検索ワード:教育/138件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    何が道徳的かなんて、自分の頭で考えろ!

    おおたとしまさ(育児・教育ジャーナリスト) 北野武さんの新刊『新しい道徳』が、売れているらしい。発売から2週間ですでに10万部突破。うらやましい。。。 担当編集者がたまたま知り合いだったご縁で、幻冬舎の書籍PR誌「PONTOON」で書評を書かせていただいた。寄稿した文章を以下に掲載しておく。何が道徳的かなんて、自分の頭で考えろ! 「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行いましょう」「うそをついたりごまかしをしたりしないで、素直にのびのびと生活しましょう」「幼い人や高齢者など身近にいる人に温かい心で接し、親切にしましょう」。どれも小学校低学年でもわかる正論である。それもそのはず。これらはまさに、小学1・2年生の「道徳」で学ぶべきこととして学習指導要領に掲げられている筆頭項目なのである。100%正しい。しかし同時に極めてシュールな状況でもある。今、どれだけの大人が、この教えを守っているだろうか。北野武は「子どもに道徳を語る前に、自分の胸に手をあてて、はたして自分は子どもたちに道徳を語る資格があるのかどうか、よく考えてみた方がいい」と、本書の中で喝破する。 「それなのに」なのか「だから」なのかは知らないが、文部科学省は道徳教育を強化する目的で、2018年度から「道徳」を「教科」に格上げすることを決めた。社会科ですらもめている「検定教科書」も作られる見込みだ。点数こそ付けないものの、担任が文章で児童の道徳心に対する評価を下すという。「道徳の教科化」は、国家が国民の内面にまで立ち入ることになりかねないとして長年忌避されていたことだ。 今さらここでその是非を論じるつもりはない。ただ、担任は気の毒だ。「どの口が言うてるの?」と自らツッコミながら通知表を記入しなければならない。まともな先生ほど心がちくちく痛むだろう。教師という職業は、ただでさえ世間一般よりも精神疾患による休職者の割合が高いのに、その数がさらに増えるんじゃないかと心配だ。 そういったことが背景にあり、「道徳とは何か?」を考えてみようというのが本書の出発点である。結論は「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」であると「はじめに」には書かれているが、真に受けてはいけない。「道徳とは何か?」「幸せとは何か?」「人はなぜ生きるのか?」、これらはすべてその時々によって答えが変わる「動的な問い」である。「動的な問い」にどう対峙すべきなのか、一つの実践例を本書は示している。その過程で、政治、経済、環境、教育……現代社会におけるさまざまな課題に対して、特に現政権のやり方を、座頭市さながらにばっさりと一刀両断しているのも痛快だ。 現在の教育改革議論においては、「これからの時代には、やれ英語が必要だ、プログラミングもできなければ、プレゼン力も鍛えよう」と、まるでスマホに便利なアプリをインストールするかのように子どもに「生きるためのスキル」を与えようとする発想が目立つ。しかし本当に育てなければならないのは、子ども自身が未来を予測し、どんな能力が必要なのかを見極め、それを身につけるための方法を見出し実行するための力である。それが「生きる力」。「生きるためのスキル」と「生きる力」は違うのだ。子どもたちに「生きるためのスキル」を一方的に与えることは、子どもたちから「生きる力」を奪うことになりかねない。道徳教育も同じ。道徳を教え込めば、子どもたちの道徳心が育つのを阻害する危険性がある。北野武もそれを危惧している。 「まず大人が自分の頭で考えることだ」と北野武はいうが、彼自身、本書を読んで大人が改心してくれるとは思っていないだろう。むしろ子どもたちに対して「くだらない大人たちにつべこべ言わせず、自分で自分の人生を決めろ。自分で決めれば人のせいにはしなくなる。人のせいにしなければ自由になれる。自由になれば自分なりの道徳も湧いてくる」と鼓舞しているように思える。 特に中高生に一読をお勧めする。親や学校の先生、もしくは世の中の大人たちに対して自分が感じている矛盾や理不尽が、決して間違っていないことが確認できるだろう。問題は、自分たちもそういう大人たちの仲間入りをするか、それを拒むかである。 北野武自身は、親の道徳や世間の道徳を飛び出したときのことをこう綴っている。「ただ、今でも忘れられないのは、そうすると心に決めたとき、見上げた空がほんとうに高くて広かったってことだ。ああ俺は、こんなに自由だったんだなあって思った」。 北野武の言葉には、それが書籍の中のものであれ、スポーツ新聞紙面のものであれ、テレビ番組中のものであれ、映画の中のセリフであれ、私たちの思考をもみほぐす力がある。気をつけていないといつの間にか固定観念に搦め捕られ、つい硬直化してしまいがちな、私たちの思考をもみほぐしてくれる。 中学生になり面と向かって話すこともめっきり減った息子にも、本書を手渡そうと思う。もし読んでくれたら、まるで近所のちょっと変わったおじさんの与太話のように、心に染み入るだろう。(「おおたとしまさオフィシャルブログ」より2015年9月25日分を転載)

  • Thumbnail

    記事

    沖縄教科書論争 2社の領土問題に関する記述はどう違うのか

    でいる。 小中学校で使用される教科書は、文部科学大臣の検定を経て「適切」とされたもののなかから所管の教育委員会が1種類を採択する。 沖縄県の石垣市・与那国町・竹富町の1市2町は、八重山地区採択協議会をつくり、これまで同一の教科書を採択してきた。平成23年の夏の採択で同協議会は中学公民教科書に育鵬社版の使用を決定。ところが竹富町はこれに従わず、東京書籍版の使用を決め、今年度もその方針を継続している。 これが採択地区で同一の教科書を使うと定めた教科書無償措置法に違反しているとして、文部科学省は今年3月14日に竹富町に是正要求を出したが、竹富町側は応じない構えを見せた。記者会見する沖縄県竹富町の慶田盛安三教育長。右は大田綾子教育委員長=2014年3月24日午後、沖縄県石垣市 この問題の根本にあるのは、育鵬社版と東京書籍版の“中身”の違いであるとわかる。麗澤大学教授で、日本教育再生機構の理事長を務める八木秀次氏が指摘する。 「これまでの教科書は日教組の主義主張がストレートに表われていた。それでは問題があるとして10数年前に扶桑社が新しい歴史教科書を作り始め、現在はその子会社である育鵬社が教科書を作っている。3年前、八重山地区ではこの育鵬社版の公民教科書を採択したわけですが、教職員組合の力が強い竹富町がこれに猛反発している」 実際に、中学の公民の教科書の記述内容はどれほど異なるのか。両社の教科書を比較してみよう。 領土問題については、育鵬社版『新しいみんなの公民』では、北方領土、竹島、尖閣諸島について〈これらの領土は歴史的にも国際法上も、日本の固有の領土です〉と明記。例えば竹島については〈国際司法裁判所に付託することを提案しましたが、韓国はこれを受け入れず、現在に至っています〉と外務省ウェブサイトを引用しながら詳しく記載し、中国の主張に対しては〈中国が挙げている根拠はいずれも「領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません」〉とまで書いている。 一方、東京書籍版『新しい社会 公民』は、北方領土と竹島を〈日本固有の領土〉、尖閣諸島を〈日本の領土〉としているが、コラムで扱っているだけで詳しい記述はない。 ちなみに、帝国書院版『中学生の公民 よりよい社会をめざして』では、領土に関するページそのものが存在せず、「日本固有の領土」という表記もない。関連記事■ 沖縄歴史教科書問題 東京書籍版は南京事件で「虐殺」を使う■ 沖縄教科書論争 2社の強制連行と外国人参政権の記述を比較■ 韓国が教科書に載せないベトナム戦争時の虐殺と売春ビジネス■ 徳川綱吉 教科書記述一変、生類憐みの令は慈愛の政治と評価■ 聖徳太子 実在疑問で教科書での存在が年々薄くなっていった

  • Thumbnail

    記事

    高校のテキストでも強調される南京大虐殺 「米国人洗脳」工作の実態

    南京事件もまた、こうした「勝者米国の正義」「戦勝国史観」と深く関わる件である。米国の高校生への「反日教育」のテキスト 前篇で、いわゆる「南京事件」のポイントを整理した。これらのポイントは同時に、「南京事件」に関する疑問点でもある。昨年2月、「(いわゆる)南京事件はなかったのではないか。通常の戦闘行為はあったが」と発言した名古屋の河村市長は、発言の前も後も一貫して、「南京の件について中国側とオープンに議論したい。この問題が、いつまでも日中間に刺さった『トゲ』になっていることは日中友好のためによろしくない」と主張したが、筆者もまったく同じ思いである。「南京大虐殺記念館」で開かれた追悼式典で献花する儀仗(ぎじょう)兵=2014年12月13日、中国・南京市(新華社=共同). 私たちはつねに、過去の事実、史実に対し誠実に向き合うべきである。76年前の南京で、通常の戦闘行為や、一部の不届き者による暴挙ではなく、日本軍による「虐殺」が行われたという動かしがたい証拠があるのなら、ぜひとも知りたいと思うし、そのうえで、現代の日本国民としての処し方を考えたいとも思う。しかし、本件はわずか70数年前のことにしては、不明瞭、不可解な点が多過ぎる。不明瞭・不可解な点が多いゆえに、南京事件は容易に「膨張」させられてしまう。日本にとって忌々しき最近の一例を挙げよう。 河村たかし氏は、名古屋市長就任後にロサンゼルスの一部の高校で、「南京虐殺」の記述を含む歴史副読本が使われていることを偶然知ったという。筆者の手元にはそのコピーがあるが、次のように記述されている。「南京大虐殺」――南京の市民が、戦争の激情と人種的優越感に煽られた日本軍の犠牲となった事件――は、戦争の恐怖を実証した出来事である。2カ月の間に、日本兵は7000人の女性を強姦し、数十万人の非武装の兵士や民間人を殺害し、南京市内の住宅の3分の1を焼き払った。40万人の中国人が、日本兵の銃剣の練習台にされたり、機関銃で撃たれて穴に落とされたりして命を落とした。(Traditions & Encounters --- A Global perspective on the past) くだんの「南京大虐殺記念館」で、30万と宣伝している犠牲者が、このテキストのなかでは40万人に“増えて”いる。虐殺されたという人数が増えているだけではなく、7000人もの女性を強姦したことにもなっている。河村氏はこれを「どえりゃあこと」といい、「米国における教科書問題」と表現した。 この40万人説のネタ元は何か、といえば、本稿前篇で触れた故・アイリス・チャン著のベストセラー本『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』と思われる。「反日教育」テキストのネタ元は? ここで、アイリス・チャンについても触れておこう。中国系アメリカ人女性のチャンは、20代で作家デビューした後、爆発的ヒットとなる『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』を著した。ヒット後は、「歴史家」「活動家」として一躍メディアの寵児となり、90年代の終わりには、駐米日本大使とテレビ番組で歴史討論を繰り広げてもいる。 昨今、中国が世界50カ国で日本のネガティブ・キャンペーンを繰り広げるなか、現地駐在の日本大使や領事が反論、応戦しているが、この種の活動は90年代にも行われていたのである。折しも、当時、歴史問題を最強の「対日カード」と位置づけていた国家主席・江沢民の来日とも呼応して、このときのチャンは、大使に「日本は中国に酷いことをしたにもかかわらず謝罪をしていない」と迫った。大使は過去の日本の「お詫び」の例を挙げ、真摯な反論に努めていたが、テレビを見ていた米国民には「悪行を働きながら謝罪のたりない日本」との印象だけが残ったことだろう。 このようにスポットライトを浴びていたチャンだったが、次第に彼女の本の内容の信憑性が疑われ始める。抗議等が相次ぎ、それが原因か否かは不明だが、彼女は精神を病み、後にピストル自殺をした。死後、中国系や他の機関との関係も取り沙汰されたが、それでも、『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』がアメリカ世論に与えた影響は大きかった。 日本との戦争について、パールハーバー以外には多くを知らなかった何百万もの米国人に、旧日本軍が「いかに悪逆非道だったか」を知らしめ、それを懲らしめた米国はやはり正しかったのだと思わせた。チャンの死すらも世間から忘れられた今となって、彼女の著書のなかの「40万人説」が形を変えて蘇り、独り歩きして米国の学校現場にばら撒かれている。これは日本にとって実にゆゆしき事態である。米国で展開されている工作は「慰安婦像」だけではない 副読本はカリフォルニア州内の高校で配布、使用された。採択された背景の詳細は取材中だが、州内の成績優秀な生徒の通う高校群にて使用されたことは確かである。 副読本の著者は中国系ではない。この著者は、過去にべつの歴史テキストを執筆した際、その内容についてユダヤ系団体からクレームを受けたこともあると聞くが、著者がどうであれ、日本にとって頭の痛い点は、この副読本によって、前途有望な米国の若者たちに、「日本は残虐なことをした」「日本人は残虐」ということが、その根拠も薄弱なまま刷り込まれてしまったことにある。現に、河村たかし市長は、この副読本で学んだという日系人の若者から、「日本は中国で残虐なことをしたのでしょう?」という質問を受けたという。 いま盛んに報じられる世界各地や国連でのやり合いや、韓国勢による「従軍慰安婦像」の建造はむろん大問題だが、何年も前から、私たちに見えないところで着々とこうした「米国人洗脳」工作が進められてきたことのほうを筆者はむしろ深刻に捉えている。 ところで、「慰安婦」については日韓条約をもって解決済みというのが日本政府の基本的スタンスである。とはいえ90年代には、不適切な報道を絡めた日本の大手メディアと韓国側との連携による激しい攻勢に抗しきれず、「河野談話」が発せられ、「アジア女性基金(略称)」なる民間団体を通じた個人への「償い」を行なう羽目に陥り、国内外に取り返しのつかない誤ったメッセージを発信してしまった。 日本はこの轍を2度と踏んではならない。それは単に日本のためだけでなく、日韓条約締結によってつくられた戦後秩序、国際秩序を自ら壊す行為につながるからだ。「南京事件」の責任を引き受けて逝った「戦犯」 南京事件に話を戻そう。戦後行われた「極東軍事裁判」において、南京虐殺の首謀者だとされ絞首刑に処せられた、松井石根大将(1878~1948)という人がいる。1937年、日中戦争が起こると、松井大将は、すでに予備役となっていたにもかかわらず、60歳を前にして現役に復帰させられ、その2カ月後、破竹の勢いで首都南京を攻略し入城、国民的スターとなった人物である。 松井大将は、いわゆる「大アジア主義」の支持者であり、今でいう「親中派」であった。ただし、当時の「親中派」とは、中国には一切もの言わない今日の親中派とはかなり違う存在である。 松井には、「親中派」らしいエピソードがいくつもある。南京戦に向かう途中、日本軍の戦死体が埋葬され、戦場清掃を済ませている様子を見て参謀を呼びつけ、「日本兵の死体だけを片付け、支那兵の戦死体を放置したままにするとは何ごとか」と叱りつけたという話。さらに、南京入城の翌年には復員し、熱海で隠遁生活に入ったが、このとき、日支双方の犠牲兵をどうやって弔うべきかを知人に相談し、結局、「日支双方の兵士の血が沁み込んでいる」上海の土を取り寄せて観音像を作り、両国の犠牲兵を合祀し、肺炎を患っていた身で毎朝自ら観音経をあげていたというエピソードもある。 中国人をそのように身近に思い、軍規にもとくに厳しかったといわれる松井大将が、南京で数十万の一般の中国人を虐殺したというのもなかなか信じ難い話であるのだが、日本が戦争に敗れた後、松井大将は、極東国際軍事裁判において大罪人とされた。 この南京虐殺と松井について、当時の中華民国のトップだった蒋介石がまったく反対の2つのことを言い残している。 1970年代に、日本の新聞は、蒋介石が自身の回顧録のなかで南京事件について次のように書き残したと報じた。南京陥落からひと月以上後の1938年1月22日付の日記で、「倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている(中略)。いわゆる南京大虐殺である。戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。犠牲者は30万人とも40万人ともいわれ……」と記したというのである。 ところが、1966年、日本の新聞記者ら5人が岸信介の名代として台湾を訪問した際、蒋介石は、松井石根の名前を聞くと顔色を変え、「南京に大虐殺などありはしない。松井閣下には申し訳ないことをした」と言ったとも伝えられている。 これらのことと、拙稿前篇で紹介した国民党の史料等を合わせてみると、南京虐殺そのものが虚構と受け取れなくもない。が、仮に松井大将が冤罪であったとしたら、これは日本、中国というレベルでなく、世界中の歴史認識をひっくり返すほどのこととなり得る。 むろん、当時の日本軍兵士のなかに不適切な行為に及んだ者もいた。捕虜への虐待、市民への暴行、殺害、掠奪もあったが、その種の行為に及んだ者の多くは軍法会議にかけられ処分された。こうした一部の暴挙を思い、松井は黙って刑に処せられたとの話も残る。 戦勝国が主導する法廷で裁かれ、虐殺を指揮した人物との「汚名」を着て絞首刑台に上がる際、松井は、東条英機ら他の戦犯と共に、「天皇陛下と大日本帝国万歳」と三唱して逝った。この事実すら、いまの日本人のなかに知る人は少ない。歴史認識とは何か? 戦争とは、最低でも2国以上が関わって起こる事態である。戦後になって、「歴史」としてそれを振り返るとき、勝者は「栄光」と認識し、敗者は「屈辱」と受け取る。つまり、両者の歴史認識が自然に一致することはほとんどあり得ず、仮にぴたりと一致しているとすれば、それは勝者の側の歴史認識が敗者を圧倒したからに過ぎない。 戦後70年がたとうとするいま、私たちに求められているのは、歴史の事実に誠実に向き合う姿勢である。日本政府が、急カーブを切るようにこれまでの歴史認識を変えることはむずかしいが、国民レベルにおいて、「実際に何があったのか」を知る姿勢をもつことはひじょうに重要である。その動きに対し、あらぬところから、「(歴史)修正主義者(revisionist)」なるレッテルを貼られることがあったとしても、私たちには事実を知る権利が厳然とある。こう考える日本国民は近年増えてきている。 一昨年2月の「南京発言」後、大バッシングに晒されたとはいえ、河村たかし名古屋市長が政治生命を失うこともなく、その後、再選まで果たしたこともその変化の表れだろう。1994年、ときの法務大臣、故・永野茂門氏が、「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言した際に、マスメディアから人格攻撃まで含む総攻撃を受け、就任からわずか11日で辞任したときのことを思えば、まさに隔世の感がある。 これは、河村氏がメディアと周囲からの「発言撤回圧力」に屈しなかった結果ではあるが、18年前と比べ、メディアの責め口調がトーンダウンしていたのもまた明らかだった。理由は、この18年で日本国民の心理が大きく変化したためであろう。河村氏の「南京発言」後、名古屋市役所には市民からの電話、FAX等が多く寄せられたが、その約9割は「河村がんばれ」であった。こうした日本国民の心理的変化を生んだおもな要因は、近年、中国、韓国が執拗かつ露骨に行なう、史実や現状を無視した「日本叩き」、そして領土の侵犯にある。 長きにわたって日本の世論に対し効果絶大だった中国の「反日カード」は、いまやその効力を失いつつある。それでも中国は韓国と連携し、戦勝国が主導する国際世論に訴える攻勢を強めており、それは従来、自国民の不満をそらす手段ともなってきたが、果たしてその効力もいつまで続くのか。依然、敗戦国という厳しい立場に置かれている日本ではあるが、世界のパワーバランスも変わりつつあるなかで、今後、「事実」に基づく適切な反論をしていくために、国内の体制をまず整えることが求められている。

  • Thumbnail

    記事

    教科書によって違う“終戦の描写” 育鵬社と東京書籍で比較してみた

    による被害」を強調する東京書籍。教科書会社によって歴史の解釈や、切り取り方が微妙に異なるようだ。歴史教育はどうあるべきなのかを考える上で、興味深い結果となった。 関連記事「ホットライン がつながらない!」 中国の冷たい対応に焦る韓国サウジアラビアとイランはなぜ対立するのか - 村上拓哉 / 国際関係論【衆院予算委】山尾議員、安倍総理の基本的考えと社会認識とのずれを指摘解散後の「SMAP」という商標の行方アベノミクスを襲う中国減速・原油安・暖冬

  • Thumbnail

    記事

    まともな教科書を選ぶために 教職員組合のデマに屈するな

    森口朗(教育評論家、東京都職員)捏造朝日新聞の面目躍如 平成27年は中学校の教科書採択の年であり、朝日新聞が最も嫌う育鵬社の社会科教科書が大躍進しました。歴史教科書で前回採択年(平成23年)の51%増、公民教科書でも34%増となったのです。 朝日新聞はよほど悔しかったのでしょう。それを「育鵬社教科書、シェア微増」と伝えました。企業の売上が前回の集計時と比較して50パーセント増となっているのに、それを「微増」と書く新聞を誰が信用できるでしょうか?クレバーなビジネスマンならば、即日解約するでしょう。 同じ趣旨で、朝日新聞を購読している人がいたならば、即日解約をお勧めします(心ある人は、慰安婦狩りを捏造するような新聞など既に解約済とは思いますが念のため)。置き去りにされる94%の中学生 具体的な数字としては育鵬社のシェアは、歴史教科書で3.7%から6.2%、公民教科書で4.0%から5.7%となったようです。 育鵬社の教科書は、歴史教科書の記述があまりに日本のネガティブな側面を強調しすぎているという反省に立った教科書改善運動から誕生したものです。教科書改善運動で最大の焦点になったのが「従軍慰安婦」でした。当時はまだ、朝日新聞の一連の従軍慰安婦に関する記事が吉田清治氏の偽証言に基づいて書かれたことが明らかになっていませんでしたから、歴史教科書批判も「日本政府が関与した証拠がない中で教科書に載せるのはいかがなものか」「思春期の多感な時期に生徒に教育すべき内容ではない」といった穏やかな内容だったと記憶しています。育鵬社の歴史、公民教科書の東日本大震災関連の記述 しかし、従軍慰安婦の強制連行が朝日新聞の捏造、少なくとも誤報であったことが明らかになったことで、ほとんどの教科書から「従軍慰安婦」の記述が削除され、今回の教科書採択では大きな争点になりませんでした。 本当にそれで良いのでしょうか?私は、今回の採択こそ「従軍慰安婦」が焦点になるべきだったと思っています。捏造された歴史を書き続けてきた教科書と、それに批判的だった教科書、教育委員会の委員達はいったいどちらを選択するつもりなのだと。 朝日新聞は遅きに失したとはいえ、また、故意の捏造であると認めなかったとはいえ、「誤報」を謝罪しました。ところが、教科書会社は一切謝罪していません。強制連行がなければ「慰安婦」はただの「売春婦」です。戦場に売春婦がいた、それだけの事実をあたかも日本政府が朝鮮人に酷い仕打ちをしたように教えられた中学生はどうなるのでしょう。 私は育鵬社の教科書が6%前後のシェアを占めたことを素直に喜んでいます。ですが、未だに94%の中学生が、過去の「慰安婦」記述について謝罪さえしない出版社の教科書を使っていることに危惧を覚えずにはいられません。日本人分断プロパガンダに好都合な他社教科書 「慰安婦」記述を横においたとしても、歴史教科書にはまだまだ見過ごせない点があります。その最たるものが縄文文化に対する記述です。縄文土器は現在判っている世界最古の土器であり、縄文文化は世界最古の文化です。それは日本人としてとても誇らしいことですが、より重用なのは縄文土器が「北海道から沖縄まで日本列島全体から出土して」いる事実です。ところがそれを書いている教科書は育鵬社しかありません。育鵬社教科書では、その事実から縄文時代が「その後の日本文化の基礎」になったと説きますが、他の教科書は和人とアイヌ、「やまとんちゅう」と「うちなんちゅう」が同じルーツである事実にほとんど触れていません。 現在、日本を巡る国際情勢で最も深刻な課題は、中国が尖閣列島への侵略を試みている点ですが、中国の本当の狙いは沖縄諸島です。2010年に中国で吹き荒れた反日デモでは「琉球回収、沖縄解放」という横断幕が掲げられ、2011年には中国人民解放軍の幹部が「琉球諸島は日本の領土ではない」と発言しており、彼らは領土的野心を隠そうとしていません。 この動きを封じるには、安全保障政策が最重要ですが、私たち日本人自身が「沖縄は紛れもなく日本の一部である」という自覚を持つことも同じくらいに大切です。そのためには学校教育において、「やまとんちゅう」も「うちなんちゅう」も同じ日本人であるという意識を育まなければならないはずなのに、他社の教科書では「日本人と琉球人は別の民族だ」という日本人分断プロパガンダを受け入れる土壌を育んでしまうのです(もっとも、幸いなことに、近年の研究でDNA的にも言語的にも沖縄人は日本人の一部であることが解明されつつあります)。教職員組合に屈せず、まともな教科書を 教科書改善運動は、今まで大きな成果をあげてきました。平成13年度における扶桑社の歴史教科書の採択数は全国でたったの450冊でした。それが平成27年には扶桑社の子会社である育鵬社の歴史教科書が72410冊も採択されています。14年間でなんと160倍にも成長したことになります。 しかし先にも述べたように、全国では未だに94%の中学生が、若干薄められたとはいえいわゆる「自虐史観」に彩られた歴史教科書で授業を受けているのです。その最大の原因は、「戦争賛美」というデマを撒き散らす、教職員組合により採択妨害行為にあることは自明です。今回の採択妨害では、「戦争賛美」に加えて「受験に不利になる」「安倍政権の広報誌」「ヘイトスピーチの一種」といった誹謗中傷まで彼らは行いました。 私は改めて、次回採択時にはこういった行為を規制する必要があると感じましたが、それとは別に各自治体の教育委員達の無自覚、無定見も見過ごせません。 今回の採択では、文部科学省は事前に通知を出し、教員などによる下部機関に教科書の順位付け等を固く禁じていました。自らしっかりと教科書を読めば、どれが健全な中学生を育てるに適した教科書であるかは一目瞭然だったはずです。 全ての中学生がまともな教科書で学習できる日が来るためには、教職員組合のデマに屈しないことはもちろん、「教職員組合が非難する教科書だからこそまとも教科書ではないか」と疑ってかかるくらいの常識的感覚を有する教育委員を選定することが何よりも重要なのです。もりぐち・あきら 日本の教育評論家、東京都職員。95年~05年まで都内公立学校に勤務。偏差値で学力を測ることの妥当性と限界を明らかにした。紙媒体で初めてスクールカースト概念を紹介し、いじめとの関係を解明。著作に『日教組』(新潮新書)、『いじめの構造』(新潮新書)、『偏差値は子どもを救う』(草思社)などがある。

  • Thumbnail

    記事

    教育委員長が明かす 私が育鵬社の教科書を推さなかった理由

    櫻井光政(弁護士、元大田区教育委員長) 私が4年前、大田区の教育委員として中学校の教科書を選ぶに際して考えたことは、中学生たちに、1 生きて行くのに必要な知恵を身に付けてほしい2 豊かな知識で人生の彩りを豊にしてほしい3 きちんとしたエリートが育ってほしい ということでした。また、中学校の大事な目的は、明日の主権者を育てる仕事である。そのことが将来の国の進路を誤らせないために必要である、と考えました。 そのためには、例えば歴史教科書ならばア 歴史がどのように動いていたか、何が歴史を動かしたかを観察し、今後どのように歴史を作って行くか考えることに役立つもの。特に、誤りはなぜ起きたかをきちんと分析されているものイ 学問である以上科学的な見方がなされていて、最新の研究の成果が現れているもの。そしてより高次の学問へのつながりが展望できるものウ 教育の手法としても優れているもの という条件を備えたものを選ぼうと心がけました。 そうした観点から、ある事象を積極消極の両面から分析して、その原因を探求する深さを当時私が感じたのが帝国書院のものでした。教育の手法で見劣りした育鵬社版 他方、採択された育鵬社版は、愛国心と自尊感情に配慮した作りになっていましたが、そのあまりナショナリズムの歯止めとなる力が弱いように感じました。また、教育の手法も、歴史ある教科書会社と比較して見劣りがしました。この点は今度の改訂版を見ても大きく変わっていないと思います。 例えば古代のヤマト王権の隆盛について、帝国書院版では、製鉄技術で進んでいた朝鮮半島とのつながりがヤマト王権を優位に立たせたことが書かれています。そうして「何故」という疑問に答えると同時に、隣国の進んだ文化の恩恵に浴したことにも触れられています。 図版の取り上げ方も帝国書院が優れており、育鵬社版は見劣りがしました。ただ、私が従前指摘していた数点のうち、ルネサンスの三美人の変遷とアイヌオムシャの錦絵については、今回の改定で、育鵬社も帝国書院と同じ図版に変更しました。 東北平定について、育鵬社版は「律令のしくみを九州南部や東北地方へも広げていきました。東北地方に住む蝦夷がおこした反乱には(中略)これを鎮圧しました」とありますが、しくみを広げるという表現は意味が解りません。帝国書院版では「東北地方北部には律令国家の支配が及ばない人々が住んでいました。(中略)朝廷は(中略)城や柵を築いて闘いに備えつつ(中略)兵士や農民を移して開拓を進めました。蝦夷は律令国家の支配に対し、激しい戦いを繰り広げましたが…」とされており、当初から武力による平定であることが端的に解ります。 育鵬社版の民本主義についての記述は、「吉野作造は、民本主義を唱え、選挙で多数を占めた政党が内閣を組織すること(政党政治)が大切であると主張しました」というものですが、これでは民主主義との違いが解りません。帝国書院版では、「これは、主権がどこにあっても、民衆の考えに基づき、政党や議会を中心に政治を行おうとするものでした」となります。主権がどこにあっても、つまり天皇主権のもとであっても民衆の考えに基づいて政治ができる、すべきだというのが「民主」でなく「民本」の真骨頂なのです。 また、帝国書院版では、「国民」という概念が所与のものではなく、国家によって形成されるものであるという点にも触れています。「新政府は、中央集権化とともに、人々が「日本国民」として国家のために同じような考えや生活習慣を身につけるように求める政策を進めました。」という記述です。帝国書院は欧米近代国家形成の項でも「こうして欧米諸国では(中略)「国民」という意識を持たせることで人々を1つにまとめる近代国家をつくろうとしました」と指摘しています。これらは残念ながら育鵬社版には見られません。 日清戦争について育鵬社版の記述は「清は朝鮮の求めに応じて『属国を保護する』という理由で出兵しましたが、これを認めないわが国も清との取り決めに基づいて出兵したため、両軍は衝突し、日清戦争がはじまりました」というものですが、素直に読むと、取り決めに基づいて出兵したのになぜ戦争になるのかわかりません。これが帝国書院版だと「朝鮮政府が清に援軍を求めると、日本も清に対抗して朝鮮へ軍隊を送りました。(中略)朝鮮王宮を占拠するなど干渉を行いました。そのため、朝鮮を勢力範囲と考える清との対立を深めました」とあり、解りやすいです。先の「取り決め」が朝鮮に軍を送るときは互いに通知する旨の取り決めであることは註で触れられています。取り決めに基づいて出兵したという表現は誤解を招き、適切でないと思います。 太平洋戦争に関しては、沖縄戦の記述が対照的でした。育鵬社版は、戦火に逃げ惑う沖縄県民としてある母親の手記や、ひめゆり学徒隊の看護活動としてひめゆり学徒の手記を掲載し、戦争の悲惨さを伝えています。そして太田実少将の海軍次官に宛てた電文を紹介します。電文は、沖縄県民の献身的な働きを述べ、「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世、特別のご高配を賜らんことを」と結んでいます。 これに対して帝国書院版は、「日本軍によって、食料を奪われたり、安全な壕を追い出され、砲弾の降り注ぐ中をさまよったりして、多くの住民が犠牲になりました。日本軍司令官は6月23日に自害し、日本軍の組織的な抵抗は終わりましたが、「最後の一兵まで戦え」という命令は残っていたため住民と兵士の犠牲は増え続けました。人々は集団死に追い込まれたり、禁止されていた琉球方言を使用した住民が日本兵に殺害されたりもしました。また、八重山列島などではマラリア発生地にも移住させられたため、多くの病死者が出ました。」と記述し、日本軍自体の問題をも厳しく指摘しています。ここでは、軍事作戦行動の主たる目的が、必ずしもその地の個々の住民を守ることではないことがリアルに示されています。また、徹底抗戦の命令を残したことが、指導者の在り方としてどうだったのかという点も考えさせられます。その意味で、私は帝国書院版に記述の深みを感じました。「押し付け」憲法ではないことを示唆した帝国書院版 最後に憲法制定過程の記述について比較します。 育鵬社版では、「GHQは、我が国に対し、憲法の改正を要求しました。日本側は、大日本帝国憲法は近代立憲主義に基づいたものであり、部分的な修正で十分と考えました。しかしGHQは日本側の改正案を拒否し、自ら全面的な改正案を作成すると、これを受け入れるよう日本側に強く迫りました。 天皇の地位に影響が及ぶことを恐れた政府は、これを受け入れ、日本語に翻訳された改正案を、政府原案として帝国議会で審議しました。議会審議では細かな点までGHQとの協議が必要であり、議員はGHQの意向に反対の声を上げることができず、ほとんど無修正で採択されました」と記載されています。この、「日本側」という表現がここでは重要です。 これに対して帝国書院版は、「総司令部の指示で、日本政府は新しい憲法の制定に着手しました。政府原案ができましたが、その案では民主化が徹底されていないと判断した総司令部は、自ら作った草案を日本政府に示し、修正を促しました。 こうした過程から日本国憲法は『総司令部の押しつけ』といわれることもありますが、総司令部は、政党や民間の学者らによって独自に作られた憲法草案も参考にしました」と記載されており、必ずしも押し付けられたものではないことを示唆し、また、修正を促されたのが「日本政府」であることを明確にしています。 この、GHQが草案を示して日本政府に迫ったのが1946年2月13日のことで、その時の様子はGHQが速記録を作成しています。そしてその速記録は国会図書館のホームページからアクセスできます。まさにその、「押し付け」の場面はこうです。 ホイットニーが次のように発言しています。"General MacArthur feels that this is the last opportunity for the conservative group, considered by many to be reactionary, to remain in power; that this can only be done by a sharp swing to the left; and that if you accept this Constitution you can be sure that the Supreme Commander will support your position. I cannot emphasize too strongly that the acceptance of the draft Constitution is your only hope of survival, and that the Supreme Commander is determined that the people of Japan shall be free to choose between this Constitution and any form of Constitution which does not embody these principles."Record of Events on 13 February 1946 when Proposed New Constitution for Japan was Submitted to the Prime Minister, Mr. Yoshida, in Behalf of the Supreme Commander 概略は、「マッカーサー元帥は種々の点から考えてこれが保守層にとって、その権力を維持する意味からも、左翼に対して打撃を与える意味からも最後のチャンスと考えておられる。もしあなた方がこの草案を受け入れるなら最高司令長官はあなた方の地位を保障するだろう。草案の受諾はあなた方が生き延びる最後の希望だ。最高司令長官は、日本の人民が、この憲法か、それともこれらの原則を含まずに憲法の体裁を整えた物のいずれかを自由に選ぶようにさせる決意である」というような内容です。つまり、GHQ案を飲まなければ国民に選ばせるぞ、というわけです。もし「押し付け」というのであれば、押し付けられているのは日本国民ではなく、保守党が支配的な勢力を有する当時の日本の政府だということがわかる記述です。これをことさらに「日本側」とくくるのは、こと国民が政府の専横を縛ることを目的とする憲法の制定過程の議論においては大雑把すぎると思います。 最近、近隣諸国でのナショナリズムの高揚を感じます。これに対しては冷静な対応こそ望まれるのであって、わが国がナショナリズムの高揚をもってこれに対抗するのは賢明な態度ではないと考えます。近隣諸国を侵略した過去を持つわが国であれば、誠実かつ忍耐強く平和への努力を続けることこそが、現代を生きる日本人の誇りとすべきことだという視点が特に重要な時代になって来ているように思います。 それらの点をいろいろ比較して、他社の教科書が優れていると判断しました。 教科書を読むのは面白いです。機会があればぜひ読み比べてみて頂きたいと思います。さくらい・みつまさ 桜丘法律事務所代表弁護士(第二東京弁護士会)。1954年、東京都生まれ。77年中央大法学部法律学科卒業。79年に司法試験に合格、82年弁護士登録。東京弁護士会副会長などを歴任。2003年から11年まで大田区教育委員を務める。

  • Thumbnail

    記事

    朝日に載った教科書検定審委員の許されざる“暴言”

    氏はこの規定を加えることに否定的だった。「政府の立場を書くこと自体は悪いことではない」としながらも「教育を通じて政府の立場を刷り込もうとしている」と述べているからだ。 だが、これまで公民教科書などでは、竹島の領土問題などで、韓国の立場に立ったかのような記述をした教科書が散見される状況が続いた。日本の国民である子供達にまず明確に教えるべきこと、それは日本の立場だ。これを教科書に書くことは当然である。領土問題を例にすれば検定基準の改定も妥当だ。 しかし、歴史教科書の場合には必ずしもそう簡単に割り切れない場合がある。というのは、政府見解は原則としてさまざまな政治的状況の中で妥協の産物として出てくる場合が多く、歴史認識はこれらを超越して存在するものであるからだ。 上村氏がいう「政府の立場を書くこと自体は悪いことではないが、教育を通じて政府の立場を刷り込もうとしている」とする反対理由には私達は決して同調しない。しかし、政府見解だからといって唯々諾々と肯定的に書くことができないケースが起こり得ることは当然あると思っている。民主主義国の歴史教科書としては歴史認識が政府見解の上にある場合があることも想定しておかなければならないのだ。 一例を出そう。「つくる会」の教科書では―現行版もそうであるが―東京裁判について批判的に記述したコラムを掲載している。今回も記述のバージョン・アップを図り、マッカーサーの「東京裁判は誤りであった」という批判的発言を盛り込み検定申請に臨んだ。 検定官(正しくは「教科書調査官」であるが分かりやすく「検定官」とする)はこの記述に難色を示した。東京裁判に対する日本政府の見解を記述するよう迫ってきた。私たちは、検定基準が変わって政府見解がある場合、政府見解を書くべきだというルールができたのだから、この指示に従った。そしてコラムの最後に《現在の日本政府は、「裁判は受諾しており、異議を述べる立場にはない」としています》との一文を付け足した。 なおも検定官はマッカーサー発言そのものを教科書から外すよう言外に求めていたが、しかし、これは呑むわけにはいかない。既に記述を修正したことで私ども執筆者が政府見解を肯定しているかのような印象をもたれかねない記述になってしまっている。また既に合格した現行本の記述やトーンとも整合性がとれない。 やり取りが続き、結局マッカーサーの批判発言を正確に書くのであれば記述してよいという形で決着した。歴史事象を如何に捉えてどのように認識するかという問題は―公民分野の領土問題のように日本国民の立場をまずきちんと教わり、知るべきだとする類いの話とは違って―政府見解で縛るべき類いの話ではない。東京裁判をいかに捉えるか、どう評価するかといったテーマはそうした典型的なケースだ。政府見解を(とりわけ肯定的に)書くよう金科玉条に求められた場合、従えない場面が起こり得るのだ。なぜ南京事件を書かなかったかなぜ南京事件を書かなかったか 今回の検定基準改定で、通説的な見解がない数字などの事項については通説的な見解がないことを明示しなければならなくなった。 上山氏はこう述べている。「近現代史で通説的な見解がない数字などを書く場合は、それを明示することになりましたが、通説とは何かを判断するのは難しい。通説ではないとして審議会が訂正や削除を求めても、納得しない教科書会社や執筆者から裁判を起こされたら勝てないかもしれない」 関東大震災における朝鮮人殺害の人数や「南京事件」の虐殺数などが思い浮かぶ。そこで「南京事件」で考えたいのだが、その前に「つくる会」の教科書は「南京事件」が存在しなかったとして記述をせず、それが検定をパスした初めての教科書となった。そこをまず述べておきたい。 なぜ、書かなかったのか。「南京事件」は中国共産党のプロパガンダで事件自体がないためであり「南京事件」が「南京大虐殺」という意味で使われ、「大虐殺」の意味するところが、軍の行う組織的な民間人の不法殺害という意味ならば、まさに「南京事件」など存在しなかったからである。兵服を脱ぎ民間人になりすました敵の便衣兵が沢山存在し、日本の正規軍には最も危険な存在だった。こうした便衣兵が捕虜としての保護は受けられないことは当然である。中国江蘇省南京市の南京大虐殺記念館で開かれた犠牲者追悼式典=2014年12月13日(新華社=共同) 当時、南京での激戦は確かにあった。便衣兵の処断もあった。どこの戦場でも生じる不心得の兵士による不祥事も皆無ではなかった。しかし、軍が組織的に民間人を不法に殺害した「南京事件」などは存在しなかった。当時の南京市の市民を安全区に収容し、その安全を守った国際委員会の日本領事館への報告を見ても殺害や略奪などの件数が極めて少なく、到底、虐殺などとはいえないレベルだった。これもまた「南京事件」が存在しなかったことを裏付けているのである。上山氏の心配は無用だ 話を戻そう。「つくる会」の教科書をのぞけば他の七社の教科書はすべて「南京事件」が存在した話になっている。そこで殺害者数が問題になるのだが、通説がないことを記述するように審議会が迫り、それに納得しない会社や執筆者が裁判を起こしたら勝てないかもしれない…と上山氏は心配しているのだが、「南京事件」に限っていえば、すでに事件が存在しないことは完全に証明されている。無用な心配であろう。 問題はこうした論争的なテーマで正しい結論を出せずにいる研究者の集りである学界にある。「南京事件」は存在したと言い張り、いまなお巨大な数字を掲げる研究者がいるが、この人たちに「南京事件」は存在しなかったとする研究者が何度公開討論を申し込んでも逃げて出てこない。 研究者のすべてではけっしてないが、掲げていた学説の破綻を潔く認めない研究者、逃げ回っている研究者が多すぎるのだ。こうした不誠実な人達が害毒を社会に垂れ流し続けることが放置されているのである。「事件の不存在」証明した南京学会「南京事件」を書かなかったわれわれの教科書がなぜ、そのまま認められたのだろうか。それは教科書は民間人の創意で制作するものだという教科書検定制度の原則を踏まえ検定官が「書くように」という検定意見を提示しなかったからだろう。 だが、もうひとつ見逃せないのは「南京事件」の研究が進み、「南京事件」が存在しなかったという研究結果の存在を検定官が認知していたからではないか。平成十二年十月二八日、東中野修道亜細亜大学教授を会長として「日本『南京』学会」が発足した。既存の学界が事実を直視せず自ら正そうともしないなかで事件の真相を解明していこうという果敢な取り組みは、平成二十年五月二七日の『日本「南京」学会年報』の最終完結版を出すまでの約八年間にすさまじい研究成果を挙げた。「南京事件」が存在しなかったことは完全に証明されたのだ。 検定をパスした背景にはこうした事情もあると思う。いずれにせよ、これで今後の検定でいずれ、すべての教科書から「南京事件」の記述が消える可能性が出てきたのだからその意義は大きいと思う。東京裁判は受け入れてはいない 上山発言の問題はまだある。「戦後の日本は、太平洋戦争を引き起こした仕組みを否定、つまり東京裁判を受け入れ、民主化を進めるところから出発したわけです。これは政府見解というより国民の共通認識でしょう」 いうまでもなく、この前の戦争における日本の降伏は、ポツダム宣言受諾による有条件降伏であり、その中に、「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ」として通常の戦争犯罪についての処罰は同意していた。しかし、遡及して処罰することになる「平和に対する罪」として開戦時の政策決定者を罰することには同意していない。東京裁判が裁判に値しないもので、占領期という戦争の延長状態で強権的に一方的に行われたものであるという認識はすでに世界の常識で、したがってそこの判決も判決の名に値しないとするのは、もはや世界共通の歴史認識というべきではないか。 確かに民主主義化はポツダム宣言での受諾事項といえるのであり、さまざまな民主主義化の改革が行われ、平和国家を目指すことになったことは、政府見解というより国民の共通認識になったといってよいであろう。しかし、軽々しく東京裁判を受け入れたなどとは言うべきではない。 日本政府は東京裁判を受け入れたという見解を出しており「つくる会」の教科書も検定基準の改定を踏まえて《現在の日本政府は「裁判は受諾しており、異議を述べる立場にない」としています》と記述している。しかしだからこそこうした政府見解に対して批判する立場に立ち、この見解が法的には成り立っていないことを指摘する自由をもつべきである、と考える。そうでなければ歴史認識は歴史認識にならないのではないか、と思うのだ。ならば検定不合格にすべきだったならば検定不合格にすべきだった 上山氏は審議会委員としてあるまじき発言をしている。「日本のいいところばかりを書こうとする『自由社』と、歴史の具体的な場面から書き起こす新しいスタイルですが、学習指導要領の枠に沿っていない『学び舎』。この2冊ともいったん不合格になりながら結局、合格した」とし、その合格した理由として、「基準を一方に緩く、一方に厳しくするのはまずい」。 つまり学び舎の教科書を落とせば、「つくる会」の教科書には緩く、学び舎の教科書には厳しくしたということになる、と言っているのだ。「つくる会」の歴史教科書の不合格は、バージョン・アップを図るため、全面的に書き直したためにケアレス・ミスが多く指摘され、いったん検定不合格になったものだ。だが、内容上の実績はすでにあり、書き改めた教科書は検定合格した。その間、特に検定を緩く対応してもらった覚えはない。 一方、学び舎はどうか。最初の検定申請で、夥しいほどにつけられる検定意見の山は均しく味わう「通過儀礼」のようなものだ。学び舎の教科書はこれでいったん検定不合格になったと思われるが、初の検定で多くの検定意見が付く…そのこと自体は悪い話ではない。 問題は「学習指導要領の枠に従っていない」という上山氏の認識である。これは学習指導要領に照らして問題を抱えているが、検定合格させたという意味だろう。 われわれ「つくる会」の教科書は学習指導要領の歴史教育の最初の目標にある「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を深める」という項目を遵守し、平成十八年に改正された教育基本法を遵守した教科書をつくっている。ケアレス・ミスでいったん不合格とはされたが、期間に間に合うように必要な修正を済ませて検定合格した。学習指導要領の基準を緩く適用され検定合格したものでは断じてない。 しかし、学び舎は違う。検定過程で学習指導要領の枠に従っていないという認識が検定した側にあるならば、検定合格に最終的責任をもつ検定審議会の委員として、不合格の判断をすべきだったのではないか。それが責任であり、まして「つくる会」との兼ね合いなどで合格が認められるべき筋合いの話でもない。学習指導要領の枠に従っていなくても検定合格を認めると堂々と発言する審議会委員がいたことには驚いた。文科省はこうした審議会委員の人選を、今一度慎重にやってもらわなければならない。採択こそ教科書改善の主戦場 学び舎の歴史教科書が検定合格し、歴史教科書が八種になった。今年夏に行われる採択戦での選択の幅が広がったということだ。通常、教科書改善の運動の主戦場は検定の段階と考えられがちだが、実は採択戦の方がはるかに重要である。自虐的な教科書が教科書会社によって量産されるのは、自虐的な教科書が採択されるからである。逆によい教科書の採択が伸びればよい教科書が量産され教科書は自然によくなる。 幸い、本年から教育委員会に関係して首長の主宰する「総合教育会議」が設置され、首長主導で教科書採択の基本方針を明示できるようになった。ということは、首長も教科書採択に堂々と発言し、共同責任を負うことになったということだ。これまで事実上教員が決めていた採択を、地域の住民の教育意思を反映すべく首長にも一定の関与ができるようになったのだ。良質の教科書が子供達の手に渡るべく、首長の奮起を大いに願いたいものである。すぎはら・せいしろう 昭和16(1941)年、広島県生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。城西大学教授を経て帝京平成大学教授を歴任。平成18年退職。新しい歴史教科書をつくる会会長。著書に『教育基本法―その制定過程と解釈』(協同出版)、『教育基本法の成立―「人格の完成」をめぐって』(日本評論社)、『日米開戦以降の日本外交の研究』(亜紀書房)などがある。  

  • Thumbnail

    記事

    戦後教育史を覆す資料発掘! やはりGHQ主導だった教育基本法制定

    江﨑道朗(日本会議専任研究員)国家の独立が問われている 「自民党執行部は、公明党と妥協した教育基本法改正案を呑めというのか」-。自民・公明両党執行部からなる教育基本法改正に関する協議会が4月13日にまとめた最終改正案に対して、自民党を支えてきた諸団体から強い不満の声があがっている。「現行基本法の理念を守りたい」公明党に引きずられ、多くの問題点を残す内容となったからだ。 校長らに多数の自殺者を出してきた国旗掲揚・国歌斉唱反対運動の法的根拠として利用されてきた現行法十条の「教育は、不当な支配に服することなく」との文言はそのまま残った。 わが国の宗教団体の大半が加盟する「日本宗教連盟」(神社本庁、教派神道連合会、全日本仏教会、新日本宗教団体連合会、日本キリスト教連合会の主要五団体で構成)が求めていた「宗教的情操の涵養」の盛り込みは見送られた。 最大の争点となっていた「愛国心」の表現は、「『国』の概念から統治機構を除く」「他国や国際社会の尊重を反映させる」(4月14日付「公明新聞」)という公明党の主張に譲歩し、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」となった。「国を愛する心」ではなく「国を愛する態度」ならば、卒業式で国歌を歌っているふりをすればいいということになりかねない。 現場に悪影響を与えてきた文言が残るだけでなく、新たな問題も惹起しかねない法案の動向について教育関係者が強い憂慮を示しているのとは対照的に、世論の関心はいま一つだ。 それは何故か。いろいろな理由があるだろうが、教育基本法制定当時、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって「愛国心」や「宗教的情操」がいかに削られ、「不当な支配」が盛り込まれたのか、ほとんど知られていないことが一因だと私は考える。 教育基本法は、憲法同様GHQによって実質的に押し付けられた法律なのである。しかも、GHQや彼らに協力した日本人は、「押し付け」を巧妙に隠蔽し、日本が自主的に制定したかのように偽装した。教育という国の根幹、国民精神に大きな影響を与える法律だけに、このような制定経緯は日本という国家の独立性を揺るがすものである。基本法が教育現場に与えている悪影響に加えて、この点が広く知られていれば、改正論議はもっと高まっていただろう。 教育基本法制定をめぐる実情が知られていない責任の一端は、基本法を作成したとされている教育刷新委員会の副委員長を務めた南原繁東大総長にある。南原氏は講和独立後、占領政策の全面的見直しを始めた政府自民党の動きを念頭に、こう断言したのである。《わが国の戦後の教育改革は、教育刷新委員会を中心として、これら政府当局者の責任においておこなわれただけである。(中略)私の知る限り、その間、一回も総司令部から指令や強制を受けたことはなかった。少なくとも教育刷新委員会に関する限り、すべては、われわれの自由の討議によって決定した》(朝日新聞社編『明日をどう生きる』昭和30年)[傍線筆者。以下同じ] 教育界のみならず戦後の言論界に強い影響力をもっていた南原氏の発言によって、「教育基本法はGHQの干渉を受けることなく日本人が自主的に作った」という定説が確立され、その見直しは長らくタブーとなってしまったからである。 その定説も、鈴木英一氏や高橋史朗氏らによる占領文書の研究を通じて疑問視されるようになってきているが、残念ながらその成果が国民全体に共有されているとは言い難い。自主的な教育改革を否定したGHQ そもそも敗戦後、わが国の教育改革がどのように始まったのかも誤解している人が多い。 日本政府は昭和20年8月の敗戦を受けて直ちに、戦時中の「軍国主義教育」の全面的見直しと、「平和国家建設」に向けた教育改革に着手している。 9月15日に発表した「新日本建設の教育方針」では、戦時中の「軍国的思想および施策を払しょく」し、「平和国家」を建設するため、「国民の教養の向上」「科学的思考力のかん養」と共に、「国民の宗教的情操と信仰心を養」うことを通じて、「平和愛好の信念」を養成する方針を掲げている。 GHQからの指示を待つまでもなく、日本は自主的に教育改革を始めたのだが、アメリカ国務省調査分析課は十月五日付内部報告書「日本の戦後教育政策」の中で、「新日本建設の教育方針」を取り上げ、「科学教育の振興」には「日本が原爆開発への遅れにみられる日米間の科学技術のギャップを埋めるためのものであるという意図が巧妙に隠されている」などと批判している。 「米国の目的を支持すべき、平和的かつ責任ある政府を、究極において確立する」(9月20日付「降伏後における米国の初期対日方針」)、つまり日本にアメリカの傀儡政権を樹立するという方針をアメリカ政府から与えられている以上、GHQとしても、日本の自主的な教育改革を認めるわけにはいかなかったのだ。10月30日には、「教員及び教育関係官の調査、除外、認可に関する件」という指令を出し、日本の国柄を守る立場から自主的な教育改革を推進し、占領政策に異を唱えてくる文部省官僚たちを直ちにすべてクビにしろ、と命じている。 この容赦ない方針によって「実際の文部大臣は総司令部」(内藤誉三郎・文部大臣官房総務室)という状況を作ることに成功したGHQは次に、自らの政策に迎合する日本人グループの形成に取り掛かる。昭和21年1月9日、「米国教育使節団を受け入れるため」という名目で、GHQは日本側に「日本教育家委員会」を作るよう指示したのである。その委員長に就任したのが、前述した南原氏であった。 熱心なプロテスタントであった南原氏だが、戦前から愛読書として旧約聖書とともにマルクスの『資本論』を挙げるなど社会主義に強いシンパシーをもっていた。内務省に入省した南原氏は大正8年、日本最初の労働組合法を立案、大正9年にはレーニンの『国家と革命』を翻訳させ部内資料として出版している。大正10年に東大助教授に転身、その弟子には、戦後の進歩的文化人の代表格であった丸山真男東大教授や、中国共産党と組んで日本の戦争犯罪を告発する戦後補償裁判を主導した土屋公献元日弁連会長がいる。 この南原氏を中心に進歩的文化人たちが結集した「日本教育家委員会」は、3月5日に来日した米国教育使節団を受け入れ、戦前・戦中の日本の教育政策を非難する「報告書」の作成に協力している。この委員会のメンバーが中心となって21年8月10日に新設されたのが、前出の教育刷新委員会(委員長、安倍能成元文相)なのである。リモート・コントロールリモート・コントロール 協力者としての刷新委員会を組織したGHQは、教育改革の主導権が文部省ではなく刷新委員会にあることを再確認すべく、密室会談を主催する。 GHQの教育改革を担当していた民間情報教育局(CIE)は9月4日、田中耕太郎文相、山崎匡輔文部次官、教育刷新委員会の安倍委員長、南原副委員長を集め、①刷新委員会は、文部省から完全に独立する。②文部省は、刷新委員会が提案した政策を実行する。③刷新委員会と文部省、CIEの連絡調整のために「連絡委員会」を設置する--という方針を提示したのである。「刷新委員会が方針を決定し、文部省はそれに従え」と命じられた田中文相は、「文部大臣が原則について何も決定できないなら、議会での質問に対する答弁も困難だ」と抵抗するが、南原副委員長はCIEの方針に全面的に賛同し、文部省は刷新委員会の下請けに過ぎないことが決定される。 では、南原氏が指摘しているように、刷新委員会がGHQから干渉されることなく教育改革の方針を作成できたのかと言えば、そうではなかった。 注目してほしいのは、③の連絡委員会の設置である。日本側の文献では「連絡委員会」と呼ばれるが、英語の原文は「Steering Committee」、直訳すると「舵取り委員会」となる。その狙いを、アメリカのハリー・レイ教授は、《CIEは連絡委員会を通して、教育刷新委員会を米国教育使節団の報告書の枠内で指導し、文部省に教育刷新委員会の提案を受け入れさせることが可能になった。ステアリング・コミッティーは日本語で「舵取り委員会」とも訳される通り、教育刷新委員会の「独立」の陰に隠れて、CIEが日本側をリモート・コントロールする送信機のようなものであった》と説明している(『戦後教育改革通史』明星大学出版部、平成5年)。 9月24日、第一回舵取り委員会に出席した刷新委員会の大島正徳委員は、3日後の27日に開催された教育刷新委員会第四回総会で、刷新委員会で何を議題とするかはすべて事前に舵取り委員会を通してもらいたいと言われたとして、こう報告している。 《この委員会は自主的なものであって、我々はこの委員会が決めることは文部省の指令に依るものでなく、又司令部の指令に依ってやるべきものでもなく、全くオートノマス(自律的)にやるべきだが、委員会に正式に議題にする前に、先ずこのステアリング・コミッチー(舵取り委員会)で相談して、これは議題にするが宜いかどうかを考えなければならぬ》(『教育刷新審議会教育刷新審議会会議録 第一巻』岩波書店、1995年)[引用文の( )内は筆者が補足] 結局のところ刷新委員会は、CIEの許容する範囲内でしか「自主性」を認められなかったわけである。CIEによる第一の介入は「愛国心」の排除 戦後の教育改革の主導権を政府・文部省から、リベラル派の進歩的文化人による刷新委員会に握らせ、かつ同委員会を、舵取り委員会を通じて背後からコントロールするという仕組みを構築することに成功したGHQは、いよいよ教育基本法制定に着手することになる。『尋常小学修身書』の復刻版。修身教科書は教育勅語を中心に編集された 教育基本法制定に初めて言及したのは田中耕太郎文相だった(昭和21年6月27日、衆議院)。しかし、それをもって教育基本法制定は日本側の発案だったと断言することはできない。義務教育の無償化や男女平等を謳った日本国憲法の制定に伴い、田中文相の意志とは関係なく、教育関係法規は全面的に書き換えなければならない状況に置かれていたからである。GHQに日本国憲法を押し付けられた段階で、教育基本法を制定せざるを得なかったわけで、真の発案者はGHQと言ってよい。 文部省は7月18日、省内に「教育調査局」を新設し、教育法の全面改正に向けた準備を開始し、9月27日、刷新委員会第一特別委員会に、文部省の「教育基本法要綱案(9月21日案)」を提出している。 注目すべきは、この「要綱案」に「愛国心の涵養」という趣旨がなかったことだ。実は明治24年に公布された文部省令の「小学校教則大綱」の第二条には、「尋常小学校ニ於テハ(中略)殊ニ尊王愛国ノ志気ヲ養ハントスルコトヲ努メ」と、愛国心の涵養が明記されていた。 ところが、GHQは日本占領直後の昭和20年9月10日から、事前検閲という形で言論統制を始めていた。当初はラジオ放送や新聞、雑誌だけだったが、やがて一般国民の手紙や教科書まで検閲の対象となる。21年2月4日には、CIEが教科書検閲の基準を設定し、軍国主義、超国家主義のみならず、「国民的、国家、わが国」といった用語までも削除されるなど、国家そのものが否定されることになった。こうなると、GHQの支配下に置かれていた文部省としても、「愛国心」という言葉を予め削除した要綱案を作らざるを得ない。これを私は、教育基本法に対する、CIEの第一の介入と呼びたい。 愛国心が欠落した要綱案に異議を唱えた人もいた。刷新委員会第一特別委員会では、天野貞祐一高校長(のち文相)が「ただ自分のために生きるのではなくして、社会国家の為に生きるとか、何かそういうものを入れたいと思う」と主張したが、東京文理科大の務台理作学長(日教組の「教師の倫理綱領」作成に協力)が「個人を犠牲にせず、個人の自由をあくまでも尊重する(中略)そういう精神に教育の理念が基づくべき」と反論、これに社会党の森戸辰男議員(のち文相。日教組と提携)が賛同したため、「国の発展に尽くす」という趣旨は完全に消えることになったのである。「不当な支配」もCIEが強制 刷新委員会の日教組派の委員たちによって、愛国心が排除された教育基本法要綱案が固まった段階で、CIEは本格的な介入を開始する。 11月12日、CIEのジョセフ・トレーナー教育課長補佐は、刷新委員会の事務局を担当していた関口隆克・文部省審議室長を呼び出した。トレーナーは、舵取り委員会つまりGHQの了承なく、文部省が刷新委員会に要綱案を出したことを取り上げ、「文部省が議会に提出する諸法案は、CIEの承認を得なければならない」と詰問、関口室長は「今から、あらゆる問題を舵取り委員会に提出する」と改めて約束する。 11月14日、関口室長は「9月21日案」の英訳をCIEに提出、密室による本格的な改悪が始まることになる。CIEがまず問題にしたのは、「男女共学」の項目だった。 11月18日、CIEは男女共学について積極的な言及を行うよう要求、これを受けて関口室長は「男女はお互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、両性の特性を考慮しつつ同じ教育が施されなければならないこと」という案を持参するが、CIEは了承せず、文部省案の「両性の特性を考慮しつつ」という文言は削除されてしまう。もし教育基本法に「両性の特性を考慮」という文言が残っていたならば、現在問題となっているジェンダー・フリー教育がこれほど横行することはなかったと思うと、CIEによる第二の介入は大きな禍根を残したといえよう。 CIEによる第三の介入は、「教育行政」の項目であった。 11月29日の刷新委員会第13回総会に提出された「要綱案」には、「教育行政は、学問の自由と教育の自主性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならないこと」とあった。刷新委員会はこの表現で合意していたのだが、CIEのトレーナーは「教育の自主性の尊重」という表現を問題視し、修正を要求した。 文部省に案を作らせても満足できる表現が出てこないことにしびれを切らしたトレーナーは自ら英文で要綱案を作成、12月13日、「教育行政」の項目は「教育は、政治的又は官僚的な支配に服することなく(Education shall not be subject to political or bureaucratic control)、国民に対し独立して責任を負うべきものである」という表現に変えるよう、文部省に通告したのである。その後も、教育行政の表現をめぐってCIEと文部省による密室会議は続き、翌22年1月15日案で「不当に」という言葉が追加され、最終的に現在の表現になったのである。今回の基本法改正でも焦点となった「不当な支配」という表現は、CIEによって強制されたものであったのだ。「伝統を尊重して」「宗教的情操」も削除「伝統を尊重して」「宗教的情操」も削除 第四の介入は、「伝統の尊重」の削除である。11月29日の刷新委員会総会に提示された要綱案では、前文に「普遍的にしてしかも個性ゆたかな伝統を尊重して、しかも創造的な、文化をめざす教育が普及徹底されなければならない」と明記されていたが、トレーナーは「伝統を尊重して」という言葉の削除を命じた。当時の通訳が「伝統を尊重するということは、再び封建的な世の中に戻ることを意味する」と述べたからだ、と明星大学の高橋史朗教授とのインタビューでトレーナーはその理由を説明している。 第五の介入は、「宗教教育」をめぐってであった。前述した11月29日の要綱案では、宗教教育について「宗教的情操のかん養は、教育上これを重視しなければならない。但し官公立の学校は、特定の宗派的教育及び活動をしてはならないこと。」と規定されていた。この表現は、社会党の森戸委員でさえも合意した案であり、宗教的情操の涵養が重要だという認識は、社会主義者も含め当時の日本人の総意であったのである。 ところが、CIEは「宗教的情操のかん養」を削除し、「社会における宗教生活の意義と宗教に対する寛容の態度は、教育上これを重視しなければならない」というCIE案に差し替えるよう日本側に要求した。しかも「宗教に対する寛容の態度」という表現は、「無神論者に対する寛容を含む」と解釈されることになったため、宗教を敵視する無神論(つまり社会主義、共産主義)を奉じる児童・生徒に配慮して事実上、学校教育において宗教に関する教育はすべて禁止されることになってしまったのである。 この第四・第五の介入で、伝統的な死生観や慣習を学校教育で教える法的根拠が失われてしまった。 要するに今回公明党が重視した「教育基本法の基本理念」なるものはすべてGHQ・CIEの密室介入の産物に過ぎないのだ。自主制定というGHQの偽装を証明する議事録を発見 この冷厳な事実を日本の立場から証明する史料を今回発見した。CIEが文部省や刷新委員会を背後からコントロールするために設置した舵取り委員会の「日本側議事録」である。 教育基本法制定の真相を理解するためには、舵取り委員会でのやりとりを知る必要がある。日本側は必ず議事録を残していると思ったのだが、なかなか見つからない。国立国会図書館や首都圏の主要大学図書館などで探し、文部科学省や戦後教育史の専門家にも問い合わせたが、「知らない」という回答であった。調査は3年以上に及んで諦めかけていたが、「教育刷新委員会会議録」の原本を保存している財団法人野間教育研究所の「書庫」でついに見つけた。 万年筆で書かれたざら紙による、昭和22年1月23日から24年7月28日までの31回分の舵取り委員会議事録のファイルで、『教刷委連絡委員会記録全一冊(ステアリングコミティ)』という表紙がついていた。 CIEが教育基本法の要綱案に対して介入していた昭和21年後半の議事録はなかったものの、肉筆の生々しい文字から浮かび上がってきたのは、想像通りCIE主導で教育基本法を含む改革が行われていたという現実であった。 例えば、教育基本法案が大詰めを迎えていた昭和22年1月23日の議事録には、次のようなやり取りが書かれてあった。 《辻田 通常国会に提出する案は三つあつて(教育基本法、学校教育法、地方教育行政法)今第一が法制局で検討中である。 トレーナー 教育基本法は今我我も一緒に検討中で未だ確定していないと思うが…。 辻田 決定したものではなく教育部と平行して法制局にも検討して貰っているのだ。主として字句の問題で、内容にはふれていない》 文部省の辻田力調査局長が、CIEの了解なく教育基本法要綱の法案化作業を法制局に依頼したことを、トレーナー教育課長補佐から咎められ、うろたえている様子が分かる。 教育基本法が衆議院本会議に上程された三月十三日の舵取り委員会「議事録」にはこう記されていた。 《日高 教育基本法と学校教育法のその後の経過を話す。前者は本日議会上程、後者は十五日或いは十六日に議会上程と予想している。非常に困難があったが通過するものと期待している。 オア 文部省の御骨折りに感謝する》 この「御骨折りに感謝する」という文字を見た時の衝撃は忘れがたい。なぜCIEが、文部省に対してお礼を言わなければいけないのか。徹底した密室介入によってGHQ製に換骨奪胎した教育基本法案を、日本人が主体的に作った案として国会に上程することに成功したため、思わず本音が出たのだろう。教育基本法が日本人のためではなくGHQのために作られたことを、この一文は物語っているといえよう。「属国の悲しみ」を克服せよ マーク・T・オアCIE教育課長から労いの言葉を直接かけられた文部省の日高第四郎学校局長はこのとき、どのような思いを抱いたのか。調べたところ、日高局長が後にCIEとの折衝について書いた一文に「属国の悲しみ」という表題をつけていることが分かった。 CIEによって徹底的に改悪され、わが国の教育に大きな悪影響をもたらすことが予想される教育基本法を、日本人自身が作成したと偽って国会において成立させなければならなかった。日高局長が味わった「属国の悲しみ」はその後語り継がれることもなく、忘れ去られてしまっている。 それは、「日本人によって教育基本法は作られた」かのように偽装したGHQ・CIEを擁護して、「一回も総司令部から指令や強制を受けたことはなかった」と虚言を弄した南原東大総長のような人物が戦後教育の中心にいたからだ。さらに、誤った「教育基本法制定史」を流布したのは、南原氏だけではなかった。今回私が見つけた「舵取り委員会議事録」には複数の人間が閲覧した足跡が残されていたのである。教育基本法に対する疑問が国民の間に芽生えることを避けるためか、敢えてその存在を公開してこなかったふしがあるのだ。 今回の教育基本法改正にあたって「宗教的情操」や国を愛する「心」を削り、「不当な支配」を残すことに合意した与党幹部たちもある意味、そんな悪質な情報操作の被害者かも知れない。何しろGHQの密室介入の産物を、日本人が守るべき教育理念だとすっかり勘違いしてしまっているのだから。 しかし、与党幹部たちの誤った「教育基本法制定史」観によって、わが国の教育の歪みが放置されてはたまらない。今からでも遅くはない。正しい「教育基本法制定史」観に基づいて与党案を抜本的に修正すべきだ。 幸いそのモデルは出来ている。超党派の「教育基本法改正促進委員会」(亀井郁夫委員長)が、わが国の歴史と伝統に立脚し、「愛国心」や「宗教的情操の涵養」、「教育に対する国の責任」などを謳った、日本人のための新教育基本法案を作成している(下村博文編『教育激変』明成社)。 わが国の根幹を定める教育基本法の改正は、GHQの改悪を克服する方向で成し遂げられるべきである。えざき・みちお 昭和37年(1962年)東京都生まれ。九州大学文学部卒業。月刊誌『祖国と青年』編集長を経て平成9年から日本会議事務総局に勤務、政策研究を担当。共著に『日韓共鳴二千年史』『再審「南京大虐殺」』『世界がさばく東京裁判』(いずれも明成社)など。※初出 月刊『正論』2006年6月号、肩書などは当時のまま)

  • Thumbnail

    記事

    米では30年前から禁止を議論 ドッジボールと大量殺人の関係

    究であった点です。スポーツだけではなく、科学的裏つけや数値データによる証拠を元に、政策を立案したり、教育カリキュラムを考えるという、大変アメリカ的な考え方が議論の出発点になっています。 アメリカの議論を見てみると、学校体育で何か問題があると、教育的な価値観や意味など、感情的な議論だけで終始してしまったり、根性論に行き着きがちな日本の議論というのが、いかに野蛮で原始的なものであるかが、よくわかります。根性論だけで太平洋戦争を勝ち抜こうとし、自国の兵士の多くを餓死においやった、日本の無能な意思決定者達も、科学的根拠やデータを無視していましたが、現在の日本でも、その根本は全く変わっていないのです。「社会学的な観点」も疑問符 ところで議論きっかけの一つは、学術論文誌であるJournal of Physical Education, Recreation & Danceに掲載された 「Premeditated Murder Let's “Bump-off” Killer Ball」(計画的殺人:殺人玉をやめよう)という論文です。(http://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.1080/07303084.1986.10604342#.VZW792C8Qqg) この論文では、ドッジボールの教育的効果が疑問視され、このようなスポーツは排除するべきだと述べられています。1992年には、イースタンコネチカット大学のNeil Williams教授による、「The Physical Education Hall of Shame」(体育の恥の殿堂)(http://home.comcast.net/~physedteacher/QualityPE/HallofShame1.pdf)という報告書が発表されました。この報告書は大きな話題となり、Williams教授はテレビのニュース番組に出演し、ドッジボールの問題点を訴えます。ネットではドッジボールに関する議論が盛り上がります。 2001年には、Journal of Physical Education, Recreation & Danceに、「In Issues: Is there a place for dodgeball in physical education」という記事が掲載されます。(http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/07303084.2001.10605732?journalCode=ujrd20#.VZW-B2C8Qqg) この記事ではドッジボールは、教育的観点からあまり得るものがないので、体育としてやるのはどうか?というドッジボールの問題点が、デラウェア州立大学や、サンディエゴ州立大学の研究者により指摘されています。大変アメリカらしいのが、ドッジボールの教育的観点が、身体的教育だけではなく、社会学的な観点からも考察されている点です。「同じような能力や体力の生徒で構成されたグループでやらないと、教育的効果がない」「ボールが一つしかないので、参加できる生徒が限られている」「ボールを投げる、ぶつける、取るという、単純なスキルしか要求されないので、訓練や練習で技能が向上するわけでもなく、学びも多くはない。生徒のもともとの体力に左右される」「社会的なスティグマの問題もある。ドッジボールでは少数のオタク(Nerd)がマッチョな生徒の標的となり、ゲームの早期にボールをぶつけられることで、早々にゲームから除外され、コートの外から見ていなければならない。クラス全体からの辱めを受ける」「勝者は少数であり、多くは敗者となる」「生徒にゼロサムゲーム(勝つか負けるか)、低い関与、疎外、男女混合教育の不平等、高い怪我の可能性などを体験させたいのか?」 このような議論を受けて、メイン州、フロリダ州、メリーランド州などでは、2000年前後に、ドッジボールを小学校でやることを推奨しない、もしくは禁止する学校がでてきました。テキサス州のオースティン市のオースティン独立学校地区(The Austin Independent School District)では、1999年からドッジボールが禁止されています。この禁止は公式なもので、ドッジボールが地区や自治体の規模で、公式に禁止されるのは、アメリカで初めての試みでした。学生を大量殺人においやったスクールカーストによるイジメ ここでカリキュラム専門家として働くDiane Farrさんは、ニューヨークタイムズのインタビューに対して「ドッジボールは現代の学校でやるべきものではないですね、特に今日の社会では。コロンバイン高校の件(銃撃事件)や、様々な暴力が存在しますから、子供たちには何を教えるか、十分な注意が必要です」と答えています。Farrさんは、インタビュー中で、1999年4月にコロラドのリトルトンで発生し、12人の生徒犠牲になった無差別銃撃事件も引き合いに出しています。(http://www.nytimes.com/2001/05/06/us/increasingly-schools-move-to-restrict-dodgeball.html) メリーランドはワシントンDCに近く、リベラルな人が多いので、なんとなくわからなくもないのですが、テキサス州でも禁止というのが驚きです。私は学部時代にテキサスに留学していたのですが、ここは、銃をスーパーで売っている様な州で、女性は真っ赤な口紅の厚化粧、中絶反対派が医者を射殺するみたいな保守的なところなので、マッチョこそよし、という価値観があるところなのです。 しかし、そういうマッチョで銃が簡単に手に入る土地だからこそ、ドッジボールの禁止が真剣に議論されたのです。 アメリカで2000年前後に発生した、学生による銃を使った大量殺人事件は、スクールカーストによるイジメが原因の一つであったともいわれています。 運動が下手くそで、見た目が地味で、友達も少なく、運動会やフットボールでスターになることが絶対になく、ドッジボールでは一番先にボールをぶつけられて、クラス全員から「のろま」「邪魔だよ」「なんで取れないの?」といわれてきた子供達は、運動ができないが為に、早々に仲間はずれにされ、マッチョで単細胞な男子に真っ先に標的にされ、ボールを避けたり取ったりできないというだけで、無能扱いされて、寂しい思いをするのです。 運動ができることがスクールカーストの上位にくる世界では、パソコンを組み立てるノウハウやアメコミについて語る知識は無視されます。ドッジボールでは、ボールを投げたりぶつけられるのが「楽しい」と感じることがないウスノロは、人間失格で、クラスメイトの誕生会にも呼ばれないし、遠足では、一人でお弁当を食べ、休み時間には、クラスの隅っこで、本を読んで、友達がいないことをごまかす他ないのです。 いつも仲間はずれの生徒は、スーパーで売っている銃を目にします。それを本当に手に取ってしまうのはごく少数ですが、アメリカでは、本当にぶっ放してしまった生徒がいたのです。 ドッジボールのコートの隅っこで、「どうしてボールが来ると体が動かないんだろう」と悩んでいた肥満度41%の小学生だった自分には、ドッジボールを禁止しようと真剣に議論する学者が、なぜそんなに真剣なのかが、よくわかるのです。 テキサスでは、ライフルの弾丸が週末になるとスーパーで特売になっていて、同級生の多くは、車の中にハンドガンを隠し持っているのが当たり前でしたから。

  • Thumbnail

    記事

    ボールが捕れない子どもの視点から考えるドッジボールの教材価値

    という意味)と改名され、内野に捕球が認められるようになった(11)。 このようなドッジボールが、学校教育に初めて取り入れられたのは、小久保らによれば、1913(大正2年)年に発布された「学校体操教授要目」においてであるという(10-48頁)。この要目において、「デッドボール」の名称で小学校の遊戯教材の一つとして位置づけられた。 その後も、継続的に学校体育に位置づけられ、1947(昭和22年)年に発布された「学校体育指導要綱」では、3 年生向けのボールゲームとして採用されている。さらには、1949(昭和24年)年に発布された「学習指導要領小学校体育編」には、高学年「ドッジボール」、中学年「方形ドッジボール」、低学年「自由ドッジボール」「ころがしドッジボール」が採用されている。それからの学習指導要領の改訂においても、継続的にドッジボールは位置づけられ、現在に至っている。 このように、ドッジボールは、明治時代から現在に至るまでの長い歴史を経て、現在でも学校体育において子どもたちに親しまれている。(2) 教材としてのドッジボール 先に述べたドッジボールの変遷からも、ドッジボールには2つの競争目的があることがわかる。 一つは、相手の身体をねらってボールを当てるという攻撃時の目的である。もう一つは、ボールに当たらないように避けたり、捕球したりする守備時の目的である。この目的について、戦術学習の視点から廣瀬らは、「防御面の突破(ボールを通過させることを目指して、相手にボールをぶつけること)」を攻撃の課題とし、「防御面の構築(相手が投じるボールを通過させないことを目指して、ボールを保持すること)」が防御の課題であると指摘する(4 -84頁)。 さらに、鈴木は、ドッジボールの攻守の動きとバレーボールの動きとには、類縁性があると指摘する(2 -72頁)。ドッジボールにおいて、ボールをもった攻撃側(内野)は、自コートと相手コートを区分する境界線まで詰め寄って、相手チームの内野をねらってボールを投げつける。この時、防御側の内野はコート後方まで退却し、ボールを捕ったり避けたりする。そして、捕球すると、直ちにそのボールを持って前線まで攻め上がり、相手チームを攻撃する。 一方バレーボールは、レシーブ→セットアップ→アタックの一連の動きで攻撃を組み立てる。すなわち、後方で守り、自コートに飛んできたボールをはじいて前線に運んで、相手コートをめがけて反撃する動きとなり、この動きが前述したドッジボールの内野の動きと同型といえるのである。 すなわち、ドッジボールで学習したことが、中・高学年で学習するネット型の学習へと転移する可能性がある。 このような競争目的をもつドッジボールの楽しさについて、後藤らは、「ドッジボールが子どもに人気のある理由は、動く獲物を追い込んでボールを投げ当てること、また逆に、これをひらりとかわすことにあるといえ、ドッジボールの『動く的当てゲーム』としての運動課題に妙味を感じるからである」(3 -173頁)と述べる。すなわち、ドッジボールは、ボールを相手の身体に当てる、そのボールを捕る、かわすことが楽しいゲームといえる。 このように高い教材価値をもつドッジホールではあるが、深見によれば米国では評価が大きく分かれているという。深見は、米国の教育雑誌に掲載された 3 編のドッジボールに関する論文をもとに、米国におけるドッジボールの教材価値とその課題を紹介している(1 -62頁〜64頁)。以下、その内容を要約する。 米国においても、ドッジボールは、子どもにも教師にも非常に人気が高い。しかも、ドッジボールは、ボール操作能力はもちろん、生まれながらにして備わっている攻撃性や支配性を上手に統制する能力や、ときにはチームのために身体を張ってみんなの犠牲になるといった理想的な生き方を教えてくれる価値があるという。 一方で、ドッジボールは、別名「殺人ボール」「人殺しゲーム」「監獄ボール」等と呼ばれ、人を標的にしてボールをぶつけるという非教育的側面や、それにより精神的にも肉体的にも子どもを傷つける可能性があるという。また、教えるべき内容があまりなく、最も運動技術や体力を育成すべき対象である運動の苦手な子どもたちのゲーム参加の機会を奪ってしまうともいう。 このように、ドッジボールには様々な教材としての高い価値を含んではいるが、解決しなければならない課題があることがわかる。(3) ボールを捕ることが苦手な子どもとドッジボール 前述した通り、相手の身体をねらってボールを当てることが、攻撃時の競争目的である。そのため、相手が投じるボールは、体幹にパスされるようなボールばかりではない。捕球の失敗を意図して、スピードのあるしかも捕球しづらい下半身などの身体を的にしてボールは飛んでくる。このようなボールが飛び交うドッジボールであるからこそ、ボールを捕ることが苦手な子どものゲーム参加が消極的になるのである。 しかも、ボールを捕ることが苦手な子どもは、ボールがこわい、捕球できる気がしないと思い、捕球しようとしても失敗を繰り返すことに終始するだけで、捕る動きの感じや身体の動かし方を獲得することができない。そして、このような経験によって、ドッジボールは感情的に嫌い、なじめないという負の感情をもたせ、捕球を避ける逃避行動につながるのであろう。 このような子どもたちには、目の前に示された運動に対して感情的にいやではないという「なじみの地平」(9 -159頁)に誘い込むような教材が必要になる。また、金子によれば、ある動きができる、あるいは動けるためには、「身体をどのように動かせばうまくいくのかという〈私の動きかた〉に身体中心化として収斂していくコツという身体知」(8 -326頁)と、「私の身体を取り巻く情況の有意味さをとらえ、同時にその動感志向を投射できる〈私の動きかた〉を生み出すカンという身体知」(8 -326頁)の 2 つの動感能力が必要になるという。 このことをボールを捕ることが苦手な子どもについて考えてみると、「飛んでくるボールの動きに合わせて、いつ、どこに移動したらよいのか」といった、ボールが飛んでくる方向やスピードなどのボールの動きを読むカンと、「どのような感じで、ボールを捕ればよいのか」といった、捕る動きの感じや、身体の動かし方といったコツが絡み合わず、捕ることがうまくできない子どもであったといえよう。 このように考えると、「動く的当てゲーム」であるドッジボールにおいて、ボールを捕ることが苦手な子どものゲーム参加は、困難を極めることがわかる。ドッジボールの教材づくり3.ドッジボールの教材づくり(1) 既存のドッジボール教材の検討 ドッジボールは、地域や学校ごとに様々なルールーが採用されているが、相手コートへの侵入を禁止するルールや、ボールを当てられたら相手チームの得点となることは一貫している。 このような様々にあるドッジボールのゲームを後藤らは、コート条件とプレイヤーと攻防の形式よって「中当て型」と「対面型」の 2 つに大別している。「中当て型」は、一定時間攻守(内野と外野)の役割が固定され、時間が経過すると攻守を交代する。一方、「対面型」は、攻守の役割はボールを保持したチームが攻撃であり、そうでないチームは守りとなる(3 -176頁)。 さらに、投捕、避ける技能が未熟な段階では、これらの動作の基本的な動きを別々の課題として学習する方が身につけられやすいことから、「対面型」よりも「中当て型」の方が相応し、「中当て型」から「対面型」へと段階的に指導することによって質の高い動きが身につくと指摘している(3 -178頁)。 このことから、ボールを捕ることが苦手な子どもにとっては、「中当て型」のゲーム形式が適切であることがうかがえる。低学年を対象とした「中当て型」の代表的な教材として「ころがしドッジボール」と「はしごドッジ」がある。この教材について、ボールを捕ることが苦手な子どもの学びの視点から以下に検討する。ア.ころがしドッジボール(図 1) ころがしドッジボールは、円形のコートの外に外野は位置し、コートの中に位置する内野の身体を的にボールを転がす。内野は、身体にそのボールが当たらないように避ける。決められた時間が経過したら、内野と外野は交代して、どちらが多く当てたかを競うゲームである。 この教材には、ボールを捕る課題がない。そのため、飛んでくるボールへの恐怖心が軽減でき、捕球が苦手な子どもも参加しやすい。また、飛んでくるボールは、空中ではなく平面を転がるため、ボールの軌道を読んで動くことがやさしくできる。さらには、転ってくるボールに当たらないように、身をかわす動きを身につけることができる。 しかしながら、ボールを捕ることが苦手な子どもは、前述したように捕る動きばかりではなく、飛んでくるボールの軌道を読んで動くことが難しい。そのため、転がってくるボールを避けることがうまくできないため繰り返しボールに当たり、チームを負けに導くお荷物となりかねない。また、本教材は、ボールの動きの先読みはするものの、ボールから遠ざかる動きとなり、ボールに近づいて捕球するその動きとは逆の動きとなる。イ.はしごドッジ(図 2) はしごドッジは、方形のコートの外に外野 2 人が位置し、コートの中に位置する 2 人の内野の身体を的にボールを投げる。内野は、そのボールを捕球したり、避けたりする。決められた時間が経過したら、内野と外野は交代して、どちらが多く当てたかを競う。そして、勝ったチームは、右側のコートに一つ移動(はしごを一段上る)し、対戦チームを替えて再びゲームをする。このゲームは、内外野ともプレイヤーの数を 2人にして、投げたり、捕ったりする機会を多く保障しながら、技能向上を図ることができる。しかしながら、高橋が「ボールを捕る技能が身についていない段階では、コート内のチームは避けることだけを課題にすべきである」(14-92頁)と述べるように、ボールを捕ることが苦手な子どもにとっては、難しいゲームといえる。(2) ドッジボールの教材配列 ボールを捕ることが苦手な子どもにとっては、上記で述べた「ころがしドッジボール」も「はしごドッジ」も難しい教材である。このように考えると、ボールを捕ることが苦手な子どもには、ボール捕球がもっとやさしくでき、しかもゲームを繰り返しながら捕球技能が高められるような教材が必要である。 このような考え方に基づいて考案した教材を配列したのが、表 1 の教材配列である(注)。この教材配列は、ボールの動きを読んで動く課題から、動きをやさしくしたボールを捕る課題へと高めて、最終的にはボールを捕ったり投げたりしながら「はしごドッジ」が楽しめるようにすることを想定している。(1)トンネルコロコロゲーム(12-54頁)(図 3) このゲームは、ボールの動きを読んで移動する経験をさせることを意図している。「中当型」を取り入れ、外野はもう 1 人の外野にボールを転がしてパスする。内野は、このボールを開脚立ちした両脚の間を通過させることで 1 点が獲得できる。飛んでくるボールは、平面を転がってくるため、空中を飛んでくるボールよりも、ボールの軌道の先読みがやさしくできる。しかも、捕球をすることが課題となっていないので、捕れそうにないから動けないことを防ぐことができる。(2)トンネルコロコロ・キャッチゲーム(13-78頁〜79頁)(図 4) このゲームは、前述したトンネルコロコロゲームの意図を踏襲しながら、ゴム紐をはさんで平面を転がってくるボールを捕る課題を加えて、攻防を楽しむゲーム形式に修正している。 1 チームは 2 名で構成し、前衛と後衛に分かれ、その役割は下記の通りである。・攻撃時は、後衛がコート中央に張られたゴム紐の下を転がして、相手コートの得点ラインを通過させると 1 点・守備時は、前衛が、トンネルコロコロゲームと同様に、両脚の間を通過させると 1 点。後衛の児童は、コート内で捕球したら 1 点(3)エプロンキャッチ(12-55頁)(写真 1)(写真1) 本間らによると、「小学生のドッジボールの公式試合における投・捕球動作パターンを調べた結果、捕球動作で最も多かったのは、胸と両方の掌と胸で抱きかかえるような捕り方『屈曲胸捕球』であり、成功率も高い」(5 -684頁)と報告している。 このことから、「屈曲胸捕球」は、強く投げられたボールの捕球失敗を防いだり、弾力的に怪我なく捕球する上で適切な捕球動作といえる。そのため、ボールを捕ることが苦手な子どもには、まずは身につけさせたい捕り方である。この屈曲胸捕球の動きを身につけることを意図した教材が、エプロンキャッチである。ビニールシートを張って斜面をつくり、この斜面を転がり落ちるボールを身につけたエプロンで捕る。ボールは平面を転がるので、空中を飛んでくるボールよりも、先読みがしやすくなる。 まずエプロンを着けさせ、その裾を内側から両手ですくい上げ逆手で握らせる。そして、シートから転がり落ちるボールを両手でもったエプロンを広げようと両腕を差し出し、さらにエプロンで包み込むようにボールを捕らせる。 このようにして、「屈曲胸捕球」の動きの類似の運動経験を経て、「エプロンをつかわないで捕る」「ボールが転がり落ちるシート端から離れた地点から移動して、エプロンをつかわないで捕る」ことを新たな課題とする。(4)キャッチゲーム(13-78頁〜79頁)(図 5) このゲームは、前述した「トンネルコロコロ・キャッチゲーム」の意図やゲーム形式を踏襲しながら、空中を飛んでくるボールへの対応を課題としている。 特徴的な修正点は、下記の通りである。攻撃時:自分のコートでワンバウンドさせて相手コートに投げ入れる。守備時:投げ入れられたボールをノーバウンドで捕球すると1点。 相手チームから投げられるボールは、山なりに緩やかに落ちるため、ボールの動きを読んで移動することがやさしくなる。また、エプロンキャッチで身につけた屈曲胸捕球の動きで対応できる。 さらに、捕ることができるようになったら、「ワンバウンドさせて相手コートに投げ入れる」から、「ワンバウンドさせないで、投げ入れる」 のルールに変更して、空中を直線的に飛んでくるボールの捕球を課題とする。(5)リングバウンド・キャッチゲーム(13-80頁)(図 6) この教材は、空中を飛んでくるボールを捕ることを課題とした教材である。床に置いたリングを真ん中にして、ペアの子どもが向かい合って立つ。 1 人の子どもが、リングの中にボールを投げ当て、バウンドさせてもう 1 人の子どもにパスする。パスされた子どもは、そのボールを捕り、リングの中にボールを投げ当て、ペアの子どもにボールを返すことを繰り返す。ペアからパスされたボールは、バウンドして山なりに緩やかに飛んでくるので、捕球しやすい。 また、リングの中に投げ当てることが条件となるので、ある程度一定の軌道をもつボールを捕り手に送ることができる。 そして、リングを 1 個から 2 個に増やし、左右に並べて床に置く。相手にパスする時には、2 個のリングから 1 個を選んで、前述したようにパスを繰り返す。そうすることで、1 個のリングの時よりも、左右に移動する動きを引き出すことができる。 さらに、1 分間のパス回数を競うゲームにすることで、捕ってから投げるまでの時間を短縮する必要が生じる。その必要性から、屈曲胸捕球から手だけで捕球する動きや捕ってすぐに投げる動きの発生を促す。(6)キャッチボールゲーム(図 7) このゲームは、はしごドッジのなかで頻繁に生じる「ノーバウンド自分の身体を的に飛んでくるボールを捕る」ことを課題としたゲームである。3 m離れてペアの子どもは向き合う。1 人の子どもが、もう 1 人の子どもをめがけてボールを投げる。もう 1 人の子どもは、そのボールを捕って、投げ返すことを繰り返す。1 分間のなかで捕球が成功した回数を競うゲームである。まとめ ドッジボールは、「投げる」「捕る」といったボール操作の技能習得ばかりでなく、バレーボールなどに発展する戦術を学ぶことができるなど、様々な学習内容が包含されたすぐれた教材であるといえる。しかし、「動く的当てゲーム」の特性をもつボールゲームであるがゆえに、ボールを捕ることが苦手な子どもにとっては、こわく、実質的なゲーム参加を困難にする。 このようなことから、本稿ではボールを捕ることが苦手な子どもが、実質的に参加できるような教材づくりの必要性を述べながら、その教材例を提示した。ここで紹介した教材は、ドッジボールの競争目的である「相手に捕球されないように投げ当てる」「当てられないように逃げたり、捕球したりする」のいずれかが含まれたゲームである。 その意味では、ドッジボールを素材としながら、ボールを捕ることが苦手な子どもの実態を考慮して、ボールの動きや捕ることをやさしくした教材であるといえる。 さて、ドッジボールは、子どもになじみがあり人気のボールゲームである。それ故に、ボールを投げる、捕るといったボール操作の優劣にかかわらず、ドッジボールが楽しめるような教材づくりは重要である。 今後は、本稿で提示した教材配列に基づいた実践を通して、さらにドッジボールの教材づくりとその教材配列の検討をすることが課題である。注)本教材は、筆者が今までに発表した教材を、ドッジボールの下位教材として位置づけながら再構成したものである。引用・参考文献1)深見英一郎:米国におけるドッジボールの教材価値、体育科教育、(56)10、 大修館書店、62頁-65頁、2008.2)福原祐三・鈴木理:みんなが主役になれるバレーボールの授業づくり、大修館書店、2005.3)後藤幸弘・池田康明:ゲーム形式の発展展開によるドッジボール学習についての基礎研究-ドッジボールの教材価値とゲーム様式の分類から-、兵庫教育大学研究紀要(27)、173頁-182頁、2005.4)廣瀬勝弘・村上成治・栗原武志、森浩文;学校体育におけるドッジボールの教科内容に関する一考察、鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要、81頁-86頁、2010.5)本間正行・五日市恭子・浦田燁子・志沢千鶴子・竹内正雄・西山逸成・新井重信:小学生のドッジボール競技における投・捕球の基礎的研究、日本体育学会大会号(22)、684頁、1971.6)伊藤久仁:今こそ学びの順序を考慮した教材作りへ、体育科教育、(55)5、大修館書店、18頁-21頁、2007.7)岩田靖:体育の教材を創る、大修館書店、2012.8)金子明友:身体知の形成(上),明和出版,2005.9)金子明友:身体知の形成(下),明和出版,2005.10)小久保桂一郎・柴崎正行:日本の幼児教育におけるドッジボールの変遷、日本保育学会発表論文集(57)、48頁-49頁、2004.11)日本ドッジボール協会:http://www.dodgeball.or.jp/jdba/history.html12)宮内孝・三輪佳見:ボールを捕ることが苦手な小学校低学年児童の促発指導、スポーツ運動学研究(24)、49頁-63頁、2011.13)宮内孝:小学校低学年児童を対象とした「教材づくり」-ボールを捕る動きを高める視点から-南九州大学人間発達研究(4)、76頁-85頁、2014.14)高橋健夫:新しい体育の授業研究、大修館書店、1989.15)歌川好夫:すべでの子どもに確かな技能と体育の学力を保障する試み-ドッジボール再評価-,体育科教育(56)1,大修館書店,52頁-55頁,2008.16)内村美帆・金高宏文:低学年における投能力向上に関するトレーニング研究-子どもが生き生きとドッジボールに参加する姿をめざして-スポーツトレーニング科学(6)、679頁-86頁、2005.

  • Thumbnail

    記事

    公園の禁止事項増加 「談笑」「ダンス」「漫才の練習」など

     夏休み終盤、都内のある公園の光景は異様というほかなかった。隅のベンチで小学生が固まって携帯ゲームに興じている。広い公園では、他にちらほら歩く人がいるくらいで、まだ陽も残っているのに静まり返っていた。なぜ走り回ったり球技をしたりしないのかと子供に問うと、こう答えた。 「うるさくしちゃダメって書いてあるから、静かにゲームしてたんだよ。ボール遊びもダメだからサッカーもできないし」 確かに公園入り口に掲げられた管理自治体名が入った看板には、これでもかと数々の警告が並んでいる。「ボール遊び禁止」、「大声禁止」、「自転車乗り入れ禁止」……。近所の住民はこう嘆く。「中には『見つけしだい通報します』という“脅し”が書かれている公園までありますよ。子供が思いきり遊べないから、児童公園なのに、たまにお年寄りがベンチに座っているのを見かけるくらいです」 他の地域はどうか。調べただけでも、様々な禁止事項に出くわした。「喫煙禁止」や「花火禁止」、「犬の散歩禁止」、中には「ベンチでの飲食禁止」という公園まであった。さらには談笑の禁止、楽器やダンス、漫才の練習禁止という“変わり種”もある。許されているのは公園に入ることくらいなのだろうか。 禁止事項が増えた原因は、近隣住民からのクレームといわれている。例えば西東京市では、公園の噴水で遊ぶ子供の声が「騒音」と認定されて噴水が停止された。ご近所のトラブルが裁判沙汰になるケースも少なくない時代なのである。 最近では、公園でのラジオ体操もクレームの対象となり、許可申請が必要な自治体も増えている。そのひとつ、兵庫県西宮市はこう話す。「10人以上でラジオ体操をする場合は、他の利用者との公園使用が競合しないよう調整しやすくするために申請方式にしています。ラジオを使用する時は事前に近隣住民に申し入れするように指導しています」(公園緑地課) もちろんクレームをつける側にも事情はある。西東京市の事例では、公園近くに住む女性が不整脈などで療養中のため、騒音が苦痛だと訴え、申し立てが認められた。前出の西宮市公園緑地課はこう語る。「近隣から苦情があるたびに禁止事項を記した看板は増えます。看板があれば、住民も苦情がいいやすくなりますから」 確かに住民の苦情や要望を聞くのも行政の役割だ。しかし禁止行為でがんじがらめにすればいいというのはいかにもお役所体質ではないか。税金で作り、税金で管理している以上、その場所を多くの住民が活用できるように働きかけるのが本来の行政だろう。関連記事■ 浦安市“被災マンホール”保存の意向に住民「見せ物かよ!」■ 児童公園の遊具に異変 ジャングルジムが半減し健康遊具増加■ 公園の受動喫煙裁判 判決は「非喫煙者が喫煙者から離れよ」■ 公園の野鴨を矢で殺すと1年以下の懲役又は百万円以下の罰金■ 浦安のマンホールモニュメント 「目に触れぬよう」市長配慮

  • Thumbnail

    記事

    『学校でのドッジボールも禁止』ゼロリスク病と日本社会

     R25で記事になり、Twitter界隈で少し話題になったドッジボール論争。「痛いから嫌だ」「危険だから禁止したほうがいい」という気軽な意見が飛び交うTwitterならでは、みながわいわいと見解を述べ議論になっています。 学校にまつわる話題から町内会、電車でのマナーその他、あらゆる局面で人間同士の暮らし方の違いからくる誤解や違和感、不快といったストレスがネットに放流され、共感をされたり反論されたりいろんな発言の交差点になっているのは興味深い限りです。 これら、ちょっとした社会におけるストレスを見つけて「症候群」にしたり「違和感」を表明する仕組みはかねてからありました。いわゆる問題の再発見であり、症状の発明に近いこの現象は、ある意味で言葉を商売にする評論家や作家が世情を切り表現するための仕掛けとして、分かりやすい言葉を作り上げ、それに賛否が集まって論争になることで社会は問題そのものを消費していくプロセスになるわけです。 ネットでの議論が盛んになると、どうしても議論が極端な方向に行きがちです。例えば、学校の組体操が危険だ、子供の怪我が多いという話が出ると、みんな危険だからそのようなものは取りやめようという議論になります。メディアも、組体操の目的が何であって、そういう体操で怪我をした子供や保護者に話を聞きにいきひとつのパッケージに仕上げていきます。 社会が便利になると、昔からあるもので「何でこれってやってるんだっけ」というネタは大量に発掘されます。正月におせちを食べることは保存食のないころの風習だからとケチがつき、誰かが結婚することへのお祝いも現代社会の男女のあり方からすると結婚制度自体を見直すべきと問題が提起される社会になります。 ウェブで自由に意見を表出できることも含めて日本社会が成熟してきたからこそ、問題や権利や危険に敏感になり、解決するために意見を表明したり賛否を議論することに抵抗がなくなったのかもしれません。ゼロリスク病とでも言うべき敏感な層が増えてきたのも事実だと思いますが、個人的にはそういうゼロリスク病を患っている人こそ、高度に情報化された社会に必要なタイプなのではないかと思います。 世の中にはいろんな問題の種があって、それに対して敏感に感じ取れる人が分かりやすく問題を提起できれば、多くの人たちが「そういえば、そういう問題もあるな」と気づくのは当然のことです。そういうあまり光の当たらない事象を抉り出し、人々の裁定を行える環境で議論をすること自体が、私たちの求めた情報化社会だったのではないかと思います。 電車の中でのベビーカー使用にせよ、集合住宅でのゴミの出し方にせよ、決め事は人間同士が円満に社会で暮らしていくために必要だから行われ、マナーも最大公約数がそれが妥当であると感じるからみんなが守るのであって、その時代時代によって人の意識が変わり、うつろうのは大事なことです。むしろ、不満や不安や不快を感じて黙っているほうが今後の日本社会では割を食う世界になっていくのかもしれません。 いわゆるモンスター化をするような意見の表明の仕方でなければ、タブーなく何を言ってもまずは良いのでしょう。また、相手の意見を受け入れる気持ちを持ちながらも自説をしっかりと述べて議論を重ねることは意味のあることでしょう。そして、いまの日本には徐々にではありますがタブーなくきちんと意見を表出できる仕組みがたくさん出てきて、右も左も老いも若きも自分の人生観や価値観に照らし合わせて「これを言いたい」「伝えたい」ということが出てきて喋れる環境の恵みというのは本当に大事なんだと思うわけですよ。 逆に言うならば、ドッジボールが痛いし危険だというのは私の子供のころからみんなが思っていたことでした。スポーツとして楽しいと思える子は少数で、早々に当てられた大多数の子は外野でボールを回し合っているだけの競技だったというのは感じます。それでも、禁止するほど危険でもないだろう、いやあれはスポーツとして完成度が高いのだ、という意見が出れば、考えていることと違っても「そういう意見もあるのか」と納得しつつ「じゃあどうするのか」と話題の駒を進めていけばよいわけです。 恐らくは、こういうゼロリスク病的なこまごまとした議論を日本人が毎日消化しながら、少しずついろんな意見に慣れていき、考えを伝える練習をしていくことでもっと大きな国民的議論も醸成されていくのではないかと思います。いきなり街角で「集団的自衛権はどう思いますか」と質問されてしどろもどろになることを避けるためにも、日々の中で問題意識を持ち、一個一個の問題に自分の考えを固めて、言いたいことがあればどんどん意見をネットに出していくことで見えてくる形はあるだろうということですね。 ウェブでの議論は壮大な暇つぶしと思われがちですが、ただ総体で見ると意外と日本人の総意の方向性ぐらいまでは分かるような気がします。リスクが少しでもあれば何でも禁止にしたければそれも意見であろうし、それはやりすぎだろう、やる側が配慮すればそれでいいじゃないかというのも意見です。大事なことは、飽きずに考えを表明し続けることにあるんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

  • Thumbnail

    記事

    あゝ日本もここまできたか…立ちション消えて国滅ぶ 

    野々村直通(元開星高校前野球部監督・教育評論家) 最近の母親は、自宅の洋式便器を汚したくないという理由で、子供に座って小用をたすように教えているという。男性の着座小便率が50%を越えたという調査もある。あゝ日本もここまできたかと憤慨せざるを得ない。そもそも使えば汚れるのである。汚れないように指導することがマナーを教えることであり、汚れたら磨けばよろしい。 イエローハットの創業者・鍵山秀三郎氏が立ち上げた「日本を美しくする会」に“トイレ掃除に学ぶ会”というのがある。それはこんな言葉からはじまる。「どんなに才能があっても、傲慢な人は人を幸せにすることはできない。人間の第一条件は、まず謙虚であること。謙虚になるための確実で一番の近道が、トイレ掃除です。」この運動は今、日本中に“凡事徹底”というスローガンのもと広がりつつある。汚れがこびりつき変色した便器を素手で磨くのであるが、磨きながら心も磨くのである。 私は高校野球の監督時代、選手に定期的にやらせた。最初は嫌がっているのだが、集中してやっていく内に何とも心が晴れやかになってくる。ピカピカになった便器は愛おしい存在となってしまうのだ。この時、自分の心も磨かれたのである。経験した者にしかわからない爽快感である。“汚れたら磨けばよい”ということの気高き本質を突いた話である。 「夕涼み、よくぞ男に生まれけり」という川柳がある。一日の仕事を終えた夕刻に行水し、そのままパンツ一枚で夕涼みをする男の心地よさを謳ったものだ。女にはできない風景であるが、実は「立ち小便、よくぞ男に生まれけり」というのもある。今更解説はいらないだろう。幼少時、庭に積もった雪に小便で文字や絵を描いた経験がある。これも女性にはできない男の特権である。男はホース付きだからコントロール可能となる。世界中にある「小便小僧」の像は、戦争時に敵が仕掛けた導火線の火を小便で消した少年の勇気を讃えたものだという。立ちションが国家を救ったのである。 私の学生時代、大ヒットした映画『男はつらいよ』の中で寅さんが決まって語る口上の中にはこんな一節がある。「見上げたもんだよ、屋根屋のフンドシ。粋な姉ちゃん立ち小便。」ここで客席はドッと沸くのだが、フーテンの寅さんから見ても、立ちションは“粋”なのである。(笑) 「男女平等」社会は理想であるが、用のたし方まで男女同じにすることはない。“男女差別”と“男女区別”を同等に扱ってはならない。元来、男は狩猟に適し、女は子供を産み母乳で育てる。これは神が創造した性差である。“狩り”における攻撃的象徴がペニスであり、受動(受胎)的象徴が女性器となる。野球に例えると、バット=攻撃=とミット=守り=である(笑)。犬もオスは片足を上げ(立ちション?)小用をし、メスは地に伏せる。縄張りを示す(マーキング)オスの攻撃的本性である。 本能で行動する幼児は、強制しなくても、男児は黒や青色のカバンを選び、女児は赤やピンクに手を伸ばす。男の子は自動車のおもちゃ、女の子は人形に興味を示す。大体においてそういう染色体を備えて神がこの世に産み出すのである。生きる価値観としての男女平等は尊重されねばならないが、性差についても同質であるかのような評論は滑稽な現象と言わざるを得ない。 私は教職にある時、良く生徒に語りかけたのは、「男は男らしく、女は女らしく」であった。野球の指導の場面など、「おまえはそれでも男か!」「男ならやってみろ!」と気合いを入れるのが常であった。私の圧力に追い込まれた選手たちは、蒼白な顔と吊り上がった目で、「ハイッ」と精一杯の声で意気込み、戦いに挑んでいく。その訓練が“闘う集団”を形成していくのである。 しかしながら学校現場では、人権平等教育に熱心な先生方から良く注意を受けた。私は訳がわからず困惑したことを思い出す。やはり潜在的に、男は男らしく、女は女らしくありたいと願っていると信じたい。 掃除の手間を省くという合理性から言えば“坐って用を足す”ことは優位だが、合理的な人生など無味乾燥な人生である。「らしさ」の追究こそ人生のロマン(醍醐味)ではないか!! オスとメスとしての意地を通すことは、人生の面白味を増す。中でも男は、リスクを背負いながらも、打算ではなく“粋がって”男らしさを演出する生き物(者)でありたい。ののむら・なおみち 昭和26(1951)年、生まれ。広島大学教育学部卒。島根県の開星高校硬式野球部を監督として計9回、甲子園へと導く。「末代までの恥」発言で辞任したが、嘆願の署名が集まり復帰した。

  • Thumbnail

    記事

    ドッジボールを選択制にしたほうがいいらしい

    のですが、一応、ニュースの内容を紹介させていただきます。ある方がネット上に「ドッジボールはすぐに義務教育からやめるべきである」と書かれたそうです。その後、その方は「選択制にすべきである」と主張を変えられたようですが、それに対してネット上では賛否両論だ、と。 「ドッジボール大っ嫌いだった」 「子供の時からずっとそう思ってました!!! 」 という意見や、逆に 「じゃあ他のスポーツならいいのかね」 「ドッジボールをいじめてるだけ」 という意見など、様々な意見が出されたそうです。 もうね…頭が痛くなるというかなんというか…。これです。これが私が前回のブログの中で一部紹介した「被害妄想バカ」の典型です。 こういうことを言う人の何が間違っているのかを指摘します。 まず、間違った勝手な思い込みを正しいと信じ切ってしまっている、という点です。 ドッジボールはいじめにつながる、という論拠として「他人にボールをぶつける野蛮なスポーツであり、イジメにも繋がりやすい」と主張されているようですが、どんな幼少時代をお過ごしになっているのか知りませんが、完全に間違っています。 ドッジボールはただのスポーツです。 ルールの決められた、そのルールの中で戦略的に戦っていくただの「スポーツ」です。ルールのあるスポーツをいじめだのなんだの、といい始めたら、全てのスポーツができなくなります。広義の意味で言いますと、スポーツはある意味、全ていじめ的行為と言うことすらできます。相手の弱点を突き、相手を打ち負かすのが基本なのですから。 野球で内角の苦手な人間に、執拗な内角攻めをすることはいじめなのでしょうか? サッカーで身長が高い人間をゴールキーパーに持っていくことが多いのですが、それは身長による差別なのでしょうか? バスケでは、体の小さな人間を体で押しだして、自分のベストポジションをキープすることがとても大切になってきます。スクリーンアウトというのですが、これは完全ないじめなのでしょうか?体が小さいとどんどんはじき出されます。 ボールを当てるだけのドッジボールがイジメなのに、竹刀で相手を叩きのめす剣道や、相手の首を絞め落として泡をはかせる柔道はイジメではないそうです。もはや意味が分かりません。 おそらく、そのツイッターをした方は昔、ドッジボールで当てられてかっこ悪い経験をしたのでしょう。なので、ドッジボールが嫌いなのでしょう。それは…あなたの運動神経なかっただけです。 その方は最終的に「ドッジボールは選択制にしよう」と言ってるようですが、そんなことを言い始めたら、音楽の授業も選択制にしときますか。歌のヘタな人間はいます。先天的な音痴は存在します。しょうがない。選択制にしましょう。そこだけ大丈夫ってことはないでしょうから。勉強の得意な人間も不得意な人間も存在します。じゃあ、テストもやめましょう。と、言うか、もう学校に行くのも選択制にしますか。強制するのもおかしいのですしね。勉強が苦手な人も学校に行くのが嫌な人もいますしね。 もうね…薬飲んで寝てろ、と。聞いてるだけで頭痛くなるわ。 ドッジボールも同じ。音楽も同じ。得意・不得意はあります。受験勉強も同じ。勉強でもテストでも優劣は付くのです。その優劣をつけられることに変なコンプレックスを持つのではなく…それをどう捉えるのか、それを学ぶ場こそが学校なのです。 あぁ、自分は運動が苦手なのだ。では、どうするのか?運動を鍛えるのか、無視して、文化的な方面に行くのか。音楽が苦手なのだ。誰にもかなわないのだ。では練習するのか、勉強に取り組むのか 甘えたナメた考え方だけで大人になって、何ができますか?いやなことを「禁止すべきだ」と叫ぶことによって、何が一体成長するのか、そこに答えなどあるのでしょうか? ドッジボールも学校のテストも音楽も習字なども…全部、優劣は付きます。そして、私たちの生きているこの社会は残酷な社会であることを人間は知っていくのです。どれだけ野球の練習をしても、生まれつきイチロー選手にはかなわない。どれだけ歯を食いしばって柔道の練習をしても、野村 忠宏選手にはかなわないのです。絶対です。生まれつき、何もかもが違うからです。 そんな、当たり前のことを学んでいくのです。人は特別ではないのです。特別なのはごく一部の人間であって、それ以外はただの「ザコ集団」なのです。私だって、声という武器はありましたが、他は何もありませんでした。悔しくて、それでも負けないように、努力をした結果、今の仕事を得ているだけです。「世界で一つだけの花」なんて、ただの甘やかしソングです。みんな特別ではありません。ザコなんです。だからこそ、それを知ったうえで頑張るものなのです。逃げて、避けて、どうするよ? 何より、ドッジボールはいじめでもなんでもありませんが、もしいじめ的行為が確認できた場合、それらを正すのはホームルームなどの管轄です。その勘違いをしたまま、もし「ドッジボール、辞めちゃおうか」となった場合、ドッジボールから学べる、戦略的な駆け引き、運動神経の発達、クラスメイトとの協力、たくさんのものを小学生から奪ってしまうことになるのです。そのデメリットを議論していないのは偏った意見です。 自分は嫌だった。 だから、辞めろ。これもやめろ。選択制はどうだ?選択しなくていいようにしようぜ。 そういう馬鹿どものことを、私は「被害妄想バカ」と、そう呼びます。そして、その被害妄想バカのいうことを、面倒くさいのでいちいち聞き始めるから、日本社会はこじれるのです。学べるものが学べなくなるのです。それは、「優しさ」などでは決してなく、「議論することから逃げているだけ」なのです。思いやったふりをして楽をしているだけなのです。バカ相手なので面倒なのは理解できますが…。 ネット上で「ドッジボール、だめだよね~辞めちゃえ」と言ってる大バカの皆さん、よく考えろ。そして、ちゃんと自覚したうえで、少し黙っててほしい。面倒なので。(長谷川豊公式ブログ『本気論 本音論』(http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/)より転載)

  • Thumbnail

    テーマ

    ドッジボールはいじめの温床なのか

    ドッジボールはいじめにつながる―。あるコラムニストのツイートをきっかけに、学校現場でのドッジボールの在り方をめぐり、ちょっとした論争が起こりました。そういや、最近は子供のボール遊びやペットの持ち込みまで禁止する公園とかも増えましたが、なんでも「禁止」もここまでくると少々やりすぎ?

  • Thumbnail

    テーマ

    日本の初等教育は世界一

    るのか』の著者でドイツ在住の作家、川口マーン惠美さんは、ともに技術大国である両国を比較し、日本の初等教育の充実ぶりを実感することが多々あるという。世界を見渡せば「11人に1人」の子供が初等教育を受けられない現実もある。わが国の教育水準やいかに。

  • Thumbnail

    記事

    池上彰が読み解く 知っていますか?日本の教育の“いま”

    池上彰(ジャーナリスト)《PHP文庫『池上彰の「日本の教育」がよくわかる本』より》あなたが通っていた頃の学校とは大違い!? あなたは、「日本の教育」について、どのくらい知っていますか? 自分が通っていた頃の学校や教育については、もちろんよく知っていると思います。 では、最近の学校や教育についてはどうでしょう。「今も大きく違わないだろう」と思っていると、かなり様変わりしてしまっているのにきっと驚くはずです。 たとえば小学校1年生と2年生では社会科、理科がなくなって生活科になっています。 小学校の通知表も様変わりしました。かつては5段階評価で、「5」から「1」という数字だった学校もあれば、「たいへんよくできました」から「もっとがんばりましょう」といった文章で表現されていた学校もありました。 親に見せたくなかった人も多いと思いますが、今の子どもたちは昔ほど気にしないかもしれません。なぜでしょう? 現在の小学校1、2年生は「評価」が義務づけられていませんから、通知表にこうした評価がない学校もあります。3年生からは評価がつきますが、5段階よりも少ない3段階評価です。 そして、何より違うのは、相対評価から絶対評価になっていることです。相対評価では、クラスのなかで上位数%が「5」というように、それぞれの割合が決められ相対的に評価がされていました。 一方、絶対評価では達成基準が決められていますので、極端にいえば、クラス全員が最高の「3」をとることもできます。 クラスの人数も少なくなりました。小学校のクラスの人数は平均28人、中学校は平均33人です。自分たちの時代と比べて、「えっ、そんなに少ないの!?」と驚いた人も多いのではないでしょうか。 少ないのは、クラスの人数だけではありません。同学年のクラス数も少なくなっています。2クラスとか、3クラスしかなければ、クラス替えをしてもほとんどが同じメンバーということになってしまいます。「教育委員会って何?」という質問に答えられますか 日本の学校と教育は、戦後、少しずつ変わってきました。私は、自分が学生だったときと比較して、今のほうがよくなっている面もあると思っていますが、そう思っていない人も多くいます。 安倍政権は、「アベノミクス」による経済再生と並ぶ最重要課題として「教育再生」を掲げています。「教育委員会制度の改正」「道徳の教科化」「6・3・3・4制の見直し」など、戦後教育の大転換といってもいいほど大きく日本の教育を変えようとしているのです。 ただ、そのわりには、あまり注目が集まっていません。集団的自衛権の問題や原子力発電所の再稼働問題などの陰に隠れてしまっている印象です。 しかし、教育は一国の未来を決める重要なテーマです。子どもたちが、どのような教育を受けるかによって、どのような大人になるかが決まります。子どもがいる人はもちろんですが、いない人も無関心ではいられないテーマのはずです。 実際、日本の将来を考えるうえで、「教育が重要だ」と考えている人は多いと思います。にもかかわらず、教育改革に注目が集まらないのは、ひとえに、「わかりにくいから」ではないでしょうか。 たとえば、「教育委員会」という名前は聞いたことがあっても、何をするための組織なのか、誰が委員なのか、何が問題で改正が迫られているのか、といったことを正しく理解している人は少ないでしょう。そもそも、戦後直後に、どういった目的で教育委員会がつくられ、どういった経緯で形骸化していったのかまで知っている人となると教育関係者に限られてしまいそうです。教育改革は難しい また、教育は変えてから結果が出るまでに時間がかかります。これも、教育改革をわかりにくくする原因の1つです。「ゆとり教育によって学力が低下する」と騒がれたのは、ゆとり教育が本格的に導入される直前でした。その後、「学力が低下した」といわれるようになりました。1年や2年で結果が出るはずはないのに、何の検証もされずに新たな方向に舵が切られました。 教育は、学校のテストのように数値化できるものばかりではありません。文部科学省は「生きる力」の育成を学校教育の主眼として掲げていますが、これなども数値化することが難しく、どんな能力を身につけることが生きる力になるのか漠然としていて、わかりにくいといえます。 こうして、教育に関する改革は、評価もわかりにくく、得てして思い込みや印象論で語られるようになります。データにもとづかない議論は、またまた事をわかりにくくします。まさに「わかりにくいスパイラル」です。 事実、これまでの教育改革の変遷をたどってみると、改革の結果をきちんと検証して評価することなしに、何となくつくられた「世間の空気=世論」によって教育方針が変えられてきたという側面があります。 安倍政椎の「教育再生」も、学校現場や教育現場の検証から改革案を作成しているというよりも、思い込みや印象論にもとづいている面があるのではないでしょうか。教育について考えることは、日本の未来を考えること 私は、NHKの記者時代に文部省(当時)を担当していました。『週刊こどもニュース』に出演していたこともあり、学校や教育に関する問題はいつも身近な問題として考え続けてきました。 だからといって、「こうすれば日本の学校や教育がよくなる」という解決策をもっているわけではありませんが、あなたが教育について考えるための基礎知識を提示することはできると思います。 今の日本の教育に、どんな歴史があって、どんな問題を抱えているか、その現状をまるごと知ってもらおうと考えて、この『池上彰の「日本の教育」がよくわかる本』をまとめました。外から見ると不思議なことも多い日本の教育界について、初歩の初歩から解説してみました。 教育は、学校と家庭だけでなく、政治や行政、メディア、地域社会など、さまざまなものと密接にからみあっています。だから、日本の教育について知ることは、日本そのものを知ることにほかなりません。 そして、日本の教育を考えることは、これからの日本を考えることです。どんな日本をつくりたいのか。どんな日本人を育てたいのか。 戦後、知識を大量に詰め込み、それを試験で評価する教育が行われてきました。そうした教育で育った人材が日本の高度経済成長を支えたのは事実です。開発途上国なら、今もこうした教育が有効なのかもしれません。 しかし、日本を含めた先進国は、その次の段階にきています。「答えのある問題を正確に解ける人材」よりも、「答えのない問題に対して、自分の頭で考え、自分から行動して正解をつくりあげていく人材」が求められています。そのための教育とは、どのような教育なのでしょうか。 日本の将来を決める教育については、国民的な議論が不可欠でしょう。安倍政権の「教育再生」を考えるためにも、基本的な知織やデータが欠かせません。本書がそれらを少しでも捷供できたなら幸いです。関連記事■ 尾木ママの「脱いじめ」論 ~いま、大人に伝えたいこと■ バイリンガル&エリート教育の勘違い■ 教育委員会改革に関する与党案の欠陥とは■ 陰山英男・大人の勉強の必須科目は「お金」■ 乙武洋匡、世界の大使に会いに行く/第2回・フィンランド

  • Thumbnail

    記事

    日本人の美しい特質を身につけられる初等教育

    完璧な物を作って世界に売る国なのである。つまり、国民の頭脳で勝負している。 その頭脳を育てる肝心要の教育はどうなっているかというと、両国には結構大きな差がある。優秀な頭脳は、どちらにも間違いなく、それもかなりの頻度で存在するが、その分布図が異なる。日本の場合、教育の底辺がかなり高いところで揃っているのに比べて、ドイツでは、上は立派だが、底辺は総崩れだ。学力の格差が激しい。 日本の教育の底辺が高い理由は、一口で言えば、初等教育が極めて充実しているからだ。詰め込み教育と言われようが、何と言われようが、小学校6年間でしっかり九九を覚えさせて、ひらがな、カタカナのみならず、1006字の漢字までちゃんと物にさせる。これはすごいことだ。「日本に文字が読めない人はいない」と言うと、ドイツ人は私がまたまた愛国心を発揮して勇み足になっていると思うようだが、日本で字が読めない人、書けない人を探すのは、実際、難しい。 ドイツでは、日本ほどきめ細かな初等教育は行われていない。置いてきぼりになってしまう子もたくさんいて、それが一生ずっと尾をひく。教育制度は20世紀初頭の骨董品で、未だにヘルマン・ヘッセの時代と大差ない。戦後、日本の教育改革を行った米軍も、なぜかドイツの制度には手をつけなかった。 社会状況が大きく変わった今、そのために多くの弊害が出ている。30年来ずっと叫ばれている改革は、遅々として進まない。エリートにとっては、伝統的な制度は悪くないが、社会的弱者が落ちこぼれてしまう。ひいては、それが失業や犯罪を招き、社会不安の原因にもつながる。日本人の美しい特質を生かしきるために日本人の美しい特質を生かしきるために 日本の初等教育には、他にも良いところがある。学校にいる時間が長いので、学校が勉強の場だけでなく、コミュニティーとなっている点だ。教師と一緒に給食を食べ、皆で一緒に掃除をし、朝礼もあれば、運動会もあり、何より部活がある。京都市立開晴小学校で月に一度実施されることになった和食給食=6月2日午後、京都市東山区(志儀駒貴撮影) 部活では、授業とはまったく違った世界が形成されるので、社会性や上下の人間関係を生きた形で学べる。勉強があまりできなくても、活躍できる場が見つかるし、チームワークの精神も育つ。 リーダーシップが発揮できる子は尊敬され、優しい子、面倒見のいい子も、それなりに皆の心にインプットされる。勉強ができるかどうかではなく、頼りになるかどうかが問われる。好かれる子、嫌われる子が出てくる。 日本人が、気負わず、ごく自然に、平等の感覚を身につけているのは、給食、掃除、部活のおかげだ。これらの体験を経て、人生で大切なのは勉強だけではないということが、あぶり出しのように見えてくる。そして、さらにそれが中学、高校と受け継がれ、会社に勤めたら、役員と平社員が社員食堂で一緒にご飯を食べても、誰も不自然と感じない。私たちは稀に見る平等な社会で暮らしているのである。 ただ、これほど多くの良い条件と資質を持ちながら、私たちはそれを、うまく生かしきれていないように思う。 戦後、ゼロから始めたドイツと日本は、民主主義と平和主義を死守しながら、ひたすら前進した。その道は、世界2位、3位の経済大国となったところまではとても似ていたのに、今、この2国の世界での立ち位置は、ずいぶん異なっている。かつて、ホロコーストのおかげで地を這うようにしか行動できなかったドイツが、いつの間にか、経済力だけでなく、圧倒的な政治力を手にするようになった。そのしたたかさは、驚くべきものだ。日本は大きく水をあけられてしまった。 世界の国々と日本には、今、温度差がある。世界は過激だ。どこもかしこも闘争に満ちていて、一筋縄では生き残れない。そんななか、日本だけが、国民の気持ちが穏やかで、初等教育のセーフティネットが機能しているので格差も少ない。どちらも、絶対に壊してはいけない大切な宝だけれど、一方で、私たちは土俵際まで追い詰められている。良い物を、黙ってコツコツと作っていれば豊かになれる時代は終わったのに、呑気な日本人には、その危うさがよく見えていない。 本来ならば日本は、その能力と経済力に見合ったリーダーシップや政治力も身につけていかなければならないはずだ。そのためには、主張や、交渉や、妥協や、あの手この手が必要だが、学校でそれらの訓練があまりなされない。討論もプレゼンも、練習の機会は少ない。日本のこれからの教育は、まず、そこらへんから変えていかなければならないのではないだろうか。 日本人の美しい特質を壊さずに、これらの技術を手にすることがどこまで可能か、やってみなければわからない。しかし、それを避けては前に進めないことを少しでも多くの人に理解してもらいたい。世界のなかの日本という図式を見るために、本書が少しでも役に立てば光栄である。かわぐち・まーん・えみ 作家、拓殖大学日本文化研究所客員教授。1956年大阪府生まれ。ドイツ・シュトゥットガルト在住。日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。書には、ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』(以上、講談社+α新書)のほか、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』『ドイツの脱原発がよくわかる本』(以上、草思社)、『ドイツ流、日本流』(草思社文庫)、『ベルリン物語 都市の記憶をたどる』(平凡社新書)、『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社新書)などがある。関連記事■ 池上彰・知っていますか?日本の教育の“いま”■ 渡辺和子・自分の心と戦って、自分らしい素直さを育みましょう■ 尾木ママの「脱いじめ」論 ~いま、大人に伝えたいこと■ 親の接し方しだいで、子どもはこんなに変わる■ 課題解決型人材を育てよ~DeNAが推進するプログラミング教育の真意

  • Thumbnail

    記事

    学習熱は非常に高い? 「日本人と英語」にまつわる誤解を解き明かす

    っていいほど目に入って来る。また、楽天を始めとする企業では、社内英語公用語化が進み、子供たちへの早期教育の効果が喧伝されている。まるで、これからの時代、英語が出来なければ食い扶持に困るとでも言うように。 果たして、そんなに多数の日本人に英語は絶対に必要なのか。こうした通説や俗説に対し、社会統計データを分析し、実態をつまびらかにしたのが『「日本人と英語」の社会学』(研究社)。そこで著者で、日本学術振興会特別研究員(PD)・オックスフォード大学ニッサン日本問題研究所客員研究員の寺沢拓敬氏に話を聞いた。―一歩街に出ると英会話スクールの広告が溢れていますし、ビジネス誌などでも英語学習方法の特集が組まれたりと、一見すると日本では英語学習熱が高いように感じます。しかし、実際のデータを見てみると、本書で指摘されているように英語学習に積極的な人たちはそんなに多くないと。『「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』(寺沢拓敬、研究社)寺沢:そうなんです。JGSS(日本版General Social Surveys)という調査によると、英語を「積極的に学習するつもり」と答えたのは全体の3.1パーセントで、「機会があれば学習したい」「しかたなく学習する」という人を含めても4割に届きません。また、英語を学ぶつもりがないと答えた人は63.7パーセントにも上ります。 さらに内閣府が行った「生涯学習に関する世論調査」では、過去1年間の生涯学習の経験を尋ねていますが、「語学(英会話など)」を選んだのは全体の3.3パーセントでした。―そんなに少ないんですね。とは言え、グローバル化した世界では英語を話さなければビジネスで成功しないというような風潮があるようにも思います。寺沢:ひとつの背景には、英語を日常的に必要な人の割合が少ないからと言って、必ずしも絶対数が少ないことを意味しない、ということがあります。年に数回の使用という限定的な英語使用も含め、就労者の2割、日本人全体の1割しか英語を使用していません。より日常的に英語を必要としている人は1パーセント程度です。ただ、その1パーセントが120万人であるという人口規模は、外交や対外貿易などの政策を考える上では重要な数で、その強化を政府は狙っているのでしょう。 また、政府は一部の政策を除き、英語教育関係の政策では人口の何パーセントに英語力が必要で、その人たちに集中的にリソースを投下するとは明言していません。ある程度の人数が必要になるから養成すると言っているだけです。その辺が曖昧なため、実態とそれを受け取る我々の間にギャップがあるのかなと思いますね。―年によって英語使用の頻度に変化はあるものなのでしょうか?寺沢:06年と10年で、英語使用の増減を比較すると、「インターネット」において微増しているのみで、仕事をはじめ、音楽鑑賞・映画鑑賞・読書、海外旅行と比較可能なデータですべてマイナスになっています。10年の2月に楽天の社内英語公用語化が発表されましたから、ビジネス界や政府の現状認識とは相反しているとも言えます。―06年と10年で英語使用に増減があるのはどうしてでしょうか?寺沢:本書で詳しく述べましたが、2000年代後半の世界的な経済危機で説明できます。不況になって貿易や海外旅行者が激減した結果、英語使用が減ったと考えるのが自然でしょう。興味深いことに、この英語使用の減少はグローバリゼーションによって引き起こされた面があります。米国で起きたリーマンショックが金融グローバリゼーションの波に乗って瞬く間に全世界に波及したことは周知の事実です。ありえない仮定ではありますが、もし2000年代の世界がブロック経済化していたのなら、世界的不況にはならなかったでしょうし、したがって英語使用の急激な減少もなかったでしょう。というより、そもそもグローバル化がなければリーマンショックの原因となった金融商品が世界中に拡散することもなかったわけで、リーマンショック自体が起こっていなかったでしょうが。―そうなると中学校などで生徒が学ぶ動機付けが難しいようにも思います。寺沢:本書の内容を知った上で、教師が生徒全員に対し簡単に「これからの時代、英語が必要だ」とは簡単には言えないと思います。 もちろんすべての生徒に英語の必要性が0ではありませんし、20パーセントや50パーセントと比較的少数や半数でもない。将来、英語が必要なのは1パーセントから10パーセントと微妙な割合なんです。さらに重要な点が使用率には人によって大きく差があることです。つまり、英語使用は、年齢や職業、学歴、居住地・就労地、社会階層などによって大きく変わります。誰もが1%〜10%の確率で英語を使うようになるわけではありません。たとえば職人として生きていこうと考えている生徒にとってはもっと低く見積もるのが妥当です。 この現実を前提に、生徒に対し英語学習の目的を誰もが納得するように回答するのは難しいですね。ですからその生徒が将来、英語が必要な仕事に就きたいというビジョンを持っているなら、そういう社会の必要性を見出せばいいですし、中学生の段階で、英語とはまったく関係のない世界で生きていくと決めているならば、異文化理解や日本語とは構造の違った言語を学ぶことで視野が広がると言うしかないかもしれません。―実際のデータと、街に溢れる英会話スクールの広告、この差はどうして生まれるのでしょうか?寺沢:これはあらゆる社会現象にも言えることなのですが、興味のない人は顕在化しませんし、逆に興味のある人は顕在化しやすいんです。たとえば、ある物事に興味のある人が少数であっても、その人たちが大きなお金を落とすマーケットが成立すれば、広告も増え、存在感は一定に担保されます。そこで、もしその物事についてアンチの人が一定数存在すれば相殺されますが、そういった人が存在せず、無関心か関心があるかの二分法になるのです。―無関心の人たちは、「我々は関心がないのだ!」とあえて声を出さないと。寺沢:そうですね。そういう力学ですね。―なるほど。ここまで様々な英語に関する通説と実際のデータの違いに気がついたのはどんなことがキッカケだったんですか?寺沢:本書で中心的に扱っている英語使用や英語学習熱に関しては、一般的に言われるほどではないと、生活者の実感として、またはまわりの研究者や英語教育に関心の高い人に聞いても感じていました。通説と言われるものも必ずしも万人に受けているわけではないのではないかと。 そこでデータを分析すれば、今回のような結果になるのではないかと考えました。しかし反面、文部科学省や英語教育学者の一部、あるいはビジネスリーダーと呼ばれるような人たちは英語が必要だと主張しています。だからこそ、そのようなグローバル人材という言葉を全面に押し出す人たちの通説を覆したという意味が強いと思うんです。―それでは本書をそうしたビジネスリーダーや政府関係者に読んでもらって、現実を知ってほしいと。寺沢:知ってほしいと思っているグループは政策関係者と英語教育学者、そして実際に英語を教えている英語教師の方々ですね。 英語教育学に、私も半分は所属していますので内部批判になってしまいますが、英語教育政策に関する研究に関しては決して肯定的な評価をしていないのが正直なところです。ただ、それは英語教育学のクオリティが低いという意味ではありません。英語指導法やテスト理論、あるいは言語習得や外国語コミュニケーションの理論など多くの領域では大変優れた研究がなされています。しかし、残念ながら、政策の意思決定や社会の実態がどうなっているのかについては英語教育学には大した蓄積がありません。そこのギャップを埋めたいなと。心ある英語教育学者は、このギャップをよくわきまえているので、専門でもないのに社会の英語実態や政策のありかたにまで口出しするようなことはしません。これは誠意のある研究者の態度だと思うんです。でも、必ずしも全員がそうであるわけではないのが実情です。 また、中学高校教育現場の教師の方々が本書に書いたような実態を知っていれば、現状のように英語教育学者が社会の実態について一方的に教師へ教えるという不当な権力関係が改善されるかもしれません。そうすることで、言説が良い方向へ変わっていくのではないかと期待しています。 そうは言っても、英語教育学の大先生たちの意識を変えるのは難しいでしょう。英語教育学の中で、私のような社会科学的なアプローチの研究は珍しいんです。だからこそ、本書を出すことで、現在の大学院生や学部生たちに、社会科学的な英語教育研究も可能なんだというロールモデルを果たすことができれば、すぐには変わらないかもしれませんが、10年後には変化することを期待しています。ほんだ・かつひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/関連記事■ DeNA創業者が語る 21世紀に身に付ける「4つの力」■ 塾のために「学校欠席」なんて当たり前■ 中学受験で目指すべきは「必勝」ではなく「必笑」

  • Thumbnail

    記事

    小学生への英語教育で世界に通用する語学力を

    高嶋哲夫(作家) 「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」が平成25年12月、文部科学省から発表された。2020年の東京五輪・パラリンピックを見据え、日本でも本格的に小学校における英語教育を始めようというものだ。共働き家庭などの小学生を放課後に校内で預かる「放課後キッズクラブ」の英語プログラムを視察し、児童に語りかける下村文科相=2014年10月22日、横浜市立中山小学校(小林佳恵撮影) 現在でも小学5、6年生には週1時間の英語の授業があるが、あくまで「外国語活動」であって、教科ではない。しかし、この計画では、英語教育を始める学年を3年生に引き下げ、3、4年生に対しては週1、2時間、さらに5、6年生になると「教科」として週3時間の授業を行うとしている。正規の教科になれば成績がつく。つまり、現在の遊びの域を超えた英語教育が始まる。 さらに中学校では英語で授業を行うことを目指し、高校では英語による発表や討論を行うことも目標に掲げている。大学入試では「聞く」「話す」「読む」「書く」の能力を重視し、TOEFLなども活用するとしている。伝えられなければ意味がない 僕は数年前まで、通訳や観光業、外国に行ってものを売り買いする商社マンなど一部の人たち以外には、英語はたいして必要ないと考えていた。英語は自分の意思を伝える手段でしかない。だから人は英語という手段を磨くより、伝える内容を充実させることに時間を割くべきだという意見だった。実際、科学の学会では、つたない英語でも内容が先進的であれば聴衆は必死で聞き取ろうとするし、どうでもいい話はいくら流暢(りゅうちょう)な英語であっても聞き流す。 しかし、現在のようにすべてがグローバル化された時代にあっては、そうは言っていられない。 いくら世界に誇る素晴らしい技術やアイデアを持っていても、その表現手段が不完全では宝の持ち腐れだ。外国に商品を売りに行っても、そのよさを十分に伝えることができない。学術論文も究極的には、日本語で書いてもさほどの意味がない。英語で書き、世界的な学会誌に発表されて初めて意味をもつ。 僕個人はアメリカに留学し、夢破れて日本に帰ってきたとき、二度と英語はしゃべらないと心に決めた。基本的には英語以外の能力不足が原因だが、もっと英語ができれば状況は変わっていたかもしれない。不十分な母語教育の危険性 僕の3人の子供たちはそれぞれ中学2年、3年、高校1年の時にアメリカへ行った。以後、2人は15年以上アメリカで暮らしている。高校、大学は3人ともアメリカだ。その間、日本にはほとんど帰っていない。 発音はほぼネーティブと同じだと思う。三女などは日本語が怪しい。僕が普通に話していても、「それ、どういう意味」と聞いてくることもある。駅名など読めないものがかなりある。彼女の場合、アメリカ人と結婚して日本に帰る気がないのだからそれでいいとしても、父親としてはやはり寂しい。 知り合いの言語学の大学教授は「僕の友人の学者たちは、幼児英語教育や小学校からの英語教育に反対しています。まず母語の教育を十分にしないと、アイデンティティーと絶縁した生活になります」と言っている。たしかに、幼少時から外国語を過度に学ぶことの危険性は以前から指摘されている。日本人としての基礎学力、意識を持った上での英語教育が重要なのは当然のことだ。 しかし、グローバル化がここまで進んだ昨今、小学生のころから英語を学び始めるのもいい気がする。 日本がかつて経済大国として発展することができたのは、高い技術力とそれを支える国内市場があってこそのことだ。しかし、そうした製造技術はいまや他国に追随を許してしまっている。途上国に生産工場が集中した結果、低コストに太刀打ちできず、日本が得意としてきたものづくりに影を落としている。おまけに少子高齢化によって、国内市場の成長力は見込めそうにない。 すでに隣国の韓国などは、日本より早い段階で英語教育に国を挙げて取り組んでいる。日本も、一部ではなくすべての子供が国際的に通用する英語力を身につけるシステムが必要である。日本の小学生に対する英語教育が単なるお遊びにならないことを望む。たかしま・てつお 昭和24年、岡山県出身。慶応大学工学部修士課程修了。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)の研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。『イントゥルーダー』でサントリーミステリー大賞・読者賞。著書に『M8』『TSUNAMI津波』『東京大洪水』『原発クライシス』『ライジング・ロード』『首都崩壊』など。関連記事■ DeNA創業者が語る 21世紀に身に付ける「4つの力」■ 塾のために「学校欠席」なんて当たり前■ 中学受験で目指すべきは「必勝」ではなく「必笑」

  • Thumbnail

    記事

    教育改革の「本丸」は家庭教育の立て直し以外にない

    細川珠生(ジャーナリスト) 安倍晋三政権になって着々と進んでいるように思える教育改革だが、これから「本丸」に突入できるかどうか真価が問われる。 「教育改革の本丸」とは、「家庭教育の立て直し」以外、ない。道徳教育の充実のために、教科化を行うなどの方策は、一定の効果はあると思うが、根本的な「人としての在り方」を教育するのは、家庭である。目を覆いたくなるような行動や言動をする親は、今や街中に、日本中にあふれている。 道徳教育を学校教育の中で懸命に取り組んでも、家に帰ればぶち壊し。この現実にたって、教育の本丸である家庭教育の立て直しに本気に取り組むべきである。 現在、総授業時数は、小学校では6年間で5645時間、中学校では3年間で3045時間である。ゆとり教育からの脱却により、小学校では平成23年度から、中学校では24年度から、時数が1割増加した。しかし、1年当たりで計算すると、それまでの10年間と比べ増えたのは、小学校では46時間、中学校では35時間である。年間35週でカウントする学校教育では、小学校で週1時間強、中学でも週1時間増えるだけだ。 昭和36年度以降、最も授業時数の多かったのは、46年度から54年度であり、小学校では6年間で6135時間、中学校では3535時間であった。当時に比べれば、ゆとりからの脱却とはいえ、まだ約1割少ないのである。 限られた学校の授業時数の中で、道徳も外国語も、またコンピューターなどの情報教育も、さらには自然体験やキャリア教育などなど、学校に課せられる教育の内容は増える一方である。 今や挨拶の仕方やお箸の持ち方、「ご飯は左、お汁は右」というような、家庭で当然身に付いているはずのことまで、学校で教えなくてはならない。限られた時間の中で学校が抱えることがあまりに多すぎる。 安倍政権は、「女性の活用」を大きな政策の柱として、女性が妻となり、母親となっても、自身の持つ能力を発揮できるチャンスを増やそうと、あらゆる施策を検討している。働く母親としてはありがたいと思う一方、子育てをしている身として思うことは、女性は、ひとたび母親となったのならば、わが子をどこへ出しても恥ずかしくない人間に育てる、その基礎をきちんと身に付けさせることが、最重要の役割であり、それ以上に優先する役割などないということである。 しかし、昨今の多くの母親、とりわけ働く母親は、そのことに気づいていないか、気づいても軽視している場合が多いのである。母親が働いて社会で地位を得ること自体を否定するわけではないが、それならば、母親としての責任に手を抜くべきではない。それができないのならば、私は働くべきではないとさえ、思う。母親が母親としての責任を果たすためにも、「家庭の責任」として、何かの形で明らかにすべきである。それを抜きに、教育改革の本丸にたどりつくことはできない。 教育に関する法令は、教育基本法を筆頭に、300本以上ある。しかし、家庭教育に特化し、その責任を具体的に明確化した法令は一本もない。「国家が家庭に介入できない」というこれまでの考え方から、国が本腰を入れて、家庭教育に踏み込む時期にすでに来ているのである。ほそかわ・たまお 前東京都品川区教育委員。ラジオや雑誌などで活躍。父親は政治評論家の故細川隆一郎氏。関連記事■ DeNA創業者が語る 21世紀に身に付ける「4つの力」■ 塾のために「学校欠席」なんて当たり前■ 中学受験で目指すべきは「必勝」ではなく「必笑」

  • Thumbnail

    記事

    お金稼ぎを授業で実践 「生きる力」を地域とともに学ぶ子どもたち

    子どもたちは、売り買いを通して自主性やお金の価値を学んだでしょうし、大げさにいえばリサイクルや消費者教育にもなっていると思います。 いずれ秋津を巣立つ子どもたちには「楽しいことをするには、自発性とともにみんなが楽しめる一定のルールがあること=公共性」を身に付けてほしいと思います。 そんな地域の行事に呼応して、冒頭の苗の販売は行われたのでした。地域の記憶と学校の記憶の紡ぎ合い 思い起こすと空き缶を集めてユニフォームを買おうとした子どもたち、自分たちが授業で育てた苗の販売、秋津っ子バザーなどの長年かけての金稼ぎをめぐる連鎖も、地域の記憶と学校の記憶の紡ぎ合いと思うのです。 地域は大局的な視点から「子どもの育ちにとって、良いことは良い」としっかりと伝え、そのことで喜びを感じた子どもたちは、親や地域の大人を信頼するでしょうし、それを兄弟姉妹や世代を超えて伝えあうものと思います。バス停のベンチづくりを横目にみながらビオトープの大池で交尾する夫婦ガエル。2015年春 そして、こういった地域の特長に、鋭敏に反応する先生であれば思わぬすばらしい教育実践が可能なのではないでしょうか。 私たち秋津の大人は、そんなことを感じながら、意のある先生方とともに、自信を持って学校を拠点に子育てに挑んでいけると思っています。 なお今回の後半の写真は、この春に工作クラブの教室として休日に実施中の「バス停のベンチづくり」の様子です。まちなかの3カ所のバス停に置くのですが、今回で3回目のフルチェンジです。 では次回まで、アディオス! アミ~ゴ!きし・ゆうじ 秋津コミュニティ顧問。1952年東京生まれ。広告・デザイン会社の(株)パンゲア代表取締役、習志野市立秋津小学校PTA会長時に秋津コミュニティ創設、会長を経て現在顧問兼秋津小学校コミュニティルーム運営委員会顧問。文部科学省委嘱コミュニティ・スクール推進員、学校と地域の融合教育研究会副会長、埼玉大学・日本大学非常勤講師、ほか。著書に『「地域暮らし」宣言』『学校を基地にお父さんのまちづくり』(ともに太郎次郎社エディタス)、『学校開放でまち育て』(学芸出版社)など。

  • Thumbnail

    テーマ

    あなたの会社は生き残れますか

    日本市場だけを相手にしていては世界には勝てない。戦後、日本経済を牽引してきた半導体や家電産業はキャッチアップされている。では日本企業はこれから何をめざせばよいのか。また働く人たちはどのような能力を身に付ければよいのか。課題先進国・日本がグローバル化した世界で生き残るための方策を考えた。

  • Thumbnail

    記事

    「プログラミング強国」へ教育

    りきって使う「道具」になった。このようなパソコン利用を受け、3年後の98年告示の学習指導要領には情報教育の目標として「情報活用能力」が挙げられた。パソコンを何に使うか、パッケージソフトをどう使うか、その時気をつけるべきルールといった、いわゆる「道具としてのパソコン教育」だ。 しかし、同じ95年にイスラエルではジュディス・ガル=エゼル教授がA High-School Program in Computer Scienceという論文を発表した。中等教育でのコンピューター教育は、使い方よりも、原理やプログラミングを教えるべきだという内容だ。 パソコンでワープロのプログラムを走らせるとワープロ、年賀状印刷のプログラムを走らせると年賀状印刷機になる。プログラム次第でパソコンはどんな道具にもなる。使うのでなく道具-プログラムを作る力がプログラミングだ。 イスラエル政府はガル=エゼル教授の論文を重視し、2000年には国が「コンピューターサイエンス教師センター」を設立。カリキュラムや教材をそろえ高校での必修科目とした。現在、イスラエルでは最短でも90時間-毎週1時間を3年間-必修だ。より高度なコースでは270時間、450時間で、日本でいえば、ほぼ数学や国語の学習時間に匹敵する。回収早い現代の「米百俵」 結果がどうなったかというと、コンピューター分野でイスラエルは人口に比して非常に強力な国となった。世界中の企業がイスラエルの技術を競って買う状況になっている。国が置かれた状況からセキュリティー・軍事分野が特に有名だが、CGやネットビジネスなど他分野でも広く活躍している。 ここで分かるのは、重要だが投資回収が遅く、「米百俵」的な忍耐が必要な教育の中でも、プログラミング教育だけは異常なほどリターンが早く効果も大きいということだ。適性があれば高校生で起業する人もいるし、優秀な1人がパソコンさえあれば凡人数百人分の働きができる分野だからだ。 そういう意味でイスラエルは成功したわけだが、今や、高校のカリキュラムの基礎部分を中学に前倒しする計画を進めている。 英国ではこの9月、5歳から16歳までの全員必修の義務教育としてプログラミング教育をスタートさせる。初等中等教育でのプログラミング教育は、フィンランドをはじめ他の国々で実施から計画までさまざまな動きがある。米国でも、プログラミングの高校教師1万人の養成を目指すCS10K運動を始めた。カリフォルニア州などはそれでも遅いということで、独自の先行計画を開始している。 こういう流れの中で、1995年の論文は非常に先見的だったとして世界的に再評価されている。学習指導要領の改定待てず 流れを決定づけたのはスマートフォンの登場だ。人の7倍の早さで年を取る犬に例えて、コンピューター分野では他分野の7倍の早さ、つまり「ドッグイヤー」で技術が進歩するという。これだとWindows95の時代は140年前。プログラミングを取り巻く環境も大きく進歩するのが当然だ。機能モジュールを組み合わせることで、アイデアさえあれば高度で使いやすいプログラムが素早く作れ、できたプログラムの配布もインターネットで瞬時に行える。 その結果、今世界でコンピューターを利用した技術革新を主導しているのは「プログラミングの専門家」でなく、「プログラミングできるその分野の専門家」になってきている。例えば、スマート農場で技術革新を起こせるのは「プログラミングできる農民」だ。 物理的な道具だと、精度や耐久性やコストなどのさまざまな面で専門メーカーが工場で作るものに個人は太刀打ちできない。それに比べて、プログラムなら個人が自分の仕事に合わせた「道具」を簡単に作れる。初等中等教育で「読み、書き、算数」を徹底的に教え込むのは、それが、どんな仕事につくにしろその個人を助ける力となるからだ。今、そこにプログラミングが加わろうとしている。 日本では、学習指導要領の書き換えが必要で、今決断しても実施は10年後になるという。ドッグイヤーでは70年の差。10年後は遅すぎる。現代の「米百俵」の教えでは、教育開始までに費やす時間こそが無駄にできない資源なのだ。関連記事■ 年功序列型賃金だけに目を奪われるな■ なんで必要かわからないホワイトカラー・エグゼンプション■ 内も外もよく知る「二本」人たれ

  • Thumbnail

    記事

    DeNA創業者が語る 21世紀に身に付ける「4つの力」

    ても人気のある株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)。同社は多角経営を積極的に推進しているが、新たに教育分野への進出も視野に入れている。 昨年10月から今年の2月にかけて、佐賀県武雄市ならびに東洋大学と協定を結び、同市内の小学校1年生を対象に、プログラミング教育の実証研究を行なった。市が配布しているタブレット(多機能携帯端末)で動く専用ソフトを開発、DeNAのCTO(最高技術責任者)が講師となって、児童たちにプログラミングの仕組みや方法を教え、デジタルでのものづくりを体験させたのである。なぜ小学生にプログラミング教育の必要があるのか。教育分野のプロジェクトを推し進めている同社の創業者である南場智子氏に真意を聞いた。聞き手:オバタカズユキ(フリーライター)発想ひとつでシェアを伸ばす海外のITベンチャー ――南場さんは、日本の産業は危機的な状況にあり、根本的な改革が必要だと主張されています。とくに、製造業をはじめとした日本の伝統的な産業が、海外のITベンチャーに次々と出し抜かれている現実はシビアに受け止めるべきだ、と。それは具体的にどんな事象を指しているのでしょうか。 南場 よく例に出すのは、アメリカのGoPro(ゴープロ)という「アクションカメラ」が、日本のメーカーが圧倒的に強かったビデオカメラの市場を、あっという間に奪い取っていったことです。スノーボーダーやサーファーが、GoProを自分の体に装着して、撮った動画をワンタッチでYouTubeに流す。そのためだけの機能に特化したカメラが、ものすごい勢いで市場を席巻しています。 カーナビも同様です。少し前までは、日本のメーカーが世界市場を分け合うような強みを見せていました。ところがいま、スマートフォンとの連動を前提とした海外製品あるいはスマートフォンそのものに、どんどんシェアを奪われている。日本製品は性能こそ良いのですが、ここでもいわゆるガラパゴス化を起こしています。 ――家電以外の産業でも事例はありますか。 南場 スマートフォン繋がりでは、タクシーの即時手配サービスのUBER(ウーバー)。2009年にサンフランシスコで、トラヴィス・カラニック氏が創業したスタートアップです。すでに世界42カ国以上でサービスを実施しており、昨年春からは日本でも本格運用を開始し、東京で働いている方にはお馴染みの存在です。日本でも大手タクシー会社が迎車サービスのスマホアプリを開発していますが、UBERのような業界外のベンチャー企業が手掛けることはありませんでした。 クルマといえば、テレコミュニケーション(通信)とインフォマティクス(情報工学)を掛け合わせた名称の「テレマティクス保険」という任意保険も注目を集めています。自動車にセンサーを付け、ほぼリアルタイムでどんな運転をしているのか情報を取る。そして、安全な運転をする人の保険料を安くするという新しい自動車保険です。日本の損保会社が相次いで導入を決めましたが、この技術を生み出し、ビジネスに繋いだのはイギリスやアメリカの若い保険会社でした。 伝統的な産業でいうと、ホテル業でも2008年創業のAirbnb(エアビーアンドビー)という新興企業が急成長しています。アパートで1泊できればいい人から、ヴィラ(別荘のような宿泊施設)で1カ月滞在したい人まで、ありとあらゆる旅人のオーダーをインターネット上でかなえるサービスです。旅行者(ゲスト)の要望と空き部屋などをもつ世界中の宿泊場所提供者(ホスト)を繋ぐハウスシェアリングのビジネスですが、これが世界の旅人たちの心を鷲づかみにしています。 ――新味のある事例がたくさん挙がりますね。 南場 それだけ世界が動いているわけです。従来の産業のあり方をガラリと変える製品やサービスが、IT(情報技術)の力を活用し、各ジャンルで誕生している。 しかし、やっているビジネス自体はそこまで難しいものではありません。GoProのアクションカメラにしても、撮影機としての基礎的な技術スペックは日本のメーカーのビデオカメラのほうがはるかに勝っています。ただ、ビデオで何かを撮影するというニーズ自体、スマートフォンに内蔵された機能でだいぶ満たされるようになってきました。そこでGoProはビデオカメラの用途をぎゅっと絞り、YouTubeに動画を簡単にアップロードするためのアクションカメラを作った。すると爆発的にヒットしたのです。 これらは、ちょっとした発想の転換から生まれたビジネスなのです。タクシー手配のUBERやテレマティクス保険も同様です。Airbnbのハウスシェアリングにしても、技術的に高度な何かをしているわけではない。発想ひとつの勝負で急速にシェアを伸ばしています。橋を架けていたら間に合わない橋を架けていたら間に合わない ――そうした新しい発想が、なぜ日本からは生まれないのでしょう。世界では先鋭的な企業、いわゆる「ニューエコノミー」が続々誕生しているのに、どうして日本では製造業を中心とした「オールドエコノミー」がガラパゴス化するばかりなのか。 南場 問題はそこなのです。このような話をすると、日本の伝統的な企業の経営者の方々は、「僕たちと新興のIT企業のあいだには大きな川が流れているから、南場さんたちがそこに橋を架けなきゃいけないんだよ」とおっしゃるのですが、私からは「橋なんか架けていたら間に合いませんよ!」と返答するしかない。 ――何が間に合わないのでしょうか。 南場 製品やサービスの開発から、マーケティングの広め方まですべて間に合いません。シリコンバレーの競争相手は社長から受付担当者まで、社員全員が当たり前にIT素養を身に付けています。なのに、彼らと対等にビジネスをすべきわれわれの側が、「ITはわからないから、得意な人間に橋渡しをしてもらうまで待つ」という消極的な姿勢では、勝負になるはずがありません。 だから私は、これからはあらゆる産業でIT素養を有する人材が必要不可欠だといいたいのです。 ――南場さんのおっしゃるIT素養は、どんなものだと考えればいいのですか。 南場 一言でIT素養といっても、エクセルやパワーポイントを使いこなすところから、本格的なプログラミングまで大きなレベルの幅があります。可能なら、社員全員がプログラミングをできるところまでいけるといいのですが、そのレベルの素養はそう容易く身に付けられません。でも、若い人には、ただインターネット上のサービスを利用するだけではなく、インターネットを使って何かサービスを生み出せるぐらいの素養を求めたいところです。あるいは、自分の手でアプリを作ることはできなくても、アプリが作られる過程や仕組みはわかっていてほしい。それだけでも、発想はずいぶん広がるからです。またIT素養のある人材が集まれば、組織内のコミュニケーションがとてもスムーズになります。日本人に求められる「4つの力」 ――そうした人材養成のために、学校でのプログラミング教育が必要だと言われ始めています。日本でも2012年度からの新学習指導要領で、中学校の「技術・家庭」科目内の「プログラムによる計測・制御」を必修化しました。ただ、世界のなかでは遅れているとの指摘もあります。 南場 ここ2~3年、プログラミング教育の必要性について議論が盛り上がっていますけれど、アメリカやイギリスはもちろんのこと、北欧、イスラエル、シンガポールあたりはずっと先に進んでいます。日本はまだまだこれからでしょう。それと、教育改革の必要性については、ITだけの話ではありません。日本の学校教育は、戦後の復興で世界の工場となるべく「間違えない達人」を大量に育ててきました。おかげで加工貿易立国として日本は成長を遂げたのですが、いまはもうそんな時代ではない。加工貿易は中国のほうが圧倒的に強いわけですし、先進国としての日本に求められているのは、もっと別の力ではないでしょうか。 ――日本のどんな力が求められているのですか。 南場 大きく分けて4つの力があると思います。一つは、日本の素晴らしさを世界に伝える力です。自分の情熱、パッションを伝えて他者に共感してもらう。日本人はお世辞にもうまいとはいえませんから、意識的に身に付けていくべき力です。 もう一つは、クリエイティブな課題解決の能力。エネルギー、自然災害、人口構造の歪み、社会保障など、日本は他国に先駆けていくつもの大きな課題に直面しています。それらを解決していくには、高いレベルのクリエイティビティが不可欠です。 あとは、海外のITベンチャーがさまざまな産業でイノベーションを生み出しているような、新しい付加価値を創っていく能力。発想、アイデアを生む力ですね。 そして、そうした三つの力を引き出すためには、文化的な背景の違う人びとと共働(コラボレーション)する力が必要です。日本人だけで「閉じた」チームができることには、もう限界が来ています。これからは世界中のいろいろな仲間の力を借りて、協力してさまざまな課題に取り組んでいかなければならない。日本人が苦手としている働き方ではありますが、そこはもう自ら世界に対して切り拓いていくしかない。 ――一つ目のパッションを伝える力というのは、具体的にはどんなことなのでしょう。 南場 それに関しては面白いエピソードがあります。2009~13年に米国駐日大使を務められたジョン・ルース氏の奥さま、スージーさんのお話なのですが、彼女が「智子、私、びっくりしたのよ」と目を丸くして私にいいました。何があったのか聞いてみると、スージーさんがある日本人の家に行くと、小学3年生ぐらいの女の子がとても小さいフライパンやテーブルなどのミニチュア玩具を何千個も集めていた、というわけです。 彼女は大いに感心して、「このコレクションのことを、学校でみんなに発表した?」と尋ねたそうです。女の子は「いいえ、誰にも話していません」。スージーさんは、「はぁ?」と首を傾げたそうです。女の子のお母さんが慌てて「違うのです。これは学校の宿題ではなくて、娘の個人的な趣味なんです」と説明しても、スージーさんは「いや、だから、これを学校でみんなに見せた?」と問い質す。お母さんは、「ですから、これは学校とは関係ないんです」というしかなくて、もう話がまったく噛み合わない(笑)。 そのとき彼女が何に驚いたのかというと、要するに、「女の子があんなに素晴らしいミニチュアコレクションをもっているのに、どうして学校でそのことをプレゼンテーションしていないんだ!」というコンプレイン(不満)だったんですね。「これはもうサプライズ・オブ・ザ・マンス(今月いちばんの驚き)」とスージーさんが本気で驚いているのを見て、今度は私がその彼女のリアクションにびっくりしてしまいました。なぜかって、私は日本で生まれて育ちましたから、彼女の驚きが理解できないのです。 ――アメリカでは子供が自分の趣味を学校でプレゼンして当然、ということですか。 南場 北米の学校を中心に行なわれている教育科目の一つで、「ショー・アンド・テル」と呼ばれる授業があります。子供たちが先生から「あなたの最も大事なものを家から持ってきなさい」という課題が出され、各自が持参した思い出の写真やお気に入りの玩具などをクラスメイトに見せながら、どんなふうに大事なのかを語ってみせる。つまり、自分の感動をクラスのみんなと共有する訓練ですね。ほかにも、自分が最も好きな人の絵を描き、その人がなぜ好きなのかをクラスのみんなに伝える、といった授業を毎週のように行なっているのです。 ――日本の学校では、そういったいわゆるプレゼンテーション力を涵養するような授業に多くの時間を割きません。せいぜい、会社に入って受講する研修で行なうぐらいでしょう。 南場 この話を知ったとき、私はアメリカで働いている弊社の従業員200人に思いを巡らせました。先ほど申し上げたような教育を小学生のうちから受けてきたトップを頂くライバル他社と競争するのは、この上なく大変なことだ、と。パッションを伝える訓練を積んでいればいるほど、共感のパワーは高まります。たとえば誰かが、「こんな夢を達成していこうよ」「この問題はこう解決しよう」と言い出したとします。そのパッションをみんなで一つに纏めていく力が、われわれ日本人よりも恐ろしいほど上回っていると思わざるをえません。受験勉強で社会的課題の正解は出せない受験勉強で社会的課題の正解は出せない ――全社員が一丸となって目標達成に向かっていく、というのは、伝統的な日本の会社が得意としている部分ではないでしょうか。 南場 それはそうですが、日本の場合は、リーダーシップを発揮した人のパッションを共有するのではなく、「会社」といった実態が不明瞭なものに対する忠誠心で一つにまとまる傾向があります。でも、その構造は終身雇用が保障されていないと維持できません。そこが崩れ始め、一つの組織に固定的に従属して一生を終えることが難しくなっているなかでは、全社員の心が纏まってパフォーマンスを発揮することもなかなか叶わなくなってきているのではないでしょうか。 ――だから、日本でもパッションを伝える力を付ける教育が必要だ、と。DeNA創業者の南場智子氏 南場 それが日本に求められている力の一つ目ですね。そして、先ほど申し上げた二つ目のクリエイティブな課題解決の能力。これは、正解が一つではない問題に対して取り組む力のことです。受験勉強のなかで身に付くのは、答えが一つである問題を解く力ですが、現在のわれわれの前に立ちはだかる多くの社会的課題は、そんな簡単に正解が出るようなものではありません。何が正しいかはわからないけれども、課題に取り組み、そこから新しい価値を創造していく能力こそが求められている。 三つ目の新しい付加価値を創っていく能力も同じことです。それはクリエイティビティそのものです。 四つ目の共働力も、いまの教育のなかではほとんど養われていません。一部の大学ではグローバル教育が重視されるようになってきたものの、感受性の豊かな子供時代に異質な他者と共に働くことについて学びを深めることは難しいでしょう。プログラミング教育に秘められた可能性 ――四つの力を身に付けるには、そうとうな教育改革が必要そうです。現実的に可能でしょうか。 南場 そこで私はプログラミング教育が、四つの力の問題をある程度解決する「オヘソ」になるのではないかと思っています。 その意味で、小学校1年生に授業でプログラミングを教えた佐賀県武雄市での教育実験。すごく手応えが良かったですよ。 ――先日、学習成果の発表会があったそうですね。 南場 教えた40人全員の生徒が、当社の用意したソフトでアプリを作ることができました。もっとも多かったのはゲームでしたが、なかには動く絵本のようなストーリーのある作品を作った子もいました。 一つ例を挙げると、作り始めたのがクリスマスの時期だったのですが、「サンタさんが子供たちの家にプレゼントを届けるプログラムを作りたい」と言い出した子がいました。その子は、実際に自分で描いたサンタさんの絵が家の絵にぶつかるとプレゼントを置いて、そのプレゼントが点滅する、という作品を仕上げました。ステージに立って発表してもらいましたが、「すごーい」と大人たちから歓声が上がりましたよ。 余談ですが、発表会のあと、プレゼンテーションも含めて私たちが素晴らしいと感じた作品を表彰しました。すると選ばれなかった生徒が泣き出したそうです。よほど自分の作品に愛着があったのでしょう。普段、感情を発露する授業や経験は限られますから、先生側からすれば思わぬ収穫だったようです。 ――小学校1年生でも、クリエイティブなプログラミングができるものなのですね。 南場 自分の心の中にある“作ってみたい!”というパッションをプログラミングで作品として表現する、という課題に向かって、その子ならではの創造力を発揮させた結果です。そして、その作品はみんなの共感と感動を呼ぶことに成功しました。 授業を受けた子供たちは、もう日本人に必要な力のうち三つを発揮できたわけです。次はオンラインで海外の小学生たちと繋がり、チームをつくり、みんなで一緒に作品づくりをしたら共働力も養えますよね。プログラミング教育に秘められた可能性の大きさを感じませんか。 ――なるほど。教育改革だと身構えなくても、プログラミング教育の導入で、おのずと子供たちは四つの力を身に付けていける。そうなると、大人たちもプログラミングを覚えて自分を変えていかないと、時代から取り残されそうですね。 南場 いやいや、好きな人はチャレンジすればいいのですが、IT素養に乏しい大人が無理やりプログラミングを覚える必要はありません。苦手なことを必死にやるよりも得意なことで世の中に貢献しましょうよ。たとえば、子供たちや若い人たちがプログラミング教育を当たり前に受けられる環境づくりに賛同するなど、いますぐできることに意識を向けていただけたらいいな、と期待しています。なんば・ともこ DeNA取締役ファウンダー。新潟県生まれ。1986年、津田塾大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。90年、ハーバード・ビジネス・スクールにてMBAを取得し、1996年、マッキンゼーでパートナー(役員)に就任。1999年に同社を退社して株式会社ディー・エヌ・エーを設立、代表取締役社長に就任。2011年6月より現職。今年1月に 横浜DeNAベイスターズ取締役オーナーに就任する。関連記事■ 孫正義・25文字の成功哲学「孫の二乗の法則」とは■ 現場力が活きる「ライト・フットプリント(LFP)経営」とは■ 灘校・橋本武先生が語る「横道」のすすめ

  • Thumbnail

    記事

    「はたらく」ということ 変化に備え学び直そう

    瀬隆之(京都大学総合博物館准教授) 「はたらく」の反対語として思いつく言葉は何か。今まで1万人以上の教育関係者や小中高校生、その父母の方々に尋ねてきた質問だ。 回答の中でも特に多いものは、「休む」「楽しむ」「遊ぶ」といった言葉である。肯定的な言葉が反対語ということは、元の「はたらく」という言葉に消極的な意味合いが含まれていることになる。一方で、「はたらく」に近い意味の言葉には、「貢献する」「役立つ」「生み出す」など、ここでも肯定的な言葉が並ぶ。つまり、反対語も類義語もどちらも肯定的な言葉が並ぶわけだから、「はたらく」という言葉に対しては、肯定的なイメージと消極的なイメージとが交錯し、どちらかはっきりと態度が決まらないということになる。職業観の共有こそ本当のキャリア教育 文部科学省は、児童・生徒の職業観の欠如が離職率の高さにつながっているとする審議会答申を受け、各学校に職業観を身につけさせるためのキャリア教育の必要性を説いている。一つには働くことへの関心・意欲の向上と、それを学ぼうとする意欲を向上させることだ。しかし、当の大人も職業観というものを一言で説明しようとすると言葉に窮してしまう。もしかすると、こういった職業への霧が晴れないような感覚そのものを、しっかりと児童・生徒と共有することこそが本当の意味でのキャリア教育ではないのか。 平成25年度の厚生労働白書によれば、回答した若者のうちの半数が独立自営や複数の企業でのキャリア形成よりも、「40年1社勤めあげ」を望んでいる。内閣府の世界青年意識調査においても、「職場に不満があれば転職するほうがよい」と考える日本の若者の割合は、米・英に比べ3分の1程度と、多少の不満があっても同じ会社に勤め続けることを望んでいることがわかる。政府や企業が期待する人材流動化や起業促進の呼び声とは裏腹に、多少の不満があっても、たとえ楽しくなかったとしても、我慢してその場にとどまり、働き続けようとする意向が、冒頭の消極的な職業観に関係しているのかもしれない。 「はたらく」に近い言葉に、最初から「遊ぶ」や「楽しむ」といった肯定的なイメージを選ぶ人たちもいる。それはときに大学の研究者であったり、外資系IT企業のエンジニアだったりした。そのような回答をする人たちは、確かに傍から見ていても楽しそうに働いているが、彼ら、彼女らがただ恵まれた環境にいるというのではない。誰もが大きなプレッシャーにさらされ、思い通りにならない幾多の制約条件に阻まれながらも、諦めずに活路を見いだそうとしている。 「はたらく」と「遊ぶ」とが近い人というのは、その立ちはだかる困難を、さも子供の頃に飛び越えた小高い塀のように、チャレンジの一つだと考えているのかもしれない。自らの力が通用しなかったとき、その課題との間にあるギャップを社会や時代のせいだと評論家的に語ることが何の解決にもならないことをよく知っていて、自らが変わることで乗り越えられることを信じているのである。一度学んだ知識が変わらないと信じるのは傲りだ 一度学んだだけの知識が10年、20年と価値がまったく変わらないと信じるのはもはや傲(おご)りである。しかし、25歳以上の大人が大学など高等教育機関で学んでいる比率は、経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均が20%なのに対し、日本ではわずか2%と、極端に学び直しの機会が少ないと指摘されている。40年勤めあげることが難しい時代、伏線(兼業)をはって変化に備え、常に学び直す構えこそが必要だ。近年、朝大学といった就業前時間を利用した学びのコミュニティーに多くの人が集まり、環境や教育などソーシャルな分野での週末起業を2枚目の名刺として携える若者が増えている。 未来を予測する最もよい方法は、自らが未来を創造すること。たとえどんな価値の転覆が起ころうとも、諦めずに学び直すことこそが生き抜く力となるはずだ。その礎となるような、生涯にわたって学び直し続けられる力を子供たちには身につけてもらいたい。しおせ・たかゆき 京都大学総合博物館准教授。日本科学未来館「“おや?”っこひろば」総合監修者。京都大学工学部精密工学科卒業、同大学院修了。博士(工学)。平成24年7月から今年6月まで、経済産業省産業技術政策課課長補佐、7月、京大に復職。共著に『科学技術Xの謎』(化学同人)、『インクルーシブデザイン』(学芸出版社)など。関連記事■ 年功序列型賃金だけに目を奪われるな■ 内も外もよく知る「二本」人たれ■ 「格差」拡大しても成長は困難

  • Thumbnail

    記事

    「グローバル人材」育成のためには教員採用を世界標準に

    はさまざまな取り組みを行っている。なかでも注目は「スーパーグローバル大学創成支援」だ。「我が国の高等教育の国際競争力を強化することを目的」とし、そのための構想を国内の大学を対象に募り、審査を経て採択されたものに対して、定額の補助をするというものだ。平成26年度の採択校をみると、有名校がずらりと並んでいる。そしてこの事業の数値目標として示されたのが、今後10年間で世界大学ランキング100以内に我が国の大学が10校以上入るということである。  世界トップ100にランクインされる大学は、教授やスタッフ、カリキュラムといったソフト面、設備や校舎も含めたハード面ともに充実している。そこでは、世界中から研究者や学生が集い、時には協力し合い、時には競い合い、お互いを磨き合っている。それが競争力の源泉であり、そのような環境で学んだ人間はおのずと「グローバル人材」に育つ可能性がある。現在、100以内にある日本の大学は東大(23位)、京大(52位)の2校のみ(Times Higher Education World University Rankings 2013-2014)。偏差値志向の延長線にも思えるが、世界ランキングをKPIにしたこと自体に異論はない。  採択各校の構想は、それぞれに手が込んでいる。多様な国際交流プログラムが用意され、成果目標も置かれている。だが、肝心なのは、教える側の採用を世界標準にすることではないか。世界の有力大学で学位をとった人間は、よりよい条件を求め、競い合いながら世界中を回っている。大学側もよりよい人材を獲得するために世界的規模で競い合っている。それが大学の競争力と学生の質を高める理由なのだが、日本の大学はその国際市場の外にあるといってよい。外国人教員や英語での授業を増やせというのではない。結果としてそうなるとしても、なすべきは、国籍を問わず、教員採用のマーケットをオープンにし、国内と国外の壁をなくすことである。  テレビで人気を博したサンデル教授の「ハーバード白熱教室」のような授業の進め方は、もちろん内容の良否はあるが、珍しくはない、いわば世界標準である。学生からみれば、それを日本にいながら享受できるのだから、サンデル教授じゃなきゃダメという人以外は、留学する必要はなくなる。こうしたことをある教育関係者にお話ししたところ、それはもっともだが、どの大学でも教授会がいい顔をしないとのこと。たしかに、国際競争力に乏しい教授たちにとって、「世界標準」の新規参入は脅威であろう。なるほど「スーパーグローバル大学創成支援」は、彼らの「既得権益」を守りながら、ゆっくりとソフトランディングをはかる方法だったのか、とうがった見方もできてしまう。  昨年の学校教育法の改正において、教授会は学長の決定に意見を述べるにとどまる組織となった。教授会の「拒否権」がなくなり、学長の権限が強化されたということだ。これによって大学改革が進むという期待が高まる一方、学長の判断一つで大学経営が大きく振れるため、リスクが高まるという批判もある。だが、高校からすぐに海外留学を目指す若者もちらほら見受けられるなか、日本の大学が思い切ったリスクをとらなければ、「グローバル人材」の育成はおぼつかず、他国任せにもなりかねない。資金や雇用の問題を考慮すると、一朝一夕にできることではないのも分かるが、悠長に構えている場合でもない。リスクをとる勇気ある大学が出現し、政府がそれを応援することを期待する。ながひさ・としお 1982年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年PHP研究所入社。88年、スタンフォード大学にてロシア・東欧学修士号(A.M.)取得。94年、カリフォルニア大学(UCLA)にて政治学博士号(Ph.D.)取得。国家経営研究部長などを経て、現在に至る。杉並区行政評価検討委員会委員、神奈川県「21世紀の県政を考える懇談会」委員、内閣府国際青年育成事業ハンガリー派遣団団長、東京外国語大学非常勤講師、熱海市行財政改革会議委員、内閣府行政刷新会議・事業仕分け分科会評価者、国家戦略会議フロンティア分科会事務局長などを歴任。現在、関西大学客員教授を務める。関連記事■ 地方創生と大学の役割~「L型大学」に舵を切れ■ 真の「グローバル化」とは何か?―「世界で戦える人材」を育てるために■ <使える英語>大人気旅館・澤の屋の「単語英語」のおもてなし

  • Thumbnail

    テーマ

    朝日新聞と日教組の共通点

    先日、このサイトで文春新書『朝日新聞』の感想について書きましたが、以前から朝日新聞とよく似ているなと思っていた組織があります。日教組、つまり日本教職員組合です。

  • Thumbnail

    記事

    「日教組の隠れ蓑」教育委員会“解体”こそ真の改革だ

    小林正(教育評論家・元神奈川県教組委員長) 第2次安倍内閣は、「日本を取り戻す」重要施策として教育再生を掲げ、首相直属の「教育再生実行会議」(実行会議)を発足させ、戦後体制を色濃く残している教育諸制度について「百年に一度」の意気込みで改革提言を行っている。いじめ・体罰問題とともに道徳教育の充実を掲げ、いじめ防止対策推進法を施行し、「心のノート」を全面改訂し「私たちの道徳」として教育現場で使用されるようにした。これは大きな成果と言えよう。 しかし、重大な問題もある。それは、「政治的中立性」の名の下に設置された教育委員会制度と日本教職員組合(日教組)について、不十分な認識のまま改革が進められようとしていることである。 実行会議にも、文部科学省の中央教育審議会(中教審)にも、教育委員会の「政治的中立性」が、いかに日教組に利用され、歪められてきたか、その経緯について議論を深めた形跡が、私の知る限り全く無いのである。 各自治体の首長から独立した合議制の執行機関として設置される教育委員会は、聖域化・治外法権化した結果、教育行政に無責任になる一方で、職員団体、外部圧力団体に弱い体質を内包し続けてきた。大阪市の多数の市立中学校で、校長が権限を持つべき校内人事が教員選挙で決められていた問題は、教育委員会が現場への指導力を発揮できていなかったことの証拠といえるだろう。 教育委員会は、外形的には対立関係にあるかに見える日教組と各都道府県教組にとっては格好の隠れ蓑、組織培養の温床となってきたのである。大津市立中学での家宅捜索を終えた滋賀県警の捜査員ら=2012年7月12日(安元雄太撮影) 平成23年、大津市立中学校で起きたいじめ自殺事件では、市教委が学校と一緒になって、原因をいじめ自殺とは認めず、生徒の家庭環境の所為にしたり、教育的配慮の名のもとに調査を怠るなど事件の隠蔽に走ったり、無責任体質を露呈し社会的関心を集めた。このため市長は自浄能力を発揮できない市教委に見切りをつけ、第三者機関を設置して検証を進め、一方、警察も「事件」の解明のため市教委と学校を強制捜査するという事態に発展した。 この間、いじめ、教師の体罰等の問題が全国的に多発し、その都度、学校・教育委員会に対する隠蔽体質「教育ムラ」批判が広がった。 その教育委員会とさまざまな「協定」を結ぶなどして、実質的に学校の「不当な支配」を行ってきたのが、日教組を構成する各地の教組である。「政治的中立性」の名の下に聖域化・治外法権化する教育委員会の傘の下で、日教組が放縦を極める。その最も分かり易い例が、教員の組織率九割超の大分県で起こった教員採用をめぐる汚職事件だった。 平成20年に発覚したこの事件では、県教委ナンバー2の教育審議監だった幹部らが、教員の不正採用をめぐって賄賂を受けた容疑などで逮捕されたが、彼らは県教組幹部の経験者であった。大分県では、県教組が県教委とさまざまな「協定」を結んで協力態勢を築いていたのである。教育委員会が決めるべき教職員人事、各種通知の内容、研究指定校の選定、果ては卒業式の日程までも、組合側との「事前協議」を経て決定するようになっていたのだ。 こうしたシステムを改めようにも現行法では、自治体の首長も文部科学省も教育委員会に対して権限がない。つまり、その下に隠れた教組に対しても手の出しようがないのである。今後の改革は、この現状を改めることに主眼を置かなければならないのだが、そのことについて政府として議論が深まっているとはいえない。私が指摘する大きな問題とは、このことなのである。「政治的中立性」のウソ 平成25年4月に実行会議が公表した第二次提言「教育委員会制度等の在り方について」は次のように述べていた。 「教育委員会制度は、戦後一貫して、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保する機能を果たしてきました。新たな地方教育行政の体制においても、教育内容や教職員人事における政治的中立性等の確保は引き続き重要です」(傍線部分は筆者) 教育委員会制度が教育の政治的中立性を守ってきたというのである。これは戦後教育史、中でも占領期間におけるGHQ/CIE及び米国教育使節団による我が国の教学体制の破壊について無知であるか、意図的に見過ごそうとしているとしか思えない認識である。 教育委員会制度の起源は戦後のGHQの占領政策にさかのぼる。昭和23年、米国教育使節団が「我々は、各市町村に人民の投票により選出された『専門家に非ざる教育機関』(レイマンコントロール)を設置することを勧告する」という報告書を出したのを受け、国は教育委員会法を制定したのである。 委員を選挙で選ぶ教育委員会が設置されることになったとき、その選挙に全国的に取り組んだのが、その前年に結成されたばかりの日教組だった。その結果、日教組の支援する委員は各教育委員会の多数を占めるに至り、日教組の教育委員会支配の基礎が出来上がった。 学校の利害関係者による特定の教職員団体が教育委員会を支配するという構造は、児童生徒よりも組合員としての教職員の利益を優先するという傾向を生むことになり、教育現場は混乱。昭和27年4月、我が国は独立を回復したが、この年の10月には、再び全国の教育委員会委員の選挙が実施された。独立回復してもなお、占領政策に追従したのである。 この時期、財政力が疲弊した全国町村会は教育委員会制度廃止を求めて激しい運動を展開していた。昭和31年に「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が成立し、現行の任命制に改められ、日教組等の反対闘争で大混乱の中、公選制はなくなった。このとき、一般行政との調和を図るため教育委員会による予算案・条例案の議会提案権も廃止された。 しかし、教育委員会という制度自体は残り、その下に一度根を張った日教組の力も消えることなく、その後も教育行政に大きな影響を与え続けた。日教組は公選制の復活を掲げつつ、政府が行う教育行政について教基法第10条の「不当な支配」を楯に、国の政策に対して反対運動を展開した。学習指導要領の法的拘束性否定、全国学力調査反対、勤務評定反対、第三の教育改革といわれた中教審四六答申反対、主任制度導入反対、臨時教育審議会設置法案反対…。挙げればきりがない。 地教行法制定以降58年にして今、ようやく教育委員会制度が改められる機会が来たというのに、教育再生実行会議の第二次提言がこともなげに「戦後一貫して、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保する機能を果たしてきた」という認識に立ったことに、私は大いなる驚きと同時に憤りを覚える。教育委員会改革を巡って教育委員会制度改革を協議する自民党の文部科学部会=2014年2月19日午前、東京・自民党本部 中教審が平成25年12月に出した制度改革についての答申は、明らかに、実行会議の第二次提言が、教育委員会の「政治的中立性」という機能を認めたことに影響を受けていた。 内容は、教育行政の最終責任者(執行機関)を首長とし、事務執行の責任者を首長が議会の同意を得て任免する教育長にする案と教育委員会に残す案の両論併記だった。つまり教育委員会制度改革を軸にしながら、教育委員会そのものは残す余地も認めるという答申だったのである。この答申を受けて行われた与党協議の結果、地教行法の改正案も教育委員会自体を存続させる方向で骨格がまとまった。 重要なことは、平成18年に公布・施行された教育基本法の理念に沿って、教育行政について国と地方の役割を明確にし、責任と権限の見直しを進めることである。これは、先に述べた大津の事件をきっかけに、かねてから指摘されてきたことでもある。 教育行政の執行機関であり、責任を負うべき教育委員会は、実質的には、実権を握る教育長と事務局の承認機関となってきた。地元名士がなることが多い教育委員は、委員長も含めて非常勤で「顔の無い名誉職」と揶揄され、教育委員会という組織の形骸化は度重なる改革を経ても改めることはできなかった。 実行会議の第二次提言も「現行の教育委員会制度には、合議制の執行機関である教育委員会、その代表者である委員長、事務の統括者である教育長の間での責任の所在の不明確さ、教育委員会の審議等の形骸化、危機管理能力の不足といった課題が依然としてあります」と厳しく指摘している。政府与党もその重要性は十分に分かっているはずである。 与党協議で合意した地教行法の改正案の骨格は四つの柱からなっている。 一、教育行政の責任の明確化―これまで教育委員会内の責任の所在が不明確とされてきた「教育長」(常勤)と「教育委員長」(非常勤)を「教育長」に一本化し、教育長は議会の同意を得て首長が任免する。任期は三年とし、教育委員会(執行機関)の会務を総理し、教育委員会を代表する。 二、総合教育会議の設置、教育施策の大綱を決定する―会議は首長が招集し、首長と教育委員会が教育に関する基本的な施策の大綱を定める協議機関として設置される。これによって「教育振興基本計画」の策定、地域の教育について協議する場が法的に整備されることになる。 三、国の地方公共団体への関与の見直し。 四、その他、議事録の作成、現職教育長の在職期間に関する経過措置など。 これに対して、民主党と日本維新の会は教育委員会を廃止して、首長権限に一本化する改正案を共同提出することで大筋合意している。ただ、廃止の文言で一致したとはいうものの、両党の考え方は根本的に異なり、実際には共同提出はあり得ないのではないかと想う。 民主党案は政権掌握時提起した教育のガバナンスの問題として、首長の教育行政執行について、規模の大きな「教育監査委員会」の設置とセットであるうえに、学校については「学校理事会」が教育内容、人事など学校を管理する体制となっており、教育の「人民管理方式」との印象を受ける。 他方、維新の会の方針は大阪都構想に基づく首長への権限の一元化である。教育行政の透明化、教委に代わって民意を反映し得る諮問機関の創設など、「教育委員会」という占領政策の名残りを留めない点で、私は評価したいと思う。猛反発する日教組 実行会議の第二次提言及び中教審答申に対しては、様々な分野から意見表明や解説がなされている。私から見れば不十分な認識で進められる改革ですら、日教組は強く反発している。このことからも、日教組がどんなに現行の教育委員会制度を必要としているかが分かる。 日教組は今年1月24日から3日間、大津市を主会場に全国教育研究集会を3000名の参加を得て開催した。冒頭の委員長挨拶で日本の教育の現状について「一定の価値観や大人の論理を教え込む、そんな考え方が広まってはいないか。子どもの権利としての教育ではなく、国家の意思としての教育が前面に出ようとしているのではないか」と強い危機感を表明した。 いまもなお25パーセントの組織率を維持する日教組は、第二次安倍内閣が進める教育再生の取り組みを「教育の国家統制」と見ているのである。 基調報告を行った書記長は道徳教育の教科化や教育委員会制度の改革などに対して「教育への政治介入が強まっている」と懸念を表明した。自民党の教育再生実行本部による「教育再生推進法」制定の動きなどについても「学校現場の現状や子どもたちの実態に寄り添ったものなのか。教育における現場の主体性・創造性が奪われないか注視していく必要がある」と警戒感を露わにした。 これより先、日教組は中教審答申についても談話を出している。 教育は、政治的党派性のある独任の首長から独立して、一個人の価値判断で決定するのではなく多様な意見や立場を集約した合議制によって方針を決定することが重要である。答申は、首長と教育長の権限を強化するものであり、教育の継続性、安定性、政治的中立性の確保から極めて問題である。さらに、地方教育行政への国の関与に係って、『国がしっかりと公教育の最終責任を果せるようにすることが必要であり、その権限を明確にするための方策を検討する必要がある』としており、この機に乗じて国の権限強化を図るとすれば許されるものではない。教育委員会制度の在り方については、教育の本質につながる大きな問題である。首長から独立した、合議制執行機関によって方針などが決定される教育委員会制度を存置し、その機能が発揮され活性化するための方策を採ることの方が必要である。 この談話は、日教組にとって、形骸化し破綻寸前の教育委員会の現状を維持することが組織としてのメリットだということを端的に示しているといえる。その証拠に、日教組以外の教職員団体は反応が異なる。 組織綱領で「日本の歴史と伝統、文化を尊重し、我が国と郷土を愛する心を養う教育を実践する」と掲げる福岡教育連盟の研修大会では、委員長が「昨今の教育再生への動きを見ると、戦後教育においてイデオロギーが支配していた時代に賛否が分かれた問題にも次々と道筋がつけられているが、個々の施策のみにとらわれず、根っこにあるものを読み取り、社会全体でベクトルを揃えるべきだと考える。これこそが教育正常化である」と述べている。 教職員団体においても組織結成の原点が違うと現状認識と問題意識がこれほど違うのかということを痛感させられる。 教育委員会制度改革についても「現場に響く制度構築を」として「そもそも首長は教育に関しても政策を掲げて選挙により選ばれるわけだから、教育施策の方針について首長の意見が反映されるのは当然であり、特に児童生徒の生命に関わる問題や、学力保障の問題や、地域の喫緊の課題解決に首長と教育長、教育委員会が一体となって取り組む姿勢が必要ではないか。そういう意味では新設される『総合教育会議』の意義は大きい」と積極的に受け止めている。こうした動きは隣の大分県にも波及し、教育正常化を目指す教職員団体は全日本教職員連盟(全日教連)を筆頭に増加しているといえる。足並みそろえるNHK 多くのマスコミは、こうした問題を正面から報じないどころか、日教組と同じような主張すら繰り返している。例えば、公共放送NHK「時論公論」の「どうなる教育委員会」の解説を要約すると、以下のような内容だった。 一、教育委員会制度改革を求める背景に、占領期にアメリカから押し付けられた制度だから、という強い声がある。 二、この制度は戦前の国家主義教育の反省に立ち制定された。 三、中教審分科会で多くの委員は現行制度で問題なしとしたが、義家弘介前文部科学大臣政務官の「教育委員会は欠陥のある無責任な制度」との意向を受けて、自治体の長に権限を移す方向性が示された。 四、大津のような希なケースを制度全体のせいにしてしまってよいのか。当初構想された理念が実現されていないことこそ問題。 五、強引な制度改革は、教育現場に常に学び続ける子どもたちがいる中で、禍根を残すことになりかねない。 この番組は、教育委員会の問題点について、「当初構想された理念が実現されていない」ことだという。地教行法制定までの間は、我が国の風土になじまないために、教育行政は混乱の極みであった。教職員組合による委員会乗っ取り、財政力の弱い市町村の疲弊、予算編成権、条例提案権を有していたための議会の混乱等。綺麗ごとの解説で理念が実現されないことを嘆いて見せ、そのうえで、大津の事件は希なケースとしているのである。 しかし、果たしてそうだろうか。いじめ問題で文科省が通達を出すとその後の調査で「いじめ認知」件数が跳ね上がる。それも各県アンバランスがある。これはまさに取り組む地教委・学校の姿勢の問題なのである。希なケースだから制度全体の問題ではないというより、制度上の問題だが大津のように顕在化することは希だというべきである。 そもそも、教育委員会制度は戦前の国家主義教育の反省に立ち制定されたのだろうか。戦前の教学体制を国家主義教育で括って良いのか。米国がわが国の戦前の教育について軍国主義・超国家主義のレッテルを貼って教職員を追放したが、これは懲罰的な占領行政そのものだった。 番組では、中教審分科会で義家前政務官が「教育委員会は欠陥のある無責任な制度」と発言し議論に方向性を与えたとしていたが、義家氏は横浜市の教育委員、第一次安倍内閣で教育再生事務局長も務め、地方の教委・学校も精力的に訪問している。現場を熟知する立場からの発言であり、中教審委員の認識こそが、浅かったのではないだろうか。 番組は、強引な制度改革は禍根を残すともいっているが、これは、まさに日教組の書記長談話そのものである。NHKの「時論公論」氏は結局制度改革より運営の改善で活性化を図れ、と主張しているに過ぎない。私は、これが「教育再生」に対するNHKの基本姿勢と見る。戦後イデオロギーから脱却を 地教行法改正案が今国会の会期内に成立すれば、平成27年4月1日から施行されることになる。国会審議に望むことは戦後イデオロギーに基づく不毛な論議は無用に願いたいということである。「特定秘密保護法案」審議の際に、マスメディアでは暗黒時代が再来するかのような報道が行われたが、国民を愚弄するキャンペーン報道は逆に批判される時代である。「戦前暗黒史観」は最早通用しない。平成18年末に公布・施行された教育基本法こそが、教育における新たな共有すべき価値観である。 明年は戦後70年の節目の年である。未来志向でこの国の進路を切り拓いていかなければならない。この度の地教行法改正は「戦後教育」に区切りをつけるものなのである。 教育再生実行会議は第三次提言として「これからの大学教育の在り方について」を提起し、この中でグローバル化に対応した教育環境づくりを進め、世界大学トップ100に10校以上のランクインを目指すとしている。第四次提言では、「高等学校教育と大学教育との接続、大学入試選抜のあり方について」の検討の中で、大学入試センター試験の廃止と達成度テストの導入についての検討が進められている。第五次提言では「学制改革―六・三制の改革」も検討段階を迎えている。 これらはいずれも「戦後教育」体制に起因する諸課題である。学制発布から140年余、我が国は敗戦の試練に耐えて、貫く棒の如く歴史、伝統、文化を守り抜いてきた。これを次代に受け継ぐのが我々の使命である。こばやし・ただし 昭和8年、旧東京府生まれ。横浜国立大学学芸学部哲学科を卒業し、川崎市立中学校教諭に。日教組の神奈川県教組委員長などを経て、平成元年、社会党から参議院議員に立候補して当選。1期務める(社会党は5年に離党届を提出し、後に除名)。政界引退後は、教育評論家に。著書に『「日教組」という名の十字架』(善本社)、『教育制度の再生』(学事出版)など。関連記事■ 日本人の「社会の心」はどこへ■ 恥ずかしい大人たち…左翼ジャーナリスト■ 人材不足が「発明の母」の大きなチャンスに

  • Thumbnail

    記事

    天敵記者は忘れない ドン・輿石の原罪

    、輿石氏は山梨県教職員組合(山教組)の委員長出身で現在も日本教職員組合(日教組)の政治団体、日本民主教育政治連盟(日政連)の会長であり「日教組のドン」と呼ばれる。そして鉢呂氏はその日政連の一員、つまり日教組の組織内議員である。 輿石氏や鉢呂氏ばかりではない。野田政権では、横路孝弘衆院議長、辻泰宏厚生労働副大臣、神本美恵子文部科学政務官、水岡俊一首相補佐官と、8人の日政連議員のうち6人までが政府や党、国会の要職にある。 輿石氏が幹事長についたことにより、「仲間」や「子分」が政権中枢に入ったのだ。日教組の中村譲委員長は昨年1月の教育研究全国集会で、「民主党政権の社会的パートナーとして認知された今、私たちは公教育の中心にいる」と高らかに述べたが、それがまさに実現しているのである。 その輿石氏は5日の記者会見でも「幹事長として党運営の基本的な考え方が二つある。一つは党内融和、もう一つは情報管理だ」と語るなど、とにかく秘密主義だ。 「悪いのは皆マスコミだと。自分たちの不行き届きを、失言や立ち居振る舞いの悪さ、不勉強を棚上げにし、みんなマスコミのせいだというのは政権末期の特徴だ」 自民党の石破茂政調会長は一連の民主党の対応をこう批判した。確かに、世間一般のイメージとは裏腹に、民主党は自民党に比べても情報隠蔽体質が色濃く、意思決定プロセスも不透明だ。 そして彼らは、メディアは自分たちの都合のいいときにだけ利用する存在だと考えているように見える。 その傾向は鳩山由紀夫元首相と菅直人前首相の政権担当時にもうかがえた。菅氏は昨年9月の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、自身の指示で中国人船長を超法規的に釈放させたにもかかわらず、「那覇地検独自の判断だ」と国民に嘘をつき、さらに、漁船衝突映像を国民の目から隠そうとした。 そして今年3月、東日本大震災が発生すると記者団との「協定」を一方的に破ってぶら下がり取材の拒否を続けた。一方で、何かをピーアールしたくなると突然、記者会見を開いてメディアを宣伝媒体として利用した。「恐怖政治」のルーツ 「あなたしかいません」 野田首相(民主党代表)は参院議員会長である輿石氏を党の「ナンバー2」である幹事長に抜擢する際、こう口説いたという。民主党の新執行部就任会見に臨む輿石東幹事長=2011年9月5日(松本健吾撮影) この人事について、輿石氏が参院を束ねる実力者であり、小沢一郎元代表とも盟友関係にあることから「党内融和の為には絶妙な人事だ」と評価する向きも多かった。 だが、これは曲がりなりにも保守政治家を自任してきた野田首相の、「敗北」ないし「勘違い」ではないだろうか。 自民党の安倍晋三元首相は菅内閣が発足した際、「極めて陰湿な左翼政権」と評した。今回、野田内閣の発足時には自身のメールマガジンに、輿石氏の幹事長起用も含めて「左翼泥泥内閣」と書くに至った。同感である。 輿石氏の幹事長起用を聞いて、まず思い出したエピソードがある。政権交代後間もない平成21年10月、山梨県昭和町で開かれた輿石氏の国政報告会でのことだ。来賓の日教組の中村委員長はこうあいさつした。 「労働組合の立場で言うと、新しいと同時に親しい新政権ができあがった。小沢、輿石という名前がつながると、恐怖政治が始まるんではないかと言う人がいますが、お二人に共通しているのは決断力と行動力。これはトップリーダーにとって、政治家にとって必要なことだ」 中村氏はこのとき「恐怖政治」の到来を予期しつつそれを肯定、歓迎しているようだった。だが、以前から「豪腕」「壊し屋」と言われてきた小沢氏はともかく、なぜ輿石氏が「恐怖政治」と結びつくのか。 それを理解するには、一介の小学校教員だった輿石氏がなぜ与党幹事長にまで上り詰めたか、その力の源泉をたどる必要がある。輿石氏の背景にあるのは、教職員組合(山教組)のもつ「カネと票」をフルに使った山梨県政支配である。 「小沢さんと話すと、どちらが『右』か『左』か分からない。私の方が小沢さんより『右』だと感じる」 輿石氏は周囲にこう漏らし、山教組は国旗国歌反対運動も過激な性教育も、いびつな自虐史観教育も行っていないと強調する。 確かに、輿石氏自身にはあまりイデオロギー色は感じられない。一口に日教組と言っても各都道府県の単組はそれぞれ体質、気風が異なり、一様ではない。 だが暴力的な闘争路線や実力行使はとらず、一見穏健派を装いながら、教育委員会などとの癒着・同一化を進め、教育だけでなく県政全般への影響力を深めて行く「分かりにくい」単組もある。山教組はその代表例だ。 誰の目にもはっきりと分かる過激な単組であれば、多くの父兄は眉をひそめるだろうし、実害もあらわになりやすい。平成18年末の安倍内閣当時、教育基本法が約60年ぶりに改正された際には連日、国会前に多くの教員が座り込んでいた。 このとき、特に目立ったのは北海道教組、大分県教組など特定の単組であり、山教組はみかけなかった。選挙で山梨県政を牛耳る ただ、それでは穏健派単組には問題はないかと言うと、決してそんなことはない。山教組が昭和57年に発刊した「山梨県教組三十年史」にはこんな記述がある。 「選挙を通じてつちかってきた「政治力」が、山梨県の教育行政をして『山教組を無視してはうまく事が運ばない』という状態にまで、大きく前進してきた」 「山教組組合員の職場や地域における闘いはもとより、校長組合、教頭組合を含めた『教育選対』の構成が、教師集団の力を結集する強力な原動力となった」 山教組は組織率95%を誇り、長年にわたって県政を事実上、支配してきた。知事も自民党県議も票をにぎる山教組には頭が上がらず、言うがままになってきた。穏健とされる山教組のやり方はこうだ。 本来は政治的中立性が求められる教員を徹底的に動員し、選挙活動をやらせる。当然のことながら、学校内での教員の政治活動を禁じた教育基本法や教育公務員特例法に違反するし、個々の教員の思想信条を無視するものだが、全くお構いなしだ。 過去の輿石氏の選挙をめぐっては、次のような活動が強制されてきた。 輿石氏の選挙が近づくと、輿石氏が役員(顧問)を務め、国会で「私自身の政治団体」と明言した山教組の政治団体「山梨県民主教育政治連盟」(県政連)により、ボーナス支給時に「校長3万円、教頭に2万円、一般教員1万円」の資金カンパを強いられる。 これには領収書は発行されず、使途も明らかにされない。まさしく闇に消えている。 それと同時に、輿石氏の政治団体「輿石東とともに明日を拓く会」(東明会)の後援会入会カード集めのノルマ(一般教員は80人など)が課される。その際、学校ごとの回収率を示した表が作られ、カードの集まりが悪いと県政連から学校にファックスで督促状が届く。 また、仕事後の平日夜や休日に地域の教育会館に集まり、親類、友人、知人、教え子宅への「電話作戦」をさせられたり、輿石氏のポスター張りを手伝わされたりする。 学校内での選挙対策会議開催は言うに及ばず、輿石氏が各学校を授業中に訪問して「今度の選挙をよろしく」とあいさつするため、そのたびに授業を中断して教員が集められることさえもあった。 教員がこうした選挙活動を拒否すると、昇進が遅れるほか移動時には僻地に飛ばされ、周囲からは「ノイローゼになるまでいじめられる」(教員)というからあきれる。子供を人質にとった悪質な「政治とカネと教育」の問題だといえる。 山教組は県教委や市町村教委の要職を組合出身者で押さえており、教員の定期異動については山教組の支部幹部と地域の教育事務所が相談して決める慣行もある。教員は人事その他でがんじがらめにされている。 こうした教員を無給の選挙運動員のように扱い、資金カンパという名目で搾取して得た山教組の政治力の上に、組合出身の国会議員である輿石氏が君臨するという構図だ。 これが山梨県ではごく当たり前の事として、県政界にも地元マスコミにもほとんど疑問視されることもなく続いている。政治資金規正法違反の摘発も「免停のようなもの」 山梨県政連は産経新聞が一連の問題を取り上げてキャンペーンを張るまで、政治資金収支報告書では平成11年から15年までの寄付収入をゼロと届け出ていた。ところが、産経が不記載を指摘すると、15年の寄付収入を1021万円に訂正し、16年にはいきなり5142万円を計上した。 結局、16年に県政連側から輿石氏に渡った金額は、後に収支報告書に記載された分で3300万円に上がった。それまでの県政連の「寄付収入ゼロ」がいかに怪しいかがうかがえる。 そしてその結果、平成18年1月には、山教組の財政部長と、県政連会長が政治資金規正法違反で略式起訴され、罰金を科せられた。また、校長ら24人が懲戒処分などを受けている。 平成22年6月には、北海道教職員組合(北教組)の政治資金規正法違反事件で、北教組から資金提供を受けていた民主党の小林千代美衆院議員(当時)が引責辞任した。 このとき、小林氏が受け取ったのは1600万円であり、単純比較はできないものの輿石氏の半額以下だった。小林氏の辞任に際し、輿石氏は「コメントする必要はない」と逃げたが、小林氏の選挙に何度も応援に入っていたのは輿石氏である。 それなのに輿石氏は今、与党幹事長として栄耀栄華を極め、何食わぬ顔で権力の絶頂にいる。これこそ不条理と言うものだ。 「山教組本部や輿石氏に近い山梨県の教員OBはこの世の春を迎えている」日教組の「新春のつどい」に出席した民主党の輿石東参院議員会長(左)。右は連合の古賀伸明会長=2013年1月10日(荻窪佳撮影) 元山教組教員の一人はこう証言する。組合幹部や輿石氏に近い教員OBらは、優先的に市町村の教育長や県教委の出入り業者などへの天下りポストが用意されるから笑いが止まらない。 山梨県に、いかに山教組の威光が行き渡っているかの傍証がある。刑事罰を受けた先述の山教組財政部長は県教委からも停職3カ月の処分を受けたが、平成21年春には、何事もなかったように教頭に昇任しているのである。 「(元財政部長は)処罰歴はあるが、その他の成績などを考慮して教頭試験に合格した。車の速度違反で免許停止になったようなもので、停職3カ月の懲戒処分も終えており、問題はない」 当時、読売新聞の山梨県版がこんな県教委義務教育課のコメントを掲載していた。組合、つまり輿石氏に貢献さえすれば、法律を犯して処分されても問題とはされない。後のことは組合が面倒をみてくれる。 手元に山梨県の各市町村教委が校長試験に際し、県教委に送る「校長選考受検者推薦書」がある。受験者の教頭経験年数や「企画力」「判断力」「指導力」などをABCの3ランクで記入する欄のほか、市町村教委側が誰を校長にしたいのかあらかじめ「順位」を記す欄もある。 そして、この市町村教委の教育長や役員には山教組OBがたくさん就いており、そして、県教委側にも山教組出身者が大勢いる。つまるところ、この「恐怖政治」こそが、穏健とされる地域の日教組支配の実態であり、正体なのだ。 過激な北教組のように、わが国固有の領土である竹島(島根県)について「歴史的事実を冷静に紐解けば、韓国の主張が事実にのっとっている」などと偏向教育を施さなくても、日教組の害毒は深刻であり、じわじわと公教育をむしばんでいる。 昨年7月の輿石氏自身の参院選では、「甲府市の小学校女性教員が保護者に輿石氏の支援を求めるビラを配った」(教員)とされる。このような無法状態が子供の教育にいいはずがない。 もっとも、日教組は長年、道徳教育を否定してきたのだから、順法精神やモラルを求めること自体がお門違いかもしれないが…。首相の志は根っこから崩れた 「首相は、東京裁判史観を浸透させるのに主導的役割を果たした日教組の輿石参院議員を党幹事長に任命した。輿石氏はかつて『教育の政治的中立などあり得ない』と、憲法二十六条の『国民の教育を受ける権利』を侵害するがごとき発言をした人物でもある」 9月14日の衆院代表質問では、自民党の古川禎久衆院議員がこう問いかけたが、野田首相はこれには何も答えなかった。 古川氏が指摘した輿石氏の発言とは平成21年1月の日教組の「新春の集い」で述べた次のようなあいさつだ。 「(日教組は)政権交代にも手を貸す。教育の政治的中立などと言われても、そんなものはありえない。政治から教育を変えていく。(中略)私も日政連議員として日教組とともに戦っていくことを、お誓いをし、永遠に日教組の組合員であるという自負を持っている」 これが現在の民主党幹事長なのだ。これでは、いくら民主党が公務員制度改革や天下り根絶を主張しても信用できるはずがない。 「(国民が)野田内閣と与党民主党に期待するものは何か、それはまさに『国民の生活が第一』という理念と、ようやく実現した『政権交代の意義』ではないか」 輿石氏は9月15日の参院代表質問で、こう訴えた。だが、自らとその支持母体だけに利益配分して成立している輿石氏の政治基盤を見ても、国民全体に目が行き届くとは思えない。 民主党には、政党や政治集団の憲法と一般的に言われ、所属議員の共通理念を示す「綱領」がない。だからこそ、一昨年夏の衆院選マニフェスト(政権公約)は国民との間で唯一明文化された「契約」(鳩山氏)であったはずだ。 だが、子ども手当も国家公務員人件費の2割削減も高速道路無料化も揮発油税の暫定税率廃止も、マニフェストの主要な柱はすべて反古にされるか骨抜きとなっている。 いまさら政権交代の意義と言われても、輿石氏にならえば「そんなものはありえない」なのではないか。そんなものは見当たらないではないか。 野田首相は若い頃から、「資源のない日本は教育立国とならねばならない」と強調し、「やりたかったのは文部科学相」と述べていた。それなのに、所信表明演説では教育にほとんど触れなかった。その一方で、教育行政にひそかに浸透し、ゆがめ、ゆとり教育を提唱して国民の教育レベルを低下させてきた日教組を重用し、輿石氏の好きなようにさせるのではしゃれにならない。 輿石氏と一蓮托生となった野田首相は、スタート時点で早くも大きくつまずいたと言うしかないのである。関連記事■ 捏造しても「バレない」科学界の“常識”を問う■ 積年の弊がもたらした惨状 教育改革は大学から■ 朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り

  • Thumbnail

    記事

    日教組とは何者か 注意すべき4つのポイント

    森口朗(教育評論家、東京都職員) 安倍総理のヤジによって、久しぶりに世間から注目されている日教組=日本教職員組合とは何者なのか。 本稿では、その概略を読者にお伝えしたいと思います。 日教組の現状を一言で説明するならば、 「日本共産党の党員やそのシンパではないが、『9条を遵守すれば未来永劫日本は平和である』『戦前の日本の歴史は侵略の歴史である』『国旗掲揚や国歌斉唱の強制は良くない』『教育に競争原理を持ち込むべきではない』といった左翼思想に対して共感している教職員を中心とした職員組合」 という事になるでしょう。 ここで注意すべき点は4つです。 1点目は、日教組は日本共産党とは仲がよろしくないという点です。この辺りはご年配の方とお話をしていると誤解されている人が多い気がします。確かに戦争直後日教組を立ち上げる際には、日本共産党が密接に関わり、一時期は日教組を思想的に先導していたのですが、1989年に日本労働組合総連合会(いわゆる「連合」)が発足する際に、多くの官公労がそれを支持する非共産党系組合と、それを「良し」としない共産党系組合に分裂しました。日教組もこの流れで、共産党系が日教組とは別の全日本教職員組合(いわゆる「全教」)を設立して出て行く形になったのです。 2点目は、日教組の中枢を占めている人たちが極めて左翼思想の色濃い人たちであるということです、先ほど述べたように日教組は共産党と袂を分かったのですが、それでは共産党が出て行って日教組の左翼体質は多少改善したかというと実態はその逆です。教師という職業の捉え方にしても全教が「教師も労働者であり、同時に教育の専門家でもある」と捉えますが、日教組はそのような捉え方は教師の労働強化に繋がる恐れがあるとする考え方が主流です。また、同和教育についても全教は同和差別が過去の問題であると考えるのに対して、日教組は同和教育推進派です。 そして3点目、これが最も重要なところですが、教育政策の決定に極めて大きな影響力を有しています。但し、その表れ方は政治状況によって異なります。民主党政権の時には、日教組が民主党の支持団体というよりは、民主党が日教組の政治部門かという程に権勢をふるいました。 その典型が、あれほど議論した末に導入した悉皆調査である全国学力・学習状況調査(いわゆる「全国学力テスト」)を、抽出試験にして完全に骨抜きにしたことです(これは、自民党政権復活によって直ちに悉皆調査に再是正されました)。全国一律の試験によって小中学生の学力を調査し教育政策に役立てるという視線は、1960年に日教組が中心となった運動によって廃止に追い込まれました。合理的な政策は事実を把握するところからしか生まれません。この調査が復活するまで、秋田県や福井県の子ども達が高学力であることなど、その県の教育関係者さえ知りませんでした。しかし、客観的事実の把握は、思想洗脳教育にとっては邪魔なのでしょう。全教も日教組も一貫して調査に反対しています。その根拠が「教育に競争原理はそぐわない」という左翼思想です。 もちろん、自民党政権下で日教組が表立って政策に影響を当てることは不可能です。このような場合、彼らは現場レベルに降りてきた政策を骨抜きにすることに腐心します。例えば、卒業式や入学式に国旗を掲げ、国歌を斉唱することは学習指導要領で定められています。学習指導要領には法的拘束力があるので、さすがにこれを無視する学校現場は今ではほとんど無くなりました。しかし、「事前に国歌斉唱の練習をしない」などは当然で、「ピアノ伴奏ではなくCDにしてボリュームを押さえる」「事前に生徒に『国歌斉唱時は無理に立たなくても良い』と指導する」「国旗は正面ではなく緞帳の陰に隠れるくらいの場所に置く」等々、様々な妨害工作を行います。それを行う際に最も肝心なのが、卒業式・入学式の実務責任者を誰にするかです。 文部科学省の調査により、一部の学校で教職員の選挙により校内人事が行われていた事実が発覚し、過半数を占めていた大阪府で教育委員長(「百マス計算」を普及した陰山英男氏)の責任が問われていますが、その背景には卒業式・入学式を始め様々な学校行事で自分達の主張を通したい教職員組合の意向が働いているのです。 また日教組は教育委員会とも密接な関係を持ち、地域によっては校長や教頭といった管理職の選考にも口を出します。そこまで酷くなくても、慣例的に友好関係を持つ自治体は少なくありません。例えば、表向き日教組と関係のない団体が教職員研修を行い、それを教育委員会が後援する。しかし、会場は日教組が事実上所有する会館で、会場使用料を通じて日教組が潤う、というのは現在も頻繁に見られます。 冒頭の安倍総理のヤジやそれに対する弁明は舌足らずの点がありますが、これらの事実を念頭になされたものと理解すれば、本質を捉えたものであることが判ります。 最後に4点目として、これは希望的観測ではありますが、日教組はこれからの数年で益々影響力が低下していくと予測できます。それは教職員集団の左翼洗脳が、若い人ほど解けてきているからです。その昔、組合活動をしていた教育委員会の指導主事よりも、現場の若手教員の方が、国旗や国歌に批判的な老教師を軽蔑しているなどという例はざらにあります。日教組は現在、左翼思想をひたすら隠して若手勧誘を行うか、思想に準じて滅びるかの岐路に立たされているのかも知れません。森口朗日本の教育評論家、東京都職員。95年~05年まで都内公立学校に勤務。偏差値で学力を測ることの妥当性と限界を明らかにした。紙媒体で初めてスクールカースト概念を紹介し、いじめとの関係を解明。著作に『日教組』(新潮新書)、『いじめの構造』(新潮新書)、『偏差値は子どもを救う』(草思社)などがある。関連記事■ 恥ずかしい大人たち…左翼ジャーナリスト■ 戦争の原因は伝統的子育てという幻想■ 遵法精神なき外国人への生活保護支給を憂う

  • Thumbnail

    記事

    「紀元節は嘘だらけ」日教組教師発言に見る左傾

    日)は嘘だらけの日」。ある中学校男性教諭の、授業での発言。山梨県で開かれた日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会で報告された。天皇制批判などもしていたという(2月7日付産経新聞朝刊)。古典的な左翼教師がまだ教育の現場にいるものだと、改めて知った。日本の成り立ちを否定したGHQ 紀元節とは2月11日、いまの建国記念の日に当たる。明治6年に定められた。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)はこれを祝日とすることを認めず、昭和23(1948)年の祝日法からはずされた。建国記念の日が祝日となるのは、ようやく昭和41(1966)年のことである。「日本の建国を祝う会」が開催したパレード=2月11日午前、東京都渋谷区 こうしたいきさつがどれほど周知されているか、筆者は知らない。建国を祝う気配がこの日、この国に満ちているかと街を見渡せば、残念ながらあまり感じられない。じつは紀元節から建国記念の日への変遷は、戦後日本の左傾ぶりをよく示す事例なのだ。この機会に振り返っておきたい。 そもそも紀元節とは、初代天皇である神武天皇の即位の日。国の成り立ちに思いをはせ祝う日である。いろいろと形は違っても、どの国家にもあってしかるべきものであり、大切にされるべきものだ。 戦後、昭和23年に当時の総理庁(後の総理府=現・内閣府)が行った世論調査では、国民の8割はこの日を祝日とすることを望んでいた。そのくらい人口に膾炙(かいしゃ)した日だった。これを認めなかったGHQの見解は次のようなものだ。「この日が許さるべきでない根拠は、それが神話的起源の日であるからだけではなく、むしろそれが…超国家主義的概念を公認し、かつ一般占領目的に背くものだからである」(所功氏「『国民の祝日』の由来がわかる小事典」)。 GHQは日本の「精神的武装解除」を占領方針のひとつとし、神道や神話を敵視した。昭和23年の祝日法では、それまでの祝日の宗教色は薄められた。たとえば収穫に感謝する11月23日の新嘗祭(にいなめさい)は、「勤労感謝の日」というわけのわからないものになった。繰り返しになるがこのとき、建国の日は祝日からはずされた。日本人による日本の否定 ところで、日本が独立を果たしたあとも昭和41年まで、建国記念の日が祝日とならなかったのはなぜだろうか。この日を祝日とする議論は独立後、国会でもなされた。しかし実を結ばなかった。 ここに戦後日本の左傾があった。GHQが定めた方針を拡大再生産し、日本という国を批判してやまない勢力が、日本のなかで猛威をふるってきたのだった。建国記念の日の制定に反対する集会が開かれ、各団体から反対声明が出された。 建国記念の日が祝日となった翌年に出された、「紀元節問題」という冊子がある。進歩的知識人らの名前が並ぶ。寄稿文や座談会にはこんな惹句(じゃっく)がついている。「紀元節復活をかちとった右翼は、つぎの計画として明治節-明治維新百年-安保危機突破をめざし…」「二月十一日は日本人にとって悪夢再現の日となった。反動政策の環が着々とつながれつつある今日…」。国の成り立ちを祝うことは「右翼」であり「反動」とされている。 あるいは、「紀元節復活問題は、対米従属下の日本に軍国主義復活の軌道が設定された時期に、そのイデオロギー的核心の一つとして登場した」。少し戦後史に関心のある人なら、こうした文言に典型的な左翼臭をかぎとるだろう。しかしこの文章がいうように、果たして日本はその後、軍国主義の道を歩んだのだろうか。 このような言説が猛威をふるってきたのである。このたぐいの言説は、戦争への反動から、戦争につながるとみなされるものをことごとく否定する。共産主義のイデオロギーが根底にあるか、ないしは容共的なのだが、表層的な部分では、日本を否定することが「進歩的」であると訴える。戦争反対、憲法護持という点でこの言説は、集団的自衛権の行使や憲法改正に反対する論調として現在も続く。歴史観の点でいえば、慰安婦問題に見られるような自虐史観もこの思潮の延長にある。神話は国民統合の物語 冒頭の「紀元節は嘘だらけの日」という中学教師の発言は、この偏った戦後日本の思潮を、よく示している。中学教師はこう言ったという。「神武天皇という実在しなかった天皇が、空から高天原に降りてきて日本を治め始めた、という嘘だらけの日」。ニニギノミコトの天孫降臨神話と混同しているだけでなく、基本的に、神話を敵視するGHQ的史観をそのまま現在に持ち出しているといってよい。 神話は史実であるかどうかより以前に、国民が神話を持てるということが重要なのだ。国民を統合する物語が、神話なのである。そのような物語を持っているということは、国民の大きな幸なのだ。 このような左傾教師の言葉を教室で聞かされる生徒こそ、不幸である。関連記事■ 朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り■ 積年の弊がもたらした惨状 教育改革は大学から■ 左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか

  • Thumbnail

    記事

    教育がすべて

    文部科学相、元国土交通相) 私が日教組発言で国交大臣を辞してから6年経つ。あの時私は、日教組は日本の教育のガンだと言ったが、今やガン細胞は社会の隅々まで広がり、日本の宿痾となっている。日教組による日本は悪いことをした、悪い国だという自虐教育は優等生達の頭にしっかりとたたき込まれている。今年は先の大戦から70年ということで、安倍談話を出そうという話になっているが、それに対して、共産党、民主党のみならず、与党の公明党まで、過去の侵略と植民地支配に対する謝罪を盛り込むようしつこく主張している。辞任会見を開く中山成彬国土交通相=2008年9月28日(鈴木健児撮影)  400年以上続いた植民地時代だが、日本以外の国で植民地支配を謝罪した国があるのだろうか。欧米諸国はアジア、アフリカ、南アメリカの原住民を殺戮し、奴隷にし、収奪した。しかし、謝罪したという話は寡聞にして知らない。 日本は確かに朝鮮と台湾を統治したが、欧米の植民地支配とは無縁のものであった。連合国側が日本をいつまでも敗戦国の地位に貶めておきたい気持ちは分かるが、日本人までが何故一緒に謝罪しろと合唱しなければならないのだろうか。本当に歴史を知らないのか、知ってていうのは、謝罪することは立派なことだとでも思っているのだろうか。1日も早く自虐史観から脱却を 日本の子供達が他国に比べて自己肯定感が低く、自分に自信を持っていないと聞くと可哀想になり、先々が心配になる。関東大震災から18年も経たない内にアメリカに歯向かうほどに発展し、戦後の焼け野が原から復興し、19年後にオリンピックを開いた日本、こんな国が他にあっただろうか。我々はもっと自信を持っていいのだ。1日も早く自虐史観から脱却しなければならないと切に願う。 しかし、現実は厳しい。愛知県一宮市の中学校の校長が建国記念日の日を前に、建国記念日の意義や歴代天皇のもとですばらしい伝統を紡いできたこの国に誇りを持ち、世界に貢献できるよう勉学に励んで欲しいと生徒に語り、それをブログに載せたところ、市の教育委員会から断定的な書き方で、個人の考えを押し付けかねないと指摘を受け、削除したという。何が問題なのか。学習指導要領では祝日の意義を教えるようになっている。日本のすばらしい歴史を語ってどうして悪いと言いたいが、削除する校長も校長だ。もっと自信を持って子供たちに向き合ってもらいたい。スクールミーティングで身分を隠して生徒の議論に参加する中山成彬文部科学相(当時) =東京都杉並区立和田中学校 2005年 6月 15日 左翼の再生産の場になる教育学部 多くの大学で、特に教育学部が左翼の再生産の場になり、日教組の供給源になっている。昨年、教育委員会制度を改革したが、教育委員会も日教組支配が強い。教育界の正常化には程遠いと溜息が出る。子供達がどんな教育を受けているか、保護者のみならず国民がもっと関心を持ってほしいと思う。 嬉しい話もある。鹿児島県がこの4月から月1回の土曜授業を始めるという。学校週休2日制になってから県単位では全国で初めてのことだ。もともと日教組の強い県だが、全国学力テストの成績が低迷しており、父兄の見る目が厳しくなっているので、抵抗できなかったのだろう。早く毎週1日の休みに戻してほしい。 さて、一つ提案がある。教師の給与を思いきって上げることだ。地方公務員は警察官と消防士の給料が高くなっている。教職員も昭和49年に田中角栄氏が人材確保法を制定して、教職員の給料を大幅に上げたが、その後、財政難によって徐々に削られ、今は一般公務員と変わらぬ水準になっている。 少子化に伴い、教師の必要数も減っているが、文科省は35人学級を30人学級にするよう毎年財務省に要求している。ひとクラスが30人を越えると2つに分けるというもの。私は1クラスの生徒数があまり少ないのはよくないと思う。せめてクラスを2つに分けてソフトボールができるくらいの方が集団行動や集団心理を学ぶことになるのではないか。子供の数が減って余ってくる財源を教職員の待遇改善に当てたらいいと思う。 今、就職口の少ない地方では、教師の採用試験の競争率は高く、優秀な人材の確保ができているが、都会の方はそうでもない。競争率3倍といっても1人が3県受験したら全員合格だ。昔から教育は教師力という。教える力と子供を愛する心を持った人材がどんどん教育界に入ってきてほしい。教育こそがその国の未来を作る。日本人はそのことを昔から知っていた筈だ。日教組に加入している先生方も、自分達は大切な国の宝を預かっている大事な職業に就いているという自覚と誇りを持って、日々子供達と接してほしいと心から願っている。関連記事■ 積年の弊がもたらした惨状 教育改革は大学から■ 恥ずかしい大人たち…左翼ジャーナリスト■ 対韓国ヘイトスピーチ 歴史捏造やメディアへの鬱憤が伏線か

  • Thumbnail

    テーマ

    サンデーショックにみる今時のお受験事情

    2015年2月1日は、首都圏の中学受験に大きな影響を与える6年に一度の「サンデーショック」。女子校御三家と呼ばれる最難関校の併願が可能となり、志望する受験生にとっては入試動向が大きく変化することで知られる。少子化でますます過熱する中学受験。今時のお受験事情に迫る。

  • Thumbnail

    記事

    中学受験で目指すべきは「必勝」ではなく「必笑」

    おおたとしまさ(育児・教育ジャーナリスト)中学受験生は本当にかわいそうなのか? あるプロ野球選手が小学生のころ、こんな作文を書いていたそうです。「僕は将来プロ野球選手になって1億円を稼ぐ。そのためには中学でも高校でも全国レベルの活躍ができる選手にならなきゃいけない。そのために友だちと遊ぶのも我慢して、年間360日、一生懸命練習しています」。たった12歳で将来のために自分を律している姿、尊いですよね。 一方で、それに勝るとも劣らない気合いを込めて、鉛筆を握っている小学生もいます。中学受験生です。しかし世の大人たちの中には、彼らの姿を見て「かわいそう」と言う人がいます。中学受験をさせている保護者をどこか冷ややかな目で見る風潮もあります。 でもですよ、中学受験生だって、自分たちの夢に向かってがんばっているんです。たしかにつらくなることもあるだろうと思います。でもつらいのは冒頭のプロ野球選手だってきっと同じでした。どんなことでも本気でがんばれば、辛さも必ず付いてきます。それでも歯を食いしばってがんばる姿に尊さを感じるのですよね。 それなのになぜ、野球少年は素晴らしくて、中学受験生がかわいそうなんでしょう。バットを握る野球少年と、鉛筆を握る中学受験生と、どこが違うというのでしょうか?  中学受験生たちは、どんなに努力をしても報われないかもしれない、やめようと思えばいつでもやめられることに挑戦しているんです。たった12歳で、自分の力で、自らの進む道を切り開こうとしているのです。「本当に報われるのだろうか」と不安にもなるでしょう。でも誰のせいにもできません。不安を感じたときこそ、さらに勉強に打ち込んでその不安を打ち消すのです。 かたや大人の世界では、なかなか業績が上がらないのをすぐ上司のせいにしたり、会社のせいにしたりする大人がそこら中にたくさんいるでしょう。そういう大人は中学受験生の爪の垢でも煎じて飲むといいのではないかと思います。自ら機会を作り、機会によって自らを変える経験 いい大学に行くために中学受験をするのではありません。中学受験という選択で得られるものは何なのか、失うものはないのか。そのことについてはここでは語り尽くせませんので、拙著『中学受験という選択』などをお読みいただければありがたいと思います。 「そんなに中学受験が教育システムとして素晴らしいなら、全員中学受験をしなければならないようにすればいいんじゃないか」という極論もあるでしょう。でも、私はそうは思いません。強制では意味がないからです。 「自ら機会を作り、機会によって自らを変えよ」。 これは私がもといた会社の社訓みたいなものです。中学受験が教育システムとして優れているのは、そもそもその機会を選択するかどうか、自分で決められる点にあると思います。12歳の子供たちに「自ら機会を作り、機会によって自らを変える」経験を与えることになるからです。 一方で、現実問題として、中学受験ができる人というのは限られていると思います。ごく一部の恵まれた人たちですよね。経済格差が教育格差につながるという批判もあります。でも私は思います。教育の受益者は、教育を受けた本人ではなく、その人を含む社会です。子供たちは勝ち組になるために勉強するのではありません。世の中の役に立つ人間になるために勉強するわけです。 だから、恵まれた人が、与えられた環境を最大限に活用して力を蓄え、それを世の中に還元するならば、格差云々よりも、世の中全体が良くなるというメリットのほうが大きいだろうと私は思います。むしろ、恵まれた環境を最大限に活かして、将来世の中の役に立つことは、恵まれた人の使命だろうと私は思います。中学受験を通して進学するようないわゆる「名門校」ではそういう教育を実践しています。そのことは私の新刊『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』をお読みいただけるとよくわかるはずです。全力で立ち向かったチャレンジ精神は、一生の財産 しかしがんばれば必ず報われるとは言えないのが中学受験の現実です。第一志望に合格できるのはほんの一握り。その他多くの受験生たちは当初の第一志望ではない学校に進学することになります。第一志望に合格できなければ、中学受験は失敗なのでしょうか。そんなことはありません。もしそんな風に考えているのなら、中学受験はあまりにリスクの高い挑戦です。やめておいたほうがいいでしょう。 もうすぐ2015年の中学入試もすべての結果が出そろいます。がんばった受験生の皆さんと、それを支えた保護者の皆さんに、次のような言葉を贈りたいと思います。 まず、第1志望以外の学校に進むことになった人たち。 第1志望以外の学校に進むことになった人たちは、その学校で、そこでしか得られなかったことに必ず出会うはずです。一生の友だちかもしれませんし、素晴らしい先生との出会いかもしれません。それが受験勉強をがんばった皆さんへの神様からの贈り物です。神様からの贈り物を見過ごさないように注意して、それに感謝して、これからの6年間を過ごしてください。 次に第1志望に進むことになった人たち。 第1志望校に進学しても、理想とのギャップを感じることがあるかもしれません。でもそれも神様から与えられた課題。その課題をクリアしたときに得たものこそ、神様からの贈り物。だから、困難があっても逃げずに乗り越えてほしいと思います。 そしてすべての受験生とその保護者の皆さん。 どんな結果であっても、それまでの自分のがんばりに誇りを持ってください。どんなに優秀な子供がどんなに努力をしても願いが叶わないことがある中学受験に、全力で立ち向かったチャレンジ精神は、結果がどうであれ、一生の財産になります。どんな結果であれそれを受け入れ、最後に家族皆で笑えれば、家族皆が中学受験という機会を通して成長できたということです。 中学受験は「必勝」を目指すものではなく「必笑」を目指すべきものなのだと思います。そう考えれば、中学受験に失敗なんてありません。おおたとしまさ 育児・教育ジャーナリスト。リクルート独立後、数々の教育誌のデスクや監修を歴任。教育現場を緻密に取材し執筆するスタイルに定評がある。『中学受験という選択』『男子校という選択』『女子校という選択』など著書多数。2月13日に『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』(朝日新聞出版刊)を上梓。中高教員免許、小学校教員経験、心理カウンセラー資格も持っている。著書一覧はこちら。関連記事■ 地方国公立大も「倒産」の危機?■ 「サンデーショック」もまた一興■ 真逆の校風でも行きたい桜蔭、女子学院のツートップ

  • Thumbnail

    記事

    真逆の校風でも行きたい桜蔭、女子学院のツートップ

    校の段階でやっているのが桜蔭なのである。お茶の水大学の同窓会が発足した女子校であり、「昔ながらの女子教育の伝統が残っている学校」(都内塾関係者)である。カリキュラムには斬新さはない。修学旅行は東北で、その前には松尾芭蕉『奥の細道』を数か月にわたって読ませる。また、礼法の時間もある。ただ、中学の頃から数学の授業だけは速く進む。東大や国立医学部などの難関を狙う場合、他の科目は高校に入ってからでも間に合うが、数学は中学から先取りしないと間に合わない。そのあたりはちゃんと押さえている。 一方で、女子学院はプロテスタント校らしく、自由奔放で個性的な生徒が集まる。制服はなく、ミニスカートだろうが金髪だろうがどんな格好でも許される。ただ、靴箱にちゃんと靴をしまうのは決まりなのでロングブーツは避ける生徒もいるそうだ。カリキュラムは大学授業対策はしないが、英語でディベートをさせたり、音楽で特殊な発声法を学ばせたりと独自性がある。積極性や自主自立を促す教育をし、卒業生は「気が強く、離婚率が高い」という都市伝説もしばし聞く。 このように入試傾向も校風も真逆であろうと、首都圏の優秀層の小学生女子は、この2校を両方受け、どちらかに行きたいと願うのだ。「上昇志向が強い子たち」東京大学安田講堂 桜蔭や女子学院の生徒が通う塾の関係者が、東大や国立大学医学部を狙って猛勉強をする彼女たちのことを「上昇志向が強い子たち」と表現した。 政府が「女性活用推進」を唱えるようになって以来、日本のジェンダーギャップ指数がしばし取り上げられる。ジェンダーギャップ指数というのは世界経済フォーラム(WEF)が毎年公表している社会進出における男女格差を示す指標である。日本は国会議員や企業管理職での格差があり、2014年は142か国中104位であった。 なぜ、日本のジェンダーギャップ指数は低いのか。大きな理由として、日本の女性は高い教育を受けていても、社会的な地位を高めるよりは、仕事の質や家庭や友人関係に健康を優先させる傾向が強いからではないだろうか。 だが、一方でパワーエリートを目指す女性はいて、彼女たちの戦いは小学校時代から始まっている。そのパワーエリート候補生にとっては、学校選びにコストパフォーマンスや利便性など関係ないのだということを、再認識させられたのが今年の「サンデーショック」である。杉浦由美子(すぎうら・ゆみこ) 大学卒業後、会社員や派遣社員などを経て、メタローグ社主催の『書評道場』に投稿していた文章が朝日新聞社の編集者の目にとまり2005年からライターとなる。『AERA』『婦人公論』『VOICE』『文藝春秋』などの総合誌でルポタージュ記事 を書く。『女子校力』(PHP新書)『ママの世界はいつも戦争』(ベスト新書)など単著は現在12冊。関連記事■ 地方国公立大も「倒産」の危機?■ 塾のために「学校欠席」なんて当たり前■ 「サンデーショック」もまた一興

  • Thumbnail

    記事

    塾のために「学校欠席」なんて当たり前

    過剰になれば、子供を追い込み、親子ともども苦しむことにつながりかねない。 2歳頃から長女(6)に早期教育を施し、長女の心の変調に悩んだ経験を持つ東京都港区の主婦、川辺好美さん(40)=仮名=が語った。「変調は、長女が発信したSOSのサインだったと思う。子供のサインに気づけず、後から苦しむ親子は、多いのではないでしょうか」関連記事■ 地方国公立大も「倒産」の危機?■ 日本で育てる国際的指導者■ 教育改革は大学から

  • Thumbnail

    記事

    「サンデーショック」もまた一興

    質倍率の増加が有意に発生しています。  この問題は、単純に我が子、我が娘を名門校に入れ、望ましい良い教育を施して良き社会人に、良き親に育てていきたいという気持ちをおおいに盛り上げるものであります。たとえサンデーショックがあろうとなかろうと、各々の名門校の定員が増えるわけでもない以上、狭き門が広くなるわけでも何でもありませんが、併願できる、受験できる回数が増えるとなりますと、各校の特色にあわせた勉強をすることで入学できる確率が上がるんじゃないかと期待してしまうわけですね。  文字通り、入試のための準備も含めた戦略が変わるわけですから、ショックだと言われる一方で、暦などそもそも以前から決まっているのであって、2015年に中学受験をする生徒の戦術が変わると騒いだところで最初からそんなことは分かっていた問題です。そのような受験生を抱える親御さんは、むしろいろんな学校を受験する機会が得られて幅の広い学習を実らせるチャンスだと考えて取り組んできたことでしょう。  では、2004年のサンデーショックがもたらした学業における影響はどうだったのでしょうか。サンデーショックの影響で募集定員に対して大きく上回る、とある有力ミッション女子校の2009年2010年の大学進学実績を見てみますと、募集にあたって大きな倍率の上昇があってもさほどの影響は見られません。むしろ、進学実績自体は下落している学校もあります。   逆に言うならば、仮にサンデーショックで進学意欲が中学受験において亢進されたとしても、肝心の入学後の学業生活のクオリティが上がらなければ必ずしもその後の大学受験で意中の大学に合格するわけではない、という当たり前の結論になります。  それなら、中学受験に熱を上げる親の戦いがいかに熾烈だったとしても、子どもの勉学に対する意欲や入った学校の環境の良さや相性次第でその後の学業の修まり方が決まるのだ、ということなのでしょう。  我が子のために、少しでも良い環境をと願う気持ちは親心で共通しています。しかしながら、よほどの天才か、特定の学問に才能を発揮する一芸の持ち主でもない限り、中学での受験戦争だけが子どもの将来を決める切り札にはなり得ないのだ、ということを良く考えて、志望校選びや選挙戦略を考えたいものです。  かくいう私の倅も小学校受験でありまして、勉強ほったらかしでレゴで遊んでいる我が子を見て、さてどうしたものかと思案するのであります。関連記事■ 反ヘイトの問題と選挙における議論の幅■ メディアの「中韓叩き記事バブル」 映し鏡としてのヘイトスピーチ■ 猪瀬直樹、あるいは傲慢な物体