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    再開しても明けないJリーグの「長い夜」

    サッカーJ1が約4カ月ぶりに再開の日を迎えた。今回の新型コロナ禍は選手やリーグをはじめ、サッカーに関わるあらゆる人たちにさまざまな変化を突き付けた。クラブにも今後苦難が待ち受けるかもしれないが、「生死より重要」とばかりにチームを愛する人たちがともに歩んでくれる、それがサッカーというものだ。

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    Jリーグの受難を乗り越える「生死より重要」という情熱

    長年待ち望んだ歴史的な優勝である。 その優勝を勝ち取ったスタジアムに、観客の姿はなかった。もちろん、新型コロナウイルスの感染予防のためである。優勝から長年遠ざかったゆえに、世代を超えて待ち望んだ栄冠の瞬間をサポーターたちは自宅で家族と喜びを分かち合ったことだろう。ただ、もちろんそれだけで済むはずもなかった。 優勝後、サポーターは試合後に続々とスタジアムに集まり、喜びを爆発させた。そこではソーシャルディスタンスは皆無だ。飲んで騒いで旗を振り、ご法度である大声でのサポーターソングも歌われた。さらには、発煙筒や花火さえも飛び交っていたようだ。 7月を迎え、全世界でプロサッカーが再開しつつある。欧州では、ほとんどのリーグが6月には再開されている。もっともベラルーシのように、欧州にも新型コロナが世界中で拡大する中でリーグを継続していた国はあった。これは例外としても、一時期は新型コロナの最大の被害を受けていた欧州ゆえ、各国でのリーグ再開は非常に早く感じる。 もちろん、ただでさえ莫大(ばくだい)な報酬で選手をかき集めているのだ。ビッグビジネスゆえ、経営上の意向もあったはずだ。だがそれよりも、サポーターの世論があったからこそ、これほど早く再開ができたのであろう。 「サッカーは生死に関わる問題ではない。それよりも重要なものだ」。この言葉は1960~70年代にリバプールを率いて数々のタイトルを獲得し、黄金時代を築いた名将、ビル・シャンクリーの言葉だ。 リバプールの本拠地であるアンフィールドの前には、シャンクリーの銅像がある。新型コロナウイルスの感染の危険を顧みずに集まって歌い踊るサポーターの姿を、シャンクリーは草葉の陰でどんな思いで眺めていただろうか。 日本でも、いよいよ本日7月4日からJ1が再開される。熱狂度では欧州に及ばないが、それでもサッカーは国内屈指の人気スポーツだ。一足早くJ2、J3が行われたとはいえ、全国各地のJリーグサポーターたちは首を長くして、週末の試合を待ちかねていたことだろう。ただし新型コロナウイルス対策により、やはり最初は無観客試合で行われる。 ネーミングセンスでは定評があるJリーグは無観客試合を「リモートマッチ」、略称を「リモマ」と名付けた。観客を入れた試合は7月10日から行われるが、密集した状況を避けるため人数は5千人以下、もしくは会場収容数50%以内という条件付きでのチケットの販売となる。なお7月中は、ビジター席は販売されないことになっている。レプリカのトロフィーを前に大喜びのリバプールサポーター=2020年6月、リバプール(AP=共同) 「チケットはしばらく争奪戦になるでしょうね」と古参のJリーグサポーターは言う。「試合に入れたとしても応援はできないし、アウェーの試合はチケットはあってもホーム側だけです。まだいつもの通りとは言えないですね」と嘆く。 彼はいわゆる「コア」サポーターの一人だ。普段は太鼓で応援をリードし、メガホンや脚立、横断幕や大旗を持ち込んだりとフル装備で試合に挑むのだが、今回は手ぶらでスタジアムに行くことになりそうだ。「ラクといえばラクなんですけども」と、複雑な表情を浮かべていた。無観客試合の「思い出」 Jリーグからは「サポーターはスタジアムの周辺に集まらないように」とも呼びかけられている。欧州では無観客試合にもかかわらず、サポーターがスタジアムの外に集まって応援するという姿が多数見受けられたためだ。日本でも、Jリーグに先んじて再開されたプロ野球で同じようなことがあり、それを熱心なファンの美談のように取り上げた記事が批判を浴びたばかりだ。 試合会場内外での横断幕も禁止されたが、この措置に浦和レッズが反対声明を出した。しかしすでに決定事項ということもあり、あっさりとその声は退けられた。 それでも浦和は無観客試合をJリーグが定めた呼称である「リモートマッチ」を、独自に「ONE HEART MATCH」と呼ぶと表明した。その理由の一つに、かつて浦和が無観客試合をJリーグで「唯一」経験したためと当初説明していた。 しかし、その無観客試合は、2014年3月に浦和サポーターがスタジアムに人種差別的な横断幕を掲げたことへのペナルティーとして科せられたものだ。それに、対戦相手として付き合わざるを得なかった清水エスパルスのことが忘れられており、私としてはトンチンカンな感じがしてならなかった。 すると案の定、後日「浦和レッズは、『無観客試合』を経験しているクラブです」とクラブ側から訂正された。なお浦和の立花洋一社長は横断幕禁止の一件について、後にJリーグ側に謝罪している。横断幕の件についてはサポーターからの声があったのだろう。良くも悪くもサポーターとの協力関係が密接な浦和らしいと言えるかもしれない。 他のサポーターにも、話を聞いてみた。彼は応援歴20年近くのベテランだ。 「無観客試合は日本代表でもありましたよね。そのときに私の友人たちは、タイのスタジアムの外から日本代表を応援していました」。彼が話しているのは、05年6月8日にワールドカップドイツ大会予選として行われた北朝鮮戦のことである。 この無観客試合の背景には、先だって行われた北朝鮮-イラン戦で、北朝鮮サポーターが判定への不服を理由に暴徒化し、集団で審判や関係者を襲撃しようとしたり、イラン代表を乗せたバスを取り囲んだことへのペナルティーだった。そのため本来平壌(ピョンヤン)で行われるはずだった試合は、中立国のタイで行われた。 熱狂的な日本人サポーターたちはスタジアムに入れないことを知りつつ、それでも日本から駆けつけた。試合を見ることができないスタジアムの外から応援する姿は滑稽とも言えたが、国内では美談としても伝えられた。なおサポーターの中には、どのように忍び込んでいたかは分からないがスタジアムの屋根までたどり着いて観戦していた猛者もいたそうだ。 「今回はさすがにスタジアムに忍び込むようなことはないでしょう。新型コロナが理由ですし、自分にも感染のリスクがあるので、さすがに皆おとなしくしているでしょう」と、先ほどの彼は言う。エバートン戦でリーグ戦初先発したリバプールの南野(右)。前半のみで交代した=2020年6月21日、リバプール(共同) では、どうやって試合を見るのかというと、動画配信サービス「DAZN」(ダ・ゾーン)一択となるらしい。 DAZNは英国に本社を置く、ネットメディアにおけるスポーツコンテンツのプロバイダーである。17年シーズンから10年間で総額約2100億円という前例のない巨額な放映権料でJリーグの全試合配信権を獲得して話題となった。サッカーはもちろん、バスケットボールやアメリカンフットボール、ゴルフにバレーボール、さらにはF1のようなモータースポーツやダーツまでをカバーする。スポーツのデジタル放送に関しては、まさにコングロマリット(複合企業)的存在といえる。不透明な先行き だが、新型コロナウイルスにより全世界でスポーツ興行が中止や延期されているため、やはり大きな会員減に悩まされているようだ。自宅待機を求められている人々の入会で、会員数が劇的に増加しているというネットフリックスのような大手とは、同じ動画配信サービスでも天国と地獄という差だ。 しかも、このDAZNは投資に次ぐ投資という拡大路線で大きな債務を抱えており、日本以外では放映料の支払いが遅延しているとも聞く。もちろん、将来を有望視される注目の新興企業はいくら負債を重ねても投資家には支持される。スタジアムに行けないサポーターたちはDAZNと契約せざるを得ないだろうから、またここから盛り返していくことになるだろう。 話をサッカー観戦に戻そう。観戦スタイルの一つであるパブリックビューイングについては、Jリーグから禁止とされた。もちろん、これは正式なライセンスを有するクラブチームなどを念頭に置いた、ある程度規模が大きなパブリックビューイングのことであろう。しかし、これに頭を抱えているのは全国のスポーツバー経営者である。 「ただでさえ飲食店は新型コロナウイルスの自粛が続いていた期間、営業していただけで怒られました。そうです、『自粛警察』ってやつです。隠れて看板の電気を消して営業していたところもあるくらいです。今回は、お客さんが集まる絶好の機会なんですが…」。既に10年以上の営業を続けているスポーツバーの店主は浮かない顔だ。 要はお客さんが来てくれても、それだけ密集してしまえば、また何を言われるか分からないということらしい。まだまだ苦難の道は続きそうだ。 Jリーグの各クラブはどうなのだろう。4月から試合が開催できなくなり、さらには無観客試合になると相当に厳しい状況が予想される。しかし、クラブ事情に詳しい記者に聞いてみると、意外な答えが返ってきた。 「延期された試合は、たとえ過密日程になっても今シーズン中には消化されるので、入場料収入は落ち込むとしても危機的になるまでのものでもないようです。スポンサー収入も新型コロナがあったからといって減収になるものではないですから」。どうやら今のところは心配なさそうだ。 5月にJリーグから開示されたクラブチームの決算情報を見ると、3月決算の2チームを除くJ1クラブの平均年間総収入は約51億円だ。そのうちスポンサー収入は約23億円で約半分を占める。ここは年間契約なので、新型コロナによる中止や無観客試合でも動かない数字だろう。日銭としてキャッシュフローに大いに関連する入場料収入は9・8億円となっており、収入のうち全体の2割にも満たない。東京都内のJリーグ事務局内で、試合を見つめる村井満チェアマン=2020年6月27日 とはいえ、今後予定されていた全試合が開催されたとしても、無観客試合や入場者数の制限で入場料収入がある程度減ることは間違いないだろうし、その他のグッズ販売なども含めた収入も観客数に応じて減る。 また、社会全体がこれだけの経済的な打撃を受けている中で、来期以降のスポンサー収入となると先行きは不透明だ。さらに言えば、上記の話を聞いた記者は財政的には恵まれているクラブの担当だ。弱い財務基盤の下、綱渡り状態で経営をしてきたクラブチームはキャッシュフローの悪化により、最悪破産というケースも出てくるだろう。生き残りをかけるクラブたち 先日にはJ1サガン鳥栖の運営会社サガンドリームスが、19年度に約20億円の純損失を計上したことを定時株主総会で発表した。これで2期連続の赤字だけに、先行きは暗い。 Jリーグのチームの多くはシーズン終了に合わせて1月末決算にしているため、この決算数字は新型コロナによる影響とは関係がない。それでもこれだけ切迫した状況だと、今後も非常に厳しいのは間違いない。 コンサドーレ札幌は、このまま自粛による試合開催ができないと、10月ごろに資金がショートすると語っている。こちらも経営苦境は新型コロナとは関係なく、以前から続いているものだ。札幌では、選手が自主的に給与の減額を申し入れるという事態にまで発展している。 サッカークラブチームの収益構造では、営業費用の半分が選手の人件費で占められている。自主的な減額は大幅な選手の放出につながることを避けたいという選手側の思いもあるのだろうが、それにして不憫(ふびん)ではある。 クラブチームの受難は海外でも当てはまる。4月には、ベルギーリーグで約100年の歴史を誇る古豪、スポルティング・ロケレンが破産宣告し、クラブ所属の日本人選手2人が契約解除となった。クラブは以前から資金繰りに悩まされていたそうで、そこにスポンサーになることが予定されていた中国の企業が新型コロナウイルスの影響を理由にスポンサーを降りてしまい、これがトドメとなってしまったようだ。 今シーズンはともかく、多くのJリーグクラブが決算を迎える来年1月前後には、苦渋の決断をしなければならないチームも出てくるはずだ。 Jリーグはこのような事態に、三菱UFJ銀行や商工組合中央金庫(商工中金)などからJリーグチーム向けの長期の融資枠を確保したと発表している。金額の総枠は非公表だが、これで、ある程度の突発的自体は避けられるだろう。それでも仮に試合が通常どおり行われるようになったとして、来年以降どうなるか、楽観視は全くできない。 日本のクラブチームの事業規模は先ほど述べたように、年間の平均収入は約50億円程度だ。中小企業とまでは言わないが、とても大企業とは呼べやしない。もちろん、サッカークラブでなくとも、どの日本企業も先行きに対して不安を抱えている。そう考えるとコロナ禍における日本の経済環境は、多かれ少なかれJリーグのクラブのような状況かもしれない。サッカーJ2のジェフ千葉対大宮アルディージャ、コロナ禍でのリーグ中断を経て再開されたリモートマッチ(無観客試合)=2020年6月27日、フクダ電子アリーナ(今野顕撮影) それでもサッカーのクラブチームが単なる企業活動とは違うのは、「生死の問題より重要」と言い放つような、熱心なサポーターに支えられていることだろう。 新型コロナウイルスを経験した日本社会は、今後「アフターコロナ」といわれる時代を迎える。厚生労働省は「新しい生活様式」を実践するように訴えている。 「ボクたちが何かやり方を変えたりすることはあるかもしれないですけれど、Jリーグとクラブチームを愛する気持ちは変わらないでしょう」と、前述の古参サポーターたちは口をそろえて語った。コロナ禍で先行きが見えないプロスポーツ。しかし、それを応援するサポーターたちの存在は、Jリーグをはじめ、多くのプロスポーツが「必ずこの苦境を乗り越えていく」太鼓判となるであろう。

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    戦略PRのプロが指南!「withコロナ」の観光サバイバル術

    菅原豊(戦略PRプロデューサー) 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が解除され、徐々にではありますが日常が戻りつつあります。目に見えないウイルスに対して感染予防策を講じるという、全く未経験のハードルがある中、各地で観光プロモーションの再考も事実上始まったと考えてよいでしょう。 しかし、第2波、第3波が来る可能性は依然としてありますし、また、次の冬に再燃する可能性もあり、新しい生活様式下での観光産業を作り上げなければならない、という命題は依然として変わりません。 そこで、「withコロナ」時代の観光地域の復活戦略として、今回も3つの指針を示してみたいと思います。・感染予防策だけでなく、それを知らせる活動を!・「withコロナ」の観光地は仲間づくりを!・ターゲットは「お隣」さん! まず、一つ目は感染予防策。新型コロナウイルスはモノに付着するとなかなか消えないという強敵のようで、私たちの日常生活も日々ピリピリしてきています。この非常にあやふやでストレスのかかる中で、観光産業を再興させなければなりません。 業種業容ごとの感染予防マニュアルのほか、市町村や特定のエリアが連係するDMO(観光地域づくり法人)単位で基準を作ったり、認証制度を作ったりと、さまざまな動きが並行して動いてきています。ただ、ウイルスの解明には時間を要することと、正しい感染予防策とは何か、を断定できない状況です。 こうした中では、誰かの指示を待つより、皆がアンテナを立て、情報を集め、動きながら実行することが求められます。さらに、周りの動きを見ながらよいと思ったら真似をして、コミュニケーションをとりながら、柔軟に対応していくことが大切だと思います。 一方、観光に出かける人の視点から見るとどうなるでしょうか。感染症罹患の恐怖やリスクという点では、観光客を受け入れる側も、観光に出かける人も、同じです。ですが、観光客の立場なら、自ずと感染予防策をとっていることを知り、より心配が少ないと判断する場所に出かけることになるのは自然な流れでしょう。 各観光地が非常に綿密に感染症予防策に取り組まれている現状は、われわれのような観光事業者と日ごろ接している者は自ずと知ることになりますが、一般的に見ると、「感染予防策を講じてはいるが、積極的に開示するまでに至ってない」というのが実態のようです。有馬温泉の旅館「陶泉 御所坊」でパネル越しに案内する仲居=2020年6月4日、神戸市 今、新聞や雑誌、テレビ、ネットサイトと、多くのメディアはコロナ禍から脱出して、地域経済、日本経済を復活させようといろいろな取り組みをしている事例や実態を取り上げる傾向があります。 その前向きな動きに関する記事やニュースに触れると、クラスターがどこかで起きるかもしれないと思いながらも、心が明るくなります。今われわれが直面する命題は「感染予防策をとりながら、いかに観光産業を復活させるか」というこの一点です。注目は「とト屋」の戦略 今回だけは、梅雨前線や真夏日、海開きなどの季節のニュースは注目されることはなく、世の中もその情報を望んでいません。今はとにかく「感染予防策」のPR合戦をする時期。多くの人が普通に目にするように、感染予防に向けた取り組みに関する情報を発信していってほしいと思います。 京都府の北。海の京都と呼ばれるエリアに京丹後市があります。丹後半島の西側、間人(たいざ)と呼ばれる場所にある一つの宿。「うまし宿 とト屋」が、独自の積極的な取り組みを会員制交流サイト(SNS)に投稿していたので紹介します。 そこには「日頃から衛生面には気をつけておりましたが、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、3密を防ぐ生活様式に合わせてとト屋での対策を検討致しました」とあり、以下のような内容が事細かに書かれています。 ~ 大自然の中で「暮らすように旅をする」~ とト屋ファミリーはとト屋を大きな家と考え、訪れて頂いたお客様はみんな家族。お客様同士、お客様とスタッフ、立場は違っても、みんな家族のような間柄で過ごして頂きたい、そんな願いからとト屋三密ルールでの対策を考えました。 非日常を味わいに来ていただく皆様に、たくさんのルールを提案せざるを得ない状況に、心が痛みますがご協力をお願い申し上げます。スタッフ一同、言葉は少なめ、最大の笑顔で心のおもてなしをさせて頂きます。 「とト屋の新型コロナウイルス対応」についてお知らせ致します。以下のことを学び、とト屋でのおもてなし対策を考えました。【宿泊施設の品質】①清潔感⇒高い清潔感or清潔感×笑顔=②安心感高い安心感=③快適性高い快適性=④顧客配慮④高い顧客配慮=⑤積極性、共感性①、③、④、⑤全てが②安心感を強化する関係つまり!宿泊施設の品質を顧客視点で定義すると=「安心感」となる 上記の事柄を検討し具体的な対策を明記した書面をチェックイン時にお渡しすることを決めました。≪とト屋の具体的な感染予防対策≫1)館内でのマスク着用2)空気清浄器の設置3)各スペースの消毒液の設置4)化粧品・ブラシ等は持参を要請5)ハンドドライヤー、トイレタオルからペーパータオルへの変更・設置6)館内の手が触れる場所(ドアノブ、リモコン等)清掃及び消毒の徹底スリッパの消毒7)温泉浴場の時間制限による清掃の充実と温泉利用の相談・対応8)宿泊の制限により、個人・小グループ、または貸のみ受付9)お部屋食、食事処の時間と個室利用の相談・対応10)調理場の清掃及び消毒の徹底11)スタッフの健康管理及び手洗い消毒の徹底12)従業員の客室への入室回数を少なくするため、客室への案内、寝具の準備の要請13)非対面チェックイン・チェックアウト手続きの要請(事前カード決済)14)宿泊時の感染疑いの際の対応*万一、発熱や呼吸困難、倦怠感など、感染の疑われる症状が出た場合、保健所(帰国者・接触者相談センター)に連絡し、その後は保健所からの指示に従うことを要請 以上の事を宿泊施設における新型コロナウイルス対応ガイドラインとさせて頂きます。 一つひとつの言葉に、直面する感染リスクという危機に対して、真剣にかつ非常に前向きに取り組んでおられる旅館の人の姿を感じとることができ、好感が持てました。 一方、「感染予防策」のPR合戦は、観光誘客という視点以外にも大きな意味を持ってきます。一つのお店や旅館のアイデアや取り組みでも、観光地全体での大きな施策でも、例えばメディアで報道されたり、SNSで発信したりすることで、お客様だけではなく、日本全国の同業の方の目にも留まるようになります。「うまし宿  とト屋」の外観(同宿提供) 同じ危機に同時に直面してしまった観光に関わる人たちにとっては、その一片の情報が励みになり、具体的な感染予防の方法として非常に役立つはず。日本全国の観光地が感染予防策を競っていくと、誘客マーケティングの推進と同時に、並行して、事実上日本全体の「感染予防策付の新しい観光」のレベルを上げていくことにつながっていくはずです。「仲間づくり」の視点 次は「仲間づくり」という視点です。今回、観光地の経済は、3密回避と移動制限によって深刻なダメージを受けてしまっています。加えて、新型コロナウイルスは今後もなくなることはなく、終息させるためには、ワクチンの開発か、感染と回復を繰り返しながらわれわれが抗体を持つようになるか、と言われており、「withコロナ」は重くのしかかってきています。 そこで、「人が非日常を体験するためにどこかの場所に行く」という観光から、「観光を起点にした観光地の経済」という視点を考えてみませんか? 観光地の経済は大きく、宿泊、食事、体験、お土産に、観光客がいくら払ってくれるか、で成り立っています。残念ながら、景観や景色というのは呼び込むフックとしては機能しますが、お金を取ることができません。 これが、「withコロナ」の時代になるとどうなるのか。感染者が出る、クラスターが発生するという事態になれば、有無を言わさず、一時的に今回と同じような状況になることは容易に想像できます。こうならないようにするには、地道に感染予防策を講じて、感染者が出るリスクを科学的に少なくしていくしかありません。 もう一つの変化は、「withコロナ」によって引き起こされる「感染予防策を講じることでの支出増と収入のダウン」です。3密を避けるようにあらゆる工夫が各所でとられてきていますが、隣を空けて座れば収容人数が減り、例えば、抜群においしい料理を提供しても、そもそも売上の上限が下がってくることになります。行列ができるお店が行きたいお店、とならなくなる可能性すら出てきます。総売上を無理やり維持しようとすれば、単価を上げることになりますが、それは成功することはないでしょう。 こうなってくると、観光地はこれまでの観光地としての経済でよいのか、という議論が出てこないとおかしくなります。別の収入源、経済を作る必要がある!という意味です。将来、万が一、運よく「beforeコロナ」と同じ状態に戻ったとしても、今、別の収入源を作っておくことは、プラスにしか作用しませんから、ぜひこれまでとは「違う」収入源を作っていただきたいと思っています。 そこで提案したいのが「仲間づくり」なのです。ただ好きだという「ファン」ではなく、一緒に経済を支えてくれる「仲間」を作っていきましょう。誰を仲間にするのか、それは観光客です。一度、来ていただいた観光客を、観光地が、観光地の経済を支える仲間にしていく、という考え方。 ところで、皆さんは一つの観光地に何度も行ったことがありますか。よい思い出があって、どうしてもリピートしてしまう観光地があってもおかしくはありません。ですが、地方自治体の観光プロモーションは、おもてなしをもって好印象を与え、リピーターになってもらいたいと思いつつも、その多くは初めての観光客を取りにいく施策に重点が置かれているように見受けられます。砂湯が川沿いにある旭川。川沿いの旅館の窓には「ファイト」と書いた紙が張られていた=2020年5月31日、岡山県真庭市 日本国内だけでなく、今の時代は海外渡航の方が安くあがる場合もあり、世界中に観光地があります。2回来るようにするマーケティングより、初めて来る人を獲得するプロモーションに軸を置いてしまうのは自然な動きかもしれません。 つまり、現在の観光ビジネスは、観光地と観光客は一期一会というフロービジネスが軸になっていることになり、なかなか大変なビジネスと言わざるを得ません。観光振興に携わる方々の苦労は並大抵のものではないはず。しかし、繰り返しになりますが、3密回避と移動制限で、このままでは観光地の経済は回らなくなってくるはずです。復活作戦のターゲットは? 前回のiRONNAへの寄稿で、観光とは「遠くの場所でのお買い物」であり、ゆえに、移動制限がかかっている今、宿泊施設がこれまで泊まってくれた方に「案内して、特産品などを売ってみてはどうでしょうか?」と書きました。一度、その地を訪ねた人はその地を思い浮かべることができる貴重な存在。その人を、一生離すことなく、仲間にしていくという取り組み、始めてみてはどうでしょうか。 具体的には、観光で来られた方に、宿泊施設やお土産物店、あるいは観光デスクなどで、登録していただき、帰った後もその地の特産品を安く購入できるようにしてあげる。ご家族や友達への贈り物は、ネットで簡単に手配できる。一歩進めて、特産品の販路開拓をサポートしていただいたら手数料をお支払する、など、「仲間」にしていく手法はいろいろ考えられます。 これまでも、インスタグラムにハッシュタグをつけて投稿してもらうなどの企画は時折見かけますので、観光客を仲間にしていくという方向性は共鳴していただけると思います。ですが、SNSでの写真投稿の目的は、きれいな写真を色んな人が見ると、来たくなる人が出てくるだろうという考えが基本になっており、やはりそこには、「観光地」に行かない限り1円も経済が動かないという事実が立ちはだかります。「withコロナ」の時代。情報拡散を手伝ってもらうファンではなく、観光地の経済にも貢献する「仲間」を作っていくことが望まれます。 観光客を仲間にする作戦は、これまで「密集」するほどではない、比較的自然が多く、大きな宿泊施設が少ない地域の観光戦略の一つとしても役立ちます。先日、岐阜県飛騨市のお店の飛騨牛BBQセットと蒲酒造場の日本酒のシャンパン「じゃんぱん 純米発泡酒」をネットで注文し、新潟の実家に贈りました。飛騨市に行ったことがない田舎の母親は初めて食べた味だと喜んでいました。 こんな形で、観光地から帰った後も、その地の経済に貢献していくという流れは、「観光地」と「農産品や工芸品などの産業を担う人」と、「観光客」、さらには「その観光客とつながっている近しい人」までを巻き込む、「win-win-win-win」の関係を作っていくはずです。 最後に、「withコロナ」で始めることになった観光産業の復活作戦のターゲットはどこにすべきか、について記したいと思います。 依然、各地で小規模なクラスターが時折発生するなど、油断はできない状況ですが、都道府県をまたいでの移動もできるようになってきています。こうした中で、徐々にコロナの終息傾向が強まっていったとき、どういう地域をターゲットにしていくのがよいでしょうか、という視点になります。「withコロナ」だからではなく、コロナ禍でマーケティング活動が止まってしまった状況を前向きにとらえ、観光戦略を見直すチャンスにしてみてはどうでしょうか。その検討材料の一つとして見てください。 ターゲットは「お隣」です。 例えば、自身の話になりますが、新潟県出身の私は、新潟県が、北から、山形、福島、群馬、長野、富山の5県と接しているということは小学校で習っていて、行ったことは、当時はなくとも、自然に覚えていったという記憶があります。 しかし、新潟空港から飛ぶ飛行機がどこに飛んでいるのか、大学時代から東京に出て、その後、現在のような仕事をするまで考えたこともなく、情報としても具体的に持ち合わせていませんでした。新潟県の空の玄関口、新潟空港=2017年11月、新潟市東区(市川雄二撮影) 江戸時代から、いやもっと以前から、山を越えて人が街道を移動し、商業や文化が伝播していき、その土地ならでは有形、無形の多くのものができあがってきています。新潟県は隣接する5県や、日本海を航行した北前船によってさまざまな人、モノ、カネ、情報と文化が動いたはずです。目の前の一歩と遠くの目標 しかし今、高速道路や新幹線が通り、新潟県の隣は東京都になってしまったような感じがしています。もしかしたら、若い世代は、地理的につながった隣の県には行ったことがないかもしれません。 空の道、空路もつながっています。新潟空港は国内線では札幌、成田、名古屋、大阪、福岡、沖縄とつながっています。誰もが知っている東京を、ことさら取り上げる必要はないので、ここでは空路がつながっている北海道、千葉、愛知、大阪、福岡、沖縄に注目します。 新潟県の小学生は学校で隣県は山形、福島、群馬、長野、富山の5県と習っていますが、ここに、北海道、千葉、愛知、大阪、福岡、沖縄も加えてみてはどうでしょうか。この6道府県を隣県と指定して、教科書に入れるとどんな変化が起きてくるでしょうか。 高速道路が整備され新幹線が張り巡らされると地方空港利用者が減っていく、という現象が日本各地で起きています。このままでは地方空港の存立が危ぶまれると耳にすることもあり、地方空港の利用を促進する動きが起きてきたりします。しかしどうでしょうか。そもそも、地元にある空港がどこに飛んでいるのか、なぜ、知らないまま大人になってしまうのでしょうか。 昔の先人たちが作ってきた歴史はいつの時代も大事にされ学習材料になりますが、われわれが歴史を作る立場になれば、今の「道」を移動した先になにがあるのか。もっともっと情報を動かしてよいのではと思うことがしばしばあります。 全国各地の地方自治体が、日本全国に、世界中に、アピールして観光客にきてもらいたい、交流人口を増やしたい、最終的には移住してきませんか、という一連の動きをしてきています。ですが、クリック一つで情報をインターネット上に置くことができる今、全国をターゲットにすることは間違ってはいないものの、選択と集中を行うことも重要。ぜひ、高速道路、新幹線だけでなく、空路でつながる地域も選択肢に入れ、選んでいただき、戦略PRを展開してほしいと思っています。 人は非日常体験をしたくなり、観光に出かけますが、悲しいことに、知らない先に旅にいくことはできません。せっかく空路でつながっている地域があり、そこはほぼ1~2時間で行ける距離にあるわけです。ぜひ、お隣さんの情報をもっと知り、かつ自分たちの情報も発信していく。知れば興味がわき、見てみたくも、食べてみたくもなります。 例えば、つながった地域の大学のサークル活動などの大会や発表会が行われるようにするとか。中高生が見れば、進学先になるかもしれません。子供が進学すれば、親御さんはたびたび訪れます。 企業の交流もしかり。昔々、峠を越えて行き来していた普通の活動を、空路を使って行うだけです。地域が持っているインフラを普通に活用する仕組みを作っていくことで、水が高いところから低いところに流れるように、情報が動きます。情報が動けば、そのまま旅の行先の候補になっていくはずです。埼玉県川越市の蔵造りの町並みを散策する観光客=2020年5月29日 「withコロナ」時代の観光をどう再構築するのがよいのか、ということで、感染予防策PR合戦から、観光地の収入源を増やすアイデア、さらにはマーケティングのターゲットをどう設定するか、と3つについて書きました。 まだまだ新型コロナウイルス感染症は予断を許さない状況ですが、目の前の一歩の踏み出し方も、遠くの目標に向けた準備も大切になってきます。困難ばかりの「withコロナ時代」の観光の捉え方の一つの参考にしてください。

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    新型コロナで激変する「パラダイム」

    世界を襲った新型コロナウイルスは、政治や経済に限らず、文化や社会の在り方まで完全に変えてしまう勢いだ。これまで当たり前だったこと、すなわち「パラダイム」の激変は避けられない。艱難辛苦の世の中だが、前に進むにはどうすればいいのか。そこで今回は、多様な視点でアフターコロナについて考えたい。

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    アフターコロナの日本政治に希望をつなぐための「旗印」

    、それは与党内で起こるのでしょう。そう思わされたのは、感染の波がいったん収まって、未知の感染症だった新型コロナウイルスに関する不確実性もだんだんと減ってきたころから、自民党の中の動きが活発化したことによるものです。 とはいえ、現在の自民党を見る限り、政権末期につきもののレームダック(死に体)化の気配は感じられても、かつてのように明確に政権を引きずり下ろしに行く動きは感じられません。 それは、一つには細田派(清和政策研究会)、麻生派(志公会)、二階派(志帥会)の安倍政権を支える三大派閥がしっかりと手を組んでいるからでしょう。また、安倍晋三首相から後継とみなされている岸田文雄氏が政調会長として政権と命運を共にしているからでもありましょう。 しかし、だからこそ、でしょうか。こうして本格的な大不況時代の入り口に立ちながら、安倍政権後を視野に入れた政治家個々人の動きは、依然として危機のレベルを認識していない錯誤感が伴います。もちろん、足下での経済的損失に対処すべしという声は、与党議員の中からも大きく聞こえてきます。 逆に、今は提案さえすれば、何もかも認められそうな気配さえ感じられます。目の前の倒産を食い止めようと誰もが立ち働いていることは否定しません。 しかし、政権与党は少なくとも向こう2、3年の経済運営に関しては責任を負う立場です。コロナの第2波にどう立ち向かうのか。そこにおいて第1波と同じような緊急事態宣言と休業要請をしてしまってもよいのか。安倍首相(右)に2020年度第2次補正予算案編成に向けた自民党提言を手渡した自民党の岸田政調会長=2020年5月21日、首相官邸 はたまた、同盟国やその他の国との往来はどのように再開すべきか、米中対立によるリスクにどのように対処すべきか、といった問題を話し合うべきときなのです。自民党総裁選をにらんで各種会合や立ち上げをするのもよいですが、それは根本的な問題への対処を政権に任せっきりにし、困難な課題を避けて通るようなものであってはならない、と思います。 軒並み弱い支持しか得られていない野党を前に、政権交代を恐れず余裕綽々(しゃくしゃく)なのはまだ理解できるとしても、第2波への対応次第では、今年の実質国内総生産(GDP)がマイナス12%成長になろうかというときに、悠長な態度をとっている場合ではないと思うのです。自民の本当の強固な基盤 安倍政権の支持率低下は、自民党本体の問題ではなく、政権特有の問題だと見なされているのかもしれません。しかし、安倍政権がここまで長期政権化したことこそが特異な事例なのであって、自民党が抱える本質的な問題はいささかも変わっていません。 毎日新聞や朝日新聞の各世論調査では、安倍政権の支持率が3割を割り込んだことがニュースになりました。調査によっては半数以上の人が不支持と答えるなど不満が強いことがうかがえます。では、政党支持率といえば、NHKの5月の世論調査では自民党が31・7%、立憲民主党は4・7%、支持政党なしが43・8%と野党の弱さが目立ちます。 2009年に民主党の勝利という形で現実化した自民党にとっての危機は、党内の結束を固め、首相のリーダーシップを強化するという意味では学びとられているのかもしれません。けれども、安倍長期政権下において、自民党に対するファンが増えていったわけではありません。 確かに、選挙の出口調査でこそ若年層の自民党への投票が目立ちます。私が代表を務めるシンクタンクが実施した「日本人価値観調査2019」で、自民党に対する信頼度や好感度を表わす「評価」そのものを聞いてみると、実は若年層の自民党支持は際立たないのです。 そして、ここに来てコロナ禍と経済不安で世間に不満がわだかまる中で、無党派の政権離れが顕著になりました。自民党が新たに獲得したと考えていた層、つまり民主党に幻滅した無党派の改革支持層、そして自民党政権に慣れている若年層は、局面が変われば容易に離れてしまう浮動票でしかなかった、というわけです。 自民党は、私のこれまでの意識調査によれば、有権者全体の1割以下の強固な支持基盤しか持っていません。それは、米国のトランプ政権が3割弱の根強い共和党支持者に支えられているのとは対照的です。 自民党を初めから支持するのではなく、結果的に投票した有権者が重視していたのは、米国との同盟強化や憲法9条改正に象徴される現実主義路線でした。その上で、経済成長重視の立場に立つ人が自民党を「より選んできた」にすぎません。衆院予算委で、立憲民主党の枝野幸男代表(手前左から2人目)の質問に答える安倍晋三首相=2020年6月9日 であるとすれば、人々の現状打破に向けた欲求が一定の水準を超え、外交安保の争点を度外視したとき、全く異なる論点での分断が起きる可能性があります。危機の時にはポピュリズムが流行るものです。トランプ現象のように、経済的には中道に立ちながら、社会的には分断を煽るような言説が出てくることも十分想像できます。現状打破志向の興味深いところは、それがいかなる方向であるかを問う前に、変化を望むことです。 日本では、とりわけ年長世代にこの傾向が顕著であり、良くも悪くも彼らがこの社会を作ってきたにもかかわらず、60代や70代の有権者がその場の感情に従って選挙に風を吹かせる可能性が高いのです。なぜそう考えるかというと、現状に満足しておらず変化を望む有権者の層が、ある一定の明確な政策の方向性を示しているというわけではないからです。危機が課題を先鋭化させる その結果、自民党の弱さが顕在化し、変化が起こるとすれば、おそらくよく考え抜かれた結果の政策転換ではなくて、情動的なものになることでしょう。 そうすると、現状の継続にせよ、変化にせよ、日本政治に希望はないのか、という話になります。もちろん、私もそう思いたくはありません。もし日本社会に希望があるとすれば、合理性に基づき、社会的課題と経済成長戦略を結び付けた政策が本格的に出てくるときでしょう。 安倍政権が唯一この分野で力を発揮したのは、「ウーマノミクス」と呼ばれた女性の活躍推進と経済成長の相乗効果です。しかし、現在コロナ禍で非正規雇用の女性は再び雇用調整の対象となり、労働人口そのものが大幅に減ってしまいました。自粛政策で、男女の格差は少なくとも一時的には拡大したわけです。 同時に、コロナ禍による経済的打撃によって、若年層にしわ寄せが集まっています。今の若い世代が、就職氷河期の上の世代と同様にロストジェネレーション化することは目に見えています。 経済復興の過程は、取り組むべき本質的な課題に対処するチャンスでもあります。未来志向の社会的課題と経済成長を結び付ける分野の一つが、環境問題です。日本では諸外国ほど意識されていませんが、アフターコロナを論じる上で、環境問題は第5世代(5G)移動通信網の普及などIT化のための投資と並んで重視されています。 コロナの恐怖が世界を覆う前、グローバル社会の最大の課題は気候変動だったことを思い出してください。感染症を契機として、自然に干渉する人間の生活を見直したいという欲求は、先進国を中心に加速するでしょう。 実際、人間の活動が停滞したことで、地球環境には目覚ましい変化が現れました。観光客がいなくなったベネチアの運河は青く澄み、魚が戻ってきたといいます。二階俊博幹事長との会談を終え記者団の質問に答える自民党の石破茂元幹事長=2020年6月8日(春名中撮影) 復興で活発な公共投資が求められる中、少なくとも先進国は20世紀型の化石燃料を燃やし続けるような経済には投資しないでしょう。そうした先進国主導の流れは、先進国市場へのアクセスが重要な新興国にも波及していくことでしょう。 善きにつけ悪しきにつけ、危機は社会的課題を先鋭化させます。今だからこそ、政治は社会的課題に本格的に取り組むことを旗印にすべきであるし、それを経済成長と矛盾のない形で示すことのできる政党が評価されるのだろうと思います。

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    米中に淘汰された日本、復権の機はコロナ後の新グローバリズムにある

    の選挙スローガンとほとんど同じ。これではどうしても「新冷戦」、米中による覇権の衝突が避けられない。 新型コロナウイルスでは2019年末に中国・武漢で起こっていた事態を明らかにして世界に警告することを怠った。新型コロナウイルスに世界が苦しんでいるのを尻目に香港、ウイグル、チベットなどへの露骨な弾圧を憚(はばか)らない。 全国人民代表大会(全人代)で香港への「国家安全法制」適用を決め、高度な自治を認めていた「一国二制度」を事実上破棄した。南シナ海では人工島を「西沙区」「南沙区」として行政区に組み込み実効支配を押し進めている。尖閣諸島でも中国公船が日本漁船を追い回すなど行動を活発化させている。この夏には南シナ海で空母「山東」、あるいは「遼寧」を総動員して陸海空軍合同の大規模軍事演習を行うとして緊張を高めている。 中国は米国に並ぼうとする経済大国になったが、共産党一党独裁をやめようとしない。多様な政党、多様な意見や価値観を認めない。民主主義や基本的人権は採用しない。グローバリズムによる水平分業の恩恵で「世界の工場」になったが、それはあくまで手段でしかない。目指すのは「中華民族の偉大な復興」、すなわち世界の覇権であることを隠そうとしない。中国全人代の閉幕式に臨む習近平国家主席(左)と李克強首相=2020年5月28日、北京の人民大会堂(共同) 米中貿易戦争は激化の一途をたどってきたが、2020年1月に一時的な「休戦」となった。米国は対中追加関税第4弾分の税率を15%から7・5%に引き下げる。それ以外の関税は引き下げや撤廃は行わない。中国は米国から農産物、工業製品など今後2年間に2千億ドルの輸入拡大を行う。さらなる「新冷戦」の様相 これで当面は落着するとみられていたが、新型コロナ禍が勃発して雲行きが変わった。トランプ大統領の米国は新型コロナ禍の損害賠償を中国に請求しており、応じなければ報復措置として関税を課すとしている。 トランプ大統領は、さらに安全保障の面から中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)の締め出しを各国に呼びかけている。これに対して中国は米国からの農産物輸入を停止する動きを見せて牽制するなど激しく反発。米中貿易戦争は再び激化の兆しを見せてきている。米中の激しい非難の応酬は、「新冷戦」の様相を帯びつつある。 めまぐるしい米中の「新冷戦」の応酬に目を奪われていると本質が見えなくなる。92年のグローバリズム経済勃発時に戻れば見えてくるものもある。冒頭にグローバリズム経済の勝者は米国と中国だったと述べた。リアルにいえば、勝者は米国の資本、そして中国を支配している共産党だったと言わなければならない。 92年当時、系列、下請けといった垂直統合型の「ニッポン株式会社」の一国資本主義に米国はたじろいでいた。例えば、この時代はアップルのパソコン「マッキントッシュ」は1台50万円を超えていた。値段が高くても高性能の商品は売れるというのが米国資本の信念だった。 しかし、性能がよい商品でも高くては売れないという現実を抱えていた。北米でつくれば、高い人件費で製品が高価格にならざるをえない。 これに対して「ニッポン株式会社」は系列、下請けといったシステムに加えてトータルクオリティーコントロール(統合的品質管理、TQC)、「カイゼン」といったマニュファクチュア(工場制手工業)に強みがあった。「カイゼン」を念仏のように唱えて製品を日々改良するという愚直なシステムで、パナソニック、ソニーなどは自社製品に驚くべき進化をもたらした。パナソニックグループなどではカイゼンはほとんど信仰に近い趣すらあった。 その当時TQC運動は、労働時間外に行う自発的学習ということで残業代は発生しないという慣行が認められていた。TQCに残業代が支払われることになったのは2000年代に入ってからだ。04年頃、パナソニックに並ぶカイゼンの元祖・トヨタグループは、「労働基準局のご指導によりTQCによるカイゼンは労働に変わった」と。 米国はことあるごとに「ニッポン株式会社」という一国資本主義システムをアンフェア、閉鎖的、と目の敵にした。日米貿易摩擦では日本車をハンマーで叩き壊すという「ジャパンバッシング」が行われた。しかし、マーケットでは「よいモノを安く」という日本のマニュファクチュアは優位にあった。 米国の資本にとっては、とりあえず人件費が格安だった中国を「世界の工場」にしてサプライチェーンを確立することが己の利益だった。中国にとっては資本、設備、技術が入ってきて、そして格安の労働力を提供することで国内に雇用・賃金が生み出されるのだから棚からボタ餅である。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) ここで「パラダイムチェンジ」が勃発した。すなわち米中の「ウインウイン関係」から動き出したのがグローバリズムということになる。米国資本は、グローバリズムという世界資本主義の「ルール変更」、あるいはグローバリズムという「新ルール」の構築で勝者になった。「グローバルスタンダード」が変わったわけで日本製造業もこれに追随するしかなかった。米中に共通する「一国主義」 米国資本は勝者となり膨大な利益を手にした。だが、米国の労働者たちは失業して没落を余儀なくされた。工場が廃屋になり「ラストベルト」(衰退した工業地帯)が広がった。米国の貧富の格差はすさまじいものになった。 工場と雇用は中国に移動し、今では中国は習主席が言う「小康社会」(ほどほど余裕のある社会)に変わった。米国の労働者たちの所得がそっくり中国の労働者階級の所得に移転した。とはいえ、米中の賃金格差は巨大で、中国の労働者が得たのは「小康社会」でしかない。グローバリズムの勝者は中国共産党にほかならない。ただ、ささやかには中国の労働者もその勝者の一部といえる。中国は、社会主義市場経済(資本主義)を選んだことで共産主義理念を捨てたのか、極端なほど貧富の格差を放置している。 工場が中国に移転して雇用を喪失するという現象は、日本の労働者にとっても同様だった。系列、下請け、TQC、カイゼンなどを強みにした「ニッポン株式会社」のマニュファクチュアは有効性がなくなり、製造業は空洞化した。「アベノミクス」でゼロ金利にするなどどう頑張ってもGDPの高成長が戻らないという日本、そのデフレ経済の根底にあるのが92年からのグローバリズムの進行だ。 本来、国というものは「一国主義」なのだが、それを声高に主張したのはトランプ大統領の米国である。グローバリズムは、米国の資本に膨大な利益をもたらした。 しかし、トランプ大統領のみならず共和党、民主党としても、共産党一党独裁を捨てず民主主義を認めない中国が米国と世界の覇権を争う存在になったこと自体が面白いことではない。米中の貿易収支の大幅赤字も黙認することができない。新型コロナのパンデミック(世界的大流行)でもいち早く経済再開をしている中国にいら立ちを隠せない。 前回の大統領選では、グローバリズムで失業し没落している米国の労働者階級の票をかき集めたのはトランプ大統領だった。今秋の大統領選では、新型コロナ禍の直撃で米国経済の停止が長引いており、トランプ大統領の下馬評は有利から不利に変わっている。それだけにトランプ大統領はパンデミックの非はすべて中国にあると非難をやめない。 習主席も「一国主義」ではトランプ大統領に何一つ負けていない。中国はリーマンショック時の08年に4兆元(当時のレートで57兆円)の国内インフラ投資を行った。これをテコにGDPで世界2位の国家に飛躍した。中国はそれだけで決して満足しない。中国の長期戦争は、健国100周年にあたる2049年に米国と並び立つ世界の覇権国になるまで終わらない。 米国、日本、ドイツ、あるいは韓国、台湾などの資本が大挙して中国に進出するといったグローバリズムの恩恵で、中国は徒手空拳で復活を遂げた。しかし、復活した中国が発信しているのは、世界の覇権国家になるという「一国主義」そのものだ。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) 日本にとって、中国を「世界の工場」とするグローバリズムを見直すという世界的な機運は千載一遇かもしれない。日本企業系の工場を中国集中型からアジア諸国に分散するだけではなく、日本国内に復帰させる方策が求められる。避けられぬ「パラダイム」の再構築 「経済安全保障」の面から補助金などで優遇して国内に工場を戻す。水平分業による「世界最適配置」のサプライチェーンだけではなく、国としての「クライシスマネジメント」を想定してこれを再構築する。 日本は与野党、あるいは地方自治体なども選挙の票になるということで保育園ばかりに補助金を流し込んできている。中国が中央政府、地方政府とも「中国製造2025」で半導体など次世代の自国ハイテク産業の高度化にアンフェアなほど巨額補助金を注ぎ込んでいるのと極めて対照的だ。 中国が自国ハイテク企業に巨額で不透明な補助金を注入しているは競争上アンフェアであり問題が多い。だが、新しい「富国」を目指して次世代ハイテク産業育成を目指すのはまっとうといえる。アップルが中国で「iPhone」を製造しているように中国は世界のハイテク製品の製造基地になっている。 しかし、アセンブルされたそれらのハイテク製品の中に中国製部品は使われていない。中国が半導体などを筆頭に産業マニュファクチュアの高度化を目指していること自体は当然の動きである。 問題は、グローバリズムの推移の中で無策に中国の「中国製造2025」向けに半導体関連部品、半導体・液晶製造装置、検査機器、工作機械などを供給してきた日本である。それによって日本製造業は収益を得ているのだが、このまま推移すれば2025年以降には日本は中国から半導体を輸入する側に回る可能性もないとはいえない。少なくとも中国はそうした構図を目論んで「中国製造2025」に取り組んでいる。 問題は2025年以降という先々のことだけではない。現状でもあらゆるモノの製造を中国に依存している。過剰な「中国依存」はすでに大きなリスクになっている。医薬品原薬製造なども圧倒的に中国が押さえている。 中国は新型コロナ禍で自国が非難されると、「中国が医薬品原薬の輸出を止めなかったことを世界は感謝すべきだ」と。中国へのサプライチェーンの極度の集中をを逆手にとって世界に感謝を要求している。2020年6月7日、中国政府が公表した新型コロナウイルス感染症に関する白書について、記者会見場で習近平国家主席の映像にカメラを向ける報道関係者ら=北京(共同) 世界が中国に感謝すべきなのか。中国が世界に感謝しなければならないのか。新型コロナ禍は、中国に「世界の工場」、すなわちサプライチェーンが集中している今の世界経済の破綻をあぶり出している。グローバリズムという世界経済の背骨ともいうべきパラダイムが、新型コロナというパンデミックによって、再構築を迫られていることだけは確かである。

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    「新しい生活様式」など甘すぎる、withコロナを生き抜く虎の巻

    問診を行う医療スタッフ=2020年4月30日、東京都世田谷区の自衛隊中央病院(田中一世撮影) 今回の新型コロナウイルスの感染者数は、当初想定より大幅に下回ったにもかかわらず、一時医療崩壊スレスレと騒がれた最大の要因は、病床やスタッフではなく、医療物資の不足だと現場からは聞こえてくる。避けられない患者減 特に民間病院で、急遽コロナ患者を受け入れた病院ほど、十分な備蓄がないのが実態のようだ。専門家や医師会の代表者が声高に「緊急事態宣言を」「医療崩壊が懸念される」と繰り返していたが、責任逃れの疑念もわく。 徐々に患者は戻りつつあるようだが、ほとんどの病院はコロナ後、患者が激減しており、中には8割減となったところもあるという。 そもそも大半の医療費の中身をよく見れば、多くは生活習慣病であり、これらは本来なら病院に行かなくても個人の意識次第で治るものか、行く必要性がないといえばないものが多い。 風邪は基本ひいたら寝た方が効くこともあるほか、花粉症やぜんそくは重度の人は別だが、軽度なら薬は月に一度ネットで遠隔処方してもらえれば十分だ。日本の場合は、過剰に医療費が膨れ上がる実態もコロナ禍でよく分かった。 かつて、北海道夕張市が破たんし、医療崩壊したが、結果として一人当たり医療費が抑制し始めたどころか、健康的なシニアも増え、自分でケアをする人も増えた。現状もそうで、新型コロナで気を付けるようになっただけに一般の風邪も激減している。 私自身、これまでは常に1~4月は風邪をひくことが多かった。だが、今年は皆無で逃げ切った。6月になっても風邪をひいていない。徹底した除菌と飛沫感染対策をすることで、季節性のインフルエンザはもとより風邪もひかなくなったということだ。 要するにコロナ後は、これまでと同様に患者数を確保することは不可能であるし、むしろこれを加速させていくべき点も多々あるのだろう。こうなると医療制度を根底から考え直す必要がある。 感染症病院はすべてを公営化し、開業医院は多くが廃業を余儀なくされる可能性があるため、総合病院での就労、ネット診療が可能な病院展開の支援、開業医が破産しないセーフティーネットを確立するといった抜本的な医療制度改革が求められる。 日本は海外のプライマリーケアを参考に、総合病院とかかりつけ医の制度変革を進めてきた。だが、遠隔医療と訪問医療の制度拡充、フランス的な疾病率に応じた大幅な改善による医療費負担率見直しで医療費抑制などを進めるべきであることは、国の有識者会議でも提言がなされている。医療費は毎年1兆円ずつ増えているが、45兆円の医療費は15兆円程度減らせるのではないだろうか。介護も介護保険料を数兆円削減できる可能性もある。病院の集中治療室(ICU)で、新型コロナウイルスの重症患者の治療にあたる医療従事者=2020年4月23日、川崎市 これらの問題は、開業医だけでなく中小零細企業でも同じだ。一度クラスターが起きると倒産を招く事態になりかねないからだ。ちなみに、私が経営に関与した会社は、1月17~19日に社員1人が展示会でインフルエンザにかかり、工場に帰ったところ全員に感染し、2週間程度工場稼働が停止した。慣れれば結構楽しい? 稼働停止を複数回も招けば会社の存続に関わるだけに、社員にマスクや除菌剤を支給、社内換気のほか、通路は2時間に一度水浸しにし、加湿器も湿度が70%以上になるように設定した。靴も支給して内外で履き替えるルールを決めた。会社に入る際には着衣をすべて除菌、荷物の受け取りも外で行い、受け取り時だけでなく、開封後の除菌も徹底した。 また、休憩前には必ずうがいと手洗い、休憩室ではマスクを着用するか、飲食の際などは一切しゃべらないよう徹底。全員車通勤で、利用時に足元やハンドル、シフト、キーを除菌するようにした。もう一つ、社長が病院に行くことが多いので、テレワークにしてもらった。 非常に煩わしいと思われるかもしれないが、慣れれば結構楽しくやれる。むしろ、安心感を持たせることで働くモチベーションも上がるのだ。やはりこれだけ徹底しなければ、かえって死活問題になりかねない。政府の有識者は「新しい生活様式」と繰り返すが、事業継続計画(BCP)の観点から見ると説得力が乏しい。学者らしいといえば学者らしいが、実務第一主義での専門家の指導もほしいと思う。 日常生活も変わった。例えば店舗のレジだ。コンビニエンスストアやスーパーなどの場合、すでに導入されているが、レジにビニールシートやアクリル板を常設している。基本的に新型コロナウイルスは、飛沫感染が主な「ヒトからヒト」よりも、「ヒトからモノ」に付着し、別の人に感染するケースが8割とされる。 そもそも政府の発表では、発症しない限り無症状での感染は極めて低いとされていたが、海外では感染事例もあり、政府はその後、2日前から濃厚接触者との定義に変更した。世界保健機関(WHO)も幹部が「無症状者からの感染はまれ」と発言した直後に撤回している。 このように無症状者からの感染も念頭に置く必要があるが、コンビニやスーパーのレジは支払い時ばかりを問題視し、店員と客のやり取りの後に除菌や手洗いすることで、感染防止ができていると思いがちだ。だが、本来は不特定多数に客が触った商品の表面などにウイルスが付着している可能性もある。 要するにレジスタッフ回りだけの対策がほとんどで、生産ラインや物流、商品そのものの対策はほとんど啓発されていないのが現状だ。一部大手コンビニがトイレやゴミ箱の使用も中止したが、トイレは多くの場合換気扇が回っており、除菌剤を使用して掃除するだけに感染リスクは低いだろう。 ゴミ箱は分別されていない場合、店員が分別し直すため、感染リスクは高まる傾向があり、注意が必要だ。まずはゴミ箱を外に配置するだけでなく、分別する場合は除菌水につけるといった新たなマニュアルが必要になる。最近はセルフレジ化も進み、リスク低減にかなり有効だと思われる。こうした工夫や改善を重ねることで、第2波はかなり防げるのではないだろうか。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、レジに透明のシートが設置された名古屋市内のスーパー=2020年4月 通信販売も増加傾向にあるだけに、配達物の除菌も徹底するといった在宅におけるマニュアルを作成するべきだ。これは車や自転車なども同様で、徹底的な「除菌」を習慣づけるしかない。 家庭での生活様式も見直す必要がある。今回の新型コロナ感染拡大を教訓に、そもそも外出先から家人が帰宅した際、玄関や靴を除菌し、衣服も着替え、できれば手洗いうがいだけでなく、シャワーを浴びることなどを習慣化するのが望ましい。ただ、これだけ徹底するのは現実味がない部分もあるので、新しい生活様式の提案の一部は法制化するなども急ピッチに推進すべきだと思われる。日本は「お家芸」で勝負せよ ところで、今回のコロナ対策で議論が進んでいないのが地下鉄や電車である。テレワークの推奨で、6月以降も満員度は低いが、路線によっては「密」状態に戻っている。電車内などでの感染はあまり深刻ではないようだが、盲点は地下鉄のホームにある。 地下鉄車内は窓を開けて喚起は徹底されているが、ホーム内の空気はそれなりに滞留している。「夜の街」や病院や介護施設などのクラスター以外の感染要因をとして、今一度、地下鉄の構内関連を調べる必要があるのではないかと思われる。 次にエンターテインメント関連を考察してみよう。スポーツ観戦やコンサートなど、大勢の観客を伴うイベントの再開はまだまだほど遠いようだが、3月に開催されたさいたまアリーナで開かれたK1イベントは物議を醸したものの、6500人が来場した割には、目立った感染は報告されていない。理由は、マスク着用義務と歓声を禁止したことにあるとみられるが、これらを徹底してライブハウスは再開したが、客が声を発しないライブハウスは厳しいとは思う。 最後に、今、東京の新宿・歌舞伎町での感染拡大が懸念されている。多くが、ホストとなっているが、ホストの客の大半は風俗関係で働く女性である。また、韓国の感染第2波の集団感染は同性の性的接触で、新宿2丁目はあまり話題にでないが、コロナはエイズにも似ている特性もあるため、感染源が性行為だとすれば、すべての問題の謎は解ける。この論で行けば、規制すべきは、風営法であり、店ではないのだろうとも思う。 以上、種々の対策や課題を記してきたが、無症状感染者からの感染の有無はよく分かっていないとはいえ、発熱を徹底的に確認するサーモグラフィーなどを設置などは常態化するだろう。一部の自治体では、マスク着用条例なるものが見られるし、店舗の換気も不可欠になるが政府による助成は検討されている。 今後政府が行う公共投資の景気対策と雇用対策、産業創出で期待されるのが、以前私が提唱した、オバマ大統領がリーマンショック時に行ったグリーンニューディール政策に対抗し、公衆衛生環境投資の財政出動である「クリーンニューディール」政策だ。マスクを着用して家路につく人たち=2020年5月、大阪市北区(鳥越瑞絵撮影) 日本の技術のお家芸でもあるセンサー関連の需要は今まで以上に伸びる。店舗や行政窓口などで必要な非接触器具はもちろん、オートセンサーによる除菌など、あらゆる自動化サービスが求められ、日本の技術こそが不可欠になる産業の創出が期待できる。 日本のコロナ対策は世界各国から見れば非常に甘くいい加減なものだが、結果として感染者や死亡者数をかなり少数に抑えることができたことを思えば、日本の技術や生活習慣が再び評価され、それ自体を産業として経済再生にも寄与できる、大きなチャンスとなるだろう。 本稿では「withコロナ」対策をざっぱくに記載してきたが、各自の生活意識、経営意識、政治意識の変革の一助となり、経済復活のきっかけとなれば幸いである。

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    コロナ支援策知らぬは損、絶望の淵で奏でる水商売店主らの狂騒曲

    よく話題になっているが、企業向けの持続化給付金はあまり触れられていない。 持続化給付金は、政府による新型コロナウイルス対策の大規模経済支援策の目玉の一つだ。感染症拡大による影響で売り上げが減少した企業や個人事業主に、最大200万円ないし100万円を配布しようというものだ。 安倍晋三政権による新型コロナウイルスの財政出動は、先に触れた全国民を対象とする特別定額給付金と、主に中小企業向けの持続化給付金がいわゆる「真水」の両輪になる。 そして日本の新型コロナウイルス対策の財政支援は、国際的に見てもかなりの規模に及ぶ。これらをまとめた財政パッケージの総額は国内総生産(GDP)の約20%相当にも及ぶ。 米コロンビア大のセイハン・エルジン教授によれば、調査した世界166カ国のうち日本の支援総額はGDP比で世界第2位だ。ちなみに1位は小国のマルタなので、実質日本は世界でも最大の財政出動をしたことになるという。 ただ、批判者の中には、その支援規模は融資保証なども含めた額であり、直接国民には影響がないと指摘する人もいる。だが、特別定額給付金という国民全員に配布する10万円も、世界の実情を見れば、かなりの大盤振る舞いということが分かる。特別定額給付金のオンライン申請が始まり、マイナンバーカードの取得手続きなどで混雑する大阪市浪速区役所の証明発行窓口=2020年5月11日、大阪市浪速区(寺口純平撮影) 個人向けの給付金に関しては、米国だと一人当たり1200ドル(約13万円)と高額だが、それでも日本より額が多い国は限られている。韓国(1人では約3万5千円、1世帯あたりでも最大約9万円)やシンガポール(21歳以上の国民に約4万5千円)は、日本の額よりかなり少ない。 この金額はあくまで支給されている国での比較であり、そもそも国民一人あたりの給付金がない国の方が実際には多い。社会主義国家という建前の中国には、そのような国民一律の給付金は存在しない。もちろん収益が減少した企業への納税猶予や、商品券などの配布、失業者への手当、ロックダウンによる休業補償などはある。 それでも、どちらというと社会主義国家であるはずの中国の方が個人による自助努力が求められる。小さな飲食店たちの現場 こうした給付金のような、売り上げ減に対する直接の給付支援は世界的に見ても数が少ない。自民党が、いかに街中の中小企業や自営業者に立脚して政治を見ているかということの証左になるのかもしれない。 そんな中小企業と自営業者に向けた持続化給付金だが、予算成立後、その受付が始まっても支給対象となるはずの小さな飲食店などにはしばらく知られていなかった。 小さな飲食店の店主や、バーやスナックといった水商売の人たちは裸一貫から己の才覚のみでやってきた人ばかりだ。社会から背を向けて、自分の居場所を確保して生活しているような一匹狼も多い。 4月にそうした店を訪ねてみたところ、誰もいないガランとした店内で、一人でたたずんでいる店主たちばかりだった。行く先々で「貯金もないから、クレジットカードで暮らしているよ」というような寂しい話を何度聞いたことか。  私が「持続化給付金という国の支援金があって、あなたのとこなら100万円もらえるよ」と教えると、皆キツネにつままれたような顔をする。何度説明しても、融資の話だと思い込んでいる人もいる。きっと私が顔なじみでなければ、詐欺と思われていたかもしれない。 一般的な小さい個人事業賃貸の店は、持続化給付金でまず100万円、それに加えて世帯に給付される1人10万円、さらに各都道府県や自治体からの休業協力金(東京都は50万円、神奈川県は20万円)がもらえることになる。総額は百数十万円にも及ぶ。 スナックのような小さな店では、この金額は大きい。もちろん、売り上げが月間で数百万円から何千万円というようなレストランや大きな居酒屋のような規模だと、これでもひと月分の損失にはとても届かないかもしれない。 しかし、個人経営の小さな店であれば、実質の利益の4~5カ月分にはなる。こうした店では、固定費はほぼ家賃だけで、売り上げがなければ変動費はゼロだ。この新型コロナウイルスの客数減が始まった3月からの苦境は、ほぼ脱出できる計算になる。 店の人になんとか分かってもらえるよう、酎ハイを飲みながらその仕組みを説明するが、それでもまだ怪訝(けげん)そうだった。とりあえずお節介にならないよう「もし分からないなら手伝うよ」と言い残して店を出た。こんなことが何軒か続いた。すると翌週に、いくつか電話がかかってきた。私はノートパソコンを持って、店に向かった。200万円の持続化給付金を申請する個人会社の女性経営者。申請は必要項目を入力するほか、電子化した書類を添付し、インターネットで完結する=2020年5月1日 もちろん私は司法書士でも税理士でもないので、必要な書類を準備してもらった上でネット入力を手伝うだけだ。言うまでもなく全て無償である。しかし、手に負えないような障害もあった。 苦労したのは確定申告していない人たちだ。私は多くは聞かず、とりあえず昨年の分だけは必ずやるように伝えた。正直小さな飲食店には、さまざまな事情で確定申告を怠っている人たちがけっこうな数で存在する。コンコンと説いて、ようやくその手続きを約束させる。戻りつつある街の賑わい 5月に持続化給付金の申請が始まってから、日本中で個人事業主の確定申告の件数がかなり増えたはずだ。持続化給付金の申請には、この書類が必須だからだ。 「確定申告してください」という願いを聞いて、いつもは見せることのないような難しい顔をしているママを残し、私は帰る。こればっかりはどうすることもできないのだから当たり前だ。 それからしばらくして「やってきたよ」とショートメールが届く。そしてまたパソコンを抱えて店に行き、ようやく持続化給付金の申請が完了した。 5月下旬になると、私の周りの個人事業主から「持続化給付金が振り込まれた」という話が聞こえてくるようになった。会う人は皆、表情は明るくなっている。か細い声だった夜のママたちにも、また酒焼けした威勢のよい大声が戻ってきた。 もちろん、夜の街の飲食店が完全に苦境を脱したわけではない。かなりのサラリーマンが夜の街を依然自粛しているし、そもそもリモートワークで自宅にこもって仕事する人もまだ多い。韓国のように、完全に収まったと思い込んだところで、第2波がやってくるかもしれない。 大企業が本当に苦しいのはきっとこれからだ。さらに言えば、日本全体が新型コロナウイルスの不況から脱するのは、どんなに早くとも来年だろう。 しかし、底辺から日本経済を支える小規模の飲食店は、前代未聞のパンデミック(世界的大流行)の最初の辛苦を脱することができた。 持続化給付金がなければ、こうした小さな店の大半が夏までに潰れていただろう。 6月12日に成立した第2次補正予算では、持続化給付金に加えて、家賃支援給付金が支給されることになった。売り上げが半減した事業主の場合は、小規模の個人店舗の例ならば、家賃月額の3分の2または3分の1を6カ月にわたって支給されるというものだ。 6月に入り、私が手伝った店から持続化給付金が振り込まれたというメールが来た。笑顔が目に浮かぶようなメールの文面だった。 報酬をもらうことはご法度だが、水割り一杯ぐらいならもらってもいいのではないかと思いつつ、私は日本がまだまだ捨てたものじゃないと思った。次は店主たちに、家賃支援給付金の説明をすることになるだろう。 思えば、新型コロナウイルスをめぐっては、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」でのクラスター(感染者集団)事案から始まり、東京五輪をにらんでの自粛要請の遅れがあった。その後は二転三転した学校の休校措置や9月入学の導入構想、アベノマスクの配布や治療薬承認の遅れなどドタバタが続いた。人が増え始めた新宿・歌舞伎町の歓楽街=2020年6月3日(桐山弘太撮影) しかし東日本大震災のパニック時と同様に、こうした状況への対応はどんな政権だろうと混乱するはずだ。 それでも、結果的になんとかうまくいけばいい。感染による死亡者数がいまだ低く抑えられている現在の日本、後は経済だ。

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    医療機関が怖れる「6月危機」 夏のボーナス払えない医院も

     5月1日に日本医師会と四病院団体協議会(四病協)が加藤勝信厚生労働相に提出した「新型コロナウイルス感染症における診療体制に関する要望書」は、コロナ治療対策についてだけでなく、日本の医療を支える存在が崩壊する危機を訴えたものだった。その訴えによれば、コロナ禍で患者数が激減した4月の診療報酬の支払時期にあたる6月は大幅な収入減となり、日本全国の医療機関で、そこが大病院でも町医者でも、すべてが経営危機を迎える可能性がある。コロナ治療の有無に関わりなくほぼすべての医療機関が経済的危機に直面しているというのだ。この困難な時期、少しでも出費を抑えたい小さな医療機関のもとに、高額なアルコール消毒液が届いた。ライターの宮添優氏が、苦境にありながらそれを訴えづらい医師たちの実態についてレポートする。* * *「多くの医療従事者が、まさに不退転の決意で新型コロナウイルスと戦っている。同じ医師として誇らしい気持ちでいっぱい、私も医療従事者の端くれとして何かしらお手伝いしたい、協力したいという思いはあるのですが……」 福岡県内のクリニック院長・澤田義彦さん(仮名・40代)が漏らすのは、自身が医師であるにもかかわらず、新型コロナウイルスに関する医療に全く寄与できていないという喪失感、そして何より「生活が立ち行かなくなってしまう」危機感だ。澤田さんが経営するのは、内科と整形外科の外来診療のみを行う小さな「町医者」。3月の下旬ごろから患者数はガクッと減り、4月は日に数人、5月に入っても患者数は、以前の水準の2割ほどだという。「こういう時期ですから、患者さんにも週一だった通院を二週間に一度に、月に一度にと減らすように勧めてはいるのですが、そもそも緊急事態宣言下の自粛要請のおかげで、通院控えする患者さんが多い。感染拡大のために患者さんも苦しい思いをしているし、それが世のためだというのはその通り。ただ、私どもの生活は苦しくなる一方」(澤田さん) 言うまでもなく医療機関は生活に必要不可欠な機関であり、当然「自粛要請」の対象には入っていない。医療機関が閉じてしまえば、持病を持った患者、急に体調を崩したり怪我をしてしまった患者は路頭に迷う。ただ、世の中の医療機関のうち、コロナ患者に対応できるような病院は、実はほんの一握り。「医者」といえば、景気や社会情勢に左右されず、高い収入が維持できる仕事、というイメージが根強い。そのためパンデミック下において、ほぼ全ての産業が大ダメージを受ける中で、医療機関だけは「儲かっているのではないか」と考える人も少なくなく、だからこそ「医療機関の救済」などとは声高に語られることもなかったのだ。※写真はイメージ(Getty Images)「医療機関は、商売というより社会奉仕的なイメージが強い。だから金の話は特にしづらいんですが、他の商売と同様に経営が成り立たなければその社会奉仕すらできない」(澤田さん) 多くの医療機関は、このコロナ禍でも市民の健康や命を守るために業務を続けているが、その台所事情は真綿で首を絞められるように悪くなっている。医療崩壊の危機 5月1日、日本医師会などが加藤厚労省に要望書を提出したが、それによると3月時点、医療機関の「収入」である診療報酬の請求権はすでに15~20%の落ち込みを見せていたという。4月の落ち込みについても「外来・入院ともに大幅に患者が激減」とあり、従業員の給料を確保することが難しく、新型コロナウイルスの感染終演後に地域医療が崩壊するかもしれないという懸念にも触れられている。「はっきり言ってきついですが、患者さんに通院してください、とは言いにくい。病院が3密になってしまえばそれこそ元も子もないですから」 こう話すのは、東京都世田谷区内の診療所に勤務する内科医・田中亮介さん(仮名・30代)。普段はと言えば、朝から高齢者が診療所の前に列をなし、夕方の診療終わりまでひっきりなしに患者が訪れる。「病院がまるで高齢者の憩いの場になっている」などと揶揄される光景ではあったが、こうした患者のおかげで「食えていた」とも吐露する。「高齢の患者さんの多くは、コロナを恐れての診療・通院控えをされています。高齢者がコロナに感染すると重症化する、といった報道がなされた4月以降、患者がゼロの日もあるほど。しかし、患者が来ないからと言って診療所を休みにすることはできません。看護師やスタッフを減らすこともできず、とにかく開け続けているのですが、それだけでも現金は出ていきます」(田中さん) そんな苦境の中、田中さんの下に突然「大量のアルコール剤」が届いたのは、ちょうどゴールデンウィーク明けのことだった。「地域の保健所を通じて、厚労省から医療機関・福祉施設などに消毒用のアルコールが優先販売されるという案内が届きました。それが4月の上旬くらい。当時はアルコールだけでなく、マスクも全く足りていない状況で、アルコールは薄めて、マスクは同じものを一週間も使い回しました。5リットルほどを注文したのはよかったのですが、それ以降何の音沙汰もなし。ゴールデンウィーク中に何とかアルコール消毒剤は入手できたのですが、ゴールデンウィーク明けに宅急便でいきなり5リットルの消毒剤が届きました。そもそも、供給できる状態になったら事前に連絡するという説明も書かれていましたのに連絡無し。届いたものの価格は市価の2倍近くでした。アベノマスク同様、もはやいらないものを高額で押し売りされたようなもの。ただでさえ大切な手元の現金が減ることに、不安を感じます」(田中さん) この件については、すでに一部マスコミでも取り上げられている。国の斡旋で販売された消毒液が市価の数倍もし、しかも注文した医療機関らが「忘れた頃」、およそ1ヶ月後に届けられたということで、現場が混乱しているという。日本医師会もすでに実態調査を進めているというが「頑張っている医療従事者のために」と、政府は事あるごとに「配慮の姿勢」をほのめかすものの、消毒剤の件といい、医療機関の現実をしっかりと把握しているのか疑わしい限り。 さらに田中さんが恐れるのは、業界では「6月危機」とも呼ばれる、経済的な要因による「医療崩壊」の可能性だ。※写真はイメージ(Getty Images)「診療報酬は、約2ヶ月後に医療機関に支払われます。患者が激減した4月分の診療報酬は6月に支払われるのですが、現状で言えば完全な赤字。概ね6月から8月にスタッフに支払っている夏ボーナスについても、出どころを確保できていない医療機関も多いと聞きます。当たり前ですが、人がいなくなれば医療機関も無くなります。医療機関がなくなれば、人が死ぬんです。恥も外聞も捨てて、金をくれというしかない。」(田中さん) 世間からの「医療従事者は頑張れ、応援してます」という声は、彼らにとっても嬉しいだろうし、励みになるものだろう。ただ、そのおかげで弱音を吐けなくなっているという医療従事者、医療機関が増えている現実にも目を向けなければならない。コロナ後の世界が、医療機関が減り、医療従事者が職にあぶれる、というものであれば、今以上の苦しみが世界を再び襲うことも確実なのだ。関連記事■雅子さま 感染者や医療従事者に向け、前代未聞のお言葉発表■新型コロナの免疫 普通の風邪にかかって獲得する可能性も■命を譲るカード論争に大村崑氏(88)「私は絶対に譲らない」■コロナで毎日が不安な人へ 心理カウンセラーからメッセージ■石田純一が退院2日後に散歩 家族とは一緒に食卓囲めぬ状況

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    走らない姿こそ至高、東京五輪で満喫したい競歩のロマン

    武田薫(スポーツライター) 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が解除になり、完全停止状態だったスポーツ界も懸命に復旧を模索している。プロ野球が無観客ながら6月19日に開幕するが、気になるのは1年間延期となった東京オリンピックの行方だ。 既に代表を決めた選手たちは、あの手この手で「3密」を避けながらGOサインを待つ。そんな中「ぼくたちは恵まれていますね」と話すのは、東京大会50キロ競歩代表の川野将虎(まさとら)だ。 川野は東洋大陸上部所属の4年生。昨秋、いち早く50キロ競歩代表の座を手にし、同じ部に所属する同級生の池田向希(こうき)も今年3月に20キロ競歩の代表になった。 バルセロナ、シドニー代表だった日本陸連の今村文男強化コーチも東洋大OBだ。東洋大は、ロンドンの西塔(さいとう)拓己、リオデジャネイロの松永大介に次いで、3大会連続で現役学生をオリンピック代表に送り込んだことになる。 陸上部の酒井俊幸監督は箱根駅伝の指揮官として知られているが、実は大の「競歩ファン」でもあり、現役時代を振り返って次のように述べている。 (私の現役当時は)特に指導者がいなくとも競歩は強かったですね。陸上部では、われわれの長距離と同じブロックだったので仲も良かった。歩行の腰の使い方に興味があったし、歩形のきれいな選手が好きでした。 酒井監督はコニカミノルタでマラソンを走った後、一時は郷里の福島に戻って教員生活に入った。その後、母校・東洋大の指導者として迎えられたのが2009年の春である。 それから2012年にかけて、「山の神」柏原竜二を起用して箱根ブームを作り上げる一方、酒井監督は競歩でも実績を積み重ねていた。だが、これは酒井監督だけの力ではなかった。それは監督の妻であり、陸上部コーチでもある瑞穂さんの存在だ。 監督と同じ福島県出身である瑞穂コーチは、高校と大学で競歩選手として活躍した。「歩形」、すなわち歩く姿勢がきれいな選手として人気があり、酒井監督は大学時代から瑞穂コーチの写真を撮りまくっていたと言われる。 ただ酒井監督は「いや、それは、ちょっとニュアンスが違うんです。当時はスマートフォンがなかったから、フォームの参考になればと思って撮っていただけです」と言う。それはそれで微笑ましいエピソードだ。 瑞穂コーチは東洋大で、当初は競歩選手のアドバイザー、そして現在は競歩担当コーチとして夫唱婦随でオリンピック代表を育てた。東洋大の(左から)酒井俊幸監督、酒井瑞穂コーチ(中央)から指示を受ける川野将虎(鈴木智紘撮影) 競歩は競泳などと違って、特別な施設も用具もいらない。500メートルの平坦な道があればよく、練習は一人のみで密閉も密集も密接もない。冒頭で記した「恵まれている」という川野の言葉はそういうことだ。だが、実際には「人の目」を最も必要とするところに、競歩の奥深さと面白さがある。 いまやマラソンを抜いて日本のお家芸とまで言われる競歩だが、二つの規則、すなわち「ベント・ニー(膝を曲げる)」「ロス・オブ・コンタクト(両足が地面から離れる)」があること以外、ほとんど知られていない。 ただ、「彼らはなぜ走らないのか」という根底的な疑問は、恐らくマラソンの普及した日本ならではの疑問であろう。そして世の中に耳を傾けると「走った方が速い、速い方が偉い」と思っている人のなんと多いことか! なお競技種目が表舞台に登場したのは、1896年の第1回アテネオリンピックでマラソンが採用されたのが始まりだ。ただ当時は、走る距離が40キロであった。競歩の原点 もちろん、オリンピック以前にも競走自体はあった。だが、その競走概念は時間よりも距離に重きが置かれていた。「40キロをどれだけ速く走るか」ではなく、「12時間で何マイル、6日間でどれだけの距離を踏破できるか」に人々の興味が注がれた。これは「ペデストリアニズム(Pedestrianism)」と呼ばれた。 そしてこのペデストリアニズムを一大ブームに巻き上げたのが、米国のボストンに住んでいたエドワード・ペイソン・ウエストンという男だ。米大統領選でエイブラハム・リンカーンが第16代大統領に選ばれた1860年、ウエストンは友人との賭けでリンカーンの落選を予想した。 負けたら大統領就任式に合わせてワシントンまで歩くという、初めは冗談のはずだった。だがウエストンは、翌61年3月4日の就任式に向けて478マイル(769キロ)を歩き出した。雪と雨に打たれ、泥道をかき分けて、10日と10時間もの間、歩き続けた。 彼は就任式には6時間届かなかったものの、晩餐会には招かれている。時代はマスメディアの夜明けで、新聞が連日ウエストンの動向を報じて国中の話題になっていた。まさに「歩くウエストン見たさに人が集まる」のだ。 当時はバスケットボール誕生前のことで、室内競技場はまだ存在せず、当時流行していたローラースケート場でペデストリアニズムの興行が行われるようになった。 現在はボクシングの世界戦や米プロバスケットボール(NBA)の試合で使われるマディソンスクエアガーデンでも、頻繁に6日間ぶっ通しのぺデストリアニズム興行が催された。 「歩くだけ」という、今思えば何が面白かったのか分からない。だが、これが押すな押すなの大盛況で、ぺデストリアニズムが近代スポーツの最初の観戦競技だったのである。何せ、歩こうが走ろうが自由なのだ。 そしてロス・オブ・コンタクトが採用され、初めて現在の競歩の形をとったと言われているのが、1875年11月15日の真夜中にスタートしたシカゴ博覧会場でのレースだ。その500マイルレースでウエストンは若いダン・オレアリーの挑戦を受け、敗れている。 オレアリーに負けたウエストンは、今度は舞台を英ロンドンに移す。そして現在のロンドン地下鉄エンジェル駅近くの旧農業センターで興行するなど、ペデストリアニズムのブームは大西洋を越え、世界的になっていく。 競歩の人気は、産業革命前夜の活気に先駆けた熱気であり、その特色は都市にあり、観衆の目にあり、そして人の持つ耐久力の追求にあった。この不思議なエンターテインメントは、やがてベースボールの娯楽性やマラソンが提起した時間の概念に押し流されていく。だが、機械の前に人間の力があり、競争にはルールがあるという共通認識が、今なお世界で競歩が行われ続ける理由であろう。 ただ、競歩については、「ロス・オブ・コンタクトは無意味」とか「どの選手の足も浮いている」という指摘がよくある。それでも、競歩は多くの競技が採用するビデオ判定を導入せずに、全て審判の目視に委ねている。走らないという「約束」が、この競技の命綱だからだ。機械ではなく「自分自身で約束を守る」ことが、彼らウォークマン(歩き人)たちの使命なのだ。世界陸上男子20キロ競歩、給水ポイントで帽子を受け取る池田向希(右)=2019年10月、ドーハ(共同) 東京大会の延期で、アスリートたちは不安な日々を過ごしている。東洋大も6月20日まで合宿所が閉鎖され、インターネットやLINEを駆使してチームを維持している。ちなみに池田は6位に入った昨年の世界陸上で、最も歩形のきれいな選手と言われた。 瑞穂コーチは、池田も川野も気持ちをうまく切り替えていると述べた上で「監督は、競歩は自立と自律だと言います。池田君もコロナに周りを見るチャンスをもらったと、新しいトレーニングに取り組んできました」と話す。 沿道の目、内なる目に己の歩形をさらしながら、求められる「約束」を守り切る。何というロマンチストたちであろう。オリンピックの開幕を祈らずにはいられない。

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    安倍首相のフォローもどこ吹く風、昭恵夫人の「夫唱不随」

    は冷酷だ。トップリーダーは、どんな批判を受けようとも、最後には決断を下さなければならない。ましてや、新型コロナウイルスが猛威を振るい、時々刻々と移り変わる情勢の中で、最適な判断を求められている。政治家がこんな時期に女性に溺れるなど論外中の論外だろう。 折しも、緊急事態宣言が出された4月7日の翌々日、4月9日夜に、立憲民主党の高井崇志衆院議員が、新宿・歌舞伎町のセクシーキャバクラに行っていたことが『週刊文春』に報じられた。記事には、その名の通り、ホステスとの「濃厚接触」の実態が赤裸々に描かれていた。 この高井議員、2月28日に国会の委員会で、安倍晋三首相に「総理の危機感のなさが国民のみなさんを不安にしている」「せめて今後、会食を自粛する考えはないのか」などと説教を垂れていたのだから、言行不一致、特大ブーメランの典型だ。こんな「傾国の大馬鹿野郎」を議員として当選させた立憲民主党の見識が問われよう。女性にうつつを抜かしたい奴は政治など志すべきではない。 その点、安倍首相は女性にうつつを抜かす危険性があるかどうかといえば、どうやら安心のようだ。政権に返り咲いた直後の2013年に、夫婦関係についてテレビ番組で「家庭の幸福は家内への降伏」とおどけてみせた。私も「恐妻組合理事長」を自認しているが、安倍首相も同じ人種なのだな、と親近感を持った記憶がある。 自分は自分、妻は妻、女性には目もくれず、政治に邁進する。それは、いわば政治リーダーの一つの理想の姿ではある。衆院予算委で質問する立憲民主党の高井崇志氏=2018年2月(斎藤良雄撮影) しかし、夫婦は別人格とばかりに、昭恵夫人のコントロールなど考えずに政治に邁進している間に、「ファーストレディー」として風当たりは強くなる一方だ。 新型コロナウイルスが猛威を振るい、首相がその対応に奔走している中、昭恵夫人は3月下旬、芸能人らとともに都内の高級レストランで食事し、中庭の桜をバックに写真撮影していたことが『週刊ポスト』にスッパ抜かれた。 また、3月15日に約50人の団体ツアーとともに大分県の宇佐神宮を参拝したことを週刊文春が報じた。ツアーの主催者に「コロナで予定が全部なくなったので、どこかへ行こうと思っていた」と連絡して、参拝に合流したという。「バカップル」は言いすぎ 歌手の星野源が外出自粛を促した弾き語りの動画に乗っかった安倍首相による「コラボ動画」も物議を醸した。自宅でくつろぐ安倍首相に対し「優雅でいいよな」などと批判が寄せられ、撮影したのは昭恵夫人ではないかと、またまたバッシングの対象となった。 首相が寸暇を惜しんで危機管理に努めていることを国民はよく分かっているし、オフがあってはいけない、とも言わない。ただ、感情を逆なでされたとケチをつける人たちは、ネットなどで「バカップル」とまで罵っている。安倍首相夫妻が政治家夫婦として「ベストカップル」とは言いにくいとしても、「バカップル」はあまりに失礼な物言いだろう。 しかし、危機管理に翻弄される安倍首相と、首相とは関係なく自由奔放に行動する昭恵夫人には、当世風「翔んだカップル」という表現がふさわしいのではないか。 漫画家、柳沢きみおの『翔んだカップル』は、1978年に『週刊少年マガジン』で連載が始まり、テレビドラマや映画化するなどヒットした。ちょうど大学生だった私が愛読したぐらいだから、当時20歳代の安倍夫妻も知っているかもしれない。この漫画が出始めて、それまで一般的に使われていた「アベック」から「カップル」という言葉に変わり始めたのではないかと思われるほどのブームだった。 不動産屋の手違いで高校生の男女が同居を始めるというあり得ない設定ではあるものの、女性に対して優柔不断の主人公の男子高校生・勇介と、同居相手ではないが、勇介に興味を持ち、勇介にアプロ-チする聡明な女子高生・秋美の奔放な生き方が、今60代になっている私たちを当時は惹きつけた。 戦後生まれの政治家たちは、こういった奔放な男女の生き方にさほど違和感を感じないし、「夫唱婦随」などというのは時代錯誤だとよく分かっている。 『翔んだカップル』の連載が始まった翌年にヒットしたのが、さだまさしの『関白宣言』だった。私の妻も「あの歌は女をバカにしている」とおかんむりだが、『関白宣言』は、失われた世界へのノスタルジアであったと思っている。私も含め、妻に隠れて男同士が集まってカラオケでこっそり気勢を上げる歌として歌い継がれているのではなかろうか。 いかに日本の政界がいまだに男性中心とはいえ、『関白宣言』を地で行くような政治家夫婦はさすがに絶滅危惧種だろう。 やや話が横道に逸れたが、政治家である夫とは別に妻が自立して活動する、そんな『翔んだカップル』は、鳩山由紀夫元首相夫妻も、菅直人元首相夫妻も、多かれ少なかれそうだった。首相が昭恵夫人をコントロールできないのではなく、それは70年代に青春を過ごした世代の文化でもあるのではなかろうか。2010年6月、中国・上海万博の「ジャパンデー」を記念する式典に出席した鳩山由紀夫前首相(左)と幸夫人(共同) ゴリゴリのフェミニストの方々を含めて、ファーストレディーが一つの確信を持って自分なりの行動をとることを、ある程度許容する時代である。首相夫人が、夫である首相と政治的立場を異にする反原発の人たちや沖縄の基地反対運動の人たちとコミュニケーションをとる姿に、私の妻なども「自立した人格だからいいじゃない、むしろ好感を持つわ」と評価している。自分は自分、妻は妻 だが、一般的に、妻が自分の主義主張とまるっきり反対の人たちとコミュニケーションを重ねていたら、心中穏やかではないだろう。 かといって、「ファーストレディーだから行動を控えめにしろ」「だから安倍首相はけしからん」などと言い立てるのは、野党なら安倍内閣の支持率低下のために当然かもしれない。ただ、与党内まで言い立てるのは、昭恵夫人をダシにした「安倍降ろし」の臭いがプンプンして、かえってシラケてしまう。 かくして、「自分は自分、妻は妻」を貫いて、妻に構わず政治に邁進するのが安倍流危機管理として奏功することになる。きわめて逆説的な「内助の功」なのだろうか。 実は、78年は「翔んだ」年だった。『翔んだカップル』の連載が始まっただけでなく、渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』が大ヒットしたのもこの年だ。昭恵夫人の奔放な行動を見ていると、どうしてもこの歌が浮かんでくる。あなたが本気で愛したものは 絵になる港の景色だけあなたは一人で生きられるのね 政治に邁進する夫を横目で見ながら自由を目指して翔んでいくかもめに、昭恵夫人は自分を重ねているのだろうか。シンポジウムに参加した安倍昭恵首相夫人(前列中央)と各国首脳の夫人ら=2019年6月、大阪府庁(代表撮影) 78年の『関白宣言』は有名だが、実は翌年、さだまさしは『関白失脚』という曲を出している。私は『関白宣言』のノスタルジーよりも、『関白失脚』のリアリティーの方が好きだ。精一杯がんばってんだよ 俺なりに それなりにそれぞれご不満も おありのことと思うがそれでも家族になれて よかったと俺思ってるんだ世の中思い通りに 生きられないけれど下手くそでも一所懸命 俺は生きている 「翔んだカップル」がSTAY HOMEでカラオケを歌うとしたら、夫の『関白失脚』、妻の『かもめが翔んだ日』でキマリか。でも、安倍降ろしで本当に「失脚」したら目も当てられないが。 そういえば、『かもめが翔んだ日』を歌った渡辺真知子のデビュー曲は『迷い道』だった。新型コロナウイルスが作り出した混沌(こんとん)の中、わが国が「迷い道」に迷い込まないよう、夫婦仲も、くれぐれもよろしく願いたいものだ。

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    コロナ禍がかき乱す、トランプ再選の行方を占うアメリカの真実

    今村浩(早稲田大社会科学総合学術院教授) 今秋、大統領選挙が行われるアメリカが、新型コロナウイルス禍により混迷を極めている。現状、全米の経済活動は「徐行運転」で再開されている。ただ、地域によっては、やや強引な「見切り発車」と思われる例もあり、今後のコロナ感染の推移は、執筆時点の5月末では全く分からない。それでは、コロナ禍による大統領選延期はあり得るのか、またそもそも可能なのだろうか。 実は、合衆国憲法には投票日についての規定はなく、任期についての定めがあるだけである。修正第20条1項には「4年ごとの大統領選の翌年の1月20日正午に正副大統領が交代する」と規定している。 憲法自体の修正は時間が足りないので無理であろう。だとすれば、今年の11月3日に全米で行われるはずの大統領選挙人選挙、すなわち大統領選は連邦議会の法改正により、少なくとも1月20日の新大統領就任に間に合う範囲でなら、延期は可能だ。 これに関連する連邦法は、1792年と1845年に制定された。前者は、各州の裁量により12月第1水曜日の選挙人投票日の34日前までに行うことができた。しかし、州ごとに五月雨式に投票が行われると、先行州の結果が後続州に影響することを嫌い、「大統領選は11月第1月曜日の翌日の火曜日」という現在まで続く形になったのである。 現在では事実上、この大統領選で勝負がつく。しかし、公式にはその後、各州で選挙人が会して正式な副大統領に投票する。そして封印した投票結果を首都ワシントンの上下両院合同本会議で、副大統領の司会の下に開票するという手続きを踏まなければならない。 この手続きに要する期間を考えれば、現実的には今年のクリスマス休暇前ぐらいまでであれば、大統領選を延期できないことはない。だが、現時点では、期日延期どころか、コロナ感染防止の観点から、むしろ投票所に人口が密集することを避けられる郵便投票の是非が論じられている。 いずれにせよ、憲法上の規定がなくとも問題は山積みだ。大統領選に合わせて、連邦議会の上下院議員に加えて、州レベル以下の公職者を選ぶことになっているからだ。そのため、連邦法改正だけでは延期できない選挙が膨大にある。各州議会の対応が間に合わない可能性もあり、たとえ40〜50日程度の小幅であっても、大統領選の延期は難しいのではないだろうか。 続いて、コロナ禍の中で再選を目指す現職、ドナルド・トランプ大統領の再選戦略について考えてみよう。 通常の任期では憲法上3選が禁じられている合衆国大統領について、半ばジョークとして言われていることがある。それは「大統領1期目の最大の課題と目標は、4年後に再選されること。2期目のそれは、歴史に自分の名を残すこと」というものだ。 そうは言うものの、従来の大統領はまず、就任直後しばらく選挙戦の傷を癒やす。そして「支持者のみならず、全国民のための大統領なのだ」という姿勢を取っている。 だが、トランプ氏は2017年の就任式からひと月と置かず、フロリダ州で自身の支持者を集めた大集会を開いてしまった。どこまで本気かはともかく、異例ずくめと言われるトランプ氏の就任後の行動の中で、最初に私が驚いたのはこの動きだった。 これは事実上、20年の選挙に向けたキックオフと受け止められた。トランプ氏は正直な人ではある。同時に、トランプ氏の選挙公約を実行しようとする姿勢は、すなわち「自分を支持しなかった人々が良しとはせぬ政策を愚直に実行しようとする」ことでもある。 歴代大統領は国民の統一のために、国民の間で意見の大きく分かれる公約の実現に性急に取りかかることには慎重であった。とはいえ、選挙公約を愚直に実行しようとすることが「ポピュリズム」と非難されるべきかどうかは、議論の分かれるところであろう。 17年の当選から今年の初めまでの3年間、トランプ氏の再選戦略はまずまず順調に推移し、進展してきた。ところが新型コロナウイルスによって、現在は全て一変したかに見える。 とりあえず、コロナ直前のトランプ政権の3年間について評価しておこう。正直に言えば、私自身トランプ氏を過小評価していたと反省するところがある。トランプ氏の3年間の実績には、認めざるを得ないことも多い。2020年5月28日、米ホワイトハウスで中国への対抗措置を発表するトランプ大統領(UPI=共同) まず彼に対する批判は、政策自体もさることながら、手法や政治姿勢、言動に向けられてきた。これらはどうでもよいとまでは言わない。しかし私にとっては、しょせん外国の大統領だ。同じような発言や振る舞いを、安倍晋三首相が行うのとはわけが違う。 話題にすべきは政策実績である。二つの視点から、それについて述べたい。侮れないトランプ氏の実績 一つ目は「好況の創出」である。トランプ氏が掲げて実現した公約として、製造業を含む雇用拡大がある。コロナ直前まで株式市場は好調であり、アメリカは好況に沸いていたと言ってよい。もちろん、全国民が等しく潤っていたかはともかくの話だ。 もっとも、バラク・オバマ政権時代の最後期あたりから景気は上向き始めており、トランプ政権初期では彼の功績ではないと言うこともできた。しかし、それから3年にもわたって持続していた好景気を、いつまでも前政権の功績に帰することはできまい。 トランプ氏の二つ目の実績として「対外政策」を挙げたい。17年12月6日、トランプ氏はエルサレムをイスラエルの首都と認定し、テルアビブにある大使館の移転手続きを開始する旨を発表し、西欧を含む国際社会の批判を浴びた。しかし、エルサレムを首都として承認すること自体、実はビル・クリントン元大統領が1992年の大統領選に名乗りを挙げた際に掲げた選挙公約であった。これは95年にエルサレム大使館法として連邦議会で議決されたものの、民主・共和を問わず歴代大統領は正面から反対せずに、実行を先延ばしにしてきたのである。 もちろん「なぜ今になって?」という感は否めない。しかしこれもまた、彼の愚直なまでに選挙公約を実行しようとする姿勢の延長線上だと理解できる。 中東に関しては、イラン革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のカセム・ソレイマニ司令官を無人機を使って殺害した。これが今年に入って間もない1月3日であったことは、もうほとんど忘れられている。 この直後、アメリカとイランの全面軍事衝突かと思われたが、イランの「反撃」はかなり抑制されたものにとどまった。イランは勝算なしと見て自制したのであろう。さらに1月28日、新たな包括的中東和平案を発表している。内容は、総体としてイスラエルに有利なものであった。これらの一連の政策の背景には、やはりアメリカでのシェールオイルの生産量増大がある。 アメリカの原油産出量は、ロシア、サウジアラビアを凌駕(りょうが)するまでに伸長している。これはすなわち、中東原油への依存度低下を意味し、堂々とイスラエルに肩入れできるようになった。これは中東に緊張をもたらす軍事行動への敷居が低くなったということも意味する。 ソレイマニ司令官殺害は、決して衝動的な短慮に発したものではあるまい。イランの対応を読み切った上で、1月初頭に北朝鮮による核・大陸間弾道ミサイル(ICBM)実験の再開に対する警告効果をも計算した周到な作戦であったと私は考えている。 また、1月15日には中国と「第1段階」の貿易協定で合意した。その内容は、かなりアメリカの主張の通った点ばかりが目に付くものであった。つまり、中国に大幅な譲歩を強いたのであり、トランプ氏の勝利であったと言える。 だが、トランプ氏が公約に掲げたようなこれらの一連の動きがアメリカを再び「偉大」にしたのかどうか、一概には言えない。そもそも「偉大」とは何を意味するかによって、正反対の評価もできよう。 ただし、政治経験の乏しさや、側近、要職者の目まぐるしい交代ばかりに目を奪われ、果ては弾劾訴追で任期を全うできないかもしれないなどという評価は、弾追が空騒ぎに終わった今、完全に誤っていたといえる。 トランプ氏は18年の中間選挙で、下院の過半数を失う手痛い敗北を喫した。しかし、中間選挙はそもそも政権党に分が悪いものなのだ。1862年以後の中間選挙39回で政権与党が勝ったのは、わずかに2回にすぎない。その2回も第2次大戦と9・11テロという国家的危機のときである。 中間選挙史上、政権党の最大敗北は、議席数では2010年にバラク・オバマ政権時の民主党が下院で63議席を失っている。94年のクリントン政権時の民主党は下院で54議席を失った。共和党の場合、ウォーターゲート事件の影響で74年のジェラルド・フォード政権時に、下院で48議席を失った。議席の減少率からして、これこそが中間選挙史上最大の政権党の敗北であるとすることもできよう。これらに比べれば、トランプ氏の議席減は、よく踏みとどまったと言えなくもない。 なおかつ、トランプ氏は着々と再選に向けて手を打ってきている。それは、「黒人」「ヒスパニック」「ユダヤ」の3つの民主党支持の少数者集団に、くさびを打ち込もうとする試みである。2020年6月5日、米東部メーン州で話すトランプ大統領(AP=共同) 一つ目の黒人層は堅固な民主党の支持基盤であり、他の先進民主国には同様の例を見いだせない。もちろん、黒人層の過半数を取り込めるなどとは誰も思っていない。しかし16年の大統領選では、それでも8%の黒人がトランプ氏に投票した。さらに4~5%の黒人層に食い込むことができれば、大きな違いを生み出せる。大統領選は決して全国で得票数を争うのではなく、州ごとの争いであるからだ。 激戦州、接戦州でのわずかな票の上積みが、その州の選挙人の総取りにつながる。人種差別の時代には大学から締め出されてきた黒人に、トランプ氏は高等教育の機会を提供してきた「歴史的黒人大学」への連邦補助金支給法に署名し、これを成立させた。さらに黒人が不満を募らせている刑事司法制度の改革を図るなど、黒人層を意識した政策も実行してきたのである。大統領の苦難 二つ目のヒスパニック層に関しては、黒人をしのぐ(妙な言い方だが)全米最大のマイノリティー集団となり、黒人ほどではないにせよ、民主党に傾いている。それでも先の大統領選では、ヒスパニック系票の3分の1近くがトランプ氏に向かったとみられる。 ロイター通信と調査会社イプソスが昨年7~9月に実施した世論調査では、トランプ氏に対するヒスパニック系の支持率は29%に達した。そして彼らの多くは、アリゾナやフロリダといった激戦州に住んでいる。黒人層と同じく、ヒスパニック系へのわずかな浸透が巨大な差を生むことができるのだ。ただ、ロイターによれば、昨年5月から約半年間にわたるトランプ陣営の戦術は物議を醸しかねないと指摘している。 それはすなわち、英語とスペイン語のフェイスブック投稿の内容が全く違うため、「言語別差別化宣伝」だともいえる。英語では「不法移民取り締まり強化」への支持を呼びかける一方、スペイン語ではその点にほとんど触れていない。代わりに「アメリカ経済は好調だが、民主党はベネズエラ式社会主義を望んでいる」といった内容が表示されているのである。 そして、三つ目のユダヤ系については、前述したイスラエル寄りの政策が、同じく民主党に傾きがちな少数派のユダヤ系の票を意識したものでもあろう。それに加えて、トランプ氏は中絶反対派にも接近した。強硬な中絶反対派は、今日アメリカでは多数派ではなくなっている。実は、トランプ氏は政界に進出するまで中絶容認派であり、大統領選でもこうした社会文化争点に対する態度をあいまいにしていた。 しかし、1月24日、ワシントンで行われた人工妊娠中絶反対を訴える恒例の大規模行進デモ「マーチ・フォー・ライフ(命のための行進)」に現職大統領として初めて出席し、演説している。中絶反対派はキリスト教福音派(エバンジェリカル)と重なるところが大きく、トランプ氏がつなぎ留めておきたい層なのである。 ただコロナ禍により、トランプ陣営の再選戦略が大きく狂ってしまったといえよう。彼のお気に入りの大規模なコンサート風支持者集会を開くことは、もはやできない。とはいえ、ウイルスは党派を選びはしない。民主党のジョー・バイデン前副大統領も自宅からインターネットを介した「巣ごもり選挙」を余儀なくされている。候補者が自宅にとどまって選挙運動を行うのは1896年のウィリアム・マッキンリー大統領以来、実に124年ぶりのことになる。 なお、トランプ政権のコロナ対応への評価は世論調査を見る限り、高くない。しかし、トランプ氏に同情すべき点もなくはない。まず考慮すべき点は、都市封鎖や外出制限などの発動権限が州知事に帰属するということだ。 憲法上、明文で連邦政府に帰属する権限以外は各州の権限なのだ。都市封鎖を解除し、経済活動を再開しようとしても、大統領にできるのは「経済を再開できる一般的な条件を指針として示すこと」にとどまる。知事が従わなくとも、どうすることもできないのである。 さらに大統領には、それが連邦憲法に違反すると判断されない限り、州法に介入することはできない。南部中心にいくつかの州の州法では、白人至上主義の秘密結社「クー・クラックス・クラン(KKK)」取り締まりのために、公共の場所で顔を布で覆うことを禁じていた。 コロナ対策として、マスク着用の推奨や義務化に関し、こうした州法の改正や効力停止の措置が必要であったことはあまり知られていない。トランプ氏のマスクの嗜好は自ら決められても、これらは大統領がどうこうできないのだ。 ところで、アメリカがコロナ対策に難儀している理由として、アメリカ人自身が政府の干渉や強制に対して警戒し、強い拒否反応を持つということを挙げておきたい。参考に、ギャラップ・インターナショナル・アソシエーションが世界30カ国で行った「新型コロナウイルスに関する国際世論調査レポート」を見てみよう。 質問の中で「ウイルス拡散防止に役立つなら、自分の人権をある程度犠牲にしてもかまわない」に同意する割合が示された。アメリカは45%にとどまり、対象国中、下から2番目となった。ちなみに最高はオーストリアの95%で、他にもイタリア93%、タイ85%、フランス84%、韓国80%と目を引く。では、アメリカ人は少しわがままだといえるのだろうか。実はワースト2のアメリカを大きく引き離し、32%しか同意しなかった堂々最下位の国がある。 それは、わが日本である。確かに、昨今「マイナンバーで管理されるのは嫌だ。でも、給付金はすぐよこせ」とよく耳にするが、その両立は基本的にできない相談だろう。それはさておき、話をトランプ氏のコロナ対策に戻そう。 コロナに対するトランプ氏の対応を困難にしているもう一つの要因は、アメリカ全土で一様に感染爆発が起こっているわけではないことだ。さらに、共和党と民主党の支持州と相関しているので、事態はより複雑になる。 アメリカの政治的分断を語る際によく使われる表現に、共和党支持者が多い州は「赤」、民主党支持者が勝る州は「青」というものがある。これは必ずしも州内全てが「真っ赤」「真っ青」というわけではない。もちろん誇張はあるものの、この区分とコロナ禍の関係が実に興味深い。2016年米大統領選の各州の結果。赤が共和党、青が民主党(Getty Images) 赤の州と青の州を、各州知事の党籍で便宜的に分けてみる。そして、アメリカ疾病対策センター(CDC)が公開している全米感染者マップと比較すると、感染者の約3分の2が青の州に見られることが分かる。死者数でも人口当たり死亡者数でもほぼ同様の結果である。 別にウイルスが民主党を好むわけではない。青の州は人口の密集した大都市圏を含んでおり、大勢の人々が利用する公共交通機関が発達している。これらは、ウイルスの伝播(でんぱ)に好都合な環境である。トランプ氏の選挙戦法 そうなると、結果として党派に沿った反応が現れることは避けにくい。民主党優位の青の州に住み、感染爆発と医療サービスの逼迫(ひっぱく)、そしてその崩壊に直面する人々は、嫌でも厳格な都市封鎖と行動制限を受け入れざるを得ない。なにせ命あっての物種だからだ。ところが感染がさほど致命的ではない共和党優位の赤の州の住民は、厳格な都市封鎖など不必要な負担だと考える。 こうしてコロナ禍が終息していない地域が残る中で、いったん停止された経済活動を、いつ、どのようなペースで再開するかについての議論は、おおむね政党の方針に沿ったものになってしまう。知事は自州だけを考えて発言し行動すればよいが、大統領はそうはいかない。 トランプ氏は、経済再開の方向に傾いた姿勢を示している。しかしコロナの流行にも配慮せねばならず、いわば両にらみで臨まなければならない。ゆえに大統領は、どちらか一方だけに肩入れしにくいのだ。 いずれにせよ、トランプ氏の好景気を背景にした再選シナリオは霧消してしまった。現状では、コロナ対応をめぐる「トランプか、バイデンか」の信任投票の色合いが濃くなっているとする向きがメディアを中心に強い。しかし、現職大統領である候補者が臨む大統領選で、現職者への信任投票でなかった選挙などそもそもあっただろうか。 実はコロナ禍以降でも、大統領選の基本的構図は見かけほどには変わっていない。コロナ禍があってもなくても、トランプ氏を忌避する者は、誰であれ民主党候補者に投票するであろうし、トランプ氏の信者もまた忠実に投票すると思われる。 4年前と同様「不人気投票」に持ち込んで、重点州で僅差でも勝って、選挙人票で過半を制する。これがトランプ陣営の基本戦略だと考えられるし、それはコロナ以前からの姿勢でもある。  ただ仮に上記の戦略が維持されれば、今回の大統領選でトランプ陣営は前回以上の困難に直面するだろう。それは対戦相手だ。かつて共和党の指名争いが候補者乱立で混迷した際に、このようなジョークがあった。共和党を結束させられる候補者が1人だけいる。それは、ヒラリー・クリントンである。 クリントン元国務長官は、とにかく彼女を好きな人からは大いに好かれ、嫌いな人からはとことん嫌われるという人物のようだ。トランプ氏とは、その点だけ好一対であり、前回の大統領選は両者の「不人気投票」の末に競り勝つことができた。 その点、バイデン氏は熱狂的な支持者もいない代わりに、彼をひどく嫌悪する者もいない。良くも悪くも影の薄い人物なのである。穏健とは、そういうことも一面にあるのだ。そのような人物に対する嫌悪をかき立てることは容易ではない。とはいっても、過去の女性問題に関する今後の展開次第で変わる可能性はある。 現時点では、変動目まぐるしい世論調査から最終結果を予想することはできない。ただ、トランプ氏に不吉なことがいくつかある。まず、無党派層や65歳以上の高齢者層でバイデン氏がリードしている。これらがどう推移するか、目が離せない。 また、今年の大統領選の勝敗を決するとみられるアリゾナ、フロリダ、ミシガン、ノースカロライナ、ペンシルベニア、ウィスコンシンの6州だが、前回はトランプ氏が全て僅差で制していた。しかし、現在の支持率では全州でバイデン氏に後れを取ってしまっている。ここで、2016年の選挙結果と政治専門サイト「リアル・クリア・ポリティクス」による最新支持率(5月30日時点)を挙げてみよう。※いずれも「リアル・クリア・ポリティクス」の統計による これら6州の選挙人団は計101人にも達する。今回これらの半分でも失えば、トランプ氏の再選はほぼ絶望的となる。中でもペンシルベニア、ミシガン、ウィスコンシンの北部3州は12年に民主党のオバマ氏が勝利し、4年後にトランプ氏が僅差で獲得した州である。 ウィスコンシンは1988年以来計7回、ペンシルベニアとミシガンでは92年以来6回、民主党候補が勝利し続けている。それゆえ、16年の大統領選では意外な結果と受け止められた。現在はこの3州でバイデン氏がリードしており、とりわけペンシルベニアではやや差が広がっている。 しかし前回も、3州の支持率で、トランプ氏はクリントン氏を一貫して下回っていた。特にミシガンでは投票日直前の10月後半の時点で、その差は12ポイントにも達していた。今後も注視していく必要はあろうが、結局はふたを開けてみるまでは分からない。目につくバイデン氏の欠点 とはいえ、従前の大統領選とは趣を異にする点もある。一連の予備選を通して候補者が決まる現在のやり方が定着してからは、一つのパターンが出来上がった。予備選に投票するのは両党の熱心な支持者であり、アメリカ人全体の中では、共和党は保守寄りに、民主党はリベラル寄りに偏っている。 そうした票を競い合う中で両党の候補者は、保守寄り、リベラル寄りに偏り過ぎていく。そうしなければ予備選では勝てないからだ。しかし、晴れて大統領候補者の座を確実にした後には、候補者は自らの位置を中道寄りにシフトしていかなければならない。 ところが、本来中道のはずのバイデン氏は、民主党候補者の座を確実にしてからも、むしろリベラル寄りにかじを切っているように見える。それはやはり、指名争いから撤退したバーニー・サンダース上院議員の支持者をにらんでのことであろう。あまりに露骨な中道シフトは、熱心なサンダース氏の支持者に加え、同じく撤退したエリザベス・ウォーレン上院議員の支持者の失望と離反を招く。 これらの支持者は、まさかトランプ氏に流れないであろうが、棄権してしまうかもしれない。それを避けようと、バイデン氏はかなり際どい綱渡りを試みているように見える。すなわち、リベラル左派の意見を取り入れつつも全面的に採用はせず、郊外住宅地に住む中産階級の穏健な民主党支持者や、白人労働者階級が離れない程度の政策にとどめておくという芸当である。 バイデン陣営は、環境、医療保険制度改革、経済、教育、司法制度改革、移民制度の六つの政策分野について政策チームを設置した。6月中にも提言を行ない、選挙公約に反映させるためである。その一つ、環境問題チームの共同議長に起用されたのは、米国史上最年少の下院議員として話題となったアレクサンドリア・オカシオコルテス氏であった。彼女は民主党急進左派の顔として、紛れもないサンダース支持派である。 彼女はバイデン氏の指名が確実になってからも、しばらくは距離を置いていた。その彼女の起用は、将来の化石燃料全面廃止といった過激な政策を取り込むことで、サンダース支持派をつなぎ止めようとする意図に出たものであろう。しかし、もう一人の共同議長には、2004年の選挙で大統領候補者であった穏健派と目されるジョン・ケリー元国務長官を充てて、均衡を取ろうとしている。 ところで、トランプ氏はほんの少し前までサンダース氏の公約を社会主義として批判してきた。だがそのトランプ氏が、現代アメリカ史上最大規模のリベラル、社会主義的の政策、それも総額3兆ドルを越えようかという救済策を推進するとは、大いなる皮肉と言うほかはない。 とはいえ、トランプ政権発足から早いもので約3年5カ月がたった。ようやくこの人の類いまれな人となりにも慣れてきたように思う。おそらくは、他に例を見ない彼の能力の一つは、謝罪も訂正も躊躇(ちゅうちょ)も一切せずに前言を翻し、なおかつ「いや、最初からそのつもりだったのだ」と言い募って、恬(てん)として恥じずにいられる、あるいはそう見えることなのではないか。 これは皮肉でもなんでもない。実際、一貫性や整合性などという、つまらぬものにこだわる気の弱い私には、到底まねのできぬ芸当である。トランプ氏はこれからもトランプ氏であり続けよう。2020年6月5日、米東部デラウェア州の集会で話すバイデン前副大統領(ロイター=共同) 一方、バイデン氏にはさほど「アクの強さ」が感じられない。逆に不安が付きまとうのは、その失言癖である。最近もラジオ番組で黒人の司会者にこう言い放った。私かトランプのどちらを支持するか迷うようなら、君は黒人じゃない。you ain’t black” if ”you have a problem figuring out whether you’re for me or Trump. 上記の発言後、バイデン氏はこう陳謝している。(黒人の)偉そうな保護者気取りであってはならなかった。黒人社会が支持してくれて当然だなどと思ったことは、誓って一度もない。I should not have been so cavalier. I’ve never,never,ever taken the African American community for granted. いささか旧聞に属するものの、もっと見逃せない発言もある。2016年8月15日、ペンシルベニア州におけるクリントン氏の応援演説において、日本の核武装を容認するかのような当時のトランプ氏の発言を批判し、こう述べた。彼(トランプ)は、核武装を禁止した日本国憲法をわれわれが書いたことを、分かっていないのではないか。Does he not understand we wrote Japan’s constitution to say they couldn’t be a nuclear power? 全く根も葉もないでたらめを言ったわけではない。この人の「失言問題」は、その内容と別にある。それは、大局ではほぼ事実ではあっても、それを粗暴で直截(ちょくさい)に過ぎる仕方で語ってしまう点、要するにデリカシーを欠いているのだ。政治家としてのバイデン氏の欠点は、軽率さなのである。デモの先にある未来 実は過去にもそうした発言をした大物政治家はいた。それは1999年11月19日、カリフォルニア州シミ・バレーのロナルド・レーガン記念図書館にて、ジョージ・W・ブッシュ元大統領が行った外交政策についての演説である。彼は「真にアメリカ的国際主義」と銘打った演説において、過去のアメリカの「寛大な」外交政策に触れ、日本についてこう述べた。われわれは、日本を打倒した国民である。そののち、食料を配給し、憲法を書いてやり、労働組合の設立を促し、女性に投票権を与えてやった。報復を予期していた日本人は、代わりに慈悲を得たのだ。 ただし当時のブッシュ氏はテキサス州知事であり、有力とはいえ、大統領選の共和党候補者の、そのまた候補者の一人にすぎなかった。彼が大統領に就任してからは、さすがに公式にはこの種の発言は伝えられていない。ところがバイデン氏は現職の副大統領の地位にありながら、日本に関する上記の発言をしてのけたのである。 確かに副大統領は閑職であり、大統領が死亡するのを待つだけが仕事だと揶揄(やゆ)される。それでもやはり、公式には大統領職継承第1順位にある要職ではある。そのような地位を考えれば、失言と言うより暴言に近かった。 「日本国憲法はアメリカ製」という見方は、実はアメリカで広く共有されている。2016年の演説時の映像には、バイデン氏の背後で何度も深くうなずくクリントン氏が映っている。ある意味で、これは戦慄(せんりつ)すべきことなのではないか。かの国の態度に、そうした「両国を対等ではない、日本を一段下に見る意識」、今風には上から目線気味に感じることがままある。捉えようによっては、単に私がひがみっぽいだけなのかもしれない、とはいえだ。 それでも、アメリカ人にとっての憲法典とは、政治について、いわば「デモクラシー教」の神聖な経典のようなものである。だから「書いてやった相手」をどうしても対等だとは思えないのであろう。ただし、この憲法を一言一句も手直しすることなく時を過ごしてきたわれわれ自身にも、大きな原因と責任があることは言うまでもない。とにかくトランプ氏と同じく、これからもバイデン氏はバイデン氏としてあり続けよう。そしてバイデン氏がトランプ氏より付き合いやすい相手か、世界の指導者にふさわしい人物なのかについて、私は懐疑的なのである。「未知の天使より、見知った悪魔を」とまで言っていいものか、ためらわれはするのだが。 最後に、6月に入って急速に拡大した警察官による黒人男性暴行死に対する抗議行動が、大統領選にどのように影響するか考えておきたい。 抗議運動自体がどう終息するのか、しばらく続くのか、確かな見極めもつかない今の時点で、あまり断定的なことは言えない。しかし、意外にもこの暴動が選挙に決定的な影響は与えない可能性もある。確かに、黒人層に大きな不満が存在していることは紛れもない事実である。しかし、それは警察の暴力だけではなく、経済不況やコロナ禍も複合した不満だ。 コロナが流行する前の10年間、黒人の経済状況は着実な改善を見てきた。11年から今年2月までに、黒人の失業率は16%から5・8%に低下し、白人の約2倍とはいえ、半世紀で最低の水準となっていた。黒人の生産年齢における就業者比率も今年2月に59%に達し、白人より2ポイント弱低いだけであった。 だが、コロナ禍については、黒人の在宅勤務率は低いため、ウイルスにさらされやすい。結果的に、黒人層の犠牲者は人口比で突出して高くなった。学校閉鎖に伴って行われたオンライン授業でも、都心部の黒人層は郊外住宅地の中産層に比べ、通信環境や機器などの十分な準備や対応ができなかった。これらの苦境に対する不満に、警察の暴力事件が火をつけたのだ。 ただ、元来黒人の9割近くは民主党支持者であり、先述のように前回トランプ氏に投票した黒人は8%にすぎなかった。今回の件で黒人支持者がトランプ氏を離れることはないだろう。というより、離れるも何も、とっくの昔に共和党を離れてしまっている層だからである。 無論、黒人が「覚醒」することで大幅に投票率が上昇したり、前回の8%まで失ってしまえば、話は違ってくるかもしれない。とりわけ、ほんのわずかの票で勝負の決まる接戦州では勝敗を左右し得ないともいえない。しかし、人種や階層を問わず、アメリカ国民の間に「コロナ」「不況」「抗議運動」の3点セットによる閉塞(へいそく)感、無力感が広がるようなら話は違ってくる。2020年6月3日、米東部ニューヨーク市で行われた黒人男性死亡事件の抗議デモ(上塚真由撮影) そうした場合、とりあえず現政権を取り換えてみる、という方向の選択をするかもしれない。別にバイデン氏や民主党をさして好まなくともだ。また、そうした行き詰まり感を打破しようとする欲求は、1968年に「法と秩序」を掲げた共和党のリチャード・ニクソン元大統領に勝利をもたらした。80年のロナルド・レーガン元大統領の勝利も、79年末に起きたイラン米大使館人質事件をめぐるジミー・カーター政権の不手際などの行き詰まりを打破したいという感情が働いたのかもしれない。 「陰鬱(いんうつ)な天候から脱して抜けるような青空を見たい」という漠然とした感情は、「いったん広がってしまうと手に負えなくなりがち」という点で、ちょうど新型コロナウイルスに似ている。どれほど政策を語っても、効くことはないからだ。抗議運動があと5カ月も続くとはさすがに考えにくいが、コロナの感染爆発の終息と不況からの脱出の兆しが見えてこなければ、トランプ氏の再選は危ういものとなろう。

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    「コロナ増税」よりも予備費の追及、野党は財務省の別動隊か

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 予備費、アベノマスク、そして中国政府の香港への「国家安全法」導入に対する日本の対応をめぐり、最近「反安倍」を仕掛けるメディアや識者たちが盛んに攻勢をかけている。おそらくは、2009年の民主党政権誕生前に、無責任すぎた「一度はやらせてみよう」という世論を再び掘り起こそうとしているのだろう。 筆者は、理にかなった政権批判は積極的に行なわれるべきだと考えている。だが他方で、「反安倍」という妄執に囚われた人たちによる多くの批判が、「魔女狩り」や「疑惑商法」に踊らされているものが多いことに呆れている。 呆れてばかりもいられないので、この連載でも、疑惑商法などに踊らされないための警告を毎回のように発してきた。だが、今までの警告は、本稿で取り上げる話題に比べれば深刻度は低い。 一つは経済実態が想像以上に悪い可能性があることだ。そして、経済実態をさらに深刻化させることが確実な、財務省の「増税シフト」が明瞭になっていることである。 まず前者だが、ポイントは「見かけのデータに釣られるな」である。これは反安倍系の識者たちが指摘している政府による統計データの「偽造」とは全く異なる。データを注意深く観察すれば、分かることだからだ。 内閣府は8日に法人企業統計を反映した今年1〜3月期の国内総生産(GDP、季節調整値)改定値を発表した。物価変動を除いた実質GDPで前期比0・6%減、仮にこの伸び率が1年続いた場合の年率換算は2・2%減で、名目GDPは前期比0・5%減、年率は1・9%減だった。 日本中に衝撃を与えた、同期の実質GDP速報値の年率換算3・4%減から比べると、かなりマシになったかに見える。しかも、景気変動の主因である設備投資が速報値の前期比0・5%減から大きく上昇して1・9%増と、需要項目でただ一つ増加していることが好感された。 だが、注意すべきは、法人企業統計アンケートの回収率が通常の場合よりも10ポイントほど低下していることだ。通常7割程度あるところ、今回は全企業で6割程度にとどまっている。 しかも、設備投資の下振れが最も懸念されている中小企業からの回収率低下が目立つ。考えられるのは、新型コロナ危機の影響で、企業の内部情報の集約に問題が生じていて、調査に協力できなかった可能性だ。企業が足元の設備投資についての情報を集約できていないことは、将来に向けた設備投資「計画」の策定が十分にできていないことも意味する。政府の緊急事態宣言発令から1週間が経ち、マスクを着用しながら東京・銀座を歩く人たち=2020年4月14日 景気は内需といわれる消費や設備投資に加えて、政府支出や純輸出(海外からの受け取りの純増)で決まる。特に、変化の度合いを決定するのが設備投資の動きだ。その設備投資が不安定化していることが、1~3月の統計で分かる。 つまり、改定値でのGDP「改善」は盛りすぎだということだ。速報値に近いか、場合によれば悪化している可能性さえも否定できない。経済対策、二つのフェーズ さらに深刻なのは、新型コロナ危機における日本の「本番」が、言うまでもなく4月以降だということだ。これから日本経済の統計データは信じられないような深刻な数字を連発するであろう。 では、迎え撃つ政府と日本銀行の政策はどうだろうか。新型コロナ危機の経済対策は、大きく二つの局面に分けて考える必要がある。 一つは感染抑止を目的とした経済を「冷凍状態」にした局面、これが「フェーズ1」だ。そして、感染抑止に成功し、経済を解凍して刺激政策をバンバン行う局面、「フェーズ2」へと続くのである。 当然、経済対策の特徴もフェーズごとに異なる。現在の日本経済はまだ感染抑止モードである。 フェーズ1の経済対策は、ともかく現状維持が最優先だ。「お客さんが来なくても倒産しない」「仕事がなくても解雇されない」状態をできるだけ実現する。 ただし、雇用でも、若年や高齢、非正規労働者のような立場の弱い人たちは解雇される可能性が高いだろう。万が一、クビになっても「生きていける」だけのお金を支給していく。これがフェーズ1の経済対策の基本である。 8日に国会に提出された2020年度第2次補正予算は、基本的にフェーズ1の経済対策に当たる。今の日本経済がなんとか「凍結」を切り抜けるには、ざっと約30兆円が不足している。補正予算案の一般会計歳出総額は約31・9兆円なので、それに見合う額になる。 内容は大きく、現金給付、融資、予備費、感染症対策の四つに別れている。現金給付では、医療従事者への慰労金支払いや「家賃支援給付金」の創設、雇用調整助成金の上限引き上げ、そしてひとり親世帯への支援などが入る。 融資では、劣後ローンを全面的に押し出しているのが特徴だ。一般債権と比べて返済の優先順位が低く、資本に近い性質のため、「ローン」であってローンではないといえる。 つまり、企業は劣後ローンを借りることで、負債扱いではなく、むしろ資本増強として利用することができるのだ。これは中小企業にとって、特にバランスシート改善の点で有利に働く。第2次補正予算案が審議入りした衆院本会議に臨む安倍晋三首相=2020年6月8日(春名中撮影) 一部上場などの大企業も、日本銀行をはじめとした各国の中央銀行の超金融緩和や事実上の株価安定政策の恩恵により株価上昇トレンドを描いていて、企業業績の極端な悪化を防いでいる。 2次補正の国会審議で、論戦になるのが予備費の扱いだ。立憲民主党など野党4党は、予備費の減額や使途の明確化を求めてきた。情けない経済認識 予備費が10兆円にのぼり、議会民主主義の観点から「白紙委任」はまずい、というのが野党の主張だ。だが、新型コロナ危機の特徴を全く理解しておらず、情けない経済認識というほかはない。 新型コロナ危機の特徴は、その根源的不確実性にある。天候で言えば、明日が快晴か台風か、その確率も全く不明の状況にある。 新型コロナに置き換えれば、感染拡大がいつ終息するのか誰も分からないということになる。この根源的な不確実性に備えるために、予備費を多額積み上げていくことは、政策の迅速性という点からも合理的なのである。 予備費の積み上げについては、財務省も反対していた。あまりに過大だというのが彼らの理屈だったが、政府・与党が押し切った。 過大さだけではなく、使途にも財務省は警戒していた。例えば、減税や定額給付金の財源に使われることを危惧しているようだ。 その意味では、今の立民ら野党4党の予備費への姿勢は、この財務省の「懸念」を払拭する方向となっている。まるで財務省の別動隊である。 現在の政府の経済対策はかなり健闘していると筆者は見ている。感染症対策と合わせ、国際的な評価もかなり高い。 香港に拠点を置く英国のシンクタンクが公表した新型コロナに対する安全な国ランキングで、日本はスイス、ドイツ、イスラエル、シンガポールに次ぐ5位だという。この新型コロナ対策とは、感染症の押さえ込みと同時に求められる経済対策を合わせた総合順位である。 わざわざこのランキングを紹介したのは、世論が政府の経済対策や感染症対応をあまりにも低評価しすぎているように思えるからだ。反安倍系のマスコミによる印象報道にあまりにも踊らされるのは、客観的な指標を理解できないことにつながり、危険でさえある。衆院本会議に臨む立憲民主党の枝野幸男代表(右)と、国民民主党の玉木雄一郎代表=2020年5月26日(春名中撮影) もっとも、安倍政権の経済対策を手放しで高い評価を与えているわけではない。せいぜい2次補正の総額とその支出の方向性に高い評価を与えているにすぎない。 景気刺激が必要とされるフェーズ2の経済対策について、政府の姿勢はゼロ解答に近い。冷凍にそこそこ成功しても、解凍に失敗しては何の意味もないからだ。 そのためには、消費減税とインフレ目標の引上げを組み合わせた大胆な経済政策が必要とされるだろう。現状、与党内で噂されるポイント還元の拡充や旅客・飲食などへの支援策は、極めて限定的な効果しか上げないだろう。経済全体を押し上げる政策立案をはっきりさせるべきだ。「増税シフト」見たり この点でさらに重大な懸念がある。やはり財務省の存在だ。 2次補正にしても、総額と支出だけ見るようでは、財務省の「陰謀」は分からない。実は、財務省が「増税シフト」へと巧妙に移行していると思われる。 2次補正は全額、赤字国債と建設国債で資金調達される。これは日銀が民間を経由して、事実上吸収するという「財政と金融の協調政策」である。 ここまでは問題ない。協調政策は経済危機において、むしろ最善の対応だ。ただ、もう一歩突っ込んで確認しなければ、財務省の増税シフトは分からない。 2020度の国債発行予定額を見てみよう。2次補正でより明瞭になったのは、国債の種類が「短期化」したことだ。 つまり、財務省が財政政策の財源を、より短めの国債を発行することで賄っているのである。最近、積極的な経済政策に「覚醒した」とされる麻生太郎財務大臣も、国債発行計画まではチェックしてないだろう(していたら謝罪する)。 2次補正で、新規国債と財投債を合わせた国債の発行額は64兆7千億円になる。ただし、市中発行額で見れば、政府短期証券と2年物国債の割合が、1次補正、2次補正ともに8割ほどを占めている。せっかく日銀が長期債中心の買い入れを目指しているのに、財務省はあえて短期的な国債ばかり発行していることになる。 財務省の発想では、国債は必ず税金の形で返さなくてはいけないものだ。経済成長に伴う税収増なんて、財務省的にはただのノイズでしかない。彼らの目標は増税による「借金」返済なのである。衆院本会議で財政演説をする麻生財務相=2020年6月8日 短期的な国債に大きく依存していることは、早くて1〜2年以内に財務省が「大増税路線」を考えていることを意味する。しかも、これは財務官僚の判断だけで決めたことだ。 この策動こそ、議会をないがしろにしかねない。国会はこの国債発行計画を問題視すべきであり、むしろ長期債シフトに転換させていく必要があるのだ。 だが、立民などの野党は勘違いも甚だしい予備費批判を繰り広げることで、むしろ財務省の思惑に乗っかっているといえるし、与党もこの点を追及する姿勢に欠けている。このままでは、消費減税とインフレ目標の引き上げによる経済政策よりも先に、「コロナ増税」の方が実現しそうである。与野党挙げて、経済危機をもたらすコロナ増税の芽を徹底的に潰すときである。

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    『小西寛子のセカンドオピニオン』第4回(後編) イチからわかる新型コロナ~感染予防はどうすればいいの?~

    新型コロナウイルスの感染者は減少傾向にあり、緊急事態宣言も解除されたが、学校再開などによるクラスターが懸念されている。日常生活が戻りつつある今、第2波に備えるためにも感染予防は欠かせない。前編に続き、後編は「南風ヒロコ先生」が感染予防の基本を分かりやすく解説する。

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    『小西寛子のセカンドオピニオン』第4回(後編)

    iRONNAの動画チャンネルにて、声優、小西寛子氏の動画番組『小西寛子のセカンドオピニオン』がスタートしました。これまで自身が経験したNHK『おじゃる丸』降板騒動や、声優業界の闇など、当サイトで執筆活動を行ってきた小西氏が「アンカーパーソン(総合司会)」を務め、さまざまな問題に斬り込みます。

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    ポスト安倍に小池知事も参入?評価を分けるリーダーの危機管理センス

    なく全体を守る意味で、後述するように真の危機管理である。 一方、パンデミック(世界的大流行)となった新型コロナウイルスに対する日本政府ないし東京都の緊急事態宣言には「行き過ぎ」だったのではないかとの批判も多い。 特に東京都の小池百合子知事に関しては、国の緊急事態宣言による休業要請にない飲食業や遊興業の一部を少なくとも都内では国と交渉して付け加えるなど、自らの存在感を誇示するようにも見えた。だが、それぐらい「行き過ぎ」をするのが危機管理だとも言える。 そして本当に「行き過ぎ」だったのだろうか。およそ2カ月前を振り返れば、緊急事態宣言が7都府県に発令された3日後の4月10日時点で、東京都の感染者増加率は、3月19日時点でのカリフォルニア州と同じくらいである。この日、外出自粛要請を出したカリフォルニア州では、4月10日現在の感染者数は約2万人でだった。 これに対して感染爆発(2週間前より感染者数が10倍)になった以降の3月22日に外出自粛要請を出したニューヨーク州では、4月10日現在の感染者は17万人である。つまり小池知事が危機管理のために「行き過ぎ」た対策をとったとは言えない。 だが、ニューヨーク州のクオモ知事は違うように見えた。明らかに今秋の大統領選を意識し、あわよくば民主党の大統領候補を視野に、「行き過ぎ」を行い必要以上に問題を大きくしたとの見方がある。2020年5月7日、米ニューヨーク州で記者会見するクオモ知事(ロイター=共同) こうしたクオモ知事の言動の背景には、民主党の大統領候補選びの混迷がある。有力者の一人だったサンダース上院議員は予備選から撤退したが、それは積極的な選挙運動を停止したにすぎない。予備選の残された州で使われる投票用紙には彼の名前も残っている。クオモ知事に残る疑念 そもそも、民主党の大統領候補であるバイデン前副大統領については「物忘れ」のひどさや、セクハラ疑惑、息子の裏金疑惑などがあり、不安材料が多すぎる。 ゆえに、バイデン氏が今後の予備選挙で過半数をそろえられないことがあったり、順調に過半数の代議員を確保できたとしても、民主党幹部らの説得により、クオモ知事に民主党大統領候補の地位を譲ることになるのではないかという観測さえあった。 いずれにしても4月上旬のいくつかの世論調査で、多くの人がバイデン氏よりクオモ知事が大統領候補として望ましいと答えた。クオモ知事は民主党だけに当然ではあるが、トランプ氏と競うかのように一日に何度も記者会見を開き、誇張が目立った。次のような一例がある。 ニューヨーク州は4月初旬時点で、3万台以上の人工呼吸器と14万人分の病床が必要だとして、その提供を大統領に求めたが、シアトルに本部がある国際的な医療関係統計調査機関、保健指標評価研究所(IHME)の試算では、これはそれぞれ、約5千台と2万3千床だった。つまり、自らが脚光を浴びるために相当誇張した数字を主張していた可能性が高いという。 これについては、トランプ大統領も直感的にクオモ知事の誇張を見抜いていた。3月下旬にFOXの番組に出演した際、クオモ知事の主張する数字への疑念を表明。いずれにしても3万台の人工呼吸装置を直ぐには作れないという「常識論」を主張した。 これに対し、クオモ知事は「2万5千人を殺す気か!」と絶叫し、それに多くのリベラル派メディアが追随した。こうしてスーパースターとしてのクオモ知事のイメージが作られていったのだ。特にCNNでは、キャスターの一人でクオモ知事の弟が、トランプ大統領の演説のビデオを編集し、「トランプがすべき準備をしていなかった」という誤った議論を助けるための欺瞞を行った。 実際は、トランプ大統領は1月末には、米疾病予防管理センター(CDC)を活性化し、タスクフォースを作り、公衆衛生に関する非常事態宣言により中国からの旅行制限をしていた。それが3月13日の国家非常事態宣言に繋がっていくのである。この連邦政府の非常事態宣言により、以下のことが可能になった。•財政、人事、サービス、ロジスティックス、および技術支援の形での州への連邦支援の活性化•社会保障法を含む他の法律で緊急規定を引き起こすこと•個人、組織、州政府、地方自治体に対する規制要件の緩和•国家インシデントマネジメントシステム (NIMS)およびその他の緊急対応システムのアクティブ化 これらを見ても分かるように、米国は連邦制なので、日本以上に非常事態の対応は州(地方自治体)の役割であり、それをサポートするのが国の役割である。実際、米国では州の非常事態宣言の方が重視される傾向があり、クオモ知事もトランプ大統領に先駆けて3月7日に宣言している。この州による宣言で、以下のようなことが可能になった。米ニューヨークの医療センターで、新型コロナウイルス用区画の近くを歩く医療関係者=2020年5月26日(ゲッティ=共同)•州緊急対応計画と相互扶助協定の活性化•州緊急オペレーションセンターとインシデントコマンドシステム(ICS)の活性化•資金を支出し、人員、設備、備品、備蓄を配備する権限•対応活動に関与する人々のための法的免責および責任保護の活性化•規則および規制(および許可されている場合は法令)の一時停止および放棄 このように米国では、国家と州の役割が「合わせ鏡」のようになっているが、非常事態対処の主体は日本以上に地方自治体(州)にあり、その足りない部分を補うのが国家の役割になっている。危機管理に伴う厳しさ そのためクオモ知事は、前述のような派手なパフォーマンスができるのである。休業させる業種に関して最後まで国との調整に苦労した東京都の小池百合子知事とは違うのである。 今回クオモ知事は、州内の緊急に必要ない人工呼吸装置を州兵に探させて、それを収集して必要な病院に運ばせたりしている。また、外出自粛に違反した場合、罰金を最大1万ドルとした このような権限があるにもかかわらず、なぜクオモ知事は感染爆発が起こるまで外出自粛命令を出さなかったのかという疑問がある。少々悪意が過ぎるかもしれないが、ニューヨーク州を悲惨な状況にすることで、自らに注目を集め、大統領への道を目論んでいたのではないかとさえ思う。 実際、ニューヨーク市だけで全米の新型コロナ感染による死亡者の3割近くにのぼっている。それがなければ米国の死亡率は通常のインフルエンザとあまり変わらない。コロンビア大の分析によると、ニューヨークが1週間早く外出禁止令などを出していた場合、メトロエリアで1万7千人以上の命が救われたとしている。 それどころかクオモ知事は連邦政府の指針を無視して新型コロナに感染した高齢者を介護施設に戻した。結果として5400人が介護施設で亡くなった。これは米国における介護施設での死亡者の20%以上である。共和党が調査に乗り出しており、介護施設で亡くなった人の家族でクオモ知事を「人殺し」呼ばわりしている人もいるという。 ニューヨーク州は人口1900万人中、約2万7千人が新型コロナで亡くなった。だが、約4千万人で最も人口の多いカリフォルニア州は約2800人。テキサス州は、約2900万人で2番目に人口が多いが、死亡者は1121人にとどまっている。これらの州がニューヨーク州より死亡者が少ないのは、むしろ感染したら生命に危険の及ぶ介護施設の入所者らに対策を集中したからである。 それは逆の視点から見れば、感染しても助かる可能性の高い若者への対策を減らしたということだ。その結果、亡くなった若者もいたかもしれないが、全体としての死亡者数を減らすことができた。阪神大震災以来、日本でも取り入れられるようになった「トリアージ」(助かる可能性のある人を優先的に救助する)の考え方だろう。真の危機管理とは、こうした厳しさを伴うものだ。 日本における在り方にもいまだ賛否があるが、憲法に組み入れるかどうかは別として、何らかの強制力を伴った緊急事態法の整備を急ぐべきではないだろうか。日本は米国と違う中央集権国家であり、東京以外の道府県の財政力も弱すぎる。米国の州兵のような制度もない。日本版緊急事態法は、国家が中心となるべきだろう。そうすれば米国のような地域による不整合は避けられる。 一方、日本で最も感染者が多い東京都を任された小池知事はどうだろうか。小池知事は「希望の党」を結党した2017年秋の都議選での失敗に学んだのか、評価はさまざまあるが、今回のコロナ対応では自身の存在誇示は比較的抑制的だったように思う。記者会見する東京都の小池百合子知事=2020年5月29日、東京都庁 それでいて一部の遊興業を休業要請に加えさせるなどのリーダーシップも発揮している。安倍晋三首相と小池氏は過去の失敗から学んで進歩し続けることや、危機に強いリーダーシップなど似た部分がある。ポスト安倍候補に小池知事も そもそも小池知事は、2007年に防衛大臣に就任した当時に断行した事務次官の更迭は、ワシントンでも高く評価された。 今回のコロナ対応についても、5月末に感染者数が増えているにもかかわらず、東京都の経済再開を「ステップ2」に進め、その数日後には感染率が再び増加したため「東京アラート」を出している。個人の人命に関わる感染リスクと都や国全体に関係する経済再開のバランスを、ギリギリで巧みに決断した。これも一つの「トリアージ」的な危機管理である。 また、2017年の総選挙の際、「排除する」という発言は重大な失言と思われてしまったが、この発想こそが「トリアージ」であり、危機管理で最も重要な発想でもある。 もし次の解散総選挙で都知事を辞し、衆院議員候補として再度出馬すれば当選する可能性が高いだけに、ポスト安倍の意外な有力候補なのかもしれない。今回の経緯を見ても彼女であればクオモ知事のようなことはしないだろう。 特にコロナ問題で米中関係は今まで以上に悪化し太平洋上で両国の超音速戦略(核)爆撃機が、お互いを牽制し合う状況にまでなっている。日本のメディアはあまり報道しないが、日本上空で米国の戦略爆撃機と航空自衛隊の戦闘機の合同訓練まで始まっている。いつ熱い戦争が起きても不思議ではない。特にコロナや香港の問題で米中関係は緊張の度合いを高めている。 こうした危機にもリーダーシップを発揮できる可能性が高い小池知事ならば、ポスト安倍も順当のようにも思われる。特に今回のコロナ対応は彼女にとってよいトレーニングになったように思う。 今まで述べてきたように危機管理や国家安全保障とは、マニュアルのない状態でギリギリの決断をすることである。まして先述のような米中の超音速戦略(核)爆撃機による攻撃などで、もし仮に1千万人以上の都民を強制避難させるような事態が起きたとしたら、非常に強力な強制力を持った、真の緊急事態法の整備は急務であり、今回の教訓が生かされるだろう。 米国では国家と州の「合わせ鏡」がなければ緊急事態は機能しない。そこでクオモ知事の行動にもトランプ大統領による一定の歯止めもあったことは先述した。米フロリダ州で発言するトランプ大統領=2020年5月30日(UPI=共同)  また、バイデン氏の副大統領候補で有力なミシガン州のホイットニー知事も、自らの指導力誇示のために州議会の反対を押し切って非常事態宣言を延長しようとして、共和党関係から訴訟を起こされたりしている。やはり日本では前述のような自治体の能力不足などの理由からしても国家中心でなければ機能しないだろう。 それでは真の緊急事態に間に合わないという意見もあるが、クオモ知事やホイットニー知事のようなケースを考えると、緊急事態宣言は内閣の一致で行い、1カ月以内に衆参両院の過半数の同意がなければ無効になるというような歯止めが必要なことは、確かだと思われる。

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    残る橋下時代の悪弊、維新支持率アップを導いた吉村洋文の政治手法

    上西小百合(前衆院議員) 新型コロナウイルスの感染拡大対策で、国や各自治体が奔走している様子を連日メディアで見聞きする。 安倍晋三内閣はアベノマスク2枚の送付策を打ち出したものの、いまだに配り切れていないあり様だ。大阪市の松井一郎市長は、不足する医療防護服の代用と言って雨がっぱを思いつきで集めたりしている。 未曾有(みぞう)の出来事に「どうすれば支持率が上がるのか」と政治家たちが試行錯誤を繰り返しながら悪戦苦闘している様子が日々報じられている。ただ、報道されていなくとも、コツコツ頑張っている政治家もいることだけは伝えておきたい。 そんな中、これまで全国的には無名であった大阪府の吉村洋文知事が、マスコミでヒーローのように扱われ始めている。そして松井氏が代表、吉村氏も副代表を務める日本維新の会の支持率も、報道に引っ張られる形で急上昇した。 ただ吉村氏は、松井氏とともに「それって本気で言っているの?」というファンキーなコロナ対策もちょいちょい打ち出している。しかも、その手法は非常に狡猾(こうかつ)だ。 吉村氏は矢継ぎ早にコロナ対策を発表しているが、そのために前の対策がどのような効果をもたらし、打ち出した対策が費用対効果に見合うのか、ということが全然注目されない。「させない」と言った方が正しいかもしれない。 この維新の独特な体質は、私が衆院議員として所属した当初から感じていたことである。維新は「事後検証」や「改善」という言葉が本当に見受けられない。過去の例を挙げると、2013年に惨敗した堺市長選挙の際に、1時間程度の「カタチだけ総括会議」が開かれた。 この会議では、松井氏や党幹部、その取り巻きに反する意見を言うものなら、すぐに恫喝(どうかつ)され、「次の公認を出さんぞ」などと脅される。そのため、基本的に何のしがらみもなく議員になった私のような人間は、意見を言えずにただ傍観している「カタチだけ」の会合だった。昔も今も、維新で改善されることは何もないのだ。 私は一度、あまりにも理不尽な状況に違和感を覚え、党幹部に説明を求めたことがあり、それを機に疎まれ始めた気がする。「黙って言うことを聞いておけよ、正義を振りかざしやがって」ということなのだろう。 そういえば、丸山穂高衆院議員がまだ維新に所属していた17年、「維新は総括と代表選が必要」と会員制交流サイト(SNS)で発信した際に、当時の橋下徹代表が烈火のごとく怒り狂ったことがある。いわく「維新は代表任期がない代わりに、大型選挙の後は臨時党大会で代表選をやるかどうかを毎回決める仕組みにした」ということだが、残ったものは度量の小ささだった。大阪戦略調整会議の事前協議で発言する橋下徹・大阪市長(左)=2015年9月24日、大阪市中央区(竹川禎一郎撮影) 丸山氏の女性に対する卑猥(ひわい)な発言や飲酒による暴力沙汰、国家の信用を貶(おとし)める失言などを鑑みれば、彼に議員としての素質は皆無だと思う。しかし、この発言に関しては丸山氏が正しい。 代表選の実施すら党幹部の一存で決められてしまうという、自民党も真っ青のありえない環境だ。しかも、それを恫喝で正当化してしまうのだから、いかに気に入らない意見は封じ込めて、ゴリ押しで前に進んでいく体制であるか、お分かりになるだろう。維新躍進のワケ だが、政府とは異なり、維新は日々の生活に追われる大阪府民や国民に、経緯や検証などの小難しい話をしない。ゆえにこれくらいの簡潔さが心地よく、支持率も急上昇しているのだろう。私の第1回連載で、大阪限定で発揮される維新の選挙の強さは「分かりやすさ」にあると述べたが、まさにその手法が今回のコロナ対応で功を奏している。 ただでさえ、多くの人々がコロナウイルスの影響で頭を抱える日々を過ごしている。そんな中で、政治家に「これをやります!」「次はこれです!」と矢継ぎ早に政策を打ち出されると、なんだかよく分からないけどバンバン動いてくれていると感じるだろう。有権者からすれば、政治の知識がないと理解しづらいの難しい話を延々とされるより、すごく仕事してもらっている気分になれるのだ。 内容も「雨がっぱを送ってください」「通天閣をライトアップします」など大変分かりやすく、良くも悪くもマスコミが飛びつきやすいキャッチーな面もある。専門家ではないコメンテーターも容易にコメントができるワードも入れ込んでいる。 こうなると、少しでも効果を実感している方がどれだけいるかは関係なくなる。つまり、府民を熱狂の渦に巻き込んでしまう「橋下戦法」を吉村氏は採っているのだ。お見事の一言である。 さらに、吉村氏のラッキーぶりも、維新の支持率上昇の要因の一つである。前述したように、マスコミが取り上げなければ、日本全国で吉村氏のことが知られることはなかっただろう。それほど、安倍内閣のコロナウイルス対策がとにかくお粗末だともいえる。 政権寄りと言われる政治評論家の田崎史郎氏ですら歯切れが悪くなるぐらいだから、世論を肌で感じる報道番組も当然批判的な方向で進んでいく。ただ、メディアは偏った報道だと間違っても思われたくない。そのときに安倍内閣の対比として使えそうな素材だったのが、与党なのか野党なのかよく分からない、維新という政党所属の知事だった。 しかも、大阪という立地で取り上げやすく、何だかマスコミに結構サービスしてくれる。北海道の鈴木直道知事に次ぐ若さという話題性もある。素晴らしい条件がそろっていた。 吉村氏が取り上げられた結果、低迷が続いた維新の支持率は急上昇した。5月上旬に行われた共同通信や毎日新聞などの世論調査では立憲民主党を抑え、野党支持率でトップに躍り出た。共同の最新の世論調査でも、依然として野党トップの支持率となっている。特段何もしていない国政政党である維新にしては、かなりの奮闘ぶりである。 しかし、維新の国会議員は今回の吉村氏の飛躍を複雑な気持ちで見ている。支持率の上昇で、このままいけば次回の衆院選で当選する確率も上がるから、普通なら喜べる話のはずだ。だが、母体の地域政党、大阪維新の会所属の地方議員らにまたグチグチ嫌みを言われるのである。 「お前らは俺らのおかげで国会議員になれてんや。感謝しろよ、感謝ってなんか分かるか?」という具合だ。他の政党ではなかなかお目にかかれない、どす黒い話である。記者会見する大阪府の吉村洋文知事=2020年5月20日大阪府庁(前川純一郎撮影) 最後に、私の想像する吉村氏の胸中を披露しよう。 「このまま松井さんを上手に転がして、ゆくゆくは自分が代表に就任。途中で引きずりおろされた国会議員に返り咲き、総理大臣になってやる。橋下さんができなかったゴールにたどり着くぞ」 まぁ、しょせん野党で世襲議員でもない吉村氏が首相になれる可能性はほぼゼロなのだが、政治家とは自分に甘く、夢見がちな人間が多いので、案外私の想像もはずれていないかもしれない(笑)。

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    欧米も首を傾げる、日本の新型コロナ「押さえ込み」は奇跡か必然か

    えないことが現在進行中だ。もちろん、この先どうなるかは誰にも分からない。 しかし、本稿執筆時点では、新型コロナウイルス感染症による日本の死亡者数は、世界の主要国、特に欧米諸国に比べて圧倒的に少ない。感染者数もまたしかりだ。 緊急事態宣言は5月25日に全面解除された。しかも、日本の現状は、欧米諸国から見ると、異常というか、うらやましいというか、ミステリーというか、奇跡というか、どう解釈していいのか分からない。 これに関しては、欧米メディアも本当に困惑していて、首をひねっているところが多い。米外交誌フォーリン・ポリシー(電子版)は5月14日、「日本の『生ぬるい』新型コロナ対応がうまくいっている不思議」という論評記事を掲載した。要旨は次のようだ。 日本は中国に近く、中国からか観光客を大勢受け入れてきた。ソーシャルディスタンスも外出禁止も「要請ベース」と中途半端。「自粛疲れ」も起こっている。PCR検査数も国際水準を大きく下回り、5月14日までの実施件数はなんと米国の2・2%。 共同通信が10日に実施した調査では、回答者の57・5%が新型コロナウイルスに関する政府の対応を「評価しない」と回答している。 にもかかわらず、COVID−19が直接の原因で死亡した人の数は異常に低い。この結果は、敬服すべきものだが、単に幸運だったとも言える。ともかく、日本がなぜ諸外国のような感染危機にいたらなかったのかは大きな疑問だ。 実は、私もこの件について、これまでずっと疑問に思ってきた。欧米の感染爆発の凄まじさを知るにつけ、「いずれ東京もニューヨークのようになる」という警告を長い間信じてきた。 しかし、今日までそうはなっていない。5月28日時点の日本の確認感染者は1万6651人で、死亡者数は858人、人口100万人当たりの死亡者は6人。これに対して、米国は確認感染者169万9073人、死亡者10万411人、人口100万人当たりの死亡者は303人である。 米国と日本の人口比は約3倍なのに、確認感染者数で約95倍、死亡者数では約110倍、人口100万人当たりの死亡者数で約45倍も差がある。となると、この数値をそのまま受け取れば、日本はコロナ対策の成功国と言うほかない。参照:米ジョンズ・ホプキンズ大システム科学工学センター(CSSE) 次の表は、世界の主な国をピックアップし、確認感染者数、死者数、人口100万人当たりの死者数を比較したものだが、これを見れば、欧米諸国と比べた日本の特殊性は際立つ。確認感染者数や死亡者数より、人口100万人当たりの死亡者数の方が「コロナ禍」の実際を表しているので、トップ5を見てみると、全て欧州の国になる。 1位:ベルギー773人、2位:スペイン590人 、3位:イタリア525人、4位:英国508人、5位:フランス423人(米国は9位)で、日本は6人だから、ベルギーのなんと約130分の1となる。つまり、これほど「コロナ禍」を抑え込んでいることになる。 5月14日、緊急事態宣言の一部解除の記者会見で、安倍晋三首相は次のように自画自賛した。 中国からの第1波の流行を抑え込むことができた。欧米経由の第2波も抑え込みつつある。人口当たりの感染者数、死亡者数はG7、主要先進国の中でも圧倒的に少なく抑え込むことができている。これは数字上明らかな客観的事実だ。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14 こう言われては、返す言葉がない。 ある日突然、学校の一斉休校を言い出し、汚れている欠陥アベノマスクを配り、ミュージシャンと勝手にコラボして「自宅でくつろぐ姿」動画を流したりした。リーダーとして指導力を発揮できずに、何かといえば「専門家会議」「専門家のみなさま」と言い続けた。そして会見では、毎回プロンプターの原稿を読み上げるだけだ。新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言の全面解除を表明し会見で記者団の質問に答える安倍晋三首相=2020年5月25日(春名中撮影) そんな中、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議と厚生労働省は、国民がいくら「検査を増やせ」と言っても増やさず、「8割削減」だの「新しい生活様式」だのと対策をうやむやにしてきた。このように、どこからどう見ても、世界のどの国よりも遅れて劣るコロナ対策しかしてこなかったのに、結果は「吉」と出ているのだ。降って沸いたBCGワクチン説 先述の記者会見で、安倍首相と専門家会議の尾身茂副座長は、記者から、日本の死亡者数の少なさに関して、「BCGを日本人は受けているからじゃないかとか、あとは文化的な違いがあるんじゃないかといった俗説がありますが、これについて総理や尾身先生はどのような差がこういった結果につながったというふうにお考えでしょうか」という質問を受けた。これに対する首相と尾身氏の答えはこうだ。安倍首相 私もBCGとの関連等について、もちろんいろいろな説があるということは承知をしております。日本において10万人当たりの死亡者の数というのは0・5近辺でありまして、世界でも圧倒的に小さく抑え込まれています。それについて様々な議論があるというふうに承知しておりますが、これは正に専門家の尾身先生から御紹介を頂きたいというふうに思いますが、いずれにいたしましても、現在の感染者数、もちろんこれだけの数の方が亡くなられたことは本当に痛ましいことでありますし、心から御冥福をお祈りしたいと思いますが、我々も欧米と比べて相当小さく抑え込まれているこの水準の中において何とか終息させていきたいと思っています。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14尾身氏 簡単に。まずはBCGのことは、BCGが有効だというエビデンスは今のところございません。それから日米欧との差ですが、これは基本的には、私は三つあると思います。一つ目は、やはり日本の医療制度が比較的しっかりして、全員とは言いませんけれども、多くの重症者が今のシステムで探知できて、適切なケアが行われて、医療崩壊が防げているということが1点目だと思います。それから2点目は、特に初期ですね、感染が始まった初期に、いわゆるクラスター対策というのがかなり有効だったと思います。それから3点目は、これが最も重要かもしれませんけれども、国民のいわゆる健康意識が比較的高いという、この三つが大きな原因だと今のところ私は考えております。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14 首相も尾身氏も明確な回答になっていない。尾身氏は専門家らしく、結核予防のBCGワクチン説にエビデンスはないとは言うものの、全体としてなんとなくそう思えるという点を述べているにすぎない。 しかも、聞き様によっては、「対策は成功した」と言い、「国民の健康意識」というデータでは示せないことにすり替えている。そこで、次からはこれまで出ている「仮説」を整理して、検証してみたい。 日本で「BCGワクチン説」が広まったのは、4月初めに「medRxiv」という査読前の英文論文を掲載するサイトに、BCGワクチンを摂取している国と、新型コロナウイルス感染症の症例数と死亡者数が少ない国との間に相関関係が見られるという論文が掲載されたことによる。 この論文では、BCGワクチンを定期接種にしている国(日本、中国、韓国、香港、シンガポールなど)は感染者が少なく、接種をしていない国(イタリア、スペイン、米国、フランス、英国)では感染者が多いとしていた。これを受けて、日本でも統計解析が行われ、統計的には確認された。 ただし、因果関係を議論するためには、最低限、「症例対照研究」が必要とされるが、そちらの方は進んでいない。オーストラリアなど複数の国で、BCGワクチンによる新型コロナ予防効果を見る臨床研究が開始されたと報道されたが、続報はない。 次の画像は、「PLOS MEDICINE」というサイトに掲載されたBCGワクチン実施の世界地図だ。Aが国民全員にワクチンを実施している国で、Bがかつてワクチンを推薦実施していたが今はしていない国、Cが昔も今も実施していない国である。 BCGワクチン説が広まる中、5月14日にBCG効果を否定する論文がイスラエルのテルアビブ大の研究グループによって発表された。  この論文は、イスラエルでは1982年までBCGワクチンの定期接種が行われていたことに注目し、接種を受けた世代と受けていない世代で感染する割合に差があるか解析したものだった。それによると、新型コロナに感染した人、重症化した人に差はなかったという。つまり、BCGワクチンには予防効果は認められなかったというのだ。 ところで、日本でBCG接種が義務付けられたのは1951年以降のことだ。よって、今の70歳以上はほとんど接種していない。 高齢者ほど感染すると重症化し、死亡リスクが高まるという点から見ても、BCGワクチン説は怪しい。しかし、今のところ有力説の一つなので、ぜひ早く解明してほしい。  これまで、PCR検査の異常な少なさが全ての原因のように言われてきた。死亡者数が少ないのも、PCR検査数が少ないからで、例えば、死亡者に対してPCR検査をしていなければカウントされない。実際はもっといるのではないかと言われてきた。「インフルエンザによる肺炎、誤嚥(ごえん)性肺炎などで死亡診断された人の中に新型コロナの人がたくさん紛れているのでは?」そんな声もよく聞かれた。 米紙ニューヨークタイムズ(電子版)に「失われた7万4千人の死亡者」(74000 Missing Deaths)という記事がある。この記事では、世界の多くの国で「超過死亡」が不自然に増加しているということを報じ続けている。 「超過死亡」とは、インフルエンザが流行した際に、インフルエンザによる肺炎死がどの程度増加したかを示す推定値のことだ。死亡者の数を週単位で集計し、それを過去数年の死亡者数と比べて、不自然に死亡者が増加していれば、この増加はインフルエンザの流行によるものと判断する。肥満の新たなリスク これは新型コロナでも同じで、超過死亡には新型コロナとは直接関連ない死亡者も含まれる。新型コロナ流行に伴う医療崩壊によって、他の病気の治療を受けられなかった人がそれに当たる。 イタリアでは、2月20日~3月31日の新型コロナウイルスによる死亡者は1万2428人と発表された。しかし、過去5年間の平均と比較した同期間の「超過死亡」は2万5354人に上っていた。 他の欧州諸国と比べ、新型コロナ対策に成功したとされるドイツでさえ、3月の「超過死亡」は3706人と、新型コロナウイルスの公式死亡者の2218人を上回っていた。これはニューヨークも同じで、ニューヨークでは医療崩壊により、少なくとも7千人がコロナ関連死したと推定されている。 そこで、日本のコロナ死亡者数が本当に少ないのかどうかは、この「超過死亡」を確かめればいいことになる。東京の新型コロナ新規感染者は、4月に一時200人を超えたが、今月に入って大きく減少している。5月15日に9人、16日には16人、17日には5人となって、もう感染は完全に下火になったと言える。 では、死亡者数はどうか。こちらも徐々に減ってきている。 国立感染症研究所(感染研)では、インフルエンザ関連死亡迅速把握システムを用いた「21都市のインフルエンザ・肺炎死亡報告」を公表している。これを見ると、日本の21都市で、今年1~3月までの「超過死亡」はない。 感染者がピークとなった4月の数字は執筆時点でまだ出ていないので、確定的なことは言えないが、日本では欧米諸国のようなことは起こっていないといえる。 ただし、東京都だけは2020年8週目以降に「超過死亡」があり、合計すると130人ほど超過している。「グラフストック」というサイトに、そのグラフがあるので、確かめてほしい。  ただ、米ブルームバーグ通信は5月14日、都内の1〜3月の死亡者が3万3106人と過去4年の同時期平均を0・4%下回ったと報じている。いずれにせよ、日本ではいまのところ「超過死亡」は見られず、死亡者数が少ないのは間違いないといえる。 ニューヨークなどの死亡例に肥満者が多かったというのは、既によく知られている。2009年に大流行した新型インフルエンザでも、肥満者は発症と合併症リスクが高かったという。 そのせいか、今回の新型コロナでも同様の調査研究が行われた。例えば、肥満の指数である体格指数(BMI)が高いほど、死亡リスクも高いというものだ。 英オックフォード大の研究チームはNHS(国民健康医療サービス)の約1743万人の健康記録を分析し、新型コロナウイルス感染が原因で死亡した5683人の「コロナ死の主な要因」を分析した。それによると、BMIが40以上のコロナ死亡率は標準の2・27倍だった。 米ニューヨーク大で市のコロナ患者4103人を調べて、肥満がリスクを増大さていることをオッズ化した。BMIIが30未満を1とした場合、30~40で4・26倍、40超で6・2倍にリスクが高まる。2020年4月、米ニューヨークでマスクを着用して地下鉄に乗る人々(AP=共同) ちなみに、BMIは体重(キロ)を身長(メートル)の2乗で割った指数で、世界保健機関(WHO)では、25以上を「過体重」30~34・9を「肥満」、35以上を「高度肥満」としている。ちなみに、日本肥満学会では25以上を肥満(メタボ)としていて、理想値は男性が22、女性が21である。 そこで、世界各国の肥満度を見ていくと、日本は、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で男女ともにBMIが最も低い。次に韓国が低く、最も高いのは米国の28・8で、英国が27・3で続く。スペイン、イタリア、フランスも25を超えている。ただ、100万人当たりの死亡率でトップのベルギーは25を超えていない。ちなみに、日本人のBMIは男性平均23・6、女性平均22・5だ。 欧州諸国では、新型コロナによる死亡者のなんと半数が、介護施設に入居していた高齢者だった。米国でも死亡者の4分の1は老人施設の入居者だ。 となると、超高齢社会の日本では、高齢者の死亡者数が増えてもおかしくない。ところが、日本では海外に比べ、高齢者施設での死亡者が少ないのである。ウイルスは絶えず変化する ダイヤモンド・オンラインの『日本のコロナ死亡者が欧米より少ない理由、高齢者施設クラスターの実態』で、中央大の真野俊樹教授は、このことを指摘した上でこう述べている。 日本は制度上、病院が病気のみならず、高齢者のケアも行うというスタイルを取っていた。一時期批判されたが、『社会的入院』のように、高齢者が長期入院して生活を病院の中で行うということもあった。(中略) 海外に比べ、日本は病院以外の高齢者施設が少ない。世界一高齢者の比率が高い国でなぜこれが成り立っていたかというと、病院に高齢者が入院していたからである。すなわち、病院が高齢者施設の代わりをしているのは『日本の特殊性』ということになる。さらにいえば、急速な高齢化に伴い高齢者施設を増やしており、かつ日本の医療保険制度や介護保険制度を見習っている韓国でも同じように、病院が高齢者施設を代替している。ちなみに韓国も日本と同様、人口当たりの死亡者数が少ない。ダイヤモンド・オンライン「日本のコロナ死亡者が欧米より少ない理由、高齢者施設クラスターの実態」 2020.05.13  おそらく、これは一面の真実かもしれないが、死亡者数が少ない全ての理由ではないだろう。 ウイルスは常に変異(ミューテーション)を遂げるものだという。新型コロナウイルスも同じだ。欧米の医学者らが運営する新型コロナウイルスのゲノムに関する専門サイト「ネクストトレイン」(nextrain)によると、ウイルスは15日間に一度のペースで変異を遂げているという。 この変異を分類したのが、英ケンブリッジ大などの研究チームで、4月9日、医療研究者による国際データベース「GISAID」にその結果を公表した。それによると、新型コロナウイルスのリボ核酸(RNA)の塩基配列について変異パターンを比べると、ウイルスは3タイプに大別されたという。 武漢を中心に中国で蔓延したAタイプと、Aから分かれて中国から東アジア諸国に広がったBタイプ、そしてBタイプから分かれて米国や欧州各国に広まったCタイプだ。つまり、日本で感染拡大せず、死亡者も少ないのは、欧米とはウイルスのタイプが違うからという説が、この研究から推測できる。 日本の感染研も、4月28日に同じような研究結果を公表した。中国発のウイルスと米国・欧州のウイルスは変異の結果、違うタイプになっていたというのである。 感染研では、国内外の患者5073人から収集した新型コロナウイルスのゲノム情報を解析した。それによると、1年間で25・9カ所に塩基変異が起きると推定され、それは単純計算すると平均14日間に一度のペースになる。 こうしたことに基づいてウイルスを追跡すると、日本では、1月初旬に武漢で発生した「武漢株」を基点に各地で感染者が出た。しかし、これはその後消失へと転じた。 その一方で、世界では欧米で感染爆発が起きたが、これは中国から伝播して変異した株だった。その後、この「欧米株」が日本にもやってきて、感染拡大を引き起こした。つまり、日本の感染拡大は「武漢株」が第1波で、「欧米株」が第2波というのだ。 安倍首相が5月14日の記者会見で述べたのは、このことだったわけだが、ならば、欧州株による第2波が、なぜ、日本では欧米諸国のような感染爆発を起こさなかったのだろうか。この点は大いに疑問が残る。 ただし、この欧州株が日本に上陸して、再変異していたとしたらどうだろうか。感染研では、2月に大量の感染者を出したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で確認された陽性患者のうち、70人の新型コロナウイルス・ゲノム情報を武漢株と比較したところ、1塩基のみ変異していたと発表している。 そして、この株は乗員乗客以外から検出されていないという。とすれば、日本に上陸した「欧州株」は日本だけで変異して、欧州株より毒性が弱まったとはいえまいか。新型コロナウイルスについて中国の専門家と共同記者会見するWHOのエイルワード氏=2020年2月、北京(共同) 日本人は既に集団免疫を獲得している、という仮説も出ている。武漢で謎の肺炎が発生したのが昨年暮れのことだ。 しかし、日本は全く無警戒で、昨年12月には71万人、今年1月には92万人もの中国人を受け入れている。武漢が封鎖され、ダイヤモンド・プリンセスが寄港した2月になっても、入国を規制しなかったため、10万人を超える中国人が来日した。 つまり、この3カ月間で、多くの日本人が「武漢株」に感染し、ほとんど無症状のまま免疫を獲得したというのである。アジア諸国の謎 京都大大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と、吉備国際大の高橋淳教授らの研究グループが唱えた説で、5月11日の夕刊フジによると、感染力や毒性の異なる三つの型のウイルス(S型、K型、G型)の拡散時期が重症化に影響したという。 簡単に説明すると、研究チームは新型コロナウイルスに感染した場合、インフルエンザに感染しないという「ウイルス干渉」に着目した。インフルエンザの流行カーブの分析で、通常では感知されないS型とK型の新型コロナウイルス感染の検出に成功した。 そして、日本で拡散したのはK型という初期の弱毒性ウイルスであり、欧米に拡散したのはその後に変異して感染力や毒性が高まったG型だというのだ。よって、日本に遅れて入ってきたG型は、既にK型で集団免疫ができていたため、第2波になっても感染拡大しなかったという。 しかし、そんなに早く集団免疫が獲得できるものなのか。抗体検査が今後進めば、仮説の真偽ははっきりしそうだ。 先の示した「主な国の確認感染者数、死亡者数」の一覧から、アジアの国を見ると、日本だけではなく、ほとんどの国で100万人当たりの死亡者数が少ないことに驚く。 なにしろ、新型コロナウイルス発生源の中国が日本の6人より少ない3人である。アジア諸国を列記していくと、フィリピンと台湾が7人で、韓国は5人、シンガポール、インドネシア、香港は4人となる。さらに、タイは0・8人、ベトナムにいたってはゼロだ。 こうなると、アジア人は特別で、コロナに強い何かを持っているのではという仮説が成り立つ。この仮説がさらに真実味を増すのは、同じアジアの国でも、台湾、韓国などと日本ではコロナ対策に大きな差があるにもかかわらず、結果が同じだということだ。 ただし、アジア以外でも死亡者が少ない国はある。オーストラリアもニュージーランドも100万人当たりの死亡者は4人だ。こうなると「アジア人だから」とは言えなくなる。 こうして、諸説を堂々巡りした末に行き着くのが、日本人は公衆衛生の観念が他の国の人々より強く、清潔好きだということだ。普段からマスクを着けるし、手もよく洗う。 また、欧米の家屋では靴を脱がないが、日本人は靴を脱ぐ。こうした生活習慣の違いが、感染者数や死亡者数が少ない大きな要因だというのだ。 確かに、欧米人はマスクを着ける習慣がない。今回のコロナ禍が起こる前まで、たとえインフルエンザが大流行しても、欧米人はマスクを着けなかった。 また、文化の違いも大きいという。欧米人はハグやキス、握手を日常的に行うが、日本人はあまりしない。接触という点から見れば、この違いは大きい。さらに、食文化も違う。これが影響しているという。2020年3月、イタリア・ミラノの駅を出発する乗客を調べる兵士ら(AP=共同) こうしたことを言われると、そうかもそれないとは思うが、どれも科学的ではない。証明しろといっても、証明しようがない。 いずれにせよ、コロナ禍はまだまだ続く。ある一国が感染拡大防止に成功したからといって、周囲の国ができていなければ交流できないので、世界は元に戻らない。つまり、全世界が感染拡大防止に成功しない限り、コロナ禍は終わらない。 集団免疫理論が正しいかどうかは分からないが、ワクチンと治療薬がない以上、集団免疫以外に解決しようがない。ちなみに、ワクチンは擬似感染だから、これも集団免疫獲得の一手段である。 果たして、日本は今後どうなるのか。「検査数が世界でもダントツに低いのにもかかわらず、確認感染数も死亡者数も圧倒的に少ない」という現状が続いていき、このまま終息に向かうのか。 そうだとしてもしなくても、 誰かこの現状を本当に解明してほしい。このまま「日本の奇跡」「日本はやはり『神の国』」で終わるとするなら、いったい私たちはなんのために「自粛」したのだろうか。そしてこの先、なんで「新しい日常」を始められるのだろうか。

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    コロナ休校の逆境で見えた、捨て去るべき教育の絶対的価値観とは?

    池田章子(明治大特定課題研究ユニット客員研究員、ライター) 新型コロナウイルスの流行が、日本の経済や社会に大きな影響をもたらしてから数カ月がたちました。ようやく外出自粛の効果が表れ、感染者数も減少傾向となり、段階的な制限緩和が開始されました。しかし、このウイルスの全容はまだまだ見えず、闘いは長期戦となることが確実視されています。 感染拡大防止のために日常生活は大きく変わってしまい、今後も年齢や立場を問わず、各々が自ら考えて行動することが求められます。なぜなら、未曾有(みぞう)のウイルスのまん延であるため不確実なことが多く、これまでもこれからも、「誰もが納得できる方法」を明確にルール化することができないからです。 しかしここで改めて、今なお日本の教育の中心にある「正しい答え」を求めようとする価値観が、こうした問題への対応を難しくしていると私は強く感じています。 例えば、最近よく耳にするようになった「自粛警察」がそれにあたります。自粛を過度に主張するあまり、事情を問わず従わない人々を激しく非難し、自らが考える正義を絶対的なものとする人々が現れたことも、「正しい答え」を求めようとする価値観の弊害の一つといえるかもしれません。 新型コロナ問題が浮上する以前から、教育改革の必要性は常に問われてきました。コロナ禍の現状を前向きにとらえるならば、これまでにはない状況だからこそ、出てくる知恵があるはずです。教育に関わる全ての人々が、それぞれの立場から何を考えどう動くか。その姿勢が、今後の教育の在り方を大きく変えていくかもしれません。 私自身の身近なところでは、この4月に子供が小学校に入学し、緊急事態宣言を受けてすぐに休校となりました。まさに今、自宅学習のために配布された課題を子供に取り組ませることに試行錯誤しています。私は教育の専門家ではありませんが、このタイミングで子供が就学児童となったことは、改めて教育について深く考える契機をもたらすこととなりました。 外出自粛によって、教育の場の中心が一時的に学校から家庭へと移ったことは、普段つい学校任せにしてしまう親が子供の学習に向き合うよい機会なのかもしれません。自宅で執筆活動をしている私にとって、この状況は現実的には大きな負担ですが、ここはまず探究心を持って子供の学習に関わってみようと気持ちを切り替えることにしました。 まず改めて気づくのは、教育カリキュラム自体はその内容が時代と共に変化していることです。文部科学省の学習指導要領では、平成元年の改訂で「生活科」が新設されました。そして平成10年改訂では、自分で学び考える「『生きる力』の育成」という文言が記載されたことはよく知られています。アクティブラーニングを取り入れた検定に合格した教科書=2020年3月、東京・霞が関(佐藤徳昭撮影) 直近の平成29年改訂で提示された「主体的・対話的で深い学び」という視点は「いかに学ぶか」を追求するもので、まさに本年度から適用となった内容です。 現行の小学校1年生の教科書にも「考えてみよう」という問いが散見され、単なる答え探しではなく子供が主体的に学ぶことを促していることが分かります。しかし、自宅学習で痛感したことは、「限られた学習時間内で、こうした問いに取り組むのがいかに難しいか」ということです。アクティブな学び 保育園や幼稚園とは異なり、小学校からは学習プリントや教科書の指定ページを課題として提示されます。しかし、子供は親の前で、当然のごとく文句が出たり好きなことをやり出したりします。学習を通して日々何かしら考えてもらおうとしても、すぐに行き詰まってしまい、課題をこなすことで精いっぱいです。 決められた学習の枠組みの中で、子供に知識を伝達する以上のことをしようと思えば「これは相当の工夫が必要だ」と、自分が学習に関わってみてよく分かりました。改めて、現場の先生方のご苦労には頭が下がると同時に、家庭だけではできない「学校という場」が生み出す学びの価値を実感します。 知識だけならインターネットでいくらでも手に入るこの時代、いろいろな個性を持つ先生方や共に学ぶ仲間がいる学校の価値は、より貴重なものとなります。例えば、学習指導要領の改定に伴って、より注目されるようになった「協同学習」や「学び合い」などの方法では、知識は一方的に伝達されるのではなく、グループでの課題達成といった実践的な関わりの中で創造的に学んでいくと考えられています。「こうした学び」こそが、学校教育の価値となりうるでしょう。 ところが、多くの先生がさまざまな工夫を試みている一方で、学びを生徒任せにしてしまう先生もいることで、こうした学習方法がむしろ批判の対象になってしまう事態も起こっています。その背景には、学習計画の厳しさだけでなく「子供が学ぶ内容には、誰が教えても変わらない『正しい答え』がある」という考え方が心のどこかにあるように思えてなりません。 学びに関わる人がこうした考えを持っている限り、学びを「創造する」ことは難しくなります。子供が主体的に考えることを促すためには、どこかにある「正しい答え」を探すことではなく、教員も含めて一人ひとりが自分自身と目の前で起こっていることに真摯(しんし)に向き合う必要があります。 最近では、生徒の主体的な学習を促す「アクティブ・ラーニング」という表現がさらによく聞かれますが、「アクティブ」となるのは多くの場合生徒であると理解されています。しかし、学校を「学びを創造する場」へと変革するならば、生徒だけでなく教員もまた自らがどう「学び」に関わるべきかを「アクティブ」に学ぶ主体になるべきではないでしょうか。 例えば、「先生自身が『学び合い』にどう参加すればいいか」ということを生徒たちに投げかけ、意見を募るということも考えられます。つまり、「教員はいつでも答えを知っており、『正しい答え』がある」という考えこそ問い直すべきであり、そこに参加している全員が対話を通してみんなでその場で「答え」を作っていくのです。こうした経験こそが、生徒たちに考える力をつけるのではないでしょうか。スマートフォンの使い方について議論する府立京都すばる高校の生徒と宇治市立槇島小学校の児童ら=2018年11月30日、京都府宇治市の宇治市立槇島小学校(桑村大撮影) さらに言うならば、学校だけでなく家庭や地域社会もまた「アクティブ」な学びの主体のはずです。子供たちの学びのプロセスをいかに作っていくかをそれぞれの立場で考え、互いにいかに関わり合っていくのかを模索することが求められます。それは大人たち全ての責任であり、責任を押し付け合うことは全く意味のないことなのです。 学びのプロセスそれ自体にも、あらゆる文脈に当てはまる「正しい答え」などありません。互いの境界をなくし、短期間で「答え」を出すのではなく長期的に考え、対話を続けながら試行錯誤することで、初めてそれぞれの文脈の中でベストな方法にたどりつくはずです。 何より、大人たちが主体性を持って学びのプロセスに関わっていく姿勢を見せることこそが、将来的に子供たちが自ら考える力をつけるための最大のきっかけになるのではないでしょうか。衆知の大切さ コロナ禍では、周知のようにより大きな教育制度問題への対応が迫られています。ですが、私はここでも「正しい答え」を追求することで、解決の糸口が見えなくなっていると考えています。 今年の3月初旬に突然「全国一斉休校」を発表した安倍晋三首相は、恐らく必要な措置だったにもかかわらず大きな批判を受け、各方面からその是非を問う議論が巻き起こりました。しかし、未曾有の事態で求められるのは、その時点で正しいと評価される決定ではなく、まだ明らかにはなっていない事態に対応するための体制作りなのではないでしょうか。 政府はたとえ一刻を争う状況でも、衆知を集めて暫定的な対応方法を発信し、対策の稼働後に露呈した問題について方策を考える体制を作ることは可能だったはずです。政府側が知識や情報の不足を率直に公表し、現状を把握するために教育現場からの報告ツールをしっかりと設ければ、より信頼と協力を得られたことでしょう。 報告ツールさえあれば、速やかに教育現場と問題を共有することができます。現場からも問題だけでなく、それに対していかなる工夫と努力が可能かを発信することで、政府側は利用可能なリソースを即時的に検討でき、より実現可能な知恵が生まれてくるのです。 政府が対応を丸投げしたり、それに対して現場が決定の責任を追及したりしてしまうのは、結局どこかに「正しい答え」があると考えるからです。答えありきの考え方を捨て、目の前で起こっている問題状況を共有してそれぞれが主体的に考え、対話することで初めてベストな「答え」にたどりつくのだと思います。子供たちの学習の遅れという問題に長期的な対応が求められる今後は、よりこうした意識が問われます。 来年度の導入見送りが濃厚となった9月入学に関しても、現状で「正しい答え」を求めるより、多様な方面から議論すること自体に大きな意味があります。今教育に関わる全ての人が主体性を持って発信し、そこに耳を傾けて各機関が対話を続けることで、現時点では思考の及ばない「答え」にたどりつく可能性が広がります。 教育に限らず、これまで日本では十分な知識や情報がないながらも権限だけを与えられた政府の判断によって、重要な決定が重ねられてきました。そして問題状況や知恵が共有されずに責任の所在だけが問われてきた結果、さまざまな問題が解決されることなく山積みとなっていきました。 新型コロナウイルスという大きな災いが引き起こした数々の不幸を不幸で終わらせないためにも、この機会を無駄にすべきではありません。情報不足の中で「正しい答え」を求めるのではなく、異なる知識や経験を持つ一人ひとりが主体的に考えて発信し、その「知恵を結集する」ことができれば、決定の質は今後確実に上がります。※写真はイメージ(Getty Images) 衆知とそれに伴う決定こそが、これまでの教育を、そして日本を変えると思います。 誰もが当事者であるこの新型コロナ問題で、今一人ひとりが自分の置かれている状況について問い直し、互いに発信し合い対話することは、これまでにはなかった衆知を生み出すことでしょう。わが家にも6月からの段階的な学校再開が通知されていますが、微力ながら私自身も親として自宅学習に協力し、気付いたことを先生にお伝えして、お互いの知恵と工夫を共有したいと思います。

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    「はき違えた正義」LGBT運動を妨げる国会議員の新宿騒動

    ドしており、過去にテレビでご覧になった方も多いだろう。 例年なら20万人を超えるイベントだが、今年は新型コロナウイルスの影響で初のオンライン開催となった。主催者は会員制交流サイト(SNS)でのハッシュタグ「#おうちでプライド」をつけた投稿を呼びかけ、性的マイノリティの当事者、当事者の家族、共感を寄せる非当事者のみなさんがそれぞれの思いをつづった。 しかし、光があれば闇もあるのが世の常。きらびやかなお祭りの話題でかき消されてしまったが、TRPの約1カ月前に生じた「ある事件」がLGBTを二分する大論争を巻き起こしたことはあまり知られていない。そしてそれは今も火種となってくすぶっている。 きっかけは『AsageiBiz』(アサ芸ビズ)が配信したニュースだった。記事によると、同性愛を公表している立憲民主党の石川大我参院議員が、新型コロナウイルスの感染拡大が問題になっていた3月20日の未明、ゲイタウンである新宿2丁目で警察官を相手に大騒動を起こしたというのだ。 石川氏は午前2時ごろ、たまたま通りかかったパトカーをにらみつけ、いきなり動画で撮影し始めた。警察官がやめるように注意すると「オレは2丁目を偉そうに歩き回る警察を撮るのが趣味なんだ」「警察に肖像権はない」と挑発した。 さらに「名前を言え! 警察手帳を撮らせろ」と大声でわめいたかと思うと、今度は自分でその場から110番通報をして別の警察官を呼び、「オレは国会議員だぞ! ビビっただろう」と権力をちらつかせた。公衆の面前でのやり取りは約1時間続いたとのこと。泥酔していた様子の石川氏は、最後は警察官になだめられ帰途に就いたそうだ。 この報道を受けて石川氏のもとには非難が殺到した。市井のLGBT当事者からも国会議員としての自覚のなさを嘆く声が寄せられた。 ところが、日頃から石川氏を支持している一部のLGBT活動家だけは逆だった。「警察はわざとハッテン場に張り付いている」「性的指向をもとに職質のターゲットを絞っている」と、事もあろうに警察批判を展開し、石川氏を英雄とみなす人も出てきた(ハッテン場とは、不特定多数の男性が男性同士の性行為を目的に集まる空間のこと。全国に約170店あり、都内には新宿区を中心に約70店ある)。外出自粛要請を受け、東京・新宿の繁華街で通行人に声掛けをする警察官=2020年4月 同じくゲイであることをカミングアウトしている政治家として「これはまずい」と思った筆者は、すぐさま次のような内容をツイッターにアップした。 警察が新宿2丁目のハッテン場前を重点的にパトロールしているのは、薬物を使うゲイがあまりにも多いからです。何でもかんでもゲイ差別と結びつけて思考停止するのではなく、どうすれば薬物との関係を断ち切れるのかみんなで考えるべきだと思います西浦氏発言は「差別」だったのか? ゲイと薬物との親和性については昔から問題視されてきた。ゲイナイトでプレイするDJやドラァグクイーン(男性が女性の姿で行うパフォーマンス)、ゲイバーのママが逮捕された話は事欠かない。覚せい剤取締法違反(所持)容疑などで2度目の逮捕、起訴となったミュージシャンの槇原敬之被告の秘匿捜査を進めていたのも新宿2丁目を管轄する警視庁四谷署だ。 ハッテン場周辺の見回りは性的指向への偏見によるものではなく、性行為での興奮をより高める目的で違法薬物を使用するゲイが減らないからである。こうした情報は新宿2丁目をフィールドワークした経験のある人なら誰もが承知していることであり、警察は決して「性的少数者いじめ」をしているわけではないのだ。 だがこれは、リベラル政党やLGBT活動家にとっては「不都合な真実」に他ならない。近年ようやくLGBTの権利が注目されるようになってきたのに、ゲイの負の部分が国民に見えてしまうとムーブメントに水を差すことになる。だから、警察を攻撃することで、人々の目が真実に向かないようにしているのだと感じる。 かつて筆者も新宿3丁目の日焼けサロンで似たような出来事に遭遇したことがある。巡回に来た警察官が非常口に積んであったゲイナイトのフライヤーの入った段ボール箱を見て「もしものときに邪魔になるといけないので場所を移動してもらえますか」と店側にお願いしたところ、身の置き所のなくなった店員がいきなり「ゲイ差別だ」と騒ぎ始めたのだ。 「差別」だと名指しすれば相手は強張り怯(ひる)む。ゲイの一部に「差別」という言葉を理不尽な要求を押し通すためのキラーワードとして使っている側面があることは残念ながら否定できない。石川氏を擁護したLGBT活動家もしかり。火消しのための「葵の御紋」として利用したと言われても仕方がない。 無論、世の中から差別がなくなったわけではない。筆者も地元の国会議員に「同性愛者のあなたは秋田の代表としてふさわしくない。選挙の候補者を降りるべきだ」との旨を真顔で言われたときには一人枕を濡らした。それゆえに差別解消に向けて尽力したい気持ちは人並み以上だ。でも、だからこそ、はき違えた正義についてはLGBT当事者自身が声を上げていかなくてはならないと思う。 また、こんなこともあった。「8割おじさん」こと厚生労働省クラスター対策班の西浦博北海道大教授がインタビューで、新型コロナウイルス感染拡大の事例として「性的に男性同士の接触がある人も多い」と説明した。 すると突然、過激なLGBT活動家から「同性愛差別だ」と難癖をつけられたのだ。小池百合子東京都知事が「三密」を避けるよう緊急会見した3月25日以降もハッテン場は営業を続けていた。エロ系のゲイ・クラブイベントも中止されることなく強引に開かれていた。西浦氏が警鐘を鳴らしたのは当然のことだった。新型コロナウイルスのクラスター感染防止策について、記者会見する北海道大の西浦博教授(中央)=2020年4月、厚労省 しかしながら「差別」という言葉にあおられた人々は反射的に西浦氏を断罪した。結局西浦氏は、早期に事態を収拾させるために謝罪せざるを得なかった。この理不尽な糾弾劇を見て怒ったのは一般のゲイたちだった。「西浦氏は謝る必要はない」「われわれには自浄作用がない。LGBT団体も見て見ぬふりをし、ハッテン行為を自粛しろとは言わない。西浦先生に言わせてしまって申し訳ない」と、LGBT運動の問題点を冷静に分析するコメントで溢れた。 このエピソードからも分かるように、LGBT活動家と「普通」に暮らすLGBT当事者との感覚のズレは近頃ますます大きくなっている。韓国での例だが、ゲイが集うクラブで感染爆発が起き、身元を明かされることを恐れた約3千人と連絡が取れないとの情報もあり、そうなる前に啓発した西浦氏の行動には意味があったと言えよう。同性婚が必要な理由 一般社会からは見渡せない部分のゲイのライフスタイルに言及すると、猛烈に攻撃してくる人たちがいる。筆者も以前、文芸評論家の小川榮太郎氏との対談(『月刊Hanada』2018年12月号)で「ゲイのセックス経験人数は平均でだいたい三ケタというのが私の実感」と指摘したところ、うそつき呼ばわりされた。もちろん当てはまらない人はいるだろう。 だがこれは、ゲイの一生涯の累積として学術的にも妥当な数字だ。東大の三浦俊彦教授は最近の論説でゲイの性交渉人数は平均500人だとする米国の心理学者の推定を紹介。サンフランシスコでのパイオニア的調査ではゲイの75%が100人以上、27%が1千人以上で、レズビアンは大半が10人未満だったという。統計をとると男性は女性よりも性体験が豊富なことが分かっているが、この傾向は同性愛者であっても変わらない。 ゲイは男性的性欲に従い、レズビアンは愛するパートナーとの安定した関係を持ちたがる。ゲイ男性同士は男女のカップルよりも性交合意のハードルが低いので数が増えるのは自然なのだ、と。そして三浦氏は、これは偏見でも差別でも暴言でもないと説く。「男の性欲は、貶(おとし)めたり隠したりすべきものではなく、コントロールすべきものです。生物学的デフォルトの性差を直視しない社会は、科学をないがしろにする社会」だと諭す。 筆者は小川氏との対談で、このような刹那的な生き方にふたをするための同性婚の必要性を訴えたのだった。制度があることによって人は自らを律していく。結婚制度に同性愛者を組み入れることで、ゲイは「新しい生活様式」を見いだすことができるし、国家はさらなる安定性を担保することができる。コロナ危機の国難において、保守派にとっての重要な視座だと筆者は思う。同性婚に反対する年配の方々にも、ぜひ一考してもらいたい。 なぜ、LGBT活動家はゲイの性愛を語ることを嫌うのか。そもそも「性的指向とエロスは関係ない」とのロジックは、性欲を忌むキリスト教圏で同性愛を正当化するために作られた方便だった。 ところが、わが国のLGBT運動は、歴史的経緯の違う欧米理論をそのまま輸入してしまった。その結果、事情を知らない若い活動家は同性愛を高尚で美しい恋愛パートナーの話なのだと真に受けてしまったのだ。つまりネタがベタになったというわけだ。 そうした彼らの純愛信仰は、裏を返せば内なるホモフォビア(同性愛嫌悪)の表出だといえる。性欲を忌避するLGBT活動家は、本当の社会的弱者の声をすくい上げることをしない。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 首都圏のウリ専(ボーイが指定された場所に赴き有料で性的サービスをするゲイ風俗のことで、女性の利用者も少なからずいる)にはドメスティック・バイオレンス(DV)や貧困から逃げてきた若者も多い。地方から上京し、合宿所で暮らしている人もいる。彼らは食べていくためにコロナ禍であっても働かざるを得ないのだ。 イタリアの哲学者であるジョルジョ・アガンベン氏は今から25年以上も前に「ホモ・サケル」という概念を提起した。ホモ・サケルとは「排除から排除されたもの」という意味だ。 つまり、包摂か排除かを選別される人たちとは別に、あらかじめ選別の土俵から締め出された人たちがいるということ。華やかな面ばかりを伝えるLGBT報道はキラキラした強い光線を放つことでハレーションを引き起こし、真の課題を見えなくしている。ある事への敏感さが別の事への鈍感さに繋がってはならない。変わりゆく時代に合った法整備を LGBTは幼少期から他者との違いに怯えて暮らしてきた人が少なくない。たとえ実態としての被害はなかったとしても、本人にとっての疎外感は確かに存在するのだ。そう、犯罪心理学が研究する「治安」と「体感治安」の違いのように。蓄積された被害者意識はコップに注がれた水のごとく一定の表面張力を超えると溢れ出る。ただし、そのベクトルは自罰に向かう場合も他罰に向かう場合もある。 本来のLGBT運動は「フェアな社会」を要求するものであるが、他罰感情から社会と敵対する当事者も生まれやすい。そこをどう乗り越えていけるか。これまでのLGBT運動が向き合ってこなかった部分だ。 LGBT活動家はゲイの薬物乱用や過剰な性交人数について、背景には社会の無理解を原因とする自尊心の低さがあると弁明してきた。一昔前ならそうした分析にもリアリティを感じられたが、これだけネットによってゲイの多様な生活が可視化された現在では説得力に欠ける。むしろ、当事者の甘えを肯定するために機能してしまっている。 ここ数年、LGBTが社会的に認知されるようになってきたことと比例して、世間の眼差しも変わりつつある。2017年に1907(明治40)年の法制定以来110年ぶりの刑法改正がなされ、強姦罪の名称が強制性交等罪に変わった。「口腔性交」や「肛門性交」も含まれることになり、男性間での性行為も対象となった。 LGBT運動は自分たちを「一級市民」として認めてほしいと訴えてきたけれども、権利が向上すれば社会の成員としての義務も生じる。それは、これまで性的マイノリティゆえに「お目こぼし」されてきたゲイ・カルチャーが「法の外」として通用しなくなることを意味する。 たとえば衆人環視の中で男女が偶然を装って性的な行為に及ぶハプニングバーは、しばしば「公然わいせつほう助」として摘発されているが、ほぼ同じ理由でハッテン場の経営者が捕まるケースも出てきている。 ジェンダー・イクオリティの観点からいつかはこうなると分かっていたとはいえ、戸惑いを隠しきれないゲイは多い。現在風営法は異性間の性風俗店しか登録できないため、店側としてもルールの作りようがないのだ。 あるハッテン場は店内にバーカウンターを設け、パンツだけははくようにと客に指示を出す努力はしているが、一歩奥に入れば大部屋での乱交は平常通り。あるクラブイベントは壁際でオーラルセックスをしている客をスタッフが注意して回っているものの、どこまでが合法なのか判断がつかない状態だ。国会による不作為が、関係者たちを法の狭間で困惑させている。  性的マイノリティを表明する国会議員がやるべきことはLGBT活動家と一緒になって聞こえのよいスローガンをお題目として叫ぶことではないはずだ。不人気になることを覚悟のうえで現行制度とどう折り合いをつけていくかを考えるべきである。なぜなら、社会のチューニング(微調整)こそが国政の役割だからだ。2016年4月、参院選秋田選挙区で野党統一候補に決まり記者会見する松浦大悟氏=秋田市山王 献血禁止規定の問題もその一つだろう。新型コロナウイルスによる外出自粛などの影響で血液不足が深刻化しているが、日本赤十字社のガイドラインでは過去6カ月以内に男性同士の性的接触があると献血できないことをご存じだろうか。ゲイやバイセクシュアル男性はHIV感染の高リスクグループだというのが理由だ。情報共有でオープンな議論を ただ、現在の検査技術は2カ月が経過していればHIV抗体の検出を可能としており、このたび米国は禁止期間を12カ月から3カ月に緩和した。未曽有の危機に自らも国を救うために貢献したいと考えるゲイやバイセクシュアル男性は大勢いる。性的マイノリティ議員には、ぜひこうした立法にこそ力を入れてほしい。 先日、筆者が1万8千もの「いいね」をもらったツイッターの投稿がある。 ゲイの私から皆さんに言えることがあるとすれば、一言。「弱者の言葉が常に正しいわけじゃない。LGBTの嘘に騙されるな」ということ。「ちゃんと自分の頭で考えよう」ということ 差別がないとは言わない。けれどLGBT運動が殊更に弱者としての姿を強調し、あらゆる手段を使ってきたことは事実。時には大風呂敷を広げ、またあるときには都合の悪い情報を伏せて大衆を丸め込んできた。彼らの焦る気持ちは分からなくもないが、そうしたご都合主義はいずれ信頼を失う。 同性婚の議論もそうだ。「同性婚を導入すれば一夫多妻婚や動物婚も認めなければならなくなる」と心配する保守派に対し、LGBT活動家は「あり得ない」と全面否定した。だが、現実は違った。文化人類学の立場からドイツの動物性愛者団体を研究している濱野ちひろ氏は、去年『聖なるズー』で開高健ノンフィクション賞に輝いた。 その濱野氏はインタビューで「動物性愛は、医学的には精神疾患として分類されていますが、最近ではLGBTのような『性的指向』の一つだとする性科学者の意見もあります」と話している。 また、津田塾大の萱野稔人教授は著書『リベラリズムの終わり その限界と未来』で、米国では同性婚合憲化以降、重婚も認めてほしいとの要求が出てきたことを報告している。モルモン原理主義者を中心に一夫多妻生活を実践している人たちが約3万~4万人おり、その中から真剣に結婚の自由を訴える世代が登場し始めているのだ。 萱野氏は「他人に危害が及ばない限り社会は各人の自由に干渉してはならない」というリベラリズムの原理を突き詰めれば、同性婚だけ認めて本人の自由意志のもとでなされる一夫多妻婚や一妻多夫婚、近親婚を容認しないことはできないと断言する。 リベラル派の人たちがこれらから目を背けるのは、思考の不徹底以外の何ものでもない、と(近親婚に反対する理由として先天異常の子供が生まれるリスクを挙げる人がいるが、それを言うなら高齢出産も禁止しなければならない)。 そのうえで萱野氏は「リベラリズムの限界に自覚的たれ」という。われわれはどうして、一夫多妻婚や近親婚に嫌悪感を抱くのか。なぜそれらにリベラリズムの原理を適用しようとしないのか。それはリベラリズムの原理より先に、リベラリズムの有効範囲を画するような、より根源的な規範意識があるからだと解説する。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) そして「より根源的な秩序原理とリベラリズムとのすり合わせこそが重要」だと述べる。これは筆者があえて憲法改正での同性婚を主張する理由でもある。社会を壊すことなく同性婚を実現させるためにはナショナリズムの論理しかない。どこまでが「われわれ」の範囲なのかを再帰的に確認し、時代に合わせて拡張していく方法だ。ナショナリズムと同性婚を結びつける議論に読者のみなさんは驚かれたかもしれない。 だが、みなさんにこそ、この問題に関わってもらいたいのだ。筆者は現職の国会議員だったとき、誰よりもLGBT政策に取り組んできた。それだけに、左派が暴走している今の状況を憂いている。LGBT運動を軌道修正し、時代を一歩前に進めるために力を貸してもらいたい。

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    最前線支援で感染させない、対コロナで魅せた自衛隊の覚悟と精神

    濱田昌彦(元陸上自衛隊化学学校副校長) 新型コロナウイルスへの対応について、自衛隊が一層注目されている。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス(DP号)」をはじめ、自衛隊が「やっぱりすごい」という話をよく聞く。確かにDP号でも、自衛隊中央病院(東京都世田谷区)での患者受け入れにおいても、自衛隊員は一人も2次感染者を出していない。防衛省の庁舎横にある「ホテルグランドヒル市ヶ谷」でも軽症者を受け入れているが、ここでも感染の話は聞かない。「なぜなのか」と、聞かれることも多い。 これに対しては、「やはり士気が高いから」「もともと生物兵器に対応していたから」「最初から完全防護で個人防護具(PPE)をフル装備で動いていたから」など、いろいろな意見がある。 どれも当たっていると思う。ある意味、その要因は「日本だけ、どうして死者数が欧米と比較して2ケタ少ないのか」という疑問にも重なる部分がある。自衛隊の感染者ゼロの秘密を知れば、消防や警察、医療や老人介護関係者も感染をゼロに抑えられ、出口戦略が見えてくるかもしれない。 実際に防衛省・自衛隊は、1月29日に中国武漢からのチャーター機に看護官(看護師資格を持つ自衛官)2人を派遣して以降、約1万3千人もの隊員が新型コロナウイルス感染拡大防止のための任務に従事してきた。そして一人の感染者を出すことなく、任務を継続しているのである(5月23日現在)。 「(自衛隊の活動が)そんなにうまくいくかなあ」といった声が聞こえてくるような気がするが、実はそれほどすごいことではなく、当たり前のことを当たり前にやっているからに他ならない。そんな単純でつまらないことを愚直にやるのが自衛隊の強さの要因かもしれない。ただし、そこには「覚悟」が欠かせない。 「新型コロナウイルス感染拡大を受けた防衛省・自衛隊の取組」の中には、「基本の徹底」という言葉が何度も出てくる。そこで陸自OBである私の独断と偏見に満ちた見解を紹介しよう。 今回の新型コロナウイルスの対応がうまく行くか、失敗するかのキーワードの一つが「クロスコンタミネーション(Cross contamination)」であると私は思う。 これを日本語に直すとうまくニュアンスが伝わらない。例えば、感染者一人のウイルスが、くしゃみや咳(せき)をした後の右手人さし指からエレベーターのボタン、そして次の乗客の指先に付着し、さらに手すりやドアノブ、レストランのテーブルなど、クロスしていく様子を想像してくれたらいい。※写真はイメージ(Getty Images) これに意識があるかどうかで、感染拡大するか否かを左右する。陸上自衛隊化学部隊にとってみれば、VX(猛毒の神経剤の一種)のような持久性化学剤のイメージに近い。 それだけに、DP号での自衛隊の活動は、このクロスコンタミネーションを十分に認識しながら活動していたことがよく分かる。クルーズ船で何が起きたか なお、自衛隊がDP号で実際に実施したのは、診察、薬の処方、生活支援や生活物品などの搬入、船内における金属部分などの共同区画の消毒の他、下船者の輸送支援など多岐にわたる。これらを見ても、実に感染リスクの高い活動であることが分かる。また、巨大で複雑な構造のクルーズ客船内での活動で、前例のないオペレーションでもある。 思い出すのは、2011年に起きた東日本大震災による福島第1原発事故の後、住民の一時帰宅の際に現場部隊を視察したときのことだ。そのときも、タイベック(高密度ポリエチレン繊維不織布)スーツにN95マスク、シューズカバーを装着した。オーバーブーツについては、度重なる水素爆発の後で、住民のモニタリングをした際に、ほとんどの靴底にセシウムなどが付着していた。 さらにさかのぼるが、1995年の地下鉄サリン事件でも同様だった。プラットホームと車両の除染を深夜に終えた除染部隊指揮官の3等陸佐が、旧営団地下鉄(現東京メトロ)丸ノ内線の車両基地で「おい、おれの足を洗ってくれ!」と化学防護衣のゴム長靴を洗わせる映像が残っている。乗客の中にも、サリンを踏んだまま救急車に乗った人も多かっただろう。 同様に、DP号の床は患者の咳やくしゃみでウイルスに満ちていた。オーストラリアの医療関係者の規定では、コロナ患者を診る際、安い靴を買っておいて家に入る前に外で履き替え、衣服も外で着替えることになっている。そこまで徹底が求められるのだ。 自衛隊関係者以外でも、DP号においてはPPEやマスク、手袋をしていたことは間違いない。それではなぜ、感染者が複数発生してしまったのだろうか。可能性として、ありうることを列挙してみよう。 例えば、防護服を着たままトイレに行くことがある。その度に着替えることは難しいかもしれないが、ウイルスはふん尿から感染しうることが、かつて重症急性呼吸器症候群(SARS)が問題になった当時から指摘されていた。公共のトイレは、街中などでも感染源となりうるのだ。 また、食事の際はマスクを外すだけに、当然だがリスクは高まる。いろいろな所に触り、その手で顔や鼻、口を触る。防護服は着用していても、袖や裾、ウエストなどに隙間があればウイルスは中に入ってしまう。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の船内で集まる自衛隊員ら=2020年2月(防衛省提供) 手袋をはめていても、カルテを作成する際には、カルテそのものや使用するペンも汚染される。訓練を受けていた医療関係者でさえ、あれだけの高率で感染してしまったのは、そんな要因があったのかもしれない。前述のオーストラリアの医療規定では、職場のペンや財布さえも持ち帰ることを禁じている。 いずれにせよ、クロスコンタミネーションの可能性を踏まえると、たとえある程度のPPEで守られているとしても、接触感染のリスクがなくなったわけではない。空調は全部つながっていて、人々の動線も複雑に絡み合っているだけに、隊員への感染が起こりうる密閉空間だったのである。面倒と戦う 中国において医療関係者の感染が相次いだとのニュースは、当初から伝わっていた。なぜ、ゴーグルや防護服、N95マスクも着用している彼らが高頻度に感染したのか。それを考えれば、飛沫(ひまつ)感染以外の接触感染やクロスコンタミネーションが起こっていたことを推測できたかもしれない。 ちなみに自衛隊は、活動拠点として民間フェリーである「はくおう」や「シルバークイーン」を活用し、大がかりなロジスティクス(物資の供給)準備および支援を実施していた。はくおう内でも、感染のリスクに応じて動線を分けることなどの対策を講じている。隊員には栄養ある食事を3食とらせて、休憩時間や睡眠時間を十分に確保することで、心身の健康を維持し免疫力を落とさないよう着意していた。 さらに防護を徹底するために、ウイルスを防護するタイベックスーツなどの着用において自衛隊独自の高い基準を適用し、その上で二重の手袋とテープを使用していた。防護服などの装着・脱着においては2人一組でのバディシステムを採用し、脱着作業において帽子が髪の毛を完全にカバーしているか、隙間がないかなどを確認していた。 私がまだ1等陸尉の頃に、陸自の集団防護システム(CPS)の研究開発に短時間ではあるが参画していたことがある。CPSとは、いわゆるシェルターのことだ。外の環境が化学兵器や放射能、生物兵器で汚染されているときに、中でPPEを脱いでリラックスして休養したり、食事をとったり、あるいは作戦会議や指揮統制活動をするものである。 実はこの出入りがとんでもなく面倒なものであった。入り口に続くウォームゾーン(化学剤または生物剤が存在しない場所に、汚染された人や物があらかじめ来ると予測され、かつ汚染の管理ができている付近一帯)においてPPEや防護マスク、オーバーブーツ、手袋などを規定の手順通りに脱いでいかなければならない。鏡を見ながら慎重にマスクを装着する自衛隊中央病院の医療スタッフ=2020年4月30日、東京都世田谷区(田中一世撮影) こうしなければ、中のトイレにも行けない。逆に外に出て行くときには、またPPEを着用することになるが、できれば全部新品を使いたい。一方で、高価な防護服を使い回さなければ兵站(へいたん)が持たないという事情もある。そこで汚染されてしまえば元も子もないからだ。 だが、CBRNe(化学:Chemical、生物:Biological、放射性物質:Radiological、核:Nuclear、爆発物:Explosive)に対応するということは、ある意味でこうした面倒くさいことに耐えることである。そして、その「面倒さ」に耐えてきたのが自衛隊とも言えるだろう。自衛隊から感染者が出ていないのは、そうした「面倒さ」を愚直に実践できるところにあるのかもしれない。自衛隊のオペレーション 現在コロナウイルス患者を受け入れている自衛隊中央病院の看護官は、そのほとんどが自衛隊の幹部である。当然、階級章をつけて所定の基本教育を受けており、その中にはバイオを含むCBRN(Explosiveを除いたもの)教育および訓練も含まれている。 いったん緊急事態となり、新型コロナ患者が大量に入ってくるとなれば、命令一下、ミリタリー組織として動き出すのは当然である。看護部長の階級は、昔風に言えば大佐である。これは連隊長に匹敵する。 また、医官(医師資格を持つ自衛官)も含めてCBRN防護に関する教育が、同病院の隣にある陸上自衛隊衛生学校でなされている。細目名で言えば、特殊武器衛生がこれにあたる。特殊武器というのは、自衛隊特有のCBRNを表す用語である。砲兵を特科、工兵を施設科と呼ぶのと同様である。 なお、同病院は国内最多規模の感染者を受け入れ、3月19日には患者104人の症状に基づく分析結果を関係者全員の同意に基づき速やかに発表している。もちろん、病院関係者の2次感染は一切なかった。これはゾーニング(現場や後方地域を3段階に医療区分すること)、接触感染予防、飛沫感染予防などの徹底した感染予防策があったことは言うまでもない。 また、第一種感染症指定医療機関としての感染患者受け入れ訓練や、首都直下型地震などを想定した大量傷者受け入れ訓練からのノウハウが、今回の事案対処において大きく活用されている。 ちなみに、同病院に入院した外国人の患者に対しても細やかな配慮がなされていた。具体的には、患者と各国在京大使館との通訳支援や、本国間の連絡や母国語での情報収集を可能とするためのWi-Fiルーターの設置、病院食の工夫などが含まれている。入院していたドイツ人夫婦から、感謝の手紙が届いたというのも分かる気がする。自衛隊中央病院の外観=東京都世田谷区(後藤徹二撮影) ただ、自衛隊の対応とは対照的に、DP号でのオペレーションについて政府や行政が非難される場面がよく見受けられたが、なぜだろうか。DP号での自衛隊のオペレーションはどのように遂行されたのかについて、私の考えは以下の通りだ。  まず、オペレーションを実行するにあたって次のキーワードが重要となる。・作戦、情報、地域の見積・状況判断の思考過程・必ず達成すべき、達成が望ましい目標・各行動の分析と比較 これらは陸自の幹部なら必ず経験する戦術教育のキーワードである。もちろん、新型コロナ対応に当たっている医官や看護官、その他の薬剤官などの衛生科幹部も例外ではない。戦術の思考過程 DP号への要員派遣や自衛隊中央病院への患者受け入れにあたっても、先ほどのキーワードを用いた思考プロセスはいずれかで活用されたと推測される。ただ、ここで難しかったと予想されるのは次の点だ。・地域見積において、大型クルーズ船がどんなものなのか見当もつかないこと・情報見積において、敵の特性、すなわち新型コロナウイルスの性質が今一歩不明であったこと・作戦見積において行動方針を列挙するにしても、何をどこまでやるのか不明確であったこと それでも、現場は状況判断して決心するしかない。彼らが設定した「そのときに重視すべき要因」、あるいは「必ず達成すべき目標」の一つは「部隊の健在」であったかもしれない。なぜなら、状況不明の中で自ら感染者を出してしまえば、今後の国家への寄与を困難にする可能性が大きいからである。 オペレーションに対する、こうした戦術の思考過程の活用も自衛隊員の感染者ゼロの要因かもしれない。なお、福島原発事故の後の放水冷却作戦において、前線拠点となったサッカー施設「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)に集まった消防、警察、航空自衛隊、海上自衛隊などの全体の指揮を執ったのは、陸自中央即応集団副司令官の陸将補である。 中長期的な計画を策定し、さまざまな組織をまとめるにあたり、きちんとした思考プロセスを踏んで至当に状況判断するには、戦術に造詣の深い陸自の上級幹部が最適であったためであろう。 今回のDP号での対応は主に厚生労働省が指揮を執ったが、もちろん自衛隊にはバイオに関する防護専門部隊がないわけではない。陸自の対特殊武器衛生隊がそれに該当するが、新型コロナ対応で、自信を持って活動する基盤と言えるかもしれない。創隊時からPCR検査の設備も備えており、今回のDP号への対応でも、この部隊が動いていた。 自衛隊中央病院の近くにある三宿駐屯地に所在し、現在は陸上総隊の隷下である。この部隊が2008年に創設されたのは、01年に米国で炭疽菌が郵送され感染者が死傷したテロ事件以降、それまでよりも一段と生物兵器やバイオテロの脅威が高まったとみなされたためであろう。 対特殊武器衛生隊は、中央特殊武器防護隊や他の衛生科部隊と連携し、核・生物・化学(NBC)攻撃による傷病者の診断・治療を行う。 これは2個対特殊武器治療隊編成であり、特に生物兵器対応が主眼だ。また、生物兵器同定のための機材の他、治療用の機動展開ができる衛生検査ユニットや陰圧室ユニットを装備している。医官や看護官、臨床検査技師資格を持つ自衛官らで編成されており、バイオのエキスパート集団として知られている。PCR検査の結果待ちの帰国者らが一時滞在する「ホテルグランドヒル市ケ谷」で、生活支援にあたるホテルスタッフにウイルス防護策を指導、助言する自衛隊員(右)=2020年4月、東京都新宿区(防衛省提供) このように、今回の新型コロナウイルス対応では、改めて自衛隊の存在が際立った。だが、その一方で新型コロナウイルスの発生源とされる中国が尖閣諸島を含め、軍事的圧力を高めている。自衛隊がますます注目され、任務が増大する中で、装備や人員、予算という壁、そして自衛隊そのものの「在り方」という課題も浮き彫りになりつつある。 次回はその「在り方」について、筆を執りたいと思う。

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    緊急事態宣言の解除で欠かせないアフターコロナ「経世済民」の四本柱

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 5月25日、新型コロナウイルス感染拡大を受けた緊急事態宣言の全面解除が決まった。4月7日、首都圏など主要都市部を有する7都府県から始まった長い「闘い」に、一応の区切りがついた。 今後、経済や社会は「コロナとの共存」に警戒しながら、徐々に回復の途を歩みだすだろうが、大きな不安があるのも事実だ。新型コロナの感染が再び急拡大する第2波の恐れ、そして経済の深刻な落ち込みである。 緊急事態宣言が解除されたからといって、経済活動がフル回転できるわけではない。そもそも世界経済全体の落ち込みも回復していない。 困難がしばらく続き、その不確実性の世界は不気味なほどの深さと広がりを持つ。この「コロナの時代」をどのように生きていくか、そこに経済対策の在り方もかかってくる。 4月から約50日に及んだ緊急事態宣言によって、日本経済の落ち込みは、年率換算でマイナス20%を超える大幅な減速と予測されている。これは民間のエコノミストたちの平均的な予測ではあるものの、今年の1〜3月期についても、国内総生産(GDP)速報値と彼らの予測は大差なかった。 しかも、この予測は第1次補正予算を含めたものであり、緊急事態宣言のゴールデンウィーク以降の継続だけでも相当の経済ショックを与えるだろう。緊急事態宣言延長とその後の経済減速を勘案すると、おそらく27兆円規模の需要支持が必要である。 この数字は先ほどのエコノミストたちの平均予測から仮に算出したものだ。彼らの数字はあくまで年率換算であるため、GDP総額を530兆円とし、経済への衝撃がずっと同じレベルで続けば、年間で20%消失するというわけだ。したがって、4〜6月の第1四半期で見ると、4分の1の約27兆円の経済ダメージが生じる。 さらに、感染期における経済対策なので、人々の経済活動が新型コロナ危機の前のように戻ることを想定するのは難しい。ソーシャルディスタンス(社会的距離)を引き続き採用し、自粛を継続することで、産業や業態ごとの活動率もバラバラになるだろう。 要するに、緊急事態宣言のような経済の冷凍状態ではないが、「半冷凍」が続くと思われる。この中では、従来のような「真水」に注目するのは妥当な解釈とはいえない。 従来の「真水」は、経済を刺激して、GDPを押し上げ、完全雇用を達成することに貢献する政府の財政支出を示している。例えば、新しい事業が増え、働く場が生まれ、経済が活性化することに貢献する財政支出の部分だ。営業を再開した松屋銀座で、ソーシャルディスタンスを取って会計待ちをする来店客=2020年5月25日、東京都中央区(松井英幸撮影) だが、感染期の経済対策は、感染拡大を防ぐために経済をかなり抑制しなければならない。この状況は緊急事態宣言が解除されても、しばらくは続く。 そのために「お客は来なくても倒産しない」「仕事がなくても失業しない」という状態を実現しなければならない。これはかなりの難度の高い政策である。2次補正の補完策 通常であれば、消費減税は景気刺激の「1丁目1番地」に位置する。今回の日本の経済苦境は、米中貿易戦争を背景にした景気後退、昨年の消費増税、新型コロナ危機の「三重苦」の経済であり、とりわけ消費増税が恒常的に消費を引き下げ、経済を停滞させている。 だが、感染期では、消費減税政策の推進は少し後退せざるを得なくなる。なぜなら、感染期の経済対策は、消費のための「お金の確保」が最優先されるからだ。 そのため、お金自体を増やす政策、定額給付金や各種のローンの支払い猶予などが中核になる。その意味で、1次補正に盛り込まれた国民一人当たり10万円の定額給付は、正しい政策オプションの典型だ。今は、この方向の政策をさらに強化すべき段階にある。 政府内で検討されている第2次補正予算も、基本的にはこの感染期の経済対策に当たる。とはいえ、この時点で消費減税の議論をやめる必要はない。むしろ積極的に行うべきだ。 2021年度予算策定の今秋をターゲットにすればいいだろう。感染終息の保証はないが、それでも景気刺激の時期を見据えるいいタイミングになるのではないか。 ともかく2次補正の話に戻ろう。27兆円規模の経済対策を最低でも盛り込むべきことは先述の通りだが、この点で提言がある。 先日、三原じゅん子参院議員を座長とする「経世済民政策研究会」が菅義偉(よしひで)官房長官に対し、2次補正を念頭に置いた政策提言を提出した。この提言には、政府が現在検討中の2次補正を補完する有力なツールが並べられている。菅義偉官房長官(右から3人目)に新型コロナの感染拡大に対応する経済政策に関する提言を手渡した三原じゅん子座長(同4人目)ら「経世済民政策研究会」のメンバー(同会提供) 経世済民政策研究会は、もともと自民党でリフレ政策を勉強するための研究会として始められたが、新型コロナ危機に際して、感染期の経済対策を検討することになった。不肖筆者も顧問を引き受けているが、提言の基礎となったのは、研究会の参加議員による積極的な提言や議論、そして講師(原田泰、飯田泰之、上念司の3氏ら)の報告である。以下には提言の骨子だけを掲げたい。1.国債発行による財政措置・困窮した個人および企業の社会保険料の減免・感染期に月額5万円の特別定額給付金の継続・2次補正総額の半額を新型コロナ感染症対策予備費として確保2.地方自治体に対する支援策・新型コロナ感染症対応地方創生臨時交付金を10兆円規模に拡充・地方債発行の後押し3.金融政策・日本銀行による中小企業へのマイナス金利貸出・日銀による地方債、劣後債の買い取り4.景気回復期の財政金融政策の在り方・インフレ目標の4%への引き上げと積極的な財政政策との協調・「アフターコロナ」に向けた民間投資の支援 4点目は景気刺激期の政策であり、この点は研究会でまだ具体的に話題を詰めている最中だ。消費減税の採用や恒常的な最低所得保障(ベーシックインカム)が議論されるのはこの項目である。臨機応変の備え 2次補正など感染期の経済対策として優先されるのは、1〜3点目である。特にマスコミで注目されたのは、日銀によるマイナス金利貸出である。 新型コロナ危機に伴う中小企業の運転資金の不足は深刻である。これは中小企業を中心に、民間の資金需要が緊急性を帯び、かつ高まっている現状を意味する。 日銀は従来からさまざまな貸出支援プログラムを実行している。日銀による中小企業へのマイナス金利貸出は、この現行システムを拡充して、現在の新型コロナ危機に対応することを目指す。 具体的には、日銀の提供する貸出支援制度を利用し、民間や公的な広範囲の金融機関が、マイナス金利(マイナス0・1~0・2%を想定)で日銀から借り入れる。これを資金不足に悩む中小企業に原則、無担保マイナス金利で貸し付けする。中小企業の緊急性を要する資金需要が増大する中では、最適の政策だろう。 さらに、定額給付金を月額5万円としたが、もちろん週当たり1万円でもいい。 問題は行政の体制である。マイナンバーの本格導入や預貯金口座とのひも付けの義務化が急がれる。 この点が整備されると、週ごとに支給した方が、感染期の終息に伴って柔軟に停止することもできる。支給が継続されれば、恒常的なベーシックインカムへの移行も可能だ。金額が4~5万円であれば、現状の税制や社会保障制度をそれほど改変しなくても継続が可能な金額である(原田泰『ベーシックインカム』)。特別定額給付金のオンライン申請が始まり、マイナンバーカードの取得手続きなどで混雑する大阪市浪速区役所の証明発行窓口=2020年5月11日(寺口純平撮影) 多額の予備費計上も重要だ。上記の提言は、2次補正の「補完」や「一部代替」を目指しているため、現在の2次補正に盛り込まれる学費支援や家賃支援はあえて外している。当然だが、これらの政策はもちろん必要だ。 予備費は、感染の終息が見えない中、不確実な経済状況に対して、臨機応変に動くための備えになる。そのためにも、なるべく金額を積み上げておくことが重要だ。 マイナス金利貸出、持続的な定額給付金、予備費、その他の政策オプションも不確実性の高い経済状況に応じられる政策である。もちろん、これで終わりではなく、どんどん具体的な政策を重ねて提言していく必要があることは言うまでもない。

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    アフターコロナ「中国の野望」はトランプの自滅で動き出す

    富坂聰(ジャーナリスト、拓殖大学海外事情研究所教授) 新型コロナウイルス禍の終息後、中国はどこに向かうのか―。日本の一部には、武漢の封鎖解除にこぎ着けた中国が「世界の覇権に動き出す」との観測もあるようだ。 でも、そんな話題を論じるのは時期尚早だ。新型コロナウイルスにはまだ分からないことも多く、秋以降の感染再拡大も含め、第2波が起こる懸念も残る。 ただ、習近平指導部が生産再開を急いだのは間違いない。22日から全国人民代表大会を開くことも決めた。 ウイルスを完封できなくてもコントロールは可能と踏んだからだが、理由はそれだけではない。背後には極めて政治的な思惑も絡む。 「二つの100年」目標の達成だ。「二つの100年」とは2021年、中国共産党が結党100周年を迎えるに際し、「全面的小康社会」(ややゆとりのある社会)を実現させる。そして、建国100周年の2049年には、中国を「復興」、つまり米国をしのぐ先進国にさせるという二つの公約だ。 小康社会といっても分かりにくいが、習政権下でこの目標は「国内総生産(GDP)と平均収入を2010年の2倍にし、貧困を撲滅する」と具体化された。 平時でもハードルの高い目標だが、新型コロナの影響で、今年1~3月期のGDPは既報通り、マイナス6・8%(実質)と大きく落ち込んでしまった。今年、2010年のGDPの2倍を達成するためには年間5・7%の成長率を実現しなくてはならず、絶望的な状況だ。 しかしもう一つの目標、「貧困撲滅」はまだ間に合うと考えたのだろう。俄然、ニュースの頻度も高まっている。G20首脳のテレビ電話会議に臨む中国の習近平国家主席=2020年3月、北京(新華社=共同) 新型肺炎の感染が落ち着き始めた当初、中国が経済再生の頼みとしたのは貿易だった。政策にも外資優遇が目立った。 依然として貿易依存度が高い中国ならではの動きだが、国務院は新型コロナでダメージを受けた企業への補助金や減免税の内外格差の是正、新たなネガティブリストの作成など、環境整備に躍起だった。貿易のチャネルを一気に広げ回復の起爆剤にしようと目論んだが、周知のように今度は欧米で感染が爆発、貿易どころではなくなってしまった。「中国責任論」吹き荒れるか 自然、中国の経済政策の重心は、内需喚起へとシフトせざるを得なくなった。2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)流行と同じく、「新型コロナ禍を乗り越え、高い経済発展を実現した」と胸を張りたかった習政権の目算が狂った。 今「脱貧困」は「二つの100年」の公約以上に、新型コロナに対する勝利宣言の意味が深まってきている。これが中国外交に影響を与えないはずはない。 「脱貧困」に全力投球したい習政権には静かな外交環境が不可欠だが、世界の風は読みにくい。中でも、米国のトランプ政権がたびたび言及する「中国責任論」に、世界が同調する動きには神経質にならせざるを得ない。 感染症との戦いは歴史上、人類が避けられない共通の課題だが、感染源の中国への風当たりは強まっていく。筆頭は、大統領選を控えたトランプ政権だ。米国経済が疲弊すれば、国民も対中強硬を後押しするだろう。 そして、中国は当面、この問題と向き合うことでエネルギーを消耗することだろう。 4月29日、ロイター通信は「中国、米大統領選で私を敗北させたい=トランプ氏」と題した記事を配信した。先立って4月24日には、米政治サイト「ポリティコ」が、共和党全国上院委員会が各候補者のために作成した57ページの「選挙運動メモ」を入手したと報じた。メモには、共和党のトップ・ストラテジストが「中国を積極的に攻撃することで新型コロナ危機に対処するよう」アドバイスし、民主党候補者をいかに中国政府と結びつけるか、もしくは近い存在だと印象付けるか、その方法まで指南したという。 既視感のある話だが、改めて中国叩きが米政界でインスタントに人気を得られる手段であることは理解できる。米世論調査の対中感情も、新型コロナの感染拡大後には史上最悪レベルにまで下落した。 トランプ政権の「中国責任論」が何を指したものかは判然としない。だが既にメディアでは、賠償請求をはじめに、米国内の中国系企業の資産凍結、金融制裁や債務放棄、制裁関税から世界のサプライチェーン(供給網)から中国を排除する案まで取り沙汰されている。2020年5月13日、米ホワイトハウスでの会議で、マスクを着用せず発言するトランプ大統領(ゲッティ=共同) 賠償請求に関しては、現行の国際法と国際保健規則(IHR)には、感染症の世界的大流行(パンデミック)に対する国家の引責の根拠となる条項はない。実際、2009年に米国発でパンデミック宣言が出された新型インフルエンザやエイズ、狂牛病、そして病原性大腸菌O157など国境を越えた被害が及んでも、賠償が発生したケースはない。なぜ中国だけが賠償の責を負うのか、過去との整合性は見つからない。 ただ、トランプ政権が本気になれば、制裁関税や金融制裁を科したり、影響力を行使して中国をサプライチェーンからの排除するなど独自の方法で代償を求めることは可能だ。中国も対処を余儀なくされるだろう。「脱米」本当の意味 この構造は米中貿易戦争と酷似している。米中貿易戦争が激化した折、私は中国が「緩やかな『脱米』」に動くと指摘したが、それは新型コロナ禍の後にこそ顕著となる。 ただし「脱米」といっても現実的な選択ではない。米国は依然、切っても切れない貿易パートナーで自国経済を発展させるためにも不可欠な技術の宝庫だ。 ゆえに、ここで言う「脱米」は、最悪に備えるという意味でしかない。ただ、中国は確実に、米国の持つ愚かさと付き合うデメリットと、経済的なメリットを天秤にかけ始めている。 「愚かさ」などと言えば語弊があるが、それは新型コロナ禍後にトランプ政権が中国に制裁を発動するその行為に集約されている。 米国には中国に打撃を与える力はあるが、制裁で傷つくのは中国ばかりではない。中国が一方的にやられるはずもなく、待っているのは「ルーズ・ルーズ」だ。 米中ともに新型コロナ禍のダメージから回復を急がなければならないときに、こんな泥仕合をすれば、経済回復はさらに遅れる。トランプ政権が、それを分かっていながら目先の人気取りに走るのならば、それは愚かさ以外の何ものでもない。 中国にはもともと、米国に対抗するという「選択肢」はなかった。しかし、中国が新型コロナの感染拡大に苦しむ中、トランプ政権から「中国ウイルス」「武漢ウイルス」と次々に繰り出される「口撃」に、それまで曲がりなりにも保ってきた融和的姿勢は消え始めた。 露骨な変化の象徴がポンペオ国務長官に対するあからさまな個人攻撃である。国営中央テレビ(CCTV)は、4月27日から4日連続でポンペオ批判を展開した。 兆候は既に3月16日にあった。ポンペオ長官と電話会談した楊潔篪(よう・けつち)国務委員が、「武漢ウイルス」などと発言する政治家に対し、「一部の政治屋(政客)」という言葉を使い噛み付いたのだ。 中国がこうした攻勢に出た背景には、国際社会における米国の存在感が薄れたことがある。習指導部は今、敏感にその変化を感じ取っている。新型コロナウイルスについて中国の専門家と共同記者会見するWHOのエイルワード氏=2020年2月、北京(共同) 今回の新型コロナ禍では、世界保健機関(WHO)の対応が象徴的だ。トランプ大統領はWHOが中国寄りだと批判し、資金拠出を停止するとプレッシャーをかけたが、同調する動きは広がっていない。また、WHOが圧力に反応して、大きく方向転換したという事実もない。欧州に広がる「米国離れ」 そもそも、なぜ最大スポンサーの米国がWHOを自在に操れないのかも疑問だ。 新型インフルエンザの感染拡大時、当時のマーガレット・チャン事務局長がパンデミック宣言を出すタイミングが早過ぎたとして、米国の逆鱗に触れた。それがWHOのトラウマになり、今回、パンデミック宣言が遅れた遠因にもなったとされる。 4月28日、WHO元法律顧問のジャンルカ・ブルチ氏は時事通信の取材に応じ、「米国は2009年の新型インフルエンザ流行時には情報提供を遅らせた」と語っている。当時のWHOはそんな米国に文句の一つも言えなかったのである。 変化の理由には、「アメリカ・ファースト」を前面に押し出すトランプ政権の4年間で、パクスアメリカーナや米国のソフトパワーの減衰を、世界の多くの国や国際機関が感じ始めたことが挙げられる。 昨年トランプ政権が仕掛けた「華為(ファーウェイ)包囲網」も、中国に対する為替操作国認定も、以前だったら西側先進国が米国と歩調を合わせ、中国も大きな打撃を被ったはずだ。 注目は欧州の米国離れだ。新型コロナ問題で中国への逆風が強まる中、独通信大手ドイツテレコムは第5世代(5G)移動通信網を構築する上でファーウェイの技術が必要だと有力紙「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」に答えたという。 中国の視線もこの点に向けられている。武漢の封鎖解除がまだ解かれない中、イタリアやドイツ、フランス、スペインなどに医療物資やスタッフを送り込み、支援に動いたのは象徴的だ。2020年3月、ブリュッセルで記者会見するフォンデアライエン欧州委員長(AP=共同) さらに4月29日には、欧州連合(EU)欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長と電話会談した李克強首相が、「中国は欧州とともにワクチンや新薬の開発を行いたい」と語った。新型コロナ後の争奪戦が予測される分野での協力を持ちかけた形だ。 米中の対立が激化する中、「西進」へと邁進する中国の選択は結実するのか。今後の世界の趨勢を決める大きな要素だ。 米国にはそれを阻止する力は十分あるが、トランプ政権が「新型コロナの武漢研究所発生説」や「台湾のWHO加盟」を持ち出す嫌がらせや、「中国と戦っている」というパフォーマンスに終始するなら、中国に吹く新型コロナの逆風はいずれ追い風に変わるだろう。それは米国の政治家の利益にはなっても、国益のための行いではないからである。

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    「9月入学」なんてトンデモない⁉

    新型コロナウイルスの感染拡大で長期化した休校措置によって「9月入学」の議論がにわかに浮上した。文部科学省も導入案を提示したが、賛否両論渦巻いている。国際標準とはいえ、子供だけなく、教職員や保護者らの不安は計り知れない。「国家百年の計」である教育制度の大改革ともいえる「9月入学」の是非を考えたい。

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    「コロナあったから秋入学」霞が関任せで拙速な安倍政権の愚

    森口朗(教育評論家) 新型コロナウイルスによる死者数が、欧米諸国と比較して2桁も少ないのに、欧米を模倣して緊急事態宣言を出したことで、安倍内閣は日本の不況をつくり出しました。さらに、日本をつぶすことが目的と化したのか、政府が学校制度を9月入学に移行しようと言い出しました。本稿では、安倍内閣が行おうとしている教育制度改革が、いかに愚かであるかを考察します。 その前に説明しておきたいのですが、大前提として、私は中長期的に考えたとき、日本も学校を9月スタートにすべきだと考えています。その理由は、日本も学校教育のスタートとゴールを他の先進国にあわせた方がグローバル化による人材の国際化に対応しやすいからです。 ご存じの方も多いと思いますが、米国、英国、フランス、ドイツといった欧米などの先進国では、学校を9月からスタートさせます。これに対してアジアでは、シンガポールは1月、韓国が3月、日本は4月、タイが5月、フィリピンは6月というようにバラバラです。 かつて「欧米諸国と日本で学校の年度区切りが異なるから困る」と言っていたのは、国家公務員や大企業社員で家族を連れてその国に転勤する、いわゆる「エリート」だけでした。しかしグローバル化の進展によって、もはや海外で生活する人はエリートだけではなくなりました。 今のところ、日本は中堅企業でも海外転勤が多くなった程度で済んでいます。しかし、消費増税と緊急事態宣言のために発生した巨大な不景気のせいで、経済力が戦前レベルまで落ち込み、中堅企業の正社員になれないレベルの人が、アルバイト時給の高い欧米諸国に出稼ぎに行く日が来ないとも限りません。 日本のビジネスパーソンの平均賃金は、アルバイトの時給以上に欧米先進国と差があるので、既に超優秀な人材は最初から欧米諸国の企業に採用されることを目指し始めました。 このように考えると、日本の学校教育のスタートとゴールを欧米諸国に併せて9月から8月までにするのは、優秀な人からそうでない人まで都合がいいのではないでしょうか。では、なぜその改革を今すべきではないのか、理由が三つあります。 まずは、教育スタートの遅れがあります。学校が再開し登校する三重県桑名市立明正中の生徒たち=20205月18日 緊急事態宣言のせいで入学タイミングが遅れたことをきっかけに、学校を9月スタートにするなら、誕生日が早い子供の義務教育開始は7歳になります。それでは遅すぎます。 小学校受験が活発になった20世紀末、左派系の教育学者や教育評論家たちは「お受験」と名付けて早期教育の害悪を振りまきました。しかし今では、幼稚園や保育園はもちろん、習い事や小学校受験塾も含む小学校以前の教育の重要性は、教育学の常識になっています。集団教育への遅速さ 早期教育の議論が高まったきっかけは、米シカゴの貧困黒人層の子供たちを対象にした実験でした。123人の子供をほぼ半分に分けて、58人に読み書きと歌を教え、残りの65人には何もしませんでした。彼らにはすぐに知能指数(IQ)に差が出ましたが、8歳になる頃にはこのIQ差が無くなります。実は、これが20世紀末のお受験批判の根拠でもありました。 ところが、この実験を行ったシカゴ大の研究者たちは幼児の人生を追い続けます。そして40歳になったときに、収入も持ち家率も犯罪率も、全ての点で幼児教育を受けた子供の方が優秀であることを明らかにしたのです。 IQのような計れる能力、つまり「認知スキル」ではなく、コミュニケーション力のような測定しづらい「非認知スキル」に差が出るため、教育スタートは早い方がよいと考えるのが現代の世界標準なのです。 それゆえ、今では米国のほとんどの州で、キンダーガーデン(米国の幼稚園)が義務教育になりました。欧州も国によって制度は異なりますが、多くの子が5歳から集団教育を受け始めます。 5歳から義務教育を受け始める欧米人と、7歳まで義務教育を受けられない日本人というのが現状です。安倍内閣は日本経済を大不況にしただけでなく、日本人を今以上に非認知スキルの低い「愚人」にするつもりでしょうか。 ですから、私は少なくとも5~6歳の9月、できれば4~5歳の9月から義務教育にすべきだと考えます。卒園後の4月から8月に学年を設ける移行案が報じられましたが、いずれは6〜7歳の9月になるだけで、安倍政権の提案に断固反対するのは当然です。 今すぐ改革すべきでない理由の二つ目は、就職活動との関係性にあります。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、マスク姿で合同会社説明会の会場に向かう就職活動の学生ら=2020年3月1日、東京都港区 教育問題を論じる私の立場からすると、集団教育の開始が遅すぎるのが日本における最大の問題です。これと比較すると小さな問題かもしれませんが、学校の出口である就職活動との関係も課題になるでしょう。 新型コロナ禍でブレーキがかかっていますが、長い目で見れば、人材のグローバル化は大きな流れでしょう。とはいえ、日本人が学校を終えて最初に就職する先は、圧倒的に日本企業が多いのが現実です。関係各所との調整 日本の会社は、高卒・大卒を一気に採用して「同期を創る」のが基本でした。その後も途中まで同期同列で昇進し、取締役や部長、課長止まりだった人も定年まで勤める終身雇用が古き良き時代のありようでした。 同期同列や終身雇用はどんどん崩れていくのでしょうが、一気に大勢を採用して「同期をつくる」という人事システムは今のところ、ほとんどの日本会社が有する風習です。 ところが、9月スタートにするとゴールも8月になりますから、先輩とは1年ではなく1年半入社が遅い後輩が誕生します。新入社員をどのように教育するかについて、企業によってさまざまな伝統があり、急に4月入社から1年半遅れの9月入社になっても困る企業は多いのではないでしょうか。 安倍内閣は霞が関に課題を考えさせて、あとは政治判断だと思っているようですが、少なくとも大企業や中小企業の代表者と調整すべきでしょう。 最後になりましたが、三つ目の理由は予算と教職員の定年の関係です。 国公立の学校は税金で運営されており、そこに勤める人々は公務員か、準公務員なので、新年度が4月からスタートする官公庁と各学校のやりとりは極めて重要です。そのため次のような調整が必要になってきます。・令和2年度は18カ月になるのか?・二つの年度にまたがることになる予算をどうするか?・令和3年3月に定年になるはずだった教員をどのように扱うか?・教員の採用はどうするか? ただこうした調整は役人の得意分野ですから、既に省庁間で議論は済んでいる可能性が高いです。むしろこの程度の調整が済んだだけで、「基本的な問題は解決しました」と霞が関と永田町の住人たちが考えていることこそが問題なのです。 日本はいつまで発展途上国でいるつもりなのでしょうか。役人ごときに国家の重要事項を考察させてはいけません。彼らの本来の仕事は、先に政治的に決定された事項を無事に推進することです。39県の緊急事態宣言解除を表明する安倍晋三首相=2020年5月14日、首相官邸(春名中撮影) 空気だけで緊急事態宣言を出し、空気だけで延長してしまう今の安倍内閣ごときが急に判断して実行するほど、「何歳から義務教育を始めるか」は小さな事項ではありません。少なくとも、次の国政選挙の争点の一つにすべき事柄でしょう。 ということで、将来的な9月入学には賛成しつつも、「緊急事態宣言で入学が遅くなった学校が多いから、学校は9月からということにしませんか」という低レベルな提案には、断固反対していくつもりです。

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    9月入学の決断でこれだけ増える「未来への投資」

    石渡嶺司(大学ジャーナリスト) 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、9月入学制の検討が進んでいる。そして、この是非をめぐる多くの課題があり、多くの専門家が意見を述べている。 iRONNAでも文字通り、いろいろな意見が出ると聞いている。私は、全部網羅するよりも焦点を絞った方が適当と考え、本稿では就職や国家試験にテーマを絞ることにした。 就職や国家試験については、9月入学の導入について、課題があるとする論調の記事が多い。産経新聞でも次のように書かれている。 ただ、現状では企業などの就職・採用活動や公的資格の試験など多くの日程は4月を起点とする会計年度に基づいており、明星大の樋口修資(のぶもと)教授(教育行政学)は「9月入学制は教育改革ではなく社会改革だ」と指摘する。産経新聞「9月入学 渦巻く賛否」2020.05.12 こうした論調は産経新聞だけでなく、朝日新聞や読売新聞など他のメディアでもほぼ変わらない。それでは、日程を変えることが難しいかといえば、私はそうは思わない。どちらも解決可能だと考える。 そこで、就職と医師や薬剤師、管理栄養士などの国家試験に分けて解説したい。 まずは就職から考えてみたい。現行の就活ルールでは、大学3年生の3月1日に広報解禁、4年生の6月1日に選考解禁、同10月1日が内定日となっている。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、マスク姿で合同会社説明会の会場に向かう就職活動の学生ら=2020年3月1日、東京都港区 このスケジュールからすれば、卒業が7月下旬だった場合、2カ月間の空白期間を生むことになる。その間、就職が決まっている学生であっても無職になるのか、という問題が出てくるであろう。 ただ、あくまでも現行の就活ルールを当てはめれば、という話であり、実際には机上の空論に過ぎない。というのも、現行の就活ルールは政府主導によるものではあるが、法的な拘束力があるわけではない。「9月入社」企業の対応は? 付言すれば、政府主導となる前には経団連が取りまとめていたが、こちらも法的拘束力は特になかった。もっと言えば、大学生の就職活動が定着した大正時代(1920年代)から昭和、平成、令和と年号が変わる中、何度となく就職時期が議論された。しかし、1928年にできた日本初の就職協定も含め、全て法律で定義されたことは一度もない。 理由は簡単で、企業からすれば採用活動になるが、就職活動を法律で規制することは、集会、結社の自由を制限するかどうか、という話にもなり、相当難しいからだ。前述の通り、1928年の就職協定から約90年間、就職時期を公式に定めても、法制化されたことは一度もない。法的な拘束力がない以上、順守する企業は少数派であり、多くの企業が守るわけがない。 令和となった現在も全く同じだ。リクルートキャリア・就職みらい研究所の「就職白書2020」によると、選考解禁より前の4年生5月以前に内々定を出した企業は66・5%にものぼる。 これは学生も同じだ。広報解禁より前の3年生2月に就職活動を始めた学生は65・7%であり、企業側とそう変わらない。6割強の企業・学生が就職ルールを前倒ししており、9月入学に合わせて9月入社に変更しても十分に対応できる。 ただ、「いくら、4年生5月以前の内々定通知が6割強と言っても、内定者研修などは数カ月から半年はかかる」「9月入学と9月入社を同時に実施するのは無理」という意見もあるだろう。 そもそも、企業側は9月入学について肯定的だ。経団連は2011年に東京大学が秋入学を議論した際も、支持している。今回の9月入学についても、経団連の中西宏明会長は支持を表明している。 経団連の中西宏明会長は11日の記者会見で、「海外との連携を考えると、9月入学はごく自然なこと」と歓迎する見解を示した。産経新聞「経団連歓迎『自然なこと』」2020.05.12経団連の中西宏明会長 それに、就職時期は過去30年間で6回も変更されている。1996年以前 広報時期:4年生4~5月 / 選考時期:4年生8月ごろ1997~2004年(自由化) 広報時期:3年生10月前後 / 選考時期:3年生3月~4年生4月2005~2011年 広報解禁:3年生10月1日 / 選考解禁:4年生4月1日2012~2014年 広報解禁:3年生12月1日 / 選考解禁:4年生4月1日2015年 広報解禁:3年生3月1日 / 選考解禁:4年生8月1日2016年~現在 広報解禁:3年生3月1日 / 選考解禁:4年生6月1日※卒業年次ではなく実施年の表記 時期変更が議論されるたびに、内定者研修の短期化などが指摘されたが、結果的に企業側は対応できている。今回の9月入学についても、合わせる形で9月入社となった場合、企業側は十分に対応できるのではないだろうか。「国家試験」大学の不都合な事実 次に国家試験について解説したい。国家試験のうち、医師、看護師、理学療法士などの医療職関連の資格と、管理栄養士は、いずれも2月から3月上旬に集中している。 当然ながら、関連の大学・短大・専門学校は、いずれもこの国家試験の受験日に合わせてカリキュラムを編成している。こちらは就職活動と異なり、対応は難しそうだ。 ただ、管理栄養士は2011年、東日本大震災で被災した東北地方の受験生に対して、特例扱いで7月31日に東京などでの受験を認めている。特例扱いではあるが、過去にこうした事例があるため、対応が無理ということもないだろう。 それと、医療関連の国家試験や管理栄養士試験については、大学が合格率の高さをアピールしようとするあまり、受験を制限する事件・騒動が過去に起きている。 成績が悪く合格しそうにない学生を受験させなければ、その分見かけの合格率を上げることができる。それを受験生に対してアピールする材料としているのだ。こうした問題も、国家試験の日程を後ろ倒しにすることで解決できる。 9月入学に合わせて、すぐに受験日を7月前後に変更するのは確かに難しい。変更初年度の学生が大きな不利益を受けるからだ。・現行の3月に加えて7月の2回受験日を設けて、両方受験可能とする。・国家試験合格・卒業から入職までの日程が空く場合は、国がインターンシップを実施し、給料を出す。こうすれば、病院などに派遣することで人手不足にも対応できる。・奨学金を利用している学生は移行期間中、卒業扱いとせず、返済を猶予する。 変更初年度もしくは数年間、特例扱いでこのような方策が必要となるであろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 以上、就職と国家試験については、条件付きながら9月入学について対応可能であることがご理解いただけただろう。留学生には関係ない? 最後にもう一点、留学についても指摘しておきたい。9月入学に移行すると、グローバルスタンダードに対応できると支持する論調が強い。一方、このグローバルスタンダードについて「留学するのはごく少数だ」と反対する向きも多い。 確かに、日本人留学生も海外からの留学生も現状では少ないことは事実だ。日本学生支援機構の調査によると、外国人留学生は31万2214人(2019年度)、日本人留学生は11万5146人(2018年度)にとどまっている。 大学生数は約290万人であるから、外国人留学生と日本人留学生を合わせても全体の約15%に過ぎない。このデータだけ見れば「15%の学生だけしか、9月入学は関係ない」と論じることもできる。 しかし、日本人留学生が約11・5万人にとどまっているのには理由がある。長期間の留学で留年することにもなりかねず、就職活動にも不利になると懸念したり、そもそも長期間の留学を終えてから就職活動を始めても、既に出遅れていると危惧したりする学生や保護者が多いからだ。 実際には、長期留学して留年しても、就職活動にはほとんど影響しない。例えば、グローバル系大学として有名な国際教養大(秋田県)は2018年卒業者のうち、4年で卒業した割合は58・2%にとどまっている。 これは長期留学者の多い他大学も同様で、東京外国語大28・6%、大阪大外国語学部(旧大阪外国語大)33・7%、神戸市外国語大39・4%、宇都宮大国際学部50・5%などとなっている。では、こうした大学の就職実績が悪いかと言えば、むしろいいのである。「鳥取城北日本語学校」で授業を受ける留学生と見学する事業所の関係者ら=2020年2月13日 就職活動も、長期留学者の多い大学・学部であれば、対象を限定した学内説明会兼選考会を実施している。つまり、就職活動が留学によって出遅れるとするのは、大いなる誤解に過ぎない。それに、こうした問題も9月入学によって解消される。 現在の留学生数は確かに少ない。しかし、それは留年に対する誤解や4月入学による弊害などによるものである。 現状の対象者が少ないと言っても、それも9月入学によって大きく引き上げられる可能性は極めて高い。むしろ未来への投資と考えても、9月入学、そして9月入社への変更は理にかなっているのである。

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    「9月入学」は理想、それでも二の足を踏んでしまう現場の切実な声

    高橋勝也(元都立高教諭、名古屋経済大准教授) 新型コロナウィルスの猛威は、全国の学校を緊急事態宣言に伴う休校措置に追い込み、長ければ3カ月間、学校に通えていない子供たちがいる。人生の一大イベントと言ってもよい卒業式や入学式、楽しいはずの学校行事は次々と中止になっている。 そのような中、学校休業長期化を受けて、政府は「9月入学」の検討に入っている。授業のオンライン化は家庭環境や自治体の財政事情などを要因として、家庭、学校、地域間格差を生じているとの指摘がある。 「9月入学」が実現すれば、全国一律に仕切り直しすることができ、このような問題を解消できるかもしれない。また、留学がしやすくなるとして教育などのグローバル化を進め、日本の国際化の進展を期待する声も大きい。 「国家百年の計」である教育は、国民の生き方や幸せに直結し、国家や社会の発展の基礎を築く最重要項目であり、政治が主導して改革を推し進めていくべきとの声もある。しかし、教育改革が学校現場を置き去りにしてしまえば、子供たちや先生たちを路頭に迷わせることになる。 そこで、筆者は初等中等教育教員への緊急インタビューを試みた。その結果、小学校より中学校、中学校より高校の先生の方が、「9月入学」への移行に強い不安を抱いていることが分かった。 なぜなら、入学試験をはじめとする出口指導(進路指導)が高度化するからである。高校では大学へ向けての入学試験と企業就職へ向けての就職活動への指導が並行して行われている。 前者は1月中旬のセンター試験(2021年1月実施試験から共通テストへ移行予定)はいつ実施になるのか、各私立大学の入学試験は統一的な時期ややり方で実施してくれるのかなどの不安である。 後者は就職説明会、内定通知、入社式といった採用スケジュールなどがどうなっていくのかという不安である。加えて、先生たち以上の不安感に襲われるのが、学校に通う子供たちであることを忘れてはならない。休校で生徒のいない中学校の教室=2020年5月、大津市 センター試験に代わる共通テストにおいて、記述式問題の導入が中止されたことを思い出していただきたい。高校生自身が「これ以上、高校生を混乱させないでほしい」と文部科学省で抗議する姿は、筆者の目に焼き付いている。単純に春に卒業して次のステップに進もうと考えていたところに、「あと半年先の秋に卒業することになるよ!」と言われれば混乱することは目に見えている。懸念は社会システムとの関係 仮に「9月入学」が実現した場合のことを考えてみたい。昨今の学校現場では労働組合活動が停滞してから、教員からのボトムアップ型ではなく、校長からのトップダウン型で学校運営が進められている。 そのため、長時間議論で白熱する職員会議は鳴りを潜め、校長からの通達、連絡事項だけで先生たちは校務分掌を進め、子供たちの育成に努めている。例えば、情報通信技術(ICT)の導入については、これらに慣れないベテラン教員を中心に反対意見が少なくなかったが、トップダウンによって導入を進め、悩みながら個々人の努力でスムーズな学校運営や学級経営が保たれている。 今では、ICTがなければ学級経営に困ってしまうと感じている先生が多くいるくらいである。学校現場だけでなく、新しいことを始めようとすると変化を好まない抵抗勢力が必ず存在するが、現在の学校現場では微々たる問題と言ってよい。 以上から、「9月入学」がもたらす学校内における混乱は、先生たちの努力により比較的短時間で解決することが期待できる。早々に学校行事を組み直し、子供たちと保護者が安心できる年間指導計画が築き上げられていくに違いない。 しかしである。社会全体、社会システムが追い付いていけるのであろうか。ここに大きな懸念を抱かざるを得なく、二の足を踏んでしまうところである。 例えば、人事制度。教育公務員だけ、例外的な9月異動にする必要があろう。これまでの4月異動であれば、学級担任や教科担任が任期途中で交代となり、あまりに非現実的である。 この点については、都道府県知事の権限で解決できそうである。だが、予算編成についてはどうだろうか。文科省が財務省を中心にすべての官庁が関係しながら折衝する4月新年度予算を9月新年度予算に変更することは、首相の強力なリーダーシップだけで実現できるのであろうか。文部科学省=2018年9月、東京都千代田区(飯田英男撮影) また、就職採用システムはどうか。かつて東大が秋入学を検討したものの、新卒一括採用制度を採る経済界からの反対の声は小さくなかったため、懸念が払拭しきれない。最後のチャンスかも 日本の若者の内向き化が指摘されてから久しく、海外へ飛び立つ学生が増えず、日本の国際化の遅れが指摘されている。2013年からスタートした官民一体となって若者の留学を支援する「トビタテ!留学JAPAN」の理念は、若者たちの活躍の舞台を世界にするとしており、「9月入学」は起爆剤になろう。 日本の成長を支えるグローバル人材の育成は社会総がかりで取り組む必要があることは言うまでもない。社会の多方面から「9月入学」を支持する姿勢が現れたのは、日本が成熟してきた証であろう。 「9月入学」を実現するのであれば、最初で最後のチャンスかもしれず、タイミングとしては今しかない。筆者もやるなら、ここでしかないと思っている。 しかしながら、学校現場内から大きな「9月入学」待望論が上がってこない限り、実現は難しいに違いない。筆者はインタビューとは別に、グーグルフォームを活用して、「9月入学」の賛否について緊急アンケートも敢行した。 その結果、公立高校教員(97人)は賛成32人、反対46人、どちらとも言えないは19人となっており、反対が多くなった。昨年度の共通テストの記述式問題導入だけでなく、英語の民間試験導入さえも見送りに追い込まれた混乱を想起すれば、この結果は理解しやすい。 新型コロナ禍の中で、強引に突貫工事を突き進めていけば、不都合なほころびが増え、数年内、今の子供たちに大きな影響を与えることになる。大学入試センター試験に臨む受験生ら=2020年1月18日、東京都文京区の東大(萩原悠久人撮影) しかしながら、実施に踏み切れば10年後、20年後、将来の子供たちは「9月入学」システムが落ち着きを取り戻し、整った環境下で幸せを享受することができるようになるであろう。どの点に重きを置いて、どのように誰が決断をするかを慎重に見極める必要がある。

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    コロナが変える学習環境、秋季入学より優先すべき課題は山ほどある

    高橋知典(弁護士) 新型コロナウイルスが猛威を振るう昨今、「秋季入学」にすることが好ましいのではないかという声が一部から聞こえてきた。秋季入学の議論を行うことは決して無駄ではないし、数十年前から繰り返し検討されてきた実のある議論だと思う。 しかし、この議論はコロナ禍で学習環境を改善する特効薬にはならない。 まず大前提として、「新型コロナウイルス感染症が存在する環境で、教育機会を確保する」という議論をすべきだ。 そもそも、なぜ秋季入学の議論になったかといえば、新型コロナウイルスの感染は「人との接触」によって生じるところがあり、これを避けるために「外出自粛生活」があり、これを子供たちに当てはめると「休校措置」ということだった。 大人たちの仕事に関しては、休業やテレワークなどによる「出社自粛」が求められている。実際に、これによって多くの企業が、うまくいっているかどうかは別にして、できる限り休業やテレワークに変更している。そして出社人数を少なくし、可能な限り人との接触数を減少させる業務形態に変容させているのが、現在の状況だ。 新型コロナウイルス感染症については、今後さらに第2波、第3波の流行が予想される。ゆえにその都度、自粛要請といった社会活動の制限によって防疫を行うとすれば、今後も自粛の子供版である休校措置も繰り返される可能性がある。 だからこそ、秋季入学への変更がどれほど説得的なことかといえば、残念ながら本質からずれていることになる。秋季入学の措置をとったとしても、休校措置が繰り返しとられるのであれば、結果的に学習の機会は損なわれていくからだ。 あくまで学習の機会を確保するということであれば、むしろ行うべきは、少しでもリモートでの教育環境を確保し、新たな生活様式を教育制度に取り込むことだ。 仮にそれでも秋季入学を実施しようとしても、学校を再開する上で、現場は問題を抱えている。  学校は子供たちを引き受ける以上、法律上でも安全配慮義務を負う。安全確保は最優先事項であり、法的義務でもある。コロナ禍での安全な生活には、感染拡大を防止する生活を視野に入れる必要があり、生活様式の変更が求められている。しかし、学校はとかくこういったものを取り入れるのが苦手だ。再開した長崎市立桜町小学校に登校する児童ら=2020年5月11日 今後われわれの生活において、しばらく感染防止のために大人も子供もマスクを着用することになるが、そのマスクについてもかなり混乱するだろう。 既に学校現場で起きたのが、マスクを白色のみに指定した学校が出てきたことだ。概要としては、マスクが手に入りづらいだけではなく、マスクの材料である白色ガーゼなども手に入りづらい中で、一部の学校において校内の風紀の将来的な乱れを気にして持ち込むマスクの色を白のみとしたいうものだった。学校の自主判断の危うさ 未知のコロナウイルスの恐怖に加え、マスクが高額転売されるニュースが騒がれていたような時期に、保護者による子供の安全を願う気持ちやマスク調達の苦労に思い至らずに、白色指定してしまう学校の無神経さには驚嘆する。 だが、こういった対応が普通に起きるのが学校なのだ。 マスク着用の登校は、再流行が懸念されているため、今後当たり前になりそうである。さらにはマスクの不足や値段の高騰が少しは落ち着いただろうと、「マスクは白色指定」という校則も復活するかもしれない。 新型コロナウイルスの感染拡大の状況次第で、マスクの調達が困難になり得るし、白色は本来汚れがかなり目立つため、使い回すことが難しいといったようなことも起きるだろう。 結果として、着用マスクのことで悩む子供や保護者も現れると思うが、こうした子供や保護者の声は存外学校には届かない。だからこそ、そうした情報を早期に教育委員会なり文部科学省が吸い上げ、随時是正を図る必要がある。 継続的な情報の吸い上げと安全対応策の検討、場合によっては全国的な実施と徹底をかなりの速さで行っていくためには、学校現場にかなりの余力を残しておく方がいい。 またマスクについては、さらに気になる報道がある。中国ではマスクをして運動していた子供の死亡事故が起き、運動中はマスクは使わないという話が出ている。私も外出時には医師に伝授された着用方法でしっかりとマスクをしているが、かなり息苦しい。階段をいつも通り登ると、思わず立ちくらむことがある。 子供たちの中には、自ら気をつけることがまだできない既往症のある子もいる。学校内でマスクを常時着用するような新しい生活方法との組み合わせには、かなり気を使わなければならない。 年中マスクをつけるだけでなく、エアコンをつけても換気のために窓を開けるため、熱中症の危険も増えそうだ。分散登校で学校を再開した鳥取県立鳥取湖陵高校=2020年5月7日、鳥取市 マスクの色指定がそうだったように、過去の例がどうだとか言っている場合ではなく、学校の運営状況は現状に合わせて次々に変更する必要がある。学校ごとの自主判断に任せると、現場の判断は不合理極まるものが出るだろう。 マスクだけでもこのような問題が起きる以上、他のポイントでも素早く、かつ全国的に変更できるだけの余力をむしろ生み出す必要がある。ゆえに、そこへ秋季入学の話を加えることは、この余力を奪うことになりかねない。教育格差は減らせない また、秋季入学が話題になった際に一部で言われていた「一斉入学にすることで教育格差を埋める」というのは、不可能だと私は思う。秋季入学に移行したところで、休校措置中の時間は取り戻せない。 年度の長さが伸びれば、学習機会が損なわれていない人は伸びた年度分だけ勉強ができるので、アドバンテージが生じる。その差を教育格差とするならば、格差は残念ながら消えない。 このコロナ禍での学習環境の格差は、リモート授業が可能な学校、学校再開の早い地域の学校、感染者数が減少しづらい大都市圏の学校という順で生じるということになるだろう。この点で教育機会の確保が厳しくなるのは、感染者数が多い各大都市圏かつ、リモート授業が行われない学校に通う世帯が中心になると考えられる。 今後も感染爆発の危険を回避しつつ、コロナ禍での教育機会の確保をするのであれば、まずは大都市圏の学校で、現在までにリモート授業ができていない世帯に対し、リモート授業が実施できるように環境整備を進めるべきであろう。 また、しばしばニュースで取り上げられるのがリモート授業の困難性だ。もともと、大手予備校の中でもリモート授業を実施しているところがあり、携帯アプリで授業を配信する企業があるなど、リモート授業には一定の教育効果が期待できることは間違いない。 しかし、特に小学校低学年の子供たちにリモート授業を実施するとなると、海外では、授業中に子供が通信を切ってしまい、席を立っていなくなる事例があるという。教育番組ほどに素晴らしく作り込まれた授業内容であれば別かもしれないが、小学校低学年の子供たちは画面を1時間、2時間も見てはくれない。 実際に家庭学習で宿題を大量に渡され、これに四苦八苦しながら取り組んでいる家庭の方ならば、より想像がつくだろう。このように、子供たちの指導を30人に向けて同時に画面越しで授業を行うというのは、かなりの困難が予想される。 とは言いつつも、現状のコロナ禍において当面の学習機会を確保するには、リモート授業を行うしかない。これを早急に、かつ実のある形で進めるためにも、現場にリソースがあるならば、学習環境の整備に振り分けるべきだと思う。  リモート授業の開始だけでも、学校制度自体に多大な変化が求められる。また、休校を再開するにあたっても、かなりの慎重さと迅速な対応が必要になる。遠隔授業実施のため、ビデオ会議システム「Zoom」の使い方を研修する県立隠岐島前高の教員ら=2020年4月、島根県海士町(同高提供) 仮に学習機会の確保を最優先に物事を考えるならば、今はできる限りの力で大都市圏の学校では早期にリモート授業の実施環境を整え、再開可能性のある地域では新たな生活様式を学校生活に反映させるべきだろう。 以上の点を実施するだけでも、今の教育現場の環境からすれば想像を絶する努力がいる。これに加えて秋季入学までも実施するというのは、ついでにやるというには少々重すぎる気がしてならない。

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    祖父母が熱狂する「ランドセル商戦」 9月入学ならいつに?

     休校が続く中、東京・大阪の両知事らの猛プッシュもあって急浮上している「9月入学」だが、実施に伴う影響は相当大きなものになりそうで、学校行事の“季節感”も様変わりすることになる。 例えば、お盆休みに実家に帰り、祖父母と一緒にランドセルを買いにいく──小学校入学を翌春に控えた子供がいる家庭では当たり前の光景となっている。祖父母にとって、孫の喜ぶ顔が見られる“大イベント”だ。 「最近では百貨店などにランドセルが並ぶ時期はどんどん早まっていて、おじいちゃん、おばあちゃんが春先にチェックして、お盆休みに一緒に買いに行くわけです」(トレンド評論家の牛窪恵氏) もし9月入学になったら、ランドセルはいつ買うことになるのか。「入学直前のお盆休みでは“孫が欲しい商品が品切れだったら”という不安があるし、入学1年前のお盆休みでは、さすがに早すぎる。そこで候補にあがってくるのが『正月休み』です」 だが、9月入学を実施している欧米では、夏休みが長い分、年末年始の休みはほとんどない。日本もそうした日程に近づくなら、正月に実家へ立ち寄ることはできても、ランドセルを一緒に買いに行く時間まで捻出できる家庭は少なくなりそうだ。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) 「おじいちゃん、おばあちゃんがお年玉と一緒にランドセル代を振り込み、そのお金で親がランドセルを買うことになってしまうかもしれません。 若い世代のお父さん、お母さんが買うなら売り場ではなく、ネット通販の利用が増えて、今のような特設コーナーを作って売るという光景も減るのでは」(牛窪氏) 祖父母にとって、孫の小学校入学という節目が、少し淋しいものになってしまうかもしれない。関連記事■「9月入学」になったら学校でプール授業なくなる可能性も■小学生の「置き勉」 ランドセルを軽くするだけでは解決しない■運動会に変化、生年月日順徒競走やゼッケン全廃に英語導入■小学校卒業式の「袴スタイル」 親のインスタ映え競争が激化■中学受験で子どもをツブす「教育虐待パパ」の共通点

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    9月入学で発生する大混乱 「1学年の人数が増える」問題とは

     4月に小学校に入学した生徒たちが休校で学校に通えない状況が続くなか、小池百合子・都知事らは「9月入学」へのスライドを提唱している。ただ、その場合、大混乱は避けられない。「来年以降の5年間は『1学年の人数を増やす』という施策が必要になってくる」──そう話すのは、名古屋大学大学院発達科学研究科准教授で教育評論家の内田良氏だ。 なぜそうしなければならないのか。内田氏が続ける。「学校は9月から始まるにもかかわらず、『新一年生になるのは4月1日時点で満6歳の子供』というように、5か月のギャップが生じてしまうからです。 これを解消するために、年齢の基準も『9月1日時点で満6歳』と揃える必要があります。今年はもう間に合いませんから、来年から揃えるとすると、『2021年4月1日時点で満6歳』の子供たちに加えて、2021年4月2日~9月1日までの5か月間に6歳になった子供も追加で入学することになってしまい、学校がパンクしてしまうのです」 そうなると事態は深刻だ。教育ジャーナリストの木村誠氏がこう話す。「教育現場では、とくに大変なのが小学1年生です。幼稚園で英語まで勉強してきている子もいる一方で、大半は先生の話を真面目におとなしく聞くという学習態度もできていない子たち。その様々な1年生が増えた時の現場の混乱は、想像を絶するものがあります」 これを解消する手段として検討されているのが、“ちょっとずつ増やす”というものだ。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ)「具体的には、来年の9月に入学するのは、2020年4月2日~2021年5月1日までの13か月間に6歳の誕生日を迎える子、再来年は2021年5月2日~2022年6月1日に6歳になる子……といった具合でいけば、2026年9月には帳尻が合う。5年で解消できる計算になります」(内田氏) そうなれば、年齢が違う「4月生まれ」でも今年4月に6歳になった子供と、来年4月に6歳になる子供(現在5歳)が同学年になる、という奇妙なことも起こってしまう。 教員や教室が足りなくなるといったトラブルを回避するためにはやむをえないかもしれないが、とにかくややこしい。関連記事■9月入学論が浮上、なぜ日本は「4月新年度」が続いてきたか■【写真あり】萩生田文科相 宴会で「俺は一斉休校には反対だった」■中学受験で子どもをツブす「教育虐待パパ」の共通点■1台27万円? 小中学校に「PCを1人1台」で膨れ上がる予算■小学校卒業式の「袴スタイル」 親のインスタ映え競争が激化

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    新型コロナでわが道を貫くスウェーデン「集団免疫」の毀誉褒貶

    解し合えるし、対岸に位置にするデンマークを含め、お互いを兄弟と呼ぶほどである。 そんな両国が、今回の新型コロナウイルスに関する政策で全く対照的な方針を打ち出している。しかも、スウェーデンの「緩やかな政策」については、世界各国から批判が相次いでいる。 筆者の住むノルウェーでは、3月中旬に全国の小中高を休校とし、デジタルによる授業に切り替えた。大学も全ての授業をデジタル化し、外国への留学も一時停止になった。 屋内外のさまざまな活動も中止となり、ノルウェー人の多くが郊外などに所有しているキャビン(山小屋)への宿泊も、住民登録している市町村以外では禁止になり、6人以上の集会を禁じた。一般の商店や飲食店をはじめ、物理療法施設や美容室など多くの商業活動が一時休業を余儀なくされ、国中で大きな経済的打撃を受けるようになった。 そのため、国家保証局に失業手当を申請する企業や個人事業主のほとんどが、2メートルのソーシャルディスタンス(社会的距離)を設定するように、政府から要請された。ノルウェーでは政府の要請に従わない場合、2万クローネ(約21万円)の罰金が科されるが、一部の医療専門家はさらに厳しい取り組みをすべきだとまで言っている。それでも、多くの一般人は、感染を防ぐために現状の厳しい政策は仕方ないと考え、ほとんどの人が政府の要請に従っている。 ところがスウェーデンでは、全く異なる独自政策を採用した。小中高の授業は校舎で行われ、飲食店なども通常通りの営業で、サッカーなど室内外の運動施設も閉鎖されることはなかった。 規制も緩やかで、禁止ではなく、あくまで「勧め」となっている。70歳以上の高齢者や持病のある人には、自宅待機と他の人との交流を避けるように求めるにとどまっている。 「ここではカフェやバブなどで全く自由に人と交流し、ハグやキスをして、他の人のグラスから飲んだり、大声で唾を飛ばしながら会話をしている。病院では医療関係者が感染をあまり厭(いと)わずに行動したりしている。これでは感染者や死亡者が増えるのは当たり前だ」。スウェーデンの緩い対応策に、ノルウェー人記者が呆れ顔でこのようにレポートしたほどだ。スウェーデンの首都ストックホルムのレストランで楽しむ人たち=2020年4月20日(AP=共同) ノルウェーと隣接している地域には、普段多くのノルウェー人が安価な食物や商品を求めて訪れるが、現時点では一時的に国境閉鎖されている。5月に入って、スウェーデン側は、ノルウェーが国境を開いて、以前のように多くのノルウェー人が買い物に訪れることを望んでいるが、ノルウェー側は懐疑的である。 スウェーデン政府の新型コロナ政策に関する公でのディベートはないが、スウェーデン人の7割超がもっと厳しい対策を望んでおり、ロックダウン(都市封鎖)を望んでいる人も約4割に上る。何よりも毎日平均して何十人も新型コロナによる死亡者が出ていることに、多くのスウェーデン人は憂いの表情を隠せない。 しかも、医療専門家の多くが、スウェーデン政府と対策を主導する疫学者の戦略に懐疑的である。他国のように厳しく取り組むべきであり、さもないとスウェーデンは今までにない危機を迎えるだろうと、憂慮している。それでも、スウェーデン公衆衛生局で新型コロナ対策を主導した疫学者のアンダース・テグネル氏は「現在の政策は非常に効果があり、これからも継続させるつもりである」と強調している。「ほんの少し」違う政策 数字を見ても、隣国の違いは明らかだ。面積と人口では、スウェーデンはノルウェーの2倍である。ところが、人口100万人当たりの死者数で見ると、ノルウェーは40人前後でほぼ世界平均だが、スウェーデンは300人を超え、総計でも3500人を超えた。 感染者数も、ノルウェーは約8千人だが、スウェーデンでは約3万人に上っている。もっとも感染者の数値に関して、国内で初めて確認した時期の差はあるが、いずれにしても、スウェーデンでの新型コロナ死者数はノルウェーの15倍の水準に達した。 厳しい取り組みの甲斐もあってか、ノルウェーでは感染者の伸びは次第に緩やかになり、死亡者も少しずつ減りはじめ、入院患者数も減少を見せるようになった。ノルウェー政府はまず4月中旬から順次、幼稚園、小学校の低学年と試験的に再開させた。少人数でグループを作り、念入りな手洗いやソーシャルディスタンスを徹底させた上で、常に同じグループで行動するという指針のもとで行われた。 これらと同時に、美容院なども営業を再開するようになった。4月30日には50人以下の集会も許可されるようになり、ソーシャルディスタンスも1メートルに短縮された。 5月11日からは、残りの小中高の学校授業も再開された。大学はまだ再開の見通しは立っていないが、ノルウェーは少しずつ通常の状態に近づきつつある。 一方、スウェーデンでは、多少の変動はあっても、新型コロナによる感染者や死亡者の数が徐々に減少しているとは依然として言い難い。連日、メディアから死者数の多さを指摘されるたびに、テグネル氏は当局が入念な研究をしていないことはあり得ず、スウェーデンの政策は他国と「ほんの少し」違っているだけだと訴えている。 4月中旬に発表された報告によると、スウェーデンの首都ストックホルムにおける集団免疫は早くとも5月に獲得できるということだが、集団免疫は、人口の一定割合がウイルスへの免疫を獲得することで、初めて感染抑制が可能になる。 ワクチンは未だ開発中であるため、接種はできない。となると、大勢の人がまず新型コロナに感染する必要があるということになる。 感染しても、健康な人の8割は軽症で済むと報告されているが、危篤状態に陥る可能性があるし、回復後に肺などに後遺症が残るとも報告されている。死亡する人の多くは老人や持病のある人々だが、集団免疫が必要だからといって、これらの人々を感染の危険に晒すことは、人道的に受け入れられることではない。ノルウェーの首都オスロにある臨海地域、ビョルヴィカ(ゲッティイメージズ) このように、スウェーデンは他の北欧諸国とは違う独自のコロナ政策を続けているが、どうしてだろうか。その一因として挙げられるのが、200年以上にわたって直接的な戦争経験がほとんどないことである。 19世紀以降だけを見ても、北欧諸国は激動の歴史に揺れている。第2次世界大戦で、中立を表明していたノルウェーとデンマークは1940年にナチス・ドイツの侵攻を受け、ともに占領下に置かれた。フィンランドは国境を接していたソ連の侵略に対抗するため、ナチスと手を結び、敗戦国となってしまった。実は「良いモデル国」 一方、スウェーデンはナポレオン戦争以降に重武装中立主義を採用した影響で、約200年間戦いのない状況が続いている。ナチスの侵攻の危機に晒された第2次大戦でもなんとか中立を貫き通し、日本のポツダム宣言受諾の連合国への通告も、中立国であるスウェーデンとスイスの日本公使館を通じて行われている。 スウェーデンのジャーナリストによると、同国が他の国と違うコロナ政策を持っている理由の一つとして、このように200年以上平和が保たれていたことで、かえって危機に対する意識ができていないためだという。要するに、スウェーデン人は「平和ボケ」しているというのだ。 この意識は、第2次大戦にナチスとソ連に翻弄され、危機に対して常に用意周到なフィンランド国民と対照的である。スウェーデン国民の政府に対する信頼は非常に強く、政府から与えられた情報に対する自己責任も、反発よりむしろ高い忠誠心をもたらす。この忠誠心が正しいことは、歴史が証明してきたという。 多くの国や医療専門家から批判を浴びているにもかかわらず、スウェーデンは世界保健機関(WHO)から、新型コロナ対策について称賛を受けている。WHOによると、将来における良いモデル国ということだ。 スウェーデンは全国的な封鎖措置をとっておらず、学校や企業活動もいつも通り続き、外出制限や移動規制も行われていない。もし本格的な第2波が到来するなど新型コロナと長期間の戦いを強いられたら、世界中の国で封鎖を行わずに社会生活を存続させることも考えなければならないが、そのときはソーシャルディスタンスを異なる形で規定しなければならない。 つまり、現在のわれわれの生活様式を、新型コロナに対応させて変える必要がある。スウェーデンではそれを実際に行っている、とWHOで緊急事態への対応を統括するマイク・ライアン氏は指摘する。 新型コロナ危機は否定的なことばかりだけではない。今や新型コロナウイルス撲滅は全人類の共通の目標である。戦争とは、国と国が互いに敵味方に分かれて戦うが、この戦争は全世界の人が同じ目標を持ち、共に協力し合って解決するのである。いわば、全人類が同志といえる。 以前から環境問題への取り組みはさまざまな形で行われていたが、新型コロナ危機の影響で、別のアプローチによる取り組みも検討され始めている。例えば休暇の過ごし方について、今まで、北欧の人々は南国で数週間のバカンスを取ることが多かった。 しかし、今回の経済的打撃の影響で、航空会社の経営不振に伴う運賃上昇が危ぶまれている。それならば、環境問題も踏まえて、持続可能な休暇の過ごし方を考えるべきだろうという意見が増えてきているようだ。山岳地帯の多いノルウェーでは、山へハイキングに出かけることは日常的なことであるが、これからは山や森の中で休暇を過ごす時間が多くなるかもしれない。世界保健機関(WHO)で緊急事態対応を統括するマイク・ライアン氏=2019年5月(ロイター=共同) 自然に対するアプローチとともに忘れてはならないことが、人間社会のあり方である。新型コロナ危機で、大都市集中一極化の危険性が浮き彫りになった。何よりも、今回の危機を踏まえて民主主義に依った国政運営が求められる一方で、地域社会の重要さも忘れてはならない。デジタル化の推進で社会から孤立する人が増えてきたが、地域社会の充実を図ることで、緩和できるかもしれない。 今回、世界各国は新型コロナ対策として、ロックダウンや集団免疫をはじめ、さまざまな政策を採用した。ただ、パンデミックが世界で繰り返し起こってきたことは、歴史が証明しているし、新型コロナが終息に向かっても、いつか別のパンデミックが起こることだろう。それまで人類は今回の教訓をよく踏まえ、次の危機が訪れる前に備える必要があるが、果たしてどれだけの国が備えられるのだろうか。

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    『小西寛子のセカンドオピニオン』第4回(前編) イチからわかる新型コロナ~なぜ外出自粛が必要なの?~

    新型コロナウイルスの感染者数は、減少傾向にあるが、第2波などの懸念が指摘されている。特に学校という集団生活は感染拡大の要因にないやすいだけに、保護者や子供たちの不安は拭えない。そこで、今回は、新型コロナウイルスについて、子供たちも理解できるよう、小西寛子が「南風ヒロコ先生」として、改めて外出自粛の必要性を解説する。

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    反検察庁法改正の「釣り」に引っかからない当たり前の極意

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案について、今国会での成立が見送られることが決まった。「束ね法案」として一本化された国家公務員法改正案とともに見送られた背景には、「#検察庁法改正案に抗議します」という「ハッシュタグ祭り」から始まった世論の反発がある。 最新の世論調査でも、安倍内閣の支持率は法案への反対を主な理由として、大きく下落した。ただ、法案は秋の臨時国会へ向けて継続審議となり、仕切り直しの公算が大きいだろう。 前回の連載でも書いたが、検察庁法改正案への反発については、安倍晋三首相と「近い」といわれる東京高検の黒川弘務検事長の定年延長問題とこの改正案を、多くの人たちが混同し、それに基づいて反対運動を展開したことに大きな特徴がある。一方で、肝心の法案の中味を検討した上での反対が主流ともいえなかった。 多くの人は同調圧力や感情、直観で動いたと思われる。後ほど指摘するが、この反対運動の特殊性も指摘されている。 ところで、安倍首相と黒川検事長が本当に「近い」かは不明である。少なくとも、定年延長問題が国会で議論されてから、一貫してそのような「印象報道」が行われていた。 学校法人森友学園(大阪市)や加計学園(岡山市)、桜を見る会、そしてアベノマスクに至るまで、安倍首相との関係が「ある」ことを基礎にした「疑惑」の数々に、筆者は正直辟易(へきえき)している。疑惑の根拠が、単に首相との個人的なつながりだったり、会合で1、2回程度の「単なる出会い」であるとするならば、それは単に「疑惑」を抱いた人たちの魔女狩り的な心性を明らかにしているだけだろう。 ただし、誰も魔女狩りをしていると、自ら認めることはない。本人たちにとっては「社会的使命」や「正義」かもしれないからだ。 この種の魔女狩りを「正義」に転換するシステムは、いろいろ存在する。ここではそれを「釣り」(フィッシング)と名付けよう。安倍晋三首相との面会を終え記者団の取材に、検察庁法改正案の見送りを表明する自民党・二階俊博幹事長(中央)=2020年5月18日、首相官邸(春名中撮影) インターネットでもしばしば見受けられる偽サイトへの誘導などのフィッシング詐欺と似ている。「釣り」を経済学の中に導入したのは、2人ともノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフ、ロバート・シラー両氏の著作『不道徳な見えざる手』(原題:釣りに釣られる愚者)が代表である。 彼らは、通常の経済学が前提にしている自由市場のメカニズムに疑問を呈している。自由市場では、合理的な人たちが完全な情報を得て、自らの利益が最大になるように行動する。その結果、市場の成果は本人たちにとって「最適」なものになる。論理飛躍を埋める「物語」 だが、アカロフ、シラー両氏は、市場では釣りが横行していて、人の弱みにつけ込んで利益を得る人が多いこと、それは裏面では弱みを握られた人たちが「最適」な成果を得ることができないことを意味している。しかもポイントは、釣られた人たちが、自分たちが釣られたことに気が付きにくいことだ。 なぜ釣られたことに気が付かないのだろうか。アカロフ氏とシラー氏の着眼点は「物語」にある。 人はそれぞれ、何らかの物語を抱いている。自分がどのような人であり、どのような人生を送ってきたか、そういう物語は多くの人が普段から自ら胸中に描いていることだろう。 そして、自分以外の物事や出来事に対しても、人はこだわりを持っているに違いない。食事のマナーや通勤のルートの取り方、休日の過ごし方、好きな音楽や本などでも見受けられるはずだ。 安倍首相に対するイメージでも、こだわりはあるだろう。過去に、モリカケなどで「安倍首相は悪い。これは私の直観である」と言い放ち、論理や事実を全く跳ね返す人に多数遭遇した。 これらの人物や出来事に対する印象も、物語に依存するものが多い。物語は、人の人生を豊かにする反面、他者からの釣りに弱い側面もある。 安倍首相のケースでいえば、彼が「嘘つき」だとか、記者会見で「自分の言葉で話していない」という物語がある。前者は具体的に何を指すか全く分からないが、そういう人たちが多い。 後者は、記者会見でプロンプターを見ながら話していることが、典型例としてしばしば言及されている。しかし、数千字にも上る重要なメッセージを間違いなく正確に読むのに、プロンプターは便利なツールでしかない。 プロンプターに表示された画面を読むことを「自分の言葉ではない」というのは、かなり論理飛躍がある。だが、この論理飛躍の穴を埋めるのが、その人の物語なのである。2020年5月15日、検察庁法改正案に反対し、国会前でプラカードを掲げる男性 原理的にこの物語を利用した釣りは、振り込め詐欺のような「家族」の物語を利用したタイプから、上述した政治的なタイプまで幅広い。キーは論理的な跳躍(人によってはそれは直観や感情などと言い換えることもできる)を物語で埋めることである。 では、この物語のマイナス面を回避して、釣りに引っかからないにはどうしたらいいだろうか。先日、分かりやすい実例があった。釣りと弱さを自覚せよ 元HKT48でタレントの指原莉乃がフジテレビ系『ワイドナショー』で、「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグを付けたツイートを求めるコメントが来たときに、「私はそこまでの固い信念ほど勉強できていなかった」と述べていた。要するに、分からないことに慎重になったのだ。 自分が普段知らないこと、新規の出来事に遭遇したときは、まず、急に判断せずに、一拍置いてから行う。この当たり前ともいえる判断を、指原はうまく表現していたのである。 われわれは「弱い人」である。分からない運動に巻き込まれても、「法案の中味を読んだのか」と言われてから、慌てて読んでも「判断を変えない」「いや、既に読んでいた」などと欺瞞(ぎまん)を繕う人も多い。 だが、弱さを自覚してこそ、文明の発展に寄与したと、18世紀の終わり、アダム・スミスは『道徳感情論』の中で述べている。釣りに遭ったと自覚することが、個人だけではなく社会の発展には欠かせないのだ。 一方で、釣りの側のシステムも巧妙になってきている。われわれの弱さを克服する文明が発達するとともに、釣りの文化も発達しているのだ。 主要新聞では、検察庁法改正案反対のツイート数が数百万件にもなったと報じ、多くのワイドショーやニュース番組でも繰り返し取り上げられた。しかし、経済評論家の上念司氏らは、この種のハッシュタグ運動が一種の「スパム」によって成立していることを、早期から指摘していた。 つまり、ハッシュタグ運動の盛り上がり自体の大半が釣りだったのだ。確かに、政治的なハッシュタグ運動としては人気だった。 だが、そのボリュームについてはかなりの「水増し」があったのも事実だ。夕刊フジによると、5月8日午後8時以降の67時間に行われた約500万件のツイートのうち、投稿された実際のアカウント数は8分の1程度であったという。 デモでも主催者は参加者を「盛る」ことが一般的だ。数百万ではなく、実際には、数十万アカウントの人たちの活動であることを注記した報道もあるが、「数百万件」報道の方が一人歩きしたことは間違いない。こうして「多数派」の印象報道は成立していくのである。元HKT48でタレントの指原莉乃 政権批判を直観や感情で行おうが反知性で行おうが、それは別に個人の自由でしかない。ただし、直観や感情や反知性的な政権批判は、たいして評価されない。煽動(せんどう)的な行為で集団化すれば、脅威として批判されるのも当然である。 いずれにせよ、検察庁法改正案自体は、新型コロナ危機の対策を最優先する中で、審議していけばいいだろう。「三権分立の危機」や「民主主義の危機」といった物語を大きくする勢力はあっても、その種の釣りには慎重に対すればいいだけである。そのぐらいの優先度しかない問題なのである。

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    瀕死の地方観光、PRのプロが処方する「withコロナ」の特効薬

    菅原豊(戦略PRプロデューサー) 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言は一部で解除されたものの、全国の観光地、観光産業は先行きが見えてきません。そんな中、観光プロモーション活動は今、何をするべきなのかを整理したいと思います。 まず、今回直面している問題をどうとらえるか。①数カ月後に完全な終息宣言が発表され、新型コロナ問題が起きる前の状態に戻る②新薬やワクチンが開発され新型コロナ問題は終息するとは思うが、それは数年先③未知のウイルスの解明には相当な時間がかかり、社会生活は元には戻らない 私は、医療の専門家ではないので、どれが正しいのかは正確には分かりませんが、われわれが何かの仕事に従事し、生計を成り立たせ、生きている以上、起きている現象について「想定をし、準備」しなければならず、その仮説は必要になってきます。 そこで、世の中で報道されている情報から判断し、想定することは、まず「①はあり得ない」だろうということ。次に②か③を考えた場合、その間で落ち着くのではないだろうかと思っています。 つまり、医療従事者の方々の懸命の努力と新薬開発によって、終息に向かっていくとは思いますが、その社会は、元の社会ではないだろうというものです。 その新しい社会において「観光」はどう変わるのか。多くの人の英知、アイデアによってトライアンドエラーが繰り返されながら、新様式に収斂されていくはずですが、では、今、このタイミングで何をしておくのがよいのか。そのことについて考えてみたいと思います。 現在の観光プロモーションが直面する課題は大きく分けて二つあります。 まず、一つ目は、観光のプロモーションで最も基本的なフレーズである「来てください」という言葉を使えないことが一番の衝撃。観光事業は、旅行者の時間を自身の地に割いてもらうビジネスなので、来ていただかなければ何も始まりません。 現在の、新型コロナ感染拡大防止策がとられている中では、目的地である観光地が、人が集まり感染予防の観点で問題があるだけでなく、そこまでの移動手段、交通機関の中での人との接触においてもリスクがあり、移動が制限されますから、行きたくても行けない状況。そんな中「来てください」とは言えなくなり、ではどう伝えればよいのか、という課題。閑散とするJR東京駅の新幹線ホーム=2020年5月2日 二つ目は、年間を通じてさまざまなイベントや展示会などに参加して、「BtoC」(企業が一般消費者を対象にしたビジネス)、「BtoB」(企業が企業を対象にしたビジネス)の売り込みをしていたことが、すべて中止になり、では何をしたらよいのか、という課題です。 この二つの課題は、当たり前ですが、これまでの観光ビジネスの形を前提にしています。では、逆に考えて、混んでいる地域より相対的に感染リスクが低い、人気のない観光地はどうでしょうか。その場合も「うちは人気がないので、安全です。来てください!」という表現は矛盾が出てしまい使えません。「遠い場所でのお買い物」 また、具体的なプロモーション活動も、東京や大阪で開催される展示会などに出展するという手法は、活動自体に感染リスクがありますので、出展者からも来場者からも賛同は得られず、事実上、展示会自体が実施されないでしょう。 では、今のこの時期、「何」をしたらよいのか。ここで三つの施策を提案したいと思います。①観光とは遠くの場所でのお買い物である②フェイスブックで将来顧客を貯める③まずは道の駅から まず①ですが、観光とは、遠くの場所に行って、非日常を体験すること。地方都市を訪れ自然に触れ、新鮮な物を食し、温泉に入って、楽しいアクティビティをやって、お土産を買って帰り、土産話を家族や友人にする。 あるいは、地方から楽しい施設がある大都市に来て、朝から晩まで遊んで帰る。どちらも、自分の時間を、自分の嗜好に合わせて日常では体験できないことを楽しむことを指すわけですが、その中の一つの「モノを買う」という行為に着目します。 観光地で買うモノには、お土産だけでなく、その場で食べる(消費する)モノまでを含んで考えるようにすると、観光とは、つまり、「遠くの場所でのお買い物」であることが分かります。「人が来て成り立つ観光地に人が来ないから大問題」なのですが、観光地に人が再び集まってくるのは、今は、残念ながら誰にも分からない状況。その状況の中で「人が来ないからおしまいです」としてしまうのは簡単ですが、果たして、それでよいのでしょうか。 観光地にあるモノの販売経路を考えてみます。観光地で売られているものは、ほとんど、観光客が買っています。一方、さまざまな商品マーケティングの中で、常識のように言われている鉄則にリピーターを作れるか、という考え方があります。その理由は、リピーターは、既に商品のよさを知っていて、新規の顧客開発時に必要になる商品説明の手間がかからないこと。商品開発側の視点で考えれば、リピートしてもらえるような商品を作りたいと、日々考えていることになります。 一方、日本の観光促進政策の中に、特定のエリアが連係して観光地をマーケティングしようという動きがあり、それを戦略的に推進しようとするDMO (Destination Management Organization)と呼ばれる組織が今増えてきています。 個別の地域だけ、個別の宿泊施設だけでプロモーションをするのではなく、全体的に効率よく当該地域に集客し、地域内で多くのお金を使ってもらいましょう、ということを推進する事業体になります。しかし、新型コロナ問題で事態は急変。繰り返しになりますが、「来てください」は使えなくなりました。 そこで、この状況を鑑み提案したいのは、過去の宿泊者に対して観光地の特産品を買っていただくマーケティングを地域で連携して行うというもの。観光で訪れたことがある人は、このアプローチをされることで「おいしいからもう一度食べてみたい」「おいしかったからこれを友達に贈ってあげたい」「あのときは時間がなかったから寄れなかった(食べに行けなかった)けど、食べてみたい」と、さまざまなことを考えるでしょう。感染防止で外出を自粛しても、日々食事はしていますし、前に行った観光地のモノを食べようという気持ちになるのは不思議なことではありません。観光客が激減した大分県別府市の鉄輪地区=2020年4月 少なくとも、私は、地方自治体の観光PRの仕事で全国を飛び回り、各地の宿泊施設に泊まっていますが、4月から始まった自粛期間の4週間でそういうDMをもらったことはありません。観光地は、既に、当該エリアのファンのデータの宝庫になっているはず。過去の来訪者にさまざまな特産品の販売プロモーションをかけていただきたいと思います。その活動は、終息後、「来ていただく」本当の観光マーケティングの再開を後押しするための財産も作ってくれます。 次に②ですが、過去の来訪者に頼れるのは、既に人気のある観光地だけで、これから観光で盛り上げようと考えていた地域はどうすればよいのでしょうか。こういう課題のための一つの施策として、会員制交流サイト(SNS)の一つであるフェイスブックの活用を挙げたいと思います。フェイスブックの潜在力 「フェイスブックなんて、もう数年前から活用している」という自治体がほとんどだと思いますが、ほぼすべての自治体のフェイスブックは、投稿数、投稿頻度、記事ごとの「いいね!」数などを見ると、いわゆる「仲良しこよしの親睦会」的なものになっているだけで、なんらマーケティングには使われているようには見えません。 先日、ある県のすべての市町村のフェイスブックを見てみました。行政機関の広報ツールとしてのフェイスブックではなく、外郭の観光協会などのフェイスブックを見たところ22の市町村に公式フェイスブックがありました。平均稼働年数は6年。つまり、2014年頃に設置しているということになります。 これら22市町村のフェイスブックの月間獲得平均「いいね!」数は20・72件。月平均が約21件なので、6年経過し、現在の平均「いいね!」数は約1500。しかし、この「いいね!」数はほぼ関係者とその友達からの「いいね!」であろうと思われます。 果たして、フェイスブックとは何なんでしょうか。どういう目的で作ったのでしょうか。今、予定していた観光プロモーションが何もできなくなったこの時期、再び考えてみてはどうでしょうか。 フェイスブックは「いいね!」をしてくれた人に優先的に情報を届けられるSNSです。他のSNSも概ね同じ仕様ですが、現在のSNSツールごとの利用者層を考えたとき、観光マーケティングという分野ではフェイスブックが最適なSNSだと思われます(どのSNSがどのターゲット層に最も有効か、ということを考える資料はインターネット上にいっぱいありますので、興味がある方は研究してみてください)。 「『いいね!』をしてくれた人に優先的に情報を届けられる」という仕組みを理解すれば、「来てください」という観光マーケティングの視点から見た場合、その地に行ったことがない人から、どれだけ多く「いいね!」をしてもらうか、という課題が同時に出てくることになります。 これは、フェイスブックをマーケティングに使う、と決めた瞬間から出てくる課題です。もし、観光協会などが公式フェイスブックを作ろうということを決めたときに、「全国から、世界中からの新規の『いいね!』数を日々増やしていく」という施策を同時にスタートさせていないとすれば、それは大きな間違いを犯したことになります。 フェイスブックに限りません。インターネット上の情報は、会社などのWEBサイトもしかり、見てもらう活動を戦略的に実施していくことで、その存在意義があります。「作りますが、見てもらう活動はしません」という場合は、新しいお客様は誰も見ませんので、マーケティング視点に立った場合、持ってないことと実質的に変わりません。 SNSは、友人知人、公式非公式、さらには国境を越え、広がっていくという仕組みを内包していますので、毎月、毎年、新規の「いいね!」を貯めていくことで、非常に大きく、マーケティング活動のための、裏切らないインフラとして成長していきます。 逆説的に考えれば、公式フェイスブックを作って数年経ち、想定外の困難に直面してしまった今、プロモーションのためのツールとして現有の「いいね!」数が役に立たない、という場合は、それは、マーケティング視点で見ると、偽物の「いいね!」だったのではないか、と考えるのが妥当でしょう。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 一方、新規の「いいね!」を、友達の友達の友達…というアナログな関係から増やしていくことは、実際、容易ではありません。SNSという言葉の響きから、それができるのでは?   と考えてしまいがちですが、みなさんが自分自身の活動を見直していただければ、答えはすぐに分かります。 ここ半年で、自分のフェイスブック友達に、いずれかのフェイスブックの「いいね!」をお願いしたことがある方は何人いるでしょうか。あまりいないはずです。ネット上の情報は、自由に動き回りますが、人の心が介在したとき、「いいね!してね」「シェアしてください」という言葉は、非常に重い鉛が付けられているように、稼働しなくなります。悪い情報はネット上で、匿名で拡散されることがありますが、それと正反対。よい情報を広げるのは簡単ではありません。今はファンを貯めるとき では、どうするのか。最もシンプルで簡単な手法は、フェイスブック広告を使う方法だと思います。フェイスブックやインスタグラムの利用者にプッシュ方式で画面に登場させるというものになります。プッシュでスマホの画面に出てくるというのは、一見すると見た人によい印象を与えないのでは、と思いがちですが、地方自治体が発信する情報は比較的好意的に受け止められているようです。 最近の事例でも、2市で実施していますが、予想を上回って、よい形で、全国からの新規の「いいね!」が増えてきています。多くの人が、地方自治体からの情報発信に対して好意的なのは、どういう理由からなのでしょうか。 日本全国、ほとんどの人に自身の生まれ育った故郷があり、「最近、帰ってないなー、時々帰らないとなー」という後ろめたさのような気持ちがあったりします。また、日々の仕事や生活から離れてゆっくり観光したいという純粋な欲求も持っています。地方自治体が発するさまざまな日常の情報は、そんなニーズを満たしてくれているのかもしれません。 たとえば、群馬県高崎市では、新設のフェイスブック「高崎目線~高崎に住むということ~」で、ゼロから記事投稿と同時に広告を運用し3週間で1700を超える「いいね!」を、岐阜県飛騨市では「飛騨市Fan’sPage」で6日間で約130の新規の「いいね!」を、全国から獲得しています。 記事を見た人がすべて「いいね!」をすることはないわけですが、市の情報を市外の人に届ける、という観光プロモーションの非常に基本的なことを、シンプルかつクリアなKPI(重要業績評価指標)をもって実行していくことができます。加えて、反応が見え、分かりやすいことで、観光プロモーションを担当する人のモチベーションアップにもつながっていきます。 新型コロナ問題で身動きが取れない時期だからこそ、フェイスブックを使って新しい「いいね!」を増やし、ファンをため、新たな形でより大きな観光プロモーションが再開したときに、真っ先にそのことを知らせることができる「友達」を作っていっていくことは非常に意味があると思います。 次は③の「道の駅」についてです。新型コロナが終息したときに、観光産業のみならず、通常の経済活動は、どういう風に復活していくのでしょうか。多くの専門家が、さまざまな見地から考えを話していますが、終息の時期が明確にならない今は、どの見解が正しいか、という議論よりも、社会的に、いろんな可能性や考えを、誰もが、自由に発表し共有できる環境を作っておくことが、いざというとき、リスクを最小限にとどめることに役立っていくはずです。 そこで、観光分野はどうやって復活していくのがよいのか、を考えたいと思います。みなさんの議論の材料にでもなれば幸いです。 「3密」を避けましょう! という新しい生活様式が提唱され始めました。行動様式を変えていくことで、自身が感染するというリスクを低減し、社会全体として感染者を小さい数字でとどめておくとことで地域の医療を守ろうということだと思います。 しかし、敵は見えないウイルスです。公共の施設が、たとえば、イスやテーブルの使用の前後にアルコール消毒をしても、その後から来たお客様から見ると、「したのか?してないのか?」「ウイルスがいるのか?いないのか?」は、自身の目で確認することはなかなか難しいという実情があります。 観光という分野で考えれば、新幹線や飛行機、長距離バスなどの公共交通機関は、どうしても一定の時間「密閉」空間にならざるを得えません。つまり、新しい生活様式の中においても、これまでの当たり前の観光の仕様に戻すことは非常に困難であると言わざるを得ません。閑散とする羽田空港第2ターミナル=2020年4月29日 でも、冒頭で記しましたが、ウイルス研究や医療技術の進展、新薬開発などが急ピッチで進んでいるようなので、いずれわれわれが必要以上に怖がらなくてもよい病気の一つになってくれるのだと思います。それに向けて、長い時間がかかると思いますが、観光分野を再び盛り上げていくために、今、どういう形で助走を始めることが適切なのか、を考えてみました。「分散」という新たな概念 多くの人が同じ場所にいる密閉空間を避けて旅をする…このイメージで考えた場合、新型コロナの終息の動きと合わせて観光産業を復活させていく初動のシナリオは、「自家用車、オートバイ、自転車を使った旅づくり」なのではないでしょうか。そこで、全国にある「道の駅」に観光業復活の助走のための中心的な役割を担ってもらってはいかがでしょうか。 全国に、1173の「道の駅」があります(2020年3月13日現在)。各都道府県に均等にあるわけではありませんが、概ね、大きな道路の脇にあり、混みあった場所にはありません。広大な北海道には125駅あり、北海道以外では岐阜県が最も多く56駅あります。 東京都は八王子市に1駅だけ。「道の駅」は当該エリアの特産品の販売を中心に各種の観光情報発信基地としても機能しています。かつ、すべての「道の駅」が比較的郊外のひらけた場所にあることで、観光スポットの一つとして機能しつつ、もっとも「密集」の度合いを下げることができます。 さらに、「新しい生活様式」に沿った「新しい観光」の確立に向けて動き出すのであれば、ぜひ、「分散」をキーワードにして設計していただきたいと思っています。感染予防のために使う「密集しないで」という言葉は、観光地がそれを発すると、事実上「来ないでください」という意味が含まれてきてしまいます。 これでは、観光プロモーションは成立しません。そうではなく、これまで観光資源があるにもかかわらず、あまり注目されていなかった地域の観光プロモーションと情報発信を強化することで、全体として、自然に観光客が「分散」されるようにしていくことが重要なのではないでしょうか。 観光客は、いつの時代も、自分で行きたい場所に行くものです。そうでなければ、非日常を味わったり、ストレスを発散したり、ということができません。観光地として既に一定レベルでき上がっているところに、観光客を戻すためのキャンペーンやプロモーションではなく、「分散」をキーワードにした「新しい観光」を作っていただきたいと思っています。その中で、全国に平等にあり、感染予防の観点で安全性が高い「道の駅」を活用していく。そんな政策を推進していただきたいと思います。 新型コロナ感染拡大予防策によって、全国、全世界で、「移動」することに制限がかけられている今、日本全体の経済的ダメージは大きく、特に「移動」することで成り立っていた全国各地の観光産業は瀕死の重傷を負っています。国道118号沿いに掲げられた道の駅のメッセージ=2020年4月、茨城県常陸大宮市 しかし、新型コロナ問題の解決を待っていれば、何もできません。今の状態で、できることを模索し、実施し、レビューし、さらに実施していくことが大切です。本稿では、三つのアイデアを書きましたが、それぞれが有機的に連携するように進めていくと、その効率性が上がっていくはずです。 みなさんの地域で、まずは、今回の新型コロナ問題をどう位置づけるかを決め、それを地域で共有し、できれば地域みんなでリスクを分散しながら、新しい生活様式に呼応する新しい観光のスタイルの確立につながる一歩を踏み出していただきたいと思います。

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    ナイナイ岡村「風俗嬢」発言と日本社会の現実

    ナインティナイン、岡村隆史の「風俗嬢」発言について、女性蔑視などとの批判が相次いだ。新型コロナ禍で生活苦になった女性が風俗業を余儀なくされ、それを楽しみにするといった主旨だけに批判は免れない。ただ、この問題の根本は個人批判だけでは見えてこない。今回は、浮き彫りになった日本社会の現実と課題を直視する。

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    ナイナイ岡村「風俗嬢」発言を後押しする日本社会の悪循環

    志社大大学院教授) 4月23日、ラジオの深夜番組内で、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史が、新型コロナウイルス感染拡大の終息後について「面白いことがあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども美人さんがお嬢(風俗の女性)やります」などと語り、批判が相次いだ。 女性蔑視、女性への人権侵害として、出演番組からの降板を求める署名活動にも発展。発言者の岡村は同月30日に、同じラジオ番組内で反省の弁を述べた。だが、その謝罪内容についても、「失礼な発言であった」との形式的なもので、本当の謝罪になっていないとのさらなる批判を招いている。 この問題は、発言者個人を批判して済むものではなく、日本の歴史的、社会的背景による根深い構造的問題を抱えている。単なる失言で終わらせるべき問題ではない。遊女や春画の研究を通じ、日本のセクシュアリティの研究をしてきた見地から、日本の性文化の過去の問題点を整理し、何を改善すべきなのか、再発防止には何が必要なのかを指摘したい。 日本文化の歴史的背景として、性的な話題を「お笑い」と認識し、その場を和(なご)ませるツールとする現象が存在した。女性と男性の営みを生殖器もあらわに描く浮世絵の春画は、当時は「笑い絵」と呼ばれ、落語にも艶笑話が含まれる。日本の祭礼にも、性的な行為を演じて観客を笑わせたり、生殖器をご神体として担いで練り歩いたりして、見物人の笑いを誘うものが継承されている。 日常生活では隠している下半身をさらけ出したり、恥ずかしい性的な話題をあえて共有したりすることで、お笑いというリラックス効果が生じ、さらに、そのお笑いを共有する人々がお互いの警戒心を解き、仲間意識を高める意味での一種のコミュニケーション手段として、日本社会における性表現は社会的に機能していた。 ゆえに、現在でも酒席などでいわゆる猥談(わいだん)をして気心が知れるという習慣は、特に男性同士の社交文化において、おおっぴらに語られなくとも残存している。森鴎外の『ヴィタ・セクスアリス』に、先輩が後輩を色街に連れて行く「男社会」の習慣が描かれているように、男性同士のホモソーシャルな絆を確認するために、風俗業界が利用されるという社会現象が、日本社会には歴史的に存在したのである。 この歴史から推測できることは、今回問題化した芸能人発言だけではなく、同じように思っている男性が実は日本社会には一定数存在するのではないかということである。仮に「あなたも同じように思っていますか」というアンケートをしたとしても、性的な話題について本音の回答を得られるかどうかはおぼつかない。インタビューに答えるお笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史=2016年10月、東京都世田谷区(川口良介撮影) だが、「ほんまはそう思てる男性いっぱいおるよね」という無言の後押しがなければ、メディア出演を仕事とする著名な芸人が、ラジオであのような無防備な発言はしないと思われる。私は彼個人よりも、彼の発言を潜在的に後押ししたと思われる「岡村予備軍」ともいうべき日本男性の心性的慣習を問題視したい。 発言者の意識を推測してみると、性的な話題が「笑い」とみなされ、場を和ませる肯定的要素として受け止められた歴史があったため、お笑い芸人という本業から、新型コロナ感染拡大下の沈うつな社会を和ませるサービス精神が出てしまった、つい「笑い」をとりにいった、悪気はなく逆にウケると思っていたとも想像できる。蔓延する大いなる誤解 であれば、「本気の謝罪」になりにくいのも必然である。私は決して、歴史的背景に照らして、岡村発言を擁護するつもりはない。逆に、「表で言ったからアカンのやろ、どうせ同じことを思っている男はこの世にいっぱいおるはずやから、まあ表向き謝罪しといたらええわ」というような発想を生み出す社会的、歴史的背景をこそ、問題にしたいのである。 上記のような歴史的背景から、現代社会では、水商売の女性や女性の容姿をネタにして笑うことを女性に対する侮蔑であると認識できず、むしろサービス精神だととらえる大いなる誤解が蔓延している。 しかし、このことは、セックスワーカーに対する偏見でもあり、女性を容姿で判断するというあからさまな過ちという意味でも、二重に問題をはらんでいる。こうした文化的慣習からくる日本社会の女性観、女性についての認識自体を根本から改めなければ、再発は永遠に防止できない。 ラジオという公共の電波で発言したから悪い、プライベートではこういう発言も許される、というようにこの問題を矮小化するべきではない。 では、江戸時代なら許されて現代はだめなのか、という疑問が生じるであろうが、江戸時代の「笑い絵」は、女性も男性も鑑賞するものであり、実は春画には遊女の姿は少ないのだ。 夫婦の営みや恋人の関係が主として描かれる春画の場合、性の歓びを女性も男性も謳歌する要素が強く、好意もない異性に経済的困窮から仕方なく性的サービスを提供する遊女たちの苦痛に満ちた性はモチーフになりにくいのである(筆者共編著『浮世絵春画を読む 下』の「春画と遊女」、筆者著書『「愛」と「性」の文化史』)。 しかし、明治の近代化以降、西洋文明の影響下で、ストイックな近代的性道徳が女子教育を通じて主流化し、江戸以前の「笑い絵」の文化が否定されるとともに、女性は「貞操」や「処女」性を重視され、清く、正しく、美しくあることを求められるようになった。展示された歌川国貞の肉筆春画「金瓶梅」=2015年9月、東京都文京区の永青文庫 ところが逆に男性については、江戸以前と同様、遊廓に通って先輩後輩の絆を深めたり、場を和ませる手段としての猥談をしたりすることが、一種の社交手段として許容され続け、セクシュアリティをめぐる女性と男性をめぐる非対称性、ダブルスタンダードが明治以降に強化されて今日に至る。 女性たちの多くもまた、明治の近代教育における夫や息子に従属すべきという儒教的規範を内面化して、男性の猥談を許容したり、性的な嫌がらせを我慢し続けたりしてきたのである。求められる意識改革 だが、こうした性のダブルスタンダードは、ジェンダー平等の実現を目指す現代社会では当然不適切であり、これまでは当たり前と思われていたからこれからも当たり前、という男性中心の性文化の発想をまずは根本から転換する必要がある。岡村発言のみを批判してことたれりとするのではなく、その背後にある過去の日本男性の「性的常識」自体の根本的意識改革こそが、これを契機に求められているのである。 岡村発言の背景にある日本社会全体の問題は、女性と男性の経済格差としても存在する。国際比較上、女性と男性の収入の格差は、日本では男性に対して女性が7割程度を推移してきたが、欧州などは8~9割程度の地域もある。 男性の収入で妻と子供の一家全員の生計をまかなう「男性一人稼ぎ手モデル」が、この格差に影響しており、男性を主たる生計の担い手として位置づける社会的認識が、特に高度成長期に主流化した。 このため、男女の収入の格差はむしろ助長され(男性の収入を増やすことが家計全体にプラスと判断されがちになるため)、配偶者の収入が一定額を超えると扶養控除がなくなるという税制もこうした傾向を助長する。配偶者、特に女性の側に収入があることはいけないことではないか、配偶者よりも稼ぐことは男性の面子をつぶしてしまうのではないか、という間違った倫理道徳観さえ、そこから派生してしまう。 経済の低成長時代を迎え、男性一人稼ぎ手モデルが自明ではなくなり、専業主婦の数はデータ上、減っているとはいえ、長時間労働、ワークライフバランスの解消が前に進まないこともあり、日本女性の労働市場への参画は十分に進まない。 また、昇進すると責任が増えたり、ハードワークになる危惧があったりするため、あえて出世を望まない場合もあり、管理職への女性の進出も進まず、男女の賃金格差も解消されないという悪循環を生む。 結果として、女性がまとまった収入を得るために、いわゆる水商売に走るという戦前のような発想は、現在も隠微に存在している。女性の職業選択肢は明治末から大正期にかけて増え、地道に働いて収入を得る手段も皆無ではないが、現代では長時間労働や遠距離通勤もあり、女性男性を問わず日本の組織は負担が大きいために、まとまった収入を得るためには水商売に行くしかないかとの発想を女性が持ってしまうことにもつながる。 男女共同参画や、女性「活躍」というスローガンが掲げられて久しいが、世界経済フォーラムによる日本女性のジェンダー平等指数の順位は、国際比較上、上昇しているどころか、近年は下降している。「すべての女性が輝く社会づくり推進室」の看板をかける安倍晋三首相と有村治子女性活躍担当相(当時)=2014年10月、内閣府(代表撮影) ジェンダー・ギャップ指数は欧米基準だとの批判もあるが、2019年には153カ国中121位と下位の記録を更新、むしろ2010年代までの方が、80位(06年)、98位(11年)と、90位台から最低101位を推移しており、日本のジェンダー状況は進化するどころか退化している。女性にも求められる発想の転換 なぜなのか。明治女性の労働参画を研究していて明らかなことは、近代化初期の女性の労働参画は、自己実現のためというよりも、生計を担う覚悟で責任を持って働くことが求められたということである。 明治の女性労働としては『女工哀史』がよく知られるが、労働する当事者としての彼女たちは、少なからず、家計を助けて働くことに誇りと責任感を抱いていた(サンドラ・シャール著『女工哀史を再考する』)。 ところが、昨今の女性「活躍」という表現は、テレビドラマの主人公のように、医師や弁護士など、あたかも「華やかに活躍」しなければ女性労働には意味がない、との誤解を生みかねず、地味な仕事について生計のために苦労するくらいなら、安定収入のある男性と結婚するのが人生の「勝ち組」であると判断する若い女性も出てきてしまう。 職業に貴賎はない。表面的憧れにとらわれることなく、女性も地道に生計労働をする覚悟を持てば、新型コロナ終息後に生活に困ったため風俗業に走る、という短絡的発想も解消されるはずである。 女性にもまた、生計のためには「外に出れば七人の敵がいる」という、どのような職場にもある悩みに臆することなく、風俗以外の業界で生きるという発想の転換が必要なのである。 お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志が、ホステスなどに対する税金による支援について疑問視する発言(4月上旬時点)があったが、その意味では正論である。女性の働き口をそうした業界以外にも広げる工夫をする方が、広い視野で見て、男性一人稼ぎ手モデルを構造改革する日本社会の転換につながるのである。新型コロナウイルス感染拡大で風俗店などの休業が相次ぐ歌舞伎町=東京都新宿区 ただし、同時にこの発想の転換が、セックスワーカー全体の差別につながることがあってはならない。ぎりぎりまで選択肢を考えた上で、なおかつその業界に足を踏み入れざるを得ない女性たちはやはり存在するし、性に携わる女性をやみくもに蔑視することも明らかに差別である。 岡村発言の背後にある日本社会の構造的問題を改善し、過去の「性文化の常識」の悪い面を改めることこそが、現代社会には求められている。これこそが再発防止のあるべき方向性である。

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    独身貴族の岡村隆史は、こうして「女嫌い」をこじらせた

    オールナイトニッポン」で、パーソナリティーを務める岡村隆史が風俗に関する発言をし、物議を醸している。新型コロナウイルスによる外出自粛のため、風俗に行くことができないと嘆くリスナーに対し、岡村は次のように発言した。 「コロナ明けたら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります。これ、なぜかと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなったときに今までのお仕事よりかは。これ、僕3カ月やと思っています。苦しいの、3カ月やと思います。(中略)この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう」 これは発言の一部に過ぎないが、新型コロナによる失業で生活困窮者が風俗に流れ、最低3カ月間はかわいい風俗嬢の数が増えると、推考していることからも分かるだろう。岡村発言は、個人の発言としては具体的であり、皮肉るならば、風俗を熟知した人間の哲学的思想のようにも見える。 リスナーに諭すように語りかける彼の口調からも、それは一目瞭然である。本稿では、ジェンダー研究者の立場から、岡村発言と、翌週の番組で「公開説教」した相方、矢部浩之の発言を批判的に分析し、生物学上同じ男性としての立場から、岡村が今後取り組むべきことについて述べたい。分析に必要なキーワードは、「ミソジニー」(女性蔑視)、「ホモソーシャル」(従来型の男性同士の絆)、「オン・オフ問題」、そして「アローン」(おひとりさま)だ。 依然、日本列島が新型コロナによる自粛ムードの中、岡村は自ら発した風俗発言によって窮地に立たされるわけだが、実は、同じ日にジェンダー失言をした人物がもう一人いる。スーパーでの密閉、密集、密接の「3密」回避案を、自らの主観だけで語った大阪市の松井一郎市長だ。 松井氏は、男性は決められたものだけを買うから、女性よりも買い物が速い、と独自の「解決策」を掲げ、その後、主婦たちからの猛反発にあう羽目となる。2人とも新型コロナ禍が深刻化する中、女性を蔑視する失言をし、猛反発にあっている。 ただ、今のような国難でなくとも、彼らの発言は時代の変容に追いつけないまま現代に至る男性の本音であり、批判は免れない。特に、女性を性的搾取の対象として蔑視する岡村発言は、タレントのMattをはじめとするジェンダーレス男子たちが体現する、意識と生活スタイルが多様化した今日において、時代を逆行していると言わざるを得ない。会見する大阪市の松井一郎市長=2020年4月(安元雄太撮影) 公開説教で、矢部が「風俗キャラ、それがキャラクターになっていたから」と述べているように、風俗猥談(わいだん)を好む岡村を以前から知っている筆者は、岡村のことを典型的な「女嫌いな男」であると考えてきたが、今回の発言でこの考えに確信を持つことができた。 一般的に、女性との性行為を思い巡らす者は女好きな男であると考えられがちだが、ジェンダー研究において、女好きな男と女嫌いな男の間に大きな違いはない。ここでの「嫌い」は「蔑視」と同義の言葉として考えてほしい。両者は女性を性的搾取の対象としてとらえ、時として、岡村のような風俗発言を、後先考えずに行う。つまり、女好きな男ほど、女嫌いなのである。変われる余地はある 岡村発言を「男性の本能」と一笑に付す歌手のMINMIや、「速やかな謝罪をすれば許す」とする番組スポンサー、「高須クリニック」の高須克弥院長など、岡村を擁護する声が多数ある。その一方で、インターネット上の署名サイト、Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)では岡村のレギュラー番組降板を求める署名活動が展開されるなど、意見は二分化している。 フェミニストの中には、女性を蔑視する男性を容赦なく批判し、中には社会から徹底的に抹殺しようとする人も確かにいる。だが、筆者は相方・矢部の公開説教に対する彼の受け答えを聞いていて、岡村には変われる余地があると思えた。 2人は大阪・茨木西高のサッカー部の先輩後輩であり、コンビ結成まで後輩の矢部は岡村に敬語を使っていたらしいが、結成後にやめたと言っている。そして、今回の件で、岡村は矢部の一言一言に、力なくではあるが応じ、自分を客観視する機会を得てもいる。 岡村にとっては、よい自己反省の場となったことだろう。しかし、2人の会話の節々から、互いを思う男性同士のホモソーシャルな絆を感じずにはいられなかった、というのが筆者の正直な感想である。 前述したミソジニストな男たちの多くは、男らしく群れる、つまりホモソーシャルを好む男たちといえるだろう。女性の権利を訴えるフェミニズムにおいて、ホモソーシャルという言葉は、一人の女性を性的に搾取、共有する2人の男の絆を指す「対女性的言葉」として、しばしば批判的に用いられる。昔のハリウッド西部劇映画などには、「お前は俺の認めた男だから、今夜だけは俺の女と寝てもいいぞ」と粋がる主人公がよく描かれたものである。 話を戻すが、ホモソーシャルな男たちの関係において、2人の男は主従関係をベースに男同士の絆を強化していくことになる。先輩である岡村と後輩である矢部の関係を思い浮かべてもらうといいだろう。 いまだに矢部が「岡村さん」と呼んでいることからも分かる通り、敬語使用をやめた以降も、両者の間にはある種、無意識的な権力関係が存在しているといえる。また、ジェンダー研究において、ホモソーシャルという言葉が、男のパワーゲームを表す形容詞としてしばしば使われていることも知っておいていただきたい。ナインティナインの矢部浩之(左)と岡村隆史 ミソジニーの解説でも触れたが、ホモソーシャルな絆において、男たちは女性を性的搾取の対象としてだけとらえ、彼らは女を侍らせ、男らしく群れることを好む。 例えば、男同士の飲み会で酔いも回ってくると、女性にまつわる下ネタが重宝されることがないだろうか。『男の絆』(筑摩書房)で福島大の前川直哉・特任准教授が述べているように、男同士の絆において、「猥談をぽろっと出すと、一気に『話せる奴』」として認められるのだ。 岡村と矢部の関係以外に、彼とスタッフ、さらにはリスナーとの関係性が、まさに本稿で言う、ホモソーシャルな絆という言葉に集約できる。事実、岡村の猥談を笑うスタッフの声がマイク越しに聞こえたし、男性リスナーからの擁護発言もネット上で散見される。「身内」で完結する危険性 こうした男性主導を基盤にしたホモソーシャルな関係は、芸人の世界ではよく目にする関係である。そういえば、お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志は、新型コロナの影響で生活難に直面する後輩芸人に100万円を無利子・無担保で貸し付けるプランが報じられたし、昨年の吉本の騒動でも、明石家さんまの後輩思いな面が改めてクローズアップされた。 つまり、芸人の世界は主従関係、つまりホモソーシャルが中心で成り立っているといって過言ではないだろう。ただ、筆者は、決して芸人世界の先輩・後輩という主従関係が悪いと言っているわけではない。 先に、矢部の公開説教を例に、先輩後輩の主従関係の逆転について触れたが、この点において、岡村発言および矢部による公開説教を擁護できない点が多々ある。それは、まず第一に、この後輩による説教が、自分(岡村)にとって最も近しい後輩(兼相方)によって成されたものであるという点である。 現に、矢部は説教の最中、岡村に対して「身内」という言葉を繰り返し使っている。このことについて、5月3日放送のTBS系『サンデージャポン』では、同じ芸人のカズレーザーが鋭い指摘をしている。今回の件が当該者である女性たちではなく、説教という形でコンビ間で完結してしまっていると危惧しているのだ。 たとえ先輩後輩の立場は逆転しても、結局のところ、2人の関係はフェミニストの女性の多くが敵視する、ホモソーシャルな関係のままなのである。筆者は、矢部が優しく相方を諭す声をラジオで聴いたとき、深く同情した自分自身の内にもホモソーシャルな規範があることを実感した次第である。 プロフェミニスト(女性擁護者)を装うことなく、男としての本音を吐露する岡村が、もう少し今日のジェンダー問題、たとえば「#MeToo(私も)」運動などに関心を持っていたなら、フェミニズムが求める、女性の政治的、社会的、経済的平等の理論を無視した今回のような発言はしなかったはずだ。 相方の矢部は、公開説教の中で、2010年に体調不良で休養した岡村が復帰における謝罪に言及し、自分はきちんと謝罪をしてもらっていないと語っている。矢部は岡村について、番組など「オン」の状況下では素直に謝るのに、そうでない「オフ」では決して謝らないと、岡村の怠慢さに触れているが、これは的確な指摘だと言える。 岡村にとって、「オン」が自己を演じる場であるのに対し、今回のラジオは、仕事とはいえ、少人数のスタッフ以外とは顔を合わせなくてよい「オフ」な場になっていたのだ。現在、テレワークを余儀なくされているみなさんの中にも、「オフ」な状態がゆえ、つい気が緩んでしまう瞬間を経験された方がいるのではないだろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 現在、大学生を教える立場の筆者は、コロナによる自宅待機のため、4月中旬から「オフ」状態が続いている。普段、学生を前に教師を演じる「オン」の状態から、オンデマンド型の授業という「オフ」の状態でいると、やはり、顔と顔を向き合わせていないせいか、血の通った人間関係を実感できず、仕事に身が入らない日が正直ある。 声のみでの交流に軸を置いたラジオは、対面という「オン」の状態で自己を誇示する面を持つ岡村にとって「オフ」な状況を意味していたのかもしれない。今回、われわれが「オフ」の岡村を知ることができたのも、ラジオの内容が即座にネット上に公開される今日であるからにほかならない。今後、岡村は「オフ」でどう行動していくかを見せることで自分自身と向き合っていく必要がある。「独身貴族」ゆえの浅はか さて、吉本興業所属の芸人の間に、「アローン会」なるグループが存在しているのをご存知だろうか。名誉会長に坂田利夫、最高顧問にさんま、会長に今田耕司を据え、岡村は部長職にあるらしい。全員、芸人世界では名の知れた独身貴族である。 独身男性にまつわる話に関連するが、矢部による公開説教の中で同調できた部分が一つある。それは、矢部が「景色を変えた方がいい。結婚が偉いとかではなく、全く変わるから」と、岡村が独身であることに言及し、今回の失言の要因が独身であることに起因していると指摘した点である。 ネットで散見される数々の記事に目を通すと、ほとんどがこの指摘を否定するものだった。だが、矢部の言う「結婚して子供にも恵まれて、より(女性への)リスペクトが増していった」という言葉に、筆者の心は打たれた。 筆者はこれまで、市民講座などで頭の固い(ように一見みえる)おじさんたち相手に、女性の立場を体験してみませんか? と語りかけたり、『週刊SPA!』で「男性記者が実体験―オンナは大変だった!」特集に参加したりしてきた。このような他者体験を勧めてきた身だけに、反対意見はあるだろうが、矢部の発言には一理あると考える。 特に、このような失言を生んだ浅はかな考えの背景には、大河ドラマやレギュラー番組を抱え、お金に何不自由なく、配偶者を養う責任もなく、好きな時間に好きなことのできる順風満帆な人生を送る、「独身貴族」というカテゴリーだからと言えなくもない。そう考えれば、一般独身男性と同一視すべきではない。 ジェンダー研究において、今回の岡村の男性観は、学びの例としては教科書に載せるに堪えうる全ての条件を兼ね備えているといえる。対面授業が開始された折には、ディスカッションの題材として活用したいくらいである。 ミソジニストな男が、ホモソーシャルな関係を好み、何不自由ないアローンな状態で自己陶酔型な人生を謳歌(おうか)した結果、時代に逆行するKY発言で打ちのめされ、新たな行動を注視される状況に追いやられる。このような話は、依然、日本に古いジェンダー観を持つ男が多く存在していることを説く一つの教材であり、そんな男がどうすれば変わることができるか、議論の余地すら与えてくれる。社会学者の上野千鶴子さん=2019年6月 ホモソーシャルの話の中でも少し述べたが、金や地位が男に一種の主従関係や権力を与えるのなら、そのような権力を持った男の「おひとりさま」以上に怖い者はこの世に存在しないのかもしれない。 日本のフェミニズムを牽引(けんいん)してきた社会学者でフェミニストの上野千鶴子さんは、自著『男おひとりさま道』(文藝春秋)で「『弱さの情報公開』のできない男同士の関係では、困ったときの助けにならない」と、強がる男たちに叱咤(しった)激励を送った。上野さんの叱咤のように、今回、後輩で相方である矢部に弱さを見せることができた岡村には一度、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られ、新しい人間としての再スタートを切っていただきたい。

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    風俗業女性支援の最前線、不要不急と言えない苦悩を知っているか

    坂爪真吾(一般社団法人ホワイトハンズ代表理事) 1218件。これは、新型コロナウイルスの影響が問題になり始めた、今年2月1日から5月8日までの約3カ月間に、私たちが運営している風俗で働く女性のための無料生活・法律相談窓口「風テラス」に寄せられた相談の合計件数である。 コロナ禍による自粛・休業の影響は風俗業界を直撃し、短期間で収入が激減、あるいはゼロになってしまう女性が全国的に増加した。 風俗で得られる現金日払いの収入によって生活を維持していた人は、家賃や携帯代などの毎月の支払いや返済ができなくなり、一気に生活困窮の状態に追いやられた。 メディアでは、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史の風俗をめぐる失言問題が大々的に取り上げられた。だが、実際の風俗の現場ではほとんど話題にもなっておらず、そもそも誰も気にしていない。 「それどころではない」というのが、最前線にいる支援者としての率直な感想だ。 特に4月は、全国各地から1カ月で816件もの相談が寄せられ、連日早朝から深夜まで、相談窓口のLINEやツイッターの通知が鳴りやまない状況が続いた。風テラスでは、弁護士とソーシャルワーカー(社会福祉士、精神保健福祉士)で複数のチームを作り、殺到する相談に対応した。 コロナ禍の渦中、短期間で1200人を超える風俗で働く女性の相談を受ける中で見えてきたのは、風俗に大きく依存しているにもかかわらず、風俗をないがしろにしている日本経済の危うさだ。新型コロナウイルス感染拡大で休業が相次ぐ歌舞伎町の店舗=東京都新宿区 風俗業界の人々が休業要請の出ている中でも働かざるを得ないのは、当たり前のことだが、生活のためである。風俗店は一見すると、「不要不急」の娯楽産業の象徴に見えるかもしれない。しかしその実態は、さまざまな事情で「大至急」「今すぐに」現金収入を必要としている女性たちが集まる「切実な」仕事場である。 風俗店が休業することで一番困るのは、決して利用客の男性ではない。そこで働く女性たちなのである。ギグワーカーとしての彼女たち 風俗で働く女性は会社員ではなく、個人事業主である。彼女らはUber Eats(ウーバーイーツ)の配達員のように時間的拘束を受けず、好きな時間に好きな分量の仕事をする働き方をしている。 「写メ日記」と呼ばれるブログやツイッターで宣伝・集客する女性も多く、いわゆる「ギグワーカー」(インターネットなどで募集している単発の仕事を受注し、収入を得ている労働者)に近い。 問題は、多くの女性が、ギグワーカーとして働いているにもかかわらず、自分がギグワーカーであることに対する自覚が全くないことにある。「とにかく短時間で高収入を得たい」という動機でこの業界に入り、社会保険や収入証明などの手続き、無申告のリスクなどについて何も知らない、または知らされないまま、個人事業主として働き続けている。 この業界で働く人々は、そうした無自覚なギグワーカーが非常に多い。 その結果、今回のようなコロナ禍が起こると、瞬く間に仕事と収入を失い、何の補償も保険も受けられず、支援制度や給付金の申請手続きに必要な書類をそろえることもできないまま、出口の見えない生活困窮と社会的孤立の状態に追いやられることになる。 風俗の仕事がバレてしまうこと、そしてこれまで無申告だったことに対する不安の中で、身動きが取れなくなり、本当は利用できる支援や制度があるのに「風俗で働いていた自分には利用できない」と思い込んでしまい、さらに状況を悪化させてしまう。※写真はイメージ=Getty Images 風俗業界は、少なく見積もっても全国で30万人を超える女性が働いている。市場規模は数兆円に及ぶとも言われ、地域経済や家計に与える影響も少なくない。風俗店が休業や閉店になることで、生活が破綻してしまう個人や家庭、経済が停滞してしまう地域は確実に存在する。 風テラスには、「風俗の収入でどうにか家計を維持してきたが、コロナの影響で風俗の収入がなくなり、生活そのものが成り立たなくなった」というシングルマザーや既婚女性からの相談も数多く寄せられている。 風俗業界で働くこと自体の是非論を脇に置けば、医療や福祉、小売りや運輸と同様に、風俗で働く女性も家庭や地域に不可欠なライフラインを支える「エッセンシャルワーカー」なのだ。風俗業界にも給付金を 私たちの生活や経済が、実は風俗で働く女性をはじめとした「無自覚なギグワーカー」「見えないエッセンシャルワーカー」による経済活動に大きく依存している。それにもかかわらず、国は風俗を排除している。 コロナの影響で収入の減った個人事業主や中小企業に対する「持続化給付金」に関しても、あらゆる仕事や業界の中で、性風俗事業者だけが不給付要件にされている。この不給付要件自体が憲法14条、つまり法の下の平等に違反するものであると同時に、合理的根拠のない職業差別であることは明白である。 現場の経営者からは、「きちんと税金を払っているのに、なぜ給付金を受けられないのか」という声や、「抗議のために、休業要請を無視して営業を再開したい」という声も上がっている。 5月12日の参院財政金融委員会で、中小企業庁は「性風俗業界で個人事業主として働く人も支給対象になる」という見解を明らかにした。しかし5月14日現在、風俗店はいまだに対象外のままである。店舗が無くなってしまえば、当然女性も収入を失うことになるので、女性だけを支給対象にしても問題の根本的な解決にはならない。 今必要なのは、適正に納税を行い、法令を順守して営業している性風俗業者を持続化給付金の対象に含めることだ。 現在の状況は、風俗業界で働く人たちの間で「きちんと納税すれば報われる」という認識を広めるための千載一遇のチャンスでもある。 「無自覚なギグワーカー」たちの納税意識と権利意識を高め、そして「見えないエッセンシャルワーカー」たちの努力や苦労に報いる制度を作ることができれば、彼女たちに大きく依存している私たちの社会全体にとって大きなプラスになるはずだ。料亭全店の休業を始めた歓楽街「飛田新地」=2020年4月3日、大阪市西成区 転職や起業、失業や定年などの理由で、望む望まざるにかかわらず、ギグワーカーとして働くことになる可能性は誰にでもある。そして、不要不急や公序良俗の名の下に抑圧・排除されがちな業界の中にこそ、エッセンシャルワーカーがひしめき合っているという事実は、より広く知られるべきだろう。 今回のコロナ禍のような社会的危機の状況下において、全ての人が、理不尽な差別や排除を受けずに、等しく支援を受けられる制度の確立を強く望む。

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    ナイトワークの従事者たちにも補償や給付が必要とされる理由

    なのか。ライターの森鷹久氏が水商売に携わる人たちの実情をレポートし、支援について考えた。* * * 新型コロナウイルスの感染拡大で、小中高校の休校が続いている。3月の全国一斉休校が決まった直後、仕事を休職せざるを得なくなった保護者に休業補償がされることが決まった。この制度には当初、「風俗業」「接待を伴う飲食業」で働く人々は含まないとされていたが、彼らも同じように補償の対象となるよう方針が変更された。「世論から差別ではないか、などと批判が相次ぎ見直した格好」(民放政治部記者)というが、果たしてこれで本当に困っている人々に金が行き渡るのか。 非常事態宣言に伴う休業要請とは別に追加で休業を求められている、いわゆる「接待を伴う飲食店」に分類される東京都港区のクラブオーナー・Hさん(50代)は言う。 「補償の門戸を広くしてくれたことには感謝します。水商売にとっては1~2月は閑散期、3~4月の歓送迎会シーズンを楽しみに待っていたらこれでしょ。近くの店のスタッフから陽性患者が出たこともあり、うちも3月終わりから休業中。基本的には、歩合、出ただけ給与がもらえるシステムですから、その収入に準じて補償がなされるのかは不透明。そもそも、それが給付なのか補助なのか、借金なのか、よくわからないけども、それでも、制度自体はありがたい」(Hさん) 補償と一括りに行っても、子供の休校に伴う給与補償、そして休業を余儀なくされた業種従事者への雇用調整など、受け取る側の事情に応じて用意されてはいる。ただ、自分自身がどの属性なのか、正直わかっていない人も多い実情。いずれにせよ。一時的にでも、どんな形でも金を受け取れるという事実は、歓迎されている。 とはいうものの、不満もある。 「いまだに”水商売=暴力団”というイメージで、厚労省が我々を説明したことです。確かに昔は関係がありました。しかし、お上が厳しくとりしまったおかげで、私の周囲の店で、暴力団が運営している、関係しているところはほとんどない。普通の会社としてやっているんです。さらにいえば、賃金補償額が1日上限8330円。これじゃアルバイトと変わらない。バカにしている金額だし、すでに売り上げの下がっていた二月分の給与もベースに換算されると、その少ない金額の満額を手にできない可能性すらあります」(Hさん)東京・新宿の歌舞伎町(ゲッティイメージズ) 「風俗業」が補償対象に含まれた現状でも、なお不満は残る。しかし、本田さんの店で働く女性たちに幾らかでも出るなら甘んじて受け入れるつもりだという。一方「風俗業」というものの現実が全く反映されていない、そう話すのは都内の複数店舗を展開するグループ関係者・M氏だ。 「偏見でもなんでもなく、夜の世界で働く人々には様々な事情があり、この世界でしか働くことができない、という方も多い、たった1~2日でも仕事を休むと生活が困窮するというパターンも少なくない。実際に補償金や給付が行われるまで数ヶ月かかるとなると、その間に生活は立ち行かなくなる。すでに生活が行き詰まっている人がいるというのに、あまりに現実を見ていません」(M氏)本当に「自業自得」なのか さらに深刻なリアルを語ってくれたのは、千葉県内で営業する店舗の関係者・S氏。 「様々な事情で、昼の仕事や表立った仕事ができなくなり、こっち(の業界)で働いている女性、ママはたくさんいます。離婚したDV夫に借金を背負わされて…という人も本当にいて、そういう人が、グレーなところで、なんとか日銭を稼ぎなら子育てをしている。申告や納税がおろそかになっているパターンもあり、こういった人々は収入を証明しづらく、当然、給付や助成対象にはなりづらいでしょう。しかしそもそも、国や福祉から見捨てられ、生活保護も受けられないからこそグレーな世界で働くしかなくなったという経緯を、役人は知ろうともしない」(S氏) 補償や給付、助成金の支払いに関して、政府は「支払う」とはいっているものの、その対象の決定でさえ二転三転し、実際にどのようなプロセスを経てどれくらいの期間で国民の元に現金が行き渡るのか、いまだにはっきりしない。すみやかな給付を求める国民の声に、政府は「どうやったら給付できるか」というより「給付できない理由」を並べ立てるばかりで、ネット上では「ドケチ政府」などとも揶揄される。多少の貯蓄があれば、こうした動きについて、イライラしながらもまだ冷静に見てはいられるかもしれない一方で、切羽詰まった人たちはすでに行動に移し始めている。 「グレーな店舗で働いていたり、納税申告などを行ってない水商売従事者たちが、すでにネットを使った商売に走っている。感染を抑制するどころか、拡大させかねない。平時なら、なんとか踏みとどまっていた一線を簡単に超え始めています。コロナ感染の危険性が高まることはおろか、治安の悪化だって懸念される」(S氏) これでもまだ、こうした女性たちの自業自得だ、という声が聞こえてきそうではある。しかし、彼女たちは結局、様々な事情から生活しづらくなり、さらに福祉に見捨てられた人々が多い。それでも、なんとか他人に迷惑をかけまい、そして子供をしっかり育てていきたいと歯を食いしばっていきてきた人たちである。申告や納税の部分が疎かになっていた事実はあろう。だが、福祉の恩恵という一般人とってはあって当たり前の見返りを受けられなかったこそ、そうした生活をせざるを得なくなったという現実を見ずに批判するのは、あまりに残酷だ。 「政府が言う基準に当てはまる人って、要は低賃金で長時間働いている非正規労働者だけ。中流、上流の人たちには関係のない話だし、ここにきて、奴隷に当てはまらない人たちは切り捨て。国民一人一人に等しく給付が行われるならまだしも、選別が行われている」(S氏) 非常事態にこそ、人間の本当の姿が見えるというもの。人間として日本人として、そして隣人として接してきた人たちに、誰がどのような応じ方をしているのかが視覚化できるようにもなった。ウイルスのおかげで化けの皮がはがれ始めたのは政府であり、私たち国民だ。 ふだん、水商売で大金を儲けているのだから、それに比べて今回の損害は小さいのではないかと思う向きもあるだろう。だが、メディアに出てくるような派手で華やかな生活を本当に送っている当事者は、ごく一握りだ。誰もがきらびやかに見えるかもしれないが、会社勤めだったら負担してもらえる必要な備品、たとえばドレスやヘアメイクなどについても自腹であるのが普通だ。大半が、実は普通の会社勤めと変わらないか、それより厳しい懐事情である場合が多い。きらびやかな格好は仕事のため、サラリーマンがスーツにネクタイを締めて会社に行くことと同じなのだ。 それでも、納税も満足にできない人たちへの給付は納得がいかないという人たちがいる。だが、今回の給付の目的は、感染症拡大を防ぐ公衆衛生の問題だ。そのためには、すべての人の生活を安定させることが重要だ。もし、明らかに不利な人が一定数、発生してしまうと、切羽詰まった彼らが生きるために非合法な手段をとりかねない。もしこのことをきっかけに貧富の差が固定化してしまうと、社会の安定、ひいては安全保障上のリスクになる可能性もある。 目先の金銭の分配を回避することで、より大きなもの、公衆衛生の維持や、社会の安定を手放すことになるのだということを、忘れてはいけない。関連記事■志村けんさん 「オレの子供を産んでくれ」と頼んだ女性■若手声優との結婚を夢見る45歳「子供部屋おじさん」の末路■志村けんさん、子供を授かっていた過去「共演したかった…」■桐谷まつりが実践する「正しい手の洗い方」と「業界の対策」■ストリッパーになった名物書店員・新井さん 「楽になった」自業自得

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    対コロナでどうなる?アフリカを覆い尽くす中国の「アメ」と「ムチ」

    下村靖樹(フリージャーナリスト) 4月半ば、中国・広州で新型コロナウイルスに関連して、アフリカ人差別が広がっていると、世界各国のメディアで取り上げられた。 ことの発端は、アフリカ系であることを理由にレストランなどへの入店を拒否されたり、アパートを追い出され、路上生活を強いられているという、アフリカ系住民や留学生が助けを求める動画だった。中国メディアによれば、ナイジェリア人1人が新型コロナウイルスの検査から逃れるため、地元病院の看護師にけがを負わせたうえ、逃亡した事件が引き金になったそうだ。 ウイルス鎮圧に力を入れている広州では、外国から持ち込まれるウイルスが第2波の引き金となることを警戒しており、外国人に対する検査を強化している。特に、アフリカ諸国を母国とする人は国外渡航の有無にかかわらず、約4500人全員が検査を強要されていたという。 動画は多くのメディアでセンセーショナルに取り上げられたり、会員制交流サイト(SNS)経由で広く拡散し、アフリカの著名人が「救出に向かう」と声明を出すなど、世界的に大きな問題となった。その結果、店頭に「アフリカ系お断り」の張り紙をしていたマクドナルドが謝罪したり、中国政府の駐アフリカ連合(AU)大使の謝罪がAUに掲出される事態になった。 一方のアフリカでも、アフリカ大陸で感染者が報告された直後から、東洋人への差別行為が伝えられた。アジア人女性が現地の人々に侮蔑される動画が投稿されたり、東洋人に対してタクシーから乗車拒否を受けた。日本人を含む多くの東洋人が、街中で「コロナ、コロナ」と罵声を浴びせられたようだ。 現在は都市封鎖(ロックダウン)中の国が多く、トラブルはあまり発生していないようだが、アジア人に対する偏見に留意するよう注意喚起を出している在外公館もある。 迫害に関わっていた人物が逮捕されるなどして、公的な非難こそ止んでいる。ただ、市民レベルでは、コンゴ人の父と中国人の母を持つ中国在住の有名ブロガーのウェブサイトに「アフリカに帰れ」というような誹謗中傷が殺到するなど、未だ沈静化したとはいえない状況だ。中国広東省広州市で、マスクをして地下鉄に乗る乗客=2020年2月(共同) アフリカで初めて新型コロナウイルス感染者が確認されたのはエジプトで、2月14日のことだった。以降、他の地域よりは緩やかであるものの、感染者数は増え続け、4月19日時点で、全54カ国の感染者は2万1317人、死者1080人、回復者5203人となっている(レソトとコモロでは感染者ゼロ)。 医療システムや社会基盤が脆弱(ぜいじゃく)なアフリカ諸国の反応は素早かった。感染拡大が懸念され始めた3月下旬には、多くの国が物資の運搬を除き国境を閉鎖し、軍や警察の管理の下、ロックダウンや夜間外出禁止令を出すなど、人の移動を制限した。 他方で、医療物資の不足は深刻で、世界各国に支援を求めることとなった。その声に応えたのが、中国の電子商取引(EC)最大手、アリババグループ創業者の馬雲(ジャック・マー)氏で、エチオピア経由でアフリカ54カ国に送付すると表明した。エチオピアとの「蜜月」 早速3月22日には、エチオピアのアビー首相がツイッターで、検査キット110万セット、マスク600万枚、防護服6万枚が届いたことを明らかにした。4月6日にも、呼吸器500台、防護服20万枚、フェイスシールド20万個、非接触型体温計2千個、検査キット100万セット、手袋50万枚がアリババグループから送られたことが馬氏のツイッターで報告され、4月20日には第3弾の送付も発表された。 エチオピアは、米国のトランプ大統領をはじめ、中国に忖度(そんたく)したことで初期対応を誤ったと非難されている世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長の母国でもある。 エチオピアの正式国名はエチオピア連邦民主共和国といい、前身は1270年から約700年続いたエチオピア帝国だ。政変によりその後、社会主義エチオピア、エチオピア人民民主共和国、エチオピアと変遷し、1995年に現在の国名となった。 厳密に言えば、1936~41年はイタリア統治下にあったが、アフリカで唯一植民地化されたことがない国とも言われ、国民も非常にそれを誇りにしている。 中国との関係は1970年、エチオピア帝国時代の国交樹立に始まった。その後、中ソ対立の影響を受けて、一時疎遠になることもあったが、国内の道路や発電所、ダムなどさまざまなインフラや、約2億米ドルの総工費を中国が全額負担し、首都アジスアベバにAU本部を建設するなど、幅広い分野で中国からの支援を受け続けている。 2000年に北京で始まったアフリカ各国の首脳級が参加する「中国・アフリカ協力フォーラム」(FOCAC)でも、2003年に行われた第2回開催地として選ばれた。このように、中国のアフリカ政策におけるエチオピアの重要性が明確になった。 資源確保の面でも、エチオピアの地理的重要性は非常に高い。同国が国境を接しているのは、スーダン、南スーダン、ケニア、ジブチ、ソマリア、エリトリアに、国際的にはソマリアの一部であるものの、実質的には独立国家状態のソマリランドを加えた7カ国だ。 このうち、比較的政情が安定しているのはケニアとジブチだけであり、内陸国であるスーダンや南スーダンから港まで資源を運ぶためにはエチオピアの安定と発展が不可欠なのだ。エチオピアの首都アジスアベバにあるアフリカ連合(AU)本部(ゲッティイメージズ) その一方で、国の借金である対外債務の17%を中国が占め、中国からの輸入25億3800万米ドルに対し、輸出は3億450万米ドルにとどまり、21億9300万米ドル(約2412億円)の輸入超過となっている。今回の新型コロナウイルスへの対応においても、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)に160万米ドルの支援を要求している。 先日、国連食糧農業機関(FAO)は、1カ月ほど前に東アフリカ一帯に大被害を与えたサバクトビバッタによる蝗害(こうがい)の第2波発生が予測されると警告した。被害地域では、約2千万人が既に深刻な食糧危機の状況にあるが、専門家によると、第1波の20倍の規模に達する可能性があるという。伸び悩む日本のプレゼンス 新型コロナウイルスによる経済活動の停滞に加え、国間の移動が制限されている現状では、大規模な飢饉(ききん)が発生すると、エチオピアを含む東アフリカ地域の安定が大きく崩れてしまうかもしれない。 アフリカにおける中国の影響力を顕著に現しているのは貿易額だろう。国連統計部のデータによると、1992年から中国におけるアフリカ諸国との輸出入額は以下の通りになる。輸入1992年 4億9千万ドル(617億円)2018年 803億4千万ドル(8兆3300億円)輸出1992年 12億6千万ドル(1587億6千万円)2018年 1049億5千万ドル(11兆5445億円)※1992年は1ドル=126円、2018年は1ドル=110円で算出 データが残っている1992年からの26年間で、輸入は約164倍、輸出も約83倍にまで激増した。当然、輸入決済通貨を徐々に米ドルから人民元に切り替えつつあるという。 日本は中国に先んじて、1993年にアフリカ諸国との間で初のアフリカ開発会議(TICAD)を開始した。アフリカにおける日本のプレゼンスを高めたものの、貿易面では完全に伸び悩んでいる。輸入1992年 8578億円2018年 9913億円(約1・2倍)輸出1992年 4616億円2018年 9001億円(約1・9倍) 影響力の拡大は経済面だけでなく、多岐にわたる。 ソマリア沖海賊の脅威に対応するため自衛隊も拠点を置いている東アフリカのジブチに、2017年、中国が初の海外軍事基地を置いたことは記憶に新しい。その背景には、国連平和維持活動(PKO)として常時2千人以上の要員を配置するなど、国連安全保障理事会の常任理事国で最大の兵力拠出国であり、「アフリカの平和と安定を守る」と公言していることも大義名分になっている。第7回アフリカ開発会議(TICAD)昼食会を兼ねて開かれた「西インド洋における協力特別会合」であいさつする河野太郎外相(奥右から2人目)=2019年8月、横浜市内のホテル(代表撮影) 他方、武器貿易においても、中国の存在感は増している。米戦略国際問題研究所(CSIS)によると、2008年以降のアフリカへの武器輸出額はロシアと米国に次ぐ3位で、約32億米ドル(3520億円)となっている。 ソフト面においても、軍関係者からの支持を得るための根回しは広く行き渡っている。将校以上の軍人を自国に招き、数カ月にわたり研修の場を提供するなど、その影響力を強めている。デジタルでも進む中国の「道」 政情不安な国が多いアフリカにおいて、政治家はクーデターなどで退場するが、クーデターを起こすのは軍人であり、その中心にいるのは必ず将校以上の軍人だ。つまり、軍内部に広いパイプがあれば、たとえ政権が変わっても引き続き影響を持ち続ける事ができるのだ。 中国による、アフリカ各国を鉄道網や高速道路で繋ぐ計画も進行中だが、インフラ面で現在最も進んでいるのは「海上のシルクロード」の要となる港湾への影響拡大だろう。CSISによると、既にケニア、タンザニア、モザンビーク、アンゴラ、ナイジェリアなど20カ国以上の46の港湾で、資金提供・建設・運営などの影響力を持ち、米国は現状に危機感を募らせているという。 また、発展途上国に光ファイバーネットワークを確立する「デジタル・シルクロード」構想も進んでいる。 先鋒を担っているのは、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)だ。海底光ファイバーの敷設だけでなく、第4世代(4G)移動通信システムネットワークの設置や「スマートシティー」への取り組み、今年に入ってからは南アフリカなどで5Gの運用も始めている。 年平均10%以上と大きく伸びるアフリカのスマートフォン市場でも、中国の存在は大きい。ローエンド(低価格帯)のスマホを充実させることで支持を得て、シェア1位のテクノ(伝音控股、トランシオン)(20%)と4位ファーウェイ(9%)だけで、市場の29%を占めている。 コンテンツの分野でも、大手メディアの四達時代(スタータイムス)がアフリカ30カ国以上に展開し、月額2千円程度で、地上デジタルと衛星のテレビサービスを2600万人のユーザーに提供している。放送されている番組は他のケーブルテレビ同様、欧州サッカーなどの人気コンテンツだ。もちろん、中国で制作されたドラマやニュースもある。 スタータイムスはハード面でも、アナログテレビからデジタルテレビに切り替える国や放送局に技術を提供するとともに、貧困層の多い農村部からも衛星放送にアクセスさせるプロジェクト「Access to satellite TV for 10,000 African villages」を行っている。その目的は農村地域における情報格差(デジタル・デバイド)を減らすことだ。 一方で、自由と民主主義を監視する国際非政府組織(NGO)フリーダムハウスからは、体制側による言論統制やインターネットへの接続制限などネット上の自由を脅かすノウハウを、中国がアフリカ諸国に提供していると非難されている。会談前に握手する中国の習近平国家主席(右)とWHOのテドロス事務局長=2020年1月、北京の人民大会堂(共同) サイバーセキュリティーとネットのガバナンスを監視するNGO、ネットブロックスによると、体制側によると思われるネットへの接続制限・遮断が行われたという。昨年はアルジェリア、エジプト、スーダン、エチオピアなど10カ国で、今年に入ってからもトーゴとギニアの選挙前に実施されたと報告されている。 これらの事件に対する関与の有無は不明だが、アフリカで流れるデジタル情報の根幹を、中国が担っていることは間違いない。中国関与で分かれる「三層」 中国とアフリカの関係性が深まるとともに、アフリカに移住する中国人も増え続け、現在は100万人に達したともいわれている。中国製品と中国人がアフリカの人々の生活に関わる度合いが増すことで、そのイメージが大きく三つに分かれてきたように感じる。 一つは政治家や富裕層、高級軍人のように、さまざまなメリットを享受できる「高支持層」。続いて、生活インフラの充実や日常生活で「メイド・イン・チャイナ」の恩恵を被る「中庸層」。そして、中国人労働者に仕事を奪われたことで反感を持つ「反発層」だ。 私が体感的にその変化を感じたのは、街中で見知らぬ人から投げかけられる、あいさつともからかいともとれる言葉だ。東洋人といえばカンフー映画、のイメージが強かった1990年代では、どの国でも決まって「ジャッキー(ジャッキー・チェン)」と声をかけられた。 2000年ぐらいからは「ナカタ」「ナカムラ」、2010年代になると「カガワ」「ホンダ」と、欧州のビッグクラブでプレーする日本人サッカー選手の名前が続いた。 ところが、2000年代半ばころから「チャイナ」と声をかけられることも増えてきた。そして、2010年を過ぎたころから「チーノ」という言葉を聞くようになった。 チーノという言葉には、中国人を含む東洋人を侮蔑する意味合いが含まれる。特に、大人が使う際には悪意が込められているケースが多い。 私の友人にも2000年代は中国を絶賛していたが、その後政府要人と癒着した中国企業に仕事を奪われ、さらに中国本土に発注した商品が代金を振り込んでも届かず、「反中国」に変わった者がいる。そんな反発層の不満が一気に爆発し、アフリカ人の声として世界に届けられることになったのが、今回のアフリカ人差別問題だろう。 新型コロナウイルス発生前まで、2020年のアフリカの経済成長率は4%を越えると予想されていたが、国境閉鎖や経済活動の停止などで大きく下回る可能性が高い。終息するタイミングによっては、数年間停滞が続くかもしれない。 それでもなお、人口中位年齢19・7歳、2050年には人口25億人に達するといわれるアフリカは、中国にとって今後も成長が見込めるマーケットでもあり、安定した資源の確保先としても重要視され続けるだろう。そして、そのためには、反発層を始めとする反中感情をいかにコントロールするのかが、ポイントになってくる。南アフリカのケープタウンで、食事の配給に並ぶ子どもたち=2020年4月21日(AP=共同) 新型コロナウイルスの影響で、大きな痛手を被ると予想されるアフリカ諸国。既に、多くの国は政治、経済、物流、情報、軍事、あらゆる分野に中国の影響を色濃く受けている。 もしも、中国が、今回のアフリカ人差別で露呈した反中の声をかき消すほどの支援を行うのであれば、「アフターコロナ」の世界において、アフリカは中国の独壇場になるだろう。アフリカに向けて打たれる次の一手が、アメかムチか、その対応が注目される。

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    「#検察庁法改正案に抗議します」にかまける与野党の愚策

    で、一部の議員から補正予算の予備費を多額に積み上げておくという意見を拝聴したが、いい提案だと思う。 新型コロナウイルスは不確実性の大きな疫学的現象である。比喩で言えば、明日は晴れかどしゃぶりの雨か、確率が分からない事象だ。この場合は、暑さ対策グッズも雨具も両方詰められる大きめのバッグを用意するのが望ましい。国会内で会談に臨む立憲民主党の安住淳国対委員長(左)と自民党の森山裕国対委員長=2020年4月9日(春名中撮影) このように、予備費を積み上げておけば、臨機応変に不確実性と闘える。それも総額が多ければ多いほど望ましい。政府に「白紙委任」を出すという意見もあるかもしれないが、使途を新型コロナ危機の経済対策に限定すれば、与野党の合意も得やすいだろう。 もちろん、感染期間中は継続して支払われる定額給付金、劣後ローンの構築、家賃モラトリアム(支払猶予)、消費減税など採用すべき経済政策は無数にある。今回はこの予備費活用を、特に注目すべき政策オプションとして紹介した次第である。このような新型コロナ危機に立ち向かうハッシュタグの方がよほど広まってほしい、と筆者は願っている。

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    変わる価値観、コロナ不安で人々が見るナショナリズムの奇妙な夢

    清義明(フリーライター) 新型コロナウイルスの猛威に、アメリカがなす術もなく翻弄(ほんろう)されている。 そのアメリカでちょっとした話題になっていることがある。人がこぞって奇妙な夢を見るというのだ。フェイスブックやツイッター上で、さまざまな人がこの夢について触れている。「あなたは、最近奇妙な夢を見ることはないですか?」と。 この夢を多くの人が見る原因として、新型コロナウイルスによるさまざまな不安に由来するのは間違いない。アメリカの新聞社であるニューヨーク・タイムズは、新型コロナウイルスの恐怖を「心的外傷後ストレス障害(PTSD)というまでのものではない」としながら、夢で過剰に不安にならないように注意を促している。 自分が見る夢をわざわざソーシャルネットワークのような場で書いているのは、その夢の内容そのものよりも、その夢を見る不安感を共有してなんとか安心を得たいということなのだろう。 確かに非現実的で不安な世界であろう。ついこの間までアジア人、とりわけ日本人の奇妙な風習とされてきたマスクが推奨され、核戦争後のシェルターに閉じこもるように自宅待機が義務付けられているのが、現在のアメリカだ。 そしてこの事態を招いたのは核戦争でもテロリストでもなく、SFXの巨大生物や宇宙人のUFO、襲い掛かるゾンビの群れたちでもない。 目に見えない何かがいて、そのために街はパニックに陥っている。ドナルド・トランプ大統領は「これは戦争だ」と呼びかけるが、その敵は肉眼では不可視で、どこにいるかも分からないウイルスなのだ。 1980年に世界保健機関(WHO)が天然痘の根絶を宣言してからというもの、先進国では伝染病は発展途上国の貧困に由来するものか、または遠いアジアの風土病を意味した。 76年のアメリカ発の豚インフルエンザ騒動はこの楽観論に拍車をかけた。ニュージャージー州フォートディクスの兵士の間で発病したといわれる新型インフルエンザは、約50年前のスペイン風邪のようなパンデミック(世界的大流行)を引き起こすと恐れられた。だが大規模な医療対応を実施したにもかかわらず、あまり被害が出なかった上に、逆にその対応のデメリットばかり注目されてしまった。 2千万人以上といわれる死者を出した「スペイン風邪」のパニックの再来を恐れた当時のジェラルド・フォード大統領は、アメリカに根強くあった反ワクチン派の反対を押し切り、国内のアメリカ人を対象に数億ドルにのぼる経費をかけてワクチン接種を行った。これにより、最終的に約4千万人がワクチンの接種を受けたとされる。アメリカのフォード大統領と田中角栄首相(左)の1回目の首脳会談=1974年11月 しかし、不幸なことに末梢(まっしょう)神経系に入り込んで四肢に麻痺(まひ)が生じる「ギランバレー症候群」という副作用被害が続出してしまい、アメリカ各地で薬害訴訟が立て続けに出された。そして、この新型インフルエンザによる死者は結局のところ、最初に罹患(りかん)した1人の兵士のみという結果となった。 これにより、疾病予防管理センター(CDC)のトップは解任を言い渡された。その現場はテレビ局にスクープされ、その哀れな姿が全土で放映されることとなった。そして同年の大統領選で、フォード大統領は無名と言われたジョージア州知事のジミー・カーター氏に僅差で敗れ去ることになる。感染症対策は政治家の責任 97年に鳥インフルエンザが発生したときも、世界はなんとかこれを乗り切った。その後に続いた重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)も同様だった。アメリカが伝染病で最も被害を受けたのは80年代に猛威を振るったエイズだったが、不特定多数の性交渉をする者を中心に犠牲が広がったため、まだ他人事(ひとごと)でいられた人が大半だった。そして、そのエイズも、治療薬の開発で現在では命を落とすことはほとんどなくなった。 だが、疫学者は必ず、アメリカのみならず全世界を危機に陥らせる新しい伝染病の災禍がやってくると警告していた。しかし、トランプ政権に至っては、2018年に国家安全保障会議(NSC)から感染症対策担当を外していた。 さりとて、この油断は日本でも変わらない。 日本では、2009年の豚インフルエンザのパンデミックが東アジアの国々と比べ、大きな被害を出さなかったことが油断を招いたといえる。21世紀になってから徐々に姿を垣間見せていた新型インフルエンザの脅威は、当然ながら疫学者や政府の間では認識されていた。 今年4月15日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の記者会見で、北海道大の西浦博教授は「今後の対策が進まなければ、40万人程度の死者が出る」とのシミュレーション数値を発表し、大きな話題となった。 だが、これら新型ウイルスによるパンデミックでは、この規模の死者が出ることは既に10年以上前から想定されていたことであった。そして、その来るべき有事には、人工呼吸器も集中治療室(ICU)のベッドも、おそらく防護服や医療用マスクも足りないし、肝心要の医師も不足することは分かっていたのである。 このような伝染病対策を統括するのは厚生労働省だが、実際の準備は各都道府県に責任がある。09年に厚労相だった、前東京都知事の舛添要一氏が、今しきりに新型インフルエンザ対策と政権批判を繰り返しているが、過去の舛添氏の経歴を知っている者には何をかいわんやの話である。新型インフルエンザ対策で会見する舛添要一厚労相=2009年8月27日、厚労省 舛添氏は09年の豚インフルエンザのパンデミック時に、これから防疫対策を進めようというところで、専門家の見解と前置きしながらも「新型インフルエンザは季節性と変わらない」と記者会見で説明してしまった。 幸いなことに、11年前のパンデミックは大きな事態にはならなかったが、そんなことがあったことすら忘れている人も多いだろう。逆転した政治スタンス 09年の新型インフルエンザは大事に至らなかったものの、今後はいつアウトブレイク(感染症の突発的発生)してもおかしくない事態にあるという関係者の危機感により、12年に「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の成立にこぎつけた。 だが一方で、医療機器や医師の動員体制をはじめ、肝心なことは一向に進んでいなかった。繰り返すが、この第一義的な責任は各都道府県にある。舛添氏も14~16年は東京都知事であった。 08年に大阪府知事となった橋下徹氏と日本維新の会は、財政改革のためとして医療施設や救急医療への支援を徹底的に削減した。新型ウイルス対策などは、ことさら進んでいなかっただろう。 橋下氏から維新代表を引き継いだ大阪市の松井一郎市長は医療現場で防護服が足りないため、代用品と称して雨がっぱの寄付を市民に呼びかけた。だが、そもそも防護服が足りない状況をつくったのはいったい誰なのか、分かっているのだろうか。 それでも、維新は立憲民主党を世論調査で追い抜いた。また、つい先日まで五輪の強行開催を主張していた東京都の小池百合子知事が世論の風を受けて東京のロックダウン(都市封鎖)を主張し、手際よい感染対策と見事なプレゼンテーション能力のおかげで一挙に評価が高まった。 人々が何をどうしていいか分からずに不安と混乱に陥ったとき、大向こうを相手にした明晰(めいせき)な言葉、とりわけ批判と断言は多くの人に響くものである。新型コロナウイルス感染に関し、記者会見する東京都の小池百合子知事=2020年3月25日、東京都庁 一方で、安倍政権は火だるまだ。安倍晋三首相は戦時の宰相ではなく、むしろリーダーシップに欠けたために国民を未曽有の災禍に巻き込んだ近衛文麿のようだと、これまでの支持層からも批判の声が浴びせられている。 けれども、私は安倍首相に極めて同情的だ。おそらく東日本大震災のときと同じように、誰がやっても混乱は起きただろう。 そして、日本でリベラルと言われる人々は、これまで自分たちがこぞって反対してきた国家による強権的な措置を望んでいる。一方安倍政権は、経済的な混乱はウイルスよりも大きな被害を生み出すと懸念し、経済活動や私権の制限に慎重であり続けている。政治的なスタンスが全く逆転しているのだ。台湾と韓国にあって、日本にないもの なお、世界でも先進的とされてきた日本の医療行政は、化けの皮が剝がされたかのように、もっぱら世界から非難されている。韓国や台湾といった東アジアの国々と比べて、後れをとったと見なされている。あたかも地軸がズレ始めているようだ。 だが、よくよく考えてもみると、韓国や台湾はもともと「分断国家」で、準戦時体制の国である。韓国では徴兵制が敷かれ、18年に志願制に移行した台湾でも4カ月の訓練義務が課されていて、緊急時には私権やプライバシーの自由を厳格に制限することが可能である。 衛星利用測位システム(GPS)を使った個人の行動管理や、国民身分証による番号管理でマスクの配布ができるのは、非常時に国民統制ができる仕組みが元から整備されているからだ。 マイナンバー一つで大きな議論となり、プライバシーの侵害に敏感な日本で、この新型コロナウイルスのパンデミック前に同じような仕組みが議論されていたら、まず間違いなく批判されていただろう。 一方の韓国では、医師までもが徴兵制に基づく動員が行われている。防疫に対する手際のよさは、日本と違ってSARSやMERSを体験し、その失敗の教訓があったことに加え、北朝鮮を想定したバイオテロ対策も背景にあるのではないかと思う。なお、韓国では、平時でも国境沿いの防疫対策を韓国軍が担当している。 政治学者のカール・シュミットは、法が成立する前提には「例外状態」と言われる「無秩序」が必要になるという。法ができるのは、決して理性や真理などではなく、そのような「無秩序」が集団を存亡の危機に陥らせることが条件になるということだ。 台湾と韓国はそのような混乱を経て、その戦時動員体制を解かぬままに、80~90年代に民主化していった国家である。ここでは、リベラル層が「そのような戦時体制」を担保するナショナリズムに、むしろ積極的な役割を果たしてきた。初の直接選挙による台湾総統選で当選を決め、台北の選挙本部前の特設ステージで夫人とともに支持者に手を振る李登輝総統=1996年 「日本が今のような自由と民主主義の国となったのは、敗戦によってアメリカに与えられたもの」という理解は、事あるごとに歴史認識で見解をぶつけ合う左右両派でも異論はないはずである。 シュミットは、原初的で無秩序な例外状態から独裁的な権力が「決断」をして法が成立すると考えた。戦後日本にとって、この独裁的な権力とはアメリカであった。 そこでは、過去の戦争体験は破棄すべき思想とされた。一方で韓国や台湾には、現在でも身近に迫る「分断国家」の危機を背景に、国民に広く同意されたナショナリズムがある。ナショナリズムの夢 最近、世界では「アフターコロナ」という今後の政治や経済の変動が予測されているが、間違いなく行き過ぎた「新自由主義」的な価値観が是正されるだろう。日本では小泉政権から急加速した「市場に委ねることが善であり万能である」という価値観が、時に悲劇を招くのはもう誰が言わなくとも分かることだ。 無駄と言われ、病床や保健所を削減されてきた現在の医療現場の現状が全てを語っている。今後間違いなく、社会民主主義的な価値観が再び浮上するに違いない。 それと同時に、日本でも「韓国や台湾のようなリベラルなナショナリズムにたどり着くには、どのようにしたらよいか」という命題が問われることになる。特に、これは日本のリベラルの課題であろう。 ともすれば、偏狭さと排外性に堕したナショナリズムの「悪の面」に、どう世界が触れていくかは、予想が難しい。 伝染病は国境をいくら厳格に管理してもやってくる。だからこそ、未開社会の部族は伝染病を恐れ、部族間の交流を拒否し孤立して生きている。 だが、伝染病の猛威から隔絶されてきたアメリカ大陸の文明や原住民たちは、むしろそれがために滅亡していった。猛威を振るう天然痘やペスト、インフルエンザなどの疫病に対する免疫をもっていたスペイン人は、伝染病にかからないということが軍事力以上に決定的な優位性であったのだ。 「無菌の世界を想定することは、危険思想であると同時に愚人の戯言(たわごと)だ」とは、フランス出身の細菌学者であるルネ・デュポスの言葉である。人間が生物である以上、その食物連鎖のエコシステムから逃れることはできない。 この新型コロナウイルスをきっかけに、グローバルな存在である伝染病に対抗するためナショナリズムの在り方に再考のときが訪れているように思える。私たちは、むしろナショナリズムの向こうに、今一度「国際協調」と「万民の平和」を構想できないだろうか。※写真はイメージ(GettyImages) もしそうしなければ、人類はこの古くて新しい敵には勝つことができないであろう。 イマヌエル・カントは「永遠の平和というものを構想するとすれば、国家が廃絶して世界共和国のようなものができるよりも先に、まずは個別の国家を最善に近づけることが現実的には必要だ」と説いた。まずもって純粋実践理性の国とその正義を求めて努力せよ。そうすれば汝(なんじ)の目的はおのずからかなえられるであろう。『永遠平和のために』 なおシュミットはカントの批判者である。カントの平和主義的リベラルを偽善的として退け、政治とは「敵と味方」が発生することから始まるとした。しかしそれならば、伝染病を世界の新たな共通の敵として位置づけることはできないか。 私は最近、そのような奇妙なナショナリズムを夢見ている。みなさんは果たして、どのような夢を見るだろうか。

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    コロナ戦争新フェーズ、政府と企業が陥る「二正面作戦」の罠

    日まで延長されることになった。延長となったことの総括、延長を解除する基準などの道筋は示されなかった。新型コロナウイルス封じ込めの闘いでどの時点にいるのか。どうすれば次のステップに進めるのか。「見える化」はなかった。 安倍晋三首相が、緊急事態宣言延長の記者会見で使ったキーワードは「新しい生活様式」というものだった。「私たちは新型コロナとの長期戦を覚悟する必要がある」としたうえで、「新型コロナ時代の新たな日常を国民の皆さまとつくり上げていく」、と。 意味するところは分かりにくいものだったが、その眼目は「新型コロナを前提に…」という「新しい生活様式」の提示にあった。新型コロナウイルスの封じ込めによる終息を目指したが、それは実現できていない。いわば、その現実をのみ込んで、新型コロナウイルスとある程度の共存を前提とする「新しい生活様式」で経済活動の再開を目指そうというメッセージにほかならなかった。 4月には、収入大幅減世帯に30万円の支給案が打ち出され、その後に国民1人当たり10万円支給に変更された。その時点ですでに「逐次投入」「小出し」という議論があった。 今回は新型コロナウイルスという存在を前提として闘いながら、経済活動再開を実行するということになる。なし崩しで「二正面作戦」に移行したようなものである。新型コロナウイルスとの闘いでいえば、戦略を転換・変更したことに等しい。重要な転換と思われるが、その判断のベースになる総括のようなものはなかった。新型コロナウイルス感染症対策本部で緊急事態宣言の延長を表明する安倍晋三首相(手前から2人目)=2020年5月4日、首相官邸(春名中撮影) 「二正面作戦」は本来的には戦力に余裕のある者しか使えない戦法だ。二兎を追うわけだから、一兎も得ずという可能性がある。今川義元の桶狭間では、織田信長の尾張攻略なのか、上洛なのか、曖昧(あいまい)な戦略目標が敗因とされている。ミッドウェー作戦では、アメリカ空母殲滅(せんめつ)なのか、ミッドウェー島攻略なのか、これも曖昧さが敗因となっている。 このように「二正面作戦」はリスクをはらんでいる。むしろ基本的には採用してはならない闘い方だ。戦略・戦術の手順が曖昧になる。なし崩しで「二正面作戦」に踏み切って、新型コロナウイルスの第2波などのぶり返しで想定を超える長期戦を強いられれば、時間のみならずカネ(税金)をやたらと食うことになりかねない。新フェーズのコロナ対策 新型コロナウイルスという第一の敵を封じ込めることに一点集中して終息のメドをつける。その後に経済活動再開をスタートさせる。この手順でいくことができれば、カネ(税金)も時間も省ける「クライシスマネジメント(危機管理)」が追求できたかもしれない。 いわば「各個撃破」があるべき手法なのだが、それは採用することができなかった。その点では、「二正面作戦」はやや迷走に近い戦略転換になりかねない。ともあれ、日本型のコロナウイルス封じ込め戦略は、否応もなく新しいフェーズに移行した。 ところで日本の経済・企業サイドの緊急事態宣言への対応だが、この否応もない新しいフェーズとはまるでシンクロしている。どちらが因でどちらが果なのか、奇妙なことに相呼応している。政策とは恐ろしいものである。経済・企業サイドは、今の新型コロナウイルスの存在を前提とした経済活動再開という「新しい生活様式」に寄り添った行動をとっている。 経済・企業サイドでいえば、東京都の都心部、すなわち東京丸の内、銀座、新宿、渋谷、池袋、品川などの出勤者は70~80%減になってはいない。東京都心部は各企業の本社部門が集積しているわけで、もちろんテレワークや自宅勤務、時差出勤などが積極的に導入されている。土日など休日はさすがに70~80%減になっている。しかし、平日でいえば出勤者は50~60%減が精一杯という状況とみられる。 売り上げに直結している生産、営業といった現場の直接部門は、一般的にはテレワークになじまない面がある。業態によっては、全社でテレワークを実施し、顧客への営業・サービスや社内会議・打ち合わせまでウェブで実行している企業もある。ただ、現状ではそれはあくまでレアケースでしかない。 ある中堅土木企業では、本社管理部門は「電話番」なのか総務、経理など各部社員が交代で出勤している。大半はテレワーク・自宅勤務ということで管理部門の出勤は大幅減となっている。土木現場は下請けが中心なのだろうが、工事を続行している。現時点では、貴重な売り上げにつながる業務だけに止められない。「3密回避」で工事をしているというが、感染リスクはないとはいえない。 大手ゼネコンは、4月に入ると工事現場から感染者が出たこともあって軒並みに工事中断を指示した。これもある中堅建設関連企業のケースだが、大手ゼネコンがらみの下請け仕事は自動的に中断となった。施主が官公庁という工事も自粛している。だが、自社が受注してきた建設工事は感染防止に留意しながら継続している。社員たちの「3密回避」で分室化、サテライトオフィスを活用している。 一方、ある計測機器関連企業は、工場の生産ラインは従来のままだ。本社も営業、物流など売り上げに関連する部門ではテレワーク導入は行われていない。本社が東京都心部から離れていることもあって時差出勤程度の対応となっている。生活関連のあるサービス業企業では、本社管理部門は自宅勤務を導入したが、顧客へのサービスを担当している直接部門の社員たちは従来通りに接客して勤務している。感染リスクはないとはいえない。これらはコロナ禍でいえばいずれも打撃が少ない企業なのだが、おそらく平均的な緊急事態宣言への対応といえるものである。大型連休が明け、マスク姿で通勤する人たち=2020年5月7日、JR東京駅前 つまり、一般の日本企業の多くは、「3密回避」は最低限の要件だが、新型コロナウイルスへの感染リスクをとりながら、限定的だが売り上げを確保する行動に出ている。すでに新型コロナウイルスという存在を前提にして経済活動をしている。 それはとりもなおさず新型コロナウイルスがぶり返す可能性を残していることを意味している。これでは新型コロナウイルスを封じ込めるのは事実上困難ということになりかねない。最大の「目詰まり」 緊急事態宣言では、休業は命令ではなくあくまで要請である。休業を要請するのは地方自治体で、国は休業に対する補償義務を負わないとしている。企業としては、緊急事態宣言を当然ながら重く受け止めているが、一方で売り上げに直結する部門は少しでも稼働させたいのも事実だ。これは企業としてはサバイバル(生き残り)への本能のようなものだ。生産・販売の現場では多少のリスクを顧みず仕事を続行している面が少なくない。 企業はすでに新型コロナウイルスの存在というリスクを前提に経済活動を行っている。緊急事態宣言は、地方自治体の要請を基本としており、“闇営業”というわけではない。企業も事実上二兎を追っている。結果として、国と企業はともに「二正面作戦」で軌を一つにしている。国も国なら企業も企業だが、これが背に腹は代えられないリアルな実態だ。この現実は緊急事態宣言があくまで要請を基本にしている政策がもたらした因果にほかならない。 ちなみに、緊急事態宣言で売り上げが極限まで低下し、さらにその延長で窮地に追い込まれている企業・産業群はかなり広範囲だ。 新型コロナウイルスに直撃されているのは観光(旅行)、ホテル、エアライン、鉄道、飲食、外食、人材派遣、テーマパーク、芸能エンターテインメント(演劇・演芸・音楽)、イベント、スポーツ、スポーツジム、ヨガ教室、アパレル、百貨店、石油、自動車、自動車部品、電子部品などだ。 国、地方自治体などが社会的に救済しようとしているわけだが、これらの業界の多くからは悲鳴が上がっており、支援がないと持たない。逆に売り上げを伸ばしているのはeコマース通販、スーパーなどだ。 アメリカ、そしてドイツ、フランス、イギリス、イタリアなど世界は多かれ少なかれ新型コロナウイルスの存在を前提にしながら経済活動を再開するのが趨勢(すうせい)とみられる。日本は世界の趨勢を後追いしているわけだが、実態としては後れをとっている状況だ。 国としては、「新しい生活様式」は提案したが、緊急事態宣言延長の解除基準などは明確にしなかった。しかし、吉村洋文大阪府知事が「大阪モデル」として独自の基準を打ち出した。これにより安倍首相も5月14日に「国としての判断を示す」ことに動いた。 国民が求めているのは、「明確なリーダーシップ」のようなものに尽きるのでないか。治療薬では「レムデシベル」が特例承認となった。だが、ワクチンは開発段階だ。何よりもPCR検査が増加していないという「不条理」を依然として抱えている。 安倍首相の指示にもかかわらず、PCR検査は保健所の人的不足などが目詰まりとなって改善されていない。検査数は各国と比べて極端に少ない。PCR検査数の不足が、感染の実態・全容を正確に把握できていると言い切れない状況の根底にある。実態・全容が把握できていれば有効に闘えるはずだ。「索敵」が十分にできていない。新型コロナウイルス封じ込めでどの時点にいるのか。次の段階にいつ移れるのか。先行きは見えない。「目詰まり」というならこれが最大の目詰まりだ。  新型コロナウイルスは人々の命を奪う敵であることにとどまらず、覆い隠されていた日本の脆弱性や問題点を露呈させた。政府、自治体、国民、医療、経済、メディア、さらにはリーダーシップのあり方までが問われている。記者団を前にマスクを外し、緊急事態宣言の延長を表明する安倍首相=2020年5月1日、首相官邸 緊急事態宣言が延長された現時点では新型コロナウイルスを前提として封じ込めながら経済活動を再開するという二つの闘いが展開されている。ウイルスの封じ込めに傾けば経済が軋み、経済に重点を置けばウイルスがぶり返すという困難な闘いである。「正念場」という言葉があるが、日本にとって文字通りの正念場はこの闘いということになる。

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    新型コロナ迷走「四悪人」にすがり続ける安倍首相の自爆

    舛添要一(元厚生労働相、前東京都知事) 5月1日に行われた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の提言を受けて、安倍晋三首相は緊急事態宣言を5月31日まで全国一律に延長することを決めた。その上で、13の特定警戒都道府県とそれ以外の地域では、対応を変えるという。 ところで、この決定は科学的・疫学的データに基づいた判断なのであろうか。そもそも、専門家会議の現状把握に問題はないのであろうか。 新型コロナウイルスの感染拡大に対応するため、イタリア、フランス、スペイン、ドイツなどは非常事態を宣言して都市封鎖(ロックダウン)を行ったが、現在は解除する方向になりつつある。そして、その際には、きちんとした科学的データに基づいて対策を立案している。 その際に使われる基準の一つが、実効再生産数というものであるが、これは一人の感染者が何人に感染させるかという数字である。専門家会議は、この数字を3月末以来、公表してこなかったので、私は明らかにするように求めてきた。その声が届いたのか、ようやく5月1日の会見で公表された。 4月1日ごろに1・0を下回った実効再生産数は、4月10日には全国0・7、東京0・5まで下がったという。1・0以下というのは、諸外国では都市封鎖を解除するための基準数字である。 政府は、4月7日に緊急事態宣言を発出しており、この数字を公表すれば、その対応を正当化する根拠が失われることになる。そこで、情報を隠蔽したのではないかと疑わざるをえないのである。 専門家会議は「当面は今の対策を維持すべきである」というが、いったい「当面」とはいつまでなのだろうか。感染者が減少しており、実効再生産数も1・0以下になっているというのなら、論理的には緊急事態宣言を解除すべきなのではないか。 そうしない理由として、医療崩壊を挙げているが、経済活動をここまで大幅に制限しなくても回避する方法はあるはずだ。この点でも、やはり全国の病床数などの正確なデータが提示されていない。これまでも、厚生労働省はさまざまなデータ操作を繰り返してきているので、全面的に信頼することができないのである。 危機管理の基本は情報公開である。情報を開示せずに、国民に新型コロナウイルスの怖さを強調して、いわば「脅迫」によって政策を強行してはならない。記者会見する新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の(右から)脇田隆字座長、尾身茂副座長=2020年5月4日、厚労省 政府は、感染の有無を確認するPCR検査の事態や実効再生産数、全国病院の空床数といった情報を、隠すか操作するかしているのではないだろうか。これが今の日本の惨状の根本原因である。情報を開示しないまま、緊急事態宣言をさらに延長したことは、マイナスの方が大きくなると危惧する。 専門家会議の失敗は、PCR検査をほとんど行ってこなかったことにある。この最初のミスが、次々と問題を引き起こし、今日のような「緊急事態」を呼んでいる。曖昧すぎる解除基準 クラスター(感染者集団)潰しに専念し、その成果を誇るあまり、濃厚接触者だけにPCR検査を限定する愚を犯してきた。その間に、感染経路不明者が増大していったのである。つまり、市中感染が拡大していたはずなのに、それを見逃してしまった。 しかも、PCR検査をして陽性者が増えれば、患者が病院に殺到して医療崩壊を引き起こすという理由で、意図的に検査を抑制したのである。これが間違いだったことは、車に乗ったまま検体を採取する「ドライブスルー方式」まで導入して、検査を徹底して行った韓国で、今や新規感染者がほぼゼロになっていることが証明している。 医療崩壊については、患者の症状に応じて対応する体制を最初から整えておけば、避けることができる。重症者は感染症指定病院、中症者は一般病院、軽症者や無症状者はホテルや公共施設や自宅と、収容先を分ければよいのである。 2009年に新型インフルエンザが流行した際、厚労相だった私は、神戸市の現場で患者の治療に当たっていた神戸大の岩田健太郎教授らの勧告を容れ、そのような体制にした。それが、感染の早期終息に役立った。岩田教授が、今回はクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内部の状況について、動画配信して波紋を呼んだことは周知の事実である。 医療体制の崩壊というが、台東区の永寿総合病院や墨田区の都立墨東病院のように、院内感染が大きな引き金となっている。医師や看護師など医療従事者が感染し、外来停止などの措置をとらざるをえなくなっており、患者もまた犠牲者になっている。 例えば、5月2日の東京都の新たなコロナ死者15人のうち、11人が中野区の中野江古田病院で発生した院内感染の患者だった。自衛隊中央病院では院内感染がないし、「ダイヤモンド・プリンセス」の時も、自衛隊員は感染していない。防護服不足などの問題もあるが、発熱外来の設置など院内感染対策の徹底指示を欠いた厚労省や都、医師会にも責任の一端がある。 都市封鎖を行ったり、解除したりするときの前提は感染状態の正確な把握である。感染者数で世界一となった米国の場合、最多の感染者がいるニューヨーク州では、同州のクオモ知事が率先して感染防止対策の指揮を執っている。 クオモ知事もPCR検査を徹底し、実態を掴むことを封鎖解除の条件としている。抗体検査も実施し、免疫を持っている者の比率を参考にするのである。そして、「入院率が連続して14日間低下すること」も解除を認める指標としている。2020年4月29日、米ニューヨーク州で記者会見するクオモ知事(ロイター=共同) これに比べて、日本の専門家会議は「感染者が減ったら」という曖昧(あいまい)な基準しか提示できていない。PCR検査数と陽性者の数は正の相関関係にあり、検査数を減らせば陽性者は減るのである。 とにかく、圧倒的に検査数が少ないと言わざるをえない。PCR検査を徹底しない限り、緊急事態宣言解除の議論もできないはずである。 一方で、1カ月続いた緊急事態宣言のもとで、日本経済は急速に悪化している。緊急事態宣言を1カ月近く延長する場合、民間エコノミストからは、失業者が倍増して77万人になり、個人消費も27・8兆円減少するという厳しい予測が出ている。今回の迷走を作った「四悪人」 さらに、世界的には、これまでの超金融緩和によって、資産価格が上昇した反面、企業の債務も増加してきた。だが、新型コロナ危機で、資産価格バブルが崩壊し、世界の金融システムは危機に瀕する状況になりそうである。それは当然、日本にも大きな影響を及ぼす。 ところが、コロナ対応を決めるときに、感染症の専門家ばかりで、経済や金融の専門家が諮問の対象となっていない。安倍首相の大きな失敗である。 営業自粛を求められている業界では、既に自殺者が出ている。新型コロナウイルスでの死者よりも、間接的なケースも入れると、経済困窮による死者の方が多くなるのではなかろうか。 私は、安倍政権の今回の迷走を作った「四悪人」がいると考えている。 「第一の悪人」たちは、政府の新型コロナウイルス感染症対策の専門家会議である。既に説明したように、クラスター潰しに夢中になりすぎる余り、市中感染に手をこまねいていた愚をはじめ、多くのミスは枚挙に暇がない。 「第二の悪人」は、新型コロナウイルス対応を担当する西村康稔(やすとし)経済再生相である。今回の感染症は西村経済再生相と加藤勝信厚労相が対応しているが、2人の大臣が存在するのは有害である。感染症対策は、加藤厚労相に権力を集中させることによって可能なのである。感染症法でも、そのように明記されている。 2009年の新型インフルエンザ対応に成功したのは、厚労相だった私に権限を集中したおかげである。国会対応が上手いという理由で、新型インフルエンザ特措法の改正案を西村経済再生相に任せた安倍首相の責任は重い。 加藤厚労相がいかに無能であろうとも、いかに多忙であろうとも、厚労相が対策を一手に引き受けねばならないのである。「二人大臣」などという非常識なことをしているのは日本だけである。1安倍晋三首相から新型コロナウイルス特措法に基づく対策本部設置の指示を受けたことを表明する西村康稔経済再生担当相(左)と加藤勝信厚労相=2020年3月、首相官邸 「第三の悪人」たちは、首相のそばで権勢を振るう官邸官僚である。いわゆる「アベノマスク」の失敗に象徴されるような酷い状況になっている。ロシア帝政末期に国政に介入し、帝国を崩壊させた怪僧にちなんで、私は彼らのことを「官邸のラスプーチン」と呼んでいる。彼らこそ「安倍帝国」を壊滅させるであろう。 「第四の悪人」たちは御用学者や御用評論家である。安倍政権の政策を少しでも批判すると、忠実な番犬のように猛烈な勢いで噛みついてくる。冷静に考えることもせずに、条件反射的に対応する彼らを、私は「パブロフの犬」と称する。今のような危機的状況になると、このような存在は安倍首相の評価をさらに下げることになる。 しかし、「四悪人」を生み出したのは安倍首相であり、自ら、今その呪縛に苦しんでいるのも当然といえるのである。

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    新型コロナ長期戦、自粛疲れは「あきらめる心」で癒される

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) 新型コロナウイルスの猛威を受け、日本全国に緊急事態宣言が出されています。人の流れも活動も抑制され、国民の不便と我慢が続いています。 人の移動と接触を極力抑えることは、感染症の拡大を防ぐ効果的な方法の一つです。この不便も、我慢も、混乱も、全ては「感染症に打ち勝って、明日を生きるためだ」と説明されています。我慢の限界に近い方も少なくないと思われますが、今のところ、国民は懸命に受け入れようとしています。 今、「コロナ自粛疲れ」への対策が必要とされています。もちろん、経済的な「疲れ」も深刻です。この混乱の中で、生活に窮する人が出てくることは必然でしょう。 ただ、どんな混乱の中でも、心理的な安定だけは保ちたいものです。心理的な安定は、適切な行動を促すからです。 心は環境に反応するものなので、本来なら環境が早く落ち着くことが、何より大切です。環境が落ち着けば、自然と心も安定するからです。しかし、なかなか落ち着きそうにありません。 そこで本稿では、どんな落ち着かない環境の中でも、「コロナ自粛疲れ」を生き抜く方法を紹介したいと思います。そのために、まずは私たちを疲れさせる「コロナストレス」とでも言うべき事態の正体を心理学的に考えてみましょう。 まず、今、クラブなどの社交の場や映画館、スポーツジムといった「(生きるために)不要不急」な場は営業自粛を余儀なくされました。また、芸能などの文化活動も非常に制限され、個人的なイベントも自粛を求められています。 また、公園では子供の遊具にも「使用禁止」と書かれた黄色いテープが張り巡らされています。学校や幼稚園も閉鎖され、友達に会うこともできません。 これらは、人が集まることでクラスター(感染者集団)が発生することを恐れたためでしょう。このため、私たちは「気晴らし」の場を奪われたと言えます。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「生きるため」だけの活動では、気分はどんどんすり減っていくものです。民俗学者の桜井徳太郎はこの状態を、「ケ(褻)」という普段の暮らしを営む心のエネルギーが枯れた状態、つまり「ケガレ」と表現しました。「ケ」を回復させるには「ハレ」、日常のストレスから開放された時空が必要なのです。 しかし、今の私たちに「ハレ」はありません。桜井の言うところの「ケガレ」の状態にあるのです。もう一つの大きなストレス 次に、経済活動の停滞のように、社会の混乱と近い未来への不安も大きなストレスです。ここでは、私が属する大学界の混乱を例にしてみたいと思います。 まず、大学への入構禁止や海外への渡航禁止で運命が変わった学生がいます。例えば、生物系など分野によっては、中断されたことで致命的なダメージを受ける研究もあります。 研究成果が失われることは、研究者人生にとっても深刻なダメージです。また、留学の準備を何年もかけて進めていた学生は、在学期間の関係で留学をあきらめざるを得ない場合もあります。 進学のために都市部に引っ越したばかりの新入生は、慣れない新居で孤独に過ごしています。孤独で目的意識のない学生は危険薬物やカルト教団への勧誘といったリスクに晒されやすくなるだけでなく、メンタルヘルス(心の健康)の維持も心配されます。この混乱の中で、ご両親が悲しむような事態に陥る学生が増えないか心配です。 このように、学生だけでも「コロナ対策」の中で描いていた未来が崩されたり、脅かされたりする人たちがいます。同じことは、企業の経営者や勤務する人たちにも言えることでしょう。 何カ月、何年もかけて用意していたビジネスプランやビジネスモデルが、この混乱の中で崩壊したり、大ダメージを受けたといった話は、私の狭い耳にもよく入ります。運命が変わった企業や個人も多いと思います。 一方で、オンライン化が一気に加速しそうな勢いがあります。その中で、産業構造も、ネットワークやコネクションのような人と人の繋がり方も、大きく変わりそうです。これまでの利点が失われる人や組織、逆にこの混乱の中で有利になる人や組織、どう転ぶか分かりません。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) このように、私たちは「アフターコロナ」とでも言うような世界、つまり、これからの展望が見えなくなりました。人は未来の展望に導かれて生きる存在です。展望を見失うことも大きなストレスになるのです。新型コロナウイルスの猛威から生き残ったとしても、その先の人生が見通せないとしたら絶望するしかないのです。 このように、私たちは「ケガレ」と「展望の崩壊」という二つの大きなストレスに疲れていると考えられます。どちらも長引くとよいことはありません。 しかし、今の状況ではまだまだ「我慢」が必要なようです。どうすればいいのでしょうか。見過ごされる「心地よい感覚」 ここで、「どうしようもない事態」のために開発された心理支援についてご紹介しましょう。それは「マインドフルネス(mindfulness)」と総称されるものです。 日本語に訳しにくいので、直感的には分かりにくいかもしれません。そこで、この真逆の状態「マインドレスネス(mindlessness)」すなわち「心」を「亡」くす状態、「忙」から説明しましょう。 「忙しい」と私たちはどうなるでしょうか。「あれはこうしなきゃ、これはこうでなきゃ」に囚われて、身の回りのさまざまなことを見落としてしまいませんか。マインドレスネスは辞書で「不注意」と書かれていますが、心理支援的には「身の回りの、本当は私たちを豊かにしてくれる何か」を見落としてしまう状態を表しています。 マインドフルネスはこの逆の状態です。実は、私たちの日常は、冷たい水やビールの喉越し、軽い運動や入浴の爽快感などなど、「忙しい」ときには意識を向けないような心地よい感覚にあふれているのです。 いろんな不満や心配に囲まれた毎日ではありますが、手立てがないときは、思い切って無理に考えることをあきらめましょう。そして、このような心地よい感覚に浸るのはいかがでしょうか。 このようなマインドフルな状態は、私たちの何気ない日々にさまざまな発見や喜びを増やしてくれることが知られています。新しいアイデアも湧いてくると言われています。今、私たちが置かれている状況では、マインドフルネスが有効だといえるでしょう。 ただ、実際問題として、本当に「忙しい」現代人はずっとマインドフルネスの状態に陥って、忙しい自分に戻れなくなることが心配なこともあるようです。そんなときは、「忙しいスイッチ」になるような「サイン」を何か決めておきましょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 例えば、「緊急事態宣言が解除されたら(これがサインの一つ)、◯◯を考え、△△を実行して…」というアクションプランをメモして壁に貼っておきましょう。まだサインが来ていないときは、スイッチを入れる必要はありません。存分にマインドフルになっていい、ということです。 毎日、アクションプランを確認できるので、そのときが来れば前のように「忙しく」活動できるはずです。これなら、安心してマインドフルに浸れますね。 私たちは感染症との戦いだけでなく、「コロナ自粛疲れ」という大きなストレスにも立ち向かわなければなりません。まだまだ先行きが見えませんが、「マインドフルネス」に浸って、「ビフォーコロナ」では見落としていた、心地よい感覚とともに過ごすのもよいかもしれません。皆さんと一緒に生き抜きましょう。

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    大統領選は混迷?コロナ大災厄で再燃するアメリカの「急所」

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) 新型コロナウイルス問題は、米国民の医療保険に関する意識の一部を変えたようだ。米大統領選民主党候補であったサンダース氏が叫んだ「全ての人にメディケアを!」という政策に賛同する人が増えたとされる。しかし、彼は予備選撤退を余儀なくされた。なぜだろうか。 その答えは、米国の医療保険制度について知る必要がある。米国の医療保険制度は非常に複雑である。そこで以下の記述は、あくまで概略であるということを事前に断っておきたい。 米国の医療保険は、元々は1920年代から徐々に民間の生命保険、損害保険会社が始めた。そのため60年代には、65歳以上の高齢者で医療保険無加入の人が下の世代より多くなり、そこで「メディケア」という公的医療保険制度が導入された。 これは10年以上米国に合法的に居住していた人が収入の2・9%を払っていれば(雇用されている人は半分を雇用主に払ってもらえる)、65歳以上ないし重度の障害者などになった場合に適用される。 60日までならほとんど自己負担なしで入院できる(60日以降に関しては、徐々に上がっていき、150日以上は全額である)。追加として約135・5ドルの保険料を毎月払えば、外来診療および今回も問題になったようなワクチンや人工呼吸器などの特殊な治療も年間183ドルまでは無料で、その後は自己負担20%である。ただ、精神科は45%、検査は無料である。 メディケアは大部分の薬に関しては適用されていなかったので、2003年から追加料金を毎月支払えば、医師から処方される薬剤の費用が補償される。ただし、この部分に関しては、慈善団体や労組、民営医療保険会社なども関係しているため、保険料や補償内容は標準化されていない。だが、平均的な世帯の保険料は月30~50ドルくらいで、そして場合によっては薬剤費の100%が補償されることもある。 米国在住の私の知人で65歳以上の人が、何度も心臓関係の大手術を受けたが、1回の入院でほとんど費用を払わずに済んでいたようだ。これは北欧諸国並みに充実した医療福祉制度と言えるだろう。導入したジョンソン大統領が「偉大な社会」をスローガンにしたのも分かる気がする(他に彼は都市のインフラ整備など、後のオバマ政権のモデルとなった部分が多い)。 では、65歳未満で重度の障害者でもない低所得者はどうするのか。そのような(オバマケアができてからは米国政府が定める貧困線を33%まで超えている)人々向けに「メディケイド」という公的医療保険がある。米ニューヨーク市の病院で、新型コロナウイルスの感染歴の有無を調べる抗体検査を受けるため、列に並ぶ市民ら=2020年4月(上塚真由撮影) これは連邦政府から補助金を得ているものの、メディケア以上に各州に任されており、不安定である。そのため1990年代までは加入者は米国民の約10%だったが、2000年以降は約20%に増加した。 それぐらい米国では、2000年以降格差が拡大し、また医療費が高騰していたのである。「オバマケア」の矛盾 そこでオバマケアが登場した。これは65歳未満でメディケイドの対象にならない人でも、例えば既往症があったり、収入不安定などの理由で民営医療保険に入れない人が米国には多かったが、そのような差別を医療保険会社に禁止した。 また、米国の医療保険は掛金が高いので敢えて入らない人も多いが、そのような人には所得税を2・5%上げるといったペナルティーのようなものがあり、逆に(貧困線を33%以上超えている)低所得者には、民営医療保険に入るための補助金が出る。 これは一見、よいことのように思われるが、医療福祉に関する公的資金が激増することは言うまでもなく、各州も共和党も強く反発した。また、健康上のリスクの高い人を多く加入させたため、民営医療保険会社の掛金も高騰し、今まで普通に民営医療保険に加入していた人の生活が圧迫されるほどだった。 自己負担分も増えて医療保険の使い勝手も悪くなった。そこで補助金をもらっても医療保険に入れない人はおろか、オバマケアが成立したおかげで、むしろ無保険状態を望む中流生活者が増えたとも言われている。 そこでトランプ氏が大統領になってからオバマケアの廃止を試みたが、共和党にも貧しい州選出の議員や、リベラル派の議員もおり、その反対で実現できなかった。そこで共和党は、全国民に保険加入を強制するのは米国憲法違反であるという訴訟を起こしており、また、トランプ氏の税制改革によって少なくとも医療保険に加入しない人への罰金的増税は廃止された。 いずれにしても以上のような諸事情から、いまだに米国民の10%近い約3千万人の無保険者がいる。オバマケア成立時には無保険者は米国民の約20%だったが、オバマケアによって2020年には5%未満になるはずだった。 このように無保険者が多く医療保険の使い勝手が悪いという米国の実態が、新型コロナ問題を悪化させた一因ではないか、という考え方は、当然に広まった。そこで先に述べたように、サンダース氏の主張への賛同者も増えたにもかかわらず、なぜ、予備選撤退を余儀なくされたのだろうか。 彼の主張する「全ての人にメディケアを!」という政策を実現すると、何と36兆ドルもの費用がかかる。そんなカネが、どこにあるのかということだ。費用の問題をクリアできたとして、果たして「全ての人にメディケアを!」政策は、今回の新型コロナ問題のような状況に、効果的に対処できただろうか。米ニューヨークの民家で、新型コロナウイルスによる重症の高齢男性患者に処置を施す医療従事者ら=2020年4月(ゲッティ=共同) 例えば、メディケアは個人の医療費補償なので、それだけのカネを使ったとしても集中治療室や人工呼吸器までは、それほど増やすことはできなかったと思われる。そのような連邦補助金は既に別に存在し、それを使って、そのような設備を整えず、別のインフラ整備などを重視したニューヨーク州のクオモ知事の責任を追及する声が、米国でも徐々に高まっている。彼のトランプ批判は、自らの責任逃れの側面が強い。新型コロナ深刻化の背景 そして、設備に関し米国は、実は国民皆保険が実現している欧州諸国よりも、全米では充実し数も多かったのである。その欧州諸国でも多数の人が亡くなったのは、国民皆保険のために多くの人が病院に殺到し、医療崩壊が起きやすかったからであるという考え方もできる。 ただし、その欧州諸国では、病院の約半分が、営利を考えなくてよい公立病院である(ちなみに日本は約2割)。ところが米国では15%にとどまる。そのため営利の面で非効率的な地方に医療機関が少なく、7700万人の米国民が医療機関不十分な地域に住んでいるという。これも新型コロナが米国で猛威を振るった原因の一つかもしれない。 その代わり米国では、約1万2千にのぼる地区保健センターがある。これは約1300の非営利団体(NPO)によって経営され、2900万人以上の米国民に、精神科や歯科など、メディケアの対象になり難い分野を含め広く医療サービスを提供している。 サンダース氏ら民主党左派は、この地区保健センターの拡充にも力を入れてきたが、これには共和党も積極的に協力してきた。政府からの補助金予算が一時的に失効した2018年、105人の共和党議員が延長に賛成している。多くの補助金を得るには、十分に役立っていることを政府に説明しなければならないという、ある種の競争原理が働くからかもしれない。 一方、バイデン氏は、この地区保健センターへの年間補助金が今は56億ドルであるものを、およそ倍額にすると公約している。また、政府の計画によって医療保険の補償内容の選択肢見直しも公約に盛り込んでいる。これは、保険料が高い代わりに補償が厚いプランと補償が薄い代わりに保険料が安いプランを選ばせ、オバマケアの(経費的な面も含めた)持続可能性を高めるといったことなどだ。 ただし、これはメディケアの低レートで保険会社に払い戻しを行う可能性がある。人々が安い方のオプションを支持し民間保険を解約すると、医師や病院は彼らの収入が減少し、一部の保険会社はサービスを停止し、他の医療保険会社は、完全に閉鎖するだろう。 それでも民営医療保険会社の経営に悪影響を与えるのではないかと共和党は反論しているが、いずれにしても米国という国は、やはり競争原理によって活力ある社会を築くことが好きなようだ。バイデン氏の政策を見ていても、それに近いのは理解できる。テレビ討論会で発言するバイデン前米副大統領=2020年3月、ワシントン(AP=共同) 今回の新型コロナ対策に失敗したのも、米疾病予防管理センター(CDC)、米食品医薬品局(FDA)などが、その官僚主義のために、検査キットや人工呼吸器を、必要なとき、必要な場所に届けられなかったことが原因という意見も米国では多く、ワクチンの開発などを迅速に行なっている民間の医薬品会社への期待の方が大きいようだ。 ところでサンダース氏の考えていた「米国版国民皆保険」制度は、36兆ドルもの予算を使っても足りないため、この民間の製薬会社や病院などの受け取り分を40%も削減しなければならなくなるという。これでは製薬会社や医師などの士気が上がらず逆効果だという批判も、米国社会では多いのである。サンダース撤退の深層 だが、同時に米国の医療費のうち3割以上が、製薬会社や民営医療保険会社の、必要以上の利潤になっているという研究もある。オバマケアは、それを促進した側面があり、そのため製薬会社が大量に生産した合法的な鎮痛剤の過剰摂取によって廃人になる人が、コカインで同様になる人と同じくらいの比率になり、重大な社会問題になっていた。 そこでトランプ氏が登場したという側面もあるのだ。トランプ氏が大統領に就任以降、製薬会社、病院、薬局そして米国独特の処方箋管理組合などの競争を促進したり、日本でいう保険の点数の数え方を変えたりすることで、これらの組織が効率のよい仕事を行うようになった。 その結果として、医薬品などの値段を下げるため、努力をしてきた。それは民主党が下院で多数になってから、むしろ彼らの一部の協力を得て、軌道に乗りつつある。これによる薬価の切り下げこそが、米国における医療福祉問題解決の肝であると言っても過言ではないだろう。 米国の医療費の3割以上が医療関係業界の不当な利潤になっているのは、メディケアという公的制度があるために、競争原理が働いてこなかったためであるという考え方もある。民営医療保険会社も、メディケアの補償内容や自己負担を参考に、ビジネスを組み立てているからである。 そうして彼らの得た不当利潤のかなりの部分が、オバマ氏やヒラリー氏に流れているという噂は、ワシントンの一部で執拗に囁かれていた。それもヒラリー氏落選の理由の一つなら、そのカネの力で彼女がさまざまな妨害工作を行ったため、サンダース氏は予備選撤退に追い込まれたという説もある。「全ての人にメディケアを!」が実現したら、民営医療保険会社や製薬会社が儲からなくなり、ヒラリー氏にカネが入らなくなるからである。 だが、サンダース氏も実は2019年の1年間だけで160万ドルの献金を、医薬品業界や民営医療保険の会社から受け取っている。「目こぼし料」の意味もあるだろう。 しかし、同時に「全ての人にメディケアを!」が実現したとしても、メディケアという競争原理が働かないシステムでは、これらの業界は(今より少なくなっても)不当利潤を得続けることが不可能にはならない。所詮サンダース氏も、ヒラリー氏やオバマ氏、バイデン氏らと「同じ穴の狢(むじな)」なのではないか。 少なくともバイデン氏がオバマケアの持続可能性を高めようとしている理由は、もうお分かりだと思う。バイデン氏にセクハラ問題が持ち上がり急に立場が苦しくなった4月末になって、ヒラリー氏が彼の支持を表明した理由も言わずもがなだろう。オバマ前米大統領(左)とバイデン前副大統領=2015年1月(UPI=共同) やはりトランプ氏と共和党が考える「競争原理による民間活力活性化」政策こそが、最終的な解決策なのである。CDCやFDAといった政府機関も、NPOのような形ででも、政府の外に出した方が、他の類似したNPOなどとの競争によって、よりよい仕事をするのではないかと思う。先進国として異常 また、CDCという官僚組織で働く科学者の、経済に配慮しない科学専門家の立場からの硬直した悲観的発表により、米国経済は不安定化を増したと言えないだろうか。トランプ氏の楽観的発言は、米国経済を下支えする上では間違っていないと思う。無責任発言という批判は妥当とは言えない。 むしろニューヨークの担当者が、トランプ氏以上に楽観的な発言を最初は行なってきたことも、ニューヨークの状況悪化の原因の一つと言えるが、全く追及されていないことの方が重要だ。 トランプ氏は大統領になる前からアフガンの正規軍を民間軍事会社に置き換える戦略で、その方向で今でも動いている。やはり民営化こそが公的組織による硬直化や非能率を解決する万能薬なのである。 一方で、新型コロナ問題による米国経済の急速な悪化は、トランプ氏の再選に黄信号を灯した。しかし、米国民は「戦時」的な状況では、大統領の下に団結する。トランプ氏の支持率は、むしろ上がった時期もあった。ただ、新型コロナ問題による失業者の増大で、トランプ氏の支持率は低下傾向にある。 とはいえ、バイデン氏は1年前から誰の目にも明らかだった極度の「物忘れ」が悪化しているとされ、セクハラ問題も再燃している。とても大統領になれるとは思えない。そして医療政策に関してだけでも今まで述べてきたような問題がある。 そこで新型コロナ問題で注目されたニューヨーク州のクオモ知事を、バイデン氏に健康を理由に辞退させて、代わりに大統領候補にする案が、4月初旬には有力だった。ある世論調査では、民主党支持者の56%が、バイデン氏よりクオモ知事が大統領候補として望ましいと答えた。しかし、前述のようにクオモ知事が自らの失敗糊塗と(大統領候補としての)存在誇示のため必要以上に問題を大きくしているという認識が4月下旬には広がり、この数字は見事に逆転してはいる。 いずれにしても前述のように、米国では国民の約2割以上が十分な医療施設のない土地に住んでいる。クオモ知事の失政とは断言できないが、ニューヨーク州でも都市部以外は同様で、そこと都市部の往来も同州の異常な感染の多さの原因の一つかもしれない。また、約1割が医療保険を持たないという米国の現状は、どう考えても先進国としては異常である。それが中国以上に新型コロナ感染が拡大した理由の一部と考えられても仕方がない(本当に中国の感染者が米国より少ないのかについては大いに疑問もあるが)。 地区保健センターを拡充するのみならず、医療保険問題に関しても本気の改革が必要であることを、新型コロナ問題は米国民に示した。しかし、医療保険改革が民主党的な「大きな政府」の考え方で行われれば、むしろ製薬会社などの不当利潤を増やし、米国の国家財政を破綻させかねない。米ホワイトハウス=2017年2月、ワシントン(松本健吾撮影) トランプ氏が再選されれば、民主党の一部と協力して、まず薬価を下げる。そして可能ならメディケアも部分的に民営化して、オバマケアと上手く接続させればよい。こうして真に効率のよい「国民皆保険」を米国で実現したとするならば、それを後世の人は「トランプケア」として感謝するだろう。もし、新型コロナ問題のようなものが再発しても、よりよい対応ができるようになることは言うまでもないだろう。

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    お次はアベノマスク、野党の「炎上商法」にまた騙される人たちへ

    悪いことをしているに違いない」とでもいう図式によって生み出されている。この魔女狩りの経済学に、今度は新型コロナウイルスの感染防止策として全世帯に配布する2枚の布製マスクが加わりそうである。 マスクについては、新型コロナ危機が始まってから、医療や介護現場に代表される供給不足問題に加え、一般のマスク不足が一貫して問題視されていた。政府は当初、民間の増産体制によってこの問題を解消できると予測していたようだ。新型コロナウイルスの感染拡大策として、全世帯に配布される布製マスク2枚=2020年4月23日(三尾郁恵撮影) だが、その目論見は完全に外れた。特に、民間の需要は底が知れないほどで、ドラッグストアには連日長蛇の列ができ、インターネットでは高額転売が横行した。これは明らかに政府のマスク政策の失敗だったといえる。政府が払うマスクの「ツケ」 結局、供給解消を狙って、さらに増産体制を強化し、ネットなどでの高額転売禁止、医療機関へのサージカルマスクの大量供給、福祉施設や教育機関への布マスクの配給を矢継ぎ早に行った。特に、サージカルマスクなどの高機能マスクは、地方自治体を経由していると供給不足に対応できないとして、国がネットの情報を利用して、不足している医療機関への直接配布を決定した。 だが、それでも医療需要に十分応えているわけではない。政府のマスクに関する甘い見立てのツケはいまだに解消されてない。 問題のキーポイントは、マスクの増産と割り当て(供給統制)を同時に進めるべきだったのに、前者に依存して後者を当初採用しなかったことにある。危機管理が甘いといわれても仕方がない。 国際的な成功例である台湾では、マスク流通を政府が感染初期から完全に管理している。購入には国民健康保険に相当する「全民健康保険」カードを専用端末に挿入する必要があり、一人当たりの購入数も週2枚に限定されている。さらに、履歴は「全民健康保険」カードに記載され、徹底的に管理されている。 他方で、マスク増産に軍人も起用して、今は大量生産に成功し、日本など海外に輸出するまでになっている。これに対し、日本政府は現在に至るまで、あまりに不徹底で戦略性に欠けている。 当初のマスク予測を誤ったツケが、俗称「アベノマスク」をめぐる一連の騒動の背景にもなっている。ただし、このときの「背景」は合理的なものよりも、モリカケ・桜問題に共通する「疑惑」や感情的な反発を利用した、政治的思惑に近いものがある。マスコミもアベノマスクを恰好の「娯楽」として、ワイドショーなどで率先して報道している。2017年3月、台湾行政院のデジタル関連会議に出席する唐鳳IT担当政務委員 このアベノマスクに関しては、反安倍系の人たちが率先して批判しているが、それには幼稚な内容が多い。顔に比べてマスクが小さいという主旨だが、顔の大きさに個人差があるのは否めない。 そういう幼稚な批判におぼれている人以外には、人気ユーチューバーの八田エミリ氏の動画「アベノマスク10回洗ったらどうなる?」が参考になるだろう。簡単に内容を説明すると、実際に届いた新品のマスクについて紹介した動画で、14層ある高い品質であり、洗濯すると多少小ぶりになるが、何度の使用にも耐えられるものであった。マスク不足に悩む人たちには好ましい対策だったろう。 一部では不良品があり、その検品で配布が多少遅れるようだ。マスコミはこの点を追及したいし、全体のマスク政策をおじゃんにさせたいのだろう。だが、現在配布を進める全世帯向けの半分にあたる6500万セットのうちに、どのくらいの不良品があるか、そこだけを切り取って全体のマスク政策を否定するというのは、まさに魔女狩りの経済学でいう「あいまいさの不寛容」そのものだ。愚者のための政治ショー おそらく、この「あいまいさの不寛容」におぼれたデュープスを釣り、その力で政権のイメージダウンを狙うのが野党の戦略だろう。そのため、補正予算の審議でもこのアベノマスク問題が取り上げられる可能性が高い。まさに愚者のための政治ショーである。 なお「あいまいさの不寛容」の観点で言えば、不良品が多く発見された妊婦用マスクと全世帯向け配布用マスクは異なるが、多くの報道で「巧みに」織り交ぜることで、さらなるイメージダウンを狙っているようだ。全世帯用にも不良品が見つかるかもしれないが、その都度対処すればよく、マスク配給政策そのものを否定するのはおかしい。マスクの全世帯配給に、少なくともマスクの需給環境を改善する効果はあるだろう。 また、マスク配給の当初予算が466億円だったのが、実際には91億円で済んだ。これは予算の使用が効率的に済んだのだから好ましいはずだ。 だが、立憲民主党の蓮舫副代表は違う見方をとっている。蓮舫副代表は、予算が余ったのだから「ずさん」であり、ならば「マスクも撤回してください」と要求している。 なぜ、予算が少なく済んだことが批判され、なおかつマスク配給政策全体を撤回しなくてはいけないのか。デュープスであることぐらいしか、この理由に思い当たる人は少ないのではないだろうか。 現在の日本では、新型コロナ危機で、数十兆円規模の経済危機が起きている。これに立ち向かうために、大規模でスピードを早めた経済政策が求められている。 例えば、企業の家賃のモラトリアム(支払い猶予)も喫緊の問題だ。このままの状況が続けば、6月末には多くの中小企業で「コロナ倒産」の急増を生んでしまうだろう。参院予算委員会で質問する立憲民主党・蓮舫副代表兼参院幹事長(右)=2020年3月2日(春名中撮影) だが、与野党ともに家賃モラトリアムについては、あまりにもスピード感に欠けた提言してかしていない。マスク問題も、政府のマスク買い上げや規制強化の遅れにより、現在まで障害を残している。 本来であれば、家賃モラトリアムや、さらなる定額給付金の供与など、経済対策のスピードをさらに加速させる必要がある。アベノマスクのように、ワイドショーで溜飲を下げるデュープス相手の話題にいつまでもこだわる時間は、少なくとも国会には残されていない。

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    安全保障無策の日本、終息周回遅れが招く「ポストコロナ」大不況

    小倉正男(経済ジャーナリスト) 新型コロナウイルス感染症による経済の停止は、1929~30年代の世界大恐慌以来の景気後退とされている。現状の世界経済は誰も見たことがない事態に陥っている。大恐慌以来のものなのか、あるいは大恐慌を超えるものなのかは、現状では判断がつかない。 「大変調」は、すでに世界中に現れ始めている。自動車産業一つを取り上げても、全世界の自動車工場のほぼすべてで生産が止まっている。需要の落ち込みに加えて部品の欠品などが影響している。そうしたことは誰も想像することができなかった光景だ。自動車だけではない。半導体・液晶関連の製造装置、工作機械、電子部品などすべての生産が休止、あるいは生産遅延となっている。それが眼前にある。 新型コロナウイルスの発生源となったのは中国・武漢だが、その武漢で一足早く自動車工場が再稼働に踏み出している。中国は新型コロナウイルスを終息させたとアピールしたいのだろうが、試験操業段階にあるとみられる。自動車は部品の裾野が極めて多様だが、車載用半導体など電子部品を含めて部品産業も生産・物流が停滞している。自動車生産のサプライチェーンはいまだ寸断されている。 アメリカでは3月中旬からの5週間で2600万件を超える失業保険申請が行われている。全労働人口の17%の人々が一挙に失業者になっている。リーマンショックどころか、これも大恐慌以来の記録的な現象だ。一人好況だったアメリカが暗転、原油先物価格が史上初の「マイナス価格」になった。 世界の経済活動のほぼすべてが停止している。供給過剰で、原油先物で売り手が買い手に代金を支払うといった異常事態だ。銀行でいえば、貸し手の銀行が借り手に金利を払うといったようなものである。原油需要がガタ減りになっており、世界経済が限界に近づいているというシグナルといえる。 日本では、目先の決算に「変調」が現れている。この4月末~5月が決算シーズンになる。3月期決算企業でいえば本決算にあたるが、予定していた決算発表の期日が遅れることを公表する企業が相次いでいる。「緊急事態宣言で会計・監査業務が間に合わない」という事情を上げている。決算説明は各企業とも軒並みに電話会議、インターネット動画などで行うとしている。 20年3月期決算では、一般的に第3四半期(10~12月)は消費増税で業績が低下、第4四半期(1~3月)は通常なら期末の稼ぎ時だが、新型コロナウイルスによる経済停止に直撃されている。おそらく売り上げ、収益を下方修正する企業が続出する。トヨタ自動車田原工場=愛知県田原市 変調はそれだけではない。新年度、すなわち21年3月期は売り上げ、営業利益など収益の予想数字を表示しない企業が続出する。21年3月期については、企業サイドは新型コロナウイルスの終息時期が見えず、したがって経済の停止状態をいつ解除できるのかが判明しない。売り上げ、収益とも「苦渋の決断だが、合理的な算定ができない」としている。 株式マーケット筋は、「新年度の予想数字については表記しない企業の評価はネガティブ。一般的には大幅減収減益でも予想数字を表示する会社の方を評価する」としている。企業サイドは「新型コロナウイルスの終息、再稼働の先行きが見えるようになったら、すみやかに予想数字を公表する」と答えるのが精一杯だ。見通せない終息時期 日本経済が直面している問題はそこにある。経済の出口は、新型コロナウイルス感染症をいつ終息させられるかにかかっている。メドがつけば経済の停止状態から脱出できる。 しかし、いまだ暗中模索でいつ出口にたどり着けるか判明しない。この5~9月のうちに終息できるのか。それが最も理想的だ。あるいは年内の12月まで引きずるのか、最悪のケースで2021年まで影響が残るのか。一時的に終息させたとしてもウイルスだけに二波、三波とぶり返すこともあり得る。厄介極まりない。 緊急事態宣言は7都道府県から全国に対象地域を広げて発令されている。東京都など首都圏を筆頭に全国の大都市・都心部から人影は大幅に減少した。テレワーク・在宅勤務が急速に拡大している。 ただし、首都圏などで見ても東京都内、郊外の商店街やスーパーは平常通りに営業している。都内、郊外とも通常以上の客で混雑している。特に、都内のスーパーは夜までには棚が空になるといった具合だ。昼までに行かないと何も置かれていない。郊外でも夫婦、子供など家族全員で買い物に来店している。また、都内、郊外とも価格が全般に上昇している。 都心部から人が減ったとしても、神奈川県、千葉県などの海岸沿いはクルマが渋滞になるなど、一時的に人出が増えたケースもある。このため、東京都などの自治体からは「ステイホーム」と自粛が懸命に呼びかけられている。穏やかな気候となった日曜日。神奈川県藤沢市の海岸沿いの道路は多くの車で渋滞していた=4月19日 ただし緊急事態宣言といっても要請ベースで強制力は伴わない。休業補償などが十分ではない。アメリカ、フランス、ドイツなどの主要都市の都市封鎖(ロックダウン)と比べると緩いという印象が拭えない。 それだけに日本は新型コロナウイルスの終息、封じ込めには世界の主要国に比べて遅れる可能性が否定できない。終息、封じ込めというものがともあれ早期に実現できればよいが、遅れる可能性が強まっている。 新型コロナウイルスの終息に一定のメドをつけて、ある時点で経済の停止を解除したとしても本格的な再稼働には至らない可能性もある。経済の「V字型」回復という楽観論があったが、「L字型」底ばいの長期不況になるとみておくべきだ。現時点では安易な楽観論は禁物で、最悪の想定に立つべきである。 「L字型」不況が長引けば長引くほど、懸念されるのは経済の縮小均衡による中小企業、個人商店などの倒産、閉店、廃業である。日本政策金融公庫の「無利子無担保融資」などセーフティーネットを活用して最悪の事態を回避する方策が奨励されている。だが、経済の底ばいが継続すれば資金繰りが追いつかない。中小企業、個人商店の体力が持たなくなる。外国人投資家に狙われる日本 仮に、日本が新型コロナウイルスの終息に「周回遅れ」になるなら、経済への打撃は計り知れない。首都圏の都心部、あるいは郊外にある飲食店などは現状でも厳しいが、長引けば大変な事態に追い込まれる。新型コロナウイルスの不安が残るとすれば、都心部の企業などはこのままテレワーク・在宅勤務が定着することもあり得る。都心の飲食店は苦境から脱出できない。 非上場企業のみならず、上場している企業もそれは同様だ。21年3月期の売り上げ、収益の予想数字を打ち出せないとすれば、株式マーケットは外国人機関投資家などの売り圧力に晒される。株価低迷が長期化するとすれば、内部留保を分厚く貯め込んだ企業は耐久力を持てるが、そうした企業ばかりではない。 アメリカに「企業再生ファンド」というものが生まれたのは大恐慌時代といわれている。大恐慌時代にアメリカでは一般企業だけではなく銀行までが取り付け騒ぎでバタバタ倒産した。市場経済ベースで企業を売り買いすることで再生事業が行われた。 大金持ちの個人投資家、機関投資家がファンドに資金を投じて、ファンドは体力を失った企業を底値で買い叩いて手に入れる。ファンドはその企業にプロの経営者を送り込み、2~3年で企業を再生して第三者に高値で売却する。ファンドは膨大な利益を出して、投資家に高い利回りで報いる。市場経済の過酷さを体現したやり方で一般には「ハゲタカ」という異名で呼ばれている。 新型コロナウイルスがもたらす不況では、おそらくファンドが世界中で企業を底値で買収するといった行動に出るとみられる。ファンドにすれば100年に一度のチャンスだ。新型コロナウイルスがなければ、普通に優良企業だったものをファンドは安値で手中にする。文字通り大恐慌以来のチャンスが到来する。 そうしたクライシス(危機)を考えるなら、新型コロナウイルスの終息がいつになるか、すなわち終息時期は「ポストコロナ」の日本経済に決定的なファクターになりかねなない。 日本経済の再稼働で遅れをとるとすれば、体力が弱った日本企業が狙われることになる。中国などが世界に先行して経済の再稼働に成功すれば、買い手に回る可能性も出てくるに違いない。国、あるいは地方自治体は「L字型」不況が長期化したケースに備えて、中小企業などを防衛するためのシミュレーションをしておかなければならない。 上場企業においても、たとえばソフトバンクグループなどは17兆円(2019年末)を超える有利子負債を抱えている。おそらく現状では有利子負債はさらに膨張しているとみられる。企業買収で所有企業をやたら増加させてきた「持つ経営」が危機に立たされている。4兆5千億円の資産(所有企業)売却で財務体質を改善するとしているが、そこに新型コロナウイルスによる大不況や株価低迷が追いかぶさってきている。決算説明会で記者会見するソフトバンクグループの孫正義会長兼社長=2020年2月、東京都港区(三尾郁恵撮影) 所有企業売却では「投げ売り」に追い込まれるという最悪事態も考えられる。ソフトバンクグループが所有している半導体関連ハイテク企業などを売却するとすれば、中国などの企業が買い手として名乗りを上げてきても不思議ではない。買い手としては安値で買えるのだから千載一遇にほかならない。日銀の対策にも限界 企業がむざむざ他国企業やファンドに買われないようにするということでは、通貨の円高、そしてとりわけ株高を「防護壁」にすることが基本的な政策だ。買い手としては、円が高く、さらに株価が高いなら、高い買い物になる。手を出しづらい。たとえ買われるにしても日本に入ってくる資金は、経済を回してくれるわけで貢献してくれる。円安、株安では買い手にはよいことばかりで経済への寄与は希薄でしかない。 日本銀行は上場投資信託(ETF)買い入れの拡大でテコ入れして株式マーケットの底上げを行っている。ただ、これは主として株価暴落の不安心理を解消することを狙ってのものだ。日銀の行動はやむを得なかったかもしれない。 だが、株価の低落が続くとすればETFの評価損が発生する。日銀の財務毀損が避けられない。財務毀損ぐらいで日銀が倒産することはないが、日銀が発行している通貨である円への信頼は低下する危険性がある。極端な円安に振れるとすれば、悪性インフレ懸念が生じる。資本が逃げ出すわけだから株も売られる。日銀はETF購入拡大をといった政策を継続できなくなるリスクがある。 株価低迷が長期化して、いざというクライシスに直面したときに日銀は有効な手段を持てなくなる公算がなくはない。日銀にしても、国にとって魔法の杖、いや魔法の輪転機であり続けられるわけではない。 実質的に「国家ファンド」といわれる年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)にしても本格化させてきた株式運用で身動きが取れなくなっている。日本を含む世界の株価が上昇して評価益が出ているときはよい。 だが、株価が低落しているときは評価損を抱える。仮にも国民に支払う年金資金であり、リスクを抱え続けることはできない。GPIFも動けないといった場合、国は安全保障などの面から待ったをかける政策手段が何もない事態になりかねない。日本はいざというときに使うべき最終手段を“先食い”してきたきらいがある。 日本の危機管理(クライシスマネジメント)対応が問われている。それによって経済のサバイバル、経済がどう生き残るかという構図が決められる。当然、新型コロナウイルスの終息を急ぐことが第一の要件だ。新型コロナウイルスとの闘いは集中型で一気にやるしかない。主要各国がロックダウンなどを断行していることがそれを証明している。闘いが長期に及べば、その国の経済は疲弊が避けられない。そうなれば、経済もそして国も共倒れにほかならない。終値が1万8千円を割り込んだ日経平均株価を示すボード=2020年4月、東京・八重洲  確かに新型コロナウイルスといった疫病による厄災は想定外に近いものだったかもしれない。ただ、今はウイルスとの闘いを含めて国の安全保障を考えてこなかった咎(とが)めを受け止めるときに違いない。しかし、打つ手が何もないというわけでもないに違いない。新型コロナウイルスの終息、そして「ポストコロナ」という有事対応に持てるすべてを投入して、世界経済という過酷なアリーナで敗北者に甘んじることは避けなければならない。

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    延期すら危機ゆえに思う、五輪でこそ醍醐味溢れるスポーツはこれだ!

    武田薫(スポーツライター) 女子テニス協会(WTA)は、8月10日からカナダのモントリオールで開催予定の「ロジャーズ・カップ」中止を決めた。正確には、来年まで延期するという発表だ。 この大会はトロントとモントリオールで交互に開催されてきた旧カナダオープンで、1980年から男女を分けて両都市で交互に開催されている。だが、男子プロテニス協会(ATP)ツアーのトロントはまだ中止を決めていない。 テニスは、男女ツアーが既に7月のウィンブルドンまで全大会の中止を決めた。8月最終週に行われる最後のグランドスラム、全米オープンにしても、会場の屋根付きコートには備蓄食料が置かれ、施設内にも臨時病院として多数のベッドが設置されているのが現実だ。世界ツアーを展開するテニスの動向から来年のオリンピック・パラリンピックの先行きも見えてくる。 国内でもプロ野球が開幕できず、夏の高校野球もまったく見通しが立たない。現在が止まっていると、過去も未来も書く気にも読む気にもならないもので、スポーツはナマ物ということを改めて知る。 ところで、80年代にスポーツのプロ化が一気に進み、それまで限られた地域、階層、性別の特権だったスポーツが全世界、全社会、全世代に溶け込んだ。 スポーツのプロ化は冷戦構造崩壊の象徴であり、スポーツは「不要不急」から生活の一部になった。オリンピックの4年に1度の祭典という位置付けも変わっていることを再認識する必要があるだろう。 こういう指摘はタブーのようだが、東京大会の開催は無理だ。未曽有の災害とはいえ、祭に延期はない。平和裏にどう中止に落とし込むか、その手続きが慎重に進められているのだと私は思う。東京都庁(左)と東京五輪2020年のロゴ(gettyimages) 野球やテニス、サッカー、ゴルフはオリンピックでなくともその醍醐味(だいごみ)を味わうことができる。陸上競技も4年に1度の開催でスタートした世界選手権が今や隔年での開催で定着し、世界記録のほとんどはオリンピック以外の舞台でつくられている。 それでも、オリンピックでなければ見られない種目も多い。私が特に楽しみにしていたのは、主に重量挙げやフェンシングだった。 重量挙げは孤独な競技だ。筋肉の量によってこれだけの重量が上がるはずだという数値が弾き出される。ウエイト・リフターは、その数字と目の前に冷たく横たわる鉄塊に立ち向かうのだ。80年代を代表する重量挙げ選手の砂岡(いさおか)良治は無口で温厚で顔立ちもいい好青年だった。重量挙げの醍醐味 彼は1984年のロサンゼルスで銅メダルを獲得し、ソウルは6位、最後のバルセロナは失格という成績だった。そのバルセロナ大会ではプラットホームの脇に大型スクリーンが据えられ、カメラがウエイト・リフターの表情だけでなく、膝の裏や手首を大きく映して驚いた。 ヨーロッパのテレビ局はツボを押さえているとつくづく感心したもので、このバルセロナ大会からいろいろなことが変わったように思える。 重量挙げには、日常に逆行している面白さがある。砂岡が垂直跳びで104センチも跳べることなど競技を見ていても分からない。バーベルを持ち上げるのではなく、バーベルの下に潜り込む運動神経がカギと言われて感心したものだ。 それを知った上で重量挙げを見るとたまらなく面白い。 2000年のシドニー大会では雑誌社から切符が余っていると渡され、その全てが重量挙げだったのには笑った。私は喜んで毎日出かけた。 思い出深いのはその会場だ。そこは室内音楽スタジオぐらい狭かった。プラットホーム上で選手が薄く目を閉じて集中し、会場が静まり返る。さあ、というところで誰かの携帯電話が鳴り響いた。しかも着信メロディーは「ポパイ・ザ・セーラーマン」だ。 嘆息とざわめきがあったのは当然だが、東欧系のその男が慌てながらも大声で電話に応対したのに私はびっくりした。選手も立ち上がり、物憂げに天井を見上げてから再び集中した。 その後、クロアチア代表のニコライ・ペシャロフがフェザー級クラスで優勝すると、応援団が狭い会場を練り歩き始めた。なお、その先頭で国旗を持っていたのは、テニスのグランドスラム(四大大会)で優勝したゴラン・イワニセビッチとイバ・マヨリだった。重量挙げ全日本選手権兼シドニー五輪代表選考会、スナッチで135キロのバーベルを持ち上げる池畑大=2000年6月、埼玉県上尾市 ただ、そのクロアチアに同大会最初の金メダルをもたらしたペシャロフはそもそもブルガリアの選手で、この年にクロアチアが政治的に「入手」した代表とは後で知った。 日本代表の池畑大(ひろし)も忘れられない。1996年のアトランタ大会前の北京遠征に同伴した際、中国協会の計らいで万里の長城を見物に出かけたときのことである。入り口に着くなり「トイレに行った方がいい」と言われた女子代表選手たちがすごすご帰ってきたのを目にした。 当時はいわゆる「ニーハオ・トイレ」といったもので、仕切りがないものだった。そのため彼女らの「我慢する」という乙女心に少し驚いた。一方、池畑たちは浦和にある野球場の誰もいないダッグアウトで合宿していた。 絶対に目標を上げなければいけないという日には、コーチはさっと目の前に千円札を置くという。選手は必死に持ち上げ、怒ったように千円札をひったくっていく。 もちろん、金が欲しいわけではない。池畑たちなりの、覚悟の表れであろう。池畑が「人の大勢いるところでやりたい」と言ったので、当時の専務理事に東京駅でできないものか相談したことがあるそうだ。今なら、できるかもしれない。ぜひやってほしい。フェンシングへの想い 昨今人気が高まっているフェンシングだが、私自身これに興味を持つのが少し遅れたという残念な思いがある。 アメリカの伝説的なスポーツライターであり、後に小説家として『スノーグース』『ポセイドン・アドベンチャー』で有名なポール・ギャリコはある本の前書きに「フェンシングは年齢に関係なくやれる」と書いていた。彼はフェンシングをやっていたのだ。 東京でフェンシングとなると台東区が盛んだ。当時、私は同区内の谷中に住んでいたから、一念発起して体育館へ見学に出かけた。だが、小中学生が多いので戸惑ったのがいけなかった。私自身はそっとやりたかったのだが、やろうか迷っているうちに北京大会で太田雄貴が銀メダルを獲得し、たちまちフェンシングが人気になってしまった。 この競技はもともと決闘の手段だから、危険が伴う。過去には競技中に死亡例もある。だが、シドニー大会の前後に透明のバイザーマスクを取り入れた時期があった。フェンシングのマスクは通常金属メッシュで顔を覆っているが、その目の部分にオートバイのヘルメットと同じ強化プラスチックの窓を取り入れた。 「フェンサーの目が見たい、あの眼光が最大の魅力なのだ」と。 これもテレビディレクターの要望だったと聞く。その後、バイザーが割れる事故で2014年以降は全面禁止になり、眼光は再び想像の世界に戻った。 知り合いの剣道家は「剣道は絶対にオリンピックに入らない」と言う。「精神であり記録ではない」と、柔道と比較しながら力説する。そうかもしれない。フェンシングはスポーツ性も面白いから、それもそれでいいだろう。北京五輪フェンシング男子フルーレ個人準決勝で、サンツォ(イタリア)から決勝のポイントを奪う太田雄貴(右)=2008年8月13日、国家会議センターフェンシング館(共同) 北京大会で銀メダル、2015年の世界選手権では個人フルーレ優勝を果たした太田は32歳にして、日本フェンシング協会会長の座に就いた。今でも日本の競技団体で最年少のリーダーだ。今回の未曽有の災いが、彼らの年代が日本のスポーツを引っ張っていく機会になればいいのだが。 スポーツは止まっている。いつ動き出すかも分からない。だが、スポーツはもう生活の一部になってしまい、私たちの心から消えることはない。アスリートにもそのことには確信があるはずだ。

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    あらゆる壁を越えるeスポーツ、コロナ自粛下で見直すべき魅力と原点

    ら軒並み中止になってしまい、大変残念な状況になっている。   この原稿を書いている4月中旬時点では、新型コロナウイルスによる感染者数は拡大の一途をたどっているが、一日も早い終息を願うばかりである。 そして、不幸にも亡くなれた方々に心からお悔やみを申し上げるとともに、感染して重症になってしまった方々の一刻も早い復帰を願い、医療関係者や社会インフラの維持に尽力されている方々には心より感謝を申し上げる次第である。 このような社会状況の中では、外出自粛を求められ、自宅でのテレワークや休みの過ごし方を多くの人々が模索している。また、テレワークに伴い、自動車や電車による通勤時間がなくなり、自宅との往復分だけ時間を余分に使えることになった。 そしてその余暇に、ゲームを選ぶ人も少なからずいるようだ。写真はイメージ(gettyimages) さらに、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、フィジカルスポーツイベントの開催めどが立たない中、さまざまなスポーツ団体によるオンラインゲーム大会が開催され始めている。 そして、特にゲームをプレーしていなくても、動画配信サイトでそういった配信コンテンツを見る人々も増えている。ゲーム情報サイト、ゲームズインダストリーの4月3日の記事によると、都市封鎖(ロックダウン)が本格的に始まった2~3月にかけて、世界でのゲーム関連動画配信サイトの総視聴時間は以下の通りで増加したという。ツイッチ(Twitch、米アマゾン傘下のサービス):23%ユーチューブ・ゲーミング(YouTube Gaming、ゲーム配信チャンネル):10%フェイスブック・ゲーミング(Facebook Gaming、ゲーム配信サイト):4%ミクサー(Mixer、米マイクロソフト傘下のサービス):15% さらに3月以降、さまざまなゲームイベントがオンライン上で行われている。現役アスリートが続々参戦 例えば、米大リーグ機構(MLB)と選手会などは4月10日から、実際の選手が野球のテレビゲーム「MLB The Show 20」で対戦するトーナメント大会の「MLB The Show Players League」を開催している。 参加選手には、2018年のサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)を受賞したタンパベイ・レイズのブレイク・スネル投手や、2019年のべーブ・ルース賞(ポストシーズンMVP)に輝いたワシントン・ナショナルズのフアン・ソト外野手が名を連ねた。全30球団それぞれ1人が出場し、総当たり方式でレギュラーシーズンを争う。 そして上位8人がプレーオフに進出し、勝ち抜けば「ワールドシリーズ」と銘打った優勝決定戦に進む。試合の模様はツイッチなどで公開され、17万5千ドル(約1890万円)を慈善団体に寄付するという。 また、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手がツイッターで呼びかけ、個人開催ではあるが4月12日にスマートフォンアクションゲーム「クラッシュ・ロワイヤル」にて、「マー君CUP」という大会を開催した。プロでも一般の人でもエントリーできる1千人参加の大会をオンライン上で開き、田中投手自身も出場して200位という成績をあげた。 大会は大盛況に終え、田中投手は次回の開催も前向きに考えているようだ。そして何より、田中投手とマッチングできたプレーヤーが大喜びでツイッターに書き込むなど、この大会は大きなサプライズを与えてくれた素晴らしい試みであったと言えるだろう。 一方、米プロバスケットボール協会(NBA)でも、米スポーツ専門局ESPNと共同開催した大会「NBA 2K プレイヤーズ トーナメント」が盛り上がりを見せた。現役選手16人による、NBA公認バスケットボールゲームソフト「NBA 2K20」を用いた本大会が4月3日から開催され、ワシントン・ウィザーズから八村塁選手が出場した。トレイルブレーザーズ戦でドリブルするウィザーズの八村塁=2020年3月4日、ポートランド(AP=共同) 八村選手は1回戦でユタ・ジャズの主力、ドノバン・ミッチェル選手と対戦し見事に勝利、準々決勝に進むものの惜しくも敗れた。なお、優勝賞金10万ドル(約1080万円)は、新型コロナウイルスの感染防止支援として寄付された。 モータースポーツの最高峰であるF1では、大会が中止になったことで、3月22日からF1公式ビデオゲーム「F1 2019」を用いた「F1 eスポーツ・バーチャル・グランプリ」が開催されている。 なお、この大会では前出の2大会と比べて、出場選手が現役のF1ドライバーやF1解説者を始め、プロゴルファー、五輪の自転車競技の金メダリスト、モーターサイクルレーサー、ユーチューバー、人気音楽グループであるワン・ダイレクションのリアム・ペインのようなシンガーまでもが参加するという、エンターテインメント色の強いものとなっている。スポーツの原点とゲームの力 ここに挙げた大会はほんの一例であり、これら以外にさまざまなイベントが開催されている。それらがいろいろなメディアや会員制交流サイト(SNS)で取り上げられることにより、eスポーツにそれほど関心のなかった層にもその魅力が広がっている。 一流のフィジカル系アスリートやミュージシャン、ゲーム配信を行うストリーマーたちが真剣勝負を繰り広げ、チームや個々のプライドをかけて熱中して闘う姿を見せることで、eスポーツの面白さを体感する機会が増えてきているのだ。 eスポーツは言葉、距離、年齢、性差、障害など、さまざまな壁を越えると言われている。実はこれまでも、そういった事例は枚挙にいとまがないのだが、多くの人に認知される機会は少なかった。 だが、新型コロナウイルスによる影響でフィジカルスポーツができない中、オンライン上で数多くのeスポーツイベントが開催された。それが結果として、さまざまな人々に「スポーツ」という言葉が本来持っている「楽しみ」を提供していると言えるのではないだろうか。 今までeスポーツにあまり関心のなかった層が、実際に触れる機会が増えたことで、「コロナショック」が落ち着いたころには、若者の支持するeスポーツを取り込みたい企業などのプロモーション需要がますます高まってくると思われる。 また最近、知人の話で感じたのが、親子のゲームに対する向き合い方の変化だ。在宅勤務により親が家にいる時間が長くなったことで、子供が熱中しているゲームを、それとなく見ているうちに興味を持つ親が増えたという。子供から操作を教わりながら一緒にやり始め、プレーするうちに親子のコミュニケーションが活発になったそうだ。写真はイメージ(gettyimages) 在宅勤務が始まる前は、子供がやっているゲームをチラッと見ただけで「何をやっているかよく分からない」と言っていたのが、不思議なぐらいの変わりようである。このまま、ゲームを共通の趣味とした親子のコミュニケーションが増えれば、近頃言われている子供の「ゲーム依存」も減ると個人的には考えている。 新型コロナウイルスで暗い話題が多い一方で、ゲームを通した社会での流れが、現状に一筋の明るい材料になってくれればと、私は願うばかりである。