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    COCOA「大失敗」は成功のもと!

    新型コロナ対策の接触確認アプリ「COCOA」ははっきり言って失敗だろう。技術面以上に、発注などで不信感を招いた行政の不手際が目立った。ただ、平井卓也デジタル改革担当相や開発者らは信頼回復に懸命だ。イメージの払拭は容易ではないが、「失敗は成功のもと」。今回の失敗にこそ優れたアプリへのヒントがある。

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    COCOAは大失敗でも、それが原動力となる日本のコロナ接触アプリ

    林信行(ITジャーナリスト) この1年間、われわれは新型コロナウイルスの感染拡大と経済破綻という2つの恐怖の間を行ったり来たりしていた。2020年3月にコロナ対策の特別措置法が成立し、4月に第1回の緊急事態宣言。しばらくの自粛期間を経て感染者増を抑えられたので、秋ごろからGoTo トラベルやGoToイートといったキャンペーンで危機的な状況に陥った経済を回そうとすると、再び感染者が増え2度目の緊急事態宣言が発令された。感染の規模を抑えつつ、経済活動を最大化させるのが理想だが、実践するのは難しいと学ばされた。 だが、極端に走らずとも、感染の制御と経済活動をバランスよく保つ画期的なテクノロジーがある。世界の疫学のプロたちが考えていたDigitalContactTracing(デジタル接触追跡)という技術だ。この技術は紆余(うよ)曲折を経て「接触確認技術」と呼ばれるようになり、日本では「COCOA(ココア)」というスマートフォン用アプリとしてリリースされた。 だが、陽性者との接触が通知されない不具合が長期間修正されていなかったことが発覚し「大失敗」に終わった。だが、失敗したのはアプリの開発方法だ。感染拡大のリスクを低減しつつ経済を回し続ける上で、役に立つ技術であることに異論はないだろう。今、そのCOCOAが新しい体制の下、再出発しようとしている。改めてCOCOAでどんな間違いが起き、どのように修復されようとしているのか、歴史とともに振り返ってみたい。 「デジタル接触追跡」の考えは、最初のiPhoneが登場した2007年頃からあったとされる。名前からデジタルをとった「接触追跡」は、それより前から行われていた。つまり、感染者に最近、誰とどこで会ったかを聞き取り、会った相手の状態を調べることで感染拡大を抑えるというものだ。 これをデジタル化した「デジタル接触追跡」を、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大後、いち早く採用して成果を挙げたのは、2015年に中東呼吸器症候群(MERS)という感染症を経験していた韓国だった。同政府のIT部門、韓国疾病管理本部(KCDC)がシステムを開発。国民がCOVID-19にかかると、その人のスマホに記録された衛星利用測位システム(GPS)の位置情報や交通カードの利用履歴、防犯カメラ映像を使って、2週間の動きを追跡する。そして、感染した可能性がある人たちを追跡、特定して予防策をとるというものだった。このやり方は大きな成果を挙げ、2020年4月に同国で大規模な総選挙が行えたのも、この技術のおかげという評価もあった。 しかし、プライバシーの侵害だとして大きな波紋を呼ぶことにもなった。人には、どこに行っていたか、誰と会っていたかを隠したい場合がある。それを無視するやり方を問題視する声も多く、有識者も相次いで「コロナ禍が監視社会を推進する」と警鐘を鳴らした。 こうした方法では、望んだ効果が得られないという結果になる恐れもある。不満を持つ人々がスマホを持たずに外出したり、一時的に電源を切ったりするという行動を誘発するからだ。 この韓国の事例の後、米国の大学を含む研究機関やヨーロッパの政府、そしてシンガポール政府がプライバシーに配慮した「接触追跡」の技術を発表し始めた。 基本的な仕様はこうだ。Bluetooth(ブルートゥース)という通信技術を用いて、見ず知らずの人であっても近くに長時間いると「接触」したという記録がスマホの中に保存される。ただし、情報は暗号化されており、お互いの素性を知ることは一切ない。また、COVID-19の発症期間といわれる2週間を過ぎると、記録は自動的に抹消される。 陽性と診断された旨を登録すると、その陽性者との接触記録があるスマホ上で暗号が解除され、画面にコロナ感染者に接触していた旨が表示される。これを使ってPCR検査などを受けることができる、というのが基本的な仕様だ。 この仕様を真っ先に成功させたのはTraceTogetherというアプリだ。約1年前の2020年3月20日、大きなIT開発部隊を持つシンガポール政府内で開発された。だが、このアプリにも問題があった。バッテリーの消費が激しく、またiPhoneとAndroidスマホという、基本ソフト(OS)が異なる機種では記録がうまくとれないことがあったのだ。新型コロナウイルス感染者との濃厚接触者を追跡する端末を受け取る男性=2021年9月14日、シンガポール(共同) こうした状況を見て、世界の疫学のプロフェッショナルらが、それぞれのOSを開発するアップルとグーグルに協力を要請。これを受けてIT業界の両雄が手を取り合って動くこととなった。 アップルとグーグルは2020年4月10日、接触確認アプリの開発で協力することを発表し、技術の実現に必要な仕組みをOSそのものに組み込むことを明らかにした。これによってバッテリー消費を抑えながら、より確実な接触の確認が行えるようになり、iPhoneとAndroidスマホ間でも接触の確認をするための基礎ができた。 このとき、両社はこの技術を2つのフェーズで提供すると発表している。まず、第1フェーズでは、いち早く技術を提供するべく、OSには基本的な技術を盛り込むだけにとどめる。各国政府がその技術を応用して独自のアプリを作って提供するというフェーズだ。どれくらいの距離に何分以上いたら濃厚接触と判断するかといった基準が政府ごとに異なっている点からも、こうした作り方のほうが望ましい部分があった。 第2フェーズではOSそのものに全機能を搭載する。つまり、アプリを入れなくても接触確認が取れるという状態だ。しかし、先述したように、国ごとの基準の違いなどに配慮したのか、既にiPhoneもAndroidもOSレベルで接触確認の機能が組み込まれているにもかかわらず、今でも各国政府が提供するアプリを使って情報を確認する仕様になっている(2021年3月現在)。 なお、アップル社は他の製品の開発でも一貫してプライバシー保護に配慮する姿勢を貫いている。両社が開発した共通の技術基盤でもプライバシーについてはシンガポール政府以上に厳しい配慮を行った。また、技術の総称も、それまでの「Contact Tracing(接触追跡)」だとプライバシーを侵害するイメージがあるということなのか、「Exposure Notification(ばく露通知)」という呼称になったが、日本では「接触確認」と呼ばれることになった。 日本では、シンガポール政府の動きを受けた形で接触確認アプリの開発が始まった。TraceTogetherがリリースされた3日後の3月23日、日本にもこういうアプリがあったほうがいいというソーシャルメディア上の会話から、「Code for Japan」という団体の中で開発チームが結成されたのだ。CodeforJapanはプログラム開発などができる市民が力を合わせて社会課題を解決しようという「シビックテック」の団体だ。米国やタイでは、大規模な自然災害が起きたときに、政府や地方自治体では手が回らない課題を、テクノロジーの力で解決するといった形でシビックテックが活躍している。チームを襲った「不幸な衝突」 これに先立ち、CodeforJapanは「東京都新型コロナウイルス感染症対策サイト」を作るなどの実績を上げていた。3月4日にこのサイトの開発を終えていたCodeforJapanだったが、接触確認アプリはコロナ禍に貢献できる次のプロジェクトとして人気を博し、すぐさま50人近くのメンバーが集まってきた。 やがて、「まもりあいJAPAN」というアプリの名前やロゴマークなどが用意され、ネット上でも応援する人が増えた。ITに精通した政府関係者の中にも、このプロジェクトの可能性を知って期待する人も出ていた。 4月10日にアップルとグーグルからの発表が行われた際も、アップルやグーグルと連携をとり、すぐに仕様変更に対応できる準備を進めており、日本の「まもりあいJAPAN」がアップル・グーグル仕様に準拠した接触確認アプリの世界第1号になる可能性もささやかれていた。 だが、ここで不幸な衝突があった。TraceTogetherに感化されて接触確認アプリの開発を始めた人々が他にもいくつかあったのだ。 中でも大きな勢力となっていたのが日本マイクロソフト所属の開発者、廣瀬一海氏らが、会社とは関係ない個人プロジェクトとして始めた「Covid-19RadarJapan」というアプリだ。こちらも3月下旬にはソースコードの開発などを始めるなど、猛スピードで開発が行われていた。「まもりあいJAPAN」と少し違ったのは、世界で使ってもらうアプリを目指していたことだった。そのため、政府関係者とも早くから話し合っていたという。 使い慣れたマイクロソフトの開発環境などを使って開発開始していたため、日本マイクロソフトもサーバーを提供するなどの形で会社として支援していた。日本では同じ目的のアプリが、少なくとも2つ同時に開発され、しかも、その両方が政府に働きかけを始めていたのだ。もし2つのアプリが同時にリリースされれば、利用者が分散し、多くの人が使って始めて価値が生まれるアプリのユーザーを「奪い合う」状況になりかねなかった(一応、両団体では相互のソフトで通信の互換性を持たせようという話し合いは行われていたという)。 こうした状況下、政府はどのように動いていたのだろう。内閣官房は4月6日、「新型コロナウイルス感染症対策テックチーム」を立ち上げ、コロナ禍におけるテクノロジーの応用について有識者からのヒアリングを開始してた。接触確認アプリ以外の議論も行われていたが、接触確認アプリについては、CodeforJapan代表の関治之氏が第1回の会合から参加し、詳しい技術動向を解説していた。 その後、アップルとグーグルが連携して、各国での接触確認アプリの採用が重要課題になってきたのを受けて、この技術を話し合う分科会「接触確認アプリに関する有識者検討会合」が設置された。この会合でも関氏は中心的な役割を果たし「まもりあいJAPAN」がアップルやグーグルとも連携が取れており、5月5日に両社から発表された新仕様にも即時対応できると述べた議事録が残っている。 ただ、この5月5日のアップルとグーグルの発表には、それまでの流れを一気に変える条項が盛り込まれていた。接触確認アプリは1つの国に対して原則1種類で、国の保健担当機関、つまり日本では厚労省が開発するということが盛り込まれていたのだ。 この時点で「まもりあいJAPAN」と「Covid-19RadarJapan」の共存はなくなった。厚労省が主導するとなった時点で、「まもりあいJAPAN」の開発チームは、それまでに得られた知見がを新アプリ開発に生かしてほしいとソースコード(プログラムを動かす文字列)などをインターネットで全面的に公開した。画面や使い勝手のデザイン、早く開発を進める方法論、全体設計のあり方、セキュリティーやプライバシーに関する知見など、他のプログラム開発にも役立つ記事が多く、ネットでも評判となった。 しかし、その後に開発されるCOCOAでは、これらの知見が生かされた形跡はあまり見ることができなかった。厚労省は、大きな注目が集まる接触確認アプリの開発発注先を吟味することなく、協業していた大手開発者に丸投げした。つまり、それまでオブザーバーとして参加していた「接触確認アプリに関する有識者検討会合」での学びもまったく生かされることがなかったのだ。新型コロナウイルスの感染者と濃厚接触した可能性を知らせるアプリについて説明する加藤厚労相(肩書は当時)=2020年6月、厚労省 厚労省がアプリの開発を発注したのはパーソルプロセス&テクノロジーだった。実は、この選択には理にかなっている部分もある。厚労省はすでに、感染者の情報を管理する「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS、ハーシス)」を同社に発注していた。COCOAでもPCR検査を受けて陽性の場合には登録するステップがあるが、この部分でハーシスと連携したいという狙いがあった。 そこで、新たに3億9036万円の追加料金を用意してパーソルに委託するが、パーソルはハーシスの開発で手一杯だった。そこで、日本マイクロソフトなど3社に3億6842万円で再委託を行った。日本マイクロソフトが工程管理と技術支援を8416万円で、エムティーアイが保守開発を1億9093万円で、保守や監視やハーシスとの連携などをフィクサーが9333万円で請け負った。このうちエムティーアイは、さらに2社に委託をしている。 ここでカギとなるのが技術支援を担う日本マイクロソフトだ。先述の通り同社は「Covid-19RadarJapan」の開発を支援している。そこで開発する接触確認アプリは、これを基盤とすることになった。「Covid-19RadarJapan」を開発していた人たちも、マイクロソフトの支援も受けてはいたものの、基本的にはボランティアベースで開発を続けていたものが、ある日を境に突然、4億円規模の開発プロジェクトの末端という形に組み込まれることになった。 この流れは「まもりあいJAPAN」を開発してきた人々には厳しい運命のいたずらだったが、テクノロジーによる社会課題解決を応援したい気持ちは一緒だったのだろう。6月19日にCOCOAがリリースされた際には、成功を期待する人が少なくなかった。 昨年の夏ごろからGoToトラベルやGoToイートキャンペーンなどが始まると、公共交通機関、宿泊施設、飲食店などにCOCOAのインストールを推奨する貼り紙などが見られるようになった。COCOAの登場が大きく報じられたこともあり、公開から24時間でダウンロードが179万件、3日で326万件という勢いで普及が進んだ。しかし、すぐにさまざまな問題点が指摘されるようになった。SNSで「火だるま」 初回起動時にブルートゥースの利用を許可していないとアプリが起動しなくなる、利用開始日が変更されてしまう、虚偽の陽性報告ができてしまう恐れがある、といった具合に次々と問題が発見された。虚偽の陽性報告については、見かけ上「陽性登録」されたように見えても実際はされていないと厚労省が説明することになったが、相次ぐ不具合に不信感を抱く声もあった。 加藤勝信厚労相(当時)から開発を担っていると紹介されていた「Covid-19RadarJapan」の開発チームは、ソーシャルメディア上で批判の矢面に立たされた。廣瀬氏は自身のツイッターで「この件でコミュニティーはメンタル共に破綻した」とツイートし、次のリリースで開発から離れ、委託会社などに託したい考えを示した。関氏は「接触確認アプリの不具合に対して、Covid19Radarチームを責めるのは筋違いだろう」と擁護し、ソースコードを無償公開する「オープンソースソフトウエア」で作られた製品(=アプリ)の責任は委託事業者が持つべきだと主張した。 その後、COCOAは11月17日までにダウンロード2001万件と利用者を伸ばしていった。検知の精度が低いといった技術的な問題や、陽性登録件数が2020年7月末時点で「92件」にとどまるなど、相変わらず課題も多かった。11月頃にはいくつか良い報告もあった。浜松市、熊本市など複数の自治体で、ユーザーがCOCOAからの通知をきっかけにPCR検査を受診したところ、陽性が判明したという事例が報告され始め、ようやく一定の効果を示すことができたのだ。 しかし、2021年に入ると深刻な問題が次々と露呈し、信頼の回復が難しい局面にまで追い込まれた。 問題が指摘され始めたのは2021年2月。Android版のアプリで、陽性者と接触したユーザーへの通知が送られない不具合があったことが判明したのだ。アプリのそもそもの価値をも揺るがす不具合だ。 2月12日には原因究明にあたった平井卓也デジタル改革担当相が、Android版アプリ開発時に必要な仕様を誤解した状態で使っていたことが原因だったと説明し、「いくらなんでもバグが多すぎる。ここまでのトラブルは普通ありえない」と苦言も呈した。また、「これまで(のシステム開発)はお金を出して終わりだったが、これ(アプリ)は常に関与し続けないといけない。永久に完成しないものに国は今まで付き合ったことがない。今までの国のシステムの発注とは違う種類だった」と振り返った。 その直後、追い打ちをかけるように、アプリの信頼を揺るがす問題点が見つかる。iPhone版のアプリで時折、状態が初期化されてしまい、2週間以内の接触者を正確に調べることができないことが分かったのだ。Androidでは、1日に1回程度、アプリを再起動しないと正常に利用できない不具合も判明。もはや、信頼は目も当てられない状態にまで落ち込んでおり、COCOAを少しでも擁護しようものなら罵声を浴びそうな空気が漂い始めていた。 もはや信頼を完全に失った日本の接触確認アプリだが、経済を回す最も有望な技術である事実は変わりなく、問題を放置しておくわけにもいかない。そこで内閣官房IT総合戦略室と厚労省が、事態の収拾のために連携チームを発足した。メンバーには、開発体制の問題点について鋭く指摘してきた楠正憲氏や、関氏が政府CIO補佐官として参加した。衆院内閣委員会で答弁する平井卓也デジタル改革担当相=2021年2月24日、国会・衆院第16委員室(春名中撮影) ネットを見てもCOCOAについては悪い評判しか見かけない。そんなアプリの信頼回復に挑むというのは火中の栗を拾うような行為だ。 しかし、その誰もやりたがらない職務に立ち上がった2人を応援する声もあった。東京都副知事で元ヤフー社長の宮坂学氏だ。東京都フェローの関さん楠さんたちのCOCOAの信頼性再構築という難事業への取組。心から応援。二人からはオープンに作ることこそが信頼性をもたらすことなど多く学んだ。宮坂学氏のツイッター 同日、関氏自身も「銀の弾なんてものはありません。できることを着実にやるしかない。みなさんご協力いただけましたら幸いです。> オープンプロセスによって、COCOAの信頼を再構築する」とツイート。同時に「オープンプロセスによって、COCOAの信頼を再構築する」と題した記事を公開し、事態収拾チームとしてやるべきことなどの考えを発信している。接触確認アプリを社会全体で活用していくためには、適時的確でわかりやすい広報、インストール後のコミュニケーションや接触通知後のユーザーエクスペリエンス(利用体験)の改善・向上など、やるべきことはたくさんあります。他国での状況を調べて参考にする必要もありますし、あるいは、ここで一度立ち止まって、そもそもあるべき姿について皆で再度考える必要もあるかもしれません。オープンプロセスによって、COCOAの信頼を再構築する これまでのCOCOAは「大失敗だった」と言っていいだろう。だが、「失敗は成功のもと」という言葉もある。アップルとグーグルが作った国際的な規格を採用していることを考えると、将来、このアプリが国際的な人の行き来を本格的に再開させる上でも重要なカギを握る可能性もある。 日本では、早い段階で手痛く、大きな失敗をしたおかげで信頼と実績を持つ監督チームを得ることができた。政府主導の開発の何が問題点であるかもたっぷり議論が行われたので、おそらく同じ失敗を繰り返すことはないはずだ。そう考えると、この失敗は必ずしも無益ではなかったようにも思える。 COCOAの失敗は、何も開発体制だけの失敗ではない。開発者を精神的に追い込んでしまった国民やメディアにも失敗があったと思っている。この点についても過去の失敗から真摯(しんし)に学び、今度は一緒に育てるようなつもりで接触確認アプリの再出発を温かく見守ってもらえたら、政府が進めるデジタル化の流れにも良い影響があるのではないだろうか。

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    東日本大震災10年目の述懐

    東日本大震災は発生から10年の節目を迎えた。あの日、われわれは成す術もなく自然の猛威を改めて実感し、原発事故を含め「想定外」として受け入れるしかなかった。ただ、無力さの中で何ができるかの議論は進んでいる。当時、政府や自衛隊、同盟国として関わった3識者が、10年を経た万感の思いとともに、防災対策の真の在り方を問う。

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    「2021」は選挙年、コロナ迷走の果てに到来する政治的大混乱

    憲政史家、皇室史学者) もし私がこの状況で総理大臣を引き受けたら、どうするか? まず、疫病対策と経済政策の専門家を集める。総理大臣がすべての問題の専門家である必要はない。誰が信用できる専門家なのか、ありとあらゆる人脈を使って確かめ、集めればよい。 ただ、総理大臣になるような人間は、経済政策の専門家など日ごろから付き合っていなければおかしい。だから、この新型コロナ禍において必要とされるのは、科学的な議論ができる医者だ。 そして、自らが頼みとする専門家たちに諮問する。「俺が責任を持つ。コロナ禍で何人の死者までなら許容するのか、数字で述べよ」と。この諮問を残酷と思うなら、総理大臣どころか政治家を辞めたほうがよい。少なくとも、厚生労働大臣にはならないほうがよい。 医療における議論の決着の仕方は、最終的にカネなのである。たとえば、「iPS細胞の研究」「離島へのドクターヘリ配備」「都会での救急車の増加」などなど、医療において必要な政策は無数にある。 では、どれを優先するのか。重要性は同じであり、命の尊さだ。離島でドクターヘリを待ち望んでいる人の命も、都会で救急車がもっと走っていれば救えるかもしれない命も、iPS細胞の実用化を待ち望んでいる人々の切実な願いも、差がつけられるはずがない。 また、当たり前すぎる事実だが、医者は「すべての命を救う」ことなど求められていないし、できもしない。最善を尽くし、救える命を救うのが医者の使命だ。医者の本分は結果責任ではなく、最善を尽くしたか否かだ。 よって、政治が医療問題を解決しようとすれば、結論は「限られた予算をいかに効率的に投じるか」の議論に収斂(しゅうれん)されるのだ。そして、医療問題で政策の優先順位をカネで決着させるということは、「カネの問題で救えない命もある」というのが現実なのである。 果たして日本政府は、こうした医療の基本を踏まえていただろうか。 新型コロナは未知の伝染病である。伝染病である以上、根絶は不可能だ。当然、コロナ禍において一人も死なせないなど、不可能だ。だから、「俺が責任を持つ。コロナ禍で何人の死者までなら許容するのか、数字を述べよ」と諮問する。会見で記者団の質問に答える菅義偉首相と、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(右)=2020年12月25日、首相官邸(春名中撮影) 諮問した相手が、仮に「ゼロ人」だと答えたとしよう。国家予算だけでは足りず、政府は国債を刷って何年分もの借金を背負い込むこととなるだろう。だが、伝染病が流行するたびに、経済そのものを止めて、借金を拡大するわけにもいくまい。コロナ対策は風任せ 2020年春、日本政府は緊急事態宣言を発令して、経済そのものを止めた。莫大な給付金も行った。新型コロナをペストかエボラ出血熱のように危険な伝染病だと見なしてだ。結果、例年のインフルエンザの死者数よりも低い数字に抑え込んだ。この事実には2つの評価がある。 1つは「新型コロナなどインフルエンザよりも危険性はない」とする説、もう1つは「ここまでの対応をしたから、インフルエンザよりも低い数字で抑え込んだのだ。もし何もしなければ被害は甚大だったのではないか」との説。同じ尺度ではないので、厳密には比較のしようがない。 だが、科学的な議論であるならば、特に未知の病原体が対象であるならば、自由な議論が許されねばならない。一度はまるで「ペストやエボラ出血熱のような恐怖の伝染病かもしれない」との仮説に立って経済を止めたのだから、逆に「ただの風邪かもしれない」との前提に立って一切の伝染病対策を放棄する議論すら許されねばならない。 この仮説に立った場合、「消毒・就業制限・入院勧告のどれかだけをすればよい」という議論もあり得る。一時は「何もしなければ42万人死ぬ」という議論を前提に日本経済を止めたが、何もしないことなどありえない。 仮に「消毒と就業制限と入院勧告」を行った場合、死者は何人になるのか。繰り返すが、未知の病原体に怯え経済を止める議論をするならば、複数の可能性を提示すべきであろう。「ペストかもしれない」という議論と、「ただの風邪かもしれない」という議論と、その中間だ。そういった科学的議論ができない以上、疫病対策は迷走し、必然的に不況は加速する一方だろう。 そもそも、何のためにコロナ対策をしているのか。さすがに今の日本政府が新型コロナの感染者(実は陽性者)をゼロにするなどとは考えてはいまい。政府は頑(かたく)なに目標(勝利条件)を明言しないが、本当に何も考えておらず、風任せなのだろう。だから目的を見失っている。為政者自身が何をしてよいか分からないのだから、国民が動揺するのは当然だ。これにマスコミが輪をかける。もはや、引っ込みがつかなくなっているのだろう。 だからこそ、総理大臣が人心を鎮撫しなければ、誰がこの混乱を収拾できるのか。あらゆる患者の命を救おうとするのが医療倫理であるのと同時に、それは不可能なのが現実だ。そして、政治家が政策により医療と関わる場合は、最終的にはカネの問題であり、救えない命を受け容れることなのだ。 今の菅義偉(すが・よしひで)総理にこのような意見を具申する者がいない以上、当面はコロナ禍で右往左往するだろう。 さて、2020年を振り返ると、世界中がコロナ禍に明け暮れた。その中でも、わが国では長く続きすぎた安倍晋三内閣が退陣し、総理が交代した。 そもそも、2019年10月1日に消費増税10%がなされ、日本経済は破滅へのカウントダウンを始めていた。安倍総理は財務省に屈した。そこへ20年初頭からコロナ禍だ。そして20年春、安倍官邸は検察庁に抗争を挑み、完敗。既にレームダック(死に体)と化していた。6月に国会を閉じてからは延々と後継を巡る謀議が繰り広げられ、結果として菅氏に事実上の禅譲が行われた。自民党総裁選を終え、安倍晋三首相(左)に花束を渡す新総裁の菅義偉官房長官=2020年9月14日(川口良介撮影) ただ、内実は不安定だ。安倍内閣は、安倍総理、麻生太郎財務大臣、二階俊博自民党幹事長の3人が組んでいる限り無敵だった。そして100人の派閥を率いる安倍総理の下で3人は結束していた。ところが菅内閣では、二階幹事長と麻生財務大臣の暗闘が激化している。20人の派閥しか持たない菅総理が非力なのは、やむを得まい(なお、菅総理は表向き無派閥)。21年は選挙の年 現在は二階幹事長が主導する政局と見えるが、これは財務省が一時的に力を落としていると見るべきだろう。岡本薫明前財務事務次官は就任するやモリカケ騒動を終結させ、安倍政権に消費増税10%を難なく呑ませた実力者だった。その岡本氏が昨年夏の人事異動で去り、太田充現事務次官は軽量と見られている。 現に、コロナ禍での財政出動圧力に防戦一方だ。ちなみに麻生財務大臣などは国会で何度も「コロナは風邪」と言い切っている。財務省の本音としては、「たかが風邪」で巨額の財政出動などしたくないのだ。 だが、そんな財務省の本音は通らない。防戦一方とはいえ、それでも官庁の中の官庁としての底力は残っていて、「他の何を譲っても消費減税だけは絶対にさせない」との“絶対国防圏”だけは死守する構えだ。 結果、飲食業や観光業は悲鳴をあげ、自殺率も上がった。特に女性の自殺率は激増である。これに対し菅内閣が有効な対策を打つ、財務省に対し政治力を発揮するなど、期待しないほうがよいだろう。 そして2021年は選挙の年である。4月には衆議院の補選、7月(6月末に前倒しの可能性もある)に東京都議選、9月に自民党総裁選が予定されており、10月が衆議院の任期満了だ。既に菅内閣の支持率は激下がりだが、今後も上がる気配がない。コロナ対策も不況対策も風任せだからだ。 まず、4月の補選では公明党が独自候補を擁立、自民党との亀裂が深まっている。菅総理や二階幹事長と公明党の関係は良好だが(むしろ、このつながりが双方の政治的源泉)、補選で自前候補擁立を目指す岸田文雄元外相は違う。 公明党は「もしわが党の候補を応援しなければ、全国の岸田派議員を応援しない」と恫喝している。岸田派は選挙地盤が弱い議員が多く、公明党の背後にいる創価学会の支援なくして当選はおぼつかない。ではあからさまな恫喝に屈するか。創価学会・公明党の力が示される選挙になるだろう。 7月の都議選は、実は今年最も重要な選挙になりかねない。ここで東京都の小池百合子知事がどう動くか。4年前は、都民ファーストブームで東京の自民党を壊滅状態に追いやった。そして総理候補に躍り出た。 あのときは決心がつかなかったが、今回は野心満々だろう。いずれにしても「小池に応援された党派の候補が勝つ」という状況を作れれば、再び総理候補に躍り出ることになる。記者会見し、不要不急の外出自粛を呼び掛ける東京都の小池百合子知事=2020年12月25日、都庁 菅総理の支持率が下がり「選挙の顔」にならなくなれば、菅おろしが勃発するだろう。だが、2009年に当時の麻生太郎総理を引きずりおろそうとした動きも、鎮圧された。現職総理が本気で居座った場合、総選挙以外では誰も引きずりおろせないのが日本の政治だからだ。 そして09年の総選挙は自民党が記録的な大敗を喫し、旧民主党への政権交代がなされた。この再現を一部のマスコミは本気で狙っている。また、立憲民主党の枝野幸男代表も真剣だ。自民党が国民の支持をなくしたら、野党第一党党首の自分に政権が転がり込んでくると。そのために衆議院候補者の頭数をそろえ、野党内政局に勝ち続けてきたのが、枝野幸男という男だ。日本政治は動乱に 自民党もそうしたくないから「菅おろし」を目論んでいる。そして「枝野シナリオ」の上前をはねるのが「小池シナリオ」だ。 そもそも、安倍政権が長期政権と化したのには理由がある。「金融緩和をする→株価が上がる→選挙に勝てる→誰も引きずりおろせない」の方程式だ。 日銀は現在も金融緩和を続けていて、やめれば即座にリーマンショック以上の不況が訪れるのだが、かといってコロナ禍で人々が不安になっているときはインフレマインドが醸成されるはずがないので、効果は限定的だ。 株価は上がっているが、給付金の使い道に困った富裕層が投資しているだけで、実体経済を反映していない。コロナ禍を抑え込まない以上、不況対策は打つ手なしで我慢の時間帯を続けるしかない。 動乱の日本政治に突入するだろう。それでも7月に東京オリンピックをやる体制だ。その場合、8月上旬にパラリンピックが終わる。その直後から、政治は激動期に突入する。菅総理が乗り切れるかどうかよりも、そのときに何か実績があるかどうかのほうが重要だが。 世界に目を転じれば、米国で政権交代が起きた。ドナルド・トランプ大統領は対中国強硬政策を行ったが、次期大統領のジョー・バイデン氏も基本路線は受け継ぐ。 ビル・クリントン政権末期やバラク・オバマ政権もそうだったが、強すぎる中国を民主党といえども許容しないのだ。また、2年後に中間選挙があるので、それまでは極端な独自政策は出しにくく、議会で野党共和党との協調路線を続けるとみられる。 だが、優先順位は変わる。バイデン氏の最優先事項は環境問題だ。バイデン政権は「第七艦隊を動かすと地球環境が汚染させる」などと言い出す勢力も抱えている。 中国は終始孤立していたトランプ大統領よりも、ヨーロッパと強固な関係を結べるバイデン氏のほうを警戒しているようだが、日本が安心できる要素は何もない。中国は「武漢肺炎」などなかったかのごとく、コロナ禍で一人勝ちを謳歌している。この国は甘い相手ではない。 長年、中国のジュニアパートナーに甘んじつつも国内とヨーロッパに対しては居丈高だったロシアのウラジーミル・プーチン大統領の支配にも陰りが見えた。それを象徴するのが、20年秋に突如として起こったナゴルノカラバフ紛争だ。ここはアゼルバイジャンがアルメニアに占領されていた土地だったが、力づくで奪い返した。両国とも旧ソ連圏で、プーチン大統領から見たら「舎弟」だ。2020年12月23日、モスクワ郊外の公邸でテレビ会議に出席するロシアのプーチン大統領(タス=共同) この動きの背後には、まるでプーチン大統領と盃を交わしたかのごときトルコの態度がある。北大西洋条約機構(NATO)に接近しようとしたアルメニアの動きを看取したトルコはプーチン大統領と話をつけ、手下のアゼルバイジャンの軍事行動を容認させたとのことだ。トルコもただでは軍門に下らないし、プーチン大統領も仁義を切る者には「代紋」を貸す。 旧ソ連圏では反プーチン大統領の動きが続発しているが、ロシアを簡単な国と舐めないほうがよい。天王山は23年の「日銀」人事 実際に甚大な被害が出ているヨーロッパ諸国は、コロナに追われるだろう。そうした中、ドイツはアンゲラ・メルケル首相の後継問題に揺れる年となる。ヨーロッパにとって最重要課題は対露政策だが、要のメルケル首相が去った後は軽量になるのはやむを得まい。 さて、以上の状況を踏まえた上で、この先を概観する。2021年 衆議院補選、東京都議選、自民党総裁任期切れ、衆議院任期切れ2022年 参議院選、アメリカ中間選挙2023年 日銀総裁任期切れ バイデン氏の公約には、増税を軸とした破滅的な政策が並んでいる。公約を破れば政権が弱体化する。あるいは中間選挙で敗れれば、何も実行しなくてもよいが。つまり、「破滅」か「公約破り」か「レームダック」が運命づけられているのだ。 ならば、日本が強くなれば、一気に経済大国の地位を回復できるではないか。では、突破口はどこか。コロナ禍を終息させているという前提で言う。 天王山は、日銀だ。安倍前首相は日銀人事で勝利して意中の人物を送り込んだので長期政権を実現した。今でも不況がこれで済んでいるのは、黒田東彦(はるひこ)総裁が金融緩和を続けているからだ。これがリーマンショックのときのように、白川方明(まさあき)氏が総裁だったらと思うと身の毛もよだつ。 21年に日本政治の勝者が誰になるか分からない。もし、自民党なら停滞が続くだろう。もはやこの党は政権担当能力をなくしているのだから。その他の党が政権を取っても、破滅することはない。なぜなら、参議院の圧倒的第一党は自民党であり、ねじれ国会では誰が総理大臣でも何もなしえないからだ。破滅ではなく、大混乱するだろう。 決着は、22年の参議院選なのだ。そのときの総理大臣が日銀と適切な協調関係を築き、政府の財政政策と中央銀行の金融政策を正しく行えば、日本経済は一気に回復できる。さて、それをやるのは誰か。国民にとっては誰でもよいが。記者会見する日銀の黒田東彦総裁=2020年10月29日、日銀本店(代表撮影) 最後に。コロナ禍において要路者の誰もが忘れている急所がある。疫病対策も経済政策も人心鎮撫の手段であって、それ自体は目的ではないのだということを。 国民一人一人、自分が総理大臣になったつもりで考えるしかない。

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    SDGs達成はほど遠い?節約志向でもプラ製レジ袋を買う日本人

    柏木理佳(生活経済ジャーナリスト) 消費税が10%に増税されてから消費が低迷していた中、新型コロナウイルスの感染拡大で先行き不安になり、家計の支出は減少している。これによって消費者は財布のひもを締めているのが現状だ。 ところが、環境問題の意識が低く有料化されたレジ袋をまだ買い続けている人が多いのも日本人の特徴である。 思い起こせば、バブル時の収入が多いとき、ブランド品には興味があっても社会貢献や環境問題には興味がなかったことに通じる傾向ではないか。 子供のころからチャリティーやボランティア活動を習慣としている英国人とは違うのだ。ただ、日本でも2010年の東日本大震災以降は、ボランティアへの意識が高まり、特に震災などを経験した女子大学生は他の年代よりもSDGs(持続可能な開発目標)意識が高いというアンケート結果もある。とはいえ、購入プロセスへの効果はない。 英国では、テレビ番組で著名人によるSDGsや社会貢献などへの取り組みが特集されるなど、企業によるコマーシャル戦略や情報提供が意識改革につながっていると思われる。 そもそもSDGsは2015年に国連で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す目標として掲げている。 英国を例に挙げると、スーパーでは、発展途上国の作物や製品を適正な価格で継続的に取引するフェアトレード商品が陳列されていたり、貧困地域の子供たちに商品を手渡した写真などのPOP広告も展開し、企業側のアピールもすさまじい。 実際、英国の通信会社giffgaff(ジフガフ)は、新製品を売らず再生品を「一生使い続けます」という誓約書にサインして無料で手に入れる店を出すなどしている。 そのためか、英国ではSDGsなど社会貢献に取り組んでいないスーパーより、取り組んでいるスーパー「セインズベリーズ」や「ホールフーズマーケット」を選んで足を運ぶ消費者も増えている。 筆者が英国のスーパーで買い物客に購入理由をヒアリングしたところ「自身のお金が直接、寄付できたという実感があり、遠くてもセインズベリーズを選んでいる」と話していた。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 政府の取り組みも厳しく、レジ袋を有料化して9割削減に成功しただけではない。大企業から中小企業まで社会貢献や環境などの研修を実施しており、従業員の意識も高い。 そのため、従業員が買い物に行くと、自然とそういった商品を購入することにつながっているのだ。筆者がマンチェスターを訪問したところ、プラスチック製レジ袋だけでなく紙袋さえも売られていなかった。ピコ太郎でPRもいま一つ? 一方、日本の対策はどうか。全閣僚を構成員とする「SDGs推進本部」を設置し、SDGsアクションプラン2020も掲げたが、外務省が「ピコ太郎」や「ハローキティ」を使いユーチューブなどでPRしている程度で、あまり浸透していない。 ゆえに企業は政府に頼ることができない。なぜなら、SDGsを含めたESG(環境・社会・企業統治)に取り組んでいない56%の東証1部上場企業は、年金積立金管理運用独立行政法人など、約6600兆円規模が国内外の大口機関投資家から相手にされなくなるからである。 実際には、企業のCSR(社会貢献)は収益が多いときには寄付は税金対策にはなるが、イメージアップ効果もみられないことが証明されている。新型コロナ禍で業績が悪化している企業は削減するだろう。 かつて、米コンサルティングファーム「FSG」共同創設者のマーク・R・クラマー氏も社会貢献や慈善事業は広告効果もないと指摘しており、ハーバードビジネススクールのマイケル・E・ポーター教授も社会貢献を寄付ではなく、積極的に収益を上げることが重要であると提唱していた。 だが、海外では、利益だけを追求する企業には投資をしないというPRI(責任投資原則)に署名している機関投資家は増えている。海外企業はビジネスの柱に加えて社会貢献を含める収入を得るCSV(共通価値)重視に移行しており、日本企業の対策やアピールは下手で世界ランキングの位置も低くなっている。 高ランキングに入ることで初めて海外の機関投資家に注目されるため、必死でSDGs予算を配分して広告を出しているのである。 しかし、それでは株主向けの自己満足でしかない。消費者へのインパクトを与え購入し個人個人が社会貢献をしているという意識につながり、それが投資家へ連鎖するのがベストである。実際にESGの評価が高い企業は、一般消費者向けの身近な商品を販売しており、収益性も高い。 政府は中小零細企業にも研修の義務化で従業員に浸透させ、レジ袋だけでなくゴミ袋もプラスチック製を使わないなどの厳しい対策をとる必要もあるだろう。店内に掲げられた、レジ袋の有料化の告知=2020年7月1日、東京都品川区の「ローソンTOC大崎店」 1962年にスタンフォード大のエベレット・M・ロジャース教授が提唱したイノベーター理論によると、消費者への普及には段階的に以下に示すいくつかの層を順に経なければ普及しない。①改革者の層=非常に流行に敏感な層(2・5%)②初期採用者の層=流行に敏感でオピニオンリーダーとして影響力が大きい層(13・5%)③マジョリティの層=慎重派でソーシャルネットワークサービス(SNS)などで評判を確認してから購入する層(68%)④遅帯層=保守的で確立するまで購入しない層(16%) 今はコロナ禍で自宅にいる期間が長くなりオンラインショッピングに変化している。それだけに、企業や政府がSNSでPR効果を挙げれば一気に改革者からマジョリティの層に拡大する可能性もある。 ただ、そうならなければ、消費者がスーパーなどで商品をよく見極めることが減り、SDGsは浸透しないまま2030年を迎えることになるだろう。

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    失望の進次郎留任とベールに包まれた菅内閣の不気味な深謀遠慮

    安倍晋三前総理(左)=2020年9月28日、東京都港区(三尾郁恵撮影) ゆえに、いくらメディアに出て政策を主張したとて当落にはほとんど影響はない。メディア露出が次回につながるという見方もあるが、自民党総裁選はそんなに甘いものではない。 メディアで浮き足立つ2人を尻目に菅氏は着実に支持票獲得を進めていた。見事な動き方であったし、党内支持派閥からの信頼度も上がったことだろう。「菅カラー」見えず 国民によって選出された自民党所属の国会議員らから出馬要請を受けたという「絵」を描き、票をまとめた上で候補者の中で最後に出馬表明の意思を示す。これこそが昔ながらの、勝利を収める選挙戦略である。ただし、現代の議員で実現できる者は極めて少ない。 届け出に必要な20人の推薦人を獲得するために、石破氏が悪戦苦闘していたのを見れば分かるだろう。野田聖子幹事長代行や小泉進次郎環境相のように知名度が高く、アンケートなどで国民から「総理になってほしい」と期待される議員であっても総裁選立候補というスタート地点に立てない者がほとんどなのだから、菅氏は大変な策士と言えよう。 だからこそ私は、現時点では安倍前総理の政策を踏襲する方向性を打ち出し、「菅カラー」をはっきり見せない菅内閣に不気味さを覚えながらも、不気味だからこそ期待できるのではないかと考えている。 今後、これまでのように安倍前総理が国会で答弁することはありえず、モリカケ問題や安倍前総理主催の「桜を見る会」の問題が菅政権下で再調査されるとは考えにくい。これだけの年数をかけたにもかかわらず追及しきれなかった以上、野党・マスコミの惨敗ということだ。タイムオーバーである。野党には気持ちを切り替えて、国民の大多数を占める無党派層、無関心層の心に響く戦略を打ち出してほしいものだ。 他方面では、戦略家で話上手な菅氏が党内でバランスを取りながら、国政にあたることも期待できるのではないだろうか。そもそも、菅氏がどこまで本気で「安倍前総理の政策を踏襲する」と思っているのかは定かでない。むしろ表向きはそう言ってはいるが、裏では自身の政策を黙々と進めているように感じてしまうのだ。 新政権誕生後、よく耳にするようになった携帯電話料金引き下げ、デジタル庁創設、不妊治療の保険適用の検討などについて安倍前総理はさほど言及してこなかった。少なくとも、菅内閣が安倍内閣のカーボンコピーというわけではないだろう。衆院本会議で首班指名され、拍手を受ける菅義偉氏(中央)=2020年9月16日午後、国会・衆院本会議場(三尾郁恵撮影) また、菅氏が総理に任命される前から、会員制交流サイト(SNS)で「#スガヤメロ」「庶民出身なんてうそだ」などの書き込みが相次いだ。まだ始まったばかりのうちに批判ばかりは悲しすぎるし、これでは政治にチャレンジしてみたいという有能な若者はますます現れなくなる。文句ばかり言われるのならば、民間で能力を発揮して稼いだ方がいいではないか、という話になってしまう。 私も議員に初当選した直後、「維新議員なんて死ね」「若い女に何ができるんだ。税金泥棒」などとファクスや郵便物による嫌がらせを受けた。その数は夥(おびただ)しく、議員になった途端にこれでは前途多難だな、と思った。 加えて、近親者に政界関係者がおらず、地元の名士でもない者が総理になれるわけがないとの考えも根強いが、そもそも庶民出身だから仕事ができるというロジックも一切ないのだから出自は関係ない。菅氏の出自に関する批判や追及を行うのは愚かな行為だ。小泉環境相の留任に落胆 さて、菅氏は当初、自民党総裁選に立候補しないような雰囲気を醸し出しつつも、裏では華麗な当選に必要な支持票をきっちり固めていた人物だ。発言の裏にある戦略は、これから見てみないと評価などできない。 閣僚人事の顔ぶれは、改革を掲げる菅内閣にはふさわしくない気もする。だが、総裁選で多くの重鎮議員に支えられて当選したのだから、それをないがしろにしては国政をスムーズに進めていくことは絶対にできない。恩をあだで返せば、足を引っ張られて成果を残せずに菅内閣は終わってしまう。TBSのドラマ『半沢直樹』風に言えば、「施されたら施し返す、恩返しです」。議員も人の子、感情がある。 ただ、小泉環境相の留任には大いに落胆した。お父さまの小泉純一郎元総理にお世話になった人があまたいるので、そのつながりでやむを得なかったのかもしれないが、これっぽっちも国民のためになる人事とは思えない。 小泉環境相には大臣職に就くための勉強期間や、大臣として政策を実現するための仲間集めの期間がまだ必要だったのではないかと思う。コロナ禍で国民が疲弊している今年4月、「ごみ袋にメッセージを書きましょう」なんてお気楽なことを記者会見で真剣に話すような大臣が留任とは、いくらなんでも見るに堪えない。 たくさんいすぎて、重要視されていないようにしか見えない副大臣や政務官のような「充て職」ではないのだから、ここは考えていただきたかったと菅氏に申し上げたい。 高齢の重鎮議員を重用すれば、若者世代のためにならないという批判もあるが、次の解散総選挙までは長くとも約1年しかない。この超短期間で大きな成果を残すことは至難の業だ。菅氏は安定した閣僚人事を行い、彼らの下についている派閥議員らも一緒に動かすことを目論んだに違いない。そして、少しでも成果を残し、解散後にも引き続き総理の座に就くことを狙っているだろう。衆院本会議に臨む小泉進次郎環境相=2020年9月16日、国会・衆院本会議場(酒巻俊介撮影) 次の衆院選までに菅氏がどのような成果を出すか注視し、国民の利益にならぬ不適切な部分が見受けられたら正していくのが、野党の政務の一部となる。こういうときに、自称「与党でも野党でもない」日本維新の会は、国政でどういう役割を果たすのだろうか。お題目のように、是々非々で臨むと言っていれば、熱烈な維新支持者には「やったふり」ができると思っているのだろうが、そろそろ仕事をしていただきたいものだ。 長期にわたる安倍政権が終わり、菅政権が誕生した今、国民にとっては、国政選挙に1票を投じる判断材料として、新しい目で各党のお手並みを拝見できるよきチャンスだ。

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    「縦割り行政」打破だけでは物足りない、スガノミクス成功のカギ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 菅義偉(すが・よしひで)政権の経済政策を「スガノミクス」と呼称することが、国際的に広まりつつあるが、国内ではいまだ馴染みがないのかもしれない。その理由はどのような政権であれ、現在の日本が直面している最大の課題が新型コロナ危機であり、危機対応にはそう大差がないからだ。 つまり、菅政権の個性が出にくい状況になっているのである。コロナ危機において、求められている政策を単純化して説明すれば、感染を抑制しながら、経済を危機前の水準まで回復させることだ。 そのためには、さまざまな分野での自粛要請や規制の緩和、そしておカネが不足している個人や企業への支援が必要である。 この新型コロナ危機前の経済水準に回復しなければ、菅政権だけではなく、いかなる政権も「失政」と判断されるだろう。そのためできるだけ早期に危機前の状況に戻ることが求められている。 国際通貨基金(IMF)など国際機関の推計で、2022年には日本経済が危機前の水準に戻るとされている。その時期を早められるかどうかで、菅政権のコロナ対策に対する評価が決まってくる。 だが、無個性というわけではもちろんない。例えば、前例主義や悪しき慣習、そして既得権益によって継続しているような「縦割り行政」の弊害をなくすことが、やはり菅政権の個性になるだろう。 河野太郎行政改革担当相は日ごろから行政改革に強い意欲を示していたので、適材適所だろう。政権が掲げるデジタル庁の設置は最も分かりやすい縦割り行政の打破に繋がる可能性がある。記者会見に臨む河野太郎行政改革・規制改革担当相=2020年9月17日、首相官邸(佐藤徳昭撮影) 平井卓也デジタル改革相は2021年中の新設の意向を表明しているが、時限的なデジタル庁の設置も、その期間内に成果を出すことが目標化しやすい。そして、デジタル庁の縦割り行政の打破の一例は、やはりマイナンバーカードを利用した一元的な税や社会保険料、NHKの受信料などの歳入管理だろう。新型コロナ危機で国民一人当たりの定額給付金を支給することが遅れた背景の一つに、このマイナンバーカードを効率的に政府が運用できていなかったことが指摘されている。 ただ、米国のように政府発行小切手の形での支給方法もあったとする批判もある。いずれにせよ、今後も同様の経済危機が発生しないとは限らない。手前勝手な「財政再建」 また、年金保険料の徴収漏れを防ぐことが、最も単純明快に年金財政の改善に資するともいわれている。あるいは全ての銀行口座とマイナンバーカードのひも付けができれば、税徴収がより公平かつ効率的になるだろう。 マイナンバーカードを通してだけでも、デジタル庁の業務が重要なのが分かる。しかし、反対する既得権益層も多いだろう。 特に、マイナンバーカードを利用して、税や社会保険の徴収を一元化するとなると、縦割り行政で甘い汁を吸っていた省庁が抵抗することは間違いない。税金であれば財務省、国民年金や雇用保険は厚生労働省、そしてNHK受信料などは総務省の反対が容易に想像できる。 中でも、最も注目したいのが財務省の出方である。上述した税と社会保険の一元的な徴収は、従来から「歳入庁」構想と言われてきたものである。財務省はこの構想に猛烈に反対してきた。 歳入庁を作り、税や社会保険の徴収を効率化すれば、財務省が常日頃から主張している「財政再建」にも役立つのに、同省は一貫してこの構想に反対している。財務省としては税務関係の利権を手放したくないのだろう。 これを考えると、財務省が増税の理由にしている「財政再建」がいかに手前勝手な理由かも分かる。自分たちの利権を守るためには、むしろ税や社会保険料がちゃんと徴収できない方がいいのだ。 言い換えれば、自分たちの利権のツケを国民に増税という形で回していることになる。何という「デタラメ行政」だろうか。デジタル庁を通じて、どこまで「デジタル歳入庁」的なものが実現できるかどうか、注目すべきポイントである。デジタル庁設立に向けた検討会に出席した平井デジタル改革相=2020年9月19日、東京都港区 行政改革だけではなく、地方銀行の「過剰」を問題視し、中小企業基本法の見直しを検討したいと述べるなど、菅首相の経済思想の核心は、彼が政治家として経験を積み上げてきた小泉純一郎政権での「構造改革」的なものを想起させる。アベノミクスの「三本の矢」では、成長戦略と呼ばれていたものだ。構造改革とはどういうことか、改めて説明しておきたい。 資源配分の効率的改善へのインセンティブを生み出すような各種の制度改革のことであり、具体的には、公的企業の民営化、政府規制の緩和、貿易制限の撤廃、独占企業の分割による競争促進政策などがそれにあたる。それによって、一国経済において、資本や労働という生産資源の配分が適正化され、既存の生産資源の下でより効率的な生産が達成される。すなわち、潜在GDPないし潜在成長率が上昇する。野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』小泉流構造改革の「誤用」 日本経済の潜在的な力を規制緩和や行政改革で改善するというのが、構造改革の分かりやすい表現だろう。ところが小泉政権の、特に初期において、本来の構造改革が誤用されていた。 代表的には、小泉元首相が発した「構造改革なくして景気回復なし」に表れている。この小泉流構造改革は、本来のものとは異なる。 先の構造改革の定義の中には、景気回復がそもそも入っていない。景気回復のためには、おカネの不足を解消することが必要だ。その役目は、金融政策や財政政策が担う。 しかし、構造改革は全く異なる問題を扱っているのである。つまり、いくら構造改革をしても景気がよくなることはない。むしろ構造改革ばかりやっていては、景気を悪化することにもつながる。 例えば、景気が悪化している中で、個々の企業が経営を立て直すためにリストラ(事業再構築)をするとしよう。これは個々の企業の「構造改革」である。 だが、リストラされることで職を失う人が増えたり、残った従業員も給料やボーナスなどをカットされれば、経済全体から見れば、ますます景気が悪くなってしまうだろう。それと同じように、日本経済全体でおカネが不足している状況で、政府のリストラを極端に進めてしまい、政府から出るおカネが絞られると、さらに景気は悪化するだろう。 この景気対策と構造改革が異なる政策目的を持つことを十分に理解しなかったのが、前期の小泉政権だった。後半でかなり改善したとはいえ、それでも財政政策や金融政策をフル回転させて長期停滞を完全に克服することは、やはり構造改革のよりも優先順位が低かった。小此木彦三郎氏の墓を訪れた後、集まった人たちに手を振る菅義偉首相=2020年9月、横浜市西区(代表撮影) その証拠に、郵政民営化の見通しが立ったところで、首相を辞任してしまった。そのために日本の最大の問題であった長期停滞からの脱出は不十分なままに終わった。 2012年末からの第2次安倍晋三政権はこの小泉政権の経済政策への「反省」にも立脚していたことは間違いない。少なくとも「構造改革なくして景気回復なし」という間違った構造改革主義に陥ることはなかった。「構造」に傾斜する菅首相の個性 むしろ、インフレ目標付きの量的緩和を主軸に据えるなど、長期停滞脱却に全力を尽くした。その政策割り当ては、日本政治の中で傑出した「政策イノベーション」であった。もちろん民主党政権の負の遺産である消費増税に妨害されたため、長期停滞を脱しても、デフレを完全に克服するところまではいかなかった。 スガノミクスは、基本的にアベノミクスの遺産を継承している。つまり、正しい政策の割り当てに準拠する、と菅首相自身が明言しているのだ。 おカネ不足=景気の問題には金融政策と財政政策で、縦割り行政の弊害などには構造改革で、という政策の割り当てを強く意識している。その意味では、経済政策の「スジがいい」政権だといえるだろう。 ただし、菅首相自身の個性はやはり構造改革に傾斜していることに間違いない。そのため、景気悪化が続く際には、今よりも積極的な景気対策を出せるかどうかが今後問われることになるかもしれない。 定額給付金の追加支給や携帯電話料金の大幅引き下げ、NHK受信料の引き下げだけではなく、本命である消費減税や防災インフラの拡充などにも乗り出す必要が出てくるだろう。 日本銀行との協調も見直すべきだ。インフレ目標の引き上げを迫ると同時に、日銀側に政府として「約束」することから財政再建を外すべきである。むしろ雇用の最大化を政府が約束し、日銀はインフレ目標の達成を約束するという形で協調の「中味」を変更すべきだ。 これは理由がある。日銀がいくら景気の改善でインフレ目標の達成を目指しても、他方で政府というよりも財務省が財政再建を理由に増税してしまえば景気が悪化するからだ。菅義偉首相との会談後、記者団の取材に応じる日銀・黒田東彦総裁=2020年9月23日、首相官邸(春名中撮影) 金融緩和の威力の方が、財政政策の緊縮度合いを上回っていたために、なんとか長期停滞を脱することができた。それでも、デフレを完全に脱却できなかったのは、このちぐはぐな政府と日銀の協調の「中味」に依存している。ちぐはぐを正すためにも、政府と日銀の協調の見直しが必要だ。 そもそもインフレ目標が達成され、雇用が最大化していれば、経済成長は安定化し、それによって財政も安定化することは自明である。スガノミクスが成功するかどうかは、この自明な政策の割り当てを追求していけるかどうかにかかっている。

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    「新宰相」菅義偉の前に果てなく続く茨の道

    首相指名選挙を経て、正式に菅義偉総理が誕生した。7年8カ月ぶりの新総理に期待が寄せられるが、これほど重圧がのしかかる政権はあまりないだろう。コロナ対策はもちろん、憲法改正、拉致問題、悪化した日韓関係、北方領土問題…。最強と言われた安倍政権ですら達成できなかっただけに、菅総理の政権運営はまさに茨の道だ。

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    アナログ国家の日本、ヒントにすべきエストニアの「デジタル理想郷」

    新の感染症データは、感染症の診断と治療だけでなく、罹患(りかん)率や有病率、死亡率の分析、疫学調査、政策などで活用される。新型コロナのデータについては、匿名化された後、誰もが使えるオープンデータとして公開される。これらの仕組みは10年以上前に作られたものだ。 給付金といった支払いを伴う行政手続きも、オンライン申請により簡単に済ませられる。遅くとも1週間以内、早ければ2~3日で指定した口座に入金される。支援が必要な人を政府が把握 児童手当など一部の給付については、申請が不要になっている。「手当をもらえますよ」といった通知を電子メールなどで受け取り、「社会福祉給付ポータル」にログインして、支払先の銀行口座や受取人などを確認、承諾すれば、手続きが完了する。 なぜ、このようなサービスを実現できるかと言えば、社会福祉給付データベースの存在が大きい。社会福祉給付関連のデータを一元管理することで、誰にどのような公的支援が必要なのかを政府は把握することができる。本当に守るべき弱者が誰なのかが分かれば、全ての住民に一律支給するような特別定額給付金は不要と言えるだろう。 エストニアでは、3月16日から研究活動を除き、全ての学校が遠隔教育に移行した。授業にはオンライン会議システムの「Microsoft Teams」や「Zoom」など民間サービスを活用。コンピューターがない家庭に対しては、市民ボランティアや企業がコンピューターを提供した。大きな混乱もなく短期間で遠隔教育に移行できたのは、これまで地道に進めてきたIT教育のおかげだ。 本格的な電子政府サービスが始まる前より、エストニアでは限られた予算の中から教育分野への投資が続けられてきた。1996年に始まった「タイガーリープ計画」により、全ての学校でインターネット利用が可能になり、ほとんどの学校にコンピューターラボが設置された。2012年開始の「プログラミングタイガー計画」で、子供たちは7歳からコンピュータープログラミングを学習するようになり、現在はITとアートを融合した科学、技術、工学、芸術、数学(STEAM)教育を推進している。エストニアでは、子供から高齢者まで、多くの家庭で1人1台のパソコン利用環境がある。 学校から家庭への連絡や成績管理も、コロナ禍の前からオンラインで行われていた。幼児教育から高等教育まで、ほぼ全ての教材はデジタル化され、インターネット経由で閲覧、利用できる。子供から大人まで、生涯の教育履歴はエストニア教育情報システムに保存されている。学校に通う授業だけがオンラインではないのだ。 1700以上の自治体がバラバラにデータを管理する日本で、エストニアのようなデジタル国家を実現することは極めて難しい。サービスを表面的にまねることはできても、その背後で動くデータの管理を見直す調整コストが、あまりにも大きすぎるからだ。単なるITの話ではなく、国と地方の行政改革や役割分担の見直しが必要になる。 IT利活用のゴールを「社会全体の幸福」としてきたエストニアでは、今回のコロナ危機により、多くの国民が「自分たちのやってきたことは間違いではなかった」と確信し、大きな自信を持つことができた。デジタル国家に対する国民の誇りは強化され、デジタル化の流れがさらに加速するはずだ。ハンザ同盟の都市だった中世の面影を色濃く残す世界遺産に指定されたタリン歴史地区(旧市街)=2018年4月 もし日本でデジタル国家を実現できるとすれば、強い覚悟を持った政治的な意思決定が行われたときであろう。政治家や官僚だけでなく、社会全体で「国民のためのデジタル化とは何なのか」を真剣に考えることができれば、ゴールにたどり着くための道筋も見えてくると期待したい。

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    「理念の外政家」安倍晋三去りし後、米中冷戦下でよぎる日本の悪夢

    の中で動く日本の政治指導者の範疇(はんちゅう)で、安倍が前例のない影響力を持つことができたのは、その政策遂行における理念上の強さによるものであろう。安倍の対外政策展開における際立った特色は、「自由・民主主義・人権・法の支配」といった普遍的な価値意識の擁護を打ち出した際の徹底性にこそある。 「安倍後の日本」における最たる懸念は、そうした安倍の徹底性が継承されるかということにある。安倍内閣下、そうした徹底性の結果として、特に中国、韓国、北朝鮮といった近隣3カ国との関係は膠着(こうちゃく)した。 「安倍後の日本」を率いる政治指導者が、自らの独自性を出すために、そうした近隣3カ国に対する宥和(ゆうわ)姿勢に転じ、「自由で開かれたインド・太平洋」構想が意味するものを骨抜きにするような方向に走ることこそ、一つの「悪夢」かもしれない。 少なくとも、1970年代以降、中国との経済関係を密接にしてきた日本には、対中ビジネス上の利得を重視する層が、米国や他の西欧諸国に比べても厚く存在する。そうした層の政治的な巻き返しに抵抗できるかが問題なのである。 現今の米国では、大統領選挙に際して、トランプが再選されるのか、あるいは前副大統領のジョー・バイデンが政権を奪還するのかが政治上の焦点になっている。仮にトランプが再選されたとすれば、トランプの「御守り役」としての安倍の政権継続が日本の国益上、不安が少なかったかもしれない。 けれども、安倍が去る以上、トランプとの関係を首尾よく紡(つむ)ぎ、バイデンが政権を奪還した場合でも、米国政治の基調となった対中強硬姿勢に歩調を合わせられる政治指導者が、「安倍後の日本」でも必要とされることになる。現今、過去40年近くの対中関係や対韓関係に反映されたような「アジアの連帯」という感覚は、率直に有害なのである。 安倍が披露した「自由で開かれたインド・太平洋」構想に反映されたように、米豪加各国や西欧諸国のような「西方世界」との連帯の論理を進める政治指導者こそが、「安倍後の日本」に求められている。首相官邸での会談に臨む安倍晋三首相(右)とバイデン米副大統領=2013年12月(酒巻俊介撮影) 安倍晋三は、その政権運営に際して、理念の強さが日本外交の支えとなることを明白に証明した宰相であった。優れた政治指導者が、まず外政家として評価されるのであれば、安倍こそはその鮮烈な事例であったかもしれない。 当節の日本は、社会における内向き志向が指摘されるとはいえ、「世界の中の日本」という視点が何よりも重要である事情は変わりがない。安倍の後を継ぐ政治指導者には、「内治の失敗は取り返せても、外交の失敗は取り返せない」という故事を肝に刻んで、宰相の座に就いてもらいたいものである。これが、筆者の当座の所見である。(一部敬称略)

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    安倍辞任で日本に立ち込める暗雲

    首相の連続在職日数で歴代最長となってわずか数日。唐突な安倍首相の辞任表明は、全国に衝撃が走った。持病の悪化とされるが、13年前の退陣と同様の理由に疑念も広がる。そもそも「ポスト安倍」の不在が長期政権のゆえんでもあっただけに、コロナ禍や米中対立といった課題山積の中、不安は募るばかりだ。

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    トラブったのも必然、GoToトラベル「ボタンの掛け違い」

    の「解」を見出すために、経済対策を二つのフェーズに区分している。最初の「フェーズ1」は、感染拡大期の政策であり、続く「フェーズ2」では、感染拡大が終息して景気刺激を始める段階の政策である。会見で記者団の質問に答える自民党の二階俊博幹事長=2020年3月(春名中撮影) フェーズ1の政策では、経済活動を休止した個人や企業への給付金や貸付などが中心になる。経済活動を拡大するのではなく、あくまで「維持」が主な目的である。 フェーズ2の政策の中心は、経済活動の再開や拡大を促すためのもので、消費減税や補助金交付を実施していく。今回の「GoToキャンペーン」はその意味で、典型的なフェーズ2の政策にあたる。 しかし、この「GoToキャンペーン」が予算化されたのは、まだ感染拡大が本格化したばかりの時期だった。フェーズ1の政策の中に、特定業界の景気刺激策が先行して入ったのは、全国旅行業協会会長を務める自民党の二階俊博幹事長の影響力も大きいだろう。キャンセル補填じゃ不十分 旅行業への経済支援、それ自体はもちろん間違っていない。実際、直近の雇用統計を確認しても、「宿泊業、飲食サービス業」「卸売業、小売業」「生活関連サービス業、娯楽業」などが特に悪化しており、深刻な状況だ。 ただ、現在の政府の対策はあくまで経済の現状維持を中心とするフェーズ1の政策で、しかもその効果は今秋にはほぼ消滅すると考えていい。このままでは旅行業界だけではなく、その他の業界でも中小企業を中心に倒産ラッシュになりかねない。 前回の論考でも指摘したが、現在の東京の感染拡大に関して、感染者の多くが若い世代であることや、重症者の少なさが強調されることで、3~5月上旬の第1波より軽視する見立ては間違っている。専門家たちが指摘するように、重症者のピークは患者発生数よりも後に来るために、今後の重症者増加が懸念される状況なのである。 その意味では、「GoToトラベル」が東京を除外したことや、対象者の自粛を要請していることはひとまず理解できる。だが、そうであるならば、感染抑制期であるフェーズ1の経済対策の強化も必要になる。具体的には、旅行業界に対して追加的な金銭的補償を行うことだ。 そのためには、予備費を活用するのがいいだろう。現状、政府はキャンセル料の補填(ほてん)を考えているが、それだけでは不十分だ。 旅行や飲食、娯楽関係に従事する中小企業を中心に従来の持続化給付金の上限を撤廃し、観光シーズンに当たる7~9月の前年比の売り上げ減少分を補填する。劣後ローンなどの活用も重要だ。 そして、政府や東京都などの地方自治体は感染症対策に全力を尽くす。このような予期せぬ感染拡大に応じて、柔軟な経済支援を行うための枠組みとして、多額の予備費を計上していたのだから、ぜひ活用すべきだ。 ところで、立憲民主党の逢坂(おおさか)誠二政調会長は「GoToトラベル」の延期を求めた上で、「2020年度第2次補正予算の予備費で、観光、交通事業者を支援すべきだ」と述べた。しかし、立民は5月末に「10兆円の予備費は空前絶後で、政府に白紙委任するようなものだ」と反対していたではないか。全く、この種の二枚舌というかダブルスタンダードには毎度呆れ果てる。観光支援事業「GoToトラベル」について記者会見する赤羽一嘉国交相=2020年7月17日 しかし、政府にも課題が重くのしかかる。まずは、現状の都市部での感染抑制が最も重要な一方で、旅行業界や、前回の論考でも触れた医療業界などに対し、予備費を用いた金銭補償は急務だ。 さらに現状の感染拡大の終息を踏まえて、フェーズ2の景気刺激政策として消費減税をはじめとする積極的な財政政策を、日本銀行のインフレ目標の引上げのような大胆な金融緩和とともに行う必要がある。その際には、予備費の活用の在り方で、野党との「約束」に縛られる必要はない。 国民目線に立脚すれば、消費減税の基金としても活用することができるだろう。足りなければ第3次補正予算も求められる、政府はそのような現状であることを理解しなければならない。

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    「奇妙な成功」は褒め殺し、コロナ封じ失敗を呼ぶ日本のご都合主義

    見当違いに見えるが世界で最も死亡率を低く抑えた国の一つで、結果は敬服すべきもの。単に幸運だったのか、政策が良かったのかは分からない」。東京発の記事である。 半分は皮肉というか、「褒め殺し」のようなものだ。「奇妙な成功」「奇妙な勝利」は決して単純な褒め言葉とはいえない。だが、先行きに自信を持っている人々には、結果から見てともあれ胸を張ってよいと受け止められた模様だ。 日本人は新型コロナに抵抗力があるとされる「ファクターX」という未解明な要因も騒がれた。緊急事態宣言(7都府県に4月7日発令、全国は同月16日~5月6日)がにわかに解除されて経済再開ということになった。 安倍晋三総理は「日本モデルの力を示した」、とスピーチした。この言葉はとりあえずの「新型コロナ終息宣言」なのだろうが、確信を持って凱歌を上げたものには見えなかった。 それかあらぬか新型コロナは、日本の「奇妙な成功」の心許なさにつけ込むように逆襲に転じている。専門家筋の多くは、新型コロナがぶり返すのはこの秋冬という見方だった。新型コロナは本来暑さと湿度に弱く、夏場は一服する。当面の危機は何とか乗り越えたとして、この間に検査、ベッド数といった医療体制を整備する期間としていた。だが、新型コロナはそうした「定説」をあっさり覆している。新型コロナに人々の予断や注文はあてはまらない。 6月後半、東京都は新型コロナ感染者が連日50人を超える事態になっていた。小池百合子知事は、新宿などのホストクラブ、キャバクラといった「夜の街」関係者に予防的に検査を進めたことによる結果という見方を表明した。 しかし、予防的検査を織り込んだとしても、感染経路不明者もじわりと増加していた。はたしてこれらの動きは、新型コロナ感染ぶり返しの大きなシグナルにほかならなかった。 7月2日、新型コロナの感染者数は緊急事態宣言解除後で最悪な記録となった。東京107人、全国196人。3日は東京124人、全国249人。4日は東京131人、全国274人。その後も記録を連日更新する動きとなった。 「しっかりと感染防止策を講じて経済活動との両立を図っていく。これができないなら、もう経済活動できません」「もう誰もああいう緊急事態をやりたくないですよ。休業をやりたくないでしょ。だから感染対策をしっかりとってですね。これ皆が努力しないとこのウイルスに勝てません」(西村康稔経済再生担当相、7月2日記者会見)記者会見する西村経済再生担当相=2020年7月2日、東京都千代田区 西村氏は、東京の感染者が再び100人を超えたのが想定外で衝撃だったのか、やや冷静さを欠いた発言をした。7月2日もそうだったが、その後も何度となく強調しているのは「新型コロナ感染対策と経済の両立」という既定路線である。そして、その都度繰り返しているのが「マスク、手洗い、そして換気」という感染対策である。「補償金」から逃げ回る行政 西村氏が、誰に対して、あるいは何に対して怒ったのか不明だ。おそらくもたらされた現実、あるいは事実というものにいら立ったのかもしれない。だが、もたらされているものは受け止めなければならない。 その現実、あるいは事実からすれば新型コロナ感染症対策の特別措置法の限界が露呈しているように見える。特措法も与野党など人々がつくったものだ。特措法は日本の新型コロナへの対応を偽りなくすべてリアルに映し出している。 特措法では、総理大臣が緊急事態宣言を発令し、都道府県知事が感染防止のために外出自粛、店舗・施設などの使用制限など協力要請をできることになっている。あくまで協力要請で強制力はない。したがって緊急事態宣言による経済損失に補償は想定していない。 強制ではなく協力要請になるため、協力に対する資金などの実質的な支援は自治体の財源次第である。協力要請に対して資金が提供されたり、されなかったりということになる。逆にいえば、財源、資金がないと協力要請も遠慮が生じかねない。 東京都は、休業要請に協力した中小企業、個人事業主に対して「感染防止協力金」を給付している。神奈川、千葉、埼玉3県などが「東京都のような財源がない」と、セコいというか露骨に協力金拠出から逃げ回ったのは記憶に新しいところだ。 国は新型コロナで収入が大幅減となった中小企業、個人事業主に「持続化給付金」を出している。これも補償ではなく、新型コロナ禍に打撃を受けている事業継続への支援金ということになっている。 補償金は出さないが、協力金、給付金は出している。どこかの海沿いの大型温泉旅館の継ぎ足し増改築ではないが、本館、新館、アネックスと複雑な設計となっている。新型コロナとの闘いは、「戦争とは異なる」とお叱りを受けそうだが、「戦争」に例えると誰がどう闘うのか、責任、役割、管轄が曖昧であり、悪くいえば皆が逃げている。本館、新館が迷路のようになっており災害など実際のクライシス時になると下手をすれば大きな混乱の元になりかねない。 特措法を日本の企業組織でいえば、総理大臣が社長で命令を出す、都道府県知事が各部門の執行役員で現場業務を行うようなものである。ただし、執行役員が担当している部署、特に財務・資金ポジションで行う業務内容、業務スタンスも大きく異なっている。 緊急事態宣言発令直前の4月初旬、小池知事が理髪店、ネットカフェ、居酒屋などに休業要請を進めようとした。国が経済への影響を懸念して発令を渋って小池知事にストップをかけた。小池知事は、「社長だと思っていたら、天の声がいろいろ聞こえてきて、中間管理職になったようだった」と。指揮命令系統、役割分担、責任など曖昧につくられているため運用面でも混乱が避けられない。東京都知事選で再選を果たし安倍晋三首相にあいさつする小池百合子氏(左)=2020年7月6日、首相官邸(春名中撮影) 緊急事態宣言では一度目がそうだったが、国も自治体も財源問題があって、補償にはお互いの顔を見て尻込みすることになりかねない。責任や役割、権限が曖昧で国、自治体、あるいは自治体同士が押し付け合ったり逃げたりすることになる。結局は、世論という「空気」待ちになる。これではコンセンサスを形成するのに手間暇がかかる。二兎を追ったツケ そうしたことから総理大臣が緊急事態宣言を発令するとしても、タイミングがどうしても遅れ気味になる。新型コロナ感染拡大を叩くタイミングではなく、自然にピークアウトしたころに発令する事態を招きかねない。 新型コロナウイルスに関連して、すでに当サイトに4本寄稿している。5月10日の「コロナ戦争新フェーズ、政府と企業が陥る『二正面作戦』の罠」で、新型コロナ対策と経済再開の両立に移行という動きについて、「二兎を追えば一兎も得ず」という可能性に触れている。   新型コロナ感染症対策の特措法は3月13日に成立している。せめて特措法成立直後の3月後半に緊急事態宣言を発令して、強制力はないにしても強い協力要請を示す必要があった。補償はできないが、実質的に資金支援するような手法で新型コロナ封じ込めを徹底する。まずは新型コロナという「一兎」を叩いて封じ込める運用が先決だった。 ところが、この「一兎」を徹底して叩くという仕事が不十分だった。緊急事態宣言が「遅い」、しかも運用が「緩い」という不徹底さが否定できないものだった。これが今の新型コロナのぶり返しの根源をなしているとみられる。 経済のためにも主要な敵である新型コロナ封じ込めに全力を傾ける。迂遠な道に見えるが、税金や時間をセーブするのが、新型コロナという「一兎」を徹底して叩くという手順への集中だった。 工場などで問題が発生し生産ラインが順調に動かなくなったケースを想像してほしい。なぜ故障が発生しているのか。機械なのか、あるいは人がからんだ使い方に問題なのか。どこに問題があるのかを究明して根因を突き詰める。トヨタ自動車に「5W1H」(5つのWHY、1つのHOW)という危機管理手法がある。 トヨタ式の危機管理では、あらゆる視点で問題の根因を究明する。(社内の情実抜きで)「事実」を徹底して突き詰める。それが5WHYだ。5WHYで「事実」が究明できたら、どうしたらよいか方向性(1HOW)が自ずと判明する。 その「事実」究明から派生して生み出されたのが、今は一般化した「見える化」だ。「見える化」は、「事実」を曖昧にすると会社は倒産するという危機感から生み出された「トヨタ語」にほかならない。さまざまな情実や不都合よりも「事実」究明が最も重要だという危機管理手法になる。トヨタ自動車東京本社の外観=東京都文京区(宮崎瑞穂撮影) 国も自治体も拙速気味に緊急事態宣言を終わらせて経済再開を急いだ。「withコロナ」「コロナとの共存」=新型コロナ感染防止と経済の両立という「新しい生活様式」を総括なしでいわばなし崩しに既定路線としてスタートさせた(日本式というのか、5WHYどころか1WHYもなかった)。幸運に頼りすぎた戦略 新型コロナ防止と経済が両立するということは都合は極めてよいが、「二兎を追う」ことになる。上手くいけばよいが、「二兎を追えば一兎も得ず」がお定まりになりかねない。新型コロナ感染が急増すれば、経済の稼働に支障が及ばざるを得ない。 東京で新型コロナ感染者が一日50人を超えるということは、すぐに100人超になるリスクを抱えていたことが、すでに実証されている。感染者が100人超になれば、次は200人超に爆発する。そして7月9日、それは現実となった。 中途半端な「二正面作戦」、「二兎を追う」という罠にすっぽりとはまろうとしているように見える。もともと「二正面作戦」というのは難しいものである。そんな難しい作戦を運用できると思っていることにリスクが内在している。 小池知事は、「夜の街など予防的に検査をしている結果で、緊急事態宣言ということではなく、ピンポイントで感染対策を行う」としている。しかし、感染者が100人超程度にとどまればよいが、200人超に爆発するリスクもあった。はたしてピンポイントで感染対策を行うというのは可能なのか。 これまでの寄稿でも指摘したが、今川義元の桶狭間では、上洛作戦なのか尾張攻略なのか戦略目標が曖昧だったことが敗因として指摘されている。ミッドウェー作戦では、敵空母殲滅なのかミッドウェー島攻略なのか、これも戦略目標が曖昧だった。いずれも「最善の想定」で臨み、「最悪の結果」を招いている。「二正面作戦」の罠である。 経済再開が最終目標であるならば、その阻害要因にして主たる敵である新型コロナを徹底して封じ込める作業を先行させることが不可欠である。「安心・安全」の完璧までの達成は無理としても、「安心・安全」をある程度確立できれば、経済は稼働させられる。しかし、緊急事態宣言が「遅い」「緩い」では「奇妙な成功」でしかなく、幸運に頼りすぎているといわれても仕方がない。 新型コロナ対策のみならず「クライシスマネジメント」では、「最悪の想定」に立つのが基本だ。だが、特措法、特措法による緊急事態宣言、解除後の新型コロナ対策と経済の両立などで、ほとんど一貫しているのは「最善の想定」でクライシスマネジメントが行われている。控えめにいっても、そうしたきらいがあり、払拭できていない。 日本人の多くは、国や東京都の協力要請に従順に行動してくれる。だが、新型コロナウイルスは、国や地方自治体の要請を考慮してくれるわけではない。「誰も緊急事態宣言などやりたくないでしょ」。だが、これはそうであるにしても「やりたくない」というのは願望でしかない。新型コロナ感染対策と経済と両立させるというのも国、地方自治体の都合というか願望の部類にほかならない。JR品川駅周辺で、マスク姿で職場に向かう人たち=2020年5月26日、東京都港区(宮崎瑞穂撮影) 都合がよい悪いということでいえば、新型コロナはこれほど都合が悪い存在はない。願望や都合で新型コロナに対応するなら、むしろ「税金と時間を食う」といった最も避けなければならない道を歩むことになりかねない。 今さら迂遠すぎる、後戻りもできない。とはいえピンポイントで効果的に感染防止を行うというのも言うほど簡単ではない。新型コロナは、「最善の想定」すなわち願望や都合で闘える相手ではない。「事実」からリセットしなければ、新型コロナ対策と経済の両立を急ぐという効率的な「日本モデル」は、ことごとく「見当違い」といわれかねない。

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    九州豪雨でも露見した「人的災害」の備えに残された時間が少ない理由

    ク対応として増加にやや転じたものの、民主党政権の誕生で再び大きく減少した。「コンクリートから人へ」の政策の転換である。これが増加するのは安倍晋三政権以降である。 林野庁の治山事業の予算を例に、具体的な数字を確認してみよう。同庁の説明によれば、この事業は「集中豪雨、流木等被害に対する山地防災力を高めるため、荒廃山地の重点的な復旧・予防対策、総合的な流木対策の強化により、事前防災・減災対策を推進」するものである。 この予算推移を確認すると、自公政権下で編成された08年度が1052億円、09年度は991億円だった。民主党政権に入って10年度からの3年間は、688億円、608億円、574億円と急減している。国交省職員に案内され、ダム予定地付近を視察する前原誠司国交相(当時)=2009年9月(矢島康弘撮影) 安倍政権の現在ではどうなっているのだろうか。18年度の当初予算額は597億円、年度内の補正予算を加えると792億円、19年度の経常予算は606億円で、そこに防災・減災、国土強靭(きょうじん)化の緊急対策枠である「臨時・特別措置」を加えると、総額で856億円となった。 今年度も、経常分に「臨時・特別措置」枠が加わって815億円で推移している。金額こそ減っているが、とりあえず拡大傾向は維持されている。「臨時措置」が消えるとき ただし、国土強靭化枠はあくまで臨時的な措置である。アベノミクスの範囲内の政策だ。 つまり、安倍政権以後も維持されるかは分からない。むしろ、経常支出だけ比較すると、民主党政権時からせいぜい微増程度にすぎず、財務省の緊縮主義にがっちり固められているといえる。 今噂されているポスト安倍の顔ぶれを見る限り、安倍首相の退任以降、この国土強靭枠はおそらく消滅してしまうだろう。 社会的に必要なインフラ整備と、景気対策としての補正予算を利用した公共事業の支出はもちろん分けられるべきだ。この理解に乏しいのが、日本のマスコミや世論、特にワイドショーに影響される「ワイドショー民」の残念な特徴である。 ただし、新型コロナ危機の下では、景気刺激策として公共事業の増額も当然求めるべきだ。もちろん、社会的に必要なものであれば、防災インフラ整備の投資もどんどん進めるべきだ。 国民の生命と生活を守れず、どこに政府の存在意義があるのだろうか。 しかし、緊縮主義の勢力は強い。日本を代表する財政学の専門家である慶應大経済学部の土居丈朗教授が、小池百合子知事の再選に終わった東京都知事選に関して、次のようにつぶやいていた。消費減税・廃止を掲げた候補者が落選したのだから、消費減税・廃止は東京都民には支持されなかったということになる。#東京都知事選 #東京都知事選挙2020 だが、東京都政の主要な論点として、消費減税や廃止が上ることはさすがになかった。土居氏の発言は、消費減税や廃止を拒否するご本人の強い意見表明かもしれない。日本の財政関係の学者に、土居氏のような見解は多いのではないか。当選確実となり、報道陣に対応する東京都の小池百合子知事=2020年7月5日、東京都新宿区(桐山弘太撮影) おそらく今後、社会的に必要なインフラ投資や、景気刺激政策を牽制(けんせい)する緊縮主義の動きが加速するだろう。だが、緊縮主義こそ国民の生命を危険にさらす最大の「人的災害」だと言わざるをえない。

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    レジ袋有料化、官僚とメディアがつくり出す「反理想郷」

    ざまな議論がある。私見では、「資源の枯渇」「海洋ごみ」「地球温暖化」に与える影響はほとんど無に等しい政策だと思っている。レジ袋有料化の問題点については、先の内藤氏のツイッターなどを参考にしてほしい。 筆者の専門であるマクロ経済の観点からいえば、少なくとも「今」実行する政策ではない。経済アナリストの森永康平氏も、やはりツイッターで次のようにつぶやいている。今月末でポイント還元が終わって、7月からレジ袋が有料にまだコロナの影響で経済は弱ってるのに、問答無用で全てが予定通りに進んでいくっていうね…ここから更に「コロナ税」なんてやったら、何が起きるかは言うまでもない消費オジサンはおこです 森永氏の懸念はかなり当たっているだろう。ちょうど、レジ袋有料化の開始と入れ替わりで、消費税増税に合わせて政府が導入した、キャッシュレス決済のポイント還元が終了するタイミングにある。7月1日からのレジ袋有料化を知らせるファミリーマートムスブ田町店の張り紙=2020年6月、東京都港区 この事実上の消費税の追加増税などをめぐる報道は、ワイドショー民をターゲットに「増税に慣らすこと」を、官僚側がマスコミと一緒に画策でもしているかのようである。実際レジ袋有料化とポイント還元終了について、各家計の負担を強調する報道を事前にはしていない。この点を確認するために、ここ数日の新聞とテレビの報道はチェックしたが、メディアのいつものパターンはここでも発揮されていた。 レジ袋有料化を何のために実施するのか、本当に理由が分からない。もし「理由」があるとすれば、それは家計の負担増に慣らすためのメディアと官僚の思惑かもしれない。

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    欧米も首を傾げる、日本の新型コロナ「押さえ込み」は奇跡か必然か

    山田順(ジャーナリスト) どう考えても、「神国ニッポン」としか思えないことが現在進行中だ。もちろん、この先どうなるかは誰にも分からない。 しかし、本稿執筆時点では、新型コロナウイルス感染症による日本の死亡者数は、世界の主要国、特に欧米諸国に比べて圧倒的に少ない。感染者数もまたしかりだ。 緊急事態宣言は5月25日に全面解除された。しかも、日本の現状は、欧米諸国から見ると、異常というか、うらやましいというか、ミステリーというか、奇跡というか、どう解釈していいのか分からない。 これに関しては、欧米メディアも本当に困惑していて、首をひねっているところが多い。米外交誌フォーリン・ポリシー(電子版)は5月14日、「日本の『生ぬるい』新型コロナ対応がうまくいっている不思議」という論評記事を掲載した。要旨は次のようだ。 日本は中国に近く、中国からか観光客を大勢受け入れてきた。ソーシャルディスタンスも外出禁止も「要請ベース」と中途半端。「自粛疲れ」も起こっている。PCR検査数も国際水準を大きく下回り、5月14日までの実施件数はなんと米国の2・2%。 共同通信が10日に実施した調査では、回答者の57・5%が新型コロナウイルスに関する政府の対応を「評価しない」と回答している。 にもかかわらず、COVID−19が直接の原因で死亡した人の数は異常に低い。この結果は、敬服すべきものだが、単に幸運だったとも言える。ともかく、日本がなぜ諸外国のような感染危機にいたらなかったのかは大きな疑問だ。 実は、私もこの件について、これまでずっと疑問に思ってきた。欧米の感染爆発の凄まじさを知るにつけ、「いずれ東京もニューヨークのようになる」という警告を長い間信じてきた。 しかし、今日までそうはなっていない。5月28日時点の日本の確認感染者は1万6651人で、死亡者数は858人、人口100万人当たりの死亡者は6人。これに対して、米国は確認感染者169万9073人、死亡者10万411人、人口100万人当たりの死亡者は303人である。 米国と日本の人口比は約3倍なのに、確認感染者数で約95倍、死亡者数では約110倍、人口100万人当たりの死亡者数で約45倍も差がある。となると、この数値をそのまま受け取れば、日本はコロナ対策の成功国と言うほかない。参照:米ジョンズ・ホプキンズ大システム科学工学センター(CSSE) 次の表は、世界の主な国をピックアップし、確認感染者数、死者数、人口100万人当たりの死者数を比較したものだが、これを見れば、欧米諸国と比べた日本の特殊性は際立つ。確認感染者数や死亡者数より、人口100万人当たりの死亡者数の方が「コロナ禍」の実際を表しているので、トップ5を見てみると、全て欧州の国になる。 1位:ベルギー773人、2位:スペイン590人 、3位:イタリア525人、4位:英国508人、5位:フランス423人(米国は9位)で、日本は6人だから、ベルギーのなんと約130分の1となる。つまり、これほど「コロナ禍」を抑え込んでいることになる。 5月14日、緊急事態宣言の一部解除の記者会見で、安倍晋三首相は次のように自画自賛した。 中国からの第1波の流行を抑え込むことができた。欧米経由の第2波も抑え込みつつある。人口当たりの感染者数、死亡者数はG7、主要先進国の中でも圧倒的に少なく抑え込むことができている。これは数字上明らかな客観的事実だ。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14 こう言われては、返す言葉がない。 ある日突然、学校の一斉休校を言い出し、汚れている欠陥アベノマスクを配り、ミュージシャンと勝手にコラボして「自宅でくつろぐ姿」動画を流したりした。リーダーとして指導力を発揮できずに、何かといえば「専門家会議」「専門家のみなさま」と言い続けた。そして会見では、毎回プロンプターの原稿を読み上げるだけだ。新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言の全面解除を表明し会見で記者団の質問に答える安倍晋三首相=2020年5月25日(春名中撮影) そんな中、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議と厚生労働省は、国民がいくら「検査を増やせ」と言っても増やさず、「8割削減」だの「新しい生活様式」だのと対策をうやむやにしてきた。このように、どこからどう見ても、世界のどの国よりも遅れて劣るコロナ対策しかしてこなかったのに、結果は「吉」と出ているのだ。降って沸いたBCGワクチン説 先述の記者会見で、安倍首相と専門家会議の尾身茂副座長は、記者から、日本の死亡者数の少なさに関して、「BCGを日本人は受けているからじゃないかとか、あとは文化的な違いがあるんじゃないかといった俗説がありますが、これについて総理や尾身先生はどのような差がこういった結果につながったというふうにお考えでしょうか」という質問を受けた。これに対する首相と尾身氏の答えはこうだ。安倍首相 私もBCGとの関連等について、もちろんいろいろな説があるということは承知をしております。日本において10万人当たりの死亡者の数というのは0・5近辺でありまして、世界でも圧倒的に小さく抑え込まれています。それについて様々な議論があるというふうに承知しておりますが、これは正に専門家の尾身先生から御紹介を頂きたいというふうに思いますが、いずれにいたしましても、現在の感染者数、もちろんこれだけの数の方が亡くなられたことは本当に痛ましいことでありますし、心から御冥福をお祈りしたいと思いますが、我々も欧米と比べて相当小さく抑え込まれているこの水準の中において何とか終息させていきたいと思っています。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14尾身氏 簡単に。まずはBCGのことは、BCGが有効だというエビデンスは今のところございません。それから日米欧との差ですが、これは基本的には、私は三つあると思います。一つ目は、やはり日本の医療制度が比較的しっかりして、全員とは言いませんけれども、多くの重症者が今のシステムで探知できて、適切なケアが行われて、医療崩壊が防げているということが1点目だと思います。それから2点目は、特に初期ですね、感染が始まった初期に、いわゆるクラスター対策というのがかなり有効だったと思います。それから3点目は、これが最も重要かもしれませんけれども、国民のいわゆる健康意識が比較的高いという、この三つが大きな原因だと今のところ私は考えております。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14 首相も尾身氏も明確な回答になっていない。尾身氏は専門家らしく、結核予防のBCGワクチン説にエビデンスはないとは言うものの、全体としてなんとなくそう思えるという点を述べているにすぎない。 しかも、聞き様によっては、「対策は成功した」と言い、「国民の健康意識」というデータでは示せないことにすり替えている。そこで、次からはこれまで出ている「仮説」を整理して、検証してみたい。 日本で「BCGワクチン説」が広まったのは、4月初めに「medRxiv」という査読前の英文論文を掲載するサイトに、BCGワクチンを摂取している国と、新型コロナウイルス感染症の症例数と死亡者数が少ない国との間に相関関係が見られるという論文が掲載されたことによる。 この論文では、BCGワクチンを定期接種にしている国(日本、中国、韓国、香港、シンガポールなど)は感染者が少なく、接種をしていない国(イタリア、スペイン、米国、フランス、英国)では感染者が多いとしていた。これを受けて、日本でも統計解析が行われ、統計的には確認された。 ただし、因果関係を議論するためには、最低限、「症例対照研究」が必要とされるが、そちらの方は進んでいない。オーストラリアなど複数の国で、BCGワクチンによる新型コロナ予防効果を見る臨床研究が開始されたと報道されたが、続報はない。 次の画像は、「PLOS MEDICINE」というサイトに掲載されたBCGワクチン実施の世界地図だ。Aが国民全員にワクチンを実施している国で、Bがかつてワクチンを推薦実施していたが今はしていない国、Cが昔も今も実施していない国である。 BCGワクチン説が広まる中、5月14日にBCG効果を否定する論文がイスラエルのテルアビブ大の研究グループによって発表された。  この論文は、イスラエルでは1982年までBCGワクチンの定期接種が行われていたことに注目し、接種を受けた世代と受けていない世代で感染する割合に差があるか解析したものだった。それによると、新型コロナに感染した人、重症化した人に差はなかったという。つまり、BCGワクチンには予防効果は認められなかったというのだ。 ところで、日本でBCG接種が義務付けられたのは1951年以降のことだ。よって、今の70歳以上はほとんど接種していない。 高齢者ほど感染すると重症化し、死亡リスクが高まるという点から見ても、BCGワクチン説は怪しい。しかし、今のところ有力説の一つなので、ぜひ早く解明してほしい。  これまで、PCR検査の異常な少なさが全ての原因のように言われてきた。死亡者数が少ないのも、PCR検査数が少ないからで、例えば、死亡者に対してPCR検査をしていなければカウントされない。実際はもっといるのではないかと言われてきた。「インフルエンザによる肺炎、誤嚥(ごえん)性肺炎などで死亡診断された人の中に新型コロナの人がたくさん紛れているのでは?」そんな声もよく聞かれた。 米紙ニューヨークタイムズ(電子版)に「失われた7万4千人の死亡者」(74000 Missing Deaths)という記事がある。この記事では、世界の多くの国で「超過死亡」が不自然に増加しているということを報じ続けている。 「超過死亡」とは、インフルエンザが流行した際に、インフルエンザによる肺炎死がどの程度増加したかを示す推定値のことだ。死亡者の数を週単位で集計し、それを過去数年の死亡者数と比べて、不自然に死亡者が増加していれば、この増加はインフルエンザの流行によるものと判断する。肥満の新たなリスク これは新型コロナでも同じで、超過死亡には新型コロナとは直接関連ない死亡者も含まれる。新型コロナ流行に伴う医療崩壊によって、他の病気の治療を受けられなかった人がそれに当たる。 イタリアでは、2月20日~3月31日の新型コロナウイルスによる死亡者は1万2428人と発表された。しかし、過去5年間の平均と比較した同期間の「超過死亡」は2万5354人に上っていた。 他の欧州諸国と比べ、新型コロナ対策に成功したとされるドイツでさえ、3月の「超過死亡」は3706人と、新型コロナウイルスの公式死亡者の2218人を上回っていた。これはニューヨークも同じで、ニューヨークでは医療崩壊により、少なくとも7千人がコロナ関連死したと推定されている。 そこで、日本のコロナ死亡者数が本当に少ないのかどうかは、この「超過死亡」を確かめればいいことになる。東京の新型コロナ新規感染者は、4月に一時200人を超えたが、今月に入って大きく減少している。5月15日に9人、16日には16人、17日には5人となって、もう感染は完全に下火になったと言える。 では、死亡者数はどうか。こちらも徐々に減ってきている。 国立感染症研究所(感染研)では、インフルエンザ関連死亡迅速把握システムを用いた「21都市のインフルエンザ・肺炎死亡報告」を公表している。これを見ると、日本の21都市で、今年1~3月までの「超過死亡」はない。 感染者がピークとなった4月の数字は執筆時点でまだ出ていないので、確定的なことは言えないが、日本では欧米諸国のようなことは起こっていないといえる。 ただし、東京都だけは2020年8週目以降に「超過死亡」があり、合計すると130人ほど超過している。「グラフストック」というサイトに、そのグラフがあるので、確かめてほしい。  ただ、米ブルームバーグ通信は5月14日、都内の1〜3月の死亡者が3万3106人と過去4年の同時期平均を0・4%下回ったと報じている。いずれにせよ、日本ではいまのところ「超過死亡」は見られず、死亡者数が少ないのは間違いないといえる。 ニューヨークなどの死亡例に肥満者が多かったというのは、既によく知られている。2009年に大流行した新型インフルエンザでも、肥満者は発症と合併症リスクが高かったという。 そのせいか、今回の新型コロナでも同様の調査研究が行われた。例えば、肥満の指数である体格指数(BMI)が高いほど、死亡リスクも高いというものだ。 英オックフォード大の研究チームはNHS(国民健康医療サービス)の約1743万人の健康記録を分析し、新型コロナウイルス感染が原因で死亡した5683人の「コロナ死の主な要因」を分析した。それによると、BMIが40以上のコロナ死亡率は標準の2・27倍だった。 米ニューヨーク大で市のコロナ患者4103人を調べて、肥満がリスクを増大さていることをオッズ化した。BMIIが30未満を1とした場合、30~40で4・26倍、40超で6・2倍にリスクが高まる。2020年4月、米ニューヨークでマスクを着用して地下鉄に乗る人々(AP=共同) ちなみに、BMIは体重(キロ)を身長(メートル)の2乗で割った指数で、世界保健機関(WHO)では、25以上を「過体重」30~34・9を「肥満」、35以上を「高度肥満」としている。ちなみに、日本肥満学会では25以上を肥満(メタボ)としていて、理想値は男性が22、女性が21である。 そこで、世界各国の肥満度を見ていくと、日本は、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で男女ともにBMIが最も低い。次に韓国が低く、最も高いのは米国の28・8で、英国が27・3で続く。スペイン、イタリア、フランスも25を超えている。ただ、100万人当たりの死亡率でトップのベルギーは25を超えていない。ちなみに、日本人のBMIは男性平均23・6、女性平均22・5だ。 欧州諸国では、新型コロナによる死亡者のなんと半数が、介護施設に入居していた高齢者だった。米国でも死亡者の4分の1は老人施設の入居者だ。 となると、超高齢社会の日本では、高齢者の死亡者数が増えてもおかしくない。ところが、日本では海外に比べ、高齢者施設での死亡者が少ないのである。ウイルスは絶えず変化する ダイヤモンド・オンラインの『日本のコロナ死亡者が欧米より少ない理由、高齢者施設クラスターの実態』で、中央大の真野俊樹教授は、このことを指摘した上でこう述べている。 日本は制度上、病院が病気のみならず、高齢者のケアも行うというスタイルを取っていた。一時期批判されたが、『社会的入院』のように、高齢者が長期入院して生活を病院の中で行うということもあった。(中略) 海外に比べ、日本は病院以外の高齢者施設が少ない。世界一高齢者の比率が高い国でなぜこれが成り立っていたかというと、病院に高齢者が入院していたからである。すなわち、病院が高齢者施設の代わりをしているのは『日本の特殊性』ということになる。さらにいえば、急速な高齢化に伴い高齢者施設を増やしており、かつ日本の医療保険制度や介護保険制度を見習っている韓国でも同じように、病院が高齢者施設を代替している。ちなみに韓国も日本と同様、人口当たりの死亡者数が少ない。ダイヤモンド・オンライン「日本のコロナ死亡者が欧米より少ない理由、高齢者施設クラスターの実態」 2020.05.13  おそらく、これは一面の真実かもしれないが、死亡者数が少ない全ての理由ではないだろう。 ウイルスは常に変異(ミューテーション)を遂げるものだという。新型コロナウイルスも同じだ。欧米の医学者らが運営する新型コロナウイルスのゲノムに関する専門サイト「ネクストトレイン」(nextrain)によると、ウイルスは15日間に一度のペースで変異を遂げているという。 この変異を分類したのが、英ケンブリッジ大などの研究チームで、4月9日、医療研究者による国際データベース「GISAID」にその結果を公表した。それによると、新型コロナウイルスのリボ核酸(RNA)の塩基配列について変異パターンを比べると、ウイルスは3タイプに大別されたという。 武漢を中心に中国で蔓延したAタイプと、Aから分かれて中国から東アジア諸国に広がったBタイプ、そしてBタイプから分かれて米国や欧州各国に広まったCタイプだ。つまり、日本で感染拡大せず、死亡者も少ないのは、欧米とはウイルスのタイプが違うからという説が、この研究から推測できる。 日本の感染研も、4月28日に同じような研究結果を公表した。中国発のウイルスと米国・欧州のウイルスは変異の結果、違うタイプになっていたというのである。 感染研では、国内外の患者5073人から収集した新型コロナウイルスのゲノム情報を解析した。それによると、1年間で25・9カ所に塩基変異が起きると推定され、それは単純計算すると平均14日間に一度のペースになる。 こうしたことに基づいてウイルスを追跡すると、日本では、1月初旬に武漢で発生した「武漢株」を基点に各地で感染者が出た。しかし、これはその後消失へと転じた。 その一方で、世界では欧米で感染爆発が起きたが、これは中国から伝播して変異した株だった。その後、この「欧米株」が日本にもやってきて、感染拡大を引き起こした。つまり、日本の感染拡大は「武漢株」が第1波で、「欧米株」が第2波というのだ。 安倍首相が5月14日の記者会見で述べたのは、このことだったわけだが、ならば、欧州株による第2波が、なぜ、日本では欧米諸国のような感染爆発を起こさなかったのだろうか。この点は大いに疑問が残る。 ただし、この欧州株が日本に上陸して、再変異していたとしたらどうだろうか。感染研では、2月に大量の感染者を出したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で確認された陽性患者のうち、70人の新型コロナウイルス・ゲノム情報を武漢株と比較したところ、1塩基のみ変異していたと発表している。 そして、この株は乗員乗客以外から検出されていないという。とすれば、日本に上陸した「欧州株」は日本だけで変異して、欧州株より毒性が弱まったとはいえまいか。新型コロナウイルスについて中国の専門家と共同記者会見するWHOのエイルワード氏=2020年2月、北京(共同) 日本人は既に集団免疫を獲得している、という仮説も出ている。武漢で謎の肺炎が発生したのが昨年暮れのことだ。 しかし、日本は全く無警戒で、昨年12月には71万人、今年1月には92万人もの中国人を受け入れている。武漢が封鎖され、ダイヤモンド・プリンセスが寄港した2月になっても、入国を規制しなかったため、10万人を超える中国人が来日した。 つまり、この3カ月間で、多くの日本人が「武漢株」に感染し、ほとんど無症状のまま免疫を獲得したというのである。アジア諸国の謎 京都大大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と、吉備国際大の高橋淳教授らの研究グループが唱えた説で、5月11日の夕刊フジによると、感染力や毒性の異なる三つの型のウイルス(S型、K型、G型)の拡散時期が重症化に影響したという。 簡単に説明すると、研究チームは新型コロナウイルスに感染した場合、インフルエンザに感染しないという「ウイルス干渉」に着目した。インフルエンザの流行カーブの分析で、通常では感知されないS型とK型の新型コロナウイルス感染の検出に成功した。 そして、日本で拡散したのはK型という初期の弱毒性ウイルスであり、欧米に拡散したのはその後に変異して感染力や毒性が高まったG型だというのだ。よって、日本に遅れて入ってきたG型は、既にK型で集団免疫ができていたため、第2波になっても感染拡大しなかったという。 しかし、そんなに早く集団免疫が獲得できるものなのか。抗体検査が今後進めば、仮説の真偽ははっきりしそうだ。 先の示した「主な国の確認感染者数、死亡者数」の一覧から、アジアの国を見ると、日本だけではなく、ほとんどの国で100万人当たりの死亡者数が少ないことに驚く。 なにしろ、新型コロナウイルス発生源の中国が日本の6人より少ない3人である。アジア諸国を列記していくと、フィリピンと台湾が7人で、韓国は5人、シンガポール、インドネシア、香港は4人となる。さらに、タイは0・8人、ベトナムにいたってはゼロだ。 こうなると、アジア人は特別で、コロナに強い何かを持っているのではという仮説が成り立つ。この仮説がさらに真実味を増すのは、同じアジアの国でも、台湾、韓国などと日本ではコロナ対策に大きな差があるにもかかわらず、結果が同じだということだ。 ただし、アジア以外でも死亡者が少ない国はある。オーストラリアもニュージーランドも100万人当たりの死亡者は4人だ。こうなると「アジア人だから」とは言えなくなる。 こうして、諸説を堂々巡りした末に行き着くのが、日本人は公衆衛生の観念が他の国の人々より強く、清潔好きだということだ。普段からマスクを着けるし、手もよく洗う。 また、欧米の家屋では靴を脱がないが、日本人は靴を脱ぐ。こうした生活習慣の違いが、感染者数や死亡者数が少ない大きな要因だというのだ。 確かに、欧米人はマスクを着ける習慣がない。今回のコロナ禍が起こる前まで、たとえインフルエンザが大流行しても、欧米人はマスクを着けなかった。 また、文化の違いも大きいという。欧米人はハグやキス、握手を日常的に行うが、日本人はあまりしない。接触という点から見れば、この違いは大きい。さらに、食文化も違う。これが影響しているという。2020年3月、イタリア・ミラノの駅を出発する乗客を調べる兵士ら(AP=共同) こうしたことを言われると、そうかもそれないとは思うが、どれも科学的ではない。証明しろといっても、証明しようがない。 いずれにせよ、コロナ禍はまだまだ続く。ある一国が感染拡大防止に成功したからといって、周囲の国ができていなければ交流できないので、世界は元に戻らない。つまり、全世界が感染拡大防止に成功しない限り、コロナ禍は終わらない。 集団免疫理論が正しいかどうかは分からないが、ワクチンと治療薬がない以上、集団免疫以外に解決しようがない。ちなみに、ワクチンは擬似感染だから、これも集団免疫獲得の一手段である。 果たして、日本は今後どうなるのか。「検査数が世界でもダントツに低いのにもかかわらず、確認感染数も死亡者数も圧倒的に少ない」という現状が続いていき、このまま終息に向かうのか。 そうだとしてもしなくても、 誰かこの現状を本当に解明してほしい。このまま「日本の奇跡」「日本はやはり『神の国』」で終わるとするなら、いったい私たちはなんのために「自粛」したのだろうか。そしてこの先、なんで「新しい日常」を始められるのだろうか。

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    最前線支援で感染させない、対コロナで魅せた自衛隊の覚悟と精神

    濱田昌彦(元陸上自衛隊化学学校副校長) 新型コロナウイルスへの対応について、自衛隊が一層注目されている。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス(DP号)」をはじめ、自衛隊が「やっぱりすごい」という話をよく聞く。確かにDP号でも、自衛隊中央病院(東京都世田谷区)での患者受け入れにおいても、自衛隊員は一人も2次感染者を出していない。防衛省の庁舎横にある「ホテルグランドヒル市ヶ谷」でも軽症者を受け入れているが、ここでも感染の話は聞かない。「なぜなのか」と、聞かれることも多い。 これに対しては、「やはり士気が高いから」「もともと生物兵器に対応していたから」「最初から完全防護で個人防護具(PPE)をフル装備で動いていたから」など、いろいろな意見がある。 どれも当たっていると思う。ある意味、その要因は「日本だけ、どうして死者数が欧米と比較して2ケタ少ないのか」という疑問にも重なる部分がある。自衛隊の感染者ゼロの秘密を知れば、消防や警察、医療や老人介護関係者も感染をゼロに抑えられ、出口戦略が見えてくるかもしれない。 実際に防衛省・自衛隊は、1月29日に中国武漢からのチャーター機に看護官(看護師資格を持つ自衛官)2人を派遣して以降、約1万3千人もの隊員が新型コロナウイルス感染拡大防止のための任務に従事してきた。そして一人の感染者を出すことなく、任務を継続しているのである(5月23日現在)。 「(自衛隊の活動が)そんなにうまくいくかなあ」といった声が聞こえてくるような気がするが、実はそれほどすごいことではなく、当たり前のことを当たり前にやっているからに他ならない。そんな単純でつまらないことを愚直にやるのが自衛隊の強さの要因かもしれない。ただし、そこには「覚悟」が欠かせない。 「新型コロナウイルス感染拡大を受けた防衛省・自衛隊の取組」の中には、「基本の徹底」という言葉が何度も出てくる。そこで陸自OBである私の独断と偏見に満ちた見解を紹介しよう。 今回の新型コロナウイルスの対応がうまく行くか、失敗するかのキーワードの一つが「クロスコンタミネーション(Cross contamination)」であると私は思う。 これを日本語に直すとうまくニュアンスが伝わらない。例えば、感染者一人のウイルスが、くしゃみや咳(せき)をした後の右手人さし指からエレベーターのボタン、そして次の乗客の指先に付着し、さらに手すりやドアノブ、レストランのテーブルなど、クロスしていく様子を想像してくれたらいい。※写真はイメージ(Getty Images) これに意識があるかどうかで、感染拡大するか否かを左右する。陸上自衛隊化学部隊にとってみれば、VX(猛毒の神経剤の一種)のような持久性化学剤のイメージに近い。 それだけに、DP号での自衛隊の活動は、このクロスコンタミネーションを十分に認識しながら活動していたことがよく分かる。クルーズ船で何が起きたか なお、自衛隊がDP号で実際に実施したのは、診察、薬の処方、生活支援や生活物品などの搬入、船内における金属部分などの共同区画の消毒の他、下船者の輸送支援など多岐にわたる。これらを見ても、実に感染リスクの高い活動であることが分かる。また、巨大で複雑な構造のクルーズ客船内での活動で、前例のないオペレーションでもある。 思い出すのは、2011年に起きた東日本大震災による福島第1原発事故の後、住民の一時帰宅の際に現場部隊を視察したときのことだ。そのときも、タイベック(高密度ポリエチレン繊維不織布)スーツにN95マスク、シューズカバーを装着した。オーバーブーツについては、度重なる水素爆発の後で、住民のモニタリングをした際に、ほとんどの靴底にセシウムなどが付着していた。 さらにさかのぼるが、1995年の地下鉄サリン事件でも同様だった。プラットホームと車両の除染を深夜に終えた除染部隊指揮官の3等陸佐が、旧営団地下鉄(現東京メトロ)丸ノ内線の車両基地で「おい、おれの足を洗ってくれ!」と化学防護衣のゴム長靴を洗わせる映像が残っている。乗客の中にも、サリンを踏んだまま救急車に乗った人も多かっただろう。 同様に、DP号の床は患者の咳やくしゃみでウイルスに満ちていた。オーストラリアの医療関係者の規定では、コロナ患者を診る際、安い靴を買っておいて家に入る前に外で履き替え、衣服も外で着替えることになっている。そこまで徹底が求められるのだ。 自衛隊関係者以外でも、DP号においてはPPEやマスク、手袋をしていたことは間違いない。それではなぜ、感染者が複数発生してしまったのだろうか。可能性として、ありうることを列挙してみよう。 例えば、防護服を着たままトイレに行くことがある。その度に着替えることは難しいかもしれないが、ウイルスはふん尿から感染しうることが、かつて重症急性呼吸器症候群(SARS)が問題になった当時から指摘されていた。公共のトイレは、街中などでも感染源となりうるのだ。 また、食事の際はマスクを外すだけに、当然だがリスクは高まる。いろいろな所に触り、その手で顔や鼻、口を触る。防護服は着用していても、袖や裾、ウエストなどに隙間があればウイルスは中に入ってしまう。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の船内で集まる自衛隊員ら=2020年2月(防衛省提供) 手袋をはめていても、カルテを作成する際には、カルテそのものや使用するペンも汚染される。訓練を受けていた医療関係者でさえ、あれだけの高率で感染してしまったのは、そんな要因があったのかもしれない。前述のオーストラリアの医療規定では、職場のペンや財布さえも持ち帰ることを禁じている。 いずれにせよ、クロスコンタミネーションの可能性を踏まえると、たとえある程度のPPEで守られているとしても、接触感染のリスクがなくなったわけではない。空調は全部つながっていて、人々の動線も複雑に絡み合っているだけに、隊員への感染が起こりうる密閉空間だったのである。面倒と戦う 中国において医療関係者の感染が相次いだとのニュースは、当初から伝わっていた。なぜ、ゴーグルや防護服、N95マスクも着用している彼らが高頻度に感染したのか。それを考えれば、飛沫(ひまつ)感染以外の接触感染やクロスコンタミネーションが起こっていたことを推測できたかもしれない。 ちなみに自衛隊は、活動拠点として民間フェリーである「はくおう」や「シルバークイーン」を活用し、大がかりなロジスティクス(物資の供給)準備および支援を実施していた。はくおう内でも、感染のリスクに応じて動線を分けることなどの対策を講じている。隊員には栄養ある食事を3食とらせて、休憩時間や睡眠時間を十分に確保することで、心身の健康を維持し免疫力を落とさないよう着意していた。 さらに防護を徹底するために、ウイルスを防護するタイベックスーツなどの着用において自衛隊独自の高い基準を適用し、その上で二重の手袋とテープを使用していた。防護服などの装着・脱着においては2人一組でのバディシステムを採用し、脱着作業において帽子が髪の毛を完全にカバーしているか、隙間がないかなどを確認していた。 私がまだ1等陸尉の頃に、陸自の集団防護システム(CPS)の研究開発に短時間ではあるが参画していたことがある。CPSとは、いわゆるシェルターのことだ。外の環境が化学兵器や放射能、生物兵器で汚染されているときに、中でPPEを脱いでリラックスして休養したり、食事をとったり、あるいは作戦会議や指揮統制活動をするものである。 実はこの出入りがとんでもなく面倒なものであった。入り口に続くウォームゾーン(化学剤または生物剤が存在しない場所に、汚染された人や物があらかじめ来ると予測され、かつ汚染の管理ができている付近一帯)においてPPEや防護マスク、オーバーブーツ、手袋などを規定の手順通りに脱いでいかなければならない。鏡を見ながら慎重にマスクを装着する自衛隊中央病院の医療スタッフ=2020年4月30日、東京都世田谷区(田中一世撮影) こうしなければ、中のトイレにも行けない。逆に外に出て行くときには、またPPEを着用することになるが、できれば全部新品を使いたい。一方で、高価な防護服を使い回さなければ兵站(へいたん)が持たないという事情もある。そこで汚染されてしまえば元も子もないからだ。 だが、CBRNe(化学:Chemical、生物:Biological、放射性物質:Radiological、核:Nuclear、爆発物:Explosive)に対応するということは、ある意味でこうした面倒くさいことに耐えることである。そして、その「面倒さ」に耐えてきたのが自衛隊とも言えるだろう。自衛隊から感染者が出ていないのは、そうした「面倒さ」を愚直に実践できるところにあるのかもしれない。自衛隊のオペレーション 現在コロナウイルス患者を受け入れている自衛隊中央病院の看護官は、そのほとんどが自衛隊の幹部である。当然、階級章をつけて所定の基本教育を受けており、その中にはバイオを含むCBRN(Explosiveを除いたもの)教育および訓練も含まれている。 いったん緊急事態となり、新型コロナ患者が大量に入ってくるとなれば、命令一下、ミリタリー組織として動き出すのは当然である。看護部長の階級は、昔風に言えば大佐である。これは連隊長に匹敵する。 また、医官(医師資格を持つ自衛官)も含めてCBRN防護に関する教育が、同病院の隣にある陸上自衛隊衛生学校でなされている。細目名で言えば、特殊武器衛生がこれにあたる。特殊武器というのは、自衛隊特有のCBRNを表す用語である。砲兵を特科、工兵を施設科と呼ぶのと同様である。 なお、同病院は国内最多規模の感染者を受け入れ、3月19日には患者104人の症状に基づく分析結果を関係者全員の同意に基づき速やかに発表している。もちろん、病院関係者の2次感染は一切なかった。これはゾーニング(現場や後方地域を3段階に医療区分すること)、接触感染予防、飛沫感染予防などの徹底した感染予防策があったことは言うまでもない。 また、第一種感染症指定医療機関としての感染患者受け入れ訓練や、首都直下型地震などを想定した大量傷者受け入れ訓練からのノウハウが、今回の事案対処において大きく活用されている。 ちなみに、同病院に入院した外国人の患者に対しても細やかな配慮がなされていた。具体的には、患者と各国在京大使館との通訳支援や、本国間の連絡や母国語での情報収集を可能とするためのWi-Fiルーターの設置、病院食の工夫などが含まれている。入院していたドイツ人夫婦から、感謝の手紙が届いたというのも分かる気がする。自衛隊中央病院の外観=東京都世田谷区(後藤徹二撮影) ただ、自衛隊の対応とは対照的に、DP号でのオペレーションについて政府や行政が非難される場面がよく見受けられたが、なぜだろうか。DP号での自衛隊のオペレーションはどのように遂行されたのかについて、私の考えは以下の通りだ。  まず、オペレーションを実行するにあたって次のキーワードが重要となる。・作戦、情報、地域の見積・状況判断の思考過程・必ず達成すべき、達成が望ましい目標・各行動の分析と比較 これらは陸自の幹部なら必ず経験する戦術教育のキーワードである。もちろん、新型コロナ対応に当たっている医官や看護官、その他の薬剤官などの衛生科幹部も例外ではない。戦術の思考過程 DP号への要員派遣や自衛隊中央病院への患者受け入れにあたっても、先ほどのキーワードを用いた思考プロセスはいずれかで活用されたと推測される。ただ、ここで難しかったと予想されるのは次の点だ。・地域見積において、大型クルーズ船がどんなものなのか見当もつかないこと・情報見積において、敵の特性、すなわち新型コロナウイルスの性質が今一歩不明であったこと・作戦見積において行動方針を列挙するにしても、何をどこまでやるのか不明確であったこと それでも、現場は状況判断して決心するしかない。彼らが設定した「そのときに重視すべき要因」、あるいは「必ず達成すべき目標」の一つは「部隊の健在」であったかもしれない。なぜなら、状況不明の中で自ら感染者を出してしまえば、今後の国家への寄与を困難にする可能性が大きいからである。 オペレーションに対する、こうした戦術の思考過程の活用も自衛隊員の感染者ゼロの要因かもしれない。なお、福島原発事故の後の放水冷却作戦において、前線拠点となったサッカー施設「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)に集まった消防、警察、航空自衛隊、海上自衛隊などの全体の指揮を執ったのは、陸自中央即応集団副司令官の陸将補である。 中長期的な計画を策定し、さまざまな組織をまとめるにあたり、きちんとした思考プロセスを踏んで至当に状況判断するには、戦術に造詣の深い陸自の上級幹部が最適であったためであろう。 今回のDP号での対応は主に厚生労働省が指揮を執ったが、もちろん自衛隊にはバイオに関する防護専門部隊がないわけではない。陸自の対特殊武器衛生隊がそれに該当するが、新型コロナ対応で、自信を持って活動する基盤と言えるかもしれない。創隊時からPCR検査の設備も備えており、今回のDP号への対応でも、この部隊が動いていた。 自衛隊中央病院の近くにある三宿駐屯地に所在し、現在は陸上総隊の隷下である。この部隊が2008年に創設されたのは、01年に米国で炭疽菌が郵送され感染者が死傷したテロ事件以降、それまでよりも一段と生物兵器やバイオテロの脅威が高まったとみなされたためであろう。 対特殊武器衛生隊は、中央特殊武器防護隊や他の衛生科部隊と連携し、核・生物・化学(NBC)攻撃による傷病者の診断・治療を行う。 これは2個対特殊武器治療隊編成であり、特に生物兵器対応が主眼だ。また、生物兵器同定のための機材の他、治療用の機動展開ができる衛生検査ユニットや陰圧室ユニットを装備している。医官や看護官、臨床検査技師資格を持つ自衛官らで編成されており、バイオのエキスパート集団として知られている。PCR検査の結果待ちの帰国者らが一時滞在する「ホテルグランドヒル市ケ谷」で、生活支援にあたるホテルスタッフにウイルス防護策を指導、助言する自衛隊員(右)=2020年4月、東京都新宿区(防衛省提供) このように、今回の新型コロナウイルス対応では、改めて自衛隊の存在が際立った。だが、その一方で新型コロナウイルスの発生源とされる中国が尖閣諸島を含め、軍事的圧力を高めている。自衛隊がますます注目され、任務が増大する中で、装備や人員、予算という壁、そして自衛隊そのものの「在り方」という課題も浮き彫りになりつつある。 次回はその「在り方」について、筆を執りたいと思う。

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    「9月入学」なんてトンデモない⁉

    新型コロナウイルスの感染拡大で長期化した休校措置によって「9月入学」の議論がにわかに浮上した。文部科学省も導入案を提示したが、賛否両論渦巻いている。国際標準とはいえ、子供だけなく、教職員や保護者らの不安は計り知れない。「国家百年の計」である教育制度の大改革ともいえる「9月入学」の是非を考えたい。

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    「9月入学」は理想、それでも二の足を踏んでしまう現場の切実な声

    高橋勝也(元都立高教諭、名古屋経済大准教授) 新型コロナウィルスの猛威は、全国の学校を緊急事態宣言に伴う休校措置に追い込み、長ければ3カ月間、学校に通えていない子供たちがいる。人生の一大イベントと言ってもよい卒業式や入学式、楽しいはずの学校行事は次々と中止になっている。 そのような中、学校休業長期化を受けて、政府は「9月入学」の検討に入っている。授業のオンライン化は家庭環境や自治体の財政事情などを要因として、家庭、学校、地域間格差を生じているとの指摘がある。 「9月入学」が実現すれば、全国一律に仕切り直しすることができ、このような問題を解消できるかもしれない。また、留学がしやすくなるとして教育などのグローバル化を進め、日本の国際化の進展を期待する声も大きい。 「国家百年の計」である教育は、国民の生き方や幸せに直結し、国家や社会の発展の基礎を築く最重要項目であり、政治が主導して改革を推し進めていくべきとの声もある。しかし、教育改革が学校現場を置き去りにしてしまえば、子供たちや先生たちを路頭に迷わせることになる。 そこで、筆者は初等中等教育教員への緊急インタビューを試みた。その結果、小学校より中学校、中学校より高校の先生の方が、「9月入学」への移行に強い不安を抱いていることが分かった。 なぜなら、入学試験をはじめとする出口指導(進路指導)が高度化するからである。高校では大学へ向けての入学試験と企業就職へ向けての就職活動への指導が並行して行われている。 前者は1月中旬のセンター試験(2021年1月実施試験から共通テストへ移行予定)はいつ実施になるのか、各私立大学の入学試験は統一的な時期ややり方で実施してくれるのかなどの不安である。 後者は就職説明会、内定通知、入社式といった採用スケジュールなどがどうなっていくのかという不安である。加えて、先生たち以上の不安感に襲われるのが、学校に通う子供たちであることを忘れてはならない。休校で生徒のいない中学校の教室=2020年5月、大津市 センター試験に代わる共通テストにおいて、記述式問題の導入が中止されたことを思い出していただきたい。高校生自身が「これ以上、高校生を混乱させないでほしい」と文部科学省で抗議する姿は、筆者の目に焼き付いている。単純に春に卒業して次のステップに進もうと考えていたところに、「あと半年先の秋に卒業することになるよ!」と言われれば混乱することは目に見えている。懸念は社会システムとの関係 仮に「9月入学」が実現した場合のことを考えてみたい。昨今の学校現場では労働組合活動が停滞してから、教員からのボトムアップ型ではなく、校長からのトップダウン型で学校運営が進められている。 そのため、長時間議論で白熱する職員会議は鳴りを潜め、校長からの通達、連絡事項だけで先生たちは校務分掌を進め、子供たちの育成に努めている。例えば、情報通信技術(ICT)の導入については、これらに慣れないベテラン教員を中心に反対意見が少なくなかったが、トップダウンによって導入を進め、悩みながら個々人の努力でスムーズな学校運営や学級経営が保たれている。 今では、ICTがなければ学級経営に困ってしまうと感じている先生が多くいるくらいである。学校現場だけでなく、新しいことを始めようとすると変化を好まない抵抗勢力が必ず存在するが、現在の学校現場では微々たる問題と言ってよい。 以上から、「9月入学」がもたらす学校内における混乱は、先生たちの努力により比較的短時間で解決することが期待できる。早々に学校行事を組み直し、子供たちと保護者が安心できる年間指導計画が築き上げられていくに違いない。 しかしである。社会全体、社会システムが追い付いていけるのであろうか。ここに大きな懸念を抱かざるを得なく、二の足を踏んでしまうところである。 例えば、人事制度。教育公務員だけ、例外的な9月異動にする必要があろう。これまでの4月異動であれば、学級担任や教科担任が任期途中で交代となり、あまりに非現実的である。 この点については、都道府県知事の権限で解決できそうである。だが、予算編成についてはどうだろうか。文科省が財務省を中心にすべての官庁が関係しながら折衝する4月新年度予算を9月新年度予算に変更することは、首相の強力なリーダーシップだけで実現できるのであろうか。文部科学省=2018年9月、東京都千代田区(飯田英男撮影) また、就職採用システムはどうか。かつて東大が秋入学を検討したものの、新卒一括採用制度を採る経済界からの反対の声は小さくなかったため、懸念が払拭しきれない。最後のチャンスかも 日本の若者の内向き化が指摘されてから久しく、海外へ飛び立つ学生が増えず、日本の国際化の遅れが指摘されている。2013年からスタートした官民一体となって若者の留学を支援する「トビタテ!留学JAPAN」の理念は、若者たちの活躍の舞台を世界にするとしており、「9月入学」は起爆剤になろう。 日本の成長を支えるグローバル人材の育成は社会総がかりで取り組む必要があることは言うまでもない。社会の多方面から「9月入学」を支持する姿勢が現れたのは、日本が成熟してきた証であろう。 「9月入学」を実現するのであれば、最初で最後のチャンスかもしれず、タイミングとしては今しかない。筆者もやるなら、ここでしかないと思っている。 しかしながら、学校現場内から大きな「9月入学」待望論が上がってこない限り、実現は難しいに違いない。筆者はインタビューとは別に、グーグルフォームを活用して、「9月入学」の賛否について緊急アンケートも敢行した。 その結果、公立高校教員(97人)は賛成32人、反対46人、どちらとも言えないは19人となっており、反対が多くなった。昨年度の共通テストの記述式問題導入だけでなく、英語の民間試験導入さえも見送りに追い込まれた混乱を想起すれば、この結果は理解しやすい。 新型コロナ禍の中で、強引に突貫工事を突き進めていけば、不都合なほころびが増え、数年内、今の子供たちに大きな影響を与えることになる。大学入試センター試験に臨む受験生ら=2020年1月18日、東京都文京区の東大(萩原悠久人撮影) しかしながら、実施に踏み切れば10年後、20年後、将来の子供たちは「9月入学」システムが落ち着きを取り戻し、整った環境下で幸せを享受することができるようになるであろう。どの点に重きを置いて、どのように誰が決断をするかを慎重に見極める必要がある。

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    コロナが変える学習環境、秋季入学より優先すべき課題は山ほどある

    高橋知典(弁護士) 新型コロナウイルスが猛威を振るう昨今、「秋季入学」にすることが好ましいのではないかという声が一部から聞こえてきた。秋季入学の議論を行うことは決して無駄ではないし、数十年前から繰り返し検討されてきた実のある議論だと思う。 しかし、この議論はコロナ禍で学習環境を改善する特効薬にはならない。 まず大前提として、「新型コロナウイルス感染症が存在する環境で、教育機会を確保する」という議論をすべきだ。 そもそも、なぜ秋季入学の議論になったかといえば、新型コロナウイルスの感染は「人との接触」によって生じるところがあり、これを避けるために「外出自粛生活」があり、これを子供たちに当てはめると「休校措置」ということだった。 大人たちの仕事に関しては、休業やテレワークなどによる「出社自粛」が求められている。実際に、これによって多くの企業が、うまくいっているかどうかは別にして、できる限り休業やテレワークに変更している。そして出社人数を少なくし、可能な限り人との接触数を減少させる業務形態に変容させているのが、現在の状況だ。 新型コロナウイルス感染症については、今後さらに第2波、第3波の流行が予想される。ゆえにその都度、自粛要請といった社会活動の制限によって防疫を行うとすれば、今後も自粛の子供版である休校措置も繰り返される可能性がある。 だからこそ、秋季入学への変更がどれほど説得的なことかといえば、残念ながら本質からずれていることになる。秋季入学の措置をとったとしても、休校措置が繰り返しとられるのであれば、結果的に学習の機会は損なわれていくからだ。 あくまで学習の機会を確保するということであれば、むしろ行うべきは、少しでもリモートでの教育環境を確保し、新たな生活様式を教育制度に取り込むことだ。 仮にそれでも秋季入学を実施しようとしても、学校を再開する上で、現場は問題を抱えている。  学校は子供たちを引き受ける以上、法律上でも安全配慮義務を負う。安全確保は最優先事項であり、法的義務でもある。コロナ禍での安全な生活には、感染拡大を防止する生活を視野に入れる必要があり、生活様式の変更が求められている。しかし、学校はとかくこういったものを取り入れるのが苦手だ。再開した長崎市立桜町小学校に登校する児童ら=2020年5月11日 今後われわれの生活において、しばらく感染防止のために大人も子供もマスクを着用することになるが、そのマスクについてもかなり混乱するだろう。 既に学校現場で起きたのが、マスクを白色のみに指定した学校が出てきたことだ。概要としては、マスクが手に入りづらいだけではなく、マスクの材料である白色ガーゼなども手に入りづらい中で、一部の学校において校内の風紀の将来的な乱れを気にして持ち込むマスクの色を白のみとしたいうものだった。学校の自主判断の危うさ 未知のコロナウイルスの恐怖に加え、マスクが高額転売されるニュースが騒がれていたような時期に、保護者による子供の安全を願う気持ちやマスク調達の苦労に思い至らずに、白色指定してしまう学校の無神経さには驚嘆する。 だが、こういった対応が普通に起きるのが学校なのだ。 マスク着用の登校は、再流行が懸念されているため、今後当たり前になりそうである。さらにはマスクの不足や値段の高騰が少しは落ち着いただろうと、「マスクは白色指定」という校則も復活するかもしれない。 新型コロナウイルスの感染拡大の状況次第で、マスクの調達が困難になり得るし、白色は本来汚れがかなり目立つため、使い回すことが難しいといったようなことも起きるだろう。 結果として、着用マスクのことで悩む子供や保護者も現れると思うが、こうした子供や保護者の声は存外学校には届かない。だからこそ、そうした情報を早期に教育委員会なり文部科学省が吸い上げ、随時是正を図る必要がある。 継続的な情報の吸い上げと安全対応策の検討、場合によっては全国的な実施と徹底をかなりの速さで行っていくためには、学校現場にかなりの余力を残しておく方がいい。 またマスクについては、さらに気になる報道がある。中国ではマスクをして運動していた子供の死亡事故が起き、運動中はマスクは使わないという話が出ている。私も外出時には医師に伝授された着用方法でしっかりとマスクをしているが、かなり息苦しい。階段をいつも通り登ると、思わず立ちくらむことがある。 子供たちの中には、自ら気をつけることがまだできない既往症のある子もいる。学校内でマスクを常時着用するような新しい生活方法との組み合わせには、かなり気を使わなければならない。 年中マスクをつけるだけでなく、エアコンをつけても換気のために窓を開けるため、熱中症の危険も増えそうだ。分散登校で学校を再開した鳥取県立鳥取湖陵高校=2020年5月7日、鳥取市 マスクの色指定がそうだったように、過去の例がどうだとか言っている場合ではなく、学校の運営状況は現状に合わせて次々に変更する必要がある。学校ごとの自主判断に任せると、現場の判断は不合理極まるものが出るだろう。 マスクだけでもこのような問題が起きる以上、他のポイントでも素早く、かつ全国的に変更できるだけの余力をむしろ生み出す必要がある。ゆえに、そこへ秋季入学の話を加えることは、この余力を奪うことになりかねない。教育格差は減らせない また、秋季入学が話題になった際に一部で言われていた「一斉入学にすることで教育格差を埋める」というのは、不可能だと私は思う。秋季入学に移行したところで、休校措置中の時間は取り戻せない。 年度の長さが伸びれば、学習機会が損なわれていない人は伸びた年度分だけ勉強ができるので、アドバンテージが生じる。その差を教育格差とするならば、格差は残念ながら消えない。 このコロナ禍での学習環境の格差は、リモート授業が可能な学校、学校再開の早い地域の学校、感染者数が減少しづらい大都市圏の学校という順で生じるということになるだろう。この点で教育機会の確保が厳しくなるのは、感染者数が多い各大都市圏かつ、リモート授業が行われない学校に通う世帯が中心になると考えられる。 今後も感染爆発の危険を回避しつつ、コロナ禍での教育機会の確保をするのであれば、まずは大都市圏の学校で、現在までにリモート授業ができていない世帯に対し、リモート授業が実施できるように環境整備を進めるべきであろう。 また、しばしばニュースで取り上げられるのがリモート授業の困難性だ。もともと、大手予備校の中でもリモート授業を実施しているところがあり、携帯アプリで授業を配信する企業があるなど、リモート授業には一定の教育効果が期待できることは間違いない。 しかし、特に小学校低学年の子供たちにリモート授業を実施するとなると、海外では、授業中に子供が通信を切ってしまい、席を立っていなくなる事例があるという。教育番組ほどに素晴らしく作り込まれた授業内容であれば別かもしれないが、小学校低学年の子供たちは画面を1時間、2時間も見てはくれない。 実際に家庭学習で宿題を大量に渡され、これに四苦八苦しながら取り組んでいる家庭の方ならば、より想像がつくだろう。このように、子供たちの指導を30人に向けて同時に画面越しで授業を行うというのは、かなりの困難が予想される。 とは言いつつも、現状のコロナ禍において当面の学習機会を確保するには、リモート授業を行うしかない。これを早急に、かつ実のある形で進めるためにも、現場にリソースがあるならば、学習環境の整備に振り分けるべきだと思う。  リモート授業の開始だけでも、学校制度自体に多大な変化が求められる。また、休校を再開するにあたっても、かなりの慎重さと迅速な対応が必要になる。遠隔授業実施のため、ビデオ会議システム「Zoom」の使い方を研修する県立隠岐島前高の教員ら=2020年4月、島根県海士町(同高提供) 仮に学習機会の確保を最優先に物事を考えるならば、今はできる限りの力で大都市圏の学校では早期にリモート授業の実施環境を整え、再開可能性のある地域では新たな生活様式を学校生活に反映させるべきだろう。 以上の点を実施するだけでも、今の教育現場の環境からすれば想像を絶する努力がいる。これに加えて秋季入学までも実施するというのは、ついでにやるというには少々重すぎる気がしてならない。

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    反検察庁法改正の「釣り」に引っかからない当たり前の極意

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案について、今国会での成立が見送られることが決まった。「束ね法案」として一本化された国家公務員法改正案とともに見送られた背景には、「#検察庁法改正案に抗議します」という「ハッシュタグ祭り」から始まった世論の反発がある。 最新の世論調査でも、安倍内閣の支持率は法案への反対を主な理由として、大きく下落した。ただ、法案は秋の臨時国会へ向けて継続審議となり、仕切り直しの公算が大きいだろう。 前回の連載でも書いたが、検察庁法改正案への反発については、安倍晋三首相と「近い」といわれる東京高検の黒川弘務検事長の定年延長問題とこの改正案を、多くの人たちが混同し、それに基づいて反対運動を展開したことに大きな特徴がある。一方で、肝心の法案の中味を検討した上での反対が主流ともいえなかった。 多くの人は同調圧力や感情、直観で動いたと思われる。後ほど指摘するが、この反対運動の特殊性も指摘されている。 ところで、安倍首相と黒川検事長が本当に「近い」かは不明である。少なくとも、定年延長問題が国会で議論されてから、一貫してそのような「印象報道」が行われていた。 学校法人森友学園(大阪市)や加計学園(岡山市)、桜を見る会、そしてアベノマスクに至るまで、安倍首相との関係が「ある」ことを基礎にした「疑惑」の数々に、筆者は正直辟易(へきえき)している。疑惑の根拠が、単に首相との個人的なつながりだったり、会合で1、2回程度の「単なる出会い」であるとするならば、それは単に「疑惑」を抱いた人たちの魔女狩り的な心性を明らかにしているだけだろう。 ただし、誰も魔女狩りをしていると、自ら認めることはない。本人たちにとっては「社会的使命」や「正義」かもしれないからだ。 この種の魔女狩りを「正義」に転換するシステムは、いろいろ存在する。ここではそれを「釣り」(フィッシング)と名付けよう。安倍晋三首相との面会を終え記者団の取材に、検察庁法改正案の見送りを表明する自民党・二階俊博幹事長(中央)=2020年5月18日、首相官邸(春名中撮影) インターネットでもしばしば見受けられる偽サイトへの誘導などのフィッシング詐欺と似ている。「釣り」を経済学の中に導入したのは、2人ともノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフ、ロバート・シラー両氏の著作『不道徳な見えざる手』(原題:釣りに釣られる愚者)が代表である。 彼らは、通常の経済学が前提にしている自由市場のメカニズムに疑問を呈している。自由市場では、合理的な人たちが完全な情報を得て、自らの利益が最大になるように行動する。その結果、市場の成果は本人たちにとって「最適」なものになる。論理飛躍を埋める「物語」 だが、アカロフ、シラー両氏は、市場では釣りが横行していて、人の弱みにつけ込んで利益を得る人が多いこと、それは裏面では弱みを握られた人たちが「最適」な成果を得ることができないことを意味している。しかもポイントは、釣られた人たちが、自分たちが釣られたことに気が付きにくいことだ。 なぜ釣られたことに気が付かないのだろうか。アカロフ氏とシラー氏の着眼点は「物語」にある。 人はそれぞれ、何らかの物語を抱いている。自分がどのような人であり、どのような人生を送ってきたか、そういう物語は多くの人が普段から自ら胸中に描いていることだろう。 そして、自分以外の物事や出来事に対しても、人はこだわりを持っているに違いない。食事のマナーや通勤のルートの取り方、休日の過ごし方、好きな音楽や本などでも見受けられるはずだ。 安倍首相に対するイメージでも、こだわりはあるだろう。過去に、モリカケなどで「安倍首相は悪い。これは私の直観である」と言い放ち、論理や事実を全く跳ね返す人に多数遭遇した。 これらの人物や出来事に対する印象も、物語に依存するものが多い。物語は、人の人生を豊かにする反面、他者からの釣りに弱い側面もある。 安倍首相のケースでいえば、彼が「嘘つき」だとか、記者会見で「自分の言葉で話していない」という物語がある。前者は具体的に何を指すか全く分からないが、そういう人たちが多い。 後者は、記者会見でプロンプターを見ながら話していることが、典型例としてしばしば言及されている。しかし、数千字にも上る重要なメッセージを間違いなく正確に読むのに、プロンプターは便利なツールでしかない。 プロンプターに表示された画面を読むことを「自分の言葉ではない」というのは、かなり論理飛躍がある。だが、この論理飛躍の穴を埋めるのが、その人の物語なのである。2020年5月15日、検察庁法改正案に反対し、国会前でプラカードを掲げる男性 原理的にこの物語を利用した釣りは、振り込め詐欺のような「家族」の物語を利用したタイプから、上述した政治的なタイプまで幅広い。キーは論理的な跳躍(人によってはそれは直観や感情などと言い換えることもできる)を物語で埋めることである。 では、この物語のマイナス面を回避して、釣りに引っかからないにはどうしたらいいだろうか。先日、分かりやすい実例があった。釣りと弱さを自覚せよ 元HKT48でタレントの指原莉乃がフジテレビ系『ワイドナショー』で、「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグを付けたツイートを求めるコメントが来たときに、「私はそこまでの固い信念ほど勉強できていなかった」と述べていた。要するに、分からないことに慎重になったのだ。 自分が普段知らないこと、新規の出来事に遭遇したときは、まず、急に判断せずに、一拍置いてから行う。この当たり前ともいえる判断を、指原はうまく表現していたのである。 われわれは「弱い人」である。分からない運動に巻き込まれても、「法案の中味を読んだのか」と言われてから、慌てて読んでも「判断を変えない」「いや、既に読んでいた」などと欺瞞(ぎまん)を繕う人も多い。 だが、弱さを自覚してこそ、文明の発展に寄与したと、18世紀の終わり、アダム・スミスは『道徳感情論』の中で述べている。釣りに遭ったと自覚することが、個人だけではなく社会の発展には欠かせないのだ。 一方で、釣りの側のシステムも巧妙になってきている。われわれの弱さを克服する文明が発達するとともに、釣りの文化も発達しているのだ。 主要新聞では、検察庁法改正案反対のツイート数が数百万件にもなったと報じ、多くのワイドショーやニュース番組でも繰り返し取り上げられた。しかし、経済評論家の上念司氏らは、この種のハッシュタグ運動が一種の「スパム」によって成立していることを、早期から指摘していた。 つまり、ハッシュタグ運動の盛り上がり自体の大半が釣りだったのだ。確かに、政治的なハッシュタグ運動としては人気だった。 だが、そのボリュームについてはかなりの「水増し」があったのも事実だ。夕刊フジによると、5月8日午後8時以降の67時間に行われた約500万件のツイートのうち、投稿された実際のアカウント数は8分の1程度であったという。 デモでも主催者は参加者を「盛る」ことが一般的だ。数百万ではなく、実際には、数十万アカウントの人たちの活動であることを注記した報道もあるが、「数百万件」報道の方が一人歩きしたことは間違いない。こうして「多数派」の印象報道は成立していくのである。元HKT48でタレントの指原莉乃 政権批判を直観や感情で行おうが反知性で行おうが、それは別に個人の自由でしかない。ただし、直観や感情や反知性的な政権批判は、たいして評価されない。煽動(せんどう)的な行為で集団化すれば、脅威として批判されるのも当然である。 いずれにせよ、検察庁法改正案自体は、新型コロナ危機の対策を最優先する中で、審議していけばいいだろう。「三権分立の危機」や「民主主義の危機」といった物語を大きくする勢力はあっても、その種の釣りには慎重に対すればいいだけである。そのぐらいの優先度しかない問題なのである。

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    コロナ戦争新フェーズ、政府と企業が陥る「二正面作戦」の罠

    新しいフェーズとはまるでシンクロしている。どちらが因でどちらが果なのか、奇妙なことに相呼応している。政策とは恐ろしいものである。経済・企業サイドは、今の新型コロナウイルスの存在を前提とした経済活動再開という「新しい生活様式」に寄り添った行動をとっている。 経済・企業サイドでいえば、東京都の都心部、すなわち東京丸の内、銀座、新宿、渋谷、池袋、品川などの出勤者は70~80%減になってはいない。東京都心部は各企業の本社部門が集積しているわけで、もちろんテレワークや自宅勤務、時差出勤などが積極的に導入されている。土日など休日はさすがに70~80%減になっている。しかし、平日でいえば出勤者は50~60%減が精一杯という状況とみられる。 売り上げに直結している生産、営業といった現場の直接部門は、一般的にはテレワークになじまない面がある。業態によっては、全社でテレワークを実施し、顧客への営業・サービスや社内会議・打ち合わせまでウェブで実行している企業もある。ただ、現状ではそれはあくまでレアケースでしかない。 ある中堅土木企業では、本社管理部門は「電話番」なのか総務、経理など各部社員が交代で出勤している。大半はテレワーク・自宅勤務ということで管理部門の出勤は大幅減となっている。土木現場は下請けが中心なのだろうが、工事を続行している。現時点では、貴重な売り上げにつながる業務だけに止められない。「3密回避」で工事をしているというが、感染リスクはないとはいえない。 大手ゼネコンは、4月に入ると工事現場から感染者が出たこともあって軒並みに工事中断を指示した。これもある中堅建設関連企業のケースだが、大手ゼネコンがらみの下請け仕事は自動的に中断となった。施主が官公庁という工事も自粛している。だが、自社が受注してきた建設工事は感染防止に留意しながら継続している。社員たちの「3密回避」で分室化、サテライトオフィスを活用している。 一方、ある計測機器関連企業は、工場の生産ラインは従来のままだ。本社も営業、物流など売り上げに関連する部門ではテレワーク導入は行われていない。本社が東京都心部から離れていることもあって時差出勤程度の対応となっている。生活関連のあるサービス業企業では、本社管理部門は自宅勤務を導入したが、顧客へのサービスを担当している直接部門の社員たちは従来通りに接客して勤務している。感染リスクはないとはいえない。これらはコロナ禍でいえばいずれも打撃が少ない企業なのだが、おそらく平均的な緊急事態宣言への対応といえるものである。大型連休が明け、マスク姿で通勤する人たち=2020年5月7日、JR東京駅前 つまり、一般の日本企業の多くは、「3密回避」は最低限の要件だが、新型コロナウイルスへの感染リスクをとりながら、限定的だが売り上げを確保する行動に出ている。すでに新型コロナウイルスという存在を前提にして経済活動をしている。 それはとりもなおさず新型コロナウイルスがぶり返す可能性を残していることを意味している。これでは新型コロナウイルスを封じ込めるのは事実上困難ということになりかねない。最大の「目詰まり」 緊急事態宣言では、休業は命令ではなくあくまで要請である。休業を要請するのは地方自治体で、国は休業に対する補償義務を負わないとしている。企業としては、緊急事態宣言を当然ながら重く受け止めているが、一方で売り上げに直結する部門は少しでも稼働させたいのも事実だ。これは企業としてはサバイバル(生き残り)への本能のようなものだ。生産・販売の現場では多少のリスクを顧みず仕事を続行している面が少なくない。 企業はすでに新型コロナウイルスの存在というリスクを前提に経済活動を行っている。緊急事態宣言は、地方自治体の要請を基本としており、“闇営業”というわけではない。企業も事実上二兎を追っている。結果として、国と企業はともに「二正面作戦」で軌を一つにしている。国も国なら企業も企業だが、これが背に腹は代えられないリアルな実態だ。この現実は緊急事態宣言があくまで要請を基本にしている政策がもたらした因果にほかならない。 ちなみに、緊急事態宣言で売り上げが極限まで低下し、さらにその延長で窮地に追い込まれている企業・産業群はかなり広範囲だ。 新型コロナウイルスに直撃されているのは観光(旅行)、ホテル、エアライン、鉄道、飲食、外食、人材派遣、テーマパーク、芸能エンターテインメント(演劇・演芸・音楽)、イベント、スポーツ、スポーツジム、ヨガ教室、アパレル、百貨店、石油、自動車、自動車部品、電子部品などだ。 国、地方自治体などが社会的に救済しようとしているわけだが、これらの業界の多くからは悲鳴が上がっており、支援がないと持たない。逆に売り上げを伸ばしているのはeコマース通販、スーパーなどだ。 アメリカ、そしてドイツ、フランス、イギリス、イタリアなど世界は多かれ少なかれ新型コロナウイルスの存在を前提にしながら経済活動を再開するのが趨勢(すうせい)とみられる。日本は世界の趨勢を後追いしているわけだが、実態としては後れをとっている状況だ。 国としては、「新しい生活様式」は提案したが、緊急事態宣言延長の解除基準などは明確にしなかった。しかし、吉村洋文大阪府知事が「大阪モデル」として独自の基準を打ち出した。これにより安倍首相も5月14日に「国としての判断を示す」ことに動いた。 国民が求めているのは、「明確なリーダーシップ」のようなものに尽きるのでないか。治療薬では「レムデシベル」が特例承認となった。だが、ワクチンは開発段階だ。何よりもPCR検査が増加していないという「不条理」を依然として抱えている。 安倍首相の指示にもかかわらず、PCR検査は保健所の人的不足などが目詰まりとなって改善されていない。検査数は各国と比べて極端に少ない。PCR検査数の不足が、感染の実態・全容を正確に把握できていると言い切れない状況の根底にある。実態・全容が把握できていれば有効に闘えるはずだ。「索敵」が十分にできていない。新型コロナウイルス封じ込めでどの時点にいるのか。次の段階にいつ移れるのか。先行きは見えない。「目詰まり」というならこれが最大の目詰まりだ。  新型コロナウイルスは人々の命を奪う敵であることにとどまらず、覆い隠されていた日本の脆弱性や問題点を露呈させた。政府、自治体、国民、医療、経済、メディア、さらにはリーダーシップのあり方までが問われている。記者団を前にマスクを外し、緊急事態宣言の延長を表明する安倍首相=2020年5月1日、首相官邸 緊急事態宣言が延長された現時点では新型コロナウイルスを前提として封じ込めながら経済活動を再開するという二つの闘いが展開されている。ウイルスの封じ込めに傾けば経済が軋み、経済に重点を置けばウイルスがぶり返すという困難な闘いである。「正念場」という言葉があるが、日本にとって文字通りの正念場はこの闘いということになる。

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    議員報酬ゼロが常識、今こそ政治家の覚悟を示すときじゃないですか?

    上西小百合(前衆議院議員) 新型コロナウイルスの感染拡大はとどまるところを知らない。安倍晋三首相が4月7日に緊急事態宣言を発令して2週間が経過したが、国内での感染者数は1万人を超えた。 16日に緊急事態宣言が全国に拡大されたことによって、都道府県知事は法的根拠のもと、外出自粛の要請、教育機関の閉鎖、集会やイベントなどの開催制限を実施できるようになった。だが、私が前回指摘した通り、安倍首相は中国の春節前に政治判断すべきだったと思っているくらいなので、決断の遅さが本当に憎らしい。 この判断の遅れにより、失われた命がどのくらいあるのだろうかと考えると、怒りが沸々とわいてくる。もちろん、いくつかの業界から「緊急事態宣言など出されては困る」という根強い声があったのは分かるが、国民の生命より大切なものはない。憲法で国民の代表と定められている国会議員と総理大臣が周りの声に踊らされ、国民の命を危機にさらすようでは話にならない。 既に、経営危機にひんする企業や個人事業主、生活困窮危機に陥った労働者からも悲痛な声が上がっている。前議員である私のもとにさえ、助けを求めてこられる方々がいるような状況だ。 そもそも、日本では「アベノミクスで景気はよくなった」とたいした実感もないのに信じ込んでいる人が多い。だが実際は、新型コロナウイルスが拡大する前から経済は低迷を続けている。 そこに昨年の消費税増税が加わり、経済はまさに氷河期であった。その上、今度はわずかな仕事さえも外出自粛や行動制限が要求されるわけだから、困窮するのも無理はなく、すべての国民がとんでもない不安感に包まれている。 安倍首相や菅義偉(よしひで)官房長官や、各都道府県知事らに「外出自粛ですよ、物資は足りていますから買い占めはしなくても大丈夫ですよ」と言われても、生活の糧を得るために、感染の危険を冒して外で働かなければならない国民もいる。緊急事態宣言を発令し会見で国民に協力を呼びかける安倍晋三首相=2020年4月7日、首相官邸(春名中撮影) スーパーやドラッグストアに行っても相変わらずトイレットペーパー、マスク、アルコール除菌スプレーやハンドソープは見当たらないので、家族のために買い出しに奔走せざるを得ない主婦もいる。 国が営業・外出自粛を求めるのであれば、補償を十分に行い、国民が感染リスクを徹底的に排除した生活を行うことができるようにサポートする必要がある。当面の生活費という浅い考え方ではなく、国民の命を守ることに直結させるという考え方で支援策を講じなければならない。 星野源さんとのコラボ動画をアップした安倍首相のように、優雅にワンちゃんとコーヒーを飲んでいられない悲惨な国民生活を理解できていないことが、政治家たちの言葉や態度からひしひしと伝わってくる。ケチが付いた「10万円」 政府は当初、収入が急減した世帯に30万円を給付する支援策を明らかにした。だが、その対象条件へのハードルはとても高く、不公平感たっぷりでスピード感のないものだとして多くの国民の怒りを買った。 すると今度は、なんと30万円支給案を取り下げ、国民一人当たり一律10万円の給付に急きょ切り替えたのだ。国が一度言ったことを簡単に二転三転させるのかと、私はあぜんとしたが、取りあえずはギリギリ落第点ではないレベルにはなったのではないかとも思う。 評価すべきところは、給付手続きを郵送やオンラインで行う予定なので、既に人手不足かつパンク寸前の役所にも一定の配慮ができていたことだろう。だが、顔をつぶされた形になった一律給付反対派の麻生太郎財務大臣がぶちまけた、「手を上げた方に1人10万円」という条件がマイナスポイントだ。 これにより国民の一部からは「それなら私は辞退する」という声が出始め、給付金をもらうのに遠慮が必要な雰囲気が生み出されてしまった。 ただ、私は声を大にして言いたい。 「とりあえず受け取ってください。あなたが受け取らなければ、議員が何かにかこつけて都合よく使うかもしれません。10万円の使い道くらい、自分で考えてみてください」と。 どこにいくら寄付しただとか、個人情報を明かす必要はないのだから、ご自身の判断で新型コロナウイルスと日夜闘う医療現場や介護施設に寄付するのもありだろうし、近所で営業困難に陥っている飲食店から出前をとって経済を回すのもいい。 私が先日、近所のすし屋から出前をとったら7千円位だったので、「使うぞ!」と決めれば家にいてもすぐに使い切れる額だ。金銭に余裕がある方々も格好つけて傍観せず、小さなボランティアだと思って堂々と受給して行動してほしい。 ちなみに、私は知人らと受給した10万円を出し合ってまとまった額にし、ある施設に寄付する予定だが、詳細は明らかにはしない。 ただ、給付金の話題の中で気になったのが、一律給付金の支給が決まった途端に例のごとく、しゃしゃり出てくる議員たちの存在だ。この緊急事態にまで手柄を自分のものにしようと先陣を切って飛び出してきたのが、麻生財務相と同じくメンツ丸つぶれの岸田文雄自民党政調会長と、なぜかわき出た三原じゅん子参院議員だ。自民・公明、幹事長政調会長会談を終え記者団の取材に応じる自民党・岸田文雄政調会長=2020年4月15日、国会内(春名中撮影) 私は、今回彼らが使ったやり口はどうも苦手でできないのだが、議員は次の選挙のために「私がこれを実現しました」と何でも自分の手柄にしてアピールする性質がある(いつも堂々とうそをついて、それを信じた市民から称賛される議員がちょっとうらやましかった)。「どうせ国民は本当のことなんか分かりゃしないよ」と見下しながら。 とはいえ、今は国民もさすがに注目している問題であるため、「過大広告」が見透かされ、空気感がつかめていなかった二人は、会員制交流サイト(SNS)ですさまじい批判を浴びることとなった。「協力金」が映し出すもの 国の短期間の方針転換は、まさに国民の怒りと不安が政治に伝わった貴重な成果だと思う。そしてその国民の声を、圧倒的権力者である与党に、もがきながら伝えた野党にはひとまず称賛の声を送りたい。 日頃は国民から「政府に反対ばかりだ。今はスキャンダルを議題にするな」と何をしてもバッシングされがちな野党の奮闘ぶりは、少しは評価されてもいいと思う。 いつものように、立場を明確にしない日本維新の会とNHKから国民を守る党はさておき、圧倒的多数を占める与党の前でもがく野党の声がなければ、国民への支援策でさえ「夢のまた夢」だったはずだからだ。 さて、国の企業に対する直接的な支援が遅れる中、東京都が休業要請などに応じた中小事業者に対し、「感染拡大防止協力金」として都内に2店舗以上の事業者に100万円、1店舗の事業者に50万円を支払うという支援策をいち早く打ち出した。 地方事業者からは「さすがに東京は豊かだなぁ」という声と同時に、「なぜ東京だけなんだ。地方事業者は同程度の支援を受けられないのか。住む所によってそこまで待遇が違うなんて…」とため息が漏れる。 前述の通り、中小企業、特に東京以外の地方は不景気に加え、新型コロナウイルス拡大により倒産寸前ギリギリの状況に追い込まれている。そこにきて、大阪維新の会所属の吉村洋文大阪府知事が「東京都のようにお金を出すというのは、正直申し上げてできません」とあっけらかんと断言した。 ネットの一部では「正直で好感が持てる」とのお気楽なコメントも見受けられるが、この窮状で好感度の話をしている余裕はない。 大阪維新の会は10年も前から「東京と肩を並べる大阪にし、日本を東京と大阪で支えていく」と掲げ、大阪府民はその言葉を信じて投票したのだ。冷静に財政力指数の数字を見ることができる人ならば「愛知、神奈川、埼玉、千葉、埼玉にも負けているのに何を言うか」と鼻で笑っていたのだろうが、選挙のときに宣言した以上、もう少し、吉村知事は東京都との差が一向に埋まらないことを反省する気持ちを持ってほしい。新型コロナウイルス感染症防止のため営業自粛要請する場合の対象業種について会見する大阪府の吉村洋文知事=2020年4月10日、大阪府庁(鳥越瑞絵撮影) そうでなければ、10年も前の言葉をいまだに信じて投票し続ける府民が浮かばれない。そして、政府にはこういった解消困難な地域間格差に目を向けた対応も忘れずに行っていただきたい。 ひとまず10万円給付は決まったが、新型コロナウイルス感染拡大対策のための自粛要請はまだまだ続きそうだ。多くの国民が国の要請に従い経済活動などをストップさせ、今後国民生活がますます疲弊するのは目に見えている。 いくら国の財政が赤字といえども、リーマンショック以上の超非常事態だ。国民の生命なくして国家が成り立たない。だからこそ、すべての日本国民が感じている不安を拭うために、10万円を給付した後でもスピード感と公平性を重要視しながら、生活支援や企業への雇用支援を継続することが重要だ。コロナ禍を乗り越えるために 国民はまさに「今、お金が足りない!」状態なのだ。金融機関から借金することさえできなくなった国民(中小企業経営者や個人事業主など)があふれてくる中、最終的に100万円程度の給付が必要になってくるだろう。 今回の経済対策は第1弾とし、引き続き支援策をどんどん打ち出さなければ、国民の命と生活は守られない。お茶を濁すような「取りあえず10万円」ではなく、2~3カ月間は安心できる額を支給することが、国民に心を寄せた政治というものではないだろうか。 財源が足りないと言うのならば、新型コロナウイルスが終息し、景気が回復傾向に転じた際に「経済復興税」という形で創設したものを消費税に上乗せしたりするなど方法は数多くある。 ただ、最初にすべきは、国会議員、首長や地方議員も報酬をゼロにし、政党助成金や文書交通費もいったんストップさせることが普通の感覚だと思う。日本国の緊急事態に給料が欲しいなどと言う議員が「国家国民のために働きます」と言ったところで、信用ならないと思われても仕方がない。 そして私が疑問に思うのが、維新元代表の橋下徹前大阪市長を含め、「国会議員だけの報酬半減」を声高に求める人たちの存在だ。私は国民のために地方議員を含めたすべての議員、首長が報酬を一定期間全額削減し、公務に従事すべきだと思う。 「麻生流」に言えば、「どうしても報酬がほしいと言う議員・首長の皆さんには、『お手を上げていただき』お支払いすればいい」のではないだろうか。 今後も、国民にとってすぐ必要となる支援策を与党に認めさせるべく、野党議員には奮闘してもらいたい。そしてそのときは、ぜひ心の底から「報酬1年間ゼロ」を提案してはいかがだろうか。見直されますよ、国民に。 まだまだ長引きそうな新型コロナウイルス危機。国民のストレス、恐怖心もピークに達し、そこにはメディアでまだ報道されてはいない闇が生じている。大型ビジョンに流れる緊急事態宣言に関する安倍晋三首相の会見映像。手前は新宿・歌舞伎町=2020年4月7日、東京都新宿区(鴨川一也撮影) 感染者やその周囲の人に投げかけられる常軌を逸脱した誹謗(ひぼう)中傷、暴力や「村八分」のような現象があることが話題になっている。また、外出自粛の意味を自己流に解釈し、いわゆる「3密」を避ければいいという考えだけを優先するあまり、周囲への配慮や条例、ルールを忘れた行動も見受けられるようになっている。国民が気持ちを一つにして乗り越えて行かねばならないときに、非常に残念な話である。 最後に、新型コロナウイルスに関連することで、あなたの力ではどうしようもない理不尽なことが起き、あなたのことを傷つけてしまいそうになれば、その前に大騒ぎすることをおすすめする。周りにあなたのことを「本当に助けなければならない」と思わせる方がいい。それで変わることもあるので、希望は捨てないでおくことだ。 日本人の「和の精神」を思い出し、新型コロナウイルスの一刻も早い終息を目指していきたい。

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    入手困難な消毒用アルコール、高度数「酒」で考える解決の糸口

    清義明(フリーライター) 消毒用アルコールの供給が逼迫(ひっぱく)している。 ショッピングセンターやチェーン店などの店頭に置かれている、据え置き式のアルコールスプレーは、もはやおなじみの光景だ。ところが、この据え置き除菌用のスプレーも、アルコールではなく他の代替の消毒液になりつつある。在庫が払底してきているのだろう、アルコールのように両手でもみしだいても乾燥しないので、お使いになれば分かるはずだ。 大手ドラッグストアのいくつかに聞いてみると、マスクも足りないが消毒用アルコールはさらに入荷は少ないとのことだ。しばらくは、一般消費者にアルコール製品が行き渡るのは難しいのかもしれない。 さらに悪いことに、医療施設でも入手が日ごとに厳しくなってきているようなのだ。 ある医師は「在庫はあるんですが、次にいつ入荷するかは分からない状況です。業者さんも手に入れるのは厳しいと言っています」と嘆く。医療用品の卸をしている業者も「大きな病院はともかく、個人医院は不足し始めている」と事情を打ち明けてくれた。 ドラッグストアなどでよく見かける消毒用エタノールの製造元大手、健栄製薬に話を聞くと、新型コロナウイルスの感染拡大が中国で始まった段階で増産を始め、今では通常時の3~4倍の出荷をしているとのことだ。それでもまだ間に合わないという。  厨房(ちゅうぼう)用の除菌アルコールで有名な「パストリーゼ77」の製造元、ドーバー酒造にも話を聞いた。こちらも24時間態勢で通常時の約3倍の量を生産しているにもかかわらず、まったく注文に追いついていないとのことだ。 同社営業推進課の担当者は、言いにくそうにこの製品がネットで高額で転売されていることも教えてくれた。フリーマーケットの大手サイトをチェックしてみると、転売価格は定価の4倍にもなっている。マスクはいち早く転売が禁止されたが、除菌アルコールの転売はそのまま続いているのである。 昨今は医療向けマスクの供給が問題になっているが、消毒用アルコールも無くなってしまえば、それこそ「医療崩壊」である。また、厚生労働省も新型コロナウイルスの予防には手洗いが必須とし、それができなければアルコール消毒を一般市民に求めている。これはマスク以上に問題なのではないだろうか。 日本国内のアルコール製造事業を管轄する、経済産業省の製造産業局素材産業課にこの件について聞くと「もちろん品不足は把握している」とのことだ。 消毒用アルコールは厚労省の管轄であると断ったうえで、新型コロナウイルスへの対応として令和2年度補正予算に「マスク・アルコール消毒液等生産設備導入補助事業」の項目が盛り込まれていることを説明してくれた。 マスクやアルコール消毒液の生産設備の導入に、中小企業へ補助金を出し、設備導入を促進しようとするものだ。生産設備導入にあたり、中小企業で75%、大企業でも66%の補助金が支払われるもので、かなり大がかりのものといえる。新型肺炎の影響でマスクやアルコール消毒の入荷がないことを伝える張り紙=2020年2月28日、相模原市(寺河内美奈撮影) しかし、新型コロナウイルスの騒動が始まってから間もなく3カ月目を迎えようとしている現在、マスクも消毒用アルコールも市場に出回らないばかりか、さらに店頭の商品は払底している。これから設備導入といっても、それはいつになるのか。そして実際に増産となり、医療従事者や一般消費者に行き渡るようになるものなのか。 マスクの場合、メーカーも設備拡充に二の足を踏んでいるという話もある。 もし、マスクの生産のための設備投資をしたとしても、今や新型コロナウイルスのパンデミックが終息しつつある中国で、再び生産が始まれば価格競争で対抗できるはずもない。そうすると、設備や製造ラインは途端に余剰のものとなる。この需要もいつまで続くかは分からない。そのために投資や人的リソースを投下するのはギャンブルだろう。これと同じことが消毒用アルコールにも言えるのではないか。酒造メーカーによる生産と課題 消毒用アルコールが手に入らなくなったということで、今注目を集めているのが酒造メーカーのアルコール製品だ。飲料の名目で高い度数のアルコール製品をつくり始め、すでに予約でいっぱいらしい。 お酒の世界では、ポーランド産のウオッカの「スピリタス」のように、高濃度のアルコールのものがある。スピリタスのアルコール度数は96度。これは工業用の無水エタノールの濃度99・5%とほぼ同じだ。 そのため、スピリタスが消毒用に使えるのではないか、ということで買い求められ、ついに日本国内では入手するのが難しくなっている。今ではオークションサイトにて、通常の流通価格の3倍程度で取引されているというのだから驚きだ。 しかし、ウオッカを消毒に使うのはあながち酔狂とも言えない。その昔の14世紀にペストが世界を席巻し、一説には世界人口の20%超の約1億人の死者が出たときがあった。 このとき、ポーランドだけはペストの被害が比較的少なかったといわれる。後年、この理由とされたのが、ウオッカを家庭の消毒剤や消臭剤として使っていたことにある。テーブルなどを拭くときにウオッカを用いていたり、消臭剤として脇の下などにつける習慣が広くポーランドにはあった。今でもポーランドでは、高濃度のウオッカを消毒のために使っているとのことだ。 もともと、ウオッカのような蒸留酒は「生命の水」と言われて、どちらかというと医療目的で進化していったものだから、当然といえば当然である。 酒造メーカーも普段製造するとき、蒸留器を調整してアルコール濃度を高めれば、さほど難しくなく医療に使える濃度のアルコールをつくることができる。第3類医薬品として医薬品医療機器等法(薬機法、旧薬事法)の認定を受けている消毒用アルコール(エタノール)の濃度は、76・9~81・4%(健栄製薬「消毒用エタノール」の場合)である。製造方法はほぼ同じなのだ。 そこで酒造メーカーがアルコールづくりに乗りだしたわけだ。もしかすると、これで昨今の消毒用アルコール不足を補えればよいかもしれない(最終ページ末尾に※注1)。 実際に、前出の除菌アルコールのメーカーであるドーバー酒造は、その名の通り、もともとは酒造メーカーだ。バーなどで必須のアイテムになっている、ゆずや桜、梅など、和のテイストのリキュールでバーテンダーにはよく知られている。さらにドーバー酒造は、実は「スピリッツ88」というアルコール度数が非常に高く、転用しようとすれば消毒用にもできる製品をつくっている。ドーバー酒造の神戸三田工場=2010年9月28日、兵庫県三田市 だが、実はここにいくつものハードルがある。 「こちらで製造している除菌アルコールの『パストリーゼ77』は、食品衛生法で定められた食品添加物ということになっています」と、前出のドーバー酒造営業推進課の担当者は言う。 つまり、これは食べ物としてつくられているのだ。それでも「除菌」のための製品となって、実際に全国のレストランなどで使われているのはなぜか。 「アルコール度数が77%なのでウイルスにも効くことは、厚労省がつくっているガイドラインにも記載されている通りです。けれど、薬機法がありますので、人体などにも使えるということは製品には標記してません」とのことだ。 これについては、日本のアルコール製造メーカーの団体である、一般社団法人アルコール協会によると「消毒用のアルコールは薬機法で定められたもので、それを順守しなければ問題である」という。 ちょっと混乱しそうなので整理してみよう。日本国内で消毒用アルコールをつくるにはまず、以下の五つの法規制をクリアしなければならない。しかも所管官庁は四つに横断している。・医薬品医療機器等法(厚労省)・食品衛生法(厚労省)・アルコール事業法(経産省)・酒税法(国税庁)・消防法と都道府県の条例(消防庁と各都道府県)消毒用アルコールの定義と法の壁 そもそも、まず「消毒用アルコール」とは何か。法的な定義にのっとれば、それは薬機法に定められた「医薬品」または「医薬部外品」のことだ。ドラッグストアに並べられた除菌製品で、「消毒」や「殺菌」という表現が書かれていれば、薬機法で認定された「医薬品」または「医薬部外品」となる。 これを製造するには許可が必要となり、それには有効性や安全性などに関する厳しい審査が必要だ。非常にハードルは高い。 この定義からすれば、前述のドーバー酒造の「パストリーゼ77」は、薬機法の認定はとられておらず、そうすると薬機法の分類によれば雑品扱いとなる。それがなんらかの除菌効果があるとしても、審査などはいらない。その代わり「消毒」や「殺菌」という言葉は使えない。そのため「除菌」と表示されているわけだ。 しかし、そこに高純度のアルコール分77%と記載されていれば、ウイルスに対して効果があると分かる人には分かる。ウイルスの殺菌に効果があり、手指消毒に適した濃度は一般に70~80%前後だからだ。ちなみに、米疾病予防管理センター(CDC)が推奨しているのは60%以上。世界保健機関(WHO)は60~80%には殺菌効果があるとしている。 するとアルコール濃度が60%未満のアルコール濃度の消毒製品は、たとえ薬機法の医薬部外品であろうと効果の期待薄ということになる(最終ページ末尾に※注2)。食品添加物と公称している「パストリーゼ77」は、その意味で薬機法の認定は受けていないが、キチンとしたウイルス殺菌に効果が見込めるということだ。 ここに、実はトリックのようなものがある。大手化学メーカーがつくっているような手指の「消毒」が公にうたわれた手指消毒製品でも、実はウイルスには効くことが期待できないものがあるのだ。 例えば、現在品薄状態の某大手メーカーの医薬部外品認定を受けた手指消毒剤の成分を見てみると、実はウイルスの殺菌効果があるほどアルコール濃度がない。そしてよく成分表をみてみると「溶剤」としてアルコールを使っているとの記載がある。 メーカーのサイトを調べると、初めてそこにアルコール濃度が60%未満であることが書いてある。これでは菌類などには効果があっても、ウイルスには効き目がない。 これがどういうことかと言えば、薬機法の「医薬部外品」の認可を取得したのは、ウイルスを消毒する製品というものではなく、その他の菌類のこと。 そして、その製品のウェブサイトや販売店向けの注意喚起文などを見ると、「消毒用のアルコール(エタノール)は含まれているが、アルコールが有効成分ということではないため、コロナウイルスの効果は確認できていない」というようなことが、消費者には極めて分かりにくいように書かれている。もちろんコロナウイルスだけに効かないだけではなく、ウイルス全般もダメだろう。 なお、このような消毒製品には、よくベンザルコニウム塩化物(第4級アンモニウム塩)が有効成分とされているが、これも細菌類には消毒効果があるものの、ウイルスに対する殺菌効果は現在までのところ疑問視されている(最終ページ末尾に※注3)。 大手メーカーまでもが、このような誤認を否定しないやり方で手指消毒剤として販売しているわけだから、中小のメーカーはもっとやりたい放題である。消費者としてだまされないようにウイルス対策のための手指消毒剤を選ぶとしたら、それが医薬部外品か雑品かにかかわらず、まずはアルコール濃度が60%以上かどうかが選ぶポイントである。写真はイメージ(gettyimages) なお、除菌や消毒などを効能にうたったキッチン用の製品で、独自の第三者機関に委託した調査をもとにコロナウイルスへの除菌効果を主張したメーカーもある。しかしこれは、あくまでもキッチン用であり、配合された成分の兼ね合いからも手指消毒に向かない。 また低濃度のアルコールでも長い時間作用させれば、ウイルスを不活性化することはできるという研究もある。ただこの場合も、手指をアルコールに30秒間ぬらしておかねばならないので、手指消毒には現実的とは言えないだろう。 さて、それでは酒造メーカーのような蒸留設備をすでに有している所がアルコール濃度を高めて製品化するのはどうか。酒造メーカーでなくとも、単にアルコール度数を60%以上の製品をつくってしまえばよいではないかとも、思える。高アルコール度数の酒は危険 そこで高いアルコール度数の酒と除菌アルコールを両方製造しているドーバー酒造に再度聞いてみる。すると、ここにも法律の縛りがあった。それは「消防法」である。 「消防法によってアルコール度数が高い製品は厳しく規制されています。例えば(除菌アルコールの)『パストリーゼ77』は、お酒と別ラインでつくっています。なぜなら消防法で定められた規定があるからで、製品はコンクリートが何十センチもある防爆施設内で、例えば静電気が起きないようにしたり、厳重な管理のうえで製造しなければならないのです」 なるほど。次に、これについて所轄官庁である消防庁に詳細を聞いてみた。 「アルコール度数60%以上の製品は、消防法で『危険物』とみなされます。ですので、それに定められた施設が必要です」 消防法ではアルコール濃度が高いため引火しやすいものを「危険物」として規定し、製造や流通には厳しい制限を課している。例えば耐火構造や消火設備、運搬や出荷時の積載方法、貯蔵所は壁までの距離やスペースまでもが規定されている。 これに違反すると最大懲役刑もある罰則となる。危険物と認定される基準には細かい付則もあるのだが、そのうちの一番のポイントがアルコール濃度60%以上の規定なのだ。 前述した令和2年度補正予算の「マスク・アルコール消毒液等生産設備導入補助事業」では、補助率は高いものの補助上限額が3千万円となっていたが、消防法の厳しい設備基準をクリアする危険物設備が必要となると、やはりおいそれと新規参入に乗り出すわけにはいかないだろう。もっぱら既存の事業者で、設備ノウハウと爆発物を取り扱うスペースがある所だけになる。 先ほど、アルコール濃度が薄くウイルス対策には効果が必ずしも証明されていない医薬部外品の手指消毒液の話をしたが、これもおそらくは、消防法のために製造や流通にかかるコストが高くなることを見越して、あえてアルコール濃度を低くし、その分コストを安くしているのではないだろうか。 ちなみに消毒液なみのアルコール濃度の酒をつくっている酒造メーカーは、この基準をクリアしているのだろうか。ちょっと怪しく思えてしまったのだが、このへんはやはり抜け道のようなものがあるらしい。 「危険物施設が必要になるのは、指定数量を超えたものになります。取扱量が400リットル未満であれば、この消防法の規定は受けません。ただし、火災予防条例令にもとづいて市町村の条例があるので、そちらにもよります」と消防庁の担当者は言う。 そうすると、在庫も含めて400リットルに抑えた製造をしていけば、ウイルス対策に使える高濃度なアルコールがつくれるということだ。もちろん、そのときは薬機法によって「消毒」とか「殺菌」という表現は使えない。 また、アルコール度数が90度を超えれば、今度はアルコール事業法に縛られるし、そこまで行かなくとも酒税法の縛りも受ける。こちらは酒造メーカーであればお手の物であろう。しかし、400リットルは、500ミリリットルの瓶で800本にしかならない。 それくらいの量しか取り扱いできないとなると、この新型コロナウイルスによるアルコール不足が解消するのには余興程度のものにしかならないのではないか。これでは大きな投資もできないだろう。健栄製薬の主力工場を視察する三重県の鈴木英敬知事(右)=2020年4月7日、三重県松阪市(三重県提供) いずれにしても、消毒用アルコールをキチンとした公的な推奨基準で製造するには、消防法がネックだということが分かった。ただ、これには引火や爆発の危険を回避するためにつくられた規制であり、これをどうこう言うのはお門違いだ。 この事情を踏まえたうえで、国がリーダーシップをとりつつ、消毒用アルコールを増産するというならば、まずは医療用とは別に国内にストックがあるであろう工業用アルコール(濃度90度以上)を転用していくという手もある。実際、消毒用アルコール不足のため、市場にはちらほらと純度の高い工業用アルコールが出回ってきている。 それがダメならば、なんらかのインセンティブをさらに与えて、企業の生産意欲を高めるしかない。 例えば、消毒用アルコールのトップメーカーである健栄製薬の医薬部外品アルコールも、ドーバー酒造の食品添加物のアルコールも、酒として発売していないのに、高い酒税の対象となっている。 これらの製品は、薬機法であったり消防法であったり、また食品衛生法など複数の法規制の下にあるというので、なんともな話である。この辺りを配慮することによって、少しでも消毒用アルコールの増産につながるのではないだろうか。アルコール消毒液の代替品とは ところで、冒頭街中の消毒液がアルコール不足のため代替製品になりつつあると述べた。これが何なのかというと、次亜塩素酸水であることが多い。 ただよく混同されるのだが、厚労省などでウイルス対策の消毒として推奨されている次亜塩素酸ナトリウムとは異なるので、注意が必要だ。 次亜塩素酸ナトリウムは、家庭にある除菌漂白剤と同じ成分のものだ。どちらかというと、塩素系漂白剤と言った方がなじみがあるかもしれない。こちらは、ウイルス殺菌の効果がすでに公的にも認められている。だが、漂白剤を使ったことのある人なら分かる通り、いくら薄めても直接肌に触れるようなものには適さない。 そこで登場したのが次亜塩素酸水である。 もともとは食品添加物から使われ始めた次亜塩素酸水は、次亜塩素酸ナトリウムのように取り扱いに注意が必要なものではない。そのため使い勝手がよく、直接肌に触れても濃度と製造方法によっては問題ない。次亜塩素酸水は食塩水を電気分解するだけでつくることができるので、それをつくるためには設備も簡単なものでできる。 これが除菌効果があるということで、加湿器から噴霧させ「空間除菌」効果を期待して使っている人もいる。中には病院のようなところも採用しているケースもあり、かなり一般的に広まっている。そればかりか、昨今のアルコール不足のため地方の行政組織までもが配布しているところがある。 ただ、次亜塩素酸水をめぐっては、さまざまな意見がある。友人の医療関係者は「全く信用してない」と一言であしらっている。似た成分である次亜塩素酸ナトリウムと比較した効果については、雑菌への除菌に同等の効果があったとのリポートがあるだけで、それ以上の検証はほとんどなされていない。 現状は、次亜塩素酸ナトリウムと似た物質であるから同じような効果があるだろう程度の、検証がなされているだけである。しかし、次亜塩素酸水の取扱業者などから「厚労省が殺菌性を認めた」という資料が出回っているほか、第三者機関による独自の調査などがあり、これが根拠とされている。写真はイメージ(gettyimages) しかし、これにようやく決着がつきそうだ。おそらく地方自治体までもが、次亜塩素酸水の効果をうたって住民に配布し始めたことが理由なのだろう。立憲民主党の早稲田夕季衆院議員が、これについて政府に問いただしたところ、4月10日の閣議にて「現時点では手指の消毒に活用することについての有効性が確認されていない」との答弁書が決定された。ところが、一転4月17日に、一部の電気分解で生成されたものについては手指消毒ができるとの見解が、経産省から出された。 ただし、これらの見解は「有効性が現時点では確認されていない」という注釈付きのものである。これから実証実験を行うということだ。つい先月くらいまでは効果に疑問とされてきたマスクまでもが、今では政府によって推奨されるようになった。信じるものは救われるかもしれない。 だが、次亜塩素酸水の効能を信じる人には、おっちょこちょいが多いのも事実である。 次亜塩素酸水と間違えて次亜塩素酸ナトリウムを噴霧するという危険な行為をする人もいれば、次亜塩素酸水と次亜塩素酸ナトリウムを間違えるばかりか、「次亜塩素酸ナトリウムを飲むと新型コロナウイルスに効く」という非常に危険なデマを流した宇都宮市議会の遠藤信一議員(NHKから国民を守る党)ような人もいる。 これを信じた、やはりNHKから国民を守る党の前田みか子氏が実際に飲んで、病院行きとなってしまったらしい。なんともはやである。 長くなったが、アルコール消毒液に関する結論としては、以下の通りだ。(1)まずは石けんでの手洗いを。それが無いならアルコールを使おう。(2)手指以外の消毒は、次亜塩素酸ナトリウム(漂白剤を希釈)で十分。(3)アルコールでの消毒は、それが「医薬部外品」であってもなくとも、アルコール度数が60~80%のものを。それ以下の濃度は自己責任で使用を。(4)このアルコール度数に近いお酒はその他の成分によりけりで消毒には使えるが、あくまでも自己責任での使用を。(5)消毒用アルコールの代替としての次亜塩素酸水は、電気分解でつくられたもの以外は、その効果が現時点では必ずしも公的に証明されていない。こちらも自己責任で使用するべきだ。 【※注1】政府も消毒用アルコール不足解消のために、さまざまな動きを見せている。4月10日に厚労省は「主に医療機関での消毒液の不足を解消するための特例措置」と断ったうえで、手指消毒用のアルコール以外の高濃度アルコールを医療機関などでの使用を認めた。これで酒も消毒用に転用可能というお墨付きがついた。 【※注2】4月10日付の北里大の発表によると、アルコール濃度が50%以下の「消毒」「除菌」製品でも新型コロナウイルスへの不活性効果が認められたとのことで、これを受けて、WHOやCDCの60%以上というアルコール濃度の基準については、厚労省から引き下げられる可能性がある。この場合、消防法の危険物扱いとならずに「消毒」「除菌」製品が市場に大量に流通できる可能性もある。 【※注3】経産省は、ベンザルコニウム塩化物を、「有効な可能性がある消毒方法」として、次亜塩素酸水とともに有効性の実証試験に入ると4月15日に発表した。今後に注目である。  (編集部より)一部追記などがあります。

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    読めぬ「ロックダウン」解除、徒労感募るイギリスで何が起きているか

    e)」をキーワードにした、人と人の間に距離を置く「社会的距離」(social distancing)政策が実行されており、具体的には、以下の3本柱になる。1.外出禁止2.一定のビジネス活動の停止、集会場所の閉鎖3.(同居していない)2人以上による公的空間での集合停止 なお、外出禁止には、以下の例外がある。・食料や医薬品などの生活必需品の買い物。しかし、可能な限り頻度を少なくする。・1日1回、一人であるいは同居する家族とともに、運動のために戸外に出ることができる。例えば、走る、歩く、ジョギングをする、など。・医療サービスを受ける、献血をする、あるいは支援が必要な他者を助けるためには出掛けてもよい。・自宅勤務が不可能な仕事には、出掛けてもよい。 以上の条件で外出した場合でも、他者とは2メートルの距離を取る必要がある。同居していない家族や友人に直接会うことも原則、禁止である。 「一定のビジネス活動の停止、集会場所の閉鎖」とは、より具体的にはパブ、映画館、劇場、先のような生活必需品を扱う以外の小売店、図書館、地域センター、レジャー施設、スポーツクラブ、教会、ホテル、キャンプ場などの閉鎖を指す。逆に言うと、開いているのはスーパーやそのほか日用必需品を売る店、郵便局、銀行などだ。レストランやカフェはテイクアウトサービスのみを提供でき、通常のような形では営業できない。学校も休校措置となっている。英政府から届いた手紙(右)とパンフレット(筆者撮影) また、政府から頻繁にメッセージも届く。「自宅にいてください」「社会的距離を取ってください」「それが医療サービスを助けることになります」といった内容だ。政府はこれらのメッセージを繰り返し発信している。毎日、首相官邸で記者会見を行うと同時に、街中にはこのメッセージが入った広告があちこちに出ている。筆者の携帯電話にも「自宅にいるように」というテキストメッセージが入った。 また、ボリス・ジョンソン首相からの手紙と自宅にいる必要性を書いたパンフレットが、どの家庭にも郵送された。ツイッターを開けると、時々、同様のメッセージが出ることもあり、「これでもか!」というほど頻繁に情報が発信されている。4月5日と11日には、エリザベス女王が国民にメッセージを伝える番組まで放送された。ロックダウン下のイギリス 働く人の多くが自宅勤務となり、日中、通りを歩くと、一人であるいは家族連れで日用品の買い物に出かける人、のんびり散歩する人、あるいはジョギングする人などをよく見かける。 スーパーや銀行、郵便局などに行くと、場合によってはいったん入り口の外に並び、一人ずつ中に入る。スーパーでは床に2メートル間隔にテープが貼ってあったり、立つ場所を指定されたりする。ほかの客と近づき過ぎないようにするためだ。 日本で多く見られる、マスクをかけている人はあまりいない。英国ではマスクを付ける人は原則医療関係者のみだった。しかし、最近ではさすがに使用する人を見かけるようになった。それでも、ちらりほらりという程度だ。「マスクでは、新型コロナの感染は防げない」と何度も言われてきたからだろう。 一時は買いだめのためにスーパーの棚がよく空になっていたが、今は大体のものはそろうようになった。ものによっては、買える数が制限されていたが、今はその制限もほぼなくなった。 どのスーパーも朝の1時間は高齢者専用としている上に、医療サービスで働く人専用の時間を設けている場合もある。 どれほどの企業が自宅勤務に切り替えたのかは不明だが、ロンドン市内の観光地の写真を見ると、人通りが少なく、まるでゴーストタウンのようだ。 公共交通機関の利用は激減しており、政府がまとめた資料によると、外出自粛要請があった2~4月中旬までに自動車及び公共交通機関の利用は60%減、鉄道・地下鉄の利用は97%減少している。英国でも鉄道の駅の利用は激減している(ネットワーク・レール」駅利用客数の推移、英政府資料より) 通りを走るバスの中をのぞくと、ほとんどガラガラだ。 しかし、一気に外出禁止とさまざまなビジネスの閉鎖が生じた英国では、職を失った人や失いそうな人は少なくない。失業保険や住宅手当、児童手当などが一元化された社会福祉手当となる「ユニバーサル・クレジット」に対する申請件数は100万人を超えている(ちなみに、英国の人口は日本の約半分の6700万人である)。 また、シンクタンク「インスティテュート・フォー・エンプロイメント・スタディーズ(institute for employment studies)」によると、この2週間ほどで「150万人から200万人が失業した」という。2008年の世界金融危機では最大でも74万人が失業者となっており、このときよりはるかに大きな人数だ。「コロナ前」は英国の失業率は3・9%だったが「コロナ後」では、7・5%まで上昇する可能性があるという。いつ、ロックダウンは終わるのか また、政府の決定によりビジネスが一時停止したことになるため、財務省は国内総生産(GDP)の15%に相当する巨額の資金をコロナ対策にあてている。 企業が社員を解雇することを防ぐため、「一時解雇」措置とした場合には、従業員一人当たり、給与の最大80%(あるいは最大で2500ポンド=約33万円)を政府が負担することになっている。自営業の場合も、税の申告をしている場合、同額が支払われる。また、中小企業に対する一時金の支払いもある。 ただ、なかなか実際にお金が企業側に入ってこないという不満が多い。財政支援を申請した企業の中で、銀行が資金を出したのは10分の1という報道が出ている。 経営難に陥ってた慈善組織を助けるべきという声が上がり、リシ・スナク財務相は4月8日、慈善組織の支援に7億5千万ポンド(約1012億円)を拠出すると発表した。 しかし、先の社員あるいは自営業者への支援も含め、「いつ、確実にお金が入ってくるのか」という問題や、支援の受け取りには条件が付くので「自分は当てはまらない」と嘆く人々の声がよくメディアで紹介されている。 ロックダウンは感染者、そして死者を減少させるための方策だが、その結果が感染者数・死者数に反映されるまでには「あと1〜2週間はかかる」と言われている。 実際、政府資料によると、どちらの数字も増える一方で、筆者自身、徒労感を抱くこともある。4月15日時点で、9万8千人が感染者となり、死者数は1万2千人を超えている。新型コロナウイルスによる疾病「Covid-19」にかかって集中治療を受けている人の数(地域別)(英政府資料より) 英国民の最大の関心事は「いつ、ロックダウンが終わるのか」だ。当初、今回のロックダウンは4月16日前後に終了するはずだった。しかし、感染者数・死者数ともに大幅な減少には至っておらず、来月まで延長となった。 一時はマット・ハンコック保健相に続き、ジョンソン氏も新型コロナウイルスに感染した。ハンコック氏は無事回復して職場に復帰、ジョンソン氏もロンドンの病院に入院し、一時集中治療室へと搬送されるなど危機的状況だったが、現在は回復し退院、首相公式別荘で静養中だ。それでも、英国では不安感が漂っている。 また、依然として、医療関係者を保護する保護メガネ、マスク、ガウン、手袋の一式の不足、検査数がなかなか伸びないことも悩みの種だ。日本は大丈夫か 日本では、4月7日夜に安倍晋三首相が緊急事態宣言を出したが、その内容を見ると、確かに欧州各国の「ロックダウン」と状況が異なり、制限が若干緩いように見えた。 日本の場合、欧米と比較して感染者数・死者数が非常に少なく、経済活動を維持することへの配慮が背後にあったのだろう。 しかし、東京の緊急措置体制はより厳しくなっており、罰金はないものの、欧米のロックダウンの状況に似ている。 欧米の方式が日本のやり方よりも優れているのかどうか。今のところ、確固としたことは言えない。また、経済活動の維持を重視した政策も一つの政治的な選択ではある。 とはいえ、死者数が突出しているイタリアやスペイン、それに米国のニューヨークの例を見ていると、どの国も「命を守ることが大事」という切迫した思いで動いていることが分かる。英国も感染者数・死者数の増加が止まらない状態で、イタリアやスペイン並みにならないとは限らない。 だいぶ自粛されたとは言うものの、日本では危機意識がまだそれほど切羽詰まったものになっていないのではないか。電車に揺られる多くの人がいる光景を、メディアを通してみるたびにそんな思いを持つ。新型コロナウイルス感染症を受け、ロンドンで建設が進む「ナイチンゲール病院」=2020年3月31日(AP=共同) もう一つ、日英の違いがある。英国の専門家の意見を集約すると、新型コロナウイルスについては「分からないことが多い」と言う。例えば、いったん感染した人が回復し、そのあとまだ感染することがあるのかどうか、もしその場合、どのぐらいの期間「安全」なのかについても、まだ分からないそうだ。 筆者は日本に住む人から特定のワクチンの効き目について聞かれ、「分からない」と答えたが、「効くのは確実だ、事実だ」と反論された。その人は筆者よりは科学の専門知識が豊富かもしれないが、英国の最先端の科学者や医療専門家が「分からない」「確固としたことは言えない」と答えている状態では、筆者は特定の答えを持たないし、「分からない」と言わざるを得ない。 専門家であろうと誰であろうと「分からない」こともある。だからこそ、「分からないこともある」と受け止めることも必要ではないだろうか。そう思えば、さまざまな情報に一喜一憂せず、冷静に情報を受け止め、行動を起こすことが可能であると、筆者は思う。 最後になったが、日本の自粛政策が功を奏することを、心から願っている。

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    マレーシアの「本物ロックダウン」現場から見た日本

    立花聡 (エリス・コンサルティング代表・法学博士) 手錠を掛けられ、マレーシア警察に連行された写真付きと実名出しで現地で報道された―。日本人容疑者(81歳、年金生活者)は4月3日、ノル・イッツァティ・ザカリア判事の前で通訳によって訴状を読み上げられた。クアンタンの公園で野鳥の写真を撮影するために外出した同容疑者は、新型コロナウイルス感染防止の行動制限令(MCO)に違反したとして、裁判所から1000リンギットの罰金(または3カ月の禁固刑)を科せられた(4月3日付、マレーシア英字紙ザ・スター 『MCO: Japanese man fined RM1k for leaving house to photograph birds』)。 勝手に外出すれば、警察に逮捕され、罰金や刑務所行き(または併科)である。そのほかにも複数の日本人が街でジョギングしたことで逮捕されていた。街だけでなく、今はコンドミニアム敷地内の散歩やジョギングも禁止されている。生活必需品の買い出しは一家に1人だけ外出が許されるが、自動車は運転手1人以外に同乗は許可されない。各地では警察が厳しく検問や取締りを行っている。 今の日本では考えられないマレーシアのロックダウン(都市封鎖)は本物だ。現地在住の私も不本意ながら自宅隔離の生活を「満喫」している。いや、不本意とはいえない。むしろ個人的にはこのような厳格なロックダウンに賛同している。 情況が明らかに改善しているからだ。マレーシアのR0(基本再生産数)は3月18日付で発効した行動制限令発令前の3.55から、4月10日現在の0.9に落ちた(4月11日付けマレーシア華字紙南洋商報)。R0<1の場合、感染症は終息していくといわれているが、マレーシア保健省は4月10日、感染を最大限に断ち切るために最低でも6週間のロックダウンが必要とし、ムヒディン首相に2度目の延長を提言し、首相が再延長を決断した。 現地での民意調査によれば、8割以上の国民がロックダウンの実施や延長に賛成している。日本で騒がれている「私権制限」を持ち出して抗議する声はほとんど聞かれない。ビジネスに熱心な華人でも商売よりはまず命第一、命を落としたら一巻の終わり、生き残りさえすれば、いくらでも後からビジネスができると考えているようだ。 要するに、疫病退治とビジネス・経済の優先順位をはっきりさせている。このことについては基本的に政治家や国民のコンセンサスが取れている。より早くビジネスを再開し、経済の復興に取り組むためにも、まずは思い切った措置でコロナの拡散を食い止めなければならないと。マレーシアの空港でマスク姿で警戒に当たる警察官(ゲッティイメージズ) 私たち在住外国人も大変厳しい状態に直面している。出入国に関しては、一般のマレーシア人は出国禁止となっているが、外国人は出国できる。ただ、いったん出国すれば、マレーシアへの再入国ができなくなる。 3月18日行動制限令の発効当日、私はベトナム出張を予定していたが、当然キャンセルになった。さらに行動制限令の延長に伴い、4月以降の出張などの海外渡航は次から次へとキャンセルせざるを得なくなった。現状をみる限り、長期戦の様相が濃厚である。私の場合は、年内の渡航・出張予定をすべてキャンセルする前提で仕事の日程を組み直した。テレワークが普及しないワケ 職業柄、リモートワークに向いていることもあって、私は昨年からすでに仕事の一部をWebセミナーやWeb会議・相談に切り替え始めた。コロナ危機の到来を予見したわけでもなく、時代のトレンドとして遠隔ビジネスがいずれ主流化することだけは感知していたからだ。とはいえ、やはり人間は会って話すのが便利で、どうもリモートワークの取り組みがそれほど早く進まなかった。今年も相変わらず、月例出張のスケジュールを組んだ。 年明けてみると、2月初中旬の出張から状況が一変した。まずは武漢の封鎖をみて、急遽上海出張をキャンセルしたが、これに続くベトナム出張はスムーズだったし、日本出張も名古屋で某企業グループの幹部社員500名が集まった講演会で登壇し、問題なくこなした。しかし、2月下旬からは状況が悪化しはじめた。 3月に入ると、それまで平和だったベトナムやマレーシアも陥落の様相を呈した。続いてWHOのパンデミック宣言。私の仕事の内容も変わった。顧客企業のテレワーク体制の確立に提案しなければならなくなった。 製造業現場を除いて、普通のオフィスワークなら、「ハンコを押すために出社する」というようなパターンは論外として、従来の業務を従来の目線で見れば、多少なりとも会社に出向く必要が見出されるだろう。「テレワークのできる仕事」から選別し、テレワークを進めていくのではなくて、「どうしても出社しないとできない仕事」とは何か、そこから始める必要がある。 こんな状況においても、日本のテレワーク普及率がまだ低い。パーソル総合研究所は3月23日、新型コロナウイルスで全国の正規社員の13.2%がテレワークを実施したとする調査結果を発表した。1割強という率は低すぎる。私が住んでいるマレーシアでは、「テレワーク」や「リモートワーク」といった用語すらほとんど聞かれない。多くの会社は当り前のように「在宅勤務」に切り替えていた。 日本ではテレワークがなかなか普及しない。年長従業員、特に幹部の間にIT機器を使いこなせない人が多いという事情があるかもしれないが、根本的な原因ではないと思う。テレワークにおいて、海外と日本の普及率の差、その本質的な原因とは何であろうか。 企業組織でいえば、海外企業の場合、一般的にヒトと職務の結びつきであるのに対して、日本企業はヒトとヒトの結びつきである。言い換えれば、前者が「職務型組織」であって、後者は「共同体型組織」である。テレワークという遠隔性は職務指向であり、共同体への破壊作用をもっているから、日本企業に敬遠されるのである。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) コロナショックによって、今後「非接触型社会」がより勢力を強めていくだろう。組織のなかでも、「努力」という属人的・対人型の評価基準が、職務的・対事型に変わっていかざるを得ない。そうした意味で、テレワークがまさに一種のトリガーになるだろう。 3月9日のフジテレビ系「直撃!シンソウ坂上」は、緊急生放送で行われ、マレーシアのクアラルンプール在住のシンガーソングライター・GACKTがテレビ電話を通じて、現地の状況や生活をレポートしながら、コロナ危機下の日本について、「言葉を選ばずに言っていいのであれば」と前置きしてから「狂ってますよ、かなり」と語った(『ロックダウン中のマレーシア在住のGACKT、日本は「危機感が足りない」「言葉を選ばずに言えば…」』4月10日付スポーツ報知)。「危機感欠落」原因は? 日本社会の危機感が不足していることを、GACKTが指摘した。それは事実である。誰かが指示してくれるだろう、誰かが守ってくれるだろうという期待感が持たれるから、危機感に起源する自己防衛本能がなかなか作動しない。私はそう感じている。 各国の新型コロナウイルス対応について、台湾前議員の沈富雄氏が日本モデルを取り上げこう酷評した――。 「何すればいいか分からず、体裁すらなしていない。日本という国はいちばんダメなのは、優柔不断。当初から中国人観光客のインバウンドの利益を貪る一方、リスクにまったく無関心。ダイヤモンド・プリンセスの惨状に束手無策のまま、大国の風格貫録を完全に捨て去った。国土が広いだけに、これからの最善策は区域を画定し、台湾モデルを生かして取り組むことだ。あとは運任せのみ」(2月17日付台湾聯合新聞網) 的を射た総括ではないだろうか。真の友人だから、本音を吐いてくれた。さらに、台湾人作家欧陽靖氏が日本のコロナ対策をこう分析した―。 「日本人は、SOP (Standard Operating Procedure=標準業務手順書)民族だ。彼らは臨機応変、突発事件の処理に弱い。地震対応に強いのも、完璧なSOPがあって、職人的に反復練習しているからだ。日本国がここまで強くなって進歩したのも、国民の一人ひとりがSOPを守っているからだ。国家全体が順調に機能する機械であり、国民はみんな歯車になって応分の役割を最大限に果たしているからだ」 「18年前のSARSはその当時の日本は(中国人観光客に)開放しておらず、幸運にも大きな被害に遭わなかったが、今回の新型コロナウイルスは様子が違った。問題に気付いたにもかかわらず、日本人は議論して有効な解決策を打ち出せなかった。疫病との戦いは時間との戦いだが、日本人はその本質を見失った」 「WHOへの盲信と盲従も問題。WHOの提言に従って中国人観光客の入国を制限しなかったし、検疫官が防護服を装着せずダイヤモンド・プリンセス号に上船した。いずれもマニュアルや上司の指示に忠実に従った行動だったが、結果的にウイルスが拡散した」台北の自由広場でマスクをして歩く女性たち=2020年3月(ゲッティイメージズ) 「でも、日本はこれで終了することはない。日本人は酷くやられて痛定思痛(痛みが収まってから痛みを思い出して今後の戒めにする)で、もっとも完全な疫病防止システムをもつ国になろう。同時に、このたびの災厄の実体験をもって、日本国民が目覚め、思考停止から脱出し、日本の腐り切った政治環境の徹底的改革に取り組むことを切に願いたい」(2月20日付、三立新聞網) 耳の痛い批判だ。日本人は体験型学習やルール順守が得意だ。しかし前例なき危機に直面し、SOPたるマニュアルなき判断・行動を求められると、なかなかうまく即応できない。今回のコロナ危機は、多大な犠牲を伴う体験型学習になるかもしれない。

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    元厚労省検疫高官、日本の新型コロナ禍「最前線」に抱く危機感

    岩崎恵美子(元厚生労働省仙台検疫所長) 2019年11月に中国・湖北省の武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、瞬く間に世界中に拡散し、3月11日には世界保健機関(WHO)がパンデミック(世界的大流行)を宣言するに至った。その後も流行はその勢いを維持したままで、まだ明確な終息の気配は見えていない。わが国でも、4月7日に緊急事態宣言が発令され、国民の生活に大きな制限や支障が生じ続けている。 ところで、実は私たちは、過去コロナウイルスによる重篤な感染症の流行を経験してきている。諸外国で大きな被害を出した重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)などが記憶にあるが、それ以外のコロナウイルスの多くは、一般的な風邪(かぜ)の原因となっているウイルスである。 今回、新型コロナ感染症の恐ろしさを知るきっかけとなったのは、報道で流れた武漢での流行を制圧するための行動監視や都市封鎖という厳しい措置であった。 その後まもなく、春節の休暇に日本を訪れた中国人旅行者によって持ち込まれたと思われるウイルスが、来日した人々の観光に関わった方々、タクシーやバスの運転手、ガイドなどに拡がり、それらの人々を核にどんどん感染者は増え続けた。 さらに日本発着の大型クルーズ船内に、途中寄港地の香港で下船した乗客の新型コロナウイルス感染が判明した。横浜入港時、乗客の大半は下船予定の日本人であり、水際での感染症の流入を阻止することを担う横浜検疫所の検疫官が船内に乗り込み、乗船者の健康状態のチェック(体温測定、症状の確認)を実施する臨船検疫が行われた。 現実には、狭く複雑な構造の船内では厳密に感染者と非感染者を区分するゾーニングの実施は困難を極め、混乱が生じた。最終的には乗客を下船させて、治療・検査・経過観察を収容先の民間施設や公的施設、開院前の大学病院施設などの協力を得て乗り切った。 国では新型コロナウイルス感染症対策本部が中心となって当たり、それらを支援する専門家チームが用意され、さまざまな施策が展開されたが、私はこの体制について大きな危機感を抱いていた。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内で新型コロナウイルスの陽性反応を示した乗船者を搬送する防護服姿の関係者=2020年2月5日、横浜港(共同通信社ヘリから) というのも、その体制の中には研究者はいても、最前線で直接患者に当たる医師などの医療関係者の姿が見えず、この体制で感染症対策はできるとは思えなかった。 そんな中で私は、2009年の新型インフルエンザ(H1N1)発生時を思い出していた。当時私は仙台市の副市長として対策にあたっていたが、そのとき、国は各地に発熱外来を作り、そこでトリアージを行い、隔離、収容、治療を実施するよう求めた。これまでの感染症との対応の違い 発熱外来での混乱や多くの人が集中することによる感染拡大を危惧し、仙台市ではかかりつけ医に最初のトリアージを頼み、その後の自宅隔離の指示や初期治療、高度の医療を必要とする感染者に対しては病院への誘導などをお願いすることとした。 地域医師会にも市長とともに訪れ、医療機関で必要な資材や薬剤の確実な提供を市が保証することを前提としたお願いをし、他地域とは違った体制で対策を進めた経験を思い出した。 当時は確かに、感染症に関しては新型コロナ感染症よりも知識や経験はあり、「タミフル」という武器も私たちは持っていた。しかし、現在はそれすらない中での対策であることから、高い困難を伴うのは確かである。とはいえ、最前線で実際に対峙している医師などの医療関係者の協力なしに、対応ができないのは間違いない。 日常的に感染症患者に対応している、かかりつけ医のような現場の医療関係者の先生方を支援しながら、先生方には診断、指導、治療、感染者の収容病院への誘導などに当たってもらい、収容病院では重篤な感染者の収容・治療に振り向けられる病室などの確保を行うこと、医療体制の維持が図られることが大切だ。 今回の国の感染症対策では、最前線で働く必要のある医療関係者、医師への優先的な資材の支援もなければ、医療体制、検査態勢の確立もされない中で進められていることに日本医師会は危機感を持ち、医療危機を訴えて国に緊急事態宣言と、医療崩壊につながらないような対応を求めた。医師会が医師による対策への関わりも明確にされない中での対応にいら立ち、立ちあがったと私は考えている。 一方、新型コロナ感染症自体を冷静に考える側面も欠けている。新型コロナ感染症では、ウイルスが手を介して口や鼻などの粘膜から取り込まれて感染し、鼻の奥の上咽頭で増殖する。そして新たな感染者となった人からは、ウイルスがくしゃみやせき、鼻水で排出され、周りの人々に拡げていく。そして鼻や咽頭の炎症がさらに下気道にも拡がると、肺炎を起こしたりする。 新型コロナ感染症では、上咽頭や鼻の粘膜にウイルスが多いために、時に嗅覚障害、味覚障害を起こすこともある。また、消化器にも症状が出て、下痢などを起こすことも少なくないので、便を介しての感染拡大も考える必要はある。 感染の形態はインフルエンザと同様であるが、インフルエンザより病原性や感染力は強い。新型コロナウイルスに感染しないためには、ウイルスを取り込まないことが大切であり、一般的に使われているマスクよりも手に付いたウイルスを洗い流すことが、有効な感染症対策になる。特に石鹸成分がウイルスを破壊することから、石鹸でのこまめな手洗いが有効になるが、水だけでも丁寧に洗えば効果的である。SARSの集団感染が発生し封鎖された北京市宣武区の工事現場=2003年5月3日 今回の武漢での新型コロナ感染症、かつて香港から世界に広がったSARSなどは、いずれも動物に由来する感染症と考えられている。いまだに野生動物を食する食習慣が残り、市場で一般的に野生動物が売買されている中国の現状が継続する限り、今後も同じように新たな感染症が生まれる可能性は高い。 そして、グローバル化が進むことも流行拡大には強く影響し、国際交流、インバウンド(訪日外国人客)の拡大、産業の過剰な海外依存などが感染拡大に影響しているところを考えると、国際間での関係も考えていく時代になっている。私たちはこのような世界の中で生きているということを、個々人が自覚しなければならない。

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    二階俊博と麻生太郎のメッセージで読めた「緊縮教」のたくらみ

    と表明している。 感染期の生活を支える経済対策を行い、感染期から脱した後には、より積極的な財政と金融政策の協調で、この難局からV字回復を遂げていく、これがベストシナリオである。具体的な手段としては、国民一人当たり10~20万円を給付し、消費税率を8%に引き下げることを基軸とし、もろもろの支援策を組み合わせるのが望ましい。 だがご存じのように、今の政府は所得制限付きの給付金などで政策効果を著しく減退させてしまっている。しかも、財務省はタイミングを見て、増税路線への転換を図ろうとしているのではないか。 4月13日の衆院決算行政監視委員会で、麻生太郎副総理兼財務相は2025年度までのプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標を放棄しないと言明している。簡単に言えば、プライマリーバランスは、今回の緊急経済対策のような、その都度の政策的な支出が、その都度の税収で賄えているかどうかを示す。衆院決算行政監視委員会で答弁を行う麻生太郎副総理兼財務相=2020年4月13日(春名中撮影) 黒字であれば「税収>支出」であり、赤字であれば逆になる。現在のプライマリーバランスは赤字である。「黒字化」意味ないワケ 黒字に転換するためには、経済成長率の安定化=税収安定化、増税、行政改革などが考えられる。増税の有力な政策が消費税率の引き上げであり、財務省も大きく依存している。 だが、そもそもプライマリーバランスを黒字転換させる意味などない。元国際通貨基金(IMF)チーフエコノミストのオリビエ・ブランシャール氏と経済産業省の現役幹部、田代毅氏の共著論文「日本の財政政策の選択肢」では、次のように指摘されている。 現在の日本の環境では、プライマリーバランス赤字を継続し、おそらくはプライマリーバランス赤字を拡大し、国債の増加を受け入れることが求められています。プライマリーバランス赤字は、需要と産出を支え、金融政策への負担を和らげ、将来の経済成長を促進するものです。 要するに、プライマリーバランス赤字によるコストは小さく、高水準の国債によるリスクは低いのです。 要するに、ブランシャール氏らは国債を増加させ、それで政府が積極的財政を行うことによって経済成長を実現することが望ましいと指摘している。その結果、財政破綻のような状況も回避できると主張したのである。 この場合、プライマリーバランスの黒字化自体は目的ではない。簡単に言えば、どうでもいい指標なのである。 もちろん、「新型コロナ危機」に直面している日本では、ブランシャール氏らが指摘した状況よりも経済は悪化しているので、さらに積極的な財政政策が望まれている。プライマリーバランス黒字化など、ますますどうでもいいのである。 だが、麻生氏と財務省は、いまだに従来の2025年プライマリーバランスの黒字化に固執している。ということは、彼らの狙いは一つしかない。感染期が終わった段階、つまり、そう遠くない将来での大増税である。 だから、景気刺激としての消費減税など、財務省とそのシンパの念頭にあるわけもない。むしろ、全力で否定する政策の代表例だろう。東京・霞が関の財務省外観(桐原正道撮影) 大増税は「コロナ税」か、消費税の大幅引き上げか、あるいはさまざまな税の一斉の引上げかは分からない。ただ、日本の感染期の経済対策がしょぼい規模に終わり、さらに大増税を画策する根源に、日本で最も悪質な組織、財務省の意志があることは間違いない。 問題なのは、そのような財務省の緊縮主義を、二階氏のような薄っぺらい精神主義者や、麻生氏のような頑迷な「プライマリーバランス教」の信者が支持していることだ。彼らこそ日本の最大の障害である。

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    声なき声こそ真の叫び、新型コロナ禍にあえぐ歓楽街の窮状ルポ

    清義明(フリーライター) 夜の街が静まり返っている。 新型コロナウイルス感染症による死者が日本で確認された先月から、すでに夜の街での客数の減少は始まっていたのだが、先週末から各地の繁華街では本格的に人の流れが止まった。東京都をはじめとする首都圏に外出自粛の呼びかけが本格的に始まったからだ。そのため深夜ともなれば、週末にもかかわらず繁華街はゴーストタウンと見間違えるくらい、人が少なくなった。 横浜市中区にある福富町の歓楽街は、スナックやクラブなどの風俗営業が密集するエリアだ。そこでアンダーグラウンドの金融業に関わるA氏はこう教えてくれた。 「街金は大忙しだよ。闇金も走っている」 ただでさえ資金繰りに頭を悩ます、期末の3月31日の週にこれである。期待していた最終の週末に売り上げがあがらないのだから、それを当て込んでいたほうは困る。そこで中小のいわゆるサラ金の出番である。 そして夜の街の遊び人で、そのシンボルの一人ともいえるタレントの志村けんが、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。これを受けてのことではないだろうが、厚生労働省対策推進本部は、もってまわった言い方ながら、夜の接客業について注意を促した。 現在の日本の新型コロナウイルス感染拡大防止は、「クラスター(集団感染)対策」によって成り立っている。東北大大学院教授の押谷仁氏 これは感染者の全員が二次感染を起こしているのではなく、特定の感染者が感染連鎖を広げているという事実から考えられた日本独自の対策で、これが成功して感染者と死者数を抑えているとも言われている。 欧米の報道では、日本はなぜこんなに感染者と死亡者が少ないのだという疑問を、困惑交じりに伝えるものがあったが、どれもこのクラスター対策について触れているものはない。これが功を奏しているというのが、やはり今のところ一番正解に近いといえるのではないか。 しかし、厚労省対策推進本部のクラスター対策班である東北大大学院教授、押谷仁氏が作成した「COVID-19への対策の概念」という資料によると、現在のクラスター対策で追えない感染者が増えているとのことだ。 まずは症状が軽く、罹患(りかん)の自覚がない若年者による見えない感染クラスター、そしてもう一つは、夜の街がクラスターになっていることが挙げられている。・若年層クラスターは生物学的理由により見えにくかったが、密接な接触を伴う飲食店に関連するクラスターは社会的理由により見えにくい。・その結果、クラスター連鎖を見つけることができず、病院や高齢者施設の流行につながっている可能性がある。「COVID-19への対策の概念」日本公衆衛生学会 2020.03.30暫定版 「社会的理由」と、もってまわった言い方をしているが、これは要するに夜の街のクラブやキャバクラなどの「密接な接触を伴う飲食店」では、人と人のつながりを追うのが難しいということだ。クラスター対策の弱点 それはそうだろう。夜の街には、その街なりのルールやマナーがある。「誰々が客で来た」などとは、客の同意がなければ決して明かさないだろうし、客の側もそれを大っぴらには言いにくいし、正直に名乗り出ることも少ないだろう。これがために、感染者の流れを追うクラスター対策ができず、そこからできたクラスターが連鎖し、さらに病院や高齢者施設に感染を広げているのではないか、ということだ。 これは日本が誇るクラスター対策の弱点だろう。韓国では感染者の行動をすべて一般に公開しているらしい。そのために感染者はさまざまな揶揄(やゆ)や中傷、非難などを受けていることもあるらしい。しかし、法律ではこれを包み隠さず公開しなければならない。プライバシーに関わる問題で慎重になる必要はあるが、今後の日本の法的な検討事項だろう。 福富町のクラブのママにも話を聞いてみた。名前を明かさないという条件で「正直どうしていいか分からない」と言葉少なに語ってくれた。「今月末はなんとか乗り切ったけど、もう来月どうなるかは分からない。(志村)けんさんが亡くなったので、とどめだよね」 志村けんという、子供の頃から見てきた身近な芸能人が亡くなり、皆、初めて事の重大さに気づいたのだ。 一部週刊誌などの記事では、2月から客数が減ってきたクラブの女性やキャバクラ嬢などが、面倒見のよい志村けんに営業の電話をかけ、それを意気に感じた志村は、なじみの店をまわっていたという。 これが本当かどうかは分からないが、それが夜の街の客にとって、自分たちの姿に容易に重ね合わせられる。昭和の何回かのパンデミック(世界的大流行)を、さしたる危機感もないまま生き延びてきた世代も、これで外出を控えるようになった。 横浜の他の街はどうだろう。最近ではテレビなどで下町風情と老舗の名物飲食店などが取り上げられて、ちょっとしたブームになっている野毛エリアでも話を聞いた。店の店主も個性的な人が多いこの野毛地区だが、やはりコロナ禍による打撃は大きい。午後7時ごろの野毛小路。普段は人でごったがえす時間なのだが(筆者提供) 野毛飲食業協同組合の田井昌伸理事長は言う。「常連さんが支えているような小さな店も売り上げは下がっているけれど、宴会や団体客がメインの店はさらに厳しいと聞いてるね」 では、その常連さんが支えているような店はどうだろう。「ジャズと演歌の店」が看板に掲げられた老舗バーでは「常連さんは減ってはいるけど来てはくれている。でも、一見さんはいなくなっていますよ。それだけ売り上げに影響がきてますね」 そのバーに酒を卸す酒屋はどうだろう。聞くところによると、野毛全体で3割減ぐらいだろうと言う。しかし、これは3月の話だ。現在はもっと客数は減っている4月の今では、さらに売り上げは下がっているだろう。前年比5割減という話も店によっては聞くことができた。中華街の苦難 昭和24年から野毛に根を下ろし、そのレトロな店構えでちょっとした有名なバー「旧バラ荘」は、週末にはライブも行う。しかしオーナーの相馬創さんは言う。「ライブをやると言うと、まるで人殺しでもするかのように悪く言われる。ウチのアーティストの人たちが嘆いている」 野毛の街はほとんど自営業者ばかりで、いわゆるチェーン店の居酒屋はほとんどない。昨今の野毛ブームで、中小企業の地元を中心に、複数の店舗をもった会社が進出してくることも増えたが、それでもやはりこの街の魅力をつくっているのは、特色ある個人営業主の小さな店々である。 自身も飲食店を営む田井理事長は「俺たちには補償はないからね」と言う。「店の営業はそれぞれ自由だ。組合として、やめろとは言えない」 同じことを言っていたのは、福富町や野毛のようなところよりも、もっと早くから新型コロナウイルスの影響を真正面から受けていた、横浜中華街の発展会協同組合広報担当、石河陽一郎さんだ。 「中華街としては営業するか否かはそれぞれの店の判断に任せるしかない」と石河さんは言う。そして、どの店も経営は厳しいとも教えてくれた。実際、中華街の人出は通常時の1~2割という。 石河さんによれば、中華街は今年の1月から3段階でコロナ禍の波がやってきたという。最初が武漢で新型コロナウイルスがアウトブレイクしたとき。2回目が横浜に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の騒動があったとき、そして最後が、ここ最近の東京都内や神奈川での自粛要請が出たときとのこと。 「この横浜中華街で働いているのは、何世代も日本にいる華人と、新華僑の人たちです。元からいる人たちはもちろん、新華僑の人たちも武漢でああなってから中国に帰ってないわけで、新型コロナウイルスのおかげで中華街の人が減ったときは残念な思いでした」 武漢でウイルスが広がったのは、春節という中国の旧正月の帰省ラッシュが原因だと言われている。その春節は、中華街で一年の中の最大の繁忙期である。そのため「この時期はむしろ中華街の人たちは、日本に居ざるを得なかった」と石河さんは言う。 なお、中華街は中国人観光客が一番少ない日本の有名観光地でもある。それはそうだ。わざわざ日本にまで来て、中華料理は食べたくないだろう。さらに欧米などの観光客も少ない。世界中にチャイナタウンはあるが、それらはどちらかというと休日に家族やカップルで行くような場所ではないのが普通で、このように観光地化しているのは日本だけなのだ。要するに普通の都心の街などよりも、海外からの旅行客などによる感染のリスクは逆に少ないのだ。普段なら観光客でいっぱいの横浜媽祖廟が誰も人がいない(筆者提供) 今、中華街の大通りから裏路地に至るまで、いつもなら観光客でごった返している中華街の休日は本当に人がいなかった。甘栗売りや食べ放題の店は、たいていは新華僑がつくった店だが、そんな店ばかりが開いていて、老舗は閉めているところが多い。 やっとすれ違うのは若いカップルや学生とおぼしき、若者のグループばかりだ。中華街の目印のスポットとなっている、ローズホテル横浜前のバス停から出ている羽田空港行きのシャトルバスは、一人も乗客がいないまま出発していった。風前の灯火の街 いつもなら女子でにぎわい、とても私のようなおじさんが行くところではない甘味の店にも入ってみた。カラフルな台湾甘味を誰もいない店内で注文する。タロイモのスイーツは、なるほど若い女子が並んで賞味するのも分かる。店内のお母さんにも話を聞いてみた。 「こんなに人がいないのは、台湾から日本に来て50年で初めてね。困ったよ」 店には台湾が世界保健機関(WHO)に加盟できるよう呼びかけたポスターが貼ってある。おいしいと伝えると「そうかそうか。ちまきもあるけどどうか」と持ち帰りの食材を勧めてくる。 それで思いついた。そうか、こういう店は確かにウーバーイーツのような出前はできるだろうな、と。しかし、そうもいかないのだろう。中華街のクレジットカードやその他のキャッシュレス決済の普及率は非常に低い。 中国本土は言うまでもなく、台湾や香港でもあれだけキャッシュレス社会なのに、この街はやはりそれらとは異なる独自な進化をしていて、この街だけのやり方やルールがある。そこにウーバーイーツと言っても難しいのかもしれない。実際、中華街で出前をやってくれるところはほとんどない。 政府はこうした不要不急の店に自粛を訴える。しかし、多くのものたちにとって「俺たちに補償はない」ということになる。生き延びるためには営業するしかないのだ。 例えば中華街のように、横浜中華街発展会共同組合が店への融資などで銀行と交渉を進めているところもある。しかし、それはあくまでも借金である。それは、いつか経営の足を引っ張ることは覚悟しなければならない。 夜の街はもっと厳しい。金融機関は、よほどの信用がないかぎり風俗営業に融資はしてくれない。街中の小さなクラブやキャバクラなどもってのほかだ。それらは明日の支払いのために街金に駆け込む。それも、いつまで売り上げで返済を回せるのか。 本当に苦しいところは、いくら売り上げが下がったとか苦しいとかそういう話はしない。足元を見られてしまうからだ。そこが経営が厳しいとなれば、手のひらを返して人は離れていく。黙っているところが一番苦しい。 都内で小さなバーを営む知人は正直なところを教えてくれた。 「3月は売り上げが半減です。土日は人が少ないのが分かったので閉めて、今日は平日なのにゼロ。おかげで小池百合子(東京都知事)の記者会見を全部通しで見ることができましたよ。先月は店をオープンしてから15年間で一番悪い売り上げです。4月はもっと悪いでしょう。もしこのままだったら、仕方ないんで日雇い労働者でもやりますよ」中華街の裏通りはゴーストタウンだ(筆者提供) 小池百合子の記者会見では「夜の飲食店」とか「バー」などという言葉が連呼されていた。こういった場所には行かないように、と。なすすべもなく、バーや飲食店の関係者は、ただこれを聞いているしかなかった。 「でも店は何としても守るつもりです」 経済産業省の調査(2014年)によると、全国の飲食サービス業は約67万カ所あり、そこに従事する人たちは約480万人にのぼる。いつまで続くか、まったく分からないこの状況に、耐えられるのはそのうちどれくらいなのだろう。(文中一部敬称略)

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    新型コロナ対中「情報戦」 懲りずに敗北を繰り返す気か

    山岡鉄秀(情報戦略アナリスト) 海外暮らしが長かった私の思考回路は、日本在住の今でも外から日本を眺める感覚のままだ。そして、海外在住者たちと毎日交信して情報提供を受けている。 そんな人たちが今、頭を抱えて落胆している。外から見ていて、日本の新型コロナウイルスへの対応が緩慢で後手に回り、「危機管理能力が非常に低い」という印象を世界に与え、国際的信用とイメージを著しく低下させてしまったからだ。 日本国内にいると、それがなかなか実感できないのが問題だ。つまりは、国際情報戦の大敗北だが、実はこれまで散々繰り返してきた「歴史戦」の敗北と同じ構造なのだ。「歴史」はあくまで過去の出来事だが、「新型コロナ」は今現在の問題だからより深刻である。 なぜ日本は性懲りもなく敗北を繰り返すのか。その答えは単純だ。自らの言動が外からどう見えるか、どう解釈されるか、誤解を防ぎ、好意的に解釈されるにはどうすべきか、といった発想がすっぽり抜け落ちているからだ。 島国で均一性の高い民族構成、単一言語など、恵まれた要素が国際性を育む上では障害になり得るのは理解できる。しかし、自らに欠けている思考回路を認識して会得する努力が不十分なのも確かで、国内でしか通用しない議論に時間を費やしてしまう癖が抜けない。 何より、日本政府は自国が五輪開催国であることを忘れてしまったのか。世界中から超一流のアスリートと大勢の観光客が押し寄せる五輪開催国に求められるのは、当然ながら高い危機管理能力だ。 だから、今回の新型コロナウイルス騒動では、日本政府は大げさなぐらいに他国に先んじて行動し、さまざまな施策を矢継ぎ早に講じる姿勢をことさら見せつけなくてはならなかった。ここで重要なのは、個別の施策にどの程度の効果があるかを考えて逡巡(しゅんじゅん)としてはならない、ということだ。 まず、できることはすべてやる。結果は後で検証すればよい。アクションファーストだ。そして走りながら考える。東京五輪マスコットの写真を撮るマスク姿の男性=2020年2月、東京都内(AP=共同) 全力を尽くした上で、たとえ今の状況に陥っても、日本への信頼は損なわれないが、理解不能な行動を重ねて感染国になり果てれば軽蔑と嘲笑の対象となる。そして、五輪を失う大失態にもつながりかねない。 最大の失敗はもちろん、中国からの入国を迅速かつ全面的にストップさせなかったことだ。求められる「政治家の仕事」 この点について、「入国制限は感染症対策としては効果がない。むしろ、ビジネスを損なうデメリットの方が大きくなる」という議論があった。ではなぜ、諸外国は早々に全面的入国禁止に踏み切ったのか。それは、この問題を「未知のウイルスに対する国家的危機管理の問題」と捉えたからだ。 初期段階での情報は限られている。従来のものとは根本的に異なる可能性が常にあり、過去の研究が直接役に立つとは限らない。 権威に弱い日本人は世界保健機関(WHO)や英医学誌「ランセット」などの論文を引き合いに出したがる。ただ、いくら真面目に分析されていても、その段階で入手できる限られたサンプルで最大限分かることを書いているにすぎない。 後から全く予期しなかった発見があって、前提が崩れるのはよくあることだ。現に、新型コロナウイルスにはいまだによく分からないことも多い。 したがって、初期段階の分析をベースに楽観論で応じたのは、危機管理として失策だった。まして今回のウイルスは渡り鳥が運んでくるのではなく、人から人への感染が明らかで、かつ発生源が明確だった。 さらに、潜伏期間でも感染力があるため、水際作戦が無力なのも早くから分かっていた。早期の全面入国制限が有効であり、不可欠であると判断するのは合理的だった。 ここで重要なポイントなのだが、私は専門家の意見を軽視してもよいと言っているのではない。専門家の意見も多様だ。悲観論も楽観論もあれば、それぞれの根拠もある。経済活動とのバランスももちろんある。 そうしたさまざまな情報を素早く吟味して、総合的に政治判断を下すことが国家として極めて重要である。それはまさしく政治家の仕事であり、その最高責任者は総理大臣だ。総合的な政治判断をせずして官僚に任せるのは無責任であり、政治家を養う意味がない。記者会見するWHOのテドロス事務局長=2020年2月24日、ジュネーブ(ロイター=共同) 例えば、専門家がこうアドバイスしたとしよう。 入国制限は初期段階なら効果が見込めるのですが、中国政府が1カ月以上も情報を隠蔽(いんぺい)しているうちに、日本に武漢からだけでも100万人近くが入国してしまいました。日本国内も既に相当汚染されていると推測されます。今から制限してもさしたる効果が望めません。つまり、汚れてしまった水に汚水を加えても大差ないということです。むしろ、入国制限することで経済的損失の方が大きくなってしまう可能性が高いといえるでしょう。 このアドバイスは、それ単体で見れば間違っているとは言えない。しかし、私なら2月25日に安倍首相に送った手紙にしたためたように、あえて全面入国禁止に踏み切る。「唐突」でもやむを得ず 米国、オーストラリア、シンガポールなどの主要国は中国人の入国全面禁止を決定している。日本だけ中途半端な制限にとどめてしまえば、日本は五輪開催国にもかかわらず、危機管理に真剣ではないという印象を与えることになる。その上で、感染者数が急速に増加する事態にでもなれば、完全に信頼を失ってしまう。 既に中国が団体旅行を禁止したことで、日本に入国する中国人の数は減少していたが、そのビジネスを守るために他国のビジネスを全て失い、五輪開催まで危うくなる可能性がある。目先の利得のために中長期的な大損害を被(こうむ)ることは避けなければならない。 たとえ結果として同じ状況に陥っても、全力を尽くす決意を示したか、中途半端な姿勢に終始したかでは世界に与える印象が全く違ってしまう。したがって、中国の全地域からの入国を禁ずるという総合的政治判断を迅速に下すべきだった。 この観点からは、「実際に入国している中国人の人数は少ない、感染者の数はさらに少ないと推測されるから問題ない」といった議論は意味を成さない。世界はそんなことに関心を払わないからだ。「日本はいつまでも中国に国を開いて、感染拡大を許している国だ」としか思われないのである。 そういう国に遊びに行きたい外国人はいない。理屈ではない。印象なのだ。海外では、日本人が中国人だと思われて差別されるケースが出ていたが、日本への渡航を禁止したり、日本人の入国を制限する国が増えるにつれて、最近では日本人であることで差別されるケースが出てきた。簡単にレイシズム(人種差別主義)に結びついてしまうほど感覚的、感情的なものなのだ。もちろん、そのような国に虎の子の「オリンピックアスリート」を送りたい国はない。 果たして、日本はどのような経緯をたどったか。2月26日、安倍晋三首相は人が大勢集まるイベントの自粛や延期を、27日にも全国の公立小中高学校の休校などを含む感染拡大阻止行動を国民に要請した。 現在の日本はアウトブレイク(流行)直前の武漢そっくりであり、このままでは武漢と同様の状況に陥る可能性もあるという。それを阻止する最後のチャンスが2週間程度の全国的な活動停止というわけだ。新型コロナウイルス感染症対策本部会合で発言する安倍首相。中国、韓国からの入国者に指定場所での2週間待機を要請すると表明した=2020年3月5日 当然ながら、「唐突過ぎる」という批判を呼んでいるが、私はやむを得ないと思う。ここまできたら、それぐらいやるしかない。武漢と同じ状況に陥ったら完全にジ・エンドだ。 だが、強い違和感はある。初期段階の楽観論は何だったのだろう。インフルエンザと同じように対処すれば十分だという話は何だったのだろうか。手洗いとうがいで対処できるはずではなかったのか。気が付けば「尻に火」 楽観論を広めて国民に「慌てるな」と言い、目先の中国人観光ビジネスを守っておいて、今になって1億総開店休業しろと言うのか。まるで下手な戦闘を重ねた揚げ句に「本土決戦」「一億玉砕」を迫った旧軍部のようではないか。 今ごろになって、ウイルスの本当の危険性を悟ったのか。危機管理としては「下策」のそしりは免れない。初期段階で全力を尽くしていれば、このような事態は避けられたかもしれない。 予想される経済的損失は中国インバウンド(外国人訪日客)どころの話ではない。あの中国がだてに1千万都市を完全封鎖するわけがないではないか。備蓄のマスクや防護服を送っている間に、気が付けば自分の尻に火が付いてしまった。 そして驚くべきことに、全国民に自己犠牲を強いながら、中国からの入国を全面禁止しなかった。これは人数の多寡の問題ではなく、道義的な問題だ。こんな理不尽な仕打ちを受けてもメディアも野党も攻撃せず、暴動も起きない国は日本ぐらいのものだろう。 さらに驚くべきは中国の態度だ。日本と韓国が「中国忖度」を続けるうちに、山東省威海市と北京市が逆に日韓からの入国者全員を14日間隔離するという措置を打ち出した。今や危険なホットスポット(高感染地域)は日韓に移り、他国に感染を拡大させるリスクも中国より高いと言わんばかりだ。 それでいて、中国は日韓への支援を惜しまないという。中国の電子商取引(EC)最大手、アリババグループ創業者の馬雲(ジャック・マー)氏は、日本に100万枚のマスクを送ると表明した。もちろん、巧妙に計算された情報戦だ。今や、世界に迷惑をかける「厄介者」は、日本、韓国、イタリア、イランなどで、中国は慈愛の精神で助ける側に回った「正義の国」というわけだ。 日本の経済的凋落(ちょうらく)は周知の事実だったが、それでも日本は勤勉で、危機管理能力が高い国だと信じられていた。しかし、今回の一件で、実は危機管理能力が極めて低く、中国の属国化した国だとの印象を広げてしまった。国民の命よりも中国の意向を優先したのだ。 この情報戦大敗の構造は、南京大虐殺や慰安婦性奴隷、朝鮮人労働者強制連行の諸問題と全く同じだ。世界がどう受け止めるか、どのような印象を持つか、自国に有利に導くにはどうするべきかを常に考慮して総合的政治判断を下し、即時実行する能力が欠落しているのだ。そして、そんなことには頓着せず、中国にとことん媚びる人間が政権の中枢や霞が関に侵入している。新型コロナウイルス感染拡大の影響で閑散とする成田空港の出発ロビー=2020年3月6日 今から少しでも挽回するためには、中国と韓国からの入国者に2週間の待機を要請するだけではなく、中韓からの入国を全面的に制限すべきだ。 そして、GDP(国内総生産)を大幅に落としてでも日本列島を「開店休業」状態にするからには、たとえ世界がパンデミックに陥っても感染者数と死亡者数を低く抑え、時期をずらしてでも五輪開催を実現することだ。世界の目にはっきりと見えるアクションで結果を出す、それしかないと断言する。

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    身動き取れない、脆弱「感染列島」

    感染が広がる新型コロナウイルスについて、政府が矢継ぎ早に対策を打ち出しているが、混乱は収まらない。終息への正念場と分かっていても不安が消えないのは、感染リスクだけではなく、政府の「後手後手」感が拭えないからだ。感染症の恐怖に直面し、政治まで身動きできなかったとでも言うのだろうか。

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    舛添要一だから言える、新型ウイルス「厚生労働相」ここが危ない

    わけではない。 新型肺炎は、昨年12月8日に中国・武漢で確認されているが、それ以来、日本政府の採った政策は正しかったのか。一言で論じれば、後手後手の対応で、全てが遅すぎたというほかはない。 私は厚生労働相として、2009年に発生した新型インフルエンザの対応に当たったが、当時の経験に照らしても、今回の政府の対応は問題が多すぎる。07年夏、私が厚労相に就任した際、「消えた年金記録問題」で厚労省や社会保険庁をはじめとする省庁の信頼は地に落ちていた。その他にも、医師不足や薬害肝炎訴訟、中国からの毒入り餃子の輸入、派遣切りなど問題が山積し、他省の大臣の何倍も働かざるをえなかった。 背景には、霞が関の官僚機構、とりわけ厚労省の抱える構造的問題があり、私はそれを解決すべく全力を挙げた。しかし、その後、民主党政権に移り、また3年3カ月後には自公政権に戻るという政権交代劇の裏で、私が断行した改革も元の木阿弥(もくあみ)となってしまい、情報隠蔽(いんぺい)体質など旧習が復活してしまっている。 そして、7年の長期にわたる安倍政権の下で、官僚が国民ではなく、高級官僚の人事権を一元的に握った官邸の方ばかりに目を向け、忖度行政に走ったことも、今回のような危機の際に適切な対応ができなかった理由の一つである。 まずは、その点から記していきたい。そもそも、官僚は政権が交代しても、時の政権の指示に従うべきである。それは、選挙で国民の代表として選出された国会議員から成る国会が国権の最高機関だから当然のことである。 私は厚労相時代に、能力があって真面目に働く官僚を抜擢(ばってき)し、お互いに競わせることで、国民目線で政策を遂行してきた。そのトップエリートの役人たちは、09年夏の総選挙で民主党政権が成立すると、当然新政権の下でも能力を発揮して政権が掲げる政策を実行してきた。民主主義国家として当然のことである。2020年2月29日、記者から質問を求める声が上がる中、首相官邸の会見場を後にする安倍首相(左から2人目) ところが、3年余りで自民党が政権に復帰し、安倍政権が成立すると、優秀な官僚たちが「民主党に協力した」という理由で左遷されてしまった。米国の猟官制度(spoils system)よりもひどい恐怖政治である。そのため、プロ野球に例えると、1軍ではなく、2軍の選手に頼らざるをえなくなったのである。 今、彼らが本省の枢要なポストに就いていれば、もう少しましな対応ができたのではなかろうか。安倍政権の報復人事の結果がこういうマイナスを生んでいる。官僚機構を動かすのは大臣 最近でも、行政の基礎となるべき統計について不正が行われていたことが発覚している。その原因の一つは「安倍一強」、安倍長期政権の機嫌を損なうようなデータを出したくないという役人心理が働いたことにある。 自民党内にも安倍総裁に対抗できる勢力がほとんどなく、「政高党低」の状況では厚労族も官邸を牽制(けんせい)する能力を失っている。そのような状況で、官僚が萎縮するのは当然である。これは、長期的には自民党の政策能力を低下させる由々しき事態である。 09年当時、07年参院選で生じた「ねじれ国会」により、参院は民主党などの野党が多数派であった。したがって、自民党の独走は許されなかったし、最初から国民的合意を得ることのできるような政策を立案することに努力したものである。 また、官僚もいつ政権交代があるか分からない状況だったので、時の政権に忖度したり、ゴマをすったりすることはなかった。つまり、官僚機構の自立性がきちんと担保されていたのである。 官僚機構を動かすのは大臣である。国民から選ばれて国会議員になったのであり、国民の代表である。 官僚は自らの専門領域に閉じこもって、大局的な判断や国民目線での配慮ができないが、それを克服するために大臣がいる。現職の加藤勝信厚労相は2度目の就任であるが、そのような観点からは、期待される役割を十分に果たしていない。何が欠けているのか。 第一は、広範な意見を聞くことである。官僚や御用学者だけではなく、政府に批判的な意見や学会でも異端とされるような人々の意見にも耳を傾ける度量が必要である。2009年5月、国内で初の新型インフルエンザの感染確認で会見する舛添要一厚労相(緑川真実撮影) 私が厚労相に就任したときには、厚労省は国民の厳しい批判に晒(さら)されていた。それだけに、内輪だけで政策を決めても国民が納得しなかった。そこで、審議会なども5人が御用学者なら、5人は反厚労省派というようなメンバー構成をして、両者の意見を聴取して、最後は大臣の私が決めるという形を採ったのである。 新型インフルエンザの専門委員会を設けたときに、官邸官僚は、教授以上の肩書のある者に限って採用するという権威主義的な方策を採った。しかし、私は感染症がはやっていた関西の医療現場で対応している若い医師たちの意見を聞くことにした。今果たすべき「大臣の役割」 官邸がチームAなら、私の方はチームBである。そのチームには、今回クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の内情をユーチューブで公開した感染症専門医、神戸大の岩田健太郎教授も入っていた。結局、やはり現場の意見の方が正しく、私はそちらを採用して、対応に成果を上げることができたのである。 安倍長期政権の下で、野党が弱く、官僚は官邸に忖度し、批判的な意見など無視される状況では、2009年のように広く意見を求める、つまり「万機公論に決すべし」というのは不可能になってしまった。そこで、数多くの感染症専門家がテレビに出て、それぞれの見解を述べ、どの説が正しいか分からず、国民は不安になっているのである。加藤厚労相は自らのリーダーシップで広範な意見を聞き、政策立案に生かす必要がある。 第二に、従来の官僚機構とは別の大臣直属のチームを持つことである。私が大臣のときは、まず袋小路に入った年金記録問題を解決するために、各省、そして民間から優秀な人々を集めたチームを作った。 そして、このチームに社会保険庁への立ち入り調査をなどの権限を付与した。その結果、社保庁の不正やミスが次々と明らかになったのである。このようなチームを作ることを官僚は嫌がるが、人事権を握っているのは大臣であることを忘れてはならない。 また、年金記録問題のときは、政権党である自民党が国民から厳しい批判を受け、党でも07年の参院選前にチームを作って対応に当たっていた。私は、そのメンバーだったので、その流れで第1次安倍内閣の厚労相に就任したのである。 今回の新型肺炎対応に当たっては、厚労省にも自民党にも、そのような独立した強力なチームが作られたという話は広く国民には知らされていない。 第三は、徹底した情報公開である。官僚は情報を隠したがる。それを吐き出させるのが大臣の役割である。 新型インフルエンザのときは、大臣の私自らが会見して、毎日のように国民に情報を伝えた。例えば、医療現場から上がってくる患者情報を分析し、新型インフルエンザの症例の特徴、つまり発熱や咳(せき)、痰(たん)などのデータを図表化して国民に伝えたのである。しかし、今回は、すでに950人も感染者が国内で発生しているのに、症例の詳細なデータがあまり出ていない。新型コロナウイルスの国内流行に備える政府の基本方針に関する記者会見で、手元に視線を落とす加藤厚労相=2020年2月、厚労省 また、「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客・乗員の国籍別人数、年齢、性別などのデータが広く公開されなかった。その数を国民が知ったのは、各国がチャーター機を派遣して自国を帰国させたときである。最初からこれをもっと世界に知らせていれば、国際世論がクルーズ船対策の改善を求める声を上げていたであろう。 官僚機構を動かすのは政治家の役割である。その意味で安倍内閣、とりわけ加藤厚労相の責任は極めて重いと言わざるをえない。

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    新型コロナ禍で正念場の日本、米国に学ぶべき非常事態時の「覚悟」

    玉井清(慶應義塾大法学部教授) 新型コロナウイルス感染拡大をめぐる政府の対応に注目が集まっている。「平時」でなく「非常時」に際し、どのような決断をするか、政治の真価が問われる瞬間である。 もっとも、一口に「非常時」と言っても、ある出来事が発生したとき、それが非常時であるのか否か、非常時だとしてもどの程度の非常時であるのか、判断の難しい場合の方が圧倒的に多い。そうした状況の中、政治は決断を迫られる。 さらに、政治の決断には、薬の副作用同様、種々の不都合の発生が予想され、場合によってはマイナス面がプラス面を上回ることさえある。こうした利害得失を十分勘案した上で、政治家は、決断をし、あるいは決断しない選択をするが、その結果には全責任を負う。その覚悟なき者は政治に携わるべきではないだろう。  アメリカで2001年9月11日(9・11)に米同時多発テロが起きたとき、筆者はボストンに滞在していた。ニューヨークのワールドトレードセンターに2機のハイジャックされた旅客機が、さらにワシントンのペンタゴンに(米国防総省)3機目が突入した。 その直後、アメリカ政府は、アメリカ大陸の上空を飛ぶ全ての飛行機に対し強制着陸の命令を出した。警告しても、それに従わない飛行機はハイジャック機と見なすと宣言した。 これは、究極の場面では撃墜する許可が空軍に出され、全ての飛行機ということは旅客機も含まれていることが想像された。ハワイもアラスカも含め全ての国境と空港が瞬時に閉鎖された。 20年も前のことであるが、その瞬間、背筋が寒くなったことを鮮明に覚えている。アメリカで生活したことのある人は知っているであろうが、日本のように都市間を結ぶ鉄道は発達していない。移動は飛行機が主である。ボストンとニューヨーク、ニューヨークとワシントン、ビジネスに携わる人は、まるでバスに乗るように飛行機で往来している。それが全て止まるということである。 あらゆる商談はキャンセルされ、命に関わる緊急の血液や臓器、薬品や医師の移動もできなくなる可能性がある。アメリカの全ての日常が止まることを覚悟しなければならない。アメリカ国家全体への攻撃と捉え、政治が全責任を背負い、重い決断を即座に行った瞬間であった。その決断は、国家の危機であることを全国民に明確なメッセージとして伝えた瞬間でもあり、そのことは外国人である筆者にも容易に理解できた。 日本のメディアは、小学校の児童を前にしたジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)が側近から一報を聞き、呆然自失の表情をした顔のアップを繰り返し茶の間に伝え続けた。危機にうろたえる無能な政治指導者として。米同時多発テロに関するブッシュ大統領の演説を街頭テレビで見るカップル=2001年9月、米ニューヨークのタイムズ・スクエア(大井田裕撮影) その一方で、非情とも言える政治の決断が瞬時に行われた事実とその意味することについてはほとんど注目しなかった。求められる政治決断 アメリカに滞在しながら、霞が関ビルに、続けて国会議事堂に飛行機が突入する事態になったとき、日本の政治は、このような徹底した決断を瞬時にできるだろうかと自問自答した。ニューヨークとワシントンが標的になったので、強制着陸は東海岸の領空に限定してもよかったはずである。しかし、アメリカ政府は、瞬時に全土を閉鎖した。見事な危機対応であった。 誤解を恐れずに言えば、アメリカは「大雑把(おおざっぱ)」な文化を持つ社会である。仕事の正確さ、細部にまで手を抜かない文化に慣れた日本人にとり、慣れるまでストレスを感じる社会である。 サラダボウルと形容されるように、人種、民族、宗教が多種多様で、日本のような細部にまでこだわる正確さを求めると四六時中摩擦が発生するので、ある程度「大雑把」な方が社会はうまく回る。生活しているうちに、変な合点をするようになった。 スーパーで買うタブレット型の薬や、薬局で調剤され容器に入った薬、押してもなかなか出てこず、ふたを開けるのに難儀な薬の容器、「大雑把」なアメリカの製造技術の拙劣さと最初は誤解していた。 しかし、それは幼児による薬の誤飲を防ぐための措置であった。大国でありながら貧者がまともな医療を受けることができぬアメリカではあるが、「国民の命」を守ることにおいて周到な準備と配慮を怠らず、それを徹底している一面がある。そのためなら大胆ともいえる政治決断をためらうことなく行う国でもある。 新型コロナウイルスに対する日本政府の対応を見ていて、9・11のテロに際してのアメリカ政府の決断を想起せざるを得なかった。今回の出来事を9・11に準(なぞら)えるのは大げさ過ぎる、同列に扱うのは不適当との意見は当然あるだろう。 しかし、両者は、非常時に際し「国民の命」を守るため、全ての責任を背負った政治決断が求められている点では同じである。日本はいかなる準備と覚悟を持っているのか、それが試されている。新型コロナウイルス対策本部の会合で発言する安倍晋三首相。左は加藤隆信厚労相=2020年2月、首相官邸 冒頭に述べた「覚悟」は、政権担当者はもとより、与党だけでなく野党政治家にも、国政だけではなく地方政治においても問われている。政治に携わる者は、その立場を越え、国や地方問わず肝に銘じておく必要がある。 対外関係を配慮し過ぎて、あるいは関係機関の調整と了解に傾注するあまり、あるいは揚げ足取りにしか見えない低劣な批判への対応に時間を奪われるあまり、然るべきときに、然るべき決断ができず、結果として弥縫(びぼう)策に終始する日本政治の弱点が露呈しないことを願うばかりである。

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    イベント自粛いつまで? 問われる企業の危機管理と再開判断

     感染拡大が止まらない新型コロナウイルス。企業は主催イベント・記者会見やセミナーなどを軒並み中止したり、慣れない社員の在宅勤務を実施したりと横並びの“自粛策”を講じているが、政府の後手後手で曖昧な指針にも振り回され、現場の混乱は増す一方だ。では、いつまで自粛を続けるべきか──。危機管理コンサルタントでリスク・ヘッジ社長の田中優介氏が、自社で判断できる基準を指南する。* * * 政府は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ策として、当初から「イベントの開催等は一律での自粛は要請しない」としてきました。 しかし、2月26日になって突如「大規模なスポーツや文化イベントを2週間、中止・延期または規模の縮小を要請する」としました。また、翌27日には、「全国の小中高と特別支援学校を、春休みを前倒しして3月2日から臨時休校するよう要請する」とも発表し、行政や民間企業には、従業員の休みを取りやすくする環境を整えるよう求めました。 もちろん、新型肺炎の流行を抑えるためには、どちらも必要な措置ではあります。しかし、この突然の方向転換は、現場に大きな混乱をもたらしています。 まずイベントなどの中止・延期要請については、『スポーツや文化イベント』という漠然とした括りにしたために、企業や個人に“迷いと萎縮”という反作用を生じさせてしまいました。 小規模な社内外イベントでも、もし開催して感染者が出たら主催企業が責任を問われることになりますし、中止をした場合でも多額の損害を企業が負わなければなりません。そのような状況で、開催の是非を判断するのはツラいものです。 結局、現在はイベントの種類や規模にかかわらず、横並びの自粛ムードが広がっていますが、政府の指針発表後も、危機管理コンサルティング業務を行う当社には多くの相談が寄せられています。「この発表会なら開いても大丈夫か?」「このセミナーも中止すべきなのか?」といった内容です。 企業の中には決算期が12月のため、3月に株主総会を開くところもあります。「3月下旬の総会も開いてはダメなのか?」という相談もありました。株主総会の開催に至っては、法律で定められた行事ですので、判断に困ってしまうのも当然でしょう。 こんな時、もっとも必要なことは、何も考えずに他企業の行動に倣うのではなく、独自のポリシーに基づく判断基準を持つことです。当社では、開催の是非を判断する目安のテーブル(別掲の表参照)を作成するよう、企業に促しています。  イベント開催の是非を決める際に役立つ判断基準 表の縦軸は“重要度”で、上から「遊興イベント」「私益業務イベント」「公益業務イベント」の3つを並べます。横軸は“リスク”で、左から「屋外(飛沫・接触【少】)」「屋内(飛沫・接触【中】)」「密室・発汗(飛沫・接触【多】)」の3つを並べます。すると、9つの枠ができます。そこに、中止をすべき順番の数字を書いていくのです。 そして、自社で開催、または自社が参加するイベントを枠の中に書き込んでいけば、イベントの重要度や開催の是非が概ね見えてきますし、後に「なんで開催したんだ」と問われた時、判断の根拠を示すこともできます。このテーブルは、個人が行動範囲を判断する時にも使えます。 いま政府は『感染の拡大阻止』と『経済への影響を最小限に』を両立させようとしています。それが、施策の一貫性のなさと矛盾を生んで、混乱を招いています。 小中高校の一斉休校を要請しながら、保育施設や学童保育などは含まないという分かりにくさもあります。共働き家庭の家計収入を直撃するだけに、そこは各自治体や教育委員会の臨機応変な判断に任せるという中途半端な指針になっています。 これで、もし学童保育に通う児童にコロナ感染者が続出したら、批判の声があがることは間違いありませんし、親たちの怒りの矛先は、国はもちろん教育現場にも向かってしまうでしょう。 企業が打つ施策は、反作用を見落としてしまうと、社内外から厳しい批判を受けることになります。ただ、いつまでも政府の指針や他企業と横並びの自粛を続け、さまざまな企業活動の再開が遅れると、企業体力がもたなくなってしまう中小企業なども多いと思います。そこで、前述したような自前の危機管理や判断材料を持っておくことが重要なのです。 感染の広がりは刻々と変化していきますので、その変化に惑わされてしまいがちです。いま起きているフェーズ(段階)と、それぞれの企業が直面している事情を勘案して、施策をスタートする条件を決めておく。いわば“自動スイッチ型”の危機管理をしてほしいと思います。 どんな施策にも反作用はあります。中途半端な施策を打って、さらに窮地に陥らないためにも、最後に以下の5点の「危機管理の鉄則」を記しておきます。(1)“突然”を控えること(2)“反作用”を事前に示唆しておくこと(3)“施策のポリシー(判断の基準)”を語ること(4)“施策は総論(全体像)を示した上で各論”を語ること(5)“出口戦略(終了の条件と時期)”をあらかじめ示しておくこと●たなか・ゆうすけ/1987年東京生まれ。明治大学法学部卒業後、セイコーウオッチ株式会社に入社し、お客様相談室や広報部にて勤務。2014年に株式会社リスク・ヘッジに転職し、代表取締役社長に就任。現在、岐阜女子大学特任准教授も務める。著書に『スキャンダル除染請負人』(プレジデント社)、『地雷を踏むな』(新潮新書)がある。関連記事■新型コロナ対策 コンタクトより眼鏡、ゴミ箱は蓋付きを■マスクで商談・謝罪はアリか 「今はしないと嫌な顔される」■新型コロナ予防 アルコール消毒の代用となるAP水、うがい薬■新型コロナ、営業停止を恐れ従業員の“感染隠し”横行か■【動画】マスク品薄、解消いつ? 政府「1億枚供給宣言」でも買えず

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    ふるさと納税「泉佐野の乱」を成敗した総務省よ、驕るなかれ

    ろというのか。それとも、生き残り競争をして自らの努力で横並びの状態から脱しろというのか。国はそうした政策矛盾を露呈している。 おそらくだが、地方自治体は東京など首都圏の繁栄のトリクルダウン(富裕層を豊かにすると富が国民に浸透するという理論)に甘んじろというのが国の基本的なベクトルかもしれない。首都圏という地方のトリクルダウンの受け皿と言うならば、ふるさと納税はその典型と言えるわけである。 「泉佐野の乱」は日本の地方自治が置かれている、そうした曖昧な現状から生じたと言えるのではないか。 徴税あるいは納税は膨大なおカネがからむわけだから、歴史的にも、もめ事の種である。 鎌倉幕府が守護・地頭を荘園に配置して皇室、藤原摂関家ほかの公家、寺社など旧勢力から「徴税」を奪った時には承久の乱が勃発している。税という既得権の奪い合いであり、当然もめる。 幕末までは各藩が徴税してきた。各藩が藩士・藩兵を養って身分制度を維持継続してきたのも、各藩がおカネを握ってきたからである。 しかし、それでは明治維新政府は立ち行かない。維新政府が、「版籍奉還」「廃藩置県」「秩禄(ちつろく)処分」と改革を行ったのは、徴税を中央政府に移すということにほかならない。各藩から維新政府に徴税を移さなければ、各藩が財源を持って藩士・藩兵を維持しているわけだから劣勢に立つことになる。ここでも大もめにもめて、佐賀の乱、西南戦争など不平士族の反乱が起こっている。大阪高裁に向かう泉佐野市の千代松大耕市長(中央)ら=2020年1月30日午前、大阪市北区(前川純一郎撮影) それらに比べれば、「泉佐野の乱」はふるさと納税をめぐってのもめ事でしかない。本流の税金ではない、あくまで支流の税金である、ふるさと納税でもこれだけもめる。 面白おかしくネーミングされているきらいはあるにしても、従順だった地方自治体が国中央に異を唱えたことはこれまでにない。日本の地方自治とは何なのか。「泉佐野の乱」はそれを考えさせるものだったことは確かである。

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    ゴーン逃亡を許した日本、東京五輪「テロ対策」の盲点はここだ!

    (若者のボランティア)、国土交通省(国道事務所や河川事務所)まで横から調整し、各自治体に予算や人事、政策の観点から危機管理センターを作らせるようなテロ対策本部が、やはり内閣府にあった方がよいように思う。 それができれば道府県庁や警察、消防その他への補助金も、使い道によって統一できる。中央の国交省、警察庁、法務省、税関などの予算も使い道によって統一し、同じ機材や情報を使うようにすることもできる。 つまり、テロ対策本部を作ることは行革に逆行しない。予算などの重複をなくすことで、むしろ促進する。既存の内閣府防災担当と合併してもよい。そこが予定通りに機能していないと批判されるのは人材不足が原因で、それはセキュリティ幹事会に関わったような人材が内閣府専従になれば解決することは前述した。テロによる爆発現場から放射線が検出された想定で、防護服を着た隊員による負傷者の救出訓練が行われた=2019年6月、成田空港(城之内和義撮影) このように考えると災害大国日本にとっては、そのようなテロ対策本部を内閣府に作ることは、テロだけではなく災害の対策のためにも、非常に有用なはずだ。実際9・11以降に米国が作った国土安全保障省は、こうした役割を果たしている(前述のCBPもそこに所属している)。これに関しては自著『911から311へ―日本版国土安全保障省設立の提言』(近代消防社)の中でも詳述させていただいた。 くり返すが、以上のようなことは政府内で話題にも上っていない。東京五輪を契機に真剣に検討されることを望みたい。 【イベントのお知らせ】執筆者の吉川圭一氏が代表を務めるグローバル・イッシューズ総合研究所と一般財団法人尾崎行雄記念財団の共催(協力/産経デジタル「iRONNA」、近代消防社)によるパネルディスカッション「阪神大震災と地下鉄サリン事件から25年-あの時、何が起こったか?あれから何が変わったか?」が、1月21日(火)午後6時~8時に、憲政記念館(東京都千代田区永田町)で開催されます。パネラーは自衛隊元高官の松島悠佐氏と濵田昌彦氏で、日本の危機管理の課題などについて問題提起します。参加費は2千円(当日受付にて)。参加希望者は、氏名・所属・電話番号を「info[a]ozakiyukio.jp」へ電子メールでお送り下さい([a]をアットマークに置き換えてください)。メールで申込み頂いた時点で受付完了となり、財団などから確認の連絡は致しません。急遽中止など緊急の場合のみ連絡致します。

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    マイケル・カービー手記「断種強いる性同一性障害特例法は非情」

    マイケル・カービー(元オーストラリア最高裁判事) 法の目的とは、人を保護し、公正な原則に従って社会を成り立たせることにあります。こうした観点から見れば、日本の性同一性障害特例法は、人を保護せず、かつ不公正といえます。人に断種(生殖腺除去)を強制するこの仕組みを継続する何らの理由もなく、同法はただちに改正されるべきです。同法が改正されない限り、日本が他国の後塵を拝する状況は変わりません。 日本が2004年に性別認定(戸籍上の性別変更)に関する法律を制定したことは、日本政府によるジェンダーとセクシュアリティの問題への対処をめぐる大きな転換点でした。 確かに当時、ドイツやオランダ、私の母国のオーストラリアなど日本の主要な友好国や貿易相手国はすべて、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)の法律上の性別を認める条件として断種を定めていました。 その後、今挙げた各国政府はすべて、またアルゼンチンからネパールまで数十カ国の政府が、手術を法律上の性別認定の条件から外す法律を制定しました。こうした新たな法的体制のもとで、トランスジェンダーは生き生きと生活できるようになり、社会はトランスジェンダーというマイノリティ(少数者)グループに与えられた自由と尊敬の拡大によって利益を得ています。 近年、世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会(WPATH)、健康と拷問に関する国連特別報告者、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際組織は、日本政府に対し、現行の戸籍上の性別の変更の手続きを改める必要があると指摘しています。マイケル・カービー氏(斎藤浩一撮影) 世界保健機関(WHO)も、何人も法律で断種を強制・強要されるべきでないと、この立場を支持しています。東京レインボープライド共同代表理事でフェンシング元女子日本代表の杉山文野氏ら、日本のトランスジェンダー活動家たちは、今夏の東京五輪・パラリンピックが、日本の人権状況に注目を集めると指摘しています。そして性同一性障害特例法は、依然としてそこに影を落とすものなのです。 数年前、私が香港で法律とトランスジェンダーに関する国連の専門家会議に出席したときのことです。主催者は風変わりなことをしました。政治家と人権専門家からなる会合に、ベルギーで最も権威のある外科医を招待したのです。社会にあるまじき その外科医は、医師の常として「修正手術(correctional surgery)」の写真スライドを持ってやって来ました。そしてその写真は、性別適合手術が、いかに侵襲性が高いかを物語るものでした。そして、トランスジェンダーの多くが望んでいるのが新しいパスポートや身分証明証であるにもかかわらず、手術を望まない人にまでこの手術を強いることが、あまりにも不均衡であるかをも示していました。 最終的に、当時香港議会で提案されていた法律は撤回されました。性別適合手術を望まない人にもこの手術を要件とすべきだという多くの人がいますが、その人々は性別適合手術のスライドを見るべきです。そして、自らが何者たるかを知り、それを証明するのに侵襲的な手術は不要だと考える同じ人間に対し、いったい何を要求しているのか、しっかりと考えるべきです。 実際、社会の繁栄はより多くの人々が認められ、包摂され、保護されることでもたらされます。人としての基本的権利を得る要件として、誰に対してであれ、侵襲的かつ不可逆的な手術を要求することは、個人を辱めることであり、社会にあるまじきことです。 こうした状況は、性的少数者(LGBT)か否かにかかわらず、すべての若者に対し、トランスジェンダーは、他の人々とかけ離れているので、基本的な権利を付与されるためには医学的に「修正」される必要があると、教えていることになります。 国連人権理事会の「普遍的定期的審査」(UPR)で2017年、日本はニュージーランドの「性同一性障害特例法の改正を含む、性的指向と性同一性による差別に対処する措置を講じるべき」との勧告を受け入れています。この約束を行動に移すときです。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) トランスジェンダーには、手術を望む人も、そうでない人もいます。政府の責任とは、この手術という極めて重要な事柄が、法による強制ではなく、本人の選択によるものとすることにこそあります。日本もこうした法改正の列に加わり、トランスジェンダーへの強制的な断種を過去のものにするべきときではないでしょうか。

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    「駿河湾の宝石」サクラエビを激減させたのはだれなのか

    ルールもない。   要するに、今回の富士川については、日軽金に問題が集中しているようだが、やはり国の政策面が一番の課題であることは間違いない。このまま放置すれば、サクラエビや川魚の減少と同様のことが全国各地で発生するだろう。 そもそも、静岡県は海に面しており、環境意識が高い中で起こったが、これまで問題視されず、地元漁業に多大な影響を与えてしまった。先に記したように、熊本県の球磨川では初めてダムを撤去した例がある。駿河湾から望む富士山(GettyImages) 老朽化したダムは環境破壊につながるだけに、相当の予算が必要だとしても、不要不急のダムは撤去すべき時代になった。駿河湾のサクラエビ不漁問題を機に、ダムや河川に関する法整備などを進めるべきである。■「プラ製ストローは害」という欺瞞に日本人が付き合う道理はない■『ザ・コーヴ』の町に住む僕が見た「残虐な漁師」の素顔■「閉店そば屋の2階です」本当にあった山中湖の違法民泊

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    廃止された議員年金 政府・与党が参院選後に復活の準備

     参院選がスタートした。政府が躍起になって年金不足を否定しても、“年金の真実”を知った国民はなんとか老後資産を守りたいと生活費を節約して生活防衛に頭を痛めている。ところが、そんな国民の痛みを横目に、政府・与党内では廃止したはずの「議員年金」を参院選後に復活させ、国民の税金で議員の老後の生活保障を手厚くしようとひそかに準備を進めていた。 参院選公示前の6月28日、総務省に新設された「地方議会・議員のあり方に関する研究会」の初会合がひっそりと行なわれた。この日の会合では、地方議会代表が「議員年金復活」の法制化をこう主張した。「若い人が政治に参加する意欲を持てるように、早く国会で議論を進めてもらいたい」「議員特権」と批判された国会議員と地方議員の退職年金は公的年金とは別の制度で、かつては「国会議員年金」は在職10年で年間約412万円、「地方議員年金」(在職12年以上で受給資格)は都道府県議に平均約194万円、市議なら平均約103万円が退職後に支給されていた。 しかし、小泉政権の年金改革で公的年金の保険料アップと年金カットが決まると、「議員だけ特権年金をもらうのはおかしい」という批判が高まり、2006年に国会議員年金、地方議員年金は2011年に廃止された。 議員も自営業者などと平等に国民年金で老後の生活を支えることになった。だが、それでは我慢ができなかったらしい。特権を復活させる動きが始まったのは、前回総選挙(2017年10月)で自民党が大勝した直後からだ。「若くして国会に出た議員は退職したら全員生活保護だ。ホームレスになった人もいる。こんな国は世界中にない」 自民党の竹下亘・元総務会長がそうぶちあげると、手始めに地方議員の年金復活にとりかかった。同党地方議員年金検討プロジェクトチームで法案をまとめ、昨年12月に自公幹事長会談で法整備の方針で一致した。 国民年金では生活を支えられないというのであれば、公的年金制度全体を改めて国民全体にセーフティネットをかけるのが政治というものだろう。しかし、国民そっちのけで自分たちの老後保障に走ったのである。次の国会でコッソリと 無論、賛成論ばかりだったわけではない。小泉進次郎氏ら若手の一部から「選挙で説明できるのか」と反対論があがったものの、全国1000近い地方議会が年金復活を求める意見書を次々に採択すると、県議出身の石田真敏・総務大臣が「地方議員の年金は復活してもいい。なり手不足対策の復活に反対というのは違和感がある」と推進を表明し、安倍首相側近で都議出身の萩生田光一・幹事長代行も「セーフティネットとしてあってもいい」と政府・与党一体で復活方針が事実上決まった。地方議員出身の自民党中堅議員が語る。2019年6月19日、党首討論が終わり、笑顔を見せる安倍晋三首相と麻生太郎財務相兼金融担当相ら(納冨康撮影)「もともとは参院選で地方議員に働いてもらうために今年の通常国会に法案を提出する予定だったが、統一地方選前に“議員年金復活”はやりにくいという政治判断で先送りされた。タイミング悪く金融庁の年金2000万円不足報告書問題に火がついてしまったから参院選では黙っているが、地方議会からの突き上げは強く、選挙が終われば次の国会で法案を成立させることが既定路線になっている」 推進派の石田総務大臣が、わざわざ参院選直前に冒頭の研究会を立ちあげたのも、議員年金復活の“アメ”をぶら下げて地方議員を参院選の票集めにフル稼動させる狙いがうかがえる。関連記事■保存版、60歳からの書き込み式「生活費寿命」診断シート■相続税徴収 膨大な財産情報持つKSKシステムとは■消費税増税に伴う年金生活者支援金、30年で180万円支給■韓国で女児の胸が大きくなる「性早熟症」、囁かれる原因■妻の年金が増える「振替加算」受給のためには

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    男性の「偽善」育休義務化がたどる働き方改革の末路

    せ。■ 古い「男らしさ」の呪縛から抜け出せない日本男児に告ぐ!■ 「保育園落ちた日本死ね」から考える政策が必要な人に届かない理由■ 配偶者控除をなくしてどうする? 女性は「家庭」にあってこそ輝く

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    男性の育休「義務化」で忘れられた労働問題の本質

    池田心豪(労働政策研究・研修機構主任研究員) 男性に育休取得を義務づけようという議論がにわかに盛り上がっている。既に民間では市民団体が男性育休取得義務化を訴える運動を展開しており、企業の中にも男性育休取得率100%を掲げて積極的に男性社員に育休取得を促しているところもある。有名なコンサルティング会社は「男性育休100%宣言」企業を募集している。こうした熱気を受ける形で、6月5日に自民党は男性育休の「義務化」を目指す議員連盟(以下、議連)を発足させた。 前日に発表された厚労省の「平成30年度雇用均等基本調査」(速報版)によれば、男性の育休取得率は6・16%、前年度比1・02ポイントの上昇であり、6年連続で上昇している。だが、政府が来年2020年までの目標としている13%にはほど遠い。もう一段階のてこ入れが必要、そのような問題意識を持つことは不思議ではない。 議連の発表によれば、個人に直接育休取得を義務づけるのではなく、個人に取得を促すことを企業に義務づけることを目指すという。 念のため確認しておきたいのだが、企業に対する育休の義務化は現行の育児・介護休業法で既に行われている。女性のみならず男性においても、労働者が育休取得を申し出た場合、企業はこれを拒否できないことになっている。しかし、労働者の申請を承認するという受け身の姿勢を企業がとっていては大幅な育休取得率上昇は見込めそうにないという主張も理解できる。 厚労省が昨年3月に出した「今後の仕事と育児の両立支援に係る総合的研究会報告書」で紹介されている民間シンクタンクの調査結果によれば、末子出産時に自身の会社に育休制度がなかったと回答している男性は約半数にのぼる。法律を踏まえればそんなはずはないのだが、男性本人が自分は育休適用対象外であると勘違いしているのかもしれない。男性の育児休業取得の義務化を目指す自民党議員連盟会長の松野元文科相(左)から提言書を受け取る安倍首相=2019年7月、首相官邸(共同) 一方、勤務先に制度があり取得希望があっても取得しなかった理由としては、職場の雰囲気や人手不足、仕事の担当の問題などを挙げる回答が目立つ。職場や仕事の状況を勘案して育休取得申請を控える、そのような男性もいるのである。このような場合、労働者から育休取得申請をすることはないだろう。企業としても申請がないものは承認しようがない。育休のデメリット これに対して、現在出ている育休義務化論は、育休取得に向けた企業の能動的な関与を促すことを目指していると言える。だが、実は既に企業の能動的な関与を促す法規制はある。2017年10月施行の改正育児・介護休業法は、労働者個人に対する育休制度の個別周知を企業の努力義務としている。「育休制度はあるけど取らないでくださいね」というような周知は不自然と考えれば、これを努力義務から義務化することでも議連の目的は達成されそうである。 しかし、周知されても職場や仕事の事情を勘案して取得を控えるという可能性はあるだろう。そこで、「育休取りませんか」という、より積極的な声かけ、つまり取得勧奨をしている企業もある。個別企業における男性育休義務化は、厳密に言えばこの取得勧奨である。 次世代法に基づく「くるみん」や「プラチナくるみん」を取るための実績づくりとして、取得勧奨を企業が行っているケースもある。だが、会社から育休取得を勧められても断る社員はいるだろう。それでも全員に取らせるべきだ、女性の産後6週間のような強制休業にすべきだというのは行き過ぎである。 育休には仕事を休んで子育てに専念できるというメリットだけでなく、所得ロスとキャリアロスというデメリットもある。 所得ロスとは、育児休業給付が出るとはいえ、休業中は無給になるため収入は減るという不利益である。キャリアロスは休業取得中に仕事を中断することによって、将来のキャリアにつながる仕事の機会を逸してしまう不利益である。育児の練習をする男性。男性の育児休業の義務化に賛成する人が増えている=2013年8月、和歌山県(益田暢子撮影) この二つのロスは女性の育休にも付随するものであり、キャリアロスを小さくするため女性においても早期の復職が望ましいと言われている。男性の育休期間は多くの場合短いため、女性と同等には扱えないが、仮に2週間や1カ月の休業であっても、そのタイミングで大事な仕事が入ってくる可能性はある。 現行法は、こうした不利益と育児に専念できる利益の双方を勘案して、不利益の方が大きいと判断した場合は育休を取らない自由を労働者に認めている。その自由がなくなってしまうと、人によっては育休がベネフィットではなくペナルティーになってしまうおそれがある。女性は義務化しなかったワケ 一口に「義務」といってもその強さには程度がある。ここまでの議論を整理すれば、(1)取得申請の承認、(2)個別制度周知、(3)取得勧奨、(4)取得強制という4段階に大別できる。(1)では不十分というのが男性育休取得義務化論の問題意識であるが、(4)はやり過ぎである。すると、(2)から(3)あたりが実質的な争点になると考えられる。 民間企業が先行して個別に取り組んでいる男性育休義務化を参照するなら、(3)の取得勧奨を義務化するという話になるかもしれない。しかし、(3)は強く勧奨すれば(4)の強制に限りなく近付いていくし、弱ければ(2)に近づいていく。どのくらいの力加減が適切と言えるのか、気心の知れた個別企業の労使関係を超えた法政策として一律の基準を示すことは容易ではないだろう。 この隙間を埋めるために、男性育休の必要性について企業と労働者の対話を促すことが重要である。振り返れば、女性にとっても育休が取りづらいという時代はあった。今でもこの問題が解消したとは言えないが、仕事と育児の両立について理解を深める研修や面談といった対話の機会を企業の中につくることで、女性が育休を取りやすい環境を整えてきた。女性が育休を取れるように取得を義務化しているという話を筆者は聞いたことがない。 最近はそうした両立支援の研修に女性社員の配偶者やパートナーを同伴させる企業が増えているようである。職場結婚をした自社の男性社員だけでなく、他社に勤務する夫にも出席を求めていると聞く。夫婦の役割分担について家庭での対話を促す取り組みと言えるが、職場においても育休を女性だけの問題とする先入観を改める契機になるであろう。 このような対話のプログラムを開発し、男性育休に関する意識改革が進めば、取得率は後からついてくるに違いない。上述の個別制度周知や取得勧奨の声かけも、労使の対話を促すという文脈で考えることが重要である。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 要するに、「労働問題は労使コミュニケーションを通じて解決を図る」という基本中の基本に立ち返ることが重要と言える。育休の取りにくさとは企業と労働者個人の個別労使関係の問題であり、女性の育休はまさに労使コミュニケーションを深めることによって取りやすくなった。男性育休についても実効性ある政策を行うためには、この基本に忠実になることが重要である。■あなたの給料が減っても「働き方改革」を支持しますか?■「親の苦情と戦えない」小さな命を救えなかった虐待現場の叫び■ニッポンの企業に蔓延する「働き方改革疲れ」の実態

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    働くと年金が減る制度は廃止が当然

    塚崎公義(久留米大学商学部教授) 在職老齢年金という制度があります。これは、60歳以上70歳未満の厚生年金加入者が、働いて一定以上稼ぐと、受け取れる年金が減額される、というものです。 「収入の高い人は年金が少なくても大丈夫だろうから、限られた年金の原資を必要とされる人に優先的に届けよう」、という趣旨だとされています。給料のみで生活している現役世代との公平感、という観点もあるようです。 一方で、この制度の最大の難点は、労働者が働く意欲を減らしてしまう可能性が高い、ということです。 制度の趣旨は理解できますが、日本経済の現状を考えると、廃止すべき時期に来ていると思われます。政府も廃止の方向で検討中のようですので、是非ともお願いしたいと思います。 ちなみに、この制度はサラリーマン(男女を問わず、公務員等も含む。以下同様)に関するもので、自営業者等には無関係ですので、本稿としてもサラリーマンについて記すこととします。 これまでの日本経済は、失業が主な問題点でした。したがって、高齢者が引退することは労働力需給を改善(労働力の供給超過を是正)するという望ましい効果が見込まれたわけです。 加えて、個々の労働者の事情を考えても、日本人の平均寿命が今ほど長くなかったので、55歳あるいは60歳で引退しても、退職金等を考えれば老後の生活は何とかなったわけです。 しかし今、日本経済は少子高齢化による労働力不足の時代を迎えています。高齢者にも是非働いてもらい、労働力需給を改善(労働力の供給を増やす)ことが望まれる時代に、労働者の働く意欲を削ぐような制度は望ましくありません。 個々人の生活を考えても、税収や社会保険料の収入のことを考えても、高齢者には大いに働いて稼いでもらい、老後の生活資金を稼ぐとともに税金や社会保険料を納めてもらうべきでしょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 高度成長期のサラリーマンは、15歳から55歳まで40年間働き、70歳頃には他界する人が多かったようです。要するに、人生の半分以上は働いていたわけですね。 そうであれば、人生100年時代と言われる今後は、少なくとも20歳から70歳まで働くことが必要で、かつ当然だという時代になるはずです。 働いている期間が人生の半分以下では、個々人の生活費という観点から見ても心もとないでしょうし、社会全体として見ても働いている人より支えられている人の方が多いとすれば、現役世代に過重な負担を強いることになりがちですから。支給開始年齢は上昇中 在職老齢年金の話をする前に、そもそも65歳未満の人に対する厚生年金の支払いは、そもそも数年後には行われなくなります。すでに支給開始年齢は段階的に引き上げられていて、男性は2025年度にかけて、女性は2030年度にかけて、65歳まで引き上げられていくわけです。 これ自体は、すでに決まっていて実行されつつあるわけで、「年金制度の改悪だ」と言っても仕方のないことです。むしろ、これによって65歳まで働く人が増えることは、上記からも「望ましいこと」だと筆者は考えています。 そもそも政府が悪いというよりも、良い薬ができたおかげで人々が長生きできるようになったことが年金財政を苦しくしているわけですから、その意味でも「望ましいことの副作用」だと言えるでしょう。 そして、これによって在職老齢年金の問題は大きく改善するでしょう。65歳までの方が65歳以降よりも「一定以上の収入を得たら年金を減額する」という基準が厳しいからです。 大雑把ですが、65歳までは「給料プラス年金が月額28万円を超えたら、超えた分の半分を減額する」、65歳からは「給料プラス年金が月額47万円を超えたら、超えた分の半分を減額する」と考えて良いでしょう。 しかし、それでも制度自体に問題があるのであれば、それはやはり廃止すべきでしょう。 在職老齢年金は、制度自体が時代にそぐわなくなっているわけですから、廃止すべきだと思いますが、それまでの間、政府は現状の制度について国民が正しく理解するよう、啓蒙活動に努める必要があるでしょう。 年金の制度を正しく理解している国民は、決して多くないでしょう。まして、在職老齢年金について正しく理解している高齢者は少ないはずです。そうなると、「高齢者が働くと損をする」という誤解に基づいて働くのを手控えてしまう人が大量に発生してしまいかねません。 まずは国民が制度を正しく理解するように努める必要があるでしょう。「働いたことで収入が減ることはない。働いたことで、本来得られるはずだった追加の収入が半分になることはあり得るが、収入が増えることは間違いない」ということです。 これは「130万円の壁(サラリーマンの専業主婦のパート収入が130万円に達すると、社会保険料の支払い義務が生じるので、年収がむしろ減ってしまう制度)」などとは決定的に異なるわけです。 そこで、まずは制度を正しく理解してもらって高齢者に働いてもらうように努め、平行して不都合な制度は廃止する方向で検討する、ということが望まれるわけです。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    「年金には関心がない」と言い切った麻生氏の金銭感覚のズレ

     「政治家は清貧たれ」とはいわない。たとえ資産家の政治家でも、庶民の生活実感、年金不足への危機感を感じ取ることができるなら、国民は政治に期待を託すことができる。 だが、住居費も交通費も税金で賄われ、飲み代は政治資金、金銭感覚が完全に麻痺した政治家たちに、国民の痛みは分かるまい。 「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて、普通の人には分からんだろうな」──かつてそう語ったとされる麻生太郎氏(78)。「福岡の炭鉱王」の御曹司として育ち、祖父は吉田茂・元首相。若い頃からカネに不自由したことはなく、学習院大学時代にはクレー射撃で当時の大卒初任給の4年分にあたる100万円を年間の弾丸代で使っていたと自慢げに語っている。 国会でも、「ホテルのバーは安くて安全」「(カップ麺は)最初に出たとき、えらく安かったと思うが、いまは400円ぐらいします?」など、世間とはズレた数々の言葉を残している。 総理時代に学生との居酒屋懇談で出た料理を「ホッケの煮つけとか、そんなもんでした」と言って青森選出の大島理森・現衆院議長に「ホッケに煮付けはない。焼くしかないんです」と突っ込まれたこともあった。 その麻生氏は今回の老後資金2000万円不足問題で、こう言ってのけた。 「年金がいくらとか自分の生活では心配したことありません」記者会見する麻生金融相=2019年6月11日 まぁ、そうなのだろう。だが、政府が年金改革を始めるというときに、副総理が“オレは年金なんていらねーよ”といえば、国民は「こんな政治家に任せていいのか」と不安になる。経済ジャーナリスト・荻原博子氏が語る。 「いま庶民にとって一番の関心事は年金がもらえるかどうかです。年金だけでは老後資金が2000万円足りないと聞かされて、一層日々の生活を切り詰め、節約に節約を重ねている。 お金持ちの麻生さんの金銭感覚が庶民と違っているのはかまわないが、政治家に必要なのは国民が何を求めているかを感じ取る力。それが政治家に求められる『金銭感覚』だと思う。しかし、“オレは年金には関心がない”と言い切ったことで庶民の実情を汲み取る感受性が全くないことがわかった」関連記事■「妻パート代25万円」発言の安倍首相、大学時代の金銭的苦労■富裕層の間で「月に行こう」が流行 ZOZO前澤氏の影響か■狙った女性の口座番号を聞く「前金制」の外資系金融男■【動画】Koki,の金銭感覚 友人に選んだプレゼントのお値段は■【動画】山里亮太と蒼井優の「堅実!」な金銭感覚

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    年金返せデモ騒動 集団行動OK派と嫌悪派による考えの差も

    「年金返せ」と政権批判をしたが、堀江氏は、デモ参加者を「暇人」「税金泥棒」扱い。堀江氏としては、年金政策について今の政権に文句を言っても仕方がないし、個々人がガッツリ稼ぐことが国の安定に繋がる、と言いたかったのだろう。共感も多かったが、人でなし扱いもされた。 その後、「デモ原理主義者まじうぜー。政治家でも利権屋でもない一個人の俺が年金デモ気持ち悪いって言ってるだけなのに、そんな気になるんかいな」ともツイート。さらに『サンデージャポン』(TBS系)では「僕はデモを大体ディスるんですよ」「こいつらバカだ、みたいなことを言い続けてきて」「(デモの)映像見て、気持ち悪い。メッセージとか参加している人達の太鼓叩いているやつとか、超イヤだ」とも発言した。 私も概ね同じ考えである。ただし、香港の200万人とも呼ばれる参加者のデモには同意する。理由は、香港の自由な生活を脅かす恐れがある「逃亡犯条例」を適用されるのは自分が香港人だったとしたらイヤだし、結果的に数の力で「棚上げ」に追い込むことに成功した。だからあのデモは意味のあるデモだと思う。一方、「年金返せデモ」は「2000万円必要」は以前から分かっていたことだし、「今が政権叩きのチャンス!」だから発生したように見える。ここ何年も「アベ政治を許さない」派のデモを見てきたが、今回も同じ人間が参加しているのも確認できた。 堀江氏の「気持ち悪い」「超イヤだ」の大本には、勝手な想像ながら「集団行動が嫌い」ということがあるのではないか。堀江氏言うところの「デモ原理主義者」の主張の根底には、「デモは権力者と官僚機構に対する無辜(むこ)の民による崇高なる抗議手段であり、これぞ民主主義を体現する」との考えがある。そしてデモを批判する人間は権力者に阿(おもね)るクソ、ということになる。 ただ、「デモすりゃエライの?」とも思う。デモに参加せずとも、高額所得者は税金や医療保険という形で社会に貢献しているし、堀江氏もそんな人物だ。 そして、堀江氏の「デモ騒動」は、「集団行動OK派」と「集団行動嫌悪派」の対立という面もあるとも感じた。 子供の頃、全員が校庭にズラリと背の順に並び、「前へ、ならえ!」とやる朝礼が大嫌いだった。合唱コンクールも体育祭も嫌いだった。集団行動に嫌悪感があるのだ。だからこそ、自由に振る舞える大人になったというのに、隊列を組んで一斉にシュプレヒコールを挙げるデモ参加者に「全体主義」を感じ、この統制されぶりが見ていられないのだ。こう書くと「お前はリベラル派のデモだから叩いているのだろう」などと思うかもしれないが、私は在特会のデモはボロクソに叩きまくっている。首相官邸前で「年金払え」などと抗議する人たち=2019年6月26日 集団行動が嫌いな人は「大人のサークル」には入らないし、パック旅行にも行かないし、デモにも参加しない。集団行動の別形態である「行列」も嫌いだからタピオカ屋にも並ばない。今回の騒動はそんな嗜好の差が明確に表われた面もあるのでは。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■国会前デモ、日当が出るならば暇人が一斉に群がるはず■国会前デモは「じいさんたちの同窓会」だった■セクシー女優のHIV陽性判明、感染発覚以降も撮影は行われた■韓国で女児の胸が大きくなる「性早熟症」、囁かれる原因■芸人の「事務所公認闇営業」と仲介者が揺れる「悪魔の囁き」

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    麻生氏「医療費あほらしい」は暴論か

    「自己責任論」という言葉が近頃の流行りである。3年ぶりに解放されたジャーナリスト、安田純平さんに対してもそうだったが、不摂生で病気になった人の医療費負担をめぐり「あほらしい」と指摘した麻生太郎財務相の発言もまた物議を醸した。麻生氏の発言は暴論か、それとも一理あるのか。

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    医療費は控除から手当へ、麻生氏「あほらしい」発言は一理ある

    も同額である。発想と制度の転換を 私が厚生労働大臣のときも、伸び続ける医療費抑制のために、さまざまな政策を動員してきたし、今もその努力は続けられている。後発医薬品(ジェネリック医薬品)の活用、定額支払い制度の導入、自己負担分の拡大、高額療養費制度の見直しなどである。 笑い話で言われるように、かつては「元気なときは喫茶店やサロンに行く気分で病院に行く、病気になったら寝込んで病院に行かない」「リハビリと称してマッサージ代わりに使っている」といった無駄遣いの指摘が多かったが、これも最近では相当に改善されている。私も股関節手術後にリハビリに通ったが、マッサージ代わりに使っている高齢者はほとんどいなかった。 医療費の抑制は全国民の課題である。日本人の平均寿命は、男性が81・09歳、女性が87・26歳であるが、健康寿命は男性が72・14歳、女性が74・79歳である。 問題は健康寿命、つまり自立した生活を送れる期間であり、これを伸ばさなければならない。そのためには、麻生氏が言うように、摂生し、適度な運動をし、生活習慣病の予防を図ることが肝要である。 もう一つ、発想と制度の転換を提案しておきたい。今は、医療費がかかると、税金から控除される対象になる。つまり、節税のためには医療費を使ったほうが得をする気がするのである。これが控除という制度の問題であり、健康手当という形で支給する仕組みに変えるのも一つの手である。 かつて、企業や団体が主管する健康保険組合では一定期間、例えば1年間病院の世話にならないと、ご褒美として報奨金を支払う制度があったが、それと同じ発想である。つまり、控除ではなく、皆に健康手当として、月に例えば3千円支給する。2009年5月、新型インフルエンザ対策本部であいさつする麻生太郎首相。左は舛添要一厚生労働相(酒巻俊介撮影) それを使って健康のための活動を積極的に行ってもらう。そして健康保険を1年間使わなかった人には、ボーナスとして1万円を支給するといった政策である。 「控除から手当へ」という制度は、民主党政権下で子ども手当が導入されたが、民主党政権の説明の拙劣さと政権運営のまずさから、あまり評判はよくなかった。しかし、医療費控除から健康手当へという発想の転換は、麻生氏の期待にも応えるものと思っている。

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    麻生さん、病気に「自己責任論」を持ち出すのはやっぱり酷です

    関してはかつて議論が巻き起こった。 小泉進次郎衆議院議員らが2016年10月に雇用や社会保障に関する政策提言の中に取り入れた「健康ゴールド免許」制度である。この制度はIT技術を活用することで、個人ごとに健(検)診履歴などを把握し、健康管理に取り組んできた人へ「健康ゴールド免許」を付与し、病気になったときの自己負担割合を3割から2割に減免するというもの。しかし、発表直後から賛否が巻き起こり、否定派からは「きれいな長谷川豊」と言われ、その後すっかり話題に上らなくなってしまった。進次郎が失敗したワケ 自助を促す趣旨には賛同できるが、努力だけではどうしようもない部分まで含むスキームが悪かったのだろう。このような健(検)診や健康管理に一生懸命取り組んでいる人への優遇は一見有効に見えるが、実際は限界がある。事実、特定健診を受けない人は、高年齢、低学歴、低所得の人が多く、病気になったときのことまで考える余裕がない。自己負担の減免の恩恵を受けられるのは結局のところ、普段からスポーツジムで汗を流して健康管理ができる富裕層ということになる。 それでは、健(検)診を受けない健康意識の低い人たちを振り向かせるにはどうしたらよいのであろうか。まずは、マイナンバーを活用し、健(検)診受診と判定結果による治療介入の有無をしっかり把握することである。未受診者や要治療者にははがきによる個別勧奨を積極的に行う。インセンティブには健康マイレージが良いだろう。 NTTドコモでは自治体向けにスマホと歩数計、リストデバイスを用いてウオーキングや特定健診の受診、自らの健康管理の程度に応じてポイントがたまる健康マイレージサービスを行っている。ポイントに応じて景品と交換できる仕組みである。 宮崎県木城町は、国民健康保険と後期高齢者医療の被保険者を対象にした健康マイレージを行っている。特定健診や各種がん検診などの受診でポイントがたまり、町内の登録店舗で利用できる商品券と交換できる。町内経済の活性化も狙えて一石二鳥だ。 貧富や教育などの社会的要因に対するアプローチも重要である。例えば、タバコ代を上げると低所得者層ほど禁煙するというデータがある。小中学生に対する予防医療教育も将来的な健康格差の縮小につながるだろう。健(検)診を受診できる日を選択する機会を増やすことも有効だ。福岡市健康づくりサポートセンターの健(検)診は、土曜、日曜、祝日にも実施している。さらに、月に1度は平日の夜間にも実施しており、仕事帰りの利用にも対応している。 がん検診の受診率上昇には韓国の政策が参考になる。胃がんを例にとると、韓国の胃がんの検診受診率はなんと70%を超えているそうだ。その要因は、住民登録番号を利用したデータ管理、保健所による個別受診勧奨、検診料は健康保険でカバーされ健康保険料下位50%は本人負担ゼロ、指定を受けた医療機関であれば全国どこでも受診可能、という徹底したものだ。「県コバトン健康マイレージ」事業で使用する歩数計と読み取り機器=2017年4月4日、埼玉県(菅野真沙美撮影) さらに公的がん検診で発見されたがんには治療費の補助も行われる。ここまでやるには予算もそれなりに必要だが、本気で受診率の上昇を目指すのであればこれくらいの対策が必要ということだ。 麻生氏は冒頭の発言の際、予防医療の必要性についての理解も示したが、予防医療の推進は医療費削減どころか、さらにお金がかかることもある。医療費の議論は別にして、健康長寿のための予防医療を効率的に推進する政策を期待したい。

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    この先もあると思うな国民皆保険、麻生発言は全然アホらしくない

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) ハロウィーンもすっかり終わってしまい、寂しい独り身の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。この前まで夏だと思っていたのにすっかり年末の気分で寂しい限りです。もの悲しくなってくる季節にネットに壮大な炎上の炎を投下してくださったのは、麻生閣下です。 麻生太郎副総理兼財務相が10月23日の会見で「不摂生している人の医療費を健康に努力している人があほらしい」との意見に同調する発言をしたことが問題視されており、ネットを中心に大炎上しております。 麻生氏の発言は下記になります。 「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」 また、「自身も同じ考えか」という質問に麻生氏は「生まれつきのものがあるし、一概に言える簡単な話ではない」と答えています。ちなみに、2008年にも「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と経済財政諮問会議で発言し、後に陳謝しています。 この発言を読んでも、まあいつもの麻生閣下のことであるなと特に驚きもしなかったのでありますが、日本の一定層の人々の怒りに唐辛子を塗り込むような効果があったことは間違いありません。この一定層の人々というのは国民皆保険サービスというのは当たり前のことであり、誰しも平等に医療を受ける権利があると信じている人々のことです。財政制度等審議会の財政制度分科会であいさつする麻生太郎財務相(右)=2018年10月 しかし、ちょっと振り返って考えてみましょう。実は国民皆保険サービスというのが始まったのはそんなに昔の話ではありません。日本やイギリスをはじめとする各国で始まったのは、第二次世界大戦後のことでありました。 なぜかと言うと、戦争であまりにも多くの負傷者や障害者が出てしまい、医療費を払えない人が大量に発生してしまったため、これでは破壊された街を復興させるための労働力を確保できないので困るとして各国の政府が国民皆保険サービスというものを考えついたわけです。 国民皆保険サービスというのは収入がある人たちから一定のお金を集め、それを使って医療サービスを提供するという、まあある意味宝くじのような仕組みです。提供する医療サービスというのはたくさん払っても少なく払っても平等というのが建前です。建前というか、実質そういう国がほとんどです。低下する医療の質 前述したように、国民皆保険サービスが日本や欧州で設計されたのは戦後すぐのことでした。戦争でかなりの数の人が亡くなり、人口も今より少なく人の移動もほとんどありませんでした。当時は人々の収入格差も今と比べて大きく、高額納税者の所得税は70%とか80%に達することもありました。つまり、ごく少数の大金持ちからお金をむしり取ってそれを貧民の健康維持に使い、社会全体を何とか回して行こうという仕組みでありました。 しかし、この仕組みは、使う人の数が少なければ成り立つのですが、使う人が多く、さらにその数が急に増えたりするとシステムが崩壊してしまいます。この状況がかなり過激なことになっているのがイギリスをはじめとする欧州各国の国民皆保険制度です。EUの移動の自由化で何が起きたかと言うと、東欧や西側諸国の貧しい国や町から豊かな都市へ人々が大規模に移動して住み始めたことでした。住むのも働くのも許可が一切いりませんから、当たり前の状況です。 そして、10年ばかりの間に特定の町の人口が急激に増え、病院利用者が大幅に増加しました。しかし、病院の予算は国保や税金で賄われており、その予算が急激に増えるわけではありません。移動してきた人の中には短期滞在の季節労働者や学生も大量にいました。  さらに、欧州では日本のように高齢化が進んでいるので、高齢者の病院費用も激増しました。そこで発生したのが質の激烈な低下です。イギリスの場合は時間外の夜間緊急窓口に行った場合、4時間から8時間待たされるということも珍しくありません。  重症者を優先するからという言い訳がありますが、かなり具合が悪くても廊下で長時間待たされることがあります。MRI(磁気共鳴画像装置)やCTスキャン(コンピューター断層撮影装置)などの機器も少なく、検査を受けるのに2カ月、3カ月待たされることも当たり前です。  病院はお金がなく、人が雇えませんので外科医やスタッフの数も多くはありません。手術が当日や前日になってキャンセルされてしまい、数カ月先に延ばされてしまうということもあります。また、入院ベッドの数も足りないので一般家庭に患者の面倒を見ることを外注する仕組みにまで手を出し始めています。 私は世界各地のいろいろな病院で世話になっていますが、イギリスの病院の中には中国やロシアの病院よりもひどいところがありました。(ゲッティ・イメージズ) このような状況にもかかわらず、健康保険の費用というのは安くはなく、年収が700万円ぐらいまでの人は収入の9%を支払い、年収が700万円を超える人の場合は2%を払います。高額収入者の場合はこの2%というのは莫大な金額になりますが、受けられるサービスは、病院によっては発展途上国並みのサービスです。  高いお金を払ってもサービスを受けられないので中流以上の多くの人は民間の保険に入ってプライベートで医療サービスを受けています。つまり自分が払っている健康保険は他人の治療に使われているわけです。  このような状況ではありますが、イギリスの国立病院は太り過ぎの人に減量手術を提供したり、海外で整形手術を受けて豊胸手術に失敗した人に対して修正の手術を行います。海外から飛行機でやってくる臨月の妊婦は無料で出産をすることができます。かなり進行した白内障の老人が海外から飛行機でやってきて緊急で手術を受けることもあります。費用を徴収しようとしても外国に逃げてしまうので回収できないことも多いです。欧州では不満噴出 このように、イギリスの場合、かなり極端な例が多いわけですが、同国だけではなく欧州でも国民皆保険に対しては制度が既に崩壊していると言って不満たらたらの人が多いのです。  日本は、クレジットカードの多重債務者のような財政状況であるのに医療費は惜しまず、どんどん使いまくっていますし、地方交付金も配りまくり、市役所や道路にお金を使いまくっています。育児支援だってはっきり言ってほとんどの欧州の国より充実しているんです。 恐ろしいスピードで少子高齢化が進んでいる日本で役所が財布のひもを締め始めた場合、今のレベルで医療サービスの質が維持されると思っている方はどのぐらいいるでしょうか? 医療サービスの質が下がるということは、月6万円の健康保険料を払っても自分が手術を受けられるのは1年後ということが当たり前になるということです。 病院のベッドのシーツは取り換えられず、医療スタッフは給料削減で働く人はいないので外国人だらけになります。病院食はレンジでチンするだけの冷凍食品になります。心臓の手術を受けても退院するのは翌日です。 こういう状況にサラリーマンの皆さんが直面することが当たり前になるようになっても、・不摂生で太りすぎた人の減量手術を優先してあげましょう・不妊をしなかったので妊娠してしまった10代の母の出産費用は全部無料にしてあげましょう・アルコール中毒になった人の治療は全部無料にしてあげましょうといった寛容性を維持できるのかどうか、私には分かりません。(ゲッティ・イメージズ) 私は社会全体の幸せや安定性というものを保つために国民皆保険というのはあった方が良いと思います。社会というのは多くの人がいてモノを売り買いし、サービスを消費するからこそ豊かになるのです。 モノを消費するのには仕事をして稼ぐことが重要ですし、安心して仕事をするためには病気になっても手軽に治療を受けられて自己負担が少ないという仕組みは、とても重要です。ごく一部の豊かな人がレベルの高い生活を享受するアメリカ型のモデルは日本には合いませんし、社会の安定性は失われます。 しかし、残念ながら日本にはお金がないのです。多くの人に質の高い医療サービスを提供することが難しくなっているのです。その現実をいったい何人の人が自覚し、自分は高い保険料を払っても治療が受けられないと言った立場になるのか。それをきちんと理解すべきではないのでしょうか。

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    風邪らしい患者なら、受診料は安く、薬代は高くすべし

    塚崎公義(久留米大学商学部教授) 財務省は、軽い風邪などで診察を受ける場合には、患者の自己負担を上乗せするという見直し案をまとめたようです 。軽い病気でも気楽に診察を受ける患者が多いので、医療費が嵩んでいる、というのが理由のようです。財務省が財政再建に熱心なのはわかりますが、一工夫必要でしょう。 風邪だとわかっていれば、受診の必要はありませんが、怖いのは「風邪のような症状の悪質な感染症」である可能性です。「風邪だと自己負担が高いから、受診しない」という患者が悪質な感染症であった場合、症状が悪化して周囲に感染させてしまう可能性があります。従って、そうした可能性のある患者は気楽に受診してもらい、風邪だとわかればそれで良いでしょう。 風邪だとわかるまでの診察料は、自己負担を少なくして積極的に受診してもらう一方で、風邪だとわかった後の風邪薬は、自己負担率を100%にすれば良いと思います。単なる風邪なのに、市販薬より安く処方薬が手にはいる必要性はありませんから。 問題は、風邪だとわかっている患者が受診している例も多そうだ、ということです。時間が十分にある高齢者が風邪に罹患した時、「薬局へ行って市販薬を買うよりも、国民健康保険を利用して診察を受けて処方薬を買った方が安い」と考えて受診する可能性があるからです。 これは、ぜひともやめて欲しいです。金銭面で国民健康保険の負担が大きいですし、診療所の混雑によって多忙な現役世代の患者が「待ち時間が長いので、諦めた」ということにもなりかねないからです。 そのためには、風邪薬の自己負担率を100%にすることが有効だと思われます。「風邪薬は自己負担率100%」という制度ができれば、風邪だとわかっている高齢者は診療所へ行かずに薬局へ直行するでしょう。診療を受けると、時間も金(自己負担分)もかかる上に、隣の患者のインフルエンザに感染してしまうリスクもありますから。そうなれば、国民健康保険は大助かりです。 話し相手がいない孤独老人が診療所の待合室をサロンとして使っているという笑い話もありますが、もし本当にそれが心配ならば、「診療所の開設を認可する条件として、待合室のほかに談話室を設けること」と定めればよいのです(笑)。 風邪かもしれない、という場合には、診察を受けないと風邪だとわかりませんから、診察は必要でしょう。しかし、慢性疾患の場合には、診察を受けなくても自分の問題点が分かっているわけですから、頻繁に受診する必要はないでしょう。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) たとえば軽度の高血圧の場合、降圧剤を処方されて飲んでいる患者の血圧は正常でしょう。そうだとすると、患者が自分で血圧を測定し、正常であることを確認すれば、診察を受ける必要は無ないはずです。つまり、降圧剤の処方箋の有効期限を「患者が異変を申し出るまで」としておけば良いのです。現実的には「1年あるいは2年に1度は受診するように」、ということで良いと思います。 そうなれば、受診の回数が減り、本人も健康保険組合も助かるでしょう。本人が血圧を自宅で測定するのを怠って異変に気付くことができなくても、それは自業自得ということで良いでしょう。感染症と異なり、他人に迷惑をかける話ではありませんから。医薬品はジェネリックをデフォルトに 高血圧以外の慢性疾患についても、基本は同じで良いと思います。感染症の場合を除き、基本は「自己責任で異変を感じた時に受診する。異変を感じなければ、1年か2年に1度受診する」で良いと思いますが、いかがでしょうか。 受診回数を減らすほかにも、患者に安い薬を使ってもらえる工夫が必要でしょう。 昨年のノーベル経済学賞を受賞したのは行動経済学分野でした。その研究成果の一つとして、「人間は面倒なことを嫌う」というものがあります。そんなことはノーベル賞学者に教えていただかなくても、誰でも知っていることでしょうが(笑)。 現行の制度でも、これが利用されています。医師が処方した薬に、効き目が同じで値段が安い別の薬としてジェネリック医薬品が発売されていて、医師が「変更不可」と指示していない場合には、患者がジェネリックへの変更を薬剤師に願い出ることができるという制度になっているのです。 「医師が変更可能と指示している場合には変更できる」という制度と比較した場合、ジェネリックの利用が増えることは明らかです。「医師が面倒だから何もしなかった」という場合には、ジェネリックを使い得るからです。これは、優れた制度です。 しかし、どうせなら、もう一段の改善をして欲しいものです。それは、医師から「変更不可」の指示がない場合には、「患者が拒まない限り、薬剤師はジェネリックを選択しなければならない」と定めればよいのです。 現在でも、患者が「ジェネリックを希望する」と薬剤師に伝えれば、ジェネリックを使える制度となっていて、その方が患者の自己負担も健康保険会計の負担も軽いのですが、患者がそのことを知らなかったりジェネリック薬品の存在を知らなかったり「申し出るのが面倒だ」と思ったりした場合には、ジェネリックではない高価な薬が使われるわけです。 そうした場合でも、上記のような定めがあれば、患者はわざわざ拒むのは面倒なので何もせず、結果として自動的にジェネリック薬品が使われることになりますから、患者本人にとっても健康保険組合にとってもよいことでしょう。 ちなみに、上記は財務省の観点から書いたものです。政治家の観点からは、医師や薬局の票が減りかねない危険な案に見えるでしょうから、採用されるか否かは何とも言えませんが(笑)。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    麻生氏の「通院なし70歳以上に10万円」案は理にかなっている

     麻生太郎・副総理兼財務相は、4月24日に開かれた参院議員のパーティーで、「70歳以上で、年に1回も通院しなかった人には10万円あげる」と、大胆な提案をした。膨らむ医療費を削減するためのアイディアだが、麻生氏は、以前にもこんな発言をしている。「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、インセンティブ(動機づけ)がないといけない。予防するとごそっと減る」 この「ごそっと減る」には2つの意味がある。もちろん前述の問題にあった高齢者の患者数そのもの。そしてもう一つは、増大を続ける「医療費」の問題だ。 厚生労働省の資料によれば、平成22年度の「国民医療費」の総額は37.4兆円。これは昭和60年度と比較すると2倍以上となっている。このうち75歳以上の後期高齢者の医療費に絞れば、昭和60年度は4兆円だったものが、平成22年度には12.7兆円。なんと3倍に膨れあがり、全体の34%を占めているのだ。 特筆すべきは、そうした医療費における1人あたりの自己負担額及び保険料である。再び麻生氏の弁。「生まれつき体が弱いとか、ケガをしたとかは別の話だ。食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」 実際に、増大する高齢者医療を支えるために、若い世代が、医療費に対して倍以上の負担を強いられているのだ。 現在、医療費における患者負担は、義務教育就学後~69歳は3割、70歳以上は1割(住民税課税所得が145万円以上の者は3割)となっている。このうち70~74歳については、今年4月1日から2割負担となる予定だったが、今月6日、来年度以降に先送りされることが決まった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「参院選を睨み、政府が票田である高齢者の反発を避けたのではないかといわれています。負担増によって受診を控えてしまい、病状の悪化が懸念されるという反対意見がありましたからね。ただその一方で、今後団塊の世代が次々に70歳代に突入すると、負担がさらに増大するのは目に見えています」(全国紙記者) その意味でも、今回の麻生プランは理にかなっている。病気でもないのに病院に来れば、当然医療費が発生する。だからインセンティブを出し、高齢者が不要不急の通院を減らせば、医療費は減り、さらに空いた時間で本当に必要な人が医療サービスを受けられる、という話なのだ。関連記事■ 麻生氏の「自民支持者は新聞不要論」が説得力持つ理由■ 麻生氏「ナチス発言」報道でメディアの場当たり的姿が露わに■ 麻生氏はなぜ福田次官をかばい、首相は更迭方針撤回したのか■ 麻生氏が「悪いのは昭恵だろう!」と怒鳴る声が役人に話題■ 安倍退陣なら後継に麻生氏か メディアも麻生番増強へ