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    中韓に「おわび」したからこうなった

    な講演録『職業としての政治』のなかでこう指摘している。いまから100年近く前の言葉だが、まるで日中、日韓関係のようにも思える。 めざすべき将来よりも、思い込みと偏見で禍々(まがまが)しく彩られた慰安婦問題などの過去にこだわる韓国の朴槿惠大統領は、まさしくこの「政治的な罪」を犯している。 いや、韓国だけでなく中国も、そして『朝日新聞』をはじめとする日本国内の左派メディアも同様だろう。現実の国際情勢にも日本の国益にも目を向けず、ひたすら解決不可能な過去に拘泥(こうでい)しつづけている。 だが、個人でも国でも、誰が過去しか見ない相手と付き合いたいと思うだろうか。いつまでも70年以上昔の話、それも誇張され歪(ゆが)められたことばかり繰り返す者と誰が友情を育みたいと考えよう。 「韓国はシック(病気)でタイアッド(うんざり)だ」 今年3月、米東海岸を訪れ、米政府関係者やジャーナリストらと意見交換した日本政府関係者は、米側から異口同音でこうささやかれたと明かす。日韓関係について、当初は韓国に同情的だった米国の見方は変わった。外務省筋は語る。 「第二次安倍晋三政権発足からしばらくは、米国は『日本のほうが大きな国なんだから、韓国に譲ってうまくやってくれよ』という感じで、日本側の譲歩ばかり求めていた」 それが、韓国の東アジアの安全保障環境も経済利益も目に入らないあまりにしつこい歴史粘着ぶりに、いまや呆れだしているようだ。 韓国は安倍首相が4月29日に米上下両院合同会議で行なった演説についても、これを中止させようと熱心なロビー活動を展開したが、韓国の異常さを露呈しただけだった。 米国が国賓待遇で招聘した他国の首相の議会演説を、直接関係ない第三国が阻止しようとすることがいかに筋違いで、米国の顔をつぶす行為であることか。世界は韓国を中心に回っているわけではないという当たり前のことが、韓国には理解できていない。 実際の安倍首相の演説は韓国や『朝日新聞』などが求めた「侵略」「植民地支配」「おわび」などのいわゆる「キーワード」は使わなかった。それでも、戦後の日米の「和解」と未来志向の「希望の同盟へ」というテーマが米議員らの共感を呼び、スタンディング・オベーション(総立ちでの拍手)が起きた回数は14回に及んだ。会場では、ベイナー下院議長が目を押さえ泣いている姿もあった。 「演説後、たくさんの米議員らに握手を求められ、『謝罪や反省はもう十分だ』といわれた。米国とのあいだでは、歴史問題は『終わった感』がある」 安倍首相は帰国後、周囲にこう語った。日本のメディアはマイク・ホンダ下院議員らごく少数の演説批判者に着目していたが、ほとんどの議員は演説を歓迎し、喝采を送っていたというのが事実だろう。 これまで安倍首相のことを歴史修正主義者やナショナリストなどと決め付けてきた米メディアの論調はまだ批判的なものも多かったが、少なくとも米政府・議会を味方に付けることには成功したといえる。米カリフォルニア州のグレンデール市に設置された慰安婦像の前で両ひざをついて線香をあげるエド・ロイス米下院外交委員(中村将撮影) 逆に、義父の葬儀出席のため安倍首相演説に欠席しておきながら、「性奴隷の侮辱に苦しんだ女性たちに謝罪するべきだった」と非難声明を出したエド・ロイス下院外交委員長は、手厳しい批判にさらされた。 ワシントンのニュース評論サイト『ネルソン・リポート』は次のように報じた。 「家族は最優先されるべきだが、これほど重要な演説の場に出席できないのなら、せめて演説原稿を注意深く読んでしかるべきだ。自分の思いどおりのことをいわなかったからといって、米国にとり最も重要なアジアの同盟国の首相に言いがかりをつけることが外交委員長の仕事なのだろうか」 同サイトはもともと、慰安婦問題などでは韓国寄りで、日本に対しては厳しい姿勢をとってきたにもかかわらず、である。 演説後には、ケネディ駐日大使が『読売新聞』のインタビューに応じ、安倍首相が「おわび」という表現を用いなかったことについてもこう擁護した。 「彼は深い哀悼と表現した。気持ちや行動が重要だ」 やはり、大切なのはメディアが勝手に想定した「キーワード」など定型文ではなく、あくまで演説に込められた理念であり、共感を呼ぶ内容なのだろう。 ところが、朴大統領は5月4日の首席秘書官会議で、なおもこう言い募った。 「誠実な謝罪によって近隣諸国と信頼を深めることができる機会を生かすことができなかったことは、米国でも多くの批判を受けている。日本が歴史を直視できず、自ら過去の問題に埋没していっている」 とはいえ、過去の問題に埋没していっているのは、どう考えても韓国のほうだろう。安倍政権が現在、韓国に対しては「放置する」とのスタンスを取っているのも、こうした意思疎通の困難さからだろう。『朝日新聞』は村山答弁に学べ『朝日新聞』は村山答弁に学べ また、『朝日新聞』は4月30日付朝刊の一面に立野純二論説副主幹が「対米・対アジア 二つの顔」の見出しで次のように書いた。 「『希望の同盟へ』と題した安倍首相の演説は予想通り、『未来志向』の言葉に満ちている。『侵略』も、『おわび』も、ない。そこから強くにじむのは、前世紀の日本の過ちが残した歴史のくびきを解こうとする安倍氏のかたくなな執念である」 「対米関係というレンズを通してしか世界を見ない日本外交こそ、『戦後レジーム』ではないのか。侵略など国際的に広く共有された歴史認識への言及をひたすら避ける安倍氏の演説は、そんな皮肉を感じさせる」 侵略とおわびのくだりでの不自然な句読点の打ち方から、立野氏の苛立ち、侵略とおわびへの愛着が伝わってくるようだ。 そもそも、戦後70年もたつ現在、そろそろ歴史のくびきを解こうとすることがなぜ「かたくな」と表現されなければならないのか。『朝日新聞』はなぜ、日本をかたくなに歴史のくびきにつないでおきたいのか。 記事では、「侵略など国際的に広く共有された歴史認識」と根拠不明なことが述べてあるが、立野氏には次の言葉を送りたい。 「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」 これは平成7(1995)年10月12日の村山富市首相(当時)の衆院予算委員会での答弁だ。村山氏は同年8月15日に、過去の植民地支配と侵略をおわびした「村山談話」を発表したあとの国会答弁で、侵略に定義はないと明言しているのである。 村山談話を聖典かドグマのように奉じている『朝日新聞』は、この村山答弁も神託としてありがたく受け止めるべきだろう。安倍首相は以前、周囲にこう語っていた。 「自国が侵略したなどといっている国は日本以外にない。侵略というなら、なぜ英国はシンガポールやマレーシアにいたのか。同様になぜオランダはインドネシアにいたのか。日本は英国やオランダを侵略したのか。日本が侵略したというのなら、欧米はみんな侵略していたといわなければならない」 安倍首相は、昨年7月8日のオーストラリア議会演説でも、今年4月22日のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)での演説でも、米議会演説でも「侵略」や「おわび」といった「キーワード」は使わなかった。その真意について、首相周辺はこう解説する。 「安倍首相は、先人たちが悩み、迷い、苦しみ、将来に夢を描き、家族を慈しみ、友人たちを信じ、さまざまな思いと苦労のなかでそれぞれの人生を生き抜いた時代を、後世の政治家が勝手に『侵略』という一言でくくることなどできないと考えている」 一理も二理もある見解だと思う。安倍首相は国会答弁などで繰り返し、「歴史問題については政治家は謙虚でなければならず、歴史家や専門家に任せるべきだ」(4月1日の参院予算委員会)と発言しているが、その背景にはこうした考え方があるのだろう。 それに比べて、自身の社会党的で特殊、偏狭な政治信条を村山談話に反映させた村山氏も、韓国にすり寄り、根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた河野談話を平成5(1993)年8月に出した河野洋平元官房長官も、歴史に対してまったく謙虚ではない。 政治が恣意的に歴史を定義しようと試みた彼らのやり方は、むしろ傲慢で身の程知らずだともいえる。どこに談話の効果が? 村山氏は近年、自ら村山談話について「国是みたいなもの」と持ち上げるようになり、執拗に安倍首相に踏襲を迫っている。今年四月二十二日の講演では、こう自賛もした。 「村山談話が出てから今日まで、歴史問題で日韓・日中関係がガタガタすることはなかった」 4年前の平成23(2011)年9月発行の『村山富市の証言録』(新生舎出版)では、のちの首相も村山談話を踏襲すると思ったかと聞かれ、このように答えていたにもかかわらずだ。 「いやいや、そんなことまでは想定してませんでしたね。(中略)後の首相が踏襲してくれるだろうというような、期待はあったにしても、誰がなるかわからないのでね、そこまで考えて談話を出したわけではないね」 だが、村山談話が出てから日中・日韓関係に歴史問題は生じなかったとの言い分は明確に事実に反する。村山談話が発表されてからいまに至るまで、歴史問題は中韓からつねに提起されつづけている。むしろ、村山談話以降、その傾向は強まっているのではないか。 村山談話発表から3週間もたたない平成7年9月3日、中国の江沢民国家主席は「抗日戦争勝利記念日」の演説で、次のように激しく日本を批判した。 「ここ数年、日本では侵略の歴史を否定し、侵略戦争と植民地支配を美化しようとする論調がしばしば出ている。日本は真剣に歴史の教訓をくみ取り、侵略の罪を深く悔い改めてこそ、アジアの人民と世界の理解と信頼が得られる」 この言葉のどこに村山談話の効果が表れているというのだろう。村山氏は現在、いったい何を根拠にああも胸を張っているのだろうかと不思議になる。江主席はこの年11月に韓国の金泳三大統領(当時)と会談した際も、こう主張した。 「戦争終結から半世紀たっても、日本国内には誤った歴史観に立ち、日本軍国主義が中国、その他のアジア諸国に対し侵略戦争を発動した事実を否定するいくらかの人がたしかにいる」 これに金大統領も同調し、「今度こそ、日本の態度を必ず、改めさせる」と高飛車に述べた。ここに村山談話が歴史問題で何かの役に立った跡は見当たらない。 日中関係も日韓関係も、日本側が「侵略」だとか「おわび」だとか言い出す以前のほうが良好だったという見方もできる。村山談話は中韓による対日要求のカードとして利用されてきただけではないのか。戦後70年談話で「キーワード」は使わない 村山談話以後、慰安婦問題や靖国神社参拝問題、教科書問題がゴタゴタしなかったなどと誰が信じられるだろうか。本来は歴史問題とは違う範疇であるはずの尖閣諸島問題や竹島問題まで、いまや中韓は歴史認識絡みで語るようになった。歴史問題は拡大こそすれ沈静化などしていない。 河野談話もそうである。文書など物的証拠も信頼に足る証言者もまったくないまま、「元慰安婦の名誉回復のため何らかのかたちで強制を認めてほしい」という韓国側の要請をよかれと思って受け入れた結果、どうなったか。 河野談話は日本政府が公式に慰安婦強制連行を認めたものだと拡大解釈され、それどころか荒唐無稽な朝鮮人女性20万人強制連行説や、性奴隷説を世界に広めるのに利用されてしまった。 「日本側の善意が裏切られたということになる」 河野談話作成時の事務方トップ、石原信雄元官房副長官は『産経新聞』の取材に、韓国側の対応についてこう語ったが、後の祭りだ。 石原氏は「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」とも明かしたが、日本側の善意や譲歩は中韓には弱みとしか受け取られず、付け入られただけだった。 そしてその結果、日韓関係は慰安婦問題をめぐって戦後最悪の状態となっている。冒頭、引用したヴェーバーは『職業としての政治』のなかでこうも語っている。 「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。(中略)これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である」 春秋の筆法によれば、村山氏も河野氏も政治のイロハも理解していない。両氏を称賛してやまない『朝日新聞』など左派メディアも同様だろう。『朝日新聞』は今年1月3日付の社説で村山談話と戦後70年談話についてこう記している。 「政府の歴史認識の決定版であり、近隣諸国との関係の礎となってきた。その価値を台無しにすることは許されない」 「うわべだけの『帝国の名誉』を叫ぶほど、世界は日本の自己欺瞞を見て取る。この不信の連鎖は放置できない。断ち切るのは、いまに生きる者の責任だ」 論理が飛躍・混濁していて何が決定版なのか礎なのかよくわからないが、とにかく村山談話を持ち上げていることは理解できる。村山談話をそのまま踏襲すれば、不信の連鎖とやらが断ち切れるといっているのだとすれば、いよいよもって訳がわからない。 『毎日新聞』も1月4日付社説でこう書いた。 「70年談話に必要なのは、戦後50年時の村山富市首相談話を戦後日本の揺るぎない基礎と位置づけ、その上で未来を展望する姿勢だろう」 「今や歴史を排他的なナショナリズムから遮断すべき時期である。他者への想像力を伴ってこそ、その主張は受け入れられる。日本の政治指導者は、偏狭な自分史に閉じこもってはならない」 こちらのほうがまだ何がいいたいのかわかる分ましだが、いきなり揺るぎない基礎といわれても論拠不明だ。排他的ナショナリズムや偏狭な自分史うんぬんは、日本政府ではなく中韓側にいってほしい。「キーワード」は使わない 「『侵略』などの『キーワード』にこだわっているのはもう韓国だけだ」 これは最近、安倍首相が周囲に漏らした言葉だが、あえてそこに「日本の左派メディア」を付け加えたい。 中国は習近平国家主席と安倍首相が二度、首脳会談を行なったこともあり、戦後70年談話ほか歴史問題で日本を牽制しつつも、以前に比べ言動が柔軟になっている。 米国は日本との安全保障協力が大きく進み、安倍首相の議会演説が上下両院議員らの琴線に触れたことや、韓国という国の面倒臭さを理解し始めたこともあり、日本の歴史問題に言及することに慎重になってきた。 中韓以外のアジア諸国は、もともと日本の戦後70年談話に干渉しようとはしておらず、むしろ膨張する中国の脅威を深刻に捉えている。 近隣諸国の抗議と反対を無視し、南シナ海で岩礁を埋め立て、空母代わりの滑走路を建設するなどの現在進行形の中国の横暴な振る舞いのほうが、70年前の戦争中の出来事より各国にとって重要なのは当然である。 日本もまた、尖閣諸島を狙う中国の公船による領海や排他的経済水域(EEZ)内への侵入に日常的に悩まされている。韓国の李明博前大統領が歴代大統領で初めて竹島に上陸してから、まだ3年もたっていない。そうした厳しい国際環境、いまそこにある危機から目をそらし、中韓にもっと気を使え、刺激するなと叫んでいるのが韓国と日本のメディアというわけだ。 安倍首相は戦後70年談話で、彼らが求める「キーワード」は使わないと見られる。当然、彼らは強く反発するだろうが、それ以外の国も日本国民もそうした脊髄反射(せきずいはんしゃ)のようなバカ騒ぎには飽き飽きしており、冷静さを保つことだろう。関連記事■ 韓国人こそ歴史を学べ!――朴槿惠大統領は父親を糾弾すべし■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ トンチンカンな左派マスコミ

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    「孤立論」まで飛び出した 韓国歴史外交の敗北

    正常化50周年にあたるが、何とも皮肉な状況になってしまった。祝賀ムードなどどこにもない。周知のように日韓関係が過去最悪といわれるほど冷え込んでいるからだ。背景には韓国の度を越した自制なき反日と、日本での反韓・嫌韓感情の広がりがある。 これまでにない冷たい関係の象徴は、双方の首脳が2年以上にわたってまだ一度も首脳会談を開いていないことだ。日本の安倍晋三首相は「いつでも門戸を開いている」と言い続けているが、韓国の朴槿惠大統領は慰安婦問題を理由に会談を拒否している。こういう場合、国際的には「会いたい」といっている相手に「会いたくない」といっているほうが分が悪い。 ということもあって、朴槿惠大統領にとってその外交的環境は次第に厳しくなりつつある。 国交正常化50周年を考えるとき、日韓関係を最悪にしてしまったのがよりによって朴槿惠大統領時代とは、歴史的な皮肉というしかない。 彼女は50年前、日本と国交正常化を実現した朴正熙大統領の娘である。彼女が大統領になれたのは、歴代大統領のなかで最も国民的な人気がある父のイメージ、つまり「朴正熙の娘」だったからといってもいい。その父が政治生命を懸けて決断した、歴史的業績である日韓国交正常化の50周年を娘が祝えないとは。親子の絶対的関係を重視する儒教的価値が強い韓国では、これは「親不孝」ということになる。 日本はそれほど儒教的ではないが、似たようなことは安倍晋三首相にもいえないことはない。 というのは日韓国交正常化を実現した佐藤栄作首相は、安倍首相の外祖父・岸信介の弟で、安倍首相の縁戚になる。岸信介元首相も親韓派として国交正常化の影の立役者だった。安倍首相にとってはこの日韓の歴史は政治的にひときわ感慨深いはずである。にもかかわらず50周年に際しその歴史を祝う雰囲気にないことは、内心忸怩たるものがあるだろう。 余談だが、安倍首相サイドの歴史的エピソードには岸信介と朴正熙とのあいだの逸話がある。以下のことは岸信介元首相から直接聞いた話である。 朴槿惠大統領の父・朴正熙は1979年10月26日、内政上の葛藤から側近に暗殺され18年にわたる長期政権は幕を下ろした。彼は国葬(11月3日)となり、日本から岸信介が弔問特使として訪韓した。そのとき、筆者は同行記者として同じ飛行機に乗った。機内で岸信介にインタビューした際、こんな思い出を語ってくれた。 朴正熙は1961年5月、クーデターで政権を握ったあと、過渡期の国家再建最高会議議長として訪米しその帰途、日本に立ち寄った。朴槿惠大統領の父・朴正熙の日本訪問は後にも先にもこれだけだ(戦前、満州軍官学校から日本の陸軍士官学校に留学はしている)。その後、長期政権にもかかわらず大統領としての日本訪問は諸般の事情で一回もなかった。余談中の余談だが、朴・父娘にとって日本公式訪問は鬼門? 岸信介によると、朴正熙は軍事政権スタート直後の唯一の訪日の際、岸に対し「自分は幕末・明治維新の吉田松陰、高杉晋作の気持ちで国作りをやっています」といって日本の協力を要請したというのだ。 これは岸が山口出身で松陰、晋作と同じ旧長州の出であることを踏まえたうえでの発言ではなかったか。そして安倍首相自身が日ごろこの旧長州の政治人脈を意識していることは、つとに知られている。 こうした政治的因縁と世代を同じくする「朴槿惠と安倍晋三」が、いまだに首脳会談を開けないことは皮肉を超えて悲劇(?)に近いが、ここにきてやっと韓国側に日韓関係改善に向けた前向きの機運が出ている。とくに4月の安倍首相訪米のあと、首脳会談早期開催必要論が広がっている。反日好きで“安倍叩き”を続けてきた韓国メディアだが、このところの論調はほとんど一致して首脳会談の早期開催を政府に促している。 メディアで見るかぎり、あとは朴槿惠大統領の決断だけという雰囲気だ。メディア論評のなかには50年前、反対世論を抑えるため戒厳令まで宣布し日韓国交正常化を決断した父を例に、「父にならえ」と決断を求めるものもある。 韓国側の“変化”の背景には、政治・外交的には安倍首相訪米による日米蜜月ムードのほか、日中首脳会談の実現と日中関係改善の流れがある。とくに前者の影響が大きい。安倍訪米による日米同盟関係強化に対し韓国の反応は「米国は韓国に冷たい」「米国は日本寄り」との声がもっぱらだ。そこから出てきているのが「韓国孤立論」である。 安倍訪米をめぐる韓国の異様な関心と狂騒の意味についてはあとで触れるが、韓国における外交的孤立化論は対日関係でもうかがわれる。「こんなに長く日本との関係がよくなくていいのか」という不安感、孤立感は安倍訪米の前から徐々に出ていた。それが安倍訪米によって一気に広がり、日韓首脳会談早期開催論を強く後押ししているのだ。 日韓関係については日本人と違って韓国人の心理はいつも微妙である。端的にいって、現状のような日韓関係悪化とその長期化に対し日本人にどれだけの不安感や孤立感があるだろうか。もちろん政府当局者や識者にはそれなりに懸念はあり、その打開を模索する声や動きはうかがわれるが、不安感、孤立感ということではないだろう。 しかし、韓国では国民心理としてそれがあるのだ。日韓関係の長期悪化や首脳会談不発が続くなか、当局者や識者、メディアばかりではなく街の声にもそれが出はじめている。筆者の周辺でも街の声として、事態を懸念する声が多く聞かれるようになった。韓国で高まる外交的孤立感韓国で高まる外交的孤立感 韓国の場合、日本と違ってその置かれた地政学的環境や歴史的経験から、周辺国との関係には古来、きわめて敏感である。歴史的には対外関係悪化はしばしば戦争や侵略という事態につながり、民の生存が直接影響を受けるという経験を重ねてきたからだ。 ここでも余談になるが、いま、韓国ではNHKにあたるKBSテレビが年初から「光復70周年記念番組」と銘打って大河歴史ドラマ『懲毖録(ジンビロク)』を毎週末、放送している。 このタイトルは16世紀末、日本の秀吉軍の侵攻である韓国でいうところの「壬辰倭乱」(文禄・慶長の役)の際、それを迎え撃った韓国朝廷の重臣、柳成竜が書き残した回顧録そのままである。したがってドラマの主人公は柳成竜である。 余談の余談でいえば、韓流ファンにとっては先刻承知のことだが、韓流スターの草分けの一人であるリュー・シウォン(柳時元)はその直系の子孫として知られる。柳家の古宅は慶尚北道・安東の民俗村「回会村(ハフエマウル)」にあって観光スポットになっている。 周知のようにこのときの“日韓戦争”は、明(中国)征服という豊臣秀吉の野望がきっかけだった。しかし朝鮮出兵ののち、途中で秀吉が死亡したため日本軍は撤退した。韓国からすれば結果的に日本を撃退した勝利の戦争ということになるが、実際は日本軍の侵攻で長期間(あしかけ6年!)、戦場となった韓国は大打撃を受け疲弊する。 もう一つ余談を重ねれば、ソウルに語学留学した1970年代後半にこんなことがあった。留学生仲間の日本人の話で、下宿先でカセットラジオが無くなったことを話題にしたところ、同じ下宿の韓国人から「そんなことでガタガタいうな。秀吉軍が韓国でしたことに較べれば何でもないじゃないか」と叱られたという。 この「壬辰倭乱」の愛国ドラマは韓国版・忠臣蔵みたいなものである。昨年は日本水軍との海戦で勝利した「救国の英雄」李舜臣(イ・スンシン)を主人公にしたスペクタクル映画『鳴梁(ミョンリャン)』が、観客動員1700万人突破の史上最高を記録している。十六世紀の歴史がいまに生きていて、国民ドラマとして繰り返し刷り直しが行なわれているのだ。 「壬辰倭乱」の“日韓戦争”は、途中から明軍が韓国支援に加わったため“日中戦争”になる。韓国朝廷はとくに休戦交渉にあたって日中のあいだで右往左往する。この稿を書いているとき、KBSドラマの展開はそのあたりに差し掛かっている。 『懲毖録』(日本語版は平凡社の東洋文庫)は日本の侵攻を予期できなかったことや、韓国側の内部混乱、そして日中韓の外交葛藤など自己批判を込めた記録である。東アジア情勢が流動化するなか、光復70周年記念として大河ドラマに選ばれたのは理由があるのだ。 そんな韓国だから、日本と首脳会談さえまだ一度も開かれていないという長期間の不和や緊張には、間違いなく不安が伴う。しかも国際関係では最大の頼みである米国さえ日本寄りとあっては、不安はいっそう募る。それに韓国と共に日本非難の“歴史共闘”をしてくれていたはずの中国さえ、日本との首脳外交に応じ実利外交に転じた。韓国に外交的孤立感が生まれても不思議ではない。 思えば不思議なことだが、韓国は今回の安倍首相の訪米に対し“妨害工作”に官民挙げて狂奔した。その関心は訪米前から始まり、メディアはまるで韓国の首脳が訪米するかのような興奮ぶりだった。事実、韓国紙のワシントン特派員は「2013年5月の朴槿惠大統領がワシントンを訪れた時より忙しかった」(5月11日付『東亜日報』)と述懐している。 最大の関心事は歴史問題だった。それも日米の歴史問題ではない。日韓の歴史問題である。端的にいえば慰安婦問題だ。とくに安倍首相に米議会演説で慰安婦問題に関し、いかに謝らせるかだった。先のワシントン特派員は「安倍総理が第二次世界大戦中の日本軍慰安婦など過去史の蛮行を認め謝罪するかどうかは、すでに韓民族の自尊心がかかった状態だった」と書いている。 そしてその間、韓国外務省の北米局北米一課は“米日課”といわれるほど米国での反日工作に励んだというのだ。 そのため韓国はまず安倍首相の国賓訪問ということにイチャモンを付けていたが、次は在米韓国人や親韓派の米議員などを動員し議会演説阻止に動いた。「アベに免罪符を与えるな」というわけだ。議会演説やむなしとなると、今度は演説に謝罪の文句を入れさせようと必死になった。 この過程で例によって本国から、いまや国際的にも反日名士になった元慰安婦の老女が“動員”された。彼女らを押し立てた安倍非難の反日パフォーマンスが、ホワイトハウスや議会前などで執拗に展開された。愛国ポピュリズムには弱いエリートたち愛国ポピュリズムには弱いエリートたち ここでワシントンの慰安婦デモで目撃された不思議な光景についてぜひ紹介しておきたい。慰安婦デモは当然、民間団体が組織したものだったが、その場に韓国の国会議員(与党)が登場し、安倍首相非難のプラカードを掲げていた。その国会議員が何と、外交官出身で先年、韓米FTA交渉の韓国政府首席代表だった金鍾勳氏だった。 FTA交渉に際しては、毎日のようにその顔がマスコミに登場していた。そうした経歴と知名度を買われて与党の国会議員になったのだが、舞台裏での対米工作ならともかく、元慰安婦など反日運動団体と一緒になってデモまでしているのだ。超エリートの大使級外交官出身でも“愛国ポピュリズム(大衆迎合主義)”に弱いのだ。 強硬な反日支援団体(挺身隊問題対策協議会=挺対協)に振り回され、解決できなくなっている慰安婦問題が象徴するように、国家的権威が弱体化している近年の韓国について筆者は“NGO国家”とよく皮肉っている。その意味でワシントンでの韓国国会議員の風景は、そうした韓国の国家状況を象徴するものとしてじつに興味深かった。 安倍演説には、韓国が要求してやまなかった「謝罪」は含まれなかった。関連部分は「戦後の日本は先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行ないが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理とまったく変わるものではありません」となっている。日米関係は日韓関係ではない。これで十分だろう。 韓国側で官民挙げて不満、非難が語られても、ここは日米関係の場である。日本の大方の国民世論としては、日米関係にまで韓国がシャシャリ出てきて、米国での首相の議会演説にまでイチャモンを付けられたのではたまったものではない。日本世論の反韓・嫌韓感情に新たな油を注いだことは容易に想像できる。 後世、韓国外交史の汚点といわれるかもしれない今回の安倍演説阻止工作について、早くから批判と反対を明確にしていたメディア論調がある。唯一の批判として紹介するが、以下は『週刊朝鮮』(朝鮮日報社系、3月2-8日号)の崔埈碩植編集長が編集後記のエッセイで書いたものだ。 「安倍政府の過去史問題に対する認識を憂慮する。日本社会の過去回帰の動きはじつに心配です。しかし韓国はこれに知恵深く対処しなければならない。一部の人びとが度を越えた行動をし、言論がいちいちラッパを吹くというやり方はよくありません。“強力に対応すべし”などと言うのはやめよう。柳成竜は『懲毖録』に“わが国は日本と平和に付き合うべきということをぜひ忘れないでほしい”と(対日外交を担当した)申叔舟が死に際し国王に伝えたと書いています。大韓海峡の波濤が高まらないことがわれわれの利益です」 安倍首相訪米が終わったあと、韓国では韓国外交の失敗と孤立化そして危機論がしきりに語られている。これまで歴史問題にこだわりすぎたというのだ。これからは歴史と安保・経済・文化などを切り離し、後者を優先したいわゆる“ツー・トラック外交”をすべきだという。すでに指摘した日韓首脳会談早期開催論もその一環である。 これまで韓国マスコミは慰安婦問題を押し立て、日本非難の“歴史外交”を煽ってきた。そして「安倍憎し」から日米同盟強化が韓国にとってまるでマイナスかのように歪曲、扇動を繰り返してきた。そんなマスコミが手のヒラを返したようなことを言い出したのだ。典型的な“マッチポンプ”で可笑しいが、自己批判と反省なら歓迎である。安倍総理は悪魔か 安倍演説に対し直後の韓国マスコミは、自らへの癒やしとして米国の親韓派議員や知識人を動員し不満と批判を語らせていたが、日韓首脳会談早期開催論をはじめその後の韓国世論の展開を見るかぎり、とりあえず安倍首相の対韓外交は勝利したことになる。 首脳会談早期開催を主張しているなかで、米国通の代表的コラムニスト金永煥氏は「米国は(今後)韓国に対し日本との関係正常化や韓米日安保協力体制参加の圧力を強めるだろう。慰安婦や歴史問題にこれ以上こだわって日本を避けるなら、韓国は米国から孤立するだろう」と警告している(5月8日付『中央日報』)。 そのうえで「アベは道徳的に問題のある人物だが、国益のためには悪魔とも踊りを踊らなければならない」という。安倍バッシングの韓国マスコミによって安倍首相もとうとう〝悪魔〟にされてしまった。余談的だが、これなど朴槿惠大統領に対する『産経新聞』の名誉毀損告訴事件を考えれば、韓国流では告訴モノではなかろうか。 米国で「アベに謝罪させる」ことに失敗した韓国は、六月中旬には朴槿惠大統領が訪米することになっている。韓国にとってはいわば日本を強く意識した雪辱戦である。「日本寄りになった米国を韓国に引き戻す」「日本よりもっと多くの成果を」と早くも政府はマスコミ世論からシリを叩かれているが、一方では「大統領の訪米は“過去史外交戦”の舞台ではない」(5月16日付『朝鮮日報』)とか「日本牽制が韓国外交の存在理由なのか」(5月18日付『中央日報』の文正仁・延世大教授)と外交路線転換を求める声が強く出ている。 硬直した朴槿惠大統領の対日外交が、いまや世論の批判にさらされているのだ。父・朴正熙は50年前、世論の反対を押して国交正常化を決断したが、娘は世論の反対を押して日韓首脳会談拒否を続けるのか。国交正常化に比べると首脳会談開催―関係改善など“歴史的決断”というほどのものではない。しかも世論の負担もない。早く日本との関係を何とかしないとこの夏、国民はもっと落ち着かなくなる。関連記事■ 韓国人こそ歴史を学べ!――朴槿惠大統領は父親を糾弾すべし■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ トンチンカンな左派マスコミ

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    「用日論」をいう韓国に手助けは無用

    拳骨拓史(作家)追いつめられる韓国経済 1965年6月22日、日本と韓国は日韓基本条約を締結し、国交正常化を果たす。今年は締結50年の節目であるが、日本と韓国の関係は日を追うごとに悪化している。5月12日、韓国国会は本会議で「反省のない安倍糾弾決議案」を在籍議員238名の全員一致で可決した。『中央日報』によれば、この決議案の目的は安倍晋三首相が米国議会で行なった演説や、あらゆる場所で日本の侵略と植民地支配、慰安婦問題について言及していないことに対する抗議だという。 そもそも日本の首相がなぜ“あらゆる場所”で、謝罪をしなければならないのか疑問だが、一方で韓国は「政経分離」を叫び、韓国経済の成長が鈍化するなか、日本からの投資拡大を呼びかけている。円安などの影響で輸出が先細りし雇用が少なく、若者の就職難が深刻となるなか、減少しつつある日本からの投資を増やして技術や共同開発などを拡大させ乗り切りたいと韓国は考えている。そこで韓国は5月12日に崔ギョン炅煥(チェ・ギョンファン)副首相が日韓経済協会の佐々木幹夫会長らに対し「韓日関係は歴史問題で多少の支障があるが、経済関係は『政経分離』でさらに活性化するよう願う」と話したように、「政治と経済は別」だと主張し始めた。 14日には韓国経済研究院のノ・ソンテ元院長が「韓日通貨スワップ協定の中断は、アジアの金融協力の精神に合致しない」「協定復活を模索し、両国間の和解を金融・経済部門からスタートすべきだ」と訴えている。打ち切り前には、「(打ち切りの)影響は大したことはない」と胸を張っていたが、2月23日の打ち切りから3カ月も経たないあいだに復活を望んできたのである。 「日本を批判はするがカネはくれ」とは随分と虫のいい話であるが、昨今の日中関係を見てもわかるように、政治が不安定な状況では、経済にも深刻な影響を与えることになることは明らかであり、額面どおりに信じることはできない。 韓国との歴史問題訴訟では、慰安婦問題とともに徴用工訴訟が有名だが、現在、裁判となっている三菱重工業、新日鐵住金、不二越などのほかにも、2012年8月29日に韓国の政府機関である「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会」は、日本植民地時代に朝鮮人を強制連行して働かせた日本の企業を「戦犯企業」として公表。このなかには、三菱、三井、住友、日立、日産、マツダ、カネボウ、キリン、パナソニックなどが含まれている。 韓国は強制徴用工の人数は22万人に及ぶと主張し、裁判ではおおよそ1人当たり8000万ウォン(約900万円)を支払う判決が出ている。仮に1人当たり900万円の賠償請求を支払うのであれば、賠償金の総額は約2兆円にものぼる。自ら戦犯企業リストを作成して日本企業を訴えていながら、政経分離を提唱して投資を呼びかけるなど正気の沙汰ではない。このようなカントリーリスクを抱える地域に投資する企業が減少するのは当然の話である。 韓国が「政経分離」のような、ご都合主義な要求を突き付けてくるのは、昨今の韓国国内でムーブメントとなっている。これを「用日論」という。 「用日論」とは日本とうまく付き合い、利用すべきだという考え方であり、『中央日報』(2014年1月9日)が社説として「政府、『用日』の世論に耳を傾けるべき」と書いたのが最初となる。社説では日本からの対韓直接投資、観光客共に激減していることを述べ、「原則よりも、国家の利益がさらに重要だ」と指摘している。 一方で「用日」とは、日本の支援なくしては成り立たないという韓国人の自尊心を傷つけず、都合よく利用しようという上から目線のスタンスとなっている。 この背景には小中華思想(韓国は自らを中国に次ぐ文明国である「小中華」と自負し、周辺に位置する日本などは夷狄(いてき)〈野蛮な国〉と見下す思想)が垣間(かいま)見えるが、いままで歴史問題や領土問題で日本を叩いてきた韓国が急に姿勢を変えるわけにもいかず、面子に固執する側面もあり、同時にそれだけ韓国が窮地に追い込まれていることを示しているといえるだろう。国内でも無能のレッテルを貼られる朴大統領国内でも無能のレッテルを貼られる朴大統領 とくに致命的なのは経済だけでなく、外交においても安倍外交に韓国が封じ込められた点である。 4月29日、米国連邦議会上下両院合同会議において安倍首相が行なった「希望の同盟へ」と題する演説については、成功したとみて間違いない。スタンディングオベーションが14回に及んだことは、外交儀礼という見方もあるが、演説を終えて議場を引き揚げようとする首相に多くの議員が演説を讃えて握手を求めたため、安倍首相は十分以上も退出できなかった。 これを苦々しく見ていたのが国ぐるみで安倍首相の演説阻止をめざした韓国であり、翌日30日には「正しい歴史認識を通じ、周辺国との真の和解と協力を成し遂げる転換点になりえたのに、そうした認識も心からのおわびもなく、非常に遺憾に思う」と韓国外務部は批判した。 もともと韓国大統領選のとき朴槿惠(パク・クネ)大統領は、内政は未知数だが父である朴正熙(チョンヒ)大統領のファーストレディーを経験したことなどから、外交通であることをアピールして当選した。 その“得意の外交”により、日本を世界から孤立させ韓国の地位を高めるどころか、韓国が世界から孤立していく状況が、安倍演説により明らかとなったことで、韓国世論は朴大統領に「無能」の烙印(らくいん)を押し始めている。 『朝鮮日報』(4月24日)は「日本の後進外交、韓国の無能外交」と題し、4月30日には「韓国外交が、過去2年余りの無能と無気力から目覚め、国の生存戦略を立てて、これを行動に移していかなければならない時だ」と評し、さらに5月4日には「人事の刷新を通じて国を率いる力を取り戻さなければ、この政権は『無気力』という批判に晒され続けることになろう。そして結局は『無能な政権』という汚名をそそがざるをえなくなるのだ」と述べている。 『中央日報』(2015年5月8日)は「朴大統領は(中略)慰安婦や歴史問題にこれ以上しばられて日本を冷遇し続ければ、韓国は米国からも孤立するだろう。(中略)日本の嫌韓の雰囲気は極みに達した。安倍首相の歴史修正主義や軍事大国路線をいくら非難しても何も変わらない。(中略)慰安婦への謝罪を拒否する安倍首相は道徳的に問題のある人だ。 それでも国益のためには悪魔ともダンスを踊らなければならない」と書いている。 『ハンギョレ新聞』(5月14日)は「現在の東アジアの最大の不安要素は『安倍の歴史認識』や『金正恩の暴走』ではなく、『朴槿惠の無能』かもしれない」と痛烈に批判している。 朴槿惠大統領は5月13日に榊原定征(さだゆき)経団連会長らと会談した際、歴史問題について言及しなかった。朴大統領が日本の要人と会談して歴史問題に触れないのはきわめて異例の対応であり、八方ふさがりとなる朴大統領が方向転換を迫られていることの表れともいえよう。日韓国交回復交渉の経緯日韓国交回復交渉の経緯 最近、興味深く読んでいるのが、『中央日報』(韓国語版)で連載されている金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相の「笑而不答」と題する回顧録である(連載は3月2日から5月11日まで続いた)。金鍾泌とは五・一六軍事クーデターで朴正熙政権誕生の立役者となった人物であり、日韓国交回復交渉でも大きな役割を果たした韓国政界の重鎮である。 韓国は日本に対し、サンフランシスコ講和条約締結が終わるとすぐに賠償を要求しているが、1952年1月、一方的に日本海・東シナ海に軍事境界線「李承晩(イ・スンマン)ライン」を引いた上、日本人漁船員4000名以上を抑留、拷問したことで、1953年10月から4年半近く交渉が途絶えている。 日韓交渉が軌道に乗り始めたのは、安保闘争によって岸信介内閣が退陣し、池田勇人内閣が誕生した1960年10月の第5次日韓会談からである。 だが池田は当初、日韓問題については積極的ではなかった。彼を前向きにさせたのは、米国のケネディ大統領からの説得であった。池田内閣の影の官房長官と呼ばれる伊藤昌哉は「『池田さん、あんたに頼みがある。日韓だ。韓国の問題は日本が中心になってまとめなければ、どうしてもまとまらないという決定的なキー・カントリーだ、日本が。それをあんたにやってもらいたいと思う』とケネディが頼むんだよ、池田に」と当時を回想している。 韓国では李承晩政権が崩壊。野党の民主党が政権を樹立し、尹ボ善(ユン・ボソン)を大統領、張勉(チャンミヨン)を国務総理とした「第二共和国」が誕生した。 当時の韓国は農工生産も日本統治時代以下の水準となり、毎年1000万世帯の農民が深刻な食糧不足に困窮。約700万人の失業・半失業者が恒常化しており、北朝鮮やフィリピン等より貧しい状況であった。このとき、北朝鮮からは金日成によって朝鮮統一提案が韓国に行なわれている。当時の北朝鮮は経済発展が目覚ましいとされ、韓国では朝鮮統一の機運が急速に高まりつつあった。 張勉は日本からの支援を求めるため、李承晩からの政策である反日を外し、日本へと接近。日本もまた韓国の赤化を止めるため、協議を再開させる必要があったのである。 しかしこの協議も1961年5月には「反共を国是の第一義とし、今日までの形式的口合に終わった反共態勢を再整備、強化する」ことを革命公約に謳った朴正熙少将を中心としたクーデターによって中断することになる。朴大統領も日本やアメリカと同様に日韓会談に積極的であり、日本から資金を引き出し、経済危機を乗り越えようとしていた。 日米韓3カ国にとって、日韓提携は韓国経済の発展のみならず北朝鮮への対抗としても望ましい選択だと考えられたのである。 領土問題や歴史問題などは、1965年1月に日本の国務大臣河野一郎と丁一権(チョン・イルグォン)国務総理のあいだで「解決しなければならないものとして解決したものと見做(みな)す」という「丁・河野密約」(竹島密約)により棚上げされ、日韓交渉の最大の焦点は請求権問題となった(ただし、竹島密約は韓国側が主張しているものであり、日本政府は存在を否定している)。 賠償請求の金額については両者の溝は大きく、韓国側は8億ドルもの賠償金を要求するのに対し、日本側は8000万ドルであった。 両者の主張が平行線をたどるなか、大平正芳外務大臣(のちの首相)は「経済協力」によって請求権を肩代わりすることを思い付く。大平の構想は純粋請求権、無償供与、長期借款の三本柱で約3億ドルとする総額方式をとり、外貨ではなく役務や資本財を充てるものであった。大平は金鍾泌中央情報部長と会談し、無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款1億ドル以上という条件で日本が韓国に対し経済協力をすることで合意した。「金・大平メモ」である。 この結果、日本は韓国と「日韓請求権並びに経済協力協定」を結んだ。本協定によって日本は韓国に対し3億ドルを無償で支払い、2億ドルを低利融資することを定めた。このほかにも3億ドル以上が民間借款として低利融資されている。 1965年当時、日本の一般会計予算は3兆7000億円であり、韓国の国家予算は3.5億ドルであった。無償供与だけで韓国の国家予算に匹敵する巨額の賠償金が支払われたのである。 マスコミなどはあまり取り上げないが、日韓交渉の際には、韓国に残してきた日本人の財産に対する請求権の放棄も行なわれている。日本が韓国に残してきた財産は、GHQの調査によると53億ドルにのぼっている。日本はこの53億ドルもの請求権を放棄し、加えてこれだけの賠償金を支払うことを決断したのである。1964年6月3日、日韓交渉に反対してソウル中心部に集結した学生ら(奥)と治安部隊(「写真と読む 大統領朴正熙」から) 1963年2月14日の参院予算委員会において、日本社会党の戸叶武(とかのたけし)は大平に対し、「日本人の国民感情ということをもう少し日本の外務大臣だから知っておくことが必要だと思う。(中略)韓国に行ってから、あの大風呂敷の大野副総裁ですら、大平というやつはとんでもねえことをしちゃって」と発言し、対韓妥協について日本国民の感情に配慮すべきではないかと質問したように、当初の対韓妥結金額が8000万ドルであったことを思えば、日本の国民感情と乖離し韓国側の主張をほぼ呑んだ形で賠償金問題は片付いたのである(池田も大平が勝手に金額を締結したことに激怒し、その後両者の関係は悪化していく)。 だがこれほどの巨額の賠償金を韓国政府は個人にはほとんど支給せず、韓国の経済基盤を整備するために使用した。韓国政府はこのことを長く隠していたが、2009年に徴用工の未払い賃金も含まれていたと公式に弁明している。 韓国は日本からの多額の資金を元にして「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げて現在に至っている。「竹島密約はなかった」金鍾泌元首相の証言「竹島密約はなかった」金鍾泌元首相の証言 日韓国交回復交渉の最大の焦点は、戦後賠償であり、これは「金・大平メモ」により決着がついた。その意味においても、先の金鍾泌元首相の「笑而不答」には興味深い内容がいくつか含まれているのでご紹介したい。 一つは先述した「竹島密約」はデマであることを認めた点である。金曰(いわ)く、「(河野一郎は竹島に対して)『この問題は叫ぶ事案ではない。解決できない問題だからそれだけ言っても仕方ない』と話した言葉を、丁一権首相が国内に伝えた。その話が膨らんで『竹島密約』やこれに対する合意文書があるというような話に膨らんだデマにすぎない」と述べている。日本政府も竹島密約を否定しているので、金の証言は信憑性がある。 二つには、2005年8月26日に韓国外交部が公開した「金・大平メモ」は偽物であることを指摘した点である。 外交部が公開したメモは、156件、3万5354ページにも及ぶものであり、日本と合意した「無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款1億ドル以上」を提供する経済協力方式で合意したことが含まれているが、金が言うには「そのとき使用した紙は、大平執務室にあった手のひらほどの大きさのメモ用紙1枚で、その内容も非常に簡単で3、4行にすぎなかった。字体も私の手書きではない。私はハングルと漢字を混用して作成した」と述べており、大平が作成したものではないかという問いに対しても、「大平も1枚のメモ用紙に記載された同じ内容を記録した。私たちは、各自が書いたメモを相互に比較して、確認した。会談のなかで彼が書いたものではない」と明確に否定している。その上で、原本は「渡したメモは長官を介して外務省に伝達されたり、保存する過程で失われたのではないか」と推測している。 三つ目に金鍾泌元首相といえば、日韓国交回復交渉のとき、「正常化交渉の邪魔になるならば、竹島を爆破してしまえ」と発言したことが有名だが、それについては「金・大平メモ」作成時、大平から竹島問題を持ち出され、「国際司法裁判所に提訴する」と言われたため、「好きにしろ。私たちは決して、国際司法裁判に応じないだろう」「独島は私たちが実効支配している。独島を爆破したとしても、あなたに与えることはできない」と述べたのが、誤って広まったものだと述べている。金元首相が述べる明らかなウソ金元首相が述べる明らかなウソ 金鍾泌元首相の証言は見るべき点も多いが、一方で明らかな虚言が交ざっている。慰安婦問題に関する発言がそれである。 「朝鮮人慰安婦」問題は、歴史的に重要な問題として韓日会談で取り上げられていなかった。1951年から65年までの14年間の会談で慰安婦は一度も議題になったことがなかった。62年11月、私は大平正芳外相と請求権交渉を繰り広げるも、この話は取り出さなかった。この問題を知らなかったわけでもなく、日本の過ちを上書きすることは意味もなかった。それが私たちの社会の暗黙の雰囲気であった。当時、慰安婦はひどい戦場を転々としながら、人間以下の最低地獄に落ちながらも九死に一生を得て帰ってきた人びとである。体も心も傷だらけの人だった。彼らの年齢はまだ30代から40代前半であり若かった。凄惨な苦労を経験したあと、やっと母国に戻って結婚をして子供を産んで家族を養っている。彼らの過去の歴史と傷を取り出すのは二重・三重の苦痛を抱かせることだった。 韓国がいうように20万人もの女性が拉致され、慰安婦にされたというならば、社会的な大問題であり議題に取り上げないはずはない。慰安婦を問題として取り上げなかったのは、金氏が述べるような慰安婦への配慮ではなく、韓国社会全体が彼女たちを売春婦だと見下していたからにほかならない。 2000年初頭に私が韓国に行ったとき、韓国で有力な地位にある人から「慰安婦は日本統治時代は日本からカネを貰い、戦後は韓国からカネを貰い、また日本から賠償金を取ろうとする。賤しい人たちだ」と直接話を聞いている。しかし2年ほど前に再会したときには、「日本は慰安婦のお婆さんへ賠償すべきだ」と真逆のことを聞かされ、韓国社会の潮流が変わってきたのだと肌身に感じさせられた。さらに金氏は、 「(慰安婦たちが)安心して平和にこの世を去ることができるようにして差し上げるべきである」と述べるが、日本と韓国は日韓基本条約により、韓国に対する莫大なる経済協力と韓国の日本に対する一切の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく関係正常化を取り決めたはずである。慰安婦たちに手を差し伸べるのは日本政府ではなく、韓国政府にほかならない。 2012年3月、民主党の野田佳彦内閣のとき、佐々江賢一郎外務次官が慰安婦問題について解決すべく3項目の案を提示している。(1)日本の首相が公式謝罪をし(2)慰安婦被害者に人道主義名目の賠償をし(3)駐韓日本大使が慰安婦被害者を訪問して首相の謝罪文を読み、賠償金を渡す という内容である。結果的に第2項の人道主義名目の賠償を韓国が受諾しなかったため、暗礁(あんしょう)に乗り上げ、その後、野田政権は退陣した。 仮にこの「佐々江案」が了承され実行された場合、日韓のみならず、賠償金を追加で欲しいと要請する国には、たとえ「完全かつ最終的な解決」が明記されていたとしても、日本政府は支払う義務を生じ、戦後賠償はすべてやり直しになる。慰安婦問題は日韓だけの問題ではないことを肝に銘じる必要がある。その上で日本は韓国に対し、歴史問題において一歩も退く必要はなく、毅然と振る舞えば良い。韓国は日本に資本財(企業が生産活動をするために必要な資材)を依存しており、日本がなければ経済は成り立たない。本稿の最初に紹介した韓国国内をめぐる動きは、ここに端を発している。 一方で日本も「用日」という言葉を聞いてただイライラするのでは、戦略的思考であるとはいえない。韓国が役に立つならば「用韓」して利用すれば良い。国際社会は利用し、利用されるのが常であり、無償の愛など存在しないからだ。そのためには、日本は韓国に対し、もっと冷淡にいくべきである。日本が韓国に対し冷淡になっていけば、いずれ「用日」などとも言えず、日本に従わざるをえない「従日」へと変化していくであろう。今年は大東亜戦争終戦70周年である。韓国が日本にすり寄ってくるいまこそ、安倍首相は大手を振って靖国神社に参拝すべきである。 日韓国交50周年が経ち、日本と韓国の真の友好を願うならば、日本は韓国に中途半端な手助けや助け舟は出してはならない。それこそが、日韓友好の礎となると信じるのである。※崔ギョン煥の「ギョン」は日かんむりに火※尹ボ善の「ボ」はさんずいに普げんこつ・たくふみ 1976年生まれ。漢学、東洋思想、東洋史の研究を行ない、名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)、杉之尾宜生(元防衛大学校教授)に師事。論文や研究発表などを精力的に行なう。著書に、『韓国が次に騒ぎ出す「歴史問題」』(PHP研究所)、『韓国「反日謀略」の罠』(扶桑社)などがある。関連記事■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ トンチンカンな左派マスコミ

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    韓国が日本を見下す理由

     前回、韓国がなぜ反日活動を執拗に行うのかを説明し、その問題を根本的に解決するためには、歴史を直視する事が必要であると結びました。そこで今回は、日韓の近代史を振り返って見ましょう。 西暦1392年、それまで朝鮮半島を支配していた高麗王朝の王位を李成桂という男が簒奪しました。彼はすぐさま明に使者を送り皇帝に国名を選んでもらいました。それが二十世紀初頭まで続いた朝鮮という国です。 19世紀中頃になると、当時、世界を覆いつくさんばかりの欧米列強の魔の手が、とうとう北東アジアにも伸びてきました。まず、清国が阿片戦争で血祭りにあげられ、その後、西欧諸国は日本や朝鮮に対しても、首都の近くまで船を進めて開国を迫るようになってきました。日本における、その典型的な事件がアメリカのペリー提督率いる黒船来航でした。 当初、日本では、外国人を国内に入れるなという意見が大勢を占めていましたが、欧米の科学力に裏打ちされた軍事力を知るにつけ「これは、とてもかなわない」と思う人間が増えはじめ、更に清国の現状を知り「日本も欧米の植民地にされるかもしれない」という猛烈な危機感を抱いた人たちが、欧米に対抗すべく中央集権体制の国家を樹立したのが明治維新です。 そして西欧列強国に対抗するには、彼らから学ぶしかないと考えた日本政府の要人たちは、なりふり構わず西洋の社会システムを模倣しました。また、彼らの軍事的脅威に対抗するために隣国の朝鮮と同盟を結ぼうと考え、国の統治体系が変わったこともあり、改めて国交を結ぶべく使者を送ったのが西暦1868年です。 当時、欧米の軍事力は圧倒的に日本を凌駕していたのですから日本の立場としては少しでも仲間が多い方が良いと思うのは当然のことであり、また、朝鮮が日本を狙う侵略国に占領されてしまえば、その地理的位置から自国の防衛が非常に困難になるため、日本としては、何としても朝鮮と同盟関係を結ばねばならなかったのです。 ところが朝鮮は、長らく華夷秩序体制(中華皇帝を中心とした国際関係。周辺諸国を夷狄の王として中国より格下に位置付けた冊封体制)の中にいたため自分達より中華から遠い日本を蔑視していただけではなく、西洋人を夷狄として忌み嫌っていました。その外国と条約を結んだ日本から中華皇帝以外に使用を許されない「皇」の字が入った親書が来たものですから、親書の受け取り自体を拒否したのです。 本来、日本は中華冊封体制の外に位置し、独自の天皇を頂く国ですから「皇」の字を使用したとしても何の問題もないのですが、朝鮮側の一方的な思い込みにより国交樹立のための交渉のテーブルに着くことすらかないませんでした。(高まる中国や北朝鮮の脅威に日韓が連携して対抗しなければならないというのに、日本にとっては言いがかりの理由で会談すら拒否する、今の大統領を見れば、こういうところは何も変わっていないことが良く分かるでしょう)     西郷隆盛 そこで、日本国内に巻き起こったのが、朝鮮に出兵して武力で従わせようとする「征韓論」です。しかし、当時、参議であった西郷隆盛は自分が全権大使として朝鮮を説得し、平和的に同盟を結ぶと言い張り、西郷大使の派遣は実現まであと一歩の段階まで迫ったのですが、日本国内の政変により日の目を見ませんでした。簡単ではなかった朝鮮の独立 その後、日朝両国は互いに国内の政変などの紆余曲折を経た後、江華島事件を契機として「日朝修好条規」を締結しました。この条約は、この時代における他の条約と同様、ご多分に漏れず不平等条約でしたが、一つ大きな違いがありました。 それは第一条において「朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利を有する国家と認める」と、わざわざ朝鮮が独立国家であると謳っていることです。しかも日本は、この日朝修好条規締結の5年前、清との間に両国が対等である事を確認した「日清修好条規」条約を結んでいました。つまり日本=清、日本=朝鮮という対等関係になれば長年主従関係にあった清国と朝鮮も清=朝鮮という対等関係になるという理屈です。 しかし、ことはそう簡単に行くはずもなく朝鮮の独立には、それからも歳月を要しました。とはいえ、この条約をきっかけに、建国から約500年の時を経た朝鮮が、ようやく独立への第一歩を踏み出したことには間違いありません。ただし、ここで確認しておかねばならないのは、日本は善意だけで朝鮮を独立させようとしていたのではないということです。 例えが適当かどうかわかりませんが、自分の二軒隣の家が燃えている場面を想像してください。隣の人は、そんな大変な時だというのに、自分の住んでいる家は借家なので、燃えても仕方ないと思って逃げ出そうとしているようなものでした。当時の国際社会には消防局もなく、しかも日本は新しい家の建築中で他家の消火活動を行う余裕がなかったのですから、隣の朝鮮に住んでいる人たちに、本当は借家ではなく自分の家であるとの自覚を持ってもらい、自分の家は自分で消火してもらおうと懸命だったのです。 そのために日本は朝鮮の自主独立派に軍事顧問を送るなどして援助し、清からの独立を後押しした結果、その独立派が政治の主導権を握り、そのまま朝鮮も近代化への道を歩むかと思われましたが、従来通り清の冊封体制を維持しようとする守旧派がクーデターを起こしたため、一転して独立派は窮地に陥りました。 朝鮮では古来より外国勢力の助けを借りて政敵を倒すのが常套手段でしたから、この時も独立派は遅滞なく外国勢力に助けを求めたのですが、問題は、その相手です。この時、独立派の頭目である閔妃が頼ったのは従来から付き合いがあり独立を支援してくれる日本ではなく、対立する守旧派の後ろ盾である清の軍人袁世凱でした。 結果、従来からの親清派でクーデターの首謀者である大院君(国王の父)は清に捕らえられ、その一派と対立していた日本寄りの閔妃が、一夜にして親清派に転向したのです。もはや国家国民や政策など関係なく、ただ己の権力を維持するための争いでしかなかったというわけです。日本の努力は水泡に中華民国の初代総統・袁世凱 このような行動は我々日本人には理解しにくいところですが、もともと裏切りによってできた国であり、事大主義政策が国是とも言える朝鮮にとっては当たり前のことで、また一方の袁世凱にとっても朝鮮を牛耳る、またとない機会なので断る理由はなく、結局、割を食ったのは朝鮮独立のために援助し続けてきた挙句、いともたやすく裏切られた日本だけだということです。  朝鮮の基本政策である事大主義を日本の諺で言えば「長い物には巻かれろ」という意味で、長年、大国に隣接してきた小国としては、ある意味当然の選択だったのかもしれません。当時の清は大国でしたが、一方の日本は、まだまだ弱小国だったのです。弱小国の日本は、この動乱で自国の公使館が襲撃を受け、軍事顧問や外交官が殺傷されましたが何も出来ず、朝鮮独立のために尽くした日本の努力は水泡に帰したのでした。 こうして朝鮮は王の外威である閔氏一族が近代国家への道を閉ざし、再び国民の生活を顧みない政治を行うようになりました。しかし、朝鮮にも心から祖国を憂う骨のある人間がおり、この二年後にクーデターを起こして閔氏一族を追放し、国王を皇帝と改め朝鮮の独立を宣言しました。ところが、またも閔氏の要請により出動した清軍によって独立派が駆逐され朝鮮の独立はわずか三日で終わってしまいました。まったく自国の独立運動を自国民が妨害するのですから、どうしようもありません。 結局のところ、この時代の朝鮮の権力者たちは己の権力を如何に保持するのかという事しか頭になく、国家の独立、ましてや民の暮らしの事などは全く考えていなかったのです。そして、この動乱の際にも、また多くの日本人居留民が犠牲になりました。このような私利私欲のための裏切り行為や反対派に対する鬼畜のような残忍な所業を目の当たりにして、忍耐強い日本人の中にも朝鮮や清に愛想を尽かす人が多くなり始め、その意見の代表的なものが、このころ発表された福沢諭吉の「脱亜論」です。 日本としては自身が関与しなくとも朝鮮が名実ともに独立してくれさえすれば良く、あえて手のかかる朝鮮半島から手を退きたかったのですが、その後に清が居座るようになっては困るので、天津条約を結び両国が同条件で撤兵することとしました。このとき日本は外国からの侵略などの特殊なケースを除き朝鮮半島から永久に撤兵すべきであると主張しましたが、清としては属国である朝鮮の内乱などに「宗主国が出兵するのは当然だ」と一歩も譲らず、最終的に互いの国が、今後、朝鮮半島に派兵する場合は相互通知することで合意しました。ロシアにすり寄る朝鮮 ようやく日清両国が兵を退き、平和になるかと思われた朝鮮半島でしたが、相変わらず朝鮮は自立するでもなく、新たな後ろ盾を求めて今度はロシアに接近し始めました。そんなことをすれば宗主国の清が黙っているはずもなく、袁世凱は閔氏一族のライバルである大院君を伴って朝鮮に乗り込み朝鮮政府を指導する立場に就任しました。 しかし、それでも朝鮮国王はロシアへの接近を止めませんでした。その心境は「自分で独立するのは面倒なので誰かに頼りたいが、特定の誰かには支配されたくない」という感じなのでしょうか、清の顔色を伺いながら、あちこちの国に色目を使うさまは、なんとも哀れとしか言いようがありません。 それでも朝鮮政府は一定の開化政策を試み、欧米諸国から借金をしようとしますが、朝鮮独自の発展を望まない宗主国の清が許すはずもなく、様々な政策が、ことごとく失敗に終わり、それでも王侯貴族たちは民衆の生活を顧みなかったので、庶民の間にどんどんと不満が高まっていきました。 そして1884年に朝鮮国内で大規模な反乱が起きたのですが、事態を収拾する能力がなかった朝鮮政府は、またも清に派兵を要請しました。それを受けた日本も過去の動乱で自国民が虐殺された経験から、天津条約に基づき居留民保護のために派兵しました。そして反乱が収まっても日清両国が一歩も引かず、とうとう戦争になったのです。それが日清戦争です。 この戦争は詰まる所、朝鮮における日清両国の権力闘争でしたが、その影響は朝鮮半島にとどまらず、広く、その後のアジアの運命を大きく変えました。もし、清が勝利していれば、朝鮮はもとよりアジアの多くの国は、今でも欧米の支配下にあったかもしれません。 何故ならば、日本が朝鮮の独立のために戦ったのに対して、清は現状維持=植民地支配肯定が戦争の目的だったからです。事実、日本は「宣戦ノ詔勅」から「講和条約」に至るまで終始一貫して朝鮮の独立を謳い、そのために戦いました。日清講和条約が締結された割烹旅館。日清講和記念館には会議の様子を描いた画なども展示している それは、日清講和条約(下関条約)第一条を見れば良く分かることで、そこには「淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」と明記されています。 講和条約=戦争の目的=朝鮮の独立ということで、しかも条約において一番重要なことを定める第一条に明記されているのですから、これ以上の説明は不要でしょう。なにも日本が純粋に朝鮮の独立のためだけに戦ったと言うつもりはありません。当然、自国の利益のために戦ったのですが、いくら自国の利益のためとは言え、古今東西、当事国が何もしないのに、勝てる見込みの少ない戦争を他国の独立のために多大な犠牲を払って戦った国があったでしょうか。 そして、その言葉通り朝鮮は、日本の勝利により有史以降初めて独立したのでした。その象徴が、それまで建っていた属国の証である「迎恩門」(歴代朝鮮王が中国皇帝の使者を迎えるために建てられていた門)を取り壊し、文字通り朝鮮の清からの独立を記念して、その隣に建てられた「独立門」です。歴史の事実を知らない韓国国民 独立門は、現在も韓国の首都ソウルにある西大門に建っていますが、多くの韓国人が、この門について日本から独立したときに建てられたものだと誤解しています。普通に考えると、この門が完成した1897年11月20日という日付を見れば、直ぐその間違いに気が付きそうなものですが、それすら分からないということは、韓国において歴史は事実である必要がないということなのでしょう。 もう一点、韓国の歴史観を教えてくれるのが、この「独立門」の扁額は李完用の作品だということです。彼は日韓併合条約に調印した人物で、本当のところはともかく韓国国民からは親日派=売国奴ナンバーワンとも言われ、2007年に作られた事後法により、彼の子孫は財産を強制的に没収されるくらい憎まれています。 それなのに、その彼の作品が史跡として登録され、そこに多くの人が観光に訪れているのを見れば、いかに韓国国民の多くが歴史の事実を知らないのかということが良く分かります。 さて、それはともかく日本と清の講和条約により、目出度く独立国となった朝鮮。日本としては多大な犠牲を払って獲得した独立ですから、彼らが自力で国家発展の道を歩んでくれるものと期待していましたが、そうはいかないのが朝鮮という国です。 彼らは、口では独立と言っていましたが、とても当時の国際社会の荒波を乗り切っていけるだけの力はなく、彼らも本心は独立が現実的ではないことを理解していました。ですから、当初は単に宗主国を、戦争に負けた清から勝った日本に乗り換えるくらいのつもりだったのでしょう。 しかし、日清講和条約締結のわずか6日後に起きた「三国干渉」により、事態は一変します。三国干渉とは、日清戦争において日本の勝利が濃厚になり、自国の満州や支那における権益に対して危機感を持ったロシアがドイツとフランスを巻き込んで日本に圧力をかけ、日本に日清戦争で血を流して獲得した大陸における権益を放棄させた事件です。 その大義名分が、日本が遼東半島を所有すれば「極東平和の妨げになる」というものでした。しかし、日本が放棄させられた権益は、その後、彼ら自身があの手この手で清から奪いとったのですから無茶苦茶という他ありません。しかし、この時代は力こそ正義であり弱小国日本としては黙るしかありませんでした。一つ言える事は、いつの時代も臆面もなく「平和」という言葉を使う人間や国は信用出来ないということです。 その結果、朝鮮は宗主国を日本からロシアへと乗り換えました。朝鮮としては、宗主国は強いことが第一条件ですから、より長いものにまかれることは当然の行動でした。しかし、日本としては多大な犠牲を払って獲得した朝鮮の独立や日本の権益が失われることを座視できるはずもなく、それに呼応した日本派とロシア派の争いが朝鮮政府内で勃発し、しまいには国王がロシア公館に逃げ込む事態にまで発展しました。 その後、国王を手の内に取り込んだロシアは朝鮮での権益をどんどんと拡大させていきます。日本としては日清戦争で多大な犠牲を払ったにもかかわらず大陸での権益を三国干渉で横取りされたうえ、また朝鮮での権益を横取りされそうになっているわけですから、たまったものではありませんでした。 しかも、前述したとおり朝鮮をロシアにとられるということは権益云々というより国家としての死活問題なわけですから、これだけは譲れなかったのです。当初、ロシアに対して大幅に国力が劣る日本は懸命に外交努力を重ねましたが、力(軍事力)なき外交はみじめなものでした。日本の世論は併合賛成へ 当時、世界一の陸軍国であるロシアは東洋の島国のことなど歯牙にもかけず、だんだんと交渉の余地はなくなり、とうとう日露戦争が勃発してしまいました。結果、辛くも日本は勝利をおさめましたが、相変わらず朝鮮は大韓帝国と名を変えてもシャキッとしません。 日本としては、二度の戦争を行い朝鮮半島や満州におけるロシアの影響力を排除したものの、相変わらず大韓帝国が、またふらふらと他国にすり寄ってはかなわないので、保護国としました。しかし、彼らは相変わらず密使を送るなど、ちょろちょろとした動きを止めませんでした。そのような彼らの行動に対して日本国内では「朝鮮併合すべし」という意見が強くなってきました。伊藤博文 しかし、一方で財政上の理由などで反対する人も沢山おり、この問題は文字通り賛成派と反対派で国論を二分していましたが、その状態にけりをつけたのが現在韓国で英雄と崇められている安重根その人です。彼が併合に慎重だった伊藤博文を暗殺したため、日本国内の世論は、一挙に併合賛成へと傾いたのです。「英雄視」の疑問 この事件についても現在の韓国では、韓国義勇軍による戦闘行為だったと教えていますが、当時の法令や常識に照らしても理解不可能な話です。第三国の領土において軍服を着用せず、非戦闘員に対して、いきなり銃口を向けるという卑怯な手段により殺害した行為を独立戦争と呼ぶのはあまりにも常軌を逸しています。 さらに彼の主張は、暗殺後に行われた裁判での陳述や彼が唱えた東洋平和論を読めば分かるのですが、特段、反日思想に凝り固まっているわけではなく、欧米列強の侵略に対する日中韓の連携を呼びかけているだけで、暗殺は当時の朝鮮人が持つ伊藤博文個人に対する誤った認識に基づくものであったと考えるのが妥当です。安重根義士記念館敷地内に建立された安重根像=韓国・ソウル市内 いずれにしても、自国が日本に併合されるきっかけを作った人物を、彼の本心を理解せぬまま、ただ単に日本の偉人を殺害したという理由だけで英雄視しているというのは実に皮肉なものです。まあ、客観的に見れば日本と併合して初めて朝鮮が近代化したわけですから、ある意味祖国を救った英雄とも言えますが・・・。 少し話はそれますが、他にも、韓国では上海天長節爆弾事件で日本人2名を殺害し、中国国民党から大金をもらったとされる尹奉吉も英雄視されています。とにもかくにも、現代韓国においては手段や動機にかかわらず日本の要人を殺害した人間が英雄視されているのが現実なのです。 普通に考えれば他国の要人を暗殺した人物を国家が英雄として崇め奉るというのは、その国のことを見下していなければできない行為で、韓国人が日本人には何をやっても構わないと思っている証拠です。 話しを日韓併合に戻しますが、現代韓国では日本が武力で大韓帝国を植民地にしたと信じている人が少なくはありません。しかし、日本は国対国として朝鮮に武力を行使したことはなく(正当防衛等の突発事案は除く)、日韓双方が平和裏に話し合った合意に基いて、国際法に則った手続きにより大日本帝国が大韓帝国を併合したのです。 また、植民地と併合では全く意味が違います。イギリスを例に挙げれば、イギリスはアメリカやインドを「植民地」として支配しましたが、北アイルランドやスコットランドは「併合」して同じ国になり、現在もそのままです。 また、日韓併合を会社に例えるならば、業績が悪化した会社(朝鮮)をベンチャー企業(日本)が、子会社にするのではなく吸収合併したようなものです。その結果、日本が朝鮮の借金を棒引きし、インフラ整備などに莫大な資金を費やしたのは、同じ国になったのですから当然のことです。 そして、その過程で新会社の方式を取り入れて従来の方式を廃止することもあれば、人事の面でいろいろと差が出たりするのは会社合併でよく見られる光景と同じです。そんな中でも日本は朝鮮の王家に敬意を払い、王族や一部の貴族を併合後も、その地位にとどめました。 にもかかわらず、何が何でも日本が無理矢理朝鮮を植民地にしたというのは、当時、韓国最大の政治団体「一進会」が併合に対して積極的賛成であったという事実をも無視し、当時の人たちが無能で無為無策だったために併合されたと言っているのと同じことで、実に彼らを馬鹿にした話です。 ちなみに、当時の弱小国日本は、三国干渉の苦い経験から事前に日韓併合について主要国に打診しており、その結果、米英は賛成し、清国を含む、その他の主要国から反対の声は全くありませんでした。(それどころか米英から「韓国の面倒を見るように」と、押し付けられたという説もあります) こうして、新生日本が朝鮮に親書を送ってから42年の歳月をかけて、ようやく日本は朝鮮半島の住人とともに西欧列強と戦うスタートラインについたのでした。

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    歴史を知らない韓国

    「日本に正しい歴史認識を基にした誠意ある行動を期待する」―朴槿惠大統領はブラジル訪問の際、こう述べた。米国でも「韓国疲労症」が指摘されるほど執拗な反日の姿勢には嫌気がさす。しかし歴史を知らないのは韓国のほうではないのか。朴大統領にお父さんのことも含め、歴史認識を改めてもらいたいものだ。

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    朴槿恵大統領は父親を糾弾すべし

    論理的に自爆した」テロリスト ――ケント・ギルバートさんは最近、戦後日本の在り方についてのみならず、日韓関係についてもさまざまな意見を述べられており、各方面で大きな反響を呼んでいます。そもそも、このような問題に関心を抱かれた理由を教えていただけますか。ケント・ギルバート(以下、ケント) 私はもう日本に40年近く住んでいますが、この国には本当に素晴らしいところがたくさんあります。それなのに、70年も前の戦争の記憶がいまだに日本人の行動や考え方を縛り付けていると感じたんですね。自分なりにいろいろと調べてみると、じつは戦後占領期にGHQが検閲などを通じて日本人に施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」というマインドコントロールが、いまも解けておらず、それがさまざまな分野に悪影響を与えている元凶であることがわかりました。 日本は早く目覚めなければならないのに、一方で、その状態を利用して、近隣諸国が好き放題にやっている。とくに韓国の論理はメチャクチャで、幼稚なのに、日本はやられっ放しという姿をみて、「いい加減にしろ、あなたたちに何をいう権利があるのだ」と思いました。 ――メチャクチャといえば、今年3月5日、ソウル市内で開催された朝食会に出席していたマーク・リッパート駐韓米大使が、突然男に刃物で襲われるという事件が発生しました。ケント 今回の事件は完全にテロ行為であり、外国要人暗殺未遂事件です。犯人は、韓国による竹島の領有権を叫び、在韓米軍の軍事演習に反発する金基宗という前科六犯の男です。この男は過去に駐韓日本大使に投石するなど曰く付きの人物で、韓国治安当局のあいだでも顔と名前を知られた有名人でした。そんな要注意人物の侵入と凶行を、現地の警察は阻止できなかったのです。 ――アメリカ人は今回の事件をどのように見たのでしょうか。ケント 私の周辺のアメリカ人は、このニュースを聞いて「いったい、セキュリティはどうなっていたんだ!」と驚き、怒り、最後は呆れ返っていましたが、つまるところ、これが韓国政府の「実力」なのです。 実際、アメリカ人の多くはこの事件をみて、韓国がまだまだ国家として、まともな治安維持能力さえもたないことを痛感し、金容疑者の思惑とは裏腹に、「韓国はまだ一人前ではない」「在韓米軍はやはり必要だ」と考えたのです。一人の危険人物さえ阻止できない韓国から米軍が撤退すれば、翌日にも北朝鮮軍が攻め込んできて、首都ソウルは数時間以内に陥落するでしょう。 ――金容疑者はかつて、日本大使への襲撃を試み、日本人女性職員を負傷させる事件を引き起こしました。ケント 日本大使襲撃事件の際、韓国の反日メディアはこぞって金容疑者のテロ行為を「英雄的である」と報じたそうです。結局、金容疑者に対しては執行猶予付きの判決しか下りず、のちに本まで出版する人気者になった。韓国はメディアや世論だけでなく、司法までもが未熟です。欧米や日本などの先進国では、他国の要人を暴力で襲撃した人物を英雄視するなど考えられません。法治国家の根底を覆す重大な違法行為を称賛しますか? 韓国人がもっとも尊敬する歴史上の人物の一人は、ハルビン駅で伊藤博文を暗殺したテロリストの安重根ですが、このこと一つ取っても、韓国はテロリストを礼賛する国だと思われても仕方ありません。 ――安重根という人物は、いまの韓国人が信じているような、たんなる抗日運動家ではありませんよね。ケント 韓国人は安重根を理解していません。安が殺害した伊藤博文は、日韓併合にきわめて慎重でした。だから、安が伊藤を殺したことで日韓併合は一気に加速しました。駐韓米大使を襲った金容疑者と同様、自らの短絡的な行動によって、自分が最も望まない結果を導いてしまった。「論理的に自爆した」という意味において、これら二人のテロリストには大きな共通点があるといえます。これこそ本物の「自爆テロ」ですね。 ――安重根は、じつは刑務所の日本人看守や日本国内の一部民族主義者らから支持されていました。ケント そもそも安重根は明治天皇に対して大きな敬意を抱いていました。そんな安が伊藤博文を襲ったのは、「伊藤が天皇陛下の意思に反した政治を行なう大逆賊である」と考えたことが最大の理由です。 また、安が日本人の看守や、一部の民族主義者のあいだで支持された理由は、安自身が欧米列強の有色人種に対する帝国主義的植民地支配に異議を唱えていたという点にもあります。天皇に敬意を示し、欧米の植民地にされたアジアを解放しなければならないとする安重根の思想は、やがて日本が提起することになった「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」の思想と同じです。 つまり、安重根を英雄として奉ることは、いまの韓国人が忌み嫌っているはずの、戦前の日本の政治思想をそのまま敬っていることにほかなりません。歴史を知らない韓国人は、ここでもまた論理的に自爆しているのです。歴史的ファクトを無視すると、必ずこういう自己矛盾が生じることになります。 韓国人がしっかりと歴史を学ぶことができないのは、ある意味で仕方ないともいえます。なぜなら、彼らは「漢字が読めない」からです。戦後、日本統治時代の業績をすべて否定するという韓国ナショナリズムが盛り上がった結果、韓国政府は漢字の使用を廃止し、ハングル文字のみの使用を推進しました。その結果、今日ほとんどの韓国人が漢字を理解できなくなりました。ハングル文字を導入した李氏朝鮮第4代国王の世宗像=ソウル 一方、李氏朝鮮第4代国王の世宗が導入したハングル文字は、長いあいだ、漢文を読みこなす教養のない女子供が使う文字として蔑まれていました。国として教育や使用を禁じた時代もあります。いまとは真逆の状況です。 ――歴史的に軽んじられていたハングル文字を朝鮮全般に広めたのは、皮肉にも統治時代の日本ですが、現在、ハングル文字は「朝鮮民族の誇り」になっています。ケント 日韓併合に際して、日本政府は一般朝鮮人の教養レベルのあまりの低さに驚きます。そこで、朝鮮人の識字率向上のために各地で新たに学校を建設しました(20世紀初頭の小学校は40校程度→40年ほどで1000校以上増加)。小学校では、日本語のみならず、ハングル文字を普及させ、数学や歴史(朝鮮史を含む)まで子供たちに教えたのです。そんな努力の結果が今日のハングル文字の民族的普及に繋がりました。 私は、19歳から最初はローマ字で日本語の学習を開始して、ひらがな、カタカナ、漢字と学びました。そんな私が間違いなくいえるのは、日本語の「漢字かな(+カタカナ)交じり文」は合理的な上に素早く読めて、しかも表現の自由度が高いということです。ですから「漢字ハングル交じり文」は片方の文字種の単独使用よりも確実に優れた表記法だと思います。読書速度や学習効果にも差が出るはずです。やめたのはじつにもったいない。韓国人は永遠の「中二病」武士と両班は真逆  ――明治維新を経て欧米列強の力に触れた日本人は、欧米的な政治や社会の概念を日本語(漢字)に翻訳した結果、多くの「造語」が生まれました。その造語が日本から中国、韓国に流れていった結果、向こうの人たちは初めて欧米文明を理解し始め、近代化に成功しました。ケント 民主主義や自由、共和制、交通、情報、経済、銀行などの言葉は、すべて日本人の発明です。日本人がいなければ「中華人民共和国」や「朝鮮民主主義人民共和国」という国名はありませんでした。 長いあいだ、旧態依然とした時代遅れの「中華思想」のなかで呑気に生きていた韓国・中国人は、日本人が必死になって努力したおかげで今日の近代的な生活を享受しているのです。そのことを忘れるなといいたい。 私が最も指摘したい日本の業績の一つは、朝鮮半島において、李氏朝鮮時代から厳しい階級格差と差別に何百年間も苦しんでいた人びとの「身分解放」を日本政府が行なった事実です。日本は韓国人のために、本当に正しく立派なことをしたと思います。 ――朝鮮半島での「身分解放」は日本でもほとんど語られていませんね。かつての朝鮮人は、両班という階級を頂点とした「良民」と、奴婢や白丁、僧侶などの「賤民」に分けられていました。ケント 両班階級は、汗をかくような労働を嫌悪し、「箸と本より重いものは持たない」ことを誇りにしました。自分より下層の者を徹底的にいじめ、金品を差し出させ、いうことを聞かなければ自宅に連れ帰って拷問しても、罪に問われない特権を何百年も維持したそうです。 一方、上の階級から非人間的な仕打ちを受けていた賤民階級は、住居や職業、結婚などで激しい差別を受け奴隷として市場で人身売買され、白丁に至っては人間とすら認められていなかった。当然、文字など読めません。 もちろん、日本も過去に階級差別はありましたが、日本は中世以降、事実上の統治者となった武士階級は、兵士であると同時に、有能な官僚でした。さらに江戸時代になると、「武士は食わねど高楊枝」で言い表される「清貧」と「誇り」を維持する日本の武士は、庶民の期待と憧れを一身に受けました。だから『忠臣蔵』などの歌舞伎の演目が人気だったのです。同じ支配者層でも、庶民の恨みと憎悪の対象だった朝鮮の両班とは真逆です。武士の起源は、天皇を頂点とする朝廷の警護役です。じつは将軍、貴族、農民などの身分や、年齢にもいっさい関係なく、日本人は全員が天皇の下にいる臣民です。朝鮮や中国大陸だけでなく欧米でも当たり前だった奴隷売買の習慣が日本にだけなかった理由はそこにあると思います。 両班を頂点とする当時の朝鮮の激しい身分差別と、悪しき因襲は、誇り高き武士道精神をもった元下級武士らがリーダーとなり、明治天皇の下で文明開化を実現してきた当時の日本人にはとても受け入れ難く、朝鮮半島近代化の最大の足かせになることは明白でした。このため日本政府は劇的な「身分解放」を行なったのです。 ――「身分解放」は韓国近代化の第一歩となったということですね。ケント 朝鮮人を厳しい階級差別から解放した日本は、若者たちを教育するため、学問の機会を広く提供しました。おかげで、白丁の子弟でも学校に行けるようになりました。日本の朝鮮半島政策が、搾取目的の「植民地化」ではなく、自国の一部として迎え入れる「併合」だった事実がわかります。奴隷に勉強は教えません。 日本政府による朝鮮人の「身分解放」は、1863年にリンカーン大統領が行なった「奴隷解放宣言」に匹敵する先進的な政策であり、これが韓国近代化の第一歩だったことは疑う余地のない歴史的ファクトです。今日の韓国人はこの点だけでも、日本に大恩があるはずですが、それに対する感謝の言葉は聞いたことがありません。韓国人は永遠の「中二病」 ――日本政府は、日本国民から集めた血税の多くを朝鮮半島に注ぎ込み、そこで上下水道や電気、道路や鉄道などの近代的なインフラを導入しました。ケント 現在でも、北朝鮮には水豊ダムという巨大なダムがありますが、これもまた、日本政府が最新の土木工学技術と労力を投入して建設したものです。その予算たるや、当時としては莫大なものだったはずです。 ――当時日本政府が構想していた東京と下関を結ぶ「新幹線計画(弾丸列車)」に匹敵する額でした。ケント それだけでも当時の日本が朝鮮半島の近代化にどれだけ尽くしたのかよくわかりますね。 水豊ダムは、水量や発電規模も、そうとう大きかったと記憶しています。 ――資料によると、琵琶湖の約半分に及ぶ湛水面積を有し、完成した1944年当時としては、発電規模において世界最大級を誇りました。構造自体も要塞のように堅固だったようです。ケント じつは朝鮮戦争中、アメリカ軍はこのダムと「喧嘩」をしているのです。当時アメリカ軍は、北朝鮮に対する電力供給を遮断する作戦を行なっていましたが、その攻撃目標の一つがこの水豊ダムでした。アメリカ空軍は何度もダムを空爆し、最後には大型の魚雷を何本も撃ち込みましたが、それでもダムが決壊することはなかった。その後もほとんど改修を加えられることなく、今日もなお当時と変わらず発電を継続し、北朝鮮最大の電力源の一つとなっています。メイド・イン・ジャパンの底力は、当時から健在だったのです。 このように朝鮮半島の発展のために努力した日本を、いまの韓国政府とマスコミ、そして真実の歴史を調べもしない多くの韓国人が口汚く罵っている。まさに「恩知らず」であり、永遠の「中二病」みたいです。世界各国でささやかれる「芳しくない評価」も理解できます。ちなみに外国人による日本人の評価は、「正直」「誠実」「親切」「勤勉」「冷静」「寛容」「トラブルを起こさない」などですが、韓国人は見事にこの真逆です。 知り合いの外国人は、知れば知るほど韓国から気持ちが離れていきますが、私のようにどんどん日本が離れ難くなる外国人は多いです。正義感は強いが感情的にならず、穏やかに国を運営していく日本人の平和的な態度は嫉妬されないかぎり好感をもたれます。半島国家の悲しきサバイバル術半島国家の悲しきサバイバル術 ――戦後に成立した大韓民国では、「日本憎し」のあまり、ありもしない歴史が教えられています。 日本政府が今年の4月6日、中学校で使われるすべての社会科教科書に竹島領有権の主張を含めたことに対し、韓国政府は「日本政府は、韓国固有の領土である独島(ドクト)について不当な主張を強化し、歴史的事実を歪曲している」などと強く反発し、日本側に抗議しました。ケント 日本政府の提案で教科書問題を2カ国間で話し合えばいい。「韓国側の教科書と根拠資料をすべて出してください。日本側も出します。内容が妥当かどうか話し合いましょう」と呼び掛けるのです。2002~10年まで二度にわたり行なわれた日韓歴史共同研究は残念ながら非公開でした。次は公開でやりましょう。 ――なぜ韓国の歴史認識がここまで歪んでしまったのでしょうか。2014年2月、ソウルの「朴正煕大統領記念図書館」を訪れた朴槿恵氏(共同)ケント 韓国は戦後一貫して自国を「戦勝国の一員」だと主張し、「連合国側だった」と自己洗脳する努力を重ねてきました。しかし1945年の大東亜戦争終結まで、朝鮮半島は「日本領土」でした。これは歴史的ファクトです。いま韓国人と呼ばれる人たちの先祖は「日本人」として連合国と戦い、敗戦の日を迎えました。戦後に建国された大韓民国の国民ではなかったのです。存在しなかった国がどうして「戦勝国」になれますか。 戦時賠償の件も同じです。いまになって韓国は慰安婦問題などで日本政府に対する個人補償を求めていますが、もともと日本は個人補償をするつもりでした。 1965年に日韓基本条約を結ぶとき、かつての朝鮮人の軍人や軍属、役人らの未払い給与や恩給などに対する補償を求めた韓国政府に対して、日本政府は、「韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行なう」と提案しました。日本は、韓国政府の提出資料を個別に検討し、個人に対する補償として支払うべきは支払って、将来の友好関係へ繋げようとしたのです。日本政府の対応は、法律に適合した真摯なものでした。 しかし韓国政府は日本の提案を拒絶しました。彼らの主張は、「個人への補償は韓国政府が行なう」ので、それらの補償金は「一括で韓国政府に支払ってほしい」というものでした。日本政府は相手の要求に従い、「独立祝賀金」という名目で、無償3億ドル、有償2億ドル、そして民間借款3億ドルの供与と融資を行なったのです。 ――日本が支払った金は、当時の韓国政府の国家予算の2倍以上だったといわれています。ケント 法律論でいえば、日本は韓国に対して、オランダがインドネシアに対して行なったように、過去に投じたインフラ整備費用を請求できましたが、当時の日本政府は請求権をすべて放棄したのです。日本は日韓基本条約において、当時の韓国政府の国家予算の2倍以上の金を支払ったばかりか、莫大な金を投じて朝鮮半島に整備した近代的インフラなどをすべて無償で贈与し、韓国の以後の飛躍的な発展を大いに助けたのです。 そればかりではありません。日本は日韓基本条約後も、韓国政府に大金を支払い続けています。1997年に発生した韓国通貨危機や、2006年のウォン高騰に対する経済支援、そして08年のリーマン・ショック後の混乱を軽減するための支援など、日本は毎回韓国に兆単位の資金を提供し続けてきました。02年の日韓ワールドカップのときはスタジアム建設費用も提供しています。 にもかかわらず、これまでに韓国に貸し付けたお金は、まだ一部しか返還されていませんし、日本人が本当に苦しんだ東日本大震災のあとには、サッカーの試合で「日本の大地震をお祝いします」という横断幕を掲げた韓国人サポーターまで出る始末です。 ――実際に韓国では日本に降りかかった不幸を喜ぶ声が多かったようですね。ケント 強い者には媚を売る事大主義。強い相手が複数だと二股三股。弱いとみた相手からは「ゆすり」「たかり」で金を巻き上げ、罵詈雑言を浴びせ、酷い仕打ちをする。それが伝統的な「両班」の精神です。大国に翻弄され続けた半島国家が身に付けた悲しきサバイバル術かもしれませんが、政府や国民が両班のような対応をしていたら、国際社会で評価や尊敬をされるはずがありません。良識ある韓国人は、声を上げるべきです。漢字の勉強をやり直せ漢字の勉強をやり直せ ――日本は正式に韓国や中国に謝罪していないと思っている欧米人も多いようです。ケント 先日、ジャーナリストの櫻井よしこさんの番組に出演した際に、「日本は合計で約60回も謝罪している」と櫻井さんがいわれたので、「もう謝罪しなくていいですよ」と答えました。謝罪するたびに金を要求される悪徳商法にいつまで付き合うつもりですか。 韓国人に対しては、ひたすら歴史的なファクトを出すだけでいい。謝罪はもう何度もしたし、日本国の見解はこれまでの謝罪で十分示せました。謝れば謝るほど、「もっと謝れ」「もっと金出せ」といわれるだけです。 ――今年は戦後70年です。忍耐強い日本人も、「そろそろいい加減にしろよ」という具合になってきました。ケント 日本人は忍耐強いですが、じつは戦いはもっと強い。いったん怒ると、一刀両断で一気にカタを付けるか、相討ち覚悟で徹底的にやる。高倉健さんが主演する任侠映画と同じです。ナメた態度で挑発して怒らせたほうが絶対に悪いんです。だから、誰か韓国人に教えたほうがいい。「いい加減にしないと、死ぬほど痛い目に遭うよ」と。 とにかく韓国人は、戦時中の慰安婦問題や日本軍の蛮行なるものを持ち出して日本の過去を責める権利も資格もいっさいありません。彼ら自身がかつて「日本人」であったという事実もさることながら、当時慰安婦を管理した大半は朝鮮人経営者でしたし、違法に若い娘たちを売り飛ばしていたのも朝鮮人でした。そんな悪い連中を、日本政府は取り締まる側でした。 一方で、大韓民国の独立後、外貨を稼ぐために在韓米軍を対象にした慰安所を多く整備したのは、韓国政府です。それをやったのは、現大統領(朴槿惠)のお父上である朴正熙です。朴槿惠大統領は、日本にとやかくいう前に、まずは自分の父親の行為を糾弾すべきです。 さらに、韓国軍はベトナム戦争で、韓国兵専用の慰安所を運営していましたし、ベトナムの民間人に対し、目を覆いたくなるような残虐行為を数多く働いています。ベトナム人女性をレイプした韓国兵が異常なほど多かったのに、その事実に対してまともに向き合っていません。 ――アメリカでは慰安婦像の設置が行なわれていますが、これも強い者や先生に「いいつけてやる」という事大主義の精神ですね。米グレンデール市の慰安婦像の横に座る元慰安婦のイ・ヨンスさん=5月6日(中村将撮影)ケント アメリカに住む韓国人は、もう収拾がつかなくなっています。慰安婦像の設置は、人種や宗教、国籍による差別を禁じたアメリカの公民権法違反の疑いがありますよ。ただ、大半のアメリカ人は日本人と韓国人の区別さえついていませんし、歴史問題などまったくわかっていません。慰安婦問題の認知度は10%程度だそうです。オバマ大統領もちゃんと理解していないと思います。面倒くさいけど、日本はアメリカに対してはっきり説明していかないといけない。 私は何度もいっていますが、誤報問題を引き起こした『朝日新聞』は、見開きで『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』『ロサンゼルス・タイムズ』などに、自分たちの過ちを広告掲載すべきです。その上で、載せてくれないでしょうが、韓国の新聞にも掲載すれば、わかる人にはちゃんと伝わります。韓国にも、日本のことを理解して、敬意を抱く立派な人はいるはずです。日本も、そういった意識の高い親日派韓国人の味方になってあげて、何か支援ができればいいですね。 ――レベルの低い感情的な言い掛かりに対しては、まさにファクトを提示し、しっかりと議論で返すことが必要ですね。ケント 「韓国人こそ歴史を学べ」の一言に尽きるのですが、そのためには、ハングル文字だけの現代の資料では歴史的ファクトを見詰め直すことができません。要するに、漢字の勉強を一からやり直してもらいたい。韓国はそれだけで間違いなく国力が上がります。ちなみに私が漢字を学び始めたのは20歳ごろです。「自分たちのご先祖様が書いたものを自分の力でちゃんと読んでみろ」といいたい。議論はそれからですよ。 本当は放っておくのが一番です。日本は韓国と国交がなくなってもじつは何も困らない。日本に見捨てられたら生きていけないのは韓国のほうですが、引っ越し不能な隣人だからまったく付き合わないわけにもいきません。 一方、日本人の皆さんには、沈黙せずにはっきりと論理的に主張してほしいと思います。ただし、その反論の姿勢はあくまでも冷静かつ紳士的であるべきです。 ――品性を欠けば、たんなる罵り合いになり、みっともないですからね。ケント いろんなブログのコメントを見ていると、韓国人は酷い言葉を使って相手を罵るのが得意です。そんな韓国人に向かって、日本人が同じレベルに堕ちて、汚い言葉で感情的に罵れば、外国人の大半は、「ああ、日本も韓国もどっちもどっちだな」と思うでしょう。 とくに、一部のヘイトスピーチや、問題があると何でも「在日」のせいにする風潮などは、見ていて情けないし残念です。日本人には、そのような低い土俵に下りてほしくないし、下りる必要がない。その点には注意しつつ、韓国からの言い掛かりに対しては、歴史的ファクトを示し、大いに反撃してほしいと思っています。ケント・ギルバート 1952年、米アイダホ州生まれ、ユタ州育ち。71年に初来日。80年、国際法律事務所に就職して東京に赴任。83年、TV番組『世界まるごとHOWマッチ』に出演し、一躍人気タレントに。公式ブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり?」で論陣を張る。近著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)がある。関連記事■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ トンチンカンな左派マスコミ

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    100回謝罪しても当たり前とは やっぱり韓国とは付き合いきれない

    室谷克実(評論家) 国を背負っている人間も、国を取り巻く状況が日に日に悪化して、個人的にも追いつめられると、突如として(俗な言葉でいうと『切れて』だろうか)思い詰めていた本音を吐く。韓国外交省「高官」の「加害者というものは謝罪を100回しても当たり前ではないか」との発言は、朴槿恵(パク・クネ)大統領の「恨み1000年」発言以来の“ヒット作”だ。日本国は、この本音発言を100年は忘れてはなるまい。 重大人物の重大発言も、記憶そのものの脳内劣化や、自己都合的な短縮化、さらには、ネットメディアの拡大に伴う「情報取り扱い」の粗雑さが重なり、変容していく。 最近、「田中角栄(元首相)が“刎頚(ふんけい)の友”と呼んだ小佐野賢治(=国際興業グループ創業者)は…」との文章を読んで、そう思った。田中が“刎頚の友”と呼んだのは入内島金一(=角栄が上京し勤め始めたときの会社の先輩)であり、小佐野ではなかった。 ある新聞には「朴大統領は『歴史を忘れた民族に未来はない』と言い…」との記述があった。「歴史を忘れた民族に…」は、そもそも独立運動家、申采浩(シン・チェホ)の言葉とされ、サッカー場の横断幕に登場して有名になった。朴大統領がそれを述べたとしても、引用発言だ。いや、引用して述べたこともないのではないか。 外国の重要人物の重要発言は、丁寧に取り扱われるべきだ。それを伝える1次マスコミは、特派員のコメントなどどうでもいいから、カギ括弧の中を丁寧に伝えるべきだと思う。会談を前に握手する岸田外相(左)と韓国の尹炳世外相=3月21日、ソウルの韓国外務省(共同) さて、問題の韓国外交省「高官」の発言だ。日本では共同、時事両通信社が、韓国の通信社である聯合ニュースの報道を引用して伝えたが、唯一のソースである聯合の原文を私が直訳すると、こうなる。 「加害者というものは謝罪を100回しても当たり前ではないのか、何回しても関係ない」(と強調した)。 私の韓国語理解では、後段の「何回しても関係ない」とは、「これまでに何回謝罪したかなんて問題ではない」というニュアンスであり、前段の「100回しても当たり前」を補っている。つまり、永遠に謝り続けろと言っているのだ。 つい最近までの流れを見れば、以下のようになる。 ▽韓国「謝罪しろ」 ▽日本「すでに謝罪した」 ▽韓国「していない。謝罪しろ」 ▽日本「国交交渉当時の椎名悦三郎外相も…全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領に対しても…金泳三(キム・ヨンサム)大統領に対しても…村山談話でも…」 実際には、韓国人記者との懇談の席では「コウモリ外交=日和見外交」批判論議に続き、米国首脳部に台頭する「韓国疲労論」をめぐるやりとりがあったのだろう。ここで「何回しても関係ない」「加害者というものは…」が出たのだ。 「加害者と被害者という歴史的な立場は1000年の歴史が流れても変わらない」(朴大統領)、「加害者というものは謝罪を100回しても当たり前」(高官)-見事な対句をなすではないか。が、日本人からすると“もう付き合い切れない人たち”としかならないだろう。むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「悪韓論」(新潮新書)、「呆韓論」(産経新聞出版)、「ディス・イズ・コリア」(同)などがある。関連記事■ 朴槿恵大統領の呆言、妄言、妄言録■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 一色正春が説く なぜ韓国は日本を許さないのか

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    日韓協力推進のカギは多国間の取り組み

    崎研究所 米外交問題評議会(CFR)のバン・ジャクソン研究員が、4月20日付のDiplomat誌で、日韓関係改善の道は、PSIなど第三国を含む枠組みの中で協力関係を図ることにあり、米国もその方法により関係改善を支援すべきである、と論じています。 すなわち、理論的指標からみると、日韓はお互いに友好国になる筈だが、両国は島の問題などのため意味ある二国間関係を持てないでいる。 理由の一部は、両国の国内政治にあると言われる。しかし、国内政治だけでは十分な説明にならない。社会学者や歴史学者は、問題は、特に植民地時代の経験を通じて作られたアイデンティティーにあるとする。しかし、同様の経験を持つフィリピンでは事情は違っている。韓国では、対日関係が団結のためのナショナリズムになっている。日本統治の辛苦が韓国人の韓国人たる所以になっている。 さらに、日本人の記憶は違う。過去につき日本に責任があるがすべてが悪かったわけではないとか、日本も犠牲者だったとかといったことになる。確かに、原爆の犠牲になった唯一の民族である。 このようにみると、歴史問題は簡単には克服できそうもない。ビクター・チャーは、地政学的脅威や利益を共有しても日韓友好の新時代が到来するとは言い切れないとする。共同記者会見を終え、握手するケリー米国務長官(左)と韓国の尹炳世外相=5月18日、ソウルの韓国外務省(共同) しかし、成す術がないわけではない。二国間関係が悪くても、両国は他のレベルや他の方法で協力することができる。2005年双方の海保が対峙した時でも両国は六カ国協議には活発に参加した。2012年に日韓防衛情報保護協定が署名直前に韓国の反対でできなくなった時でも、日韓は大量破壊兵器不拡散イニシャティブ(PSI)の演習など諸々の活動に参加した。 米国が日韓を協力させたいのであれば、両国に第三国を含む多国間の活動に参加させるようにすべきである。そうすれば、日韓協力の道筋が見える。日韓二国間の利益計算の枠内で両国に協力を促すことに時間を浪費するよりも、アジアの他国との多国間の枠組みで両国が協力するように焦点を当てるべきである、と論じています。出典:Van Jackson ‘How to Fix the Japan-South Korea Relationship’(Diplomat, April 20, 2015)http://thediplomat.com/2015/04/how-to-fix-the-japan-south-korea-relationship/* * * 日韓を二国間の枠内で協力させようとしてもうまく行かず、むしろ、多数国間の枠内で日韓を協力させていくべきだとの主張は、目新しいものではありませんが、有益です。 日韓両国が二国間シンドロームから抜け出すには、国内の、あるいは、国外のオネスト・ブローカーが必要となります。かつては、両国の大物政治家がそのような役割を果たしてきました。しかし、今はそれも期待できません。そうであれば、米国しかありません。今、米国は、日韓関係を改善しようと、努力を続けています。2月27日の国務省シャーマン次官補のアジア演説は日韓関係にも触れた良い、正直な演説でした。ところが、これに韓国は強く反発しました。米国が釈明のステートメントを出して、問題にはならなかったようですが、最後のオネスト・ブローカーである米国を疲れさせてはいけないでしょう。 ジャクソンは、2012年9月26-27日のPSI演習を高く評価しています。同年の演習は韓国が主催したもので、韓国の威信もかかっていました。開催されたことは良かったですが、問題もありました。参加国の艦艇は釜山港寄港を予定していましたが、海上自衛隊護衛艦の寄港は拒否されたのです。 いずれにしても、日韓関係は、双方の努力により何とか前に進めて行くことが必要です。それには、以下のようなことが考えられます。 例えば、北朝鮮のミサイル、核、そして拉致問題をみても、深刻さを増しています。民主主義国家である日米韓の連携が、益々重要となってきていることを、韓国も認識して行動をとってくれることを、日米両国とも願っています。韓国内でも、安全保障専門家の中には、同様の意見を持つ者も多いようです。関連記事■ 韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」 ■ あの日を境に変わった私のメディア認識■ ケント・ギルバートが説く 日本がサンドバッグから脱するとき

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    韓国はなぜ謝罪にこだわるのか?

    岡本裕明(Blue Tree Management 株式会社 代表取締役) 安倍首相がアメリカから帰国し日にちが経っているにもかかわらず、一部ネットのニュースには今だ、韓国発の「安倍首相の謝罪要求」のテーマが並んでいます。先日は中央日報が「日本はなぜ謝罪をしないのか?」というコラムを立ち上げていましたがしつこい韓国人の性格がよく表れていると思います。 朴政権の対日外交は失敗した、あるいは中国からもアメリカからも冷たくされたという報道で慰安婦問題は切り離すと言いながら両国間の問題の本質であることに変わりはありません。(経済と慰安婦を切り離すことでいいとこどりする作戦なのでしょうか。) 安倍首相がアメリカで様々な講演をした中でもっとも重要なポイントは日米が未来志向の努力をしてきたことを双方がきちんと認識し、前に向かっていることを確認したことではないでしょうか?もしも日本が韓国のような謝罪要求文化を前面に出していれば広島、長崎の原爆、大空襲による民間人の損害賠償で今の日米関係はあり得なかったでしょう。そうなれば直接的交戦がほとんどなかった欧州と仲良くしていたのでしょうか?歴史のレバタラです。 日本が未来志向であるのは8月15日の涙によって切り替わった点でもよくわかります。人はそれほど変ることが出来るのか、という外国人の疑問はあるでしょう。しかし、外国には宗教があり、その予言者なり牧師なりがお言葉を発した時、人々の発想は素直に納得し、180度転換することもありましょう。日本は神道であり、八百万の神がいます。その究極は万世一系の天皇であり、その陛下のお言葉は日本人にとっては神の声そのものであったと言ってもよいのであります。 マッカーサー元帥が昭和天皇を戦犯にするかどうかを検討した結果、それをすることは日本を死に追いやるという判断を下したのは実に賢明であるとともによくぞそれだけの勇気ある決断をしたと思います。それが日米間の新たなる未来志向の関係のベースラインであり、現代の成熟しお互いが尊重し合える関係が形成されてきたと思います。 では韓国人はなぜ、謝罪にこだわるのか、様々な見方があるかと思います。 根本は儒教に依るところは否定できないでしょう。司馬遼太郎氏はその著書で「儒教とは華(文明)であるにはどうすればいいかという『宗教』で、『野蛮』を悪とした。しかし現実には文明が野蛮に服従している」とあります。これはうまく言いあてていて、「野蛮」に日本を当てはめるとぴったりくるわけです。 韓国は自分たちが上であるという自負が強い一方で実際には日本から様々な技術を盗み、日本料理をまね、物まねコンビニを作り上げてきました。つまり日本は必要悪であり、なくては困るのです。しかし、悪は悪なのですから思想的に許されません。 残念なことに儒教は宗教の様に代弁する人がいません。ですので儒教は宗教ではなく思想であります。これは発想の修正、修復がしにくい点で過去に固執し、がんじがらめになりやすくなるともいえないでしょうか? 日本は慰安婦問題について過去、何度も謝罪を繰り返しています。しかしながら首相が代わる度に「謝罪」を要求するのはなぜでしょうか?これは謝罪の意味が違うのだろうと考えます。日本では問題が生じた時、世論が騒ぎ、最後、テーブル越しに3人ぐらいが立ち上がり、フラッシュがたかれる中、深々と頭を下げることを意味します。その時点で日本人は程度の差こそあれ、許すことを知っています。許しが出れば再生できるわけです。よく日本人は失敗するとバッテンがついて一生立ち直れないと言います。しかし、ことと状況次第では不遇にはなりますが、ひっそりと静かに生きるという再生は可能です。 ところが韓国の場合には大統領からして1000年も恨み続ける文化であると述べています。これは日本の首相が2年に一度変わるとして500回謝罪してもまだ許しをもらえないという意味であります。 私はこの謝罪とは上下関係の明白化であると考えています。つまり絶対服従を意味しているのではないでしょうか?中華思想において日本は野蛮な国であります。その野蛮な人種から辱めを受けたとするならばそのつじつまは合います。よって謝りつづけさせることによりその上下関係を明白にするポジションセットが背景にあると考えています。 韓国が求める謝罪要求文化についてもう少し書いてみたいと思いますので明日に続けたいと思います。韓国人が日本人に謝ることはあるのか韓国人が日本人に謝ることはあるのか 日本に対して謝罪を要求し続ける韓国ですが、韓国人が日本人に謝ることはあるのでしょうか?私の経験からは日本人には謝るどころかお礼すらまともにされないことがしばしばでした。自分が日本人から習いたい時は「センセイ」と敬い、揉み手ですり寄る一方で、それをゲットした瞬間、態度は豹変です。 教えてもらって当たり前、これはもらって当たり前、という発想です。私が高校生の時、嫌なクラスメートがいて「君のモノは私のモノ、私のモノは私のモノ、だから借りたものは返さない」というとてつもない論理を振り回していた人がいて、いまだに貸したモノは返ってきていません。私も1000年の恨みを言い続けようかと思ってしまいますがこれと同じ論理ではないでしょうか? 韓国人が謝らないのは「チェミョン(メンツ)」を大事にし、論争好きであるとする法政大学、朴チョン玄教授の著書もあります。謝れば自分の非を認めることになり一生、その挽回は出来なくなると考えているというのです。ならば日本人もこれ以上、謝ってはいけないともいえるのです。だからこそ、安倍首相のアメリカ議会での演説、あるいはインドネシアでのバンドン会議で深い反省の意は表したものの謝罪はありませんでした。これは首相が謝罪の定義をきちんと捉えている表れではないでしょうか? 韓国ではメンツを大事にするが故にあちらこちらで殴り合いのけんかが起きてしまいます。その血みどろの戦いを最後に解決方法ですが、朴教授の著書によると「ウリという身内意識が強く、同郷の地縁、血縁、学縁、親、先輩、先生の序列上で上が述べたら下は従う」という事であります。これは一神教には神がおり、日本には天皇陛下、韓国にはウリがいるという事なのでしょうか?やや次元が違う気もしますが否定もできないでしょう。 ここに一つ注目したいのはこのウリに政府は入っていないということです。私が問題視しているのは国民感情と政府は一体化しておらず、ここにも韓国人論でキーワードともいえるアンビバレンス(相反感情)があるともいえるのです。そして精神的なリーダーシップ不在となる中で韓国がてんでバラバラとなりつつあるともいえるのです。 これは韓半島の歴史そのものであり、いまだに北と南で相反する関係もそれである程度説明できるでしょう。あるいは朴大統領の低支持率や相次ぐ首相の交代も良い例であります。 ところで日本と韓国がいつから仲が悪くなったのか、いろいろ紐解いてみました。大陸と日本の間には長い行き来の歴史があり、その中で長年、日本を蔑む傾向はあったようです。が、直接的きっかけは私がみる限り、1592年の豊臣秀吉の朝鮮出兵である文禄・慶長の役ではなかったかと思います。その当時より朝鮮人からすれば日本はとんでもなく野蛮な人種であることを強く印象付けたようです。 その背景は明と李氏朝鮮の関係に遡ります。中国で蒙古族の元が倒れ漢民族の明となったのが1368年です。時を同じくして朝鮮半島では李氏朝鮮が1392年に勃興します。その李氏朝鮮は仏教を禁じ、儒教をもって国教とし、明でポピュラーになった科挙も取り込むことで明と李氏朝鮮は一体化した体制を作り上げました。それは儒教の「礼」の思想を根底とした主従関係(冊封関係)を体系化したと言ってもよいでしょう。 言わずもがな日本は野蛮な国としての認識を深めたわけであります。そのような主従関係がしっかり出来上がった大陸に対して豊臣秀吉が朝鮮出兵をし、非常に後味の悪い結果を生んだことは朝鮮の歴史に深く刻み込むことになったのかもしれません。 韓国の要求する謝罪の意味あいは日本人の口癖である「アイム ソーリー」とまるで違うということをまずは知るべきです。日本ではソーリーは何回行ってもそれ以上の意味合いはありません。人間関係の潤滑剤のようなものだからでしょう。しかし、諸外国では謝罪はその責任を取り、何らかの補償を行うことに繋がります。 安倍首相がこれ以上の謝罪をしないのは65年の日韓基本条約で責任問題は解決済みだというスタンスを貫いているからであります。謝罪すれば李明博前大統領のように「日本が解決策を打ち出さない」というとんでもない論理を振りかざされてしまいます。 慰安婦問題などを論じるにあたり謝罪が解決することはないと考えています。中華思想という差別史観が何百年もの間続いた中で謝罪の定義がまるで違うことを双方が理解した上で切り口を変えたアプローチをするしかありません。 その間、両国間の謝罪文化には他国の人には簡単に理解しえない歴史とファンダメンタルな思想的相違があることを広く世界にボイスアウトし、日本が一方的に悪いイメージを持たれないような努力もすべきでありましょう。 二回にわたり、韓国の謝罪要求について考えてみました。(ブログ『外から見る日本、見られる日本人』(http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/)より5月13日、14日分を転載)関連記事■ 朴槿恵大統領の呆言、妄言、妄言録■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ ドローンの恐怖 加速する進化についていけない日常社会

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    折れた朴槿恵 父の遺産をなぜ壊したか

    ――これを阻む東アジアの冷戦構造は半世紀たってもさほど変わっていない。しかし、父が苦心して作り上げた日韓関係を、娘はドロ沼に突き落としてしまった。アメリカからの厳しい目 4月14日、韓国政府は、朴槿恵大統領への名誉毀損で在宅起訴され公判中の産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の出国禁止措置を8カ月ぶりに解除した。 なぜ、このタイミングだったのか。韓国司法当局は解除の理由を「重要な争点の審理が終わった」ことや、「前支局長への人道的配慮」を挙げているが、態度の転換が政治的判断であるのは明らかだ。「対米配慮だろう。特に“言論の自由”や“人道問題”で米国に文句を言われたくなかったのだろう」(外交筋)との見方が少なくない。 直後の16日には、米ワシントンでの日米韓外務次官級協議と日米韓防衛局長級協議が控えていた。特に次官級会議は米国が設定したもので、日米韓の間で初めての開催となった。議題は北朝鮮問題と日韓問題だった。また、その後に安倍首相のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)での演説、そして安倍訪米と上下両院合同会議での演説と続く。世界に向けた日本の発信と安倍首相のアピール、そして日米関係強化の日程が目白押しだった。2014年11月、北京の人民大会堂で中国の習近平国家主席(右)と握手する韓国の朴槿恵大統領(共同) 米国は韓国に苛立っていた。今春以来、米要人の発言が相次いでいだ。シャーマン米国務次官は「政治家たちが過去の敵を非難して安っぽい拍手を浴びるのは難しいことではない」と忠告し、キャンベル前米次官補は「金正恩氏とは条件ナシに会う用意があると言うのに、朴氏はなぜ安倍首相とはそうできないのか」と批判した。ローレス元国防副次官は「習近平氏は歴史問題を利用して日米韓から韓国を引き離そうとしているのだ」とずばり指摘していた。リーダーとしての器量が父と違う いまではよく知られるように、半世紀前の日韓国交正常化には背後に米国の強い意向が働いていた。朝鮮戦争(1950―53年)を経て・アジアの火薬庫・となった韓国、北朝鮮という分断国家は、東西冷戦の最前線であった。米国にとって日韓国交正常化は、アジアにおける自由主義陣営の砦であった。 一方の軍事クーデターで政権を取った朴正煕氏にとっては、政権の正統性や大義名分は第一国是の「反共」だけでは足りなかった。目の前には朝鮮戦争で荒れ果て復興できずにいる民衆と国土があった。「飢餓や貧困にあえぐ民衆の救済」こそが必要で、体制競争する金日成を制するためにも、経済開発に一刻の猶予もなかった。その朴正煕のモデルは満州国の経済発展だった。国交正常化で得た無償3億ドル、有償2億ドルの対日請求権資金と日本の民間ベース資金は、乾いた砂漠のような韓国全土を潤し始めた。 朴正煕氏は日韓国交正常化で米韓関係を安定化させ、日本との正常化で国際社会に政権の正統性を印象付け、経済資金を手に入れた。プラグマチスト(実用主義者)の朴正煕氏は強い指導者だった。日韓国交正常化のあと米国はベトナムに関与を深めていき、韓国はベトナム戦争に参戦、ベトナム特需で飛躍し、日本資本で高度経済成長を遂げた。 しかし、日本に「正しい歴史認識」と慰安婦問題の謝罪を要求し続ける朴槿恵氏に、父親のような政治へのリアリズムも外交の戦略性も見いだせない。 父、朴正煕氏は世論調査で常にトップの評価を受けてきた。国民所得を約20年で20倍という「漢江の奇跡」を実現、その半面で独裁、圧政の非難も受けたが、人材登用では能力のあるものを抜擢し、組織運営に長けていた。しかし娘、朴槿恵氏の政治はあらゆる問題に対応が遅く、鈍い。人事で何度も躓き組織が動かない。韓国国民の朴槿恵大統領への視線は日に日に厳しさを増し、3年目に入った朴政権はいま、苦悩している。 4月中旬のセウォル号沈没事件一年の追悼式典や集会は、事故後の対応に不満と不信を募らせた遺族らの抗議集会と化した。事故対応の不手際、その後の人事の混乱、一年たっても始まらない真相究明調査、船体の引き揚げ作業など、どれをとってもリーダーの指導力不足が批判の的だ。加えて朴政権は新たに発覚した朴大統領側近らの裏金献金疑惑も抱え、現役首相が検察の捜査を受けた。取り調べ結果いかんで首相退陣は避け難い情勢で国政には暗雲が垂れ込めている。若干持ち直していた朴大統領の支持率は再び急降下、30%台に急落している。反日外交にも疑問の声 そんな朴政権で唯一、国民の支持を受けていたのが「反日外交」だった。だが、この評価も最近怪しくなってきた。韓国の有力メディアに「別次元に進化した米日同盟、韓国は対応できるのか」「対米外交で日本がリード」「日本よりの姿勢みせる米国」などの見出しが目立つようになったのは、日本が安倍首相の所信表明に続き外務省のホームページ、外交青書のそれぞれで、これまで韓国に関して使ってきた「基本的な価値や利益を共有」との文言を外してからだ。ソウルでは、折しも駐韓米大使を親北分子が襲撃、重傷を負わせる事件も発生した。米韓関係への韓国の不安は一気に高まった。 一方、安倍外交の日米関係強化の成果は、ようやく形となってきた。昨秋の集団的自衛権容認の閣議決定に基づき、安保法制の準備が本格化し、日米防衛協力の指針(ガイドライン)改正も間近だ。経済連携政策でも日米は中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対する慎重姿勢や、環太平洋戦略経済連携協定(TPP)交渉で対中政策の歩調を合せてきた。 そうした日米関係が韓国世論を刺激している。「米国との関係で日本にリードされてしまった!」というわけだ。 安全保障問題だけではなく、慰安婦問題でも米国は安倍首相の歴史認識を評価した。米紙ワシントンポストの取材に安倍氏は慰安婦が「人身売買の犠牲となり、筆舌につくしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と述べた。慰安婦は米国で通常「人身売買の被害者」と表現されていることから、米国務省は安倍氏の発言を「歓迎」したが、これが韓国は気に入らない。「人身売買」とされて強制連行のイメージは薄れてしまった。セックス・スレーブ(性奴隷)は金銭で買われていた。慰安婦に対する日本の歴史認識が「正しくない」と、日韓首脳会談に「日本の正しい認識」を求めてきた朴外交の土台は、米国の安倍発言の評価で揺らいでしまった。 朴大統領の原則主義が放置してきた日韓関係について、韓国の知識人がようやくモノ申すようになった。韓国の著名な日本研究者は有力紙にこう寄稿している。『日米は韓国の安保の支えだ。日本との関係が改善しなければ米韓関係にヒビが入る可能性があると見抜く眼力が必要だ』。保守政治家もこう書いた。『対日外交、安全保障と歴史認識を切り離せ』『外交の舞台では悪魔と踊ることもためらってはならない』朴槿恵氏の目は覚めるのか 朴槿恵大統領は6月にも訪米を予定している。米韓関係は、中国が強く牽制する米国の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)配備問題が最大テーマとなる訪米だ。AIIB参加を表明した朴政権は、米中両国の顔を立てることに懸命である。 日韓の戦後を総括する機会となるはずだった国交正常化の記念日、6月22日を両国首脳がどう迎えるのだろうか。日本では朴槿恵政権が醸成してきた嫌韓ムードも一段落の観である。いま日本人は「韓国にはもう疲れた」と言いコリア・パッシング(韓国は無視)といった雰囲気が漂う。 朴槿恵氏に問いたいところだ。日韓関係は「父の遺産」であったはず。それは正の遺産ではなかったか? 負の遺産であったのですか?関連記事■ 朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか■ 呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    歴史認識問題で批判を続ける韓国知識人の典型的な主張

    岡崎研究所 韓国延世大学教授の李正民が、4月16日付の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙で、安倍総理が米議会での演説で歴史に向き合おうとしなければ、米国の利益にならず、アジア人の心は掴めないだろう、と述べています。 すなわち、安倍総理が4月29日米議会での演説でどのような歴史に関するメッセージを伝えるかに、アジアの関心が集まっている。 もし安倍総理が、慰安婦問題を含む日本の戦時中の残虐行為をごまかし、無視しつづけるなら、日本が戦後民主主義、人権の先導役を果たしてきたとの主張はできなくなる。多くのアメリカ人は、中国と韓国が歴史にこだわっていることを快く思っておらず、日本が大きな過ちを起こしたのは70年前のことであり、中国など他の国の歴史にも暗い時代がある、日本は戦後責任ある大国であり、ほぼすべての重要問題で米国と立場を同じくする民主主義国、米国の同盟国として、歴史的苦痛を超える勇気を持つべきである、と言う。 しかし、日本の優れた戦後の記録は、その前の出来事を消しはしない。安倍総理の修正主義は、オバマ大統領のアジアへの軸足移動も含めた米国の戦略的利益に反する。日本が歴史と向き合わないため、地域の和解ができず、中国に軍事力強化のための絶好の口実を与える。日本が歴史を否定することで、中国の国際的地位が上がり、中国の政策は他のアジアと調和しているとの見方が広がってしまう。 安倍総理はアジア人の心をつかむことより、日本を「不沈空母」にする方が重要と考えるかもしれないが、もしそれが米議会での演説のメッセージであるとしたら、日本が米国のかけがいのない同盟国、中国に対する責任ある対抗勢力、そしてアジアの友人となる絶好の機会を失うことになるだろう、と述べています。出典:李正民‘Shinzo Abe’s Duty to History’(Wall Street Journal, April 16, 2015)URL:http://www.wsj.com/articles/shinzo-abes-duty-to-history-1429203445* * * 韓国知識人の典型的な議論です。しかし、筆者の李正民は、元安全保障大使を務めた人物であり、安全保障分野では日本にも知人が多く、対中政策、対北朝鮮政策では、日米韓の3国連携を重視している人の一人です。その彼が、ここまで歴史認識に触れなければならない韓国の現在の世論の雰囲気というのは、ゆゆしき状況でしょう。 この論評が、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載されたということは、米国、米国人に対する意見として書かれたものであることを示しています。 日本が歴史と向き合わないために中国に軍事力強化のための絶好の口実を与えているとか、日本が歴史を否定していることで中国の国際的地位が上がっているという議論は、説得力に欠けるものです。 論説は、安倍総理が歴史認識を改めない限り、アジア人の心はつかめず、日本はアジアの友人になれないと言っていますが、それは事実に反します。タイをはじめ、東南アジアや南アジアの国々は、太平洋戦争に関し、日本が侵略を認め、お詫びをすべきだとは言っていません。歴史認識はすぐれて中韓2国の問題です。 1つ言えることは、今後どのような形で歴史認識問題に言及するにしても、それで中国と韓国の批判が収まるとは思われないことです。20年前、戦後50年の年に、村山談話が「植民地支配と侵略」に触れ、「心からのお詫び」を述べたにもかかわらず、中国と韓国は、それで歴史認識問題に区切りがつけられたとは思いませんでした。歴史認識問題に関する両国の批判は、今後も続くと覚悟しなくてはならないでしょう。関連記事■ 朝鮮民族の「恨」は恨み辛みや不満を生きる力に転換した状態■ 北岡君、日本を侵略国家にする気かね■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    朴槿恵の低レベル発言を嗤う

    「日帝=ナチスだった」「韓国は善良なる被害者」……。外交の場で対日ファンタジー史観丸出しの発言を吹聴して回る朴槿恵大統領。延々と続く「告げ口外交」にアメリカは辟易している。朴槿恵政権はいい加減、そのことに気付いた方がいい。

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    朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか

    澤田克己(毎日新聞前ソウル支局長)日韓で食い違う「告げ口」理解 韓国の朴槿恵大統領が5月4日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説について「慰安婦被害者たちをはじめとする歴史問題に対する真の謝罪をして近隣諸国と信頼を強化できる機会を活かせなかったことは、米国でも多くの批判を受けている」と述べた。「米国で批判されている」と主張することで、安倍首相を批判したといえる。朴大統領は20日には、ユネスコのボコバ事務局長との会談で、戦時中に徴用された朝鮮人が働かされた施設を含む「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産として登録することに反対する考えを伝えた。 ボコバ氏との会談に関するニュースが流れてきた時、私は編集局内で「朴槿恵さんらしいよね」という声を聞いた。朴大統領が日本にケチをつけるのは珍しくない、という反応だ。驚きがないから、このニュースは翌日の新聞に小さくしか載らなかった。安倍首相の演説への反応にしろ、世界遺産にしろ、日本では「またか」という受け止め方が強いというのが、率直な評価だろう。 ただ、日本でいわゆる「告げ口外交」と言われる言動について、韓国では一般に「告げ口」という意識が共有されていない。韓国では、朴大統領は「正しいことを正当に言っているだけ」であり、「告げ口」という評価は当たらないという感覚が強い。韓国人とこの話題を話すと、話がかみ合わないことが多いのだ。 こうした認識の差は、韓国と日本の社会意識の違いからくるように思われる。韓国側の特徴として挙げることができるのは、やはり儒教の影響だろう。ただし、過去の事象にどれくらい適用すべきかは判断が分かれるとしても、基本的人権のような普遍的「正しさ」というものがあるという感覚は、欧米社会にも強い。さらに、世界遺産問題では日本側の主張にもかなり苦しい部分があるのだが、この点については後述しようと思う。「正しさ」への強い確信4月29日、米議会の上下両院合同会議の演説に臨む安倍首相(共同) 朴大統領は安倍演説を批判した際、「このように日本が歴史を直視できず、自らの過去の問題に埋没していこうとしているといっても、それは私たちが解決してあげられない問題だ」と続けた。ずいぶんと「上から目線」に感じられる発言だ。朴大統領のキャラクターということもあるのだろうが、それだけではなく、自分たちの立場が絶対的に「正しい」という確信が背景にあると見るのが自然だろう。 これは、儒教に基づく韓国社会の伝統的思考法に則ったものだ。韓国では、「正しさ=正義」が絶対視される。別の言い方をするならば、道徳性が非常に重視される。ただ、正義や道徳性の判断基準は自分たちが決めるので、その感覚を共有しない他者から見ると「正義の押しつけ」になってしまう。だから、日本とは「正しい歴史認識」を巡って衝突することになる。 現代韓国研究の第一人者である慶応大の小此木政夫名誉教授は「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下にあったこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分たちの正統性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外に方法がない。それが、『正しさ』を追及する伝統を生んだのではないか」と話す。 1980年代までの強権的体制の下ではこうした意識が顕在化することはなかったが、民主化と冷戦終結によって重しが外れ、「伝統」の影響力が復活してきたと考えられる。こうした現象は、韓国に限らず、東欧などでも見られることだ。強い序列意識が背景に 韓国の社会意識に大きな影響を与えている儒教・朱子学は、序列意識の強いものだ。そして、序列上位のものには道徳性を強く求める「徳治」が強調される。この考えは、国際関係にも持ち込まれる。韓国が自らより序列上位にあると考える欧米先進国や国際機関に徳を求めて、韓国の正しさ=日本の不当性を訴えようとなるようだ。 その裏には、強大国に力で対抗できない「小国」だと自らを規定する意識がある。周辺国の思惑と争いの中で、自らの運命を主体的に決められずにきた朝鮮半島の歴史を背景にしたものだ。 だから、過去の侵略行為を否定し、慰安婦問題での日本の責任を否定する(と韓国が考える)安倍首相を、米国が歓迎するようなことは、あってはならないことだ。米国を訪れる外国首脳に対する最高のもてなしである、上下両院合同総会での演説の機会を安倍首相に提供し、過去への謝罪をしない安倍首相に拍手を送ることは言語道断ということになる。 それなのに実際には、慰安婦問題や植民地支配について演説で明言しなかった安倍首相に、米国の議員たちは総立ちの拍手を送った。韓国の感覚からすれば、あってはならないことだ。韓国メディアが演説後、「韓国外交の敗北」などと大きく書き立てるほどのショックを受けた背景には、こうした感覚があるといえそうだ。 日本と同じように、韓国にも「国連信仰」がある。世界遺産の問題でユネスコが「正しい」姿勢を見せることに期待する韓国の心理は、安倍演説への反応に通じるものだ。米国やユネスコに「正しい主張」を伝えることは、決して「告げ口」などとは評されないのである。日本相手だけではない「告げ口」日本研究者の「声明」に安堵 米国の著名な日本研究者ら187人が5月4日、慰安婦問題などで安倍首相に批判的な見解を示した「声明」を発表した。賛同者はその後、457人に増えている。 声明は、慰安婦問題について「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」と指摘。戦後70年の今年は「日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会」だとして、安倍首相に適切な対応を取るよう求めた。 韓国メディアが歓迎したのは当然だが、その背景には、やはり「国際社会が味方をしてくれた」という安堵感があるはずだ。 研究者たちの声明は、慰安婦問題が「韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と中韓を批判する一方で、「強制連行」があったかどうかよりも「非人道的制度を取り巻く、より広い文脈」を重視すべきだと指摘している。普遍的な人権問題としてとらえる国際社会の潮流を反映しつつ、単純な日本批判に陥らないよう苦心した跡のうかがえる内容だ。 残念ながら韓国メディアの多くは、自分たちの「正しさ」に合う部分だけに焦点を当てて報道し、中韓への苦言は無視したり、簡単に触れるにとどめていた。 ただ、朝鮮日報が「日本に対する世界の著名な歴史学者たちの批判を、第三者によるものだから意味があるというならば、韓国に対する彼らの苦言も第三者によるものだから価値があると受け止めるのが成熟した姿勢だ」というコラムを掲載するなど、一部ではあるものの、正面から受け止めようとする姿勢も見られたことは留意すべきだろう。日本相手だけではない「告げ口」 実は、日本的な感覚で「告げ口」に見える行動は、日本を相手にした時だけ出てくるわけではない。修学旅行の高校生ら300人余りが犠牲になった昨年4月の「セウォル号」沈没事故の時も、朴槿恵政権に責任があると糾弾する活動が、約250万人の韓国系市民が住む米国で繰り広げられた。中韓投資フォーラムに出席した中国の習近平国家主席(左)と韓国の朴槿恵大統領=2014年7月4日、ソウル(代表撮影・共同) 事故の約1カ月後には、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに「真実に光を」と題する1ページ全面を使った意見広告が掲載された。ニューヨーク・タイムズには「なぜ韓国人は朴槿恵大統領に怒っているのか」、ワシントン・ポストには「朴槿恵大統領はセウォル号と共に韓国の民主主義を沈めようとしているのか」というサブタイトルがそれぞれ付いていた。 ニューヨークなど、全米各地で朴大統領の退陣要求集会も行われた。左派系ネットメディア・オーマイニュースによると、マンハッタンでの集会には約150人が参加した。参加者たちは、英語と韓国語で「朴槿恵は出て行け」などと書かれた横断幕やプラカードを持って、「無能無責任な朴槿恵反民主独裁政権を糾弾する」と訴えたのだという。 朴大統領と敵対する進歩派による「場外乱闘」だ。米国の世論が、韓国内の問題に対する抗議活動に大きな関心を寄せるとは考えづらい。抗議活動をしている人たちも、そんなことを本気で期待しているわけではないだろう。米国の世論に「正しさ」を訴えている姿をアピールすることが大事だという感覚があるようだ。世界遺産問題は日韓の意思疎通不在を象徴 「告げ口」外交という本筋からは外れるが、世界遺産問題と関連して一つ紹介しておきたい。「明治日本の産業革命遺産」の対象時期の問題だ。私が知る限り、本稿を書いている5月下旬時点で、このことにきちんと触れたのは5月22日付毎日新聞の社説だけである。 冒頭で紹介した朴大統領の言及にある通り、韓国は、「産業革命遺産」には徴用された朝鮮人が働かされた施設が含まれていると反発している。日本側はこれに対して「対象となっているのは1850年代から1910年までであり、第二次世界大戦中の徴用とは時期が違う」と反論。菅義偉官房長官は「韓国の主張するような政治的主張を持ち込むべきではない」(5月22日の記者会見)と、韓国の反発を一蹴している。 日本も、戦時中に朝鮮人徴用が行われたことを否定しているわけではない。争点といえば、世界遺産登録の申請に入っている時期ではなかったということになる。 申請で対象とされた1850年代は、幕末という意味だ。それくらい、私にもすぐ分かった。だが、「1910年まで」というのは分からなかった。そのため政府の担当者に「1910年に何があったのか」と質問したところ、「ロンドンで開かれた日英博覧会に八幡製鉄所で作られた鉄が出品された」という答が返ってきた。日本が産業化に成功したことを西欧諸国に知らしめた記念の年ということらしい。 世界遺産登録をめざすにあたって、日本の成功を西欧諸国に誇示できた年を区切りとすることは、遺産群にストーリー性を持たせ、訴求力を高める効果を期待できる。だから、申請に当たってそうした手法を取ることは当然であり、なんら批判されるべきことではない。負の歴史があったから世界遺産として保存すべきでないという主張も、正当なものとは思えない。 ただ、1910年が、日本の産業化における画期的な年として従来から認められてきたのかと問われれば、かなり苦しいと言わざるをえない。 象徴的な施設の一つとなっている長崎県の「軍艦島(端島)」で保存運動に取り組んできた関係者によると、世界遺産申請の話が出た当初から、関係者の間では朝鮮人徴用への反発が出るのではないかという懸念があった。そのため、軍艦島などは対象から外そうと検討されたこともあったという。この関係者は「この問題をクリアできるようにしたのが、1910年という区切りだった」と話した。 石破茂・内閣府特命担当相は5月8日の記者会見[注]で、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になった」と説明すると同時に、「この年は日韓併合の年ではないかという指摘も当然予想される」と話した。石破氏の発言にある通り、1910年というのは、韓国との関係においては感情的反発を呼びやすい年でもある。 この問題では、日韓両国の専門家や外交官の多くが「昔だったら事前調整がきちんと行われ、大きな問題にはならなかったはず」と口をそろえる。当初からそうした懸念を持たれていたにもかかわらず、最終局面になるまで放置されていたということは、まさに近年の両国間における意思疎通の不在を象徴するものといえるだろう。[注] http://www.cao.go.jp/minister/1412_s_ishiba/kaiken/2015/0508kaiken.htmlさわだ・かつみ 1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11~15年ソウル支局。15年5月から外信部副部長兼論説委員。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。近著に『韓国「反日」の真相』(15年、文藝春秋)。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 朱子学の影を引きずる朴大統領の反日■ 本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造

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    朴大統領に問われる反日外交の検証

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 韓国の朴槿恵大統領は過去2年余り展開してきた日本の歴史問題に対する“告口外交”への再考を強いられてきている。というより、外交路線の変更を余儀なくされている。 朴大統領は4日の首席秘書官会議で、「われわれの外交は歴史に埋没せず、歴史は歴史としてしっかり対応し、韓米同盟や韓日関係、韓中関係などの外交問題は別次元の明確な目標を持って、今後もしっかりとした信念の下、積極的に努力してほしい」(韓国聯合ニュース日本語電子版)と述べ、歴史問題と経済・安全保障は区別して対応するという対日外交の基本方針をあらためて示したというのだ。 このニュースは本来、朗報だが、韓国の一方的な反日攻勢にさらされ、傷つけられてきた日本人ならば、「なんと身勝手な政策変更だ」と批判の一つでも呟きたくなるだろう。 朴大統領は就任後、2年余り、反日外交を主導し、外遊先では告げ口外交を展開してきた張本人だ。その間、日本国民は旧日本軍の慰安婦問題で追及され、米国でも慰安婦像が設置され、年内にはソウル市庁舎前広場にも慰安婦像が設置されるという。その大統領はここにきて歴史問題と経済・安全保障は区別して対応するという。朴大統領は過去2年余りの反日外交を検証したのだろうか。 韓国は歴史問題を反日攻撃の武器として利用してきた。その間、日本側は首脳会談の開催を打診するなど、対話を模索してきたが、韓国側からは「先ず、謝罪しろ」と一蹴されてきた。その韓国がここにきて、「歴史問題と経済・安保問題は区別して対応する」と言い出したのだが、日本側が果たしてすんなりと応じるだろうか。 日本の社会では既に嫌韓が広がる一方、韓国への無関心が広がっている。知識人の間では、韓国とは冷静に話し合うことができない、といったネガティブな韓国観が定着してきた。停滞傾向が見えてきた国民経済を回復させるため、韓国が日本へ再度歩み寄ってきたとしても、日本側から「はい、そうですか」といった返答は期待できないのではないか。日本側から「韓国は過去2年間の一方的な反日外交に対し、わが国の国民に謝罪表明すべきだ」という声が出てきても不思議ではない。 喧嘩をふっかけておいて、分が悪くなると喧嘩を止めた、と言いだしても、喧嘩相手が素直に応じるか。もう一度、仲良しになるためには、喧嘩を始めた側が先ず、「ごめんなさい」というのが筋だ。 誹謗や中傷は怖い。悪口、罵声を発した後、その原状復帰には多くの時間がかかる。言葉による暴力は拳よりも痛く、癒されるまで多くの時間がかるものだ。5月6日、米ロサンゼルス近郊グレンデールで、慰安婦問題を象徴する少女像に触れる李容洙さん(共同) 韓国は日本に併合され、多くの苦渋を味わってきたことは間違いない。その民族が相手の痛みには無頓着となれば、民族の品格が問われる。韓国側の一方的な反日プロパガンダで傷ついた多くの日本国民がいることを忘れないでほしい。「安倍晋三首相が70年前の蛮行を謝罪しないからだ」と、いつものように弁解しないでほしい。 「河野談話」や「村山談話」で日本側は過去に対してはっきりと謝罪を表明したが、日本で新政権が発足する度に韓国側は「日本はこれまで謝罪していない」と言い張り、謝罪を要求してきた経緯がある。 朴大統領は、生存されている慰安婦の一人、李容洙さん(86)が6日、 米ロサンゼルス近郊グレンデールに設置された慰安婦の少女像を訪れ 「安倍首相が謝罪するのを見届けるまで200歳まででも生きる」と訴えたというニュースをどのように受け取っているだろうか。李さんは大統領の反日外交の所産だ。一人の慰安婦の過去の痛みに火を付け、憎悪を駆り立ててきたのは誰か。悲しみ、恨みを癒す努力ではなく、火に油を注いできたのが朴大統領の過去2年余りの外交政策ではなかったか。 70年前、日本が多くの韓国人を傷つけたように、韓国は今、多くの日本人を根拠の乏しい反日プロパガンダで傷つける一方、国内の戦争犠牲者に対して日本への憎悪を煽っている。韓国は同じことをしているのだ。 ベトナム戦争時の韓国兵士によるベトナム人虐殺問題が話題となった時の韓国側の戸惑いは何を意味するのだろうか。韓国が常に自負する「道徳の優位性」は幻想に過ぎないのだ。(ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より)関連記事■ 韓国人はドイツ人を全く知らない■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

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    なぜ韓国は日本を許さないのか

    。 これでは韓国に対して「どうぞ日本を叩いてください」と言っているのと同じようなもので、実際に現在の日韓関係悪化の最大の原因と言われる慰安婦問題を創り出し育てたのも、これらの人たちです。この人たちは口先では「日韓友好」を唱えていますが、実際にやっていることといえば日韓両国民が互いに反発するようなことばかりで、結果的に日韓関係を悪くしているのです。 中でも日本政府は、今まで韓国の言いがかりを放置しただけではなく、さしたる根拠がないのにも関わらず、ただ単に日本が悪かったという内容の談話を発表するなど国家の責務を放棄したかのような振る舞いを続けてきました。 そのため「日本も自身の非を認めている」などと他国から誤解され、韓国には「日本は嘘でもなんでも大声を出せば、謝り金を出す」と馬鹿にされ、都合のいいように反日カードを使われてきたのです。いわば韓国を傍若無人な国に育てたあげた責任は日本にあるといっても過言ではありません。 そして、もう一つ忘れてはならないのが、日韓両国が友好な関係になれば困る国の工作活動です。典型的なのが、韓国でアジア女性基金を受け取ろうとした元慰安婦の老婆を脅迫して金を受け取らせず、問題の解決を妨げた親北団体の「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)で、彼らは事あるごとに「慰安婦」問題を持ち出し、無理難題な要求を突きつけて問題の解決を妨げてきました。 彼らのように表立って行動する人間は、まだ分かりやすくて良いのですが、本当に気を付けなければいけないのが、日韓の政府中枢やマスコミに深く潜り込んでいる人間です。スパイを取り締まる法令のない日本は言うまでもありませんが、金大中、廬武鉉と従北政権が10年も続き、国家の屋台骨であった国家安全企画部が縮小された韓国は昔では考えられないほど食い込まれています。日韓の主要なポストにいる人間の中にも、日々、日韓両国が離反するような活動を行っている人間がいる事を忘れてはいけません。 いずれにしても韓国は、国策として反日政策を行っているわけですから、そのような相手に対して共通の歴史認識など模索しても無意味な話です。あえて日韓共通の歴史認識を確立するとすれば、日本が韓国の言い分を丸呑みするしか方法がないでしょう。 また、単に嫌韓と言って感情論だけで対抗しようとしてもかなうはずがありません。日本も国家が中心となって戦略的に対抗しなければ、この先も彼らは日本に対しての謝罪や賠償を要求するだけではなく、執拗に反日工作を続けてくるでしょう。 この問題を解決するには彼らが言うように「日韓双方とも歴史を直視して、是は是、非は非と認めることから始めなければならないのです。ただし、それには長い長い時間が掛かるでしょう。※注韓国は1948年の憲法制定から現在に至るまで9回、改憲されています。上記は制定時のものですが、現在においても(中略)より前の文言はほとんど変わっていません。関連記事■呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■韓国好きの私が韓国を批判するワケ■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    恨と火病

    「反日」はいつまで続くのか。韓民族特有といわれる「恨(ハン)」の情念と、怒りの激情がもたらす「火病(ファッピョン)」。2つの病に蝕まれた哀しき隣国の精神構造について考えたい。

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    韓国好きの私が韓国を批判するワケ

    でも韓国でも、今の世代に正確に伝わっていないことが、日韓の最大の問題なのだろう。良好になりつつあった日韓関係 70~80年代にかけて、韓国では、慰安婦も歴史認識も、話題にすら昇ったことはなかった。その後、韓国を独裁政権扱いする報道も影をひそめ、日韓関係は、良好な方向へ向かいはじめた。もちろん、一部では、反日もあるにはあったものの、顕在化しなかった。 むしろ、日本人のほうが、韓国への好感度を増していった。「冬のソナタ」のヒットの影響もあったろう。元のタイトルは「冬(キョウル)恋歌(・ヨンガ)」である。主役の裴(ペ)勇(ヨン)俊(ジュン)の魅力もあったろうが、誰が訳したのか、ソナタという言葉が効いたせいもあるだろう。 70年代、日本世代の免税店のおばさんたちは、男ばかり来ないで、女性にも韓国へきてもらいたいと、いつもぼやいていた。家内を同行すると、おおいに喜ばれた。当時、ビーズのハンドバッグ、螺鈿(らでん)の漆器、絞り染めの生地など、男には価値の判らない土産物が、韓国では安く買えたのである。時代は、様変わりして、多くの中年女性が、日本から韓国を訪れるようになった。 私も個人的に、日韓親善に尽くしてきたつもりである。東国大学以外にも、たまたま知り合いができた祥(サン)明女子(ミョンヨジャ)大学(テーハク)など、いくつかの大学へ、文庫本を教材として寄贈しつづけた。韓国の日本語スピーカーを減らさないためである。 また、本業に関して言えば、日韓の推理作家協会の交流プロジェクトが、行なわれた際には、おおいに働いたと自負している。韓国では、減ったとはいっても、日本語で案内してくれる作家に、事欠かない。しかし、日本では、「韓国の独裁政権、やっつけろ」式の景気のいいスローガンをぶち上げる作家は、たくさんいたものの、韓国語で案内できる作家が、ほとんどいなかった。「あれ(イッチョ)に(ゲ・)見えます(ポイヌン・)建物(コンムル)は(・ン)、国会(クッケ)議事堂(ウィサタン)で(・イ)ございます(ムニダ)」などと、東京観光ではバスガイドのようなことも、しなければならなかった。 90年代には、日本人の韓国に対する関心と、好感度も高まり、韓国人の日本への興味、関心も、増していった。サッカーW杯の共同開催に向けて、日韓関係は、新たなステージに向かうかに見えた。日韓離反狙う慰安婦捏造報道日韓離反狙う慰安婦捏造報道 だが、ここで、あの大新聞は、またしても、その強大な権力を行使して、日韓離反の挙に出た。 1991年、いわゆる従軍慰安婦なる虚構が、報道されたのである。この巨大新聞は、現在では、いちおう虚妄だったことを認めてはいる。だが、軍隊相手の売春婦である慰安婦と、勤労動員で働いた挺身隊を、混同した報道に関しては、当時は事実関係の研究が進んでいなかったためと、弁解している。「女子挺身隊」として内地の女学生同様に軍需品の製造に携わる京城の女学生ら(『戦ふ朝鮮』)大阪府の日本アルミ工場で「女子挺身隊」として軍需品の製造に携わる乙女ら。奥は作業を見学に訪れた地元の女学生ら=昭和19年2月 しかし、年齢の離れた姉が、あのころ女学生で、勤労動員により中島飛行機の工場へ、自転車で通っていたのを、私ははっきり覚えている。もちろん、慰安婦とは、何の関係もない。ことは、姉の名誉とも関わってくる。 平成に入って早々のころには、あの新聞社にも、私と同世代の社員が、まだ現役でたくさん働いていたはずである。知らないはずがない。二十数年も訂正することなく、頬かぶりをしてきたのは、単なる誤報などではなく、あの大新聞が仕掛けた日韓離反策の一環で、意図的なものだからなのだろう。 日韓離反を図る大きな意思は、あの新聞の言論支配のもうひとつの柱として、吉田某なる人物による、済州(チェジュ)島(ド)における日本官憲の女狩りという、とんでもない虚構を付け加えることによって、さらに拡大していく。「詐話師」吉田清治の話や行動を、かつて真実のように報じた朝日新聞 しかし、その後の十数年は、この大新聞の企みは、まだ功を奏さなかった。日本では、韓国ブームが続いていたからである。これまで訪韓したことのない、中年婦人層が、韓国を訪れることが多くなり、韓流にはまった韓国語学習者も、増えていった。そればかりでなく、男性のなかにも、韓流ドラマにはまる人が多くなった。韓国の大河ドラマ「朱蒙(チュモン)」は、高句麗の開祖朱蒙を主人公とした作品だが、私の近くのDVD店では、新作が十巻入っても、即日借りだされるほどの人気だった。「朱蒙」のDVD。ドラマとしてはおもしろくても時代考証はデタラメで空想が盛りだくさん 朱蒙は、もともと「三国(サムグク)史記(サギ)」に記録される神話上の人物なのだが、それを強引に歴史ドラマ風に、仕立て上げるところが、まさに韓国人である。元ネタが僅かしかないので、古今東西のエンタテインメントから、使えそうな要素を、流用している。水戸黄門のような部分も、大奥のような部分もあるが、臆面もなく、受けそうな要素を投入しているから、たしかに面白いことは面白い。 また、韓国側も経済力の伸長と共に、訪日して実際の日本を肌で知る人々が増えてきてもいた。別府の大ホテルなど、経営危機に陥った苦境を、韓国からの観光客の増大で乗り切ったほどである。国際化というスローガンが、しばしばマスコミを賑わすが、お互い知り合う以外に、国際理解が進むことはない。 慰安婦と同構造の原発報道 だが、挺身隊=慰安婦という虚妄、済州島女狩りという捏造は、徐々にボディブローのように効いていった。韓国では、従軍慰安婦像なるものが、日本大使館の前に設置され、アメリカ各地へ飛び火していく。あの像は、新聞報道にあった12歳の少女として造られている。挺身隊=勤労動員には、中学生、女学生も動員されたから、その年齢の生徒たちも少なくなかったが、軍隊相手の慰安婦に、その年代の少女がいたという記録もないし、事実もなかった。 韓国では、挺身隊問題対策協議会という団体が、活動し続けている。あまりにも長ったらしいので、挺(チョン)対(テ)協(ヒョプ)と略している。あの大新聞が垂れ流した挺身隊=慰安婦という虚構を、そのまま踏襲しているわけだ。語るに落ちるとは、このことだろう。 事実関係が、はっきりしたのだから、あの新聞の責任で、韓国側に訂正を求めるのが、筋だろう。だが、あの新聞は、それをしない。それどころか、慰安婦の存在は事実だから、これまでの方針に変わりないという態度を、とりつづけている。 なぜ、こうなるのだろうか? 韓国の問題と離れるが、私も筆禍に遭ったことがある。あの新聞社は、取材も検証もしないで、記事を書くことが、はっきり判った。私が受けた筆禍など、些細なことだが、問題の根は、共通している。 私は、本業のSF小説の未来エネルギーとして、昭和30年代から、原子力に興味を持っていた。そして、日本中の原発と、建設予定地の全てを、取材した。当時、人気の「朝日ジャーナル」誌が、特集を組んだなかに、私の名前も、名誉なことに入れてあった。その特集とは、「わたしたち(原発反対派)を未開人と罵った識者十人」というものだった。もしかしたら、原発反対派を未開人と罵った粗雑な人間が、その十人の中に、いたのかもしれない。 しかし、私は、そういうことを言ったこともないし、書いたこともない。それどころか、立地点の住民の反対を尊重すべきだと、常日頃から主張してきた。また、すでに物故したが、反対派の大立者の高木仁三郎は、私の中学の同級生で、同じ大学に入った間柄であり、かれが反対意見を発表できないような事態になったら、私と意見が異なってはいても、かれの言論の自由を守ると宣言してきた。さらに、原発に反対する自由のない国は、原発を建造すべきではないと、何度も書いたことがある。筑紫哲也 ことは、原発賛成、反対という問題ではない。こうした報道をするからには、私をふくめて、そこに記された十人が、そういう発言をしたかどうかを、取材確認する必要がある。 ところが、私には、まったく取材は来ていない。そこで、私は、雑誌「諸君」のページを借りて、当時人気だった筑紫哲也編集長宛てに、私が、いつ、どんなメディアで、そういう発言をしたかと、問い合わせた。もちろん、そんな発言など、あるわけがない。筑紫編集長の回答は、のらりくらりと、話題をすりかえることに終始した。韓国人と〝あの新聞〟の共通点韓国人と〝あの新聞〟の共通点 つまり、あの大新聞は、取材も検証もしないで、主義主張に基づくフィクションを、報道の形を借りて、読者に垂れ流しているわけだ。原発などに賛成し、傲慢な発言をする非国民が、十人必要になった。そこで、関係ない人間もふくめて、誌上でさらし者にしたわけだ。つまり、原発推進めいた意見を、圧殺する方針だったのだろう。 いわゆる従軍慰安婦の報道と、まったく同様の構造である。 従軍慰安婦なるフィクションを、あたかも事実であるかのように、売りまくって読者を欺いた責任は、まさに重大である。しかも、日韓関係を破壊したばかりでなく、全世界にわたって日本の名誉を泥にまみれさせた罪科は、きわめて悪質である。 誤報ではなく、明らかに意図的な捏造である。この捏造が,韓国に飛び火すると、さらに拡大していく。その意味では、この大新聞の離反策に、うまうまと乗せられた韓国も、いわば被害者と言えるかもしれない。主義主張を真っ向から掲げて、事実の確認も検証もしない韓国の国民性と、あの新聞の社是(?)は似ているかもしれない。 私は、過去四十数年にわたって、韓国と関わってきた。最初、自宅ちかくの笹塚の小さな教室で、韓国語を学びはじめた一人に産経新聞の黒田勝弘さんがいる。あちらは、ソウル在住が長いから、私など到底及ばないネィティブスピーカーに近い語学力だが、スタートは一緒だった。 以後、折々に韓国関係の著書を上梓してきたわけだが、その都度、親韓派、嫌韓派などと、勝手に分類されてきた。例の大新聞もふくめて、日本のマスコミが北朝鮮に淫していたころは、日本のマスコミ批判とともに、韓国擁護の論陣を張り、顰蹙を買った。また、韓国の反日が、度を過ぎたと思えば、遠慮なく韓国批判を展開してきたつもりである。 国際親善には、王道はないから、知る以外に近道はないと考え、「日本人と韓国人、ここが大違い」(文藝春秋)「いま韓国人は、なにを考えているのか」(青春出版社)など、比較文化論ふうの著書もあり、口はばったい話だが、日本人の韓国理解に貢献してきたつもりである。 もちろん、私の独断と偏見に堕す危険があるから、多くのコリア・ウォッチャー仲間から、助言や意見も頂戴し、拙著の間違いも指摘された。転向左翼の韓国利用 いわゆる韓国病にはまりかけていたとき、早大名誉教授の鳥羽欽一郎先生から、たしなめられた。「豊田さん、日本人と韓国人は、おたがい外国人なのだから、同じ視点に立つということはできませんよ」と、確か、こんなことを言われた。そのときは、むっとしたが、先生は、韓国にのめりこみすぎている私に、ブレーキをかけてくださったのだ。 70年代、韓国にまじめに取り組もうという日本人は、それほど多くはなかった。田中明氏のような大先達のほか、外交評論の大御所岡崎久彦氏にも、お目にかかり、励ましを頂戴したことがある。外務省在勤中で、本名をはばかったのか、「隣の国で考えたこと」を、長坂覚のペンネームで、早い時期に刊行されている。現在は、本名で再版されているから、入手可能な名著である。中国の圧力に屈せず、その本質を報じ続けた柴田穂 また、産経新聞の柴田穂さんも、大先達の一人だった。韓国関係の会合で、何度か、お目にかかり、アドバイスを頂戴したこともある。なにしろ、中国政府に批判的な記事を書き、産経新聞が北京支局の閉鎖に追いこまれたとき、支局長として残務を整理し、従容として北京を退去された剛直な方である。支局閉鎖という事態を招いたのだから、本来なら責任重大なはずだが、言論の自由を守ることを優先したのである。 それに引き換え、当時あの大新聞は、中国べったりの記事を、垂れ流しつづけていた。この新聞社には、Aという名物特派員がいた。中国通をもって自任していたはいいが、他社の記者まで、このA特派員に、お伺いを立てるようになったという。どこまで書いたら、中国政府の逆鱗にふれるか、A特派員に、判断を仰ぎに来たのだ。早い話が、あの大新聞が、日本の中国報道を検閲していたことになる。 70年代、北朝鮮一辺倒だった日本の文化ジャーナリズムの世界で、一つの伝説があった。いわゆる進歩的文化人は、自分の名前だけ、ハングルで書けたというのである。申し合わせたのかもしれないし、あるいは、あの大新聞の関与があったのかもしれない。現在からは、信じられない話だが、ハングルで名前を書いてみせるだけで、朝鮮問題(?)の権威扱いされたそうである。 しかし、現在の日韓の確執を眺めると、妙なねじれ現象がある。竹島問題にしても、従軍(・・)慰安婦(・・・)にしても、韓国側と共同歩調を取っているのは、70~80年代、あれほど韓国を独裁国家扱いして、忌み嫌っていた進歩的文化人なのである。節操もなにも、あったものではない。日本叩きに資する、あるいは、商売になると判ったら、かつて贔屓にした北朝鮮を見捨て、韓国に媚びるのだから、こういう世渡り上手と戦うのは、容易なことではない。事実伝えることが真の親善に 翻って、現在の韓国である。反日は、狂気の沙汰の域に達している。これには、日本世代が現場から退き、あるいは物故したという事実が、おおいに関係している。私が、多くの教示を受けた方々は、もし存命なら、こんなことを言うと怒られるかもしれないが、日韓双方の美点を兼ね備えておられた。 もう一歩、踏み込んで言えば、日本の教育を受けた方々だった。立派な方というと、ややニュアンスがずれるが、韓国語でいう「アルンダウン・サラム」という方が多かった。こういう世代が亡くなり、反日が質量ともに、変わってしまった。まず、かれらが考える仮想の日本人に対して、際限なく敵意をむき出しにした、いわばバーチャル・リアリティの反日になっている。狂気の沙汰に達している韓国人の反日行動(AP) 日本では、韓国人は、険しいイメージでとらえられがちである。反日の激しさを見れば、間違いではないが、一面的に過ぎる。日頃の生身の韓国人は、お喋りで、陽気で、図々しいくらい人懐こい。日本人は、以心伝心を理想とする文化を生きているが、韓国人は、口にしたことが全てである。発信能力を磨かないと、生きていけない社会である。たとえ嘘でも、自分の主義主張を正面に掲げないと、たえず足をすくわれる危険に直面している。 そのため、国際的には、日本人より判りやすいと定評がある。よく見てもらえれば、日本人の誠意が通じるはずだが、韓国人のほうが声が大きいから、知らない人が聞くと本気にする、と言った程度には、説得力を持ってしまう。 大方の日本人の対韓姿勢は、「また、韓国人が騒いでおる。放っておくのが、大人の態度」といったものだろう。これが、日韓摩擦を拡大した主な原因のひとつである。日本からの反撃がないから、向こうは、さらに反日をエスカレートさせるのだ。 日本は、和の社会だとされる。これには、聖徳太子が引き合いに出されることが多いが、贔屓の引き倒しの面がある。有名な十七条憲法の第一条が、はきちがえられている。太子は、談合のような和を勧めているわけではない。あくまで論じてからと、なれあいを戒めている。 まさに韓国相手では、論じなければ駄目なのだ。相手は、合理的な議論が苦手だから、徹底して、論拠を上げて、言い負かすつもりで、追いつめなければ、非を認めない。一見、乱暴なようだが、反日が、高くつくという事実を、知らしめないかぎり、韓国の反日は、拡大するばかりで、絶対に解消しない。 現在の韓国は、日本世代がいなくなり、歯止めがかからなくなっている。さながら李朝時代の政争のような、権力闘争すら起こりはじめている。日本が、関わりを持つ以前の時代へ、先祖がえり(atavism)してしまった感がある。ここに乗じて、あの大新聞が、新たなテーマで反日の捏造を加えて、逆襲してくる畏れもある。いや、その萌芽は、すでに現れている。日本を貶め日本人を苦しめて、まともに反省しない〝あの大新聞〟 私の「どの面下げての韓国人」(祥伝社)は、やや刺激的になるのを承知のうえで、出版社と協議して決めたタイトルである。さっそく、左翼弁護士が、噛みついてきた。ヘイトスピーチだというのである。しかし、ネットでは、すぐ反論されている。つまり読んでいないことを白状したようなものだというのである。なかには、あの本は韓国に同情しているのだ、とする感想もあった。こういう応援は、ありがたい。 私は、あるときは親韓派、あるときは嫌韓派というレッテルを、貼られてきた。私は、日本人であり、日本を愛している。その都度、批判すべきことは、日本であれ韓国であれ、批判してきたつもりである。 あの大新聞は、苦境を打破するため開き直って、韓国批判の本には、すべてヘイトスピーチだという烙印を押して、葬り去ろうというわけなのだろう。また、いわゆる従軍慰安婦の仕掛け人の元記者の就職先や自社に、脅迫があったという事実をもとに、言論の自由を盾にして、被害者の立場へ逃げこもうとしている。自分が、強大な権力をふりかざして、異なる言論を圧殺してきたことには、すっかり頬かぶりしている。 韓国には怒りを込めた反論を、あの大新聞には、厳しい追及の手を緩めてはならない。それが、ほんとうの日韓親善につながるからだ。 とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第1回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。50年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。 ※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    自国民から外国人労働者まで…実は差別だらけの韓国

     韓国とは「人間差別」があふれた国だ。ここで「人種差別」と言わないのは、韓国人同士にも激しい差別があるし、別の国に住む韓民族も差別の対象になっているからだ。 全羅道(旧百済地域=朝鮮半島南西端の地方)出身者に対する差別は高麗時代から始まった。朴正煕大統領から金泳三大統領に至る政権は、慶尚道(旧新羅地域=朝鮮半島の南東部の地方)人脈を中枢に据え、「中央省庁の標準語は慶尚道方言だ」とされるほどだった。 慶尚道人脈が圧倒的優位だった全斗煥政権下でのことだ。 「政権を支える3人」と言われた大統領秘書官3人が私を高級ルームサロンに招いてくれた。 その中の1人が言った。 「在日韓国人が日本で差別されるのは当然だ。彼らの大部分は済州島か全羅道の出身なのだから」3・1独立運動記念日にあわせ、ソウル市内を韓国国旗を持って行進する市民ら。愛国教育に熱心だが、仕事を求めて海外に出る韓国人は多い(共同) 数日後、くだんの秘書官が「日本の韓国人差別の撤廃を求める大統領談話」を朗読しているテレビを見て吹き出した。 慶尚道出身の在日韓国人が「全羅道の女などにウチの敷居をまたがせないぞ!」と息子を怒鳴りつけている場面に遭遇したこともある。 韓国人同士の会話で、日本人のことを侮蔑語の「倭奴(ウェノム)」と呼ぶのは珍しくないし、時には「チョッパリ(=ひづめが割れた奴の意味)」が使われる。 在日韓国人は「半チョッパリ」と言われる。韓国のサッカー場で「半チョッパリ」とヤジられたのを機に、日本に帰化した選手がいたではないか。 韓国人同士の間にも、異様な学歴崇拝癖と、職業に対する伝統的にして病的な貴賤意識とが絡み合い、李王朝時代と同じような事実上の身分制度がある。 さしずめ財閥系大手の管理職は両班(ヤンバン=貴族)であり、町工場のブルーカラーの人々はひどく差別されている。李王朝時代の身分制度には法的根拠があったが、現代の両班は故なく威張りちらしている。 今日の韓国では、外国から就労目的で来た人々がひどい差別の対象になっている。 脱北者、中国の東北部に住む朝鮮族、そして外国人労働者だ。彼らは、同業種の韓国人よりも、はるかに低い賃金・悪い労働条件で働いている。 韓国の大手紙は、差別による事件が発生すると「外国人労働者への差別をやめよう」といった社説を掲げるが、状況に目立った改善はない。 3K業種で働く当の朝鮮族から「韓国での待遇を考えると、中国に戻って仕事をする気にはならない」といった声が出ている(朝鮮日報12年4月20日)というから驚きだ。 旧満州地域に住む朝鮮族の生活水準は、よほどひどいのだろう。 朴槿恵(パククネ)大統領が中国首脳に「朝鮮族の待遇改善を訴えた」という報道は、ついに見付からなかった。 むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「日韓がタブーにする半島の歴史」(新潮新書)、「悪韓論」(同)などがある。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病

    別冊正論23号「総復習『日韓併合』」(日工ムック)より呉善花(評論家・拓殖大学教授)反日行為を担う「代償的擬似健常者」 東日本大震災直後の3月末、韓国では「竹島は日本の領土」と明記した日本の教科書が検定合格したことに強く反発、義捐金募集活動を中止し、全額を返還したり、独島守護団体や慰安婦支援団体への寄付に振り向けたりする自治体が続出した。 同年9月のAFCチャンピオンズリーグでは、韓国チーム全北現代の応援スタンドに「日本の大地震をお祝いします」と日本語で書いた横断幕が掲げられた。また2013年8月にはKBS2のテレビ番組で、お笑いタレントが「旭日旗を振った日本の応援団に体にいい福島産さくらんぼを送った」と揶揄し、これを東亜日報など各紙が「よくぞいった」とばかりの評価で報じた。 「その神経を疑う」といった報道が諸国に見られた。韓国人の反日行為は常軌を逸している。こうした非文明性、異常性は世界的な「不可思議」の一つにまでなった。だが彼らは明らかに文明生活を送っており、反日行為は病者ならぬ正真正銘の健常者たちによるものだ。だからこそ「不可思議」なのである。 精神医学者の中井久夫氏は、精神障害というものは、自らの破滅を防ぎ、生き残るための知恵だという観点を示している(「治療文化論―精神医学的再構築の試み」)。私もこの観点を強く支持したい。その上で私が問題としたいのは、これも中井氏の観点の一つなのだが、正常・健常者といわれる人のなかには、病気からほど遠い余裕のある人だけではなく、「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」によって自らの精神衛生を維持している人、中井氏のいう「代償的擬似健常者」が多数いるということである。 「代償的擬似健常者」による常軌を逸した人類最悪の行為が、中世ヨーロッパの魔女狩りやナチスのホロコーストなどだろう。「代償的擬似健常者」が「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」を一挙に極端化していくと、こうした大虐殺が引き起こされることにまで至る。 常軌を逸しているとしかいえない場合の韓国人の反日行為は、大挙して群なす「代償的擬似健常者」によるものと考えればいい。彼らは韓国人に特徴的な心の病に陥った人たちと同じように、韓国人に特有の苦悩やコンプレックスを抱えている。 しかし彼らは、病者のように自らを苛(さいな)むのではなく、他者を苛むのだ。彼らは、他者への依存や他者への攻撃によって、自らの精神的危機を回避しようとする。そこで彼らの反日行為は、病者が示す病像ときわめて近似していく。彼らの反日行為が、非文明性、異常性をもって現れる最大の理由がここにある。韓国人は〝魔女狩り〟ならずともすぐに火をつける。日本の首相の靖國神社参拝に抗議して日の丸に(右、AP)竹島問題に抗議して日本の教科書の写真や日の丸に(中、ロイター)米国産牛肉輸入問題で警察のバスに(左、同) 以上のことを前提に、日本人をはじめ外国人には容易に理解できないと感じられている韓国人(韓民族)の反日行為の心理、情緒、精神のあり方の特異性を、韓国人に特徴的な心の病を通して照らし出してみたい。その前に、韓国人との一定の比較という意味から、十分なものではないが、日本人に起きやすいとされる心の病と日本人の性格的な特徴の関係について、一つの事例から簡単に眺めておきたい。日本人とメランコリー 日本人に起きやすい心の病の代表的なものに「内因性単極性鬱(うつ)病(メランコリー)」がある。「内因性単極性鬱病」は、とくに日本人に顕著に見られるものだが、誰にも起き得るものではなく、ある特定の性格の人に限って発生率が高いことが知られている。日本人はまじめゆえにメランコリーが起きやすい… 特定の性格とは「メランコリー親和型」と呼ばれる性格で、ドイツの精神科医テレンバッハが1960年代に理論化したものである。テレンバッハは「内因性単極性鬱病」にかかった人の性格的な特徴として「几帳面、仕事熱心、堅実、清潔、権威と秩序の尊重、保守的、律儀」を挙げている(木村敏訳「メランコリー・改訂増補版」)。 これはまさしく日本人によくある性格だといってよいだろう。最近亡くなられた経営学者の大野正和氏も、日本人の「働き過ぎ」に関連するとして次のように述べている。「日本人に多いのは、前うつ病性格(うつ気質)であるメランコリー親和性だ。真面目で几帳面、責任感が強く他人に気を遣う。この性格は、日本の職場では優秀な労働者の象徴である」(「過労死と日本の仕事」ブログ「『草食系』のための日本的経営論」)。 精神科医芝伸太郎氏は、この「メランコリー親和型性格はそのまま日本人一般の性格特徴(を極端にしたもの)に他ならない」と述べ、テレンバッハらとは別に「日本人だからこそわかる」視点から、とても興味深い独自の理論を打ち立た(「日本人という鬱病」1999年)。 芝氏の理論は「お金理論」といわれるもので、概略、次のようなものである。律儀な性格の日本人の多くは、人から借りたものは必ず返さなくてはならないと考える。物品であれ、精神的な好意であれ、地位や名誉を与えられた場合であれ、まるで精神的な貸借対照表があるかのように、「借りたら返す」という原則を貫こうとする。 ちょっとしたミスを犯しても、必ず相手や社会に埋め合わせができるだけの良き行ないをしなくてはならないと考える―。 こういう性格の人は、社会に出ると「決して借りをつくるまい」と一生懸命になる。会社では人並み以上に働き、他人に対しては執拗に「お世話」をしようとし、昇進をしようものならさらに時間を無視してまで働こうとする。中年になって高い役職に就いた途端にこの種の鬱病を患う人が、日本人には多いそうである。 こういう人は、家庭生活にもとても生真面目に向かう。ミスをすれば、その挽回を思って、ミスのために会社や相手が失ったもの以上のものを生み出そうと盛んに努力を重ねる。 そこでは、あらゆる人間関係があたかもお金のやり取りであるかのようになっていると芝氏はいう。もちろんそれは、「姑息な金銭勘定の意識」とはまったく異なるもので、逆に「金銭勘定を無視して」がんばってしまうのだ。 そうすることで、自分が自分であることを保つことができている。こういう極端な性格の人は、そのままではいつかはやっていけなくなる。心身ともに疲れてしまうし、何をやっても不十分だと感じられていく。そこで、「自分はだめな人間だ」「だらしない」と深刻に悩み、やがてはメランコリー状態に陥って鬱病を発現するまでなってしまう。これが芝氏の「お金理論」である。 芝氏のいう「お金と同じように人間関係を考える」というのは、物事についての「借りる・貸す」の関係を、それぞれの関係のあり方の個別的な性格を無視し、何でもかんでも普遍的に向き合ってしまっていることを意味している。確かに、日本人にはそうした性格的な傾向をもつ人が多いといえるだろう。韓国人と火病韓国人と火病 韓国人に顕著に見られる心の病が火病(ファッピョン)である。火病は「韓国人にだけ現われる珍しい現象で、不安・鬱病・身体異常などが複合的に現われる怒り症侯群」とされる(米精神医学界「精神障害の診断と統計マニュアル」付録「文化的定式化の概説と文化に結び付いた症候群の用語集」)。 火病は「お腹の中に火の玉があがってくるようだ」といった韓国人に特有な愁訴が特徴で、「怒りを抑圧し過ぎたことによって起きる心身の不調」とされている。 韓国の精神科医キム・ジョンウ氏は、著書「火病からの解放」のなかで、ある中年女性の火病患者の訴えを、次のように記している(要約)。 その女性は長男にだけ関心と愛情が深かった。長男を大学にやってから、今までの自分の生き方があまりにもむなしくて悔しいという気持ちになり、憂鬱な気分がはじまった。その頃は身体的な症状はなかったが、自分には不服な長男の結婚問題がきっかけとなり、突然火病がはじまった。14日の間大声を張り上げて泣く、眠れない、息苦しく胸から顔まで熱が出てくる感じ、喉が渇く、口の中が苦い、右脇腹が痛くてたまにぐらぐらする症状と、腕と足が麻痺する感じ。全身がおかしいという訴えである。 また別の患者は、次のように訴えてきたという。極端な特権と意識を持っていた両班層の豪邸(朝鮮総督府『生活状態調査 慶州郡』昭和9)貧しい農民の集落(朝鮮総督府『写真帖朝鮮』大正10) 何か大きなかたまりが胸のなかで圧迫しているという感じ。ある人に対する憤怒と悔しさが十四年過ぎても消えていない。今もその人を見れば憤怒が吹き出す気持ちになる。いろいろな病院を訪ねたが、誰もわかってくれない。 キム・ジョンウ氏は同書で火病を次のように説明している。 「怒りや悔しさをまともに発散できなくて、無理に我慢するうちに火病になるのです。…略…火病も一種のストレスの病気です。しかし違うところがある。一般的にストレス病は急にストレスが表に出る場合が多いのに対して、火病は同じストレスを六カ月以上受けるところが違います。また火病は怒らせる原因、怒りをつくる原因はわかっているけれども、それを我慢して起こすのが特徴です。ストレスを発散すれば離婚したりすることにもなるので、我慢することが多いのです」 またキム・ジョンウ氏は、火病の原因は恨(ハン)にあると指摘している。 「火病の原因は恨です。弱くて善なる人間が強い人間に感じる劣等意識、葛藤として見えるものです。かつては抑圧的な夫のせいで、女性たちの恨が溜まるしかありませんでした。今では患者の3割は男性で、職場の人間、中年の事業家、定年退職を前にした人たちなどが病院に訪ねてくるようになっています」(同) 日本では怨恨の「怨」も「恨」もだいたい同じ意味で使われていると思う。しかし韓国の「恨」は、韓国伝統の独特な情緒である。恨は単なるうらみの情ではなく、達成したいが達成できない自分の内部に生まれるある種の「くやしさ」に発している。それが具体的な対象をもたないときは、自分に対する「嘆き」として表され、具体的な対象をもつとそれがうらみとして表され、相手に激しく恨をぶつけることになっていく。 キム・ジョンウ氏は火病と恨の関係を次のように述べている。 「火病患者の一部は憤怒が目立って現れませんが、その場合恨が関係する場合が多いのです。原因となるのは、貧困であること、弱者であること、悔しさ、怨痛さ、むなしさ、抑制などが積もりに積もること。症状面では、ため息、涙、苦しさ、胸の中の塊感など。そうした共通的なことが多いという点で、火病は韓国人特有の恨と関係が深いと推定できます」(同) 続けてキム・ジョンウ氏は「火病は、原因と感情反応で歴史的な民族固有の情緒的な恨と共通線上にあることと、時間的経過によって恨が克服されずに病理化されたことを示唆しています」と述べている。韓国人の反日行為はまさしく火病のように、「時間的経過によって恨が克服されずに病理化された」状態であるかのようだ。恨の多い民族 恨があるから強く生きられる、恨をバネに生きることができるというように、本来は未来への希望のために強くもとうとするのが恨である。そうして生きていくなかで恨を消していくことを、韓国人は一般に「恨を解(ほぐ)す」あるいは「恨を解く」と表現する。うらみにうらんだ末に恨が解けていくことを、大きな喜びとする文化は韓国に特有のものである。 そうした心情の典型を、朝鮮民族の伝統歌謡「アリラン」にみることができる。「アリラン」は恨が解き放たれる喜びを歌った「恨(ハン)解(プリ)の歌」ともいわれる。一般に行なわれている日本語訳で歌詞を紹介すると、その一番は次のようになる。 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く 私を捨てて行かれる方は 十里も行けずに足が痛む ここでは親しい人が自分を捨てて去っていく恨が歌われている。哀しい歌詞なのだが、これを喜ばしい気持ちで快活に明るく歌うのである。二番、三番で、次のように恨解へと向かう心情が表現されていく。 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く 晴れ晴れとした空には星も多く 我々の胸には夢も多い 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く あの山が白頭山だが 冬至師走でも花ばかり咲く 固い恨があるからこそ未来への希望があるということでいうと、韓国人にとっては生きていることそのものが恨である。自分の今ある生活を不幸と感じているとき、自分の運命が恨になることもある。 自分の願いが達成されないとき、自分の無能力が恨になることもある。そこでは、恨の対象が具体的に何かは、はっきりしていないことが多い。韓国人は、自分のおかれた環境がいかに不幸なものかと、他者を相手に嘆くことをよくする。韓国ではこれを「恨嘆(ハンタン)」といっている。思いこみ・妄想を偶像化して事実だと信じ込み、崇める姿は何とも哀れだ=ソウルの日本大使館前 そこでは、「私はこんなに不幸だ」「いや、そんなのは不幸のうちに入らない、私の方がもっと不幸だ」という具合に、あたかも「みじめ競争」のようになることも少なくない。 ここで特徴的なことは、「自分は何の罪もない正しく善なる者なのに、誰(何)かのせいで自分が恵まれていない」と、一方的に自らを純化し自己責任を回避していることだ。そうやってお互いにストレスを解消し合い、それでなんとかなっていれば火病に罹ることもない。 自分が今おかれている境遇や自分の過去の不幸を題材にして「ああ、私の人生は…」と節をつけて、自前の身世打令(シンセタリョン)(韓国伝統の雑歌)を友だち相手に披露することもよくある。こうした場合の恨は、その対象が曖昧なままなのだが、それだけ、対象を求めてさまよっているのだともいえる。だんだんと、自分の恨を固めている相手、恨をぶつける具体的な対象が欲しくなっていく。 韓国人はしばしば自分たち民族を、「恨の多い民族」と呼ぶ。韓国には「我が民族は他民族の支配を受けながら、艱難辛苦の歴史を歩んできたが、決して屈することなく力を尽くして未来を切り開いてきた」と自分たち民族を誇る精神的な伝統がある。こうした歴史性をもつ「我が民族」が「恨の多い民族」である。 韓国人がキリスト教を受け入れやすい一つの要素は、苦難の歴史を歩んだユダヤ人・イスラエルの民と、自分(たち)の境遇を重ねる意識が強く働くところにある。韓国人とユダヤ人には、どんな罪もない優秀な民族が苦難の歴史を歩んできたという歴史的な共通性がある。ユダヤ人がそうであるように、我が民族もまた神から選ばれた特別の民(エリート)であり、最終的な救済を約束された民である―というように。 実際、このように説く韓国人牧師は多く、韓国がキリスト教を受容した理由の第一をそこに求める論者も少なくない。こうした考えは、すでに韓国の初期キリスト教にあったが、戦後に反日民族主義と結びつき、より強固なものとなっていった。 戦後韓国は、「日本帝国主義の支配」によって、我々は無実であるのに国を奪われ、国土を奪われ、富を奪われ、言葉を奪われ、文化を奪われ、過酷な弾圧下で苦難の歴史を歩まされたという、反日民族主義を国是として出発した。そうした「無実の民」が蒙った「苦難の歴史」、その「誇りの回復」というところで、反日民族主義とキリスト教が一致していく。キリスト教ピューリタニズムとも通じるところである。 欲望・希望・願望といったものが通らずに阻止され、これが抑圧されることで形づくられる「心の凝り」というものがある。情緒的な色合いを強くもつことが特徴で、精神医学ではこれをコンプレックス(観念複合体)と呼んでいる。韓国人が古くからいう「恨が固まる」とは、現代でいえばコンプレックスとしての「心の凝り」が形づくられることに他ならないだろう。 韓国の精神医学者イ・ナミ氏は、著書「韓国社会とその敵たち」のなかで、韓国人は「物質、虚飾、教育、集団、不信、世代、怒り、暴力、孤独、家族、中毒、弱い自我」にわたる12種類のコンプレックスの塊だといっている。そして、このコンプレックスの塊こそが、現代韓国社会に顕著に見られるさまざまな病理現象の原因をなすものだと断じる。自分を無罪とする責任回避自分を無罪とする責任回避 恨の多い人がそのまま恨を抱え続けていくと、一種の怒り症侯群である火病にまで至ることが少なくない。「怒りや悔しさをまともに発散できなくて、無理矢理に我慢するうちに火病になる」のだが、多くの人はそこまで我慢することなく、四方に怒りを爆発させていくことになる。韓国人がしばしば激しやすいといわれる理由もそこにある。 いずれにしても、なぜ韓国人は一方的に自らを純化し、無実の者として自己責任を回避し、恨を抱えて生きようとするのだろうか。アメリカの精神医学者ロロ・メイの「疑似イノセンス」論は、この疑問に明快な答えを与えているように思う。 イノセンス(innocence)とは、「無罪・無実、無害の・悪意のない、純粋・無邪気」などを意味する言葉である。イノセンスそのものを生きているのが子供だが、大人になってもイノセンスの見かけをもって生きているような人がいる。つまり自分を擬似的にイノセンスで装うのだ。これがロロ・メイのいう疑似イノセンス(Pseudo-innocence)である。心の内のイノセンスではなく、外から見たときだけのイノセンスである。 ロロ・メイは「それは決して大きくなりすぎることのない子供らしさやある種の過去への固着から成っている。それは、無邪気というよりむしろ幼稚だ」として次のようにいう。 「これは神経症に見られるイノセンスと平行関係にある。このイノセンスは、決して生き抜いてこられたものではなく、幼児のままに固着してしまうイノセンスで、ただ敵対的で冷たいあるいは支配的な親に対して身を守るだけのために、その幼児性にしがみつくのである」(小野泰博訳「わが内なる暴力」) なぜ世間の荒波を生き抜こうとせず幼児性にしがみつくのか。それは外部の権力から自らを守る防御のためで、疑似イノセンスは「外的な力の形態とかあるいは地位および威信といった内的な力の形態を含む、権力の現実に直面しなければならないときの防御壁」(同書)なのである。 ここは多くの日本人には容易に理解できないところかもしれないが、韓国社会に生まれて大人になった私にはとてもよくわかる。韓国の社会には、地位や威信などを含む権力のまことに不条理な働きが、排ガスのように充満しているからだ。子供からすれば、大人になることは不条理な人間になることに等しいとすら思えてくる。 疑似イノセンスは「自分を無罪とする責任回避」で大きく特徴づけられる。韓国の旅客船セウォル号沈没事故の犠牲者を追悼するポストイット・ボードに、青少年らによる無数のメモが貼り出された。新聞報道されたものからいくつか拾ってみる。 「姉さん、そして兄さん、もう二度とこんな国に生まれないでください」「さようなら。兄さんが、必ず悪い大人たちと最後まで戦って、二度とこんな悲しみが無いようにするから」「冷たい海中に恐ろしさで真っ青になって泣いた私たちの後輩を考えなさい。こんな権力に耳をふさいで目をとじる人々ならば、本当に嫌いだ」「道徳を学ぶ理由は何ですか? どうか大人たちは非道徳的に生きないでください。花のように美しい私たちの命を安全にして欲しい」「互いに利益だけ考える社会だ。大人たちの欲望のために姉さん兄さんの命が一日で消えた」(ハンギョレ新聞日本語電子版2014年4月25日) 韓国各地のポストイット・ボードは、こうした国家、権力、社会、大人の罪・責任を問う子供たちの悲痛な声に満ち溢れていた。 社会の制度・秩序・慣習を受け入れていくことで、子供はイノセンスを脱して大人になる。大人としての自覚と責任をもって生きていこうとする。これがまっとうな社会でのあり方だ。しかし韓国のような不条理が大手を振ってまかり通る社会では、大人になりたくない子供たちをたくさん生み出すことになる。 「幼児のままに固着してしまうイノセンス」をもって、「花のように美しい自分、責任がない自分、無罪である自分」を守ろうとする。こうして疑似イノセンスで自らを装う大人になっていく。 そうした人たちは、人間ならば誰もが内部に抱えている不道徳性とか反秩序性といった破壊的な力を、自分のなかには認めようとしない。そして、自らを潔癖であり無罪であるとする一方で、他者に対しては道徳的な完全性を求めて強く批判する。 この態度がロロ・メイのいう疑似イノセンスである。そしてロロ・メイがいうように、自己内部の破壊的な力が抑圧されると、極めて暴力的な形で噴出するのである。 「責任回避の防御物としてのイノセンスは、また成長を妨げる防御物である。こうしたイノセンスは、われわれの新しい認識を妨げ、人類の苦悩とともによろこびをわがこととして感じとることをできなくしてしまう。この苦悩とよろこびは、擬似的なイノセンスの人間には閉ざされているものである」(同書) 多くの恨を抱えさせているのが擬似イノセンスである。恨はキム・ジョンウ氏がいうように「弱くて善なる人間が強い人間に感じる劣等意識、葛藤として見える」面をもつことは確かだが、その主体は自分を「無罪、無責任、純粋」と装う疑似イノセンスにある。自分には責任がないのだから、自分にふりかかる火の粉はすべて他者によるものである。こうした「他人のせい」へのうらみが恨として溜め込まれるのである。妄想による偶像への崇拝を選挙投票と引き換えに押し売りする姿は滑稽ですらある=米グレンデール 擬似イノセンスでは、自分をイノセンスと装うことが、自分が生きるための戦略として利用される。民族レベルでいえば、韓国が無罪であることが、韓国が(民族の誇りを失うことなく)生きるための戦略として利用される。そこで日本は韓国にとって、どこまでも有罪でなくてはならない、責任が追及されなくてはならない、この世になくてはならない対象なのである。 彼らの関心は、自分(韓国)が善であり道徳的に正しいという聖なるイメージを維持することに向けられる。他者(日本)が自分の純粋さにどれほど応えてくれるかを期待し、自分自身の汚れのないイノセンスを再確認し続けようとするのである。韓国人と人格障害 外部の権力から自分を守る防御として、イノセンスで自らを装う。その装いが強固であればあるほど、対人関係にさまざまな障害が生じてくることは疑いない。 十年ほど前のことだが、韓国の新聞で「二十歳の男性の45%が対人関係障害の可能性」という記事を読んだ。韓国の研究チームによる人格障害の調査だが、「この数値は、米国やヨーロッパなど先進国の平均11~18%に比べて、2・5~4倍に達する」という(東亜日報日本語電子版2003年2月10日)。 記事には「今回の研究結果は国内学術誌『精神病理』と米国の学術誌『精神医学と臨床神経科学』に掲載される予定」とあったから、学術的な研究であるのは間違いない。 人格障害(パーソナリティー障害)とは通常、「偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態」とされている。関係する書物(岡田尊司著「パーソナリティー障害がわかる本―『障害』を『個性』に変えるために」)を何冊か読んで深く考えさせられたのは、その偏り方が韓国人一般に見られる精神的な傾向ときわめて酷似していることだった。 それら書物から私なりに整理してみたところでは、人格障害の人には次のような性格の偏向が強く見られる。(一)善悪、白黒、敵味方など、中間のない両極端の考えに陥りやすい。(二)「私とあなた」(自分と他者)の区別があいまいで自分本位。(三)容易に他人を信じることができない。(四)自分は理想的・完璧だという思いと、自分は劣等で価値がないという思いが同居している。(五)物事を受け止める心が弱くて狭く、処理できなくなると暴発的な行動を起こしやすい。 いずれについても、韓国人の精神的な特徴と、とてもよく合致していると思わずにはいられない。疑似イノセンスがそうであるように、考え方が極端なので、広い視野をもって物事を判断することができない。自己本位で自分を絶対視しやすいので、自分が善い(正しい)と思うことは他人もそうだと思い込む、何かまずい事態が起きても自分ではなく他人に問題があると考える、といったことが生じやすい。 他人が信じられないので、表面的にしか親しい振る舞いができず、本当に他人に心を許すことができない。プライドが高いので、自信過剰とも見えるが、実際には自信がなく劣等感に苛まれている。受け止める力が弱いので、すぐに感情的となり、冷静に物事に対処することが難しくなる。ありのままの自分を愛することありのままの自分を愛すること 人格障害は自己愛の障害、つまり「ありのままの自分を愛すること」のできない障害だといわれる。自己愛が傷ついたり損なわれたりしているために起きるもので、幼い自己愛に支配されている一種の幼児性とも見られている。 「ありのままの自分を愛すること」ができないと自分が嫌になってくる。引っ込み思案から、ひきこもりにもなりがちである。しかし、そういう嫌な自分に我慢がならず、逆に「自己愛」を過剰に膨れ上がらせていく人がいる。このタイプの人が陥る人格障害が自己愛性人格障害といわれるものだ。 自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む人格障害の一類型である(米精神医学界「精神障害の診断と統計マニュアル」)。両親・家族が社会同様に「ありのままの自分を愛してくれる」体験に乏しいため、「ありのままの自分を愛すること」ができず、自己愛性人格障害になりやすいと考えられている。セウォル号沈没事故で高校生ら乗客を置き去りにして身分を隠し、われ先に逃げ出した船長 何種類もある人格障害のなかでも、自己愛性人格障害の病像はとくに、韓民族の性格的な特徴をそのまま極端化したものであるかのようだ。以下が診断基準となっている。 【診断基準】誇大性(空想または行動における)、賞賛されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち五つ(またはそれ以上)によって示される。 (一)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待)(二)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。(三)自分が〝特別〟であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。(四)過剰な賞賛を求める。(五)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。(六)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。(七)共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。(八)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。(九)尊大で傲慢な行動、態度 (高橋三郎・大野裕・染矢俊幸訳「DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル新訂版」)。 自分をイノセンスで装い、いつしかそれが本当の自分だと思い込んでいく先に、こうした病理的な心的現象が出てくるように思われる。人格障害に関連する精神医学・心理学の書物が記すところを私なりに整理・解釈してみると、自己愛性人格障害の人の対人関係には次のような特徴が見られる。 ▽「ありのままの自分を愛すること」ができないので、優越的な存在だという自分で作った幻想の自分を愛そうとする。▽自分より優れたものを認めたくないので、他人の優れた能力や才能を無視する。▽他人を見下し・軽蔑・侮辱することが快感となる。▽自分の優越幻想がなかなか示せないとなると、過ぎたことであろうとも他人の欠点・難点を探し出してはなんくせをつけていく。▽人をバカにしているので、自分もいつバカにされるかわからないと疑心暗鬼になる。▽閉じられた自己幻想から出ようとせず、他人に心を開くことがなくなる。 韓国人がしばしば示す自民族優越主義、反日民族主義、反日行為には、こうした心的傾向との同質性を強く感じさせられる。反日が常軌を逸すると思える根拠 多くの韓国人が示す反日行為が「常軌を逸している」と感じられるのは、これまで見てきたように、火病に現われる複合的な怒り症候、人格障害に現れる各種の性格的な偏向ときわめて近似しているからである。しかし彼らは病者なのではない。彼らは、他者に依存したり他者や社会を攻撃することによって、火病や人格障害に陥ることを回避している「代償的擬似健常者」なのである。 自分には罪がないのに(イノセンス)、なにゆえに自分はこれだけの苦労を背負わされるのかと、コンプレックス(恨)が心の凝りとして固まっていく。これが高じると火病にまで至る。外部の権力から自らを守ろうとする疑似イノセンスが、ありのままの自分ではなく誇大にピュアーな幻想的自分を愛するようになっていく。それが高じると人格障害にまで至る。 韓国人の反日行為が「常軌を逸している」と感じられる根拠は、火病や人格障害と近似する心性を内部に抱えた「代償的擬似健常者」が、韓国社会に多数生み出されていることにあるのではないか。そこには、儒教・朱子学に特有な潔癖主義、厳正主義を重んじる、伝統的な制度文化が、諸個人に対する外部の権力として強く作用していると思う。 儒教的な制度文化に覆われた社会では、制度規範としての絶対的な勧善懲悪(善を勧め悪を懲らしめる)が人々の心の内面を圧迫する。そこでは、人々は自分の表面を勧善懲悪の構えで飾り立てて生きるしかなくなっていく。 しかし現実はまことに不条理なものとしてある。疑似イノセンスが入り込む余地がそこにある。固まっていくコンプレックス=恨を抱え続け、「アリラン」の歌のようにそれが解けていく先に希望をもとうとする。現実には他者より抜きん出て俗世間で成功することが一途に目指されていく。 朝鮮半島の伝統的な社会では、そうした人々の恨をバネとする上昇志向が社会を活性化させる原動力となっていた。良くも悪くも、排他的な自己愛と自己繁栄のエネルギーが、自分の一族や自分が所属する小集団の繁栄へと一途に向けられてきた。 こうした「集団利己主義」の社会が根本的な解体を経ずして近代へ突入した。日本統治下での近代化推進で解体への道がつけられたとはいえ、戦後はその道を遮断し、反日を繁栄へのエネルギーとする国策が根を下ろした。「集団利己主義」の民族規模での強化が推進されたのである。◇本稿は、拙著『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)「第五章」前半を要点中心に圧縮し、新たな観点を加えて書き改めた。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    「ウリジナル」と「反日」の底流にある韓国ファンタジー古代史観

    【新・悪韓論】室谷克実(ジャーナリスト) 韓国の「反日暴走」が止まらない。為政者、マスコミ、職業的活動家が日に日に「悪なる日本の事実」を捏造(ねつぞう)しては、「日本が-」の大合唱。まるで国中が「対日憤怒調整障害」を患っているかのようだ。 この様相は、国家としての韓国が滅亡の危機に瀕しても変わらないのかもしれない。 韓国の「反日」意識の底流にあるものは、彼ら自身が戦後になってから育んだ「悪なる日帝」という虚偽情報だ。 例えば、皇民化政策が実施されたことは事実。日本側とすれば朝鮮近代化政策だったが、李承晩(イ・スンマン)教育は「朝鮮民族の抹殺を企図した」とした。皇民化を“朝鮮人の日本人化”とすれば、「朝鮮民族の抹殺を企図した」との比喩的分析は成り立つだろう。朴槿恵大統領もある意味、「悪なる日帝」教育の犠牲者かもしれない(共同) しかし、今日の韓国人は前世代から教えられた「民族の抹殺」を「ジェノサイド」(民族大虐殺)に置き換えて、世界に喧伝している。「われわれはナチスに囲まれたユダヤ人と同じ境遇だった」「だからカギ十字旗と旭日旗は同質なのだ」「日本を戦前に戻そうとしている安倍政権はネオ・ナチズムだ」などと。 日帝によるジェノサイドがあったのかどうか。朝鮮併合期に朝鮮民族の人口が2倍に増えた事実だけ見ても分かるだろうに、そんな史実は韓国では教えられていない。 韓国の「反日」意識の底流には、実はさらなる底流がある。ファンタジー古代史観だ。「朝鮮民族は中国の中原から満州に至る大帝国を築いていた」という韓国でしか通用しないお話だ。 このお話は、日本については「未開の民が住む地だった」「半島から渡った人間があらゆることを教えてやった」と説く。 これを十分、頭に刷り込んでから今日の日本を見ればどうなるか。日本に昔からある良き文物はすべて、「われわれの祖先が教えてやったことであるはず」となる。次から次へ出てくる「良いもの何でも韓国起源論」(ウリジナル)は、こうした刷り込み教育の当然の帰結なのだ。 ファンタジー古代史観は同時に「われわれは日本の兄に当たる国だ」とする優越意識をもたらしている。優越意識があるから、何らかの面で日本に立ち遅れると「弟の分際で生意気だ」と“瞬間湯沸かし器”よろしく燃え上がる。 本当に危ない状況だ。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    朝鮮民族の「恨」は恨み辛みや不満を生きる力に転換した状態

     20年以上前に遡る1991年、韓国と日本が歴史認識をめぐって法廷で争うという、現在を予見するような異色長篇小説が刊行された。本誌で「逆説の日本史」を連載中の作家・井沢元彦氏が書いた『恨の法廷』である。井沢氏はこの作品で、韓国の反日の根底には、「恨」の感情があると喝破した。隣国が戦後最悪ともいうべき「反日ムード」に冒された今、井沢氏が改めて「恨」について解説する。 * * * 今年3月1日、日本統治下の1919年に起こった「三・一独立運動」を記念する式典で、韓国の朴槿恵大統領は「(日本と韓国の)加害者と被害者の立場は、千年の歴史が流れても変わらない」と述べた。日本に対する恨みは永遠に続くと公言したわけである。尋常ならざる怨念に背筋が寒くなった日本人は多いであろう。 だが、この感情は歴史的に韓国人、いや朝鮮民族全体に共通するもので、「恨千年」は決して大袈裟ではない。たとえば、チョー・ヨンピルが歌ったことでも知られる「恨五百年」という韓国の代表的な民謡がある。 高麗の武将・李成桂が高麗王朝を倒して李氏朝鮮(1392~1910年)を打ち立てたとき、高麗の遺臣が李成桂を恨んで歌った歌が元になっていると言われ、そこでは「恨五百年」という言葉が何度も繰り返される。 私は20年以上前の1991年に『恨の法廷』という作品を刊行し、韓国人、朝鮮民族のメンタリティを解剖したが、今はそのとき以上に「恨」が噴出している。「恨」とは「恨み辛みや不満を生きるエネルギーに転換した状態」のことで、朝鮮民族特有の精神構造である。 確かに、ネガティブな感情が生きるエネルギーになることはあるが、そういう人間、民族や国家は、必要以上に攻撃的、非理性的になる。民族が団結するためにも、必ず憎悪の対象が必要になるからだ。 逆にわれわれ日本人は、太古の昔から「恨み」という感情をケガレの一種、つまり排すべきものだと捉えてきた。いつまでも恨みを抱き続けるのは悪いことで、いずれ水に流すべきものと考えられてきたのだ。だからこそ、日本人は和や協調性や思いやりを大切にするのである。関連記事■ 韓国人 田沢湖は韓国人が掘ったと主張も田沢湖は大昔から存在■ 韓国の日本への執拗な謝罪要求は事大主義と小中華思想が理由■ 北朝鮮と韓国との全面戦争はあるか? 専門家はないと説明■ 旭日旗韓国起源説は韓国ネット民の間でも「呆れた」の声多数■ 井沢元彦氏 「韓国では真実の歴史を語ると黙殺、弾圧される」

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    韓国による濡れ衣「もう傍観できない」個人の挑戦

    櫻井よしこ(ジャーナリスト) 「20万人の強制連行」「性奴隷」「終戦間際の虐殺」など、日本国の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)と不名誉を晴らしたいと本当に思えば、個人だってここまでできる。そう実感したのが、谷山雄二朗氏が全編、英語で語った作品『スコッツボロガールズ』だった。 私はこれをDVDで観(み)たが、作品の題名を氏は1931年に米国アラバマ州スコッツボロで起きた事件からとっている。白人女性2人が黒人青年9人に強姦(ごうかん)されたと訴え、8人に死刑判決が下された。証拠は女性の証言のみ、物証はなかった。後に女性の1人が被害話を嘘と認め、被告人らは50年に釈放されたが、全員の無罪確定は事件からなんと七十余年後だった。 谷山氏は黒人青年らの濡れ衣の苦しみと日本人の慰安婦問題の苦しみに共通性を見いだし映画の題名をつけた。氏は41歳、日本で生まれ豪州、タイで育ち、英語は極めて流暢(りゅうちょう)だ。言論の自由を尊び差別を憎む。氏は少年時代に受けた人種差別の記憶があるからこそ、「今になっても、偽善や、どうみても筋が通らないことに対し、黙っていられないのかも」と語っている。28日、ワシントンの米連邦議会前で、安倍首相に従軍慰安婦問題での謝罪を要求する人々(共同) なぜ人は事実に目をつぶり偏見を抱くのか。氏はこうも訴える。 「僕がチャレンジする慰安婦問題は(海外では)超アウェーの議論になるでしょう。だって国際社会では今や『慰安婦=セックス奴隷』ですから」。しかし、「もう傍観できない。日本人として反撃キックオフ、それしかない」 氏は韓国人の言い分を聞くべく、まず、ソウル郊外にある元慰安婦のための施設、ナヌムの家を訪ねる。しかし、そこで摩訶(まか)不思議な体験をする。大阪の在日の人々に阻まれ、門前払いされたのだ。彼らは一体そこで何をし、何を隠そうとしているのか。 日本大使館正面に設置された慰安婦像前の集会で歌や踊りに熱中する韓国の若者にも氏は問う。金学順氏の「貧しさゆえに14歳で母親に売られた」とのハンギョレ新聞の告白記事を読んだことがあるかと。彼らは読んでいない。金氏は女子挺身隊の名の下に連行されたとの「朝日」の記事を信じているのであろう。 谷山氏は別の元慰安婦、文玉珠氏の残した貯金通帳の拡大コピーを示し、東条英機首相の月給が800円だったとき、彼女が2年間で2万6145円を貯金したことを明らかにする。ソウルでは1千円で家が買えた時代に26軒分の資産を2年で蓄えた女性を奴隷と呼ぶのは無理だと、これは誰でもわかる。 こうした情報はすでに大半の日本人が共有する。問題は、しかし、当の韓国をはじめ諸外国の人々が恐らく、ほとんど知らないことだ。だからこそ全情報を英語で発信する谷山氏のように、国際社会にあらゆる面で事実を知らしめる具体策が急がれる。 1944年10月1日の米軍による慰安婦の調査書や94年1月24日のオランダ政府の調査書は、日本が活用すべき一次資料である。 ビルマで働いていた朝鮮人慰安婦20人を米軍が実態調査した結果、彼女らは強制連行の犠牲者でも、性奴隷でもなかったことが明確にされている。これも多くの日本人にとっては、いまや常識であっても、アメリカ議会の選良でさえ、知っているのは極めて少数である。 94年1月24日のオランダ政府の調査報告書は日本人として気の重くなる内容も多いが、詳細な事実関係を踏まえている。 報告書はインドネシアのスマランの慰安所を「最悪のケース」と断じ、同時に日本軍の上官が、現地の日本軍が女性たちを強制したことを知ると、同慰安所を直ちに閉鎖させたこと、さらに責任者が戦後死刑に処せられたことも明記している。同件は、女性たちへの強制が日本軍の方針ではなかったことを、オランダ政府が逆に証明する結果になっている。 調査は全体の結論を、200~300人のオランダ系女性が働いていた、内65人は売春を強いられたが、大多数(majority)の女性は強制ではなかったとまとめた。 スマランの事例は戦時の性犯罪であり、強制連行問題とは明確に分けて考えるべきものだ。ところが、両者を意図的に混同する議論や論点のすり替えがとまらない。 朝日新聞は吉田清治氏の嘘を認めたうえで、慰安婦問題の「本質」は女性の人権問題だと強弁する。韓国も朝日の論調に同意する。 ではなぜ、韓国政府は韓国当局が100万人もの女性が売春に身を落としていると発表した自国の現実を正そうとしないのか、なぜ、気の毒な女性たちに救いの手を差しのべないのか。谷山氏のこの問いかけに、私は同感である。 もうひとつ、私たちが改めてしっかりと見据えるべきことは慰安婦問題をはじめとする歴史問題がおよそいつも日本人によって提起されている点である。どれも火元は日本であり、朝日はそのすべてに関わっている。 挺身隊と慰安婦を同一の存在として報じた植村隆元記者、南京事件を捏造(ねつぞう)報道した本多勝一氏らの説明責任とともに、一連の問題に日本はなぜ筋立てて反論できなかったのかが、私たちが自問すべき最重要の点であろう。 谷山氏はドキュメンタリーの最後で、日本にいわれなき非難を浴びせる韓国やアメリカにすさまじい憤りを爆発させている。その憤りこそ、大半の日本国民が、実は国内に向けて抱いている思いであることを、私は実感している。 政権与党も外務省も含めて私たちの国は、一体どこで、なぜ、何を、間違えたのか。その失敗を認識して、初めて、有効な反撃作戦が可能になると思う。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    歴史捏造

    日本文化は朝鮮半島から伝えられた、などと信じている人がいたら、その根拠は? 天皇のルーツは半島にあり、などと無知をさらした政治家もいましたが…

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    慰安婦強制連行は虚構…マイケル・ヨン氏「韓国は中国の操り人形」

     慰安婦問題を調査し、20万人強制連行説は虚構と主張するアメリカのジャーナリスト、マイケル・ヨン氏が、日本の媒体に相次いで登場している。ジャーナリストのマイケル・ヨン氏(鈴木健児撮影) ヨン氏は2007年にまとめられた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」など、さまざまな資料を調査。IWGは2000年に始まり、アメリカ各省庁の文書850万ページが対象になった。調査するよう働きかけたのは、在米の反日的な中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」。ところが慰安婦の「奴隷化」を裏付けるような文書は一つも見つからなかった。 昨年11月、日本で最初にこのことを報じた古森義久・産経新聞ワシントン駐在客員特派員とヨン氏が、「Voice」2月号で対談している。「『日本軍が二〇万人のアジア女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張はまったく根も葉もない幻だった」と、ヨン氏は明快だ。 女性を強制連行するなら拘束して輸送し食事も与えなければならないが、戦闘中の軍隊がそんなことをするか。故吉田清治が書いたような強制連行を済州島でしていたら目撃証言が残るはずだし、なぜ大規模な反乱が起きなかったのか。アメリカ戦時情報局の報告書には日本の将軍の平均年収が6600円の時代に慰安婦のそれは9000円だったと書いてある--等々、ヨン氏は「強制連行」の虚構を斬っていく。アメリカ人がこのように公平に資料を見て、発信しようとしていることの意味は大きい。慰安婦問題の主戦場の一つはアメリカになっているからである。韓国を利用する中国 ヨン氏の指摘で興味深いのは、慰安婦問題の背景に中国の存在を見ていることだ。「本当の主役は韓国ではありません。慰安婦問題を地政学的、政治的問題の道具として利用しているのは中国です。いわば韓国は、中国の操り人形として利用されているだけなのです」。対談でこれまた明快にヨン氏はそう述べている。 ほか、ヨン氏は「ザ・リバティ」2月号のインタビューでも、「中国は歴史問題を使って、アメリカ、日本、韓国の仲を割り、協力しないようにしています。これは巨大な情報戦・諜報戦なのです」としている。 こうした見解には筆者も同意見である。過去、何度か書いたことだが、中国には古典兵法以来の謀略の伝統がある。思考様式といってもよい。はかりごとにより敵を追い込む世論を作り、心理的に士気をくじき、戦わないで勝つことが、最上なのである。「兵とは詭道(きどう)なり」「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とはすでに「孫子」にある。 中国は歴史問題で韓国を走狗(そうく)として使ってきたといってよい。2年前、朴槿恵政権が発足する直前に中国はソウルに特使を送り、「中韓が(歴史問題で)はっきりとした態度を取り、立場を示さなければならない」などと、歴史問題での共闘を呼びかけた。韓国はけたたましく反日に走ったが、中国はしばらく静かに構えていた。大国に事(つか)える事大主義の伝統を持ち、反日をいわば国是とする韓国を、うまく使ってきたのである。 自由主義国である韓国と日本が離反して都合がよいのはどの国か。共産主義国にほかならない。だが韓国にはそれが見えていない。さらにアメリカでも、歴史問題で反日世論を広めている中心は、先述の「世界抗日戦争史実維護連合会」という中国系組織である。日米韓を離反させようとする中国の思惑を、日米韓の敏感な人間は読み取るべきなのだ。「親にしてこれを離す」、つまり敵が親しみあっているときはこれを分裂させる、ということも、「孫子」に書かれている。朝日は深刻な問題をもたらした 日本では、慰安婦についての報道で誤った事実を広め国民の名誉を傷つけたとして、約8700人が朝日新聞に謝罪広告などを求める訴訟を起こした。訴訟とは関係ないが、ヨン氏は「Voice」でこうも言っている。「『朝日新聞』は全世界を騙(だま)して、日本に深刻な問題をもたらしたままです」。朝日はこうした声に、言論機関としてもっと答えていくべきだろう。 ヨン氏のように慰安婦問題を公平に見るアメリカ人がいるということは、心強い。「Voice」では、日本人に次のようなメッセージを発している。「大切なのは、慰安婦問題を大声でわめく韓国に対して日本が引き下がらないこと、そして中国の脅威に屈しないことです」。その通りだろう。さらにいえば、日本人が日本の中の左傾勢力の言い分などにごまかされず背筋を伸ばしていくことも、大切である。(大阪正論室長 河村直哉)関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    「不遡及」覆し歴史清算に走る国

    渡辺利夫(拓殖大学総長) 否定したい、できれば消し去ってしまいたい過去を抱えもつ人間は少なくなかろう。しかし、そういうわけにはいかない。現在は過去の蓄積のうえにしか存在しないのだから。過去とは、つまりは宿命である。国家や民族とて同様であろう。国家や民族の歴史は栄光と汚辱こもごも紡いで引き継がれる。誇らしい過去ばかりに支えられて現在がある、というほど歴史は単線的ではない。栄光の歴史は引き受けるが汚辱の過去は否定してしまおうというのは、ただの傲慢である。近代法の原則を簡単に放棄 「過去史清算」とか「歴史清算」という表現をたやすく使う国が隣にある。2005年12月、盧武鉉政権下の韓国において「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」が成立した。日本統治時代、その統治に協力した指導者の「反民族行為」の真相を糾明(きゅうめい)し、それが罪過(ざいか)と認定されれば、子孫の財産を没収して国家の帰属とするための法律である。韓国の政治家の法感覚は一驚に値しよう。近代法における法律不遡及(そきゅう)の原則(事後法の禁止)は、ここではいとも簡単に放棄されている。「罪千歳に及ぶ」という中世の法感覚というべきか。 韓国には「正しい歴史」と「間違った歴史」というものがあって、前者の中に生きていくためには後者を抹消しなければならないと考えられているようだ。11年8月の「元従軍慰安婦の個人請求権放棄は違憲」とする大法院判決、13年7月に相次いだ新日鉄住金や三菱重工の元徴用工に対する賠償金支払いに関する高等法院判決などの背後にあるのは、同類の法感覚であろう。 過去史清算や歴史清算の多くが日本の統治時代を対象としており、中国やロシアとの関係史にこれが向けられることはない。一体、どうしてか。李朝の成立以来、朝鮮の支配者の脳細胞の中に埋め込まれた民族的遺伝子のなせるわざなのであろう。14世紀末に成立した李氏朝鮮は、往時の中華王朝・明の忠実な臣下として生きる道を選択した。国号も王位も明による命に服し、喪礼(もれい)、祭祀(さいし)など冠婚葬祭の礼式のすべてが中華のそれに擬して執り行われた。中華より中華的たることをもって誇りとし、「大明国之東屏」と称して中華文明を守護することが朝鮮王朝の任務だと自認したのである。 しかし、17世紀の中葉に満族によって明が倒され、征服王朝としての清が成立して、朝鮮の中華に対する崇敬の念は鬱屈へと変じた。「蛮夷(ばんい)」満族によって樹立された清には服属し難い。さりとて小国朝鮮にはこの巨大王朝に抗(あらが)う力はない。そこで表面的には清の臣下として事(つか)えながらも、心の深層においては中華の伝統を正しく継承するのは清ではなく、「東方礼儀之国」たる朝鮮のみだとする考え方が次第に強化されていった。前者を事大主義と呼び、後者を小中華主義と称する。 朝鮮の小中華主義思想の中枢に位置していたものは、人間社会は儒教の思想と礼式(礼教)により教化され、初めてまっとうすると考える朱子学である。これが原理主義となって朝鮮社会を染め上げた。礼教に無縁な日本人は文字通りの蛮夷である。礼教を原理とする典雅なる朝鮮王朝を蛮夷の日本が侵略し、あまつさえ朝鮮を日本に「併合」することなど道義において許されるはずがない。道義に違背する過去はそのことごとくを糾弾・否定しなければならない。韓国の方こそ未来あるのか ここでは道義が近代法や国際条約に優先する。先の大法院や高等法院の判決がそのことを端的に物語る。国際条約とは1965年の日韓基本条約のことである。それに伴う協定で国家賠償はもとより個人賠償までが「完全かつ最終的に解決」されているのである。道義を近代法と国際条約の上位観念とする国家が近代主権国家といえるか。道義を国是とする専制国家への道を韓国は歩もうというのか。「反日の法令化」を進めて韓国は中世への逆行を始めたのか。 現在の韓国人にはいかにも悔しかろうが、日本の韓国併合は諸列強によって幾重にも承認され、往時の国際法に則(のっと)って合法的に実現されたものである。朝鮮の「文明開化」は日本との「合邦」によって実現するより他に方途なしとする「一進会」に集(つど)った人々は、朝鮮統監府の資料によれば14万人、実際には数十万人に及んだといわれ、朝鮮史上最大の政治集団であった。日本統治下にあって朝鮮の人的・物的・制度的インフラが、王朝時代には信じられない速度で整備され、後の「漢江の奇跡」を呼びさます誘因となった。このことについては、韓国の真摯(しんし)なる研究者の実証研究が少なくない。 「歴史を顧みない国家に未来はない」と朴槿恵大統領は言うのだが、この問いかけが何より自国民に対してなされるのでなければ、韓国は今後とも「仮想空間」の中を漂いつづけ、日本との和解も叶(かな)うまい。従軍慰安婦問題などという虚構を国事と見違える国家にこそ、未来はないのであろう。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造

    松木國俊(元豊田通商ソウル事務所駐在員)「遊びに来て」が災いのもと 私は一九七二年に学生として初めて韓国に行きました。クルマといえばトヨタのコロナばかりが走っているころで、裸電球が灯ったりし、初めてなのに、どこか懐かしい気がしました。韓国語は欧米の言語と違って語順が日本語と同じだし、顔も日本人と似ている。けれど、表面はそっくりでも中味は大違いです。 大学卒業後豊田通商に入社。一九八〇年にソウルに駐在しましたが、日韓の文化の違いに驚かされました。日本が当時の金額で5億円の巨費を投じて昭和12年、鴨緑江に建設した水豊ダム。 現在は中朝国境に位置し、いまも北朝鮮の貴重なエネルギー源となっている 日本でも「忠孝の倫理」とか言いますが、韓国では忠より孝が大事。会社の大事なお客が来るときに、韓国人のパートナーが休んでしまう。「お父さんの誕生日だから」と言うのです。仕事のあとで駆けつければいいじゃないかと言うと、「そんなことをしたら周りから白い目で見られる」。考え方が日本とは根本的に違う。言葉の意味も違う。例えば「約束」。ある程度できそうだという見込みがあれば「できる」と約束してしまい、状況が変わると守れなくてもしかたがないという考え方です。「予定」も違う。「明日お客が空港に何時に着く予定だから迎えを頼む」と言っておいたのに、予定の時間に会社にいるので焦って事情を聞くと、「あれは予定でしょ。決定するのを待っていました」との答えがかえってきました。 人と人の間の距離感も違います。韓国人は親しくなってある線を越えると、その内側の相手は身内ということになる。身内ならお金も貸すし、いつ家に遊びに行ってもいい。相手の都合なんかおかまいなしです。私の日本人の友だちが韓国人の女性と結婚しましたが、当時夜間外出禁止令があって、夜、家に帰れなくなった親戚がしょっちゅう泊まりに来る。プライバシーなんかあったものじゃなくて閉口していました。 ある日本人の夫婦が韓国のアパートに入居したとき、エレベーターで隣家の人に会ったので「いつでも遊びに来て」と挨拶したら、その晩に家族五人でやって来て、食事中だから待ってと言ってもかまわず上がりこみ、テレビを勝手につけたり冷蔵庫を開けて飲み物を出したりで、嫁さんが「こんなところにはいられない。日本に帰る」と叫んだなどということもありました。 ジャーナリストの室谷克実さんは慶応大学時代の二年先輩ですが、その室谷さんに聞いた話です。──ソウルのホテルの鮨カウンターで食べていたら、ウェイトレスが「(そのホテルの)社長様がいらっしゃいましたので席を譲ってください」と言う。こっちが客だよ、と窘めても、「私は社長様から給料をもらっていますから」と平気な顔だったそうです。日本と逆で、外部の人に話すときに身内のものに敬語をつけるんです。「父上様は今いらっしゃいません」「課長様は今いらっしゃいません」という調子です。一番大切な身内にすら敬語を使わない日本人は極めて不道徳となるのです。身分格差 韓国人は大げさな表現が好きで、すぐ話がふくらんでしまう。造船輸出が急激に増えた時期にはドックで修理したものまで新造船に数えて統計をふくらませたと聞いたことがあり、実態とは違った数字だったようです。韓国としてはライバル日本に負けないよう精一杯背伸びしたのかもしれません。規模と利益で日本企業を圧倒する韓国のサムスンを模範企業のように言う論調がありますけれど、まだ問題はあるようです。 「サムスン電子は、技術パクリを常とし、世界のさまざまな家電・半導体メーカーから特許権侵害で提訴されている企業です。2011年4月には、アップル社がついにスマートフォンに関する特許権侵害でサムスン電子を告発しました。(略)サムスン電子はアップルに半導体や液晶を納入している、いわばお得意先。そこの製品をパクったのですから、その度胸は賞賛ものです。(略)社員は使い捨てで下請け泣かせ、オーナーの一族は金銭スキャンダルに塗れ、オーナー自身、脱税で有罪判決を受けました。売上高は世界的規模でも、韓国型悪辣・不道徳企業の代表です」〈室谷克実・三橋貴明『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』(PHP研究所刊)より〉 サムスンは、以前は日本人を雇って、役員会も時々日本語でやっていたとのことです。研究開発費も、他社から図面やノウハウを買うのにかなり使われているようです。韓国では身分格差が大きくて、サムスン電子のオーナー会長は二〇一一年春、株の配当金だけで百一億円を受け取ったが、勤労者の四五%は二〇一〇年中の平均月収が十五万円以下だったそうです。企業はオーナー一族のものという意識が強く、企業トップが公私混同して背任罪に問われるケースもよくあります。一人が出世すると一族が頼って来て、出世した当人もみんなを養う義務があると考える。一族の者だから金を貸せと突然言って来て、貸さないと門前で「一族なのに貸さないのを皆さんどう思うか」と騒ぎ立てる。大統領ほどの権力者となるとこれにたかろうとする人が後を絶ちません。某大統領が「聞いたこともない親戚が三倍増えた」と嘆いたことがありました。だから辞職した歴代大統領がみんな汚職で追及されることになるのです。人の親切につけこむ人の親切につけこむ こういう韓国社会の様相は百年前に朝鮮を観察したイザベラ・バードの『朝鮮紀行』(講談社学術文庫 時岡敬子訳)にも描かれています。 「朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり『人の親切につけこんでいる』その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。……おおもとはほとんど揺るがない」 おおもとが揺るがないと言えば、韓国では「過去を水に流す」ということがありません。そういう日本的な美意識は絶対通じません。人を責めるのに、その父、祖父が何をしたかにまでさかのぼって責める。「親日法(日帝下の親日・反民族行為真相糾明に関する特別法)」でも、親日派だった者の子孫の財産を没収するというのですから、不溯及という近代法の原則も何もあったものではありません。だから、過去は自分に都合のいいものでなければならない。実際にあった過去ではなく、「あるべき過去」を主張して、でっち上げてでも押し通さないと生きて行けないのです。 それゆえ、大韓民国の正統性を主張するために、上海にあった大韓民国臨時政府が日本に対する独立戦争をやって勝ったのだと教科書に書き、教えている。近代において日韓が戦ったことなどはないのです。臨時政府が国家として承認されていたのなら、日本の敗戦ですぐ民国ができてもよかったはずですが、実際には南北の軍政下に置かれ、一九四八年にアメリカの軍政下から独立したのです。いわれなき非難に謝罪 韓国にいて歴史認識がおかしいと思い始めたのは、一九八二年の、日本の教科書が「侵略」を「進出」と書き換えたと騒がれたときです。事実ではなかったわけですが、韓国人が興奮状態で、新聞の一面に「日本の軍国主義がまた始まる」と書いて自衛隊観艦式の写真を載せたりした。実態を知らぬまま思い込みだけで非難するのかとびっくりしました。新聞は反日記事を書けば売れる。先日もハンギョレ新聞の論説委員が「日本の右翼勢力をただすには日本を韓国の植民地にするしかない」と書きました。 韓国の非難は的外れだと思って歴史の勉強を始めたのですが、日本では鈴木善幸、宮沢喜一の両元首相が韓国に謝罪してしまい、これでは歴史のウソを認めることになると切歯扼腕しました。 五十歳で会社を早期退職した理由の一つは、日本語教師になり、韓国人に日本語を教えながら日本の本当の姿を伝えて誤解を解きたいと思ったことでした。専門学校に通って教師の資格を取りました。韓国人が日本に来ても、一年ならいい印象を持つ。「韓国人はいじめられる」と聞かされていたがそんなことはなかったと。しかし二年目に文化の壁にぶつかります。友人の家に夜、突然遊びに行ったら嫌な顔をされた、差別じゃないかとか。学校や課外活動を通じて日韓の文化的な違いを教える必要がありますが、なかなか容易じゃない。教師の口が少なく、非常勤講師を二、三コマやっても週に一万円にしかならないなどということもあって、また商売を始めました。 それが可能だったのは、私が前の会社をやめても付き合いを続けてくれた韓国人の友人たちのおかげです。これは有難かった。今度はまず日本人の意識を変えようと、日本会議などに入って情報交換をしていました。 そこへ、ある老人が資料を見せてくれた。かつての朝鮮総督府の年鑑や日本統治下の朝鮮で使われた教科書など。「日本が朝鮮から強奪した」として韓国が主張するいわゆる「七奪」が捏造であることを示す一次資料で、私は目からうろこが落ちる思いでした。 この資料によれば「七奪」非難は完全に否定されます。 一、「韓国国王を奪った」…… 日本は李王家を日本の皇族の一員としてお迎えし、併合時の純宗皇帝は李王となられて日韓の皇室が融合したのです。日本は李王家を手厚く保護しました。朝鮮総督府『施政三十年史』(国立国会図書館蔵)には歳出項目の最上段に「李王家歳費」とあり、毎年百八十万円が計上されています。現在の価値で約二百億円になります。他の宮家の皇族費とは格段に差のある巨額です。さらに梨本宮方子女王が李王家の王世子・李垠殿下に嫁がれました。このこと一つをとっても、日本の「朝鮮統治」は、植民地の王室をことごとく廃止した欧米列強の「植民地支配」とは根本的に違っていることが明らかです。終戦時、李垠殿下は密航してでも朝鮮に帰ろうとされましたが、韓国の李承晩大統領が許さなかった。李王朝を復活させず、共和制国家をつくったのは韓国自身です。 二、「主権を奪った」…… 李氏朝鮮は清の属国であり、国家主権はもともとなかったのです。朝鮮が近代国家として独立し、共に欧米列強の侵略に対抗することを望んだのは日本であり、それを許さぬ清との間で戦争になったのです。日本が勝利し、清と結んだ講和条約(下関条約)第一条には「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ」と朝鮮の独立が明確に謳われています。『日本之朝鮮』(1911)に掲載された「朝鮮人より日本国民に送れる合邦希望の電報」。日韓合邦を望む朝鮮人がいかに多かったかを物語る。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載日韓合邦の嘆願書日韓合邦の嘆願書 ところが、ロシア、ドイツ、フランスの三国による干渉で日本が遼東半島の放棄を強いられると、国内改革によって専制権力を奪われつつあった国王・高宗はロシアと組んで巻き返しに出ました。国内の親日・改革派を葬り、ロシアに朝鮮の利権を売り渡し、馬山にはロシア海軍の基地が建設されて、日本の独立が脅かされる事態に至りました。そして日露開戦。大韓帝国内では李容九が「一進会」を結成し、日本との一体化こそが国を救う道であると朝鮮民衆に説きました。白人大国ロシアに対する日本の勝利はアジア・アフリカの有色人種を狂喜させた。戦後、李容九は一進会百万人会員の名前で全国民への合邦声明書を発表、さらに韓国皇帝、曾彌統監、李完用首相に対し「日韓合邦」の請願書を提出しました。日韓併合は日本が一方的に進めたのではなく、大韓帝国の中にも日本との合邦を推進した人々が多くいたのです。 一九一〇年に日韓は「韓国併合ニ関スル条約」を締結しました。このときの韓国皇帝の詔勅には、「韓日両国の親密なる関係をさらに進めて一家をなすことがお互いの幸福に通じる」として内閣総理大臣李完用に全権を委任し、大日本帝国統監寺内正毅との両国併合交渉に当らせると記されています。日韓併合条約は国家同士が当時の国際法や国内法に基づいて平和裏に締結した正式な条約なのです。日本が一方的に主権を奪ったのではありません。ヘレン・ミアーズの証言 『アメリカの鏡・日本』の著者ヘレン・ミアーズも「日本が韓国を併合したのは、新皇帝が懇願したからだ。日本は一つ一つ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で最終的な併合を達成した。列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法な手続きを踏んでいなかった」と記しています。J・クロフォード英国ケンブリッジ大教授も、二〇〇一年の国際学術会議で「自分で生きて行けない国について、周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むというのは当時よくあったことであり、日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった。強制されたから不法であるという議論は第一次大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」と述べて、韓国側の主張は完全に崩れました。イザベラ・バードも夙にこう書いていたのです。「わたしは朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。Ⅱ 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない」三、「土地を奪った」…… 一九七四年以来、韓国の国定教科書には「全国農地の四〇%を日本人に収奪された」と記載されてきました。とんでもない。李氏朝鮮時代は所有権の概念があいまいなために、土地をめぐる争いが絶えませんでした。そこで朝鮮総督府は一九一〇年から八年かけ、近代的測量技術を使って土地調査を行いました。朝鮮総督府『施政二十五年史』(国立国会図書館蔵)には「抑々土地調査は地税の負担を公平にし、地籍を明らかにして其の所有権を確立し、その売買譲渡を簡確実にして以て土地の改良及び利用を自由にし、かつその生産力を増進せしめんとするものである」と目的がはっきり書いてあります。調査の結果、二百七十万町歩と言われていた耕地が、実際には四百八十七万町歩にも上ることが明らかになりました。耕地全体の四五%もが当時の貴族階級であった両班らによって隠匿されていたのです。 韓国では土地調査について「日本人が小高い丘に登ってあたりを見回し、土地を指さして手当り次第良田を奪った」と非難していますが、これは李氏朝鮮時代の話なのです。李朝末期にダレ神父は『朝鮮事情』(平凡社)の中でこう書いています。両班の暴君ぶり「両班は、いたるところで支配者か暴君のようにふるまっている。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、殆どの場合、支払なしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(現在の知事に相当)は一人もいない」。 実際に朝鮮総督府が接収した土地(李朝時代の国有地等)は耕地全体の三%でした。接収の過程で朝鮮人の私有地を奪った事実は全くありません。一九二二年時点で朝鮮半島における国有地及び日本の個人、法人が保有していた土地は合わせて二十五万五千町歩、全耕地面積の六%にすぎません(『朝鮮における内地人』朝鮮総督府、大正十三年発行)。農民たちは自分の土地が測量され地籍に上がるのを見て、測量事業に積極的に協調しました。しかし中には一時の利益に目がくらみ祖先伝来の土地を売ろうとするものもありました。一方、一攫千金を夢見る日本人が大挙、朝鮮にやってきました。当時の寺内総督は、一旗組によって朝鮮の土地が買いたたかれては百害あって一利なしとし、朝鮮農家が日本人に土地を売るとの情報をつかむと憲兵を派遣し、日本人には売らないよう説得させました。そこまで総督府は朝鮮人の利益を守ろうとしていたのです。 四、「国語を奪った」…… 韓国の国定中学校教科書には「我々の言葉を禁止し日本語だけを使うようにして、我々の歴史の教育も禁じた。ハングルで刊行された新聞も廃刊させ、我々の言葉と歴史に対する研究も禁止させた」と書いてあります。そもそもハングルは十五世紀に李朝四代世宗が学者を集めて作らせたと言われていますが、当初より諺文として忌み嫌われ、公文書では一切使われませんでした。イザベラ・バードも「諺文は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない」と記しています。そのハングルを再発見したのが日本人の福沢諭吉でした。「日本の漢字仮名まじり文同様、ハングルを駆使すれば難解な漢文を朝鮮語式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに役立つはずだ」 と考え、漢字ハングル混交文を提唱し、ハングル活字を私費で作りました。 朝鮮総督府は日本と朝鮮の学者を集めてハングルを近代的文字体系にまで高め「普通学校用諺文綴法」を決定して教科書に採用しました。さらにソウルとその近郊で話されている言葉を標準語と定め、学校教育を通し全土にこれを広めました。現在の韓国語は、このときに成立したのです。 一九二〇年には総督府によって初めて本格的朝鮮語辞典が完成、刊行され、一九二四年には京城帝国大学に朝鮮語・朝鮮文学の口座が開設されました。半島における日本語の普及にも力を入れましたが、これは共通語の普及が目的であり、朝鮮語廃止など毛頭考えていなかったのです。 日本が朝鮮を植民地と考えていたのなら日本語など教えないほうが支配しやすかったはずです。一九四一年からは朝鮮語の科目が廃止されましたが、これは戦争の激化によって朝鮮語教育に力を入れる余裕がなくなったためです。また科目が廃されたからと言って、朝鮮語の使用が禁止されたわけではありません。当時の日本人は半島の人口の二%程度であり、禁止など不可能です。朝鮮語の新聞も、京城では終戦まで二紙が発行されていました(中村粲『韓国併合とは何だったのか』)。むしろ朝鮮の知識人の中に朝鮮語廃止と日本語常用を唱える人々が大勢いたのです。ハングルを教えている朝鮮・水原郡松山面(村)の公立学校。1929年『生活状態調査』水原郡・第28号より。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載朝鮮語廃止にストップ日本統治時代のハングル教科書。ハングルを禁止したことなど ないどころか、積極的に教えていた朝鮮語廃止にストップ 南次郎総督が「朝鮮語を廃止するのはよくない。国語(日本語)普及運動も朝鮮語廃止運動に誤解されることがあるくらいであるから、それはできない相談である」と拒否した経緯があります(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』)。日本が朝鮮語を奪ったのなら、当時の朝鮮人は全員日本語を話せたはずですが、『朝鮮総督府施政年報 昭和十六年版』には日本語を「やや解しうるもの」「普通会話に差し支えなき者」合わせて約三百九十万人、当時の朝鮮の人口の一六%に過ぎないと記載されています。同資料には「内地人職員に対する朝鮮語の奨励」なる項目があり、日本人官吏が朝鮮語を必死で学ぶ様子がうかがえます。 近代においては日本が西洋の用語を日本語に翻訳して新たな漢語を創造したのですが、朝鮮の人々は日本製の漢語を借用して今日の韓国語を形成しました。韓国語の名詞の七〇%程度が漢語であり、政治、経済、科学、哲学、医学分野はほぼ一〇〇%が日本語の借用です。「社長、副社長、専務、常務、部長、課長、係長」も、「株式会社」「合弁会社」「水素」「酸素」「電気」「手術」もみんな日本語の韓国読みです。日本は統治期間中に朝鮮語の標準語を定め、近代社会に必要な単語を提供しました。奪うどころか、まったく逆のことをやっているのです。 歴史教育についても、朝鮮総督府大正十三年発行『朝鮮語読本 巻五』には「(慶州為先陳列館では)この地方において発見された各種の遺物が保存されており、新羅文明の卓越した様子が明らかに分かる」「石窟庵に入れば穹窿たる石窟の中に二十九体の仏像を周壁に彫刻してあり、その彫刻の優美さは東洋芸術の誇りである」などの記述があり、朝鮮の卓越した歴史を学童たちに教えるべく努力していたことがよくわかります。五、「姓名を奪った」…… 一九三九年に朝鮮総督は朝鮮戸籍法を改正し、朝鮮人が日本名を名乗ることを可能としました。「創氏改名」と呼ばれるこの政策によって朝鮮人の姓名を奪われ、無理やり日本人に同化させられたとして韓国は日本を非難します。しかし、朝鮮人が日本名を名乗ることで日本人が何か得をしたでしょうか。実は、日韓併合直後の一九一一年に朝鮮総督府は総督府令第一二四号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を施行し、朝鮮人が日本式姓名を名乗ることを禁止していたのです。朝鮮の伝統風俗を尊重すると同時に、日本人と朝鮮人を名前で区別できなくなることで発生するであろう不都合に配慮したものでした。ハングルで書かれた生徒作品も学校の書道展に並んでいる。日本人がハングルを奪ったという説が大噓であることがわかる。1938年『日本植民地教育政策史料集成』朝鮮篇所収、「渼洞公立普通学校創立30周年記念集」(1936)より。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載日本名をくれないのは差別 それが変更されたきっかけは、朝鮮人満州開拓団からの強い要望です。朝鮮人に対する中国人や満州人の侮蔑意識が強く、朝鮮人の村々は略奪、放火、虐殺など甚大な被害を受けていた。日本名を名乗れば名実ともに日本臣民となり、侮蔑されなくなるというわけです。半島の朝鮮人の間でも「日本人になって三十年近く経っても日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」との不満が高まってきました。しかし朝鮮総督府警務部は日本への密航増加や治安上の問題を憂慮して反対し、内地人も朝鮮人も平等であるという「一視同仁」の考えから賛成する文部部とすったもんだの議論の末、ようやく一九三六年に戸籍法改正に至ったのです。 総督府では朝鮮の文化伝統を尊重する立場から「姓」を戸籍簿上に残し、新たにファミリーネームとしての「氏」を創設することにしました。これは朝鮮人が「姓」を変えることなく合法的に日本式の苗字を持てる妙案でした。さらに「せっかく日本人の苗字が名乗れるようになっても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がない。名前も変えさせて欲しい」という要望が多く、これに応えるために、裁判所に申請し正当な事由があると認められた場合に限り、手数料を払って名前を変えることも可能としました。これによって「創氏改名」が実現したのです。 この法律が施行されるや町や村の議会で「全員日本名とする」ことを決議するケースも続出しました。朝鮮人官吏が点数稼ぎのために日本名を勧めたこともあったようです。日本名を名乗らないものが朝鮮人の間で非難されることもあったでしょう。改名を拒否して自殺したという話も残っています。しかしそれはあくまで朝鮮人社会内部での問題であり、日本側が強制したわけではありません。南総督は三度も「強制してはならない」という通達を出しています。 また、日本名を名乗らなくても不利益を被ることがなかった証拠に、軍人や政治家、スポーツ選手のなかに朝鮮名を通した人たちもかなりいました。結果的に八○%の朝鮮人が日本名の「氏」を選択したのは、当時世界五大強国の一つであった日本の臣民になることを望んだということです。朝鮮では本貫(一族始祖の発祥地)を同じくする同姓同士の結婚はできず、異姓を婿養子にすることもできない規定がありましたが、創氏改名に伴う民事令の改正で異姓の婿養子を迎えることができるようになり、喜ばれたという事実もありました。あまりの歴史歪曲六、「命を奪った」…… 日清戦争の原因となった東学党の乱から一九四五年までの五十年間、日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと韓国では教えています。これが世界中で韓国だけに存在する「日韓五十年戦争」論です。この主張は、朴殷植が一九二〇年に書いた『朝鮮独立運動之血史』という本がベースになっています。朴は上海臨時政府の二代目〝大統領〟になった人物であり、この本は日本を攻撃するために悪意をもって著述したもので、日本の官憲や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねてあり、私もこれを読んであまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句しました。しかし韓国ではこれが史実として教えられています。「東学党は、政府軍や日清軍と交戦すること九カ月以上にも及んだ。死者三十万人を数え、民族史の上に古今未曾有の惨状を極めた」というのですが、日本軍の本隊が朝鮮半島に上陸したのは東学党の乱が朝鮮政府軍や清国軍隊によって鎮圧されたあとで、それまでは二個小隊しかいませんでした。また、「わが民衆を日露戦争の軍用務労働者として徴用しはじめ、これを拒否したものはロシアの間諜として罪におとしいれ、あるいは拘束し、あるいは拷問を加え、甚だしくは斬殺した。」とあります。しかし日本で国民徴用令が制定されたのは一九三九年であり、一九〇四年に他国の国民を徴用できるはずがありません。 韓国の民族独立運動である「三一運動」を日本が残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺したと韓国は主張しています。一九一九年三月一日、京城(ソウル)の公園に宗教家三十三人が集まり、非暴力・無抵抗主義を標榜して「万歳デモ」に移ったのが始まりですが、これが瞬く間に全国的暴動に発展し、地方では農民たちが武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃する凶悪な行動へ転化しました。在朝鮮日本人に「日本へ帰れ」と投石して脅迫した事実はテロそのものであり、決して一般大衆から支持されたものではなかったのです。黄色人種間の分裂を図る欧米宣教師に煽られた朝鮮人キリスト教徒たちが暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人らの不満分子が乗っかって広がった破壊活動であり、警察や憲兵が鎮圧するのに武器を使用したのもやむをえざるところでした。『朝鮮独立運動血史』には日本官憲が各地で悪逆非道な弾圧を行ったと記されています。ところがそのほとんどは裏付けのない伝聞にすぎません。唯一、西洋人が視察して公に伝えたとする水原岩里事件では婦女子が犠牲になったとしていますが、英国紙「モーニング・アドバタイザ」の京城特派員は「殺害された三十七名全員が男性」と記述しており(木原悦子『万歳事件を知っていますか』)、朴の創作が明らかです。日本の裁判の公正に感激 実際の日本の対応は、金完燮『親日派のための弁明2』によれば送検された被疑者一万二千六百六十八人、六千四百十七人が起訴され、一審で三千九百六十七人が有罪判決を受けましたが、日本人憲兵六名と警官二名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑は一人もなく、十五年以上の実刑もなく、三年以上の懲役がわずか八十人で、しかも減刑と赦免で刑期が半分以下となりました。この時逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟、李光洙、崔南善、朴煕道たちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な日本ファンとなって、一九三〇年代の言論界をリードすることになります。 李朝末期における農民の生活は悲惨で、毎年多数の餓死者が出ていました。この改善が朝鮮総督府の最大の目標であり、一九二六年に「朝鮮産米増殖計画」が施行されました。併合当初、朝鮮の水田は八〇%が天水に依存していましたが、この計画により七〇%以上が天水依存から脱し、その他の改良と相まって朝鮮農業は飛躍的に発展しました。一九一〇年に朝鮮全土で約一千万石程度だった米の生産高は一九三〇年代には二千万石を越え、大豆と雑穀の生産高も併合時より六〇%増えました。一九三一年に朝鮮総督となった宇垣一成は「朝鮮農山漁村振興運動」を展開し、朝鮮農民の意識を近代化に向けて大きく前進させました。一九三三年から三八年にかけての農家収入は二倍に増えています。 李氏朝鮮時代は劣悪な衛生環境のなかでしばしば十万人以上の死者を出す疫病が流行していました。西洋医学が普及しておらず、東洋医学のみに頼る状態でした。本格的に近代医療システムの導入が始まったのは併合後、朝鮮総督府が改善に取り組んでからです。京城大学附属病院、各道の慈恵病院が作られ、一九一〇年には百二十万人に種痘が施されました。このような日本の努力の結果、朝鮮人の平均寿命は、一九一〇年の二十五歳から一九四四年には四十五歳まで伸びました。日本が朝鮮人の寿命を伸ばし、命を救ったのが歴史的事実だったのです。七、「資源を奪った」…… 韓国の中学校歴史教科書には「日帝は金、銀、タングステン、石炭など産業に必要な地下資源を略奪した」と書いてありますが、実際には朝鮮半島にそれほど魅力的な資源はありませんでした。石炭は無煙炭であり、オンドル部屋の暖房用練炭が主用途で、金、銀、タングステンなどは日本の会社が厖大な開発費を投じながら、結局大赤字でした。東南アジアから輸入したほうがよほど安上がりだったのです。収奪どころか、日本は逆に税金をつぎ込み、産業を育成しました。大韓帝国が一九〇六年に初めて作成した国家予算は七百四十八万円にすぎなかったのに対し、日本は一九〇七年から一九一〇年まで毎年二千万円から三千万円を補助しています。日本の国家予算の二〇%を越えたこともあります。併合後も毎年二千万円前後の資金を持ち出し、昭和十四年になっても日本からの補充金と公債を合わせると全予算額の四分の一を占めていました。日本統治期間を通して日本政府が朝鮮半島につぎ込んだ金額は、累計で二十億七千八百九十二万円、当時の一円が平均して現在の三万円とすると六十三兆円という天文学的な数字になります。また、大韓帝国時代から日本は鉄道建設に力を注ぎ、その総経費は現在の価値にして十兆円以上になります。民間資金もダム建設に投入され、有名な水豊ダムだけでもその額は現在の価値で三兆円近いものです。これによって生み出された豊富な電力を利用するために日本の多くの大企業が朝鮮北部に投資しました。それによって朝鮮人の雇用を創出するとともに、付加価値の高い製品を日本へ移出することで朝鮮経済を豊かにしたのです。*   *   * いまや韓国はG20に名を連ねる大国です。「日本への恨」を持ち続けて何の意味があるのでしょう。日本民族と韓民族が互いに誤解と偏見を克服し、それぞれの先人を誇りに思えるとき、初めて日韓間に互恵平等の関係が樹立できると思います。日の丸と太極旗が並び立ってアジアの繁栄と安定を築くことを願っています。松木國俊(まつき・くにとし) 一九五〇年、熊本県生まれ。七三年、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。同年、豊田通商株式会社入社。八〇年~八四年、豊田通商ソウル事務所駐在。秘書室次長、機械部次長を経て二〇〇〇年、豊田通商退社。〇一年、松木商事株式会社設立、代表取締役。現在に至る。日本会議東京本部調布支部副支部長、新しい歴史教科書をつくる会三多摩支部副支部長も務める。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    日本は侵略国家か

    「朝鮮を植民地化した」と気やすく表記しますが、本当でしょうか。正しくは合邦で、日本本国と同等としたのですが…。

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    「侵略戦争」という言葉は歴史を見る目を歪める

    埼玉大名誉教授・長谷川三千子 「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」―3月9日、或(あ)るシンポジウムの席上で北岡伸一氏が述べたと伝えられるこの発言は、大変な問題発言と言うべきものです。「安倍談話」について検討する懇談会の座長代理を務める方が、いわば場外である公の場で自らの私見を述べる、というマナー違反もさることながら、一番の問題は発言の内容です。 日本が侵略戦争をしたのか否かという話を政治の場に持ち込んではならない―これは単に、そういう問題は歴史学者にまかせておけばよいから、というだけのことではありません。もしも本当に学問的良心のある歴史学者ならば、そんな問いには答えることができない、と突っぱねるはずです。 なぜなら「侵略戦争」という概念そのものが極めていい加減に成り立ったものであって、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはないからなのです。 ここで簡単に「侵略(アグレッション)」という言葉が国際法の舞台に登場してきた経緯を振り返ってみましょう。今われわれが使っているような意味での「侵略(アグレッション)」という言葉が最初に登場するのは、第一次大戦後のベルサイユ条約においてです。 いわゆる「戦争責任(ウォー・ギルト)」条項として知られる231条には「連合国政府はドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を確認し、ドイツはこれを認める」とあります。 そして、このような罪状によって、ドイツには連合国の戦費すべてを負担する全額賠償という巨額の賠償が負わされたのでした。敗戦国だけに責任負わせる概念 では、そのような重大な罪であるドイツの「侵略」はどんな根拠に基づいて認定されたのかといえば、ほとんどいかなる客観的検証もなされなかった。むしろ逆に、前例のない巨額の賠償を根拠づけるために、降伏文書では単なる普通の武力攻撃を意味していた「アグレッション」という語を、重大な罪を意味する言葉「侵略」へと読みかえてしまったのです。 現在のわれわれは、第一次大戦がいわば誰のせいでもなく起こってしまった戦争-各国のナショナリズムの高揚の中であれよあれよという間に拡大してしまった大戦争だったことを知っています。 その戦争の原因をもっぱら敗戦国だけに負わせる概念として登場したのがこの「侵略」という言葉だったのです。こんな言葉を使ったら、歴史認識などというものが正しく語れるはずはありません。 でも、それからすでに100年近くたっているではないか。こんなひどい概念がそのままということはあり得ない、と言う方もあるでしょう。確かに、第一次大戦と第二次大戦の間には不戦条約というものが成立して、それに違反した戦争は違法な侵略戦争である、という言い方ができるようになってはいました。 ところが不戦条約には米国の政府公文の形で、この条約は自衛権を制限するものではなく、各国とも「事態が自衛のための戦争に訴えることを必要とするか否かを独自に決定する権限をもつ」旨が記されています。現実に個々の戦争がこれに違反するか否かを判断するのは至難の業なのです。 第二次大戦後のロンドン会議において、米国代表のジャクソン判事はなんとか「侵略」を客観的に定義づけようとして、枢軸国のみを断罪しようとするソ連と激しく対立しますが、最終的にはその定義づけは断念され、侵略戦争の開始、遂行を犯罪行為とする、ということのみが定められました。しかも、それは枢軸国の側のみに適用されるということになったのです。そしてその後も、この定義を明確化する国際的合意は成り立っていません。 つまり、「侵略」という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていないというわけなのです。この概念が今のまま通用しているかぎり、国際社会では、どんな無法な行為をしても、その戦争に勝って相手に「侵略」のレッテルを貼ってしまえばこちらのものだ、という思想が許容されることになるといえるでしょう。 こんな言葉を、安倍晋三首相の談話のうちに持ち込んだら大変なことになります。首相がしきりに強調する「未来志向」ということは、もちろん当然正しい歴史認識の上に立って、平和な未来を築いてゆくのに役立つ談話を出したい、ということに違いない。だとすれば、歴史を見る目を著しく歪(ゆが)めてしまうような言葉や、国際社会において、「法の支配」ではなく「力の支配」を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念は、決して使ってはならないのです。国際政治がご専門の北岡さんには改めて、本来の学識者としての良識を発揮していただきたいものです。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    「侵略」といえなかった朝鮮統治

    古田博司(筑波大学大学院教授) 普通わが国の人々は、明治になってはじめて西洋を知ったことを喜ぶべき出来事として記憶にとどめている。だが、知ったのは西洋ばかりではなかった。東洋とも、この時はじめて顔を突き合わせたのである。東洋といえば支那・天竺(てんじく)だと、書物からイメージしていた人々が汽船に乗って海を渡り、やっと東洋を見ることができた。 明治時代の経済学者・福田徳三は李氏朝鮮を目の当たりにして、まるで平安の藤原時代のようだと言った。土地の所有権ナシ、商店ナシ、行商人のみアリ。今の北朝鮮のような世界である。さぞかし驚いたに違いない。 戦後のマルクス学者たちは、世界各地はみんな発展していなければならないし、それは一定の段階を踏んで進んでいくのだと信じていたので、福田に朝鮮差別のレッテルを張りつけて退けた。だが今では、福田の方が正しかったことを研究が明らかにしている。 シナ地域と朝鮮半島は全く対等ではなかった。今で言えば、先進技術国の隣に極貧国があるようなものである。朝鮮には一次産品以外売るものがなかった。シナの針や染色衣料などの高度な技術品を得ようとすれば、米・布が流れ出し、飢餓輸出になってしまう。12世紀からは銀が流出し、2世紀あまりで朝鮮半島の銀山は掘りつくされてしまうのである。 だから、李朝になると朝鮮半島の経済はずっとシナ地域に対して防衛的になった。特権商人が対馬との交易でシナの白糸と日本銀を交換する。その日本銀で朝貢使節に下人や馬夫身分で200人、300人単位でついてゆき、支配階級のために北京で高度な技術品や芸術品を買い付けるのである。人数分ご褒美もくれるのでこれも売り物になった。女真族がシナ地域の征服者になり清朝を開くと、大きな貢物を要求されたので、この供給も彼らの仕事になった。 こんなことをしていたので、李氏朝鮮は18世紀まで古代に固定されていた。これがガラガラと崩れてゆく。17世紀以来の商人ギルドは、支配階級自らが他の商人たちと個別に結託したので穴あきになり、他方民間では自前の染料がないので民衆は白衣姿、結局針一本作れない技術水準のまま、近代日本に併呑された。格差ゆえに施した近代化政策日韓併合後の朝鮮を統治した旧朝鮮総督府庁舎(奥)。1995年に解体された。手前は光化門(1972年、ソウル市) 日本がやってきたとき李朝の国庫は空だった。王は「そちたち好きに計らえ」と、5人の大臣に国を丸投げした。この史料は実録、王室日記をはじめ3カ所から出ている。日本が統治したのは当時、西洋列強が角突き合わせる時代だったので、その安全保障ゆえだった。近代化政策を施したのは、あまりに格差がありすぎたからであり、放置したのではかえってコストがかかりすぎるためだった。 だから朝鮮半島に関しては「侵略」などというのは無理である。明・清代にはシナ地域との圧倒的な格差のため、朝鮮の経済をシナ経済の末端にしないように意識して経済の発展を抑制していたが、19世紀末に近代日本が来ると貿易の自由化が始まり、あっという間に日本に呑(の)み込まれた。もし過去の歴史をさして、「侵略」以外の何かしらの言葉をもって置きかえるならば、「不運」というのが妥当と思われる。これからの未来だが、朝鮮半島の経済は中国経済の末端に連なることになるだろう。 ここで、もう一つ気がついたことがある。日本を除く東アジア地域、西洋に比しての「東洋」だが、この地域に世界的に孤立した特徴がある。それは、ここのみが無神論地域だということだ。彼らの伝統では、自己の血族でない霊魂は祭ってはならない。自家の祖先の霊魂だけが神さまであり、他家のは全部ゴーストなのである。これがまさに、彼らに靖国神社が理解できない理由となっている。 日本には古来神さまがいる。日本人は元旦には神社に初詣に行き、家に神棚のある人は手を合わせるだろう。だが、なぜ宗教としての自覚が希薄なのか。それは恐らく隣国が特異な無神論地域なため、宗教的な確執や葛藤を経験していないからではあるまいか。 隣国では、社会の基本単位が男系血族による宗族である。だから共同の意識が地縁にまで及ばない。物理的に一族のために蓄財し、精神的に宗族の歴史が一番大事なので歴史認識にこだわるのであろう。国は不運の歴史ではあっても、自家の歴史は立派だったと思いたい。後者の意識が前者を凌駕(りょうが)し、ついに国史まで偽造するに至った。これを国家的規模で行ったのが、北朝鮮の金家の「革命伝統」であり、韓国では金泳三大統領時代に始まる「歴史の立て直し」政策であった。 韓国では1990年代以降、テレビの時代劇では奴婢(ぬひ)まで色物を着るようになり、外出禁止だった李朝・京城の夜を提灯(ちょうちん)を持って出歩くようになった。不運だった「隠者の国」はケバケバしく彩られ「自尊者の国」へと変貌した。 以後、韓国人の現実像と歴史像は乖離(かいり)し、言うこととやることがちぐはぐになっていくのである。

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    合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識

    渡部昇一(上智大名誉教授)ピサロの侵略と「コロニー」 明治四十三年(一九一〇年)、日本と韓国は合邦しました。 これを日本による韓国の「植民地化」ととらえる考え方があり、むしろ、それが一般的な風潮となっています。もちろん、韓国や北朝鮮は政治的な利害からそう主張している。しかし、それは日本と朝鮮半島という、地域的にも思想的にも限定的な、狭い見かたにすぎません。アジアに対する欧米の帝国主義、植民地主義が当然とされていた時代の、世界史的な視野で見るべきだと思います。 たとえば、英語の文献では、日韓合邦のことを「アネクセイション」(annexation)と表現しています。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization)とはイメージがまったく違う。歴史を公平に客観的に見るには、言葉が当時どのように使われていたかを知ることも重要です。現代の常識で過去を断罪すべきではありません。頭ではわかっていても、ついついいまの物差しで歴史を計ってしまいがちです。 そこで、少々衒学めきますが、初めに「アネクセイション」と「コロナイゼーション」の違いをイギリスの辞典などにもとづき、できるだけわかりやすく述べておきたいと思います。 まずコロナイゼーションの語源を考えてみましょう。“colonization”の“colo”は「耕す」とか「居住する」という意味です。このラテン語の動詞の過去分詞“cultum”は「耕された」「洗練された」の意で、「耕作」「教養」の意味の英語「カルチャー」(culture)も、そこからきています。 “cultum”の派生語である“colonia”(コロニア)は、「農場」「領地」という意味でした。元来はローマ帝国の拡大にともなって新たな征服地へ移り住んだローマ市民、とくに「ベテラン」(veteran)と呼ばれる除隊した兵士たちが住んだ土地のことです。彼らはローマ市民権を持ち、駐屯兵として帝国防衛の役割も担いました。「屯田兵」のようなものと言えばわかりやすいでしょうか。 イギリスをみてみると、ブリテン島にはローマのコロニアが九つありました。よく知られている地域では、ロンドン、バース(Bath)、チェスター、リンカーンなどがあげられます。いずれも当時はローマのコロニアでした。 さて、ローマ時代には「農場」「領地」という意味だった「コロニア」が、やがてギリシャ語の「アポイキア」(apoikia)の意味にも使われるようになりました。ギリシャはシュラキウスやイタリアの島に入植し、独立・自治の・植民地を建設した。それが「アポイキア」で、メトロポリス(母なるポリス)から独立して住むところという意味でしたが、それもラテン語ではコロニアというようになったのです。 では現代英語で「植民地」をさす「コロニー」(colony)という言葉はいつから使われるようになったのか。 最初にコロニーという言葉を英語で使ったのは、リチャード・イーデンという十六世紀イギリスの翻訳家です。ペルーのインカ帝国を滅ぼし、文明を破壊した例のスペイン人、フランシスコ・ピサロの行状を書いた本の翻訳のなかで彼が初めて「コロニー」という言葉を使いました。一五五五年に出版した“The Decades of the New Worlde, or West India”(「新世界あるいは西インドの数十年」)という本に出てきます。インカ帝国最後の実質的な皇帝アタワルパの死を描いた絵画。アタワルパはピサロによって処刑され、インカ文明は滅亡した植民地に犯罪者を送り込んだ英国 現代語の「コロニー」、つまり「植民地」という言葉は、大航海時代、ペルーの先住民族を絶滅にまで追い込んだピサロの非道な侵略・掠奪を連想させる言葉として英語に入ったわけです。一五五五年といえば、毛利元就が厳島の戦いで陶晴賢を破って中国地方を支配する基礎を固めた年。織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝利する五年前です。 「植民地をつくる」という動詞コロナイズ(colonize)、そして「植民地化」という名詞コロナイゼーション(colonization)は、一七七〇年、エドマンド・バークが最初に使いました。著書“The Thoughts on the Present Discontents”(「現代の不平家についての考え」)のなかで彼は、“Our growth by colonization and by conquest”(イギリスのコロナイゼーションと征服による成長は……)という言い方をしています。 その六年後の一七七六年に刊行された、アダム・スミスの『国富論』には“The discovery and colonization of America”(アメリカの発見と植民地化)という用例が見られます。インディアンを蹴散らして強引に土地を奪うというニュアンスです。日本でいえば田沼時代にあたります。 イギリスの詩人・作家であるロバート・サウジーは、晩年には『ネルソン提督伝』を書き、小説家のウォルター・スコットの推薦で桂冠詩人にもなっていますが、若いころは、いまでは忘れられている「パンティソクラシー」(pantisocracy)、日本語にすれば「万民同権社会」なるものを夢見た人で、ドン・マヌエル・アルバレース・エスプリエーラというスペインの旅行者が書いたという設定の“Letters from England”(「ロンドン通信」一八〇七年)に、次のように書いています。「犯罪者をもって植民させる(colonize)ことはイギリスのシステムの一つである」 つまり、イギリスが植民地に犯罪者を送り込んでいることを批判しているのです。彼はまた、英国人の生活は、とくにその産業的・商業的な拡大(industrial  and commercial expansion)という面で非常な危険にさらされているとも言っています。 この頃から、英語の「コロナイズ」には侵略・掠奪というイメージがあり、イギリスの心ある人たちはみな悪い意味で使っていたのです。日韓合邦は「アネクセイション」日韓合邦は「アネクセイション」 一八三〇年代になると、アメリカでは、「コロナイゼーショニズム」(colonizationism)=植民地主義とか、「コロナイゼーショニスト」(colonizationist)=植民地主義者という言葉も用いられるようになりました。これなどはまったく批判的な意味合いを持っています。 もともと悪い意味ではなかった「コロニア」という言葉が、大航海時代に白人が有色人種の国を征服していくにしたがって「コロナイズ」という言葉を生み、「掠奪」「侵略」というイメージを持つようになったのです。 その「コロナイゼーション」という言葉は、日韓合邦については私の知る限り、イギリスの文献にはまったく現れません。すべて「アネクセイション」(annexation)と書かれています。「アネクセイション」という言葉は、イギリスの哲学者フランシス・ベーコンが一六二六年より以前に書いたといわれる“Union England and Scotland”(イングランドとスコットランドのユニオンについて)のなかで、「二つの国(民族)の土地から、一つのコンパウンデッド・アネクセイション(複合した合併)をなす……」と、平等というニュアンスで使っています。 一八七五年には、ジェームズ・ブライスという法学者・歴史学者が、“The Holy Roman Empire”(神聖ローマ帝国)のなかにこう書いています。「フランスは、ピーモントをアネクセイション(合併)することによって、アルプス山脈を越えた」。ここにも「掠奪」という意味合いはまったくありません。 動詞の「アネックス」(annex)は、subordination(従属関係)なしに、という意味を元来含んでいて、もともとどちらが上というニュアンスはなかったのです。 一八四六年に出た『英国史』、元来はラテン語の本で、それ以前に出版されているのですが、そのなかには「ジュリアス・シーザーはブリテンをローマ帝国にアネックスした」という記述があります。この場合も、ローマの文明をブリテン島におよぼしたというニュアンスが強く、掠奪したという感じはない。略奪、征服の意味はない さらに「アネクセイショニスト」(annexationist)という言葉は、アメリカにおけるテキサス併合論者の意味です。一八四五年に実現したアメリカの「テキサス併合(アネクセイション)」という言葉にも、「掠奪」や「征服」という意味はありません。 このことをふまえて、『ブリタニカ百科事典(Ency-clopdia Britannica)』一九二二年の十二版を見てみましょう。日韓合邦の翌年、一九一一年の十一版にはまだ記載がなく、十二年後に発行された十二版の「KOREA」(コリア)の項目のなかに、初めて日韓合邦のことが出てくるのです。 一七七一年にグレートブリテンのエディンバラで第一版が出たブリタニカは、イギリスのみで発行されていた時代には『ロンドン・タイムズ』と並び情報の公平さで世界的に評価され、世界中の知識人に読まれた信頼度の高い事典です。そこには、こう書かれています。「一九一〇年八月二十二日、コリアは大日本帝国(Japanese Empire)の欠くべからざる部分(integral part)になった」 ここで「欠くべからざる部分(インテグラル・パート)」という書き方をしていることからも、・植民地・とは見なしていないことがわかります。 「国名はおよそ五百年前に使われていた朝鮮(Chosen)に戻った。(略)日本が外交権を持った一九〇六年以来、日本によって秩序ある体系的な進歩がはじまっていたが、これ(合邦)によってその進捗はさらに確かなものになった」。ただ、「コリアン・ナショナリズムの抑圧を批判する人もいる」ということも書かれ、以下、およそ次のような趣旨の記述が続きます。「警察制度を整備して内治をすすめたことによって泥棒や強盗団が跋扈していた辺鄙な地方の治安もよくなった。朝鮮の平穏さは、併合(アネクセイション)以来、曇ることなく続いていたが、一九一九年三月に突如、騒乱が起こった(渡部注 三・一運動)。これはウィルソン米大統領の唱えた民族自決主義(セルフ・ディタミネーション)の影響であったが、ただちに鎮圧された。日本は慎重に改革を進めていたが、これを見て計画を急ぐことになった。注目すべきことに、軍人だけでなく民間人でも朝鮮総督に就任できることになり、総督は天皇のみに責任を負う立場から、首相に従うこととなった。朴正熙が日本から受けた恩恵朴正熙が日本から受けた恩恵 原(敬)首相は、教育・産業・公務員制度について日本人と朝鮮人との差別を取り除く政策を進めていると声明し、こうして朝鮮に再び平穏が戻った。その後も不満分子はときどき騒いだが、みごとに押さえられていた」。 朝鮮人が暴動を起こすのは日本統治時代に限ったことではありません。独立後も済州島事件(一九四八)や光州事件(一九八〇)など、ずいぶん反乱が起こっている。日本時代よりむしろ多いくらいです。 それはともかく、この一九二二年版ブリタニカの記述にも、すべて「アネクセイション」という言葉が使われているのです。 それから四年後の一九二六年に発行された第十三版には「アネクセイション・オブ・コリア」という項目がたてられ、「日清・日露戦争は、朝鮮が日本の心臓に向けられた短刀となることを防ぐための戦いであった」と記し、「朝鮮の宮廷人たちの気まぐれで自殺的な外交をやめさせるためには日本が合併するより方法がなかったが、とどのつまり、伊藤博文の暗殺によってクライマックスを迎えた」と、日本に対して非常に同情的に書かれています。 日本との合邦後、朝鮮半島ではいかに経済が発展し、安定したかというようなことも縷々述べられています。「朝鮮を治めるのは日本の責任であると東京の政府は考え、朝鮮王家は、高い名誉と潤沢な経済支援を受けることになった」と記されているのは、朝鮮の李王家に対する日本の丁重な遇し方のことです。日本の皇族に準ずる待遇をし、李垠皇太子のもとには梨本宮家の方子女王が嫁いでいます。侵略によって征服された「植民地」の王家であれば、本国の王家と婚姻を結ぶなど、ありえない話です。朝鮮王でシナの皇族の娘を妻とした例はありません。 それまでの朝鮮半島は清国に支配されていました。朝鮮は明に建ててもらった国ですから、明が清に滅ぼされたとき、義理立てして抵抗したものだから、清に徹底的にやられてしまった。清の属国だった時代が記憶に残っている人の話を聞かないと、そのひどさはなかなかピンときません。私は、たまたま元北朝鮮の脱走兵だった人を一年ほど家に住まわせていたことがあります。旧制の平壌中学を出た教養のある人でしたが、彼の話によれば、清末の朝鮮がなぜあれほど汚かったかといえば、清潔にしておくと清の兵隊がやって来るからで、だから彼らさえ近寄れないほど汚くしたのだというのです。おいしい食べ物があるとすべて持っていかれるから料理も発達せず、口にするのはおこげくらいのもの。倭寇が怖くて昔から海にも出られないから海の魚の料理の発達もなかったのだそうです。 だから、日清・日露戦争のときも朝鮮の民衆は日本に協力的でした。合邦についても、ブリタニカにもフェアに記載されていたように、たしかに反対派もいたしテロリストもいたけれど、大方の民衆は大喜びだったわけです。 合邦のおかげで朝鮮人がいかに救われたかは、一九六三年から七九年まで五期にわたって韓国大統領をつとめた朴正熙の伝記を読めばわかります。 朴正熙は極貧の家で七人目の子供として生まれています。日韓合邦以前の貧しかった朝鮮はいまの北朝鮮のようなもので、多くの人が春窮で餓死していました。だから、七人目の子など育つわけがありませんでした。それが日韓合邦のために生き延びることができただけでなく、日本の教育政策によって学校にも行けた。小学校で成績優秀だったために、日本人の先生のすすめで学費が免除される師範学校に進み、さらに満洲・新京の陸軍軍官学校に進学して首席で卒業したため、とくに選ばれて日本の陸軍士官学校に入りました。日本と合邦していなければ考えられないコースをたどって、結果的には韓国大統領として「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を故国にもたらしたのです。これは日韓合邦によって韓国が受けた恩恵のめざましい一例と言えるでしょう。この種の例は無数にあったのです。「われわれは日本を見習うべし」 日韓合邦時代における朝鮮人の暴動や反乱は、満洲事変以来すっかりなくなりました。それは、かつての朝鮮の支配民族だった清の満洲人に対して、朝鮮人が平等になったからです。満洲人に限らず、漢族のシナ人も、それまでずっと朝鮮民族を見下していて、朝鮮人はいじめられっぱなしでした。ところが、日韓合邦によって「自分たちは日本人だ」と言えるようになった。創始改名運動が起こり、日本人名になると、数千年間つねに頭を押さえつけられていた満洲人やシナ人に対して大いばりできたのです。それからは、いっさい朝鮮人の反乱がなくなりました。「日韓同祖論」が流行り、朝鮮の中学は修学旅行で伊勢神宮に参拝するようにもなった。戦争のときは志願兵も多かったし、朝鮮人の特攻隊員も数多くいました。 明治政府には、「コロナイゼーションはやらない」という覚悟が強くあったと思います。台湾は日清戦争後の明治二十八年(一八九五)に日本に併合されましたが、その約十年後に、『ロンドン・タイムズ』は以下のような主旨のことを書いています。 「わずか十年の間に台湾の人口は数十万人ふえた。イギリス、フランス、オランダも台湾を植民地にしようと思えばできたが、あえてそうしなかったのは、彼の地が風土病と伝染病が蔓延する瘴癘の地だったからである。しかも、山奥の原住民はともかく、住民の大部分はシナから逃げてきた盗賊だ。台湾譲渡を決めた下関条約の全権大使、李鴻章は、「日本に大変なお荷物を押しつけてやった。いまにひどい目に会うから見ていろ」と内心ほくそえんでいた。ところが日本は大変な努力をして風土病を克服し、人口を飛躍的に伸ばした。西洋の植民地帝国は日本の成功を見習うべきである」 『ロンドン・タイムズ』が評価した日本統治は、朝鮮でも同じように行われていました。 台湾合併は五十年、日韓合邦は三十五年続きました。戦後、韓国に戻って初代大統領になった李承晩の反日運動がなければ、そして半島が南北に分かれないままだったら、そうしてあと十五年、台湾と同じく、五十年間日本との合併が続いていれば、日本も台湾に近い感情で韓国に対してつき合うことができていたのではないか……。これは空想にすぎませんが、そんな気がしています。渡部昇一(わたなべ・しょういち)上智大学名誉教授。英語学者。文明批評家。1930年、山形県鶴岡市生まれ。上智大学大学院修士課程修了後、独ミュンスター大学、英オクスフォード大学に留学。Dr.phil.,Dr.phil.h.c.(英語学)。第24回エッセイストクラブ賞、第1回正論大賞受賞。著書に『英文法史』などの専門書のほか、『知的生活の方法』『日本興国論』などの話題作やベストセラー多数。小社より、『読む年表 日本の歴史』好評発売中。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    韓国併合の真実

    日韓の国交が正常化した基本条約締結から今年で50年、「最も重要な隣国」との関係は硬直したまま改善の兆しも見えません。 思えばわが先人たちは、明治維新から日清・日露戦争、そして韓国併合と、シナ・朝鮮との一定の距離を決して縮めようとはしませんでした。その真意は祖先を仰げばわかるはずです。

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    呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

    第一の前提におかれるのが、「生来の野蛮で侵略的な資質をもった日本民族」である。この日本民族の性格は、日韓関係の歴史を次のようにとらえる歴史観から導き出されるものだ。 韓国は文化も何もなかった時代の日本に、儒教・仏教・技術をはじめとする高度な文化を伝えてあげた。にもかかわらず日本はその恩を忘れ、古代には「神功皇后による三韓征伐」や「任那日本府(日本による朝鮮の植民地)」があったなどの捏造記事を国史に記載し、中世には豊臣秀吉による朝鮮侵略が行なわれ、近世末には国学者らにより韓国征伐論が唱導され、明治初期には政府内に征韓論が火を噴き、韓国の江華島に砲撃を加えて戦争を仕かけ、明治末に韓国を併合して36年にわたる暴力的な支配を行なった―。 このように歴史を連続させ、この流れを一連のものとみなして、その根本的な原因を「日本民族の野蛮で侵略的な資質」に求めるのが、韓国の反日民族主義史観である。これが反日教育の柱となる。 日本民族というのは、そもそもからして野蛮な侵略者だったという考えが、なぜ出てくるかというと、古くからの朝鮮半島諸国には、日本を蔑視していた歴史があるからである。なぜ日本を軽蔑したかというと、朝鮮半島諸国が奉じた中華世界では、華夷秩序(かいちつじょ)が正しく善なる世界システムだからにほかならない。 世界の秩序は「文明の中心=中華」と「その周辺の感化・訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」で構成される、というのが華夷秩序の基本的な世界観である。中華世界の中心にあった中国とその忠実な臣下だった歴史的な朝鮮半島諸国は、日本という国を千数百年にわたって、「その周辺の感化・訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」とみなし続けてきた。韓国の日本観の根本にあるのは、こうした歴史的・伝統的な意識体験に由来する侮日観なのである。シナ皇帝の使者を属国朝鮮として迎えた「迎恩門」。日清戦争後の日本が清から独立させると取り壊され、代わって「独立門」が建立された 道徳的に優れた上の者が、道徳的に劣った下の者を、常に訓育・感化していかなくてはならないという儒教の考えが侮日観を形づくっていて、これが韓国の対日民族優越意識の根本にある。さらに韓国には、自らこそ中華の正統なる継承者であるという小中華主義の誇りから、潜在的なエスノセントリズム(自民族優越主義)がある。 そのため、対日民族優越意識がいっそう強固になっているといってよい。竹島問題にしても、靖國神社をめぐる問題にしても、慰安婦問題にしても、我々が文化を与えてきた、本来は我々の下に立つべき日本人が、我々を下に見て、我々をばかにしていると、そういう感覚からの反発が第一となっている。 そもそも民族主義とは、戦後に独立したアジアやアフリカ諸国の民族主義をみても、まずはエスノセントリズムから出発したといえるかと思う。かつての西洋にも、これを拡大した白人優越主義があった。我が民族は他民族に優越する優秀な民族だというエスノセントリズムは、民族国家の出発に際しては多かれ少なかれどこにもあったものだ。それを秘かに思っていようと、常に公言していようと、初期の民族主義成立にはそういう自民族優越主義の要素が不可欠だったと思う。 しかし韓国の民族主義はそこから一歩も進まない。なぜかというと、民族主義の内容が反日と結びついた反日民族主義だからである。反日なくしては韓国の民族主義が成り立たない。反日の理念を核に国民国家の意識を形成してしまったのが韓国である。こんな国は他に例がない。 結局のところ、韓国の反日民族主義の根は日本を蔑視してきた歴史にある。日本統治時代への恨みが反日の根拠となっているのではない。日本が韓国を統治したというのは、そういう蔑視すべき民族がもたらした結果であって、日本統治を原因として日本蔑視の反日民族主義が興ったのではないのである。来日2、3年目にぶつかる壁 学校教育で身に付いた、反日感情に裏打ちされた反日意識は、成長するに従い、社会的・国民的なコンセンサスとしてあること、韓国人ならば誰もがもつ常識であることを自覚する。異議・異論と一切出会うことがない社会環境で、疑問の余地なく韓国人としての自分のアイデンティティとなっていく。こうして私は、「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識・反日民族主義」の混合体を強固に抱えもつ、「新世代の韓国人」へと成長していった。 私は小さい頃から、島から半島へ、半島から世界(欧米)へという志向が人一倍強かった。男尊女卑の強い韓国社会を脱して世界に羽ばたきたかった。そこでアメリカへ留学したいと思ったが、当時の韓国ではアメリカのビザ取得はきわめて困難だった。そのため、まず何人かの親戚も生活する日本へ留学し、日本を足場にアメリカへ渡ろうと思った。三十数年ほど前のことである。 日本へ留学する数カ月前、たまたま機会があって、韓国のキリスト教教会の関係で、日本の老人ホーム慰問団の一員として初来日を果たした。1982年12月から翌年の1月にかけての短い期間だったが、そのときに私が体験した日本は、韓国にいるときにイメージしていた日本とはまるで違っていた。 日帝時代を頑迷に反省しない日本人―決して許してはならないと強く思っていた私は、どこへ行っても優しく親切な日本人に触れて、大きく肩透かしをくった感じがした。わずかに触れた日本の生活風習も、私にはとても好感のもてるものだった。 駆け足での体験とはいえ、滞在した一カ月の間、悪い印象はまったくなかったことは大きなショックだった。きわめて驚くべきことであった。イスラム過激派に拉致・殺害された邦人男性の父親は取材を受け「皆さまにご迷惑をおかけしました」とまず詫びた。この冷静な態度を称賛したり、理解しがたいとしたりする声が韓国で上がった  私がはじめて知った日本は、そのようにとても印象のよいものだった。反日意識に変わりはないが、「これなら、それほど緊張することなくやっていけそうだ」という感じをもてた。いや、表面だけではわからないぞ、とも思うのだが、帰国した私は気を昂らせながら日本へ渡る留学手続きに奔走した。留学生ビザを手に日本にやって来たのは1983年7月のことだった。 留学生として、また仕事関係で日本に長期滞在する場合、ほとんどの外国人、とくに韓国人や中国人は、来日1年目はとてもよい印象をもつものである。韓国人には多かれ少なかれ、日本人=未開人、野蛮な人たちというイメージがある。しかし、実際に日本人と付き合ってみると、誰もが親切で、優しくて、思いやりがあって、未開人的な、野蛮人的な日本人はどこにもいないではないか、日本はなんて素晴らしいのか、ということを誰もが感じる。なんといっても、日本は自然が美しい。そして、空気がきれい。しかも、治安がすこぶるよい。 とくに反日意識が刺激されることもなく、こうした日本の良さを感じながら、最初の一年は楽しく過ごすことができるのが普通だ。 しかし1年が過ぎて、もう一歩踏み込んだ付き合いをすることになる2年目、3年目になると、多くの韓国人は日本人がさっぱりわからなくなる。価値観が違うし、善悪の考え方も違う、日本人の精神性、メンタリティーがどうにも理解できないことになってしまう。人によって、程度の差はあるけれども、だいたい2年目、3年目で落ち込んでしまう。 もはや日本人は人間ではないとまで思う人たちもいる。私もそう感じて深刻に落ち込んでしまった。同じ人間なのに、日本人はなぜこうなのか、日本は人間が住む社会ではないとまで私は落ち込んでしまった。日本人は我が国を貶めてきただけに、やはりおかしな人たちだったのだと思うようになっていく。 実際には、本格的な異文化体験がはじまったということなのだが、異文化ゆえの異質性が、根にある反日意識と結びつき「人間としておかしい」といった感覚的な判断を生じさせてしまうのである。 その典型を、日本に2年半滞在して韓国に戻った韓国人の女性ジャーナリストに見ることができる。彼女は、帰国して書いた本で「日本に学ぼうという声が高いけれども、日本のような国には絶対学んではいけない」、なぜかといえば、日本人は異常な人たちだからだ、というように書いている(田麗玉「日本はない」、日本語版「悲しい日本人」)。 どんなことから、彼女は日本人は異常だというのか。たとえば彼女は、「日本人の割り勘は、その場限りで人間関係を清算しようとする冷たい心の現れだ」と書いている。 ことごとくが、2年目、3年目でぶつかった、異文化ゆえの習慣の違いや価値観の違いに関わることなのである。それが反日意識と結びつくため、すべて日本人の「悪意の現れ」としてしまうのだ。私も2、3年で韓国へ戻っていたら、彼女と同じ考えのままだったと思う。 そこには、自民族の文化を価値規準にして、他民族の文化、生活習慣、思考様式、行動形態などを、みっともない、不合理だ、間違っている、劣っているなどと否定する傲慢な態度がある。自文化の価値体系こそがどこよりも正当なものであり立派ものだと頭から信じられている。 その弊害は、自分に都合のよい空想をもって現実を見ようとはしないさまざまな面に現れてくる。「反日」という「バカの壁」「反日」という「バカの壁」 韓国の「反日」は「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識・反日民族主義」の混合体である。そのように完成された一つの固定した考え、揺るぎのない考えである。 一つの固定した考え、完成された考えにはその先がない、未来がない、そこが終局の地点となっている。だから相手の考えを耳に入れる余地がない。多角的な視点から物事を見て判断することができない。自分のいやな事、知りたくない事、興味のない事を無視しようとする。そういう相手には、いくら誠意をつくして話しても、わかってもらえることがない。なんとしても「話せばわかる」ことにはならないのである。 ようするに「反日」は一つの硬直した固定観念であり、それが養老孟司氏がいうところの、自分の思考を限界づける「バカの壁」となっているのだ。そのため話が通じないのである。来日2年目、3年目にぶつかる壁が「バカの壁」だとは、誰も容易に気づくことができない。そこで私のように落ち込んだり、「日本人は人間ではない」とまで思うことになってしまうのだ。大邱地下鉄放火事件で政府高官に食って掛かろうとして取り押さえられる遺族。韓国では事故や事件などで激しく取り乱す遺族が少なくない 「反日」を脱するとは、この「バカの壁」を超えることにほかならない。簡単にいえば、柔軟に、多角的に、相対的に物事を見て判断する、といったことになるだろうが、これが韓国人には実に苦手なのである。 たとえば、人は現実社会のなかで、家族関係、友人関係、先輩・後輩関係、集団関係など、さまざまの実際的な人間関係の体験を通して、自分なりの物事への対処の仕方を身につけていく、という考えがある。 それに対して、人には本来的な人間のあるべき姿があって、これを目標に社会のなかでさまざまな物事を体験することによって、正しい物事への対処の仕方が自分のものになっていく、という考えがある。 日本人の多くは前者のように考え、韓国人の多くは後者のように考えている。仮に前者を実際主義、後者を理念主義と呼べば、実際主義では「現実的な人間関係」が先にあり、理念主義では「理想的な人間像」が先にある。この「理想的な人間像」が「バカの壁」となっているのが韓国人である。 また、多くの日本人は、善悪・正邪は相対的なものだという。しかし多くの韓国人にはどんな場合も変わることのない絶対的なものである。だから、善悪・正邪は時々で異なるものだといった日本人は「人間ではない」とまで思えてしまうのだ。 倫理・道徳も韓国人にとっては相対的なものではない。人間ならば絶対に守らなくてはならない真理である。しかし多くの日本人は、倫理・道徳は大切ではあるけれど、それは「時・場所・場合」によるもので、普遍的にあてはめて説くべきものではない、倫理・道徳を説く理念は立派なものだが、それは第一に優先されるべきものではない、と考えている。韓国人の場合は、「倫理・道徳」は完璧で揺るぎのない「バカの壁」となり、自分自身の心を縛ってしまうのである。 多数の韓国人が、来日2、3年でぶつかる壁を越えられない。だが、そこをなんとか乗り越えて、5年ぐらい居座っていると、異文化としての日本が見えてくる。だいたいは日本のよさが理解でき、日本が好きになっていく。私もそうだが、そういう韓国人が多いのは確かである。 それでも「反日」だけは抱え続ける人もいる。そこでは反日意識と親日感が同居する。「公的(理念的・外面的)には反日、私的(実際的・内面的)には親日」というようになっていく。現在のように情報が自由に飛び交い、日韓交流が盛んな時代では、韓国に居ながらにして「公的には反日、私的には親日」という人が大部分といってよい。 「反日」をひとたび棚上げにしさえすれば、韓国人の誰でも日本人と親密に付き合える。国交という面でいっても、かつての日韓関係でも日中関係でも、できる限りそう処して付き合おうとしていた時代があった。しかし、そのままではやがては限界がくる。現在の最悪ともいえる日韓関係が如実に物語っている。物事への相対的な視線の大切さ 知識人であればあるほど、「反日」から抜け出ることが難しいようだが、人それぞれの脱し方があると思う。私の場合を振り返ると、そこには大きく三つの契機があった。 一つには、来日3年目で最も落ち込んでいた頃、「郷に入れば郷に従え」を徹底的に実践してみようと思い立ったことである。たとえば、日本人好みの渋みある茶碗。「あんなもののどこがそんなにいいのか」と蔑む気持ちがあった。そこで「韓国人好み」をひとまずカッコに入れて、そうした茶碗を次々に買い求めていくことにした。 そのうち収集が趣味ともなって、大きな楽しみになっていった。習慣・価値観・美意識などを含めて、そうしたことをやっていった。直接「反日」とは関係ないが、先に述べた「日本人は人間としておかしい」という感じ方が崩れていく大きなきっかけとなった。 二つには、日本人ビジネスマンに韓国語を教え、韓国人ホステスやビジネスマンに日本語を教える語学教師を数年間やったことである。そこでは、否(いや)が応でも日本人からは韓国人との行き違いの悩み、韓国人からは日本人との行き違いの悩みを、さんざんに聞かされるのである。  韓国人ホステスたちの悩みは、日本人の彼氏との悩みが多く、また結婚している人もいて、彼女たちは日本人家庭での嫁姑の問題で悩んでいる。日本人ビジネスマンの悩みは、会社を背負って韓国に仕事に行ったが、どうにも勝手が違うので交渉事がはかどらない、仕事の手順が合わない、といったものが中心だった。  聞けば聞くほど、私が悩んでいたことそのままである。嫁姑の問題やビジネスの問題を超えて、そこには共通の日韓の「行き違い問題」が伏在していることを知った。  韓国人は、自分の行動や思考をよしとする一方で、日本人をおかしな人たちと見ている。それにまったく匹敵する程度で、日本人も同じように韓国人をおかしな人たちと見ている。日本人と韓国人は、実に合わせ鏡のような相互関係にある。いや、あるというよりは、そこへと無意識のうちに落ち込むのである。  私が美しいと思えないものを、なぜ日本人は美しいと思うのか―。それは私のテーマであり、また私の語学教室の韓国人生徒たちの切実なテーマでもあった。 韓国人ホステスたちと日本人ビジネスマンたちの時間の都合から、私は主に、昼は韓国人に日本語を、夕方からは日本人に韓国語を教えた。この行ったり来たりが、おそらくは日韓をめぐる物事への相対的な視線を養わせたのではないかと思う。「反日」からの脱出  三つには、日韓ビジネスコンサルタント会社でアルバイトをしていた関係で、仕事で韓国とつながりをもつ人たちが行なっていた勉強会に参加したことだった。メンバーは、大企業の幹部社員、弁護士、弁理士など、そうそうたる第一線のビジネスマンたちだった。  勉強会では、まずはみなでそれぞれ自分の韓国での体験を話す。最初は一様に韓国のよさをほめている。しばらくすると、しだいに韓国の悪口が出はじめ、会のなかごろからはいっせいに韓国と韓国人への猛烈な批判が展開されるようになる。彼らの舌鋒は私の存在にまったく頓着することのない、実に厳しいものだった。もちろん歴史認識の問題についても、領土問題についても、靖國問題についてもである。  私はしだいに腹が立ってくる。しかし「感情むき出し」といわれる韓国人の弱点はみせまいと、必死にがまんをして、できるだけ冷静に反論するようにしていた。それでも時折、大声を張り上げて反撃することは少なくなかったと思う。 現在からすればとても信じられないかも知れないが、私が日本にやって来た1980年代当時は、韓国に厳しいことをいう日本人はきわめて少なく、総督府の朝鮮統治についても、韓国の主張と真っ向からぶつかるような議論はそうそう見られなかった。日本の有力紙が、北朝鮮へのシンパシーを記事の中で示すのも珍しいことではなかった。朝鮮半島をめぐる言論環境は、当時と今とでは大きく違っていたのである。  そうした状況で、知韓派日本人から遠慮会釈もない徹底的な「韓国批判」を突きつけられることなど、あり得ない希有な体験だったと思う。よくあるように、彼らが「日本人は韓国人にひどいことをしたね」とばかりいう人たちだったなら、間違いなく今の私はなかったと思う。 勉強会を通して、韓国では日本の朝鮮統治を、自民族に固有にふりかかった災難という観点だけでとらえ、人類史的なテーマとして植民地化の問題を追究する姿勢がまったく欠落していることを思い知らされた。欧米の研究者でも、日本の統治をおおむね「善政」とみなしている論者が大部分であることを知った。マレー作戦成功でシンガポールの英軍に降伏を促す山下奉文中将(左から3人目)ら。大東亜戦争で多くのアジア諸国が欧米の植民地支配を脱した 欧米人のなかにすら、日本の戦争を、アジア諸国の植民地からの解放と独立に一定の役割を果たしたと評価する考えがあることを知った。韓国にいた時分の私は、世界にこれほど多様な観点があることなど、思っても見なかったのである。 この勉強会で私は、「これは真剣勝負なんだ」と自分自身にいい聞かせ、彼らと正面から向き合っていったと思う。その体験を通して、それまでの自分の歴史認識を見直していく方向への道が、しだいに開かれていったのは確かなことだった。 私の体験はかなり特異かもしれない。しかも三十年を遡る時代のなかでの体験である。それでも「来日2、3年でぶつかる壁」は現在のものでもあり、この壁との激突の内に、反日からの脱出可能性が秘められていることは、示すことができたのではないかと思う。現在の日韓関係がぶつかっているのも、まさしくこれと同じ性質の壁なのである。 お・そんふぁ 1956年韓国済州島生れ。志願して4年間の軍隊生活を送る。昭和58年大東文化大学に留学。平成6年東京外国語大学大学院で修士課程修了。同年から執筆活動を始め、日本で働く韓国人ホステスを取材した『スカートの風』がベストセラーに。新潟産業大学非常勤講師、拓殖大学客員教授を経て同大国際学部教授。『攘夷の韓国 開国の日本』で8年に第5回山本七平賞。日韓関係や韓国の民族性などについて客観的な論評を続ける。現在は日本国籍。客観的な論評が「反韓的だ」と19年以降、韓国から度々入国を拒否されている。『韓国併合への道 完全版』『「見かけ」がすべての韓流』『日本浪漫紀行 風景、歴史、人情に魅せられて』『漢字廃止で韓国に何が起きたか』など著書多数。近著に『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)。 ※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載関連記事■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民   

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    日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

    別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より黒鉄ヒロシ(漫画家)極東町内の四軒の家々とは… 弁解したところで詮無く、また、するつもりもないが、韓国問題を考える時、日本人はどうやらスタート地点の選択を間違えていたように思う。 譬(たと)えは乱暴でも、ここを押さえておかないと続く後輩達も我々同様のミスを犯す可能性が残る。 四カ国、つまり日本、韓国、中国、ロシアの位置関係と特質をそれぞれ一軒の家として見直してみるところから始めたい。 まず、水の上に一軒の家がある。日本である。大和家とする。 少し離れたところに今一軒の家がある。朝鮮である。金(キム)さんの家。この一軒は後に二軒に分断されるが、この時点ではまだひとつにまとまっている。 更に今一軒がその先にあって、これが敷地面積の広い、造作はともかくやたらにデカイ家で、意味なく威張って何故か昔から尊大である。中国であり、態度の理由は中華思想。今は漢さんが住んでいるが、昔は「清」という表札が掛かっていた。 北の方角に、譬える最後の一軒がある。 これまた馬鹿デカイ家だが、北向きに建てられており、何かにつけ寒さが付き纏(まと)うので、常に南の方の土地を手に入れたいと考えている。もちろんロシアで、イワンの家。 とり敢(あ)えず、この東アジア、いや、この町内は以上の四軒で成り立っている。 この四軒がゴチャゴチャと何かと揉(も)めるのは、寒さを動機に最北の一軒が動くのが専らである。 後(のち)に大和家とイワン家が一家を挙げての大喧嘩に発展―譬えを歴史に直せば日露戦争の原因も同様であった。 譬え話は、その日露戦争の前、更にその前の日清戦争の辺りから始まる。 この四軒以外にも〈地球町〉には当然に他にも家はあって、漢さんが住みつく前の清(しん)さんの時代にこれを攻めたものがある。 イギリスであり、歴史で見れば阿片戦争で、ま、チャーチル家としておく。 阿片戦争は二度もあって、後の方にはドゴール家(フランスですね)もしゃしゃり出て、清さんから多額の賠償金をせしめた。 この時、戦争には加わらなかったが、ルーズベルト家(アメリカ)もイワン家もドサクサに紛れて清さんに対し様々な特権と土地の一部の割譲を認めさせた。 特にヒドイのはチャーチル家で、この海賊のやり口としか思えない暴挙を知った大和家は大騒ぎとなった。 彼等の手口には法も正義もあったものではない。 圧倒的な武力、元い腕力でチャーチル家は清さんを一方的にぶん殴り家財は強奪するワ、土地は分捕るワで、まるで強盗そのもの。 困惑の余り大和家内で大揉めに揉めているところへ、ルーズベルト家の使者としてペリーがやってきて閉め切った雨戸を激しく叩いて開けろとわめく。 大和家では、当時の家長(徳川である)が取り替わる事態にまで発展する。〝隣家〟めぐり明治政府に政変 再出発を決めた大和家では家訓も単なる大和魂に、和魂洋才を加え、何んとかチャーチルやルーズベルトにぶん殴られる事態だけは避けることができたが、奇妙な約束だけは押しつけられた。 長く悩むことになる不平等条約である。 清さんも金さんも殴られるだけ殴られて、血だらけでもはや歩行も困難な有様。 イワンの身勝手な寒がりは続く。 チャーチルに加えてドゴールやハンス(ドイツ)までが見倣(なら)って三軒を狙って遠くから押し寄せる。 あのですね、いちいち律儀に譬えるのも煩雑に過ぎるし、書くべきことは他にあって、かといって譬え終わらないと先に進めないので表記がところどころ継(つ)ぎ接(は)ぎになる点はご寛恕(かんじょ)を願う。 チャーチル家、ドゴール家、ハンス家など西欧列強の帝国主義的なアジア戦略に対して、勝海舟や西郷隆盛は対抗策として、神戸、対馬、釜山、天津などに海軍の本拠地を置き、日、韓、清の三国による合従連衡(がっしょうれんこう)を構想するに至る。 チャーチル家、ドゴール家、ハンス家が組んだ白人強盗団に対して、大和家と金家と清家で対抗せんとのアイデアを提案した訳である。 この三家の合従連衡案は大和家以外の理解力と能力の不足によって頓挫する。 能力に含まれるものかは考えようだが、当時の金家の大和家に対する非礼は度が過ぎた。列強や朝鮮の本質を見抜いていた西郷隆盛(東大法学部明治新聞雑誌文庫所蔵) 要は夜郎自大(やろうじだい)にして世間知らずの田舎者ということなのだが、一家の上から下までがそうなのだから、特に誇り高き武士(もののふ)出身の新たな指導者で占められた大和家では耐え難い屈辱として受け取った。 金家の最上位にある大院君からして、大和家が新政府樹立を報(しら)せる国書を送った際には、この受け取りを拒否するという無礼で応えている。 如何に前近代的にして外交に無知とは言え、品無きを通り越した蛮族の所業である。 上が上なら下も下で、以後金家では根拠もなく「大和家は禽獣(きんじゅう)にも劣る」として、大和家よりの正式な使節を粗末な小屋に待たせてみたり、公衆の面前で辱(はずか)しめるような高圧的な態度を取り続ける。 彼(か)の民族の、いや金家の家風であるか、調子に乗り易いというか、発想が幼稚なのか、大和家の公館への正当な食料の供給を拒否してみたり、門前に謂(いわ)れなき侮辱を書き連ねた文書を貼り出したりと、愚行は止まらない。 現在の慰安婦とやらの像の設置によく似たり。やはり家風であるか。 そんな折、つまり明治6年(1873)に、明治新政府内に於いて政変が勃発する。 遣欧使節として欧米視察から帰国した大久保利通、岩倉具視、伊藤博文、木戸孝允(たかよし)らと、留守政府側の西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、副島種臣らが対立したいわゆる「征韓論政変」である。 この後に述べる日清戦争同様に、西郷のこの「征韓論」を、今も多くの日本人が誤解したままであるようだ。朝鮮やシナの本質見抜いた西郷朝鮮やシナの本質見抜いた西郷 誤解の専(もつぱ)らは、士族の不平不満の解消策としての朝鮮との開戦であり、そのきっかけとして西郷自らが殺されての口実作りの二点であり、後者は板垣宛西郷の文面を証拠とするが、強硬派を諫(いさ)める為の方便であることは明白である。日本の軍艦雲揚号を朝鮮が砲撃して勃発した江華島事件を描いた錦絵 他の単純な征韓論者の中味と西郷のそれとは性格が異なる。 西郷は既に側近を朝鮮に派遣して情報収集まで行っていた。 その上で「本当の文明ならば、未開の国に対しては慈愛を本とし、開国に導くべきだが、欧米列強は未開蒙昧(もうまい)の国に対するほど、むごく残忍なことをして自らを利している」と、西洋文明の本質を説き、正道(せいどう)、有道(ゆうどう)を踏むべき方向を指し示し、アジア諸国と結んで西欧列強に対抗すべきであると、あの「一日会えば一日分惚れられる人」と言わしめた西郷が出向いて説いていれば、いっかな頑陋(がんろう)不明な朝鮮と雖(いえど)も、もしやと思わせるが、大和家に於いては征韓論は容れられず、西郷達は下野することとなる。 その後の日韓の不幸を避けられたかもしれないひとつのチャンスはここに失われた。 西郷の正しさは二年後の日本軍艦、雲揚(うんよう)号を朝鮮が砲撃した江華島(こうかとう)事件で証明される。 正当防衛ではあったが、結果としてペリーがやった砲艦外交に日本も愚を重ねた。仏の漫画家ビゴーによる朝鮮(COR●E)をめぐる日、清、露に対する風刺画(明治20年)※●は「E」の上に「ノ」 骨のある抵抗なら続ければ良いと思うが、元より先の嫌がらせ同様に思い付きの砲撃であったから、掌(てのひら)を返すように日朝修好条規が締結されることになる。 これを知った西郷は、「天理に於いてまさに恥ずべき」と、ペリー同様の軍事的威嚇は断じて避けるべきであったと叱る。 ここにも西郷の征韓論の本質が覗く。 福沢も「大久保らの、かつての征韓論反対は何んであったのか」と批判した。日清戦争の緒戦となった興宣大院君を担いでの朝鮮王宮占拠の様子(吉村卯太郎画『日清戦争画帖』明治27) 朝鮮側は自らが先に砲撃したことには頬被(ほおかぶ)りを決め込み、砲艦外交をやられた屈辱感だけを忘れないという、今に変わらぬ例の癖を見せる。 清家も金家もやる気が無いどころか、事態の重大さに気付かず、洋の技術を最短で学習して対抗せんと焦る大和家を、やれ洋夷じゃ、それ裏切りよと的外れに罵(のの)しる始末。 清家には〈華夷(かい)秩序〉なる家訓があって、つまり自らは中華帝国として君臨し、一夷(えびす)(蛮族)とする周辺国は朝貢し我が保護下にあるべきだと勝手に思い込んでいる。 特に朝鮮は属国と見做(みな)してそのままにして、本来の敵が西欧列強であるのに、日本叩きに出る清家の時代音痴ぶりは如何んともし難い。 いつまでも属国と見做される金家も金家で、元は清家の庇護の元にあり、その期間は二千年もの長きに亘っているから、宗主国、いや親分のいう事につい従いたくなるのは、刷り込まれた下僕根性という他はない。 ここまでも譬えは乱れに乱れたが、四つの国の立場を手ばやく説明する役目は一応終えたとして、ここから通常の表記に戻す。「大鳥公使、大院君に改革を協議の図」(耕書堂『日清戦争漫画』明治28)日清戦争は野蛮に対する文明の義務 ついに、日清戦争が勃発する。 三国で組んで西欧列強に対抗する筈(はず)が、組むべき三国の二国が戦うというのだから、欧米から見ればアジアの同志討ち、内部紛争の如きに見てとって嗤(わら)った。 嗤われようとも怒るべきときは怒るべきである。 福沢諭吉も怒った。 「かの頑陋不明なるシナ人の為に戦さを挑まれ、わが日本国民は自国の栄誉の為、東洋文明の先導者として、これに応ぜざるを得ず」と、日清戦争について記す。 福沢の論に内村鑑三も「日清間の戦いは、野蛮に対する文明の義務である」と筆先を揃(そろ)えた。 清側の言い分は、属国朝鮮の独立など認めてたまるものかと、あくまで前近代的で、ついにはヒステリックに軍事力に頼ったものである。 朝鮮に頼まれた訳 でもなく、良かれと思った理想の元が、自国の危機脱出であってみれば、代理戦争の性格についての説明を加えても虚しい。 日本の誇る英傑、かの西郷までが西南戦争で命を落とした理由が朝鮮問題と縁浅からずと呟(つぶや)いても、今となってはこれも虚しい。 正道、有道なる理想の道を貫き、西欧による植民地化の怖れはあったとしても、日本一国で立つべきであった。 何故か、西郷も福沢も、隣国二つがまさかそこまでの腑抜けとは知らず判らず、人好しにもつい同じアジアと期待し仲間と見た。 学習しさえすれば、日本がそうであったように、朝鮮もきっとそうなると考えたが、国柄というものを見落とした。 朝鮮にも、金玉均や朴泳孝という西欧列強の横暴に危機感を募らせて、日本と結んで近代化を画策した若手改革派がいない訳ではなかった。露海軍旅順艦隊を旅順湾に閉じ込めた「第三回旅順港口閉塞」図(若林欽画『日露海戦画帖』明治39) 福沢は自らの慶應義塾に多くの朝鮮人、清国人の留学生を受け入れたり、先を見越してハングル表記の新聞発刊の為の印刷機を贈ったりと、物心両面の援助を惜しまなかったが、清国によって多くの進歩派は弾圧され続ける。 凡(およ)そ世界状勢の変化と、自国に対する危機感に関して当時のこの二国の理解力はゼロであったと言い切って良い。 朝鮮政府による刺客によって金玉均が暗殺され、その遺体が切り刻まれて晒(さら)されるという無惨を知るに及んで福沢が書いたのが『脱亜論』であった。 「悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於(おい)て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」福沢は因循固陋(いんじゅんころう)なる清国や朝鮮の思考と体質に協力と努力を重ねた揚句(あげく)、心底絶望したのである。 両国の本質は今も変わっていないように思うが、どうか。 弱体化の止まらない清国に、さすがに鈍感な朝鮮も気付きはしたが、彼の国らしいといえばそれ迄だが、奇天烈(きてれつ)なアイデアを思い付く。 何んと、最大の脅威である筈のロシアに対して不凍港の租借を代償に、軍事的保護を求めるというスットコドッコイ振りに、あの清国すらも慌(あわ)て、日本は更に驚いた。 日清戦争に至る要因の専らは、そも不凍港を獲得したく思うロシアの南下政策にあった。 不凍港の次は朝鮮半島がターゲットになるのは赤児にも判る予測であろうに、はたして後先を考えずに泣きわめいて敵の懐ろに飛び込むというあはれ。 半島がロシアの手に落ちれば、次なる目標は海を挟んだ日本である。 これを危うしと感じたのも、自国の都合よと言われればそれ迄だが、世界の構図など元は国々の勝手な都合で成り立ってきた。 滅茶苦茶な都合で、朝鮮が他国を危機に陥(おとしい)れるなら、これを阻止するのもこっちの都合だろう。何かが欠落している韓国の思考何かが欠落している韓国の思考 朝鮮に清国から独立して貰い、まともな国家として独り立ちして欲しい日本と、従属させたままの現状維持を主張する清とでは、道理と無理の不毛な鬩(せめ)ぎ合い。 無理を通して道理を引っ込ませる中華思想に対しての日本の我慢にも限度があった。 この日清戦争を、未だ日本の「侵略戦争」とする説があって、どこをどう解釈すればそうなるのであろう。  日清戦争に至った日本の動機を読み下してみれば「西欧列強に対峙する為に」(つまり現状での因循固陋な朝鮮と清国ではそれはならず)、「華夷秩序に固執する清や朝鮮を目覚めさせ」(このままでは日本も道連れにされてしまうから)、「朝鮮を独立自尊の国にする」(何んとか、この戦争で目覚めさす、いや目覚めて貰いたい、否(いな)目覚めて貰わねばならぬ)。 参謀本部の川上操六も「日本軍の砲声は、清の目覚めを促そうとする警鐘である。戦後の日本は進んで清と提携し、東亜の平和を維持せねばならぬ」と明解である。 歴史は捏造と改竄(ざん)が、ソフトに云い換えれば解釈の差と被害者意識による思い込みが、史実から遠いところへと押し流すということは良くある。 勝者に於いてすらの記録の数多(あまた)の不備は、まして云わんや敗者に於いてをや。 最近の「太平洋戦争」も、局所はともかく、大本のところすら意見の整頓は成されていない。 百二十年前の日清戦争を侵略戦争と見たがる動機とは何か。 ここを掛け違えれば、その下のボタンも、更にその下も、すなわち日露戦争も、日韓併合も、大東亜戦争も、正確な穴との巡り合いは永久に失われる。 日清戦争の、戦前と戦中は意図するところは明解であったが、戦後に禍根を残した。 西欧に倣(なら)ってか、勝った日本は清に対して賠償金と領土割譲を要求してしまう。 大儀は立派でも結果が違えば西欧と同じ穴の貉(むじな)と云われよう。 日清戦争侵略説派は、ここを突きたいのであろう。 日韓問題を考える上でも、有道の国の大儀から無道への変化の理由は、是非とも押さえておくべき点である。 かといって、全てが無道に変貌した訳ではなく、多くの面で余る程に有道は残った。 賠償金や領土割譲を無道と攻めるなら、第一次世界大戦や、続く大東亜戦争後の戦勝国も同類となるだろうが、アンタもやっているからオレもやるでは有道の理念が泣く。 日清戦争の汚点はさて措(お)いて、日韓問題を考える時、以上の如くに二国間だけの話では収まらず、他の二国も転び出る事実と地域的関係性。 本稿の目的である日韓併合問題に至る前にここまでの伏線が必要である複雑さに、既に福沢同様に脱亜を唱えたくもなる。 あれ程、朝鮮の近代化に手を貸した日本を代表する人間、いや恩人福沢諭吉をして〈我国の近代化の過程を踏みにじり、破綻へと追いやった我が民族全体の敵〉とは、もはや身体のどこぞの何かが欠落していると断じざるを得ない。 日韓併合に限ったことではなく、歴史上の事例を語る時、その時点に立ち返って当時の世界常識や都合を加味して解釈し、時効のようなラインで遮(しゃ)断する方法と、過去完了と現在進行形をロープで結び付け、今と未来の議題として息を吹き返させる方法とがある。 成熟した国では多く前者を支持し、未だ前近代的な国は後者を選択するようである。 併合前の朝鮮には、全土で小学校が四十程しかなかったが、中国からの独立には教育こそが必要だと考えた一人の日本人が一気に四千校以上に増やした。 この日本人は、寺内正毅一派が強権的日韓併合を進めるのに強く反対し、朝鮮人自らによる内閣を構想していたが、何故か暗殺された。 男を殺した為に日韓併合が早まるという皮肉な結果を招いたこのテロリストは、英雄として中国黒竜江省のハルビン駅で銅像になった。 殺されたのは伊藤博文で、殺したのは安重根。 伊藤暗殺の翌年、韓国は日本に併合された。 この併合を日本の植民地化というが、概念として以前のイギリス、フランス、スペイン、ポルトガル等々のそれと比べると明らかに性格は異なる。 ソウルには帝国大学も創ったし、留学生も多くを受け入れた。植民地にしようとするところに小学校数を百倍にし大学まで創る宗主国など過去には無い。 次に農地を開墾し、商業を興し、資本主義の理解を早めたというに、米を収奪し、既に存在した資本主義の芽を摘み、日本語と日本名を強要した―と、全くに逆のことを主張する。 「日本が朝鮮から強奪したもの」として、今も韓国が言い募る「七奪」である。 「七奪」には根拠が無いどころか、全てが捏造の類(たぐ)いだから反論すら阿呆らしい。 西欧列強による支配は植民地の王室を廃止したが、日韓の皇室が融合しての統治はそれには重ならない。 「李王家の歳費」として日本政府が毎年計上した金額は現在の価値に換算して約二百億円程にもなり、日本の宮家の皇族費と比較しても圧倒的に巨額であった。 経済や待遇などは末梢なことで「日本が李王家を奪った」ことこそ重要というのなら、終戦時に朝鮮に帰国せんとした李垠殿下と王朝復活を断固として拒否し、共和国制国家に移行したのは李承晩の意志ではなかったか。 李王家の面目を奪い消滅させたのは朝鮮人自身に他ならない。 次なる「奪」として「主権」を挙げるが、李氏朝鮮は長く清の属国であったから、元より主権など存在しなかった。 そも「日韓合邦」の嘆願書は日露戦争後、多くの朝鮮人によって李朝皇帝、統監、首相に対して提出された。 日本によって一方的に併合が成されたのではなく、多くの朝鮮人の意志によって推進された側面を隠そうとする。「人命尊重」教えた日本だが… 明治43年(1910)、日韓は「韓国併合ニ関スル条約」を締結するに至る。これは日韓両国がそれぞれに国内法を踏まえ、当時の国際法にも照らし、国家同士が合法的に締結した正式にして正当な条約であって、日本が一方的にごり押しした結果などという子供の作文のような主張がどこから出るのか。 2001年の国際学術会議も「日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった」と結論付けている。 法的な結論が出ている以上、他の「奪」に関する点検など今更不要だが、教科書にまで載せて捏造のingを続けたい様子だから、テキパキと片づける。 韓国の主張する土地の簒奪など無かったどころか、日本は近代的測量技術によって、それまでメチャクチャであった朝鮮側の数値を正確にした。具体的に申せば、それまで二百七十万町歩とされていた農地を四百八十七万町歩と糺(ただ)した。 如何なる国にも、跳(は)ねっ返りは出現するから、朝鮮のお国柄とも言えまいが、測量後増えた土地を売ろうとする輩が続出する中、日本政府は憲兵を差し向けてまで日本人への売買を禁止して朝鮮人の利権を守っている。 次に「朝鮮語を奪い、日本名を押しつけた」と教科書に書くが、話はここでも全くに逆で、朝鮮語を禁止した事実など一度としてない。 だいたい当時の半島に於ける日本人の割合は朝鮮人の98%に対して2%ほどだから、禁止などしたら日常生活が立ち行かない筈ではないか。 朝鮮語の廃止と日本語常用を唱えたのは、何んと朝鮮の知識人の方である。 「朝鮮語廃止論」を「廃止」させたのは日本なのだ。白い制服に身を包み校庭に集う平壌女子高等普通学校の生徒ら(幣原坦『朝鮮教育論』大正8) 「創氏改名」に就いては、多くの日本人も誤解している。 「日本人になって三十年近く経っても、日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」と机を叩いたのは朝鮮人の方だ。 日本への密航増加と治安の問題を指摘する慎重派と、「一視同仁」の考えから内地人と朝鮮人を平等に扱うべきとする推進派が二派に分かれて対応に窮した。 結果、1936年の戸籍法改正に至るのだが、朝鮮の文化伝統を重んじる日本は夫婦それぞれの「姓」を戸籍上に残し、「氏」としてファミリーネームを創った。この「氏」は朝鮮姓を用いるのが基本だが、希望すれば日本語式にもできた。 朝鮮人としてのアイデンティティを残しつつ、日本人と同等の権利を獲得できるグッドアイデアであったが、またもや朝鮮側からクレームがついた。 「せっかく日本人の苗字が名乗れても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がないので、名前も変えさせてくれ」との要望が引きも切らず、ついには日本側もこれに対応し、裁判所に申請し、正当な事由有りと認められた場合に限り、可としたのである。 これが「創氏改名」であった。 「米を収奪した」については先述の農地の近代的測量技術を駆使した事実で充分であろうが、何時までも「盗った!盗った!」と騒ぎ続けるので息の根を止めておく。 併合なった朝鮮の水田を見て日本は驚いた。 古代さながらの天水頼みの農耕は、飢饉による多数の餓死者を出し続けていた。 そこで日本は「朝鮮産米増殖計画」で改造に踏み出す。 かつて朝鮮全土で一千万石ほどであった生産高は、計画実施の結果倍増の二千万石に達し、大豆や雑穀類も60%を増やした。 更に「朝鮮農山漁村振興運動」によって、農家の収入は二倍に増えている。「命も奪った」というから、直接的な「命」にも触れておくが、西洋医学の普及しない李氏朝鮮時代の衛生事情は劣悪で、疫病によって度々十万人単位の人命が失われていた。 併合後、日本は近代医療を朝鮮に導入する。 1910年当時の朝鮮人の平均寿命は二十五歳程度であったが、導入後30年にして、45歳にまで延びた。 命を奪ったか、命を救ったか、歴史を識(し)れば判るしごく単純明快な事実ではないか。 日韓併合によって生じた単純明快なる景色を物差しにして、昨年に起きた韓国の旅客船「セウォル号」沈没事件にあててみる。 身分を偽って、まっ先に逃げた船長は、かつて海難事故では日本の自衛艦に救(たす)けられていた。救けなければ今回の事故もなかったかもしれぬ。救けた日本が悪かった。 船にしても日本が造った。安全など二の次に利益優先に改造しまくるお国の性癖を無視してお譲りしたことは思慮を欠く。日本が悪い。 船長が逃げた、乗組員も逃げたとお怒りのようだが、そもお国のトップ達は歴代に亘って逃げているではないか。 清国建国前の満州軍による朝鮮侵攻の際も李朝の仁(じん)祖(そ)は江華島へと逃げた。第二次日韓協約の際の高宗も逃げた。韓国初代大統領の李承晩も逃げた。遡って、秀吉の文禄、慶長の役に於いてもトップ達は逃げまくった。 お国では、ことあらばトップが逃げ出すという、雅(みやび)といおうか、奥ゆかしいというか、何んというか、〝逃げの美学〟のようなものが育(はぐく)まれてきた。 逃げと同様に、お国は近代的な「機械」というものを理解したくもなければ造りたくもないようで、その結果「パクる」という行為を日常化なされた。普通ではなかなか出来ないことで舌を巻く他はない。 2003年2月の大邱市の地下鉄放火事件でも、運転士は「席を離れるな」と言い残して自分は逃げて192人の死者を出した。 逃げるのは、お国の美学でもあろうから、何も言えないが、思えばこの地下鉄も日本の援助によって出来たが、力量と性癖とを考えずにかくも危険なモノを造って差し上げた日本が悪い。お札の顔としても世界に知られるようになった福沢諭吉が現在の日韓、日中関係を知ったら何と言うか… セウォル号には修学旅行中の生徒が多かった。これも小学校の数を増やしたりせず、そのままにしておけばと悔やまれる。 伊藤博文は全くに余計なことをした。 先見の明を持つ安重根がこれを殺したのは、げに当然のことといえるやもしれぬ。 農業を改良し、収入を増やし、寿命など延ばして、本当に悪かった。 お国がメチャクチャなことを言うようになったのも日本の所為であろうが、今、日韓併合を点検するに、感謝されこそすれ恨まれることなどひとつだに無きように思うが、逆恨みの逆さの根拠すらないというに、捏造、改竄(かいざん)、虚言によって、プライドとも云えぬ、奇妙な立場を主張する民族と国にした日本の責任は重かろう。 もう係りなく、福沢先生の背中を追って、ここに〝脱韓論〟を唱えるに至る。合掌 くろがね・ひろし 昭和20年高知県生まれ。39年武蔵野美術大学中退。43年『山賊の唄が聞こえる』で漫画家デビュー。平成9年『新選組』で第43回文藝春秋漫画賞、10年『坂本龍馬』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門の大賞、14年『赤兵衛』で第47回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。ギャンブル好きで競馬ファンとしても知られるが、政治や国際関係の見識は高く、民主党政権「失われた3年間」のデタラメ政治を痛烈に批判。中国や韓国の反日プロパガンダに対しても事実を挙げながら、漫画家らしい皮肉たっぷりの反論を展開している。著書に『千思万考』シリーズ、『GOLFという病に効く薬はない』(ともに幻冬舎)、『新・信長記』(PHP研究所)など。近著に『韓中衰栄と武士道』(KADOKAWA)。   関連記事■ 半島国家の悲しき世界観■ 多くの日本人が疑問に思うこと■ 韓国人を理解する単語「ヤンバン」「恨(ハン)」「ジョン」

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    併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

    別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より榊原智(産経新聞論説委員)帝国議会の朝鮮人代議士 日韓両国の歴史をめぐって、慰安婦のことばかりが論じられています。バランスよく歴史を見ていくには、もう少し別の側面にも関心を寄せた方がよいのではないでしょうか。 今年は、朝鮮や台湾といった外地が、日本の領有を離脱してから70年の節目の年に当たります。この誌上では、併合後期の朝鮮について、衆議院で活動した朝鮮人代議士や昭和20年に決まった朝鮮、台湾在住民に対する国政参政権の付与について紹介したいと思います。当時の日本が、朝鮮をどう位置づけていこうとしたかを考える材料になるからです。 戦前戦中の帝国議会に、朝鮮人の衆議院議員や貴族院議員、台湾人の貴族院議員がいたことをご存じでしょうか。 まず引用するのは、今から82年前、昭和8年1月26日の衆議院本会議における質疑の一部です。読みやすいよう、議事録を今の表記に改めました。 「朴春琴君 質問の前に、今回朴泳孝侯爵が勅選議員になられました事は、国家の為に、また内鮮一家の為にまことに感謝にたえませぬ。(略)私は第一に、参政権問題について内務大臣に承りたいと思うのでありますが、まずその前に各党の総裁の方々が党の大会におきまして、我国の人口は七千万云々ということを再々言っておる。(略)新附の二千万の立場から考えれば、何だか除外されたような気持ちがして仕様がない。(略)国家の為に大不利益と私は思うのであります。(略)併合当時、おそれ多くも明治大帝陛下は二千万人は一視同仁であるということを仰せられたのでありますから、日本国民としてのこの権利義務を明らかにするのが、即ち日本国民の義務と思うがゆえに、内務大臣に私はこの要求をしたいのであります。(略)今までなぜ朝鮮に参政権を与えてないか(略)植民地と言われることは非常に気に喰わないのであります(拍手)」 「国務大臣(男爵山本達雄君) 御質問について(略)参政権の事につきましては、将来においては必ず御質問の如き参政権を与えられるようなる時代も来ることと考えております。しかしながら目下の所において土地、人情及び法律などの点におきまして色々違ったる点が多いのでございます」 この国会質問を手がかりに、さまざまなことが分かります。 朴春琴は、明治24(1891)年に韓国慶尚南道で生まれた朝鮮人政治家です。建設業に関わっていましたが、昭和7年2月の総選挙で東京4区(本所区、深川区)から出馬、当選しました。11年2月の総選挙は当選しませんでしたが、12年4月の総選挙で再び当選し、大東亜戦争中の17年4月まで代議士でした。通算9年間になります。 昭和10年3月16日、衆院の米穀自治法委員会で朴は2回目の当選についてこう語っています。 「朴委員 私は東京で七千票入れられた。その際朝鮮ではどういうことを言われたか、あれは皆本所、深川には朝鮮人の有権者が多い為に、全部朝鮮人が入れたのだろう(略)。ところが事実はこれと反対に、朝鮮で生れた日本人からは、私は四十票か五十票しか貰っていない。これは皆、日本で生れた日本人が入れた」内地人と外地人で同じ選挙制度 当時の衆議院議員選挙法は、日本国民の男子に選挙権と被選挙権を与えていました。ただし、選挙区は、昭和20年までは内地にだけ設定されていました。ですから内地に住む朝鮮人や台湾人も選挙権を行使できました。併合で侯爵となった朴泳孝。閔妃暗殺の犯行を告白して同じ朝鮮人に殺された禹範善が日本に残した長男、長春の養育を援助し、東大で農学を学んだ長春は韓国に渡り「戦後韓国農業の父」といわれた ハングルによる投票も可能でした。以前、フジテレビの番組で、現東京都知事の舛添要一氏が、自身の父が戦前の地方選挙に立候補した際のポスターを見せたことがあります。ハングルでも候補者名が書いてありましたが、戦前の制度に基づくものだったのです。 また被選挙権は、内外地を問わず内地人、外地人とも享受していました。 一方、内地人が朝鮮や台湾に移住すれば、衆議院の選挙権は行使できませんでした。選挙区がないからです。 国政選挙をめぐって内地人と外地人に差別はなく、異なる扱いだったのは内地、外地という地域だったのです。もちろん、故郷の地に住む人が圧倒的ですから、朝鮮や台湾に選挙区がなければ、選挙権を行使できない人の大部分は外地人になります。 この構造を大きく変えたのが、後述する昭和20年の国政参政権付与でした。 女子に参政権がなかった時代であり、選挙は男子に限った話ですが、兵役(男子の徴兵)はどうだったのでしょうか。衆議院選挙東京府4区で当選し、支持者らの祝福を受ける朴春琴 兵役は長い間、内地人にだけ課せられ、内地人は朝鮮に住もうと台湾に住もうと兵役の義務がありました。戦局の激化もあって朝鮮人の徴兵は昭和19年度から、台湾人は20年度から行われました。彼らが訓練を終え、部隊に配属される頃に国政参政権の付与が決まったことになります。用語メモ…内地が本籍の日本国民を内地人(今の日本人)、朝鮮が本籍の日本国民を朝鮮人、台湾が本籍の日本国民を台湾人と称します。朝鮮と台湾を合わせて外地、朝鮮人、台湾人を合わせ外地人と称します。籍は養子など一部の場合を除き、原則変わりませんでした。本籍とは別の地域に移住しても籍は変わらないわけです。朴春琴の激しい要求朴春琴の激しい要求 実際に衆院議員に当選した朝鮮人は朴春琴一人ですが、他にも立候補した人は存在しました。代議士としての朴の質問は鋭いものがありました。帝国議会の議事録を読みますと朝鮮名を名乗ったままの朴は、日本国民であることを強調した上で、兵役や参政権の要求を繰り返しています。併合の枠の中で、朝鮮人の地位向上を求めていたのでしょう。 「朴委員 年々に少なくても二百や三百の人は支那の官民に間違なく虐殺を受けている。(略)殺されながら満洲天地を開拓する皆さんの兄弟、これを今日まで保護したことがあるか(昭和七年六月四日、衆院本会議)」  「朴委員 新附二千万ばかりでなく、内地にいる日本国民の中にも不逞が沢山いる。(略)不逞鮮人とか(略)そういう侮辱的の言葉をやって、俺の言うことに従えと言ってもなかなか従いませぬ(八年二月十七日、衆院請願委員会)」 朝鮮人の利益に立った質問を踏み込んで行っています。政府側は、先に引用した山本大臣(内務大臣)の答弁でもわかりますが、他の内地人代議士向けと同様の丁寧な口調で答弁しています。朝鮮総督府の「施政30周年紀念式典」には多くの朝鮮市民が詰めかけた(朝鮮総督府『朝鮮事情 昭和十六年版』) 昭和10年3月16日の衆院の委員会質疑では、朴は自身の当選について、次のようにも述べました。 「朴委員 朝鮮においても、朴春琴のように日本人として国家的見地の下に働けば、必ず日本人は将来、朝鮮に生れた日本人に向って、大臣も与えるだろうと、大きな期待を持って臨むようになった」 朴は戦後、韓国民団中央本部の顧問などを務め、1973(昭和48)年に亡くなりました。韓国では親日派として厳しい目でみられているそうです。日本の帝国議会の議員だったこと自体が韓国では批判の対象になるのだと思われますが、当時、併合継続を前提とすれば朴のような要求があっても不思議ではありません。 朴春琴の質問の冒頭にある「朴泳孝侯爵が勅選議員」になったとは、朝鮮貴族だった朴泳孝が、帝国議会の貴族院議員に選ばれたことを意味します。朴泳孝は金玉均の同志で、朝鮮の開化党を作ったこともある政治家です。日韓併合に協力し、日本の華族とは別に朝鮮貴族令(明治43年)によって設けられた「朝鮮貴族」に連なりました。 戦後、日本国憲法第十四条にある「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」の「その他の貴族」とは朝鮮貴族を指すそうです。昭和20年の大転換 「鮮台同胞国政参与に 畏(かしこ)くも大詔渙(かん)発(ぱつ)」 これは、昭和20年4月2日付朝日新聞の1面トップ記事の主見出しです。台湾・朝鮮参政権付与の「大詔渙発」を報じる朝日新聞。隣は「沖縄本島に敵上陸」 70年前の日本は、朝鮮と台湾に住む国民に、国政参政権の付与を決め、昭和天皇が詔書で布告されたのです。 同じ日の朝日新聞1面の二番手は、沖縄本島に米軍が上陸したという大ニュースです。読売新聞の1面も同様でした。 なぜ詔書が出るほど、参政権付与が重視されたのでしょうか。それは、大日本帝国の政治構造を大きく変える決定であったためだと思われます。 詔書に合わせ、改正衆議院選挙法と改正貴族院令が公布されました。先に貴族院について説明します。朝鮮、台湾に住む国民で名望ある人から、合計10人を勅選議員にするものでした。以前にも勅選の例はありましたが、朝鮮、台湾枠から選ぶのは初めてでした。 貴族院議員は20年4月3日、朝鮮人7人、台湾人3人が発令されました。戦局の悪化で朝鮮人の貴族院議員は海を渡れず登院できませんでしたが、台湾人議員は実際に登院しています。 一方、衆議院は、朝鮮は各道を選挙区として合計23人を、台湾は各州を選挙区とし5人を、制限選挙で選ぶことになりました。選挙権は国籍をもつ満25歳以上の男子で直接国税を年額15円以上納めている人に与えられました。すでに内地に編入されていた樺太にも3人の定数を設けています。 当時、内地の人口は約7000万で464人の議員定数でした。朝鮮、台湾は3000万で定数は28人です。人口比でも内地よりも少ない制限選挙でしたが、徐々に制限を解いていく方針でした。㊤朝鮮で年々増加した志願兵のための訓練所㊦と実際の教練の様子(『朝鮮事情 昭和15年版』) 外地の領有が保たれ、選挙が実施できる情勢になっていれば、昭和21年予定の衆院選で外地選出の衆院議員がそろう算段でしたが、戦局の悪化はそれを許しませんでした。 日本在住外地人の参政権は、昭和20年12月の、女性参政権を認めた際の改正衆院選挙法の付則で停止されています。 国政参政権は選挙権にとどまりません。官職につくことも含まれます。もともと朝鮮総督府では、13ある道の知事のうち五人は朝鮮人とする慣例がありました。総督、政務総監に次ぐ最高幹部である局長のうち、学務局長に朝鮮人官僚が2回登用された例がありました。 ところが昭和18年度になると、中央省庁、総督府双方への登用が本格化します。高等文官試験に合格した朝鮮人37人のうち、内務省3人、鉄道省2人、大蔵省1人、文部省1人など12人が中央官庁に、21人が朝鮮総督府に採用されました。キャリア組です。内地人をも統治するポストへ進む若手官僚に選んだわけです。大日本帝国の構造を変える道へ大日本帝国の構造を変える道へ 徴兵、高級官僚への登用は大きな出来事ですが、大日本帝国のあり方自体を変える道を開いたのは衆院選挙区の設置でありました。 この道は、数十人単位、いずれは百人を優に上回る数の外地選出議員が帝国議会を占めることを意味します。内地人化が進んだとしても、日本の政治が複数の民族によって運営されるようになっていったかもしれないのです。 もう一つは、内地、外地の区別が消えていき、将来は総督府が廃止されたかもしれない、という点です。 内地では当然、完全施行されていた明治憲法は、朝鮮や台湾では名目的施行にとどまっていました。経済や教育の水準、慣習、日本語の普及などが違いすぎるからで、無理もない面もあります。 このため帝国議会が協賛して決める法律は、外地では一部しか適用されず、総督府が実情に応じて制令(朝鮮)や律令(台湾)という法令を発しました。これを「法域」問題と言います。 法域が同じになれば統治上は内地と同じになるわけです。朝鮮や台湾を内地とあくまで異なる外地にとどめるのか、内地と同様にしていくのかということです。京城では銀行の壁面に「日本精神発揚」「国民精神総動員」「貯蓄報国」などの垂れ幕が懸けられた(『朝鮮事情 昭和15年版』) 敗戦直前の昭和20年に、日本は後者の道を選んだのです。松阪広政司法大臣は同3月20日の衆院の選挙法改正案の委員会で「法域」について「朝鮮、台湾から立法府に議員が出て法律を協賛するということになりますれば(略)法律は朝鮮、台湾にも施行せられるものと見なければなりませぬ」とし、運用上、例外を設けることはあっても、法律は外地でも原則施行すると表明しました。 日本統治下最後の全羅南道知事を務めた八木信雄は著書『日本と韓国』で、内務省と朝鮮総督府の人事交流が始まっていたことを挙げ、「窮極的には総督政治を廃して」いく流れにあったという見方を示しています。 朝鮮総督府は、斎藤實総督当時の昭和4年から6年にかけて、朝鮮に自治議会を置く案も検討していました。 しかし、三・一事件後の大正8年の詔書で「一視同仁」という統治の大方針が明示され、これが内地化を目指すものと解されていたため、自治議会の案は日の目を見ませんでした。 朝鮮統治は、教育や農業、工業の発展を進め、同時に日本語の普及や 創氏改名など内地化を促していきました。そして戦争が激しくなって、参政権を反対給付として促す効果をもつ徴兵が始まったのです。        ありえない「性奴隷」 徴兵の数年前から朝鮮には志願兵制度がありましたし、当時の朝鮮に徴兵実現を求める声も上がっていました。そうであっても、十万単位の若者に軍事訓練を施し、武器を渡す徴兵は重大な選択です。日本の政府や総督府、軍が情勢の悪化した戦争末期に、朝鮮、台湾統治の安定度をどう見ていたかがわかると思います。 ここまで読んでいただいた方の中には、「戦局は悪化し、国政参政権の付与は空手形だったのではないか」と思う人もいるかもしれません。けれども、史料や関係者の回想をみれば、しごく真剣に物事は進められていました。 朝鮮をはじめとする日本の外地統治への評価は、いろいろな視点があって当然だと私は思います。ただ一つ、指摘したいのは、これらの統治への取り組みと、日本が20万人もの朝鮮人の女性を「性奴隷」として駆り立てたという荒唐無稽な話は、どうしても両立しないように思えるのです。 さかきばら・さとし 昭和40年愛知県生まれ。専門は政治、安全保障。東大文学部国史学科卒業(近現代政治史専攻)。平成2年産経新聞社入社。政治畑の記者として、55年体制の幕引きをした宮沢喜一内閣以来の国政を取材。防衛や憲法改正のテーマに取り組み、産経新聞が平成25年に発表した憲法改正案「国民の憲法」要綱の起草作業に参加した。23年から2年間、防衛大学校総合安全保障研究科で、核軍備と日本の安全保障論の歴史的関係について専攻、卒業した。安全保障学修士。共著に『未来史閲覧』『同2』(産経新聞社)など。  関連記事■ 半島国家の悲しき世界観■ 多くの日本人が疑問に思うこと■ 韓国人を理解する単語「ヤンバン」「恨(ハン)」「ジョン」

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    日韓併合時代に無関心でいいか

    。 てい・たいきん 首都大学東京特任教授。1948年岩手県生まれ。立教大学と米UCLAで学ぶ。専門は日韓関係。主な著書に『韓国のイメージ』(中公新書)、『在日・強制連行の神話』(文春新書)、『姜尚中を批判する』(飛鳥新社)など。2004年日本国籍を取得。関連記事■ 半島国家の悲しき世界観■ 多くの日本人が疑問に思うこと■ 韓国人を理解する単語「ヤンバン」「恨(ハン)」「ジョン」

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    「謝るほどに悪くなる日韓関係」ついに終止符を打つ時が来た

    うことは、韓国相手にはもはや「謝罪と反省」は何の意味も効果も持たないということだ。「謝るほど悪くなる日韓関係」に終止符を打つ時である。 その意味で「戦後70年安倍談話」は韓国にこだわる必要はない。そして70年前いや1945年以前にこだわることもない。むしろ1945年以降、これまでの70年間の歴史をしっかり振り返った方がいい。日本は過去の反省、教訓の上でいかに国際社会に貢献したかを語ることだ。 そして韓国、中国を含むアジアに対しては、過去の反省に立った日本の支援がアジア諸国の発展に寄与できたことをうれしく思うと、堂々と述べればいい。戦後70年とは別に「日韓50年談話」も必要なら出していい。その際も併合や日本統治時代の話などではなく、新しい日韓協力の50年間が韓国の現在のめざましい発展につながったことに感謝(!)し、共に喜びたいと語ればいいのだ。 “歴史戦争”は相手にこちらの主張をいくら認めろといっても耳は貸さない。狙いはむしろ外野というか国際社会だ。韓国、中国を含む戦後アジアの発展への日本の寄与これこそが“過去イメージ”を乗り越え、国際的共感を得るものであり、歴史戦争に勝てるキーワードなのだ。関連記事■ 李明博前大統領の回顧録 竹島上陸を自画自賛する記述が並ぶ■ 朴槿恵大統領の言論抑圧 ISや北朝鮮テロに免罪符与えかねず■ サムスン 栄華の象徴だった六本木自社ビルから飯田橋に移転■ 事故続発の韓国・第2ロッテワールド 扉はドイツ関連と説明■ 韓国人作家「蔑称『チョッパリ』はただの哀れな呻き」と指摘

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    大韓ナチズム

    私たちは優れた〝創造DNA〟を持った民族だ。韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にある・・・。

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    「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

    サクサの最中だ。 どちらも、たいして読まれたとは思えない。しかし、最近の韓国の諸メディアに載る古代の日韓関係をテーマとする論文やエッセーを見ても、どの内容も「申采浩プラス崔南善」の大枠を超えていない。当時はたいして読まれなかったとしても、この二人が〈大韓ナチズム〉の古代史部門のイデオローグなのだ。国民を騙している 韓国では今や、特別な教育を受けた人を除いては漢字を読めない。それを前提にして、国民を騙すような歴史専門家の論文やエッセーもある。 国家機関である国史編纂委員会の編史室長まで務めた朴ソンス名誉教授のエッセー「百済が日本に国を建てた」(民族派サイト「コリアン・スピリッツ」二〇一四年十月二十六日)には、本当に驚かされた。「日本古代史は中国の史書『魏志』倭人伝に至って初めて出てくる」とエッセーは始まる(原文はハングル)のだが、ここからして「!?」だ。『魏志』より遥かに古い『漢書』地理誌に「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国と為し、歳時をもつて来たりて献見したと云う」の一文があることを、この名誉教授は本当に知らないのだろうか。 名誉教授のエッセーは、こう続く。 「それ(魏志倭人伝)を読めば……韓半島の南側に韓国があり、また海を渡った日本の土地には、もう一つの韓国である狗邪韓国があるということだ。 すなわち、日本には倭人が暮らしているが、彼らを支配するのは狗邪韓国という国だというのだ。つまり、日本には百済の分国すなわち植民地があったことを証言している」 崔南善は、倭には新羅の植民地があったとしているが、その根拠文献は何ら示していない。今度は、新羅ではなく「百済の植民地」だという。その根拠が『魏志』倭人伝だというのだ。『魏志』倭人伝をどう読むと、そんな解釈が出てくるのか。 これは、もう「解釈の違い」といった問題ではない。韓国の国民一般が漢字を読めないことを前提に、国民を騙しているとしか思えない。『魏志』倭人伝の一つ前は韓伝だ。韓伝には、百済は馬韓五十余カ国の中の一国として名前だけでてくる。新羅は辰韓・弁韓二十四カ国の中の一国として、やはり名前だけ出てくる。そんな存在だ。 一方、倭は邪馬壹国が二十数カ国を束ねる連合王国として描かれている。 半島と列島と、政治文化はどちらが進んでいたか、明らかではないか。馬韓五十四カ国の中の一国にすぎなかった百済が、倭に分国を置き、倭国を支配していた──妄想、ここに極まるだ。 『魏志』韓伝は、半島南部を倭地としている。倭人伝に入ると、狗邪韓国を倭の北岸の地としている。全く矛盾がない。 そして対馬も壱岐も、倭人伝の中で描かれている。 それなのに韓国の民族派は、「対馬はわが領土だ」として「対馬奪還運動」を進めている。昌原市や、釜山市の一部の区では、首長が奪還運動の先頭に立っている。そんな市や区と、姉妹都市関係を結んでいる自治体が日本にあるのだから呆れる。 対馬奪還運動は「昔から対馬は新羅に属していた」と主張している。彼らは『魏志』倭人伝には触れずに、『李王朝実録』を持ち出してくる。 『李王朝実録』には、王が「古籍に対馬は慶尚道に属したとある」と述べたことが記載されている。しかし、その古籍の題名すら書いていない。 李王朝は一四一九年に対馬を急襲するが、宗氏の将兵に撃退され逃げ帰る。その後、対馬から来た使節に「対馬は辺境といえども日本である。日本を相手に戦争する気か」と詰め寄られる。以後、『李王朝実録』では「日本国対馬島」の表記が常態となる。 が、運動を進める民族派は、『李王朝実録』には「王が対馬は慶尚道に属したと言った」とあるだけでいいのだ。きっと、『魏志』倭人伝なんて、名前も知るまい。朴槿惠のネオナチ発言 朴槿惠大統領は述べている。 「私は韓国経済が進む新しい発展パラダイムとして創造経済を提示している。……私たちは優れた・創造DNA・を持った民族だ。……私はその創意の力と情熱を生かして第2の漢江の奇跡を必ず実現する」(「発明の日」記念式典二〇一三年五月十六日) 「韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にあり、(われわれは)血液中に流れる・気・がある国民だ」(文化人との会話二〇一五年二月二十五日) DNAを「ある民族が持つ不変の遺伝子」といった意味で使っているようだ。朴槿惠大統領は西江大学理工学部を卒業したのに、理系出身者らしからぬ誤用だ。きっと、その背後には「韓国人は世界でも稀な単一民族」とする誤った内容の刷り込み教育も蓄積されているのだろう。 そうした批判はさておき、上に紹介した発言そのものが問題だ。これぞナチスの「アーリア民族の優位性」主張と同質の優生学的選民思想そのものだ。 捏造と歪曲を重ねた超ファンタジック史観をもって、自国民に優生学的選民思想を植え付けると同時に、「劣った隣国」への敵愾心を煽り立てることで、国内の深刻な問題(例えば青年層の高失業率)に国民の目が集中することを回避し、国政を強引に推進していく──まさに〈大韓ナチズム〉だ。 その政権が海外で「日帝=ナチズム=安倍政権」とするキャンペーンを展開しているのは、基本的にジャパン・ディスカウント戦略による。「ネタは何でもいいから国際社会で日本を貶める」という運動だ。同時に、自らへの「ナチス批判」を回避するための・目晦まし工作・と言える。 日本語でいう「修正」とは「正しく直すこと」だから、良いイメージがある。それで「歴史修正主義」という用語も、さして重く受け止められない。しかし、この用語は「ヒストリカル・リビジョニズム」の英訳であり、その英語は「ネオナチス」の言動を意味する。 韓国政府当局者は、一年ほど前から頻繁に「歴史修正主義の安倍政権」といった表現を使うようになった。これは「ネオナチスの安倍政権」と同義だ。そうと知ってか知らずか、日本にも簡単に「歴史修正主義」と言うジャーナリストが出てきた。韓国の狡猾な情報工作に呑み込まれているのだ。 〈大韓ナチズム〉の謀略に呑み込まれてはならない。そのためには、列島と半島の関係史を古代のページからしっかりと押さえておきたい。室谷克実(むろたに・かつみ) 一九四九年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』(産経新聞出版)などがある。関連記事■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ ナッツリターン問題に潜む韓国文化の深い闇

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    34カ所の削除に応じなければ出版差止め…慰安婦本が事実上の発禁処分

     世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授が一昨年8月に韓国で出版した『帝国の慰安婦』は、慰安婦問題について日韓双方の責任に触れた書である。ところが、今年2月17日にソウル東部地裁は「34か所の削除に応じない限り出版を差し止める」との決定を下し、事実上の発禁処分にあっている。同書は、朝日新聞出版から昨年11月に日本語版が出ている。 「(早稲田大学文学研究科で博士号を取得した)朴氏が日本語で書き直した。論旨は同じだが、表現を変えたり加筆したりした部分があり、構成も変えている」(朝日新聞出版担当者) 日本語版は国内の書店で手に入るが、それを見ても、どこが「34か所の削除命令」に該当するのかはわからない。昨年8月に出版された「帝国の慰安婦」 韓国の裁判資料をもとにどんな記述に削除命令が出たのかを紹介する。まず「慰安婦は強制連行されていない」という部分を削るように求めている。 〈慰安婦たちを誘拐し、強制連行したのは、少なくとも朝鮮では、そして公的には、日本軍ではなかった〉(『帝国の慰安婦』38ページ=韓国語版、以下同) 旧日本軍が強制連行を行なったことを示す史料は一つもない。つまりこの部分は単に史料の分析結果を述べただけだが、「名誉毀損の恐れがある」として削除対象になった。事実よりも「親日」の記述を糾弾することが優先された。 元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏はこういう。 「朴氏の著書では、朝鮮の女衒(人身売買の仲介業者)が女性を誘い出して慰安婦にしたという事実を紹介しているのですが、原告はとにかくすべて日本軍の責任で、そうでない記述は名誉毀損だと主張しています。日本を悪者にしないと自らの存在意義が失われてしまうからです」 戦時中に日本人と朝鮮人が「同胞」だったことを示唆する部分も削除対象とされた。 〈慰安婦の本質を見るためには、朝鮮人慰安婦の苦痛が日本人娼婦の苦痛と基本的に変わらないということをまずは知っておく必要がある〉(33ページ、傍線部が削除命令の出た部分) 朴教授の記述はもっともで、仮に慰安婦問題を「女性の尊厳」の問題だと捉えるのであれば、国籍による違いはないはずだ。ところが、「日本は悪者で、韓国は被害者」という構図にしがみつくから、「(数としては朝鮮人慰安婦の何倍もいた)日本人の慰安婦は辛くなかった」という倒錯した理屈にたどり着く。 他にも「慰安婦たちには日本帝国の一員としての役割が求められ、それゆえに(兵士との間に)愛が芽生えることもあった」といった部分に削除命令が出た。しかし現実に慰安婦と日本兵が結婚する事例はいくつもあったのだ。 原告側の反日団体が削除を求め、裁判所が認めた部分を見ていくと、戦時中に日韓が協力し合っていたことを絶対に認めたくないとわかる。 それがすべての韓国人の意思に基づくものだったとはいえないが、1910年の日韓併合によって日本と韓国は戦時下で一つの国家だった。当然、韓国は日本と戦争していたわけではないし、戦勝国でもない。だが、反日を貫くためにはそれを認めるわけにはいかないのだ。教授は、慰安婦問題を巡る日韓の和解を模索し、こう書いている。 〈慰安婦問題を否定している人々は「慰安」を「売春」としてだけ考え、我々(注・韓国人)は「強姦」としてのみ理解したが、「慰安」とは基本的にその二つの要素をすべて含んだものだった〉(120ページ) 「慰安婦は存在しなかった」という日本にある極論も、韓国の根拠のない主張も等しく批判する良識ある見解と感じられるが、その部分にも削除が命じられる以上、韓国側には和解の意思などないと思わざるを得ない。関連記事■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 韓国で「慰安婦は売春婦と認めよ」と主張の署名サイトが出現■ 韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う■ 韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ■ 韓国紙 慰安婦のために闘った朝日新聞を助けようと呼びかけ

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    朴大統領批判の大量ビラ&抗議デモ…青瓦台を取り巻く混沌

     韓国に不穏なムードが広がっている。韓国各地で朴槿恵(パク・クネ)大統領を非難するビラがまかれ、海外の韓国系住民による抗議デモが頻発するなど、国内外で政権批判の動きが加速しているのだ。朴政権は、こうした反対勢力に対して、警察による強引な捜査などで対抗。かつての軍事独裁政権を思わせる荒っぽい手法で批判を封じ込めようとしている。青瓦台(韓国大統領府)を取り巻く混沌をノンフィクションライターの高月靖氏がリポートする。 中国や日本などからの観光客でにぎわうソウル中心部の繁華街、明洞(ミョンドン)。先月下旬、この街で奇妙な光景が繰り広げられた。朴氏を批判する大量のビラが、ビル屋上からばらまかれたのだ。 「サイズはA5判ほどで、朴氏を批判する『国民生活破綻』『民主主義破壊』『朴槿恵政権糾弾・汎国民大会』などのメッセージが白黒で印刷されていました。約4000枚が一斉にばらまかれ、一時ビラが空を埋めるような形になったほどです」(現地日本人フリー記者) 朴政権を批判するビラがゲリラ的にばらまかれるのは、この日が初めてではない。昨年12月にソウルと地方都市で行われた後、今年1月から3月にかけて韓国各地へ波及。朴氏のイラストを添えて、朴氏からの「つまり辞任しろと言うんですか?」との問いに、民主主義を願う市民が「そうだ」と答えるものなど、ソウルでは今月1日まで連日のようにあちこちで大量にまかれ続けた。 「ちょうど同じ時期に米国ニューヨークやワシントンDCでも現地の韓国系住民による反・朴政権デモが同時多発的に行われていました。デモはオーストラリアにも飛び火しています。セウォル号事故などの際も同様のデモはありましたが、今また就任2周年の節目で朴政権批判が過熱しているようです」(同)自民党の二階俊博総務会長(左)との会談に臨む韓国の朴槿恵大統領=2015年2月13日、ソウルの青瓦台(共同) 韓国の内外で盛り上がる反・朴政権の動き。だが、1月に30%を割り込んだ支持率は、ここに来て急上昇している。3月上旬の支持率は40%台後半に持ち直した。 「米大使襲撃事件に驚いた保守層が、慌てて政権支持に逆戻りしたせいです。朴政権が事件の背後にいると指摘する左派勢力を一掃すべく、保守層が力を合わせようとしているのでしょう」(同) ビラの作成者らも、朴氏に批判的な左派勢力として政権から目の敵にされている。警察は今月12日までに、地方都市でビラ散布に関わった3人の関係先を家宅捜索した。だが、微罪や別件逮捕の摘発、家族にまで圧力を加える捜査手法が、現地メディアで非難を集めた。 「ビラ散布はゴミを無断投棄した程度の軽犯罪に過ぎません。しかし警察は朴大統領に対する名誉毀損(きそん)、さらに所有するバイクの改造などまで口実にして、強制捜査を行っています。3人のうちの1人が出頭を拒否したところ、警察は令状なしに妻の勤務先にまで踏み込みました」(同) ビラに対して与党は非常に敏感だ。2月に釜山で朴氏を風刺する紙がまかれた際、与党・セヌリ党釜山支部のスポークスマンは「徹底した調査で犯人を探し出し、国家元首に対する冒涜(ぼうとく)と名誉毀損(きそん)に対する厳重な法的責任を問わなくてはならない」と息巻いた。 韓国では過去、国家元首=大統領への冒涜(ぼうとく)を裁く法律が、民主化とともに廃止された経緯がある。そのため、スポークスマンの軍事独裁時代に逆行するような発言には批判が渦巻くが、「警察の横暴な姿勢は変わらない」(現地関係者)という。 インターネット全盛の時代にビラをまくのは古典的な手法だが、実は、これにはわけがあるという。 「ネットではすぐに発信元を特定され、名誉毀損(きそん)で告訴されるからだといわれています。ソウルで連日ビラを散布したグループは防犯カメラもうまくかわしており、まだ身元は特定されていません」(前出のフリー記者) 内外で盛り上がる大統領批判の機運と、大使襲撃事件をも利用して左派勢力への圧力を強める政権。韓国社会を二分する対立は、政権崩壊につながりかねない危険な雰囲気を漂わせている。関連記事■ 加藤達也が指弾 韓国社会の「言論の自由」こそ問われている■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    朱子学の影を引きずる朴大統領の反日

    古田博司(筑波大大学院教授) わが日本国では、正当性と正統性を区別するのが難しい。「これが正しい!」と、正当であることを信じるのが正当性だ。だから異端からも正当な権力は生まれる。16世紀ごろまで、カルヴァン派はキリスト旧教にとって異端だったが、ここから当時のジュネーブの新教政権が出てくる。ゆえに、今の中国の「防空識別圏」も注意しなければならない。国際的異端者による正当性の主張だからだ。 「3・1独立運動」を記念する式典で演説する韓国の朴槿恵大統領=2015年3月1日、ソウル(共同)異端ではないとの証求めて 正統性はそうではない。「どちらが正しいか。こちらだ!」という選択を経て、選ばれたものが正統で除かれたものが異端である。韓国の朴槿恵政権の苦悩はここにある。韓国は対日独立戦争をしていない。日本統治時代は自然に始まり自然に終わった。北朝鮮の金日成氏は負け戦だったが、日本軍警と東満州で一応戦っている。 国家の正統性は北朝鮮にある、と韓国の左翼政党や左翼教員組合は攻撃する。朴氏は自らの正当性を確保すべく、彼らを非合法として裁判に訴えた。同時に自分が異端でないことの証として反日を連呼する。慰安婦の像や碑を米国に建て続ける韓国系移民も同様だ。自分たちは国を捨てた異端ではないと故国に弁明しているのだ。 こういうのは日本人にとっては迷惑千万である。日本では正統とか異端とか区別しない。神道と仏教はみごとに習合し、今ではキリスト教式で結婚式をしたりする。江戸の儒者たちも寛容だった。 朱子学は南宋の朱子が作った儒教で、本来は排他性が強い。北方民族が攻めてきているし、朱子の住む中国南方では民衆は道教を拝み、仏教で葬式していた。それらはみな異端、儒教こそ正道だ、というのが朱子学の主張である。 朱子学が江戸時代に普及し、儒者の伊藤仁斎などはこれを消化しようと29歳で引きこもりになり、8年たって世に出て塾を開いた。出てきてもやはり日本人だった。弟子が「先生、人の道とは?」と問うと、「情けじゃ」と答えた。「天理とは?」と尋ねると、「おてんとうさまじゃ」と語った。正統コンプレックスの極み 儒教立国した李氏朝鮮は苛酷である。元々排他性の強い朱子学を厳格に実践、仏教を弾圧し仏像の首をはね寺を壊し茶園を枯らし、僧侶を山に追いやった。法事など禁止だ。儒教の祭祀(さいし)をさせ、3年の喪に服さない民を捕らえ棍棒(こんぼう)で打ちすえた。異端になれば酷(ひど)い目にあうと彼らは骨身にしみた。 だから韓国人は自らの歴史から学び続ける。「剣道も茶道もうちが正統で日本が亜流。孔子さまも韓国人、中国人ではない」。周りの国々が唖然(あぜん)とするウリナラ起源説をとうとうと述べる。これぞ正統性コンプレックスの極みだ。 中国はそもそも朱子学が合わなかったので、陽明学の方が広まった。王陽明先生に弟子が意見を聞く。「先生、私はぜひとも古代の音楽を復元したいと思います」。先生はおっしゃる。「うん、しなくていいよ。それは全部、君の心の中にあるのだ」。これが陽明学の「心即理」である。思っているものは実在する。防空識別圏も、中国人が思ったわけだから、実在することになりかねないのだ。 自己中心の彼らに怒りを浴びせたのが、後に清朝を建てた満州族のヌルハチだった。満州語では中国をニカン国、朝鮮をソルホ国と呼ぶ。ニカン国は「天下の主だ」と思い、ニカン人は毎年越境して略奪する。ソルホ国はわが国の国書の受け取りを拒否し侮蔑する。満州族のハーンは二代にわたり遠征して、両国を攻め滅ぼした。竜の衣はシナの皇帝にしか着られない。清朝ではこれをすべての役人に着せ、ニカン人を侮辱した。朝鮮の伝統「告げ口外交」 李氏朝鮮は、明国は滅んで野蛮人の清朝になってしまったのだから、明の正統性を継ぐのはわれわれだと解釈した。そこで「大明国の東の壁」と自称し、清朝から流れ込む文化を悉(ことごと)くはねつけた。 李氏朝鮮の国内では、両班たちが朱子学の正統性を争っていた。朱子学の解釈権を握り、科挙の試験官を自派で占める。合格者は官僚になって、学閥は権力を手に入れる。儒者の塾は棍棒で武装し、敵方の打ち壊しまでした。朝鮮史では、これを「党争」という。 三年喪や祖先祭祀など、朱子学の礼の実践ばかりした李氏朝鮮では、経世済民を考える暇がない。流浪の民が居ついた地方の知事が良い知事である。土地には所有権がなく、村には村界がなかった。町には民のための商店もない。 そこに、今度は近代化した日本がやって来た。南下するロシアに対する安全保障として朝鮮を統治し、開発する必要があった。手の施しようもない李朝の王は臣下たちに丸投げし、諸外国に日本のことを「告げ口」して回った。朴槿恵氏の「告げ口外交」のように、上位者に悪口を言いまくることを韓国語でイガンヂル(離間事)といい、離間が目的である。韓国人同士が毎日国内でやっている。 中国人も韓国人も世界史から学ばず、確かに自国史から学んでいる。彼らには「卑劣」ということが分からないのはそのためだ。関連記事■ 最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した■ 秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」

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    韓国の言論弾圧には屈しない

    国際社会に波紋を広げた。理不尽な言論弾圧に屈しない姿勢が、朴政権の「譲歩」を引き出したともいえるが、日韓関係のしこりは今も残ったままだ。

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    韓国人作家「産経前ソウル支局長起訴で韓国は世界から嘲笑」

     産経新聞前ソウル支局長の朴槿恵大統領に対する名誉毀損裁判について、韓国国内ではたとえ「おかしい」と思っても声が上げられない状況にあるという。そんななか、戦前の日本に生まれた韓国人作家・柳舜夏氏が、日韓を比較した新著『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』(小学館刊)で、ついにそのタブーを破った。* * * 私が堅く願うのは、わたしが生まれた国・日本と、私が住む国・韓国の共生です。ふたつの国は手を結ばなければなりません。 ところが、私の祈願に冷や水をかけるような不幸な出来事が起きました。産経新聞前ソウル支局長・加藤達也氏の起訴、出国禁止措置です。問題となった産経新聞の韓国大統領関連記事は、正論直筆というメディアの正道を明らかに逸脱していたと、私は考えています。しかし、それが法的な断罪の対象になってはなりません。韓国政府は自ら手に負えないことをしでかしました。自縄自縛、まさにそのような状況に陥ったのです。それが、彼らの度量や器の限界です。セウォル号沈没事故から1年を前に、現場海域を訪れ沈没地点を示すブイ(手前)を見つめる遺族=4月15日、韓国・珍島沖(共同) 300を超える命を、政府立会いのもと水葬させたセウォル号事件が内憂であれば、韓国検察が産経新聞の加藤達也記者を起訴した今回の事件は、韓国を世界の嘲笑の対象にした外患です。 すべての韓国人の名誉が傷つきました。何をどうすれば、一国の治者があのような行為を起こすことができましょうか? ましてや、韓国の法律事務所が、この事件に対する弁護を拒否するとはどういうことでしょうか? おそらく、“親日派”という指弾を恐れたのでしょう。本当に恥ずべきことです。 合理的でないものが、思考と行動の根拠になってはなりません。非合理的で無条件的な反日感情にとらわれている限り、韓国人は直視すべき真実を見ることはできないし、おなじ失敗を繰り返すことになるでしょう。その先に待っているのは、日本の永遠の“鵜”になることです。これは予測ではありません。まず間違いない、韓国の決まった未来です。※柳舜夏氏・著/『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』より関連記事■ 韓国では「サザエさん韓国人説」が流布し真に受けている人も■ 世界36か国の「不倫経験調査」 1位タイ54%、2位韓国34%■ KARA、少女時代、キム・ヨナを通じて日韓の違いを理解する■ 「活版印刷」と「羅針盤」 韓国が起源は韓国人の間では常識■ フィリピン人ホステス「スマートに飲む韓国人見たことない」

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    韓国社会の「言論の自由」こそ問われている

    加藤達也(産経新聞 前ソウル支局長) 12月号に私の手記が掲載されたのち、読者の皆さんから少なからず反響があったと聞きました。私は相変わらず韓国政府に出国を禁じられており、日本に戻ることが許されない日々を送っています。掲載された正論の手記に対する反響をここ韓国で直接耳にする機会はあまりないのですが、東京の本社には電話やメールなどで激励が数多く寄せられていると聞きました。本当に有り難いです。 まだ、経緯をご存じない方のために今一度、私の身に降りかかった出来事を振り返っておきます。昨年4月にセウォル号事故が起こったさい、私は産経新聞社のインターネットサイトにコラムを出稿しました。 それは、事故直後、朴槿惠大統領が何をしていたのかについて焦点を充てたコラムで、韓国紙「朝鮮日報」のコラムなどを引用しながら、ソウルで飛び交っている観測や分析などをレポートしたものでした。 このなかには朴大統領よりも3歳年下で、彼女が国会議員だった当時に秘書室長として尽くしていた男性、鄭允会氏との密会疑惑も含まれています。鄭氏をめぐっては、今も大統領に対する隠然とした影響力があるのではないか――などとも言われ、「青瓦台の陰の実力者」などとも評されている人物です。 ところがこれが青瓦台の逆鱗に触れたらしい。詳しくは12月号を読んでほしいと思いますが、大統領が誰に会って何をしていたのかといったことをメディアが問題提起する。これは民主主義国では当たり前の光景です。 それに私が引用した・本家・朝鮮日報には全くお咎めがありませんでした。引用した産経の記事だけが問題にされ、刑事責任を問われ、引用元を不問に付すのは公正さに欠けています。 私の起訴事実はインターネット上で虚偽事実を流して第三者の名誉を毀損したという罪ですが、そもそも大統領に不都合だからといって記事を執筆した記者の刑事責任が問われてしまうことなど真っ当に民主主義を掲げ言論の自由を保障する国ではあり得ない話です。政権としての度量や器量が問われる重大な問題です。公判を揺るがしかねないニュースソウル中央検察に出頭した朴槿恵大統領の元側近の鄭ユンフェ氏=2014年12月10日、ソウル(共同) 私は11月27日に裁判に臨みました。前回の手記は起訴された直後に書いたもので、私はそれ以降、公判に向けた準備を進めてきました。特に検察による開示資料には時間を掛けて丁寧に目を通しました。 ところで私がコラムで朴大統領と密会していたのではないかと疑惑を報じた人物、鄭氏をめぐって事実上の初公判の直前に新たなニュースが報じられました。韓国紙、世界日報によると鄭氏は一昨年末から青瓦台内の大統領側近らと頻繁に会って、政権内の実力者とされる大統領秘書室長の辞任説を広めるよう指示するなど、政権内部の人事に介入していたという話でした。 鄭氏らは一昨年10月から毎月2回の割合で会合を重ねていたとも報じられています。世界日報のニュースソースは青瓦台で行われた内部調査をとりまとめた報告書でした。世界日報は独自にこれを入手、報告書の記述に依拠して報道したのでした。 鄭氏はこれまで、朴大統領と全く関係がない、と強調してきました。陰の実力者などと言われているけれどもそんなことはない、青瓦台とも全く無関係である、と主張してきた。 一方の青瓦台もそうです。鄭氏と会ったことはもちろん、電話したことすらない、としてきた。彼を一貫して遠ざけ、その関係を全面否定してきたのです。検察が私のコラムがデタラメだという結論を導くうえでも有力な支えとなっていたのです。 ところが、その彼が青瓦台と密接な関係にあったと報じられた。報道の波紋は大きかった。まず大統領を除く青瓦台の職員8人が世界日報の記者や編集幹部ら6人を名誉毀損の罪で刑事告訴する事態に発展したのです。 報告書には青瓦台内部の権力闘争についてあれこれ記しているが、その記述は必ずしも正しい事実ではない、というのが青瓦台側の主張です。青瓦台はあくまでも飛び交っている噂話を噂として集めたに過ぎない。飛び交っている噂について噂として部内で検討する必要があるから報告を集めたのであって真偽は確定していない。報告書の記述に依拠している世界日報の記事は事実ではなく、虚偽である、だから名誉毀損が成り立つ――というのです。 一方で検察はこの文書が流出したことを問題視して捜査を始めました。この文書は青瓦台で作成され、文書番号もある公文書であって、これが勝手に外部に流出したことが犯罪に該当するというわけです。 名誉毀損による刑事告訴の一件は私の事件捜査を担当したソウル中央地方検察庁刑事一部が担当しています。一方、文書流出の件は――日本の検察でいえば、特捜部にあたる――同地検特殊捜査部が捜査を始めており、すでに文書を作成、とりまとめた人物の家宅捜索と事情聴取に乗り出しています。 この人物は、韓国の警察庁の官僚で、当時青瓦台に出向、現在は警察庁に戻っています。また、この人物の青瓦台当時の上司の元青瓦台秘書官は「報告書にとりまとめた記述の6割は真実である」旨証言し、青瓦台の立場とは真っ向から対立する形になっています。文書流出のみ問題視する事に批判文書流出のみ問題視する事に批判 一方、こうした検察の捜査に対しては野党やメディアが批判し、反発を招いています。 文書には青瓦台内部の権力闘争が描かれている。そのなかにはかつての朴大統領の側近で、今は公務員でも秘書官でも青瓦台職員でもない、鄭氏が首を突っ込み横槍を入れる――という話も載っているわけです。 記述の真偽については全面否定しておきながら、文書が流出したことだけを問題視して事件捜査が行われる。これは歪だし、政権は触れられたくないものに煙幕を張って蓋をしようとしている――という批判です。 韓国メディアの記者達と話していると「加藤記者があのコラムを書いたおかげで青瓦台にあった岩盤が揺れ動いたことは間違いない」とよく言われます。 世界日報の記事と私の記事はもちろん内容は異なります。しかし、青瓦台と何の関係もないはずの男性と朴大統領との関係に焦点を置いている点では同じで、地続きの話だといえます。 大統領の動静、即ち青瓦台を舞台に何が行われているのか、大統領が誰と会って何を話したのか、といった問題はメディアがしっかりと見届けなければならない問題です。たとえ、為政者にとって都合の悪い内容が含まれていても、それはメディアに負わされた、とても大事な役割なのです。 世界日報の記事も私のコラムも同じ土俵上の話だと言っていいでしょう。記事を報じた世界日報には私同様、捜査の手が伸びています。捜査の行方から目が離せないことはいうまでもありませんが、本来はこうした政権の姿勢自体が厳しく問われなければならないはずです。無罪に向けて戦おうと決意加藤達也・産経新聞前ソウル支局長の初公判が行われたソウル中央地裁=2014年11月27日、韓国・ソウル(大西正純撮影) 27日に開かれた事実上の初公判について話しましょう。韓国の刑事裁判ではまず、日本で公判前に行われる争点整理の手続きの場が被告人も立ち会って公開の場で行われます。そのさい、日本の初公判で行われる人定質問や起訴事実や検察の証拠に対する認否などの冒頭手続きも同時に行われるのです。起訴状の要約に対して私は全面的に争う姿勢を表明しました。 そもそも私は自分の記事はもちろん、自らの行動について刑事罰を負わされる類いのものだったなどとは微塵も考えておりません。裁判に掛けられること自体が納得いかない。そういう思いはあります。 しかし、韓国の司法界のなかにもこうした光景が如何におかしいか。そう考えている人達が少なからずいるだろうと思う。そういう司法の良心、良識を信じて裁判という土俵にあがってそこで誠実に事実を述べて行こうと考えました。そのうえで幅広い観点から自らの主張を展開し、無罪を勝ち取るべく戦おうと考えたのです。見えて来た公判の争点 公判の進行打ち合わせのなかで、裁判における具体的な争点も一定程度見えてきました。裁判所側が想定している争点のうち、まず一つ目は立証責任が検察側と私のどちらにあるか、という点でした。 私を罪に問いたいと検察が考えるのであれば、そのための全ての立証を検察側が用意するのが当然です。その立証が足りなければ、私を罪に問うことはできません。これが刑事裁判のセオリーというものでしょう。問題となるのは報道が虚偽か否か、という点です。記事が虚偽だと言いうるには私が大統領を誹謗中傷するなどの悪意を持って記事を書いたという事実の立証が不可欠で、その立証は検察側がやらなければならないはずです。 ところが検察側は「虚偽の事実を報道していないと弁護側がいうのであれば、その立証は弁護側が負うべきである」などと言い出しています。私ははじめから物事を断定して書いたわけではありません。噂が存在するという事実を朝鮮日報のコラムを引用しながら書いた、そうした状況が朴政権のレームダック化が進んでいる証左なのではないかと結論づけたのであって記事に間違いはありません。虚偽でもなければ、まして悪意を持って書いたのでもありません。ですが、この点をめぐる双方の主張が必ずしも折り合っているわけではないのです。 次に被害者による処罰感情の確認という点でも問題点がないわけではありません。この場合、被害者というのは朴大統領本人を指すことになるでしょう。記事が出た時点で青瓦台から電話があって記事が誤っているという主張や民事刑事両面での責任を追及する旨が告げられました。記者会見でもそうした意思を表明しており、大統領の処罰意思はそれで明らかだというのが検察側の主張です。 しかし、私達から見るとそれは青瓦台という国家機関の意思ではないのか、本当に朴大統領があのコラムを読み、名誉を毀損されたという被害の認識や起訴すべきだという考えを個人として持っているのだろうか、と問うているわけです。 今回の案件は名誉毀損罪です。日本では親告罪といって、被害者の告訴がなければ、起訴できません。韓国では第三者の刑事告発でも訴追はできます――実際、3団体が刑事告発しており、それが受理されて私は訴追されているのですが――が、「反意思不罰罪」といって被害者の意思に反して処罰することはできないのです。仏オランド大統領の例を見よ!仏オランド大統領の例を見よ! さらに男女関係に言及すること自体が、名誉毀損になるのか否か。ここも争点のひとつとなりそうです。今回、私のコラムで朴大統領の男女関係について言及したことに検察側はけしからん、冒涜だと主張しているわけです。 そこで弁護側はフランスのオランド大統領の女性関係について例を出しました。昨年はじめ、オランド大統領と女性のスキャンダルが世界中で大きく取りあげられました。ご記憶の方もいると思います。 フランスは米国や英国と違って権力者の私生活についてあまり追及しないという伝統が一応あります。ただ、そういうフランスにおいても公人である政治家は、私生活についても相当程度はオープンにすべきだという声も徐々に大きくなっているのです。 さらにオランド氏の場合、フランス大統領としては初めての事実婚夫婦です。女優との密会が不倫に該当するのか否か、今後のファーストレディの公務はどうなるのか、さらには安全保障上の問題はないのか…たとえ私生活であっても問題点は山積みされている。これをめぐって議論が交わされているのです。 それに国家指導者の私生活をつまびらかにすることに消極的とされるフランスでも大統領のプライバシーを報じたからといって記者の刑事責任が問われたケースなどはありません。 誰にだって守られるべきプライバシーはあります。大統領にだってあるでしょう。ですが、仕事さえできれば、本人がどんな私生活を送っていてもいいとはならないはずです。私がコラムで取りあげたようにセウォル号沈没事故のような国内外を揺るがすような例のない緊急事態が発生して多くの人命が奪われたときに国のトップに立つ大統領が何をしていたのかというテーマは当然、メディアの取材対象となる問題だと思います。 公共目的があったか否か、という点においても私と検察側は180度異なります。無論私は記事が公共目的で書かれたものだと主張しました。逆に検察は私が悪意を持って故意に虚偽を書いたと主張しています。特派員の実態を明らかにせよ 裁判所からは、韓国における特派員の取材実態、取材環境などを明らかに出来る証人がいないか、と提案がありました。国内メディアとは違って海外のメディアは言語上の制約もあれば、人的な問題もあって国内メディアほど縦横無尽に取材が自由にできる環境にはありません。同じ報道機関といっても仕事の進め方ひとつから国内メディアとは相当異なります。ただ、その実態は必ずしも明らかではありませんし、国内メディアにあてはめる常識や尺度との違いを裁判所が把握しておこうということなのだと思います。 さらに国家指導者に対するスキャンダルを記事に書いて刑事責任を問われた事例がこれまで存在するのか、しないのか――裁判所として海外の事例を明らかにするよう求められました。また韓国の取材事情や海外における権力報道などに明るいメディア論を手掛ける専門家なども求められました。 今回のケースが国際的に見て、あまりかけ離れた判断にならないようにしたいという裁判所の判断なのかもしれません。閉廷後生卵が投げつけられる初公判を終え、ソウル中央地裁をあとににする際、加藤達也前ソウル支局長を乗せた車が抗議デモ団に囲まれ生卵が投げられるなど妨害行為が行われた=2014年11月27日、韓国・ソウル(大西正純撮影) 約1時間かかった事実上の初公判は終わりました。法廷では途中で騒ぎ出す人が出てくるかもしれないと懸念していましたが案の定、開廷中に私の名前とともに「大韓民国に謝罪しろ」「直ちに拘束しろ」と叫ぶ人が現れました。産経新聞というのは韓国を貶めることばかり書いている新聞だとつぶやいていました。 そこまでは、さほど驚かなかったのですが、裁判所を車で出るときに走行を妨害しながら生卵が車両にぶつけられる一幕がありました。車の進路に寝そべったり、ボンネットを叩いたり、正直ここまで執拗だとは思いませんでした。 韓国社会を見ていると、この手の現象はいわば「お約束」のような出来事だと感じることがこれまでもしばしばありました。ですから、私の公判でも似たようなことは起こるかもしれない、あってもおかしくはないだろうと一定の覚悟はありました。 しかし、これだけ外交の場で俎上にのぼった問題です。静謐な環境のなかで安全が確保され公判が開かれるべきで、常識的に考えて、裁判所はもう少し警備をしっかりしているのだろうと漠然と考えていました。 それにしても、自分達の主張をするのにこういう恫喝紛いの憂さ晴らしの類いが当たり前に横行する社会というのはやはり歪だし不幸だと思います。決して健全な社会とはいえません。裁判で問われているのは何なのか裁判で問われているのは何なのか 最後に裁判をめぐってもうひとつ述べておきたいことがあります。それは私が書いたコラムが有罪になるのであれば、世界中にあふれる韓国や大統領に関する報道について韓国の国家指導者が任意に有罪にできうることになってしまうのではないか、という疑義です。韓国の検察当局は、本件は韓国国内で起きた犯罪である、国内法を適用することに何の問題もなく、それを政治問題や外交問題にすり替えるのは許されないと反発しています。産経新聞ソウル支局内で仕事をこなす加藤達也前ソウル支局長=2014年10月、ソウル(撮影・桐山弘太) 特派員が韓国内において韓国国内法を遵守して暮らしていくことは確かに当然です。しかし、今回の事案で刑事処罰の対象となっているコラムは日本の読者に向けて日本語で書いたものです。記事を執筆した場所は確かに韓国国内ですが、記事の編集作業は東京との間でやり取りを重ねながら掲載に至ったものなのです。 なるほどインターネットに国境はありません。掲載後の記事を翻訳すれば、日本語のわからない韓国の読者でも読むことは可能でしょう。大統領本人がどういう経緯で私の記事を読まれたのか、わかりませんが、重要なことは先の検察の論理を無条件に認めてしまった場合、世界中,特にネット上に存在しうる韓国大統領への批判などにも韓国国内法が無条件に適用され、処罰されうることになりはしないか。裁判の争点には今のところなってはいませんが、その点についてどう整理して考えているのか、納得できる回答がほしいと思っています。 私は前回の手記で、韓国国内で今起きている自由な言論が蝕まれている光景について韓国の方々ももっと敏感になった方がいいと思うと述べました。日本人とか韓国人、あるいは産経新聞といった、さまざまな立場を超えてまず守らねばならないものは一体何なのか。そのことをしっかり見据えてほしい。そう心の底から願っているとも書きました。 その気持ちに今も全く変わりはありません。私はこの刑事裁判に誠実に臨むつもりです。私の主張は全て法廷で述べるつもりですし、この裁判から逃げるつもりも隠れるつもりも全くありません。 ただ、この裁判で本当に問われているもの、裁かれようとしているものは何か。それは被告人である私ではなく、むしろ韓国社会の側ではないのだろうか、という思いがします。韓国の司法が明察を持って、公正な裁きを貫くことを願っています。(構成 月刊正論編集部安藤慶太)※インタビューは2014年12月3日に行われたものです。関連記事■ 加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    韓国には「譲歩しない」大切さを教えてくれた

    8か月間で失った国際的信用 “筋違い”の上に“理不尽”と“不条理”が重なった目茶苦茶な「8か月」だった。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長の出国停止の措置が解かれ、4月14日夜、ついに加藤氏はソウルから日本に帰国を果たした。 出国禁止措置が繰り返されること実に8回。昨年の11月27日の初公判では、ソウル地裁前に100人ほどの保守系の抗議団体が集まり、加藤氏を乗せた車に生卵が投げつけられるなどの狼藉が加えられた。それは、加藤氏の身の安全が極めて憂慮される「8か月」でもあった。 周知のように、3月4日には、ソウル市内の講演会会場で、リッパート駐韓アメリカ大使が暴漢に切りつけられ、80針もの頬の縫合手術を受けた。 もともと伊藤博文を暗殺したテロリスト「安重根」を国家の英雄に祭り上げている国だけに、ひとたび“渦中の人物”となれば、身の安全をはかるには、細心の注意が必要なのである。それだけに、9か月ぶりに無事帰国した加藤氏の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろしたのは、家族ばかりではなかっただろう。 私は、この8か月間で、韓国はどれほどの国際的信用を失っただろうか、と思う。結局、この問題によって、国際社会で、「ああ、韓国のことだから」「あそこは危ない」「言論の自由をあの国が獲得するのはいつだろう」……そんなことが再認識されることになった。産経新聞・加藤達也前ソウル支局長の公判が開かれているソウル中央地裁(鴨川一也撮影) つまり、韓国は「法治国家」ではなく、「人治国家」であることが、まさに証明されたのである。今回の事件でわかったことは、大きく分けて2点ある。1つは、韓国が「言論の自由」や「表現の自由」といった民主主義国家が共有している「価値観」を持たない国であることが、あらためて明らかになったことだ。 2つめには、韓国に対しては、一寸たりとも「譲歩をしないこと」の大切さを教えてくれた、という点だ。何ひとつ譲歩せず、加藤氏は堂々と自説を唱えつづけた。だからこそ、「出国禁止」を解くという“譲歩”を韓国がおこなったのである。唖然とすることの連続 今回のことは、ジャーナリズムにとって、そして通常の民主主義国家にとって、唖然とすることの連続だった。そもそも特派員というのは、その対象の国の政治・経済・社会状況や世論の動向、あるいは、その国がこれからどこへ進むのかも含め、さまざまな出来事や現象を記事にして、自国の読者に伝えていくのが役目である。 今回の場合、あのセウォル号事故があった当日の朴槿恵大統領の「謎の7時間」について、韓国の有力紙『朝鮮日報』が書いた記事を、加藤前支局長がインターネットのコラムで論評し、伝えたものである。 加藤氏は、噂の「真偽はわからない」ことをきちんと明記した上で、そんな噂が出てくる「背景」をわかりやすくコラムで説明した。それは、あの事故のあと、朴大統領がどういう状況や立場に置かれているかが、よく理解できるものだった。 しかし、韓国の検察は、もとの『朝鮮日報』のコラムも、またその執筆者も、不問に伏したまま加藤前支局長のコラムだけを、インターネットによる「情報通信網法」に基づく名誉毀損として取り上げたのである。 そして、そんな情報通信網法違反という“微罪”で「在宅起訴」し、しかも8か月という長期にわたって「出国禁止」にするという、民主国家では考えられない異常な措置をとったのだ。 これは、立場を「逆」にして考えたらわかりやすい。日本の大手新聞が「安倍首相の謎の7時間」をめぐる噂をコラムとして書いたとしよう。そして、韓国の東京特派員が、そこに書かれている噂と安倍首相が置かれている政治的状況について、「噂の真偽はわからないが」と断った上で、そういう噂が飛び交う背景を踏まえてインターネットで記事(コラム)を書いたとする。 もし、日本の検察が、その韓国人特派員を、もとの日本の大手新聞のコラムと執筆者を全く不問に伏したまま「在宅起訴」し、8か月も「出国禁止」の措置をとったとしたら、いったい韓国の世論は、どんな沸騰を見せるだろうか。そして、日本政府は、どんな糾弾を受けるだろうか。 韓国は、情報通信網法違反という微罪で、まさにそれを「おこなった」のである。加藤氏が受けた理不尽で、不条理で、筋違いな措置とは、それだ。すなわち韓国には、民主主義の根幹である言論や表現の自由というものに対する「敬意」も、さらに言えば、「問題意識」も、まるでなかったのである。「道理」が存在しない韓国「道理」が存在しない韓国 この異常な事件は、ついに国際的な人道問題となり、韓国に拠点を置く外国メディアで構成する「ソウル外信記者クラブ」が、朴大統領宛ての書簡を大統領府(青瓦台)に送り、加藤前支局長の出国禁止措置が長期化している状況に「憂慮を表明」するに至った。 もはや誰の目にも、韓国がとり続けている措置の異常性が明らかになった今、ついに「出国停止措置」は解除せざるを得なくなったのだ。私は、この意味は大きいと思う。それは、加藤前支局長が一寸たりとも譲らず、堂々と自分の立場を主張しつづけたことが生んだものだからだ。 裁判の過程では、噂が「虚偽であった」ことが認定された。しかし、もとより加藤前支局長のコラムの主題は、真偽不明の「噂」が乱れ飛ぶ朴大統領が置かれている「状況」を伝えるものだ。噂の真偽は不明であることをわざわざ断わった上で、書いたコラムなのである。 さらに言えば、ならば『朝鮮日報』のコラムと執筆者は、なぜ不問に伏されるのか、ということが改めてクローズアップされたと言うべきだろう。 韓国には、「道理」というものが存在しないとしか思えない。道理を弁(わきま)えてさえいたら、言論の自由を踏みにじり、外国のジャーナリストを“見せしめ”のように痛めつけるやり方が「選択」されるはずはないからだ。 私は、韓国のこの道理のなさについて、2005年に成立した「反日法(親日反民族行為者財産帰属特別法)」のことを思い出した。日本統治時代に日本に協力した人物が蓄えた財産は、たとえ「代」を越えた子孫であっても「没収」されるということを定めた法律だ。 日韓基本条約で請求権はお互いの国が放棄している。それでも韓国国民は、この「反日法」によって、戦前に日本の協力者であったことと、財産の構築が証明されれば、その子孫の財産は「没収」されることになったのである。「理不尽」「不条理」を通り越して、まさに目茶苦茶である。 加藤前支局長の出国禁止が解かれた理由に、同盟国のアメリカの中で広がった韓国への「不信」も無縁ではない。中国への接近を強める韓国の姿勢に対しても、また民主主義国家とは思えない感情的で、法を無視したやり方にも、「いい加減にしろ」という意見は、アメリカで想像以上に大きくなっている。 そのことに、さすがに青瓦台も気がついたのではないか。アメリカにおける韓国に対する失望と困惑の拡大が、今回の加藤前支局長の出国禁止措置の停止に大きく影響していると思われる。 いずれにせよ、韓国は国際的な信用という点において、はかり知れないダメージを受けた。最後まで毅然とした姿勢を崩すことがなかった加藤前支局長に敬意を表するとともに、今後も歯に衣着せぬ、ますます厳しい青瓦台への論評を期待したい。関連記事■ 2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    崩壊した対岸の国の「法治主義」

    古田博司(筑波大学大学院教授) 歴史の中に未来はない。あれば将来の得を取ろうと皆が歴史学者になってしまう。そういうことはあり得ないので、歴史の中に未来はないのである。他方、未来に対する先見性はいらないという社会科学者がいる。だが、先見性がなければ政策提言はできない。だから先見性は必要なものだ。『大明律』にみる法の粗放性 歴史を学ぶと情感は豊かになるかもしれない。だが現在ではそんなに悠長なことは言っていられない。先見性は跳ばなければ分からないが、この撥(は)ね板の位置と方向性を教えてくれるのが歴史である。とすれば役に立つ歴史とは、現在から遡(さかのぼ)って自分で調べてみるほかないというのが実感である。 中国や韓国の法治がどうもおかしいと、最近気がついた。あまりに恣意(しい)的で放埓(ほうらつ)である。粗放というべきかもしれない。そこで明国14~17世紀の『大明律』をひもといてみる。名前の偉そうさに騙(だま)されてはいけない。大明律刑律闘殴条に、「人の一歯および手足一指を折り、人の一目をつぶし、人の耳鼻をえぐり、人骨を破り、銅鉄汁(銅鉄の溶けた液体のこと)で人を傷つけるがごとき者は杖(つえ)(棍棒(こんぼう)のこと)で一百。汚物をもって人の口鼻内にそそぐ者、またかくのごとし」とある。私闘したものは百叩(たた)きということだが、最後のところがヘンだ。人の顔にヘドでも吐きかけるのだろうか。 他方、李氏朝鮮の法典の刑律の項には「大明律を用いる」と書かれている。こういうのを中国の権威にそのまますがる事大主義という。だが、異国の刑政をそのまま持ちこめるのだろうかと疑問がわく。そこで李朝18世紀の『続大典(しょくたいてん)』に上の該当項目があるかと探すと、あった。「墓穴を穿(うが)ち放火し、あるいは汚物を投げこんで戯れをなした者は『汚物、人の口と鼻にそそぐ律』により(罪を)論ず」とある。人の墓穴にゴミを投げこんだ者は、大明律の人の顔にげろを吐いた者を罰する法律で百叩きにするというのである。大変だなと思うことはない。実は賄賂でいかようにも手加減された。近代化に失敗した歴史 それよりも、この両者の訳の分からない法律の歴史を問わなければならないだろう。李朝のほうは18世紀ともなると一族同士の墓所争いがひどくなる。朝鮮の墓所は山だから即山争いである。敵一族の墓に汚物を投げこめば百叩き、棺を燃やせば斬首だった。それにしてもシナ人の顔面を朝鮮人の墓面に置きかえるとは何なのか。 実に、彼らの歴史とはこのような古代の粗放性に彩られている。日本のような中世や近世はないのだ。日清戦争とその結果の下関条約で直接近代に押し流された。以来120年間。中国は近代化をする気がなく、韓国は近代化の根本である法治主義に失敗したことがますます明らかになりつつある。 近代にいたるまで中国の文明は現代芸術・技術であった。ところが以後は骨董(こっとう)の芸術品と化した。かつて朝貢とは中国にしかできない精巧な針とか、彩色衣料とかを周りの「蛮族」がもらいに行ったものである。人数分くれるので300とか500人とかで行く。これが財政を圧迫すると止める。するとすぐに略奪しに来る。 李朝にはそんな勇気はない。軍事力が違いすぎる。むしろ馬とか女とか援軍とかをシナに要求された。馬はしぶって分割払いして数を減らして誤魔化(ごまか)す。女は明時代には働き者の下女が人気だった。清時代になると女色を要求されたので、妓生(キーセン)を送って誤魔化した。伝統として続く「濫赦の弊」 この誤魔化し・逃げ口上を漢文で「トウ塞」という。朝鮮の外交史はトウ塞の歴史だ。援軍を要求されると、倭寇が攻めてきて忙しいからいけないと誤魔化した。こういうのをシナと朝鮮の宗藩関係とかいうのである。手なずけとばかし合いの関係だ。 このような朝貢外交しか知らない中国が、西洋勢力の進出で半植民地状態に陥り、ついで軍閥割拠する戦乱の地となり、日本が進出してくると国共内戦がらみで三つ巴(どもえ)となり、共産軍が勝って社会主義国となり、西洋外交を知らない年月が延々と積み重ねられて100年を超えた。近代になって「蛮族」にあげられる物のなくなった中国は今、アジアインフラ投資銀行(AIIB)とか、中韓の自由貿易協定(FTA)などの朝貢外交に余念がない。だが、後者ではすでに中身が空っぽである。農産物や自動車などの主力商品が関税撤廃の対象外になっている。 現代の韓国では法治主義が崩壊し、李朝並みの濫囚・濫刑・濫赦(みだりな逮捕や刑罰・恩赦乱発)に戻りつつある。産経新聞社の加藤達也前ソウル支局長起訴やセウォル号船長の死刑求刑などがそれである。「濫赦の弊」は伝統としてずっと続いてきた。蓄財で逮捕された元大統領や左翼運動で死刑判決を受けた元学生などが平然と出獄し、豊かな老後を送ったり、死刑宣告を勲章に左翼議員として返り咲いたりするのはこのためである。蓋(けだ)し、われわれの海の対岸にいるのはこのような人々であり、別に驚くにはあたらない。【注】トウ塞の「トウ」は手へんに唐 ふるた・ひろし 昭和28(1953)年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。下関市立大学助教授などを経て、現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。韓国滞在が長く、朝鮮半島の研究者として著名。文明論や思想についても論考を多数発表しており、『月刊正論』で「近代以後」を連載中。著書に『日本文明圏の覚醒』(筑摩書房)、『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国』(ワック)、『ヨーロッパ思想を読み解く』(ちくま新書)など。関連記事■ 産経攻撃は卑劣な最終独立兵器の作動だ■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    佐藤優が分析 大統領制での忖度政治は韓国の構造的な問題だ

    題としてみるべきだ。今後はこの構造について明らかにすることが重要となる。 今後の裁判の結果次第では、日韓関係がさらに悪くなる可能性があり、日韓関係が正常化するか、悪化するかは韓国政府にかかっていることを認識させていく必要があるだろう。(談)関連記事■ 韓国で結びつくナショナリズムとテロリズム■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    愛国者か、テロリストか

    リッパート駐韓米国大使がソウルで暴漢に切りつけられた。犯人は米韓同盟に楔を打ち込むためか、テロを決行した。今回の事件で思い出されたのは韓国で「義士」「英雄」と呼ばれる安重根のテロである。伊藤博文を暗殺した安重根は愛国者なのか。韓国はテロリストを英雄視することの危険性をわかっていない。

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    韓国で結びつくナショナリズムとテロリズム

    佐藤優(作家、元外務省主任分析官) ナショナリズムは、現代における宗教の機能を果たす。自らが所属する民族のために命をささげることは崇高な行為と受け止められる。ただし、ここに落とし穴がある。民族のために自らの命を捨てる覚悟をした人は、躊躇(ちゅうちょ)せずに他者の命を奪う傾向があるからだ。そして、ナショナリズムとテロリズムが結びつくと厄介なことになる。素直に言うが、韓国でナショナリズムとテロリズムが結びつき始めている。襲われた駐韓米大使 5日朝、韓国のソウルで、リッパート駐韓米大使が、「愛国者」を自称する男に斬りつけられるテロ事件が発生した。この事件について、産経新聞社の藤本欣也支局長はこう報じた。 <リッパート米大使襲撃事件を受けて、大統領府の金寛鎮(キム・グァンジン)国家安全保障室長が5日、国家安保会議を緊急開催、今後の対策と対応を協議した。李完九(イ・ワング)首相は関係当局に対し、米国など各国の大使館・施設の警備と要人の警護に万全を期すよう指示した。 聯合ニュースによると、「主要外交官に対する深刻な襲撃事件でテロ行為ともいえる」(検察関係者)との判断から、捜査指揮はソウル中央地検の公安1部が担当。キム・ギジョン容疑者の犯行動機のほか、共犯者の有無など背後関係について捜査を進めている。 キム容疑者は2010年、日本大使にコンクリート片を投げつけた前科があるにもかかわらず、今回、米国大使に近づくことができた。 捜査当局の発表によると、キム容疑者は政治団体代表としてこの日の朝食会が開かれるとの案内を受けていたほか、米国大使館から警備要請がなかったとしている。だが、ただでさえ米韓関係がぎくしゃくする中、米要人への襲撃を防げなかったのは韓国当局の失態であり、責任問題に発展するのは避けられない>(3月5日「産経ニュース」)リッパート駐韓米国大使が出席した会合の主催団体が入るビルの前で、抗議集会をする保守団体メンバー=3月5日、ソウル(共同) キム容疑者は、要人テロを行う可能性がある要注意人物だ。韓国の警察力は強い。このような要注意人物を24時間、完全監視下に置いて事件の発生を防ぐことは、韓国警察の能力にかんがみれば、可能である。しかし、韓国はそれをしなかった。外交官、とりわけ特命全権大使は国家を人格的に体現する。駐米大使に対するテロ防止について、韓国当局の対応に不作為があったことは間違いない。 ただし、今回の事件は、精神に変調を来した人による突発的な事件ではないと思う。韓国では最近、反米機運が急速に高まっている。そのきっかけになったのが、2月27日のシャーマン米国務次官(政治担当)の発言だ。<シャーマン氏は特定の国を名指しせずに「国家主義的な感情が依然、利用されている」とし、政治指導者がかつての敵を中傷することで国民の歓心を買うことがないように求めた>(2月28日「産経ニュース」)。この発言は、日中韓3国の指導者に対して向けられているにもかかわらず、韓国の政府もマスメディアも、シャーマン次官が日本寄りの立場から韓国を批判したと曲解し激高した。このような、事実を事実として客観的に認識できない韓国の政治的空気が、リッパート大使に対するテロ事件が発生する背景にあったのだと思う。 韓国では、ナショナリズムがテロリズムと結びつき始めている。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が、朴槿惠大統領に対する名誉毀損(きそん)容疑で在宅起訴され、いまだに韓国からの出国を認められない状態もソフト・テロリズムだ。このようなテロリズムを許す空気が韓国人の集合的無意識を支配している。無意識のうちにある集団がとっている行動を変化させるのは至難の業だ。韓国のナショナリズムが危険水域に入っていることを、われわれは冷静に認識しなくてはならない。関連記事■ 韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」 ■ あの日を境に変わった私のメディア認識■ ケント・ギルバートが説く 日本がサンドバッグから脱するとき

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    「韓国は反日劣等感を捨て国際社会で力を養え」と韓国人作家

    悩んだりしません(笑い)。井沢:私は、韓国の歴史学者が声を上げるべきだと思いますね。柳:韓国で日本や日韓関係の研究で目立つと、親日派の烙印を押され、学者生命を絶たれかねない。井沢:ソウル大の李栄薫教授は、慰安婦は売春婦だと主張したために暴行を受け、元慰安婦らに土下座させられたことがありましたね。柳:私の出身大学には日本研究所がありますが、そこから出た論文は1本もありません。韓国の日本関連学科はほとんどが語学中心で、日本学ではない。 15年ほど前の話ですが、日本には韓国の歴史や社会に関する論文を書ける研究者が250人いたのに対し、韓国には日本の論文を書ける研究者が1人もいなかった。今もそんなに変わっていません。井沢:それは健全ではないですね。外部の視線がなければ、独りよがりで批判を受け付けない国民性を育ててしまうのではないですか。柳:否定できない現実です。井沢:それでも私は、歴史学者が勇気をもって声を上げるべきだと思います。歴史学者がやるべきことを文学者である柳さんがやっているのがおかしい。柳:私が本に書いたようなことは、実は30年間言い続けていて、若い研究者らにも呼びかけてきたんですが、何も変わらなかった。アカデミズムの世界にも反日が巣食っている。井沢:ジャーナリズムというのは現在の事実を、歴史学というのは過去の事実を明らかにすることです。その二つが反日というイデオロギーで歪められているのは、韓国にとって決して良いことではない。柳:私の本に対しても歴史学者からの反応はほとんどなくて、ジャーナリストについても一部の人は反応していますが、ネットのマイナーメディアの人たちばかりです。 産経新聞の加藤支局長の起訴についても、ネット上の書き込みでは、ほとんどが政府を批判していますが、メジャーなマスコミは口をつぐんでいます。先生は韓国が反日を克服するアイデアをお持ちですか。井沢:やはりネットやコミックなどわかりやすい表現手段を使うことでしょう。たとえば、韓国の「独立門」は日本から独立したときに建てられたと多くの人が信じているけど、実は日清戦争で日本が勝ったことで中国から独立したときに建てられたものなんだよと、基本的な歴史的事実を平易に伝えていくところから始めてはいかがでしょうか。柳:参考にさせていただきます。この本の出版は作家として最後の戦争だと思っていますので、見守っていてください。関連記事■ 韓国人 本田のJリーグへの発言受け「韓国へおいで」と絶賛■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 中国のネットで「南鳥島も古来より中国領土」との意見出る■ 韓国では「独島」問題となると正論、常識はもはや通用しない■ 韓国人は「日本はサタン」という「反日教」に毒されている