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    いい加減「大阪都構想」3つのウソを直視せよ

    すポジションを取り替えて出馬したことにある。こうして異例のダブルクロス選挙となった。 一般論として、政治家である知事と市長がその政治的信条から別の職をルールに沿って目指すことに違和感はない。 しかし、今回のダブルクロス選挙は、11月に予定されている選挙を前倒しすることで経費の節減になるからだと公言されていることは理解できない。民主主義のルールは選挙経費より尊重されなければならない。 実態は、都構想の行き詰まり打開のために府・市の議員選挙との相乗効果を狙うとともに、相手陣営の機先を制しようとする党利党略に基づく奇策であるとしか考えられない。  ここで都構想をめぐる動きと今回のダブルクロス選挙に至る経緯を簡単に要約しておきたい。 都構想は2015年5月の住民投票で否決された。しかし、同年11月のダブル選挙で再度都構想を公約に掲げる大阪維新の会の松井一郎氏と吉村洋文氏がともに知事と市長に当選し、再び挑戦が始まった。 2017年6月には大都市制度(特別区設置)協議会(略して「法定協議会」)が設置され、今年3月まで23回の協議が重ねられた。特別区設置協定書の作成を目的とする協議会であるが、その構成員20人は府・市の首長と議員のみで構成されており、最終局面が近づくにつれて政治的対立が表面化することは避けられないと予見されていた。「大阪都構想」を議論する法定協議会が開かれた=2019年1月29日、大阪市中央区の大阪府庁(彦野公太朗撮影) 昨年までは事務局(府・市共同設置の副首都推進局)が項目ごとにたたき台となる考え方を提示し、委員との質疑応答を重ねてきた。その取りまとめとして「副首都大阪にふさわしい大都市制度《特別区(素案)》」がある。協議をする上での「たたき台」であり、大阪都構想の概要はこれによって知ることができる。分厚い資料は難解だが、その核心は大阪市を廃止し、その事務事業を府移管分と新たに基礎自治体となる60万~70万の人口規模の四つの特別区とに仕分けすることにある。 そしてその裏付けとなる財源は、府は市の有力財源である法人市民税、固定資産税、都市計画税、事業所税などで賄い、特別区は個人市民税などの限られた市町村税のほか、府から交付される財政調整財源に大きく依存する(地方交付税の直接交付はない)。実質的に府の管理下に入り、財政自治のない特別区は真に基礎的自治体といえるのか疑問である。混乱の始まり 淡々と回を重ねてきた法定協議会であるが、年末からの余震に続いて今年に入ると、会の進行などをめぐって不満が噴出し混乱が始まった。その原因は、①代表者会議のあり方②議会日程との調整③協定書のまとめ方、などをめぐってであった。 その根底には、委員間討議を早急に行って協定書を取りまとめ住民投票に持ち込みたい大阪維新の会、反対ではあるが素案についてより熟議を求める公明、都構想そのものに反対する立場から採決による決着を求める自民と共産、という委員間の対立の構図があった。 こうした経緯を経て、3月7日の法定協議会において今井豊会長(大阪維新の会)は「今後のスケジュール『工程表』(会長案)」を提案し採決が行われた。 その内容は、統一選挙後の5月から6月にかけて4回の協議会を開催して審議の到達点や方向性を確認の上6月には協定書(案)を取りまとめ、再開後第5回の法定協議会で協定書を決定、直ちに所定の手続き(議会での審議など)を経て本来の知事・市長のダブル選挙日であった11月24日に再度の住民投票を実施するというスケジュール案であった。 採決の結果は反対多数で否決された。 そしてこの結果を受けるかたちで翌3月8日に知事と市長は辞意を表明した。 今回の知事、市長、府議会議員、市会議員の選挙結果は、都構想論議の今後(終結か継続か)に決定的影響を与える重要な選挙となった。入れ替えダブル選への立候補を表明し、記者会見する大阪府の松井一郎知事(左)と大阪市の吉村洋文市長=2019年3月8日、大阪市中央区(彦野公太朗撮影) しかし、そもそも都構想には懸念が多い。都構想をめぐる「軽視・錯覚・誤解」について指摘したい。 都市ではヒト・モノ・情報が激しく流動し、相互依存関係を高めながら密集した場が形成され、そこで経済活動や市民生活が営まれる。そしてこれらの活動は多岐にわたる公務や都市装置の集積によって支えられている。 指定都市である大阪市は、多様な事務事業の担い手である有機的総合行政体として重要な役割を果たしてきた。 大阪市政130年の歴史は自治権拡充を求める歴史でもあった。戦前からの大都市の特別市制確立運動は、戦後、地方自治法上で特別市が条文化されたものの、五大府県と五大市との激しい対立によって特別市制は実現せず、代ってその妥協の産物として1956年に指定都市制度が創設された。事務権限移譲の流れは、国から地方へ、府県から市町村へ、をキャッチフレーズとする分権改革の流れに沿って今日なお途切れることなく続いている。 大阪都構想はこの流れを逆流させようとする動きである。この逆流は、一度は2015年の住民投票で反対多数の結果となったことで解消したかに見えた。しかし、その後のダブル選挙で都構想を目指す知事、市長が当選したことで、再び大阪の地方政治はこの問題に政治的エネルギーと行政資源を注入することとなった。都構想3つの真実 なぜいつまでもこの論議が延々と続くのか。 都構想の深層がよく理解されないままに、その深刻さは軽視され、錯覚や誤解が渦巻いているからではないだろうか。 以下、都構想の真実をこの観点から3点に絞って論じることとしたい。 一つ目は、合併を「足し算」と例えると分割は「割り算」であり、この二つは全く次元の違う問題であるということだ。市町村の廃置分合には、①分割②分立③合体④編入、の四つのパターンがあるが、昭和の大合併、平成の大合併の実態は③か④であって、基礎自治体が解体され、複数の基礎自治体となった前例を知ることはできない。 ③と④はいわば「足し算」による合併であり、②は分家する「引き算」、①は「割り算」に例えることができる。 大阪市を廃止し4特別区を設置するということは、①の分割に該当し、しかも市を廃止し複数の市を設置する(前記②)のではなく、その事務権限を大幅に縮小した基礎自治体(市町村以下と言ってよい)に転換しようとするものである。前例のない分割であるが、特別区への分割は「ありえない」ほど深刻な分割問題であるという認識を共有することが、議論の出発点とならなければならない。 合併は合意形成など苦労の多い大事業であるが、合併するA市とB町・C村の間には、同じ基礎自治体としての「行政の同質性と連続性」が確保できる。国による交付税措置や法的バックアップもあった。 しかし、大阪市の廃止・特別区設置(分割)には行政の連続性や同質性はなく、大阪市のヒト・カネ・モノ・システム・公文書などあらゆる行政資源をそれぞれの特別区へと選別解体する作業をともなう。しかも合併のような財政支援もない。 この「割り算」作業が現実問題としてスムーズに実現するとは思えない。反対派の集会「大阪市をなくすな!5/10市民大集会」で会場に掲げられたのぼり=2015年5月10日、大阪市北区(安元雄太撮影) 特別区移行の日(設置の日となるXデー)まで大阪市政は、直前までの指定都市としての役割に加えて、特別区への移行作業を全組織をあげて担わなければならない。Xデーには選挙で選ばれる特別区長も区議会の議員もいない。選出される日まで大阪市長が職務代理者となり移行作業の指揮をとらねばならないのだ。この二重の負担に耐えうるのか。 一方Xデーには、解体される大阪市の職員は、前日までの職務を終結させて、全員が大阪府、4特別区、そして前例のない一つの自治体にも比肩するマンモス一部事務組合へと配置替え、大異動が行われる。前後して書類・備品などの移管が必要である。今どき配送業者がタイミングよく確保できるかも心配だ。分割にともなう財政負担も甚大である。 さらに、混乱する職員に輪をかけて困惑するのは市民である。混乱ぶりが目に浮かぶではないか。行政は1日の停滞も許されない。 Xデーが万博前ともなると、万博への大きな悪影響も避けがたい。「割り算」と「足し算」とは次元の違う問題であることが認識されなければならない。 上記は一つのシミュレーションだが、移行期間そして大阪市廃止後の長期にわたる混乱に思いの至らない構想は大阪市民をミスリードする政治的ゲームの道具以外のなにものでもない。市民を欺く説明 大阪市を一度解体するということは、再び大阪市に戻ることのできない「片道切符」の制度であり、特別区は仲間のいない孤独な「異端自治体」であることの覚悟も重要である。特別区を「中核市並みの自治体」であるとの説明も市民を欺くものだ。消防も水道も分担せず、課税権も制約された基礎自治体は並の市町村以下の自治体である。 二つ目は、東京都区制度と大阪都構想は似て非なる制度である点だ。大阪府市再編による大阪市廃止・特別区設置構想が大阪都構想と称されて久しい。だが、この構想は、府市関係が府・4特別区の関係に移行するだけで、そこに「都」は存在しない。東京一極集中の勢いにあやかろうとする市民を欺く詐称である。 大阪市というビッグネームはなくなり、大阪府北区(仮称)などと個性のない半人前の基礎自治体に変換されるわけである。一方的に「広域」と仕分けされた市内の事務事業は府に移管され、調整財源の配分の主導権も府に握られた状態で、府内人口の30%、面積で10%程度の特別区民の府議会での立場は常に少数である。東京都23特別区が70%近い人口割合を占めているのと対比しても格段の差があるのである。 また、東京と大阪では、戦前、戦後の自治制度についてそれぞれ独自の軌跡を歩んできたという歴史の重みを忘れてはならない。 戦前東京、京都、大阪三市の区は法的に法人区であったが、東京市の区が区会をもち自治区と学区(区が単位)の議決機関としての役割を果たしてきたのにたいして、大阪市では区内に多数の学区が存在(1927年廃止時点で65の小学校学区)したものの区に区会はなく、区は行政区であった。市政としての統一性と総合性が重視されてきたのである。 さらに忘れてはならないのは財政力の違いで、東京23区と大阪4区とでは格段の差があることは明らかである。東京都区は地方交付税の不交団体であるが、大阪は府・市ともに交付団体で地方交付税に大きく依存した財政であるという違いがある。大阪の特別区は、大阪府・市分として府に交付されたものが調整財源に組み込まれるにとどまり、地方交付税の財源保障と特別区財政との直接の結びつきはない。開票作業を行う職員ら=2015年5月17日、大阪市淀川区の同区民センター(恵守乾撮影) また、法人市民税、固定資産税、都市計画税、事業所税といった有力な都市的税目はことごとく府税に移譲され、この結果特別区が課税する税は住民税中心となるが、この点でも23区と大阪市では税収水準に大きな格差があることが知られている。 2018年の『個人所得指標』によると、人口1人あたりの住民税課税対象所得は、全国平均を100として、東京23区平均が163・2に対して大阪市は全国平均を下回る93・9の指数となっている。東京23区は大阪市を1・7倍強上回っている。 特別区になることで成長するといった単純な話ではない。二重行政は理由にならない 三つ目は感覚的な「二重行政」論についてである。かつて大阪の二重行政を象徴する事例として流布されたのは、狭い市域に府立と市立の図書館と体育館が二つ併存しているということであった。だが、今日これを口にする人は稀(まれ)である。 なぜ変わったのか。それが必要で大切な役割を果たしていることが広く認知されているからである。類似した行政と二重行政とは違うにもかかわらず、「為にする」二重行政探しが今日なお続き、改悪としか思えない統合・合併が進められ検討されている事例が見られる。 府県と市町村の役割分担の基本は地方自治法と個別の法令で定められており、自治事務の中にはある意味で類似行政が存在する。しかし、これらが直ちに非効率や無駄というわけではなく、「多々益々(ますます)弁ず」と評価されるものもある。その評価は、有用か無用か有権者市民によって判断されるべきものであって、政治的に仕分けすべきものではない。 かつて地方制度調査会は、1970年の「大都市制度に関する答申」において、現地実地調査を踏まえ、大阪府市について、「市は都心部の再開発に専念し、府は周辺地域についての市町村行政を補完し、都市の経営に当たっているという現在の行政体制は府市の二重行政という理論上の問題があるにもかかわらず、その運営の実態においては、地域的な機能分担を図りつつ、それぞれの大都市問題の効率的処理に努力している状況を認めることができる」と述べている。日本万国博覧会開催を正式に承認され、中馬肇大阪市長から国際電話で承認を喜びあう左藤義詮知事=1966年5月12日、大阪市 また、当時左藤義詮(ぎせん)府知事が語った行政哲学「内野・外野守備論」がある。大阪市は都心部の再開発に専念し、外野である周辺都市で府は先行的に都市整備を行って副都心を育て、多核心都市への成長に努める中で府市連携を図るというものであった。この府市の役割分担の基本は今日なお存続しているものである。 1970年万博の地元受け入れ体制は、左藤知事と中馬(ちゅうま)馨市長との府市連携のもと、万全を期し成功に導いた。 いずれにしても二重行政問題は軽々と感覚的に論ずべき問題ではない。二重行政を理由に、府市再編により大阪市を廃止する必要があるとの論理には飛躍があり、人々をミスリードするものだ。■大阪万博「経済効果2兆円」のまやかし■「橋下徹のしょぼい提案」をスケールのでかい構想に変える秘策がある■大阪が副首都になれば、日本はこんなにも変わる

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    「橋下政治」を終わらせてはいけない理由はこれだけある

    、副首都形成、二眼レフ国土構造への転換のきっかけとなるかだ。もう一つは、自民長期政権による「改革なき政治」の風土を一掃する機会になるかどうか。安倍政治と一線を画し、大阪独自の都構想を進める「維新政治」が大きく広がるかどうかだ。 当然、その選択はすべて有権者の投票行動に託されている。世の中では「東京一極集中」はけしからん、日本を歪めている「諸悪の根源」人口減の加速は、出生率ワーストワンの東京がブラックホールのように若い人を飲み込むからだ、と口をそろえて言う。 そこで、しからばどうするか聞くとみな黙ってしまう。国会での質疑もここはスルーだ。東京一極集中論議などどこ吹く風、相変わらずの「サービスは大きく、負担は小さく」との手品師のようなポピュリズム合戦を繰り広げている。 所得格差、機会格差を縮めるには教育の無償化も有効だが、これが人口減対策だと言われてもそうは思えない。選挙前のバラマキではないか。大都市からのUターン希望者にカネを出すというが、これで東京集中が緩むとでも考えているのか。2019年3月、大阪市役所前に設置された統一地方選挙の日程を知らせる看板(南雲都撮影) 地方の雇用の場、若者を吸引できる拠点性のある都市を育てなければならないのに、それを阻むさまざまな規制や集権構造の解体には手を付けない。大借金からどう脱出し、過疎・過密の同時併存する日本の構造的双子問題をどう解決するかという骨太の話もない。 確かに慣れ親しんだ日常を変えるのは容易でない。明治維新から150年、この間、日本はひたすら人は増え、所得は増え、税収は増え、拡大続きの「右肩上がり社会」だった。 しかし、この先は一転、人は減り、所得は減り、税収は減り、縮小続きの「右肩下がり社会」に向かう。下り坂も、年を追う毎に厳しいものとなっていく。80年後、大方の予想では良くて人口8千万人、悪くすると5千万人まで減るという。これをどう捉えるかだ。国土にも定員がある 私は、国土にも定員があるとみる。現状、日本の人口は定員大オーバーだ。府県制の始まった130年前の日本はたった3500万人だった。当時、新潟県が1番で東京府などは9番目。だが、その後、倍々ゲームのように人口爆発となり、1億2800万人に増え「東京大集中」となった。 果たして、この歴史上特異な20世紀の現象を維持するのが正しいのか。むしろ、21世紀に入って急減し始めているこの現象は、国土の定員に向かい正常化している動きと理解できないか。もちろん、急減に伴うひずみの解消は大きな課題だが、フランスを除く先進諸国はおしなべて人口減少期に入っている。 仮に、日本の人口が8千万人に落ち着くとして、今の国内総生産(GDP)500兆円を、ロボットや人工知能(AI)などハイテク技術を駆使して維持できるなら、世界で一番豊かな国になる。1億2800万人が暮らしやすいよう整備した道路、橋、河川、公共施設、住宅、鉄道、新幹線、高速道などさまざまな社会インフラを8千万人で使う。そこにはゆとりと豊かさが生まれる。 日本の人口問題は絶対数の多寡より、極端な地域偏在の方がより深刻な問題である。人口拡張期のトラウマで食うために「景気だ!経済だ!」と成長率ばかり追い求めた20世紀型政治から決別し、賢くたたむ、生活者起点の新たな日本づくりを目指すべきだ。その切り口を、この10年挑んできた大阪の維新政治は示している。大阪都構想はそのモデルとなる。有権者には、この維新改革の本質を見抜いた上での判断を望みたい。 振り返れば、大阪は明治時代に商都として日本一繁栄し、「民都」の魅力を有していた。だが、その繁栄も昭和45(1970)年の大阪万博までだった。半年間で世界から6500万人もの人を集め、昭和39年(1964)年の東京オリンピックをはるかに凌(しの)ぐ影響力があった。 しかし、昭和45年以降、大阪は右肩下がりの時代へ向い、関西経済の長期停滞が続くことになる。その要因の一つは、人々が共有すべき大阪の将来ビジョンがハッキリしなかったことだ。府と市の2元政治が、統合よりせめぎ合ういわゆる「府市合わせ」(不幸せ)構造でマイナスに作用した。 現在、大阪は日本第2の都市とはいえ、本社機能をはじめさまざまな中枢管理機能は東京に奪われ、経済活動の大半は地場の中小企業が中心で低迷している。東京一極集中は大阪凋落の裏返しでもある。生活面も所得、貧困、失業、犯罪、治安、離婚、学力などデータでみる限り、数々の分野でワーストワンに近い数値が並んでいる。 それを、旧来の公共投資を大量につぎ込む方法ではなく、統治の仕組み、意思決定の構造的欠陥を取り払う方法で立て直そうというのが維新政治、「大阪改革」だろう。私はそう見ている。自民政治と一線を画し、地域政党「大阪維新の会」をつくり、大阪の市政・府政改革に挑んできた。それにより二重行政の解消、地下鉄民営化、節減経費を教育投資に振り向けるなど、大阪の都市経営を「身を切る改革」思想で切り盛りしてきた。結果、改革が進み、子供たちの成績ランキングも上がってきている。2012年11月、大阪維新の会の合同集会終了後、握手する橋下徹氏(右)と堺屋太一さん=大阪市内 だが、現段階では、問題の本質が解けていない。構造的に低迷要因である司令塔の2元構造、財政規模もほぼ同じ大阪府と大阪市、その指揮官である知事、市長の2頭立てによる「不幸せ」構造は変わっていない。たまたま知事、市長が意気投合し、目指す改革方向を一体として進め、大阪の都市経営が前進しているに過ぎない。人が変われば、仮に同じ政党に所属していてもこうなる保証はない。 そうではなく、大阪都市経営の司令塔を一本化し、二度と過去に戻さないために、巨大な大阪市を廃止して4つの適正規模の特別区に衣替えし、住民の基礎自治を充実する。一方で、広域行政は府に統合し、大阪全体のかじ取りを担う「大阪都構想」は時宜に叶っている。だが、いよいよ本丸の大阪市解体、特別区創設、府市統合へ進む段階になっていながら、さまざまな抵抗に遭っている。それが今のゴタゴタ騒ぎではないか。それを乗り越えるためのダブル選、クロス選ではなかろうか。守旧派の抵抗の後に何が残る 有権者の多くがこの先「都構想の改革を進めるべし」と判断するなら、大阪はこう変わろう。今のかゆいところに手の届かない大規模市役所に代わり、公選の首長、議会を持つ60万人規模の中核市並みの4つの特別区が生まれ、ゆりかごから墓場まで住民生活の拠り所となる。そこを拠点に教育、医療、福祉、まちづくり、中小企業の支援など住民に直結した地方自治が営まれる。 これまでの大阪市の各出張所に過ぎなかった24行政区と違い、高槻市や豊中市並みの権限を持つ4特別区の誕生で市域に個性的なまちづくり競争が起こり、各区の自治体間競争によりもっと魅力的な大阪づくりが行われていく。図:大阪都構想(現行と対比) 一方で、広域行政の府市を統合すれば、大阪都知事を司令塔に大都市の一体性、リーダーシップが強化され、大規模インフラの整備や都市開発、成長戦略など大阪の方向性は明確になる。大阪全体で見ると、面積も狭く過密に喘いできた大阪市内だけでなく、他の42市町村も含め広い視野に立った広域政策が展開され、関西全体のけん引力が強化されよう。既に都知事一本化から70年経つ東京都政を見れば、そのことがよく分かるはずだ。 幸い今、大阪は上向き始めた。2025大阪万博、統合型リゾート施設(IR)の法整備など都市戦略を組む手立てもそろい始めている。残るはこれを実現できる統治の仕組みを変えるところにある。万博、IR、都構想の3点セットを三位一体で進める、これを「トリプルスリー構想」と呼んでよかろう。このネーミングは前大阪市長の橋下徹氏によるものだ。 万博、IRの2つにメドがついた今、残る大阪都構想も今回のダブル選挙を勝たせ、秋に住民投票の賛成で大きく前に進めたら、大阪は跳躍台に立つ。この流れを止めるべきではない。    「万博には賛成だが都構想には反対!」という意見もあるが、かつての大阪五輪招致の失敗など府市バラバラの政治で自滅してきた轍(てつ)を踏むべきではない。その時代に戻すことは、特定の業界や一部の政治勢力にとって利益かもしれないが、若い人たちを含め大阪市民、府民の全体の利益にはならない。経済界にとってもそうだ。  その点、今回の出直しダブル選は「住民投票をさせまいとする自公勢力との捨て身の戦い」という様相が強い。だが、残念ながら維新政治に代わる対案、大阪の都市経営、将来戦略があっての戦いではない。かつて郵政民営化を断行した際の小泉純一郎首相が唱えた「抵抗勢力」との戦いに近い。守旧派の抵抗の後に何が来るというのだろうか。 私は4年前の住民投票が「都構想」の最終決着とは見ていない。誹謗中傷も含め、流言飛語が飛び交う初の住民投票の現場を見ていた私にとって、あの結論はざっくり「誤差の範囲」「答えを出すには時期尚早」という住民の平衡感覚の証のように見えた。今回の出直し選で、4年前に全て決着がついた、終わったと喧伝する候補がいるが、統治の仕組みを変える大改革が一夜で成った歴史はない。少し冷静に過去の例を眺めてみたらどうか。 一つは明治期の廃藩置県だ。教科書的には明治4(1871)年に約300の藩が47府県に一夜にして統合されたかのように言うが、実際はそうでない。300の藩は同年に3府72県、5年に3府69県、6年に3府60県、8年に3府59県、9年に3府35県となった。「副首都」らしい大阪に しかし、ここで逆に面積が大き過ぎるとの地域紛争が起こり、一部の府県で分割が行われ、明治22年に3府42県(対象外だった北海道、沖縄県を除く)となった。18年間を要して今の47都道府県の区域割りができている。民意を問う住民投票などない時代だが、権力的な上からの再編でもさまざまな反対があり、これだけの時間がかかっている。 もう一つは昭和期の都制創設だ。昭和18(1943)年、戦時体制下で東京府と東京市の統合で東京都ができているが、大正デモクラシー運動の時期を除いてみても、大正12(1923)年の関東大震災時に改革が始まる。東京府内で約7万人も死者を出した関東大震災後、復興過程で東京市とその周辺の人口が急増するが、東京市と周辺町村はそれぞれ行政管轄が違い、包括行政ができなかった。 その打開のため、まず昭和7年に東京市と周辺82カ町村が合併し「大東京市」(35区)をつくる。これで東京府人口の約93%が東京市の帰属となり、府税総額の約96%も東京市民が納める形となった。 だが、府と市の所掌事務が異なり、なかなか復興も進まない。府市の分担を明確にする必要から大正12年に都制案が出てくる。都知事公選などを盛り込む斬新な案だったが、時の政府の反対で潰れた。 しかし、以後も都制導入の議論は衰えず、結局第2次世界大戦のさなか、二重行政解消、帝都防衛、生活物資補給、戦費捻出などを理由に府市合体が行われ、昭和18年に東京都が誕生している。都制度の提案から実に20年もかかっている。これだけ統治の仕組みを変えるのは難しい。大阪都構想が一度挫折したから「終わり」というのは、歴史からみても早計過ぎる。 今大阪は、都構想に一度「ノー」を突き付けた大阪市民も万博決定で賛成派が多数になってきているように見える。最近の世論調査(朝日新聞、4月1日付)をみても「賛成」(43%)が「反対」(36%)を上回っている。 大阪府市ではこの4年間、都市ビジョンが見えないとされた前回の反省を踏まえ「副首都ビジョン」を練ってきたはずだ。単なる都区改革ではなく、大阪を副首都にふさわしい風格ある大都市に育てていくための「都構想」であるという都市政策の視点から有権者に広く説明していくことが大事だ。東京都庁舎=2018年7月、東京・新宿区 最近、政府は安倍政権の長期化で弛んでいる。モリカケ問題、自衛隊の日報隠し、統計不正と目を覆いたくなるような事件が相次ぐ。日本の官僚機構そのものが肥大化し過ぎ、弛みが生まれ、官僚のムラ社会を政治がコントロールできていない。 これを変えるには、日本官僚制の組織規模の適正化を図ることが不可欠だ。東京一極集中是正のため、大阪都構想を実現し、大阪を副首都にする。そこに首都機能の3分の1を移す。併せて日本を47都道府県制から約10州への統治改革を進め、各州が内政の拠点になるよう大胆に分権化し、中央省庁はスリム化する。 日本の行政を「賢く、簡素で効率的な統治の仕組みに変える」その改革の先陣を切るのが大阪都構想だ。「改革なき政治」風土を一掃し、人口減時代にふさわしい新たな国のかたちをつくっていく。今回の大阪クロス選はそうした大きく深い意味を持っている。有権者の賢い選択に期待したい。■ 「橋下徹のしょぼい提案」をスケールのでかい構想に変える秘策がある■ 「大阪万博は夢のまた夢」スーパー南海地震のリスクも考慮せよ■ 大阪万博「経済効果2兆円」のまやかし

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    都構想の延命、大阪クロス選に打って出た「維新」のホンネ

    で「都」構想にこだわり続けるのであろうか。それは「都」構想が、「敵を作り出して攻撃する」という維新の政治手法と親和的なことに加え、政治的支持を集めるためのスローガンとして、使い勝手が良いからである。 「都」構想が実現すると自分の生活がどう変わるかについて、具体的に想像できる人は多くないはずだ。具体的に実感しにくいだけに、「二重行政の解消」「府市合わせ(不幸せ)の解消」「既得権の打破」といったプラス評価の言葉とともに訴えかけることで、肯定的なイメージを抱かせることが可能となる。 だが、そもそも「都」構想は、2015年5月に行われた住民投票において、否決という民意が明確に示されたはずである。何度も何度も復活、延命させるだけの価値があるものなのであろうか。「都」構想の中身を評した上で、こうしたテーマが繰り返し争点化されることの問題点について論じてみたい。 「都」構想については、数多くの課題や問題点を指摘できるが、筆者がポイントと考える点が二つある。第一は、「都」構想が実現した場合には、大阪市が廃止されるということである。 どういうわけか、大阪維新の会はこの事実の否定に躍起である。「大阪市はなくならない。なくなるのは市長と市議会、市役所だけ」ということが、あちこちで主張されている。 だが、「都」構想とは、大阪市を廃止して、大阪市が持っていた権限や財源を、大阪府と新たに設置される四つの特別区に分配するものである。常識的かつ法律上の用語法に従えば、「大阪市」とは普通地方公共団体たる大阪市を意味するのであり、「都」構想の実現によって大阪市がなくなるのは確かである。2013年に「大阪維新の会」が新たに作成した大阪都構想に関するポスター これまで、このような形で指定都市が廃止されることはなかったが、市町村合併によってなくなった自治体は少なくない。「都」構想が実現しても大阪市がなくならないとすれば、2005年に堺市と合併した美原町もなくなっていないとでも言うのであろうか。 第二のポイントは、新たに設置される4区が「特別区」だということである。府に委ねられる財源や権限はあるものの、基本的に特別区は市に準ずる自治体として、区長が選挙で選ばれ、区議会が設置される。 仮に「都」構想が実現したとすれば、これまでは一つの大阪市であったものが、四つの区に分割されるだけでなく、24区の時代と比べて、各区の自律性は圧倒的に高くなる。その結果、隣接する区同士で厄介な調整の問題も生じるであろうし、府と区で意見が分かれた結果、対立に至ることもあるであろう。選挙は「戦」ではない これからも、大阪維新の会が常に府知事と4つの区長ポストを占め続けるのであれば、問題ないのかもしれない。しかし、「府市合わせ」よりも複雑かつ深刻な問題が生じることも十分に予想される。 このように、「都」構想はもろ手を挙げて賛成できるような代物では決してない。さらに、2015年の住民投票の結果が示す通り、民意が割れている問題である。果たして、こうしたテーマを公約に掲げ続け、改めて住民投票にかけようとすることが望ましいのであろうか。 「究極の民主主義」とする橋下氏の言葉もあるように、住民投票を無条件に礼賛する見解もなくはない。だが、国民や住民が二分されるようなテーマに白黒をつけようとする場合には、住民投票は必ずしも好ましい手段ではない。 政治や選挙について、戦(いくさ)にまつわる表現が用いられることは少なくない。なるほど、政治家にとって、選挙は勝つか負けるかであり、まさに「戦」としか言いようがないのかもしれない。 だが、本物の戦の場合、一方の死や滅亡で決着がつくことも少なくないのに対し、選挙や住民投票の場合には、結果がどうあれ、それらが実施された後も、人々は同じ国や地域でともに暮らしていかなければならない。 「都」構想が実現して大阪市が廃止されたとしても、「都」構想が否決されて大阪市が存続したとしても、現在の大阪市域で、人々は共存し続けなければならない。逆に、こうした共存が脅かされるほどに民意が割れる恐れがある場合には、争点化を避けるという選択肢もある。 例えば、福島県矢祭町は、「平成の大合併」の際に「合併しない宣言」を発したことで有名である。同町で合併が避けられた理由として、「昭和の大合併」の反省があるとされる。 昭和の大合併で前身の矢祭村が誕生したが、賛否を巡って肉親や親類をも引き裂くような分裂が生じ、しこりは後々までも残ったとされる。矢祭町では、昭和の大合併と同様の事態を引き起こしたくないという思いから、合併という選択肢の争点化を回避したのである。大阪ダブル選を控え、大阪市港区内に設置された、4枚並んだ選挙ポスター用の掲示板=2019年3月20日(前川純一郎撮影) 統治機構の変革に必要とされるエネルギーや労力の大きさを鑑みれば、大枠には手をつけずにそのままにしておいた上で、「取り組むべきことに取り組む」といった選択肢もある。矢祭町では、単独での生き残りを決めた上で、365日の開庁や、「矢祭もったいない図書館」の開設など、知恵と工夫を凝らした取り組みが進められている。その実現には、「都」構想をどうしても必要とすることが具体的に示されていない以上、現行の大阪府と大阪市の体制の下、大阪の発展を目指す方が現実的ではないだろうか。 大阪維新の会が府市の両議会選で圧倒的な勝利を収めれば話は別だが、今回の選挙後に「都」構想が大きく前進することはないであろう。今回の選挙は、「都」構想に対する賛否を正面から問うものではない。「都」構想の可能性を残して延命を認めるか、「都」構想を巡る長年の議論に終止符を打つか、有権者にはこうした審判が求められている。■ 「大阪万博は夢のまた夢」スーパー南海地震のリスクも考慮せよ■ 大阪直下地震で思い出す「増税なくして復興なし」のペテン■ 大阪万博「経済効果2兆円」のまやかし

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    橋下徹「大阪都構想は新たな政治行政を実現する切り札だ」

    策はぶれて当たり前』」「橋下徹『野党は安倍首相とトランプ大統領に学べ』」に詳しい。では、与党を含めた政治家がいま最も取り組むべき課題は何なのか。橋下氏自身の政界復帰の可能性は?大阪府市のトップを務めたからこそ語る、組織マネジメント論にも注目いただきたい。―現在の野党の状況を見ていると、橋下さん自らが再び政治の世界に乗り出す気になりませんか?橋下 自分がまた政治をやろうという気持ちにはならないですね。子どもを大学にあと4人行かせないといけないですし、これ以上、家族に迷惑は掛けられない(笑)。―そうですか(笑)。では、日本の政治家がいま最も手を付けるべき課題は何だとお考えですか。橋下 政治家時代ずっと言い続けてきましたが、統治機構改革です。政策の具体的な中身は専門家や役人を集めて議論すればいい話です。しかし、その実現のためには政策を実行できる統治機構が必要不可欠で、権力装置である統治機構を改革するのは政治家にしかできません。 まず現在の日本の統治機構は、中央の政府と地方の自治体の役割分担が適切ではない。 たとえば待機児童対策なんて、中央政府が実際に手掛ける問題ではありません。地方自治体に待機児童の解消を義務化する法律を制定すればいいだけの話です。 その代わり、権限も財源もすべて地方に渡し、保育所設置に関するルールも地方ですべて自由に決めさせる。責任を負わせる代わりに権限とお金を与えるのです。それが組織マネジメントというものです。中国全人代の閉幕式に臨む習近平国家主席=2019年3月、北京の人民大会堂(共同) トランプ大統領や習近平主席が、待機児童問題について語っていることを聞いたことがあるでしょうか? 国のトップが心血を注ぐべきは、外交・安全保障政策などであって、待機児童対策ではありません。 森友問題に関しても、安倍政権の対応は不誠実だったと思いますが、これもしょせん私立小学校の敷地をめぐる問題でしかない。仕事を抱え込みすぎる中央政府―本来であれば、日本中が騒然となるような議題ではなかったと。橋下 役所の不正や不適切な行為は徹底的に正さなければなりません。しかし森友問題が議論される場は、本来は地方議会であるべきです。近畿財務局が土地を抱えているからこうなってしまう。 これらの土地を大阪府庁の所管にするか、近畿財務局という組織そのものを関西広域連合の下に置くかしていれば、この問題は国会ではなく、大阪府議会や関西広域連合議会で議論されていたでしょう。―地方に任せるべき問題を国が一手に担っている。橋下 島国日本の政治指導者が、トランプ大統領、習近平主席、プーチン大統領などの大国の指導者と渡り合うためには、中央政府が外交・安全保障政策に集中できる環境を整える必要がある。 いまの日本は、安倍さんの頑張りで何とか国際社会において存在感を示せていますが、安倍さんは、不毛な議論が行なわれている国会に連日拘束されている。これだけ国のトップが国会に拘束される国は世界にも類を見ません。 その理由は中央政府があらゆる仕事を抱え込み、それがすべて国会で議論されるからです。しかし、島国日本の首相だからこそ、年間100日以上は外国に行けるような、そんな環境にしなければならない。 そのためには、いま中央政府が抱えている仕事のうち、内政問題はできるかぎり地方自治体の仕事に移譲すべきです。そして中央政府は外交・安全保障などの仕事に集中し、国会での議論を絞り込むべきです。2018年3月、「森友」決裁文書改竄問題で野党から連日追及を受ける安倍首相(左)と麻生副総理兼財務相(斎藤良雄撮影) 民間企業であれば、経営本部が行なう仕事と現場が従事する仕事がきっちりと役割分担され、そのような組織形態になっています。日本の統治機構も、中央政府と地方政府の役割分担を明確にできる道州制に改めるべきです。―現在の安倍政権は強固な体制を築いているようにみえますが、「ポスト安倍」の問題についてはどう見ていますか。習近平が日本の首相になったら橋下 そもそもリーダーシップは、個人の力で発揮されるものではなく組織に規定される、と僕は考えています。 たとえば習近平主席が日本の首相になっても、リーダーシップは執れないでしょう。習主席があのようにできるのは中国の政治組織だからこそです。 僕は大阪府知事・市長だったとき、「橋下は独裁者だ」と散々いわれてきましたが、そのような強烈なリーダーシップを僕が発揮できたのは、有権者から直接選ばれる知事・市長という立場で、大阪府庁・大阪市役所という巨大組織において人事権と予算権を握る仕組みに乗っかっていたからです。 まさに組織の仕組みによってリーダーシップが発揮できたのです。また大阪維新の会も、僕がリーダーシップを発揮できる組織形態になっていました。 僕が議院内閣制の仕組みである国政の場に行ったとしても、リーダーシップなど発揮できないし、政治家としてクソの役にも立ちません。組織に規定されるんです。―まず、リーダーシップを発揮できる体制を整える必要があるわけですね。橋下 リーダーシップや戦略は組織に規定される。僕が大阪都構想に取り組んだのも、大阪全体の政策を、大阪全体のリーダーが強力に実行するための組織、統治機構をつくるためだったのです。 大阪府庁・市役所がそれぞれ行なっていた行政を統括し、大阪が一体となって政策を実行し、大阪の活力と競争力を高める。東京に並ぶ2つ目のエンジンとして大阪が力をもてば、日本全体の大きな推進力になります。 大阪都構想、ひいては道州制を含む統治機構改革を進めることで、地方は自律的に創意工夫を凝らした行政を展開でき、中央政府は国の大きな舵取りに集中できる。写真:大坊崇 これこそが、激動する国際情勢を乗り切り、少子高齢化に突入しながら価値観がますます多様化する社会ニーズにしっかりと応える政治行政を実現する切り札です。 そして、このような統治機構改革は内戦に匹敵する凄まじい権力闘争に打ち勝たなければならず、政治家にしかできない仕事です。自民党にはそれをやる意思も能力もありません。ゆえに統治機構改革を実行してくれる野党の誕生を期待しています。関連記事■ 橋下徹「政策はぶれて当たり前」■ 橋下徹「野党は安倍首相とトランプ大統領に学べ」■ 気鋭の国際政治学者同士が激論!真のリアリズムに基づく国防とは何か

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    “地方政界のドン”になる条件は「知事の後ろ盾になる」こと

    一緒。人はどんどん入れ替わっていくが、座に加われば自然に県の情報が入ってくる。選挙になれば中央の大物政治家の為書き(*注)をもらってくれたり、困った時に泣きつくとなんとかしてくれる」(地元議員)【*注/候補者が支援者にもらう選挙応援ポスターのこと。選挙事務所に貼り出される】 隣の岐阜県にも12期、45年間県議を務める自民党の重鎮、猫田孝氏(79)がいる。小泉郵政解散の時には党本部の方針に反対して造反組の野田聖子氏を応援し、野田氏は頭が上がらないといわれる。「県議は200人、国会議員は1200人の党員集めを達成しなければ選挙で公認を出さない」というノルマを課して岐阜を「自民党王国」にした。 そうした大物地方議員にとって、統一地方選は書き入れ時だ。彼らがドンへとのぼる階段は、自分の手で知事をつくり出すこと。東京都議会の本会議=2019年3月28日午後 愛知の水野県議は大村秀章・知事をバックアップし、神奈川では、小泉純一郎・進次郎父子を支えてきた横須賀選出の竹内英明・県議(68)が黒岩祐治・知事を擁立することで「県議会のドン」にのしあがった。「知事を後ろ盾にする」のではなく、「知事の後ろ盾になる」のが、地方政界のドンたらしめる“条件”なのだ。週刊ポストでは、内田氏のほか「地方政界のドン」と言える50人の全実名を紹介している。関連記事■昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■福岡知事選「麻生の乱」 県政のドンへの借りを返す目的あり■もし日韓戦わば… 軍事力の差は歴然だった■ドン・内田茂氏、影の司令塔として力を取り戻し小池都政追及■【動画】眞子さまと小室圭さんの結婚 長引くほど費用がかさんでいる

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    地方議員のなり手不足問題の解決策 いっそ「議会廃止」を

     年間の実働時間が100時間を切る議員も珍しくない■議会で座るだけの地方議員 控室でブログ更新等の「政治活動」■東京都議は年収1525万円 地方議員の報酬は浮世離れの高水準■無投票当選が2割超 地方議員は就職活動がかなりラクな職業■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か

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    新元号「令和」と「昭和」の知られざる共通点

    鈴木洋仁(社会学者) 新元号に決まった「令和(れいわ)」について、私はかなり意外な印象を持ちました。その理由は二つあります。 一つは、昭和の「和」と同じ文字が使われているからです。もう一つは、万葉集を出典としていることです。 すでに多くの解説で言われている通り、「令」という文字は、これまでの元号には使われていません。初出の文字です。「和」は、昭和をはじめとして、今回で20回目です。 昭和、平成がいずれも初出と頻出の文字の組み合わせでしたので、今回もこの傾向を続けています。 ただし、それ以上に私が注目したのが、この「令」という文字です。「令」という文字は、元号候補として、少なくとも一度挙がっているからです。幕末の西暦1864年に「元治」と改元されたときの最終候補といわれています。  このときの候補は、「令徳」でした。しかも、京都の朝廷からの候補とされています。 ところが、「令」は命令を、「徳」は徳川幕府をそれぞれ意味するといわれ、幕府側から難色を示されたと伝わっています。つまり、朝廷から徳川幕府への命令だと見なされたのです。 この経緯に鑑みると、今回の令和もまた、「令」を命令ととらえられなくもありません。もちろん、今回の令の出典は「令月」、つまり何をするにもよい、めでたい月ですから、「命令」とは違います。 ただ、「令」という文字から「令月」を連想できる人は、よほどの教養の持ち主ではないでしょうか。少なくとも私には、その教養はありません。 この点、すなわち漢字から意味をすぐには想像しづらい点からも「昭和」との共通点を感じさせます。「昭和」の「昭」という文字もまた、それだけでは意味や熟語をとっさには思いつくことができません。  さらに「令和」と「昭和」は、「和」が重なっているだけではなく、出典の意外性についても共通点があるように思えます。 そもそも、「昭和」は「明和」という元号と共通しています。この明和という元号は「明和9年」には、「迷惑年」と同じ音になり、不吉なことが起きると言われていたとされています。実際、この明和9年には、明和の大火と呼ばれる大火事が江戸で起き、安永に改元されています。  昭和の出典は『書経』の「百姓昭明、協和万邦」であり、明和と全く同じものです。つまり、よくないことが起きて改元した元号と出典を同じにしています。これは、良い意味を込める元号としては意外です。新元号「令和」が発表され、大型モニターに映し出された記者会見する安倍首相=2019年4月1日午後0時11分、東京都新宿区 一方、「令和」の意外性は改めて言うまでもなく、万葉集が日本古典として初めて元号の出典となったことにあります。 万葉集は、安倍首相の談話にもあったように日本語の根幹である、万葉仮名を生み出した古典中の古典です。また、出典の箇所ももちろん、とてもいい意味だとされています。 元号の歴史に照らし合わせた「伝統」という意味では、これまでがほぼすべて中国古典を出典としていますから、その流れに沿うべきだという考え方もあるでしょう。元号は誰のものか 他方で、日本固有の伝統としての「万葉集」を重視するという考え方もあり得ます。日本が生み出した文化が大事だと考える立場もあり得ます。今回、安倍政権は後者をとったと、私は見ています。 そうした昭和との共通性をふまえると、今回の新元号はいくつかの論点を示しています。一つは、元号は誰のものなのか、という論点です。 元号法は、元号は政令で定める、そして、元号は皇位の継承があった場合に限り改める、と定めています。この法律の主語は、誰でしょうか。政令は、政府が定めますので、手続きとしては、主語は政府です。すると、元号は政府のもの、ということになるのでしょうか。 あるいは、この政府を決めるのは国民だという立場に基づけば、元号は国民のものだ、ということになるのでしょうか。もしくは、皇位の継承が行われるのは、いうまでもなく天皇陛下によるので、すると主語は天皇陛下、ということになるのでしょうか。 少なくとも、法律の上からは、政府が主語だと考えざるを得ません。あくまでも、政府が元号を決めます。今回の新元号発表にあたっても、菅義偉官房長官が閣議決定事項として発表し、安倍晋三首相が談話として自ら述べました。  また、大化から昭和にいたる246の元号は、すべて最終的には天皇が決めてきましたが、元号法のもとでは平成も令和も内閣が決めています。こうした経緯をふまえて、それでもなお元号は誰のものなのか、という論点は残り得るのかもしれません。 また、次の論点として、元号は隠すべきものなのか、という点が挙げられます。今回、政府は元号に関する情報管理を徹底したと報じられています。新元号候補が、事前に報道された場合には、差し替えると語ったとも言われています。 ただ、そもそも、なぜ新元号を、ここまで隠す必要があるのでしょうか。もちろん、次の天皇陛下のおくり名(追号)として使われるのだから、国家の最重要機密なのだ、という理屈は、考えられます。新元号「令和」に関し記者会見で談話を発表する安倍首相=2019年4月1日午後0時21分、首相官邸 かといって、新元号候補や考案者を、かたくなに隠そうとするばかりです。少なくとも政府から公式には、上記の説明はありません。菅官房長官による公式の説明としては、3月29日の記者会見で「決定された新元号が、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくものになること」と述べたところまでです。 「本当に」元号は「絶対に」隠さなければならないのか、という点については議論の余地があります。 他にも、元号予測が、ここまでイベント化してしまってよかったのかどうか。あるいは、保守派が主張するように、改元前の新元号公表は、そもそも是なのか、非なのか、といった論点が浮かびます。こうしたいくつかの論点をどのように受け止めるのか、ということが問われているのではないでしょうか。■ 信長でも苦慮した改元「元亀から天正」暗闘の歴史■ 67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった■ 呉智英が読む平成30年史「日本人はどう変わったか」

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    新元号「令和」が持つ本当の意味を日本人はどれだけ理解しているか

    歴史に期間を設定し「時代」の概念を作ることである。これにより、元号制度が日本人にとって文化的、そして政治的、社会的に重要なものになってくるのである。 その一方で、元号反対論には誤解によるものと政治的な陰謀がある。誤解によるものは、暦は数えやすいようにキリスト歴一本にすべきという単純な意見である。しかし、これは短い人生を終える国民の歴史的感慨に配慮のない意見である。共産党の矛盾 結論としては、キリスト歴は巻尺であり、元号はもの差しに当たると考えて併用すればよい。換算が不便というが、たいした手間ではない。早見表を見れば良いだけの話で小学生でもできることだ。 共産党の志位和夫委員長はこれまで、元号制度は支配者が時を支配するものだから反対と述べたことがある。しかし、時というものは想像上のもので存在しないことは古代の龍樹、アウグスチヌス、道元などの先哲がすでに明らかにしている。 だから時は誰も支配などできない。そして共産党の代案がマルクス暦というのなら分かるが、キリスト歴というのでは驚いてしまう。共産党はいつからキリスト教徒になったのか。 そして唯物無神論ではなかったのか。あまりにも無原則で機会主義的だ。キリスト歴はあくまでも宗教暦であり、キリスト教徒の暦である。イスラム圏ではイスラム暦があり、中東の新聞ではキリスト歴はカッコ付きで付記されている。 そもそも元号問題は戦後2回、大きな政治問題になった。1回目は昭和25(1950)年に元号廃止が国会で検討されたことだ。これは戦後のドサクサを利用して日本の伝統文化を廃止しようとする左翼、キリスト教勢力の陰謀であったが、左翼の最優先課題がサンフランシスコ平和条約の反対運動にシフトしたため、幸い防ぐことができた。実に危なかった。 2回目は昭和53(1978)年で愛国的な国民が結集し元号法を制定した。この時は危機感の高まりで元号制度制定促進を求めて国民があの日本武道館いっぱいにあふれたのである。 また、元号制度は連続した歴史に期間を決めることにより「時代」の概念を作るが、これにより歴史はとりとめのない時点主義から人生の記録を示す人間の歴史になる。この中で各人は天皇の謚(おくりな)を通じて公の歴史につながることができる。新元号が「令和」に決まり、記者会見で談話を発表する安倍首相=2019年4月1日、首相官邸 私の場合、昭和に生まれ、平成を経験し、新しい元号の時代に死ぬことになるから三代の天皇を戴いて生きたということである。ささやかであるが、私の公的記録だ。また、歴史が時点主義から期間になることにより、共同体の成員にとって国家の歴史が成員の共有財産になる。 われわれ日本人は元号を介して歴史を共有する民族なのだ。これが、われわれが元号制度を守らなければならない大きな理由なのである。元号が持つ時代感覚 ところで、元号は日本の文化に多くの影響を与えているが、その一つとして俳句がある。有名な句に、俳人である中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」がある。この句の感慨は明治だからこそであり、これがキリスト暦では俳句にならない。 そして明治という元号は明治天皇を戴き、全国民が心を一つにして大きな犠牲を払いながらも大敵を撃退した日本民族の苦しくも栄光の時代を意味している。この時代の国民の感動と感慨が夏目漱石の小説「こころ」、乃木希典将軍の殉死など、国民の深い感慨になっている。中村草田男もその一人だ。 また、明治の元号を冠する明治大学の校歌には明治時代の明るさと力強さを感じる。作家の戸川幸夫は、明治は日本人にとって特別の時代であったと記し、次のように述べている。 私は明治人間である。と言っても末年に生まれたので、大きな顔は出来ないが、それでも九州の片田舎で育ったので、当時はまだ明治の気風がそのまま色濃く残っていた。私は大東亜戦争に従軍し苦労を体験したので、戦後の平和な今を生きる若い人がうらやましいが、同時に不安も感じる。明治の人々やそれ以前の日本人が歩き残していったものを伝えるべきであった。その意味で今が明治の昔を振り返って学ぶべきことを学ぶ大切な時期と思う…(「明治の気概」抜粋要約) こうした時代の感動が元号による時代認識として共同体の成員に共有され、さらに若い世代に継承されるとしたら、これはすばらしいことである。時代機能のないキリスト歴では到底考えられない。元号はその共通の時代意識を通じて日本民族の伝統意識を作っている。これは日本社会の安定のために非常に重要だ。 フランスの社会心理学者、ル・ボンは19世紀欧州の革命暴乱をみて国民の精神的伝統の深層が破壊されると社会は流動的になり、それが強い刺激を受けると想定外の暴走を始め悲劇を生む、と民族の深層を守る伝統意識の重要性を記している。 彼によると、フランス革命前夜のフランス社会ではキリスト教の権威の衰退、地方から都市への移住、産業の変化などがそれまでのフランス人の深層意識を不安定化したため、パリの暴動事件が全国規模の革命の大乱に拡大したという。川越市立博物館蔵の五姓田芳柳筆「明治天皇肖像」 また、ロシア革命でも農奴解放や産業化による社会の変動が人心の流動化を招き、あの大規模な内戦と革命の悲劇を生んだ。ドストエフスキーは小説『悪霊』で19世紀中頃のロシア社会の深層の変化について、次のように記している。  それは一種特別な時代であった。以前の平穏さとは似ても似つかない何か新しい事態が始まりそれが至るところで実感されるのであった。その背後にそれらに付随する思想が生み出されていることは明らかであった。しかしそれがおびただしい数に上がるので突き止めようとしても不可能であった…的外れな元号非難 われわれ日本人は現在、幸い何となく安心して暮らしているが、その深層には同じ民族としての共通の信頼感があることは間違いない。その柱が天皇崇敬であり、それに伴う元号の作る共通の時代意識なのだ。 ル・ボンは社会の大乱を深海の大地震が起こす大津波に例えている。民族の深層が強固なら地震の揺れを吸収するが、そうでないと、大津波となって社会を崩壊させてしまうのだ。元号は天皇崇敬とともに、この大地震を吸収する有力な緩衝材の一つである。だからこそ元号制度は敵に狙われるのであり、われわれは意識してしっかり守らなければならない。 ただ、今上陛下の譲位を控えた本年の一般参賀にうかがった国民の数は15万人に上り、史上最多であった。また、先日の今上陛下の神武天皇陵参拝の関西行幸には異例の多くの国民がお迎えした。これは今上陛下への敬慕の思いと、自分の歴史としての平成の時代が過ぎていくことを実感し惜しんだからではないか。これはまさに平成という元号が国民各自の時代でもあったことを示している。 だから帝王が「元号によって時を支配する」などという非難が、全く的外れであることが分かる。これは同時に日本民族の深層が天皇崇敬と元号制度を通して、まだしっかり維持されていることを示しており心強い。 日本の元号制度とは、天皇の謚によって、長大でとりとめのない歴史を時代という概念で等身大に切り取り、それを保管、共有し、後世に伝えるという極めて高度で素晴らしい制度である。 ゆえに、新元号について、文字の善し悪しなどを論じるのは本筋から外れていると思う。時代は、元号の文字によるのではなく、その時代の歴史の評価で強く記憶されてきたからだ。それは現代ではわれわれが作るものであり、時代に生きるわれわれの力量を示すものである。帰京のためJR京都駅を出発される天皇、皇后両陛下=2019年3月、京都市下京区(代表撮影) 冒頭でも記したが、これが国家とともに自分個人の唯一無二の歴史を作ることにもなる。時代概念は時の容器である。新しい時代の始まりを見て期待とともに、ある種の畏(おそ)れの念を持つのは私だけではないだろう。 今われわれは過ぎ行く平成の御代を惜しみながらも、新しく始まる時代を迎える心の準備をしている。後世の日本人に感謝されるよう父祖にならって新しい天皇陛下の下で強く団結し、内外の危機を乗り切っていかなければならない。■ 呉智英が読む平成30年史「日本人はどう変わったか」■ 幕末幻の元号「令徳」が示す改元のインパクト■ 元号をめぐる「タブーなき議論」こそ平成と昭和の差である

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    新元号発表に「権力者は安易に元号にかかわるべきではない」

    (現在の毎日新聞)が新元号を『光文』とスクープしましたが、結果的に誤報になった。今回も新聞やテレビの政治部が中心となって『元号取材班』を組んでいます。 特に注力するのが、安倍晋三首相(64才)周辺や官邸関係者への取材です。そもそも“時代に名前をつける”という行為は、時の為政者が自身の権力を誇示するためのもの。強権的な政治姿勢をとる安倍首相も、新元号に強いこだわりを持っているとされます」(全国紙政治部記者) たとえば、その「出典」だ。これまでの元号はすべて中国の古典(漢籍)から選ばれてきたが、安倍首相は周辺に「出典は日本で書かれた書物(国書)がいい」と話しているという。国書とは、『古事記』や『日本書紀』などを指す。実際に菅義偉官房長官(70才)は3月25日、国文学や日本史学などの専門家に考案を委嘱したことを明らかにした。「安倍首相は“なぜ日本の元号制定に中国の手を借りなければならないのか”という感覚だそうです。一部では、安倍首相の『安』の字を採用するという話も浮上しています」(政治ジャーナリスト)私利私欲の道具にしてはならない 3月26日、新元号の発表は菅官房長官が行う方針だと報じられた。だが、この報道以前には、発表者は長らく「検討中」とされ、さまざまな憶測を呼んでいた。自民党役員会に臨む安倍首相(右)と二階幹事長=2019年3月15日午後、国会(共同)「安倍総理はこの8月まで政権を維持すれば、第1次政権を含めた通算で戦後最長の在職期間になります。ただ、“首相として歴史に残る大事業を行ったか”と問われれば、いまいちパッとしない。そこで、新元号を自ら発表することで末永く記憶に残る政治家になりたいという意欲があったと囁かれていました」(官邸関係者) たしかに「平成」の額縁を高々と掲げた小渕恵三官房長官(当時)の会見は、時代を象徴する1ページとして、繰り返し目にしてきた。「元号について見識の深い人たち、特に皇室関係者の間では、“権力者が自らの権威づけのために、安易に元号にかかわることは避けるべき”と考えられています。 たとえば、明治天皇は15才という若さであったとはいえ、『明治』をくじ引きで決めたことは有名です。大正天皇も昭和天皇も、天皇の最高諮問機関『枢密院(すうみついん)』の判断に任せた上で、追認しました。『平成』も竹下登首相ではなく、小渕官房長官が発表した。 御代の名前の決定は、向こう何十年かの国の平安を左右するかもしれない責任重大な行為であって、過去の為政者たちでさえ慎重に距離を取った、畏れ多い行為なのです。私利私欲の道具にしていいものではありません」(宮内庁関係者)関連記事■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か■新元号の選び方に法則性 平成の次の頭文字はKか■「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■「元号」と「年号」の違いと元号の6つの条件とは?■改元控え、皇太子さまと秋篠宮さまの「不穏な関係」に心配

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    新元号で「一世一元」に矛盾 急ごしらえ退位特例法に批判も

    きないということになるのだ。 生前退位という異例の御代がわりではあるが、「皇室の伝統を理解していない政治家や官僚が急ごしらえで退位特例法を作ったからこういう矛盾が出てくる」(別の皇室ジャーナリスト)という声も大きい。関連記事■新元号発表に「権力者は安易に元号にかかわるべきではない」■新元号発表日、ネットニュースがスクープ合戦の舞台に■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か■「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■過去データを元に元号通が予想した新元号本命は何か?

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    民主党政権は本当に「悪夢」だったか

    自民党が民主党から政権を奪還して6年余り。自公による盤石の政権が続く中、先の自民党大会で安倍晋三首相が「悪夢のような民主党政権」と発言した。これに対し、民主党や民進党の重鎮だった岡田克也氏らがiRONNAに手記を寄せた。民主党政権は本当に「悪夢」だったのか。

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    岡田克也手記「総理の『悪夢発言』は民主主義への冒涜である」

    党を全否定するような発言をして、民主主義は深まるのでしょうか。 私は国会で、政府や与党の具体的政策や政治姿勢を厳しく批判してきました。しかし、少なくとも、総理大臣や自民党に対する敬意は忘れないよう心掛けてきたつもりです。相手を全否定しては議論が成り立たず、深まることはないからです。安倍総理のあの発言には民主党に対する敬意は全くなく、単にこき下ろしているだけです。 自民党大会での「悪夢」発言時に、最初はほとんど拍手がありませんでした。会場の自民党員の皆さんにも、戸惑いや違和感があったのではないでしょうか。私は、リーダーとしての安倍総理に、もっと謙虚になってもらいたいのです。 予算委員会でのやり取りも、議論を深めることにはなりませんでした。安倍総理は、「悪夢」発言を「少なくともバラ色の民主党政権でなかったことは事実」と言い換えて論点をすり替え、言論の自由は自分にもあると主張したり、民主党が党名を変えたことを取り上げて批判したりしました。子供じみた言動でした。旧民主党政権で外務大臣などを務めた岡田克也氏 私はそれらの発言には一切応じず、福島原発事故の対応を取り上げました。民主党政権時代の最大の出来事であり、今なお生活を破壊され、故郷に戻ることができず苦しんでいる方々が多くいらっしゃるからです。 もっとうまく対応できなかったのか、当時の与党幹事長として私自身、今も強い反省があります。安倍総理にそのような反省と責任の共有という意識はあるのかを問いたかったのです。必要なのは「寛容と自制心」 国会に置かれた国会事故調査委員会(黒川清委員長)は、民主党政権の事故後の対応について厳しく指摘しつつ、「事故の根源的な原因は、平成23年3月11日以前に求められる」と述べています。 事故以前の政府の対応に決定的な不備があったことを指摘したもので、例えば、津波を想定できたにもかかわらず、予備電源が原発建屋の地下に設置され、水没により全く使えなかったことなど、今考えると信じられないようなお粗末な措置が長年にわたってなされていました。 そこについては、第一次安倍政権を含む歴代自民党政権に大きな責任があることは明白です。原発事故について、民主党政権を批判するだけでなく、自らが行ってきたことを反省し、少なくとも責任を共有してもらいたいのです。 安倍総理は私との質疑の中で、原発事故について「歴代の政権として、第1次安倍政権のときも含めて、反省をしている」と発言しましたが、民主党政権時の最大の出来事であった原発事故について本当にそう思っているなら、「悪夢」発言のようなレッテル貼りはできなかったのではないでしょうか。 私は、予算委員会や党首討論を通じて、歴代総理と何度も質疑を行ってきました。質疑の後は、いい議論ができたという一定の充足感がありました。ところが、安倍総理とは、ほとんどが議論のすれ違いで、不完全燃焼の連続でした。 国会での議論を通じて国民に理解を求めるという姿勢が、そもそも安倍総理にはないのではないかと思っています。野党を敵だと考え、レッテル貼りをする。野党の主張に耳を傾けることもなく、そもそもまともに議論しようとしない。これでは国会の議論は劣化し、議会制民主主義が危うくなる。安倍総理にはもっと謙虚になってもらいたい。これが、私が予算委員会質疑の中で繰り返したメッセージです。 しかし、その私の思いは、安倍総理の答弁からは感じることができず、本当に残念でした。議会での議論に期待できないと感じる人々が増えれば、政治そのものに対する不信を生み、その先にあるのは、欧米の一部でも見られるようなポピュリズムの政治です。党首討論で安倍晋三首相(左)と論戦を交わす無所属の会の岡田克也氏=2018年6月、参院第1委員会室(酒巻俊介撮影) 「民主主義を機能させるために必要不可欠なのは寛容と自制心だ」(『民主主義の死に方』第5章「民主主義のガードレール」スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット著)。 与野党ともに心しなければならないことですが、一国のリーダーである安倍総理に、特に重く受け止めてもらいたい言葉だと思います。■足立康史手記「野党が猿芝居で満足する限り、安倍内閣は強くなる」■山尾志桜里に「むき出しの好奇心」で迫る報道は控えるべきか■私が安倍政治を「スーパー独裁政治」と呼ぶ理由

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    松原仁手記「民主党政権は誰にとって一番の悪夢だったか」

    が、2009年夏の総選挙によって、一夜にして完全に奪われ、特に多くの官僚が、時の新たな政権の開かれた政治体制への試みに忠誠心を示したことは、まさに自民党にとって悪夢のような体験であったことは想像に難くない。 かくいう私自身も、2012年に民主党が政権を手放した直後には、昨日まで仲間だった官僚が、次の政権に仕える準備をすぐさま開始する様子を目の当たりにした。ましてや、民主党の3年半の経験に比べ、極めて長期にわたる政権を維持してきた自民党の政治家たちが味わった屈辱と喪失感は、われわれのそれとは比べ物にならないほどのトラウマになったと考えられる。八ツ場ダム建設予定地を国交省職員の案内で視察する前原誠司国土交通相(右から3人目)=2009年9月23日、群馬県長野原町(矢島康弘撮影)  加えて、「八ツ場(やんば)ダム」に代表される、自分たちが根回しを重ね決定した政策の数々を、民主党政権は「事業仕分け」という、自民党のような権力のインサイダーにとってはパフォーマンスにしか見えない形で、国民的な賛同を引き寄せ覆した。政権運営のプロフェッショナルである彼らにとって、その大衆迎合的な方策はまるで素人政権の思いつきに見えたことだろう。 同時に、太平洋を挟んでわが国と向き合う世界の盟主にとっても、極東(きょくとう)の要となる同盟国における政権交代と、その新たなる外交姿勢は脅威と映ったかもしれない。世界の覇権国たる米国は、日本のお国文化である「建前」と「本音」を巧妙に利用し、戦後のわが国を同盟国という名の、実質的には「隷属国」として、時に優しく、時に厳しく鞠育(きくいく)してきた。そんな米国の対日政策の基本的前提には、対米協調という名の「従属的な」対米姿勢を示す自民党政権、もしくはそのような外交姿勢の「自民党的政権」であることが想定されてきた。歪な日米の友好関係 しかし、2009年に現れた民主党政権は、米国政府と自民党政権の間で既定路線となっていた普天間基地問題において、沖縄県民の心情に寄り添うことを優先した結果、右往左往することとなった。また、政権獲得前から日米地位協定の改訂を掲げるなど、日米間の圧倒的権力格差へ切り込む姿勢を見せていたことも、懸念材料となったであろう。 加えて、アジア太平洋の新たな覇権国への道程にある中国との関係において、尖閣諸島沖において発生した「中国漁船衝突事件」時の船長の逮捕と不可解な釈放や、500人近い訪中団の結成など、ホワイトハウスからは理解されがたい行動を取り、長年の付き合いがあり、こなれた自民党政権の外交に比べて、まさに不慣れで初心な政権と映っただろう。(この中国船問題に対しては、私自身大変憤りを感じ、当時与党内で行動を起こしたことにも一言触れておきたい) この対米関係にかかわる問題は、まさに釣り合いの取れない中で歴史的に築いてきた、歪(いびつ)な日米の「友好関係」の裏返しでもある。いわんや、その実態は古くは江戸時代ペリーの黒船来襲と日米和親条約、明治の日米修好通商条約、そして現代の日米安保条約と「地位協定」を含め、われわれ日本人がその尊厳と利益を傷つけられてきた歴史でもある。 私は、こうした片務的で不平等な日米関係を、対米協調という美辞麗句のもと、戦後のほとんどの期間安定政権を担いながら甘受してきた自民党、逆に言えば米国の「属国」の統治者として君臨した自民党の外交姿勢は、まさに日本国民にとって悪夢そのものであると考える。 さて、ここまで取り上げてきた民主党政権の性格と行動をまとめれば、民主党政権のナイーブな「透明化・民主的プロセス」と「不平等な対米関係の改善」が、自民党や米国にとってはアマチュアの素人政権と捉えられたことが分かる。そして、民主党の開かれた政策決定プロセスは、メディアに開かれた場でも同僚議員同士が与野党間であるかのように「白熱した」議論を行い、その末路として組織分裂を繰り返した。必然、このような「開かれた」民主党の政権運営が国民の目からも稚拙と映り、政権交代時に大きな期待をいただいた有権者の熱気を冷ましてしまったことは間違いない。消費者政策会議であいさつする野田佳彦首相。公務員制度改革関連法案の今国会での成立を断念する意向を固めた=2012年7月20日、首相官邸(酒巻俊介撮影) 民主党は政権奪取後、最初の総選挙により下野し、私たちが目指した「国民に開かれた」「透明な」「民主的な」政治はこうした経緯をもって挫折し、その対米外交姿勢の転換を成し遂げることもできないままに終わった。そして、現在まで続く安倍長期政権を誕生させることになった。 それは、大きな社会的な議論を呼んだ森友・加計問題に見られるフェアでない官僚の忖度(そんたく)や、自衛隊の日報問題、賃金に関する統計不正問題など、民主的とは正反対の問題が続出する事態を許してしまっている。われわれ日本国の政治家の使命は、与野党の別なく、今も続くこの「忖度政治」と「不平等な対米関係」という悪夢から、この国を目覚めさせることであると申し上げたい。■ 「日本が真の独立国になるために」鳩山由紀夫、平成最後の反省文■ 今どきの若者は「保守化」も「安倍支持」もしていない■ 同性愛公表、尾辻かな子が徹底反論「LGBT杉田論文の度が過ぎる」

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    江田憲司手記「民主党政権より恐ろしい本当の悪夢を教えよう」

    議員) まず、冒頭、はっきりと申し上げておきたいことは、私は、「民主党政権」とは全く関わりのなかった政治家だということだ。いや、むしろ、当時は、みんなの党幹事長として、民主党政権の種々の問題点について、予算委員会等の場で追及していた側の政治家だった。したがって、「あの悪夢のような民主党政権」(安倍首相)を弁護する立場にはない。 にもかかわらず、私が2月20日の予算委員会で、あえてこの問題を取り上げたのは、安倍首相に「もう不毛な議論はやめよう。過去の政権がどうだったとか、それに比べて良いだ悪いだといったことより、国民が望んでいるのは、これからの日本をどうするかだ。そうした将来のことを語ってほしい」という思いからだった。本件だけでなく、安倍首相は「反論」のための「反論」で、あまりに民主党政権時代のことをあげつらうことが多すぎるからだ。 そこで私は、僭越(せんえつ)ながら、安倍首相にこう申し上げた。「もっと首相としてディグニティー(Dignity)を持ってほしい。国民の代表、トップリーダーなのだから、もっと威厳と品位を持ってほしい」と。安倍首相は不服そうだったが、最後は「江田委員の言うことだから深く胸に刻む」と答弁したが、その後も繰り返しているところを見ると、やはり、本気ではそう思ってはいないのだろう。 そして、その予算委で私は引き続き、安倍首相が自省する「よすが」となるように、あえて「安倍首相、民主党政権が悪夢なら、あなたが幹事長、官房長官として支えた小泉政権も悪夢ではなかったのですか?」という問いかけをした。安倍首相が、岡田克也議員や旧民主党議員と予算委でやりとりした中で「私は、民主党政権時代の経済のことを言ったのだ。有効求人倍率は今より半分で『就職氷河期』だったし、中小企業の倒産が今より3割も多く、『連鎖倒産』という言葉もあった」という趣旨の発言をしたからだ。 旧民主党議員が安倍自民党政権を批判すると「ブーメラン」を食らっていたように、安倍首相も人のことを批判ばかりしていると、同じようにブーメランを食らう。それが、予算委でも示した下記のパネルだ。 民主党政権と小泉自民党政権を比べてみると、「有効求人倍率」では多少、小泉政権の方が良いが、「完全失業率」でも「倒産件数」でも「負債総額」でも、小泉政権の方が悪い。だから、安倍首相の「定義」に倣っても、「民主党政権が悪夢なら、小泉政権も悪夢」であるはずだ。本当の「悪夢」とは 少しだけ民主党政権のことを弁護すると、2008年にはリーマンショックが起こり、2011年には東日本大震災と原発事故があり、日本経済は、誰が政権にいても大変な状況だった。また、安倍首相は、政権交代した2012年12月以降、戦後最長の景気回復と胸を張るが、いみじくも、そのスタートが12年12月であるように、それは民主党政権時代から「芽」が出ていたとも言えるのだ。突然、政権が代わったから景気が上向くことなどない。その流れを、安倍政権が「異次元金融緩和」で加速したという分析もできよう。 誤解なきように繰り返し申し上げるが、私は、こんな議論を「どや顔」でやっているのではない。どの政権にも「光と陰」というものがある。私がお仕えした橋本龍太郎政権もそうだ。どの政権も、時々の国際・国内情勢、諸条件を所与の前提として、善政もあれば失政もある。そこに思いをいたして、反省すべきことは反省し、それを将来につなげていくことこそ政治家の使命だろう。 しかし、「悪夢のような民主党政権」という発言が、自民党大会という身内を鼓舞する舞台でのものだったとはいえ、トップリーダーたる首相は、そこをあえてのみ込んで、もう少し「言い方」があるのではないかということだ。少なくとも私が知る故橋本龍太郎元首相なら、そんな言葉は発しなかった。 さあ、ここからが私の本論だが、「悪夢」と言うなら、私は「アベノミクスの行く末」と「異次元金融緩和の出口」の方が、はるかに悪夢だと思う。 ご承知のように、長期化する「異次元金融緩和」で、今や、日銀の保有する国債残高は473兆円(19年2月)、数年前の国内総生産(GDP)並みに膨れ上がった。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)と日銀が保有する株式も66・5兆円(18年6月)。これは東証一部上場会社の時価総額の約1割にあたり、その3社に1社の筆頭株主は「公的資金」と言われている。20カ国・地域(G20)財務大臣・中央銀行総裁代理会議であいさつする麻生太郎副総理兼財務相(右)。左は日銀の黒田東彦総裁=2019年1月17日、東京都文京区のホテル椿山荘東京(酒巻俊介撮影) こうした「官製相場」となっている債権や株式市場に一体「出口」はあるのか。未来永劫(えいごう)、こうした金融政策が続けられないことは分かっているのだから、それが「ステルス・テーパリング (密かな量的金融緩和の縮小)」であろうがなかろうが、どこかで「手じまい」をしなければならない。そして、その「出口」で、ソフトランディングはできるのか、それとも、ハードランディングになってしまうのか…。 私は、今の日本経済の、一見良さそうに見える各種指標が、こうした「砂上の楼閣」の上に立っていることを強く危惧せざるを得ない。ひとたび、その「楼閣」が崩れれば、過去の「世界恐慌」の例が教えるように、経済は底を打つまで反転しないのではないか。私は今、そうした「悪夢」に苛(さいな)まれている。ひとたび、こうしたクラッシュが起これば、もはや、今の日本に尽くすべき財政・金融政策の手立てはない。アベノミクスの「副作用」 具体的には、それは「国債価格の下落」から始まる。日銀が何らかの形で市場に「手じまい」の信号を出すと、それをきっかけに、国債を買うインセンティブがなくなり、国債価格が下がる。それは金利の上昇を意味し、それが「暴落」に発展すれば、金利が急上昇し、経済も財政も破たんしてしまう。 この「悪夢」をどう回避するか。残念ながら、「カンフル剤」の打ちすぎで、金融政策にその余地はもうない。財政出動が効くようなレベルでもなくなるし、それを賄える財源もない。それどころか、借金の利払いの急増で財政も破たんしてしまう。「底」を打つまで反転しないとは、こういうことだ。 ちなみに、私は2009年8月、みんなの党結成時より、その公約で「大胆な金融緩和がデフレ脱却への道だ」と訴えてきた政治家だ。安倍政権が「異次元緩和」を実行する3年以上も前のことだ。その私ですら、ここまで「異次元緩和」を続けることは想定していなかった。 これまで私は「カンフル剤は一本打つから効果があるのであって、二本も三本も打つものではない。カンフル剤で体が一時的にシャキッとしている間に『体質改善』、必要なら『手術』(いわゆる構造改革)が必要だった。アベノミクスにいう『3本目の矢(成長戦略)』のことだが、安倍首相はそれを怠った。今や、異次元緩和の効果どころか。副作用が大いに心配されている」と予算委で安倍首相に詰問してきた。 その「副作用」が、「金融機関の収益悪化」という形で今でも徐々に出てきているが、上述した「悪夢」のような副作用がいつ出るのか。来年のオリンピック、パラリンピックまでは、日本全体に公共投資等の前向きの「気」があるので持ちこたえるだろうが、それを過ぎると危ないと私は思っている。そして、「すわ、危機だ!」という時に、その責任者たる安倍首相も日銀黒田総裁も退任していないということになりかねない。そして、その責任は、それを防げなかった後継者の、もしかしたら政権交代後の政権の責任にされるかもしれないのだ。衆経済財政諮問会議で発言する安倍晋三首相(手前)=2019年1月30日、首相官邸(春名中撮影) こうした「本当の悪夢」を迎えるかもしれない重大な時に、他人の悪夢をあげつらっている場合ではないのだ。「安倍首相、国会では過去のことより将来、これからの日本のことを語ろうではないか!」。最後に、もう一度申し上げて、本稿を終わりにしたい。■【独占手記】江田憲司が初めて明かす普天間合意「23年目の真実」■安倍外交85点の理由は「欧米と仲良く、中国と喧嘩せず」■「スイッチが入った政治家」安倍晋三のリベンジ

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    民主党政権が変えた「現役重視」シルバー民主主義を言い訳にするな

    優遇され、我々は年金自体もらえるかどうかわからない」といった不満の声を聞く。 しかし、本当に高齢者が政治的に有利に振る舞い、優遇されてきたと言えるのだろうか。『シルバー民主主義の政治経済学』(日本経済新聞出版社)を上梓した島澤諭・公益財団法人中部圏社会経済研究所 経済分析・応用チームリーダーに「日本にシルバー民主主義は存在するのか」「世代間格差や財政赤字を解消するための施策」などについて話を聞いた。―高齢者を支える現役世代の負担が重くなると盛んに報じられてきました。また高齢者人口の増加にともない、選挙で大きな影響をもつ層として高齢者の意向が通りやすくなっているのではないかと指摘されています。実際に、このようなシルバー民主主義は日本で存在しているのでしょうか?島澤:現在の日本でシルバー民主主義が生じているかどうかについては否定的です。 シルバー民主主義とは、高齢者が直接的に政治に働きかけ、数の力で現行のシステムを維持・伸長する、または政治に直接的には働きかけないが、高齢者の数の力を政治側が忖度し、既得権の維持・伸長を図ることで、どちらにしろ、高齢者が政治プロセスを支配し、自分たちに都合の良いように振る舞うことです。それによって若者が困窮しているというのは、日本では30年以上前から、また西欧でも同様の指摘がありました。 ただ、そういったシルバー民主主義を批判する指摘のほとんどは、高齢世代ほど負担が低く若い世代ほど負担が大きくなっている世代会計の結果を根拠としています。 しかし、実際に世代会計の結果を虚心坦懐に読み込むと、また違った結果が見えてきます。図表1の世代会計の結果を見ると、65歳世代は0歳世代より生涯純負担率で見て10ポイント程度小さく確かに若い世代ほど負担が大きくなっていますが、マクロ経済環境も財政・社会保障制度の受益負担構造も全く同一の条件に直面しているはずの0歳世代と将来世代とでは、将来世代が27ポイントも負担が大きくなっていることが分かります。出所:『シルバー民主主義の政治経済学』(日本経済新聞出版社)108ページ 表2 つまり、現在の日本には、「現在生きている世代内における世代間格差」と「現在世代と将来世代の間の世代間格差」の二つが存在し、しかも、前者の格差より後者の格差の方が大きいので、要するに、高齢世代と現役世代は暗黙のうちに“結託”し、将来世代を財政的に“虐待”し続けている構図が明らかになります。実は将来世代から見れば現役世代も加害者側に区分されるのです。このようにデータとファクトとロジックを使ってシルバー民主主義が存在するのか否かについて調べたのが本書です。実態は「全世代型バラマキ」―シルバー民主主義の存在について否定的である根拠を具体的に教えて下さい。島澤:シルバー民主主義が存在しないと考える理由は次の通りです。確かに、少子化、高齢化の進行と高齢者ほど高い投票率を反映して高齢者の票数は無視できないほど大きくなっていますが、最近政治家たちが力を入れている幼児教育や大学教育の無償化、奨学金の拡充などの政策は、若者や現役世代を重視したものです。こうした政策からは高齢者は利益は受けませんから、シルバー民主主義が存在するならば高齢者は反対し、政治も高齢者の反対に追随するはず。しかし実際には、高齢世代を優遇したまま、現役世代を重視した政策が各党から相次いで提案されていますが、これはシルバー民主主義論では解けないパズルと言えます。こうした現象を見ても、シルバー民主主義には否定的です。 結局のところ、シルバー民主主義が存在しているように見えたのは、たまたまこれまでは高齢者のほうが票を計算しやすかったからに過ぎず、若者や現役世代が貧困化し、政党が彼ら彼女らに再分配を行うことで票を見込めるようになってからは、若者も重視されるようになりました。その転換点は旧民主党が「子ども手当て」や「コンクリートから人へ」といった現役世代重視の政策を掲げて、自民党政権下では給付が高齢者に偏っていた点に不満を抱いていた現役世代の票の取り込みに成功して政権交代を果たした2009年にあります。 政党から見れば、高齢世代の民意だろうが若者世代の民意だろうが、投票してくれる民意がよい民意であり、実態は民意ファーストな政治だったのです。―しかしながら、シルバー民主主義という言葉は世間に広がっています。島澤:シルバー民主主義という言葉が、人口に膾炙し始め、みなさん言い訳として使うようになったのではないかと思います。 たとえば若者が、何か政治的な行動を起こそうと考えても、高齢者の反対にあい頓挫するからと諦める。つまり、シルバー民主主義を言い訳にして諦めてしまう。それによって現状は維持されたままです。 また仮に高齢者が、自らの意見を主張し政治的に優位であったとしても、民主主義の枠内で行動しているので問題はありません。2009年8月、衆院選で政権交代を実現した民主党執行部。(左から)岡田克也幹事長、鳩山由紀夫代表、小沢一郎代表代行、菅直人代表代行(いずれも当時) さらに政治は、シルバー民主主義を克服し、全世代型社会保障を実現するため、高齢世代のへの給付は維持したまま若者の給付を拡大しようとしていますが、その実態は、将来世代に負担を先送りした「全世代型バラマキ」に過ぎません。つまり、幅広い世代から民意を獲得するための「全世代型バラマキ」の正当化のため、シルバー民主主義を利用しているのです。 このように、高齢者も政治も、そして若者までもが、シルバー民主主義の存在を自らあえて将来世代のために行動しない“言い訳”にしてしまっています。待ったなしの構造改革―シルバー民主主義は生じていなくても、世代間格差は生じています。そして日本の赤字財政は目を向けられないほど深刻な状況です。どうしてこういった状況に陥ってしまったのでしょうか?島澤:日本の根本的な問題として、政策を立てる上で、必要とする財源を財政赤字で賄おうとするケースが多い。そもそも財政法上“特例”のはずの赤字国債が1975年度から平成3年から5年度までの一時期を除いて現在に至るまで恒久的に発行され続けているわけですが、海外を見ても、そんな国はありません。ですから、まずはリーマンショック以降膨れ上がった歳出規模をそれ以前の規模にまでスリム化し、そして全世代が広く負担する消費税増税をするなどして、財政赤字をこれ以上増やさないようにすることですね。 現行の社会保障制度は、受益面は年齢が上がるほど受益が増加し、負担は勤労世代が高くなる仕組みです。例えば、厚生労働省の「所得再分配調査」によれば、60歳以上になると、再分配後の所得が、当初の所得を上回ります。 この調査結果を使い平均的な日本人の所得と再分配後の所得を計算したところ、給付が負担を89万円超過していることがわかりました。この超過分は、財政赤字に回されるのです。つまり、社会保障の受益負担の構造改革も待ったなしです。―平均的な日本人1人あたり、89万円も超過しているとは驚きですね。島澤:世代間格差を考える時に、現役世代と高齢世代の格差に目が行きがちですが、これから生まれてくる将来世代との格差も考えなければなりません。財政赤字が解消されない限り、そのツケは今後生まれてくる子どもたちに重くのしかかります。先ほどお話したように、新たな政策の財源を財政赤字で賄うのは、若者と高齢者、そして政府という鉄のトライアングルが結託し、将来世代の財布から同意を得ずにお金を調達している、つまり財政的幼児虐待を行っているのです。―財政赤字をなるべく減少させ、世代間格差がこれ以上開かないようにするには、どんな政策が考えられますか?島澤:まず、日本の財政赤字を考えるうえで、世間一般に誤解があるように思います。特に、政府や財務省の資料では、財政赤字が世代間格差を発生させ、この格差を埋めるためには増税しないとならない、と見て取れる。しかしながら、このロジックはミスリードです。実際には、世代間格差は財政赤字があるから発生するわけでもなく、財政赤字があったとしても世代間格差がないような仕組みを理論的にはつくることができます。 さらに言えば、財政黒字であったとしても世代間格差が存在することはあり得ます。要するに、増税と世代間格差の解消にはあまり関係はありません。 こうした点と先に指摘した2つの世代間格差(「現在生きている世代内における世代間格差」と「現在世代と将来世代の間の世代間格差」)の存在を念頭に考えますと、現在世代内の格差に対しては財政・社会保障制度の受益負担の構造改革で対応し、現在世代と将来世代間の世代間格差に対してはリーマンショックで膨れ上がった歳出規模の削減と消費増税で対応するのが最適解と考えます。―19年10月に消費税が引き上げられる予定です。それにより財政赤字は少しでも少なくなるのでしょうか?島澤:将来世代に先送りされる財政赤字の解消に充ててこそ増税の意味はあると思いますが、幼児教育の無償化に充てるなど結局現役世代に使うようですから、実態は何も変わらないと思います。近視眼の政治家―政治家がとにかく近視眼的になっている印象です。島澤:政治家は、本来目先の利益ではなくもう少し長いスパンの利益を考える存在だと思いますが、近視眼的な民意に引きずられ過ぎているきらいはありますね。現代日本の一つの問題は現役世代が貧困化し、これまでのような寛大な社会保障制度を維持するのが難しくなってきたことにあります。したがって、政治がなすべきは、現役世代の生活を安定化することですが、これには先にも言いました通り、財政・社会保障制度の受益負担の構造改革を断行する以外には実現できません。もちろん、これにより高齢世代と現役世代の対立の高まりによって世代間闘争が起きる可能性は否定できませんが、長期的なスパンで考えれば、いまのままの財政赤字を放っておいて良い訳はないので、そのために国民を説得してほしいですね。―それは選挙制度の問題ともつながってくるのでしょうか?島澤:現在の民意ファーストの政治は、小選挙区制の問題かもしれません。衆議院に関しては、政策を決定し実行していくことが重要ですから、小選挙区制のままで良いと思います。しかし、参議院の存在意義は、衆議院とは違う代表が選出され、違う視点から法案を審議することに意味があると思います。ですから、参議院は比例代表制だけにして、多様化した民意を反映できるようにするのが良いのではないでしょうか。―諸外国を見た時に、世代間格差の是正や財政赤字の解消など参考になる事例はありますか?島澤:年金などの国の社会保障の根本に関わるようなシステムの改革には、与党だけで決定するのではなく、野党や産業界などより広い利害関係者から成る会議を開き、合意に達するべきです。スウェーデンの年金改革はまさにそういった形で行われました。 ただ、日本のこれまでの政治を見ると合意の拘束力が弱すぎます。たとえば、橋本龍太郎内閣で合意した財政構造改革法は、与野党で合意したにもかかわらず、予想以上に不景気が長引いたため改正を余儀なくされ、小渕内閣では凍結する事態となりました。旧民主党・自民党・公明党による社会保障と税の一体改革に関する三党合意も結局なし崩し的に反故にされました。夏休みに入る子どもが宿題の計画を途中でひっくり返すのとは訳が違うのですから、一旦合意したら最後まで守って欲しいものです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)――最後にメッセージをお願いします。島澤:読者の皆さんは、日常生活に精一杯でなかなか政治や財政赤字のことまで考える余裕はないと思います。しかも、巷ではインフレや経済成長によって痛みを感じることなく財政健全化が可能だという主張が流布され、安倍内閣もそれに乗っかっています。仮にそれが本当だとしても、受益負担の構造改革を避けていては世代間格差の解消は不可能です。現在の我々の生活が成り立っているのは、将来世代へツケを回し、政府の借金で賄っているということをしっかり認識する必要があります。また、現役世代の方々は、高齢世代に比べ、被害者意識を持つ傾向があります。しかし、将来世代から見えればどちらも加害者なんです。ただ、世代間のそうした対立は何も建設的な結果を生みません。そうではなくて、今後の日本の財政や社会保障、社会情勢がどうすれば良くなるかということに視点を置き換え、現状の生活だけでなく、もう少し将来の日本や子供たちの未来について考えていただければと思います。ほんだ・かつひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。

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    仙谷由人氏お別れ会 旧民主党が勢揃いも呼ばれなかった元総理

    相として支えた関係。何よりこうした政界関係者のセレモニーでは、『首相経験者』の肩書きは別格です。現役政治家ではないが、鳩山さんの名前がないのは解せない話で、“最初から誰も声をかけなかったのでは”と思えてしまいます」(同前) 鳩山氏は総理辞任から2年後の2012年に政界引退するが、その後に訪れた中国で「尖閣は日中の係争地」と発言したり、ロシアが一方的に併合を宣言したウクライナのクリミア半島を訪問したりするなど独自の“民間人外交”を展開。そのたびに自民党から「おたくの元総理が問題を起こしている」と攻撃された苦々しい思い出が民主党側にある。 「“宇宙人”だから諫めても馬耳東風で、すぐに我々が予想できない言動をする。率直なところ“もう鳩山さんには関わりたくない”というのが本音」(旧民主党系の現役代議士) そんな事情が“ハト抜き”の遠因にあったようなのだ。もっとも、別の旧民主党系議員はこう言う。参院予算委で菅直人首相(右)と話す仙谷由人官房長官=2010年11月 「基地建設を争点として与野党対決となった9月末の沖縄県知事選の応援に入ったある立憲民主党の幹部は、演説で“私は鳩山政権の一員だった”としきりにアピールしていた。沖縄では『最低でも県外』と主張した鳩山さんに今も一定の人気がある。そんな時だけは鳩山の名前を利用するのだから現金なものです」 政権を失ってからの6年で、党もバラバラになった。それでも「言動をコロコロ変える、内ゲバ大好き」という民主党の“文化”は変わらない。その様を仙谷氏は草葉の陰でどう思うだろうか。関連記事■安倍首相に自民党内から「鳩山さんに似てきた」との批判■鳩山由紀夫氏が重慶爆撃を謝罪 中国人も「さすが宇宙人」■パソコン使えぬ桜田五輪相 権力の空気だけは読めるとの評価も■九重親方 「協会葬」ではなく「お別れの会」となった内幕■紀州のドン・ファン「急死の愛犬」のため訃報広告出していた

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    稲盛和夫氏、なぜ1人で政権交代をバックアップできたか

     平成という時代を振り返ると、政治や経済の重大な局面で必ずその存在が見え隠れする。表の権力者たちを支え、動かし、時に揺るがす「フィクサー」たちだ。確かに昭和の時代にも暗躍した「大物フィクサー」はいた。舞台回しのスケールでいえば、平成よりはるかに大きかったかもしれない。 だが、表の権力者が小粒化した平成の政界において「フィクサー」の存在感は相対的に増している。さらにいえば、彼らが「表の実力者」としての顔を持つことも特徴といえる。いったいなぜ彼らは、それほどの存在になり得たのか。 民主党への政権交代(2009年)の「陰の主役」といえば、京セラ創業者の稲盛和夫氏(86)だ。 政権交代を目前に控え、当時の小沢一郎・民主党代表はしばしば隠密行動を取った。「お忍びで京都に行ったらしい」──党内ではそんな噂がささやかれた。民主党事務局長を務めた政治アナリスト・伊藤惇夫氏が当時を振り返る。 「京都で稲盛さんにお世話になっていたのでしょう。それほど近い関係でした。その一方で前原誠司氏の後援会長を務めるなど、個々の民主党議員の面倒もよく見ていた」 自民党政権は財界主流が支えてきたが、民主党を支えた経済人といえば稲盛氏くらいだった。なぜたった1人で政権交代をバックアップすることができたのか。 「ベンチャー企業の創業者で、挑戦する立場に理解があった。京都の経営者だから東京の財界に対する対抗心もあったと思う。だから既存の自民党ではない政治勢力、政権交代可能な2大政党制の必要性を強く感じていたのではないか」(伊藤氏)2013年3月、取締役からの退任を発表する日本航空の稲盛和夫名誉会長(写真左)。右は植木義晴社長(大西史朗撮影) 2大政党制を作るために、稲盛氏は政権交代前の2003年民主党と自由党の民由合併の工作に関わった。当時、菅直人氏ら民主党内に“小沢アレルギー”が強く、合併に反対したが、それを説得して合併を成功させたのが稲盛氏だったとされる。合併民主党の事実上の“オーナー”だったことになる。しかし、政権交代後は民主党に使われた。伊藤氏はいう。 「経営破綻した日本航空の経営再建を担わされ、出資も求められた。稲盛さんが民主党のフィクサー的なポジションにあったのは政権交代前の野党時代までではないか」 民主党が分裂騒動を起こした菅政権時代、「大変落胆している。こういうことのために支援してきたのではなかった」と稲盛氏は記者会見で語り、以降は民主党と距離を置いた。関連記事■渡辺恒雄氏 なぜ一介の番記者から総理動かす政治力持ったか■最近のナベツネ氏「誰も分かっちゃくれない…」と周囲に弱音■孫正義、稲盛和夫、柳井正 成功を収めた大富豪の至言■靖国やNHK会長人事にJR東海名誉会長が影響力を持つ理由■稲盛和夫氏「不運でも耐えて明るく前向きに続けるのが人生」

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    安倍外交85点の理由は「欧米と仲良く、中国と喧嘩せず」

    櫻田淳(東洋学園大学教授) 昔日、国際政治学者の高坂正堯は、日本の対外政策方針の原則として「米国とは仲良く、中国とは喧嘩(けんか)せず」と語ったと伝えられる。現下、米中両国を軸とした「第2次冷戦」の到来が語られる折柄(おりから)、「第1次冷戦」の歳月を凝視し、その歳月の終わりとともに世を去った高坂の言葉は、次のように読み替えられるべきかもしれない。 「米国や欧州諸国のような『西方世界』諸国とは仲良く、そうでない国々とは喧嘩せず」。この言葉が日本の対外政策を評価する基準を表しているのであれば、日本の対外政策方針の大黒柱は、「西方世界」諸国、すなわち「自由・民主主義・人権。法の支配といった価値意識」を共有する国々との協調にこそあり、他の国々との関係は、それに代替することはないということになる。 この評価基準にのっとれば、第2次安倍晋三内閣発足以降に披露された対外政策展開には、特段の瑕疵(かし)はない。安倍晋三首相は、再執政始動直後に米豪印3カ国との提携を打ち出して以降、「自由・民主主義・人権。法の支配といった価値意識」の意義を強調しつつ、対外政策を展開してきた。 その徹底性において、安倍首相は過去に類例がない宰相である。安倍首相の徹底性の故にこそ、日本の対外政策展開には相応の「強靱(きょうじん)性」が備わるようになった。 米国のドナルド・トランプ大統領の登場、英国の欧州連合(EU)離脱、英仏独墺蘭各国における「ポピュリズム」の様相を帯びた「反動」政治勢力の台頭、さらにはフランスにおける「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)運動」の激化は、その一つ一つが「西方世界」諸国の内なる動揺を表している。日本の対外政策上の「強靱性」は、そうした「西方世界」諸国の動揺の中では、それ自体が日本の国際政治上の「声望」を担保している。 国際政治学者でプリンストン大のジョン・アイケンベリー教授が米外交評論誌『フォーリン・アフェアーズ』(2017年5月号)に寄せた論稿の中で、「リベラルな戦後秩序を支持する二人の指導者」の一人として安倍首相の名前を挙げているのは、誠に象徴的である。 方や、米中第2次冷戦が語られる中でも、安倍の対外政策展開に際して、「中国と喧嘩しない」ための手は、確かに打たれている。2018年10月、安倍首相が中国の習近平国家主席との会談の席で、「競争から協調へ、日中関係を新しい時代へと押し上げていきたい」と表明したのは、そうした対応の事例であろう。2018年5月、第6回日中韓ビジネス・サミットに臨む韓国の文在寅大統領(左)と安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) むしろ、安倍内閣下の対外政策に係る難題は、その「西方世界」協調方針に齟齬(そご)が生じた結果として現れる。その齟齬が最も鮮明に現れているのが、対韓関係である。「不安要素」の危うさ 韓国紙『朝鮮日報』(日本語電子版、2月23日配信)は「386世代」の動静を評した記事の中で、「民主化・高度成長の達成感も味わった世代だ。80年代後半の物質的豊かさは、世界に向けて足を踏み出す動力になった」と記している。「386世代」とは、1990年代に30代を迎え、80年代に大学へ通った、60年代生まれの世代であり、現在の韓国社会を主導している。 そもそも、「民主主義」「南北融和」「グローバリゼーションの波に乗った経済発展」「対中関係や対露関係における外交の幅」「日本に対する『尊大』姿勢」といった当代韓国を彩るさまざまな相は、第1次冷戦終結後、韓国にとって「米国か中国か」という選択に悩む必要がなくなった時代の所産である。目下、この「386世代」人士を傍らに多く置き、その思考に強い影響を受けているとされるのが文在寅(ムン・ジェイン)大統領である。 文氏は、過去30年の韓国にとっての「幸福な時代」の惰性を反映して、「安全保障は米国、経済は中国」という「米国も中国も」の姿勢が通用せず、「米国か中国か」という選択に再び迫られるようになる環境下でさえも、「米国も中国も」という姿勢が続けられると錯覚しているのであろう。 文氏の対外姿勢は、安倍首相のものとは明らかに相いれない。日韓関係の現下の冷却には、歴史の中で積み重ねられた「感情」以上に、こうした対外政策上の「構造」が反映されている。 もっとも、安倍首相の対外政策展開にも一つの不安要素がある。現下、ロシアと「西方世界」との関係は険悪である。 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は「西方世界」に対する協調と対抗の論理の相克に彩られたロシア史の中では、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元大統領とは対照的に、その対抗の論理を体現してきた政治指導者である。2018年12月、ブエノスアイレスで会談に臨むロシアのプーチン大統領(右)と安倍首相(共同) 安倍首相は、そうした「西方世界」に親和的ではないプーチン大統領との会談を既に25度も経ているけれども、北方領土問題における六十余年の膠着(こうちゃく)を解くためとはいえ、その対露姿勢は、ロシアと「西方世界」の確執の中で、どのように整合するのか。 もし、安倍首相における対露政策展開が「ロシアと喧嘩しない」という姿勢を示す域に止まらず、対中牽制の思惑をも含んでいるのであれば、そうした没価値的な思考は、安倍内閣下の対外政策展開全体における「つまずきの石」になるかもしれない。万事、「似合わぬ振る舞い」に走ることの危うさは、強調されてよい。■ 「安倍時代の終焉」が現実的とは言えない理由■ 鈴木宗男手記「北方領土交渉、安倍総理を1000%信頼する」■ 「石破を干し、次を育てる」安倍人事の容赦なき適材適所

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    安倍外交を採点したらこうなった

    歴代首相で最多の78か国・地域を訪れ、文字通り「地球儀を俯瞰する外交」を続ける安倍首相だが、その外交手腕をどう評価すべきなのか。米国一辺倒と揶揄され、日韓関係は最悪、対露交渉も遅々として進まない。政権復帰7年目、正念場の安倍外交を識者に採点してもらった。

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    日韓関係は最悪、北朝鮮問題で出番なくとも安倍外交は「78点」

    との協力関係だ。そのことを確認して、この小稿を終えることとしたい。(文中一部敬称略)■「親日清算」も政治ショー? 文在寅はいずれ「歴史の罪人」となる■天皇陛下を「おじさん」 韓国議長、もう一つの侮辱発言■安倍総理の「やってる感」に愛想を尽かした拉致家族のホンネ

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    禍根を残す「やったふり外交」安倍首相の評価は65点止まり

    協力は、「経済的」にはロシアが切実に望むものであるが、日本側は進展しなくても別に困らない。もちろん「政治的」には北方領土問題があり、安倍首相は「戦後70年以上動かせなかった問題を、自分たちの時代で解決する」と意気込んでいる。 だが、この意気込みを裏返せば、「70年動かなくても、大きな問題とならなかった」ともいえる。なぜ、これだけ日本が有利な状況にある交渉で、「北方四島のうち、2島だけでも先に返してもらえないか」と下手に出て、ロシアの言うままに経済協力を進めないといけないのか、理解できない。 要するに、安倍首相が世界の強烈な個性を持つ首脳たちと何度もサシで話し合い、笑顔で握手する映像を流し、記者会見で長時間成果を語っているが、相手に何を話しているかわからない。繰り返すが、かつて「空気を読めない男」と呼ばれ、現在でも国会で野党に対してすぐ感情的になる政治家が、日本の主張を強く、論理的に訴えて、説得できるのであろうか。 むしろ、「安倍外交」がおおむね適切だったのは、アメリカ・ファーストのトランプ氏をはじめ、プーチン氏や習氏ら権威主義的な指導者が跋扈する国際社会で、あまり積極的に動かず、日本の公的な主張を棒読みしながら、笑顔で相手の主張にもうなずき続けて機嫌を損ねないという、無理のない対応に終始してきたからではないだろうか。 しかし、今後も安倍首相が、無理のない、おおむね適切な外交を続けられるかどうかはわからない。アメリカ・ファーストを掲げたトランプ氏は「北朝鮮の核・ミサイル開発への介入」「エルサレムのイスラエル首都承認」「米国のイラン核合意離脱」「ロシアのサイバー攻撃への制裁」「米中貿易戦争」と世界を振り回し続けた。安倍首相はトランプ氏に徹底的に従う姿勢で「いい奴」と思われてきたが、今後もそれでいいのだろうか。2017年11月、北朝鮮による拉致被害者家族らと面会後、感想を語るトランプ米大統領(前列右から3人目)。同4人目は安倍晋三首相(代表撮影) そもそも、安倍首相自身に焦りが見られるように思う。例えば、「北朝鮮問題」は、トランプ大統領とサシで話し続けていても、「拉致問題」に動く気配がなく、「北朝鮮の完全な非核化」にしても、大統領が本気で取り組んでいるのかよくわからない。 2度目の米朝首脳会談こそ物別れに終わったが、韓国やロシア、中国などが隠れて経済協力を始めておかしくない。日本に向けて中距離核ミサイルがズラッと並んだまま、日本が「蚊帳の外」になりかねない状況だ。「われ先に利益を」ではダメ またも繰り返すが、北方領土問題で「北方四島のうち、2島だけでも」と自分からハードルを下げている。困っているのはロシア側なのだから、「4島返還でなければ経済協力は難しい」と構えていればいいのだ。 ラブロフ氏が怒り狂っても、静観していればいい。交渉事は、大体怒っている方がうまくいかず焦っているものだ。 安倍首相は、現実的対応というかもしれないが、今、現実的であっても、30年後に現実的な対応だったと評価されるかどうかはわからない。むしろ、後世に取り返しのつかない禍根を残したと評価される可能性が高い。 日本外交に求められることは、アメリカ・ファーストなど、自国第一主義の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈する国際社会の中で、焦って動かないことだ。 大事なことは、着実に経済成長を続けることだと考える。前述のように、アメリカ・ファーストには「米国のモノを買う国」が必要だ。日本が経済力を維持し、米国製のモノを買い続けられる限り、米国は日本を守ってくれるだろう。 また、米中貿易戦争が激化する中で、中国が日本に接近し、日中関係が改善してきている。中国の急拡大は脅威だが、日本が強い経済力を維持している限り、中国は日本を潰そうとはしない。 「慰安婦問題」「徴用工問題」「レーダー照射問題」と日本に対して挑発的な態度を取り続ける韓国も、国内経済が悪化し、大学生は日本での就職活動に熱心だという。日本経済が強ければ、いずれ関係は改善していくと考えられる。  さらに、日本は米国が離脱した後の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を、「TPP11」という形でまとめ上げた。日・EU経済連携協定(EPA)も発効した。TPP11には、英国が「EU離脱後」の加盟に強い関心を持っているという。日本は、権威主義的な指導者による保護貿易主義がはびこる中、「自由貿易圏」をつなぐアンカー役になれる。2017年9月、国連総会出席のため政府専用機で米国へ出発する安倍晋三首相(川口良介撮影) 世界に自国第一主義が広がる中で、日本がわれ先に利益を得ようとすることはない。むしろ、多くの国が自由貿易圏で豊かになれることを、支える役目に徹することだ。それが、日本を守ることになるのである。■「武士の情は通用しない」韓国との情報戦はこう戦え!■「在韓米軍撤収」これが習近平を黙らせるトランプの隠し球だ!■「安倍時代の終焉」が現実的とは言えない理由

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    新たなパートナーを探す英との接近、安倍首相の「戦略外交」

    岡崎研究所 2019年1月10日、安倍晋三総理は、ロンドンにて、テリーザ・メイ英国首相と会談した。両首脳は、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けて、海洋安全保障、質の高いインフラや通信インフラ分野等における日英協力の強化で一致した。同日、29項目にわたる「日英共同声明」が発出された。 日英両国は、2017年8月のメイ首相の訪日以来、英海軍艦艇の日本寄港等、日英間の安全保障分野での協力を推し進め、現在、両国は、「安全保障上の重要なパートナー」となっている。安倍総理は、「日英同盟」以来の密接な日英関係とも述べている。 これを更に進めるため、今年の春、日本において第4回日英外務・防衛閣僚会合(「2+2」)を開催する予定である。今年前半には、英海軍艦艇「HMS モントローズ」の日本寄港が計画されている。 これは、北朝鮮に関連する国際連合安全保障理事会決議の履行を支援するため、「瀬取り」を含む違法な海上活動を警戒監視するためである。同時に、海洋進出、海洋での軍事行動を活発化させている中国を牽制するためでもあろう。 「質の高いインフラ」というのも暗に、中国の進めている「一帯一路」を批判しているとも考えられるし、「通信インフラ」での協力というのも、ファーウェイやZTE等中国の通信会社を政府の通信ネットから排除した米国にいち早く呼応した英国とそれに続いた日本との連携とも言えよう。2019年1月、ロンドンでの共同記者会見で、笑顔を見せる安倍首相と英国のメイ首相(共同) 今回発出された日英共同声明の第7項目には、次のような一文がある。「インド太平洋地域及び欧州において自衛隊及び英国軍の共同演習を増加する。我々は、将来のあり得べき交渉を見据え、日本国自衛隊と英国軍の共同運用・演習を円滑にするための行政上、政策上及び法律上の手続を改善する枠組みに引き続き取り組む」「日英準同盟」の発展も すなわち、日英共同演習は、インド太平洋地域のみならず、欧州でも行う可能性がある。また、日英防衛協力を深化させるために、必要な立法や政策立案を両国が行うことを努力することを明記した。 第7項目の末尾には、次のような記述もある。「将来の戦闘機及び空対空ミサイルに関する協力を探求する可能性を含め、将来の能力のため、防衛産業パートナーシップ及び政府間協働プロジェクトを進展させる」 日本は、新防衛装備移転3原則が制定されてからも特に具体的な案件が取り決められることはほぼなかったが、次世代戦闘機を含め、日英間の共同開発等、両国の防衛装備品協力への道が開かれた。太平洋を結ぶ日米同盟と、大西洋間の米英同盟を、さらに連携させるユーラシア大陸をまたぐ日英準同盟が形成されて行くのかもしれない。 英国は、EUからの離脱・Brexitを控え、新たなパートナーを探していることは間違いない。特に、普遍的価値や利益を共有し、経済力等国力も近い相手が望ましい。 日本も、厳しい北東アジアの環境の中で、日米同盟を基軸にしつつも、豪州、インド、英国、フランス等、新たな地平を広げたいと思っている。巨大化する中国や、核武装した北朝鮮、難しい交渉相手ロシア等に対処するには、自由民主主義、法の支配と人権等の共通の価値観を有する仲間を増やすことが、何よりの戦略外交と言えよう。

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    近隣諸国に根回しした中曽根外交と安倍外交の明確な違い

    追い抜いたが、国民の目に映る安倍氏の姿は“大宰相”とはほど遠い。100歳を迎えた中曽根大勲位は日本の政治の現状について、こうコメントを発表した。 〈時代の抱える問題と課題に対し政治の責任を自覚し、勇断を以って確りと役割を果たしていくべきだ〉 その言葉を誰に向けたか、中曽根氏は名指ししなかった。「ロン・ヤス」が最優先ではなかった 史上初の米朝首脳会談を控え、安倍首相は6月7日に緊急訪米してトランプ大統領との首脳会談に臨む。「日米同盟の強化」を公約に掲げて首相に返り咲いた安倍氏は、民主党政権時代に悪化した対米関係の改善に取り組み、とくにトランプ大統領とは「強固なシンゾー・ドナルド関係」を確立した。 なにしろ、安倍首相はトランプ大統領がやることなすこと全部ウェルカム。米朝首脳会談開催が公表されるといち早く歓迎を表明したかと思うと、会談中止を言い出した時も即座に、「大統領の決断を支持する」と賛成。再び会談開催に傾くと「トランプ氏を引き込んで圧力をかけ続けてきた結果だ」(菅義偉・官房長官)と我田引水を交えて賛同した。こんななりふり構わぬトランプ追従は、他国の首脳には真似できそうにない。 安倍首相がモデルにしているのが中曽根外交だ。1982年、首相に就任した中曽根氏は「日本は不沈空母」という発言で悪化していた日米関係を修復し、ロナルド・レーガン大統領と「ロン」「ヤス」とファーストネームで呼び合う関係を築いた。 当時、父の安倍晋太郎外相の秘書官を務めていた若き安倍氏は「首脳外交には個人的な信頼関係が重要だと学んだ」と述懐している。しかし、木を見て森を見なかったようだ。中曽根氏は昨年1月、在任時の外交記録公開にあたってこうコメントを出した。 〈首脳外交では常にアジアの一員であることを心掛けた。サミットの際にアジアの各国首脳と連絡を取り意見や要望を聴き、その上でサミットの場に臨んだ。(中略)米国追随型といわれたそれまでの日本外交を脱し、アジアを背景に自主外交路線を打ち出すことは、アジアの国々や国際社会から信頼を得る上でも非常に重要な視点であったと思う〉2017年5月、「中曽根康弘先生の白寿を祝う会」で中曽根康弘元首相に挨拶する安倍晋三首相(宮川浩和撮影) 事実、中曽根氏は日米関係を重視する一方、サミットでは「哲人宰相」と呼ばれたフランスのミッテラン大統領の見識を高く評価して個人的親交を結び、「鉄の女」サッチャー英首相やコール西ドイツ首相とも本音で語り合う信頼関係を築いたことで知られる。 北朝鮮との交渉も拉致問題解決もトランプ大統領に頼り切りの安倍外交にそうした心構えと近隣諸国への周到な根回しはみられない。 亀井静香氏や石原慎太郎氏ら“応援団”からも「トランプのポチみたいな扱いをされちゃいかんぞ」と念を押される始末なのだ。これでは“トランプがコケたらシンゾーもコケる”と他国から危うく見られても仕方ない。

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    プーチン大統領が不当要求なら安倍首相は「4島返還」に戻れ

     北方領土が戻ってくるかもしれない──。そんな期待がメディアから漂う。だが、今はむしろ交渉するには最悪のタイミングだと、ロシア事情に詳しい名越健郎氏(拓殖大学海外事情研究所教授)は指摘する。 日露平和条約締結を悲願とする安倍晋三首相は遂に、歯舞、色丹の2島引き渡しをうたった1956年の日ソ共同宣言を基礎に決着させることを決め、ロシア側との本格交渉に入る。 平和条約を結ぶ切迫性もないのに、なぜ急ぐのか。面積で4島全体の93%を占める国後、択捉を放棄していいのか。平和条約締結は政権のレガシー(遺産)狙いではないのか。突っ込みどころは満載なのだが、首相はプーチン大統領と交渉の枠組みを決め、2019年6月の大統領訪日時に平和条約基本合意を目指す意向という。3年を切った自らの任期から逆算して、このタイミングしかないと踏み切ったのだろう。 だが、安倍首相は任期中の締結を急ぐあまり、交渉をめぐる内外の環境を十分勘案していない。日露交渉を本格化させるには、ロシアを取り巻く環境は最悪である。特に、欧米が対露非難を強める中、日本の融和姿勢が突出している。 2018年11月末に起きたロシアによるウクライナ艦船拿捕事件も、欧米とロシアの対立を激化させた。 日本を含むG7(主要7カ国)外相は艦船拿捕に「深刻な懸念」を表明し、ロシアによるクリミア併合を改めて非難した。北大西洋条約機構(NATO)はクリミア周辺への偵察飛行を開始、黒海への海軍プレゼンスを拡大している。ウクライナ東部では数カ月前から、ロシアが支援する親露派武装勢力とウクライナ政府軍の武力衝突が続いており、ウクライナ危機が再燃する気配だ。 拿捕事件を受け、トランプ大統領はアルゼンチンでのプーチン大統領との首脳会談をキャンセルした。米国の中間選挙で下院を制した民主党は、ロシアへの新たな大型経済制裁を準備中だ。米議会は超党派で親露派・トランプ大統領の対露制裁緩和権限を奪い、ロシアを封じ込めている。2019年1月22日、共同記者発表を終え、引き揚げる安倍首相(左)とロシアのプーチン大統領(共同) 米露関係がますます悪化する中、プーチン大統領は返還後の2島に米軍基地を設置しない確約を要求している。しかし、歯舞、色丹を日米安保条約の除外地域とすれば、日米地位協定の改定が必要になり、米政府や国防総省は対日不信を強めよう。尖閣には適用し、北方領土には適用しないという都合のいい構想を米側は受け入れないだろう。「日米離間」が常套手段 日米同盟を危惧するロシアは交渉で、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備中止や、クリミア併合に伴う日本政府の対露制裁撤廃を要求するかもしれない。「日米離間」は、ソ連時代からロシアの常套手段だ。プーチン大統領が日米同盟弱体化を狙う要求を貫くなら、安倍首相は交渉を打ち切り、「4島返還」の原則に戻るべきだろう。 ロシアが秋以降、ウクライナだけでなく、世界的に冒険主義路線を取っていることも、交渉のタイミングとしては良くない。ロシアは駐留するシリアでも、11月から反政府勢力支配地区への空爆を再開した。 10月以降、内戦の続くリビアやイエメン、中央アフリカにも数十人から100人の義勇軍や軍事顧問団を派遣し、一方の側を支援している。 ウクライナ東部とシリアで「2つの戦争」を抱えるプーチン政権はここへきて、中東・アフリカで広範に対外冒険活動を展開し始めた。年金問題や経済失速で政権支持率が低下する中、外敵との対決姿勢をアピールし、求心力を回復させようとする思惑が垣間見える。 政権延命を重視するプーチン政権は、領土割譲のような不人気な政策を回避したいところだ。ロシア人たちのブログでは、「プーチンが3月の大統領選で公約しなかった年金改革や日本への領土割譲を行うのは裏切り行為だ」「神聖なる領土は1センチたりとも渡すべきでない」といった勇ましい書き込みが目立つ。 「日本のように国際的評価が高い国と平和条約を結ぶことは、ロシアの孤立回避につながる」といった賛成論もあるが、少数派だ。プーチン大統領が自ら高揚させた戦勝神話と民族愛国主義が、返還の障害となって跳ね返っている。【PROFILE】なごし・けんろう/1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語学科を卒業。時事通信社ワシントン支局長、モスクワ支局長、外信部長、仙台支社長などを歴任後、2011年退社。2012年より現職。著書に『北方領土の謎』(海竜社)などがある。■自民党「北方領土解散」で7月衆参ダブル選挙のシナリオも検討■「北方領土は2島で」 安倍首相は歴史に名を残したいだけか■サカナとヤクザ 司忍組長は水産高校卒業後、漁船に乗った■安倍首相の後継「岸破義信」が争う間に極右台頭の土壌も■羽生結弦や田中圭を抑えて売上1位 プーチンカレンダーの謎

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    亀井静香氏の「賊軍」靖国合祀提案に総理経験者ら300人賛同

    こで私が靖國合祀への賛同を呼びかけたところ、中曽根康弘氏、森喜朗氏など総理経験者を含め、与野党問わず政治家や有識者が多く賛成してくれた。新聞に意見広告を出し、昨年10月には賛成者の署名を添えて、「西郷隆盛や白虎隊、新選組などの賊軍も合祀してほしい」と徳川宮司に申し入れた。賛同者は今現在、300人を超えている。 長州がルーツの晋三総理にも申し入れ書を手渡してある。靖國の問題だから彼はとくに神経質になるだろうが。ただこの問題はA級戦犯とは異なり、中国もとやかく口を挟まないだろう。 我々の申し入れに対して徳川宮司は、公式には「無理だ」「直ちにそうしますとは言えない」と発言しているが、本心ではやりたいと思っているはずだ。靖國神社と一緒になって事業を行う「靖國神社崇敬奉賛会」(崇敬会)の扇千景会長からも「理事会にかけます」との言質を得ている。 問題は、官軍と賊軍の区別にこだわり、強硬に反対する人が一部にいることだ。とくに崇敬会の総代である小田村四郎氏は、決して首を縦に振らない。日本会議の一部も合祀に反対している。 今の世界を見渡してみると、米国のトランプ大統領に代表されるエゴイズムばかりだ。彼らは相手の立場を顧みず、自分の主張を繰り返すばかりなので、世界の至るところで分断や分裂が生じている。世界が寛容さを失った時代だからこそ、日本が誇る「和」の精神が必要であり、賊軍の合祀こそ、日本的な心の象徴のはずだ。衆院議員の亀井静香氏 合祀に賛成する多くの人は、「靖國創建150年となる2019年に合わせて合祀すればいい」と言っている。だから我々はこれから根回しを進めて、創建150年を目標に合祀をめざす。近いうちに徳川宮司とも会って、改めてじっくりと合祀をお願いするなど、この夏には何らかのアクションを起こしたい。 いくら強硬な反対があっても、靖國神社は民間の宗教法人であり、最終的な決定権を持つのは徳川宮司だ。実際、1978年10月にA級戦犯ら14人を合祀したのも、当時の松平永芳宮司の独断だった。だから我々は、できる限り合祀の判断を下しやすい環境を作ることで、宮司の背中を押すつもりだ。【PROFILE】亀井静香●1936年、広島県生まれ。東京大学経済学部卒業。1962年警察庁入庁、1977年退官。1979年、衆院初当選、運輸大臣、建設大臣を歴任。2005年国民新党を結党。2009年、国務大臣金融・郵政改革担当に就任。現在無所属。近著に『「YES」と言わせる日本』(石原慎太郎氏との共著/小学館刊)、『亀井静香天下御免!』(岸川真著/河出書房新社刊)など多数。取材■池田道大関連記事■亀井静香氏「西郷隆盛や白虎隊など賊軍を靖国に合祀せよ」■靖国神社元幹部の「A級戦犯合祀」批判に専門家が反論■島田裕巳氏が指摘「靖国神社が消える日は遠くない」■日中戦争80年目のスクープ写真入手 南京事件前夜の真実とは■関ヶ原武将子孫座談会 徳川氏遅刻で石田氏の表情険しくなる

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    明治維新150周年に徳川家末裔が靖国宮司を“大政奉還”

     東京・九段の靖国神社で2013年から宮司を務めていた徳川康久氏が、2月末に退任した。この人事が、神社界で波紋を呼んでいる。「徳川宮司は現在69歳。75歳を通常の定年とする靖国神社の宮司が、それ以前に退任するのはきわめて異例です」(神社関係者) 退任理由は「一身上の都合」とされているが、徳川氏については、“独自の歴史観”が問題視されていた。 靖国神社は戊辰戦争で亡くなった官軍の兵士を祀るために創建された神社だが、徳川氏は最後の将軍・徳川慶喜の曽孫で、“賊軍”の末裔に当たる。 そこで過去のインタビューでは、「私は賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた」(共同通信)と発言。その後、亀井静香・元衆院議員らによって「西郷隆盛や白虎隊などの賊軍を靖国神社に合祀する運動」が起きるきっかけとなった。 著書『靖国神社が消える日』(小学館刊)で徳川氏の発言を批判した宮澤佳廣氏(靖国神社の元総務部長)はこう語る。「徳川氏の賊軍合祀に対する態度は靖国神社の存在意義を揺るがすもので、神社内外で問題視する声は多かった。ただし、それはご本人の信念だったはずなのに、なぜ何の説明もなく辞めてしまうのか。来年は神社創建150年で記念行事計画も進んでいたのに、それまで放り出す形となったのは、理解できません」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 後任は伊勢神宮で幹部神職の禰宜を務めていた小堀邦夫氏で、3月1日に着任した。「靖国神社はその性格上、全国の神社を包括する神社本庁には属さず、一線を画してきた。天皇の祖先を祀る伊勢神宮から宮司を迎え入れるということは、今後、神社本庁の影響力が増すことになるかもしれない」(前出・神社関係者) 明治維新150年の節目に当たるこの年に、徳川家の末裔が宮司職を“大政奉還”することになるとは。関連記事■靖国神社150周年 西郷隆盛や幕府軍の合祀計画が急浮上■靖国神社元No.3が「A級戦犯合祀手続きは間違いだった」と告白■神社本庁の集金システム 全国約8万の神社から10億円の収入■靖国神社の徳川宮司「明治維新という過ち」発言の波紋■ケント氏「韓国には嘘が恥ずかしいという概念がないのか」

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    中国が仕掛ける「移民戦争」日本侵略はもう始まっている

    言うならマフィアとのトラブルを理由に申請した人は、この中の3・4%) また、一見いかにも難民らしい「政治活動」「宗教」「人種」といった理由も入っていますが、これらはあくまで「申請理由」であり、調査の結果、その申請された情況が確認できず、その立証もできなかったため却下されているのです。中国で発生する大量失業 こんな情況ですから「そうだ難民しよう!」というイラストもあながちウソではなく、少なくとも日本においては99%言い得ていたと評価できるイラストなのです。詳しくは入国管理局が公表している「平成29年における難民認定者数等について」をご確認ください。 さて、こうした難民の実態に直接接し、なおかつその人権を最大限に尊重して対処していた入管も、現場からの報告と突き上げ、業務の困難化や、法やシステム構築の前提としていた外国人像と実際の姿の乖離に直面し、円滑かつ効率的な職務遂行のためには組織を上げて対処せざるを得ませんでした。そこで昨年2月にこの審査システムを大幅改善し、審査のスピード化と真正難民へのバックアップ強化を図ると同時に、偽装難民の身柄確保と排除を実行し、その実績をもって覚悟を示しています。 その結果、昨年1月から3月の間に難民認定を申請した外国人は、前年同期比13%減の3015人(速報値)だったことを発表。四半期の比較で減少は8年ぶりだそうですが、なぜ入管が審査システムを変えたらたったの3カ月で申請件数が減るほど世界が平和になったのか? 世の中は複雑過ぎて私ごときには読めませんが(笑)、減った理由はみなさんがご想像の通りでしょう。 そして冒頭でお伝えした法改正により入管は「入国管理局」から「入国在留管理庁」として拡大拡充することで、来るべき東京五輪に付随する来日外国人の入国、さらには中長期滞在者(つまり移民)の「在留」を管理できる組織に生まれ変わろうとしているわけです。 しかし、ここで米中貿易戦争や情報インフラの防衛戦が展開され、解放軍の影響が強い中国通信機器メーカーのファーウェイが世界市場から排除され兼ねない事態となりました。 さらに、反中共勢力メディアの「大紀元」が昨年(2018年)12月28日、アップルがiPhone生産の拠点を中国からインドに移し、これに伴い下請けのフォックスコン(富士康/鴻海科技集団)もインドに拠点を移すとの噂が中国国内を駆け巡って人々の間に不安が生じているとの記事を掲載。記事によれば、韓国聯合通訊社が12月28日付の報道でアップル社は大部分の携帯端末機器の製造を中国最大のフォックスコンに依頼しているとのこと、さらにその下請けの関連零細企業まで含めると、アップル社の業務には中国国内で480万カ所の業務単位が関連しているとのことでした。 これが本当なら、中国で大量失業の発生は間違いなしでしょう。もともとインド市場ではアップルの人気が低すぎて、実績あるベテラン幹部3人が市場開拓をしくじった末に退職するなど「絶望的展開」だったのですが、その不人気の原因はiPhone端末自体がインドの平均収入に比してあまりに高価だから。 逆に言うなら、インドなら安い人件費で大量に生産できまますし、さらに本社があるアメリカの大統領方針決定と、これを支持するトランプさんが抑えに回っているほどに怒りの熱を帯びた米議会の様子を知っているはずで、企業としてそのように舵を切る可能性も高く、噂によって失業率の増加も現実化する可能性は高いといえるでしょう。 ファーウェイが失速し、失業者が増加し、その上また米中貿易戦争がさらに進んだりする中、職を失くした民衆が極端な収入格差を目の当たりにしながら苦しい生活を続けていれば、必ず暴動が発生します。中国・上海にあるアップルショップ(ゲッティイメージズ) 台湾系技術者の話によると、中国の地方都市は既に経済的に壊滅状態であり、その税収が進まず困窮した地方都市政府(地方自治体)に目をつけたロシアのファンドが、なんとその収税業務を地方政府から高額で買い取っていて、地方政府はそこで得た多額の資金を切り崩しながら細々と職員の給料を支払っているため、警察も公共機関もろくに機能していないそうです。そして、そうした各級地方政府が全国の半数近くに上っており、この金が尽きたときが中国の終わりの時であるという。そして、それを知っている中国の資産家が今国外に資金を移して、いつでも身一つで脱出できるように準備を進めるものが増えているらしいのです。「対岸の火事」ではない それを聞いたときには私もびっくりしました。台湾国語(台湾訛りのある北京語)で聞いたため、一瞬聞き間違えたかと思いましたが、その場にいたもう一人も驚いて英語で聞き直したので、これは間違いないと思います。そして、これら資産家の間では、そのタイムリミットはあと3年(昨年9月ころに聞いたので執筆段階から言えば、あと2年半ほど)とみているらしいのです。この話はロシアに行った友人からも全く別ルートで聞いておりますので、そういうことが発生しているのは間違いないと思います。 そして、そうした状況の発生を喜ぶ勢力も存在します。反習近平派や反共産党勢力、あるいは宗教団体や、決起して当然の少数民族過激派団体が暴動を扇動し、場合によっては連携してデモから暴動に移行するため、中国各都市を中心に経済だけでなく、政府活動そのものが停止することになると思われます。つまり暴動が起きてもこれを鎮圧する部隊が動かない可能性があるのです。 しかし日本のマスコミはスポンサーが不機嫌になって広告を引き上げるようなネタは、それが事実であっても報道しません。具体的に言うと、中国市場においてスポンサー企業の販売利益に損害が出る、あるいは現地工場の生産性に悪影響を及ぼすニュースは報じません。当然ながら中国各地で暴動が発生したとしても、新聞各社やテレビ各局は伝えざるを得ない状況に追い込まれるまで、決して伝えることはないのです。 逆に言うと、テレビや新聞で日本に中国での暴動の様子が伝えられるようになった時点では、もうかなりやばいことになっている可能性が大です。したがって、テレビの報道で情報を得ることが多い日本人から見ると、事態が急加速・急展開しているように見えるかもしれません。だが、実際にはその予兆は既に現れていて、それは私がこれまでの拙著でお伝えしている通りなのです。 日本人はその様子をむしろ「当たり前だろ」「もっとやってりゃいいんだ」と、起こるべくして起こった因果応報的な対岸の火事を生暖かく白眼視したり、「いいぞトランプもっとやれ!」と声援を送ったりすると思いますが、すでに突き進んだその状況は刻々と変化、拡大していきます。 最悪の事態を想定してみましょう。特に暴動が激化し空港の運営にまで支障をきたせば、来日・在日中国人たちも帰国できなくなりますし、もちろんその時点では中国警察の治安維持活動が期待できるレベルではないのも確実です。帰えるに帰れず帰っても祖国が不安定であるなら、難民申請するしかなくなるでしょう。 まあ、私個人としては広大な中国領土の一角に暴動発生が認められない地方が僅かにでも存在するなら、そこが出身の省であろうがなかろうが、中国人としてお帰りいただくのが筋であると思いますし、「そこに行くのは嫌だ」と言っても強制送還すべきだと思いますけどね。「上海人」や「北京人」として来日を許可しているのではなく、滞在期限内に帰国することを前提とした「中国人」として入国を許可しているのですから、内陸にまだ平和なエリアがあるなら、その近くの空港に下ろしても問題ないはずです。 しかしこうなるともう、難民申請者1万9000人を超えたところで危機を感じ、舵を切った「入管」も対処できません。なぜなら日本には昨年の段階で74万人を超える中長期滞在者と、これを遥かに上回る旅行客などの短期滞在者が存在していて、その数は軽~く100万人を超えるからです。中国の上海浦東国際空港(ゲッティイメージズ) 実際の数を書くと現実離れしていてみなさんピンとこないでしょうから、私も明記するのを避けていますが、実際にはこれら中長期滞在者=移民74万人の他、平成29年中のデータを参考にするなら、中国人「短期滞在」資格では新規入国人口だけでも473万人弱。これから先の話ですし、それがいつ発生するのかを考えると、特に短期滞在者人口に関しては不透明ですが、仮にその審査が受け付けられれば認定前であるとしても、実質上の一時滞在者になることは確実です。当然ながら、既存の収容施設に全員を収容するのは不可能ですから、彼らは私たちと同じ空間にそれまで同様に生活します。 そして彼ら自身も生きるため、カネを生む仕事を必要とします。一方、彼らを安く使いたくて仕方ない企業はたくさんあります。移民の増加を不安視しながらも、そんな企業が作る安い製品を喜んで買う日本国民もいるのですから、彼らが定着しないわけがないのです。これもまた因果応報 前例がないほどに数を増し、低賃金と長時間労働から不満を募らせた外国人たちが、かつてないほどの密度で横連絡を可能とした携帯端末を使い、個々の意識を確認・共感して共通の利益を求め団結すれば、社内で暴力的手段により賃上げ要求を繰り出すに至るまでには、そう時間はかからないでしょう。また、仕事を求めてデモを始め、暴徒化する可能性もあります。 なぜなら●同じく情報端末の普及により連絡密度を濃くして情報をキャッチし共有できるようになった日本社会では、犯罪者による民族的悪評や、中国人各自が無意識のうちに日本人に与える道徳レベルの差が周知の事実となりつつあり、中国人の社会的評判は決して良くないため、彼ら自身が疎外感を感じている●おまけに本来は来日して働く必要がなかった旅行客までもが難民として職を求める結果、既に存在する特定技能1号などの実質的単純労働者と労働市場が競合してしまい、低賃金雇用が加速して日本人労働者の雇用や収入にも影響を与えるため、最も多い中国人は日本社会でさらに怨みを買いやすい●日本人レベルでは奴隷労働と認識し得ない当たり前のレベル達成を求められるため、中国人はこれを苦役と感じる●中国人難民を含めた外国人の雇用に伴う賃金低下によりデフレも深刻化するため、今よりさらに社会感情的な悪化を肌で感じるなどの状況が発生します。 しかし、そんな日本の労働社会に反発する民族的動きに気付いて情報を拡散する語学力を持った人間は少ないため、日本人が言葉の壁を超えて、そうした彼らの思いや動きに気づくことは遅れるでしょう。怒りを爆発させた彼ら中国人労働者は、日本人のようにお行儀良くあぐらをかいて座りこみ団体交渉したりしません。 昭和の左翼労働運動が華やかだった頃のように、社長室で社長や幹部を監禁状態に置いて問い詰めたりするならまだ上出来で、複数の幹部を殺害したり仕事場を破壊したりするのはよくあることです。中国共産党の地方政府や警察は、そうした状況に手を焼いていたからこそ、軍事費を上回る治安関連予算を組んでいるのです。 「自分の会社を破壊するような賃上げ要求なんかするわけない」 「中国人なら不満があれば暴れると決めつける坂東はヘイト野郎だ」 という人は、50都市を超える中国各地で自分の街の商店や工場を襲い破壊し、火を付け略奪し車をひっくり返して気炎を上げて自国民に死傷者まで出した2012年の反日暴動の動画を、いま一度点検すべきでしょう。また日本国内で集団暴徒化した彼らの様子は、2008年の北京オリンピックに際し、長野で行われた聖火リレー通過時の暴れっぷりを動画検索してご覧いただくのが一番ですが、あれは聞くところによれば、領事館の指示に従い日当5000円に弁当付きで集まった、滞在資格身分のある中国人留学生諸君です。切羽詰まった中国人による、自らの利害や生存を賭けた暴徒集団ではない部分を差し引いて、参考までに御覧ください。中国新疆ウイグル自治区のカシュガル市の毛沢東像(ゲッティイメージズ) そしてそこには、なぜか中国共産党だけでなく日本共産党も長年目指していた、日本政府の根本的「改革」、つまり国家転覆への希望の光が差し込むのです。これらの動きを利用しようとする左翼系市民団体も連携し、日本人をどこかに置き去りにした「人権」のために立ち上がることは明白でしょう。仕方がありません。 実際に大企業は奴隷労働的、低賃金長時間労働者を欲していて、その大企業のサービスを平然と受けていた国民が私たちなのですから。そしてそうした奴隷的労働は実在し、私も不法滞在者などからその実態を聞いているので、同じアジア人として同情すべき部分はあるのも事実です。これもまた因果応報というものです。血で血を洗う接近戦 それでも私たちは生きなくてはいけません。そして警察組織人口を超える彼らの暴力的集団犯罪には打つ手がありません。各地で多発する暴動でてんてこ舞いの警察や機動隊が来てくれるまで、「暴力反対」を訴えながら、傷つけられる大切な家族や仲間を目の前に、話し合いで時間をつくりますか? 加害者たる暴徒たちの人権を守って「殺すより殺されよう」と仲間に呼びかけますか? この状況に至って、それでも日本の国を守るなら、血で血を洗う接近戦を覚悟した日本人有志の武装団結による武力的防圧殲滅活動以外、日本人と善良な外国人の生命・身体・財産の安全を確保する方法はなくなるでしょう。今、ヨーロッパがこの境地に差し掛かっています。 そしてもう一点。 こうした状況を作るのは、中国だけではないという点を忘れないでください。難民を出して、あるいは日本国内から難民を発生させて、そうした状況を作る可能性が高いのはむしろ、お隣の韓国です。 あの国が●「民族の悲願」どおりに平和裏に南北統一して経済混乱した場合●または不信感をつのらせた米軍が撤退し、統一より金王朝存続の可能性が高いと見た北朝鮮が武力統一の好機と捉えて南下してきた場合●アメリカに睨まれ、北朝鮮の抑えも効かない切羽詰まった中国が、国境を超えて北朝鮮に攻め込んだ場合などなど、半島難民が発生するに至るいくつかの経緯が考えられますが、こっちの方がはるかに深刻かもしれません。 対馬のすぐ対岸には韓国第二の都市、釜山があり、海流は山口県から青森県まで警察官人口の少ない日本海沿岸の各自治体を沿うように流れ、しかも上陸可能地点は太平洋側より多く、沿岸線も長い。これを匿(かくま)い、あるいは利用しようとする半島系組織は既に全国各地に存在しているのですから。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) みなさん、心の準備は出来ていますか? 何を準備すべきだと思いますか? そのために、あなたに出来ることは何ですか? 政府に任せっきりにして政治に文句を言うだけでなく、国民一人ひとりができる予防と対策を、手を尽くして講じるべきでしょう。ばんどう・ただのぶ 宮城県出身。警視庁で交番勤務員、機動隊員を経て北京語通訳捜査官を歴任し、警視庁本部、新宿、池袋署などで中国人犯罪者や参考人を扱う。平成15年に退職後、地方司法通訳、作家として活動し、外国人犯罪の実態をわかりやすくタブーに切り込みながら、さまざまな角度で分析、問題提起している。著書に『寄生難民』(青林堂)。

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    日本国総理大臣、安倍晋三

    安倍首相の総裁任期をめぐり異例の発言が飛び出した。自民党の二階俊博幹事長が4選の可能性ついて「今の活躍なら有り得る」と述べたのである。首相在任期間はかの吉田茂を超え、憲政史上最長も射程に入った安倍氏だが、なぜ長期政権を維持できるのか。その解に迫りたい。

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    なぜ安倍首相は憲政史上まれにみる長期政権を実現できたのか

    三浦瑠麗(国際政治学者) 安倍晋三政権の通算の在職日数は、2月に吉田茂(2616日)を抜き歴代4位になりました。日本の憲政史上歴代最長の政権を視野に入れているこの政権を、どのように評価すべきか。 そして、第1次政権の終盤にはあれほど脆弱(ぜいじゃく)であった安倍政権は、なぜこれほど長く続いたのか。現代の日本政治を考える際には、これらの問いに答える必要があるかと思います。 私は昨年に出版した拙著『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)の中で、この二つの問いに答えることを試みました。この本は、第2次以降の安倍政権の中期を扱っています。 2015年に出版された前著『日本に絶望している人のための政治入門』(文春新書)は安倍長期政権の初めの3年間を対象とし、その間に垣間見えた政権の性格、政治の対立軸を扱っていました。しかし、『あなたに伝えたい政治の話』を上梓するころには、安保法制をめぐって日本政治が激しい分断を経験し、かつて政権を担った野党が分裂するというように、日本政治を取り巻く環境が大きく様変わりしていました。 それはいわば、55年体制の「カムバック」でした。日本政治が安保政策、経済政策、社会政策という三つの重要な領域を横断した二大政党の分断を見つけられず、自民党と最大野党との対立軸が、安保政策と憲法における分断に回帰したからです。 そして、他の野党が掲げる経済政策や社会政策におけるそれぞれに独自性のある主張は、日本政治にもはやダイナミズムをもたらしていない。「変革を望む勢力」という安倍政権の設(しつら)えも、それとともに段々と変化してきました。憲法改正はいまだ果たせず、民主党の分裂や日本維新の会の弱体化とともに、道州制の導入などの地方分権を巡る機運も弱まっており、むしろ「安定」と「王道」こそが安倍政権の特長となっているからです。2015年9月19日未明、安全保障関連法成立後に記者の質問に答える安倍晋三首相(鈴木健児撮影) 野党がまとまれない最大の理由はおそらく人間関係ですが、野党が分裂した理由は「憲法」と「安保」という論点が際立ってしまったからでしょう。そして、安倍政権はそうした分断線が主要な対立軸となることで大きく利益を享(う)ける側にいます。日本人の多数派は、日米同盟や憲法について意見に濃淡はあるものの、政権としては「安保現実派」を望むからです。 安倍政権は安保現実派です。安保法制を通じて日米同盟を維持・強化する一方で、「専守防衛」という言葉も堅持し、その中で防衛力を広げていっています。日米同盟を基軸とし続けることで、オールドな右翼が望んだ対米自立は捨て、その代わり米軍との協働を高めながらお金を節約する。 中国の目覚ましい軍拡と対外拡張主義、北朝鮮の核保有に加えて、米国の内向き化傾向を考えに入れると、もはや吉田茂の軽武装路線を維持できないであろうことは明らかです。しかし、その中でさえ、国際情勢に鑑みれば日本はもっと軍拡していてもおかしくないところ、防衛費を節約しています。最右派が採った「現実主義」 平成31年以降に関わる防衛大綱でも、政府は対外的な脅威認識を示しつつも、合理化を標榜し、選択と集中を行っています。言うなれば、安倍政権は現実主義の吉田茂の路線を、「米国一極」の世界の終焉(しゅうえん)と中国の台頭に合わせてアップデートしたものであるということができるでしょう。 吉田茂にとって、日米同盟は利害に基づく同盟であり、かつ国内における自らの権力基盤を維持するために役立つものでもありました。安倍政権が米国と共通する価値や理念について説くとき、それは利害に基づく同盟としての表現の一部なのであって、決してご本人が関係性を見誤って理想主義に立っているわけではないだろうと私は思います。それは、くしくもトランプ大統領が「日本が米国をうまく利用してきた」と指摘した通りなのです。 では、安倍政権は本来2倍の水準が要求されるはずの防衛費を大して増額せずに、節約したお金で何をしたか。社会保障費の切り下げや増税をマイルドな水準にとどめて痛みを先送りし、公共事業費をかつての水準にまで回復させたのです。つまり、もっとも対米自立的なセンチメント(感情)を代表していたはずの自民党最右派が吉田茂的な現実主義路線を採ったところに、政権が長期化した理由の一端があったわけです。 しかし、安倍政権は比較的短期に刻んだ衆院選で勝つ短期政権の積み重ねでもあります。内閣支持率に関しては、いったん低迷した後にまた上がるという、他国ではなかなか見られない現象も繰り返し経験しています。 その原因を、メディアは「他に選択肢がないから」という一点で説明しようとします。確かに野党が弱く、自民党内に有意な対抗勢力が存在しないからという理由には納得感があります。けれども、それは長期政権に伴う症状、つまり現象面の指摘であって、本当の原因を抉(えぐ)るものではありません。 安倍政権が長期安定政権を築くことができている戦略とは、「攻めと守り」「積極性と消極性」のバランスを巧みにコントロールすることで選挙に勝ち続けるプラスのサイクルを維持していることです。 積極性のうち最大のものは、アジェンダ(課題)設定が国際的、歴史的にまっとうなものであるということです。要するに、根本方針において間違っていないということです。 例えば、今の「中国台頭」の流れの中で、軍縮や非武装化を目指したり、同盟から離脱したりすることは見当外れです。グローバル化の流れの中で「貿易立国」日本が「鎖国」を目指すのも、民間企業の競争力において各国としのぎを削る中で法人税を上げようというのも見当外れです。2017年11月、安倍晋三首相(左)との会談を前に栄誉礼を受けるトランプ米大統領(松本健吾撮影) 反対に、消極性が見られるのが自民党内、あるいは支持基盤を割りかねない論点です。安倍政権は、そうした自らの支持基盤を危険に晒(さら)すような政策には踏み込んでいません。 経済政策は官僚機構の通常運転に味付けする程度の「安全運転」に終始しています。成長戦略は「競争」を促進する必要があります。しかし、どうしても既得権益層との対立が生じてしまうため、「大玉」の改革案件はほとんど先送りされてきました。政権が繰り出した攻めの一手 しかし、これだけだと政権は課題設定だけして何の実績も挙げられないことになってしまう。そこで、政権が最も攻めに出たのが、民主主義による合意形成の必要が低い外交と金融の分野でした。 金融政策は日銀が行うもので、外交では首相のリーダーシップが広く認められているからです。こうして実績を上げつつ、直近5回の選挙に勝ち抜くことで、長期政権が可能となったのです。 長期政権の維持そのものが自己目的化することは危険です。しかし、安倍政権は選挙での度重なる勝利で得た政治的資源を、「戦後レジームからの脱却」案件を進めるために投入してきました。 これまで、安倍政権は長期安定政権の維持の代わりに「戦後レジームからの脱却」を放棄したのだという論説も数多く見られましたが、私はそれは誤りであると思います。政権が「戦後レジームからの脱却」という言葉を使わなくなったのは、それが単に紛らわしい言葉であるからです。 「戦後レジームからの脱却」を英訳すれば、「Overcoming Post-war Regime」となります。この場合の「戦後レジーム」とは、国連と国際法を頂く第2次世界大戦後の国際社会そのものです。 さらに、米国を中心とする西側の秩序という含意もあるでしょう。つまり、「戦後レジーム」から脱却するというのは、第2次大戦時の旧敵国から見れば、軍国主義日本の復活と帝国建設の野望という話になるし、西側諸国からすれば、日本が米国との同盟を破棄して中国のような異質な政治・経済体制を打ち立てようとするという荒唐無稽な話になります。 その代わり、「戦後レジームからの脱却」という言葉を使わずに、安倍政権は「一国平和主義」的な発想を時代遅れなものとして位置付けることに成功し、2015年に成立した安保法制では、集団的自衛権の行使を部分的に容認しました。2017年10月、咲き誇る「バラ」の前で、座る場所を間違えて笑みを浮かべる安倍晋三首相(自民党総裁)=自民党本部(沢野貴信撮影) 日本の政軍関係における特有の制約になっていた文官優位システムを改め、日本のシビリアンコントロール(文民統制)のあり方を世界標準に近づけて政治の補佐体制を強化しつつあります。 また、歴史問題においては、保守優位の下でリベラルな価値観に歩み寄って和解を達成し、国民の間に一定のコンセンサス(合意)が生まれました。国民の多くが「後の世代に謝罪を続ける義務を負わせるべきではない」という主張に賛同し、また圧倒的多数が慰安婦問題において、韓国政府ではなく日本政府寄りの立場を支持しています。長期安定政権「最大の代償」 こうして、戦後レジームからの脱却を図ってきた安倍政権ですが、官僚との関係や官僚機構の問題をめぐって、ここしばらく停滞しつつあります。「モリカケ問題」に加えて、統計不正問題が加わったことで、最近は守勢に立たされていると言えるでしょう。 しかし、安倍政権以外の勢力がまるで見えない今、いったんは政権交代を経験した野党はほぼ解体して細分化され、官僚などエリートに対する不信も広がっています。政権後期に突入した安倍政権が、単なる保身に走らずに何を成し遂げることができるのか。ここで、対応が求められる課題を挙げておきたいと思います。 長期安定政権の最大の代償は、構造改革が遅々として進まないことでした。中長期における日本の最大の課題は少子高齢化であり、潜在成長率を改善できていないことです。 特に、人口減少局面における成長は、基本的には生産性の改善を通じて見いだすしかないにもかかわらず、成果はほとんど出ていません。ここに取り組むべきでしょう。 次に、憲法改正と自前の防衛力強化です。憲法改正は「戦後レジームからの脱却」案件の中でも最後に残された課題の一つです。ここに取り組むことなしには、もはや次の政権も意味ある改革を安全保障政策において進めることができないだろうと思われます。 憲法改正によって自衛隊を位置付けることは、再軍備を禁じられた敗戦国としての地位からの脱却を意味しますから、それ相応に先進国並みの体制とシビリアンコントロールの整備が必要です。 沖縄に集中する米軍基地を、負担軽減の意味も併せて徐々に自衛隊の基地に移行していくこと、そして、その中で緊密な米軍との連携と駐留を可能にすることは、将来を見据えて大きく舵(かじ)を切らなければいけない課題と言えるでしょう。2019年2月、衆院予算委で答弁する厚労省の姉崎猛元統計情報部長。右端は安倍首相 2020年には米大統領選が行われますが、今の米国政治の実態を踏まえれば、日米関係の距離感を実態に即してあらかじめ修正し、自前の防衛力を強化しておくことはぜひとも必要です。その上で、周辺国との関係についても引き続き円滑な経済関係や広い意味での防衛協力について取り組んでいくべきでしょう。 政権はいつの時代においても、その後期において、自らの歴史的使命を意識したものへと変化します。憲政史上まれに見る長期政権だからこそ、その目標値は高い所に置かなければならないのだと言えるでしょう。

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    「スイッチが入った政治家」安倍晋三のリベンジ

    年間の雌伏を経て、政権に復帰するとジャーナリズムを手玉に取って長期政権を実現した。その明暗は鮮烈だ。政治コミュニケーションの観点からは、メディア化した政治に再チャレンジして見事に対応した世界的にもまれなケースだと思われる。 1990年代に入り、「政治のメディア化(mediatization of politics)」という議論が欧州でも登場してきた。政治におけるメディア、特にテレビの影響力が高まってきたという話である。 20世紀後半において、政治の中心は組織や団体にあったが、それらの影響力が弱くなっていく中、人々はメディアを通じて政治的な情報を得るようになっていった。一方、メディアは政府の規制から自由になり、ジャーナリズムや商業主義など自分たちの論理(media logic)で報道するようになった。特に、基幹的なマスメディアに成長したテレビにおいては「絵になる」ことが重要になっていく。 それらの流れが20世紀末に出会うことで、政治におけるメディアの重要性が増し、テレビで政治家がいかに映し出されるかが重要になってきたという議論だ。 イタリアのベルルスコーニ元首相、フランスのサルコジ元大統領、英国のブレア元首相などが「政治のメディア化」に対応した政治家ということになろう。日本においても平成に入り、テレビの政治的な影響力が強くなってきた。 平成の日本政治は消費税導入とリクルート事件から始まり、政治改革が大きなテーマとなったが、そこにはテレビの強い政治的影響力が働いた。日本における「政治のメディア化」の始まりだ。 それに対して、海部俊樹元首相や細川護熙元首相、小泉純一郎元首相などが「政治のメディア化」という状況に対応した首相像を演じた。特に、小泉氏は55年体制的な組織や団体を忌避する世論が強まっていた中で、テレビ上の自身のイメージを巧みに演出して政権を維持した。そういう意味で、小泉氏は「テレビ政治家」の最たる存在であり、日本政治史上「政治のメディア化」に最も巧みに対応した首相であったといえる。2006年9月、両院議員総会で自民党新総裁に決まり、笑顔を見せる安倍晋三官房長官(右)と小泉純一郎首相(大井田裕撮影)  その小泉氏の後を次いで登場したのが安倍氏だ。だが周知のように、2006年からの第1次政権において、安倍氏は世論対策にもマスメディア対策にも失敗した。第1次政権「失敗の理由」 第1次安倍政権は、先代の小泉氏が「個人芸」で対応していた「政治のメディア化」の状況に、ホワイトハウス型のチームで挑もうとした。その象徴が補佐官制度であったが、この試みは内部に軋轢(あつれき)を生じ、結果的に失敗する。 また、政策面でも、安倍氏が重要だと位置付けたさまざまな政策を性急に行おうとしたことも、国民世論との乖離(かいり)を招いた。彼自身、第1次政権の失敗について以下のように振り返る。 「戦後レジームからの脱却」という大きなテーマを掲げ、幸い衆議院の多数がありましたから、やらなければいけないことを今のうちにどんどん進めようという気持ちが強かった。教育基本法の改正、憲法改正のための国民投票、公務員制度改革-。しかし、私がやりたいことと、国民がまずこれをやってくれということが、必ずしも一致していなかった。そのことがしっかり見えていなかった。私が一番反省しているのは、その点です。(中略)私としては、国民の関心の有無にかかわらず、今、自分がやるべきだと思うことをやるのが正しいんだと、そう考えていました。祖父の岸信介は安保改定の意義が十分に理解されていなかったとき、「俺の信念は正しい」と、国会を十重二十重にデモ隊に囲まれようとも貫き通した。私もそうあるべきだと思っていたんです。(中略)でも、大きな政策を実行するには国民の理解を高めていくことが重要ですが、それには時間がかかる。時間がかかることに取り組むためには、まず政権を安定させ、継続させなければならない。これが前回辞めて、初めてわかったことです。「阿川佐和子のこの人に会いたいスペシャル 安倍晋三首相VS.阿川佐和子」『週刊文春』2013年5月2日号 当時はテレビの政治報道も元気な時期だった。2005年の郵政選挙で小泉氏がテレビを利用したことの反作用だったか、テレビも政治をより気軽に扱う「政治のメディア化」が頂点に達していた。 テレビ番組では国会議員たちがちょんまげ姿で政局劇を演じ、芸人たちが議員たちを怒鳴り飛ばしていた。その中で、世論と違うことを行おうとした安倍氏は「KY(空気が読めない)」と揶揄(やゆ)されるようになった。 その後、安倍内閣は年金問題や国会議員のスキャンダル・失言の中で参院選に敗北し、敗北後はマスメディアによる「辞めろ辞めろ」の批判の中、体調を崩して退陣した。昭恵夫人は以下のように当時を振り返る。 2007年の参議院選挙の後からというのは、わたしたちにとって公邸での生活は地獄のような日々だったんです。毎日やらなくてはいけないことがある一方で、主人の体調がどんどん悪くなっていく。そういうなかで批判も多くなるし、外国訪問にも行かなくてはならない」「父のあとを継いで、とんとん拍子に総理にまでなってしまっていたので、持病があったとはいえ、あの辞任は初めての大きな挫折だったと思います。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」『新潮45』2013年9月号 ところが、5年間の雌伏を経て、安倍氏はカムバックする。マスメディアの政治部も含め、ジャーナリズムからはほぼノーマークからの総裁選の出馬と当選、そして首相就任であった。2006年9月、就任会見に臨む安倍晋三首相。右手奥には小池百合子氏など首相補佐官が並んだ(大西史朗撮影) カムバック当時、筆者がマスメディアの記者たちと話していると「また、安倍が出てきたけど、どうせ腹が痛くなってやめるんだろう」とか「オレたちがまた痛い目にあわせてやるぜ」といった雰囲気が強かった。政治学者の多くも安倍政権の「高転び」を予測していたと思う。しかし、その雰囲気はすぐに一変し、安倍氏は戦後最長はもとより、憲政史最長の在任期間を迎えようとしている。挫折を糧に「変わった」 かつて「政治のメディア化」への対応に失敗した安倍氏が、なぜ長期政権を実現できたのか。成功の要因には昭恵氏が指摘するように安倍氏自身が挫折を糧に「変わった」ことが大きい。 人間って、やはりドンと落ちたときに、何かが変わるのではないかと思うんです。主人について、そこで何が変わったか、と言われると、わたしも具体的に言うのは難しいのですが、主人の中で何かスイッチが入ったのは、確かだろうと思います。 前回の辞任以来、人事にしても動き方にしても、自分の中で『こうすればよかった』という思いがある。それを五年間考えてきたようです。(中略)特に野党時代は時間が比較的自由になって、座禅に行ったりランニングなどもしていました。いろんな人にいっぱい会いましたし、たくさん本も読んでいました。この五年間は大きかったようです。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」 それでは、どのように変わったのか。政治コミュニケーションの面で第2次政権以降の変わったところは大きく二つある。 第一は、経済政策の「前景化」だ。2012年の総選挙で政権に復帰した安倍氏は「経済再生」を第一のテーマに掲げた。具体的には、日本銀行の超低金利政策による「アベノミクス」で景気を演出し続ける。 経済という国民の関心の高いものに対して手を打って、株価や失業率の改善など目に見える「結果」を出して政権を安定させ、継続させる。第1次政権の反省がもたらした、再チャレンジ成功の最も基本的な要因である。 加えて、政治コミュニケーションに携わっている人物の構成も長期政権化の大きな要因となっている。第2次政権では、首相官邸の有様は第1次政権のホワイトハウス型から従来型に戻るが、そこに登用された政権のコミュニケーションを支えている人々は安倍氏との深い人間関係で結ばれ、かつ「メディア化した政治」の洗礼を受けた人々である。この間、苦い思いをたっぷり味わってきた。  麻生太郎副総理兼財務大臣は、首相時代に「解散やらないKY」「漢字読めないKY」などとテレビなどで揶揄されて支持率を大きく減らし、衆院選で敗北し民主党に政権を譲った経験を持つ。菅義偉(よしひで)官房長官も第1次安倍政権での総務相を経て、自民党の選挙対策総局長、選挙対策副委員長(福田内閣)、同委員長代理(麻生内閣)として、この間の「政治のメディア化」、特にマスメディアによる選挙時の「攻撃」を責任者としてつぶさに体験している。菅氏の総務相時代にもテレビ番組への行政指導が多数出された。2019年2月、参院本会議で立憲民主党の福山幹事長の質問を聞く(左から)菅官房長官、茂木経済再生相、麻生財務相、安倍首相 また、官邸で政権を支える官僚たちも、第1次政権では事務担当秘書官として広報を担当した今井尚哉(たかや)政務担当首相秘書官を筆頭に、第1次政権での挫折と屈辱を安倍氏とともに味わった者たちが中心である。その点では、現政権は第1次政権で、マスメディアと大衆に傷つけられたエリートたちの「リベンジ政権」だともいえよう。 もちろん、その他の外部環境的な条件も大きい。何と言っても、野党の力が弱く、自民党にも強いライバルがいない。そのため、さまざまな批判はされるものの、「よりどころ」が存在せず、政局には結びつきにくい。地獄から這い上がった「根性」 また、インターネット、中でも会員制交流サイト(SNS)の登場によるメディア環境の変化も、マスメディアの力を相対化している。加えて、マスメディアの政権に対する論調が分かれていることも、メディアの力を削いでいる。また、政権がメディアの報道によって5年で5人も変わるという「政治のメディア化」に対する倦(う)みも国民の間にあるのだろう。 とはいえ、2017年の解散総選挙前に巻き起こって消えた「小池旋風」に見られたように、メディアが政治に強い影響力を与える「政治のメディア化」の状況が終わったわけではない。 そもそも「政治のメディア化」は、団体や組織といったリアルな結びつきが弱体化した中で進行していったのである。事実、労働組合や農協といった55年体制下の中心的な団体の組合員数や自民党の党員数も本格的な回復は見られない。 その点で、ネットを含めてメディアが政治のイメージをどのように伝えるかは、依然重要なポイントである。安倍氏が民主党政権時代を批判し続けたり、「アベノミクス」「三本の矢」「まち・ひと・しごと創生」「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」とさまざまなキャッチフレーズを唱え続け、自らの仕事ぶりをアピールすることも必要性も理解できよう。 これらの言動に対しては「5年もたっているのに民主党を批判し続けるのはおかしい」とか「『やってる感』を演出しているだけ」との批判もある。しかし、メディアによって地獄を見た安倍氏にとっては馬耳東風の批判だろう。 むしろ、問題は、野党または自民党の中に「スイッチが入った」政治家がいないのかということだ。敗北を敗北として捉え、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、次に向けて勉強し、仲間を維持し、(再)チャレンジを試みる。そういう政治家は見つかるのだろうか。 正直、安倍政権の政策や政権運営にはおかしいと思うところも多々ある。しかし、第1次政権末期、テレビや新聞のマスメディアと2ちゃんねる(現5ちゃんねる)などのインターネットが一緒になって、批判や揶揄、嘲笑を行っていた。いわば「一億総軽蔑」ともいえる「地獄」の中で退陣を余儀なくされたところから、5年の充電を経て、一気に政治的頂点に復活した安倍氏の根性は正面から評価されるべきだと思う。2014年9月、「まち・ひと・しごと創生本部事務局」の看板を掲げる(左から)石破茂地方創生担当相、安倍晋三首相、菅義偉官房長官(代表撮影) しかも、政権復帰に伴い、かつての部下などがある意味、退路を断って脇を固め、自分たちの失敗経験を生かしながら長期政権に寄与する。このような人間関係の持ちようも、政権運営術や政治コミュニケーションの観点からは、きちんと評価されるべきだろう。 政治にせよ、政治コミュニケーションにせよ、「天下一人を以て興る」(中野正剛)にせよ、すべて一人でできるわけではない。「ポスト安倍」を準備している「スイッチが入った」者がいるのか、日本の政治コミュニケーションの課題である。

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    「安倍時代の終焉」が現実的とは言えない理由

    むね高いレベルを維持し続けていることに驚嘆せざるを得ない。これはなぜなのか。 私は元外交官であり国内政治の専門家ではないので安倍政権長期化の理由、背景を総括的に解説することはできない。一般に言われていることは、「アベノミクス」という経済財政政策が長期デフレに苦しむ日本経済に再生の可能性を示し、国民に対して明るい未来展望を切り開くことに成功したこと、その一方で3年3カ月余にわたる民主党政権3代の失政に多くの国民が失望し、野党として自民党に取って代わり得る存在と見られていないこと、の2点のようである。 もちろん、自民党内に安倍総理の後継たり得る有力な政治家が見えてこないという事情もあるが、安倍内閣への支持率が相対的に高い以上、総理に退任いただくべき事由はないので、後継不在の問題は安倍政権長期化の主たる理由にはならない。 国民の多くが安倍政権を支持し続ける理由の一つに総理の外交手腕に対する高い信頼があるように思う。日本外交の柱は何といっても日米関係の安定・強化であるが、安倍総理はオバマ大統領、トランプ大統領という全く異質な米国指導者二人とそれぞれ良好な関係を構築するという驚くべき対人能力を発揮した。 しかも相互の信頼関係のレベルも共に極めて高く、日本の歴代総理と比べても傑出した外交成果であると評価されなければならない。これは安倍総理の人柄もさることながら、何よりも、東アジアをはじめとする世界情勢全般に対する認識を共有し、外交・安全保障戦略をおおむね分かち合える関係を構築できたからに他ならない。その第一が安保法制の整備だったと私は考える。カナダでのG7サミットでドナルド・トランプ米大統領(右端)に向かい身を乗り出すドイツのメルケル首相(中央左)=2018年6月9日(ドイツ政府提供、AP=共同) それでは、中国や朝鮮半島の問題についてはどうか。過去10年ほどの地域情勢を特徴づけるものは中国の超大国化と覇権主義的な対外政策、そして北朝鮮の核・ミサイルの開発である。これらはいずれも短期的な問題ではなく、中長期にわたって日本を取り巻く安全環境の桎梏(しっこく=手かせ足かせ)となるものであり、小手先の外交対応は意味をなさない。 この点で日本の政治指導者には確固たる外交理念を打ち出すことが求められるが、安倍総理には多くの国民を納得させるだけの信念があり、このことも政権の長期化が支持される理由になっているのではないか。 習近平国家主席にしろ金正恩労働党委員長にしろ一筋縄ではいかない人物であり、しかも長期にわたって指導者の地位にとどまることが確実である以上、日本の総理にコロコロと代わられては困るのである。韓国の文在寅大統領についてはいまだ在任2年に満たず、安倍総理からすれば「新参の政治家」であって余裕をもって対応できる。韓国側がドタバタすればするほど、日本側のどっしりとした腰の据え方が光ることになる。短期政権にはない安定感が際立ち、国民の支持を得ることにもつながっている。メルケルに学ぶべきこと もう一つ、安倍外交の特徴は環太平洋連携協定(TPP)、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)といった広域自由貿易圏の構築に積極的なことである。これは「自由で開かれたインド太平洋戦略」と相まってアジア大洋州各国の対日信頼を醸成することに寄与している。 特に、インドと東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国は日本との関係を重視しており、安倍総理への信頼も厚い。広域自由貿易圏の構築は「アベノミクス」の柱の一つだが、それと同じくらい関係各国の経済発展にも寄与する。長期政権でなければこうした外交は展開できない。 先進7カ国(G7)の中で安倍総理の在任期間はドイツのメルケル首相に次いで長い。そのメルケル首相も昨年末にキリスト教民主同盟の党首を辞任し、首相としての在任期間も最長で2021年9月までの現任期をもって終了することが確実である。 2005年11月にドイツ首相に就任して以来13年が過ぎ、「ヨーロッパの顔」としての彼女の権威にも陰りが見え始め、「メルケル時代」の終焉(しゅうえん)が近いことを感じさせる。メルケル首相の強みは堅実な経済運営と中道の左右両派を取り込んだ政治の安定だった。 しかし、2015年からの難民・移民の大量流入に寛容な政策をとったことが国民の反発を招き、拠って立つ支持基盤であるキリスト教保守層も離反・弱体化して、2017年の連邦議会選挙で敗北、昨年秋には2つの有力州における議会選挙に連続して大敗したことで与党党首の座から降りざるを得なくなった。 確かに、難民問題は選挙敗北の直接の引き金ではあったが、もう少し長い政治潮流の中で見れば、キリスト教保守層という従来の支持基盤が崩れたことと、世論が右派ナショナリズムと左派ポピュリズムに分裂していく中で国民の多くがキリスト教民主同盟の中道路線に飽き足らないものを感じ始めていたという事情がある。 このことは日本の与党、特に自民党にとって教訓に満ちている。自民党にとっては長いこと農協を軸とした農業従事者が支持基盤とされたが、今や状況は大きく変貌しているし、国民世論も右に傾いて中道を志向する空気ではなくなっている。ドイツと違って安倍政権が安定を維持している背景には安倍総理個人、そして自民党が日本国内におけるこうした政治潮流の変化をしっかりと読み切り、適切に政権運営をしているという事情があるのではないか。首脳会談を前にドイツ・メルケル首相(左)と握手を交わす安倍晋三首相=2019年2月4日、首相官邸(春名中撮影) 今、トランプ政権の登場と「アメリカ第一主義」が国際政治経済に大きな影響を及ぼし、米国と欧州の対立が深まる中で、安倍総理の存在は両者をつなぎとめる鎹(かすがい)になっている。G7の会合でも決裂しかかる議論の流れを押しとどめ協調と連帯を何とか維持する上での安倍総理の役割はますます大きい。 中国が超大国化し強権的な対外政策を展開する中でアジア諸国の多くが安倍総理にバランサーとしての役割を期待している。国民は内政面だけでなく対外関係においても安倍総理の存在・役割が大きいことを感じており、これが政権の長期化を支えるもう一つの重要な要因になっているように思われる。

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    中国におけるドイツは「一日にして成らず」

    樋泉克夫 (愛知県立大学名誉教授) 2月初め、ドイツのメルケル首相が久々に来日した。 首相就任以来の訪中回数に比例して緊密度を増す一方だった対中関係に対し、訪日回数は対照的に少ない。これは日本軽視の現われである。このままドイツ企業が中国市場にのめり込み続け、ドイツ経済の中国依存度が高まるなら、いずれ沈没するはずの中国経済の影響を真正面から受けてしまう。中国傾斜はメルケル政権にとって命取りになる――これまで我が国では、こんな主張が聞かれたものだ。であればこそ今回の訪日は「メルケルよ!ドイツよ!やっと目を覚ましたか」と迎えられたようにも思える。 報じられるところでは、日独両国首脳会談で両国は安保・防衛協力を進めることを確認したとのこと。共同記者会見における「インド太平洋地域の平和と安定へのコミットを支援する。これは中国の領土的野心とも関係している。中国とは緊密に協力しなければならないが、簡単にことを進めてもらっては困る」とのメルケル首相発言から、中国に対する融和策から牽制策にドイツは大きく舵を切ったと歓迎する向きも、わが国には見られるようだ。 だが、中国市場におけるドイツの振る舞いを歴史的に振り返ってみるなら、最近のドイツの“方向転換”を手放しで喜んでばかりはいられないように思う。 ここで時計の針を1世紀ほど昔の清国末年に戻してみたい。共同記者会見を終え、握手を交わすドイツのメルケル首相(左)と安倍晋三首相=2019年2月4日、首相官邸(春名中撮影) 日露戦争が勃発した明治38(1905)年3月から7月にかけて湖北省宜昌から長江を遡り、成都、嘉定、重慶など四川省各地を踏査したのは、山川早水である。四川高等学堂で日本語教師を務めていたこと以外、生没年も経歴もはっきりしない。それにしても、あの国家危急の時代、中国内陸深奥部の四川で日本語教師を務める日本人がいたとは……蛮勇なのか無謀なのか。個人的意志なのか。それとも国策が絡んでいるのか。いずれも不明だが、やはり驚く外はない。 帝国海軍がロシア・バルチック艦隊を打ち破った日本海海戦(5月27日~28日)に先立つこと2カ月余りの「明治三十八年三月十八日、神戸を発し」た山川は、上海を経て長江を遡る。途中の旅館の設備の悪さに閉口しながら四川(蜀)に向かったが、四川省に入る手前の宜昌で山川はドイツ製品の進出ぶりに驚かされる。 市街の西洋雑貨店に並ぶ商品は、「独仏品其大部分を占め、英米之に次」いでいた。日本商品より種類は豊富で値段も安い。日本製といえば「福神漬巻紙、洋傘置時計」くらいのもの。これでは西洋製品に太刀打ちできそうにない。 山川は忸怩たる思いに駆られるのだが、本屋を覗いて「新訳書の多きには一驚」する。9割方が日本の科学書から漢訳したものであり、大部分が東京で学ぶ留学生が担当して上海辺りで出版したものだ。宜昌のような地方都市の書店でも「本邦諸科学書」からの翻訳書籍が売られていたとは、やはり驚きというしかない。ドイツの勝因 雑貨店の商品ではドイツ、フランス、イギリス、アメリカの後塵を拝する日本だったが、科学技術関連書籍では西洋を圧倒していたことになる。かくて山川は「安んぞ心に快からざるを得ん」と、ひそかに喝采を叫ぶ。当時、先進科学知識・技術が日本経由で中国内地にまで持ち込まれていたことが判る。 やがて四川省の省都・成都へ。 当時、成都は対外開放されてはいなかったことから外国商人は公然と営業することが出来ず、「諸店は、皆支那人の名義を借れり」といった状況だった。 成都での「外国商品は主として独、仏、英及日本等より輸入せらる、而して其運搬は皆上海より宜昌まで汽船に由り」、以後は陸路と水路を経る。殊に水路が危険なため、上海の保険会社が取り引きを断っている。勢い運送費などが嵩むことから、日本製品は国内価格の3、4割高で売られていた。 店頭に並んだ商品は、「毛布、大小時計、靴、玻璃類、莫大小類、金属器具、玩具、缶詰、酒烟、菓子、薬品、西洋食器、陶器、洋傘、洋紙、文具等」に他の雑貨を加えた日用雑貨で、人気が高かったのはドイツ製品だった。「独乙独特の瀬戸引器具即ち洗面盤、薬缶、手提割盒など」が売れ筋らしい。山川は品質堅牢で低廉価格、その上に消費者の嗜好習慣を捉えているからドイツ製品に人気が集まると考えた。いわば消費者のニーズを読んだドイツ・ビジネスの勝利である。 ドイツの巧みな販売戦略の一例として、山川は手提げ小型重箱ともいえる手提割盒を挙げる。それまで中国には「携帯用の数段に重ねたる竹製(中略)の割盒ありて、家居旅行共に欠く可からざる一要器に数へら」れていたが、竹製だから長期使用には耐えられないばかりか、汁物を扱えないという欠点があった。この点にドイツは着目したというのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「独乙は即ち此要求此欠陥とに乗じ、例の瀬戸引を以て、同式のものを供給せり」。従来からある中国の竹製よりは高いのは致し方がない。だが、長期使用に耐える点を考えるなら、割安感は増す。そこで中国人は1つといわず、2つ3つと“爆買い”した。 なぜドイツ製品は中国の竹製に勝るのか。山川は、ドイツ製品の勝因を「第一は堅牢、第二は盛る所の食品に乾湿を択ふを要せず、第三火に翳すを得、第四好看(中略)なり」と読んだ。「好看」は「美しさ」とすべきか、「みてくれ」と訳すべきか。ともかくも彼ら中国人は「見懸によらず、体裁を喜ぶなり」。だから、そういった中国人の消費動向を見抜くドイツ商人の“慧眼”には改めて驚かされる。 おそらく日本人のように《中国人はこういうものだ》という一知半解な固定観念に煩わされることがないのだろう。考えれば中国とドイツの間には、日中関係を覆ってきた一衣帯水も、同文同種も、子々孫々の友好などといった煩わしさは微塵もない。あるのは「双贏(ウイン・ウイン)関係」だけ。これは現在でも変わりはない。ドイツ「ヤカン」で成功 こうしてドイツ商品は「如何んぞ彼等(中国人)の喝采を搏せざるべき、果して彼らは旧を棄てゝ新を取ること、水の卑きに就くが如」きであり、「今や独乙輸出品中の主要を占め、又外国商品中の要品と推さるゝに至れり」。新しくていいものなら、躊躇うことなく買うということだ。いわば中国人の趣味嗜好と消費動向を十二分に計算しているがゆえにドイツの販売戦略は大成功である。 もう一つの成功例として山川はヤカンを挙げた。 中国では「湯沸としては、殆ど錫銅の二種に限られ(中略)、其蓋は墜落するを防ぐか為、必ず紐を以て把手に繫げり」。この点にドイツは目を着けた。すぐ切れてしまうような紐ではなく、堅牢な「金属の小鎖を以てせり」。かくて消費者から「少からざる賞讃を搏」したのである。やはり鎖と紐では耐久性が断然違う。 ドイツの巧みな販売戦略はまだ続く。たとえば「ランプのホヤに製造所の名号を記するに、英字と漢字とを以てせることなり」。ドイツ語音に近い音の漢字で記すが、「自国の文字」が普及していないゆえに、敢えて「英字を以て之に代へ」たのである。 ドイツ語の綴りが通じないのなら、取りあえずは英語式で済ませておこう、である。“文化的自尊心”なんぞよりも、やはり目前の利益である。 このように消費者の動向に臨機応変に対応するドイツ式ビジネス戦略を、山川は「其敏、称すべきに非ずや」と称賛したうえで、「需要には広狭多少の別あれども、既往に於て(現地消費者より)収めたる愛着心と信用とは、将来に及ぼして、無限の勢力を大陸に敷けるものと謂ふべきなり」と見通した。ドイツ製品が獲得した「愛着心と信用」があればこそ、将来の中国においてドイツは有利に振る舞うことができるだろう、ということか。これこそソフト・パワーというのではなかろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 山川に従うなら、やはりドイツの成功は「独乙が真面目なる研究の結果に外ならず、歩を進めて考ふれば、善く詳に身を需要者の側に置」いているからだ。ドイツがこういった行動・判断ができる背景には何があるのか。どうやらドイツ人は「主として在留の官商間に於て油断なく注意を払ひ居るものと覚江らるなり」と推測してみた。これを現代風に言い換えるなら、成都在留のドイツ官民が共同し現地における消費動向を抜かりなく観察し、ビジネスに生かしているということだろう。 ここで山川の視線は日本式ビジネスに転じた。「本邦人の多くが物物しく視察とか研究とかに出懸け、上海、漢口、北京、天津と紳士旅行の素通りしたとて、何の功か之有らん」。モノモノしいばかりで通り一遍の「紳士旅行」なんぞは、当然のことだが昔も無意味だった。そのうえに「上海天津等に居留する本邦商人は、数字の上にては数百数千を以て計へんも、其中の少数を除けば、大抵共喰商人に属」するばかり。日本は「正直者のバカ」? たしかに大都市の一等地に大きな看板を掲げ表向きは派手な商売をしているものの、内実は心許なく、同胞による陰湿な足の引っ張り合いが常態化している。なにやら21世紀初頭の現在を思い浮かべてしまうから不思議だ。 山川は四川における日本ビジネス不振に思い至る。「余(山川)は商業に於て門外漢なり、然れども、旅行及び在留の間、これは必ず当らん、これは必ず向かんと思ひたるもの十数目にして止らず」。だから専門家が「仔細に観察したらんには、無尽蔵の利源を発見せん」。加えて地理的にも歴史的にも欧米より有利な立場にあるにもかかわらず、日本製品の販路が拡がる気配がみられない。やはり官民共々に日本側は努力が足りないのだ。かくて「余(山川)は資本の欠乏を以て専ら之が弁解の辞となすを許さず、余を以て観れば、我国官民を通じて、之を思ふに精ならず、之を行ふに実ならざるに由るとなすものなり」となる。要するに官民協力しての現地理解への努力がみられない。営業努力が足りない、ということだろう。「本邦品は従前曽て諸種の雑貨、成都に輸入せられしが、価格割合に低廉なりし為め一時は随分捌けたるども、品質の脆弱は、直に彼等の排斥するところとなれり」。それでも「名古屋製置時計、大阪洋傘」などは一定の販売量を保持しているが、単なる見てくれから売れているだけ。本格的に「品質堅牢」「耐久力」を問われたら、将来的には販売不振に陥ることは明らか。ドイツ製品に駆逐されてしまうこともあり得るだろう。 加えて日本商人は「支那向として、特に粗質品を択べる」傾向がみられる。こういった傾向が依然として改まる様子が見られない。このままでは中華ナショナリズムに火が点き、日貨排斥運動を招きかねないと山川は苦言を記した。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) かくして山川は「之を要するに、成都に於ける日本商品は当初に一頓挫を招きてより、今日に至るまで回復する能はざる状態に在りといふべし」と結ぶ。反省はないのか。 民が民なら官も官。五十歩百歩といった状態だった。 成都における日本の外交活動を指して「固より正路に遵ふものなり」ではあるが、四川省の政府幹部との間にパイプを築き、諸般の情勢を調査し、四川在住各国公館の動向を観察することを怠っている。一方、列強諸国が「正路に遵ふ」というのはタテマエに過ぎない。実質的には宣教師を手足のように使い、必要に応じて「高圧手段」を混ぜながら巧妙に外交を展開するわけだから、山川の説くように日本は「少なからざる不便あるを覺悟せざるべからず」ではある。つまり正直者はバカを見るのではなく、外交における正直者は度し難いバカを意味するというわけだ。ドイツと中国の因縁 成都に先んじて対外開放されていた重慶における「日、英、仏、米、独の四国」の領事を比較して、「英、仏、独の三領事は常に遊歴滞在の名の下に常に成都に駐在し」ている。口実を設けて未開放都市の成都に常駐し、後日を期して一帯の状況を探索している。これに対し「正路に遵ふ」ところの「日本領事は重慶に留まったままであり、四川全体の情勢把握に向けた努力が見られない。重慶の中心街に置かれた英国領事館に較べ、中心街を外れた場所で「支那家屋」を借用した「我領事館の見栄無きに対しては、人情忸怩」とせざるをえない。見栄えが大事なのだ。 重慶における列強海軍の配置をみると、各国ともに長江上流の激流に適するように「特別建造の小砲艦」を停泊させている。イギリスの3隻は重慶の上流にまで遡航するが、フランスの1隻は重慶に係留されている。ドイツに至っては軍艦で商品を運んでいる。 これに対し、「我日本は一艦を廻航せしむるの議ありとは夙に聞くところなるが、今は之が實行を見ず」。ともかくもグジグジと理屈を捏ねるばかりで前に進まない。英独両国艦船が彼らの利権、在留民、商権を守る任務を帯びていることは敢えて想像するまでもないだろう。 山川は成都の将来と日本の関係について考える。 在留邦人はいるが、その中の期限付き任用の教員に現地定着の考えは期待できない。商人は将来展望を持たない。ならば、やがて対外開放され、鉄道が引かれ成都にビジネス・チャンスが生まれようとも、これまでの状況からして「恐くは本邦商人の発展」など期待できそうにない。甚だ心許ないばかりかイザとなった時に「独米の妨害あれば、(中略)成都の地には、邦人の影を留めざるに至らんも亦た知る可からざるなり」と、じつに悲観的だ。 これでは四川において、日本が外交でもビジネスでも影響力を発揮することができるわけがない。山川が憤慨した日本外交当局の不作為・消極性、さらには官民の連携の悪さという宿痾は、それから1世紀ほどが過ぎた現在に至っても完治したとは言い難いように思える。 そういえば日中戦争時、日本人から考えるなら首を傾げざるを得ないような形でドイツは蔣介石政権支援の態勢を崩そうとはしなかった。あれはナチスであるからか。それともドイツであるからか。山川の指摘からするなら、やはり後者ということになろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ならば現在の両国の関係の根底に、20世紀初頭以来のドイツの中国市場に対する“営々たる努力”が隠れていることを考えておくべきだろう。「ローマは一日にして成らず」の俚諺に倣うなら、やはり中国におけるドイツは一日にして成らず、といっておきたい。 1978年末の対外開放から現在までの40年に及ぶドイツと中国の外交関係、ドイツ企業の中国市場における振る舞いを考えた時、ドイツと中国との間の1世紀以上に及ぶ因縁浅からざる結びつきを軽視してはならない――山川の四川体験が、そのことを示しているように強く思う。

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    平成前期の政治を振り返る 「細川連立政権」で始まった激動

     平成の政治を10年刻みで見ていくと、それぞれのディケイド(10年間)に大きな特徴がある。平成元年(1989年)~平成10年(1998年)で存在感が際立っていた政治家の功罪を辿る。◆「山が動いた」55年体制崩壊の序曲 平成元年(1989年)、竹下登首相がリクルート疑獄で退陣。金権腐敗という「昭和の政治」の負の部分が露呈して自民党長期政権は末期を迎えていた。そんな中、歯切れの良い自民党批判で国民の心を掴んだのが、「おたかさん」こと土井たか子・社会党委員長だ。 土井氏は1989年の参院選に女性候補を数多く擁立、「マドンナ旋風」を起こして圧勝し、参院で自民党を過半数割れに追い込んだ。「山が動いた」の名セリフはこのとき生まれた。「憲政史上初の女性党首のおたかさんは女性政治家のパイオニア。政治史的にも、この年の参院選で万年与党の自民党と万年野党第一党の社会党が馴れ合いで政治を進める昭和の55年体制は終わりに向かい始めた」(政治ジャーナリスト・野上忠興氏)◆「小沢の乱」で誕生した非自民・細川政権 自民党長期政権崩壊の立役者となったのが小沢一郎氏だ。「功罪相半ばするが、2度の政権交代を実現。平成史には欠かせない政治家」(筆坂秀世・元共産党参院議員)小沢一郎自由党党首(右)と小泉純一郎元首相=2018年7月、東京都新宿区(納冨康撮影) 小沢氏は海部内閣で自民党幹事長に就任して小選挙区制導入の「政治改革」を掲げたが、次の宮沢喜一首相が政治改革に消極姿勢をとると、内閣不信任案に賛成して倒閣に動く。宮沢首相は衆院を解散、この1993年総選挙で自民党は小沢氏ほか大量の離党者が出て過半数割れに追い込まれた。 総選挙後、小沢氏は社会党、自民党離党組の新党さきがけなど8党派による非自民・非共産の連立内閣を誕生させ、日本新党の細川護煕氏を首相に担いだ。社会党の土井たか子氏が衆院議長に就任する。 この自民党敗北から細川内閣成立までの“残務整理期間”に宮沢内閣の河野洋平・官房長官が発表したのが「河野談話」である。「まさか」の連立◆自民・社会「まさか」の連立 38年ぶりの非自民政権の細川内閣は短命に終わる。 野党・自民党は河野氏、橋本龍太郎氏、石原慎太郎氏の「サンフレッチェ(三本の矢)」を看板に細川首相の政治資金問題、連立に加わった公明党の政教一致問題を追及。次第に細川内閣を追い込んでいく。 細川退陣後の羽田孜内閣で社会党が連立を離反すると、自民党と社会党が連立交渉を行ない、「安保反対」の社会党左派だった村山富市氏を首相に自社さ連立政権が誕生する。村山氏は就任会見で従来の主張を転換し、「日米安保は堅持する」と表明した。「国民に政治家の語る『理念』は演技だと白日の下にさらした」(嶋聡・多摩大学客員教授) 村山首相は1996年1月に退陣を表明。橋本内閣が誕生し、自民党は3年ぶりに政権を奪還する。橋本内閣は中央省庁再編など行革に取り組んだが、消費税率5%への増税後、参院選に大敗して退陣。日本経済に金融危機が深まる中、小渕恵三・首相が登場する。三党首会談後、記者の質問に答える小渕恵三首相=2000年4月、官邸「アジアや沖縄に対する視線が素晴らしかった。『公』の基本は『私』だという考えもそれまでの首相にはないもので、早世しなければ日本は変わっていたはず」(寺脇研・京都造形芸術大学教授) 小渕首相は野党案を丸呑みして金融再生に取り組み、自民党を飛び出した小沢自由党に連立を要請。このとき、野中広務・官房長官は「悪魔にひれ伏しても」と政敵の小沢氏に頭を下げた。「野中氏は自民党を倒した小沢氏を『悪魔』と呼んだが、国会空転は国民のためにならないと手を組んで自公連立をつくった」(政治評論家・木下厚氏)関連記事■ 眞子さま 小室圭さんと最後にお会いになった時の行為が波紋■ 安倍昭恵さん、絢子さん結婚晩餐会で酒豪ぶりが驚かれた?■ 眞子さま、婚約延期も職場では「結婚します!」と幸せオーラ■ 渡辺恒雄氏 なぜ一介の番記者から総理動かす政治力持ったか

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    「安倍の次はまた安倍」 消極的待望論も出る深刻な人材不足

    代表が「私こそポスト安倍だ」と語るほど政界は人材不足だ。 その状況が一番危うい。「究極のポピュリスト政治家」が彗星のように現われ、有権者の支持を集める危険がある。米国でトランプ大統領が誕生した時のように。 国民にとって最悪の政治状況が生まれるのを避けるには、“政治的ハーム・リダクション”の選択もある。 ハーム・リダクションとは公衆衛生用語で、個人が健康被害をもたらす行動習慣をただちに止めることができないとき、健康被害がより少ない行動を取らせるという意味。政治にあてはめれば、“安倍首相が辞めた後に極右政治家が出てくるくらいなら、安倍続投の方がまだ国民の被害は小さい”という判断になる。 安倍首相はタカ派と見られているが、そのナショナリストぶりは底が深くない。社会学者の筒井清忠・帝京大学日本文化学科教授が指摘する。「安倍氏のタカ派発言はスローガンばかりで、実行している政策は現実的なもの。『移民は入れない』と言いながら労働力不足になれば外国人労働者の受け入れを増やし、教育無償化といった社会民主的な政策も打ち出す。憲法改正もどこまで本気で取り組む気があるかはわかりません」経済財政諮問会議で発言する安倍晋三首相=2019年2月、首相官邸(春名中撮影) 安倍首相が総裁4期目も続投するとなれば、国民が不安視する来年の消費税増税が延期、あるいは凍結、廃止される展開もある。安倍ブレーンの高橋洋一・嘉悦大学教授が語る。「安倍さんは自分で決めたことは自分で発表する性格。ところが、先月の消費税10%への引き上げは菅官房長官が記者会見した。増税は基本路線ではあるが、総理はまだ最終的に上げるかどうか迷っているのではないか。景気に大きなマイナスの影響が出ると判断したら、増税延期を決断する可能性は残っている」 大統領の3選を憲法で禁じている米国と違って、自民党の党則を変えれば安倍首相の総裁4選は可能だ。「安倍の次はまた安倍」──そんな選択肢が思い浮かんでしまうほど、この国の政治の人材不足は深刻だ。関連記事■ 安倍政策を支配する「内閣官房参与」という妖怪の実態■ 安倍昭恵さん、絢子さん結婚晩餐会で酒豪ぶりが驚かれた?■ 安倍首相の後継「岸破義信」が争う間に極右台頭の土壌も■ 韓国作成「徴用工企業299社リスト」に日本企業の担当者絶句■ 徴用工判決で日本企業から「韓国撤退」思わせる動きも発生

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    「菅長官vs望月記者」バトルの波紋

    東京新聞の望月衣塑子記者と菅義偉官房長官のバトルが続いている。度重なる官邸側からの申し入れにも「報道の自由の侵害だ」と真っ向から反発する。そんな彼女を支える勢力の中には、これを倒閣運動の足掛かりにしたいとの思惑もアリアリだ。それだけに話はややこしくなるばかりである。

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    「今の記者クラブはバカの集まり」官邸vs望月記者、舛添要一の苦言

    からの質問に対しては、「フェイクニュース」と断罪し、次の回からはその記者を指名しない。 もし、日本の政治家が「トランプ流」の受け答えをすれば、非難の嵐となろう。2年前、今村雅弘元復興相が記者に対して「(会見室から)出て行きなさい!」と激高して批判されたが、それが「日本の風土」である。 第二の論点は、望月記者の質問中に、官邸報道室の上村室長が「簡潔にお願いします」「質問に移ってください」などと、何度も質問を遮ったという点だ。この点については、上村室長の介入が適切か、あるいは表現の自由を阻害するような類いの不適切なものか、判断が必要である。 そして、記者については、一定の品位を保った質問をしているか、質問に関連することを十分に調査し、勉強しているか、ということが問われることになる。 東京新聞側から見れば、上村室長の介入は「限度を超えている」という見解であろう。また、官邸側から言えば、望月記者は記者会見で「最低限守るべき礼儀を欠いている」という理屈になる。2019年2月28日、ハノイでの米朝首脳会談を終え、記者会見する米国のトランプ大統領(左)とポンペオ国務長官(共同) ベトナムの首都、ハノイで開催された米朝首脳会談の最中、ワシントンではトランプ大統領の元個人弁護士、マイケル・コーエン被告が下院の公聴会で証言したが、ハノイでこの件について質問した4人の記者が、首脳会談と無関係なことを質問したとして、記者会見への参加を拒否された。これは、ホワイトハウスの権限で行われたものである。官邸側も、できれば望月記者をつまみ出したいというのが本音だろう。記者クラブは「甘えの構造」 第三の論点は、前述した第二の論点にも関連するが、そもそも記者クラブ制度は必要か、そして役所の報道担当(今回は官邸報道室)と記者クラブの関係はどうあるべきか、という問題とも直結する。 以上の3点について、私自身の経験も踏まえて答えると、まず記者クラブ制度は本来果たすべき機能を果たしておらず、存在する意味がなくなっているように思う。品位に欠ける言動や、長すぎる質問時間、何度も同一人物が質問を繰り返すといった行為は、記者クラブがしっかりしていれば、未然に防げるはずである。 望月記者への申し入れは、本来は内閣記者会が行うべきである。定期的に代わるにしても、責任を持つ幹事社が記者クラブ加盟社の中にいるはずである。それができていないというのは、記者クラブが自治能力を失っていることを意味するに等しい。 もともと記者クラブは「甘えの構造」であり、取材先である諸官庁に場所を無償で提供してもらっている。それは、「報道の自由」という「錦の御旗」の威光をかさに着ているからである。 そして、役所側が無償で便宜を供与するのは、その見返りがあるからである。言い換えれば、権力側からの「情報操作」が可能であることを意味する。 国務大臣などの権力者になると番記者がつく。政治家の立場からは、彼らをどう味方につけるかが腕の見せ所となる。官房長官会見を見ていても、明らかに権力側に取り入ろうとする記者が何人かいて、率先して質問する。むろん彼らから見れば、望月記者は異端に映るだろう。2019年2月25日、定例会見に臨む菅義偉官房長官(春名中撮影) 記者の長すぎる質問や事実誤認をその場で注意すべきは、役所内、つまり官邸の報道室長ではなく、記者クラブの幹事社のはずである。だから、報道室長が介入するというのは、記者クラブに自治能力がないことを意味する。 東京都庁の場合、報道担当責任者は「記者クラブ主催ですから、何もできません」と全く関与しない。知事が術後で健康状態が悪いことを知らされていながら、会見時間が3時間に及んでも知らん顔していたこともあった。まさに文革の「紅衛兵」 はっきり言って都庁記者クラブは自治能力がなく、時間管理も質問管理もできない。また、ミニコミ紙やインターネット、フリーの記者と制限なく入室させている。「わが記者クラブは自由ですから」という触れ込みだが、人権尊重の念も、品位も礼儀もなくても、「記者」と称すれば誰でも入れる。まさに、中国の文化大革命の「紅衛兵」と五十歩百歩と言えよう。 また、記者の不勉強も度を超している。税制や予算の説明をしても、質問すら出ない。たまりかねた私は都知事時代、ある全国紙の社会部長に「若い記者にもう少し本を読むように言ったどうですか」と提案したが、「わが社会部は馬鹿の集まりですから、知事さん、無理ですよ」という答えであった。 そこで、記者の勉強の助けにと思って、私が知事になってからは、記者に公表期限付きで事前に資料を説明させるよう職員に指示した。そうでもしない限り、記者会見で重要政策の説明をしても、理解する意欲も能力も欠けているのである。 都庁記者クラブは、社会部記者が仕切っている。ちなみに、望月記者も社会部所属だが、なぜ政治部記者が中心の官房長官会見に毎度顔を出しているのか、正直よく分からない。 私が厚労相の時には、よく勉強する番記者が集まっていて、役所が出さないデータを発掘して質問される機会がよくあった。また、彼らは「夜討ち朝駆け」で早朝から深夜まで自宅に来て、年金記録問題や薬害肝炎訴訟対応などの政策について、繰り返し質問されたものである。 ところが、都庁では記者会見の場でも、一部の例外を除いて、難しい政策課題には質問が出ず、時間を持て余していた。また、都の政策に関する取材で、私の自宅まで来た記者はまずいない。霞が関から新宿に移ったとき、それこそ記者クラブ文化の違いを肌で感じた。2008年8月、福田改造内閣での留任が決まり、記者会見で抱負を述べる舛添要一厚生労働相(飯田英男撮影) いずれにしても、記者クラブの在り方や、クラブと役所の癒着などにメスを入れるべき時期に来ている。日本では司法とマスコミは聖域にように扱われ、まさに「甘えの構造」の根源となっている。 前者は日産自動車前会長、カルロス・ゴーン被告の長期勾留で国際的に批判を浴びており、それが改革のきっかけになる可能性がある。今回の「菅長官vs望月記者」のバトルが、後者の大改革につながることを期待したい。

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    記者会見で失言や醜態を晒した政治家たちの「器量」

    樫山幸夫(産經新聞元論説委員長) 言葉は政治家にとって命にも等しい。人の心をとらえる弁舌で語りかけ、説明責任を果たすー。それができなければ、器量、資質を問われる。 河野外相が、先日の記者会見での自らの不作法を謝罪した。遅きに失したというべきだが、愚弄されたメディア、憤慨した国民は矛を収めるかもしれない。しかし、一件落着とまでは言い切れまい。北方交渉に関する質問を無視したことが、ロシア側につけ入る隙を与えることにならないか。そうなって国益を損なったとしたら、謝罪では済まない。 今回の騒ぎによって、過去のいくつかの記者会見を想起させられた。いずれも、政治家や政府高官が失言や問題発言、醜態を晒して物議を醸したケースだ。そのせいかどうか、不幸にして、当事者たる政治家たちはその後、いずれも声望を取り戻すことなく、表舞台から消えていった。 今月15日の外相のブログは、11日の記者会見での対応について「お詫びしてあらためる」と陳謝し、「いつものように『お答えは差し控える』と答えるべきだった」と反省の弁を開陳。「交渉に影響が出かねないことについて発言を控えていることをご理解いただきたい」と釈明した。 最初からそうしていれば、記者団を失望させることはあっても、反発、怒りを買うことはなかったろう。 外相はこれまでも、対露関係については、省内でのインタビューや夜回り取材で、聞こえないふりをしたり、とぼけたりすることを繰り返してきたという。今回の態度は予想されたことではあった。韓国と電話会談し、記者団の取材に応じる河野太郎外相=2019年1月、東京・霞が関の外務省(松本健吾撮影) それに加えて、首相官邸主導で進められて領土交渉の「責任者」に、アルゼンチンでの日露首脳会談で急きょ指名されたため、過剰なほどの慎重姿勢を取ったとの見方もささやかれている。 日本政府がこれまでの「4島返還」から「2島返還」に方針を転換したと伝えられていることもあって、交渉がきわめて微妙な時期にきていることはまちがいない。それだけにだけに、氏の態度に関する推測も的外れと言えないかもしれない。 外相が無視した質問は、「(北方領土は)第2次大戦の結果、ロシア領になったと日本は認めるべきだ」というラブロフ外相の発言についてだった。一切言葉を発することなく無視すること4度、「次の質問どうぞ」を繰り返した。日米関係を損なう発言も 北方領土問題での過剰な慮りは、ロシア側に都合のいい解釈をさせることにならないか。今後の交渉の場で、「責任者」の外相がいくら理詰めでわが方の主張を展開しても、「あなたは国民に説明する場で何の反論もしなかった」などと先方が攻勢に出てくる可能性もあろう。牽強付会な解釈を持ち出し、片言隻句をとらえて交渉を紛糾させることが、旧ソ連時代からの常套手段であることを考えれば、取り越し苦労とばかりは言えまい。少なくとも、宣伝材料に利用される恐れはある。 こんどのように国民が驚き呆れた記者会見といえば、比較的高齢の人なら覚えているだろう。1972(昭和47年)6月17日の佐藤栄作首相の退陣会見。佐藤氏はテレビを通じて直接国民にお別れの挨拶をしようとしたところが、首相官邸の会見室に新聞社を含む記者団がいたため、にわかに機嫌を損ねた。「新聞はウソを書くから嫌いだ」と暴言を吐き、追い出してしまった。たったひとり、ガランとした会見室でカメラに語りかける姿は異様に映った。在任中、いやなことまで遠慮会釈なく書き立ててきた新聞への恨みつらみを、最後の最後に押さえきれなくなったようだ。7年8カ月という長期政権、沖縄返還など多くの実績をあげた総理大臣には似つかわしくない児戯に類する態度だった。 もっとも、佐藤会見は個人的な鬱憤晴らし、新聞への侮辱ではあったが、それ自体、国益を損なうものではなかった。 深刻だったのは1981(昭和56)年5月の鈴木善幸首相(当時、故人)のケースだ。 首相は大型連休を訪米してレーガン大統領(同)と会談、5月8日に発表された共同声明に初めて「同盟」という言葉が盛り込まれた。いまでこそ、日米関係の代名詞になっているが、当時としては画期的なことだった。 そのせいでもあるまいが、首相は発表直後の記者会見で、「(同盟という言葉に)軍事的意味合いは全くない」と言い放ち、「自由と民主主義、市場経済体制を守るということだ」と理解不能な説明をして、日米両国をびっくりさせた。 外務省は最初から軍事的側面を含むという立場であったことから、首相との関係がぎくしゃくし、外務省高官が堂々と首相を批判するなど対立が先鋭化した。首相は、会談前に共同声明がとりまとめられるなど、その作成方法をめぐっても不満漏らし、これに抗議した伊東正義外相(同)が辞任する騒ぎに発展した。新聞記者の引き上げた会見場で、テレビカメラに向かって退陣の所信を表明する佐藤栄作首相=1972年6月17日、首相官邸 政府は「軍事的側面をもつことは認めるが、あらたな意味合いを付加したものではない」という統一見解で沈静化を図ったが、米国の当惑は少なくなかった。「〝同盟〟は米国が日本に押しつけたものではない」、「軍事的な側面は含まれるが、ことさら振りかざすつもりはない」などと釈明、当惑を隠せなかった。 米政府は実質よりも形式にこだわる日本の姿勢に失望と強い疑念を抱き、その後長い間にわたって日米間のしこりとなった。天皇を政治利用? 鈴木首相は自ら率いる派閥(宏池会、池田勇人元首相創設)の伝統から〝平和主義〟へ強い憧憬をもっていたといわれ、事務方の手で自らの考えとは異なる方向に進んでいくことに我慢がならなかった、という見方もある。行政府の長として指導力を発揮すればよいものだが、それをできないところに限界があった。 鈴木氏は在任2年の翌年秋、総裁選で再選確実とみられていたにもかかわらず、政権を投げ出す形で突然、退陣を表明した。 天皇まで巻き添えにした失言もあった。1973(昭和48)年5月の増原恵吉防衛庁長官(同)の「内奏問題」がそれだ。 増原長官は5月26日、昭和天皇に「当面の防衛問題」についてご進講。終了後、記者団に対し、あろうことか、陛下とのやりとりを漏らしてしまった。氏によると陛下は「近隣諸国に比べて防衛力が大きいとは思えない。国会でなぜ問題になるのか」と疑問を示された。長官は「おおせの通りでございます。専守防衛であり、野党から批判されるものではありません」とお答えしたという。 陛下と会話を明かすことは、たとえ雑談であっても許されないことだが、ご丁寧にも、当時難航していた防衛2法案(防衛医大設置、自衛隊改組など)の審議に向けて「勇気づけられた」とやったものだから、「天皇を政治的に利用した」と猛烈な批判を浴びた。反論の余地はなく、増原氏は即座に辞任に追い込まれた。昭和天皇も迷惑されたことだろう。 氏は前年夏、岩手県上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突、旅客機の乗客・乗員162人が死亡した事故(雫石事故)当時の防衛庁長官。その責任を取って辞任し、その翌年に返り咲いたものの、自身の不祥事で2度目の辞任を余儀なくされる結果になった。 行政管理庁長官、北海道開発庁長官(当時のポスト、いずれも閣僚)などを歴任したベテラン政治家だったが、その後、入閣することはなかった。 1996(平成8)年暮れから翌年春まで続き、筆者も現地で取材したペルー・リマの日本大使公邸占拠事件。リマを訪れた日本の外務大臣(当時)の狼藉ぶりも忘れられない。日本大使公邸占拠事件。ペルーで会見する池田外相=1997年4月、オリバーツホテル(代表撮影) 外相は11月17日の事件発生直後に到着、解決に向けて指揮を執っていたが、22日の記者会見で、滞在日程などを聞かれたことに激高。会見後、質問した産経新聞記者を呼び出し、「この野郎何で質問した。人命がかかっているんだ」と怒鳴り、やりとりをメモしていた他社の記者のペンを振り払った。大臣とは思えない野蛮な行為だが、日程が犯人グループであるテロリストに知られ、交渉相手に引っ張り出されかもしれないことを恐れたからといわれている。「大人気なかった」と謝罪したが、事件直後、状況もわからぬまま現地に派遣された戸惑い、不安があったとみる向きもある。クリントン氏もウソで窮地に 外相は、首相を経験した有力政治家の女婿。その後も自民党役員などを歴任したものの目立った活躍はできなかった。岳父が創設した派閥の跡目を継ぐこともかなわず、ほどなく議員在職中に亡くなった。 海外のケースでは、不倫・偽証疑惑を真っ向から否定したビル・クリントン元米大統領の会見だ。 自分の娘といくつも年の違わないホワイトハウスの元実習生との不倫関係を暴露された直後の1998年1月26日の記者会見、「私は、あの女性といかなる性的関係ももったことはない。この申し立てはウソだ」と強弁した。ワシントン特派員だった筆者は、テレビで見てすぐに東京に送稿したが、その時のクリントン氏の恐ろしい形相は忘れられない。後ろめたいことがあると、人はあのような表情になるのか。 ウソをついていたのは「あの女性」ではなく、自分であることを認めざるを得なくなり、これも一因となって、米憲政史上2人目の弾劾裁判という不名誉な事態に追い込まれた(1999年2月、上院で無罪票決)。 あの場で不倫の事実を認め、率直に謝罪していたら、その後の厄介な展開はあり得なかったろう。 話を河野外相に戻す。ブログでの発言だけでは、あの時、どういう心境だったのかは、よく理解できない。ムシの居所が悪かっただけなのか、われわれの及ばない深慮遠謀があったのか。はたまた、不勉強、同じ質問を繰り返し、時に居丈高になる記者団に辟易していたのか。それなりの理由があるなら、さらに説明を望みたい。外相は今週水曜日、19日に日本記者クラブで会見する予定で、この場で何らかの発言があるかもしれない。 今回の問題は、記者会見というもののあり方に一石を投じるかもしれない。IT時代の昨今、政治、経済を含む多くのイベントがネット中継され、ビューアーから即時に反応が返ってくる。テレビで放映されず、されても仕事で見られない人たちのために、記者が代表して会見に出席し、読者、視聴者に伝えるという従来のスタイルも変化を迫られている。いま以上に開かれた〝国民会見〟になることも予想される。どのとき、当局はどう対応し、メディアはどういう役割を果たせばいいのか。 新しい時代の会見のあり方を模索する契機になるかもしれない。かしやま・ゆきお 産經新聞元論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

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    官房長官vs東京新聞記者の内幕と「がっかり発言」沈静化理由

     国会や首相官邸で日々取材する政治部記者には、見聞きしても絶対に書けない記事がある。首相や官房長官、与党幹部が番記者にふと漏らした本音は、「夜回りメモ」や「オフ懇メモ」として本社のデスクに報告されるが、決して紙面に載ることはない。しかし、本来そうした話こそが、この国の政治に何が起きているかをありのままに知ることができる生の情報なのだ。 そこで覆面政治部記者座談会を開催し、“核心”に迫ることにした。本誌・週刊ポストの呼びかけに、政権に食い込みながらも“冷めた目”で権力を分析するデスククラスのA氏、首相官邸や自民党を長く担当して主流派、反主流派のどちらにも太いパイプがあるベテランB氏、そして夜回り取材の第一線で飛び回る中堅の2人、“安倍肯定派”のC氏、政権に距離を置くD氏という政治部記者4人が匿名を条件に応じた。A氏は、「安倍総理は菅さんに嫉妬しているフシがある」と切り出し、話は菅義偉官房長官の現状に至った。司会:政権の緩みと言えば、菅官房長官と東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者とのバトルも大人げない。官邸報道室が内閣記者会に「事実を踏まえた質問」をするよう文書で要請したことに、新聞労連が抗議声明を出す騒動になっている。現場の記者として本音はどうなのか。記者D:官邸の報道室長名のクレーム文書が届いたとき、東京新聞の政治部ではデスクたちが大爆笑したそうです。こんな文書を出せば官邸が批判されるのに、損なことをどうしてやるのかと。あまりにも官邸に余裕がなくなっている。文書を作成したのは官邸報道室長の上司にあたる長谷川榮一・内閣広報官だとみられているが、長谷川さんはもともとオフレコでよく喋ってくれる記者にはありがたい人だが、最近は取材しにくい。記者C:官房長官番はみんな大迷惑。会見後に囲み取材で菅さんに話を聞こうとしても、カッカしているから出てくるのは望月記者のことばかりで、本来予定していた質問ができない。「(彼女は)インターネットで報じられるから、自分の意見を言いたいだけ」「自分の講演のネタづくりがしたいだけじゃないか」と望月記者の悪口集ができあがる。記者B:新聞労連の抗議にしても、実は南彰・委員長は望月記者と共著がある人物だから、現場の記者は冷めて見ている。それに官房長官会見を除けば、一時期のような政権による言論介入はみられなくなった。会見に臨む菅義偉官房長官=2019年1月、首相官邸(春名中撮影) 民放の記者が言うには、ロシア外交について聞かれた河野太郎・外相の「次の質問どうぞ」という質問無視や桜田義孝・サイバーセキュリティー担当相の「USBは穴に入れるらしい」といった発言をワイドショーでコメンテーターが厳しく批判しても、官邸や自民党からは何も言ってこない。 水泳の池江璃花子選手についての桜田大臣の「がっかり発言」に野党は噛みついていたが、夜のニュースから報道をやめたのは、池江さんの心労の種になってはいけないという局内の自主判断といっていた。記者D:政権の直接介入が減ったのは、メディア側が自主規制するからじゃないですか。沖縄の基地移設をめぐる県民投票結果を朝日、毎日、東京3紙は2月25日付朝刊で〈辺野古「反対」72%〉(朝日)など1面トップで報じたが、産経新聞のトップ記事は「海自観艦式 韓国招待せず」、読売に至っては「適量ですか 高齢者の薬」という企画ものを1面トップで報じた。政権に不利なことを書かないという自主規制がここまでなされれば、官邸は注文をつける必要もないでしょう。●レポート/武冨薫(ジャーナリスト)関連記事■ トランプ氏にノーベル賞推薦報道、一番驚いたのは安倍首相■ 「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■ 「拉致被害者2名生存情報」今後の日朝関係にどう影響するか■ もし日韓戦わば… 軍事力の差は歴然だった■ 韓国で女児の胸が大きくなる「性早熟症」、囁かれる原因

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    菅長官が東京新聞望月記者に「選挙出れば」挑発オフレコ発言

    』というのが菅さんの考え。『選挙に出れば』という言葉にはそういう皮肉が込められているのではないか」(政治部記者) しかしこの発言が、永田町では別の意味に受け取られている。 「望月氏が本当に野党から出馬すれば間違いなく目玉候補になる。野党はこぞって彼女に接近を試みており、実際に立憲民主党の山尾志桜里氏や自由党の森ゆうこ氏など、野党の女性政治家が次々とメディアで彼女と対談している。彼女の質問力を国会で発揮してもらえれば、与党を追い込む切り札になるのは間違いない。菅長官もそれを意識しているのかと思った」(野党の議員秘書)経済財政諮問会議に臨む安倍晋三首相(左)と菅義偉官房長官=2017年5月、首相官邸(斎藤良雄撮影) 望月氏本人に、オフレコ発言や出馬の可能性について聞くと、いきなり大笑い。 「そんなこと言っていたんですか! 知りませんでした。すみませんが、これ以上は会社を通してもらわないと……」 発言を気にしている様子はみじんもなかった。情けないのは、国会質問で政府与党を本気で追い込む野党議員が見当たらないという現状である。関連記事■ 東京新聞望月記者「政権の矛盾のしわ寄せを受けるのは官僚」■ 望月衣塑子氏「官房長官ら大物議員は自分さらけ出す覚悟感じる」■ 山尾志桜里氏 望月衣塑子氏に“私と同じ事されてる”の感想■ 東京新聞望月記者 ペジー事件の捜査が政権に及ぶ可能性指摘■ TBS青木アナ「彼はうまくないけど一生懸命」とオフレコ発言

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    テレビ局いじめ? 首相の反撃が始まった

    国民の共有財産である電波利用料の引き上げが決まった。増額は携帯大手が2割、NHKと民放キー局が5割とそれぞれ大幅な負担増となる。これまで利用料は3年ごとに見直されたが、今回は1年前倒しとなった。「テレビ局いじめ」「安倍政権の反撃」といった意見も聞かれる中、公共電波の意味を改めて考えたい。

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    電波利用料5割増が「テレビ局いじめ」と言えない3つの理由

    湧口清隆(相模女子大学教授) わが国では、電波利用料制度は1993年に導入され、2005年に料金体系が大幅に変更されています。しかし、電波利用者が電波利用にかかる共益費用を負担する、いわば受益者負担の制度であるという性格は、導入から四半世紀経過した現在でも変わっていません。ただし、共益費用の範囲や料金体系は時代とともに常に変化し続けています。 私自身は、2005年と2008年の改正の際に総務省の研究会構成員として、改正の議論に参加しました。その立場から申し上げると、2019年の改正は抜本的な見直しとはいえませんが、二つの点で驚きがあります。 まず、通常3年ごとの見直しですので、本来であれば今年は改正年ではなかったはずです。 それにもかかわらず改正をするという背景には、官邸主導の規制改革推進会議から強い要請があったことは事実でしょう。実際、それは2018年6月に発表された「骨太の方針2018」や2017年12月に発表された「新しい経済政策パッケージについて」にみることができます。 その意味で放送業界から声が上がっているように、「改定が1年前倒しされ、放送事業者の多くは予期せぬ『値上げ』を強いられることになる。適用期間の流動化は放送事業者にとって経営上のリスク」(改正に対するパブリック・コメント)になることは事実です。 しかも、これまで「負担額は改定前の2割程度」だった激変緩和措置が、今回5割に拡大されたため、各社の2019年度の予算に億単位の大きな影響が出てきてしまいました。過去にそのような例がないかといえば、人工衛星局のように2005年の改正時には数千倍ものオーダーで値上がりした無線局もありました。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 次に、通信事業者と放送事業者との間で長年繰り広げられた「公共性」論争に、総務省がよく決着をつけたという点です。通信で届けられる内容は「通信の秘密」で守られた私信であり、放送で届けられる内容は「番組調和原則」や集中排除原則で規制された公共性の高い通信であるという論理から、従来は放送には「公共性」を見いだせるが、通信には見いだせないとして、電波利用料を割り引く特性係数は放送のみに適用されていました。 しかし、近年、災害時の救助要請や情報伝達において会員制交流サイト(SNS)の活用が進んでいます。結果、私信だから「公共性」が小さいという議論の根拠が薄れ、携帯電話にも同様の「公共性」を適用すべきだ、という通信事業者や国民からの主張が強くなってきました。 そこで今回、携帯電話事業者へも特性係数を適用することになりました。そのため、電波利用料の歳入全体の約85%を占めていた携帯電話事業者の負担割合が減り、10%弱しか占めていなかった放送事業者の負担割合を大きく増やすことになったのです。しかも、共益費用の範囲や金額が拡大したことから、基幹放送事業者の料金改定は極めて大きな額、大きな変動率になりました。「放送局いじめ」じゃない 以上のように考えていくと、今回の改正は、そうでなくともインターネットのせいで視聴率低下が叫ばれ、経営的に苦しい放送事業者をいじめるものであるように感じられます。しかし、今回の改正内容は、理論的観点からグランドデザインを見れば、放送事業者いじめではなく、理にかなったものになっています。 第1に、地上デジタルテレビ放送と携帯電話との間での周波数をめぐる競合問題が挙げられます。現在、地上デジタル放送用には470~710MHz(メガヘルツ)の周波数が1チャンネル当たり6MHz幅で割り当てられています。一方、米国では、614~698MHzの周波数帯が放送用周波数から「5G」と呼ばれる第5世代移動通信用に再編され、既にオークションで通信事業者に割り当てられています。 わが国では周波数オークションは導入されていませんが、仮に(ただし極めて非現実的ですが)オークションで周波数が割り当てられ、落札者が自由に用途を選べるなら、おそらく同じ周波数資源を使って、放送に比べて十倍以上の売上高のある携帯電話事業にこの周波数を用いるでしょう。その意味では、人為的に特性係数を用いて放送用周波数の料額を安価に設定することは、資源配分上適切とはいえません。 しかも、わが国の地上デジタル放送は技術的にSFN(単一周波数中継)方式を採用しており、理論上はチャンネル数をもっと減らすことが可能です。ただし、混信対策上、東京スカイツリーのような放送用の電波塔を多数建てる必要があり、現在までの電波利用料水準では合理的とはいえませんでした。 しかし、電波利用料が上がるのであれば、電波塔を建設して、不要なチャンネルを返上し、周波数を開放する方が得策になるかもしれません。 今回の改正は、5G時代を前にそのようなインセンティブや認識を放送事業者に与える効果を持っています。米国で実施した半ば強制的な周波数開放とは違い、ソフトな形で漸進的にテレビ放送業界に影響を与えるものです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 第2に、共益費用の範囲の拡大が挙げられます。新たに、「電波の利用価値の向上につながる事務」(a群)に「5G等の無線システムを支える光ファイバー網の整備」、「電波の適正な利用を確保するために必要な恒常的な事務」(b群)に「安心・安全な電波利用環境の整備」が追加され、総額が年620億円から750億円に増加します。 一見すると、光ファイバー網の整備は無線通信と無関係のように見えます。しかし、現実には携帯電話用の周波数が不足する中で、われわれは携帯電話のネットワークではなく、無線LAN経由で膨大なデータ通信をおこなっています。しかも、かつては音声通信を利用していた通話まで、「LINE電話」などデータ通信を活用しています。 ネットゲームやネット動画の利用などでますます通信量が増える中で、今後も高速でデータ通信が利用できるようにするためには、無線LANを利用する場合でも10GHz(ギガヘルツ)帯以上の高周波数帯の5Gネットワークを利用する場合でも、バックボーンとなる十分に高容量の光ファイバー網が整備されている必要があります。テレビ局のチャンス ところが、現在の個人向け光ファイバーの料金は定額制であることから、通信需要に対応してネットワークを整備しても、光ファイバー事業者にとっては増収にはつながりにくい構造になっています。そのために、インフラ投資が遅れる危険性が危惧されています。 実際、日本の高速固定通信速度が、2015年には経済協力開発機構(OECD)加盟36カ国中7位でしたが、18年には23位に転落したことが日本経済新聞(2月15日付)から発表されました。このように民間で投資が進まないけれど必要な財の整備に、補助金を充てることは公共経済学的には伝統的な手法の一つです。しかも、その財源が受益者負担であることは合理的です。 第3に、多様な伝送手段でコンテンツが配信される中で、ますます放送事業者が制作したコンテンツが無線インターネットでも配信され、放送事業者が販売益を得る可能性は増大しています。放送用に4K、8Kで制作されたコンテンツも通信ネットワークで配信される未来が見えてくる中で、共益事務の範囲が拡大して光ファイバー網の整備が行われることは、巡り巡って放送事業者の収入増につながる可能性があります。 このように考えると、放送事業者がコンテンツ制作面で、放送事業者以外が制作するネット動画などのコンテンツに対して優位性を持つ限り、電波利用料の値上げと同時にインフラ整備や技術開発への使途が拡充する今回の電波利用料の改正は必ずしも悪いものではないといえるでしょう。また、国民的視点に立てば、国民1人当たり年額約100円の支出増で、現在よりもデータ通信速度の低速化を回避できるのであれば、決して悪い選択肢とはいえないのではないでしょうか。 もちろん、むやみに共益事務の範囲を拡大して共益費用を増やしたり、不必要な事業や効果の薄い事業を実施したりすることは絶対避けなければなりません。費用の直接的、間接的負担者と受益者との間でコンセンサスがとれることが大切です。実はそれを担保するために、電波利用料額は電波法の中に直接書かれ、国会で法定される仕組みが採用されています。多くの報道陣が集まった東京拘置所前=2018年12月、東京都葛飾区(納冨康撮影) 近年、欧州を中心に、携帯電話事業者からオークションで高額な免許料を徴収したことが、インフラ整備やサービス展開に遅れをもたらす要因となったという考え方が主流になりつつあります。 そのような意識の中で、例えばフランスのように携帯電話事業の再免許にあたり、オークションをせずに、国や規制当局、事業者との間でインフラへの投資協定を結ぶという事例も出てきたほか、オークションではなく人為的に既存事業者に均等に周波数を配分する方が望ましいという考え方も出現しています。 電波利用料は、市場で直接決定されるものではなく人為的に設定されているため、周波数逼迫(ひっぱく)対策において必ずしもオークションに完全に代替するとはいえません。しかし、周波数の逼迫度や電波利用度合いに応じて電波利用料の区分を精緻(せいち)化する試みは、計画経済の中で少しでも市場価格に近づける試みとして評価できるのではないでしょうか。■テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!■池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

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    電波利権「波取り記者」の恐るべき政治

    改革を急がなければならないという「常識的」なもののように感じられた。ところが、実際には放送の既得権が政治を動かし、全く改革は進まなかった。2005年10月、第3次小泉改造内閣発足後の記念撮影が終了し、安倍晋三官房長官(左)と話をする竹中平蔵総務相(小野淳一撮影) 総務省在籍当時、筆者の仕事部屋は大臣室の隣にある秘書官室だった。筆者とは面識のない多数の方が秘書官室に訪れ、名刺を配っていく。筆者も秘書官室の一員であるので、名刺を頂いた。それを見ると、メディア関係の方々だ。その中には「波取り記者」と呼ばれる人も含まれていた。 「波取り記者」の「波」とは電波のことだ。「波取り記者」とは、記事を書かずに電波利権確保のために電波行政のロビイングをする人たちだ。こうした人は新聞業界にもいた。ようやく機は熟した 彼らの政治パワーは強力であり、その結果として上に述べたように改革が全く進まなかったのだ。これは、日本の電波・放送行政が先進国で最も遅れた原因である。 本来であれば、10年以上前にやっておくべきであった。それができずに、時間を無駄にしてしまった。 ところが、技術の進展は目覚ましく、インターネットを使っての「放送」は安価に誰でもできるようになった。 筆者も私塾をやっている。かつては講義内容をテキストにして配信していたが、今ではビデオ配信だ。その方がコストも安く、速報性にも優れている。いうなれば、今や電波の希少性を超えて、誰でも「放送」ができるようになったわけだ。 しかし、この「放送」は放送法の範囲外である。放送法では、電波に希少性があるので与えられる対象が少なくならざるを得ない。このため与えられた少数の既得権者は公共のために放送法を順守しなければいけない。 ところが、「電波の希少性」という物理的な制約がなければ、放送法の規制は最小必要限度となり、さまざまな主体の参入を認めて、その競争に委ねるという政策が可能になる。 特に日本では先進国の中で唯一の電波オークションを認めず、放送では新規参入がなく「波取り記者」のような人がいたくらいの「後進国」なのだ。総務省=2018年8月撮影 冒頭で「今の放送業者は、電波を『不当に』安く使っている」と書いたのは、今の電波利用料は役人が決めた水準だからだ。本来であれば、電波という国民共有財産は、入札(オークション)という公明正大な方法で価格を決めなければいけない。今の役人が電波を割り当てして、入札で決められたはずの水準より安いから「不当に」安いと書いたのだ。 ようやく機が熟したといえるだろう。少なくとも今の安倍政権はこうした規制改革に、他の政権より熱心である。その背景として、マスコミに左派傾向があるという意見もあるが、日本のメディアが国際的になるのであればそれは国益に資するだろう。入札が先進国の常識 電波利用料は本来入札で決めなければいけない。この常識は、先進国でまさに常識であり、先進国35カ国の状況を見ると、今では電波オークションではないのは、日本だけになっている。 2017年度の電波利用料は646・8億円。その内訳は、携帯電話550・9億円、テレビ業界60・1億円などである。 同じ2017年度の日本テレビホールディングス(HD)の売上高は4237億円、当期純利益374億円であったが、負担した電波利用料は4・5億円にすぎない。テレビ朝日HDも売上高3025億円、当期純利益158億円に対し、電波利用料は4・4億円だ。 もし、電波オークションが導入されていれば、少なくとも電波利用料は1桁以上大きいはずである。この意味では、放送業界は、電波オークションなしでの既得権者である。 テレビ番組で、公共事業について、入札ではなく随意契約しているので工事単価が高くなり、血税が余分に使われるという批判をよく取り上げる。しかし、それは電波利用料でもいえることだ。 今回の電波法改正にも、今国会に提出予定の興味深い法律改正がある。放送法改正である。その内容は、NHKによる放送番組のインターネット常時同時配信を容認することだ。総務省は、NHKに常時同時配信を認める条件として、受信料の引き下げや民放との連携強化、子会社を含めた統治強化、業務の見直しなどを要求している。 民放の方は、制度上既にインターネット常時同時配信が可能であるが、行うことを躊躇(ちゅうちょ)している。スポンサー離れなどを心配しているようだが、実は、インターネット常時同時配信になると、独自コンテンツを持たず、中央のテレビ局からの配信に依存している地方テレビ局が深刻な経営苦境に陥るというところが本音だろう。地方テレビ局には中央のテレビ局からの天下りが多くおり、そうした人たちの死活問題になる。NHKのロゴマーク(ゲッティイメージズ) そうした状況に、インターネット常時同時配信をやりたがっているNHKを利用するという、「毒には毒を」というえげつない戦略を総務省は採ったのだろう。 民放には大きな試練が訪れている。キー局に対しては5割にもなる電波利用料の引き上げ、電波の割り当て審査に価格競争要素導入(一部オークション化)、NHKによるインターネット常時同時配信と、包囲網がじわりと狭まったようだ。筆者が総務省にいたときから10年以上経って、遅ればせながら、動き出したようだ。■ 偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!■ テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■ 池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

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    テレビへの圧力? 電波独占料、負担増に漂う安倍政権のうさん臭さ

    杉江義浩(放送プロデューサー、ジャーナリスト)                    政府がテレビ局や携帯通信事業者に課している電波の利用料を、大幅に値上げする案を含めた電波法改正案が閣議決定され、国会に提出されました。NHKや民放キー局5局に対しては、5割増しということで、テレビ局の経営状況に与える影響の大きさは衝撃的なものです。 民放キー局は、収入とCM制作に関しては広告代理店任せ、番組制作に関しては制作プロダクション任せ、となりつつあり、唯一放送局として発言力を持っているのは編成権ぐらいではないかという状況です。 その編成権を裏付けるのが、電波利用権の独占です。各テレビ局は地上波、衛星放送それぞれに、一定の周波数の独占的な利用を政府から認められていて、その対価として電波の利用料を支払います。 科学に強くない人にも誤解を与えないために言っておくと、電波そのものは自然界にもともと存在する物理的な現象であり、誰のものでもないし、特にお金が発生するものでもないのです。ただ、自然界に存在する限りある周波数帯域しかない電波は、使い道を秩序立ててコントロールしなければ大変なことになります。 例えば、同じ地域で地上波テレビと携帯電話が、あるいはラジオと警察無線が、同じ周波数を使ったら、混線してしまって使い物になりません。そんなことが起きないように、周波数帯域が用途別に細かく切り分けられていて、決まった周波数を使うように義務づけられています。 それぞれの放送局には、あらかじめ放送に使ってもよい周波数が割り当てられていて、その周波数を独占的に使います。また、携帯電話に使ってもよい周波数はどこからどこまで、船舶無線に使ってもよい周波数はどこからどこまで、といった具合に細かく定められていて、総務省(かつては郵政省)がルールに従って電波を使うように整理してきました。 電波の利用料というのは本来、その整理やコントロールの事務作業にかかる「手間賃」ぐらいであり、もともと自然界に存在する時点では、電波に値段はありません。 例えば、数十メートルしか電波が飛ばないWi−Fi(ワイファイ)などでは、装置を用意するのにお金はかかりますが、Wi−Fiの電波利用料というのは特にかかりません。また、免許のいらない小出力のトランシーバーなどにも電波利用料はかかりません。 ただ、何十キロメートルもの長距離を飛ぶ、テレビやラジオの地上波に関しては、公共の電波を広範囲にわたって一定の周波数を独占することによって収益を得ているという意味から、一定の電波利用料を国に納めるようにした方が良いのではないか、というのが電波法の趣旨です。2018年8月、雷が落ちた東京スカイツリー。NHKや民放キー局のテレビ放送の電波を送信している(宮崎瑞穂撮影) 携帯通信事業者が使う電波に関しても同様です。しかし、もともと無料で自然界に存在する電波ですから、利用料の算出根拠は極めて曖昧(あいまい)です。 電波利用料というより「電波独占料」という方が、しっくり馴染むような気がします。いずれにしても総務省の胸先三寸で決まる、いわば電波の「ショバ代」であって、コストなどの合理的な根拠に基づく金額ではないのです。 適正な電波利用料がいくらかは、算出する根拠がないのですから、政府の言い値でしかありません。「電波を独占して利益を上げているのだから、これくらい払いなさいよ」という非常に漠としたものなのです。 今回の電波法改正案では、将来の5G(次世代無線方式)携帯電話環境の開発、推進に当てる財源として、平成31年度に750億円を見込んでいて、それが「電波利用料の算出根拠である」と政府は説明しています。不明瞭な電波利用料 しかし、私が思うには、本当に5Gのインフラ整備が国民にとって必要なら、税金を使ってやればいいのではないでしょうか。テレビ局に請求するのは、なんだか筋が違っている気がします。 自動車税が高速道路などの建設に使われる、道路特定財源制度のような、受益者負担の合理性は、そこには感じ取れません。新しく携帯電話の通信環境が整備されることによって、テレビ局が何か利益を得るのでしょうか。利益を得るのは国民ではないでしょうか。 だったら税金でまかなうべきです。テレビ局に課すべきではありません。今回の電波法改正案には、そういった根本的な胡散(うさん)臭さが感じられます。 胡散臭さという点から派生したのでしょうか、巷(ちまた)では今回のテレビ局への「5割増し」は、ニュースやワイドショーなどで政権批判を繰り返す、テレビ朝日やTBSへの、牽制(けんせい)措置ではないかという言説も見かけます。 これはまったく的外れだと私は思います。比較的政権に近い報道姿勢を見せるフジテレビや日本テレビ、NHKに対しても、5割増しを同様に課しているのですから、テレビ局への圧力だと勘繰るのは、いささか過敏すぎると言えるでしょう。  もちろん、民間放送は電波を独占することによって直接的に収益を上げ、利潤を追求する私企業であるという一面はありますが、別の側面では公共の電波の独占を許されているが故に、公共の福祉を担う社会的責務を持つ特殊な事業体であると言えます。私は後者の方こそ、今注目しなければならない重要な側面だと考えています。 限られた電波の有効利用という、根本の原則に立ち返ってみましょう。そもそもなぜ特定の放送局だけが、貴重な地上波の相当規模の周波数帯域を独占利用することが認められているのか。 それは放送法に定められた通り、放送局は公共の福祉に資する放送を送信していると認められているからであり、本当に放送局が公共の福祉に貢献しているのなら、極論すれば電波利用料は無料にするのが筋ではないかと私は考えます。逆に言えば、公共の福祉に寄与しないような放送局は、電波を独占する根拠も失ってしかるべきです。 地上波のテレビ局が一つ消えてなくなり、その局が独占していた1チャンネル分の周波数帯域を移動体通信事業で有効に使うことができたなら、かなりの経済的メリットが生まれるはずだと試算した人もいました。テレビと移動体通信事業は、地上波という限られたパイを分け合う敵同士です。どちらが公共の福祉に、あるいは社会の発展に役立っているのか、シビアに比較される時代でもあります。 今は、動画はネットで見る時代かもしれません。ネット発で受信する動画もあれば、テレビ発でネットで受信する動画もあります。しかし「家族でくつろぐお茶の間に入り込む」存在であるテレビには、特有のテレビ文化というものが歴然と存在していて、また確立しています。2018年4月、衆院予算委の集中審議で、疲れた表情を見せる安倍首相 家族そろって楽しめるスポーツ中継、しっかりと作り込まれたドラマやドキュメンタリー、これらはリビングの4K、8Kのテレビ画面で見たいと、私などは思います。ぐらっときた時、すぐに地震速報を見られるのもテレビの心強さです。テレビが興隆しても映画文化は廃れなかったように、ネットが興隆しても、テレビ文化は決して廃れることはないでしょう。 政府には算出根拠の不明瞭な電波利用料などでテレビ局に負担を強いるのではなく、公共の電波を使うテレビならではの、健全な文化を育成するような政策をとってもらいたいものです。【編集部より一部訂正について】 記事公開時に「免許のいらない小出力のトランシーバーやアマチュア無線にも、電波利用料はかかりません」としていた部分は、アマチュア無線にも電波利用料が課せられており、誤りでしたので、訂正しています。■ テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■ テレ朝、TBS「モリカケ報道」のどこが悪い■ 池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

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    中国並みのトランプ「言論弾圧」ではっきりしたメディアの受難

    、新聞を読んでいただけると、あらたな興趣もわいてくるだろう。かしやま・ゆきお 産經新聞元論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

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    民放テレビでやけにドラマが増えている理由とは

     テレビ局にとって視聴率はスポンサーを説得するための絶対の営業ツールであり、テレビマンが胸を張って誇るための「物差し」だった。 だが、その“目盛り”は時代とともに変わり、10%を超えれば大ヒットとなり、一桁も当たり前。冬の時代を迎えたテレビ界はいま、現状打開のために導入した「新指標」、タイムシフト視聴率で“目盛りの読み方”まで変えようとしている。 従来の視聴率は、ビデオリサーチ社が調査対象世帯に専用の受像器をセットし、その世帯が「いま見ている番組」を集計して算出。その数字を元にテレビ局は各企業に営業をかけていた。 リアルタイム視聴率の低下により、新たに導入されたのは、録画再生の視聴割合を指す「タイムシフト視聴率」だ。従来の視聴率だけでなく、1週間のタイムシフト視聴率を合算した数字をもとに、スポンサーと広告代理店、テレビ局が取引することになった。この2つを足すことにより「視聴率は高いですよ」とアピールできるよう動いているのである。 だが、肝心の番組制作サイドは、新指標に振り回されている。フジテレビのドラマ制作スタッフが嘆息する。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「確かにタイムシフト視聴率でいえばウチのドラマは好調です。1~3月期の『海月姫』や『FINAL CUT』はリアルタイムよりタイムシフトのほうが数字がよかったし、7~10月期のドラマでも『グッド・ドクター』と『絶対零度』はタイムシフト視聴率で毎週8%以上稼いでいた。 それでも広告収入が増えたという話は聞かないし、制作費はこの数年削られる一方です。最近は上から『録画でも数字を取れるコンテンツを意識しろ』と言われ、現場は混乱するばかりです」上層部からの「無茶ぶり」 新指標を元にした上層部からの“無茶ぶり”は、他局でも起きている。別のキー局社員が語る。「最近、幹部が『報道やスポーツを録画して見る視聴者はいない。録画視聴者の多いドラマの枠を増やそう』なんて言い出したんです。それを伝え聞いた報道スタッフは激怒していましたよ。『俺たちの仕事をなんだと思ってるんだ!』って。リアルタイムの視聴率を諦めるような発言は、現場のモチベーションを下げるだけです」 その言葉を裏付けるかのように、各局は“ドラマ重視”の姿勢を鮮明にする。 テレビ朝日は4月から日曜午後9時にドラマ枠として「日曜プライム」を新設し、テレ東も月曜午後10時に「ドラマBiz」を開設。フジも昨年10月から、月曜深夜0時25分を「ブレイクマンデー24」として深夜ドラマ枠を新設している。元NHKの番組ディレクターで次世代メディア研究所の鈴木祐司氏が語る。「制作費もキャストのギャラもかかり、コストパフォーマンスの悪いドラマ枠は一時各局で縮小傾向が見られましたが、タイムシフト視聴率を意識して、この1年で復活しました。最近はドラマだけではなく、映画、アニメといった『録画でじっくり見たい番組』を各局の編成担当は増やそうとしています」 最近、テレビを付けると妙にドラマばかりやっている──そんな気分になるのは、気のせいではなかったわけだ。「スポンサーもテレビ局のドラマ偏重を理解しており、その作品に登場する俳優を使ったCMを意図的に流すなど、“録画でも飛ばされにくい”作りを意識しています。昨今、ドラマの続きかと思うようなCMが多いのも、このためです」(元テレビプロデューサーで上智大学文学部教授の碓井広義氏)関連記事■ テレビ局、CM取引新指標「タイムシフト視聴率」導入の深刻度■ 新垣結衣 主演ドラマ「けもなれ」で解禁した「タブー」とは■ 新ドラマ絶好調の米倉涼子、「海老蔵と復縁」説の真相■ 星野源 新垣結衣に「なんでそんなにかわいいの?」と直球質問■ 『逃げ恥』で使われた部屋「家賃13.6万円」騒動の真相

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    安倍首相 メディア幹部と積極会食し巧妙に操縦、その参加者

    相は再登板以来、メディアの幹部と積極的に会食し、懐柔の手段としてきた。新聞・テレビの論説委員クラスや政治評論家には、総理との食事に招かれただけでコロッと参ってしまい、政権のスポークスマン役を買って出ている者が少なくない。 安倍首相のメディア対策が歴代首相に比べて効果をあげているのは、大手メディアの社長や会長と個別に宴席を囲む“社長懇”を慣例化したことだ。この1年を見ても、4月2日にパレスホテルの宴会場「桔梗」で渡辺恒雄・読売新聞グループ本社主筆、福山正喜・共同通信社社長(当時)、熊坂隆光・産経新聞社会長らと食事したのをはじめ、日本テレビの大久保好男社長、日経新聞の喜多恒雄会長、岡田直敏社長と個別に会合を持った。 首相の政治指南役とみられている渡辺氏(6回)と日枝久・フジテレビ相談役(2回)は別格にしても、共同の福山社長は3回も食事している。政治アナリストの伊藤惇夫氏が指摘する。「総理が論説委員や各社の官邸キャップとその時々の政治テーマについて懇談するのは歴代内閣で行なわれてきた慣例で、記者にとっては取材活動です。しかし、安倍首相が社長懇を開くようになって、現場の記者は政権を強く批判すると社長に迷惑を掛けると忖度して記事を書くようになった。それが安倍さんのメディア操縦の巧妙なところです」 政治評論家の田崎史郎・元時事通信社特別解説委員(2回)などとくに首相に近いとされる各社の論説委員やOBたちは、首相から会食に誘われた回数で“いかに政権に食い込んでいるか”を競い合っている。2018年3月、プロ野球巨人戦を観戦する安倍晋三首相(左)と渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆(矢島康弘撮影) もちろん、政官財界からマスメディアまで権力に群がるのは今に始まったことではない。だが、安倍首相は性格的に「敵」と「味方」を選別し、待遇に差を付ける。この政権の「お友達政治」の本質は、インナーに入れなければ排除され、政権の便宜も重要な情報も一切得られなくなることだ。 安倍氏にとって、会食やゴルフはそのための踏み絵でもある。「敵」と見なされれば最初から排除される。大手新聞社の経営トップでは、朝日新聞の社長は2013年7月に首相と1回会食しただけで、その後は動静には一切登場しない。関連記事■ 政官財マスコミ 華麗なる安倍人脈大図解■ 進次郎氏の嫁探し 条件の一つは「昭恵さん的な発言をしない」■ 昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■ 安倍首相お友達人脈格付け サシの食事→ゴルフ→焼きそば■ 安倍首相の「悪だくみ人脈」 始まりは昭恵さんだった

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    【独占手記】江田憲司が初めて明かす普天間合意「23年目の真実」

    跡地開発をしっかりやりたい」 金武町長「希望が見えた。町民全体が燃えている」 読谷村長「日本の生きた政治を見る思い。村長をして22年になるが、総理が初めてボールを沖縄に投げた。もうやるしかない」   これを受けて、橋本総理があいさつに立った。 「私がひねくれていた頃、数ある従兄弟(いとこ)連中と片っ端からけんかをしていた。その中で岡山にいた源三郎兄、彼は海軍の飛行練習生だったが、唯一私をかばってくれた。最後に会ったのは昭和19年の初夏、その時、彼は、継母になじむように私に小言を言ってくれた。そして、『今度会うときは靖国で』と言って、その年の10月、南西方面で還らぬ人となった。だから、これまで春と秋の例大祭には必ず、私は靖国神社を参拝してきた。それが我が国の外交に影響するのであれば自制したいが、彼が戦死した南西諸島というのが沖縄だということを知ったのは、戦死公報が届いた後のことだった」 ここで不覚にも、私までが涙してしまったことを覚えている。1997年9月、組閣のために官邸入りする橋本龍太郎首相 普天間飛行場の返還。それは、当時の橋本総理が、まさに心血を注いで成し遂げたものだ。元々、幼少期に可愛がってくれた従兄弟を沖縄戦で亡くしたという原点もあり、何度も総理として沖縄入りし、また、都合17回、数十時間にわたり、当時の大田昌秀沖縄県知事と直談判して、まとめあげたものだ。 1996年1月に発足した橋本政権は、村山富市前政権から困難な課題を二つ、引き継いでいた。一つは「住専問題」、そして、もう一つが、この「沖縄の基地問題」だった。1995年9月に起こった海兵隊員による少女暴行事件、それに端を発する沖縄県民の怒り、基地負担軽減、海兵隊の削減等を要求する声は頂点に達していた。  こうした声を受けて、橋本総理は、政権発足早々から一人、この沖縄問題を真剣に考えていた。夜、公邸に帰ってからも、関係書物や資料を読みふけったり、専門家の意見を聞き、思い悩んでおられた。意を決したクリントン会談 そんな時、旧知の故・諸井虔氏(元日経連副会長・秩父セメント会長)から、秘書官である私に「大田知事とは、彼を囲む沖縄懇話会というのをやっている。当選の時から懇意にしているから本音の話もできる。知事からも外務省や防衛庁などの官僚ルートを通さず、総理に直接、生の声を伝えたいとの希望がある」との話があった。私と諸井氏は、私が通産省窯業建材課勤務の時に、セメント産業の構造改善事業を通じて交友があった。 そこで、早速、このルートで知事の意向を確かめたところ、諸井氏から「普天間飛行場の返還を、初の首脳会談の場で口の端にのせてほしい。そうすれば県民感情は相当やわらぐ」との感触を得た。1996年2月21日のことだ。あえて「人払い」のため、役所出身の事務秘書官がいる官邸執務室ではなく、わざわざ自民党本部の総裁室で、私は総理と諸井氏との会談をセットしたのだ。 ちなみにこの時、大田知事は決して「反米」ではなく、むしろ「アメリカのファン」で、また、橋本龍太郎という政治家を信頼し尊敬していることも分かった。今後、この問題では、総理⇔江田⇔諸井⇔知事のルートで進めていくことも確認した。 しかし、この「普天間飛行場の返還」について、外務、防衛当局、殊に外務官僚は、いつもの「事なかれ主義」「対米追従主義」で全く取り合おうとはしなかった。普天間飛行場のような戦略的に要衝の地を米軍が返すはずがない、そんなことを政権発足後初の首脳会談で提起するだけで同盟関係を損なう、という考えだった。あたかも、安全保障の何たるかも知らない総理という烙印を押され、馬鹿にされますよと言わんばかりの対応だったのである。したがって、クリントン大統領との首脳会談(96年2月24日/サンタモニカ)用の事前の「総理発言要領」には、「普天間」というくだりはなかった。 橋本総理も、この外務当局の頑ななまでの対応を踏まえ、ギリギリまで悩まれた。首脳会談の直前まで決断はされていなかったと思う。しかし、クリントン大統領と会談をしているうちに、米国側の沖縄に対する配慮、温かい発言もあって、ついに総理は、その場で意を決して「普天間飛行場の返還」を切り出したのだ。「難しいことは分かってはいるが、沖縄県民の切なる願いは、普天間飛行場の返還である」。 当時、絶対返すはずがないと思われていた普天間飛行場の全面返還合意。それが実現できたのは、ひとえに、この総理のリーダーシップと沖縄に対する真摯な思い、それを背景に事務方の反対を押し切って「フテンマ」という言葉を首脳会談で出したことによる。会談後、総理からその首尾を聞かれた私は「フテンマという聞き慣れない四文字を、クリントン大統領の耳に残しただけで、この首脳会談は成功だと思います」と申し上げた。1996年9月、沖縄米軍基地問題で沖縄県の大田昌秀知事(左)と会談する橋本龍太郎首相 この会談を機に、クリントン大統領も早速動き、その3日後にはペリー国防長官に検討を指示した。ペリー氏(あの黒船のペリーの末裔)も沖縄での従軍経験から、沖縄県民の思い、苦悩、実情を十分理解し、軍(特に海兵隊)との調整に大変な努力をされた。副大統領経験者の大物・モンデール駐日大使(当時)も含め、日米の首脳レベルの連携プレーが見事にワークした事例だったのである。この交渉が極めて異例な総理主導であったことは、担当の外務大臣、防衛庁長官にすら、その交渉そのものが知らされていなかったことに象徴されている。歴史的な一日 その「返還合意」発表の96年4月12日。この歴史的な一日の動きを、改めて私の日記で再現してみたい。 18時半。総理から沖縄県知事に電話。 「今夜モンデール大使とギリギリの交渉をする。そのためには、今ある基地とは別の所にヘリポートをつくらなければならない。アセスの実施や地主の協力を得るためには県の協力が得られなければとてもやれない。それだけは約束を。交渉の中味は死に物狂いでやるが、どうなるかわからない。普天間を何とかするために全力を尽くす。県が全力を挙げて協力してくれないと後が進まない。古川官房副長官を中心にチームを作るので県も参加してほしい。私は、外務省、防衛庁、他の閣僚も飛ばしてやろうとしている。それだけの決心だ。県内に適地を探す、また本土の基地を含め、緊急時の使用も検討する」 これに対し、大田知事は、当初は「県の三役会にかけなければ」と口を濁していたが、「そこまで総理が言われるなら、できるだけのことをやります」 その後、モンデール大使と執務室で会談。返還合意。終了後、外務大臣、防衛庁長官、渡辺嘉蔵、古川貞二郎両副長官が入り、総理より説明。 「両大臣には申し訳ないが、私の責任で決めさせていただいた。各省庁には記者会見で知ってもらう」 外務大臣「総理の決断に感謝。日本側としては誠実に対応し、あらゆる努力をしていきたい」。ここで総理が防衛庁の局長に問題点の説明を促す。 防衛局長「アセスメントと地元対策に時間がかかる。跡地対策には原状回復と米軍への協力等が必要」 19時。総理より沖縄県知事に再び電話。 「今、大使と握手した。普天間基地は全面返還する。ここ5年から7年のうちに。条件は基地機能の維持。約束を果たしたことを認めてくれるか。そこでヘリポート問題。跡地について県の最大限の協力をいただきたい。各省庁にまたがる。古川副長官の下にタスクフォースを設置。そこに吉本副知事と調整官が入る。こうなれば、5-7年を1年でも早くするかどうかは私たちの問題。一緒にやろう」 「知事に喜んでいただいた。国と県が協力していこうと確認した」と総理が同席者に。その後、総理に促されてモンデール大使と知事が英語で電話。知事は、突然、大使が電話に出て驚くも良いムード。モンデール大使「知事の最善の努力をお約束していただき、ほっとしている」 20時より記者会見。「返還合意」をモンデール大使と発表。1996年4月、沖縄の米軍普天間飛行場返還で共同記者会見する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日大使 この会見後、公邸に先回りして待っていた私は、思わず、帰ってこられた総理とどちらからともなく抱き合い、喜びあったことを覚えている。その時は、大田知事も「総理の非常な決意で実現していただいだ。全面協力する」との声明を出したのである。 ただ、普天間飛行場の返還は決まったものの、その移設先については日米交渉がデッドロックに乗り上げていた。移設先が決まらなければ返還も不可能となる。「普天間飛行場の代替機能を確保する」というのが条件だったからである。苦渋の海上施設案 もちろん、沖縄にとっては県外移設に越したことはない。しかし、そもそも当時は、「返すはずがない」という出発点からの交渉だったため、「県内移設」しか考えられなかったことも実情だった。 やはり「キャンプ・シュワブ沖案」しかないか。しかし、ここは珊瑚礁がきれいでジュゴンも生息する美しい海岸地帯だ。そこで、こうした生態系や騒音をはじめとした環境への負荷も比較的少なくてすみ、地元住民の負担もなるべく軽減、かつ日米安保からの要請も満たすという諸点をギリギリまで追求し、発案したのが「海上施設案」だった。土砂による「埋立て案」や、「メガフロート案」のようなコンクリート製の防波堤を打ちこむ必要のある工法では、その生態系に多大な影響を与える。誰もが納得する百点満点はなく、そのベストミックスを考え抜いた末の、苦渋の決断が「海上施設案」だった。 この案の経緯は、ある日、羽田空港に向かう車中で総理から「江田君、海上構造物というのは、一体技術面やコスト面でどこまでクリアーされているのか調べてくれ」という指示を受けたことからはじまる。私には、総理秘書官という立場上、色々なルートから様々な情報が入ってきていた。その中に、「あるいは最終局面では海上案も検討に値する。その場合は既に実用化されている浮体桟橋工法(QIP)が有効だ」という情報があった。私は「それなら良い工法がある。沖ノ鳥島やニューヨークのラガーディア空港に実例があるし、何といっても環境影響が少なく、かつ、容易に撤去可能で、基地の固定化の懸念も払拭できる」と答えた。  総理もこれなら、粘り強く理解を求めれば沖縄の人たちもギリギリ受け入れてくれるのではないかと決断された。相変わらず、事務当局は否定的であったが、別ルートで探ったところ、米国からも良い感触が伝えられてきた。その結果、1996年12月2日、米国とのSACO(沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会)最終報告で、この案が採用されたのである。 その報告書にはこうある。「海上施設は、他の2案(注:嘉手納飛行場への集約とキャンプ・シュワブ内における建設)に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質にも配意するとの観点から、最善の選択であると判断される。さらに、海上施設は、軍事施設として使用する間は固定施設として機能し得る一方、その必要性が失われたときには撤去可能なものである」。 そう、日米双方の合意として、この時は「将来的な基地の撤去可能性(出口)」についても言及されていたのである。 その後、この移設先を巡っての沖縄との交渉は紆余曲折を経た。しかし、97年12月24日、比嘉鉄也名護市長は官邸執務室で橋本総理と向き合い、自らの市長辞職と引き換えに、名護市辺野古への移設受入れを表明したのである。1997年12月、橋本龍太郎首相との会談を終え、代替ヘリポートの受け入れを決めた名護市の比嘉鉄也市長(瀧誠四郎撮影) 「知事がどうあろうと私はここで移設を容認する。総理が心より受け入れてくれた普天間の苦しみに応えたい(ここで総理がすっと立って頭を下げる)。その代わり、私は腹を切る。場所は官邸、介錯は家内、遺言状は北部ヤンバルの末広がりの発展だ」。 まさに市長の身命を賭した「侍の言」に、その場にいた総理をはじめ皆が涙したものだ。 思えば、ことは、国と沖縄との関係、日米安保体制の下での基地負担のあり方ということにとどまらず、本当に総理と沖縄県知事、名護市長との、「人間対人間」の関係の極みまでいった交渉であった。いや、それを支えた梶山静六官房長官を含めて、当時の内閣の重鎮二人が、心の底からうめき声をあげながら真剣に取り組んだ問題であった。理屈やイデオロギー、立場を超えて、人としてのほとばしる力、その信頼関係に支えられたと一時本当に信じることができた、そういう取り組みだったのである。大田知事の「方便」 しかし、このような全ての努力にもかかわらず、結論を延ばしに延ばしたあげく、最後に自らの政治的思惑で一方的にこの「極み」の関係を断ち切ったのが、大田知事だった。それまでの知事は「県は、地元名護市の意向を尊重する」と言っていたにもかかわらず、名護市長が受入れを表明した途端に逃げた。当日、時を同じくして上京していた知事は、岡本行夫首相補佐官らの説得にもかかわらず、名護市長とは会おうともせず、官邸で徒(いたずら)に先送りの方便を述べるだけだった。「方便」とは「移設先検討のための有識者委員会の設置」。それは知事側近さえ知らなかった、その場逃れの思いつきの提案だった。 これに怒声を上げたのが、意外なことに、いつもは温厚で感情を表に出さない古川官房副長官だった。「あなたはこれまで名護市の意向を尊重すると言ってきたじゃありませんか! 名護市長が命をかけてやるというなら、それをサポートするというのが筋でしょう! それは格好をつけるためだけの、先送りの委員会だ!」。その言葉に、知事は下を向いてうなだれるしかなかった。 大田知事にも言い分はあるだろう。しかし、私は、当時の橋本総理の、次の述懐がすべてを物語っているように思える。「大田知事にとっては、基地反対、反対と叫んでいる方がよほど楽だったのだろう。それが思わぬ普天間返還となって、こんどは自分にボールが投げ返されてきた。その重圧に堪えきれなかったのかもしれない」。 そして、この総理と沖縄県知事の「人と人との関係の極み」は、それからまもなくのこと、98年2月、たった一本の電話で断ち切られたのである。それは、この問題を十数回もひざ詰めで進めてきた、知事と総理との直接の会談の場ではなく、秘書官風情の私への、一本の電話だった。 「総理に代わりましょう。この問題は総理と知事でやってこられたわけですから」と私が何度言っても、「その必要はない」「辺野古への移設は絶対に認められない」と言って、知事は一方的に電話を切ってしまった。 この普天間飛行場の返還が、これまで解決できなかった理由は多々あるが、橋本、小渕政権が終わり、森政権以降、総理に「沖縄」の「お」の字も真剣に考えない人間が続いたことが一番大きい。それに加えて、政治家や官僚にも、足で生の情報を稼ぐ、県民の肉声に耳を傾ける、地を這ってでも説得、根回しをするという努力が決定的に足りなかった。そういう人たちによる政治や行政が、沖縄県民に受け入れられることもなく、積年の不信感をぬぐい去ることもできなかった。 特に、民主党への政権交代時には、この分野では最もやってはいけない政治的なパフォーマンスが繰り広げられ、それが「パンドラの箱」を開け、その代償は限りなく大きいものとなった。「覆水盆に返らず」。「ガラス細工」のように周到に積み上げられた先人の努力は脆くも崩れ去り、沖縄との信頼関係は「橋本政権以前」にリセットされてしまったのである。 そして今、安倍政権は「辺野古が唯一の解決策」と言い募り、強引に沖縄を押し切ろうとしている。しかし、本当に辺野古は、移設先として「唯一の解決策」なのだろうか? 鳩山政権時の「ダッチロール」があるだけに、政府として慎重にならざるを得ない立場はわからないでもないが、何よりもこの問題は、「沖縄の心」に真に寄り添わなければ、決して最終的に解決しはしない。安倍総理も心底「沖縄の皆さんの心に寄り添う」と言うなら、一旦ここで立ち止まって、今一度、再検証をしてみる必要があるのではないか?  96年当時と今は、東アジアを巡る安全保障環境をはじめ諸般の状況も大きく変わった。当時正しかったことが、今でも正しいとは限らない。そして、この普天間飛行場の返還を決めた時、同時に「海兵隊の削減」も沖縄は求めたが、当時の状況からは、橋本総理ですら、とてもそこまでは踏み込めなかった。しかし、それから10年以上が経ち、むしろ、米国の方から在沖縄海兵隊の8000人削減(グアムへの移転)が提案されたではないか(2006年5月/「再編実施のための日米のロードマップ」)。ことほど左様に、沖縄の米軍基地の必要性、その役割、機能等を巡っても、「10年スパン」でみれば、今時点では不可能と思えることが可能になることもある。1997年12月、橋本龍太郎首相との会談を終え、報道陣に囲まれる沖縄県の大田昌秀知事(瀧誠四郎撮影) また、既に知られているように、普天間飛行場の代替機能は、沖縄県内に必ずしも置かなければならないものでもない。安全保障や軍事戦略上、海兵隊の即応能力や機動性等を確保するためには、県外移設でも十分にそれが担保されうる場合がある。海兵隊の運用は、「教育・訓練」「演習や実任務」「次に備えた部隊再編成・教育」というフェーズに分かれ、実際、在沖縄海兵隊も、これらに合わせ、普天間飛行場だけでなく、アメリカ本土、太平洋の各地をローテーションして動いており、半年間以上、沖縄を留守にしているともいわれる。心血注いだ橋龍 さらに、最近では、北朝鮮のミサイル能力の向上に伴い、米軍側に、海兵隊を沖縄のような前線に常置しておいて良いのか、抑止力や反撃能力のことを考えれば、むしろ、もっと後方(例えばグアム)に配備した方が戦略的に正しいのではないかとの声も上がり始めたと聞く。        そうした機会をとらまえて、日本、沖縄においても米軍基地の再編が起こる可能性は十分にあるだろう。そうした時に「代替機能」が本当に沖縄に、日本国内に必要なのか、その問題提起をもう一度、米国にしてみる価値はあるのではないだろうか。少なくとも、そうした「思考回路」を持つことが、この問題を解決に導くこともあるということを、常に為政者は頭に置いておくべきだろう。 2015年4月18日。私は故翁長雄志知事と公舎でお会いした。その時、知事が一番懸念されていたのが「流血事故」の起こる可能性だった。基地建設、土砂搬入を阻止しようとする「人間の鎖」で「流血事故」の惨事にまで発展したら…。想像したくもないが、それが瞬く間に全世界にインターネットで配信されるようなことになれば、「人権大国」を自負する米国にとっても決して好ましい事態ではないはずだ。 改めて言う。普天間飛行場の返還、それは、当時の橋本総理がまさに心血を注いで成し遂げたものだ。こんな戦略的要衝の地を米国が返すはずがないという外務省の反対を押し切って、96年4月、クリントン大統領との直談判で確約を取りつけたのだ。 それほど、この国のトップリーダーが、時々の国際政治、安全保障環境、国内、特に沖縄の実情等を総合的に勘案して、決断、実行していくべき課題なのである。その自覚が、認識が、今の安倍総理にあるだろうか? それは、安倍総理の沖縄への向き合い方をみれば明らかだろう。当時の橋本総理のそれとは比肩すべくもない。 振り返れば、この問題で、安倍総理は故翁長知事に、彼の当選後、4カ月以上経っても会おうとしなかった。普天間飛行場の代替機能の確保が、国の安全保障上重要な課題だと言うなら、知事当選後、本来なら速やかに総理の方から沖縄に出向いてでも協力を要請すべきだった。その後も時折、ふと思いついたように不承不承、知事と会うことはあっても、原則、この問題の処理を菅義偉(よしひで)官房長官に任せている。 当時の橋本総理が知事と直接、しかも二人きりでひざ詰めで談判していたのとは彼我の差だ。そうした対応が「これまでは被支配者の苦悩の歴史だった」沖縄の人々の心に響くわけもなく、これでは到底、辺野古移設への沖縄県民の理解は得られないだろう。2019年2月、衆院予算委で質問する立憲民主党会派の江田憲司氏 そして、昨年12月14日、法的手段の応酬にまで発展し泥沼化した双方の対立は、とうとう、辺野古への土砂投入という重大局面に突入した。沿岸部の埋め立てによる飛行場建設は、96年の返還合意時に採用された「海上施設(杭打ち桟橋方式)案」とは違い、将来にわたって恒久施設化する可能性が高く、また、藻場やリーフの破壊、海流の変化による生態系への悪影響等環境への負荷が著しく大きい。そして、何よりも、日々刻刻、もう「後戻り」できない可能性が高まる選択肢でもある。 この「ヤマトンチュ政権」の強行に、玉城デニー知事は「本当に胸をかきむしられるような気持ち」と天を仰ぎ、琉球新報は「軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を『南の関門』と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)と重なる」と書いた。  今、橋本総理が生きておられたら、こうした事態を目の当たりにし、一体、何とおっしゃるのだろうか。■ 稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■ 「ヤンキーゴーホーム」はヘイトではない! 高江で見た基地問題の本質■ 基地依存から脱却「アベノミクスの逆説」が変えた沖縄の民意

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    江田憲司手記「普天間秘録」

    「普天間返還の原点、その真実を書き記すことが私の使命と考えた」。1996年、沖縄・普天間飛行場の返還をめぐり日米両政府が合意し、今に続く基地問題はここから始まった。当時、橋本龍太郎元首相の秘書官だった江田憲司衆院議員がiRONNAに独占手記を寄せた。普天間秘録。初めて明かされる「23年目の真実」とは。

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    有田芳生が問う「安倍首相よ、それでも沖縄の民意を踏みにじるのか」

    に「無意識の植民地主義」(沖縄出身で広島修道大の野村浩也教授)である。沖縄差別の現代的表現 今、日本政治の焦点になっている辺野古新基地建設問題の思想的・精神史的背景には、意識的にせよ無意識にせよ、日本本土と沖縄との間のこうした深刻な問題が横たわっているのだ。 いい機会なので、沖縄差別の驚くべき事実を紹介しておこう。「人類館」をどれだけの日本人が知っているだろうか。1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会で設けられた展示である。沖縄、アイヌ、朝鮮人など、生きた人間が見世物として展示されたのである。 いまだ克服できない外国人差別やヘイトスピーチの地盤は、日本人の歴史の中に陰湿に隠れ、時に腐臭を発しながら噴出する。その現代的表現が辺野古問題であり、本土と沖縄との大きな「溝」なのである。 米国の戦略により沖縄の海兵隊は縮小の方向にあり、抑止力の観点からいっても辺野古新基地は必要ない。なぜなら、米朝接近により朝鮮半島有事に対応するというSACO(日米沖縄特別行動委員会)合意の前提が大きく崩れつつあるからだ。 それでも工事を強行する安倍晋三首相と菅義偉(よしひで)官房長官の発言には唖然とするしかない。平然と虚偽を語り、あるいは隠蔽(いんぺい)していることは、いくら言葉で逃れようとしても、厳然たる事実である。 まずはサンゴ問題だ。安倍政権は2018年12月14日から辺野古に土砂投入を始めた。県民の強い反対を踏みにじっていることは言うまでもない。2018月12月14日、米軍普天間飛行場の移設工事で、埋め立て用土砂の投入作業が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部(小型無人機から) 沖縄県は1995年10月に赤土等流出防止条例を施行した。土砂に赤土が相当程度混入していることは条例違反の可能性が高く、県と沖縄防衛局との約束違反だ。 赤土は、海においてはサンゴをはじめとする自然を破壊する。土砂投入は海流に影響を与えることで、絶滅危惧種や準絶滅危惧種であるサンゴを傷つける。藻場が荒れることで、絶滅危惧種であるジュゴンの生態にも影響を与えている。安倍首相「サンゴ」のデマ 安倍首相は1月6日に放送されたNHK『日曜討論』でこう語った。「土砂投入をしていくにあたって、あそこのサンゴについては移している」。発言の文脈は明らかだ。土砂投入する前に、そこのサンゴは移植しているとしか読めない。 安倍政権は希少価値のサンゴを移植しながら基地建設を進めているという印象操作をやりたいのだろうが、流行りの言葉を使えばフェイク(事実でないこと、あるいはデマ)だ。ここで、NHKが収録番組にもかかわらず、誤った事実をそのまま垂れ流した問題は指摘しておくだけにする。 安倍首相や首相官邸は、辺野古の海を埋め立てるにあたって、サンゴを移植したとしているが、言葉によるごまかしだ。新基地建設現場海域のサンゴは約7万4千群体。しかし、その中で移植したのはわずか9群体である。 海洋専門家によれば、サンゴは移植したとしても、そこで生き残るのはわずかで、環境保全策にはならないという。土砂投入海域付近に準絶滅危惧種であるヒメサンゴがあることも環境省によって確認され、レッドリストに掲載されている。 かくして「政府と沖縄の溝」は、辺野古新基地建設用地に集中している。沖縄の基地問題には大きな誤解がある。普天間飛行場の機能が辺野古新基地に移転するのではない。新たに軍港、弾薬庫などが設置され、耐用年数は200年とも評価されている。 日本で唯一の地上戦を経験した沖縄では「アメリカ世(ゆー)」が戦後もいまだ続き、さらに「ヤマト世」が重なり、基地があることによる事件や事故が頻発している。基地が返還された方が経済が振興する事実については、いまや沖縄では常識に属する。にもかかわらず沖縄にはいまだ自己決定権がないのである。 沖縄差別に抗した翁長雄志前知事に続き、玉城デニー知事の圧勝で誕生した沖縄の民意は鮮明だ。「政府と沖縄の溝」を解決するには、安倍政権が文字通り沖縄の民意に寄り添い、米政府と真剣に交渉し、「第三の道」を模索していくことだ。安倍政権がそれをしないというのなら、私たち野党は辺野古に新基地を作らない新しい政府の樹立を目指していく。2018年12月、辺野古沿岸部への土砂投入開始を受け、厳しい表情で記者会見に臨む沖縄県の玉城デニー知事 紆余(うよ)曲折はあったものの、2月24日に全県で行われる県民投票の底流には、琉球・沖縄の苦難の歴史が流れている。沖縄県民が求めているのは「イデオロギーよりアイデンティティー」(翁長雄志前知事)なのである。■ 変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■ 沖縄のデマ垂れ流し「ニュース女子」お寒い番組制作に絶句する■ 「沖縄に関心がない」東京のメディア 地元紙が痛感した温度差

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    宮古島市長手記「県民投票に参加しない」私の真意を改めて語ろう

    があると考えています。■稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■ウーマン村本に知ってほしい「沖縄モヤモヤ史観」