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    朱子学の影を引きずる朴大統領の反日

    古田博司(筑波大大学院教授) わが日本国では、正当性と正統性を区別するのが難しい。「これが正しい!」と、正当であることを信じるのが正当性だ。だから異端からも正当な権力は生まれる。16世紀ごろまで、カルヴァン派はキリスト旧教にとって異端だったが、ここから当時のジュネーブの新教政権が出てくる。ゆえに、今の中国の「防空識別圏」も注意しなければならない。国際的異端者による正当性の主張だからだ。 「3・1独立運動」を記念する式典で演説する韓国の朴槿恵大統領=2015年3月1日、ソウル(共同)異端ではないとの証求めて 正統性はそうではない。「どちらが正しいか。こちらだ!」という選択を経て、選ばれたものが正統で除かれたものが異端である。韓国の朴槿恵政権の苦悩はここにある。韓国は対日独立戦争をしていない。日本統治時代は自然に始まり自然に終わった。北朝鮮の金日成氏は負け戦だったが、日本軍警と東満州で一応戦っている。 国家の正統性は北朝鮮にある、と韓国の左翼政党や左翼教員組合は攻撃する。朴氏は自らの正当性を確保すべく、彼らを非合法として裁判に訴えた。同時に自分が異端でないことの証として反日を連呼する。慰安婦の像や碑を米国に建て続ける韓国系移民も同様だ。自分たちは国を捨てた異端ではないと故国に弁明しているのだ。 こういうのは日本人にとっては迷惑千万である。日本では正統とか異端とか区別しない。神道と仏教はみごとに習合し、今ではキリスト教式で結婚式をしたりする。江戸の儒者たちも寛容だった。 朱子学は南宋の朱子が作った儒教で、本来は排他性が強い。北方民族が攻めてきているし、朱子の住む中国南方では民衆は道教を拝み、仏教で葬式していた。それらはみな異端、儒教こそ正道だ、というのが朱子学の主張である。 朱子学が江戸時代に普及し、儒者の伊藤仁斎などはこれを消化しようと29歳で引きこもりになり、8年たって世に出て塾を開いた。出てきてもやはり日本人だった。弟子が「先生、人の道とは?」と問うと、「情けじゃ」と答えた。「天理とは?」と尋ねると、「おてんとうさまじゃ」と語った。正統コンプレックスの極み 儒教立国した李氏朝鮮は苛酷である。元々排他性の強い朱子学を厳格に実践、仏教を弾圧し仏像の首をはね寺を壊し茶園を枯らし、僧侶を山に追いやった。法事など禁止だ。儒教の祭祀(さいし)をさせ、3年の喪に服さない民を捕らえ棍棒(こんぼう)で打ちすえた。異端になれば酷(ひど)い目にあうと彼らは骨身にしみた。 だから韓国人は自らの歴史から学び続ける。「剣道も茶道もうちが正統で日本が亜流。孔子さまも韓国人、中国人ではない」。周りの国々が唖然(あぜん)とするウリナラ起源説をとうとうと述べる。これぞ正統性コンプレックスの極みだ。 中国はそもそも朱子学が合わなかったので、陽明学の方が広まった。王陽明先生に弟子が意見を聞く。「先生、私はぜひとも古代の音楽を復元したいと思います」。先生はおっしゃる。「うん、しなくていいよ。それは全部、君の心の中にあるのだ」。これが陽明学の「心即理」である。思っているものは実在する。防空識別圏も、中国人が思ったわけだから、実在することになりかねないのだ。 自己中心の彼らに怒りを浴びせたのが、後に清朝を建てた満州族のヌルハチだった。満州語では中国をニカン国、朝鮮をソルホ国と呼ぶ。ニカン国は「天下の主だ」と思い、ニカン人は毎年越境して略奪する。ソルホ国はわが国の国書の受け取りを拒否し侮蔑する。満州族のハーンは二代にわたり遠征して、両国を攻め滅ぼした。竜の衣はシナの皇帝にしか着られない。清朝ではこれをすべての役人に着せ、ニカン人を侮辱した。朝鮮の伝統「告げ口外交」 李氏朝鮮は、明国は滅んで野蛮人の清朝になってしまったのだから、明の正統性を継ぐのはわれわれだと解釈した。そこで「大明国の東の壁」と自称し、清朝から流れ込む文化を悉(ことごと)くはねつけた。 李氏朝鮮の国内では、両班たちが朱子学の正統性を争っていた。朱子学の解釈権を握り、科挙の試験官を自派で占める。合格者は官僚になって、学閥は権力を手に入れる。儒者の塾は棍棒で武装し、敵方の打ち壊しまでした。朝鮮史では、これを「党争」という。 三年喪や祖先祭祀など、朱子学の礼の実践ばかりした李氏朝鮮では、経世済民を考える暇がない。流浪の民が居ついた地方の知事が良い知事である。土地には所有権がなく、村には村界がなかった。町には民のための商店もない。 そこに、今度は近代化した日本がやって来た。南下するロシアに対する安全保障として朝鮮を統治し、開発する必要があった。手の施しようもない李朝の王は臣下たちに丸投げし、諸外国に日本のことを「告げ口」して回った。朴槿恵氏の「告げ口外交」のように、上位者に悪口を言いまくることを韓国語でイガンヂル(離間事)といい、離間が目的である。韓国人同士が毎日国内でやっている。 中国人も韓国人も世界史から学ばず、確かに自国史から学んでいる。彼らには「卑劣」ということが分からないのはそのためだ。関連記事■ 最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した■ 秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」

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    「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

    サクサの最中だ。 どちらも、たいして読まれたとは思えない。しかし、最近の韓国の諸メディアに載る古代の日韓関係をテーマとする論文やエッセーを見ても、どの内容も「申采浩プラス崔南善」の大枠を超えていない。当時はたいして読まれなかったとしても、この二人が〈大韓ナチズム〉の古代史部門のイデオローグなのだ。国民を騙している 韓国では今や、特別な教育を受けた人を除いては漢字を読めない。それを前提にして、国民を騙すような歴史専門家の論文やエッセーもある。 国家機関である国史編纂委員会の編史室長まで務めた朴ソンス名誉教授のエッセー「百済が日本に国を建てた」(民族派サイト「コリアン・スピリッツ」二〇一四年十月二十六日)には、本当に驚かされた。「日本古代史は中国の史書『魏志』倭人伝に至って初めて出てくる」とエッセーは始まる(原文はハングル)のだが、ここからして「!?」だ。『魏志』より遥かに古い『漢書』地理誌に「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国と為し、歳時をもつて来たりて献見したと云う」の一文があることを、この名誉教授は本当に知らないのだろうか。 名誉教授のエッセーは、こう続く。 「それ(魏志倭人伝)を読めば……韓半島の南側に韓国があり、また海を渡った日本の土地には、もう一つの韓国である狗邪韓国があるということだ。 すなわち、日本には倭人が暮らしているが、彼らを支配するのは狗邪韓国という国だというのだ。つまり、日本には百済の分国すなわち植民地があったことを証言している」 崔南善は、倭には新羅の植民地があったとしているが、その根拠文献は何ら示していない。今度は、新羅ではなく「百済の植民地」だという。その根拠が『魏志』倭人伝だというのだ。『魏志』倭人伝をどう読むと、そんな解釈が出てくるのか。 これは、もう「解釈の違い」といった問題ではない。韓国の国民一般が漢字を読めないことを前提に、国民を騙しているとしか思えない。『魏志』倭人伝の一つ前は韓伝だ。韓伝には、百済は馬韓五十余カ国の中の一国として名前だけでてくる。新羅は辰韓・弁韓二十四カ国の中の一国として、やはり名前だけ出てくる。そんな存在だ。 一方、倭は邪馬壹国が二十数カ国を束ねる連合王国として描かれている。 半島と列島と、政治文化はどちらが進んでいたか、明らかではないか。馬韓五十四カ国の中の一国にすぎなかった百済が、倭に分国を置き、倭国を支配していた──妄想、ここに極まるだ。 『魏志』韓伝は、半島南部を倭地としている。倭人伝に入ると、狗邪韓国を倭の北岸の地としている。全く矛盾がない。 そして対馬も壱岐も、倭人伝の中で描かれている。 それなのに韓国の民族派は、「対馬はわが領土だ」として「対馬奪還運動」を進めている。昌原市や、釜山市の一部の区では、首長が奪還運動の先頭に立っている。そんな市や区と、姉妹都市関係を結んでいる自治体が日本にあるのだから呆れる。 対馬奪還運動は「昔から対馬は新羅に属していた」と主張している。彼らは『魏志』倭人伝には触れずに、『李王朝実録』を持ち出してくる。 『李王朝実録』には、王が「古籍に対馬は慶尚道に属したとある」と述べたことが記載されている。しかし、その古籍の題名すら書いていない。 李王朝は一四一九年に対馬を急襲するが、宗氏の将兵に撃退され逃げ帰る。その後、対馬から来た使節に「対馬は辺境といえども日本である。日本を相手に戦争する気か」と詰め寄られる。以後、『李王朝実録』では「日本国対馬島」の表記が常態となる。 が、運動を進める民族派は、『李王朝実録』には「王が対馬は慶尚道に属したと言った」とあるだけでいいのだ。きっと、『魏志』倭人伝なんて、名前も知るまい。朴槿惠のネオナチ発言 朴槿惠大統領は述べている。 「私は韓国経済が進む新しい発展パラダイムとして創造経済を提示している。……私たちは優れた・創造DNA・を持った民族だ。……私はその創意の力と情熱を生かして第2の漢江の奇跡を必ず実現する」(「発明の日」記念式典二〇一三年五月十六日) 「韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にあり、(われわれは)血液中に流れる・気・がある国民だ」(文化人との会話二〇一五年二月二十五日) DNAを「ある民族が持つ不変の遺伝子」といった意味で使っているようだ。朴槿惠大統領は西江大学理工学部を卒業したのに、理系出身者らしからぬ誤用だ。きっと、その背後には「韓国人は世界でも稀な単一民族」とする誤った内容の刷り込み教育も蓄積されているのだろう。 そうした批判はさておき、上に紹介した発言そのものが問題だ。これぞナチスの「アーリア民族の優位性」主張と同質の優生学的選民思想そのものだ。 捏造と歪曲を重ねた超ファンタジック史観をもって、自国民に優生学的選民思想を植え付けると同時に、「劣った隣国」への敵愾心を煽り立てることで、国内の深刻な問題(例えば青年層の高失業率)に国民の目が集中することを回避し、国政を強引に推進していく──まさに〈大韓ナチズム〉だ。 その政権が海外で「日帝=ナチズム=安倍政権」とするキャンペーンを展開しているのは、基本的にジャパン・ディスカウント戦略による。「ネタは何でもいいから国際社会で日本を貶める」という運動だ。同時に、自らへの「ナチス批判」を回避するための・目晦まし工作・と言える。 日本語でいう「修正」とは「正しく直すこと」だから、良いイメージがある。それで「歴史修正主義」という用語も、さして重く受け止められない。しかし、この用語は「ヒストリカル・リビジョニズム」の英訳であり、その英語は「ネオナチス」の言動を意味する。 韓国政府当局者は、一年ほど前から頻繁に「歴史修正主義の安倍政権」といった表現を使うようになった。これは「ネオナチスの安倍政権」と同義だ。そうと知ってか知らずか、日本にも簡単に「歴史修正主義」と言うジャーナリストが出てきた。韓国の狡猾な情報工作に呑み込まれているのだ。 〈大韓ナチズム〉の謀略に呑み込まれてはならない。そのためには、列島と半島の関係史を古代のページからしっかりと押さえておきたい。室谷克実(むろたに・かつみ) 一九四九年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』(産経新聞出版)などがある。関連記事■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ ナッツリターン問題に潜む韓国文化の深い闇

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    韓国の言論弾圧には屈しない

    国際社会に波紋を広げた。理不尽な言論弾圧に屈しない姿勢が、朴政権の「譲歩」を引き出したともいえるが、日韓関係のしこりは今も残ったままだ。

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    韓国人作家「産経前ソウル支局長起訴で韓国は世界から嘲笑」

     産経新聞前ソウル支局長の朴槿恵大統領に対する名誉毀損裁判について、韓国国内ではたとえ「おかしい」と思っても声が上げられない状況にあるという。そんななか、戦前の日本に生まれた韓国人作家・柳舜夏氏が、日韓を比較した新著『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』(小学館刊)で、ついにそのタブーを破った。* * * 私が堅く願うのは、わたしが生まれた国・日本と、私が住む国・韓国の共生です。ふたつの国は手を結ばなければなりません。 ところが、私の祈願に冷や水をかけるような不幸な出来事が起きました。産経新聞前ソウル支局長・加藤達也氏の起訴、出国禁止措置です。問題となった産経新聞の韓国大統領関連記事は、正論直筆というメディアの正道を明らかに逸脱していたと、私は考えています。しかし、それが法的な断罪の対象になってはなりません。韓国政府は自ら手に負えないことをしでかしました。自縄自縛、まさにそのような状況に陥ったのです。それが、彼らの度量や器の限界です。セウォル号沈没事故から1年を前に、現場海域を訪れ沈没地点を示すブイ(手前)を見つめる遺族=4月15日、韓国・珍島沖(共同) 300を超える命を、政府立会いのもと水葬させたセウォル号事件が内憂であれば、韓国検察が産経新聞の加藤達也記者を起訴した今回の事件は、韓国を世界の嘲笑の対象にした外患です。 すべての韓国人の名誉が傷つきました。何をどうすれば、一国の治者があのような行為を起こすことができましょうか? ましてや、韓国の法律事務所が、この事件に対する弁護を拒否するとはどういうことでしょうか? おそらく、“親日派”という指弾を恐れたのでしょう。本当に恥ずべきことです。 合理的でないものが、思考と行動の根拠になってはなりません。非合理的で無条件的な反日感情にとらわれている限り、韓国人は直視すべき真実を見ることはできないし、おなじ失敗を繰り返すことになるでしょう。その先に待っているのは、日本の永遠の“鵜”になることです。これは予測ではありません。まず間違いない、韓国の決まった未来です。※柳舜夏氏・著/『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』より関連記事■ 韓国では「サザエさん韓国人説」が流布し真に受けている人も■ 世界36か国の「不倫経験調査」 1位タイ54%、2位韓国34%■ KARA、少女時代、キム・ヨナを通じて日韓の違いを理解する■ 「活版印刷」と「羅針盤」 韓国が起源は韓国人の間では常識■ フィリピン人ホステス「スマートに飲む韓国人見たことない」

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    韓国には「譲歩しない」大切さを教えてくれた

    8か月間で失った国際的信用 “筋違い”の上に“理不尽”と“不条理”が重なった目茶苦茶な「8か月」だった。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長の出国停止の措置が解かれ、4月14日夜、ついに加藤氏はソウルから日本に帰国を果たした。 出国禁止措置が繰り返されること実に8回。昨年の11月27日の初公判では、ソウル地裁前に100人ほどの保守系の抗議団体が集まり、加藤氏を乗せた車に生卵が投げつけられるなどの狼藉が加えられた。それは、加藤氏の身の安全が極めて憂慮される「8か月」でもあった。 周知のように、3月4日には、ソウル市内の講演会会場で、リッパート駐韓アメリカ大使が暴漢に切りつけられ、80針もの頬の縫合手術を受けた。 もともと伊藤博文を暗殺したテロリスト「安重根」を国家の英雄に祭り上げている国だけに、ひとたび“渦中の人物”となれば、身の安全をはかるには、細心の注意が必要なのである。それだけに、9か月ぶりに無事帰国した加藤氏の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろしたのは、家族ばかりではなかっただろう。 私は、この8か月間で、韓国はどれほどの国際的信用を失っただろうか、と思う。結局、この問題によって、国際社会で、「ああ、韓国のことだから」「あそこは危ない」「言論の自由をあの国が獲得するのはいつだろう」……そんなことが再認識されることになった。産経新聞・加藤達也前ソウル支局長の公判が開かれているソウル中央地裁(鴨川一也撮影) つまり、韓国は「法治国家」ではなく、「人治国家」であることが、まさに証明されたのである。今回の事件でわかったことは、大きく分けて2点ある。1つは、韓国が「言論の自由」や「表現の自由」といった民主主義国家が共有している「価値観」を持たない国であることが、あらためて明らかになったことだ。 2つめには、韓国に対しては、一寸たりとも「譲歩をしないこと」の大切さを教えてくれた、という点だ。何ひとつ譲歩せず、加藤氏は堂々と自説を唱えつづけた。だからこそ、「出国禁止」を解くという“譲歩”を韓国がおこなったのである。唖然とすることの連続 今回のことは、ジャーナリズムにとって、そして通常の民主主義国家にとって、唖然とすることの連続だった。そもそも特派員というのは、その対象の国の政治・経済・社会状況や世論の動向、あるいは、その国がこれからどこへ進むのかも含め、さまざまな出来事や現象を記事にして、自国の読者に伝えていくのが役目である。 今回の場合、あのセウォル号事故があった当日の朴槿恵大統領の「謎の7時間」について、韓国の有力紙『朝鮮日報』が書いた記事を、加藤前支局長がインターネットのコラムで論評し、伝えたものである。 加藤氏は、噂の「真偽はわからない」ことをきちんと明記した上で、そんな噂が出てくる「背景」をわかりやすくコラムで説明した。それは、あの事故のあと、朴大統領がどういう状況や立場に置かれているかが、よく理解できるものだった。 しかし、韓国の検察は、もとの『朝鮮日報』のコラムも、またその執筆者も、不問に伏したまま加藤前支局長のコラムだけを、インターネットによる「情報通信網法」に基づく名誉毀損として取り上げたのである。 そして、そんな情報通信網法違反という“微罪”で「在宅起訴」し、しかも8か月という長期にわたって「出国禁止」にするという、民主国家では考えられない異常な措置をとったのだ。 これは、立場を「逆」にして考えたらわかりやすい。日本の大手新聞が「安倍首相の謎の7時間」をめぐる噂をコラムとして書いたとしよう。そして、韓国の東京特派員が、そこに書かれている噂と安倍首相が置かれている政治的状況について、「噂の真偽はわからないが」と断った上で、そういう噂が飛び交う背景を踏まえてインターネットで記事(コラム)を書いたとする。 もし、日本の検察が、その韓国人特派員を、もとの日本の大手新聞のコラムと執筆者を全く不問に伏したまま「在宅起訴」し、8か月も「出国禁止」の措置をとったとしたら、いったい韓国の世論は、どんな沸騰を見せるだろうか。そして、日本政府は、どんな糾弾を受けるだろうか。 韓国は、情報通信網法違反という微罪で、まさにそれを「おこなった」のである。加藤氏が受けた理不尽で、不条理で、筋違いな措置とは、それだ。すなわち韓国には、民主主義の根幹である言論や表現の自由というものに対する「敬意」も、さらに言えば、「問題意識」も、まるでなかったのである。「道理」が存在しない韓国「道理」が存在しない韓国 この異常な事件は、ついに国際的な人道問題となり、韓国に拠点を置く外国メディアで構成する「ソウル外信記者クラブ」が、朴大統領宛ての書簡を大統領府(青瓦台)に送り、加藤前支局長の出国禁止措置が長期化している状況に「憂慮を表明」するに至った。 もはや誰の目にも、韓国がとり続けている措置の異常性が明らかになった今、ついに「出国停止措置」は解除せざるを得なくなったのだ。私は、この意味は大きいと思う。それは、加藤前支局長が一寸たりとも譲らず、堂々と自分の立場を主張しつづけたことが生んだものだからだ。 裁判の過程では、噂が「虚偽であった」ことが認定された。しかし、もとより加藤前支局長のコラムの主題は、真偽不明の「噂」が乱れ飛ぶ朴大統領が置かれている「状況」を伝えるものだ。噂の真偽は不明であることをわざわざ断わった上で、書いたコラムなのである。 さらに言えば、ならば『朝鮮日報』のコラムと執筆者は、なぜ不問に伏されるのか、ということが改めてクローズアップされたと言うべきだろう。 韓国には、「道理」というものが存在しないとしか思えない。道理を弁(わきま)えてさえいたら、言論の自由を踏みにじり、外国のジャーナリストを“見せしめ”のように痛めつけるやり方が「選択」されるはずはないからだ。 私は、韓国のこの道理のなさについて、2005年に成立した「反日法(親日反民族行為者財産帰属特別法)」のことを思い出した。日本統治時代に日本に協力した人物が蓄えた財産は、たとえ「代」を越えた子孫であっても「没収」されるということを定めた法律だ。 日韓基本条約で請求権はお互いの国が放棄している。それでも韓国国民は、この「反日法」によって、戦前に日本の協力者であったことと、財産の構築が証明されれば、その子孫の財産は「没収」されることになったのである。「理不尽」「不条理」を通り越して、まさに目茶苦茶である。 加藤前支局長の出国禁止が解かれた理由に、同盟国のアメリカの中で広がった韓国への「不信」も無縁ではない。中国への接近を強める韓国の姿勢に対しても、また民主主義国家とは思えない感情的で、法を無視したやり方にも、「いい加減にしろ」という意見は、アメリカで想像以上に大きくなっている。 そのことに、さすがに青瓦台も気がついたのではないか。アメリカにおける韓国に対する失望と困惑の拡大が、今回の加藤前支局長の出国禁止措置の停止に大きく影響していると思われる。 いずれにせよ、韓国は国際的な信用という点において、はかり知れないダメージを受けた。最後まで毅然とした姿勢を崩すことがなかった加藤前支局長に敬意を表するとともに、今後も歯に衣着せぬ、ますます厳しい青瓦台への論評を期待したい。関連記事■ 2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    佐藤優が分析 大統領制での忖度政治は韓国の構造的な問題だ

    題としてみるべきだ。今後はこの構造について明らかにすることが重要となる。 今後の裁判の結果次第では、日韓関係がさらに悪くなる可能性があり、日韓関係が正常化するか、悪化するかは韓国政府にかかっていることを認識させていく必要があるだろう。(談)関連記事■ 韓国で結びつくナショナリズムとテロリズム■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    崩壊した対岸の国の「法治主義」

    古田博司(筑波大学大学院教授) 歴史の中に未来はない。あれば将来の得を取ろうと皆が歴史学者になってしまう。そういうことはあり得ないので、歴史の中に未来はないのである。他方、未来に対する先見性はいらないという社会科学者がいる。だが、先見性がなければ政策提言はできない。だから先見性は必要なものだ。『大明律』にみる法の粗放性 歴史を学ぶと情感は豊かになるかもしれない。だが現在ではそんなに悠長なことは言っていられない。先見性は跳ばなければ分からないが、この撥(は)ね板の位置と方向性を教えてくれるのが歴史である。とすれば役に立つ歴史とは、現在から遡(さかのぼ)って自分で調べてみるほかないというのが実感である。 中国や韓国の法治がどうもおかしいと、最近気がついた。あまりに恣意(しい)的で放埓(ほうらつ)である。粗放というべきかもしれない。そこで明国14~17世紀の『大明律』をひもといてみる。名前の偉そうさに騙(だま)されてはいけない。大明律刑律闘殴条に、「人の一歯および手足一指を折り、人の一目をつぶし、人の耳鼻をえぐり、人骨を破り、銅鉄汁(銅鉄の溶けた液体のこと)で人を傷つけるがごとき者は杖(つえ)(棍棒(こんぼう)のこと)で一百。汚物をもって人の口鼻内にそそぐ者、またかくのごとし」とある。私闘したものは百叩(たた)きということだが、最後のところがヘンだ。人の顔にヘドでも吐きかけるのだろうか。 他方、李氏朝鮮の法典の刑律の項には「大明律を用いる」と書かれている。こういうのを中国の権威にそのまますがる事大主義という。だが、異国の刑政をそのまま持ちこめるのだろうかと疑問がわく。そこで李朝18世紀の『続大典(しょくたいてん)』に上の該当項目があるかと探すと、あった。「墓穴を穿(うが)ち放火し、あるいは汚物を投げこんで戯れをなした者は『汚物、人の口と鼻にそそぐ律』により(罪を)論ず」とある。人の墓穴にゴミを投げこんだ者は、大明律の人の顔にげろを吐いた者を罰する法律で百叩きにするというのである。大変だなと思うことはない。実は賄賂でいかようにも手加減された。近代化に失敗した歴史 それよりも、この両者の訳の分からない法律の歴史を問わなければならないだろう。李朝のほうは18世紀ともなると一族同士の墓所争いがひどくなる。朝鮮の墓所は山だから即山争いである。敵一族の墓に汚物を投げこめば百叩き、棺を燃やせば斬首だった。それにしてもシナ人の顔面を朝鮮人の墓面に置きかえるとは何なのか。 実に、彼らの歴史とはこのような古代の粗放性に彩られている。日本のような中世や近世はないのだ。日清戦争とその結果の下関条約で直接近代に押し流された。以来120年間。中国は近代化をする気がなく、韓国は近代化の根本である法治主義に失敗したことがますます明らかになりつつある。 近代にいたるまで中国の文明は現代芸術・技術であった。ところが以後は骨董(こっとう)の芸術品と化した。かつて朝貢とは中国にしかできない精巧な針とか、彩色衣料とかを周りの「蛮族」がもらいに行ったものである。人数分くれるので300とか500人とかで行く。これが財政を圧迫すると止める。するとすぐに略奪しに来る。 李朝にはそんな勇気はない。軍事力が違いすぎる。むしろ馬とか女とか援軍とかをシナに要求された。馬はしぶって分割払いして数を減らして誤魔化(ごまか)す。女は明時代には働き者の下女が人気だった。清時代になると女色を要求されたので、妓生(キーセン)を送って誤魔化した。伝統として続く「濫赦の弊」 この誤魔化し・逃げ口上を漢文で「トウ塞」という。朝鮮の外交史はトウ塞の歴史だ。援軍を要求されると、倭寇が攻めてきて忙しいからいけないと誤魔化した。こういうのをシナと朝鮮の宗藩関係とかいうのである。手なずけとばかし合いの関係だ。 このような朝貢外交しか知らない中国が、西洋勢力の進出で半植民地状態に陥り、ついで軍閥割拠する戦乱の地となり、日本が進出してくると国共内戦がらみで三つ巴(どもえ)となり、共産軍が勝って社会主義国となり、西洋外交を知らない年月が延々と積み重ねられて100年を超えた。近代になって「蛮族」にあげられる物のなくなった中国は今、アジアインフラ投資銀行(AIIB)とか、中韓の自由貿易協定(FTA)などの朝貢外交に余念がない。だが、後者ではすでに中身が空っぽである。農産物や自動車などの主力商品が関税撤廃の対象外になっている。 現代の韓国では法治主義が崩壊し、李朝並みの濫囚・濫刑・濫赦(みだりな逮捕や刑罰・恩赦乱発)に戻りつつある。産経新聞社の加藤達也前ソウル支局長起訴やセウォル号船長の死刑求刑などがそれである。「濫赦の弊」は伝統としてずっと続いてきた。蓄財で逮捕された元大統領や左翼運動で死刑判決を受けた元学生などが平然と出獄し、豊かな老後を送ったり、死刑宣告を勲章に左翼議員として返り咲いたりするのはこのためである。蓋(けだ)し、われわれの海の対岸にいるのはこのような人々であり、別に驚くにはあたらない。【注】トウ塞の「トウ」は手へんに唐 ふるた・ひろし 昭和28(1953)年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。下関市立大学助教授などを経て、現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。韓国滞在が長く、朝鮮半島の研究者として著名。文明論や思想についても論考を多数発表しており、『月刊正論』で「近代以後」を連載中。著書に『日本文明圏の覚醒』(筑摩書房)、『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国』(ワック)、『ヨーロッパ思想を読み解く』(ちくま新書)など。関連記事■ 産経攻撃は卑劣な最終独立兵器の作動だ■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    韓国社会の「言論の自由」こそ問われている

    加藤達也(産経新聞 前ソウル支局長) 12月号に私の手記が掲載されたのち、読者の皆さんから少なからず反響があったと聞きました。私は相変わらず韓国政府に出国を禁じられており、日本に戻ることが許されない日々を送っています。掲載された正論の手記に対する反響をここ韓国で直接耳にする機会はあまりないのですが、東京の本社には電話やメールなどで激励が数多く寄せられていると聞きました。本当に有り難いです。 まだ、経緯をご存じない方のために今一度、私の身に降りかかった出来事を振り返っておきます。昨年4月にセウォル号事故が起こったさい、私は産経新聞社のインターネットサイトにコラムを出稿しました。 それは、事故直後、朴槿惠大統領が何をしていたのかについて焦点を充てたコラムで、韓国紙「朝鮮日報」のコラムなどを引用しながら、ソウルで飛び交っている観測や分析などをレポートしたものでした。 このなかには朴大統領よりも3歳年下で、彼女が国会議員だった当時に秘書室長として尽くしていた男性、鄭允会氏との密会疑惑も含まれています。鄭氏をめぐっては、今も大統領に対する隠然とした影響力があるのではないか――などとも言われ、「青瓦台の陰の実力者」などとも評されている人物です。 ところがこれが青瓦台の逆鱗に触れたらしい。詳しくは12月号を読んでほしいと思いますが、大統領が誰に会って何をしていたのかといったことをメディアが問題提起する。これは民主主義国では当たり前の光景です。 それに私が引用した・本家・朝鮮日報には全くお咎めがありませんでした。引用した産経の記事だけが問題にされ、刑事責任を問われ、引用元を不問に付すのは公正さに欠けています。 私の起訴事実はインターネット上で虚偽事実を流して第三者の名誉を毀損したという罪ですが、そもそも大統領に不都合だからといって記事を執筆した記者の刑事責任が問われてしまうことなど真っ当に民主主義を掲げ言論の自由を保障する国ではあり得ない話です。政権としての度量や器量が問われる重大な問題です。公判を揺るがしかねないニュースソウル中央検察に出頭した朴槿恵大統領の元側近の鄭ユンフェ氏=2014年12月10日、ソウル(共同) 私は11月27日に裁判に臨みました。前回の手記は起訴された直後に書いたもので、私はそれ以降、公判に向けた準備を進めてきました。特に検察による開示資料には時間を掛けて丁寧に目を通しました。 ところで私がコラムで朴大統領と密会していたのではないかと疑惑を報じた人物、鄭氏をめぐって事実上の初公判の直前に新たなニュースが報じられました。韓国紙、世界日報によると鄭氏は一昨年末から青瓦台内の大統領側近らと頻繁に会って、政権内の実力者とされる大統領秘書室長の辞任説を広めるよう指示するなど、政権内部の人事に介入していたという話でした。 鄭氏らは一昨年10月から毎月2回の割合で会合を重ねていたとも報じられています。世界日報のニュースソースは青瓦台で行われた内部調査をとりまとめた報告書でした。世界日報は独自にこれを入手、報告書の記述に依拠して報道したのでした。 鄭氏はこれまで、朴大統領と全く関係がない、と強調してきました。陰の実力者などと言われているけれどもそんなことはない、青瓦台とも全く無関係である、と主張してきた。 一方の青瓦台もそうです。鄭氏と会ったことはもちろん、電話したことすらない、としてきた。彼を一貫して遠ざけ、その関係を全面否定してきたのです。検察が私のコラムがデタラメだという結論を導くうえでも有力な支えとなっていたのです。 ところが、その彼が青瓦台と密接な関係にあったと報じられた。報道の波紋は大きかった。まず大統領を除く青瓦台の職員8人が世界日報の記者や編集幹部ら6人を名誉毀損の罪で刑事告訴する事態に発展したのです。 報告書には青瓦台内部の権力闘争についてあれこれ記しているが、その記述は必ずしも正しい事実ではない、というのが青瓦台側の主張です。青瓦台はあくまでも飛び交っている噂話を噂として集めたに過ぎない。飛び交っている噂について噂として部内で検討する必要があるから報告を集めたのであって真偽は確定していない。報告書の記述に依拠している世界日報の記事は事実ではなく、虚偽である、だから名誉毀損が成り立つ――というのです。 一方で検察はこの文書が流出したことを問題視して捜査を始めました。この文書は青瓦台で作成され、文書番号もある公文書であって、これが勝手に外部に流出したことが犯罪に該当するというわけです。 名誉毀損による刑事告訴の一件は私の事件捜査を担当したソウル中央地方検察庁刑事一部が担当しています。一方、文書流出の件は――日本の検察でいえば、特捜部にあたる――同地検特殊捜査部が捜査を始めており、すでに文書を作成、とりまとめた人物の家宅捜索と事情聴取に乗り出しています。 この人物は、韓国の警察庁の官僚で、当時青瓦台に出向、現在は警察庁に戻っています。また、この人物の青瓦台当時の上司の元青瓦台秘書官は「報告書にとりまとめた記述の6割は真実である」旨証言し、青瓦台の立場とは真っ向から対立する形になっています。文書流出のみ問題視する事に批判文書流出のみ問題視する事に批判 一方、こうした検察の捜査に対しては野党やメディアが批判し、反発を招いています。 文書には青瓦台内部の権力闘争が描かれている。そのなかにはかつての朴大統領の側近で、今は公務員でも秘書官でも青瓦台職員でもない、鄭氏が首を突っ込み横槍を入れる――という話も載っているわけです。 記述の真偽については全面否定しておきながら、文書が流出したことだけを問題視して事件捜査が行われる。これは歪だし、政権は触れられたくないものに煙幕を張って蓋をしようとしている――という批判です。 韓国メディアの記者達と話していると「加藤記者があのコラムを書いたおかげで青瓦台にあった岩盤が揺れ動いたことは間違いない」とよく言われます。 世界日報の記事と私の記事はもちろん内容は異なります。しかし、青瓦台と何の関係もないはずの男性と朴大統領との関係に焦点を置いている点では同じで、地続きの話だといえます。 大統領の動静、即ち青瓦台を舞台に何が行われているのか、大統領が誰と会って何を話したのか、といった問題はメディアがしっかりと見届けなければならない問題です。たとえ、為政者にとって都合の悪い内容が含まれていても、それはメディアに負わされた、とても大事な役割なのです。 世界日報の記事も私のコラムも同じ土俵上の話だと言っていいでしょう。記事を報じた世界日報には私同様、捜査の手が伸びています。捜査の行方から目が離せないことはいうまでもありませんが、本来はこうした政権の姿勢自体が厳しく問われなければならないはずです。無罪に向けて戦おうと決意加藤達也・産経新聞前ソウル支局長の初公判が行われたソウル中央地裁=2014年11月27日、韓国・ソウル(大西正純撮影) 27日に開かれた事実上の初公判について話しましょう。韓国の刑事裁判ではまず、日本で公判前に行われる争点整理の手続きの場が被告人も立ち会って公開の場で行われます。そのさい、日本の初公判で行われる人定質問や起訴事実や検察の証拠に対する認否などの冒頭手続きも同時に行われるのです。起訴状の要約に対して私は全面的に争う姿勢を表明しました。 そもそも私は自分の記事はもちろん、自らの行動について刑事罰を負わされる類いのものだったなどとは微塵も考えておりません。裁判に掛けられること自体が納得いかない。そういう思いはあります。 しかし、韓国の司法界のなかにもこうした光景が如何におかしいか。そう考えている人達が少なからずいるだろうと思う。そういう司法の良心、良識を信じて裁判という土俵にあがってそこで誠実に事実を述べて行こうと考えました。そのうえで幅広い観点から自らの主張を展開し、無罪を勝ち取るべく戦おうと考えたのです。見えて来た公判の争点 公判の進行打ち合わせのなかで、裁判における具体的な争点も一定程度見えてきました。裁判所側が想定している争点のうち、まず一つ目は立証責任が検察側と私のどちらにあるか、という点でした。 私を罪に問いたいと検察が考えるのであれば、そのための全ての立証を検察側が用意するのが当然です。その立証が足りなければ、私を罪に問うことはできません。これが刑事裁判のセオリーというものでしょう。問題となるのは報道が虚偽か否か、という点です。記事が虚偽だと言いうるには私が大統領を誹謗中傷するなどの悪意を持って記事を書いたという事実の立証が不可欠で、その立証は検察側がやらなければならないはずです。 ところが検察側は「虚偽の事実を報道していないと弁護側がいうのであれば、その立証は弁護側が負うべきである」などと言い出しています。私ははじめから物事を断定して書いたわけではありません。噂が存在するという事実を朝鮮日報のコラムを引用しながら書いた、そうした状況が朴政権のレームダック化が進んでいる証左なのではないかと結論づけたのであって記事に間違いはありません。虚偽でもなければ、まして悪意を持って書いたのでもありません。ですが、この点をめぐる双方の主張が必ずしも折り合っているわけではないのです。 次に被害者による処罰感情の確認という点でも問題点がないわけではありません。この場合、被害者というのは朴大統領本人を指すことになるでしょう。記事が出た時点で青瓦台から電話があって記事が誤っているという主張や民事刑事両面での責任を追及する旨が告げられました。記者会見でもそうした意思を表明しており、大統領の処罰意思はそれで明らかだというのが検察側の主張です。 しかし、私達から見るとそれは青瓦台という国家機関の意思ではないのか、本当に朴大統領があのコラムを読み、名誉を毀損されたという被害の認識や起訴すべきだという考えを個人として持っているのだろうか、と問うているわけです。 今回の案件は名誉毀損罪です。日本では親告罪といって、被害者の告訴がなければ、起訴できません。韓国では第三者の刑事告発でも訴追はできます――実際、3団体が刑事告発しており、それが受理されて私は訴追されているのですが――が、「反意思不罰罪」といって被害者の意思に反して処罰することはできないのです。仏オランド大統領の例を見よ!仏オランド大統領の例を見よ! さらに男女関係に言及すること自体が、名誉毀損になるのか否か。ここも争点のひとつとなりそうです。今回、私のコラムで朴大統領の男女関係について言及したことに検察側はけしからん、冒涜だと主張しているわけです。 そこで弁護側はフランスのオランド大統領の女性関係について例を出しました。昨年はじめ、オランド大統領と女性のスキャンダルが世界中で大きく取りあげられました。ご記憶の方もいると思います。 フランスは米国や英国と違って権力者の私生活についてあまり追及しないという伝統が一応あります。ただ、そういうフランスにおいても公人である政治家は、私生活についても相当程度はオープンにすべきだという声も徐々に大きくなっているのです。 さらにオランド氏の場合、フランス大統領としては初めての事実婚夫婦です。女優との密会が不倫に該当するのか否か、今後のファーストレディの公務はどうなるのか、さらには安全保障上の問題はないのか…たとえ私生活であっても問題点は山積みされている。これをめぐって議論が交わされているのです。 それに国家指導者の私生活をつまびらかにすることに消極的とされるフランスでも大統領のプライバシーを報じたからといって記者の刑事責任が問われたケースなどはありません。 誰にだって守られるべきプライバシーはあります。大統領にだってあるでしょう。ですが、仕事さえできれば、本人がどんな私生活を送っていてもいいとはならないはずです。私がコラムで取りあげたようにセウォル号沈没事故のような国内外を揺るがすような例のない緊急事態が発生して多くの人命が奪われたときに国のトップに立つ大統領が何をしていたのかというテーマは当然、メディアの取材対象となる問題だと思います。 公共目的があったか否か、という点においても私と検察側は180度異なります。無論私は記事が公共目的で書かれたものだと主張しました。逆に検察は私が悪意を持って故意に虚偽を書いたと主張しています。特派員の実態を明らかにせよ 裁判所からは、韓国における特派員の取材実態、取材環境などを明らかに出来る証人がいないか、と提案がありました。国内メディアとは違って海外のメディアは言語上の制約もあれば、人的な問題もあって国内メディアほど縦横無尽に取材が自由にできる環境にはありません。同じ報道機関といっても仕事の進め方ひとつから国内メディアとは相当異なります。ただ、その実態は必ずしも明らかではありませんし、国内メディアにあてはめる常識や尺度との違いを裁判所が把握しておこうということなのだと思います。 さらに国家指導者に対するスキャンダルを記事に書いて刑事責任を問われた事例がこれまで存在するのか、しないのか――裁判所として海外の事例を明らかにするよう求められました。また韓国の取材事情や海外における権力報道などに明るいメディア論を手掛ける専門家なども求められました。 今回のケースが国際的に見て、あまりかけ離れた判断にならないようにしたいという裁判所の判断なのかもしれません。閉廷後生卵が投げつけられる初公判を終え、ソウル中央地裁をあとににする際、加藤達也前ソウル支局長を乗せた車が抗議デモ団に囲まれ生卵が投げられるなど妨害行為が行われた=2014年11月27日、韓国・ソウル(大西正純撮影) 約1時間かかった事実上の初公判は終わりました。法廷では途中で騒ぎ出す人が出てくるかもしれないと懸念していましたが案の定、開廷中に私の名前とともに「大韓民国に謝罪しろ」「直ちに拘束しろ」と叫ぶ人が現れました。産経新聞というのは韓国を貶めることばかり書いている新聞だとつぶやいていました。 そこまでは、さほど驚かなかったのですが、裁判所を車で出るときに走行を妨害しながら生卵が車両にぶつけられる一幕がありました。車の進路に寝そべったり、ボンネットを叩いたり、正直ここまで執拗だとは思いませんでした。 韓国社会を見ていると、この手の現象はいわば「お約束」のような出来事だと感じることがこれまでもしばしばありました。ですから、私の公判でも似たようなことは起こるかもしれない、あってもおかしくはないだろうと一定の覚悟はありました。 しかし、これだけ外交の場で俎上にのぼった問題です。静謐な環境のなかで安全が確保され公判が開かれるべきで、常識的に考えて、裁判所はもう少し警備をしっかりしているのだろうと漠然と考えていました。 それにしても、自分達の主張をするのにこういう恫喝紛いの憂さ晴らしの類いが当たり前に横行する社会というのはやはり歪だし不幸だと思います。決して健全な社会とはいえません。裁判で問われているのは何なのか裁判で問われているのは何なのか 最後に裁判をめぐってもうひとつ述べておきたいことがあります。それは私が書いたコラムが有罪になるのであれば、世界中にあふれる韓国や大統領に関する報道について韓国の国家指導者が任意に有罪にできうることになってしまうのではないか、という疑義です。韓国の検察当局は、本件は韓国国内で起きた犯罪である、国内法を適用することに何の問題もなく、それを政治問題や外交問題にすり替えるのは許されないと反発しています。産経新聞ソウル支局内で仕事をこなす加藤達也前ソウル支局長=2014年10月、ソウル(撮影・桐山弘太) 特派員が韓国内において韓国国内法を遵守して暮らしていくことは確かに当然です。しかし、今回の事案で刑事処罰の対象となっているコラムは日本の読者に向けて日本語で書いたものです。記事を執筆した場所は確かに韓国国内ですが、記事の編集作業は東京との間でやり取りを重ねながら掲載に至ったものなのです。 なるほどインターネットに国境はありません。掲載後の記事を翻訳すれば、日本語のわからない韓国の読者でも読むことは可能でしょう。大統領本人がどういう経緯で私の記事を読まれたのか、わかりませんが、重要なことは先の検察の論理を無条件に認めてしまった場合、世界中,特にネット上に存在しうる韓国大統領への批判などにも韓国国内法が無条件に適用され、処罰されうることになりはしないか。裁判の争点には今のところなってはいませんが、その点についてどう整理して考えているのか、納得できる回答がほしいと思っています。 私は前回の手記で、韓国国内で今起きている自由な言論が蝕まれている光景について韓国の方々ももっと敏感になった方がいいと思うと述べました。日本人とか韓国人、あるいは産経新聞といった、さまざまな立場を超えてまず守らねばならないものは一体何なのか。そのことをしっかり見据えてほしい。そう心の底から願っているとも書きました。 その気持ちに今も全く変わりはありません。私はこの刑事裁判に誠実に臨むつもりです。私の主張は全て法廷で述べるつもりですし、この裁判から逃げるつもりも隠れるつもりも全くありません。 ただ、この裁判で本当に問われているもの、裁かれようとしているものは何か。それは被告人である私ではなく、むしろ韓国社会の側ではないのだろうか、という思いがします。韓国の司法が明察を持って、公正な裁きを貫くことを願っています。(構成 月刊正論編集部安藤慶太)※インタビューは2014年12月3日に行われたものです。関連記事■ 加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    愛国者か、テロリストか

    リッパート駐韓米国大使がソウルで暴漢に切りつけられた。犯人は米韓同盟に楔を打ち込むためか、テロを決行した。今回の事件で思い出されたのは韓国で「義士」「英雄」と呼ばれる安重根のテロである。伊藤博文を暗殺した安重根は愛国者なのか。韓国はテロリストを英雄視することの危険性をわかっていない。

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    「韓国は反日劣等感を捨て国際社会で力を養え」と韓国人作家

    悩んだりしません(笑い)。井沢:私は、韓国の歴史学者が声を上げるべきだと思いますね。柳:韓国で日本や日韓関係の研究で目立つと、親日派の烙印を押され、学者生命を絶たれかねない。井沢:ソウル大の李栄薫教授は、慰安婦は売春婦だと主張したために暴行を受け、元慰安婦らに土下座させられたことがありましたね。柳:私の出身大学には日本研究所がありますが、そこから出た論文は1本もありません。韓国の日本関連学科はほとんどが語学中心で、日本学ではない。 15年ほど前の話ですが、日本には韓国の歴史や社会に関する論文を書ける研究者が250人いたのに対し、韓国には日本の論文を書ける研究者が1人もいなかった。今もそんなに変わっていません。井沢:それは健全ではないですね。外部の視線がなければ、独りよがりで批判を受け付けない国民性を育ててしまうのではないですか。柳:否定できない現実です。井沢:それでも私は、歴史学者が勇気をもって声を上げるべきだと思います。歴史学者がやるべきことを文学者である柳さんがやっているのがおかしい。柳:私が本に書いたようなことは、実は30年間言い続けていて、若い研究者らにも呼びかけてきたんですが、何も変わらなかった。アカデミズムの世界にも反日が巣食っている。井沢:ジャーナリズムというのは現在の事実を、歴史学というのは過去の事実を明らかにすることです。その二つが反日というイデオロギーで歪められているのは、韓国にとって決して良いことではない。柳:私の本に対しても歴史学者からの反応はほとんどなくて、ジャーナリストについても一部の人は反応していますが、ネットのマイナーメディアの人たちばかりです。 産経新聞の加藤支局長の起訴についても、ネット上の書き込みでは、ほとんどが政府を批判していますが、メジャーなマスコミは口をつぐんでいます。先生は韓国が反日を克服するアイデアをお持ちですか。井沢:やはりネットやコミックなどわかりやすい表現手段を使うことでしょう。たとえば、韓国の「独立門」は日本から独立したときに建てられたと多くの人が信じているけど、実は日清戦争で日本が勝ったことで中国から独立したときに建てられたものなんだよと、基本的な歴史的事実を平易に伝えていくところから始めてはいかがでしょうか。柳:参考にさせていただきます。この本の出版は作家として最後の戦争だと思っていますので、見守っていてください。関連記事■ 韓国人 本田のJリーグへの発言受け「韓国へおいで」と絶賛■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 中国のネットで「南鳥島も古来より中国領土」との意見出る■ 韓国では「独島」問題となると正論、常識はもはや通用しない■ 韓国人は「日本はサタン」という「反日教」に毒されている

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    第二の安重根が生まれる日

    早坂隆(ノンフィクション作家)拳骨拓史(作家)英雄の名に値する人物か 早坂 2014年1月、中国・ハルビン駅に安重根記念館ができたことがきっかけで、日本で安重根に関する報道が増えました。ただ、彼に関する書籍は意外と少なかった。しかも、それらの大半の書籍が韓国側の主張に沿うようなかたちで安重根を「義士」とか「英雄」と捉える内容でした。私はいかなる理由があるにせよ、暴力をもって他国の政治家の命を奪うということは、テロ行為以外の何物でもないと考えます。ノンフィクション作家として、とにかく信頼に足る一次史料と現地取材を通じて、真実の安重根像を浮かび上がらせたい、という思いで連載を始めました。そして、その出自や経歴を調べていく過程で、安重根はほんとうに英雄の名に値する人物なのか、疑念を強めることになりました。彼は自叙伝(『安応七歴史』)のなかで、酔って酌婦に説教した挙げ句、暴力を振るったなどということを得意げになって書いている。粗暴というか、器が小さい男だという印象をもちました。 拳骨 「女は3日殴らないと狐になる」という諺があるほど、伝統的に朝鮮は日本よりもはるかに男尊女卑の傾向がある国です。妻は夫と母屋を別にして暮らさなければいけないとされ、人が訪ねてきても、けっして顔を見せてはいけないという風習があった。現在でも、韓国で国際結婚をした外国人女性の約70%が家庭内暴力の被害を受けているといわれています。安重根が酌婦を殴ったという話を聞いて、じつにかの国の人間らしい振る舞いだと感じました。安重根義士記念館敷地内に建立された安重根像 早坂 安重根は貴族階級である両班の出身です。しかし、当時の朝鮮の身分制度が崩壊していくのと同時に没落し、生活が苦しくなった。やむをえず、自分で事業を興したり、学校の経営にも乗り出しますが、うまくいきませんでした。「日本人に邪魔された」と彼は自叙伝に書いていますが、人生の不遇を自らの才覚や運に起因するものとは見なさず、すべて日本のせいにしてしまっている。 拳骨 いまの韓国をみていても、「うまくいかないのはすべて日本のせい」と外部に原因を求める発想が強い。安重根が日本に対していわれなき恨みを抱いたのも、これまたかの国の人間らしくてわかる気がします。 早坂 未完に終わった安重根の論文「東洋平和論」を読んでいても、「韓国は絶対的な被害者」という思想の域から一歩も出ることができない。当時の韓国(李氏朝鮮、大韓帝国)が清国やロシア、日本といった他国の動向に振り回されていた側面はたしかにあるでしょう。ただ、安重根は自国を一方的に蹂躪された立場に置くだけで、そこから議論が発展していかない。伊藤博文は吉田松陰の松下村塾に学びましたが、松陰は『孟子』の「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」という言葉を己の指針にしていた。松陰の教えを受けた伊藤も誠を尽くせばという思いで朝鮮統治に臨んだわけですが、こうした伊藤の至誠の精神は韓国の「恨」の精神に撥ね返されてしまったといえます。 拳骨 安重根の「東洋平和論」には日清韓で共通の通貨や銀行をつくろうという主張が出てきます。これをもって「安重根には先見の明があった」という人が日本にもいますが、無理がある。もともとこのような説は当時の開化派(日本と結んで朝鮮の近代化と独立を進めようとしたグループ)が唱えていたもので、目新しいものではありません。それらを安重根の卓見とするのは、歴史を知らなさすぎます。 早坂 安重根の父、安泰勲は開化派に属していましたから、おそらく父親経由でさまざまなことを学んでいたのでしょう。このようなことが日本ではほとんど知られていませんね。 拳骨 早坂さんはご存じだと思いますが、「安重根無罪論」という虚説があります。その論拠は二つ。一つは安重根は大韓義軍の参謀中将であり、軍人が敵国の将を撃ったのだから、無罪とするもの。もう一つは、軍人である安重根を日本の国内法で裁いたのはおかしいというものです。つまり、安重根を処刑したのは法律違反というわけですが、どう思われますか。 早坂 ソウルの南山にある安重根義士記念館でも、彼を連合大韓義軍の参謀中将という肩書で顕彰していました。しかし端的にいって、連合大韓義軍とは非合法のゲリラ組織にすぎず、そこでの肩書は国際的に通用するものではない。現代のIS(イスラム国)のような過激派組織のなかにも、いろんな肩書の人物がいるのでしょうが、そんなものは国際的に認められないのと同じです。 獄中で安重根は自身を「捕虜として扱え」と要求しました。しかし伊藤の暗殺時、彼は徽章をつけず、武器を懐に隠して携行していた。これ自体が完全な国際法違反であり、彼が捕虜として扱われなかったのは当然です。そもそも伊藤は文民であり、軍人ではなかった。どう考えても、彼のやったことは非合法なテロ行為にすぎなかったと断定できます。 拳骨 安重根を称える人は、彼をインテリジェンスに富んだ人物だと言いたがりますね。しかし、国際法の知識一つとっても、無知であったということです。ただ、それは安重根に限らず、国王を含めて、当時の大韓帝国全体が無知だった。1907年、大韓帝国がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送るという事件が起こりました(ハーグ密使事件)。しかし、1905年の日韓保護条約で韓国の外交権は日本にあり、密使たちの“告げ口外交”に付き合う国はありませんでした。国際法に疎かったことで、失態を演じる羽目になったのです。日本の維新の志士たちが「万国公法」に通じていたのとはあまりに対照的だったといえるでしょう。テロを助長するような愚行テロを助長するような愚行 早坂 伊藤博文の暗殺理由について、安重根は先述の自叙伝『安応七歴史』で15の理由を挙げています。ところが、事実の誤認に基づくものが多く、こんなことでわが国の初代総理大臣が暗殺されてしまったかと思うと、許し難い気持ちに駆られます。たとえば、伊藤暗殺の第一の理由として挙げているのが、韓国王妃(閔妃)の暗殺を伊藤が指揮したというもの。むろん事実ではありません。裁判中の彼の証言録を読んでも、基本的な事実に関する間違いが多く、唖然とさせられました。そんな安重根を韓国は「義士」「英雄」として顕彰し、伊藤の暗殺を「義挙」として称えている。これでは第二、第三の安重根を生みかねず、国家としてテロを助長するような愚行です。 しかし一方で、韓国における安重根の理解は「英雄」だという一点にとらわれており、じつはその経歴や思想について詳しいことは知らない人が多い。伊藤についても同様で、韓国では併合の張本人と思われていますが、併合は伊藤が暗殺された翌年のことです。それをソウルの安重根義士記念館の見学者たちに尋ねてみても、「知りません」と答えるだけ。遠足で来ていた生徒たちだけではなく、引率の教師にも聞いてみましたが、正確な知識があまりに乏しいことに驚きました。中国黒竜江省のハルビン駅に開館した安重根の記念館。右端は初代韓国統監の伊藤博文の肖像画=2014年1月19日(共同) 拳骨 私も韓国から来た留学生たちに、安重根について聞いてみたことがあります。しかし一様に「わからない」という。「なんで?」と聞くと、「小学生のときに記念館に連れて行かれただけで、それ以上の教育は受けていない」とのことでした。 早坂 むしろ、安重根に関して詳しい知識を得る機会がないからこそ、記念館の展示の内容にすんなりと入っていけるし、英雄だと信じ込めるのでしょう。私は、歴史というものはつねに事実に立ち返り、謙虚に見詰め直す姿勢が大切だと考えています。ただ、日本側はある程度それができても、韓国側もそうとは限りません、むしろ、お互いにわかり合えない、ということを前提にすべきかもしれません。無理に歴史認識を共有しようとすると、かえって将来に禍根を残しかねませんね。 拳骨 私も最初は日韓の歴史問題において、議論や対話の重要性を考えていたのですが、いまでは時間の無駄だと思うようになりました。そのきっかけは、韓国の学者たちと歴史認識について論戦したことです。私は韓国側の主張に対し、事実を一つひとつ挙げて反駁していったのですが、「この方は偉い先生だ。偉い人がいうことだから、正しい」という。とにかく最後まで「日本が悪い」の一点張り。これでは冷静な議論は無理だと思いました。 早坂 冒頭でも触れたように、日本の識者のなかにも、安重根に対して肯定的な評価を下す人がいるのは事実です。たとえば、彼の残した「東洋平和論」を表面的に捉えて「安重根は平和論者であった」などという者がいますが、いかがなものか。現代でも多くの国際テロ事件が起きていますが、テロリストの自己正当化の論理として使われるのがまさに「平和」です。自国の首相を暗殺されて、その暴漢に対して肯定的な評価をする人間がいるような国は、世界でも日本ぐらいでしょう。ただ、そうした姿勢が日韓の親善にどのように役立つのか、はなはだ疑問です。安重根のテロを「義挙」として認めることは、日本はもちろん、韓国の将来にとってもけっして資することはないと思います。 拳骨 日本で安重根を評価する者は、じつは伊藤の暗殺当時からいました。暗殺時に伊藤の隣にいた満鉄理事の田中清次郎は、「いままで会ったなかで一番偉いのは誰か」という問いに対し、「それは安重根だ。残念ながら」と答えています。こうした風潮を憂いた三浦了覚という曹洞宗のお坊さんは、『禅と武士道』(大正4年)という本のなかで、「世人或いは伊藤公を狙撃せる安重根(中略)を以て志士仁人とするものあるは是れ容易ならざる誤謬なり。若し是等の人物を以て志士仁人なりと誤解する時は帝国の将来に向って実に恐懼の至りに堪へざるなり」と警告を与えています。当時の日本人にも安重根を評価する向きがあったことをどう考えますか。 早坂 藩閥出身の政治家であった伊藤博文には、政治的または思想的に対立する者がいたはずで、こうした事情が安重根の評価に影響を与えた可能性があります。 また、当時の朝鮮の基礎学問は漢学でしたが、識字率が極端に低いなか、両班出身の安重根には一定の素養があった。遺墨を見ると達筆で、漢詩がすらすら書けたようです。安重根が収監された旅順監獄の看守であった千葉東七は、それだけで感心してしまっている節があります。ちなみに、宮城県の大林寺には、安重根の記念碑があるそうです。看守の千葉東七に託された安重根の遺墨を、千葉の遺族が韓国に返還した経緯がもとでできたらしい。この記念碑の案内板を県の予算で道路に建てていたのが問題となり、国会の質疑で取り上げられたこともあります。 千葉に限らず、当時の日本人のなかには朝鮮が置かれた立場に同情する者が大勢いました。日韓同祖論を唱える者もおり、こうした文脈のなかで、安重根のテロにも理解を示す者がいたかもしれません。しかし当の韓国のほうは、華夷秩序がもたらす優越意識のなかで、日本と同格扱いされることすら拒否する姿勢があった。日本人の韓国に対する思い入れは一方的で、要は「甘かった」ということなのでしょう。「反日」を煽る親北勢力「反日」を煽る親北勢力 拳骨 今年3月、第二、第三の安重根が生まれるのではないか、という早坂さんの懸念が現実になる事態が起きました。金基宗容疑者によるリッパート米駐韓大使襲撃事件です。金容疑者は北朝鮮との関係が取り沙汰されていますが、それを裏付けるようなことがあります。北朝鮮が運営している「わが民族同士」というサイトがあるのですが、リッパート大使への襲撃事件の数日前、それを予告するかのような一文が載った。平成22年7月、金容疑者が重家俊範・駐韓日本大使(当時)にコンクリートの塊を投げて逮捕されたときも、やはり犯行の数日前に同サイトに予告文らしきものが載った。金容疑者はそれらを北朝鮮からのメッセージとして受け取り、犯行に及んだ可能性があります。 北朝鮮は、重家大使が襲撃された際、金容疑者を「現代の尹奉吉」であると称えました。尹奉吉は昭和7年4月29日の天長節(天皇誕生日)に上海で爆弾テロを決行し、多数の日本人を殺傷したテロリストです。そして今回のリッパート大使の襲撃に際しては、北朝鮮は金容疑者をまさに現代の安重根になぞらえた。北朝鮮がメッセージを出す、それを受け取った金容疑者が犯行に及ぶ、それを北朝鮮が称えるというパターンが繰り返されたことになります。 早坂 現在、韓国では『安重根、アベを撃つ』という本がベストセラーになっています。現在に甦った安重根がハルビン駅で日本の「安培」首相を撃つという俗悪な内容ですが、悪趣味だというほかありません。こうした本が書店で平積みになっていることに、日本人としては違和感を覚えざるをえません。こんな状況下では安倍首相の訪韓などとても考えられません。 拳骨 いまの韓国では親北勢力が台頭したことで「反日」であれば何でも許されるといった雰囲気があります。重家大使にセメントを投げつけた金容疑者も、結局、執行猶予が付いて釈放されてしまったわけです。このことが金容疑者に増長を与え、今回のリッパート大使への襲撃につながった。つまり、反日を容認する韓国内の風潮に対し、ありうべきことか司法がこれに迎合したことに問題がある。慰安婦、徴用工、仏像窃盗、産経新聞の前ソウル支局長がいまだに帰国できないという問題にしてもそうですが、いまの韓国社会を取り巻く「反日無罪」の風潮は異常です。 早坂 私が気になるのは、昨年あたりから安重根顕彰の動きが強まっていることです。韓国が中国に働きかけてできたハルビン駅の安重根記念館もその一つですが、中国映画界の巨匠、張芸謀が安重根に関する映画を製作するとの報道もありました。日本に対する歴史戦における中韓共闘をうかがわせるような情報です。さらに、韓国単独でも安重根の映画を製作するという。韓国は安重根を日本に対する歴史カードとして使えると考えているのではないでしょうか。テロリストを堂々と顕彰するような韓国の動きを黙って見過ごしていると、将来に禍根を残します。従軍慰安婦の問題も、最初に日本政府が対応を誤ったことが問題を大きくしてしまった。いまこそ、このことを想起すべきです。 拳骨 そうですね。従軍慰安婦問題が起こったとき、韓国の親日派は「誇りある日本人が謝罪するはずがない」と公言していました。ところが、日本が河野談話でまさかの謝罪をしてしまったことで、彼らは立場を失くしてしまった、という経緯があります。そう考えれば、韓国の親日勢力を弱体化させたのは日本側の責任だといえます。 そもそも、韓国内で「反日」を煽っているのは誰か。親北勢力です。かつて金日成は「冠のひも戦術」を説きました。韓国を冠に見立て、左右の両端に付いたひもであるアメリカや日本との関係を断てば、韓国は崩れるというもので、日韓の離間はまさに北朝鮮の思うツボなのです。日本側はこの流れを断ち、韓国内の親日勢力をもう一度育成していかなければなりません。怒りのあまり「日本は韓国と断交すべきだ」という論調も聞こえますが、日本のように国土が小さく資源の乏しい国は、敵は少なければ少ないほどよい。これは安全保障のイロハです。 当然、それは簡単なことではありません。日本側がまずなすべきは、韓国に対して“同文同種”であるという甘い幻想を捨てることです。互いに異なる歴史観と価値観を抱く国だという認識をはっきりもたなければいけない。そのためにも、まさに安重根が生きていた李氏朝鮮や大韓帝国の時代まで遡り、かの国を完全なる異国として対峙していた感覚を取り戻す必要があります。そうしてこそ、日韓の友好は結ばれるものと信じます。 早坂 私が今回の仕事を通じて痛感したのは、歴史というものは簡単に書き換えられてしまう、ということです。安重根を肯定的に描いている韓国側、あるいは日本側の出版物のどれを取っても、彼の残した手記や論文から都合のいい部分だけを引っ張り出して構成している。私はノンフィクション作家として、こうした現象に一石を投じたかった。ほとんどの日本人は、安重根に関して絶対的な知識が不足しています。だから、いまは肯定も否定もできないという状況かもしれません。しかし、韓国側に都合のいい解釈を押し付けられないようにするためにも、その実像をよく知るべきです。そして間違っている部分があれば、違うと指摘することが大切です。安重根はけっして義士、英雄などではない。わが国の初代総理大臣を暗殺した愚劣なテロリストにすぎません。はやさか・たかし 1973年、愛知県生まれ。著書に、『戦場に散った野球人たち』(文藝春秋)、『鎮魂の旅 大東亜戦争秘録』(中央公論新社)、『昭和十七年の夏 幻の甲子園』(文春文庫)、『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)ほか多数。4月中旬に『愛国者がテロリストになった日』(PHP研究所)が発売予定。げんこつ・たくふみ 1976年生まれ。漢学、東洋思想、東洋史の研究を行ない、名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)、杉之尾宜生(元防衛大学校教授)に師事。論文や研究発表などを精力的に行なう。近著に、『韓国「反日謀略」の罠』(扶桑社)がある。関連記事■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ 中韓とリベラルが主導する「反日」報道を許すな!

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    韓国で結びつくナショナリズムとテロリズム

    佐藤優(作家、元外務省主任分析官) ナショナリズムは、現代における宗教の機能を果たす。自らが所属する民族のために命をささげることは崇高な行為と受け止められる。ただし、ここに落とし穴がある。民族のために自らの命を捨てる覚悟をした人は、躊躇(ちゅうちょ)せずに他者の命を奪う傾向があるからだ。そして、ナショナリズムとテロリズムが結びつくと厄介なことになる。素直に言うが、韓国でナショナリズムとテロリズムが結びつき始めている。襲われた駐韓米大使 5日朝、韓国のソウルで、リッパート駐韓米大使が、「愛国者」を自称する男に斬りつけられるテロ事件が発生した。この事件について、産経新聞社の藤本欣也支局長はこう報じた。 <リッパート米大使襲撃事件を受けて、大統領府の金寛鎮(キム・グァンジン)国家安全保障室長が5日、国家安保会議を緊急開催、今後の対策と対応を協議した。李完九(イ・ワング)首相は関係当局に対し、米国など各国の大使館・施設の警備と要人の警護に万全を期すよう指示した。 聯合ニュースによると、「主要外交官に対する深刻な襲撃事件でテロ行為ともいえる」(検察関係者)との判断から、捜査指揮はソウル中央地検の公安1部が担当。キム・ギジョン容疑者の犯行動機のほか、共犯者の有無など背後関係について捜査を進めている。 キム容疑者は2010年、日本大使にコンクリート片を投げつけた前科があるにもかかわらず、今回、米国大使に近づくことができた。 捜査当局の発表によると、キム容疑者は政治団体代表としてこの日の朝食会が開かれるとの案内を受けていたほか、米国大使館から警備要請がなかったとしている。だが、ただでさえ米韓関係がぎくしゃくする中、米要人への襲撃を防げなかったのは韓国当局の失態であり、責任問題に発展するのは避けられない>(3月5日「産経ニュース」)リッパート駐韓米国大使が出席した会合の主催団体が入るビルの前で、抗議集会をする保守団体メンバー=3月5日、ソウル(共同) キム容疑者は、要人テロを行う可能性がある要注意人物だ。韓国の警察力は強い。このような要注意人物を24時間、完全監視下に置いて事件の発生を防ぐことは、韓国警察の能力にかんがみれば、可能である。しかし、韓国はそれをしなかった。外交官、とりわけ特命全権大使は国家を人格的に体現する。駐米大使に対するテロ防止について、韓国当局の対応に不作為があったことは間違いない。 ただし、今回の事件は、精神に変調を来した人による突発的な事件ではないと思う。韓国では最近、反米機運が急速に高まっている。そのきっかけになったのが、2月27日のシャーマン米国務次官(政治担当)の発言だ。<シャーマン氏は特定の国を名指しせずに「国家主義的な感情が依然、利用されている」とし、政治指導者がかつての敵を中傷することで国民の歓心を買うことがないように求めた>(2月28日「産経ニュース」)。この発言は、日中韓3国の指導者に対して向けられているにもかかわらず、韓国の政府もマスメディアも、シャーマン次官が日本寄りの立場から韓国を批判したと曲解し激高した。このような、事実を事実として客観的に認識できない韓国の政治的空気が、リッパート大使に対するテロ事件が発生する背景にあったのだと思う。 韓国では、ナショナリズムがテロリズムと結びつき始めている。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が、朴槿惠大統領に対する名誉毀損(きそん)容疑で在宅起訴され、いまだに韓国からの出国を認められない状態もソフト・テロリズムだ。このようなテロリズムを許す空気が韓国人の集合的無意識を支配している。無意識のうちにある集団がとっている行動を変化させるのは至難の業だ。韓国のナショナリズムが危険水域に入っていることを、われわれは冷静に認識しなくてはならない。関連記事■ 韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」 ■ あの日を境に変わった私のメディア認識■ ケント・ギルバートが説く 日本がサンドバッグから脱するとき

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    李明博氏の回顧録 慰安婦問題で野田佳彦首相追及をアピール

    。 その内容の一部は、李氏が2012年8月に「竹島上陸」したことを自画自賛するなど、今日の冷え切った日韓関係につながった自身の行為を“偉業”として紹介しているような記述がある。 慰安婦問題に関しても自身がいかに日本を厳しく追及したかをアピールしている。回顧録では日韓交渉の裏側をこう明かした。〈2012年11月18日からのカンボジア・プノンペンでの東アジア首脳会議(EAS)の際に韓日首脳会談を開き、慰安婦問題の最終協議を予定していた。野田(佳彦首相。当時)が直接、慰安婦のおばあさんたちに手紙を送って謝り、日本政府の予算でおばあさんたちへの被害補償をするという内容だった〉 ところがその後に野田首相が衆院解散に踏み切り、この解決案が潰れたという内容が書かれている。APEC首脳会議を前に、韓国の李明博大統領(右)と握手する野田佳彦首相=2012年9月、ロシア・ウラジオストク(代表撮影・共同) 日本は1965年の日韓基本条約と日韓請求権協定の締結で、13億ドル(無償・有償含む)の経済支援を行ない、日本に対する個人の請求権は消失した(韓国政府に移った)。元慰安婦に賠償をするとなれば、その前提を放棄することになり、際限なく補償要求が広がりかねない。 回顧録の記述が事実かを野田前首相に確認すると、「2012年11月に李大統領と首脳会談の予定はなかった。水面下で様々なやり取りがあったが(回顧録の記述は)自分が承知している内容とはかなり違いがある」との回答だった。慰安婦問題に詳しい東京基督教大学の西岡力教授はいう。「李前大統領の話は、当時の佐々江賢一郎外務事務次官が提示した、いわゆる『佐々江案』で、まったくの作り話というわけではない。しかし、日本の政府予算からの資金拠出がどのような名目になるかで韓国の慰安婦支援団体も反発しかねない話だから、合意間近だったとは思えない」 韓国内では、慰安婦問題に関する記述は李氏による朴槿恵・現大統領へのあてつけだとする見方もある。産経新聞ソウル駐在論説委員の黒田勝弘氏がいう。「政権与党には李派と朴派の派閥争いがある。だから、回顧録の記述は『私は慰安婦問題ではここまでやったが、朴槿恵は何もしていない。外交を知っているのか』という批判の意図もあるとみられています」 結局、朴政権の反日外交を煽ることになる。2011年12月にソウルの日本大使館前に慰安婦支援団体が設置した慰安婦像に関しても、李氏は自身の功績として誇っている。野田前首相が2011年12月の首脳会談で早急な撤去を求めた際に、李氏はこう答えたと記している。〈日本政府が誠意を見せない限り、ソウルの銅像に続いて、おばあさんたちが亡くなるたびに第2、第3の銅像が次から次へと建てられるでしょう〉 さらに〈野田が(当初の議題であった経済・安全保障協力)関連の話を持ち出しても、慰安婦の問題に集中して話をした。このような私の態度に野田も少なからず驚いた様子だった〉と武勇伝風に書いているが、首脳会議の場でそんな対応をされたら誰だって驚くだろう。 大前提として、「慰安婦像は許可なく歩道上に建てられた違法建造物である」(前出・西岡氏)ことを指摘しておきたい。関連記事■ 反日パフォーマンスやった李明博氏に国賓訪問あり得ぬと指摘■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う■ 韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ■ 安倍首相 オバマ氏会談後「遠くから来たのに冷たい」と愚痴

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    韓国は日本が黙らせる!

    に日本にいちゃもんをつけてくるのか。就任3年目を迎えた韓国の朴槿恵大統領の反日姿勢に変化はみられず、日韓関係は冷え切った状態が続く。今年は日韓国交正常化50年の節目でもある。難癖ばかりの隣国とどう向き合うべきか。

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    しつこいキム・ヨナ採点遺恨「ソチは終わってない」

     韓国メディアは、今年2月にソウルで開催されたフィギュアスケートの「四大陸選手権大会」で、2014年ソチ五輪でキム・ヨナが銀メダルに終わった「採点」に対する抗議行動が行われたと一斉に報じていた。観客が「ソチは終わっていない」などと英語で書かれた横断幕を掲げた。韓国スケート連盟は国際スケート連盟(ISU)への提訴を断念し、「キム・ヨナ採点」問題は幕引きされたはず。1年が経過し、韓国特有といわれる「恨文化」の一端が垣間見られた。 韓国・聯合ニュースによると、抗議行動は2月13日、女子ショートプログラム(SP)の整氷時間に行われた。「キム・ヨナの一部のファン」(韓国メディア)は英語で書かれた「我々は絶対に忘れない」「ソチは終わっていない」「ISUは改革が必要だ」「2017年までにスポーツ仲裁裁判所(CAS)に抗議するぞ」などの横断幕を一斉に広げた。1年前のソチ五輪の「キム・ヨナ採点」に対して抗議する横断幕を掲げる観客=2月13日、ソウル(共同) ソチ五輪のSPで1位だったキム・ヨナはフリーで、SP2位だった開催国ロシアのアデリナ・ソトニコワに逆転され、五輪連覇を阻まれて銀メダルに終わった。その際、採点を疑問視する声が韓国内に上がり、韓国連盟はISUに異議を申し立てた。ただし「採点」に関するものではなく、審判員の「構成」に疑義を提示するものだった。ISUに棄却され、韓国連盟はCASへの控訴も断念した経緯がある。 韓国メディア・OSENによると、四大陸選手権では観客のプラカード持ち込みが禁止されていたという。大会組織委員会関係者は「発見した場合は強制回収する」としていた。 ところが、別の韓国メディアによると、韓国スケート連盟の関係者は横断幕について「ISUの規定上、問題になることはない。選手が競技をするときに横断幕を下ろし、整氷時やウオーミングアップの時間にのみプラカードを掲げているため、競技の妨害になる行為ではない」と述べた。主張が真反対だ。どちらが真実なのかは不明だが、日本人が韓国選手に対して同様の行為を行ったとしたら、このような寛容な態度を取るだろうか。 今回の横断幕提示には「恨」という国民文化が強くうかがえる。昨年2月に米誌ニューズ・ウィークにこのような考察が掲載されていた。「恨を引き起こす大きな要因の一つは、大国から不当な扱いを受けた歴史にある。韓国人が厳しい歴史を経験する中で育まれてきた哀しい感情だ」 たとえば、2013年3月1日、韓国の朴槿恵大統領は独立運動を記念する政府式典の演説で、加害者と被害者の立場は「千年の歴史が流れても変わらない」と強調していた。 さらに、ソトニコワが昨年7月19日から23日にかけて長野で開催されたアイスショーに出演した際、ジャンプで尻もちをついたり、回転不足や着地で乱れるなど大きなミスを連発。これに韓国メディアは「ソトニコワ 日本のアイスショーでジャンプをすべて“失敗” これが金メダリスト?」(ヘラルド経済)、「ソトニコワ フィギュア金メダリストで合ってる?」(スポーツ京郷)、「ソトニコワ アイスショー、見るに哀れなほど? 金メダリストの大屈辱!『あんまりだね!』」(MTN)などといった見出しの記事と転倒写真を掲載し、批判した。 韓国のスケートファンからは、今回の集団行動に対して「キム・ヨナを心配するファンによる抗議だが、こんなことをしても仕方がない。韓国のスケート協会は動かないから、ファンたちはプラカードで意思を示すことしかできないのだ」といった声が漏れた。韓国メディアの中には「ソチ五輪から1年が経つが、女子フィギュアの不公平はいまだに忘れることができない」との指摘もある。 日本のネットユーザーは「規定上問題にならないからやっていいって話じゃないと思う」「何より『いつまでやってんだ』という気がしてうっとうしい」「選手が抗議するならまだ分からんでもないけど、ファンがこんな抗議って逆効果にしかならないと思うけどね」「キム・ヨナの件はしつこいと思いますが、どうしてもまだ抗議を続けたいのならIOC(国際オリンピック委員会)に直接するべきでしょ」などの意見が多くみられた。

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    日韓歴史問題 「ゴール」を動かす韓国

     [世界潮流を読む 岡崎研究所論評集]岡崎研究所 米ヴァンダービルト大学教授・同米日研究協力センター所長のジム・アワーが1月4日にReal Clear Worldのウェブサイトに掲載された論説で、日韓間の歴史問題について、韓国側がゴールを動かしていると批判する一方、戦後日本が民主主義、自由経済に貢献してきた実績を指摘し、ナショナリストとされる安倍総理の取り組みも実際は平和的なものである、と述べています。 すなわち、今日では売春は不快なものとされているが、当時は合法で、多くの日本人女性、一部の朝鮮人女性が農村から売られてきた。日本は、政府がこれに関わっていたことを示す証拠はなく関与していたのは仲介業者だとしているが、韓国は、これに強く反対している。 ただ、この問題は1945年以降の30年間、韓国でも日米でも重大な問題と捉えられたことはなかった。1944年に米軍が行った調査は、「これは売春婦に他ならない」と結論づけている。記者会見で歴史認識などについて説明する安倍晋三官房長官=2006年 日韓両政府は1965年に基本条約を締結し、この合意を「完全かつ最終的なもの」とした。日韓基本条約に対する韓国国内の不満が高まったのは1990年代初頭である。1992年には、朝日新聞が日本軍のために韓国人女性を拉致したとする証言録を掲載しはじめ、1993年には侵害行為への謝罪と、政府による何らかの強制があったことを示唆する河野談話が発表された。そして韓国側はこれを評価した。 1998年、日韓首脳は日韓共同宣言に調印し、当時の小渕総理は「多大な損害と苦痛を与えたこと」に対し「痛切な反省と心からのお詫び」を述べ、金大中大統領はそれを真摯に受け止め、評価した。しかし、この後3人の韓国大統領は、共同宣言を支持しておらず、日本側も対日批判の原因を韓国の内政事情によるものだと見做すようになっている。 安倍総理は、中韓と緊密な関係を築きたいと考えており、河野談話を継承する意向も示している。 複数の謝罪で1世紀前の出来事が元に戻るわけではないが、日本が戦後69年間、民主主義、自由市場経済に果たしてきた目覚ましい実績は認められるべきものだ。冷戦期には、日米の対潜ネットワークは、100を超えるソ連艦隊の抑止に貢献したし、湾岸戦争時には130億ドルもの支援をした。 安倍総理は、日本の軍事力を再強化するナショナリストとして非難されているが、彼が言っているのは日本経済を平和的に再建し、日米同盟に資するより有益なパートナーとなるようにするということである。そして、中国と北朝鮮以外のアジア諸国は、日本の取り組みが西太平洋の平和と安全を維持することに資すると信じているのである、と述べています。出典:James Auer,‘Is Japan Revising History, or Is South Korea Moving the Goalposts?’(Real Clear World, January 4, 2015)* * * これは大変良い論説です。日本の事情にも詳しいアワー氏ならではのものであり、アワー氏の勇気に敬意を表するべきでしょう。論説の内容は、全て的を射ています。 韓国側がゴールポストを動かしているということは、金大中時代の共同声明起案の経緯を知る人すべてがそう認識しているでしょう。したがって、この論説は、日本としてコメントすべきものというより、韓国当局者こそ熟読玩味して反省すべき性質のものです。 慰安婦問題については、これは、当時は合法的であった売春婦の話です。売春婦は奴隷ではありません。事実を歪曲して、ことさらに刺激的な「性奴隷」という言葉を使い、女性の人権擁護者ぶる人がいますが、そういうことは、安っぽい正義漢気取り、人気取りの言動と言わざるを得ません。彼らは、慰安婦の大多数は日本人であったことを知ってこういうことを言っているのか疑問です。 戦場における性の問題は、現在も続いている、人権上の重大な課題です。そして、人権への意識は、ますます高まっているというのが、大きな潮流と言ってよいでしょう。確かに、過去の不幸な経験は真剣に直視しなければなりません。しかし、上述の「性奴隷」のレッテルがよい例ですが、過去を直視するということは、正確な事実に基づかなければ、直視したことにはなりません。さらに、過去に対する直視は、過去の出来事を現在の基準で裁くことを意味しません。こうしたことを踏まえながら、現在の人権についての規範や意識に即して、戦場における性の問題を今後どう解決していくか、国際的に英知を結集して考えていく必要があります。 なお、歴史問題、慰安婦問題で日本側が態度を変えないなら日韓首脳会談はしないと朴大統領は条件を付けているようですが、そういう条件を呑んでまで首脳会談をしてもらう必要は全くありません。現在の日本政府は、そのように対応しており、今後ともこの方針を貫いていかなければなりません。関連記事■ 日本がサンドバッグから脱するとき■ 韓国の財閥3世に向けられる世間の冷たい視線■ なぜ、台湾の若年層は韓国を嫌うのか~現地座談会から■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である

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    反日と嫌韓の応酬─日韓関係を「精神分析」

    本人が韓国人の恨みを理解しないどころか、嘲笑し軽蔑するのでますますイライラし、恨みを深くする。まさに日韓関係はこんがらがって、ほぐしようがないように見える。オールオアナッシングで解決するか A陣営とB陣営がいがみあい、争っているとき、最も絶望的事態は、両陣営がともに、さっき挙げた歴史認識に関する朴槿恵大統領の発言が典型的な例であるが、自分の見解は全面的に正しく、相手の見解は全面的に間違っており、相手が自分の見解を採用することが唯一の解決であると思っている事態である。これではどこにも出口がない。 朴槿恵大統領はまさにこの事態にあるようであるが、これは韓国国民の大勢の気分を代表しているのであろうか。もしそうだとすれば、問題の解決はきわめて困難であろう。歴史が示しているように、ある国がこのような気分に流れているとき、客観的証拠の提示や論理的説得はほとんど効果がない。日韓のあいだでは、謝罪・賠償・靖国神社などの問題で対立しているが、たとえば、謝罪に関して言えば、日本の首相がどれほど謝罪しようが、韓国が満足することはない。 以前、どこかで指摘したことがあるが、韓国の大統領は日本に謝罪させることを国民の人気を得るための業績としているらしく、したがって、ある大統領が日本からあるレベルの謝罪を獲得すれば、次の大統領はそのレベル以上の謝罪を獲得しようとするから(その流れで、李明博大統領は天皇の謝罪まで言い出した)、キリがない。また、賠償に関しても同じで、韓国は日本からこれこれの金額の損害を被ったからそれに相当する賠償を要求するという合理的なものではなくて、日本は韓国に賠償しなければならないほどの悪事を犯した悪の国であることを示し、日本を貶めるための賠償要求であり、韓国は日本を徹底的に貶めたいのだから、これまたキリがなく、莫大な賠償をすれば、それで済むというわけにはゆかない。賠償をすれば、さらなる賠償の呼び水になるだけである。 わたしは、中国が日本の首相の靖国神社参拝に抗議するのは、中国としてはそれなりの根拠がないでもないと思っているが(ここは日中関係を論じる場ではないので、ごく簡単に言うと、1972年の日中国交正常化の交渉の際の、日本軍国主義者と日本人民を区別した周恩来の発言)、韓国が抗議するのは何の根拠もなく、根も葉もない的外れのたわごとである。第一に、敗戦前は、韓国は日本だったのであって、日本は韓国と戦争したわけではなく、もし靖国神社の戦犯の合祀が問題であるとしても、日本には韓国に対する戦犯は存在しない。戦争中、日本は、日本人だった朝鮮人を兵士、軍属、労務者、慰安婦に使ったが、それは戦争犯罪ではない。戦争中、日本政府・日本軍部は、内地の田舎でのんびり田圃を耕していた農民を徴兵して危険な戦地に追いやって死なせたが、日本国民として当然の兵役の義務を課しただけであって、何の義務もない田舎の青年を何の権利もないのに拉致して不当な労役を強制して殺したわけではない。現在の韓国人・朝鮮人が、戦争中、日本人だった韓国人・朝鮮人に対する日本の好ましくない行動を、あたかも外国人に対する好ましくない行動のように見なし、問題にするのは見当違いも甚だしい。彼らの深い屈辱感を理解すべき このように、現在の韓国人は気でも狂ったのかと思われるような馬鹿げたとんでもないことばかり言ったりしたりしているように見えるが、では、われわれ日本人はどうなのであろうか。日韓関係の歴史と現状について、韓国人には見えていないが、日本人には明らかなことがあるが、しかしまた、日本人には見えていないが、韓国人には明らかなこともあるのではないか。もし、日本人が日本は全面的に正しく、韓国が全面的に間違っており、韓国が日本と同じ考え方をするようになれば、日韓関係はうまくゆくと考えるとすれば、それは、日本人が韓国人と同じレベルに堕ちているということであろう。近頃、東京の大久保あたりで、朝鮮人・韓国人を罵倒するヘイトスピーチなるものを叫びながらデモする連中がいるとのことであるが、彼らのことを考えると、朴槿恵を笑ってばかりはいられない。いずれにせよ、朝鮮人・韓国人の深い屈辱感を理解すべきである。朝鮮人・韓国人に日本人がどう見えているかを考慮すべきである。岸田秀氏(きしだ・しゅう) 昭和8(1933)年、香川県善通寺市に生まれる。早稲田大学大学院修士課程修了。和光大学名誉教授。昭和52年に刊行した『ものぐさ精神分析』(青土社)で「唯幻論」を唱え注目を集める。著書に『二十世紀を精神分析する』(文藝春秋)、『日本がアメリカを赦す日』(毎日新聞社)、『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』『「哀しみ」という感情』(新書館)など。関連記事■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 暴かれた「河野談話」の嘘

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    太政官指令「竹島外一島」が示していたもの

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)はじめに 我が国と韓国との間の竹島領有権論争における争点の一つとして語られる「太政官指令」、すなわち明治10年(1877年)3月に明治政府の最高国権機関である太政官が内務省からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文は、現在、多くの学者・研究者によって明治10年の時点で日本の政府が朝鮮の鬱陵島と共に今日の竹島に当たる島を「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈されていて、それはほとんど「定説」となっているような状況にある。 しかしながら、筆者は「太政官指令「竹島外一島」の解釈手順」と題する前回の寄稿においてこれに異議を唱え、その解釈は単に島根県が提出した書類である「磯竹島略図」を説明しているに過ぎないものであって太政官の意思としては全く証明されていないことを指摘すると共に、太政官指令が発出された際の一件書類からは太政官がどの島を想定して指令を発したのかを明らかにすることはできないので、したがって指令の直接の関係書類以外の書類やできごとから逆に指令が何を示していたかを探るべきだという主張を述べた。 本稿では、その主張の最後の部分、すなわち太政官指令の直接の関係書類以外の書類やできごとから逆に太政官指令が何を示していたかを明らかにする検討を具体的に行い、指令は果たして今日の竹島を想定して「本邦関係無し」としたものであったかどうか、その結論に迫って見たい。 なお、本稿の理解のためには前回の寄稿を先にお読みいただくのがいいのだが、とりあえず前回の寄稿のうち本稿の検討のポイントとなる三つの点を簡単に記しておく。 すなわち、一つは、江戸時代の日本では朝鮮の鬱陵島は「竹島」と呼ばれ、今日の竹島に当たる島は「松島」と呼ばれていたこと。二つ目は、太政官指令が発される端緒となった島根県の質問書「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に添付された絵図面「磯竹島略図」と説明書「原由の大略」によれば、島根県の質問にある「竹島外一島」とは「竹島」という名前の島と「松島」という名前の島のことであり、その「竹島」と「松島」とは地理を知る者が見ればまぎれもなく朝鮮の鬱陵島と今日の竹島を指しているのは明らかであること。三つ目は、一方でその当時に西洋から流入した地図では、測量の誤りに起因して、竹島(鬱陵島)の実際の位置から西北の方向(朝鮮半島に近い方向)に飛んだ位置に実際には島はないのに「竹島」(アルゴノート島)という島があるように表示され、実際に存在している竹島(鬱陵島)の位置には「松島」(ダジュレー島)という名前の島が表示されていた。そして今の竹島は描かれていなかったり、描かれている場合でもその名前として「松島」と表示したものはなかった。そういう、現実の島の配置とは異なる誤った地理情報が存在していた。以上の三点である。 こういう状況の中で、太政官(及び太政官の指示を請求して回答を受け取った内務省)が、指令文にある「竹島外一島」というものを島根県が提出した磯竹島略図に描かれているとおりに鬱陵島とその手前にある岩礁―今日の竹島に当たる島―のことと正しく認識していた (以下「多数説」という) と見るのが妥当か、それとも当時存在していた誤った地図のために間違って認識していた (以下「少数説」という) と見るのが妥当かを、太政官指令以後の関係文書等を通じて明らかにするのが本稿の趣旨である。「華夷一覧図」の日本部分。隠岐諸島の上方に「松シマ」「竹シマ」と記された竹島と鬱陵島が日本領として赤く塗られている(島根県提供)検討対象一覧 明治10年太政官指令というのは、日本海にある「竹島外一島」すなわち「竹島」と「松島」についてどう取り扱うべきかを明治政府が示したものだ。したがって、その内容を他の資料を通じて明らかにするとすれば、その資料というものは、指令と同じように政府、特に指令の当事者である太政官若しくは内務省が日本海にある「竹島」と「松島」についてどう取り扱ったかを示すものを取り上げるのが適切だろう。そういう観点から筆者が選んだ史料ないしできごとを、それを選んだ理由も含めてまず列挙して見たい。いずれも、筆者が竹島領有権論争に関連して見聞きする中から該当するであろうと考えたものである。(1)『大日本府県分割図』(明治14年内務省作成)内務省が作成した地図であり「竹島」と「松島」が描かれている。(2)明治14年(1881年)内務省再指令関係文書 ア 内務省の権大書記官の外務省あて照会文書 内務省の書記官が明治10年太政官指令を変更するような政府決定があったかどうかを外務省の書記官に質問したもの。 イ アに対する外務省の権大書記官の回答書 ウ 明治14年(1881年)内務省指令 島根県からの「松島に関して明治10年太政官指令は何か変更されたのか」という問いに対して内務省が「変更なし」と回答した指令(3)内務省(地理局測量課)が明治15年8月に作成した「朝鮮国全図」内務省が作成した地図であり「松島」が描かれている。(4)明治16年全国通達  内務卿から各府県長官あてに「松島」への渡航禁止を指示するもの。(5)中井養三郎のリャンコ島編入及び貸下げ願いに対応した内務官僚の反応  リャンコ島(=江戸時代に「松島」と呼ばれた島。今日の竹島。)を日本の領土としてほしいとの申請に対する内務省官僚の反応。 以上の5件(細かく言えば7件)について以下検討する。検討(1)『大日本府県分割図』(明治14年内務省作成) 明治14年に内務省は『大日本府県分割図』と題する地図を発行している。内容はその題名が示すように日本全国の府県をいくつかに分割して地理情報を表示した府県地図が中心だが、「大日本全国略図」という日本全体とその近隣地域をも含めた全体図も作られている。その全体図には「竹島」と「松島」が描かれているのだが、どのように描かれているだろうか。それは、実際には島は何もない位置(アルゴノート島の位置)に島を描いて「竹島」という名を付し、実際には鬱陵島が存在する位置には「松島」という名で島を描いている。今日の竹島はというと、全く描かれていない。そして、それら「竹島」と「松島」は全体図には描かれていても、府県地図のうちの地理的に近い「鳥取・島根・山口三県図」には描かれていない。つまり日本の領土とは認識されていないわけだ。 この事実が多数説と少数説のどちらに符合するかは明らかだろう。「竹島」と「松島」の位置はまさしく西洋の間違った地図と同じだ。もし多数説が正しいのだとすれば鬱陵島の位置にある島を「竹島」とし、今日の竹島の位置にも島を描いてそれに「松島」という名を付してあるべきだが、実際は全くそういうことになっていない。 この地図は明治14年に、すなわち太政官指令から4年後に内務省が作成した地図だ。指令から4年後の時点で内務省は「竹島」と「松島」に関しては西洋の誤った地図と同じ認識を有し、かつそれはいずれも日本領土ではないと考えていた。これはまさに少数説の状況だ。これに対して、内務省は明治10年には「竹島」と「松島」に関して正確に把握していたものの明治14年時点で西洋の誤った地図の影響を受けるに至ったと考えるのは難しいだろう。明治10年時点で既にこのような認識であったと考えるほうがよほど自然だ。 (2)明治14年(1881年)内務省再指令関係文書 ここでは検討対象一覧の(2)に掲げた3件の文書が検討対象なのだが、その前提となる経緯を確認しておく必要がある。重要な部分なので、少し長くなるが資料を引用しながら説明したい。 明治14年に、大屋兼助という人物から島根県令あてに「松島開墾願」が提出された。それをもとに、島根県令が内務省に質問したのが次の文書だ。(読みやすいように、原文を筆者が現代の言葉使いに改めた。これ以降の書類も同じ。なお、原文は島根県庁ホームページの「Web竹島問題研究所」の中の『「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考』の記事で読むことができる。)日本海内松島開墾の儀について伺い 当管内石見国那賀郡浅井邨士族大屋兼助ほか一名から松島開墾願いが提出されました。その対象の島は同郡浜田より海上の距離およそ83里の北西の方向にあり、無人の孤島でありますが、東京府の大倉喜八郎が設立した大倉組の社員片山常雄という者が木材伐採のため海軍省の第一廻漕丸にて本年8月にその島に渡航した際、右大屋兼助が浜田から乗り込んで同行して実地調査をしたところでは、東西およそ4~5里、南北3里余、周廻15~6里、ほとんどは山で海岸から山頂までは約1里半、雑木林や古木が密生し、その間には多くの渓流と平坦地があります。 土地は肥沃で水利も良く、どこかの一部を開拓するだけでも数十町歩の耕地が得られ、その他にも海藻採取や漁業の利益など全島の経済的価値は大であります。移住開墾に適した地ですので浜田地方で賛同者を募って資金を集め、私財をもって荒れ地を開き眠れる利益を開発すべしとの志を抱いているようですが、その島は、去る明治9年の地籍調査の際に本県の地籍へ編入すべきか内務省ヘ伺いましたところ、同10年4月9日付けで書面竹島外一島の義は本邦関係無きことと心得るべしとの御指令がありました。ところが、前述したように、このたび大倉組が渡航して材木伐採をしているとのことですので、推察しますところ、明治10年4月の御指令はその後判断が変更されて本邦の領土内と定められたのでしょうか。その島がもし本邦の領土であるならば、大屋らの願いにつきましては、事業の予算の見積り、資金支出の方法及び一同の規約などを詳細に調査して改めてお伺いしたいと考えますので、別紙添付の上この件お伺いします。  明治14年11月12日島根県令 境二郎 内務卿 山田顕義 殿 農商務卿 西郷従道 殿 島根県令からすれば、松島は4年前に内務省から本邦版図外という指示を受けていたのに、今、日本人がそこに行って木材伐採をしているという話なので、これはもしかしたら指令が変更されたのだろうかと疑問を感じ、内務省に質問をすることにしたわけだ。ところで、質問の対象は「松島」なのだが、その松島は上の文書中の説明を見れば現代の私たちはそれが今日の竹島(小さな岩礁)ではなくて鬱陵島(比較的大きな緑豊かな島)であることが分かる。ということは、県令自身が気づいているかどうかは別として、県令は実際には鬱陵島である島についてそれを「松島」と呼びながら「明治10年に内務省から本邦関係無きことと心得るべしとの指令を受けた島」と説明していることになる。これは島根県令が「松島」を西洋の誤った地図の表記に従って理解している可能性を示唆するものだが、太政官指令問題において解明すべきは太政官(及び内務省)の認識であって島根県令の認識ではないから、この事実は決定的なものとして引用することはできない。 ところで、島根県からの質問を受け取った内務省でも、自分のところでは指令は何も変更していないから、ひょっとして外務省ルートで何か朝鮮国との新しい取り決めがあって松島は日本人が利用できるようになったのだろうかとの疑問を持ち、次の質問文書を外務省に送った。検討対象一覧の(2)アに掲げた文書である。ア 内務省の権大書記官の外務省あて照会文書島地第1114号 日本海にある竹島松島の義は、別紙甲号のとおり去る明治10年に本邦とは関係無きものと定められ、以後そのように心得ておりましたところ、このたび島根県から別紙乙号のとおり申し出があったところによれば大倉組の社員が渡航して木材伐採をしているとのことです。ついては、その島について最近朝鮮国と何らかの交渉決定があったのか、一応承知いたしたく照会いたします。明治14年11月29日内務権大書記官 西村捨三外務書記官 御中 この質問文書には、状況をきちんと説明するために、明治10年太政官指令が「別紙甲号」として、また島根県令からの照会文(上述)が「別紙乙号」として添付された。このときの別紙甲号は次のようになっている。別紙甲号  日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(外一島は松島なり) 竹島の所轄の件について島根県から別紙の伺いが提出されたので調査したところ、この島の件は、元禄5年に朝鮮人が島に来たことを契機として、別紙書類に要約したように、元禄9年正月の第一号「旧政府評議の趣旨」に基づき、二号「訳官へ達書」、三号「該国来柬」、四号「本邦回答及び口上書」などのように、結局、元禄12年までにそれぞれ協議が終了し、本邦とは関係無いものとされているようですが、領土の取捨は重大な案件でありますから別紙書類を添えて念のためにこのとおり伺います。  明治10年3月17日  内務少輔    右大臣殿       (添付書類は省略する)指令 伺いの趣旨の竹島外一島の件は本邦と関係無きものと心得るべし  明治10年3月29日(下線は引用者=筆者による) これは、明治10年に内務省が太政官の確認を受けるために提出した伺文書の控えに、その回答として出された太政官指令を書き足したもの(正確に言うならそういう文書の写し)で、質問を受ける側の外務省が太政官指令とはどういうものなのか理解できるように添付された。ところが、本来の書類とは異なる点が2点ある。下線をひいた部分がそうなのだが、一つは「添付書類は省略する」とされたこと、もう一つは、本来の件名である「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の後に「外一島は松島なり」という説明が書き加えられていることだ。この一言が書き加えられたのは、本物の太政官指令の一件文書には添付されている磯竹島略図その他の書類を省略したので、伺文書だけでは「外一島」が何という名前なのか分からなくなってしまうからそれを補うために書き加えられたわけだ。だから、内務省の照会文書の書き出しは「日本海にある竹島松島の義は、……」となっているのだがこの「竹島松島」は「竹島と松島の二島は……」という意味で書かれていることが分かる。 ここに明治10年太政官指令の「竹島外一島」(竹島と松島)とはどの島を想定していたかという問題の答えが現れていることに読者は気づかれただろうか。 内務省の書記官は外務省の書記官に対して、明治10年の太政官指令は「竹島」と「松島」を日本領外と指示していることを説明した上で「松島」について何か変更があったのかを尋ねた。ということは、ここで質問の対象となっている「松島」が内務省が太政官指令の「松島」と考えていた島だ。そしてその「松島」は、島根県の質問書に書かれていることから分かるように朝鮮の欝陵島だ。内務省が考えていた「松島」は鬱陵島だった。とするならば、「竹島」というのは実際には存在しない位置に描かれていた「竹島」(アルゴノート島)のことだったということになる。内務省は島が実在しない位置に「竹島」を表示し鬱陵島を「松島」と表示する西洋の誤った地図情報に従って「竹島」と「松島」を見ていたことが分かる。太政官指令の「竹島外一島」の答えはこんなところにあった。 このように、現代の我々、特に鬱陵島や今日の竹島の地理情報を知る者は内務省が見ていた「竹島」と「松島」が何であったかを知ることができるのだが、このときの内務省自身の認識はどうだったのだろうか。「松島」というのは鬱陵島だということを知っていたのだろうか。「竹島」というのは実際には存在しないということを知らなかったのだろうか。そういう疑問を感じた読者もおられるかも知れない。その答えはこれまでの文書からは必ずしも明らかではないが、それは意外にも外務省の回答文書から明らかになる。イ アに対する外務省の権大書記官の回答書公第2651号内務権大書記官 西村捨三 殿外務権大書記官 光妙寺三郎 朝鮮国の蔚陵島すなわち竹島松島の件に関する質問を拝見しました。この件は、先般、その島へ我が国から渡航して漁撈をする者があるとの趣旨で朝鮮政府から外務卿へ照会があったので調査したところ、実際にそのような事実が確認されたので既に撤収させ、今後そのようなことが無いよう禁止措置を取ったことを朝鮮政府に回答してあります。 以上のとおり回答します。明治14年12月1日 外務省書記官の回答は、その島は日本人渡航禁止という取扱いで変更はないということ-つまり太政官指令を変更するようなことは生じていないこと-を伝えるものだが、ここではその結論もさることながら前置きの部分に注目していただきたい。 内務省の書記官が、「竹島」と「松島」という二つの島が明治10年指令によって本邦領土ではないとされていることを示しながらそのうちの「松島」について質問したのに対して、外務省の書記官は「朝鮮国蔚陵島即ち竹島松島の儀についての御質問を拝見しました。」という書き出しで回答を返して来た。「竹島」と「松島」のとらえ方が変わっていることがお分かりいただけるだろう。「朝鮮国蔚陵島即ち竹島松島」というのは、「日本では竹島と言ったり松島と言ったりする朝鮮国の蔚陵島」という意味だ。なぜそう読めるかというと、その根拠の一つは文章自体だが、「蔚陵島」という一つの島がすなわち「竹島松島」だというのだから「竹島松島」も一つの島だと読むしかない。もう一つの根拠は-こちらの方が実質的な根拠だが-この時点で外務省は朝鮮の鬱陵島は日本では松島と呼ばれたり竹島と呼ばれたりしている島だということを確認して知っていたという事実だ。 太政官指令は島根県~内務省~太政官というルートによるものだが、その当時、これとは別に外務省でも、「松島開拓の議」という「松島」開拓の建白書が提出されたことなどにより「松島」の開拓を許可していいものかどうかを、言い方を変えれば「松島」は日本のものなのか朝鮮のものなのか、それともいずれのものでもないのかを検討していたが、答えが分からない状況が続いていた。それが、最終的に海軍の「松島」実地調査によって「松島」とは朝鮮の鬱陵島であり日本ではもともと「竹島」と呼ばれていた島であること、つまり「松島=竹島=鬱陵島」という三名一島であることが確認されて、外務省はその事実を把握していた。(その経緯は外務省の北澤正誠という人物が明治14年(1881年)に取りまとめた『竹島考証』という冊子に詳しく紹介されている。『竹島考証』は現代の竹島領有権論争においてしばしば引用されるが、そこに記されている鬱陵島確認に至る経緯は、外務省は当時存在していた誤った地図に従って「竹島」と「松島」を把握していたが実地調査によってそういう地図が誤っていたことを知ったことを示している。ただし、外務省が太政官指令に関与していた形跡はないので、外務省の認識によって太政官や内務省の認識を直接に推定するわけにはいかない。) 外務省がその事実を確認したのは明治13年のことだった。それで明治14年に内務省から質問を受けたときに上のような回答ができた。しかし、その回答の仕方は実に奇妙なのだ。内務省の書記官は別に「竹島」と「松島」の関係などを尋ねたわけではない。しかし、外務省の書記官は問われてもいないことをまず説明した。しかも、それは内務省の書記官が言ってきた内容を勝手に変えながら「あなたが尋ねたのはこの島のことですが」と言ったようなものなのだ。 これが何を意味するかは明らかだろう。外務省の書記官は、質問に答える前に質問の前提を訂正したのだ。質問にある「松島」は朝鮮の鬱陵島であり竹島ともいうのが現実であって、内務省が認識している「竹島と松島」という二島認識は間違っているということを内務省にまず教えたのだ。  内務省はこのときまで松島は鬱陵島であるという事実を知らなかった。これが外務省の回答文書から読み取れる真実だ。また、内務省は「松島」のほかに「竹島」という島があると思っていたわけだが、なぜそう思っていたのかというと答えは一つしかない。その当時の地図に描かれていたアルゴノート島に当たる「竹島」がその地図のとおりに実際にあるものと考えていたということになる。(また、内務省は、太政官指令を求める前の文献調査で竹島というのは朝鮮の鬱陵島であるという事実だけは確認ずみだったので、アルゴノート島に当たる「竹島」が実際にあると考えていたのであれば、同時にその竹島が朝鮮の鬱陵島だと思っていたことになる。) 結局、内務省もその少し前までの外務省と同じように、「島名の混乱」を含んだ間違った地図に従って「竹島」と「松島」という島を理解していたこと、逆に言えば、現実の鬱陵島とその手前にある小さな岩礁―今日の竹島―のことを想定していたのではなかったということが外務省の回答文書からも証明される。  説明が長くなった。要点のみを繰り返す。明治14年に、内務省は「竹島」と「松島」という二つの島が明治10年太政官指令によって本邦領土外とされていることを説明した上で、そのうちの「松島」について何か変更があったのかと外務省に質問した。外務省は、内務省が質問した「松島」は朝鮮の鬱陵島であり竹島でもあるという事実をまず指摘した上で取扱いに変更はない旨を回答した。この回答によって、内務省は指令の「松島」は実は鬱陵島であったこと、そのほかに別に「竹島」という島は無いことを知った。このことは、内務省は、太政官指令の「竹島外一島」というのは実在しない「竹島」(アルゴノート島)と実際には鬱陵島である「松島」を(それと気づかずに)想定していたことを明らかにしている。ウ 明治14年(1881年)内務省指令 上記イの回答を受けて、内務省は島根県に(おそらく)明治15年の1月に「書面松島の義は最前の指令の通り本邦関係無きものと心得るべし」との回答を送った。「質問のあった松島の件は明治10年太政官指令のとおり本邦関係無しであることに変更はない」ということだ。明治10年指令の時点では、内務省(及び太政官)は「松島」というのは「竹島=鬱陵島」とは別の島でありそれも本邦の版図外と考えていた(その理由は明らかではない)が、今回の回答指令を発する時点では、外務省の教示によって「松島」というのは「鬱陵島」であるという事実を分かっていた。しかし、どちらにしてもその「松島」が本邦版図外であることは何ら変わりはない。だから、前回の指令のとおりに本邦関係なしと心得よと指示したのは実に自然な回答だ。 (3)内務省(地理局測量課)が明治15年8月に作成した「朝鮮国全図」この地図でも、実在の鬱陵島の位置の島が「松島」とされている。一方、(1)で述べた 『大日本府県分割図』(明治14年作成)では存在しない「竹島」も描かれていたが、それは消えている。つまり、内務省はこの二つの地図が作成されたその間のどこかで「アルゴノート島」の位置の「竹島」という島は存在しないことを知ったことが分かる。それまでは「竹島」と「松島」というものを西洋の誤った地図情報に従って理解していたのだ。この内務省の認識が変化した時期は、(2)イで述べたこと-内務省は明治14年12月1日付の外務省の回答文書によって「竹島」と「松島」に関する正しい知識を得た-という分析と矛盾しない。(4)明治16年全国通達太政官指令から6年後の明治16年3月31日付けで、内務卿から各府県長官あてに次の通達が出された。北緯37度30分西経8度57分(東京天守台より起算)に位置する日本でいう松島(一名竹島)朝鮮でいう蔚陵島については、従前、日朝両政府の議定もあって日本の人民がみだりに渡航上陸することはできないので、心得違いの者無きよう各管下へ諭達するよう内達する。明治16年3月31日内務卿各府県長官宛 親展 これは、鬱陵島ははっきりとした朝鮮領土であるにも拘わらず多くの日本人が押しかけて山林の伐採や漁を行っていることに朝鮮政府から抗議が来ていたので、その対応として太政大臣三条実美の指示に基づいて内務省が全国の府県に向けて発した通達だ。 この通達に関して太政官指令との関係でとりあえず注目すべきは、渡航禁止の対象が鬱陵島の一島であるという事実だ。もし多数説が正しいのであれば、本邦領土外(=朝鮮のもの)と判断した二つの島のうち鬱陵島だけを渡航禁止として今日の竹島のことに一切の言及が無いのははなはだ不自然である。多数説の見解に従うならば、今日の竹島を「松島」と称してそれも渡航禁止とすべきだったはずだが通達は今日の竹島にはふれておらず、「松島」という名前も鬱陵島に充てられている。 少数説の立場からはこのことの説明は容易だ。かつて太政官指令は存在しない「竹島」と実際には鬱陵島である「松島」をそれと知らずに版図外と指示していたが、この通達を発する時点では「竹島」は存在せず「松島」こそが鬱陵島であることが判明していたので、改めて渡航禁止の通達を発するとすれば鬱陵島一島を対象とするのが当然である。この通達も明らかに少数説と符合するのであり、多数説とは全く合わない。(5)中井養三郎の申請に対応した内務官僚の反応(明治37年) 中井養三郎は島根県隠岐の漁師で、明治37年(1904年)に、その翌年の竹島領土編入のきっかけとなる「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」を日本政府に提出した人物である。今日の竹島は、この当時はフランスの命名による「リアンクール」という名前に由来して日本ではリャンコ島と呼ばれていた。中井養三郎はリャンコ島でのアシカ猟を自身が統制したいとの考えから上記の申請を内務大臣、外務大臣、農商務大臣に提出した。 中井の回顧によれば、出願先の一つである内務省の反応は、「内務省の当局者は、日露戦争を行っているこういう時期に韓国領地の疑いがある小さな不毛の岩礁を領土にして、事態を注目している諸外国に我が国が韓国併呑の野心を持っているのではないかという疑念を大きくさせるのは、領土に編入する利益が非常に小さいことに比べて決して簡単なことではないとして、何度説明しても願いは却下されそうであった。」というものだった。 ここで「韓国領地の疑いがある」という言葉に注目してほしい。内務省の当局者は「その島は韓国の領土だ」とは明言せず、「韓国領地の疑いがある」という認識を示したわけだ。このことは多数説と少数説のどちらに合うだろうか。 多数説によれば、リャンコ島は太政官指令で外一島(松島)として「本邦関係無し」と指示されていたことになる。「関係無し」と言う言葉ではあるがその実質は、徳川幕府が朝鮮国との交渉の末にその島は朝鮮のものだということを了承したので明治政府もそれを踏襲するという意味であることは、太政官指令を知る内務省の官僚なら分かっていただろう。つまりリャンコ島は明らかに朝鮮のものだということのはずだ。そういう指示を内務省は太政官から受けている。だから誰かが「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」などというものを持ち込んで来たならば、それは明治十年に右大臣の御指令によって朝鮮領と決着ずみである。却下!」と門前払いにすべきだったろう。ところがこの内務官僚は、朝鮮の領土である可能性があるというあいまいな認識を示し、太政官指令を全く持ち出すことなく、領土編入が困難な理由をあれこれと説明している。申請を拒否したいのならば太政官指令を持ち出せば話はすぐに済むはずなのに、だ。こういう状況は、多数説とは矛盾している。これに対して、少数説から見れば話は簡単だ。太政官指令は現在の竹島を想定したものではなかったのだから、内務省としては「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」はこれまで所属の検討などしたことのなかった島について初めて持ち込まれた話だということになる。したがって門前払いをすることなく一応話を聞いたことは自然な対応だし、その中で「韓国領地の疑いがある」と思ったとしても別に不思議ではない。この件も少数説のほうが合うのである。結論 以上5件の文書あるいはできごとを見れば、これらはいずれも多数説では全く説明ができず、少数説であれば無理なく説明できる。いや、無理なく説明できるというにとどまらず、(1)で見たように内務省自身が誤った地図を作成していたし、(2)のイの外務省書記官の回答文書では、内務省が太政官指令の「松島」と捉えていた島は鬱陵島であったことが明示されている。これが答えなのだ。太政官指令にいう「竹島外一島」(竹島と松島)とは、鬱陵島と今日の竹島のことではなく、その当時の誤った地図に描かれていた「竹島」と「松島」、すなわち実在しない島と鬱陵島のことをそれと知らずに想定していたのだった。太政官指令の解釈の主流をなしている多数説はとんでもない間違いなのだ。 それに、そもそも多数説というものは、内務省と太政官は、当時存在していた西洋の情報に基づく地図が誤りであること―具体的にいうと、そこに描かれている「竹島」というものは実際には存在しないこと、また「松島」とされているのが鬱陵島であることーを明治10年の時点で知っていたという前提に立つものだ。内務省と太政官は明治10年には正確な地理を知っていたというわけだ。外務省が実地調査によって明治13年に知るに至った真実を内務省はその3年前には知っていたということになるわけだが、多数説を唱える学者・研究者は誰も、内務省あるいは太政官がいつどのような調査・検討を経て正確な地理を知るに至ったのか全く説明しないし、これからも説明することなどできないだろう。なぜならば、そういうことが分かる資料など(少なくとも現在明らかになっている史料の中には)ないからだ。前回の寄稿で述べたように多数説を唱える人々はそもそも立証できないことを個人的な思い込みだけで主張しているのだが、それはまたそもそも立証できないことを前提とした主張でもある。 以上のように明治10年太政官指令の後に明治政府が取った行動をつぶさに見ていけば、「外一島」とは今日の竹島ではなく鬱陵島であったのであり、多数派の主張は全く間違っていたことが明らかになる。太政官指令のことが初めて公に論じられたのは1987年のことだったとされるが、そのときの論文も磯竹島略図などを根拠として太政官は鬱陵島と今日の竹島を版図外と指示したという立場で書かれている。以来二十数年、そのような解釈が通説化し、韓国側ではもちろん一も二もなくこの見解を採用し、日本側でも多くの追従者が生まれた。だが、事実は異なる。明治10年太政官指令は今日の竹島について述べたものではなかったのだから、現在の竹島領有権論争には何の関係もない史料なのだ。太政官指令があるから日本の固有領土論は矛盾しているとか、日本の外務省は自己に不利な太政官指令には一切ふれずに都合のよい資料だけを紹介しているなどという批判は、それをいう者たちの前提自体が誤っているのだ。 彼らのために、竹島領有権論争には本来テーマとする必要のないテーマが持ち込まれ、無用の混乱が引き起こされ増幅されて来た。だが、上記検討(2)でも引用したが、近年になって島根県竹島問題研究会の関係者からは新たな視点での見解も示されている。もう真実を理解すべき時期だろう。根拠のない主張を繰り返している多数派の人々が書く文章からは、島根県が提出した磯竹島略図や原由の大略に書かれている内容を自分が詳細に読み解くことが「歴史資料に忠実な解釈」であると自負しているような印象をしばしば受けるのだが、歴史上の事件を解釈するに当たっては自分ではなくてその時代の当事者たちが何をどう考えたのかを解明することこそが重要だということをもう少し考えて、本当の意味で歴史資料に真摯に向き合ってこの問題を再考されることを望みたい。関連記事■ 太政官指令「竹島外一島」の解釈手順■ 政治的過激主義としての韓国の反日主義■ 韓国の皆さんへ 嫌・嫌韓本のススメ

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    日本が知らない「竹島」の真実

    日本が竹島を正式に領土編入したのは明治38年。今年でちょうど110年になる。わが国固有の領土でありながら、韓国の不法占拠が続く竹島。2月22日は返還運動に取り組む島根県が制定した「竹島の日」でもある。日本人の関心が薄らぐ今、竹島について改めて考えたい。

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    韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」

    室谷克実(評論家・ジャーナリスト) 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が新年早々、「今年は統一が」「統一が」と、はしゃいでいる。振り返れば、朴氏は昨年初めも「今年は統一が“テーバク”(=大当たりの意)だ」とやった。“テーバク”とは辞書にもない博打用語。これが大受けして盛り上がったが、南北間の実質進展はなかった。 まるでカレンダー演説だが、国是の「反日」の方も、主要な闘争スケジュールが決まっている。 まず2月22日、島根県松江市で開かれる「竹島の日」記念式典に、民族派が乗り込み、嫌がらせをする。彼らは「日警(日本の警察官)に暴行された」と言える場面を狙っている。さらに、日本政府がアップした「竹島動画」に過激な反応を示しているから、今年は危うい予感がする。 3月1日は「3・1独立運動記念日」で、朴氏が大統領演説をする。今年は日韓国交50周年。そこで「50周年だから…」と“すり寄りポーズ”を見せるかもしれない。唯我独尊の歴史認識への日本側の同調を前提とする大原則すら、「政経分離で」という用日論理で乗り越えることも考えられる。 彼らなりの譲歩に、日本側が応じなければ、今度は逆ギレ反日のスタートだ。 3月下旬から4月上旬にかけては、日本の教科書検定の結果発表がある。政府間交渉がどう進んでいようと、韓国マスコミは「公民教科書はわが独島(島根県・竹島)を日本領と明記し…静かに進む友好ムードに冷水を浴びせた」と、毎度おなじみの記事を掲げる。自民党の二階総務会長(左)との会談に臨む韓国の朴槿恵大統領=2015年2月13日、ソウルの青瓦台 その時期には、日本の外交青書も刊行される。これまた毎度おなじみ、韓国のマスコミは、朝日新聞が「問題だ」とした部分をそのまま採り上げ「恥知らずの戦犯国家・日本」のキャンペーンを張るだろう。 5月には竹島防衛訓練がある。まさに対日挑発だ。海兵隊の上陸に踏み切るようだと、温厚なる日本政府も黙ってはいられない。 8月上旬の日本の防衛白書刊行では、またまた毎度おなじみの…。 それから、8月15日の光復節に向けては、反日全開だ。韓国マスコミは「日帝の残虐行為」の掘り起こしに全力を挙げる。韓国の小説に載っていた数字史実にしたり、合成写真を掲載したり…何でもありになる。 そして、9月1日は関東大震災。韓国マスコミはこれを「関東大虐殺」と呼び、反日盛り上げの材料にしている。 まさに「反日スケジュール闘争」なのだ。 今年は「略奪された文化財の奪還」が、対日要求の1つとして本格化しそうだ。すでに反日日本人が連携に動いており、「年中闘争」になる可能性もある。極言すれば、彼らの論理は「朝鮮半島で制作された(と思われる)文化財で、日本にある物はすべて略奪された」というものだ。 条約・協定の価値を知らない隣国の人民は、厄介なこと、この上ない。 むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「悪韓論」(新潮新書)、「呆韓論」(産経新聞出版)、「ディス・イズ・コリア」(同)などがある。関連記事■ インターネットで売られる日本の離島■ 無居住エリア拡大 「国防の危機」の認識必要■ 移民政策の本当の怖さ

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    尖閣を“第二の竹島”にするな

    葛城奈海(キャスター・女優) 昨年のウクライナ問題や、日本人にもにわかに脅威として浮上してきたテロ集団「イスラム国」の台頭は、「国境線は変わる」という現実をまざまざと見せつけてくれている。それでも、いまだ多くの日本人には「自国の国境線が変わる」ことには現実感がないのが実情ではないか。 しかし、現実をよく見てほしい。国境線は事実、変わってきたのだ。戦争を経ずしても。 日本国憲法公布の6年後(1952年)、韓国は李承晩(イ・スンマン)ラインを一方的に宣言し、島根県・竹島を奪った。日韓漁業協議会によれば、以後65年の日韓基本条約締結までに、韓国軍はライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕(だほ)し、日本人44人を死傷させ、3929人を抑留している。 日本政府は「不法占拠だ」と声明は出しているが、具体的対抗策を取ってこなかった。結果、今や竹島には、韓国の武装警察官ばかりか民間人も常駐し、あまつさえ大統領まで訪れた。残念ながら、客観的にこれを見れば、日本領だと言い張る方が無茶な話である。 現状を放置すれば、「第二の竹島」となってしまう島がある。沖縄県・尖閣諸島だ。 2010年9月の中国漁船衝突事件で、民主党政権の対応に腸が煮えくりかえる思いをした私は「政府がそんな弱腰なら、国民が日本の尊厳を守るしかない」と決意した。志を同じくする草莽(=民間)の募金で購入された漁船に乗り、これまで15回にわたって尖閣海域を訪れてきた。沖縄県・尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島 当初は、美しい尖閣の島々に肉薄し、漁を行うことができた。だが、12年9月の国有化以降、「1カイリ(=1852メートル)制限」なるものが出され、島の1カイリ以内に入ろうとすると、海上保安庁によって阻止されるようになった。 自民党政権に代わって少しはマシになるかと思いきや、なんと今度は、沖縄県・石垣島からの出港さえ認めないという。事なかれ主義に拍車がかかってしまった。 われわれ日本の漁船を締め出しておきながら、中国公船は大きな顔で尖閣周辺を航行しているのだから、完全に倒錯している。14年の領海侵犯は実に32日間。こんな体たらくでは、東京都・小笠原諸島沖への200隻を超える赤サンゴ密漁船団も「自ら招き入れたようなものだ」といわれても仕方ないだろう。 中国が13年11月、東シナ海上空に防空識別圏を設定して以来、NHKや共同通信の取材ヘリも飛ばなくなっていると聞く。よって、現在、われわれがニュースなどで目にしているのは、基本的に「資料映像」だ。 日本人は尖閣への上陸はおろか、漁師が1カイリ以内で漁をすることも、メディアが上空を飛ぶこともできない。これで日本領といえるのか。日本政府自身が、着々と「尖閣の竹島化」に手を貸しているのではないか。黙って見過ごしていいのか。 尖閣の未来は、今を生きる私たちの手にかかっている。 かつらぎ・なみ 1970年、東京都生まれ。東京大学農学部卒業後、女優としてテレビドラマやラジオ、CMなどで活躍。ライフワークとして自然環境問題に取り組む。武道と農業を通じて国の守りに目覚め、予備自衛官となる。日本文化チャンネル桜『防人の道』レギュラー出演。共著に『国防女子が行く』(ビジネス社)など。関連記事■ インターネットで売られる日本の離島■ 無居住エリア拡大 「国防の危機」の認識必要■ 移民政策の本当の怖さ

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    「韓国に併合された竹島」~竹島の日に寄せて

    古谷経衡(著述家) 今日は竹島の日(2月22日)だ。そういえば、2012年秋に、私は韓国に不法占領されている竹島に上陸した。 遺憾ながら、この上陸ルートは韓国に渡航してから鬱陵島まで行き、そこから民間の定期観光船を使う、というものだった。 当然、パスポートを使って上陸するわけだから、韓国の主権を認めたもの、と取らえかねない行為だ。ともあれ、現状、民間人が竹島に上陸する方法は、韓国経由でしか存在していない。かなり悩んだ。結果、フォト・ジャーナリストの山本皓一氏や、コラムニストの勝谷誠彦氏が同じ方法で竹島に上陸しているという事実に思い至り、「赤信号・皆で渡れば~」の精神で自分を納得させたのだ。 そうまでして、私が竹島に上陸したいと思ったのは、基本、私の人生観というか、言論方針は「実証主義」を採っているからである。竹島や、韓国のことを語るのならば、最低一回は、その地に足を運んでみるのが当然だ。 例えば韓国の経済や政治を「けしからん」という論調で批評する評論家の中には、驚いたことに一度も韓国に行ったことがないまま、机上のデータを構成している人々も少なくはない。私は、基本そのような言論姿勢は「嘘」だと思っている。どう頑張っても到達不可能な地球外の天体や、事実上到達が難しい南極やアフリカの僻地などを除いて、基本的に外国に関する評論をやるなら、実際に行ってみないことには本当ではない。 私は韓国による竹島の不法占領を非難し、これを継続する韓国政府の方針にもけしからん、と強く憤っている。だからこそ、それを非難するためには、実際に竹島に行ってみる必要がある。そう、思ったのである。 とはいうものの、「竹島に行く方法」は、どの観光ガイドブックにも掲載されていない。竹島に上陸したい、と決断したは良いが、実際の方法に関しては全くのゼロ・手探り状態からスタートした。日本で調べられる範囲でわかったことは、まず鬱陵島への渡航が絶対条件とのこと。日本海に浮かぶ韓国の島・鬱陵島から竹島への定期観光船が出ている、という情報を得た。 尤も、ソウルの観光ツアーで「竹島(独島)観光ツアー」というのが、パックで出ているという話も聞いた。くだんの勝谷氏は、このパックツアーで上陸したという情報も掴んだ。しかし、既に2010年前後から、日本人の応募を拒否している、という情報もあった。実際、鬱陵島まで行かなければ、全く分からない状況だった。  そこで私は、まず韓国東部の浦項市(ポハン)まで行き、そこからフェリーで鬱陵島に向かった。鬱陵島には空港がなく、移動は全てフェリーに頼らなければならない。ここでまず第一の関門。浦項市から出航する際、現地の警察に入念に尋問された。尋問といえば大げさだが、「鬱陵島に渡航する目的」を入念にチェックされたのである。当然、竹島問題が念頭にある。私は、「アマチュアカメラマン」と適当に方便し、審査をパスした。しかし、警察に私の人相がすっかりファイリングされ、鬱陵島の警察分署にFAX送信されたので、「これは無理かな」と、この段階で竹島上陸には暗雲が立ち込めた。完全に「韓国化」された竹島 鬱陵島に渡航し、竹島行きの航路を調べること2日、私はあっさり、竹島行きの定期観光航路のフェリーチケットを買うことが出来た。心配していた警察の監視も、私が日本人であることも一切、バレなかった。案外、きっちりしているようで抜けているのが韓国警察である。 それどころか、竹島行きの埠頭の桟橋で、統治時代の日本語を流暢に操る老人に話しかけられ、日韓友好の重要性を説かれたりもした。竹島行きの方法を、現地の韓国人に聞き込みしたが、皆熱心になって調べてくれた。実は、現地の人も、竹島行きのフェリーの詳細について、具体的にはそんなに知っているわけではない。航路は完全に観光客用で、地元の人間は乗らないから、知識がないのだ。ともあれ、みんな親切な人ばかりだった。 そうこうして、鬱陵島から約1時間半、とんでもなく揺れる小型高速船にのって、私は竹島に向かった。人生で、あんなにも上下に揺れる船に乗った経験はない。私も、周りの韓国人も、三半規管がイカれてゲーゲー吐瀉していた。運転が荒いのか、その海域がそういう波なのか、よくわからなかったが、晴れて静かに見える日本海は、とにかくとんでも無い船酔いの地獄だった。 いよいよ竹島に上陸(東島)すると、現地の警備員が定期船の観光客らを出迎えてくれる。いちおう「竹島を不法占領している韓国警察」であったが、ここでは完全に観光客用の出迎え要員で、島の観光案内を代理しているというような格好だ。 竹島には韓国政府が1990年代に整備した大型船の埠頭があり、私達はそこに接岸して上陸したのだ。とはいっても、ほとんど平地のないような狭い空間で、上陸はできるものの、東島の遥か頂に存在する韓国による構造物(警備員宿舎、展望台、ヘリポートなど)は地上から眺めるだけで上っていけるわけではない。滞在時間もせいぜい小一時間というものであったが、竹島の今を知るには十分だった。「日本固有の領土」であるはずの竹島は、完全に韓国に併合され、韓国化されていた。よく、「竹島は韓国に不法占拠されている」という。「不法占拠」という言葉のニュアンスには、デモ隊のバリケードとか、成田空港の滑走路に取り残された反対派の家屋とか、道路に放置された廃車とか、そういう「今は占有しているが、遠くない将来出て行く事を前提にしている」というニュアンスが含まれている。 しかし実際に竹島に行くと、韓国による「不法占拠」は、そんな生易しいものではないことが分かる。前述した構造物を始め、民間の寄宿舎、ロープウェイ、太陽光発電施設、観光客用の案内掲示板、住所表記、飲水ろ過装置etc…。ありとあらゆるものが整備され、完全に「韓国化」された竹島は、「不法占拠」などではなく、「併合」という表現が正しいと思う。 日本がどんなに「固有の領土」と訴えても、韓国の積み上げた既成事実を崩すことには至っていない。加えて、本日の「竹島の日」に関する式典がいまだに政府主催で開催されず、島根県という関係自治体の手によってほそぼそと実施されているという意識の低さは、韓国とは雲泥の差だ。韓国に行ってみれば分かるが、韓国の天気予報には必ず竹島の最低・最高気温、降水確率などなど諸々が表示される。韓国地下鉄のソウル市役所駅前の広場には、「”独島”」の特大ジオラマが展示されている。 韓国人一般に、言われるほどの強烈な「”独島”に関する愛着」があるかどうかは分からない。「”独島”」問題よりも生活や給料といった経済問題のほうが重要だ、と考える韓国人は少なくなかもしれない。ただし、それにしても、余りにも日韓で、竹島をめぐる意識の差は歴然としている。「竹島は韓国に併合されている」 しこたま竹島で写真をとった後、さいわい日本人であることも露見せず無事に鬱陵島に戻った私は、同島にあった「独島博物館」を見学、その足で韓国本土に渡り、当時オープンしたばかりのソウル市にある「独島体験館」も見学した。この二施設はいずれも韓国政府が国営で運営しているもので、韓国にある竹島関連施設の全てである。 前者の「独島博物館」は鬱陵島の山間に建てられた堂々たる近代施設であり、ロープウェイを使って鬱陵島の岬から望遠鏡で竹島が展示できるよう、「”独島”展望台」が整備されている。「”独島”グッズ」を売る売店まで併設されている。 一方、ソウルの「独島体験館」の方は、アニメーションCGやジオラマ、3D映画館、竹島切手や小地図の展示を併設した最新鋭の設備を誇り、現地の小中学生の学習見学コースに組み込まれていた。 他方日本は、前述のとおり「竹島の日」式典はもとより、竹島に関する施設は島根県庁の庁舎の中に申し訳程度に設置された「竹島資料室」しか存在しない。 日本政府が本腰を入れれば、東京や大阪に、韓国に匹敵する「竹島学習館(領土記念館)」などを設置・運営することは造作も無いことだが、それをやる機運も計画も存在していない。 私は韓国に行って、なによりも現政府の「やる気のなさ」を痛感し、そのことに怒りを覚えた。「竹島は不法占拠された~」などという、生ぬるいことを言っているようでは、「領土を放棄した」と捉えられても仕方がない。「竹島は韓国に併合されている」のが、正しい認識の出発点だろう。 それなしには、「竹島を返せ」などの一見威勢のよい掛け声は、空疎空論の、徒手空拳の構えに等しい。現実を直視せず「不法占拠」などという言葉のニュアンスで濁したところで、竹島問題は微動だに前進しないだろう。 だから私は以後、「韓国に不法占拠されている竹島」ではなく、「韓国に不法に併合されている状態」というニュアンスを強調するために、「不法占領」という表記を用いている。みなさんはいかが、お考えだろうか。*筆者注現在(過去においても)、日本人による韓国側からの竹島上陸は、自粛要請が出ておりますので、余りお勧めできません。またこの旅程の詳細は拙著「竹島に行ってみた」(2012年刊行)に詳述しております。 

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    尖閣・北方領土・竹島「記念日」通じ領土意識の徹底を

    山田吉彦(東海大学教授) 「江戸の日本橋より唐、阿蘭陀(オランダ)迄境なしの水路也」 江戸時代中期の経世家・林子平は、ロシア南下政策を知り「海国兵談」を著し海防の必要性を説いた。その書の中で、日本は四方を海に囲まれ、常に海からの侵略に備える必要があること、海の道を通じ世界とつながる無限の可能性を持つことを示唆したのである。 それは国際化、情報化が進んだ現代においても変わらない。海洋資源開発が進み、海の重要性はさらに高まっているのだ。利害が輻輳する海洋利用 特に1994年に発効した国連海洋法条約は、それまでの国際関係を一変させた。海洋は地球の表面積のおよそ70%を占めているが、この条約は、不明確だった海洋権益の帰属を定めた。具体的には沿岸から12カイリの領海と、その先200カイリまでの排他的経済水域を認め、その中で発生する経済的権益を沿岸国に対し、優先的に認めたのである。この条約は1958年に国連第1次海洋法会議が始まって以降、発効に至るまで36年もの歳月を要した。それだけ海洋利用は、各国の利害が輻輳(ふくそう)し、慎重さを要するものなのだ。 国連海洋法条約成立の結果、海を広く持つ国と持たない国が現れた。そして、狭い海しか持たない国は、管轄海域の拡大に躍起となった。その代表は中国である。 中国は300万平方キロメートルの管轄海域を持つと主張するが、実際に同国が管理下に置いている海域は100万平方キロメートルにも満たない。中国は海洋権益に着目し、野心を前面に出して、その獲得に動き出した。 管轄海域を拡大するには、その基点となる島、もしくは海岸線を獲得しなければならない。そのため、中国は東シナ海、南シナ海においても強引に島の領有権を主張し、海域の管轄権を行使しようとしている。その島のほとんどは無人島である。このような島は防衛機能も持たず、中国の侵攻に耐えることができない。 しかし、中国といえども他国民が既に居住し、コミュニティーを持つ島への侵攻は難しいようだ。島嶼(とうしょ)における安全保障の第一は、島で人々が安定して暮らす社会を構築することである。無人島を他国に奪われる危険島根県竹島資料室「竹島の日」10年記念特別展。竹島の写真などが紹介されている=松江市 日本は国家が守る力を失うと、島は簡単に奪われてしまうことを北方四島で経験した。北方四島では、人々の生活が奪われ、家族を失った人も多い。かつて国後島で郷土史を教えていたロシア人教員に、ロシアが北方四島を実効支配している根拠を質問したところ「第二次世界大戦の結果獲得した土地である」との返答があった。旧ソ連軍は無防備となった島民から島を奪ったが、ロシア政府は北方四島は第二次世界大戦の戦利品であると学校で教えているのだ。 連合国軍はカイロ宣言により領土的な野心を持たないはずであるが、そのような考えについてロシアは聞く耳を持たない。日本人の性善説は、国際社会において通用しないことが間々ある。 無人島が不法に他国に占領される危険があることは、竹島を韓国に奪われたことが一例だ。既に韓国は、竹島を「独島」と称し、自国の領土であることを教育の中に取り込み、その意識を国民に徹底して植え付けている。 また中国も、尖閣諸島の奪取をもくろみ、連日、中国海警局の警備船を周辺海域に派遣し、領海にもしばしば侵入している。国連海洋法条約では他国の公船に対する法執行は禁止されているため、海上保安庁は強制的に排除することもできない。問題の顕在化が重要だ 1月から2月にかけては、海洋問題、領土・領海問題に関して地元の意向を反映する行事が続く。 1月14日は石垣市が定めた「尖閣諸島開拓の日」である。しかし、残念なことに今年の記念式典には、与党の国会議員の姿はなかった。 2月7日は、政府が定めた「北方領土の日」であり、安倍晋三首相出席のもと、式典が執り行われたが、産経新聞以外、記事の扱いは小さかった。 2月22日は「竹島の日」である。この日を条例で定めた島根県は同日式典を行う予定だ。山谷えり子領土問題担当相は、内閣府政務官を派遣する方針を発表した。式典の盛会を強く期待したい。 中国、ロシア、韓国との友好を過度に慮(おもんぱか)るため、これらの式典開催に反対する人もいるようだが、記念行事などを通じて問題を顕在化することが重要だ。政府はこれらの式典を活用し、国民の理解を促すとともに、領土・領海に関する教育を徹底し、海を越えて押し寄せる脅威から自らを守る意識の醸成を図らなければならない。 国民が海域紛争や領土侵略について考えることが本質的な問題解決の前提となり、近隣国との関係構築に向けた第一歩となる。わが国は国際法のもとに海域の安全を守り、固有の領土を取り戻すとともに、国際社会の安定に寄与しなければならない。関連記事■ インターネットで売られる日本の離島■ 無居住エリア拡大 「国防の危機」の認識必要■ 移民政策の本当の怖さ

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    知られざる「竹島」の素顔

    撮影 古谷経衡(著述家) 

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    韓国・鬱陵島の反日博物館 日本人叩き潰す内容のゲーム存在

     2013年10月、日本海に浮かぶ韓国・鬱陵島(ウルルンド)に新たな“反日”博物館がオープンしていた。「独島(竹島の韓国名)を朝鮮領と認めさせた」として、韓国人がヒーロー視する安龍福(アン・ヨンボク *注1)の記念館である。 捏造と虚構がちりばめられた展示の実態を、国防問題に精通する某大手紙の名物記者、金正太郎(かねまさ・たろう)氏が現地レポートする。* * *中国で1882年に作られた韓国の歴史や地理などをまとめた書物「東藩(とうはん)紀要」。「江原道図」では、鬱陵島(右下)のすぐ東に小さく「于山」とある。韓国側は竹島と主張するが、実際はもっと遠い 最新の反日プロパガンダ施設「安龍福記念館」は、2007年ごろに建設の構想が浮上し、昨年10月にオープン。総工費は150億ウォン(約14億9000万円)、地上2階、地下1階で延べ床面積は2090平方m、敷地は2万7000平方mと、かなり立派な箱物である。 館内にある史料はというと、1696(元禄9)年の江戸幕府による「竹島渡海禁止令」のコピーが展示されていた。 鬱陵島に朝鮮人が姿を見せたと報告を受けた幕府は、対馬藩に朝鮮側と交渉させた。話し合いは難航したことから竹島(現在の竹島ではなく鬱陵島を指す。現在の竹島は松島と呼ばれていた)への日本人の渡航を禁止することを示した書面だが、コピーの解説には「鬱陵島と独島への渡航を禁止した」と、勝手に「独島」が加えられていた。 また、1837(天保8)年に越後高田藩(新潟県上越市)で掲示された木製の高札(御触書)のレプリカもある。 江戸幕府は元禄期に鬱陵島への渡航を禁止したが、天保期に日本人が密航した事件が発生。このため「(鬱陵島は)朝鮮領に属しており、渡航を禁じる」とするお触れを出して全国に周知した。 この中で竹島については一切言及されていないが、韓国側は「幕府は鬱陵島と独島への渡航を公式に禁じた証拠」と勝手な解釈をして紹介している。 実は、高札は2009年3月に日本国内の美術品オークションに出品され、当時、産経新聞が国外流出の危機を報じて問題となったものだ。結局、韓国人の手に渡り、現在は釜山市の国立海洋博物館が所蔵し、曲解した観念で竹島領有の主張に活用されている。 記念館にある史料のほとんどが、日本の博物館や資料室が所蔵する文化財だが、「複製」とは一切表記せず、しかも無断でコピーや加工をして本物らしく展示していた。念のため、係員に「これらは複製か?」と確認したが、口をつぐんだまま立ち去ってしまった。 子供向けの展示も充実していた。「4D映像館」は可動型の座席に座って、特製のメガネをかけて立体映像で安龍福拉致事件や江戸幕府の関白を説き伏せるという“歴史物語”を楽しめる。 タッチパネル式のゲーム「私たちの国土の守護者 独島はわが領土だ」もひどい内容で、内蔵マイクの前で手を叩くと、竹島の周辺海域にいる日の丸入りの陣笠をかぶった日本人を、蚊を潰すように駆逐できる。 いかに多くの日本人を叩き潰すかでランクが決まり、“功績”が大きいと内蔵カメラで自分の顔をモニターに当てはめて「将軍」気分になれるという仕組みだ。 展示の締めくくりには、朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領が1967年の在任時に筆を執った「国土守護 其功不滅」の揮毫が飾ってあった。「安龍福が独島と鬱陵島を守った史実は『国土守護』に当たる」とし、功績は永遠に不滅だと評価したと説明書きにはある。 安が不法入国者だった(*注2)という「史実」はどこにもなく、「不滅の功績」は子の代に受け継がれる--。 結局、はるばる訪れた安龍福記念館に日本側を驚かせるような目新しい史料はなく、韓国側が繰り返してきた歴史の創作と誇張を都合よく解釈する史料が置いてあるだけだった。そのほとんどが複製品というお粗末ぶりは、日本に「歴史認識を問う」以前の、韓国社会の問題点を象徴していた。 【*注1】伊藤博文を暗殺した安重根に次ぐ“抗日英雄”。江戸幕府に竹島を韓国領と認めさせたと伝えられている。 【※注2】江戸幕府は1661(寛文元)年より、米子(鳥取県米子市)にいた町人グループに竹島での漁業や中継地としての利用を許可していた。1693(元禄6)年、前年から鬱陵島に姿を見せていた朝鮮人が増加していたことから、鬱陵島を日本領だと考えていた町人らは彼らを“不法侵入”と見なし、日本語が話せる朝鮮人と漁夫の2人を鳥取藩に連行。この日本語ができる朝鮮人が、安龍福だった。関連記事■ 反日博物館がある韓国・鬱陵島 日本人は上陸手続きで尋問も■ 韓国鬱陵島行きの船に乗った日本人報道写真家「緊迫の一瞬」■ 「独島は韓国領」とする韓国の主張は矛盾だらけと報道写真家■ 韓国の嘘バレる日迫る今こそ手を差し伸べる包容力見せるべき■ 日本人カメラマンが語るわずか20分の「竹島上陸体験記」

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    「反日」が支配する哀しき国と対話できるか

    韓国の朴槿恵大統領は、今年の年頭会見で「日韓首脳会談の開催には困難がある」と述べ、改めて日本側に姿勢の変化を求めた。日韓は今年、国交正常化50年の節目でもある。歴史認識のズレが埋まらない中で「対話による新しい関係」を築くことができるのか。

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    政治的過激主義としての韓国の反日主義

    。これも「善と悪」に分ける傾向に当てはまるという考えが出来なくもない。この前政権の政策や功績の否定も日韓関係に影響を及ぼす。(8)過激派は常にある程度の検閲と彼らの相手や批判者を抑制するよう唱道する:メディアに流される情報を規制したり、ブラックリスティング、反体制者の隔離、「禁断」な情報拡散を食い止める抑圧的な法律制定のためのロビー活動など。過激主義者らは特定の書物、資料を書店や図書館などから締め出そうと試みたり、報復の威嚇を通して広告を牽制したり、電波から都合の悪い意見を持つスポークスマンをブロックしたり新聞のコラムニストを締め出そうとする。韓国の反日活動例: 韓国の親日的な著者(たとえば呉善花女史)などがブラックリストに載せられ、売国奴として迫害を受ける。欧米の図書館の資料・地図の「日本海」に「東海」のシールを張る。また産経新聞の加藤達也記者の起訴や親日派の末裔に対する後事法的な特別法の制定などもあげられる。(9)過激派はその敵との関係で自己を認識する:過激主義者らは彼らの憎む対象、そして誰に憎まれているかを通して自分の存在意義を確認し、敵に感情的に縛ってしまうこともしばしば。敵である存在も模範にするケースもある。韓国の反日活動例: 反日的な行動を国を挙げて実行しているにもかかわらず、日本文化や産業品をパクる。自国を日本と比較して国際社会での立場を確認するという行動も見られる。日本を貶める行為をしているにもかかわらず、奇妙な共生関係にあるのだ。 (10)威嚇を利用しその主張を通そうとする:過激主義者は彼らの前提と結論を受け止めてくれるように威嚇を利用して主張をまとめる傾向がある。彼らに異論を提示することはあたかも敵に慰めを与えることになると見なされる。これには論争の範囲を定め、主張の都合の悪い部分を切り捨て、相手を守勢の立場に置き続ける意図がある。韓国の反日活動例: 日本を弁護、あるいは日本に同情する親日系の韓国の社会人は社会抹殺の対象にある傾向にある。(11)スローガンや思考停止を狙う決まり文句の利用:簡素なスローガンを複雑な抽象概念の代わりに用いり、都合の悪い事実や反論を牽制しようとする。韓国の反日活動例: スポーツの会場で掲げられる「歴史を忘れる民族は未来が無い」というスローガンの件がある。(12)終末論的な考え:過激主義者は特定の行動方針を果たさなければ破局的な結果が出るという考えを持つ傾向を持つ。韓国の反日活動例: 慰安婦像を「平和の像」と呼び、「慰安婦像を建てるのは平和的な目的だ。日本がまた未曾有の戦争を起さないようにするためであり、世界人民に対する奉仕である。」という言い訳がある。ウィルコックスによると過激主義者は私的で個人的な恨みや特権の追求の理論的根拠を「公共のための福祉」の美名の下で実行しようと試みる傾向があるとも述べている。(13)常に他グループに対する道徳的、または他の面での優越性を主張する:最も顕著なのは民族優越主義であるが、宗教的、哲学的な優越性の主張もある。しかし、比較的に明らかではないという種類の優越性では、被害者であるという申し立ての主張、神の選民意識などもあり、批判者がそれらの主張の事実性を論じようと試みると「鈍感だ」と非難される。韓国の反日活動例: もちろん北朝鮮と共有する朝鮮民族優越主義であり、小中華思想などがこれに当てはまる。また「被害者である」というところでは朝鮮併合時代の「過酷な時代」の主張がこれにあたる。また1960年代後半以降の経済活発化(いわゆる「ハンガンの奇跡」)により韓国は神の選民国であるという主張もある。(14)「良い」大義のためには悪事を行なっても大丈夫、という考えを持つ傾向がある:過激主義者たちは故意的に嘘をついたり、事実を捻じ曲げたり、不正確的に引用したり、批判者たちを名誉毀損したりする。願う結果を得られるのなら正当化され、批判者を打倒するのが優先され、他の価値論は全てそれに従属される。韓国の反日活動例: 悪事といえば、最近の例では「対馬仏像盗難事件」がある。また、日本を侮辱するために設置された韓国の日本大使館のそばにある慰安婦像は外交の基本である「ウィーン条約」に反した行いであると水間政憲氏は指摘している。国内、日本に問わず韓国の歴史的事実の歪曲もこれに当たるだろう。まさに目的を達成するならば不正をやっても良いという考えだ。(15)過激派は感情的な反応に大きな価値を置く傾向がある:まさにプロパガンダ主義であり、教育とも意識高揚ともいわれる。結果的に彼らは大義を愛国心の御旗、正義、または被害者意識に絡める。彼らの批判者に対する活動で感情的な反応を生み出す象徴を利用し、無批判に他人の同情を得ようとする傾向があり、これを通して彼らの提示する前提と結論の検証を食い止めようと画策する。プロパガンダと教育の違いは前者は「何を考えるか」であり、後者は「どう考えるか」である。韓国の反日活動例: 「旭日旗はナチス党旗と同じ」という主張。また、欧米で「慰安婦像」を建てて「(性)奴隷」という感情的な反応を狙うプロパガンダ工作もこれに当たる。小学生時代から徹底的に叩き込まれる侮日・反日教育(歴史教育のみならず、音楽などのアーツなどにも反日思想が反映されると指摘されている)。(16)過激主義者には超自然的、神秘的、あるいは神的な理論的根拠を主張することがある:過激主義者には何らかの宗教運動、または団体に属するケースもあり、彼らの活動は天的な存在のお墨付きであると主張する者もあり、信教の自由のもとで批判から防御しようと試みる。韓国の反日活動例: 儒教は絶対神の存在を説く思想ではないが、儒教に浸っている韓国社会は中華主義の国際ヒエラルキーに浸っており、基礎的な思想から侮日の伝統を持っている。伝統的な思想が侮日・反日主義のセメントとして機能しているといえるのではないか。(17)曖昧さと不確定さへの不寛容性:過激主義者たちは不確定な世界において確定性を見出そうとする傾向があり、これが個人的、政治的に操作的な行動に動かす要素となる。韓国の反日活動例: ケースは思い浮かばないが日本人は曖昧さには比較的寛容的であるが、韓国人は断言するのが好きだという指摘がある。呉善花女史も「何事につけても、こうあるべきだ、こうあることが正しいという理念が第一になって、そこから現実の物事をみていこうとする傾向が強いということである」と述べている(『反日・愛国の由来 韓国人から見た北朝鮮』参照)。これも反日キャンペーンの凄まじさに影響を及ぼしている可能性は否定できない。(18)集団思考への傾向:過激主義者は内向きの集団思考に動く傾向があり、団結と一致を守るために事実を捻じ曲げたり、矛盾する証拠を伏せたり、共有している憶説に疑問を投げかけてしまう観察を抑えつける。これによって共有している正義の幻想や道徳の優越性、迫害などが維持されそれらの考えを挑戦する者は懐疑と敵意を持って応じられる。韓国の反日活動例: 日本の前で韓国批判をする韓国人ジャーナリストは叱責、批判され、時には売国奴として扱われる傾向がある。(19)敵意の個人的化:過激主義者は“敵”に個人的な不幸を望み、不幸が起こった際には祝う傾向にある。韓国の反日活動例: 2011年の東日本大震災の惨事に日本が見舞われたときに韓国スポーツ競技ではそれを「祝う」垂れ幕が飾られた件や2005年、韓国の仁川市の地下鉄駅で子供たちが描いた日本に不幸・災難を願うポスターが展示された件などが挙げられる。(20)「勝たなければ社会はダメだ」という思想を持つ:例で言えばもし過激主義者が選挙で落選したら不正が行なわれたと主張し、もし世論が彼らを批判をし始めると民衆は洗脳されたと主張する。政治・社会システムの善悪は自分たちへのインパクトで判断される。韓国の反日活動例: 韓国の「敗北を認めたがらない文化」の影響もあるだろう。もし第三国の政府が日韓問題をめぐり親日的な処置を執行すると証拠も無いのに「日本がロビー活動した」と噂される。韓国反日主義において自国において都合の悪い事件や状況は「日帝36年強占支配」の悪影響として主張、誇張されるケースがある。◇2014年7月23日、ソウルの日本大使館前で従軍慰安婦問題に抗議する集会の参加者(共同) いかがだろうか。もちろんこれは韓国社会における傾向、トラジェクトリーの分析であり、韓国の国民のひとりひとりがこれに当てはまるというわけではない。提示した反日の例は一握りのサンプルであるが、読者はこれらに当てはまるさらに数多くの適切なケースを思い浮かべるかもしれない。 述べるまでもなく、韓国の反日傾向は幾多もの角度から分析されている。文化的、政治的、歴史的、そして経済的な分析などがある。何百年にわたって徹底された儒教の影響がいまだに濃いのでそれに起因しているのも大きい理由だろう。しかし、結果としてウィルコックスがいう「過激主義者に見られる特徴」のほぼすべてに韓国反日主義の特徴が当てはまるというのは一体、何を物語っているのだろうか。 民族が違えば文化も違うのも当たり前だが、この現象もシンプルに「文化の違い」で済まされるものなのだろうか。朱子学という儒教思想は「過激的」な文化を生み出してしまうものなのか。問題は複雑である。 また、ウィルコックスが掲げる点の要素のすべてが韓国の反日主義に何らかの形で見つけることが出来ても、侮日・反日主義の実行者ら自らが「過激主義者」であると認識して実行しているとは考えることは殆ど無いと思う。 彼らの立場から見れば正義のために戦っているから、それが「過激」とは思いもしないだろう。韓国ではそれが当然であり、文化的に正しい行為と見られているのは幾多の研究者に指摘されてきた。しかしウィルコックスは過激主義は必然的に「主張の内容(Content)」ではなく「やりかた(Style)」であるとも述べている:「過激主義者の振る舞いは内容を超越する“やりかた”によって特徴付けられる。たとえ正しい大義であっても、激しく不寛容的で復讐的な唱道によって危うくされる可能性もある。(中略)『鼠を捕まえるために小屋を焼き払う』という古い格言がこの問題に当てはまる」(The Watchdogs: A close look at Anti-Racist “Watchdog” Groups) 自国の利権、国際的な信頼をも危うくしてまで侮日・反日を繰り返す韓国。この視点からも見れば、やはり韓国の反日主義はある意味、立派な「過激主義」であるという見方も可能なのではないのか。上記の特徴が社会内の特定の過激主義組織だけではなく、主権国家自体に当てはまるとは実に恐ろしい現象だといえるだろう。 2015年は第二次世界大戦の終焉の70年にあたる年である。また「日韓基本条約」締結の50年にあたる年でもある。第一次世界大戦勃発100年記念に踵を接する今年には世界中で多くの行事が行なわれ、書籍が出版され、ドキュメンタリー番組が制作されるだろう。この歴史的な年に当たって韓国を含む「東アジア反日3兄弟」は日本に対して心理的に露骨な宣伝工作と情報戦を繰り出す意図でいるのは明らかだ。 日本はウィルコックスの分析も参考に、歴史的事実としっかりとした論理を手に首尾一貫した戦略を練ったらどうだろう。エリ・コーヘン前駐日イスラエル大使が2014年春に助言したように、日本人は総力を挙げて戦うべきだ。 ウィルコックスは歴史家でもある哲学者アーサー・ケストラーの次のことばを引用している。「神話中毒者との対話のほとんど全ては失敗に帰する。論争は最初から客観性から離れ、主張は長所によってではなく思想体系に適するか否かで考慮される」。もしそうなら、日本は反日に染まった韓国をダイレクトに相手にするよりも、精力的に事実を世界各国に発信するという戦略をとったほうが実を結ぶことができるのかもしれない。まさに情報の総力戦だ。 いずれにせよ感情を煽り歴史を歪曲する相手の戦略に対抗し、日本の命運と未来のために立ち上がり、戦うべき年。それが2015年なのである。関連記事■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 「右翼」「排外主義」狂奔するレッテル貼り■ 反日の根底には「恨」の感情がある

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    産経攻撃は卑劣な最終独立兵器の作動だ

    古田博司(筑波大学教授) 昭和28(1953)年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。下関市立大学助教授などを経て、現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。韓国滞在が長く、朝鮮半島の研究者として著名。文明論や思想についても論考を多数発表しており、本誌で「近代以後」を連載中。著書に『日本文明圏の覚醒』(筑摩書房)、『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国』(ワック)、『ヨーロッパ思想を読み解く』(ちくま新書)など。朝貢とはゴネとたかりである 今回正論編集部から現在の韓国問題が旬だから書いてくれとの依頼があった。そこで歴史的な経緯をどこまで遡るべきか、悩んだのである。戦後の朝鮮研究は、共産主義者の左翼や社会主義のほうが資本主義よりも「自由」だと思い込んだ、自由主義者に非ざる日米版リベラリストたちにより大きな制約を受けてきた。 朝鮮半島は、清のヌルハチの息子が奉天(現・瀋陽)から軍を発して一週間余りでソウルを落とせるほど平坦な、いわば廊下である。この廊下を満州から切り離し、そこに自立性を見出すことに彼らは躍起になったのだった。そしてその自立性を帝国日本が奪ったのだと喧伝した。 だが、廊下は廊下であるから、異民族の侵入に抗することができない。歴代の王は逃亡する。李朝では、海沿いの江華島に逃亡用の王宮までしつらえられていた。このような国では、まともな国家運営はできない。国内では宮廷派閥闘争と粗放な古代経済ばかりが繰り返された。そして貨幣流通の企図はその都度挫折したのだった。 満州には、モンゴル系の部族とジュシェン(女真)系の部族がいた。それらはいくつかの小部族に分かれており、そのうちの或る者たちは朝鮮と同じようにシナに朝貢した。別にシナを慕って朝貢するわけではない。行くと、シナ側から金銀、絹布、薬材、香料、針、衣服などの高価な賜い物があるから行くのである。これを賞賜とか回賜とか言っていた。これを国に持って帰って売るわけである。 朝貢使節の人数分くれるので人数を水増しし、それがばれて戦争になることがあった。明の正統年間にはモンゴル系のオイラト族がこれをやり、両者緊張してオイラトは明に侵入し、保安の近くの土木堡でぶつかって、あろうことか明帝の英宗が捕まってしまった。これをシナの歴史では、シナにとってあり得べからざる変事として、「土木の変」(1449年)という。 この戦いでは李朝は軍馬として3万匹を明から要求されたが、ゴネて負けてもらった。援軍をよこせと言われたが、倭寇が侵入するのを明の代わりに塀となって防いでいると言い訳しゴマかして、行かなかった。こういうのをシナと朝鮮の宗藩関係とか、臣従関係とかいう。 結局オイラトは朝鮮に南下してこなかったからよかったものの、ここを貫かれれば、今度は朝鮮を橋頭堡にしてシナ全土への征服戦が始まるのである。これをやったのが、清のヌルハチとその息子だった。廊下としての朝鮮は、シナにとっての地政学上の弱点なのである。だからシナは朝鮮とワンセットで北方異民族に対するが、朝鮮はごねたりゴマかしたりして、自己のダメージを最小限にすべく努めるわけだ。女や軍馬を強制される伝統 満州の遼陽には明の派出の軍政府があった。李朝はここを通じて、北辺の衞りに馬1万匹とか、処女(若い娘の意)3千人とかを要求される。馬はモンゴルに征服された時代に、済州島を丸ごと馬牧場にされたため、朝鮮には馬が豊富だと思い込まれ、後世も要求された。すぐ凍死するので頭数も多い。処女何千人というのは、モンゴル時代に高麗人の下女が大都の貴族家庭で大人気だったので、これもシナの思い込みを払拭できなかったのかもしれない。これが「従軍」慰安婦の韓国発「強制性」の起源だろうか。 遼陽の軍政府を通じて、李朝は年3回の朝貢使節と随時のそれを遼陽ルートで送った。それ以外にも、北方民族の動きやシナの王族争いの貴重な情報源として、適宜官吏を遼陽に送っていた。ここには降伏したジュシェン人たちの居住区もあった。 17世紀になって、ジュシェン系の勢力が伸長した。ジュシェン人は遊牧民のモンゴル人と異なり、定住農耕もする狩猟民だった。明人が毎年ジュシェンの地を侵し、銀を掘り、高麗人参を採り、木を伐り、松の実、きのこ、キクラゲ、川真珠を取っていくので、越境した明人を見つけ次第殺していた。 ついにヌルハチは怒りを発した。「明は天下の国の中で自分の国が主であるというのだ。主であればすべての国に悉く主であるはずだ。どうして我ひとりだけに主であらうか」(満文老トウ研究会『満文老トウI』東洋文庫、47頁)。今風に言えば中華思想に対する憤怒であろうか。ジュシェン・モンゴル連合軍に対し、明は李朝に援軍を要請した。李朝はこの度はゴマかせなかった。 撫順近郊のサルフで、両軍は激突した。朝鮮兵は敵の勇猛さに恐れをなすと旗をみな隠して、「我が朝鮮はこの戦争に好んで参加したのではない」(同、133頁)と、命乞いし、明兵をみな捕へて山の下に転がした。ジュシェン軍は1625年、ついに遼東を占領した。最終独立兵器はゴネ・からみ・ツッパリ ヌルハチが没すると、子のホンタイジがハンとなった。彼の賢さはまず朝鮮を討ったことである。国境の義州城を落とすと、そのまま軍を江華島に送り、すでにここの王宮に逃げこんでいた朝鮮王を囲んだ。武将が泥人形のように固まった王を見て、彼のハンに対するかつての無礼をなじると、王は「我は知らない。我らの諸大臣が言ったことである」(同・、48頁)と家臣のせいにした。 その後、朝鮮に軍資金として金、銀、角(薬材)を供出させようとすると、「我が国の産物ではない」と言って、十分の一だけ払ってきた。使者を送り、ジュシェンとモンゴルの諸王たちの親書を渡そうとしたが受け取らなかった。これは2年前の8月23日、李明博前韓国大統領の竹島上陸や天皇陛下への謝罪要求に遺憾の意を表明した、野田佳彦前首相の親書を拒否した非礼を彷彿とさせる。このあたりから、韓国は中国を頼みにし、日本を侮辱し始めたことが分かるだろう。 さて、王宮で監視下に置かれたジュシェンの使者は馬を奪って脱出するが、途中、朝鮮王の使者に出会う。王が辺境の警備軍に発した勅書を持っていた。そこには、こうあった。ジュシェンは分を越えて尊大で、我らに密かに書をよこした、と。そして「強弱存亡の形勢を計らず、正義をもって断絶し、書を受け取らず断乎として拒否した」(同・、九七〇頁)とも書かれていた。かくしてホンタイジは第二次朝鮮征伐を決意するのであった。無人の荒野を行くがごとくの快走でソウルを落とし、逃げた王を追って南漢山城を包囲すると、朝鮮側はあっけなく降伏した。東洋的専制圏の極東「韓国」 民族の行動様式は繰り返されるという前提でざっと朝鮮史をさらってみたのだが、こういうのは左翼やリベラリストの概説書には絶対出てこないので、読者には新鮮に映るのではないだろうか。戦前には、このように満州と朝鮮は一体で研究され、「満鮮史」として高いレベルを有していた。最近ようやく荷見守義『明代遼東と朝鮮』(2014年)などの良書が刊行され、満鮮史研究はふたたび東洋史の側から始められている。おそらく朝鮮史研究者は東洋史研究者ほどには漢文ができないし、弟子もうまく育っていないので、将来的には消え去る運命にあるのではないかと危惧される。 もっと問題なのは韓国のほうである。日本の左翼・リベラリストの自立史観から発展した自己中心史観で教育されるものだから、歴史的個性から無意識に出てくる行動様式と歴史観がちぐはぐになってしまい、自分たちの姿が全く見えなくなっているのである。ゴネ・たかり・からみ・ツッパリ・人のせい・イガンヂルなどの卑劣DNAが、自分たちの独立を守ってきたのだという自覚のないまま、無意識で拙劣なことを海外に露呈し続けるわけである。繰り返し言うが、朝鮮半島は廊下であり、まともな国家が存立できる基盤を欠いている。独立は常に卑劣なる手段により全うされてきたのであった。あまりに卑劣なので元明交替期には、明ですら李朝が秘かにモンゴルと通じているのではないかと疑っていたほどである。 ここにもう一つの要素が加わる。今度は、この連載の二回目で詳述した、ユーラシア大陸の極西から極東に及ぶ、圏(zone)の問題だ。具体的には、ロシア・中国・北朝鮮・韓国がこれに含まれる。 これらの地域は歴史上、独立採算制の地域分業、すなわち封建制を経験したことがない。分業がうまくできない地域なのである。もちろんインドは、カーストという分業をしているからこれらの圏には含まれないし、日本も神道の神様まで分業しているくらいの分業得意国である。では、分業がうまくできない国とは、どのような国なのだろうか。分業は仕事を分割して人にまかせるということだから、できないことには信頼関係が生まれない。信頼関係が生まれないから、約束関係も契約関係もダメだ、ということになる。分業がダメな東洋的専制体制 結果として社会的な信頼関係や契約関係が育つことがなく、凝集力を欠いた社会の上に専制集団が派閥をもって君臨し、その不断の闘争による政権交替のみが腐敗緩和の浄化装置となっているというのが、この地域の特徴ということになるだろう。私はこれを東洋的専制圏(A Zone of The Oriental Despotism)と称している。 民衆は「長いものには巻かれろ」式に専制集団や独裁者に従い、経済・政治の責任ある主体であることを自ら好んで回避する。統治形態は王朝国家、征服王朝、独裁国家、強権政体を歴史上繰り返してきた。 社会的に信頼性や契約性が育たないため、国内の規範・法のみならず、国際的なルールにも進んで従うことができず、自己中心的な価値観で無謀な行動をとりやすい。自己中心的な価値観は他の価値観や社会の多様な言論の存在を許さないが、その不寛容性が却って、彼らの社会的凝集力となってしまっている。そのような圏である。 もちろん圏としてでなければ、その諸特徴をもつ組織は他の国にも生まれる可能性がある。日本で言えば、戦時中の軍部や戦後のマスコミの一部など。学歴エリートの専制的幹部と、信賞必罰なしにラインを上昇するヒラメ体質の部下たち、自己保存と出世欲だけの社員が集まれば東洋的専制体制に限りなく近くなる。なぜそうなるのか、私は海の向こうの東洋的専制圏との共鳴、あるいはそこから伝統的な知識を借りるという、アジア主義の深い影響を挙げたくなる。中華思想や華夷秩序がその核になっているのだということは、本連載でも繰り返し述べてきた。産経新聞支局長言論弾圧事件 さて、ここまで来て産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が、朴槿恵韓国大統領の名誉を毀損したとして、情報通信網法違反の罪で在宅起訴された事件を取り上げてみたい。 加藤記者は4月に起きたセウォル号沈没事故に関連するコラムを書き、8月3日の産経新聞電子版に掲載された。コラムは沈没事故の当日に朴大統領が事故の報告を受けてから本部に顔を見せるまで「空白の7時間」があったことに触れ、韓国紙のコラムを引用しながら、朴大統領の男関係のうわさを証券街の関係筋の話として紹介した。(毎日社説、10月10日付) 産経への捜査は、市民団体による8月6日の告発が発端だが、翌七日に青瓦台の広報首席秘書が「民事、刑事上の責任を最後まで問う」と発言し、同8日にはソウル中央地検が出頭を求める素早さだった。(東京新聞、10月9日付) 朴大統領は、すでに捜査が始まっていた9月16日、「国民を代表する大統領に対するぼうとく的な発言も度を越している」などと発言し、その2日後、最高検察庁はネット上に虚偽事実を広める犯罪への対応を強化し、ソウル中央地検に専従捜査チームを設けて徹底的に捜査すると発表した。(朝日新聞、10月10日付) 検察がネット監視強化を打ち出すと、韓国で広く普及している無料チャットアプリ「カカオトーク」の利用者の一部に不安が広がり、セキュリティー機能が高く評価されるドイツのアプリ「テレグラム」へ乗り換える、いわゆる「サイバー亡命」が続出し、10月初旬の一週間だけで150万人が亡命する。危機感を抱いたカカオトークの運営会社は、捜査機関に通信内容を渡すようにという裁判所の令状に基づく命令に協力したことを認めた。(毎日新聞、10月10日付) 国内法で外国人特派員の国外での言論を弾圧するという異様な挙に、日本新聞協会、ソウル外信記者クラブ、日本外国特派員協会、国境なき記者団、日本ペンクラブなどが次々と懸念と憂慮を表明し、米紙ニューヨーク・タイムズは朴政権の光州ビエンナーレへの介入を取り上げ、表現の自由の弾圧を行っているという画家の言を紹介した。 米国務省のサキ報道官は8日の記者会見で、「我々は言論と表現の自由を誇りをもって支持する」と、暗に朴政権を批判した。11日には、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が朴政権の政治的意図を挙げ、韓国側を明瞭に批判した。韓国司法の分業失敗 この事件の背後には、まず韓国司法の分業の失敗が存在する。韓国法院(最高裁判所)の下に、1988年違憲審査を行う憲法裁判所が設立されたが、2004年に、盧武鉉元大統領が国会の3分の2以上の賛成で弾劾訴追されたとき、憲法裁判所が違憲判決を出すことにより盧氏を救った。これより政治家は憲法裁に持ちこんで生き残りを図り、憲法裁は違憲判決を出すことにより政治的な勢力を拡大するようになってしまった。2011年8月、「従軍」慰安婦の損害賠償請求を政府が支援しないのは違憲だとする判決は、李明博大統領をさらなる反日へと追いつめた。他方、検察を統御する法院は2013年、憲法裁判所に対抗し、日本企業に戦時徴用工への個人賠償を認める判決を出した。検察と憲法裁が分業することなく、互いの専制権力を求めて暴走を始めたのである。司法の場で、専制集団が派閥をもって君臨し、その不断の闘争で法治主義を危機に陥れる事態となった。 第二に、ではなぜ産経は狙い撃ちにされたのか。産経新聞の一面コラム「産経抄」(10月4日付)は、「かねて慰安婦問題の真相究明に努めてきた小紙を韓国が狙い撃ちにしたのではないか、という論評すらある。漢江の奇跡をなし遂げた偉大な父の娘である大統領がそんな狭量ではあるまい、と抄子は信じて疑わぬが」と、控えめに語ったが、はっきり産経の狙い撃ちであり、娘は狭量だと言わねばならない。 周知のように韓国は戦時中、日本の対戦国でもなければ戦勝国でもなかった。米軍の進駐により棚ボタ式に独立を得た彼らには、国家の正統性がない。北朝鮮の金日成は中国の軍隊の一司令官で命からがら極東ソ連領に逃れたが、それでも独立戦争を一応戦ったという正統性がある。他方、南の方では、レンガ工場などに潜んでいた共産主義者は戦後北に渡り、金日成に粛清された。 上海に逃げて中国国民党の食客になっていた大韓民国臨時政府は民族主義者と共産主義者の混成集団で、頭目の李承晩は二年で追放され、副頭目の李東輝は辞任したが、コミンテルンからの資金を独り占めし、テロリストの金九の私兵だった光復軍は、ミャンマーの英軍に日本人捕虜の通訳として八名派遣しただけで終戦を迎え、臨時政府は現地で瓦解したのだった。誰も戦っていないので、戦後の韓国では卑劣な爆弾魔を英雄にするしかなかった。 歴史上、長らくイングランド総督府に抗したアイルランドにもテロリストはいたが、彼らは英雄の栄誉にはあずかってはいない。韓国が卑劣なテロリストを英雄にできるのは、卑劣行為への国内基準が国際基準よりもはるかに低いからである。 文化水準がずっと上のシナの横に控え、武力が糅てて逞しい北方異民族を北にこらえて、袋型の廊下に芥のように溜まってしまった民族に、卑劣という戦術をやめろというには無理がある。国家の正統性が卑劣行為により捏造されるという誘惑に彼らが勝てるはずはなかったのである。 それでも韓国が法治国家、民主主義国家にでもなれれば、それなりに正統性が担保できるはずだったのだが、前述のように、それもままならないことになってしまった。南北で最終独立兵器が作動 それゆえ、日本を悪者にし続けて、それと戦ってきたという正統性の偽史が韓国にはぜひとも必要だった。したがって慰安婦問題の真相究明に努めてきた産経新聞のスクープと、慰安婦誤報放置への朝日新聞の謝罪は、朴槿恵大統領には政権の正統性を揺るがしかねない大地震なのである。この動揺は、北朝鮮の正統性を欽慕する韓国左翼政党や労働組合、教職員組合などの左翼勢力にとって、これまで強権で押し切ってきた朴政権攻撃への狼煙となるやも知れなかった。 この独立の危機に臨んで、日本に対するゴネ・からみ・ツッパリという最終独立兵器が作動する。ジュシェンに対し李朝の王が「強弱存亡の形勢を計らず、正義をもって断絶し、書を受け取らず断乎として拒否した」と、あくまでも突っ張ったのと類似である。「慰安婦問題から始めないならば、悪者の日本なんか相手にしてやらないぞ」と、廊下半分の主である朴槿恵大統領は専制君主のごとく自らを偽装した。時同じくして中国に原油を止められじり貧状態となった北朝鮮は、「身代金を払わなければ帰してやらないぞ。日本がまず誠意を見せなければならない」と、ゴネとたかりの最終独立兵器をちらつかせた。 日本人にはもう分かっているのだ。彼らは東洋的専制圏のダークサイドに落ちる。卑劣な最終独立兵器の作動は、彼らの最期と魚爛の如き未来をはからずも予言しているといえるだろう。関連記事■ 加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず■ 秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である

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    行き詰まる朴政権の反日外交

    西原正(平和安全保障研究所理事長)平和・安全保障研究所理事長。京都大学法学部卒業。米国ミシガン大学から政治学で博士号を取得。京都産業大学国際関係論助教授、教授を経て、77年から00年まで防衛大学校国際関係論教授。その間、米国ロックフェラー財団客員研究員、防衛研究所第一研究部長を務める。00年から第7代目防衛大学校長。06年退任、同年6月より現職。ASEAN地域フォーラム有識者グループメンバー。領土・主権をめぐる内外発信に関する有識者懇談会座長。13年産経新聞「正論」大賞受賞。  北東アジアの力関係が変動する中で、安倍晋三首相はそれを巧みに利用し成果を挙げつつある。特に安倍政権を非難し続ける韓国の朴槿恵政権は、慰安婦問題を対日外交の中心に据えているため行き詰まりをみせている。日本は日米同盟を地域の安定軸として北東アジアの勢力均衡を有利に展開する外交を続けるべきである。 日米の不興買う韓国の政策  韓国で最近会った研究者は「慰安婦問題は朴政権にとって政権の正統性にかかわる問題だ」と言っていた。朴大統領は就任以来、外国要人に「告げ口外交」をし、折あるごとに「歴史を直視していない」と日本を非難してきた。今年3月1日の独立運動記念式典の演説でも8月15日の光復節の演説でも同様の対日批判を展開した。 当然、日本の反発も強くなる。雑誌などでは、「歴史を直視せよというのなら、ベトナム戦争時代の韓国兵によるベトナム女性への性的暴力を取り上げるべきだ」とか、朝日新聞が慰安婦強制連行報道の誤りを認めたのを受け「韓国は強制連行はなかったという事実を直視すべきではないか」といった反論が噴き出している。   ラッセル米国務次官補(東アジア太平洋担当)も、歴史認識問題を脇に置いて日韓協力を進めるよう要請している。ケリー米国務長官が今年2月、ソウルで朴大統領と会談した際、大統領が慰安婦問題のみに言及したため、長官は極めて不愉快だったといわれる。  韓国が反日攻勢で連携を追求している当の中国の戦略は、反日姿勢で協力しつつ韓国を自国の影響下に入れることにある。したがって韓国が反日攻勢への協力を呼びかけると、中国は強力な「韓国抱き込み」外交を展開する。対中傾斜で揺れる韓国国内 中国の習近平国家主席は7月3日のソウルでの中韓首脳会談で、来年の抗日戦勝利記念行事を韓国と共催しようと提案した。これには朴大統領も即答は避けたようである。9月27日付の韓国紙朝鮮日報日本語版では、中国指導部に影響力があるとされる王義●・中国人民大学国際問題研究所長が韓国の学術会合で26日、「中韓関係を定義しなおす必要がある。(同盟あるいは準同盟条約の)『中韓善隣友好協力条約』の締結は中韓関係の積極的発展において避けられない流れにある」と述べている。  このままだと、対中経済依存が深化するとともに、韓国は中国の「衛星国」になってしまいそうである。中国に傾斜しすぎることへの警戒心は、すでに韓国国内でも次第に大きくなっている。  韓国の対中傾斜への懸念は米国でも強くなっている。米国が要請してきた共同のミサイル防衛(MD)構想に対して、韓国が中国への配慮から拒んできた。この4月に行われた米韓首脳会談でも、米国が共同のミサイル防衛を唱えたのに対して、韓国側は独自のミサイル防衛を主張し、2つの立場を併記するという奇妙な共同声明が出された。米軍から韓国軍への戦時統制権(OPCON)移管をめぐっても、韓国が2015年末という時期で揺らいでいることにも、米国は苛立(いらだ)っているという。  韓国の対米関係の緊張の種はこれにとどまらない。米国は、韓国との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を締結することに躊躇(ちゅうちょ)している。それは秘密情報が中国に漏れる懸念があるからである。韓国の方も対中配慮から米国との協定には及び腰だという。  米国人の中には、5万人余の米兵の命を犠牲にして韓国を守ったのに、韓国がその敵国、中国に接近していることで、韓国の信頼性を疑問視し、米軍の早期撤退を説く者も増えているという。日米韓の連携へ引き戻せ  安倍首相は政権に就いて以来、アジアをはじめ世界50カ国近くを訪問し、そうした多くの国で「集団的自衛権行使を通しての平和への積極的貢献」を説明してきた。これまでのところ、日本の集団的自衛権の行使容認を公に批判したのは韓国と中国だけである。両国はむしろ孤立しており、その日本批判は無力化されている。  韓国は「自衛隊が朝鮮有事で行動するには韓国の了承が必要」との立場を表明したが、安倍首相は逆に、「在日米軍が半島で作戦するには日本政府の同意が必要」と韓国側をやりこめている。  安倍首相は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のホストとして、習主席が日中首脳会談を断りにくいのを巧みに利用し、その実現へと動いている。日韓首脳会談が取り残されることに焦った韓国は、あわてて日韓外相会談に応じた。9月24日の国連総会での演説では、朴大統領は慰安婦問題を批判したものの日本を名指しするのは避けていた。 韓国は、反日政策を進めて中国の影響が増大する不利を、遠からず認識するのではなかろうか。反日政策で米国の支持を失うリスクはもっと大きい。日本は米国とともに韓国が日米韓連携の利点を再認識し、対日政策を軌道修正するよう促すべきである。韓国外交は東アジアの安定に寄与するようなものでなければならない。●=木へんに危関連記事■加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず■「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■韓国はどうして日本を許さないのか

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    日本の離島が狙われる

    日本の離島が危ない。人口減少による過疎化や高齢化、産業の衰退…。近年では中国やロシアによる軍事的脅威にさらされ、韓国をはじめとする周辺国の土地買収など外資流入も目立つ。国境の離島は今、どんな状況に置かれているのか。iRONNA編集部が対馬より報告する。

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    太政官指令「竹島外一島」の解釈手順

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)はじめに 我が国と韓国との間の竹島領有権論争において語られる争点の一つとして「太政官指令」と言われるものがある。明治10年(1877年)3月に明治政府の最高国権機関である太政官を代表する右大臣岩倉具視が、内務省(内務卿大久保利通の代理として内務少輔前島密)からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文がそれである。 この指令は、現在、韓国と日本の多くの学者・研究者によって、明治10年の時点で日本の政府が今の竹島を「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈されており、それはほとんど「定説」となっていると言うような状況にある。 本稿では、しかしながらその解釈は全く根拠のないものであり未だ証明されていないものであることを指摘することにより、太政官指令をめぐる論争に一石を投じて見たい。太政官指令が発された経緯  竹島領有権論争におけるこの太政官指令の問題は、先般出版された島根県竹島問題研究会編の『竹島問題100問100答』において問題の難易度三段階区分の「難易度3」に分類されていることからも分かるように、いささか難解である。おそらくこの問題の経緯や関係資料を詳しく知っているという人はそれほど多くはないであろう。しかし、指令の正しい解明に向かうためには太政官指令が発された経緯やその関係資料を一通りは見ておく必要があるので、なるべく簡単に説明したいとは思うが、しばらくお付き合いを願いたい。 明治新政府が発足して全国的な地籍調査が行われることになったが、その過程で、明治9年(1876年)10月、島根県が「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と題する伺文書を内務省に提出した。その内容は、隠岐の彼方にある「竹島外一島」を島根県の地籍に入れたいと考えるがそれでよろしいか、というものだった。 島根県の伺文書には、その「竹島外一島」を図示する絵図面である「磯竹島略図」と「竹島外一島」の様子や来歴を説明する「原由の大略」という説明文書が添付されていた。これらを見れば、島根県の伺文書の題名では「竹島外一島」という表現が用いられているが、それは「竹島」(磯竹島ともいう)と「松島」という二つの島を指すものであることが分かり、また、ここが一つのポイントになるのだが、その「竹島」というのは韓国の鬱陵島であり「松島」というのは現在日韓間で紛争が生じている竹島であるということは、見る者が見れば一目瞭然である。 島根県の隠岐と朝鮮半島の間の日本海中には韓国の鬱陵島と現在日韓間で紛争が生じている竹島の二つの島があるが、かつて江戸時代の日本では鬱陵島は大きな竹が多数植生しているところから「竹島」と呼ばれ、今の竹島はおそらく「竹島」と対をなすというような意味合いからか「松島」と呼ばれていた。島根県が提出した資料は江戸時代の商人が鬱陵島に実際に往来していたときの記録に基づくもので、島の形その他の書きぶりがかなり正確であるために、現代において竹島問題を研究する者はそこに書かれた二つの島が現実のどの島であるかを間違うことはまずないと言える。 島根県はそういう書類を内務省に提出した。そして、内務省はそれら書類を見た上で独自調査(古記録の調査)も行い、「竹島」という島は、かつて元禄時代に日本(徳川幕府)と朝鮮との間で領土争いが生じたが最終的に徳川幕府がそれは朝鮮のものだということを承認した鬱陵島であるという事実を確認した。「元禄竹島一件」と言われる事件のことである。 その結果、内務省は、徳川幕府の決定は維持するべきであり島根県が質問して来た「竹島外一島」(竹島と松島)は日本の版図外として扱うことを変更する必要はないであろうとの判断を固めたが、ただし、ことは領土問題なので内務省限りで判断するのもどうかとの考えから、そういう方針で良いかどうか上部機関である太政官の判断を仰いだ。その際には島根県が提出して来た伺文書(「磯竹島略図」や「原由の大略」が含まれる)と内務省の独自調査の結果を併せて太政官に提出した。その結果として出された太政官からの回答が冒頭の指令文である。太政官指令の解釈をめぐる状況 そういう経緯のもとに発出された指令であるから、日本と韓国との間で竹島領有権論争が進行中の現在、多くの学者・研究者から、太政官は島根県が図示して来た「竹島」と「松島」すなわち鬱陵島と今の竹島を「本邦関係無し」(=朝鮮のもの)と指示したのだとする解釈が強く主張されていて、それは圧倒的な多数説を形成している。この解釈は、ふつうに考えて竹島領有権論争において「韓国有利、日本不利」の材料となるから韓国人の学者・研究者で太政官指令について言及する者はほとんど全員がこの解釈である(韓国政府も同じ)のは当然のことかも知れないが、日本人の学者・研究者の間でもこの解釈が多数派である。日本においては、これに対して、そうではない可能性を指摘する研究者も存在するが、全くの少数派である。 そういう現状は、単に竹島領有権論争の争点の一つについての議論の優劣というレベルを越えて、次の二つの点で現在の日本政府の竹島領有権主張の根幹に大きな疑問を投げかける結果となっている。一つは、日本政府は明治38年(1905年)に竹島を公式に領土に編入したのだが、そのときの閣議決定では竹島は「無主地」(どこの国の領土でもない土地)であると前提されているけれども、その28年前に日本政府は竹島を朝鮮の領土であると公式に認定していたのだから、1905年の竹島領土編入は朝鮮領土であることを知りつつ決定した不当なものであったということになる。もう一つは、現在の日本政府は竹島を日本の「固有の領土」と主張しているが、政府がかつて朝鮮領であることを認定していたものを日本の「固有の領土」と主張することは自己矛盾も甚だしいということになる。この二点はいずれも、竹島(韓国では「独島」と呼ばれる。以後、韓国側の主張について述べるときは「独島」ということがある。)の領有権について絶対の自信を持っている韓国の学者・研究者、さらには報道機関においても、日本政府の竹島領有権主張を非難するための格好の材料となっている。 しかも、現在の日本政府の竹島問題の担当部署である外務省が日本に不利のように見えるこの「太政官指令」問題について沈黙している(かつて韓国の新聞社が太政官指令についての見解を外務省に問い、内容調査中であり現時点では回答できない旨の回答を得たことがあるという。また、外務省の竹島問題広報資料にはこの問題が一切触れられていないことが韓国側の研究者などからしばしば指摘される)ことが、韓国側の独島領有権主張に一層の自信を与えているようである。韓国においてこの「太政官指令」問題が広く知られているとまで言えるかどうかは分からないが、近年、報道などで取り上げられることは多くなっていて、太政官指令の存在を知る者たちはまず例外なく「太政官指令によって日本政府の主張が虚偽であることが明らかとなった」と見ていて、太政官指令は竹島領有権論争で日本政府を打ち負かすことのできる決定的な資料であると考えているようである。 一例として、これは先般韓国の一地方紙(ネット版)に掲載されたものであるが、ある大学教授が次のように述べているのを見れば、彼らの自信のほどが窺える。 大統領は1877年に日本政府が発表した「太政官文書」を持って独島を訪問して、世界の言論の前で「日本政府自らが独島は日本領土でない」とした太政官文書を公布することだ。日本政府は韓国大統領の独島訪問に対して強力に抗議するだろうが、大韓民国の大統領が自国領土としての最も強力な証拠を持って自国領土を訪問するのなら、世界の言論の前で日本の抗議はすぐに影が薄くなってしまうだろう。「太政官文書」は近代国民国家に成長した日本政府が国際法に基づいて自ら「独島は日本領土ではない」と領有権を否認した文書だ。 (下線は引用者=筆者が付した。相手国の内部文書を「自国領土としての最も強力な証拠」とする考え方が面白かったからであるが、ともかくも彼らはそういうふうに考えている。)実は根拠のない解釈 上記のような状況にある太政官指令問題だが、一般に流布している多数派的解釈―太政官は竹島=鬱陵島と松島=今日の竹島を日本と関係無しと指令したとする解釈―には実は全く根拠がないと言えば読者はにわかに信じられないと思われるだろうが、太政官指令の解釈にはいくつかの問題が存在していて、多数説が言うほど単純に結論を言うことはできないのである。 その事情を順に述べていくこととするが、まずは、多数派的解釈の理由ないし根拠を確認しておこう。二つの例を挙げる。 太政官決定に言う「竹島」と「外一島」がどの島を指し示しているかは、付属文書の中で明らかにされている。「磯竹島 一ニ竹島ト称ス……次ニ一島アリ松島ト呼フ………」(乙第二十八号) 当時、日本では、現在の欝陵島は付属文書が記すごとく「磯竹島」あるいは「竹島」と呼ばれ、現在の竹島(独島)は「松島」と呼ばれた。これら二島が、現在の欝陵島及び現在の竹島(独島)を指していることは「磯竹島略図」によって決定的に確証される。 しかるに、この決定の言う「竹島外一島」がはたして鬱陵島と竹島のことか否か確認が必要であるが、「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と名付けられたこの資料の末尾に略図が添付されており、そこでは隠岐の島からの方角と距離の書き込みとともに二つの島が描かれており、鬱陵島と竹島であることが明確に示されている。 (下線はいずれも引用者=筆者による) この二つの例に共通すること、それは、「島根県が提出した資料に書かれていること」が太政官の判断の証明になるという考え方だ。 (1)太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは別のもの 上記のように、端的に言えば「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実が多数説の理由ないし根拠なのである。上の二つの例だけではない。他の学者・研究者の説明も筆者が見た限り全てこれと同趣旨である。ここで太政官指令の解釈において存在する問題の一つ目を指摘したいのだが、それは、「太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは全く別のものである」というごく当たり前の事実だ。 太政官指令の解釈において問題とされているのは、太政官(及び内務省。以下同趣旨。)は「どの島とどの島を想定して」本邦とは関係無しと判断したのかということだ。つまり、太政官の認識(あるいは判断、思考、主観というような言い方もできる)を明らかにすることが課題なのである。そのときに、内務省あるいは太政官が作成したものであればともかく、太政官とも内務省とも全く別の機関である島根県が作成して提出した資料に書かれていることが果たして太政官の判断の証明となり得るものなのか。答えは否である。太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは互いに別のものなのだから、島根県が提出した磯竹島略図に客観的に見て正しい事実が描かれているとしても、それは太政官の判断の基礎となった前提情報に過ぎないのであって、それを説明したことで直ちに太政官の判断を説明したことにはならない。太政官がその磯竹島略図を見てどういう判断をしたのか―磯竹島略図に描かれているとおりの正確な判断をしたのかどうか―の説明が必要なのである。ところが、上記の主張の事例に見るように、多数派の人々は一切そういう説明はしない。ただ磯竹島略図に鬱陵島と今の竹島が描かれているという事実を強調するだけなのである。彼らの論理では判断の材料(磯竹島略図)と判断結果(太政官指令)との間は断絶しているのだが、彼らはそれが断絶していることに気づかないまま結論だけを主張している。太政官指令の解釈を示したいならば太政官の判断(思考)に言及することは必須なのにも拘わらず、である。 (2)磯竹島略図に何が描かれているかは誰にでも分かることではない 上の(1)の指摘を読んで、読者はどう思われただろうか。「そんなところをつっついても、結局は太政官は磯竹島略図に描いてあるとおりに判断したのではないのか、筆者は多数説の形式的な説明不足を無意味に指摘しているだけではないか」と思われただろうか。もしそう思われたとしたら、それは多数説と同じ誤りに陥っていることになる。 多数説が「論理の断絶」などということに全く無頓着なのには相応の理由がある。それは「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という客観的事実は「誰が見ても明らかだ」と思っているからなのだ。次の文章は、ある韓国人学者のものである。 「指令文に添付された「磯竹島略図」を見ても「竹島外一島」が現在の欝陵島と独島であることは一目瞭然で誰にでも分かる。」 この例だけでなく、先に挙げた二つの例でも「誰にでも分かる」という考えが前提として存在していることは感じ取れるだろうし、その他の多数派の説明も「誰にでも分かる」という前提に立つものばかりである。 「誰にでも分かる」と思っているので「当然、明治9年の内務省も分かった、太政官も分かった、そのことに議論の余地はない。」ということになる。したがって、太政官はどう判断したのかなどということをことさらに取り上げて説明する必要性を全く感じないのだ。だが、ここで太政官指令の解釈において存在する問題の二つ目を指摘したいのだが、「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実は、実は「誰にでも分かる」ことではない。 この文を読んでいただいている読者の中にもいらっしゃるかも知れないが、世の中には鬱陵島も竹島もあのあたり一帯の地理も知らないという人は多いことだろう。そういう人たちが磯竹島略図を初めて見たときに「なるほど、ここには鬱陵島と今の竹島が描いてあるな」という判断が下せるものだろうか。そんなことはできない。磯竹島略図を初めて見てそこに描かれているのは鬱陵島と今の竹島であると分かるのは、それが分かるだけの基礎知識を有している者に限られる。朝鮮半島と隠岐の間の日本海には鬱陵島と竹島の二つの島がある(その二つの島しかない)という事実、その二つの島のおよその位置や大きさ、大体の形、そしてかつては鬱陵島は竹島と呼ばれ竹島は松島と呼ばれていたという歴史的事実など、鬱陵島と竹島に関するある程度の知識をあらかじめ有していればこそ、それらの知識と磯竹島略図や原由の大略に書かれた内容とを照合して正しく判断することができるわけだ。そういう知識が何もなければ磯竹島略図に描かれている「竹島」と「松島」が現実のどの島であるかを判断することなどできない。「そうか、こんなところにこんな形の竹島という島と松島という島があるのか」と思うだけだろう。 つまり、世の人は磯竹島略図を見た場合にそれが何を表しているか分かる者と分からない者に二分されるということになる。そうであるならば、明治9年に島根県からの質問を受け取った内務省の官僚たちは、そしてさらにその内務省から説明を受けたであろう太政官の官僚たちは、いったいどちらに属する者であったのかが問われなければならないことになる。それを検証しなければ、内務省や太政官が磯竹島略図を正確に理解したかどうかは言えないのである。しかし、多数派の人々はそんな説明は何もしない。ただ磯竹島略図に鬱陵島と今の竹島が描いてあるからそれで太政官の判断が分かるというだけである。いかにずさんな考え方かお分かりいただけるだろうか。 もっとも、磯竹島略図を正確に理解するには、そのための基礎知識を有していることが絶対の条件だというわけでもない。基礎知識を有していないから見た時点では分からなくとも、何か他の資料を調べてそれと突き合わせた結果、そこに描かれているのは鬱陵島と今の竹島に当たる島だと分かるということでも別に差し支えは無い。要は判断を下す時点で必要な知識があれば良いわけだ。ではそういう「他の資料」としては何が考えられるか。それはほぼ一種類に限られるだろう。地図である。 現代でも、磯竹島略図を初めて見てそこに描かれている竹島と松島がどういうものか分からない人がそれを確かめようとするならば、そのときに取る行動は「地図を見る」ということに尽きるだろう。137年前もそれは同じだったはずだ。 つまり、多数説のようなことを主張したいのであれば、指令に関与した者たちが鬱陵島と今の竹島に当たる島について既に必要な知識を持っていたことを証明するか、それができないならば、当時において正しい判断を下すための参考として使用可能なこれこれの資料があった、内務省や太政官はその資料を参照して正しく判断した、というような説明をしてそれを証明すべきだということになる。しかし多数説の人々はそのようなことはしない。何も証明せずに結論だけを主張するのである。それもやはり磯竹島略図に何が描かれているかは「誰が見ても明らかだ」という思い込みがあるからなのだろう。 (3)当時の地図は間違っていた 上の(2)の指摘を読んで、今度は読者はどう思われただろうか。「筆者はくどくどと検証が必要だというが、そこに鬱陵島と竹島の二つしか島が存在しないのならば何か間違える要因があるのか、これもまた単に多数派のちょっとした説明不足を指摘しているだけのことではないか」などと思われたかも知れない。ここで、太政官指令の解釈において存在する問題の三つ目を指摘したいと思う。当時は「竹島」と「松島」を描く地図には大きな間違いが生じていた。少し長くなるが、そのことを御説明したい。 当時(幕末から明治初期)の多くの地図では、竹島(鬱陵島)の実際の位置から西北の方向(朝鮮半島に近い方向)に飛んだ位置に実際には島はないのに竹島(鬱陵島)とそれほど変わらない大きさの一つの島が描かれ、それに「竹島」という名前が付されていた。そしてそういう地図の場合、実際に存在している竹島(鬱陵島)の位置にはもちろん島が描かれているのだが、その名前は「竹島」ではなくて「松島」と表示されていた。今の竹島はどう表示されていたかというと、竹島は相対的にはごく小さな島なのでそもそも全く描かれていない地図もあり、描かれている場合でもその名前として「松島」と表示したものはなく、西洋諸国がつけた「オリウツ・メネライ」とか「ホーネット」あるいは「リエンコヲルトロック」というような名称が付されていた。つまり、この海域にはもともと竹島(鬱陵島)と松島(今の竹島)の二つの島しかないところを三つの島があるように描かれたり、数は二つのままであっても「竹島」と「松島」の位置が実際よりも島一つずつ朝鮮半島寄りにずれて表示されているという状況にあった。「島名の混乱」と言われる状況が生じていたのである。 そういう状況は二つの理由が組み合わさって生じた。一つはイギリスの船が鬱陵島を「発見」してその位置を測量したときにミスがあり、鬱陵島が実際の位置よりも西北の方向に離れた位置にあるように把握されたことである。その結果、島は何も存在していない位置に島(鬱陵島)があるかのように間違って地図に表示されることになった。この島には「アルゴノート」という名前が付された。一方、現実に存在する鬱陵島もフランス船の測量によって地図に表示され「ダジュレー島」という名称が付された。一つの島が二つの位置に表示されるという誤りが生じたわけである。 もう一つの理由は、シーボルトが「アルゴノート島」を竹島と見て、「ダジュレー島」を松島と見て、そういう地図を作成したことだ。シーボルトとは江戸時代末期に長崎の出島のオランダ商館の医師として勤務していた有名なドイツ人シーボルトのことで、彼は後に帰国後に日本地図を作成したが、その地図には当時の西洋の知識に基づいてアルゴノート島とダジュレー島が描かれた。一方で、彼は隠岐の彼方には「竹島」と「松島」という二つの島があるということを知っていたのだが、その知識をアルゴノート島とダジュレー島にあてはめてしまった。アルゴノート島(実は存在しない島)が「竹島」でありダジュレー島(実は鬱陵島)が「松島」ということにしてしまったのだ。 そういう間違いを含む地図がヨーロッパで一般に使われ、幕末以降の日本にも輸入され使用されることとなり、日本人の知識のみによって描かれた旧来型の地図は別として、近代文明を代表する西洋から入って来た新しい地図は「竹島」と「松島」に関しては大きな誤りを含むものだった。一例を挙げる。勝海舟は1867年に「大日本国沿海略図」という地図を発行したが、その地図では西洋の地図の情報に従ってアルゴノート島の位置に島を描き、それに「竹島」という名前を付した。実際の鬱陵島の位置にも島を描き、それには「松島」の名を付した(「鬱陵島」という名前が付されているわけではないということに御注意いただきたい)。今の竹島は正確な位置に小さな二つの点で表示されたがその名は「リエンコヲルトロック」となっている(つまり「松島」とはなっていない)。 江戸時代に竹島、松島と呼ばれていた島は幕末以降の地図の上では違う島を指すように変わってしまった。現実に、そういう地図を見て、実際は鬱陵島である島をそうと知らずに開拓したいとして「松島開拓の議」という申請を出す者も現れるという状況だった。 島根県から質問を受けた内務省や太政官が磯竹島略図を見た上で判断を下そうとするときに有力な参考資料となったであろうと考えられるそのころの時代の地図は、基本的にそういう状況にあった。だから、内務省や太政官が磯竹島略図に描かれた「竹島」と「松島」を見てこれは実際にはどの島とどの島だろうかと見当をつける際に、これら誤った地図の影響によって判断を間違えた可能性―誤った地図に描かれている竹島と松島が島根県が言って来た竹島と松島だと思ってしまったという可能性―はないのか、という一応の疑問が生じてもおかしくはないのである。 しかし多数説の人々はそのようなことはほとんど考慮しない。彼らも「島名の混乱」の影響を受けた誤った地図が存在していたということ自体は認めている。しかし、そのことと太政官指令とを関係付けて論ずることはない。間違えた可能性があることもないことも何も論証せず、ただ太政官の結論は磯竹島略図から明らかだということだけを主張するのである。それも、結局は「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実は「誰が見ても明らかだ」という思い込みが強すぎるから、それが間違って理解された可能性があるかも知れないなどということは考えないのだろう。 要するに多数派の主張は勝手な思い込みに基づくものに過ぎず、現時点ではまだ何も証明されておらず、その意味で全く根拠のない主張なのだ。 (4) 小括 ここで誤解を避けるために申し上げておくが、筆者は「当時は誤った地図があったのでその影響によって内務省や太政官は磯竹島略図を間違って理解した」というような結論をここで主張しているのではない。今述べたいのは、あくまで太政官指令の解明に至る方法論ないしは手順の問題である。 磯竹島略図と原由の大略という資料に「竹島」と「松島」として描かれているのは鬱陵島とその手前にある小さな岩礁―今日の竹島―のことだというのは客観的事実であっても、それが誰にでも分かることではない以上、明治10年の政府官僚が正確にそれを理解できたというためにはいくつかの越えなければならないハードルがあるということを御理解いただけただろうか。官僚たちは書類を見てすぐに分かったのか、すぐに分かるほどのどのような知識を持っていたのか、あるいは地図か何かを参照した結果として分かったのか、地図を参照したとして間違った地図に惑わされることはなかったのか、などである。これらを論理的に説明・立証した上で多数派のような結論になると主張するのであれば、それは筆者も尊重したいと思う。しかし現状はあまりにもひどい。多数派の人々の分析はいまだ島根県が提出した資料の段階にとどまっているのであって太政官の判断にまでは及んでいないのだが、御本人たちは太政官指令を解釈し終えたつもりなのだ。 そうなってしまうのは分からないでもない。竹島領有権問題を調べている学者・研究者たちは鬱陵島や竹島(独島)の位置や大きさ、形、島の歴史などの資料を飽きるほど見て来たはずで、何でも頭の中に入っているだろう。そういう人たちは、磯竹島略図を一目見ただけで、あるいは原由の大略を一読しただけで、そこに描かれているのは鬱陵島と竹島(独島)だと理解する。それは彼らにとって誤読の余地が全くないあまりにも平易な史料なのだ。だからそれは誰でも自分が分かるのと同じように分かるのだと錯覚してしまう。だから磯竹島略図に描かれていることイコール太政官の判断ということになってしまうのだ。だが、結局それは勝手な思い込みに過ぎない。誰にでも分かることではないのだ。 太政官指令というのは137年前の明治政府の首脳が発したものだ。137年前の他人が発した指令の解釈を示したいのならば、自分の解釈を優先させるのでなく137年前のその当事者の立場に立って考察するというのが歴史研究の基本ではないだろうか。多数派の方々は太政官指令問題を解説するときに、たいてい磯竹島略図には間違いなく鬱陵島と竹島(独島)が描かれているのだということを力説するのだが、そんなことよりも、それを見た137年前の政府首脳の眼にそれがどう映じたのかこそが重要であり考察すべき対象なのだということを理解して、果たしてどういう説明ができるものなのか改めて考えていただきたいと思う。直接解明は不可能 では、仮に誰かが筆者のいう手順に沿って太政官の意思を解明しようとした場合、どういう結論が得られるものだろうか。実は、筆者の見るところ結論は何も得られない。解明は不可能だからである。 繰り返しになるが、太政官指令で問題とされているのは、太政官(及び内務省)は「どの島とどの島を想定して」本邦とは関係無しと判断したのかということだ。それは、間違った地図情報がある中で正確に判断したのか間違ったのかという問題でもある。ところが、島根県が提出した伺文書から太政官指令の発出に至るまでの書類をまとめた一件資料(11点の文書・図面)の中には、内務省や太政官が島根県が説明する「竹島」と「松島」を最終的にどの島と考えたのかを示す資料は何もない。その位置とか島の形などについて何と判断したかを示すものは何もないのである。資料が何もないから実際のどの島と考えたのかなどということは、現代の我々は知りようがない。明治9~10年の太政官指令の一件資料から指令を解明するのはもともとできない相談なのだ。「いや、できる」という方がいれば上で指摘したようないくつかの論証に取り組んでいただければいいだろう。その場合に何を材料として考察されることになるのかは筆者には見当がつかないが。筆者の見解としてはそれは不可能であり、多数派は立証できないこと(控えめに言うなら、まだ立証していないこと)をいかにも不動の真実であるかのように言いつのっている。それが太政官指令をめぐる論争の現状だ。他をあたる 以上述べて来たとおり、明治10年太政官指令の一件文書から太政官指令の意図を明らかにするのは無理なのだ。そうだとすれば、太政官指令の解釈というものは不可能なのだろうか。 筆者はそれは不可能ではないと思っている。太政官指令というのは日本海内にある「竹島」と「松島」の取扱いに関する政府の方針だ。そうであれば、太政官指令が発出されたときの一件書類のほかにも、「竹島」や「松島」の取扱いに関する政府の方針に関係のありそうな文書やできごとは存在する。そういう太政官指令に関連のありそうな文書やできごと―それは当然太政官指令の以後に生じたものであるが―から逆にたどって明治10年の太政官指令はどういう内容であったかを推定するという方法は考えられるだろう。 太政官指令がどの島を想定していたかは不明といっても、可能性は二つ、すなわち太政官は磯竹島略図を正しく理解したか間違って理解したかの二つに一つだ。だから太政官指令に関連のありそうな文書やできごとを一つ一つ取り上げて、太政官が磯竹島略図を正しく理解していた(=鬱陵島と今の竹島を版図外と判断していた)と考える方がつじつまが合うかそれとも間違って判断していたと考える方がつじつまが合うか、という観点から見ていけば答えは見つかるかもしれないのである。終わりに この文の3において多数説に対する少数派のことを述べた。少数派というのは島根県竹島問題研究会の関係者のことなのだが、彼らは、上に述べたような太政官指令に関連のありそうな文書やできごとから太政官指令は何を想定していたのかに逆に接近する方法を取っている。正しい方向だと筆者は考える。 もちろんその過程でも議論はあるだろう。「太政官指令に関連のありそうな文書やできごと」として何を取り上げるべきかも問題だし、またその一つ一つについて太政官が磯竹島略図を正しく理解していたと考える方がつじつまが合うかそれとも間違っていたと考える方が妥当かを判断するに当たっても見解はいろいろあるだろう。しかし、とにかく太政官指令の解明はこの方向で考えるしかない。できるならば、少なくとも日本人の学者・研究者にあっては、現在の多数説のような思い込みに基づく非学問的な姿勢を改め、この方向での研究に踏み出していただきたいものだと思う。 なお、筆者自身はこの方向でひととおりの検討を行った結果、結論に到達したと思っているが、その結論を述べることはこの文の趣旨から外れるので控えることとする。 長文を読んでいただいた方に御礼を申し上げる。(平成26年12月3日記)

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    特定国境離島保全振興法の制定を急げ!

     国境の島、対馬では多くの韓国人の旅行者の姿を見る。対馬は、人口3万3000人の過疎化が進む離島だが、今年、この島を訪れる韓国人は20万人を超えると予想される。対馬と韓国の距離は、わずか49.5キロ。高速船が1時間10分で結んでいる。天気の好い日には、対馬の展望台からは、対馬海峡を越え釜山の町並みを見えるほど近いのだ。韓国での対馬観光ブームを受け、昨年、韓国の釜山と対馬を結ぶ航路に参入する企業が増え、現在では3社が競合し船賃も片道3000円程度にまで安くなった。観光客の半数は日帰りだが、往復運賃と一泊のホテル代込みでも一万円程度のツアーが販売され、釜山市民にとって手軽に行ける外国が対馬なのだ。 政府は反日だが、対馬を訪問する韓国人は増加している。日本を訪れる韓国人観光客の目当てのひとつは、ショッピングである。近いといえでも外国であるので、免税で買い物ができる。化粧品や市販薬などが人気である。利があれば政府の反日施策など関係ないというのが韓国国民の現実の姿であろう。 また、韓国資本による土地の購入が増えている。かつて、海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接する土地が韓国資本により買収されたことが問題となった。自衛隊の基地の隣が外国人に買われたことが、安全保障上危惧されたのである。ほかにも、中国人や韓国人などが水源地や国防関係する土地を買収する事例が増えている。北海道では自衛隊の基地を見下ろす丘の土地が中国資本により購入された例もあり、社会問題となった。しかし、現行法では外国人の土地購入を規制することは難しいのだ。そして、13年に再び基地に隣接する別の土地が韓国企業により買われ、ホテルが建てられたのである。これで、基地付近に建設された韓国人向けホテルは三軒目であり、基地の周囲を多くの韓国人旅行者が歩き回っているのである。今、すぐに安全保障上の問題とはならないだろうが、有事の際には不安要因となる。 13年、対馬では滅危惧種である「ツシマヤマネコ」が生息する森林が売りに出され、外国資本が買うという噂がたった。この森林は、周辺地の水源の役割も果たす重要な土地である。危機感を持った財部能成市長の決断により市が買収し事なきを得たが、税収が少ない対馬市にとって負担は大きく、今後、同じことが起きた場合に対応することは不可能だろう。土地の売買は認めざる得なくとも、その利用に規制をかけるなど国として早急な対応が求められる。 対馬において韓国との交流には賛否両論がある。韓国人旅行者の増加により、窃盗団の流入やマナーの悪い観光客が増えるなど悩みも深刻であり、受け入れに否定的な市民も多い。特に奪われた仏像が返還されないことに、怒りを隠さない人もいる。 反面、対馬は過疎と高齢化に悩み、韓国との交流に活路見出そうとしてきた。韓国旅行者のもたらす経済効果を30億円に上ると推定されている。市の活性化のために、韓国との交流をさらに進めるべきだと考える人も多く、市民が親韓派と嫌韓派に二分される事態になっている。国の無策がさらなる危機を招く  無秩序な旅行者の受け入れに政府は、対応策は何もとってこなかった。国境を守り続けている対馬の人びとは、国に不満を募らせている。たとえば、対馬にある厳原港および比田勝港の入管、税関の人員では、20万人の韓国人に厳格に対処することは不可能である。 北方四島、竹島、領土の一部が他国に侵略されたままであり、さらに尖閣諸島が脅かされている現状において、国境の島々の管理体制を確立する必要があるだろう。他にも外国人参政権導入の議論、TPP参加による農産品の競争力低下、沿岸域での乱獲による漁業の低迷など島人を不安にする要因は多い。五島列島や与那国島などの国境離島は、いずれも同様の問題を抱えている。国境離島の人々の生活を経済的、精神的に安定させる政策が求められているのだ。海上保安官の増強、自衛官の派遣など社会を安定させる施策とともに、インフラ整備、環境保全などの公共投資を行いことも有効だろう。国として国境を守る「特定国境離島保全振興法」の制定が求められているのである。  急速に増加していた韓国人旅行者に、入出国管理も思うように行かない。2012年10月、韓国人窃盗団によって対馬の寺社から二体の仏像が盗まれる事件が起きた。さらに、今年11月24日、対馬の寺院から市の有形文化財に指定されている仏像を盗んだ韓国人4人が逮捕された。韓国人窃盗団が、大量の観光客に混じり日本へ入り込んでいるのである。今年の事件は、寺社からの被害報告を受けた警察が、厳原港に張り込み、犯人を取り押さえることができたが、12年の事件では韓国に持ち出されてしまい二体とも未だ返還されていない。「仏像は倭寇によって略奪されたもの」というのが理由だ。日本政府は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「文化財不法輸出入禁止条約」に基づき韓国政府に返還を求めている。この条約では、加盟国に対し違法に搬出入された文化財は返還するよう義務付けているが、韓国政府は応じる姿勢は見せていない。  政府は反日だが、対馬を訪問する韓国人は増加している。日本を訪れる韓国人観光客の目当てのひとつは、ショッピングである。近いといえでも外国であるので、免税で買い物ができる。化粧品や市販薬などが人気である。利があれば政府の反日施策など関係ないというのが韓国国民の現実の姿であろう。 また、韓国資本による土地の購入が増えている。かつて、海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接する土地が韓国資本により買収されたことが問題となった。自衛隊の基地の隣が外国人に買われたことが、安全保障上危惧されたのである。ほかにも、中国人や韓国人などが水源地や国防関係する土地を買収する事例が増えている。北海道では自衛隊の基地を見下ろす丘の土地が中国資本により購入された例もあり、社会問題となった。しかし、現行法では外国人の土地購入を規制することは難しいのだ。そして、13年に再び基地に隣接する別の土地が韓国企業により買われ、ホテルが建てられたのである。これで、基地付近に建設された韓国人向けホテルは三軒目であり、基地の周囲を多くの韓国人旅行者が歩き回っているのである。今、すぐに安全保障上の問題とはならないだろうが、有事の際には不安要因となる。 13年、対馬では滅危惧種である「ツシマヤマネコ」が生息する森林が売りに出され、外国資本が買うという噂がたった。この森林は、周辺地の水源の役割も果たす重要な土地である。危機感を持った財部能成市長の決断により市が買収し事なきを得たが、税収が少ない対馬市にとって負担は大きく、今後、同じことが起きた場合に対応することは不可能だろう。土地の売買は認めざる得なくとも、その利用に規制をかけるなど国として早急な対応が求められる。 対馬において韓国との交流には賛否両論がある。韓国人旅行者の増加により、窃盗団の流入やマナーの悪い観光客が増えるなど悩みも深刻であり、受け入れに否定的な市民も多い。特に奪われた仏像が返還されないことに、怒りを隠さない人もいる。 反面、対馬は過疎と高齢化に悩み、韓国との交流に活路見出そうとしてきた。韓国旅行者のもたらす経済効果を30億円に上ると推定されている。市の活性化のために、韓国との交流をさらに進めるべきだと考える人も多く、市民が親韓派と嫌韓派に二分される事態になっている。 無秩序な旅行者の受け入れに政府は、対応策は何もとってこなかった。国境を守り続けている対馬の人びとは、国に不満を募らせている。たとえば、対馬にある厳原港および比田勝港の入管、税関の人員では、20万人の韓国人に厳格に対処することは不可能である。 北方四島、竹島、領土の一部が他国に侵略されたままであり、さらに尖閣諸島が脅かされている現状において、国境の島々の管理体制を確立する必要があるだろう。他にも外国人参政権導入の議論、TPP参加による農産品の競争力低下、沿岸域での乱獲による漁業の低迷など島人を不安にする要因は多い。五島列島や与那国島などの国境離島は、いずれも同様の問題を抱えている。国境離島の人々の生活を経済的、精神的に安定させる政策が求められているのだ。海上保安官の増強、自衛官の派遣など社会を安定させる施策とともに、インフラ整備、環境保全などの公共投資を行いことも有効だろう。国として国境を守る「特定国境離島保全振興法」の制定が求められているのである。

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    ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか

    古谷経衡(著述家) 朴槿恵大統領に対して名誉を既存するコラムを掲載したとして、名誉毀損(情報通信網法)違反で韓国検察に起訴された産経新聞社の加藤達也前ソウル支局長に対する初公判が、27日、ソウル中央地裁で行われた。 公判中の加藤氏にたいしては、現在、韓国検察が「出国禁止措置」を発して事実上の軟禁状態にある。 この事件は、日本のみならず「自由と民主主義」を標榜する世界の自由主義国家に強い衝撃を与えた。韓国はGDPが世界でも15位前後、G20にも出席し、アメリカや日本など西側の自由主義国家と軍事的にも政治的にも、強い関係を有する「西側の自由主義国家の一員」と観られてきた。その「西側の自由主義陣営」の一角である韓国が、自由と民主主義に逆行するような姿勢を鮮明にしたのが、今回の産経加藤氏に関する事件である。 今回の加藤氏への起訴は、「現政権(大統領)の名誉を傷つけた」という韓国検察の言い分が核心である。つまりここからは、「現在の権力者に対する批判的言説は一切許されない」という強い建国検察の意志を感じる。 加藤氏の弁護側は、今回の公判で「コラムに公益性があり、朴大統領を誹謗する目的はなかった」と主張し、一貫して韓国検察による主張に対向する姿勢を鮮明にしている。 しかしよく考えてみると、ジャーナリストが「時の権力者を批判する」のは当たり前のことであり、時としてそれが「誹謗」と呼ばれるようなニュアンスであっても、通常の自由主義国にあっては、そういった時の権力者(現政権)を揶揄し、批判的に論じることは「自由と民主主義」が確立された社会にあっては当たり前のことだ。 だから韓国検察の「朴大統領を誹謗した」という起訴理由そのものがジャーナリズムに対する挑戦であり、「誹謗したわけではない」という弁護側の主張も、たとえそれが法廷戦術の枠内で取られた仕方のない言説であっても、本来、筋論としては間違っている。 正確には、「ジャーナリストが権力者(朴槿恵)を批判・誹謗して何が悪いのか」というのが、加藤氏を弁護する上で、最も的確な理屈なのである。 いかなる権力者に対しても、かならず批判的精神でそれを見つめるのがジャーナリズムの役割である。韓国の法廷で弁護側が上記のような主張を行うことは、加藤氏を弁護する側にとってやむを得ないことだと思うが、本来であれば「朴槿恵という権力者を揶揄したり皮肉ったり批判したり、時として罵倒するのがジャーナリズムの本懐ではないか」と堂々と抗弁するのが、「西側の自由主義国家」で活動するジャーナリストの一致した見解のはずである。 だからこそ、今回の事件が世界の自由主義国家に衝撃を与えたのは、そのコラムに朴槿恵を誹謗する内容があったとか無いとか、そういうことではなく、「権力者に対する批判は一切許さない」という、その韓国のジャーナリズムに対する姿勢そのものなのである。 独裁国家や権威主義国家では、時の権力者を揶揄することも、批判することも無論タブーである。スターリンやフセインや毛沢東や金正日に対する批判的言説は、それが例え事実であろうとなかろうと、その度合の濃淡がどうであれ、一切黙殺され、その禁を破ったものは投獄され、処刑されている。 ニキータ・ミハルコフの映画に『太陽に灼かれて』という作品があった。1930年代のソビエトを舞台にした大粛清をテーマにしたものだ。主人公のコトフ大佐は、ロシア革命で功績のあったエリート将官だったが、ソビエト秘密警察「NKVD」にほとんど言いがかりのような理由で、「反スターリン気質」を疑われ、やがて連行される。 美しいロシアの大自然を舞台に描かれたこの作品は、「権力者を揶揄する、僅かな素振りを見せただけで」粛清の対象となり、実際に消えていった数多の人々の事実を照らしだし、スターリニズムと独裁体制の恐怖と不気味さに迫ったものである。 翻って、今回の加藤氏の起訴事案は、はからずもこの『太陽に灼かれて』を思い出した。時の権力者たる朴槿恵へのいささかの批判も許されず、軟禁され裁判を受けさせられるような国は、大粛清をやっていたスターリン時代と余り大差ない。 繰り返すように、事の本質は「加藤氏のコラムの中に朴槿恵を誹謗する内容が入っているか、そうではないのか」ということではない。 そのコラムの中に、韓国検察が主張する「朴槿恵を誹謗する内容」が存在していたとて、何の問題があるのだろうか。 加藤氏への起訴と初公判は、韓国が「西側の自由主義国家」として存続できるかどうか、その試金石になっている。結審したあと、無罪判決が下らなければ、それは「西側の自由主義国家」が普遍的に共有するジャーナリズム精神に対する重大な挑戦である。 「国境なき記者団」が発表する世界各国の「報道の自由ランキング」の最新版では、韓国は世界50位台(中位圏)に位置しているが、日本もこれと大差のない順位と評価されている。しかし、加藤氏の裁判の行方次第では、韓国のランキングは、明らかに世界の下位圏に転落するだろう。 我々は、「西側の自由主義国家」の一員として、ジャーナリズムの根幹に対する挑戦を断じて許してはならない。

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    「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

    呉 善花(拓殖大学教授)先進国にはあり得ない起訴 韓国ソウル中央地検刑事1部が本年10月8日、朴槿恵大統領とその元秘書室長鄭允会氏の名誉を毀損したとして、産経新聞前ソウル支局長の加藤達也氏を在宅起訴した。8月3日付の産経新聞インターネット版記事「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」が、出所不明の噂に基づく虚偽の記事だという判断からだ。容疑は「情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律」(以下、「情報通信網法」と略記)に定めた名誉毀損、罰則は「七年以下の懲役、一〇年以下の資格停止または五千万ウォン以下の罰金」である。 まず、この起訴は法的な観点からして、日本をはじめとする先進諸国では決してあり得ない性格のものだということを述べておきたい。 第一に告訴権者の問題である。日本などでは名誉毀損は告訴がなければ処罰することができない親告罪であり、告訴権者は原則として被害者に限られる。しかし韓国の名誉毀損は親告罪ではあるものの、「被害者の意思」に反しない限り誰でも告訴することができ、今回の告訴は複数の保守系市民団体によってなされている。したがってソウル中央地検は、告訴が朴大統領と鄭允会氏の意思に反していないことを確認したものと思われる。 第二に、ソウル中央地検がこの名誉毀損は「インターネットを利用した権利侵害」とみなしたことである。問題となった産経新聞のインターネット版記事は、産経新聞が日本語で日本から発信したものだから、韓国国内法の制限を受けるいわれはない。「情報通信網法」は、インターネットの「利用者は、私生活侵害または名誉毀損等他人の権利を侵害する情報を情報通信網で流通させてはならない」と定めているが、問題の記事を流通させたのは加藤氏ではなく国外の産経新聞である。しかし起訴状は、加藤氏は次のようにインターネットを利用して権利侵害を犯したとみなしている。「産経新聞ソウル支局の事務室でコンピューターを利用し、被害者、朴槿恵大統領と被害者、チョン・ユンフェの噂に関する記事を作成した」「記事をコンピューターファイルに保存した後、日本・東京にある産経新聞本社に送信し、8月3日正午、産経新聞インターネット記事欄に掲載した」(産経新聞10月9日付の日本語訳より抜粋) 要するに、韓国内で記事を作り、インターネットを利用して日本に送信し、日本からインターネットを利用して発信させるようにしたのだから、「インターネットを利用した権利侵害」にあたるというのである。常軌を逸した拡大解釈というほかない。原典はお咎めなしという不可解 次に、何をもって名誉を毀損する「出所不明の噂に基づく虚偽の記事」としたのか、である。問題の産経新聞記事の主な内容は次の三つである。・セウォル号事故当日、朴大統領が七時間所在不明だったとされる件について、七月七日に行なわれた国会運営委員会での朴映宣・院内代表と金淇春・大統領府秘書室長との問答の一部紹介。・朴大統領はその間、かつて秘書室長だった鄭允会氏と密会していたのではないかとの疑惑を報じた朝鮮日報の記者コラム「大統領を取り巻く風聞」の引用。・同記者コラムが「大統領をめぐるウワサは少し前、証券街の情報誌やタブロイド判の週刊誌に登場した」と書いたことを受けた、「証券街の関係筋」によればウワサは「朴大統領と男性の関係に関するもの」で「一種の都市伝説化している」とする観察。 産経新聞記事は最後に、同記者コラムの「大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきている」との観測部分を引用し、「朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ」と結んでいる。 朝鮮日報の記者コラムや証券街の情報をもとに書いた記事であるのは明らかだ。加藤氏は「朴氏の所在をめぐる問題は国内で議論され、うわさも広がっていたと指摘し、『それをそのまま書いた』と説明」している(朝日新聞10月11日)。記者コラムを書いた崔普植記者は「悪意的に編集され、悪用された」と述べている(産経新聞8月3日)が、加藤氏の記事は最初から最後まで「そのまま」書く手法で一貫している。 誰が見ても、問題は朝鮮日報の記者コラムにあり、これを引用した産経新聞記事が名誉毀損に問われる筋合いはない。にもかかわらず、朝鮮日報の記者コラムを書いた当の本人が何ら問題とされないのはなぜなのか。この記者を名誉毀損で告訴する者が、不思議なことに被害者を含めて一人もいないからである。 産経新聞記事が、政権の近況を伝える公益性十分の記事であるのは明らかだ。報道が公益に関わるものであれば、内容が真実そのものだと証明できなくとも、メディアはそれを報道することができる。これが民主社会のコンセンサスである。疑惑レベルでの報道が許されないとなれば、権力を批判することはほとんど不可能となる。公人中の公人である朴大統領は、いかに不満であろうとこの報道を受忍しなくてはならない義務があるのだ。外に悪く言ってはいけないという情緒的良識 告発は8月6日以降相次ぎ、七日に大統領府が「産経新聞に民事、刑事上の責任を問う」と表明。翌日の8日にソウル中央地検が加藤氏に出頭要請をした。これで出国禁止となり、起訴までに61日間もかかったのは韓国では異例のことだ。検察が起訴をきめかねて逡巡していたこと、最終的には朴大統領自身の強い意向を受けての起訴だったことが想像される。 そうであるのに、朴大統領も鄭允会氏も、2人が会っていたと「虚偽の記事」を書いた朝鮮日報の記者を告訴しようとはしなかった。その一方で、記事を引用したにすぎない加藤氏に対する告訴には、両人ともまったく異義を唱えることがなかった。 こんなおかしな「被害者」がいたためしがあるだろうか。どう見ても、韓国の新聞ならば虚偽の記事も許されるが、日本の新聞ならば引用でもいけない、という論法である。そこには、とくに韓国について日頃から厳しい批判を展開している産経新聞だから、という意図が見えている。 私は以前、まだ日本に帰化していなかったときだが、韓国の大使館の関係者から「あなたの韓国批判には感心させられることがいろいろとある。しかし国内でやるのではなく、国の恥をわざわざ日本に向けてさらすのはどういうわけなのか」と叱責されたことがある。つい最近も、今度は日本国籍をもつ私に対してなのだが、某韓国領事館関係者から講演の席で、まったく同じ言い方で激しく非難された。 身内(民族)の中で身内の悪いところを指摘する分にはいいが、外に向けて身内の悪いところを指摘してはいけない、とくに日本については。これが韓民族ならば誰もが取るべき態度だというのが、韓国に特有な社会的良識なのである。だから朝鮮日報にはお咎めがない。したがって加藤氏については、彼ほどの知韓派知識人ならば我が国(身内)に味方すべきなのに、我が国の恥をこともあろうに日本に向けて発信した、そんな敵対的な行為は絶対に許せないという気持ちになるのである。こうした「韓国人の情緒的な良識」が告訴・起訴の意思に強く働いているのは確かである。韓国紙と韓国社会の反応の怪 告訴の時点から、外部の声は言論の自由への侵害を憂慮するものが大勢だったが、起訴となった段階での朝鮮日報をはじめとする韓国のメジャー紙は、その点には一切触れることがなかった。淡々と起訴の事実だけを報じた。言論の自由を求める声を遮断する、こんな言論機関がいったいどこにあるだろうか。それでも憂慮の念を示した新聞がまったくなかったわけではない。 京郷新聞は「検察側は加藤前支局長のコラムに関し、『虚偽』『悪意的』だと強調するが、立証するのは容易ではないとみられる」と指摘し、「(加藤前支局長のコラムは)公益的目的のための疑惑提起だったことから、加藤前支局長が明白に虚偽であると認識していたと立証するのは困難」という学者のコメントを掲載している(産経ニュース一〇月九日より)。 またハンギョレは「相当数の言論学者は、韓国検察の『産経新聞』記者に対する起訴が『言論の自由を萎縮させかねない』として憂慮を示した。また、裁判で無罪判決が出る可能性が高いと見た」と報じている(ハンギョレ10月10日) 両紙は告訴の時点から「韓国の言論の自由が萎縮する」との懸念を表明していたが、いずれも反保守系の弱小紙で国内の影響力はきわめて小さい。 外から見れば、韓国はなぜ自ら言論の自由がないことを世界に知らしめ、国家の恥を恥とも思わず堂々と開き直ってみせたのかがわからない。中国と同じに、国家の威信・尊厳に関わる問題であり、言論の自由への侵害には当たらないとしているからだ。これに対して、日本政府をはじめ各方面から言論の自由を憂慮する声明や抗議の声が噴出した。 日本では日本民間放送連盟、日本記者クラブ、日本新聞協会、新聞労連などマスコミ関係諸団体が一斉に抗議声明を発している。ソウル駐在外国メディアの記者らでつくるソウル外信記者クラブは、韓国検事総長に対して「深刻な憂慮」を表明し、同クラブ代表者との早期の面会を求める公開書簡を公表した(ソウル共同通信)。 米国務省のサキ報道官は10月8日の記者会見で、「われわれは自信を持って言論・表現の自由を支持する」と強調し、韓国の名誉毀損に関する法律は国務省が毎年公表している人権報告書(2013年版)でも指摘したように「懸念している」と述べ、「報道活動に萎縮効果を及ぼし得る」と批判した(ワシントン時事通信)。  言論の自由への侵害を憂慮する声は、告訴を受けた検察捜査開始の時点で各方面から出されていた。報道されたものからいくつか挙げておこう。・八月二七日、国連のステファン・ドゥジャリク事務総長報道官は、定例記者会見で「特定の件についてコメントはしない」とした上で、「国連は常に、普遍的な人権を擁護するため、『報道の自由』や『表現の自由』を尊重する側に立っている」と強調。・八月二九日、日本新聞協会編集委員会は、地検の捜査について「取材・報道活動と表現の自由が脅かされることを懸念する」との談話を発表。・八月三一日、ネットメディア「インナーシティ・プレス」主宰のアメリカ人マシュー・リー記者は、「こうした報道が出国禁止や刑事訴追の引き金になるべきではない」「国籍やその他の事情に基づいた、記者に対する異なった取り扱いが許されるべきではない」「韓国の報道の自由に関し、韓国出身の潘基文国連事務総長の沈黙が『際立っている』」と厳しく批判。・九月一〇日、NGO国境なき記者団は「報道機関が政治家の行動をただすのは当然だ」と批判し、ソウル支局長が出国禁止措置を受けていることにも触れ、「当局に、告発を取り下げ、行動の制約を撤廃するよう要求する」と主張。振り上げた拳がおろせぬ反日貫徹のジレンマ こうした情勢にあったから、起訴すれば韓国が国際的な批判にさらされるのは目に見えていた。にもかかわらず起訴はなされた。国際社会における国家の威信失墜を承知の上で起訴したと見るほかない。 朴政権に何かの計画や戦略があったとは思えない。最初は、産経新聞に意地悪をすることで日本のメディアをうんざりさせ、韓国を怒らせればこんなリスクを負うことになると、事実をもって思い知らせようとしたものだろう。これだけでもジャーナリズムへのとんでもない圧力なのだが、起訴を当然とする世論が国内に高まり、振り上げた拳が下ろせなくなってしまったのだ。なぜ下ろせないのか。出発時点から強固な反日姿勢を取り続けてきた「反日貫徹が最大の目玉」の大統領だからである。 ここで拳を下ろせば、「朴大統領は反日から退却した」と見なされ、政権支持率の急落が避けられない。朴政権は何よりもこれを恐れたのである。韓国の反日には右も左もない。親日は売国以外のものではない。国民から反日の手を緩めたと思われたら最後、保革逆転が起こりかねない情勢にある。朴政権はそうした危うい勢力バランスの上に乗っている。大統領が国民の支持を失えば、側近がたちまち離反し、こぞって次期権力者の担ぎ出しへと乗り出していく。そうして孤立無援の状態に置かれるのは、韓国大統領の常である。噂の深層はどうなのか 朴槿恵氏が国会議員の補選に出馬し政界入りしたのは1998年である。鄭允会氏は以後ずっと朴槿恵氏の秘書室長を務め補佐官の役割を果たしてきたが、2004年に朴槿恵氏がハンナラ党代表最高委員に就任した際に辞している。鄭允会氏は朴槿恵氏より3歳年上で、秘書室長時代はもちろん、以後も朴槿恵氏を政治的にも個人的にも一貫して支え続けてきたことはよく知られている。 鄭允会氏は青瓦台(大統領府)を動かすほどの権力をもつといわれるが、まさしくその一つの現れともいえる事件を、韓国の有力誌『時事ジャーナル』(2014年3月19日号)が報道している。その内容は日本の週刊誌でも紹介された。 『時事ジャーナル』によれば、鄭允会氏の指示で、青瓦台が1カ月に渡って朴槿恵大統領と仲違いした弟・朴志晩氏を尾行していたという。朴志晩氏が尾行者を捕らえて詰問したところ、鄭允会氏の指示で行なったと自白したということだ。同誌は鄭允会氏が青瓦台の人事に深く介入しているとも伝えている。続いて6月20日号では、鄭允会氏が自分の娘を乗馬競技の韓国代表にゴリ押ししたと報じている(週刊現代2014年8月30日号記事より)。 7月18日に、朝鮮日報の崔普植記者が、問題の記者コラムで「朴槿恵氏と鄭允会氏の密会」をほのめかしたところには、こうした背景があったのである。コラムでは「男女の関係」といった取り上げ方をして人目を引いたのだが、問題の本質はそこにあるのではない。鄭允会氏の青瓦台政務への関与にある。「朴大統領が鄭允会氏に操られているのではないか」と危惧する者は決して少なくないのである。 鄭允会氏の元妻(本年5月突然離婚している)は、朴正煕政権時代に青瓦台で大いに権勢を振るった崔太敏牧師(1994年没)の娘(6回結婚した五番目の妻の子)である。崔太敏牧師は朴槿恵氏より40歳年上で、朴槿恵氏を公私に渡って支え続けた人物である。この二人の間にも低俗な噂が、以前からまことしやかに流されているのだが、ここでも問題は政治権力のあり方に深く関わっている。No.2不在のまま止まぬ反日の到達点 朴正煕大統領時代、朴槿恵氏の母親陸英修が亡くなった後、大統領の娘朴槿恵氏は国家のファーストレディとして表舞台に登場した。その1975年5月、朴槿恵氏は崔太敏牧師が総裁を務める宗教団体・救国宣教団の名誉総裁に就任する。 朴槿恵氏と崔太敏牧師は、救国宣教団を母体に救国奉仕団を組織し、巨大な政治的支持勢力を形成する。70年代末には会員数300万を擁したといわれる全国組織だったが、朴正煕が凶弾に倒れた後の軍事クーデター政権のとき、韓国軍保安司令部によって解体された。二人は他にも、セマウム(新しい心)奉仕団(1976年)、その後身としての槿花奉仕団(1989年)という陸英修の追慕を目的とする、実質的な政治支援団体を設立している。 1979年の朴正煕の死後、朴槿恵氏は父親を引き継いで陸英修が設立した育英財団の理事長となる。財団顧問が崔太敏牧師である。そして1990年、妹の朴槿令氏と弟の朴志晩氏が連名で当時の盧泰愚大統領に宛て、「姉は崔太敏牧師に騙され操られている、姉を助けて欲しい」との主旨の嘆願書を送った。 これが明るみに出て、一大スキャンダルにまで発展した結果、二人とも育英財団から手を引き一切の活動を停止したのである。そして朴槿恵氏は崔太敏牧師の死後に政界入りを果たし、今度は崔太敏牧師の娘婿の鄭允会氏と手を組んでいったのである。 朴大統領の政治家生活は16年になるが、その間信頼を置く側近もナンバー2もいないままにやってきた。朴大統領が心の底から相談できるのは鄭允会氏しかいなかったのだろう。 だからこそ噂が立ったのだが、韓国は「国家の尊厳=朴大統領個人の尊厳」とし、国家本来の威信を自ら国際的に貶めるに至った。これこそまさに売国ではないか。反日から出発し、反日を止めることができなくなったこと、その行き着いた先が今なのである。「国民情緒法」という魔物がすむ韓国司法界 今回の起訴で私が最も危惧するのは、韓国の司法界には国民情緒法という法の概念があることだ。国民情緒に合致するものなら、司法はあらゆる実定法に拘束されない判断を下せるという、民主国家にはあるまじき超法規の考え方である。韓国の新聞はこれを次のように説明している。「これは手につかめる実体も、文字で記録された文件(ママ)もない。長期にわたって蓄積された慣習法でもない。だが国民情緒に合うという条件さえ満たせば、実定法に拘束されない不文律となっている。憲法上にも君臨する」(中央日報・日本語版2005年8月12日) この記事は「国民情緒法に引っかかると、いかなる形態であれ罰を受ける」として、国民情緒法が適用されたいくつかの例の一つに、「半世紀を超えた父親の親日などの問題で、国民情緒に背いた公職者は現職から退く『恥辱刑』を受けた」ケースを挙げている。 たとえば「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」に基づいて作成された「親日反民族行為者リスト」の公表によって、当人やその子孫の多くが、社会的な地位からの追放という事実上の処罰を受けている。また「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」によって、多数の「親日反民族行為者とその子孫」の財産が国家の手で没収されている。 これらの特別法は、韓国憲法で禁止する事後立法(実行のとき適法であった行為に対して後にそれを処罰する法律を制定すること)で制定されている。国民情緒法の適用なくしてはあり得ない法律だ。国民情緒法は「憲法上にも君臨する」のである。 対馬の浮石寺から仏像が盗難された事件で盗品返還拒否を認めた大田地裁の判断、韓国駐在日本大使館前の慰安婦像設置、いずれも実定法に則る限りはできないことだ。 日本の雑誌(『正論』2005年4月号)に「日本統治を評価する論考」を発表したとして、韓昇助高麗大学名誉教授はいっさいの「現職から退く『恥辱刑』を受けた」。 評論家の金完燮氏は、120年も前に亡くなった李朝末期の王妃の所業を批判して、その子孫から名誉毀損で訴えられ有罪となっている。国民情緒法の強力な関与なしにはあり得ないことだ。 私は日本国籍を取得してから、二度に渡って韓国入国拒否の処分を受けている。その理由は明らかではないが、二度目のときに当局から渡された送還指示書を読むと、私は「大韓民国の利益又は公共の安全を害する行動をするおそれがあると認めるだけの相当な理由がある者」(韓国出入国管理法第一一条第三項)として入国拒否されたと理解できる。 私は政治活動すらしたことのない一介の言論人である。韓国が私の言論をもって私の入国を拒否したことは明らかだ。韓国憲法で保障する「言論の自由」は、当然ながら外国籍の者にも適用される。しかし、ここでも国民情緒法は「憲法上にも君臨する」のである。 国民情緒法は国際条約上にも君臨する。日韓条約で請求権が失効しているにもかかわらず、戦時徴用で住金・三菱重工への賠償請求訴訟が起こされたのもそのためだ。一連の「従軍慰安婦」への賠償を求める動きもまたしかりである。万能無敵で正義の味方気どりの国民情緒法 このように、国民情緒法は対日本問題での適用が顕著である。なぜなのか。「反日心情=国民情緒」、つまり反日心情はあらゆる法を超えた民族の正義だという思想がそこにあるからだ。今回の起訴の根底に反日があり、実定法では無理な起訴であるのは明白だから、韓国司法が国民情緒法を適用する可能性は十分にある。それでは、国民情緒法はどのような流れから適用されるのだろうか。先の新聞記事は次のようにいっている。「あいまいで抽象的な概念の国民情緒は、一部の市民団体と学者の意によって具体化される傾向を見せる。彼らが特定事案に対して正否を判断し、これを一部のメディアが後押しすれば、国民情緒法は“制定”される」(同前) とすればもはや条件は整っているのだ。加藤氏の出国禁止はさらに3カ月延長されて「公判準備期日」が11月13日となり、これが事実上の初公判となる。日本政府は韓国に対して加藤氏の出国禁止解除を強く要請し、世界に広く裁判の不法性を訴え、韓国に強力な国際的圧力をかけていかなくてはならない。韓国がそれにどれだけ耐えられるか、これに国民情緒がどう反応していくか、そこが勝負所になると思う。 呉善花(オ・ソンファ)1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学大学院地域研究科修士課程修了。外語大大学院時代に発表した『スカートの風』がベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第五回山本七平賞受賞。著書に『虚言と虚飾の国・韓国』など多数。

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    愚かな韓国よ、目を覚ませ

    韓国の朴槿恵大統領に関するコラムをめぐり、名誉毀損で在宅起訴された産経新聞前ソウル支局長、加藤達也記者の初公判が27日、ソウル中央地裁で開かれ、加藤前支局長は起訴内容を全面的に否認した。真に守るべきは大統領の名誉か、言論の自由か。記者訴追の暴挙で非難を浴びる韓国にいま一度問う。

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    佐藤優から加藤記者へ

     韓国に言論・報道の自由はあるのか-。朴槿恵(パク・クネ)大統領に関するコラムをめぐり、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が名誉毀損(きそん)で在宅起訴されてからまもなく1カ月。当初からこの問題に深い関心を持ってきた作家の佐藤優さんと加藤前支局長に手紙を交わしてもらいました。ともに国策的な捜査で国家権力と対峙(たいじ)する経験をした2人の往復書簡からは、自由や民主主義の価値観を共有できない韓国の姿が浮かび上がります。≪往信≫作家・佐藤優氏理解できない起訴「文学世界のような不条理」 加藤達也さま、初めてお便りします。私は作家の佐藤優と申します。もっとも当初から作家になることは考えていませんでした。2002年の鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕されるまでは、外務省で対ロシア外交と情報分析を担当していました。 加藤さんが、韓国政府から受けている理不尽な取り扱いを目の当たりにして、手紙を書きたいという衝動を抑えられなくなりました。私は産経新聞を毎日読んでいます。加藤さんの韓国や北朝鮮に関する記事はとても水準が高く勉強になります。韓国の政府見解だけでなく、マスメディア、民衆の動静についてのきめ細かい報道を加藤さんは心がけていました。外交官や新聞記者は、自分が駐在している国のファンになります。もちろん、わが国を含むどの国にも、よいところもあれば、そうでないところもあります。しかし、そのような善悪を超えて、駐在している国に対しては特別の愛着がでてきます。 私は、1987年8月から95年3月まで、モスクワの日本大使館に勤務しました。ロシア人に生涯の友がいます。同時に不愉快な事件に巻き込まれたことも何度かあります。ソ連末期、リトアニアで、しびれ薬入りのウオトカを飲まされたことがあります。リトアニアの友人から、「佐藤さんが独立派要人に深く食い込んでいるので、ソ連維持派が、『いいかげんにしろ』と警告したのだろう」と言われました。 新生ロシアになってからも、私の行っていた北方領土関連のロビー活動が、一部のロシア当局者の逆鱗(げきりん)に触れ、クレムリンのそばで交通警官の制服を着た者に殴られたこともあります。 そのときも大統領府高官、有力下院議員、露外務省高官が、私が抱えたトラブルが日露関係に悪影響を及ぼさず、しかも私が国外追放にならないようにリスクを負って努力してくれました。 加藤さんは、韓国検察から不当な取り扱いを受けていますが、このような状況をおかしいと思っている韓国のジャーナリスト、大統領府高官、国会議員、外交官もたくさんいると思います。こういう人たちの声はなかなか日本に伝わってきません。しかし、加藤さんが韓国でも孤立していないことが私にはわかります。 加藤さんが現在置かれている状況は、「文学的」だと思います。古くはドイツの作家フランツ・カフカの小説『審判』(1914~15年執筆)、比較的最近ではアルバニアの作家イスマイル・カダレの小説『夢宮殿』(1981年)をほうふつさせるような不条理な状況に置かれています。 8月3日に産経新聞のウエブサイトに署名入りで書いた「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」という記事を私は何度も読みました。なぜこの記事が朴槿恵大統領に対する名誉毀損にあたるのかが、私にはまったく理解できません。旅客船セウォル号が沈没した4月16日に大統領の所在がはっきりしなかったことが韓国の国会でもマスメディアでも大きな問題になりました。大統領が男性と会っていたという噂があるということを韓国紙のコラムなどを引用して加藤さんは日本語で日本向けにコラムを書きました。この程度の内容を理由に新聞記者に刑事責任を追及するというのは常軌を逸しています。それに、米国、ロシア、ドイツの記者が同じ記事を書いたとしても韓国当局はこのような対応をしなかったと思います。 そもそも加藤さんが引用した韓国紙の記事を書いた記者は起訴されていません。明らかに日本のマスメディアが狙い撃ちにされています。 この問題は、韓国の国家権力が加藤さん、産経新聞に対してかけた弾圧にとどまらず、日本のマスメディア、記者、「もの書き」全員(そこには私も含まれる)に対する挑発と思います。 加藤さんを在宅起訴したことによって、韓国は報道の自由を保障できない国際基準での標準的価値観を共有できない国であるという認識が拡大します。韓国の政治エリートにこのような現実が理解できないはずがありません。もっともわれわれから見て、理不尽にしか思えないこの出来事にも、韓国の現政権にはそれを必要とする内在的論理があると思います。日本と韓国は、自由、民主主義、市場経済という価値観を共有する国です。それにもかかわらず、なぜ韓国検察がこのような理不尽な対応をしたのでしょうか。ぜひ、加藤さんの見立てをお聞かせ願いたいです。≪返信≫本紙前ソウル支局長・加藤達也「収拾できぬ政府、もの言えぬ検察」政権の本質 佐藤優さま、ご丁寧なお便りを頂戴いたしましてありがとうございます。また、私が特派員として駐在した韓国で4年たらずの間に書いてきた記事について、マスメディアや民衆の動静について、きめ細かく伝えようとしてきたことを読み取っていただいたことについても、感謝と敬意を申し上げます。 佐藤さまについては、東京地検特捜部に逮捕された後、取り調べの応酬を再現して「国策捜査」の真相をつまびらかにした「国家の罠(わな)」など一連の著作の読者としても存じ上げておりました。 佐藤さまが外交官として、担当地域であるロシア(ソ連)駐在中に受けてきた「不愉快な事件」に比べると、「自由・民主主義国家」である韓国での、現在の私の状況などは身体的な危険も小さく、はるかに幸せな状況であると、改めて感じました。 この問題は佐藤さまのご指摘の通り、朴槿恵政権が私と産経新聞を弾圧しているにとどまらず日本のマスメディア、記者、そして佐藤さまを含む「もの書き」全員に対する挑発だと、私も思います。 韓国ではこの事件について、「一国の国家元首の名誉を毀損したのだから、厳しい刑事処分を受けて当然だ」などという主張が現在も幅広く見受けられますが、近代的な民主国家であれば、国家指導者は自身に対する批評や論評を広い心で受忍する態度が求められるはずです。 産経新聞が現在の韓国に対する厳しい論調をもつメディアであると韓国で認識されていることは、承知しています。ただ、いくら気に入らないメディアであっても、「言論には言論」ではなく、捜査・起訴という公権力の発動をもって応じてしまった事実を、民主主義諸国は決して容認しないはずです。 韓国のメディアや政治家は「国格」という言葉をよく口にします。「国家の品格」という意味と受け止められているこの言葉は、李明博(イ・ミョンバク)前大統領が2010年11月、ソウルで開かれたG20(20カ国・地域)首脳会合を開催した当時、「韓国は先進国入りした」と宣言して以降、さらに重みを増しました。 「先進国入りを果たした」韓国にとって、今回の起訴は国家の体面を大きく傷つけることになりますが、検察はなぜ、そんな選択をしたのか。それはこれまでの経緯を見ると分かります。 私のコラムについて8月5日、大統領府の海外メディア担当の報道官が民事・刑事での法的措置を通告してきました。6日には、検察が告発状を受理しました。政府関係者やメディアの多くはこれを、「朴大統領への忠誠心を示すものだ」と感じたといいます。 その後、8月に2度の出頭をすると国際世論は韓国を激しく批判しました。 韓国政府や法務・検察当局に太いパイプを持つ法曹関係者によると、大統領府はこの時点でなお、検察に呼び出して揺さぶれば産経は謝ると読んでいたというのです。しかし、謝罪も訂正記事も引き出すことはできなかった。 最後の取り調べとなった10月2日、ソウル中央地検の担当検事は私に大統領府との和解について確認し、私が具体的な動きがないことを伝えると失望していました。検察は、大統領本人はおろか、その周辺に「処罰意思の有無」を確認することもできなかったのです。 法的対応を宣言したものの、事態収拾もできない大統領府、そして大統領府に対してものが言えない検察…。今回の在宅起訴は、朴政権の本質の一端をのぞかせたのではないか-。それが背景ではないか、と思います。

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    韓国の「外信信仰」と激しい党派対立

    澤田克己 (毎日新聞ソウル支局長) 韓国のソウル中央地検が10月8日、朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を情報通信網法違反で在宅起訴した。メディアによる権力者に対する名誉毀損を刑事処分の対象にするのは、民主主義国家では極めて珍しい。 私は、問題となった記事について「引用元となった朝鮮日報のコラムと実質的に同じ内容」という産経新聞の主張には与しないし、産経新聞の記事が良質なものとも思わない。さらに言うならば、日本の名誉毀損訴訟でも、「噂を噂として書いただけ」「真偽不明の噂だと断った」という主張だけでは免責されない。だが、それでも刑事処分の対象とすることは明らかに行き過ぎだ。言論の自由を脅かす今回の在宅起訴は、異論や批判を許さない朴大統領の姿勢と政権の意向に忠実な韓国検察の体質を改めて見せたものといえるだろう。「外信だって韓国の法律に従わなければならない」 その点を明確にした上で、今回は、今まであまり指摘されてこなかった点について考えてみたい。 在宅起訴を受けた韓国側の反応で興味深かったものの一つに、「外信だって韓国の法律に従わなければならない」というものがある(韓国では通常、外国メディアのことを「外信」と呼んでいる)。 与党セヌリ党の院内報道官は10日の記者会見で「虚偽報道行為が大韓民国で行われたのだから『治外法権』の対象になることはできない。我が国で法を犯したのなら、国内法が適用されることは、あまりにも当然だ」と述べた。大手紙・中央日報も11日、「産経前支局長の起訴に対する我々の見方」と題した社説で「(検察は)外信の報道も治外法権の領域にはないことを明確にした」と書いた。これ以外にも、「外信記者だからといって許されるものではない」という論評はよく聞かれた。 本来は、外信であろうが、国内メディアであろうが、こうしたケースで在宅起訴にまで持ち込むこと自体が問題だ。だが、あえてそれを無視して考えるならば、一般論として「外信記者だって任国の法律を守るべき=外信記者に特権があるわけではない」というのは当然だろう。当たり前のことだから、恐らく日本や米国では、こうした発言自体が出てこない可能性が高い。軍事政権でさえ手を出せなかった外信 こうした発言が出てくる背景には、韓国の現代史において外信が占めてきた特別な地位があるように思われる。韓国では1987年の民主化まで、外信あるいは外信記者というのは、軍事政権でさえ手を出せない「アンタッチャブル」な存在だったのだ。 国内メディアを力で押さえつけた軍事政権も、日米を中心とする外信を統制することは難しかった。国力が弱い韓国としては、経済と安保の両面で生命線といえる日米両国との関係を悪化させるコストは大きかったからだ。毎日新聞を含む日本メディアの特派員を国外追放処分にしたこともあるが、いくら軍事政権でも簡単にそんな処分をできるわけではなかった。1980年代までは、韓国人記者が「我々は書けないから」と政治的に敏感な特ダネを日本人記者に提供することも珍しくなかったという。 外信がアンタッチャブルだったことを如実に物語るシーンが、昨年末に公開された映画「弁護人」にあった。1981年に起きた公安事件の弁護人となった若き日の盧武鉉元大統領を描いて、観客動員1137万人という大ヒットを記録した映画だ。 拷問で虚偽の自白を強要された被告を弁護する主人公は、内部告発者を見つけ出して証人に立てようとする。公判前日の打ち合わせで先輩弁護士が「判事は証人申請を棄却するだろう」と心配すると、主人公は「明日の法廷には、外信記者と気骨のある(韓国人)記者を呼んでほしい。外信記者は絶対に必要だ」と手配を頼む。そして、主人公は当日朝、判事に証人採択を迫りながら、脅し文句として「毎日(新聞)とAP通信、それにドイツのZDF(テレビ)が来てる」と言い、判事は証言を認めざるをえなくなるのだ。メディアを巻き込む激しい党派対立 1987年の民主化で、韓国の言論環境は劇的によくなった。 もちろん、問題がまったくなくなったわけではない。金大中政権までは、税務査察で新聞社オーナーを拘束するなどして国内メディアに圧力を加えていたし、盧武鉉政権以降は、現政権にいたるまで国内メディアを相手どった民事、刑事の訴訟を乱発している。メディアの側にも、政府や財閥に対する不透明な対応や、事実関係よりも党派色を重視した論調を展開しがちなどという問題はある。それでも、かなり自由な政府批判も行われるようになってきた。だからこそ、「外信記者だからといって特別扱いするような時代ではなくなった」という意識が出てくるのだろう。 だが一方で、民主化から30年も経っていないからか、韓国では未だに「外信報道」を国内メディアより信用できると考える意識が残っている。特に、前述したように韓国メディアは党派性が非常に強いので、保守系が独占する大手紙に対する野党支持者の不信感は根強いものがある。 だから、今回の産経新聞の記事については、「外信までがこう書いた」という感じで韓国内に紹介するネットメディアがあったという。「保守系大手紙はごまかそうとしているが、外信が暴露した」というニュアンスだ。韓国メディア、特に保守系大手紙に対する強い不信感を背景に、外信ならなんでも信じてしまう心理だとも言える。 韓国メディアの青瓦台(大統領府)担当記者は「産経新聞の記事自体ではなく、政府に好意的でない(ネットを含む)韓国メディアが『産経がこう書いた』と書き立てたことの方が負担だったと、青瓦台当局者は話している」と明かす。彼はさらに、「韓国のメディアは、外信報道を自分たちに都合よく使って(対立する党派の)批判をするから」と自嘲気味に話した。今回の在宅起訴に対する反応でも、正面から批判している韓国メディアは、保守派と激しく対立する進歩派系ばかりである。 そうであるならば、産経新聞関係者すら私に「与太話みたいな記事なんだから、無視してくれれば終わりだったのに」と話した産経の記事は、メディアを巻き込む激しい党派対立という韓国政治の構造の中で事件化されるにいたったといえるのだろう。

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    加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず

    加藤 達也(産経新聞・前ソウル支局長)悪意があるのはむしろ韓国検察庁 今回の出来事は言論の自由について韓国の狭量さを示した象徴的な出来事だったと思っています。そもそもあの記事で名誉毀損という罪を問われ、刑事の法廷に立たされて、刑事責任を追及されることが今も信じられない。刑事責任を追及されるに値する記事だったとは到底思えないのです。 それはなぜか。大統領という存在は公人─公人のなかでも大統領は最も公益性の高い、いわば「公人中の公人」と言っていい─でしょう。第二に私がコラムで取りあげたセウォル号の沈没事故は、三百人以上の死者が出て世界中の注目を集めた重大なものでした。しかも犠牲者に若い高校生が多数含まれていて、現場に足を何度も運んだ私も胸を締め付けられる思いの連続でした。 その事故の渦中に大統領が何をしていたのか。コラムで取り扱った大統領の動静というテーマは当然公益性を伴った問題だと思っています。 それを韓国検察庁は「コラムは誤報だった」あるいは「故意に間違いを伝えた」、即ち「私が嘘を書いた」などというストーリーに基づき捜査をしています。コラムを書くにあたって私に大統領への悪意が明確に存在していたのだ─というのが検察の主張の柱になっているからですが、それもおかしな話です。 まず私がコラムで書いた当時、大統領の動静をめぐるさまざまな憶測や情報が現実に存在していました。「これだけの事故があったのに大統領は一体何していたのか」というものです。そしてそれは政権を論じるテーマにもなっていた、それだけ政権の有り様を示す事例だと言っていいと思いますが、そういう状況、現象が事実として存在していたのです。 私は朝鮮日報でそのことが明るみに出る前から、そうした情報を自分で掴んで取材を重ねていました。コラムにある証券街の関係者はじめ、国会をはじめとする国政の関係筋に会いながら「なぜこういう情報が飛び交うのか」「情報の真偽はどうなのか」といった疑問をあれこれ調べてきたわけです。 その後、朝鮮日報で記事を目の当たりにしました。一見して腰が引けたというか、暗喩的に書かれた記事だという印象を持ちました。書いた記者は記事の記述がぼやけている理由について後で「大統領に対する配慮があったのだ」などと説明しています。 彼の声明では「極右紙である産経新聞と関連づけられ、私の立場はより悪いものになりました…私のコラムでは産経新聞の記事に出ていた『男女関係』という単語は用いられておらず、特定もしていません。低質と扇情性は職業人としての私のスタイルではない。私のコラムと一部の素材が似ているとしても主旨が同じだといえるのか…これについては検察の判断に委ねます」などとも言っています。 後で詳しく述べますが、彼は検察が捜査に着手したことを決して評価しているわけではありません。しかし、朝鮮日報は不問に付し、産経新聞だけを問題視する検察の立論に沿ったコメントを出し、・自分の記事は別だ・といっているのです。 しかし、出回っていた情報を明るみに出したという意味では私のコラムと彼のコラムは何ら変わりはありません。彼のコラムを目の当たりにした瞬間、執筆した記者が何を意図したのか、私には手に取るようにわかりました。韓国でこうした情報に接していた人ならば記事を見ただけで記事のいわんとするところが明白にわかったと思います。また全くそうした情報を知らない人が記事を読んだのであれば、なおさら私が書いたコラムと全く同じ読後感や印象を持つだろうと思います。 検察はことさらに私のコラムだけを取りあげて「嘘を書いている、悪意がある」などというわけです。しかし、私は物事を断定して書いているわけではありません。噂が存在するという事実を朝鮮日報のコラムを引用しながら書いた、そうした状況が朴政権のレームダック化が進んでいる証左なのではないかと結論づけているわけです。 また取材のやり方が悪い、不十分だ、低俗だなどといって記事の質を批判する向きもあります。しかし記事に嘘はありません。質が低い記事だからといって、では刑事罰を科すのが妥当なのか、といえばそれは絶対に違う。検察もその点を混同している。そういう場面に出会うたびに政権に阿り私に厳しい処断を下すことで溜飲を下げたいという捜査機関の側の悪意を私はむしろ感じざるを得ないのです。大事故、大災害を大統領に問う社会的風土 韓国では4月にセウォル号の事故が発生しました。私は二度にわたって現場近くに滞在しながら取材を重ね、事故の痛ましい場面、生々しい場面を四六時中目の当たりにしてきました。 そういうなかで印象的で忘れられない出来事が何度もありました。「これは一体何なのだろう」と考え込んでしまう出来事にもいくつも遭遇しました。 何しろ事故では沢山の高校生が亡くなっています。私にも高校生の娘がいます。そのような遺族が悲しみを露わにする光景などは胸に突き刺さるような出来事でした。あまりにも杜撰な韓国の安全に対する認識も明るみに出ましたが、本当に驚き、衝撃も覚えました。 やがて朴大統領が頻りに事故について言及を始めるようになりました。その時の発言も印象に残っています。確か公的な会議での発言で、救出をせずに逃げた乗務員達の行為は殺人に相当する、と口走ってしまったのです。 この発言に私は正直、驚きました。しかし、それ以上に衝撃を覚えたのは大統領発言を受けた形で検察庁の最高幹部が「殺人容疑視野に捜査」と言い始めたことでした。確かに事件は痛ましい。乗客そっちのけで逃げた乗員の行為は許されるものではありません。 しかし、多少事件をかじった記者から見ると、あれは業務上過失致死罪だと思う。船舶の法令を丹念に調べれば、ひょっとすると重罪に相当する罪名が出てくるのかもしれませんが、事案が十分に解明できていない発生直後のなかでいきなり殺人だと国家のトップにある大統領が口走る。それを検察─それも最高首脳クラス─が殺人を視野に捜査すると言ってしまう光景に違和感を覚えたのです。 大統領の一挙手一投足は事故後、直ちに政治問題化しました。韓国では何かにつけて大統領の責任が追及される政治文化があります。 この点に限って言えば日本でも首相の責任が追及される光景はそう珍しくはありませんから、大きな違いがあるとはいえないかもしれない。 しかし、決定的に違うなあと思わされることがあります。それは大災害や大事故が起きた場合に、韓国社会では指導者─特に大統領の場合が多いですが─の徳目が欠けているからだと捉え、指導者の資質に結びつけて考えたがる風潮が強いのです。 今回の沈没事故もそうでしたし、例えば過去に起こったデパート崩落事故や橋梁の崩落事故でもそうでした。大災害が起きると、韓国では大統領が出てきて謝罪する光景が珍しくないのです。 これはあまり日本では見られない光景だと思う。御嶽山が噴火した。沢山の人が亡くなった。しかし、だからといってそのことで首相が出てきて謝罪することは─対処がまずかった、救難が遅れた、心ない発言があったといった具体的な話があれば別ですが─まず考えられません。民間航空機が墜落してもそうです。航空会社が一義的に対応して責任が問われ謝罪する。首相が事故の発生原因を直接問われて謝罪する光景などまずあり得ない。謝罪を求める世論だって起こらないでしょう。 ところが韓国では必ずしもそうではないのです。先程の大統領の「殺人」発言にしても、これは事故原因を大統領に直接問いかける社会的な風土が前提としてあるからです。特派員としては大変興味深い、彼我の違いを感じる光景です。実際、朴大統領も事故を受けて頻りに言及を繰り返していました。これも政権側がそうした社会的風土を受け容れて“試練”をつつがなく凌いでいかねばならないという覚悟があったからだと思うのです。 いずれにしても今回のセウォル号事件を単なる事件事故の側面だけでなく、社会現象や政治現象も含めて伝えなければならない、そのためのさまざまな要素が満ちている。そう思いました。ネットでの原稿にセウォル号事件における大統領の動静について書こうと思ったのです。メディアを掌中に置きたがる朴政権 それで「【追跡~ソウル発】朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」というコラムを執筆しました。朝鮮日報のコラムを参考にしたのはすでに申し上げたとおりですが、青瓦台(大統領府)の反応は早かった。ネットに原稿が掲載され8月5日に電話で抗議があり「民事、刑事両面で責任を追及する」と告げられたのです。 そうはいってもこうした抗議はそう珍しいことではありませんでした。私達の支局では7月に新しい駐日大使が内定したという記事を書きました。この時も、記事の解禁指定日時を破った─として1年間に渡る取材応答禁止─いわゆる日本の霞が関にもある出入り禁止に似たものですが─を告げられました。私達に限らず日本の他のメディアでも似たようなことはあるようです。 ただ、これも腑に落ちない話です。解禁指定というのは、あらかじめ情報を事前に告げる代わりに、記事にするのは指定された解禁日に足並みを揃えますよ─という約束事です。しかし、この約束は青瓦台に詰めている韓国の国内メディアの記者を対象にした縛りであって、私達はそうした約束をした覚えなどないのです。今述べた駐日大使の話にしても本来青瓦台とは関係のないソースからの話を裏取りして記事にしたものです。そこへ青瓦台から抗議があって、出入り禁止にされる。われわれとしては理不尽極まりない話なのです。 これは私どもの記事ではありませんが、先日、ローマ法王が韓国を訪問しました。訪韓時の法王と朴大統領の会談日程について、ローマ法王側の発表に基づき記事にした。すると大統領側から「解禁指定があるので勝手に書いてもらっては困る」とクレームがついた。これだって本来ならば日本のメディアに文句をいう前にまず、ローマ法王庁としっかり調整して下さいよという話です。 中国の最高指導者、習近平総書記が訪韓したさいもそうでした。日本のとあるメディアが訪韓をスクープすると、この解禁指定を口実にクレームをつけた。しかし、韓国国内のメディア記者の枠組みに日本の特派員はそもそも入っていない。にもかかわらず抗議やクレームなど不利益は同様に課されているというわけです。 今回私は刑事裁判を受けることになりましたが、これまでも大統領府は少なくとも5件の民事訴訟をセウォル号沈没事故後、提起しています。これは韓国の国内メディアを相手取ったケースですが、メディアに対する朴政権の考え方が読み取れると思います。簡単にいえば自分の掌中に置きたいという欲求が強いということなのです。そもそも事件としてなり立たない 韓国のメディアはどう受け止めているのか。先程、朝鮮日報のコラムを書いた記者の話を紹介しました。 彼は二つのことを言っている。ひとつは検察が今回、記事について名誉毀損容疑で捜査に乗り出したことについてはネガティブに受け止めています。しかし、一方で自分のコラムと私のコラムとは全く別物だとも言っているのです。それが「極右紙である産経新聞と関連づけられ、私の立場はより悪いものになりました…」という声明にあるのです。 朝鮮日報というのは朴政権が自らの応援団のように考えてきた新聞です。実は当該コラムが出たとき、政権側は大変な衝撃を受けた。政権側は相当、頭に来て猛烈な不快感を朝鮮日報に表明し「なぜこんなコラムを書くんだ」といったそうです。 ただ、国内メディアと事を構えるのは得策ではない。そのことは政権だって分かっている。だから朝鮮日報は不問にしたのでしょう。 しかし、産経は違う。大統領も怒っているし、許せない…となって産経には「悪意がある」と、こうなるわけです。検察も捜査することになってしまった。 ところが、朝鮮日報はOKだが、産経は×という理屈はなかなか立たない、それはそうです。検察の主張は土台無理があって捜査でも彼らが苦労した点でした。 私は朝鮮日報の記者が検察庁に書面で出した回答書を読んだことがあります。そこで書かれてある内容は彼が出した声明とほとんど同じ内容でした。つまり、検察の「朝鮮日報と産経新聞は別」だという論理を補強する内容だったわけです。 朝鮮日報は訴追を免れ、検察はこの書面をもって両者を区分けできる証拠を得る。両者には利害の一致があったのだと言わざるを得ません。 もっとも韓国の法曹界の人達に聞いても口を揃えて「無理筋だ」「事件にならない」といいます。流石に検察の現役の方々からそういう話は出ませんが、知り合いの裁判官OBや検察OBの弁護士らに聞くとほとんどの人が今回の起訴が本来はあり得ないし、「そもそも事件としてなり立たない」という見方が一般的です。安倍首相の人形に汚物をつけて糾弾する国民性の? 今回の出来事について表現の自由の危機だ、言論の自由が脅かされている─といった具合に戦うメディアが韓国紙にどれだけあるのか。これは相当濃淡があると思います。 左派系と言われている京郷新聞は正面から取りあげてます。ハンギョレもそうです。ハンギョレの場合は言論の自由、表現の自由の問題を取りあげることに加えて、セウォル号事故発生から早い時点で朴大統領が船内に乗客が閉じ込められていることを認識していた─などというニュースまで報じています。 これに対して保守系紙はどうか、といえば正面から表現の自由だ、言論の自由はどうなったか、というトーンはそう出ていません。やりにくいのだと思います。やれば、朴政権の批判が避けられませんから。私が起訴されたとか、公判期日が決まった、といったニュースをストレートニュースで淡々と報じるにとどめている印象がある。まして世界中が韓国当局の今回の判断をどのように見ているか、などといった記事を見ることはほとんど無いに等しい。 10月8日夕に私は在宅起訴されましたが、刑事処分決定に際して検察は事前に弁護士に通告するとしていました。実際は午後7時に韓国メディアに一斉に発表する形式となりました。検察は私に対して一貫して奇襲的な態度を取ってきました。在宅起訴はその総仕上げに近いものでした。 私への出国禁止は2カ月以上に及んでいます。この間、取り調べは3度ありましたが、検察には私への揺さぶりと心理的な圧迫により産経新聞を屈服させようとする意図と態度が明白でした。 例えば、検察は刑事処分について「(起訴の方針などの)予断はない」と、たびたび宣言していました。そんなことはありません。取り調べは明確に「起訴」を前提としていました。はじめから「有罪判決」を目的としたものでした。 記事にある「混迷」「不穏」「レームダック化」などの言葉をひとつひとつ取り上げて、その使い方から誹謗(ひぼう)の意図を導きだそうと検察官は必死でした。 たとえば、「被疑者の記事にある『レームダック』は政権交代期に、政治に一貫性がないことを意味する言葉だが、韓国の政治状況に対しふさわしいと思うか」などと尋ねてきます。 私は「日本では『レームダック』の言葉は広義で影響力が徐々に低下している状況も示す」と応じると、検事は「政権初期の韓国の政治状況にそのような表現は無理ではないか」。そして「混迷、不穏、レームダック化の単語から、政権が揺れているのだと認識される。このような(単語を使った)記事を報道したのは、韓国政府や朴槿恵大統領を誹謗するためではないか」とたたみかけてくる─といった具合です。 10月2日の3回目の取り調べでは「(セウォル号事故当日の)大統領の所在問題が(韓国内で)タブー視されているのに、それを書いたことをどう考えるか」と聞いてきました。 流石にこの言葉には強い違和感を覚えました。日本では毎日、詳細に公開されている国家指導者の動静が・タブー・だというわけです。禁忌に触れた者は絶対に許さない。政権の意思を如実に示したような発言でした。 何より、この間、心理的な圧迫、揺さぶりが継続的にありました。 その最たるものが出国禁止措置です。日本に帰ることが許されなければ、私の訴訟対応は韓国内に限られてしまいます。私にも家族はいます。大学受験を控えた娘が日本で暮らしています。自由な私生活は奪われてしまった。自由な空間で、思う存分考えたり、闊達に話しながら行く末を考えることなどできないし、とにかくそれが一体いつまで続くのかが分からない。そうした今の私の置かれた状況全体が心理的な圧迫であり揺さぶりに他ならない。 起訴後、安倍首相と私の顔写真を貼り付けたお面や人形に火をつけようとしたり、手足を縛って「土下座しろ」とか足蹴にしたパフォーマンスなども街頭でやっていました。火をつけようとしたさいは、流石に警察に排除されていましたが、安倍首相の頭の上に汚物をつけて喜んでいました。 韓国に対しては日本だけでなく米国、フランスはじめ自由主義国で次々と批判が広がっています。国連に問題提起する動きもあるようです。 そうした国際的な批判を韓国メディアが十分に伝えていないこともあって、国民はまずよく知らない。耳を貸そうとしないという国民性もありますが、国際社会では通用しないということは今ひとつわかっていない。 最近はインターネットがあって、流石にそこでは、韓国当局のしたことが国際社会では如何に許されないことなのかが誰にもわかるようになっている。インターネットで情報を得る国民は自分達の旗色が相当悪いと感じています。「国連で問題になったらどうなってしまうのだろう」といった記事が中道の新聞からもチラホラ出始めています。 日本だけでなく私の境遇を心配して下さった方々や、様々なご配慮をいただいた方々にこの場を借りて感謝申し上げます。初公判もやがて始まるでしょうが、法廷ではこの裁判自体がいかに不当なものであるか。そのことを屈することなくしっかりと主張したい。そう考えています。 言論の自由という観点でいえば今回の出来事は一里塚だと思っています。例えば韓国では今、ソーシャルネットサービス(SNS)大手の「カカオトーク」が無断で捜査機関に情報を提供していたことが明るみに出て大問題になっています。 これは9月中旬、検察がインターネット上で虚偽事実を流して第三者の名誉を毀損した場合、逮捕も視野に徹底的に捜査する方針を示した後に、明るみに出た話ですが、「カカオトーク」を嫌った脱会者はすでに約40万人に達しているのです。 言論をめぐる窮屈な光景は、大統領の個人的な怒りによって検察が動いてしまう私をめぐる出来事だけでは決してないのです。韓国社会の至るところですでに出てきているといっていいのです。 自由な言論活動が蝕まれている光景について韓国の方々はもっと敏感になられた方がいいと思います。日本人とか韓国人、あるいは産経新聞といった、さまざまな立場を超えてまず守らねばならないものは一体何なのか。そのことをしっかり見据えて下さるよう心の底から願ってやみません。

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    反日の根底には「恨」の感情がある

     本誌で「逆説の日本史」を連載中の作家・井沢元彦氏は、20年以上前に遡る1991年、韓国と日本が歴史認識をめぐって法廷で争うという、現在を予見するような異色長篇小説を上梓した。井沢氏はこの作品で、韓国の反日の根底には、「恨」の感情があると喝破したが、なぜそのような“文化”が生まれたのか? 井沢氏が解説する。 * * *「恨」が朝鮮民族の特徴になったのは、民族の辛い歴史による。朝鮮半島の北側にはつねに中国という超大国が存在し、自分たちを隷属させようとしてきた。そこで、676年に初めて朝鮮半島を統一した統一新羅が典型だが、国王は中国の皇帝の家臣という形を取って政治的に服従し、その代わり直接統治は免れて辛うじて国家と民族を保とうとした。 今、朝鮮民族の名前は中国人同様、漢字で書くと姓1文字、名2文字がほとんどだが、かつては複数文字の姓もあった。統一新羅になったとき、生き延びるために中国に阿(おもね)る必要があり、中国式の名前に変えた。つまり「創氏改名」を行なったのだ。それは苦渋の選択であり、表面上は服従しつつも、内には屈辱が鬱積していった。 そのように、歴史的に朝鮮民族にもっとも屈辱を与えてきたのは中国なのだが、韓国は、中国に対しては執拗に謝罪を要求したり、「恨千年」などと言って憎悪の感情を露わにしたりしない。日本に対する姿勢とは大きく異なる。その理由は、「事大主義」と「小中華思想」にある。 事大主義とは大に事えること。朝鮮民族にとって「大」とはもちろん中国だ。自分との力の差は圧倒的なので、屈辱を受けても耐えざるを得ない。その一方で、自らを中国に次ぐ文明国である「小中華」と自負し、より周辺に位置する日本などを夷狄(野蛮な国)と見下す小中華思想を抱いている。その見下していた相手にもかかわらず、自分たちの上に立った日本に対しては、深い恨みを持ち続けるのである。※週刊ポスト2013年12月20・27日号関連記事■ 韓国 渤海を確固たる韓国史にしようと「官民総動員体制」に■ 井沢元彦氏 「韓国では真実の歴史を語ると黙殺、弾圧される」■ 朝鮮民族の「恨」は恨み辛みや不満を生きる力に転換した状態■ 中国が「北朝鮮は自国領」と伏線張っていると櫻井よしこ氏■ 韓国 中国との国境地帯の一つを「本来は韓民族の領土」

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    日清戦争前夜と酷似する日中韓関係

    【河村直哉の国論】 「我は心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」(明治18=1885年=3月16日、「時事新報」社説)。筆者もいまはこの心境に近い。韓国のホテルが自衛隊創設記念のレセプションを直前になって拒否、中国は米サンフランシスコで抗日戦争記念館を計画するなど、相も変わらず続く反日ぶりには、すでに「心において」謝絶、と構えて対策を練ってよいだろう。隣国が中韓である不幸 ことに7月初めの、習近平国家主席、朴槿恵大統領を韓国に訪問す、の首脳会談の図を見ていると、「脱亜論」として有名なこの文章が現代の文脈でよみがえってくる。福沢諭吉によるとされるこの「脱亜論」にいわく、「ここに不幸なるは、近隣に国あり、一を支那といい、一を朝鮮という」である(表記は読みやすく改めた、以下も)。 なにしろ現代において帝国主義的野心を隠さない中国と、それに尾を振る韓国の、笑みを交し合ってのそろい踏みの図。ことに、怒る以前に哀れをもよおすのは韓国だ。日本に対しては上から下まで罵詈(ばり)雑言、中国指導者に対しては媚(こ)びるかのごとく三顧の礼をもってする。国家としての主体性はどこにもない。 この中韓と日本の関係は、1世紀以上も前の日清戦争前夜と似ている。日清開戦から講和、三国干渉と難局に外相として当たった陸奥宗光は、回想記「蹇蹇録(けんけんろく)」に次のように書いた。朝鮮半島は争いやうちわもめの中心であって、事件がしばしば起こるのは、「まったくその独立国たるの責守をまっとうするの要素において欠くるあるによると確信せり」。朝鮮が独立国としての責任を果たそうとしないから、争いが起こるのだと。 戦争になるなどとあおるつもりはない。しかし現在も近いことが起こっているとは、冷静に見ておきたい。米国の抑止力に頼りながら、自由主義とはまるで価値観が異なる中国に媚を売っているのが韓国なのだ。気色の悪い二股ぶりといわずして、なんといおう。韓国を取り込む中国 今回、北朝鮮より先に韓国を訪問するという異例の行動に出た習氏は、韓国を完全に取り込みにかかっているといってよい。訪問直前、習氏は韓国の新聞に歯の浮くような美辞麗句を並べた原稿を寄せる念の入れようだった。よい隣人へのよい感情を抱いて訪問します、などと。あの表情、あの唇のリップサービスも気色が悪いが、以前書いたようにこれが中国の謀略の伝統なのだ。上面は笑って腹の内で権謀術数をめぐらすということだ。 今回、中韓自由貿易協定(FTA)の年内妥結が合意された。経済で中国への依存度を高めさせ、相手国を勢力圏に取り込んでいくのも、中国の古典的なやりかたの1つ。米戦略国際問題研究所(CSIS)上級アドバイザーのエドワード・ルトワック氏は、古代中国の「蛮夷(ばんい)操作」の考え方が現代にも残っていることを指摘している。経済的に依存した状態に誘導すること、価値観や行動規範を教化することにより、相手を勢力圏に置いてしまうのである。韓国はすでにこの謀略に、からめとられている。 中韓首脳の共同声明では、日本の歴史問題は正面から取り上げられなかった。しかし付帯文書ではしっかりと、慰安婦問題で中韓が共同研究することが盛り込まれている。反日をわめき散らす韓国は、覇権を狙う中国にとって実に使いやすいカードとなる。哀れむべき朝鮮の事大主義 歴史に詳しい人にはいわずもがなだが、中国には中国こそが世界の中心であり周辺は野蛮な夷族(いぞく)であるという、華夷(かい)秩序の世界観がある。日本は古代において、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を中国に送り対等外交の姿勢を示した。華夷秩序の外にあることをはっきり表したといってよい。 これに対し朝鮮は、中国に貢ぎ物をささげる朝貢国として存続してきた。大国に事(つか)える事大主義の伝統が抜きがたくある。日本が近代化に懸命に汗を流しているころも、官僚らは惰眠をむさぼり、経済も軍事力も衰亡していた。その朝鮮を国家として独立させ、西洋の進出に備えようというのが日本の姿勢だった。 「脱亜論」に先立つ明治15(1882)年3月11日、諭吉はやはり「時事新報」の社説「朝鮮の交際を論ず」でこう書いている。「かの国勢果して未開ならば、これを誘うてこれを導くべし。かの人民果して頑陋(がんろう)ならば、これにさとしてこれに説くべし」。明治人は優しすぎた、といわねばなるまい。 諭吉は朝鮮の開化党を支援し、朝鮮に清国との属国関係を断ち切らせて独立させようとした。しかし朝鮮にはその属国関係を重んじる守旧派も根強くあった。なんと中国に事える事大党というものがあったのだ。 1884(明治17)年、開化党が起こしたクーデター(甲申事変)は、守旧派が清に援軍を求めて結局、失敗に終わった。諭吉も腹に据えかねたのだろう、「脱亜論」はそういう状況のなかで書かれた。朝鮮のふらふらした態度は続き、1894(明治27)年、甲午農民戦争が発生。朝鮮は清に鎮圧を要請し、日清戦争のきっかけとなる。悪「友」とみなす必要もなし 今後も中韓は、歴史問題をはじめ日本にさまざまな無礼を働いてくるだろう。再び「脱亜論」にいわく。 「(支那と朝鮮は)一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際においては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残酷不廉恥を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者のごとし」 「支那朝鮮に接するの法も、隣国なるがゆえにとて特別の会釈に及ばず…悪友を親しむ者は、共に悪名を免かるべからず」 そして「心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」との結論に至るのである。もはや悪「友」などとみなす必要もあるまい。不廉恥を極め自省の念なき者は、そのようなものとして処していけばよい。(大阪正論室長)

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    崖っぷちの韓国 魂の叫び

    日中首脳会談が2年半ぶりに実現しても、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は安倍晋三首相とのトップ会談を開こうとしない。時に嫌韓派に事大主義と批判される硬直した韓国外交。「不可解な隣国」の思想に学ぶ。

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    半島国家の悲しき世界観

    宮家邦彦(外交政策研究所代表)みやけ・くにひこ 1953年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省に入省。日米安全保障条約課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任。2005年外務省を退職し、外交政策研究所代表に就任。09年より、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹を兼務。著書に、『語られざる中国の結末』(PHP研究所)がある。     事大主義とは何か 日本の嫌韓派の人々が韓国を批判する際によく使う言葉が、「事大主義」の弊害なるものだ。事大主義といっても若い読者はあまりピンと来ないだろうが、北東ユーラシアの地政学を理解するうえで、「事大主義」は「華夷思想」「冊封体制」「朝貢関係」などとともに、必須の概念だといえよう。 事大主義とは、「小」が「大」に事える、つまり、強い勢力には付き従うという行動様式であり、語源は『孟子』の「以小事大」である。国語辞典によれば、「はっきりした自分の主義、定見がなく、ただ勢力の強いものにつき従っていく」という意味で、たとえば次のように使われる。 事大主義とは朝鮮の伝統的外交政策だ。大に事えるから事大。この大というのはむろん中国のことなのだが。つまり中国は韓国の上位にある国だったから、そこから侵略されても、ある程度仕方がないとあきらめる。しかし、日本は韓国より下位の国だ、だから侵略されると腹が立つ。上司になぐられても我慢できるが、家来になぐられると腹が立つ、という心理だ。(2013年12月16日付『NEWSポストセブン』) 朝鮮は、中国に貢ぎ物をささげる朝貢国として存続してきた。大国に事える事大主義の伝統が抜きがたくある。日本が近代化に懸命に汗を流しているころも、官僚らは惰眠をむさぼり、経済も軍事力も衰亡していた。その朝鮮を国家として独立させ、西洋の進出に備えようというのが日本の姿勢だった。(2014年7月19日付『産経新聞』WEB版) 以上の例では、いずれも「小国である自国はその分を弁え、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった「支配的勢力や風潮に迎合し自己保身を図る卑屈な考え」を意味している。いずれにせよ、決して良い意味では使われていないようだ。 コリア半島の歴代王朝は、漢族中華王朝だけでなく周辺の非漢民族王朝に対しても「事大外交」を続けてきた。今風の言葉で言い換えれば、新羅・高麗・李朝などコリア半島に生まれた王朝の多くは、漢族系、非漢族系を問わず、周辺の強大国家に対し「事大」して、自国の安全保障を確保してきたということだろう。 他方、新羅や高麗などは中華王朝と冊封関係に入りつつも、同時にこれら中華王朝と対決したり、自ら独自の年号を使用したりするなど、きわめて柔軟で強かな外交を繰り広げたケースもある。事大主義がすべて卑屈な追随外交というわけでもなかったのだ。主体思想と事大主義 この韓国の「事大主義」を最も厳しく批判しているのが、他ならぬ北朝鮮だ。ピョンヤンがいわゆる「米軍慰安婦問題」で韓国を「卑屈で間抜けな事大主義の売国奴」と非難している姿はほとんど滑稽としかいいようがないが、北朝鮮側にもロジックはそれなりにある。まずは関連記事をご紹介しよう。 北朝鮮国営の朝鮮中央通信は2014年8月11日付で、米軍慰安婦問題で韓国を非難する記事を発表した。同問題について沈黙を続けているソウルに対し、「このような卑屈で間抜けな売国奴らが権力のポストに就いているので、南朝鮮では今も米軍犯罪行為が日ごとにはびこり、数多くの人民が不幸と苦痛の中で身もだえしている」などと論じた。 同記事は、米軍慰安婦問題について「米帝と南朝鮮の傀儡こそ、人間であることをやめた野獣の群れ、恥しらず」であり、「米国の植民地支配」が続く南朝鮮の傀儡は「事大主義の売国奴」であり、現状が続くかぎり「人民はいつになっても羞恥と侮辱を免れることができず、不幸と災難から脱することができない」と主張した。 同様の批判は、7月31日発の以下の朝鮮中央通信報道にもみられる。 ある在米同胞が7月28日、事大主義に陥っている現南朝鮮の執権者を非難する記事を在米同胞全国連合会のホームページに掲載し、南朝鮮は米国の軍事的占領と植民地支配の下で自主権がひどく蹂躙されていると非難した。また、南朝鮮の政治圏と事大勢力は自主的に生きようとする民族の志向と要求を拒否し、米国の南朝鮮に対する永久占領を哀願する現代版奴隷の本性を余地もなくさらけ出しているとも糾弾した。 南朝鮮の現実は、まさに代を継いだ親日、骨髄まで親米、反民族的な現執権者の事大主義政策の所産であると暴いた。同記事は、現執権者がこれからでも事大主義的根性を捨ててわが民族同士の立場に立って自主的に、民族の統一と平和を成し遂げるために努めるべきだと強調した。 とまあ、こんな具合だ。いかに北朝鮮でも「事大主義」が軽蔑されているかがよくわかるだろう。それもそのはず、北朝鮮と朝鮮労働党の最も重要な政治思想である「主体思想」の意味する「自主・自立」とは、中華王朝などに対する「事大主義」の克服を意味しているからだ。つねに変わる事大先 事大主義が「はっきりした自分の主義、定見がなく、ただ勢力の強いものに付き従っていく」行動様式であれば、弱者の付き従うべき強者がつねに一定とは限らない。そもそも定見がないのだから、定義上も、弱者は事大する先をときどきの状況に応じ、より強い相手に変えていったのだ。 実際に歴史を振り返れば、コリア半島の事大主義の相手は必ずしも漢族中華王朝だけではなかった。たとえば紀元前108年に漢王朝に挑戦した衛氏朝鮮は漢の武帝に滅ぼされ、それから約400年間、コリア半島の一部はいわゆる「漢四郡」により直轄支配されている。 高句麗は1世紀に後漢、4世紀には非漢族の鮮卑族が建国した前燕、前燕を滅ぼしたチベット系といわれるテイ族の前秦に、それぞれ冊封された。また、百済は唐に、新羅も北斉、陳、隋、唐に朝貢し、それぞれ冊封を受けている。 10世紀にコリア半島を統一した高麗は、漢族の宋、明だけでなく、契丹系の遼、女真系の金、モンゴル系の元にも朝貢し、それぞれ冊封を受けた。李氏朝鮮も漢族の明、女真族の清と冊封関係を維持した。李氏朝鮮が清の冊封体制から離脱したのは、1894年の日清戦争後のことである。 下関条約締結後、コリア半島は1897年に大韓帝国として独立したが、1910年には全土が日本に併合され、第二次大戦後には大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分裂する。伝統的な東アジアの冊封・羈縻関係ではないが、20世紀以降のコリア半島が日本、米国、中国の強い影響下にあったことは間違いない。 以上のとおり、コリア半島歴代王朝は例外なく、なんらかの隣国と冊封・羈縻関係を結び、強者の臣下として臣従関係を誓わざるをえなかった。しかし、こうした冊封・羈縻関係は必ずしも屈辱的なものばかりではなく、また、つねに変化していったものであることを忘れてはならない。 このように、コリア半島の事大主義がかくも変幻自在であった最大の理由は、歴史的にコリア半島北西部に自然の要塞がなく、地政学的に脆弱だったからだと思われる。高句麗・渤海滅亡後のコリア半島の諸国家は、中華王朝の一部や満州・蒙古の遊牧帝国など半島北方からの攻撃に抗しきれなかったのだ。 とくに、高麗が元に降伏して以降、中華王朝はコリア半島独自の皇帝号の使用を厳しく制限するようになった。さらに、李氏朝鮮末期になると、国内で政変が起きるたびに事大先が清、ロシア、日本、米国と代わっていった。事大主義の柔軟性とその限界を示す興味深いエピソードだ。 いかに安全保障を確保するためのやむをえざる措置とはいえ、李朝末期の高宗や閔妃が事大先を次々に変えた行動はあまりに場当たり的な対応であった。韓国の朴槿惠大統領の父親である朴正熙元大統領は生前、「民族の悪い遺産」の筆頭として事大主義を挙げ、その改革を真剣に模索していたという。 こうみてくると、コリア半島の対中華事大主義は中華に対する「憧れ」を示すと同時に、中華王朝に対する「劣等意識」を反映したものでもあったことが理解できるだろう。しかし、この「事大主義」に象徴される対中華「劣等感」は、じつは対中華「優越感」の裏返しでもあった。それを理解するための概念が「小中華思想」である。小中華思想とは何か 「事大主義」と同様、韓国を理解するうえで非常に重要な概念が「小中華思想」だ。この二つの概念は一見相反するようで、じつは「コンプレックス」という同じコインの表裏である。この醜い劣等感・優越感の塊こそが、コリア人の魂の叫びなのかもしれない。 小中華とは、中華文明圏のなかで、非漢族的な政治体制と言語を維持した勢力が、自らを中華王朝(大中華)に匹敵する文明国であって、中華の一部をなすもの(小中華)と考える一種の文化的優越主義思想である。 コリア半島の歴代王朝の多く、とくに李氏朝鮮は伝統的な「華夷秩序」を尊重した。表面的には中華王朝に事大する臣下という屈辱的地位に甘んじながらも、内心は自らを漢族中華と並ぶ文明国家と位置づけ、精神的に優越した地位から漢族中華以外の周辺国家を見下していたのだろう。 ところが17世紀に入り、その李氏朝鮮が拠り所としていた明王朝が滅亡してしまう。しかもよりによって、これまで李氏朝鮮が見下していたマンジュ(満州)地方の女真族が明を圧倒し、中華に征服王朝を樹立したのだ。当時の李氏朝鮮の儒者たちにとっては青天の霹靂であろう。 それまで夷狄だ、禽獣だと蔑んできたマンジュの女真族には中華を継承する資格などなく、李朝こそが中華文明の継承者だと彼らが考えたのも当然かもしれない。一方、実際には軍事的に清朝に挑戦することは不可能であり、李朝の仁祖は清への臣従を誓わざるをえなかったのだろう。 夷狄とは文明化しない、すなわち儒教化しない野蛮人であり、禽獣とは人間ではなく獣に等しい存在をいう。17世紀以降、コリア半島の指導者たちは女真系の清を徹底的に蔑む一方で、事大主義に基づいて、その夷狄・禽獣に朝貢を行なって冊封関係に入るという矛盾した世界観と行動様式を維持してきた。 この屈折したコンプレックスの塊とも思えるコリア半島の住民の民族性は、李氏朝鮮以降、事大主義という劣等感と小中華思想という優越感を、心中で巧みに均衡させることによって維持されてきたのではないだろうか。そう考えれば、激高しやすい韓国の国民性の理由も理解できるだろう。 ならば、コリア半島の住人のこの屈折・矛盾した「事大主義・小中華」的世界観は、最近の韓国外交が大きく変節した原因なのだろうか。韓国は中国との関係をほんとうに全面的に見直すつもりなのだろうか。ネオ民族主義の時代 現在、世界各地で地政学的な大地殻変動が起きている。半世紀近く続いた東西冷戦が終了してから早くも、四半世紀近くの年月が流れた。共産主義超大国・ソ連の崩壊によって真の平和と安定が始まるはずだった欧州では、皮肉なことに「ロシアの巨熊」が復活しつつある。 顧みれば冷戦とは、共産主義と自由主義という二つのイデオロギー・国際主義同士の戦いであった。幸いなことに、欧州各国の不健全で、ときには暴力的な民族主義は米ソ冷戦の陰で事実上、封印されてきた。ナショナリズムよりもインターナショナリズムが優先した時代だったからだろう。 ソ連の崩壊とは、共産主義イデオロギーの崩壊だけでなく、それまで封印されてきたロシア民族主義復活の可能性をも意味していた。危機感を抱いた欧州各国は、1990年代以降、旧東欧社会主義地域までEU・NATOを拡大し、ユーロ通貨まで創設してロシア民族主義の復活を回避しようとした。 2014年3月のロシアによるクリミア併合は、こうした欧州諸国の過去20年間の努力が失敗したことを示す歴史的事件だ。もちろん、あの不健全で、ときに暴力的な民族主義はロシアの専売特許ではない。英、仏、ハンガリー、ウクライナなどで極右ナショナリストが台頭していることは偶然ではない。 このような「プレ冷戦的」「ロシア革命前」の醜い民族主義が復活しているのは欧州だけではなく、東アジアでも中国、韓国などにみられるとおり、各民族の不健全で、ときに暴力的な民族主義が徐々に頭をもたげつつあるとみるべきである。 実際に、ロシアが欧州の陸上で行なっていることは、中国が東アジアの海上で行なっていることとなんら変わらない。東西の二つの旧大帝国は、その不健全な民族主義的衝動により、近年失われた帝国の既得権を回復すべく、力によって国際秩序の現状を変更しようとしている。これが筆者の考える現実である。コリア半島をめぐる国際情勢 当然ながら、東アジア最大の地政学的地殻変動といえるのは中国の台頭だろう。韓国・北朝鮮を含む周辺国は、この新たな地政学的大変動に対して、これまでの外交政策を適応させる必要に迫られている。最近の韓国外交の微妙な変化の背景には、こうした計算が働いているとみるべきだ。 そうであれば、最近日本を軽視し、中国を重視しはじめたようにもみえる韓国外交の変化には、たんなる国内政治的事情だけではなく、最近の中国の台頭に対応した、より戦略的・地政学的な理由があると考えるべきではないか。 しかも韓国を取り巻く国際政治状況は一時期、一世を風靡したポスト・モダニズムのいう“21世紀のグローバル化現象”などといった「新しいもの」ではない。誤解を恐れずに申し上げれば、現在の韓国をとりまく国際情勢は欧州の状況と同様、100年以上前の李氏朝鮮末期の国際情勢に似てきているかもしれないのだ。 北朝鮮からの軍事的脅威に直面していた冷戦時代の韓国にとっては、日米韓の三国連携こそが、対北朝鮮に対応するために唯一、機能する安全保障の枠組みだった。しかし、改革開放を断行できない北朝鮮の国力拡大は不可能に近く、第二次朝鮮戦争が勃発すれば北朝鮮側の軍事的敗北と体制崩壊は、おそらく不可避だろう。 だから北朝鮮は韓国に対して小規模の軍事的挑発を続けても、総攻撃を仕掛けることはない。一方、米韓側から北朝鮮を攻撃することもない。戦争には勝利するが、ソウルは火の海となり、韓国経済が壊滅するからだ。双方が合理的判断を続けるかぎり、今後、コリア半島で大戦争が再発する可能性は低いだろう。 つまり、北朝鮮は韓国にとって危険でありながらも「先のみえたエピソード」となりつつある。これに代わって韓国外交の中心課題となりつつあるのが対中関係だ。これからも韓国は、日清戦争以降考えたこともなかった巨大な隣国・中国との安定的関係を再構築すべく、さまざまな選択肢を模索していくのだろう。不幸な地政学的「罠」 米国、ロシア、中国、インドなどは大規模国家だが、国連加盟国の大半は中小規模国家だ。そのなかには、日本のように四方を海という自然の要塞に囲まれ、外敵の侵入を比較的容易に防ぐことが可能な海洋国家があれば、列強に囲まれた平坦な土地で、外敵の侵入を防ぐ自然の要塞をもたない大陸国家もある。 後者の中小大陸国家の典型例は、独露に挟まれたポーランドや、ローマ・トルコ・ペルシャ・ベドウィンに囲まれたイラクだろう。だが先に述べたように、コリア半島も地理的にみれば、ポーランドやイラクに勝るとも劣らない、不幸な地政学的「罠」に嵌った地域である。 このコリア半島がポーランドやイラクと最も異なる点は半島、すなわち北部は大陸国家、南部は海洋国家の特徴を併せ持っていることだろう。コリア半島の場合、北部はツングース・モンゴル系の狩猟・遊牧民、南部では韓族系の定住農耕民の影響がそれぞれ強かったようだ。 筑波大学の古田博司教授は洞察鋭くコリア半島を「廊下」と見立てる。たしかにコリア半島の北東側には険しい山々があり、外敵が侵入するルートは同半島北西側の比較的なだらかな地域、すなわち遼東半島から現在のピョンヤン、ソウルを通り、半島南西部に抜ける回廊しかないからだろう。 しかも、この回廊は先が海で「行き止まり」だ。なるほど、だからコリア半島は「廊下」なのかと納得した。軍事専門家はこの種の「行き止まり廊下」のことを「戦略的縦深がない」と表現する。撤退できる余地に限りがあるため、長期戦に耐えられない悲劇的地形という意味だ。 だが、コリア半島の地政学的特徴は「廊下」だけではない。「廊下」は遼東半島からコリア半島南部に至るルートだが、遼東半島北方にはもう一つの回廊、すなわち靺鞨、女真、契丹など多くの北方狩猟・遊牧民族が華北方面に向かうルートもある。これら二つのルートが半島北西部でつながっているのだ。「渋谷駅のハチ公前交差点」 こうした地形のコリア半島にとって、華北の中華王朝やマンジュ地方の遊牧・狩猟勢力の強大化はただちに、潜在的脅威を意味する。一度外敵が件の「廊下」を通って南下を開始すれば、これを防ぐことは容易ではないからだ。こうした事態を回避するため、コリア半島の住民は二つの戦術を編み出してきた。 第一は、潜在的脅威となりうる外敵が出現すれば、これとは戦わず、むしろ取り込み、朝貢し、冊封関係に入って自国の安全保障を確保する方法だ。「名」を捨てても、しっかりと「実」をとる戦術だが、戦略的縦深のないコリア半島には、きわめて現実的な選択である。 これに対して第二の戦術は、侵入した外敵と徹底的に戦うことだ。戦うといっても、劣勢になれば歴代の王族は国民を置いて逃げることが多かった。外敵と徹底的に戦ったのはむしろ、一般庶民だったのかもしれない。しかも、この半島の住民は外敵に激しやすく、ときに暴力的であり、少なくとも従順では全くなかった。 先に述べたように、個人的にはコリア人の性格はイラク人に似ていると思う。東西南北をトルコ、クルド、ペルシャ、ローマ、ベドウィンに囲まれ、チグリス・ユーフラテスに挟まれたこの肥沃で平坦な土地には自然の要塞がない。コリア半島が「行き止まりの廊下」なら、イラクは「渋谷駅のハチ公前交差点」だろう。 幸か不幸か、筆者はこのバグダッドに2回赴任している。コリア半島と同様、イラク人も激しやすく、ときに暴力的で、外国人には扱いがたい人々だった。しかし、2度の在勤を通じ、こうしたイラク人の国民性の根源が彼らの「強さ」ではなく、むしろ「弱さ」であることがわかってきた。 イラク人に「激情的で、狭量で、自尊心ばかり強く、協調性に欠ける」人々が多いのは、過去3000年間、東西南北の列強がこの「渋谷駅のハチ公前交差点」の住人を殺戮・搾取しながら通りすぎていったからだろう。イラクほどではないが、コリア半島の住人にも自然の要塞をもたない民族の地政学的悲哀を感じる。征服コストの高さ コリア半島は、アフガニスタンにも似ている。外国勢力が出兵・侵入しても国力を消耗するだけで、征服・支配のコストが高過ぎるからだ。それは唐、元、清などの中華王朝や日本と半島との歴史をみれば明らかだろう。外敵にとってコリア半島は侵入しやすいが、支配が難しい土地だったと思われる。 中国は漢の時代にコリア半島の一部を400年ほど支配したが、その後、少なくとも漢族の中華王朝がコリア半島を直轄支配したことはない。コリア半島の内政に深く干渉した元朝ですら、高麗を併合することはなかった。それには二つの理由が考えられる。 第一は、先ほど述べた征服・支配コストの高さだ。コリア半島に侵入・干渉した唐、元、清はいずれも国力を消耗したのか、ほどなく滅亡している。これが事実かどうかについては別途、検証が必要かもしれないが、少なくとも多くの韓国人はそのように考えていると聞かされた。 第二の理由は、中華王朝にとってコリア半島支配は地政学的に不可欠ではないということだ。歴史的にみても、中華王朝は遼東半島の維持を優先した。彼らが戦略的に関心をもった幹線ルートは遼東地域から北方に抜ける回廊であり、コリア半島の「行き止まり廊下」はあくまで支線だったようだ。 漢族中華王朝とコリア半島との関係も微妙である。たしかに歴史上、両者が助け合ったことは何度かある。たとえば7世紀に新羅は唐の支援を受け、百済と高句麗を滅ぼしたが、その後、唐は新羅を攻めている。李氏朝鮮も明の支援を受けて、侵入する日本の豊臣秀吉軍と戦っている。 しかし、その李氏朝鮮も建国当初は拡張主義政策をとり、明を討つ計画を進めていた。後金の圧力を受けた明が李氏朝鮮に援軍を要請した際も、当時の光海君は出兵こそしたものの、最終的には中立を守っている。コリア半島と中華王朝の関係はつねに緊張感のある、是々非々の付き合いだったようだ。 実際、コリア半島には清朝以降の中華に対する愛着や憧れが感じられない。コリア半島の住人は北方の靺鞨・女真系狩猟民と南部韓族系の農耕民の混血であり、必ずしも全面的な「親」中華ではないらしい。だからだろうか、今日、コリア半島にいまだ神戸・横浜のような「チャイナタウン」は存在しない。 漂流する韓国外交 隣国に信頼できない魑魅魍魎をもちながら、自然の要塞のない中小大陸国家の住民は、外国人を基本的に信用しない。自らがその地域の覇権を握る可能性は低いが、特定の列強だけに依存すれば、いずれ他の列強の反発を買い、中長期的には自らの安全そのものが危うくなるからだ。 そのような国家の外交に「機軸」は不要である。逆に必要とされるのは、隣接する列強の力関係に関する「バランス感覚」。特定の列強に過度に依存しないことこそが生き残りの秘訣だからである。こうした発想は、ポーランド、イラク、クウェートなど魑魅魍魎に挟まれた多くの中小国の外交に共通している。 コリア半島の住民にとって現在の中国、ロシア、日本、米国はいずれも信用できない大国である。ロシアにはどうしても信頼が置けず、そもそも日本とは格が違うと思っている。米国は唯一の域外国だが、しょせんはコリア半島にとっては新参者に過ぎない。 とくに、中国との関係は複雑だった。潜在的に最大の脅威でありつづけた漢族中華王朝に対する憧憬と劣等意識、非漢族王朝に対する反発と優越意識。この2種類の(繰り返すが実際にはコインの裏表でしかない)コンプレックスを併せ持つのが、コリア半島の対中観の特徴なのである。*本論考は、宮家邦彦氏の新刊『哀しき半島国家 韓国の結末』(PHP新書)の一部を収録したものです。関連記事■米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日/テキサス親父トニー・マラーノ■中国のこれからと日本が果たすべき役割/丹羽宇一郎■オバマの嘘・「尖閣を守る」を信じてはいけない/日高義樹

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    韓国はどうして日本を許さないのか

     前回(「多くの日本人が疑問に思うこと」)に引き続き、なぜ韓国は日本が何度となく謝罪や賠償を行っても、許さないのかという話をいたします。 それを一言でいえば「そういう国だから」という答えになります。ふざけた言い方に聞こえるかもしれませんが、一言で言いあらわそうとすると、本当にそうなるのです。これで話を終えれば本当に「ふざけるな」といわれるのは間違いないので、今から順を追って説明いたします。 その国がどういう国なのかを知ろうと思えば、その国民性を見る事も重要ですが、何と言っても、国家の成り立ち(歴史)や統治形態(法令等)を見るのが一番の近道です。特に憲法、中でも「前文」を読み解き現実と対比させれば、その国が、おおよそどの様な国であるのかという様な事がわかります。一例をあげると、いわゆる日本国憲法は前文で「(前略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略)」と謳い、まさに「自国の命運を他国に委ねる」という無責任国家の本質を端的に表しています。 では「大韓民国憲法」の全文はどうなっているのかというと、 「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は己未三一運動で大韓民国を建立し(中略)檀紀4281年7月12日に憲法を制定する」 ※注となっています。 ここで、韓国の歴史を多少なりとも知っている人は、何かがおかしいと感じるはずです。韓国=大韓民国の独立の宣言は1948年8月15日に初代大統領の李承晩が行っているのですから、おかしいと思うのは当然の事です。では、大韓民国が建立されたという「己未三一運動」とは、一体何なのでしょうか? それは、1919年3月1日、日本統治時代の朝鮮で起こった、反日暴動のことです。この運動自体の評価は諸説いろいろとありますが、要約すると、33名の宗教家が独立宣言書を作成し、それに共鳴した民衆がデモを起こしたという事件です。デモに参加した人数は多いものの運動は約2か月で収束し、処罰された人数の少なさや量刑の軽さ、何の成果もあげられなかったことを客観的に見ると「建国」とはほど遠いのが実情ですが、彼らに言わせると宣言書を読み上げただけで、大韓民国臨時政府ができたということらしいです。その後、臨時政府は上海、重慶と場所を移して光復軍を創設し、連合国の一員として日本と戦い、勝利し自力で独立を勝ち取ったそうです。つまり、韓国という国が自国の建立を、国際社会が認めた独立宣言ではなく、自分勝手に遡って設定していることが、この前文から分かるわけです。 このことを、分かりやすく書けば 朝鮮(清の属国)→大韓帝国→大日本帝国→アメリカ軍政→大韓民国 という本来の歴史を 朝鮮→大韓帝国→日本植民地→臨時政府→大韓民国 というふうに書き換えているということです。 以上、韓国が「そういう国」であるという説明です。 次回は、それがなぜ反日に結びつくのかを説明いたします。 ※、韓国は1948年の憲法制定から現在に至るまで9回、改憲されています。上記は制定時のものですが、現在においても(中略)より前の文言はほとんど変わっていません。

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    韓国の民主主義が死んだ日

    韓国の朴槿恵大統領の記事をめぐり、産経新聞前ソウル支局長が名誉棄損の罪で起訴された。憲法で言論の自由を保障する民主主義国家とは思えない異例の事態だ。政権に不都合な報道を公権力で封殺しようとする韓国は「独裁国家」へと歩もうとしているのか。

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    朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?

    【追跡~ソウル発】 調査機関「韓国ギャラップ」によると、7月最終週の朴槿恵大統領の支持率は前週に続いての40%となった。わずか3カ月半前には6割前後で推移していただけに、大統領の権威はいまや見る影もないことを物語る結果となった。こうなると吹き出してくるのが大統領など権力中枢に対する真偽不明のウワサだ。こうした中、旅客船沈没事故発生当日の4月16日、朴大統領が日中、7時間にわたって所在不明となっていたとする「ファクト」が飛び出し、政権の混迷ぶりが際立つ事態となっている。(ソウル 加藤達也) 7月7日の国会運営委員会に、大統領側近である金淇春青瓦台(大統領府)秘書室長の姿があった。まず、質問者である左派系野党、新政治民主連合の朴映宣院内代表と金室長との問答を紹介する。 朴代表「キム室長。セウォル号の事故当日、朴大統領に書面報告を10時にしたという答弁がありましたね」 金室長「はい」 朴代表「その際、大統領はどこにいましたか」 金室長「私は、はっきりと分かりませんが、国家安保室で報告をしたと聞いています」 朴代表「大統領がどこにいたら書面報告(をすることになるの)ですか」 金室長「大統領に書面報告をするケースは多いです」 朴代表「『多いです』…? 状態が緊迫していることを青瓦台が認識できていなかったのですか」 金室長「違います」 朴代表「ではなぜ、書面報告なんですか」 金室長「正確な状況が…。そうしたと…」  《朴大統領は側近や閣僚らの多くとの意思疎通ができない“不通(プルトン)大統領”だと批判されている。大統領への報告はメールやファクスによる「書面報告」がほとんどだとされ、この日の質疑でも野党側は書面報告について、他人の意をくみ取れない朴大統領の不通政治の本質だとして問題視。その後、質問は4月16日当時の大統領の所在に及んだ》 朴代表「大統領は執務室にいましたか」 金室長「位置に関しては、私は分かりません」 朴代表「秘書室長が知らなければ、誰が知っているのですか」 金室長「秘書室長が大統領の動きをひとつひとつ知っているわけではありません」 朴代表「(当日、日中の)大統領のスケジュールはなかったと聞いていますが。執務室にいなかったということですか」 金室長「違います」 朴代表「では、なぜ分からないのですか」 金室長「執務室が遠いので、書面での報告をよく行います」 朴代表「答えが明確ではありませんよね。納得し難いです。なぜなら大統領の書面報告が色々問題となっています」 《朴代表はここで、国会との連絡調整を担当する趙允旋政務首席秘書官(前女性家族相)に答弁を求めた》 朴代表「趙政務首席秘書官、マイクの前に来てください。女性家族部相のときも、主に書面報告だったと聞いています。直接対面して大統領に報告したことがありますか」 趙秘書官「はい、あります」 朴代表「いつですか」 趙秘書官「対面報告する必要があるときに」 朴代表「何のときですか」 趙秘書官「案件を記憶していません」 朴代表「では、調べて後で書面で提出してください」  ■ 一連の問答は朴大統領の不通ぶり、青瓦台内での風通しの悪さを示すエピソードともいえるが、それにしても政府が国会で大惨事当日の大統領の所在や行動を尋ねられて答えられないとは…。韓国の権力中枢とはかくも不透明なのか。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を在宅起訴したソウル中央地方検察庁=10月5日、韓国・ソウル こうしたことに対する不満は、あるウワサの拡散へとつながっていった。代表例は韓国最大部数の日刊紙、朝鮮日報の記者コラムである。それは「大統領をめぐるウワサ」と題され、7月18日に掲載された。 コラムは、7月7日の青瓦台秘書室の国会運営委員会での業務報告で、セウォル号の事故の当日、朴大統領が午前10時ごろに書面報告を受けたのを最後に、中央災害対策本部を訪問するまで7時間、会った者がいないことがわかった」と指摘。さらに大統領をめぐる、ある疑惑を提示した。コラムはこう続く。 「金室長が『私は分からない』といったのは大統領を守るためだっただろう。しかし、これは、隠すべき大統領のスケジュールがあったものと解釈されている。世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」。 「秘線」とはわかりにくい表現だ。韓国語の辞書にも見つけにくい言葉だが、おそらくは「秘密に接触する人物」を示す。コラムを書いた記者は明らかに、具体的な人物を念頭に置いていることがうかがえる。コラムの続きはこうなっている。 「大統領をめぐるウワサは少し前、証券街の情報誌やタブロイド版の週刊誌に登場した」 そのウワサは「良識のある人」は、「口に出すことすら自らの品格を下げることになってしまうと考える」というほど低俗なものだったという。ウワサとはなにか。 証券街の関係筋によれば、それは朴大統領と男性の関係に関するものだ。相手は、大統領の母体、セヌリ党の元側近で当時は妻帯者だったという。だが、この証券筋は、それ以上具体的なことになると口が重くなる。さらに「ウワサはすでに韓国のインターネットなどからは消え、読むことができない」ともいう。一種の都市伝説化しているのだ。 コラムでも、ウワサが朴大統領をめぐる男女関係に関することだと、はっきりと書かれてはいない。コラムの記者はただ、「そんな感じで(低俗なものとして)扱われてきたウワサが、私的な席でも単なる雑談ではない“ニュース格”で扱われているのである」と明かしている。おそらく、“大統領とオトコ”の話は、韓国社会のすみの方で、あちらこちらで持ちきりとなっていただろう。 ■ このコラム、ウワサがなんであるかに言及しないまま終わるのかと思わせたが途中で突然、具体的な氏名を出した“実名報道”に切り替わった。 「ちょうどよく、ウワサの人物であるチョン・ユンフェ氏の離婚の事実までが確認され、ウワサはさらにドラマティックになった」 チョン氏が離婚することになった女性は、チェ・テミンという牧師の娘だ。チョン氏自身は、大統領になる前の朴槿恵氏に7年間、秘書室長として使えた人物である。 コラムによると、チョン氏は離婚にあたり妻に対して自ら、財産分割及び慰謝料を請求しない条件を提示したうえで、結婚している間に見聞きしたことに関しての「秘密保持」を求めたという。 証券筋が言うところでは、朴大統領の“秘線”はチョン氏を念頭に置いたものとみられている。だが、「朴氏との緊密な関係がウワサになったのは、チョン氏ではなく、その岳父のチェ牧師の方だ」と明かす政界筋もいて、話は単純ではない。 さらに朝鮮日報のコラムは、こんな謎めいたことも書いている。 チョン氏が最近応じたメディアのインタビューで、「『政府が公式に私の利権に介入したこと、(朴槿恵大統領の実弟の)朴志晩(パク・チマン)氏を尾行した疑惑、(朴大統領の)秘線活動など、全てを調査しろ』と大声で叫んだ」 具体的には何のことだか全く分からないのだが、それでも、韓国の権力中枢とその周辺で、なにやら不穏な動きがあることが伝わってくる書きぶりだ。 ウワサの真偽の追及は現在途上だが、コラムは、朴政権をめぐって「下品な」ウワサが取り沙汰された背景を分析している。 「世間の人々は真偽のほどはさておき、このような状況を大統領と関連付けて考えている。過去であれば、大統領の支持勢力が烈火のごとく激怒していただろう。支持者以外も『言及する価値すらない』と見向きもしなかった。しかし、現在はそんな理性的な判断が崩れ落ちたようだ。国政運営で高い支持を維持しているのであれば、ウワサが立つこともないだろう。大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきているのである」 朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ。 「大統領をめぐるうわさ」は世間の人は皆知っているが、大統領本人は知らないに違いない。7日の青瓦台(大統領府)秘書室の国会運営委員会での業務報告がきっかけだった。客船沈没事故が発生した日、朴槿恵(パク・クネ)大統領が書面で初めて報告を受けてから中央災難安全対策本部に出向くまでの7時間、対面での報告も大統領主宰の会議もなかったことが判明したからだ。産経前支局長在宅起訴:朝鮮日報コラム(要旨) 毎日新聞 10月8日(水)23時53分配信

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    自滅する国家、韓国の言論弾圧が透視するもの

    だろう。当然である。 冒頭述べたように、極めて抑制的な日本の対応は韓国に舐められるこれまでの50年の日韓関係の歴史そのものであり、河野談話という〈悪の巨魁〉を生んだ温床になったものだ。 さすがの韓国メディアも左派系のメディアを中心に今回の韓国政府の判断にやや批判的である。一方、日本のメディアも9日午前の官房長官記者会見後は韓国に批判的だが、第一報が報じられた8日夜のTV報道は決してそうではなかった。 時事通信がソウルから韓国駐在の外国メディアでつくる「ソウル外信記者クラブ」の「自由な取材の権利を著しく侵害する恐れがあり、深刻な憂慮を表明する」との声明を伝えたのは8日の遅い時間だが、特派員協会が声明を出すほど重大なニュースである。 にも拘らず、驚いたことに、NHKの「NW9」は9時45分頃に「いま、入ったニュースです」との嘘の前触れで、付け足しのように事実関係を伝えただけである。大越キャスターがコメントを残すことはなかった。ニュース・ウオッチというのだから、報道番組のはずである。共同通信の第一報は20時20分であり、産経は20時34分に詳細に報道している。 テレビ朝日の報道ステーションでは、古館キャスターが自らの見解で珍しくまともなことを言ったものの、朝日の恵村順一郎論説委員は韓国の言論弾圧を肯定するかのように沈黙を通すような演出になった。恵村氏は朝日新聞の論説委員であり、朝日は韓国の言論弾圧を黙認したことと同じなのである。このように、10月8日夜の一連の日本TVメディアの報道は、大雑把に言えば、韓国の言論弾圧に加担する、NHK、テレ朝(朝日新聞)という構図になったのである。 面白いことに、絶好のタイミングで8日に韓国聯合通信は、《韓国・崇実大が村山元首相に名誉博士号 あす授与式》というニュースを配信した。《【ソウル聯合ニュース】韓国の崇実大は8日、日本の村山富市元首相に対し名誉博士の学位を授与すると発表した。村山氏が日本の植民地支配や侵略について率直に謝罪した点を高く評価したという。 韓献洙(ハン・ホンス)学長は同大が日本植民地支配下の1938年に朝鮮の大学で唯一、神社参拝を拒否し廃校処分を受けたと紹介。「日本の蛮行に対する許しと和解の意味で、日本の良心的指導者である村山元首相に名誉博士の学位を授与する」と説明した。 村山氏は9日の授与式前に記者会見し、「村山談話」を否定する動きを見せる安倍晋三政権に対する見解を述べるとみられる。 村山氏は首相だった1995年、日本の過去の植民地支配と侵略を謝罪した村山談話を発表した》 河野談話の2年後の村山談話が河野談話を構成した嘘をさらに上書き、増幅したものであることが、今回の産経前ソウル支局長言論弾圧事件を象徴している。韓国の言論界では反日原理主義という全体主義に覆われているからである。 一方、米国は米国時間8日の国務省会見で、サキ報道官が「われわれは言論・表現の自由を支持する」とし、「検察当局の捜査を注視していたが、現時点で追加情報がない」と説明し、韓国の名誉毀損に関する法律について、国務省が毎年公表している人権報告書(2013年版)でも指摘したように「懸念している」と述べた。 国務省の人権報告書は韓国の名誉棄損に関する法律を「報道活動に萎縮効果を及ぼし得る」と批判し、2012年に名誉毀損で訴えられたのは1万3000人以上で、3223人が有罪判決を受けたと記している。この法律は恐らく親北朝鮮勢力が立法化した人権法案と関連があるものだろう。 韓国の「国家人権委員会」が北朝鮮の人権問題には極めて冷淡だ。韓国の市民運動や人権活動が親北派で占められ、人権委員会に圧力をかけることが知られている。そもそも韓国の人権委員会は設立の過程で、特定の政治勢力の政治活動を促進し、一般的な人々の人権を抑圧する性格を持っていた。それがそのまま、韓国の〈言論の自由〉にも繋がっているのではないだろうか。 公園で「日本統治は素晴らしかった」と言った90代の老人が、その場で撲殺される事件が起きたことも最近では多くの日本人が知るところとなった。〈親日〉サイトを作った中学生が逮捕されるのが韓国の常識なのである。そもそも、反民族糾弾法という親日派を罰し、子孫の財産まで奪う法律を2005年に成立させたのが韓国という国家なのである。 今回の産経前ソウル支局長言論弾圧事件は、ただの言論弾圧、報道の自由をめぐる事件ではなく、日本と韓国の安全保障上のスキームに一大転換をもたらす出来事として認識されなければならない。そして、それは、国交正常化後50年になろうとする日韓関係そのものを根底から問い直す事件なのである。 日本が日清戦争に勝利し、朝鮮を清の属国から解き放ち、独立させてから来年で120年目に当たる。それは、シナが古代から唱えてきた華夷秩序の冊封体制を崩壊させる歴史上の大事件であり、アジアの近代史の始まりでもあった。そして、いま、また朝鮮が華夷秩序に従い、中国共産党が支配するシナの冊封を受ける歴史の転換点でもあることを示唆している。西村幸祐(にしむら・こうゆう)批評家・作家・ジャーナリスト、一般社団法人アジア自由民主連帯協議会副会長、戦略情報研究所客員研究員。 昭和27年(1952)東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科中退。在学中より「三田文学」編集担当。「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」)、音楽ディレクター、コピーライターを経て1980年代後半からF1やサッカーを取材、執筆活動を開始。2002年日韓共催W杯後は歴史認識や拉致問題を取材、執筆。「撃論ムック」「ジャパニズム」を創刊、編集長を歴任。 著書に『ホンダ・イン・ザ・レース』(講談社)、『幻の黄金時代―オンリーイエスタデイ ’80s』(祥伝社)、『「反日」の正体』『「反日」の構造』(文芸社文庫)、『マスコミ堕落論』(青林堂)、『NHK亡国論』(KKベストセラーズ)など多数。

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    笑ってしまう韓国紙の「取材」

    産経新聞出版社長 皆川豪志 弊社の出版物をアピールしていただけるなら、どんな媒体でもありがたいことですが、今夏、こんな記事を見つけたときには、ちょっと呆れてしまいました。  「中卒父の『下剋上受験』、日本で話題に」(朝鮮日報電子版2014年7月26日配信、現在は有料記事なので、紹介記事にリンクします)  弊社が7月に発売した『下剋上受験-両親は中卒 それでも娘は最難関中学目指した!』(桜井信一著)が、なんと「朝鮮日報」に取り上げられたのです。ただ、注目していただきたいのは、次の下りです。  《試行錯誤も多かった。桜井さんは「小学校高学年が読む参考書でも、中卒の自分には難しかった。娘のために、昼は働き、夜は受験生の気持ちでずっと勉強するほかなかった」と語った》  「語った」? はて、いつ桜井さんは韓国人記者の取材を受けたのだろう。というのもこの著者はペンネームであり、娘さんの受験というプライベートな事情もあるため、住所や電話番号を知っているのは弊社でもごくわずかな社員に限られるからです。早速桜井さんご自身にも確認したところ、そのような取材はまったく受けていないとのことでした。  確かに、記事をよく読むと、その少し前に《中卒の父親は、本を通してこう語る。「中卒が中卒を育てるという『連鎖現象』を防ぐため、私は娘と一緒に勉強しました」》という下りがあります。ここで一度「本を通して」という言葉があるため、後の記事もすべて「本を通して語った」と読めなくもありません。ただ、百歩譲ってそうだとしても、本の中のどこをどう探しても、そのような言葉は一言も出てこないのです。  さらに、記事の最後には、《読者の反応も上々だ。ほとんどは「受験生の親なら胸が熱くなるほどの感動受験記」と評価している》とうれしいことを書いてくださっていますが、この「」も誰が話したのでしょうか。何しろ弊社に対して、この件に関して朝鮮日報からは電話取材の1本すらなかったのですから何が何だかわかりません。  実は、この記事が配信される2日前に、Web上の「R25」で次のような記事が紹介されています。『中卒の父、下剋上受験ブログが話題』  さすがにこの記事は、産経ニュースやツイッターといった引用元が書かれていますが、恐らく朝鮮日報の記者はこうした配信を参考に、「読者の反応云々」についても「R25」記事の最後の部分などを使って書いたのでしょう。  特に実害もないですし、目くじらを立てるほどの話ではないのですが、この件の少し後、「週刊新潮」(2014年8月14・21合併号)の記事を見て、ようやく合点がいきました。  「『週刊新潮』の記事を丸々盗用した韓国の反日新聞社『中央日報』の弁明」  これは、アベノミクスによって都内の一部の富裕層の間で「ミニバブル」が起きているという週刊新潮のルポを、韓国の「中央日報」が盗用したことを告発する記事です。何しろ、記事全体の流れはもちろん、タクシー運転手の感想から著名文化人のコメントまで、「」の中も含めて新潮記事の無断盗用だらけです。取材のカケラすら見られません。その上、新潮の指摘に対しても話が噛み合わず、最後は逆ギレされたというのです。  もちろん、かの国のマスコミすべてがそうだと言うつもりはありません。ただ、この記事を読む限り、その報道に対する姿勢は、わが国の倫理感や常識とは相当にかけ離れているように感じました。これはもう、怒りとかではなく、笑えるレベルだと思います。  ちなみに、下記の記事の時も弊社には何の取材もありませんでした。弊社の本が悪いのか、韓国外交当局が悪いのか、何を言いたいのかよくわからない文章ですが、きちんとアポをとっていただければ、弊社はいつでも取材に答えますよ。  取材日記「嫌韓から呆韓まで」(中央日報2013年12月17日配信)  

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    産経前ソウル支局長に対する名誉棄損罪の起訴状全文

     被告は1991年4月、産経新聞に入社し、2004年9月から2005年3月ごろまで、産経新聞ソウル支局で研修記者として活動し、2010年11月1日付で産経新聞ソウル支局長(注)として発令を受け、約4年間特派員として勤務している日本人である。 被告は14年4月16日に発生したセウォル号事故に関連し、朴槿恵大統領の当日の日程が論じられた14年7月18日付の朝鮮日報「大統領を取り巻く噂」というコラムに「大統領府秘書室長の国会答弁を契機に、セウォル号事故発生当日、朴槿恵大統領が某所で秘線とともにいたという噂が作られた」などの文章が掲載されたことを見つけるや、その噂の真偽可否に対して当事者および関係者らを対象に、事実関係を確認しようとの努力などをしないまま、上記コラムを一部抜粋、引用し、出所不明の消息筋に頼り、あたかもセウォル号事故当日、被害者、朴槿恵大統領が被害者、チョン・ユンフェと一緒にいたとか、チョン・ユンフェもしくはチェ・テミンと緊密な男女関係だという根拠なき噂が事実であるかのように報道する記事を掲載しようと考えた。 被告は14年8月2日ごろ、産経新聞ソウル支局の事務室でコンピューターを利用し、被害者、朴槿恵大統領と被害者、チョン・ユンフェの噂に関する記事を作成した。 被告は「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明…誰と会っていた?」というタイトルのもと、「調査機関『韓国ギャラップ』によると、7月最終週の朴槿恵大統領の支持率は前週に続いての40%となった。大統領の権威はいまや見る影もないことを物語る結果となった。こうなると噴き出してくるのが大統領など権力中枢に対する真偽不明のウワサだ。こうした中、旅客船沈没事故発生当日の4月16日、朴大統領が日中、7時間にわたって所在不明となっていたとする『ファクト』が飛び出し、政権の混迷ぶりが際立つ事態となっている。(ソウル 加藤達也)」と書き出し、上記、朝鮮日報コラムの内容中、「金(大統領府秘書)室長が『私は分からない』といったのは大統領を守るためだっただろう。しかし、これは、隠すべき大統領のスケジュールがあったものと解釈されている。世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」などという噂と関連した部分を中心に引用し、「証券街の関係筋によれば、それは朴大統領と男性の関係に関するものだ。相手は、大統領の母体、セヌリ党の元側近で当時は妻帯者だったという。だが、この証券筋は、それ以上具体的なことになると口が重くなる。さらに『ウワサはすでに韓国のインターネットなどからは消え、読むことができない』ともいう。一種の都市伝説化しているのだ」「証券筋が言うところでは、朴大統領の“秘線”はチョン氏を念頭に置いたものとみられている。だが、『朴氏との緊密な関係がウワサになったのは、チョン氏ではなく、その岳父のチェ牧師の方だ』と明かす政界筋もいて、話は単純ではない」との内容の記事を作成した。 被告は、上記のように作成した記事をコンピューターファイルに保存した後、日本・東京にある産経新聞本社に送信し、8月3日正午、産経新聞インターネット記事欄に掲載した。 しかし事実はセウォル号事故発生当日、被害者、朴槿恵大統領は青瓦台の敷地内におり、被害者、チョン・ユンフェは青瓦台を出入りした事実がないうえに、外部で自身の知人と会い昼食をともにした後、帰宅したため、被害者らが一緒にいたとの事実はなく、被害者、朴槿恵大統領と被害者、チョン・ユンフェやチェ・テミンと緊密な男女関係がなかったにもかかわらず、被告は前記したように、当事者および政府関係者らを相手に事実関係確認のための最小限の処置もなく、「証券界の関係者」あるいは「政界の消息筋」などを引用し、あたかも朴槿恵大統領がセウォル号事故発生当日、チョン・ユンフェとともにおり、チョン・ユンフェもしくはチェ・テミンと緊密な男女関係であるかのように虚偽の事実を概括した。 結局、被告は被害者らを批判する目的で情報通信網を通して、公然と虚偽の事実を際立たせて、被害者らの名誉をそれぞれ毀損した。                   ◇ (注)加藤前支局長は11年にソウル支局長に就任。

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    韓国における産経支局長起訴の悩み

     ことの経緯は多くのメディアで既に報じられていますので本稿では省略しますが、韓国はそもそも我慢しない人たちによって構成された社会であり国家だと考えるべきでしょう。それが良いとか悪いとかではありません。韓国国民の民情として「大統領の名誉が日本の極右によって毀損された」と感じられれば、たとえその元ネタが韓国大手紙・朝鮮日報の引用だったとしても、あるいは、別に韓国国内向けの記事ではなく産経MSNでの韓国事情を紹介するに過ぎない記事だったとしても、そうと知ったからには韓国人の怒りが収まらないのでしょう。 産経新聞が紙面作りや報道の方針として、元々韓国に好意的ではないのはある程度知識のある日本人であれば誰でも知っていることで、ある意味で「そういうものだ」と思って読むのがリテラシーというものです。とはいえ、そういう日本の知識人が持ち合わせているものと同じレベルで韓国人に理解せよといっても難しいことであろうし、仮に「韓国人に本件を分かるように説明せよ」といっても私は韓国人を怒らせない自信がありません。 日本ではどこの週刊誌でも書くようなゴシップレベルの話を伝えた程度で韓国人がぷんぷんに怒る理由が分からないのですから。同じように、青瓦台が韓国国民の感情にも配慮して拳を振り上げるのもおとなげないですが、こういう問題で冷静にならない韓国社会のことを知っていれば、韓国政府も一緒になって怒るのも理解できないでもありません。普通、他の国では起きないというだけで。 一連の韓国での産経加藤支局長の起訴劇を「韓国の前近代性によるもので、民主主義の観点からしても危険だし望ましくない」と評するのはとても妥当です。しかし、本件ひとつを持って韓国の問題を語るよりも、各産業分野や商慣行、法制度、行政といったあらゆるパーツで似たような問題が起きるのが韓国なのです。 例えば、金融の分野において韓国財界というのは世界的に見ても非常に特異な振る舞いがある地域であり、ローンスター銀行や現代スイス貯蓄銀行など一般的な金融業界の商慣行ではあり得ないような事例が、むしろ韓国金融当局と一体となって行われることもあるほど不思議な国家です。オンリーインコリアを略した"OINK"という豚の鳴き声に模した揶揄も一時期流行したほどです。もう韓国とはそういうものであり、関わり方をひとつ間違えると身体ごと持っていかれてもおかしくないのだと知っておくほかありません。 正直、そういう社会が隣国で成立しているというのは日本にとって悩ましい話ですが、これはもう、しょうがないことです。頭に血が上った韓国政府に対して「民主主義においては表現の自由があり、市民社会において守られるべき価値なのだ」と説いても始まりません。日本人としては「産経が時として民族主義・極右と見られることがある」のをうまく隠しつつ諸国に対して韓国の前近代性を問題提起し、民主的な価値を重視する日本の立場を情報発信していくことが、韓国のオウンゴールのような失態を活用する最大の手段なのではないかと思います。

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    仮想敵は日本  韓国軍が狂わせる日米韓の歯車

    これまでいくら日韓の国民感情が悪化しても、自衛隊と韓国軍の関係は維持されてきた。ミリタリーの関係は、両国間の政治的な対立を軍事的な緊張にまで至らせない「安全装置」だったのだ。しかし今、仮想敵を日本に置いたとしか思えない韓国軍の行動が相次ぐ。米国を基軸とした同盟の原点を見失えば、地域の平和と安定は崩壊するだろう。 シンガポールで開かれたアジア安全保障会議。日米韓の3カ国は6月1日、北朝鮮に核開発計画の放棄を強く求める共同声明を発表したものの、日本が求めていた韓国との防衛相会談は、韓国から拒否され開けなかった。日米韓が5月中旬に日本海で捜索救難訓練を実施したときも、韓国海軍は訓練の非公開を条件に参加していた。自衛隊幹部は「海上自衛隊との連携場面が報道されれば、韓国世論から反発を受けるという判断だろう」と説明する。だが、日韓の軍事面での関係悪化が表面化したのは氷山の一角にすぎない。相次ぐ軍事交流の一方的なキャンセル 5月の連休後半に韓国海軍の高官らとの会談を予定していた海上自衛隊トップの河野克俊海上幕僚長の訪韓が4月下旬、日程調整の最終段階になって突然取りやめとなった。靖国神社の春の例大祭に、多くの国会議員が参拝したため、韓国軍側から「不都合になった。訪問は受け入れられない」との連絡があったという。 実はその1カ月前にも、陸上幕僚監部の2人の部長(陸将補)が計画していた韓国陸軍との軍事対話が、相次いでキャンセルされていた。今年に入って、韓国陸軍は陸上自衛隊に対し、「陸将以上の訪問は遠慮願いたい」と、一方的に通告してきた。このため、陸幕では「陸将より下位の陸将補であれば、韓国側も受け入れるはず」(陸自幹部)と判断、装備部長と運用支援部長の2人を訪韓させ、北朝鮮の核やミサイル開発など朝鮮半島情勢について意見交換するつもりだった。竹島。韓国は、昨年末に公表した『国防白書』で竹島の領有を強調した (提供:The Blue House/ロイター/アフロ) 防衛省にすれば、自衛隊幹部が訪韓することによって、韓国の李明博大統領(当時)が竹島に強行上陸した昨年8月以降、北朝鮮のミサイル発射や核実験などの場面で連携が希薄となっていた韓国軍との関係を正常化させる狙いがあった。しかし、相次ぐ受け入れ拒否に、自衛隊幹部は「青瓦台(韓国政府)の指示で、軍のエリート将校養成課程が取りつぶされたように、ここ数年、軍のステータスは著しく低下している。軍も政府の了解がなければ自衛隊との関係を強化できない」と分析する。 これまで、日本海に浮かぶ竹島の領有権をめぐって日韓両政府が対立したときも、従軍慰安婦など歴史認識の問題で双方の国民感情が悪化したときも、自衛隊と韓国軍の関係が損なわれることはなかった。 ミリタリー同士の良好な関係による「安全装置」が壊れ始めていることは、昨年12月に公表された韓国の『2012年版国防白書』が裏付けている。ある自衛隊幹部は「目を疑いたくなるような内容だった」と評している。 韓国が独島と呼ぶ竹島をめぐっては、日韓両国とも領有権を主張しているが、白書には、韓国海軍のイージス艦「世宗大王」を先頭に、艦隊による島の警備活動の模様が大きな写真で強調されていた。前回の『10年版国防白書』では、わずか1枚ずつだった竹島の写真と領有を示す地図が、今回は計4枚も掲載されている。 日本との防衛交流や防衛協力に関する記述では、「独島は疑いもなく、地理的にも歴史的にも、そして国際法的にも韓国の領土である」と明記した上で、「日韓の将来の防衛交流や協力を発展させるためには、独島に対する日本の誤った認識や不当な主張を打破しなければならない」とまで記述している。 腹立たしい限りだが、今必要なことは、居丈高な韓国の振る舞いに対し、感情的になって憤ることではなく、冷静な視点で、自衛隊と韓国軍との連携が、韓国の平和と安全にとって何よりも重要であるということを指摘し、韓国軍、そして青瓦台の目を覚まさせることだ。韓国防衛支える自衛隊 沖縄・尖閣諸島の領有権をめぐる日中対立が激化し、今でこそ、日米同盟や在日米軍が存在する意義は、中国に対する抑止力を維持することのように思われがちだが、戦後一貫して、その主目的は朝鮮半島有事への備えである。自衛隊や在日米軍の体制は、安保条約に基づく日米同盟という枠組みの中で、米国の同盟国である韓国を防衛するために、強力な半島有事シフトを維持している。 具体的には、航空自衛隊は福岡県の築城と芦屋、山口県の防府北の3カ所に、1500~2000メートル級の滑走路を保有しており、海上自衛隊の大村(長崎)、陸上自衛隊の目達原(佐賀)、高遊原(熊本)、在日米空軍が使う板付基地(福岡空港)とあわせれば、北部九州という極めて限定されたエリアに7カ所もの航空基地が点在している。これは万一、第2次朝鮮戦争が発生すれば、米軍の戦闘機や輸送機が発進する拠点として活用されるのはもとより、日本人や米国人だけでなく、韓国から避難してくる多くの民間人の受け入れ基地としても活用されるはずだ。 さらに、北部九州地区には、福岡病院、大分・別府病院、長崎・佐世保病院、熊本病院という4つの自衛隊病院が集中している。これも韓国防衛のために傷ついた米軍や多国籍軍の兵士らの治療を前提に整備、維持されてきたのは紛れもない事実だ。このほか、朝鮮半島と向き合う長崎県の佐世保基地は、米海軍第7艦隊の戦略拠点であり、広大な佐世保湾の大半は、半島有事に緊急展開する米軍が占有したままだ。 そもそも戦後、北朝鮮の侵攻で始まった朝鮮戦争を機に、自衛隊は警察予備隊として発足し、日本各地の空港や港湾は、韓国防衛のために出撃する米軍などの拠点となった。それだけではなく、開戦当初、北朝鮮の攻勢を食い止めるため、米軍などによる仁川・元山への上陸作戦を前に、連合国軍総司令部(GHQ)の命令によって、日本は特別掃海部隊を編成、朝鮮半島の周辺で北朝鮮が敷設した高性能ソ連製機雷の除去作業に従事した。不幸にも活動中、1隻が触雷して沈没、乗組員1人が死亡、18人が負傷している。朝鮮戦争では日本人も戦死しているのだ。 にもかかわらず、休戦後も、日米同盟に基づいて、自衛隊が韓国の平和と安全を支え続けてきたという認識が、韓国はあまりに希薄過ぎるのではないだろうか。それが証拠に、『12年版国防白書』の中で韓国は、「朝鮮戦争で韓国を支援した国々」を特集しているが、日本は5万ドル相当の資材を提供した国として、わずか1行だけ取り上げられているに過ぎない。 今年7月27日は、朝鮮戦争の休戦協定締結から60年という節目にあたる。もちろん、朝鮮半島の混乱は日本の平和と安全に直結する事態であり、自衛隊と在日米軍の半島有事シフトは日本のためでもある。しかし、韓国防衛に対する日本の献身的な貢献がきちんと伝わっていないのだとすれば、それをしっかりと認識させることは、日本政府にとって対韓外交の柱であっていい。戦力増強する韓国軍と新たな基地建設 自衛隊と韓国軍の間で狂い始めた歯車を、早急に元に戻さなければならない理由はほかにもある。それは近年の韓国軍の増強ぶりと新たな基地建設の動きに対し、自衛隊が不信感を募らせているからだ。韓国の保有するイージス艦「世宗大王(セジョンデワン)」=写真先頭 (提供:ロイター/アフロ) かつて韓国は、『08年版国防白書』まで、外部の軍事的脅威である北朝鮮を「主敵」と位置づけていた。だが、10年版白書から主敵の表現が姿を消し、「北朝鮮政権と北朝鮮軍は韓国の敵」という表現に弱められている。呼応するように、100万を超す陸上兵力を持つ北朝鮮軍と、38度線を挟んで対峙しているにもかかわらず、韓国では現在、陸軍と海兵隊あわせて約55万人の陸上戦力を、22年には40万人程度にまで大幅削減する方向で検討しており、それに代わって増強しているのが海軍力だ。 08年以降、韓国海軍はイージス艦2隻を相次いで就役(現在、3隻目が試験運用中)させたほか、外洋航行に適した攻撃型潜水艦9隻を整備。駆逐艦6隻を含めた初の機動部隊を創設している。編成の目的は「国家の対外政策の支援、海上交通路の防衛、北朝鮮に対する抑止」を掲げているが、海上自衛隊幹部は「韓国は日本に負けたくないという思いが強い。あれだけの数のイージス艦と潜水艦をどこで使うのか。韓国がリムパック(環太平洋合同演習)以外で、太平洋で訓練したことなど見たこともない」といぶかる。対潜水艦作戦を念頭に置いたP3Cなどの哨戒機も16機保有しているが、搭載する対艦ミサイル「ハープーン」で攻撃するような水上艦は、北朝鮮軍には見当たらない。 不可解なのはそれだけではない。1つは佐世保の西方約200キロに位置する済州島に大規模な海軍基地を建設していることだ。数年以内には、P3Cの航空基地も併設され、大型揚陸艦も含め、韓国海軍は機動部隊を配備する計画を打ち出す。防衛省幹部は「済州島は日本海と東シナ海をにらんだ前線拠点であり、将来、中国海軍が寄港するようになるとやっかいだ」と打ち明ける。 また、これまで韓国は、米国との取り決めで弾道ミサイルの射程を300キロに制限してきたが、昨年10月、これを800キロに延長した。韓国南端から北朝鮮北端までの距離と説明するが、大阪など西日本は完全に射程圏内に入る。弾道ミサイルの射程延長に併せ、韓国は陸上発射型の巡航ミサイル(射程1500キロ)を配備し、駆逐艦や潜水艦には射程400キロの巡航ミサイルを搭載していることを公表した。北朝鮮を攻撃するためとしているが、「仮想敵は日本だ」とみる自衛官は少なくない。 日米同盟と米韓同盟。日韓は互いに米国を介して朝鮮半島の安定に力を注いできた。在日米軍やその基地施設をめぐって国内が二分することがあっても、日本は戦後、多くの資材と資金を投入し、半島有事シフトを維持してきた。しかし、韓国には日本の努力への理解が乏しく、日本も自らが果たしてきた役割の重要性を認識していない。 その間隙を突くように今、北朝鮮は核とミサイル開発を推し進め、中国は韓国を取り込みながら海洋進出を活発化させ、米国を基軸とする同盟に揺さぶりをかけている。何のために、日本と韓国は米国と同盟を組み、互いの同盟を基盤にしながら連携と信頼を築き上げてきたのか。その原点を見失ったとき、この地域の平和と安定は崩壊するだろう。