検索ワード:新型コロナウイルス/160件ヒットしました

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    『小西寛子のセカンドオピニオン』第4回(前編) イチからわかる新型コロナ~なぜ外出自粛が必要なの?~

    新型コロナウイルスの感染者数は、減少傾向にあるが、第2波などの懸念が指摘されている。特に学校という集団生活は感染拡大の要因にないやすいだけに、保護者や子供たちの不安は拭えない。そこで、今回は、新型コロナウイルスについて、子供たちも理解できるよう、小西寛子が「南風ヒロコ先生」として、改めて外出自粛の必要性を解説する。

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    反検察庁法改正の「釣り」に引っかからない当たり前の極意

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案について、今国会での成立が見送られることが決まった。「束ね法案」として一本化された国家公務員法改正案とともに見送られた背景には、「#検察庁法改正案に抗議します」という「ハッシュタグ祭り」から始まった世論の反発がある。 最新の世論調査でも、安倍内閣の支持率は法案への反対を主な理由として、大きく下落した。ただ、法案は秋の臨時国会へ向けて継続審議となり、仕切り直しの公算が大きいだろう。 前回の連載でも書いたが、検察庁法改正案への反発については、安倍晋三首相と「近い」といわれる東京高検の黒川弘務検事長の定年延長問題とこの改正案を、多くの人たちが混同し、それに基づいて反対運動を展開したことに大きな特徴がある。一方で、肝心の法案の中味を検討した上での反対が主流ともいえなかった。 多くの人は同調圧力や感情、直観で動いたと思われる。後ほど指摘するが、この反対運動の特殊性も指摘されている。 ところで、安倍首相と黒川検事長が本当に「近い」かは不明である。少なくとも、定年延長問題が国会で議論されてから、一貫してそのような「印象報道」が行われていた。 学校法人森友学園(大阪市)や加計学園(岡山市)、桜を見る会、そしてアベノマスクに至るまで、安倍首相との関係が「ある」ことを基礎にした「疑惑」の数々に、筆者は正直辟易(へきえき)している。疑惑の根拠が、単に首相との個人的なつながりだったり、会合で1、2回程度の「単なる出会い」であるとするならば、それは単に「疑惑」を抱いた人たちの魔女狩り的な心性を明らかにしているだけだろう。 ただし、誰も魔女狩りをしていると、自ら認めることはない。本人たちにとっては「社会的使命」や「正義」かもしれないからだ。 この種の魔女狩りを「正義」に転換するシステムは、いろいろ存在する。ここではそれを「釣り」(フィッシング)と名付けよう。安倍晋三首相との面会を終え記者団の取材に、検察庁法改正案の見送りを表明する自民党・二階俊博幹事長(中央)=2020年5月18日、首相官邸(春名中撮影) インターネットでもしばしば見受けられる偽サイトへの誘導などのフィッシング詐欺と似ている。「釣り」を経済学の中に導入したのは、2人ともノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフ、ロバート・シラー両氏の著作『不道徳な見えざる手』(原題:釣りに釣られる愚者)が代表である。 彼らは、通常の経済学が前提にしている自由市場のメカニズムに疑問を呈している。自由市場では、合理的な人たちが完全な情報を得て、自らの利益が最大になるように行動する。その結果、市場の成果は本人たちにとって「最適」なものになる。論理飛躍を埋める「物語」 だが、アカロフ、シラー両氏は、市場では釣りが横行していて、人の弱みにつけ込んで利益を得る人が多いこと、それは裏面では弱みを握られた人たちが「最適」な成果を得ることができないことを意味している。しかもポイントは、釣られた人たちが、自分たちが釣られたことに気が付きにくいことだ。 なぜ釣られたことに気が付かないのだろうか。アカロフ氏とシラー氏の着眼点は「物語」にある。 人はそれぞれ、何らかの物語を抱いている。自分がどのような人であり、どのような人生を送ってきたか、そういう物語は多くの人が普段から自ら胸中に描いていることだろう。 そして、自分以外の物事や出来事に対しても、人はこだわりを持っているに違いない。食事のマナーや通勤のルートの取り方、休日の過ごし方、好きな音楽や本などでも見受けられるはずだ。 安倍首相に対するイメージでも、こだわりはあるだろう。過去に、モリカケなどで「安倍首相は悪い。これは私の直観である」と言い放ち、論理や事実を全く跳ね返す人に多数遭遇した。 これらの人物や出来事に対する印象も、物語に依存するものが多い。物語は、人の人生を豊かにする反面、他者からの釣りに弱い側面もある。 安倍首相のケースでいえば、彼が「嘘つき」だとか、記者会見で「自分の言葉で話していない」という物語がある。前者は具体的に何を指すか全く分からないが、そういう人たちが多い。 後者は、記者会見でプロンプターを見ながら話していることが、典型例としてしばしば言及されている。しかし、数千字にも上る重要なメッセージを間違いなく正確に読むのに、プロンプターは便利なツールでしかない。 プロンプターに表示された画面を読むことを「自分の言葉ではない」というのは、かなり論理飛躍がある。だが、この論理飛躍の穴を埋めるのが、その人の物語なのである。2020年5月15日、検察庁法改正案に反対し、国会前でプラカードを掲げる男性 原理的にこの物語を利用した釣りは、振り込め詐欺のような「家族」の物語を利用したタイプから、上述した政治的なタイプまで幅広い。キーは論理的な跳躍(人によってはそれは直観や感情などと言い換えることもできる)を物語で埋めることである。 では、この物語のマイナス面を回避して、釣りに引っかからないにはどうしたらいいだろうか。先日、分かりやすい実例があった。釣りと弱さを自覚せよ 元HKT48でタレントの指原莉乃がフジテレビ系『ワイドナショー』で、「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグを付けたツイートを求めるコメントが来たときに、「私はそこまでの固い信念ほど勉強できていなかった」と述べていた。要するに、分からないことに慎重になったのだ。 自分が普段知らないこと、新規の出来事に遭遇したときは、まず、急に判断せずに、一拍置いてから行う。この当たり前ともいえる判断を、指原はうまく表現していたのである。 われわれは「弱い人」である。分からない運動に巻き込まれても、「法案の中味を読んだのか」と言われてから、慌てて読んでも「判断を変えない」「いや、既に読んでいた」などと欺瞞(ぎまん)を繕う人も多い。 だが、弱さを自覚してこそ、文明の発展に寄与したと、18世紀の終わり、アダム・スミスは『道徳感情論』の中で述べている。釣りに遭ったと自覚することが、個人だけではなく社会の発展には欠かせないのだ。 一方で、釣りの側のシステムも巧妙になってきている。われわれの弱さを克服する文明が発達するとともに、釣りの文化も発達しているのだ。 主要新聞では、検察庁法改正案反対のツイート数が数百万件にもなったと報じ、多くのワイドショーやニュース番組でも繰り返し取り上げられた。しかし、経済評論家の上念司氏らは、この種のハッシュタグ運動が一種の「スパム」によって成立していることを、早期から指摘していた。 つまり、ハッシュタグ運動の盛り上がり自体の大半が釣りだったのだ。確かに、政治的なハッシュタグ運動としては人気だった。 だが、そのボリュームについてはかなりの「水増し」があったのも事実だ。夕刊フジによると、5月8日午後8時以降の67時間に行われた約500万件のツイートのうち、投稿された実際のアカウント数は8分の1程度であったという。 デモでも主催者は参加者を「盛る」ことが一般的だ。数百万ではなく、実際には、数十万アカウントの人たちの活動であることを注記した報道もあるが、「数百万件」報道の方が一人歩きしたことは間違いない。こうして「多数派」の印象報道は成立していくのである。元HKT48でタレントの指原莉乃 政権批判を直観や感情で行おうが反知性で行おうが、それは別に個人の自由でしかない。ただし、直観や感情や反知性的な政権批判は、たいして評価されない。煽動(せんどう)的な行為で集団化すれば、脅威として批判されるのも当然である。 いずれにせよ、検察庁法改正案自体は、新型コロナ危機の対策を最優先する中で、審議していけばいいだろう。「三権分立の危機」や「民主主義の危機」といった物語を大きくする勢力はあっても、その種の釣りには慎重に対すればいいだけである。そのぐらいの優先度しかない問題なのである。

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    瀕死の地方観光、PRのプロが処方する「withコロナ」の特効薬

    菅原豊(戦略PRプロデューサー) 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言は一部で解除されたものの、全国の観光地、観光産業は先行きが見えてきません。そんな中、観光プロモーション活動は今、何をするべきなのかを整理したいと思います。 まず、今回直面している問題をどうとらえるか。①数カ月後に完全な終息宣言が発表され、新型コロナ問題が起きる前の状態に戻る②新薬やワクチンが開発され新型コロナ問題は終息するとは思うが、それは数年先③未知のウイルスの解明には相当な時間がかかり、社会生活は元には戻らない 私は、医療の専門家ではないので、どれが正しいのかは正確には分かりませんが、われわれが何かの仕事に従事し、生計を成り立たせ、生きている以上、起きている現象について「想定をし、準備」しなければならず、その仮説は必要になってきます。 そこで、世の中で報道されている情報から判断し、想定することは、まず「①はあり得ない」だろうということ。次に②か③を考えた場合、その間で落ち着くのではないだろうかと思っています。 つまり、医療従事者の方々の懸命の努力と新薬開発によって、終息に向かっていくとは思いますが、その社会は、元の社会ではないだろうというものです。 その新しい社会において「観光」はどう変わるのか。多くの人の英知、アイデアによってトライアンドエラーが繰り返されながら、新様式に収斂されていくはずですが、では、今、このタイミングで何をしておくのがよいのか。そのことについて考えてみたいと思います。 現在の観光プロモーションが直面する課題は大きく分けて二つあります。 まず、一つ目は、観光のプロモーションで最も基本的なフレーズである「来てください」という言葉を使えないことが一番の衝撃。観光事業は、旅行者の時間を自身の地に割いてもらうビジネスなので、来ていただかなければ何も始まりません。 現在の、新型コロナ感染拡大防止策がとられている中では、目的地である観光地が、人が集まり感染予防の観点で問題があるだけでなく、そこまでの移動手段、交通機関の中での人との接触においてもリスクがあり、移動が制限されますから、行きたくても行けない状況。そんな中「来てください」とは言えなくなり、ではどう伝えればよいのか、という課題。閑散とするJR東京駅の新幹線ホーム=2020年5月2日 二つ目は、年間を通じてさまざまなイベントや展示会などに参加して、「BtoC」(企業が一般消費者を対象にしたビジネス)、「BtoB」(企業が企業を対象にしたビジネス)の売り込みをしていたことが、すべて中止になり、では何をしたらよいのか、という課題です。 この二つの課題は、当たり前ですが、これまでの観光ビジネスの形を前提にしています。では、逆に考えて、混んでいる地域より相対的に感染リスクが低い、人気のない観光地はどうでしょうか。その場合も「うちは人気がないので、安全です。来てください!」という表現は矛盾が出てしまい使えません。「遠い場所でのお買い物」 また、具体的なプロモーション活動も、東京や大阪で開催される展示会などに出展するという手法は、活動自体に感染リスクがありますので、出展者からも来場者からも賛同は得られず、事実上、展示会自体が実施されないでしょう。 では、今のこの時期、「何」をしたらよいのか。ここで三つの施策を提案したいと思います。①観光とは遠くの場所でのお買い物である②フェイスブックで将来顧客を貯める③まずは道の駅から まず①ですが、観光とは、遠くの場所に行って、非日常を体験すること。地方都市を訪れ自然に触れ、新鮮な物を食し、温泉に入って、楽しいアクティビティをやって、お土産を買って帰り、土産話を家族や友人にする。 あるいは、地方から楽しい施設がある大都市に来て、朝から晩まで遊んで帰る。どちらも、自分の時間を、自分の嗜好に合わせて日常では体験できないことを楽しむことを指すわけですが、その中の一つの「モノを買う」という行為に着目します。 観光地で買うモノには、お土産だけでなく、その場で食べる(消費する)モノまでを含んで考えるようにすると、観光とは、つまり、「遠くの場所でのお買い物」であることが分かります。「人が来て成り立つ観光地に人が来ないから大問題」なのですが、観光地に人が再び集まってくるのは、今は、残念ながら誰にも分からない状況。その状況の中で「人が来ないからおしまいです」としてしまうのは簡単ですが、果たして、それでよいのでしょうか。 観光地にあるモノの販売経路を考えてみます。観光地で売られているものは、ほとんど、観光客が買っています。一方、さまざまな商品マーケティングの中で、常識のように言われている鉄則にリピーターを作れるか、という考え方があります。その理由は、リピーターは、既に商品のよさを知っていて、新規の顧客開発時に必要になる商品説明の手間がかからないこと。商品開発側の視点で考えれば、リピートしてもらえるような商品を作りたいと、日々考えていることになります。 一方、日本の観光促進政策の中に、特定のエリアが連係して観光地をマーケティングしようという動きがあり、それを戦略的に推進しようとするDMO (Destination Management Organization)と呼ばれる組織が今増えてきています。 個別の地域だけ、個別の宿泊施設だけでプロモーションをするのではなく、全体的に効率よく当該地域に集客し、地域内で多くのお金を使ってもらいましょう、ということを推進する事業体になります。しかし、新型コロナ問題で事態は急変。繰り返しになりますが、「来てください」は使えなくなりました。 そこで、この状況を鑑み提案したいのは、過去の宿泊者に対して観光地の特産品を買っていただくマーケティングを地域で連携して行うというもの。観光で訪れたことがある人は、このアプローチをされることで「おいしいからもう一度食べてみたい」「おいしかったからこれを友達に贈ってあげたい」「あのときは時間がなかったから寄れなかった(食べに行けなかった)けど、食べてみたい」と、さまざまなことを考えるでしょう。感染防止で外出を自粛しても、日々食事はしていますし、前に行った観光地のモノを食べようという気持ちになるのは不思議なことではありません。観光客が激減した大分県別府市の鉄輪地区=2020年4月 少なくとも、私は、地方自治体の観光PRの仕事で全国を飛び回り、各地の宿泊施設に泊まっていますが、4月から始まった自粛期間の4週間でそういうDMをもらったことはありません。観光地は、既に、当該エリアのファンのデータの宝庫になっているはず。過去の来訪者にさまざまな特産品の販売プロモーションをかけていただきたいと思います。その活動は、終息後、「来ていただく」本当の観光マーケティングの再開を後押しするための財産も作ってくれます。 次に②ですが、過去の来訪者に頼れるのは、既に人気のある観光地だけで、これから観光で盛り上げようと考えていた地域はどうすればよいのでしょうか。こういう課題のための一つの施策として、会員制交流サイト(SNS)の一つであるフェイスブックの活用を挙げたいと思います。フェイスブックの潜在力 「フェイスブックなんて、もう数年前から活用している」という自治体がほとんどだと思いますが、ほぼすべての自治体のフェイスブックは、投稿数、投稿頻度、記事ごとの「いいね!」数などを見ると、いわゆる「仲良しこよしの親睦会」的なものになっているだけで、なんらマーケティングには使われているようには見えません。 先日、ある県のすべての市町村のフェイスブックを見てみました。行政機関の広報ツールとしてのフェイスブックではなく、外郭の観光協会などのフェイスブックを見たところ22の市町村に公式フェイスブックがありました。平均稼働年数は6年。つまり、2014年頃に設置しているということになります。 これら22市町村のフェイスブックの月間獲得平均「いいね!」数は20・72件。月平均が約21件なので、6年経過し、現在の平均「いいね!」数は約1500。しかし、この「いいね!」数はほぼ関係者とその友達からの「いいね!」であろうと思われます。 果たして、フェイスブックとは何なんでしょうか。どういう目的で作ったのでしょうか。今、予定していた観光プロモーションが何もできなくなったこの時期、再び考えてみてはどうでしょうか。 フェイスブックは「いいね!」をしてくれた人に優先的に情報を届けられるSNSです。他のSNSも概ね同じ仕様ですが、現在のSNSツールごとの利用者層を考えたとき、観光マーケティングという分野ではフェイスブックが最適なSNSだと思われます(どのSNSがどのターゲット層に最も有効か、ということを考える資料はインターネット上にいっぱいありますので、興味がある方は研究してみてください)。 「『いいね!』をしてくれた人に優先的に情報を届けられる」という仕組みを理解すれば、「来てください」という観光マーケティングの視点から見た場合、その地に行ったことがない人から、どれだけ多く「いいね!」をしてもらうか、という課題が同時に出てくることになります。 これは、フェイスブックをマーケティングに使う、と決めた瞬間から出てくる課題です。もし、観光協会などが公式フェイスブックを作ろうということを決めたときに、「全国から、世界中からの新規の『いいね!』数を日々増やしていく」という施策を同時にスタートさせていないとすれば、それは大きな間違いを犯したことになります。 フェイスブックに限りません。インターネット上の情報は、会社などのWEBサイトもしかり、見てもらう活動を戦略的に実施していくことで、その存在意義があります。「作りますが、見てもらう活動はしません」という場合は、新しいお客様は誰も見ませんので、マーケティング視点に立った場合、持ってないことと実質的に変わりません。 SNSは、友人知人、公式非公式、さらには国境を越え、広がっていくという仕組みを内包していますので、毎月、毎年、新規の「いいね!」を貯めていくことで、非常に大きく、マーケティング活動のための、裏切らないインフラとして成長していきます。 逆説的に考えれば、公式フェイスブックを作って数年経ち、想定外の困難に直面してしまった今、プロモーションのためのツールとして現有の「いいね!」数が役に立たない、という場合は、それは、マーケティング視点で見ると、偽物の「いいね!」だったのではないか、と考えるのが妥当でしょう。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 一方、新規の「いいね!」を、友達の友達の友達…というアナログな関係から増やしていくことは、実際、容易ではありません。SNSという言葉の響きから、それができるのでは?   と考えてしまいがちですが、みなさんが自分自身の活動を見直していただければ、答えはすぐに分かります。 ここ半年で、自分のフェイスブック友達に、いずれかのフェイスブックの「いいね!」をお願いしたことがある方は何人いるでしょうか。あまりいないはずです。ネット上の情報は、自由に動き回りますが、人の心が介在したとき、「いいね!してね」「シェアしてください」という言葉は、非常に重い鉛が付けられているように、稼働しなくなります。悪い情報はネット上で、匿名で拡散されることがありますが、それと正反対。よい情報を広げるのは簡単ではありません。今はファンを貯めるとき では、どうするのか。最もシンプルで簡単な手法は、フェイスブック広告を使う方法だと思います。フェイスブックやインスタグラムの利用者にプッシュ方式で画面に登場させるというものになります。プッシュでスマホの画面に出てくるというのは、一見すると見た人によい印象を与えないのでは、と思いがちですが、地方自治体が発信する情報は比較的好意的に受け止められているようです。 最近の事例でも、2市で実施していますが、予想を上回って、よい形で、全国からの新規の「いいね!」が増えてきています。多くの人が、地方自治体からの情報発信に対して好意的なのは、どういう理由からなのでしょうか。 日本全国、ほとんどの人に自身の生まれ育った故郷があり、「最近、帰ってないなー、時々帰らないとなー」という後ろめたさのような気持ちがあったりします。また、日々の仕事や生活から離れてゆっくり観光したいという純粋な欲求も持っています。地方自治体が発するさまざまな日常の情報は、そんなニーズを満たしてくれているのかもしれません。 たとえば、群馬県高崎市では、新設のフェイスブック「高崎目線~高崎に住むということ~」で、ゼロから記事投稿と同時に広告を運用し3週間で1700を超える「いいね!」を、岐阜県飛騨市では「飛騨市Fan’sPage」で6日間で約130の新規の「いいね!」を、全国から獲得しています。 記事を見た人がすべて「いいね!」をすることはないわけですが、市の情報を市外の人に届ける、という観光プロモーションの非常に基本的なことを、シンプルかつクリアなKPI(重要業績評価指標)をもって実行していくことができます。加えて、反応が見え、分かりやすいことで、観光プロモーションを担当する人のモチベーションアップにもつながっていきます。 新型コロナ問題で身動きが取れない時期だからこそ、フェイスブックを使って新しい「いいね!」を増やし、ファンをため、新たな形でより大きな観光プロモーションが再開したときに、真っ先にそのことを知らせることができる「友達」を作っていっていくことは非常に意味があると思います。 次は③の「道の駅」についてです。新型コロナが終息したときに、観光産業のみならず、通常の経済活動は、どういう風に復活していくのでしょうか。多くの専門家が、さまざまな見地から考えを話していますが、終息の時期が明確にならない今は、どの見解が正しいか、という議論よりも、社会的に、いろんな可能性や考えを、誰もが、自由に発表し共有できる環境を作っておくことが、いざというとき、リスクを最小限にとどめることに役立っていくはずです。 そこで、観光分野はどうやって復活していくのがよいのか、を考えたいと思います。みなさんの議論の材料にでもなれば幸いです。 「3密」を避けましょう! という新しい生活様式が提唱され始めました。行動様式を変えていくことで、自身が感染するというリスクを低減し、社会全体として感染者を小さい数字でとどめておくとことで地域の医療を守ろうということだと思います。 しかし、敵は見えないウイルスです。公共の施設が、たとえば、イスやテーブルの使用の前後にアルコール消毒をしても、その後から来たお客様から見ると、「したのか?してないのか?」「ウイルスがいるのか?いないのか?」は、自身の目で確認することはなかなか難しいという実情があります。 観光という分野で考えれば、新幹線や飛行機、長距離バスなどの公共交通機関は、どうしても一定の時間「密閉」空間にならざるを得えません。つまり、新しい生活様式の中においても、これまでの当たり前の観光の仕様に戻すことは非常に困難であると言わざるを得ません。閑散とする羽田空港第2ターミナル=2020年4月29日 でも、冒頭で記しましたが、ウイルス研究や医療技術の進展、新薬開発などが急ピッチで進んでいるようなので、いずれわれわれが必要以上に怖がらなくてもよい病気の一つになってくれるのだと思います。それに向けて、長い時間がかかると思いますが、観光分野を再び盛り上げていくために、今、どういう形で助走を始めることが適切なのか、を考えてみました。「分散」という新たな概念 多くの人が同じ場所にいる密閉空間を避けて旅をする…このイメージで考えた場合、新型コロナの終息の動きと合わせて観光産業を復活させていく初動のシナリオは、「自家用車、オートバイ、自転車を使った旅づくり」なのではないでしょうか。そこで、全国にある「道の駅」に観光業復活の助走のための中心的な役割を担ってもらってはいかがでしょうか。 全国に、1173の「道の駅」があります(2020年3月13日現在)。各都道府県に均等にあるわけではありませんが、概ね、大きな道路の脇にあり、混みあった場所にはありません。広大な北海道には125駅あり、北海道以外では岐阜県が最も多く56駅あります。 東京都は八王子市に1駅だけ。「道の駅」は当該エリアの特産品の販売を中心に各種の観光情報発信基地としても機能しています。かつ、すべての「道の駅」が比較的郊外のひらけた場所にあることで、観光スポットの一つとして機能しつつ、もっとも「密集」の度合いを下げることができます。 さらに、「新しい生活様式」に沿った「新しい観光」の確立に向けて動き出すのであれば、ぜひ、「分散」をキーワードにして設計していただきたいと思っています。感染予防のために使う「密集しないで」という言葉は、観光地がそれを発すると、事実上「来ないでください」という意味が含まれてきてしまいます。 これでは、観光プロモーションは成立しません。そうではなく、これまで観光資源があるにもかかわらず、あまり注目されていなかった地域の観光プロモーションと情報発信を強化することで、全体として、自然に観光客が「分散」されるようにしていくことが重要なのではないでしょうか。 観光客は、いつの時代も、自分で行きたい場所に行くものです。そうでなければ、非日常を味わったり、ストレスを発散したり、ということができません。観光地として既に一定レベルでき上がっているところに、観光客を戻すためのキャンペーンやプロモーションではなく、「分散」をキーワードにした「新しい観光」を作っていただきたいと思っています。その中で、全国に平等にあり、感染予防の観点で安全性が高い「道の駅」を活用していく。そんな政策を推進していただきたいと思います。 新型コロナ感染拡大予防策によって、全国、全世界で、「移動」することに制限がかけられている今、日本全体の経済的ダメージは大きく、特に「移動」することで成り立っていた全国各地の観光産業は瀕死の重傷を負っています。国道118号沿いに掲げられた道の駅のメッセージ=2020年4月、茨城県常陸大宮市 しかし、新型コロナ問題の解決を待っていれば、何もできません。今の状態で、できることを模索し、実施し、レビューし、さらに実施していくことが大切です。本稿では、三つのアイデアを書きましたが、それぞれが有機的に連携するように進めていくと、その効率性が上がっていくはずです。 みなさんの地域で、まずは、今回の新型コロナ問題をどう位置づけるかを決め、それを地域で共有し、できれば地域みんなでリスクを分散しながら、新しい生活様式に呼応する新しい観光のスタイルの確立につながる一歩を踏み出していただきたいと思います。

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    ナイナイ岡村「風俗嬢」発言と日本社会の現実

    ナインティナイン、岡村隆史の「風俗嬢」発言について、女性蔑視などとの批判が相次いだ。新型コロナ禍で生活苦になった女性が風俗業を余儀なくされ、それを楽しみにするといった主旨だけに批判は免れない。ただ、この問題の根本は個人批判だけでは見えてこない。今回は、浮き彫りになった日本社会の現実と課題を直視する。

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    ナイナイ岡村「風俗嬢」発言を後押しする日本社会の悪循環

    志社大大学院教授) 4月23日、ラジオの深夜番組内で、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史が、新型コロナウイルス感染拡大の終息後について「面白いことがあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども美人さんがお嬢(風俗の女性)やります」などと語り、批判が相次いだ。 女性蔑視、女性への人権侵害として、出演番組からの降板を求める署名活動にも発展。発言者の岡村は同月30日に、同じラジオ番組内で反省の弁を述べた。だが、その謝罪内容についても、「失礼な発言であった」との形式的なもので、本当の謝罪になっていないとのさらなる批判を招いている。 この問題は、発言者個人を批判して済むものではなく、日本の歴史的、社会的背景による根深い構造的問題を抱えている。単なる失言で終わらせるべき問題ではない。遊女や春画の研究を通じ、日本のセクシュアリティの研究をしてきた見地から、日本の性文化の過去の問題点を整理し、何を改善すべきなのか、再発防止には何が必要なのかを指摘したい。 日本文化の歴史的背景として、性的な話題を「お笑い」と認識し、その場を和(なご)ませるツールとする現象が存在した。女性と男性の営みを生殖器もあらわに描く浮世絵の春画は、当時は「笑い絵」と呼ばれ、落語にも艶笑話が含まれる。日本の祭礼にも、性的な行為を演じて観客を笑わせたり、生殖器をご神体として担いで練り歩いたりして、見物人の笑いを誘うものが継承されている。 日常生活では隠している下半身をさらけ出したり、恥ずかしい性的な話題をあえて共有したりすることで、お笑いというリラックス効果が生じ、さらに、そのお笑いを共有する人々がお互いの警戒心を解き、仲間意識を高める意味での一種のコミュニケーション手段として、日本社会における性表現は社会的に機能していた。 ゆえに、現在でも酒席などでいわゆる猥談(わいだん)をして気心が知れるという習慣は、特に男性同士の社交文化において、おおっぴらに語られなくとも残存している。森鴎外の『ヴィタ・セクスアリス』に、先輩が後輩を色街に連れて行く「男社会」の習慣が描かれているように、男性同士のホモソーシャルな絆を確認するために、風俗業界が利用されるという社会現象が、日本社会には歴史的に存在したのである。 この歴史から推測できることは、今回問題化した芸能人発言だけではなく、同じように思っている男性が実は日本社会には一定数存在するのではないかということである。仮に「あなたも同じように思っていますか」というアンケートをしたとしても、性的な話題について本音の回答を得られるかどうかはおぼつかない。インタビューに答えるお笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史=2016年10月、東京都世田谷区(川口良介撮影) だが、「ほんまはそう思てる男性いっぱいおるよね」という無言の後押しがなければ、メディア出演を仕事とする著名な芸人が、ラジオであのような無防備な発言はしないと思われる。私は彼個人よりも、彼の発言を潜在的に後押ししたと思われる「岡村予備軍」ともいうべき日本男性の心性的慣習を問題視したい。 発言者の意識を推測してみると、性的な話題が「笑い」とみなされ、場を和ませる肯定的要素として受け止められた歴史があったため、お笑い芸人という本業から、新型コロナ感染拡大下の沈うつな社会を和ませるサービス精神が出てしまった、つい「笑い」をとりにいった、悪気はなく逆にウケると思っていたとも想像できる。蔓延する大いなる誤解 であれば、「本気の謝罪」になりにくいのも必然である。私は決して、歴史的背景に照らして、岡村発言を擁護するつもりはない。逆に、「表で言ったからアカンのやろ、どうせ同じことを思っている男はこの世にいっぱいおるはずやから、まあ表向き謝罪しといたらええわ」というような発想を生み出す社会的、歴史的背景をこそ、問題にしたいのである。 上記のような歴史的背景から、現代社会では、水商売の女性や女性の容姿をネタにして笑うことを女性に対する侮蔑であると認識できず、むしろサービス精神だととらえる大いなる誤解が蔓延している。 しかし、このことは、セックスワーカーに対する偏見でもあり、女性を容姿で判断するというあからさまな過ちという意味でも、二重に問題をはらんでいる。こうした文化的慣習からくる日本社会の女性観、女性についての認識自体を根本から改めなければ、再発は永遠に防止できない。 ラジオという公共の電波で発言したから悪い、プライベートではこういう発言も許される、というようにこの問題を矮小化するべきではない。 では、江戸時代なら許されて現代はだめなのか、という疑問が生じるであろうが、江戸時代の「笑い絵」は、女性も男性も鑑賞するものであり、実は春画には遊女の姿は少ないのだ。 夫婦の営みや恋人の関係が主として描かれる春画の場合、性の歓びを女性も男性も謳歌する要素が強く、好意もない異性に経済的困窮から仕方なく性的サービスを提供する遊女たちの苦痛に満ちた性はモチーフになりにくいのである(筆者共編著『浮世絵春画を読む 下』の「春画と遊女」、筆者著書『「愛」と「性」の文化史』)。 しかし、明治の近代化以降、西洋文明の影響下で、ストイックな近代的性道徳が女子教育を通じて主流化し、江戸以前の「笑い絵」の文化が否定されるとともに、女性は「貞操」や「処女」性を重視され、清く、正しく、美しくあることを求められるようになった。展示された歌川国貞の肉筆春画「金瓶梅」=2015年9月、東京都文京区の永青文庫 ところが逆に男性については、江戸以前と同様、遊廓に通って先輩後輩の絆を深めたり、場を和ませる手段としての猥談をしたりすることが、一種の社交手段として許容され続け、セクシュアリティをめぐる女性と男性をめぐる非対称性、ダブルスタンダードが明治以降に強化されて今日に至る。 女性たちの多くもまた、明治の近代教育における夫や息子に従属すべきという儒教的規範を内面化して、男性の猥談を許容したり、性的な嫌がらせを我慢し続けたりしてきたのである。求められる意識改革 だが、こうした性のダブルスタンダードは、ジェンダー平等の実現を目指す現代社会では当然不適切であり、これまでは当たり前と思われていたからこれからも当たり前、という男性中心の性文化の発想をまずは根本から転換する必要がある。岡村発言のみを批判してことたれりとするのではなく、その背後にある過去の日本男性の「性的常識」自体の根本的意識改革こそが、これを契機に求められているのである。 岡村発言の背景にある日本社会全体の問題は、女性と男性の経済格差としても存在する。国際比較上、女性と男性の収入の格差は、日本では男性に対して女性が7割程度を推移してきたが、欧州などは8~9割程度の地域もある。 男性の収入で妻と子供の一家全員の生計をまかなう「男性一人稼ぎ手モデル」が、この格差に影響しており、男性を主たる生計の担い手として位置づける社会的認識が、特に高度成長期に主流化した。 このため、男女の収入の格差はむしろ助長され(男性の収入を増やすことが家計全体にプラスと判断されがちになるため)、配偶者の収入が一定額を超えると扶養控除がなくなるという税制もこうした傾向を助長する。配偶者、特に女性の側に収入があることはいけないことではないか、配偶者よりも稼ぐことは男性の面子をつぶしてしまうのではないか、という間違った倫理道徳観さえ、そこから派生してしまう。 経済の低成長時代を迎え、男性一人稼ぎ手モデルが自明ではなくなり、専業主婦の数はデータ上、減っているとはいえ、長時間労働、ワークライフバランスの解消が前に進まないこともあり、日本女性の労働市場への参画は十分に進まない。 また、昇進すると責任が増えたり、ハードワークになる危惧があったりするため、あえて出世を望まない場合もあり、管理職への女性の進出も進まず、男女の賃金格差も解消されないという悪循環を生む。 結果として、女性がまとまった収入を得るために、いわゆる水商売に走るという戦前のような発想は、現在も隠微に存在している。女性の職業選択肢は明治末から大正期にかけて増え、地道に働いて収入を得る手段も皆無ではないが、現代では長時間労働や遠距離通勤もあり、女性男性を問わず日本の組織は負担が大きいために、まとまった収入を得るためには水商売に行くしかないかとの発想を女性が持ってしまうことにもつながる。 男女共同参画や、女性「活躍」というスローガンが掲げられて久しいが、世界経済フォーラムによる日本女性のジェンダー平等指数の順位は、国際比較上、上昇しているどころか、近年は下降している。「すべての女性が輝く社会づくり推進室」の看板をかける安倍晋三首相と有村治子女性活躍担当相(当時)=2014年10月、内閣府(代表撮影) ジェンダー・ギャップ指数は欧米基準だとの批判もあるが、2019年には153カ国中121位と下位の記録を更新、むしろ2010年代までの方が、80位(06年)、98位(11年)と、90位台から最低101位を推移しており、日本のジェンダー状況は進化するどころか退化している。女性にも求められる発想の転換 なぜなのか。明治女性の労働参画を研究していて明らかなことは、近代化初期の女性の労働参画は、自己実現のためというよりも、生計を担う覚悟で責任を持って働くことが求められたということである。 明治の女性労働としては『女工哀史』がよく知られるが、労働する当事者としての彼女たちは、少なからず、家計を助けて働くことに誇りと責任感を抱いていた(サンドラ・シャール著『女工哀史を再考する』)。 ところが、昨今の女性「活躍」という表現は、テレビドラマの主人公のように、医師や弁護士など、あたかも「華やかに活躍」しなければ女性労働には意味がない、との誤解を生みかねず、地味な仕事について生計のために苦労するくらいなら、安定収入のある男性と結婚するのが人生の「勝ち組」であると判断する若い女性も出てきてしまう。 職業に貴賎はない。表面的憧れにとらわれることなく、女性も地道に生計労働をする覚悟を持てば、新型コロナ終息後に生活に困ったため風俗業に走る、という短絡的発想も解消されるはずである。 女性にもまた、生計のためには「外に出れば七人の敵がいる」という、どのような職場にもある悩みに臆することなく、風俗以外の業界で生きるという発想の転換が必要なのである。 お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志が、ホステスなどに対する税金による支援について疑問視する発言(4月上旬時点)があったが、その意味では正論である。女性の働き口をそうした業界以外にも広げる工夫をする方が、広い視野で見て、男性一人稼ぎ手モデルを構造改革する日本社会の転換につながるのである。新型コロナウイルス感染拡大で風俗店などの休業が相次ぐ歌舞伎町=東京都新宿区 ただし、同時にこの発想の転換が、セックスワーカー全体の差別につながることがあってはならない。ぎりぎりまで選択肢を考えた上で、なおかつその業界に足を踏み入れざるを得ない女性たちはやはり存在するし、性に携わる女性をやみくもに蔑視することも明らかに差別である。 岡村発言の背後にある日本社会の構造的問題を改善し、過去の「性文化の常識」の悪い面を改めることこそが、現代社会には求められている。これこそが再発防止のあるべき方向性である。

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    独身貴族の岡村隆史は、こうして「女嫌い」をこじらせた

    オールナイトニッポン」で、パーソナリティーを務める岡村隆史が風俗に関する発言をし、物議を醸している。新型コロナウイルスによる外出自粛のため、風俗に行くことができないと嘆くリスナーに対し、岡村は次のように発言した。 「コロナ明けたら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります。これ、なぜかと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなったときに今までのお仕事よりかは。これ、僕3カ月やと思っています。苦しいの、3カ月やと思います。(中略)この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう」 これは発言の一部に過ぎないが、新型コロナによる失業で生活困窮者が風俗に流れ、最低3カ月間はかわいい風俗嬢の数が増えると、推考していることからも分かるだろう。岡村発言は、個人の発言としては具体的であり、皮肉るならば、風俗を熟知した人間の哲学的思想のようにも見える。 リスナーに諭すように語りかける彼の口調からも、それは一目瞭然である。本稿では、ジェンダー研究者の立場から、岡村発言と、翌週の番組で「公開説教」した相方、矢部浩之の発言を批判的に分析し、生物学上同じ男性としての立場から、岡村が今後取り組むべきことについて述べたい。分析に必要なキーワードは、「ミソジニー」(女性蔑視)、「ホモソーシャル」(従来型の男性同士の絆)、「オン・オフ問題」、そして「アローン」(おひとりさま)だ。 依然、日本列島が新型コロナによる自粛ムードの中、岡村は自ら発した風俗発言によって窮地に立たされるわけだが、実は、同じ日にジェンダー失言をした人物がもう一人いる。スーパーでの密閉、密集、密接の「3密」回避案を、自らの主観だけで語った大阪市の松井一郎市長だ。 松井氏は、男性は決められたものだけを買うから、女性よりも買い物が速い、と独自の「解決策」を掲げ、その後、主婦たちからの猛反発にあう羽目となる。2人とも新型コロナ禍が深刻化する中、女性を蔑視する失言をし、猛反発にあっている。 ただ、今のような国難でなくとも、彼らの発言は時代の変容に追いつけないまま現代に至る男性の本音であり、批判は免れない。特に、女性を性的搾取の対象として蔑視する岡村発言は、タレントのMattをはじめとするジェンダーレス男子たちが体現する、意識と生活スタイルが多様化した今日において、時代を逆行していると言わざるを得ない。会見する大阪市の松井一郎市長=2020年4月(安元雄太撮影) 公開説教で、矢部が「風俗キャラ、それがキャラクターになっていたから」と述べているように、風俗猥談(わいだん)を好む岡村を以前から知っている筆者は、岡村のことを典型的な「女嫌いな男」であると考えてきたが、今回の発言でこの考えに確信を持つことができた。 一般的に、女性との性行為を思い巡らす者は女好きな男であると考えられがちだが、ジェンダー研究において、女好きな男と女嫌いな男の間に大きな違いはない。ここでの「嫌い」は「蔑視」と同義の言葉として考えてほしい。両者は女性を性的搾取の対象としてとらえ、時として、岡村のような風俗発言を、後先考えずに行う。つまり、女好きな男ほど、女嫌いなのである。変われる余地はある 岡村発言を「男性の本能」と一笑に付す歌手のMINMIや、「速やかな謝罪をすれば許す」とする番組スポンサー、「高須クリニック」の高須克弥院長など、岡村を擁護する声が多数ある。その一方で、インターネット上の署名サイト、Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)では岡村のレギュラー番組降板を求める署名活動が展開されるなど、意見は二分化している。 フェミニストの中には、女性を蔑視する男性を容赦なく批判し、中には社会から徹底的に抹殺しようとする人も確かにいる。だが、筆者は相方・矢部の公開説教に対する彼の受け答えを聞いていて、岡村には変われる余地があると思えた。 2人は大阪・茨木西高のサッカー部の先輩後輩であり、コンビ結成まで後輩の矢部は岡村に敬語を使っていたらしいが、結成後にやめたと言っている。そして、今回の件で、岡村は矢部の一言一言に、力なくではあるが応じ、自分を客観視する機会を得てもいる。 岡村にとっては、よい自己反省の場となったことだろう。しかし、2人の会話の節々から、互いを思う男性同士のホモソーシャルな絆を感じずにはいられなかった、というのが筆者の正直な感想である。 前述したミソジニストな男たちの多くは、男らしく群れる、つまりホモソーシャルを好む男たちといえるだろう。女性の権利を訴えるフェミニズムにおいて、ホモソーシャルという言葉は、一人の女性を性的に搾取、共有する2人の男の絆を指す「対女性的言葉」として、しばしば批判的に用いられる。昔のハリウッド西部劇映画などには、「お前は俺の認めた男だから、今夜だけは俺の女と寝てもいいぞ」と粋がる主人公がよく描かれたものである。 話を戻すが、ホモソーシャルな男たちの関係において、2人の男は主従関係をベースに男同士の絆を強化していくことになる。先輩である岡村と後輩である矢部の関係を思い浮かべてもらうといいだろう。 いまだに矢部が「岡村さん」と呼んでいることからも分かる通り、敬語使用をやめた以降も、両者の間にはある種、無意識的な権力関係が存在しているといえる。また、ジェンダー研究において、ホモソーシャルという言葉が、男のパワーゲームを表す形容詞としてしばしば使われていることも知っておいていただきたい。ナインティナインの矢部浩之(左)と岡村隆史 ミソジニーの解説でも触れたが、ホモソーシャルな絆において、男たちは女性を性的搾取の対象としてだけとらえ、彼らは女を侍らせ、男らしく群れることを好む。 例えば、男同士の飲み会で酔いも回ってくると、女性にまつわる下ネタが重宝されることがないだろうか。『男の絆』(筑摩書房)で福島大の前川直哉・特任准教授が述べているように、男同士の絆において、「猥談をぽろっと出すと、一気に『話せる奴』」として認められるのだ。 岡村と矢部の関係以外に、彼とスタッフ、さらにはリスナーとの関係性が、まさに本稿で言う、ホモソーシャルな絆という言葉に集約できる。事実、岡村の猥談を笑うスタッフの声がマイク越しに聞こえたし、男性リスナーからの擁護発言もネット上で散見される。「身内」で完結する危険性 こうした男性主導を基盤にしたホモソーシャルな関係は、芸人の世界ではよく目にする関係である。そういえば、お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志は、新型コロナの影響で生活難に直面する後輩芸人に100万円を無利子・無担保で貸し付けるプランが報じられたし、昨年の吉本の騒動でも、明石家さんまの後輩思いな面が改めてクローズアップされた。 つまり、芸人の世界は主従関係、つまりホモソーシャルが中心で成り立っているといって過言ではないだろう。ただ、筆者は、決して芸人世界の先輩・後輩という主従関係が悪いと言っているわけではない。 先に、矢部の公開説教を例に、先輩後輩の主従関係の逆転について触れたが、この点において、岡村発言および矢部による公開説教を擁護できない点が多々ある。それは、まず第一に、この後輩による説教が、自分(岡村)にとって最も近しい後輩(兼相方)によって成されたものであるという点である。 現に、矢部は説教の最中、岡村に対して「身内」という言葉を繰り返し使っている。このことについて、5月3日放送のTBS系『サンデージャポン』では、同じ芸人のカズレーザーが鋭い指摘をしている。今回の件が当該者である女性たちではなく、説教という形でコンビ間で完結してしまっていると危惧しているのだ。 たとえ先輩後輩の立場は逆転しても、結局のところ、2人の関係はフェミニストの女性の多くが敵視する、ホモソーシャルな関係のままなのである。筆者は、矢部が優しく相方を諭す声をラジオで聴いたとき、深く同情した自分自身の内にもホモソーシャルな規範があることを実感した次第である。 プロフェミニスト(女性擁護者)を装うことなく、男としての本音を吐露する岡村が、もう少し今日のジェンダー問題、たとえば「#MeToo(私も)」運動などに関心を持っていたなら、フェミニズムが求める、女性の政治的、社会的、経済的平等の理論を無視した今回のような発言はしなかったはずだ。 相方の矢部は、公開説教の中で、2010年に体調不良で休養した岡村が復帰における謝罪に言及し、自分はきちんと謝罪をしてもらっていないと語っている。矢部は岡村について、番組など「オン」の状況下では素直に謝るのに、そうでない「オフ」では決して謝らないと、岡村の怠慢さに触れているが、これは的確な指摘だと言える。 岡村にとって、「オン」が自己を演じる場であるのに対し、今回のラジオは、仕事とはいえ、少人数のスタッフ以外とは顔を合わせなくてよい「オフ」な場になっていたのだ。現在、テレワークを余儀なくされているみなさんの中にも、「オフ」な状態がゆえ、つい気が緩んでしまう瞬間を経験された方がいるのではないだろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 現在、大学生を教える立場の筆者は、コロナによる自宅待機のため、4月中旬から「オフ」状態が続いている。普段、学生を前に教師を演じる「オン」の状態から、オンデマンド型の授業という「オフ」の状態でいると、やはり、顔と顔を向き合わせていないせいか、血の通った人間関係を実感できず、仕事に身が入らない日が正直ある。 声のみでの交流に軸を置いたラジオは、対面という「オン」の状態で自己を誇示する面を持つ岡村にとって「オフ」な状況を意味していたのかもしれない。今回、われわれが「オフ」の岡村を知ることができたのも、ラジオの内容が即座にネット上に公開される今日であるからにほかならない。今後、岡村は「オフ」でどう行動していくかを見せることで自分自身と向き合っていく必要がある。「独身貴族」ゆえの浅はか さて、吉本興業所属の芸人の間に、「アローン会」なるグループが存在しているのをご存知だろうか。名誉会長に坂田利夫、最高顧問にさんま、会長に今田耕司を据え、岡村は部長職にあるらしい。全員、芸人世界では名の知れた独身貴族である。 独身男性にまつわる話に関連するが、矢部による公開説教の中で同調できた部分が一つある。それは、矢部が「景色を変えた方がいい。結婚が偉いとかではなく、全く変わるから」と、岡村が独身であることに言及し、今回の失言の要因が独身であることに起因していると指摘した点である。 ネットで散見される数々の記事に目を通すと、ほとんどがこの指摘を否定するものだった。だが、矢部の言う「結婚して子供にも恵まれて、より(女性への)リスペクトが増していった」という言葉に、筆者の心は打たれた。 筆者はこれまで、市民講座などで頭の固い(ように一見みえる)おじさんたち相手に、女性の立場を体験してみませんか? と語りかけたり、『週刊SPA!』で「男性記者が実体験―オンナは大変だった!」特集に参加したりしてきた。このような他者体験を勧めてきた身だけに、反対意見はあるだろうが、矢部の発言には一理あると考える。 特に、このような失言を生んだ浅はかな考えの背景には、大河ドラマやレギュラー番組を抱え、お金に何不自由なく、配偶者を養う責任もなく、好きな時間に好きなことのできる順風満帆な人生を送る、「独身貴族」というカテゴリーだからと言えなくもない。そう考えれば、一般独身男性と同一視すべきではない。 ジェンダー研究において、今回の岡村の男性観は、学びの例としては教科書に載せるに堪えうる全ての条件を兼ね備えているといえる。対面授業が開始された折には、ディスカッションの題材として活用したいくらいである。 ミソジニストな男が、ホモソーシャルな関係を好み、何不自由ないアローンな状態で自己陶酔型な人生を謳歌(おうか)した結果、時代に逆行するKY発言で打ちのめされ、新たな行動を注視される状況に追いやられる。このような話は、依然、日本に古いジェンダー観を持つ男が多く存在していることを説く一つの教材であり、そんな男がどうすれば変わることができるか、議論の余地すら与えてくれる。社会学者の上野千鶴子さん=2019年6月 ホモソーシャルの話の中でも少し述べたが、金や地位が男に一種の主従関係や権力を与えるのなら、そのような権力を持った男の「おひとりさま」以上に怖い者はこの世に存在しないのかもしれない。 日本のフェミニズムを牽引(けんいん)してきた社会学者でフェミニストの上野千鶴子さんは、自著『男おひとりさま道』(文藝春秋)で「『弱さの情報公開』のできない男同士の関係では、困ったときの助けにならない」と、強がる男たちに叱咤(しった)激励を送った。上野さんの叱咤のように、今回、後輩で相方である矢部に弱さを見せることができた岡村には一度、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られ、新しい人間としての再スタートを切っていただきたい。

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    風俗業女性支援の最前線、不要不急と言えない苦悩を知っているか

    坂爪真吾(一般社団法人ホワイトハンズ代表理事) 1218件。これは、新型コロナウイルスの影響が問題になり始めた、今年2月1日から5月8日までの約3カ月間に、私たちが運営している風俗で働く女性のための無料生活・法律相談窓口「風テラス」に寄せられた相談の合計件数である。 コロナ禍による自粛・休業の影響は風俗業界を直撃し、短期間で収入が激減、あるいはゼロになってしまう女性が全国的に増加した。 風俗で得られる現金日払いの収入によって生活を維持していた人は、家賃や携帯代などの毎月の支払いや返済ができなくなり、一気に生活困窮の状態に追いやられた。 メディアでは、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史の風俗をめぐる失言問題が大々的に取り上げられた。だが、実際の風俗の現場ではほとんど話題にもなっておらず、そもそも誰も気にしていない。 「それどころではない」というのが、最前線にいる支援者としての率直な感想だ。 特に4月は、全国各地から1カ月で816件もの相談が寄せられ、連日早朝から深夜まで、相談窓口のLINEやツイッターの通知が鳴りやまない状況が続いた。風テラスでは、弁護士とソーシャルワーカー(社会福祉士、精神保健福祉士)で複数のチームを作り、殺到する相談に対応した。 コロナ禍の渦中、短期間で1200人を超える風俗で働く女性の相談を受ける中で見えてきたのは、風俗に大きく依存しているにもかかわらず、風俗をないがしろにしている日本経済の危うさだ。新型コロナウイルス感染拡大で休業が相次ぐ歌舞伎町の店舗=東京都新宿区 風俗業界の人々が休業要請の出ている中でも働かざるを得ないのは、当たり前のことだが、生活のためである。風俗店は一見すると、「不要不急」の娯楽産業の象徴に見えるかもしれない。しかしその実態は、さまざまな事情で「大至急」「今すぐに」現金収入を必要としている女性たちが集まる「切実な」仕事場である。 風俗店が休業することで一番困るのは、決して利用客の男性ではない。そこで働く女性たちなのである。ギグワーカーとしての彼女たち 風俗で働く女性は会社員ではなく、個人事業主である。彼女らはUber Eats(ウーバーイーツ)の配達員のように時間的拘束を受けず、好きな時間に好きな分量の仕事をする働き方をしている。 「写メ日記」と呼ばれるブログやツイッターで宣伝・集客する女性も多く、いわゆる「ギグワーカー」(インターネットなどで募集している単発の仕事を受注し、収入を得ている労働者)に近い。 問題は、多くの女性が、ギグワーカーとして働いているにもかかわらず、自分がギグワーカーであることに対する自覚が全くないことにある。「とにかく短時間で高収入を得たい」という動機でこの業界に入り、社会保険や収入証明などの手続き、無申告のリスクなどについて何も知らない、または知らされないまま、個人事業主として働き続けている。 この業界で働く人々は、そうした無自覚なギグワーカーが非常に多い。 その結果、今回のようなコロナ禍が起こると、瞬く間に仕事と収入を失い、何の補償も保険も受けられず、支援制度や給付金の申請手続きに必要な書類をそろえることもできないまま、出口の見えない生活困窮と社会的孤立の状態に追いやられることになる。 風俗の仕事がバレてしまうこと、そしてこれまで無申告だったことに対する不安の中で、身動きが取れなくなり、本当は利用できる支援や制度があるのに「風俗で働いていた自分には利用できない」と思い込んでしまい、さらに状況を悪化させてしまう。※写真はイメージ=Getty Images 風俗業界は、少なく見積もっても全国で30万人を超える女性が働いている。市場規模は数兆円に及ぶとも言われ、地域経済や家計に与える影響も少なくない。風俗店が休業や閉店になることで、生活が破綻してしまう個人や家庭、経済が停滞してしまう地域は確実に存在する。 風テラスには、「風俗の収入でどうにか家計を維持してきたが、コロナの影響で風俗の収入がなくなり、生活そのものが成り立たなくなった」というシングルマザーや既婚女性からの相談も数多く寄せられている。 風俗業界で働くこと自体の是非論を脇に置けば、医療や福祉、小売りや運輸と同様に、風俗で働く女性も家庭や地域に不可欠なライフラインを支える「エッセンシャルワーカー」なのだ。風俗業界にも給付金を 私たちの生活や経済が、実は風俗で働く女性をはじめとした「無自覚なギグワーカー」「見えないエッセンシャルワーカー」による経済活動に大きく依存している。それにもかかわらず、国は風俗を排除している。 コロナの影響で収入の減った個人事業主や中小企業に対する「持続化給付金」に関しても、あらゆる仕事や業界の中で、性風俗事業者だけが不給付要件にされている。この不給付要件自体が憲法14条、つまり法の下の平等に違反するものであると同時に、合理的根拠のない職業差別であることは明白である。 現場の経営者からは、「きちんと税金を払っているのに、なぜ給付金を受けられないのか」という声や、「抗議のために、休業要請を無視して営業を再開したい」という声も上がっている。 5月12日の参院財政金融委員会で、中小企業庁は「性風俗業界で個人事業主として働く人も支給対象になる」という見解を明らかにした。しかし5月14日現在、風俗店はいまだに対象外のままである。店舗が無くなってしまえば、当然女性も収入を失うことになるので、女性だけを支給対象にしても問題の根本的な解決にはならない。 今必要なのは、適正に納税を行い、法令を順守して営業している性風俗業者を持続化給付金の対象に含めることだ。 現在の状況は、風俗業界で働く人たちの間で「きちんと納税すれば報われる」という認識を広めるための千載一遇のチャンスでもある。 「無自覚なギグワーカー」たちの納税意識と権利意識を高め、そして「見えないエッセンシャルワーカー」たちの努力や苦労に報いる制度を作ることができれば、彼女たちに大きく依存している私たちの社会全体にとって大きなプラスになるはずだ。料亭全店の休業を始めた歓楽街「飛田新地」=2020年4月3日、大阪市西成区 転職や起業、失業や定年などの理由で、望む望まざるにかかわらず、ギグワーカーとして働くことになる可能性は誰にでもある。そして、不要不急や公序良俗の名の下に抑圧・排除されがちな業界の中にこそ、エッセンシャルワーカーがひしめき合っているという事実は、より広く知られるべきだろう。 今回のコロナ禍のような社会的危機の状況下において、全ての人が、理不尽な差別や排除を受けずに、等しく支援を受けられる制度の確立を強く望む。

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    ナイトワークの従事者たちにも補償や給付が必要とされる理由

    なのか。ライターの森鷹久氏が水商売に携わる人たちの実情をレポートし、支援について考えた。* * * 新型コロナウイルスの感染拡大で、小中高校の休校が続いている。3月の全国一斉休校が決まった直後、仕事を休職せざるを得なくなった保護者に休業補償がされることが決まった。この制度には当初、「風俗業」「接待を伴う飲食業」で働く人々は含まないとされていたが、彼らも同じように補償の対象となるよう方針が変更された。「世論から差別ではないか、などと批判が相次ぎ見直した格好」(民放政治部記者)というが、果たしてこれで本当に困っている人々に金が行き渡るのか。 非常事態宣言に伴う休業要請とは別に追加で休業を求められている、いわゆる「接待を伴う飲食店」に分類される東京都港区のクラブオーナー・Hさん(50代)は言う。 「補償の門戸を広くしてくれたことには感謝します。水商売にとっては1~2月は閑散期、3~4月の歓送迎会シーズンを楽しみに待っていたらこれでしょ。近くの店のスタッフから陽性患者が出たこともあり、うちも3月終わりから休業中。基本的には、歩合、出ただけ給与がもらえるシステムですから、その収入に準じて補償がなされるのかは不透明。そもそも、それが給付なのか補助なのか、借金なのか、よくわからないけども、それでも、制度自体はありがたい」(Hさん) 補償と一括りに行っても、子供の休校に伴う給与補償、そして休業を余儀なくされた業種従事者への雇用調整など、受け取る側の事情に応じて用意されてはいる。ただ、自分自身がどの属性なのか、正直わかっていない人も多い実情。いずれにせよ。一時的にでも、どんな形でも金を受け取れるという事実は、歓迎されている。 とはいうものの、不満もある。 「いまだに”水商売=暴力団”というイメージで、厚労省が我々を説明したことです。確かに昔は関係がありました。しかし、お上が厳しくとりしまったおかげで、私の周囲の店で、暴力団が運営している、関係しているところはほとんどない。普通の会社としてやっているんです。さらにいえば、賃金補償額が1日上限8330円。これじゃアルバイトと変わらない。バカにしている金額だし、すでに売り上げの下がっていた二月分の給与もベースに換算されると、その少ない金額の満額を手にできない可能性すらあります」(Hさん)東京・新宿の歌舞伎町(ゲッティイメージズ) 「風俗業」が補償対象に含まれた現状でも、なお不満は残る。しかし、本田さんの店で働く女性たちに幾らかでも出るなら甘んじて受け入れるつもりだという。一方「風俗業」というものの現実が全く反映されていない、そう話すのは都内の複数店舗を展開するグループ関係者・M氏だ。 「偏見でもなんでもなく、夜の世界で働く人々には様々な事情があり、この世界でしか働くことができない、という方も多い、たった1~2日でも仕事を休むと生活が困窮するというパターンも少なくない。実際に補償金や給付が行われるまで数ヶ月かかるとなると、その間に生活は立ち行かなくなる。すでに生活が行き詰まっている人がいるというのに、あまりに現実を見ていません」(M氏)本当に「自業自得」なのか さらに深刻なリアルを語ってくれたのは、千葉県内で営業する店舗の関係者・S氏。 「様々な事情で、昼の仕事や表立った仕事ができなくなり、こっち(の業界)で働いている女性、ママはたくさんいます。離婚したDV夫に借金を背負わされて…という人も本当にいて、そういう人が、グレーなところで、なんとか日銭を稼ぎなら子育てをしている。申告や納税がおろそかになっているパターンもあり、こういった人々は収入を証明しづらく、当然、給付や助成対象にはなりづらいでしょう。しかしそもそも、国や福祉から見捨てられ、生活保護も受けられないからこそグレーな世界で働くしかなくなったという経緯を、役人は知ろうともしない」(S氏) 補償や給付、助成金の支払いに関して、政府は「支払う」とはいっているものの、その対象の決定でさえ二転三転し、実際にどのようなプロセスを経てどれくらいの期間で国民の元に現金が行き渡るのか、いまだにはっきりしない。すみやかな給付を求める国民の声に、政府は「どうやったら給付できるか」というより「給付できない理由」を並べ立てるばかりで、ネット上では「ドケチ政府」などとも揶揄される。多少の貯蓄があれば、こうした動きについて、イライラしながらもまだ冷静に見てはいられるかもしれない一方で、切羽詰まった人たちはすでに行動に移し始めている。 「グレーな店舗で働いていたり、納税申告などを行ってない水商売従事者たちが、すでにネットを使った商売に走っている。感染を抑制するどころか、拡大させかねない。平時なら、なんとか踏みとどまっていた一線を簡単に超え始めています。コロナ感染の危険性が高まることはおろか、治安の悪化だって懸念される」(S氏) これでもまだ、こうした女性たちの自業自得だ、という声が聞こえてきそうではある。しかし、彼女たちは結局、様々な事情から生活しづらくなり、さらに福祉に見捨てられた人々が多い。それでも、なんとか他人に迷惑をかけまい、そして子供をしっかり育てていきたいと歯を食いしばっていきてきた人たちである。申告や納税の部分が疎かになっていた事実はあろう。だが、福祉の恩恵という一般人とってはあって当たり前の見返りを受けられなかったこそ、そうした生活をせざるを得なくなったという現実を見ずに批判するのは、あまりに残酷だ。 「政府が言う基準に当てはまる人って、要は低賃金で長時間働いている非正規労働者だけ。中流、上流の人たちには関係のない話だし、ここにきて、奴隷に当てはまらない人たちは切り捨て。国民一人一人に等しく給付が行われるならまだしも、選別が行われている」(S氏) 非常事態にこそ、人間の本当の姿が見えるというもの。人間として日本人として、そして隣人として接してきた人たちに、誰がどのような応じ方をしているのかが視覚化できるようにもなった。ウイルスのおかげで化けの皮がはがれ始めたのは政府であり、私たち国民だ。 ふだん、水商売で大金を儲けているのだから、それに比べて今回の損害は小さいのではないかと思う向きもあるだろう。だが、メディアに出てくるような派手で華やかな生活を本当に送っている当事者は、ごく一握りだ。誰もがきらびやかに見えるかもしれないが、会社勤めだったら負担してもらえる必要な備品、たとえばドレスやヘアメイクなどについても自腹であるのが普通だ。大半が、実は普通の会社勤めと変わらないか、それより厳しい懐事情である場合が多い。きらびやかな格好は仕事のため、サラリーマンがスーツにネクタイを締めて会社に行くことと同じなのだ。 それでも、納税も満足にできない人たちへの給付は納得がいかないという人たちがいる。だが、今回の給付の目的は、感染症拡大を防ぐ公衆衛生の問題だ。そのためには、すべての人の生活を安定させることが重要だ。もし、明らかに不利な人が一定数、発生してしまうと、切羽詰まった彼らが生きるために非合法な手段をとりかねない。もしこのことをきっかけに貧富の差が固定化してしまうと、社会の安定、ひいては安全保障上のリスクになる可能性もある。 目先の金銭の分配を回避することで、より大きなもの、公衆衛生の維持や、社会の安定を手放すことになるのだということを、忘れてはいけない。関連記事■志村けんさん 「オレの子供を産んでくれ」と頼んだ女性■若手声優との結婚を夢見る45歳「子供部屋おじさん」の末路■志村けんさん、子供を授かっていた過去「共演したかった…」■桐谷まつりが実践する「正しい手の洗い方」と「業界の対策」■ストリッパーになった名物書店員・新井さん 「楽になった」自業自得

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    対コロナでどうなる?アフリカを覆い尽くす中国の「アメ」と「ムチ」

    下村靖樹(フリージャーナリスト) 4月半ば、中国・広州で新型コロナウイルスに関連して、アフリカ人差別が広がっていると、世界各国のメディアで取り上げられた。 ことの発端は、アフリカ系であることを理由にレストランなどへの入店を拒否されたり、アパートを追い出され、路上生活を強いられているという、アフリカ系住民や留学生が助けを求める動画だった。中国メディアによれば、ナイジェリア人1人が新型コロナウイルスの検査から逃れるため、地元病院の看護師にけがを負わせたうえ、逃亡した事件が引き金になったそうだ。 ウイルス鎮圧に力を入れている広州では、外国から持ち込まれるウイルスが第2波の引き金となることを警戒しており、外国人に対する検査を強化している。特に、アフリカ諸国を母国とする人は国外渡航の有無にかかわらず、約4500人全員が検査を強要されていたという。 動画は多くのメディアでセンセーショナルに取り上げられたり、会員制交流サイト(SNS)経由で広く拡散し、アフリカの著名人が「救出に向かう」と声明を出すなど、世界的に大きな問題となった。その結果、店頭に「アフリカ系お断り」の張り紙をしていたマクドナルドが謝罪したり、中国政府の駐アフリカ連合(AU)大使の謝罪がAUに掲出される事態になった。 一方のアフリカでも、アフリカ大陸で感染者が報告された直後から、東洋人への差別行為が伝えられた。アジア人女性が現地の人々に侮蔑される動画が投稿されたり、東洋人に対してタクシーから乗車拒否を受けた。日本人を含む多くの東洋人が、街中で「コロナ、コロナ」と罵声を浴びせられたようだ。 現在は都市封鎖(ロックダウン)中の国が多く、トラブルはあまり発生していないようだが、アジア人に対する偏見に留意するよう注意喚起を出している在外公館もある。 迫害に関わっていた人物が逮捕されるなどして、公的な非難こそ止んでいる。ただ、市民レベルでは、コンゴ人の父と中国人の母を持つ中国在住の有名ブロガーのウェブサイトに「アフリカに帰れ」というような誹謗中傷が殺到するなど、未だ沈静化したとはいえない状況だ。中国広東省広州市で、マスクをして地下鉄に乗る乗客=2020年2月(共同) アフリカで初めて新型コロナウイルス感染者が確認されたのはエジプトで、2月14日のことだった。以降、他の地域よりは緩やかであるものの、感染者数は増え続け、4月19日時点で、全54カ国の感染者は2万1317人、死者1080人、回復者5203人となっている(レソトとコモロでは感染者ゼロ)。 医療システムや社会基盤が脆弱(ぜいじゃく)なアフリカ諸国の反応は素早かった。感染拡大が懸念され始めた3月下旬には、多くの国が物資の運搬を除き国境を閉鎖し、軍や警察の管理の下、ロックダウンや夜間外出禁止令を出すなど、人の移動を制限した。 他方で、医療物資の不足は深刻で、世界各国に支援を求めることとなった。その声に応えたのが、中国の電子商取引(EC)最大手、アリババグループ創業者の馬雲(ジャック・マー)氏で、エチオピア経由でアフリカ54カ国に送付すると表明した。エチオピアとの「蜜月」 早速3月22日には、エチオピアのアビー首相がツイッターで、検査キット110万セット、マスク600万枚、防護服6万枚が届いたことを明らかにした。4月6日にも、呼吸器500台、防護服20万枚、フェイスシールド20万個、非接触型体温計2千個、検査キット100万セット、手袋50万枚がアリババグループから送られたことが馬氏のツイッターで報告され、4月20日には第3弾の送付も発表された。 エチオピアは、米国のトランプ大統領をはじめ、中国に忖度(そんたく)したことで初期対応を誤ったと非難されている世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長の母国でもある。 エチオピアの正式国名はエチオピア連邦民主共和国といい、前身は1270年から約700年続いたエチオピア帝国だ。政変によりその後、社会主義エチオピア、エチオピア人民民主共和国、エチオピアと変遷し、1995年に現在の国名となった。 厳密に言えば、1936~41年はイタリア統治下にあったが、アフリカで唯一植民地化されたことがない国とも言われ、国民も非常にそれを誇りにしている。 中国との関係は1970年、エチオピア帝国時代の国交樹立に始まった。その後、中ソ対立の影響を受けて、一時疎遠になることもあったが、国内の道路や発電所、ダムなどさまざまなインフラや、約2億米ドルの総工費を中国が全額負担し、首都アジスアベバにAU本部を建設するなど、幅広い分野で中国からの支援を受け続けている。 2000年に北京で始まったアフリカ各国の首脳級が参加する「中国・アフリカ協力フォーラム」(FOCAC)でも、2003年に行われた第2回開催地として選ばれた。このように、中国のアフリカ政策におけるエチオピアの重要性が明確になった。 資源確保の面でも、エチオピアの地理的重要性は非常に高い。同国が国境を接しているのは、スーダン、南スーダン、ケニア、ジブチ、ソマリア、エリトリアに、国際的にはソマリアの一部であるものの、実質的には独立国家状態のソマリランドを加えた7カ国だ。 このうち、比較的政情が安定しているのはケニアとジブチだけであり、内陸国であるスーダンや南スーダンから港まで資源を運ぶためにはエチオピアの安定と発展が不可欠なのだ。エチオピアの首都アジスアベバにあるアフリカ連合(AU)本部(ゲッティイメージズ) その一方で、国の借金である対外債務の17%を中国が占め、中国からの輸入25億3800万米ドルに対し、輸出は3億450万米ドルにとどまり、21億9300万米ドル(約2412億円)の輸入超過となっている。今回の新型コロナウイルスへの対応においても、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)に160万米ドルの支援を要求している。 先日、国連食糧農業機関(FAO)は、1カ月ほど前に東アフリカ一帯に大被害を与えたサバクトビバッタによる蝗害(こうがい)の第2波発生が予測されると警告した。被害地域では、約2千万人が既に深刻な食糧危機の状況にあるが、専門家によると、第1波の20倍の規模に達する可能性があるという。伸び悩む日本のプレゼンス 新型コロナウイルスによる経済活動の停滞に加え、国間の移動が制限されている現状では、大規模な飢饉(ききん)が発生すると、エチオピアを含む東アフリカ地域の安定が大きく崩れてしまうかもしれない。 アフリカにおける中国の影響力を顕著に現しているのは貿易額だろう。国連統計部のデータによると、1992年から中国におけるアフリカ諸国との輸出入額は以下の通りになる。輸入1992年 4億9千万ドル(617億円)2018年 803億4千万ドル(8兆3300億円)輸出1992年 12億6千万ドル(1587億6千万円)2018年 1049億5千万ドル(11兆5445億円)※1992年は1ドル=126円、2018年は1ドル=110円で算出 データが残っている1992年からの26年間で、輸入は約164倍、輸出も約83倍にまで激増した。当然、輸入決済通貨を徐々に米ドルから人民元に切り替えつつあるという。 日本は中国に先んじて、1993年にアフリカ諸国との間で初のアフリカ開発会議(TICAD)を開始した。アフリカにおける日本のプレゼンスを高めたものの、貿易面では完全に伸び悩んでいる。輸入1992年 8578億円2018年 9913億円(約1・2倍)輸出1992年 4616億円2018年 9001億円(約1・9倍) 影響力の拡大は経済面だけでなく、多岐にわたる。 ソマリア沖海賊の脅威に対応するため自衛隊も拠点を置いている東アフリカのジブチに、2017年、中国が初の海外軍事基地を置いたことは記憶に新しい。その背景には、国連平和維持活動(PKO)として常時2千人以上の要員を配置するなど、国連安全保障理事会の常任理事国で最大の兵力拠出国であり、「アフリカの平和と安定を守る」と公言していることも大義名分になっている。第7回アフリカ開発会議(TICAD)昼食会を兼ねて開かれた「西インド洋における協力特別会合」であいさつする河野太郎外相(奥右から2人目)=2019年8月、横浜市内のホテル(代表撮影) 他方、武器貿易においても、中国の存在感は増している。米戦略国際問題研究所(CSIS)によると、2008年以降のアフリカへの武器輸出額はロシアと米国に次ぐ3位で、約32億米ドル(3520億円)となっている。 ソフト面においても、軍関係者からの支持を得るための根回しは広く行き渡っている。将校以上の軍人を自国に招き、数カ月にわたり研修の場を提供するなど、その影響力を強めている。デジタルでも進む中国の「道」 政情不安な国が多いアフリカにおいて、政治家はクーデターなどで退場するが、クーデターを起こすのは軍人であり、その中心にいるのは必ず将校以上の軍人だ。つまり、軍内部に広いパイプがあれば、たとえ政権が変わっても引き続き影響を持ち続ける事ができるのだ。 中国による、アフリカ各国を鉄道網や高速道路で繋ぐ計画も進行中だが、インフラ面で現在最も進んでいるのは「海上のシルクロード」の要となる港湾への影響拡大だろう。CSISによると、既にケニア、タンザニア、モザンビーク、アンゴラ、ナイジェリアなど20カ国以上の46の港湾で、資金提供・建設・運営などの影響力を持ち、米国は現状に危機感を募らせているという。 また、発展途上国に光ファイバーネットワークを確立する「デジタル・シルクロード」構想も進んでいる。 先鋒を担っているのは、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)だ。海底光ファイバーの敷設だけでなく、第4世代(4G)移動通信システムネットワークの設置や「スマートシティー」への取り組み、今年に入ってからは南アフリカなどで5Gの運用も始めている。 年平均10%以上と大きく伸びるアフリカのスマートフォン市場でも、中国の存在は大きい。ローエンド(低価格帯)のスマホを充実させることで支持を得て、シェア1位のテクノ(伝音控股、トランシオン)(20%)と4位ファーウェイ(9%)だけで、市場の29%を占めている。 コンテンツの分野でも、大手メディアの四達時代(スタータイムス)がアフリカ30カ国以上に展開し、月額2千円程度で、地上デジタルと衛星のテレビサービスを2600万人のユーザーに提供している。放送されている番組は他のケーブルテレビ同様、欧州サッカーなどの人気コンテンツだ。もちろん、中国で制作されたドラマやニュースもある。 スタータイムスはハード面でも、アナログテレビからデジタルテレビに切り替える国や放送局に技術を提供するとともに、貧困層の多い農村部からも衛星放送にアクセスさせるプロジェクト「Access to satellite TV for 10,000 African villages」を行っている。その目的は農村地域における情報格差(デジタル・デバイド)を減らすことだ。 一方で、自由と民主主義を監視する国際非政府組織(NGO)フリーダムハウスからは、体制側による言論統制やインターネットへの接続制限などネット上の自由を脅かすノウハウを、中国がアフリカ諸国に提供していると非難されている。会談前に握手する中国の習近平国家主席(右)とWHOのテドロス事務局長=2020年1月、北京の人民大会堂(共同) サイバーセキュリティーとネットのガバナンスを監視するNGO、ネットブロックスによると、体制側によると思われるネットへの接続制限・遮断が行われたという。昨年はアルジェリア、エジプト、スーダン、エチオピアなど10カ国で、今年に入ってからもトーゴとギニアの選挙前に実施されたと報告されている。 これらの事件に対する関与の有無は不明だが、アフリカで流れるデジタル情報の根幹を、中国が担っていることは間違いない。中国関与で分かれる「三層」 中国とアフリカの関係性が深まるとともに、アフリカに移住する中国人も増え続け、現在は100万人に達したともいわれている。中国製品と中国人がアフリカの人々の生活に関わる度合いが増すことで、そのイメージが大きく三つに分かれてきたように感じる。 一つは政治家や富裕層、高級軍人のように、さまざまなメリットを享受できる「高支持層」。続いて、生活インフラの充実や日常生活で「メイド・イン・チャイナ」の恩恵を被る「中庸層」。そして、中国人労働者に仕事を奪われたことで反感を持つ「反発層」だ。 私が体感的にその変化を感じたのは、街中で見知らぬ人から投げかけられる、あいさつともからかいともとれる言葉だ。東洋人といえばカンフー映画、のイメージが強かった1990年代では、どの国でも決まって「ジャッキー(ジャッキー・チェン)」と声をかけられた。 2000年ぐらいからは「ナカタ」「ナカムラ」、2010年代になると「カガワ」「ホンダ」と、欧州のビッグクラブでプレーする日本人サッカー選手の名前が続いた。 ところが、2000年代半ばころから「チャイナ」と声をかけられることも増えてきた。そして、2010年を過ぎたころから「チーノ」という言葉を聞くようになった。 チーノという言葉には、中国人を含む東洋人を侮蔑する意味合いが含まれる。特に、大人が使う際には悪意が込められているケースが多い。 私の友人にも2000年代は中国を絶賛していたが、その後政府要人と癒着した中国企業に仕事を奪われ、さらに中国本土に発注した商品が代金を振り込んでも届かず、「反中国」に変わった者がいる。そんな反発層の不満が一気に爆発し、アフリカ人の声として世界に届けられることになったのが、今回のアフリカ人差別問題だろう。 新型コロナウイルス発生前まで、2020年のアフリカの経済成長率は4%を越えると予想されていたが、国境閉鎖や経済活動の停止などで大きく下回る可能性が高い。終息するタイミングによっては、数年間停滞が続くかもしれない。 それでもなお、人口中位年齢19・7歳、2050年には人口25億人に達するといわれるアフリカは、中国にとって今後も成長が見込めるマーケットでもあり、安定した資源の確保先としても重要視され続けるだろう。そして、そのためには、反発層を始めとする反中感情をいかにコントロールするのかが、ポイントになってくる。南アフリカのケープタウンで、食事の配給に並ぶ子どもたち=2020年4月21日(AP=共同) 新型コロナウイルスの影響で、大きな痛手を被ると予想されるアフリカ諸国。既に、多くの国は政治、経済、物流、情報、軍事、あらゆる分野に中国の影響を色濃く受けている。 もしも、中国が、今回のアフリカ人差別で露呈した反中の声をかき消すほどの支援を行うのであれば、「アフターコロナ」の世界において、アフリカは中国の独壇場になるだろう。アフリカに向けて打たれる次の一手が、アメかムチか、その対応が注目される。

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    「#検察庁法改正案に抗議します」にかまける与野党の愚策

    で、一部の議員から補正予算の予備費を多額に積み上げておくという意見を拝聴したが、いい提案だと思う。 新型コロナウイルスは不確実性の大きな疫学的現象である。比喩で言えば、明日は晴れかどしゃぶりの雨か、確率が分からない事象だ。この場合は、暑さ対策グッズも雨具も両方詰められる大きめのバッグを用意するのが望ましい。国会内で会談に臨む立憲民主党の安住淳国対委員長(左)と自民党の森山裕国対委員長=2020年4月9日(春名中撮影) このように、予備費を積み上げておけば、臨機応変に不確実性と闘える。それも総額が多ければ多いほど望ましい。政府に「白紙委任」を出すという意見もあるかもしれないが、使途を新型コロナ危機の経済対策に限定すれば、与野党の合意も得やすいだろう。 もちろん、感染期間中は継続して支払われる定額給付金、劣後ローンの構築、家賃モラトリアム(支払猶予)、消費減税など採用すべき経済政策は無数にある。今回はこの予備費活用を、特に注目すべき政策オプションとして紹介した次第である。このような新型コロナ危機に立ち向かうハッシュタグの方がよほど広まってほしい、と筆者は願っている。

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    変わる価値観、コロナ不安で人々が見るナショナリズムの奇妙な夢

    清義明(フリーライター) 新型コロナウイルスの猛威に、アメリカがなす術もなく翻弄(ほんろう)されている。 そのアメリカでちょっとした話題になっていることがある。人がこぞって奇妙な夢を見るというのだ。フェイスブックやツイッター上で、さまざまな人がこの夢について触れている。「あなたは、最近奇妙な夢を見ることはないですか?」と。 この夢を多くの人が見る原因として、新型コロナウイルスによるさまざまな不安に由来するのは間違いない。アメリカの新聞社であるニューヨーク・タイムズは、新型コロナウイルスの恐怖を「心的外傷後ストレス障害(PTSD)というまでのものではない」としながら、夢で過剰に不安にならないように注意を促している。 自分が見る夢をわざわざソーシャルネットワークのような場で書いているのは、その夢の内容そのものよりも、その夢を見る不安感を共有してなんとか安心を得たいということなのだろう。 確かに非現実的で不安な世界であろう。ついこの間までアジア人、とりわけ日本人の奇妙な風習とされてきたマスクが推奨され、核戦争後のシェルターに閉じこもるように自宅待機が義務付けられているのが、現在のアメリカだ。 そしてこの事態を招いたのは核戦争でもテロリストでもなく、SFXの巨大生物や宇宙人のUFO、襲い掛かるゾンビの群れたちでもない。 目に見えない何かがいて、そのために街はパニックに陥っている。ドナルド・トランプ大統領は「これは戦争だ」と呼びかけるが、その敵は肉眼では不可視で、どこにいるかも分からないウイルスなのだ。 1980年に世界保健機関(WHO)が天然痘の根絶を宣言してからというもの、先進国では伝染病は発展途上国の貧困に由来するものか、または遠いアジアの風土病を意味した。 76年のアメリカ発の豚インフルエンザ騒動はこの楽観論に拍車をかけた。ニュージャージー州フォートディクスの兵士の間で発病したといわれる新型インフルエンザは、約50年前のスペイン風邪のようなパンデミック(世界的大流行)を引き起こすと恐れられた。だが大規模な医療対応を実施したにもかかわらず、あまり被害が出なかった上に、逆にその対応のデメリットばかり注目されてしまった。 2千万人以上といわれる死者を出した「スペイン風邪」のパニックの再来を恐れた当時のジェラルド・フォード大統領は、アメリカに根強くあった反ワクチン派の反対を押し切り、国内のアメリカ人を対象に数億ドルにのぼる経費をかけてワクチン接種を行った。これにより、最終的に約4千万人がワクチンの接種を受けたとされる。アメリカのフォード大統領と田中角栄首相(左)の1回目の首脳会談=1974年11月 しかし、不幸なことに末梢(まっしょう)神経系に入り込んで四肢に麻痺(まひ)が生じる「ギランバレー症候群」という副作用被害が続出してしまい、アメリカ各地で薬害訴訟が立て続けに出された。そして、この新型インフルエンザによる死者は結局のところ、最初に罹患(りかん)した1人の兵士のみという結果となった。 これにより、疾病予防管理センター(CDC)のトップは解任を言い渡された。その現場はテレビ局にスクープされ、その哀れな姿が全土で放映されることとなった。そして同年の大統領選で、フォード大統領は無名と言われたジョージア州知事のジミー・カーター氏に僅差で敗れ去ることになる。感染症対策は政治家の責任 97年に鳥インフルエンザが発生したときも、世界はなんとかこれを乗り切った。その後に続いた重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)も同様だった。アメリカが伝染病で最も被害を受けたのは80年代に猛威を振るったエイズだったが、不特定多数の性交渉をする者を中心に犠牲が広がったため、まだ他人事(ひとごと)でいられた人が大半だった。そして、そのエイズも、治療薬の開発で現在では命を落とすことはほとんどなくなった。 だが、疫学者は必ず、アメリカのみならず全世界を危機に陥らせる新しい伝染病の災禍がやってくると警告していた。しかし、トランプ政権に至っては、2018年に国家安全保障会議(NSC)から感染症対策担当を外していた。 さりとて、この油断は日本でも変わらない。 日本では、2009年の豚インフルエンザのパンデミックが東アジアの国々と比べ、大きな被害を出さなかったことが油断を招いたといえる。21世紀になってから徐々に姿を垣間見せていた新型インフルエンザの脅威は、当然ながら疫学者や政府の間では認識されていた。 今年4月15日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の記者会見で、北海道大の西浦博教授は「今後の対策が進まなければ、40万人程度の死者が出る」とのシミュレーション数値を発表し、大きな話題となった。 だが、これら新型ウイルスによるパンデミックでは、この規模の死者が出ることは既に10年以上前から想定されていたことであった。そして、その来るべき有事には、人工呼吸器も集中治療室(ICU)のベッドも、おそらく防護服や医療用マスクも足りないし、肝心要の医師も不足することは分かっていたのである。 このような伝染病対策を統括するのは厚生労働省だが、実際の準備は各都道府県に責任がある。09年に厚労相だった、前東京都知事の舛添要一氏が、今しきりに新型インフルエンザ対策と政権批判を繰り返しているが、過去の舛添氏の経歴を知っている者には何をかいわんやの話である。新型インフルエンザ対策で会見する舛添要一厚労相=2009年8月27日、厚労省 舛添氏は09年の豚インフルエンザのパンデミック時に、これから防疫対策を進めようというところで、専門家の見解と前置きしながらも「新型インフルエンザは季節性と変わらない」と記者会見で説明してしまった。 幸いなことに、11年前のパンデミックは大きな事態にはならなかったが、そんなことがあったことすら忘れている人も多いだろう。逆転した政治スタンス 09年の新型インフルエンザは大事に至らなかったものの、今後はいつアウトブレイク(感染症の突発的発生)してもおかしくない事態にあるという関係者の危機感により、12年に「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の成立にこぎつけた。 だが一方で、医療機器や医師の動員体制をはじめ、肝心なことは一向に進んでいなかった。繰り返すが、この第一義的な責任は各都道府県にある。舛添氏も14~16年は東京都知事であった。 08年に大阪府知事となった橋下徹氏と日本維新の会は、財政改革のためとして医療施設や救急医療への支援を徹底的に削減した。新型ウイルス対策などは、ことさら進んでいなかっただろう。 橋下氏から維新代表を引き継いだ大阪市の松井一郎市長は医療現場で防護服が足りないため、代用品と称して雨がっぱの寄付を市民に呼びかけた。だが、そもそも防護服が足りない状況をつくったのはいったい誰なのか、分かっているのだろうか。 それでも、維新は立憲民主党を世論調査で追い抜いた。また、つい先日まで五輪の強行開催を主張していた東京都の小池百合子知事が世論の風を受けて東京のロックダウン(都市封鎖)を主張し、手際よい感染対策と見事なプレゼンテーション能力のおかげで一挙に評価が高まった。 人々が何をどうしていいか分からずに不安と混乱に陥ったとき、大向こうを相手にした明晰(めいせき)な言葉、とりわけ批判と断言は多くの人に響くものである。新型コロナウイルス感染に関し、記者会見する東京都の小池百合子知事=2020年3月25日、東京都庁 一方で、安倍政権は火だるまだ。安倍晋三首相は戦時の宰相ではなく、むしろリーダーシップに欠けたために国民を未曽有の災禍に巻き込んだ近衛文麿のようだと、これまでの支持層からも批判の声が浴びせられている。 けれども、私は安倍首相に極めて同情的だ。おそらく東日本大震災のときと同じように、誰がやっても混乱は起きただろう。 そして、日本でリベラルと言われる人々は、これまで自分たちがこぞって反対してきた国家による強権的な措置を望んでいる。一方安倍政権は、経済的な混乱はウイルスよりも大きな被害を生み出すと懸念し、経済活動や私権の制限に慎重であり続けている。政治的なスタンスが全く逆転しているのだ。台湾と韓国にあって、日本にないもの なお、世界でも先進的とされてきた日本の医療行政は、化けの皮が剝がされたかのように、もっぱら世界から非難されている。韓国や台湾といった東アジアの国々と比べて、後れをとったと見なされている。あたかも地軸がズレ始めているようだ。 だが、よくよく考えてもみると、韓国や台湾はもともと「分断国家」で、準戦時体制の国である。韓国では徴兵制が敷かれ、18年に志願制に移行した台湾でも4カ月の訓練義務が課されていて、緊急時には私権やプライバシーの自由を厳格に制限することが可能である。 衛星利用測位システム(GPS)を使った個人の行動管理や、国民身分証による番号管理でマスクの配布ができるのは、非常時に国民統制ができる仕組みが元から整備されているからだ。 マイナンバー一つで大きな議論となり、プライバシーの侵害に敏感な日本で、この新型コロナウイルスのパンデミック前に同じような仕組みが議論されていたら、まず間違いなく批判されていただろう。 一方の韓国では、医師までもが徴兵制に基づく動員が行われている。防疫に対する手際のよさは、日本と違ってSARSやMERSを体験し、その失敗の教訓があったことに加え、北朝鮮を想定したバイオテロ対策も背景にあるのではないかと思う。なお、韓国では、平時でも国境沿いの防疫対策を韓国軍が担当している。 政治学者のカール・シュミットは、法が成立する前提には「例外状態」と言われる「無秩序」が必要になるという。法ができるのは、決して理性や真理などではなく、そのような「無秩序」が集団を存亡の危機に陥らせることが条件になるということだ。 台湾と韓国はそのような混乱を経て、その戦時動員体制を解かぬままに、80~90年代に民主化していった国家である。ここでは、リベラル層が「そのような戦時体制」を担保するナショナリズムに、むしろ積極的な役割を果たしてきた。初の直接選挙による台湾総統選で当選を決め、台北の選挙本部前の特設ステージで夫人とともに支持者に手を振る李登輝総統=1996年 「日本が今のような自由と民主主義の国となったのは、敗戦によってアメリカに与えられたもの」という理解は、事あるごとに歴史認識で見解をぶつけ合う左右両派でも異論はないはずである。 シュミットは、原初的で無秩序な例外状態から独裁的な権力が「決断」をして法が成立すると考えた。戦後日本にとって、この独裁的な権力とはアメリカであった。 そこでは、過去の戦争体験は破棄すべき思想とされた。一方で韓国や台湾には、現在でも身近に迫る「分断国家」の危機を背景に、国民に広く同意されたナショナリズムがある。ナショナリズムの夢 最近、世界では「アフターコロナ」という今後の政治や経済の変動が予測されているが、間違いなく行き過ぎた「新自由主義」的な価値観が是正されるだろう。日本では小泉政権から急加速した「市場に委ねることが善であり万能である」という価値観が、時に悲劇を招くのはもう誰が言わなくとも分かることだ。 無駄と言われ、病床や保健所を削減されてきた現在の医療現場の現状が全てを語っている。今後間違いなく、社会民主主義的な価値観が再び浮上するに違いない。 それと同時に、日本でも「韓国や台湾のようなリベラルなナショナリズムにたどり着くには、どのようにしたらよいか」という命題が問われることになる。特に、これは日本のリベラルの課題であろう。 ともすれば、偏狭さと排外性に堕したナショナリズムの「悪の面」に、どう世界が触れていくかは、予想が難しい。 伝染病は国境をいくら厳格に管理してもやってくる。だからこそ、未開社会の部族は伝染病を恐れ、部族間の交流を拒否し孤立して生きている。 だが、伝染病の猛威から隔絶されてきたアメリカ大陸の文明や原住民たちは、むしろそれがために滅亡していった。猛威を振るう天然痘やペスト、インフルエンザなどの疫病に対する免疫をもっていたスペイン人は、伝染病にかからないということが軍事力以上に決定的な優位性であったのだ。 「無菌の世界を想定することは、危険思想であると同時に愚人の戯言(たわごと)だ」とは、フランス出身の細菌学者であるルネ・デュポスの言葉である。人間が生物である以上、その食物連鎖のエコシステムから逃れることはできない。 この新型コロナウイルスをきっかけに、グローバルな存在である伝染病に対抗するためナショナリズムの在り方に再考のときが訪れているように思える。私たちは、むしろナショナリズムの向こうに、今一度「国際協調」と「万民の平和」を構想できないだろうか。※写真はイメージ(GettyImages) もしそうしなければ、人類はこの古くて新しい敵には勝つことができないであろう。 イマヌエル・カントは「永遠の平和というものを構想するとすれば、国家が廃絶して世界共和国のようなものができるよりも先に、まずは個別の国家を最善に近づけることが現実的には必要だ」と説いた。まずもって純粋実践理性の国とその正義を求めて努力せよ。そうすれば汝(なんじ)の目的はおのずからかなえられるであろう。『永遠平和のために』 なおシュミットはカントの批判者である。カントの平和主義的リベラルを偽善的として退け、政治とは「敵と味方」が発生することから始まるとした。しかしそれならば、伝染病を世界の新たな共通の敵として位置づけることはできないか。 私は最近、そのような奇妙なナショナリズムを夢見ている。みなさんは果たして、どのような夢を見るだろうか。

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    コロナ戦争新フェーズ、政府と企業が陥る「二正面作戦」の罠

    日まで延長されることになった。延長となったことの総括、延長を解除する基準などの道筋は示されなかった。新型コロナウイルス封じ込めの闘いでどの時点にいるのか。どうすれば次のステップに進めるのか。「見える化」はなかった。 安倍晋三首相が、緊急事態宣言延長の記者会見で使ったキーワードは「新しい生活様式」というものだった。「私たちは新型コロナとの長期戦を覚悟する必要がある」としたうえで、「新型コロナ時代の新たな日常を国民の皆さまとつくり上げていく」、と。 意味するところは分かりにくいものだったが、その眼目は「新型コロナを前提に…」という「新しい生活様式」の提示にあった。新型コロナウイルスの封じ込めによる終息を目指したが、それは実現できていない。いわば、その現実をのみ込んで、新型コロナウイルスとある程度の共存を前提とする「新しい生活様式」で経済活動の再開を目指そうというメッセージにほかならなかった。 4月には、収入大幅減世帯に30万円の支給案が打ち出され、その後に国民1人当たり10万円支給に変更された。その時点ですでに「逐次投入」「小出し」という議論があった。 今回は新型コロナウイルスという存在を前提として闘いながら、経済活動再開を実行するということになる。なし崩しで「二正面作戦」に移行したようなものである。新型コロナウイルスとの闘いでいえば、戦略を転換・変更したことに等しい。重要な転換と思われるが、その判断のベースになる総括のようなものはなかった。新型コロナウイルス感染症対策本部で緊急事態宣言の延長を表明する安倍晋三首相(手前から2人目)=2020年5月4日、首相官邸(春名中撮影) 「二正面作戦」は本来的には戦力に余裕のある者しか使えない戦法だ。二兎を追うわけだから、一兎も得ずという可能性がある。今川義元の桶狭間では、織田信長の尾張攻略なのか、上洛なのか、曖昧(あいまい)な戦略目標が敗因とされている。ミッドウェー作戦では、アメリカ空母殲滅(せんめつ)なのか、ミッドウェー島攻略なのか、これも曖昧さが敗因となっている。 このように「二正面作戦」はリスクをはらんでいる。むしろ基本的には採用してはならない闘い方だ。戦略・戦術の手順が曖昧になる。なし崩しで「二正面作戦」に踏み切って、新型コロナウイルスの第2波などのぶり返しで想定を超える長期戦を強いられれば、時間のみならずカネ(税金)をやたらと食うことになりかねない。新フェーズのコロナ対策 新型コロナウイルスという第一の敵を封じ込めることに一点集中して終息のメドをつける。その後に経済活動再開をスタートさせる。この手順でいくことができれば、カネ(税金)も時間も省ける「クライシスマネジメント(危機管理)」が追求できたかもしれない。 いわば「各個撃破」があるべき手法なのだが、それは採用することができなかった。その点では、「二正面作戦」はやや迷走に近い戦略転換になりかねない。ともあれ、日本型のコロナウイルス封じ込め戦略は、否応もなく新しいフェーズに移行した。 ところで日本の経済・企業サイドの緊急事態宣言への対応だが、この否応もない新しいフェーズとはまるでシンクロしている。どちらが因でどちらが果なのか、奇妙なことに相呼応している。政策とは恐ろしいものである。経済・企業サイドは、今の新型コロナウイルスの存在を前提とした経済活動再開という「新しい生活様式」に寄り添った行動をとっている。 経済・企業サイドでいえば、東京都の都心部、すなわち東京丸の内、銀座、新宿、渋谷、池袋、品川などの出勤者は70~80%減になってはいない。東京都心部は各企業の本社部門が集積しているわけで、もちろんテレワークや自宅勤務、時差出勤などが積極的に導入されている。土日など休日はさすがに70~80%減になっている。しかし、平日でいえば出勤者は50~60%減が精一杯という状況とみられる。 売り上げに直結している生産、営業といった現場の直接部門は、一般的にはテレワークになじまない面がある。業態によっては、全社でテレワークを実施し、顧客への営業・サービスや社内会議・打ち合わせまでウェブで実行している企業もある。ただ、現状ではそれはあくまでレアケースでしかない。 ある中堅土木企業では、本社管理部門は「電話番」なのか総務、経理など各部社員が交代で出勤している。大半はテレワーク・自宅勤務ということで管理部門の出勤は大幅減となっている。土木現場は下請けが中心なのだろうが、工事を続行している。現時点では、貴重な売り上げにつながる業務だけに止められない。「3密回避」で工事をしているというが、感染リスクはないとはいえない。 大手ゼネコンは、4月に入ると工事現場から感染者が出たこともあって軒並みに工事中断を指示した。これもある中堅建設関連企業のケースだが、大手ゼネコンがらみの下請け仕事は自動的に中断となった。施主が官公庁という工事も自粛している。だが、自社が受注してきた建設工事は感染防止に留意しながら継続している。社員たちの「3密回避」で分室化、サテライトオフィスを活用している。 一方、ある計測機器関連企業は、工場の生産ラインは従来のままだ。本社も営業、物流など売り上げに関連する部門ではテレワーク導入は行われていない。本社が東京都心部から離れていることもあって時差出勤程度の対応となっている。生活関連のあるサービス業企業では、本社管理部門は自宅勤務を導入したが、顧客へのサービスを担当している直接部門の社員たちは従来通りに接客して勤務している。感染リスクはないとはいえない。これらはコロナ禍でいえばいずれも打撃が少ない企業なのだが、おそらく平均的な緊急事態宣言への対応といえるものである。大型連休が明け、マスク姿で通勤する人たち=2020年5月7日、JR東京駅前 つまり、一般の日本企業の多くは、「3密回避」は最低限の要件だが、新型コロナウイルスへの感染リスクをとりながら、限定的だが売り上げを確保する行動に出ている。すでに新型コロナウイルスという存在を前提にして経済活動をしている。 それはとりもなおさず新型コロナウイルスがぶり返す可能性を残していることを意味している。これでは新型コロナウイルスを封じ込めるのは事実上困難ということになりかねない。最大の「目詰まり」 緊急事態宣言では、休業は命令ではなくあくまで要請である。休業を要請するのは地方自治体で、国は休業に対する補償義務を負わないとしている。企業としては、緊急事態宣言を当然ながら重く受け止めているが、一方で売り上げに直結する部門は少しでも稼働させたいのも事実だ。これは企業としてはサバイバル(生き残り)への本能のようなものだ。生産・販売の現場では多少のリスクを顧みず仕事を続行している面が少なくない。 企業はすでに新型コロナウイルスの存在というリスクを前提に経済活動を行っている。緊急事態宣言は、地方自治体の要請を基本としており、“闇営業”というわけではない。企業も事実上二兎を追っている。結果として、国と企業はともに「二正面作戦」で軌を一つにしている。国も国なら企業も企業だが、これが背に腹は代えられないリアルな実態だ。この現実は緊急事態宣言があくまで要請を基本にしている政策がもたらした因果にほかならない。 ちなみに、緊急事態宣言で売り上げが極限まで低下し、さらにその延長で窮地に追い込まれている企業・産業群はかなり広範囲だ。 新型コロナウイルスに直撃されているのは観光(旅行)、ホテル、エアライン、鉄道、飲食、外食、人材派遣、テーマパーク、芸能エンターテインメント(演劇・演芸・音楽)、イベント、スポーツ、スポーツジム、ヨガ教室、アパレル、百貨店、石油、自動車、自動車部品、電子部品などだ。 国、地方自治体などが社会的に救済しようとしているわけだが、これらの業界の多くからは悲鳴が上がっており、支援がないと持たない。逆に売り上げを伸ばしているのはeコマース通販、スーパーなどだ。 アメリカ、そしてドイツ、フランス、イギリス、イタリアなど世界は多かれ少なかれ新型コロナウイルスの存在を前提にしながら経済活動を再開するのが趨勢(すうせい)とみられる。日本は世界の趨勢を後追いしているわけだが、実態としては後れをとっている状況だ。 国としては、「新しい生活様式」は提案したが、緊急事態宣言延長の解除基準などは明確にしなかった。しかし、吉村洋文大阪府知事が「大阪モデル」として独自の基準を打ち出した。これにより安倍首相も5月14日に「国としての判断を示す」ことに動いた。 国民が求めているのは、「明確なリーダーシップ」のようなものに尽きるのでないか。治療薬では「レムデシベル」が特例承認となった。だが、ワクチンは開発段階だ。何よりもPCR検査が増加していないという「不条理」を依然として抱えている。 安倍首相の指示にもかかわらず、PCR検査は保健所の人的不足などが目詰まりとなって改善されていない。検査数は各国と比べて極端に少ない。PCR検査数の不足が、感染の実態・全容を正確に把握できていると言い切れない状況の根底にある。実態・全容が把握できていれば有効に闘えるはずだ。「索敵」が十分にできていない。新型コロナウイルス封じ込めでどの時点にいるのか。次の段階にいつ移れるのか。先行きは見えない。「目詰まり」というならこれが最大の目詰まりだ。  新型コロナウイルスは人々の命を奪う敵であることにとどまらず、覆い隠されていた日本の脆弱性や問題点を露呈させた。政府、自治体、国民、医療、経済、メディア、さらにはリーダーシップのあり方までが問われている。記者団を前にマスクを外し、緊急事態宣言の延長を表明する安倍首相=2020年5月1日、首相官邸 緊急事態宣言が延長された現時点では新型コロナウイルスを前提として封じ込めながら経済活動を再開するという二つの闘いが展開されている。ウイルスの封じ込めに傾けば経済が軋み、経済に重点を置けばウイルスがぶり返すという困難な闘いである。「正念場」という言葉があるが、日本にとって文字通りの正念場はこの闘いということになる。

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    新型コロナ迷走「四悪人」にすがり続ける安倍首相の自爆

    舛添要一(元厚生労働相、前東京都知事) 5月1日に行われた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の提言を受けて、安倍晋三首相は緊急事態宣言を5月31日まで全国一律に延長することを決めた。その上で、13の特定警戒都道府県とそれ以外の地域では、対応を変えるという。 ところで、この決定は科学的・疫学的データに基づいた判断なのであろうか。そもそも、専門家会議の現状把握に問題はないのであろうか。 新型コロナウイルスの感染拡大に対応するため、イタリア、フランス、スペイン、ドイツなどは非常事態を宣言して都市封鎖(ロックダウン)を行ったが、現在は解除する方向になりつつある。そして、その際には、きちんとした科学的データに基づいて対策を立案している。 その際に使われる基準の一つが、実効再生産数というものであるが、これは一人の感染者が何人に感染させるかという数字である。専門家会議は、この数字を3月末以来、公表してこなかったので、私は明らかにするように求めてきた。その声が届いたのか、ようやく5月1日の会見で公表された。 4月1日ごろに1・0を下回った実効再生産数は、4月10日には全国0・7、東京0・5まで下がったという。1・0以下というのは、諸外国では都市封鎖を解除するための基準数字である。 政府は、4月7日に緊急事態宣言を発出しており、この数字を公表すれば、その対応を正当化する根拠が失われることになる。そこで、情報を隠蔽したのではないかと疑わざるをえないのである。 専門家会議は「当面は今の対策を維持すべきである」というが、いったい「当面」とはいつまでなのだろうか。感染者が減少しており、実効再生産数も1・0以下になっているというのなら、論理的には緊急事態宣言を解除すべきなのではないか。 そうしない理由として、医療崩壊を挙げているが、経済活動をここまで大幅に制限しなくても回避する方法はあるはずだ。この点でも、やはり全国の病床数などの正確なデータが提示されていない。これまでも、厚生労働省はさまざまなデータ操作を繰り返してきているので、全面的に信頼することができないのである。 危機管理の基本は情報公開である。情報を開示せずに、国民に新型コロナウイルスの怖さを強調して、いわば「脅迫」によって政策を強行してはならない。記者会見する新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の(右から)脇田隆字座長、尾身茂副座長=2020年5月4日、厚労省 政府は、感染の有無を確認するPCR検査の事態や実効再生産数、全国病院の空床数といった情報を、隠すか操作するかしているのではないだろうか。これが今の日本の惨状の根本原因である。情報を開示しないまま、緊急事態宣言をさらに延長したことは、マイナスの方が大きくなると危惧する。 専門家会議の失敗は、PCR検査をほとんど行ってこなかったことにある。この最初のミスが、次々と問題を引き起こし、今日のような「緊急事態」を呼んでいる。曖昧すぎる解除基準 クラスター(感染者集団)潰しに専念し、その成果を誇るあまり、濃厚接触者だけにPCR検査を限定する愚を犯してきた。その間に、感染経路不明者が増大していったのである。つまり、市中感染が拡大していたはずなのに、それを見逃してしまった。 しかも、PCR検査をして陽性者が増えれば、患者が病院に殺到して医療崩壊を引き起こすという理由で、意図的に検査を抑制したのである。これが間違いだったことは、車に乗ったまま検体を採取する「ドライブスルー方式」まで導入して、検査を徹底して行った韓国で、今や新規感染者がほぼゼロになっていることが証明している。 医療崩壊については、患者の症状に応じて対応する体制を最初から整えておけば、避けることができる。重症者は感染症指定病院、中症者は一般病院、軽症者や無症状者はホテルや公共施設や自宅と、収容先を分ければよいのである。 2009年に新型インフルエンザが流行した際、厚労相だった私は、神戸市の現場で患者の治療に当たっていた神戸大の岩田健太郎教授らの勧告を容れ、そのような体制にした。それが、感染の早期終息に役立った。岩田教授が、今回はクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内部の状況について、動画配信して波紋を呼んだことは周知の事実である。 医療体制の崩壊というが、台東区の永寿総合病院や墨田区の都立墨東病院のように、院内感染が大きな引き金となっている。医師や看護師など医療従事者が感染し、外来停止などの措置をとらざるをえなくなっており、患者もまた犠牲者になっている。 例えば、5月2日の東京都の新たなコロナ死者15人のうち、11人が中野区の中野江古田病院で発生した院内感染の患者だった。自衛隊中央病院では院内感染がないし、「ダイヤモンド・プリンセス」の時も、自衛隊員は感染していない。防護服不足などの問題もあるが、発熱外来の設置など院内感染対策の徹底指示を欠いた厚労省や都、医師会にも責任の一端がある。 都市封鎖を行ったり、解除したりするときの前提は感染状態の正確な把握である。感染者数で世界一となった米国の場合、最多の感染者がいるニューヨーク州では、同州のクオモ知事が率先して感染防止対策の指揮を執っている。 クオモ知事もPCR検査を徹底し、実態を掴むことを封鎖解除の条件としている。抗体検査も実施し、免疫を持っている者の比率を参考にするのである。そして、「入院率が連続して14日間低下すること」も解除を認める指標としている。2020年4月29日、米ニューヨーク州で記者会見するクオモ知事(ロイター=共同) これに比べて、日本の専門家会議は「感染者が減ったら」という曖昧(あいまい)な基準しか提示できていない。PCR検査数と陽性者の数は正の相関関係にあり、検査数を減らせば陽性者は減るのである。 とにかく、圧倒的に検査数が少ないと言わざるをえない。PCR検査を徹底しない限り、緊急事態宣言解除の議論もできないはずである。 一方で、1カ月続いた緊急事態宣言のもとで、日本経済は急速に悪化している。緊急事態宣言を1カ月近く延長する場合、民間エコノミストからは、失業者が倍増して77万人になり、個人消費も27・8兆円減少するという厳しい予測が出ている。今回の迷走を作った「四悪人」 さらに、世界的には、これまでの超金融緩和によって、資産価格が上昇した反面、企業の債務も増加してきた。だが、新型コロナ危機で、資産価格バブルが崩壊し、世界の金融システムは危機に瀕する状況になりそうである。それは当然、日本にも大きな影響を及ぼす。 ところが、コロナ対応を決めるときに、感染症の専門家ばかりで、経済や金融の専門家が諮問の対象となっていない。安倍首相の大きな失敗である。 営業自粛を求められている業界では、既に自殺者が出ている。新型コロナウイルスでの死者よりも、間接的なケースも入れると、経済困窮による死者の方が多くなるのではなかろうか。 私は、安倍政権の今回の迷走を作った「四悪人」がいると考えている。 「第一の悪人」たちは、政府の新型コロナウイルス感染症対策の専門家会議である。既に説明したように、クラスター潰しに夢中になりすぎる余り、市中感染に手をこまねいていた愚をはじめ、多くのミスは枚挙に暇がない。 「第二の悪人」は、新型コロナウイルス対応を担当する西村康稔(やすとし)経済再生相である。今回の感染症は西村経済再生相と加藤勝信厚労相が対応しているが、2人の大臣が存在するのは有害である。感染症対策は、加藤厚労相に権力を集中させることによって可能なのである。感染症法でも、そのように明記されている。 2009年の新型インフルエンザ対応に成功したのは、厚労相だった私に権限を集中したおかげである。国会対応が上手いという理由で、新型インフルエンザ特措法の改正案を西村経済再生相に任せた安倍首相の責任は重い。 加藤厚労相がいかに無能であろうとも、いかに多忙であろうとも、厚労相が対策を一手に引き受けねばならないのである。「二人大臣」などという非常識なことをしているのは日本だけである。1安倍晋三首相から新型コロナウイルス特措法に基づく対策本部設置の指示を受けたことを表明する西村康稔経済再生担当相(左)と加藤勝信厚労相=2020年3月、首相官邸 「第三の悪人」たちは、首相のそばで権勢を振るう官邸官僚である。いわゆる「アベノマスク」の失敗に象徴されるような酷い状況になっている。ロシア帝政末期に国政に介入し、帝国を崩壊させた怪僧にちなんで、私は彼らのことを「官邸のラスプーチン」と呼んでいる。彼らこそ「安倍帝国」を壊滅させるであろう。 「第四の悪人」たちは御用学者や御用評論家である。安倍政権の政策を少しでも批判すると、忠実な番犬のように猛烈な勢いで噛みついてくる。冷静に考えることもせずに、条件反射的に対応する彼らを、私は「パブロフの犬」と称する。今のような危機的状況になると、このような存在は安倍首相の評価をさらに下げることになる。 しかし、「四悪人」を生み出したのは安倍首相であり、自ら、今その呪縛に苦しんでいるのも当然といえるのである。

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    新型コロナ長期戦、自粛疲れは「あきらめる心」で癒される

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) 新型コロナウイルスの猛威を受け、日本全国に緊急事態宣言が出されています。人の流れも活動も抑制され、国民の不便と我慢が続いています。 人の移動と接触を極力抑えることは、感染症の拡大を防ぐ効果的な方法の一つです。この不便も、我慢も、混乱も、全ては「感染症に打ち勝って、明日を生きるためだ」と説明されています。我慢の限界に近い方も少なくないと思われますが、今のところ、国民は懸命に受け入れようとしています。 今、「コロナ自粛疲れ」への対策が必要とされています。もちろん、経済的な「疲れ」も深刻です。この混乱の中で、生活に窮する人が出てくることは必然でしょう。 ただ、どんな混乱の中でも、心理的な安定だけは保ちたいものです。心理的な安定は、適切な行動を促すからです。 心は環境に反応するものなので、本来なら環境が早く落ち着くことが、何より大切です。環境が落ち着けば、自然と心も安定するからです。しかし、なかなか落ち着きそうにありません。 そこで本稿では、どんな落ち着かない環境の中でも、「コロナ自粛疲れ」を生き抜く方法を紹介したいと思います。そのために、まずは私たちを疲れさせる「コロナストレス」とでも言うべき事態の正体を心理学的に考えてみましょう。 まず、今、クラブなどの社交の場や映画館、スポーツジムといった「(生きるために)不要不急」な場は営業自粛を余儀なくされました。また、芸能などの文化活動も非常に制限され、個人的なイベントも自粛を求められています。 また、公園では子供の遊具にも「使用禁止」と書かれた黄色いテープが張り巡らされています。学校や幼稚園も閉鎖され、友達に会うこともできません。 これらは、人が集まることでクラスター(感染者集団)が発生することを恐れたためでしょう。このため、私たちは「気晴らし」の場を奪われたと言えます。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「生きるため」だけの活動では、気分はどんどんすり減っていくものです。民俗学者の桜井徳太郎はこの状態を、「ケ(褻)」という普段の暮らしを営む心のエネルギーが枯れた状態、つまり「ケガレ」と表現しました。「ケ」を回復させるには「ハレ」、日常のストレスから開放された時空が必要なのです。 しかし、今の私たちに「ハレ」はありません。桜井の言うところの「ケガレ」の状態にあるのです。もう一つの大きなストレス 次に、経済活動の停滞のように、社会の混乱と近い未来への不安も大きなストレスです。ここでは、私が属する大学界の混乱を例にしてみたいと思います。 まず、大学への入構禁止や海外への渡航禁止で運命が変わった学生がいます。例えば、生物系など分野によっては、中断されたことで致命的なダメージを受ける研究もあります。 研究成果が失われることは、研究者人生にとっても深刻なダメージです。また、留学の準備を何年もかけて進めていた学生は、在学期間の関係で留学をあきらめざるを得ない場合もあります。 進学のために都市部に引っ越したばかりの新入生は、慣れない新居で孤独に過ごしています。孤独で目的意識のない学生は危険薬物やカルト教団への勧誘といったリスクに晒されやすくなるだけでなく、メンタルヘルス(心の健康)の維持も心配されます。この混乱の中で、ご両親が悲しむような事態に陥る学生が増えないか心配です。 このように、学生だけでも「コロナ対策」の中で描いていた未来が崩されたり、脅かされたりする人たちがいます。同じことは、企業の経営者や勤務する人たちにも言えることでしょう。 何カ月、何年もかけて用意していたビジネスプランやビジネスモデルが、この混乱の中で崩壊したり、大ダメージを受けたといった話は、私の狭い耳にもよく入ります。運命が変わった企業や個人も多いと思います。 一方で、オンライン化が一気に加速しそうな勢いがあります。その中で、産業構造も、ネットワークやコネクションのような人と人の繋がり方も、大きく変わりそうです。これまでの利点が失われる人や組織、逆にこの混乱の中で有利になる人や組織、どう転ぶか分かりません。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) このように、私たちは「アフターコロナ」とでも言うような世界、つまり、これからの展望が見えなくなりました。人は未来の展望に導かれて生きる存在です。展望を見失うことも大きなストレスになるのです。新型コロナウイルスの猛威から生き残ったとしても、その先の人生が見通せないとしたら絶望するしかないのです。 このように、私たちは「ケガレ」と「展望の崩壊」という二つの大きなストレスに疲れていると考えられます。どちらも長引くとよいことはありません。 しかし、今の状況ではまだまだ「我慢」が必要なようです。どうすればいいのでしょうか。見過ごされる「心地よい感覚」 ここで、「どうしようもない事態」のために開発された心理支援についてご紹介しましょう。それは「マインドフルネス(mindfulness)」と総称されるものです。 日本語に訳しにくいので、直感的には分かりにくいかもしれません。そこで、この真逆の状態「マインドレスネス(mindlessness)」すなわち「心」を「亡」くす状態、「忙」から説明しましょう。 「忙しい」と私たちはどうなるでしょうか。「あれはこうしなきゃ、これはこうでなきゃ」に囚われて、身の回りのさまざまなことを見落としてしまいませんか。マインドレスネスは辞書で「不注意」と書かれていますが、心理支援的には「身の回りの、本当は私たちを豊かにしてくれる何か」を見落としてしまう状態を表しています。 マインドフルネスはこの逆の状態です。実は、私たちの日常は、冷たい水やビールの喉越し、軽い運動や入浴の爽快感などなど、「忙しい」ときには意識を向けないような心地よい感覚にあふれているのです。 いろんな不満や心配に囲まれた毎日ではありますが、手立てがないときは、思い切って無理に考えることをあきらめましょう。そして、このような心地よい感覚に浸るのはいかがでしょうか。 このようなマインドフルな状態は、私たちの何気ない日々にさまざまな発見や喜びを増やしてくれることが知られています。新しいアイデアも湧いてくると言われています。今、私たちが置かれている状況では、マインドフルネスが有効だといえるでしょう。 ただ、実際問題として、本当に「忙しい」現代人はずっとマインドフルネスの状態に陥って、忙しい自分に戻れなくなることが心配なこともあるようです。そんなときは、「忙しいスイッチ」になるような「サイン」を何か決めておきましょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 例えば、「緊急事態宣言が解除されたら(これがサインの一つ)、◯◯を考え、△△を実行して…」というアクションプランをメモして壁に貼っておきましょう。まだサインが来ていないときは、スイッチを入れる必要はありません。存分にマインドフルになっていい、ということです。 毎日、アクションプランを確認できるので、そのときが来れば前のように「忙しく」活動できるはずです。これなら、安心してマインドフルに浸れますね。 私たちは感染症との戦いだけでなく、「コロナ自粛疲れ」という大きなストレスにも立ち向かわなければなりません。まだまだ先行きが見えませんが、「マインドフルネス」に浸って、「ビフォーコロナ」では見落としていた、心地よい感覚とともに過ごすのもよいかもしれません。皆さんと一緒に生き抜きましょう。

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    大統領選は混迷?コロナ大災厄で再燃するアメリカの「急所」

    吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表) 新型コロナウイルス問題は、米国民の医療保険に関する意識の一部を変えたようだ。米大統領選民主党候補であったサンダース氏が叫んだ「全ての人にメディケアを!」という政策に賛同する人が増えたとされる。しかし、彼は予備選撤退を余儀なくされた。なぜだろうか。 その答えは、米国の医療保険制度について知る必要がある。米国の医療保険制度は非常に複雑である。そこで以下の記述は、あくまで概略であるということを事前に断っておきたい。 米国の医療保険は、元々は1920年代から徐々に民間の生命保険、損害保険会社が始めた。そのため60年代には、65歳以上の高齢者で医療保険無加入の人が下の世代より多くなり、そこで「メディケア」という公的医療保険制度が導入された。 これは10年以上米国に合法的に居住していた人が収入の2・9%を払っていれば(雇用されている人は半分を雇用主に払ってもらえる)、65歳以上ないし重度の障害者などになった場合に適用される。 60日までならほとんど自己負担なしで入院できる(60日以降に関しては、徐々に上がっていき、150日以上は全額である)。追加として約135・5ドルの保険料を毎月払えば、外来診療および今回も問題になったようなワクチンや人工呼吸器などの特殊な治療も年間183ドルまでは無料で、その後は自己負担20%である。ただ、精神科は45%、検査は無料である。 メディケアは大部分の薬に関しては適用されていなかったので、2003年から追加料金を毎月支払えば、医師から処方される薬剤の費用が補償される。ただし、この部分に関しては、慈善団体や労組、民営医療保険会社なども関係しているため、保険料や補償内容は標準化されていない。だが、平均的な世帯の保険料は月30~50ドルくらいで、そして場合によっては薬剤費の100%が補償されることもある。 米国在住の私の知人で65歳以上の人が、何度も心臓関係の大手術を受けたが、1回の入院でほとんど費用を払わずに済んでいたようだ。これは北欧諸国並みに充実した医療福祉制度と言えるだろう。導入したジョンソン大統領が「偉大な社会」をスローガンにしたのも分かる気がする(他に彼は都市のインフラ整備など、後のオバマ政権のモデルとなった部分が多い)。 では、65歳未満で重度の障害者でもない低所得者はどうするのか。そのような(オバマケアができてからは米国政府が定める貧困線を33%まで超えている)人々向けに「メディケイド」という公的医療保険がある。米ニューヨーク市の病院で、新型コロナウイルスの感染歴の有無を調べる抗体検査を受けるため、列に並ぶ市民ら=2020年4月(上塚真由撮影) これは連邦政府から補助金を得ているものの、メディケア以上に各州に任されており、不安定である。そのため1990年代までは加入者は米国民の約10%だったが、2000年以降は約20%に増加した。 それぐらい米国では、2000年以降格差が拡大し、また医療費が高騰していたのである。「オバマケア」の矛盾 そこでオバマケアが登場した。これは65歳未満でメディケイドの対象にならない人でも、例えば既往症があったり、収入不安定などの理由で民営医療保険に入れない人が米国には多かったが、そのような差別を医療保険会社に禁止した。 また、米国の医療保険は掛金が高いので敢えて入らない人も多いが、そのような人には所得税を2・5%上げるといったペナルティーのようなものがあり、逆に(貧困線を33%以上超えている)低所得者には、民営医療保険に入るための補助金が出る。 これは一見、よいことのように思われるが、医療福祉に関する公的資金が激増することは言うまでもなく、各州も共和党も強く反発した。また、健康上のリスクの高い人を多く加入させたため、民営医療保険会社の掛金も高騰し、今まで普通に民営医療保険に加入していた人の生活が圧迫されるほどだった。 自己負担分も増えて医療保険の使い勝手も悪くなった。そこで補助金をもらっても医療保険に入れない人はおろか、オバマケアが成立したおかげで、むしろ無保険状態を望む中流生活者が増えたとも言われている。 そこでトランプ氏が大統領になってからオバマケアの廃止を試みたが、共和党にも貧しい州選出の議員や、リベラル派の議員もおり、その反対で実現できなかった。そこで共和党は、全国民に保険加入を強制するのは米国憲法違反であるという訴訟を起こしており、また、トランプ氏の税制改革によって少なくとも医療保険に加入しない人への罰金的増税は廃止された。 いずれにしても以上のような諸事情から、いまだに米国民の10%近い約3千万人の無保険者がいる。オバマケア成立時には無保険者は米国民の約20%だったが、オバマケアによって2020年には5%未満になるはずだった。 このように無保険者が多く医療保険の使い勝手が悪いという米国の実態が、新型コロナ問題を悪化させた一因ではないか、という考え方は、当然に広まった。そこで先に述べたように、サンダース氏の主張への賛同者も増えたにもかかわらず、なぜ、予備選撤退を余儀なくされたのだろうか。 彼の主張する「全ての人にメディケアを!」という政策を実現すると、何と36兆ドルもの費用がかかる。そんなカネが、どこにあるのかということだ。費用の問題をクリアできたとして、果たして「全ての人にメディケアを!」政策は、今回の新型コロナ問題のような状況に、効果的に対処できただろうか。米ニューヨークの民家で、新型コロナウイルスによる重症の高齢男性患者に処置を施す医療従事者ら=2020年4月(ゲッティ=共同) 例えば、メディケアは個人の医療費補償なので、それだけのカネを使ったとしても集中治療室や人工呼吸器までは、それほど増やすことはできなかったと思われる。そのような連邦補助金は既に別に存在し、それを使って、そのような設備を整えず、別のインフラ整備などを重視したニューヨーク州のクオモ知事の責任を追及する声が、米国でも徐々に高まっている。彼のトランプ批判は、自らの責任逃れの側面が強い。新型コロナ深刻化の背景 そして、設備に関し米国は、実は国民皆保険が実現している欧州諸国よりも、全米では充実し数も多かったのである。その欧州諸国でも多数の人が亡くなったのは、国民皆保険のために多くの人が病院に殺到し、医療崩壊が起きやすかったからであるという考え方もできる。 ただし、その欧州諸国では、病院の約半分が、営利を考えなくてよい公立病院である(ちなみに日本は約2割)。ところが米国では15%にとどまる。そのため営利の面で非効率的な地方に医療機関が少なく、7700万人の米国民が医療機関不十分な地域に住んでいるという。これも新型コロナが米国で猛威を振るった原因の一つかもしれない。 その代わり米国では、約1万2千にのぼる地区保健センターがある。これは約1300の非営利団体(NPO)によって経営され、2900万人以上の米国民に、精神科や歯科など、メディケアの対象になり難い分野を含め広く医療サービスを提供している。 サンダース氏ら民主党左派は、この地区保健センターの拡充にも力を入れてきたが、これには共和党も積極的に協力してきた。政府からの補助金予算が一時的に失効した2018年、105人の共和党議員が延長に賛成している。多くの補助金を得るには、十分に役立っていることを政府に説明しなければならないという、ある種の競争原理が働くからかもしれない。 一方、バイデン氏は、この地区保健センターへの年間補助金が今は56億ドルであるものを、およそ倍額にすると公約している。また、政府の計画によって医療保険の補償内容の選択肢見直しも公約に盛り込んでいる。これは、保険料が高い代わりに補償が厚いプランと補償が薄い代わりに保険料が安いプランを選ばせ、オバマケアの(経費的な面も含めた)持続可能性を高めるといったことなどだ。 ただし、これはメディケアの低レートで保険会社に払い戻しを行う可能性がある。人々が安い方のオプションを支持し民間保険を解約すると、医師や病院は彼らの収入が減少し、一部の保険会社はサービスを停止し、他の医療保険会社は、完全に閉鎖するだろう。 それでも民営医療保険会社の経営に悪影響を与えるのではないかと共和党は反論しているが、いずれにしても米国という国は、やはり競争原理によって活力ある社会を築くことが好きなようだ。バイデン氏の政策を見ていても、それに近いのは理解できる。テレビ討論会で発言するバイデン前米副大統領=2020年3月、ワシントン(AP=共同) 今回の新型コロナ対策に失敗したのも、米疾病予防管理センター(CDC)、米食品医薬品局(FDA)などが、その官僚主義のために、検査キットや人工呼吸器を、必要なとき、必要な場所に届けられなかったことが原因という意見も米国では多く、ワクチンの開発などを迅速に行なっている民間の医薬品会社への期待の方が大きいようだ。 ところでサンダース氏の考えていた「米国版国民皆保険」制度は、36兆ドルもの予算を使っても足りないため、この民間の製薬会社や病院などの受け取り分を40%も削減しなければならなくなるという。これでは製薬会社や医師などの士気が上がらず逆効果だという批判も、米国社会では多いのである。サンダース撤退の深層 だが、同時に米国の医療費のうち3割以上が、製薬会社や民営医療保険会社の、必要以上の利潤になっているという研究もある。オバマケアは、それを促進した側面があり、そのため製薬会社が大量に生産した合法的な鎮痛剤の過剰摂取によって廃人になる人が、コカインで同様になる人と同じくらいの比率になり、重大な社会問題になっていた。 そこでトランプ氏が登場したという側面もあるのだ。トランプ氏が大統領に就任以降、製薬会社、病院、薬局そして米国独特の処方箋管理組合などの競争を促進したり、日本でいう保険の点数の数え方を変えたりすることで、これらの組織が効率のよい仕事を行うようになった。 その結果として、医薬品などの値段を下げるため、努力をしてきた。それは民主党が下院で多数になってから、むしろ彼らの一部の協力を得て、軌道に乗りつつある。これによる薬価の切り下げこそが、米国における医療福祉問題解決の肝であると言っても過言ではないだろう。 米国の医療費の3割以上が医療関係業界の不当な利潤になっているのは、メディケアという公的制度があるために、競争原理が働いてこなかったためであるという考え方もある。民営医療保険会社も、メディケアの補償内容や自己負担を参考に、ビジネスを組み立てているからである。 そうして彼らの得た不当利潤のかなりの部分が、オバマ氏やヒラリー氏に流れているという噂は、ワシントンの一部で執拗に囁かれていた。それもヒラリー氏落選の理由の一つなら、そのカネの力で彼女がさまざまな妨害工作を行ったため、サンダース氏は予備選撤退に追い込まれたという説もある。「全ての人にメディケアを!」が実現したら、民営医療保険会社や製薬会社が儲からなくなり、ヒラリー氏にカネが入らなくなるからである。 だが、サンダース氏も実は2019年の1年間だけで160万ドルの献金を、医薬品業界や民営医療保険の会社から受け取っている。「目こぼし料」の意味もあるだろう。 しかし、同時に「全ての人にメディケアを!」が実現したとしても、メディケアという競争原理が働かないシステムでは、これらの業界は(今より少なくなっても)不当利潤を得続けることが不可能にはならない。所詮サンダース氏も、ヒラリー氏やオバマ氏、バイデン氏らと「同じ穴の狢(むじな)」なのではないか。 少なくともバイデン氏がオバマケアの持続可能性を高めようとしている理由は、もうお分かりだと思う。バイデン氏にセクハラ問題が持ち上がり急に立場が苦しくなった4月末になって、ヒラリー氏が彼の支持を表明した理由も言わずもがなだろう。オバマ前米大統領(左)とバイデン前副大統領=2015年1月(UPI=共同) やはりトランプ氏と共和党が考える「競争原理による民間活力活性化」政策こそが、最終的な解決策なのである。CDCやFDAといった政府機関も、NPOのような形ででも、政府の外に出した方が、他の類似したNPOなどとの競争によって、よりよい仕事をするのではないかと思う。先進国として異常 また、CDCという官僚組織で働く科学者の、経済に配慮しない科学専門家の立場からの硬直した悲観的発表により、米国経済は不安定化を増したと言えないだろうか。トランプ氏の楽観的発言は、米国経済を下支えする上では間違っていないと思う。無責任発言という批判は妥当とは言えない。 むしろニューヨークの担当者が、トランプ氏以上に楽観的な発言を最初は行なってきたことも、ニューヨークの状況悪化の原因の一つと言えるが、全く追及されていないことの方が重要だ。 トランプ氏は大統領になる前からアフガンの正規軍を民間軍事会社に置き換える戦略で、その方向で今でも動いている。やはり民営化こそが公的組織による硬直化や非能率を解決する万能薬なのである。 一方で、新型コロナ問題による米国経済の急速な悪化は、トランプ氏の再選に黄信号を灯した。しかし、米国民は「戦時」的な状況では、大統領の下に団結する。トランプ氏の支持率は、むしろ上がった時期もあった。ただ、新型コロナ問題による失業者の増大で、トランプ氏の支持率は低下傾向にある。 とはいえ、バイデン氏は1年前から誰の目にも明らかだった極度の「物忘れ」が悪化しているとされ、セクハラ問題も再燃している。とても大統領になれるとは思えない。そして医療政策に関してだけでも今まで述べてきたような問題がある。 そこで新型コロナ問題で注目されたニューヨーク州のクオモ知事を、バイデン氏に健康を理由に辞退させて、代わりに大統領候補にする案が、4月初旬には有力だった。ある世論調査では、民主党支持者の56%が、バイデン氏よりクオモ知事が大統領候補として望ましいと答えた。しかし、前述のようにクオモ知事が自らの失敗糊塗と(大統領候補としての)存在誇示のため必要以上に問題を大きくしているという認識が4月下旬には広がり、この数字は見事に逆転してはいる。 いずれにしても前述のように、米国では国民の約2割以上が十分な医療施設のない土地に住んでいる。クオモ知事の失政とは断言できないが、ニューヨーク州でも都市部以外は同様で、そこと都市部の往来も同州の異常な感染の多さの原因の一つかもしれない。また、約1割が医療保険を持たないという米国の現状は、どう考えても先進国としては異常である。それが中国以上に新型コロナ感染が拡大した理由の一部と考えられても仕方がない(本当に中国の感染者が米国より少ないのかについては大いに疑問もあるが)。 地区保健センターを拡充するのみならず、医療保険問題に関しても本気の改革が必要であることを、新型コロナ問題は米国民に示した。しかし、医療保険改革が民主党的な「大きな政府」の考え方で行われれば、むしろ製薬会社などの不当利潤を増やし、米国の国家財政を破綻させかねない。米ホワイトハウス=2017年2月、ワシントン(松本健吾撮影) トランプ氏が再選されれば、民主党の一部と協力して、まず薬価を下げる。そして可能ならメディケアも部分的に民営化して、オバマケアと上手く接続させればよい。こうして真に効率のよい「国民皆保険」を米国で実現したとするならば、それを後世の人は「トランプケア」として感謝するだろう。もし、新型コロナ問題のようなものが再発しても、よりよい対応ができるようになることは言うまでもないだろう。

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    お次はアベノマスク、野党の「炎上商法」にまた騙される人たちへ

    悪いことをしているに違いない」とでもいう図式によって生み出されている。この魔女狩りの経済学に、今度は新型コロナウイルスの感染防止策として全世帯に配布する2枚の布製マスクが加わりそうである。 マスクについては、新型コロナ危機が始まってから、医療や介護現場に代表される供給不足問題に加え、一般のマスク不足が一貫して問題視されていた。政府は当初、民間の増産体制によってこの問題を解消できると予測していたようだ。新型コロナウイルスの感染拡大策として、全世帯に配布される布製マスク2枚=2020年4月23日(三尾郁恵撮影) だが、その目論見は完全に外れた。特に、民間の需要は底が知れないほどで、ドラッグストアには連日長蛇の列ができ、インターネットでは高額転売が横行した。これは明らかに政府のマスク政策の失敗だったといえる。政府が払うマスクの「ツケ」 結局、供給解消を狙って、さらに増産体制を強化し、ネットなどでの高額転売禁止、医療機関へのサージカルマスクの大量供給、福祉施設や教育機関への布マスクの配給を矢継ぎ早に行った。特に、サージカルマスクなどの高機能マスクは、地方自治体を経由していると供給不足に対応できないとして、国がネットの情報を利用して、不足している医療機関への直接配布を決定した。 だが、それでも医療需要に十分応えているわけではない。政府のマスクに関する甘い見立てのツケはいまだに解消されてない。 問題のキーポイントは、マスクの増産と割り当て(供給統制)を同時に進めるべきだったのに、前者に依存して後者を当初採用しなかったことにある。危機管理が甘いといわれても仕方がない。 国際的な成功例である台湾では、マスク流通を政府が感染初期から完全に管理している。購入には国民健康保険に相当する「全民健康保険」カードを専用端末に挿入する必要があり、一人当たりの購入数も週2枚に限定されている。さらに、履歴は「全民健康保険」カードに記載され、徹底的に管理されている。 他方で、マスク増産に軍人も起用して、今は大量生産に成功し、日本など海外に輸出するまでになっている。これに対し、日本政府は現在に至るまで、あまりに不徹底で戦略性に欠けている。 当初のマスク予測を誤ったツケが、俗称「アベノマスク」をめぐる一連の騒動の背景にもなっている。ただし、このときの「背景」は合理的なものよりも、モリカケ・桜問題に共通する「疑惑」や感情的な反発を利用した、政治的思惑に近いものがある。マスコミもアベノマスクを恰好の「娯楽」として、ワイドショーなどで率先して報道している。2017年3月、台湾行政院のデジタル関連会議に出席する唐鳳IT担当政務委員 このアベノマスクに関しては、反安倍系の人たちが率先して批判しているが、それには幼稚な内容が多い。顔に比べてマスクが小さいという主旨だが、顔の大きさに個人差があるのは否めない。 そういう幼稚な批判におぼれている人以外には、人気ユーチューバーの八田エミリ氏の動画「アベノマスク10回洗ったらどうなる?」が参考になるだろう。簡単に内容を説明すると、実際に届いた新品のマスクについて紹介した動画で、14層ある高い品質であり、洗濯すると多少小ぶりになるが、何度の使用にも耐えられるものであった。マスク不足に悩む人たちには好ましい対策だったろう。 一部では不良品があり、その検品で配布が多少遅れるようだ。マスコミはこの点を追及したいし、全体のマスク政策をおじゃんにさせたいのだろう。だが、現在配布を進める全世帯向けの半分にあたる6500万セットのうちに、どのくらいの不良品があるか、そこだけを切り取って全体のマスク政策を否定するというのは、まさに魔女狩りの経済学でいう「あいまいさの不寛容」そのものだ。愚者のための政治ショー おそらく、この「あいまいさの不寛容」におぼれたデュープスを釣り、その力で政権のイメージダウンを狙うのが野党の戦略だろう。そのため、補正予算の審議でもこのアベノマスク問題が取り上げられる可能性が高い。まさに愚者のための政治ショーである。 なお「あいまいさの不寛容」の観点で言えば、不良品が多く発見された妊婦用マスクと全世帯向け配布用マスクは異なるが、多くの報道で「巧みに」織り交ぜることで、さらなるイメージダウンを狙っているようだ。全世帯用にも不良品が見つかるかもしれないが、その都度対処すればよく、マスク配給政策そのものを否定するのはおかしい。マスクの全世帯配給に、少なくともマスクの需給環境を改善する効果はあるだろう。 また、マスク配給の当初予算が466億円だったのが、実際には91億円で済んだ。これは予算の使用が効率的に済んだのだから好ましいはずだ。 だが、立憲民主党の蓮舫副代表は違う見方をとっている。蓮舫副代表は、予算が余ったのだから「ずさん」であり、ならば「マスクも撤回してください」と要求している。 なぜ、予算が少なく済んだことが批判され、なおかつマスク配給政策全体を撤回しなくてはいけないのか。デュープスであることぐらいしか、この理由に思い当たる人は少ないのではないだろうか。 現在の日本では、新型コロナ危機で、数十兆円規模の経済危機が起きている。これに立ち向かうために、大規模でスピードを早めた経済政策が求められている。 例えば、企業の家賃のモラトリアム(支払い猶予)も喫緊の問題だ。このままの状況が続けば、6月末には多くの中小企業で「コロナ倒産」の急増を生んでしまうだろう。参院予算委員会で質問する立憲民主党・蓮舫副代表兼参院幹事長(右)=2020年3月2日(春名中撮影) だが、与野党ともに家賃モラトリアムについては、あまりにもスピード感に欠けた提言してかしていない。マスク問題も、政府のマスク買い上げや規制強化の遅れにより、現在まで障害を残している。 本来であれば、家賃モラトリアムや、さらなる定額給付金の供与など、経済対策のスピードをさらに加速させる必要がある。アベノマスクのように、ワイドショーで溜飲を下げるデュープス相手の話題にいつまでもこだわる時間は、少なくとも国会には残されていない。

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    安全保障無策の日本、終息周回遅れが招く「ポストコロナ」大不況

    小倉正男(経済ジャーナリスト) 新型コロナウイルス感染症による経済の停止は、1929~30年代の世界大恐慌以来の景気後退とされている。現状の世界経済は誰も見たことがない事態に陥っている。大恐慌以来のものなのか、あるいは大恐慌を超えるものなのかは、現状では判断がつかない。 「大変調」は、すでに世界中に現れ始めている。自動車産業一つを取り上げても、全世界の自動車工場のほぼすべてで生産が止まっている。需要の落ち込みに加えて部品の欠品などが影響している。そうしたことは誰も想像することができなかった光景だ。自動車だけではない。半導体・液晶関連の製造装置、工作機械、電子部品などすべての生産が休止、あるいは生産遅延となっている。それが眼前にある。 新型コロナウイルスの発生源となったのは中国・武漢だが、その武漢で一足早く自動車工場が再稼働に踏み出している。中国は新型コロナウイルスを終息させたとアピールしたいのだろうが、試験操業段階にあるとみられる。自動車は部品の裾野が極めて多様だが、車載用半導体など電子部品を含めて部品産業も生産・物流が停滞している。自動車生産のサプライチェーンはいまだ寸断されている。 アメリカでは3月中旬からの5週間で2600万件を超える失業保険申請が行われている。全労働人口の17%の人々が一挙に失業者になっている。リーマンショックどころか、これも大恐慌以来の記録的な現象だ。一人好況だったアメリカが暗転、原油先物価格が史上初の「マイナス価格」になった。 世界の経済活動のほぼすべてが停止している。供給過剰で、原油先物で売り手が買い手に代金を支払うといった異常事態だ。銀行でいえば、貸し手の銀行が借り手に金利を払うといったようなものである。原油需要がガタ減りになっており、世界経済が限界に近づいているというシグナルといえる。 日本では、目先の決算に「変調」が現れている。この4月末~5月が決算シーズンになる。3月期決算企業でいえば本決算にあたるが、予定していた決算発表の期日が遅れることを公表する企業が相次いでいる。「緊急事態宣言で会計・監査業務が間に合わない」という事情を上げている。決算説明は各企業とも軒並みに電話会議、インターネット動画などで行うとしている。 20年3月期決算では、一般的に第3四半期(10~12月)は消費増税で業績が低下、第4四半期(1~3月)は通常なら期末の稼ぎ時だが、新型コロナウイルスによる経済停止に直撃されている。おそらく売り上げ、収益を下方修正する企業が続出する。トヨタ自動車田原工場=愛知県田原市 変調はそれだけではない。新年度、すなわち21年3月期は売り上げ、営業利益など収益の予想数字を表示しない企業が続出する。21年3月期については、企業サイドは新型コロナウイルスの終息時期が見えず、したがって経済の停止状態をいつ解除できるのかが判明しない。売り上げ、収益とも「苦渋の決断だが、合理的な算定ができない」としている。 株式マーケット筋は、「新年度の予想数字については表記しない企業の評価はネガティブ。一般的には大幅減収減益でも予想数字を表示する会社の方を評価する」としている。企業サイドは「新型コロナウイルスの終息、再稼働の先行きが見えるようになったら、すみやかに予想数字を公表する」と答えるのが精一杯だ。見通せない終息時期 日本経済が直面している問題はそこにある。経済の出口は、新型コロナウイルス感染症をいつ終息させられるかにかかっている。メドがつけば経済の停止状態から脱出できる。 しかし、いまだ暗中模索でいつ出口にたどり着けるか判明しない。この5~9月のうちに終息できるのか。それが最も理想的だ。あるいは年内の12月まで引きずるのか、最悪のケースで2021年まで影響が残るのか。一時的に終息させたとしてもウイルスだけに二波、三波とぶり返すこともあり得る。厄介極まりない。 緊急事態宣言は7都道府県から全国に対象地域を広げて発令されている。東京都など首都圏を筆頭に全国の大都市・都心部から人影は大幅に減少した。テレワーク・在宅勤務が急速に拡大している。 ただし、首都圏などで見ても東京都内、郊外の商店街やスーパーは平常通りに営業している。都内、郊外とも通常以上の客で混雑している。特に、都内のスーパーは夜までには棚が空になるといった具合だ。昼までに行かないと何も置かれていない。郊外でも夫婦、子供など家族全員で買い物に来店している。また、都内、郊外とも価格が全般に上昇している。 都心部から人が減ったとしても、神奈川県、千葉県などの海岸沿いはクルマが渋滞になるなど、一時的に人出が増えたケースもある。このため、東京都などの自治体からは「ステイホーム」と自粛が懸命に呼びかけられている。穏やかな気候となった日曜日。神奈川県藤沢市の海岸沿いの道路は多くの車で渋滞していた=4月19日 ただし緊急事態宣言といっても要請ベースで強制力は伴わない。休業補償などが十分ではない。アメリカ、フランス、ドイツなどの主要都市の都市封鎖(ロックダウン)と比べると緩いという印象が拭えない。 それだけに日本は新型コロナウイルスの終息、封じ込めには世界の主要国に比べて遅れる可能性が否定できない。終息、封じ込めというものがともあれ早期に実現できればよいが、遅れる可能性が強まっている。 新型コロナウイルスの終息に一定のメドをつけて、ある時点で経済の停止を解除したとしても本格的な再稼働には至らない可能性もある。経済の「V字型」回復という楽観論があったが、「L字型」底ばいの長期不況になるとみておくべきだ。現時点では安易な楽観論は禁物で、最悪の想定に立つべきである。 「L字型」不況が長引けば長引くほど、懸念されるのは経済の縮小均衡による中小企業、個人商店などの倒産、閉店、廃業である。日本政策金融公庫の「無利子無担保融資」などセーフティーネットを活用して最悪の事態を回避する方策が奨励されている。だが、経済の底ばいが継続すれば資金繰りが追いつかない。中小企業、個人商店の体力が持たなくなる。外国人投資家に狙われる日本 仮に、日本が新型コロナウイルスの終息に「周回遅れ」になるなら、経済への打撃は計り知れない。首都圏の都心部、あるいは郊外にある飲食店などは現状でも厳しいが、長引けば大変な事態に追い込まれる。新型コロナウイルスの不安が残るとすれば、都心部の企業などはこのままテレワーク・在宅勤務が定着することもあり得る。都心の飲食店は苦境から脱出できない。 非上場企業のみならず、上場している企業もそれは同様だ。21年3月期の売り上げ、収益の予想数字を打ち出せないとすれば、株式マーケットは外国人機関投資家などの売り圧力に晒される。株価低迷が長期化するとすれば、内部留保を分厚く貯め込んだ企業は耐久力を持てるが、そうした企業ばかりではない。 アメリカに「企業再生ファンド」というものが生まれたのは大恐慌時代といわれている。大恐慌時代にアメリカでは一般企業だけではなく銀行までが取り付け騒ぎでバタバタ倒産した。市場経済ベースで企業を売り買いすることで再生事業が行われた。 大金持ちの個人投資家、機関投資家がファンドに資金を投じて、ファンドは体力を失った企業を底値で買い叩いて手に入れる。ファンドはその企業にプロの経営者を送り込み、2~3年で企業を再生して第三者に高値で売却する。ファンドは膨大な利益を出して、投資家に高い利回りで報いる。市場経済の過酷さを体現したやり方で一般には「ハゲタカ」という異名で呼ばれている。 新型コロナウイルスがもたらす不況では、おそらくファンドが世界中で企業を底値で買収するといった行動に出るとみられる。ファンドにすれば100年に一度のチャンスだ。新型コロナウイルスがなければ、普通に優良企業だったものをファンドは安値で手中にする。文字通り大恐慌以来のチャンスが到来する。 そうしたクライシス(危機)を考えるなら、新型コロナウイルスの終息がいつになるか、すなわち終息時期は「ポストコロナ」の日本経済に決定的なファクターになりかねなない。 日本経済の再稼働で遅れをとるとすれば、体力が弱った日本企業が狙われることになる。中国などが世界に先行して経済の再稼働に成功すれば、買い手に回る可能性も出てくるに違いない。国、あるいは地方自治体は「L字型」不況が長期化したケースに備えて、中小企業などを防衛するためのシミュレーションをしておかなければならない。 上場企業においても、たとえばソフトバンクグループなどは17兆円(2019年末)を超える有利子負債を抱えている。おそらく現状では有利子負債はさらに膨張しているとみられる。企業買収で所有企業をやたら増加させてきた「持つ経営」が危機に立たされている。4兆5千億円の資産(所有企業)売却で財務体質を改善するとしているが、そこに新型コロナウイルスによる大不況や株価低迷が追いかぶさってきている。決算説明会で記者会見するソフトバンクグループの孫正義会長兼社長=2020年2月、東京都港区(三尾郁恵撮影) 所有企業売却では「投げ売り」に追い込まれるという最悪事態も考えられる。ソフトバンクグループが所有している半導体関連ハイテク企業などを売却するとすれば、中国などの企業が買い手として名乗りを上げてきても不思議ではない。買い手としては安値で買えるのだから千載一遇にほかならない。日銀の対策にも限界 企業がむざむざ他国企業やファンドに買われないようにするということでは、通貨の円高、そしてとりわけ株高を「防護壁」にすることが基本的な政策だ。買い手としては、円が高く、さらに株価が高いなら、高い買い物になる。手を出しづらい。たとえ買われるにしても日本に入ってくる資金は、経済を回してくれるわけで貢献してくれる。円安、株安では買い手にはよいことばかりで経済への寄与は希薄でしかない。 日本銀行は上場投資信託(ETF)買い入れの拡大でテコ入れして株式マーケットの底上げを行っている。ただ、これは主として株価暴落の不安心理を解消することを狙ってのものだ。日銀の行動はやむを得なかったかもしれない。 だが、株価の低落が続くとすればETFの評価損が発生する。日銀の財務毀損が避けられない。財務毀損ぐらいで日銀が倒産することはないが、日銀が発行している通貨である円への信頼は低下する危険性がある。極端な円安に振れるとすれば、悪性インフレ懸念が生じる。資本が逃げ出すわけだから株も売られる。日銀はETF購入拡大をといった政策を継続できなくなるリスクがある。 株価低迷が長期化して、いざというクライシスに直面したときに日銀は有効な手段を持てなくなる公算がなくはない。日銀にしても、国にとって魔法の杖、いや魔法の輪転機であり続けられるわけではない。 実質的に「国家ファンド」といわれる年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)にしても本格化させてきた株式運用で身動きが取れなくなっている。日本を含む世界の株価が上昇して評価益が出ているときはよい。 だが、株価が低落しているときは評価損を抱える。仮にも国民に支払う年金資金であり、リスクを抱え続けることはできない。GPIFも動けないといった場合、国は安全保障などの面から待ったをかける政策手段が何もない事態になりかねない。日本はいざというときに使うべき最終手段を“先食い”してきたきらいがある。 日本の危機管理(クライシスマネジメント)対応が問われている。それによって経済のサバイバル、経済がどう生き残るかという構図が決められる。当然、新型コロナウイルスの終息を急ぐことが第一の要件だ。新型コロナウイルスとの闘いは集中型で一気にやるしかない。主要各国がロックダウンなどを断行していることがそれを証明している。闘いが長期に及べば、その国の経済は疲弊が避けられない。そうなれば、経済もそして国も共倒れにほかならない。終値が1万8千円を割り込んだ日経平均株価を示すボード=2020年4月、東京・八重洲  確かに新型コロナウイルスといった疫病による厄災は想定外に近いものだったかもしれない。ただ、今はウイルスとの闘いを含めて国の安全保障を考えてこなかった咎(とが)めを受け止めるときに違いない。しかし、打つ手が何もないというわけでもないに違いない。新型コロナウイルスの終息、そして「ポストコロナ」という有事対応に持てるすべてを投入して、世界経済という過酷なアリーナで敗北者に甘んじることは避けなければならない。

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    延期すら危機ゆえに思う、五輪でこそ醍醐味溢れるスポーツはこれだ!

    武田薫(スポーツライター) 女子テニス協会(WTA)は、8月10日からカナダのモントリオールで開催予定の「ロジャーズ・カップ」中止を決めた。正確には、来年まで延期するという発表だ。 この大会はトロントとモントリオールで交互に開催されてきた旧カナダオープンで、1980年から男女を分けて両都市で交互に開催されている。だが、男子プロテニス協会(ATP)ツアーのトロントはまだ中止を決めていない。 テニスは、男女ツアーが既に7月のウィンブルドンまで全大会の中止を決めた。8月最終週に行われる最後のグランドスラム、全米オープンにしても、会場の屋根付きコートには備蓄食料が置かれ、施設内にも臨時病院として多数のベッドが設置されているのが現実だ。世界ツアーを展開するテニスの動向から来年のオリンピック・パラリンピックの先行きも見えてくる。 国内でもプロ野球が開幕できず、夏の高校野球もまったく見通しが立たない。現在が止まっていると、過去も未来も書く気にも読む気にもならないもので、スポーツはナマ物ということを改めて知る。 ところで、80年代にスポーツのプロ化が一気に進み、それまで限られた地域、階層、性別の特権だったスポーツが全世界、全社会、全世代に溶け込んだ。 スポーツのプロ化は冷戦構造崩壊の象徴であり、スポーツは「不要不急」から生活の一部になった。オリンピックの4年に1度の祭典という位置付けも変わっていることを再認識する必要があるだろう。 こういう指摘はタブーのようだが、東京大会の開催は無理だ。未曽有の災害とはいえ、祭に延期はない。平和裏にどう中止に落とし込むか、その手続きが慎重に進められているのだと私は思う。東京都庁(左)と東京五輪2020年のロゴ(gettyimages) 野球やテニス、サッカー、ゴルフはオリンピックでなくともその醍醐味(だいごみ)を味わうことができる。陸上競技も4年に1度の開催でスタートした世界選手権が今や隔年での開催で定着し、世界記録のほとんどはオリンピック以外の舞台でつくられている。 それでも、オリンピックでなければ見られない種目も多い。私が特に楽しみにしていたのは、主に重量挙げやフェンシングだった。 重量挙げは孤独な競技だ。筋肉の量によってこれだけの重量が上がるはずだという数値が弾き出される。ウエイト・リフターは、その数字と目の前に冷たく横たわる鉄塊に立ち向かうのだ。80年代を代表する重量挙げ選手の砂岡(いさおか)良治は無口で温厚で顔立ちもいい好青年だった。重量挙げの醍醐味 彼は1984年のロサンゼルスで銅メダルを獲得し、ソウルは6位、最後のバルセロナは失格という成績だった。そのバルセロナ大会ではプラットホームの脇に大型スクリーンが据えられ、カメラがウエイト・リフターの表情だけでなく、膝の裏や手首を大きく映して驚いた。 ヨーロッパのテレビ局はツボを押さえているとつくづく感心したもので、このバルセロナ大会からいろいろなことが変わったように思える。 重量挙げには、日常に逆行している面白さがある。砂岡が垂直跳びで104センチも跳べることなど競技を見ていても分からない。バーベルを持ち上げるのではなく、バーベルの下に潜り込む運動神経がカギと言われて感心したものだ。 それを知った上で重量挙げを見るとたまらなく面白い。 2000年のシドニー大会では雑誌社から切符が余っていると渡され、その全てが重量挙げだったのには笑った。私は喜んで毎日出かけた。 思い出深いのはその会場だ。そこは室内音楽スタジオぐらい狭かった。プラットホーム上で選手が薄く目を閉じて集中し、会場が静まり返る。さあ、というところで誰かの携帯電話が鳴り響いた。しかも着信メロディーは「ポパイ・ザ・セーラーマン」だ。 嘆息とざわめきがあったのは当然だが、東欧系のその男が慌てながらも大声で電話に応対したのに私はびっくりした。選手も立ち上がり、物憂げに天井を見上げてから再び集中した。 その後、クロアチア代表のニコライ・ペシャロフがフェザー級クラスで優勝すると、応援団が狭い会場を練り歩き始めた。なお、その先頭で国旗を持っていたのは、テニスのグランドスラム(四大大会)で優勝したゴラン・イワニセビッチとイバ・マヨリだった。重量挙げ全日本選手権兼シドニー五輪代表選考会、スナッチで135キロのバーベルを持ち上げる池畑大=2000年6月、埼玉県上尾市 ただ、そのクロアチアに同大会最初の金メダルをもたらしたペシャロフはそもそもブルガリアの選手で、この年にクロアチアが政治的に「入手」した代表とは後で知った。 日本代表の池畑大(ひろし)も忘れられない。1996年のアトランタ大会前の北京遠征に同伴した際、中国協会の計らいで万里の長城を見物に出かけたときのことである。入り口に着くなり「トイレに行った方がいい」と言われた女子代表選手たちがすごすご帰ってきたのを目にした。 当時はいわゆる「ニーハオ・トイレ」といったもので、仕切りがないものだった。そのため彼女らの「我慢する」という乙女心に少し驚いた。一方、池畑たちは浦和にある野球場の誰もいないダッグアウトで合宿していた。 絶対に目標を上げなければいけないという日には、コーチはさっと目の前に千円札を置くという。選手は必死に持ち上げ、怒ったように千円札をひったくっていく。 もちろん、金が欲しいわけではない。池畑たちなりの、覚悟の表れであろう。池畑が「人の大勢いるところでやりたい」と言ったので、当時の専務理事に東京駅でできないものか相談したことがあるそうだ。今なら、できるかもしれない。ぜひやってほしい。フェンシングへの想い 昨今人気が高まっているフェンシングだが、私自身これに興味を持つのが少し遅れたという残念な思いがある。 アメリカの伝説的なスポーツライターであり、後に小説家として『スノーグース』『ポセイドン・アドベンチャー』で有名なポール・ギャリコはある本の前書きに「フェンシングは年齢に関係なくやれる」と書いていた。彼はフェンシングをやっていたのだ。 東京でフェンシングとなると台東区が盛んだ。当時、私は同区内の谷中に住んでいたから、一念発起して体育館へ見学に出かけた。だが、小中学生が多いので戸惑ったのがいけなかった。私自身はそっとやりたかったのだが、やろうか迷っているうちに北京大会で太田雄貴が銀メダルを獲得し、たちまちフェンシングが人気になってしまった。 この競技はもともと決闘の手段だから、危険が伴う。過去には競技中に死亡例もある。だが、シドニー大会の前後に透明のバイザーマスクを取り入れた時期があった。フェンシングのマスクは通常金属メッシュで顔を覆っているが、その目の部分にオートバイのヘルメットと同じ強化プラスチックの窓を取り入れた。 「フェンサーの目が見たい、あの眼光が最大の魅力なのだ」と。 これもテレビディレクターの要望だったと聞く。その後、バイザーが割れる事故で2014年以降は全面禁止になり、眼光は再び想像の世界に戻った。 知り合いの剣道家は「剣道は絶対にオリンピックに入らない」と言う。「精神であり記録ではない」と、柔道と比較しながら力説する。そうかもしれない。フェンシングはスポーツ性も面白いから、それもそれでいいだろう。北京五輪フェンシング男子フルーレ個人準決勝で、サンツォ(イタリア)から決勝のポイントを奪う太田雄貴(右)=2008年8月13日、国家会議センターフェンシング館(共同) 北京大会で銀メダル、2015年の世界選手権では個人フルーレ優勝を果たした太田は32歳にして、日本フェンシング協会会長の座に就いた。今でも日本の競技団体で最年少のリーダーだ。今回の未曽有の災いが、彼らの年代が日本のスポーツを引っ張っていく機会になればいいのだが。 スポーツは止まっている。いつ動き出すかも分からない。だが、スポーツはもう生活の一部になってしまい、私たちの心から消えることはない。アスリートにもそのことには確信があるはずだ。

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    あらゆる壁を越えるeスポーツ、コロナ自粛下で見直すべき魅力と原点

    ら軒並み中止になってしまい、大変残念な状況になっている。   この原稿を書いている4月中旬時点では、新型コロナウイルスによる感染者数は拡大の一途をたどっているが、一日も早い終息を願うばかりである。 そして、不幸にも亡くなれた方々に心からお悔やみを申し上げるとともに、感染して重症になってしまった方々の一刻も早い復帰を願い、医療関係者や社会インフラの維持に尽力されている方々には心より感謝を申し上げる次第である。 このような社会状況の中では、外出自粛を求められ、自宅でのテレワークや休みの過ごし方を多くの人々が模索している。また、テレワークに伴い、自動車や電車による通勤時間がなくなり、自宅との往復分だけ時間を余分に使えることになった。 そしてその余暇に、ゲームを選ぶ人も少なからずいるようだ。写真はイメージ(gettyimages) さらに、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、フィジカルスポーツイベントの開催めどが立たない中、さまざまなスポーツ団体によるオンラインゲーム大会が開催され始めている。 そして、特にゲームをプレーしていなくても、動画配信サイトでそういった配信コンテンツを見る人々も増えている。ゲーム情報サイト、ゲームズインダストリーの4月3日の記事によると、都市封鎖(ロックダウン)が本格的に始まった2~3月にかけて、世界でのゲーム関連動画配信サイトの総視聴時間は以下の通りで増加したという。ツイッチ(Twitch、米アマゾン傘下のサービス):23%ユーチューブ・ゲーミング(YouTube Gaming、ゲーム配信チャンネル):10%フェイスブック・ゲーミング(Facebook Gaming、ゲーム配信サイト):4%ミクサー(Mixer、米マイクロソフト傘下のサービス):15% さらに3月以降、さまざまなゲームイベントがオンライン上で行われている。現役アスリートが続々参戦 例えば、米大リーグ機構(MLB)と選手会などは4月10日から、実際の選手が野球のテレビゲーム「MLB The Show 20」で対戦するトーナメント大会の「MLB The Show Players League」を開催している。 参加選手には、2018年のサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)を受賞したタンパベイ・レイズのブレイク・スネル投手や、2019年のべーブ・ルース賞(ポストシーズンMVP)に輝いたワシントン・ナショナルズのフアン・ソト外野手が名を連ねた。全30球団それぞれ1人が出場し、総当たり方式でレギュラーシーズンを争う。 そして上位8人がプレーオフに進出し、勝ち抜けば「ワールドシリーズ」と銘打った優勝決定戦に進む。試合の模様はツイッチなどで公開され、17万5千ドル(約1890万円)を慈善団体に寄付するという。 また、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手がツイッターで呼びかけ、個人開催ではあるが4月12日にスマートフォンアクションゲーム「クラッシュ・ロワイヤル」にて、「マー君CUP」という大会を開催した。プロでも一般の人でもエントリーできる1千人参加の大会をオンライン上で開き、田中投手自身も出場して200位という成績をあげた。 大会は大盛況に終え、田中投手は次回の開催も前向きに考えているようだ。そして何より、田中投手とマッチングできたプレーヤーが大喜びでツイッターに書き込むなど、この大会は大きなサプライズを与えてくれた素晴らしい試みであったと言えるだろう。 一方、米プロバスケットボール協会(NBA)でも、米スポーツ専門局ESPNと共同開催した大会「NBA 2K プレイヤーズ トーナメント」が盛り上がりを見せた。現役選手16人による、NBA公認バスケットボールゲームソフト「NBA 2K20」を用いた本大会が4月3日から開催され、ワシントン・ウィザーズから八村塁選手が出場した。トレイルブレーザーズ戦でドリブルするウィザーズの八村塁=2020年3月4日、ポートランド(AP=共同) 八村選手は1回戦でユタ・ジャズの主力、ドノバン・ミッチェル選手と対戦し見事に勝利、準々決勝に進むものの惜しくも敗れた。なお、優勝賞金10万ドル(約1080万円)は、新型コロナウイルスの感染防止支援として寄付された。 モータースポーツの最高峰であるF1では、大会が中止になったことで、3月22日からF1公式ビデオゲーム「F1 2019」を用いた「F1 eスポーツ・バーチャル・グランプリ」が開催されている。 なお、この大会では前出の2大会と比べて、出場選手が現役のF1ドライバーやF1解説者を始め、プロゴルファー、五輪の自転車競技の金メダリスト、モーターサイクルレーサー、ユーチューバー、人気音楽グループであるワン・ダイレクションのリアム・ペインのようなシンガーまでもが参加するという、エンターテインメント色の強いものとなっている。スポーツの原点とゲームの力 ここに挙げた大会はほんの一例であり、これら以外にさまざまなイベントが開催されている。それらがいろいろなメディアや会員制交流サイト(SNS)で取り上げられることにより、eスポーツにそれほど関心のなかった層にもその魅力が広がっている。 一流のフィジカル系アスリートやミュージシャン、ゲーム配信を行うストリーマーたちが真剣勝負を繰り広げ、チームや個々のプライドをかけて熱中して闘う姿を見せることで、eスポーツの面白さを体感する機会が増えてきているのだ。 eスポーツは言葉、距離、年齢、性差、障害など、さまざまな壁を越えると言われている。実はこれまでも、そういった事例は枚挙にいとまがないのだが、多くの人に認知される機会は少なかった。 だが、新型コロナウイルスによる影響でフィジカルスポーツができない中、オンライン上で数多くのeスポーツイベントが開催された。それが結果として、さまざまな人々に「スポーツ」という言葉が本来持っている「楽しみ」を提供していると言えるのではないだろうか。 今までeスポーツにあまり関心のなかった層が、実際に触れる機会が増えたことで、「コロナショック」が落ち着いたころには、若者の支持するeスポーツを取り込みたい企業などのプロモーション需要がますます高まってくると思われる。 また最近、知人の話で感じたのが、親子のゲームに対する向き合い方の変化だ。在宅勤務により親が家にいる時間が長くなったことで、子供が熱中しているゲームを、それとなく見ているうちに興味を持つ親が増えたという。子供から操作を教わりながら一緒にやり始め、プレーするうちに親子のコミュニケーションが活発になったそうだ。写真はイメージ(gettyimages) 在宅勤務が始まる前は、子供がやっているゲームをチラッと見ただけで「何をやっているかよく分からない」と言っていたのが、不思議なぐらいの変わりようである。このまま、ゲームを共通の趣味とした親子のコミュニケーションが増えれば、近頃言われている子供の「ゲーム依存」も減ると個人的には考えている。 新型コロナウイルスで暗い話題が多い一方で、ゲームを通した社会での流れが、現状に一筋の明るい材料になってくれればと、私は願うばかりである。

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    議員報酬ゼロが常識、今こそ政治家の覚悟を示すときじゃないですか?

    上西小百合(前衆議院議員) 新型コロナウイルスの感染拡大はとどまるところを知らない。安倍晋三首相が4月7日に緊急事態宣言を発令して2週間が経過したが、国内での感染者数は1万人を超えた。 16日に緊急事態宣言が全国に拡大されたことによって、都道府県知事は法的根拠のもと、外出自粛の要請、教育機関の閉鎖、集会やイベントなどの開催制限を実施できるようになった。だが、私が前回指摘した通り、安倍首相は中国の春節前に政治判断すべきだったと思っているくらいなので、決断の遅さが本当に憎らしい。 この判断の遅れにより、失われた命がどのくらいあるのだろうかと考えると、怒りが沸々とわいてくる。もちろん、いくつかの業界から「緊急事態宣言など出されては困る」という根強い声があったのは分かるが、国民の生命より大切なものはない。憲法で国民の代表と定められている国会議員と総理大臣が周りの声に踊らされ、国民の命を危機にさらすようでは話にならない。 既に、経営危機にひんする企業や個人事業主、生活困窮危機に陥った労働者からも悲痛な声が上がっている。前議員である私のもとにさえ、助けを求めてこられる方々がいるような状況だ。 そもそも、日本では「アベノミクスで景気はよくなった」とたいした実感もないのに信じ込んでいる人が多い。だが実際は、新型コロナウイルスが拡大する前から経済は低迷を続けている。 そこに昨年の消費税増税が加わり、経済はまさに氷河期であった。その上、今度はわずかな仕事さえも外出自粛や行動制限が要求されるわけだから、困窮するのも無理はなく、すべての国民がとんでもない不安感に包まれている。 安倍首相や菅義偉(よしひで)官房長官や、各都道府県知事らに「外出自粛ですよ、物資は足りていますから買い占めはしなくても大丈夫ですよ」と言われても、生活の糧を得るために、感染の危険を冒して外で働かなければならない国民もいる。緊急事態宣言を発令し会見で国民に協力を呼びかける安倍晋三首相=2020年4月7日、首相官邸(春名中撮影) スーパーやドラッグストアに行っても相変わらずトイレットペーパー、マスク、アルコール除菌スプレーやハンドソープは見当たらないので、家族のために買い出しに奔走せざるを得ない主婦もいる。 国が営業・外出自粛を求めるのであれば、補償を十分に行い、国民が感染リスクを徹底的に排除した生活を行うことができるようにサポートする必要がある。当面の生活費という浅い考え方ではなく、国民の命を守ることに直結させるという考え方で支援策を講じなければならない。 星野源さんとのコラボ動画をアップした安倍首相のように、優雅にワンちゃんとコーヒーを飲んでいられない悲惨な国民生活を理解できていないことが、政治家たちの言葉や態度からひしひしと伝わってくる。ケチが付いた「10万円」 政府は当初、収入が急減した世帯に30万円を給付する支援策を明らかにした。だが、その対象条件へのハードルはとても高く、不公平感たっぷりでスピード感のないものだとして多くの国民の怒りを買った。 すると今度は、なんと30万円支給案を取り下げ、国民一人当たり一律10万円の給付に急きょ切り替えたのだ。国が一度言ったことを簡単に二転三転させるのかと、私はあぜんとしたが、取りあえずはギリギリ落第点ではないレベルにはなったのではないかとも思う。 評価すべきところは、給付手続きを郵送やオンラインで行う予定なので、既に人手不足かつパンク寸前の役所にも一定の配慮ができていたことだろう。だが、顔をつぶされた形になった一律給付反対派の麻生太郎財務大臣がぶちまけた、「手を上げた方に1人10万円」という条件がマイナスポイントだ。 これにより国民の一部からは「それなら私は辞退する」という声が出始め、給付金をもらうのに遠慮が必要な雰囲気が生み出されてしまった。 ただ、私は声を大にして言いたい。 「とりあえず受け取ってください。あなたが受け取らなければ、議員が何かにかこつけて都合よく使うかもしれません。10万円の使い道くらい、自分で考えてみてください」と。 どこにいくら寄付しただとか、個人情報を明かす必要はないのだから、ご自身の判断で新型コロナウイルスと日夜闘う医療現場や介護施設に寄付するのもありだろうし、近所で営業困難に陥っている飲食店から出前をとって経済を回すのもいい。 私が先日、近所のすし屋から出前をとったら7千円位だったので、「使うぞ!」と決めれば家にいてもすぐに使い切れる額だ。金銭に余裕がある方々も格好つけて傍観せず、小さなボランティアだと思って堂々と受給して行動してほしい。 ちなみに、私は知人らと受給した10万円を出し合ってまとまった額にし、ある施設に寄付する予定だが、詳細は明らかにはしない。 ただ、給付金の話題の中で気になったのが、一律給付金の支給が決まった途端に例のごとく、しゃしゃり出てくる議員たちの存在だ。この緊急事態にまで手柄を自分のものにしようと先陣を切って飛び出してきたのが、麻生財務相と同じくメンツ丸つぶれの岸田文雄自民党政調会長と、なぜかわき出た三原じゅん子参院議員だ。自民・公明、幹事長政調会長会談を終え記者団の取材に応じる自民党・岸田文雄政調会長=2020年4月15日、国会内(春名中撮影) 私は、今回彼らが使ったやり口はどうも苦手でできないのだが、議員は次の選挙のために「私がこれを実現しました」と何でも自分の手柄にしてアピールする性質がある(いつも堂々とうそをついて、それを信じた市民から称賛される議員がちょっとうらやましかった)。「どうせ国民は本当のことなんか分かりゃしないよ」と見下しながら。 とはいえ、今は国民もさすがに注目している問題であるため、「過大広告」が見透かされ、空気感がつかめていなかった二人は、会員制交流サイト(SNS)ですさまじい批判を浴びることとなった。「協力金」が映し出すもの 国の短期間の方針転換は、まさに国民の怒りと不安が政治に伝わった貴重な成果だと思う。そしてその国民の声を、圧倒的権力者である与党に、もがきながら伝えた野党にはひとまず称賛の声を送りたい。 日頃は国民から「政府に反対ばかりだ。今はスキャンダルを議題にするな」と何をしてもバッシングされがちな野党の奮闘ぶりは、少しは評価されてもいいと思う。 いつものように、立場を明確にしない日本維新の会とNHKから国民を守る党はさておき、圧倒的多数を占める与党の前でもがく野党の声がなければ、国民への支援策でさえ「夢のまた夢」だったはずだからだ。 さて、国の企業に対する直接的な支援が遅れる中、東京都が休業要請などに応じた中小事業者に対し、「感染拡大防止協力金」として都内に2店舗以上の事業者に100万円、1店舗の事業者に50万円を支払うという支援策をいち早く打ち出した。 地方事業者からは「さすがに東京は豊かだなぁ」という声と同時に、「なぜ東京だけなんだ。地方事業者は同程度の支援を受けられないのか。住む所によってそこまで待遇が違うなんて…」とため息が漏れる。 前述の通り、中小企業、特に東京以外の地方は不景気に加え、新型コロナウイルス拡大により倒産寸前ギリギリの状況に追い込まれている。そこにきて、大阪維新の会所属の吉村洋文大阪府知事が「東京都のようにお金を出すというのは、正直申し上げてできません」とあっけらかんと断言した。 ネットの一部では「正直で好感が持てる」とのお気楽なコメントも見受けられるが、この窮状で好感度の話をしている余裕はない。 大阪維新の会は10年も前から「東京と肩を並べる大阪にし、日本を東京と大阪で支えていく」と掲げ、大阪府民はその言葉を信じて投票したのだ。冷静に財政力指数の数字を見ることができる人ならば「愛知、神奈川、埼玉、千葉、埼玉にも負けているのに何を言うか」と鼻で笑っていたのだろうが、選挙のときに宣言した以上、もう少し、吉村知事は東京都との差が一向に埋まらないことを反省する気持ちを持ってほしい。新型コロナウイルス感染症防止のため営業自粛要請する場合の対象業種について会見する大阪府の吉村洋文知事=2020年4月10日、大阪府庁(鳥越瑞絵撮影) そうでなければ、10年も前の言葉をいまだに信じて投票し続ける府民が浮かばれない。そして、政府にはこういった解消困難な地域間格差に目を向けた対応も忘れずに行っていただきたい。 ひとまず10万円給付は決まったが、新型コロナウイルス感染拡大対策のための自粛要請はまだまだ続きそうだ。多くの国民が国の要請に従い経済活動などをストップさせ、今後国民生活がますます疲弊するのは目に見えている。 いくら国の財政が赤字といえども、リーマンショック以上の超非常事態だ。国民の生命なくして国家が成り立たない。だからこそ、すべての日本国民が感じている不安を拭うために、10万円を給付した後でもスピード感と公平性を重要視しながら、生活支援や企業への雇用支援を継続することが重要だ。コロナ禍を乗り越えるために 国民はまさに「今、お金が足りない!」状態なのだ。金融機関から借金することさえできなくなった国民(中小企業経営者や個人事業主など)があふれてくる中、最終的に100万円程度の給付が必要になってくるだろう。 今回の経済対策は第1弾とし、引き続き支援策をどんどん打ち出さなければ、国民の命と生活は守られない。お茶を濁すような「取りあえず10万円」ではなく、2~3カ月間は安心できる額を支給することが、国民に心を寄せた政治というものではないだろうか。 財源が足りないと言うのならば、新型コロナウイルスが終息し、景気が回復傾向に転じた際に「経済復興税」という形で創設したものを消費税に上乗せしたりするなど方法は数多くある。 ただ、最初にすべきは、国会議員、首長や地方議員も報酬をゼロにし、政党助成金や文書交通費もいったんストップさせることが普通の感覚だと思う。日本国の緊急事態に給料が欲しいなどと言う議員が「国家国民のために働きます」と言ったところで、信用ならないと思われても仕方がない。 そして私が疑問に思うのが、維新元代表の橋下徹前大阪市長を含め、「国会議員だけの報酬半減」を声高に求める人たちの存在だ。私は国民のために地方議員を含めたすべての議員、首長が報酬を一定期間全額削減し、公務に従事すべきだと思う。 「麻生流」に言えば、「どうしても報酬がほしいと言う議員・首長の皆さんには、『お手を上げていただき』お支払いすればいい」のではないだろうか。 今後も、国民にとってすぐ必要となる支援策を与党に認めさせるべく、野党議員には奮闘してもらいたい。そしてそのときは、ぜひ心の底から「報酬1年間ゼロ」を提案してはいかがだろうか。見直されますよ、国民に。 まだまだ長引きそうな新型コロナウイルス危機。国民のストレス、恐怖心もピークに達し、そこにはメディアでまだ報道されてはいない闇が生じている。大型ビジョンに流れる緊急事態宣言に関する安倍晋三首相の会見映像。手前は新宿・歌舞伎町=2020年4月7日、東京都新宿区(鴨川一也撮影) 感染者やその周囲の人に投げかけられる常軌を逸脱した誹謗(ひぼう)中傷、暴力や「村八分」のような現象があることが話題になっている。また、外出自粛の意味を自己流に解釈し、いわゆる「3密」を避ければいいという考えだけを優先するあまり、周囲への配慮や条例、ルールを忘れた行動も見受けられるようになっている。国民が気持ちを一つにして乗り越えて行かねばならないときに、非常に残念な話である。 最後に、新型コロナウイルスに関連することで、あなたの力ではどうしようもない理不尽なことが起き、あなたのことを傷つけてしまいそうになれば、その前に大騒ぎすることをおすすめする。周りにあなたのことを「本当に助けなければならない」と思わせる方がいい。それで変わることもあるので、希望は捨てないでおくことだ。 日本人の「和の精神」を思い出し、新型コロナウイルスの一刻も早い終息を目指していきたい。

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    感染症対策の第一人者が訴える、リスクを確実に下げる「一歩」

    賀来満夫(東北医科薬科大特任教授) 2020年4月16日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、それまで首都圏など7都府県を対象区域としていた、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が日本全国に拡大され、発令された。 昨年12月31日に中国・武漢で原因不明の肺炎が報道されてから4カ月足らずで、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者数が全世界で230万人に達し、16万人を超える死者数となった。まさに、今回の感染症がクライシス、危機そのものであり、驚異的であるというほかはない。 21世紀になって人類が経験した重篤化するコロナウイルス感染症としては2002年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、2012年の中東呼吸器症候群(MERS)、そして今回の新型コロナウイルス感染症が知られている。ただ、今回の新型感染症がこれほどの広がりと被害をもたらしたことは、世界の多くの専門家にとっても衝撃的な出来事である。 しかも、保険制度の不備や多民族国家という背景があるにしても、世界の感染症対策をリードしてきた疾病予防管理センター(CDC)を有する米国において、世界最多の感染者数、死者数が報告されることになることは、想像すらできなかったのではないだろうか。 加えて、中国が行った武漢のロックダウン(都市封鎖)という、近代史上これまでに前例がない対応を欧州各国が後追いして実施し、さらに米国でも世界の中心都市であるニューヨークまでもがロックダウンとなったことは、今回の新型コロナウイルス感染症のインパクトがいかに大きなものであるかを表している。 感染症対応のポイントは、迅速かつ確実な診断に基づき的確な治療を行うこと、そして感染予防を徹底し、感染の蔓延(まんえん)を防ぐことにある。今回の新型コロナウイルス感染症に対しては、そのいずれもが十分でないところに大きな問題点がある。 現在、新型コロナウイルス感染症の診断にはPCR検査が利用されている。ただし、インフルエンザの場合と異なり、今回の新型コロナウイルスは体内での増殖が緩やかで、感染初期にはウイルス量が少ないため、PCR検査での結果が陰性となることもしばしば経験される。2020年3月12日、米ニューヨーク中心部の繁華街タイムズスクエアでマスクを着けて歩く人(AP=共同) また、PCR検査が陽性となって入院しても、新型コロナウイルスに対して特異的に効果がある抗ウイルス薬が現在無く、治療は対症療法となる。また、感染者の80%は軽症であるものの、1週間前後で急速に悪化し、酸素吸入が必要となり、さらに感染者の5~6%は人工呼吸器を装着することとなる。 重症化・重篤化するのは高齢者や基礎疾患を有する感染者が多いが、この重症化するメカニズムはいまだ明らかでなく、青壮年の感染者もしばしば重症化している。このため、軽症者や無症状病原体保有者が自宅やホテルなどで療養する際にも重症化するリスクがあり、重症化した際の医療アクセスに関する体制作りが必須となる。感染リスクを下げるには 現在、全国の医療施設で院内感染が相次いで起こっている。院内感染は、医療従事者が新型コロナウイルス感染症の患者と判らず、診療や看護を行うために起こるものだ。今回の新型コロナ感染症では、無症状者病原体保有者が一定数存在しており、そのことが病院内における感染症対策を一層困難なものとしている。 さらに、新型コロナウイルスは鼻腔や口腔などの上気道だけでなく、気管・気管支や肺などの下気道、さらには、腸管、心臓など、人の体内のさまざまな器官や組織に感染し、しかも長期間定着生存する。それゆえ、唾液や喀痰(かくたん)のみならず、便などの体液などから長期間にわたってウイルスが排出されるため、感染を受けないためにも、医療従事者は長期にわたり徹底した感染予防に努めていく必要がある。 このように、新型コロナウイルス感染症にはさまざまな問題があるのは事実だが、一方で感染のリスクを確実に下げていくポイントがある。まず、政府の専門家会議が示した、密閉空間・密集・密接の、いわゆる「3密」となる環境や状況になることをいかに避けることができるか、にある。 もう一点、人との出会いを極力8割減らすとともに、常に接触感染予防のための「こまめな手洗い」や「手で触れやすい物や箇所の消毒」、飛沫(ひまつ)感染予防のための「密接した状況でのマスクの着用」や「ウイルス数を減らすための換気」を継続して行う。このような感染予防に関する四つの基本をいかに徹底していけるか、が重要なポイントとなる。 手洗いは感染予防の基本であり、2005年の英医学誌「ランセット」の報告では、手洗いのみで肺炎などの呼吸器疾患に感染するリスクを50%ほど防げる、とされている。手洗いとともに、新型コロナウイルスの侵入門戸となる顔面の鼻・口・眼に触れない行為、さらに手が触れやすいドアノブや手すり、机、コンピューター、スマートフォン、トイレなどの環境の消毒も感染予防のポイントとなる。 また、これまで主として咳(せき)などの呼吸器症状がある人へのマスク着用が推奨されていたが、米CDCや欧州CDCが相次いで外出時のマスク着用を推奨するなど、呼吸器症状のみならず、会話やおしゃべりなどを含めた1~2メートルの距離での飛沫感染防止にマスクは有用であるとの見解を示している。 そのため、人と会話したり、人混みに出る際は、マスクをすることで感染のリスクを確実に減らすことができる。さらに、会話などで生じるマイクロ飛沫の除去には換気が重要で、1~2時間に5~10分ほど窓を開けて空気の入れ替えをすることが重要である。NPBとJリーグが合同設置した第4回「新型コロナウイルス対策連絡会議」を終え、記者会見で話す専門家チーム座長の東北医科薬科大の賀来満夫特任教授(左)=2020年3月23日 新型コロナウイルス感染症に罹患(りかん)した患者が急増している現在、重症患者のためのベッド不足、そして院内感染の発生と、まさに医療崩壊が起こりつつある。そのため、私たちは今こそ行動変容が求められている。 国民一人ひとりが、手洗いやマスク着用、環境消毒、換気を生活の中の新たな習慣として感染予防に努める。さらに、3密を避け、人との出会いを少なくし、外出を控えることで、私たちはともに連携・協力し、新型コロナウイルス感染症の脅威に打ち勝つことができることを信じている。

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    新型コロナ、長期戦を生き抜く「毎週1万円案」ここが素晴らしい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、7都府県を対象としていた緊急事態宣言が全国に拡大された。東京圏や近畿地方、福岡県を中心に、感染の拡大はまだ収まっていない。 緊急事態宣言はゴールデンウィーク明けの5月7日で終わることが決まってはいる。だが、さらに延長があるのか、延長しなくとも全面的な解除になるのかどうか、など予断を許さない状況だ。 医療従事者、医療インフラを維持する人たちの懸命な努力が日々、会員制交流サイト(SNS)やマスメディアで伝わってくる。医療資源になるべくストレスを与えないように、われわれの経済活動を中心にした「自粛」はさらに積極的に求められている。だが、このことでわれわれの経済生活や肉体的健康、そして心理的ストレスはかなり厳しくなっていることも自明だ。 感染拡大が終息しなければ、このような困窮は抜本的に解消困難である。だが、ある程度の緩和をすることはできる。それは適切な経済対策である。つまり、政府がきちんとおカネを出し、われわれの生活を防衛することが必要なのだ。 だが、日本では官僚主義の弊害が著しく、日本の「おカネの番人」とでもいうべき財務省の緊縮主義がこの危機の中でも威力を発揮している。緊縮主義とは、できるだけ政府がおカネを使わない姿勢を示す用語だ。国民は感染の脅威と同時に、この財務省の緊縮主義という病とも戦っていかなければならない。 財務省の緊縮病は本当に手強い。政府は先日、国民一人当たり10万円を配る「定額給付金」政策が、新型コロナウイルス危機の経済対策として採用した。政策自体はとてもいいことである。 だが、採用に激しく反対していたのが財務省である。そのため、当初は所得制約を厳しくして、給付金30万円で補正予算が立てられた。 30万円給付金案の方が額が多いように思えるが、それは間違いである。まず、30万円案では、新型コロナウイルスの影響で、所得が大きく減少していないと受領できない。記者会見する麻生太郎財務相=2020年4月17日(林修太郎撮影) しかも、支給対象が世帯単位なので、どれほど家族が多くても、給付は30万円だけである。そのため、30万円案の予算総額は、たかだか4兆円ほどだった。30万円という数字だけで考えれば、多く感じられるが、できるだけ給付金総額を絞り込む財務省の悪質な緊縮主義が表れている。 それに対し10万円給付案では、予算総額が12兆円と8兆円も多い。しかも、経済危機で収入が半額まで減少しない人や、家族の多い低所得者層にも恩恵が及ぶ。「30万円案」固執の不思議 何より30万円案最大の欠点は、所得が減少したことを自己申告で役所の窓口に出向いて証明しなければいけないことだ。それが受理されて、初めて給付金が下りる。これだけでも相当の手間と時間がかかる。フリーランスの人たちにとっては、そもそも所得減少を証明する書類を揃えるのが難しい場合があるはずだ。 問題はこれだけではない。悪徳企業経営者がいたら、社員の給料をわざと半減させて、それで社員に30万円の給付金をゲットさせるだろう。言い換えれば、本当に必要な人に届かなくなるのだ。 立憲民主党などは、この30万円給付に固執し、補正予算案を批判している。それは国民の生活を考えない党利党略的な判断でしかない。 それに比べて、全国民一律に10万円を配布するのは、最もムダがない。資格調査がいらない分だけでもスピードが速い。 政府がこの案を当初採用しなかったのは、財務省の緊縮主義からの抵抗があったからにほかならない。もちろん富裕層からは年度末の確定申告で税金をより多く徴取するので「公平」にもなる。ただし、給付金を単に消費に回す点だけに話を絞れば、高所得者層の多くも他の所得者層と大差なく、給付金を消費に回すことが実証分析で知られている。 10万円給付案への反論として、定額給付金が過去に実施されたときに、30%程度しか消費されず、あとは貯蓄に回されたというものがある。だが、三つの理由から間違っていると言わざるを得ない。 (1)貯蓄に回ることで、むしろ将来不安の解消に貢献すること、(2)貯蓄は将来の消費でもあるので、感染症の蔓延期が長期化して、家計が苦しくなれば消費に向かうかもしれない、(3)社会全体が余裕(=ため)をもっていれば、感染期が終わったときに力強い景気回復が可能になる、と考えられる。 要するに、ムダなおカネなどはないということだ。「貯蓄=ムダなおカネ」という言説は、財務省が喜んで流布する素人騙しの都市伝説でしかない。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため東京・銀座では多くの店舗が休業、街は閑散としていた=2020年4月18日(三尾郁恵撮影) さて、問題なのは、この定額給付金が1回で済むかどうかである。新型コロナウイルスの感染拡大がいつ終わるのか、日本国内だけでもいまだ不透明だ。 ましてや、世界の動向も全く分からないので、長期戦を覚悟する必要がある。そのときにわれわれの生活を支える仕組みが求められる。 ここで、大阪大の安田洋祐大准教授が提案する面白い給付金政策を紹介しておこう。感染終息まで、毎週1万円を全国民に支給するというものだ。「毎週1万円」最大のメリット この場合、政府支出は月総額約5兆円になる。感染期が1年続けば、60兆円になる。60兆円は巨額だが、実は経済の専門家たちが、終息せずに1年続いたときに生じる経済損失として計算した金額と等しい。 実際には、感染期が夏には終わっているのか、それとも何年も続くのかは分からない。安田案の優れているところは、感染期が続く限り、政府が支援を継続するという約束(コミットメント)が強力だということだ。 しかも、このコミットメントは単なる口約束ではない。実行を伴う仕組みがある「約束」である。 もちろんこれとは別に、感染期のピークに一括して、国民一人当たり10万円や20万円を、事態の変化に応じて再度配布する案もある。ただし、感染が予想外の長期間となった場合、そのたびに予算案を立てなければならず、スピードに問題が生じる。 筆者は最近、リフレ政策に強い関心のある自民党国会議員の研究会で報告する機会があったが、質疑応答が活発に行われた。その経世済民政策研究会(世話役:三原じゅん子参院議員、事務局:細野豪志、長島昭久両衆院議員)で、補正予算に多額の予備費を計上する案が出た。 予備費の額は青天井なので、新型コロナ危機だけではなく、自然災害の多発などに備えて、補正予算に今から数兆円規模の予備費を計上することは、審議時間の短縮に繋がり、望ましい。また、政府と日本銀行が協力して、上記の安田案の実現のために新型コロナ対策基金を100兆円規模で構築することもあり得るだろう。 いずれにせよ、この不確実性に対応した定額給付金を軸にして、税金や社会保険料、家賃、光熱費といった生計費や運転資金を先送りしたり、免除していく政策を組み合わせれば、感染期の経済対策としては合格点に近い。付言すると「先送り」は、感染が終息して、負担が一気に押し寄せることがないように、強い減免措置と組み合わせる必要がある。 そして、感染期の終了後に、経済全体を落ち込ませないためにも、財政政策と金融政策の協調による一層の刺激政策を取ることが望ましい。そのときの有力オプションは消費減税であろう。 ただし、恒常的な消費減税を感染期から実施することを、筆者は強く薦める。感染期における持続的な定額給付金(事実上のベーシックインカム)と恒常的な消費減税は、不確実性の高い経済を安定化させる錨(いかり)の役割をすることだろう。細野豪志元環境相=2019年1月(森光司撮影) だが日本では、財務省を中心にした緊縮病が、この感染期の経済対策を妨害しているといっていい。このことは前回でも指摘した。しかも、この経済危機でも緊縮しようという意思は強い。今はおとなしくしているが、いずれ「新型コロナ税」でも発案しかねない。 阻止するためには、リーマン・ショックや東日本大震災のときに比べ、世論形成への影響が格段に強まっているSNSの力が必要だ。SNSを中心に不合理な財務省の緊縮病を監視し、国民の力で退治していくことが大切なのである。

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    100年前「防疫先進国」に後藤新平が導いた日台の明暗

    書店には並べられている歴史書等の記述にもお目にかかることができる。 ひるがえって、感染が拡大している新型コロナウイルスへの対策は世界中で急務だ。中でも、台湾が実施した中国に対する入境禁止やクルーズ船の寄港禁止といった水際対策、学校の休校措置のような国内の蔓延対策が早かったこと、マスクの流通管理などIT活用をはじめとした情報管理の優秀さが、日本でも報じられている。各国政府の対策を評価するのは尚早だが、台湾の防疫政策が進化していることだけは間違いない。 後藤の防疫対策は、初期における防疫対策としての水際作戦、そしてその前段階におけるインフラ整備の両面において優れていて、今日の防疫対策の基本を押さえているといってよい。 これに対して、日本では、感染が蔓延している地域からの入国を本格的に制限する措置が3月に入ってからと大幅に遅れてしまった。他にも、陽性・陰性を判定する検査態勢整備の遅れ、感染症指定医療機関の病床確保の遅れ、さらにはマスクや消毒用アルコールなどの買い占め対策の遅れなど後手に回った感が否めない。このような現状に接すると、100年以上前の日本の防疫対策に比べて退歩している印象が強い。長野県松本市の松商学園高校で発見された後藤新平直筆の扁額 防疫対策は、一般的に政治家には向いていない。国民に不人気な対策や、他国に厳しく外交上マイナスに働く対策が中心を占めるからである。今からでも遅くない。現場を知る専門家と実務家を登用し、判断・実施させ、責任は政治家がとるといった姿勢を明確にした方がいい。危機管理に必要な「謙虚」 今は、水際作戦よりもウイルスの感染拡大を防ぐ封じ込め作戦の成否が鍵となる。防疫は、病気治療や公衆衛生の範囲を超えて、国家的危機管理の範疇である。このままでは、生活も経済も政治も「一時停止」しかねない。 2001年の米同時多発テロでは、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)ビルがハイジャック機2機の衝突で崩壊したが、ビルの地下にある駅は犠牲者を出さなかった。何かあったときには駅にいる人を避難させて無人にするというシンプルなマニュアルが早期に発動されたからである。想定外の事態に陥ったとき、人々をいかに安全な場所に避難させるかが危機管理の基本である。 世の中では、想定を超える事象や自然の猛威に対し、われわれの文明はまだ不十分なものであるという認識のもと、危機管理という方法が発達した。危機管理では、「実社会では予測しづらい事故や事件が発生する」という謙虚な姿勢が前提にある。だから、それに備えるため、過去の失敗を教訓として蓄積するところから出発する。この原点に返ることが大切だと思う。 クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が横浜に入港したとき、かつて東京都副知事として危機管理を担当した私がイメージした感染対策は次の通りだ。まず、自衛隊が埠頭にテントを張り、そこを専門家や実務家の防疫拠点とする。 そして、船内の乗客乗員を分類し、一定の人をテントに隔離したり、各地の隔離可能な施設や感染症対策病棟を有する病院に搬送するといったプロジェクトがスタートする。このような場合に対応するためのテントや防護服などの資材は、自衛隊や大規模自治体に相当程度の備蓄があったはずだ。 マスクについても、国が買い上げてどこかに配布するという報道があったが、いまさら買い上げても、流通に支障が出るだけだ。自治体によっては、相当大量の備蓄があることも、一方では報じられている。横浜港に停泊するクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に横付けされたバス。防護服姿の人が見える=2020年2月22日 国に備蓄がなかったとすれば、そもそもパンデミック(大規模感染)に対する危機感が欠如している。政府と関係者は100年以上前の日本の為政者に学ぶ必要がある。

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    入手困難な消毒用アルコール、高度数「酒」で考える解決の糸口

    明けてくれた。 ドラッグストアなどでよく見かける消毒用エタノールの製造元大手、健栄製薬に話を聞くと、新型コロナウイルスの感染拡大が中国で始まった段階で増産を始め、今では通常時の3~4倍の出荷をしているとのことだ。それでもまだ間に合わないという。  厨房(ちゅうぼう)用の除菌アルコールで有名な「パストリーゼ77」の製造元、ドーバー酒造にも話を聞いた。こちらも24時間態勢で通常時の約3倍の量を生産しているにもかかわらず、まったく注文に追いついていないとのことだ。 同社営業推進課の担当者は、言いにくそうにこの製品がネットで高額で転売されていることも教えてくれた。フリーマーケットの大手サイトをチェックしてみると、転売価格は定価の4倍にもなっている。マスクはいち早く転売が禁止されたが、除菌アルコールの転売はそのまま続いているのである。 昨今は医療向けマスクの供給が問題になっているが、消毒用アルコールも無くなってしまえば、それこそ「医療崩壊」である。また、厚生労働省も新型コロナウイルスの予防には手洗いが必須とし、それができなければアルコール消毒を一般市民に求めている。これはマスク以上に問題なのではないだろうか。 日本国内のアルコール製造事業を管轄する、経済産業省の製造産業局素材産業課にこの件について聞くと「もちろん品不足は把握している」とのことだ。 消毒用アルコールは厚労省の管轄であると断ったうえで、新型コロナウイルスへの対応として令和2年度補正予算に「マスク・アルコール消毒液等生産設備導入補助事業」の項目が盛り込まれていることを説明してくれた。 マスクやアルコール消毒液の生産設備の導入に、中小企業へ補助金を出し、設備導入を促進しようとするものだ。生産設備導入にあたり、中小企業で75%、大企業でも66%の補助金が支払われるもので、かなり大がかりのものといえる。新型肺炎の影響でマスクやアルコール消毒の入荷がないことを伝える張り紙=2020年2月28日、相模原市(寺河内美奈撮影) しかし、新型コロナウイルスの騒動が始まってから間もなく3カ月目を迎えようとしている現在、マスクも消毒用アルコールも市場に出回らないばかりか、さらに店頭の商品は払底している。これから設備導入といっても、それはいつになるのか。そして実際に増産となり、医療従事者や一般消費者に行き渡るようになるものなのか。 マスクの場合、メーカーも設備拡充に二の足を踏んでいるという話もある。 もし、マスクの生産のための設備投資をしたとしても、今や新型コロナウイルスのパンデミックが終息しつつある中国で、再び生産が始まれば価格競争で対抗できるはずもない。そうすると、設備や製造ラインは途端に余剰のものとなる。この需要もいつまで続くかは分からない。そのために投資や人的リソースを投下するのはギャンブルだろう。これと同じことが消毒用アルコールにも言えるのではないか。酒造メーカーによる生産と課題 消毒用アルコールが手に入らなくなったということで、今注目を集めているのが酒造メーカーのアルコール製品だ。飲料の名目で高い度数のアルコール製品をつくり始め、すでに予約でいっぱいらしい。 お酒の世界では、ポーランド産のウオッカの「スピリタス」のように、高濃度のアルコールのものがある。スピリタスのアルコール度数は96度。これは工業用の無水エタノールの濃度99・5%とほぼ同じだ。 そのため、スピリタスが消毒用に使えるのではないか、ということで買い求められ、ついに日本国内では入手するのが難しくなっている。今ではオークションサイトにて、通常の流通価格の3倍程度で取引されているというのだから驚きだ。 しかし、ウオッカを消毒に使うのはあながち酔狂とも言えない。その昔の14世紀にペストが世界を席巻し、一説には世界人口の20%超の約1億人の死者が出たときがあった。 このとき、ポーランドだけはペストの被害が比較的少なかったといわれる。後年、この理由とされたのが、ウオッカを家庭の消毒剤や消臭剤として使っていたことにある。テーブルなどを拭くときにウオッカを用いていたり、消臭剤として脇の下などにつける習慣が広くポーランドにはあった。今でもポーランドでは、高濃度のウオッカを消毒のために使っているとのことだ。 もともと、ウオッカのような蒸留酒は「生命の水」と言われて、どちらかというと医療目的で進化していったものだから、当然といえば当然である。 酒造メーカーも普段製造するとき、蒸留器を調整してアルコール濃度を高めれば、さほど難しくなく医療に使える濃度のアルコールをつくることができる。第3類医薬品として医薬品医療機器等法(薬機法、旧薬事法)の認定を受けている消毒用アルコール(エタノール)の濃度は、76・9~81・4%(健栄製薬「消毒用エタノール」の場合)である。製造方法はほぼ同じなのだ。 そこで酒造メーカーがアルコールづくりに乗りだしたわけだ。もしかすると、これで昨今の消毒用アルコール不足を補えればよいかもしれない(最終ページ末尾に※注1)。 実際に、前出の除菌アルコールのメーカーであるドーバー酒造は、その名の通り、もともとは酒造メーカーだ。バーなどで必須のアイテムになっている、ゆずや桜、梅など、和のテイストのリキュールでバーテンダーにはよく知られている。さらにドーバー酒造は、実は「スピリッツ88」というアルコール度数が非常に高く、転用しようとすれば消毒用にもできる製品をつくっている。ドーバー酒造の神戸三田工場=2010年9月28日、兵庫県三田市 だが、実はここにいくつものハードルがある。 「こちらで製造している除菌アルコールの『パストリーゼ77』は、食品衛生法で定められた食品添加物ということになっています」と、前出のドーバー酒造営業推進課の担当者は言う。 つまり、これは食べ物としてつくられているのだ。それでも「除菌」のための製品となって、実際に全国のレストランなどで使われているのはなぜか。 「アルコール度数が77%なのでウイルスにも効くことは、厚労省がつくっているガイドラインにも記載されている通りです。けれど、薬機法がありますので、人体などにも使えるということは製品には標記してません」とのことだ。 これについては、日本のアルコール製造メーカーの団体である、一般社団法人アルコール協会によると「消毒用のアルコールは薬機法で定められたもので、それを順守しなければ問題である」という。 ちょっと混乱しそうなので整理してみよう。日本国内で消毒用アルコールをつくるにはまず、以下の五つの法規制をクリアしなければならない。しかも所管官庁は四つに横断している。・医薬品医療機器等法(厚労省)・食品衛生法(厚労省)・アルコール事業法(経産省)・酒税法(国税庁)・消防法と都道府県の条例(消防庁と各都道府県)消毒用アルコールの定義と法の壁 そもそも、まず「消毒用アルコール」とは何か。法的な定義にのっとれば、それは薬機法に定められた「医薬品」または「医薬部外品」のことだ。ドラッグストアに並べられた除菌製品で、「消毒」や「殺菌」という表現が書かれていれば、薬機法で認定された「医薬品」または「医薬部外品」となる。 これを製造するには許可が必要となり、それには有効性や安全性などに関する厳しい審査が必要だ。非常にハードルは高い。 この定義からすれば、前述のドーバー酒造の「パストリーゼ77」は、薬機法の認定はとられておらず、そうすると薬機法の分類によれば雑品扱いとなる。それがなんらかの除菌効果があるとしても、審査などはいらない。その代わり「消毒」や「殺菌」という言葉は使えない。そのため「除菌」と表示されているわけだ。 しかし、そこに高純度のアルコール分77%と記載されていれば、ウイルスに対して効果があると分かる人には分かる。ウイルスの殺菌に効果があり、手指消毒に適した濃度は一般に70~80%前後だからだ。ちなみに、米疾病予防管理センター(CDC)が推奨しているのは60%以上。世界保健機関(WHO)は60~80%には殺菌効果があるとしている。 するとアルコール濃度が60%未満のアルコール濃度の消毒製品は、たとえ薬機法の医薬部外品であろうと効果の期待薄ということになる(最終ページ末尾に※注2)。食品添加物と公称している「パストリーゼ77」は、その意味で薬機法の認定は受けていないが、キチンとしたウイルス殺菌に効果が見込めるということだ。 ここに、実はトリックのようなものがある。大手化学メーカーがつくっているような手指の「消毒」が公にうたわれた手指消毒製品でも、実はウイルスには効くことが期待できないものがあるのだ。 例えば、現在品薄状態の某大手メーカーの医薬部外品認定を受けた手指消毒剤の成分を見てみると、実はウイルスの殺菌効果があるほどアルコール濃度がない。そしてよく成分表をみてみると「溶剤」としてアルコールを使っているとの記載がある。 メーカーのサイトを調べると、初めてそこにアルコール濃度が60%未満であることが書いてある。これでは菌類などには効果があっても、ウイルスには効き目がない。 これがどういうことかと言えば、薬機法の「医薬部外品」の認可を取得したのは、ウイルスを消毒する製品というものではなく、その他の菌類のこと。 そして、その製品のウェブサイトや販売店向けの注意喚起文などを見ると、「消毒用のアルコール(エタノール)は含まれているが、アルコールが有効成分ということではないため、コロナウイルスの効果は確認できていない」というようなことが、消費者には極めて分かりにくいように書かれている。もちろんコロナウイルスだけに効かないだけではなく、ウイルス全般もダメだろう。 なお、このような消毒製品には、よくベンザルコニウム塩化物(第4級アンモニウム塩)が有効成分とされているが、これも細菌類には消毒効果があるものの、ウイルスに対する殺菌効果は現在までのところ疑問視されている(最終ページ末尾に※注3)。 大手メーカーまでもが、このような誤認を否定しないやり方で手指消毒剤として販売しているわけだから、中小のメーカーはもっとやりたい放題である。消費者としてだまされないようにウイルス対策のための手指消毒剤を選ぶとしたら、それが医薬部外品か雑品かにかかわらず、まずはアルコール濃度が60%以上かどうかが選ぶポイントである。写真はイメージ(gettyimages) なお、除菌や消毒などを効能にうたったキッチン用の製品で、独自の第三者機関に委託した調査をもとにコロナウイルスへの除菌効果を主張したメーカーもある。しかしこれは、あくまでもキッチン用であり、配合された成分の兼ね合いからも手指消毒に向かない。 また低濃度のアルコールでも長い時間作用させれば、ウイルスを不活性化することはできるという研究もある。ただこの場合も、手指をアルコールに30秒間ぬらしておかねばならないので、手指消毒には現実的とは言えないだろう。 さて、それでは酒造メーカーのような蒸留設備をすでに有している所がアルコール濃度を高めて製品化するのはどうか。酒造メーカーでなくとも、単にアルコール度数を60%以上の製品をつくってしまえばよいではないかとも、思える。高アルコール度数の酒は危険 そこで高いアルコール度数の酒と除菌アルコールを両方製造しているドーバー酒造に再度聞いてみる。すると、ここにも法律の縛りがあった。それは「消防法」である。 「消防法によってアルコール度数が高い製品は厳しく規制されています。例えば(除菌アルコールの)『パストリーゼ77』は、お酒と別ラインでつくっています。なぜなら消防法で定められた規定があるからで、製品はコンクリートが何十センチもある防爆施設内で、例えば静電気が起きないようにしたり、厳重な管理のうえで製造しなければならないのです」 なるほど。次に、これについて所轄官庁である消防庁に詳細を聞いてみた。 「アルコール度数60%以上の製品は、消防法で『危険物』とみなされます。ですので、それに定められた施設が必要です」 消防法ではアルコール濃度が高いため引火しやすいものを「危険物」として規定し、製造や流通には厳しい制限を課している。例えば耐火構造や消火設備、運搬や出荷時の積載方法、貯蔵所は壁までの距離やスペースまでもが規定されている。 これに違反すると最大懲役刑もある罰則となる。危険物と認定される基準には細かい付則もあるのだが、そのうちの一番のポイントがアルコール濃度60%以上の規定なのだ。 前述した令和2年度補正予算の「マスク・アルコール消毒液等生産設備導入補助事業」では、補助率は高いものの補助上限額が3千万円となっていたが、消防法の厳しい設備基準をクリアする危険物設備が必要となると、やはりおいそれと新規参入に乗り出すわけにはいかないだろう。もっぱら既存の事業者で、設備ノウハウと爆発物を取り扱うスペースがある所だけになる。 先ほど、アルコール濃度が薄くウイルス対策には効果が必ずしも証明されていない医薬部外品の手指消毒液の話をしたが、これもおそらくは、消防法のために製造や流通にかかるコストが高くなることを見越して、あえてアルコール濃度を低くし、その分コストを安くしているのではないだろうか。 ちなみに消毒液なみのアルコール濃度の酒をつくっている酒造メーカーは、この基準をクリアしているのだろうか。ちょっと怪しく思えてしまったのだが、このへんはやはり抜け道のようなものがあるらしい。 「危険物施設が必要になるのは、指定数量を超えたものになります。取扱量が400リットル未満であれば、この消防法の規定は受けません。ただし、火災予防条例令にもとづいて市町村の条例があるので、そちらにもよります」と消防庁の担当者は言う。 そうすると、在庫も含めて400リットルに抑えた製造をしていけば、ウイルス対策に使える高濃度なアルコールがつくれるということだ。もちろん、そのときは薬機法によって「消毒」とか「殺菌」という表現は使えない。 また、アルコール度数が90度を超えれば、今度はアルコール事業法に縛られるし、そこまで行かなくとも酒税法の縛りも受ける。こちらは酒造メーカーであればお手の物であろう。しかし、400リットルは、500ミリリットルの瓶で800本にしかならない。 それくらいの量しか取り扱いできないとなると、この新型コロナウイルスによるアルコール不足が解消するのには余興程度のものにしかならないのではないか。これでは大きな投資もできないだろう。健栄製薬の主力工場を視察する三重県の鈴木英敬知事(右)=2020年4月7日、三重県松阪市(三重県提供) いずれにしても、消毒用アルコールをキチンとした公的な推奨基準で製造するには、消防法がネックだということが分かった。ただ、これには引火や爆発の危険を回避するためにつくられた規制であり、これをどうこう言うのはお門違いだ。 この事情を踏まえたうえで、国がリーダーシップをとりつつ、消毒用アルコールを増産するというならば、まずは医療用とは別に国内にストックがあるであろう工業用アルコール(濃度90度以上)を転用していくという手もある。実際、消毒用アルコール不足のため、市場にはちらほらと純度の高い工業用アルコールが出回ってきている。 それがダメならば、なんらかのインセンティブをさらに与えて、企業の生産意欲を高めるしかない。 例えば、消毒用アルコールのトップメーカーである健栄製薬の医薬部外品アルコールも、ドーバー酒造の食品添加物のアルコールも、酒として発売していないのに、高い酒税の対象となっている。 これらの製品は、薬機法であったり消防法であったり、また食品衛生法など複数の法規制の下にあるというので、なんともな話である。この辺りを配慮することによって、少しでも消毒用アルコールの増産につながるのではないだろうか。アルコール消毒液の代替品とは ところで、冒頭街中の消毒液がアルコール不足のため代替製品になりつつあると述べた。これが何なのかというと、次亜塩素酸水であることが多い。 ただよく混同されるのだが、厚労省などでウイルス対策の消毒として推奨されている次亜塩素酸ナトリウムとは異なるので、注意が必要だ。 次亜塩素酸ナトリウムは、家庭にある除菌漂白剤と同じ成分のものだ。どちらかというと、塩素系漂白剤と言った方がなじみがあるかもしれない。こちらは、ウイルス殺菌の効果がすでに公的にも認められている。だが、漂白剤を使ったことのある人なら分かる通り、いくら薄めても直接肌に触れるようなものには適さない。 そこで登場したのが次亜塩素酸水である。 もともとは食品添加物から使われ始めた次亜塩素酸水は、次亜塩素酸ナトリウムのように取り扱いに注意が必要なものではない。そのため使い勝手がよく、直接肌に触れても濃度と製造方法によっては問題ない。次亜塩素酸水は食塩水を電気分解するだけでつくることができるので、それをつくるためには設備も簡単なものでできる。 これが除菌効果があるということで、加湿器から噴霧させ「空間除菌」効果を期待して使っている人もいる。中には病院のようなところも採用しているケースもあり、かなり一般的に広まっている。そればかりか、昨今のアルコール不足のため地方の行政組織までもが配布しているところがある。 ただ、次亜塩素酸水をめぐっては、さまざまな意見がある。友人の医療関係者は「全く信用してない」と一言であしらっている。似た成分である次亜塩素酸ナトリウムと比較した効果については、雑菌への除菌に同等の効果があったとのリポートがあるだけで、それ以上の検証はほとんどなされていない。 現状は、次亜塩素酸ナトリウムと似た物質であるから同じような効果があるだろう程度の、検証がなされているだけである。しかし、次亜塩素酸水の取扱業者などから「厚労省が殺菌性を認めた」という資料が出回っているほか、第三者機関による独自の調査などがあり、これが根拠とされている。写真はイメージ(gettyimages) しかし、これにようやく決着がつきそうだ。おそらく地方自治体までもが、次亜塩素酸水の効果をうたって住民に配布し始めたことが理由なのだろう。立憲民主党の早稲田夕季衆院議員が、これについて政府に問いただしたところ、4月10日の閣議にて「現時点では手指の消毒に活用することについての有効性が確認されていない」との答弁書が決定された。ところが、一転4月17日に、一部の電気分解で生成されたものについては手指消毒ができるとの見解が、経産省から出された。 ただし、これらの見解は「有効性が現時点では確認されていない」という注釈付きのものである。これから実証実験を行うということだ。つい先月くらいまでは効果に疑問とされてきたマスクまでもが、今では政府によって推奨されるようになった。信じるものは救われるかもしれない。 だが、次亜塩素酸水の効能を信じる人には、おっちょこちょいが多いのも事実である。 次亜塩素酸水と間違えて次亜塩素酸ナトリウムを噴霧するという危険な行為をする人もいれば、次亜塩素酸水と次亜塩素酸ナトリウムを間違えるばかりか、「次亜塩素酸ナトリウムを飲むと新型コロナウイルスに効く」という非常に危険なデマを流した宇都宮市議会の遠藤信一議員(NHKから国民を守る党)ような人もいる。 これを信じた、やはりNHKから国民を守る党の前田みか子氏が実際に飲んで、病院行きとなってしまったらしい。なんともはやである。 長くなったが、アルコール消毒液に関する結論としては、以下の通りだ。(1)まずは石けんでの手洗いを。それが無いならアルコールを使おう。(2)手指以外の消毒は、次亜塩素酸ナトリウム(漂白剤を希釈)で十分。(3)アルコールでの消毒は、それが「医薬部外品」であってもなくとも、アルコール度数が60~80%のものを。それ以下の濃度は自己責任で使用を。(4)このアルコール度数に近いお酒はその他の成分によりけりで消毒には使えるが、あくまでも自己責任での使用を。(5)消毒用アルコールの代替としての次亜塩素酸水は、電気分解でつくられたもの以外は、その効果が現時点では必ずしも公的に証明されていない。こちらも自己責任で使用するべきだ。 【※注1】政府も消毒用アルコール不足解消のために、さまざまな動きを見せている。4月10日に厚労省は「主に医療機関での消毒液の不足を解消するための特例措置」と断ったうえで、手指消毒用のアルコール以外の高濃度アルコールを医療機関などでの使用を認めた。これで酒も消毒用に転用可能というお墨付きがついた。 【※注2】4月10日付の北里大の発表によると、アルコール濃度が50%以下の「消毒」「除菌」製品でも新型コロナウイルスへの不活性効果が認められたとのことで、これを受けて、WHOやCDCの60%以上というアルコール濃度の基準については、厚労省から引き下げられる可能性がある。この場合、消防法の危険物扱いとならずに「消毒」「除菌」製品が市場に大量に流通できる可能性もある。 【※注3】経産省は、ベンザルコニウム塩化物を、「有効な可能性がある消毒方法」として、次亜塩素酸水とともに有効性の実証試験に入ると4月15日に発表した。今後に注目である。  (編集部より)一部追記などがあります。

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    新型コロナ禍、海外邦人の憂い

    世界に拡大した新型コロナウイルス禍は、日本も厳しいとはいえ、特に欧米各国で深刻さを増している。爆発的な感染と多数の死者、そして「ロックダウン」(都市封鎖)といった過酷な環境下でどう暮らしているのか。終息が見えない中、今回は欧米在住の日本人に、生々しい現地の様子や思いを綴ってもらった。

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    読めぬ「ロックダウン」解除、徒労感募るイギリスで何が起きているか

    小林恭子(在英ジャーナリスト) 日本でもいよいよ、緊急事態宣言が発令され、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための本格的な動きが始まった。 筆者が住む英国では、3月中旬から外出自粛要請が出ていたが、本格的な「ロックダウン(都市封鎖)」状態になったのは3月23日からだ。現在4週目となっているが、5月上旬まで続く見込みだ。 ロックダウンの内容は国によって異なるが、英国では「自宅にこもる(stay at home)」をキーワードにした、人と人の間に距離を置く「社会的距離」(social distancing)政策が実行されており、具体的には、以下の3本柱になる。1.外出禁止2.一定のビジネス活動の停止、集会場所の閉鎖3.(同居していない)2人以上による公的空間での集合停止 なお、外出禁止には、以下の例外がある。・食料や医薬品などの生活必需品の買い物。しかし、可能な限り頻度を少なくする。・1日1回、一人であるいは同居する家族とともに、運動のために戸外に出ることができる。例えば、走る、歩く、ジョギングをする、など。・医療サービスを受ける、献血をする、あるいは支援が必要な他者を助けるためには出掛けてもよい。・自宅勤務が不可能な仕事には、出掛けてもよい。 以上の条件で外出した場合でも、他者とは2メートルの距離を取る必要がある。同居していない家族や友人に直接会うことも原則、禁止である。 「一定のビジネス活動の停止、集会場所の閉鎖」とは、より具体的にはパブ、映画館、劇場、先のような生活必需品を扱う以外の小売店、図書館、地域センター、レジャー施設、スポーツクラブ、教会、ホテル、キャンプ場などの閉鎖を指す。逆に言うと、開いているのはスーパーやそのほか日用必需品を売る店、郵便局、銀行などだ。レストランやカフェはテイクアウトサービスのみを提供でき、通常のような形では営業できない。学校も休校措置となっている。英政府から届いた手紙(右)とパンフレット(筆者撮影) また、政府から頻繁にメッセージも届く。「自宅にいてください」「社会的距離を取ってください」「それが医療サービスを助けることになります」といった内容だ。政府はこれらのメッセージを繰り返し発信している。毎日、首相官邸で記者会見を行うと同時に、街中にはこのメッセージが入った広告があちこちに出ている。筆者の携帯電話にも「自宅にいるように」というテキストメッセージが入った。 また、ボリス・ジョンソン首相からの手紙と自宅にいる必要性を書いたパンフレットが、どの家庭にも郵送された。ツイッターを開けると、時々、同様のメッセージが出ることもあり、「これでもか!」というほど頻繁に情報が発信されている。4月5日と11日には、エリザベス女王が国民にメッセージを伝える番組まで放送された。ロックダウン下のイギリス 働く人の多くが自宅勤務となり、日中、通りを歩くと、一人であるいは家族連れで日用品の買い物に出かける人、のんびり散歩する人、あるいはジョギングする人などをよく見かける。 スーパーや銀行、郵便局などに行くと、場合によってはいったん入り口の外に並び、一人ずつ中に入る。スーパーでは床に2メートル間隔にテープが貼ってあったり、立つ場所を指定されたりする。ほかの客と近づき過ぎないようにするためだ。 日本で多く見られる、マスクをかけている人はあまりいない。英国ではマスクを付ける人は原則医療関係者のみだった。しかし、最近ではさすがに使用する人を見かけるようになった。それでも、ちらりほらりという程度だ。「マスクでは、新型コロナの感染は防げない」と何度も言われてきたからだろう。 一時は買いだめのためにスーパーの棚がよく空になっていたが、今は大体のものはそろうようになった。ものによっては、買える数が制限されていたが、今はその制限もほぼなくなった。 どのスーパーも朝の1時間は高齢者専用としている上に、医療サービスで働く人専用の時間を設けている場合もある。 どれほどの企業が自宅勤務に切り替えたのかは不明だが、ロンドン市内の観光地の写真を見ると、人通りが少なく、まるでゴーストタウンのようだ。 公共交通機関の利用は激減しており、政府がまとめた資料によると、外出自粛要請があった2~4月中旬までに自動車及び公共交通機関の利用は60%減、鉄道・地下鉄の利用は97%減少している。英国でも鉄道の駅の利用は激減している(ネットワーク・レール」駅利用客数の推移、英政府資料より) 通りを走るバスの中をのぞくと、ほとんどガラガラだ。 しかし、一気に外出禁止とさまざまなビジネスの閉鎖が生じた英国では、職を失った人や失いそうな人は少なくない。失業保険や住宅手当、児童手当などが一元化された社会福祉手当となる「ユニバーサル・クレジット」に対する申請件数は100万人を超えている(ちなみに、英国の人口は日本の約半分の6700万人である)。 また、シンクタンク「インスティテュート・フォー・エンプロイメント・スタディーズ(institute for employment studies)」によると、この2週間ほどで「150万人から200万人が失業した」という。2008年の世界金融危機では最大でも74万人が失業者となっており、このときよりはるかに大きな人数だ。「コロナ前」は英国の失業率は3・9%だったが「コロナ後」では、7・5%まで上昇する可能性があるという。いつ、ロックダウンは終わるのか また、政府の決定によりビジネスが一時停止したことになるため、財務省は国内総生産(GDP)の15%に相当する巨額の資金をコロナ対策にあてている。 企業が社員を解雇することを防ぐため、「一時解雇」措置とした場合には、従業員一人当たり、給与の最大80%(あるいは最大で2500ポンド=約33万円)を政府が負担することになっている。自営業の場合も、税の申告をしている場合、同額が支払われる。また、中小企業に対する一時金の支払いもある。 ただ、なかなか実際にお金が企業側に入ってこないという不満が多い。財政支援を申請した企業の中で、銀行が資金を出したのは10分の1という報道が出ている。 経営難に陥ってた慈善組織を助けるべきという声が上がり、リシ・スナク財務相は4月8日、慈善組織の支援に7億5千万ポンド(約1012億円)を拠出すると発表した。 しかし、先の社員あるいは自営業者への支援も含め、「いつ、確実にお金が入ってくるのか」という問題や、支援の受け取りには条件が付くので「自分は当てはまらない」と嘆く人々の声がよくメディアで紹介されている。 ロックダウンは感染者、そして死者を減少させるための方策だが、その結果が感染者数・死者数に反映されるまでには「あと1〜2週間はかかる」と言われている。 実際、政府資料によると、どちらの数字も増える一方で、筆者自身、徒労感を抱くこともある。4月15日時点で、9万8千人が感染者となり、死者数は1万2千人を超えている。新型コロナウイルスによる疾病「Covid-19」にかかって集中治療を受けている人の数(地域別)(英政府資料より) 英国民の最大の関心事は「いつ、ロックダウンが終わるのか」だ。当初、今回のロックダウンは4月16日前後に終了するはずだった。しかし、感染者数・死者数ともに大幅な減少には至っておらず、来月まで延長となった。 一時はマット・ハンコック保健相に続き、ジョンソン氏も新型コロナウイルスに感染した。ハンコック氏は無事回復して職場に復帰、ジョンソン氏もロンドンの病院に入院し、一時集中治療室へと搬送されるなど危機的状況だったが、現在は回復し退院、首相公式別荘で静養中だ。それでも、英国では不安感が漂っている。 また、依然として、医療関係者を保護する保護メガネ、マスク、ガウン、手袋の一式の不足、検査数がなかなか伸びないことも悩みの種だ。日本は大丈夫か 日本では、4月7日夜に安倍晋三首相が緊急事態宣言を出したが、その内容を見ると、確かに欧州各国の「ロックダウン」と状況が異なり、制限が若干緩いように見えた。 日本の場合、欧米と比較して感染者数・死者数が非常に少なく、経済活動を維持することへの配慮が背後にあったのだろう。 しかし、東京の緊急措置体制はより厳しくなっており、罰金はないものの、欧米のロックダウンの状況に似ている。 欧米の方式が日本のやり方よりも優れているのかどうか。今のところ、確固としたことは言えない。また、経済活動の維持を重視した政策も一つの政治的な選択ではある。 とはいえ、死者数が突出しているイタリアやスペイン、それに米国のニューヨークの例を見ていると、どの国も「命を守ることが大事」という切迫した思いで動いていることが分かる。英国も感染者数・死者数の増加が止まらない状態で、イタリアやスペイン並みにならないとは限らない。 だいぶ自粛されたとは言うものの、日本では危機意識がまだそれほど切羽詰まったものになっていないのではないか。電車に揺られる多くの人がいる光景を、メディアを通してみるたびにそんな思いを持つ。新型コロナウイルス感染症を受け、ロンドンで建設が進む「ナイチンゲール病院」=2020年3月31日(AP=共同) もう一つ、日英の違いがある。英国の専門家の意見を集約すると、新型コロナウイルスについては「分からないことが多い」と言う。例えば、いったん感染した人が回復し、そのあとまだ感染することがあるのかどうか、もしその場合、どのぐらいの期間「安全」なのかについても、まだ分からないそうだ。 筆者は日本に住む人から特定のワクチンの効き目について聞かれ、「分からない」と答えたが、「効くのは確実だ、事実だ」と反論された。その人は筆者よりは科学の専門知識が豊富かもしれないが、英国の最先端の科学者や医療専門家が「分からない」「確固としたことは言えない」と答えている状態では、筆者は特定の答えを持たないし、「分からない」と言わざるを得ない。 専門家であろうと誰であろうと「分からない」こともある。だからこそ、「分からないこともある」と受け止めることも必要ではないだろうか。そう思えば、さまざまな情報に一喜一憂せず、冷静に情報を受け止め、行動を起こすことが可能であると、筆者は思う。 最後になったが、日本の自粛政策が功を奏することを、心から願っている。

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    これは差別か?新型コロナにおびえるワシントンの奇妙な出来事

    長尾賢(ハドソン研究所研究員) 新型コロナウイルスの感染が進むにつれて、日本でも緊急事態宣言が発令され、外出自粛要請が始まっている。 すでにアメリカでは3月からニューヨークなどでいわゆる都市封鎖(ロックダウン)が始まり、私の住むワシントンDCでも職場の消毒と立ち入り禁止、公共交通機関使用禁止、外出禁止令など、状況が次々進展していった。感染患者も増え続け、すでにアメリカ全土では2万人以上が亡くなっている。 しかし、同じ非常事態といっても、東京で経験するものと、アメリカのワシントンで経験するものとでは大きく違う。東京は通勤も可能であり、飲食店や理髪店も営業している。 一方、ワシントンでは、政府関係者と医療関係者、インフラ業者など必要最小限の人を除いて、先にも触れたが、通勤は禁止、公共交通機関の利用も禁止、飲食店はテイクアウト(持ち帰り)ないしデリバリー(出前)のみで、理髪店でさえ営業禁止。だが、ビルの建設などの現場では工事を続けている。 そして、東京とワシントンで日本人が直面する大きな違いの一つは、いわゆる「差別」の問題があるかどうか、である。 今回の新型コロナウイルスは、中国の武漢で最初に確認された。ゆえに、中国系の人を見ると、アメリカでは「コロナ」と呼んで嫌がらせをする事例や、中国人のみならず、見た目が似ている北東アジア系から東南アジア系まで、つまり日本人に対しても、嫌がらせや、時に暴力の対象となったのである。 ただ、私の実体験からすると、この「差別」の問題は、過剰にクローズアップされている側面もあるように感じている。そこで、私の「差別」と言えなくもない実体験を記しておこうと思う。それは、外出禁止令などが発令される直前の通勤時、発令後の運動時やスーパーマーケットでの買い物のときに起きたものである。このときは、めずらしく仕事仲間などとは一緒ではなく、1人で他の人々と接する機会があった。 普段であれば、アメリカでは、あいさつのときに笑顔を浮かべ、敵意を示さないようにする。実際に、さまざまな国から来た多くの民族と接するため、相手が危険な人物ではないかどうか、常にチェックする必要があり、笑顔は大事な情報だ。 しかし、新型コロナウイルスの感染が広がり始めてからは、私は、笑顔が出るような雰囲気ではなくなり、緊張感を覚えるようになった。電車に乗った瞬間に、何か、空気が凍るのである。 運動時もジョギングしていると、皆、大きく私を避ける。感染を防ぐために距離をとる「ソーシャルディスタンシンング」(社会的距離)ということが推奨されているため、別に悪い行為ではない。新型コロナウイルスの影響で閑散とする米首都ワシントンの桜並木=2020年3月(共同) だが、あまり大きくそれるので、私が北東アジア系だから差別しているのではないか、などと考えてしまう。顕著なのは、スーパーでの経験だった。以前は、笑顔であいさつしていた人が、私があいさつしても返してくれなくなり、笑みも浮かべなくなったのだ。私は当然、「無礼だな」と思ってしまう。表情に現れた「恐怖」 しかし、そうしたときに、相手の顔をよく見ると、理解できなくもないと思えるのだ。なぜなら、皆の顔には明らかに恐怖の表情があったからである。 多くの人たちは、北東アジア系の私が電車に乗ってきたとき、ジョギングで走ってきたとき、スーパーで買い物をして近づいてきたとき、差別したかったのではない。怖かったのである。 感染するかもしれない、医者ですら死に至る病気、という恐怖が社会全体に高まってきたとき、「とにかく怖い」という表情が顔にはっきり出ていた。だから、悪意があって、私を害しようとしているのとは違うのである。それは差別なのだろうか。 スーパーでは別の体験もあった。レジに並んでいた際、隣のレジが空いたようなのである。だが、アメリカでは陳列棚が高く、隣のレジが空いたのかどうか、私はよく見えなかった。しかも、北東アジア系の私は、自分が差別されるかもしれない、と思って慎重に行動していた。ゆえに、空いたかもしれないレジにすぐに行くことはせず、別のレジに並んだままでいたのである。 空いたかもしれないレジ係は黒人女性だった。そのとき、レジ係の女性が私にこう言ったのだ。「私ではダメな何か理由でもあるのか」。このレジ係の女性が言いたかったことは、私が黒人だからいやなのか、つまり黒人を差別しているのか、という意味が含まれている。 アメリカ人はよくジョークを言うだけに、半分は冗談も含んでいたのかもしれないが、こういったことを言う場合、半分は本気だ。 ということは、私は北東アジア系であることで差別されるかもしれないと思っており、一方、レジ係の女性は黒人だから差別されるかもしれないと思っている。結果として、全然差別しているわけではないのに、差別に見えてしまっている、ということが起きたのだ。 こうして見ると、私の実体験については、差別があったと言えるだろうか。私も、相手も、差別を意識して生活しているが、実際には、多くの物事は悪意を持ったものではない。ただ、こういった社会に生きる以上、自衛措置は必要なだけであろう。 また、自衛措置にはどのようなものがあるだろうか。恐怖を感じている人に、それ以上、恐怖を感じさせないようにするのが、自衛措置の目的である。悪いことをしているわけではないので、堂々と背筋を伸ばして歩く。弱いわけではないから、強そうに歩く。だが、他人への礼儀や優しさを忘れない。政府や自治体の方針にはきちんと従う。こういった行為は、よき市民としてのあるべき姿だ。閑散とするワシントン。新型コロナウイルス感染拡大で、多くの公共エリアが閉鎖されている=2020年3月(ロイター=共同) ただ、もし、そうした自衛措置をとっても危険な雰囲気になってくれば、どうするべきだろうか。例えば、今回の感染拡大に関して、中国に対する怒りを抑えられないほど盛り上がり、「真珠湾攻撃」や「米同時多発テロ」と並べて語られるようになれば、われわれ日本人は、中国人ではないことを示さなければならなくなるかもしれない。 単純に考えれば、日本国旗に頼る方法があるだろう。外出するときは、日本とアメリカの国旗がついたバッジやワッペンをつけて行くという方法だ。実際に、日本はアメリカの同盟国であり、そういった自衛措置は、アメリカでの生活をより安全で、よいものにするだろう。このように、新型コロナウイルス問題は、在米日本人に、われわれが日本人であることを再認識させたのである。

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    日本の危機意識はまだ薄い、コロナで激変したスペイン社会の「距離」

    んでいるが、およそ1カ月前の3月12日のことが印象深かった。 その前日まで一般市民の間には、ほとんど新型コロナウイルスに関する緊張がなかった。だが、信じられないような爆発的な感染拡大が起き、突如として、その日を境に市民の意識が変わったのだ。 それまでもニュースでは近隣国のイタリアでの感染拡大が大きな話題になっており、その日までの死亡者が1千人(AFPによると4月15日現在、約2万1千人)を超えたところだった。スペインでの新型コロナウイルスによる死亡者は、ある統計では、3月12日時点で86人(同、約1万8千人)とされていた。  もちろん、それまでも新型コロナウイルス対策の注意喚起はあり、手洗いなどが奨励されていたが、一般市民に緊張感はほとんど見られなかったのである。誇張ではなく、マスクをしている人を一人として街で私は見かけたことはなかった。 今となっては信じられないような話だが、本当に3月12日の昼頃まで市民はいつもと変わらない生活を送っていた。 そもそも、イタリアもそうだが、スペインでもあいさつは、いわゆる「濃厚接触」だ。ちょっと久しぶりに会った人とはハグや頬にキスをする。実は私もその前日の11日、同じマンションの階下の女性に久しぶりに会ったので、濃厚接触のあいさつをしている。 12日の朝、「来週から学校が閉鎖されるらしい」と周囲で話題になり、そして同日午後には、その情報が確実になった。すべての教育機関は翌日13日が最終日。そして、すべてが急ピッチに進んだ。 土曜日にあたる14日には、非常事態宣言が発動され、食料品店と薬局以外の店、レストランやファーストフード店を含むすべての飲食店も一斉閉店となった。週明けの16日からは外出禁止令が出された。そしてマドリードを中心とした首都圏を中心に起きた爆発的感染拡大の様子は皆さんもニュースで見た通りだ。 要するに、爆発的感染拡大は一度起きてしまうと、歯止めが効かなくなるということを実感した。私の住んでいる州は首都圏のようにひどくはないが、悲惨なニュースが毎日流れてくる。たとえば、高齢者施設で集団感染があっても、家族は手の施しようがないといったことだ。 こしうた中で、最近の日本のニュースを見ていて、どうしても気になることがあった。「社会的距離」が時によって、いとも簡単に崩れてしまうことがあるという危うさだ。 スペインではその日を境に、接触を伴うあいさつが習慣だった市民の間に、「社会的距離」が瞬く間に浸透したのには驚いた。 私のマンションでは、非常事態宣言が出るや否や、自治会から「自宅にとどまってください。社交距離は建物内でも1メートルを守ってください」との注意書きが配られた。自治会から配布された注意書きの一部(筆者提供) また、スーパーの外の歩道にも1メートル間隔で線が引かれた。並んで待つのも1メートルずつ間隔を空ける。スーパー内のレジ前の床にも間隔を置いて線が引かれた。 市内バスは運転手との距離を確保するため乗客は後方乗降口のみを利用、よって料金の受け取りはなくなり無料となった。かなりの間隔を取って座席はテープで隔離された。向かい合わせの4人掛け席に座れるのはたった一人。四方1・5メートルの間隔はとっているので、乗車できるのは10人にも満たないかもしれない。 定員オーバーで乗車できなかった客は、次のバスを待つ。「社会的距離」という明確な指針があるためか、静かに従っている。危機感を覚えた日本の意識 さらに、私が驚いたのは、規定では1メートル以上となっている「社会的距離」であるが、市民は実際には2メートルの間隔を取っているということだ。スーパーでの行列では自発的に線をもう一つ空け、2メートル間隔で並んでいる。自宅前のクリニックに並ぶ患者も、線があるわけでもないのに、2メートルほどの間隔で立っていた。 「密集」を避けるために、店でも人数制限は徹底している。これがスムーズに行われているのは驚いた。大手スーパーでは出入口にスタッフを配置。1人出たら1人入るのだが、まず手に消毒ジェルをかけてくれて、使い捨てビニール手袋を渡してくれる。だからキレイな手で店の商品を触れるということになる。 人手がない小さな店では、自動ドアが外から開かないように調節するなどして、「1人出たら、1人入る」というルールが徹底されている。自動ドアすらない小さな八百屋や薬局でも、同じルールを客は粛々と守っている。注意書きがなくても、客が自主的にどこでも行っている。 さらに、個人的な対策として、今のスペインではマスクだけではなく、多くの市民が手袋をしている。お札や硬貨を触るときも気を付けている。私も今はティッシュペーパーを持ち歩き、一歩家を出ると、エレベーターのボタンもドアノブも素手では触らない。 ところで、欧州ではマスクをする習慣がそもそもない。先にも触れたが、本当に私は3月12日まで街でマスクをしている人を見ていないのである。それまでの緊張感のなさと、確かに対策の遅れがあっただろうが、現在のスペインでは国も市民もよく協力している。それまでの生活スタイルを即座に改めた柔軟性には驚愕した。 イタリアと同じように、スペインも高齢者を大切にする国柄で、休日には祖父母を囲んで家族が集まる風習があるが、それもピタリとなくなった。市民はマスクと手袋をして、粛々と「社会的距離」を保って生活している。若者と高齢者のふれあいが多い生活習慣が、知らないうちに感染拡大につながったかもしれないと思うと、胸が痛む。 スペインでは、外出禁止令が出ておよそ1カ月になるが、それでも感染拡大はピークには達していないという。意識が一変するあの日までの生活状態の結果が現在の悲惨な状況を招いているのは言うまでもない。 一方、私は少し前まで「さすが日本。コロナを何とかくい止めている!」と感心して誇らしく思いながらニュースを見ていた。 ところが、3月下旬の花見シーズンでの気の緩み、欧州からの帰国者の無責任な行動が目立つのを見て、危機感を覚えた。「スペインのようになってほしくない!」。スペインでは経済活動休止措置をとるところまで悪化し、経済が止まるとどのようなことになるかは、一目瞭然である。 日本でも4月7日に緊急事態宣言が発令されたが、まだ自粛のレベルで、スペインのような事態になるのを、今なら何とかくい止めることができるかもしれない。個人も社会も、できることをまずしていこうと、強く呼びかけたい。  「社会的距離」という意識は、都会だけではなく、高齢者の多い地方でも役に立つと思う。距離を置いての社交、あいさつなどが手短になっても礼に欠けるかもしれないとの気遣いもなくなる。外出禁止が続くスペイン・バレンシア州のスーパーで、マスクや手袋で感染対策をする来店客ら=2020年3月(共同) その規定は例えば1メートルであっても「社会的距離」という明確な方針があることで、人々の行動を変える即効的な引き金になると思う。 重ねて強調しておくが、日本のある百貨店で人が密集している様子をニュースで見て怖くなった。日本では幸い、欧米ほどの感染者や死者数が出ていないことなどから、緊張感が薄いのだと思う。だが、日本での光景は、いまやスペインではありえないのだ。 何とか新型コロナを食い止めていた日本ではないか。今が正念場だ。自分を守り、家族を守ろう。そして国を守ろう。爆発的な感染拡大は絶対にくい止めなくてはならないと切に思う。

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    マレーシアの「本物ロックダウン」現場から見た日本

    で通訳によって訴状を読み上げられた。クアンタンの公園で野鳥の写真を撮影するために外出した同容疑者は、新型コロナウイルス感染防止の行動制限令(MCO)に違反したとして、裁判所から1000リンギットの罰金(または3カ月の禁固刑)を科せられた(4月3日付、マレーシア英字紙ザ・スター 『MCO: Japanese man fined RM1k for leaving house to photograph birds』)。 勝手に外出すれば、警察に逮捕され、罰金や刑務所行き(または併科)である。そのほかにも複数の日本人が街でジョギングしたことで逮捕されていた。街だけでなく、今はコンドミニアム敷地内の散歩やジョギングも禁止されている。生活必需品の買い出しは一家に1人だけ外出が許されるが、自動車は運転手1人以外に同乗は許可されない。各地では警察が厳しく検問や取締りを行っている。 今の日本では考えられないマレーシアのロックダウン(都市封鎖)は本物だ。現地在住の私も不本意ながら自宅隔離の生活を「満喫」している。いや、不本意とはいえない。むしろ個人的にはこのような厳格なロックダウンに賛同している。 情況が明らかに改善しているからだ。マレーシアのR0(基本再生産数)は3月18日付で発効した行動制限令発令前の3.55から、4月10日現在の0.9に落ちた(4月11日付けマレーシア華字紙南洋商報)。R0<1の場合、感染症は終息していくといわれているが、マレーシア保健省は4月10日、感染を最大限に断ち切るために最低でも6週間のロックダウンが必要とし、ムヒディン首相に2度目の延長を提言し、首相が再延長を決断した。 現地での民意調査によれば、8割以上の国民がロックダウンの実施や延長に賛成している。日本で騒がれている「私権制限」を持ち出して抗議する声はほとんど聞かれない。ビジネスに熱心な華人でも商売よりはまず命第一、命を落としたら一巻の終わり、生き残りさえすれば、いくらでも後からビジネスができると考えているようだ。 要するに、疫病退治とビジネス・経済の優先順位をはっきりさせている。このことについては基本的に政治家や国民のコンセンサスが取れている。より早くビジネスを再開し、経済の復興に取り組むためにも、まずは思い切った措置でコロナの拡散を食い止めなければならないと。マレーシアの空港でマスク姿で警戒に当たる警察官(ゲッティイメージズ) 私たち在住外国人も大変厳しい状態に直面している。出入国に関しては、一般のマレーシア人は出国禁止となっているが、外国人は出国できる。ただ、いったん出国すれば、マレーシアへの再入国ができなくなる。 3月18日行動制限令の発効当日、私はベトナム出張を予定していたが、当然キャンセルになった。さらに行動制限令の延長に伴い、4月以降の出張などの海外渡航は次から次へとキャンセルせざるを得なくなった。現状をみる限り、長期戦の様相が濃厚である。私の場合は、年内の渡航・出張予定をすべてキャンセルする前提で仕事の日程を組み直した。テレワークが普及しないワケ 職業柄、リモートワークに向いていることもあって、私は昨年からすでに仕事の一部をWebセミナーやWeb会議・相談に切り替え始めた。コロナ危機の到来を予見したわけでもなく、時代のトレンドとして遠隔ビジネスがいずれ主流化することだけは感知していたからだ。とはいえ、やはり人間は会って話すのが便利で、どうもリモートワークの取り組みがそれほど早く進まなかった。今年も相変わらず、月例出張のスケジュールを組んだ。 年明けてみると、2月初中旬の出張から状況が一変した。まずは武漢の封鎖をみて、急遽上海出張をキャンセルしたが、これに続くベトナム出張はスムーズだったし、日本出張も名古屋で某企業グループの幹部社員500名が集まった講演会で登壇し、問題なくこなした。しかし、2月下旬からは状況が悪化しはじめた。 3月に入ると、それまで平和だったベトナムやマレーシアも陥落の様相を呈した。続いてWHOのパンデミック宣言。私の仕事の内容も変わった。顧客企業のテレワーク体制の確立に提案しなければならなくなった。 製造業現場を除いて、普通のオフィスワークなら、「ハンコを押すために出社する」というようなパターンは論外として、従来の業務を従来の目線で見れば、多少なりとも会社に出向く必要が見出されるだろう。「テレワークのできる仕事」から選別し、テレワークを進めていくのではなくて、「どうしても出社しないとできない仕事」とは何か、そこから始める必要がある。 こんな状況においても、日本のテレワーク普及率がまだ低い。パーソル総合研究所は3月23日、新型コロナウイルスで全国の正規社員の13.2%がテレワークを実施したとする調査結果を発表した。1割強という率は低すぎる。私が住んでいるマレーシアでは、「テレワーク」や「リモートワーク」といった用語すらほとんど聞かれない。多くの会社は当り前のように「在宅勤務」に切り替えていた。 日本ではテレワークがなかなか普及しない。年長従業員、特に幹部の間にIT機器を使いこなせない人が多いという事情があるかもしれないが、根本的な原因ではないと思う。テレワークにおいて、海外と日本の普及率の差、その本質的な原因とは何であろうか。 企業組織でいえば、海外企業の場合、一般的にヒトと職務の結びつきであるのに対して、日本企業はヒトとヒトの結びつきである。言い換えれば、前者が「職務型組織」であって、後者は「共同体型組織」である。テレワークという遠隔性は職務指向であり、共同体への破壊作用をもっているから、日本企業に敬遠されるのである。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) コロナショックによって、今後「非接触型社会」がより勢力を強めていくだろう。組織のなかでも、「努力」という属人的・対人型の評価基準が、職務的・対事型に変わっていかざるを得ない。そうした意味で、テレワークがまさに一種のトリガーになるだろう。 3月9日のフジテレビ系「直撃!シンソウ坂上」は、緊急生放送で行われ、マレーシアのクアラルンプール在住のシンガーソングライター・GACKTがテレビ電話を通じて、現地の状況や生活をレポートしながら、コロナ危機下の日本について、「言葉を選ばずに言っていいのであれば」と前置きしてから「狂ってますよ、かなり」と語った(『ロックダウン中のマレーシア在住のGACKT、日本は「危機感が足りない」「言葉を選ばずに言えば…」』4月10日付スポーツ報知)。「危機感欠落」原因は? 日本社会の危機感が不足していることを、GACKTが指摘した。それは事実である。誰かが指示してくれるだろう、誰かが守ってくれるだろうという期待感が持たれるから、危機感に起源する自己防衛本能がなかなか作動しない。私はそう感じている。 各国の新型コロナウイルス対応について、台湾前議員の沈富雄氏が日本モデルを取り上げこう酷評した――。 「何すればいいか分からず、体裁すらなしていない。日本という国はいちばんダメなのは、優柔不断。当初から中国人観光客のインバウンドの利益を貪る一方、リスクにまったく無関心。ダイヤモンド・プリンセスの惨状に束手無策のまま、大国の風格貫録を完全に捨て去った。国土が広いだけに、これからの最善策は区域を画定し、台湾モデルを生かして取り組むことだ。あとは運任せのみ」(2月17日付台湾聯合新聞網) 的を射た総括ではないだろうか。真の友人だから、本音を吐いてくれた。さらに、台湾人作家欧陽靖氏が日本のコロナ対策をこう分析した―。 「日本人は、SOP (Standard Operating Procedure=標準業務手順書)民族だ。彼らは臨機応変、突発事件の処理に弱い。地震対応に強いのも、完璧なSOPがあって、職人的に反復練習しているからだ。日本国がここまで強くなって進歩したのも、国民の一人ひとりがSOPを守っているからだ。国家全体が順調に機能する機械であり、国民はみんな歯車になって応分の役割を最大限に果たしているからだ」 「18年前のSARSはその当時の日本は(中国人観光客に)開放しておらず、幸運にも大きな被害に遭わなかったが、今回の新型コロナウイルスは様子が違った。問題に気付いたにもかかわらず、日本人は議論して有効な解決策を打ち出せなかった。疫病との戦いは時間との戦いだが、日本人はその本質を見失った」 「WHOへの盲信と盲従も問題。WHOの提言に従って中国人観光客の入国を制限しなかったし、検疫官が防護服を装着せずダイヤモンド・プリンセス号に上船した。いずれもマニュアルや上司の指示に忠実に従った行動だったが、結果的にウイルスが拡散した」台北の自由広場でマスクをして歩く女性たち=2020年3月(ゲッティイメージズ) 「でも、日本はこれで終了することはない。日本人は酷くやられて痛定思痛(痛みが収まってから痛みを思い出して今後の戒めにする)で、もっとも完全な疫病防止システムをもつ国になろう。同時に、このたびの災厄の実体験をもって、日本国民が目覚め、思考停止から脱出し、日本の腐り切った政治環境の徹底的改革に取り組むことを切に願いたい」(2月20日付、三立新聞網) 耳の痛い批判だ。日本人は体験型学習やルール順守が得意だ。しかし前例なき危機に直面し、SOPたるマニュアルなき判断・行動を求められると、なかなかうまく即応できない。今回のコロナ危機は、多大な犠牲を伴う体験型学習になるかもしれない。

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    新型コロナ対策、マスクより必須なのは手袋か NYでは入手困難

     「なぜ、もっと早く出せなかったのか」、「2週間遅かった」──。4月7日、東京都や大阪府をはじめ、大規模な感染拡大が予想される7都府県に「緊急事態宣言」が出されると、世間からは、こんな“嘆きの声”が漏れた。 この段階ですでに、国内感染者は4000人超。遅すぎるトップの決断と、なんの補償もなしに自宅待機や休業を強いられる国民の悲鳴に、海外メディアも注目した。 思えば、ここに至るまで、安倍政権の対応は疑問視され続けてきた。4月1日に打ち出した「全世帯に布マスク2枚を届ける」方針も国内外で大きな話題となった。 アメリカのCNNテレビは「マスク2枚の表明に国民の怒りが集中」「『アベノマスク』がツイッターでトレンド入りした」と報じ、同じくアメリカのFOXニュースは「エイプリルフールのジョークだと勘違いした人も少なくなかった」と皮肉った。 世界保健機関(WHO)は布マスクの使用を、感染防止の意味では推奨していない。効果が得られるのは、感染者や無症状の感染者が着用した場合だとしている。ウイルスが咳やくしゃみと一緒に飛び散るのを布マスクでブロックすることで、感染拡大を防げるという考えだ。世界では感染防止という観点ではマスクより必須とされるアイテムがある。それらを複合的に使い、ウイルスに立ち向かっているのだ。 まず、もっともグローバルに使われているのが「手袋」だ。ニューヨーク市内では、ビニールやゴム製の「使い捨て手袋」をつけた人の姿が多く見られる。その数は、マスクをつけた人よりも多いほどだ。さらに観察すると、手袋をつけているのは片手だけ、という人も。「電車の吊り革や手すり、エレベーターのボタンなど、不特定多数の人が触れるものを素手で触らないために手袋をしています。片手だけなのは、素手の方はスマホを操作するからです。いま、ニューヨークではマスクと消毒ジェルよりも、ゴム手袋が入手困難になっています」(ニューヨーク在住ジャーナリスト) 米国立衛生研究所など世界トップクラスの科学研究機関の共同チームによる最新研究によれば、新型コロナは、銅の表面で4時間以上、ボール紙の表面で24時間、ポリプロピレンやステンレスの表面では72時間も生存。さらには、微小な粒子となって空気中を漂う場合も3時間以上、生き続けるという。いたるところにウイルスが付着している可能性があるのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 新型コロナの主な感染経路は飛沫感染と接触感染。手袋をつけることで後者のリスクを減らすことができる。 しかも、手袋をしていることで、手に違和感を覚え、目や鼻、口を自然に触れにくくする効果もあるという。 理想は医療従事者のように使い捨てにすることだが、一般の人が何かに触るごとに手袋を取り替えるのは難しい。 国際医療福祉大学病院内科学予防医学センター教授の一石英一郎さんはこう話す。「だからこそ、ウールやニット素材よりもゴム製の手袋がいいのです。手袋を装着したまま、手を洗うことができる。こまめにアルコールや次亜塩素酸ナトリウムを薄めた溶液で手袋ごと洗い、清潔に保つことです」関連記事■日本人の習慣がコロナ感染回避か、靴脱ぐ・電車で無口ほか■【動画】志村けんさん、「オレの子供を産んでくれ」と頼んだ30代女性■首相ブレーン医師 コロナ感染でルール逸脱の“優遇入院”か■新型コロナ感染、注意すべき超初期症状は「頻呼吸」「結膜炎」■【動画】なぜコロナ感染者いないのか? 「自衛隊式」手洗い4ステップ

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    コロナ危機、世界各国の指導者が発した「心打たれる演説」

     「我々は岸辺で戦う。野原で街で丘で戦う。我々は決して降伏しない」──第2次世界大戦でイギリス国民を鼓舞したチャーチル首相の演説だ。国家の危機に、国民を勇気づけるか、不安にさせるか、すべてはリーダーの言葉次第である。 いま、世界の人々に求められているのは「ステイ・ホーム(家にいてくれ)」。この一言をいかに表現するか、世界のトップは苦心している。 「明日、より情愛をもって抱き合うために、今日は(人との)距離を取ったままでいましょう。明日より早く走るために。みんなが一緒にやれば乗り越えられる」 そんなロマンチックな表現で国民を説得したのは、死者1万人を超える感染大国となっているイタリアのジュゼッペ・コンテ首相だ。そのお国柄からキスやハグの禁止令も出された中で、3月11日に動画で声明を出した。首相の演説には、日本でも「心を打たれた」という声が上がっている。 「まだワクチンも治療法もなく、ドイツの人口の60~70%が感染する恐れがある」(3月11日)と会見で語るなど冷静な発言が際立つドイツのアンゲル・メルケル首相が、国内感染者数が1万人を超えた3月18日に行なったテレビ演説のスピーチ動画も大反響を呼んだ。コロナ対応の最前線にいる医療関係者に感謝を述べた後、こう付け加えたのだ。 「普段めったに感謝されることのない人々にも感謝の言葉を送らせてください。スーパーのレジ係や、商品棚を補充してくださる方々。彼らは現在、最も困難な仕事の1つを担ってくれています。仲間である市民のために、日々働いてくれて、私たちの生活を支えてくれてありがとうございます」 物資不足と感染リスクでパニック状態になっているスーパーで働く人々にも目を向け、励ましの言葉をかけたのだ。 イギリスのボリス・ジョンソン首相は、3月12日の記者会見でこう語った。 「私は英国民に対して正直に言わなければならない。より多くの家族が、彼らの愛する人たちを寿命に先立って失うことになる。しかし、過去数週間にわたって言ってきたように、我々は現在実施している明確な計画がある」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 同27日にはツイッターで、自らが新型コロナに感染したことを公表し、国民に衝撃を与えたが、翌28日に全英の約3000万世帯に送付した書簡で、「事態はよくなるより先に、まずは悪くなる。それは分かっています」「私たちは適切な準備をしています。全員がルールに従えば従うほど、亡くなる人は減り、生活は元に戻ります」と、自宅に留まるよう訴えた。自分の言葉で話しかけている自分の言葉で話しかけている コミュニケーション・ストラテジストの岡本純子氏は、こう分析する。 「コンテ首相の言葉は国民に寄り添う姿勢を示す情緒的表現の典型で、欧米で支持される傾向が強い。ジョンソン首相は熱弁タイプで発言のエネルギーが高く、国民にメッセージが届きやすい。 メルケル首相は正反対で、その冷静さによって国民に安心感を与えていると考えられます。その上で、落ち着いていて国民を包み込むように一人一人に励ましの言葉を語り掛けた。タイプに違いはあれ、国のリーダーがそれぞれのキャラクターと国民性を踏まえて、自分の言葉で話しかけているのが特徴です」 岡本氏が秀逸だと感じたのは、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相だという。同首相はニュージーランド史上もっとも若い37歳3ヶ月で首相に就任し、現在39歳。「相談センターの電話番号を書いたパネルの前で会見し、『公衆衛生に携わる官僚や専門家は世界でもトップクラスで、医療施設も十分に準備できています』と何度も『プリペアード(準備はできている)』と繰り返しました。 さらに25日に国家非常事態を宣言し、外出制限の方針を示すと、フェイスブック上のライブ動画で、国民からの質問に答えた。緑色の普段着で現われた首相は、『カジュアルな服装ですみません。赤ちゃんを寝かしつけるのが大変で、今は仕事着じゃないんです』と説明。国民に寄り添っている姿勢を示したのです」シンガポール(ゲッティイメージズ) シンガポールのリー・シェンロン首相の発言も学ぶべき部分が多いという。 2月8日の時点でシェンロン首相は「恐怖はウイルスよりも有害です。恐怖は、インターネットでデマを拡散したり、マスクや食料品を買い占めたり、集団感染を特定の人々のせいにしたり、我々をパニックに陥らせ、状況を悪化させる可能性があります」と呼びかけ、「インスタントラーメンや缶詰、トイレットペーパーを買いだめする必要はありません」と国民に優しく語りかけた。 シンガポールの迅速な対応は海外でも高く評価されている。関連記事■イタリアの窮状「老人は死んでもらうしかない」が暗黙の了解■ヘンリー夫妻だけじゃない 英王室史に残るお騒がせ王族たち■【動画】韓国軍の蛮行伝えるライダイハン像、英国で公開■311隻のベトナム船が中国公海侵入、中国はスパイ目的と警戒■トランプ大統領が中国人妊婦の米国内出産を厳格化、摘発も

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    元厚労省検疫高官、日本の新型コロナ禍「最前線」に抱く危機感

    岩崎恵美子(元厚生労働省仙台検疫所長) 2019年11月に中国・湖北省の武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、瞬く間に世界中に拡散し、3月11日には世界保健機関(WHO)がパンデミック(世界的大流行)を宣言するに至った。その後も流行はその勢いを維持したままで、まだ明確な終息の気配は見えていない。わが国でも、4月7日に緊急事態宣言が発令され、国民の生活に大きな制限や支障が生じ続けている。 ところで、実は私たちは、過去コロナウイルスによる重篤な感染症の流行を経験してきている。諸外国で大きな被害を出した重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)などが記憶にあるが、それ以外のコロナウイルスの多くは、一般的な風邪(かぜ)の原因となっているウイルスである。 今回、新型コロナ感染症の恐ろしさを知るきっかけとなったのは、報道で流れた武漢での流行を制圧するための行動監視や都市封鎖という厳しい措置であった。 その後まもなく、春節の休暇に日本を訪れた中国人旅行者によって持ち込まれたと思われるウイルスが、来日した人々の観光に関わった方々、タクシーやバスの運転手、ガイドなどに拡がり、それらの人々を核にどんどん感染者は増え続けた。 さらに日本発着の大型クルーズ船内に、途中寄港地の香港で下船した乗客の新型コロナウイルス感染が判明した。横浜入港時、乗客の大半は下船予定の日本人であり、水際での感染症の流入を阻止することを担う横浜検疫所の検疫官が船内に乗り込み、乗船者の健康状態のチェック(体温測定、症状の確認)を実施する臨船検疫が行われた。 現実には、狭く複雑な構造の船内では厳密に感染者と非感染者を区分するゾーニングの実施は困難を極め、混乱が生じた。最終的には乗客を下船させて、治療・検査・経過観察を収容先の民間施設や公的施設、開院前の大学病院施設などの協力を得て乗り切った。 国では新型コロナウイルス感染症対策本部が中心となって当たり、それらを支援する専門家チームが用意され、さまざまな施策が展開されたが、私はこの体制について大きな危機感を抱いていた。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内で新型コロナウイルスの陽性反応を示した乗船者を搬送する防護服姿の関係者=2020年2月5日、横浜港(共同通信社ヘリから) というのも、その体制の中には研究者はいても、最前線で直接患者に当たる医師などの医療関係者の姿が見えず、この体制で感染症対策はできるとは思えなかった。 そんな中で私は、2009年の新型インフルエンザ(H1N1)発生時を思い出していた。当時私は仙台市の副市長として対策にあたっていたが、そのとき、国は各地に発熱外来を作り、そこでトリアージを行い、隔離、収容、治療を実施するよう求めた。これまでの感染症との対応の違い 発熱外来での混乱や多くの人が集中することによる感染拡大を危惧し、仙台市ではかかりつけ医に最初のトリアージを頼み、その後の自宅隔離の指示や初期治療、高度の医療を必要とする感染者に対しては病院への誘導などをお願いすることとした。 地域医師会にも市長とともに訪れ、医療機関で必要な資材や薬剤の確実な提供を市が保証することを前提としたお願いをし、他地域とは違った体制で対策を進めた経験を思い出した。 当時は確かに、感染症に関しては新型コロナ感染症よりも知識や経験はあり、「タミフル」という武器も私たちは持っていた。しかし、現在はそれすらない中での対策であることから、高い困難を伴うのは確かである。とはいえ、最前線で実際に対峙している医師などの医療関係者の協力なしに、対応ができないのは間違いない。 日常的に感染症患者に対応している、かかりつけ医のような現場の医療関係者の先生方を支援しながら、先生方には診断、指導、治療、感染者の収容病院への誘導などに当たってもらい、収容病院では重篤な感染者の収容・治療に振り向けられる病室などの確保を行うこと、医療体制の維持が図られることが大切だ。 今回の国の感染症対策では、最前線で働く必要のある医療関係者、医師への優先的な資材の支援もなければ、医療体制、検査態勢の確立もされない中で進められていることに日本医師会は危機感を持ち、医療危機を訴えて国に緊急事態宣言と、医療崩壊につながらないような対応を求めた。医師会が医師による対策への関わりも明確にされない中での対応にいら立ち、立ちあがったと私は考えている。 一方、新型コロナ感染症自体を冷静に考える側面も欠けている。新型コロナ感染症では、ウイルスが手を介して口や鼻などの粘膜から取り込まれて感染し、鼻の奥の上咽頭で増殖する。そして新たな感染者となった人からは、ウイルスがくしゃみやせき、鼻水で排出され、周りの人々に拡げていく。そして鼻や咽頭の炎症がさらに下気道にも拡がると、肺炎を起こしたりする。 新型コロナ感染症では、上咽頭や鼻の粘膜にウイルスが多いために、時に嗅覚障害、味覚障害を起こすこともある。また、消化器にも症状が出て、下痢などを起こすことも少なくないので、便を介しての感染拡大も考える必要はある。 感染の形態はインフルエンザと同様であるが、インフルエンザより病原性や感染力は強い。新型コロナウイルスに感染しないためには、ウイルスを取り込まないことが大切であり、一般的に使われているマスクよりも手に付いたウイルスを洗い流すことが、有効な感染症対策になる。特に石鹸成分がウイルスを破壊することから、石鹸でのこまめな手洗いが有効になるが、水だけでも丁寧に洗えば効果的である。SARSの集団感染が発生し封鎖された北京市宣武区の工事現場=2003年5月3日 今回の武漢での新型コロナ感染症、かつて香港から世界に広がったSARSなどは、いずれも動物に由来する感染症と考えられている。いまだに野生動物を食する食習慣が残り、市場で一般的に野生動物が売買されている中国の現状が継続する限り、今後も同じように新たな感染症が生まれる可能性は高い。 そして、グローバル化が進むことも流行拡大には強く影響し、国際交流、インバウンド(訪日外国人客)の拡大、産業の過剰な海外依存などが感染拡大に影響しているところを考えると、国際間での関係も考えていく時代になっている。私たちはこのような世界の中で生きているということを、個々人が自覚しなければならない。

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    二階俊博と麻生太郎のメッセージで読めた「緊縮教」のたくらみ

    行しているようだ。典型例が4月13日の自民党役員会に表れている。 その後の会見で、二階俊博幹事長は「新型コロナウイルスに対する国民の奮起、戦うということに対して、しっかり支援していくということだ」と述べ、国会議員の給与にあたる歳費の一部返納を表明したのである。まさに、国民を小ばかにした精神主義の見本である。 東日本大震災のときにも同様の動きがあった。具体的には、国会議員歳費減額特例法の成立で、歳費の一部が復興対策の財源に充てられ、菅直人内閣の閣僚給与も自主返納に至っている。 その際、この精神主義が復興増税構想に結びついていった。構想は、2012年の民主、自民、公明の3党合意で成立した社会保障と税の一体改革関連法によって、消費増税路線に結実していく。 今回も、二階氏が野党にも歳費返納を呼び掛けた。結局、1年間2割削減で自民・立憲民主両党が合意したが、まるで、将来の増税路線も呼び掛けているようにも思える。 国民の中で、政治家たちのこのような歳費削減を喜ぶ姿勢があるとしたら、深く反省した方がいい。政治家に対して、きちんと歳費に見合った仕事を求めればいいだけである。 あなたは給料を減らされながら、前よりもっと働けと言われて、やる気を発揮できるだろうか。自分にはできないことを政治家だけができると考えるとしたら、よほどおめでたいと思う。 このように、国民側にも厳しい言葉を投げ掛けたのは、安っぽい精神主義を国民側が受け入れる土壌があるからこそ、二階氏のような発言が出てくるからだ。要するに、軽薄なポピュリズム(大衆迎合主義)なのである。安倍晋三首相との面会を終え、記者団の質問に答える自民党の二階俊博幹事長=2020年4月8日(春名中撮影) 大衆迎合だったとしても、国民の生活が向上すればいい。だが、議員の歳費返納は国民の生活向上に一切結びつかない、ただの政治的ポーズでしかない。終息後に増税? 新型コロナウイルスの感染拡大によって、われわれ国民の生活は疲弊し、苦しさを増している。この状況を打開するのは、適切な経済対策を実行するしかない。つまり、政府がきちんとおカネを出し、われわれの生活を防衛することが必要なのだ。 だが日本では、官僚主義による弊害が著しく、財務省の緊縮主義が危機の中でも威力を発揮している。国民は感染の脅威と同時に、この財務省の「緊縮病」とも戦っていかなければならない。 それほど、財務省の緊縮病は頑強である。これは筆者の推測だが、既に増税路線に向けた政治的な仕掛けが動いていてもおかしくはない。 今回の緊急経済対策に関して、補正予算案が提出されている。追加の歳出は総額約16兆8千億円で、全額を国債発行で調達する。 今、国債を追加発行すれば、日本銀行が民間を経由する形でほぼ吸収するだろう。政府と日銀は統合政府なので、言ってみれば、同じ家計の中での貸し借りでしかない。 統合政府のバランスシート(貸借対照表)を見れば、資産と負債がちょうどバランスするだけになり、「財政危機」の心配はない。むしろ、日銀は公式見解でも、政府が国債発行という手段で積極財政を展開すれば、無理なく支援できると表明している。 感染期の生活を支える経済対策を行い、感染期から脱した後には、より積極的な財政と金融政策の協調で、この難局からV字回復を遂げていく、これがベストシナリオである。具体的な手段としては、国民一人当たり10~20万円を給付し、消費税率を8%に引き下げることを基軸とし、もろもろの支援策を組み合わせるのが望ましい。 だがご存じのように、今の政府は所得制限付きの給付金などで政策効果を著しく減退させてしまっている。しかも、財務省はタイミングを見て、増税路線への転換を図ろうとしているのではないか。 4月13日の衆院決算行政監視委員会で、麻生太郎副総理兼財務相は2025年度までのプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標を放棄しないと言明している。簡単に言えば、プライマリーバランスは、今回の緊急経済対策のような、その都度の政策的な支出が、その都度の税収で賄えているかどうかを示す。衆院決算行政監視委員会で答弁を行う麻生太郎副総理兼財務相=2020年4月13日(春名中撮影) 黒字であれば「税収>支出」であり、赤字であれば逆になる。現在のプライマリーバランスは赤字である。「黒字化」意味ないワケ 黒字に転換するためには、経済成長率の安定化=税収安定化、増税、行政改革などが考えられる。増税の有力な政策が消費税率の引き上げであり、財務省も大きく依存している。 だが、そもそもプライマリーバランスを黒字転換させる意味などない。元国際通貨基金(IMF)チーフエコノミストのオリビエ・ブランシャール氏と経済産業省の現役幹部、田代毅氏の共著論文「日本の財政政策の選択肢」では、次のように指摘されている。 現在の日本の環境では、プライマリーバランス赤字を継続し、おそらくはプライマリーバランス赤字を拡大し、国債の増加を受け入れることが求められています。プライマリーバランス赤字は、需要と産出を支え、金融政策への負担を和らげ、将来の経済成長を促進するものです。 要するに、プライマリーバランス赤字によるコストは小さく、高水準の国債によるリスクは低いのです。 要するに、ブランシャール氏らは国債を増加させ、それで政府が積極的財政を行うことによって経済成長を実現することが望ましいと指摘している。その結果、財政破綻のような状況も回避できると主張したのである。 この場合、プライマリーバランスの黒字化自体は目的ではない。簡単に言えば、どうでもいい指標なのである。 もちろん、「新型コロナ危機」に直面している日本では、ブランシャール氏らが指摘した状況よりも経済は悪化しているので、さらに積極的な財政政策が望まれている。プライマリーバランス黒字化など、ますますどうでもいいのである。 だが、麻生氏と財務省は、いまだに従来の2025年プライマリーバランスの黒字化に固執している。ということは、彼らの狙いは一つしかない。感染期が終わった段階、つまり、そう遠くない将来での大増税である。 だから、景気刺激としての消費減税など、財務省とそのシンパの念頭にあるわけもない。むしろ、全力で否定する政策の代表例だろう。東京・霞が関の財務省外観(桐原正道撮影) 大増税は「コロナ税」か、消費税の大幅引き上げか、あるいはさまざまな税の一斉の引上げかは分からない。ただ、日本の感染期の経済対策がしょぼい規模に終わり、さらに大増税を画策する根源に、日本で最も悪質な組織、財務省の意志があることは間違いない。 問題なのは、そのような財務省の緊縮主義を、二階氏のような薄っぺらい精神主義者や、麻生氏のような頑迷な「プライマリーバランス教」の信者が支持していることだ。彼らこそ日本の最大の障害である。

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    「コロナ感染者ゼロ」北朝鮮が撃ち続けるミサイルは祝砲か、悲鳴か

    重村智計(東京通信大教授) 新型コロナウイルスの感染拡大に世界中が苦慮している中、北朝鮮だけが「感染者は一人もいない」と公式に宣言し続けている。事実なら奇跡だが、各国は疑問視している。 なぜ北は「感染者ゼロ」にこだわるのか。安全保障上の危機感と「儒教社会主義」の価値観が背景にある。指導者の世襲は文字通り、儒教社会主義の表れだ。 在韓米軍のロバート・エイブラムス司令官は、4月2日に米CNNテレビのインタビューに応じ、「北朝鮮の主張は事実と違う」と述べた。司令官は「情報源と情報入手の手段と証拠は、明らかにできない」とし、情報機密の開示は拒否した。 それでも、証拠に関して「われわれが見た全ての情報による」と言及した。つまり、米情報機関の人的情報に加え、偵察衛星の写真分析だ。 実は、3月にも「北朝鮮の軍が30日も軍事行動を止め、空軍戦闘機の飛行も停止した」と述べていた。国境の封鎖と軍の部隊編成に厳格な措置がとられたという。戦闘機の飛行禁止は、新型コロナウイルス感染を恐れるパイロットの亡命阻止のためだ。 米国が入手している情報によれば、北朝鮮で感染者が出ているのは明らかだ。北朝鮮は、連日新型コロナウイルスに対する警戒の動きを報道している。赤十字を通じた海外からの医療支援も受け入れており、感染拡大は間違いないようだ。 北朝鮮は、なぜ感染について明らかにしないのか。それには主に四つの理由がある。朝鮮労働党の政治局拡大会議を指導する金正恩党委員長。朝鮮中央通信が2020年2月29日報じた(朝鮮通信=共同) 米国は、偵察衛星の写真から感染兵士の火葬や集団埋葬を確認したという。北朝鮮軍にとっては、兵士の感染は安全保障上の重大な危機である。北朝鮮軍幹部が感染が米韓に知れれば軍事攻撃に踏み切ると考える、これが感染を公表しない最初の理由だ。非常に北朝鮮軍らしい発想だといえる。 攻撃を阻止するには、「感染者はいない」と言い続けるしかない。軍事上の心理作戦である。儒教社会主義国家 北朝鮮は通常の米韓合同軍事演習でも、両国が「演習を口実に北朝鮮を攻撃してくる」と考えている。軍首脳の普通の思考回路であるから、「新型コロナウイルス感染が攻撃の引き金になる」と判断するのも当然だ。 二つ目の理由は、朝鮮半島に根付く儒教的価値観にある。朝鮮半島では、天変地異や災害が起こるのは「王様に徳がないからだ」と受け止められ、支配の正当性に疑問が生まれる。 反対に、災害を防ぐことができれば「指導者の徳のおかげだ」と評価される。だから「金正恩(キム・ジョンウン)委員長のおかげでウイルス感染を防いだ。偉大な指導者だ」と、政府や朝鮮労働党が宣言するのである。 先にも触れたが、北朝鮮は、儒教的価値に支えられた儒教社会主義である。だから、指導者への忠誠心を常に強調する。新型コロナウイルスの感染で指導者への忠誠心が失われ、兵士の感染が拡大すれば、軍部隊の反乱が起きる危険がある。これが一番心配なのだ。 それでも隠蔽できなくなったら、感染を「帝国主義者の陰謀だ」ということにして明らかにする。「帝国主義者たちがウイルスを持ち込んだ」として闘争を呼びかけるのだ。 北朝鮮の「感染者はいない」という言葉には、「『平壌(ピョンヤン)』は感染していない」という意味も含まれる。北朝鮮では「人民」こそ重要で、「大衆」は保護の対象ではない。根底には、体制を支えるのは、労働党員や軍幹部の人民で、大衆は反抗するかもしれないという考えがある。 人民が多数居住し、金委員長がいる平壌こそが国家の中心であり、首都が「感染ゼロ」であれば体制は維持できる。「感染者はいない」という公式発言の裏に「平壌は感染していない」と懸命にアピールする様子が浮かぶ。 百歩譲って「感染は小規模で抑えた」と表現するならば、理解の余地はある。北朝鮮は、日常的に感染症に悩まされている。結核患者が多く、インフルエンザの感染も毎年流行する。マスクを着けて平壌駅前を行き交う市民ら=2020年4月1日(共同) だから、感染症を強く警戒しており、国境閉鎖は常に準備している。医療技術は劣っても、防疫体制は予想以上にしっかりしているという指摘もある。 さらに、体制を維持する装置としての「五戸監視制度」で、相互密告を二重三重に徹底している。この密告システムが、ウイルス感染拡大防止に役立っているというのだ。ミサイル発射「連発」の謎 世界が新型コロナウイルス対策に取り組んでいる最中に、北朝鮮はミサイル発射実験をした。国連安全保障理事会や各国は「こんなときにミサイル発射は非常識で、安保理決議違反である」と非難した。でも、国際社会が関心を向けないからこそ、やりたい放題なのだ。 北朝鮮のミサイル発射に「米国の気を引きたいから」という分析も語られたが、これは真っ赤な嘘だ。あまりに北朝鮮の発想を知らなすぎる見解である。 既に説明したように、北朝鮮の軍部が最も警戒するのは「ウイルス感染を利用した米韓軍の攻撃」だ。軍の動揺を抑え、米韓軍の攻撃に警告するために「攻撃されたら反撃できる」ミサイルを誇示する意味がある。 毎年この時期、北朝鮮軍は米韓合同演習に対応した演習を計画する。その中で、ミサイル発射の予算が付いている。予算を消化する意味もあるのだ。 ミサイル「実験」か「演習」かにも、注目する必要がある。「実験」は労働党の軍需機関が行う。「演習」は軍の管轄で、配備された兵器の訓練だ。3月中の発射は「実験」と発表している。まだミサイルが完成しておらず、技術実験を繰り返していることが分かる。 いったい、どのような技術なのか。エイブラムス司令官は「固体燃料ミサイルの開発実験だ」と述べ、完成まで数年かかることを明らかにした。液体燃料ミサイルは燃料注入に時間がかかり、攻撃されやすい。固体燃料は即応できるので、戦術的意味は大きい。軍も開発を強く望んでいる。 いずれにしろ、北朝鮮の発表やミサイル実験からは、金委員長が人民の忠誠心維持と軍の全権掌握に苦労している様子がうかがえる。この時期に逃亡を図り、外部と連絡を取るスパイの監視も徹底している。北朝鮮が2020年3月21日に発射したミサイル。朝鮮中央通信は「戦術誘導弾」としている(朝鮮中央通信=共同) 大規模な軍事演習や新型兵器の購入は資金不足で難しい。軍の不満を抑えるためには、新型コロナウイルスの感染を無視してでも、ミサイル発射実験で「忠誠心」を高めるしかないのだ。 国境を遮断した北朝鮮には資金も物資も入らなくなる。半年から1年後に経済危機に見舞われることは確実だろう。

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    躊躇した緊急事態宣言、安倍総理が抱くべき「戦時内閣」の覚悟

    く、必要な対策は躊躇(ちゅうちょ)なく決断して実行する」(3月12日、安倍晋三首相が記者団に表明) 新型コロナウイルス感染症の問題では、安倍首相はこの発言通りにトップダウンで指揮をとって、素早く対策を打ち出し続ける必要があった。 「躊躇なく決断して実行する」というのだから、間髪を置かずと誰もが受け止めた。 確かに、日本銀行は上場投資信託(ETF)の買い入れ目標の上限を従来の6兆円から12兆円に引き上げると決定した。3月16日、黒田東彦(はるひこ)日銀総裁は「当面必要ある限り12兆円ペースで買う」と表明した。金融緩和の強化を行うことを発表した日銀の黒田東彦総裁=2020年3月16日、東京都中央区(納冨康撮影) 安倍首相の要請を受けた動きとみられ、大幅に下落した株価を下支えする政策を打ち出した。低落している株式を大量に拾っているわけだから、日銀の財務悪化が懸念される事態である。是非をめぐる議論はあるが、株価下落の不安に一定の歯止めをかけた緊急措置だったのは間違いない。 問題は一般の国民向けの緊急対策で、矢継ぎ早に打ち出されるとみられていた。だが、その後は事あるごとに首相周辺も含めて「躊躇なく」「前例のない」「大胆な」「思い切った」と大仰な言葉を繰り返し並べるばかりだった。言葉の動員は躊躇ないものだったが、肝心の目に見える具体策は何も示されなかった。 目に見える具体的な政策が出たのは月を改めた4月1日。布マスク2枚を全世帯に配布すると表明した。遅れに遅れたうえに中身の乏しさに「これが前例のない大胆な政策か」と国民を落胆させた。スピード感を云々する以前の緩いスピードであり、早速「アベノマスク」と名付けられた。アメリカメディアは「エイプリルフールの冗談では」と辛辣だった。「性善説」を求められても… 兵力=政策の逐次投入というか、いや逐次投入ならまだしもあまりに「小出し」に過ぎるものだった。予告編、すなわち「前例のない」「大胆な」「思い切った」と大仰な前宣伝が効き過ぎており、それが裏目に出ている。サプライズには違いないが、バッドサプライズになった感が否めない。 4月3日には、所得が一定程度減少した世帯に30万円を給付することが明らかになった。給付を受けるには自己申告制とされている。所得減少をどう証明するのかなど制限もあって運用面ではきわめて曖昧(あいまい)だ。時間を要したのにもかかわらず基準はこれからつくるという詰めの甘いもので、多くの人に役に立つものかどうか判然としない。 首相官邸幹部の「(自己申告は国民の)性善説に立つしかない」という談話は、給付金の立て付けの不具合さを如実に認めたものだ。「性善説」をにわかに求められた国民にとっても気持ちがあまりよいものではない。 国民は生活人であり、生活人は家族を含めてその日の糧があるかないかが、一番大事だ。「性善説」などを持ち出すのではなく、誰にでも分かる制度にすることが根本である。 30万円の給付金には、国民が元気にするものがなく、スッキリとした政策になっていない。「さすが」、と手を打つようなサプライズがない。ここでも空前の前宣伝がサプライズを先食いしている。サプライズを巻き起こすというなら大仰な予告編は逆効果であることを裏書きしてしまった。 安倍首相は、自ら「最悪の想定」を何度も強調したが、「最善の想定」に立っているのではないかといわれかねない。結局、国は給付金を惜しんでいることが確認されたわけで、それで遅れに遅れて決断を躊躇してきたということが大枠判明した。遅いうえに給付対象を制限して絞り込むなどセコいという印象を与えたことになる。 「クライシスマネジメント」では、最重要なのは情報収集だが、成功したとはいえない。とりわけクライシス初期における情報収集は難度がきわめて高いが重要な仕事になる。1月、2月に中国の武漢、北京、上海などで起こっていた極度の異変を見過ごしてしまった。 情報収集とともに行うのが「初期消火」である。情報収集、そして「初期消火」ともにそのかけがえのない時期に有効な策を打てず、後手に回ってしまった。最も重要なときに、国家の危機管理、あるいは安全保障(インテリジェンス)本能が働かなかった。 2枚の布マスク配布、所得減少への30万円の給付金にしても、さまざまな官庁を含めて多くの人に相談して意見を聞けば、第一に時間が膨大にかかる。第二には平均以下の保守的な結論になる。専門家に意見を聞くたびに「なるほど」と足して2で割る。さらに意見を聞いて「それもそうだ」と足して2で割るためだ。衆院本会議で、マスクを着用して答弁を行う安倍晋三首相=2020年4月2日、国会(春名中撮影) 「平時のシステム」、官僚などから意見・アイディアを吸い上げてトップが判断するというボトムアップ方式では有事に対応できない。時間がかかるばかりで中身が乏しい平凡な政策になるものである。最終目標はサバイバル マスク2枚配布、所得減少で一定基準を満たした世帯への30万円給付という表明は、「国難」といわれるクライシスに引き合うものか。「最悪の想定」どころか「最善の想定」に立ったものにみえる。 結局、フリーランスなど個人商店主への給付金などの追加の救済策もさらに逐次投入方式で検討されている。逐次投入では、総額やら名目は膨らんでいくがインパクトは小さい。一生懸命にやっていてもサプライズやインパクトは希薄化される。 「クライシスマネジメント」の最終目標はサバイバル(生き残り)にほかならない。 トップの器量、すなわち情報の収集力、分析力を筆頭に決断力、判断力、行動力、想像力、演技力、発信力などすべてが問われる。日々、状況が変わっていく。現状で正しい判断と思ったことが数日後に「最善の想定」に立った甘い判断だったということになりかねない。有事では思い切った手を打って、「最悪の想定」に立ってやり過ぎたと後悔するぐらいに行う覚悟が必要である。 緊急事態宣言(7都府県対象に4月7日発令)、あるいは都市封鎖にも躊躇する姿勢が顕著だった。「医療崩壊寸前の状態」「ギリギリの状態」というなら迷わずやるべきものではなかったか。感染爆発=医療崩壊してから緊急事態宣言を行っても、それは状況の追認であり「敗北宣言」にほかならない。 緊急事態宣言は、小池百合子東京都知事、吉村洋文大阪府知事、さらには横倉義武日本医師会長までが強く要望していた。ボトム(現場)が揃って要求しているのにもかかわらずトップはなかなか決断をしなかった。これは不可解というか、ボトムアップ方式にもあてはまらない。 緊急事態宣言の表明においても、内閣、自民党との調整を経て最後に諮問委員会との確認というのだから、どこまでムラの根回しをやっているのかという次元になる。 緊急事態宣言、さらに都市封鎖は何のためにやるのか。国民のサバイバル、国民の生活手段である経済のサバイバルを最終目標にするべきである。 最終目標が曖昧だから、その手段である緊急事態宣言、あるいは都市封鎖の意味合いが捉えきれない。最終目標がはっきりすれば、「ダメージコントロール」という手段の意味合いが明確になる。新宿駅東口の大型ビジョンに流れる緊急事態宣言に関する安倍晋三首相の会見映像=2020年4月7日、東京都新宿区(鴨川一也撮影) 緊急事態宣言が遅れたのは、経済のダメージを恐れたためといわれている。これは最終目標が曖昧なためで、問題の本質を見誤っている感がある。緊急事態宣言による経済の停止は、もちろんダメージは小さいわけではない。「戦時内閣」として立ち向かえ ただ、手をこまねいているうちに感染爆発=医療崩壊という最悪の事態になれば、ダメージの極大化を招くことになる。それでは取り返しがつかない。 緊急事態宣言は、むしろ新型コロナウイルス問題が解決された後を睨(にら)んで、経済のサバイバルに備えるために行うものだ。国民(ヒト)の生命の安全を確保するのが先決である。 経済は一時的に停止するにしても生産・物流・販売の経済は再開に耐えられるように温存する。一時的なダメージは出るが、それは避けられないものだ。そうであるならそのダメージは極力コントロールしながら受け止める。それが「ダメージコントロール」にほかならない。 珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦などの航空戦の空母のようなものだ。空母というものは、攻撃力は強いが、防御力は脆弱(ぜいじゃく)である。 航空戦で魚雷や爆弾を何発か受けても、空母の沈没といった最悪の事態は回避してドッグに帰港できるように被害をコントロールする。ドッグで緊急修理を経て次の航空戦に備える。ダメージを受けるのは避けられないと覚悟のうえで、サバイバルを最終目標にした「ダメージコントロール」を行う。 経済のサバイバルには国民のサバイバルが前提になる。国民の生命を新型コロナウイルス感染症から守るには、緊急事態宣言、あるいは都市封鎖などやれることはすべてやる。それによって感染爆発=医療崩壊を全力で避けることが必要だ。医療がギリギリでも健在を保てるなら国民の大部分を守ることができる。 経済のサバイバルを担保しながら経済を一時的に停止させる。その損失は膨大なものになるが、国と地方自治体で補償する。緊急事態宣言、あるいは都市封鎖による経済の打撃は覚悟して受ける。しかし、その「ダメージコントロール」を行ってサバイバルに耐えられる能力を守る。財政は大きく悪化するが、生産・物流・販売の経済が再稼働すれば元は取れる。緊急事態宣言後、閑散とした東京・新宿の横断歩道=2020年4月7日 国民も経済も守れないとしたら、後の歴史家から、国や東京都を筆頭に神奈川県、千葉県、埼玉県など地方自治体は国難(有事)対応を誤り、日本を衰退に導いたといわれるに違いない。 新型コロナウイルスと正しく戦え、というのは簡単だが、敵の正体は見えず、戦う武器もない。それは「2枚の布マスク」が証明している。新型コロナウイルスという凶悪な敵と対峙する「戦時内閣」として、国民のサバイバル、そして経済のサバイバルに向けて有事に立ち向かうべきだ。

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    医療現場の悲鳴を聞けば、マスク寄贈は「焼け石に水」じゃない

    ルス感染を発表した病院に批判や中傷が殺到する騒動も起きている。非公表とするよりよほど誠実なのに、だ。新型コロナウイルス感染症に関する共同メッセージについてテレビ会見を行う(上段左から)山梨県の長崎幸太郎知事、東京都の小池百合子知事、埼玉県の大野元裕知事、(下段左から)千葉県の森田健作知事、神奈川県の黒岩祐治知事。右奥は小池知事=2020年3月26日(萩原悠久人撮影) その病院の医師や看護師が子供を保育園に預けようとしたら断られる騒動も起きている。さらに、感染とは全く無関係の訪問看護の看護師が「コロナをばらまくな」と怒鳴られもした。 日本の感染者数は3月31日現在で1923人(クルーズ船を除く)。経済協力開発機構(OECD)加盟国の中では、36カ国中24位になる。下はバルト3国、フィンランド、ニュージーランドなど人口の少ない国ばかりだ。「医療崩壊」起こさないために 人口が千葉県船橋市とほぼ同じルクセンブルグが、日本よりも感染者数が多い(3月31日現在1988人)ことを考えれば、ぎりぎり抑えているといえる。 だが、それもこれも医療従事者の懸命な努力によるものだ。そして、その努力もある線を越えれば、イタリアやスペイン、米国などのような医療崩壊が現実となるかもしれない。 マスクを寄贈してから4日後、歯科医の友人とフェイスブックで連絡を取り合った。その一部を紹介したい。「マスクは、相変わらず、いやもっとひどくなり、今週から週に2枚の配給に…厚労省が昨日辺りに1万枚届けるという約束だったけど音沙汰なし。コロナ外来もやってて、コロナ患者を引き受けている、感染の最前線に、物資なし。ここはいつの第2次大戦末期ですか感。だんだんと配給制になり、その量も減り…で、先の対戦で負ける時もこんなだったのかなーと冗談が出る始末」「物はないのかもしれない。アメリカでも増産の話はたくさん出るけど余ってる話はまるで聞かないから、実際には行き届いてないのだと思う。けど、最前線に兵站を充実させない戦に勝ちはないよね。割とみんな諦めムードすら漂ってる」「東京の抑えが効くかどうかで、この先の地方に及ぶ第二波の高さが変わるのよ。NYみたいになると…もう崩壊確定。しかしそうなるとわかってても、すでに物資がないので、ラストダンジョン前にすでに何も手持ちがない、みたいな気分だよ」 医療崩壊を起こさないためにも、日本人一人ひとりの行動自粛などが求められる。さらに、医療従事者に感謝の念を伝えることも必要だろう。 その上で提案したいのだが、個人が所持しているマスクで未開封のものは最寄りの医療機関に寄付をしたらどうか。もちろん、各個人が自己を防衛できるだけの余裕があれば、の話だ。 それから、国や自治体はもっと医療機関にマスクを回すようにしてほしい。こうした話、確か2月あたりからずっと出ているが、今後はさらに強化すべきだ。極端な話、一般流通を止めてでも、医療機関に回してほしい。 感染者が急増しているイタリアやスペイン、それに米国など欧米諸国は当初、新型コロナウイルスについて楽観視していた。サッカーなどスポーツや各イベントなどは一切止めずにやり過ごそうとした。学校も通常通りだった。 その結果、欧米では感染者が増えただけでなく、マスクや人工呼吸器の不足を招く。医療従事者は過労を強いられ、彼らへの感染被害も広がっている。感染しなくても、人工呼吸器の不足により助けられる命を救えない、苦悩に追い込んでいる。 そして、パリ、ローマ、ロンドン、ニューヨークなど欧米諸国の大都市は次々と封鎖されている。今日のローマ、今日のニューヨークは明日の東京、明日の日本の姿でもある。出席者全員がマスクを着け行われた経済財政諮問会議で発言する安倍晋三首相(中央)=2020年3月31日(春名中撮影) そうならないためにも、国や自治体に対しては医療機関へのマスク供給を、篤志家や個人に対しては、最寄りの医療機関へのマスク寄贈を強く訴えたい。個人であれば、多少使い回してもいいではないか。医療機関に寄贈が集まりすぎてもいいではないか。腐るものでもあるまい。 もう一度、繰り返したい。医療機関にマスクを回そう。それが個人、地域、そして日本全体を守ることになる。

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    緊急事態宣言でも「定額給付金」「金銭補償」なぜ出し渋るのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 安倍晋三首相は新型コロナウイルス感染症の急速な拡大を踏まえ、4月7日にも緊急事態宣言を発令する方針を表明した。改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、東京都など7都府県を対象地域とし、実施期間を1カ月間とする。宣言を出すか否か、安倍首相は特措法に基づいて、専門家で構成する「基本的対処方針等諮問委員会」を開催する調整に入った。 この緊急事態宣言を欧米で見られる都市封鎖(ロックダウン)と同じように解釈する人たちがいる。ただ、緊急事態宣言はロックダウンと異なるという理解が一般的だ。 緊急事態宣言によって、対象地域の都道府県知事は、不要不急の外出の自粛要請や、特定施設の運用者やイベントの主催者などに利用停止などを要請することができる。詳細はNHKのサイトに丁寧にまとめられているので参考になる。 欧米でのロックダウンは罰則規定を伴うことが多い。その意味で、ロックダウンと異なり、罰則規定がない分だけ、感染拡大の抑止効果が乏しいかもしれない。 また、海外では休業補償を合わせて行われることが多い。東京都の小池百合子知事も都の判断で休業や時短営業している店舗に対して休業補償の方針を固めたとの報道もある。だが、政権幹部の発言を追う限り、この面で、国の対応は後手どころか、あまり積極的ではない。 緊急事態宣言が行われたときの経済的なダメージを考えてみよう。対象地域になると予想される東京圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)そして大阪府の名目国内総生産(GDP)の総計はおよそ220兆円である。 世界最大の都市(圏)である東京を含むだけあって、世界8位のイタリアを超える規模だ。先進国グループの中でも、上位に入る経済圏となる。ただ、宣言の発令期間や各自治体の対応にもかなり依存するので、断言することは難しい側面がある。 緊急事態宣言で影響を主に受ける業態は広範囲に及ぶだろう。既に1月後半から影響が出ている観光業や旅客業などはもちろんのこと、特措法と政令で「多数の者が利用する施設」として使用停止の対象に想定されている、映画館や展示場、百貨店、スーパー、ホテル、美術館、キャバレー、理髪店、学習塾などは大きな経済的ダメージを受けることは間違いない。 ただし、他方でスーパーなどは食料品、医薬品などの生活必需品を販売することが可能である。コンビニについても対象外だ。 平日の一般企業の活動についてはどうなるか、これも都知事らの判断にかなり依存するだろう。他方で、自宅などへの配送サービスやオンライン・ビジネスに対する需要は高まるだろう。学校の休校措置が継続すれば、代替的なオンライン授業の需要も増える。衆院本会議で答弁を行う安倍晋三首相=2020年4月2日(春名中撮影) 筆者の専門分野の一つにアイドル経済学がある。東京や大阪で、ライブハウスでの集団感染が生じたこともあり、密閉、密集、密接のいわゆる「3密条件」が当てはまりやすい空間として指摘されている。 アイドルたちの多くはライブハウスでのビジネスが中心だ。最近では、ライブハウスでの公演が中止や延期が相次いでいる。これはアイドルビジネスにとっても深刻な経済的影響を与えている。 その一方で、インターネットを利用した動画配信などを進めたり、サイン入り写真などオンライン物販を強化する動きも加速化している。危機に応じてビジネスの形態が大きく変わる可能性が出てきているのだ。急激な経済危機を救う「網」 ところで、経済協力開発機構(OECD)が各国のロックダウンの経済ダメージを推計している。それによれば、短期的ショックについて、だいたいどの国(日本は都市圏)のGDPが20〜25%低下し、そして影響を受ける産業の範囲は全体の30〜40%に及ぶとされる。 GDPが短期的に20〜25%落ち込んだとしても、最終的な1年間の経済成長率はロックダウンの規模と期間に依存する。日本のケースでは、ロックダウンほど厳しくはないので、おそらく短期的(1四半期、3カ月程度)の落ち込みは最小の20%程度なら、当たらずとも遠からずではないか。 東京圏と大阪の経済的ダメージを計算すると、2割にあたる約44兆円の瞬間風速的な落ち込みが生じることになる。もちろん、緊急事態宣言が短期で解除されれば、経済が回復する度合いに応じて、落ち込みが年率でどうなるかは大きく変わるだろう。いずれにせよ、巨大な経済的ダメージを短期的に受けることは確実だ。 消費活動も低迷する。OECDは、生産の落ち込みよりも消費の落ち込みが大きいと試算している。先進国では、30%を超える瞬間風速的な消費低下が観測されるという。 消費対象としては、ファッション、美術館や遊興施設、ホテル・レストラン、タクシーや電車などの交通手段への支出が激減する。ただ、緊急事態宣言が出る前から、これらの業種における不況感は極めて強い。 ただし、日本国内の供給網(サプライチェーン)はいまだ頑強であり、この強さが生産と消費がともに縮小するような急激な経済危機をかろうじて防いでいる。緊急事態宣言が発令されたとしても、生活必需品などの物流を損なわないことが、経済を支える重要なセーフティーネットになる。 緊急事態宣言の主要目的は、感染拡大の抑止だが、その中核には医療システムにこれ以上の負荷を与えないことがある。これらの目的が機能していれば、人的損失という最悪の事態をできるだけ回避し、感染終息後の社会や経済の立て直しを円滑に図ることができるだろう。記者会見に臨む東京都の小池百合子知事=2020年4月3日、東京都新宿区(川口良介撮影) もちろん亡くなられる方も多く、心身ともに傷を負う人たちが無数に出るだろう。その方々のケアに対する公的な経済支出も今後課題になる。 国際通貨基金(IMF)のスタッフは今回の「新型コロナウイルスショック」を戦時経済に例えている。その上で、「戦争」の局面を二つに分けた。フェーズ 1:戦争中。感染症が猛威を振るっている時期。人命を救うため、感染拡大防止措置によって経済活動は大幅に制約される。これが少なくとも1~2四半期続く可能性がある。フェーズ 2:戦後の回復期。ワクチンや治療薬、部分的な集団免疫、そしてやや緩やかな感染拡大防止措置を継続することで、感染症は制御されている。制限が解除され、経済は途中で足踏みをするかもしれないが、正常な機能を取り戻す。 フェーズ2の回復期が順調に行くためにも、フェーズ1では、人命を損ねないこと、雇用を確保すること、企業を倒産させないこと、が重要になる。つまり、フェーズ1の政策が「戦争」に勝つためには決定的に必要なのである。IMFのスタッフが挙げた政策メニューは次の通りだ。出典:IMFブログ 8日にも明らかになる緊急経済対策の具体的な内容にもよるが、これらの政策の多くは日本でも既に採用されているか、考慮されているものだ。報道では、新型コロナウイルス感染症の治療効果が期待されている新型インフルエンザ治療薬「アビガン」の200万人備蓄などにも資金を投じるという。「所得制限」付き定額給付金への懸念 ただし、給付金については、現時点の報道によれば、所得制限などを付けた問題のあるものになっている。それも、感染症が発生する前よりも月収が急激に落ち、住民税非課税世帯の水準まで至った世帯が自己申告で給付を申し出る案が取り沙汰されている。給付対象は約1千万世帯を想定しているという。 筆者は政府が採用するといわれている所得制限付きの定額給付金について強い懸念を、4月4日付の夕刊フジでも表明している。要点を少々付記して列挙しよう。1)1千万世帯に30万円を配っても、総額はたかだか3兆円にすぎない。2)経済全体の落ち込みを防ぐには12~20兆円の規模が必要。総需要を刺激する段階ではないというもっともらしい理屈はあるが、マクロ経済の落ち込みを放置して、規模の不足した財政政策を行えば、雇用喪失や倒産などの連鎖が起きる。これを全て救うような緊急対策は現実には難しい。マクロ的な規模での量的支援は、IMFが指摘するフェーズ1でも必要条件になる。3)国民に一律10~20万円給付すべきである。あるいは、最近、大阪大の安田洋祐准教授が提言するように、1週間から10日ごとに1万円、感染終了するまでに全国民に一律給付する案もある。これはいつ感染症が終わるか分からない不確実性の世界では、実に有効な政策だろう。 また、フェーズ1の時期に、少なくとも消費税率引き下げの採用を決めるべきである。フェーズ2での景気回復に消費減税は強力に作用するだろう。フェーズ1が予想外に長引くときにも恒常的な消費の支えになる。この理由は安田提案と同じ趣旨となる。 ちなみに、消費減税導入による「駆け込み減」を重視する論者もいるが、消費減税の直近1カ月を利用期限とする少額のクーポン券を別途配布して、その「駆け込み増」で消費減税の「駆け込み減」を打ち消せばいいだろう。4)フリーランスや自営業者などの場合、直近2カ月で所得が減少したとを書類で証明することも難しい。そのため請求の制約が厳しくなり、結果として、十分なおカネが国民に行き渡らない。5)「ポスト安倍」を狙う自民党の岸田文雄政調会長の思惑や財務省の緊縮主義が、財政政策を貧相なものにしてしまっている。 所得制限付きの給付金については、経済評論家の山崎元氏が問題点の一端を示している。 所得が減った家計に30万円? ずる賢い社長ならこう言うか。「社員の皆さん。コロナを原因として今月よりしばし給料を引き下げます。皆さんは、所得が減少したことを理由に30万円の給付金を申請して受け取って下さい。大丈夫!トータルで社員に損はさせません…」。給付に条件を付けたがるのは愚策だ。 つまり、本当に必要としている人に届くわけでもなく、届いたとしてもあまりに遅すぎるのだ。安倍首相と会談後、現金給付の額について明らかにする自民党の岸田政調会長=2020年4月3日、首相官邸 IMFの対策リストには、なぜかロックダウンや緊急事態宣言に伴う休業や、イベント取りやめなどの影響による「金銭的補償」が出てこない。専修大の野口旭(あさひ)教授が指摘しているように、休業などを積極的に行うために「休業補償」は重要である。 いずれにせよ、緊急事態宣言の経済の中では、感染症の拡大の行方が分からないという「根本的不確実性」(フランスの経済学者ロベール・ボワイエの言葉)が大きい。根本的不確実性のある経済では、現状の経済危機の度合いへの認識を何度も更新していく必要があり、足らなければどんどん実行するという姿勢が重要になってくるだろう。

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    声なき声こそ真の叫び、新型コロナ禍にあえぐ歓楽街の窮状ルポ

    清義明(フリーライター) 夜の街が静まり返っている。 新型コロナウイルス感染症による死者が日本で確認された先月から、すでに夜の街での客数の減少は始まっていたのだが、先週末から各地の繁華街では本格的に人の流れが止まった。東京都をはじめとする首都圏に外出自粛の呼びかけが本格的に始まったからだ。そのため深夜ともなれば、週末にもかかわらず繁華街はゴーストタウンと見間違えるくらい、人が少なくなった。 横浜市中区にある福富町の歓楽街は、スナックやクラブなどの風俗営業が密集するエリアだ。そこでアンダーグラウンドの金融業に関わるA氏はこう教えてくれた。 「街金は大忙しだよ。闇金も走っている」 ただでさえ資金繰りに頭を悩ます、期末の3月31日の週にこれである。期待していた最終の週末に売り上げがあがらないのだから、それを当て込んでいたほうは困る。そこで中小のいわゆるサラ金の出番である。 そして夜の街の遊び人で、そのシンボルの一人ともいえるタレントの志村けんが、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。これを受けてのことではないだろうが、厚生労働省対策推進本部は、もってまわった言い方ながら、夜の接客業について注意を促した。 現在の日本の新型コロナウイルス感染拡大防止は、「クラスター(集団感染)対策」によって成り立っている。東北大大学院教授の押谷仁氏 これは感染者の全員が二次感染を起こしているのではなく、特定の感染者が感染連鎖を広げているという事実から考えられた日本独自の対策で、これが成功して感染者と死者数を抑えているとも言われている。 欧米の報道では、日本はなぜこんなに感染者と死亡者が少ないのだという疑問を、困惑交じりに伝えるものがあったが、どれもこのクラスター対策について触れているものはない。これが功を奏しているというのが、やはり今のところ一番正解に近いといえるのではないか。 しかし、厚労省対策推進本部のクラスター対策班である東北大大学院教授、押谷仁氏が作成した「COVID-19への対策の概念」という資料によると、現在のクラスター対策で追えない感染者が増えているとのことだ。 まずは症状が軽く、罹患(りかん)の自覚がない若年者による見えない感染クラスター、そしてもう一つは、夜の街がクラスターになっていることが挙げられている。・若年層クラスターは生物学的理由により見えにくかったが、密接な接触を伴う飲食店に関連するクラスターは社会的理由により見えにくい。・その結果、クラスター連鎖を見つけることができず、病院や高齢者施設の流行につながっている可能性がある。「COVID-19への対策の概念」日本公衆衛生学会 2020.03.30暫定版 「社会的理由」と、もってまわった言い方をしているが、これは要するに夜の街のクラブやキャバクラなどの「密接な接触を伴う飲食店」では、人と人のつながりを追うのが難しいということだ。クラスター対策の弱点 それはそうだろう。夜の街には、その街なりのルールやマナーがある。「誰々が客で来た」などとは、客の同意がなければ決して明かさないだろうし、客の側もそれを大っぴらには言いにくいし、正直に名乗り出ることも少ないだろう。これがために、感染者の流れを追うクラスター対策ができず、そこからできたクラスターが連鎖し、さらに病院や高齢者施設に感染を広げているのではないか、ということだ。 これは日本が誇るクラスター対策の弱点だろう。韓国では感染者の行動をすべて一般に公開しているらしい。そのために感染者はさまざまな揶揄(やゆ)や中傷、非難などを受けていることもあるらしい。しかし、法律ではこれを包み隠さず公開しなければならない。プライバシーに関わる問題で慎重になる必要はあるが、今後の日本の法的な検討事項だろう。 福富町のクラブのママにも話を聞いてみた。名前を明かさないという条件で「正直どうしていいか分からない」と言葉少なに語ってくれた。「今月末はなんとか乗り切ったけど、もう来月どうなるかは分からない。(志村)けんさんが亡くなったので、とどめだよね」 志村けんという、子供の頃から見てきた身近な芸能人が亡くなり、皆、初めて事の重大さに気づいたのだ。 一部週刊誌などの記事では、2月から客数が減ってきたクラブの女性やキャバクラ嬢などが、面倒見のよい志村けんに営業の電話をかけ、それを意気に感じた志村は、なじみの店をまわっていたという。 これが本当かどうかは分からないが、それが夜の街の客にとって、自分たちの姿に容易に重ね合わせられる。昭和の何回かのパンデミック(世界的大流行)を、さしたる危機感もないまま生き延びてきた世代も、これで外出を控えるようになった。 横浜の他の街はどうだろう。最近ではテレビなどで下町風情と老舗の名物飲食店などが取り上げられて、ちょっとしたブームになっている野毛エリアでも話を聞いた。店の店主も個性的な人が多いこの野毛地区だが、やはりコロナ禍による打撃は大きい。午後7時ごろの野毛小路。普段は人でごったがえす時間なのだが(筆者提供) 野毛飲食業協同組合の田井昌伸理事長は言う。「常連さんが支えているような小さな店も売り上げは下がっているけれど、宴会や団体客がメインの店はさらに厳しいと聞いてるね」 では、その常連さんが支えているような店はどうだろう。「ジャズと演歌の店」が看板に掲げられた老舗バーでは「常連さんは減ってはいるけど来てはくれている。でも、一見さんはいなくなっていますよ。それだけ売り上げに影響がきてますね」 そのバーに酒を卸す酒屋はどうだろう。聞くところによると、野毛全体で3割減ぐらいだろうと言う。しかし、これは3月の話だ。現在はもっと客数は減っている4月の今では、さらに売り上げは下がっているだろう。前年比5割減という話も店によっては聞くことができた。中華街の苦難 昭和24年から野毛に根を下ろし、そのレトロな店構えでちょっとした有名なバー「旧バラ荘」は、週末にはライブも行う。しかしオーナーの相馬創さんは言う。「ライブをやると言うと、まるで人殺しでもするかのように悪く言われる。ウチのアーティストの人たちが嘆いている」 野毛の街はほとんど自営業者ばかりで、いわゆるチェーン店の居酒屋はほとんどない。昨今の野毛ブームで、中小企業の地元を中心に、複数の店舗をもった会社が進出してくることも増えたが、それでもやはりこの街の魅力をつくっているのは、特色ある個人営業主の小さな店々である。 自身も飲食店を営む田井理事長は「俺たちには補償はないからね」と言う。「店の営業はそれぞれ自由だ。組合として、やめろとは言えない」 同じことを言っていたのは、福富町や野毛のようなところよりも、もっと早くから新型コロナウイルスの影響を真正面から受けていた、横浜中華街の発展会協同組合広報担当、石河陽一郎さんだ。 「中華街としては営業するか否かはそれぞれの店の判断に任せるしかない」と石河さんは言う。そして、どの店も経営は厳しいとも教えてくれた。実際、中華街の人出は通常時の1~2割という。 石河さんによれば、中華街は今年の1月から3段階でコロナ禍の波がやってきたという。最初が武漢で新型コロナウイルスがアウトブレイクしたとき。2回目が横浜に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の騒動があったとき、そして最後が、ここ最近の東京都内や神奈川での自粛要請が出たときとのこと。 「この横浜中華街で働いているのは、何世代も日本にいる華人と、新華僑の人たちです。元からいる人たちはもちろん、新華僑の人たちも武漢でああなってから中国に帰ってないわけで、新型コロナウイルスのおかげで中華街の人が減ったときは残念な思いでした」 武漢でウイルスが広がったのは、春節という中国の旧正月の帰省ラッシュが原因だと言われている。その春節は、中華街で一年の中の最大の繁忙期である。そのため「この時期はむしろ中華街の人たちは、日本に居ざるを得なかった」と石河さんは言う。 なお、中華街は中国人観光客が一番少ない日本の有名観光地でもある。それはそうだ。わざわざ日本にまで来て、中華料理は食べたくないだろう。さらに欧米などの観光客も少ない。世界中にチャイナタウンはあるが、それらはどちらかというと休日に家族やカップルで行くような場所ではないのが普通で、このように観光地化しているのは日本だけなのだ。要するに普通の都心の街などよりも、海外からの旅行客などによる感染のリスクは逆に少ないのだ。普段なら観光客でいっぱいの横浜媽祖廟が誰も人がいない(筆者提供) 今、中華街の大通りから裏路地に至るまで、いつもなら観光客でごった返している中華街の休日は本当に人がいなかった。甘栗売りや食べ放題の店は、たいていは新華僑がつくった店だが、そんな店ばかりが開いていて、老舗は閉めているところが多い。 やっとすれ違うのは若いカップルや学生とおぼしき、若者のグループばかりだ。中華街の目印のスポットとなっている、ローズホテル横浜前のバス停から出ている羽田空港行きのシャトルバスは、一人も乗客がいないまま出発していった。風前の灯火の街 いつもなら女子でにぎわい、とても私のようなおじさんが行くところではない甘味の店にも入ってみた。カラフルな台湾甘味を誰もいない店内で注文する。タロイモのスイーツは、なるほど若い女子が並んで賞味するのも分かる。店内のお母さんにも話を聞いてみた。 「こんなに人がいないのは、台湾から日本に来て50年で初めてね。困ったよ」 店には台湾が世界保健機関(WHO)に加盟できるよう呼びかけたポスターが貼ってある。おいしいと伝えると「そうかそうか。ちまきもあるけどどうか」と持ち帰りの食材を勧めてくる。 それで思いついた。そうか、こういう店は確かにウーバーイーツのような出前はできるだろうな、と。しかし、そうもいかないのだろう。中華街のクレジットカードやその他のキャッシュレス決済の普及率は非常に低い。 中国本土は言うまでもなく、台湾や香港でもあれだけキャッシュレス社会なのに、この街はやはりそれらとは異なる独自な進化をしていて、この街だけのやり方やルールがある。そこにウーバーイーツと言っても難しいのかもしれない。実際、中華街で出前をやってくれるところはほとんどない。 政府はこうした不要不急の店に自粛を訴える。しかし、多くのものたちにとって「俺たちに補償はない」ということになる。生き延びるためには営業するしかないのだ。 例えば中華街のように、横浜中華街発展会共同組合が店への融資などで銀行と交渉を進めているところもある。しかし、それはあくまでも借金である。それは、いつか経営の足を引っ張ることは覚悟しなければならない。 夜の街はもっと厳しい。金融機関は、よほどの信用がないかぎり風俗営業に融資はしてくれない。街中の小さなクラブやキャバクラなどもってのほかだ。それらは明日の支払いのために街金に駆け込む。それも、いつまで売り上げで返済を回せるのか。 本当に苦しいところは、いくら売り上げが下がったとか苦しいとかそういう話はしない。足元を見られてしまうからだ。そこが経営が厳しいとなれば、手のひらを返して人は離れていく。黙っているところが一番苦しい。 都内で小さなバーを営む知人は正直なところを教えてくれた。 「3月は売り上げが半減です。土日は人が少ないのが分かったので閉めて、今日は平日なのにゼロ。おかげで小池百合子(東京都知事)の記者会見を全部通しで見ることができましたよ。先月は店をオープンしてから15年間で一番悪い売り上げです。4月はもっと悪いでしょう。もしこのままだったら、仕方ないんで日雇い労働者でもやりますよ」中華街の裏通りはゴーストタウンだ(筆者提供) 小池百合子の記者会見では「夜の飲食店」とか「バー」などという言葉が連呼されていた。こういった場所には行かないように、と。なすすべもなく、バーや飲食店の関係者は、ただこれを聞いているしかなかった。 「でも店は何としても守るつもりです」 経済産業省の調査(2014年)によると、全国の飲食サービス業は約67万カ所あり、そこに従事する人たちは約480万人にのぼる。いつまで続くか、まったく分からないこの状況に、耐えられるのはそのうちどれくらいなのだろう。(文中一部敬称略)

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    正念場の新型コロナ禍、身をもって演じた志村けん「最期の芸」

    ) それは昭和の光と、令和の闇が交差した瞬間でした。笑いの神様のような志村けんさんが、よりにもよって新型コロナウイルスで亡くなるなんて、ふざけた作り話ではないか、というのが訃報を知らされたときの私の第一印象でした。 それが信頼できるソースを元にしたニュースであることを確認すると、私は新型コロナウイルスが、急に身近なものとしてヒタヒタと忍び寄るのを感じました。名も知らぬ誰かがコロナで亡くなっても、そのニュースは客観的に捉えられますが、自分の家族や友人に犠牲者が出ると、もはや傍観者ではいられません。 志村さんの訃報を聞いて、身内のことのように感じたのは私だけでしょうか。還暦を迎えた私たちの世代にとって、志村さんはコメディアンというよりも、ブラウン管の中の愉快な友達でした。小学生のとき、お茶の間で志村さんの出演するテレビを見て、ゲラゲラと腹を抱えて笑った記憶は、大人になった今も強烈な原体験として残っています。 仕事でバラエティー番組を担当するようになって、さまざまなお笑い芸人さんとご一緒させていただきましたが、私は志村さんに出演交渉するなどというアイデアは一度たりとも思いつきませんでした。 私なんぞが近づいてはいけない別世界にいると感じていたからです。私にとって志村さんは遠くから憧れて眺める対象であり、自分が小学生時代に戻ってバカ笑いできる数少ない存在だったのです。 小学生の頃の私は、無邪気に『8時だヨ!全員集合』を見て、ドリフターズというのはなんて面白いのだろうと深くのめり込んでいました。大人がバカバカしいことをやっている。それがコントという芸であるとも知らず、本当に面白いお兄ちゃんがいるものだと、信じ切っていました。当時の小学生にとって、志村さんが面白いのは、仮面ライダーが強いのと同じく、当たり前のことでした。 成長して自分がテレビ番組を作る裏方となり、志村さんの生み出す笑いが、コメディアンというプロフェッショナルの、努力と類い稀(まれ)なる才能の産物だと知ったとき、私は畏敬の念を禁じ得ませんでした。そのときすでに志村さんは私の手の届かない高みにいて、相変わらず子供たちを笑わせ、若者から高齢者まで日本中に愛されていました。 私が最近になって最も驚いたことは、ドリフターズの番組を見たことがあるはずのない今の世代の子供たちも、「バカ殿」や「アイーン」といった志村さんのギャグを知っていたことです。令和の小中学生を相手に、私が「バカ殿」を人形劇でやらないか、と提案したところ、「やろうやろう、それ知ってます!」という返事だったのです。「アイーン」のポーズでおどける志村けんさん=2014年12月(矢島康弘撮影) 「君たちドリフのコント見たことあるの?」と聞いたら、「バカ殿は知ってます。アイーンの人だよね」とひじを曲げて首に手をやりました。まぎれもなく「アイーン」のポーズでした。「ひげダンスの人だよね」と言う子供もいました。志村さんのギャグは、志村さんの手を離れてそれぞれ一人歩きし、世代を超えて愛される存在になっていたのです。強烈なインパクト そんな志村さんがNHKの朝の連続テレビ小説『エール』に俳優として、作曲家である山田耕筰の役で出演すると知り、楽しみに放送開始日の朝を待っていました。そんな朝に飛び込んできたニュースが、前夜に志村さんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなっていたというものでした。 東京都は毎日のように速報で、新型コロナウイルスの新たな感染者と犠牲者を発表していますが、男性か女性か、年齢、職業といった情報に限って個人情報を出しています。ただ、発表された犠牲者の中に、職業欄が空欄の人が2人いました。その2人のうちの1人が志村さんだったのです。 死亡者は男性で70歳、職業はタレント、と公表すればマスコミが黙っているわけがありません。それを避けるための、東京都職員の苦肉の策だったのでしょう。 しかし、このショッキングなニュースは日本列島を駆け巡りました。続けて劇作家であり人気タレントでもある宮藤官九郎さんが、新型コロナウイルスに感染していることも発表され、国民の間に衝撃が走りました。 明日はわが身、という実感を持って、私たち一般人が新型コロナウイルスに真剣に向かうきっかけを与えてくれたのは、皮肉なことに彼ら有名人の感染でした。コロナの犠牲者が有名人か一般人かは、命の重さとしては、全く差はありません。しかし、私たちはテレビなどで見知った人気者に、友達のような親しみを覚える傾向にあります。 その意味で志村さんの死は無駄ではありません。まるで家族や友達が新型コロナウイルスにやられたような、強烈なインパクトを多くの日本人に与えました。志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため死去したことを伝える大型モニター=2020年3月30日、東京・秋葉原 学校が休校になって暇をもて余し、原宿あたりで遊んでいた子供たちも、志村さんの死をきっかけに我に返って行動を慎むようになりました。それまで男女別と年齢、地域で表現されていた統計的な数値でしかなかった新型コロナウイルス感染を、リアルな個人名として見せつけてくれたのです。 志村さんは新型コロナウイルスを相手に、「だいじょうぶだぁ〜」とおどけて見せて、「アイーン」と首に手をやり、大げさにズッコケてくれたようなものです。私たち日本国民がズッコケないように、志村さんは自らの命と引き換えに、大切なことを教えてくれたように思います。「今は前を向きたい」 昨日、今日のニュースによる新型コロナウイルス感染者数を見ると、日本も今まさに感染爆発に突入したと言うべきです。私自身もいつ感染してもおかしくない環境で仕事をしています。コロナから逃げられる人は今すぐ自宅内に逃げてください。人混みを避けましょう。医療関係者など逃げられない人は、力を合わせて一緒にコロナと闘いましょう。 志村さん最期の捨て身の「芸」ともいえる「新型コロナウイルス死」を無駄にしないためにも、私たち一人ひとりができることを、今一度よく考え徹底しようではありませんか。21世紀の世界は、今世紀最大のピンチを迎えていますが、志村さんの死が日本人の意識を変えてくれた効果は大きいです。 日本人は元々潔癖症と非難されるくらい衛生観念が発達しています。イタリア人などラテン系の方々は男女を問わずすぐにハグをする習慣がありますが、日本人はハグどころか握手もしません。離れてお辞儀をするのが日本流です。 こういったことが感染拡大を抑えるのに役立ち、世界の中で最も早く新型コロナウイルスを押さえ込むことができたとしたら、日本人はまだまだ捨てたものじゃないと胸を張れます。 半年後になるか1年後になるか見当もつきませんが、人類はやがてこの災厄との闘いに勝つでしょう。ポスト・パンデミックの世界情勢は、それぞれの国がどのように新型コロナウイルスに対応してきたかを、検証することから始まるとも言えます。そのときに日本が名誉ある地位を得ることができるのか、国民の意識の持ちようが問われます。 志村さんの死は個人的に強烈なショックでしたが、今は前を向きたいと思います。志村さんが死をもって私たちに教えてくれたのは、誰でも新型コロナウイルスの犠牲者になり得るということです。そして志村さんのように財力もあり存分に医療を受けられる人でも、コロナの脅威には無力だったということです。インタビューに答える志村けんさん=2014年12月、東京都新宿区(矢島康弘撮影) このことで私たちの意識と行動が変わり、今までより真摯に新型コロナウイルスに対処するようになったとしたら、それは有意義なことです。 志村さんのご冥福をお祈りするとともに、これが大きな啓蒙効果となってコロナ対策が国民の間に浸透し、一日も早い感染の終息につながるよう心から期待しています。

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    東京五輪「1年延期」に安堵するなかれ

    新型コロナウイルスの感染拡大で、東京五輪・パラリンピックが「1年延期」となった。ただ、安堵感が広がる一方で、懐疑的な声も少なくない。「中止よりマシ」なのだろうが、種目によっては選手に多大な負担増を強いかねず、経済的側面もやり方を誤れば大損失を招くだけだ。「1年延期」にどう対峙すべきなのか。

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    ボクシング元世界王者が危惧、階級制種目「五輪1年延期」の重み

    0年7月24日に開会式を迎える予定だった東京五輪・パラリンピック。国際オリンピック委員会(IOC)は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、延期を発表した。それに伴い、大会組織委員会、東京都、政府、IOCで協議し、来年7月23日開幕で合意した。 過去、五輪が中止となった例はあるが、それらは戦争が理由によるものだ。五輪の延期はこれまでになく、極めて異例の事態である。延期の影響でさまざまな問題が挙がっている中、選手たちにとって最大の不安は「代表選手選考」だろう。 当初の開催予定まで4カ月を切った段階で、全競技の6割の選手が代表に内定していたが、その他の選手の選考大会については中止または延期となっていた。IOCの発表によると、2020年東京五輪の代表に決定している選手に関しては自動的に2021年大会の出場資格を得られるようだ。 こうした中、ボクシングに関しては、IOCの発表より前に日本ボクシング連盟が、いち早く選手選考について発表していた。日本ボクシング連盟の内田貞信会長は「ボクシング競技はアジア・オセアニア予選が終了しているので、この結果(代表選手決定)については不動だと信じている。したがって、国内枠の選手も内定している通りで進めたい」と語った。 日本は、男子4人、女子2人の開催国枠があり、代表選手は以下の選手が内定している。【男子】 田中亮明(フライ級/52キロ) 成松大介(ライト級/63キロ) 岡澤セオン(ウェルター級/69キロ) 森脇唯人(ミドル級/75キロ) 【女子】 並木月海(フライ級/51キロ) 入江聖奈(フェザー級/57キロ)  この他に下記の選手が国内の代表となり世界最終予選での五輪出場を目指す。【男子】 堤駿斗(フェザー級/57キロ) 梅村錬(ライトヘビー級/81キロ)【女子】 濱本紗也(ライト級/60キロ) 鬼頭茉衣(ウェルター級/69キロ) 津端ありさ(ミドル級/75キロ)  世界最終予選がどのような方法で、いつ開催されるのかは未定だ。さまざまな課題が残されているが、日本での記念すべき五輪開催だけに、私としては1人でも多くの選手に出場してほしいという思いがある。ボクシング五輪予選の男子フライ級1回戦で、キルギス選手(右)を攻める田中亮明=2020年3月、アンマン(共同) では、五輪を目指す選手にとって、この1年の延期がどのような影響を与えるだろうか。私自身、ボクサーとしてアマチュアで7年、プロとして10年ほどリングで戦っていたので、その経験などから、考察してみたい。 そもそも、アスリートの寿命は恐ろしく短い。私も心身ともに充実してピークの状態で戦えていたのは、5年くらいだった。加えて、ボクシングのような階級制スポーツは減量があるため、他のスポーツに比べ「年齢による影響」は大きい。しかも、これは若い選手ほど顕著にあらわれる。選手の経済的救済も必要 そして、日本のボクシング代表選手のほとんどが20代前半だ。彼らの体はまだ成長している段階のため、厳しい減量が求められている。たった1年ではあるが、今年と来年の開催では、選手のパフォーマンスも大きく変わってくるだろう。  また、「身体的な影響」に伴い「精神的な影響」への懸念もある。日々の節制や、体重コントロール、毎日のハードな練習など、ボクシングに限らず、アスリートには多くのプレッシャーがかかる。 そこから早く解放されたいという思いもあるだろう。また、新型コロナウイルスがどこまで長引くか先行きが見えない不安もある。彼らの不安を解消するためにも、一刻も早い今後のスケジュールの決定が求められる。 延期が決まったことで、選手活動を続ける上での「経済的な影響」も出てくるだろう。五輪延期に限らず、経済的な不安を抱える選手は多い。特にマイナースポーツなどではスポンサーもつきにくく、仕事をしながら競技を続けている選手も少なくない。 アルバイトを続けながら練習に励み、休みの日には、自らスポンサー営業を行うという選手もいた。そのため五輪が1年先延ばしにされたことで、競技を続けるための資金集めに苦労する選手も増えるだろう。 新型コロナウイルスの影響で企業への救済措置は多いが、選手のための措置はあまり聞かない。今回の影響で五輪への夢が閉ざされ、引退する選手が出てもおかしくない。選手への救済措置も検討すべきだろう。 近年はビジネスが先行した「商業五輪」と呼ばれている。五輪開催は大きな経済効果をもたらすため、スポンサーや放映権など、「カネ」を生み出す企業の意向が重視される傾向にある。 だが、五輪で主役となるのは企業でもスポンサーでもない、選手たちだ。選手ファーストを掲げるのであれば、選手たちの意見にもっと耳を傾けてほしい。  今回の一連の騒動が始まった当初、選手たちは困惑を隠せなかったようで、「ベストな状況でできるなら延期した方がいい」との声も聞かれた。日程が決まらなければ、それに向けての準備や調整などの計画も立てられないからだ。東京五輪延期を受けて発足した「大会実施本部」の第1回会合に参加する室伏広治スポーツディレクター(中央)ら=2020年3月、東京都中央区(矢島康弘撮影)  冒頭でも指摘したが、特にボクシングのような階級制で減量が不可欠な種目の選手は、調整が非常に難しくなる。 五輪は世界最高峰の選手たちが集まり、最高のパフォーマンスを見せてくれるからこそ価値がある。主役である選手のことを第一に考え、安心して競技に専念できる環境を整えてほしい。2021年の東京五輪が、選手ファーストで開催されることを切に願う。

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    ウイルス戦争に終わりなし!五輪延期で「稼ぐ」逆転シナリオ

    (経済評論家) 東京五輪・パラリンピックがおよそ1年延期されることが決まった。ただ、安倍晋三首相が、新型コロナウイルス禍をめぐり「長期戦」を強調した中で、この「1年延期」について懐疑的な人も多い。経済的な打撃が避けられないとはいえ、なんとか中止を免れた東京五輪だが、この未曽有の危機に日本はどう対峙すべきなのか考えたい。 関西大名誉教授の宮本勝浩氏といえば、スポーツ経済効果測定に定評がある。彼が、東京五輪中止の経済損失は4・5兆円、延期でも6400億円の経済損失が発生すると分析し、先日報じられたが、これには、当初の予定通りの「強引開催」の損失提示がなくイマイチしっくりこない。 本来は「中止」「延期」「強引開催」という三つの比較があってしかるべきであり、まず、これら3パターンで比較検証してみよう。 東京都が誘致段階で出した試算は、「コンパクト五輪」で事業予算3千億円、経済効果は10年で3兆円だった。ところが、事業予算が膨れ上がり、10倍に膨れ上がった。 たしかに、事業予算が3兆円なら3兆円以上の経済効果は見込めるが、3兆円を使って、経済効果が3兆円では意味がない。回収できない予算は、会社でいえば、工場を一つ1千億円で建てて、売上が1千億円で、結局利益ゼロみたいな話だ。 1千億円を回収しようとすれば、5年なら200億円、10年なら100億円といったリターンを生み出さなければ投資対効果は生まれないし、やる意味がない。 行政支出は単純に利益で回収する話ではないので、同じ土俵では語れないが、少なくとも事業予算があれば、経済効果は10倍程度必要というのが意思決定のコンセンサスである。 そして、東京五輪の経済効果を算定し直してみれば32兆円という見方もある。これはどれだけサバ読んでいるのかという額だが、効果の中身は、これらの行政財産が将来生み出すレガシー効果を加味したようだ。とはいえ、本来公共資産はレガシーコスト(負の遺産)を算出するのが基本である。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) 現実は維持費もかかる。新規の公共投資が、高齢化社会や人口減少社会でどのように推移するだろうか。そもそも行政には減価償却という概念も、将来の維持更新計画という概念もない。つまり、経済効果というもの自体、さじ加減でいくらでも増えるし、減るものでもあり、あてにならない。 こうした中で、五輪の経済効果は数兆円程度と試算した民間シンクタンクは多かった。損失は100兆円? 一般的に目に見える直接的な効果は、外国人客と日本人客の宿泊、交通費、グッズの売上などだ。五輪を見に行けない人は、大画面テレビを買い、スポーツバーに行くなど、である。見えない間接効果も多分にある。 例えば、派遣人材の需要が生まれたり、これらに従事する仕事が生まれたりする。さらに、グッズなら、原材料メーカーなどまでその効果の恩恵を受ける。 これらにメインスポンサーになる会社は、そのブランド力強化の効果が生まれ、スポーツ選手は、五輪が「展示場」となり、試合後にプロスカウトからのオファーが相次ぐなど報酬面なども増えるといった効果もある。 どこまで使うかはともかく、人それぞれである。広い意味でいえば、すでに五輪誘致が決まってから、ホテルの建設ラッシュや施設整備費では、建設業界は活況を呈していた。  今回の新型コロナウイルスの拡大が本格化した1月中旬の段階で、私は、五輪開催は現実的に見て厳しいとの考えを示していた。それは、1月17日に今年の「春節」(同月24~30日)に伴う外国人観光客の受け入れを決めた時点である。 五輪を成功させるためには、中国の習近平国家主席を国賓として招き、いまや外国人観光客の3割、今年は2兆円程度の効果を出してくれる予定だっただけに、受け入れ拒否はできなかったのだろう。それだけ、アベノミクスが失敗だということが証明されつつあった中では、なおさらである。参院決算委員会でマスクを付ける安倍晋三首相=2020年4月1日、国会・参院第1委員会室(春名中撮影) では、そもそも「コロナショック」の経済損失はどの程度になると考えればよいだろうか。私がこれまでにメディアで語ってきたのは、1月時点で50~60兆円だが、今、まさに、こうした次元になりつつある。今や、100兆円以上も視野に、想定する必要性がある。 予定通り、東京五輪を開催すれば、まず選手の強化ができないことに加え、外国人観光客が来ない。すべて「ゼロ」になる。宮本氏による中止の損失予測は4・5兆円だが、無理に開催した場合の損失は、4・5兆円では終わらなかっただろう。 なぜなら、効果は本当にゼロになるだけではなく、「コロナ放置国家日本」「隠ぺい国家日本」との批判が免れない。福島第1原発事故をめぐる放射能問題しかり、「原発はアンダーコントロール」も含めて信用度はさらに下がることになり、その損失は莫大になる。 ただ、中止の損失4・5兆円、延期で6400億円なら、延期開催の経済効果が、仮に当初の試算で5~8兆円とすれば、4~7兆円程度はあることになる。これはあくまでも開催年の効果であって、実際には、副次的な効果が加味されていない。「ショック」ではなく「心停止」 いまや世界的なパンデミック(広範囲に及ぶ流行病)、先進国はヘリコプターマネー(中央銀行が市中に貨幣を大量投入する)でアメリカが220兆円、日本も56兆円、世界中で1千兆円の財政出動でこれを食い止めようとしている。 今回のコロナ禍による経済は「ショック」ではなく、「心停止」であり、酸素を送るしかないのは一目瞭然だけに、妥当ではある。 新型コロナウイルス感染拡大のピークは4~5月、もしかしたら1年続くなどもありえるが、1年後に東京五輪を開催するなら、世界中は不況のどん底でも日本はヘリコプターマネーの五輪効果を来年享受できることになる。 とはいえ、本当は来年より2年後の方が危険度は低いと思うが、中国発のウイルス禍は今回の新型コロナウイルスに限らず、ネズミが媒介する病原体「ハンタウイルス」などもあり、いたるところに脅威が存在する。 これらのショックを踏まえれば、中国も「全治1年」とはいかないので、五輪開催は2年後としたいところだろう。延期した分、東京での「コンパクト五輪」から一転、「分散化五輪」にやり直すことも可能だ。 政治的思惑も見え隠れするが、東京のブランドを落とさずにむしろ再起をかける「ブランド・エクイティ」、グローバル都市間競争力を高める効果は、延期した場合の6400億円の損失を、他の国と都市が苦しんでいる分、吹き飛ばせるだろう。 そもそも論だが、経済効果を的確に算出するなど不可能なので、総じてどんぶり勘定で大体のイメージを描くしかないのだ。 今回の新型コロナウイルス禍を踏まえれば、次の五輪は、世界がウイルスと永遠に向き合う社会で行うこととなる。そうなれば、大規模な換気システムが必要になる。もし、カネがなければ扇風機を改良した換気システムを配置するしかない。マスク姿が目立つ通勤者=2020年3月、大阪市北区(安元雄太撮影) 噴霧式の加湿器に消毒剤となる次亜塩素酸を注入したものを街中に配置し、アルコール除菌だけでなく、飛沫感染防止のガラスを装備するなどしたオフィスに必要になる関連家具のほか、テレワーク、在宅医療、在宅教育などによる遠隔公共サービスといった次世代型装備の開発が求められる。こうした需要を踏まえ、企業が事業転換を図れば、当初予測していた経済効果をはるかに凌駕できるだろう。  要するに、日本は将来、「何で飯を食っていくか」という視点の転換が必要だ。当然、自動車産業だけでは飯は食えず、サービス、観光産業もウイルスにはお手上げである。ただ、よく言われるのは「ピンチはチャンス」だ。 本来は政治主導で食品衛生法などを改正し、新型コロナに関する「対策マニュアル」を法制化するなどすべきである。日本は、国民性と文化性、衛生感覚を活かせば、対「ウイルス禍」に役立つシステムなどをサービス化して海外に売るという一つの成長産業の起点にできる。 政策の本質を今回のコロナショックをきっかけに転換し、今年の財政出動は、環境公共投資を主としたグリーン・ニューディールならぬ、衛生公共投資の「クリーン・ニューディール」にフォーカスしてほしいものである。

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    新型コロナ「パニック」の日本に必要な議論はこれしかない

    上西小百合(前衆議院議員) いまや新型コロナウイルスの影響は世界規模となった。当初中国の武漢にて新型コロナウイルスの一報が報じられたとき、ここまでの事態になることは想定していなかった。 一方で、私自身その一報を以下のようにも捉えていた。 「差し迫る春節期に、日本は中国からの観光客を入国制限しなければならなくなるだろうが、果たしてできるだろうか。中国人観光客が来ないとなると、日本の観光業界は大変な損失を被ることになり、反発も起こりうる。『英断』という言葉など、とっくの昔に消え去った政治環境で、そのプレッシャーに安倍総理は勝てないだろう」と。そして考えていたことが、まさにその通りになった。 春節になると多くの中国人観光客が日本国内にあふれ、結果的に日本国内でも新型コロナウイルスの感染拡大は現実のものとなった。そしてその影響はとどまるところを知らず、日本の観光業界は未だ冷え込みを続け、倒産する企業も出てきている。春節が日本経済にもたらす恩恵が多大なものであることは百も承知だが、そこは歯を食いしばって耐えなければならなかった。 加えて、国民の日常生活もパニック状態だ。ドラッグストアやコンビニエンスストアからマスクや消毒用アルコールはもちろんのこと、なぜかティッシュペーパー、トイレットペーパーやキッチンペーパーまでもが姿を消した。 私は幸いにも昨年末にストックを多めに購入していたということと「なんとかなる」というポジティブシンキングで、少量ではあるもののお困りの高齢者の方々にお分けするなどの余裕があった。それでも、そもそも紙類の生産は新型コロナウイルスとはほぼ無関係。それにもかかわらず、会員制交流サイト(SNS)上で無名の誰かが流したデマに右往左往する人々の多さに驚いた。 他にも納豆やもずくまでもが、免疫力が向上し新型コロナウイルス対策になるということで爆売れしたそうだ。ここまでくると、ばかばかしいコントのように感じてしまう。免疫力を上げたければ、平素から栄養バランスのよい食事を取る必要があって、ゲームじゃあるまいし栄養価の高い食物を摂取した瞬間にパワーアップするわけがない。花こう岩や玄武岩に関してはもはや言葉も出ない。しかし、その爆買いの渦中に巻き込まれている人々は至って真剣なのだから、よく言えば「人を疑わない」、悪く言えば「情報に対する民度が低い」という国民性が浮き彫りになった形だ。品薄を知らせる紙が張られたドラッグストアのトイレットペーパー売り場=3月4日、東京都内 情報過多社会の弊害とも言えるだろうが、まずは物事をうのみにするのではなく、自分で調べて考えるというステップが抜け落ちている人が多すぎる。SNSやワイドショーなどのやじ馬的な部分「だけ」から情報を取る習慣のある人は、冷静な判断を心掛けてほしい。 また、今回は新型ウイルスということで解明されていないことが多い。それにもかかわらず、テレビでは専門家でないコメンテーターの割合が平時と変わらなかったということが気がかりであった。視聴者は「どうすれば感染しないか?」と目を血眼にしてテレビにかじりついているので、専門家と専門家でないコメンテーターからのコメントを真に受けて、同列に受け取ってしまう。これが国民の過剰反応にもつながったのであろう。小さな政府、日本 このように国民生活がパニックを起こしている最中、日本維新の会の参院議員や大阪府選挙区支部長らが難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っている舩後靖彦参院議員に向けた言葉に驚いた。舩後議員がALSゆえ、新型コロナウイルスが命に関わる恐れがあるということで国会欠席を表明したことに対し、「歳費を返納せよ」と主張したのだ。 自身でも間違いだと思ったのか維新の議員はすぐに謝罪していたが、主張内容も発信時期も、とんちんかんである。普段は与党議員がスキャンダル後に雲隠れしても指摘すらせず、維新でさえも国会採決に参加していなかった(欠席)議員が複数いることをスルーしているのだから、この発言は全くと言っていいほど理に合わない。 こんなに説得力のない発言をする議員もまれだ。まずは自分たちの襟を正し、権力者を追及するのが筋ではないのか。私が初めて衆院選に立候補したとき、「維新は高齢者や障がい者という社会的弱者を切り捨てるから嫌い」と言われたことがある。維新には、実際にそういう考え方の議員が多いのかもしれない。困っている人のために働くのが政治家であるということを、改めて肝に銘じてほしいものだ。 さて、近年の日本は小さな政府であるが故に「災害時に役所はすぐに対応できるわけではない、自助が大切」という言葉が呪文のように唱えられており、私も、ある程度はその通りだと思う。しかし今回のコロナウイルスをきっかけに、共助を充実させる、つまり大きな政府に少し移行させた方がいいのではないだろうか、と改めて考えた。 今の政治の流行は、地方自治体の財政悪化を理由に公務員を削減することだ。市民が公務員削減を公約に掲げる政党を無条件で評価する傾向があるので致し方ないのだが、今やいわゆる「先進国」とされている国々の中でも、日本の一般政府雇用者比率はかなりの低水準だ。 私は議員時代から多くの公務員の皆さんと近しく接してきたが「公務員の給料は私たちが出しているんだぞ、税金泥棒め」などと、まったくいわれのない罵声を要求が通らなかった市民から理不尽に浴びせられるそうだ。それでいて、市民のために一生懸命に尽くされている方も多い。せめて公務員の数を国際的な平均水準にし、緊急時にも国民がある程度安心して生活を送れるように福祉を前進させるべきだ。 このような環境下ゆえに、新型コロナウイルス対策はすべてが後手後手の様相を呈しており、ついに政府は被害拡大による国民の不満をなだめるため「8330円支給! いや、一律2万円支給!」などとバラマキ作戦を提案し出した。もちろん、国民にとって給付金支給は単純にうれしいのだが、根本的な解決にはつながらない。それ以前に免疫力が低下する高齢者への対応を至急充実させるなど、行うべきことは山積みなのだ。外出自粛ムードの中、公園で散歩する高齢者ら=3月17日、大阪市東住吉区の長居公園(前川純一郎撮影) 北欧の福祉体制を目指す体力は今の日本には到底ないにしても、「大きな政府」と「小さな政府」のどの辺りを目指すのか議論しつつ、所得や資産が少ない人にもう少し寄り添う「大きな政府」を視野に入れてもいいのではないだろうか。私は、政治家が「予算が足りない!」と大騒ぎし安易に公務員を削減する前に、むしろ国会議員を半分にすべきだと思っている(半分くらいは特筆すべき働きが伝わってこないので)。 季節も徐々に春めいてきた。新型コロナウイルスの被害は永遠ではない。政治家も含めた国民が冷静な判断で行動し、一刻も早い終息を実現していきたいものだ。

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    新型コロナ、安倍総理はあえて「有事の無策」で臨むしかない

    とだ。 首相は、国民の信頼を完全に失っているようだ。その結果、安倍首相の存在自体が、肺炎を引き起こす新型コロナウイルスの感染拡大という未曽有の「有事」が起こっている今、日本が負う最大のリスクとなっているように思う。 安倍首相は、日本の憲政史上最長の政権を築いてきた。だが、その間に、首相の言葉を国民が信頼しなくなっていった。本稿では、その経緯を振り返りたい。 まず、森友学園が大阪府豊中市の国有地を評価額より大幅に安く取得した問題である。14億円相当の国有地が実質200万円で売却された不可解な経緯に、安倍首相と昭恵夫人の関与が疑われた。だが、首相は「私と家内、事務所も一切関わっていないと申し上げた。もし関わっていたら私は政治家として責任を取り、議員を辞職する」と明言した。 しかし、首相夫妻や政権幹部が同学園の寄付集めや小学校認可を後押ししているかのような印象を強める事実が、次々と出てきた。そして、財務省によって国有地売却に関する決裁文書が書き換えられたことが明らかになった。 契約当時の文書には、学園との取引について「特例的な内容」との表現があり、学園の要請への対応が時系列的に記述されていたが、国会に開示された文書では、それらが消えていた。財務省は国会で、森友学園との事前の価格交渉を否定し続けてきたが、それを根底から覆す内容であった。2020年3月18日に公表された赤木俊夫さんの手書きの遺書。「これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」などとつづられていた その後、近畿財務局で国有地売却の交渉・契約を担当した赤木さんが自殺し、遺書があったと報じられ、当時の財務省理財局長だった佐川国税庁長官が辞任する事態となった。 「最強の官庁」「最強のエリート集団」とされたはずの財務省が公文書改ざんという不正に手を染めてしまったのは、安倍首相の「関わっていたら政治家として責任を取る」という答弁と、決裁文書の内容を合わせざるを得なくなったからとみられている。言い換えれば、財務省は安倍首相から「責任」を押し付けられたのだ。官僚が疑惑隠しを率先? 次に、安倍首相の友人の加計孝太郎氏が理事長を務める、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設の認可をめぐる問題だ。加計学園が認可された経緯で、「首相の意向」などと記された文書が出回り、前川喜平前文科事務次官が「文科省で作成された文書に間違いない」と証言した。 また、獣医学部が設置される予定の愛媛県や今治市の職員、学園幹部と柳瀬唯夫首相補佐官(当時)が面会した際、柳瀬氏が「本件、首相案件」と述べたと県職員の備忘録に記されていた。 さらには、安倍首相が加計理事長と面談し、獣医学部新設の構想に「いいね」と述べたと記された県の文書が見つかった。愛媛県の中村時広知事は「県職員は柳瀬氏と名刺交換した」として職員が受け取った名刺を公開し、「文書は会議に出席した県職員が報告のために作成したものだ」と説明した。 一方、安倍首相は、「県文書に記載された日の前後の時期も含めて、加計理事長とは会っていない」と疑惑を完全否定した。柳瀬氏も県職員らに「記憶の限り、会っていない」とやや曖昧な表現で否定した。また、内閣府、厚生労働省、文科省は、愛媛県職員らが首相官邸を訪問した際のやり取りを記した文書は省内に存在しないと発表した。 だが、柳瀬氏は後に、「加計学園の関係者と面談し、その際に愛媛県や今治市の職員がいたかもしれない」と発言を修正していった。また、愛媛県など面談した際の文書が農水省に残っていることが明らかになった。 結局、加計学園の認可を巡り、安倍首相が「特別な便宜」を図ったかどうかの疑惑は解明されないままに終わっている。しかし、首相の疑惑を隠すために、官僚が省庁を超えて口裏を合わせて否定しようとしているという印象を国民が持ってしまったのは間違いない。 そして、新型コロナウイルス問題が発生するまで、国会で厳しい追及を受けていた首相主催の「桜を見る会」に関する問題だ。吉田茂内閣のころから毎年開催されてきた「桜を見る会」だったが、安倍首相や自民党議員の地元支持者が多数招待され、規模が年々拡大してきたことが、「私物化」だと批判されている。 具体的には、安倍内閣になってから「政治家枠」の招待客の人数が、2005年度には2744人だったのが、2019年度は約3倍の8894人に増加した一方で、国際貢献や災害復旧などの功労者は406人から182人に激減していた。 そのうえ、反社会的勢力が来場していた可能性も指摘されている。2019年度の費用が予算の3倍にも膨らんでいたことも判明した。2019年11月、「桜を見る会」をめぐり、首相官邸前で抗議する人たち 特に問題視されているのが、安倍首相が都内ホテルに自身の後援会関係者850人を招いて「前夜祭」を行ったこと、そして「桜を見る会」当日に、貸し切りバス17台に分乗して会場に向かったことだ。 首相の後援会関係者は「前夜祭」の会費として5千円を払ったという。だが、ホテルのグレードや料理の質から、この金額では不可能なパーティーだと疑われている。もし、会費と実際にかかった費用の差額分、当日の貸し切りバスの費用などを税金か首相のポケットマネーで補塡(ほてん)していたら「公職選挙法違反」の可能性があると疑われている。 また、この問題でも行政文書・公文書の管理のずさんさが問題となっている。招待客の名簿のデータが、野党議員が国会で質問をすると通知した約1時間後にシュレッダーにかけられていた。しかし、政府の答弁は「名簿の破棄は、たまたまシュレッダーの予約が取れたのが、野党が国会に質問通告した1時間後だった」とか、中学生でもおかしいと分かるような珍答弁だった。意図的に文書を廃棄したことが、あまりにも見え見えであった。「責任」が軽すぎる そして、この問題を巡る安倍首相や閣僚、与党議員、その他関係者の答弁があまりにもいい加減、支離滅裂、むちゃくちゃであった。例えば、招待者名簿について「バックアップデータが残っている電子データは、政府の定義では『復元できない電子データ』」「バックアップデータは公文書ではない」「バックアップデータに文書が残っているのは想定外」と答弁している。  さらに、衆院予算委員会の質疑で、辻元清美議員に対する安倍首相の「ヤジ」問題が起こった。辻元氏が「タイは頭から腐る」と批判すると、首相が「意味のない質問だよ」と声を荒らげたため、野党が反発し、審議拒否していた。結局、首相は「不規則発言は厳に慎む」と謝罪に追い込まれた。 その他にも、第2次安倍政権では10人の閣僚が辞任している。そのたびに、首相は「任免責任は、この私にあります」と発言した。しかし、首相は「任免責任」と10回も発言したわけだが、責任を1回も取っていない。 それどころか、政権に従順とされる東京高検の黒川弘務検事長の定年延長を決めた。黒川氏を検事総長に据えるためだとされる。検察庁法22条は「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」と定めているが、安倍政権は国家公務員法の定年延長規定を拡大解釈して決めた。度重なるスキャンダルから、「首相自身」「お友達」「仲間」を守るためだとされる。 要するに、第2次安倍政権が長期化する中で、「安倍1強」という状況が出来上がるにつれて、首相が「お友達」に「特別な便宜」を図った「権力の私的乱用」が疑われる事案が次々と発生してきた。首相は、その役人に責任を押し付けた。役人は、首相のために虚偽答弁や公文書の改ざん、破棄を行ったのではないかと国民に思われてしまっている。 安倍首相は「責任」という言葉を多用してきた。だが、実際に「責任」を取ったことがない。だから、国民は首相の「責任」という言葉を信頼できない。 また、首相は感染の拡大防止に「あらゆる手段を尽くす」というが、そこから「国民を安心させ、国民を守る」という姿勢が感じられない。 どうせ「お友達」「仲間」のためだけに手段を尽くすのだろうと思われてしまっている。だから、国民は一丸となってこの「有事」を乗り切ろうという気持ちになれないのである。 さらに問題となるのは、安倍首相自身が国民に信頼されていないことを自覚していて、焦りが見られることだ。首相は2月27日に全国の小中高校などに3月2日からの全国一斉の臨時休校を要請した。 新型コロナウイルスの感染拡大に対する防止策であり、首相は「これから1~2週間が急速な拡大か終息かの瀬戸際」と訴えた。ところが、愛媛県の中村知事などから場当たり的で唐突な決定だと批判されると、「専門家の意見を伺ったものではない。私の責任において判断させていただいた」と説明した。新型コロナウイルスの感染拡大を巡る記者会見で、記者の質問に笑顔を見せる安倍首相=2020年3月14日、首相官邸 つまり、「全国一斉休校」という重大なことを、専門家の意見を聞かずに首相の独断で決めたということだ。そして、それは新型コロナウイルスへの政府の対応が支持されないことに焦り、なんとか打開しようとして行ったことだというのだ。 筆者は、全国一斉休校には一定の合理性があると考えている。「1~2週間が感染拡大か終息かの勝負どころ」であるならば、ここでイベントなどの自粛に加えて小中高などでの感染を抑え込めれば、感染規模は大幅に小さくなるからだ。しかし、合理的な決断であっても、それが焦りからなされたものであれば、最悪な決断だ。平時で開く「亡国への道」 しかも、全国一斉休校の決断に対しては、残念ながら首相の期待通りに支持は高まらず、むしろ国民の戸惑い、怒りが広がってしまった。安倍首相が焦ってさらなる決断をしようとしたら、危ないことになる。 例えば、政府の新型肺炎への対応で最も批判が多い、ウイルスを高精度で検出する「PCR検査」についてだ。この検査の実施件数が、2月27日現在で韓国が4万4157人に対して日本では1890件と、実に23分の1にすぎなかったことから、国内外から批判を受けている。そして、この検査を希望者全員が受けられるような体制を早急に確立すべきだという訴えが広がっている。 この国民の強い訴えに、安倍首相がトップダウンで応えてしまうと大変なことになる。現在の精度が低いPCR検査では、陰性と診断されたが実は陽性だったという「偽陰性」が数%くらい発生する。偽陰性と診断された人がお墨付きをもらったことで外出してウイルスをまき散らしてしまうリスクがある。 また、PCR検査を全面的に解禁すると、ウイルス感染の可能性がある人が病院に殺到する。高齢者や基礎疾患のある外来患者や入院している人や、医師や医療スタッフが感染する可能性がある。要するに、医療崩壊を起こすリスクは、あらゆる面で格段に高まってしまう。 実際、日本の約23倍のPCR検査を実施している韓国では、新型肺炎の感染者数が8900人を超え、死者も110人に達している。日本はクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗船者を除くと、国内発生は1089人、死者41人だ(いずれも3月21日現在)。韓国では、PCR検査を徹底的に実施したことが新型肺炎感染者を激増させる原因となってしまっていると考えられるのだ。 「ダイヤモンド・プリンセス」乗船者の感染拡大も、国内外から批判はされたが、一方で米国からは対応を感謝されている。要するに、厚労省などの官僚は、新型肺炎についてベストではないにせよ、ベターな対策を慎重に進めてきたといえる。 だが、3月13日に改正新型インフルエンザ等対策特別措置法が成立した。私権制限につながる緊急事態宣言を、安倍首相が行うことができるようになる。しかし、安倍首相が今までの対策をちゃぶ台返しして、独断で決めるということは、危険なことである。 全国一律休校の決断は、「結果オーライ」かもしれない。しかし、今後は、国民をパンデミック(世界的大流行)の危険に陥れる決断を、自分一人で決めてしまわないことを願いたい。 指導者は平和なときから謙虚に振る舞い、国民の信頼を積み上げておかなければならない。それは、「有事」の際にその「信頼」を消費して、国民には不満でも大事なことを決断しなければならないからだ。 一方、平和なときにいい気になって「傲慢(ごうまん)」に振る舞い、国民の信頼を失った指導者は「有事」に自らの信頼がないことに焦って、人気取りをやってしまう。それは間違いなく「亡国」への道である。新型コロナウイルスの感染拡大に備える改正特措法が可決、成立した参院本会議=2020年3月13日 安倍首相は、これまで国民の信頼を失う言動を繰り返した自らが、「有事」の際の「最大のリスク」であり、政府の「アキレス腱(けん)」となっていることを強く自覚することだ。決して焦らず、専門家の意見を聞き、慎重に行動することだ。 幸いなことに、日本政府の新型コロナウイルスへの対応は、それほど間違ったものではないように思える。今、安倍首相に求められるのは「何もせずに、現状を維持して危機が過ぎ去るのを待つ」という、最も難しい決断をすることではないだろうか。

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    コロナ不況でも消費増税? お粗末すぎる日銀の「族委員」

    一体改革」という名の消費増税路線を、積極的に推し進める内容だった。つまり、現在の日本の経済的困難を、新型コロナウイルス(COVID-19)とともに生み出した元凶の、消費増税を主張した人物である。 日銀の岩田規久男前副総裁の著書『日銀日記』(筑摩書房)にも明らかだが、インフレ目標達成を妨害した最大の要因は、2014年の消費税率の8%引き上げであった。日銀の金融政策の実行を妨害した、その主要因を唱えた人物が中村氏ということになる。2014年4月、奈良市内のスーパーで貼られた、8%の消費増税に伴い本体価格と税込価格の併記を知らせるポスター 本来であれば、日銀の政策目的と相反する人選になるはずだ。それでも「産業枠」で起用しようとするのだから、具体的な選抜方法が分かるわけもないが、推測するに財界からの要望であろう。財界と財務省が国民をないがしろ 日本の財界は、日本の顧客である国民をないがしろにしていることで有名である。おそらく、自分たちの社会的・経済的な地位に大きく依存してしまって、端的に言えば、国民の苦境にも想像力が一切欠けてしまっているのだろう。 要するに、彼らは国民によって、今の会社が回っていることを忘却している。そのため、現在の経済危機であっても、財界首脳部は消費減税をできるだけ避け、「赤字国債」の発行を控えて、緊縮政策を採ろうとしているのである。 この経済危機下での緊縮主義の表明は、国際的な経済政策の水準から見れば、もちろん異常なものだ。だが、財界と財務省という閉鎖された世界に住み、人々の生活に疎い人たちには異常ではなく、「正常」に思えるらしい。真に恐ろしいことであり、このままでは財界と財務省だけ栄えて、国民が滅びかねない。 今回の「中村人事案」は、そのような緊縮主義に対する貢献を考慮され、提示されたのかもしれない。いずれにせよ、過去の中村氏の消費増税を推し進めた発言は、現在の日本経済が置かれた危機的な状況にふさわしいものではない。ともかく、現在の日本経済には、消費減税をはじめとする、政府と日銀による積極的で反緊縮的な経済政策が望まれる。 世界経済、日本経済の状況は日に日に悪化している。いまだ推測の域を出ないが、悪化レベルはリーマン・ショック級か、それ以上の観測も提起されている。 私見では、日本だけでも最低12兆円規模の経済政策が必要だ。ただし、この数字はあくまで現状の認識であり、明日にでも大きく増額する可能性もある。それほど悪化の度合いとスピードについて、不確実性が大きいのだ。 場合によっては、20兆から30兆、それ以上の経済対策が求められるわけで、まさに「危機の時代」を迎えている。危機の時代には、ふさわしい人材が登用されるべきであって、危機をさらに悪化させ、国民の生命と生活をリスクにさらすような消費増税的緊縮主義の発想を抱く人材を日銀に送るべきではない。2014年10月、決算会見に出席する日立製作所の中村豊明副社長(当時)。2020年6月末に任期満了を迎える日銀審議委員の後任候補として国会に提示された だからこそ「中村人事案」は真っ先に否決される必要がある。同時に、今こそ意味の乏しい「産業枠」「銀行枠」「女性枠」という存在を政策委員会から放棄すべきではないだろうか。

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    結局カネの懸念だけ、東京五輪「中止か否か」議論の前にやるべきこと

    武田薫(スポーツライター) 7月24日開催予定の東京オリンピックは、新型コロナウイルスの感染拡大によって中止か否かの瀬戸際に立たされている。 残るは4カ月。森喜朗組織委員会会長をはじめ、橋本聖子五輪担当相、小池百合子東京都知事らは「開催以外の選択肢は考えていない」と強調するが、猛威を振るうウイルスの正体がつかめないのだから、「やる」という心意気だけを聞かされても始まらない。 ただ、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が「開催する」と言い続けることには、それなりの意味がある。 オリンピックは過去3度中止した。1926年のベルリン、40年の東京(代替地ヘルシンキも)、44年のロンドンはいずれも大戦によって中止に追い込まれたのだが、これらも大会回数に加えられている。オリンピック運動の本質が選手のパフォーマンスよりも、開催自体に存在意義を置いていることを示唆したものだ。 古代オリンピックがそうだったように、近代オリンピックも大会中は武器を置くという「平和的機関」としての絶対的意義。「今年は都合が悪いから来年に」という相対的な姿勢は、少なくともこれまではとってこなかった。延期という選択肢はなく、残された時間、IOCはギリギリまで開催に向け努力するだろう。 1908年にはローマ開催の予定が、ベスビオ火山の噴火で半年前にロンドンに移されている。ロンドンは近代スポーツの発祥地、まして2大会前に開催しているから、いつでも受け入れは可能だが、今回のウイルス禍は汎地球規模だから会場変更で片付かない。「やる、やらない」という仮定の話より、もっと論議することはあるように思う。 今回の東京オリンピックの最大の課題は、アマプロ問題と考えてきた。オリンピックは84年のロサンゼルス大会でオープン化に踏み切ってアマプロの垣根をとり払った。 ところが、アジア域でリーダー的存在のわが国では、伝統に脚を取られて改革が進まず、いまだにアマチュアリズムが4年に1度だけプロ集団を統括するような変則の形態が続いている。最近も曖昧なアマプロ関係を露呈した例があった。東京五輪に向け、聖火を採火する巫女姿の女性(右手前)=2020年3月、ギリシャ・オリンピアのヘラ神殿(代表撮影) 3月6、7日に兵庫県三木市でテニスの国別対抗戦デビス杯のプレーオフが行われ、日本はエクアドルに3連敗し、ファイナル出場権を失った。課題山積の「選考」 エースの錦織圭が故障明けで戦えないのは分かっていても、格下相手の鉄板試合とみられていたが、第2エースの西岡良仁が直前に渡米し、日本はいわば「飛車角」落ち。西岡の離脱は、新型コロナウイルスの急速な感染拡大によって次のツアーの主戦場である米国本土が封鎖される恐れがあったからだ。 しかし、事情はエクアドル代表も同じである。日本がリスク回避をし、相手はリスクを背負って乗り込んだ―その気持ちの差がはっきり出た。 デ杯を統括する日本テニス協会強化本部は「今年から個人戦を優先させる」(岩渕聡監督)方針に切り替えた。それでも、デ杯は日本のテニスの屋台骨であり続けただけに勝ちたかったが、ここにもう一つ、オリンピックという踏み絵があった。 テニスの場合、オリンピック出場には世界ランク60位内を確保しておく必要があり、西岡はその時点で48位。デ杯の日の丸を捨てて個人戦優先(ランキング)という背後では、オリンピックの日の丸が密着し「(西岡の離脱は)オリンピックのことも考えてくれてありがたかった」(土橋登志久強化本部長)という複雑な心境があった。 日本オリンピック委員会(JOC)から協会への助成金は代表成果に比例し、強化本部のスタッフのほとんどがJOC派遣コーチ、ツアー経験者はいない…。残れとも、行けとも、どちらとも言えない指揮系統。代表としても結果を出したい選手たちが、アマプロの垣根を挟んで、糸の切れた凧(たこ)のような状態になっている。 マラソンでも同じようなことが起きている。オリンピック代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)は話題を呼んだ新方式だったが、多くの問題も残した。マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)でスタートする(左列手前から)大迫傑、設楽悠太ら=2019年9月、東京・明治神宮外苑(代表撮影) 暑さの残る9月15日、本番とほぼ同じコースでの一発勝負はいいアイディアと思われたが、MGC予選が終わったところで腰を抜かした。世界陸連(WA)が出してきたオリンピック参加標準記録が、前回リオの2時間19分を大幅に縮めた2時間11分30秒(男子)だった。 MGCの予想記録は、暑さを勘案して2時間12分前後、〝一発選考レース〟で代表が決まらないという惚けた可能性が出てきた。3カ月後にどうにかMGC5位までの代表入りを認めさせたが、世間知らずを露呈した。国内人気に目を奪われ、海外マラソンが厚底シューズで大幅にスピードアップしている現実を知らなかった。経済の担保はない五輪憲章 確かにマラソンは日本のお家芸だった。60年代前半、2時間20分を切ったランナーがアメリカの1人に対し、日本には30人近くと、現在のケニアの様相を呈していた。 マラソンを支えたのが、戦後に誕生した実業団という形態だ。米国の奨学生制度、社会主義圏の公務員アスリート(ステートアマ)に対峙させたシステムは、戦後の日本のスポーツを飛躍的に強化普及させ、海外選手がうらやんだ。 ところが、91年の世界陸連理事会で胸ゼッケンの社名は広告、実業団はプロと規定された。かつて瀬古利彦を脅かした中山竹通(たけゆき)は「ぼくはプロです」とコメントしてコーチに叱られたそうだが、アマプロ論議をスルーしている内に、マラソンはアフリカ勢によるプロランナーの世界になった。 国内大会に招待されたケニア勢にとってペースメーカーは引っ張る役目ではなく前半を抑える役目。アマチュアに構っていられないと、自分たちで別のレースをしている。 賞金の多寡はあれ、84年以降、あらゆる競技がプロ化を進めてツアー、リーグ、世界選手権などが発展した。陸上競技の現在の世界記録はほとんどオリンピック以外で作られたものだ。 オリンピックの名誉に変わりはないとはいえ、4年というオリンピック単位がまどろっこしくなっているのも事実だ。話は戻るが、そうしたそれぞれの競技日程の点からもオリンピックの延期は難しいことになる。 プロとはカネの話しだけではなく職業意識だ。スポーツはいまや社会生活に欠かせないリフレッシュ機関であり生活風景となっている。 国際大会だけでなく日本独特の大会もあり、箱根駅伝、高校野球、インターハイは今も若いアスリートたちの目標だが、図らずも新型コロナウイルスの急速な伝播が示したように、いまやスポーツも日本国内の規範だけで話しは留まらないところにきている。お台場海浜公園で水上に設置された五輪マークのモニュメント=2020年1月 オリンピックを「やるか、中止か」の議論を聞いていると、話しはまるで経済問題である。オリンピック憲章は経済を全く担保していない。この機会に、アマプロ論議を一歩でも進めないかぎり、スポーツはわれわれの実感から少しずつ遠ざかっていくのではないか、それが心配だ。

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    バイデン、サンダース、トランプ「コロナリスク」が直撃するのは誰か

    の流れを大きく左右しかねないワイルドカードへの注目が集まっている。世界を震撼(しんかん)させている「新型コロナウイルス(COVID-19)」というカードだ。 新型コロナウイルス問題は米国の場合、日本よりも約1カ月遅れで大きな社会問題となっている。初期段階まで、感染がワシントン州などの西海岸の一部州に限られ、感染者も中国への渡航歴がある人たちばかりだった。そのため、感染の深刻化に対する懸念は、日本から見れば、だいぶ遅れていたともいえる。 状況が変化したのは、カリフォルニア州で中国への渡航歴がない感染者が確認された2月26日だった。さらに、その後はニューヨークなどの東海岸などにも広がっていった。 一部の大学では、授業をオンライン形式にするなどの対応が進んでいる。テキサス州オースティンで、3月13~22日に行われる予定だった音楽祭や映画祭などの大規模イベント「サウス・バイ・サウス・ウエスト(SXSW)も中止になった。2020年2月、米南部サウスカロライナ州チャールストンで行われた民主党討論会で発言するサンダース上院議員(左)とバイデン前副大統領(ロイター=共同) 一種の社会的パニック状態に突入しつつあるのも、日本と似ている。ワシントンやニューヨークの友人によると、消毒用アルコールがどの店でも売り切れているという。 買い占めは一部の食料品にも及んでいる。実際の感染状況以上に、消費者心理は日本と同じようなオーバーリアクション状態になりつつある。利用された「トランプ叩き」 3月8日(米時間)現在、米国での感染は33州、532人になり、死者も21人となった。日本の10日正午現在の感染者数514人、死者9人を既に超えている。数を単純に比較すべきではないかもしれないが、今や「日米逆転」の状況になっている。 この社会的パニック状態が米国で「政治化」しつつあるのだ。新型コロナウイルス対策については、スーパーチューズデー直前から「トランプ政権の対応が悪い」など、民主党候補にとって格好の「トランプ叩き」の材料になっていた。特に、「米疾病対策センター(CDC)の予算をトランプ政権が削減した」というのが、各候補による政権非難の常套句(じょうとうく)になっていた。 「CDCの予算をトランプ政権が削減」したかどうか、実際には微妙だ。政府全体の予算見直しの中、トランプ政権は毎年の予算教書で、CDCの予算削減を要求し続けてはいる。 ただ、議会側の反発もあり、他の多くの政府予算と同じように、ここ数年のCDCの予算はほとんど変わっていない。2020年会計年度(2020年10月~21年9月)は77億ドル(約8千億円)と感染症対策を専門に担う司令塔の組織が不在の日本から見るとかなり潤沢な額である。2020年10月からの2021年会計年度に向けた予算教書でも、今のところ7億ドルほど減額要求となっているが、議会の本格審議はこれからである。 一方、トランプ大統領にとっては、景気にも大きな影響があるため、的確な対応をアピールしなければならない。二転三転した後、7日、CDCに乗り込んで記者会見したのもその一環である。 記者会見を見たが、「感染者数が増えるのは、それだけ検査を含めた対策をしっかりやっているからだ」というレッドフィールド所長の横で、トランプ氏は念を押すように「しっかりやっているんだ」と妙に強調していた。その言葉からは、逆に今後の感染拡大に対する世論の反応をかなり気にしているのが明らかだった。2020年3月6日、米疾病対策センター(CDC)のレッドフィールド所長(右)の隣で記者団に語るトランプ大統領=アトランタ(Hyosub Shin/Atlanta Journal―Constitution提供・AP=共同) 新型コロナウイルスの感染拡大は急務であるため、トランプ政権と議会が協力して、3月6日にはワクチンの開発や企業の支援などに充てる費用として、83億ドルというCDCの年間予算を上回る規模の緊急対策法を成立させている。緊急性から考えれば当然かもしれないが、社会的パニック状態が予算そのものの大きさも「政治化」させているといえる。 実際の感染そのものが、今後の大統領選自体にも、今後大きな影響を与えていくのは必至だ。各種政治イベントは選挙の年には欠かせないが、そのイベントが感染源となりかねないからだ。選挙に直結する「あの問題」 3月7日、既に首都ワシントンでも感染が確認されており、政治の中枢に影響が及ばないか懸念が出ている。前日には、2月末にワシントン近郊で開催された全米最大の保守団体「米国保守連合」(ACU)の年次総会、CPAC(保守政治行動会議)に感染者がいたことも判明した。 この保守系の一大イベントには、スピーカーなどとして、トランプ氏やペンス副大統領、閣僚、ホワイトハウス高官らが多数出席していたが、接触の機会はなかった。また、同じように感染者が確認されたイスラエル支持のロビー団体、米国イスラエル公共問題委員会(AIPAC)にも、ペンス氏やポンペオ国務長官、連邦議員ら多数が参加していた。 もし、大統領が感染してしまえば、政治そのものが動かなくなる。これは民主党側の候補者も同じことだ。 そして、選挙により直結する「今後の選挙集会はどうなるのか」という議論まで広がっている。トランプ氏は8日現在、選挙集会の日程を変えないことを宣言はしているものの、今後はどうなるか予想できない。 選挙への影響は、まず民主党の指名候補争いに影響が出てくるかもしれない。重症化しやすい高齢者に感染が広がるようなイメージが付いた場合、その勢いが、「若者に強い」サンダース上院議員よりも、「高齢者に強い」バイデン氏に影響をもたらす可能性すらある。また、集会を減らす形での投票となった場合、民主党側の「反トランプ」の士気も全く高まりづらいだろう。 さらに、民主党も共和党も、夏の党大会を開催できない前代未聞の事態も考えられる。その際は、オンラインで投票するようなことになれば、不正アクセス対策というコンピューターの「ウイルス」対策も急務になってしまう。 共和党への影響は、トランプ氏の支持率の源泉が好景気にある以上、新型コロナウイルスが景気に与えるダメージが何よりも懸念される。2020年3月10日、新型コロナウイルスのため、サンダース米上院議員がオハイオ州クリーブランドの施設で予定していた選挙集会の中止を伝える案内(ゲッティ=共同) 的確な対応を進めることができず、感染者が増え続ける事態が一定期間続けば、景気は停滞し、再選もおぼつかなくなってしまう。ただ今後、感染者が急激に減少し、株価も回復した場合、「新型コロナを撃退した大統領」として、政権側に有利になることは必至だ。 「新型コロナウイルス」という米大統領選の行方を左右しかねない「ワイルドカード」には、さらなる注視が必要だ。

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    ワイドショー発コロナパニックで現実となる「破滅博士」の予言

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 新型コロナウイルス(COVID-19)問題を中心に、マスコミの報道についての姿勢が問われている。中でも、今回は目に付く3点を批判的に紹介したい。 まずは、「日本の感染者数に関する過大報道」である。世界保健機関(WHO)など国際機関や著名な研究機関では、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での感染者数は「国際輸送」あるいは「その他」で別枠として掲示されている。 そもそも、「ダイヤモンド・プリンセス」の感染者数の大半は、日本政府が介入する以前から感染しており、その意味でも日本の感染者数の中に換算することは、日本の感染実態を考える上で誤解を招くはずだ。だが、日本のマスコミの多くはなぜか「ダイヤモンド・プリンセス」の感染者数を組み入れて報道している。 一例では、TBS系の『サンデーモーニング』が、そのような「過大」な感染者数に基づく報道を繰り返している。直近の放送では、この「過大」な感染者数をベースにして、この1カ月の感染者数の増加を中国と比べ、その多寡を評価していた。異なる状況の2国を単純に比較するのも問題があるが、いずれにせよ、このような「過大」な感染者数はテレビを見る側を不安にさせる。 何より感染者数の総数「だけ」に注目するのは適切ではない。病状に応じて適切な医療サービスを提供できているか否かが、より重要だろう。社会的な防疫政策が上手に機能しているかどうかも重要である。その意味では、死亡者数(3月8日で6人)や重篤な患者の推移(低位推移)、回復者数(3月8日で80人と増加傾向)、新規感染者数の動向などを重視すべきだ。記者会見中に額を押さえるWHOのテドロス事務局長=2020年2月28日(ロイター=共同) あくまで現段階であるが、日本の感染症介入政策は「後手後手」という批判にもかかわらず、かなり健闘しているのではないだろうか。少なくとも、WHOは懸念すべき国に日本を含めていない。 「後手後手」批判の代表例とされる中国への「水際対策」にしても、日本は世界に先駆ける形で、武漢というホットゾーンからの入国制限を採っている。その意味で、日本の水際対策を全面否定するような動きには異論を唱えたい。 次に挙げたいのが、「検査や医療を過剰に要求する報道」だ。言うまでもなく、医療資源は有限である。設備や医療スタッフには各国とも限りがある。医療資源「制約」はどこへ行った この医療資源をいかに安定的に維持できるかが、今回の新型コロナウイルス問題でもクローズアップされている。だが、ワイドショーやニュース番組では、医療資源の制約を無視したような「医者」や「専門家」たちが多く出演している。 特に、新型コロナウイルスを高精度で検出するPCR検査の実施数が多ければ多いほどいい、という論調がワイドショーを支配している。この発想がいかに医療資源を浪費し、最悪、医療崩壊に至る危険性を秘めているかは、感染症専門医の忽那賢志氏による解説を参照されたい。 PCR検査は優れた検査法だが、万能ではない。偽陰性や偽陽性の問題が発生するからだ。忽那氏は一つの推論として、東京都民1千万人にPCR検査を受けさせた場合、1320人の真の感染者が見逃され(偽陰性)、その10倍の1万人の偽陽性が発生するとしている。 つまり、この1万人がただの風邪にもかかわらず、感染症指定医療機関に隔離されて治療されることになってしまう。ちなみに、平成29年医療施設調査によると、全国の感染症病床は1876床にしかすぎないことは、大正大の高原正之客員教授の指摘を参照すれば分かることだ。 つまり、どんどん検査すればいいわけではないことが、この簡単な例でも分かる。無制限な検査は、医療資源の制約を徐々に厳しくし、やがて医療崩壊につながる。具体的には、現場でさばききれないほど病院に殺到する武漢の人たちの映像などをイメージすればいい。 今の政府方針は、相談・受診の目安を(1)風邪の症状や37・5度以上の発熱が4日以上続く、(2)強いだるさや息苦しさがある、としている。これも、発表された当初はワイドショーなどで批判する向きが強かった。 しかし、これは大勢の患者が病院に殺到するのを避けるための基準であることは明瞭である。ちなみに、個人的な経験だが、最近持病があるために、かかりつけの大きめの病院に行ってみると、驚くほど閑散としていた。患者が病院に集中することによるリスクを、日本の人たちが合理的に判断した結果でもあるだろう。新型コロナウイルスの検査に使われる装置(岐阜県保健環境研究所提供) それでも、ワイドショーでは、いまだにPCR検査を受ければ受けるほどいい、という主張が根強く、日本の医療システムの直接的な脅威となっている。日本のマスコミがパニックを生み出すことに寄与するとしたら、看過できない。 ワイドショーの中には、政府があえて検査をしないかのような「陰謀論」を語るコメンテーターを好んで出演させているようだ。これも視聴者の不安な心理を煽っているのだろう。「政府vsマスコミ」 最後に「政府vsマスコミ」の問題を取り上げたい。新型コロナウイルス問題をめぐるワイドショーや新聞などの報道姿勢については、しばしばインターネットとの対比で語られていた。 個人的には、現在はテレビのワイドショーの大半とニュース番組は見ない方がいいかもしれないと思っている。ドラッグストアやスーパーからトイレットペーパーやティッシュペーパーが消えた映像や写真が大量に流されると、合理的な行動としても感情的な行動としても、人は大挙してトイレットペーパーなどを買いに走るだろう。このような群集心理を煽る効果がある。 さらに、最近では、政府とマスコミの間で報道をめぐる「論争」が生じている。厚生労働省が一部メディアに会員制交流サイト(SNS)上で行った反論だが、内容は次のようなものだ。 一部報道で「新型のコロナであるため、感染が新しいウイルスであり、私たちには基礎的な免疫がなく、普通のインフルエンザよりもかかりやすい。」との指摘がありました。新しいウイルスのため基礎免疫はありませんが、普通のインフルエンザよりかかりやすいということにはなりませんし、そのようなエビデンスはありません。また、3月3日に世界保健機関(WHO)は、新型コロナウイルスの特徴について、中国で得たデータを踏まえ、季節性インフルエンザと比べて感染力は高くないとの見解を示しています。 このような政府の公的言論としての姿勢は評価したい。まだ試行段階であるが、マスコミが事実と異なるニュースで社会的不安を煽るようであれば、当然の対処だといえる。 ワイドショーなどのテレビ報道、そして新聞報道の在り方がこれからも厳しく問われるだろう。それはいいことだ。 今まで、この「権力」はあまりにもデタラメでありすぎた。政府の公的言論を含めて、国民の討議の中で、その「権力」によるデタラメな報道が検証されるべきである。これは「言論弾圧」などとはまったく異なる。新型コロナウイルスに関して会見する加藤勝信厚労相と厚生労働省のロゴマーク=2020年2月20日(宮崎瑞穂撮影) 3月9日現在、新型コロナウイルスの欧米への感染拡大が、死亡者数と感染者数の増加、そのスピードを見ても深刻化している。それが世界経済の先行きに濃い暗雲をもたらしている。東京株もついに2万円台を大きく割ってしまった。 現状で利用できる代表的な経済予測を確認しておきたい。経済協力開発機構(OECD)の基本シナリオでは、2020年の世界経済は従来の成長率2・9%から2・4%に減速、さらに、ドミノシナリオでは1・5%にまで経済成長率が落ち込む。また、「破滅博士」の異名を持つ米ニューヨーク大のヌリエル・ルービニ教授の予測はドミノシナリオとほぼ同じレベルである。リセッション入りは確実 日本経済への影響だが、OECD基本シナリオの予測では、経済成長率が19年0・7%から20年0・2%と、従来予測(0・6%)から0・4ポイント減速する。ドミノシナリオでは、日本個別は不明だが、基本シナリオの3倍のインパクトと考えればマイナス0・6%ほどに落ち込む。 「破滅博士」は、日本とイタリアのリセッション(景気後退)まで予測している。このリセッション入りは確実だろう。 日本経済がドミノシナリオ通りに、マイナス成長に落ち込んだ場合、補正予算ベースで最低でも6兆円超は必要になる。これでも、それ以前の消費増税と景気後退効果は払拭(ふっしょく)できないのだ。 払拭するためには、さらなる財政政策と金融政策の協調が必要である。この点については前回も指摘したので参照されたい。 OECDでも「破滅博士」でも、基本シナリオ通りなら、20年第1四半期で新型コロナウイルスの経済的影響が終息することが必要である。第2四半期(2020年4~6月)、第3四半期(同7~9月)まで、北半球(日本では特に環太平洋地域)での世界総需要の動向がカギを握る。ここが落ち込むとその深度に応じて、ドミノシナリオが真実味を帯びてくるだろう。 仮に世界景気が思ったほど失速しなくても、日本が経済政策で「無策」を採用すれば、日本だけが深刻な不況に直面するだろう。内閣官房参与でイェール大の浜田宏一名誉教授は、最近の論文で「財政政策の機動性を十分に生かせ」と提言している。 既に中国、韓国など海外からの観光客の急減に加え、風評被害ともいえるコロナショックに見舞われている業態も出始めた。非正規雇用を中心に雇い止めの動きが加速する懸念も強い。2020年3月9日、2万円を割り込んだ日経平均株価の終値と1ドル=102円台の円相場を示すボード 経済評論家の上念司氏は、文化放送「おはよう寺ちゃん活動中」やツイッターで「予備費2700億円とかショボい事言ってるからだよ。あと、本予算通らないと補正予算議論できないなんて手続き論は市場では通用しないのさ」と発言したが、筆者も激しく賛同する。政府が早急に補正予算を打ち出すことが重要だ。日銀も緊急政策決定会合を開くべきだ。 ワイドショーの煽るパニックも恐ろしいが、政府と日銀の無策が生み出す経済不況も恐ろしいものだ。日本は今、この二つの脅威に直面している。

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    新型ウイルス退治に必死の文在寅を「怨念」は決して赦さない

    重村智計(東京通信大教授) 韓国で新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が拡大している。政府批判の高まりを受け、政局も不透明さを増している。 このままでは、4月に行われる総選挙で、与党「共に民主党」は第1党の地位を失い、文在寅(ムン・ジェイン)政権がレームダック(死に体)化しかねない。韓国社会と政界混乱の背景には、日本人には分からない宗教事情と地域対立、そして政治文化が隠されている。 「天変地異は支配者に徳がないからだ」と受け止めるのが韓国の儒教的価値観だ。近代化によって相当変化していても、庶民の素朴な感情は変わらない。 この価値観も相まって、政府の対策遅れと中国への「忖度(そんたく)」が批判を呼んでいる。皮肉なことに、日本の対応を評価する声まで出ていたが、日本政府が韓国からの入国を抑制するため、9日から発給済み査証(ビザ)の効力停止を発表したことで、状況が変わりそうだ。 2月25日、文在寅大統領が感染源とされる新興宗教団体「新天地イエス教会」や、病院のある南東部の大邱(テグ)市を突然訪問した。大邱は元々朴槿恵(パク・クネ)前大統領の地盤で、父の故朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領を絶対的に支持する保守派の拠点であるため、「反文感情」の強い地域とされる。それゆえ、何もしなければ「見捨てた」「差別だ」とすぐに批判される。 大邱を「封鎖する」と発言した与党報道官が、たちまちクビになったことでもお分かりだろう。先述のように、大邱のある慶尚北道(キョンサンプクト)は、文大統領に反発する保守派の支持者が占めている。報道官の発言は、慶尚道と対立する全羅道(チョルラド)勢力と左派の陰謀だ、と受け取られるからだ。2019年9月、ソウルで開かれた保守派の集会で横断幕を掲げる男性。幕には朴槿恵前大統領(右)や父親の朴正熙元大統領(左)が描かれている(共同) 韓国では、朴父娘や盧泰愚(ノ・テウ)元大統領を輩出した慶尚北道と、左派勢力の地盤とされ、故金大中(キム・デジュン)元大統領の出身地の全羅道の対立が今も続く。左派勢力にとっては、慶尚北道という「保守の牙城」を崩さなければ、4月の総選挙と2022年の次期大統領選を優位に進めることは難しい。その思惑もあってか、文大統領は大邱を訪問したが、かえって「遅すぎる」との批判も出ている。 韓国での新型コロナウイルス感染は主に「新天地教会」の教会に通う信者の間で拡大している。教会は中国の武漢市で伝道していたことを明らかにしている。 韓国の報道によると、この教会は、教祖が「キリストの生まれ変わり」を自称し、多くの信者を集めたという。「新天地教会」も日本で知られる世界平和統一家庭連合(旧統一教会)も韓国の正統キリスト教界からは異端の存在だ。新興団体が狙う「宗教観」 韓国のプロテスタントは、キリスト教長老派とイエス教長老派が二大勢力である。キリスト教長老派は、かつて民主化運動や反体制運動の中心勢力となった。一方、イエス教長老派は保守的だという。信者はイエス教長老派の方が多いとされる。 ただ、韓国のキリスト教ではこの2教派のほかに、正統教会から異端視される新興団体も多くの信者を抱えている。過去にも問題を起こした新興団体は数万人から10万人もの信徒を抱えていた。 韓国では「献金の多い信徒が天国に行ける」といった思いがある。新興勢力は、この宗教理解を巧みに利用し、韓国人に「教祖は神様と話ができる」「教祖はキリストの甦り」と教導することで信徒を増やしていった。 さらには「誰が天国に行けるかは、教祖様と神様の相談次第だ。だから献金しなさい」といった教えが語られるから、教会には多くの資金が集まる。 韓国庶民の宗教は、李王朝時代から続く「ムーダン(巫堂)」と呼ばれるシャーマニズム(巫女の預言、加持祈禱(かじきとう))が今も生きている。この伝統と宗教感情をも利用し、教会は信者数を拡大させていった。「教祖が神様と話ができる」という呼びかけは、シャーマニズムが息づく朝鮮半島の宗教文化では受け入れられやすいのである。 感染源とされる「新天地教会」は海外伝道にも力を入れており、武漢や米国の首都ワシントン、アフリカのウガンダ、内モンゴルなどに教会支部を設置しているという。ただ、新型コロナウイルス感染が韓国内で問題視され始めると、協会のホームページから「武漢」の名前が消えた。 中国のキリスト教は当局支配下の組織として「三自愛国教会」や「天主教愛国会」などに限られ、指導部は外国団体の伝道を認めない。そのため、「新天地教会」には秘密集会で布教していた可能性が浮上する。 つまり、教会関係者や幹部が昨年末まで武漢を行き来するうちに感染し、信者にも広がった疑いがある。それでも、韓国政府とメディアは、この問題を追及していなかった。だが、3月に入って、ソウル市が教祖ら幹部を殺人、傷害、感染病の予防などに関する違反などの疑いで検察に告発し、教祖はようやくひざまずいて謝罪した。2020年3月、韓国北部の京畿道加平郡の教団施設周辺で記者会見し、謝罪する新天地イエス教会の李萬熙教主(聯合=共同) 韓国の宗教団体はお金持ちである。特に、新興キリスト教団体には毎年数十億円から100億円単位の献金が入ってくる。 その資金を海外布教に投資していると宣伝する。韓国当局はマネーロンダリング(資金洗浄)を疑っているが、手が出せないのが現実だ。「日本の期待」は甘くない 海外でマネーロンダリングされた資金は、別の海外口座やタックスヘイブン(租税回避地)の口座に転送される。その後、密かに韓国に還流され、政治献金や教祖個人の目的や投資などに使われる。資金調査を行った当局者や取材に当たった記者は脅されたり、危険な目に遭わされたりした。 韓国での報道や当局の説明でも、教会と武漢の関係について言及されることはなく、闇に包まれたままだ。韓国内では、新型コロナウイルスは「武漢にある軍の研究施設が発生源」とのインターネット情報が拡散し、多くの市民が話題にしている。 日本には、コロナウイルス対策に失敗し、文政権が崩壊するとの期待が少なからずある。だが、韓国の政治はかなり複雑で、韓流(はんりゅう)ドラマで描かれるような陰謀劇が渦巻くため、そう簡単な話ではない。 また、韓国の保守勢力が合流して新党を立ち上げたことへの期待も語られるが、そんなに甘くはない。左派勢力が陰謀とスキャンダルを準備しているからだ。 なんと言っても、韓国は「和解と赦(ゆる)しの政治」ではない。保守勢力は底流に、朴槿恵前大統領に忠誠を誓う勢力と大統領弾劾に賛成した反朴槿恵勢力が感情対立を続けている。 もし、朴前大統領が大政治家としての思想と決断力の持ち主で、獄中から「反朴派を赦す」と宣言すれば、保守は大同団結ができる。「赦し」の政治と思想を実行すれば、偉大な政治家として歴史に残るのに、言わない。恨みと怒りを抑えられないのである。 女性政治家の限界というべきか、「嫌いであっても、政治的には協力する」という大局が見えない。だから、「韓国の未来と国民のために赦しの政治を行う」と言えず、朴前大統領を説得する長老や政治家もいない。韓国政治の伝統的な悲劇である。2020年3月1日、ソウル市内で開かれた三・一独立運動の式典で演説する韓国の文在寅大統領(共同) 日韓に横たわる歴史認識問題でも分かるように、韓国には「赦し」の思想がない。聖書は「キリストがあなたの罪を赦したように、人の罪を赦しなさい」と教えるが、なぜか韓国のキリスト教には神の「赦し」の神学と信仰がない。 「韓国のガンジー」と呼ばれた思想家の咸錫憲(ハム・ソクホン)が、国民を思う指導者や政治家の不在から、韓国民を「悲劇の民族」と呼んだのも無理からぬ話なのである。

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    新型ウイルスでもビクともしない習近平「盤石」政権にはワケがある

    院教授) 春節(旧正月)休暇で1月上旬、勤務地の広東省・汕頭(スワトウ)大から日本に一時帰国した後、新型コロナウイルス(COVID-19)感染の拡大で新学期の授業が3週間遅れ、休暇が大幅に延長された。3月からオンラインによる在宅授業が始まり、取りあえず大学に戻ろうと思ったが、今度は日本の感染例が増えたことで、逆に出国を足止めされた。教室はまだ空っぽのままだ。 この間、自宅待機で気の滅入っている学生たちを励まし、マスクの足りない学生には郵送し、わずかながらの支援をしてきたが、今は逆に「先生、気を付けてください」と心配をされている。日本では「習近平政権が動揺している」「一党独裁にひびが入った」などの話も聞かされたが、隣人が苦しみ、奮闘しているときに、ためにする政治談議は避けてきた。 ところが、中国での感染拡大に一定のコントロールが効き始め、片や日本でトイレットペーパーやティッシュペーパーが店頭から消える騒ぎが起きた。日本政府の対応には疑問も多い。感染症は国境を越えたリスクだが、隣国の事例を他人事だと思っていたツケではなかろうか。 「しょせんは共産党独裁の弊害」だと決めつけていた思い込みはなかったか。ここで冷静に事態を振り返ることも、隣国を理解し、さらに自分たちを再認識するうえで貴重なことだと思う。 実は大学の指示により、2月16日から毎日午前、携帯のアプリを通じ、その日午前と前日午後の体温、咳(せき)やだるさの有無など、詳細な健康状態の報告を命じられている。1万人以上いる全教師学生が対象だ。各地方、各組織によりバラツキはあるだろうが、全国で似たような施策が行われているとすれば、自主申告であるにせよ、14億人の健康状態が逐一集約されるシステムができ上がっていることになる。 中国の都市部では、外出も家族で1日か2日に1回、しかも3時間だけと限られているエリアも少なくない。外出時には警備員から時間を記入したチケットを渡され、それを持たなければ再帰宅はできない徹底ぶりだ。その後緩和されたようだが、「在宅」が常態化していることに変わりはない。インターネットを通じて自宅で学習する北京の中学生=2020年2月17日(新華社=共同) 一方、日本では感染例が増加しているにもかかわらず、つい最近まで通勤時間の地下鉄はすし詰め状態で、マスクをしていない乗客も目立った。横浜に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の感染問題では議論が沸騰したが、官民を含め自分たちの日常生活に対する危機感は極めて薄い。 政府は2月末になってようやく緊急対応を呼びかけ始めたが、国民の健康に対する考慮というよりも、政治的な思惑が色濃く感じられるのは残念である。中国の危機感と徹底した管理は盛んに報道されていたはずだが、奇異な目で他人事の騒動を見物しているだけで、教訓として切実に学ぼうとする姿勢は感じられなかった。「高をくくっていた」と言われても仕方ない。 福岡市の地下鉄では走行中、乗客がマスクをせずに咳をしている他の乗客を見て、非常通報ボタンを押す騒ぎが起きた。やや過剰な反応ではあるが、緊張感のなさに対するいら立ちが爆発した一つの事例だとは言えまいか。短絡的な日本メディア 危機感の薄さ、緊張感のなさに加え、日本では個人の人権やプライバシーの尊重、個人情報の保護が優先されるので、中国のような集権的、強権的な対策は採りづらい。憲法によって個人の広範な自由が認められている日本の社会では、一方で、自己責任の原則により、自主性に頼った施策に頼らざるを得ない。とはいえ、プライバシー保護を理由に不十分な情報しか開示されない中、自分たちを守る手だてさえないのが実情である。 両者をバランスよく取り入れるのが理想なのだろうが、どちらのスタンスを取るかは、社会的合意の比重をどこに置くかによる。一方の価値観を持ち出してもう一方を批判しても意味はない。 中国では、言論の自由や個人の人権を犠牲にしても、生活の保障、健康や生命の安全を第一に考える人たちの方が多数派である。肝心なのはその違いを認識し、相手の立場に立ってものを考える視点である。 中国でなにか問題が起きるたび、すぐに共産党政権の動揺、崩壊や一党独裁の危機と結び付けた発想をするのが日本メディア、そして日本世論にしばしば見られるステレオタイプだが、あまりにも短絡的である。そうあってほしいという願望や、そうでなければならないという先入観が生んだ偏見でしかない。 中国の新型肺炎による死亡例は2月末で約2800人だ。一方、米国のインフルエンザによる死者は今年既に1万2千人に達しているが、これをもってトランプ政権の危機を論じるのを見聞きしたことはない。 同じことは日本にも言えるだろう。中国で情報隠しがあると「一党独裁の弊害」と断罪するが、情報隠しはどの国の政治権力でも起きている。権力そのものが持っている体質である。 今回の事例で明らかになったように、こうした偏見や先入見が、隣国の教訓から学ぶ目を曇らせているとしたら、世界の潮流からも取り残されることは肝に銘じておいた方がよい。 バイアスを排し、目を凝らせば、全く違った真相が見えてくる。今回の対応を通じて政治的な側面を観察すれば、習近平政権の盤石ぶりが見て取れる。むしろ基盤が再強化された側面さえ指摘できる。真相は政権の動揺や危機とは裏腹である。2019年3月に開かれた中国全人代の開幕式で、大型画面に映し出された習近平国家主席=北京の人民大会堂(共同) 徹底した健康状態の把握、管理については既に触れたが、それを隅々にまで拡大できたのは2012年末に発足した習近平政権7年間の実績にほかならない。徹底した反腐敗キャンペーン、不正幹部の摘発、イデオロギー統制によって、緩んだ官僚機構の綱紀が粛正され、末端にまで習氏の指示、意向が浸透する体制ができ上がった。権力集中の「功」 権力集中に功罪があることは言うまでもない。だがその前に、独裁の強化を批判する人たちはまず、胡錦濤時代、権力の分散によって腐敗が深刻化し、党指導部内のクーデターさえ計画されていたことに思いを致す必要がある。 当時、領土問題で日中関係が極度に悪化した背景にも、こうした熾烈(しれつ)な政治闘争があったことは衆目が一致している。前政権に対する反省から、習氏による権力の掌握、集中がスタートしている。 また、習氏のバックには、共産党政権の正統を担う革命二世代、いわゆる「紅二代」の支持があることも重要だ。両親たちの世代が築いた共産党政権が、内部の腐敗によって分裂、崩壊の窮地に追い込まれた、との危機感が共有されている。 個々の政策について立場の違いはあるが、党の支配を堅持するという原則論では一致している。中国社会においては最も発言力のあるグループだ。 中国の憲法改正によって、国家主席について任期2期10年の上限が取り払われたことは記憶に新しい。西側メディアには悪評高いが、権威の強化にとっては極めて大きな意味を持つ。 「あと数年で引退」が自明となった途端、権力が空洞化し、綱紀が緩み始めることは、過去の反腐敗キャンペーンが示している。「独裁=悪」という単純な図式だけでは、中国政治の真相を正しく理解することはできない。 もし、習近平政権が脆弱(ぜいじゃく)だったら、と想像してみるのも頭の体操にはよいだろう。あらゆる問題が政権内の政治闘争とリンクし、例えば、米中貿易摩擦は取り返しのつかない泥沼に入り込んでいたかもしれない。2008年5月、共同文書に署名交換後、握手をする中国の胡錦濤国家主席(左)と福田首相=首相官邸 新型コロナウイルス感染の対策でもより大きな混乱が起きていた可能性がある。今回、日本からの支援が美談としてもてはやされたが、それもかき消され、公式訪日の相談をするどころではなかったに違いない。巨大な隣国の政情が不安定であれば、日本が大きな影響を受けるのは必至である。  習近平政権の一連の対策や対応の中で、注目すべき点は2月13日、湖北省と武漢市のトップが同時に更迭された人事である。同日の党中央発表によれば、蒋超良・湖北省党委員会書記に代えて応勇・上海市長を、馬国強・武漢市党委書記の後任に王忠林・山東省済南市党委書記が就くことになった。応勇氏、王忠林氏ともに公安部門の経験が長い。「適材適所」断行の意味 危機管理に際し、公安部門出身の指導者を投入するのは時宜にかなった人事である。とはいえ、世界が注視する騒動のただ中で、省市トップ2人の責任を明確にし、更迭するのはかなりの荒療治だ。 だが、習氏は適材適所の人事を断行し、公安人脈を完全にコントロールしていることを示した。軍と並んで権力基盤の源泉である公安部門の掌握は、政権の安定に大きな意味を持っている。 さらに重要なのは、今回の人事が前指導者に対する懲罰として、民意の圧倒的な支持を得た点、つまり世論を読み込んでの臨機応変な宣伝工作である側面だ。この人事には前段がある。 6日前の2月7日、いち早く新型ウイルス拡散の危険を警告していた武漢の医師、李文亮氏が感染で死亡した。自分の命を犠牲にしてまで治療に力を注いだが、武漢市公安当局はそれまで李氏ら8人を「デマを流した」と犯罪者扱いし、反省文への署名まで求めていた。 訃報はインターネットでのトップニュースとなり、「英雄」に対する哀悼、さらにそれを上回る市当局への「罵倒」であふれた。私の教え子たちもそれぞれの会員制交流サイト(SNS)を通じ、一斉に哀悼と抗議を表明した。情報を操作し、初期対応で失態を演じた政府の対応に、庶民の怒りが爆発したのだ。 だが、中央の反応は早かった。共産党機関紙、人民日報が哀悼の記事を発表し、国家監察委員会も同日、武漢市の対応を調査するチームを派遣した。新型肺炎で死去した中国・武漢の医師、李文亮さんを悼み、雪の上に書かれた名前=2020年2月、北京(共同) 1週間を待たずに発表された両トップの更迭は、その調査を受けた最高レベルの処分である。庶民の怒りに応える、一応の決着にはなった。 きちんと民意をくんで責任者を処分したのだから、さらに事態を拡大させ、社会不安をあおるような言論は許さない。これが党による情報統制である。自由な言論そのものに価値を置く一部知識人は反発するが、抵抗することの損得をはかりにかける多くの庶民は受け入れている。 ただ、今回の感染についていえば、独立性の高いメディアの的確な調査報道に加え、おびただしい数のSNSによる情報発信があり、デマや誹謗(ひぼう)中傷を含め、日々あふれるほどの情報が流れたという印象だ。画一的な宣伝だけで皆が納得しているわけではない。個人情報の壁が大きく立ちはだかっている日本とは大きく異なる。習政権の「アキレス腱」 庶民は、自信を持ってリーダーシップを発揮する強い指導者を求める。組織を重視する日本社会とは違って、個人の力に頼って問題を解決していこうとする発想がある。緊急事態であればなおさらだ。 感染に関する中国の報道の中で、しばしば登場する人物が国家衛生健康委員会ハイレベル専門家グループ長で、国家呼吸器系統疾病臨床医学研究センター主任の鐘南山氏だ。2002年から03年にかけての重症急性呼吸器症候群(SARS)事件では、感染が拡大した広東省で、広州市呼吸器疾病研究所所長として手腕を発揮し、その名を世界に知らしめた。 鐘氏は、2月27日には広州医科大で感染の予防やコントロール状況について記者会見し、「4月末には感染がほぼ抑制されると信じている」との重要なメッセージを発した。鐘氏の発言は非常に説得力を持つ。個人の権威によって、情報を伝えようとする政権の意向が感じられる。日本では許されない個人的見解だろうが、これがあくまで強い指導者の権威に重きを置く中国社会の一端である。 最後に、習近平政権のアキレス腱(けん)について触れておきたい。民主主義のシステムでは、政治家への評価は選挙によって下される。失策をしても、再選されれば、禊(みそぎ)を済ませたことになる。 だが、官僚機構と人脈を通じた複雑な選抜システムを生き抜いてきた中国の指導者は、失策はすなわち失脚に直結する。敗者復活がないからこそ、政治生命をかけた激しい政治闘争が起きる。 2020年、習氏が確約していることがある。16年からの第13次5カ年計画で国民の1人当たり可処分所得を10年比で倍増させ、なお数百万人いる貧困人口を解消することだ。 これは、いわゆる「二つの100年」目標―2021年の中国共産党創立100年までに小康(ややゆとりのある)社会を全面的に築き、49年の建国100年までに近代的社会主義強国となる―を実現させるためのステップとなる最重要課題である。カギを握るのは春の全国人民代表大会で、延期されたものの、何としても責任ある態度を明確に示さなければならない。新型肺炎関連の研究を視察する中国の習近平国家主席(中央)=2020年3月2日、北京(新華社=共同) 分かりやすく言えば、共産党政権の誕生を担った農民が今や社会の最下層に追いやられ、格差社会の中で不当、不公正な扱いを受けている現状を改め、腐りきった党幹部にかつての初心を思い出させ、党支配の正統性を再び取り戻す任務である。習氏が過去の指導者には見られないほど、足しげく農村を視察して回っているのはそのためだ。紅二代から授かった使命でもある。 感染問題が長引き、十分な医療を受けられない貧困層の生活や健康、生命が脅かされる状態になれば、そのときこそ政権の是非が問われる。だからこそ多少の荒療治をしてでも、それを食い止めなければならない。習氏はそこを見ているし、心ある中国ウオッチャーもやはりそこに目を向けなければならない。