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    売れない週刊誌「ジジババ特集」に喝!

    週刊誌ジャーナリズムの一時代を築いた文春砲もすっかり飽きられたのか、最近の特集はもっぱら「健康」と「終活」ばかりである。売れてナンボの世界とはいえ、どの雑誌もジジババがターゲットではさすがにつまらない。週刊誌よ、自らが終活の道に進んでどうする。

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    元週刊現代編集長の直言「文春でさえ2025年で消える」

    元木昌彦(ジャーナリスト) 「新聞、テレビにできないことをやる」 これが出版社系週刊誌の存在理由である。1956年に『週刊新潮』が出版社初の週刊誌として創刊されてから、多くの編集者、編集長が試行錯誤しながら行き着いたシンプルな結論である。 私は週刊誌の現場に20年以上いた。「たかが週刊誌、されど週刊誌」、そう呟(つぶや)きながら、銀座のクラブから新宿ゴールデン街まで、浴びるほど酒を飲み、野良犬のように新聞、テレビにできないネタを探して毎夜ほっつき歩いた。 『フライデー』、『週刊現代』編集長を7年半ほどやったが、編集部員の案を採用する基準も、これだった。 私が現代の編集長だった1995年は、阪神・淡路大震災が年明け早々に起き、続いてオウム真理教事件が勃発するという騒然とした年であった。 情報を求めて読者は何冊も週刊誌を買い、むさぼるように読んでくれた。今思えば、この頃が週刊誌の黄金時代だったと思う。 週刊誌の部数のピークは1997年から99年にかけてである。それを最後に部数は減り続ける。 週刊誌が読まれなくなった要因はいくつもある。インターネットの普及、ゲームやスマートフォンにカネがかかる、KIOSKなどの売り場の減少などが挙げられるだろう。 だが、一番大きな要因は、週刊誌にしかできないテーマを見失ってしまったことと、週刊誌の最大の読者層であった団塊世代が年齢を重ね、定年、年金生活、高齢者になったことだと、私は思っている。 夕刊紙も同じように苦境に立たされている。『日刊ゲンダイ』の幹部の話では、平日の駅売りはよくないという。売れるのは土曜、日曜の競馬のある日で、コンビニがよく売れるそうだ。経費を節減するために、夕刊フジと流通を一部で協業することを始めたという。 山のように売店に積まれた週刊誌を、満員電車で中づりを見た乗客が次々と買っていく姿は、もう二度と見られないのだ。東京都千代田区にある「文藝春秋」の本館ビル=2016年5月(山崎冬紘撮影) 多くの週刊誌が元気のない中、新谷学編集長率いる『週刊文春』だけがスクープを連発し、気を吐いた。特に、政治家から芸能人まで、これほど多いのかとあきれるほど「不倫」情報が毎週のように誌面に載った。 ジャニーズ事務所、AKB48の情報も文春の一手販売だったが、これには理由がある。講談社や小学館は、少年少女を対象にした雑誌を多く出している。新潮社も10代少女向けの『nicola』がある。 その雑誌に彼ら彼女たちを使いたいから、有名アイドルのスキャンダルは社が嫌がる。30代の頃、現代でジャニー喜多川氏のスキャンダルをやって大騒ぎになり、突然、私を婦人雑誌へ異動させ、講談社はジャニーズ事務所と手打ちにしたことがあった。 AKB48のCDは子会社のキングレコードが発売元である。講談社ではフライデーにAKBスキャンダル禁止令が出たという噂(うわさ)まであった。2025年で消える週刊誌 かつて『噂の真相』という雑誌があった。タレ込んでくるスキャンダル情報はほとんど載せることで有名だった。そうした雑誌に情報は集まる。文春も、スキャンダルをやり続けることで、情報が集まってきたのであろう。 だが、その文春砲にも陰りが出てきた。新谷編集長が交代したこともある。雑誌は編集長のものだから、同じ雑誌でも編集長が替われば中身も変わる。 それに、あれほどスクープを放ったにもかかわらず、部数が減り続けたことである。 2016年7月から12月には約43万部(ABC調査より)あった。だが、2018年1月から6月には約34万部(同)に減ってしまったのだ。 現代と『週刊ポスト』は、元々木曜日校了で月曜日発売のため、生ネタは入れにくい。その上、人員や経費を削減されたから、現代は早々に事件やスクープを追うことを諦めたようだ。 私が現代の編集長だった時、40歳前後だった読者平均が今は60歳前後だろう。その世代にターゲットを絞り、「死ぬまでSEX」「60歳を過ぎたら受けてはいけない手術」「飲んではいけない薬」と、性と健康に絞った企画をやり始めた。 それが一段落すると、次に、団塊世代を親に持つ団塊ジュニアをターゲットにして、40年ぶりに大改正された相続法を詳しく解説する特集を始めた。 それが当たったのだ。今年の新年合併号は前年比130%増という快挙を成し遂げ、相続をテーマにした増刊号も売れているという。 出版界では、柳の下にドジョウが3匹はいるといわれるから、物まねは恥ずかしいことではない。文春、新潮、女性誌までが相続特集をやり始めたのだ。これがローソクの火が消える前の一瞬の輝きでなければいいが。 先日亡くなった作家の橋本治氏が『思いつきで世界は進む』(ちくま新書)で、おやじ系週刊誌は金の話とセックス記事ばかりで、社会で起きていることを伝える記事がほとんどなく、「閉じつつある自分のことしか関心が持てない」と嘆いている。 たしかに今の週刊誌を読んでいると、トランプのアメリカも、中東情勢も、中国で今何が起きているのかも分からない。 芸能人の不倫、女子アナの近況、眞子さまと小室圭さんの結婚問題、相続など、閉じた狭い世界でのことしかない。 なぜこんなに視野狭窄(きょうさく)になってしまったのか。私がいた頃の現代は、政治から事件、国際紛争、風俗からグラビアまで、一冊ですべてが分かる「幕の内弁当」週刊誌といわれたものだった。 現代も、何度かリニューアルしたり、ビジュアル化を試みたり、若い世代を取り込もうとしたが、みな失敗した。『週刊現代』の医療大特集(佐藤徳昭撮影) 結局、団塊世代とともに心中するしかないと思い定めたのであろう。 残念だが、団塊世代がいなくなれば、ほとんどの週刊誌は消えていくことになるのだろう。 文春だけが生き残ったとしても、競合誌のない雑誌は苦戦を強いられる。休刊した雑誌の読者が、他の雑誌へ乗り換えることはない。雑誌とともに読者は消えてしまうのが出版界の常識だからだ。 おやじ系週刊誌に生き残る術はもはやないと思う。団塊世代が全員後期高齢者になる2025年までだろう。だが、消えていく前に、今一度原点に立ち返り、不倫や密愛ではない、週刊誌にしかできないスクープを見せてほしいものである。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

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    高齢読者が「週刊誌ジャーナリズムの牙を抜く」のウソ

    吉田則昭(目白大学メディア学部准教授) 一昨年から今年にかけて、週刊誌、とりわけあの『週刊文春』の健康雑誌化が顕著になったという。「文春砲」として2016年の出版界10大ニュースにもなり、大幅な部数増を獲得してきた『週刊文春』だが、編集長交代などもあってか、かつてのスクープの勢いが衰えた感もある。 かつて筆者もメディア団体の職員であったとき、世の中の動向を知るため、『週刊朝日』『サンデー毎日』『週刊ポスト』『週刊現代』『週刊新潮』『週刊文春』などを欠かさず読んでいたが、総合週刊誌の状況がこれほど変わりつつあったとは気づかなかった。 まず、これら雑誌のデータを見直してみたところ、驚いたのは、全読者の4分の1(約25%)が、65歳以上69歳の年齢層に収まっていることであった(出典:日本ABC協会『雑誌発行社レポート』2018年1~6月)。これらのデータはビデオリサーチなど第三者機関が調べたもので客観性は高い。しかし、調査項目の設定上、70歳以上の読者の回答が除外されていることもありうるため、実際の読者の年齢層はさらに上がるものとみられる。 他方、雑誌社側は、「50歳前後のビジネスマン」「60歳以上のプラチナ世代」をターゲット読者と想定しているから、実際の読者と乖離してきていることはもはや明白である。つまり、少子高齢化が進む現在、これら週刊誌読者も70代前後の団塊世代が、実は本当の読者であり、一方で若い世代の読者がそれほど増えていない現状が見て取れる。 販売部数データを見てみると、『週刊現代』は2018年上半期に20万9025部となり、前年同期比で5万5千部ほど部数を落とし、『週刊ポスト』の21万1336部に後塵(こうじん)を拝するようになった。読者の高齢化が部数減の一因となっているのだが、いずれの週刊誌も誌面をさらに高齢者向けにシフトさせることに傾注し、若い読者を新たに獲得するという「攻め」の余裕も少ないという状況のようである。東京都新宿区にある新潮社本館ビル=2012年3月撮影 ここ数年、『週刊朝日』が2009年に「終活」という造語を世に広めて以来、他誌でも「完璧な終活」(サンデー毎日)、「食べてはいけない」(週刊新潮)の特集のほか、「不眠を防ぐ住まい」「高血圧新目標値130に専門医が異議あり!」(週刊文春)など、高齢者向けの健康を取り上げる記事が目立つようになってきた。老人介護、認知症などを扱った『週刊朝日』の連載漫画「ヘルプマン」も好調のようである。 さらに2018年末から最近まで、『週刊現代』が「死後の手続き」路線を本格化させた「最期の総力戦」特集を13回続け、『週刊朝日』も2019年1月から「書き込み式 死後の手続き」を7回連続して掲載している。 こうして高齢化に伴うあらゆる変化をみてみると、週刊誌が健康雑誌へとシフトしてくるのも時間の問題だったのであろう。 そして、つい最近、象徴的だったのは、ツイッター上で『週刊ポスト』『週刊現代』の二大誌の新聞広告をみたネットユーザーが、「とうとう政治や社会問題を扱わなくなった。消滅した」との指摘もあり、話題にもなっていた。生き残る2つの方法 このように終活雑誌、健康雑誌と化した週刊誌に、かつてのような権力批判の雑誌ジャーナリズムを担えるのか。高齢者向けのコンテンツでしのぐ週刊誌にジャーナリズムを貫く体力は残っているのだろうか。 実は、健康雑誌化については、今に始まったことではなく、すでに業界誌『創』の2017年座談会で同誌編集長の篠田博之氏が述べていたことでもある。このとき、週刊誌の方向性がはっきりと二つに分かれつつあることが指摘されている。 それは、一つには『週刊文春』のように週刊誌本来のスクープ中心主義で部数を伸ばしていくという考え方であり、これがまだ現実性を持っていたことを証明した点で、同誌の健闘は大きな意味を持っていた。ただし、筆者は芸能人の不倫スクープは、明治期のタブロイド判日刊新聞『萬朝報』(よろずちょうほう)の例からも、「公憤」がなければ読者に飽きられること、単なるセンセーショナリズムは限界が来ることを指摘しておいた(『朝日新聞』2018年2月10日記事「『文春砲』に吹く逆風、その背景は」筆者コメント)。 同紙はスキャンダラスな出来事を他紙よりも長期にわたり、ドラマチックに報道することで部数を伸ばし、一時は30万部と東京一の発行部数となった。そして連載「弊風一斑(へいふういっぱん)蓄妾の実例」では、有名人、無名人の愛人関係を実名住所職業入りで暴露したが、こうしたスキャンダル報道だけでは、やがて大衆に飽きられて売れなくなっていった。まさに『週刊文春』も今その限界に直面しているのではないだろうか。 そして、もう一つの方策は、今回の『週刊現代』が典型的なように、高齢の読者に向けて誌面を絞り込んでいくやり方である。実際、2018年以前から『週刊現代』は医療問題などで特集を掲げ、部数も伸ばしていた。ターゲットを絞ってコストパフォーマンスをよくするという方向である。老人雑誌のようになってしまって、それまでの読者からすれば物足りないかもしれないが、『週刊ポスト』もそうした方向を意識している感はある。 期待したいのは、週刊誌と親和性の高いシニア層、すなわち、スマホも使えるかもしれないが、「アンチ・スマホのシニア層」である。今の若者世代は、知りたいことはスマホで検索だけして済ませる。 しかし、それだけでは情報行動としては不十分で、雑誌を一冊丸々読む習慣を持つシニア層は、思わぬ記事に誌面で巡り合える可能性(セレンディピティ)を知っている。(左上から時計回りに)『週刊ポスト』、『週刊現代』、『週刊文春』、『週刊新潮』(佐藤徳昭撮影) また、昭和の回顧記事も多く掲載されているように、ノスタルジーから政治や社会を語ってもいいかもしれない。これも人生100年時代、精神世界の豊かな者の持てる楽しみではなかろうか。 50代のコアターゲットに属する筆者も、かつては講談社の週刊誌編集部をモデルに女性編集者を描いた漫画『働きマン』(安野モヨコ、2004年)をとても面白く読み、共感してきた。雑誌ジャーナリズムにかける熱気を再び取り戻してほしいと思う同世代読者も多いのではないかと思う。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

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    「中国産」「添加物」消費者が週刊誌に踊らされなくなっている?

    松永和紀(科学ジャーナリスト) 最近、週刊誌がまたもや、「食が危ない」という記事を量産しています。食の安全取材歴20年近い私としては、周期的にやってくるこの“ブーム”にはもううんざり。今回は、中国産批判を繰り広げる「週刊文春」と、国産が危ないとする「週刊新潮」の対決の様相を示しているのが興味深いところです。 ところが、消費者側の反応がどうもこれまでと異なります。従来だと、食品メーカーのお客様相談室に抗議の電話が鳴り響き、生協にも問い合わせが相次いでいました。今回、企業や生協、業界団体等に尋ねて回ったのですが、抗議はもとより、問い合わせもほとんどなく、あったとしても、週刊誌の書いていることと実態との違いをきちんと説明すると、わかってもらえる、といいます。もちろん、売れ行きにも影響がありません。 なぜ、これまでと異なるのか? どうも複合的な理由があるようです。取材を通じて考えてみました。「中国産たたき」「食品添加物たたき」はこれまでも定期的に行なわれてきたが、今回は消費者の反応がどうも異なるようだ まずは、週刊誌がどのような報道をしているか、少し見てみましょう。 週刊文春は、4月12日号から4回にわたり、「危ない中国食品2018」と報道し、「産地隠しが巧妙化している」とも訴えています。 中国産批判は同誌恒例。手法も従来通り。中国産で違反が相次いでいる、と厚労省の輸入検疫の結果をリスト化。危ない食品がこんなに入っている、と見せて、読者はその数と種類の多様さに圧倒されて嘆息する、という仕掛けです。 残念ながら、これはトリックです。たしかに、中国産の違反数は多い。しかし、中国産は、輸入件数が他国に比べて際立って多く、全体の32%に上ります。2位のアメリカ10%、3位フランス9%を大きく引き離し、年間に約70万件もの輸入届出があるのです(2016年度厚生労働省統計)。 したがって、違反数は多いのですが、違反割合はそうでもありません。中国の違反率は0.024%、各国平均は0.033%で、中国はむしろ低いのです。 中国産食品、私たちは食べていないつもりでもさんざんお世話になっています。居酒屋で出てくるほうれんそうのお浸しや里芋の煮物の多くは中国産冷凍野菜。回転寿司のネタは、一貫ごとにスライスされ包装されて輸入されます。高齢者施設で欠かせない「骨のない魚」は、中国の工場でピンセットを用い細かい骨を抜いたうえで入ってきます。 人は雑菌だらけ、髪の毛なども落ちるので、人が手をかけるほど違反リスクは高まります。細かな手作業を要する品目が多いのに低い違反率、というのは、実はなかなかたいしたものです。(厚生労働省輸入食品監視統計より作成) 十数年前、中国からの輸入が急増し始めた時期、たしかに中国産は問題山積で、冷凍ほうれんそうの農薬高濃度残留が発覚し、餃子に農薬が混入される事件もありました。これらを教訓に、現在では中国政府の国家質量監督検験検疫総局が監視を行い、日本への輸出は許可制に。日本の商社なども多くが社員を常駐させ、指導や監視をしています。中国産の品質は飛躍的に向上しました。中国の日本向け冷凍野菜工場。衛生管理は日本の工場よりも上だった。日本の商社が厳しく指導し、原材料として使用する食品メーカーがたびたび監査・点検に訪れる 国際社会で体面を重んじる中国政府が目を光らせ、日本の商社や中国産を原料とする食品メーカーも問題が起きたら、世間から「まだ中国産を使っているのか!」と他国産の違反より著しく厳しく非難されるので、そうならないように必死です。中国で作られるピンからキリまでの食品のうちのピン的存在が、日本に輸出されています。日本の食品関係者は、他国産よりむしろ、中国産を信頼できるのではないか、と言います。私も中国で日本向けの食品を作る工場をいくつも見ていますが、印象はおなじです。 それが日本向けの中国産のすべて、とは言えません。どの世界にも例外があり不届き者もいる以上、質や衛生管理の悪い食品はあるでしょう。週刊文春は、日本向けの食品がいかにずさんな衛生管理をしているかもリポートしています。しかし、日本向けの食品全部がその調子ではありません。添加物違反は「非科学的」 ずさんな中国産が輸入される陰には必ず、一時的に儲かればいい、という日本の輸入業者や、品質が悪くても安ければいいと原料を求める日本の悪質な業者がいます。中国だけに責任を負わす記事の印象操作は、アンフェアです。 では、週刊新潮が書くように「国産食品」は危ないのか? 国産=安全ではないのは事実です。同誌は書いていませんが、日本の中小事業者の中には衛生管理のレベルの低い企業が少なくありません。そもそも、衛生管理の国際標準であるHACCPは欧米では義務化が進んでいて、中国でも輸出を手がける工場は当然のごとく導入されています。国内でも、大手企業は取り組んでいますが、欧米のように中小企業やまちの飲食店まで、とはなっていません。今国会でやっと、HACCPを原則として義務付ける改正食品衛生法が成立した段階です。 しかし、週刊新潮が書く食品添加物やトランス脂肪酸のリスク指摘は、相当に的外れです。食品添加物について、記事は次のように書きます。野本氏が警告を発するのは、この物質と保存料のソルビン酸の組み合わせである。「亜硝酸Naとソルビン酸の組み合わせには、相乗毒性があることが分かっています」(中略)実際、内閣府の「食品安全委員会」の添加物評価書にはこんな記述が。<ソルビン酸が広範に使用される一方、亜硝酸塩も食肉製品の発色剤として多用され、両者がしばしば共存するという事実と、両者の加熱試験反応によりDNA損傷物質が産生されることが報告されている><マウスへのソルビン酸単独(15 mg/kg 体重/日)の30日間経口投与による染色体異常試験において、最終投与後24時間後に染色体異常は有意に増加しないが、亜硝酸ナトリウム単独(2 mg/kg 体重/日)で有意に増加し、ソルビン酸と亜硝酸ナトリウム同時(7.5+1 mg/kg 体重/日)ではさらに増加している> つまりは、ジャーナリストが相乗毒性を指摘し、公的機関も危険を指摘しているのに……という文脈です。 しかし、これは食品安全委員会の評価書のごく一部の抜き出しです。評価書はこの後に、DNA損傷物質が産生するのは、通常の食品の条件と異なる場合であることや複数の試験結果で矛盾があることなどから、結論として通常条件下での使用では、ヒトの健康に対する悪影響はないという趣旨を明記しています。食品安全委員会の添加物評価書「ソルビン酸カルシウム」P19 後半、特殊な実験条件下では起きても、食品中での共存で実際に形成されることは意味しない、と説明があるが、記事は後半は引用しなかった。 自分たちにとって都合の良い文脈だけを抜き出してストーリーを組み立てる。科学では絶対にやってはいけないことであり、ジャーナリズムとしても許されません。週刊新潮のこのシリーズ記事を受けて、食品安全委員会はFacebookで3回にわたって、「評価書全体を読むように」と指摘しています。 実は、このシリーズが始まる前に私のところにも週刊新潮編集部から電話がかかってきて取材されました。最初は、食品添加物の規制がリスクアナリシスに基づいて行われていることなどを平易に説明しようとしたのですが、あまりにも知識不足で初歩的なことばかり聞かれるので閉口しました。 もしかすると、彼らは食品安全委員会の評価書の意味をよく理解できぬまま引用しているのではないか、とすら思います。うま味調味料による味覚障害の可能性やトランス脂肪酸のリスクについても記事化されていますが、一事が万事、この調子で、記事は科学的ではありません。彼らにとって都合の良い部分のみを抜き出して、「危ない食品リスト」を並べる手法。ただひたすらに、国内の加工食品を誹謗中傷しているようにしか、私には思えません。 こんな酷い内容の記事、企業として抗議するべきではありませんか? 最初はそう考えました。週刊文春、新潮を見て、追随する週刊誌も出てきています。また、食べてはいけないブームが来た? いやになります。 でも、企業の人たちに話を聞いて考えが変わりました。「だって、お客様相談室に電話がかかってこないんですよ。消費者が、記事に踊らされなくなっているんです」とどの社も異口同音に言います。 たとえば、週刊新潮に「味覚破壊トリオ商品」として名指しされたメーカーには、記事後の消費者からの問い合わせはわずか2件。もっと派手に、社名と商品名を繰り返し掲載され、2週にわたって批判された食品メーカーであっても、お客様相談室への電話は50件超。事業規模、記事での取り上げられ方の執拗さを考えると、非常に少ないと言って良い。しかも、記事を真に受けた「もう食べない」とか「食べて大丈夫か」という批判・質問ばかりではなく、「記事に抗議すべきだ」「放送で反論したらどうか」というような意見もあったそうです。 以前なら、記事が出ると企業には抗議が殺到。電話で1時間でも2時間でも粘って罵詈雑言浴びせかけ、お客様相談室の担当者のメンタルがやられてしまった、なんて話がごろごろありました。今回はまったく違います。同じような情報に飽きた? 九州や関西、北陸、首都圏の生協にも問い合わせてみました。どこも「組合員からの問い合わせがほぼない。これまでの食が危ない記事が出た時と、様相が異なる」と口を揃えます。 最初は、紙媒体、しかも読者がシルバー層なので、インターネット社会の今、情報が拡散しないのか、と考えました。が、少し遅れて、ではありますが、ほぼ同じ内容がネットでも公開されています。しかし、消費者の心に、食品への猜疑心という火はつかないようなのです。 TwitterなどSNSを調べてみても、ごく一部の人しか記事の内容を取り上げていないのは明らかです。 企業が雑誌編集部に抗議をすると、揚げ足を取られて次の記事で面白おかしく取り上げられることがままあります。消費者が反応していない以上、記事は黙殺する、というのが企業の合理的な判断です。 ではなぜ、消費者が騒がなくなったのか? さまざまな関係者に尋ねて回りましたが、どうも決め手はありません。理由は複数ありそうです。(1)同じような情報に飽きている 食品関係者は期待を込めて「さすがに、消費者は危ない情報に飽きたのではないか」と言います。たしかに、1999年に発行された書籍「買ってはいけない」が大ベストセラーになって以降、冒頭で書いたように周期的に中国産や食品添加物等で「危ない」という情報が振りまかれます。新味はありません。(2)陰謀論にも飽き飽き 記事が槍玉にあげる中国、日本の政府機関、大手食品メーカー……。悪いことをやっているに決まっている、という陰謀論のロジックで、記事は展開します。批判を展開するのは、これまでその論法で“食ってきた”評論家、ジャーナリストが目立ちます。 でも、日本の食がそれほど悪い、という実感が消費者にあるでしょうか? 中国など諸外国からの輸入品と国産がミックスされ、日本の食品メーカーの大変な努力もあって、それなりにおいしいし、問題もそれほど多くは起きていないよね、というのが本音ではないでしょうか。 ちょうど、朝日新聞の「論壇時評」で5月31日、歴史社会学者の小熊英二氏が日本に来る観光客の急増について、次のように書いていました。 欧米の大都市だと、サンドイッチとコーヒーで約千円は珍しくない。香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。ホテルなども同様だ。これなら外国人観光客に人気が出るだろう。1990年代の日本は観光客にとって物価の高い国だったが、今では「安くておいしい国」なのだ。日本向け小松菜を栽培する契約農場。大学を出た指導員が、害虫の発生状況などを調べている。害虫被害が多ければ農薬散布など指示し、日本の農薬取締法に合致した農薬が使用される これが、多くの人の実感では? 小熊氏は、その陰で搾取されている外国人労働者に注目しています。私は、安全でおいしく、と努力する大勢の国内食品メーカー社員や、中国の工場で見た、丹念に野菜からごみや虫等を取り日本向けに加工する女性たちの顔を思い浮かべます。 ふんぞりかえって中国や国内食品メーカーを誹謗する記事の欺瞞に、実は多くの人は気づいているのではないでしょうか。(3)不安を煽るテクニックがばれた こちらも、関係者を期待を込めて言うところ。結局のところ、こうした記事は、多くの情報から都合の良い部分のみをつまみ食いし、つなぎ合わせてもっともらしいストーリーに仕立てています。食の安全に関して少しでも知識があれば、「変だなあ」と思って不思議ではありません。 週刊新潮はうま味調味料などにより味覚障害が起きている、と書きますが、論文や公的報告書などの科学的根拠は示さず、ジャーナリストのコメントを載せるだけ。これでは、さすがに読者も納得できないでしょう。それくらいの科学リテラシーは多くの人に備わってきたのではないか、というわけです。現実的な理由も(4)間違った情報を是正する情報が数多くある 「買ってはいけない」が出版された当時、一般の人たちはこうした情報に“免疫”がありませんでした。「危ない」という情報になら人は、わざわざお金を出して購入します。「その情報を覚えておけば安全になれる。人に伝えたら喜ばれる」と信じるからです。一方、「危なくない」という情報は安心にはつながりますが、とくに覚えておかなくてもいいことなので、書籍や雑誌になってもあまり売れません。 しかし、インターネットでは現在、行政や企業が「実は危なくない」「こうやって総合的に安全を守っている」と解説する無料コンテンツが、大量にあります。それらの多くは、科学的根拠が示されています。食品安全委員会の評価書もすべて、公開されています。 おかしな記事が出た後には、安全委員会は評価書自体を示して反論しましたし、間違いを指摘する個人ブログも出てきています。 つまり、侵入してくる病原体=間違った情報に対して、ワクチンやら抗生物質やらがまあまああり、効果を発揮しているのかもしれません。(5)ほかにニュースがいっぱい 以上は、関係者の希望的観測でもあります。一方、「現実には……」として考察されているのは「ほかに関心を集めている話題があるから、盛り上がらないのでは」という指摘です。 つまり、北朝鮮、日本大学アメリカンフットボール部、紀州のドン・ファン、サッカー・ワールドカップ……。テレビやラジオ等もこれらの取材に力を入れ、多くの時間を割いて報道します。以前なら、週刊誌記事を受けてテレビやラジオ等でも食の話題が取り上げられ、メディアミックスで「食べてはいけない」情報が広がったけれど、今はたまたまそういう状況にない、という説です。(6)問い合わせや抗議をするほどの余裕が、消費者にはもうない 汲々とした生活の中で、食費も切り詰めている人が増えているのが現実です。市販の食品は概ね安全、品質もまあまあ、と信じないと暮らしていけない、という人が多いのかもしれません。 大丈夫です。農薬や食品添加物等についてはほぼ、問題がありません。たとえばトランス脂肪酸が気になるとしても、バランスのよい食事をし、菓子や菓子パンを毎日食べる、というような偏食はしない、という「常識」で十分です。 特定の食品の良し悪しにはこだわらず、野菜やくだものたっぷりのバランスの良い食事をすることで、がんや心臓疾患等のリスクが大きく下がる、という科学的根拠があります。 おそらく、消費者が踊らされない要因は、これらがいくつも組み合わされた複合的なものでしょう。 いずれにせよ、惑わされないリテラシーが大事です。この点で、消費者は少しずつ成長しているのではないか、と思いたい。 今回の騒動を受けて食品企業等をかなり取材しました。私から見れば名誉毀損ものの酷いことを書かれたメーカーが「自分たちもまだ努力が足りないことを思い知った。これからさらに努力したい」と言い、「記事に書かれているような中国の問題が、我が社の取引工場で起きていないか再点検して、ないことを確認した」という商社もありました。 日本企業の多くも、そして、中国の生産者や加工業者の多くも、頑張っています。まつなが・わき 科学ジャーナリスト。1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。「第三者委員会報告書格付け委員会」にも加わり、企業の第三者報告書にも目を光らせている。

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    AKBに「トドメ」を刺すのは韓国かもしれない

    さやわか(批評家) AKB48をはじめとするアイドルたち、いわゆる「AKB48グループ」の凋落(ちょうらく)ぶりが話題になっています。 まずは最近、このグループが悪い意味で世間の耳目を集めてしまっているのは明らかです。新潟を拠点とする派生グループNGT48の山口真帆さんが被害に遭った暴行事件について、醜聞がとどまるところを知らないのです。 何と言ってもNGT48グループの運営を担うAKS社側の対応がマズすぎます。他メンバーや一部ファンの事件への関与すらささやかれる中で、運営側の態度は、山口さんを守り、真相を徹底解明する強い意志が感じられないものでした。運営サイドの記者会見の不遜ぶりは、これまた昨年に批判を浴びた、日大アメフト部の一件を思い出させるほどです。 まあ、これがもしジャニーズなんかで起きた騒動あれば、いろんな意味で事務所も軽やかに、かつ速やかに火消しを行ったでしょう。しかし、AKB48グループは、何だかんだ言ってもしょせんは芸能界の新興勢力。やり方がマズければ、マスコミだって全力でたたきはじめます。ジャニーズみたいに、右にならえの翼賛体制でサポートしてはくれません。 しまいにはAKS社が、第三者委員会の報告書として、「事件が起きたのは新潟の都市部が狭く、交通機関が発達しておらず、またファンの絶対数が少ないという特殊性があったため」という文書を公開。地域型アイドルなのになぜか地域をディスり始める、謎の事態に発展しております。 そんなわけで、騒動は運営側自らの手によって、現在進行形で延焼拡大しているところです。今やNGT48は新潟でのレギュラー番組が消え、地元のイベントも中止が相次いでいます。NGT(NIIGATA)と名を冠しているのに、新潟がらみの仕事がガンガン減っているわけです。グループの趣旨的にも、マズいんじゃないでしょうか。NGT48の山口真帆への暴行被害事件を受け、第三者委員会を設置して原因を調査していた運営会社のAKSが新潟市内で会見=2019年3月、新潟市(小山理絵撮影) 一方、AKB48グループが毎年実施しているメンバーの人気投票、いわゆる「総選挙」も、今年は行わないという発表がありました。やらない理由としては、昨年が10回目の実施だったから、ということのようです。 人気メンバーを決めるのに、10回目だろうが20回目だろうが、節目も何もないように感じますが、運営側のコメントによると「区切りというのが大きな理由」とのことです。まあ新潟の事件も、あくまで「小さな理由」としては計上しているんじゃないでしょうか。韓国は「世界標準」 もっとも、AKB48グループはもともと、グループの運営組織がメンバー全員をガッチリと管理しているわけではありません。メンバーのマネジメントを一元的に行う組織としてはAKS社が有名ですが、人気メンバーは在籍中から積極的に他プロダクションへと移籍します。 言い換えれば、AKB48グループとかAKS社というのを、あくまでもグループ卒業後にさらなる芸能活動をするための通過点としてとらえているメンバーも少なくない、ということです。 というわけで、AKB48グループ本体が不祥事で求心力を失いつつあるならば、ここをステップにして、外部での活動を模索するメンバーが今後さらに増えていくものと思われます。 図らずも、昨年から本格的に始動しているAKB48グループの日韓共同プロジェクト「PRODUCE48」などは、メンバーにとって理想的な「外部」になりつつあります。 このプロジェクトは韓国の音楽専門チャンネル「Mnet」の企画で、簡単に言うと視聴者投票型のアイドルオーディション番組です。 ただ、そこで選ばれるメンバーは、当然のことながら日本とは違います。楽曲や意匠はAKB48っぽいのに、セクシーなルックスやダンス、歌唱力の高さは明らかにK-POP風という、アイドルファンとしては「なんだこれ見たことねーぞ」的な面白さがあるのです。 このオーディションには、日本のAKB48からも何人かメンバーが参加しましたが、いずれも敗退。K-POP直系の、高度なパフォーマンス力に圧倒されてしまいました。東京・秋葉原のAKB48劇場=2014年6月(小山理絵撮影) そもそも、なぜK-POPのアイドルは日本に比べて超絶ハイクオリティが好まれるのか。それは、もともと日本のエンターテインメント産業が世界第2位の規模だったことに関係します。 要するに、日本はガラパゴスな市場でも十分カネ周りがよかった、ということです。運営側とメンバーは日本人向けの商品を作って、ファンである日本人もそれを楽しんで、みんな海外なんて意識しなくても、生きていけた。 これに対してK-POPの産業規模は、もともと日本よりずっと小さかったわけです。だから韓国内だけでなく欧米やアジア市場で買ってもらう必要があった。そんなわけで、次第に楽曲やパフォーマンスがグローバル標準に洗練されていったのです。正気じゃない運営 PRODUCE48に参加したAKB48のメンバーも、日本では優れたパフォーマンスを披露していました。しかし、世界標準の韓国では太刀打ちできようはずがありません。高橋朱里や竹内美宥などはショックを受け、オーディション後まもなくAKB48を卒業してしまいました。 ただし、彼女たちは現在、今後は韓国で活動したいと意欲を見せています。これはつまり、彼女たちはいい意味で「世界を知った」ということです。AKB48グループは、国内では文句なしに最大の規模を持つアイドルグループです。しかし、その外にも世界は存在した。それを知って世界に出て行くのは、いいことじゃないでしょうか。 まあ、アイドルファンとしては永遠にグループにいる姿を追い続けたい気もしますが、より「訓練された」アイドルファンになると、卒業して順調にキャリアを伸ばしていく「推し」を、微温的なまなざしで応援するようになっていきます。 しかも近年では、アイドルグループのメンバー脱退や別グループ加入も珍しくないのです。だから所属グループ内の雰囲気があんまりよろしくないのであれば、もう、保護者のような気持ちで、「ああ、早く外部に出てほしい!そうしたら気兼ねなく応援できるようになるのに!」と思うファンも増えるかもしれません。 まして、AKB48グループ本体がゴタゴタしているのであれば、国内にこだわる必要はないわけです。韓国での活動を明らかにした高橋朱里(左)=2015年9月(山内倫貴撮影) そんなことをやっていると日本の貴重なアイドル人材はガンガン国外流出しますが、第三者委員会の報告書で、「日本の地域社会でアイドル活動するのが間違っている」的な開き直りが書かれていたのを見るに、運営サイドは意外とのほほんと構えているようです。つまり、メンバーを手厚くケアして、日本にいてもらおうという気はないのかもしれません。 しかし、そういう運営側が雇用者を軽視した体制が、他国への人材流出をガンガン招いているのは、既にアイドルに限らない分野の例で明らかです。早く正気に戻っていただきたい次第であります。■元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑■「劇場支配人は神様?」NGT事件で見えたアイドルビジネスの本音■NGT48山口真帆さんへの対応はここがマズかった

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    所功手記「新元号『令和』は想定外なれど、感服するほかない」

    」が公表された。施行は1カ月後の5月1日であるが、この改元を機に多くの人々が元号(年号)を通して日本文化の在り方を考えている。そうであれば、誠に喜ばしいことだと思われる。 はや30年3カ月前の昭和64(1989)年1月7日、午後2時半ごろ「平成」という元号が発表され、翌8日から施行された。 当時は111日間にわたり闘病された昭和天皇の崩御直後だったから、深い悲しみに包まれていた。その中で、直ちに皇位と一体の「剣璽等」を承(う)け継がれた新天皇(今上陛下)のもとで、政府により最終的な改元手続きが粛々と進められたのである。 その元号「平成」は「国の内外に天地にも平和が達成されることを意味する」と説明された。それをNHK特番のスタジオでファクスにより伝えられた私は、なるほど「国民の理想を表すにふさわしい良い文字」が選ばれたと感嘆したことを、鮮やかに覚えている。 この「平成」という元号が、多くの国民に正しく受け入れられたことは、翌2年11月、即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀や大嘗祭(だいじょうさい)が行われたころ、皇后陛下が「ともどもに 平(たい)らけき代を 築かむと 諸人(もろびと)のことば 国うちに充(み)つ」と詠んでおられる。 しかも、今年2月24日、政府主催の「御在位三十年記念式典」において、今上陛下は「おことば」にこの御歌を引かれ、「このごろ(平成の初め)、全国各地より寄せられた『私たちも皇室とともに平和な日本をつくっていく』という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私ども(両陛下)は今も大切に心にとどめています」と仰せられた。発表された新元号「令和」の書 言われてみれば、確かにその通りである。われわれ日本国民は、「平成」元号を使いながら、さまざまな形で「皇室とともに平和な日本をつくっていく」決意を持ち続けてきたことになろう。 もちろん、三十余年の現実は、理想どおりに進んでいないにせよ、それを共有理念としてきたことに意味があろう。しかも、これによって表意文字の良い漢字で年代を表示する元号の文化的意義が、広く理解されていることを知ることができる。「令和」の画期的意義 さて、この4月1日、今上陛下の「高齢譲位」による皇位継承に先立って、政府から公表された新しい元号は「令和」であり、その出典は『万葉集』である。これはまさに画期的な意義を有する。 まず「令和」という二文字は、共に漢音で「れいわ」(Reiwa)と読む(令は呉音なら「りょう」)。その和訓は人名で「よしかず」とも「のりやす」とも証する例がある。 確かに「令」という字は、「令息」とか「令嬢」のように「よい」とか「美しい」という意味もあり、また「法令」「訓令」のように「のり」(規範)の意味もある。 一方「和」はよく知られている通り、「和合」とか「平和」のように「やわらぐ」「なごむ」「仲良くする」という意味があり、古来「大和」(大いに和する)と称する日本の特性を最もよく表す語である。 それゆえ、日本の「大化」から「平成」に至る247の公年号では、「和」が19回も使われ(「和銅」~「昭和」)、「令和」で20回になる。それに対して「令」という字は、幕末の「文久」「元治」改元の際「令徳」という二文字で候補に上ったが採用されず、今回が初めてとなった。 だが、このような組み合わせは珍しくない。現に「昭和」「平成」の「和」や「平」は多く使われてきたが、「昭」「成」はこの時が初めてである。古来の用例を尊重しながら、新例も採り入れたことになる。足利学校で保管されている、江戸時代後期に木版印刷で作られた万葉集 この「令和」について、安倍晋三首相は正午の談話で「人々が美しく、心を寄せ合う文化が生まれ育つ」と説明した。確かに、現在も今後も「国民の理想としてふさわしい」在り方は、美しく穏やかな心を持ち、互いに助け合っていくことであろう。万葉歌人たちの梅花宴 その出典として、従来は専ら漢籍(中国の古典)が使用されてきたが、今回は初めて国書(日本の古典)が採用された。しかも、歴史書の『古事記』や『日本書紀』でなく、和歌(やまとうた)を集成した『万葉集』が典拠されたことは想定外ながら感服するほかない。 この『万葉集』巻五に、九州の大宰(だざい)府で、天平(てんぴょう)2(730)年正月13日に開かれた梅花を賞(め)でる宴会において、32人の官人たちが詠んだ和歌と、冒頭に序文が収められている。 その序文は、大宰帥(だざいのそち、長官)大伴旅人(たびと)か、筑前守(かみ、国守)山上憶良(おくら)の作とみられる。「時には初春(正月)の令月(よき月)にして、気淑く風和(やわら)ぎ(穏やかで)、梅は鏡前の粉を披(ひら)き(おしろいのように白く咲き)、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす(匂い袋のように香っている)」などと、宴会の状況が的確に描かれている(括弧内の注釈は中西進氏『万葉集』全注釈)。 この文中にある「令」と「和」を組み合わせて「令和」という元号ができたのである。しかも、その背景として、唐風文化の開花期である天平時代に、大宰府という中国大陸や朝鮮半島との外交を統括する公館における梅花宴で、教養の高い官人たちが、漢詩でなく和歌を詠んでいることに思いを致すと、一層味わい深い。 梅というのは、中国伝来ながら、日本各地で旧暦1月の春先ごろに花が咲き、香りが芳(かぐわ)しい。わが国には「梅は寒苦を経て清香を発す」という名句がある。新元号「令和」の引用元の万葉集の歌が詠まれたとされる大宰府政庁跡にある坂本八幡宮=2019年4月1日 その句を加味すれば、天災などの苦難もみんなの助け合いで乗り越えてきた平成の日本人が、さらに今後も心を寄せ合って本当に美しい平和な日本を花咲かせよう、という理念を表明したことにもなろう。 今や国際化・グローバル化の加速する日本で必要なことは、日本人としてのアイデンティティーを再認識し、その上で可能な限り国内外のために貢献することではないかと思われる。そんな新時代への展望と期待をこめて、「令和」元号の誕生を言祝(ことほ)ぎたい。■ 呉智英が読む平成30年史「日本人はどう変わったか」■ 幕末幻の元号「令徳」が示す改元のインパクト■ 元号をめぐる「タブーなき議論」こそ平成と昭和の差である

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    新元号「令和」公表にチラつく支配欲と主導権争い

    始め、「大化」(645年)から、2度の空白期間を挟んで、大宝(701年)以来現在まで続いている。漢字文化圏である中国、朝鮮半島、ベトナム、日本などで使われたが、現在元号を使っているのは日本だけだ。 元号の数は大化から平成まで、247もある(南北朝のダブりを含む)。今上天皇は第125代、最初の「大化」の時の孝徳天皇は第36代だから、元号の数と歴代天皇の代数は全然合わない。理由は、改元にはさまざまなパターンがあるからだ。 大きく分けて、次のようになる。①代始改元(天皇が践祚(せんそ、天皇の位を継ぐ)したとき。のち、将軍の代始改元のようなことも始まる)②祥瑞(しょうずい)改元(めでたい自然現象があったとき)③災異改元(大災害や戦乱後の、験直し的意味)④辛酉改元・甲子改元(決まった干支の時に行う) ②について言うと、奈良時代には、「珍しくめでたい亀が見つかった」という理由で、霊亀(715年)・神亀(724年)・天平(729年)・宝亀(770年)と、55年間で4回も改元している。私はこれを「亀改元」と名付けた。 たしかに、珍しい色や姿の亀を見つければめでたい感じはする。しかし「背中に北斗七星の模様がある亀が見つかった」(霊亀)ならまだギリギリ許せても、「背中に『天王貴平知百年』という文字(現天皇の治世は貴く平和で100年も続くであろう、という意味)がある亀が見つかった」(天平)となると、「?」と思うのが普通だ。江西大墓に描かれた神獣の玄武=南浦市 当時「天子に徳があると天が認めた印として、珍しくめでたい動植物・自然現象(亀、鹿、泉、雲、金…など)が現れる」という思想(天人相関説)があった。すると、権力者におもねり「王の徳をたたえて、こんな祥瑞が報告されました」と言い出す者が現れても不思議はないだろう。なにしろ、改元にいたる祥瑞を献上した者は褒美をもらえ、その地域は税を免じてもらうケースや、報告した役人が出世することもあるのだから。 現在、元号にはなんとなく難しく、触れにくい雰囲気も付随するが、元々はこんな風に、なんとも人間臭いものなのだ。 ③はその逆のパターン。④は完全に迷信(当時から批判も多かった)。要するに②~④は、縁起担ぎ・厄払い・験直しなのだ。すべて非科学的ではあるが、言葉によって明るく・前向きなムードをつくり出す一定の効果はあるだろう。「令和」改元の水面下 さて、今回の改元についてだ。 もちろん①代始改元ではあるのだが、早々に譲位の意向が示されたことで、十分な準備期間もあり、国民的には明るく前向きな気持ちで新元号を迎える。ということは、②のムードも併せ持つことになった、と私は見ている。 現代の一世一元が始まったのは明治以来、ということはよく知られている。なにしろ、「この国に流れる時間・年月(とその年月下で生きている民衆)を支配するのは王である」という権威を示したいため、これまで公家・武家・権力者が改元をめぐって主導権争いをしてきたのだ。人間、権力を握るとそうしたくなるのだろう。そういう無用な争いを避けるための、一世一元でもあった。 ではあるが、今回の改元は「いつ事前発表をするか」という点で、主導権争いがあったようだ。当初、新元号の事前発表は前年に行うと言われていた。退位特例法の付帯決議で「国民生活に支障が生じることがないように」としているからだ。 なのに、発表時期はずるずると後退していく。一方で、新天皇即位後にすべきと主張する勢力も現れ、二転三転した。結局、年が明けて1月1日になった数分後、NHKが「安倍総理大臣は4月1日に閣議決定し直ちに公表する方針を固めた」という速報を流した。政府もメディアも休みの、こんな絶妙なタイミングで速報が出るのは不自然だし、主語が「政府は」でないのも不自然だ。 今やさすがに、改元は勝手に決められない。しかし、せめて公表の時期は自分が決めたいと思う人々による、主導権争いの様子がうかがえる。為政者にとっては依然として、改元は支配欲を刺激するようだ。記者会見を終え引き揚げる安倍首相。奥左端は菅官房長官=2019年4月1日、首相官邸 明治22(1889)年に「皇室典範(旧)」ができ、一世一元が明文化されたが、第二次世界大戦後廃止される。以降、実は法的根拠もなく、なんとなく慣習で昭和を使っていた。 その後、昭和54(1979)年に「元号法」ができ、法的根拠が生まれた。この時、「元号法は、その使用を国民に義務付けるものではない」という政府答弁がある。 「『協力を求める』ことはあっても『強制するとか拘束する』ものではない」と繰り返し答弁している。これが公式見解だ。 ところが、平成6(1994)年に「公文書の年表記に関する規則」というものができて、「公文書の年の表記については、原則として元号を用いるものとする。ただし、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする」という「公文書の年表記に関する規則」ができた。 繰り返し述べてきた政府答弁との整合性が、よく分からない。現在、公式書類を書くときに「今は元号でいえば何年だ?」と困る理由は、ここにある。「令和」元ネタは中国? さてここでクイズです。平成 ・ 大正 ・ 昭和 ・ 明治 …と、ここに四つの元号がバラバラにあります。正しい順番に並べ、おおよその長さを答えなさい こんな問題は誰でも分かる。当たり前だ。しかしそれは、私たちが昭和や平成という時代を生きてきたからにすぎない。 ちなみに、そのわずか10年前にあった元号で同じクイズを作ってみた。慶応 ・ 文久 ・ 元治 ・ 万延 …と、ここに四つの元号がバラバラにあります。正しい順番に並べ、おおよその長さを答えなさい 即答できる人が、どれだけいるだろうか? 正解は、万延(1年)→文久(3年)→元治(1年1カ月)→慶応(3年6カ月)だ。慶応の次が明治になる。 ということはつまり、現代の私たちには自明の理である「明治(長い)→大正(短い)→昭和(とても長い)→平成(やや短い)」という流れも、今から100年後、200年後の人たちにとっては、「元号は、順番と長さが分からない」となるのだろう。 このように、元号には「イメージ把握力に優れている」が、「順番と長さに弱い」という欠点がある。紀年法として、これは大きな欠陥だ。人々の寿命が短く、ほぼ国内で完結していた昔は、それでも不都合はなかったのだろう(しかも、十干十二支の60年サイクルを併用していた)。 しかし現代、世界は狭くなって、ネットでも密接につながっている。世界共通の紀年法が必要であり、それが事実上西暦になっているのは理解できる。実は西暦だって、1年目から始まったわけではない。できた時は、いきなり525年! 一般化したのは十世紀と、意外に新しい。それを使うと便利だから各国が採用し、実質的な世界標準紀年法となっていった。 もっとも、民族、宗教、神話による独自の紀年法を持つ国も、珍しくはない。だがそれはそれとして、西暦を使っているのだ。 新元号は「令和」と発表があった。出典は『万葉集』で、「初春の令月にして、気淑く風やわらぎ…」からという。もっとも、発表後、中国の『文選』に元ネタとなる文章があるとも指摘された。『文選』は過去に元号の出典とされることが多い書物だし、一つの元号に出典が複数ある例だって珍しくはないから、別にそれでもいいとは思うが。街頭テレビに映し出された新元号発表の様子をカメラにおさめる人たち=2019年4月1日、東京都千代田区(早坂洋祐撮影)    「和」について違和感を持つ方は少ないだろう。「令」については、「命令」「辞令」という言葉や、幕末に不採用になった元号案「令徳」を思い出し、身構える方もいるかもしれない。あの時は「徳川に命令するという意味だ」と幕府側の一橋慶喜(後の徳川慶喜)が嫌い、「元治」になったのだ。 だが「令」には、「令嬢」「令息」のように、尊敬して使う意味もある。いい意味にとった方がいいし、元号とはしょせんそういうものだと思う。5月1日からは、この新元号「令和」になる。 元号は「明るい世の中になるように」という願いでつけられる。今回の改元報道の、ややお祭り騒ぎ的な取り上げ方を見ると、今後、元号は、紀年法としてよりも、縁起担ぎ・ムード作りという側面の方が強くなるのではないだろうか。■幕末幻の元号「令徳」が示す改元のインパクト■信長でも苦慮した改元「元亀から天正」暗闘の歴史■67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった

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    新元号決定、不敬なプロセスが生む「第2の光文事件」

    模索する動きは水面下であったものの、革新陣営からは、天皇が時を支配するという考え方に抵抗感があり、成文化するには時間がかかった。 ようやく福田赳夫内閣で元号法制化による存続を明確化し、大平正芳内閣で元号法が公布された。ただ、元号存続の是非に関わる本質的な論戦を避けたため、非常に簡素な条文となっている。元号は政令で定めることと、皇位継承があった場合に限り改元する旨が書かれているだけである。しかし「即日改元」の原則は続けることになり、象徴天皇制下でもなお、天皇崩御を予期して、秘密裏に文字案の選定が進められることになった。 昭和天皇の病状が悪化すると、内閣の担当者で協議が始まり、新天皇が即位すると有識者による懇談会が開かれ、小渕恵三官房長官が三つの原案を示し、その後衆参両院の正副議長の意見を聞き、閣議を開いた上で「平成」を決定している。今回の選定過程もこの平成改元にならっている。 元号は天皇の在位期間を基本に数える政治的紀年法ではあるが、正確に天皇の即位と退位にあわせる必要はない。明治改元は明治天皇即位より1年9カ月後に行われている。前近代では先帝崩御の1年後、もしくは2年後に改元することの方が一般的であった。先帝に対する一定の服喪の期間を経て改元する方が、儀礼的にもふさわしい。例えば、崩御後翌年の1月1日をもって改元とすれば、このような綱渡りをしないで済むし、西暦との換算も楽になる。 元号は国民生活と密接な関係にあり、文字案の審議も原則公開で行った方がいいのではないか。天皇崩御を予期して改元手続きをしなければならないから、非公開にならざるを得ないのであり、翌年改元となれば、公開しても不都合はない。また秘密裏に進めれば、それを知りたくなるのが人情であり、マスコミによるスクープ合戦も起きる。ごく少数の人間で審議を進めると、元号の文字に致命的なミスが起きやすい。昭和天皇の霊柩を乗せた惣華輦(そうかれん)が、おごそかに、ゆっくりと葬場殿に向って進む=平成元年2月24日 今回の改元は、譲位によるものであり、崩御を予期しての改元手続きでないため、作成過程を公開しても問題はなかった。将来の課題として、象徴天皇制にふさわしい元号制定過程を検討した方がいいのではないか。■幕末幻の元号「令徳」が示す改元のインパクト■平成改元「運命の一日」官邸発表までの舞台裏■新元号をめぐる「タブーなき議論」こそ平成と昭和の差である

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    自衛隊「萌えキャラ」ポスター、セクハラ批判の偏見こそ異常である

    しているのか」(京都新聞)と指摘した。 しかし、一見まっとうに思えるこういった指摘も、その実態は萌え文化への偏見を踏み台にしつつ、「自衛隊=不謹慎」という印象操作のために単なるミスリードを展開しているにすぎないように感じる。 設定を超越した「下着に見える、ズボンには見えない、性的だ」などは個人の主観に過ぎず、批判の争点には決してならないからだ。 コンテンツがどう見えるか、という「見え方の問題」と、作り手がどういう設定で作ったか、という「設定の問題」の関係性においては、設定の側にしか正解はない。もちろん、コンテンツによっては「見え方」と「設定」の解釈論争としての議論はあるだろう。しかし、今回のようなセクハラ問題に置換されるような議論ではない。 例えば、宮崎駿監督のアニメ『風の谷のナウシカ』は「世界自然保護基金(WWF)推薦」「文化庁優秀映画製作奨励賞」なども受賞した老若男女に愛される名作だ。しかし、一部で「ナウシカの描写は性をイメージさせる」と指摘されたことがある。スタジオジブリのアニメ映画監督・宮崎駿さん(漫画家、アニメーター)=2016年11月13日、京都市中京区(寺口純平撮影) 具体的には主人公の少女、ナウシカがメーヴェ(小型飛行機)に乗って空を滑空するシーンでスカートの中が頻繁に見える。タイツを履いている設定ではあるが、それが「下着をつけていないように見える」ということが物議を醸したのである。 この時は「タイツを履いている設定であり、うがった見方をする方がおかしい」というまっとうな反論によって笑い話として収束した。しかし、「下着を履いていないように見える」という指摘も事実ではあった。いずれにせよ、それに対する「タイツを履いている=裸ではない」という根拠も、制作上の設定に過ぎないのである。無理解を通り越した冒涜 今回の自衛隊ポスターの「下着か、ズボンか」という議論も、『風の谷のナウシカ』の「裸か、タイツか」の議論と本質的には同じであろう。にもかかわらず、ナウシカが「当然、タイツ」であり、一方で自衛隊ポスターが「下着に見える」として批判されてしまう違いはどこにあるのか。偏見と先入観であるとすれば、制作母体によって扱いが変わるダブルスタンダードであり、不謹慎狩りの亜流でしかない。 それがもし、自衛隊批判を盛り上げるための「自衛隊=不謹慎」という印象操作のためのミスリードであるとすれば、ポップカルチャーを踏み台にしたイデオロギー論争に他ならず、日本を代表するポップカルチャーである萌えキャラ文化への無理解を通り越した「冒瀆(ぼうとく)」でもある。言うまでもないが、自衛隊以外にも、美少年・美少女アニメや萌えキャラを利用した広報などはいくらでもある。(コンテンツの扱われ方については、拙著『パクリの技法』もご参考ください) 牟田氏らに象徴される前述の指摘は、現状の若者文化への乏しい理解と、絶えて久しいステレオタイプなオタクイメージの中で、「萌えキャラ=美少女キャラ=性的イメージ」をつなげている。これは、日本のポップカルチャーを貶める非常に危険な理解と感性だ。「美人は性格が悪い」という偏見と何ら変わらない。 実際の自衛隊ポスターを見る限り、描かれているのは、よくある、どこにでもある「萌えキャラ」でしかない。むしろ、近年の流行を踏まえれば清楚(せいそ)で地味なくらいだ。少なくとも筆者にはポスターから「性的なメッセージを含んだ幼い女の子」が強調された印象を感じることはできない。 そもそもアニメ調の萌えキャラを好むのは男性だけではない。若い女性層も男性以上に好み、消費している。同人活動などの現場で萌えキャラ文化をけん引しているのは、女性作家や女性ファンたちである。萌えキャラの受容対象として20世紀末型のステレオタイプな「オタク像」を一般化させた認識は偏見でしかないのだ。 むろん「自衛隊のような組織は、若者に迎合したポップなデザインは利用せず、地味でも堅い印象のものを起用すべき」という主張はあり得るし、そこから撤去やデザイン変更の議論が起きることもあるだろう。そういった議論が起きることには筆者も異論はない。※写真はイメージです(GettyImages) しかしながら、自衛隊が広報に起用したアニメキャラクターの中に、設定外の「下着」を見つけ出し、「セクハラである」「児童ポルノである」という批判を展開し、撤去にまで至らしめる今回のケースはそれと大きく異なる。表現の是非、ワイセツか否か、といったものとは違う次元からのアプローチであり、これはコトの本質や論点を大きくゆがませる。 もちろん、自衛隊に限らず、税金を利用している以上、度を過ぎた表現は許されない。しかし、今回のケースが、ポスター撤去にまで至らしめるまでの「度を過ぎた表現」なのか、についても改めて考えてみてほしい。

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    クイーン映画、日本人はなぜハマる?

    英ロックバンド、クイーンの軌跡を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が異例の大ヒットとなった。日本での興行収入は全米に次ぐ世界2位の100億円を突破。きょう発表される米アカデミー賞では5部門にノミネートした話題の作品だが、なぜ日本人はハマったのか。ヒットの裏側を読む。(©2018 Twentieth Century Fox)

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    サンプラザ中野くん手記「クイーン映画、ヒットの秘密は猫とトキソ」

    サンプラザ中野くん(ロック歌手) フレディ・マーキュリーが大好きである。サンプラザ中野くんだー! フレディになら抱かれてもいいと考えていた。結構マジに。そんなフレディ信者の私は公開早々、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見た。最後のライブシーンでは両手で口を押さえてはみたものの、大号泣は止められなかった。 成人してから、喉が枯れるほど泣いたのは、父親が死んだ時と、忌野清志郎さんが亡くなった時、そして20年飼った愛猫の亡き骸(がら)を土に埋めた時だけだ。三十余年前にリードボーカリストとしてロックバンド「爆風スランプ」でデビューした。肩書は「ロック歌手」である。そんな私が『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットを分析してみたい。 これまで4回見た。「Dolby(ドルビーアトモス=最新のサラウンド技術)」「極音(極上音響上映)」「IMAX」、そして「応援上映」を鑑賞した。 1回目はただありがたかった。「フレディありがとう! ロックミュージックありがとうございます〜!」と泣きながら感謝した。2回目は「ロックバンドあるある」シーンに胸躍った。 アイデアが尽きるまで試みるレコーディングのシーン、名曲を生み落とす時の胸の震え、メンバー間の名声や収入差からの不穏な関係性などなど、こそばゆくなるほどリアルに表現されていた。クイーンのメンバーが制作陣に名を連ねているからこそだと思った。 3回目はその完璧さに打たれた。全てのシーンで無駄がない、と。制作にかかわった人々の熱意と愛情と能力に感謝した。そして4回目。見ている間中、ただただ幸せだと気づいた。こんなに至福の134分間を2千円足らずで味わえる幸せに、心の中で手を合わせたよ。 おっと、これでは壮大な『ボヘミアン・ラプソディ』賛歌になってしまう。多少は批評家としての目線が必要だ、と思い起こしたら一つあった。「強いて言うなら、猫の出番がちょっと多い」と4回目を見終えた時、同行者に言っていた。そうなのだ。フレディは大の猫好きだったのである。このポイントから異例の大ヒットを分析してみたい。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox フレディの出身地は、イギリスの保護領だったタンザニアのザンジバル島。家の宗教はゾロアスター教(拝火教)である。祖先はイスラム教に追い出されてペルシャ、今のイラン辺りからザンジバルに渡った、と映画の中でフレディの父親がこぼしている。 ゾロアスター教は、イスラム教の勃興(ぼっこう)に押され東へ、そしてインドを経て中国へ、そこから日本にも渡ってきている。6世紀ごろの話とされる。火や太陽を崇拝する宗教は仏教の中に隠れて渡来したらしい。クイーンを盛り上げた日本ファン 諸説あるが、その際に猫も大陸から日本に渡ったとされる。仏教の経典をかじるネズミを追って船倉に紛れ込んだ、とかなんとか。とにかく、それまで日本に猫はいなかったようである。 ゾロアスター教の中で「猫は悪魔の使い」とされている。そのゾロアスター教をペルシャから追いやったイスラム教。イスラム教では反対に猫を敬愛しているという。 映画の中で、フレディと父親はソリが合わない。これは猫とゾロアスター教の関係と同じである。フレディは厳格な父親から逃げる、あるいは父親を越えようと音楽に没頭する。 むろん、それはフレディに音楽の才能があり、また人を魅了させる能力が高かったからに他ならない。猫のようにしなやかで悪戯(いたずら)な身のこなし、そして魅惑的な歌唱能力。当時、イギリス及び世界で流行っていたロックアーティストは、どちらかというと男らしく、時に獰猛(どうもう)なイヌ科が多かったのではないだろうか。 そこに、女性性をも振りまくエポックメイキングなロックボーカリストが登場したのである。周知の通り、彼らクイーンはイギリスのロックシーンに登場した際、強く否定された。 彼らを盛り上げたのは、日本のファンだと言われている。日本では「ネコ科ロックアーティスト」のフレディが、ハナからモテモテだったというわけだ。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox さて、日本で猫といえば招き猫である。招き猫には人を惹(ひ)きつける能力があるとされている。人が引き寄せられるから、商売繁盛に繋がるのである。 では、なぜ人は猫に惹かれるのか。それは虫に侵されているからである。そう、虫なのである。人も猫も虫に侵されているのである。 その名も「トキソプラズマ」。ごく小さな虫であり、原虫と呼ばれる類いのものだが、猫はトキソプラズマの宿主でもある。つまり、猫とトキソプラズマは共生関係にあり、言うなれば助け合っているのである。「猫の時代」の熱狂 トキソプラズマが体内にいるとき、そのヒトあるいは動物は猫を好きになる。例えば、トキソプラズマに侵されたネズミは猫を恐れなくなる。そして簡単に猫に捕食されてしまうのだそうだ。これは科学的に証明されている事実なのである。 フレディが生まれたザンジバルの街に行くと、とても猫が多いのだそうだ。調べると、現在のザンジバルでは住民の97%がイスラム教徒という。だからこそ、フレディ一家はロンドンに逃げ出していったのではないだろうか。 それはさておき、つまりフレディは子供のころにトキソプラズマと出会った確率が非常に高いのである。そして、猫を大好きになった、と。 また、トキソプラズマに侵された男性はリスクを恐れなくなり、反社会的にもなるとされる。女性の場合は社交的になり、「ふしだら」と揶揄されるほど豹変する人もいるらしい。 実は、そんなトキソプラズマに世界人口の3分の1が感染しているとされている。そして、ブラジルやフランスでは感染率がとても高いという。クイーンが南米で人気が高かったのは、それが原因だったかもしれない。 両性性を持ち合わせていたフレディは、リスクを恐れず反社会的であり、社交的でふしだらでもある。かように魅力的なネコ科のトキソなロックボーカリストに、われわれは心をわしづかみにされてしまった。つまり、われわれも「トキソな人々」と言えるだろう。 ちなみに2017年の調査結果によると、日本では猫の飼育数が犬の飼育数をとうとう上回った。実は、これは世界的な傾向であるらしく、世界各国で猫の飼育数が何十年にも渡って増え続けているという。要するに日本以外にも、トキソな人々は増殖しているということなのだ。ロック歌手のサンプラザ中野くん=2018年4月(宮川浩和撮影) 思えば、クイーンがデビューし活躍した1970年代はまだまだ「犬の時代」だったのだろう。それゆえ彼らもまた不当な評価に傷つけられていたのだろう。「猫の時代」「トキソな時代」を迎えつつある今、ようやくクイーン及びフレディ・マーキュリーは世界的に熱狂的に受け入れられ始めている。ザンジバルから「犬の国」ロンドンにやってきた「ネコ科のボーカリスト」フレディが、幕が開いたばかりの猫の時代を祝うべく、ファンファーレを今高らかに奏でている。それが『ボヘミアン・ラプソディ』なのである。 ということで、かなり斜めの方向から映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットを分析してみました。いかがだったでしょうか。  トキソな時代についに受け入れられた偉大なるネコ科ロックボーカリスト。それがフレディ・マーキュリーなのです。そう思って見ると彼のお得意の握り拳を高く掲げるポーズが招き猫のそれに見えてくる昨今です。ボヘミアンラプソディー、千客万来!※サンプラザ中野くんのオススメ  ボヘミアンラプソディーで泣いた貴方に観て欲しい音楽ドキュメンタリー映画2本『シュガーマン 奇跡に愛された男』『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』■ ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ■ ジブリの時代は終わった ! 「この世界の片隅に」ヒットが意味するもの■ 救いなきR18映画「無垢の祈り」に私の邪心が揺さぶられたワケ

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    映画『ボヘミアン・ラプソディ』日本以外で酷評の嵐だったワケ

    前田有一(映画批評家) クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が社会現象というべき大ヒットとなっている。 近年の映画興行では公開後2週間の動きで、ある程度見切られてしまうものだが、本作は公開から3カ月以上たっても勢いを維持している。こうした特徴は『君の名は。』『アナと雪の女王』といった過去のメガヒット作と同様で、本作もすでに興行収入は116億円を突破、18年の国内全公開作品中ナンバーワンとなった。 しかしこの映画、海外では批評家筋からの酷評が相次いでいることを知る人は、意外と少ないのではないか。 例えばクイーンの本国イギリスのガーディアン紙は、フレディを演じたラミ・マレックの演技こそ褒めているものの「よくできたカバーバンドを見ているようだ」と皮肉っている。また、アメリカのニューヨーク・タイムズも「YouTubeで本物の動画を見たほうがいいんじゃないか」と手厳しい。イギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズに至ってはもっと直接的に「驚くほど悪い伝記映画」とこき下ろす。 彼らが真っ先に触れているのは、主に二つの製作トラブルについてだ。一つ目は監督のブライアン・シンガーが、撮影の3分の2が終わったあたりでスタッフやキャストともめ、クビになったこと。二つ目は、当初予定されていた主演サシャ・バロン・コーエンが、クイーンの現メンバーでエグゼクティブ音楽プロデューサーでもあるブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと衝突し、方向性の違いから降板したこと。こうした出来事を批評家たちはネガティブに紹介している。 さらに同時期には、ブライアン・シンガー監督による17歳少年へのレイプ疑惑も報道された。わざわざLGBTを公言しているこの監督に、ゲイだったフレディの伝記を託したというのに、完成前にそんなスキャンダルが巻き起こるなどシャレではすまない。詳しい降板の経緯は明らかにされていないが、そんなこともあって監督側を擁護する人はほとんどいない。ゴールデン・グローブ賞で主演男優賞を受けたラミ・マレックさん(中央)と、「クイーン」のブライアン・メイさん(左)、ロジャー・テイラーさん=2019年1月6日、米ロサンゼルス郊外ビバリーヒルズ(ロイター=共同) 実はこうした製作トラブルのある映画については、作品の出来不出来にかかわらず玄人筋はあまり褒めたがらない。トラブルには表に出ない被害者がつきものであり、下手に映画を褒めると彼らの恨みを買いかねないからだ。生産者に嫌われると内輪の情報を得られなくなるライターや批評家たちは、立場上そうしたリスクを取りたがらない。 また、そうしたいわくつきの映画がコケたときに絶賛していたとなれば、読者からも鑑賞眼を疑われてしまう。だから業界人的には、公開前に『ボヘミアン・ラプソディ』を褒めるのは、極めてリスクだったわけだ。 だが、ふたを開けてみれば、大衆は本作を手放しで絶賛。全世界で大ヒットし、米アカデミー賞でも5部門にノミネートされた。こうなると、今さら後に引けない批評家たちによる未練がましい酷評の的外れぶりが、逆に気の毒にさえなってくる。日本で大ヒットの理由 ちなみに日本における人気ぶりは、世界的に見ても突出しており、現在アメリカに次ぐ第2位の興収を上げている。なぜ『ボヘミアン・ラプソディ』は、ここまで日本人に広く受け入れられたのだろうか。 その理由は、業界のしがらみなんぞに遠慮せず、いち早く本作を各メディアで絶賛して回った私のようなガチンコの映画批評家がいたからだ…と言いたいところだが、実際のところは、製作時のゴタゴタなど気にもせず純粋に映画の感動を口コミで広めた、心ある日本の観客たちの拡散パワーによるものだろう。 それでも、誰もがここまでのヒットを予測していない公開前の段階で「『カメラを止めるな!』に続く社会現象的大ヒットになる」「一度はIMAXスクリーンを明け渡すが、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』が失速するであろう冬休み明けには、再び独占上映されることになる」とまで正確に予測してメディア上で発言していたのは、日本広しといえど私1人だったわけで、この場を借りて日本における本作のメガヒットを改めて分析する資格くらいはあるだろう。 まず、純粋に作品の出来が良かったのはもちろんだが、それ以外の要素となると、木村拓哉主演『プライド』をはじめとするテレビドラマや、CMなどに絶えず楽曲が使われ続けたおかげで、リアルタイムのクイーンファンである中高年より若い世代にバンドの知名度が受け継がれていたことが大きい。 「Let It Go」をロング予告編で日本中に流しまくり、脳内でリフレインさせる宣伝戦略で成功した『アナ雪』が証明したように、「音楽映画は事前に劇中曲を可能な限り拡散しておく」のは、今や映画宣伝における鉄則。なにしろ音楽映画やミュージカル映画は、「初見の曲」ではなかなか盛り上がれない。 人々は「お気に入りの曲」を音響設備が整った劇場で、大勢の人々とともに「体験」したいものだ。そして、ひとたび心地よい鑑賞「体験」ができれば、彼らは一般劇場からIMAX、応援上映とリピートしてくれる。大事なのは、人々は「体験」には、何度でも追加料金を支払ってくれるということだ。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox 「体験」にこだわるこの流れこそが、通常レベルのヒットの壁を突き抜ける原動力となる。そして、主だった曲が既に日本人の脳内の「お気に入り」フォルダに入っているクイーンの場合は、労せずしてそのための最初のハードルを越えていた。 特に本作は、ヒット曲を多少聞いたことがある程度のライトなファンをこそ、メインターゲットとして作ってある。言い換えれば、浮動票を持つ観客にジャストフィットしたつくり。だから、コアなファン以上に彼らがリピーターになった日本市場における流れは、製作者にとってはまさにしてやったり、コンセプトの勝利といえるだろう。あの「違い」こそ魅力 ところが、実はこの点こそが、先述した英米の酷評記事がそろって批判するところでもある。いわく、脚本がウィキペディアをなぞっているように上っ面で、フレディたちの真実の姿に迫っていない。クイーンの音楽性の停滞やフレディの薬物、セックス、メンバーとの不仲などマイナス面を十分に描いていない、等々…。 要するに、史実・事実をいいとこどりしている、偽善的で、クイーンの本質を知りたい大人の鑑賞にたえない、というわけだ。 しかし、もともとそうした「大人の映画」とは逆の方針で作られたのだから当たり前の話で、批判は的外れと言わざるを得ない。 そもそもブライアンたちがサシャ・バロン・コーエンを降板させたのは、サシャが求めた「大人向けのクイーン映画」を作る気が、彼ら現メンバーになかったからなのだ。ブライアンたちが目指したのは、家族連れを含むごく普通の人たちに、フレディが残したものを伝えたい一心にあった。 そのために彼らは、薬物、セックス描写を極力削った。日本ではG指定で小学生でも見られるが、各国でも比較的低めのレーティングに抑えられているのはそのためだ。その上で、近年のホットワードであるLGBT問題について、最期の時まで自らの性をカミングアウトできなかったフレディに代わり大きな問題提起を行った。そんな作り手の意欲と勇気については、もっと褒めてもいいのではないだろうか。 確かに史実については、たくさんの脚色がなされている。例えば映画では、メアリーと別れた後、フレディが別の女優と付き合った件は省略されている。 また、ラストシークエンスとなるライブエイドは、フレディと仲たがいしていたメンバーの数年ぶりの集結のように描かれているが、実際は前年にアルバム「ザ・ワークス」を出しており、わずか8週間前までツアー公演もしていた。そもそもライブエイドが開催された85年には、まだフレディはエイズと診断されていなかったとされる。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox こうした点について、鬼の首を取ったように批判する人たちがいるが、個人的にはそんな意見に惑わされる必要はないと思う。映画は教科書でもなければ記録資料でもない。映画とは、何かを伝えるためにこしらえる、作り手の魂がこもった芸術作品だ。『ボヘミアン・ラプソディ』も、苦しみの中で生きたフレディ・マーキュリーという人物が遺(のこ)した美しいものを、彼を愛する人々が協力して持ち寄り、再結晶させたものだ。 そんな思いが込められたライブエイドのシーンは、実際の記録映像とはあえて違う角度とカメラワークで撮影されている。映画を見た後、実際のライブエイドの中継映像と見比べてみてほしい。それも再現性の高さなどではなく、あえて「違い」にこそ注目してみるといい。 するとどうだろう、映画版では、観客の私たちではなくフレディから見たこの世界をこそ、誰もが感じられるように作ってあると分かるはずだ。だからラミ・マレック演じるフレディ・マーキュリーが「We are the champions of the world.」と歌い上げたとき、私たちはその「世界」の真の意味に近づける。作り物であるはずの映画が、史実を超える瞬間。これこそ映画を見る醍醐味(だいごみ)だ。■「もう一度見ようとは思わない面白い高級映画」スターウォーズ第7作■ジブリの時代は終わった ! 「この世界の片隅に」ヒットが意味するもの■「時代は変わる」ボブ・ディランの受賞は文学と音楽融合の象徴である

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    「少女漫画的なフレディ現象」SNSで爆発したクイーン映画の大衆性

    動してツイート数もどんどん増大していくなんて熱波もあっただろう。そういえば、ほんの数日前だが、新聞の文化欄に日本の映画界は「昨年興行歴代3位 SNS後押し」という見出しが躍っていた。クイーンは嵐と同じ? 要するに私のみるところ、ジャンルを問わずこの種の文化商品のメガヒットというのは、まずは普段関心のない層の人々の耳目を集めることが条件となる。『ボヘミアン・ラプソディ』のケースでいえば、ロック音楽にもクイーンにもさして情報や嗜好もない人たちに広く認知され、また大いにウケたということだ。 で、その根底に、SNSに象徴されるデジタル・インフラ=ネット社会の整備と普及・定着があるのも言うまでもない。 実際、今さらだが、スマホの普及と密着するこのインターネットの日常化は、音楽受容の(もというべきだろうが)スタイルにコペルニクス的転換をもたらしたといってもよい。 これは、たとえば今や世界中のほとんどすべての音楽を網羅した超巨大な、しかも無料のデータベースといえるユーチューブ一つを想起するだけで、だれしも一発了解だろう。そしてそんなデジタル機器やソフトの日常化によって、上記のような音楽情報をどこでもだれでも瞬時にして耳目にできるのである。 もっとも、こうしたいわば現代版口コミによる評判の拡散や拡大には、『ボヘミアン・ラプソディ』という映画作品自体やフレディ・マーキュリーなり、クイーンのコピー音楽の出来の良さが大前提となっている。 むろん私も、出来がよろしくないとも考えていない。ただ、私自身は、そもそもクイーンをビートルズやローリング・ストーンズのようなこれほどのメガヒットを当然とする正真正銘のS級アーティストと思ったことはただの一度もない。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox また以前、このフィルム同様の手法で造られたドアーズのジム・モリソンやレイ・チャールズの伝記映画と同様、さして興味がない。なぜなら、精巧なデジタル処理でいかにもホンモノらしくできている作品よりも実物そのものの音楽に耳を傾けていたいというわけで。 にもかかわらず、今般のビックリな現象というわけで、私にはそこに今ひとつデジタル社会における大衆音楽文化の成熟という現状があると思われてならない。 というか、より正確には、今やロック音楽そのものがあらゆるレベルで特別な文化でもなんでもない。それこそアイドルグループの嵐同様、クイーンも老若男女を問わず今や日常的に消費されうるポピュラー・カルチャーの一つと化しているということだ。■ 「嵐は永遠に未完成」ゆえに完璧なアイドルになった■ 「時代は変わる」ボブ・ディランの受賞は文学と音楽融合の象徴である■ ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ

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    ロックはいかにして生まれ、「歴史」となったのか

    ビ中継をじっくりみていた。 式典では、英国の歴史の大きな部分を占めるのがロックであり、英国を象徴する文化として位置づけられていた。歴史を追って時代を彩ったグループや歌手が紹介される様子を見た時は、「これはイギリス文化として認定されたという意味なのか」という思いをとらわれたが、全世界が注目するイベントでまさにロックはイギリスの文化であると国をあげて宣言していたのだ。本書を読み進めるにつれて英国という国がロックに影響を与えてきた様子が非常によく理解できる。 誰が言っていたのか、あるいは書いていたのか全く忘れてしまったが、以前、遭遇した「青春期にどんな音楽を聞いて育ったかで、その人の人生は変わる」という言葉が忘れられない。個人的な体験で恐縮だが、少なくとも自分ではそうだった。 中学2年生の時、商社マンの息子で、英国から帰国したばかりの友人にビートルズを教えられ、ロックの世界を知った。こつこつお金をためて最初に買ったレコードは『アビーロード』だった。ビートルズの曲は全部聞き、イギリスと英語にあこがれて過ごした。ローリング・ストーンズなど英国のロックバンドの曲も一緒に聞いた。 その後、新聞社のロンドン特派員になり、在任中にポール・マッカートニーとミック・ジャガーにインタビューする機会に恵まれた。そして、全くの偶然なのだが、ロンドンで住んだ家はアビーロードスタジオのすぐ近くだった。ツアーで公演するポール・マッカートニー=2017年(AP=共同) もし友人にビートルズを教えてもらわなかったらそもそもロックや英語、イギリスには興味を持っていなかっただろうし、おそらく二人にインタビューをすることもなかったと思う。 中高生の時、当時人気のあった「ベストヒットUSA」という番組をよくみていたが、イギリスのロックバンドの曲を聴いていると、自分の中では、アメリカでヒットしている曲はなにかしっくりこないという感じはあった。イギリスでないとロックではないみたいなことを無意識のうちに感じていたのかもしれないと、本書を読んでみて思う。暇をもてあました若者たち 本書ではロックの歴史をこう位置づける。 〈(アメリカで)ロックン・ロールが生まれ、それが流行音楽として廃れ、しかしながらイギリスに引き継がれ、やがてアメリカに逆輸入されるかたちでロックへと移りゆく〉。 その様々な局面を彩る登場人物が出てくる。エルビス・プレスリーであり、ビートルズであり、ローリング・ストーンズであり、ジミ・ヘンドリクスであり、ボブ・ディランである。そうした存在感のあるスターを随所に、丁寧に取り上げることで、全体像を描き出している。 筆者はロックファンの一人ではあるが、マニア的に細かくロックスターの状況を知っているわけでない。むしろ知らないことの方が多い。本書を読んで初めて教えられたことも非常に多かった。読む人を納得させ、ロックの世界にいざなう著者の鋭い筆致と巧みな構成にぐいぐい引き込まれた。 印象的だったのは、イギリスにロックが生まれた社会的、時代的背景で重要なのが著者のいう「そこに暇をもてあました無数の若者がいた」という事実である。『ロックの歴史』(中山康樹、講談社) 1916年から続き、青春期を迎えたイギリスの若者の2年間を「拘束」していたイギリスの徴兵制が1960年に廃止された。「失われた2年間」のはずだった時間が一転しておまけの人生」となり、自由な時間を得た若者が直面したのは、空爆の爆発音からエレキギターの激しいビートへと変わったという指摘である。 ビートルズやストーンズなどのブリティッシュ・ロックのバンドが1960年代に大量に生まれた背景に、こうした徴兵制の廃止があったことは恥ずかしながら全く知らなかった。社会の変化が若者に影響を与え、若者が生み出す音楽が社会を変えてゆく。 筆者は1967年生まれだが、著者の鋭い分析で繰り出す分析を頭にいれながら、この時代のうねりのような動きを想像すると、当時のロックが与えた社会への影響力は今とは比較にならないほど大きかったのだろうと想像する。過去と現在を行き来 1967年のビートルズのアルバム『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』以前に、1965年に発売された『ラバーソウル』が早くも投げかけていた音楽的な意義。1964年のビートルズのアメリカ上陸で一気に「覚醒」したアメリカ。その後ジミ・ヘンドリクスの登場で、今度は逆襲へと転じたアメリカ。ボブ・ディランの不気味な存在感。音楽的に分離された状況にあったイギリスとアメリカが一体化し、国境のない統合の時代を迎える。 そうした代の流れを追う中で、多くの人の記憶に残っているミュージシャンやイベント、社会の流れを英米双方の視点から同時代的に整理し、各章でスピード感をもって詳述してゆく。まさに起伏の激しいロックミュージックを聞いているような感じがする。 驚くのは、登場するミュージシャンの多くがいまも現役であることだ。もちろん早世した天才スターも多いが、1960年代から生き続ける多くのミュージシャンが近年日本を訪れて元気な姿を見せてくれているのは感動すら覚える。 終章で筆者はロックは果たして歴史になったのかどうか総括を試みる。厳然たる時間の流れはありながら、過去と現在を行き来する側面をもつことをボブ・ディランの歩みをひきながら考察する。 〈ロックと称される世界の時間軸では60年代はまだ終わっていない〉 〈ロックの国では、どうやら人間は年をとらないようになっているのかもしれない〉、 著者はこうした表現でしめくくる。音楽の専門家でない筆者が見解を述べるのはおこがまししいと思いつつ、著者の思いには大いに共感できる。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) 7年前、ミック・ジャガーにインタビューした時、「80歳になってもサティスファクションを歌っていますか?」と聞いてみた。ミックは「それはわからないなあ」と笑いつつ、「歌うことは好きだからやめるつもりはない、いつやめるかなんて決めていない」と答えてくれた。 その時「ロックに終わりはないんだよ」とミックに言われた気がしたが、本書を読んで何か共鳴するものを感じた。自分が30年以上ロックに向き合い、様々な曲を聴きながら考えてきたことは間違っていなかったのかもしれないと、本書から力をもらった気がした。

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    大阪万博成否のカギ「カジノマネー」をめぐる悲しき思惑

    木曽崇(国際カジノ研究所所長) 11月23日、パリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会において、2025年国際博覧会(万博)の開催地が大阪に決定した。日本とロシア(エカテリンブルク)、アゼルバイジャン(バクー)の3候補で争われた1回目の投票で、日本への支持が既にBIE参加国の過半数に達した。 引き続き行われたロシアとの決選投票では、第1回投票からさらに支持を積み増し、全体の6割以上の支持を得ることに成功した。事前報道では「かなり苦戦するのではないか」という声もあったが、フタを開けてみれば「横綱相撲」と表現してもよい投票結果であったといえる。 だが、2025年の万博開催を勝ち取り、歓喜に沸くわが国において、既にその先の現実的な対応に頭を悩ませている人たちがいる。それが、日本国内外のカジノ業界関係者だ。 わが国では2018年7月の統合型リゾート施設(IR)整備法の成立によって、カジノを中核とした複合観光施設、IRの導入が決定している。実は、今回決定した大阪万博の開催は、IR導入とセットの企画として起案されたものであるからだ。 万博のメイン会場となるのは、大阪市の最西端に位置する人工島、夢洲(ゆめしま)だ。そもそも夢洲は08年の大阪五輪誘致を目指して埋め立てられた人工島であった。 その後、北京との招致レースに敗退したことによって不良資産化し、長らく大阪府・市政の「負の遺産」とされてきた。その夢洲において、起死回生の再開発プランとして持ち上がったのが、万博とIRの誘致計画であった。2018年11月、2025年万博の大阪開催が決まり、道頓堀でくす玉を割って祝う人たち 夢洲は390ヘクタールという広大な埋め立て地であるが、現在コンテナターミナルや太陽光発電などで利用されている用地を除いた部分のうち、約170ヘクタールあまりが大阪にとって当面の新しい開発対象となる。このうち、今回誘致に成功した万博の開催用地として使用されるのが100ヘクタールあまりで、残りの70ヘクタールが大阪IR開発の当面の候補地となっている。大阪がIR誘致を急ぐ理由 2018年7月のIR整備法の成立を受けて、現在国は急ピッチで関連法令の整備を進めており、19年の中ごろには全国で最大3カ所と定められているIR設置区域の選定に関する基本計画を発表する。その後、IR誘致を求める各都道府県などにより、国からの認定を巡る誘致合戦が繰り広げられる。 大阪府の松井一郎知事は、19年度中には夢洲でのIR開発を担当する民間事業者を選定し、最速で国からの認定を取得したい考えだ。万博開催前年の24年には、夢洲でのIR開業を実現したいと気を吐いている。 25年の万博開催が決まったばかりだというのに、なぜ大阪はこれほどまでにIR誘致を急ぐのか。そこには大きな理由がある。万博開催の前提となる公共交通の敷設に、IR開発業者の「資金協力」が不可欠だからである。 大阪万博の開催地として決定した夢洲だが、実はこの人工島は現在、道路での上陸が唯一の交通手段となっており、大阪市域からのアクセス環境は劣悪だ。大阪府は万博の来場客数を2800万人と予測しているが、現在の交通インフラでは、予想来場者の輸送など到底不可能であり、新たな公共交通手段の敷設が必要となる。そこで持ち上がっているのが、夢洲周辺を走る各鉄道の延伸計画である。 敷設コストが最も安く、最有力と言われているのが18年4月に民営化されたばかりの大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)中央線の延伸だ。夢洲の南側から大阪市住之江区を経由して地下鉄で接続する案だが、最もコストがかからないと言われているこの敷設案でも、整備費用は540億円にも及ぶとされる。 一方でこの大阪メトロ中央線は、大阪の中心市街地である梅田周辺には直結しておらず、中心市街地へのアクセスには乗り換えが必要となる。そのため、万博誘致に伴う観光波及の側面からみると、必ずしも「最良の計画」とは言い難い。2016年3月、JR桜島線(ゆめ咲線)のユニバーサルシティ駅で開かれた開業15周年記念セレモニー。エルモなどのキャラクターも祝福に駆けつけた そこで、もう一方で検討が進められている鉄道アクセス案が、JR桜島線の延伸である。これは夢洲の東側から大阪市此花区を経由して大阪市域を結ぶ案だが、予想される整備費用は1700億円と、大阪メトロ延伸よりも、はるかにコストがかさむ。 だがJR桜島線は、大阪の中心市街地・梅田周辺へと直結しているだけでなく、大阪観光のもう一つの目玉であるユニバーサルスタジオ・ジャパンにも連結しており、路線としてのポテンシャルはこちらが圧倒的に高い。JR西日本は18年4月に発表した「中期経営計画2022」の中で、既にJR桜島線の延伸検討を盛り込んでおり、今回の万博誘致が決定したことで、延伸計画の本格的な検討が始まることとなる。遠回しの批判にも強気 そして、2025年の万博開催が決定した今、現実のものとして頭を悩ませなければならない問題が、開催のために必須となる各鉄道の延伸費用負担の問題である。現時点で最有力とされる大阪メトロ中央線の延伸費用に関して、大阪市は整備費用540億円のうち128億円を負担し、残りの210億円を大阪メトロ、そして202億円は万博予定地の隣に整備されるIRの開発事業者に負担を求める方針を示している。 この地下鉄延伸の費用負担こそ、大阪がIR誘致を急ぐ理由である。実は、夢洲への公共交通敷設費用を含めて考えると、IR業者の資金的協力なくして、万博成功はあり得ないのである。 この202億円の事業者負担に関して、大阪でのIR参入を検討している一部の大手カジノ事業者からは「インフラ整備は行政が担当すべき」とする遠回しの批判が出ている。しかし、大阪市の吉村洋文市長も「(202億円は)IR事業者が受益者として負担すべきもの」と一歩も引かない構えだ。 業界関係者の間では、現在予定されている負担額の限りであれば「許容範疇(はんちゅう)」ではないかとする声も多い。ただし、関係者が危惧するのは、現在約200億円とされている事業者負担の「積み増し」である。 前述の通り、大阪市域と夢洲を結ぶ鉄道の延伸計画は、大阪メトロ中央線の他にJR桜島線の延伸計画の検討が進んでいる。ここで、1700億円の整備費用を、大阪メトロの延伸コストの費用負担率にそのまま当てはめてみよう。その場合、1700億円のうち403億円が大阪市の負担になり、661億円が鉄道運行業者となるJR西日本、そして634億円がIRの開発事業者の負担となる。 大阪市は、今のところJR桜島線の延伸費用負担に関して直接の言及を行ってはいないが、吉村市長の説明する「受益者負担」の原則を当てはめた場合、そこにさらなるIR開発事業者に対する費用負担の積み増しは十分に起こり得る。2018年11月、2025年万博の大阪開催が決定し、握手を交わす大阪府の松井一郎知事(左)と大阪市の吉村洋文市長=フランス・パリのOECDカンファレンスセンター(恵守乾撮影) 逆に、積み増しが「ない」とするのならば、それが大阪メトロ延伸のケースとどう違うかを、早いタイミングで明言する必要があるだろう。その説明次第で、今後の大阪におけるIR誘致の実現性が変わってくるだけに、大阪市の一挙手一投足に業界の注目が集まっている。■ 記事カネの流れが経済の原点 カジノに勝る「特効薬」はこの世にない■ 「賭博」を全面解禁せよ! 矛盾だらけのギャンブル禁止はもう限界■ 的場文男の金字塔に思う「ギャンブル大国」の行く末

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    落合陽一「2025大阪万博までの7年をどう生きるか」

     この1年で6冊の本を出した(うち3冊は共著)落合陽一さん。「いずれもよく売れている。いま最注目の方」(高井昌史・紀伊國屋書店社長)と評される存在で、活動の幅は「メディアアーティスト」「筑波大学准教授」などの肩書きにはおさまらないものがある。その生の声を聞き、何を目指してしているのかを知るため、師走の渋谷に100人を超える聴衆が集った。作家の猪瀬直樹さんがホスト役となり進行したこの日のシンポジウム。テーマは「2021年以後のニッポンを考える」。そこで飛び出したのは、先日開催が決まった2025年大阪万博の話題だった。* * *落合:後期高齢者に団塊の世代がすっぽり入るのは、くしくも2025年です。そうなったとき「いのち輝く未来社会」(注:2025大阪万博のテーマ)が来たといって、われわれは「わ~万博だ~」とやっているのですが、その裏では、1人あたりの医療費が高い世代が、国のメイン層として日本の財政にのしかかるようになるわけです。だから、それまでになんらかのテクノロジーで解決策をみつけるしかないんです。猪瀬:課題先進国として、万博はそこで何かやるしかない。落合:解決している状態をみせないと・・・。これが焼け野原です、にはなりたくないので、7年後に解決した結果を見せたい。なので時間がない。もう7年しかないので、ぼくは急いでいます。──(会場から)大阪万博まであと7年。わたしたちは社会貢献のために、今、どうアクションすればいいのでしょう。落合:成熟した社会ですべてのルールが定まっているとするならば、国民がやれることは選挙に行くこととか、政治的な意識を持つことだとか、それに参加するためのプログラムを作ることなのかもしれません。でもいまのわれわれ世代は、十分成熟していないので、積極的にSNSで発信したり7年後までにインフルエンサー(流行の発信源)になったりした方が、社会貢献度は高いと思っています。 つまり、7年後になって社会の一員としてできることを探すのと、7年前のいまから気づいて情報発信をし続けることによって“意見の風上をとる”ことは、まるで話が別です。いまのわれわれは意見の風上をとれる段階にあります。たとえばメインのお仕事があるのなら、週1~2日だけ考えを発信してみたりとか、発信を積極的にやるような意見会に出て、その後に発信してみたりとかです。そうやって、なんらかの情報サービスの中に自分を位置づけるのか、もしくは産業の中でもの作りで貢献するのもありでしょうけど、早く気づいて早く動いた方がいい時代です。 いまこの世の中で、社会を変えるための方法を模索しながら考えて手を動かしている人の数なんて、極めて微々たるものです。だから、発信していった方がいいと思うんです。猪瀬:2025を設定したってことが大事。設定したってことはそこに向けて動き、その先に解決があるってことです。こうした設定を出すことが大事だったんです。落合陽一氏は今年、6冊の本を上梓した──(会場から)1964年のオリンピックと1970年の大阪万博。これら過去にはどういう意義があったのか。そして、今回の意義は何でしょう。お考えを聞かせてください。落合:1964年と1970年のことは全然しゃべれないですけど、ぼくから見たら、1964年に設計された東京都市で、いまもわれわれは生活している。そして1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」を統一テーマにした。あそこで示されたものに、もう、全天球カメラがあった。月の石もあったし、人類が考えられるSF的な未来の可能性はあそこにすべて包まれていた。これはみんな意外と見落としている事実です。インターネットも詰まっていて、それによって実現される社会はイメージの段階として広がっていったんですよ。 われわれが今度の万博でやらなければいけないことは、現在までの間に実証されたことに基づいて、生活感をどう取り戻すかということ。未来のビジョンはもちろんある。そのビジョンから当たり前の風景が見えれば、もはや夢物語ではないとして扱ってもいいでしょう。 東京五輪についていえば、1964年の時に作りかえられた都市構造を、われわれは工業的発展構造の都市から個別具体的分散構造の人口縮小型の都市に変えていかなければならない。その転換点が2020年にやってくるんですね。東京五輪「真のテーマ」 人口が増加して、もっとも効率的な移動手段はベルトコンベアです。東京には緑のベルトコンベアが走っていますよね。「山手線」というんですけど(会場、笑い)。ベルトコンベアの次に効率的なのが、ライントレーサーですね。自動運転です、要は。ニューヨークやシリコンバレーでは、自動運転の導入を進めている。なぜか。高速道路の出入口や橋でものすごく渋滞するので、その運転という労働から解放されたいんです。 一方、日本の都市部で、なぜそこまで自動運転のニーズが高まっていないのか。ひとつには、タクシーがいっぱい走っていて、お金持ちはそれで移動できてしまう。また一方で、地下鉄、地上、そして物量化を担っている首都高速をはじめとするインフラが、すべてレイヤー(階層)に分かれていて人口の急激な増加に耐えきれるようになっている。それがわれわれ社会の特殊な都市構造だと思うのです。 これから人口が減少したときに、その構造をどう作り替えるのかが、2020年(東京五輪)のひとつのテーマです。猪瀬:1964年は首都高速ができました。東海道新幹線もそうです。ソ連映画『惑星ソラリス』(1972)は東京の首都高を走るシーンを、未来都市として描きました。1970年の大阪万博も未来をそこに置いたんですね。でも、およそ50年経っているので、「未来」はそろそろ一回りする。1964年と1970年には、落合君は生まれていなかったしね。落合:そうですね。ぼく31なんです。みなさんによく年がわからないといわれます。でもぎりぎり昭和生まれ。だからここ(猪瀬さんと自分)は同じ世代なんです(笑い)。* * * 年の差41を感じさせないやりとり。それは、落合さんが猪瀬さんの著作の愛読者でもあるからのようだ。《猪瀬さんは作家として「日本の近代」を大テーマに掲げ、多くの著作を書いてきた。その分野は、巨視的な歴史であり、日本の官僚制であり、文学であり、先の大戦であり、メディアでありと非常に多岐にわたっています。》『ニッポン2021-2050 データから構想を生み出す教養と思考法』落合陽一、猪瀬直樹(KADOKAWA)「まえがき」より その猪瀬さんは今年、「日本の近代」をテーマに16巻になる電子書籍版の著作集を完結させた。いっぽう落合さんは、最新刊『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』で、「人生100年時代」に本当に必要な教育について思考を深めている。 さて、7年後、この2人が大阪万博に「出品」するのは、どんな未来になるのだろうか。作家・猪瀬直樹氏がホスト役を務めた【プロフィール】おちあい・よういち/1987年生まれ。メディアアーティスト、東京大学学際情報学府博士課程修了、博士(学際情報学/東京大学)、筑波大学准教授、筑波大学学長補佐、筑波大学デジタルネイチャー推進戦略研究基盤代表、Pixie Dust Technologies.inc CEO、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授、JST CREST xDiversity代表。オンラインサロン落合陽一塾主宰。著書に『これからの世界をつくる仲間たちへ』(小学館)など多数。【プロフィール】いのせ・なおき/1946年生まれ。作家。1983年に『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『日本凡人伝』を上梓し、1987年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞。評伝小説に『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『こころの王国 菊池寛と文芸春秋の誕生』がある。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞。2001年10月より「『日本の近代』猪瀬直樹著作集」全12巻を小学館から刊行する。2002年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。その戦いの軌跡は『道路の権力』『道路の決着』に詳しい。2006年に東京工業大学特任教授、2007年に東京都副知事、2012年12月に都知事。2013年12月辞任。2015年12月より大阪府市特別顧問。近著に『東京の副知事になってみたら』『救出─3.11気仙沼 公民館に取り残された446人』『民警』などがある。※シンポジウムは、2018年12月5日、日本文明研究所(猪瀬直樹所長)主催により東京渋谷で開催された。関連記事■ 落合陽一氏「プログラムを学ぶだけでは…」■ 落合陽一氏「国民は国際情勢より小池知事のプロレス見たい」■ 落合陽一氏「テクノロジーの進化でテレパシーが現実となる」■ 落合陽一「お金があれば幸せ、という観念は変化していく」■ 終の棲家探し どこで生きるかより、どう生きるかが重要

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    オリンピックおじさん×万博おばさん 奇跡の対談が実現

     東京オリンピックの開催まで800日を切った今、開会式のチケットの販売予定最高額が約29万円と報じられ、浅草・雷門、皇居、銀座と東京の名所をめぐるマラソンコースが発表されるなど、来るオリンピックへの期待に日本中が沸いている。 さらに今年11月には2025年万博の大阪誘致の結果も発表予定。高度経済成長期のまっただなか、日本中が東京オリンピックに熱狂し、大阪万博に高揚した。万博誘致が成功すれば、“あの頃”の熱気が帰ってくる。 その時私たちは、この2大国民的イベントをどう楽しめばよいのだろうか。女性セブンは、「オリンピック」と「万博」を日本中の誰よりも愛してやまず、半世紀以上見守ってきた“オリンピックおじさん”と“万博おばさん”の2人を緊急招集。その魅力を心ゆくまで語ってもらった。■オリンピックおじさん=山田直稔さん(92才) 富山県に生まれ、大学入学とともに上京。1960年に会社を設立。ホテルや不動産などさまざまな事業を手広く扱う。これまでの夏季オリンピックに14大会連続で応援に駆けつけている。なお、冬季は長野オリンピック以外は不参加。大相撲や高校野球でも精力的に、現場で声援を送っている。■万博おばさん=山田外美代さん(69才) 石川県に生まれ、5才で愛知県瀬戸市へ。愛知万博に皆勤したことをきっかけに万博の素晴らしさに目覚め、以来通うように。その功績が認められ、2017年のカザフスタン・アスタナ万博では大使を務め、現在は2025年の大阪万博誘致に向けて奔走中。万博おばさんこと山田外美代さん(以下、外美代):今日はどうしてもお会いしたくって新幹線で名古屋から飛んでまいりました。同じような志を持ったかたがいた!と。オリンピックおじさんこと山田直稔さん(以下、直稔):ワッハッハ! そりゃあうれしいなあ。色紙にサインを書いてやるよ。(集中して書くあまり、しばらく無言になる)外美代:あら、うれしい。ありがとうございます! って、聞こえてます?(苦笑)万博おばさんこと山田外美代さんと、オリンピックおじさんこと山田直稔さん(撮影/田中智久)〈山田直稔さんは、夏季オリンピックになると金のシルクハットに羽織袴で世界各国に現れては、“自称・応援団長“として全力で応援する五輪の名物的存在。一方の山田外美代さんは、2005年の愛知万博で185日間にわたる開催期間に全日来場。以来、各国の万博に顔を出し、上海万博にも全日参加して当時首相だった温家宝氏から感謝状までもらった強者だ。2人のライフワークともいえるオリンピックと万博。それぞれの“初体験”はいつだったのだろうか。〉直稔:おれは1964年の東京オリンピック。開会式から閉会式まで全部見たけれど応援はせず、一観客として行っただけ。当時は今以上に開催前から街中がオリンピック一色。キャバレーですら「東京五輪キャンペーン」をやっていて、楽しかったなぁ(笑い)。外美代:女の子とオリンピックの話で盛り上がったんですか(笑い)? 私はそのときまだ中学生だったんですが、先生から「オリンピックは学校を休んででも見ろ」と言われて、テレビに釘付けになって見てました。当時は外国の人については、本で読むくらいしか情報がなかった。先生は、この機会にリアルな外国の人を自分の目で見なさい、という気持ちだったのでしょう。中でも、裸足のランナー・アベベは衝撃的でした。直稔:確かにあの走りはすごかったな。それであなた、初めて行った万博は?外美代:1970年の大阪万博に、当時の会社の同僚とバスツアーで行ったのが最初です。団長は「太陽の塔」ってご存じですか?直稔:岡本太郎の作品ね。イヤだったはずが…外美代:印象的だったのが、その「太陽の塔」。塔の内部に入り、生命の進化を描いた「生命の樹」という作品を見ながら出口まで進んでいくのですが、見終わって外に出た時、自分たちの未来に、輝くような希望を感じたことをよく覚えています。 東京オリンピックでは、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレーチームがソ連(当時)のチームとの接戦を制して優勝を勝ち取り、日本中を沸きに沸かせた。その後の大阪万博では三波春夫の歌うテーマソング『世界の国からこんにちは』が大ヒット。300万枚を超える売り上げを記録。多くの国民と同じく、2人にとってこの原体験は強烈だったが、2人が「オリンピックおじさん」「万博おばさん」として活動を始めるのはもう少し先だった。直稔:応援にのめり込むきっかけになったのは、1968年のメキシコ。外美代:なんでまた、メキシコに?直稔:社長として会社を大きくしてゆく時期で、親友から「日本に納まってちゃいかん。どんどん世界へ行かなくちゃ」って旅行に誘われた先がメキシコだったの。で、どうせ行くならオリンピックを見ながら日本をアピールしようと日の丸の旗と羽織袴を持参して、現地で買ったメキシカンハットを被ったら、もう目立っちゃって(笑い)。外美代:それが今のコスチュームの原型になったんですね。直稔:そう。とくに思い出深いのが、男子陸上競技。メキシコ人って遠目から見ると日本人にそっくりだから、日本の選手を応援してたつもりが、途中から間違えて、メキシコ人選手を応援してた。引くに引けなくなって、「メヒコ! メヒコ!」と絶叫していたら、今度はメキシコ側の観客たちがそのエールにのって、「ハポン! ハポン!」と日本人選手を応援し始めてね。13万人の大観衆が総立ちで相手の国の選手を応援したんだ。こんな感動したことはなかったね。外美代:団長の“応援精神”はそこで培われたのですね。直稔:そう。応援って、すごい力を持つものなんだって、心底実感した。外美代:私は、2005年の愛知万博『愛・地球博』が、正式に万博にハマったきっかけです。実は最初は、イヤイヤながら行ったのよ。直稔:嫌なのにどうして行ったのよ?外美代:実はその前に大きな手術をして体力が落ちていて、主治医から「リハビリのため、散歩がてら万博に行ってみろ」と言われて。「そんなに行け行け言うのなら、先生が行きゃあいいじゃない」と毒づきながら行ってみた。 そうしたら、そこは「世界」だった。各国のパビリオンでは、パスポートなしで世界中の人と交流できる。そのうえ期間内ずっと使えるパスポートが1万7500円なんです。一度購入すれば、何度も入れるから「5回も行けば元がとれる」という“名古屋人精神”に火がついて、気がつけば毎日通っていた(笑い)。関連記事■ “オリンピックおじさん”大統領用席に座ったら目の前に長嶋茂雄■ チェニックおばさん卒業のための着こなし術5つをプロが伝授■ オリンパス事件を解明した証取委 その実力で奇跡の人員増実現■ 「エアポート投稿おじさん」が話題、次の新種おじさんは?■ 「港区おじさん」より「埼玉おじさん」 前向き解釈が得意

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    「テレビがつまらない」は本当か?

    「地上波テレビ、衝撃の凋落」。脳科学者、茂木健一郎さんのブログ記事に反響が広がっている。オワコン発言でも物議を醸したのは記憶に新しいが、それでもテレビが持つ影響力は今も絶大である。テレビのオワコン化は本当なのか。深層を読む。

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    テレビはオワコン? 「離れの時代」に考える最強メディアの価値

    影山貴彦(同志社女子大メディア創造学科教授) 「これまで社会で人気を誇っていた対象物から、若者が距離を置き始めている。いわば現代社会は『離れの時代』ともいえる」と、数年前から大学の講義のマクラでしゃべることが、定番化しつつある。 私の専門は放送を中心としたメディア研究、メディアエンターテインメントだ。さしずめ専門ジャンルから「離れ」のキーワードを引っ張れば、「テレビ離れ」となるだろう。 DeNAトラベル(現エアトリ)が、「あなたが感じる若者の○○離れについて」10代から70代の男女計1184人に、今年2月にインターネット調査を行った結果がある。 総合順位では、1位・車離れ、2位・新聞離れ、3位・読書離れ、4位・結婚離れ、5位・お酒離れとあり、「テレビ離れ」は6位にランクインしている。ただ、これを年代別に見てみると、20代以下、30代ともに「テレビ離れ」の回答が3位に上昇する(1位と2位は総合順位と同じ)。 ちなみに40代では、「テレビ離れ」は4位、50代以上ではさらに下のランキングとなる。若者と呼ばれる世代、当の本人たちが「テレビ離れ」をより感じているということになる。2018年6月、10代のテレビ離れを説明するインスタグラムのシストロムCEO(共同) と、ここまで書くと、「ほら、やっぱり若者のテレビ離れだよ」とか「ネットに食われてるからね」とか「娯楽が多様化してるもんな~」など、もっともらしいオチをつけて話を締めるケースが世間の定番だ。だが私は、本当に「テレビ離れ」が進んでいるかどうかについては、もう少し時間をかけてじっくりと考察する必要があると思う。 ネット時代といいながら、その中で盛り上がっている話題は、かなりの確率でテレビ・芸能関連のネタであったりする。それに、録画や見逃し配信を加えたいわゆる「総合視聴率」の調査が本格的に始まってから日も浅い。「最近面白い番組がない!」と揶揄(やゆ)されながらも人々の話題を数多く提供しているのは、今もなおテレビではないか、と放送マン出身の私は、いささかひいき目に見てしまうのである。 とはいえ、テレビが現在右肩上がりのメディアかどうかといえば、全く楽観視できない状況であることは否定できまい。今のテレビに魅力を感じていない若者が増えていることは、真摯(しんし)に受け止めなければならない事実だろう。しがみつく「長寿」と「健康」 では、その理由はどこにあるのか。もちろん、原因は一つに集約できるものではなかろうが、私は、今のテレビ番組の多くが、「中高年層」に向けて作られていることが、大きな影を落としているのではないかと思うのだ。 先ほどのランキングで、「○○離れ」の2位となった「新聞」を例に挙げてみよう。みなさんの手元にある新聞を開いて、試しに読者投稿欄をごらんいただきたい。驚くほど投稿している年齢層が高いことに気づかれるはずだ。 50代は若いほうで、60、70代は当たり前、80代以上も決して少なくない。まさにシニア世代が現在の新聞を支えているのである。この傾向は、どの新聞においても大きな差はないはずだ。 また、先ほど紹介したランキングには直接出てはいないが、「ラジオ」についても同様のことがいえるだろう。リスナーの高年齢化はAM、FMを問わず、現在ラジオ各局が抱える大きな問題となっている。 さて、本題のテレビに話を戻そう。週間視聴率ランキングが、新聞などで発表されているので、ごらんになられる方もいるだろう。そこに顔を出す番組の多くが長寿番組である。 そして、それらの番組の主たるターゲットになっている視聴者は、若者ではなく「中高年層」なのである。逆に言えば、若者が普段好んで見ている番組の多くは、そのランキング外にあると表現しても言い過ぎではなかろう。『週刊新潮』の「食べてはいけない『国産食品』実名リスト」と、それを批判した『週刊文春』の「本当に食べてはいけないのか?」 新聞もラジオも、そしてテレビも、顧客として送り手が強く頼りにしているのは、今や確実にシニア層だ。その世代を現在のメディアが大切にしなければならないことはよくわかる。 今、確実に顧客になってくれる世代に訴求するコンテンツを提供することで、なんとか目立った右肩下がりを食い止めようとしているのだ。例えば「健康○○~」的な番組を毎週欠かさず見ている若者が多くいるとは考えにくい。 自分の健康に不安を覚えるのは、たいてい私たちのように年を重ねてからだ。そして今、健康番組はテレビにあふれている。週刊誌も「血圧特集」など健康ネタを組むと部数が伸びるという。年を重ねると「他人のスキャンダルより自分の健康」ということかもしれない。おっさん芸人が「若手」扱い テレビの世界で活躍する人たちの高齢化も進んでいる。政治の世界、一般企業などで「世代交代」が叫ばれ始めて随分たつが、今、テレビこそ「世代交代」が必要なときではないだろうか。 私自身もそうだし、この拙文を読んでくださっている方の多くも、おそらく「中高年層」と推察する。昨日今日この世に出てきたような、稚拙な技術しか備えていない演者たちがたわいもない番組でテレビをにぎわしていることは、少々苦々しいことかもしれない。正直、私も共感するところは多い。 だが、ここでご同輩のみなさんと少しだけ考えてみたい。メディアが「中高年層」に向けての発信を強めれば強めるほど、若者はそっぽを向くことになってゆくのだ。自分が見たい番組が今のテレビにはない、と、彼らはテレビの前に座ることさえしなくなるだろう。 何十年も活躍を続けるベテラン芸人たちが、変わらずテレビに君臨することで、今やすっかりおっさんになっている中堅芸人たちが、いつまでも若手扱いをされることになっている。次世代を担う人間が育ちにくい環境は、テレビが先細っていくことに他ならない。私は年を重ねること自体は悪くないと考えるタイプだが、テレビの世界に年寄りがあふれることは、テレビ総体にとって、決して好ましいことではなかろう。 今、テレビは種をまくときである。種をまかねば芽は出ないし、育つこともなく花を咲かせ実をつけることもない。「テレビはオワコン」だと辛辣(しんらつ)に言う人がいる。果たしてそうだろうか。テレビは、たかだかまだ60年ほどの歴史しか刻んでいない。オワコンと言うには、まだまだ早いのではないか。 何十年もの間変わらず第一線で活躍している人がテレビにいることは、ある意味称賛すべきことではある。だが作り手たちは、同時に新しい人、新しい番組を生み出す努力をこれまで以上にしなければならない時に来ているのだ。「まだイケる」精神は、ある日突然「もう終わり」の時を迎えることになりかねない。 新しいものを生み出すために必要なこと、それは「時間」だと思う。近年、新しいものにそっぽを向きがちな私たちだが、作り手、演者、そして私たち視聴者が、時間をかけてテレビを育んでゆくことで、テレビは再び輝きを取り戻せるはずだ。過去にしがみつき過ぎず、これからを育てることに、「中高年層」の私たちも一役買おうではないか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 新しいものを生み、育てるには、どんなジャンルであれ手間暇がかかるものだ。手っ取り早く享受できるものばかりに飛びつかず、もう一度テレビとしっかり向き合ってみてはどうだろう。若者が活躍する意外な掘り出し物、すなわち隠れた名番組に出合えることがあるかもしれない。今の若者たちはかなり優秀だと、日頃教え子たちと接して実感している。 テレビが、今も、そしてこれからも「最強のメディア」であってほしいと、私は願っているのである。

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    消える学園ドラマ、「科捜研の女」が象徴するテレビの中高年依存

    鈴木祐司(次世代メディア研究所代表) 10月クールのドラマが始まったが、初回から「若者のテレビ離れ」を象徴するような視聴率が出た。TBSの火曜夜10時『中学聖日記』が6・0%と、2014年4月に同枠ドラマが始まって以来、最低の数字となってしまった。中学の女性教師と男子中学生を軸にした学園ドラマだが、ここ何年か青春学園ものは視聴率で惨敗している。 この傾向はすでに10年ほど前から顕在化し始めていた。博報堂DYメディアパートナーズは、06年から「メディア定点調査」を実施している。これによると、当時の1人当たり1日平均のテレビ接触時間は172分あった。ところが12年間で28分短くなった(図1)。 一方、パソコン、スマホなどネット接続端末の接触時間は、87分から約2・5倍の200分に急増した。実は両者の関係は14年に逆転している。今や10代から高齢者を含めた国民1人当たりのメディア接触は、テレビよりネット接続端末が圧倒しているのである。 これを性年齢別で見ると、特に若年層のテレビ離れは明確になる。20代男性は、テレビ接触時間は86分で、ネット接続端末は358分を超えている。何と4倍の差がついてしまっている(図2)。 10代男性でも、両者の差は2・5倍以上。50代までネット接続端末が上回り、60代でようやくテレビが勝る。女性の場合も、10~20代では2倍以上の開きがある。そして40代までネット接続端末が勝り、50代以上でようやくテレビが上回るようになる。若年層で著しいが、40代でもテレビを見ない傾向は強まっている。 こうした傾向は、当然ながらテレビ視聴者層の高齢化を意味する。今やテレビ視聴者の半分以上が50代以上と、テレビの「おじさん・おばさん化」、あるいは「じじ・ばば化」が進んでいる。その結果、かつて多数あった学校が舞台で学生や教師が主な登場人物となる青春学園ドラマは、明らかに数が減っているのだ(図3)。 青春学園ドラマはそもそも、60~80年代が黄金期だった。60年代では『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』(いずれも日本テレビ)などがあった。70年代には『おれは男だ!』『飛び出せ!青春』『ゆうひが丘の総理大臣』などの日テレ路線の他、『若い!先生』(TBS)、『愛と誠』(テレビ東京)など、他局も放送し始めた。 そして80年代、『3年B組金八先生』(TBS79~11年)、『スケバン刑事』(フジテレビ85~87年)、『白線流し』(フジ96~05年)、『キッズ・ウォー』(TBS99~03年)など、シリーズ化される話題作が増えた。 ところが、2010年代になると、流れが変わり始める。一つは『マジすか学園』(テレ東10~12年/日テレ15年~)など、深夜帯での放送が増えた点。もう一つは、夜7~11時の「ゴールデン・プレミア帯」(GP帯)の視聴率が一桁に終わるものが増え、放送本数が減った点だ。 10代や「1層」(20~35歳)のテレビ視聴者が減り、「3層」(50歳以上)が今や半分以上を占めるだけに、GP帯では視聴率を保つため、ターゲットが中高年になっている。その結果、青春学園ドラマは深夜帯に追いやられるようになったのである。 そんな状況にあっても、比較的GP帯での放送にこだわっているのがTBSだ。だが、視聴率は芳しくない。寺尾聡が老教師役を演じた『仰げば尊し』(16年夏)こそ視聴率は二桁に乗せたが、14年以降では他11本は全て一桁に終わった。TBSの場合、今回の『中学聖日記』で3クール連続の青春学園ドラマとなるが、視聴率は悪化の一途をたどる。このままではGP帯のテレビは、ますます中高年向けになる恐れがあるが、ドラマはすでにその傾向が進行している。右肩下がりの「月9」 筆頭はテレビ朝日だ。同局のGP帯は3枠あるが、うち2枠(水曜夜9時と木曜夜8時)は刑事ものとミステリーものといった犯罪ドラマに固定されている。また、残る1枠(木曜夜9時)も、『ドクターX』に象徴されるように、シリーズ化あるいはリメークものなどが多い。中高年を確保し視聴率を高くするため、設定やキャスティング、演出が決められているからだ。 今クールも、定番の『相棒』が17シーズン目、『科捜研の女』が18シーズン目に入った。そして残り1枠は、『ドクターX~外科医・大門未知子~』で活躍した米倉涼子を主役にした『リーガルV~元弁護士・小鳥遊翔子~』がスタートした。タイトルの付け方、ストーリーの展開ぶり、キャスティングなど、明らかに『ドクターX』路線となっている。「科捜研の女」放送通算200回を迎え、記者会見した主演の沢口靖子さん 実はテレ朝だけでなく、フジも中高年狙いを強めている。フジのドラマ3枠は、この10年視聴率が右肩下がり傾向だった。特に「月9」(月曜夜9時)は、過去30年間で最大の衰退ぶりだ。 もともと90年代半ばまでは、20%超が普通だった。だが、勢いは次第に衰え、02年に初めて15%を切った。さらに09年以降は15%未満が普通となり、16年からは一桁が当たり前になってしまった。 ところが、今年になって、数字が回復傾向にある。その最大の要因は、テレ朝と同じようにシリーズ化、リメークなどで中高年狙いを強めたからだ。例えば5クールぶりに月9で二桁を回復した『絶対零度』は、シーズン3だった。17クールぶりに「木10」(木曜夜10時)で二桁となった『グッドドクター』は韓国ヒットドラマのリメークだ。 今クールも初回で14・2%となった『SUITS』は、米国ヒットドラマのリメークだ。しかもメインの織田裕二と鈴木保奈美は、91年の大ヒットドラマ『東京ラブストーリー』の主役たちだ。 木10枠も今クールは『黄昏流星群』。95年から連載されている漫画が原作で、40代以降の中年・熟年・老年で、恋愛を主軸に人生観などを描いた短編漫画集だ。明らかに中高年狙いのドラマと言えよう。 こうした民放各局のドラマ戦略の変化の背景にあるのは、やはり、パソコンやスマホの登場があり、明らかに生活者のメディア接触傾向が変わったからだ。 これにより、テレビの中高年化が急速に進み、視聴率を収入のベースに置いたテレビは、結果として中高年狙いの番組を増やしている。特にドラマはその傾向が強く、複数の局が中高年狙いに走っている。 このままでは悪循環が進み、ますます若年層のテレビ離れが進んでしまうだろう。ビジネスモデルのあり方も含め、根本的な対策が必要と言わざるを得ない。

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    テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

    。むしろ、私自身はどちらかと言うとテレビに思い入れのある側の人間である。 1979年生まれで、テレビ文化にどっぷり漬かって育ってきた世代だ。テレビ好きが高じて、大学卒業後はテレビ制作会社に入り、アシスタントディレクター(AD)として働いていたこともある。テレビに対しては並々ならぬ愛情があると自負している。 ただ、ここでは、そういった個人的な思い入れはいったん置いておいて、今の時代におけるテレビの状況を冷静に考え直してみたい。娯楽が多様化し、ネットが普及して、手軽に好きなものを好きなだけ楽しめるようになった現代において、テレビを見続けている人が一定数存在することの方が、今や不思議である。2017年8月、NHKニュースを映す家電量販店のテレビを食い入るように見つめる来店客=茨城県水戸市(鴨川一也撮影) 中高年を中心に、多くの人がいまだにテレビを見続けている理由は、「習慣」以外の何ものでもない。テレビは家のリビングにあり、見たいと思ったらいつでもすぐに見られる。この圧倒的な「リーチ力」こそがテレビの強みである。フジテレビの買収を試みたときのライブドア元社長の堀江貴文氏も、このリーチ力が欲しかったのだ。 出版業界で「雑誌の危機」が叫ばれているのは、雑誌を買って読む習慣が滅びつつあるからだ。最新のニュースがいつでもどこでもスマホで読める時代に、書店や駅の売店で活字が印刷された紙の束を売るというビジネスが、人々の習慣から外れてしまうのは当然だろう。朝ドラ視聴も「クセが9割」 NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)はなぜあんなに視聴率が高いのか。それは習慣だからだ。面白いから見ているわけではない。 だから「今回の朝ドラは評判が悪い」などという話を聞くと、個人的には不思議に思う。つまらないと思うものを熱心に毎日見続ける人が世の中には大勢いる。それは癖で見ているだけなのだ。「若者のテレビ離れ」問題は、「中高年のテレビのクセがすごい」問題として捉え直した方が実態に即している。 「テレビ視聴はクセが9割」だから、一度離れてしまったら、なかなか戻るのは難しい。なぜなら、いったん距離を置いて冷静に見てしまえば、テレビには不便な点も多いからだ。 決められた時刻に決められたチャンネルに合わせなければ、見たい番組を見ることもできない。ネットや口コミで話題になった番組を、後から追ってチェックすることもできない。 ネット上で、あらゆる動画やテキストや情報は、見たいと思ったらすぐに手に入るのに、テレビではそれができない。いったん習慣であることを外れてしまったら、こんなメディアがこのままの形で生き残るのは難しいだろう。 ただ、再び誤解のないように断っておくと「最近のテレビは面白くない」という説には私は同意しない。テレビは今でも圧倒的に面白い。テレビが好きな私が言うのだから間違いない。しかし、面白い番組は自分で探すしかないという時代に入っていることは確かである。 私自身はテレビに思い入れがあるから、積極的に楽しむために、全番組録画対応のレコーダーを利用して、過去数週間に地上波で放送されたあらゆる番組をいつでも見られる体制を整えている。そうやって自分から面白いものを探しに行く限りにおいて、テレビは今でも面白いのである。 だが、そうやって手間暇をかけてテレビという大海で「宝探し」に興じているのは、ごく一部のテレビ愛好家だけだろう。ほとんどの人は習慣としてテレビを見続けているか、習慣がなくてテレビを見ていないか、このいずれかである。そして、徐々に後者の割合が多くなっていくことは確実だ。NHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』で主人公の今井福子を演じる安藤サクラ 今、実際に起こっているのは「若者のテレビ離れ」ではなく「中高年のテレビ固執」である。他に特定の趣味や娯楽のない人たちが、テレビを見すぎているのだ。 テレビは特に目立った興味や関心のない「無党派層」を取り込むのが得意なメディアである。特定の趣味がある人は、ケーブルテレビや動画配信サービスを利用して、自分好みのコンテンツを掘り下げて楽しんでいるだろう。そうではない多くの人にとって、テレビは何よりも気軽に楽しめて、何よりも身近な存在なのだ。 最後に「YouTubeやAbemaTVなどのインターネット動画コンテンツとテレビ番組は競合するのか」という点について書き添えておきたい。 結論から言うと、それぞれメディアとしての特性が違うので、競合しているわけではないと思う。これまで述べた通り、テレビは単に不便である上に若者向けのコンテンツが少ないから見られなくなっているだけだ。YouTubeに視聴者を奪われているわけではない。 「YouTubeやAbemaTVがあるからテレビが廃れてきた」というのはそもそも話の順番がおかしい。テレビが勝手に自滅しつつあるから、その間隙(かんげき)を突いて新しい勢力が台頭してきているのだ。 YouTubeではすでに子供や若者などの特定層に圧倒的な支持を誇るユーチューバーが多数存在していて、独自の文化を築いている。一方、AbemaTVは地上波テレビと同じような体制で制作されていて、出ているタレントの顔ぶれも地上波と比べて遜色ない。メディア側から見れば、これらはテレビのライバルと思うかもしれない。 しかし、実態としては、これらはテレビとはそもそも別の形のメディアであり、競争相手ではない。テレビはライバルの活躍によって追いやられているわけではなく、高齢者の習慣視聴という大票田に固執するあまり、マイノリティーに過ぎない若者のニーズをつかみきれていないだけなのである。

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    さよなら、安室奈美恵

    歌手の安室奈美恵さんが芸能界を引退した。26年前にデビューした節目の日での引退である。瞬く間にトップスターに上り詰めた彼女の歌や踊り、ファッションは同世代の女性の心をつかみ、社会現象にもなった。「平成の歌姫」と呼ばれた彼女の軌跡をたどりながら、時代を彩るアイドル像について考えたい。

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    松田聖子と安室奈美恵、昭和と平成のトップアイドルはここが違う

    たちに優しく寄り添う存在であり続けた。 「安室奈美恵はアイドルなのか?」多少なりともアイドルの歴史や文化に関心を持つ人ならば、一度は頭に浮かんだことのある問いではなかろうか。全国ツアーの東京公演で熱唱する歌手・安室奈美恵=2006年9月、東京(戸加里真司撮影) かわいらしい少女で、しぐさや言動も含めて守ってあげたくなるような魅力を持つ存在こそがアイドルだと考える人もいるだろう。そういう意味では、安室奈美恵をアイドルとみなすことに躊躇(ちゅうちょ)してしまうかもしれない。 しかし、アイドルが私たちにとって「身近な存在のこと」を指すとすれば、「どこにでもいそう」というような近さではなく、ここまで述べてきたように「私たちとともに生きる」という近さにおいて、安室奈美恵をアイドルとみなすことは可能なはずだ。そして、そんな「アイドルらしくないアイドル」こそが、実は「昭和のアイドル」と一線を画す「平成のアイドル」だったのではあるまいか。 異例の厳しい暑さが連日続いた夏も終わり、平成最後の秋を迎えようとする今、「平成のアイドル」の象徴であった安室奈美恵も芸能界を去った。だが冒頭にも触れたように、彼女の引退は、その後の彼女の人生がこれからも続くと感じさせる点で、かつてのキャンディーズのそれとは違っている。そしてファンや私たちもまた、彼女がくれた忘れがたい記憶をずっと胸に抱きつつ、平成から次の時代へとそれぞれの人生を再び歩み始める。

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    音楽評論家の私をもうならせた「安室奈美恵の衝撃度」

    富澤一誠(音楽評論家) 安室奈美恵は、6月3日に東京ドームでラスト・ツアーの最終公演を行った。5大ドーム17公演とアジア3都市6公演を巡り、計80万人をドーム動員した「引退イベント」の千秋楽。この歴史的な記念日に立ち会い「歴史の証人」にならなければならない、と思ったのは私だけではないだろう。 正直に言って、音楽評論家として47年間のキャリアを持つ私は数々の現場を見てきたが、今回の安室の「引退ラスト・ツアー」は全てにおいて音楽史に残る特別なメモリアルと言っても過言ではない。 安室の「引退宣言」は衝撃的だった。2017年9月20日、公式サイトで正式に発表されたときのショックは今でも鮮明に覚えているほどだ。 希有(けう)のスーパーアイドル、スーパースター、スーパーエンターテイナーの彼女だけに超ド級の衝撃度だった。私のところにもテレビやラジオ、新聞、雑誌からたくさんのコメントの依頼があった。当時、私はこんな風に答えている。「ファッションリーダーでもあり、全盛期で結婚・出産するなど自分の生き方を通してライフスタイルまで提供したことで、それまでのアイドルというジャンルをアーティストまで引き上げた。ダンスも凄く、アスリートに近いものがあった。ナンバーワンでオンリーワンの存在。突然の引退発表にびっくりしたが山口百恵さんやBOOWYのように全盛期にやめることで、素晴らしい記憶が瞬間冷凍され、伝説になると思う」 アーティストには2通りのタイプがある、と私は考えている。一つは、時代に関係なく、あくまでも自分を押し通していくタイプ。もう一つは、時代との距離をいつも一定に保っているタイプだ。 前者は吉田拓郎や矢沢永吉のような「俺が…」的なアーティスト。一方、後者はどんなに時代が変わろうとも、その時代の波をうまくとらえて、時代のサーファーのように乗りこなしてしまう松任谷由実や桑田佳祐のようなアーティストだ。具体的に言うと、自分は人とはちょっと違うかっこいい生き方をしていると思っている人たちの一歩先を行くこと。音楽だけではなく、生き方をひっくるめて、同世代のライフスタイルをくすぐってちょっと変えてしまうような…。 ユーミンは他人より一歩先を常に歩いてきた。そこに女性を引きつける魅力があるのだ。だからこそ、女性の憧れの的になったのだろう。「私もユーミンみたいになりたい」。そう思ってユーミンの後を追う。初の台湾ソロ公演で熱唱する歌手の安室奈美恵=2004年、台北市・新荘体育館 それと同じものが安室にもある。そもそも人気絶頂期の結婚などはなかなかできるものではない。ライブでMCをしないこともそうだ。 だが、安室は全て自分の意志で押し通してきた。自分の意志を持つ女性の美しさを実践したのだ。だからこそ、彼女に憧れて彼女のように生きたいと思う人たちがたくさん生まれて「アムラー現象」が起きたのだ。最後のMCで語ったこと 加えて、安室世代にはユーミン世代にはなかったダンスパフォーマンスによるアスリートへの憧れという新しい魅力が加わっている。ダンスはいつしか学校教育の中に組みこまれたことにより、ダンスパフォーマンスのできる人は、一流アスリートと同じ尊敬の対象となった。安室は言うまでもなく、そんな素晴らしいダンスパフォーマーでもあるので「スーパースター」になり得たのである。 ラスト・ツアー最終公演の千秋楽は、聖火台をバックに、NHKのリオデジャネイロ五輪テーマソング『Hero』で幕が開けた。1曲目から全開といった雰囲気で、歌とダンスと8変化の衣装、それこそノンストップのエンターテインメント・ショーは息もつかせぬ圧倒的なパワーだった。安室の完成度の高いパフォーマンスが光っていた。 曲もバラエティーに富んでいた。『Don't wanna cry』『CAN YOU CELEBRATE?』など、誰もが知っている大ヒット曲から『Do it For Love』などの最新曲までをとり混ぜ、見せて聴かせて、とまさに「安室ワールド」が満開だった。それにしても、ステージの端から端まで走り抜けるタフさ、これにはびっくりした。まさにメダルを狙えるアスリートのようだ。 あっという間の2時間45分、そして歌手人生最後のツアーを飾るラストソングは『How do you feel now?』。ちょうど30曲目となったこの曲を歌い終えると、安室は16人のダンサーと抱き合い涙を流した。そしてマイクを握った。コンサートではMCをしないことで有名な安室が、ラストということで、5万2千人の聴衆は固唾(かたず)を飲んで安室の言葉を待った。 「今日はどうもありがとうございました」 「9月16日以降、私がこうしてステージに立つことはありません。だからこそ、この25年間が私の中でとても大切な思い出になりました」 安室の言葉が一言ずつ心に入ってきた。と同時に、いろいろなシーンがよみがえってきた。しかし、それも今日で終わりだ。あとは瞬間冷凍されて、それぞれの心の中で「伝説」として残っていくのだ。25年間の感動ドラマはそれぞれの心の中で永遠に残ることだろう。安室奈美恵のラストツアーDVD&ブルーレイ「namie amuro Final Tour 2018 Finally」が発売され、JR渋谷駅前に登場した巨大PR看板=2018 年8月29日、東京・渋谷(早坂洋祐) 安室奈美恵のそんなドラマチックな25年間を凝縮したのが8月29日にブルーレイディスク(BD)とDVDが各5バージョンで発売された「namie amuro Final Tour 2018~Finally~」だ。これを見ることで、私たちはいつでも瞬間冷凍された「安室伝説」を解凍することができるのである。

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    「波乱万丈」美空ひばりと重なる安室奈美恵のアイドル性

    西条昇(アイドル・お笑い評論家、江戸川大教授) 突然の引退発表から1年。デビュー26周年を迎える9月16日、安室奈美恵は芸能界を引退した。彼女の引退発表を知った時、僕はまだまだ余力を残しながら引退を決断するトップアスリートを連想したものだ。  安室のコンサートはほとんどMCを入れず、着替えの間に映像作品を流す以外は、ずっと歌い続け、踊り続けることで知られている。9月20日で41歳になる安室だが、これまで、激しいパフォーマンスを続ける体力と、デビュー以来全く変わらない体型は日頃の努力によって維持することができていた。 しかし、当然ながら、それはいくつになってもできるというものでもない。今後を考えれば、年齢に合わせて無理のないステージを見せていくことは可能でも、彼女自身は現在のクオリティーを落としてまで続けることをしたくなかったのだろう。そうした思いが今回の決断につながったように思う。  小学5年でジャネット・ジャクソンにあこがれ、本格的に歌とダンスのレッスンを開始。1992年9月にアイドルグループ「SUPER MONKEY'S(スーパーモンキーズ)」のセンターボーカルとしてメジャーデビューを果たしたものの、当時は男性アイドルも女性アイドルも「冬の時代」を迎えており、デビュー曲はオリコンチャート29位に終わっている。  94年4月からフジテレビ系の子供番組『ポンキッキーズ』に16歳でレギュラー出演するようになった時も、そのポジションはアイドル的なものだった。安室はピンク色のうさぎの着ぐるみを身につけて、グレーのうさぎに扮した鈴木蘭々と番組内ユニット「シスターラビッツ」を結成。「うさぎとかめ」「金太郎」「桃太郎」「浦島太郎」「一寸法師」などの童謡をメドレーにまとめた「一寸桃金太郎」と題する曲を2人で様々なコスプレをしながら歌って踊る映像が、月~金の帯で流されていた。  たまたまチャンネルを合わせて、その映像を見た僕は、彼女の持つ才能と魅力に釘付け状態となった。どこかバタ臭さのある、飛び抜けて可愛いルックスに加え、何より、抜群のリズム感と表現力に裏打ちされたダンスが素晴らしかったのだ。ライブツアーで熱唱する安室奈美恵=2006年9月 振付はお遊戯とヒップホップの要素をミックスしたようなものだったが、手足の角度、動きのキレ、メリハリのつけ方…、ダンスに関して言えば鈴木蘭々と「モノが違う」のは一目瞭然であった。彼女が97年に同番組を降板してから、この曲を引き継いだ二代目、三代目、四代目のシスターラビッツにも、安室のレベルに迫ったメンバーは1人もいなかった。  95年のソロデビューとレコード会社の移籍を経て、小室哲哉プロデュースの曲をリリースするようになると、その才能は大きく開花してミリオンセラーを連発する。同年代の女性たちが彼女のファッションや髪型やメイクを真似る「アムラー現象」が巻き起こり、男性ファン中心のアイドルから、女性ファン中心のアーティストへと変貌を遂げるに至った。こだわりは「量」より「質」 一方で、ほぼ同時期に大ブレイクしたSMAPはアイドルの枠に留まりつつも、老若男女から愛される国民的アイドルグループとなった。やや遅れて登場した宇多田ヒカルや浜崎あゆみがアーティストとして成功したのも、先に道を切り開いた安室の存在があったからこそと言えるだろう。   その後は、TRFのダンサー、SAMとの結婚(97年)、出産(98年)、母親が殺害された事件(99年)、小室プロデュースの終結(2001年)、離婚(02年)など、様々な出来事が続いた。 だが、彼女は多くを語らぬまま、ブレることなく自分の仕事で結果を出し続けることで、歌やパフォーマンスだけでなく、その生き方や芯の強さに共感する女性ファンの支持が増えた。こうした安室とファンの関係性は、美空ひばりとファンとの関係に酷似しているように見える。  そして、今回の1年かけての引退カウントダウンは、ラストツアー、CD、DVD、グッズ、企業とのコラボ商品など、莫大な経済効果を生んでみせた。キャンディーズの解散(78年)と山口百恵の引退(80年)までのカウントダウンも社会的に大きな盛り上がりを見せたが、時代の違いを考慮に入れたとしても、ビジネスのスケールでは今回のケースと比べられないほどの差があったのではないか。  現在も続く大人数の女性アイドルグループ黄金期は、90年代後半の「モーニング娘。」のブームから始まった。その前の80年代半ばには「おニャン子クラブ」のブームがあった。ここ10年ほどは秋元康プロデュースによるAKBグループが圧倒的な人気を誇り、同じ秋元が手掛ける「坂道」シリーズも台頭した。  CD不況と言われる時代にあって、驚異的な売り上げを記録してきた彼女たちの強みの一つが大人数のメンバーという「量」であることは確かだろう。80年代まではソロのアイドルが主流だったが、メンバーそれぞれのファンの集合体をターゲットとしたビジネスシステムが定着してからは、成功するソロアイドルがとんと出てこなくなった。結婚会見で仲良く腕を組む安室奈美恵(右)とTRFのSAM=東京・青山  そうした状況下において、安室はパフォーマンスの「質」にこだわり続けることで、ソロにも関わらず、数多くの記録を打ち立ててきた。  山口百恵の引退の前後にはやたらに「ポスト百恵は誰か」と騒がれたのに対し、今回、「ポスト安室は誰か」という声はほとんど聞こえてこない。安室のような存在は周りが作ろうとして生まれてくるものでないことが皆、分かっているようだ。 日本社会の「安室ロス」が当面の間、続いていくのは間違いない。

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    「引退も祝福してくれますか?」安室奈美恵、引き際の美学

    杉江義浩(ジャーナリスト、放送プロデューサー) 沖縄で生まれ、日本、台湾、香港、韓国、シンガポールの5つの国と地域でアルバム2枚の連続ヒットチャート1位を記録した、アジアのカリスマ歌姫、安室奈美恵さんが9月16日に引退しました。絶好調の今の時期に引退することを、惜しむ声はあちらこちらから聞こえてきます。 まだまだこれからだ、命ある限り歌い続け、ファンを楽しませるべきだ、と言う声もあります。その反面、「花は満開の時に散って人々の心に残るのだ」と、安室さんは自分の決めた第二の人生を歩むのがよい、という意見もあります。私は後者の考え方です。 安室奈美恵というアーティストは、極めて早咲きのアーティストだったというのが私の印象です。彼女は10代、20代、30代、40代の4つの世代にわたってミリオンヒットを出すという記録を打ち立てていますが、彼女のピークは実は10代だったのではないか、と私は考えています。 私が初めて安室さんに会ったのは、フジテレビの『ポンキッキーズ』という、子供向け番組の打ち上げ会場でした。彼女はまだ16歳か17歳で、ピンク色のウサギの着ぐるみを着て、番組に出演していました。 私は当時、駆け出しの子供番組担当者で、他社の番組を勉強するために参加したのですが、そんな私から見ても安室さんは幼い感じがしました。ビンゴゲームのルールが分からず、「どうすればいいの?」と私に聞きにきた安室さんを見て、微笑ましく思ったものです。 しかし、それは彼女が童顔だったために受けた印象であり、実際はすでにその時点で安室さんは大ブレークしていて、「SUPER MONKEY’S」のボーカルとして、ヒット曲を次々に出していました。 歌って踊れるものすごい歌手が沖縄からやってきたぞ、ということで業界の注目を一身に集め、彼女を育てた沖縄アクターズスクールまで、たちまち有名になりました。タレント育成スクールがタレントを有名にしたのではなく、タレントが育成スクールを有名にしたのです。一種の社会現象でした。 この頃にグループ名も「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」に変わり、まもなくソロになり、小室哲哉氏のプロデュースを受けるようになりました。レコーディング、ライブ、テレビ出演と多忙を極めていたので、ピンクの着ぐるみの子供番組には、なかなかスケジュールが取れない日も多くなりました。それでも安室さんは『ポンキッキーズ』を大切にしていました。ミリオンヒットを出すビッグアーティストが、ウサギの着ぐるみを着るという、不思議な時期がしばらくありました。 18歳から19歳にかけて、安室さんは持ち前の魅力的な歌声と、キレッキレのダンス、流行を作り出していくメイクとファッションでカリスマ的存在になります。ウサギの着ぐるみを脱いだ途端に、彼女は日本のポップス界の女王として君臨していたのです。東日本大震災の被災地支援音楽イベントに参加した安室奈美恵(右)=千葉・幕張メッセ(川口良介撮影) セカンドアルバム『SWEET 19 BLUES』がトリプルミリオンヒットし、10代女性ミュージシャンとして初のシングル・アルバム合わせて2000万枚を超えるという記録を打ち立てました。この記録は今でも破られていません。 私が安室さんのピークは10代にあったのではないか、と考える根拠は、まず第一にこの記録にあります。さらに小麦色の肌に細めの眉毛とロングヘアー、厚底のブーツにミニスカートという、「アムラー」と呼ばれるファッションのスタイルを、多くの女性たちがまねをして、この言葉が流行語に選ばれたのも、彼女が19歳の時の社会現象です。そのこともあって、彼女は10代の時に爆発的な勢いでスターダムを駆け上がったのだ、と言う印象を私は強く持っています。生き様でもあった「アムラー」 20代になると音楽活動の勢いは急激に停滞しました。安室さんは20歳になるとすぐに、TRFのダンサー、SAM(丸山正温)さんとの結婚を発表したのです。妊娠3カ月でした。その直後にNHK紅白歌合戦の紅組トリで、『CAN YOU CELEBRATE?』を歌いました。その歌詞の内容からすると、まるで「自分たちの結婚を祝福してくれますか?」とファンに呼びかけているかのように感じられ、とても印象的でした。 それから1年間の産休、育休に入ったので、レコーディングやライブなどの音楽活動は停止し、彼女の人生は次の段階に入ります。そのまま引退してしまうのではないかという心配をするファンもいたほどです。育児休暇が明けたのは、次の紅白歌合戦で、1年前と同じ『CAN YOU CELEBRATE?』を歌った時でした。今度は無事に男の子を出産したことに対して、「祝福してくれますか?」と呼びかけているように聞こえました。 普通はアーティストが1年間ものブランクを作ったら、ファンが離れていってしまうものですが、安室さんの場合は全くそのようなことはありませんでした。ファンの人たちは安室さんの結婚を祝福し、じっと育児休暇を待ち、安室さんの音楽活動への復帰を待ち望んでいました。育休明けに復帰後の初登場で『CAN YOU CELEBRATE?』を歌唱中、瞬間最高視聴率が 64・9% を記録した、という数字がファンの気持ちを物語っています。 年が明けて3月、沖縄の実家で実の母親が殺害されるというショッキングな事件が起きます。安室さんはそれを受けて、さぞかし精神的に辛かったでしょうが、プロ根性に徹してステージに立ち続けます。20代は文字通り波乱万丈のスタートとなりましたが、安室さんは苦難を乗り越えるごとに強くたくましくなりました。 20代からは小室哲哉氏によるプロデュースを離れ、セルフプロデュースで作品を生み出していきます。また夫とは離婚し、シングルマザーとして音楽活動を続けていきます。その結果、安室さんは20代でもミリオンヒットを達成しました。 このころから安室さんは世界に目を向け始め、またアジアツアーなどライブを中心に展開していくようになります。タイ・バンコク、台湾、韓国・ソウルなどで人気に火がつき、30代では冒頭に述べたようにアジアの5つの国と地域で、アルバム2枚連続ヒットチャート1位という記録を打ち立てました。 私は20代以降の安室さんの活躍を支えてきたものは、少なくとも3つあると思います。一つは持って生まれたアーティスト、パフォーマーとしての天賦の才能です。二つ目は沖縄の女性が持つ独特のたくましさです。三つ目は安室さんが一貫して磨き上げてきた「アムラー」というスタイルです。それはファッションだけではなく、新しい女性のライフスタイル、生き様をも左右する意味を持っています。ライブ前に姿を見せた歌手の安室奈美恵 =2008年5月、さいたまスーパーアリーナ 安室さんのパフォーマンスは、若さに裏付けられた、アスリートの技であるとも言えるでしょう。またミニスカートにブーツ、肌を多めに露出した「アムラー」のスタイルは、もしかしたらすでに完成された美学の一つとして人々に共有されていて、これ以上安室さん本人がステージで見せる必要はないのかもしれない、と思います。その意味では40歳を区切りとして、安室さんがパフォーマーを引退したのは、自然な流れだったと私は感じています。 大学生である息子の温大(はると)さんが成人したのも、良いタイミングだった思います。成人したら息子さんまでマスコミに追い回される可能性があります。それを避けるために芸能人を辞めて母親として、プライベートな生活に軸足を移したいのだったら、それも理解できます。 いずれにしても安室さんの天賦の才能と感性、そして沖縄の女性らしいたくましさと、世界への発信力は今後も残るでしょう。これからはそれを生かして、アジアを代表する一人の女性として、家族と地元沖縄を大切にした、自由な活動を続けていかれることを願っています。

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    小室哲哉が生んだシンデレラストーリーとカラオケの関係性

     1990年代半ばから2000年代にかけてヒットチャートを席巻したのが小室哲哉(59才)プロデュースによる“TKサウンド”だ。安室奈美恵、篠原涼子、鈴木亜美(当時・鈴木あみ)ら、多くの女性アーティストをプロデュースし、ブレークさせた。 しかし、そんな小室も『週刊文春』の不倫報道を受けて、引退を表明。その是非について、様々な議論が展開されている。 TKサウンドが人気を博していた1990年代後半。特に女性リスナーたちを熱狂させたのは、小室がプロデュースした女性アーティストたちの背景にある“シンデレラストーリー”だった。 小室が手がけたシンデレラとして真っ先に名前が挙がるのは、『I'm proud』や『I BELIEVE』がヒットした華原朋美(43才)だろう。1995年、華原のデビュー直前にふたりの熱愛がスクープされた際、小室が言った「アーティストに手をつけたのではなく、恋人に曲を書いてデビューさせただけ」という言葉は、世の女子たちを沸かせた。 当時レコード会社に勤めていたラジオパーソナリティーでコラムニストのジェーン・スーさんも、小室のスゴさをこう振り返る。「当時の小室さんは絶対に打ち上げを成功させるロケット発射台のような存在で、音楽業界で働いていた人間としては羨ましかった。特に朋ちゃんが世に出てきたときのことは、『これが本当のシンデレラストーリーだ…』と度肝を抜かれたことを覚えています。普通のかわいい女の子が、いきなりエンタメシーンの中心にかつぎ出され、海外ロケをはじめとする豪華なMVはもちろん、スタイリングやメイクまで、野口強やソニア・パークといった一流のスタッフからのバックアップを受けてどんどん洗練されていく。スター街道を駆け上がっていく様は、当時の女の子なら誰もが憧れたのではないでしょうか」 小室マジックで変身したのは華原だけではない。バラエティー番組を中心に活動していた篠原涼子(44才)は『恋しさと せつなさと 心強さと』で大ブレーク。お茶の間に顔が売れたことにより、トップ女優への道を開いた。第37回日本レコード大賞新人賞にノミネートされた華原朋美さんの伴奏をする小室哲哉さん=東京・赤坂のTBS=1995年12月31日 安室奈美恵はご存じの通り、同年代の女子から絶大な人気を得て、「アムラー」という社会現象も生んだ。 後の小室の妻となるKEIKO(45才)はオーディションで小室の目にかない、『globe』のボーカルとなりミリオンヒットを連発。 無名だった夢見る女子たちが“with t”の文字がつくやいなや、スターへの階段を駆け上がっていった。 海外ロケにハイブランドのドレス、そして自分だけのために書かれた曲。小室哲哉という才能を注入されて光り輝く彼女たちに、同世代の女子たちは自分を重ね、夢を見た。 ライターの速水健朗氏は、それを後押ししたのが、その頃全盛期を迎えていたカラオケだったと分析する。「当時の女性たちは小室さんにプロデュースされた“シンデレラ”になりきってカラオケで歌っていた。また、小室さんもカラオケで歌われることを意識して、歌っている側の爽快感を重視して曲作りをしています」関連記事■ 小室哲哉不倫報道論争 逃げ場を残すのは報じる側の矜持■ 眞子さま婚約者小室圭さん巡る「祖父と父の遺産と母の恋人」■ 好きな小室哲哉プロデュース楽曲、トップ20を発表■ globe・KEIKO ゆず・北川悠仁と本気で結婚したがっていた■ 記憶を取り戻したKEIKO 小室哲哉の呼びかけにglobe歌う

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    イモトと奇跡の共演果たした安室奈美恵、舞台裏の壮絶苦労

     瞬間最高視聴率25%を記録。「イモトさん、安室さんの反響の大きさを感じている」と日本テレビ社長も言及するほど異例の注目を集めたのは、7月29日に放送された『世界の果てまでイッテQ!』だ。 小学5年生以来、20年来の大・大・大ファンを公言する番組レギュラーのイモトアヤコ(32才)が、9月に引退する安室奈美恵(40才)とのツーショット撮影に挑むために台湾ロケを敢行する特別企画だった。「イモトさんと安室さん2人だけの60分で平均視聴率21%超えですから、社長の言葉もよくわかる。“初対面”ということで、ここまで高視聴率とは」(番組関係者) 番組は台湾の空港から始まる。ツーショット撮影企画といっても当然アポなし。場当たり的な突撃で同じフレームに写り込もうとするが、ファンに囲まれる安室に近づくこともできず、ライブ会場前でも移動車しか見られず、結局ミッション失敗。それでも安室・台湾ライブの超プラチナチケットをゲットし、会場に乗り込んだ。ライブ終了後、「今まで『イッテQ』で400回くらい行ってるけど、いちばん楽しいロケでした」 と語るイモトの表情は恍惚としていた。 しかし番組本番はここから。番組の「オチ」を作るため、帰国前に大嫌いなヘビ料理を食べるロケに向かったイモト。実はこれがドッキリで、店では店員に扮した安室がイモトの到着を待っていた。 そうとは知らないイモトは、ヘビ料理に悪戦苦闘しながら、なんとか食事を終えた。そこへ「お茶をお持ちしました」と安室が声をかける──。 イモトが椅子から跳び上がったその瞬間、BGMが『Hero』から『CAN YOU CELEBRATE?』に切り替わり、うろたえたイモトの口から出た一言は「こんにちは…」だった。 イモトが初めて『イッテQ』で安室ファンだと明かしたのは2009年7月。訪れたフィリピンの洞窟で、安室のヒット曲『Body Feels EXIT』を踊った。「彼女が安室さんのバックダンサーになりたくて上京したのは有名な話。1年の3分の2はロケのために海外で過ごすイモトさんが、何よりも楽しみにしているのは安室さんのライブ。2015年に天候不良で帰国が遅れ、チケットを無駄にした時は番組内で号泣したこともありました。あまりにひたむきな姿勢に、安室ファンの間でも“イモトは本物”と認められています。ネタではなく本気度が伝わるからこそ、今回もここまで話題になった」(芸能関係者) サプライズ企画はそれだけでは終わらず、30分にわたる対談も行われた。「安室さんからいつも『イッテQ』を見ていると言われたイモトさんは言葉を失っていました。エベレストやキリマンジャロなど世界の名峰の登頂に挑んできた細かいエピソードも話していたので、本当に見ていてくれているんだと現場は感動の嵐だったようです」(前出・番組関係者) イモトの安室愛あふれる過去のVTRを見て、安室がもらい泣きする場面もあった。そしてついにツーショット撮影に成功し、番組を終えた。イモトアヤコ=2015年12月 テレビでは“未公開”の舞台裏は、相当な苦労があったという。「台湾での安室人気は絶大。どこにでもパパラッチがついてきます。ドッキリのために、安室さんはまずダミーの店に入り、そこで店員と同じチャイナドレスに着替えて裏口から再び出発。人気のない商店街の裏路地で降りると、イモトさんのロケ現場へ。その後も空調もきかないような部屋で待ち続けていました。そこまで念入りの準備だったので、安室さんも“失敗したらどうしよう”とイモトさんより緊張した様子だったそうです」(前出・番組関係者) 奇跡のツーショット写真は安室の軌跡をたどる体感型の展覧会『namie amuro Final Space』(東京や沖縄など全国で開催中)で見られるという。夢は叶うと教えてくれた。■ イモトアヤコ 親友・竹内結子と同じマンションの一部屋購入■ 小林麻耶 ”海老蔵似”夫と手つなぎデートで幸せ絶頂写真5枚■ 坂上忍、消えた義足の愛犬「飼育放棄騒動」の真相を語った■ イモトアヤコ マッキンリー下山後は竹内結子の自宅にお泊り■ イモトアヤコ 初彼氏は中2、後藤真希に敗北など過去の伝説

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    みんな、まるちゃんが好きだった

    漫画家、さくらももこさんが53歳の若さで亡くなった。代表作『ちびまる子ちゃん』の主人公、まるちゃんはさくらさん自身の子供時代を投影したものだったという。「みんな、まるちゃんが好きだった」。こんなタイトルをつけて、さくらももこさんの追悼特集をお届けしたい。

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    さくらももこの『ちびまる子ちゃん』は永遠の謎である

    鳥越皓之(大手前大学長) 漫画家、さくらももこさんが亡くなられた。国民的に愛された漫画家だったと言えよう。ご冥福をお祈りする一方で、おばあさんになったさくらももこさんが描く漫画も読みたかったと思う。とても残念である。 さくらさんの代表作『ちびまる子ちゃん』は、『サザエさん』と並び、国民的漫画・アニメとなった。では、なぜ『ちびまる子ちゃん』はこんなに広く私たちに愛されたのだろうか。 主人公のまる子は、さまざまに夢想するクセがある。この夢想にあやかって、私は一見突拍子もないものと『ちびまる子ちゃん』とを結びつけるところから話を始めたいと思う。 もう亡くなられて久しいが、日高敏隆さんという著名な生態学者がおられた(1930~2009年)。社会学を専門にしている私とは研究分野が大きく異なるのだが、私は日高さんのファンで、著書からとても多くのことを学んだ。その中でも、いつまでも記憶に残っている指摘が次のような事柄である。 人類というものが生まれた古く遠い時代、人類はある段階を経て、アフリカの草原に出ていくことになる。草原に比べれば森林は安全で、「われわれの近い親類、ゴリラやチンパンジーという類人猿は、みんな森に棲(す)んでいるわけです」(日高敏隆『ぼくの生物学講義』2010年、昭和堂、以下の引用はすべて同書)と日高さんは解説する。 ここからが日高さんの疑問だが、「今から二十万年ぐらい前のアフリカの大草原にはもう、ライオンとかハイエナとかヒョウとか、その他の怖い動物もいっぱいいたわけです」。鋭い牙もなく、ヒョウのように速く走れるわけもなく、角もない人類が、なんら隠れる場所もないアフリカの草原でなぜ生き残れたのか─。 永遠の謎かもしれない大きな疑問である。その疑問に対して研究者としての日高さんは、これは実証的なものではなくて私の推測が入っていると断りつつも、次のような説得的な解釈をする。 すなわち、人類は化石から推して200~300人のグループを組んでいたのだろうという答えなのである。日高さんは「(人類が)百人もいたとしたら、五匹ぐらいライオンが出てきたって、みんなで石を投げたりしたら、ライオンは逃げちゃいますよね」と分析。この200~300人のグループを組んでいた人類はどんな生活をしていたかというと、「大事なことは、父親ではなくて、近所のよそのおじさんが子どもに言うんです。いろんなことを『だめだあ』とか、『うまいぞお』とか、ほとんどね。要するに家族の中だけで育っていくんじゃなくて、近所のいろんなおじさんたちの中で育っていくということを、どうも人間という動物はやっていたらしい」としている。 つまりは、おじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん、おじさんやおばさん、もっと遠い血縁関係の大人たち、お兄さんやお姉さん、同世代の仲間、年下の小さな子供たち、こんな人間が混在して、そこで怒られたり褒められたり、親しい仲間がいたり、反目があったりという社会であったらしい。アニメ「ちびまる子ちゃん」の一場面。フジテレビ系で9月2日に放送された「まる子、きょうだいげんかをする」より((C)さくらプロダクション/日本アニメーション) 何のことはない、『ちびまる子ちゃん』の世界は、人類が生き残るために二十万年も前につくった「家族と近所の群れ集団=コミュニティ」がそのまま基盤としてあるのではないか。 『ちびまる子ちゃん』の漫画を読んだりアニメを見たりして、何の違和感もなく溶け込めるのは、人類が二十万年も続けてきたコミュニティ社会を、もちろん無意識的にだが、さくらももこさんが素直に丁寧に写し取ってきたからではないだろうか。さくらさんが描いた「二十万年の伝統」 そもそも、まる子をはじめ、登場人物は優等生過ぎず、失敗したり面倒くさがったりする憎めない等身大なキャラクターで描かれている。社会のルールも踏まえつつ、それが自分の考えと合わないときには、心の中で本音をつぶやいたり、茶化したり、折り合いをつける。 それらが子供の目線から発言されるので、その本心に自分を重ねやすく、笑って見守るような楽しみ方もできる。まる子の思いつきや行動は今の子供たちにも共感できる一方で、私たちが子供の頃に当時の大人たちをあきれさせたこととも似ている。 そして、その大人たち自身もきっと同じ経験を繰り返してきたに違いない。こうした二十万年の伝統を持つコミュニティの人間関係、愛情や反目、尊敬や軽蔑、深い理解や誤解、それらを含めたさまざまな人間関係を、とても生き生きと濃密に、さくらももこさんは描いてきた。 他方、『サザエさん』は、これも人類の古い歴史である家族を、その最も伝統的な形の三世代家族で描いてきたのだ。したがって、『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』が、それぞれに国民的漫画・アニメとして受け入れられたのは、よく理解できる。 ただ、時代は常に変わり続けている。『ちびまる子ちゃん』が描いてきた、実に長い歴史を持ったこの濃密な人間関係は、2000年代に入って大きく変わりつつある。まさに大変な時代が来ていると言える。なぜなら、家族もコミュニティも溶け始めているからだ。 現在、各地方自治体は小学校区というコミュニティを復活させるためにまちづくり政策を出しているが、それは『ちびまる子ちゃん』たちが基盤とした小学校単位の人間関係が崩壊しつつあり、それを防ぎたいからに他ならない。 また、崩壊しつつあるから、私たちも『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』を懐かしい人間関係として眺め、それは小さいときに私たちが実際にその世界を自分の肌で経験してきたからである。 現在、日本政府は「Society5.0=超スマート社会」を来るべき社会として構想している。それは孤立している私たち一人ひとりの人間を、インターネットを通じてのサイバー空間の世界で結びつけようという構想である。 Aという人間の要望をインターネットでサイバー空間に結びつけて、AIという人工知能を経由して、Bという人間に結び付けるというアイデアである。距離的には遠いとしても、AとBとは結びつくのである。これは必ずしも否定的に解釈すべきでもない。Aが病人で、Bが医者とすると、サイバー空間を経由して即時にAとBとが結びつくので、大変意義がある。2018年8月、JR東京駅の商業施設に入る「トーキョーちびまる子ちゃんストア」。作者のさくらももこさんの訃報から一夜明け、多くのファンが買い物に訪れていた ただ、これは『ちびまる子ちゃん』で描かれた1970年代の社会とは大きく異なるものである。濃密なコミュニティはそこに存在しない。代わって効率の良さが突出している。 果たして、どのような将来の社会構想を私たち国民は描けばよいのであろうか。おばあさんになったさくらももこさんに、サイバー空間を利用しながらも人間の息吹の感じられる社会をぜひとも描いて欲しかったものだ。

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    『ちびまる子ちゃん』にあって『サザエさん』にない世界観

    飯田豊(立命館大産業社会学部准教授) さくらももこの『ちびまる子ちゃん』を初めて読んだのは、1990年の秋、急性肝炎で入院していた小学6年生のときのことだった。小児病棟を見渡すと、同室の小中学生は皆、前年に発売された「ゲームボーイ」(任天堂)で遊んでいて、入院生活の必須アイテムであることが分かった。僕も親にねだったが、すぐには買ってもらえない。暇をもて余していたところ、見舞いに来てくれたご近所の方が、単行本を1巻から最新刊まで買ってきてくれた。 同年1月からテレビアニメの放送が始まり、この頃にはすでに大きな社会現象になっていたが、僕はそれほど熱心に見ていたわけではなかった。折しも『週刊少年ジャンプ』の黄金期であり、小学生の男子は大抵、そのアニメ化作品の方に夢中だった。小児病棟ではテレビを見ることがほとんど許されず、同じ病室の男子小学生たちが『コロコロ』派と『ボンボン』派に分かれている中で、少女漫画を読むこと自体に気恥ずかしさもあった。 隣の病室には、眼光が鋭い金髪のヤンキー女子中学生が入院していて、なるべく目を合わせないようにしていたのだが、『ちびまる子ちゃん』の単行本を見た途端に目尻が下がり、「貸してほしい」と言われた。一瞬、これはカツアゲかと思って硬直したのだが、彼女はお礼に『ビー・バップ・ハイスクール』の単行本を(無理やり)貸してくれて、それ以来仲良くなった。 不意に家族と離れ、クセの強い子供たちと―しかし退屈きわまりない―共同生活を送る中で、『ちびまる子ちゃん』をじっくり読んでみると、日常の他愛(たあい)もない出来事が軽妙に描かれ、家族関係や友人関係にまつわる心の機微を鋭く表現したアイロニカル(皮肉っぽい)な作風に強く惹かれた。当時はその魅力を説明するための言葉を何一つ持っていなかったが。 入院中の1990年10月28日にはテレビアニメが最高視聴率39・9%を記録し、いつしか「平成のサザエさん」と呼ばれるようになっていた。しかし、三世代同居の「家族もの」であるという設定を除いては、当時ほとんど共通点を見いだすことができず、子供なりに違和感を持っていた。後年、登場人物たちの名前が、花輪和一、丸尾末広、みぎわパンなど、『月刊漫画ガロ』で活躍した漫画家に由来すると知って、その違和感はますます大きくなった。 『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』の共通点や相違点については、さまざまな説明の仕方が有り得るだろう。例えば批評家の大塚英志は、これを次のように指摘している。さくらももこの「ちびまる子ちゃん」の中にも陸奥(むつ)A子であるとか仮面ライダー2号一文字隼人といったサブカルチャー的固有名詞が頻出する。平成のサザエさんと言われながらも両者が決定的に異なるのはこのサブカルチャー的固有名詞の有無である。「サザエさん」は固有名詞を一切排除することで広くお茶の間的な普遍性を持つに至った。(中略)時代を特定してしまう固有名詞は一切使われない。ところが「まる子ちゃん」は〈あの頃〉の物語である。厳密に時代考証をすれば昭和49年頃になるはずなのだが、それはあまり問題ではない。作品中のサブカルチャー的固有名詞は具体的な時代を特定するためのものではなく〈懐かしいあの頃〉というフィクショナルな過去に物語を設定する仕掛けである。(『仮想現実批評 ―消費社会は終わらない』新曜社) テレビアニメとノスタルジーとの結びつきをめぐっては、社会学的な観点からの考察も行われている。高度経済成長期、産業構造の変化とともに農村から都市への大量の人口移動が起こり、核家族化が進行した。それにもかかわらず、テレビでは大家族のお茶の間を中心とした、家族愛にあふれたホームドラマが隆盛を極め、人々のノスタルジーをかき立てた。ところが、オイルショック以降の低成長期には核家族の理想も崩壊し、TBS系ドラマ『岸辺のアルバム』(1977年)のような家族解体の物語が支持を集めていくようになる。さくらももこさんの代表作「ちびまる子ちゃん」 旧来のホームドラマが「理想の家族」を虚構的に作り出すことで、しかるべき規範と価値を社会に示してきたが、北海道大准教授の玄武岩(ヒョン・ムアン)らによれば、こうしたドラマが凋落した70年代半ば以降、その役割を継承したのが「ホームアニメ」である。とはいえ、数え切れないほど制作されているアニメ作品の中で「家族もの」は極めて少なく、これは決して自明なジャンルとはいえない。 それにもかかわらず、『サザエさん』『クレヨンしんちゃん』、そして『ちびまる子ちゃん』はいずれも長寿番組となり、「国民的アニメ」として定着していった。「理想の家族」はもはや、こうした「ホームアニメ」の中にしか存在しない、と評されるまでになった。『サザエ』と『まる子』本当の違い さて、『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』をホームアニメという同じ土俵に乗せた上で、両者の最大の違いを挙げるとすれば、磯野家では波平に強い父権が備わっているのに対して、さくら家に父の権威はほとんど存在しないことだろう。 波平やマスオが会社からの帰路で雨に遭えば、カツオやワカメが傘を持って駅まで迎えに行く。波平の古い父権に対して、新しい感性を持つサザエやカツオが異議申し立てをすることもある。それに対して、さくらひろしが働いている姿を私たちは見たことがなく、アニメを見ている限りでは職業不詳。趣味は釣り、酒、野球観戦。家族内の意思決定は大概、母が行っている。それゆえ、まる子が積極的に友好関係を築くのも、時に激しく対立するのも、父ではなく母である。 しかし、この相違点を「漫画が生まれた時代背景の違い」として片づけてしまうのは早計である。 確かに戦後、主婦の家庭内権力は次第に高まっていったし、『ちびまる子ちゃん』の漫画連載が始まった1986年は、男女雇用機会均等法が施行された年でもある。男女同権に対する認識が高まっていた反面、大塚によれば「最初の総合職世代として後に続く同性たちの期待を背負いつつ、初めてマスとして企業の男社会に足を踏み入れた女性たちによって、『まる子ちゃん』はノスタルジーの妙薬として発見された」という見方もできる。 そもそも、1946年に4コマ漫画として新聞連載が始まった『サザエさん』では、サザエは女性解放運動に関わっていた。また、波平にアニメのような威厳はなく、フネは気性が荒い性格として描かれている。 哲学者の鶴見俊輔は、『サザエさん』の原作者、長谷川町子が一貫して「家庭内に戦前からひきつがれている家長の権威を笑いをもって批判し、権威の側も、自らをわらうことで変わってゆくという過程」を描いている点を高く評価し、「このあたりが、戦後民主主義なので、嫌いな人はここのところが嫌いになるのだろう」と述べている。 1969年にテレビアニメ化される際、鶴見が指摘したような戦後思想は影を潜め、私たちがよく知っているサザエさん一家の設定が出来上がった。それに対して、長谷川町子は70年代、『サザエさん』に社会風刺を積極的に盛り込むようになり、アニメの設定とはいっそう乖離していく。フジテレビ系アニメ「サザエさん」の(右から)サザエ、フネ(C)長谷川町子美術館 逆に『ちびまる子ちゃん』の場合、さくらももこはアニメ化に際して慎重を期し、第1期(1990〜92年)に関しては、原作の世界観を守るための努力を惜しまなかった。テーマソング『おどるポンポコリン』の作詞を手がけ、大ヒットを記録したことは改めて言うまでもなく、声優のオーディションに立ち会い、脚本にも自ら大幅に手を加えたという。アニメの作風が大きく変わった第2期(1995年〜)でも、当初はさくら自身が脚本を手がけることでハンドリングしていたし、劇場版全3作(1990年、92年、2015年)の脚本もさくらが手がけている。 「サブカルチャー的固有名詞」を一切排除しなかった結果、西城秀樹や植木等をはじめとするアーティストとのコラボレーションも実現した。これは一般的なタイアップ商法とは意味合いが異なっている。 テレビを通じて「理想の家族像」という虚構を、ひいては日本人の総中流意識を延命させてきた「ホームドラマ」や「ホームアニメ」のフォーマットに、『ちびまる子ちゃん』は安易に最適化されることはなかった。さくらももこという稀代の漫画家が、全身全霊をかけてテレビの世界に向き合ってきた賜物といえるだろう。(文中敬称略)参考文献・『国際広報メディア・観光学ジャーナル』15号、2012年「越境する〈ホームアニメ〉 ―東アジアにおける『ちびまる子ちゃん』の家族像」玄武岩ほか・『漫画の戦後思想』文藝春秋、1973年

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    「笑点の安倍ネタは風刺じゃない」石平が綴った怒りの反論手記

    石平(評論家) 5月27日の日曜日、家のソファでくつろいでいた私は、日本テレビの名物番組『笑点』を久しぶりに見た。 その日の『笑点』の大喜利では、「騒音」をお題に、耳をふさいだ落語家が笑いを誘う「珠玉の一言」を繰り出す設問があった。そしてその中で、いつもの顔ぶれの落語家たちの口から、次のような「政治ネタ」が連続的に放たれたのである。 まずは三遊亭円楽さん、「安倍晋三です。トランプ氏から『国民の声は聞かなくていい』と言われました」。次は林家たい平さん、「麻生太郎です、やかましいィ。」。そして最後には、林家木久扇さんは「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」と嘆いてみせた。 以上が、後にインターネット上などで話題となった『笑点』の「三連発政治批判」である。テレビの前でそれを見た私は、「そんなのは落語としてどこが面白いのか」と思ったのが最初の感想であった。 例えば、最後の木久扇さんの「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」という答えを取ってみても、そこに何か落語の笑いの要素があるというのか。「米軍基地がいつ無くなるだろうか」という、そのあまりにも平板にしてストレートな一言を聞いて、腹の底から笑おうとする人間がいったい何人いるというのか。 程度の差はあっても、一番目の「安倍ネタ」と二番目の「麻生ネタ」も同じようなものである。要するに、この三連発の政治批判は笑いのネタとしてまずつまらないし、落語としての機転も芸も感じさせない。 そこにはむしろ、政治批判が目的となって『笑点』としての面白さは二の次となった、という感がある。はっきり言って、そんなネタはもはや『笑点』ではない。『笑点』の名を借りた政治批判にすぎないのである。 しかも、その時の政治批判は、一般庶民の視点からの政治批判というよりも、特定政党の視点からの政治批判となっているのではないか。例えば、沖縄の米軍基地について、基地が無くなってほしいと思っている庶民が、この日本全国に一体何割いるというのか。地元の沖縄でも、基地反対派と基地維持派が県民の中に両方いるはずだ。2018年1月、米軍普天間飛行場移設に向けた護岸工事が進む沖縄県名護市の辺野古沿岸部(共同通信社機から) 上述の『笑点』三連発の政治批判は、つなげて考えてみれば、要するに「反安倍政権・反米軍基地」となっている。それはそのまま、日本の一部野党の看板政策と重なっているのではないか。 私自身は『笑点』が結構好きで、日曜日の夕方に家にいれば、そしてチャンネル権が女房と子供に奪われていなければ必ずつけてみることにしている。だが、その日の『笑点』を見て、さすがにあきれて自分のツイッターで下記のようにつぶやいた。多くの共感を呼んだツイート先ほど家のテレビで久しぶりに「笑点」を見ていたら、「安倍晋三です。国民の声を聞かなくてよいとトランプに教えられた」とか、「沖縄の米軍基地はいつなくなるのか」とか、まるで社民党の吐いたセリフのような偏った政治批判が飛び出たことに吃驚した。大好きな笑点だが、そこまで堕ちたのか。石平氏の5月27日のツイート このツイッターは結局、ネット上で大きな反響を呼んだ。数日間のうち、8千人以上の方々からリツイートをいただき、1万5千人以上の方々から「いいね」をいただいた。そして私のツイッターには、この件に関して1100件以上のコメントが寄せられて、その大半は私のつぶやきに賛同する意見であった。 私がツイッターを始めたのは今から4年前だったが、今は37万人以上の方々にフォローしていただいている。正直に言って、私の「ツイッター史」において、これほど大きな反響を呼ぶツイッターを放った経験はめったにない。『笑点』の政治批判ネタに対する私の感想と苦言は、やはり多くの人々の共感を呼んだのである。 もちろん、私のツイッターに対する批判や反発の声も挙がった。お笑いタレントで演出家のラサール石井さんが自らのツイッターで、「時の権力や世相を批判し笑いにするのは庶民のエネルギーだ」「政治批判は人間としての堕落だと言いたいのか」と反論したのはその一例だ。 他にも、ネット上や、私のツイッターに寄せられたコメントの中には「権力を風刺し批判するのは落語の伝統だ」「庶民の気持ちを代弁して権力を批判するのはどこか悪いのか」といった批判があった。その中には、「落語の政治批判を許さないというのは言論統制だ、全体主義だ」と、一物書きである私のことを、まるで権力者に対するかのように厳しく糾弾するネットユーザーまでいた。 しかし、私からすれば、こういった反論と批判のほとんどは、まさに的外れのものである。政治風刺や政治批判を行うのは、確かに落語の良き伝統であろう。しかしそれは決して、観客としての私たちが、落語で行った政治批判を何でもかんでも無批判のままで受け入れなければならない、という意味合いではないのである。 政治風刺も政治批判も良いのだが、それには面白いかどうか、特定の政党や政治的立場に偏っているかどうかがつきまとう。それに対し、われわれ観客の一人一人が、自らの基準と心情に従って論評したり批判したりするのはむしろ当然のことだ。私は自分のツイッターで『笑点』のことを「堕ちた」と酷評したのだが、それも一観客としての私の感想にすぎないし、そして私にも私の感想を吐露する権利はあるのだ。2017年6月、『笑点』メンバーの(後列左から)林家三平、林家たい平、三遊亭小遊三、(前列左から)三遊亭円楽、林家木久扇 要するに、『笑点』には政治を風刺し、批判する自由はあるが、われわれ観客にも『笑点』の政治批判に賛同したり、批判したりする自由があるのである。「『笑点』は庶民の声を代弁して権力批判をしているから、『笑点』を批判してはならない」というような論法は、逆に『笑点』に対する批判を封じ込めて、『笑点』そのものを絶対的な権力にしてしまうのである。これこそ、問題の最大のポイントではないのだろうか。

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    『笑点』の安倍ネタは笑えない?

    日曜夕方のお茶の間で人気の『笑点』(日本テレビ系)がネットで炎上した。発端は名物コーナー「大喜利」で落語家が政権批判をネタにしたことだった。「この程度のネタは昔からよくあった」「そもそもネタとして笑えない」。意見が分かれる今回の炎上騒動を機に、お笑いと政治風刺を考えてみたい。

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    立川談四楼手記、『笑点』はパヨク政権でもからかいます

    立川談四楼(落語家)『笑点』メンバーが政権批判をしたと騒ぎ、パヨク認定する向きがあるが、国策落語を強いられた過去を持つ落語家にはナンセンスである。政権批判は日常業務で、ツイッタランドにおける炎上案件を彼らは日毎夜毎繰り広げている。落語の黎明期には幕府を批判して島流しを食らった先達もいるくらいなのだ。 ジャスト140文字、これが5月29日の私のツイートである。ちょっと固い言葉で、抗議の体を取っています。いやあまりの言い様だったからで、「『笑点』も墜ちた」ぐらいはまだいいんだ。ロクに番組を観てない人の言い草だからね。ただ「落語家が政治に口を出すな」「落語だけやってりゃいいんだ」にはカチンときた。『笑点』を観てないことについてはいいにしても、落語と落語家の歴史をまるで理解してない輩(やから)のほとんど妄言だからね。「笑点」メンバー(前列左から)司会の春風亭昇太、新メンバーの林家三平、林家たい平(後列左から)三遊亭圓楽、三遊亭好楽、林家木久扇、三遊亭小遊三、山田隆夫=2016年5月 まあ、少人数ならそれも一つの意見だろうとスルーしたけど、名のある人まで言ってるんだ。半面、「落語について無知であります」と表明しちゃってるわけだけど、著名人だけにフォロワーも多く、「いいね」やリツイートする人がかなりいて、一応ちゃんと抗議したということなんですね。  驚いた。私のツイートに対する「いいね」とリツイートが合わせて15000に達したんだ。もちろん「クソリプ(見当外れな返信)」も飛んでくるが、賛同がはるかに凌いで、少し溜飲(りゅういん)を下げる思いがした。私は写真も動画も使わず、140文字のジャストを昼過ぎに3本投稿するのを旨としている。そりゃ過去には3万超えなんていうこともあったけど、1万を超えるツイートはなかなかないんだ。一言で言うと反響が大きかったということです。某紙もそれを取り上げるくらいに。 落語家の政権批判はホント日常なんだ。それが証拠に『笑点』では民主党政権のときもやったし、それは昔からのものなんだ。つまり伝統でね。何しろあの番組は私の師匠の談志が作ったのだから、過激になるのも当然なのさ。 酒で早くに死んでしまったんだが、春風亭梅橋(しゅんぷうていばいきょう)という人はスゴかったね。「酔っぱらい運転はなぜいけないか」の題に梅橋、こう答えたんだ。「轢(ひ)いた時に充実感がないから」。私が高校生の頃だったが、これには引っくり返ったよ。   ある日、なぞかけで「オッパイ」という題が出た。 梅橋「オッパイとかけてヤクザの出入りときます」   「その心は?」 梅橋「すったもんだで大きくなります」ときた。 「パンティ」がお題のときもスゴかった。 「パンティとかけて美空ひばりのおっ母さんとときます」   「その心は?」   「いつも娘にぴったりと張り付いてる」  全編この調子でね。今じゃ完全に炎上案件だよ。視聴率が上がるとスポンサーがうるさくなって、それで談志の降板に至る、という歴史なのさ。だから当時の過激さが少しだけ顔を出したというだけのことなのさ。戦時中の国策落語と禁演落語 戦時中の軍部との戦いにも触れないといけない。落語の本質は「三道楽煩悩(さんどらぼんのう)」の「飲む・打つ・買う」、つまり酒と博奕(ばくち)と女郎(じょうろ)買いなんだ。それをどう描くかで落語家の腕が問われるのだが、戦時中だから、どうしたって不謹慎ということになる。 時代の空気を察した落語家は、いち早く動いた。時局にふさわしくない落語53席を葬ったのだ。これが世に言う「禁演落語」で、これもなぜ53席かで面白い説があるんだ。「東海道五十三次」になぞらえての53席という説と、もう一つは「53(ゴミ)みたいな落語」。つまり、どうでもいいネタを葬って軍部の目を欺いたという説があるんだ。どっちにしろギリギリ反権力をやってるんだね。 しかし「国策落語」にはなす術(すべ)がなかった。なにしろ「お国のために国威発揚(こくいはつよう)の落語を作れ」という命令だから逃げようがないのさ。随分作られ演じられたというが、ほとんど残ってない。終戦直後、いろんな書類が焼かれたというから、ま、そういうことだろうね。落語「出征祝い」を口演する林家三平さん=2016年3月1日、東京都台東区 でも近年、林家三平師が祖父の林家正蔵作と言われる『出征祝い』を演じて話題となった。しかし評判は芳(かんば)しくなかった。慌てて声を大にして言っとくけど、三平師の技量のせいじゃないよ。国威発揚の落語が面白いわけがない、という真理によるものさ。 前述したように、落語の基本は「飲む・打つ・買う」だよ。戦争と相性がいいはずないじゃないか。戦争と落語は180度両極に位置するものだからね。 でね、その最中に志ん生はこう言ったんだ。「国策落語なんて野暮なもの、俺やだよ」。そう言って志ん生は戦時中に円生とともに中国に行ってしまうんだ。興味のある人は調べてみて。面白い話がワンサと出てくるから。 落とし咄(ばなし)をするから咄家(はなしか)と言われてた江戸時代、冒頭のツイートにある通り、わがご先祖は幕府とも戦っていたんだ。スゴいね。「島流し」ってのが。時代劇のお白州(しらす)で発せられる「遠島(えんとう)を申しつくる」ってやつだ。 いや、咄家だけでなく講釈師にもいてね。この人は島抜け、つまり脱走して捕まり、ついには死罪になったという歴史もあるんだ。吉村昭が『島抜け』という題で小説にしてるくらいでね。 どうでしょう。いくらか反権力の歴史がお分かりいただけたでしょうか。あ、今、「共産党が政権を担ったらどうする?」という声がしました。 経緯は省きますが、私は保守論壇の重鎮、西部邁先生にかわいがっていただきまして、あるとき先生が「今、一番まっとうな保守は共産党だ」と言ったのを鮮明に覚えています。それもあって、「共産党政権の誕生も夢ではない」と思う者ですが、約束します。「たとえ共産党と言えども政権を取ったら大いにからかいます」と。 是枝裕和監督の『万引き家族』がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞、安倍さんはメダルや賞が大好きなのにこれを無視、ようやく林芳正文科相が祝意を表明、それを監督が辞退するという日に記す。

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    「お笑いと社会批評の境界」茂木健一郎が考える日本の政治コメディ

    たけし(左)とビートきよし さらに、「落語」というフォーマットの可能性。落語は、世界の各地での笑いの文化を見渡した上でも、類まれにユニークなかたちをしている。特に、一人の演者が、多数の「登場人物」を演じ分けるという点。長屋で、くまさん、八っつあん、与太郎、ご隠居などの登場人物たちが、それぞれの思惑、個性で動き、全体としておもしろい調和ができる。笑いは脳進化の「智慧」 対立したり、けんかをしたりしても、それらがすべて響き合って、やがて一つの「笑い」となる。そう考えてみると、落語は多様性を許容した「社会的包摂」そのものである。 たとえば、米朝会談を落語にしたと考えてみよう。アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の意見は対立したり、時には口げんかもするのかもしれないが、その双方を落語の一人の演者が演じることができる。 「おい、そろそろ、放棄したらどうだい」 「そうは言っても、お土産がないとなあ」 「放棄したら、お土産をあげるよ」 「だけど、放棄した後で、お土産はないよ、お前の家を壊すよ、というんじゃ、嫌だよ」 「だいじょうぶ。家は壊さないと、保証するから」 「そうは言っても、君の後ろで、こわそうなやつらが腕組みしているぜ」 ……。 そして二人の「対話」が煮詰まったら、町内の「ご隠居」を登場させることもできる。 「おいおい、いい加減にしなよ、もう、お互いに歩み寄って、決めちまいな」などと。もっとも、現実の米朝会談に「ご隠居」はいないかもしれないが。 落語という「ファンタジー」の方が、人間にとっては温かく、楽しい。笑いは、不安や恐怖に打ち勝ち、不確実なことに挑戦するために脳が進化させてきた「智慧(ちえ)」である。大阪市全24区にちなんだ創作落語「参地直笑祭」をスタートした落語家の桂文枝 すべての動物の中で、複雑な認知プロセスを通して笑うのは人間だけだ。人間は、笑うからこそ、居心地のよい「安全基地」から未知の世界に向かうことができる。人間は笑うからこそ、宇宙にも行くし、人工知能も開発できるのだ。笑いはリスクの存在下でバランスを回復し、適切な選択をとるための最前線の「安全基地」となる。 今日の日本のように、さまざまな不確実性に囲まれつつも、やはり前に進むべき状況でこそ、笑いが必要である。笑いに至る「メタ認知」、つまり客観的に自分たちを見つめる能力こそが、難しい状況での判断力を高める。だからこそ、古来、優れたリーダーはユーモアのセンスがなければと言われてきた。 政治は国全体の進む方向だが、一人ひとりの人生にも、進むべき方向がある。人生の選択に、悩む人も多いだろう。どんな学校に行くべきか。会社を辞めるか、それとももう少しがまんするか。 私は、日本で政治コメディの文化が広まるためには、社会全体のメタ認知を高めなければと思っている。自分の状況を見つめ、不確実な状況下で行くべき道を選択して、よりよい人生を生きる、そんな一人ひとりの積み重ねが必要だと感じている。 日本に政治コメディが広がらない理由を、メディアや、政治家、ましてやコメディアンたちのせいにしても仕方がない。(かつて、私が誤解を与える発言をしたことについては、改めてお詫びいたします) 「日本をもみほぐす」ためには、まずは、「自分をもみほぐす」ことが必要なのだ。

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    『笑点』政権ネタの炎上騒ぎは起こるべくして起きた

    太田省一(社会学者、文筆家) 5月27日放送の『笑点』(日本テレビ系)がネットを中心に話題になった。番組の代名詞でもある「大喜利」のコーナーで安倍政権を風刺するような回答がいくつかあり、それを不満に思った視聴者の批判的ツイートが相次いだのである。それをきっかけに『笑点』の政治風刺をめぐって賛否両論、さまざまな意見が飛び交っている。 私は、一人の研究者として、以前から芸人と社会の関係に関心を抱いてきた。その点から言うと、今回の件については『笑点』の風刺ネタそのものの評価よりも、それをめぐってこれほど論議がわき起こったこと自体にむしろ興味を感じている。 まず、私にはこうした論議が起こったことが「不思議」という感覚があった。改めて言うまでもないが、笑いにも多くの種類がある。ダジャレのような言葉遊びもあれば、いわゆるリアクション芸のような身体表現の笑いもある。 他にも挙げればきりがないが、その中には当然「風刺」も含まれる。権力や権威を鋭く茶化すことで、政治に不満を抱いている人々は笑い、一瞬ではあれ溜飲(りゅういん)も下がる。 芸人は、洋の東西を問わずその役割をずっと担ってきた。アメリカの伝説的スタンダップ・コメディアン、レニー・ブルースは1950年代から60年代にかけて過激な言動と、痛烈な政治風刺で人気を博し、常に物議を醸して波乱万丈の人生を送ったことで知られる。 かつて「日本のレニー・ブルース」と評されたこともあるビートたけしにも、次のような言葉がある。 日本の政治がガラっと変わったとしても、おれたちお笑い芸人は何にも変わらないって、ひそかに確信してるんだよね。何が起ころうと、ずっと同じ。(略)独裁国家になったとしても、それをひっくり返そうなんてこと、思いもしないだろうね。それどころか、その体制に順応して、ますます喜劇を演じていくよ。毎日のように指導者たちを笑いのタネにしたりなんかしてさ。笑いっていう最高の武器で、権力を笑い飛ばしていくと思うね。北野武/ミシェル・テマン『Kitano par Kitano-北野武による「たけし」-』 主義主張や政治体制の如何を問わず、権力を笑い飛ばすことが「芸人の本分だ」とたけしは語る。だからその意味では、今回の『笑点』はその本分に忠実であろうとしたに過ぎない。 また、『笑点』の政治風刺は、今回が初めてではない。スタンダップ・コメディほど舌鋒鋭いものではなくとも、庶民の視点から時の政治に対する不満や皮肉を笑いの衣に包んで表現することは、落語家が提供する笑いとしてずっとあるものだろう。2016年5月、日本テレビ『笑点』の新司会者発表会見で握手を交わす桂歌丸(左)と春風亭昇太(大橋純人撮影) したがって巧拙や好みはもちろんあるにしても、政治風刺が飛び出すのはある意味自然なことである。だから、今回の一件がさぞ問題のように扱われることが不思議でならない。 だが一方で、このような論議が起こったことに「やはり」という、それとは一見相反する印象もあった。というのも、ここ最近、政治風刺の笑いは、特にテレビなどではほとんど目にしないものになっていたからだ。だから今回の『笑点』が突出しているように映り、炎上騒ぎに発展したのだろう。尊敬の対象になった芸人たち 私見だが、現在の笑い、特にメディアにおける笑いの基礎をつくったのは、さかのぼること40年ほど前に起こった1980年代初頭の「マンザイブーム」である。それをきっかけに多くの芸人がスターになった。ブームをつくった芸人の中には、ツービートの「毒ガス」漫才で一世を風靡(ふうび)したビートたけしもいた。 「赤信号 みんなで渡れば こわくない」など、たけしのいわゆる「毒ガス」ギャグは、当時の日本人が共有していた「総中流意識」の欺瞞(ぎまん)をターゲットにしたものだった。先述した、たけしの言葉に重ねるなら、当時のたけしにとっての「権力」とは政治指導者ではなく「総中流意識」に安穏と浸る私たちだったのである。 だが、面白いことに、たけしによって笑いのターゲットにされたはずの私たち大衆は、たけしを熱狂的に支持した。笑いには「知性の裏付けが必要」と思うようになり、それまで総じて扱いの低かった芸人が逆に尊敬の対象になったのである。 たけしはそんな芸人たちの代表格になった。その兆しは、たけし登場以前の萩本欽一から始まっていたという見方もあるが、はっきり芸人の社会的地位が向上したのはマンザイブーム以降であると言っても過言ではない。 そして1980年代後半か90年代に入り、世はバブル景気。テレビにも祭り気分が横溢(おういつ)する中で、尊敬される対象になっていた芸人はその中心の座を占めた。その象徴がたけし、タモリ、明石家さんまの「お笑いビッグ3」である。 その頃の時代的雰囲気を伝えるエピソードとして、最も記憶に残っているのが「さんまの愛車破壊事件」である。1991年のフジテレビの恒例『27時間テレビ』で、たけしとタモリが共謀し、さんまの買ったばかりの高級車を塀にぶつけて壊すという「コント」を生放送で演じてみせたのである。 ただ、笑いのためだけに惜しげもなく高級車を破壊する。それはまさにテレビが主導する「お祭り」だった。そこに視聴者も参加気分を味わい、高揚感を共有した。いわばテレビと世間が一体化した巨大な内輪ウケの空間が誕生したのである。 そうした経済的豊かさを前提にした内輪ウケの笑いが主流になったことで、政治は笑いのネタとしては陰に隠れ、マイナーなものになっていった。その傾向は、今も根本的にはあまり変わっていないように見える。「お笑いビッグ3」が30年近くたった今でも第一線で活躍しているのが、何よりの証拠である。ビートたけしや明石家さんま=1986年3月撮影 ただし、『笑点』はそうしたお笑いのトレンドとは比較的無縁だった。1966年、高度経済成長期のただ中で始まった同番組は、日曜夕方のお茶の間の定番としてわが道を歩んできた。したがって、まだ社会に流動的な部分があり、それゆえ政治への関心も高かった高度経済成長期当時の空気をどこかに残している。だから、政治風刺の笑いも生き延びたのである。 その一方で、平成も終わろうとする日本社会の現状を見ると、「総中流意識」はもはや薄れつつある。格差や貧困の問題ばかりがクローズアップされ、お祭り気分の笑いを支えていた経済的土台も揺らいでいる。社会情勢が大きく変化すれば、必然的に政治への関心も再び高まる。 つまり、『笑点』の政治風刺が注目を浴びる条件は、いつしか整っていたことになる。そこに起こるべくして起こったのが今回の炎上騒動ではないだろうか。 今回の出来事は、単なる笑いの一時的流行の問題ではなく、もっと大きな意味で芸人と社会の関係が歴史的転機を迎えていることの兆しである。SNSの普及もあり、今後も芸人の一言一句、一挙手一投足に耳目が集まることは間違いない。

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    『コロコロコミック』販売中止、サヨクに屈した外務省は恥を知れ

    中宮崇(サヨクウォッチャー)ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は共産主義者ではなかったから社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった私は社会民主主義ではなかったから彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった私は労働組合員ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった 反ナチス運動指導者マルティン・ニーメラーの有名な詩である。今まさに日本で、ナチスならぬサヨクから、共産主義者ならぬ漫画がそうした攻撃を受けている。 小学館の子供漫画雑誌『コロコロコミック』におけるチンギス・ハーン落書き事件に関して、主にサヨク諸氏からの言論弾圧、いや中国顔負けの人権抑圧が目に余る。もっとも、しばき隊、SEALDsなど、彼らサヨクが「人間じゃねぇ! たたっ斬る!」と本屋に押しかけ、気に入らない本を「焚書(ふんしょ)」するという姿を普段から散々見せられている者としては、当然の反応と言うべきか。 彼らは人権等の正義を騙(かた)る、その実ただの中国政府そっくりな弾圧者にすぎない。「やりすぎイタズラくん」が掲載されている月刊コロコロコミック3月号 しかし、そういったエセ左翼にすぎない人々と違い、まじめな左翼は今回の事件に関してまっとうな見解を表明している。例えば「『丸山眞男』をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争」で知られる赤木智弘氏は「チンギスハン揶揄は守られるべき」と題した論考を発表し、この問題を主に人権面から丁寧に分析している。左右を問わず、まともな人権感覚をもつ現代人であれば、文句のつけようのない内容であろう。 ところが、このようなまともな人権感覚を持たないのが一部のサヨクである。 彼らは戦後一貫して現在に至るまで「外患誘致」「告げ口プロパガンダ」戦法がお得意である。反日のためにフェイクニュースを垂れ流し、息を吐くように嘘をつく「ならず者」をまともに相手にする日本人なんてそうそういない。一線を越えた外務省 そのことは彼ら自身がよく分かっているので、海外の非政府組織(NGO)やマスコミ、国連、そして中国や韓国、北朝鮮などの人権抑圧国家を利用し、「世界市民様は愚かな日本人どもをこう言って批判しておられますぞ!」という錦の御旗、いやフェイクニュースをクリエイトし、それを口実にして日本人を攻撃し、寄付を集め活動資金とする。 慰安婦問題などはその典型であるし、最近では「秋葉原には児童ポルノや児童買春があふれている」というデタラメを海外に垂れ流して国連組織などを悪用し、漫画規制や言論弾圧を図る団体も話題になった。 こうした事実からすると、今回の事件のポイントは、外務省の対応である。朝日新聞の報道をみる限り、外務省は「日本国民の権利を擁護する」という職責を放棄し、海外政府の出先機関、いや手先機関に堕したとしか言いようがない。 記事によれば、日本外務省によると、来日中のモンゴル外相と日本の国会議員による23日の会合に同行した外務省職員に対してモンゴル側から抗議があり、同省は小学館に連絡した。 朝日新聞 2018年2月23日 と言うのだ。なんと外国の政府による一民間組織に対する「抗議」に対し、外務省は「うちは自由と民主主義の国なんで、そんな筋の通らんこと言われても知りまへんで」とはねつけるどころか、唯々諾々(いいだくだく)としてその抗議を小学館に伝え、いわば言論弾圧に加担したということらしい。小学館前で「月刊コロコロコミック」にチンギスハンを侮辱する漫画を載せたとして、抗議する在日モンゴル人ら 2018年2月26日、東京都千代田区 どこの国に、そんな手先機関の役所が存在するというのか。考えてみれば、外務省はこれまでもそうであった。特に「チャイナスクール」(外務省の中国語研修組出身者)と呼ばれる中国シンパの存在は、かつて慰安婦問題や南京大虐殺、政府開発援助(ODA)などにおいて日本の国益をむしばみ、中国や北朝鮮などの利益のために活動してきた外務省の象徴という批判もあった。 かつて外務省アジア大洋州局長だった槙田邦彦氏が拉致問題に対して「たった10人のことで国交正常化が止まっていいのか」と発言し、問題になっただけではない。左翼はチャンスを見逃さない 2002年に中国で発生した「瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件」、いわゆる「ハンミちゃん事件」においては、中国武装警察がウィーン条約を無視して日本領事館に押し込み、ハンミちゃん一家を乱暴に連れ去ったのに対し、なんと外務省職員は抗議するどころか武装警察の帽子を拾い、媚(こび)を売るような姿が放映されて批判を受けた。 こんな組織であるから、中国や韓国政府等がこれまで日本の「右派」を名指しで弾圧してきた際にも、日本人の生命や権利を擁護するどころか、冷淡極まりない態度に終止した例が多数見られた。そこに今回の「抗議口添え」である。 外務省は一線を越えた。これまでも十分、日本人のことなど眼中にない、結構とんでもない組織であったが、完全に常軌を逸したのだ。従来から海外に「告げ口プロパガンダ」をしてきた一部のサヨクは、このチャンスを見逃さないであろう。彼らは自分たちの気に入らない「ネトウヨ」「右翼」を弾圧するために、中国や韓国を焚き付けて日本の外務省に「抗議」させ、今回のような出版中止等の営業妨害に悪用するかもしれない。いや、このままでは必ずそうなる。 もし、こんな人権侵害が許されるというなら、立場を置き換えて考えて見るとよい。 日本も韓国外務省に対し「日本大使館前に慰安婦像を設置するなど言語道断だ!」として抗議し、それを韓国外務省が突っぱねず、ソウル市や韓国挺身隊問題対策協議会に唯々諾々と伝えたらどうなるか。ただでさえ反日で有名な韓国のこと、必ずや日本人の生命財産が危険にさらされることになるだろう。そして、もし10人の日本人が殺されても、日本の外務省はそれを冷淡に「たった10人のこと」と言い放つのかもしれない。外務省庁舎=東京・霞が関 われわれ日本人が今回の問題を看過し、外務省の体質を改めずにサヨクの横暴を放置すれば、将来必ずこんな詩が囁(ささや)かれることになるであろう。サヨクが漫画家を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は漫画家ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

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    そしてキタサンブラックは伝説になる

    競馬のGI有馬記念は、一番人気のキタサンブラックが制し、引退の花道を飾った。通算成績は20戦12勝、史上最多タイのGI7勝、獲得賞金は歴代1位の18億1700万円。中央競馬の記録をことごく塗り替え、名実ともに「伝説の名馬」となった。なぜキタサンは最強馬になったのか。ラストランに向けて栗東トレーニングセンターで調教を進めるキタサンブラックを取材し、その強さの秘密に迫った。■動画のテーマはこちら

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    ファンディーナに魅せられた私

    2017年4月、牡馬クラシック「皐月賞」で69年ぶりの牝馬優勝に挑戦した馬がいた。その名はファンディーナ。9馬身差をつけたデビュー戦から3連勝し、「怪物」と呼ばれるも、皐月賞では7着に終わる。再び彼女の輝く姿を見たい。天才牝馬の復活に向けた闘いを追った。■動画のテーマはこちら

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    人はなぜ競馬に魅せられるのか

    菊池寛や吉川英治といった文豪の多くが競馬をこよなく愛したことはよく知られている。疾風のごとく駆け抜ける馬の姿に、ギャンブルにとどまらない魅力を感じるのだろうが、なぜ、これほどまで人の心をつかむのだろうか。まったく興味のない方が多いことも承知の上だが、今回は文豪たちの視点で競馬の魅力を探ってみた。

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    競馬を文学に昇華させようとした寺山修司の挑戦

    司(てらやま・しゅうじ 1935~1983)歌人、劇作家。劇団「天井桟敷」主宰。競馬をこよなく愛した文化人の一人として知られる。 ※2:織田作之助(おだ・さくのすけ 1913~1947)小説家。太宰治らとともに無頼派と呼ばれ、愛称は「織田作」。代表作に『夫婦善哉』『木の都』など。競馬ファンを魅了した寺山修司 寺山は劇団の費用も賭け、その損失はよほどの額であったと聞く。フランシス・ベーコンは賭博で巨額を失った時の懊悩(おうのう)を絵に表した。けれども寺山は命取りとなる賭けに必然性よりも偶然性を求めて、偶々賭けに負けたユリシーズに情けをかけて愛した。 寺山の競馬に対する偏愛から見えるのは、持ち馬のユリシーズや騎手の吉永が、想定外の行動をとる姿を活写し、競馬の面白さ、魔の刻を発見して、競馬ファンを魅了したことだ。第50回日本ダービーを制したミスターシービー(右)。鞍上の吉永正人騎手は初制覇だった=1983年5月29日、東京競馬場 これは寺山がネフローゼ症候群で生死を彷徨い、地獄を見てきたからこそ、寺山の話は民衆の琴線に触れるのだろう。寺山のエッセイ『馬敗れて草原あり』『山河ありき』には杜甫の亡国を逆なでするような逆説的なパワーがある。そこには、三島由紀夫の『憂国』にあるエロスとタナトスが命がけでせめぎ合う葛藤を見る思いがする。たかが競馬にさえも、天下国家が顔を出すのは、寺山も例外ではなかった。短歌で寺山は歌っているではないか。マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山は長い海外公演を頻繁に挙行し、ダービーの本場イギリスの競馬にも詳しかった。その謎を解く鍵はジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』の馬だろう。『ガリバー』の馬はダービーの競走馬と異なって、人間の形をしたヤフーよりも賢くふるまう。また、スウィフトには召使の教訓集『奴婢訓』(ぬひくん)がある。寺山は同名の劇作『奴婢訓』を上演し、召使を馬に変え、女主人を演じるダリアの足の裏に蹄鉄を噛ましている。この結末は寺山が競馬ファンであることを知らないと奇怪な戒めに映る。 寺山が夥(おびただ)しく綴った競馬論を読み漁り、改めて『奴婢訓』を観ると数多くの競馬論を濾過した果てに文学に昇華した傑作であることに気がつく。スウィフトと同じくらい皮肉屋のバーナード・ショーは、斜に構え、馬と遊んでいた大戦前の英国人を批判して劇作『傷心の家』を書き、『マイ・フェア・レデイ』と同じくらい人気のある芝居となった。 ショーは太陽の沈まぬ大英帝国の成金たちが第一次世界大戦前夜も、馬と遊ぶ堕落ぶりを『傷心の家』で風刺し、その間にアジア・アフリカの新興国が台頭し帝国を覆そうとしていると警鐘を鳴らした。 地方出の寺山が、日本中央競馬界で持ち馬ユリシーズや騎手の吉永を評する疾風怒濤の波は、下町娘のイライザがめかし込んで息巻き当時社交場であったアスコット競馬場へ乗込んでじゃじゃ馬ぶりを発揮する立振舞に似て、競馬ファンからやんやと喝采を浴びた稀代の芸術家であった。

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    「人間ってのは勝手」愛するがゆえ吉川英治は競馬場から姿を消した

    島田明宏(作家・ライター) 小説『宮本武蔵』『三国志』などで人気を博し、国民的作家となった吉川英治(1892-1962)は、大の競馬ファンであった。吉川はどのようにして競馬に興味を持つようになったのか。自叙伝『忘れ残りの記』にこう書いている。 ぼくの生れた当時の両親は、横浜の根岸に住んでいた。その頃はまだ横浜市ではなく、神奈川県久良岐郡中村根岸という田舎だった。家の前から競馬場の芝生が見えたということである。日本初の洋式競馬場「根岸競馬場」の跡地、神奈川県横浜市の根岸森林公園(福島範和撮影) 生家から見えた競馬場とは、1866年に開場した、日本初の本格的洋式競馬場の根岸競馬場である。そこは、居留外国人を中心とする組織によって運営されていた。 吉川の父は仕事で外国人との折衝が多く、競馬の主催者とも付き合いがあった。家でもよく競馬の話をしたという。そんな父に連れられ、吉川は何度も根岸競馬場に足を運んだ。なお、根岸競馬場は戦時中に閉場し、現在はメーンスタンドだけが残っている。 7歳から9歳ぐらいのときまで、吉川の家は遊行坂にあった。その近くに人気騎手・神崎利木蔵の住まいがあったことも、競馬に惹きつけられる要因となった。『忘れ残りの記』にこうある。 成人したら騎手になりたいと空想したのも、この遊行坂時代だった。名ジョッキーとして人気の絶頂にあった神崎騎手の邸宅がすぐ近くにあった。袖垣にバラをからませた鉄柵の門から内を覗くと、中央に広い草花のガーデンが見え、両側が長い厩舎(きゅうしゃ)となっていて、奥に宏壮な洋館があった。東京の羽左衛門という千両役者であるとか、新橋の洗い髪のお妻とか、ぽん太とかいう名妓(めいぎ)であるとか、やれ大臣だとか何だとかいう種類の人々の俥(くるま)や馬車がよくそこの門に着いていた。 少年の目には、さぞ華やかな世界に映ったことだろう。神崎に関する回想はこうつづく。 そしてその花形の人、神崎の苦み走った容貌と外出の騎乗姿は、お伽(とぎ)話の中の騎士のようにぼくら子供の眼には映じて、ひどく印象的だった。 国民的大作家が、少年時代は騎手になることを夢見ていたのだ。体が小さく、長じてからも体重が40キロ台だったというから、無理な話ではない。きっかけをつくった「文壇の大御所」 さらに、たびたび行われた天覧競馬も、競馬の華やかさを吉川に印象づけた。 特に天覧競馬のレース当日などは、横浜中の祭典といってもよかった。市中もその話題で持ちきって、スペインの牛祭か何かのような騒ぎだった。(『忘れ残りの記』) 毎年のように根岸競馬場に行幸した明治天皇のオープン馬車を、吉川は、日の丸の小旗を手に迎えていたという。憧れのヒーローが活躍し、天皇陛下もご覧になる、華やかで、ハイカラなイベント―それが、少年時代の吉川にとっての競馬であった。 その後、さまざまな職業を経て作家として成功した吉川は、大人の遊びとして競馬を楽しむようになる。きっかけをつくったのは、「文壇の大御所」菊池寛だった。吉川英治 菊池に誘われ競馬場に通うになった吉川は、馬券を買って楽しむだけではなく、馬主として競走馬を所有するようになる。初めて馬を持ったのは、『宮本武蔵』の新聞連載が終了する1939(昭和14)年。47歳になった年だ。最初は菊池と共有し、そのうちひとりで持つようになった。馬主になったばかりのころ、所有馬はなかなかいい成績をおさめてくれなかった。トキノココロという馬が、1943(昭和18)年のダービーに出て果敢にハナを切ったが、24着に沈んだ。 所有馬が活躍したのは、戦後になってからだった。 1953(昭和28)年、所有する牝馬のチエリオが、スプリングステークス、中山四歳牝馬ステークスなどを勝ち、皐月賞に参戦した。牡馬勢が相手のここで1番人気に支持されたが、6着。オークスは1番人気で2着、連闘で臨んだダービーは4着と、クラシックには手が届かなかった。しかし、秋にはクイーンステークス、東京牝馬特別、古馬になってからは中山記念といった重賞を含む13勝を挙げるなど活躍。1954(昭和29)年、啓衆社主催の年間表彰制度で、初代の最良5歳以上牝馬に選出された。 このチエリオに強い愛着を抱いていた吉川は、繁殖牝馬として牧場に帰る「帰牧記念」として、自作の俳句を記した縮緬(ちりめん)の風呂敷を色違いで3種類つくり、友人たちに配ったという。人間ってのは勝手なもんだね そして、1955(昭和30)年、チエリオの全弟ケゴンが皐月賞を優勝する。吉川はついにクラシックホースのオーナーとなったのだ。 チエリオとケゴンを管理したのは、日本初の三冠馬セントライトの調教師でもあった田中和一郎だった。吉川は、東京競馬場に行くと、必ず田中和一郎厩舎に寄り、所有馬とふれ合ってからスタンドに向かった。自分の馬が走るときはそわそわと落ちつかず、スタントで自分や知人の馬を応援するときは、家族も驚くほどの大きな声を出したという。 馬主席には、吉川や菊池のほか、吉屋信子、舟橋聖一といった流行作家や、大映社長の永田雅一、高峰三枝子、霧立のぼるなど銀幕のスターもいた。競馬場が文壇サロンのように華やかだった時代だ。1954(昭和29)年5月、第21回東京優駿(日本ダービー)を12番人気で制したゴールデンウエーブ(左)。公営出身馬の優勝は初めてだった(JRA提供) 吉川の没後、原稿用紙に馬名を万年筆で並べて書いたものが見つかったという。そこからジンライ、リンドウといった名が実際につけられた。執筆の合間にぱっと思い浮かび、記したものだろうか。 馬券の楽しみ方に関して、吉川は『折々の記』所収「競馬」にこう書いている。 私は、以前の一レース二十円限度時代に、朝、右のズボンのかくしに、十レース分、二百円を入れてゆき、そのうち、一回でも、取った配当は、左のかくしに入れて帰った。 右のポケットに入れた元手は損得関係なしの「楽しみ料」で、左のポケットに入れた払戻金は「儲け」だと考えたのだ。 だから私は、どうです馬券は、と人にきかれると、負けたことはありません、と常に答えた。帰り途も、いつでも、朝の出がけの気もちのまま、愉快に帰るために考えついた一方法である。 このように、自分だけの遊び方ができることも、競馬の魅力として感じていたのかもしれない。 野球など、ほかのスポーツにはあまり関心を示さなかった吉川も、競馬だけは夢中になった。しかし、1956(昭和31)年のダービーに出走した愛馬エンメイがレース中に転倒して骨折、安楽死処分となってから、競馬場には行かなくなってしまう。「考えてみれば、人間ってのは勝手なもんだね。馬を走るだけの生き物に育てて、怪我したら殺しちゃうっていうのは、やっぱり悲しいね」 息子にそう漏らしたのも、馬への愛情が強かったからだろう。 昭和の初めに書いた『かんかん虫は唄う』に、少年時代に憧れた神崎利木蔵をモデルにした「島崎」を登場させるなど、小説でも競馬を描いている。 作家として、ファンとして、馬主として、さまざまな立ち位置から競馬を見つづけた吉川英治は、馬を、そして競馬を、深く愛していた。

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    「明日は大穴、疑いなし!」競馬に俗とロマンを求めた織田作之助

    岩佐善哉(酒詩歌研究家) あと2日、26日になると、小説『夫婦善哉(めおとぜんざい)』で知られる大阪出身の作家、織田作之助(1913~47年)が生まれてちょうど100年の日を迎える。作之助については、その妻、一枝さんが記していた昭和16年と18年の家計簿が大阪府立中之島図書館の織田文庫に収められており、調べたことがある。織田作之助 この家計簿を調べていくうちに、掛け買いしている書籍類の一覧のうち、16年10月に競馬雑誌が12冊記されていることに驚いた。さらに春と秋の競馬シーズンである4、10、11月の月末の空きスペースに、日付とプラスマイナスの記号付きの不思議な数字が列挙されていることに気づいた。もしや、阪神や京都の競馬場に出かけていた作之助の賭け馬の損得が記帳されているのではないかと閃(ひらめ)いた。 早速、その日付の曜日を調べたところ、当時競馬が開催されていた金曜、土曜、日曜であることが判明。10月という記載から、すぐさま京都競馬場でのビッグレース、菊花賞(当時の京都農林省賞典)のことを思い浮かべ、この年の開催日が26日であることが確認できた。しかもセントライトが菊花賞を制し最初の三冠馬となった日である。当日の作之助の馬券戦績はプラス11円50銭と記されている。 作之助を競馬に引き込んだのは在阪の先輩作家、藤沢桓夫(たけお)で、他に漫才作家の秋田実や長沖一(ながおきまこと)らが競馬仲間であった。新進作家の作之助にとって、文士サークルに加わり、競馬、将棋や麻雀などでも親交できることはうれしかったにちがいない。 藤沢は作之助の競馬に関して、人気馬で勝負、勝てば大はしゃぎしている姿が印象的で、手堅く勝つことを計算していたようだと記している(『大阪自叙伝』)。65円の給料プラス稿料が入って競馬資金に少々ゆとりがあったとはいえ、当時は規制によって単勝、複勝の20円馬券を一人1枚ずつしか買えなかったのだから、無謀な穴券には手が出せなかったであろう。病み付きになって予想まで書いたオダサク 一方で、競馬の穴馬に関しての逸話がある。作之助が東京へ赴き、府中の競馬場へ行こうとする前夜、友人がつまずきそうになったのを見て、作之助は「ええねんで! 明日は大穴、疑いなし! 馬の代わりにつまずいたんやから」とはしゃいでいたので(青山光二『青春の賭け』)、予想外の大穴を獲る欲望が強かったことが分かる。 競馬に病み付きとなり、研究熱心だった作之助は、ついには競馬の予想記事を当時記者をしていた夕刊大阪新聞に書いたこともあった。 京都の競馬場で藤沢から、馬主でもあった菊池寛に紹介されており、菊池の「堅き本命を取り、不確かなる本命を避け、たしかなる穴を取る」との競馬哲学を作之助は知っていたのではないか。リアリティーとロマンをいずれも追い求める競馬観は、作之助の文学にも通じるところがある。俗衆の脚下の生活を直視した小説を書きながら、さらに虚構性や偶然性を盛り込むことで大ロマン、人間の可能性を描きたいとの文学論を「可能性の文学」で展開している。 そして戦中の競馬経験を熟成させて、終戦の翌年に短編小説『競馬』を発表した。競馬への投資を無駄にしなかったあたり、さすがである。主人公は亡き妻、一枝(小説では一代)をしのび1の馬券をいちずに買い続けて、ついに最終レースで夢みた大穴を当て、妻の昔の男と抱き合って感涙する哀傷の物語である。(iStock) なお、学生時代にこの『競馬』を読んで競馬に興味を持ったのが、詩人の寺山修司である。彼は『さかさま文学史黒髪篇』で、「劇作を志し、競馬にあけくれていた青春時代、持病の悩み―。ただ一つちがっていたことは、織田が一枝という生涯に、たった一人だけ愛することのできた女をもっていたことである」と2人の愛に憧憬の念を表している。いわさ・よしや 会社顧問、オダサク倶楽部メンバー、酒詩歌研究家。昭和13年、三重県鈴鹿市生まれ。大阪外国語大学卒業。広告代理店などへの勤務を経て現職。著書に『第三欲望市場の発見』(ダイヤモンド社)、『酒読み』『東京府のマボロシ』(ともに共著、社会評論社)など。

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    『少年ジャンプ』伝説編集長が語る「漫画雑誌は一度壊して作り直せ」

    篠田博之(月刊『創』編集長) 月刊『創』5・6月号マンガ特集を編集するにあたって、昨年、今年と白泉社の鳥嶋和彦社長を訪ねて話を聞いた。鳥嶋さんは2015年8月に同社社長に就任するまでは集英社に籍を置き、以前は『週刊少年ジャンプ』の名物編集長だった。白泉社は集英社の関連会社だ。 この春、白泉社発行の青年誌『ヤングアニマル』の連載『3月のライオン』が映画化されるなど、同社にとって大きな動きが起きているのだが、そうした話題にとどまらず、鳥嶋さんに聞いてみたいと思ったのは、いまマンガが多様化しているなかで、マンガの黄金時代と言われた20~30年前と今を比べてマンガの持つエネルギーがどう変わっているのかということだ。白泉社の鳥嶋和彦社長。『週刊少年ジャンプ』の名物編集長だった(古厩正樹撮影) その話に入る前に、まず白泉社の現状について聞いた。 「僕は社長になる時に目標を二つ言ったのです。営業利益を黒字化させることと、コミックス初版100万を達成すること。前者は昨年達成できたので、もう一つは、『3月のライオン』最新刊が特装版と合わせて80万だからもう一歩、年内に何とかしたい。でも今、マンガの初版100万は簡単じゃない。僕が編集現場にいたころの100万と今の100万は重さが違いますね」  鳥嶋さんは集英社にいた時代、編集現場を離れてからはデジタルやライツをめぐるビジネスに尽力していた。これからはマンガをめぐるビジネスを考える場合、デジタルとライツビジネスをきちっと回していかないといけない、というのが鳥嶋さんの持論だ。マンガ界はこの1年間で、ますます紙の雑誌が落込み、デジタルが伸びつつあるのだが、今の業界の方向性に必ずしも鳥嶋さんは同意しているわけではないらしい。かつてのマンガにはエネルギーがあった 「この機会にマンガ雑誌のあり方をもう一遍再定義してどうするかを考えなきゃいけないと思います。それがやっぱりどの出版社も出来ていない。マンガの作り方も、特に週刊誌がそうですけど、一話一話読ませる、ひいてはその雑誌を買わせる、という作り方がどこまで出来ているか。僕は今、ちばてつやさんやあだち充さんのかつての作品を読み返しているのですが、あの時代はマンガにエネルギーがありましたよね。確かに今は少子化とかデジタルどうのこうのという厳しい環境はあるのですが、でもそれは外部的要因に過ぎないのじゃないか。マンガが力を持っていた頃は雑誌の連載自体にライブ感、読者の反響があって作家がそれに引っ張られて描くといういい意味での双方向性があったと思います」 鳥嶋さんが「あの時代」というのは1980年代だろう。『週刊少年ジャンプ』は90年代前半がピークで、最高部数650万部超を記録した。当時の毎日新聞400万部をはるかに上回る部数だ。それが1995年、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』という三大人気連載が終了したのを機に一気に部数を減らしていった。その後、紙のマンガ市場は一貫して縮小を続けている。『週刊少年ジャンプ』はその中では健闘しているとされるが、部数は今や200万部を切ってしまっている。部数の減少が続くマンガ雑誌  確かに『ONE PIECE』などのように驚異的な人気を誇る作品はあるのだが、そうした一部の作品を除くと、ちばてつやさんやあだち充さんのピーク時のような勢いやエネルギーが失われているのではないか、というのだ。そのあたりについては異論もあるだろう。時代が変わったのだからそんなことを言っても無意味だという意見もあるかもしれない。ただ、マンガの黄金時代に現場でマンガの編集をやっていた鳥嶋さんの言葉だけに、その指摘は考えてみる価値がありそうな気もする。ただ、もちろん鳥嶋さんはこう付け加えるのも忘れなかった。 「言葉で言うのは簡単ですけどね。本当はもう一回その雑誌が必要なのかどうか問いかけて作り直す作業をやらなきゃいけないんじゃないか。今この厳しい時代に、そんなふうに壊しながら作り直すというのは相当難しいとは思いますけれどね」

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    人気連載が続々終了の『少年ジャンプ』はヒット作を育てられるか

     大手出版社の屋台骨を支えていると言われるマンガだが、名実ともにマンガ界のトップを走る『週刊少年ジャンプ』がこの1~2年、直面した危機と、それを集英社がどう乗り切ろうとしているか報告しよう。名実ともにマンガ界のトップを走る集英社の『週刊少年ジャンプ』 同誌が直面した危機とは、この1~2年、人気連載が次々と終了していったことだ。人気連載終了はもちろん本誌の部数にも影響し、『週刊少年ジャンプ』の部数は1年前の250万部から200万部に落ち込んだと言われる。しかし、それ以上に深刻なのは、連載終了した作品をまとめた単行本、いわゆるコミックスの新刊が出なくなることだ。初版360万部を誇る『ONE PIECE』のコミックスが年に何巻出るかで集英社の決算の数字が変わるというほど、大型作品の経営寄与率は高いのだが、『ONE PIECE』は安泰だといえ、それに続く初版数十万部の作品の連載が、この間、次々と終了した。 この1年間だけでも『暗殺教室』『BLEACH』『こちら葛飾区亀有前公園派出所』『トリコ』の4本、その前年には『NARUTO-ナルト-』『黒子のバスケ』が終了している。 つまり集英社の屋台骨を支えてきた人気作品のかなりのものがこの2年間でごっそりなくなってしまったのだ。集英社の次の決算が大きな打撃を受けていることは間違いないといえる。 ジャンプブランドを始め集英社のマンガ部門全体を統括している鈴木晴彦常務が、月刊『創』のマンガ特集の取材に対してこう語っていた。 「正直、かなりこたえました」 実は『週刊少年ジャンプ』は1995年に600万部超という驚異的な部数を誇っていたのだが、『ドラゴンボール』や『スラムダンク』『幽遊白書』という人気連載が次々と終了したのを機に部数が一気に落ち込んだ。それ以来、一貫して部数減が続いているのだが、この1~2年の人気連載終了は、その20余年前の悪夢を思い起こさせたというわけだ。 「ただ、もっとずるずると落ち続けるのではないかという不安もあったのですが、実際はそうでもなかった。あれだけ人気の連載が終了した割にはよく持ちこたえたと思います。よくふんばったなというのが率直な感想です」(鈴木常務) 一時期、集英社のマンガ部門関係者の顔は一様に暗かったといわれるが、この春、少し明るさが出てきたのは、危機を打開するための施策が少しずつ動き出し、明るい見通しが出てきたからだ。 「今年は『週刊少年ジャンプ』も新しい作品を育てないといけないし、正念場の年になると思います。『ジャンプスクエア』や、春に刊行予定の増刊『ジャンプGIGA』、それにマンガ誌アプリの『少年ジャンプ+』などを、どう連動させてコンテンツを作っていくか。新陳代謝が進むと思います」(同)  不動の地位を誇る『ONE PIECE』に続く作品といえば、不定期掲載の『HUNTER×HUNTER』を除けば、現在2位につけているのが『ハイキュー!! 』だ。そしてこの1年、急速に人気を伸ばしたのが『僕のヒーローアカデミア』だ。2016年春から始まったアニメ化で弾みがつき、2017年も4月からアニメの第2シリーズが放送されている。「『僕のヒーローアカデミア』のアニメは半年間放送予定で、おそらくコミックスが初版100万部を突破するでしょう。先ごろ発表された読売新聞社などが主催の「SUGOI JAPAN AWARD 2017」でも『僕のヒーローアカデミア』が、マンガ部門の1位に選ばれました」(同)期待は異例のゴルフマンガ 同じく4月からアニメが放送された作品としては『BORUTO―ボルト―NARUTO NEXT GENERATIONS』が挙げられる。『NARUTO』の主人公の子どもを描いた作品で、『週刊少年ジャンプ』に月1のペースで連載されている。 そのほか今人気上昇中なのが『ブラッククローバー』『約束のネバーランド』と『鬼滅の刃』。鈴木常務は、2017年中にその3作品を50万部タイトルにしたいという。 それ以外に期待がもたれているのは、『黒子のバスケ』を描いていた藤巻忠俊氏の新連載『ROBOT×LASERBEAM』だ。少年誌には異例のゴルフマンガだが、作品の評価が高く、連載第1回は『週刊少年ジャンプ』の表紙を飾っている。 「今年に入って次々と新連載を立ち上げ、“春の6連弾”と呼んでいるのですが、その6本目がこの作品です。3月に『黒子のバスケ』が映画化されることなどいろいろなタイミングも考えました。 考えてみれば、『週刊少年ジャンプ』はアンケート主義による競争原理を取り入れたり新人発掘のためにいろいろな試みをしてきたのですが、このところ『ハイキュー!!』にしろ『僕のヒーローアカデミア』にしろ、その作家にとって2本目3本目の作品で大ヒットするケースが目立つ。藤巻さんもデビュー作の『黒子のバスケ』が大ヒットしたわけですが、今回の2作目も期待できる。1作目を終えた作家が次をめざしてコンペを行い、2作目3作目でさらにヒットを出すという成長スタイルはこれから増えていくような気がします」(同) 『週刊少年ジャンプ』の今後を支える作品をどう作っていくかという課題をめぐっても今後いろいろな施策を考えているという。そのひとつが春に4カ月続けて発行される増刊『ジャンプGIGA』だ。 「4回の連載で手応えを見ようということで4回分を仕込んでもらっています。昔は『少年ジャンプ』の連載会議で掲載作品を全て決めるという1回勝負だったのですが、今は新人の発表の場として増刊を生かしていこうということです。 また『ジャンプスクエア』からも『プラチナエンド』『憂国のモリアーティ』など好調タイトルが出ています。デジタルの『ジャンプ+』からも、コミックスにして10万部を超える作品が次々と出始めています。それら4つの媒体から新しいコンテンツをどうやって生み出していくか、というのを今後は意識的に取り組んでいこうと思っています」(同)2018年に創刊50周年を迎える集英社の『週刊少年ジャンプ』(中央)  集英社では、2017年は『ONE PIECE』20周年、『ジョジョ』30周年であるほか、来年が『週刊少年ジャンプ』50周年に当たるため、7月から「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展」など、周年企画が始まるという。 ちなみに2017年はライバルの講談社の『週刊少年マガジン』でも、『別冊少年マガジン』連載の『進撃の巨人』がアニメ第2期の放送や舞台化などで大きな期待を持たれているが、それに続く新作の大ヒットをどうやって生み出すかが大きな課題になっている。 また小学館の『週刊少年サンデー』も、一昨年、編集長交代に伴って連載の6割を入れ替えるという大手術を行い、ようやくその後の新連載からヒットの芽が見え始めているとはいえ、『名探偵コナン』に続く作品が出ていない現状は深刻だ。少年マンガ誌3誌とも、2017年は正念場の年といえよう。

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    「少年ジャンプ200万部割れ」を深刻に語るオトナたちへの違和感

    それ以前にまず習慣としてマンガに接する機会自体が少なくなってきているようでもあります。マンガを教養や文化として受け取らなくなった 身の丈の見聞に限ってみても、親がマンガを読み、お気に入りのマンガ本をそろえているような環境に育った青年ならば、早くからマンガを読むようになります。それも親から勧められた昔の作品なども糸口にしながら、マンガリテラシーを実装している印象があります。しかも、彼らは「読む」だけではなく、自分自身で「描く」ことにも抵抗がない。マンガのようなビジュアル表現を実際に描く技術の進展と広がりが、紙媒体のマンガが売れなくなっていったこの20年ほどの間に、それまでと違う能力を若い世代の間にも与えてきたようです。この辺りは商品音楽の聴き方、受容の仕方などとも共通している面があり、同時代的(シンクロ)現象とも言えるでしょう。 ただ、そんな今どきの青年は、マンガ「だけ」をひたすらに読んでいるわけではありません。生まれたときからアニメがあり、ゲームもある彼らにとっては、それら新たに出現したメディアを含む情報環境に育って社会化してきたわけで、マンガもまた情報環境における多様化したメディアコンテンツの一つに過ぎません。あくまで「マンガ『も』読める」というように、機会があれば読むけれど、だからといってマンガを特別なモノとして読むわけではないのです。 そしてなによりマンガをかつてのような「教養」や、活字を自明の前提に成り立っていたような「文化」として受け取る素地自体、既に希薄になっています。近年「マンガはもうダメかもしれん」論を深刻に語る人たちの口ぶりには、この「かつて切実な表現としてマンガを読んできた」世代感覚ならではの、どこか教養や文化として活字の「補助線」を自明の前提にしながら解釈しようとしてきた、その「習い性」ゆえの現状に対する根深い違和感がどこか必ず含まれているような印象があります。 かつてマンガを青年に、さらにオトナになっても読むような習慣を身につけ始めた世代が育った情報環境は、活字が良くも悪くも大衆娯楽の中心に成り立っていました。この当時、「マス」を対象とするラジオに代わる新しいメディアとして、テレビの存在感がひと際増しつつありましたが、それでも情報環境における第一次的なメディアは良くも悪くもやはり活字であるという現実が、それを支える価値観や約束事とともに厳然として生きている環境でした。だから、それら活字を「読む」ことこそが、彼らにとっての「読む」という作法の根幹を形成してきたところがあります。 「視聴覚教育」などと言われ、大衆社会化とともに活字以外の媒体がその社会的意味を意識されるようになっていったのもおおむねそのころでした。いわゆる映像、画像的な「ビジュアル」情報についての意味が、それまで標準設定とされてきた活字との関係で改めて問い直されるようになったのも、思えばその時代からだったわけです。マンガを「読む」こともまた、それが「読む」という動詞とともに人々に意識されるようになっていったことに象徴されているように、やはり活字の「読む」を前提に身につき、かつ社会的に浸透していったと考えていいでしょう。新たな環境から続々生まれてくるマンガ作品 けれども、そのような活字前提の「読む」習い性自体が昨今、決して当たり前のものではなくなっています。マンガに限ってみても、自分で描いた作品が同人誌も含めた紙媒体ではなく、ウェブ経由の発表手段が一般化していく中で、ウェブから読者を獲得することはごく当たり前になっています。また、そこから紙媒体に「進出」していくことも珍しくありません。 先日、第21回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した『夜廻り猫』(作・深谷かおる)や、ウェブ経由で読者を獲得し自費出版までこぎつけた『巻きシッポ帝国』(作・熊谷杯人)など、すでにプロの描き手として実績ある作家も、同人作家や駆け出しのアマチュア作家などと「同じ土俵」で作品を発表して広く世間に問うことができる。そういう「開かれた」環境が準備されるようになってきていることの恩恵は大きいわけですが、同時にまた、それら新たな環境経由で生まれてくるマンガ作品には、これまでのマンガを「読む」作法からはなじみにくい、活字前提の「読む」とは別のところで成り立っている作品も徐々に増えています。 思えばマンガを取り巻く商品や市場環境自体、メディアミックスありきになって既に久しいです。アニメ、ゲーム、映画のみならず、いまやソーシャルゲームやプラモデル、トレーディングカードといったキャラクター商品群も加わり、広がりを見せています。 そんな中で育った今どきの青年は、活字中心に育った私たちの世代とは異なる「読む」作法をマンガに求めているのかもしれません。彼らは読み手としてだけではなく、消費者の立場からマンガの本質を理解しているはずです。彼らにとってのマンガの「教養」というのもまた、私たちの世代が蓄えてきた教養や文化とは別に、既に蓄積され始めているのかもしれない。私はそう感じています。

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    『少年ジャンプ』200万部割れの深層

    『週刊少年ジャンプ』の発行部数が200万部を割り込んだ。ジャンプはピーク時653万部に達し、マンガ雑誌の象徴といえるだけに衝撃が広がった。人気連載の相次ぐ終了に起因するとの見方が支配的だが、部数減の裏でマンガ全体の市場規模は昨年増加に転じた。いまマンガに何が起こっているのか。

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    デジタルファーストが功を奏す? 絶好調『ヤンマガ』攻めの戦略

     青年マンガ誌のトップを走るのが集英社の『週刊ヤングジャンプ』で、人気連載『東京喰種 トーキョーグール:re』の実写映画がこの7月、公開される。ヒロイン役の女優・清水富美加さんの突然の引退騒動で関係者はハラハラしたようだが、公開は予定通り。集英社としても、この映画化を機にコミックスの部数をおおいに伸ばしたいと期待しているようだ。青年マンガ誌のトップを走る集英社の『週刊ヤングジャンプ』と、ヤンジャンに次ぐ講談社の『週刊ヤングマガジン』 ただこの1~2年、青年誌で注目されているのは、『ヤンジャン』に次ぐ講談社の『ヤンマガ』こと『週刊ヤングマガジン』だ。一時期低迷していたのだが、このところ映像化やデジタルなど攻めの施策が奏功して次々と話題を提供しているのだ。 転機となったのは2015年に『監獄学園〈プリズンスクール〉』がアニメ化を機にコミックス全20巻で累計370万部という大増刷を成し遂げたことだ。また『新宿スワン』も2017年に映画のパート2が公開された。既に連載が終了しているためコミックスは大きくは売り伸ばしていないが、デジタルがよく売れているという。 「守りに入らず新しいことをやっていこうという姿勢が功を奏しているのでしょうね」 そう語るのは講談社の嘉悦正明・第四事業局長だ。攻めの姿勢とは映像化だけでなく、別冊やウェブサイトなどを次々と立ち上げて作品の掲載媒体を拡大させていることも含まれる。 『ヤングマガジン』編集部では『月刊ヤングマガジン』に続く別冊として2014年に『ヤングマガジンサード』を創刊。『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』などのヒットが出ている。また『月刊ヤングマガジン』連載の『中間管理録トネガワ』もコミックスがよく売れている。 さらに最近注目されているのは、『eヤングマガジン』という無料のアプリに連載された作品から2016年、『食糧人類―Starving Anonymous―』『生贄投票』などコミックスのヒットが生まれていることだ。デジタルファーストのマンガが紙のコミックスでも売れたという事例だ。 第三・第四事業販売部の高島祐一郎販売部長が語る。 「『食糧人類』はコミックスの第1巻が初版1万5000部からスタートして累計22万5000部までいっています。これはなかなかないケースですね。第2巻は初版20万部ですが、デジタルを合わせると1・2巻累計で100万部くらい出ているのではないでしょうか。『生贄投票』もコミックス第1巻は初版2万部でしたが、デジタルで火がついて以降、紙のコミックスも第1巻が10万部を超えました」 増刊やデジタルを含め、作品のテイストにあわせたいろいろな媒体に連載を行い、それを紙のコミックスに落としこんでいくという戦略が奏功しているようだ。  別冊を次々と創刊し、さらにウェブサイトでも連載を立ち上げ、基幹雑誌の周辺にいろいろな作品発掘の機会を拡大していこうというのは、講談社のマンガ部門全体の基本方針だ。例えば『進撃の巨人』は『週刊少年マガジン』でなく、『別冊少年マガジン』の連載作品だ。本誌とちょっとテイストの異なるエッジの効いた作品を別冊で、という方針は、マンガそのものの多様化が進む中で、今のところ成功しているようだ。 前述した『ヤンマガ』の『食糧人類』や『生贄投票』もかなり異色の作品なのだが、そういうものがデジタルなどで人気を博し、コミックスで売り上げを伸ばすという状況に至っているのだ。そもそも『監獄学園〈プリズンスクール〉』にしても王道系とは異なるマンガで、深夜アニメで火が付いた。マンガやアニメの嗜好が多様化し細分化しているなかで、いろいろな作品をどう発掘してビジネスとして成立させていくか。いまマンガをめぐるビジネスはそういう時代に至っているといえる。

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    『逃げ恥』『東京タラレバ娘』変貌する女性マンガ

     今年も女性マンガを原作とする映画やドラマが次々と公開されている。さすがに似たような映画が続いてあきられもしているようなのだが、原作がある程度売れていると宣伝もしやすいし、何よりも低予算で作れるとあって、次から次へと量産されているのだ。 そうしたもののヒットの手本とされているのが、昨年秋にドラマが大ヒットした『逃げるは恥だが役に立つ』と、今年に入って放送されヒットした『東京タラレバ娘』だ。どちらも講談社の女性マンガ誌『Kiss』の連載だ。『Kiss』『BE・LOVE』 は、講談社の同じひとつの編集部なのだが、そこから生まれたコミックスが映像化で絶好調なのだ。4月からは『BE・LOVE』連載『人は見た目が100%』もドラマ化されたし。2016年は春に同誌連載の『ちはやふる』が映画化されてヒットした。人気漫画「東京タラレバ娘」 講談社第三・第四事業販売部の高島祐一郎販売部長がこう語る。 「女性もののコミックスは前年比で120%くらい行ったのではないでしょうか。昨年春に映画化された『ちはやふる』はトータルで150万部くらい重版がかかりましたし、秋にドラマがヒットした『逃げるは恥だが役にたつ』は120万部くらいの重版になりました。『逃げ恥』はもともとの部数がそう大きくなかったこともあり、ドラマスタートの前段階では各巻3万部くらい増刷をかけていましたが、放映開始以降はかけてもかけても足りなくなる。2週間に1回くらいのペースで増刷をしていました。『東京タラレバ娘』はもともと1巻から30万部を超えるベストセラー作品だったこともあり、ドラマ開始にあわせて各巻10万部増刷をかけました。最新刊の第6巻も初版30万部でスタートし、37万部を超えています」 講談社の少女マンガ誌『別冊フレンド』もこの1年ほど映像化でコミックスが売れている。2016年は『黒崎くんの言いなりになんてならない』が映像化で大きく売り伸ばしたが、今年も『PとJK』が3月から映画公開中で、全9巻それぞれ4万部くらいずつ増刷がかかっているという。 映像化で女性マンガが売れているのは小学館も同じだ。この1年の映像化についていうと、『プチコミック』の連載『はぴまり~Happy Marriage!?~』と『せいせいするほど愛してる』の2本が2016年ドラマ化。2017年に入ってからはフジテレビの月9で『突然ですが、明日結婚します』がドラマ化された。春からはもう1本、『恋がヘタでも生きてます』がドラマ化。また『Sho‐Comi』の『兄に愛されすぎて困ってます』(通称『兄こま』)が映画化される。 小学館第一コミック局の細川祐司チーフプロデューサーがこう語る。  「やはりドラマ化された作品は紙でもデジタルでも売れています。『突然ですが、明日結婚します』は視聴率とかいろいろ騒がれましたが、原作は増刷がかかっています。元々『プチコミック』の中でも人気作でした。『プチコミ』の作品はデジタルとの親和性が高いのが特徴ですが、ドラマの1話が終わった後にデジタルの売れ行きが跳ね上がる。反応は紙よりも分かりやすく出るかもしれません。昨年の『はぴまり』はAmazon プライム・ビデオでのドラマ化、『せいせいするほど』はTBSでした。『はぴまり』は、元々超ビックタイトルだったし、連載が終わっている作品でもあるので、映像化でものすごく増えたというのでなく、堅実に部数が乗ったという感じですね」ドラマや映画と親和性が高い女性マンガ 女性マンガとデジタルは親和性が高いと言われるが、小学館では以前から「エロかわ」と呼ばれる路線をとってきたサイト「モバフラ」のほかに、「&フラワー」というサイトがスタートする。 「今後は紙とデジタル両方に描く人もいれば、例えばデジタルに合っている作品といったケースも考えられます。去年『深夜のダメ恋図鑑』という『プチコミック』の作品が、デジタルのほうで火がついて紙に跳ね返ってきて、というケースもありました。単純に紙のマンガをデジタルに、というだけじゃない展開を今後考えていかなければならないと思っています」(細川チーフプロデューサー) 集英社の少女・女性マンガの映像化については、2016年は『YOU』連載の『高台家の人々』と『別冊マーガレット』連載の『青空エール』が実写映画として公開された。それぞれ原作者は森本梢子さんと河原和音さんだが、集英社の女性マンガの代表的なヒットメーカーだ。 2017年に入ってからは3月24日に『マーガレット』に連載されたやまもり三香さんの『ひるなかの流星』原作の実写映画が公開され、ヒットした。既に連載は終了しているが、13巻刊行されているコミックスを集英社では計50万部以上の重版をかけた。また児童小説「みらい文庫」やライト文芸「オレンジ文庫」からノベライズ単行本を刊行するなど、大きな取り組みを行っている。 また『ココハナ』で森本さんが連載している『アシガール』も人気が高く、映像化が期待されている。『別冊マーガレット』連載の『君に届け』など、コミックスの巻数を重ねても初版60万部を誇るヒット作品もある。 「女性マンガ誌は雑誌の部数は厳しいですが、デジタルが伸びており、紙の雑誌を補完しています。映像化については公開のタイミングもあるし、原作のコミックスに大きく跳ね返るケースもあればそうでないものもあります」 そう語るのは集英社の鈴木晴彦常務だ。  女性マンガ誌は部数も小さく、雑誌はもちろん赤字なのだが、この間、テレビドラマや映画化でコミックスが売れるというパターンが続いている。そうした映画やドラマを観て、原作を読もうという人が1巻からデジタルで読むというので、デジタルコミックの伸びも大きい。なかには紙のコミックスよりデジタルの売上の方が大きいという作品もある。「逃げるは恥だが役に立つ」の完成披露試写会に出席した(左から)大谷亮平、星野源、新垣結衣、石田ゆり子 少女・女性マンガのビジネスモデルは明らかに変わってきた。男性向けマンガももちろん映像化で伸びるというパターンはあるのだが、女性マンガは映像化との関係抜きには市場が成立しないほどドラマ・映画との親和性が高い。さすがに少女マンガ原作の映画は飽和になりつつあるのではとも言われるが、今年も次々と予告編が映画館で紹介されており、この傾向はしばらく続きそうだ。

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    『君の名は。』大ヒット後も続く劇場アニメの世界的ブーム

     2016年は劇場アニメ映画のヒットが目立った年だった。何と言ってもすごかったのが『君の名は。』で、興行収入が2017年3月21日現在で247億円。『千と千尋の神隠し』の308億円に次いで日本映画史上歴代2位の記録を打ち立てた。しかも、公開から半年たった今でも公開されており週ごとの興収ベスト10に入ったりしている。驚異的な実績なのだ。Ⓒ2016「君の名は。」製作委員会 その後、公開されたマンガ原作の劇場アニメ『聲の形』もヒット、さらにこれもマンガ原作の『この世界の片隅に』も異例の大ヒットとなっている。『この世界の片隅に』は、これまで子どもが対象とされたアニメには難しいとされた戦争をテーマにしたもので、それがこれほどヒットしたのは、アニメをめぐるこれまでの常識を塗り替えたとも言われている。 その後、2017年に入ってからも、『ドラえもん』『名探偵コナン』などの劇場アニメが大ヒットしているだけでなく、『モアナと伝説の海』『SING/シング』などのディズニーアニメも予想を超えるヒット。これは世界的な傾向なのだという。 いったいアニメをめぐって、いまどんな事態が起きているのか。 まずは『君の名は。』を製作した東宝の市川南取締役に話を聞くことにした。新海誠監督は根強いファンも抱えていたから、『君の名は。』はもちろん東宝としても期待していた作品だが、そうはいってもこれだけの大ヒットは予想していなかったという。  「私たちは興収目標を20億と立てていました。20億でもりっぱなヒットですよ。でも実際は最終的に250億まで行きそうです。今となっては後付けでここが良かったといった感想を多くの人が語っていますが、昨年は公開時期についても私たちはもう少し弱気で、アニメ映画の競争が激しい夏休みを避けて6月か9月にしてはどうかといった協議をしていました」 「実際には結局、8月末公開にしたのですが、最初は20代前後の、アニメを日常的に見ている人が足を運んでくれて、それがティーンエージャーに広がり、その後、キッズからシニアまで全世代に広がりました。宮崎アニメやディズニーアニメなどと同じ客層の広がりですね」活況の劇場アニメ 新海監督と東宝の関わりは前作の『言の葉の庭』からだが、『君の名は。』は公開も300館で、前作に比べると東宝としても大きな取り組みをしたといえる。 「前作の『言の葉の庭』は公開館数も少なく、興収1億5000万でしたが、東宝の映画企画部の川村元気プロデューサーが企画を進めていき、『次はもうちょっと大きくやりましょう。10倍は行かせないと』 『じゃあ、15億を目指そうか』と話していたんです。それまで関わっていた映像事業部だけでなく、公開規模の大きい作品を手掛ける映画営業部が配給を担当しました」(市川取締役) 前作の10倍という、当時としては大きな目標を掲げたものの、実際にはさらにその10倍以上の興収になったわけだ。その背景には劇場アニメをめぐる環境の変化があった。 「アニメ映画の客層が広がったというのは昨年指摘されましたが、実は以前からそうだったのが顕在化したということかもしれません。考えてみればジブリアニメは全世代が永年観てきた訳ですから、今のシニア層はアニメと実写を区別なく楽しむ時代になっているわけなんですね」(同) 劇場アニメが活況を呈しているというのは、そのほか『ドラえもん』や『名探偵コナン』が興収記録を塗り替えていることでもわかる。 「自分が子どもの頃に観たものに親になってもう一回、子どもを連れて行っている、二世代目に入っている、ということでしょうね。それと『名探偵コナン』などは中高生で来ていた人が大人になっても卒業せずに、ずっと観に来てくださっている。そういう現象が起きているんです。そういうファミリー向けのアニメだけでなく、アニプレックス配給の『ソードアート・オンライン』なども2月に公開して興収20億を超えるヒットです。もうマニア向けアニメとは言えないでしょうね。洋画のアニメについても、3月公開の『モアナと伝説の海』『SING/シング』も大ヒットしています。『アナと雪の女王』をピークに、子ども向けというよりデートで行く映画になっています。アニメを見る層がそれだけ拡大しつつあるというのは世界的傾向のようですね」(同) アニメにとって追い風なのは、日本のアニメが海外でも定評があり、大きなビジネスになりつつあることだ。『君の名は。』も海外展開が成功したという。「海外でも126カ国に配給しました。公開した日本を含むアジアの6カ国でそれぞれ興収1位を記録しています。中国、韓国、台湾などですね」(同) 昨年異例の大ヒットとなったもうひとつの劇場アニメが『この世界の片隅に』だ。『君の名は。』の興収には及ばないが、もともと3億を目標としていたら10億を超えるヒットとなった。アニメで戦争をテーマに掲げるという、それまではヒットするとは思われていなかった常識を覆したという点で特筆すべきケースといえる。Ⓒこうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 真木太郎プロデューサーの話を紹介しよう。 「映画は昨年9月に完成して11月公開でしたが、テアトル新宿は連日立ち見で『入れない』と評判になりました。SNSでのつぶやきが爆発的になって、どんどん口コミが広まっていく。今年1月7日時点で公開は200館近くになっており、300館を超える勢いでした」ゴールデンタイムから撤収したアニメ 「コアなアニメファンというのは、実はあまり来ていないですね。お客さんは幅広い層がまんべんなく来ていますが、中心は30代、40代、50代じゃないでしょうか。60代のシニアも10%弱います」「僕たちのもともとの目標は興収3億円だったんです。『10億行ったら奇跡だね』『目指せ、奇跡の10億』なんて言っていました。でも実際には既に10億を超えています」 大人がアニメを観に映画館へ大勢足を運ぶという光景は、従来は考えられなかった。その意味では『この世界の片隅に』がアニメ映画の歴史にもたらした影響は極めて大きいといえよう。劇場アニメの客層が急激に拡大しつつあるという一方で、テレビアニメをめぐってはやや複雑な状況が起きている。 この何年か、キッズ向けのアニメは、フジテレビの『ONE PIECE』や日本テレビの『アンパンマン』など、ゴールデンタイムや夕方枠から次々と撤収し、午前の時間帯へ移っていった。   そうした流れを象徴する出来事が最近話題になった。毎日放送/TBS系が日曜午後5時に設けていたアニメ枠、いわゆる「日5(ニチゴ)」が廃止になったのだ。この枠は全国放送でクオリティも高く、アニメファンからは高い評価を得ていた。これまで放送された番組も『マギ』『ハイキュー!』『七つの大罪』『アルスラーン戦記』『僕のヒーローアカデミア』など強力なラインナップで、「日5」でアニメ化されるとヒットすると言われてきた。  そのアニメファンに定評のあった枠が突然廃止された。そして2016年4月からその「日5」で放送されていた『僕のヒーローアカデミア』の第2期が何と、読売テレビ/日本テレビ系の土曜夕方にこの4月から放送されている。アニメの1期と2期が異なる局から放送されるという、これは極めて異例の事態だった。 フジテレビとテレビ東京のアニメに顕著なのだが、実はテレビアニメも映画を含めた他のメディアとの連動を仕掛けたりと、戦略的な展開をしないといけない時代になりつつある。いずれにせよ、アニメをめぐる環境がいま、大きく変わりつつあるのは確かなようだ。