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    さよなら、安室奈美恵

    歌手の安室奈美恵さんが芸能界を引退した。26年前にデビューした節目の日での引退である。瞬く間にトップスターに上り詰めた彼女の歌や踊り、ファッションは同世代の女性の心をつかみ、社会現象にもなった。「平成の歌姫」と呼ばれた彼女の軌跡をたどりながら、時代を彩るアイドル像について考えたい。

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    松田聖子と安室奈美恵、昭和と平成のトップアイドルはここが違う

    たちに優しく寄り添う存在であり続けた。 「安室奈美恵はアイドルなのか?」多少なりともアイドルの歴史や文化に関心を持つ人ならば、一度は頭に浮かんだことのある問いではなかろうか。全国ツアーの東京公演で熱唱する歌手・安室奈美恵=2006年9月、東京(戸加里真司撮影) かわいらしい少女で、しぐさや言動も含めて守ってあげたくなるような魅力を持つ存在こそがアイドルだと考える人もいるだろう。そういう意味では、安室奈美恵をアイドルとみなすことに躊躇(ちゅうちょ)してしまうかもしれない。 しかし、アイドルが私たちにとって「身近な存在のこと」を指すとすれば、「どこにでもいそう」というような近さではなく、ここまで述べてきたように「私たちとともに生きる」という近さにおいて、安室奈美恵をアイドルとみなすことは可能なはずだ。そして、そんな「アイドルらしくないアイドル」こそが、実は「昭和のアイドル」と一線を画す「平成のアイドル」だったのではあるまいか。 異例の厳しい暑さが連日続いた夏も終わり、平成最後の秋を迎えようとする今、「平成のアイドル」の象徴であった安室奈美恵も芸能界を去った。だが冒頭にも触れたように、彼女の引退は、その後の彼女の人生がこれからも続くと感じさせる点で、かつてのキャンディーズのそれとは違っている。そしてファンや私たちもまた、彼女がくれた忘れがたい記憶をずっと胸に抱きつつ、平成から次の時代へとそれぞれの人生を再び歩み始める。

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    音楽評論家の私をもうならせた「安室奈美恵の衝撃度」

    富澤一誠(音楽評論家) 安室奈美恵は、6月3日に東京ドームでラスト・ツアーの最終公演を行った。5大ドーム17公演とアジア3都市6公演を巡り、計80万人をドーム動員した「引退イベント」の千秋楽。この歴史的な記念日に立ち会い「歴史の証人」にならなければならない、と思ったのは私だけではないだろう。 正直に言って、音楽評論家として47年間のキャリアを持つ私は数々の現場を見てきたが、今回の安室の「引退ラスト・ツアー」は全てにおいて音楽史に残る特別なメモリアルと言っても過言ではない。 安室の「引退宣言」は衝撃的だった。2017年9月20日、公式サイトで正式に発表されたときのショックは今でも鮮明に覚えているほどだ。 希有(けう)のスーパーアイドル、スーパースター、スーパーエンターテイナーの彼女だけに超ド級の衝撃度だった。私のところにもテレビやラジオ、新聞、雑誌からたくさんのコメントの依頼があった。当時、私はこんな風に答えている。「ファッションリーダーでもあり、全盛期で結婚・出産するなど自分の生き方を通してライフスタイルまで提供したことで、それまでのアイドルというジャンルをアーティストまで引き上げた。ダンスも凄く、アスリートに近いものがあった。ナンバーワンでオンリーワンの存在。突然の引退発表にびっくりしたが山口百恵さんやBOOWYのように全盛期にやめることで、素晴らしい記憶が瞬間冷凍され、伝説になると思う」 アーティストには2通りのタイプがある、と私は考えている。一つは、時代に関係なく、あくまでも自分を押し通していくタイプ。もう一つは、時代との距離をいつも一定に保っているタイプだ。 前者は吉田拓郎や矢沢永吉のような「俺が…」的なアーティスト。一方、後者はどんなに時代が変わろうとも、その時代の波をうまくとらえて、時代のサーファーのように乗りこなしてしまう松任谷由実や桑田佳祐のようなアーティストだ。具体的に言うと、自分は人とはちょっと違うかっこいい生き方をしていると思っている人たちの一歩先を行くこと。音楽だけではなく、生き方をひっくるめて、同世代のライフスタイルをくすぐってちょっと変えてしまうような…。 ユーミンは他人より一歩先を常に歩いてきた。そこに女性を引きつける魅力があるのだ。だからこそ、女性の憧れの的になったのだろう。「私もユーミンみたいになりたい」。そう思ってユーミンの後を追う。初の台湾ソロ公演で熱唱する歌手の安室奈美恵=2004年、台北市・新荘体育館 それと同じものが安室にもある。そもそも人気絶頂期の結婚などはなかなかできるものではない。ライブでMCをしないこともそうだ。 だが、安室は全て自分の意志で押し通してきた。自分の意志を持つ女性の美しさを実践したのだ。だからこそ、彼女に憧れて彼女のように生きたいと思う人たちがたくさん生まれて「アムラー現象」が起きたのだ。最後のMCで語ったこと 加えて、安室世代にはユーミン世代にはなかったダンスパフォーマンスによるアスリートへの憧れという新しい魅力が加わっている。ダンスはいつしか学校教育の中に組みこまれたことにより、ダンスパフォーマンスのできる人は、一流アスリートと同じ尊敬の対象となった。安室は言うまでもなく、そんな素晴らしいダンスパフォーマーでもあるので「スーパースター」になり得たのである。 ラスト・ツアー最終公演の千秋楽は、聖火台をバックに、NHKのリオデジャネイロ五輪テーマソング『Hero』で幕が開けた。1曲目から全開といった雰囲気で、歌とダンスと8変化の衣装、それこそノンストップのエンターテインメント・ショーは息もつかせぬ圧倒的なパワーだった。安室の完成度の高いパフォーマンスが光っていた。 曲もバラエティーに富んでいた。『Don't wanna cry』『CAN YOU CELEBRATE?』など、誰もが知っている大ヒット曲から『Do it For Love』などの最新曲までをとり混ぜ、見せて聴かせて、とまさに「安室ワールド」が満開だった。それにしても、ステージの端から端まで走り抜けるタフさ、これにはびっくりした。まさにメダルを狙えるアスリートのようだ。 あっという間の2時間45分、そして歌手人生最後のツアーを飾るラストソングは『How do you feel now?』。ちょうど30曲目となったこの曲を歌い終えると、安室は16人のダンサーと抱き合い涙を流した。そしてマイクを握った。コンサートではMCをしないことで有名な安室が、ラストということで、5万2千人の聴衆は固唾(かたず)を飲んで安室の言葉を待った。 「今日はどうもありがとうございました」 「9月16日以降、私がこうしてステージに立つことはありません。だからこそ、この25年間が私の中でとても大切な思い出になりました」 安室の言葉が一言ずつ心に入ってきた。と同時に、いろいろなシーンがよみがえってきた。しかし、それも今日で終わりだ。あとは瞬間冷凍されて、それぞれの心の中で「伝説」として残っていくのだ。25年間の感動ドラマはそれぞれの心の中で永遠に残ることだろう。安室奈美恵のラストツアーDVD&ブルーレイ「namie amuro Final Tour 2018 Finally」が発売され、JR渋谷駅前に登場した巨大PR看板=2018 年8月29日、東京・渋谷(早坂洋祐) 安室奈美恵のそんなドラマチックな25年間を凝縮したのが8月29日にブルーレイディスク(BD)とDVDが各5バージョンで発売された「namie amuro Final Tour 2018~Finally~」だ。これを見ることで、私たちはいつでも瞬間冷凍された「安室伝説」を解凍することができるのである。

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    「波乱万丈」美空ひばりと重なる安室奈美恵のアイドル性

    西条昇(アイドル・お笑い評論家、江戸川大教授) 突然の引退発表から1年。デビュー26周年を迎える9月16日、安室奈美恵は芸能界を引退した。彼女の引退発表を知った時、僕はまだまだ余力を残しながら引退を決断するトップアスリートを連想したものだ。  安室のコンサートはほとんどMCを入れず、着替えの間に映像作品を流す以外は、ずっと歌い続け、踊り続けることで知られている。9月20日で41歳になる安室だが、これまで、激しいパフォーマンスを続ける体力と、デビュー以来全く変わらない体型は日頃の努力によって維持することができていた。 しかし、当然ながら、それはいくつになってもできるというものでもない。今後を考えれば、年齢に合わせて無理のないステージを見せていくことは可能でも、彼女自身は現在のクオリティーを落としてまで続けることをしたくなかったのだろう。そうした思いが今回の決断につながったように思う。  小学5年でジャネット・ジャクソンにあこがれ、本格的に歌とダンスのレッスンを開始。1992年9月にアイドルグループ「SUPER MONKEY'S(スーパーモンキーズ)」のセンターボーカルとしてメジャーデビューを果たしたものの、当時は男性アイドルも女性アイドルも「冬の時代」を迎えており、デビュー曲はオリコンチャート29位に終わっている。  94年4月からフジテレビ系の子供番組『ポンキッキーズ』に16歳でレギュラー出演するようになった時も、そのポジションはアイドル的なものだった。安室はピンク色のうさぎの着ぐるみを身につけて、グレーのうさぎに扮した鈴木蘭々と番組内ユニット「シスターラビッツ」を結成。「うさぎとかめ」「金太郎」「桃太郎」「浦島太郎」「一寸法師」などの童謡をメドレーにまとめた「一寸桃金太郎」と題する曲を2人で様々なコスプレをしながら歌って踊る映像が、月~金の帯で流されていた。  たまたまチャンネルを合わせて、その映像を見た僕は、彼女の持つ才能と魅力に釘付け状態となった。どこかバタ臭さのある、飛び抜けて可愛いルックスに加え、何より、抜群のリズム感と表現力に裏打ちされたダンスが素晴らしかったのだ。ライブツアーで熱唱する安室奈美恵=2006年9月 振付はお遊戯とヒップホップの要素をミックスしたようなものだったが、手足の角度、動きのキレ、メリハリのつけ方…、ダンスに関して言えば鈴木蘭々と「モノが違う」のは一目瞭然であった。彼女が97年に同番組を降板してから、この曲を引き継いだ二代目、三代目、四代目のシスターラビッツにも、安室のレベルに迫ったメンバーは1人もいなかった。  95年のソロデビューとレコード会社の移籍を経て、小室哲哉プロデュースの曲をリリースするようになると、その才能は大きく開花してミリオンセラーを連発する。同年代の女性たちが彼女のファッションや髪型やメイクを真似る「アムラー現象」が巻き起こり、男性ファン中心のアイドルから、女性ファン中心のアーティストへと変貌を遂げるに至った。こだわりは「量」より「質」 一方で、ほぼ同時期に大ブレイクしたSMAPはアイドルの枠に留まりつつも、老若男女から愛される国民的アイドルグループとなった。やや遅れて登場した宇多田ヒカルや浜崎あゆみがアーティストとして成功したのも、先に道を切り開いた安室の存在があったからこそと言えるだろう。   その後は、TRFのダンサー、SAMとの結婚(97年)、出産(98年)、母親が殺害された事件(99年)、小室プロデュースの終結(2001年)、離婚(02年)など、様々な出来事が続いた。 だが、彼女は多くを語らぬまま、ブレることなく自分の仕事で結果を出し続けることで、歌やパフォーマンスだけでなく、その生き方や芯の強さに共感する女性ファンの支持が増えた。こうした安室とファンの関係性は、美空ひばりとファンとの関係に酷似しているように見える。  そして、今回の1年かけての引退カウントダウンは、ラストツアー、CD、DVD、グッズ、企業とのコラボ商品など、莫大な経済効果を生んでみせた。キャンディーズの解散(78年)と山口百恵の引退(80年)までのカウントダウンも社会的に大きな盛り上がりを見せたが、時代の違いを考慮に入れたとしても、ビジネスのスケールでは今回のケースと比べられないほどの差があったのではないか。  現在も続く大人数の女性アイドルグループ黄金期は、90年代後半の「モーニング娘。」のブームから始まった。その前の80年代半ばには「おニャン子クラブ」のブームがあった。ここ10年ほどは秋元康プロデュースによるAKBグループが圧倒的な人気を誇り、同じ秋元が手掛ける「坂道」シリーズも台頭した。  CD不況と言われる時代にあって、驚異的な売り上げを記録してきた彼女たちの強みの一つが大人数のメンバーという「量」であることは確かだろう。80年代まではソロのアイドルが主流だったが、メンバーそれぞれのファンの集合体をターゲットとしたビジネスシステムが定着してからは、成功するソロアイドルがとんと出てこなくなった。結婚会見で仲良く腕を組む安室奈美恵(右)とTRFのSAM=東京・青山  そうした状況下において、安室はパフォーマンスの「質」にこだわり続けることで、ソロにも関わらず、数多くの記録を打ち立ててきた。  山口百恵の引退の前後にはやたらに「ポスト百恵は誰か」と騒がれたのに対し、今回、「ポスト安室は誰か」という声はほとんど聞こえてこない。安室のような存在は周りが作ろうとして生まれてくるものでないことが皆、分かっているようだ。 日本社会の「安室ロス」が当面の間、続いていくのは間違いない。

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    「引退も祝福してくれますか?」安室奈美恵、引き際の美学

    杉江義浩(ジャーナリスト、放送プロデューサー) 沖縄で生まれ、日本、台湾、香港、韓国、シンガポールの5つの国と地域でアルバム2枚の連続ヒットチャート1位を記録した、アジアのカリスマ歌姫、安室奈美恵さんが9月16日に引退しました。絶好調の今の時期に引退することを、惜しむ声はあちらこちらから聞こえてきます。 まだまだこれからだ、命ある限り歌い続け、ファンを楽しませるべきだ、と言う声もあります。その反面、「花は満開の時に散って人々の心に残るのだ」と、安室さんは自分の決めた第二の人生を歩むのがよい、という意見もあります。私は後者の考え方です。 安室奈美恵というアーティストは、極めて早咲きのアーティストだったというのが私の印象です。彼女は10代、20代、30代、40代の4つの世代にわたってミリオンヒットを出すという記録を打ち立てていますが、彼女のピークは実は10代だったのではないか、と私は考えています。 私が初めて安室さんに会ったのは、フジテレビの『ポンキッキーズ』という、子供向け番組の打ち上げ会場でした。彼女はまだ16歳か17歳で、ピンク色のウサギの着ぐるみを着て、番組に出演していました。 私は当時、駆け出しの子供番組担当者で、他社の番組を勉強するために参加したのですが、そんな私から見ても安室さんは幼い感じがしました。ビンゴゲームのルールが分からず、「どうすればいいの?」と私に聞きにきた安室さんを見て、微笑ましく思ったものです。 しかし、それは彼女が童顔だったために受けた印象であり、実際はすでにその時点で安室さんは大ブレークしていて、「SUPER MONKEY’S」のボーカルとして、ヒット曲を次々に出していました。 歌って踊れるものすごい歌手が沖縄からやってきたぞ、ということで業界の注目を一身に集め、彼女を育てた沖縄アクターズスクールまで、たちまち有名になりました。タレント育成スクールがタレントを有名にしたのではなく、タレントが育成スクールを有名にしたのです。一種の社会現象でした。 この頃にグループ名も「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」に変わり、まもなくソロになり、小室哲哉氏のプロデュースを受けるようになりました。レコーディング、ライブ、テレビ出演と多忙を極めていたので、ピンクの着ぐるみの子供番組には、なかなかスケジュールが取れない日も多くなりました。それでも安室さんは『ポンキッキーズ』を大切にしていました。ミリオンヒットを出すビッグアーティストが、ウサギの着ぐるみを着るという、不思議な時期がしばらくありました。 18歳から19歳にかけて、安室さんは持ち前の魅力的な歌声と、キレッキレのダンス、流行を作り出していくメイクとファッションでカリスマ的存在になります。ウサギの着ぐるみを脱いだ途端に、彼女は日本のポップス界の女王として君臨していたのです。東日本大震災の被災地支援音楽イベントに参加した安室奈美恵(右)=千葉・幕張メッセ(川口良介撮影) セカンドアルバム『SWEET 19 BLUES』がトリプルミリオンヒットし、10代女性ミュージシャンとして初のシングル・アルバム合わせて2000万枚を超えるという記録を打ち立てました。この記録は今でも破られていません。 私が安室さんのピークは10代にあったのではないか、と考える根拠は、まず第一にこの記録にあります。さらに小麦色の肌に細めの眉毛とロングヘアー、厚底のブーツにミニスカートという、「アムラー」と呼ばれるファッションのスタイルを、多くの女性たちがまねをして、この言葉が流行語に選ばれたのも、彼女が19歳の時の社会現象です。そのこともあって、彼女は10代の時に爆発的な勢いでスターダムを駆け上がったのだ、と言う印象を私は強く持っています。生き様でもあった「アムラー」 20代になると音楽活動の勢いは急激に停滞しました。安室さんは20歳になるとすぐに、TRFのダンサー、SAM(丸山正温)さんとの結婚を発表したのです。妊娠3カ月でした。その直後にNHK紅白歌合戦の紅組トリで、『CAN YOU CELEBRATE?』を歌いました。その歌詞の内容からすると、まるで「自分たちの結婚を祝福してくれますか?」とファンに呼びかけているかのように感じられ、とても印象的でした。 それから1年間の産休、育休に入ったので、レコーディングやライブなどの音楽活動は停止し、彼女の人生は次の段階に入ります。そのまま引退してしまうのではないかという心配をするファンもいたほどです。育児休暇が明けたのは、次の紅白歌合戦で、1年前と同じ『CAN YOU CELEBRATE?』を歌った時でした。今度は無事に男の子を出産したことに対して、「祝福してくれますか?」と呼びかけているように聞こえました。 普通はアーティストが1年間ものブランクを作ったら、ファンが離れていってしまうものですが、安室さんの場合は全くそのようなことはありませんでした。ファンの人たちは安室さんの結婚を祝福し、じっと育児休暇を待ち、安室さんの音楽活動への復帰を待ち望んでいました。育休明けに復帰後の初登場で『CAN YOU CELEBRATE?』を歌唱中、瞬間最高視聴率が 64・9% を記録した、という数字がファンの気持ちを物語っています。 年が明けて3月、沖縄の実家で実の母親が殺害されるというショッキングな事件が起きます。安室さんはそれを受けて、さぞかし精神的に辛かったでしょうが、プロ根性に徹してステージに立ち続けます。20代は文字通り波乱万丈のスタートとなりましたが、安室さんは苦難を乗り越えるごとに強くたくましくなりました。 20代からは小室哲哉氏によるプロデュースを離れ、セルフプロデュースで作品を生み出していきます。また夫とは離婚し、シングルマザーとして音楽活動を続けていきます。その結果、安室さんは20代でもミリオンヒットを達成しました。 このころから安室さんは世界に目を向け始め、またアジアツアーなどライブを中心に展開していくようになります。タイ・バンコク、台湾、韓国・ソウルなどで人気に火がつき、30代では冒頭に述べたようにアジアの5つの国と地域で、アルバム2枚連続ヒットチャート1位という記録を打ち立てました。 私は20代以降の安室さんの活躍を支えてきたものは、少なくとも3つあると思います。一つは持って生まれたアーティスト、パフォーマーとしての天賦の才能です。二つ目は沖縄の女性が持つ独特のたくましさです。三つ目は安室さんが一貫して磨き上げてきた「アムラー」というスタイルです。それはファッションだけではなく、新しい女性のライフスタイル、生き様をも左右する意味を持っています。ライブ前に姿を見せた歌手の安室奈美恵 =2008年5月、さいたまスーパーアリーナ 安室さんのパフォーマンスは、若さに裏付けられた、アスリートの技であるとも言えるでしょう。またミニスカートにブーツ、肌を多めに露出した「アムラー」のスタイルは、もしかしたらすでに完成された美学の一つとして人々に共有されていて、これ以上安室さん本人がステージで見せる必要はないのかもしれない、と思います。その意味では40歳を区切りとして、安室さんがパフォーマーを引退したのは、自然な流れだったと私は感じています。 大学生である息子の温大(はると)さんが成人したのも、良いタイミングだった思います。成人したら息子さんまでマスコミに追い回される可能性があります。それを避けるために芸能人を辞めて母親として、プライベートな生活に軸足を移したいのだったら、それも理解できます。 いずれにしても安室さんの天賦の才能と感性、そして沖縄の女性らしいたくましさと、世界への発信力は今後も残るでしょう。これからはそれを生かして、アジアを代表する一人の女性として、家族と地元沖縄を大切にした、自由な活動を続けていかれることを願っています。

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    イモトと奇跡の共演果たした安室奈美恵、舞台裏の壮絶苦労

     瞬間最高視聴率25%を記録。「イモトさん、安室さんの反響の大きさを感じている」と日本テレビ社長も言及するほど異例の注目を集めたのは、7月29日に放送された『世界の果てまでイッテQ!』だ。 小学5年生以来、20年来の大・大・大ファンを公言する番組レギュラーのイモトアヤコ(32才)が、9月に引退する安室奈美恵(40才)とのツーショット撮影に挑むために台湾ロケを敢行する特別企画だった。「イモトさんと安室さん2人だけの60分で平均視聴率21%超えですから、社長の言葉もよくわかる。“初対面”ということで、ここまで高視聴率とは」(番組関係者) 番組は台湾の空港から始まる。ツーショット撮影企画といっても当然アポなし。場当たり的な突撃で同じフレームに写り込もうとするが、ファンに囲まれる安室に近づくこともできず、ライブ会場前でも移動車しか見られず、結局ミッション失敗。それでも安室・台湾ライブの超プラチナチケットをゲットし、会場に乗り込んだ。ライブ終了後、「今まで『イッテQ』で400回くらい行ってるけど、いちばん楽しいロケでした」 と語るイモトの表情は恍惚としていた。 しかし番組本番はここから。番組の「オチ」を作るため、帰国前に大嫌いなヘビ料理を食べるロケに向かったイモト。実はこれがドッキリで、店では店員に扮した安室がイモトの到着を待っていた。 そうとは知らないイモトは、ヘビ料理に悪戦苦闘しながら、なんとか食事を終えた。そこへ「お茶をお持ちしました」と安室が声をかける──。 イモトが椅子から跳び上がったその瞬間、BGMが『Hero』から『CAN YOU CELEBRATE?』に切り替わり、うろたえたイモトの口から出た一言は「こんにちは…」だった。 イモトが初めて『イッテQ』で安室ファンだと明かしたのは2009年7月。訪れたフィリピンの洞窟で、安室のヒット曲『Body Feels EXIT』を踊った。「彼女が安室さんのバックダンサーになりたくて上京したのは有名な話。1年の3分の2はロケのために海外で過ごすイモトさんが、何よりも楽しみにしているのは安室さんのライブ。2015年に天候不良で帰国が遅れ、チケットを無駄にした時は番組内で号泣したこともありました。あまりにひたむきな姿勢に、安室ファンの間でも“イモトは本物”と認められています。ネタではなく本気度が伝わるからこそ、今回もここまで話題になった」(芸能関係者) サプライズ企画はそれだけでは終わらず、30分にわたる対談も行われた。「安室さんからいつも『イッテQ』を見ていると言われたイモトさんは言葉を失っていました。エベレストやキリマンジャロなど世界の名峰の登頂に挑んできた細かいエピソードも話していたので、本当に見ていてくれているんだと現場は感動の嵐だったようです」(前出・番組関係者) イモトの安室愛あふれる過去のVTRを見て、安室がもらい泣きする場面もあった。そしてついにツーショット撮影に成功し、番組を終えた。イモトアヤコ=2015年12月 テレビでは“未公開”の舞台裏は、相当な苦労があったという。「台湾での安室人気は絶大。どこにでもパパラッチがついてきます。ドッキリのために、安室さんはまずダミーの店に入り、そこで店員と同じチャイナドレスに着替えて裏口から再び出発。人気のない商店街の裏路地で降りると、イモトさんのロケ現場へ。その後も空調もきかないような部屋で待ち続けていました。そこまで念入りの準備だったので、安室さんも“失敗したらどうしよう”とイモトさんより緊張した様子だったそうです」(前出・番組関係者) 奇跡のツーショット写真は安室の軌跡をたどる体感型の展覧会『namie amuro Final Space』(東京や沖縄など全国で開催中)で見られるという。夢は叶うと教えてくれた。■ イモトアヤコ 親友・竹内結子と同じマンションの一部屋購入■ 小林麻耶 ”海老蔵似”夫と手つなぎデートで幸せ絶頂写真5枚■ 坂上忍、消えた義足の愛犬「飼育放棄騒動」の真相を語った■ イモトアヤコ マッキンリー下山後は竹内結子の自宅にお泊り■ イモトアヤコ 初彼氏は中2、後藤真希に敗北など過去の伝説

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    小室哲哉が生んだシンデレラストーリーとカラオケの関係性

     1990年代半ばから2000年代にかけてヒットチャートを席巻したのが小室哲哉(59才)プロデュースによる“TKサウンド”だ。安室奈美恵、篠原涼子、鈴木亜美(当時・鈴木あみ)ら、多くの女性アーティストをプロデュースし、ブレークさせた。 しかし、そんな小室も『週刊文春』の不倫報道を受けて、引退を表明。その是非について、様々な議論が展開されている。 TKサウンドが人気を博していた1990年代後半。特に女性リスナーたちを熱狂させたのは、小室がプロデュースした女性アーティストたちの背景にある“シンデレラストーリー”だった。 小室が手がけたシンデレラとして真っ先に名前が挙がるのは、『I'm proud』や『I BELIEVE』がヒットした華原朋美(43才)だろう。1995年、華原のデビュー直前にふたりの熱愛がスクープされた際、小室が言った「アーティストに手をつけたのではなく、恋人に曲を書いてデビューさせただけ」という言葉は、世の女子たちを沸かせた。 当時レコード会社に勤めていたラジオパーソナリティーでコラムニストのジェーン・スーさんも、小室のスゴさをこう振り返る。「当時の小室さんは絶対に打ち上げを成功させるロケット発射台のような存在で、音楽業界で働いていた人間としては羨ましかった。特に朋ちゃんが世に出てきたときのことは、『これが本当のシンデレラストーリーだ…』と度肝を抜かれたことを覚えています。普通のかわいい女の子が、いきなりエンタメシーンの中心にかつぎ出され、海外ロケをはじめとする豪華なMVはもちろん、スタイリングやメイクまで、野口強やソニア・パークといった一流のスタッフからのバックアップを受けてどんどん洗練されていく。スター街道を駆け上がっていく様は、当時の女の子なら誰もが憧れたのではないでしょうか」 小室マジックで変身したのは華原だけではない。バラエティー番組を中心に活動していた篠原涼子(44才)は『恋しさと せつなさと 心強さと』で大ブレーク。お茶の間に顔が売れたことにより、トップ女優への道を開いた。第37回日本レコード大賞新人賞にノミネートされた華原朋美さんの伴奏をする小室哲哉さん=東京・赤坂のTBS=1995年12月31日 安室奈美恵はご存じの通り、同年代の女子から絶大な人気を得て、「アムラー」という社会現象も生んだ。 後の小室の妻となるKEIKO(45才)はオーディションで小室の目にかない、『globe』のボーカルとなりミリオンヒットを連発。 無名だった夢見る女子たちが“with t”の文字がつくやいなや、スターへの階段を駆け上がっていった。 海外ロケにハイブランドのドレス、そして自分だけのために書かれた曲。小室哲哉という才能を注入されて光り輝く彼女たちに、同世代の女子たちは自分を重ね、夢を見た。 ライターの速水健朗氏は、それを後押ししたのが、その頃全盛期を迎えていたカラオケだったと分析する。「当時の女性たちは小室さんにプロデュースされた“シンデレラ”になりきってカラオケで歌っていた。また、小室さんもカラオケで歌われることを意識して、歌っている側の爽快感を重視して曲作りをしています」関連記事■ 小室哲哉不倫報道論争 逃げ場を残すのは報じる側の矜持■ 眞子さま婚約者小室圭さん巡る「祖父と父の遺産と母の恋人」■ 好きな小室哲哉プロデュース楽曲、トップ20を発表■ globe・KEIKO ゆず・北川悠仁と本気で結婚したがっていた■ 記憶を取り戻したKEIKO 小室哲哉の呼びかけにglobe歌う

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    みんな、まるちゃんが好きだった

    漫画家、さくらももこさんが53歳の若さで亡くなった。代表作『ちびまる子ちゃん』の主人公、まるちゃんはさくらさん自身の子供時代を投影したものだったという。「みんな、まるちゃんが好きだった」。こんなタイトルをつけて、さくらももこさんの追悼特集をお届けしたい。

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    さくらももこの『ちびまる子ちゃん』は永遠の謎である

    鳥越皓之(大手前大学長) 漫画家、さくらももこさんが亡くなられた。国民的に愛された漫画家だったと言えよう。ご冥福をお祈りする一方で、おばあさんになったさくらももこさんが描く漫画も読みたかったと思う。とても残念である。 さくらさんの代表作『ちびまる子ちゃん』は、『サザエさん』と並び、国民的漫画・アニメとなった。では、なぜ『ちびまる子ちゃん』はこんなに広く私たちに愛されたのだろうか。 主人公のまる子は、さまざまに夢想するクセがある。この夢想にあやかって、私は一見突拍子もないものと『ちびまる子ちゃん』とを結びつけるところから話を始めたいと思う。 もう亡くなられて久しいが、日高敏隆さんという著名な生態学者がおられた(1930~2009年)。社会学を専門にしている私とは研究分野が大きく異なるのだが、私は日高さんのファンで、著書からとても多くのことを学んだ。その中でも、いつまでも記憶に残っている指摘が次のような事柄である。 人類というものが生まれた古く遠い時代、人類はある段階を経て、アフリカの草原に出ていくことになる。草原に比べれば森林は安全で、「われわれの近い親類、ゴリラやチンパンジーという類人猿は、みんな森に棲(す)んでいるわけです」(日高敏隆『ぼくの生物学講義』2010年、昭和堂、以下の引用はすべて同書)と日高さんは解説する。 ここからが日高さんの疑問だが、「今から二十万年ぐらい前のアフリカの大草原にはもう、ライオンとかハイエナとかヒョウとか、その他の怖い動物もいっぱいいたわけです」。鋭い牙もなく、ヒョウのように速く走れるわけもなく、角もない人類が、なんら隠れる場所もないアフリカの草原でなぜ生き残れたのか─。 永遠の謎かもしれない大きな疑問である。その疑問に対して研究者としての日高さんは、これは実証的なものではなくて私の推測が入っていると断りつつも、次のような説得的な解釈をする。 すなわち、人類は化石から推して200~300人のグループを組んでいたのだろうという答えなのである。日高さんは「(人類が)百人もいたとしたら、五匹ぐらいライオンが出てきたって、みんなで石を投げたりしたら、ライオンは逃げちゃいますよね」と分析。この200~300人のグループを組んでいた人類はどんな生活をしていたかというと、「大事なことは、父親ではなくて、近所のよそのおじさんが子どもに言うんです。いろんなことを『だめだあ』とか、『うまいぞお』とか、ほとんどね。要するに家族の中だけで育っていくんじゃなくて、近所のいろんなおじさんたちの中で育っていくということを、どうも人間という動物はやっていたらしい」としている。 つまりは、おじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん、おじさんやおばさん、もっと遠い血縁関係の大人たち、お兄さんやお姉さん、同世代の仲間、年下の小さな子供たち、こんな人間が混在して、そこで怒られたり褒められたり、親しい仲間がいたり、反目があったりという社会であったらしい。アニメ「ちびまる子ちゃん」の一場面。フジテレビ系で9月2日に放送された「まる子、きょうだいげんかをする」より((C)さくらプロダクション/日本アニメーション) 何のことはない、『ちびまる子ちゃん』の世界は、人類が生き残るために二十万年も前につくった「家族と近所の群れ集団=コミュニティ」がそのまま基盤としてあるのではないか。 『ちびまる子ちゃん』の漫画を読んだりアニメを見たりして、何の違和感もなく溶け込めるのは、人類が二十万年も続けてきたコミュニティ社会を、もちろん無意識的にだが、さくらももこさんが素直に丁寧に写し取ってきたからではないだろうか。さくらさんが描いた「二十万年の伝統」 そもそも、まる子をはじめ、登場人物は優等生過ぎず、失敗したり面倒くさがったりする憎めない等身大なキャラクターで描かれている。社会のルールも踏まえつつ、それが自分の考えと合わないときには、心の中で本音をつぶやいたり、茶化したり、折り合いをつける。 それらが子供の目線から発言されるので、その本心に自分を重ねやすく、笑って見守るような楽しみ方もできる。まる子の思いつきや行動は今の子供たちにも共感できる一方で、私たちが子供の頃に当時の大人たちをあきれさせたこととも似ている。 そして、その大人たち自身もきっと同じ経験を繰り返してきたに違いない。こうした二十万年の伝統を持つコミュニティの人間関係、愛情や反目、尊敬や軽蔑、深い理解や誤解、それらを含めたさまざまな人間関係を、とても生き生きと濃密に、さくらももこさんは描いてきた。 他方、『サザエさん』は、これも人類の古い歴史である家族を、その最も伝統的な形の三世代家族で描いてきたのだ。したがって、『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』が、それぞれに国民的漫画・アニメとして受け入れられたのは、よく理解できる。 ただ、時代は常に変わり続けている。『ちびまる子ちゃん』が描いてきた、実に長い歴史を持ったこの濃密な人間関係は、2000年代に入って大きく変わりつつある。まさに大変な時代が来ていると言える。なぜなら、家族もコミュニティも溶け始めているからだ。 現在、各地方自治体は小学校区というコミュニティを復活させるためにまちづくり政策を出しているが、それは『ちびまる子ちゃん』たちが基盤とした小学校単位の人間関係が崩壊しつつあり、それを防ぎたいからに他ならない。 また、崩壊しつつあるから、私たちも『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』を懐かしい人間関係として眺め、それは小さいときに私たちが実際にその世界を自分の肌で経験してきたからである。 現在、日本政府は「Society5.0=超スマート社会」を来るべき社会として構想している。それは孤立している私たち一人ひとりの人間を、インターネットを通じてのサイバー空間の世界で結びつけようという構想である。 Aという人間の要望をインターネットでサイバー空間に結びつけて、AIという人工知能を経由して、Bという人間に結び付けるというアイデアである。距離的には遠いとしても、AとBとは結びつくのである。これは必ずしも否定的に解釈すべきでもない。Aが病人で、Bが医者とすると、サイバー空間を経由して即時にAとBとが結びつくので、大変意義がある。2018年8月、JR東京駅の商業施設に入る「トーキョーちびまる子ちゃんストア」。作者のさくらももこさんの訃報から一夜明け、多くのファンが買い物に訪れていた ただ、これは『ちびまる子ちゃん』で描かれた1970年代の社会とは大きく異なるものである。濃密なコミュニティはそこに存在しない。代わって効率の良さが突出している。 果たして、どのような将来の社会構想を私たち国民は描けばよいのであろうか。おばあさんになったさくらももこさんに、サイバー空間を利用しながらも人間の息吹の感じられる社会をぜひとも描いて欲しかったものだ。

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    『ちびまる子ちゃん』にあって『サザエさん』にない世界観

    飯田豊(立命館大産業社会学部准教授) さくらももこの『ちびまる子ちゃん』を初めて読んだのは、1990年の秋、急性肝炎で入院していた小学6年生のときのことだった。小児病棟を見渡すと、同室の小中学生は皆、前年に発売された「ゲームボーイ」(任天堂)で遊んでいて、入院生活の必須アイテムであることが分かった。僕も親にねだったが、すぐには買ってもらえない。暇をもて余していたところ、見舞いに来てくれたご近所の方が、単行本を1巻から最新刊まで買ってきてくれた。 同年1月からテレビアニメの放送が始まり、この頃にはすでに大きな社会現象になっていたが、僕はそれほど熱心に見ていたわけではなかった。折しも『週刊少年ジャンプ』の黄金期であり、小学生の男子は大抵、そのアニメ化作品の方に夢中だった。小児病棟ではテレビを見ることがほとんど許されず、同じ病室の男子小学生たちが『コロコロ』派と『ボンボン』派に分かれている中で、少女漫画を読むこと自体に気恥ずかしさもあった。 隣の病室には、眼光が鋭い金髪のヤンキー女子中学生が入院していて、なるべく目を合わせないようにしていたのだが、『ちびまる子ちゃん』の単行本を見た途端に目尻が下がり、「貸してほしい」と言われた。一瞬、これはカツアゲかと思って硬直したのだが、彼女はお礼に『ビー・バップ・ハイスクール』の単行本を(無理やり)貸してくれて、それ以来仲良くなった。 不意に家族と離れ、クセの強い子供たちと―しかし退屈きわまりない―共同生活を送る中で、『ちびまる子ちゃん』をじっくり読んでみると、日常の他愛(たあい)もない出来事が軽妙に描かれ、家族関係や友人関係にまつわる心の機微を鋭く表現したアイロニカル(皮肉っぽい)な作風に強く惹かれた。当時はその魅力を説明するための言葉を何一つ持っていなかったが。 入院中の1990年10月28日にはテレビアニメが最高視聴率39・9%を記録し、いつしか「平成のサザエさん」と呼ばれるようになっていた。しかし、三世代同居の「家族もの」であるという設定を除いては、当時ほとんど共通点を見いだすことができず、子供なりに違和感を持っていた。後年、登場人物たちの名前が、花輪和一、丸尾末広、みぎわパンなど、『月刊漫画ガロ』で活躍した漫画家に由来すると知って、その違和感はますます大きくなった。 『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』の共通点や相違点については、さまざまな説明の仕方が有り得るだろう。例えば批評家の大塚英志は、これを次のように指摘している。さくらももこの「ちびまる子ちゃん」の中にも陸奥(むつ)A子であるとか仮面ライダー2号一文字隼人といったサブカルチャー的固有名詞が頻出する。平成のサザエさんと言われながらも両者が決定的に異なるのはこのサブカルチャー的固有名詞の有無である。「サザエさん」は固有名詞を一切排除することで広くお茶の間的な普遍性を持つに至った。(中略)時代を特定してしまう固有名詞は一切使われない。ところが「まる子ちゃん」は〈あの頃〉の物語である。厳密に時代考証をすれば昭和49年頃になるはずなのだが、それはあまり問題ではない。作品中のサブカルチャー的固有名詞は具体的な時代を特定するためのものではなく〈懐かしいあの頃〉というフィクショナルな過去に物語を設定する仕掛けである。(『仮想現実批評 ―消費社会は終わらない』新曜社) テレビアニメとノスタルジーとの結びつきをめぐっては、社会学的な観点からの考察も行われている。高度経済成長期、産業構造の変化とともに農村から都市への大量の人口移動が起こり、核家族化が進行した。それにもかかわらず、テレビでは大家族のお茶の間を中心とした、家族愛にあふれたホームドラマが隆盛を極め、人々のノスタルジーをかき立てた。ところが、オイルショック以降の低成長期には核家族の理想も崩壊し、TBS系ドラマ『岸辺のアルバム』(1977年)のような家族解体の物語が支持を集めていくようになる。さくらももこさんの代表作「ちびまる子ちゃん」 旧来のホームドラマが「理想の家族」を虚構的に作り出すことで、しかるべき規範と価値を社会に示してきたが、北海道大准教授の玄武岩(ヒョン・ムアン)らによれば、こうしたドラマが凋落した70年代半ば以降、その役割を継承したのが「ホームアニメ」である。とはいえ、数え切れないほど制作されているアニメ作品の中で「家族もの」は極めて少なく、これは決して自明なジャンルとはいえない。 それにもかかわらず、『サザエさん』『クレヨンしんちゃん』、そして『ちびまる子ちゃん』はいずれも長寿番組となり、「国民的アニメ」として定着していった。「理想の家族」はもはや、こうした「ホームアニメ」の中にしか存在しない、と評されるまでになった。『サザエ』と『まる子』本当の違い さて、『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』をホームアニメという同じ土俵に乗せた上で、両者の最大の違いを挙げるとすれば、磯野家では波平に強い父権が備わっているのに対して、さくら家に父の権威はほとんど存在しないことだろう。 波平やマスオが会社からの帰路で雨に遭えば、カツオやワカメが傘を持って駅まで迎えに行く。波平の古い父権に対して、新しい感性を持つサザエやカツオが異議申し立てをすることもある。それに対して、さくらひろしが働いている姿を私たちは見たことがなく、アニメを見ている限りでは職業不詳。趣味は釣り、酒、野球観戦。家族内の意思決定は大概、母が行っている。それゆえ、まる子が積極的に友好関係を築くのも、時に激しく対立するのも、父ではなく母である。 しかし、この相違点を「漫画が生まれた時代背景の違い」として片づけてしまうのは早計である。 確かに戦後、主婦の家庭内権力は次第に高まっていったし、『ちびまる子ちゃん』の漫画連載が始まった1986年は、男女雇用機会均等法が施行された年でもある。男女同権に対する認識が高まっていた反面、大塚によれば「最初の総合職世代として後に続く同性たちの期待を背負いつつ、初めてマスとして企業の男社会に足を踏み入れた女性たちによって、『まる子ちゃん』はノスタルジーの妙薬として発見された」という見方もできる。 そもそも、1946年に4コマ漫画として新聞連載が始まった『サザエさん』では、サザエは女性解放運動に関わっていた。また、波平にアニメのような威厳はなく、フネは気性が荒い性格として描かれている。 哲学者の鶴見俊輔は、『サザエさん』の原作者、長谷川町子が一貫して「家庭内に戦前からひきつがれている家長の権威を笑いをもって批判し、権威の側も、自らをわらうことで変わってゆくという過程」を描いている点を高く評価し、「このあたりが、戦後民主主義なので、嫌いな人はここのところが嫌いになるのだろう」と述べている。 1969年にテレビアニメ化される際、鶴見が指摘したような戦後思想は影を潜め、私たちがよく知っているサザエさん一家の設定が出来上がった。それに対して、長谷川町子は70年代、『サザエさん』に社会風刺を積極的に盛り込むようになり、アニメの設定とはいっそう乖離していく。フジテレビ系アニメ「サザエさん」の(右から)サザエ、フネ(C)長谷川町子美術館 逆に『ちびまる子ちゃん』の場合、さくらももこはアニメ化に際して慎重を期し、第1期(1990〜92年)に関しては、原作の世界観を守るための努力を惜しまなかった。テーマソング『おどるポンポコリン』の作詞を手がけ、大ヒットを記録したことは改めて言うまでもなく、声優のオーディションに立ち会い、脚本にも自ら大幅に手を加えたという。アニメの作風が大きく変わった第2期(1995年〜)でも、当初はさくら自身が脚本を手がけることでハンドリングしていたし、劇場版全3作(1990年、92年、2015年)の脚本もさくらが手がけている。 「サブカルチャー的固有名詞」を一切排除しなかった結果、西城秀樹や植木等をはじめとするアーティストとのコラボレーションも実現した。これは一般的なタイアップ商法とは意味合いが異なっている。 テレビを通じて「理想の家族像」という虚構を、ひいては日本人の総中流意識を延命させてきた「ホームドラマ」や「ホームアニメ」のフォーマットに、『ちびまる子ちゃん』は安易に最適化されることはなかった。さくらももこという稀代の漫画家が、全身全霊をかけてテレビの世界に向き合ってきた賜物といえるだろう。(文中敬称略)参考文献・『国際広報メディア・観光学ジャーナル』15号、2012年「越境する〈ホームアニメ〉 ―東アジアにおける『ちびまる子ちゃん』の家族像」玄武岩ほか・『漫画の戦後思想』文藝春秋、1973年

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    『笑点』の安倍ネタは笑えない?

    日曜夕方のお茶の間で人気の『笑点』(日本テレビ系)がネットで炎上した。発端は名物コーナー「大喜利」で落語家が政権批判をネタにしたことだった。「この程度のネタは昔からよくあった」「そもそもネタとして笑えない」。意見が分かれる今回の炎上騒動を機に、お笑いと政治風刺を考えてみたい。

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    「笑点の安倍ネタは風刺じゃない」石平が綴った怒りの反論手記

    石平(評論家) 5月27日の日曜日、家のソファでくつろいでいた私は、日本テレビの名物番組『笑点』を久しぶりに見た。 その日の『笑点』の大喜利では、「騒音」をお題に、耳をふさいだ落語家が笑いを誘う「珠玉の一言」を繰り出す設問があった。そしてその中で、いつもの顔ぶれの落語家たちの口から、次のような「政治ネタ」が連続的に放たれたのである。 まずは三遊亭円楽さん、「安倍晋三です。トランプ氏から『国民の声は聞かなくていい』と言われました」。次は林家たい平さん、「麻生太郎です、やかましいィ。」。そして最後には、林家木久扇さんは「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」と嘆いてみせた。 以上が、後にインターネット上などで話題となった『笑点』の「三連発政治批判」である。テレビの前でそれを見た私は、「そんなのは落語としてどこが面白いのか」と思ったのが最初の感想であった。 例えば、最後の木久扇さんの「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」という答えを取ってみても、そこに何か落語の笑いの要素があるというのか。「米軍基地がいつ無くなるだろうか」という、そのあまりにも平板にしてストレートな一言を聞いて、腹の底から笑おうとする人間がいったい何人いるというのか。 程度の差はあっても、一番目の「安倍ネタ」と二番目の「麻生ネタ」も同じようなものである。要するに、この三連発の政治批判は笑いのネタとしてまずつまらないし、落語としての機転も芸も感じさせない。 そこにはむしろ、政治批判が目的となって『笑点』としての面白さは二の次となった、という感がある。はっきり言って、そんなネタはもはや『笑点』ではない。『笑点』の名を借りた政治批判にすぎないのである。 しかも、その時の政治批判は、一般庶民の視点からの政治批判というよりも、特定政党の視点からの政治批判となっているのではないか。例えば、沖縄の米軍基地について、基地が無くなってほしいと思っている庶民が、この日本全国に一体何割いるというのか。地元の沖縄でも、基地反対派と基地維持派が県民の中に両方いるはずだ。2018年1月、米軍普天間飛行場移設に向けた護岸工事が進む沖縄県名護市の辺野古沿岸部(共同通信社機から) 上述の『笑点』三連発の政治批判は、つなげて考えてみれば、要するに「反安倍政権・反米軍基地」となっている。それはそのまま、日本の一部野党の看板政策と重なっているのではないか。 私自身は『笑点』が結構好きで、日曜日の夕方に家にいれば、そしてチャンネル権が女房と子供に奪われていなければ必ずつけてみることにしている。だが、その日の『笑点』を見て、さすがにあきれて自分のツイッターで下記のようにつぶやいた。多くの共感を呼んだツイート先ほど家のテレビで久しぶりに「笑点」を見ていたら、「安倍晋三です。国民の声を聞かなくてよいとトランプに教えられた」とか、「沖縄の米軍基地はいつなくなるのか」とか、まるで社民党の吐いたセリフのような偏った政治批判が飛び出たことに吃驚した。大好きな笑点だが、そこまで堕ちたのか。石平氏の5月27日のツイート このツイッターは結局、ネット上で大きな反響を呼んだ。数日間のうち、8千人以上の方々からリツイートをいただき、1万5千人以上の方々から「いいね」をいただいた。そして私のツイッターには、この件に関して1100件以上のコメントが寄せられて、その大半は私のつぶやきに賛同する意見であった。 私がツイッターを始めたのは今から4年前だったが、今は37万人以上の方々にフォローしていただいている。正直に言って、私の「ツイッター史」において、これほど大きな反響を呼ぶツイッターを放った経験はめったにない。『笑点』の政治批判ネタに対する私の感想と苦言は、やはり多くの人々の共感を呼んだのである。 もちろん、私のツイッターに対する批判や反発の声も挙がった。お笑いタレントで演出家のラサール石井さんが自らのツイッターで、「時の権力や世相を批判し笑いにするのは庶民のエネルギーだ」「政治批判は人間としての堕落だと言いたいのか」と反論したのはその一例だ。 他にも、ネット上や、私のツイッターに寄せられたコメントの中には「権力を風刺し批判するのは落語の伝統だ」「庶民の気持ちを代弁して権力を批判するのはどこか悪いのか」といった批判があった。その中には、「落語の政治批判を許さないというのは言論統制だ、全体主義だ」と、一物書きである私のことを、まるで権力者に対するかのように厳しく糾弾するネットユーザーまでいた。 しかし、私からすれば、こういった反論と批判のほとんどは、まさに的外れのものである。政治風刺や政治批判を行うのは、確かに落語の良き伝統であろう。しかしそれは決して、観客としての私たちが、落語で行った政治批判を何でもかんでも無批判のままで受け入れなければならない、という意味合いではないのである。 政治風刺も政治批判も良いのだが、それには面白いかどうか、特定の政党や政治的立場に偏っているかどうかがつきまとう。それに対し、われわれ観客の一人一人が、自らの基準と心情に従って論評したり批判したりするのはむしろ当然のことだ。私は自分のツイッターで『笑点』のことを「堕ちた」と酷評したのだが、それも一観客としての私の感想にすぎないし、そして私にも私の感想を吐露する権利はあるのだ。2017年6月、『笑点』メンバーの(後列左から)林家三平、林家たい平、三遊亭小遊三、(前列左から)三遊亭円楽、林家木久扇 要するに、『笑点』には政治を風刺し、批判する自由はあるが、われわれ観客にも『笑点』の政治批判に賛同したり、批判したりする自由があるのである。「『笑点』は庶民の声を代弁して権力批判をしているから、『笑点』を批判してはならない」というような論法は、逆に『笑点』に対する批判を封じ込めて、『笑点』そのものを絶対的な権力にしてしまうのである。これこそ、問題の最大のポイントではないのだろうか。

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    立川談四楼手記、『笑点』はパヨク政権でもからかいます

    立川談四楼(落語家)『笑点』メンバーが政権批判をしたと騒ぎ、パヨク認定する向きがあるが、国策落語を強いられた過去を持つ落語家にはナンセンスである。政権批判は日常業務で、ツイッタランドにおける炎上案件を彼らは日毎夜毎繰り広げている。落語の黎明期には幕府を批判して島流しを食らった先達もいるくらいなのだ。 ジャスト140文字、これが5月29日の私のツイートである。ちょっと固い言葉で、抗議の体を取っています。いやあまりの言い様だったからで、「『笑点』も墜ちた」ぐらいはまだいいんだ。ロクに番組を観てない人の言い草だからね。ただ「落語家が政治に口を出すな」「落語だけやってりゃいいんだ」にはカチンときた。『笑点』を観てないことについてはいいにしても、落語と落語家の歴史をまるで理解してない輩(やから)のほとんど妄言だからね。「笑点」メンバー(前列左から)司会の春風亭昇太、新メンバーの林家三平、林家たい平(後列左から)三遊亭圓楽、三遊亭好楽、林家木久扇、三遊亭小遊三、山田隆夫=2016年5月 まあ、少人数ならそれも一つの意見だろうとスルーしたけど、名のある人まで言ってるんだ。半面、「落語について無知であります」と表明しちゃってるわけだけど、著名人だけにフォロワーも多く、「いいね」やリツイートする人がかなりいて、一応ちゃんと抗議したということなんですね。  驚いた。私のツイートに対する「いいね」とリツイートが合わせて15000に達したんだ。もちろん「クソリプ(見当外れな返信)」も飛んでくるが、賛同がはるかに凌いで、少し溜飲(りゅういん)を下げる思いがした。私は写真も動画も使わず、140文字のジャストを昼過ぎに3本投稿するのを旨としている。そりゃ過去には3万超えなんていうこともあったけど、1万を超えるツイートはなかなかないんだ。一言で言うと反響が大きかったということです。某紙もそれを取り上げるくらいに。 落語家の政権批判はホント日常なんだ。それが証拠に『笑点』では民主党政権のときもやったし、それは昔からのものなんだ。つまり伝統でね。何しろあの番組は私の師匠の談志が作ったのだから、過激になるのも当然なのさ。 酒で早くに死んでしまったんだが、春風亭梅橋(しゅんぷうていばいきょう)という人はスゴかったね。「酔っぱらい運転はなぜいけないか」の題に梅橋、こう答えたんだ。「轢(ひ)いた時に充実感がないから」。私が高校生の頃だったが、これには引っくり返ったよ。   ある日、なぞかけで「オッパイ」という題が出た。 梅橋「オッパイとかけてヤクザの出入りときます」   「その心は?」 梅橋「すったもんだで大きくなります」ときた。 「パンティ」がお題のときもスゴかった。 「パンティとかけて美空ひばりのおっ母さんとときます」   「その心は?」   「いつも娘にぴったりと張り付いてる」  全編この調子でね。今じゃ完全に炎上案件だよ。視聴率が上がるとスポンサーがうるさくなって、それで談志の降板に至る、という歴史なのさ。だから当時の過激さが少しだけ顔を出したというだけのことなのさ。戦時中の国策落語と禁演落語 戦時中の軍部との戦いにも触れないといけない。落語の本質は「三道楽煩悩(さんどらぼんのう)」の「飲む・打つ・買う」、つまり酒と博奕(ばくち)と女郎(じょうろ)買いなんだ。それをどう描くかで落語家の腕が問われるのだが、戦時中だから、どうしたって不謹慎ということになる。 時代の空気を察した落語家は、いち早く動いた。時局にふさわしくない落語53席を葬ったのだ。これが世に言う「禁演落語」で、これもなぜ53席かで面白い説があるんだ。「東海道五十三次」になぞらえての53席という説と、もう一つは「53(ゴミ)みたいな落語」。つまり、どうでもいいネタを葬って軍部の目を欺いたという説があるんだ。どっちにしろギリギリ反権力をやってるんだね。 しかし「国策落語」にはなす術(すべ)がなかった。なにしろ「お国のために国威発揚(こくいはつよう)の落語を作れ」という命令だから逃げようがないのさ。随分作られ演じられたというが、ほとんど残ってない。終戦直後、いろんな書類が焼かれたというから、ま、そういうことだろうね。落語「出征祝い」を口演する林家三平さん=2016年3月1日、東京都台東区 でも近年、林家三平師が祖父の林家正蔵作と言われる『出征祝い』を演じて話題となった。しかし評判は芳(かんば)しくなかった。慌てて声を大にして言っとくけど、三平師の技量のせいじゃないよ。国威発揚の落語が面白いわけがない、という真理によるものさ。 前述したように、落語の基本は「飲む・打つ・買う」だよ。戦争と相性がいいはずないじゃないか。戦争と落語は180度両極に位置するものだからね。 でね、その最中に志ん生はこう言ったんだ。「国策落語なんて野暮なもの、俺やだよ」。そう言って志ん生は戦時中に円生とともに中国に行ってしまうんだ。興味のある人は調べてみて。面白い話がワンサと出てくるから。 落とし咄(ばなし)をするから咄家(はなしか)と言われてた江戸時代、冒頭のツイートにある通り、わがご先祖は幕府とも戦っていたんだ。スゴいね。「島流し」ってのが。時代劇のお白州(しらす)で発せられる「遠島(えんとう)を申しつくる」ってやつだ。 いや、咄家だけでなく講釈師にもいてね。この人は島抜け、つまり脱走して捕まり、ついには死罪になったという歴史もあるんだ。吉村昭が『島抜け』という題で小説にしてるくらいでね。 どうでしょう。いくらか反権力の歴史がお分かりいただけたでしょうか。あ、今、「共産党が政権を担ったらどうする?」という声がしました。 経緯は省きますが、私は保守論壇の重鎮、西部邁先生にかわいがっていただきまして、あるとき先生が「今、一番まっとうな保守は共産党だ」と言ったのを鮮明に覚えています。それもあって、「共産党政権の誕生も夢ではない」と思う者ですが、約束します。「たとえ共産党と言えども政権を取ったら大いにからかいます」と。 是枝裕和監督の『万引き家族』がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞、安倍さんはメダルや賞が大好きなのにこれを無視、ようやく林芳正文科相が祝意を表明、それを監督が辞退するという日に記す。

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    「お笑いと社会批評の境界」茂木健一郎が考える日本の政治コメディ

    たけし(左)とビートきよし さらに、「落語」というフォーマットの可能性。落語は、世界の各地での笑いの文化を見渡した上でも、類まれにユニークなかたちをしている。特に、一人の演者が、多数の「登場人物」を演じ分けるという点。長屋で、くまさん、八っつあん、与太郎、ご隠居などの登場人物たちが、それぞれの思惑、個性で動き、全体としておもしろい調和ができる。笑いは脳進化の「智慧」 対立したり、けんかをしたりしても、それらがすべて響き合って、やがて一つの「笑い」となる。そう考えてみると、落語は多様性を許容した「社会的包摂」そのものである。 たとえば、米朝会談を落語にしたと考えてみよう。アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の意見は対立したり、時には口げんかもするのかもしれないが、その双方を落語の一人の演者が演じることができる。 「おい、そろそろ、放棄したらどうだい」 「そうは言っても、お土産がないとなあ」 「放棄したら、お土産をあげるよ」 「だけど、放棄した後で、お土産はないよ、お前の家を壊すよ、というんじゃ、嫌だよ」 「だいじょうぶ。家は壊さないと、保証するから」 「そうは言っても、君の後ろで、こわそうなやつらが腕組みしているぜ」 ……。 そして二人の「対話」が煮詰まったら、町内の「ご隠居」を登場させることもできる。 「おいおい、いい加減にしなよ、もう、お互いに歩み寄って、決めちまいな」などと。もっとも、現実の米朝会談に「ご隠居」はいないかもしれないが。 落語という「ファンタジー」の方が、人間にとっては温かく、楽しい。笑いは、不安や恐怖に打ち勝ち、不確実なことに挑戦するために脳が進化させてきた「智慧(ちえ)」である。大阪市全24区にちなんだ創作落語「参地直笑祭」をスタートした落語家の桂文枝 すべての動物の中で、複雑な認知プロセスを通して笑うのは人間だけだ。人間は、笑うからこそ、居心地のよい「安全基地」から未知の世界に向かうことができる。人間は笑うからこそ、宇宙にも行くし、人工知能も開発できるのだ。笑いはリスクの存在下でバランスを回復し、適切な選択をとるための最前線の「安全基地」となる。 今日の日本のように、さまざまな不確実性に囲まれつつも、やはり前に進むべき状況でこそ、笑いが必要である。笑いに至る「メタ認知」、つまり客観的に自分たちを見つめる能力こそが、難しい状況での判断力を高める。だからこそ、古来、優れたリーダーはユーモアのセンスがなければと言われてきた。 政治は国全体の進む方向だが、一人ひとりの人生にも、進むべき方向がある。人生の選択に、悩む人も多いだろう。どんな学校に行くべきか。会社を辞めるか、それとももう少しがまんするか。 私は、日本で政治コメディの文化が広まるためには、社会全体のメタ認知を高めなければと思っている。自分の状況を見つめ、不確実な状況下で行くべき道を選択して、よりよい人生を生きる、そんな一人ひとりの積み重ねが必要だと感じている。 日本に政治コメディが広がらない理由を、メディアや、政治家、ましてやコメディアンたちのせいにしても仕方がない。(かつて、私が誤解を与える発言をしたことについては、改めてお詫びいたします) 「日本をもみほぐす」ためには、まずは、「自分をもみほぐす」ことが必要なのだ。

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    『笑点』政権ネタの炎上騒ぎは起こるべくして起きた

    太田省一(社会学者、文筆家) 5月27日放送の『笑点』(日本テレビ系)がネットを中心に話題になった。番組の代名詞でもある「大喜利」のコーナーで安倍政権を風刺するような回答がいくつかあり、それを不満に思った視聴者の批判的ツイートが相次いだのである。それをきっかけに『笑点』の政治風刺をめぐって賛否両論、さまざまな意見が飛び交っている。 私は、一人の研究者として、以前から芸人と社会の関係に関心を抱いてきた。その点から言うと、今回の件については『笑点』の風刺ネタそのものの評価よりも、それをめぐってこれほど論議がわき起こったこと自体にむしろ興味を感じている。 まず、私にはこうした論議が起こったことが「不思議」という感覚があった。改めて言うまでもないが、笑いにも多くの種類がある。ダジャレのような言葉遊びもあれば、いわゆるリアクション芸のような身体表現の笑いもある。 他にも挙げればきりがないが、その中には当然「風刺」も含まれる。権力や権威を鋭く茶化すことで、政治に不満を抱いている人々は笑い、一瞬ではあれ溜飲(りゅういん)も下がる。 芸人は、洋の東西を問わずその役割をずっと担ってきた。アメリカの伝説的スタンダップ・コメディアン、レニー・ブルースは1950年代から60年代にかけて過激な言動と、痛烈な政治風刺で人気を博し、常に物議を醸して波乱万丈の人生を送ったことで知られる。 かつて「日本のレニー・ブルース」と評されたこともあるビートたけしにも、次のような言葉がある。 日本の政治がガラっと変わったとしても、おれたちお笑い芸人は何にも変わらないって、ひそかに確信してるんだよね。何が起ころうと、ずっと同じ。(略)独裁国家になったとしても、それをひっくり返そうなんてこと、思いもしないだろうね。それどころか、その体制に順応して、ますます喜劇を演じていくよ。毎日のように指導者たちを笑いのタネにしたりなんかしてさ。笑いっていう最高の武器で、権力を笑い飛ばしていくと思うね。北野武/ミシェル・テマン『Kitano par Kitano-北野武による「たけし」-』 主義主張や政治体制の如何を問わず、権力を笑い飛ばすことが「芸人の本分だ」とたけしは語る。だからその意味では、今回の『笑点』はその本分に忠実であろうとしたに過ぎない。 また、『笑点』の政治風刺は、今回が初めてではない。スタンダップ・コメディほど舌鋒鋭いものではなくとも、庶民の視点から時の政治に対する不満や皮肉を笑いの衣に包んで表現することは、落語家が提供する笑いとしてずっとあるものだろう。2016年5月、日本テレビ『笑点』の新司会者発表会見で握手を交わす桂歌丸(左)と春風亭昇太(大橋純人撮影) したがって巧拙や好みはもちろんあるにしても、政治風刺が飛び出すのはある意味自然なことである。だから、今回の一件がさぞ問題のように扱われることが不思議でならない。 だが一方で、このような論議が起こったことに「やはり」という、それとは一見相反する印象もあった。というのも、ここ最近、政治風刺の笑いは、特にテレビなどではほとんど目にしないものになっていたからだ。だから今回の『笑点』が突出しているように映り、炎上騒ぎに発展したのだろう。尊敬の対象になった芸人たち 私見だが、現在の笑い、特にメディアにおける笑いの基礎をつくったのは、さかのぼること40年ほど前に起こった1980年代初頭の「マンザイブーム」である。それをきっかけに多くの芸人がスターになった。ブームをつくった芸人の中には、ツービートの「毒ガス」漫才で一世を風靡(ふうび)したビートたけしもいた。 「赤信号 みんなで渡れば こわくない」など、たけしのいわゆる「毒ガス」ギャグは、当時の日本人が共有していた「総中流意識」の欺瞞(ぎまん)をターゲットにしたものだった。先述した、たけしの言葉に重ねるなら、当時のたけしにとっての「権力」とは政治指導者ではなく「総中流意識」に安穏と浸る私たちだったのである。 だが、面白いことに、たけしによって笑いのターゲットにされたはずの私たち大衆は、たけしを熱狂的に支持した。笑いには「知性の裏付けが必要」と思うようになり、それまで総じて扱いの低かった芸人が逆に尊敬の対象になったのである。 たけしはそんな芸人たちの代表格になった。その兆しは、たけし登場以前の萩本欽一から始まっていたという見方もあるが、はっきり芸人の社会的地位が向上したのはマンザイブーム以降であると言っても過言ではない。 そして1980年代後半か90年代に入り、世はバブル景気。テレビにも祭り気分が横溢(おういつ)する中で、尊敬される対象になっていた芸人はその中心の座を占めた。その象徴がたけし、タモリ、明石家さんまの「お笑いビッグ3」である。 その頃の時代的雰囲気を伝えるエピソードとして、最も記憶に残っているのが「さんまの愛車破壊事件」である。1991年のフジテレビの恒例『27時間テレビ』で、たけしとタモリが共謀し、さんまの買ったばかりの高級車を塀にぶつけて壊すという「コント」を生放送で演じてみせたのである。 ただ、笑いのためだけに惜しげもなく高級車を破壊する。それはまさにテレビが主導する「お祭り」だった。そこに視聴者も参加気分を味わい、高揚感を共有した。いわばテレビと世間が一体化した巨大な内輪ウケの空間が誕生したのである。 そうした経済的豊かさを前提にした内輪ウケの笑いが主流になったことで、政治は笑いのネタとしては陰に隠れ、マイナーなものになっていった。その傾向は、今も根本的にはあまり変わっていないように見える。「お笑いビッグ3」が30年近くたった今でも第一線で活躍しているのが、何よりの証拠である。ビートたけしや明石家さんま=1986年3月撮影 ただし、『笑点』はそうしたお笑いのトレンドとは比較的無縁だった。1966年、高度経済成長期のただ中で始まった同番組は、日曜夕方のお茶の間の定番としてわが道を歩んできた。したがって、まだ社会に流動的な部分があり、それゆえ政治への関心も高かった高度経済成長期当時の空気をどこかに残している。だから、政治風刺の笑いも生き延びたのである。 その一方で、平成も終わろうとする日本社会の現状を見ると、「総中流意識」はもはや薄れつつある。格差や貧困の問題ばかりがクローズアップされ、お祭り気分の笑いを支えていた経済的土台も揺らいでいる。社会情勢が大きく変化すれば、必然的に政治への関心も再び高まる。 つまり、『笑点』の政治風刺が注目を浴びる条件は、いつしか整っていたことになる。そこに起こるべくして起こったのが今回の炎上騒動ではないだろうか。 今回の出来事は、単なる笑いの一時的流行の問題ではなく、もっと大きな意味で芸人と社会の関係が歴史的転機を迎えていることの兆しである。SNSの普及もあり、今後も芸人の一言一句、一挙手一投足に耳目が集まることは間違いない。

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    『コロコロコミック』販売中止、サヨクに屈した外務省は恥を知れ

    中宮崇(サヨクウォッチャー)ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は共産主義者ではなかったから社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった私は社会民主主義ではなかったから彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった私は労働組合員ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった 反ナチス運動指導者マルティン・ニーメラーの有名な詩である。今まさに日本で、ナチスならぬサヨクから、共産主義者ならぬ漫画がそうした攻撃を受けている。 小学館の子供漫画雑誌『コロコロコミック』におけるチンギス・ハーン落書き事件に関して、主にサヨク諸氏からの言論弾圧、いや中国顔負けの人権抑圧が目に余る。もっとも、しばき隊、SEALDsなど、彼らサヨクが「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」と本屋に押しかけ、気に入らない本を「焚書(ふんしょ)」するという姿を普段から散々見せられている者としては、当然の反応と言うべきか。 彼らは人権等の正義を騙(かた)る、その実ただの中国政府そっくりな弾圧者にすぎない。「やりすぎイタズラくん」が掲載されている月刊コロコロコミック3月号 しかし、そういったエセ左翼にすぎない人々と違い、まじめな左翼は今回の事件に関してまっとうな見解を表明している。例えば「『丸山眞男』をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争」で知られる赤木智弘氏は「チンギスハン揶揄は守られるべき」と題した論考を発表し、この問題を主に人権面から丁寧に分析している。左右を問わず、まともな人権感覚をもつ現代人であれば、文句のつけようのない内容であろう。 ところが、このようなまともな人権感覚を持たないのが一部のサヨクである。 彼らは戦後一貫して現在に至るまで「外患誘致」「告げ口プロパガンダ」戦法がお得意である。反日のためにフェイクニュースを垂れ流し、息を吐くように嘘をつく「ならず者」をまともに相手にする日本人なんてそうそういない。一線を越えた外務省 そのことは彼ら自身がよく分かっているので、海外の非政府組織(NGO)やマスコミ、国連、そして中国や韓国、北朝鮮などの人権抑圧国家を利用し、「世界市民様は愚かな日本人どもをこう言って批判しておられますぞ!」という錦の御旗、いやフェイクニュースをクリエイトし、それを口実にして日本人を攻撃し、寄付を集め活動資金とする。 慰安婦問題などはその典型であるし、最近では「秋葉原には児童ポルノや児童買春があふれている」というデタラメを海外に垂れ流して国連組織などを悪用し、漫画規制や言論弾圧を図る団体も話題になった。 こうした事実からすると、今回の事件のポイントは、外務省の対応である。朝日新聞の報道をみる限り、外務省は「日本国民の権利を擁護する」という職責を放棄し、海外政府の出先機関、いや手先機関に堕したとしか言いようがない。 記事によれば、日本外務省によると、来日中のモンゴル外相と日本の国会議員による23日の会合に同行した外務省職員に対してモンゴル側から抗議があり、同省は小学館に連絡した。 朝日新聞 2018年2月23日 と言うのだ。なんと外国の政府による一民間組織に対する「抗議」に対し、外務省は「うちは自由と民主主義の国なんで、そんな筋の通らんこと言われても知りまへんで」とはねつけるどころか、唯々諾々(いいだくだく)としてその抗議を小学館に伝え、いわば言論弾圧に加担したということらしい。小学館前で「月刊コロコロコミック」にチンギスハンを侮辱する漫画を載せたとして、抗議する在日モンゴル人ら 2018年2月26日、東京都千代田区 どこの国に、そんな手先機関の役所が存在するというのか。考えてみれば、外務省はこれまでもそうであった。特に「チャイナスクール」(外務省の中国語研修組出身者)と呼ばれる中国シンパの存在は、かつて慰安婦問題や南京大虐殺、政府開発援助(ODA)などにおいて日本の国益をむしばみ、中国や北朝鮮などの利益のために活動してきた外務省の象徴という批判もあった。 かつて外務省アジア大洋州局長だった槙田邦彦氏が拉致問題に対して「たった10人のことで国交正常化が止まっていいのか」と発言し、問題になっただけではない。左翼はチャンスを見逃さない 2002年に中国で発生した「瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件」、いわゆる「ハンミちゃん事件」においては、中国武装警察がウィーン条約を無視して日本領事館に押し込み、ハンミちゃん一家を乱暴に連れ去ったのに対し、なんと外務省職員は抗議するどころか武装警察の帽子を拾い、媚(こび)を売るような姿が放映されて批判を受けた。 こんな組織であるから、中国や韓国政府等がこれまで日本の「右派」を名指しで弾圧してきた際にも、日本人の生命や権利を擁護するどころか、冷淡極まりない態度に終止した例が多数見られた。そこに今回の「抗議口添え」である。 外務省は一線を越えた。これまでも十分、日本人のことなど眼中にない、結構とんでもない組織であったが、完全に常軌を逸したのだ。従来から海外に「告げ口プロパガンダ」をしてきた一部のサヨクは、このチャンスを見逃さないであろう。彼らは自分たちの気に入らない「ネトウヨ」「右翼」を弾圧するために、中国や韓国を焚き付けて日本の外務省に「抗議」させ、今回のような出版中止等の営業妨害に悪用するかもしれない。いや、このままでは必ずそうなる。 もし、こんな人権侵害が許されるというなら、立場を置き換えて考えて見るとよい。 日本も韓国外務省に対し「日本大使館前に慰安婦像を設置するなど言語道断だ!」として抗議し、それを韓国外務省が突っぱねず、ソウル市や韓国挺身隊問題対策協議会に唯々諾々と伝えたらどうなるか。ただでさえ反日で有名な韓国のこと、必ずや日本人の生命財産が危険にさらされることになるだろう。そして、もし10人の日本人が殺されても、日本の外務省はそれを冷淡に「たった10人のこと」と言い放つのかもしれない。外務省庁舎=東京・霞が関 われわれ日本人が今回の問題を看過し、外務省の体質を改めずにサヨクの横暴を放置すれば、将来必ずこんな詩が囁(ささや)かれることになるであろう。サヨクが漫画家を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は漫画家ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

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    そしてキタサンブラックは伝説になる

    競馬のGI有馬記念は、一番人気のキタサンブラックが制し、引退の花道を飾った。通算成績は20戦12勝、史上最多タイのGI7勝、獲得賞金は歴代1位の18億1700万円。中央競馬の記録をことごく塗り替え、名実ともに「伝説の名馬」となった。なぜキタサンは最強馬になったのか。ラストランに向けて栗東トレーニングセンターで調教を進めるキタサンブラックを取材し、その強さの秘密に迫った。■動画のテーマはこちら

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    ファンディーナに魅せられた私

    2017年4月、牡馬クラシック「皐月賞」で69年ぶりの牝馬優勝に挑戦した馬がいた。その名はファンディーナ。9馬身差をつけたデビュー戦から3連勝し、「怪物」と呼ばれるも、皐月賞では7着に終わる。再び彼女の輝く姿を見たい。天才牝馬の復活に向けた闘いを追った。■動画のテーマはこちら

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    人はなぜ競馬に魅せられるのか

    菊池寛や吉川英治といった文豪の多くが競馬をこよなく愛したことはよく知られている。疾風のごとく駆け抜ける馬の姿に、ギャンブルにとどまらない魅力を感じるのだろうが、なぜ、これほどまで人の心をつかむのだろうか。まったく興味のない方が多いことも承知の上だが、今回は文豪たちの視点で競馬の魅力を探ってみた。

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    競馬を文学に昇華させようとした寺山修司の挑戦

    司(てらやま・しゅうじ 1935~1983)歌人、劇作家。劇団「天井桟敷」主宰。競馬をこよなく愛した文化人の一人として知られる。 ※2:織田作之助(おだ・さくのすけ 1913~1947)小説家。太宰治らとともに無頼派と呼ばれ、愛称は「織田作」。代表作に『夫婦善哉』『木の都』など。競馬ファンを魅了した寺山修司 寺山は劇団の費用も賭け、その損失はよほどの額であったと聞く。フランシス・ベーコンは賭博で巨額を失った時の懊悩(おうのう)を絵に表した。けれども寺山は命取りとなる賭けに必然性よりも偶然性を求めて、偶々賭けに負けたユリシーズに情けをかけて愛した。 寺山の競馬に対する偏愛から見えるのは、持ち馬のユリシーズや騎手の吉永が、想定外の行動をとる姿を活写し、競馬の面白さ、魔の刻を発見して、競馬ファンを魅了したことだ。第50回日本ダービーを制したミスターシービー(右)。鞍上の吉永正人騎手は初制覇だった=1983年5月29日、東京競馬場 これは寺山がネフローゼ症候群で生死を彷徨い、地獄を見てきたからこそ、寺山の話は民衆の琴線に触れるのだろう。寺山のエッセイ『馬敗れて草原あり』『山河ありき』には杜甫の亡国を逆なでするような逆説的なパワーがある。そこには、三島由紀夫の『憂国』にあるエロスとタナトスが命がけでせめぎ合う葛藤を見る思いがする。たかが競馬にさえも、天下国家が顔を出すのは、寺山も例外ではなかった。短歌で寺山は歌っているではないか。マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山は長い海外公演を頻繁に挙行し、ダービーの本場イギリスの競馬にも詳しかった。その謎を解く鍵はジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』の馬だろう。『ガリバー』の馬はダービーの競走馬と異なって、人間の形をしたヤフーよりも賢くふるまう。また、スウィフトには召使の教訓集『奴婢訓』(ぬひくん)がある。寺山は同名の劇作『奴婢訓』を上演し、召使を馬に変え、女主人を演じるダリアの足の裏に蹄鉄を噛ましている。この結末は寺山が競馬ファンであることを知らないと奇怪な戒めに映る。 寺山が夥(おびただ)しく綴った競馬論を読み漁り、改めて『奴婢訓』を観ると数多くの競馬論を濾過した果てに文学に昇華した傑作であることに気がつく。スウィフトと同じくらい皮肉屋のバーナード・ショーは、斜に構え、馬と遊んでいた大戦前の英国人を批判して劇作『傷心の家』を書き、『マイ・フェア・レデイ』と同じくらい人気のある芝居となった。 ショーは太陽の沈まぬ大英帝国の成金たちが第一次世界大戦前夜も、馬と遊ぶ堕落ぶりを『傷心の家』で風刺し、その間にアジア・アフリカの新興国が台頭し帝国を覆そうとしていると警鐘を鳴らした。 地方出の寺山が、日本中央競馬界で持ち馬ユリシーズや騎手の吉永を評する疾風怒濤の波は、下町娘のイライザがめかし込んで息巻き当時社交場であったアスコット競馬場へ乗込んでじゃじゃ馬ぶりを発揮する立振舞に似て、競馬ファンからやんやと喝采を浴びた稀代の芸術家であった。

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    「人間ってのは勝手」愛するがゆえ吉川英治は競馬場から姿を消した

    島田明宏(作家・ライター) 小説『宮本武蔵』『三国志』などで人気を博し、国民的作家となった吉川英治(1892-1962)は、大の競馬ファンであった。吉川はどのようにして競馬に興味を持つようになったのか。自叙伝『忘れ残りの記』にこう書いている。 ぼくの生れた当時の両親は、横浜の根岸に住んでいた。その頃はまだ横浜市ではなく、神奈川県久良岐郡中村根岸という田舎だった。家の前から競馬場の芝生が見えたということである。日本初の洋式競馬場「根岸競馬場」の跡地、神奈川県横浜市の根岸森林公園(福島範和撮影) 生家から見えた競馬場とは、1866年に開場した、日本初の本格的洋式競馬場の根岸競馬場である。そこは、居留外国人を中心とする組織によって運営されていた。 吉川の父は仕事で外国人との折衝が多く、競馬の主催者とも付き合いがあった。家でもよく競馬の話をしたという。そんな父に連れられ、吉川は何度も根岸競馬場に足を運んだ。なお、根岸競馬場は戦時中に閉場し、現在はメーンスタンドだけが残っている。 7歳から9歳ぐらいのときまで、吉川の家は遊行坂にあった。その近くに人気騎手・神崎利木蔵の住まいがあったことも、競馬に惹きつけられる要因となった。『忘れ残りの記』にこうある。 成人したら騎手になりたいと空想したのも、この遊行坂時代だった。名ジョッキーとして人気の絶頂にあった神崎騎手の邸宅がすぐ近くにあった。袖垣にバラをからませた鉄柵の門から内を覗くと、中央に広い草花のガーデンが見え、両側が長い厩舎(きゅうしゃ)となっていて、奥に宏壮な洋館があった。東京の羽左衛門という千両役者であるとか、新橋の洗い髪のお妻とか、ぽん太とかいう名妓(めいぎ)であるとか、やれ大臣だとか何だとかいう種類の人々の俥(くるま)や馬車がよくそこの門に着いていた。 少年の目には、さぞ華やかな世界に映ったことだろう。神崎に関する回想はこうつづく。 そしてその花形の人、神崎の苦み走った容貌と外出の騎乗姿は、お伽(とぎ)話の中の騎士のようにぼくら子供の眼には映じて、ひどく印象的だった。 国民的大作家が、少年時代は騎手になることを夢見ていたのだ。体が小さく、長じてからも体重が40キロ台だったというから、無理な話ではない。きっかけをつくった「文壇の大御所」 さらに、たびたび行われた天覧競馬も、競馬の華やかさを吉川に印象づけた。 特に天覧競馬のレース当日などは、横浜中の祭典といってもよかった。市中もその話題で持ちきって、スペインの牛祭か何かのような騒ぎだった。(『忘れ残りの記』) 毎年のように根岸競馬場に行幸した明治天皇のオープン馬車を、吉川は、日の丸の小旗を手に迎えていたという。憧れのヒーローが活躍し、天皇陛下もご覧になる、華やかで、ハイカラなイベント―それが、少年時代の吉川にとっての競馬であった。 その後、さまざまな職業を経て作家として成功した吉川は、大人の遊びとして競馬を楽しむようになる。きっかけをつくったのは、「文壇の大御所」菊池寛だった。吉川英治 菊池に誘われ競馬場に通うになった吉川は、馬券を買って楽しむだけではなく、馬主として競走馬を所有するようになる。初めて馬を持ったのは、『宮本武蔵』の新聞連載が終了する1939(昭和14)年。47歳になった年だ。最初は菊池と共有し、そのうちひとりで持つようになった。馬主になったばかりのころ、所有馬はなかなかいい成績をおさめてくれなかった。トキノココロという馬が、1943(昭和18)年のダービーに出て果敢にハナを切ったが、24着に沈んだ。 所有馬が活躍したのは、戦後になってからだった。 1953(昭和28)年、所有する牝馬のチエリオが、スプリングステークス、中山四歳牝馬ステークスなどを勝ち、皐月賞に参戦した。牡馬勢が相手のここで1番人気に支持されたが、6着。オークスは1番人気で2着、連闘で臨んだダービーは4着と、クラシックには手が届かなかった。しかし、秋にはクイーンステークス、東京牝馬特別、古馬になってからは中山記念といった重賞を含む13勝を挙げるなど活躍。1954(昭和29)年、啓衆社主催の年間表彰制度で、初代の最良5歳以上牝馬に選出された。 このチエリオに強い愛着を抱いていた吉川は、繁殖牝馬として牧場に帰る「帰牧記念」として、自作の俳句を記した縮緬(ちりめん)の風呂敷を色違いで3種類つくり、友人たちに配ったという。人間ってのは勝手なもんだね そして、1955(昭和30)年、チエリオの全弟ケゴンが皐月賞を優勝する。吉川はついにクラシックホースのオーナーとなったのだ。 チエリオとケゴンを管理したのは、日本初の三冠馬セントライトの調教師でもあった田中和一郎だった。吉川は、東京競馬場に行くと、必ず田中和一郎厩舎に寄り、所有馬とふれ合ってからスタンドに向かった。自分の馬が走るときはそわそわと落ちつかず、スタントで自分や知人の馬を応援するときは、家族も驚くほどの大きな声を出したという。 馬主席には、吉川や菊池のほか、吉屋信子、舟橋聖一といった流行作家や、大映社長の永田雅一、高峰三枝子、霧立のぼるなど銀幕のスターもいた。競馬場が文壇サロンのように華やかだった時代だ。1954(昭和29)年5月、第21回東京優駿(日本ダービー)を12番人気で制したゴールデンウエーブ(左)。公営出身馬の優勝は初めてだった(JRA提供) 吉川の没後、原稿用紙に馬名を万年筆で並べて書いたものが見つかったという。そこからジンライ、リンドウといった名が実際につけられた。執筆の合間にぱっと思い浮かび、記したものだろうか。 馬券の楽しみ方に関して、吉川は『折々の記』所収「競馬」にこう書いている。 私は、以前の一レース二十円限度時代に、朝、右のズボンのかくしに、十レース分、二百円を入れてゆき、そのうち、一回でも、取った配当は、左のかくしに入れて帰った。 右のポケットに入れた元手は損得関係なしの「楽しみ料」で、左のポケットに入れた払戻金は「儲け」だと考えたのだ。 だから私は、どうです馬券は、と人にきかれると、負けたことはありません、と常に答えた。帰り途も、いつでも、朝の出がけの気もちのまま、愉快に帰るために考えついた一方法である。 このように、自分だけの遊び方ができることも、競馬の魅力として感じていたのかもしれない。 野球など、ほかのスポーツにはあまり関心を示さなかった吉川も、競馬だけは夢中になった。しかし、1956(昭和31)年のダービーに出走した愛馬エンメイがレース中に転倒して骨折、安楽死処分となってから、競馬場には行かなくなってしまう。「考えてみれば、人間ってのは勝手なもんだね。馬を走るだけの生き物に育てて、怪我したら殺しちゃうっていうのは、やっぱり悲しいね」 息子にそう漏らしたのも、馬への愛情が強かったからだろう。 昭和の初めに書いた『かんかん虫は唄う』に、少年時代に憧れた神崎利木蔵をモデルにした「島崎」を登場させるなど、小説でも競馬を描いている。 作家として、ファンとして、馬主として、さまざまな立ち位置から競馬を見つづけた吉川英治は、馬を、そして競馬を、深く愛していた。

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    「明日は大穴、疑いなし!」競馬に俗とロマンを求めた織田作之助

    岩佐善哉(酒詩歌研究家) あと2日、26日になると、小説『夫婦善哉(めおとぜんざい)』で知られる大阪出身の作家、織田作之助(1913~47年)が生まれてちょうど100年の日を迎える。作之助については、その妻、一枝さんが記していた昭和16年と18年の家計簿が大阪府立中之島図書館の織田文庫に収められており、調べたことがある。織田作之助 この家計簿を調べていくうちに、掛け買いしている書籍類の一覧のうち、16年10月に競馬雑誌が12冊記されていることに驚いた。さらに春と秋の競馬シーズンである4、10、11月の月末の空きスペースに、日付とプラスマイナスの記号付きの不思議な数字が列挙されていることに気づいた。もしや、阪神や京都の競馬場に出かけていた作之助の賭け馬の損得が記帳されているのではないかと閃(ひらめ)いた。 早速、その日付の曜日を調べたところ、当時競馬が開催されていた金曜、土曜、日曜であることが判明。10月という記載から、すぐさま京都競馬場でのビッグレース、菊花賞(当時の京都農林省賞典)のことを思い浮かべ、この年の開催日が26日であることが確認できた。しかもセントライトが菊花賞を制し最初の三冠馬となった日である。当日の作之助の馬券戦績はプラス11円50銭と記されている。 作之助を競馬に引き込んだのは在阪の先輩作家、藤沢桓夫(たけお)で、他に漫才作家の秋田実や長沖一(ながおきまこと)らが競馬仲間であった。新進作家の作之助にとって、文士サークルに加わり、競馬、将棋や麻雀などでも親交できることはうれしかったにちがいない。 藤沢は作之助の競馬に関して、人気馬で勝負、勝てば大はしゃぎしている姿が印象的で、手堅く勝つことを計算していたようだと記している(『大阪自叙伝』)。65円の給料プラス稿料が入って競馬資金に少々ゆとりがあったとはいえ、当時は規制によって単勝、複勝の20円馬券を一人1枚ずつしか買えなかったのだから、無謀な穴券には手が出せなかったであろう。病み付きになって予想まで書いたオダサク 一方で、競馬の穴馬に関しての逸話がある。作之助が東京へ赴き、府中の競馬場へ行こうとする前夜、友人がつまずきそうになったのを見て、作之助は「ええねんで! 明日は大穴、疑いなし! 馬の代わりにつまずいたんやから」とはしゃいでいたので(青山光二『青春の賭け』)、予想外の大穴を獲る欲望が強かったことが分かる。 競馬に病み付きとなり、研究熱心だった作之助は、ついには競馬の予想記事を当時記者をしていた夕刊大阪新聞に書いたこともあった。 京都の競馬場で藤沢から、馬主でもあった菊池寛に紹介されており、菊池の「堅き本命を取り、不確かなる本命を避け、たしかなる穴を取る」との競馬哲学を作之助は知っていたのではないか。リアリティーとロマンをいずれも追い求める競馬観は、作之助の文学にも通じるところがある。俗衆の脚下の生活を直視した小説を書きながら、さらに虚構性や偶然性を盛り込むことで大ロマン、人間の可能性を描きたいとの文学論を「可能性の文学」で展開している。 そして戦中の競馬経験を熟成させて、終戦の翌年に短編小説『競馬』を発表した。競馬への投資を無駄にしなかったあたり、さすがである。主人公は亡き妻、一枝(小説では一代)をしのび1の馬券をいちずに買い続けて、ついに最終レースで夢みた大穴を当て、妻の昔の男と抱き合って感涙する哀傷の物語である。(iStock) なお、学生時代にこの『競馬』を読んで競馬に興味を持ったのが、詩人の寺山修司である。彼は『さかさま文学史黒髪篇』で、「劇作を志し、競馬にあけくれていた青春時代、持病の悩み―。ただ一つちがっていたことは、織田が一枝という生涯に、たった一人だけ愛することのできた女をもっていたことである」と2人の愛に憧憬の念を表している。いわさ・よしや 会社顧問、オダサク倶楽部メンバー、酒詩歌研究家。昭和13年、三重県鈴鹿市生まれ。大阪外国語大学卒業。広告代理店などへの勤務を経て現職。著書に『第三欲望市場の発見』(ダイヤモンド社)、『酒読み』『東京府のマボロシ』(ともに共著、社会評論社)など。

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    『少年ジャンプ』伝説編集長が語る「漫画雑誌は一度壊して作り直せ」

    篠田博之(月刊『創』編集長) 月刊『創』5・6月号マンガ特集を編集するにあたって、昨年、今年と白泉社の鳥嶋和彦社長を訪ねて話を聞いた。鳥嶋さんは2015年8月に同社社長に就任するまでは集英社に籍を置き、以前は『週刊少年ジャンプ』の名物編集長だった。白泉社は集英社の関連会社だ。 この春、白泉社発行の青年誌『ヤングアニマル』の連載『3月のライオン』が映画化されるなど、同社にとって大きな動きが起きているのだが、そうした話題にとどまらず、鳥嶋さんに聞いてみたいと思ったのは、いまマンガが多様化しているなかで、マンガの黄金時代と言われた20~30年前と今を比べてマンガの持つエネルギーがどう変わっているのかということだ。白泉社の鳥嶋和彦社長。『週刊少年ジャンプ』の名物編集長だった(古厩正樹撮影) その話に入る前に、まず白泉社の現状について聞いた。 「僕は社長になる時に目標を二つ言ったのです。営業利益を黒字化させることと、コミックス初版100万を達成すること。前者は昨年達成できたので、もう一つは、『3月のライオン』最新刊が特装版と合わせて80万だからもう一歩、年内に何とかしたい。でも今、マンガの初版100万は簡単じゃない。僕が編集現場にいたころの100万と今の100万は重さが違いますね」  鳥嶋さんは集英社にいた時代、編集現場を離れてからはデジタルやライツをめぐるビジネスに尽力していた。これからはマンガをめぐるビジネスを考える場合、デジタルとライツビジネスをきちっと回していかないといけない、というのが鳥嶋さんの持論だ。マンガ界はこの1年間で、ますます紙の雑誌が落込み、デジタルが伸びつつあるのだが、今の業界の方向性に必ずしも鳥嶋さんは同意しているわけではないらしい。かつてのマンガにはエネルギーがあった 「この機会にマンガ雑誌のあり方をもう一遍再定義してどうするかを考えなきゃいけないと思います。それがやっぱりどの出版社も出来ていない。マンガの作り方も、特に週刊誌がそうですけど、一話一話読ませる、ひいてはその雑誌を買わせる、という作り方がどこまで出来ているか。僕は今、ちばてつやさんやあだち充さんのかつての作品を読み返しているのですが、あの時代はマンガにエネルギーがありましたよね。確かに今は少子化とかデジタルどうのこうのという厳しい環境はあるのですが、でもそれは外部的要因に過ぎないのじゃないか。マンガが力を持っていた頃は雑誌の連載自体にライブ感、読者の反響があって作家がそれに引っ張られて描くといういい意味での双方向性があったと思います」 鳥嶋さんが「あの時代」というのは1980年代だろう。『週刊少年ジャンプ』は90年代前半がピークで、最高部数650万部超を記録した。当時の毎日新聞400万部をはるかに上回る部数だ。それが1995年、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』という三大人気連載が終了したのを機に一気に部数を減らしていった。その後、紙のマンガ市場は一貫して縮小を続けている。『週刊少年ジャンプ』はその中では健闘しているとされるが、部数は今や200万部を切ってしまっている。部数の減少が続くマンガ雑誌  確かに『ONE PIECE』などのように驚異的な人気を誇る作品はあるのだが、そうした一部の作品を除くと、ちばてつやさんやあだち充さんのピーク時のような勢いやエネルギーが失われているのではないか、というのだ。そのあたりについては異論もあるだろう。時代が変わったのだからそんなことを言っても無意味だという意見もあるかもしれない。ただ、マンガの黄金時代に現場でマンガの編集をやっていた鳥嶋さんの言葉だけに、その指摘は考えてみる価値がありそうな気もする。ただ、もちろん鳥嶋さんはこう付け加えるのも忘れなかった。 「言葉で言うのは簡単ですけどね。本当はもう一回その雑誌が必要なのかどうか問いかけて作り直す作業をやらなきゃいけないんじゃないか。今この厳しい時代に、そんなふうに壊しながら作り直すというのは相当難しいとは思いますけれどね」

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    人気連載が続々終了の『少年ジャンプ』はヒット作を育てられるか

     大手出版社の屋台骨を支えていると言われるマンガだが、名実ともにマンガ界のトップを走る『週刊少年ジャンプ』がこの1~2年、直面した危機と、それを集英社がどう乗り切ろうとしているか報告しよう。名実ともにマンガ界のトップを走る集英社の『週刊少年ジャンプ』 同誌が直面した危機とは、この1~2年、人気連載が次々と終了していったことだ。人気連載終了はもちろん本誌の部数にも影響し、『週刊少年ジャンプ』の部数は1年前の250万部から200万部に落ち込んだと言われる。しかし、それ以上に深刻なのは、連載終了した作品をまとめた単行本、いわゆるコミックスの新刊が出なくなることだ。初版360万部を誇る『ONE PIECE』のコミックスが年に何巻出るかで集英社の決算の数字が変わるというほど、大型作品の経営寄与率は高いのだが、『ONE PIECE』は安泰だといえ、それに続く初版数十万部の作品の連載が、この間、次々と終了した。 この1年間だけでも『暗殺教室』『BLEACH』『こちら葛飾区亀有前公園派出所』『トリコ』の4本、その前年には『NARUTO-ナルト-』『黒子のバスケ』が終了している。 つまり集英社の屋台骨を支えてきた人気作品のかなりのものがこの2年間でごっそりなくなってしまったのだ。集英社の次の決算が大きな打撃を受けていることは間違いないといえる。 ジャンプブランドを始め集英社のマンガ部門全体を統括している鈴木晴彦常務が、月刊『創』のマンガ特集の取材に対してこう語っていた。 「正直、かなりこたえました」 実は『週刊少年ジャンプ』は1995年に600万部超という驚異的な部数を誇っていたのだが、『ドラゴンボール』や『スラムダンク』『幽遊白書』という人気連載が次々と終了したのを機に部数が一気に落ち込んだ。それ以来、一貫して部数減が続いているのだが、この1~2年の人気連載終了は、その20余年前の悪夢を思い起こさせたというわけだ。 「ただ、もっとずるずると落ち続けるのではないかという不安もあったのですが、実際はそうでもなかった。あれだけ人気の連載が終了した割にはよく持ちこたえたと思います。よくふんばったなというのが率直な感想です」(鈴木常務) 一時期、集英社のマンガ部門関係者の顔は一様に暗かったといわれるが、この春、少し明るさが出てきたのは、危機を打開するための施策が少しずつ動き出し、明るい見通しが出てきたからだ。 「今年は『週刊少年ジャンプ』も新しい作品を育てないといけないし、正念場の年になると思います。『ジャンプスクエア』や、春に刊行予定の増刊『ジャンプGIGA』、それにマンガ誌アプリの『少年ジャンプ+』などを、どう連動させてコンテンツを作っていくか。新陳代謝が進むと思います」(同)  不動の地位を誇る『ONE PIECE』に続く作品といえば、不定期掲載の『HUNTER×HUNTER』を除けば、現在2位につけているのが『ハイキュー!! 』だ。そしてこの1年、急速に人気を伸ばしたのが『僕のヒーローアカデミア』だ。2016年春から始まったアニメ化で弾みがつき、2017年も4月からアニメの第2シリーズが放送されている。「『僕のヒーローアカデミア』のアニメは半年間放送予定で、おそらくコミックスが初版100万部を突破するでしょう。先ごろ発表された読売新聞社などが主催の「SUGOI JAPAN AWARD 2017」でも『僕のヒーローアカデミア』が、マンガ部門の1位に選ばれました」(同)期待は異例のゴルフマンガ 同じく4月からアニメが放送された作品としては『BORUTO―ボルト―NARUTO NEXT GENERATIONS』が挙げられる。『NARUTO』の主人公の子どもを描いた作品で、『週刊少年ジャンプ』に月1のペースで連載されている。 そのほか今人気上昇中なのが『ブラッククローバー』『約束のネバーランド』と『鬼滅の刃』。鈴木常務は、2017年中にその3作品を50万部タイトルにしたいという。 それ以外に期待がもたれているのは、『黒子のバスケ』を描いていた藤巻忠俊氏の新連載『ROBOT×LASERBEAM』だ。少年誌には異例のゴルフマンガだが、作品の評価が高く、連載第1回は『週刊少年ジャンプ』の表紙を飾っている。 「今年に入って次々と新連載を立ち上げ、“春の6連弾”と呼んでいるのですが、その6本目がこの作品です。3月に『黒子のバスケ』が映画化されることなどいろいろなタイミングも考えました。 考えてみれば、『週刊少年ジャンプ』はアンケート主義による競争原理を取り入れたり新人発掘のためにいろいろな試みをしてきたのですが、このところ『ハイキュー!!』にしろ『僕のヒーローアカデミア』にしろ、その作家にとって2本目3本目の作品で大ヒットするケースが目立つ。藤巻さんもデビュー作の『黒子のバスケ』が大ヒットしたわけですが、今回の2作目も期待できる。1作目を終えた作家が次をめざしてコンペを行い、2作目3作目でさらにヒットを出すという成長スタイルはこれから増えていくような気がします」(同) 『週刊少年ジャンプ』の今後を支える作品をどう作っていくかという課題をめぐっても今後いろいろな施策を考えているという。そのひとつが春に4カ月続けて発行される増刊『ジャンプGIGA』だ。 「4回の連載で手応えを見ようということで4回分を仕込んでもらっています。昔は『少年ジャンプ』の連載会議で掲載作品を全て決めるという1回勝負だったのですが、今は新人の発表の場として増刊を生かしていこうということです。 また『ジャンプスクエア』からも『プラチナエンド』『憂国のモリアーティ』など好調タイトルが出ています。デジタルの『ジャンプ+』からも、コミックスにして10万部を超える作品が次々と出始めています。それら4つの媒体から新しいコンテンツをどうやって生み出していくか、というのを今後は意識的に取り組んでいこうと思っています」(同)2018年に創刊50周年を迎える集英社の『週刊少年ジャンプ』(中央)  集英社では、2017年は『ONE PIECE』20周年、『ジョジョ』30周年であるほか、来年が『週刊少年ジャンプ』50周年に当たるため、7月から「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展」など、周年企画が始まるという。 ちなみに2017年はライバルの講談社の『週刊少年マガジン』でも、『別冊少年マガジン』連載の『進撃の巨人』がアニメ第2期の放送や舞台化などで大きな期待を持たれているが、それに続く新作の大ヒットをどうやって生み出すかが大きな課題になっている。 また小学館の『週刊少年サンデー』も、一昨年、編集長交代に伴って連載の6割を入れ替えるという大手術を行い、ようやくその後の新連載からヒットの芽が見え始めているとはいえ、『名探偵コナン』に続く作品が出ていない現状は深刻だ。少年マンガ誌3誌とも、2017年は正念場の年といえよう。

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    『少年ジャンプ』200万部割れの深層

    『週刊少年ジャンプ』の発行部数が200万部を割り込んだ。ジャンプはピーク時653万部に達し、マンガ雑誌の象徴といえるだけに衝撃が広がった。人気連載の相次ぐ終了に起因するとの見方が支配的だが、部数減の裏でマンガ全体の市場規模は昨年増加に転じた。いまマンガに何が起こっているのか。

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    「少年ジャンプ200万部割れ」を深刻に語るオトナたちへの違和感

    それ以前にまず習慣としてマンガに接する機会自体が少なくなってきているようでもあります。マンガを教養や文化として受け取らなくなった 身の丈の見聞に限ってみても、親がマンガを読み、お気に入りのマンガ本をそろえているような環境に育った青年ならば、早くからマンガを読むようになります。それも親から勧められた昔の作品なども糸口にしながら、マンガリテラシーを実装している印象があります。しかも、彼らは「読む」だけではなく、自分自身で「描く」ことにも抵抗がない。マンガのようなビジュアル表現を実際に描く技術の進展と広がりが、紙媒体のマンガが売れなくなっていったこの20年ほどの間に、それまでと違う能力を若い世代の間にも与えてきたようです。この辺りは商品音楽の聴き方、受容の仕方などとも共通している面があり、同時代的(シンクロ)現象とも言えるでしょう。 ただ、そんな今どきの青年は、マンガ「だけ」をひたすらに読んでいるわけではありません。生まれたときからアニメがあり、ゲームもある彼らにとっては、それら新たに出現したメディアを含む情報環境に育って社会化してきたわけで、マンガもまた情報環境における多様化したメディアコンテンツの一つに過ぎません。あくまで「マンガ『も』読める」というように、機会があれば読むけれど、だからといってマンガを特別なモノとして読むわけではないのです。 そしてなによりマンガをかつてのような「教養」や、活字を自明の前提に成り立っていたような「文化」として受け取る素地自体、既に希薄になっています。近年「マンガはもうダメかもしれん」論を深刻に語る人たちの口ぶりには、この「かつて切実な表現としてマンガを読んできた」世代感覚ならではの、どこか教養や文化として活字の「補助線」を自明の前提にしながら解釈しようとしてきた、その「習い性」ゆえの現状に対する根深い違和感がどこか必ず含まれているような印象があります。 かつてマンガを青年に、さらにオトナになっても読むような習慣を身につけ始めた世代が育った情報環境は、活字が良くも悪くも大衆娯楽の中心に成り立っていました。この当時、「マス」を対象とするラジオに代わる新しいメディアとして、テレビの存在感がひと際増しつつありましたが、それでも情報環境における第一次的なメディアは良くも悪くもやはり活字であるという現実が、それを支える価値観や約束事とともに厳然として生きている環境でした。だから、それら活字を「読む」ことこそが、彼らにとっての「読む」という作法の根幹を形成してきたところがあります。 「視聴覚教育」などと言われ、大衆社会化とともに活字以外の媒体がその社会的意味を意識されるようになっていったのもおおむねそのころでした。いわゆる映像、画像的な「ビジュアル」情報についての意味が、それまで標準設定とされてきた活字との関係で改めて問い直されるようになったのも、思えばその時代からだったわけです。マンガを「読む」こともまた、それが「読む」という動詞とともに人々に意識されるようになっていったことに象徴されているように、やはり活字の「読む」を前提に身につき、かつ社会的に浸透していったと考えていいでしょう。新たな環境から続々生まれてくるマンガ作品 けれども、そのような活字前提の「読む」習い性自体が昨今、決して当たり前のものではなくなっています。マンガに限ってみても、自分で描いた作品が同人誌も含めた紙媒体ではなく、ウェブ経由の発表手段が一般化していく中で、ウェブから読者を獲得することはごく当たり前になっています。また、そこから紙媒体に「進出」していくことも珍しくありません。 先日、第21回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した『夜廻り猫』(作・深谷かおる)や、ウェブ経由で読者を獲得し自費出版までこぎつけた『巻きシッポ帝国』(作・熊谷杯人)など、すでにプロの描き手として実績ある作家も、同人作家や駆け出しのアマチュア作家などと「同じ土俵」で作品を発表して広く世間に問うことができる。そういう「開かれた」環境が準備されるようになってきていることの恩恵は大きいわけですが、同時にまた、それら新たな環境経由で生まれてくるマンガ作品には、これまでのマンガを「読む」作法からはなじみにくい、活字前提の「読む」とは別のところで成り立っている作品も徐々に増えています。 思えばマンガを取り巻く商品や市場環境自体、メディアミックスありきになって既に久しいです。アニメ、ゲーム、映画のみならず、いまやソーシャルゲームやプラモデル、トレーディングカードといったキャラクター商品群も加わり、広がりを見せています。 そんな中で育った今どきの青年は、活字中心に育った私たちの世代とは異なる「読む」作法をマンガに求めているのかもしれません。彼らは読み手としてだけではなく、消費者の立場からマンガの本質を理解しているはずです。彼らにとってのマンガの「教養」というのもまた、私たちの世代が蓄えてきた教養や文化とは別に、既に蓄積され始めているのかもしれない。私はそう感じています。

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    デジタルファーストが功を奏す? 絶好調『ヤンマガ』攻めの戦略

     青年マンガ誌のトップを走るのが集英社の『週刊ヤングジャンプ』で、人気連載『東京喰種 トーキョーグール:re』の実写映画がこの7月、公開される。ヒロイン役の女優・清水富美加さんの突然の引退騒動で関係者はハラハラしたようだが、公開は予定通り。集英社としても、この映画化を機にコミックスの部数をおおいに伸ばしたいと期待しているようだ。青年マンガ誌のトップを走る集英社の『週刊ヤングジャンプ』と、ヤンジャンに次ぐ講談社の『週刊ヤングマガジン』 ただこの1~2年、青年誌で注目されているのは、『ヤンジャン』に次ぐ講談社の『ヤンマガ』こと『週刊ヤングマガジン』だ。一時期低迷していたのだが、このところ映像化やデジタルなど攻めの施策が奏功して次々と話題を提供しているのだ。 転機となったのは2015年に『監獄学園〈プリズンスクール〉』がアニメ化を機にコミックス全20巻で累計370万部という大増刷を成し遂げたことだ。また『新宿スワン』も2017年に映画のパート2が公開された。既に連載が終了しているためコミックスは大きくは売り伸ばしていないが、デジタルがよく売れているという。 「守りに入らず新しいことをやっていこうという姿勢が功を奏しているのでしょうね」 そう語るのは講談社の嘉悦正明・第四事業局長だ。攻めの姿勢とは映像化だけでなく、別冊やウェブサイトなどを次々と立ち上げて作品の掲載媒体を拡大させていることも含まれる。 『ヤングマガジン』編集部では『月刊ヤングマガジン』に続く別冊として2014年に『ヤングマガジンサード』を創刊。『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』などのヒットが出ている。また『月刊ヤングマガジン』連載の『中間管理録トネガワ』もコミックスがよく売れている。 さらに最近注目されているのは、『eヤングマガジン』という無料のアプリに連載された作品から2016年、『食糧人類―Starving Anonymous―』『生贄投票』などコミックスのヒットが生まれていることだ。デジタルファーストのマンガが紙のコミックスでも売れたという事例だ。 第三・第四事業販売部の高島祐一郎販売部長が語る。 「『食糧人類』はコミックスの第1巻が初版1万5000部からスタートして累計22万5000部までいっています。これはなかなかないケースですね。第2巻は初版20万部ですが、デジタルを合わせると1・2巻累計で100万部くらい出ているのではないでしょうか。『生贄投票』もコミックス第1巻は初版2万部でしたが、デジタルで火がついて以降、紙のコミックスも第1巻が10万部を超えました」 増刊やデジタルを含め、作品のテイストにあわせたいろいろな媒体に連載を行い、それを紙のコミックスに落としこんでいくという戦略が奏功しているようだ。  別冊を次々と創刊し、さらにウェブサイトでも連載を立ち上げ、基幹雑誌の周辺にいろいろな作品発掘の機会を拡大していこうというのは、講談社のマンガ部門全体の基本方針だ。例えば『進撃の巨人』は『週刊少年マガジン』でなく、『別冊少年マガジン』の連載作品だ。本誌とちょっとテイストの異なるエッジの効いた作品を別冊で、という方針は、マンガそのものの多様化が進む中で、今のところ成功しているようだ。 前述した『ヤンマガ』の『食糧人類』や『生贄投票』もかなり異色の作品なのだが、そういうものがデジタルなどで人気を博し、コミックスで売り上げを伸ばすという状況に至っているのだ。そもそも『監獄学園〈プリズンスクール〉』にしても王道系とは異なるマンガで、深夜アニメで火が付いた。マンガやアニメの嗜好が多様化し細分化しているなかで、いろいろな作品をどう発掘してビジネスとして成立させていくか。いまマンガをめぐるビジネスはそういう時代に至っているといえる。

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    『逃げ恥』『東京タラレバ娘』変貌する女性マンガ

     今年も女性マンガを原作とする映画やドラマが次々と公開されている。さすがに似たような映画が続いてあきられもしているようなのだが、原作がある程度売れていると宣伝もしやすいし、何よりも低予算で作れるとあって、次から次へと量産されているのだ。 そうしたもののヒットの手本とされているのが、昨年秋にドラマが大ヒットした『逃げるは恥だが役に立つ』と、今年に入って放送されヒットした『東京タラレバ娘』だ。どちらも講談社の女性マンガ誌『Kiss』の連載だ。『Kiss』『BE・LOVE』 は、講談社の同じひとつの編集部なのだが、そこから生まれたコミックスが映像化で絶好調なのだ。4月からは『BE・LOVE』連載『人は見た目が100%』もドラマ化されたし。2016年は春に同誌連載の『ちはやふる』が映画化されてヒットした。人気漫画「東京タラレバ娘」 講談社第三・第四事業販売部の高島祐一郎販売部長がこう語る。 「女性もののコミックスは前年比で120%くらい行ったのではないでしょうか。昨年春に映画化された『ちはやふる』はトータルで150万部くらい重版がかかりましたし、秋にドラマがヒットした『逃げるは恥だが役にたつ』は120万部くらいの重版になりました。『逃げ恥』はもともとの部数がそう大きくなかったこともあり、ドラマスタートの前段階では各巻3万部くらい増刷をかけていましたが、放映開始以降はかけてもかけても足りなくなる。2週間に1回くらいのペースで増刷をしていました。『東京タラレバ娘』はもともと1巻から30万部を超えるベストセラー作品だったこともあり、ドラマ開始にあわせて各巻10万部増刷をかけました。最新刊の第6巻も初版30万部でスタートし、37万部を超えています」 講談社の少女マンガ誌『別冊フレンド』もこの1年ほど映像化でコミックスが売れている。2016年は『黒崎くんの言いなりになんてならない』が映像化で大きく売り伸ばしたが、今年も『PとJK』が3月から映画公開中で、全9巻それぞれ4万部くらいずつ増刷がかかっているという。 映像化で女性マンガが売れているのは小学館も同じだ。この1年の映像化についていうと、『プチコミック』の連載『はぴまり~Happy Marriage!?~』と『せいせいするほど愛してる』の2本が2016年ドラマ化。2017年に入ってからはフジテレビの月9で『突然ですが、明日結婚します』がドラマ化された。春からはもう1本、『恋がヘタでも生きてます』がドラマ化。また『Sho‐Comi』の『兄に愛されすぎて困ってます』(通称『兄こま』)が映画化される。 小学館第一コミック局の細川祐司チーフプロデューサーがこう語る。  「やはりドラマ化された作品は紙でもデジタルでも売れています。『突然ですが、明日結婚します』は視聴率とかいろいろ騒がれましたが、原作は増刷がかかっています。元々『プチコミック』の中でも人気作でした。『プチコミ』の作品はデジタルとの親和性が高いのが特徴ですが、ドラマの1話が終わった後にデジタルの売れ行きが跳ね上がる。反応は紙よりも分かりやすく出るかもしれません。昨年の『はぴまり』はAmazon プライム・ビデオでのドラマ化、『せいせいするほど』はTBSでした。『はぴまり』は、元々超ビックタイトルだったし、連載が終わっている作品でもあるので、映像化でものすごく増えたというのでなく、堅実に部数が乗ったという感じですね」ドラマや映画と親和性が高い女性マンガ 女性マンガとデジタルは親和性が高いと言われるが、小学館では以前から「エロかわ」と呼ばれる路線をとってきたサイト「モバフラ」のほかに、「&フラワー」というサイトがスタートする。 「今後は紙とデジタル両方に描く人もいれば、例えばデジタルに合っている作品といったケースも考えられます。去年『深夜のダメ恋図鑑』という『プチコミック』の作品が、デジタルのほうで火がついて紙に跳ね返ってきて、というケースもありました。単純に紙のマンガをデジタルに、というだけじゃない展開を今後考えていかなければならないと思っています」(細川チーフプロデューサー) 集英社の少女・女性マンガの映像化については、2016年は『YOU』連載の『高台家の人々』と『別冊マーガレット』連載の『青空エール』が実写映画として公開された。それぞれ原作者は森本梢子さんと河原和音さんだが、集英社の女性マンガの代表的なヒットメーカーだ。 2017年に入ってからは3月24日に『マーガレット』に連載されたやまもり三香さんの『ひるなかの流星』原作の実写映画が公開され、ヒットした。既に連載は終了しているが、13巻刊行されているコミックスを集英社では計50万部以上の重版をかけた。また児童小説「みらい文庫」やライト文芸「オレンジ文庫」からノベライズ単行本を刊行するなど、大きな取り組みを行っている。 また『ココハナ』で森本さんが連載している『アシガール』も人気が高く、映像化が期待されている。『別冊マーガレット』連載の『君に届け』など、コミックスの巻数を重ねても初版60万部を誇るヒット作品もある。 「女性マンガ誌は雑誌の部数は厳しいですが、デジタルが伸びており、紙の雑誌を補完しています。映像化については公開のタイミングもあるし、原作のコミックスに大きく跳ね返るケースもあればそうでないものもあります」 そう語るのは集英社の鈴木晴彦常務だ。  女性マンガ誌は部数も小さく、雑誌はもちろん赤字なのだが、この間、テレビドラマや映画化でコミックスが売れるというパターンが続いている。そうした映画やドラマを観て、原作を読もうという人が1巻からデジタルで読むというので、デジタルコミックの伸びも大きい。なかには紙のコミックスよりデジタルの売上の方が大きいという作品もある。「逃げるは恥だが役に立つ」の完成披露試写会に出席した(左から)大谷亮平、星野源、新垣結衣、石田ゆり子 少女・女性マンガのビジネスモデルは明らかに変わってきた。男性向けマンガももちろん映像化で伸びるというパターンはあるのだが、女性マンガは映像化との関係抜きには市場が成立しないほどドラマ・映画との親和性が高い。さすがに少女マンガ原作の映画は飽和になりつつあるのではとも言われるが、今年も次々と予告編が映画館で紹介されており、この傾向はしばらく続きそうだ。

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    『君の名は。』大ヒット後も続く劇場アニメの世界的ブーム

     2016年は劇場アニメ映画のヒットが目立った年だった。何と言ってもすごかったのが『君の名は。』で、興行収入が2017年3月21日現在で247億円。『千と千尋の神隠し』の308億円に次いで日本映画史上歴代2位の記録を打ち立てた。しかも、公開から半年たった今でも公開されており週ごとの興収ベスト10に入ったりしている。驚異的な実績なのだ。Ⓒ2016「君の名は。」製作委員会 その後、公開されたマンガ原作の劇場アニメ『聲の形』もヒット、さらにこれもマンガ原作の『この世界の片隅に』も異例の大ヒットとなっている。『この世界の片隅に』は、これまで子どもが対象とされたアニメには難しいとされた戦争をテーマにしたもので、それがこれほどヒットしたのは、アニメをめぐるこれまでの常識を塗り替えたとも言われている。 その後、2017年に入ってからも、『ドラえもん』『名探偵コナン』などの劇場アニメが大ヒットしているだけでなく、『モアナと伝説の海』『SING/シング』などのディズニーアニメも予想を超えるヒット。これは世界的な傾向なのだという。 いったいアニメをめぐって、いまどんな事態が起きているのか。 まずは『君の名は。』を製作した東宝の市川南取締役に話を聞くことにした。新海誠監督は根強いファンも抱えていたから、『君の名は。』はもちろん東宝としても期待していた作品だが、そうはいってもこれだけの大ヒットは予想していなかったという。  「私たちは興収目標を20億と立てていました。20億でもりっぱなヒットですよ。でも実際は最終的に250億まで行きそうです。今となっては後付けでここが良かったといった感想を多くの人が語っていますが、昨年は公開時期についても私たちはもう少し弱気で、アニメ映画の競争が激しい夏休みを避けて6月か9月にしてはどうかといった協議をしていました」 「実際には結局、8月末公開にしたのですが、最初は20代前後の、アニメを日常的に見ている人が足を運んでくれて、それがティーンエージャーに広がり、その後、キッズからシニアまで全世代に広がりました。宮崎アニメやディズニーアニメなどと同じ客層の広がりですね」活況の劇場アニメ 新海監督と東宝の関わりは前作の『言の葉の庭』からだが、『君の名は。』は公開も300館で、前作に比べると東宝としても大きな取り組みをしたといえる。 「前作の『言の葉の庭』は公開館数も少なく、興収1億5000万でしたが、東宝の映画企画部の川村元気プロデューサーが企画を進めていき、『次はもうちょっと大きくやりましょう。10倍は行かせないと』 『じゃあ、15億を目指そうか』と話していたんです。それまで関わっていた映像事業部だけでなく、公開規模の大きい作品を手掛ける映画営業部が配給を担当しました」(市川取締役) 前作の10倍という、当時としては大きな目標を掲げたものの、実際にはさらにその10倍以上の興収になったわけだ。その背景には劇場アニメをめぐる環境の変化があった。 「アニメ映画の客層が広がったというのは昨年指摘されましたが、実は以前からそうだったのが顕在化したということかもしれません。考えてみればジブリアニメは全世代が永年観てきた訳ですから、今のシニア層はアニメと実写を区別なく楽しむ時代になっているわけなんですね」(同) 劇場アニメが活況を呈しているというのは、そのほか『ドラえもん』や『名探偵コナン』が興収記録を塗り替えていることでもわかる。 「自分が子どもの頃に観たものに親になってもう一回、子どもを連れて行っている、二世代目に入っている、ということでしょうね。それと『名探偵コナン』などは中高生で来ていた人が大人になっても卒業せずに、ずっと観に来てくださっている。そういう現象が起きているんです。そういうファミリー向けのアニメだけでなく、アニプレックス配給の『ソードアート・オンライン』なども2月に公開して興収20億を超えるヒットです。もうマニア向けアニメとは言えないでしょうね。洋画のアニメについても、3月公開の『モアナと伝説の海』『SING/シング』も大ヒットしています。『アナと雪の女王』をピークに、子ども向けというよりデートで行く映画になっています。アニメを見る層がそれだけ拡大しつつあるというのは世界的傾向のようですね」(同) アニメにとって追い風なのは、日本のアニメが海外でも定評があり、大きなビジネスになりつつあることだ。『君の名は。』も海外展開が成功したという。「海外でも126カ国に配給しました。公開した日本を含むアジアの6カ国でそれぞれ興収1位を記録しています。中国、韓国、台湾などですね」(同) 昨年異例の大ヒットとなったもうひとつの劇場アニメが『この世界の片隅に』だ。『君の名は。』の興収には及ばないが、もともと3億を目標としていたら10億を超えるヒットとなった。アニメで戦争をテーマに掲げるという、それまではヒットするとは思われていなかった常識を覆したという点で特筆すべきケースといえる。Ⓒこうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 真木太郎プロデューサーの話を紹介しよう。 「映画は昨年9月に完成して11月公開でしたが、テアトル新宿は連日立ち見で『入れない』と評判になりました。SNSでのつぶやきが爆発的になって、どんどん口コミが広まっていく。今年1月7日時点で公開は200館近くになっており、300館を超える勢いでした」ゴールデンタイムから撤収したアニメ 「コアなアニメファンというのは、実はあまり来ていないですね。お客さんは幅広い層がまんべんなく来ていますが、中心は30代、40代、50代じゃないでしょうか。60代のシニアも10%弱います」「僕たちのもともとの目標は興収3億円だったんです。『10億行ったら奇跡だね』『目指せ、奇跡の10億』なんて言っていました。でも実際には既に10億を超えています」 大人がアニメを観に映画館へ大勢足を運ぶという光景は、従来は考えられなかった。その意味では『この世界の片隅に』がアニメ映画の歴史にもたらした影響は極めて大きいといえよう。劇場アニメの客層が急激に拡大しつつあるという一方で、テレビアニメをめぐってはやや複雑な状況が起きている。 この何年か、キッズ向けのアニメは、フジテレビの『ONE PIECE』や日本テレビの『アンパンマン』など、ゴールデンタイムや夕方枠から次々と撤収し、午前の時間帯へ移っていった。   そうした流れを象徴する出来事が最近話題になった。毎日放送/TBS系が日曜午後5時に設けていたアニメ枠、いわゆる「日5(ニチゴ)」が廃止になったのだ。この枠は全国放送でクオリティも高く、アニメファンからは高い評価を得ていた。これまで放送された番組も『マギ』『ハイキュー!』『七つの大罪』『アルスラーン戦記』『僕のヒーローアカデミア』など強力なラインナップで、「日5」でアニメ化されるとヒットすると言われてきた。  そのアニメファンに定評のあった枠が突然廃止された。そして2016年4月からその「日5」で放送されていた『僕のヒーローアカデミア』の第2期が何と、読売テレビ/日本テレビ系の土曜夕方にこの4月から放送されている。アニメの1期と2期が異なる局から放送されるという、これは極めて異例の事態だった。 フジテレビとテレビ東京のアニメに顕著なのだが、実はテレビアニメも映画を含めた他のメディアとの連動を仕掛けたりと、戦略的な展開をしないといけない時代になりつつある。いずれにせよ、アニメをめぐる環境がいま、大きく変わりつつあるのは確かなようだ。

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    青年漫画誌・スピリッツが「社会派に転向」の理由

     雑誌販売の低迷に、歯止めがきかない。出版科学研究所が公表した書籍と雑誌を合わせた推定販売金額は前年比3.4%減の1兆4709億円、そのうち雑誌が前年比5.9%減の7339億円だった。ピークを記録した1997年に、その額は1兆5644億円だったことを考えると、ほぼ半減したといえる。 出版各社はもう一度、雑誌に読者を呼び戻そうという新たな取り組みを始めている。年末年始は出版物流を休止するのが慣例だったが、昨年大みそかには雑誌・書籍の「特別発売日」を設定、発行総部数870万部が刊行された。またファッション誌では、バッグや小物を付録にする取り組みを進化させて独自ブランドの立ち上げを行って、販売部数を伸ばした例もある。 そんな状況の中、漫画雑誌でありながら特集主義という挑戦を行っているのが、青年漫画誌『週刊ビッグコミックスピリッツ』(小学館)だ。昨年7月、参院選に合わせて「日本国憲法」全文と漫画家13人のイラストを載せたとじ込み冊子を付録につけて、大きな話題を呼んで完売を記録。その後も「80年代アイドル特集」「ファーストクラス特集」「文学特集」「猫特集」といった特集号を刊行し、これまでの漫画雑誌のイメージをくつがえす取り組みを続けている。 3月13日発売号では、東日本大震災から6年経過したタイミングに合わせて「特集 君と僕の防災」と題した「防災特集号」を企画。表紙には武井咲を起用し、『伝染るんです。』の吉田戦車氏イラストによるカラフルな「防災ミニブック」を2冊とじ込み付録にした。1冊は自分自身に、もう1冊は大切な人へプレゼントしてほしいという漫画誌ならではの趣向をこらした特別付録のほか、グラビア・特別読み切り漫画・記事を合わせて計42ページというボリュームを持った特集号となっている。 企画に携わった同誌・浜本邦生副編集長が語る。「防災というのは、どれだけ自分ひとりが備えていても仕方がないところがあると思います。身近で大切な人こそ、いざという時のために備えておいてほしいものじゃないでしょうか。だから、防災について考えることは誰かのことを真剣に考えることでもあるはず。今号、2冊付く『防災ミニブック」が、自分の足もとを見つめ直すキッカケになれば嬉しい」 また、スピリッツは熊本地震から1年というタイミングとなる4月17日発売号で「特集 日本の復興の今」と題した「復興特集号」を発刊し、青山剛昌氏、あだち充氏、さいとう・たかを氏、高橋留美子氏、萩尾望都氏をはじめとする100名以上の漫画・原作者が参加した「がんばれクマモト!マンガよせがきトレイン漫画」を南阿蘇鉄道に走らせるという。 なぜ青年漫画誌でありながら、このような「社会派」な誌面づくりを行っているのか。昨年4月から、同誌編集長をつとめる坪内崇氏はこう言う。「『スピリッツ』は、エンターテインメント漫画誌。「日本国憲法特集号」が最初の試みでしたが、その時、社会や読者の興味・関心が高まるトピックがあれば、それを誌面にすればいいと考えています。漫画誌だから漫画作品以外を扱ってはいけないかと言えば、そんなことはまったくないわけで、かつての漫画誌はスポーツやコラムなどにも多くのページを割いていました。その原点に立ち戻ったと考えてもらえれば良いかと。 漫画作品だけでなく、特集企画というやり方で、今という時代とリンクする誌面を作ることで、現在の雑誌離れに少しでも風穴が開けられるかもしれないという思いはあります。また、毎週購読してくれている『スピリッツ』読者に次号も読みたいと思わせる気持ちを起こさせることや、これまで『スピリッツ』を読んだことがない方がコンビニや書店で表紙の見出しを見て、興味を持って手に取ってくれることも期待しています」「防災」と「復興」という特集については、編集部員から立案があった。坪内氏は「世の中について、もっと真面目に考えてみよう」という世間のムードを感じているからこそ、と受け取った。「ここ数年で相当、世界や社会の情況は変化しています。『面白ければいい、その場限りでいい、ではいけないんじゃないか』と皆が感じ始めていると思う。そんな読者のアンテナに突き刺さる特集企画や、漫画作品を発信していければ、きっと読者は雑誌ならではの面白さを改めて感じてくれるはずなんです。これからも特集号については『スピリッツ』にしかできない取り組みとして、継続していきたいと考えています」 雑誌・冬の時代だからこそ、各誌が知恵を絞って、読者へのアピールを考えている。『スピリッツ』の試みは、新たな読者を開拓できるだろうか。関連記事■ マルチグラドル今野杏南 おわん型G乳で積極アプローチ■ 現役JDグラドル・忍野さら「グラビア撮影は書道と同じ」■ バクステ朝倉ゆり ダンスで鍛えた美くびれ&美乳を披露■ 堀北真希 一時的に夫・山本耕史と離れ子供と北海道へ■ 愛子さまも? プリンセスを襲う拒食という「ロイヤル病」

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    アニメの歴史 1960年代手塚アニメは人手が足りず主婦が彩色

     『ウルトラマン』が放映された1960年代は、飛行シーンやミニチュア化された街並みの完成度など、特撮ドラマにおける映像技術のピークを迎えた時期だった。その一方、最高視聴率40%を記録した『鉄腕アトム』(1963年)を皮切りに、『エイトマン』(1963年)や『サイボーグ009』(1968年)など、後のテレビアニメに大きな影響を与えた作品の放映が次々始まる「アニメの第1次ブーム」でもあった。 その黎明期を支えた人物のひとりが、手塚治虫氏の専属アシスタント第1号として知られる笹川ひろし氏だ。笹川氏が語る。「私が監督した『宇宙エース』(1965年)はその中でも初期にあたる作品です。当時は人手が足りず知り合いの主婦に彩色を頼んだほどでした。 モノクロ作品とはいえ5色の絵の具を使うので、絵の具と塗る場所にそれぞれ番号を振って、それに合わせて塗ってもらっていました。私も漫画家になりたくて上京したのですが、自分の描いた絵に動きや音楽がつくのが楽しかった。『もう雑誌漫画はなくなる』『アニメの時代が来る』と確信したのもこの時期です」「鉄腕アトム」の原作者で漫画家の手塚治虫 =1987年3月8日、兵庫県尼崎市 手塚をはじめとしたアニメーターが様々な表現方法を次々に確立していくなか、アニメはさらなる進化を遂げた。通常30分の枠で使用されるセル画は4000枚ほどだが、『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)に至っては複雑なキャラクターの造形やメカニックを描き込むため1万枚も使用されることがあったという。 かつては単なる勧善懲悪に終始していたストーリーも、時代を映し出す内容へと変化していく。『科学忍者隊ガッチャマン』は、戦争や公害といった社会的な問題をテーマに据えた重厚なドラマを描き出すことで、それまでほとんど子供のみだったアニメのファン層を大人にまで広げた。 同作の紅一点・白鳥のジュンの声を担当した声優・杉山佳寿子氏が語る。「それまで特撮やアニメの女性は男性兵士を送り出す役割がほとんど。ジュンは男性メンバーと一緒に敵と戦う。当時、女性の権利向上が叫ばれていたことが背景にあったと思います」 弱きを助け、頑なに正義を貫いたテレビヒーローに胸ときめかせた昭和という時代。そこには、先の見えない現代を力強く生き抜くヒントが隠されているのかもしれない。■取材・文/小野雅彦関連記事■ 『けいおん!』大ヒット アニソンの次は「キャラソン」か■ 島耕作の妻役で声優に挑戦の壇蜜「小2で読んだ。刺激的」■ アニメに情熱注ぐ3人の女性を描く小説『ハケンアニメ!』■ 『トトロ』『宅急便』等を手掛けたアニメーター アニメの今昔語る■ 『妖怪ウォッチ』出演の武井咲 アニメ実写の融合にドキドキ

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    「この世界の片隅に」をとことん語り尽くす

    異例の大ヒットとなった邦画アニメ「この世界の片隅に」が、ジブリアニメ「となりのトトロ」以来、28年ぶりとなるキネマ旬報ベストテン第一位に選ばれた。SNSで評判が広がり、観客動員数は130万人を突破。アニメの力を見せつけたこの作品の魅力をとことん語り尽くす。

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    幾万の平和を訴えても「この世界の片隅に」の2時間には到底敵わない

    古谷経衡(著述家) 私と片渕須直監督の出会いは2009年の暮れであった。「出会い」といっても劇的なものではない。当時、まだ商業誌に一本の原稿も書いたことのなかった無名のライター志望の26歳の青年に過ぎなかった私は、同年11月に公開された片淵監督の『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年11月公開)を観てファンになり、すわ草の根的に結成された「片淵監督ファンクラブ」的なるものに参加していたのであった(とはいっても会則や会費があるわけではない)。 片渕監督は寡作の人で、『マイマイ新子と千年の魔法』は一部の熱心な片渕ファンの間で熱狂的な支持を持って迎えられた。計算されつくした脚本、緻密で丁寧な演出、そしてすべてを「円環」とでもいうべき「縁」の中に包み込むどこまでも優しい片渕監督の作風に魅了された。『マイマイ新子と千年の魔法』は都下で小規模に上映されたが、もっとも熱かったのが主力館の「阿佐ヶ谷ラピュタ」(杉並区)で、ここは当時としても珍しく事前予約システムを導入していなかったので、窓口で券を求めるしかないのだった。私はえっちら千葉県松戸市からくだんの映画館に向かったのだが、上映数時間前でいつも満席・売り切れの連続。3度目のチャレンジでようやく見ることができた。 しかしこの異常な「一部ファン」の熱狂ぶりをよそに、遺憾ながら『マイマイ新子と千年の魔法』は、数々の映画賞を受賞しながらも、興行的に振るわなかった。だからこそ私たち片渕ファンクラブの面々は、どうにかしてこの傑作を世に知らしめようと、主にSNSや口コミを駆使して『マイマイ新子と千年の魔法』がいかに素晴らしい作品であるかを吹聴して回った。或る人は手製のフライヤー(公認)を喫茶店や居酒屋において回り、或る人は職場の同僚を自腹で誘って映画館に連れ出したりした。だが、駄目だった。 あれから8年がたった。『この世界の片隅に』は当初公開館数六十数館で出発したが、燎原の炎のごとく瞬く間に大ヒットとなった。いまや今年2月初旬の段階で観客動員数130万人を超える、押しも押されぬ大ヒットアニメ映画である。涙が出るほどうれしい。だってもはや、私たちのような一部の「熱狂的ファン」の草の根の支援などなくても、『この世界の片隅に』は2016年(そして2017年および21世紀)を代表する、記念碑的アニメ映画として、商業的成功を勝ち得たのだから。(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 私は従前から『この世界の片隅に』の原作(こうの史代氏)を読んでいて、これを片渕監督が創ると知り、TOKYO FMの自身の番組(『タイムライン』)のコーナーで紹介した。それをきっかけに配給会社の方から試写会に紹介していただいた。初見の感想はただただ号泣。立ち上がれないほどの衝撃を受けた。その後、本作が公開される前に、TOKYO MX『モーニングクロス』に出演した際のコーナーでも紹介させていただいた。あえて自慢すればこの時期、個人の文筆家が『この世界の片隅に』を地上波でこれほど詳しく言及した事実は、パイオニアであるといってよい。その後、小学館の月刊誌『SAPIO』の自身の連載コーナーで片渕監督へのインタビューが叶った。他者ではない戦争他者ではない戦争 片渕監督は、2009年に『マイマイ新子と千年の魔法』のファンクラブの関連で、いち青年に過ぎなかった私と邂逅したことを覚えてくれていた。「もう死んでもよい」というほど感激した。こともあろうに片渕監督とはその後も、私の担当するくだんのFM番組に生出演していただいたりした。(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 なぜこんなに自慢話ばかり書くのかといえば、私は片渕監督とは、広重、国芳、歌麿、北斎レベルの歴史的アーティストだと思うからだ。1世紀を経た未来の歴史家が「片渕須直伝」を書くとき、当然2016、2017年の歴史的事実が照会されるだろう。そこに私が一端でも絡んでいれば、私も「歴史の片隅」に存在したことが子々孫々に残るからである。「おじいちゃんはな、あの片渕監督にナマで会ったことがあるんじゃ」―こう伝えて死んでいきたい。映画『クラウド・アトラス』(2012年)のラストシーンではないが、私は『この世界の片隅に』は、遠い子孫の記憶の中に、「歴史」として刻まれることを確信する。『この世界の片隅に』への評論はほうぼうで出ているから敢えてそれを引用するのは野暮というものだ。私自身の言葉を述べれば、『この世界の片隅に』は、あの戦争の時代が他者ではない、ことを皮膚感覚で味わう作品、という風になろう。8月15日、終戦。主人公すずの嫁ぎ先の義母が本土決戦のために備蓄しておいたコメを「少しだけ」家族で分け合って焚く。「8月16日も、17日も生活は続く」、というニュアンスのすずの台詞がある。この部分は原作にはなく、片渕監督が独自に挿入したものだという。8月15日で歴史教科書は戦前と戦後を分断している。しかし、それは私たち後世人の認識であり、かの時代を生きた人々に8月14日と8月16日の違いは存在していない。 幸村誠の漫画『プラネテス』でも同じような台詞が登場する。「宇宙と地球を隔てる境界ってどこにあるのだろう」。科学的には高度何万キロメートルの〇〇圏までが地球で、その外側が宇宙である。しかし、その境界は地上からだとぼんやりとしたグラデーションに過ぎない。実は境界なんてものはなく、だからこそ私たちは皆繋がっている―。これが幸村誠が『プラネテス』で描いたテーマだ。『この世界の片隅に』はこれを戦前・戦後の日本で行っている。「8月16日も、17日も生活は続く」。ならば9月は、10月は?1946年は?1947年は?当然、ずっと続くのである。そしてその先に、私たちの現在2017年がある。そう、時代は途切れることなく繋がっている。戦争の時代を生きた人々は決して「他者」などではなく、私たちと同じ時空間に存在する「同じ人々」だった。その当たり前のことを、『この世界の片隅に』は教えてくれた。「ゲン」の違和感ゲンの違和感 あの戦争や原爆を描いたアニメ作品は多い。しかし、どの作品も「あの時代」と「あの時代を生きた」人々を他者としてとらえている。『はだしのゲン』の主人公中岡元。むろん、原作者・中沢啓治先生自身の投影だが、はっきり言ってスーパーマンに近い。戦前から翼賛体制に反発し、原爆を受けて原爆症になってもそれを克服し、戦後は右翼に平和と民主主義を説法し、戦前翼賛体制で威張り腐っていた町内会会長(戦後平和主義者に転向して議員に立候補する)の欺瞞を面前で糾弾する。そして東京に出て画家になる夢に向かう汽車のシーンで終わる。『はだしのゲン』でゲンの言っていることはすべて正論だ。戦争は駄目だ、アメリカと原爆は許さない、日本は平和国家として通商の中で生きるべきだ、そして戦後人には戦争の反省が足りない…。全部正論だが、私がゲンに感じてしまう小さな違和感とは、彼が強すぎてスーパーマンにみえ、どうしても「他者」として認識してしまうのだ。 ゲンが「他者」である以上、ゲンの存在したあの戦争の時代も他者である。たぶん、金科玉条のごとく「反戦平和」を何万回唱えても、人々に最終段階で伝わっていないのは、この「他者性」の問題だと思う。これまで、あの戦争を扱った映画やアニメや漫画は、あの戦争を生きた人々を「他者」として扱いすぎであった。或る時は反戦平和のスーパーマン、またある時は徹底的に凄惨な戦争の被害者として。(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 しかし、『この世界の片隅に』の主人公すずは、ちっこくて柔らかく、肉体的な意味でスーパーマンとは程遠い。精神的にも、むしろ翼賛体制に大きな疑問すら抱かず、ただ絵が好きなだけのボンヤリ少女で、日々の生活を工夫して生きるだけの市井の女性に過ぎない。だからこそ、私たちはすずを「他者」としては認識しない。すずは「他者」ではない。私たちと同じ皮膚感覚を持った普通の人間だった。人生の意味人生の意味 これまでの「戦争モノ」の作品は、あの戦争への反省(あるいは美化)のメッセージを入れなければならないという強迫観念の元、作品の中で生きる人々を「他者」として描いてきた。だから何万回「反戦平和」あるいは「反核」といっても、最終段階では伝わっていない。その証拠にネット空間はあの戦争の(事実に基づかない)美化で溢れている。「平和教育」を受けたはずの人々が、歴史の事実を呪詛して、しまいには日中戦争すら日本が被害者でコミンテルンの陰謀だった、などとしている。その結実がくだんの大手ホテルチェーンの客室に置かれた同チェーンCEOの歴史観の開陳であろう。(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 こう考えると、戦後営々と続けられてきた「平和教育」の高らかな叫びは、何万回を費やしても無意味だったのかもしれない。そしてその空疎な掛け声は、「他者性」を強調するがあまり、『この世界の片隅に』の2時間を超克することはできないのである。幾万の「反戦」「平和」を叫ぶより、『この世界の片隅に』を観よ。私が言えることはそれだけだ。 片渕監督は『マイマイ新子と千年の魔法』で「円環」を描いた。つまり、すべてのものに無駄などなく、生も死も繋がっている、と。片渕監督が初監督した長編アニメ映画『アリーテ姫』(2001年)でも、主人公アリーテ姫は「人生に意味なんてない」という魔法使い(実際は高度に発達した旧世界文明の生き残り)の言葉に反駁する。「人生には意味がある」。 片渕監督へのインタビューで彼は私にこう語って下さった。「―もしかしたらすべてのことや人生に意味なんてないのかもしれない。でも、意味はあると思いたいじゃないですか」。私もそう思う。少なくとも私が『この世界の片隅に』にリアルタイムで出会ったことには、意味があると思う。そしてこの作品が、2016年という、戦後50年とか60年とか、別段イベント的時代の区切りとは全く関係なく登場して、そして大ヒットしたことにも、何か人類史的な意味があるはずだ。その総合的解釈は、後世の子々孫々に任せよう。いまはただ、『この世界の片隅に』の感動に打ち震える段階である。

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    「この世界の片隅に」がリアルだから生み出せたファンタジー

    在に行き来する想像力を可能にしていると指摘している。両評論をよむことで、『この世界の片隅に』が日本の文化史の“片隅”で、きちんと居場所を見出した、それゆえに魅力的な作品だということが理解できるだろう。(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 日本のマンガとアニメの歴史を文化的遺産として継承し、その蓄積が重層的に背景にあることで、アニメ『この世界の片隅に』が強靱な作品世界を構築し、また多くの観客を魅了したことは、重要な点だ。この作品の舞台は、戦前から終戦直後までの広島と呉である。 広島は原爆で壊滅し、また軍事施設が集中していた呉は猛烈な戦略爆撃機の空襲で同じく壊滅的打撃をうけた。この双方の戦災の街で暮らしているひとりの少女すずが、本作の主人公である。この主人公の主観から当時の人々の生活、交流が描かれているが、大きな特徴がある。それはすずの周辺世界(環境世界)と、すずの主観とが切り離すことが難しいほど一体化していることである。 アニメでも原作でも当時の街並みや暮らしぶりが非常にリアルに描かれているが、それが精緻であればあるほど、すずの主観的世界と不可分に結びつき、現実と空想が境目なく混じりあう。例えば、昭和20年3月の呉空襲のはじまりは、すずの視点からは、見晴らしのいい高台からみた絵具をぶちまけたような色彩鮮やかなパノラマとして描写されている。丘の向こうから一斉に展開していく米軍の戦闘機群は、まるでどんどん空中に広がる花火のように華やかだ。それは平和な時代に、すずが広島の海を描いたときに、その波頭をうさぎの群れとして想像したことと同じである。 この現実と空想の錯綜、主観と環境世界の混在は、すずの生命力の根源でもあり、また宿命の由来でもある。幼い頃に、広島市内で体験した「ひとさらい」のエピソードはその典型である。「ひとさらい」の籠の中で出会った少年との脱走劇は、まさにどこまでが現実で空想なのかわからない。だがのちにこの少年が成人してから、すずを妻として求め迎えることがひとつの宿命かのように描かれている。 現実の「ひとさらい」は、それこそこの少女と少年の生活そのものを根こそぎ奪うものだったろう。だが、この「ひとさらい」の鬼(?)は、恐怖と同時にやはりどこか別な世界への出口を示しているかのようだ。すずの「記憶」「歴史」が神話になる この映画(原作)冒頭の「ひとさらい」のエピソードは、何度も何度も執拗にくりかえされ悲惨さを増していく後の呉空襲のエピソードのひな形であることは一目瞭然であろう。もちろん決定的な違いはある。「ひとさらい」エピソードでは失われたものは、一枚の海苔でしかない。他方で呉空襲そして広島の原爆では、すずの右手、親せきの少女や幼馴染、家族や多くの人々の生命が失われ、また傷つく。主人公・すずの声は、のんが担当した もちろん呉空襲も広島原爆もリアルな現実であり、そのリアルさを描くことでは、このアニメと原作マンガは傑出していることは何度指摘してもいい。だが、他方で、失われた右手に代表されるが、作品世界では本当には失われることがないことにも注意しなくてはいけない。 失われたものたちは、何度も何度も、すずの主観と環境の中で繰り返し登場し、彼女に声かけていく。それはわれわれを「記憶」とも「歴史」とも名づけていいだろう。しかしその「記憶」や「歴史」は、科学的で客観的なものではない。想像や夢うつつともまじりあった重層的なものである。これを私たちは「神話」とも呼んでいるのではないか。 「神話」は、単なる物語ではない。その物語性によって人に活気を与え、無意識から意識までの人々のリアルに重要な影響を与えるものだ。『この世界の片隅に』は、現代におけるそのような「神話」のもつ意味を復活させているかに思える。 この「神話」は強さと同時に危うさをも持っている。そのことが端的に表現されているのが、この作品における「アメリカ」の位置だ。米軍は、もちろんリアルでも作品世界でも「敵」であり、また生命の危機をもたらす脅威であった。多くの日本に住む人々の生命を奪った「アメリカ」は、深い敵意を向ける相手ではないか。「神話」の強靱さと危うさとどう向き合うのか ところが、『この世界の片隅に』においてその敵意は顕在化してはいない。いわゆる玉音放送を聴いた後の、すずの激しい感情をむき出した言葉は、敵たる「アメリカ」に対して向けられてはいない。終戦後でも、占領軍たる「アメリカ」は、ラッキーストライクのシールが浮かぶ残飯雑炊に代表されるだけで、ほとんど前景にはでてこない。まるでアメリカは影のようである。(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 従来、このような「アメリカの影」は、徹底的に悲惨な戦争体験を伴わないために生じたと解釈されてきた(「『右傾エンタメ』を読むと本当に『軽い戦争』気分になるのか」)。わたしたちがリアルにも「アメリカ」に対して敵意をもたず、戦後そのアメリカ文化を受容してきたのは、徹底的に悲惨な戦争を経験していない、という説である。これを「軽い戦争」史観と名付けよう。 しかし、筆者はこの「軽い戦争」史観は誤っていると思う。ひとつには、呉も広島も(もちろん他の戦災をうけた多くの地域も)非常に厳しい戦禍を被っていることだ(現実の呉空襲についてはこの記事を参照)。 このような厳しい戦争被害をうけた人々がなぜ、「アメリカ」を憎み、敗戦後にアメリカ文化を拒否しなかったのか。「軽い戦争」史観以外にも、いままで占領期の米軍による文化的検閲の効果を指摘する論客(江藤淳ら)や、また戦前からのアメリカ文化の受容が戦時中も継続していたためだと指摘する論者もいる(吉見俊哉『親米と反米』岩波新書)。これらはそれぞれ傾聴に値する指摘ではある。 筆者は『この世界の片隅に』に描かれた、日本人のもつ「神話」的想像力の強靱性をここでは指摘したい。「神話」的想像力の中では、失われたもの、亡くなったものたちは、すべてその世界の片隅で、重層的な「記憶」として残り続け、居場所を確保している。そしてリアルに生きる人々のこころの中で何度も何度も甦ることで、現実に活気と生命の喜びを与える。この「神話」のもつ力は、アニメの中でも、失われた右手に象徴されるように明瞭だ。 と同時に、この「神話」の力は強靱性をもつと同時に、危険性もはらんでいる。主客不分離になることで、戦争があたかも自然的現象としてみなされてしまうからでもある。戦争は人間がおこし、それでさまざまな悲劇をまねく。決して、自然現象ではないのだ。「神話」を生きることは、私たちに生命をもたらすが、同時に生命を危機におとしいれる「真因」から目が離れてしまうことにもつながる。 この「神話」のもつ強靱さと危うさの両面とどう向き合うのか。日本とは何か、日本文化とは何か、という点にまで、『この世界の片隅に』は問いを投げかけている。

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    2016年ヒット映画に見る「天災的想像力」が向かう先

    ながら、目一杯引き出したのだ。※1……映画を捉えるこの4つの枠組みは、ウェンディ・グリスウォルドの「文化のダイヤモンド」によるものである。詳しくは、『文化のダイヤモンド──文化社会学入門』(1989年/玉川大学出版部)を。 『シン・ゴジラ』は、『新世紀エヴァンゲリオン』で知られる庵野秀明が総監督を務め、『進撃の巨人』など特撮に強い樋口真嗣が監督をした作品だ。そこには、『エヴァ』で見せてきた強烈な庵野節が全開となっている。おろおろしながらゴジラに立ち向かう日本政府はまるでシンジで、石原さとみ演じるアメリカの特使はアスカを連想させるように、『エヴァ』の構図をそのまま『ゴジラ』に適用している。『エヴァ』と異なるのは、ゴジラ駆逐のソリューションを、SF的(エヴァンゲリオン)ではなく、現実的(政治)に導き出す点だ。それは戦後日本が抱えてきた、日米安保同盟を軸とする対米追従路線を『ゴジラ』という題材で思考実験した内容だと言える。 もちろん、あの特撮も大きな魅力として観客には感じられたはずだ。70~80年代、それまで世界でトップクラスであった日本の特撮は、スピルバーグとルーカスを中心とするハリウッドに圧倒されてファンに見放された。しかし、近年はVFXのハードルが下がったことにより、従来の特撮とCGを組み合わせて、ハリウッドほどの予算をかけなくともそれに比肩するだけの映像を創ることができるようになった。『シン・ゴジラ』は、現段階では東アジアの映画におけるひとつの到達点だと言えるだろう。 『この世界の片隅に』の片渕須直は、2000年に『アリーテ姫』で長編監督デビューし、09年に『マイマイ新子と千年の魔法』で注目された。その特徴は、細部にこだわった非常に丁寧で細かい演出だ。『この世界の片隅に』でも、戦時下の庶民の日常生活をひたすら描いていった。新海や庵野のようなダイナミズムはないが、淡い水彩画のような広島や呉の街のなかで、主人公・すず(声優・のん)が柔らかく動きながら生活している。 『マイマイ新子~』でもその特長は発揮されているが、片渕の視点は常にミクロなほうに向いている。鳥の視点か虫の視点かで言えば明らかに後者だ。それはSF要素のある『君の名は。』や、政治の世界を執拗に描いた『シン・ゴジラ』とは、明らかなコントラストを成す。 さて、駆け足で見てきたが、この3人に見られる作家性(個性)とは、多くの実写映画ではなかなか見られない強度を持っている。それは彼らがアニメや特撮をその表現手段としていることと、けっして無関係ではない。3者には、その個性が画(映像)の強さに表れていることが共通している。“体験”の場としての映画館“体験”の場としての映画館 次に、受け手である映画観客に目を向けてみよう。そこでは、2016年にそれ以前と異なる明確な変化が現れた。それが「応援上映」や「発声上映」と呼ばれる映画上映だ。 振り返ってみれば、2010年代に入ってから映画館にはさまざまな変化が訪れていた。たとえば一昨年の2015年に話題となったのは、4D映画だった。これは座席が動いたり、水しぶきがかかったりするなど、体感型の映画だ。さらに遡れば、2009年末公開の『アバター』によって3D映画が流行った。従来の2Dのスクリーンに投射される映像をただ観るだけでなく、奥行きや物理的な振動などの要素が加えられている。これらは、19世紀後半に誕生したばかりの映画において見られたアトラクション性(見世物性)と通ずるものであることは、渡邉大輔などによってすでに指摘されている(※2)。 しかし、これらはともにハリウッド映画を中心とする話であり(日本映画でもいくつか3D作品はあったが)、観客の能動性を強く期待するものでもない。3Dや4Dと言っても、それは創り手側が準備したコンテンツを観客が受動的に楽しむことには変わりなかった。※2……渡邉大輔「映画の“アトラクション化”はどう展開してきたか?──渡邉大輔が映画史から分析」『Real Sound』2015年9月7日、松谷創一郎「アトラクション化する映画館――『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の大ヒットから考える映画の未来」『Yahoo!ニュース個人』2015年12月23日。 「応援上映」や「発声上映」は、それらとは異なる。その嚆矢となったのは、16年1月に公開されたアニメ映画『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(通称『キンプリ』)だった。3人組の男性アイドルグループを描いたコアなファン層に向けた内容だが、「応援上映」では、劇中の展開に合わせてサイリウムを持った観客が大きな声をかけるなど、まさに「応援」しながら観る。観客は受動的に映画を観るのではなく、参加することに価値が置かれている。 こうした観客の能動性は、過去にも見られた。2年前に『アナと雪の女王』が大ヒットしたときに「合唱上映」があり、70年代にはイギリスのミュージカル映画『ロッキー・ホラー・ショー』でも上映中に傘をさしたり声をあげたりするような観客の能動性が見られた。しかし『キンプリ』は、コアなファン層にもかかわらず、過去のそれらよりも広がりを見せ、興行収入7億円を超えるスマッシュヒットとなった。 これによって、2016年は多様な上映形態がいくつか見られた。そのなかで目立ったのが、『シン・ゴジラ』と『君の名は。』だ。 まず9月15日、全国25の映画館でいっせいに『シン・ゴジラ』の「発声上映」がおこなわれた。特設サイトには、「声だしOK!コスプレOK!サイリウム持ちこみOK!」とあるように、それは『キンプリ』の「応援上映」を参考にしていることがうかがえる。そして『君の名は。』では、12月23日に「大合唱上映会」が開かれた。このイベントでも「応援&発声、そして、歌唱可能!」と謳われた。 これ以外にも昨年は『HiGH & LOW THE MOVIE』の応援上映や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)の「絶叫上映」があったが、これらの作品に共通するのは、音楽や音響効果が重要な構成要素となっている点だ。 こうした上映方式が今後どれほど広がるかは未知数だが、確実にひとつだけ言えることは、もはや映画観客は、必ずしも席に座って静かに映画を観る存在だとは限らないということだ。映画館とは、遊園地のアトラクションのように4D映画を楽しんだり、あるいはカラオケのように騒いだりする場にもなっている。つまり、観客の受容形態が多様化しつつある。具体的に言えば、観客は自らの映画館における“体験”により価値を置く傾向が確認できる。 目を転ずれば、こうした現象は映画以外のエンタテインメントでも生じている。 たとえば、2009年に開場したプロ野球・広島カープの本拠地マツダスタジアムには、さまざまな座席が準備されている。食事をしながら観戦するバーベキューシートや、寝そべってみる「寝ソベリア」などがそうだ。さらに、どの座席のひとでも球場を一周できるコンコースがあり、退屈した子供が遊べるようにゴリラの人形などの設備もある。昨年は期間限定でオバケ屋敷も存在した。 音楽では、CD売上が落ち込む一方で、この15年ほどフェスやライブのマーケットが大きく成長している。2006年に1527億円だった音楽コンサート市場は、2015年には3405億円にまで伸長している(音楽業界における受容の変化は、先日出版された柴那典『ヒットの崩壊』を参照)。 これらの隣接領域からも、観客の変化が見て取れる。映画にしろ、野球にしろ、音楽にしろ、観客はコンテンツを観賞することだけが目的ではなく、映画館や野球場やフェス会場などの「場」に“体験”を求めて足を運ぶ傾向が強まっている。いつ、誰と、どこへ(場)、なにを(コンテンツ)、どのように(発声)して体験するか──ということである。 最近では「“モノ”消費から“コト”消費に」と語られるが、その萌芽は1999年に、日産自動車「セレナ」のキャッチコピー「モノより思い出」のときすでに見られた。21世紀のエンタテインメント業界は、確実に体験志向を強め続けてきた。 映画は作品内容(コンテンツ)だけで総体を語りうることができないことは歴史的にも自明だったが、21世紀以降は受容体験(受け手)により重心が移ってきているのである。興行との乖離が強まる映画評論興行との乖離が強まる映画評論 こうした傾向において、より存在感を薄めつつあるのは評論家/批評家の存在だ。評論家も受け手の一部だが、長らく映画観客のオピニオン・リーダー(インフルエンサー)存在としての立場を示してきた。90年代までは、テレビの映画枠で評論家の淀川長治や水野晴郎が映画を紹介することなどにより、その存在は広く知られてきた。しかし、彼らが次々とこの世を去り、徐々に映画評論は目立たなくなっていった。 しかし、映画観客が他者の評価を不要としているわけでもない。ネットの浸透によって、観客たちは一般の映画ファンの意見を参考とするようになったからだ。現在、映画観客の多くはYahoo!映画やFilmarksなど映画レビューサイトの意見を参考にしている。あるいは一般の映画ファンが運営する人気の映画評論ブログでは、年末年始に読者投票によってベストテンを決めている。これらは映画ファンたちが、みずからの志向性を介して共同性を確認する年次行事と捉えられる。その一方で、映画雑誌はどこも青色吐息で、金曜日夕刊の新作映画評はほとんど見向きもされない。受け手の代表者として映画評論家の役割は、減衰する一方だ。 そのなかで、映画評論家がいまだにある程度の権威を見せながら続いているのは、老舗の映画雑誌『キネマ旬報』における「キネマ旬報ベストテン」だろう。これは評論家や記者など約60人の投票によって、年間ベストテンが決められる。投票者の内容がすべて開示されるので透明性も高い。既に発表された2016年度では、1位に『この世界の片隅に』、2位に『シン・ゴジラ』が入った(『君の名は。』は11位以下)。 しかし、このキネ旬ベストテンは年々偏りを見せている。より具体的に言えば、大手3社の配給する作品(それは興行収入が高いことも意味する)がベストテンに入りにくくなっている。それは、上位10作の配給会社の割合を見ていってもわかる。 東宝が牽引することで日本映画の興行成績が伸び続けた21世紀に入ってから、逆にキネ旬ベストテンでは大手作品が上位に入りにくくなっている(グラフ1参照)。これは、興行成績と映画評論家の評価に強い乖離が生じていることを意味している。2016年においては、興行的にも大ヒットした『この世界の片隅に』と『シン・ゴジラ』が1位と2位となったが、こうしたことは21世紀以降では多くない。 もちろん批評は、そもそも一般客(マス)の動向を気にするものではない。『キネマ旬報』誌は、大手の作品から公開規模の小さい独立系の作品まで広く扱うが、概ね作品の芸術性を評価する傾向にある。しかしそれを踏まえても、21世紀以降は極端な差異が生じている。 この要因はいくつか考えられる。単なる判官贔屓、映画の斜陽時代に青春期を送ったことによる商業性に対する違和感、高齢化などだ。なんにせよ、この強い乖離から逆照されるのは、映画評論家の存在が90年代までと比べて機能しにくい情況になっていることだ。印象批評や分析を排して解説に注力する批評家が目立つのも、批評をめぐる映画情況のなかで生じている現象だと捉えられる。 次回は、3本を中心に映画の作品内容と、映画を取り巻く日本社会との関係を見ていく。(後編に続く)

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    ジブリの時代は終わった ! 「この世界の片隅に」ヒットが意味するもの

    高千穂遙(作家) 「聲の形」「この世界の片隅に」「君の名は。」などのアニメ映画作品のヒットに熱い視線が注がれているという声を聞く。昨年8月に公開された「君の名は。」は邦画歴代2位の興行成績240億円を記録(C)2016「君の名は。」製作委員会 しかし、実は邦画アニメはこれまでも堅実なヒットを毎年つづけてきたのだ。昨年から今年にかけても、前記三作品のほかに、定番となっているアニメ映画、「名探偵コナン」、「ワンピース」、「妖怪ウォッチ」、「ポケモン」は、他の実写邦画作品をしのぐ興行成績をしっかりとあげている。「ドラえもん」、「クレヨンしんちゃん」もそうだ。公開されれば、間違いなくヒットする。なので、いまの状況はとくに目新しいものではない。邦画アニメ作品は、もともと好調を維持していた。 では、なぜいまこの三作品がとくに話題となっているのだろう? 理由はタイトルごとに異なっている。「聲の形」は重いテーマ性が、「この世界の片隅に」はアニメにまったく興味を示さなかった世代を含む広い観客層の動員が、「君の名は。」は高い作画の質と記録的な興行収入が、それぞれ耳目を集め、ニュースやワイドショー、一般週刊誌等の大衆の目に触れやすいメディアに多くとりあげられた。そして、記事やテレビでの特集が普遍的な話題となり、いわゆるアニメファン以外の人たちのもとに情報が届いていった。 この三作品は、たまたま同じようなタイミングで公開された。狙って重なったわけではない。企画が生まれてから完成するまでの時間が三作ともまったく異なっている。これはめぐりあわせの妙だ。こういう偶然が起きるということに関しては、ついつい目に見えない何ものかの意志を感じてしまったりするが、もちろんそんなことはない。 アニメ映画は、どんなにヒットしても今回のような形でメディアに紹介されることはほとんどなかった。おおむね黙殺されてきた。作品の内容や質が論じられることもまれだった。コナンやワンピースを見ていれば、よくわかる。メディアはそういった作品のヒットには関心を持たない。例外はジブリアニメだったが、その例外が昨今は非ジブリアニメにも波及するようになった。現在起きている現象は、要するにそれである。 また、作品のヒットに関してはツイッターやフェイスブックといったソーシャルネットワークサービス(SNS)が果たした役割も見逃してはいけない。今回の三作品は、質的にも非常にすぐれていた。そのことがSNSで口コミ情報として流れ、それにより、ふだんはアニメ映画を見ない人たちをも動かすことにつながった。そしてなにより、三作品はどれも映画オリジナルタイトルであった。コナン、ワンピース、妖怪ウォッチ、ポケモンとは異なり、テレビで放送されている番組から派生した作品ではない。ここ、相当に重要だ。アニメと無縁な人を取り込んだ3作品 アニメコンテンツビジネスは、いま大きな曲がり角を迎えている。これまでは作品をテレビで放送し、そのDVD化で収益をあげるようにしてきた。しかし、ある時期からDVDがまったく売れなくなった。テレビ放送だけでは製作費は回収できない。赤字である。それでも、膨大な数の作品が放映されているのは、当たればなんとかなるかもという一縷の望みに制作会社が懸けているからだ(そこそこ視聴率が見こめるので放送枠を残しておこうという局側の目論見も多少はあるらしい)。これは書籍も音楽CDも、事情はほぼ同じである。映画『この世界の片隅に』のワンシーン (C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 あらゆるコンテンツがインターネットに無料で勝手に流されてしまうこの時代、収益を確実にあげられるのは何か? それはライブである。それしかない。映画は音楽CDにとってのライブステージだ。ただし、映画はテレビ作品以上に質を問われる。洗練されたシナリオ、緻密で美しい作画、二時間の映像を一気に見せる巧みな演出、そういった質的条件がととのわないと、映画館まで客は足を運ぼうとしない。 注目三作品は、その条件をオリジナルタイトルとしてクリアした。ゆえに見た人が感銘を受け、自身の感想、評価を口コミとしてネットに流した。それがアニメ作品とは無縁であった人びとを映画館へと向かわせた。さらには、同じ作品を何度も見るリピーターまでもが多数あらわれた。今後、三作品の成功を受け、この傾向はますます強まっていくものと思われる。 ちなみに、実写映画であってもCG部分は実写ではなく、アニメだ。「永遠のゼロ」、「シン・ゴジラ」といったCG多用作品は、そのかなりのパートがアニメ作品になっている。最近はテレビの実写ドラマもそうで、NHK大河に登場する城、城下町、合戦シーンはおおむねアニメである。「坂の上の雲」の日本海海戦も、大部分はアニメだった。 もはや、実写とアニメに境目はない。実写だと思って見ている作品はアニメ作品でもあるのだ。事実、若い世代の人たちは実写とアニメを作品として区別しなくなりつつある。そういう時代になった。映画のカテゴリーを純実写とそれ以外に分けるしかなくなる日がくるのも、さほど遠いことではないだろう。

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    「キネ旬ベスト・テン」映画にみるキーワードは「逆境」

     コラムニストでデイトレーダーの木村和久氏が、近頃気になるニュースをピックアップし独自の視点で読み解きます。今回は昨年の映画で気になった作品にクローズアップ。* * * 2016年のキネマ旬報ベスト・テン&個人賞が発表されたので、そのデータをもとに、個人的に好きな3本を紹介したいと思います。ベスト・テン、個人賞、外国映画賞のラインナップから、導き出されるキーワードは「逆境」です。人間いろんな困難な状況に陥り、そこからいかに這い上がるかということはすごく大事です。どの作品も観たら「頑張ろう!」という気持ちが、むくむく湧いてくるはずです。日本映画ベスト・テン1位『この世界の片隅に』 よくぞやってくれましたと、拍手喝さいです。多くの映画賞は、アニメーション部門を分けて受賞対象にしますが、キネ旬は全部ひっくるめてのベスト・テンですから、重みが違います。アニメ映画「この世界の片隅に」の初日舞台あいさつに登場した(左から)シンガーソングライターのコトリンゴ、女優・のん、片渕須直監督 逆境的には、まず制作側の資金難があり、クラウドファンディングでお金を集めました。エンドロールには、お金を出してくれたたくさんの方の名前が延々とアップされます。全く知らない人々の名前の羅列だけで、なぜか目がしらが熱くなってきました。封切りは63館から。ローバジェットの日本映画、まだ捨てたもんじゃないですね。 そしてもうひとつの逆境は「のん」の活躍です。契約等の問題で、本名すら名乗れなくなり、仕事激減の「のん」がチャレンジしたのは、ナレーションです。主人公のすず役の声を天衣無縫に演じ、実にハマっておりました。こちらにも、何度泣かされたことやらです。 映画の内容はいまさら言うまでもないですが、驚くべきは、戦前からの話なのに観ているのは圧倒的に若い人々です。昭和34年生まれの私は、親や親せきから戦争の苦労話を、たくさん聞かされました。それが今、世代が代わって、伝えるべき語り部がいない。もちろん『火垂るの墓』や『はだしのゲン』などの素晴らしい作品もありますが、個性がやや強い。今の若者は、おじいさんやおばあさん世代の日常を淡々と見たかったのではないでしょうか。そういうマーケティングに、図らずもマッチしたのかなと。後世に残る名作ですね。助演男優賞 竹原ピストル 竹原ピストルは、元々はライブ中心のミュージシャンですが、松本人志監督の映画『さや侍』で托鉢僧役で出て、パワフルな歌唱力を披露し存在感を示しました。歌の方は住友生命の1UPのCM挿入歌『よ~、そこの若いの』がヒットし、松本人志は「紅白に出てもおかしくない」と言っています。ほかにも『LIVE IN 和歌山』や『ドサ回り数え歌』など、心温まる名曲を多数生み出しています。 そんな彼が西川美和監督の『永い言い訳』で、本木雅弘と共演します。映画は交通事故で妻を失った家族の再生物語で、売れっ子作家役が本木雅弘、対照的なトラック運転手に竹原ピストルです。本木と竹原は、バスツアーで同時に妻を失います。そこでふたりは、家庭を失った喪失感をカバーするために交流が始まり、絆を深め合うのです。 劇中での竹原の存在感は圧倒的です。西川監督も「演技をしていることに、気づかない」と語っています。最初から妻を失ったトラック運転手が、そこにいたのです。今まで積み重ねて来た映画の役作りを、根底からくつがえす存在感に驚愕し、本木雅弘は竹原ピストルの熱心なファンとなります。 竹原ピストルの原点は、年間200本以上のライブ活動を7年間やったことです。そのライブ活動で、出会った人々や体験がすべて曲に活かされ、強烈なメッセージになっています。「誰かを俺を見つけてくれ」と、いつも心の中で叫んでいたそうです。そんな逆境から脱却し、見事に開花した竹原ピストル。歌と俳優、今後どっちで頭角を現すか、大いに注目です。とりあえず、2017年の紅白歌合戦には出てもらわないとですね。外国映画ベスト・テン4位が教えてくれた「あきらめないこと」外国映画ベスト・テン4位『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』 これは、名作『ローマの休日』の脚本家だったダルトン・トランボの自伝的映画です。『ローマの休日』(1953年)が封切りされたころ、原案・脚本の欄には別の名前がクレジットされていました。つまりトランボは友人の脚本家の名前を使って作品を提供し、アカデミー原案賞を受賞したのです。 なんでトランボは、偽名で書いたのか? それはトランボが、共産主義者に加担している嫌疑で投獄されたからです。そんな弾圧を受けたトランボが、いかにして名誉を回復したかが、この映画のテーマです。 1950年代、アメリカに吹き荒れた「マッカーシズム」は、共産主義者やその賛同者に対して、ヒステリックに攻撃し、失職させ、果ては投獄に追い込んだのです。 時代の雰囲気を感じた巨匠ウィリアム・ワイラーは、海外ロケをして自由な気風で『ローマの休日』を作ろうと試みます。トランボは原作から参加しますが、封切り時には赤狩りにあい、偽名での参加に。 トランボは、議会の公聴会で宣誓拒否をして投獄されますが、どうやって名誉を回復したか? それは生きるため、家族を養うために、B級映画の脚本を、安いギャランティーで、しかも偽名で書きまくったのです。トランボの書いたB級映画のなかで『黒い牡牛』が、アカデミー原案賞を受賞。人生2度目の、偽名でオスカーを得ることとなります。 偽名でも才能は溢れ出ます。評判を呼び、カーク・ダグラスが、映画『スパルタカス』に主演するとき、脚本をトランボに、実名クレジットの条件で依頼します。その後、反対勢力とバトルもありますが、次第に赤狩りの勢いも下火になり、ようやくトランボは名誉を回復できたのです。 トランボが言いたかったことは「人生を絶対に諦めないこと」、これに尽きます。 いろいろと、やる気を起こさせてくれる映画って、人生の応援歌みたいなものです、実に素晴らしいですね。関連記事■ ランボルギーニトラクター所有者「近所の人が毎日観に来た」■ ブログ市長リコール「市民はお灸を据えた感覚」と専門家■ リコール失職 竹原前市長の政策は市民の意見を反映していた■ 前後賞ない「ドリームジャンボミニ5000万」バラ買いがお勧め■ 1枚500円 「宝くじの日記念くじ」が1000万枚限定で発売へ

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    「今の邦画はレベルが低い!」英配給会社代表が苦言したワケ

     英国の映画製作・配給会社「サードウィンドウフィルムズ」代表、アダム・トレル氏(33)と先日話す機会があった。アダム氏は日本をはじめアジア映画を海外に紹介しており、現在公開中の日本映画「下衆(げす)の愛」(内田英治監督)のプロデューサーも務めている。「日本映画が嫌いになってきた」と熱弁するアダム・トレル氏=東京・渋谷(伊藤徳裕撮影) 「日本映画のレベルは本当に低い。最近すごく嫌いになってきたよ!」 アダム氏は憤っていた。断っておくが、アダム氏は日本映画をこよなく愛している。だからこその“苦言”なのだろう。 「アジア映画の中で韓国や中国とかが頑張っている。それに比べて日本はレベルがどんどん下がっている。以前はアジアの中で日本の評価が一番高かったけど、今では韓国、中国、台湾やタイなどにお株を奪われている。ちょっとやばいよ」 「下衆の愛」を手がけたのも「好きな日本映画があまりなくて海外配給が大変になってきた。それじゃ自分がプロデューサーになろうと思った」という動機からだ。 「日本映画の大作、例えば『進撃の巨人』はアメリカのテレビドラマっぽくてすごくレベルが低い。何でみんな恥ずかしくないの?」と一刀両断。最近目立って量産されているコミックが原作の恋愛映画についても「ハーッ」と大きなため息をついた。日本で主流になっている「製作委員会方式」に不満があるようだ。リスクの分散・回避のために複数のスポンサー企業が製作費を出資するシステムだ。 「日本では映画は製作委員会のもので監督のじゃない。例えば、誰が監督したかみんなほとんど知らないでしょ。監督の名前を宣伝しない。英国などでは出演者には興味がない。『この映画はマイク・リーの新作』などと監督を重視する。日本では、例えば園子温(その・しおん)監督の『新宿スワン』を誰が撮ったかは95%の人々は知らない。監督は製作委員会のパペット(操り人形)なんだ」 ロンドン生まれのアダム氏は、22歳のときにサードウィンドウフィルムズを立ち上げた。「自分の好きな監督のオリジナル作品を海外に宣伝して配給したり、映画祭に出したりしている。海外でその監督が人気になったら、次作をプロデュースする。例えば園子温。『愛のむきだし』や『冷たい熱帯魚』とかを配給して『希望の国』をプロデュースした。藤田容介監督の『全然大丈夫』と彼の短編映画も海外に配給したらすごい人気があった」。女性お笑いトリオ「森三中」の大島美幸が男役を好演し、海外映画祭で主演女優賞を受賞した同監督の「福福荘の福ちゃん」もプロデュースしている。日本映画が悪い一番の問題 日本映画の配給第1号は中島哲也(なかしま・てつや)監督の2004年作「下妻物語」。「その前は韓国映画のイ・チャンドン監督の『オアシス』や『ペパーミント・キャンディー』などを配給していた。中島監督は大好き。『嫌われ松子の一生』や『告白』も海外配給したよ」 海外ではどういう日本映画が受けるのか。「衝撃的なビジュアル(映像)を持ち、物語にオリジナル性があるものが売れる。園子温とか中島哲也、塚本晋也とか。中村義洋監督の『フィッシュストーリー』はすごい人気で、『アヒルと鴨のコインロッカー』もとっても人気があったよ」 では今の日本映画の何が悪いのだろうか。一番の問題は「お金」と強調する。「ギャラが低すぎ。キャストやスタッフはお金をもらったらもっと頑張る。『下衆の愛』は予算が低くてギャラも安いけどロイヤルティー(対価)を出す。ヒットしたらみんなと収入を共有するので公平でしょう? お金が戻ってくると、みんな頑張るじゃないですか」 そんな日本映画に愛想を尽かしているアダム氏だが、海外に日本映画を紹介するための努力は惜しんでいない。「海外版のブルーレイ用に北野武監督の映画をレストア(劣化したフィルムを修復)している。日本ではまだブルーレイはできないけど、イギリスは最近『HANA-BI』『菊次郎の夏』『Dolls』とかがブルーレイになった。また豊田利晃監督の過去作品のブルーレイを作っている。『ポルノスター』『ナイン・ソウルズ』『アンチェイン』とか。塚本晋也監督とも最近、一緒に彼の映画を全部きれいにしたよ」 やっぱり日本映画を愛しているのだ。 ところで、日本映画が衰退している一因で“その通り”と思ったのは「映画評論家が『この映画はだめ』と言わないこと」という指摘だ。 「日本人はみんな優しいから(だめだと)思っていても言わない。逆に『すごい』とか持ち上げてばかり。なんでかね」 これは個人的にいつも思っていることで“わが意を得たり”と膝をたたいた。先日の試写会でも、あまりにひどい出来の邦画を見て思いっきり腹立たしくなった。終映後、社交辞令なのか「面白かった」と話す人も散見されたが、宣伝担当者に不満を話すと「正直におっしゃっていただいてありがとうございます。とても参考になります」と感謝された。 根拠のない誹謗・中傷はよくないが、だめな映画を「だめ」と言わなければ日本映画に未来はない。(伊藤徳裕)

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    『君の名は。』で面白さ再発見、大人も楽しめるアニメ続々

     のんびり屋で絵を描くのが大好きな女性・すずが、顔も知らない青年に嫁ぐため、広島から呉へやって来る。昭和19年、厳しい戦時下を前向きに生きる人々の姿を描いたアニメ映画『この世界の片隅に』が中高年を中心に大ヒット中だ。呉市での上映終了後、サイン会でファンと触れあう「この世界の片隅に」の片渕須直監督 11月12日に全国の映画館63館で公開以来、観客動員数は伸び続け、年明けには150館以上で公開。1月以降もロングラン上映する。「『この世界の片隅に』は非常にすばらしい作品ですが、公開が2015年だったらこれほどのヒットはしていなかったと思います」 こう話すのは、アニメに詳しい映画評論家の増當竜也さんだ。「当時の生活や戦争の様子を細かい部分までよく調べて描いていますし、すず役にのんさんを起用したこともよかった。ただ、テーマは万人受けするものではない。 それがここまでのヒットとなったのは、その前に『君の名は。』のヒットがあったから。一方、同様に2016年大ヒットした実写映画『シン・ゴジラ』も、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督の作品で、どうせアニメでしょ、とこれまでアニメを切り捨ててきた人たちも、いよいよその存在を無視できなくなってきました」 そう、アニメを見ているのはオタクや子供、というイメージはもう古いのだ。ここ数年、アニメはより多くの人が楽しむエンターテインメントになっている。2016年8月から公開中の『君の名は。』は興行収入200億円を突破。続いて公開された映画『聲の形』も22億円超えするなど、アニメ映画のヒットはとどまるところを知らない。なぜ今、秀逸なアニメ作品が日本映画にそろってきたのか。アニメ評論家の藤津亮太さんはこう語る。「もともと日本のアニメはレベルが高く、ファンはそれを知っていましたが、多くの人がそのことを知らなかった。でも2016年に『君の名は。』が当たったことで注目が集まり、アニメの多様さ、面白さが発見されたんだと思います。 たとえば『君の名は。』は映像美が有名ですが、映画『聲の形』、『この世界の片隅に』にもそれぞれ違う映像美や魅力がある。『君の名は。』を見て、アニメってすごいなと思った人たちが他の作品も見に行って、やっぱりその気持ちを裏切らない作品だった、ということは大きい」 そして2017年も『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』、『ひるね姫~知らないワタシの物語~』、『メアリと魔女の花』、『虐殺器官』など期待作が続々公開予定だ。「テーマや題材で選べばそれほどハズレはないはず。新たな発見があると思います」(藤津さん) アニメだから描ける世界やストーリー、日本人のセンスと職人気質で作られた秀作を知らないままではもったいない。2017年、今こそアニメ映画の世界に足を踏み入れてみてはいかが?関連記事■ 映画『君の名は。』舞台挨拶で語った神木隆之介・長澤まさみの願い■ 『妖怪ウォッチ』出演の武井咲 アニメ実写の融合にドキドキ■ 『君の名は。』は大人もハマれる 数々の証言■ アニメ映画隆盛 新海誠の次に「来る」気鋭の監督たちを紹介■ 上戸彩が映画大ヒットで巨大ニンジンを持って笑顔をキメる

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    ここが変だよ、「クールジャパン」輸出

    「クールジャパン」という言葉が使われはじめて久しいが、本当に世界各国に日本の“カッコいい”は浸透しているのだろうか。日本の“クール”な農産物やコンテンツはどうすれば売れるのか考えてみた。

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    コメ農家がもうからなくても輸出をする理由

    【WEDGE REPORT】山口亮子 (ジャーナリスト) 2016年10月末、茨城県常陸那珂港の倉庫。20人余りの農家が見守る中、重さ1トンのフレコンバッグをフォークリフトが次々とコンテナに積み込んでいく。「国内初」(関係者)というアメリカ向け業務用米(中食・外食などの業務向けのコメ)の輸出が始まった瞬間だった。世界的な和食ブームはコメ輸出の好機か?(THEWASHINGTONPOST/GETTYIMAGES) 「なぜアメリカからコメを買うばかりなのか。反対に日本のコメを売りたい。輸出するならアメリカという考えがずっとあった」 感慨深げに作業を見守っていた農家の一人、染野実さん(56)の言葉には力がこもる。 アメリカとのコメ貿易というと、高関税を維持するために輸入しなければならないMA(ミニマムアクセス)米などでアメリカからの流入一辺倒。日本からの輸出というと、少量を富裕層向けのスーパーに販売というのがほとんどで、15年の輸出量7640トンのうち、アメリカ向けは322トンのみ。 そんな中、茨城県内の8軒の農家は16年産のコメ60トンをロサンゼルスを中心としたカリフォルニアのレストラン向けに輸出。17年産は計360トンの輸出目標を立てており、計画通りにいけば、アメリカ向けの輸出量全体が一気に倍増ということになる。 にわかには信じがたい話だが、農家からコメを買い取るロサンゼルスの輸入販売会社田牧ファームズ代表の田牧一郎さんはこう断言する。 「アメリカにおいしいコメのマーケットはまだまだある。茨城のコメをしっかり売り切っていく」 その自信の裏付けとなっているのが、日本食ブームの盛り上がりと、国産米とカリフォルニア産コシヒカリの価格差がほとんどなくなってきたこと。 この10年ほど、カリフォルニアでは10年に3回ほどのペースで干ばつが発生。大量に水を使うコシヒカリの生産は敬遠され、より栽培の簡単な中粒種にシフトするようになった。 農家の減少を受け、スーパーなどの店頭小売価格でキロ当たり400~500円に値上がりしている。国産米をアメリカに輸出した場合の価格は450~500円程度で、価格差はほとんどない。 「カリフォルニア産短粒米は日本に比べて粒が小さい、香りが薄いなど、どうしても劣る点がある。日本からそれなりの価格のコメが安定的に出れば売れる」(田牧さん) ただし、国内で米価が上昇に転じ、飼料用米といった補助金の手厚いコメの作付けが推奨される中、当初思い描いたほどの輸出量は確保できていない。農家の手取りは1俵(60キロ)当たり7000~7500円となる見込みで、「あまりもうかるわけではない」(染野さん) というのが正直なところ。 昨年の茨城県産コシヒカリの農家の手取り額が1俵当たり1万2000円程度だったことを考えると、かなり厳しい価格だ。ではなぜあえて経営的に厳しい輸出を選ぶのか。農家はいずれも意識の高い大規模農家 「国内消費が減っており、コメが余ると生産者米価は下がる。国内で余ってしまうコメは世界に輸出していく。将来の米価を考えれば、今はもうけが少なくとも、最終的に我々の利益は上がるだろう」 農家の石島和美さん(60)の答えは明快だ。  利益確保のため、品種は反収(たんしゅう)(1反約10アール当たりの収穫量)が9俵以下のコシヒカリより多い10俵で、倒れにくく育てやすい「ゆめひたち」を選んだ。今後、さらなるコスト減のために、収量の多い品種の選定、苗を田んぼに移植する通常の田植えを行わず種を直接まく直播栽培による省力化などを進める。 また、商社を介さず田牧ファームズに売り、現地の卸売会社Maruhanaを経て、ロサンゼルスのレストランに販売と、流通経路をシンプルにし、流通コストの削減も実現した。 「輸出メンバーの間で、生産コストを削減していくという共通認識を持って、この価格でも生産性の取れる農家になっていくことが大事」(石島さん)と末端の販売価格から生産費を逆算する経営に、挑戦しようとしている。1社で国内輸出量の1割 新潟農商1社で国内輸出量の1割 新潟農商 15年の実績で全国のコメ輸出量の8%、16年は10%超を占める勢いなのが、新潟市の新潟農商。新潟クボタのグループ会社でコメの集荷・販売などを手掛ける同社は、海外のクボタグループの会社にコメを輸出し、現地会社から小売りに販売することで、中間マージンを最小化している。 新潟県内の450軒もの農家が輸出に加わり、16年産で1983・4トンの輸出を見込む。輸出先はクボタグループが現地会社を立ち上げた香港、シンガポールのほか、新潟農商が独自に販路を開拓したモンゴル、この冬からはベトナム、ハワイにも販路を拡大。順調に販路を切り拓いている同社だが、社長の伊藤公博さん(59)は、「輸出はパラダイスではない」ときっぱり。 農家との契約時に提示する価格は、農家にとって利益を確保できるぎりぎりの価格。同社自身も輸出による利益は少なく、国内向け販売でしっかり利益を出す分、輸出もできているという状況だ。 それでも、「将来に向けて自分たちの販路を確保しておかなければと危機感を持っている農家が多い。農家からの期待が大きいので、売り先をもっと広げようとしている」と伊藤さんはあくまで攻めの姿勢だ。ウランバートルのスーパーではおにぎりを配っての販促活動もしている(NIIGATANOSHO) 農業法人荒神(こうじん)の寺澤和也さん(64)はそんな農家の一人。4年前から新潟農商を介した輸出を始め、今ではコメの作付面積40ヘクタールのうち1割超えの4ヘクタール強を輸出用に充てている。「稲作農家はこれまで保護されてきただけに、周りが見えない。これだけ作ればこの額で買ってくれるという考えでずっとやってきたところがある。それではいけない」と寺澤さん。 念頭にあるのは18年の減反政策廃止と国内の需要減。18年以降、今ある各種補助金が継続するか期待できない中、輸出に舵を切る方が得策だと考えている。今後、輸出用の割合を2割程度まで高めるつもりだ。 新潟と言えばコシヒカリだが、新潟農商では業務用に適した多収品種の輸出も手掛けている。 生産コストの削減にも熱心で、1俵の生産費(農機具代を除く)を6000円以下にするプロジェクトに取り組んでいる。農機具代を除いた生産費の全国平均は1俵約1万2000円で、実現すれば驚異的な額だ。その実現のために「いただき」という反収が12・5~13俵もある品種の直播栽培に取り組んでいる。 輸出についての問い合わせの中には、価格を聞いて、国内の米価が下がったら輸出に加わると話す農家も多いという。 「でもね、後出しじゃんけんはだめなんです」と伊藤さん。 「輸出には、受け入れ側の限界量というものがある。その量まで誰が早くコメを持っていくか。スピード感を大事にしながら、将来的に1万トンほど輸出したいと思っている」激戦区シンガポール おにぎりで輸出量増激戦区シンガポール おにぎりで輸出量増 新潟と並ぶ米どころの秋田県には、おにぎり販売店という明確な出口を確保し、輸出の割合を将来作付面積の3割台に高めたいと考えているメガファームがいる。湯沢市で184ヘクタールの農地を耕作、うち104ヘクタールでコメを作付けするやまだアグリサービスだ。 同社は、15年からシンガポール向けのコメ輸出を開始し、15年産の「あきたこまち」を12トン、シンガポールでおにぎり専門店「SAMURICE(サムライス)」を展開するアグリホールディングス(東京都)を通じて販売した。16年産は「あきたこまち」12トンに加え、収量の多い「ちほみのり」12トンを輸出する。 16年に輸出米を作付したのは計5ヘクタールで、コメ作付の約5%程度。それでも計24トンと、巨大経営体だけにその量は決して少なくない。 「輸出用は最終的に、国内で売る場合の3割安くらいにしないといけないのではないか。それでも量は増やしていきたい」 社長の柴田為英さん(65)は、周辺地域の過疎高齢化で耕作面積が年々増加しており、増加分の販路として輸出を有望視している。 SAMURICEが順調に売り上げを伸ばし、1月中にシンガポールで2店舗増やし5店舗まで拡大するのも、後押しになっている。アグリホールディングスの手掛ける輸出量は16年には15年の3倍ほどに増加。17年は100トンの輸出を掲げている。現地ではおにぎりの手軽さと日本食はヘルシーというイメージが相まって、おにぎり販売はまだまだ成長し得るという。おにぎりの値段は1個3シンガポールドル(約243円)ほど(AGRIHOLDINGS) 輸出にそっぽを向く農家も 国内のコメ需要が年平均8万トン減る中、需要拡大の一手として輸出の必要性が叫ばれて久しい。18年以降、米価下落が予測されることや日本食ブームの盛り上がりが、農家の背中を押す要因になっている。特に14年産の米価暴落直後に輸出を検討した農家は多く、15年の輸出量は前年比約7割増となった。 15年に一気に増えた輸出だが、その動きは鈍化している。 「国内で高く売れるのになぜ安く輸出しなければならないのかと農家は考えている。コメを輸出する計画は今のところ立っていない」 こう話すのは秋田県大潟村の役場関係者。1964年に干拓で生まれた村は、田んぼ1枚が1・25ヘクタール、1戸平均約17ヘクタールの農地を持ち、国内で最も効率的な水田農業ができる場所ともいわれる。村では16年4月、大潟村農産物・加工品輸出促進協議会を立ち上げた。コメや加工品などの輸出の可能性を探ったが、1年弱の活動を経ての結論がこの発言。加工品の輸出のめどは立ったものの、肝心のコメの輸出に乗り気な農家がいないという。 「村の農家は価格に正直で、100円でも高い業者に売ろうとする。メリットの薄い輸出には興味がない農家が多い」 30代農家はこう話す。 「国内で余剰感があるのは確かだが、手取りが一切向上しないというのでは、いくら業者から輸出の話を持ち込まれても厳しい」と別の50代農家。輸出の大義は理解できるが、今の状況では踏み切れないという。コメ輸出で利益が出ない原因コメ輸出で利益が出ない原因 輸出で農家が利益を出すのを難しくしている原因は、生産コストの高さ以外にもいくつかある。まず挙げられるのが関わる業者の多さと、それに連動して中間マージンがかさんでしまうことだ。 国内集荷業者、国内の輸出会社、海外の輸入会社、現地の卸売りと、末端の小売りに行きつくまでに相当の中間マージンを取られる。国内の2倍近い価格で売れると聞いて輸出をしたところ、末端価格は確かに国内の倍だったが、間で抜かれて農家の手取りは通常よりも低かったといった話は産地でよく聞かれることだ。 加えて、現地での国内他産地との価格競争が過熱していることも挙げられる。輸出の過半を占めるのが香港とシンガポールへの輸出で、現地のデパートや高級スーパーでは国産米同士が熾烈な棚争いを繰り広げる状況に陥っている。 さらに足を引っ張る存在が飼料用米だ。実際の販売価格は主食用米に遠く及ばないが、多額の補助金が付き主食用と同等の収入が確保できるうえ、栽培に手間がかからない。  茨城の輸出でも「飼料用米の方が若干高く、輸出をやらない人はやらない」(染野さん)と、飼料用米が足を引っ張る最大の要因になっている。 目先の利益だけを考えれば、輸出は経営上の選択肢にはならないかもしれない。それでも18年の減反廃止と国内のコメ需要の縮小を考え、将来を俯瞰する農家にとっては、輸出は有望な選択肢の一つになっている。

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    成果なき「官製クールジャパン会社」の信じ難い実態

    【WEDGE REPORT】ヒロ・マスダ (映画プロデューサー) 近年、クールジャパン政策が叫ばれている。日本のコンテンツの海外展開分野においても、これまで数百億円の税金や財政投融資など公的資金が注がれている。コンテンツ政策におけるクールジャパンの目的は、単に日本コンテンツの輸出額を増やすだけでなく、ソフトパワーによる観光振興などのインバウンド獲得を狙う「クールジャパン効果」も重要な目的になっている。Stock しかし、巨額の公的資金支出にもかかわらず、公的資金拠出の意思決定や成果の評価は著しく客観性に乏しい。本来、クールジャパン効果とは客観的な外部評価が基準であるべきだが、税金を使う側である当事者の主観的な内部評価が基準となっている。この思い込みが、国民財産の毀損と無駄遣いの温床になっている。その顕著な例が2011年に「日本を元気にするコンテンツ総合戦略」のもと設立された株式会社All Nippon Entertainment Works(ANEW)である。 ANEWは、日本のIP(知的財産)を用いてハリウッド映画を作ることで、日本のコンテンツの海外展開を図り、その利益を日本国内に広く還流することで日本のエンタテイメント産業を再生するという目的で設立された。官民ファンドである産業革新機構から100%、60億円の出資決定を受け設立された映画企画開発会社である。 また、ANEWの設立には監督官庁の経済産業省も企画から深く関わっており、設立後に職員を出向させるだけでなく、クールジャパン官民有識者会議、首相官邸コンテンツ強化専門調査会、国会経済産業委員会でANEWの取り組みを推進してきた。 16年10月27日で会社設立から丸5年が経過したが、これまで7作品の開発を発表しているものの、これらの映画が公開され配当を得るどころか、撮影に至った作品すら1本も存在していない。また、官報に掲載されている決算公告によれば、15年12月31日時点までの損失は14億4517万円に上り、何ら成果のないまま毎年赤字を垂れ流している経営状態が続いている。国会で行われた「経営は順調」の答弁 映画製作の専門性を持たない産革と監督官庁の経産省はどのようにして60億円もの公金投資を決めたのだろうか? ANEW設立時、代表取締役は産革の執行役員が務め、社外取締役は執行役員と共にプロジェクトチームでANEWを設計したその部下、監査役も産革役員という構成であった。当然、株主も100%産革である。 さらにANEWを監督する立場の経産省も職員を出向させていた。国民財産の運用がこうした専門性に乏しく、ガバナンスも効きにくい体制の中で行われ、「クールジャパンらしさの追求」という主観的な内部評価の基準の中だけで60億円もの公的資金を注ぐ決定をしたのである。この件に関し経産省に情報公開請求を行うも、こうした官民ファンド等の株式会社を経由した公的資金に関する公文書は存在しない、もしくはすべて不開示となっており、国民に対し情報公開が行われない制度になっている。 産革には客観性、中立性を保つための社内組織・産業革新委員会が存在しているが、ANEWへの投資決定を見る限り、この組織が客観性と独立性を持っているようにはうかがえない。これについては、14年の産革投資先の監査未実施に対する改善要求に関わった財務省職員も「ANEWのような自分で自分に出資するような投資は通常公的ファンド運用のルール違反にあたる」との見解を語る。 ANEWの5年間の事業評価についても客観性を欠いている。経産省は「産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法」に基づき「産業革新機構の業務の実績評価」を行っている。これによると、経産省は投資実行後も各投資先企業についての財務情報、回収見込み額、出資に係る退出(EXIT)方針、投資決定時等における将来見通しからの乖離等を精査していることになっている。国会で行われた「経営は順調」の答弁国会で行われた「経営は順調」の答弁 しかしこの間、同メディア・コンテンツ課課長、大臣官房審議官は、ANEWについて「映画が実際に作られ、配当により3年で投資回収が始まる」とあたかも経営が順調であるかの旨の報告を国会等で答弁している。 しかし、映画の専門性に基づく客観的な外部評価を基準にする場合、ANEWの「ハリウッド映画化」の発表は映画製作成立の根拠には値しない。「ハリウッド映画」の定義とは、厳密にはビッグ6と呼ばれるユニバーサル、ウォルト・ディズニー・カンパニー、ワーナー・ブラザース、20世紀FOX、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント、パラマウントのハリウッドメジャースタジオ製作の映画を意味する。 これらの映画会社には製作費に充てる資本があり、映画を適切な形で売り出すための事前のマーケティングプラン、世界に売るための配給網、また投資を一定の期限内で回収するために2、3年先の公開日も決定している。 一方、ANEWが自社リリースで発表する「ハリウッド映画化」はこれと似て非なるものである。「日本IPでこんな映画企画開発をやります」という自社発表は、原作の映画化権を持つ者なら誰もが発表できるものであり、投資家に対して実際に映画が作られる保証をするものではない。 しかし、経産省の内部評価基準では、「順調な経営」と評価し、設立から3年で公金投資の回収ができると勘違いしている。こうした経産省の「虚偽的」な経営報告の答弁もあってか、ANEWは14年11月28日に資本金及び資本準備金合わせ11億円の追加投資を受けている。すでにそのほとんどが非効率な映画企画開発を行う赤字経営によって消えている。 ANEWの企業理念は「グローバルモデルによるイノベーションによりニッポンのエンタテインメントが生まれ変わる」だ。経産省もANEWの「社会的ニーズへの対応」「大きな成長と公的資金投資回収の高い蓋然性」「新しいビジネスモデルを確立する革新性」を認め推進した。iStock映画産業で存在感高める中国映画産業で存在感高める中国 しかし、映画産業で日本を豊かにしたいのであれば、世界のエンタテイメント資本、投資家、映画産業プロに作用する客観的な評価を基準に考えなければならない。主観的な理念など、評価に値しないものである。 映画製作における真の「イノベーション」とは、秀でたタレント人材や映画テクノロジーによる創作面の効率性の向上や、利益を出すためのプロダクション運営の経済的効率性の向上である。官民癒着で公金を引き出すために使われた「ニッポンのイノベーション」であれば、日本再生の切り札どころか自らの持続的経営の将来見通しすら破たんした今の結果は、始まる前から分かっていた当然の結果だといえる。 日本政府は日本IPに由来のある、もしくは日本に関係のあるハリウッド映画のプロデューサーや監督に対するクールジャパン表彰をロサンゼルス日本総領事公邸で行っている。13年には日本の玩具をモチーフにした映画「トランスフォーマー」のプロデューサーも受賞した。しかし、14年に公開された「トランスフォーマー」第4作は中国共同製作で製作され、ワールドプレミアイベントをロケ地の香港で行い、中国人俳優が出演し、中国の銀行や電気製品などのプロダクトプレイスメント(映画のなかで企業のロゴや製品を自然なかたちで出す広告手法)も行われた。 映画におけるクールジャパン効果とは、一般客の普通の感覚で映画を鑑賞したときにどう感じるかという客観性を基準に考えるべきで、この場合、中国共同製作の「トランスフォーマー」を見た一般の観客がこの作品からクールジャパン的印象を強く感じ、それが日本へのインバウンド効果に繋がると考えるのは的外れだと言える。iStock 世界の映画産業においてはハリウッドだけでなく、中国の存在感も増してきている。ハリウッド版「ゴジラ」を製作したレジェンダリー・ピクチャーズの親会社は、今や中国企業である。「ゴジラ2」はレジェンダリー・エンターテイメントを買収した大連万達グループが青島にオープンさせる総工費約80億ドル(約8000億円)の世界最先端の施設で撮影されることも決定している。また同社はソニー・ピクチャーズとの提携も発表している。ANEWが発表している海外パートナー企業にも中国からの巨額出資を受けている映画会社が含まれる。 映画産業自体も変化しており、技術革新によるインターネットの定額配信サービス、ビデオ・オン・デマンドサービスの普及に伴い消費者行動も変化し、かつて映画でしかかけられなかった高額予算をTVドラマにかけられるようになった。これと同時にハリウッド俳優、監督らもTV産業に活躍の場を移している。クールジャパンは多額の公的資金を浪費するだけ このように世界の映画産業を取り巻く環境も国際競争も劇的に変化している。一方、日本が公金投資に対する客観性についての学習を遂げるまで、世界は決して待ってくれない。 日本がクリエイティブ産業で食べていくということは、日本に投資を獲得し、また産業を支える現場に質のいい産業雇用創出をすることが重要である。ソフトパワーによるインバウンド効果を得たいなら、まずこの国でインバウンド効果を生むいいコンテンツが生まれる環境がなければそもそも達成できない。  ANEWが夢見る「いつか、ハリウッドの誰かが叶えてくれる」では解決しない問題である。残念ながら多額の公的資金が散財される「クールジャパン」は産業の未来にいない人たち、また成果がなくとも困らない人たちの主観的な内部評価を基準に実行されている。この分野で本当に日本を豊かにするには日本の公的資金相手の商売ではなく、世界市場相手の商売であることを認識する必要がある。 日本のクリエイティブ産業の発展に対し無責任な人たちが無責任な未来を設計するような政策は次世代のためにも許してはならない。

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    ヌーハラ問題から日本文化のグローバル化を考える

    してどんどんと広げていくべきです」とコメントしていた。つまり音をたてて食べるのがデフォルトだから、異文化の人間はこれをちゃんと理解すべきであるという主張だ。 氏がこのように主張する根拠としてあげているのが以下のエピソードだ。「私は過去にインドに行った時に手で食事をしたことがあります。左は”不浄の手”とされ右手で食べるのですが、正直、自分の手を舐めるような変な感じがしましたこれをかつて欧米人は「下品だ」と言い、また日本や中国の箸についても「下等民族の道具だ」などと言っていましたが、今では和食や中国料理が世界中にあるなかで上手くはなくても欧米人も自ら箸を使うようになりました。」 ラーメン・蕎麦・うどんを音をたてて食べるのが美味しいと感じるのは僕も同じだ。横でモソモソと音もたてずに麺をすすっている人間に気づくと、こちらが逆にヌーハラを受けたような気分になってしまう。だから、中田氏の言わんとしていることは、わからないでもない。 但し、留保がつく。それは「麺を日本、あるいは日本文化が支配的である環境で食べる場合」だ。中田氏の問題点は氏が依拠する、いわば「郷に入れば、郷に従え!」というところにある。そこで、これを今回の考え方のデフォルトとしてみよう。そうすると、中田氏は「郷に入れば、郷に従え!」を主張しながら、立ち位置を変えた瞬間「郷に入っても郷に従っていない」、つまり自家撞着に陥っていることがわかる。従来と売り方が異なるJカルチャー現在、世界に広がる日本文化は“J.カルチャー” その前に一旦、話を日本文化の海外への定着に振ってみたい。1960年代の高度経済成長以降、日本の知名度については「クルマや電化製品などのモノ、つまり消費や技術に関するものについては世界に知られるようにはなったが、日本の文化、つまりコト・伝統については認知度が低いまま」と言われてきた。そこで、なんとかして日本の文化を売り出そうといろいろな試みが行われてきた。ベタに「ゲイシャ、フジヤマ、スシ、ニンジャ、ゼン、ブシドー、ワビ・サビ」みたいな海外のステレオタイプを前面に出すやり方。あるいは他文化、とりわけ西欧に阿るやり方がそれだ。音楽だと英語でロックを歌って売り出すなど(フラワートラベリンバンドやバウワウ等。例外はサディスティックミカバンドで、日本語で歌っていた)。ただし、結局のところサッパリだった。 で、「どうやったら日本文化が世界に知られるようになるのだろう?」と手をこまねいているうちに、ひょんなところから日本文化は認知されるようになった。そこで海外に定着した「もうひとつの文化」をそれまでの日本文化とはアプローチが異なるということで、とりあえず「J.カルチャー」とカタカナで表記しておこう。J.カルチャーはアニメやマンガといったオタクカルチャーからジワジワと世界に浸透していった。 J.カルチャーは、これまでの日本文化とは二つの点で根本的に売り方が異なっている。一つは「文化として売ろうとはしていなかったこと」。いいかえれば「消費物」「ビジネス」として売り出したことだ。さしあたり「カネが入ればそれでいい」という、きわめてイイカゲンな売り方だ。だから日本アニメは安売りされ、あっちこっちで放映された。もう一つは「こちらのやり方を押しつけはしないが、迎合もしない」という売り方だった。これは「買ってもらうのが第一の目的なので、文化振興云々はどうでもいい。また、いちいち手間暇かけて相手向けにカスタマイズするのもカネがかかるので、あまり手をつけない」というスタンスが、結果としてこうなったと考えればいいだろう。 前述のロックバンド(七十年代前半)はこれと反対で、明らかに当時のロックシーンに阿っていた。全部英語で歌い、サウンドのスタイルも世界の潮流に準拠していた。要するにアグレッシブに「世界に出たい」と考えていたわけだ。で、阿りつつ手間暇かけていろいろ考えた。とはいっても、結局はいわば「猿マネ」で、こう言っては内田裕也さんに申し訳ないが、今聴くとかなり恥ずかしい(その代わり、テクニックはスゴかった!)。ナショナリズム的な思考停止 ところが前述したようにアニメやマンガは違う。阿っていない、というか垂れ流しなので勝手に広がるだけだった。これがかえってよかった。安売りした商品がメディアに流れ、子どもが飛びつく。で、これが世代交代することで広い世代に浸透していき、気がつけばジャパンアニメは世界中を席巻していたのだ(映画『マトリックス』監督のウォシャウスキー兄弟が『マッハ go go go』(”Speed Racer”)を、ディズニーが手塚治虫の『ジャングル大帝』をパクって『ライオンキング』を制作するなんてことが結果として発生した)。閉会式に登場した安倍首相=2016年8月、リオデジャネイロ ただし、これは「垂れ流し」なので、阿ってこそいないけれど、どのようにJ.カルチャーが理解されるのかは、これを受け入れた文化に委ねられた。つまり勝手にカスタマイズされた。たとえば「ポケットモンスター」は”Pokemon”として普及した。マリオもまた同じでファミコンならぬNintendo(まったく同じハードだが)のキャラクターとして普及した。そこに日本の文化を「きちんと教えよう」なんて押しつけがましい「邪心」はまったくない。邪心は「カネ儲け」だけ(笑)。すると、J.カルチャーは「日本文化」であることも知られないうちにグローバル化したのだ(リオの閉会式のパフォーマンスでマリオやハローキティがメイドインジャパンであることを知った人間はかなり多いんじゃないんだろうか)。そう、J.カルチャーは「郷に入れば郷に従え」ならぬ”When in Rome, do as the Romans do ”として広がったのだ。中田氏の立ち位置では日本文化はグローバル化しない 中田氏はこの認識が抜けている。コメントの立ち位置は「麺を音をたて食べるのは絶対善」あるいは「箸を使用することは下品なことではない」というナショナリズム的な思考停止だ。あるいは「カレーを手で食べるのは下品である」という欧米かぶれ、つまり「欧米か?」とツッコミを入れられてしまうような心性だ(こちらは西欧至上主義、あるいはインド文化蔑視の態度ということになる。全然、郷に従っていない)。勝手にローカライズされた寿司 文化のグローバリゼーション(この場合、日本文化の普及)は、中田氏のような立ち位置では絶対に発生しない。文化人類学にクレオール化という言葉がある。輸入文化は、それを受け入れる文化の文脈で理解され変更されることで初めて定着する。だからローカライズという洗礼を受けないわけにはいかないのだ。 アニメはもちろん、寿司やラーメンなど、日本文化は今や着々と世界に浸透しつつある。ただし、これらは横文字の、つまりAnime, Sushi, Ramenとして。アメリカの場合をみてみよう。今年7月ロスで開催されたAnimeEXPO2016では三日間の開催期間に26万人が集結した。会場では日本語のアニソンが流れ、あちこちに日本語の文字を見つけることができ、千人を超すコスプレイヤーが会場内を闊歩していた(詳細はこちらを参照)。しかし、これらはちょっと日本のそれとは違っていた。そして館内に響く入場者の会話は、あたりまえだがほぼ英語だった。 Sushiも同様だ。基本は巻き寿司、しかも裏巻で、ベースになるのはアボガドやクリームチーズ、サーモン、そこにシラチャーや )ソース、ハラペーニョなどなどあやしげなソースがぶちまけられている。反面、光り物を見つけることは難しい。で、そういった勝手にローカライズされた寿司=Sushiがその辺のスーパーであたりまえのように売られている。Ramenはまだ勃興期を脱してはいないが(大都市圏を除く。インスタントラーメンは、もはや完全に定着)、チキン味を中心として、そして味も少し変わったかたちで広がっている。もちろん、音をたてて麺をすする人間を見つけることは難しい。そしてこれらはいずれも阿ったのではなく、勝手にカスタマイズされて現地の文脈に取り込まれたのだ。つまり”When in Rome, do as the Romans do ”。だから音をたてるのは原則、ヌーハラになる。 残念ながら中田氏のコメントにはこういった文化伝播のメカニズムに関する認識が抜け落ちている。文化は売り込むと言うより、勝手に広がるのだから。そして、こうした歴史はこれまでずっと繰り広げられてきたはずだ。日本文化は現在J.カルチャーとしてブレイクしつつある。いや、もうしているのかもしれない。本物の日本文化が認められることはあるのか 文化のカスタマイズは日本文化の輸出に限った話ではない。日本もまた異文化の輸入に際して同じことをやっている。例を一つ紹介しておこう。フジテレビ『料理の鉄人』に登場した中華の鉄人・陳建一の父・陳建民は日本に四川料理を紹介した人物として知られている。その典型がエビのチリソース、通称「エビチリ」だが、これは建民が四川料理を日本に定着させるために乾焼蝦仁(カンシャオシャーレン)をアレンジしたものだ。四川料理は豆板醤がふんだんに使われるため辛く、このままでは日本人の口には合わない。そこで陳は豆板醤の量を減らし、代わりにケチャップ、スープ、卵などを加えてマイルドに仕上げた。その結果、われわれ日本人にっとって四川料理はきわめてポップな中華料理の一ジャンル、エビチリは家庭料理の一皿となったのだ。本物(=オーセンティック)の日本文化が認められることはあるのか? 話をヌーハラに戻そう。じゃあ、海外(あくまで今回議論の対象となったあやしげな「海外」限定ですが)で音をたてて麺をすするのは結局ダメなのか?(ちなみに音をたてている文化が日本以外にないわけではない)。解答の一つは「まずはダメ」ということになる。ローカライズの洗礼を受け、一般に広がる過程では、音をたてろとか、そんなことをいちいち指摘するのは「野暮」なのだ。ただし、こういった「変形したかたちでの普及=音をたてずに麺を食べる」の後、オリジナルな、つまりオーセンティックな料理や食べ方が認められることは十分にあり得る。前述したエビチリだが、これでわれわれは四川料理を知った。そしてその認知度が高まれば、今度は「本物の四川料理を食べてみたい」という気持ちも湧いてくる。実際、現在、オーセンティックな四川料理を食べさせるレストランは国内でもあちこちにある。その時、客は舌のモードをオリジナルな方にセットし直しているはずだ。日本料理(そして日本文化)も同じで、普及すれば、オーセンティックを指向するような人間もまた登場する。そして、それに合わせたかたちで海外で施設が設けられる。つまり「本物のラーメン屋」がオープンする(いや、もうしているのだけれど)。そこでは、当然「音をたててラーメンをすすること」がデフォルトとなるはずだ。ちなみに、今僕が滞在している米・トーランス(ロスの隣の都市)には十件以上のラーメン屋があるが、音をたてることについてはお構いなしだ)。 こうして文化はグローバル化していく。そして、今、日本文化=J.カルチャーは大ブレークしつつある。(「勝手にメディア社会論」より 2016年12月11日分を転載)

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    きゃりーぱみゅぱみゅも大人気! 逆襲をかける日本のテレビ局

    【WEDGE REPORT】WEDGE編集部 韓流ブームに沸く日本だけでなく東南アジアでも韓国ドラマは大人気だ。韓国ドラマ躍進の背後には政府の後押しもあるが、海外展開に適した制度や、若いクリエイターに制作を任せるという風土も大きく影響している。ドラマなど日本のコンテンツも、韓国を凌ぐことはあっても劣ることはない。安倍晋三首相はクールジャパン戦略担当大臣まで設置し、アベノミクスの柱である成長戦略のなかで日本コンテンツの海外輸出を掲げる。補正予算では170億円という今までにない破格の財政支援も打ち出した。国内市場が縮小するなかで、これまでの国内向け作品の輸出から、海外マーケットを狙った作品も生まれつつある。日本のコンテンツは、もっと世界で売れるはず。さぁ、「クールジャパン2.0」の幕開けだ。地方の番組制作会社がフランスでヒット番組 広告出稿は漸減しているものの、足元では「国内の視聴率競争で勝つことが絶対」と、在京キーテレビ局関係者は口を揃える。とはいえ、事業環境の変化は、地方局にとってはすでに目の前にある危機だ。テレビ新広島(TSS)の子会社で番組制作を行うTSSプロダクション。2007年、親会社に頼らない収入源を持つことを目的に番組のネット配信を開始した。仏でのJIM感謝祭に出演したバニラビーンズ(提供:TSSプロ) 英語、中国語、韓国語の字幕を付けた観光、食、音楽、ファッションなどを軸に日本を紹介する『Japan in Motion(JIM)』という番組だ。 企画を立ち上げた白神道空プロデューサーは「広告収入を狙ったのですが、当初はやればやるほど赤字でした」と振り返る。余計な仕事をする暇があれば本業に注力しろ……。無言の圧力にもさらされた。 それでも、JTBのグループ会社が外国人観光客向けに運営する「JAPANiCAN」のサイトに観光地の映像を提供する代わりに旅費を負担してもらうなどし、少ない予算で番組を制作する工夫をした。制作チームも白神プロデューサーと担当部長の2人。白神プロデューサーは、スポンサー探しの営業、企画、ロケ、映像編集まで全て1人で行った。 「中国地方の観光地紹介や、地元企業による職人技など、東京発ではないニッチな情報発信」を続けることで番組への評価は次第に高まっていった。ジーンズ、お好み焼き、きゃりーぱみゅぱみゅ… 転機となったのは09年。海外の放送局にコンテンツを配信すれば助成金を出すという総務省の事業を知った。これに乗ろうと、海外の放送局に打診。そのなかで一番反応が良かったのが、フランスのケーブルテレビ局「NOLIFE」だった。「『NOLIFE』の視聴者は20~30代前半。この世代は日本のアニメを見て育っていて、日本への関心が高いことが分かりました」。 政権交代によって助成金自体が白紙になったが、手をあげてくれた「NOLIFE」のために手弁当で番組を制作した。番組の人気は予想を大きく上回った。視聴者は80万人に上り、放送を開始した年から広島を訪れるフランス人観光客が急増するという効果も出た。 スポンサー開拓にも新たな手を打った。スポンサーとなった岡山のジーンズメーカー藍布屋の「桃太郎ジーンズ」の生産現場を「工場見学」として番組で紹介。フランスでの販路開拓を支援して、パリの有名セレクトショップへの納品に結びつけた。 同じく「広島風お好み焼き」を番組内で紹介。パリにお好み焼き屋を出店するクリストファ・ワーグナー氏と提携し、フランスのゲームショーでお好み焼き屋を出店するなどしてブームを演出。広島のソースメーカー「オタフクソース」にも協力を呼びかけた。ソースメーカーにすれば自前で宣伝することなしに販路開拓ができ、白神プロデューサーとしては、「将来のスポンサー候補として期待している」という。 12年からは、新たなポップカルチャーの発信者として人気が高まった、きゃりーぱみゅぱみゅさんがレギュラー出演者として加わり、地元広島、福岡では地上波での放送も決まった。「アクオス」のプロモーション記者発表会に出席したきゃりーぱみゅぱみゅ 事業は昨年度に続き、今年度も黒字達成の見通しで、「このビジネスモデルを使うことで別の国への展開も目指したい」と意欲を見せる。「今は傍流でも、新たな収益源にしたい」「今は傍流でも、新たな収益源にしたい」 キー局においても、海外の放送局向けに番組を制作する動きがある。TBSは昨年、シンガポール最大のメディア企業で唯一の地上波テレビ局メディアコープと共同で、東京のポップカルチャーやトレンドを紹介する『kawaii style』、ドラマ『ムーンケーキ』を相次いで制作し、現地で放送した。 この事業を担当するTBSホールディングス次世代ビジネス企画室の白石徹太郎氏は「ある意味、我々がリスクを取るビジネスです」と話す。TBSは制作費を多く出す分、番組コマーシャルのセールス権をもらう。ただし、スポンサーを募って制作費を回収しなければならない。 同様のビジネスモデルで、TBSは日本経済新聞と共同で昨年4月からニュース番組『Channel JAPAN』の放送を開始。アジア広域に放送されるCNBC ASIA、台湾の非凡電視台、インドのTV18からはじまり、10月からはベトナム国営放送VTV2、インドネシアのメトロTVへも拡大。アジアで事業を拡大する日本企業からのスポンサーとしての関心も高いという。 白石氏は「テレビ局のなかで、この仕事はまだ傍流です。それでも、新たな収益源になるように、このビジネスを育てたいと思っています」。 実は、韓国ドラマや韓流カルチャーの浸透と、サムスンのテレビ、現代自動車など韓国製品の市場での存在感の高まりはリンクしている。例えば、東南アジアではドラマの制作発表に合わせて、Kポップのコンサート、韓国メーカーの新商品発表などを同時に行うことで上手くブームを起こしている。白石氏も「メディアが旗振り役になることで、コンテンツにとどまらない日本ブームを演出することができるはずです」と話す。値段が高くても売れる日本が誇る良質番組 電通と民放テレビ各局がシンガポールで、テレビ事業運営会社『JFCTV』を設立し、2月25日から放送を開始した。こちらも日本企業や、現地企業からスポンサーを募って、アジア10カ国・地域に放送を広げることを計画している。 海外への番組展開でオーソドックスなのは番組販売(番販)だ。日本の番組の販売価格は高いといわれるが、それでも良質な番組は売れている。日本のテレビ局が強化するフォーマット販売とは? 昨年11月放送のNHKスペシャル『大海原の決闘!クジラVSシャチ』、今年1月放送の『世界初撮影!深海の超巨大イカ』は、NHKエンタープライズ(NEP)の自然番組班が制作を担当した。「超巨大イカ」は制作に10年余りをかけ、NHK、NEPに米ディスカバリーチャンネルも参加した国際共同制作番組。長期の取材と深海撮影用の潜水艇の手配など莫大なコストを各社で分担したからこそ、世界で初めて撮影に成功した。NHK放送センター NEPの坂本秀昭海外販売部長は「NHK、NEPの自然番組は海外販売の主力商品です。ダイオウイカやクジラVSシャチは、放送前から海外の大手放送局から購入希望が来て競争になるほどの人気でした」と話す。 番販に加えて日本のテレビ局が強化しているのがフォーマット(企画)販売だ。なかでも最も老舗なのがTBS。ドラマ『JIN−仁−』が世界80カ国で放送されるなど番販でも実績を上げているが、それに加えて、フォーマット販売も80年代からはじめている。 『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の面白ビデオコーナーの米国版『America’s Funniest Home Videos』は米ABCで放送23年目に入り、『SASUKE』の米国版『American Ninja Warrior』は、ラスベガスで決勝戦が行われるなど人気番組になっている。 フォーマット販売といっても、決して売り切りビジネスではない。TBSテレビコンテンツ販売事業部の杉山真喜人海外番販チーフは「フォーマット販売は売った後が大事です。細かなノウハウが沢山あって、ライセンス先と信頼関係ができてはじめて番組が成り立ちます。企画だけあっても番組としては成立しません」と話す。 アニメも日本が誇るコンテンツの柱だ。輸出額でみると、2000年代のピークからは落ちたものの根強い人気は続いている。テレビ朝日の上田直人国際ビジネス開発部長によれば「『ドラえもん』などのコンテンツは、エバーグリーンと呼ばれています」。つまり、流行り廃りではなく、継続して人気があるコンテンツだということだ。加えて『忍者ハットリくん』がインドで、『クレヨンしんちゃん』がスペインで突如として人気が出るなど「需要の掘り起こしはまだまだできる」という。  海外への販売拡大の余地が大きいなかで最大のネックとして残るのが権利処理の問題。例えば、NEPの楢島文男海外販売特別主幹は「VOD(ビデオ・オン・デマンド)権が渡せないことが辛い」と話す。 海外の放送局は放送とネットのVODをセットで要望することが急増しているという。提供するためには新たに権利処理をするか、作り直す必要があるが、多大な手間とコストがかかり、採算がとれない。海外放送局のサービス形態が拡大する中で、制作、販売側の対応が追いつかないのが現状である。こうした課題をクリアするにはどうすれば良いのか。雑誌では次章で検討する。

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    東京五輪見据えた仰天IT政策案 ICチップ入り扇子の配布など

     昨年、日本を訪れた外国人観光客は1300万人を超えた模様だ。過去最高だった2013年の1036万3904人を大きく上回る。政府はさらに外国人観光客を増やす目標を掲げており、東京オリンピックが開催される2020年に2000万人にするという数値目標を掲げている。 ただ、目標数値を掲げるだけでは旅行者数は増えない。何らかの画期的な政策、方策が必要となる。そこで注目できるのが、自民党が策定した「デジタル・ニッポン」なのだ。外国人の姿が目立つ東京都新宿区の歌舞伎町 これは自民党のIT戦略特命委員会がとりまとめた政策提言だが、東京オリンピックが決まったことで、東京オリンピックを観戦に来る外国人をターゲットとした夢のようなアイデアを開陳している。 素人考えの荒唐無稽なものではない。日立やパナソニック、ソニー、マイクロソフト、NTT、ソフトバンク、積水化学、トヨタ、JR東日本、セブン銀行といった、およそ30の民間企業からヒアリングし、各社の知見やアイデアをまとめたものなのだという。 では、2020年の東京オリンピックの頃の日本はどうなっているのだろう。 まずは外国人旅行者の入国から。大勢が一気に訪日するため、入国手続きは相当の混雑が予想される。が、テロの水際防止のために、ここで手を抜くわけにはいかない。 そこで生体電子情報を用いた「インフライト・クリアランス・システム(IFC)」を用い、機内で本人確認をし、入国審査を簡略化する。生体情報を使うので、テロリストの排除にも役立つという。 入国する外国人には「スーパーID」を発行する。このIDが訪日中のパスポート代わりになるだけでなく、電子マネーとして買い物に使え、電車やバス、タクシーなど交通機関の決済もこれで全てできる。 ちなみに電子マネーのチャージは入国審査をする航空機内でやってしまう。電子マネーの機能以外にも、公衆無線LANの使用もこのIDを使ってスムースに行えるようにする。 ここで注目すべきは、クールジャパンを体現した「スーパー扇子」。外国人旅行者にICチップを内蔵した扇子を配布する。いわゆる扇子デバイスで、ここにスーパーIDの情報を組み込み、支払いなどにも活用するのだ。 暑い日本の夏、扇子は手放せない。IDに適しているというわけだ。扇子を通じて公共情報、五輪の競技情報、飲食店情報、割引情報なども得られるようにする。訪日した外国人は皆、扇子で扇ぎながら日本中を観光するようになるのだろう。 これらは2015年から試作、検討を始め、2017年に東京周辺で実証事業を行い、2020年に本格導入を図る――というスケジュールを想定しているという。さて、オリンピック観戦でも新たなアイデアが多数ある。 まずは「スーパーナビ」。眼鏡型のウェアラブル端末を掛ければ、観客席からでも競技を間近に見ることができる。望遠鏡の機能があるわけではない。競技場に複数のカメラを設置し、競技を立体的に映して眼鏡型端末に送信する。夢のようなアイデアが満載 そうすると、360度どの角度からでも臨場感ある競技映像を見ることができるのだという。サッカー観戦で、客席から応援しながら、選手同士のボールの取り合いを間近に、好きな角度で見ることができるというわけだ。 競技中以外でも、IT技術によるおもてなしを受けられる。スーパーナビによって、会場施設内の道案内を受けられる。トイレも場所だけでなく、混雑状況も分かる。会場内でのお弁当などの購入はスーパー扇子を使う。 こうした会場では、子供が迷子になることがままある。そこで「顔認証による迷子探し」のシステムも導入。入場時に希望者は迷子探しサービスを申し込み、子供の顔画像を登録する。 迷子発生時に、親が迷子センターに掛け込み、会場の監視カメラ画像から迷子を探しだす。見つけたら、近くの関係者に連絡し、迷子を保護するという。ちなみに、このサービスにあたっては、子供の顔画像を登録する際、家族写真の撮影や似顔絵をプリントアウトするなどのサービスを付け加えてはどうかとの提案もなされている。 顔認証は迷子探しだけでない。選手や競技関係者の顔画像を登録し、選手村やメディアセンターへの出入りに使う。近年、セキュリティ対策はどんどん厳しくなり、選手村に入るために何重ものチェックを受け、選手や関係者はうんざりしている。それを軽減するため、“顔パス”で出入りできるようにするというわけだ。 こうしたIT技術でネックになるのはバッテリーだ。そこで、観客席やメディアセンターなど大量の端末が使われる場所に、「ワイヤレス給電システム」を配備。何もしなくても、充電ができてしまう。新国立競技場の外観イメージ(大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所JV作成/JSC提供 オリンピックの花・マラソンを想定したアイデアもある。「ミスト」だ。真夏の開催ということで、マラソンなどは「自殺行為だ」との声も挙がっている。そこで、水を霧状のミストにしてコースに撒くことで、選手や観戦者の熱中症を防ごうというもの。現在、国交省が散水システムを実証中とのこと。 ちなみにこの技術は、冬には融雪にも利用できるのだという。ソーラーパネルで稼働する路面散水コントロールセンターが、地下鉄の湧水などを利用し、マラソンコースを冷やす。 この他にもたくさんの夢のようなアイデアが満載。この政策提言通りになれば、2020年にはSF小説が描いていた世界が現実のものになるわけだ。 この提言は平井卓也代議士を委員長に31人の自民党議員が策定したものだという。ただ、メンバー議員の複数の事務所にデジタル・ニッポンに関する取り組みを聞いても「そんなの、ありましたっけ?」と言うばかり。 「どうしても国土強靭化の方に目が行って、こうしたデジタル系は理解されない傾向が強いんだよね」(自民党関係者)関連記事■ 新入女子社員 「あの人東大出!」などと社内の男を物色■ 酒場雑誌女性編集長 泥酔し環状八号線の路上で寝た経験を語る■ 奇跡の生還果たしたトキのヒナ 公募で付いた名前は「きせき」■ 1964年の東京五輪から始まった日本発の「デザイン革命」とは■ コンパクトな犬用GPS登場 初年度25900円、次年度から7500円

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    世界に羽ばたく大戸屋〜定食に宿る松下幸之助の願い

    探究する場である京都の真々庵や芦屋の自宅にも何度も足を運びました。真々庵の地下には人間国宝(重要無形文化財保持者)の手による漆器や金工品、織物・染め物などが所狭しと並んでいます。当時の館長が「伝統工芸に息づく匠の技には、世界ブランドとなった日本製品の原点がある」と話されていました。若いころの私には十分に理解できませんでしたが、いまはその意味がわかるようになりました。    われわれの先人が欧米の技術を学び、そこに日本独特の「匠の技」を融合させて海外に発信した結果、トヨタやソニーなどの世界ブランドが生まれました。  日本の外食産業にも同じことがいえます。  日本の外食の背景には、高度な技術があります。高度保存管理や発酵の技術や知恵を抜きにして寿司が世界に誇る日本のソウルフードとなりえないように、科学的根拠の裏付けがないと食文化は成立・継承されません。  日本における食の産業化は、欧米のフードシステムを学び始めてから40年ほどの新規産業です。日本の外食産業は素材や物流機能や店内の管理に至るまで欧米から学び成長してきました。いまこそ、西欧の技術と出汁や発酵などの「匠の技」とを融合させた日本型外食産業を世界に向けてアピールする時期に差し掛かってきたのではないでしょうか。 箸を使って食事をするニューヨーカー  2012年、われわれは満を持して「大戸屋(OOTOYA JAPANESE RESTAURANT)」をニューヨークに初出店しました。当時はアジアを中心に店舗の視察をしていた時期で、久しぶりにニューヨークに足を運び、現地の居酒屋で食事をする機会がありました。若いニューヨーカーが日本人と同じように箸を使って食事をしている光景が目に飛び込み、一過性のブームだった日本食が、急速にニューヨーカーのライフスタイルに浸透していること、そして彼らの味覚が日本人に近づいていることに驚きました。  日本食を構成する要素として「素材」「発酵」「調理の技術」が挙げられます。マグロの握りを例にすれば、ネタやシャリ、わさびが素材で、酢や醤油は発酵、握りの技術は職人の腕。ニューヨークの居酒屋を訪れ、これらの要素を感じ取る「味覚値」が欧米人にも備わっていると直感したのです。  気が付けば、ニューヨーク1号店のチェルシーから始まり、タイムズスクエアとグリニッチ・ヴィレッジにも大戸屋の店を出すようになっていました。ニューヨークでは「すきやばし次郎」で修業した職人が出店した「SUSHI NAKAZAWA」や「雅(MASA)」のように客単価が3万〜5万円の高級日本料理店が人気を博している。  その一方で、ランチでもディナーでも3000円がプライスゾーンの飲食店はわれわれが先駆者です。利用者のうち約7割が欧米人で、日本人は3割程度。すっかり都市の一部として馴染んでいます。  メニュー構成は日本とは多少異なり、刺し身や手打ちそば、焼き鳥なども扱っています。店で使う原料は日本から送るものが3分の1で、残りの3分の2は日本の食材を扱う現地の卸問屋を通して調達します。他所の日本食レストランでは、日本の食品メーカーからレギュラー商品の出汁やつゆを問屋から仕入れます。しかしわれわれはプライベート・ブランド(PB = 卸や小売りなどの流通業者が開発したブランド)を現地で供給し、日本と同じ味を再現しています。ホッケやサバなどの食材も高いクオリティを維持するため、日本から持って行きます。じつは、われわれは日本の水産メーカーに依頼して、大戸屋のためだけに高い品質が保証された魚を一定期間分、買い付けています。そして大戸屋が参入し、独特レベルの、塩水に漬けたり、細かい温度・湿度管理条件のもとで乾燥させ、加工を施してもらいます。  このような綿密な手順を踏むことで、価格を抑え、かつ高品質な焼き魚のPBが完成します。このシステムによって、たとえ3000円のプライスゾーンでも、ニューヨークの美食家が満足するレベルの料理を提供できるのです。  2015年には、「天婦羅まつ井」(ホテルニューオータニ「なだ万」内)でチーフを務めた松井雅夫氏を招聘し、天婦羅「MATSUI」をニューヨークに出店します。ニューヨークでは寿司レストランは数多く目にしますが、天婦羅の専門店はありません。金銭的、気分的に贅沢をしたいハレの日に天婦羅を食べたくなる心理はニューヨーカーも日本人も変わらないようです。  われわれは祇園で洋食屋「MIKUNI」も経営していますが、天婦羅や洋食など大戸屋にはない未知のジャンルにこそ、学ぶべき料理の技術が隠れています。大戸屋のキッチンスタッフや商品部で働く社員を武者修行に出して、素材の選び方から食膳形式に至るまで学ばせることで、料理のスキルや「味覚値」のレベルアップに努めています。苦渋を嘗めた中国での経験     苦渋を嘗めた中国での経験  いま「大戸屋」は台湾、インドネシア、シンガポールなどアジアで80店舗以上を展開しており、2015年初期にはベトナムに初出店する予定です。  海外に行かれる方はよくご存じでしょうが、タイやマレーシアにある飲食店はどこでも香草の香りが漂っていますね。不思議なもので、日本食レストランでも同じ匂いがします。ところが、バンコクにある「大戸屋」のフランチャイズ店では日本の店舗と匂いが変わりません。なぜでしょうか。じつは調味料に秘密があります。われわれは海外で店舗を展開するときに、醤油やつゆなどの発酵調味料はすべて日本製を持って行きます。もしバンコクでつくられた醤油を使用すれば、現地の菌の匂いが付着して、嗅ぎ慣れない匂いが生まれるのです。  大戸屋と契約しているある醤油メーカーでは、アメリカに工場をつくる際に、空気や温度の変化で思っていた味が再現できず、日本の工場の従業員が着たユニフォームを洗わずに持って行き、菌を転移させた逸話もあります(笑)。  苦労話に聞こえますが、このようにして日本から持ち込んだ調味料を使うことで、大戸屋のコンセプトが崩れず、邦人のお客さんも懐かしい気持ちに浸れる。清潔感のある、居心地のいい空間を生み出すことができます。  各国の店舗ではそれぞれの持ち味を打ち出し、結果を出してきましたが、唯一、中国での店舗展開は苦渋をなめました。中国向け食品を輸出する際には食品安全法や食品安全法実施条例など複雑で厳しい規制が多く、たとえば千葉県の工場でつくったPBの醤油を持ち込めなかった。仕方なく、近い味の醤油を現地で調達して使用したのですが、われわれが求める水準の味には程遠かった。急遽、アメリカのオレゴン州でつくった醤油を上海に輸入してどうにか対応したものの、文字どおりアウェーの洗礼を受けた経験でした。    松下幸之助氏はいまから30年ほど前から「21世紀はアジアに繁栄が巡ってくる」と予見していました。松下氏のシミュレーションどおり、大戸屋は2005年にバンコクでアジア初出店を遂げてから、香港、シンガポールと順調に出店とブランディングを重ね、2010年にはアジア全体に浸透したという感触をもっています。フランチャイズでタイに約50店、台湾に20店ほど出店しており、われわれはロイヤリティを受け取り、ほかの国に出店するための資金に充てます。しかし、たんなる投資回収では終わらず、商品開発や食材の供給、教育指導などフランチャイズ店の面倒もしっかり見ます。「大戸屋は売って終わりではなく、その後のケアがきちんとしている」という信用は、海外における最高のブランディングになります。  アジアでさらなる発展をするためにも、大戸屋ブランディングをニューヨークでも成功させなくてはいけない。ニューヨークにはアジアの人も多く、その大半が富裕層です。食通が多く、香港や台湾、シンガポールに住む仲間に食の情報が口コミで伝達されて、店舗誘致に繋がるケースが多い。実際、博多ラーメンの「一風堂」もニューヨークに進出後、シンガポールで突然ラーメン・ブームに火がつき、大繁盛しています。  現段階では、積極的にヨーロッパに進出しようとは思っていません。まずはニューヨークに力を入れノウハウを得る過程で、いずれヨーロッパにも、と考えています。ファッションデザイナーの森英恵さんや三宅一生さんがニューヨーク経由でパリコレに参入して人気を博したように、やはり世界の最先端はいまもニューヨークなのです。   経営者の信念が揺らいではいけない  日本特有の「おもてなしの精神」を海外に広めるために重要なのは、経営理念の浸透です。大戸屋の「人々の心と体の健康を促進し、フードサービス業を通じ、人類の生成発展に貢献する」という経営理念は、国内の店舗でも、海外のフランチャイズ店でも変えてはならない柱です。弊社の理念を理解してもらうために、直接、対話をして伝え、海外でも日本と同じ朝礼を励行しています。経営理念が盤石であれば、方法論は自然に決まります。逆に、本質が変わると、具体的な方法論も定まりません。激変する経済環境においては、実行のスピードやタイミングが遅れたことで、あっという間に市場から取り残されてしまう。しかし戦略を見誤ったのなら、その時代に応じたかたちに修正すればいいだけの話です。だから、経営理念を愚直に実践したゆえの失敗は、悲観することはありません。むしろ、社員を統率する経営者の信念が揺らぐことのほうが致命的です。理念を具現化する方法論が時代に合わないとか、経済環境が厳しい、というだけの理由で経営理念を変える必要はまったくありません。  ただ、いくら経営理念を伝えても、海外の土地に根付いた慣習や価値観の壁を越えることは困難です。ニューヨークでは雇用者の年齢や学歴、住所を聞いただけで訴えられることもあり、パワハラ・セクハラ問題、宗教問題には日本以上に配慮が必要です。思わぬ現地での対応に、頭を抱えることが多いのも事実です。コンビニと差別化できる専門食堂へ     コンビニと差別化できる専門食堂へ  日本の市場全般については、消費税増税や原材料高による値上げに賃上げが追い付かず、消費者心理も悪化しています。  消費税増税は小売りだけでなく、産業全体にも影響する問題です。社会保障対策と一体で考えている以上、いずれは上げなければいけないでしょう。  松下幸之助氏は生前に、21世紀中に税金をゼロにする「無税国家論」を唱えました。大胆な国家の再編によって生み出した資金を、基金として積み立てる、いままでの国家運営にはないアイデアです。たとえば「110年後を見据えて、国家予算の1割を余らせて、年々積み立てていく」といったように、無税国家に至るプロセスやビジョンが明確でわかりやすかった。  消費税増税の政策判断においても同様ではないでしょうか。短期的なオペレーションではなく、長期的な視点で目標を明示しなければ国民は納得しません。日本には個人金融資産が約1500兆円あります。相続税を引き上げておばあちゃんのタンス預金を無理やり引っ張り出す荒々しい方法ではなく、将来の子どもたちのために必要な投資であると納得したうえで、自然なかたちで「眠った資産」を引き出させる前向きな動機づけを考えるべきです。  こうした状況下で、外食産業全体が好況感を実感するのは難しいでしょう。しかし、それほど神経質になる必要もありません。人びとで賑わうお店はたくさん見かけますし、おかげさまで大戸屋もランチ時と夕食時だけでなく、オフタイムでも繁盛しています。  外食産業にとって今後、ベンチマークとすべき対象はコンビニです。とくにコンビニの食品加工技術には目を見張るものがある。利益率を上げるために、たんなる食材コストや人件費の削減に血道を上げる外食チェーン店は、いまや価格はおろか品質面でもコンビニの後塵を拝しています。  外食産業はいま大きな転機に立たされています。だからこそ効率主義一辺倒のチェーン食堂から、料理の味や品質、サービス、店舗の空間、お客さまと共有する時間など、コンビニと差別化できる専門食堂にモデルチェンジするチャンスなのです。こだわりをもって食に向き合い、顧客目線でどうしたら皆さんに喜んでもらえるかを根気強く考えていけば、衰退することなく、必ず生き残っていけるはずです。コンビニやファストフードを利用する層は一定以上あるでしょうが、お客さまは付加価値を感じ取り、店を使い分けるはずです。  大戸屋に求められる価値は、何よりも安全性と安心、おいしさです。採れたての野菜や市場から卸したての鮮魚をお届けするのに、通常の流通ルートであればお客さまの口に入るまでに数えきれないほどの製造工程が伴います。見た目の劣化の防止や鮮度を保持するため、薬品にも頼らざるをえません。一方われわれは、第三者機関に使用食材の検査をしてもらい、衛生検査室において、細菌や放射線の多重的な検査を行ないます。また、植物工場の「大戸屋GREENROOM」では、無農薬で栄養価の高い野菜の実用化をめざしています(現在はロメインレタスなどを栽培)。  また大戸屋の場合、セントラルキッチン(チェーン店の調理を一括して行なう施設)をもたず、各店舗でその日に仕入れた食材の洗浄やカッティングなどの下ごしらえをします。メインディッシュの調理はお客さまからオーダーが入った時点で始め、出来たてを提供できます。まさに子どもが家に帰ってくると、お母さんがすぐ料理を作り始めるのと同じオペレーションです。時間はかかりますが、手作りで愛情を込めて料理を作ることに、お客さまは価値を見出すのです。  2014年の4月には、各店舗に鰹節削り器を導入しました。枯節を業務用にカットする機械の製造元にお願いして小型化したものです。お客さまからも好評です。われわれは平均して850円、高くても1500円の価格の幅のなかでとびきりおいしいものを提供するのが役割で、そのための努力を惜しまなければ、お客さまは必ず評価してくれます。地球上の人びとの健康に貢献する   地球上の人びとの健康に貢献する  日本はメード・イン・ジャパンの資源が乏しいと揶揄されますが、いわずと知れた知的財産や無形財産の宝庫です。食の世界でも醤油や味噌、最近では塩麹など日本の発酵技術は世界一です。「和食」がユネスコの無形文化遺産に認定されたことで、日本人が「食は世界ブランドなんだ」とようやく気付きました。このタイミングで「クールジャパン」を掲げ、カルチャーだけでなく食文化を海外へと積極的に発信していく国の方針は正しいと思います。自動車や家電製品で外貨を稼ぐのと同じように、世界を牽引する外食産業が生まれることで、日本の食品メーカーや調理機械メーカーが世界に認知されるチャンスにも繋がります。稲作を中心とした日本の農業にとっても、世界へアピールするチャンスと捉えるべきです。  食に携わる日本人それぞれが「稼ぐ力」を磨き、世界に進出することで、日本食が地球上の人びとの心と体の健康に貢献するという理想は、けっして夢物語で終わることはないでしょう。 ※三森久実氏は2015年7月27日に死去されました。本原稿は『Voice』2015年1月号に掲載されたものです。

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    これからの「モノづくり」日本に必要な視点はこれだ!

    カワイイ)」。「kawaiiを活かせるメンバー」を集めたと、中川さんは胸を張る。彼らとともに、日本の文化、そして「アソビ」を、世界に発信しているのだ。 例えば彼らは昨年、「MOSHI MOSHI NIPPON」というイベントをスタートさせた。今年も11月6~8日に開催される予定だ。きゃりーぱみゅぱみゅさんらのライブはもちろん、カラオケや「よさこい」を体験できるブースも用意されている。そして、パスポートを持参した外国人は、無料で参加することができるのだ。 昨年のイベント参加者、約1万3000人のうち、なんと、8000人が外国人だったそうだ。日本の音楽やファッションだけでない。カラオケも「よさこい」も、外国人から見れば「COOL」な日本文化なのだ。中川さんは、「僕自身は歌もうたえないし、絵も描けないけれど、それらをまとめて、発信していくことはできる」と僕に語ってくれた。 日本文化はそれだけではない。日本の「食」もまた、発信するに値する文化だ。「MOSHI MOSHI NIPPON」と同時に、「JAPAN FOOD FESTIVAL」と題して「肉フェス」も開催する。また、「MISO KAWAII」をテーマに、味噌づくりをよく知る日本の食品メーカー、マルコメとコラボレーションして、「新しい味噌汁」の開発プロジェクトも立ち上げた。 日本は長年「ものづくり」の国と言われてきた。たしかな技術は、世界に誇れるものだということに異論はないだろう。一つひとつの技術、製品は素晴らしい。だが、「発信力」と「競争力」に欠けていると僕は感じる。とくに近年、各分野の企業を取材していると、いっそう強く感じるのだ。 「クールジャパン戦略推進会議」のメンバーでもある中川さんも、まさにその点を指摘していた。「パリでは、韓国の人気アーティストが集まって、大きなイベントを開いた。サムソンなどの大企業がバックアップしているんです。日本は個々のアーティストの力はすばらしいが、こうした力がない」と僕に語ってくれた。気負いなく、おだやかに語る中川さんの話を聞きながら、何にもとらわれない彼の視点を僕は非常におもしろく感じ、「新しい世代」の出現に胸がわくわくしたのである。 安倍政権は「COOL JAPAN」を世界に発信していこうとしている。だが、その日本に欠けているのは、まさに中川さんが持つ、この視点だ。だからこそ、中川さんのような若手経営者が現れたことは、大きな力となるだろう。(2015年11月3日「田原総一朗公式サイト」より転載)

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    「外国人にワサビてんこ盛り寿司」 国交省は推奨?

    相が分からないなかネットで評判になっているのが、国土交通省総合政策局観光事業課が出している『多様な食文化・食習慣を有する外国人客への対応マニュアル』です。 多様な食文化・食習慣を有する外国人客への対応マニュアル.pdf そのなかには“中国人に対して良いおもてなしをするための推奨事項”があり、次のように言及しています。 ・多くの分量と品数を提供し、料理に豪華な雰囲気を持たせることが、なによりも大切である。 ・バイキング形式やお代わり自由など、自分が食べたい分量を食べたいだけ食べられるようにすると喜ばれる。 ・刺身を食べる中国人には、練りワサビをたっぷりと提供する方がよい(1回の食事で1 本の練りワサビを使い切る人もいる) しかもこのマニュアルのサブタイトルは~外国人のお客様に日本での食事を楽しんでもらうために~となっていて、“楽しんでもらうためにはワサビをたっぷり入れろ”と書いてあるのです。 そういう意味でも大阪の寿司屋に悪意があったかどうかは分かりません。 ワサビをてんこ盛りにして食べるのがいいかどうかは日本人として考えるところがあります。 日本のお寿司や刺身にてんこ盛りのワサビを載せて辛さを楽しむのは日本のお寿司とは言えないという気持ちもあります。 日本人はワサビに“辛さ”だけではなく“香り”を求めますが、中国人だけではなく外国人はわさびに“辛さ”を求めるところがあるのでしょうか。 外国人を喜ばす“インバウンド”中心の店はそれでも良いですが、一方で「てんこ盛りワサビを提供することはできない」「香りを味わう形でお寿司を食べて欲しい」という店舗があっても良いですし、あって欲しいと思います。 そのような店は、例えば「当店は日本の伝統の寿司を提供しております。ワサビも魚に合った適量の提供になりますのでご賛同頂けるお客様のみお越し頂きますようお願い申し上げます」と出したらどうでしょうか。 人種の差別ではなく、提供方法の差別を図れば良いのではないでしょうか。(2016年10月12日「中田宏公式WEBサイト」より転載)

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    惨めとは思わないのか? 韓国よ、被害者意識から抜け出せ

    米国の著名なコラムニスト、チャールズ・クラウトハマー氏は世界日報(3月15日付)で「花開いたヘブライ文化」というタイトルのコラムを寄稿し、そこで「ユダヤ系米国人がここにきて民族のアイデンティティーをホロコーストに求める傾向が増えてきている」と警告を発している。非常に啓蒙的な内容なので読者と共に共有したい。ホロコーストの犠牲者の写真を展示するイスラエルの記念館 「ホロコーストは確かに、私のユダヤ人としての意識の中に深く根付いている。問題はバランスだ。私が心配するのは、ホロコーストの記憶が、米国でユダヤ教徒であることの支配的な特長として強調されるようになることだ。ホロコーストの記憶と事実を生かし続ける努力を怠ってはならないが、ホロコーストを後世に伝える遺産の中心に据えることは、米国のユダヤ人にとって悲劇だ」という。そして「被害者意識をユダヤ人としてのアイデンティティーの基礎としてはならない」と主張している。 ユダヤ民族の歴史は迫害の歴史であり、ディアスポラと呼ばれ放浪の民だった。そのユダヤ民族にとっても第2次世界大戦時のナチス・ドイツ軍の大虐殺(ホロコースト)は最も悲惨な出来事だったことは間違いないだろう。 クラウトハマー氏は、「それでも民族の被害者意識が民族のアイデンティティーとなることを恐れる。ユダヤ人は、奇跡の時代を生きている。ユダヤ人の国家を再建し、ヘブライ語を復活させ、ヘブライ文化はユダヤ世界全体に行きわたり、花開いている」と強調し、ヘブライ文化に民族のアイデンテイティーを見出すべきだと主張しているのだ。 当方はこのコラムを読んで日本の隣国・韓国をすぐに想起した。韓国民族も過去、多くの大国、強国の支配を受けてきた。民族には自然に被害者意識が定着したとしても不思議ではないが、その被害者意識が最近では民族のアイデンティティーとなってきているように感じるからだ。世界中に慰安婦像を建てようとする韓国 政府主導の反日教育が行われ、外交上は解決済みの慰安婦問題も今なお、韓国内では燻り続けている。特に、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦の少女像撤去は実現していない。それどころか、慰安婦の犠牲者がニューヨークの国連を訪問し、慰安婦問題の日韓合意が間違いだと訴えているのだ。 当方が理解できない点は、国内ばかりか世界中に犠牲者の女性の像を設置する韓国国民の精神状況だ。慰安婦の父親だったら、娘を慰安婦とした日本側を憎むかもしれないが、その娘を象徴した像を設置したいとは考えないだろう。それは余りにも惨めだからだ。米首都ワシントンで韓国系団体が開いた「水曜デモ」 しかし、韓国国民の中には慰安婦の像を建立することに躊躇しない人々が案外多いのだ。被害者意識が韓国民族のアイデンティティーになってしまった結果ではないか、と考えざるを得ない。クラウトハマー氏がユダヤ系米国人に警告している内容だ。被害者意識の強いユダヤ人に対し、“ホロコースト・インダストリー”と揶揄する声すら聞かれるのだ。 クラウトハマー氏は迫害の歴史の中でも花開いたユダヤ教文化に民族のアイデンティティーを求めるべきだと提言している。同じように、韓国国民も歴史から継承してきた民族文化、例えば、敬天思想、白衣民族をそのアイデンティティーとして誇るべきではないか。ちなみに、自己憐憫、攻撃的な被害者意識の背後には高慢で自惚れ意識が隠れている、と指摘する心理学者がいることを付け加えておきたい。(公式ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より2016年3月17日分を転載)

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    「こち亀」が日本人に愛され続けた理由

    秋本治氏の人気マンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が最終回を迎えた。単行本200巻はギネス世界記録に認定され、連載開始から40年の間、一度の休載もなかった偉業を称える声はやまない。「こち亀」はなぜ日本人に愛され続けたのか。その理由を読み解く。