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    麻生氏「医療費あほらしい」は暴論か

    「自己責任論」という言葉が近頃の流行りである。3年ぶりに解放されたジャーナリスト、安田純平さんに対してもそうだったが、不摂生で病気になった人の医療費負担をめぐり「あほらしい」と指摘した麻生太郎財務相の発言もまた物議を醸した。麻生氏の発言は暴論か、それとも一理あるのか。

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    医療費は控除から手当へ、麻生氏「あほらしい」発言は一理ある

    も同額である。発想と制度の転換を 私が厚生労働大臣のときも、伸び続ける医療費抑制のために、さまざまな政策を動員してきたし、今もその努力は続けられている。後発医薬品(ジェネリック医薬品)の活用、定額支払い制度の導入、自己負担分の拡大、高額療養費制度の見直しなどである。 笑い話で言われるように、かつては「元気なときは喫茶店やサロンに行く気分で病院に行く、病気になったら寝込んで病院に行かない」「リハビリと称してマッサージ代わりに使っている」といった無駄遣いの指摘が多かったが、これも最近では相当に改善されている。私も股関節手術後にリハビリに通ったが、マッサージ代わりに使っている高齢者はほとんどいなかった。 医療費の抑制は全国民の課題である。日本人の平均寿命は、男性が81・09歳、女性が87・26歳であるが、健康寿命は男性が72・14歳、女性が74・79歳である。 問題は健康寿命、つまり自立した生活を送れる期間であり、これを伸ばさなければならない。そのためには、麻生氏が言うように、摂生し、適度な運動をし、生活習慣病の予防を図ることが肝要である。 もう一つ、発想と制度の転換を提案しておきたい。今は、医療費がかかると、税金から控除される対象になる。つまり、節税のためには医療費を使ったほうが得をする気がするのである。これが控除という制度の問題であり、健康手当という形で支給する仕組みに変えるのも一つの手である。 かつて、企業や団体が主管する健康保険組合では一定期間、例えば1年間病院の世話にならないと、ご褒美として報奨金を支払う制度があったが、それと同じ発想である。つまり、控除ではなく、皆に健康手当として、月に例えば3千円支給する。2009年5月、新型インフルエンザ対策本部であいさつする麻生太郎首相。左は舛添要一厚生労働相(酒巻俊介撮影) それを使って健康のための活動を積極的に行ってもらう。そして健康保険を1年間使わなかった人には、ボーナスとして1万円を支給するといった政策である。 「控除から手当へ」という制度は、民主党政権下で子ども手当が導入されたが、民主党政権の説明の拙劣さと政権運営のまずさから、あまり評判はよくなかった。しかし、医療費控除から健康手当へという発想の転換は、麻生氏の期待にも応えるものと思っている。

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    麻生さん、病気に「自己責任論」を持ち出すのはやっぱり酷です

    関してはかつて議論が巻き起こった。 小泉進次郎衆議院議員らが2016年10月に雇用や社会保障に関する政策提言の中に取り入れた「健康ゴールド免許」制度である。この制度はIT技術を活用することで、個人ごとに健(検)診履歴などを把握し、健康管理に取り組んできた人へ「健康ゴールド免許」を付与し、病気になったときの自己負担割合を3割から2割に減免するというもの。しかし、発表直後から賛否が巻き起こり、否定派からは「きれいな長谷川豊」と言われ、その後すっかり話題に上らなくなってしまった。進次郎が失敗したワケ 自助を促す趣旨には賛同できるが、努力だけではどうしようもない部分まで含むスキームが悪かったのだろう。このような健(検)診や健康管理に一生懸命取り組んでいる人への優遇は一見有効に見えるが、実際は限界がある。事実、特定健診を受けない人は、高年齢、低学歴、低所得の人が多く、病気になったときのことまで考える余裕がない。自己負担の減免の恩恵を受けられるのは結局のところ、普段からスポーツジムで汗を流して健康管理ができる富裕層ということになる。 それでは、健(検)診を受けない健康意識の低い人たちを振り向かせるにはどうしたらよいのであろうか。まずは、マイナンバーを活用し、健(検)診受診と判定結果による治療介入の有無をしっかり把握することである。未受診者や要治療者にははがきによる個別勧奨を積極的に行う。インセンティブには健康マイレージが良いだろう。 NTTドコモでは自治体向けにスマホと歩数計、リストデバイスを用いてウオーキングや特定健診の受診、自らの健康管理の程度に応じてポイントがたまる健康マイレージサービスを行っている。ポイントに応じて景品と交換できる仕組みである。 宮崎県木城町は、国民健康保険と後期高齢者医療の被保険者を対象にした健康マイレージを行っている。特定健診や各種がん検診などの受診でポイントがたまり、町内の登録店舗で利用できる商品券と交換できる。町内経済の活性化も狙えて一石二鳥だ。 貧富や教育などの社会的要因に対するアプローチも重要である。例えば、タバコ代を上げると低所得者層ほど禁煙するというデータがある。小中学生に対する予防医療教育も将来的な健康格差の縮小につながるだろう。健(検)診を受診できる日を選択する機会を増やすことも有効だ。福岡市健康づくりサポートセンターの健(検)診は、土曜、日曜、祝日にも実施している。さらに、月に1度は平日の夜間にも実施しており、仕事帰りの利用にも対応している。 がん検診の受診率上昇には韓国の政策が参考になる。胃がんを例にとると、韓国の胃がんの検診受診率はなんと70%を超えているそうだ。その要因は、住民登録番号を利用したデータ管理、保健所による個別受診勧奨、検診料は健康保険でカバーされ健康保険料下位50%は本人負担ゼロ、指定を受けた医療機関であれば全国どこでも受診可能、という徹底したものだ。「県コバトン健康マイレージ」事業で使用する歩数計と読み取り機器=2017年4月4日、埼玉県(菅野真沙美撮影) さらに公的がん検診で発見されたがんには治療費の補助も行われる。ここまでやるには予算もそれなりに必要だが、本気で受診率の上昇を目指すのであればこれくらいの対策が必要ということだ。 麻生氏は冒頭の発言の際、予防医療の必要性についての理解も示したが、予防医療の推進は医療費削減どころか、さらにお金がかかることもある。医療費の議論は別にして、健康長寿のための予防医療を効率的に推進する政策を期待したい。

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    この先もあると思うな国民皆保険、麻生発言は全然アホらしくない

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) ハロウィーンもすっかり終わってしまい、寂しい独り身の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。この前まで夏だと思っていたのにすっかり年末の気分で寂しい限りです。もの悲しくなってくる季節にネットに壮大な炎上の炎を投下してくださったのは、麻生閣下です。 麻生太郎副総理兼財務相が10月23日の会見で「不摂生している人の医療費を健康に努力している人があほらしい」との意見に同調する発言をしたことが問題視されており、ネットを中心に大炎上しております。 麻生氏の発言は下記になります。 「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」 また、「自身も同じ考えか」という質問に麻生氏は「生まれつきのものがあるし、一概に言える簡単な話ではない」と答えています。ちなみに、2008年にも「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と経済財政諮問会議で発言し、後に陳謝しています。 この発言を読んでも、まあいつもの麻生閣下のことであるなと特に驚きもしなかったのでありますが、日本の一定層の人々の怒りに唐辛子を塗り込むような効果があったことは間違いありません。この一定層の人々というのは国民皆保険サービスというのは当たり前のことであり、誰しも平等に医療を受ける権利があると信じている人々のことです。財政制度等審議会の財政制度分科会であいさつする麻生太郎財務相(右)=2018年10月 しかし、ちょっと振り返って考えてみましょう。実は国民皆保険サービスというのが始まったのはそんなに昔の話ではありません。日本やイギリスをはじめとする各国で始まったのは、第二次世界大戦後のことでありました。 なぜかと言うと、戦争であまりにも多くの負傷者や障害者が出てしまい、医療費を払えない人が大量に発生してしまったため、これでは破壊された街を復興させるための労働力を確保できないので困るとして各国の政府が国民皆保険サービスというものを考えついたわけです。 国民皆保険サービスというのは収入がある人たちから一定のお金を集め、それを使って医療サービスを提供するという、まあある意味宝くじのような仕組みです。提供する医療サービスというのはたくさん払っても少なく払っても平等というのが建前です。建前というか、実質そういう国がほとんどです。低下する医療の質 前述したように、国民皆保険サービスが日本や欧州で設計されたのは戦後すぐのことでした。戦争でかなりの数の人が亡くなり、人口も今より少なく人の移動もほとんどありませんでした。当時は人々の収入格差も今と比べて大きく、高額納税者の所得税は70%とか80%に達することもありました。つまり、ごく少数の大金持ちからお金をむしり取ってそれを貧民の健康維持に使い、社会全体を何とか回して行こうという仕組みでありました。 しかし、この仕組みは、使う人の数が少なければ成り立つのですが、使う人が多く、さらにその数が急に増えたりするとシステムが崩壊してしまいます。この状況がかなり過激なことになっているのがイギリスをはじめとする欧州各国の国民皆保険制度です。EUの移動の自由化で何が起きたかと言うと、東欧や西側諸国の貧しい国や町から豊かな都市へ人々が大規模に移動して住み始めたことでした。住むのも働くのも許可が一切いりませんから、当たり前の状況です。 そして、10年ばかりの間に特定の町の人口が急激に増え、病院利用者が大幅に増加しました。しかし、病院の予算は国保や税金で賄われており、その予算が急激に増えるわけではありません。移動してきた人の中には短期滞在の季節労働者や学生も大量にいました。  さらに、欧州では日本のように高齢化が進んでいるので、高齢者の病院費用も激増しました。そこで発生したのが質の激烈な低下です。イギリスの場合は時間外の夜間緊急窓口に行った場合、4時間から8時間待たされるということも珍しくありません。  重症者を優先するからという言い訳がありますが、かなり具合が悪くても廊下で長時間待たされることがあります。MRI(磁気共鳴画像装置)やCTスキャン(コンピューター断層撮影装置)などの機器も少なく、検査を受けるのに2カ月、3カ月待たされることも当たり前です。  病院はお金がなく、人が雇えませんので外科医やスタッフの数も多くはありません。手術が当日や前日になってキャンセルされてしまい、数カ月先に延ばされてしまうということもあります。また、入院ベッドの数も足りないので一般家庭に患者の面倒を見ることを外注する仕組みにまで手を出し始めています。 私は世界各地のいろいろな病院で世話になっていますが、イギリスの病院の中には中国やロシアの病院よりもひどいところがありました。(ゲッティ・イメージズ) このような状況にもかかわらず、健康保険の費用というのは安くはなく、年収が700万円ぐらいまでの人は収入の9%を支払い、年収が700万円を超える人の場合は2%を払います。高額収入者の場合はこの2%というのは莫大な金額になりますが、受けられるサービスは、病院によっては発展途上国並みのサービスです。  高いお金を払ってもサービスを受けられないので中流以上の多くの人は民間の保険に入ってプライベートで医療サービスを受けています。つまり自分が払っている健康保険は他人の治療に使われているわけです。  このような状況ではありますが、イギリスの国立病院は太り過ぎの人に減量手術を提供したり、海外で整形手術を受けて豊胸手術に失敗した人に対して修正の手術を行います。海外から飛行機でやってくる臨月の妊婦は無料で出産をすることができます。かなり進行した白内障の老人が海外から飛行機でやってきて緊急で手術を受けることもあります。費用を徴収しようとしても外国に逃げてしまうので回収できないことも多いです。欧州では不満噴出 このように、イギリスの場合、かなり極端な例が多いわけですが、同国だけではなく欧州でも国民皆保険に対しては制度が既に崩壊していると言って不満たらたらの人が多いのです。  日本は、クレジットカードの多重債務者のような財政状況であるのに医療費は惜しまず、どんどん使いまくっていますし、地方交付金も配りまくり、市役所や道路にお金を使いまくっています。育児支援だってはっきり言ってほとんどの欧州の国より充実しているんです。 恐ろしいスピードで少子高齢化が進んでいる日本で役所が財布のひもを締め始めた場合、今のレベルで医療サービスの質が維持されると思っている方はどのぐらいいるでしょうか? 医療サービスの質が下がるということは、月6万円の健康保険料を払っても自分が手術を受けられるのは1年後ということが当たり前になるということです。 病院のベッドのシーツは取り換えられず、医療スタッフは給料削減で働く人はいないので外国人だらけになります。病院食はレンジでチンするだけの冷凍食品になります。心臓の手術を受けても退院するのは翌日です。 こういう状況にサラリーマンの皆さんが直面することが当たり前になるようになっても、・不摂生で太りすぎた人の減量手術を優先してあげましょう・不妊をしなかったので妊娠してしまった10代の母の出産費用は全部無料にしてあげましょう・アルコール中毒になった人の治療は全部無料にしてあげましょうといった寛容性を維持できるのかどうか、私には分かりません。(ゲッティ・イメージズ) 私は社会全体の幸せや安定性というものを保つために国民皆保険というのはあった方が良いと思います。社会というのは多くの人がいてモノを売り買いし、サービスを消費するからこそ豊かになるのです。 モノを消費するのには仕事をして稼ぐことが重要ですし、安心して仕事をするためには病気になっても手軽に治療を受けられて自己負担が少ないという仕組みは、とても重要です。ごく一部の豊かな人がレベルの高い生活を享受するアメリカ型のモデルは日本には合いませんし、社会の安定性は失われます。 しかし、残念ながら日本にはお金がないのです。多くの人に質の高い医療サービスを提供することが難しくなっているのです。その現実をいったい何人の人が自覚し、自分は高い保険料を払っても治療が受けられないと言った立場になるのか。それをきちんと理解すべきではないのでしょうか。

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    風邪らしい患者なら、受診料は安く、薬代は高くすべし

    塚崎公義(久留米大学商学部教授) 財務省は、軽い風邪などで診察を受ける場合には、患者の自己負担を上乗せするという見直し案をまとめたようです 。軽い病気でも気楽に診察を受ける患者が多いので、医療費が嵩んでいる、というのが理由のようです。財務省が財政再建に熱心なのはわかりますが、一工夫必要でしょう。 風邪だとわかっていれば、受診の必要はありませんが、怖いのは「風邪のような症状の悪質な感染症」である可能性です。「風邪だと自己負担が高いから、受診しない」という患者が悪質な感染症であった場合、症状が悪化して周囲に感染させてしまう可能性があります。従って、そうした可能性のある患者は気楽に受診してもらい、風邪だとわかればそれで良いでしょう。 風邪だとわかるまでの診察料は、自己負担を少なくして積極的に受診してもらう一方で、風邪だとわかった後の風邪薬は、自己負担率を100%にすれば良いと思います。単なる風邪なのに、市販薬より安く処方薬が手にはいる必要性はありませんから。 問題は、風邪だとわかっている患者が受診している例も多そうだ、ということです。時間が十分にある高齢者が風邪に罹患した時、「薬局へ行って市販薬を買うよりも、国民健康保険を利用して診察を受けて処方薬を買った方が安い」と考えて受診する可能性があるからです。 これは、ぜひともやめて欲しいです。金銭面で国民健康保険の負担が大きいですし、診療所の混雑によって多忙な現役世代の患者が「待ち時間が長いので、諦めた」ということにもなりかねないからです。 そのためには、風邪薬の自己負担率を100%にすることが有効だと思われます。「風邪薬は自己負担率100%」という制度ができれば、風邪だとわかっている高齢者は診療所へ行かずに薬局へ直行するでしょう。診療を受けると、時間も金(自己負担分)もかかる上に、隣の患者のインフルエンザに感染してしまうリスクもありますから。そうなれば、国民健康保険は大助かりです。 話し相手がいない孤独老人が診療所の待合室をサロンとして使っているという笑い話もありますが、もし本当にそれが心配ならば、「診療所の開設を認可する条件として、待合室のほかに談話室を設けること」と定めればよいのです(笑)。 風邪かもしれない、という場合には、診察を受けないと風邪だとわかりませんから、診察は必要でしょう。しかし、慢性疾患の場合には、診察を受けなくても自分の問題点が分かっているわけですから、頻繁に受診する必要はないでしょう。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) たとえば軽度の高血圧の場合、降圧剤を処方されて飲んでいる患者の血圧は正常でしょう。そうだとすると、患者が自分で血圧を測定し、正常であることを確認すれば、診察を受ける必要は無ないはずです。つまり、降圧剤の処方箋の有効期限を「患者が異変を申し出るまで」としておけば良いのです。現実的には「1年あるいは2年に1度は受診するように」、ということで良いと思います。 そうなれば、受診の回数が減り、本人も健康保険組合も助かるでしょう。本人が血圧を自宅で測定するのを怠って異変に気付くことができなくても、それは自業自得ということで良いでしょう。感染症と異なり、他人に迷惑をかける話ではありませんから。医薬品はジェネリックをデフォルトに 高血圧以外の慢性疾患についても、基本は同じで良いと思います。感染症の場合を除き、基本は「自己責任で異変を感じた時に受診する。異変を感じなければ、1年か2年に1度受診する」で良いと思いますが、いかがでしょうか。 受診回数を減らすほかにも、患者に安い薬を使ってもらえる工夫が必要でしょう。 昨年のノーベル経済学賞を受賞したのは行動経済学分野でした。その研究成果の一つとして、「人間は面倒なことを嫌う」というものがあります。そんなことはノーベル賞学者に教えていただかなくても、誰でも知っていることでしょうが(笑)。 現行の制度でも、これが利用されています。医師が処方した薬に、効き目が同じで値段が安い別の薬としてジェネリック医薬品が発売されていて、医師が「変更不可」と指示していない場合には、患者がジェネリックへの変更を薬剤師に願い出ることができるという制度になっているのです。 「医師が変更可能と指示している場合には変更できる」という制度と比較した場合、ジェネリックの利用が増えることは明らかです。「医師が面倒だから何もしなかった」という場合には、ジェネリックを使い得るからです。これは、優れた制度です。 しかし、どうせなら、もう一段の改善をして欲しいものです。それは、医師から「変更不可」の指示がない場合には、「患者が拒まない限り、薬剤師はジェネリックを選択しなければならない」と定めればよいのです。 現在でも、患者が「ジェネリックを希望する」と薬剤師に伝えれば、ジェネリックを使える制度となっていて、その方が患者の自己負担も健康保険会計の負担も軽いのですが、患者がそのことを知らなかったりジェネリック薬品の存在を知らなかったり「申し出るのが面倒だ」と思ったりした場合には、ジェネリックではない高価な薬が使われるわけです。 そうした場合でも、上記のような定めがあれば、患者はわざわざ拒むのは面倒なので何もせず、結果として自動的にジェネリック薬品が使われることになりますから、患者本人にとっても健康保険組合にとってもよいことでしょう。 ちなみに、上記は財務省の観点から書いたものです。政治家の観点からは、医師や薬局の票が減りかねない危険な案に見えるでしょうから、採用されるか否かは何とも言えませんが(笑)。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    麻生氏の「通院なし70歳以上に10万円」案は理にかなっている

     麻生太郎・副総理兼財務相は、4月24日に開かれた参院議員のパーティーで、「70歳以上で、年に1回も通院しなかった人には10万円あげる」と、大胆な提案をした。膨らむ医療費を削減するためのアイディアだが、麻生氏は、以前にもこんな発言をしている。「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、インセンティブ(動機づけ)がないといけない。予防するとごそっと減る」 この「ごそっと減る」には2つの意味がある。もちろん前述の問題にあった高齢者の患者数そのもの。そしてもう一つは、増大を続ける「医療費」の問題だ。 厚生労働省の資料によれば、平成22年度の「国民医療費」の総額は37.4兆円。これは昭和60年度と比較すると2倍以上となっている。このうち75歳以上の後期高齢者の医療費に絞れば、昭和60年度は4兆円だったものが、平成22年度には12.7兆円。なんと3倍に膨れあがり、全体の34%を占めているのだ。 特筆すべきは、そうした医療費における1人あたりの自己負担額及び保険料である。再び麻生氏の弁。「生まれつき体が弱いとか、ケガをしたとかは別の話だ。食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」 実際に、増大する高齢者医療を支えるために、若い世代が、医療費に対して倍以上の負担を強いられているのだ。 現在、医療費における患者負担は、義務教育就学後~69歳は3割、70歳以上は1割(住民税課税所得が145万円以上の者は3割)となっている。このうち70~74歳については、今年4月1日から2割負担となる予定だったが、今月6日、来年度以降に先送りされることが決まった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「参院選を睨み、政府が票田である高齢者の反発を避けたのではないかといわれています。負担増によって受診を控えてしまい、病状の悪化が懸念されるという反対意見がありましたからね。ただその一方で、今後団塊の世代が次々に70歳代に突入すると、負担がさらに増大するのは目に見えています」(全国紙記者) その意味でも、今回の麻生プランは理にかなっている。病気でもないのに病院に来れば、当然医療費が発生する。だからインセンティブを出し、高齢者が不要不急の通院を減らせば、医療費は減り、さらに空いた時間で本当に必要な人が医療サービスを受けられる、という話なのだ。関連記事■ 麻生氏の「自民支持者は新聞不要論」が説得力持つ理由■ 麻生氏「ナチス発言」報道でメディアの場当たり的姿が露わに■ 麻生氏はなぜ福田次官をかばい、首相は更迭方針撤回したのか■ 麻生氏が「悪いのは昭恵だろう!」と怒鳴る声が役人に話題■ 安倍退陣なら後継に麻生氏か メディアも麻生番増強へ

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    場外大激論! どうする「ふるさと納税」

    制度発足から10年を迎えた「ふるさと納税」が岐路に立っている。自治体間で過剰になった返礼品競争に総務省が「待った」をかけたからだ。この議論をめぐり、納税額日本一の大阪府泉佐野市長と、税収流出額が全国2位の東京都世田谷区長がそれぞれ手記を寄せ、iRONNAで場外バトルをお届けする。

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    泉佐野市長手記「ふるさと納税日本一はそんなに悪いのか」

    千代松大耕(泉佐野市長) ふるさと納税は、いま大きな岐路に立っています。ふるさと納税の返礼品について、総務省が規制を強め、これに対する自治体が困惑している様子が、いろいろな報道で伝えられています。 泉佐野市が昨年度の寄付金受け入れ額で全国1位となったこともあり、多くの取材や問い合わせをいただき、ふるさと納税はマスメディアや国民の関心がとても高い問題であることを、私自身改めて痛感しました。そこで、泉佐野市として、この問題に対する見解や考えをきちんとお伝えすることが必要との思いから、9月28日、東京で八島弘之副市長が記者会見をさせていただきました。 この中で、泉佐野市は、まず総務省の姿勢に疑問を投げかけました。これまで数回にわたって、返礼品に関して総務省からの通知は届いていますし、私あてに総務省から何度か直接連絡を頂戴しています。 しかし、例えば返礼品の調達率は3割までとされたことについても、なぜ3割なのかといった明確な根拠を示されたことはなく、また、なぜ地場産品に限定するのかなどについても、何ひとつ直接説明されていません。総務省が一方的な条件を押しつけているだけで、総務省はふるさと納税を縮小させたいのではないかと思ってしまいます。 「返礼品の調達率」については、本来は制度を運用する各自治体の判断に委ねられるべきものとは思いますが、しっかりとした根拠があり、全ての自治体が公平に順守するルールとするならば、「3割以内」とすることに泉佐野市も賛同します。 ですが、「地場産品」については、総務省の意見をそのまま聞くことはできません。例えば、現実問題として、「肉」「カニ」「米」はふるさと納税の返礼品では特に人気が高いものです。こうした恵まれた「地場産品」を持つ自治体に寄付金が集中してしまうことは、容易に想像できます。人気のある特産品を持たない自治体への配慮や、各自治体で創意工夫ができるような余地を残すことの意義なども含めて、しっかりと論議すべきではないでしょうか。 もちろん泉佐野市としても、一定のルールや基準を設けること自体には賛成します。ですが、そのルールや基準は、総務省が独断で決めるものではなく、自治体、有識者、国民世論などを含めて、幅広く議論を行い、大多数が納得できるものをつくるべきではないでしょうか。泉佐野市の千代松大耕市長 泉佐野市は、過去に財政破綻寸前の「財政健全化団体」に指定されるほど危機的状況に陥っていました。その後、財政健全化計画を策定し、人件費の抑制、遊休財産の処分、公共施設の統廃合など、徹底した緊縮財政に取り組みました。 一時は、市の名称さえもネーミングライツの対象にしたほどで、このことが多くのマスメディアに取り上げられ、市の知名度は向上しましたが、このようななりふり構わない状況となり、もうこれ以上何も出ない、乾いた雑巾(ぞうきん)を絞り尽くした感もありました。 私は、後ろ向きな施策を続けているだけでは泉佐野市は疲弊してしまうと考え、歳入を増やすための攻めの改革の一つとして、2008年から導入していたふるさと納税の取り組みを、12年から積極的なものとしてきました。 以降、年々返礼品を増やし、14年には関西国際空港を拠点とする日本初の格安航空会社(LCC)の「ピーチ・アビエーション」の航空券購入に利用できる「ピーチポイント」を返礼品にしたことで、全国的に泉佐野市のふるさと納税が認知されました。地場産品のない苦しみ ピーチポイントの取り組みは、単に話題性だけを狙ったものではなく、就航間もないピーチ・アビエーションを応援するとともに、低迷していた関西空港の活性化の起爆剤になればと考えたものです。 本市のふるさと納税への社会的な認知が高まり、寄付も全国からたくさん寄せられるようになったことで、泉佐野市の「地場産品」である泉州タオルなどの他の返礼品にも目を向けてもらえるようにもなりました。関西空港から釧路に就航する機体を見送るピーチ・アビエーションのスタッフら=2018年8月1日 泉佐野市は、返礼品として人気が集まるような地場産品を持たない自治体です。そのような自治体が多くの寄付金を募るためには、努力とアイデア・創意工夫で返礼品を充実させることが不可欠だと考えています。 本市の担当者が生産者や卸業者、小売業者らと何度も協議・交渉を重ねるなど、様々な努力やアイデアによって返礼品を充実させ、全国から支持を得て、多くの寄付が集まるようになりました。本市のピーチポイントのように、自治体の返礼品には、自らの努力やアイデアから生み出されたものがいくつもあることをぜひご理解いただきたいと思います。 中には「人気の地場産品がないのなら、つくればよい」とおっしゃる方もいますが、そのような取り組みは、全国の自治体が既に取り組んでいますし、人気が集まる地場産品がそんなに簡単にできるわけがなく、私は投げやりで無責任な言葉に過ぎないと思います。 泉佐野市ではお寄せいただいた貴重なふるさと納税の寄付金を、市民の暮らし、教育や公共サービスへの還元へ向けた貴重な財源と位置づけています。お申し込みの際に16の使途を選択していただけるようにしており、特に教育や子育て支援に積極的に活用させていただいています。例えば教育施設の老朽化した備品の更新など財政難でできなかった取り組みが可能となっています。 また、総務省が推奨する、ふるさと納税を活用したクラウドファンディングで起業家を応援する「起業家支援プロジェクト」を2018年度から実施するなど、新たな試みもスタートさせました。 このように総務省とも連携し、ふるさと納税の盛り上げに泉佐野市は懸命に取り組んできたつもりでした。しかし、このところの総務省のスタンスに関しては、正直困惑しています。 10月16日付で総務省より地方自治体に向け、地場産品に関する通知が送られました。この通知を見る限り、前述したような、恵まれた地場産品を持つ自治体と持たない自治体との間に格差が生じてしまうという懸念がさらに膨らみます。 総務省の規制に困惑している地方自治体は少なくないと思いますが、今回の通知はそうした自治体の声にまったく耳を傾けない総務省の姿勢の表れと理解する他なく、非常に残念であり失望しています。矛盾に満ちた総務省 規制を強化する総務省の姿勢は、ふるさと納税に取り組む自治体が自らの頭で考える機会やモチベーションを奪い、魅力的な返礼品が失われることで国民の関心を低下させ、ここまで広まったふるさと納税制度を縮小させる結果につながってしまうのではないでしょうか。 ふるさと納税の議論で、よく「本来の趣旨に立ち返れ」というフレーズが出てきます。総務省の「ふるさと納税ポータルサイト」に「よくわかる!ふるさと納税」というページがあり、そこには「そもそも何のためにつくられた制度なの?」というFAQ(よくある質問と回答)が示されています。 そこで示されているのは、ふるさと納税制度はもともと都市圏に偏りがちな税収を、自分のふるさとなどの地方に振り分けることを目的にして創設されたということです。つまり、自治体間の税収格差縮小こそが「本来の趣旨」である、と私は理解しています。 都市圏自治体の税収が減少して困窮しているという報道も見られましたが、そうなることを目的としているのですから、その意味ではふるさと納税は「本来の趣旨」に沿って機能しているととらえることもできます。 とはいえ、ふるさと納税制度が始まって10年近くたち、制度のひずみやゆがみが目立ち始めたこともまた事実でしょう。都市圏を含む自治体、総務省以外の諸官庁、有識者などの意見や知見を広く求め、制度設計自体を見直す時期なのかもしれません。 泉佐野市としては、ふるさと納税の制度は、都市圏自治体と地方自治体との格差縮小、地方自治体の活性化に貢献し、国民が自発的に税金の納付や使い方に携わることができる機会にもなっており、大変意義のあるすばらしい制度であると理解しています。ふるさと納税の返礼品についての考えを記者会見で発表する大阪府泉佐野市の八島弘之副市長(右)ら=2018年9月、東京都中央区(大坪玲央撮影) 大きな岐路に立った現在、総務省の姿勢が、ふるさと納税自体を縮小させてしまうように感じます。 返礼品に頼らない寄付文化を醸成していく、返礼の形をモノではなくコトにシフトしていくなど、自治体や有識者の皆さんがいろいろな考えや主張もされていることは承知していますし、私もうなずける点は多々あります。しかし、財政が逼迫(ひっぱく)している自治体にとって、あまり悠長に試行錯誤をしていることもできません。 国や総務省には、ふるさと納税に関する幅広い議論の場を設けていただけるよう望みますし、泉佐野市としては、総務省の姿勢に困惑されている他の地方自治体との連携など、よりよいふるさと納税制度の在り方を模索していきたいと考えています。

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    世田谷区長手記、ふるさと納税「東京富裕論」にモノ申す

    保坂展人(東京都世田谷区長) 「ふるさと納税」は、税源流出に悩む世田谷区にとって、頭の痛い問題です。 2017年には、世田谷区民約5万7千人から合計109億円のふるさと納税がありました。2018年度の税収減の影響は41億円です。税収減の影響は、2015年度が2億6千万円でしたが、2016年度には16億5千万円と急増し、2017年度は31億円と倍増してきました。このままでは、税収減が50億円を突破する可能性もあります。 とはいえ世田谷区は、ふるさと納税の制度そのものに反対しているわけではありません。制度が生まれたときに語られた「世話になったふるさとを応援する」ことや、自然災害などで大きな痛手を受けた自治体を支援すること、さらには納税者が納税額の一部を寄付として社会的事業やプログラムをサポートすることは、価値あることで、本来の趣旨だと考えています。 ただし、現在の「返礼品競争」の多くは、寄付文化を逸脱してはいないでしょうか。ふるさと納税にも、本来の趣旨を踏まえた税制としての「限度」や「節度」があってしかるべきだと主張しているのです。 「世田谷区は、返礼品のクオリティーをあげて勝負に出るべきだ。早く返礼品競争に参戦して、税源を取り戻さないのは区長の怠慢だ」というご批判も数年前からいただいています。 仮に、世田谷区内の店舗などで扱っている高額の希少品などを「返礼品」としてそろえ、早い時期に勝負に出ていたら、全国の高額所得者から多額のふるさと納税を集めることも可能だったかもしれません。もし、そうした手段に出ていたら全国の市町村から財源を奪う結果となります。数年前から、世田谷区では「返礼品競争には加わらない」という自制を方針としてきました。 実は、世田谷区は平成28年に策定した「総合戦略」において、全国の地方都市との交流・連携を深めることで双方とも健全に発展することを目指すことを基本方針に掲げています。全国の市町村があってこそ大都市部の生活が支えられていますし、いつ起きるかわからない災害に対しても都市は脆弱(ぜいじゃく)です。相互交流、相互扶助を活発に展開しています。 毎年夏には、全国40市町村の交流自治体の特産品を販売する「ふるさと物産展」を区民まつりの人気コーナーとして運営しています。全国の市町村長との連携を深める世田谷区主催の「自治体間連携フォーラム」も、群馬県川場村、長野県豊丘村、新潟県十日町市と場所を変えながら、開催してきました。全国の市町村が人口減少に悩み、若者を呼び戻そうと努力している声を、それぞれの首長からじかに聞いています。東京都世田谷区の保坂展人区長 ふるさと納税は、都市部から地方の市町村に税源が流出するだけでなく、「返礼品」によっては地方の市町村から都市部への「逆流」もあります。また、返礼品競争が過熱してくると、早い時期に手がけた「勝ち組」と、取り組みが遅れた市町村との差も激しくなってきました。 それだけに、「豪華返礼品」によって厳しい財政状況の市町村から、大都市部の自治体が財源を奪うような対処策は、自ら禁じ手としてきました。節度と抑制が必要だと考えてきたのです。「東京富裕論」の錯覚 過熱するふるさと納税を利用した返礼品競争に対して、総務省はいくつかの規制をかけていますが、なお制度上の課題が残っています。 例えば、ふるさと納税による住民税減収額の75%が地方交付税で補填(ほてん)されることはあまり知られていません。2018年度のふるさと納税による減収額のトップは約104億円の横浜市ですが、地方交付税による補填後の実際の影響額は26億円程度と小さくなります。 一方、東京23区と川崎市は地方交付税の不交付団体であるため、75%の地方交付税による補填はありません。実際の影響額は川崎市の42億円に続いて、世田谷区の41億円は全国第2位となります。 ふるさと納税の可能額は平成27年税制改正で住民税均等割の10%から20%に引き上げられています。ふるさと納税の利用額に上限はなく、納税額が多い富裕層ほど利用可能額は多くなります。 居住する自治体の財政に影響を与えているのはもちろんですが、地方交付税によって国民全体の負担があり、総額は2017年で世田谷区の試算によれば1133億円にもなります。東京23区と川崎市の不交付団体を除いて、全国の自治体の財源流出の4分の3は国の税金、つまり、国民負担であることをメディアもほとんど取り上げていません。少子高齢化社会が加速し、社会保障改革が永田町のテーマとなる中で、このような「垂れ流し」はいつまでも放置できないのではないでしょうか。 基礎的財政収支(プライマリーバランス)が厳しい状況で、これだけの額を使うなら、地方が元気になるような雇用創出や産業基盤の育成などのために基金などにして活用するなど、使途の制限のない本来の地方創生のために計画的に使うべきではないでしょうか。 もちろん、総務省が進める制度の見直しは、改善に向けた一歩ではあると思っています。しかし、高額所得者が寄付できる金額に制限がなく、青天井になっている点など、まだまだ改善すべき点が残されていると主張したいと思います。世田谷区や特別区長会では、ふるさと納税が利用できる範囲を現在の20%から2015年度の10%に戻すことと、利用額に一定の制限を加えることを提案しています。 確かに、東京圏に人口も税源も集中してきていることは事実です。この点がいわゆる「東京富裕論」となって、現状のふるさと納税を肯定する論拠の一つになっています。上空から見た東京・世田谷区二子玉川周辺 しかし、地方税に地方交付税を加えて、人口1人当たりの収入を比較すると、東京はほぼ全国平均です。人口の多い東京は、地方に比べて1人当たりの税収が突出しているわけではありません。 さらに、人口が多いことで、保育や子育て支援の需要急増に加え、急速に進んでいる高齢化対策や、学校などの公共施設の老朽化に直面する建て替え費用も膨大で、大都市ならではの大きな財政需要が生じているのです。ふるさと納税で減じた41億円の予算規模は、世田谷区での「子ども医療費助成」や「ごみ収集やリサイクル」にかかる1年分の経費に相当します。本来無償であるべきもの 実は、税源の急激な減少は他にも襲いかかってきます。2018年度は「地方消費税の算定方法の見直しでマイナス29億円」「法人税の一部国有化の影響でマイナス29億円」となり、ふるさと納税41億円を含めると約100億円と巨額になります。 先に触れた「東京富裕論」に基づく法人住民税のさらなる国税化や、保育・幼児教育無償化で年額40億円程度の負担増も試算しています。世田谷区は、区立保育園や区立幼稚園を多く持っているからです。 近い将来、150億円をはるかに超える税収減が確定的になれば、学校改築や道路整備を止めたり、災害対策のための土木や公園などの整備に支障をきたします。また、高齢者施設や福祉サービスへの影響のみならず、子供・子育て予算にもサービス削減など、将来の世代に影響を与えるようなことが十分にありえます。 そもそも住民税とは、その地域で住み暮らす住民の会費のようなものです。返礼品を獲得することと引き換えに多額の会費を減額して財源に穴があくことが現実に起きています。その穴を、ふるさと納税を利用しない人々の税や、将来世代が背負う起債や積立金の取り崩しで対応するのは不合理なことだと感じます。 寄付とは、本来無償であるべきものだとも思います。ふるさと納税は本来の「寄付」を後押しするような制度に改めるべきです。 多額の税源流出を前に何をしているのかという声を受け、世田谷区は「寄付文化の醸成」を掲げ、区民に対して「世田谷区へふるさと納税を」と呼びかけています。 世田谷区のふるさと納税には寄付金額に応じた返礼品はありません。代わりに、一定金額以上の寄付に対しては金額にかかわらない記念品や、体験型メニューなどで謝意を表しています。 寄付文化としては、18歳となり高校を卒業して児童養護施設を退所した若者が大学・専門学校へ進学するときに、返却の必要のない「給付型奨学基金」を2016年春に創設しました。そうすると、9月末までに、区内外から6000万円を超える寄付が集まるなど、徐々に広がりを見せていると感じています。 また、ふるさと納税を通して自治体が行うガバメントクラウドファンディングで、色あせた「玉電展示車両の塗り替えプロジェクト」や、2020年東京五輪・パラリンピックの馬術競技大会の会場となる「JRA馬事公苑(こうえん)」への「蹄鉄(ていてつ)・名前入りブロック」を道案内のサイン代わりに敷設するプロジェクトも反響を呼んでいます。クラウドファンディングを利用した寄付で修復塗装がされた宮坂区民センター前広場に展示されている「旧玉電車両」の塗装前の様子(世田谷区提供) 10月2日からは、先の北海道地震で大きな被害を受けた世田谷区の交流自治体である北海道の胆振町村会の厚真町、安平町、むかわ町へのふるさと納税の代理受付を始めました。復興に追われる被災地に替わって、世田谷区がふるさと納税を募集し、集まった寄付金を区がいったん預かってから現地に送金することで、被災地の事務負担や経費を削減し、復興を支援する仕組みです。こうしたふるさと納税本来の使い方も広めていきます。 ふるさと納税制度が持続可能なものとなるには、さらなる節度と抑制が必要です。居住自治体の住民サービス削減や停止につながるような重大な影響は、何としても避けなければなりません。東京と全国の市町村が、いたずらに対立構造に陥ることなく、制度を根本から冷静に議論する時期が来ているのではないでしょうか。

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    ふるさと納税、地方自治体の生き残り競争はもう止まらない

    がかかっている。この現実が、地方自治体に生き残りを賭けた競争に目覚めさせている。 問題とアジェンダ(政策課題)はこの先にある。アジェンダは、地方自治体がガバナンス(統治)を持てるかどうかである。首都圏などの人々がふるさと納税に走り、地方自治体が財政をいくばくか改善させる。これだけでは疑似的でささやか過ぎる地方自治でしかない。株式投資家が、企業の株主優待品や株主総会のオミヤゲを目当てにその企業の株主になるようなものだ。配当も株主優待、オミヤゲも株主資本金(自己資本金)から支払われる。それなら、株主は「株主優待など要らないから配当を増やしてくれ」というのが本筋である。 ふるさと納税でも、首都圏の人々などが地方自治体から返礼品をもらい、地方自治体が寄付により財政を改善するだけでは、ややマイナーな話になりかねない。もう少しあるべき形、まっとうな地方自治を追求するべきである。地方自治体は、ふるさと納税が提起した競争原理による生き残りにもう一歩踏み出す必要がある。 本来的には、税源を地方自治体にほどほど移行して、控え目にでも地方自治体の生き残り策を自らに任せることを検討すべきであろう。 地方自治体が競争原理を導入して生き残りを図る。地方自治体が減税などの恩典でヒト、モノ、カネを呼び込み、新たな需要をつくる。一方で人々や企業は、住居や本社を置く地域を選択できる。新しいふるさとを発見して、そこに住む。新しいふるさとに納税する―。そう簡単なことではないが、そうしたことを考えるだけでも楽しいではないか。 以前、石原慎太郎東京都知事(当時)の頃、都内の銀行という銀行に赤字企業にも課税する「外形標準課税」を行うと宣言した“事件”があった。石原都知事は「真の地方自治を行う」として増税をうたった。銀行は、大マーケットの東京から逃げることは不可能という読みからだ。これは東京都の利害だけで動いた増税事案だった。いかにもポピュリストらしい身勝手な打ち出しである。 こういう時に「わが県は銀行の本店、支店を税金面で全面的に優遇するから移してくれ」と言える地方自治体が出てくることができるか。少なくとも、関西圏や名古屋圏からは、そのぐらいの挑発的な発言が出て、東京都知事を驚かせるぐらいでないと地方自治があるとはいえない。ふるさと納税の返礼品をアピールしたチーバくん(中央)の「生みの親」で市川市出身のイラストレーター、坂崎千春さん(右)=2018年7月3日、市川市役所(塩塚保撮影) 現状で語られる地方自治とは、国・中央官庁からの上から目線の空虚なコンセプトでしかない。地方自治体、あるいは地方自治とは、ある程度自立できているというものがなければ中身がないに等しい。 自立、自助。ふるさと納税は、その端緒になり得る地方自治体のコンテンツということができるのではないか。地方自治体は生き残りに覚醒するのか、再び眠りにつくのか。この先はなんとも見えないが、日本の地方自治が覚醒のベクトルに踏み出していく方が祝福されるべき未来であることは確かである。

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    ふるさと納税のアンフェアはこうやれば是正できる

    「公設寄付市場」(仮称)を創設する新たな構想である。具体的には、株式市場の仕組みを参考にして、以下の政策を推進してはどうか(図表を参照)。 ふるさと納税では、インターネットでのマッチングをフル活用している。そこでこの新たな構想でも、まず寄付者と、寄付を募る団体との情報の非対称性を埋めるためにネットを活用する。すなわち、寄付を募る団体(自治体を含む)やプロジェクトのうち「優良適格要件」を満たすものと、寄付者をマッチングし、ネット上で簡単に寄付可能な「公設寄付市場」を創設するのである。 具体的には、情報の透明性を図る観点から、公設寄付市場は、寄付を募る団体などの財務・運営体制や目的・内容・実績を審査・公表する。審査とともに、その格付けを行い、寄付者や団体の発掘に努力する。他方、寄付者はこの情報をベースに、団体やプロジェクトに対してか、あるいは「一任寄付」方式で寄付する。一任寄付とは、寄付者が分野指定するものの、公設寄付市場に寄付先を原則委託する方式のことだ。なお、ミクロ的効率性を高める観点から、公設寄付市場は、東証の収益方式を参考に、一定の優遇措置や収益源を確保させつつ、免許制の民間組織としていくつか設立し、競争させる。 また、この寄付市場活性化の起爆剤として、「寄付税額控除」や「非営利支援ファンド」を創設する。このうち、非営利支援ファンドは公設寄付市場が運営し、一定要件を満たす団体やプロジェクトを審査して無償資金として支援する。 なお、それでも起爆剤が不足するときは、相続税の一部を活用する戦略も考えられる。野村資本市場研究所の試算では、現在の相続額は年間50兆円程度もある。これに1%追加課税すると、約5千億円の財源が捻出できる。2%ならば約1兆円も捻出可能だ。この財源をベースに、公設寄付市場などの規模を拡充するのである。2018年8月、東京都千代田区で行われたふるさと納税の地域を応援するという制度本来の趣旨を伝えるPRイベント また、支援対象は、寄付を募る自治体や公共サービスだけではなく、非営利活動を行う通常の団体やプロジェクトにも適用することが望ましい。子育て支援や介護などの分野は、既存の制度を補完する受け皿として、自治体以外にも、もっと多様なサービスを供給する団体が存在してもよい。このような新しい非営利活動を行う団体も、国民のニーズに応じて、自然に設立され、成長していく機会も提供できよう。 いずれにせよ、以上の枠組みであれば、ふるさと納税の枠組みをバージョンアップし、個人や法人が、自治体を含む支援先の団体や公共サービスなどを直接選択する機会を提供することが可能となる。同時に、公設寄付市場の審査・公表を通じて、寄付を募る側の意識改革も進み、より質の高い寄付市場の育成を図ることも期待できるはずだ。

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    規制かかる「ふるさと納税」 高還元率を貫く自治体の言い分

     豪華な返礼品が話題となり、“2000円から始められる最強のお取り寄せ”とさえ呼ばれたふるさと納税が“曲がり角”を迎えている。総務省による「規制」がかかり、返礼品を取りやめたり、還元率を低く設定する自治体が増え始めたのだ。今年が本当にラストチャンス、駆け込むなら今しかない。ふるさと納税に関する著書を多く持つ企業家の金森重樹氏が語る。「多くの自治体が還元率を見直し、家電やパソコンなどの返礼品を減らしました。節税や資産防衛にも役立っていたのに、まさに政府の“改悪”です」 ふるさと納税とは、居住地を除いた自治体に寄付すると、その寄付額のうち2000円を超える部分について、所得税と住民税の控除が受けられるという制度。多くの自治体が工夫を凝らした返礼品を用意したことから注目を集め、初年度(2008年)は約81億円だった“納税額”は約2844億円(2016年度)にまで膨れあがった。 だが、返礼品競争が激化し、返礼品の転売目的での寄付や、大都市圏の自治体などで税の減収が相次いだことなどから、総務省は今年4月に各自治体向けに改善要請を出した。その主な内容は、・返礼品の還元率を3割以下に抑える・商品券など換金性の高い返礼品は避ける・電子機器、貴金属、宝飾品など資産性の高いものは避ける この要請の結果、魅力ある寄付先は激減している。「豚肉や牛肉、焼酎の還元率が高く、ふるさと納税額が全国1位だった宮崎県都城市や、人気家電を用意していた長野県伊那市など、豪華返礼品で目立ち過ぎた自治体は、早々に見直しするしかありませんでした」(金森氏) 総務省は各自治体に対して「時期は自治体によって異なるが、“12月までに見直しを”と伝えている」(市町村税課)とのことで、各自治体は、この年末までに返礼品を見直す可能性が高い。奈良県桜井市では返礼品を増やすことを発表した=2017年9月(野崎貴宮撮影) タイムリミットが迫るなか、それでも高還元率を貫く自治体が少ないながら存在している。 毎月定期的に佐賀牛や魚介など地元の名産を届ける定期便『Premium GENKAI』を返礼品にする佐賀県玄海町は、「総務省からは直接電話があったが、継続したい」として、現在も約6割の還元率を維持している。「寄付してくださった方に喜ばれていますし、地元PRにも役立っています」(玄海町財政企画課) 返礼品を通じて町のファンがついてくれれば、“元が取れる”という考えだ。長野県阿南町も5割の高還元率をキープする方針だ。「返礼品としているお米は、農協に卸すよりも高い価格で農家から買い取っているので、急にその量を減らすのは難しい」(町役場振興課)と説明する。続けたい理由はそれだけではないという。 ふるさと納税は、自治体によっては寄付金の使い途を寄付した人が選択できるのだが、同町はその選択肢の筆頭に“農業振興への支援に特化した「農業支援」”を挙げている。これを選ぶと、ダブルで米農家を支援できることになる。「返礼品を通じて当町の農業が話題になったことで、若い世代に農業を始める動きが出てきています。そうした事情も踏まえて、総務省には現在の返礼品を続けることをご理解いただければと考えております」(同前) こうした魅力的な返礼品目当ての寄付について、「ふるさと納税」に詳しい経済アナリストの森永卓郎氏はこんな注意点をあげる。「高還元率は魅力的ですが、実際は使わない、食べないということもあります。自分にとって本当に必要なものかをちゃんと考えてから寄付先を決めましょう」 また、総務省の改善要請に従う自治体とそうでない自治体の“格差解消”を求める意見もあるため、来年以降は高還元率の返礼品がさらに少なくなる可能性もある。 寄付は12月までに行なえば、来年納付する税金が控除の対象となる。高還元率の返礼品を探すならあと2か月だ。関連記事■ 高級キャビアに北海道産いくら ふるさと納税の返礼魚卵■ ふるさと納税の高級な返礼品 岡山の美しい「銅釜」■ 還元率3割規制で寄付者減ったふるさと納税で企業倒産の恐れ■ ふるさと納税 出身ふるさとに限らず好きな自治体に寄附可能■ 今がラストチャンス 還元率5割超のふるさと納税返礼品8選

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    還元率3割規制で寄付者減ったふるさと納税で企業倒産の恐れ

     宮崎県都城市は2年連続(2015~2016年度)でふるさと納税を通じた寄付額が全国1位となった自治体だ。目玉となる返礼品には宮崎牛やブランド豚、芋焼酎などの地元特産品が並ぶ。ところが、市に返礼品となる商品を納入してきた地元業者はこう嘆くのだ。「6月以降、市からの返礼品の受注は5分の1に減った。正直、ふるさと納税ブーム頼りになっていたところもあって、今年の売り上げは去年の5~6割減にはなりそうです……」 ふるさと納税は第一次安倍政権下の2007年に当時の菅義偉・総務大臣(現・官房長官)が創設した。地方自治体に寄付をすると住民税の控除が受けられ、さらに返礼品として地元名産品を受け取れるという制度。豪華な返礼品目当てに寄付をする人が急増して一大ブームとなった。「地方創生」の名のもとに安倍政権は2015年度から寄付の上限額を2倍にするなど、ブームを煽ってきた。しかし、返礼品競争が過熱し、全国の自治体でその調達コストが高額化。「寄付されたお金を地元のために使うという制度の趣旨から外れている」という批判が高まると、政権は態度を一変させた。 4月に総務省は寄付額に対する返礼品の「還元率」を3割以下にするよう全国の自治体に通知を出した。それがブームに冷や水を浴びせたのだ。 冒頭の都城市の業者は、「通知を受け、6月から返礼品の見直しがあった。それまでは還元率は8割くらいあったが、3割に抑えたので“お得感”がなくなって寄付者が減っている」と恨み節が止まらない。野田聖子前総務相=2018年7月、東京都千代田区・総務省(納冨康撮影) 現場で大混乱が生じると、8月に就任した野田聖子・総務相は「返礼品は自治体に任せるのが当然」と発言。勢い任せに突き進んできた政権が、批判を恐れて方針を二転三転させている。 生産者からすれば、返礼品需要を当て込んで一度、増産態勢を取ってしまったら、いきなり縮小させるのは難しい。“地方創生倒産”のラッシュさえ懸念される。関連記事■ 公務員に65歳完全定年制導入で生涯賃金4000万円増■ 安倍支持宣言していた三橋貴明氏、アベノミクスに厳しい評価■ 総理秘書官「辞めてやる!」発言で「総理が謝罪」の真相■ 年金75歳支給時代、貯金5000万円あっても足りない■ 社会保障カットの決まり文句「子や孫にツケ回さない」の欺瞞

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    民泊がイマイチ盛り上がらない理由

    住宅に旅行者を有料で泊める「民泊」が全国で解禁された。6月15日施行の住宅宿泊事業法(民泊新法)に基づく規制緩和だが、増え続ける訪日外国人の受け皿として期待が高まる一方、近隣トラブルや治安悪化への懸念は絶えない。「おもてなし大国」ニッポンで民泊がイマイチ盛り上がらないのはなぜか。

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    民泊解禁、成功のヒントは「大阪のおばちゃん」にあった

    溝畑宏(大阪観光局長、元観光庁長官) 海外からの観光客が急増している大阪が世界を代表する国際観光都市になるには、安心・安全・快適な宿泊環境を伴う世界トップレベルの受け入れ環境を実現することが重要な課題である。 そのため、関西、特に大阪の宿泊においては、歴史ある旅館や老舗ホテル、高級ホテルなどに、宿泊施設の整備、充実を進めていただいている(「大阪主要13ホテル稼働率92・9%」2018年日経新聞まとめ)。 しかし、新しく生まれた民泊という分野においては、その実態が十分に把握されていないのが現状であり、それゆえにヤミ民泊の騒音やゴミ投棄など、多くの問題が発生している。これらの問題は、私の推進する安心・安全・快適な宿泊環境とはまさに正反対のものだ。違法または不当な民泊については、監督や規制を強化すべきであると思う。 ただ、民泊新法施行を迎えるにあたり、大阪府は良質で安心・安全・快適な民泊づくりを推進している。大阪市が民泊の国家戦略特区に認定されて以降、関連する条例を制定し、対策に取り組んできた。世界トップレベルの受け入れ環境を実現することだけでなく、現代における多様な旅行スタイル、楽しみ方を提供する上で幅広い選択肢を準備することが重要だからだ。 大阪における2017年の来阪外国人観光客数は1111万人を超え、われわれの調査によれば、このうち20%程度は民泊を利用している。このことは単純な宿泊施設不足が原因ではなく、新たな旅行における楽しみ方の一つになっているのだと考えられる。 これまで宿泊と言えば、ただ眠るだけの場所という認識だったものが、よりその国の文化や地域の歴史を理解し楽しみたいという「思い」が形になった事例の一つが民泊だろう。訪日外国人を始め多くの観光客で賑わう大阪屈指の繁華街・ミナミ=大阪市中央区(須谷友郁撮影) そもそも、良質な民泊とは、家主と一緒になって地元の文化・歴史を知り、地元の食材を食べ、うまい酒を飲みながら地元の人々とざっくばらんに話すことができ、特別な空間として思い出を残せるような場だと考えている。 私はフランスとイタリアに住んだ経験があり、地域の人々は自らの文化や伝統に誇りを持っていた。大阪においても伝統・文化・芸術・食・スポーツなどに誇りを持つべきである。大阪のおばちゃんもおススメ 例えば、大阪の堺にはお茶や刃物の文化が残り、東大阪市にはラグビーの聖地「花園」、池田市には日清食品などが運営する世界的に有名な「カップヌードルミュージアム」、大阪市には伝統的な建築物も多数ある。また、大阪全体でみれば「粉もん文化」からミシュランガイドに掲載されている飲食店など幅広い。 このような文化・芸術・伝統を育んできたのは大阪の人であり、その心意気である。そして、この全てが詰まったものを味わえるのが良質な民泊といえるだろう。大阪のイメージと言えばお好み焼き、たこ焼き、道頓堀のグリコ看板が引き合いに出されるが、まだまだ知られていないパワースポットや観光地があふれている。 私が特におススメするのは、定番ではあるが、大阪のおばちゃんだ。行きつけの喫茶店では元気をもらい、道に迷えば「どないしたん?  アメでも食べるか?」と声をかけてくれる。そしてファッションスタイルは期待通りド派手な「ヒョウ柄」だ。 一方で、かつてのディスコスタイルの店が復活した「裏なんば」はさらに活気にあふれ、道頓堀の量販店「ドン・キホーテ」にある超低速ジェットコースターは再稼働を始めている。また、大阪市内を見れば全く自然がないように感じるが、郊外では自然があふれている。 例えば、大阪府北部に位置する能勢町では、銀寄栗(ぎんよせぐり)が有名で、5~6月にはホタルが大阪であることを忘れさせるほど美しい。夏になれば、天然もののクワガタやカブトムシを捕ることができる。 忘れてはいけないのが、能勢町に全国的にも有名なクワガタショップ「フジコン」があることだ。私も毎年能勢にクワガタやカブトムシを捕りに行っており、去年は3回足を運ばせていただいた。振り込め詐欺撲滅CMに出演し話題をさらった大阪のおばちゃんタレント、舟井栄子さん(右端ら)=2013年4月、大阪市北区 時にはクワガタが捕れないこともあったが、フジコンさんに頼んでおススメのクワガタを購入し、私の知り合いの子供にあげて喜んでもらった。 また、大阪府南部に目を向ければ、大阪で唯一の村である千早赤阪村があり、美しい棚田が広がっている。ここにある金剛山は樹氷が有名であり、冬の登山客も相当数いる。このような自然と民泊を組み合わせることができれば、これまでの宿泊施設とは一線を画した体験型のコンテンツとして世界にアピールできると思う。 金剛山のポテンシャルは東京における高尾山と考えている。ここの磨き上げを行うことで都市部にいながらにして大自然を堪能できる。旅のあり方を変える民泊 民泊とのコラボレーションで生まれる大阪の魅力を述べてきたが、民泊が抱える課題に話を戻せば、最大の使命はヤミ予約サイトの撲滅だろう。新法施行によって、民泊事業を行う事業者は都道府県などに届け出が必要となるのに加え、民泊予約仲介サイトを運営する事業者についても国への登録が義務付けられる。あわせて、仲介事業者が適正な手続きを行っていない民泊施設を斡旋することを禁じており、すでにいくつかの仲介サイトでは不適正な施設の掲載を取りやめるなどの措置も行われている。 国でこのような対策が取られている中、大阪においては、違法民泊を良質な適法民泊へ誘導していくための積極的方策として、大阪市違法民泊撲滅チームが2018年4月25日に設置された。また、この6月1日には、違法民泊指導の実動部隊も発足した。民泊対策を行う要員として環境衛生監視員に警察官OB30人などを加え、約70人まで順次増員し、適法民泊の誘導と違法民泊通報窓口に寄せられた情報などをもとに、無許可・無届で営業する違法民泊の徹底した排除に向け取り組みが強化されることになる。 大阪観光局も外国人観光客へ適法民泊の利用を啓発するなど、今後は、大阪市違法民泊撲滅チームと十分な連携を図りながら、違法民泊の排除をオール大阪で取り組んでいかなければならないと考えている。 こうした良質な民泊を推進することは、地方創生の考え方からいえば魅力ある観光コンテンツの発掘となり、大阪のさらなるプレゼンス向上につながることは間違いない。多様性から考えれば新しい楽しみ方の一つであり、旅のあり方を変えてくれるものである。 また、24時間型の観光都市という観点であれば、朝まで家主と語りあう経験は日本を理解するうえで最高の材料ではないだろうか。そして、その話によって大阪・関西の見え方が変わると思う。 私の経験から言えば、大阪はまだまだ観光分野の伸びしろが大きく、世界の名だたる観光地を目指していくべきである。大阪・関西にとって民泊は、世界トップレベルの受け入れ環境や品質を考える上で一つの好材料だ。外国人観光客が行き交う大阪城公園=大阪市中央区 今後は2019年のG20(主要国首脳会議)開催、同年のラグビーワールドカップ、2020年の東京オリンピック・パラリンピック、21年のワールドマスターズゲームズ、24年の開業を目指すIR(カジノを含む統合型リゾート)の誘致、25年の大阪万博誘致など、海外から注目が集まるイベントが目白押しだ。 ゆえに関西3空港(関西空港、伊丹空港、神戸空港)の一体化など、大阪を核とした関西は東京一極集中に対する第二極を担うことを目標に世界の高みを目指した観光、都市戦略を推進していくべきだと考えている。

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    「閉店そば屋の2階です」本当にあった山中湖の違法民泊

    平野和之(経済評論家) 昨年12月、趣味の釣りのため、人気の山中湖(山梨県山中湖村)で宿泊することにした。釣りは、午前3時には起床せねばならず、高級なホテルでゆったりできるわけではないので、民宿を探した。 私は、海外出張などの際、飛行機は「エクスペディア」、宿泊は「ブッキングドットコム」を利用しているので、同サイトで民宿を検索した。古民家風の民宿が「2泊で7000円」となっており、これに決めた。 ところが、カーナビで目的地を設定し到着したが、予約した民宿の看板が見当たらない。すでにあたりは真っ暗で、民宿に何度も電話したが、誰も出ない。しばらくすると非通知の着信があり、電話に出ると、中国語なまりの男の声が聞こえてきた。私「ナビの通りに来たが、何もない。太陽光発電の畑と閉店したそば屋があるが」男「そこです」私「ん?そば屋が…」男「はい、そば屋の2階です」 嫌な予感がした。2階に上がると受付にいた中国人らしき男が「お金は現金で」と言う。明細もなければ、領収書もない。裏口に案内されて中に入ると、室内はきちんとリフォームされ、思ったより部屋もきれいである。しかし、部屋の鍵はなかった。※写真はイメージ(iStock) 詳細を聞いてみると、男はこう言う。男「私はよくわかりません。ボス(中国人オーナー)から言われているだけで」私「ここはどんな客が泊まりに来るのか」男「主に中国人です」私「今は誰もいないが」男「中国人のチェックインは遅いですから」私「日本人は?」男「たまにきますよ」私「……」男「では、ごゆっくり」 対応は決して悪くないが、どうもしっくりいかない。普通、田舎の民宿に行けば、民宿の主人や女将らが出迎えてくれるイメージがあるが、この民宿は違和感だらけだ。 さらに30分後、コンビニエンスストアに買い出しに行こうとした時、驚愕した。なんと、無人になっていたのだ。周辺は無電灯の村なのに、閉店したそば屋を改造しただけの建物の2階に1人で宿泊なんて不安で仕方ない。どうみても、違法民泊である。しかも、部屋に鍵がないだけでなく、勝手口もフルオープンで入り放題、あまりの怖さに逃げ出し、すぐに山中湖管轄の警察署に通報した。 警察官に聞いてみると以下のような答えが返ってきた。警察官「最近、多いんですよね、その手の違法民泊」私「取り締まりは?」警察官「基本、観光協会などでやってもらうので、警察がやれることはほとんどない」私「民泊が規制できなくても、民宿表記自体が違法じゃないか?お金返してほしい」警察官「民事に警察は不介入ですから、一応、電話しておきます」 結局、警察からも、観光協会からもその後の連絡はなかった。これこそ違法民泊リスクであり、実態なのだ。いずれ廃れる日本の民泊 そもそも、6月15日に施行された民泊に関する新法では、フロントの設置が義務付けられている。戸建ての場合は、同居人が必要となる地域も条例によってはある。 しかし、今回の私のケースでは、フロントが常時あるかのように装っているだけだ。さらに、明細も何もないだけに「ぼったくり民宿」として宿泊料を不当に高額にすることも可能だ。 こうした違法民泊が実際にあることを考えれば、そもそも地域によっては風営法などで、ラブホテルは実質的には新設できないが、民泊がラブホテル化する可能性も高い。また、モーテルは、防犯カメラの設置が事実上義務付けされているが、フロントがある民泊は不要だ。こうなると、「無法地帯」のような宿泊施設と化してしまう。 人目をはばかる不倫に利用されるだけならまだよいが、挙句の果てには売春やわいせつ行為といった犯罪の温床になりかねない。実際に民泊を利用した事件は相次いで報じられている。 今年2月、大阪市西成区などの民泊で女性会社員のバラバラ遺体が見つかった事件は記憶に新しい。また、3月には東京都内の民泊が覚醒剤の密輸拠点や精製に利用されていることが判明し、警視庁に米国籍の男が逮捕されるなど、悪用が目立っている。 また、大きく報じられることはなくても、女性だけで利用した場合に盗撮などの被害も多数あるという。あくまで可能性だが、テロリストの拠点に利用されることも予想され、結果的に暴力団のような反社会勢力の資金源になっていく恐れも十分ある。 こうした現状を考慮すれば、民泊の規制緩和による経済成長戦略や宿泊施設不足解消と、犯罪などの社会問題の解決コストを天秤にかけた場合、今回施行された民泊新法では不十分だ。 ゆえに以下のような対策が早急に必要であると考える。  ①民泊の無許可営業の罰則強化 ②警察の権限強化 ③民泊の防犯カメラの設置基準強化 ④戸建て建築などでの民泊の禁止 ⑤民泊衛生管理者制度の設置 ⑥違法通報制度に対するインセンティブ ⑦地域自治会との連携による徹底したセキュリティ強化 ⑧サブリース(転貸し)の禁止 さらに、山中湖村に限れば、神奈川県の水源に隣接しており、ホテル、民泊施設などの中国資本による土地取得が進む可能性がある。そうなれば、少々大げさかもしれないが、水源の権利を中国資本に奪われるなど、安全保障にも影響しかねない。国益を害するリスクがある土地取得規制の議論に、民泊も入れるべきかもしれない。 もちろん、2020東京五輪に向けた一時的な民泊の規制緩和論や地方創生を目的とした民泊を否定はしない。ただ、あまりにリスクが大きいのが現状だ。 ゆえに、地方などで経営難に苦しむ民宿の再生プランと、急増する観光客による宿泊施設不足解消を目的とした都市部での新規民宿参入をそれぞれ分けた上で、民泊新法を議論し直すべきである。 ただ、現状としては、多くのマンション管理組合で、民泊用途の許可規定改正議案は否決されている。だれしも自分のマンションに不特定多数の旅行客が出入りすることに不安を感じるからだろう。規制や取り締まりを強化し、安心感が広がらない限り、日本において民泊は遅かれ早かれ廃れていくのではないだろうか。

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    民泊新法でエアビーはどうするのか?

    サイトを運営する米エアビーアンドビー(エアビー)の日本法人の田邊泰之社長と、エアビー本社のグローバル政策担当最高責任者のクリストファー・レヘイン氏が、都内で記者会見し、住宅宿泊事業法(民泊新法)の6月からの施行に伴う3月15日から始まる住宅宿泊事業者(ホスト)の届け出を前に対応方針などを明らかにした。 田邊社長は民泊新法の施行について「日本でエアビーの民泊を普及させるために一番重要なことは、地域に合った形で事業を進めることだ。民泊を普及させるために協業の輪を広げていきたい」と述べ、地域との調和の必要性を強調した。また、レヘイン氏は「民泊新法と市町村の条例を順守するように努める。コミュニティとのトラブルは、世界各地の都市で多くの経験があるので防げると思う」と指摘した。 また新法施行によるホストへの影響について田邊社長は「(ルールが定められることで)ホストは参加しやすくなる。ホストに対して部屋のクリーニングサービスなどを提供しており、やりやすいようにサポートしている。現在の6万2000件のホストの数は、ほかの国と比べるとまだ少ない。日本では東京、大阪、京都などが多かったが、地方に眠っている観光資源が多くあるので、新法によりこうしたところが紹介されるようになるのではないか」と指摘、ホストの数が増えることに期待を示した。 いわゆるヤミ民泊を防止するための対策として、エアビーは15日にホスト登録のための画面を新しいものに切り替えた。エアビーのサイトに掲載するためには、ホストが自治体に登録した際に取得した民泊の許認可番号の記入が必要となり、この番号がない場合は仲介サイトに掲載しない。これにより、6月14日まではヤミ民泊はエアビーのサイトにアップされるが、新法が施行になる15日以降は許認可を得ていない違法な民泊はサイトから排除されることになる。 今後のグローバル展開についてレヘイン氏は「2028年までに世界中で10億人がエアビーの民泊を利用するようロードマップを描いている。世界の都市では民泊の規制と適合しながら事業を進めている。日本では空き家が多く、日本政府も空き家対策として民泊を活用できないか関心を持っている。エアビーの方式が役立つと確信している」と述べ、日本で受け入れられることに自信を示した。 新しい民泊サービスとして、今年2月から素晴らしいゲストがハイエンドな特別なサービスを提供できる「エアビー・プラス」という、ワンランク上の民泊サービスの提供を始めている。同社としては、他社との違いを出すためゲストの要望に応えられるように民泊のメニューを増やそうとしている。エアビー日本法人の田邊泰之社長(左)と、本社グローバル政策担当最高責任者のクリストファー・レヘイン氏 同社によると、2月1日現在の日本での宿泊登録件数は約6万2千件。内訳は東京都が2万1200件、大阪市が1万4300件、京都市が6200件。昨年2月1日から今年2月1日までの宿泊者総数は580万人だった。東京都が190万人、大阪市が160万人、京都市が66.6万人だった。平均宿泊日数は3.3日。エアビーの宿泊者数は2016年が370万人で、17年の1年間に約200万人も急増、全国にエアビー旋風を起こしたと言える。 しかし、全国の自治体では、民泊の宿泊数や場所などについて、地域住民の住宅環境への配慮などから民泊新法に上乗せした厳しい条例を定めるところが相次いでいる。この難しい環境の中で、エアビーがいままでと同様の多くのホストを獲得できるかどうかが注目される。

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    過去の成功体験と決別せよ 〝危うさ〟感じる人口減少対策

    河合雅司(産経新聞 論説委員) 昨年10月に実施された国勢調査において総人口が約1億2,709万5千人となった。5年前の前回調査に比べて約96万3千人の減だ。国勢調査で総人口が減ったのは1920年の初回調査以来、約100年にして初めてである。  こうした流れを止めることは極めて難しい。これまでの少子化の影響で女児の出生数が減っており、今後、出産可能な年齢の女性数が大きく減少するためだ。  人口が減ると国内市場は縮小する。消費が落ち込むと企業は設備投資に二の足を踏み、税収も増えなくなる。一方、高齢化で年金や医療や介護といったサービスを受け取る対象が増えることから、社会保障は負担増とサービスカットへと向かう。そうなれば国民の老後への不安が拡大し、ますます消費マインドを冷やす悪循環に陥っていく。  安倍晋三首相が「アベノミクスのエンジンを最大限にふかす」と笛を吹いても消費が伸びないのは、国民にお金がないのではなく、将来に対する不安が国民全体を覆っているところが大きい。高齢者から若い世代に至るまで「老後」に備えて財布の紐を堅く締めてしまっているのである。政府は賃上げ要請に懸命だが、賃金が上がったとしてもその効果は限定的であろう。  このように何かと悲観論をもって語られる人口減少ではあるが、最近の論壇では逆手にとったような論調が目立つようになってきた。「人口減少はチャンス」「人口が減ることは、むしろ経済成長にとって強みである」といった意見だ。  確かに、少子高齢化が進んでも経済成長している国はいくつもある。日本より人口規模が小さくても豊かな国だって存在する。そもそも、戦後の日本の経済成長は人口の伸びではなく、イノベーション(技術革新)による産物だったとされる。人口が減るからといって、豊かな暮らしが出来なくなるわけではない。  生産性を向上させ、同じ労働時間でより付加価値の高い仕事が行えるようにすればよいということだ。労働者1人当たりの国内総生産(GDP)が伸びさえすれば、個々の所得は増える。  問題はどのように労働生産性を上げるかである。政治家や官僚からは〝危うさ〟を感じざるを得ない発言も聞こえてくる。  例えば、外国人労働者への過度の依存だ。人口減少社会において労働力不足が最大の課題であることは言うまでもない。1人の人間が働くことのできる時間には限りがあるので、働く人の数が減少は経済活動の縮小に直結する。企業や業種のレベルで見れば、後継者が見つからず、やがて成り立たなくなるところも出てくるだろう。  こうした事態を見据えて、安倍政権は「1億総活躍社会の実現」を掲げ、高齢者や女性が働きやすい環境を整えようとしているが、それでも足りない分を外国人労働者に頼ろうというのである。これまで日本は高度人材しか受け入れてこなかったが、これを根本から見直し「単純労働」を担う外国人労働者の受け入れを事実上、解禁しようとしている。  安倍政権はすでに動きを加速させている。今国会において途上国の人々に技能や知識を身に付けてもらう外国人技能実習制度の拡大し、介護福祉士の資格を取得した留学生が日本で働き続けられるよう在留資格に「介護」を追加する法改正を行った。衆院予算委員会で答弁に立つ安倍晋三首相=2016年10月12日、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影)  団塊世代が75歳以上となる10年後には介護職が約38万人不足するとされる。これを手っ取り早く穴埋めしようというのであるが、単純労働を行う外国人労働者の受け入れ拡大は副作用が少なくない。外国人技能実習制度をめぐっては、これまでも「安い労働力」として当て込み、実習生の人権を無視するような働かせ方をするトラブルが後を絶たなかった。  安い賃金で働く外国人が増えることになれば、その職種では日本人を含めた働き手全体の賃金が低く押さえ込まれる方向に流れるだろう。外国人が多数を占めれば日本人の離職が加速する事態も想定される。  介護職を解禁したことを受けて、多くの業界団体から単純労働を行う外国人の受け入れ職種を増やすよう求め始めている。政府・与党はどこまで受入数を増やすつもりか分からないが、日本の生産年齢人口は2040年までの約25年間で1,850万人近く減ると推計されている。そのすべてを外国人労働者で穴埋めしようというのはそもそも無理がある。「必要は発明の母」と言われるが、安易な外国人の受け入れ拡大はイノベーションの機運を削ぐことにもなる。  外国人を大規模に受け入れたヨーロッパ諸国で排斥運動が起こるなど社会の混乱を来していることから目を背けてはならない。英国のEUからの離脱や、米国大統領選において過激な発言を繰り返してきたトランプ氏が当選した背景には、格差が広がりもあったが、増えすぎた移民や外国人労働者に対する不満があった。  日本でも非正規労働者が増える一方で、社会保障や税による所得の再分配機能は衰えを見せており、いたずらに外国人を受け入れれば社会の分断を招くこともあり得よう。排外主義になってはならないが、「外国人の受け入れ=開かれた国」といった理想論を語るだけでは済まされない現実があることも忘れてはならない。  〝危うさ〟を感じる例をもう一つ挙げよう。「AI(人工知能)信仰」だ。  AIの技術開発には目覚ましいものがあり、人間の能力を超える存在として語られることが少なくない。その成果は日本が経済成長を成し遂げる上で必要である。政府・与党も研究開発を促進させるためのプロジェクトをスタートさせるなど力を入れている。  だが、いまだ人間の知能を凌駕し、労働力不足を補うAIが開発される見通しは立っていない。AIの開発スピードが、日本の労働力人口の減少スピードに間に合うかどうかは分からないのである。AIを人口減少社会の課題を解決する「切り札」のように説明する人もいるが、現実の問題として何をどこまで変えるのかは冷静に見極める必要がある。  それ以前の問題として、AIの開発者たちが人口減少後の社会をどう描いているかよく見えてこない。AIは大量のデータを学習することで精度を上げていく。「正解」が明確な定型的な仕事にはその能力を発揮するが、その「正解」は人間が定義している。  求められているのは現状の業務を単にAIに置き換える作業ではなく、人口が大きく減った時代の課題にAIをどう活用するかの展望だ。何をもって「正解」とするかは、開発者が人口減少社会をどのように先読みするかで大きく変わってくるということだ。  開発者たちがAIを使った未来図を描くことなく単なる精度競争に引きずられたならば、人口減少社会における課題解決に役立たぬものにしかならない可能性もある。  AIについては、人間の仕事の大半を代替するといった見通しもあるが、人々がこなしている仕事は「正解」が不明確なもののほうが多い。AIには限界があると認識すべきであろう。AIの開発と同時に、人口減少過程でどのような課題が生じるのかをしっかりと整理し、AIと人間の役割分担を考えていく必要がある。  外国人労働者への安易な依存とAIへの過度な期待に共通するのは、人口が増えていた時代の発想から脱却し切れていない点である。外部から「新しい力」を持ち込めば、これまで成功してきたやり方を少しでも長く続けられるのではないかという幻想だ。  だが、こうした試みはいつまでも続かない。取り組むべきは、人口減少を前提として社会の作り替えを急ぐことである。  そのためには日本の強みをより伸ばすことだ。「捨てるところは捨てる」決断である。何でも国内で製造しようとするのではなく国際分業を推進する。「24時間サービス」を見直す。さらには、地域に拠点を設けて人が集まり住むことで行政サービスや民間サービスを効率的に受けられる環境の実現など検討すべきテーマはいくらでもある。  成長戦略というと、政治家や官僚からは相変わらず大型プロジェクトの構想が出てくるが、もっと「戦略的に縮む」という発想を持つべきだろう。労働生産性を向上させるためのイノベーションというのは、こうした決断による変化の中から生まれてくるものだ。  人口激減後にどのような社会をつくるのか、われわれの構想力が試されている。いまこそ「20世紀型の成功体験」と決別するときである。 ※「先見創意の会」2016年08月30日コラムを転載。

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    週末は地方暮らし 「セカンド市民制度」創設を

    【日曜講座 少子高齢時代】河合雅司(産経新聞論説委員)人口減少を前提とせよ 東京一極集中が一段と進んでいる。総務省の住民基本台帳に基づく人口動態調査(1月1日現在)によれば、日本人の人口は大阪府を含めた41道府県で減ったが、東京都は断トツの8万6164人増となった。3大都市圏でみても、関西圏と名古屋圏の減少に対し、東京圏は前年比0・31%増であった。 各自治体とも定住人口減の歯止めに躍起だが、日本全体で人口が減ることに加えて東京一極集中がこのように続いたのでは、その実現は簡単ではないだろう。 ではどうすればよいのか。発想を思い切って転換し、人口減少を前提として考えることだ。定住人口ではなく、むしろ地域への滞在者である交流人口をターゲットとして力を入れるのである。 交流人口といっても、一度きりの観光客ではない。その土地に愛着をもって繰り返し足を運ぶような人々である。それには、都会から人々が訪れたくなる縁づくりや動機、受け皿が必要となる。 そこで提案したいのが、「セカンド市民制度」(仮称)の創設だ。大都会住民が出身地に限らず、お気に入りの旅行先などを「第2の居住地」として選び、「セカンド市民」として“住民登録”するのである。 セカンド市民は週末や長期休暇のたびに、帰省のごとく「第2の居住地」に通い、地域の人々と交流を深めるイメージである。帰省する地方を持たない都会住民にとっては、まさに第2の故郷といえる場所となるだろう。「第2の居住地」を選定 交流人口の拡大策としては「2地域居住」もあるが、地方にセカンドハウスや別荘といった“もう一軒の家”を構えて維持・管理するのは、かなり金銭的に余裕のある人でなければ難しい。 とはいえ、拠点となる場所がなければ、なかなか同じ土地を繰り返し訪れることもない。そこで、セカンド市民に登録した人たちには「第2の居住地」の行政サービスの一部を受けられるような特典を与えるのである。 例えば、地元自治体が空き家や古民家を改修したゲストハウスを用意して、滞在中はそこを宿泊施設として安く利用できるよう便宜を図る。宿泊施設とは別に、家具や荷物を置ける部屋を安く貸し出すサービスがあれば、さらに便利だ。 都会と往復しやすくするため、地元自治体が月に1回程度は直通バスを手配し、セカンド市民が無料で乗れるようにしてもよい。 一方、交流人口を増やすには、その土地に自分をあてにして待っていてくれる誰かがいて、活躍できる「居場所」と「出番」が用意されていることもポイントとなる。 地元自治体は便宜を図る代わりに、例えば街おこしのアイデアづくりの協力や地域イベントへの参加を求める。祭りやイベントの裏方業務を依頼したり、ボランティア活動への参加を呼び掛けたりすればさらに交流が深まろう。 繰り返しイベントに参加すれば、あいさつする知り合いも増える。親しくなった地元住民と親戚(しんせき)付き合いになれば、家に泊めてもらったりするケースに発展もしよう。起業などにつながれば、定住する人が出てくるかもしれない。居住実態で住民税按分 「セカンド市民制度」を普及させるために、他の制度面からの支援も求めたい。 自治体が定住人口にこだわる理由の一つに住民税がある。住民票のある自治体に納付する仕組みのため、定住人口が減ったのでは自治体の税収は増えない。 これを居住実態に応じて、住民票のある自治体と「第2の居住地」の自治体とで按分(あんぶん)する制度へと改めるのである。 寄付の性格が強い「ふるさと納税」とは異なり、各自治体はセカンド市民を増やさなければ税収を増やせない。逆に言えば、それぞれの才覚と頑張りに応じて税収を増やせるということでもある。 とはいえ、いざ按分額を決めるとなれば、セカンド市民がどれぐらいの頻度で「第2の居住地」を訪れているのか実績を証明する必要が出てくるであろう。そのためにはICT(情報通信技術)を活用し、年間何日ぐらい滞在したかを証明する仕組みが必要となる。 日本中で人口が激減する時代が目前に迫っている。人々が活発に交流することなくして多くの地域は残らないだろう。改革の弊害を案じるよりも先に、まずは何ができるかを考えるときだ。

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    労働力人口減少…国際分業や「質」への転換を

    河合雅司(産経新聞論説委員) 少子高齢化に伴い、働き手不足が顕著になってきた。総務省が6月末に公表した2015年国勢調査の抽出速報によれば、労働力率(15歳以上人口に占める労働力人口の割合)が59・8%と6割を切り、労働力人口は6075万人で5年前の前回調査より295万人の減少となった。 労働力人口が減れば経済への影響だけでなく、日本社会全体が弱体化する。減少を前提に作り替え とはいえ、その解決は簡単ではない。例えば、少子化対策の効果が表れたとしても、今年生まれた子供が社会に出るには20年近くを要する。外国人労働者の受け入れも社会的なコストが大きく、労働力人口の減少分を全て穴埋めする存在とはなり得ない。 対策を講じるならば、むしろ無理して増やそうとするのではなく、労働力人口の減少を前提とした社会への作り替えに踏み出すべきだ。「戦略的に縮む」のである。 そのためには、いくつかのポイントがある。 第1は「国際分業」の必要性だ。働き手が少なくなるのだから、全ての産業でこれまで通りの規模とは行かないだろう。出生数が減れば優秀な人材の絶対数も減るため、欲しい若者を確保できない業種も出てこよう。 ならば発想を逆転し、日本人自身の手でやらなければならない仕事と、他国に委ねる仕事とを思い切って分けてしまうことである。 日本は多くの分野で国産企業が存在するが、少子化で人材が少なくなった後に、マンパワーを幅広い産業に分散していたのでは、成長分野はより誕生しづらくなる。 それよりも、限られた人材や資本を日本が得意とする分野に集中投入し、世界をリードする新たな産業として発展させていくほうが賢明だ。「少量生産」へとシフト 2つ目は、日本が築き上げてきた製造業の成功モデルが通用しなくなる点だ。 戦後の日本は、欧米の技術を輸入し改良を加えて成長してきた。安い労働力によって価格競争に打ち勝つというビジネスモデルだ。 だが、こうした「大量生産・大量販売」型のモデルは、若い労働力が豊富だったからこそ可能だった。経済発展を続ける発展途上国も近代化された工場で高品質な製品を生産できるようになったため、機械化によるコスト抑制も限界がある。賃金の低い途上国と、同じ土俵に立ち続けたのでは日本に勝ち目はない。 しかも、このモデルは巨大な国内市場によって成り立ってきた。そのマーケットが人口減少で縮むのである。 人口激減が避けられないのに「豊かな国」であり続けるには、こうした途上国型のモデルに見切りを付け、他国の追随を簡単に許さない画期的で付加価値の高い製品で勝負すべきだ。しかも少人数で造る「少量生産・少量販売」モデルへのシフトである。 それには働く1人1人の生産性を飛躍的に高め、個々の稼ぐ力を上昇させていくしかない。日本の経済成長には「量」から「質」への転換が求められている。大きく変わる「顔ぶれ」 3つ目は、労働力人口は絶対数が減るだけでなく、年齢構成、すなわち「顔ぶれ」も大きく変わる点だ。 政府は「1億総活躍」を掲げるが、抽出速報によれば、男性の労働力率が3・0ポイント減ったのに対し、女性は0・2ポイントと微増だ。子育て世代で落ち込む「M字カーブ」の底も68・0%から72・4%に上昇した。働く高齢者の増加はさらに顕著で、65歳以上の就業者数は758万6千人(前回調査比27%増)となった。 産業構造の変化も見え始めている。製造業が48万人減り、医療・福祉が98万4千人増えた。 製造業は海外展開の拡大や大手メーカーの業績不振があり、一方で医療・介護は高齢社会を迎えてサービス利用者が増えた-などと分析されているが、ケアマネジャーやヘルパーといった職種が増え、きめ細かさといった女性の能力を発揮しやすい職場の広がりが構造の変化を呼び起こした面あろう。 少子化が進むにつれて「若い力」の確保が難しくなれば、ますます女性や高齢者を織り込んだ企業は増える。高齢者マーケットも拡大するので、主力商品やサービスが変化し、仕事の進め方まで変わることも予想される。 雇用制度を見直すぐらいでは、労働力人口激減への備えとはならない。「働くこと」に対する日本人の常識を大胆に変えていく必要がある。

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    労働力不足対策より「本当に足らぬ人数」の見極めが先だ

    数の減少に歯止めをかけるには時間がかかる。それまでの間、女性と高齢者の就労を促進していくのは現実的な政策だ。女性や高齢者によって社会の縮小スピードをやわらげなから、同時に出生数増につながる政策を講じていくしかない。そうした意味では「1億総活躍社会」が目指す方向性は間違っていない。  ただ、気掛かりなのは、労働力が本当はどれぐらい足りないのかという議論が見えないことだ。 現在の社会の仕組みを前提として、 すべてをこれまで通りに行っていこうと考えるのであれば、現在の労働力人口が比較基準となる。 内閣府の推計は、労働力人口は女性や高齢者の就業が進まなければ2030年までに900万人近く減るとしているが、絶対数はこの通り減るとしても、それが不足する人数と一致するとは限らない。  例えば介護だ。プランは高齢化が進むことを織り込んで「25万人の介護人材の確保に総合的に取り組む」としているが、健康寿命の延びによって要介護者の見通しが変われば、介護ニーズの量そのものが変わるだろう。機械化による省力化をどの程度織り込むかによっても数字は大きく異なってくる。介護保険制度とは別に、ボランティアを活用したような保険外の介護の仕組みが普及すれば、必要となる職員数はさらに変わる。  さらに考えなければならないのが、ただ働き手を増やすだけでなく、人口減少下であっても生活の豊かさを実感できるようにしなければならないという点だ。労働力人口が減るということは、「超人手不足」状態が延々と続くということである。すごく単純に考えれば売り手市場であり、賃金は上がるはずだ。ところが、現実には不本意な非正規労働に追いやられている人はなくならない。  こうした状況を少しでも改善し、労働人口が減っていく中でも経済成長させていくには、これまで以上に生産性を向上させなければならない。まず、すべきは安い商品を大量生産する「 発展途上国型ビジネスモデル」との決別であろう。高付加価値商品を小人数で生み出すモデルに転換するのである。  発展途上国型ビジネスモデルは、日本が周辺諸国に比べて技術力で圧倒的に勝り、若くて安い労働力が安定的に確保できた時代にあってこそ成り立ってきた。いまや、オートメーション化された近代的な工場を建設すれば、どの国にあっても画一的な製品を作ることが可能だ。発展途上国型ビジネスモデルに固執する限り、日本は賃金が安い国々と勝負し続けなければならず、日本人の賃金をどんどん切り下げざるを得なくなる。とても太刀打ちできず、このような競争は長続きしない。  一方で、女性や高齢者の就労がかなり進んだとしても、労働力人口の絶対数が減っていくことは避けられない。  数少なくなる労働力人口が少しでも厚遇で働くことができるようにするには、日本が人口減少社会に応じた産業構造に転換した場合、どの分野にどれぐらいの人手が足りなくなるのかをしっかりと見極めて、育成する産業分野を絞り込んで投資し、さらにそれに応じた人材教育を行っていくビジョンが必要だ。  経済界には「労働力不足の解決には、外国人労働者を受け入れるしかない」との意見も根強いが、いま日本が取るべき道は、現在の社会をベースに人数の辻褄合わせをすることではない。  目の前の課題にばかり目を向けていたのでは、イノベーションや労働生産性を向上させるための新たなチャレンジを妨げ、結果的に日本社会全体の足腰を弱くすることになる。  労働力人口の減少を必要以上に恐れず、小さくとも〝キラリと輝く国〟を目指して知恵を絞るときである。※「先見創意の会」2016年05月24日コラムを転載。

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    「保育園落ちた日本死ね!」は落書き?

    「保育園落ちた日本死ね!」という匿名ブログに端を発した待機児童問題が、今夏の国政選挙にも影響を与えそうだ。騒動を政治利用する野党は勢いづき、政府与党は後手に回る。「便所の落書き」と揶揄する向きもあるが、騒動に便乗する人々の思惑も重なり、問題の本質からはどんどん遠ざかっているようで…。

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    安倍政権「女性活躍」に透けて見える「どうせ女だろ?」的価値観

    雨宮処凛(作家、社会運動家) 「安倍晋三から保育士守れ!」「安倍晋三から介護を守れ!」 「保育園落ちたの私だ」というプラカードを掲げて人々が国会前に集まった翌週、「パートなめんな! 最低賃金1500円デモ」にて、そんなコールが叫ばれた。デモ中、スピーチをしたパートで働く女性は、アベノミクスと言われながらもちっとも楽にならない生活について語り、「本当に景気が良くなっているのなら、なぜ私たちの賃金は上がっていかないのでしょうか?」と訴えた。 一方、3月20日に新宿で開催されたAEQUITAS(エキタス 最低賃金1500円を求める若者たちの運動体)の街宣では、「派遣なめんな」「嘱託なめんな」「非正規なめんな」というコールに続いて、「保育士なめんな」「介護士なめんな」という言葉もコールされた。この街宣には民主、社民、共産の野党議員も参加し、「経済イシューで野党は共闘!」「経済にデモクラシーを!」というコールがアルタ前に響き渡った。 また、この原稿を書いている現時点でまだ開催されていないが、3月25日には、保育士を目指している人たちによって、早急な待遇改善を求めて国会前でアクションが予定されている。Twitterのハッシュタグは「♯保育士目指してるの私だ」。 「保育園落ちたの私だ」というブログから、おそらく書いた本人が予想していなかったほどの規模で広がる「怒り」と「アクション」。 背景にあるのはもちろん長らく改善されない待機児童の問題などだが、この一連の動きを見ていると、安倍政権が「女性の活躍」などと言えば言うほど、女性たちの怒りが大きくなっていくような気がして仕方ない。「女性が輝く? フザけんな!」。「女性の活躍」が掲げられてから、どれほどこの言葉を耳にしてきただろう。衆院予算委員会で民主党(当時)の山尾志桜里氏(左手前から2人目)の質問に答弁する安倍晋三首相=3月15日(斎藤良雄撮影) たぶん、安倍政権の女性の活躍は、多くの女性にとってズレているのだ。 例えば3月15日、防衛省は陸上自衛隊の戦闘ヘリ操縦士や海上自衛隊の掃海艦艇乗員に女性自衛官を起用できるようにしたと発表。昨年11月には女性自衛官の戦闘機パイロットへの起用を認めた。「女性活躍推進」の一環だという。一方で、「女性の活躍」は「きれいなトイレから」などと打ち出され、「他にもう少し考えることなかったのか」と突っ込みどころは枚挙に暇がない。長らく「女性労働」を不当に貶めてきた日本社会 女性たちが求めているのは、もっと地に足がついたものだ。そして多くの女性たちが怒っているのは、「女性活躍」と言われれば言われるほど、仕事と子育ての責任が重くなるような圧力ではないだろうか。 少なくとも、子どもを育てながら働く女性に対しては、「女性の活躍」などよりも「男性の活躍」が必要不可欠だ(もちろん、シングルマザーに対しては手厚い支援が必要である)。男性に、育児や家事の分野でもっと「活躍」してもらうこと。しかし、なぜか男性の育児、家事への「進出」は、決して「活躍」とは言われない。なぜだろう? そんなこんなや「保育園落ちた」問題を見ていて思うのは、男女のいかんともしがたい非対称性だ。ブログを書いた女性は、子どもが保育園に入れなかったことで「どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ」と困り果てている。しかし、この国では、同様のことに悩み、仕事を諦める女性が多くいる一方で、同じ境遇であっても、本気で「ヤバい会社辞めなきゃいけないかも」と悩んだり、泣く泣く会社を辞める男性は圧倒的に少ない。どうして? この理由を、誰もがわかるような言葉で合理的に説明できる人はどれくらいいるだろう。長らく、「だって女だろ?」「母親だろ?」という言葉で女性たちは口を塞がれてきた。そして安倍政権の「女性の活躍」は、至るところから「だって女だろ?」「どうせ女だろ?」的価値観が顔を覗かせているように思えるのだ。 さて、この問題が注目されるにつれ、「保育士の待遇が悪い」ということも注目されるようになった。保育士の平均月収は20万円ほど。全産業平均より10万円ほど安いという。 では、なぜ保育士の給料は安いのか。これについても合理的な理由を答えられる人はどれくらいいるだろう。そして保育士と同じく「全産業平均より10万円ほど安い月給」の職業として、介護がある。 なんのことはない、「保育」も「介護」も「女が家庭で担うべき仕事」とされてきたからこそ、それが職業として成立しても、男性が担うようになっても、ここまで賃金が低く抑えられてきたのだ。日本社会は長らく「女性労働」を不当に貶めることで成り立ってきたと言ってもいい。保育にしろ介護にしろ、重労働の上、責任が重い仕事だ。命を預かる仕事でもある。それなのに「どうせ女の仕事」と、その低賃金が改善されることはなかった。これほど「低賃金」が問題となり続けているのにも関わらずだ。だからこそ、男性職員が「寿退社」しなければならないような状況が現在まで続いているのである。 このように、日本社会には隅々まで差別と言っていい構造が浸透しているのに、もう構造自体が差別を組み込んでいるので、どこから手をつけていいのかわからない状態だ。 2015年のジェンダーギャップ指数で、日本は101位だった。 女性議員の少なさや男女の賃金格差の大きさがその理由だ。そりゃそうだろう。賃金格差は非正規も含めて女性は男性の約半分だ。男性一〇〇に対して女性九十数ポイントで大騒ぎしているヨーロッパの国々からすればとてつもない「女性差別」がまかり通る国である。 女性たちは怒っている。しかし、それは何も保育園の問題だけではない。はからずも安倍政権が「女性の活躍」なんて言い出してくれたおかげで、長年放置されてきた、或いはこの社会が見ないようにしていた、そして女性たちも諦めていた数々の問題が白日のもとに晒され始めている。そして「声を上げていいのだ」と気づき始めている。 女性たちの声は今、無視できないものになっている。地に足のついた生活者である女性たちの叫びに、政権はどう答えるのか。注視していきたい。

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    「日本死ね!!!」に子供を持つママたちは何を思ったのか

     入学、入園、新年度を控えたこの時期、「保育園落ちた 日本死ね!!!」と題した、はてな匿名ダイアリーへの書き込みが話題を呼んでいる。《何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ 私 活躍出来ねーじゃねーか。》(中略)不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。まじいい加減にしろ日本。》(原文ママ) 情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)では、書き込んだ本人に直撃。投稿者は都内に住む30代前半の女性で、3月で1才になる息子がいるという。育児休暇が終わって働こうとしたら保育園に落ち、「理不尽さを感じて」投稿したという。 激しい言葉が並び、一見すると過激な文章にも読める。でも、これを読んだママたちからは続々と共感の声があがっている。都内に住む35才のA子さんは、息子を認可外保育園に通わせている。 「私も保活、大変でした。息子が生まれる直前にいくつもの園に申し込みをして、やっと決まったのが今の保育園。本当は認可保育園がよかったけど、落ちちゃった。ママ友たちは、出産がわかってすぐに保育園選びをしていたみたいです。私も、区役所に申し込みに行ったら、“もうすぐ生まれるんですか? のんびりしてますね”みたいなことを言われました。でもそれっておかしくないですか?」 保活とは、保育園探し活動のことで、熾烈を極める戦いが繰り広げられる。その背景にあるのは、これまでも繰り返し指摘されている、保育士不足、保育園不足による待機児童問題だ。待機児童の数は2009年以降減少していたが、2015年は前年に比べて増加。そもそも、出生数が減少しているのだから、減少は極めて自然な流れだろう。しかも、政府は2001年、待機児童の数え方に大きなカラクリを用いた。 待機児童の数え方の定義について、それまで「認可保育所に入所申請したのに入れなかった人数」だったものを、「認可外保育園に入っている人数は除いてもいい」とした。 するとどうなったか? 2002年、“本来”なら3万9881人の待機児童の数は、2万5447人に“減少”したのだ。 保活の世界は、完全なる“点数制”だ。希望の保育園に入るためには、点数を多く稼ぐ必要がある。子育て・家族問題に詳しい、作家の石川結貴さんが言う。 「実家が遠い、共働きかどうか、フルタイムかパートか、週に何回働いているか、介護をしなければいけない家族がいるか、他に面倒を見なければいけない幼いきょうだいがいるか、など細かく点数がつきます。高得点であることが大前提ですが、点数だけではかれない事情もあるので、自治体によっては申込書には自由記入欄があって、そこに個々の事情を書き込むことができます」 自由業だったり、収入が少しでも高いと減点され、ハードルは高くなる。育休中でも減点されるのだ。メーカー勤務のB子さん(34才)は、“子供と一緒の時間を多く過ごす”か、“保育園に入れるか”を迫られた。 「うちの会社は、娘を産んで1年間は育休を取ることができました。でも、私が育休中だと保育園に入りにくくなる。育休が明けるのを1年待つと、娘は1才になってしまって、それもまた入りにくくなる。結局、育休を半年繰り上げて、都が認可する認証保育園に入れることができました」関連記事■ 待機児童問題 2015年の新制度前に保育園に申込み殺到か■ 待機児童が減らぬ理由 保育園のブラック化や住民の開園反対も■ 公立保育園申し込み小雪に「セレブはどうぞ幼稚園に」の声も■ 2.5万人と言われている待機児童数 潜在数は85万人との推計■ 働く女性と専業主婦 月額39万円の「子育て差別」がある例も

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    「保育園落ちた日本死ね」から考える政策が必要な人に届かない理由

    ―・投資家) 先日来、問題となっていた「保育園落ちた日本死ね!」話は、多くの育児世代の共感と、有効な政策の着地のむつかしさという事例を見せてくれました。 この保育園の構造は、やはり政策の縦軸と横軸、つまり過去から今に至る問題という横軸、国の政策と地方自治体の抱える現状という縦軸を孕んでいます。過去のコンテクストを無視していきなり有効な政策を打ち出すこともできないし、国が頑張るからといって解決への道筋がストレートに見えるものでもない、ということです。保育の充実を求める署名を塩崎厚労相(右端)に手渡す育児中の女性。 左端は民主党の山尾志桜里氏=3月9日、国会 まず、政策の流れで言うならば、そもそも日本が少子化問題に突入する可能性が高いことなど、事前にすべて分かっていました。なので、1994年に「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」という、通称エンゼルプランが策定されました。これは当時の文部省、労働省、厚生省、建設省の4大臣で合意されたもので、子育て世代の負担を緩和するために少子化対策が推進されてきた経緯があります。 さらに、99年12月には「少子化対策推進基本方針」に基づいて「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画」を定めた通称「新エンゼルプラン」が策定されています。これは当時の大蔵省、文部省、厚生省、労働省、建設省、自治省の6大臣が合意したもので、「少子化対策推進関係閣僚会議」にて決定された方針に沿って、子育て世代の支援をさらに拡充しようというものでした。 実際に行われた政策の是非については紙幅の関係で詳述は控えますが、99年の段階で策定された「新エンゼルプラン」では1)保育等子育て支援サービスの充実(低年齢児の受け入れ枠の拡大、延長・休日保育の推進等)2)仕事と子育て両立のための雇用環境整備(育児休業普及率の引き上げ、短時間勤務制度の拡充等3)働き方についての固定的な性別役割や職場優先の企業風土の是正など、17年後の現在でも似たような議論がされている内容についてすでに指摘され、取り組むべき重要な政策であるとして方針を打ち立てられてきました。それでも、少子化対策については目立った効果を生むことができず、結果として出生率の大幅な下落を招くことになったのです。人口減少を押し留める「終電」を逃してしまった 国立社会保障人口問題研究所では、2016年版の最新の人口統計が出ていますが、この2000年代前半の政策の失策が結果として子供を産める世代として戦後第二のボリュームゾーンであった「団塊Jr世代」の出産ブームを起こすことができず、実質的には日本の人口減少を押し留める「終電」を逃してしまったことが克明に理解できます。人口統計資料集(国立社会保障人口問題研究所)http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/Popular2016.asp その後も、少子化対策そのものについてはさまざまな政策が試みられてきました。03年7月に「次世代育成支援対策推進法」及び「少子化社会対策基本法」を制定され、さらにこれに基づいて04年6月に「少子化社会対策大綱」を策定しています。 この少子化社会対策大綱は、10年にわたって毎年の政策課題として取り上げられ、いまでも2015年版の少子化社会対策大綱が出ていたりもします。少子化社会対策大綱(2015年閣議決定)http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/law/taikou2.html具体的内容http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/law/pdf/shoushika_taikou2_b1.pdf この中でも、行く次世代に対する配慮や、所得に関すること、子供の貧困にかかわる問題について、総花的ではあるけれどもしっかりと現状の問題や将来への対策を見据えて議論が行われてきていることが良く理解できると思います。この「次の世代にツケを回さない」という話は、先日このテーマで語ったところ、それなりにご反響を戴いたことを考えるとやはり一般にも問題意識としてそれなりに浸透してきているのだとも言えるでしょう。「賢人論。」第7回やまもといちろう氏(前編)http://www.minnanokaigo.com/news/special/ichiroyamamoto1/多数の独居老人や膨れる介護ニーズにどう対応する(政策シンクネット)http://thinknet.org/theme03/2015060801.html対策を打ち続けているのになぜ保育園問題が起きるのか これだけの時間をかけ、政府も対策を打ち続けているにもかかわらず、なぜ保育園問題が起きるのかという話になります。これこそ、政策の縦軸の問題です。この方面に詳しい駒崎弘樹さんは、ヤフーニュースで問題の構造を解説しています。内容については、もちろん一理あります。「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20160217-00054487/ また、これとは別にすでにいくつかの媒体でも保育園不足や待機児童問題は東京への一極集中の弊害に過ぎないという指摘が多数生まれました。主に経済誌などでの指摘は文字通り「保育園問題は地方では発生していない」こと、対策は国ではなく区市町村など基礎自治体の取り組み方の問題であること、保育園を充実させればさせるほど託児需要が高まってしまうジレンマや、育児環境が良いところへ家族ごと移ってくる住民移動の問題など、かなり複合的な問題であるということが分かります。保育所は、なぜ需要があるのに増えないのか? 経営してみてわかった、待機児童が減らないワケhttp://toyokeizai.net/articles/-/33576断トツで保育園不足の世田谷区 東京23区でも状況は千差万別http://diamond.jp/articles/-/59984 実際、千代田区に住んでいる私は子供を預けてはいませんが、周辺の人たちで待機児童になって困っているという話を聴いたことがないので、待機児童数ゼロというのは納得です。基礎自治体の取り組み方や、地域住民の育児世帯数の多さでこれらの問題がクローズアップされやすいということは言うまでもありません。 この横軸と縦軸を見る限り、少子化対策を打っているにもかかわらず、少なくなっている子供に対する保育が政策上確保されなくて、結果として政策のボトルネックを生んで育児世代が不幸になっている現状があります。 先日、この問題について家族政策の課題をメルマガやシンポジウムなどで解きほぐしてみたのですが、突き詰めて言うならば、政策が必要な人に届いていない現状を解決する過程なのでしょう。社会保障費を減らし育児世代に回せという世代間闘争 また、政府の取り組みについても、後付けで「日本死ね!」が出て騒がれたのもありますが、そもそも昨年12月に大きな予算を家庭につけていくことで予算が審議され、可決されています。これだけ騒がれているのになぜ政府は対策しないのか、という話があったのも事実ですが、よく見てみるととっくに予算の増額を終えてこれから対応するのだという矢先のことであったという風にも見えます。育児、観光軸に73・1兆円 16年度予算、政策経費最大http://www.47news.jp/news/2015/12/post_20151221212800.html そうなると、政策の方法として認可保育園という制度のままで本当に良いのか、託児をする人への扶助ではなくて、育児世帯への家計全体への扶助と、健全な保育園間の競争を促す方向へとシフトしていかざるを得ないのかもしれません。 逆説的に、前述している駒崎さんの議論の中で、保育士への給与を増やして労働人口をあるべき方向へ動かすよりは、育児世帯に直接給付などをしながら「保育園に預けていようがいまいが、子供を育てているという社会貢献に対して国が助成する」ことのほうが政策として合理的になってしまうことになります。 少子化対策や育児世代の負担を減らしていくぞとなると、さらには財源の問題にも差し掛かります。何度も議論されてきたことですが、通り一遍に国家公務員を減らしたり、国防費を削ったりしても財源には程遠い現状です。そうなると、文字通り日本の労働人口減少による経済の衰退によって貧しくなりパイが減っていくなかで、老人に対する社会保障費を減らして育児世代に回せ、という世代間闘争が永田町や霞ヶ関の両側をはさんで勃発することになろうかと思います。 つまりは、保育園問題自体は単体で存在しているものではなく、国全体、社会全体として子供を育む環境をどう作っていくのかという長年にわたる問題である、国の根幹にかかわる課題なのだ、と知っていただきたいところです。

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    待機児童問題で東京都が保育園をつくるべきではない理由

    この問題解決のために、どのようなアプローチをしていく必要があるのでしょうか。以前から私が主張している政策の繰り返しになる部分もありますが、改めて以下にまとめてみたいと思います。●そもそも保育所・保育園で解決するという発想からの脱却 結論から言うと、保育所というハコモノ・施設でこの問題を解決することは不可能です。ただでさえ土地がない・高い東京都で保育所を増設するのには、非常に高いコストがかかります。 また将来的には人口減少に向かっていくことが確実なので、どれだけ国や広域自治体が補助を出して促しても、実施主体である基礎自治体がこれから保育所を新設しようとする動きは非常に鈍くなりますし、実際に鈍いです。 例えば江戸川区などは、将来的な人口予測を元に、「保育所の増設で対応するつもりはない」と言い切っています。ハコモノはいったん作ってしまうと、その後の処理が本当に大変ですからね…。新設コストが非常に高いため、基礎自治体は及び腰↓世論に押されて一定数の保育所は整備するものの、潜在需要が顕在化するので待機児童は減らない↓ますます基礎自治体の負担が増え、消極的になる保育所による待機児童解決アプローチは完全に、この負のスパイラルに陥っていると言えます。「保育所をつくるのをやめろ!その分を利用者に配れ!」●小規模保育や派遣型保育、ベビーシッターの活用に舵を切る じゃあどうするの?という点については、小規模保育や派遣型保育・ベビーシッターの活用に舵を切るしかありません。 特に小規模保育は猪瀬知事時代に一定の補助スキームが確立されましたが、派遣型保育・ベビーシッターに対しては未だにほとんど行政の補助がありません。(基礎自治体が独自に行なっていることはあっても、東京都はほぼ無策) 利用者のニーズに合わせて自宅で保育を行うシステムであれば、需要次第で供給が調整できるので、今後の少子化にも機動的に対応できます。 私が当選前から主張していることですが、フランスなどではベビーシッターが保育の中心で、保育所というハコモノに預けられている子どもはごくわずかです。参考:日本は子育て貧困国!子育て支援政策をフランス流へhttp://otokitashun.com/agenda/p01/もちろんこの方向性に舵を切るためには、「ベビーシッターなんて危険!公立の施設が安心安全」「そもそも、見ず知らずの他人に自分の子どもを預けるなんてダメだ!」という世論(偏見)を変えていかなければなりませんが、その点の普及啓発も含めて東京都が率先して努力していくべきでしょう。若い子育て世代はだいぶ、こうした偏見からは脱却しているように思えます。●補助金を供給側(施設)から需要側(利用者)へ。子育てバウチャーの導入を では具体的にどのように施策を展開していくかというと、保育所をつくる・運営するために出している補助金を、利用者側に転換していくだけ。まるまる新たな財源を創りだす必要はありません。 認可保育園というのは、本来利用者が負担すべき金額を行政が施設側に補助するから安く使えているわけで、保育園に入れない人たちはこの恩恵に預かれません。 見方によってはこれほど不公平な制度はありませんので、冒頭の記事の中でも>保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。という一文がありましたが、保育・子育て関連のみに使えるバウチャー(クーポン券みたいなもの)を子育て世帯に一律で給付すれば良いのです。 保育所に当選した人は、そのバウチャーを保育料に使えばいいし、ベビーシッターを利用する人はシッター代に充てることで、誰もが安価に保育サービスにたどり着くことができます。 バウチャー利用を見込んで、新規の保育事業者の民間参入も加速するでしょう。さらなる利点として、バウチャーを利用できる事業者を登録制・認可制にすることで、不安視されているベビーシッターの質を担保・高める効果も期待できます。 バウチャー導入は待機児童問題を解決するとともに、共働きで高額納税している人ほどなぜか保育園に入れないという、「受益と負担」の不公平を是正することにもつながるのです。■ …というわけで、冒頭記事の筆者の主な主張は「もっと保育所をつくれゴルァ!」ということだったのですが、むしろ解決策としては「(行政が)保育所をつくるのをやめろ!その分を利用者に配れ!」という方向が正しいのではないかと思います。もちろん民間参入による保育所の新設は必要ですし、そのためには保育士不足の改善=保育士の待遇改善に十分な投資をしていかなければなりません。 そもそも全体的に子育て世帯・子どもたちに対する投資額が、わが国は先進国にあるまじき低さであることが諸悪の根源です。オジサン政治家たちは口先ばかりで、この問題に本腰を入れませんので、次世代の政治家や世論が声を大にして突き動かしていく必要があります。 バウチャー制度の導入を唱える政治家・議員はまだそれほど多くありませんが、この理念の普及とともに、議会での政策提言も粘り強く続けて参ります。(公式ブログより2016年2月16日分を転載)

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    待機児童問題を一時的なブームや選挙の道具にしてはいけない

    介撮影) また、安倍政権では、労働者減少社会への対応として、一億総括社会と働く女性への支援というのを政策課題として上げており、女性が働きやすくする環境づくりが一つの政策テーマになっているわけである。だからこそ、待機児童の解消は政権の大きな責任にもなっている。しかし、保育所建設をめぐる周辺住民との問題や保育士総数の問題など物理的限界もあり、予算をつけることは大切であるが、予算をつけただけでは解決できない問題でもあるわけだ。 では、予算について見ていこう。民主党の待機児童問題での自民党批判を受けて、インターネットでその検証が始まり、民主党にもその責任があるのではという声が広がった。 これに対して、民主党の玉木雄一郎議員は「待機児童問題に関して、民主党が事業仕分けで保育所関連経費を削減したとのネット情報があるが、全くのデマだ。公立保育所の予算は小泉政権時代の「三位一体改革」で平成16年に運営費が、福田内閣時代の平成20年に整備費が、それぞれ一般財源化されており、そもそも国の予算ではなくなっている。」と民主党の責任を否定、これを受けて、蓮舫議員は「保育所関連施設を事業仕分けの対象にした、との間違いが時々見受けられますが、そもそも自民党が一般財源化したもので国の予算ではないためあり得ません。」とツイートした。 質問を無視しツイッターをブロックした蓮舫議員 では、事実はどうだったかという話になる。確かに小泉政権下での三位一体改革で『公立』保育所の補助金カットが行われたのは事実である。しかし、これは公立に限定されており、その大半を占める『認可保育所』への支援はカットされていない。また、『認可保育所』への予算が仕分けにかけられたことも間違いのない事実である。しかし、仕分けの結果、現状維持とされたのだった。しかし、仕分けにかけられたことにより、地方自治体などの現場レベルで追加の予算獲得ができなくなったのも事実なのだ。  また、蓮舫議員の『そもそも自民党が一般財源化したもので国の予算ではないためあり得ません。』というツイートに関しては、明らかに間違った発言であり、国が関与していないならば、国会で予算審議をする必要もなく、政権批判をする事そのものが間違いということになる。 私がこの問題に関して、ツイッターで蓮舫議員に資料とともに疑問を投げかけたところ、一方的にブロックされてしまった為、残念ながら蓮舫議員の返答をもらえなかった。安倍政権に対して、国民の声を聞けといっている民主党議員として、責任のある回答をいただけると思っていたわけであるが、非常に残念である。 公的資料を元に考察すると、保育関連予算に関しては、民主党政権から自民党政権に変わってから、実に2倍以上に大幅に増やしているのが事実である。平成23年:4082億 平成24年:4304億 平成25年:4611億政権交代平成26年6248億 平成27年7975億 平成28年予算案 9294億 しかし、現実問題として、待機児童がなかなか減らない現状もある。これは生活スタイルの変化による保育希望者の増加が最大の要因であると思われる。この問題に関しては、単に認定保育所を増やせば良いという問題ではなく、税が使われる以上、どこまで社会が面倒を見るのかという議論も必要であると思われる。  また、この問題は家族と国家のあり方にも関わる問題であり、一時的なブームで終わらせるべき話ではなく、『安直な政権批判』や『選挙の道具』に使ってはいけない問題であるのだと思う。 この5年間で2倍以上に増えているのは、国会の厚生労働委員会に所属する議員の努力と審議の結果である。厚生労働委員会に属するなど厚生労働行政に全く関わっていない一部の議員が騒いでいるが、これは近く行われるであろう選挙の人気取りのために子供を利用しているようにしか私には見えないのである。

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    地方の中小企業経営者が現場から見た「女性活躍」のリアル

    玉木潤一郎(経営者) 「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名ブログが、国会でも取り上げられ、その後ブログの賛同者が厚労相に対し署名を手渡すまでに至った。小さな意思表示が日本中に伝わり、それが国会にまで届く速度は、SNSの普及によって飛躍的に高まったと言えるだろう。 この件については、私の周りの働く女性達からも、様々な声を聞く。日本が子育てしながら働く女性に対していかに酷薄であるか、また出産後に社会復帰して活躍したい女性の負担がいかに大きいか、共感の輪が広がっている。 保育園の整備など、国や地方自治体が取り組むべき問題は多く、そこに関する議論は数多く目にするが、反面、この手の問題に対しては、働く場を提供する側である企業の、ひいては経営者が沈黙しがちだ。 なぜか。 経営者がこの手の問題にうかつに発言すると、どうしても雇用「する側」「される側」という視点で受け取られがちであるからだ。そうでなくても労務問題はデリケートで、経営者にとっては扱いづらい。中小零細企業の経営者には、営業や技術に長けた者は多いが、労務畑の専門家は極めて少ないことも影響しているだろう。 しかし今回、地方で零細企業を経営する一人として、また地方で起業支援に取り組んできた者として、誤解を恐れずに少々もの申してみたい。 なお、日本の企業総数の99%は中小零細企業であり、日本の人口の90%は東京以外の地方に住んでいる。私の「地方で小さな会社を経営している」という立場は、経営者としては数値的にも多数派であることも申し添えておきたい。企業にとって子育て女性を受け入れる態勢とは 先のブログ炎上から飛び火して、女性が活躍するためには「企業がもっと女性活用に積極的にならないと問題は解決しない」という見方が強まっているように思う。しかし経営側にとって出産前後の女性の雇用問題は、極めて多面的な問題をはらんでおり、安易に取り組みづらいのも事実だ。 さて、女性が妊娠・出産したからといって、言うまでもなくその業務能力までが低下するわけではない。まして、これまで何らかの重要なポジションにいた女性であれば、経営側も仕事を辞めないで頂きたいし、出産後は戻ってきて欲しいと考えるのが普通だ。 私の経営するいくつかの会社でも、女性社員が妊娠した場合には、本人が望む限り、産休・育休を取得している。その女性社員が携わる業務の内容に関わらず、である。そして、育休後の女性が職場復帰する時機は、まさに今回のブログ問題と同様に、「子供を預けられる保育園が確保できた」その時である。周囲の女性の理解が必要な中小企業の産休・育休 さてその場合に、中小零細企業において問題になるのは、産休・育休中の女性が休んでいる間の業務をどうするか(具体的には誰がやるか)、という点だ。あるいは職場に復帰した後も、時短勤務中に不足する業務の配分をどうするかという点も問題になる。中小零細企業の経営者が腐心するのは、まさにそこであり、産休・育休を取得する女性と、会社・経営者との間の溝は、決して深くない。 会社全体の業務に対して、一人の女性社員が担う業務の割合は、会社の小ささに反比例して大きくなる。しかし育休後の復帰を考えると、産休・育休中の安易な人員補充は、人件費が過大になる可能性があるため、実施に踏み切れない。いきおい、現状のスタッフで乗り切るしかないのだ。 そして大抵の場合、女性が抜けた穴は女性が埋めざるを得ないことが多い。私の実感として、会社が小さいほど、そして地方になるほど、男女間で仕事の役割がより区分けされることが多いからだ。 誰かが産休や育休をとって、さらにその後の復帰を望んだ場合、経営者だけが子育て女性の活用に理解があれば良いというわけではない。最も理解を求めなければならないのは、それをフォローする他の女性社員たちなのだ。 経営者がそこを軽視すれば、配慮は贔屓に感じられ、権利行使が他の社員の不公平感をあおる事になりかねない。小さな会社の経営でもっとも注意すべき点の一つは、”不公平であると社員に感じさせない”ことだと言っていい。中小企業の産休・育休は周囲の女性の理解によってのみ成り立つ 幸いにも私の会社では、女性社員同士がフォローし合って、何人かの産休~育休~復帰のプロセスを順調にこなしており、今のところ問題は起きていない。これは決して自画自賛ではなく、経営側の仕掛けよりも、むしろ社員間の理解と思いやりに負う面が大きい。つまり今のところ問題がないからといって、それが今後の円滑な運営を約束するものではないのだ。 子育てと仕事を両立させようという女性は、社会全体の取り組みとして大切にしなければならないが、だからといって仕事に専念する他の女性に過度な負担増を強いて是とするわけではないし、企業側もそれをカバーするために労務費を増大させれば、経営そのものが揺らぐ。大抵の経営者は女性を活用したいと考えているが、小さな会社においては経営者の方針だけでは実現できないこともある。 産休・育休を対象にしたスポットの助成金程度で解消する問題でもない。ましてや地方自治体が取り組む女性活用に関わる表彰やアンケート(当社にもよく送られてくる)など、気休めにもならない。それらは毎日が戦場の中小零細企業経営者にとっては、余計な手間を強いるばかりで、むしろ迷惑だ。 「匿名だから」と切り捨てようとする国会に、子育て女性への支援に充分な配慮が行われると期待することはまだまだ難しいだろう。【参考記事】■なぜ上戸彩さんは叩かれても産後3ヶ月で復帰するのか?http://sharescafe.net/46970046-20151121.html■「賃金は1分単位で支払う」というサンクスの労働協約に対する違和感http://sharescafe.net/48110476-20160317.html■なぜスイスのマクドナルドは時給2000円を払えるのか?http://sharescafe.net/44507403-20150429.html■「残業代ゼロ法案」は正しい。http://sharescafe.net/44298878-20150416.html■退職時に有給消化をする従業員は「身勝手」なのか?http://sharescafe.net/40070575-20140728.html

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    保育所を保健所 安倍首相の言い間違いの心理を学者分析

     3月11日の参議院本会議で、安倍晋三首相が待機児童問題に関連し、「保育所」と答弁すべきところを「保健所」と言い間違える一幕があった。首相は「保育所」と言い直したものの、議場が騒然となり、その後、野党から批判を浴びた。なぜ首相は誤読してしまったのか。駒沢女子大学教授で心理学者の富田隆氏が心理的な背景を分析する。* * * 精神分析のフロイトは、言い間違いや行動のミスは偶然ではなく、その背景に、無意識の要素が潜んでいると言っています。今回も無意識のプロセスが働いていると思います。 安倍首相が保健所に対して、どんなイメージを持っているのかが問題となってきます。ポジティブなのかネガティブなのか、それによって、言い間違いの意味が違ってきます。 保健所というのは全国的にあるもので、必要性もみんなが理解していて、必要な数がある施設。それと同じように、保育所もこれから増やしていくんだ、という思いが強くあれば、ポジティブな意味になりますよね。株式会社が運営する認可保育所を視察し、園児と交流する安倍晋三首相=平成27年5月、横浜市保土ケ谷区(代表撮影) しかし、保健所について、ネガティブなイメージを持つ人も少なくないと思うんです。保健所で野良犬、野良猫が処分されているということは、周知の事実です。すると、あまりポジティブなイメージを持ちませんよね。 ネガティブなイメージのものをポンと言ってしまうのは、首相が抱えている待機児童問題、保育所をさらに増やしていかなければいけないことに対して、降りかかった火の粉のように考えている、つまり、やらざるを得ないこと、仕方がないことと、ネガティブにとらえている可能性はあります。 決めつけることはできませんが、どちらの可能性もあるということです。 もちろん誰でも、疲れるとミスが増えます。ただし、ついうっかりミスの背景に、そうした無意識のプロセスがあると心理学では考えます。保育所を、同じような施設として「幼稚園」と言い間違えることはありますよね。いろんなミスの可能性がある中で、「どうして保健所なの?」という点が今回は、問題視されていると言えます。 その場合に、さきほど述べたように、保健所についてどういうイメージを持っているのか。ネガティブなのかポジティブなのかで、話が違ってくるのです。 安倍首相の誤読の3日後、自民党の藤井基之議員も、同じように保育所を保健所と言い間違えてしまいました。その理由は、安倍首相と異なると思います。 先に安倍首相の間違いがあり、とても印象的なシーンだったので、皆さんが憶えているわけです。すると、自分は同じ間違えをしちゃいけないと思うわけです。それを強く意識しすぎてしまうと、ミスしてしまうということがあります。 2人の誤読は、議場でもメディアでもバッシングされました。同じような立場の方は、2度としてはいけない間違えだと今、思っていることでしょう。その思いから、安倍首相や藤井議員と同じ誤読をしてしまう人が現れるかもしれません。関連記事■ 犬との面会や施設の見学に応じないペット引き取り業者に注意■ 舛添東京都知事 路上での弁当販売を規制強化で潰す大間違い■ 飼い主の孤独死、認知症… 高齢化社会が抱えるペット問題■ NHK紅白歌合戦珍事件 加山雄三の「仮面ライダー事件」とは■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」

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    「保育園落ちた日本死ね」の衝撃…子育て孫育ては女性活躍の場を作れる

    石蔵文信(大阪樟蔭女子大学教授) 政府は女性に活躍してもらって日本経済を立て直したい方針のようだが、女性にとっては負担ばかりを押し付ける男性に都合のよい話と受け止められているようだ。 若い世代が子供を産んで活躍するには保育園などの充実が必須であるが、需要に供給が追い付いていないのが実情。最近では、出産3カ月目から子供を預けられずに、退職に追い込まれそうな人から『保育園落ちた日本死ね』という痛烈なメールが発信され、社会問題化している。 実は保育園は確実に増えているが、入園を希望する人がそれ以上に増えて待機児童は増加する一方という実態がある。子供を預けることができれば働きたいという親は潜在的にかなりいる。 一方、子供に対する虐待が増えているが、児童相談所だけでは早期発見は困難である。そのような点から、私は仕事をしている、いないにかかわらず保育園を義務教育化すれば待機児童と虐待の問題は解決するだろうと以前から主張してきた。 問題は、保育士不足とその待遇だ。急に保育士を倍増するのも困難であるし、待遇が悪ければ、給料の良い一般企業に就職するだろう。さて、ここまでは高齢者の健康と何ら関係のない話のようだが、実は子育てと高齢者の健康は大いに関係がある。 最近よく耳にするのが、保育園の建設に反対する高齢者の話題だ。子供の声がうるさいようで、騒音と同じレベルで論議されて、保育園が過剰に萎縮しているのは悲しい。 仕事をしている人は家にいないので気にならないだろうが、家にじっとしている高齢者には子供の声ですらイラつきの原因になるようだ。自分の孫が遊びにきたときにはうるさいとはあまり感じないと思う。おそらく“他人の子”の声だからイラつくのだろう。(記事とは関係ありません) 家に引きこもっている高齢者の共通の悩みは“不眠と食欲不振”である。私からすれば疲れないから寝にくい、ご飯がおいしくないのは当たり前の話である。 早くから睡眠薬を飲んでも寝られず、夜中に追加するものだから、朝に作用が残って転倒して大腿骨骨折など引き起こして寝たきりになってしまう。食欲がないので、胃腸薬ばかり服用するから逆に体調を崩す。仕事がなければ無理に寝る必要もなく、食欲がなければ無理に三食する必要もない。薬を飲むよりも日常活動を増やして体を疲れさせれば、睡眠・食欲の問題は解決する。 では、何をすればよいのだろうか? 私が推奨するのは“子育て(孫育て)”である。自分の孫が近所にいれば積極的に送り迎えをする。1~2時間でも一緒に遊ぶ。孫がいても遠い人や孫のいない人は近所の保育園などでボランティアをすればどうだろうか? まだボランティアを受け付けている施設は多くはないが、ある程度の講習を受けた人が保育園でボランティア、特に朝早くと夕方に参加できるようになれば、保育士の負担はずいぶんと減るだろうし、参加者も子供の声をうるさいと思わなくなるだろう。 子供たちの世話は疲れる。ヘトヘトになれば食欲もわくし、よく寝られる。実際、私は二人の孫の世話をよくしているが、孫がいる日は、午後10時前には意識を失う。そのため、原稿も遅れがちになる。高齢者が健康になり医療費が削減できれば、保育園を増やし、待遇も改善できる。このように高齢者の子育て参加は多くの効果を期待できる。

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    日本の少子化は、GHQによる〝人災〟だった

      だが、人口の多寡が「国力」を左右した戦前・戦中においては、人為的に人口を減らす産児制限は〝禁断の政策〟であった。占領下にあったとはいえ当時の日本政府は拒絶反応を示した。「民族の自殺」であり、将来的な国家の滅亡につながると考えたからだ。国会で芦田均厚相は「一度出生率が減少する傾向になった場合には、いかなる民族でも、これを人口増加の傾向に回復することが困難である」と危機感をあらわにしている。第二次世界大戦が終わってもなお、日米間で人口をめぐる戦争が続いていたのである。  詳細については、筆者の最新刊である『日本の少子化 百年の迷走 ――人口をめぐる「静かなる戦争」』(新潮社)にまとめたので是非、そちらをお読み頂きたい。本稿ではその一部を紹介することにする。  GHQが「人口戦」を仕掛けたのは、食糧難にあえいでいた戦後の日本で人口過剰論が擡頭したためだ。これを放置すれば、「いずれ日本は軍事的野望を再燃させるか、共産国化に結びつく」と懸念したのである。  だが、占領国が人口抑制策を押しつけることになれば、国際社会から厳しい批判を浴びる。そこでGHQは、日本人自身の手によって普及させるシナリオを描いた。  目を付けたのが、戦前の産児調節運動家のリーダーであった加藤シヅエ氏たちだった。そのやりとりが、自叙伝『加藤シヅエ ある女性政治家の半生』(日本図書センター)に残されているので引用しよう。  「ある日、ジープが家の前に停まりましたの。(中略)二世で、塚本太郎さんというGHQの民間情報教育局の方でした。家に上がっていらっして、こうおっしゃるの。『今日は実は、お願いに来ました』って。何事かと思いましたら、『日本に新しい民主主義の法律を作らなくてはならないので、御夫婦にいろいろな意味で相談相手になって貰いたい。非公式に顧問を引き受けて頂けませんか』とおっしゃいました」というのだ。  GHQが加藤氏たちに期待したのは、産児制限の合法化だった。そのためには加藤氏を国会議員に押し上げる必要があった。これについても自叙伝に生々しく書かれている。  「ある日、GHQの将軍が突然訪ねていらっしゃったんです。『どうしてあなたは立候補しないんですか』って訊かれましたので、『夫が立候補しているのに、私まで出るなんて考えられません』と申しましたら、『婦人参政権を与えよと言ったのは、あなたじゃないですか。戦前から運動を続けて来た張本人が、そんなことでいいんですか』って、懇々と説得なさるんです」というのだ。衆議院議員となった加藤氏たちは、産児制限を認める優生保護法を成立に漕ぎ着けた。  産児制限が大きく普及したのは、日本政府が推進に転じてからだ。占領下の日本の悲願といえば国家主権の回復だが、サンフランシスコ講和会議を前にして政府内に「独立国になるには人口問題を自ら解決できることを国際社会にアピールする必要がある」との声が高まっていたことが背景にあった。  日本政府の方針転換を受けて優生保護法に改正が加えられ、世界で初めて「経済的理由」でも中絶が認められる国になると、戦後のベビーブームはピタリと終わった。そして、主権回復から間もない1952年5月には、「経済的理由」に該当するかどうかの判断を医師に委ねる再度の法改正も行われ、日本は今日に至る長い少子化の歴史を辿ることになったである。  GHQの働きかけは法改正だけではなかった。「少なく産んで、大事に育てる」という考え方を定着させて行ったのだ。産児制限はGHQの生活改善運動に乗って地域ぐるみの「新生活運動」の一環となり、日本人の価値観を決定的に変化させたのが新憲法であった。日本国憲法24条に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」と盛り込んだことが、日本人の結婚や出産に対する考え方を大きく変えた。結婚は人生における選択肢の一つとなり、現在の未婚・晩婚ともつながっている。  ベビーブームの終焉は、「中絶ブーム」の到来でもあった。1957年には10人の子供が生まれてくる間に7人は中絶されるという異常事態となった。これには、日本政府も動揺を隠せなかったが、妊娠をコントロールする術を知った国民の価値観を引き戻すことはできなかった。  さらに、戦後の民主化教育で「産めよ殖やせよ」という戦前・戦中の人口増加策に対する国民の反発やアレルギーが醸成されていたこともあって、政治家や官僚たちが国民の結婚や出産といった政策に口出しすることをタブーとする雰囲気が政府内に出来上がって行った。「民族の自殺だ」と強く抵抗していた敗戦直後のような強い反対意見は次第に聞かれなくなったのである。  ここまで、かなり大掴みながら、GHQの主導で始まった日本の少子化の流れを見て来た。そして今、安倍晋三政権は、歴代内閣が避けてきた「2060年に1億人程度の人口確保」という数値目標を掲げ、結婚や出産に関する国民の希望が叶った場合の「国民希望出生率1・8」を実現させるべく、取り組みを強化し始めた。人口が減り始め、もはや日本には時間的な余裕がなくなってきたということだ。  目標の実現は簡単ではないだろう。だが、出来ない理由を探すだけでは何も変わらない。久々の出生数増のニュースに接したことを契機に、70年近くも前のGHQによる呪縛を解くことから始めたい。※「先見創意の会」2016年01月05日コラムを転載。

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    「1億総活躍社会」は今年の流行語大賞に絶対なって欲しくない言葉?

    高橋秀樹(放送作家/日本放送作家協会・常務理事)(メディアゴンより転載) 「1億総活躍社会」というのは官僚が考えそうな、そして、「それいいね」と、安倍首相が言いそうな、実にセンスのないスローガンである。 「プロパガンダは娯楽の顔をしてやってくるもの」であるが、娯楽の顔さえ装っていない生硬な言葉である。毎年この時期、「流行語大賞」のノミネートが話題になり始めると、絶対に大賞を取って欲しくない言葉というのが見つかる。 例えば、1998年おっぱいが売りの笑いのコンビらしき女子コンビ・パイレーツの「だっちゅーの」であった。他の芸人がこれ以上の言葉を生み出せなかったのも情けない。 「これがすごい!」と思われるのも笑いを業とする者が馬鹿にされたようで不愉快だった。でも結局、大賞を取った。大賞を獲るとテレビで繰り返し放送されるからそれがまた腹立たしさを増殖する。 今年はどうか。「五郎丸ポーズ」であろう。にわかラグビーファンが蔓延して、どこの忘年会でもこのポーズをしている上司に拍手をする・・・といったお追従を見せられるかと思うと今年の年末は酒を飲みに行くのやめようかとさえ思う。 では、「1億総活躍社会」はどうか。安倍首相が会場に賞状をもらいに来るという確約があるなら是非大賞をあげて欲しい。安倍首相(右から2人目)と加藤1億総活躍担当相(右)に、一人ひとりが輝き活躍できる社会の実現に向けて申し入れをする公明党の石田政調会長(左から2人目)ら=11月24日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影) 「1億総活躍社会」は当初すぐに「一億玉砕」や「一億火の玉」が連想される言葉だとして、糾弾された。テレビを見ていると「一億総白痴」になると言われたりしたし、日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える1970年代の「一億総中流」というのもあった。 中流とはお手伝いさんを常時ひとりは雇っておける家庭のことを言うのだという反論もあった。「一億総中流」は、人並みと言うくらいの意味で使われた。 「1億総活躍社会」について、11月10日の朝日新聞「わたしの紙面批評」で湯浅誠氏(2008年・年越し派遣村の村長という説明が一番わかりやすいだろう)が、興味深い論考を書いている。(以下、引用)「(『1億総活躍社会』について)安倍総理は『若者も高齢者も、男性も女性も、困難な問題を抱えている人も、また難病や障害を持った人々もみんなにとってチャンスのある世界をつくっていく』と訓示した。個人をターゲットに『さらにがんばってもらう』とは言っていない。(略)朝日はこの部分を翌日の朝刊で報じなかった。私はそのことに違和感を覚えた。権力監視はジャーナリズムの主要任務だが、それはただクサすこととはちがうだろう」(以上、引用) 湯浅氏の論考は「1億総活躍社会」において安倍首相が言葉通りのことをやっていくかどうかこれからマスコミは注視していくべきである。と言う意味を含むと筆者は理解した。 この「1億総活躍社会」を共生という言葉で実現しようとしている人々もいる。 人種も、性別も、性同一性障害の人々も、障害者も、宗教の違いも、金持ちも、貧困な者も、政治信条の違いもすべて乗り越えて、共に生きていこうとする社会が共生だ。英語ではインクルージョン(Inclusion)という。 筆者は少なくとも「1億総活躍社会」が安倍首相のいう意味と同じなら『共生』と言う言葉の方が好きである。言葉としてのインパクトは全然無いけど、真実には大抵インパクトは求められない。 以下、蛇足としての戯れ言としてお読みいただきたい。「1億総活躍社会」の中の言葉を入れ替えていろいろな言葉をつくってみた。・出演者総活躍番組・精神科医総活躍日本・官僚総活躍省庁・仁義総活躍任侠・AKBだけ総活躍テレビ・派遣社員総活躍大企業・米軍総活躍琉球・薬メーカー総活躍病院・モンサント総活躍TPP・国民の代表総活躍国会 あなたはどれを望みますか。

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    一億総活躍ならぬ「一億総カツアゲ」社会に私たちは生きている

    雨宮処凛 「単に金銭的な意味での『一億総中流』を私は志向しません。そうではなくて、若者もお年寄りも、女性も男性も、難病を抱えた人も障害がある人も、一度失敗した人も、みんなが活躍できる社会を作るために、それを阻むあらゆる制約を取り払いたい。そうした思いから生まれたのが『一億総活躍』なのです」 文藝春秋2015年12月号に、安倍晋三氏が執筆した「『一億総活躍』わが真意」から引用した一文だ。 この原稿には、「新・三本の矢」の説明もある。「希望を生み出す強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」―――。「何か言ってるようで何も言っていない言葉選手権」があれば、間違いなく優勝できるレベルではないだろうか。 同原稿で、安倍首相は自身の「失敗」にも触れている。 「私自身が一度失敗した人間だからこそ強く主張したいのが、失敗しても再チャレンジできる社会の構築です」 06~07年の第一次安倍政権時、突然総理の座を投げ出したことに触れているわけだが、祖父が総理大臣という政治家一家に生まれ育ち、生まれてこのかた「お金の心配」「失業の心配」「生活の心配」などとは無縁だった安倍首相の「失敗談」に共感するほど、庶民の暮らしは甘くない。 第一次安倍政権時、社会問題として大いに注目を集めたのは若者の貧困化や不安定化、非正規化だった。当時、安倍首相は「若者の再チャレンジ」という言葉を強調したが、その言葉を繰り返すだけで根本的な対策は何もしなかった。それどころか、この夏の国会では貧困化、不安定化、非正規化を更に押し進める労働者派遣法の改悪を断行。当時30代だった層はもう40代に差しかかり、更なる苦境に経たされている。自分だけが再チャンレジに成功しているのである。追いつめられる暮らし それだけではない。「アベノミクス」の恩恵などとは無縁の、圧倒的多数の人々の暮らしはじわじわと追いつめられている。第二次安倍政権になってから、貯蓄ゼロ世帯は前年比5ポイント増で31%と過去最悪の数値に(2013年「家計の金融行動に関する世論調査」)。また、15年7月に発表された国民生活基礎調査によると、「生活が苦しい」と感じている世帯はやはり過去最高の62・4%。86年の調査開始からもっとも高い数字だという。世帯ごとの平均所得も約529万円と前年比で8万円以上ダウン。特に苦しいと感じているのは「子どものいる世帯」で67・4%。高齢者世帯も58・8%が「苦しい」と回答している。 また、今年11月には厚労省が、非正規雇用率がとうとう4割に達したことを発表。学生や主婦のパートなど「選んで」非正規をしているのだから問題ない、という意見もあるだろうが、非正社員のうち、生活を支える主な収入が「自分自身の収入」という人は48%。そんな非正規の増加を裏付けるように、第二次安倍政権以降、年収200万円以下のワーキングプアは100万人増え、1100万人となった。 つまり、第二次安倍政権以降、貧困はより深刻化しているのである。「希望出生率1・8」「介護離職ゼロ」。 安倍首相はそんな勇ましい言葉も掲げる。しかし、20代、30代の非正規男性のうち、配偶者がいる割合は正社員の半分以下。非正規の年収は平均168万円。そもそも経済的に安定していないと結婚も出産も考えられないだろう。一方の正社員も長時間労働に忙殺され、「子育てなど考えられない」という声もよく耳にする。また、現在10万人にも及ぶ介護離職者をゼロにすると言いながらも、具体的な方策は何も示されていない。それどころか、今年の4月には過去最大の介護報酬引き下げを断行。介護職員不足が問題となった。 冒頭の文章では、障害者や難病を抱える人にも活躍を、と述べているが、11月、厚労省は障害福祉サービスの利用者負担を拡大する方針を発表。現在、93パーセントの人が無料で利用できているサービスが有料となる見通しだ。 一方で難病者に対しては、昨年「難病の患者に対する医療等に関する法律」(「難病対策新法」と呼ばれる)が成立した。これによって、医療費助成の対象となる疾患が56から300まで拡大され、それ自体は一歩前進と言えるものの、問題点も残った。今まで人口呼吸器などをつけている人の自己負担額はゼロだったのに対し、有料となったのだ。 「息をするだけでお金をとらないでください」 全国の人工呼吸器装着者たちや家族がそう声を上げている。「もはや貧困ビジネス」奨学金に非難 一方、若者に対してはどうか。大学生の52・5%が利用している奨学金(多くが有利子)が「もはや貧困ビジネス」と非難を受けるようになって久しいが、10月、財務省は国立大学の授業料を40万円上げる方針を発表した。これが実現すると、現在年間53万円の授業料が93万円にもなる。現在、大学生の2人に一人は卒業時点で数百万円の借金を背負っているという恐ろしい状況だが(私が会った学生の中には、1000万円を超える人も2人いた)、更に若者は借金漬けになるだろう。昨年5月、政府の有識者会議で経済同友会の前原金一氏が、奨学金の返済を滞納している若者に、防衛省や消防庁、警察庁でインターンさせたらどうか、と話して「経済的徴兵制?」「奨学金で勧誘って、アメリカの国防総省と同じじゃん!」と大きな話題となったわけだが、既に笑い話では済まされないレベルになっている。安保関連法も成立したし。 さて、安倍政権は以前から「女性の活躍」も大いに打ち出しているわけだが、こちらの事情はどうか。これについては、やはり「女性の活躍とか言いながら派遣法を改悪した時点でアウト」という意見が圧倒的に多い。なぜなら、非正規雇用の7割を占めるのは女性だからだ。「そもそも私たちの働く基盤を崩しておいて『女性の活躍』って何?」「活躍したくたって、不安定雇用じゃできるはずがない」。そんな女性たちの叫びは、安倍首相にはまったく届いていないようだ。 一方で、防衛省は「女性活躍推進」の一環として航空自衛隊の戦闘機パイロットに女性自衛官を起用していくという。そういうのが「活躍」なんだとさ・・・。おそらく、多くの女性が求めているのはそんな極端な話じゃなくて、普通に安心して働けたり子育てできたりすることなんだと思うけれど、圧倒的にセンスがどうかしてるのだ。 さて、高齢者に対してはどうなのか。同原稿では「生涯現役」「意欲ある高齢者に多様な就労機会を提供」などと「老体に鞭打つ」ようなハードな要求が続く上、「介護なしで豊かな老後を送れるよう」など、「本人だって好きで要介護だったり寝たきりじゃないんだけど」と思わず呟きたくなるような無神経な言葉が続くのだが、こちらは思い切り切り捨てるつもりだ。なんといっても、2015年度の社会保障予算は3900億円も削減。年金や医療、介護にかかわる予算がどんどん削減されているのだ。一方で、日本政府は3600億円かけてオスプレイ17機を購入するのだという。国民の生活なんかより、軍事の方が大切☆翻訳すればそういうことだろう。 ここまで見てきてわかるように、「一億総活躍」を掲げる第三次安倍政権は、若者にも高齢者にも女性にも男性にも、難病を抱えた人にも障害がある人にも猛烈に冷たいことがおわかり頂けたと思う。「一億総活躍じゃなくて、一億総カツアゲ!」 最近、芸人のおしどりマコ・ケンさんと話していた時に2人は言った。ホントにその通りだ。 ということで、消費税も増税するし、マイナンバーとかでいろいろ管理されてるし、一億総カツアゲの社会に私たちは生きているようである。

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    批判こそ全体主義? 「一億総活躍社会」批判は現代の多様な価値観に即していない

    らず、「これから決める」といった印象だ。そういう観点からみれば、「漠然としたキャッチフレーズ」のみの政策であるようにも感じる。 しかし、ちょっと考えてみれば、「一億(全国民)みんなが活躍できる社会を目指す」という構想を進めるためには、「細かい具体策が事前に設定されていない」ということは当然であり、現段階が大枠だけであることの方が妥当であることに気づく。 なぜなら今日、「多くの国民が活躍できる場面」やそのニーズは多様であり、しかもそのあり方は、日々刻々と変化している。価値観も様々だ。必ずしも特定のプランや計画を事前に用意することができるわけではないし、それが妥当でもない。 「一億総活躍社会」に向けたニーズや要望は政治家や官僚が考える以上に多様で、有機的である。特に若者層はそうだろう。従来の価値観では予測できない部分も少なくない。現在進行形で変化する社会のニーズが「官僚や政治家の事前の計画」で決められるはずがない。そんなことをしても時代に合わないし、そもそもうまく運用できるはずがない。 「一億総活躍社会」の推進を標榜する以上、前提的な目標設定よりも、その都度ニーズや要望を拾い上げ、それにあった有機的なプランやリアクションを出すというスタイルの方が現在には適している。活躍する場面やニーズが事前に決まっているなどありえないし、現実も反映しておらず、時代にも即していない。事前に具体的なプランが用意されていれば、それこそ誘導的であり、全体主義だ。 そして3つ目。加藤勝信「一億総活躍担当相」が何をすべき役職で、どのような仕事が期待されているのかが見えてこない、という批判。拉致問題なども担う加藤勝信氏が、一億総活躍大臣に就任したものの、果たして十分な活躍ができるのか。そもそも「一億総活躍」に取り組む人材として適切なのか? といったオプションもつく。 しかし、この批判への回答こそ、「一億総活躍社会」がその表現の古さとは裏腹に、これまでの日本にはなかった新しさと「もしかするとすごく重要な仕組み作り」につながる可能性を示唆しているように思う。 まず前提として、2つ目のポイントでも述べたように、アクションプランが事前に定められるべきものではない。更に現実問題として、一億総活躍社会のリーダーとして広い範囲で有機的に動かねばならない大臣を全うできるような専門家などはいるはずがない。つまり、この大臣はある程度の経験と機動力さえあれば、どの国会議員が就任しても大きな差が出るわけではない。むしろ、安倍晋三首相が兼務した方が良いぐらいの任務だ。 一億総活躍大臣に期待される役割は、国民の多様なニーズを吸い上げ、多様なニーズに対応した「活躍」への支援の可能性を提示できる窓口作り、仕組み作りを推し進める「旗振り」であろう。なまじっかの「政策通」とか「有力者」は、わかってもいないのに余計なパーソナリティが発揮される分、むしろ弊害だ。 一億総活躍大臣個人に「何かやって欲しい」わけではないのだ。「活躍したくない」という人を無理やり活躍させるような構想であるはずもなかろう。 そう考えれば、設置される「国民会議」こそ、そういった国民の細かいニーズや要望を汲み取る仕組みとして機能させることが期待されるように思う。 筆者の最大の関心は、「一億総活躍国民会議」と称する組織(その名称の是非はさておき)のメンバリングや人選で、現在感覚・国民感覚に即した人材を選ぶことができるかどうかだ。加藤勝信一億総活躍相に求められる構想の成否を分ける最大の重責であろう。 どこででも見るような「審議会の委員」やら、いつも目にする「文化人・学識経験者」やら、若者を意識したとしか思えない「(オワコン感のある)若者のオピニオンリーダー」のようなチョイスではない、より「リアル」な国民とのパイプ役、広く国民の意見を代弁してくれるような人選をしなければならない。地方との接続や連携、あるいは地方の声をダイレクトに組み上げる仕組み作りも含まれるので、意外に「難問」だ。 「一億総活躍社会」構想とは前向きに考えるべきものであって、政争のための批判の材料にすべきものではない。もしかしたら筆者の発想は楽観的すぎるのかもしれない。しかし、そのような前向きな発想を持つことは、現在の野党が忘れている重要な要素の一つだ。表現の是非や瑣末な局部の揚げ足をとることなどは、国民にとっては何の意味もないことだ。 「新三本の矢」が良い例だが、GDP600兆円にするための経済成長は過去を見ても不可能であるとか、出生率1.8人が続いても2050年までに1億人は維持できないとか、介護離職ゼロのためのコストと財源はどうするのかとか、そもそも2050年まで安倍政権も自民党政権もないだろう、など、細かい指摘をしようと思えば簡単だ。 しかし、今回の「一億総活躍社会」構想は、そういった細かい数値目標よりも、もう少し大き視点と長期的な観点から取り組まれるべき「夢のある」案件であると思う。政権批判のために「一億総活躍社会」を批判することに何のメリットも見当たらないのではないだろうか。

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    「一億総活躍」私は同じことを言っちゃって、実現させました!

     第3次安倍政権が発足しましたが、総理が掲げた「一億総活躍」という言葉を巡って議論があるようです。 「一億総活躍」の担当大臣を任命するほど気合いが入っているわけですが、一方、野党は当然ながら批判しています。野党の批判内容は、「中身がない」「そもそも一億総活躍っていったい何を指しているのか」などです。私も中身についてはこれからと思っていますし、今は批判の対象になるのはしかたないと思います。 自民党の二階俊博・総務会長さえも別の大臣を前に「あんな大臣にならなくて良かった」と言っていますし、同じく石破茂・地方創生担当大臣も「国民には、なんのことでございましょうかという戸惑いが全くないとは思わない」という発言をしているほどです。 要は、誰もが「なんだかよく分からないよね」と思っているということでしょう。中田宏さん 野党議員からは「なにか戦前を思い出させるような全体主義的なキャッチコピーだ」という批判が出てるそうですが、何でもかんでも揚げ足取りで批判する野党の態度はいただけないなと思います。 この「一億総活躍」は私は言わんとすることは分かりますし、これから何をするかが大事です。 私は横浜市長になった平成14年(2002年)、施政方針演説で「民の力が存分に発揮される都市・横浜を創る」と謳いました。 ここでいう「民の力」とは、「個人」であり、「市民」「国民」を指します。また、「NPO」や「自治会・町内会」さらには株式会社や有限会社などの「会社組織」も民と考えています。 これらの民が存分に力を発揮することが出来る社会を作ることを方針として掲げたのです。 「民の力が存分に発揮される」とだけ聞いたら、何を言っているかわからないと批判されるとと思います。そこで続けて、「民」に該当する人や団体の目標実現のための活力ある社会を作るための「具体的な仕組み」について、さまざまな場面で例を挙げて細かく説明しました。 例えば、「公共」施設管理の民営化・民間委託や、NPOなどへの門戸開放、そして市民個人にも「公共」にいろいろ参加してもらうことなどで、これらの実現のための仕組みや基盤づくり、また雇用のチャンスを増やすための施策展開を実行しました。 「一億総活躍」は、私が横浜市で掲げた方針とほぼ同じ中身だと理解しています。 そしてそのためには「一億」にチャンスあふれる社会にしないとダメでしょう。 しかし、国が働く場や起業のチャンス、教育でのいろいろな学びや学問などさまざまなことを広げる、作り出すことは不可能です。 やるべきことは、国はいつも苦手ですが、しっかりと規制を緩和をして、例えば民間ビジネスを始めやすくする、学校をもっと自由に作れるようにするなど、民間自らが知恵を絞ってアクションを起こせるような社会を作ることが不可欠です。 新しく打ち出した現段階で批判されるのはしかたないでしょう。 逆にトップである総理大臣だからこそ、閣僚・内閣・行政組織を通じて各方面にチャンスを作るための仕組み作りを実現してほしいと思います。もし実現できなければ「一億総活躍」は空虚な言葉だった、結局中身はなかったとまた批判の対象になってしまうでしょう。※中田宏ホームページ「ブログ」.2015.10.12より転載

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    結局よく分からない…いきなり不評の「1億総活躍相」って何?

    与党内にも存在していると露呈してしまった格好です。 1億総活躍相に就任した加藤勝信氏は「多岐にわたる政策を総動員する」としていますので、大臣本人も十分に範囲を絞り切れていないようです。ただ、重点項目として、子育て支援や高齢化対策を掲げたほか、安倍首相が記者会見で述べた社会保障の問題や、GDP600兆円の実現にも言及していますので、想定している政策は幅広いと考えられます。13日には、誰もが活躍できる社会づくりについて有識者が話し合う「国民会議」を今月中に開催すると発表しました。社会保障政策や経済政策については、明確に担当官庁が決まっていますから、やはり子育て支援や高齢化対策などが担当業務となる可能性が高いでしょう。 そうなってくると、やはり気になるのが、地方創生相や女性活躍相との重複です。両大臣が担当する業務とはかなりの部分で重複する可能性が高く、このあたりをどう切り分けるのかが課題となりそうです。ちなみに女性活躍相は加藤氏が兼務していますから、担当大臣という意味ではあまり混乱はないかもしれません。ただ組織が二重になってしまうと、調整に時間がかかり政策実行のスピードが落ちる、二重に予算配分が行われムダが発生するといったリスクもあります。(The Capital Tribune Japan)

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    「一億総活躍社会」と笑うなかれ

    結局何がやりたいのかさっぱり分からない…。そんな声もよく耳にする。ネーミングセンスはともかく、決して政策の中身まで笑うことなかれ。

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    「一億総活躍」で何が悪い? レッテル貼りで国民を煽る民主党の愚

    主義的なキャッチコピー」という蓮舫氏の批判だろうが、これは全くの的外れな批判だろう。 共産党が政府の政策を「個人を国家に従属させる動き」などと批判していることは、笑止千万というよりほかない。共産主義体制とは、まさに、個人の自由を蹂躙し、共産党の「指導」という名の下で、個人を国家、共産党の下に従属させる体制ではないか。自分たちが掲げる、その極端な隷従体制を棚に上げ、まるで自分たちが自由を尊重する政党であるかのように振る舞うのは、国民を欺く詭弁というものであろう。 仮に、全体主義というならば、一人一人が、このような活躍をしろという、各自の自由が抑圧され、国家の意志が押し付けられる状態が生み出されているはずだが、勿論、政府がそういう危険な状況を目指しているわけではない。各自の生き方にまで国家が不当に干渉してくるのは、無用なパターナリズムだといってよいが、この「一億総活躍」とは、そこまでパターナリスティックなものではないだろう。中身を見ずにレッテル貼りする民主党中身を見ずにレッテル貼りする民主党 首相官邸のサイトを調べてみると、「一億総活躍社会」とは、次のように説明されていた。 我が国の構造的な問題である少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」、「夢を紡ぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新三本の矢」の実現を目的とする「一億総活躍社会」。 国家が国民一人一人の生き方に干渉するなどということは微塵も感じさせない表現だ。 我が国の少子高齢化は、深刻な問題だ。この問題に対策を講ずるのは政府の責務と言ってよいだろう。 一つずつ検討してみても、当たり前のことを当たり前だといっているように思えない。 「希望を生み出す強い経済」。 これは、多くの人が期待していることではないだろうか。日本経済が崩壊して欲しいなどと望む人は、余程変わった人ではないだろうか。 「夢を紡ぐ子育て支援」。 これも何がいけないのだろうか。子育て支援の充実に関して、民主党は反対だというのだろうか。 「安心につながる社会保障」。 誰もが否定できない類の政策ではないだろうか。社会保障を破壊せよという主張は、あまりに極端だ。 要するに、目標とされている「一億総活躍社会」とは、全ての国民が、それぞれの個性に応じて活躍出来る環境を整備しようというだけの話であって、全体主義的な政策とはいえない。むしろ、これらは政治の基本であり、これを全体主義的だというならば、政治の役割を放棄していると批判されても仕方あるまい。 実際問題として、民主党は、これらの個別の政策に全て反対なのだろうか。 そうではないだろう。 中身に関しては全く触れることなく、「名称」に関して「全体主義的だ」というレッテルを貼り、国民を煽っているだけだろう。 安全保障法案を「戦争法案」と呼んだときも同じなのだが、内容について一切言及しないで、思いつきの印象論で、ただ反対の声をあげるだけなのだ。これでは、責任ある野党とはいえない。 そもそも、「一億総活躍社会」について、岡田代表は、当初、次のように述べていた。 「民主党の綱領には『すべての人に居場所と出番のある社会をつくる』とある。これのぱくりみたいな感じだ。本当にやって下さいねということだ。」(10月7日) 仮に蓮舫氏がいうように、「一億総活躍社会」を目指すことが全体主義的だということならば、岡田代表が「一億総活躍社会」を民主党の「ぱくり」だといってるのだから、ご自身も全体主義的な主張をしていたということになる。 だが、私は、民主党が掲げた「すべての人に居場所と出番のある社会をつくる」という言葉を見ても、全体主義的だとは思わない。政治の基本だと思う。むしろ、こうしたまっとうな目標を掲げながら、民主党政権は、殆ど成果を上げられなかったことを残念に思う。 中身を精査しないで、印象だけで、レッテル貼りする無責任な非難の繰り返しでは、国民の支持は得られない。民主党は、真剣に国民の支持を得るべく政策研究に取り組むべきだ。無責任な非難を繰り返す万年野党の道を歩むべきではなかろう。

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    「一億総活躍社会」安倍政権に破壊のエネルギーはあるか

    そういう国なのだろうというあきらめでした。印象論の域をでませんが、大衆デモクラシーの時代の政権の看板政策ですから、イメージも大事です。そして、なぜそういう印象を持ったかというと、昭和の「一億総中流」を彷彿とさせる、古き良き時代への復古がモチーフだからなのです。かつての一億総中流社会に、子育て中の女性や、介護をしている人も参加してもらって、経済成長を実現しようという発想なのだろうと思うのですが、根本的な時代認識が違っています。  昭和の一億総中流社会を支えた牧歌的な経済条件はすでに過去のものです。グローバル経済の下では市場を取り合うだけでなく、資本も、情報も、人材も競争の対象となります。当然、格差が広がる素地があります。日本のような先進国が最も対応に苦しんでいるのは、労働者間の格差です。経済がグローバル経済に組み込まれるにしたがって、日本の労働者は中国やベトナムの労働者との競争に晒されます。かつて存在した国家間の格差が、国内の格差へととって代わったのです。1億総活躍社会に関する代との懇談会で話す安倍晋三首相(中央)=11月6日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影)  製造業から始まったグローバル化は、ネット化などの技術革新を媒介としてサービス業へも波及し、ブルーカラーもホワイトカラーもこの構造に直面しています。グローバル経済とのかかわりの中で国富を得て、消費者としても大きな便益を得ている我々には、そこに背を向ける選択肢はありません。 グローバルな競争の下にある企業は労働者への総体としての分配は増やせませんから、結果としてできることは、労働者内の分配を変えることなのです。この再分配は、金持ちから搾り取ろうというレベルの問題ではありません。再分配は、正社員から非正規社員へ、中高年男性から若者と女性へと行われなければならないのです。政権も、自民党も、野党も、この事実と向き合っていません。 一億総活躍社会を本当に築くためにやるべきことは、残された日本的労働環境の残滓を取り払うことなのです。そこでは、同一労働同一賃金の価値観に裏打ちされた制度設計の根本的な改変が必要であり、金銭解雇を認め、労働市場を流動化させる必要があります。一億総活躍社会を築くことは、本来は、破壊をモチーフとするものでなければいけないのです。 問われるべきは、現政権に破壊のエネルギーはあるかということであり、そこが小泉政権時代との最大の違いです。小泉構造改革への評価については諸説あるでしょうが、国民は小泉改革がその本質において破壊であることを理解していました。  一億総活躍社会と、それを支える新三本の矢に対して期待が高まらないのは、元々の三本の矢がどうなったのか総括がない中で、屋上屋を架す形で出てきたからでもあるでしょう。日本経済の雰囲気が変わった アベノミクスによって日本経済の雰囲気が変わったことは事実です。国際社会の日本を見る目も、長年の不決断に対してあきれを通り越して無関心というところから、何だか日本経済が熱いらしいというところまで戻しました。新興国経済の冷え込みによって日本のような安定した市場が再評価される気運もあります。 しかし、デフレ脱却が道半ばである中、景気が息切れしてきてしまいました。石油価格の下落など誰にも見通せなかった要素もあるのだから、政策を微修正しながら継続していく他ないでしょう。問題は、第三の矢と言われていた成長戦略が遅々として進んでいないことです。規制改革は政権の一丁目一番地と言っていたのに、どうしてしまったのでしょうか。過去30年間の議論を通じて、農業や医療や労働の分野においてやらなければならない規制改革テーマは出そろっています。 農業でいけば、農業への株式会社の農地取得を自由化して、新しい資本や技術や担い手を市場に参入させることです。農業政策は、GHQの農地改革以来の自作農家族経営主義から転換しなければなりません。農業の主流は、資本と技術と組織に基づく会社が担っていくことになります。 医療でいけば、公的保険の適用範囲を最適化して、混合診療を大幅に認めることです。そうすることで初めて、医療財政を破たんさせずに国民皆保険を守り、同時に新しい医療市場を作っていけるのです。医療政策は、すべての国民が受ける医療の結果の平等を目指すのではなく、国民としてのナショナル・ミニマムを守ることに眼目が移ります。 人口が減少局面入った超高齢化社会の日本はすでに借金漬けです。我々は撤退戦を戦っているのです。撤退戦を戦う中で、国民にとって最も大切な本丸を守るために改革が必要なのです。農業政策であれば一定の食料自給率と国土の保全が本丸であり、医療政策であれば、国民皆保険を守ることでしょう。 日本が迫られている選択肢は甘いものではありません。それを実現する政権には強い意志が必要です。現在の日本政治は、官邸一強と言われています。一億総活躍社会をぶち上げた官邸の狙いが、自民党や霞が関の抵抗勢力を押さえつけ、改革を一気に進めることであってほしいと思います。どうでしょう、希望は失っていませんが、期待が急速に萎んでいく今日この頃です。

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    異なる政策を一括りにした「1億総活躍社会」

    も語ったからだ。  「1億」という数字こそ同じであるが、「1億国民が活躍」と「人口1億人維持」とでは政策の性格が異なる。前者は人口減少に伴う社会システムの激変への対応策であり、後者は人口減少を根本から食い止めることが目的だ。「誰もが活躍できる社会」を実現できたからといって、人口減少に歯止めがかかるわけではない。更に言えば、「すべての人が活躍できる社会」とは理想であり、人口が増えようが、減ろうが目指すべきものであろう。  両政策は、取り組む時間の長さも、対象となる人も違う。「すべての人が活躍できる社会」を実現するための方策は成果が急がれる。これに対し、「人口1億人維持」のためのそれは、かなりのロングスパンで考えざるを得ない。異なる2つの政策を一括りにして説明するから混乱する。  混乱の素は「人口1億人維持」の説明の中にもある。安倍首相は「少子高齢化に歯止めをかける」としたが、これも誤解を解いておかなければならない。  間違えてはならないのは、高齢化は止められないという点だ。人間誰しも毎年1歳ずつ年齢を重ねるため高齢者数の将来予測は可能だ。その見通しによれば、2040年代初頭に向けて高齢者数は増えていく。  これに対し、安倍政権が今後できることといえば、出生数の減少にストップをかけることであるが、出生数が増えたとしても高齢者数が減るわけではない。ただし、出生数が増えれば高齢化率を下げることはできる。とはいえ、それは遠い将来の話だ。高齢者数が増える状況下で少子高齢化に歯止めをかけるとなれば、長期間にわたる爆発的なベビーブームでも起こらなければ難しい。  ここまで見てきただけでも、安倍首相の語る「1億総活躍社会」は整理されているとは言い難い。これでは、その方策である「新3本の矢」((1) 希望を生み出す強い経済、(2) 夢をつむぐ子育て支援、(3) 安心につながる社会保障)がぼやけたものになるのも当然である。  安倍首相はそれぞれの矢に目指すべき目標として「GDP600兆円の達成」、「国民希望出生率1.8の実現」、「介護離職ゼロ」を挙げ、2020年代の実現を目指すという。だが、どれが「誰もが活躍できる社会」のための政策で、どれが「50年後も人口1億人維持」にどう結びつくのか、スケジュールをどう描いているのか、見えてこない。「1億総活躍推進室」の看板を掛ける安倍首相(左)と加藤1億総活躍相=2015年10月15日、内閣府(代表撮影)  しかも、第1の矢、第3の矢は人口規模の維持につながる政策とは言い切れない。1本目の矢である「希望を生み出す強い経済」について、安倍首相は「明日への希望は強い経済なくして生み出すことはできない」と説明した。雇用が不安定であったり、低所得であったりするがゆえに、結婚や出産を諦めている若い世代は少なくなく、人口維持に経済成長は不可欠であることはその通りだ。一般論として言えば、「GDP600兆円」を達成すれば、若い世代を含めて国民全体の生活水準が上がり、結婚や出産をためらっていた若者の希望もかないやすくなるだろう。  だが、現実は、若い世代の多くが非正規雇用に置かれている。それどころか、安倍政権は外国人労働者を大量に受け入れ、「安い賃金で働く人」を増やそうとしている。こうした政策のチグハグさに頬被りをしたまま、「GDP600兆円」を唱えられても、若い世代が豊かさを享受できるようになるとは思えない。  非正規雇用の若者が増えている背景には、多くの日本人が、安くて良い商品を大量生産し利益を得てきた過去の成功モデルに固執していることがある。「国際競争に打ち勝つためには、従業員の賃金を抑制しなければならない」との発想だ。  しかし、それは他にライバル国が無かった時代が続いたことが可能ならしめたことだ。労働力人口が減っていくことを考えれば、高価格であっても付加価値の高い商品やサービスを作り出すことが求められる。発展途上国との賃金競争から脱却するようなビジネスモデルへと転換なくして、若い世代の「希望」は生まれない。ましてやベビーブームが到来するはずもない。  第3の矢「安心につながる社会保障」についても、安倍首相がアピールする「介護離職ゼロ」は、これまでは高齢者向け施策の意味合いが大きかった社会保障を若い世代の問題として取り上げたことは評価したいが、「人口1億人の維持」とは異なる政策である。介護離職をゼロにしたとしても、出生数の増加策には結びつかない。安倍首相が団塊ジュニア世代の介護離職に危機感を募らせたように、親の介護を具体的な問題として考え始めるのは40代後半や50代だ。こうした年齢層はすでに子供を産み終えている。企業活動に影響が生じる介護離職を減らしていく努力は極めて重要だが、それを少子化対策と関連づけようとするのは無理がある。  「人口1億人維持」という目標に直接アプローチするのは、第2の矢の「夢をつむぐ子育て支援」である。少子化や人口減少対策については、「産めよ殖やせよ」政策を想起させるとして歴代政権が見て見ぬふりをしてきたテーマだ。トップリーダーである首相が、自らの言葉で国民に直接「希望出生率1.8」の実現を目指すとしたことは意味がある。  だが、これにしても政府内の動きをみると政策目的を整理しないまま議論を進めようとする動きが見られる。子供の貧困対策だ。安倍首相の周辺は、これを目玉政策にしようとしているのだ。  むろん、子供の貧困は放置できない。成長した暁に社会の担い手となるはず、支えられる側になる恐れがある。だからといって1人親世帯への支援強化と少子化対策とを結びつけるのは違和感がある。貧しい世帯への支援は生活保護など福祉施策の拡充などで考えるべきことだ。少子化対策では、結婚したいのにできない、子供が欲しいのにためらう要因を分析し、その原因を取り除くことを優先すべきである。  このように未整理の部分が多い「1億総活躍社会」の実現であるが、「すべての人が活躍できる社会の実現」も「50年後も人口1億人維持」も日本にとって避けられない重要テーマであることに変わりはない。新三本の矢の中にも、個別の政策テーマとして急ぐべきものが多数見つかる。  であればこそ、それぞれテーマごとに内容をよく分類、吟味し、誰をターゲットにしているのか、短期的な政策か、中長期に取り組む必要がある課題なのか、きちんと色分けする必要がある。  政府の予算や人員には限りはある。スローガン先行の政治で国民が混乱し、官僚たちの力が分散した結果、「どの政策も中途半端に終わった」となったのでは元も子もない。※「先見創意の会」2015年10月20日コラムを転載。

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    「価値観の打破」問われる移住論

    河合雅司(産経新聞論説委員) 高齢者の地方移住の是非をめぐり、議論が活発化してきた。  これが政策テーマとして浮上した背景には、東京圏での医療・介護施設の不足と、地方の若者の流出という2つの問題の解消策としての期待がある。  民間有識者による「日本創成会議」が6月に公表した推計によれば、東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県)では高度経済成長期に流入した人々が高齢化するため、2025年までの10年間で75歳以上が175万人増える。同期間に全国で増える75歳以上の3分の1を占める計算だ。  この間に看護師や介護職員は全国で新たに240~280万人が必要になるという。75歳以上人口の3分の1が東京圏で増えるとすると、東京圏で80~90万人の医療・介護のマンパワーが不足するということだ。  人口減少が進む地方では、病院や介護施設の利用者も減る。こうしたところで働いている看護師や介護職員がやがて仕事を求めて東京圏に出て来るとなれば、ますます東京一極集中が進み、地方の若者流出に拍車がかかる。  日本創成会議は東京圏に住む75歳以上の収容能力の分析も試みているが、現在は都区部の不足を周辺部にある施設が補って何とか均衡を図っている状態だという。地価の高い東京圏でこれから施設を整備することは大変である。日本創成会議が、医療・介護とも受け入れ余力のある全国41圏域を具体的な自治体名を挙げて紹介したのもこうしたことへの懸念だ。  移住は国民の選択肢の一つに過ぎない。しかし、政府の「まち・ひと・しごと創生本部」が新型交付金を使って推進する考えを示していることもあり、このレポートは大きな反響を呼んだ。  冷静に考えれば国が移住を強要することなどできるはずがないことは分かるはずなのだが、「強制移住」「姥捨て山」というレッテル貼りが目立つ。「歳を取ったら東京から出て行けということか」といったネガティブな受け止め方も広がっている。  年齢に関わらず移住するかどうかは国民自らが判断し、選択することだ。政府の調査によれば、50代男性の50%、女性は34%が地方移住を望んでいる。60代は男女とも3割だ。安倍政権が地方移住を推進するのは、こうしたニーズに応えようというものだ。高齢者というと「要介護者」をイメージしがちだが、念頭に置くのは健康で活動的な50~60代である。アクティブシニアが定住するとなれば、地域活性化の人材となるし、地域内の消費拡大にもつながる。  地方からは「高齢者を地方に押し付けるつもりか」との声も上がった。「高齢者が移住して来ても、やがて要介護状態に陥る。医療費や介護費を負担しなくなるのでは大変だ」との懸念だ。(写真と本文は関係ありません) だが、医療保険や介護保険には広域での財政調整の仕組みがある。厚労省は、特定の自治体が突如、高齢者が激増した場合に備えて新たな対応策も検討している。政府はもっと丁寧に説明する必要がある。  さらには、「歳を取ってから見知らぬ土地に移住する人はいない」といった高齢者の地方移住自体に疑問を投げかける指摘もなされている。しかし、高校時代まで過ごした故郷に愛着を持つ人は少なくない。若い頃の勤務地が気に入り、老後は住んでみたいと計画している人や、妻の出身地に移り住んだ夫妻もいる。何らかの「きっかけ」で第二の人生を考え始めると、地方暮らしも選択肢に入ってくるものだ。  他方、多くの首長にとっては「どうせ移住してくれるのなら、若い世代に来てもらいたい」というのが本音だろう。だが、今後、若者は激減する。絶対数が足りないのだから、これを奪い合ったのではすべてが勝者とはなり得ない。  実際には、高齢者に比べて若い世代の移住のほうがハードルは高い。移住先に転職したくなる職場がなければ、現在の勤め先を辞めてまで移住を踏み切ることにはならないからだ。そんな職場を創出するのは一朝一夕とはいかない。子育て中であれば、子供の転校も考える必要が出てくる。  多くの自治体では、受け入れ態勢を整えているうちに「消滅」の危機にさらされることになる。もちろん、高齢者の移住も簡単ではないが、すでに人口減少が進み始めた自治体にとっては若者のUターン、Iターンを期待するよりもはるかに現実的だと言えよう。  しかし、高齢者の地方移住をめぐる議論の本質は「東京の医療・介護問題の解決策」や「地方の生き残り策」にあるのではない。むしろ、“過去の常識”を打ち破れるかどうかという大きな問い掛けである。  もはや人口の激減は避けられない。少子高齢社会に対応するには、既存の価値観を一度否定し、社会をどう作り替えるかを考えなければならないということだ。  人口激減下で地域の活力をそれなりに維持しようと思えば、多くの人が国内を活発に動き回ることである。その具体策の一つが、移住をはじめとする大都市圏と地方の頻繁な往来であり、同一県内における二地域居住なのである。  当然、議論は「移住政策」に収まらなくなる。例えば、住宅価格や交通費をどう安くするかということまで考えなければならないだろう。  前者については空き家の活用を進めればよい。1カ月単位で借りられるような物件がたくさん出回るようになれば、「夏は北海道、冬は沖縄」「数カ月ごとに好きな土地を巡る」といった暮らし方をする人が増えるかも知れない。  問題は交通費のほうだ。多くの場合、民間事業者が運営しており、「赤字路線は値上げか廃止」というのが相場である。しかし、交通費の値下げが、人口減少社会を乗り切る「切り札」となるのならば政策として考えなければならない。難しさを承知で言えば、全国どこに行くのにも片道3,000円以内となれば人の流れは大きく変わる。  例えば、東京-福岡間の航空運賃が片道2,000円としよう。これならば、日帰りで旅行に行こうという人も増えるだろう。移住者が頻繁に東京に戻ることもできる。高齢社会では時間をコントロールしやすい人が増える。早期予約者の割引拡大など工夫の余地はあるはずだ。人口減少社会においては、「公共交通」の概念を根本から考え直してみることも重要なプロセスということだ。  これまで、多くの日本人は住み慣れた土地に愛着とこだわりを持ち、それぞれの地で文化を育んできた。それは素晴らしいことであるが、激変の時代を乗り越えるにはもっと柔軟な発想を持って臨むことも必要だ。社会の変化に応じて、ライフスタイルや土地に対する考え方など既存の価値観をどんどん打ち壊していく。高齢者移住もそうした挑戦の一つである。  “過去の常識”が打ち破られたとき、現在多くの人が思い描く高齢者社会とは全く異なる未来が開けてくる。困難だからといって挑戦どころか、考えることすら逃げていたのでは、いよいよ日本の取りうる方策は少なくなる。 ◇     ◇     ◇ 人口減少社会への対応策については、このほど出版した増田寛也元総務相との共著『地方消滅と東京老化』(ビジネス社刊)に詳しいので、こちらもお読み頂きたい。

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    少子化対策 第3子に「1000万円」支援を

    河合雅司(産経新聞論説委員) 少子化が加速してきた。厚生労働省によれば、昨年の出生数は100万3532人で過去最少を更新。1人の女性が生涯に出産する子供数の推計値である合計特殊出生率も9年ぶりに低下に転じた。 結婚や出産は個人の選択である。だが、ここまで出生数が減った以上、対象を絞った対策が必要だろう。着実な第2子対策を まずは第1子対策に力を入れなければならない。日本では未婚で出産する女性は少なく、結婚支援が効果的といえる。若い世代の雇用を安定させ、出会いの場をつくることだ。さらに、周囲が雰囲気づくりをすることも重要だ。 しかし、第1子が生まれただけでは人口減少は克服できない。将来、その両親が亡くなると1人減となるからだ。子供に恵まれないカップルがいることを考えれば、第3子以降が増えない限り人口が増加に転じることはない。 昨年の出生数の内訳をみると第1子は47万4191人、第2子が36万4763人。第3子以降は16万4578人にすぎない。だが、いきなり第3子とはならないので、第2子対策から着実に進めていかなければならない。 実は、昨年の出生数を分析すると第2子の減少が際立つ。総数では前年比2万6284人減だが、1万4703人を第2子が占めた。減少幅で比べると、2013年の5倍、2012年の12倍だ。75%が「第2子の壁」 一般財団法人「1more Baby応援団」が公表した夫婦の出産意識調査によれば、8割が「2人以上」を理想の子供数と回答した一方で、75・0%は2人目以降をためらう「第2子の壁」の存在を感じている。 86・5%が「経済的な理由」を挙げているが、就職している母親に限定すると「仕事上の理由」(64・7%)が2位であり、働き方をめぐる事情が深く絡んでいる。 これについては、厚労省の「21世紀成年者縦断調査」が興味深い傾向を示す。夫の休日の家事・育児時間が長いほど第2子以降の出生割合は増えているのだ。2時間未満の場合31・0%だが、6時間以上では76・5%となった。第2子を増やすには長時間労働の是正が求められる。 だが、単に働く時間を短くするだけでは問題は解決しない。基本給が安く、残業代をあてにせざるを得ない人も少なくないからだ。時間ではなく成果によって評価する仕組みの普及が急がれる。 育休の取りづらさの改善も求められる。夫婦共働きが当たり前となり、第1子出産時に取得する人は増えた。しかし、第1子の育休が明けてから時間を空けず、再度申請することへの後ろめたさがあるのだ。たびたび休んだのでは責任ある仕事を任せられなくなり、ポジションを奪われるとの焦りだ。 先の意識調査では、職場の上司が子育てに理解がある場合、2人目以降にためらいを感じない人の割合が10ポイント近く上昇している。職場の心遣いが「2人目を産もう」との気持ちを大きく左右する。20代に傾斜配分必要 第3子以降となると、さらに経済的な悩みが大きくなる。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の出生動向基本調査によれば、3人目以降の出産を見合わせた夫婦の7割が「お金がかかりすぎる」を理由に挙げた。 そこで小欄は、第3子以降に、子供1人あたり1000万円規模の大胆な支援をするよう提言したい。 2010年の社人研の調査によれば、子供が3人以上いる夫婦は全体の21・6%に過ぎず、2002年調査の34・4%に比べ激減した。 対象となる人数は少ないのだから、第3子以降を断念する大きな理由である大学進学までの教育費について、塾代も含めすべて無料とするぐらいしてもいい。それぐらいの発想が必要ということだ。 2005年度版「国民生活白書」によれば、子供1人にかかる費用は第2子は第1子の8割、第3子は6割程度で済むという。とはいえ、財源には限りがあるので、代わりに第1子、第2子に対する児童手当を廃止か縮小する。 一方、晩婚・晩産では「3人目を産もう」とはなりにくい。昨年の出生数は20代後半が1万4949人減と大きく落ち込んだ。第3子以降に手厚くするのと同時に、20代で出産した人に傾斜配分する必要もある。 日本の少子化は危機的状況にある。過去の常識にとらわれていたのでは出生数増には転じない。

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    地方消滅と東京老化

    日本の人口が加速度的に減り始めている。厚労省によれば、昨年の人口の自然減は約27万人で過去最多で、毎年100万人ずつ人口が減る時代も遠くはない。過去の発想にとらわれていたのでは、「地方消滅と東京老化」には対応できない。

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    「勝ち組」東京圏を襲う高齢化 地方移住は活性化の切り札か

    井伊重之(産経新聞論説委員) 安倍晋三政権が重要政策と位置付ける「地方創生」は、民間の有識者らで組織する日本創成会議(座長・増田寛也元総務相)が昨年5月にまとめた提言が契機となった。この提言では若い女性が減って人口の減少が進み、「将来的には消滅する可能性がある」として全国896の自治体に警鐘を鳴らした。 これを受けて政府は、地方の活性化を促すため、内閣に「まち・ひと・しごと創生本部」を立ち上げ、専任の担当相まで配置した。「衆院選をにらんだ地方票狙い」との批判もあったが、地方を中心に人口が減る中で、その地域の活力をどう維持するかは、日本の将来にとって課題である点は誰もが認めるところだろう。 ただ、「消滅の恐れがある」と名指しされた自治体の中には、「処方箋も示すべきだ」と反発する声もあった。地域の将来像が見えず、住民の流出がさらに加速する事態が懸念されるからだ。「自治体が消滅する」との報道で不安になった住民の問い合わせに追われる自治体もあったという。 その創成会議が今月、「地方移住」を柱とする提言を発表した。東京都と周辺3県による東京圏で2025年には介護が必要な47万人のうち、13万人分の介護施設が不足すると予測。そして医療や介護の受け入れ態勢が整備されている41地域を例示し、東京圏からの移住を提案した。昨年の「地方消滅」に対する答えといえる。 中央公論は「2025年、東京圏介護破綻」で創成会議の提言を特集した。増田は「人口減少時代において一見すると『勝ち組』にみえる東京圏も急速な高齢化で医療・介護や住まいの問題が深刻化する恐れが高い」と強調し、「老いる東京」を全国的な視点で論じる必要性を訴えている。 1都3県には75歳以上の後期高齢者397万人が暮らしているが、25年には572万人に増えると試算。これは全国の増加数の3分の1を占める。高度成長期に地方から東京圏に出てきた団塊の世代が会社勤めを終え、後期高齢者になるのに伴って東京圏も急速に老いる構図だ。北陸新幹線「かがやき」に乗車した安倍首相=JR東京駅(代表撮影) 地方移住を希望する人は中高年層にも多い。政府も高齢者の地方移住を後押しするため、新たな交付金などを検討している。地方移住も有力な選択肢といえるが、高齢者が移住した先では医療や介護で財政負担が増えるなどの問題もある。地方は交付金で新たな施設を建設するだけでなく、東京圏から人を呼び込むために自らの魅力を高める取り組みが不可欠だ。 高齢化がもたらす日本の問題を別の角度から論じたのが「2025年『老人大国』への警告」(文芸春秋)だ。東大の研究者たちが横断的に高齢社会を研究する高齢社会総合研究機構がまとめた調査結果について、ジャーナリストの森健が報告している。 成年後見制度では親族のほか、弁護士、司法書士などの専門職が後見人となるが、東大法学部教授の樋口範雄は「後見人の負担が大きいために活用が広がっているとは言い難い」と分析する。高齢化で認知症患者の増加が見込まれる中で、使い勝手のよい制度への改革が求められている。 また、高齢者が健康に暮らすためには、「社会性」が重要だという。家族や友人とともに食事をし、カラオケや散歩など日常的な娯楽を楽しむことが、社会性や筋肉量の維持につながるようだ。高齢者の社会参加を促す仕組みづくりが問われている。 「日本は『大地変動の時代』に突入した」(文芸春秋)は最近、活発化している火山噴火を分析している。京都大教授の鎌田浩毅は「東日本大震災で各地の地盤に大きな歪みが残された」と震災が影響しており、御嶽山や箱根山はその幕開けだと指摘する。地震と噴火の因果関係はよく分かっていないともいうが、今は桜島の大規模噴火が懸念されるとして警戒を呼びかけている。=敬称略関連記事■ 世界であまり例がない 東京一極集中の是非を考える■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」■ 新幹線で地方は復活するのか

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    地方創生の切り札となる世界的ローカル・ブランドの創出

    月から第1次安倍内閣、福田内閣の総務相、地方再生担当相などを兼務した。野村総合研究所顧問、東京大公共政策大学院客員教授、日本創成会議座長。関連記事■ 世界であまり例がない 東京一極集中の是非を考える■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」■ 新幹線で地方は復活するのか

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    7割がためらう2人目 第3子以降には「1000万円」支援を

    河合雅司(産経新聞論説委員)1人だけでは人口減続く 日本の少子化は極めて危機的な状況にあると言わざるを得ない。 内閣府が20~30代を対象に実施した「結婚・家族形成に関する意識調査」によれば、現在恋人がいない未婚男女の37・6%は「恋人は欲しくない」と答えている。「恋愛が面倒」(46・2%)、「趣味に力を入れたい」(45・1%)というのが主な理由だ。 厚生労働省によれば、昨年の出生数は100万3532人で過去最少を更新した。1人の女性が生涯に出産する子供数の推計値である合計特殊出生率も9年ぶりに低下に転じた。 結婚や出産が個人の選択であることは言うまでもない。だが、ここまで出生数が減った以上、対象を絞った対策が必要だろう。 まずは第1子対策に力を入れなければならない。日本では未婚で出産する女性は少なく、結婚支援が効果的といえる。先の内閣府の意識調査では、「そもそも出会いの場がない」との回答が55・5%に上っている。若い世代の雇用を安定させるとともに、出会いの場をつくることが求められているということだ。 意識調査は「結婚に関する周囲からの影響」についても聞いているが、「周りの友人・知人が次々と結婚や出産」(62・7%)、「友人の幸せな結婚や家庭の様子を感じる」(50・5%)、「周囲から幸せな結婚の話を聞く」(41・3%)が上位に並んでいる。これは、未婚者を取り巻く人々が気運を盛り上げることがいかに重要かを示しているといえよう。 しかし、第1子が生まれただけでは人口減少は克服できない。将来、その両親が亡くなると1人減となるからだ。子供に恵まれないカップルがいることを考えれば、第3子以降が増えない限り人口が増加に転じることはない。 昨年の出生数の内訳をみると第1子は47万4191人、第2子が36万4763人。第3子以降は16万4578人にすぎない。だが、いきなり第3子とはならないので、第2子対策から着実に進めていかなければならない。 実は、昨年の出生数を分析すると第2子の減少が際立つ。総数では前年比2万6284人減だが、1万4703人を第2子が占めた。減少幅で比べると、2013年の5倍、2012年の12倍だ。75%が「第2子の壁」 一般財団法人「1more Baby応援団」が公表した夫婦の出産意識調査によれば、8割が「2人以上」を理想の子供数と回答した一方で、75・0%は2人目以降をためらう「第2子の壁」の存在を感じている。 86・5%が「経済的な理由」を挙げているが、就職している母親に限定すると「仕事上の理由」(64・7%)が2位であり、働き方をめぐる事情が深く絡んでいる。 これについては、厚労省の「21世紀成年者縦断調査」が興味深い傾向を示す。夫の休日の家事・育児時間が長いほど第2子以降の出生割合は増えているのだ。2時間未満の場合31・0%だが、6時間以上では76・5%となった。第2子を増やすには長時間労働の是正が求められる。 だが、単に働く時間を短くするだけでは問題は解決しない。基本給が安く、残業代をあてにせざるを得ない人も少なくないからだ。時間ではなく成果によって評価する仕組みの普及が急がれる。 育休の取りづらさの改善も求められる。夫婦共働きが当たり前となり、第1子出産時に取得する人は増えた。しかし、第1子の育休が明けてから時間を空けず、再度申請することへの後ろめたさがあるのだ。たびたび休んだのでは責任ある仕事を任せられなくなり、ポジションを奪われるとの焦りだ。 先の意識調査では、職場の上司が子育てに理解がある場合、2人目以降にためらいを感じない人の割合が10ポイント近く上昇している。職場の心遣いが「2人目を産もう」との気持ちを大きく左右する。20代に傾斜配分必要 第3子以降となると、さらに経済的な悩みが大きくなる。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の出生動向基本調査によれば、3人目以降の出産を見合わせた夫婦の7割が「お金がかかりすぎる」を理由に挙げた。 そこで小欄は、第3子以降に、子供1人あたり1千万円規模の大胆な支援をするよう提言したい。 2010年の社人研の調査によれば、子供が3人以上いる夫婦は全体の21・6%に過ぎず、2002年調査の34・4%に比べ激減した。対象となる人数が少ない上に、2005年度版「国民生活白書」によれば、子供1人にかかる費用は第2子は第1子の8割、第3子は6割程度で済むという。 これならば、第3子以降を断念する大きな理由である大学進学までの教育費について、塾代も含めすべて無料とするぐらいしてもいい。 いざ導入となれば、「家庭教師まで認めるのか」、「習い事はどこまで許容範囲なのか」など、詰めなければならないところは多いだろう。「親に現金を給付したのでは、本当に教育費に回るのか分からない」との批判も強い。教育機関への直接支払いなど支払い方法にも工夫を要する。 乗り越えなければならないハードルはいくつもあるが、ここで申し上げたいのは、これぐらい大胆な発想の切り替えを求められるようになって来たということだ。 もちろん、財源には限りがあるので、代わりに第1子、第2子に対する児童手当を廃止か縮小する。 一方、晩婚・晩産では「3人目を産もう」とはなりにくい。昨年の出生数は20代後半が1万4949人減と大きく落ち込んだ。第3子以降に手厚くするのと同時に、20代で出産した人に傾斜配分する必要もある。 日本の少子化は危機的状況にある。過去の常識にとらわれていたのでは出生数増には転じない。関連記事■ 世界であまり例がない 東京一極集中の是非を考える■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」■ 新幹線で地方は復活するのか

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    「東京はブラックホール」自治体消滅…切迫感に欠ける地方行政

    防ぐには、若年女性の仕事として希望の多い事務やサービス産業が地方に必要です。 振り返ると、これまでは政策を決定する地方の行政当局には20、30代の女性の意見を吸い上げる姿勢が一番欠けていた。行政の周囲にいる農協や建設業界の役員もほとんどが男で、ある程度の年齢。県議会も男性が多く、知事も周辺の意識に強く影響される。サラリーマンも少なく業種も偏っていて、決まり切った世界観、価値観のなかで物事が進む。 最も政策との接点が欠けていた年齢層の仕事をどう増やすか。本当に効果がある対策や切迫感が欠けているのです。会社人間的な働き方を強いていては少子化は解決できない会社人間的な働き方を強いていては少子化は解決できない 役人時代から全国、いろいろなところを見て回りました。男性の家事参加率が高いところは出生率が高いようですね。つまり、子供が大勢いる地方都市の家庭では父親が家事、子育てをしている。なかなか統計には出てこないけど、実際に現地を回るとそう思います。日本創成会議座長・増田寛也(野村成次撮影) 東京でもそれができるといいが、通勤時間も長く、今のままではなかなか難しい。ですからそこは会社が考えないと。伊藤忠商事は残業時間を朝に変え、とても好評です。出生率を上げるためには最終的に、男性の働き方を変えられるかどうかです。遅くまで働くことが評価基準になっていたり、会社人間的な働き方を強いていたりしては少子化は解決できない。 そういう私も建設省(現国土交通省)時代は猛烈に働きました。建設省にいたのは42歳までですが、当時はいかに役所に長くいて、いかに休日も含めて仕事に注力するかという価値観にどっぷり使っていました。 40歳前後で大きな法案をいくつか作り、そのひとつが「地方拠点法」です。6省庁がかかわる新設の大きな法律で、年末から2月まで2カ月ほぼ泊まり込みで作業しました。主管庁である建設省からは私、自治省(現総務省)からは今の神戸市長の久元喜造、通産省(現経済産業省)からは今の経済産業政策局長の菅原郁郎がとりまとめ役でした。 家に帰れないため、いつも着替えを朝、家内に省まで届けてもらいましたね。窓のない部屋ですから、外が見えない。知らないうちに真っ暗になる。残業は付けていないから分からないけど、月300時間ぐらいになったかな。ただ、仕事とはそういうものという意識で、苦労はしたけど、つらいとも思わなかったですね。 〈地方拠点法は平成4年6月に公布され、同年8月以降に施行された。地方の拠点都市地域に都市機能を充実させ、居住環境を向上させることが目的。例えば東京23区から事務所や研究施設を拠点都市地域へ移転する場合、税制上の特例が受けられる〉 今の若い人たちから見ると異常でしょうが、当時はそれが「仕事をする」相場観です。若い人には強いませんが、今も必要な仕事はとことん「やる」意識があります。ただし、無駄に残るとか上司の酒飲みに付き合うのはやめるべきでしょうね。 若い人たちが希望通りに25~30歳ぐらいで結婚するためには、安定した収入と地位が必要です。モーレツ社員は東京だけでなく当然、地方にもいますが、加えて地方の課題は何かにつけて「男じゃないとダメ」という意識です。男中心社会だから、仕事の後に地域の会合などで集まり、酒を飲み、結局、家事や子育て、高齢者の世話は女性(妻)に押しつける。そのあたりも変えないと。20代、30代の若い人の意識は東京でも地方でも変わりませんからね。地方への人口逆流運動を東京に高齢者の支え手はいない地方への人口逆流運動を東京に高齢者の支え手はいない 東日本大震災によって人々の意識が変わり、地元志向が高まったためか東京への人口流入が一時、鈍りました。しかし、昨年からは完全に元に戻り、今年前半はさらにその勢いが加速しています。景気が回復して時給が良くなりましたからね。 東日本大震災の津波被害を受けた沿岸部の自治体の中でも、人口が戻らない前提で復興計画を縮小したところもあります。 今後、間違いなく人口は減る。だから、復興の中でも、きちんと真正面から人口減少に向きあわないとダメだと思う。しかし、被災者と向きあう地元の基礎自治体では難しい。政治家か国、県がもっと口出しをして丁寧に誘導していかなければならない。いい意味での指導力を発揮していかないと、地元の下からの意見集約では厳しいでしょう。 人口が減った地方は疲弊し、人口が密集した東京でも良い生活があるわけでもない。特に高齢者の生活は成り立たなくなります。東京には待機介護高齢者が今でも4万3千人もいて、11年後には10万人まで増えるとされる。支え手はいませんよ。 このままでは人間の知恵で豊かな老後を迎える国からはほど遠い国になってしまう。東京オリンピックまではいいけど、浮かれていると大変です。そのために、地方への人口逆流運動を起こしたい。 病院の利便性を改善するなど地方も相当な覚悟が必要です。団塊の世代が定年後に故郷に帰るのをためらうのは、適切な医療介護を受けられるか不安だから。社会保障、病院、介護の仕組みが決定打です。 考えてみると私たち夫婦も、誰も面倒を見てくれない高齢者世代のど真ん中です。今は仕事の都合上、都心の高層マンションに住んでいますが、隣近所に知っている人はほとんどいません。ある時期が来たら、どこか地方に新たな住まいを探さなければいけないと思っています。東京で絆を新たに作るのは大変ですから。 膨大な数の高齢者が東京から故郷に帰ったら、東京でも徹底した子育て支援が可能になります。地方が消えてしまうと、東京の経済も成り立たないし、同じように人口が減るにしても、よりましな減り方にしないと。 〈政府は6月24日に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)で「50年後に1億人程度の安定した人口構造を保持する」という人口目標を政府として初めて掲げた〉 国立社会保障・人口問題研究所の調査が正しければ、未婚者の9割に結婚希望があり、子供を2人ほしいと思っている。希望通りにいくよう、うまく政策誘導すれば1・8近くには回復すると思います。問題はどれだけ早く回復できるかです。地方のほうが子育てしやすい待機児童いない石川県地方のほうが子育てしやすい待機児童いない石川県 残念ながら私たち夫婦は子供に恵まれませんでしたが、個人的には地方のほうが東京よりも子育てがしやすいと思っています。地方の良さを実感したのは、茨城県の鉄道交通課長として建設省から出向したときです。岩手県知事になってからはさらにそう思いました。時間がゆったりと流れて人情に厚く、人間的な付き合いができる。東京だと隣近所に知り合いがなく、女性が仕事と子育てを両立させるには、必死になって保育所を探さなくてはならない。かつ家と職場まで電車で1時間もかかったりする。 それに対して、地方都市は3世代同居や近居ができ、家と職場との時間距離も短く、何かあったときにすぐに家に帰れる。よく例としてあげられるのがコマツです。 〈コマツが、従業員のうち既婚女性の1人当たりの子供の数を調査したところ、石川県が1・9人、大阪・北関東が1・5~1・2人、東京本社0・8人だった。既婚率は石川91%に対し、東京52%だ〉 石川は待機児童もなく、保育施設の状況も東京よりずっといい。実は東京は子育て支援にべらぼうな金額を投じている。1人当たりにすると圧倒的に大きい。それでも働きたい人全員の需要を満たすまでには足らないし、そもそもこれからは高齢者が爆発的に増えますから、そちらの手当ても必要です。 一方、過疎の自治体はうんとお金を費やして細々と人を増やす努力をしてきたのだけど、結局、実らなかった。人口1万人以下の自治体の多くは、驚くほど子供が少ない。自治体単位で対策をしても結局、若い人は外に出ていってしまう。そうではなく、人口20万、30万の、例えば県庁所在地あたりの拠点都市に重点的に子育て支援を行い、人口流出を食い止めようということです。 すでにさまざまな自治体が相談窓口を作り、ワンストップサービスを始めていますが、それをフィンランドのネウボラ(出産子育て支援センター)のようにさらに機能を高めるといい。国や自治体のお金も、できるだけそういう所に集中していただきたいですね。 〈ネウボラは地方自治体が設置し、妊娠期から就学前までを支援。健診、保健指導、予防接種のほか、子育て相談や、必要に応じて他の支援機関と連携する。看護師、保健師が親子をサポートし、また妊娠初期に健診を1回以上受けている場合には妊娠手当が支給される。妊婦健診、出産費用などはほぼ無料だ〉 一方で企業は東京でする必要のない仕事を地方に移す。そして移転先の地方で男女含めて若い人を採用し、子育てしやすい環境で企業のために働いてもらう。こんな企業が増えていくべきだと思います。また会社に入社して中堅になってから結婚、出産となるとどうしても晩婚化が進む。早めに出産と子育てを終え、その後、会社のために働くというスタイルに変わることも必要です。(聞き手 村島有紀)ますだ・ひろや 昭和26年、東京都生まれ。52年に東京大法学部を卒業し、建設省(現国土交通省)入省。茨城県企画部鉄道交通課長などを経て、平成6年、経済局建設業課紛争調整官で退省。7年、当時の全国最年少の43歳で岩手県知事に初当選。地方から日本を変える改革派知事として3期務める。郵政民営化委員会委員などを経て、19年8月から第1次安倍内閣、福田内閣の総務相、地方再生担当相などを兼務した。野村総合研究所顧問、東京大公共政策大学院客員教授、日本創成会議座長。関連記事■ 世界であまり例がない 東京一極集中の是非を考える■ 地方経済を再生させる「企業とまちのたたみ方」■ 新幹線で地方は復活するのか