載されている。 この法律は、日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。 ぜひとも検察には、金銭を授受した地方議員や選挙関係者全員を立件していただきたい。そしてこれまで慣例として行ってきたことが、国民の権利を守るための法律をいかに踏みにじっているかということを、政治家にたたき込んでほしい。 そうしなければ、無垢(むく)な一票を信じて投じる有権者が、いつまでたっても報われない。

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    望月衣塑子記者に贈る「ダブスタ」にならないためのアドバイス

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) ツイッターの政治風刺アカウントとして有名で、筆者と同じくアイドル業界にも詳しい「全部アベのせいだBot」をフォローしていると、面白いニュースに気が付くことが多い。6月22日朝、その「全部アベのせいだBot」が東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者に関するニュースをネタに投稿していたが、とても興味深い内容だった。 それは、「東京新聞『望月衣塑子』記者の弟が “詐欺まがい” オンラインサロン会員から悲鳴」と題する『デイリー新潮』の記事だ。望月記者の実弟、龍平氏の運営する会員制サロンに関するいくつかの「疑惑」が指摘されている。 この「疑惑」の真偽について、筆者は正直なところ関心外である。ただ、記事に出てくる経済評論家の上念司氏のイラク通貨の「ディナール詐欺」についての解説は参考になるので、ぜひ熟読してほしい。一般的な意味で、オンラインサロンで蔓延(まんえん)するという「外貨詐欺」からの自己防衛として、役に立つことだろう。 実弟の「疑惑」について、望月記者は弟と連絡をとっていないとした上で「オンラインサロンについての詳しいことは分からないので、コメントは控えさせてください」と答えたと、記事は結ばれでいる。 当たり前だが、家族のことであれ誰であれ、本人が責任を負うことがない事例で、他人に批判される筋合いは全くないと筆者は思う。ただ、望月記者の今までの「記者の作法」を思えば、どうしても単純な疑問が沸いてしまう。 望月記者は安倍昭恵首相夫人について、「花見パーティーに続き、今度は山口に旅行とは。。 #安倍昭恵 夫人には誰も何も言えないのか」とツイッター上で批判していた。筆者は、昭恵夫人が新型コロナウイルスの感染拡大への警戒が強まる中で、大分に行こうが花見パーティーを開こうが、それが公益を侵すことがなければ何の関心もない。望月記者がこのような批判をするのは、昭恵夫人が「首相夫人」であることを抜きに考えることは難しいだろう。オマーンのマスカット国際空港に到着した安倍首相と昭恵夫人=2020年1月(代表撮影) 首相夫人は、政府見解では私人扱いであり、大分に行こうが花見パーティーをしようが、それは正真正銘プライベートな行為でしかない。もし、首相夫人であることが批判の資格になると望月記者が思っているならば、やはり今回の実弟の「疑惑」についても事実を明かし、積極的に答える責任があるのではないか。 別に筆者はそれを積極的に求めているわけではない。ただ、望月記者の今までの政治批判の姿勢が二重基準に陥ることがないための「アドバイス」である。「望月ポピュリズム」の独自性 ところで、筆者は望月記者の手法を、以前から「ポピュリスト的なジャーナリズム」によるものだと思っている。ポピュリストとはポピュリズムの担い手を指すが、本稿でのポピュリズムは、米ジョージア大のカス・ミュデ准教授とチリのディエゴ・ポルタレス大のクリストバル・ロビラ・カルトワッセル准教授の共著『ポピュリズム』(白水社)に基づいている。 彼らはポピュリズムを「社会が究極的に『汚れなき人民』対『腐敗したエリート』という敵対する二つの同質的な陣営に分かれると考え、政治とは人民の一般意志(ヴォロンテ・ジェネラール)の表現であるべきだと論じる、中心の薄弱なイデオロギー」と定義している。 望月記者の手法は、反安倍陣営を「汚れなき人民」とし、安倍首相や首相夫人を「腐敗したエリート」として対立させている。そして、前者こそ「人民の一般意志」であり、安倍政権のような「腐敗したエリート」を打倒すべきだと考えている。 この「望月ポピュリズム」の独自性は、安倍首相を「腐敗したエリート」に仕立てるその独特の話法に基づく。望月記者の共著『「安倍晋三」大研究』(ベストセラーズ)には、そのポピュリズム話法が全面に出ている。 その「腐敗」の象徴が、安倍首相の「嘘」だというのである。今でもインターネットや一部の識者からは、「安倍首相は嘘つきである」というどうしようもない低レベル発言を見かけるが、本著ではその首相の「嘘」を切り口にしている。 望月記者が一例で挙げるのが、首相が国会で自身を「立法府の長」と言い間違えたことだ。ただの言い間違えなのだが、それが安倍首相の代表的な「嘘」として何度も言及されている。正直、これでは中味スカスカと言っていい。参院予算委で答弁のため挙手する安倍首相=2020年6月11日 だが本著は、この「首相の嘘」をテーマにして、評論家の内田樹氏との対談にかなりの分量を割く構成となっている。また「エリート」部分では、祖父の岸信介元首相との血縁や政治的権威との関係を強調している。 要するに、「汚れなき人民」を代表して「嘘」つきの総理大臣を批判するという、どうしようもなく単純化された手法が、望月記者の手法のほぼ全てである。だが、本当に望月記者は「汚れなき人民」の代表なのだろうか。安易な二項対立の罠 そもそも、ポピュリズム的手法自体が一種の嘘っぽい単純化された対立図式である。あまり真に受けて考えるのも「イケズ」なのかもしれない。 ただ、本稿では望月記者もまた「エリート」なのだということを指摘すれば十分だろう。望月記者は、菅義偉(よしひで)官房長官の定例記者会見で執拗(しつよう)に質問を繰り返すことで著名だ。 だが、そもそもこの記者会見に出席できるのは、記者クラブという「エリート」のメンバーがほとんどである。記者クラブ以外の出席はかなり制限されている。つまりは、記者エリートの「代表」として質問しているのである。 政府の失敗を質(ただ)すことがジャーナリズムの仕事である、と単純に思い込んでいる人たちがいるのも事実だ。その思い込みが、暗黙のうちに「正義」の側にジャーナリストを立たせてしまっているのである。 いわば善と悪の対立である。悪=「嘘」をつく首相と、善=「嘘を暴く」記者たち、という安易な二項対立だ。もちろん既存マスコミも十分に腐敗し、そして権威化していることを忘れてはならない。 東京高検の黒川弘務前検事長と産経新聞記者、朝日新聞元記者との賭けマージャン問題により、マスコミと検察のズブズブな関係が明るみに出た。最近では、河井克行元法相と河井案里参院議員夫妻の逮捕劇が、なぜか先行してマスコミにリークされていたこともある。これもまた検察とマスコミのズブズブな関係を暗示させるものだ。菅義偉官房長官の記者会見で挙手する東京新聞の望月衣塑子記者(手前)=2020年2月 ひょっとしたら、検察庁法改正問題から河井夫妻の逮捕劇まで、マスコミと検察の「共作」ではないか、と疑問を抱いたりもする。それだけ情報が検察とマスコミとの間で共有されているようにも思えてくるのだ。 もちろん望月記者は、河井夫妻の逮捕劇を首相に結び付けようと最近も必死である。だが筆者は、検察とマスコミの国民が知ることもないズブズブな関係にこそ、問題の根があるように思えてならない。

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    東京都知事選で大化けしたかもしれない堀江貴文の「ソーシャル戦略」

    中村佳美(政治SNSアナリスト) 7月5日投開票の東京都知事選は東京五輪・パラリンピックを控え、「東京大改革宣言」を掲げた小池百合子知事の4年間の都政運営に対する審判の場になるはずでした。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、小池氏のコロナ対応に注目が集まる中で、自民党本部と公明党、立憲民主党は独自候補の擁立を断念しました。 6月12日に出馬表明した小池氏が政党の推薦を受けないことを表明したこともあり、自民は自主投票、公明は小池氏の実質支援を決め、一方、立民は元日弁連会長の宇都宮健児氏を共産、社民とともに支援することを決定しました。 日本維新の会は元熊本県副知事、小野泰輔氏の推薦を決めています。そして告示前々日の15日には、れいわ新選組の山本太郎代表が東京五輪の中止を公約に掲げ、出馬表明しました。 中でも、思わぬ展開を見せたのが、実業家の堀江貴文氏の出馬説が報じられたことです。堀江氏は新著『東京改造計画』(幻冬舎)に、37項目500ページに及ぶ「マニフェスト」を盛り込みました。 さらに、以前から親交が深く、都知事選にも出馬するNHKから国民を守る党の立花孝志党首が5月25日に、堀江氏の愛称を使った政治団体「ホリエモン新党」を設立、自ら代表に就きました。ただ、その立花氏は6月16日、堀江氏の秘書、斉藤健一郎氏がホリエモン新党の公認候補として出馬することを発表しました。このような状況でも、「アフターコロナ」で国民から求められる政治家像が変化していく中で、インターネット上で多くの期待が寄せられていました。 堀江氏が会員制交流サイト(SNS)を使って発信する言動は、メディアなどを通して常に注目され、話題となってます。そんなネットから高い支持のある堀江氏が、今回の都知事選に出馬した場合、得票力や選挙戦の展開方法に注目が集まったことでしょう。 そこで、今回、慶応大大学院政策・メディア研究科の小野塚亮氏に協力いただき、堀江氏と現職の小池氏のフォロワーにおける属性を分析しました。本稿では、この結果をもとに、堀江氏のSNSによる情報発信が、都知事選に対してどのような影響が及ぶのか考察してみたいと思います。 まず、堀江氏と小池氏のSNSコミュニティーからファンの属性の分析を行うために定量的調査を試みました。今回は、小野塚氏が開発したツイッターAPI(外部システムで連携しやすくする技術仕様)を用いて構築したシステム『あなたが好きな人は何が好き?』を使用して、SNS分析を行いました。このシステムは、自分のツイートに定期的に「いいね」している人が、誰で、どのような人なのか、その人が自分以外に他にどんな内容に興味を持って「いいね」しているかを図で示してくれます。衆院法務委員会に参考人として意見陳述する実業家の堀江貴文氏=2015年7月(酒巻俊介撮影) この分析によって、ファンが自分の何に注目しているかを知ることができるとともに、自分のフォロワー層の属性を分析できます。これまでに、自分のことを好きな人が誰なのかを調べるマーケティング手法はたくさんありました。今回の分析では、その好きな人がどのようなフォロワー属性であり、どのようなものを好むかまでを、ツイッターを用いて抽出を行うことが新たに可能になりました。 なお、分析にあたっては、違いをより分かりやすくするために、現職の小池氏のSNSと比較しながら進めました。 今回、このシステムを使用して分析を行うにあたり、以下の四つの問いを明らかにします。(1)「いいね」してくれているユーザーのうち、何%が実際の堀江氏、小池氏のフォロワーであるか(2)両氏を好きな人(ファン)の属性は何か(3)両氏の投稿以外、どのような内容に興味を持って「いいね」しているか(4)ファンの集中度はどのくらいか※ここでのファンの定義は、3回以上リアクションしている人たちのことを指す。1ツイートあたり取得できるリアクション数には上限があり、リツイートは100件、「いいね」は26件までのみ取得できることが前提条件 また、2人のツイッターのフォロワー数を確認しておきましょう。堀江氏:610フォロー/351万6789フォロワー小池氏:596フォロー/84万7427フォロワー※5月25日時点 まず、自分の投稿に「いいね」してくれているユーザーの何%が、実際に自分のフォロワーなのかを分析しました。5月19~28日の10日間で、小池氏のツイートに3回以上リアクションしている92人中8人が非フォロワーで、堀江氏の場合、83人中2人は非フォロワーでした。堀江氏のファン属性は? つまり、両氏の投稿に「いいね」をするファンの非フォロワー比率は、小池氏が8・7%で、堀江氏は2・4%ということになります。この分析結果から、小池氏は非フォロワーに堀江氏の4倍以上も届いている可能性が高い一方で、堀江氏のツイートは、フォロワー以外には広く届いている可能性が低いことが分かりました。両氏のフォロワー数の差が大きいにもかかわらず、ファンの数に大きな差がないため、フォロワーの数の多さにばかり目を向けるのは適切ではない可能性があるといえます。両氏のフォロワー・非フォロワーのファン比率 続いて、両氏のファン属性と、そんな両氏を「好きな人は誰か」という問いです。両者のファンの属性から分析していきます。次の図は、5月28日時点の結果です。両氏のファン属性。左が堀江氏、右は小池氏 両氏のSNSアカウントに頻繁に反応しているアカウントのツイッタープロフィールに書かれている言葉から解析された結果です。テキストデータから読み取るべきポイントは、いくつかあります。一つは、全体的な文字の大きさや詰まり具合の違いです。この抽出された文字は、ファンのプロフィール文中の出現回数に比例するシステムになっています。 つまり、文字の大きさが大きくなるほど、その文字に関心を持つフォロワーが多いということです。まず、堀江氏のフォロワー層ですが、「人生」「仕事」「勉強」「ビジネス」「エンジニア」など、特定の領域のファンの属性が高いことが分かります。 一方で、小池氏のフォロワー層は「日本」「テレワーク」「東京都」「佐々木希」「八王子」「漫才」「美味しい」などさまざまなジャンルのキーワードから構成されています。しかも、強調される文字の大きさが小さいことから、フォロワー層の偏りがなく、多様な層に届いていることが分かります。 次に、「私を好きな人はどんな人か」の問いの部分である、両氏の投稿に「いいね」をくれるユーザーが、両氏以外にどんな内容に「いいね」をつけているかを分析していきます。次の図は5月18日から28日までの抽出結果です。5月18〜28日における両氏のファンの好み。左が堀江氏、右は小池氏 文字の大きさは、自分の投稿に「いいね」をしてくれている人が、他に「いいね」している投稿内容の出現回数に比例するシステムになっています。大きくなっている文字ほど、両者の投稿に「いいね」しているユーザーの注目度がより高く現れるキーワードというわけです。 つまり、堀江氏に「いいね」をするユーザー層は、経済、お金、仕事、自由など社会経済的ワードへの関心が高いファンであることが言えます。堀江氏の投稿スタイルから、熱烈的ファンを多く抱えているとも考えられます。 一方で、小池氏に「いいね」をするユーザー層は、一つの領域に偏りがなく広い関心があることで、共通の関心が見られないことが分かります。「マスク」というキーワードを含むツイートを分析した結果、マスクの支援や呼びかける温かいポジティブな投稿が複数確認できました。 両氏のSNSユーザーに共通するのは、少なくとも政治クラスターの中で発生しているということです。しかも、重複するキーワードも多くあり、実際には票の食い合いになってしまう可能性もあるのかもしれません。 両氏のフォロワー数の差に留意が必要なので、結果の妥当性を確認するために、両氏のファンの集中度を「ハーフィンダール・ハーシュマン指数」(HHI)をもとに算出しました。HHIとは、ある産業の市場における企業の競争状態を表す指標の一つです。 結果として、小池氏が20・68、堀江氏は28・92となりました。ここからも堀江氏よりも小池氏の方が広い層に届いていることが分かります。ネットを白熱させる「俺論」 この定量的結果をもとに、堀江氏が従来のネット選挙活動を行う候補者とどのような点が違っていて強みなのか、そうした違いが都知事選ではどのように活きてくるのか、考察していきます。 堀江氏のSNSスタイルの核を担うのは、社会経済から芸能まで、世の中のありとあらゆ出来事や事件に対して切り込んでいく独自の「俺論」です。堀江氏のような能力や肩書を同時に有する人は、日本にはほとんどいません。 誰もが思いつかないような視点から言語化を行い、炎上させることで自身のツイートがさらに拡散され、注目を集める仕組みを意図的に作り上げます。問題を指摘して攻撃することで、具体的な問題点に目を向けさせるような発信が多く、ユーザーが自分と同じようなポイントに問題を感じ、怒りをぶつける代弁者だということを印象付けようとしていたと見受けられます。 例えば、小池氏は5月20日、都知事選への出馬意欲が報じられた堀江氏について、記者団から感想を求められ「特にございませんけれども、まあ賑(にぎ)やかなこと、という感じ」と微笑を交えて語りました。これに対し、堀江氏はすかさず反応し、小池氏が取材に答えるニュース動画を自らのツイッターに貼り付け「コロナ危機利用してるから余裕だな」とツイート。対抗馬として意識しているかのような投稿がメディアでも取り上げられていました。 ネット上で名前を検索し、自分自身への評価を確認するエゴサーチを行い、自身に関する投稿を引用リツイートしている姿を見ても、直接的に相手に議論に持ち込むことは、なかなかできないことであり、他の候補者にない点です。小池氏の投稿するツイッターに反撃する形で、堀江氏が引用リツイートを行うことで、さらにネットが白熱していく可能性もあったでしょう。 従来の候補者のネット選挙においては、対抗馬に直接的な議論を持ちかけることは避けており、あくまで自分のコミュニティーの中で収まっていました。こうした何を言い出すか分からない、目が離せない、注目を集める手段として発信しているのが堀江氏のスタイルです。 このスタイルは、一部のユーザーから、米国のドナルド・トランプ大統領を連想させるかのような「本音で語る改革者」に映るかもしれません。トランプ氏のSNSスタイルは、過激な表現や怒りを代弁する演説を行い、物議を醸すことでユーザーたちがより反応します。 こうしたメッセージ発信がニュースのヘッドラインを飾り、賛成派も反対派も関係のない人も、トランプ氏を意識せざるを得なくなり、独特のループにハマっていくのです。日によっては、「トランプ氏は、本日はツイートしていません」とテレビで取り上げられるほど、番組コンテンツとしても注目されていました。 このように「何を言い出すか分からない」「目が離せない」というのが、トランプ氏がSNSで作り出した自らのイメージで重要な要素の一つだったのです。トランプ氏は、かつて米CBSテレビのニュース番組の中で、「自身がフェイスブックやツイッター、インスタグラムなどの各アカウントで大量のフォロワーを獲得していたことから、悪意ある情報が流されてもSNSが反撃の手段となり、選挙戦に勝利することができた」と答えています。 さまざまな物議を醸した「トランプスタイル」こそが、大統領選の勝因であったことを自ら示唆したわけです。こうしたトランプ氏のスタイルに近い堀江氏も、自らのアカウントで大量のフォロワーを獲得していることで、既存メディアなどから悪意のある情報が流された場合でも、自らの主張を数多くの人たちに直接伝える「反撃の手段」としてSNSを活用しています。米ホワイトハウスで話すトランプ米大統領(中央)=2020年4月(AP=共同) 今回の分析結果においても、ファン集中度の高さから熱烈的ファンが多く集中していることが証明されたほか、人生、仕事、勉強、ビジネス、エンジニアなど、特定領域のファンの属性が高いことにも納得がいきます。また、今回の立候補に期待を寄せられている点には、実業家として公約に対する具体性が高く、デジタルリテラシーが高いところも注目を集めています。満員電車の値上げ、江戸城再建、大麻解禁、東京都のオール民営化など37項目を盛り込んだ東京改造計画が発表されています。 従来の政治家なら一見非常識と思われるところに踏み込んでいても、堀江氏のキャラクターだからこそ、正直や素直という印象を与えています。そうした様子が支持者にとっては本音で語りかける改革者のように見えているのかもしれません。 一方で、堀江氏への批判として、「選挙を混乱させるな」「都知事選を宣伝媒体にして過激なことするつもりなのか」「N国の取り巻き」「人柄が信用できない」「弱者の気持ちが分からない」との声も多く上がりました。確かに、政治家は情報発信だけでなく、議会や政党をはじめとするステークホルダー(利害関係者)に対して粘り強く説得するコミュニケーションが必要であるため、公職経験を求められる一面もあります。 しかし、政治家は落選すれば無収入になってしまうことから、たとえ国民や都民のことを考えていても大胆な政策はできない現実があり、資産活用のアイデアも少ないのも事実です。堀江氏は『東京改造計画』でも「僕は空気を読まない。媚びない。権力にもメディアにも都民にもいい顔をしない。大いに批判され嫌われるであろう。でも、それでいい。誰かが強い意志をもって強い提言をしなければ東京は変わらない。コロナ時代の新しい首都のカタチを皆さんと一緒に考えていきたい」「東京は政治屋たちの私物ではない」と語っています。「3密」回避選挙の行方 今都民が求めるのは、実力のある改革者でありながらも着実にリスクをコントロールしながら経済を回す安心、信頼できるリーダーではないかと考えます。日本、そして東京を作るのは私たちだからです。 では、堀江氏のように情報発信力の高い候補者は、実際の選挙の現場ではどう活きてくるのでしょうか。本来、ネット選挙活動を行う目的として、候補者を多くの人に伝える、知ってもらう情報伝達に対しての訴求性が高く、宣伝、動員、空中戦の一つのツールとして位置付けられています。広報費用を抑えるメリットもあって、今回の新型コロナ禍の影響で、「3密」を避けるためにも、オンラインによる選挙活動に力を入れる現場も増えつつあります。 実際の選挙期間に入ると、投稿の量よりも質を重要視した発信する姿勢が求められます。地方選では、質より量を重視して検索結果を埋め尽くす手法も一部ありますが、選挙区で得票数が高い年齢層を見極め、それぞれに落とし込んだ政策から有権者を「説得する」ためのメッセージ化を行うということが必要です。 もし、日頃からSNSを積極的に活用して発信しているにもかかわらず、支持者が伸び悩んでいるとすれば、「エンパシー(empathy)」の能力が低い可能性が考えられます。エンパシーとは「他者の立場を想像し、感情を分かち合う能力」のことで、自分と他者が違うと認める考え方として心理学でよく使われます。 日常生活のコミュニケーションの中でもたびたび使われる、「思いやり、同情、相手を気の毒に思う」といったシンパシーという感情があるのは、ご存じだと思います。一方、エンパシーは自分と異なる他者の感情や経験などを理解する能力であり、知的作業を指します。 選挙期間中の情報発信は、自らの政策を一方的に発信して対論するよりも、有権者の感情に訴えて共感を得られるように双方向で対話することが重要になります。それには、日頃から自分と違う理念や信念を持つ人々が何を考えているか、他者の思考プロセスを想像する能力、エンパシーを鍛えることが必要です。こういう力を鍛えることにより、有権者に寄り添った関係を築くためのメッセージ化やキーワードを戦略的に生み出すことができるでしょう。 また、選挙期間以前から取り組むべきポイントとしては、広いファンではなくより一歩深く踏み込んだ「アンバサダー」を事前に増やすことです。広く浅い発信よりも、確実な票集めです。つまり、ネット上の投稿を拡散してくれる協力サポーターを増員することです。昨年の参院選で返り咲いた山田太郎参院議員には、強力なネットサポーターの渦が構築されていました。こうした点では、ファンの集中度が高い堀江氏が、分散している小池氏よりも既に優位に立っていたと考えられます。 求心力維持には票の上積みが必須ですが、堀江氏が反小池票を掘り起こすことによって現実味を帯びてくる可能性が高いと見ていました。選挙期間中、空中戦において成果に繋げるためには選挙期間外にどのくらい力を注いだかで変わってくるのです。 先日、ついにツイッター本体に予約投稿機能が搭載されました。これによって、より事前に広報スケジュールとコンテンツの事前作成を行う戦略ができます。 選挙期間中に発信する内容は、事前に作成し広報スケジュールを立てることをお勧めしています。従来の候補者の情報発信モデルは、具体的に大きく分けて四つの型があると筆者は考えています。 過去形で投稿を行う「報告型」、現在進行形で投稿を行う「実況型」、未来形で投稿を行う「告知型」、時系列を問わない「主張型」です。主に与党の候補者には報告型が多く、野党の候補者には告知型が多く含まれる傾向があります。 また、東京大大学院情報学環が、2019年の参院選の投票行動と情報行動に関する調査の中に、選挙運動期間中の選挙に関する情報へのSNS接触頻度結果が出ています。 全体の接触率は、ツイッターが最も高く、僅差でLINEとユーチューブが続きました。年代別のトップは、10代と20代がツイッターで、30代はユーチューブ、40代と50代がLINE、60代はユーチューブとなっています。 2017年の衆院選の際に行われた同様の調査と比較すると、SNS接触率が高まっているという傾向が示されています。ここでは深く触れませんが、SNS接触が高まりつつある中で、その個々のサービスには長所と短所があります。さまざまな状況に応じて複数のSNSを戦略的に組み合わせて発信することで、有権者とコミュニケーションが自然と生まれるような投稿の質に近づけることはとても大切です。 「アフターコロナ」の都知事選で、候補者は街頭演説や選挙カーを控えめにすることを余儀なくされるかもしれません。その一方で、ネット公開討論会、オンライン選挙事務所など、有権者が政策や候補者を判断に参加する新しい機会の提供が求められるのではないかと考えます。ツイッターデモは政治を変えるか また、候補者の中には、公示日を迎えてからアカウントを開設し、選挙が終われば更新をストップする人も多いです。今回の選挙だけに限らず、国民は政治家の日頃からの情報発信の内容とともに、発信している姿勢を見ていることも忘れてはなりません。私たち有権者にとって、政治家のSNSはメディアのフィルターを通さずに生で政治家が考えていることにアクセスできる「回路」なのです。 そして、SNSを選挙で活用するにあたって一番気になる部分が、その効果性です。限られた時間である選挙戦では、意味のある広報戦略が常に求められています。 これまでに、ネットとリアルの合わせ技を必要とする海外の選挙においては、選挙結果に対して無視できない影響を与えていると示唆されてきました。米大統領選でのネット選挙キャンペーンの代表例として、バラク・オバマ前大統領が挙げられます。 しかし、2008年と12年の大統領選でオバマ陣営の草の根運動に参加した明治大の海野素央教授によれば、実際オバマ氏の強さの源泉はSNSではなく、地上戦にあったといいます。著書『オバマ再選の内幕』(同友館)で海野氏は、空中戦とは、あくまで地上戦を後方から支援する存在にすぎないと指摘しています。戸別訪問が許されている米国の選挙で、オバマ氏は誰よりも地道な戸別訪問に力を注ぎ、再選の流れをつくったというのです。 オバマ氏は、もともとシカゴの貧困地区を歩き回る「コミュニティー・オーガナイジング」と呼ばれる草の根運動をしていた政治家でした。「困っていることはありませんか」「このあたりにバス停は必要ですか」「家庭教師は必要ですか」「有権者登録のやりかたはご存じですか」「アパートを建てた方がよいですか」といったことを上院議員になる前から聞いて回っていたと海野氏が明らかにしています。 こうした空中戦について、組織票中心の選挙になりやすい日本では、SNSの活用効果を低く見積もる研究が多く見られます。ネットだけで選挙に勝つことは難しいため、地上戦と空中戦を融合させることが必要であり、バーチャルの接触だけでは、支持者をつくれないのが現実でしょう。 しかし、今回のような特定のファンが既に集中している堀江氏が出馬した場合には、事前のネット上でのバーチャル接触によって、その後のリアルでの接触の価値が上がる可能性は高かったと考えられます。つまり、直接的に得票数に結びつくエビデンス(根拠)は定かでなくも、人を動員したり、投票を呼びかけたりする「得票力」として化ける可能性が十分にあったといえるのです。 このような効果を十分に証明するためには、今回の定量的データを混合的に取り入れて検証していく必要性があります。日本も米国のようにビッグデータ解析・有権者名簿の活用、それにネット選挙運動が連動し、政治家と有権者が双方向でコミュニケーションを行う変革が求められていくことでしょう。 最後に、今回の分析領域であるインターネット論と政治学の横断的研究に関して、日本は近代的分野のために未発達な理論が多く、十分な指標となるものも少ないです。しかし、国民が安心して政府の情報を受け取れる環境を整備し、デジタル社会に対応していくためには、選挙や政治の現場においてのデジタル活用促進の必要があると考えています。 横断的研究を進めている筆者としても、現場での戦略にも活かせるように、データからエビデンスを導き出し、混合的に研究を進めていくことで、国民と政治の距離が縮まり、より対話が増えていくための指標になれればと考えています。東京都庁(ゲッティイメージズ) また、今回分析したSNSの有効性だけではなく、その脅威についても、私たちは冷静に考えていかなければなりません。ネット世論が政治に与える影響が見受けられる問題が相次ぐ昨今、先月の「#検察庁法改正案に抗議します」ツイッターデモが政治に与えた意識は衝撃的でした。 まさに、これまで観客席から見守っていた多くのユーザーが、次々に舞台に現れた瞬間です。日本は代表民主制のため、自分たちの声を議会に届けるためには一人ひとりが持つ1票を候補者に託し、政治の現場に送り出すことで主張してきました。 たとえ国民と政治のズレを感じても、デモ集会やネット上で声を上げることしかできない中で、今回のツイッターデモの影響を受けて各メディアがニュースに取り上げました。つまり、SNSと政治が脅威的な親和性を持ち、集まった有権者の声が世論を超えて政治を動かす指標になったということです。 しかし、この脅威が示唆される一方で、流れを変えることができるという国民の希望にもなったはずです。緊急事態宣言が発令された後で、日本の首都東京の舵を託せる候補者を選ぶ重要な選挙になることでしょう。 先述のように、政治家のSNSは、私たち有権者にとって生で政治家が考えていることにアクセスできる回路です。ぜひ、自分の一票の投票先を決める判断材料として、候補者のSNSにアクセスし、候補者の頭の中を確認して下さい。

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    新型コロナで激変する「パラダイム」

    世界を襲った新型コロナウイルスは、政治や経済に限らず、文化や社会の在り方まで完全に変えてしまう勢いだ。これまで当たり前だったこと、すなわち「パラダイム」の激変は避けられない。艱難辛苦の世の中だが、前に進むにはどうすればいいのか。そこで今回は、多様な視点でアフターコロナについて考えたい。

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    アフターコロナの日本政治に希望をつなぐための「旗印」

    三浦瑠麗(国際政治学者) 「コロナ政局」というようなものが日本で起こるとすれば、それは与党内で起こるのでしょう。そう思わされたのは、感染の波がいったん収まって、未知の感染症だった新型コロナウイルスに関する不確実性もだんだんと減ってきたころから、自民党の中の動きが活発化したことによるものです。 とはいえ、現在の自民党を見る限り、政権末期につきもののレームダック(死に体)化の気配は感じられても、かつてのように明確に政権を引きずり下ろしに行く動きは感じられません。 それは、一つには細田派(清和政策研究会)、麻生派(志公会)、二階派(志帥会)の安倍政権を支える三大派閥がしっかりと手を組んでいるからでしょう。また、安倍晋三首相から後継とみなされている岸田文雄氏が政調会長として政権と命運を共にしているからでもありましょう。 しかし、だからこそ、でしょうか。こうして本格的な大不況時代の入り口に立ちながら、安倍政権後を視野に入れた政治家個々人の動きは、依然として危機のレベルを認識していない錯誤感が伴います。もちろん、足下での経済的損失に対処すべしという声は、与党議員の中からも大きく聞こえてきます。 逆に、今は提案さえすれば、何もかも認められそうな気配さえ感じられます。目の前の倒産を食い止めようと誰もが立ち働いていることは否定しません。 しかし、政権与党は少なくとも向こう2、3年の経済運営に関しては責任を負う立場です。コロナの第2波にどう立ち向かうのか。そこにおいて第1波と同じような緊急事態宣言と休業要請をしてしまってもよいのか。安倍首相(右)に2020年度第2次補正予算案編成に向けた自民党提言を手渡した自民党の岸田政調会長=2020年5月21日、首相官邸 はたまた、同盟国やその他の国との往来はどのように再開すべきか、米中対立によるリスクにどのように対処すべきか、といった問題を話し合うべきときなのです。自民党総裁選をにらんで各種会合や立ち上げをするのもよいですが、それは根本的な問題への対処を政権に任せっきりにし、困難な課題を避けて通るようなものであってはならない、と思います。 軒並み弱い支持しか得られていない野党を前に、政権交代を恐れず余裕綽々(しゃくしゃく)なのはまだ理解できるとしても、第2波への対応次第では、今年の実質国内総生産(GDP)がマイナス12%成長になろうかというときに、悠長な態度をとっている場合ではないと思うのです。自民の本当の強固な基盤 安倍政権の支持率低下は、自民党本体の問題ではなく、政権特有の問題だと見なされているのかもしれません。しかし、安倍政権がここまで長期政権化したことこそが特異な事例なのであって、自民党が抱える本質的な問題はいささかも変わっていません。 毎日新聞や朝日新聞の各世論調査では、安倍政権の支持率が3割を割り込んだことがニュースになりました。調査によっては半数以上の人が不支持と答えるなど不満が強いことがうかがえます。では、政党支持率といえば、NHKの5月の世論調査では自民党が31・7%、立憲民主党は4・7%、支持政党なしが43・8%と野党の弱さが目立ちます。 2009年に民主党の勝利という形で現実化した自民党にとっての危機は、党内の結束を固め、首相のリーダーシップを強化するという意味では学びとられているのかもしれません。けれども、安倍長期政権下において、自民党に対するファンが増えていったわけではありません。 確かに、選挙の出口調査でこそ若年層の自民党への投票が目立ちます。私が代表を務めるシンクタンクが実施した「日本人価値観調査2019」で、自民党に対する信頼度や好感度を表わす「評価」そのものを聞いてみると、実は若年層の自民党支持は際立たないのです。 そして、ここに来てコロナ禍と経済不安で世間に不満がわだかまる中で、無党派の政権離れが顕著になりました。自民党が新たに獲得したと考えていた層、つまり民主党に幻滅した無党派の改革支持層、そして自民党政権に慣れている若年層は、局面が変われば容易に離れてしまう浮動票でしかなかった、というわけです。 自民党は、私のこれまでの意識調査によれば、有権者全体の1割以下の強固な支持基盤しか持っていません。それは、米国のトランプ政権が3割弱の根強い共和党支持者に支えられているのとは対照的です。 自民党を初めから支持するのではなく、結果的に投票した有権者が重視していたのは、米国との同盟強化や憲法9条改正に象徴される現実主義路線でした。その上で、経済成長重視の立場に立つ人が自民党を「より選んできた」にすぎません。衆院予算委で、立憲民主党の枝野幸男代表(手前左から2人目)の質問に答える安倍晋三首相=2020年6月9日 であるとすれば、人々の現状打破に向けた欲求が一定の水準を超え、外交安保の争点を度外視したとき、全く異なる論点での分断が起きる可能性があります。危機の時にはポピュリズムが流行るものです。トランプ現象のように、経済的には中道に立ちながら、社会的には分断を煽るような言説が出てくることも十分想像できます。現状打破志向の興味深いところは、それがいかなる方向であるかを問う前に、変化を望むことです。 日本では、とりわけ年長世代にこの傾向が顕著であり、良くも悪くも彼らがこの社会を作ってきたにもかかわらず、60代や70代の有権者がその場の感情に従って選挙に風を吹かせる可能性が高いのです。なぜそう考えるかというと、現状に満足しておらず変化を望む有権者の層が、ある一定の明確な政策の方向性を示しているというわけではないからです。危機が課題を先鋭化させる その結果、自民党の弱さが顕在化し、変化が起こるとすれば、おそらくよく考え抜かれた結果の政策転換ではなくて、情動的なものになることでしょう。 そうすると、現状の継続にせよ、変化にせよ、日本政治に希望はないのか、という話になります。もちろん、私もそう思いたくはありません。もし日本社会に希望があるとすれば、合理性に基づき、社会的課題と経済成長戦略を結び付けた政策が本格的に出てくるときでしょう。 安倍政権が唯一この分野で力を発揮したのは、「ウーマノミクス」と呼ばれた女性の活躍推進と経済成長の相乗効果です。しかし、現在コロナ禍で非正規雇用の女性は再び雇用調整の対象となり、労働人口そのものが大幅に減ってしまいました。自粛政策で、男女の格差は少なくとも一時的には拡大したわけです。 同時に、コロナ禍による経済的打撃によって、若年層にしわ寄せが集まっています。今の若い世代が、就職氷河期の上の世代と同様にロストジェネレーション化することは目に見えています。 経済復興の過程は、取り組むべき本質的な課題に対処するチャンスでもあります。未来志向の社会的課題と経済成長を結び付ける分野の一つが、環境問題です。日本では諸外国ほど意識されていませんが、アフターコロナを論じる上で、環境問題は第5世代(5G)移動通信網の普及などIT化のための投資と並んで重視されています。 コロナの恐怖が世界を覆う前、グローバル社会の最大の課題は気候変動だったことを思い出してください。感染症を契機として、自然に干渉する人間の生活を見直したいという欲求は、先進国を中心に加速するでしょう。 実際、人間の活動が停滞したことで、地球環境には目覚ましい変化が現れました。観光客がいなくなったベネチアの運河は青く澄み、魚が戻ってきたといいます。二階俊博幹事長との会談を終え記者団の質問に答える自民党の石破茂元幹事長=2020年6月8日(春名中撮影) 復興で活発な公共投資が求められる中、少なくとも先進国は20世紀型の化石燃料を燃やし続けるような経済には投資しないでしょう。そうした先進国主導の流れは、先進国市場へのアクセスが重要な新興国にも波及していくことでしょう。 善きにつけ悪しきにつけ、危機は社会的課題を先鋭化させます。今だからこそ、政治は社会的課題に本格的に取り組むことを旗印にすべきであるし、それを経済成長と矛盾のない形で示すことのできる政党が評価されるのだろうと思います。

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    決して無駄にしない、「戦死」した横田滋さんのただならぬ覚悟

    西岡力(「救う会」会長、麗澤大客員教授) 拉致被害者の横田めぐみさんの父で元家族会代表、滋さんが召天された。「逝去」ではなく、あえて「召天」という言葉を使う理由は、滋さんが天の国でめぐみさんたちが帰ってくることを見守っていることを信じるからだ。 いつこのときが来てもおかしくないことを覚悟していたので、マスコミへの第一報の連絡、ご家族が静かに過ごせるための取材自粛のお願い、記者会見の設定などの準備を整えてはいた。 しかし、このときを迎え、押し寄せる実務をこなしながら、心の片隅に風穴が開いてしまったかのような感覚にとらわれている。寂しさ、口惜しさ、申し訳なさ、怒りなどが混じった感情の下敷きになっている。 滋さんに初めてお目にかかったのは1997年2月だった。ゆえに23年以上、お付き合いさせていただいたことになる。お付き合いというより、ともに戦ってきたということが実感だ。その思いを込めて私は、「救う会」のメールニュースを通じて次のようなコメントを発表した。 痛恨の極みです。拉致被害者救出のため23年間、ともに戦ってきた者として、力が足りなかった、申し訳ないという思いで一杯です。横田滋さんが、平成9年に横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されていることが発覚した後、実名と写真を出して救出運動を行うという困難な決断をされたことで、拉致という大きな闇を明るみに出す契機になりました。 しかし、5人とその家族は助け出せましたが、めぐみさんたち多数の被害者はいまだに彼の地に抑留されたままです。一目でもめぐみさんに会いたいという強い意志で2年以上の入院生活で最後の戦いをされ、力尽きて天国に旅立たれました。必ずめぐみさんたちを助け出します。どうか、天国でそのときをお待ちください。 戦場で私のすぐ横で敵に向かっていた「戦友」が敵の弾丸にあたって倒れた、という感覚だ。同じ感覚を今年2月、有本恵子さんの母である嘉代子さんが召天されたときにも感じた。安倍晋三首相も同じ感覚を持っている。首相も「ともに戦ってきた」という表現を滋さんと嘉代子さんへのコメントで以下のように使った。 本当に、残念です。横田滋さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、早紀江さんはじめ、ご遺族の皆様に、心からお悔やみを申し上げたいと思います。滋さんとは本当に長い間、めぐみさんはじめ、拉致被害者の方々の帰国を実現するために、ともに戦ってまいりました。(2020年6月5日記者団に) 有本さんご夫妻とは、まだ私が父の秘書を務めているときからお話をうかがい、長い間何とか恵子さんを取り戻そうと、ともに戦ってまいりました。嘉代子さんのご健康が優れないというお話をうかがっておりました。何とかお元気なうちに、恵子さんを取り戻すことができなかったことは、誠に痛恨の極みであります。(同年2月6日記者団に)記者会見に臨む横田滋さん、早紀江さん夫妻ら=2002年10月 戦いの中での滋さんの功績は多数ある。その第一は、97年2月、「横田めぐみ」という実名を出して日本国民に訴えるという決断をされたことだ。決断した実名公表 当時、政府内の公安機関を含む多数の北朝鮮専門家は、「北朝鮮が拉致は捏造だと主張しており、実名を出すと証拠隠滅のために、その被害者に危害が加えられるので、やめた方がよい」という意見だった。 1988年3月の参議院予算委員会で、当時国家公安委員長だった梶山静六氏が、拉致被害者の蓮池薫さん、祐木子さん夫妻ら3件6人のアベック失踪事件などについて政府として初めて「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」だとした歴史的答弁でも、実は質問と答弁の両方で被害者の実名は伏せられ、拉致現場の地名だけが言及されていた。 横田家の中でも、母の早紀江さん、双子の弟の拓也さん、哲也さんは、実名を出すことを躊躇(ちゅうちょ)していた。早紀江さんは、「20年間めぐみがどこのいるのかさえ分からなかった、その間、めぐみはこれまでお父さん、お母さん、いつ助けに来てくれるのと思い続けてきたはずだ、やっと北朝鮮にいるということが分かった。そのとき、親が最初にとる行動がめぐみを危険にさらすかもしれないということは耐えがたい」として実名での訴えに反対したと聞いた。 しかし、滋さんが毅然としてこう説得したという。「拉致が起きてから20年間、日本は真剣に救出に取り組んでいなかった。このまま、新潟出身のYさんという曖昧な形で報道がなされても、マスコミはすぐ忘れてしまい、世論は盛り上がらないだろう。そうなれば、また20年、何も起きず、親たちは死んでいき、拉致された子供たちも拉致されているとことさえ明らかにならないまま死んでいくだろう。一定のリスクはあるが世論に訴えよう」と。それを受けて横田家が記者会見で実名と写真を公開したのだ。 私は朝鮮研究者として、1991年に『諸君!』という今はなき月刊誌に、日本人が拉致されているという論文を書いた。当時、公安機関関係者を含む多数から「身の危険はないか」という質問を受けた。また、「殺してやる」という匿名の脅迫状を受け取ったこともあったが、拉致問題は闇の中に隠れていた。それを打ち破ったのが滋さんの決断だった。 滋さんの決断に接して他の拉致被害者の家族も実名での訴えを決断され、家族会ができた。それを横で見ていた私を含む少数の専門家と国民有志が、ここまで重い決断を家族がしたのに世論が盛り上がらなければ、日本はおしまいだと考えて、家族会を支援して救出運動に取り組む「救う会」を各地で結成した。街頭で拉致被害者の救出を呼びかける横田滋さんと早紀江さん=1997年5月、新潟市 1998年にその連合体として「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)を作った。それから、滋さんは日本全国そして世界各地まで、拉致問題を訴える機会があればどこでも出かけていった。私もかなりの場所にご一緒した。 当初、ほとんどのマスコミは拉致疑惑と書いて、大きく扱うことはなかった。特急列車を乗り継いで3時間以上かけて集会場に着くと、10人未満の聴衆しかいないということも何回もあった。身をすり減らした戦い それでも屈することなく、めぐみさんたちの救出を訴え続ける滋さん、早紀江さんの決死の努力が世論を動かし、2002年の日朝首脳会談では、拉致が主要議題となり、5人を助けることはできた。だが、めぐみさんをはじめとする多数の被害者は、死亡、あるいは拉致していない、という新たな虚偽通告を受けただけだった。 その後、北朝鮮の通告のウソを、次々証拠を挙げて打ち破り、世界13カ国に拉致被害者がいることを明らかにし、拉致以外にもひどい人権侵害が北朝鮮の体制下で行われていることも暴露されていった。その先頭に常にいたのが滋さんだった。 しかし、超過密スケジュールは滋さんの体をむしばんでいった。早紀江さんや2人の息子さん、そして私らが繰り返し、「少し休んでください」とお願いしたが、滋さんはそれを聞き入れてくださらなかった。 そして、2016年頃から体調を崩し、対外活動がほとんどできなくなり、2年前に倒れて入院された。毎年2回、首相を迎えて開催してきた国民大集会では、最後の出席が15年9月だった。17年4月の国民大集会では不自由な体の中、次のようなめぐみさんへのビデオメッセージを寄せてくださった。 めぐみちゃん、お父さんですよ。ここら辺で、必ず解放されると信じて、今めぐみが隣の部屋で、待っているようなと、同じような感じがします。もうすぐ会えるかもしれませんが、体だけは気を付けていてください。もうほんのわずかですから、がんばってください。 その集会で司会をしていた私は次のような反省の言葉を司会者として述べた。その気持ちは今も変わっていない。 私は少し反省をしています。われわれはこの間20年間運動をしてきましたが、家族の人を先頭に立てすぎたのではないだろうか。ある集会に行きますと、家族会の人に「がんばってください」という声がかかります。 そうではないはずです。今、滋さんがおっしゃっていましたが、向こうにいる被害者に、「もう少しですよ、がんばってください」と言わなければならないんです。そして、助け出すのは家族ではなく、日本国政府、日本国国会、日本国の国民が一体になって助け出さなければならない。家族が助けようとしているのをわれわれが助けるのではない。 しかし、横田滋さんは、どこに呼ばれても行く。もう手帳がまっ黒でした。今あれだけしかしゃべれないようになられたのは、歳相応の老いではない。自分の身をすり減らして、ここにも来られないような身体になられた。 それでよかったのか。家族が身をすり減らさなければならないような運動をわれわれがしてきたとしたら、反省しなければならない。日本人が日本人を助ける。「家族の人たちは安心して待ってください」と言えるような運動をしなければならなかった。 そして何よりも、家族がいない人たちも助けなければいけないのです。これから家族の訴えを聞いていただきますが、想像力を、その家族ではなく、向こうにいる人たち、被害者の人たちがこの瞬間どう思っているのかというところまで想像力を働かせて、「もうちょっとですよ」と先ほど滋さんが言った声を届けようではありませんか。横田滋さんの葬儀が執り行われた教会内の祭壇=2020年6月8日、川崎市(横田拓也さん提供) 滋さんは身をすり減らして世論に訴えるという戦いの先頭に立たれ、「戦死」された。だからこそ、残された私たちがこの戦いに勝利して、めぐみさんたち全被害者の即時一括帰国という絶対に譲れない課題を実現させなければならない、そう決意を固めている。

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    安倍首相のフォローもどこ吹く風、昭恵夫人の「夫唱不随」

    川上和久(麗澤大教授) 男性の政治指導者が女性にうつつを抜かすと、ろくなことがない。国を滅ぼすことにつながった歴史的事例が山ほどある。だから、古来、政治指導者が女性に溺れることは、繰り返し戒められてきた。 紀元前1100年ごろ、中国大陸の殷(いん)王朝第30代の紂(ちゅう)王は、妲己(だっき)という絶世の美女にうつつを抜かし、政治を顧みず、周の武王に攻め滅ぼされたとされる。8世紀の唐代の玄宗皇帝も、楊貴妃を愛するあまり政治をおろそかにし、安禄山の反乱を招き、楊貴妃は「傾国の美女」と言われた。 政治は冷酷だ。トップリーダーは、どんな批判を受けようとも、最後には決断を下さなければならない。ましてや、新型コロナウイルスが猛威を振るい、時々刻々と移り変わる情勢の中で、最適な判断を求められている。政治家がこんな時期に女性に溺れるなど論外中の論外だろう。 折しも、緊急事態宣言が出された4月7日の翌々日、4月9日夜に、立憲民主党の高井崇志衆院議員が、新宿・歌舞伎町のセクシーキャバクラに行っていたことが『週刊文春』に報じられた。記事には、その名の通り、ホステスとの「濃厚接触」の実態が赤裸々に描かれていた。 この高井議員、2月28日に国会の委員会で、安倍晋三首相に「総理の危機感のなさが国民のみなさんを不安にしている」「せめて今後、会食を自粛する考えはないのか」などと説教を垂れていたのだから、言行不一致、特大ブーメランの典型だ。こんな「傾国の大馬鹿野郎」を議員として当選させた立憲民主党の見識が問われよう。女性にうつつを抜かしたい奴は政治など志すべきではない。 その点、安倍首相は女性にうつつを抜かす危険性があるかどうかといえば、どうやら安心のようだ。政権に返り咲いた直後の2013年に、夫婦関係についてテレビ番組で「家庭の幸福は家内への降伏」とおどけてみせた。私も「恐妻組合理事長」を自認しているが、安倍首相も同じ人種なのだな、と親近感を持った記憶がある。 自分は自分、妻は妻、女性には目もくれず、政治に邁進する。それは、いわば政治リーダーの一つの理想の姿ではある。衆院予算委で質問する立憲民主党の高井崇志氏=2018年2月(斎藤良雄撮影) しかし、夫婦は別人格とばかりに、昭恵夫人のコントロールなど考えずに政治に邁進している間に、「ファーストレディー」として風当たりは強くなる一方だ。 新型コロナウイルスが猛威を振るい、首相がその対応に奔走している中、昭恵夫人は3月下旬、芸能人らとともに都内の高級レストランで食事し、中庭の桜をバックに写真撮影していたことが『週刊ポスト』にスッパ抜かれた。 また、3月15日に約50人の団体ツアーとともに大分県の宇佐神宮を参拝したことを週刊文春が報じた。ツアーの主催者に「コロナで予定が全部なくなったので、どこかへ行こうと思っていた」と連絡して、参拝に合流したという。「バカップル」は言いすぎ 歌手の星野源が外出自粛を促した弾き語りの動画に乗っかった安倍首相による「コラボ動画」も物議を醸した。自宅でくつろぐ安倍首相に対し「優雅でいいよな」などと批判が寄せられ、撮影したのは昭恵夫人ではないかと、またまたバッシングの対象となった。 首相が寸暇を惜しんで危機管理に努めていることを国民はよく分かっているし、オフがあってはいけない、とも言わない。ただ、感情を逆なでされたとケチをつける人たちは、ネットなどで「バカップル」とまで罵っている。安倍首相夫妻が政治家夫婦として「ベストカップル」とは言いにくいとしても、「バカップル」はあまりに失礼な物言いだろう。 しかし、危機管理に翻弄される安倍首相と、首相とは関係なく自由奔放に行動する昭恵夫人には、当世風「翔んだカップル」という表現がふさわしいのではないか。 漫画家、柳沢きみおの『翔んだカップル』は、1978年に『週刊少年マガジン』で連載が始まり、テレビドラマや映画化するなどヒットした。ちょうど大学生だった私が愛読したぐらいだから、当時20歳代の安倍夫妻も知っているかもしれない。この漫画が出始めて、それまで一般的に使われていた「アベック」から「カップル」という言葉に変わり始めたのではないかと思われるほどのブームだった。 不動産屋の手違いで高校生の男女が同居を始めるというあり得ない設定ではあるものの、女性に対して優柔不断の主人公の男子高校生・勇介と、同居相手ではないが、勇介に興味を持ち、勇介にアプロ-チする聡明な女子高生・秋美の奔放な生き方が、今60代になっている私たちを当時は惹きつけた。 戦後生まれの政治家たちは、こういった奔放な男女の生き方にさほど違和感を感じないし、「夫唱婦随」などというのは時代錯誤だとよく分かっている。 『翔んだカップル』の連載が始まった翌年にヒットしたのが、さだまさしの『関白宣言』だった。私の妻も「あの歌は女をバカにしている」とおかんむりだが、『関白宣言』は、失われた世界へのノスタルジアであったと思っている。私も含め、妻に隠れて男同士が集まってカラオケでこっそり気勢を上げる歌として歌い継がれているのではなかろうか。 いかに日本の政界がいまだに男性中心とはいえ、『関白宣言』を地で行くような政治家夫婦はさすがに絶滅危惧種だろう。 やや話が横道に逸れたが、政治家である夫とは別に妻が自立して活動する、そんな『翔んだカップル』は、鳩山由紀夫元首相夫妻も、菅直人元首相夫妻も、多かれ少なかれそうだった。首相が昭恵夫人をコントロールできないのではなく、それは70年代に青春を過ごした世代の文化でもあるのではなかろうか。2010年6月、中国・上海万博の「ジャパンデー」を記念する式典に出席した鳩山由紀夫前首相(左)と幸夫人(共同) ゴリゴリのフェミニストの方々を含めて、ファーストレディーが一つの確信を持って自分なりの行動をとることを、ある程度許容する時代である。首相夫人が、夫である首相と政治的立場を異にする反原発の人たちや沖縄の基地反対運動の人たちとコミュニケーションをとる姿に、私の妻なども「自立した人格だからいいじゃない、むしろ好感を持つわ」と評価している。自分は自分、妻は妻 だが、一般的に、妻が自分の主義主張とまるっきり反対の人たちとコミュニケーションを重ねていたら、心中穏やかではないだろう。 かといって、「ファーストレディーだから行動を控えめにしろ」「だから安倍首相はけしからん」などと言い立てるのは、野党なら安倍内閣の支持率低下のために当然かもしれない。ただ、与党内まで言い立てるのは、昭恵夫人をダシにした「安倍降ろし」の臭いがプンプンして、かえってシラケてしまう。 かくして、「自分は自分、妻は妻」を貫いて、妻に構わず政治に邁進するのが安倍流危機管理として奏功することになる。きわめて逆説的な「内助の功」なのだろうか。 実は、78年は「翔んだ」年だった。『翔んだカップル』の連載が始まっただけでなく、渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』が大ヒットしたのもこの年だ。昭恵夫人の奔放な行動を見ていると、どうしてもこの歌が浮かんでくる。あなたが本気で愛したものは 絵になる港の景色だけあなたは一人で生きられるのね 政治に邁進する夫を横目で見ながら自由を目指して翔んでいくかもめに、昭恵夫人は自分を重ねているのだろうか。シンポジウムに参加した安倍昭恵首相夫人(前列中央)と各国首脳の夫人ら=2019年6月、大阪府庁(代表撮影) 78年の『関白宣言』は有名だが、実は翌年、さだまさしは『関白失脚』という曲を出している。私は『関白宣言』のノスタルジーよりも、『関白失脚』のリアリティーの方が好きだ。精一杯がんばってんだよ 俺なりに それなりにそれぞれご不満も おありのことと思うがそれでも家族になれて よかったと俺思ってるんだ世の中思い通りに 生きられないけれど下手くそでも一所懸命 俺は生きている 「翔んだカップル」がSTAY HOMEでカラオケを歌うとしたら、夫の『関白失脚』、妻の『かもめが翔んだ日』でキマリか。でも、安倍降ろしで本当に「失脚」したら目も当てられないが。 そういえば、『かもめが翔んだ日』を歌った渡辺真知子のデビュー曲は『迷い道』だった。新型コロナウイルスが作り出した混沌(こんとん)の中、わが国が「迷い道」に迷い込まないよう、夫婦仲も、くれぐれもよろしく願いたいものだ。

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    コロナ禍がかき乱す、トランプ再選の行方を占うアメリカの真実

    措置を発表するトランプ大統領(UPI=共同) まず彼に対する批判は、政策自体もさることながら、手法や政治姿勢、言動に向けられてきた。これらはどうでもよいとまでは言わない。しかし私にとっては、しょせん外国の大統領だ。同じような発言や振る舞いを、安倍晋三首相が行うのとはわけが違う。 話題にすべきは政策実績である。二つの視点から、それについて述べたい。侮れないトランプ氏の実績 一つ目は「好況の創出」である。トランプ氏が掲げて実現した公約として、製造業を含む雇用拡大がある。コロナ直前まで株式市場は好調であり、アメリカは好況に沸いていたと言ってよい。もちろん、全国民が等しく潤っていたかはともかくの話だ。 もっとも、バラク・オバマ政権時代の最後期あたりから景気は上向き始めており、トランプ政権初期では彼の功績ではないと言うこともできた。しかし、それから3年にもわたって持続していた好景気を、いつまでも前政権の功績に帰することはできまい。 トランプ氏の二つ目の実績として「対外政策」を挙げたい。17年12月6日、トランプ氏はエルサレムをイスラエルの首都と認定し、テルアビブにある大使館の移転手続きを開始する旨を発表し、西欧を含む国際社会の批判を浴びた。しかし、エルサレムを首都として承認すること自体、実はビル・クリントン元大統領が1992年の大統領選に名乗りを挙げた際に掲げた選挙公約であった。これは95年にエルサレム大使館法として連邦議会で議決されたものの、民主・共和を問わず歴代大統領は正面から反対せずに、実行を先延ばしにしてきたのである。 もちろん「なぜ今になって?」という感は否めない。しかしこれもまた、彼の愚直なまでに選挙公約を実行しようとする姿勢の延長線上だと理解できる。 中東に関しては、イラン革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のカセム・ソレイマニ司令官を無人機を使って殺害した。これが今年に入って間もない1月3日であったことは、もうほとんど忘れられている。 この直後、アメリカとイランの全面軍事衝突かと思われたが、イランの「反撃」はかなり抑制されたものにとどまった。イランは勝算なしと見て自制したのであろう。さらに1月28日、新たな包括的中東和平案を発表している。内容は、総体としてイスラエルに有利なものであった。これらの一連の政策の背景には、やはりアメリカでのシェールオイルの生産量増大がある。 アメリカの原油産出量は、ロシア、サウジアラビアを凌駕(りょうが)するまでに伸長している。これはすなわち、中東原油への依存度低下を意味し、堂々とイスラエルに肩入れできるようになった。これは中東に緊張をもたらす軍事行動への敷居が低くなったということも意味する。 ソレイマニ司令官殺害は、決して衝動的な短慮に発したものではあるまい。イランの対応を読み切った上で、1月初頭に北朝鮮による核・大陸間弾道ミサイル(ICBM)実験の再開に対する警告効果をも計算した周到な作戦であったと私は考えている。 また、1月15日には中国と「第1段階」の貿易協定で合意した。その内容は、かなりアメリカの主張の通った点ばかりが目に付くものであった。つまり、中国に大幅な譲歩を強いたのであり、トランプ氏の勝利であったと言える。 だが、トランプ氏が公約に掲げたようなこれらの一連の動きがアメリカを再び「偉大」にしたのかどうか、一概には言えない。そもそも「偉大」とは何を意味するかによって、正反対の評価もできよう。 ただし、政治経験の乏しさや、側近、要職者の目まぐるしい交代ばかりに目を奪われ、果ては弾劾訴追で任期を全うできないかもしれないなどという評価は、弾追が空騒ぎに終わった今、完全に誤っていたといえる。 トランプ氏は18年の中間選挙で、下院の過半数を失う手痛い敗北を喫した。しかし、中間選挙はそもそも政権党に分が悪いものなのだ。1862年以後の中間選挙39回で政権与党が勝ったのは、わずかに2回にすぎない。その2回も第2次大戦と9・11テロという国家的危機のときである。 中間選挙史上、政権党の最大敗北は、議席数では2010年にバラク・オバマ政権時の民主党が下院で63議席を失っている。94年のクリントン政権時の民主党は下院で54議席を失った。共和党の場合、ウォーターゲート事件の影響で74年のジェラルド・フォード政権時に、下院で48議席を失った。議席の減少率からして、これこそが中間選挙史上最大の政権党の敗北であるとすることもできよう。これらに比べれば、トランプ氏の議席減は、よく踏みとどまったと言えなくもない。 なおかつ、トランプ氏は着々と再選に向けて手を打ってきている。それは、「黒人」「ヒスパニック」「ユダヤ」の3つの民主党支持の少数者集団に、くさびを打ち込もうとする試みである。2020年6月5日、米東部メーン州で話すトランプ大統領(AP=共同) 一つ目の黒人層は堅固な民主党の支持基盤であり、他の先進民主国には同様の例を見いだせない。もちろん、黒人層の過半数を取り込めるなどとは誰も思っていない。しかし16年の大統領選では、それでも8%の黒人がトランプ氏に投票した。さらに4~5%の黒人層に食い込むことができれば、大きな違いを生み出せる。大統領選は決して全国で得票数を争うのではなく、州ごとの争いであるからだ。 激戦州、接戦州でのわずかな票の上積みが、その州の選挙人の総取りにつながる。人種差別の時代には大学から締め出されてきた黒人に、トランプ氏は高等教育の機会を提供してきた「歴史的黒人大学」への連邦補助金支給法に署名し、これを成立させた。さらに黒人が不満を募らせている刑事司法制度の改革を図るなど、黒人層を意識した政策も実行してきたのである。大統領の苦難 二つ目のヒスパニック層に関しては、黒人をしのぐ(妙な言い方だが)全米最大のマイノリティー集団となり、黒人ほどではないにせよ、民主党に傾いている。それでも先の大統領選では、ヒスパニック系票の3分の1近くがトランプ氏に向かったとみられる。 ロイター通信と調査会社イプソスが昨年7~9月に実施した世論調査では、トランプ氏に対するヒスパニック系の支持率は29%に達した。そして彼らの多くは、アリゾナやフロリダといった激戦州に住んでいる。黒人層と同じく、ヒスパニック系へのわずかな浸透が巨大な差を生むことができるのだ。ただ、ロイターによれば、昨年5月から約半年間にわたるトランプ陣営の戦術は物議を醸しかねないと指摘している。 それはすなわち、英語とスペイン語のフェイスブック投稿の内容が全く違うため、「言語別差別化宣伝」だともいえる。英語では「不法移民取り締まり強化」への支持を呼びかける一方、スペイン語ではその点にほとんど触れていない。代わりに「アメリカ経済は好調だが、民主党はベネズエラ式社会主義を望んでいる」といった内容が表示されているのである。 そして、三つ目のユダヤ系については、前述したイスラエル寄りの政策が、同じく民主党に傾きがちな少数派のユダヤ系の票を意識したものでもあろう。それに加えて、トランプ氏は中絶反対派にも接近した。強硬な中絶反対派は、今日アメリカでは多数派ではなくなっている。実は、トランプ氏は政界に進出するまで中絶容認派であり、大統領選でもこうした社会文化争点に対する態度をあいまいにしていた。 しかし、1月24日、ワシントンで行われた人工妊娠中絶反対を訴える恒例の大規模行進デモ「マーチ・フォー・ライフ(命のための行進)」に現職大統領として初めて出席し、演説している。中絶反対派はキリスト教福音派(エバンジェリカル)と重なるところが大きく、トランプ氏がつなぎ留めておきたい層なのである。 ただコロナ禍により、トランプ陣営の再選戦略が大きく狂ってしまったといえよう。彼のお気に入りの大規模なコンサート風支持者集会を開くことは、もはやできない。とはいえ、ウイルスは党派を選びはしない。民主党のジョー・バイデン前副大統領も自宅からインターネットを介した「巣ごもり選挙」を余儀なくされている。候補者が自宅にとどまって選挙運動を行うのは1896年のウィリアム・マッキンリー大統領以来、実に124年ぶりのことになる。 なお、トランプ政権のコロナ対応への評価は世論調査を見る限り、高くない。しかし、トランプ氏に同情すべき点もなくはない。まず考慮すべき点は、都市封鎖や外出制限などの発動権限が州知事に帰属するということだ。 憲法上、明文で連邦政府に帰属する権限以外は各州の権限なのだ。都市封鎖を解除し、経済活動を再開しようとしても、大統領にできるのは「経済を再開できる一般的な条件を指針として示すこと」にとどまる。知事が従わなくとも、どうすることもできないのである。 さらに大統領には、それが連邦憲法に違反すると判断されない限り、州法に介入することはできない。南部中心にいくつかの州の州法では、白人至上主義の秘密結社「クー・クラックス・クラン(KKK)」取り締まりのために、公共の場所で顔を布で覆うことを禁じていた。 コロナ対策として、マスク着用の推奨や義務化に関し、こうした州法の改正や効力停止の措置が必要であったことはあまり知られていない。トランプ氏のマスクの嗜好は自ら決められても、これらは大統領がどうこうできないのだ。 ところで、アメリカがコロナ対策に難儀している理由として、アメリカ人自身が政府の干渉や強制に対して警戒し、強い拒否反応を持つということを挙げておきたい。参考に、ギャラップ・インターナショナル・アソシエーションが世界30カ国で行った「新型コロナウイルスに関する国際世論調査レポート」を見てみよう。 質問の中で「ウイルス拡散防止に役立つなら、自分の人権をある程度犠牲にしてもかまわない」に同意する割合が示された。アメリカは45%にとどまり、対象国中、下から2番目となった。ちなみに最高はオーストリアの95%で、他にもイタリア93%、タイ85%、フランス84%、韓国80%と目を引く。では、アメリカ人は少しわがままだといえるのだろうか。実はワースト2のアメリカを大きく引き離し、32%しか同意しなかった堂々最下位の国がある。 それは、わが日本である。確かに、昨今「マイナンバーで管理されるのは嫌だ。でも、給付金はすぐよこせ」とよく耳にするが、その両立は基本的にできない相談だろう。それはさておき、話をトランプ氏のコロナ対策に戻そう。 コロナに対するトランプ氏の対応を困難にしているもう一つの要因は、アメリカ全土で一様に感染爆発が起こっているわけではないことだ。さらに、共和党と民主党の支持州と相関しているので、事態はより複雑になる。 アメリカの政治的分断を語る際によく使われる表現に、共和党支持者が多い州は「赤」、民主党支持者が勝る州は「青」というものがある。これは必ずしも州内全てが「真っ赤」「真っ青」というわけではない。もちろん誇張はあるものの、この区分とコロナ禍の関係が実に興味深い。2016年米大統領選の各州の結果。赤が共和党、青が民主党(Getty Images) 赤の州と青の州を、各州知事の党籍で便宜的に分けてみる。そして、アメリカ疾病対策センター(CDC)が公開している全米感染者マップと比較すると、感染者の約3分の2が青の州に見られることが分かる。死者数でも人口当たり死亡者数でもほぼ同様の結果である。 別にウイルスが民主党を好むわけではない。青の州は人口の密集した大都市圏を含んでおり、大勢の人々が利用する公共交通機関が発達している。これらは、ウイルスの伝播(でんぱ)に好都合な環境である。トランプ氏の選挙戦法 そうなると、結果として党派に沿った反応が現れることは避けにくい。民主党優位の青の州に住み、感染爆発と医療サービスの逼迫(ひっぱく)、そしてその崩壊に直面する人々は、嫌でも厳格な都市封鎖と行動制限を受け入れざるを得ない。なにせ命あっての物種だからだ。ところが感染がさほど致命的ではない共和党優位の赤の州の住民は、厳格な都市封鎖など不必要な負担だと考える。 こうしてコロナ禍が終息していない地域が残る中で、いったん停止された経済活動を、いつ、どのようなペースで再開するかについての議論は、おおむね政党の方針に沿ったものになってしまう。知事は自州だけを考えて発言し行動すればよいが、大統領はそうはいかない。 トランプ氏は、経済再開の方向に傾いた姿勢を示している。しかしコロナの流行にも配慮せねばならず、いわば両にらみで臨まなければならない。ゆえに大統領は、どちらか一方だけに肩入れしにくいのだ。 いずれにせよ、トランプ氏の好景気を背景にした再選シナリオは霧消してしまった。現状では、コロナ対応をめぐる「トランプか、バイデンか」の信任投票の色合いが濃くなっているとする向きがメディアを中心に強い。しかし、現職大統領である候補者が臨む大統領選で、現職者への信任投票でなかった選挙などそもそもあっただろうか。 実はコロナ禍以降でも、大統領選の基本的構図は見かけほどには変わっていない。コロナ禍があってもなくても、トランプ氏を忌避する者は、誰であれ民主党候補者に投票するであろうし、トランプ氏の信者もまた忠実に投票すると思われる。 4年前と同様「不人気投票」に持ち込んで、重点州で僅差でも勝って、選挙人票で過半を制する。これがトランプ陣営の基本戦略だと考えられるし、それはコロナ以前からの姿勢でもある。  ただ仮に上記の戦略が維持されれば、今回の大統領選でトランプ陣営は前回以上の困難に直面するだろう。それは対戦相手だ。かつて共和党の指名争いが候補者乱立で混迷した際に、このようなジョークがあった。共和党を結束させられる候補者が1人だけいる。それは、ヒラリー・クリントンである。 クリントン元国務長官は、とにかく彼女を好きな人からは大いに好かれ、嫌いな人からはとことん嫌われるという人物のようだ。トランプ氏とは、その点だけ好一対であり、前回の大統領選は両者の「不人気投票」の末に競り勝つことができた。 その点、バイデン氏は熱狂的な支持者もいない代わりに、彼をひどく嫌悪する者もいない。良くも悪くも影の薄い人物なのである。穏健とは、そういうことも一面にあるのだ。そのような人物に対する嫌悪をかき立てることは容易ではない。とはいっても、過去の女性問題に関する今後の展開次第で変わる可能性はある。 現時点では、変動目まぐるしい世論調査から最終結果を予想することはできない。ただ、トランプ氏に不吉なことがいくつかある。まず、無党派層や65歳以上の高齢者層でバイデン氏がリードしている。これらがどう推移するか、目が離せない。 また、今年の大統領選の勝敗を決するとみられるアリゾナ、フロリダ、ミシガン、ノースカロライナ、ペンシルベニア、ウィスコンシンの6州だが、前回はトランプ氏が全て僅差で制していた。しかし、現在の支持率では全州でバイデン氏に後れを取ってしまっている。ここで、2016年の選挙結果と政治専門サイト「リアル・クリア・ポリティクス」による最新支持率(5月30日時点)を挙げてみよう。※いずれも「リアル・クリア・ポリティクス」の統計による これら6州の選挙人団は計101人にも達する。今回これらの半分でも失えば、トランプ氏の再選はほぼ絶望的となる。中でもペンシルベニア、ミシガン、ウィスコンシンの北部3州は12年に民主党のオバマ氏が勝利し、4年後にトランプ氏が僅差で獲得した州である。 ウィスコンシンは1988年以来計7回、ペンシルベニアとミシガンでは92年以来6回、民主党候補が勝利し続けている。それゆえ、16年の大統領選では意外な結果と受け止められた。現在はこの3州でバイデン氏がリードしており、とりわけペンシルベニアではやや差が広がっている。 しかし前回も、3州の支持率で、トランプ氏はクリントン氏を一貫して下回っていた。特にミシガンでは投票日直前の10月後半の時点で、その差は12ポイントにも達していた。今後も注視していく必要はあろうが、結局はふたを開けてみるまでは分からない。目につくバイデン氏の欠点 とはいえ、従前の大統領選とは趣を異にする点もある。一連の予備選を通して候補者が決まる現在のやり方が定着してからは、一つのパターンが出来上がった。予備選に投票するのは両党の熱心な支持者であり、アメリカ人全体の中では、共和党は保守寄りに、民主党はリベラル寄りに偏っている。 そうした票を競い合う中で両党の候補者は、保守寄り、リベラル寄りに偏り過ぎていく。そうしなければ予備選では勝てないからだ。しかし、晴れて大統領候補者の座を確実にした後には、候補者は自らの位置を中道寄りにシフトしていかなければならない。 ところが、本来中道のはずのバイデン氏は、民主党候補者の座を確実にしてからも、むしろリベラル寄りにかじを切っているように見える。それはやはり、指名争いから撤退したバーニー・サンダース上院議員の支持者をにらんでのことであろう。あまりに露骨な中道シフトは、熱心なサンダース氏の支持者に加え、同じく撤退したエリザベス・ウォーレン上院議員の支持者の失望と離反を招く。 これらの支持者は、まさかトランプ氏に流れないであろうが、棄権してしまうかもしれない。それを避けようと、バイデン氏はかなり際どい綱渡りを試みているように見える。すなわち、リベラル左派の意見を取り入れつつも全面的に採用はせず、郊外住宅地に住む中産階級の穏健な民主党支持者や、白人労働者階級が離れない程度の政策にとどめておくという芸当である。 バイデン陣営は、環境、医療保険制度改革、経済、教育、司法制度改革、移民制度の六つの政策分野について政策チームを設置した。6月中にも提言を行ない、選挙公約に反映させるためである。その一つ、環境問題チームの共同議長に起用されたのは、米国史上最年少の下院議員として話題となったアレクサンドリア・オカシオコルテス氏であった。彼女は民主党急進左派の顔として、紛れもないサンダース支持派である。 彼女はバイデン氏の指名が確実になってからも、しばらくは距離を置いていた。その彼女の起用は、将来の化石燃料全面廃止といった過激な政策を取り込むことで、サンダース支持派をつなぎ止めようとする意図に出たものであろう。しかし、もう一人の共同議長には、2004年の選挙で大統領候補者であった穏健派と目されるジョン・ケリー元国務長官を充てて、均衡を取ろうとしている。 ところで、トランプ氏はほんの少し前までサンダース氏の公約を社会主義として批判してきた。だがそのトランプ氏が、現代アメリカ史上最大規模のリベラル、社会主義的の政策、それも総額3兆ドルを越えようかという救済策を推進するとは、大いなる皮肉と言うほかはない。 とはいえ、トランプ政権発足から早いもので約3年5カ月がたった。ようやくこの人の類いまれな人となりにも慣れてきたように思う。おそらくは、他に例を見ない彼の能力の一つは、謝罪も訂正も躊躇(ちゅうちょ)も一切せずに前言を翻し、なおかつ「いや、最初からそのつもりだったのだ」と言い募って、恬(てん)として恥じずにいられる、あるいはそう見えることなのではないか。 これは皮肉でもなんでもない。実際、一貫性や整合性などという、つまらぬものにこだわる気の弱い私には、到底まねのできぬ芸当である。トランプ氏はこれからもトランプ氏であり続けよう。2020年6月5日、米東部デラウェア州の集会で話すバイデン前副大統領(ロイター=共同) 一方、バイデン氏にはさほど「アクの強さ」が感じられない。逆に不安が付きまとうのは、その失言癖である。最近もラジオ番組で黒人の司会者にこう言い放った。私かトランプのどちらを支持するか迷うようなら、君は黒人じゃない。you ain’t black” if ”you have a problem figuring out whether you’re for me or Trump. 上記の発言後、バイデン氏はこう陳謝している。(黒人の)偉そうな保護者気取りであってはならなかった。黒人社会が支持してくれて当然だなどと思ったことは、誓って一度もない。I should not have been so cavalier. I’ve never,never,ever taken the African American community for granted. いささか旧聞に属するものの、もっと見逃せない発言もある。2016年8月15日、ペンシルベニア州におけるクリントン氏の応援演説において、日本の核武装を容認するかのような当時のトランプ氏の発言を批判し、こう述べた。彼(トランプ)は、核武装を禁止した日本国憲法をわれわれが書いたことを、分かっていないのではないか。Does he not understand we wrote Japan’s constitution to say they couldn’t be a nuclear power? 全く根も葉もないでたらめを言ったわけではない。この人の「失言問題」は、その内容と別にある。それは、大局ではほぼ事実ではあっても、それを粗暴で直截(ちょくさい)に過ぎる仕方で語ってしまう点、要するにデリカシーを欠いているのだ。政治家としてのバイデン氏の欠点は、軽率さなのである。デモの先にある未来 実は過去にもそうした発言をした大物政治家はいた。それは1999年11月19日、カリフォルニア州シミ・バレーのロナルド・レーガン記念図書館にて、ジョージ・W・ブッシュ元大統領が行った外交政策についての演説である。彼は「真にアメリカ的国際主義」と銘打った演説において、過去のアメリカの「寛大な」外交政策に触れ、日本についてこう述べた。われわれは、日本を打倒した国民である。そののち、食料を配給し、憲法を書いてやり、労働組合の設立を促し、女性に投票権を与えてやった。報復を予期していた日本人は、代わりに慈悲を得たのだ。 ただし当時のブッシュ氏はテキサス州知事であり、有力とはいえ、大統領選の共和党候補者の、そのまた候補者の一人にすぎなかった。彼が大統領に就任してからは、さすがに公式にはこの種の発言は伝えられていない。ところがバイデン氏は現職の副大統領の地位にありながら、日本に関する上記の発言をしてのけたのである。 確かに副大統領は閑職であり、大統領が死亡するのを待つだけが仕事だと揶揄(やゆ)される。それでもやはり、公式には大統領職継承第1順位にある要職ではある。そのような地位を考えれば、失言と言うより暴言に近かった。 「日本国憲法はアメリカ製」という見方は、実はアメリカで広く共有されている。2016年の演説時の映像には、バイデン氏の背後で何度も深くうなずくクリントン氏が映っている。ある意味で、これは戦慄(せんりつ)すべきことなのではないか。かの国の態度に、そうした「両国を対等ではない、日本を一段下に見る意識」、今風には上から目線気味に感じることがままある。捉えようによっては、単に私がひがみっぽいだけなのかもしれない、とはいえだ。 それでも、アメリカ人にとっての憲法典とは、政治について、いわば「デモクラシー教」の神聖な経典のようなものである。だから「書いてやった相手」をどうしても対等だとは思えないのであろう。ただし、この憲法を一言一句も手直しすることなく時を過ごしてきたわれわれ自身にも、大きな原因と責任があることは言うまでもない。とにかくトランプ氏と同じく、これからもバイデン氏はバイデン氏としてあり続けよう。そしてバイデン氏がトランプ氏より付き合いやすい相手か、世界の指導者にふさわしい人物なのかについて、私は懐疑的なのである。「未知の天使より、見知った悪魔を」とまで言っていいものか、ためらわれはするのだが。 最後に、6月に入って急速に拡大した警察官による黒人男性暴行死に対する抗議行動が、大統領選にどのように影響するか考えておきたい。 抗議運動自体がどう終息するのか、しばらく続くのか、確かな見極めもつかない今の時点で、あまり断定的なことは言えない。しかし、意外にもこの暴動が選挙に決定的な影響は与えない可能性もある。確かに、黒人層に大きな不満が存在していることは紛れもない事実である。しかし、それは警察の暴力だけではなく、経済不況やコロナ禍も複合した不満だ。 コロナが流行する前の10年間、黒人の経済状況は着実な改善を見てきた。11年から今年2月までに、黒人の失業率は16%から5・8%に低下し、白人の約2倍とはいえ、半世紀で最低の水準となっていた。黒人の生産年齢における就業者比率も今年2月に59%に達し、白人より2ポイント弱低いだけであった。 だが、コロナ禍については、黒人の在宅勤務率は低いため、ウイルスにさらされやすい。結果的に、黒人層の犠牲者は人口比で突出して高くなった。学校閉鎖に伴って行われたオンライン授業でも、都心部の黒人層は郊外住宅地の中産層に比べ、通信環境や機器などの十分な準備や対応ができなかった。これらの苦境に対する不満に、警察の暴力事件が火をつけたのだ。 ただ、元来黒人の9割近くは民主党支持者であり、先述のように前回トランプ氏に投票した黒人は8%にすぎなかった。今回の件で黒人支持者がトランプ氏を離れることはないだろう。というより、離れるも何も、とっくの昔に共和党を離れてしまっている層だからである。 無論、黒人が「覚醒」することで大幅に投票率が上昇したり、前回の8%まで失ってしまえば、話は違ってくるかもしれない。とりわけ、ほんのわずかの票で勝負の決まる接戦州では勝敗を左右し得ないともいえない。しかし、人種や階層を問わず、アメリカ国民の間に「コロナ」「不況」「抗議運動」の3点セットによる閉塞(へいそく)感、無力感が広がるようなら話は違ってくる。2020年6月3日、米東部ニューヨーク市で行われた黒人男性死亡事件の抗議デモ(上塚真由撮影) そうした場合、とりあえず現政権を取り換えてみる、という方向の選択をするかもしれない。別にバイデン氏や民主党をさして好まなくともだ。また、そうした行き詰まり感を打破しようとする欲求は、1968年に「法と秩序」を掲げた共和党のリチャード・ニクソン元大統領に勝利をもたらした。80年のロナルド・レーガン元大統領の勝利も、79年末に起きたイラン米大使館人質事件をめぐるジミー・カーター政権の不手際などの行き詰まりを打破したいという感情が働いたのかもしれない。 「陰鬱(いんうつ)な天候から脱して抜けるような青空を見たい」という漠然とした感情は、「いったん広がってしまうと手に負えなくなりがち」という点で、ちょうど新型コロナウイルスに似ている。どれほど政策を語っても、効くことはないからだ。抗議運動があと5カ月も続くとはさすがに考えにくいが、コロナの感染爆発の終息と不況からの脱出の兆しが見えてこなければ、トランプ氏の再選は危ういものとなろう。

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    残る橋下時代の悪弊、維新支持率アップを導いた吉村洋文の政治手法

    雨がっぱを思いつきで集めたりしている。 未曾有(みぞう)の出来事に「どうすれば支持率が上がるのか」と政治家たちが試行錯誤を繰り返しながら悪戦苦闘している様子が日々報じられている。ただ、報道されていなくとも、コツコツ頑張っている政治家もいることだけは伝えておきたい。 そんな中、これまで全国的には無名であった大阪府の吉村洋文知事が、マスコミでヒーローのように扱われ始めている。そして松井氏が代表、吉村氏も副代表を務める日本維新の会の支持率も、報道に引っ張られる形で急上昇した。 ただ吉村氏は、松井氏とともに「それって本気で言っているの?」というファンキーなコロナ対策もちょいちょい打ち出している。しかも、その手法は非常に狡猾(こうかつ)だ。 吉村氏は矢継ぎ早にコロナ対策を発表しているが、そのために前の対策がどのような効果をもたらし、打ち出した対策が費用対効果に見合うのか、ということが全然注目されない。「させない」と言った方が正しいかもしれない。 この維新の独特な体質は、私が衆院議員として所属した当初から感じていたことである。維新は「事後検証」や「改善」という言葉が本当に見受けられない。過去の例を挙げると、2013年に惨敗した堺市長選挙の際に、1時間程度の「カタチだけ総括会議」が開かれた。 この会議では、松井氏や党幹部、その取り巻きに反する意見を言うものなら、すぐに恫喝(どうかつ)され、「次の公認を出さんぞ」などと脅される。そのため、基本的に何のしがらみもなく議員になった私のような人間は、意見を言えずにただ傍観している「カタチだけ」の会合だった。昔も今も、維新で改善されることは何もないのだ。 私は一度、あまりにも理不尽な状況に違和感を覚え、党幹部に説明を求めたことがあり、それを機に疎まれ始めた気がする。「黙って言うことを聞いておけよ、正義を振りかざしやがって」ということなのだろう。 そういえば、丸山穂高衆院議員がまだ維新に所属していた17年、「維新は総括と代表選が必要」と会員制交流サイト(SNS)で発信した際に、当時の橋下徹代表が烈火のごとく怒り狂ったことがある。いわく「維新は代表任期がない代わりに、大型選挙の後は臨時党大会で代表選をやるかどうかを毎回決める仕組みにした」ということだが、残ったものは度量の小ささだった。大阪戦略調整会議の事前協議で発言する橋下徹・大阪市長(左)=2015年9月24日、大阪市中央区(竹川禎一郎撮影) 丸山氏の女性に対する卑猥(ひわい)な発言や飲酒による暴力沙汰、国家の信用を貶(おとし)める失言などを鑑みれば、彼に議員としての素質は皆無だと思う。しかし、この発言に関しては丸山氏が正しい。 代表選の実施すら党幹部の一存で決められてしまうという、自民党も真っ青のありえない環境だ。しかも、それを恫喝で正当化してしまうのだから、いかに気に入らない意見は封じ込めて、ゴリ押しで前に進んでいく体制であるか、お分かりになるだろう。維新躍進のワケ だが、政府とは異なり、維新は日々の生活に追われる大阪府民や国民に、経緯や検証などの小難しい話をしない。ゆえにこれくらいの簡潔さが心地よく、支持率も急上昇しているのだろう。私の第1回連載で、大阪限定で発揮される維新の選挙の強さは「分かりやすさ」にあると述べたが、まさにその手法が今回のコロナ対応で功を奏している。 ただでさえ、多くの人々がコロナウイルスの影響で頭を抱える日々を過ごしている。そんな中で、政治家に「これをやります!」「次はこれです!」と矢継ぎ早に政策を打ち出されると、なんだかよく分からないけどバンバン動いてくれていると感じるだろう。有権者からすれば、政治の知識がないと理解しづらいの難しい話を延々とされるより、すごく仕事してもらっている気分になれるのだ。 内容も「雨がっぱを送ってください」「通天閣をライトアップします」など大変分かりやすく、良くも悪くもマスコミが飛びつきやすいキャッチーな面もある。専門家ではないコメンテーターも容易にコメントができるワードも入れ込んでいる。 こうなると、少しでも効果を実感している方がどれだけいるかは関係なくなる。つまり、府民を熱狂の渦に巻き込んでしまう「橋下戦法」を吉村氏は採っているのだ。お見事の一言である。 さらに、吉村氏のラッキーぶりも、維新の支持率上昇の要因の一つである。前述したように、マスコミが取り上げなければ、日本全国で吉村氏のことが知られることはなかっただろう。それほど、安倍内閣のコロナウイルス対策がとにかくお粗末だともいえる。 政権寄りと言われる政治評論家の田崎史郎氏ですら歯切れが悪くなるぐらいだから、世論を肌で感じる報道番組も当然批判的な方向で進んでいく。ただ、メディアは偏った報道だと間違っても思われたくない。そのときに安倍内閣の対比として使えそうな素材だったのが、与党なのか野党なのかよく分からない、維新という政党所属の知事だった。 しかも、大阪という立地で取り上げやすく、何だかマスコミに結構サービスしてくれる。北海道の鈴木直道知事に次ぐ若さという話題性もある。素晴らしい条件がそろっていた。 吉村氏が取り上げられた結果、低迷が続いた維新の支持率は急上昇した。5月上旬に行われた共同通信や毎日新聞などの世論調査では立憲民主党を抑え、野党支持率でトップに躍り出た。共同の最新の世論調査でも、依然として野党トップの支持率となっている。特段何もしていない国政政党である維新にしては、かなりの奮闘ぶりである。 しかし、維新の国会議員は今回の吉村氏の飛躍を複雑な気持ちで見ている。支持率の上昇で、このままいけば次回の衆院選で当選する確率も上がるから、普通なら喜べる話のはずだ。だが、母体の地域政党、大阪維新の会所属の地方議員らにまたグチグチ嫌みを言われるのである。 「お前らは俺らのおかげで国会議員になれてんや。感謝しろよ、感謝ってなんか分かるか?」という具合だ。他の政党ではなかなかお目にかかれない、どす黒い話である。記者会見する大阪府の吉村洋文知事=2020年5月20日大阪府庁(前川純一郎撮影) 最後に、私の想像する吉村氏の胸中を披露しよう。 「このまま松井さんを上手に転がして、ゆくゆくは自分が代表に就任。途中で引きずりおろされた国会議員に返り咲き、総理大臣になってやる。橋下さんができなかったゴールにたどり着くぞ」 まぁ、しょせん野党で世襲議員でもない吉村氏が首相になれる可能性はほぼゼロなのだが、政治家とは自分に甘く、夢見がちな人間が多いので、案外私の想像もはずれていないかもしれない(笑)。

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    「コロナあったから秋入学」霞が関任せで拙速な安倍政権の愚

    の9月入社になっても困る企業は多いのではないでしょうか。 安倍内閣は霞が関に課題を考えさせて、あとは政治判断だと思っているようですが、少なくとも大企業や中小企業の代表者と調整すべきでしょう。 最後になりましたが、三つ目の理由は予算と教職員の定年の関係です。 国公立の学校は税金で運営されており、そこに勤める人々は公務員か、準公務員なので、新年度が4月からスタートする官公庁と各学校のやりとりは極めて重要です。そのため次のような調整が必要になってきます。・令和2年度は18カ月になるのか?・二つの年度にまたがることになる予算をどうするか?・令和3年3月に定年になるはずだった教員をどのように扱うか?・教員の採用はどうするか? ただこうした調整は役人の得意分野ですから、既に省庁間で議論は済んでいる可能性が高いです。むしろこの程度の調整が済んだだけで、「基本的な問題は解決しました」と霞が関と永田町の住人たちが考えていることこそが問題なのです。 日本はいつまで発展途上国でいるつもりなのでしょうか。役人ごときに国家の重要事項を考察させてはいけません。彼らの本来の仕事は、先に政治的に決定された事項を無事に推進することです。39県の緊急事態宣言解除を表明する安倍晋三首相=2020年5月14日、首相官邸(春名中撮影) 空気だけで緊急事態宣言を出し、空気だけで延長してしまう今の安倍内閣ごときが急に判断して実行するほど、「何歳から義務教育を始めるか」は小さな事項ではありません。少なくとも、次の国政選挙の争点の一つにすべき事柄でしょう。 ということで、将来的な9月入学には賛成しつつも、「緊急事態宣言で入学が遅くなった学校が多いから、学校は9月からということにしませんか」という低レベルな提案には、断固反対していくつもりです。

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    変わる価値観、コロナ不安で人々が見るナショナリズムの奇妙な夢

    ド大統領は無名と言われたジョージア州知事のジミー・カーター氏に僅差で敗れ去ることになる。感染症対策は政治家の責任 97年に鳥インフルエンザが発生したときも、世界はなんとかこれを乗り切った。その後に続いた重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)も同様だった。アメリカが伝染病で最も被害を受けたのは80年代に猛威を振るったエイズだったが、不特定多数の性交渉をする者を中心に犠牲が広がったため、まだ他人事(ひとごと)でいられた人が大半だった。そして、そのエイズも、治療薬の開発で現在では命を落とすことはほとんどなくなった。 だが、疫学者は必ず、アメリカのみならず全世界を危機に陥らせる新しい伝染病の災禍がやってくると警告していた。しかし、トランプ政権に至っては、2018年に国家安全保障会議(NSC)から感染症対策担当を外していた。 さりとて、この油断は日本でも変わらない。 日本では、2009年の豚インフルエンザのパンデミックが東アジアの国々と比べ、大きな被害を出さなかったことが油断を招いたといえる。21世紀になってから徐々に姿を垣間見せていた新型インフルエンザの脅威は、当然ながら疫学者や政府の間では認識されていた。 今年4月15日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の記者会見で、北海道大の西浦博教授は「今後の対策が進まなければ、40万人程度の死者が出る」とのシミュレーション数値を発表し、大きな話題となった。 だが、これら新型ウイルスによるパンデミックでは、この規模の死者が出ることは既に10年以上前から想定されていたことであった。そして、その来るべき有事には、人工呼吸器も集中治療室(ICU)のベッドも、おそらく防護服や医療用マスクも足りないし、肝心要の医師も不足することは分かっていたのである。 このような伝染病対策を統括するのは厚生労働省だが、実際の準備は各都道府県に責任がある。09年に厚労相だった、前東京都知事の舛添要一氏が、今しきりに新型インフルエンザ対策と政権批判を繰り返しているが、過去の舛添氏の経歴を知っている者には何をかいわんやの話である。新型インフルエンザ対策で会見する舛添要一厚労相=2009年8月27日、厚労省 舛添氏は09年の豚インフルエンザのパンデミック時に、これから防疫対策を進めようというところで、専門家の見解と前置きしながらも「新型インフルエンザは季節性と変わらない」と記者会見で説明してしまった。 幸いなことに、11年前のパンデミックは大きな事態にはならなかったが、そんなことがあったことすら忘れている人も多いだろう。逆転した政治スタンス 09年の新型インフルエンザは大事に至らなかったものの、今後はいつアウトブレイク(感染症の突発的発生)してもおかしくない事態にあるという関係者の危機感により、12年に「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の成立にこぎつけた。 だが一方で、医療機器や医師の動員体制をはじめ、肝心なことは一向に進んでいなかった。繰り返すが、この第一義的な責任は各都道府県にある。舛添氏も14~16年は東京都知事であった。 08年に大阪府知事となった橋下徹氏と日本維新の会は、財政改革のためとして医療施設や救急医療への支援を徹底的に削減した。新型ウイルス対策などは、ことさら進んでいなかっただろう。 橋下氏から維新代表を引き継いだ大阪市の松井一郎市長は医療現場で防護服が足りないため、代用品と称して雨がっぱの寄付を市民に呼びかけた。だが、そもそも防護服が足りない状況をつくったのはいったい誰なのか、分かっているのだろうか。 それでも、維新は立憲民主党を世論調査で追い抜いた。また、つい先日まで五輪の強行開催を主張していた東京都の小池百合子知事が世論の風を受けて東京のロックダウン(都市封鎖)を主張し、手際よい感染対策と見事なプレゼンテーション能力のおかげで一挙に評価が高まった。 人々が何をどうしていいか分からずに不安と混乱に陥ったとき、大向こうを相手にした明晰(めいせき)な言葉、とりわけ批判と断言は多くの人に響くものである。新型コロナウイルス感染に関し、記者会見する東京都の小池百合子知事=2020年3月25日、東京都庁 一方で、安倍政権は火だるまだ。安倍晋三首相は戦時の宰相ではなく、むしろリーダーシップに欠けたために国民を未曽有の災禍に巻き込んだ近衛文麿のようだと、これまでの支持層からも批判の声が浴びせられている。 けれども、私は安倍首相に極めて同情的だ。おそらく東日本大震災のときと同じように、誰がやっても混乱は起きただろう。 そして、日本でリベラルと言われる人々は、これまで自分たちがこぞって反対してきた国家による強権的な措置を望んでいる。一方安倍政権は、経済的な混乱はウイルスよりも大きな被害を生み出すと懸念し、経済活動や私権の制限に慎重であり続けている。政治的なスタンスが全く逆転しているのだ。台湾と韓国にあって、日本にないもの なお、世界でも先進的とされてきた日本の医療行政は、化けの皮が剝がされたかのように、もっぱら世界から非難されている。韓国や台湾といった東アジアの国々と比べて、後れをとったと見なされている。あたかも地軸がズレ始めているようだ。 だが、よくよく考えてもみると、韓国や台湾はもともと「分断国家」で、準戦時体制の国である。韓国では徴兵制が敷かれ、18年に志願制に移行した台湾でも4カ月の訓練義務が課されていて、緊急時には私権やプライバシーの自由を厳格に制限することが可能である。 衛星利用測位システム(GPS)を使った個人の行動管理や、国民身分証による番号管理でマスクの配布ができるのは、非常時に国民統制ができる仕組みが元から整備されているからだ。 マイナンバー一つで大きな議論となり、プライバシーの侵害に敏感な日本で、この新型コロナウイルスのパンデミック前に同じような仕組みが議論されていたら、まず間違いなく批判されていただろう。 一方の韓国では、医師までもが徴兵制に基づく動員が行われている。防疫に対する手際のよさは、日本と違ってSARSやMERSを体験し、その失敗の教訓があったことに加え、北朝鮮を想定したバイオテロ対策も背景にあるのではないかと思う。なお、韓国では、平時でも国境沿いの防疫対策を韓国軍が担当している。 政治学者のカール・シュミットは、法が成立する前提には「例外状態」と言われる「無秩序」が必要になるという。法ができるのは、決して理性や真理などではなく、そのような「無秩序」が集団を存亡の危機に陥らせることが条件になるということだ。 台湾と韓国はそのような混乱を経て、その戦時動員体制を解かぬままに、80~90年代に民主化していった国家である。ここでは、リベラル層が「そのような戦時体制」を担保するナショナリズムに、むしろ積極的な役割を果たしてきた。初の直接選挙による台湾総統選で当選を決め、台北の選挙本部前の特設ステージで夫人とともに支持者に手を振る李登輝総統=1996年 「日本が今のような自由と民主主義の国となったのは、敗戦によってアメリカに与えられたもの」という理解は、事あるごとに歴史認識で見解をぶつけ合う左右両派でも異論はないはずである。 シュミットは、原初的で無秩序な例外状態から独裁的な権力が「決断」をして法が成立すると考えた。戦後日本にとって、この独裁的な権力とはアメリカであった。 そこでは、過去の戦争体験は破棄すべき思想とされた。一方で韓国や台湾には、現在でも身近に迫る「分断国家」の危機を背景に、国民に広く同意されたナショナリズムがある。ナショナリズムの夢 最近、世界では「アフターコロナ」という今後の政治や経済の変動が予測されているが、間違いなく行き過ぎた「新自由主義」的な価値観が是正されるだろう。日本では小泉政権から急加速した「市場に委ねることが善であり万能である」という価値観が、時に悲劇を招くのはもう誰が言わなくとも分かることだ。 無駄と言われ、病床や保健所を削減されてきた現在の医療現場の現状が全てを語っている。今後間違いなく、社会民主主義的な価値観が再び浮上するに違いない。 それと同時に、日本でも「韓国や台湾のようなリベラルなナショナリズムにたどり着くには、どのようにしたらよいか」という命題が問われることになる。特に、これは日本のリベラルの課題であろう。 ともすれば、偏狭さと排外性に堕したナショナリズムの「悪の面」に、どう世界が触れていくかは、予想が難しい。 伝染病は国境をいくら厳格に管理してもやってくる。だからこそ、未開社会の部族は伝染病を恐れ、部族間の交流を拒否し孤立して生きている。 だが、伝染病の猛威から隔絶されてきたアメリカ大陸の文明や原住民たちは、むしろそれがために滅亡していった。猛威を振るう天然痘やペスト、インフルエンザなどの疫病に対する免疫をもっていたスペイン人は、伝染病にかからないということが軍事力以上に決定的な優位性であったのだ。 「無菌の世界を想定することは、危険思想であると同時に愚人の戯言(たわごと)だ」とは、フランス出身の細菌学者であるルネ・デュポスの言葉である。人間が生物である以上、その食物連鎖のエコシステムから逃れることはできない。 この新型コロナウイルスをきっかけに、グローバルな存在である伝染病に対抗するためナショナリズムの在り方に再考のときが訪れているように思える。私たちは、むしろナショナリズムの向こうに、今一度「国際協調」と「万民の平和」を構想できないだろうか。※写真はイメージ(GettyImages) もしそうしなければ、人類はこの古くて新しい敵には勝つことができないであろう。 イマヌエル・カントは「永遠の平和というものを構想するとすれば、国家が廃絶して世界共和国のようなものができるよりも先に、まずは個別の国家を最善に近づけることが現実的には必要だ」と説いた。まずもって純粋実践理性の国とその正義を求めて努力せよ。そうすれば汝(なんじ)の目的はおのずからかなえられるであろう。『永遠平和のために』 なおシュミットはカントの批判者である。カントの平和主義的リベラルを偽善的として退け、政治とは「敵と味方」が発生することから始まるとした。しかしそれならば、伝染病を世界の新たな共通の敵として位置づけることはできないか。 私は最近、そのような奇妙なナショナリズムを夢見ている。みなさんは果たして、どのような夢を見るだろうか。

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    新型コロナ迷走「四悪人」にすがり続ける安倍首相の自爆

    舛添要一(元厚生労働相、前東京都知事) 5月1日に行われた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の提言を受けて、安倍晋三首相は緊急事態宣言を5月31日まで全国一律に延長することを決めた。その上で、13の特定警戒都道府県とそれ以外の地域では、対応を変えるという。 ところで、この決定は科学的・疫学的データに基づいた判断なのであろうか。そもそも、専門家会議の現状把握に問題はないのであろうか。 新型コロナウイルスの感染拡大に対応するため、イタリア、フランス、スペイン、ドイツなどは非常事態を宣言して都市封鎖(ロックダウン)を行ったが、現在は解除する方向になりつつある。そして、その際には、きちんとした科学的データに基づいて対策を立案している。 その際に使われる基準の一つが、実効再生産数というものであるが、これは一人の感染者が何人に感染させるかという数字である。専門家会議は、この数字を3月末以来、公表してこなかったので、私は明らかにするように求めてきた。その声が届いたのか、ようやく5月1日の会見で公表された。 4月1日ごろに1・0を下回った実効再生産数は、4月10日には全国0・7、東京0・5まで下がったという。1・0以下というのは、諸外国では都市封鎖を解除するための基準数字である。 政府は、4月7日に緊急事態宣言を発出しており、この数字を公表すれば、その対応を正当化する根拠が失われることになる。そこで、情報を隠蔽したのではないかと疑わざるをえないのである。 専門家会議は「当面は今の対策を維持すべきである」というが、いったい「当面」とはいつまでなのだろうか。感染者が減少しており、実効再生産数も1・0以下になっているというのなら、論理的には緊急事態宣言を解除すべきなのではないか。 そうしない理由として、医療崩壊を挙げているが、経済活動をここまで大幅に制限しなくても回避する方法はあるはずだ。この点でも、やはり全国の病床数などの正確なデータが提示されていない。これまでも、厚生労働省はさまざまなデータ操作を繰り返してきているので、全面的に信頼することができないのである。 危機管理の基本は情報公開である。情報を開示せずに、国民に新型コロナウイルスの怖さを強調して、いわば「脅迫」によって政策を強行してはならない。記者会見する新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の(右から)脇田隆字座長、尾身茂副座長=2020年5月4日、厚労省 政府は、感染の有無を確認するPCR検査の事態や実効再生産数、全国病院の空床数といった情報を、隠すか操作するかしているのではないだろうか。これが今の日本の惨状の根本原因である。情報を開示しないまま、緊急事態宣言をさらに延長したことは、マイナスの方が大きくなると危惧する。 専門家会議の失敗は、PCR検査をほとんど行ってこなかったことにある。この最初のミスが、次々と問題を引き起こし、今日のような「緊急事態」を呼んでいる。曖昧すぎる解除基準 クラスター(感染者集団)潰しに専念し、その成果を誇るあまり、濃厚接触者だけにPCR検査を限定する愚を犯してきた。その間に、感染経路不明者が増大していったのである。つまり、市中感染が拡大していたはずなのに、それを見逃してしまった。 しかも、PCR検査をして陽性者が増えれば、患者が病院に殺到して医療崩壊を引き起こすという理由で、意図的に検査を抑制したのである。これが間違いだったことは、車に乗ったまま検体を採取する「ドライブスルー方式」まで導入して、検査を徹底して行った韓国で、今や新規感染者がほぼゼロになっていることが証明している。 医療崩壊については、患者の症状に応じて対応する体制を最初から整えておけば、避けることができる。重症者は感染症指定病院、中症者は一般病院、軽症者や無症状者はホテルや公共施設や自宅と、収容先を分ければよいのである。 2009年に新型インフルエンザが流行した際、厚労相だった私は、神戸市の現場で患者の治療に当たっていた神戸大の岩田健太郎教授らの勧告を容れ、そのような体制にした。それが、感染の早期終息に役立った。岩田教授が、今回はクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内部の状況について、動画配信して波紋を呼んだことは周知の事実である。 医療体制の崩壊というが、台東区の永寿総合病院や墨田区の都立墨東病院のように、院内感染が大きな引き金となっている。医師や看護師など医療従事者が感染し、外来停止などの措置をとらざるをえなくなっており、患者もまた犠牲者になっている。 例えば、5月2日の東京都の新たなコロナ死者15人のうち、11人が中野区の中野江古田病院で発生した院内感染の患者だった。自衛隊中央病院では院内感染がないし、「ダイヤモンド・プリンセス」の時も、自衛隊員は感染していない。防護服不足などの問題もあるが、発熱外来の設置など院内感染対策の徹底指示を欠いた厚労省や都、医師会にも責任の一端がある。 都市封鎖を行ったり、解除したりするときの前提は感染状態の正確な把握である。感染者数で世界一となった米国の場合、最多の感染者がいるニューヨーク州では、同州のクオモ知事が率先して感染防止対策の指揮を執っている。 クオモ知事もPCR検査を徹底し、実態を掴むことを封鎖解除の条件としている。抗体検査も実施し、免疫を持っている者の比率を参考にするのである。そして、「入院率が連続して14日間低下すること」も解除を認める指標としている。2020年4月29日、米ニューヨーク州で記者会見するクオモ知事(ロイター=共同) これに比べて、日本の専門家会議は「感染者が減ったら」という曖昧(あいまい)な基準しか提示できていない。PCR検査数と陽性者の数は正の相関関係にあり、検査数を減らせば陽性者は減るのである。 とにかく、圧倒的に検査数が少ないと言わざるをえない。PCR検査を徹底しない限り、緊急事態宣言解除の議論もできないはずである。 一方で、1カ月続いた緊急事態宣言のもとで、日本経済は急速に悪化している。緊急事態宣言を1カ月近く延長する場合、民間エコノミストからは、失業者が倍増して77万人になり、個人消費も27・8兆円減少するという厳しい予測が出ている。今回の迷走を作った「四悪人」 さらに、世界的には、これまでの超金融緩和によって、資産価格が上昇した反面、企業の債務も増加してきた。だが、新型コロナ危機で、資産価格バブルが崩壊し、世界の金融システムは危機に瀕する状況になりそうである。それは当然、日本にも大きな影響を及ぼす。 ところが、コロナ対応を決めるときに、感染症の専門家ばかりで、経済や金融の専門家が諮問の対象となっていない。安倍首相の大きな失敗である。 営業自粛を求められている業界では、既に自殺者が出ている。新型コロナウイルスでの死者よりも、間接的なケースも入れると、経済困窮による死者の方が多くなるのではなかろうか。 私は、安倍政権の今回の迷走を作った「四悪人」がいると考えている。 「第一の悪人」たちは、政府の新型コロナウイルス感染症対策の専門家会議である。既に説明したように、クラスター潰しに夢中になりすぎる余り、市中感染に手をこまねいていた愚をはじめ、多くのミスは枚挙に暇がない。 「第二の悪人」は、新型コロナウイルス対応を担当する西村康稔(やすとし)経済再生相である。今回の感染症は西村経済再生相と加藤勝信厚労相が対応しているが、2人の大臣が存在するのは有害である。感染症対策は、加藤厚労相に権力を集中させることによって可能なのである。感染症法でも、そのように明記されている。 2009年の新型インフルエンザ対応に成功したのは、厚労相だった私に権限を集中したおかげである。国会対応が上手いという理由で、新型インフルエンザ特措法の改正案を西村経済再生相に任せた安倍首相の責任は重い。 加藤厚労相がいかに無能であろうとも、いかに多忙であろうとも、厚労相が対策を一手に引き受けねばならないのである。「二人大臣」などという非常識なことをしているのは日本だけである。1安倍晋三首相から新型コロナウイルス特措法に基づく対策本部設置の指示を受けたことを表明する西村康稔経済再生担当相(左)と加藤勝信厚労相=2020年3月、首相官邸 「第三の悪人」たちは、首相のそばで権勢を振るう官邸官僚である。いわゆる「アベノマスク」の失敗に象徴されるような酷い状況になっている。ロシア帝政末期に国政に介入し、帝国を崩壊させた怪僧にちなんで、私は彼らのことを「官邸のラスプーチン」と呼んでいる。彼らこそ「安倍帝国」を壊滅させるであろう。 「第四の悪人」たちは御用学者や御用評論家である。安倍政権の政策を少しでも批判すると、忠実な番犬のように猛烈な勢いで噛みついてくる。冷静に考えることもせずに、条件反射的に対応する彼らを、私は「パブロフの犬」と称する。今のような危機的状況になると、このような存在は安倍首相の評価をさらに下げることになる。 しかし、「四悪人」を生み出したのは安倍首相であり、自ら、今その呪縛に苦しんでいるのも当然といえるのである。

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    安倍政権の是非闘争が蔑ろにする森友問題の本質と自死財務職員の無念

    相澤冬樹(大阪日日新聞論説委員・記者) 学校法人森友学園(大阪市)をめぐる事件は不幸な事件だと思う。安倍晋三政権の是か非かに巻き込まれてしまっているからだ。本来、この事件は安倍政権の是非とは関係ないものであるにもかかわらずだ。 そもそも森友事件とは何だろうか。はじめに、事件の整理から始めよう。 まず、森友学園に小学校の用地として国有地が売却された。そしてその価格が9億円余の鑑定価格から8億円以上も値引きされて1億3400万円で売られていた。 「それは正当な値引きなのか?」「国民の財産を不当に安く売ったのではないか?」。これが問題の根源だ。「値引きの是非」に「政権の是非」は本来関係ない。政権を支持しようが批判しようが、正当な値引きは正当、不当な値引きは不当だ。 ところが、この土地に建つ小学校の名誉校長が安倍首相の妻である安倍昭恵さんだったから話はややこしくなる。昭恵さんは森友学園の教育方針を繰り返し賛美していた。しかも昭恵さん付きで、事実上の秘書のような役割をしていた政府職員が、この土地について財務省に照会していたことも明らかになった。 首相は「照会しただけだ。便宜を求めていない」と言うが、首相の妻側から照会があったら役人はそれだけで「忖度(そんたく)」する。それが役所の常識ではないだろうか。だからこそ「やはり首相の妻が名誉校長だから不当に安くしたのではないか?」とか「首相自身は関与していないのか?」という野党の追及が高まった。けれども安倍首相は国会で大見えを切った。 「私や妻が(学校の認可や国有地取引に)関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」 自分も妻も全く関係ないと強調したかったのだろうが、こんなことを言ったら野党は「首相を辞めさせるチャンス」と勢いづくに決まっている。関与の証拠を見つけ出そうと、財務省に対し資料や説明を相次いで要求した。参院予算委員会で証人喚問に臨む佐川宣寿前国税庁長官(当時)=2018年3月27日、国会(納冨康撮影) これに対し、財務省の佐川宣寿(のぶひさ)理財局長(当時)は国会で「資料は廃棄しました。ございません」と突っぱねる。だがその2日後に、関連公文書の「改ざん」がひそかに始まっていた。そして現場で改ざんを押しつけられた、財務省近畿財務局の上席国有財産管理官である赤木俊夫さんはその責任の重さに耐えかね、1年後に自ら命を絶った。 このとき、財務省で改ざんに関する調査報告書の取りまとめにあたった伊藤豊秘書課長(当時)は、このあたりの経緯を指して「安倍首相の答弁と改ざんは関係があった」と赤木さんの妻に説明した。注目された職員の手記 安倍首相の強気の答弁が野党のさらなる追及を招き、改ざんを引き起こしたというのだから「安倍首相は改ざんに間接的に責任がある」と言っているのに等しい。だが、それはあくまで「改ざん」に関してのことだ。改ざんを招く原因になった「国有地値引き」についての是か非かの決着はついていない。 財務省は、これまで「土地の深い部分に埋まっているごみの撤去に8億円かかるから値引きをした。ごみを撤去しないと開校予定の決まっている小学校が開校できず、損害賠償を求められる恐れがあった」と説明してきた。 これは正当な値引きだと、財務省は主張する。しかし、その「深いところのごみ」というのが本当にあるのか、財務省はきちんとした証拠を示すことができていない。さらには、問題の国有地からごみはほとんど撤去されていないのに、既に立派な校舎がほぼ完成している。ごみのあるなしにかかわらず、校舎はできたし、開校できたはずなのだ。 ゆえに、財務省の説明は説得力を失っている。 そういう中で、森友事件はすっかり「色」が付いてしまった。安倍政権への是非という「色」だ。反安倍政権の人々は「値引きは不当、首相の責任だ」と訴える。安倍政権支持の人たちは「値引きは正当、森友はもう決着した」と突っぱね、野党とマスコミが騒ぐことが問題だという。 本来あるべきだった、政権の是非とは関係のない「値引き」について冷静に考えるという空気はない。森友学園の問題は、分断された今の日本社会を象徴するような事件になってしまった。2020年3月18日に公表された赤木俊夫さんの手書きの遺書 そこに現れたのが今回の「赤木俊夫さんの手記」だ。これは、改ざんがどのような指揮命令のもとで行われ、それを現場で押しつけられた赤木俊夫さんの苦悩、財務省や近畿財務局による数々の不当な仕打ちと、それに迫る検察の捜査についてのルポルタージュである。 俊夫さんは全責任を一身に負うようにして追い詰められていった。俊夫さんに寄り添ってきた妻の雅子さんも、深い悲しみと苦しみ、そして夫の死の真相を知りたいと願ってもかなわないもどかしさがあった。だが、今年の3月18日に発売された『週刊文春』の特集記事で克明に記し、こうした事実が初めて明らかになった。真相解明への思い その内容に多くの方が共感を寄せてくれた。その結果週刊文春は完売し、そして雅子さんがインターネット上の署名サイト、Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)で募った「真相解明のための再調査」には33万人もの賛同者が集まった。運営団体によると、これは国内での最多・最速の新記録である。 森友事件の報道でこれほど幅広く、大勢の共感が集まったことはない。では、これまでと何が違うのだろうか? それは、この問題が「政権の是非と関係ない」ことが週刊文春の記事で初めて歴然としたからだろう。 雅子さんは「安倍政権の退陣」など求めていないし、反安倍政権でもない。むしろ若いころから自民党支持者で一時期は自民党員だったこともあり、購読紙は長らく読売新聞だった。 雅子さんが望んでいるのはただ一つ「夫が亡くなった真相を知りたい」という、その一点だ。 ・夫の死を招いた改ざんはなぜどのように行われたのか・改ざんを引き起こした国有地の値引きには本当に問題はなかったのか・問題がなかったなら改ざんする必要もなかったのではないか  雅子さんはただ、こうした疑問への真相を知りたいだけなのだ。この疑問が安倍政権への賛否に関係するはずがない。安倍政権を支持する人も批判する人も、雅子さんの思いを知れば、等しく安倍首相に「どうか遺族の願いをかなえてあげてはどうか」という念を抱くであろう。 だが「新型コロナウイルスへの対応が最優先の今、この問題を蒸し返す時ではない」という意見もある。なので森友事件や改ざんの調査をすると新型コロナ対応の妨げになるか、それも考えてみよう。 雅子さんが望んでいるのは「有識者によって構成される第三者委員会」による「公正中立な調査」だ。役所自体による調査ではない。調査を行うのは第三者委員会だから、役所の手が取られることはない。 もちろん、役所の人は調査対象にはなるだろう。だがこれは強制力のある警察の捜査ではない。任意の調査だから忙しければ「今は無理です。後にしてください」と断ることができる。だから、役所の人の手が取られることはない。参院予算委員会で森友文書改ざん問題について答弁する麻生太郎副総理兼財務相=2020年3月23日、参院第1委員会室(春名中撮影) もし、調査が新型コロナ対応の妨げになるとしたら、調査によって政権に不都合な事実が浮かび上がり、政権が窮地に立つ場合しかないだろう。だが安倍政権を支持している人たちが、調査によって不都合な事実が浮上すると考えているはずがない。 調査によって「政権は何も関係ない」ことがはっきりすれば、政権の関与を主張する人々に対し、疑惑を完全否定できる。政権は新型コロナ対応に専念できるようになり、むしろいいことずくめのはずだ。 それでも再調査を拒否していると、逆に「再調査されると困ることがあるのか?」と勘繰られることになる。安倍政権を支持する方々こそ、再調査への支持を勧めたい。

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    コロナ危機、世界各国の指導者が発した「心打たれる演説」

     「我々は岸辺で戦う。野原で街で丘で戦う。我々は決して降伏しない」──第2次世界大戦でイギリス国民を鼓舞したチャーチル首相の演説だ。国家の危機に、国民を勇気づけるか、不安にさせるか、すべてはリーダーの言葉次第である。 いま、世界の人々に求められているのは「ステイ・ホーム(家にいてくれ)」。この一言をいかに表現するか、世界のトップは苦心している。 「明日、より情愛をもって抱き合うために、今日は(人との)距離を取ったままでいましょう。明日より早く走るために。みんなが一緒にやれば乗り越えられる」 そんなロマンチックな表現で国民を説得したのは、死者1万人を超える感染大国となっているイタリアのジュゼッペ・コンテ首相だ。そのお国柄からキスやハグの禁止令も出された中で、3月11日に動画で声明を出した。首相の演説には、日本でも「心を打たれた」という声が上がっている。 「まだワクチンも治療法もなく、ドイツの人口の60~70%が感染する恐れがある」(3月11日)と会見で語るなど冷静な発言が際立つドイツのアンゲル・メルケル首相が、国内感染者数が1万人を超えた3月18日に行なったテレビ演説のスピーチ動画も大反響を呼んだ。コロナ対応の最前線にいる医療関係者に感謝を述べた後、こう付け加えたのだ。 「普段めったに感謝されることのない人々にも感謝の言葉を送らせてください。スーパーのレジ係や、商品棚を補充してくださる方々。彼らは現在、最も困難な仕事の1つを担ってくれています。仲間である市民のために、日々働いてくれて、私たちの生活を支えてくれてありがとうございます」 物資不足と感染リスクでパニック状態になっているスーパーで働く人々にも目を向け、励ましの言葉をかけたのだ。 イギリスのボリス・ジョンソン首相は、3月12日の記者会見でこう語った。 「私は英国民に対して正直に言わなければならない。より多くの家族が、彼らの愛する人たちを寿命に先立って失うことになる。しかし、過去数週間にわたって言ってきたように、我々は現在実施している明確な計画がある」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 同27日にはツイッターで、自らが新型コロナに感染したことを公表し、国民に衝撃を与えたが、翌28日に全英の約3000万世帯に送付した書簡で、「事態はよくなるより先に、まずは悪くなる。それは分かっています」「私たちは適切な準備をしています。全員がルールに従えば従うほど、亡くなる人は減り、生活は元に戻ります」と、自宅に留まるよう訴えた。自分の言葉で話しかけている自分の言葉で話しかけている コミュニケーション・ストラテジストの岡本純子氏は、こう分析する。 「コンテ首相の言葉は国民に寄り添う姿勢を示す情緒的表現の典型で、欧米で支持される傾向が強い。ジョンソン首相は熱弁タイプで発言のエネルギーが高く、国民にメッセージが届きやすい。 メルケル首相は正反対で、その冷静さによって国民に安心感を与えていると考えられます。その上で、落ち着いていて国民を包み込むように一人一人に励ましの言葉を語り掛けた。タイプに違いはあれ、国のリーダーがそれぞれのキャラクターと国民性を踏まえて、自分の言葉で話しかけているのが特徴です」 岡本氏が秀逸だと感じたのは、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相だという。同首相はニュージーランド史上もっとも若い37歳3ヶ月で首相に就任し、現在39歳。「相談センターの電話番号を書いたパネルの前で会見し、『公衆衛生に携わる官僚や専門家は世界でもトップクラスで、医療施設も十分に準備できています』と何度も『プリペアード(準備はできている)』と繰り返しました。 さらに25日に国家非常事態を宣言し、外出制限の方針を示すと、フェイスブック上のライブ動画で、国民からの質問に答えた。緑色の普段着で現われた首相は、『カジュアルな服装ですみません。赤ちゃんを寝かしつけるのが大変で、今は仕事着じゃないんです』と説明。国民に寄り添っている姿勢を示したのです」シンガポール(ゲッティイメージズ) シンガポールのリー・シェンロン首相の発言も学ぶべき部分が多いという。 2月8日の時点でシェンロン首相は「恐怖はウイルスよりも有害です。恐怖は、インターネットでデマを拡散したり、マスクや食料品を買い占めたり、集団感染を特定の人々のせいにしたり、我々をパニックに陥らせ、状況を悪化させる可能性があります」と呼びかけ、「インスタントラーメンや缶詰、トイレットペーパーを買いだめする必要はありません」と国民に優しく語りかけた。 シンガポールの迅速な対応は海外でも高く評価されている。関連記事■イタリアの窮状「老人は死んでもらうしかない」が暗黙の了解■ヘンリー夫妻だけじゃない 英王室史に残るお騒がせ王族たち■【動画】韓国軍の蛮行伝えるライダイハン像、英国で公開■311隻のベトナム船が中国公海侵入、中国はスパイ目的と警戒■トランプ大統領が中国人妊婦の米国内出産を厳格化、摘発も

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    躊躇した緊急事態宣言、安倍総理が抱くべき「戦時内閣」の覚悟

    小倉正男(経済ジャーナリスト) トップダウンで行うというのが、「クライシスマネジメント」(危機管理)の鉄則である。 有事には、ボトム(現場サイド)の意見をこなして調整に時間をかけていては決断、判断の時期を逸するということになりかねない。クライシスが顕在化した場合は、決断、判断を担っているトップがその仕事を果たさなければならない。 日本のあらゆる組織は平時に慣れ過ぎており、一般的にクライシス対応は上手いとはいえない。トップがボトムを通さないで決めると、「それは聞いていない」と必ず不満が出る。“護送船団”のスローボート型の決定システムでスピードは求めようがない。 日本の組織の多くは、現場などからの意見、情報を吸い上げて、トップ層がおもむろに議論するボトムアップでつくられている。いわゆる「日本型経営」が典型だが、企業が得意にしているシステムだ。平時はそれで問題はなく、組織全体のやる気を醸成できる面がある。しかし、有事にはその身についたシステムでは対応できない。 「国民の命と健康を守るため、警戒を緩めることなく、必要な対策は躊躇(ちゅうちょ)なく決断して実行する」(3月12日、安倍晋三首相が記者団に表明) 新型コロナウイルス感染症の問題では、安倍首相はこの発言通りにトップダウンで指揮をとって、素早く対策を打ち出し続ける必要があった。 「躊躇なく決断して実行する」というのだから、間髪を置かずと誰もが受け止めた。 確かに、日本銀行は上場投資信託(ETF)の買い入れ目標の上限を従来の6兆円から12兆円に引き上げると決定した。3月16日、黒田東彦(はるひこ)日銀総裁は「当面必要ある限り12兆円ペースで買う」と表明した。金融緩和の強化を行うことを発表した日銀の黒田東彦総裁=2020年3月16日、東京都中央区(納冨康撮影) 安倍首相の要請を受けた動きとみられ、大幅に下落した株価を下支えする政策を打ち出した。低落している株式を大量に拾っているわけだから、日銀の財務悪化が懸念される事態である。是非をめぐる議論はあるが、株価下落の不安に一定の歯止めをかけた緊急措置だったのは間違いない。 問題は一般の国民向けの緊急対策で、矢継ぎ早に打ち出されるとみられていた。だが、その後は事あるごとに首相周辺も含めて「躊躇なく」「前例のない」「大胆な」「思い切った」と大仰な言葉を繰り返し並べるばかりだった。言葉の動員は躊躇ないものだったが、肝心の目に見える具体策は何も示されなかった。 目に見える具体的な政策が出たのは月を改めた4月1日。布マスク2枚を全世帯に配布すると表明した。遅れに遅れたうえに中身の乏しさに「これが前例のない大胆な政策か」と国民を落胆させた。スピード感を云々する以前の緩いスピードであり、早速「アベノマスク」と名付けられた。アメリカメディアは「エイプリルフールの冗談では」と辛辣だった。「性善説」を求められても… 兵力=政策の逐次投入というか、いや逐次投入ならまだしもあまりに「小出し」に過ぎるものだった。予告編、すなわち「前例のない」「大胆な」「思い切った」と大仰な前宣伝が効き過ぎており、それが裏目に出ている。サプライズには違いないが、バッドサプライズになった感が否めない。 4月3日には、所得が一定程度減少した世帯に30万円を給付することが明らかになった。給付を受けるには自己申告制とされている。所得減少をどう証明するのかなど制限もあって運用面ではきわめて曖昧(あいまい)だ。時間を要したのにもかかわらず基準はこれからつくるという詰めの甘いもので、多くの人に役に立つものかどうか判然としない。 首相官邸幹部の「(自己申告は国民の)性善説に立つしかない」という談話は、給付金の立て付けの不具合さを如実に認めたものだ。「性善説」をにわかに求められた国民にとっても気持ちがあまりよいものではない。 国民は生活人であり、生活人は家族を含めてその日の糧があるかないかが、一番大事だ。「性善説」などを持ち出すのではなく、誰にでも分かる制度にすることが根本である。 30万円の給付金には、国民が元気にするものがなく、スッキリとした政策になっていない。「さすが」、と手を打つようなサプライズがない。ここでも空前の前宣伝がサプライズを先食いしている。サプライズを巻き起こすというなら大仰な予告編は逆効果であることを裏書きしてしまった。 安倍首相は、自ら「最悪の想定」を何度も強調したが、「最善の想定」に立っているのではないかといわれかねない。結局、国は給付金を惜しんでいることが確認されたわけで、それで遅れに遅れて決断を躊躇してきたということが大枠判明した。遅いうえに給付対象を制限して絞り込むなどセコいという印象を与えたことになる。 「クライシスマネジメント」では、最重要なのは情報収集だが、成功したとはいえない。とりわけクライシス初期における情報収集は難度がきわめて高いが重要な仕事になる。1月、2月に中国の武漢、北京、上海などで起こっていた極度の異変を見過ごしてしまった。 情報収集とともに行うのが「初期消火」である。情報収集、そして「初期消火」ともにそのかけがえのない時期に有効な策を打てず、後手に回ってしまった。最も重要なときに、国家の危機管理、あるいは安全保障(インテリジェンス)本能が働かなかった。 2枚の布マスク配布、所得減少への30万円の給付金にしても、さまざまな官庁を含めて多くの人に相談して意見を聞けば、第一に時間が膨大にかかる。第二には平均以下の保守的な結論になる。専門家に意見を聞くたびに「なるほど」と足して2で割る。さらに意見を聞いて「それもそうだ」と足して2で割るためだ。衆院本会議で、マスクを着用して答弁を行う安倍晋三首相=2020年4月2日、国会(春名中撮影) 「平時のシステム」、官僚などから意見・アイディアを吸い上げてトップが判断するというボトムアップ方式では有事に対応できない。時間がかかるばかりで中身が乏しい平凡な政策になるものである。最終目標はサバイバル マスク2枚配布、所得減少で一定基準を満たした世帯への30万円給付という表明は、「国難」といわれるクライシスに引き合うものか。「最悪の想定」どころか「最善の想定」に立ったものにみえる。 結局、フリーランスなど個人商店主への給付金などの追加の救済策もさらに逐次投入方式で検討されている。逐次投入では、総額やら名目は膨らんでいくがインパクトは小さい。一生懸命にやっていてもサプライズやインパクトは希薄化される。 「クライシスマネジメント」の最終目標はサバイバル(生き残り)にほかならない。 トップの器量、すなわち情報の収集力、分析力を筆頭に決断力、判断力、行動力、想像力、演技力、発信力などすべてが問われる。日々、状況が変わっていく。現状で正しい判断と思ったことが数日後に「最善の想定」に立った甘い判断だったということになりかねない。有事では思い切った手を打って、「最悪の想定」に立ってやり過ぎたと後悔するぐらいに行う覚悟が必要である。 緊急事態宣言(7都府県対象に4月7日発令)、あるいは都市封鎖にも躊躇する姿勢が顕著だった。「医療崩壊寸前の状態」「ギリギリの状態」というなら迷わずやるべきものではなかったか。感染爆発=医療崩壊してから緊急事態宣言を行っても、それは状況の追認であり「敗北宣言」にほかならない。 緊急事態宣言は、小池百合子東京都知事、吉村洋文大阪府知事、さらには横倉義武日本医師会長までが強く要望していた。ボトム(現場)が揃って要求しているのにもかかわらずトップはなかなか決断をしなかった。これは不可解というか、ボトムアップ方式にもあてはまらない。 緊急事態宣言の表明においても、内閣、自民党との調整を経て最後に諮問委員会との確認というのだから、どこまでムラの根回しをやっているのかという次元になる。 緊急事態宣言、さらに都市封鎖は何のためにやるのか。国民のサバイバル、国民の生活手段である経済のサバイバルを最終目標にするべきである。 最終目標が曖昧だから、その手段である緊急事態宣言、あるいは都市封鎖の意味合いが捉えきれない。最終目標がはっきりすれば、「ダメージコントロール」という手段の意味合いが明確になる。新宿駅東口の大型ビジョンに流れる緊急事態宣言に関する安倍晋三首相の会見映像=2020年4月7日、東京都新宿区(鴨川一也撮影) 緊急事態宣言が遅れたのは、経済のダメージを恐れたためといわれている。これは最終目標が曖昧なためで、問題の本質を見誤っている感がある。緊急事態宣言による経済の停止は、もちろんダメージは小さいわけではない。「戦時内閣」として立ち向かえ ただ、手をこまねいているうちに感染爆発=医療崩壊という最悪の事態になれば、ダメージの極大化を招くことになる。それでは取り返しがつかない。 緊急事態宣言は、むしろ新型コロナウイルス問題が解決された後を睨(にら)んで、経済のサバイバルに備えるために行うものだ。国民(ヒト)の生命の安全を確保するのが先決である。 経済は一時的に停止するにしても生産・物流・販売の経済は再開に耐えられるように温存する。一時的なダメージは出るが、それは避けられないものだ。そうであるならそのダメージは極力コントロールしながら受け止める。それが「ダメージコントロール」にほかならない。 珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦などの航空戦の空母のようなものだ。空母というものは、攻撃力は強いが、防御力は脆弱(ぜいじゃく)である。 航空戦で魚雷や爆弾を何発か受けても、空母の沈没といった最悪の事態は回避してドッグに帰港できるように被害をコントロールする。ドッグで緊急修理を経て次の航空戦に備える。ダメージを受けるのは避けられないと覚悟のうえで、サバイバルを最終目標にした「ダメージコントロール」を行う。 経済のサバイバルには国民のサバイバルが前提になる。国民の生命を新型コロナウイルス感染症から守るには、緊急事態宣言、あるいは都市封鎖などやれることはすべてやる。それによって感染爆発=医療崩壊を全力で避けることが必要だ。医療がギリギリでも健在を保てるなら国民の大部分を守ることができる。 経済のサバイバルを担保しながら経済を一時的に停止させる。その損失は膨大なものになるが、国と地方自治体で補償する。緊急事態宣言、あるいは都市封鎖による経済の打撃は覚悟して受ける。しかし、その「ダメージコントロール」を行ってサバイバルに耐えられる能力を守る。財政は大きく悪化するが、生産・物流・販売の経済が再稼働すれば元は取れる。緊急事態宣言後、閑散とした東京・新宿の横断歩道=2020年4月7日 国民も経済も守れないとしたら、後の歴史家から、国や東京都を筆頭に神奈川県、千葉県、埼玉県など地方自治体は国難(有事)対応を誤り、日本を衰退に導いたといわれるに違いない。 新型コロナウイルスと正しく戦え、というのは簡単だが、敵の正体は見えず、戦う武器もない。それは「2枚の布マスク」が証明している。新型コロナウイルスという凶悪な敵と対峙する「戦時内閣」として、国民のサバイバル、そして経済のサバイバルに向けて有事に立ち向かうべきだ。

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    新型コロナ、安倍総理はあえて「有事の無策」で臨むしかない

    与が疑われた。だが、首相は「私と家内、事務所も一切関わっていないと申し上げた。もし関わっていたら私は政治家として責任を取り、議員を辞職する」と明言した。 しかし、首相夫妻や政権幹部が同学園の寄付集めや小学校認可を後押ししているかのような印象を強める事実が、次々と出てきた。そして、財務省によって国有地売却に関する決裁文書が書き換えられたことが明らかになった。 契約当時の文書には、学園との取引について「特例的な内容」との表現があり、学園の要請への対応が時系列的に記述されていたが、国会に開示された文書では、それらが消えていた。財務省は国会で、森友学園との事前の価格交渉を否定し続けてきたが、それを根底から覆す内容であった。2020年3月18日に公表された赤木俊夫さんの手書きの遺書。「これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」などとつづられていた その後、近畿財務局で国有地売却の交渉・契約を担当した赤木さんが自殺し、遺書があったと報じられ、当時の財務省理財局長だった佐川国税庁長官が辞任する事態となった。 「最強の官庁」「最強のエリート集団」とされたはずの財務省が公文書改ざんという不正に手を染めてしまったのは、安倍首相の「関わっていたら政治家として責任を取る」という答弁と、決裁文書の内容を合わせざるを得なくなったからとみられている。言い換えれば、財務省は安倍首相から「責任」を押し付けられたのだ。官僚が疑惑隠しを率先? 次に、安倍首相の友人の加計孝太郎氏が理事長を務める、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設の認可をめぐる問題だ。加計学園が認可された経緯で、「首相の意向」などと記された文書が出回り、前川喜平前文科事務次官が「文科省で作成された文書に間違いない」と証言した。 また、獣医学部が設置される予定の愛媛県や今治市の職員、学園幹部と柳瀬唯夫首相補佐官(当時)が面会した際、柳瀬氏が「本件、首相案件」と述べたと県職員の備忘録に記されていた。 さらには、安倍首相が加計理事長と面談し、獣医学部新設の構想に「いいね」と述べたと記された県の文書が見つかった。愛媛県の中村時広知事は「県職員は柳瀬氏と名刺交換した」として職員が受け取った名刺を公開し、「文書は会議に出席した県職員が報告のために作成したものだ」と説明した。 一方、安倍首相は、「県文書に記載された日の前後の時期も含めて、加計理事長とは会っていない」と疑惑を完全否定した。柳瀬氏も県職員らに「記憶の限り、会っていない」とやや曖昧な表現で否定した。また、内閣府、厚生労働省、文科省は、愛媛県職員らが首相官邸を訪問した際のやり取りを記した文書は省内に存在しないと発表した。 だが、柳瀬氏は後に、「加計学園の関係者と面談し、その際に愛媛県や今治市の職員がいたかもしれない」と発言を修正していった。また、愛媛県など面談した際の文書が農水省に残っていることが明らかになった。 結局、加計学園の認可を巡り、安倍首相が「特別な便宜」を図ったかどうかの疑惑は解明されないままに終わっている。しかし、首相の疑惑を隠すために、官僚が省庁を超えて口裏を合わせて否定しようとしているという印象を国民が持ってしまったのは間違いない。 そして、新型コロナウイルス問題が発生するまで、国会で厳しい追及を受けていた首相主催の「桜を見る会」に関する問題だ。吉田茂内閣のころから毎年開催されてきた「桜を見る会」だったが、安倍首相や自民党議員の地元支持者が多数招待され、規模が年々拡大してきたことが、「私物化」だと批判されている。 具体的には、安倍内閣になってから「政治家枠」の招待客の人数が、2005年度には2744人だったのが、2019年度は約3倍の8894人に増加した一方で、国際貢献や災害復旧などの功労者は406人から182人に激減していた。 そのうえ、反社会的勢力が来場していた可能性も指摘されている。2019年度の費用が予算の3倍にも膨らんでいたことも判明した。2019年11月、「桜を見る会」をめぐり、首相官邸前で抗議する人たち 特に問題視されているのが、安倍首相が都内ホテルに自身の後援会関係者850人を招いて「前夜祭」を行ったこと、そして「桜を見る会」当日に、貸し切りバス17台に分乗して会場に向かったことだ。 首相の後援会関係者は「前夜祭」の会費として5千円を払ったという。だが、ホテルのグレードや料理の質から、この金額では不可能なパーティーだと疑われている。もし、会費と実際にかかった費用の差額分、当日の貸し切りバスの費用などを税金か首相のポケットマネーで補塡(ほてん)していたら「公職選挙法違反」の可能性があると疑われている。 また、この問題でも行政文書・公文書の管理のずさんさが問題となっている。招待客の名簿のデータが、野党議員が国会で質問をすると通知した約1時間後にシュレッダーにかけられていた。しかし、政府の答弁は「名簿の破棄は、たまたまシュレッダーの予約が取れたのが、野党が国会に質問通告した1時間後だった」とか、中学生でもおかしいと分かるような珍答弁だった。意図的に文書を廃棄したことが、あまりにも見え見えであった。「責任」が軽すぎる そして、この問題を巡る安倍首相や閣僚、与党議員、その他関係者の答弁があまりにもいい加減、支離滅裂、むちゃくちゃであった。例えば、招待者名簿について「バックアップデータが残っている電子データは、政府の定義では『復元できない電子データ』」「バックアップデータは公文書ではない」「バックアップデータに文書が残っているのは想定外」と答弁している。  さらに、衆院予算委員会の質疑で、辻元清美議員に対する安倍首相の「ヤジ」問題が起こった。辻元氏が「タイは頭から腐る」と批判すると、首相が「意味のない質問だよ」と声を荒らげたため、野党が反発し、審議拒否していた。結局、首相は「不規則発言は厳に慎む」と謝罪に追い込まれた。 その他にも、第2次安倍政権では10人の閣僚が辞任している。そのたびに、首相は「任免責任は、この私にあります」と発言した。しかし、首相は「任免責任」と10回も発言したわけだが、責任を1回も取っていない。 それどころか、政権に従順とされる東京高検の黒川弘務検事長の定年延長を決めた。黒川氏を検事総長に据えるためだとされる。検察庁法22条は「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」と定めているが、安倍政権は国家公務員法の定年延長規定を拡大解釈して決めた。度重なるスキャンダルから、「首相自身」「お友達」「仲間」を守るためだとされる。 要するに、第2次安倍政権が長期化する中で、「安倍1強」という状況が出来上がるにつれて、首相が「お友達」に「特別な便宜」を図った「権力の私的乱用」が疑われる事案が次々と発生してきた。首相は、その役人に責任を押し付けた。役人は、首相のために虚偽答弁や公文書の改ざん、破棄を行ったのではないかと国民に思われてしまっている。 安倍首相は「責任」という言葉を多用してきた。だが、実際に「責任」を取ったことがない。だから、国民は首相の「責任」という言葉を信頼できない。 また、首相は感染の拡大防止に「あらゆる手段を尽くす」というが、そこから「国民を安心させ、国民を守る」という姿勢が感じられない。 どうせ「お友達」「仲間」のためだけに手段を尽くすのだろうと思われてしまっている。だから、国民は一丸となってこの「有事」を乗り切ろうという気持ちになれないのである。 さらに問題となるのは、安倍首相自身が国民に信頼されていないことを自覚していて、焦りが見られることだ。首相は2月27日に全国の小中高校などに3月2日からの全国一斉の臨時休校を要請した。 新型コロナウイルスの感染拡大に対する防止策であり、首相は「これから1~2週間が急速な拡大か終息かの瀬戸際」と訴えた。ところが、愛媛県の中村知事などから場当たり的で唐突な決定だと批判されると、「専門家の意見を伺ったものではない。私の責任において判断させていただいた」と説明した。新型コロナウイルスの感染拡大を巡る記者会見で、記者の質問に笑顔を見せる安倍首相=2020年3月14日、首相官邸 つまり、「全国一斉休校」という重大なことを、専門家の意見を聞かずに首相の独断で決めたということだ。そして、それは新型コロナウイルスへの政府の対応が支持されないことに焦り、なんとか打開しようとして行ったことだというのだ。 筆者は、全国一斉休校には一定の合理性があると考えている。「1~2週間が感染拡大か終息かの勝負どころ」であるならば、ここでイベントなどの自粛に加えて小中高などでの感染を抑え込めれば、感染規模は大幅に小さくなるからだ。しかし、合理的な決断であっても、それが焦りからなされたものであれば、最悪な決断だ。平時で開く「亡国への道」 しかも、全国一斉休校の決断に対しては、残念ながら首相の期待通りに支持は高まらず、むしろ国民の戸惑い、怒りが広がってしまった。安倍首相が焦ってさらなる決断をしようとしたら、危ないことになる。 例えば、政府の新型肺炎への対応で最も批判が多い、ウイルスを高精度で検出する「PCR検査」についてだ。この検査の実施件数が、2月27日現在で韓国が4万4157人に対して日本では1890件と、実に23分の1にすぎなかったことから、国内外から批判を受けている。そして、この検査を希望者全員が受けられるような体制を早急に確立すべきだという訴えが広がっている。 この国民の強い訴えに、安倍首相がトップダウンで応えてしまうと大変なことになる。現在の精度が低いPCR検査では、陰性と診断されたが実は陽性だったという「偽陰性」が数%くらい発生する。偽陰性と診断された人がお墨付きをもらったことで外出してウイルスをまき散らしてしまうリスクがある。 また、PCR検査を全面的に解禁すると、ウイルス感染の可能性がある人が病院に殺到する。高齢者や基礎疾患のある外来患者や入院している人や、医師や医療スタッフが感染する可能性がある。要するに、医療崩壊を起こすリスクは、あらゆる面で格段に高まってしまう。 実際、日本の約23倍のPCR検査を実施している韓国では、新型肺炎の感染者数が8900人を超え、死者も110人に達している。日本はクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗船者を除くと、国内発生は1089人、死者41人だ(いずれも3月21日現在)。韓国では、PCR検査を徹底的に実施したことが新型肺炎感染者を激増させる原因となってしまっていると考えられるのだ。 「ダイヤモンド・プリンセス」乗船者の感染拡大も、国内外から批判はされたが、一方で米国からは対応を感謝されている。要するに、厚労省などの官僚は、新型肺炎についてベストではないにせよ、ベターな対策を慎重に進めてきたといえる。 だが、3月13日に改正新型インフルエンザ等対策特別措置法が成立した。私権制限につながる緊急事態宣言を、安倍首相が行うことができるようになる。しかし、安倍首相が今までの対策をちゃぶ台返しして、独断で決めるということは、危険なことである。 全国一律休校の決断は、「結果オーライ」かもしれない。しかし、今後は、国民をパンデミック(世界的大流行)の危険に陥れる決断を、自分一人で決めてしまわないことを願いたい。 指導者は平和なときから謙虚に振る舞い、国民の信頼を積み上げておかなければならない。それは、「有事」の際にその「信頼」を消費して、国民には不満でも大事なことを決断しなければならないからだ。 一方、平和なときにいい気になって「傲慢(ごうまん)」に振る舞い、国民の信頼を失った指導者は「有事」に自らの信頼がないことに焦って、人気取りをやってしまう。それは間違いなく「亡国」への道である。新型コロナウイルスの感染拡大に備える改正特措法が可決、成立した参院本会議=2020年3月13日 安倍首相は、これまで国民の信頼を失う言動を繰り返した自らが、「有事」の際の「最大のリスク」であり、政府の「アキレス腱(けん)」となっていることを強く自覚することだ。決して焦らず、専門家の意見を聞き、慎重に行動することだ。 幸いなことに、日本政府の新型コロナウイルスへの対応は、それほど間違ったものではないように思える。今、安倍首相に求められるのは「何もせずに、現状を維持して危機が過ぎ去るのを待つ」という、最も難しい決断をすることではないだろうか。

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    「社会主義ノスタルジー」で変貌する世界

    旧ソ連が共産党独裁を放棄して30年。この間、世界の大半を資本主義が覆い尽くし、事実上、社会主義は淘汰されたといっても過言ではない。ただ、ここにきて広がりつつあるのが「社会主義ノスタルジー」だという。米国でさえ格差社会への疲弊によって芽吹き始めているこの現象、世界を変貌させる原動力となるのか。

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    貧困と格差に知らぬ顔、もう一度「富裕層への革命」を起こせ

    んしゅくを買っていた。さらに、79年にはアフガニスタンに侵略し、世界の平和を脅かす存在でもあった。 政治体制がダメなのは常識でも、経済が少しは良かったのかといえば、そのようなこともない。忘れられない話が、共産党指導下の青年組織である民主青年同盟の国際部長を勤めた時期(80年以降)にある。「発達した社会主義国」を標榜(ひょうぼう)するソ連の共産主義青年同盟(コムソモール)の代表がやってくると、「全般的危機」にあるはずの資本主義国のわれわれに対し、「シェーバーをプレゼントしてほしい」とおねだりするのである。 そこで日本製を渡そうとすると、「いや、ひげが濃いので、ブラウンでなければ」とごねる。社会主義国の指導的立場にある人でも、自国の体制が優位にあるなど少しも思っていないどころか、外に向かってそれを隠そうとさえしなかったわけだ。それでも、「そもそもの出発点が低かったのだから仕方がない」と思い、貧しいなりに社会主義らしく平等を重視したり、人間を大切にしているところを評価しようとしたりして、私なりに努力してみた。 例えば、妊娠した女性に対する産休や育児休暇の保障などに関して、ソ連は世界でも高い水準にあり、「男女平等の分野では優位なところがある」と宣伝したこともある。確かに、統計の数字上ではそういうことも言えた。しかし、のちに国際労働機関(ILO)の報告などで明らかになったのは、ソ連ではそうやって女性に特化して権利を保障することによって、女性だけが育児や家事に縛り付けられる「不平等社会」が築かれていたということだ。 マルクス主義を知っている人にしか通用しない言葉ではなく、現代の国際政治でも通じる概念に置き換えて言えば、マルクスが唱えた「共産主義」というのは、政治的権利といった国民の自由権も、生存権などの社会権も、等しく高いレベルで保障されている社会のはずであった。ところが、現実の社会主義はそれとは真逆の存在だったわけである。 「もしも」の話になるけれど、自分がソ連や中国、北朝鮮で生まれていたとしたら、そしてコミュニストとしての素養を積んでいたら、その国の体制を容認できるかが問われていた。私は、自分が学んできたコミュニズムの思想と照らして、目の前の体制が社会主義だとは少しも思わないだろうし、その体制を打倒しなければならないと決意するだろうと考えた。 最近、ベルリンの壁崩壊前夜の東ドイツの姿を描いた須賀しのぶの小説『革命前夜』を読み、共産主義体制を倒した後に資本主義でもない新たな体制を望む人々がいたことを知った。ただ、その体制がどんなものかを提起できない状況では、倒れた先に資本主義しか待っていなかったことは歴史の必然だったと考える。1989年11月9日、東西ドイツの国境開放後にベルリン・ブランデンブルク門前の「ベルリンの壁」の上に立つ人々(DPA提供・AP=共同) それでもなお、私はコミュニストであり続けた。なぜなのか。それは何よりも、日本のコミュニストの代表格である日本共産党がソ連の独裁体制や覇権主義と公然と闘っていたからだ。様変わりした批判の鋭さ 1948年の世界人権宣言以来の努力によって、組織的で広範囲な人権侵害は「国際問題」とされ、外部からの批判は内政干渉に当たらないという慣行がつくられてきた。裏を返せば、ソルジェニーツィン一人だけの人権侵害のような場合は国際問題とはみなされないことになる。 日本の共産党は、そうした国際慣行にもかかわらず、「ソルジェニーツィンへの迫害は国際問題だ」としてソ連共産党を厳しく批判してきた。アフガニスタンへの軍事介入や核軍拡路線にも公然と異を唱えてきた。人権侵害も覇権主義も「社会主義の原則に反する」という立場からだ。 当時、私も民青同盟の代表として国際会議などに参加し、ソ連批判を展開することがあったが、相手からどんな反撃があっても屈服してはならないという日本共産党の指導を忠実に守り抜いたものである。 ソ連が崩壊したとき、日本共産党が直ちに「諸手を挙げて歓迎する」という談話を出すことができたのは、そういう過去の実績があったからだ。「ソ連は社会主義ではなかった」という大胆な認定も行った。当時、私は金子満広書記局長(故人)の秘書をやっていたが、後援会の旅行で祝杯をあげ、「ソ連崩壊で万歳をしている共産党は世界の中で日本共産党だけだろう」という金子氏のあいさつを聞いたことを鮮明に覚えている。 ソ連崩壊の直前、少しずつ存在感を増してきた中国で、1989年、あの天安門事件が起きた。これについても日本共産党は厳しく批判し、中国共産党のことを「鉄砲政権党」などと揶揄(やゆ)したりもした。 ちょうど、東京都議会議員選挙が戦われている最中であり、私は八王子選挙区に派遣されていたが、「どのように中国を批判すれば効果的か」夜を徹して仲間と語り合い、宣伝チラシをつくったものである。何カ月かして、欧米が経済制裁を続行している中で、日本政府がいち早くそこから脱落したが、その弱腰ぶりを厳しく追及したのも日本共産党であった。 その当時、60年代に起こった中国共産党による日本共産党への内部干渉の影響で、両党の関係は断切していた。その後、両党関係が正常化したことで、もう中国を批判することはできないだろうという観測も流れた。 しかし、日本共産党は、関係回復したからといって重大な人権侵害を許すわけにはいかないと、天安門事件10年になる1999年には批判論文を出すほどであった。 日本で共産主義の「体制」ができるときは、既存の社会主義国とは別のものになる。日本共産党の批判の鋭さは、そう思わせるに十分であった。 けれども、詳細は書かないが、21世紀になるのを前後して、共産党は中国の人権問題を批判しなくなる。天安門事件20年にあたる2009年では、10年前とは異なり、『しんぶん赤旗』に1行の批判も論評も掲載されなかった。1989年6月、北京の天安門広場に近い長安街で、戦車の前に立ちはだかる男性(左下、ロイター=共同) ソ連のことは「社会主義でなかった」と言い続けながら、中国については「社会主義をめざす国」と肯定的に認定し、積極的に交流を進める。06年に成立した北朝鮮人権法に対しては、北朝鮮の人権問題は国内問題だとして反対することになる。 ソルジェニーツィン一人だけへの人権侵害を「国際問題」として批判していた当時とは様変わりしてしまった。こうしてその直後、根本的な理由は別にあるのだが、共産党の政策委員会に勤務していた私は、小池晃政策委員長に退職を申し出、受理されることになった。コミュニストであり続ける理由 ただし、共産党の名誉のために言えば、天安門事件30周年の昨年、『しんぶん赤旗』は新聞の「社説」にあたる「主張」で、事件を振り返った批判を20年ぶりに掲載した。また、中国を「社会主義をめざす国」とする綱領の規定を削除する改定案を今年1月の党大会で採択している。 話は戻るが、党を退職した私は、それでもコミュニストであり続けている。それはなぜなのか。 そこにあるのが、今回のテーマの共通した題材である共産主義「体制」へのノスタルジーと言えるだろうか。ノスタルジーという言葉の響きがもつ「懐かしさ」とは無縁で、日本語で表現すると「渇望」が近いけれども、共産主義体制が切実に必要性とされていることへの思いである。 共産主義が崩壊し、一人勝ちした資本主義の現状をどう評価すべきか。このままの日本が続けば幸せになれると、どれほどの人が感じているのだろう。 現在の日本は、少し古い言葉を使えば、「負け組」には将来への不安が募るだけの世の中である。正規雇用に就けず、永遠に「負け組」から抜け出せないと言われる40歳前後の「ロスジェネ世代」を再雇用する試みが話題になっているが、その世代が世に出た2000年頃、25%程度だった非正規雇用は、いまや4割程度にも上昇している。 ロスジェネ問題はなくなったのではなく、より普遍的な広がりを持つようになったのである。正規雇用者になれたところで、やれブラック企業だの過労死だの、押し潰されるような暮らしを余儀なくされている者が少なくない。 その一方で、企業の内部留保は400兆円を超え、この10年で3倍以上になっている。2018年1月、国際非政府組織(NGO)オックスファムが公表した報告書も話題をさらった。世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を上位1%の富裕層が独占していること、下から半分(37億人)の貧困層は財産が増えなかったとするものだった。 翌年には、世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているとの報告書を発表した。「負け組」の犠牲で「勝ち組」が肥え太っていく。「勝ち組」には笑いの止まらない世界が広がっているわけだ。 それなのに、肥え太っていく企業や富裕層に対して厳しく向き合い、自分の利益だけでなく、社会全体のことを考えて行動せよと迫る仕組みがない。それが世界規模で顕著に表れているのが気候変動問題だ。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」 科学の見地では、二酸化炭素の排出量を激減させなければ、地球の未来さえ危ないことは明白だ。それでも、資本主義の中核に存在する巨大企業は、いまだに石炭火力発電に頼り(日本は増加させつつある)、科学よりも目の前の自己の利益を優先させ、世界を次第に破滅的危機へと導いているのである。 「わが亡き後に洪水よ来たれ」─。マルクスはフランス王ルイ15世の愛人であったポンパドゥール侯爵夫人のものとされるこの言葉を『資本論』で引用し、資本の醜い本性を暴いた。ルイ15世の治世から250年たっても、資本の本性は変わらないままなのだ。「8時間労働制」という変化 その資本の本性が、歴史上一度だけ挑戦を受け、醜さを覆い隠したことがある。それがロシア革命であり、共産主義「体制」の出現であった。 現代に生きるわれわれが普通に享受しているものとして、8時間労働制がある(日本では制度が脅かされているが)。これは、マルクスらが1866年に創設した第1インターナショナル(国際労働者協会)が呼びかけた課題である。 20年後の1886年5月1日、米国の労働組合が全国的なゼネストを行って要求し、その後、5月1日がメーデーとされることになった。しかし、どの国の資本も、こうして労働者がゼネストをして要求しても、自己の利益を優先させて応じることはなかったのだ。 そこに変化が生まれたのが、今からちょうど100年前、第1次大戦後のベルサイユ平和会議において、1919年に国際労働機関(ILO)が創設されたことだ。ILOの創設後、最初に採択された条約が、1日の労働時間を8時間、週の労働時間を48時間に制限する内容で、その後、この制度が世界に広がっていくことになる。 また、ILOはこうした条約の採択を決める総会で、1国が4票を投じるのだが、うち1票は労働者代表に与えられることになっている(2票は政府、残り1票は使用者)。最近、国際条約の策定にあたりNGOが役割を果たす事例が増えているが、ILOはその先駆けであり、今でも最も先進的な仕組みとなっている。 なぜそんな革命的な変化が生まれたのかといえば、ロシア革命があったからなのである。その秘密をILO関係者と日本の高級官僚に語っていただこう。ILOのガイ・ライダー事務局長 ILOに関する概説書として20世紀を通じて親しまれたのが、1962年刊行の『ILO 国際労働機関』という本である。その著者の1人である労働省(当時)の審議官で、ILO総会の日本政府代表を務めたこともある飼手真吾氏は次のように述べている。 (ベルサイユ)平和会議に臨んだ列国の政治家をして、平和条約において労働問題につきなんらかの措置を講ぜざるをえないと考えせしめるに至った決定的要因は、ロシア革命とその影響であった。日本労働協会『ILO 国際労働機関』改訂版 飼手氏は、本著でこのことを書いた際、第4代事務局長であったエドワード・J・フィーランの同機関創設30周年記念論文を引用している。その記念論文は次のようなものであった。 ロシアのボルシェヴィキ革命に引続いて、ハンガリーではベラ・クンの支配が起った。イギリスでは職工代表運動が多数の有力な労働組合の団結に穴をあけその合法的な幹部達の権威を覆えした。フランスとイタリーの労働組合運動は益々過激に走る兆候を示した。(中略) 平和条約の中で労働問題に顕著な地位を与えようという決定は、本質的にいえば、この緊急情勢の反映であった。平和会議は、条約前文の抽象論や、提議された機構の細目等については余り懸念することなしに労働委員会の提案を受諾したのである。こういう事情でなかったならば、おそらくは、機構の細目における比較的大胆な革新──例えば、国際労働会議において非政府代表者にも政府代表者と同等の投票権や資格を与えるという条項の如き──は、受諾し難いものと考えられたであろう。「ILOの平和への貢献」、『ILO時報』1950年1月号(原典はINTERNATIONAL LABOUR REVIEW,Jun.1949) 当事者自身が、ILO創設はロシア革命の影響だと述べているわけだ。それがなければ、労働者代表にも投票権を与えるような大胆な革新はなかっただろうと認めているのである。「資本の横暴」許すのか これは当時の情勢を考えればよく理解できる。1917年10月に革命を成功させたロシア新政権は、1日の労働時間を8時間とする布告を直ちに発表した。 この中で、「労働時間は『一昼夜に8時間および一週に48時間を超えてはならない』ことが確定された。……同布告によって休息および食事のために労働日の義務的な中断が定められ、休日と祭日が決定され、時間外労働の使用は厳格な枠によって制限された。女子および未成年者の労働に対しては特別な保護が規定され」(『ソヴィエト労働法 上巻』)たという。 その半世紀前から、各国の労働者は1日8時間労働を求めてきた。それに対して各国の資本はそれに耳を傾けず、労働者を酷使してきた。政府も労働者に手を差し伸べなかった。ところが、社会主義を掲げて誕生したロシアで、一挙に8時間労働が実現してしまう。 各国政府の驚きはいかばかりだっただろうか。当時、各国にも強力な労働運動が存在し、共産党を名乗る党もあった。そういう勢力が、ロシア革命の成功を受けて、8時間労働が夢物語ではなくリアルなものであることを実感し、フィーランが書いているように各国で革命を目指した運動を活発化させるのである。それが国民の支持を受けていた。 自ら8時間労働を採用することを宣言しないと革命が起きてしまうかもしれない─。そういう恐怖感の中で、ロシアに続いて17年中にフィンランドが、翌18年にはドイツなど5カ国が、19年にはフランスなど8カ国が8時間労働制に踏み切ったとされる。ILOの8時間労働条約も、そのような動きの中での出来事であった。 ここには、資本の横暴がどのような場合に抑えられるのかということについて、生きた事例が存在しているように思える。今の世界に求められているのも、資本の横暴を許したままにしていては、国民の暮らしが脅かされるにとどまらず、資本が存立している社会、地球さえ脅かされるということへの自覚である。もし、資本がそれに無自覚なままで居続けるなら、「2度目のロシア革命」が現代でも再現される必要があるのだ。 ただしかし、2度目のロシア革命は、同じことの繰り返しであってはならない。新しくできる「体制」は、これまで理解されてきた共産主義体制とは、二つの点で異なるものであるべきだろう。 一つは、既に述べたことだが、それが共産主義体制かどうかを判断する基準は、国民の自由権と社会権が共に高い水準で実現しているかどうかである。その実現を目標に据えるべきである。 ここには2種類の含意がある。まず、自由権さえ不十分な国を共産主義と見なすなど、かつての愚は二度と犯してはならないということだ。同時に、社会権の実現のために必要だからといって、生産手段の社会化を社会主義の目標として位置づけることはしないということだ。多くの人たちを前に演説するレーニン。ロシア革命を成功させ、ソビエト政府をつくった(ゲッティイメージズ) これまで、共産主義運動の中では、生産手段(工場など)が資本家や大株主などにより私的に所有されていることが、社会の利益よりも私的な利益が優先される原因になっているとして、それを社会のものにすることが目標とされてきた。ロシア革命後に実施された国有化が破綻したことをふまえ、働く労働者の共有にするなど、いろいろな模索があったが、社会化の進展具合を共産主義実現の進展具合に重ねる見方は変わらなかった。 しかし、この問題で一番大事なことは、国民の社会権が高い水準で実現することである。生産手段の社会化は必要なことではあるかもしれないが、それは「手段」にすぎない。新しい体制を表す言葉 手段に熱中して目標を脇に置いてしまっては、生産手段が社会化されても国民の権利は保障されなかった共産主義体制の誤りを繰り返すことになる。中国企業で世界に最も影響力のある華為技術(ファーウェイ)が形式的には民間企業であることを見ても、「社会的所有」か「私的所有」かによって、社会への影響が違うとする議論の虚しさを感じる。 もう一つは、その新しい体制を表す言葉だ。私はそれを、「共産主義体制」ではなく、「コミューン」と呼びたい。 共産主義(コミュニズム)の語源はコミューンである。英語のコモン(common)にあたるが、もともとはフランス語で、「共通」「共同」「共有」などを意味する。そこから転じて、中世の欧州では、領主から住民による自治を許された都市を指していた。 つまり、共産主義を生み出した欧州の人々が、共産主義という言葉からイメージするものは、日本人がイメージするものとは根本的に異なっているのだ。現在の世界でコミュニズムという言葉を聞く欧米の人々は、資本の横暴に対して自治を許された住民が共同して立ち向かい、社会を支え合うことをイメージするのではないか。 そうでなければ、あの米国における若者を対象にした世論調査で、「社会主義に好意的」と答えた人が51%にのぼり、「資本主義に好意的」の45%を上回った事実を説明できない。米コロンビア大が、米国やカナダ、英国などの大学の講義要目(シラバス)をチェックし、使われているテキストを自然科学も人文科学も社会科学も併せて調べたことがある。93万件のシラバスの中で、3番目に多かったのがマルクスの『共産党宣言』で、『資本論』も44位に入ったそうである。 日本人の多くは、共産主義と聞いて、「財産の共有」を思い浮かべる。日本のコミュニストにしても、多くも「生産手段の共有」を表す言葉だと信じている。そして、生産手段の社会化の形態や度合いの議論に集中してしまう。しかし、この言葉を生み出した欧米の人々は、今の資本主義では解決できない自治や共同、共存などが実現する社会を思い浮かべる。 これはもう、言葉の問題ではない。求められる体制をどういうものとして構想するのかという問題だ。 だから、新しい社会はコミューンであり、それを実現する革命はコミューン革命である。外来語を使わないで中身を表現するとすれば、新しい社会は「共同社会」とも呼べる。ただ、コミューンの経験のない日本人には「共同社会」と言ってもイメージできないだろうから、それを「支え合う社会」と呼んでもいい。まさに、人が支え合うコミューン=共同体を実現することだ。 この社会にどんなに貧困と格差が広がっても「われ関せず」という富裕層や大資本に対しては、「社会を支える側に立て」と迫っていく国家権力が不可欠だ。どんなに温暖化が進んでも「石炭火力は必要です」という企業に対しては、「目先の利益だけでなく、人類の未来のことも考えよ。地球を支え合う思想を持て」と強制する権力が必要なのだ。 それが「支え合う社会」である。ノスタルジーとしてではなく、現実に不可欠なものなのである。東京都渋谷区の日本共産党本部(桐山弘太撮影) 私が共産党の政策委員会に在籍していたころ、選挙などで問い合わせしてくる共産党の支部長なども、「共産主義は怖い体制だ」と述べるほどであり、「共産主義体制」なるものは、いまや日本のコミュニストでも実現を希望していない。しかし、目指すのが「支え合う社会」なら、米国で社会主義を望む人ほどは日本にも支持者が出てくるのではないだろうか。

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    「右か左か」ではなく「上か下か」が呼び覚ます社会主義ノスタルジー

    は、ソ連崩壊直後の1992年から“社会主義市場経済”を標榜する転換を行った。中国は、共産党独裁という政治権力構造を残存させながら経済は市場を中心とする資本主義という異形なシステムに移行した。かつてならソ連に「修正主義の極み」と非難されていた変貌だった。 中国は極度に低迷する経済を抱えて貧困や飢餓、失業に喘(あえ)いでいた。社会主義市場経済という“羊頭狗肉の策”まで用いて、閉ざしていた国を開かざるをえなかった。中国もこのままではソ連と同じく体制崩壊が避けられない。中国は背に腹は代えられない行動に出たのである。 過剰なほど豊富な人口による安い労働力、そしてマーケットの巨大な潜在力を睨(にら)んでドイツなどEU(欧州連合)、アメリカ、そして日本、さらに韓国、台湾などからも資本、設備機械、技術が中国に流入していった。最初は恐る恐るというものだったが、2000年代前半あたりからどっと流れ込んでいった。 中国は瞬く間に「世界の工場」となり、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に飛躍をとげた。今では中国を核にして世界の製造業サプライチェーンが網の目状に構築されている(新型コロナウイルスによる今の世界的な経済停止状況は、中国に過剰にサプライチェーンが集中しており、「世界の工場」になり過ぎていることのクライシスを顕在化させた)。 「グローバリゼーション」の恩恵を最大に享受したのは、まぎれもなく中国だった。豊富で安い労働力というものだけで、世界の資本、設備、技術を中国に呼び込んで事実上わがものにしたのである。 この「グローバリゼーション」によってもたらされたものは、世界的な「貧富の格差」だった。当の中国もそうだが、アメリカなどで極端な「貧富の格差」という問題が生じている。中国の安い労働力が、世界の中・低資産階級から仕事を奪い取っていったという事実が否定できない。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) 「右か左か」ではなく、「上か下か」ということが今、世界的に問われている。アメリカでは納税者の上位0・1%の人々が富の20%を握っているといわれている。上位1%で39%の富を握り、90%の人々が貧困に喘いでいる。ドナルド・トランプ大統領は上のクラスにいるのは間違いないが、案外なことに「貧富の格差」という問題が彼を大統領にした側面がある。トランプを勝たせた「ラストベルト」 トランプ大統領は不動産業がビジネス基盤であるためか、「グローバリゼーション」、自由貿易には当初から反対の立場を表明してきた。「アメリカファースト」=「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」がトランプ大統領の立場である。「一国主義」を基本としており、「グローバリゼーション」や自由貿易はアメリカの中・低資産階級にとって災いであると主張している。 トランプ大統領は、米中貿易戦争を引き起こして「中国は長年アメリカの知的財産を奪い、アメリカから雇用、技術など富を盗んでいる」と非難してやまない。中国が「中国製造2025」で巨額補助金を注ぎ込んで半導体などハイテク覇権を奪い取るという行動に出ているとして、「アンフェア」と批判の限りを尽くしている。 「グローバリゼーション」の恩恵を一身に浴びた中国が、世界のハイテク覇権を奪おうと「一国主義」に走っているというロジックになる。ハイテク覇権は、経済覇権のみならず軍事覇権につながる。共和党、そしてトランプ大統領を批判している民主党を問わずアメリカは、中国はアメリカの世界覇権を奪おうとしているという警戒感を強めている。 アメリカの「ラストベルト」では製造業、重工業が衰退して、白人など労働者が仕事を失った。アメリカの中・低資産階級が消滅していった。これは経済のサービス化、あるいは世界競争による産業の新陳代謝でもたらされた衰退という要因が半分だが、中国が人件費コストで圧倒的な優位に立って「世界の工場」になっている事実を要因にする方が誰にも分かりやすい。 前回の大統領選挙では、「ラストベルトはトランプをアメリカ大統領にした」といわれている。トランプ大統領は、見捨てられていたかつての中・低資産階級の票を掘り起こした。 トランプ大統領はアップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)に対して「アメリカで生産すれば関税を心配する必要はない」と、iPhone生産を中国からアメリカに戻せと要求している。こうしたトランプ大統領の発言が、失業して貧困層になっている人々に投票させる誘因になっている。 トランプ大統領は、それ以前にもフォードやハーレーダビッドソンに「工場(雇用)を国外に移すな」と怒ってみせている。 こうしたトランプ大統領の反グロ-バルな「一国主義」は、大統領選挙マーケティングでは勝利を呼ぶ決め手であることは前回で証明済みだ。資本には国境が存在せずグローバルに動いていくが、選挙の投票権はあくまで国境の内側にある。選挙の票は「ローカル」であり、トランプ大統領はそこを外さない。米ホワイトハウスで新型コロナウイルスの対策について記者会見するトランプ大統領=2020年3月(UPI=共同) トランプ大統領のフォード、ハーレー、アップルに対する「工場を国外に移すな」「工場をアメリカに戻せ」というのはアメリカ国内の雇用確保・雇用増への主張である。無理は承知でも、票はローカルであり、有効なメッセージになりうる。米国で深刻化する格差 だが、本来でいえばトランプ大統領(国)がアップルなど民間資本(企業)に口出しするのはルール違反といえる。もともとのアメリカ資本主義の原理原則でいえば、国が民間を統制するものになり、これらは社会主義のレッテルが貼られかねない言動にほかならない。中世、君主(国)が民間に口を出したり手を出したりという人治を嫌悪して、そこから抜け出してきた市民革命の歴史もある。トランプ大統領のケースは、法律によらず、王権のように気ままに民間に口出ししている。 アメリカは資本主義のいわば総本山であるという矜持(きょうじ)が強かった。大統領(国)が民間にいささかでも口出しをすることは一線を超えるものであるとされてきた。それほど敏感な問題だったが、そのアメリカで「社会主義ノスタルジー」、あるいは「社会主義シンドローム」が当たり前に起こっている。トランプ大統領は“何でもあり”にしたわけだ。その背景には「貧富の格差」があり、アメリカでも背に腹は代えられないという現象が起こっている。 民主党の大統領候補を争っているバーニー・サンダース上院議員は、トランプ大統領がアメリカの「貧富の格差」を拡大していると批判している。自らを「民主社会主義者」として、富裕層に重所得税を課して恩典の大半を剥奪し、公立大学の無償化、公的医療保険設立など社会的再配分を行うとしている。 だが、サンダース氏は、「グローバリゼーション」がアメリカ製造業から雇用を失わせたとして環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)には強く反対した経過がある。前回の大統領選挙では、「グローバリゼーション」に肯定的なヒラリー・クリントン氏より、反グローバルを主張する共和党のトランプ氏の方が“現実志向でまし”と評価していた面がある。 サンダース氏は、反グローバルで「一国主義」であることはトランプ大統領とほとんど変わらない。中国の覇権主義を強く警戒しているのも変わるところがない。「一国主義」で海外での戦争などに手を出すことには消極的である。むしろ海外から兵を帰還させる方には傾いている。根底の問題意識はトランプ大統領とかなり通底しているところがある。 アメリカで「民主社会主義者」が大統領候補に名乗りを上げるのは異例のことだ。これもアメリカの貧富の格差が生んだ「社会主義ノスタルジー」、はたまた「社会主義シンドローム」といえる現象である。アメリカの大統領、あるいは大統領候補も誰であれ「乱世の梟雄(きょうゆう)」だ。トランプ大統領もサンダース氏もその最たるもので「グローバリゼーション」が生み出した「乱世の梟雄」にほかならない。 トランプ大統領もサンダース氏もアメリカの「貧富の格差」を俎上に上げている。いわば右と左の両極サイドから「右か左か」ではなく、「上か下か」という問題を提起している。 ひと言だけ触れれば、仮に「サンダース大統領」が実現すれば、アメリカから「資本の逃避」が本格化することは確実である。資本は祖国の国境を容易に越えて、資本の本領ともいうべき行動に出るに違いない。反グローバルで票を獲得できても、従来とは異なる「グローバリゼーション」をさらに拡大する結果を呼び込みかねない。米アイオワ州の集会で支持を訴えるサンダース上院議員=2020年2月(上塚真由撮影) 資本が逃げれば、「上か下か」という貧富の格差を解決する“原資”というべきものを失うことになりかねない。サンダース氏の「社会主義ノスタルジー」現象にはそうしたアイロニー(皮肉)が内包されている。韓国で進む「社会主義」政策 お隣の韓国の文在寅大統領は、社会主義経済政策を連発している。文大統領は、映画『パラサイト』にみられる韓国の極端なほどの「貧富の格差」を解決するということを基本政策として登場している。 3年連続で16%以上の最低賃金アップすると公約して、これはさすがにすべてを実現できずに頓挫しているが、労働時間の大幅短縮、法人税増税などを行っている。文大統領の社会主義政策はサムスン電子などを筆頭に資本(企業)サイドには、大幅な人件費増などをもたらす結果となっている。資本サイドは人件費コスト急増から、当然なことに新しい正規雇用には二の足を踏み、それどころか資本の逃避現象を呼び起こしている。 労働組合など守られた既得権を持つ労働者層には恩恵を与えたが、トータルでは若者の失業者を実体上増大させ、中小企業・個人商店の廃業、資本の海外逃避など「ヘルコリア」を増幅している。 「不平等解消を最高の国政目標にしているが、反対も多く、すぐに成果が現れないので歯がゆい」。文大統領は、『パラサイト』のポン・ジュノ監督らとの昼食会で、韓国の「貧富の格差」が解決していないことを認めて「歯がゆい」と嘆いてみせている。韓国が社会主義経済を実行しているのは大変な実験といえる。 だが、文在寅大統領の過去3年にわたる在職は、韓国の「貧富の格差」をなんら解決できないどころか、むしろそれを増大させている。『パラサイト』はその断面を描いており、これこそ「社会主義ノスタルジー」、いや「社会主義シンドローム」といえるかもしれない。 最後に日本だが、160兆円の年金を運用する「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が民間資本の株式を購入している。これは国が民間資本の株主になるということであり、「超」が付きかねない「社会主義ノスタルジー」「社会主義シンドローム」にほかならない。 やってしまったことは後戻りができないし、マーケットへの衝撃面から辞めることもできない。日本の「社会主義ノスタルジー」はガラパゴスといえばガラパゴス系の進展といえるかもしれない。 「グローバリゼーション」は、日本にも「貧富の格差」拡大傾向をもたらしているのは間違いないが、世界のように「貧富の格差」の極大化は避けられている。「貧富の格差」というファクターとの直接的な関係性はまだみられない。GPIFの株式運用は、これはこれで必要があってこうなっているのだろうが、独自な「社会主義ノスタルジー」「社会主義シンドローム」の道を歩んでいる。年金積立金管理運用独立行政法人=東京都港区 日本のケースは、以前から緩やかな社会主義の優等生といえる面があり、それを自覚していないという特徴があるようだ。中国のように共産党独裁体制ではないわけだが、中央官庁が各業界を監督する一種の“社会主義市場経済”が根付いている面がみられる。GPIFの株式運用も自覚したものではないと推定されるが、資本主義としてはかなり異形であるかもしれない。 ちなみにアメリカは各州ベースの年金ファンドはいまでは株式の運用を組み入れている。低金利の国債運用で、利回りが低下しているためだ。 だが、国の二つの年金ファンドは株式運用には頑として手を染めていない。市場流通性のない「特別国債」、すなわち特別財務省証券で運用されている。国の年金ファンドが、かりそめにも民間企業の株式を運用に組み込んで大株主になれば、それこそ“社会主義統制”に映るからである。 アメリカの国の年金ファンドが、株式運用に手を出していないのはアメリカ資本主義の矜持といわなければならない。ただし、先は分からない。というのも、米連邦準備制度理事会(FRB)が、新型コロナウイルスへの緊急経済対策でリーマンショック時と同様にゼロ金利政策を再採用したからだ。 仮にゼロ金利政策が長期に及ぶことにでもなれば、国の年金ファンドは利回り低下から今の年金給付を維持できない苦境に陥る可能性がある。アメリカ資本主義の矜持も風前の灯火になりかねない状況に直面している。「社会主義ノスタルジー」の亡霊たちはそこまで押し寄せているのである。

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    ネットデマはもううんざり、新型肺炎で発揮できるマスメディアの本領

    だと、専門家の見解を追認したにとどまりました。イベントの自粛も地方自治体や民間企業に判断を丸投げし、政治的な責任逃れに走ったのです。 民間では、大手広告代理店の電通が感染者の出た本社ビル勤務のおよそ5千人全員を在宅勤務にし、この日、日経平均株価は一時千円を超える下げ幅となりました。マスメディアの真の役割 翌日になって安倍晋三首相は、大規模なイベントに対して中止、延期、規模の縮小など2週間に渡る自粛の他、27日に全国の小中高の一斉休校を要請しましたが、後追い感が否めません。おそらく国際オリンピック委員会(IOC)の委員から、オリンピックを中止するかどうかを決めるのは、5月下旬までとの見解が出され、あわてて決めたように感じます。  私はマスメディアの役割として、正確な事実関係の公開、具体策を伴った注意喚起、ニュースとしてのバランスの確保を挙げましたが、それは無用な不安をあおったり、風評被害を起こしたりすることのないよう、十分に配慮されるべきであることも意味しています。 しかし、安倍政権の対策が遅きに失したり、PCR検査に消極的で感染者数に隠蔽工作を行ったりして、結果として世界各国からの信頼を失うようなことが起きれば、オリンピックどころではありません。  しっかり現政権を監視して、新型コロナウイルスに対する政策に抜かりがないのか、徹底的に検証し、責任を追及していくことが、マスメディアの重要な使命です。 現政権の責任を徹底的に追及するのは、野党の仕事だと勘違いをしている人もいるかもしれません。それは間違いです。少なくとも現政権を常に監視し、その実態を正しく国民に知らしめるところまでは、公正中立たるマスメディアの大切な任務です。その任務を果たさずして、公共の電波を独占することは許されません。 最後に忘れられがちな役割が、ニュースとしてのバランスの確保です。ウェブサイトを見ると、今日の時点でNHKのニュースサイトは、アクセスランキング1~5位まで、すべて新型コロナウイルス関連のニュースで埋め尽くされていました。 まるで他には何もニュースがなかったかのようです。ネット上ではこのような現象がしばしば起こりますが、テレビや新聞などのマスメディアがそれでは困ります。幸いテレビでは国会中継があるので、私はそれを見ています。 この時期には、国会の最大の山場である予算委員会が開かれています。「桜を見る会」問題、検察庁トップの人事問題、そして今回のウイルス対策費が総額153億円で十分なのか。まさに議論されています。新型コロナウイルス騒ぎがなければ、検察人事などおそらくトップニュースとして、上位にランキングされて目立っていたことでしょう。参院予算委員会で立憲民主党の福山哲郎幹事長(右)の質問に答える安倍晋三首相=2020年3月、国会(春名中撮影) いくら国民の関心が離れていたとしても、常に鋭い目で重要な政治の動きについては報道する姿勢を、マスメディアには持ち続けてもらいたいものです。今、問われているのは安倍首相の危機管理能力であり、世界が注目しているのは、安倍首相の一挙手一投足なのです。

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    新型コロナ禍で正念場の日本、米国に学ぶべき非常事態時の「覚悟」

    拡大をめぐる政府の対応に注目が集まっている。「平時」でなく「非常時」に際し、どのような決断をするか、政治の真価が問われる瞬間である。 もっとも、一口に「非常時」と言っても、ある出来事が発生したとき、それが非常時であるのか否か、非常時だとしてもどの程度の非常時であるのか、判断の難しい場合の方が圧倒的に多い。そうした状況の中、政治は決断を迫られる。 さらに、政治の決断には、薬の副作用同様、種々の不都合の発生が予想され、場合によってはマイナス面がプラス面を上回ることさえある。こうした利害得失を十分勘案した上で、政治家は、決断をし、あるいは決断しない選択をするが、その結果には全責任を負う。その覚悟なき者は政治に携わるべきではないだろう。  アメリカで2001年9月11日(9・11)に米同時多発テロが起きたとき、筆者はボストンに滞在していた。ニューヨークのワールドトレードセンターに2機のハイジャックされた旅客機が、さらにワシントンのペンタゴンに(米国防総省)3機目が突入した。 その直後、アメリカ政府は、アメリカ大陸の上空を飛ぶ全ての飛行機に対し強制着陸の命令を出した。警告しても、それに従わない飛行機はハイジャック機と見なすと宣言した。 これは、究極の場面では撃墜する許可が空軍に出され、全ての飛行機ということは旅客機も含まれていることが想像された。ハワイもアラスカも含め全ての国境と空港が瞬時に閉鎖された。 20年も前のことであるが、その瞬間、背筋が寒くなったことを鮮明に覚えている。アメリカで生活したことのある人は知っているであろうが、日本のように都市間を結ぶ鉄道は発達していない。移動は飛行機が主である。ボストンとニューヨーク、ニューヨークとワシントン、ビジネスに携わる人は、まるでバスに乗るように飛行機で往来している。それが全て止まるということである。 あらゆる商談はキャンセルされ、命に関わる緊急の血液や臓器、薬品や医師の移動もできなくなる可能性がある。アメリカの全ての日常が止まることを覚悟しなければならない。アメリカ国家全体への攻撃と捉え、政治が全責任を背負い、重い決断を即座に行った瞬間であった。その決断は、国家の危機であることを全国民に明確なメッセージとして伝えた瞬間でもあり、そのことは外国人である筆者にも容易に理解できた。 日本のメディアは、小学校の児童を前にしたジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)が側近から一報を聞き、呆然自失の表情をした顔のアップを繰り返し茶の間に伝え続けた。危機にうろたえる無能な政治指導者として。米同時多発テロに関するブッシュ大統領の演説を街頭テレビで見るカップル=2001年9月、米ニューヨークのタイムズ・スクエア(大井田裕撮影) その一方で、非情とも言える政治の決断が瞬時に行われた事実とその意味することについてはほとんど注目しなかった。求められる政治決断 アメリカに滞在しながら、霞が関ビルに、続けて国会議事堂に飛行機が突入する事態になったとき、日本の政治は、このような徹底した決断を瞬時にできるだろうかと自問自答した。ニューヨークとワシントンが標的になったので、強制着陸は東海岸の領空に限定してもよかったはずである。しかし、アメリカ政府は、瞬時に全土を閉鎖した。見事な危機対応であった。 誤解を恐れずに言えば、アメリカは「大雑把(おおざっぱ)」な文化を持つ社会である。仕事の正確さ、細部にまで手を抜かない文化に慣れた日本人にとり、慣れるまでストレスを感じる社会である。 サラダボウルと形容されるように、人種、民族、宗教が多種多様で、日本のような細部にまでこだわる正確さを求めると四六時中摩擦が発生するので、ある程度「大雑把」な方が社会はうまく回る。生活しているうちに、変な合点をするようになった。 スーパーで買うタブレット型の薬や、薬局で調剤され容器に入った薬、押してもなかなか出てこず、ふたを開けるのに難儀な薬の容器、「大雑把」なアメリカの製造技術の拙劣さと最初は誤解していた。 しかし、それは幼児による薬の誤飲を防ぐための措置であった。大国でありながら貧者がまともな医療を受けることができぬアメリカではあるが、「国民の命」を守ることにおいて周到な準備と配慮を怠らず、それを徹底している一面がある。そのためなら大胆ともいえる政治決断をためらうことなく行う国でもある。 新型コロナウイルスに対する日本政府の対応を見ていて、9・11のテロに際してのアメリカ政府の決断を想起せざるを得なかった。今回の出来事を9・11に準(なぞら)えるのは大げさ過ぎる、同列に扱うのは不適当との意見は当然あるだろう。 しかし、両者は、非常時に際し「国民の命」を守るため、全ての責任を背負った政治決断が求められている点では同じである。日本はいかなる準備と覚悟を持っているのか、それが試されている。新型コロナウイルス対策本部の会合で発言する安倍晋三首相。左は加藤隆信厚労相=2020年2月、首相官邸 冒頭に述べた「覚悟」は、政権担当者はもとより、与党だけでなく野党政治家にも、国政だけではなく地方政治においても問われている。政治に携わる者は、その立場を越え、国や地方問わず肝に銘じておく必要がある。 対外関係を配慮し過ぎて、あるいは関係機関の調整と了解に傾注するあまり、あるいは揚げ足取りにしか見えない低劣な批判への対応に時間を奪われるあまり、然るべきときに、然るべき決断ができず、結果として弥縫(びぼう)策に終始する日本政治の弱点が露呈しないことを願うばかりである。

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    新型肺炎の陰で官邸が強行、黒川検事長「定年延長」という大悪事

    ることによって世論の攻撃を避け、その間に法務大臣を四代連続送り込んで検察人事を壟断(ろうだん)した。政治との関係に腐心する検察 その時代、走狗(そうく)となったのが根来泰周である。根来は、政界の闇将軍として君臨していた竹下に忠誠を誓い、法務省大臣官房長→刑事局長→事務次官→東京高検検事長と出世する。法務大臣の梶山静六、検事総長に上り詰める岡村泰孝とともに、「KONトリオ」と呼ばれ、法務検察に一大派閥を築く。 このような様子を法務検察の本流の人々は苦々しく思っていたが、好機が到来する。竹下派が分裂、一時的に野党に転落するのだ。この機を逃さず、竹下すら一目置く後藤田正晴が法相に就任、本流の吉永祐介を岡村に代えて検事総長に据える。このとき、根来の定年前に吉永が検察を辞めて総長の地位を譲るとの密約があったとのことだが、そんなものはなかったことになっている。吉永は定年まで居座り、根来を退職に追い込んだ。 このように法務検察は、常に政治との関係に腐心している。そして検察が政治の中心に現れるときは、必ず乱世なのだ。 なお、竹下死後に旧竹下派が没落した後、小泉純一郎の系統の人々が政権を独占するようになり、検察とも蜜月も築いてきて今に至る。小泉の後継者の安倍晋三も検察と良好な関係だったはずだが、第二次安倍内閣以降の7年は一筋縄ではいっていない。首相の安倍と官房長官の菅義偉が、法務検察に人事介入を繰り返してきたからだ。 その主人公は2人。1人が林真琴。もう1人が黒川弘務である。2人とも、昭和32年生まれ、司法研修所も35期のまったくの同期である。林は早くから出世街道を歩み、「プリンス」と目されてきた。 ここに、長期政権を築いた安倍・菅ラインが待ったをかける。実に三度も、林の昇進を阻止したのだ。 1回目は2016年8月、法務検察の総意は林の事務次官昇進だったが、安倍・菅は待ったをかけた。代わりに黒川を据える。林は法務省刑事局長に据え置かれた。1年後に林に譲るとの密約が官邸と法務検察の間にあったとされるが、検証のしようがない。 2回目は1年後の2017年8月、今度こそ林の事務次官昇格がなされると、法務検察は考えた。しかし、黒川が次官に留任した。もし前年に密約があったとしたら、安倍・菅は反故にしたことになる。法務検察は局長級の異動を見合わせ、林の次官昇進に備えた。だが、2018年1月、林は名古屋高検検事長に飛ばされた。かくして、林は三度にわたり、昇進を阻止されたこととなる。検察長官会同に出席した黒川弘務東京高検検事長。左は林真琴名古屋高検検事長=2020年2月19日午前、法務省 一方の黒川は2019年1月、林を飛び越えて、法務検察ナンバー2の東京高検検事長に昇進する。黒川のたぐいまれな調整力を安倍・菅ラインが気に入り重用されたと評されるのが常だ。確かに、そうなのだろう。一方で、甘利明や小渕優子ら安倍内閣の閣僚が起こした事件を、その都度、黒川がもみ消した論功行賞ではないかと批判する人もいる。こちらの真相は分からないが、事実だとしたら由々しき事態ではある。カギとなる誕生日 だが、黒川は東京高検検事長で退官だろうと予想した検察ウォッチャーもいる。ここでカギとなるのが誕生日だ。 この時点で、検事総長は稲田伸夫(1956年8月14日生まれ)。東京高検検事長は黒川(1957年2月8日生まれ)、名古屋高検検事長は林(1957年7月30日)。稲田の定年のみ65歳で2021年8月までが任期である。黒川と林の定年は63歳なので、2020年までに検事総長にならなければ、退官するしかない。 検事総長の任期は2年が慣例化しているが、2020年2月7日までに稲田が譲ってくれなければ、黒川は総長になれない。稲田の総長就任は2018年7月だ。法務検察に詳しい人々は、これこそ官邸に対する意趣返しだと気づいていた。稲田が黒川に譲るには、1年半で総長を辞めなければならない。稲田にそんなことをする理由はない。しかも安倍内閣は、2019年7月の参議院選挙に勝利したあたりから、ほころびが目立ち始めた。 通常、自民党は参院選が終われば、即座に内閣改造を行う。選挙の論功行賞の意味も兼ねてだ。ところが、このときは9月上旬にまで、ずれ込んだ。なお、この改造でIR(カジノを中心とした統合型リゾート施設)担当副大臣だった秋元司は、政府を去っている。9月下旬には臨時国会が始まり、「桜を見る会」を安倍が私物化したとして、野党に追及され通しだった。 さらに、経産大臣だった菅原一秀と法務大臣だった河井克行が、公職選挙法違反の疑惑により、更迭に追い込まれた。そして、12月に臨時国会が閉幕するや即日、東京地検特捜部は秋元の家宅捜査を開始した。IR疑獄の始まりである。同時に広島地検は、河井を、妻で参院議員の案里とともに疑惑の対象として、捜査を開始する。 秋元は12月に逮捕されるのだが、まるで選挙と国会が終わるのを待っていたかのようだ。次々と5人の国会議員の名が上がり、他にも「12人リスト」と呼ばれる、IR関係の議員の名簿が永田町ではバラまかれていた。また、官房長官である菅側近の2人の大臣の更迭、そして河井夫妻への捜査は、それまで人事介入され続けた検察の報復のようである。 憲政史上最長総理の勢いはどこへやら、安倍内閣は一気に窮地に立たされた。そして、官邸の「守護神」と目される黒川は、定年で居なくなる。 検事総長の稲田は、2月7日までに黒川に譲る気配など、かけらも見せない。官邸は圧力をかけたが、稲田が頑として抵抗したとも伝わる。2月5日には、黒川の送別会まで予定されていたとか。長年、黒川と林の競争を追ってきた検察ウォッチャーは感慨を漏らしていた。「黒川さんも、ここまでか」と。最高検、東京高検、東京地検が入る中央合同庁舎6号館A棟=東京都千代田区(大西史朗撮影) ところが、1月30日。突如として、黒川の定年を半年延長するとの閣議決定がなされた。黒川が重大事案を継続中との理由だが、子供だましにもなっていない。検察には検察官一体の原則があり、重大事案では担当検事から検事総長まですべての合意がなければ、組織として動かない。何のための検察庁法か なぜならば、検察は属人性を排する組織だからだ。担当検事によって、事件の扱いが違うのでは困るので、このような原則が存在するのだ。黒川にしかできない仕事とは何か? 逆に、そんなものが存在することこそ、検察の組織崩壊ではないか。のみならず、日本の司法制度の崩壊である。 安倍内閣が、黒川の定年を延長した根拠法は、国家公務員法である。確かに、国家公務員法では1年まで定年を延長できる。だが、それでは何のために検察庁法で、検事総長と検事の定年を定めたのだ。 森雅子法務大臣は「検察庁法に規定がないので、国家公務員法の規定により、云々」と国会でも繰り返した。森は弁護士出身なので、死ぬほど恥ずかしかっただろう。自民党議員としては、お世辞にも実力者と言えないので、言われるままに黒川の定年を請議しただけなのかもしれない。 自分の言っていることの間違いを誰よりも自覚しているのが、森なのは、国会での表情を見ていれば分かる。常に答弁がしどろもどろで、目が泳いでいる。まさか、「一般法は特別法に優先する」と言わねばならない日が来るとは思わなかっただろう。「特別法は一般法に優先する」とは原則であり例外もあるが、この場合に適用できる例外ではない。 野党は、国家公務員法制定当時の答弁を持ち出し、そのときに「政府は検事と大学教員には定年延長を適用せずと明言しているではないか」と攻め立てた。森は壊れたテープレコーダーのように同じことを繰り返すだけだし、菅に至っては、日本語の答弁になっていない。結局、安倍は「解釈を変更した」と、あっさり認めた。 安倍も自分の言っていることの重大性を分かっていないのだろう。同じことを民主党が政権を取ったときにしてもよいのだろうか。 この答弁に関し、人事院は「従来の解釈を変更していない」と法務省と政権の行動を真っ向から否定し、内閣法制局は「解釈は現用官庁に任されている」と原則論で突き放す。森は「事前に人事院と法制局に相談した」と明言していただけに、人事院に後ろから弾を撃たれ、法制局にはしごを外された格好だ。 では、今後どうなるか? と考えること自体が、間違いである。なぜなら、既に死闘が始まっているからだ。 黒川の定年延長が閣議決定された直後の2月3日、IR事件の捜査終結の報道が一斉に流れた。秋元一人を起訴し、他はお咎めなしにするとのことである。記者会見する衆院議員の秋元司被告=2020年2月14日、東京都千代田区(納冨康撮影) それどころか、その秋元が異例の保釈を認められた。勾留49日である。本来は推定無罪の原則があり、勾留が延長を重ねて49日も続くなど、文明国の所業ではない。自白するまで勾留する「人質司法」には、批判が強かった。裁判所は検察の言いなりではないか、司法府が行政府に都合がよい運用をして無実かもしれない国民の自由を奪うなど何事か、と。検察の悪夢再び? 作家の佐藤優氏は、検察の取り調べに対し否認を続け、自白を拒み、徹底抗戦した。結果、勾留は512日に及んだほどだ。ところが裁判所は、検察が起訴した後も否認を続けている被告人の保釈を認めた。検察は不服を申し立てたが、歯牙にもかけなかった。 なぜ裁判所が急に文明的に、物分かりがよくなったのか。検察が起訴後の有罪率は実に99・9%。裁判官は3人しかいないが、検察は重大事件では組織を挙げて戦う。その検察が捜査し、自信を持って起訴した事件に無罪を下すには、かなりの勇気がいる。だが、その検察が割れているとしたら? 裁判所は、今の検察を舐めているのである。少なくとも、黒川の定年延長で、一気に優勢に持ち込んだ。河井事件の捜査も、現場は及び腰になったと伝わる。 このまま河井事件も不起訴、IR事件も幕引き、まして「秋元無罪」になったら、検察にとって悪夢である。事はもはや、黒川と林の出世競争ではなくなった。安倍内閣と法務検察の存亡をかけた戦いなのだ。 法務検察は明治以来、政治との苦闘の歴史を経験している。特に、1954年の造船疑獄では、自由党幹事長だった佐藤栄作の逮捕許諾請求を、時の吉田茂政権の指揮権発動によって阻止された悪夢がある。これ以後20年間、大物政治家の捜査すら存在しない。検察が悪夢を振り払うのは、1976年のロッキード事件での田中角栄逮捕まで待たねばならない。それだけは避けたい。 では、検察に残された手段は何か? 安倍内閣の倒閣しかない。現在、この問題を熱心に扱っているのは、冒頭でも触れたが、朝日新聞グループの媒体とTBSだけである。彼らリベラル勢力の偏向報道は、圧倒的多数の国民からあきれられている。通常ならば、相手にされないだろう。 だが、今回ばかりは朝日やTBSの報道は、取材が行き届き、解説も的確だ。これは、不思議でも何でもない。検察OBが背後についているからに決まっている。現に、リベラル媒体以外でも、検察OBは論陣を張り、安倍内閣の非を鳴らしている。衆院予算委員会集中審議で答弁する安倍晋三首相=2020年2月17日(春名中撮影) 検察はOBの発言力が強く、特に歴代検事総長の影響力は大きい。黒川の定年延長により検察は総崩れ寸前だが、戦いで最も死人が出るのは大勢が決してから追撃戦に移るときである。今が、形勢が大きく動くときであり、有利な側も確実に仕留めなければ、一瞬で頓死する怖い局面である。 安倍内閣の不支持率も高まってきた。世は「武漢肺炎」一色だが、世の中の視線が一カ所に集中しているときほど、大きなことが起きているのである。(文中敬称略)

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    有本嘉代子さん逝去、山積みの「期待」を安倍首相は裏切るのか

    2千人を幸せにしたかもしれないが、2千万人は不幸にしたのではないだろうか。 洋の東西を問わず、どうせ政治家は、歴史の前では使い捨てられる運命にある。憲政史上最長の任期を更新し続ける安倍首相であっても、あまり時間が残されているとは言えない。 拉致被害者の救出も、靖国(やすくに)神社の参拝も、北方領土も尖閣諸島も、国民がこれまで安倍首相に期待したことの大部分は積み残されたままだ。だから、この際は自分が暗殺されると思って、やり残したことをやってもらいたい(ただし、私は安倍首相が事あるごとに強調している憲法改正はやらない方が良いと思っているが)。拉致被害者の有本恵子さんの母、嘉代子さんが逝去したことを受け、記者団の質問に答える安倍晋三首相=2020年2月6日(春名中撮影) そのためには、日本国民も「安倍さんを守らなければ」という無責任な声援ではなく、厳しい𠮟咤(しった)が必要になってくる。 今までのやり方では、拉致被害者を救出できないことはもう明らかだ。だから、これまで日本の中で隠してきたことを表に出さなければならない。 それは北朝鮮をどうこうする以上に難しい。しかし嘉代子さんをはじめ、拉致被害者(もちろん現在認定されていない人も含め)とその家族にいくばくかでも申し訳ないという思いがあるのであれば、自身の政治的生命のみならず、物理的生命も懸けてやり遂げる必要がある。そうでなければ、嘉代子さんも、そして安倍首相を心から信頼している明弘さんも裏切ることになる。

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    政策よりも「政局ありき」枝野幸男の意気地なし

    (統合型リゾート施設)疑獄」なのだ。実に気の抜けた政策 個人的には、IRに関連した中国系企業と日本の政治家の金銭的癒着は徹底的に暴くべき問題だと思っている。さらにいえば、中国共産党の日本に対する諜報(ちょうほう)活動や政治家、マスコミなどへの資金の流れを徹底的に暴いてもらいたい。だが「桜を見る会」問題は、最大野党が総力を挙げて取り組む話ではない。 枝野氏は野党合流などの政局の話題こそ豊富だが、政策については実に気の抜けたものになっている。日本の格差社会を是正するために、豊かさを公平にわかち合う政策が必要だという。 そして、消費増税については、今回の引き上げの弊害を指摘しながらも「減税」には言及せず、「私が総理になったら増税の議論はしないと約束します。実際に引き下げるかどうかは、その先の議論でしょう」とだけ答えている。 ちなみに、安倍首相も前回の参院選時に、自分の政権ではもう消費増税はしないことを公言していた。これを踏まえると、枝野氏の発言はせいぜい与党並みでしかない。消費増税の弊害を訴えながら、なぜ引き下げないのか、素朴に疑問である。 続いて安全保障面に移ろう。最近、ツイッターのハッシュタグに「#安倍首相退陣」というものがトレンド入りしていた。これは1月12日に行われた東京・新宿でのデモ活動に絡んだものだ。 デモでは、「桜を見る会」や改憲反対などに加え、「戦争に加担するな」というプラカードも目についたという。この「戦争に加担するな」というのは、最近の米国とイランの緊張の高まりを受けて、海上自衛隊の中東海域への派遣を批判するものだった。防衛省前で海上自衛隊の中東派遣に反対し、デモ行進する人たち=2020年1月11日、東京都新宿区 立憲民主党は、海自の艦艇派遣に反対を表明している。しかし、ホルムズ海峡を通過して今日も日本に向けて石油を積んだタンカーが行き来しているという現実がある。「選好の改ざん」 自衛隊派遣はもちろん「戦争に加担する」ためでもなければ、過剰なリスクを取りに行くものでもない。日本関係の船舶の安全を図るために、イランやサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)など周辺各国の理解と支援を確認して慎重に行っている。単に反対を叫んでいるだけでは、あまりに無責任ではないだろうか。 野党は「戦争の危機」だけを煽(あお)っているが、今回の米軍によるイラン・ソレイマニ司令官殺害とその後のイランの報復攻撃、そしてウクライナ機のイラン軍による誤射事件と、情勢がかなり劇的に変化していることは確かだ。 イランでは国内での反体制デモとでもいうべき動きが活発化している。もともと日常生活品にも困るほどの経済状況で、民衆の態度は制裁当事国である米国に対してよりも、最高指導者ハメネイ師を含む現体制の政治的無策に厳しくなっている。 米デューク大のティムール・クラン教授は現状のレジーム(体制)は極めて不安定化していて、レジームが覆る可能性が高まっていると指摘している。 クラン氏は、人々の認識バイアスを研究している経済学者だ。つい数日前までは、ソレイマニ司令官の葬儀に「数百万人」の群衆が参列し、米国への報復を誓っていた。しかし、いまやその光景がなかったかのように、今はソレイマニ司令官のポスターをはがしたり、火をつけたりする群衆の動画が拡散され、大規模デモまで起きている。 クラン氏は、このようなイラン国内の変化を欧米メディアは十分に把握できていないと指摘した。欧米のマスコミは自分の好み、つまり先入観をイランの民衆も抱いていると思い込んだのだ。これをクラン氏は「選好の改ざん」と名付けている。 もちろん日本でも、「イランvs米国」という自分たちの思い込みが、イランの民衆にも共有されている「真実」だとみなしている人たちが多い。要するに、イランの人たちの政治に対する選好を、自分たちに都合のいいように「改ざん」しているわけである。立憲民主党など野党勢力やマスコミの多くもそうだろう。ウクライナ機墜落の犠牲者の追悼が政府への抗議に変わり、反政府スローガンを叫ぶ人たち=2020年1月11日、イラン・テヘラン(ゲッティ=共同) もちろん、このような「選好の改ざん」が深刻なときは、情勢の変化を十分に把握することができないことになる。今のイラン国内の政治的分断を日本の政治家やマスコミがどれだけ理解できているか、単に自衛隊の派遣反対だけを訴えるのはあまりに皮相に思うのだが、どうだろうか。

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    「殺したのはオマエだ」滑稽なる三島由紀夫、50年目の実像

    風にして、映画や週刊誌といった当時の最先端メディアを巧みに利用した。そして、両者は競い合うようにして政治の世界に足を踏み入れた。 一方、美輪も価値紊乱者であった。美少年のバイセクシャルな歌手として、夜の銀座に名を轟(とどろ)かせ、また同性愛者ということも公言していた。やはり自身が同性愛者であることをほのめかすように『仮面の告白』や『禁色』といった小説を発表して話題をさらっていた三島は、美輪にぞっこんとなって、当時の「ゲイボーイ」の美少年が集まるクラブで逢瀬(おうせ)を楽しんだという。 このクラブのバーテンダーだった、まだ世に出る前の野坂昭如は、当時の三島を「末成(うらな)りの瓢箪(ひょうたん)」「額ばかり目立つ虚弱児そのもの」だったと回顧している(野坂はこのクラブで客からの男色の誘いを断りながら、10日勤めて辞めている。後年、野坂もまた、この期に三島、石原と続く、戦後民主主義の価値紊乱者の一人として人気作家となり、メディアのトリックスターとして君臨し、そして後には政治の世界に足を踏み入れることになる)。舞台「黒蜥蜴」の脚本を担当した作家・三島由紀夫(中央)を囲み、歓談する(左から)天知茂、主演の丸山明宏(美輪明宏)、広瀬みさ、戸部夕子=1968年3月11日、東京・高輪の光輪閣 石原が「三島を殺したのはオマエだ」というのは、それなりに当たっているのかもしれない。その一つは、三島の虚弱体質にあからさまな嘲笑を浴びせていたことだ。 あるとき、三島とダンスをしようとクラブのフロアで体を絡めた際、三島の腰に手をまわした美輪は、豪勢なスーツの下に貧弱な体が包まれていることを大げさに言い立てて、「スーツの中のどこに三島さんはいるの?」と笑ったそうだ。三島はそれでショックを受けたようだ。そのままクラブから帰ってしまい、しばらく美輪のもとに現れなかったという。石原慎太郎の批評 三島由紀夫の評論や回想録で異彩を放つものに、石原慎太郎の『三島由紀夫の日蝕』(新潮社 1991年)がある。 雑誌「新潮」に初出掲載時、サブタイトルには「その栄光と陶酔の虚構」とつけられていた。これが発表されたのは出版に先立つ1990年。三島の没後20年の三島の特集号で、今から30年前の話となる。 三島は本人いわく、昭和32年の頃から内なる芸術至上主義と決別したという。ボディービルで鍛錬した肉体を誇示するようにしながら、文武両道を称揚し、ボクシングや剣道や居合抜きなどを始めたのはこの頃だ。そして、周りには自分のことを知りたいなら、そのときの経験を記した自伝的評論『太陽と鉄』を読めと自薦していたという。 肉体による自意識の超克を楽観的に夢想し、そこに生の謳歌(おうか)を語る形而上学的かつ難解な論理が続く『太陽と鉄』に、私は初めて読んだときから困惑し続けている。貧弱な肉体を意識していた三島が、あるときにこれを自ら意識的にコントロールすることに舵(かじ)を切って、己の文学の足場を移動したということは確かに分かる。しかし、逆に何も変わっていないのではないかという疑問も私にはある。壮麗な論理に見えて、実は陳腐な独りよがりを言っているだけなのではないか。 そこを痛烈についたのが石原である。『三島由紀夫の日蝕』で、石原はその『太陽と鉄』を「大仰な嘘」「うさん臭い自己告白」「怪しげなアッピール」と徹底的に揶揄(やゆ)し否定した。理由はある。それは石原が三島の肉体オンチぶりを間近に見てきたからだ。 三島のボクシングのスパーリングでは、子供のようなストレートしか打てず、フックを打つようにアドバイスしても、「フックはまだ習っていない」と弱音を吐かれ、コーチはため息をつく。プールでクロールを習ってもうまく泳げない。 剣道では「面」の掛け声と動作がちぐはぐで、竹刀を振り下ろし続けるうちに、声と動作がますますずれていく。三島本人は剣道五段を自称していたが、これはよくある有名人へのサービス認定の段位で、せいぜい二級か三級程度の実力。どういうわけか、三島は手首をうまく返り返すことができないため、もともと剣道には向かないのだ。さらに真剣を使う居合抜きまで習うが、得意になって披露しようとすれば、振り上げた刃が鴨居(かもい)に突き刺さってしまい、慌てて抜こうとして力加減を間違い、自慢の銘刀の刃先をこぼれさせてしまう。 肉体と官能の優位性と暴走、その残酷さと対峙することを己の文学のテーマとしてきた石原慎太郎は、その作品の値打ちを裏書きするように、自らがスポーツマンであることを誇ってやまなかった。だから、三島の『太陽と鉄』の「陶酔」が「虚構」であると容赦なく言い放つのは当然のことなのだろう。ボクシングの観戦に訪れた三島由紀夫=1964年10月11日、文京区の後楽園アイスパレス 三島はボディービルで肉体を鍛えあげた。しかし、石原はボディービル自体を、何かの目的がない観賞だけのためにあるものとして、素晴らしい身体とは何かの行為を目的として鍛錬されるもので、ことさら誇るためのものではないという。その肉体はいわば虚構ということだ。そして、それは三島の死にしてもそうだった。徹頭徹尾、ナルシシズムが根底にある意識的なもので、目的性とは遊離して発現したのがあの事件だった。三島の壮大なトリック 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に三島の私兵集団である「楯の会」のメンバーとともに乱入し、将官を拘束したうえで、三島と一人の若者が割腹自殺を遂げた1970年の事件は、本来、何か得体のしれない思想に取りつかれた狂人の愚行に過ぎず、週刊誌…現在ならばネットの記事で数日ばかり注目されて、それから何事もなかったかのように忘れさられていく類いのものだ。背後に大きな政治勢力もなく、被害も結果的にはさしたるものはなく、首謀者はその場で自殺するという自己完結した事件である。 この事件が複雑であり、またいまだに語り継がれるのは、彼が当時、当代随一の作家であり、そしてこの凶行に至るまで、壮麗な迷宮のような文学作品をいくつも残し続け、それが結果的に犯行声明となる仕掛けが施されているからだ。 あの事件からおよそ50年経過した今、私はこの事件を全くのペテンで、ナルシシズムに彩られた「手の込んだ自殺」として受け取るのが、差しあたり正しいと思う。 戦争中の死が身近に迫った世界の荒廃に、退廃と夭折(ようせつ)の美学を見いだした戦中派の青年は、戦後に絶望し続けてきたという。しかし、その戦中派の青年すらも、その疎外と孤独を逆転させ、虚構を作り出してきたのではないか。そしてそれを楽しんできたのも本人なのではないか。 三島の生涯は、反動的で人にさげすまれ、軽蔑される存在を一貫して目指していた。三島が作品の中で描き、自らも没入していった被虐趣味と性的倒錯と死。それが忌まわしいものだからこそ崇高な価値を帯びるという逆説を三島は体現し続けてきた。背徳者として後ろ指をさされることを三島は選び、それを演じ続けていた。 三島の出世作『仮面の告白』の主人公の「私」は、殺される王子を夢見、女流奇術師のいで立ちをマネしてはしゃぎ、矢が突き刺さった青年の半死の裸体を見て自慰を始める。 そして三島の最後は「おもちゃの兵隊」と揶揄(やゆ)された、西武百貨店でデザイナーに特注した豪華な軍服に身を包み、自らの私兵集団の王子として、自分の体に刃を突きたてた。こうして、三島の生涯は完璧に作品に一致することになる。現実と虚構が重なり、そして一体のものとて錯視できる。三島が目論んだものはこれなのだ。 だから、天皇論や右翼的な思想なぞはそのために必要とされる舞台回しで、メルヘンにしかすぎない。『太陽と鉄』以上に、虚構が破綻し、支離滅裂とも言える天皇崇拝のステートメントである『文化防衛論』は、現代の右翼勢力でも取り扱いに困惑し、棚上げせざるを得ない状態になっている。石原が嘲笑した、三島の剣道の掛け声のようなものだ。その思想を語れば語るほど現実から三島は乖離していった。 その三島のふるまいを滑稽だと笑うこともできる。虚構だということもできる。しかし、滑稽や虚構は、それだからこそ崇拝されるということもある。それを三島は正しく計算していた。 三島事件は、芸術としてつくられた事件で、「文学的な政治」の極地であった。私たちは、ここから政治的な何かを受け取る必要もない。人生そのものを作品としてしまった壮大なトリックにただ圧倒されればよい。三島の芸当を模倣してはいけないし、それに続くものもいないだろう。ただその孤独の異様さに崇高の念を抱くだけでよいのである。三島由紀夫=1969年4月27日 追記:「三島を殺したのはオマエだ」と石原慎太郎が喰ってかかったのは、美輪明宏が肉体的虚弱をからかって、後の異様な肉体ナルシシズムへの道を開いたことと、もう一つある。それは、ある時美輪が三島に霊がついていると脅したことだ。その霊の顔が見えるという美輪に、三島はどんな顔だと尋ねると、軍服を着ているという。それを美輪は、天皇に弓引いた逆賊とされ刑死した2・26事件の首謀者の一人、磯部浅一と告げた。三島事件の前年のことである。(文中敬称略)

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    三島由紀夫、没後50年目の「遺言」

    作家、三島由紀夫が割腹自殺したのは1970年。そして2020年、あの衝撃的な事件から50年目を迎えた。三島の作品や思想は良くも悪くも世代を超え、多大な影響を与えてきたが、半世紀前、しきりに憂いた現代の日本を彼はどう見ているだろうか。今回は「三島事件」を歴史として捉える識者らが、彼の「遺言」を再考する。

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    憲法の将来、それは三島由紀夫の「視座」こそが教えてくれる

    三浦瑠麗(国際政治学者) 日米安保条約は、敗戦国日本にとって最大の国論を二分する論点だった。その時代は終わりを告げつつある。三島由紀夫はかつて、こう言っている。 ぼくは自民党の福田赳夫氏にもいったんだが、マイホーム主義者・自民党支持者イコール安保条約支持者と考えるのは間違いだ。両者の間には安保に対する大変な許容量の差がある、そこをよく考えないと自民党は必ず失敗するとね。『文藝春秋』昭和44年1月号 三島は自裁したことからして、暗く思い詰めたイメージを抱かれがちだ。しかし、彼がこの『文藝春秋』や『ポケットパンチOh!』などで語ったり書いたりするときの政治の捉え方はもっと落ち着いていて、普遍的に物事を捉えている感じがする。 今、没後50年を迎える三島の言葉を振り返ったとき、2020年の日本はずいぶんとそのころから変化したのだということがよく分かる。 三島が上記の分析をした1969年は、確かに国民の多くが日米安保に対する抵抗心を持っていたのかもしれない。しかし、現在の自民党の中でも保守寄りの安倍晋三政権は、そのようなナショナリズムによる日米安保への抵抗感というものを持ってはいないし、私の行ってきた世論調査から見ても、世代交代とともに早晩そのような抵抗感は消え去る運命にある。 日米安保が国民を分断し続けるのはせいぜいあと10年から20年であり、その後の日本は数多くの先進国と同じように、内向きかグローバリゼーション寄りかという分断、あるいは社会的な価値観をめぐる分断に寄っていくだろうというのが私の見立てだ。作家の三島由紀夫=1970年1月撮影 三島は、日米安保による安全と独立をめぐるジレンマを、「国連警察予備軍」および「国土防衛軍」の創設と両者の厳密な切り離しを通じて解消しようと試みた。当時の日本社会にとって、米軍の要請によって創設された警察予備隊を前身とする自衛隊が、国内の暴動やデモの鎮圧に使われるのかどうか、あるいは総理大臣ではなく米国の命に従ってしまったらどうするのかは重要な論点だったのであって、三島の懸念は杞憂に終わったが、もっともな点がなくもない。 もしも、日本の統治機関が外国勢力と繋がってしまっていたらどうするのか。この問いは、正面から問われたことはなかったが、当時の日本の知識人からすれば切実な問いであったに違いない。それは、長らく独立国家としてやってきた日本が敗戦国として直面した、自律性をめぐるアイデンティティーの問題だったからだ。 しかし、実際には米国は「正しい」政策志向を持つ帝国であったがために、幾つかの無体な要求はあったにせよ、自由主義や民主主義、人権の概念を強化する方向に働きかけこそすれ、日本はソ連や中国の傘下にあるよりはよほどましであったことには変わりはない。二つの重要な問題提起 三島が提起した国土防衛軍と国連警察予備軍の創設とのすみ分けは、二つの重要な問題提起を含んでいた。 一つは、日米安保という非対称な二国間同盟を、国連憲章のもとでの集団安全保障体制の下部構造として位置付けようとしたことだ。国連憲章が保証する自衛権の行使は、弱小国にとっては救いにならない場合が多い。 しかも、集団安全保障体制のもとで国連軍を形成し、侵略された弱小国の救援に向かった事例がほとんど存在しないことも確かであり、仮に実現したとしても時間がかかり、救援に駆け付けたときまでにはダメージは確定している可能性が高い。だからこそ、国連憲章は集団的自衛権を認めることによって、個別的自衛権による自衛の限界を超えた後の国連軍派遣と救済までの時間的ギャップを埋めようとしたのである。 三島はこの点を正確に理解していたがゆえに、日米安保条約上の取り決めを実行できるような国連警察予備軍を「警察的任務」のために作ろうと考えたのである。日本は現行の憲法下では海外派兵はできない(ことに当時はなっていた)から、国連軍の戦闘部隊として救援に駆け付けることはできないが、例えば朝鮮戦争の再発時には米軍を後方支援するだろうし、また日本が侵攻された場合には米軍に助けられることになる。 翻って、国土防衛軍は三島にとって、ナショナリズムと国防意識を保持するために必要なものであった。確率は低いが、本土が侵攻されたときのために、陸上自衛隊の9割をこちらに移すという提案である。そして、領海と領空を守るための海自、空自の一部をこちらに振り分けるという考え方であった。 これは奇天烈な提案ではない。米国における州兵は、歴史的には大英帝国からの侵攻に備えるための民兵に起源を持つし、メキシコなどの地続きの隣国を蹂躙(じゅうりん)したことはあったものの、基本的には本土防衛やネイティブ・アメリカンとの戦闘のための郷土防衛軍であった。 大英帝国の植民地であった米国にとって、常備軍が治安出動するというのは、大英帝国の赤い制服の陸軍が植民地人である自分たちを抑えつけ取り締ることを想起させる危険な事象であった。だからこそ、今でも米国は、有事には州兵が軍隊に組み入れられるが、平時の治安出動は陸軍ではなく州兵に任されているのである。「楯の会」会員4人と東部方面総監を人質に取り、2階バルコニーから自衛隊員に憲法改正に向け決起するよう呼び掛ける作家の三島由紀夫。この後、総監室に戻り自決した=1970年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地 しかし、現実には日本はそのような綺麗な切り分けをすることなく、自衛隊の治安出動にも防衛出動にも慎重な態度を崩さないことで、問題を乗り越えてきた。ただ、将来的には陸自の存在意義が問われる中で、人口減による人員不足も相まって、陸自の大半の隊員は災害出動とテロ対策を主な任務とする州兵的な存在に移行していくのではないかと私は考えている。 戦争のテクノロジーの変化が、これだけの人員の存在を正当化しなくなったとき、政治は再び三島の言う「作法」「儀礼」を必要とする国家としての軍のあり方、国防意識のあり方に目を向けるだろうからである。実際に、フランスではそうした方向に揺り戻しが起きている。「米国による平和」の終わり 二つ目の、重要な三島の問題提起は、シビリアン・コントロール(文民統制)である。日本は長らく旧軍出身者を排除し自衛隊を抑えつけることが、シビリアン・コントロールの目的となってきた。三島の書く文章の隅々に、そうした時代の雰囲気が顔をのぞかせている。 三島が自衛隊に対する不満を持っていたのも、そのような扱われ方に甘んじていたがゆえだろう。しかし、それは敗戦後しばらくの間必要だったことに過ぎないのであって、現在の日本に三島の懸念した米軍と日本政府のような二重権威は存在しない。 とりわけ安倍政権になってからは、総理や国家安全保障会議が自衛隊に対する統制を強めたところがある。日本は敗戦国特有の課題から、先進国並みのシビリアン・コントロールの課題に移行しつつあるのだ。 三島が生きていたとしたら、今の日本を見て何を思うだろうか。自衛隊の中の雰囲気も、かつてとはだいぶ異なっているだろう。官僚化し、しかし地道に政府の厳正な統制の下で自らの役割を担っている自衛隊のあり方は、中庸な落ち着き先として悪くないのかもしれない。 何よりも、変わったのは日本ではなくて世界だったのである。敗戦後、日本がプライドを消し去ったと考える人は、国際情勢を視野の外に置いた日本についてだけの議論をしがちだ。 20世紀後半から2020年までの世界はパックス・アメリカーナ(米国による平和)の時代であり、西側陣営が提携を強めていく時代であった。その初期を見ていた三島が感じた課題と、パックス・アメリカーナの終わりに差し掛かった現在の私たちが感じる課題は、全く異なるものだ。 戦乱の世の復活とはいかないまでも、パックス・アメリカーナの後退によって、再び日本が自立の度合いを高めなければいけない時代に入ってきたことは確かである。そのとき、日本はどのような「軸」をもって国際平和と国防を考えるのであろうか。2019年10月、和歌山市で行われた憲法改正推進を目指す大規模集会に寄せられた安倍首相のビデオメッセージ 日本国憲法の前文には素晴らしい理念がうたってある。私はほぼ異存はない。 諸国民の公正と信義というのは、言わば西側陣営内の結束と互いに対するフェアネスに読み替えることができるだろう。この憲法を書いたのは米国なのだから、自由主義国としての彼らの理想が詰まっているはずである。 そこに仮に追加するべき思想があるならば、インドのような非同盟諸国が主張してきたように、国家主権を尊重し、互いに中立的で不介入であろうとする態度だろう。日本が取るべきは、米国のイラク戦争のように相手国に侵攻して政権を倒して民主化する態度ではなく、相手に影響を与え続け関与し続けることで理想を実現しようとする態度である。9条1項は、そうした主権平等の原理原則を実現するために不可欠な、侵略戦争の禁止が書いてある。人間性の本当の恐ろしさ しかし、日本の交戦権を否定し、陸海空軍の保持を禁じる憲法9条2項は、乗り越えられてしかるべき条項だと私は思う。日米安保が日本の左右両極に刺さった棘(とげ)であり続けたのは、日本がまさに軍の保有を禁じられたのに、警察予備隊、ひいては自衛隊を創設したからである。 自衛隊を自分たちの持ち物と思わず、米国の道具と見た。それゆえに、自衛隊に対する配慮も統率の意思も欠けていた。 現政権に反対する人は、こんな総理に正規軍を持たせては危ない、と考えるだろう。逆に、今の野党に反対する人は、そこから総理が出たときに、軍をその人が指揮することを見るのは耐え難い、あるいは危ない、と思うだろう。しかし、好悪の感情を超えて機能する軍でなければ、それはきちんとした制度とは言い難い。 民主国家とは、三島が言うように、人間の本性をむき出しにすれば恐ろしいことになるからこそ、制度を通じて縛ろうという考え方なのだ。三島は既出のコラムの中で、「“日大解放区”の恐しさ」を取り上げ、このようなことを言っている。 青年は人間性の本当の恐しさを知らない。そもそも市民の自覚というのは、人間性への恐怖から始まるんだ。自分の中の人間性への恐怖、他人の中にもあるだろう人間性への恐怖、それが市民の自覚を形成してゆく。互いに互いの人間性の恐しさを悟り、法律やらゴチャゴチャした手続で互いの手を縛り合うんだね。 そうした法律やら手続きやらに、人間性の恐しさにまだ気づかない青年が反撥するのは当然といえ当然なんで、要は彼らに人間性の本当の恐しさを気づかせてやりゃあいい。気づいたものと気づかない者、市民と青年――これは永遠の二律背反だね。 このあと、三島は既に気付いたものの中にも青年期へのノスタルジアから青年にシンパシーを寄せるものが出てきたのは困ったことだと苦言を呈するが、問題は年齢ではないことは現在の日本を見れば分かるだろう。三島の中にあるこの大人性は、日本国憲法の将来を考える上で、一番参考にしなければいけないものだと思う。 「儀礼」を重視し、国としての誇りにこだわって自ら抗議の自殺をした三島は、なぜそこまで型にこだわったのか。それは、国家や国民が凶暴な人間性を解放するのではなくて、平和を希求し、有事に備え続ける姿勢を保つために必要なのが「儀礼」だと彼が思い詰めたからだろう。三島由紀夫の告別式に参列し、手を合わせる一般参列者=1971年1月24日、築地本願寺 三島の行動は反動的で短絡的だったが、平静なときの彼の文章を読めば、主権国家を成り立たせる精神の分析において、彼は間違っていない。 没後50年の三島に報いることは、現在の私たちが直面する政治化した課題に三島を利用することではない。彼の持っていた大人性と真摯さをともに私たちが受け取って、激動の時代をどう生きていくかを考えることこそが、彼に対する供養になるだろう。

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    色褪せぬ三島由紀夫の檄文、されど「現役装備品」にあらず

    れれば、私はそうは思わない。 日本国憲法9条を変えなければ、自衛隊は国軍たりえない、というのは確かに政治的右翼の中からYP体制打破(ヤルタ・ポツダム)の掛け声とともに戦後言われ続けてきたし、現在も言われ続けている。日本国憲法は公布からただの一文字も変わっていないのだから、確かに書類上、自衛隊は国軍ではない。日本には軍隊はいないということになる。 しかし、日本にアーミー(軍)は存在しない、などと外国人に説明して誰が納得するだろうか。世界有数のイージス艦隻数と、最新鋭の制空戦闘機、そして機動的陸上部隊を多数擁しておきながら、自衛隊は書類上軍隊ではないのだ、というのはあまりにも苦しい言い訳だ。海上自衛隊の護衛艦「いずも」=2019年1月、神奈川県横須賀市 ある種の政治的右翼は、現行憲法のせいで、日本は集団的自衛権を行使できず、また空中給油機も持つことができず、航空母艦保有などもってのほかで、スパイ衛星はその運用ができない。「だから憲法を変えるのだ!」という理屈を言い続けてきた。盛り下がる改憲気運 確かに90年代のある時期までは事実そうであった。が、その後たった20年で、自衛隊と日本政府は前記したすべての装備品を手に入れ、集団的自衛権を行使することができるまでになった。 憲法改正なくば国が亡びる! 憲法改正なくば日本は普通の国になれない! みたいな言説は、90年代~ゼロ年代前半に流行った政治的右翼のお家芸だが、現在多くの国民は、「憲法を改正しなくともこれだけのことができるのだから、特段憲法9条をいじる必要はない」と考えている。実際、「これだけのことをやってきた」第2次以降の安倍政権下で、総理の理想とは反比例するかのように、各社の調査で改憲機運は盛り下がっている。 改憲論者の私ですらも、「安倍政権下でこれだけのことができるのならば、わざわざ9条をいじらなくてもよいのではないか」という見解に傾いている。 三島の憂国とは裏腹に、50年経って自衛隊は着々と軍隊化し、いやむしろ軍隊になっている。存在しないのは憲法に規定された特別裁判所(軍法会議)ぐらいで、あとは解釈の仕方で、良い意味でも悪い意味でも何とでもなる。事実、自衛隊の海外での武器使用は必要最低限度とはいえ、許容されている。これが、憲法改正論が現在薄弱となっている理由の核心的本質である。 三島は、日本経済が豊穣の時代に作家活動を行い、国内外に多大な影響を与えた。そしてその死は、戦後日本経済のある種の完成形の瞬間であった。余力の時代の中で起こった大事件であった。確かに、50余年経っても三島の檄文は「理屈上」色褪せていない。だがそれは、色褪せていないというだけで、現代日本に適用できる「現役装備品」ではない。自衛隊員に憲法改正に向け決起するよう呼び掛ける作家の三島由紀夫=1970年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地 三島事件や三島の晩年の思想に現在でも傾斜する人々は少なからずいる。それは全然勝手で自由だと思うが、私にはこの国の最優先課題は、憲法改正を通じた自衛隊の国軍化とか国民精神堕落の矯正とか、国の大本の覚醒とかではなく、給食費を払えない学童の救貧とかデフレーションの脱却とか労働者賃金の急進的上昇であると思えてならない。 ※参考文献『三島由紀夫と盾の会事件』(保阪正康著、筑摩書房)

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    三島由紀夫が文学と割腹自決で遺したかった「見返し」思想

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) 令和2年は三島由紀夫没後50周年に当たる。三島は「自分の思想は50年後に理解されるだろう」と言い残した。その実現のために、三島に多大な影響を受けた私も微力を尽くしたいと考えている。だが、三島の思想はあまりにも複雑で奥が深い。 ただ、単純な極右思想ではなく、ヨーロッパ近代の人間観を超克した、より高度で強靭な、人間の意識を追求する思想であるといえるだろう。そこで三島の思想は、しばしばニーチェの超人思想と比較される。しかし、本来三島の思想はサルトルの思想を超越し、真の「近代の超克」を目指すものなのである。 そのことが理解されていないのは、サルトル(およびパートナーのボーボワール)に三島が言及した文章が、若者向けの読み物の方に多く、本格的な思想論文の中で、サルトルの名前を出したものが、あまり見受けられないからかもしれない。 だが、サルトルの名前を出さなくとも、三島がサルトル思想に言及し、これを批判し超克しようとした文章はある。それは三島の思想の集大成というべき『文化防衛論』である。 この中で三島は、文化とは単に「見られるもの」ではなく、「見返し」てくるものである―と述べている。例えば歴史的名作の美術品は、ただ鑑賞されるものではなく、同じような作品を作ろうとする人に「もっと良いものを作らねば」という強い圧力を加える。 この「見返し」という表現は、日本文化独特のものかもしれない。少なくとも三島は、この「見返し」という言葉を強調することで、サルトル思想を批判し超克しようとしたのだろう。 サルトルの思想は「『見る』=『見られる』の弁証法」と呼ばれることがある。これは例えば障害者の障害のある部位を凝視することは、その障害を強く本人に意識させるので、差別的な言葉を投げかけるのと同じことでよくない―といった考え方であると理解することができるだろう。 いわゆる近代的ヒューマニズムの思想そのものだろう。これは一見、すばらしいことのように思われるが、実は人間の意識を現状の低い次元に繋ぎ止めてしまう思想ではないだろうか。先の美術品の例で言うなら、高度な美術品を見たために、より良いものを作らねばと考えることも、個人の精神に対する抑圧として否定するような考え方であるとも理解できる。昭和を代表する文壇たち。左から三島由紀夫、安部公房、石川淳、川端康成=1967年2月 だが、抑圧がなければ人間は高次元の意識を持ち、意義の高い仕事をすることはできない。例えば「同性愛は治さなければいけない」という思想が一般的だった時代には、同性愛者と噂された芸能人は、非常に優れた芝居などをしていたと思う。ところが、最近の多様性を尊重する思想が広がって以降、同性愛者であることを、むしろ誇示している芸能人らは、かつての同性愛芸能人より優れた芝居などをしていないと、少なくとも私には思えてならない。三島が同性愛を装った理由 そして、三島にも同性愛疑惑はあった。しかし、それには別の深い意味があったように思う。 私は三島の親友だった村松剛教授を慕って筑波大大学院に進学したが、それは三島の没後20年目の年であり、村松教授は20年の沈黙を破って『三島由紀夫の世界』(新潮社)を刊行し、その内容に基づいた授業をされていた。 その授業の中で村松教授は、三島は戦時中に婚約者同然の恋人がいたこと、それが敗戦によって条件が変わったため解消になったこと、その経緯を主人公が同性愛男性だったことにして語ったのが『仮面の告白』という作品であることなどを教えてくださった。 では、三島はなぜ『仮面の告白』の中で、自らをモデルにした主人公を、同性愛者であるという設定にしたのか。そうしなければ文学にならないという意味のことを三島は別のエッセーで明らかにしている。その理由は何であろうか。 ここからは三島も村松教授も言及していない、私の考えである。 三島は『仮面の告白』を執筆後、しばらく同性愛者が好む服装で、同性愛者専用のバーなどに入り浸っていた時期もあった。そこで三島は本当に同性愛者であると思われていた時期もあった(今でも思っている人が多いようだが)。 それは、当時同性愛者という世間から冷ややかに見られる存在として、あるいは愛する女性に去られた惨めな存在として、人々の視線を自らに集めることを意図したのではないか。それによってサルトルが考えたように、低い次元に自らを留めるのではなく、他者の視線によって自らの惨めな外観だけを現状の低い次元に釘付けにした。 そして、そうすることで真の自分は低い次元から脱却し、より高い次元に上昇して、惨めな自分の姿を凝視して低い次元に安住している人々に「見返し」の視線を送る。これこそが、三島が同性愛者を装った理由だったのではないか。作家の三島由紀夫=1969年4月 非常に皮相な次元の説明をすれば、同性愛者を装うことで三島はベストセラー作家になれた。そして去っていった元恋人を「見返し」た。そういうことも意味していると理解してよいだろう。 このように「見返し」とは、必ずしも高級美術品のような高次元のものとの関係性とは限らない。劣等感に満ちた自分自身の姿をあえて人前にさらすことも「見返し」なのである。やはり日本文化とは、本当に奥の深いものだと思う。現代にも受け継がれた「見返し」 こうした「見返し」は現代の大衆芸能にまで受け継がれている。例えばAKB48のプロデュースや楽曲の歌詞を手掛ける秋元康氏にもその片鱗が見られる。中でも『恋するフォーチューンクッキー』は、男性の恋愛対象になりにくいタイプの女性が、奇跡を起こしてナンバー1になるという、「センター」を勝ち取った指原莉乃を巡る状況が歌詞に込められていて、それが大ヒットになった理由の一つではないかと考える。 これは、昨年9月にリリースされた『サステナブル』でも見られた。NGT48の騒動など、スキャンダルが相次ぎ、ファンに去られそうになっているAKBグループ自体の姿を彷彿とさせ、恋人に去られかかった女性を歌った同曲は、逆境にもかかわらず150万枚近いベストセラーになった。こうしてスキャンダルまみれのイメージを乗り越えたAKBは、『NHK紅白歌合戦』への出場を果たした。 逆にスキャンダルで恋人に去られそうになっている女性に、ただ同情するような歌詞にしていれば、どうだっただろうか。ファンは白けてしまい大ヒットとはいかなかったかもしれない。 ところで、最近「寄り添う」という言葉をよく聞く。災害や犯罪などで家族を失い悲しんでいる人を思いやるといった意味だろう。これは、サルトル的ヒューマニズムと言ってよいかもしれない。ただ、思いやることは大切だが、根本的な解決にはならない。 災害や犯罪などで家族を失い悲しんでいる人は、思いやられるよりも、自らの力で克服するしかないからだ。そうすることで彼らは、より強靭で高い次元の精神状態に進んで未来を切り開いていけるのではないだろうか。 例えば、戦死した人の家族の悲しみも、あえて過剰な同情をしないことこそ、互いの精神を強靭にし、高次元に上昇させるという考え方もあるように思う。日本に古くから根付く武士道精神とは、そういう意味かもしれない。それは戦後民主主義、戦後平和主義が、絶対的に否定した考え方だった。三島由紀夫の自決後、作品にブームが起こった=1971年2月 しかし、それは「見返し」という言葉に象徴される日本人の文化や精神、武士道などとは真逆の部分があり、日本人を精神的に弱体化させる要因なのかもしれない。 こうしたことを現代の日本人に伝えたいがために三島は、あのような最期を遂げたのではないだろうか。没後50年目を迎え、三島の奥深い思想を改めて考える一年になればと強く思う。

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    森友学園問題「籠池夫妻」をとことん利用した人たちの正体

    両親が拘置所に入っている時に拘置所前から拡声器で「お二人をこの様な思いにさせたのは私たちの責任です。政治力がないためにこうなってしまった。必ず助け出します」と叫んでいました。 彼は、拘置所に差し入れもしてくれましたが、本当に父と母を助ける気持ちがあったのであれば、愛国教育そのものを認めたはずではないのでしょうか。菅野完は盟友で映像作家の横川圭希氏を通じて山本太郎議員を私につなげたのだと思います。 横川氏は旧籠池邸に何度も泊まっていて、いろいろな話をしましたが、とにかく安倍政権を倒す事に死力を尽くしている様子でした。過去に菅野が所属している団体の中で批判を受けていた際、横川氏が庇った過去があるようで、2人で親密そうに様々な計略を立てていたようです。 かごいけ・よししげ 籠池泰典・諄子夫妻の長男。1981年、大阪生まれ。立命館大卒。森友問題については、当初静観していたが両親・家族を支援するようになる。森友問題で両親に接近してくる政治家、ジャーナリストに対し、疑問を持つようになり、現在は彼らの異常性を訴えるとともに、両親が彼らとの関係を断ち切ることを願っている。

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    籠池佳茂の決意「左翼に洗脳された両親、必ず救ってみせる」

    。森友問題については、当初静観していたが両親・家族を支援するようになる。森友問題で両親に接近してくる政治家、ジャーナリストに対し、疑問を持つようになり、現在は彼らの異常性を訴えるとともに、両親が彼らとの関係を断ち切ることを願っている。

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    安倍政権に関係あればレイシスト? 野党議員の「あくどい手口」

    ことも、モラルにも法にも全く触れない。だが、こういった当たり前のことを拒絶する猛烈な「反安倍感情」、政治的イデオロギーの励起を感じることもある。 反安倍感情なのか、政治的イデオロギーが強く表れたのか、動機は不明だが、似た現象として、一般人の他者を「レイシスト(人種差別主義者)」「ファシスト」呼ばわりしたり、国会で誹謗(ひぼう)中傷したりするといった個人攻撃の風潮が、国会議員によって起こっている。根拠なき「レイシスト」発言 前者のケースにあたるのが、嘉悦大の高橋洋一教授に対し、立憲民主党の石垣のり子参院議員が、会員制交流サイト(SNS)上で「レイシズムとファシズムに加担するような人物」と形容したことだ。事の経緯は、れいわ新選組の山本太郎代表と馬淵澄夫衆院議員が共催する「消費税減税研究会」の講師として高橋氏が招かれたことに始まる。 それに反発した石垣氏が「レイシスト」「ファシスト」と同席する気持ちはない旨を表明したのである。正直、何の根拠もないひどい話だと思う。 山本氏と馬淵氏は与党に対立する政策提言を構築するために会を主催したのだろう。アベノミクスの根幹部分は積極的な金融政策の採用であり、「リフレ派」と言われる人たちが20年以上にわたって主張してきた考え方だ。 通常の積極的な金融緩和政策と違うのは、インフレ目標を導入して人々の期待のコントロールを期するところ、簡単に言えばデフレを脱却し、インフレ目標に到達するまで金融緩和を止めない点にある。もちろんこれは反緊縮政策である。 馬淵氏はリフレ政策の理解も深く、筆者も馬淵氏が議員落選中に行った講演会でリフレ政策について話をさせていただいたことがある。一方、山本氏が本当に「反緊縮」なのかには疑問がある、と以前この連載でも書いた。簡単に説明すると、れいわ新選組の最低賃金の急激な引き上げと「デフレ脱却給付金」政策の組み合わせには政策リスクが高い、ということである。ただ、山本氏自らは「反緊縮」という信念を持っているのだろう。 反緊縮の会合ならば、高橋氏が招かれるのはある意味当然である。高橋氏は、アベノミクスの根幹であるリフレ政策も熟知しているし、財政政策への消極的姿勢という現状のアベノミクスの問題点についても理解が深いからである。宮城選挙区で当選を決め、万歳する立憲民主党の石垣のり子氏=2019年7月22日未明、仙台市 高橋氏は、どの政治的立場であれ、時間が許す限り経済政策について今まで対応してきたというのが筆者の素朴な観察である。民主党政権のときも同党議員だけでなく、当時の与野党に満遍なく政策陳情を行っていたし、リフレ政策などの理解を広げようと努力していた。 高橋氏には政治的な信条よりも合理的で、事実と数字に基づく政策を提供することが最大の使命であり、喜びなのだと思う。それに、自分の提案する政策を実現してくれそうな政治家に時間を優先的に割くのは当たり前である。 今なら安倍政権を優先するのだろう。しかし、それは安倍政権への政治的執着を意味しない。言ってみれば、単に政策提言が「好き」なのである。実は筆者も同じだ。誤情報で続く誹謗中傷 だが、石垣氏にとっては全く違ったイメージを抱くのだろう。だが「レイシスト」「ファシスト」というのは全くいただけない。単に名誉毀損(きそん)レベルの話でしかない。 どのような根拠で発言したか説明すべきだが、なんと上述の発言の数日後に「憲法秩序と相いれない人物や組織」という発言で、高橋氏の一件に言及している。これも理解が難しい。 誹謗中傷の度合いが増しただけにしか思えないのは、筆者だけではないだろう。石垣氏はこの一連の発言の真意を明らかにすべきである。 また、国民民主党の森裕子参院議員は、居直ったかのように、最近でも政府の国家戦略特区ワーキンググループ座長代理の原英史氏に誹謗中傷を行っている。12月5日の参院農林水産委員会で、原氏が特区関係者から「夕食をご馳走(ちそう)になった」という誤った情報をもとにして、「(原さんが)公務員だったら、こんなことしていいんですか。(特区提案者から)ご馳走になって」「公務員じゃないから何やってもいいんですか」と発言したのである。 まるで国家戦略特区の委員であることで利害関係者から供応を受けているような印象を強く与えているが、本当にひどい話だ。詳細は原氏のフェイスブックの投稿を参照されたい。 森氏のこの種の発言は国会で繰り返されており、原氏の名誉を著しく傷つけるものである。現在、「国会議員による不当な人権侵害(森ゆうこ参議院議員の懲罰とさらなる対策の検討)に関する請願書」が参院議院運営委員会に付託されている。参院予算委で質問する森裕子参院議員=2019年3月(春名中撮影) この請願が本会議で付されるかどうかが今問われている。国会議員が国会での発言を免責されるからといって、明白な誤情報をもとに他者の尊厳を傷つける行為を繰り返していいわけがない。 どうも高橋氏のケースも原氏のケースも、ともに「安倍政権になんらか関係がある人」で不当な批判を受けている側面がありはしないか。もしそうならば、「桜を見る会」をめぐる「モリカケ的」な攻撃に加えて、一般人への個人攻撃が一部野党議員の手法となっていないか、その懸念が募ってしまう。 最近では、一般人が他人を「レイシスト」と呼び、イベントなどを妨害するケースも見聞した。このような魔女狩りに似た行為は、まさに自由を脅かす下劣な行為であることは言うまでもない。

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    「桜を見る会」7つの疑惑、モリカケ化が止まらない

    (上武大学ビジネス情報学部教授) 首相主催の「桜を見る会」は、いまや単なる安倍晋三政権批判ありきの「政治ゲーム」と化している。ゲームの主要プレーヤーは、一部メディアや立憲民主党、日本共産党などの野党の大半であり、さらに「反権力」「反安倍」を信奉する識者が相乗りしている。 この方々の発想は簡単で、「箸が転んでも安倍政権批判」とでもいうべきスタンスであり、論理の跳躍、ゴールポスト(論点)の移動などはお手のものである。 10月の消費税率の引き上げ実施前には、「国会が再開されれば、最大論点として戦う」とあれだけ公言していたのだが、その主張は後退している。元々、消費増税や経済問題で、現政権に本気で対決するよりも、テレビや新聞で受けのいい話題に食いつくことで、内閣支持率の低下を狙う方が割のいい戦略に見えるのだろう。 確かに、森友・加計学園問題と同様に、報道されればされるほど支持率は低下の傾向を示す。ただし、テレビなどで取り上げられなくなると再び回復するかもしれない。 これは支持と不支持を決める人たちの、近視眼的な行動によるものだろう。近視眼的になるのは、やはり報道の在り方に大きな責任がある。 今まで「桜を見る会」に関する「疑惑」は主要なものでも6点、細かいものを足すと十数件に及び、五月雨式に報道されている。その顛末(てんまつ)がどうなったのか、そしてそれが本当の疑惑なのか、道義的な問題なのか、法的な問題なのかをいちいちチェックしていったら、さすがに時間の制約のある一般の人では情報処理が難しくなるだろう。 同様の状況はモリカケ問題でも起きていた。このため、多くの人たちが「なんか安倍政権は怪しい」「安倍政権は支離滅裂だ」と思うのも無理のない側面がある。「桜を見る会」での招待客と笑顔の安倍首相(中央)=2019年4月、東京・新宿御苑 われわれはみんな限定された合理性の中で生きていて、場当たり的、つまり近視眼的に自分を納得させてしまうのだ。だがそれゆえ、マスコミの責任もまた大きい。 それでは、筆者が気付いた「桜を見る会」の主な「疑惑」を整理してみよう。「モリカケ化」の始まり(1)「桜を見る会」には、後援会や支援者、さらには社会貢献が不明な人が増えており、「私的な催し」と批判されるほど税金の使途としておかしな点がある。 (1)に対して批判の側面が出るのは、もっともである。ただし、安倍内閣だけが後援会や「議員枠」などで招待客を募っていたわけではなく、民主党政権を含む歴代の内閣が同様の運営を行っていた。この批判を受け、政府は来年の会中止を即時に決め、招待客の基準もより明確にするという。 通常の合理的判断ならば、この問題はこれで基本的に終焉(しゅうえん)するはずだったが、そうはならなかった。いわゆる「モリカケ化」の始まりである。もちろんその風潮を、筆者は批判的に見ているのは言うまでもない。(2)「桜を見る会」前日に行われた安倍首相の後援会関係者が集まる夕食会(前夜祭)で、ホテルニューオータニ(東京都千代田区)が設定した1人当たりの会費5千円は安すぎる。有権者に対し、安倍首相側が利益供与した公職選挙法違反の疑いがある。 いつの間にか、「桜を見る会」からゴールポストが移動している。(2)については、ホテルの設定価格としては特段に不思議なものではない、というのが社会的常識であろう。 パーティー形式についても、それまでの顧客との信頼関係などでどうにでもなる。ちなみに産経新聞などの報道では、立憲民主党の安住淳国対委員長の資金管理団体が、やはりニューオータニで前記の夕食会に近い料金で朝食セミナーを開催しているという。もちろん、このセミナーは適法に行われており、何の問題もない。 ならば、なぜ安倍首相関係のパーティーだけが疑惑の標的にされるのだろうか。その答えはやはり「安倍政権批判ありき」なのだろう。 ちなみに、作家の門田隆将氏はツイッターで、「立憲・安住淳氏の“会費2万円で原価1739円のオータニパーティー”報道以来、桜を見る会の報道が激減」しているとインターネット上の情報を活用して投稿している。もちろん、安住氏にも安倍首相にもこの設定価格で何の疑惑もないことは明瞭だが、マスコミがその報道姿勢から明らかにこのネタが使えないと判断したのではないだろうか。マスコミの報道姿勢に関する疑惑はますます深まったと言わざるを得ない。東京千代田区のホテルニューオータニ=2016年10月(斎藤浩一撮影)(3)上記夕食会において「領収書がないのはおかしい」疑惑。 これについては、報道で既にホテルから領収書が発行されていることが分かっている。最も注目の問題は?(4)安倍首相の政治資金収支報告書に、夕食会の収支記載がないのはおかしい。 この「疑惑」は簡単で、直接ホテル側に会の参加者が料金を払い、安倍事務所が介在していないためである。単に事務所のスタッフがホテルの領収書を手渡しただけのようだ。 これをおかしいと指摘する専門家も少数いるが、もし「おかしい」のであれば、「お金のやり取りには直接介在していないが、手渡しでホテルの領収書を代わりに事務所が渡した場合でも、政治資金収支報告書に記載する」と法改正すべきだろう。ただ個人的意見を述べれば、あまりに些末(さまつ)すぎて法改正の時間の無駄にも思える。(5)ホテルの明細書がないのは不自然なので、ホテルニューオータニの責任者を国会に参考人で招致すべきだ。 パーティーなどで明細書を発行しない場合もあるのではないか。顧客との信頼関係など、それこそケース・バイ・ケースだろう。 そもそも価格設定が不適切だという話から、明細書や領収書問題が出てきたのではないか。(2)で書いたように、価格設定自体に不自然なものは特にない。個人的には、ニューオータニもとんだとばっちりを受けているとしか思えない。2019年12月、安倍首相の地元、山口県下関市で調査を行い、取材に応じる「桜を見る会」追及本部の野党議員ら(6)「桜を見る会」に反社会的勢力が招かれていた問題と、行政処分や特定商取引法違反容疑で家宅捜索を受けた「ジャパンライフ」元会長が招かれていた問題。 今度はまた「桜を見る会」に戻ってきた。そもそも報道などで暗に示される「反社勢力」がよく分からないという問題も指摘されている。今後、なにかしら具体的に出てくるのかもしれないが、現状ではよく分からないとしか言いようがない。 それはさておき、現在最も話題になっているのが、主に高齢者を対象にしたマルチ商法を展開して消費者に大きな損失を与え、経営破綻したジャパンライフの元会長を、2015年の会に招いたことだろう。ただし報道によれば、特定商取引法違反で消費者庁から最初の業務停止命令を受けたのは2016年で、さらに家宅捜索が入ったのは2019年4月である。本当にシュレッダーにかけるべきは 未来を正確に予測して、招待客をいちいち選別しなければならないとなると、政府もなかなか大変である。なお、14年に書面の不記載で行政指導を受けたことが問題視されているが、もし行政指導された企業を招待しないのであれば、マスコミ各社も該当するのではないだろうか。 また、ジャパンライフの広告に「桜を見る会」の招待状が利用されたり、加藤勝信厚生労働相とジャパンライフ元会長が食事したり、ホテルでジャーナリストや政治家を参加者に毎月懇談会を開催していたことが報道されている。ただし、朝日新聞はこれらの動きを安倍首相の責任問題にしたいらしいが、さすがにそれは筋違いであろう。宣伝に悪用したジャパンライフの問題が優先的にあるのではないか。 懇親会に呼ばれたメンバーには、テレビ朝日『報道ステーション』コメンテーターの後藤健次氏や、NHK解説委員長(当時)の島田敏男氏、毎日新聞特別編集委員(当時)の岸井成格(しげただ)氏(故人)といったジャーナリストが名を連ねている。また、同社顧問には朝日新聞元政治部長の橘優氏が就いていた。 朝日新聞では、このジャパンライフの宣伝活動を批判しているのだが、安倍首相や自民党議員に特に焦点を当てているようである。自社の元社員の責任などもあるだろうし、他のジャーナリストたちも体よく宣伝として利用されていたのだろう。だが、安倍政権批判ありきの前ではそういう指摘は通用しないのかもしれない。 ちなみに、ジャパンライフの広告は行政処分後もマスコミ掲載されていたというが、もちろんこの指摘も通じない。安倍首相の「責任」だけが取りざたされるのである。(7)内閣府が招待客の名簿などをシュレッダーで廃棄処理したことに関し、「タイミングが怪しい」「隠蔽(いんぺい)だ」問題。 野党の大半が参加した内閣府のシュレッダー見学報道には、あきれたの一言だった。野党側は、今年5月9日に国会で名簿の存在について質問した直後に、資料がシュレッダーにかけられたことを「疑惑」として騒いでいた。名簿廃棄に使ったとされる内閣府のシュレッダーを視察する「桜を見る会」を巡る追及本部の野党議員ら=2019年11月(同本部提供) しかし実際には、国会質問前の4月22日に処分の予約が入っていた。国会質疑とは全く関係ないどころか、単に仕事の都合でしかない。 このようにいろいろ列挙したが、一つ言えるのは、無責任な「疑惑」自体こそシュレッダーにかけるべきである。経済や安全保障といった重要問題で、与野党の本格的な攻防を見てみたい、いつもそう願っている。

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    今度こそ安倍総理は「桜を見る会」疑惑から逃れられない

    務所からの補塡(ほてん)はあったのか。 会場前で支払いが行われており、ホテルの領収書も渡されている。政治家が飲食を伴う会合を行うとき、事前に店から領収書をもらい、参加者に渡すことがあるから、ホテルの領収書があったことは不思議ではない。前夜祭の出席者は約800人。ホテルの規約では30日前に入金することになっている。安倍事務所が立て替えておき、当日に参加者から集金し、まとめてホテルに払ったなら、立て替えたときの支出とパーティー後の入金を政治資金収支報告書に記載しなければならない。 だが安倍首相の説明は違った。11月20日に行われた参議院本会議での答弁によると、パーティー会場に安倍事務所の担当者が立ち、参加者が代金を支払い、ホテル関係者が領収書を渡し、総額がホテルに支払われたという。安倍事務所への入金はないから政治資金規正法には抵触しないというわけだ。 参加者の多くがホテル宿泊者なら、料理の割引もあって不思議ではない。首相はそう答えていた。だが宿泊者はANAインターコンチネンタルホテルとホテルオークラ東京だった。首相はのちに手違いがあって別のホテルになったと説明した。なぜ説明が変化したのか。首相は料理や会場費などの明細書がないというが、商取引において、常識的にはありえない。ホテル側と安倍後援会との間に何らかの便宜供与があったのだろうか。 第二の問題は「桜を見る会」のあり方である。安倍政権になってから参加人数がどんどん増えていき、約1万人の予定が約1万5千人になった原因である。「桜を見る会」追及チームの初会合で関係省庁の職員(手前)からヒアリングする野党議員=2019年11月12日、国会内(春名中撮影) すでに明らかになったように、自民党改選参議院議員が1人あたり「一般の方(友人、知人、後援会等)を、4組までご招待いただけます」と推薦ではなく招待できたこと、総理枠は1千人、副総理、官房長官、官房副長官枠が1千人、自民党枠が6千人だ。この数字は11月20日の衆議院内閣委員会で菅義偉官房長官から明らかにされた。内閣府は招待者の書類を破棄したと説明してきたのに、なぜこの数字が分かったのだろうか。首相が記者に語ってきたことが、なし崩しに訂正されていく。醜態をさらしたくない 安倍首相のお膝元の山口県では地方議員レベルまで、定員なしに希望者を招待できたから、安倍後援会からは約800人もの出席があった。これでは各界の功労者を中心に招待するという本来の趣旨から遠く離れていき、首相の後援会や自民党関係者を税金でもてなしたという批判を受けるのも当然だろう。安倍首相が来年の「桜を見る会」を中止して、招待者の見直しをするとしたのも、その実態にやましさを覚えたからだろう。 首相がいわゆる「ぶら下がり」会見で説明を終わらせようとしたことにも問題は残る。国会でルールに基づいて予算委員会の開催を要求しても、与党はそれを無視したままだ。安倍首相は野党の疑問に答えるために予算委員会に出席する義務がある。そのことを問われると「国会のことは国会でお決めになること」と答弁するが、本気で意思があれば自民党総裁として与党に出席すると命じればいいだけである。都合の悪い事実が明らかになっていき、追及にガマンできずヤジを発したりする姿をさらしたくないのが本音だろう。 私が驚くのは「桜を見る会」の招待券が売買されていたことである。元自民党職員が30万円で売ったと週刊朝日が2008年に報じていたが、今年4月にはフライデーが芸能界でも小遣い稼ぎに使われていたことを明らかにした。関係者によると、芸能事務所に20枚ほど招待状が配られるという。それを入手して1枚8万円で売ったという話もある。売れていないタレントが購入し、会場でテレビに映ったり、著名政治家と写真を撮って宣伝するのが目的である。公的行事が私的利益追求の場となっているのである。さらにはネットを中心に「反社会的勢力」の参加を疑う声もある。 「桜を見る会」は、昭和27(1952)年にサンフランシスコ講和条約の発効を記念する「観桜会」として吉田茂内閣からはじまった。最初はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連などの外交官、陸海軍武官など「内外名士千余名」が参加したが、いまや安倍政権のもとで約1万5000人に膨れ上がった。 その「膨れた」人数の内訳が問題なのである。総理枠、副総理枠、官房長官枠、官房副長官枠、自民党枠で8千人、さらに安倍昭恵夫人枠まであり、それがタダで飲食できたという事実は衝撃的だ。これは買収行為が行われたと批判されても仕方ないだろう。参院本会議で答弁する安倍晋三首相=2019年11月20日、国会(春名中撮影) 在職期間で史上最高の記録に達した11月20日という記念すべき日に、日本社会で問題になっているのが、安倍首相の税金の使途への疑惑であるとは、何とも恥ずかしい。

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    「なんもしない人」安倍晋三、史上最長政権に押される烙印

    ことだけは分かっていた。「だけ」は。一方の自民党は、官僚の振り付けで踊る能力だけはある。選挙で選んだ政治家が官僚の言いなりなら、選挙などやめてしまえばよいではないか。選挙がある限り、官僚は責任を国民に押し付けた上で、やりたい放題ができる。自分は陰に隠れて、権力を振るうだけでよい。選挙が忙しくて政治の勉強をする暇がない政治家を、洗脳してしまえばよいだけだ。 自民党の政治家は、朝から晩まで勉強している。涙ぐましいほど勉強している。料亭で夜な夜な会合を重ねるなど、政局が近いときの幹部くらいだろう。大半の自民党議員は、絶望的なまでに熱心に、勉強をしている。 何が絶望的なのか。自民党議員の勉強とは、何か。「官僚から情報を貰うこと」である。官僚とは、絶対にポジショントークから逃れられない生き物である。自分の所属する官庁の立場から離れたら、それは官僚ではない。 例えば、である。今は知らないが、少し前までの財務省は、内部では上司部下関係なく、対等の議論が許された。ただし、外部に対しては、組織で決まった結論以外を出してはならない。だから、「内部では消費増税に反対している官僚が、政治家に対する説得工作で増税を熱弁する」ということも、あり得る。そういう場合、政治家が「官僚の言うことだから正しい」と最初から信じ込んでいたらどうなるか。マヌケ議論ばかりの自民党 そもそも、自民党は官僚機構をシンクタンクとして活用している。この時点で、根本的に間違っている。シンクタンクとは、官僚機構に対抗する知見を政治家が身に付けるために存在するのだ。自民党には、「官僚と会う前に、頭を作っておく」という発想がない。 たとえ話をしよう。東京から新幹線で岡山駅に行くとする。東京駅から、東海道新幹線に乗れば一本だ。だが、今は上野駅にいる。ならば、山手線なり、京浜東北線で東京駅に向かえばよい。ところが、東北新幹線に乗るべきか、はたまた常磐線に乗るべきかを議論している。 常にマヌケな議論をしているのが、自民党だ。 平成の30年間は不況で暮れた。不況を克服しなければならない。これは自民党全員の総意だ。どこまで真面目かの温度差はあるが、建前として景気回復などしなくてよいと言い切れる自民党政治家はいない。そうした自民党がとった施策は三つだ。消費増税、財政出動、金融緩和だ。 増税をした政権は竹下登、橋本龍太郎。岡山県に行くのに、東北新幹線に乗ったようなものだ。景気回復から劇的に遠のいた。財政出動をした政権は、小渕恵三と麻生太郎。山手線をぐるぐる回っていただけだ。ついぞ東京駅で乗り換えることはなかった。金融緩和をした政権は、小泉純一郎。こだま号で西に向かったが、名古屋あたりで列車を止めてしまった。 第2次安倍政権は、この三つすべてをやっている。最初は「黒田バズーカ」で一気にのぞみ号にのって品川まで来たが、突如として山手線に乗り換え東北新幹線に乗るがごとく消費増税8%を断行した。思い直して東京駅まで戻ってきたが、必死の全力疾走を続けて、ようやく新横浜駅までたどりついたにすぎない。そして、またもや10%の増税である。日本経済は、再び戻って「ただいま品川駅で停車中」というところか。参院予算委員会で安倍晋三首相(左)に質問する立憲民主の福山哲郎幹事長(右)=2019年11月、参院第1委員会室(春名中撮影) 何をやっているのか? 確かに民主党に任せておけば東京駅に爆弾を仕掛けかねないが、では自民党に政権担当能力があると言えるのか? いずれも、合格最低点を切った政治にすぎない。安倍政治とは、よりマシな政治でしかないのだ。 証拠を上げよう。絶望的なまでに、実績がない。先の参議院選挙でも「民主党の悪夢に戻っていいのか」と絶叫していたが、本当にそれしかないのだろう。野党は体制の一部 安倍政権と比較するのも失礼だが、これまでの史上最長政権だった桂太郎内閣の業績は目覚ましい。第1次内閣で日英同盟と日露戦争の勝利、第2次内閣で日韓併合と条約改正の達成である。どれか一つでも歴史に残る偉業だが、桂その人は「第2次内閣の実績は第1次に劣る」と、厳しく自己評価していたほどだ。 戦前の偉大な政治家と比較するのは、安倍に酷だとしよう。では、戦後の首相と比べるとどうか。◎吉田 茂…サンフランシスコ条約。占領下にあった状態から、独立を回復◎鳩山一郎…日ソ共同宣言。シベリアに抑留されていた50万人の日本人を奪還◎岸 信介…日米安保条約。完全な軍事的従属関係を脱却◎池田勇人…高度経済成長。日本国の指針を確立◎佐藤栄作…小笠原、沖縄返還。戦争で奪われた領土を奪還 いずれも、教科書に残る事績と評価してよい。 さて、安倍内閣には何が残るか? 景気は緩やかな回復軌道にあった。オバマ民主党だろうがトランプ共和党だろうが、アメリカとの友好関係を維持している。 だから、どうした? 安倍も気にしているのか、ときどき思い出づくりを試みる。憲法改正、北朝鮮拉致被害者奪還、北方領土交渉。だが、いずれも官僚が敷いたレールの上を走る行政ではなく、道なき道に自ら道を作るべき政治課題だ。官僚が差し出す時刻表、しかも絶対に目的地に着かない時刻表を眺めているだけの総理大臣に何ができるか。 安倍内閣は、「野党」よりマシなだけだと自白している。よりマシな政治家を選べば、安倍自民党内閣にならざるをえなかった。 だが、「野党」が本当に野党だったのか。 再び問う。海江田、岡田、蓮舫、枝野が一度でも安倍内閣を潰しにいったのか? むしろ最初から政権を担う気などなく、無責任な立場で言いたい放題を言える野党第一党の維持こそが目的だったのではないか。 この人たちは野党ではなく、体制補完勢力、すなわち体制の一部ではなかったのか。さも選挙を行い、「安倍か野党か」と選択肢が二つあるように思わせる。しかし、実際は一択だ。消費増税の問題一つとっても、野党も増税賛成だ。 かつても長期政権で腐敗した時代があった。官僚を従える桂が、衆議院で万年第一党の立憲政友会と談合して、政権を独占していた。しかし、桂は政争に敗れて憤死、政友会の増長が甚だしかった。これに、引退していた元老の井上馨が激昂、鉄槌を下して政友会を結党以来初の第二党に叩き落したことがある。国民は熱狂的に支持した。首相時代の桂太郎 史上最長政権となった以上、安倍は歴史の法廷で被告人となる覚悟をした方がよいだろう。(文中一部敬称略)

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    「桜を見る会」と「沢尻エリカ逮捕」世論に鳴り響く不思議な陰謀論

    「陰謀論」がインターネットを中心に巻き起こった。今までも、北朝鮮のミサイル発射と安倍晋三政権に関する政治問題が時期的に重なることで、ネット上で「安倍政権のスキャンダル隠しで、北朝鮮がミサイル発射して注意をそらした」といった根拠不明な陰謀論が流布されていた。沢尻エリカ容疑者=2019年9月(矢島康弘撮影) 一笑に付すべき話だが、実際にはこの種の陰謀論や根拠なき噂は後を絶たない。社会問題の話だけではなく、個人レベルでもこの種の陰謀論やデマの被害に遭っている人は多いだろう。 筆者もその一人で、なぜだか一部の人たちの間で消費増税の積極論者になっている。この連載をお読みいただいている方々はお分かりだろうが、終始一貫して消費増税に反対を訴えている。「桜を見る会」政権の陰謀論 だが、その一部の人たちの「ムラ社会」には真実が伝わらない。真実を拒否し、嘘であることでも「真実」として流通する現象だといえる。 この現象をイタリア・IMTルッカ高等研究所のウォルター・クアトロチョッキ氏は「エコーチェンバー」(共鳴室)と名付けた。エコーチェンバーは、同質的で閉鎖的なネットのコミュニティーが生み出すという。 今回の沢尻容疑者の事件が起きてまもなく、このエコーチェンバーから独特の音が鳴り響いてきた。沢尻容疑者逮捕の報道が、それまでマスコミの話題となっていた安倍首相主催の「桜を見る会」にかかわる疑惑報道を打ち消してしまう、という話だ。 マスコミの報道を分析して、単に放送時間や取り上げられる回数の変化を指摘するだけなら、何の問題にもならない。だが今回、エコーチェンバーから聞こえてきたものは、「桜を見る会」の報道が安倍政権にとってまずいので、問題から国民の関心を移すために沢尻容疑者が逮捕された、というニュアンスを多く含んでいた。まさに陰謀論である。 しかも、著名な識者の多くがこの陰謀論めいた話に参加していた。しかも、素朴に観察したところ、多くの人たちがこの陰謀論を信じているようでもある。まさにネット社会の分断をまざまざと示している。「桜を見る会」を巡り、記者の質問に答える安倍首相=2019年11月15日、首相官邸 「桜を見る会」自体は、社会的評価が高かったり、社会貢献をした人たちを参集させるよりも後援会関係者の参加が目立つなど、最近の人数や経費の急増とともに見直すべき話だと思う。しかし、過去何十年と同じパターンで繰り返されてきた行事の運営を、安倍政権が何か違法な事態を引き起こしたと誘導する報道があまりにも多い。 そもそも、何が違法に当たるのか、そこも分からない。法的な論点に関心のある人は、元弁護士の加藤成一氏の論考『桜を見る会「疑惑」の法的検討:買収罪は成立するか』が参考になるだろう。モリカケから続く「疑惑商法」 それに、今はどうも「桜を見る会」ではなく、その前日に行われた後援会か支持者の集まりだかの「前夜祭」における、領収書をめぐる話題が熱いらしい。いつもながらの話だが、ゴールポストがころころ変わり、しかも違法性かモラルの問題かさえも分からない。 そうして、単に「疑惑が深まった」報道をマスコミは垂れ流すだけである。これは安倍政権下で、いわゆる「モリカケ問題」から続いている話題づくりの手法だ。 つまり、一部マスコミとエコーチェンバー化した政治家や識者たちが生み出した「疑惑商法」というものだ。おそらく真実がいくら列挙されても、「疑惑」は晴れるどころか、むしろ深まるだけかもしれない。 国会でも、この「桜を見る会」問題が議論の中心となるという。立憲民主党の枝野幸男代表は、この話題をきっかけにして衆院の解散に追い込みたいと発言しているようだ。 どのような理由で解散を迫るかは自由だが、この問題が話題となった後に実施された世論調査を見たところ、野党の支持率は減少トレンドにある。エコーチェンバーの内部は知らないが、国民は野党の「モリカケ手法」にとことん愛想が尽きているのかもしれない。「桜を見る会」を巡る追及チームの会合で省庁側出席者(手前)から聞き取りする野党議員ら=2019年11月14日 もちろん、安倍首相は国会から求められれば、事実を丁寧に説明すればいいと思う。他方で、消費増税に伴う悪影響への対策、ウイグル自治区住民に対する弾圧や香港デモでも明らかな中国政府への対応、韓国の独善的な外交姿勢への対抗策など、課題は山積みだ。今、筆者には「桜を見る会」よりはるかに重要に思える。 それらの課題に国会全体の努力を傾けることを切に望みたい。もうモリカケ商法はおなかいっぱいである。

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    小泉進次郎氏が炎上した「処理水問題」を科学的に解きほぐす

    は小泉氏にとってはチャンスになる。「もし小泉氏が、風評被害を抑え込んで処理水の海洋放出を実現したら、政治家として大きな実績になるでしょう」(高橋教授)「風評被害」というのは感情が引き起こす問題で、理屈だけでは抑えられない。主婦層に絶大な人気があり、カリスマ性のある小泉氏だからこそ、風評を抑え込めるのではないか。もし解決できたとしたら、これまで特に何ら政治的な実績のなかった小泉氏にとっては大きな実績となり、総理への道へ大きな一歩を踏み出せるはずだ。 ●取材・文/清水典之(フリーライター)関連記事■小泉進次郎氏に「環境相の難しさわかってる?」と不安の声■ポスト安倍候補に「河泉敏信」 岸田氏、石破氏から世代交代■小泉進次郎氏の母「滝クリさんと私は全然違うわね」の真意■小泉進次郎 結婚披露宴をやらない背景に「実母との疎遠」■【動画】滝川クリステルを待ち受ける「総理の妻」の“厳しい仕事”

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    景気悪化をダメ押しする「空っぽ保守」と「腑抜け野党」

    税率の10%引き上げを実施し、1カ月が経過しようとしている。その間の日本経済は筆者の予想通り停滞し、政治は停滞どころかさらに「腑抜け」の状態になっているといえる。 消費増税の直接の影響については、まだデータがそろわないので判然としない。それでも、百貨店などの売り上げに関しては、増税前の駆け込み需要や増税後の反動減が、2013年4月に行われた8%引き上げと同じレベルであったという現場からの声を報道で見るようになった。 もちろん、大型百貨店ではキャッシュレス決済のポイント還元制度が適用されないために、増税への影響が出やすい側面があるのは否定できない。それでも言い方を変えれば、正味の増税ショックは前回と大差ないといえる。 増税前の日本経済は雇用も設備投資も堅調であり、それなりに底堅い展開だったが、個人消費の先行きを示す統計や景気動向の予測には暗い影がちらついていた。当面の増税対策が効果を発揮するため、日本の景気が大きく減速することはないかもしれないが、海外環境の悪化による景気減速に対する手当は全くなされていない。 要するに、将来的にポイント還元制度などの期限や原資が切れてしまうとはいえ、増税対策は不十分ながらも当面手当されている。だが、現在起こりつつある景気減速への対応は完全に無策の状況だ。 基本的な話だが、景気対策の「両輪」は財政政策と金融政策である。しかし、財政政策は景気減速に対応しておらず、あくまでも消費増税対策に追われている程度でしかない。その意味で、財政政策の規模が不足しているといえる。 他方で金融政策を見てみると、10月30、31日に日本銀行の金融政策決定会合が行われるが、現状の日銀に追加的な金融緩和を行う意思がどれだけあるか不透明である。黒田東彦(はるひこ)総裁の「財務省びいき」のマインドから考えれば、財務省主導による消費増税の実施「記念」として、追加緩和に踏み切るかもしれない。 これでは、国民のためではなく、財務省のためにする緩和である。そういうブラックジョーク的な緩和があるかどうか、その程度のレベルが現状の日銀の内実ではないか。消費税率が10%に引き上げられた2019年10月1日、多数の個人商店が並ぶ東京・巣鴨地蔵通り商店街には、ポイント還元ができるキャッシュレス決済サービスの広告旗が多数掲げられていた しかも、引き上げから1カ月もたたないうちに、財界やマスコミなどから10%以上を目指す「段階的増税論」が早くも出てきている。当初から予想されたこととはいえ、このような状況下でも主張を変えようとしない、日本を滅ぼす増税主義者は本当に脅威である。 安倍晋三首相は、自らの在任中にさらなる消費増税の引き上げをしないと断言しているし、10年間は必要がないとも述べている。だが他方で、一部マスコミは段階的増税を行う「ポスト安倍」への期待をにじませているため、世論の動向も気がかりになってくる。増税しても支持率が下がらない理由 5年半前の消費増税の際には、実施直後の内閣支持率に有意な変化がほとんどなかった。既に公表された最新の調査を見ても、同様の傾向がうかがえる。 しかも、財政再建や構造改革といった財務省的な発想、すなわち増税主義に染まりやすい自民党の政治家たちに対し、相変わらず世論の支持が高い。発言の「空洞」ぶりが話題の小泉進次郎環境相や、党内基盤を事実上失っている自民党の石破茂元幹事長がそうだ。彼らへの高い支持は、やはりマスコミの露出に依存していることは間違いない。 他方で、増税しても政権への支持率が揺らがない最大の要因がある。やはり野党のふがいなさに尽きる。 今の野党の最大の眼目は、菅原一秀前経済産業相の秘書が行った香典問題、そして萩生田光一文部科学相の、英語の民間検定試験をめぐる「身の丈」発言などを臨時国会での焦点にしようということだ。どちらもワイドショー受けはするかもしれないが、本当に今、国会で中心になってやることだろうか。 もちろん、現在の世論動向の場合、テレビで取り上げられれば取り上げられるほど、内閣支持率に影響する。ただし、森友・加計学園問題でもはっきりしたように、別に野党の支持率を上昇させるわけではない。 当たり前だが、世論もそれほど愚かではないし、野党はかえって「政策無能ぶり」を見抜かれているのだ。臨時国会でも、開会前こそ消費増税が多少論点になりそうな雰囲気だったが、いまや最大野党の立憲民主党にその熱意は全く感じられない。 国民民主党に至っては、国家戦略特区ワーキンググループの原英史座長代理に対する国会での森裕子参院議員の「名誉毀損(きそん)」発言を事実上正当するありさまだ。前回も指摘したこの問題の経緯は原氏による解説動画を参照してほしいが、論点をずらしつつ、まさに大事のように持ち上げているだけである。 消費増税関係の目立った動きといえば、せいぜい無所属の馬淵澄夫元国土交通相とれいわ新選組の山本太郎代表が立ち上げた「消費税減税研究会」ぐらいである。この研究会は5%への減税を旗印にして、野党間の連携を狙う政治スキームである。 この種の試みについて、筆者は基本的に賛成だ。特に、馬淵氏のマクロ経済政策観は国会議員の中でも抜群である。2018年3月、衆院本会議に臨む自民党の石破茂元幹事長(右)と小泉進次郎筆頭副幹事長(斎藤良雄撮影) ただし個人的には、山本氏とのタッグにはリスクが大きいと思っている。そのリスクは消費減税以外の主張にある。 山本氏は子宮頸(けい)がんワクチンに対する不必要発言や、放射能リスクに関する発言などで物議をかもしている。確かにこれらの問題も重要であるが、本稿では山本氏率いるれいわの経済政策観が、必ずしも「反緊縮」とはいえないことに注目したい。れいわの「悪いポピュリズム」 反緊縮の目的は経済成長を安定化させ、それによって雇用や所得を改善することにある。れいわでは「全国一律! 最低賃金1500円『政府が補償』」を主張している。しかも、中小企業が最低賃金を支払えない場合、不足分を政府が補塡(ほてん)するという。 中小企業の従業者数は約3200万人、全国平均の最低賃金が901円である。また、パートを除く一般社員の労働時間の年間平均はだいたい2000時間である。 あくまで仮定の話だが、中小企業が1500円の最低賃金を全従業員の全勤務時間に対して901円以上支払えないとすると、政府の補填は年間約38兆円になる。政府の2019年度一般会計の規模が約100兆円なので、3分の1超に達する金額だ。もちろん極端な計算ではあるが、いずれにせよ、かなりの金額を恒常的に支出する羽目に陥るのではないか。 れいわでは、デフレ対策は別の「デフレ脱却給付金」政策が割り当てられているので、この最低賃金補償政策は別のものになる。さて、こんなに恒常的に発生する膨大な財政支出をどう考えるべきだろうか。 まず考えられるのが、高いインフレが発生する可能性があるのではないかということだ。デフレを脱却した上で完全雇用を達成させるわけだから、国債の利子率もそこそこ高い水準になっているだろう。 高インフレが利子率をさらに押し上げて民間投資を圧迫し、それが企業活動を低迷させ、さらに最低賃金を払えない企業を増やし、いっそう政府支出が増えてしまい、それがさらに…という悪循環になりはしないか。 では、財源を国債発行ではなく、大企業課税で賄った場合どうなるだろうか。大企業にも従業員が1400万人ほどいるが、その人たちが大企業の課税によって職を失う可能性がありはしないだろうか。「企業を罰して、庶民を助ける」左派的思考のドツボにハマっている人たちがわりと多いが、企業経営と雇用は密接に連動しているのである。 むしろ、緩やかなインフレの中で、無理なく最低賃金を引き上げていく方が経済への負担は少なくて済む。どうしても所得に連動させたいならば、最低賃金水準を目的化するのではなく、年間3~4%を目標とするマクロ的な名目所得成長率ターゲットの方がいいだろう。 このように、現段階のれいわの経済政策は悪い意味でのポピュリズム(大衆迎合主義)に思える。いずれにせよ、野党陣営にはより実現性があり、国民全般に寄与する経済政策の立案を求めたい。2019年8月1日、国会で記者会見するれいわ新選組の(左から)舩後靖彦氏、山本太郎代表、木村英子氏 与党の中でも、世耕弘成参院幹事長が座長を務める参院自民党の勉強会を立ち上げ、「アベノミクス」の強化に向けて動くという報道もある。本当に強化する方向ならば、筆者は歓迎したい。 最近、経済ジャーナリストの田村秀男氏が指摘したように、日本の保守主義は伝統的に経済成長を志向していたのが、今は経済成長を軽視する「空っぽの保守主義」に堕しているとの厳しい批判がある。安倍政権もそうだが、ポスト安倍を担う勢力が本当に「空っぽ」かどうか、消費増税以後も日々問われていることを忘れてはならない。

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    国家公務員なら刑罰、意味不明発言を生んだ「利権トライアングル」

    。損をする人たちの声がクローズアップされるため、あたかも得する人たちがいないかのように報道されたり、政治家が農家の声だけを代弁したりすることも多い。 これでは、世論の中から、マスコミと政治家の声によって誘導され、あたかも関税撤廃が「悪」のように思う人たちも出てきかねない。実際、過去の貿易自由化をめぐる話題では、この種の「貿易自由化=悪」という図式が、いともたやすく人々が信じる「物語」と化した。 最近では、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に関する議論がそうだった。その中で「TPPは米国の陰謀」「TPPで日本が滅ぶ」という「物語」が多数生まれた。関税も規制の一種なので、規制緩和や規制撤廃はこの種の「物語」を生みやすい。そして、これらの「物語」こそが反市場バイアスの別名なのである。 そもそも、国家戦略特区は規制緩和を担う仕組みである。そのため、常に反市場バイアスに直面することになる。 さらに「政府の行うことは常に間違い」「権力とは異なる姿勢を取るのが正しい」といった素朴な意見が、政府=悪魔という「悪魔理論」を生み出す。最近では、反市場バイアスと悪魔理論の矛先が原英史氏に向いていることは、過去の連載でも指摘した。 ことの発端は、毎日新聞が6月11日に「特区提案者から指導料 WG委員支援会社 200万円会食も」と報じたことにある。記事を通常に読解すれば、原氏が「公務員なら収賄罪にも問われる可能性」があると理解してしまう。全く事実に依存しないひどい誹謗(ひぼう)中傷だと思う。2018年3月、TPP署名式で新協定に署名する茂木経済再生相=チリ・サンティアゴ(ロイター=共同) この記事をめぐって、原氏は毎日新聞社と裁判で係争中である。ところが、原氏の報告によると、裁判の過程で驚くべき「事実」が判明した。第1回口頭弁論で、なんと毎日側は当該記事について、原氏が200万円ももらっていなければ、会食もしていないことが、「一般読者の普通の注意と読み方」をすれば理解できると主張したのである。 これには正直驚いた。それならば、なぜ原氏がわざわざ写真付きで大きく取り上げられなければならないのだろうか。全く意味がわからない。さらに「意味不明」発言 意味不明な記事をもとにして、今度は国会でさらに意味不明な事件が起きた。10月15日の参院予算委員会で、森裕子参院議員の「(原氏が)国家公務員だったら斡旋(あっせん)利得、収賄で刑罰を受ける(行為をした)」との発言をめぐる問題である。 森氏は毎日新聞の記事をベースにして言及したのだろう。もちろん、そんな「斡旋利得、収賄」にあたるような事実は全くない。ないものは証明もできない。これは原氏に正当性がある。 他方で、毎日新聞の裁判でのへりくつ(と筆者には思える)でも、やはりそのような事実は原氏についてはない。つまり原氏、毎日新聞双方の言い分でも、森氏が国会で指摘したような事実を裏付けるものはないのだ。このような発言は、まさに言葉の正しい意味での「冤罪(えんざい)」だろう。 国会議員は憲法51条に定められているように、国会における発言で免責の特権を有している。そうならば、なおさら国会議員は、民間人の名誉を損なうことのないように慎重な発言をすべきだ。 もちろん、原氏をはじめ、森氏の発言を知った多くの人たちは憤りとともに森氏を批判した。だが、森氏から反省の弁は全くない。真に憂慮する事態だとはいえないだろうか。 筆者は多くの知人たちとともに、今回の森氏の発言とその後の「自省のなさ」に異議を唱えたい。既に具体的な活動も始まっている。参加するかしないかは読者の賢明な判断に任せるが、筆者が積極的に参加したことをお知らせしたい。 問題は、原氏個人の名誉の問題だけにとどまらない。WGの八田達夫座長らが指摘しているように、毎日新聞では(他のメディアや識者でもそのような発想があるが)、WG委員が特定の提案者に助言することが「利益相反」に当たるとか、あるいはWGの一部会合が「隠蔽(いんぺい)」されたとする報道姿勢にある。首相官邸で開かれた国家戦略特区諮問会議=2019年9月30日 これは先述したバイアスに基づくものか、無知に基づくものか、いずれかは判然とはしない。しかし、無知であれば、WG委員が提案者に助言したりすることはむしろ職務であることを理解すべきだろう。さらには、会合の一部情報を公開しないのは隠蔽ではなく、提案者を既得権者からの妨害などから守ることでもあると学んだ方がいいと思う。 要するに、無知ならば、まず無知を正すことから始めるべきだ。ただ、毎日新聞は戦前から不況期に緊縮政策を唱えるような反経済学的な論調を採用したことがあり、今もその文化的遺伝子は健在だといえる。 その意味で、実は反市場バイアス、反経済学バイアスが記者の文化的土壌に深く根付いている可能性もある。そうであれば、組織内から変化する可能性は乏しいと言わざるを得ない。

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    カン違いぶりに腹が立つ「魔の3回生」はこうしてつくられる

    との不倫路上キス。私が議員の不倫を許せない理由は「家族のことも思いやれない人に、国民のことを思いやる政治をするのは無理」「不倫する暇があるなら勉強しろ」と思うからだ。 私は議員時代、胃腸炎で休養した3日間以外、1日たりとも休んだことはなかった。国会活動はもちろん、国会のない日は地元に帰って市民の声を聞くための政治活動や、他地域の首長や議員との意見交換会などの予定をビッシリ入れて動き回った。プライベートな時間は食事と睡眠のみと言っても過言ではなかったので、このような報道を見ていると「気楽な人たちだな、自民党に所属しさえすれば次の選挙は寝ていても当選すると思っているのだろうな」と思わざるを得なかった。 新しい話だと、元男性秘書への傷害と暴行の容疑で新潟県警に書類送検された自民党の石崎徹衆院議員。議員秘書の資質・現状についてはまたの機会に述べるとして、今のご時世ではいかに問題のある秘書や部下であっても、パワハラは許されるものではないという誰でも知っているようなコンプライアンスを何処(どこ)かに忘れてきてしまうほど、彼も浮き足立っていたのだろう。元秘書への暴行問題を受け、新潟市内の街頭で謝罪する石崎徹衆院議員=2019年10月5日 ただ、石崎衆院議員は今年7月の問題発覚後から3カ月経過したものの、先日地元で街頭活動などをし、市民に直接謝罪と説明をしているということだから、自分に投票してくれた地元有権者に説明もせずに雲隠れする丸山穂高衆院議員よりは随分根性がある。 丸山議員も同じ3期目なので、「3期目に不祥事が多いのはなぜですか」とよく取材で聞かれるが、彼は元官僚だからか、これまで普段は自分を抑制し、端でみていて不自然なほどに腰を低くして振る舞っていた。それがストレスとなり酒量も増えたのだろうが、なんせお酒に弱すぎて、普段抑制している本能や本心がむき出しになってしまうという体質からして、議員には絶望的に不向きな人だ。進次郎議員ですら質問ゼロ さて、丸山議員はさておき、どうしてこんなハチャメチャな自民党議員が現れるのかというと、強固すぎる「安倍1強」体制と既得権益を求めて政府与党にしがみつきたい一部の国民が問題の根底にある。 第46回から48回(2017年)の総選挙のいずれも自民党であれば当選するのが当たり前だった。沖縄県などの地域事情や野党の重鎮議員との戦いでもない限り、比例復活すらしない自民党候補者は目も当てられないほど地元で嫌われていたりして、落選後に次の公認がもらえないというほどだ。要するに自民党候補者であれば超高確率で当選する状況だから、議員は特段の努力をする必要がない。 国会議員の代表的な仕事のひとつである国会質問の機会すら自民党は所属議員が多過ぎるので野党議員に比べると極めて少ない。 議員は委員会や本会議でより鋭い質問し、国民のためになる答弁を政府から引き出すために専門家との勉強会や官僚とのレク(レクチャー)を繰り返す。 政府の出した法案に党から言われた通り賛成しているだけでは鍛錬は難しいと言えよう。現に、首相を待望されているランキング上位にいつも食い込む小泉進次郎議員ですら、質問回数ゼロ・質問主意書提出回数もゼロで実績がないと揶揄(やゆ)されているほどに国会内で自民党議員には緊張感がない。 そして、自民党議員を見ていると、国民に対してではなく安倍首相への忠誠心を競い合っているように感じるのだ。以前、三原じゅん子参院議員が本会議で登壇し、「安倍首相に感謝こそすれ」という演説で物議をかもしたが、安倍首相の政策にこれぐらい激しく支持を表明してさえいれば、除名されることはほぼない上に、それだけで評価されてしまうありさまである。※写真はイメージです(GettyImages) そんな議員たちをさらにダメにするのが既得権益を求める業界団体といった国民の存在だ。同期の自民党議員と話していると、「毎日国会が終わったら、接待が1日4~5件あってさぁ。表向きは勉強会よ(笑)」など喜々として話していた。そこで接待する側は1期目の議員にも「先生、素晴らしい。先生のお力があれば…頼りにしております」なんて散々持ち上げて、時にはプレゼントまでするものだから勘違いをしてしまう。 ちなみに私が所属していたできたばかりの野党、維新にはそんな接待はほぼなく、大抵国会業務が終われば、同じ党の議員で集まり飲んでいた。これは身を切る改革を掲げる維新にはあるまじき行為だが、党のお金(政党助成金)を経費として使う権限をもつ大阪維新の会の議員が毎月数百万以上を使って仲間やメディアに高級店でご馳走(ちそう)していたということだから、接待だらけの自民党議員と環境は全く違うことは、お分かりいただけるだろう。こうして勘違いが始まる 他にも、パーティー券販売や献金集めも自民党議員は容易だ。よく自民党議員が「パーティーの告知をすれば、企業や業界団体が『先生、百万円ほど買わせてください』って飛んでくるからほんと儲かるんだよな」と笑っていた。まず野党にそんなことはない。 本来、国民と議員は対等に敬意を払い合う関係でなければならないにも関わらず、このように一部の国民が自民党議員に「われわれより偉いものはいない」という勘違いをさせ、国民の代表として国民のために尽くすことが役割だという自覚を失わせてしまっているのだ。 こうして不祥事を起こすようになった「魔の2回生たち」は、2017年の衆院議員総選挙公示前勢力で自民前職全体の4割近くを占める101人も立候補し、結果8割超の87人が当選している。 もちろん彼らの中にはまともな議員もたくさんいるが、不祥事議員も難なく当選を決めているので、そのように感覚のずれてしまった議員を当選させ続ける有権者も考えものだと私は思う。 いつまでも一定多数の国民が投票する際に「選挙では人ではなく党を選んでいる」状態である以上、自民党議員は努力する必要性を一生感じないだろう。 魔の3回生に不祥事があれば散々誹謗(ひぼう)中傷してきたくせに、いざ投票となれば「自民党の候補者にとりあえず入れておけばいいや」と何も考えずに1票を軽く扱う。「それなら最初から文句を言うなよ」と言いたくなる。 ところで、「2017ユーキャン新語・流行語大賞」のトップテンに入った「魔の2回生」という言葉を生みだした産経新聞記者は「『魔の2回生』と呼ばれたことを笑い話にできるような、立派な政治家になって日本をよくしていただけたら」と語っている。議員にとっては救いとなるような言葉で、しかも正しい。与野党関係なく議員はカップラーメンのように3分たったら出来上がりというわけにはいかない。国会議事堂の建物=2017年9月、国会(斎藤良雄撮影) 新入社員と同様に、新人議員が一人前になるには多少の時間がかかる。不倫、酒乱、パワハラや差別発言などをする議員は救いようがないが、新人議員の間抜けなやらかしには心ばかりの寛容さも与えてやってほしい。叩き潰してばかりだと、何も育たない焼け野原になってしまうから。

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    電力業界に「寄生」する恥知らずな人たち

    若林亜紀(ジャーナリスト) 関西電力の役員らが総額3億円以上の金品を、原発がある福井県高浜町の森山栄治元助役(故人)から受け取っていた問題で、関電会長の八木誠氏が9日、引責辞任した。 監督官庁としての責任を問われた、菅原一秀経済産業大臣は「第三者委員会で究明していただき、その報告を受けて経産省として厳正に処していく」と話した。 けれども、これは監督官庁としてあまりに後手ではないか。原発は民営とはいえ国策であるのに、経産省は関電と地元の元公務員の間の10年以上にわたる不穏当な関係に気づかなかったのか、相談は受けなかったのか。関係者からの内部通報を受けたことはなかったのか。 経産省には、電力会社の営業や約款変更、料金改定について許認可権がある。また、発電所や原発がある地域への交付金など、国費を電力会社に流す窓口となっている。 したがって、電力業界への定年前後の再就職、いわゆる天下りも多い。 2008年に衆議院調査局が「国家公務員の再就職状況に関する予備的調査」報告書を出した。これは、通称「民主党の天下り調査」と言われ、国の省庁から、許認可や補助金交付の対象となる公益法人への天下り人数を集計したものである。その後更新されていないため、現存する、天下りの詳細についての唯一の資料となっている。 全945ページにもなる厚い報告書をめくると、経産省の中で、原子力発電を所管するのは、大きくわけて資源エネルギー庁と原子力安全・保安院であったことがわかる(保安院はその後環境省所管の原子力規制委員会となった)。 エネ庁の中に長官官房、省エネルギー・新エネルギー部、電力・ガス事業部の電力基盤整備課、放射性廃棄物等対策課、原子力政策課などがある。また、独立した、関東、中部近畿といった地方ごとの保安監督部がある。これらが所管する公益法人の中で、電力・原子力関係のものが52あり、天下りが行われていた。 原子力安全基盤機構に38人、電気技術者試験センターに11人、日本電気技術者協会に11人、関東電気保安協会に152人、中部電気保安協会に78人、関西電気保安協会に15人、九州電気保安協会に32人、発電設備技術検査協会に10人、原子力安全研究協会に3人、原子力発電技術機構に4人、原子力環境整備促進・資金管理センターに8人、火力原子力発電技術協会に2人など。52の団体に、計559人が天下り中であった。 ただし、経産省所管団体といえども、原発関係の天下りは文部科学省からもある。原子力研究を所管していた旧科学技術庁が文科省に吸収されたゆえんである。発電所や付帯施設の建設・整備の関係で、国土交通省からも多い。逆に、この52団体以外にも、文科省、環境省所管の原発関連法人があり、そこに経産省OBも天下っている。関西電力の役員らが金品を受領していた問題で会見。会見の冒頭、頭を下げる八木誠会長(左)と岩根茂樹社長=2019年10月9日、大阪市福島区(安元雄太撮影) 天下りの数はその後も増え続けている。 内閣人事局は先月27日、管理職以上であった公務員の昨年度の新規天下りの実態を公表した。それによれば、経産省を課長以上で退職して、独立行政法人や公益法人、民間企業などに再就職した人は130人であった。2009年度には61人だったので、倍増である。 ところで、天下り役人は、いったいどんな仕事をしているのだろうか。  象徴的な問題が2011年に起きている。38人の天下りを擁していた原子力安全基盤機構問題である。同機構は、原子力発電所の安全検査を行っていたが、検査対象の電力会社に検査案を作ってもらい、その通りに検査を行っていたことが発覚し、批判を受けた。 国が天下りを擁護する言い訳は、高い専門性と職務経験を生かすためというが、機構の原子力安全検査では経産省OBの知見はまったく生かされていなかったと言える。機構は2014年に改組して原子力規制委員会という名に変わった。天下りは警察からも多い 筆者も2001年までの10年間、厚生労働省の労働問題研究所で働いていた。その研究所では、役員のほとんどが天下りであった。元事務次官の理事長は、毎月「海外視察」と称して公費で海外旅行をしていた。実態は観光、グルメ、ショッピング。他の天下りは、秘書相手に毎日囲碁をして過ごしていた。 月に一回、「厚労省関連団体囲碁大会」が行われ、いろいろな天下り団体の役員が集まってきた。天下り団体は民間企業と違い、倒産の心配はないので経営判断は求められない。法人の収入は役所の予算同様に、現役の官僚たちが税金から取り分けてくれる。理事の肩書があっても仕事はなく、よほど本人がまじめで奇特な人物でない限り、ただの「高額の生活保護」であった。天下り役員の平均年俸は1964万円だった。 これでは、経産省をはじめとする霞が関の官庁は、監督・規制をするというより、天下りで業界に「寄生」する官庁ではないか。 電力会社への天下りは、警察からも多い。 先ほどの内閣人事局の天下り調査によると、昨年度は、福井県警本部の刑事部長が北陸電力の福井支店付部長に、島根の刑事部長が中国電力の島根原子力本部調査役に、新潟の刑事部長が東北電力の新潟支店調査役に、宮城県警本部の総務部長兼仙台市警察部長が東北電力の人財部調査役に天下った。 一昨年度は、青森の刑事部長が東北電力の青森支店調査役に、三重の刑事部長が中部電力三重支店長に、富山県警本部の警備部長は北陸電力の富山支店付き部長に、大分県警本部の生活安全部長が九州電力の大分支社渉外担当課長に、広島中央署長が中国電力のコンプライアンス推進部門調査役となった。2015年には富山県警本部の交通部長が関西電力の北陸支社参事に天下っている。 関電の原子力事業本部は、本社直轄の組織であるが、高浜原発のある北陸地方にある。関電はこの警察OBに今回の贈賄や恫喝(どうかつ)について相談したことはあるのだろうか。そもそも、天下りの有無にかかわらず、警察や経産省に相談したことはあるのだろうか―。9日に本件を調査する第三者委員会が設置されたが、このことも明らかにしてほしい。 森山元助役が関電役員に金品を配り、関電の工事を受注する会社から報酬を得ていたことは対価性が疑われるが、証明が難しく、立件できるかは微妙という。それでも同義的に許されないことである。 けれども、電力業界に寄生する天下り公務員の多さを見ると、森山元助役だけを責めることはできない。霞が関の官僚たちは、組織的に、合法なやり方で電力業界に寄生している。森山元助役は、同じことを一人で、泥臭いやり方でやっただけである。 そして、天下りの給料やばらまかれる賄賂は、税金や電気料金に上乗せされて消費者が負担させられているのだ。金銭授受問題について多々見良三市長(右)に謝罪する関電社員ら=2019年10月9日、京都府舞鶴市北吸(撮影・永山裕司) 定年間近の公務員の身になれば、天下りはありがたい。しかし、東芝やNECといった大手企業も40代、50代社員の大幅なリストラをせざるを得ない社会経済状況の中、公務員だけがぬくぬくと働かずに高給を得られる天下りを放置してよいのだろうか。 天下りという不公平な制度が国家の中枢で堂々と行われていることが、国民のモラルやビジネス倫理を引き下げているのかもしれない。菅原一秀経産大臣は、このことに気を留めて、関係者の処分と天下りの削減を含めた再発防止に取り組んでほしい。

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    小泉進次郎に語ってほしかった「セクシー」じゃない話

    りなかっただけに「新鮮」である。 朝日新聞社による直近の全国世論調査では、「ポスト安倍」にふさわしい政治家として小泉氏がトップに挙げられ、2位の石破茂元自民党幹事長が水をあけられる状況が続いている。ひょっとしたら、「朝日的なるもの」では、そろそろ小泉氏をここでけん制しておく必要でも出てきたのかもしれない。 朝日に限らず、日本のメディアの報道姿勢は基本的に「悪魔理論」である。あくまで正義はマスコミで、悪は政府であった。 これまで、安倍政権とわりと距離を置く発言をしてきた小泉氏が入閣したことで、初めはご祝儀的に高めておきながら、後で地に叩き落とすという、いつものウルトラワンパターンな日本メディアのお家芸を発揮するのだろうか。今後の推移がどうなるか興味深い。 さて、小泉氏のセクシー発言が「薄っぺらい」というか、「ええかっこしい」だな、という点は先ほど指摘した。「薄っぺらい」とか「ええかっこしい」という、筆者のような率直な言葉こそ使っていないが、ロイターの記事も先述のように同様の趣旨であろう。 小泉氏はセクシー発言の中で、1997年に採択された京都議定書以来、目立った行動も強いリーダーシップも日本政府は取ってこなかったという趣旨を述べたうえで「今この場から変わる」と宣言した。だが、ロイターは、この小泉発言には何の具体性もないと指摘している。 データを見ると、日本は、先進7カ国(G7)の中で唯一新しい火力発電所を増やす計画があり、アジアにその火力発電を輸出していることがその理由だという。国連のアントニオ・グテレス事務総長やフィゲレス氏らの「行動こそ重要である」という旨の発言を援用までしている。 特に、グテレス氏は直近の演説で「格好のいい演説(Fancy Speech)よりも行動が重要」という旨の発言をしていた。ロイターはまさに小泉氏の発言を「格好のいい演説」あるいは「しゃれた演説」そのものとして捉えたのだろう。「気候行動サミット」で閉幕のあいさつをする国連のグテレス事務総長=2019年9月、米ニューヨークの国連本部(共同) 日本のエネルギー対策は、日本国民の生活と同時に、世界の環境問題との利害調整の中で追求されている。小泉氏が述べるべきは、ええかっこしいのセクシー発言よりも、自国の立場に関する丁寧な解説だったろう。 あるいは、彼が本当に日本のエネルギー政策を大胆に転換させたいならば、その点を具体的に話すべきだったのではないか。小泉氏のセクシー発言は本当に空虚な発言そのものである。

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    安倍新内閣、この大臣に気をつけろ!

    アの関心はもっぱら「ポスト安倍」に向けられている。小泉進次郎議員を初入閣させた首相の真意、前途多難な政治課題を抱える新内閣に潜む「アキレス腱」とは。

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    「河野太郎防衛相」は日本にとってリスキーすぎる

    生(参院議員)  河野太郎議員は英語が堪能なことで外務省内でも高い評価を得ていた。 しかし、語学力と政治力は別次元の能力である。河野議員の外相時代の行動を振り返れば、防衛相に就いても、国際政治において問題を起こし続けること、必定(ひつじょう)である。私の狭い経験からしてそう確信している。 参議院予算委員会、拉致特別委員会で質問したときのことだ。拉致問題にどれほど関心があるのか、あるいはないのか。質問に対して手元にある答弁書を早口で読むばかりで議論は深まっていかない。違う角度から質問を繰り返しても、模範解答らしきものをぶっきらぼうに早口で読むだけだ。 官僚が準備した答弁が現実からはるかにかけ離れていても、まさに「壊れたテープレコーダー」が同じ言葉を再生するだけなのである。予算委員会で拉致問題を質問したときも同じだった。安倍首相からして答弁書に目を落とし、そこにある文章を口にするばかりだから、河野議員だけの責任とするのは酷かもしれない。日本政治の惨状を体現しているだけだからだ。 ここである映画を思い出す。『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(佐古忠彦監督)というドキュメンタリー作品だ。「カメジロー」とは沖縄人民党の委員長だった瀬長亀次郎のことである。愛称「カメさん」だ。沖縄初の国政参加選挙となった1970年の衆議院選挙で沖縄人民党から立候補、当選している。 沖縄が日本本土に復帰する課題は国会でも激しい議論になった。当時の首相はアメリカのニクソン大統領と交渉して沖縄の日本復帰を実現した佐藤栄作だ。国会の委員会で沖縄の本土復帰をめぐる議論が行われているシーンが圧巻だ。瀬長議員の沖縄の歴史と苦悩を背負った追及に佐藤首相が応じるのだが、注目すべきは答弁書など全く持っていないことである。「核抜き本土並み」という欺瞞(ぎまん)は、歴史がのちに証明することになるが、佐藤首相には持論を語るだけの迫力があった。まさに真剣勝負としての国会がかつてはあったのだ。それだけの思い入れと知識があったからこそできるディベートである。 さて河野太郎議員である。ロシアとの領土交渉に関して記者の質問に答えることなく「次の質問どうぞ」を連発したのは、児戯(じぎ)に等しかったが、怒りを表明しない記者もだらしがない。 河野議員が2018年8月から19年7月までの1年間に海外訪問のため、機上にあったのは約740時間だったと外務省が明らかにした。ほぼ1カ月を移動の航空機内で過ごしたことになる。「スタンプラリー外交」と皮肉られる根拠である。官邸入りする河野太郎氏=2019年9月11日、首相官邸(納冨康撮影) しかも国際会議場のどこにいるかをツイッターで「タローを探せ」と発信、おまけに「初級編」「中級編」とするなど、「ウォーリーを探せ」の河野版である。これもまた児戯に等しい行為であるが、あえて言えば趣味の世界だといえば自由の範疇(はんちゅう)だろう。 問題はロシアとの領土問題でも、北朝鮮の拉致問題でもまったく成果をあげていないことである。私をブロックした河野議員 奇しくも9月17日で小泉純一郎訪朝から17年を迎える。拉致被害者5人とその家族が日本に帰国してから、歴代の日本政府は拉致被害者を1人も救えていない。 政権に復帰した安倍首相は、2012年12月28日に「必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい」と被害者家族に語った。それからでも6年9カ月、14年のストックホルム合意は実現したものの、日本政府が北朝鮮の調査「報告書」の受け取りを拒否したため、時間は無為に過ぎていくばかりだ。 河野議員は外相として北朝鮮との交渉においていかなるイニシアチブを取ったというのだろうか。寡聞にして聞いたことがない。 北朝鮮が安倍政権を相手にしないとの基本方針を定めたのは、2017年夏である。9月20日の国連総会で安倍首相は北朝鮮に対し、口を極めて批判した。さらに河野議員は9月21日にコロンビア大学で講演し、北朝鮮との「断交」を国際社会に求めた。その後に米朝接近があったため、安倍首相はトランプ米大統領や韓国の文在寅大統領を通じて金正恩委員長に拉致問題を提起してもらった。国際社会に遅れまいとの焦りは募れども「6カ国協議国」(北朝鮮を除けば5カ国)でいまだ金委員長と会えていないのは安倍首相だけである。「条件を付けず」に首脳会談を行いたいと安倍首相が発言したのは、5月3日だ。あまり報道されていないが、それ以降も北朝鮮を日本批判に向かわせたのも河野議員による不用意な発言であった。 5月25日に静岡県島田市の講演で「制裁を回避する3つの穴を塞ぐことで」金委員長の「決断を促す」などと「上から目線」で「正しい決断」を要求したのである。北朝鮮にとって「最高尊厳」に対する批判的言及が最も許せないものであることは、対北朝鮮外交の基本に属する問題である。河野議員は安倍首相の悲願に砂をかける行為をしたのだった。 ツイッターで河野議員を批判する書き込みをした者に対してはしばしば「ブロック」といって、河野議員の書いた内容を読めない措置を取る。有権者に対して政治家のすることかとの批判もあるが、それはまた自由だろう。驚くべきは、おそらく、本人が批判を読んでいて、いちいち「ブロック」をしていることである。ちなみに、私も河野議員のツイッターを読むことができない。「ブロック」されているからである。 私が最近もっとも唖然(あぜん)としたのは、徴用工問題で駐日韓国大使を呼びつけ抗議した場面だ。日本政府の立場を長々と説明し終えた直後のことである。相手が発言し始めたところで遮って「無礼だ」と口にした。この発言は近く予定されている内閣改造において外相を続投したいがために、安倍首相へのパフォーマンスだったとする見方がある。そうかも知れないが、それにしても外交相手に対してあってはならない行為である。 韓国も北朝鮮も「誇り」をもっとも大切にする民族であることも外交的な常識である。かくて河野議員は、英語力には素晴らしい能力があるものの、朝鮮半島問題では、明らかに失敗を繰り返してきた。会談を前に握手する、河野太郎外相(左)と韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相=2019年2月15日、ドイツ・ミュンヘン市内のホテル(力武崇樹撮影) 北朝鮮外交を担うべく外務省の最高責任者だった河野議員は、拉致問題を最重要課題だとしている安倍政権において、明らかに職責を果たしていない。最後の記者会見でも拉致問題に触れなかった。できないのである。これは後世に厳しく記録される歴史的事実である。 新しい外務大臣となる茂木敏充氏には、小泉訪朝を実務的に準備した当時の外務省の担当者たち、たとえば田中均元外務審議官などからも率直な意見を聞き、北朝鮮を含む北東アジア外交を積極的に切り開いていくことを期待したい。■有田芳生が問う「安倍首相よ、それでも沖縄の民意を踏みにじるのか」■北朝鮮非核化「トランプの財布」に日本が甘んじてどうする■安倍総理の「やってる感」に愛想を尽かした拉致家族のホンネ

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    コテコテの「おともだち」で固めた改造内閣に安倍首相の憂鬱がにじむ

    弘政権や小泉政権など過去の長期政権は、官房長官を途中で交代させてきた。官房長官には首相が最も信頼する政治家が起用されるものだが、次第に首相にとって危険な存在になってくるからだ。2018年10月、明治150年記念式典に臨む(左から)菅義偉官房長官、麻生太郎副総理兼財務相、安倍晋三首相 二階氏についても、その圧倒的な力量を評価されているが、一方で「世代交代論」があった。しかし、安倍首相は、ためらいなく彼らの留任を決めた。 他の主要閣僚や党役員についてだが、まずかつて務めたポストへの復帰が目立つ。加藤勝信総務会長が厚生労働相に復帰となった。「今後も変化なし」を宣言? 加藤氏は首相の最側近の一人で、かつて内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)および一億総活躍、女性活躍、再チャレンジ、拉致問題、国土強靱(きょうじん)化と七つの担当を兼務した。全く関係なさそうなポストの兼務だが、要するに世論の動きに対応してタイミングよく政策を出すのが仕事で、それだけ首相に能力を買われてきたといえる。 また、高市早苗衆院議院運営委員長も、総務相に復帰した。安倍政権では女性初の党政調会長、そして総務相を務めてきた。女性議員の中で、最も安倍首相に重用されてきたといえる。総務相の在任期間は1077日と、歴代1位のベテランが復帰したわけである。 外相には、茂木敏充前経済再生相が横滑りした。既に「日米貿易交渉」の先頭に立ってきた茂木氏の仕事に大きな変化はない。 今後、日韓関係は半導体部品の輸出管理について日本の措置の正当性を主張することが中心になるし、日露関係は経済協力が日本側の持つ交渉カードだ。比較的安定している日中関係も、「一帯一路」計画に対する日本の協力をどう進めるかが課題だ。経産省の幅広い業務のうち、海外業務だけに特化して取り組むという感じだ。 一方、防衛相には河野太郎前外相が横滑りする。日米の安全保障体制の安定を保ちながら、日韓軍事秘密保護協定(GSOMIA)の破棄を表明した韓国と交渉することが最重要の仕事となる。河野氏が既に外相として取り組んできたことだ。要するに、外交と安全保障に関しては、安倍政権の方針に変化なしというのが、国内外へのメッセージとなる。 世耕弘成前経産相は、党参院幹事長に転出する。今年7月の参院選で、自民党や公明党などの「改憲勢力」は憲法改正の国民投票発議を可能とする3分の2の議席数を割ってしまった。安倍首相の悲願である憲法改正を進めるのは難しくなったが、まずは参院自民党を一枚岩にまとめるのが重要ということだろう。 憲法改正については、細田派の領袖(りょうしゅう)である細田博之元官房長官が党憲法改正推進本部長に起用されると報じられている。安倍首相は憲法9条に関して、戦争放棄を明記した第1項、第2項を変えず、第3項に「自衛隊」を明記するという小幅で現実的な改憲を主張している。2019年4月、桜田前五輪相の辞任について、厳しい表情を浮かべながら首相官邸で報道陣に対応する安倍首相 これには、石破茂元幹事長、船田元元経済企画庁長官など専門的に改憲に取り組んできた議員が反発している。だが、安倍首相は彼らを排除し、側近を中心に改憲を進めようとしてきた。専門性よりも政治的に可能な改憲をめざすという方針は、今後も変化なしということだ。 悲願の改憲を進めるための基盤となるのが、経済の安定によって内閣支持率を高く保つことだ。そのキーマンとみられるのが、安倍首相が最も信頼する政治家の一人で、党税制改革調査会長に起用された甘利明前選挙対策委員長だ。進次郎は「客寄せパンダ」 ただし、10月の実施を控える消費税率の10%引き上げは既に決着がついている。首相が甘利氏に求めるのは、増税実施後に景気が不安定化した場合、所得税や法人税の減税など、即座にありとあらゆる手を打って景気を安定させることだ。 また、衆院解散・総選挙ということになれば、当然経済対策を打ち出さねばならない。安倍首相としては、どんな事態にも柔軟に対応するために、党税調を完全に掌握したいということだ。だが一方で、麻生財務相、岸田文雄政調会長の留任と合わせて、アベノミクスに変化はないともいえる。 「今後も変化なし」を宣言するばかりの安倍人事だが、唯一目を引くのが、小泉進次郎氏の環境相起用だろう。当選4回の小泉氏の起用は「抜擢人事」といえる。 だが、環境問題といえば環境省と経産省の対立があるうえに、安倍政権には、二階氏、甘利氏、茂木氏、世耕氏と歴代大臣経験者が揃い、経産省と深い関係がある政治家が多い。 経産省の政治力が圧倒的に強い政権で、小泉氏に求められる役割は「客寄せパンダ」ではないだろうか。福島第1原発の汚染水問題で難癖をつける韓国にズバリと反論し、「お・も・て・な・し」のクリステル夫人とともに、小泉氏の強い発信力で東京五輪・パラリンピックを気持ちよく迎えたいということだろう。 これが最後かもしれない安倍人事から見えてくるものは、安倍首相の深い疲労ではないだろうか。首相自身、長期政権の成果に満足しているのだろう。2017年9月、衆院が解散し開かれた自民党の両院議員総会を終え、安倍首相(左)と握手する小泉進次郎氏 もちろん、世の中にはさまざまな批判が存在するが、首相は既に疲れてしまっていて、批判など聞きたくないと思っているのだ。だから、主要政策の担当大臣には、長年取り組んできたベテランを配置して、答弁を任せたいと思っている。そして、周辺にはひたすら首相をヨイショしてくれる若手や中堅を置いて、気分よく過ごしたいということだ。 小泉氏を起用することで、一応「挑戦」する姿勢を見せている。多くのメディアは、既にその抜擢を絶賛している。 しかし、小泉氏は安倍政権で最も仕事しづらいポストに配置され、完全監視下で「客寄せパンダ」を演じさせられることになる。小泉氏にエールを送るとすれば、若いうちに「冷や飯」を食わされることこそ、リーダーになるための最高の修行だ。だから「客寄せパンダ」をやり切ってみせればいいのである。■ 安倍晋三に重なる「消費税に殺された」朴正煕の影■ 「北朝鮮脅威」の甘い蜜を吸う安倍首相に金正恩が会うメリット■ 令和婚の小泉進次郎に舛添要一があえて贈る「祝言」