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    朴槿恵の低レベル発言を嗤う

    「日帝=ナチスだった」「韓国は善良なる被害者」……。外交の場で対日ファンタジー史観丸出しの発言を吹聴して回る朴槿恵大統領。延々と続く「告げ口外交」にアメリカは辟易している。朴槿恵政権はいい加減、そのことに気付いた方がいい。

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    朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか

    澤田克己(毎日新聞前ソウル支局長)日韓で食い違う「告げ口」理解 韓国の朴槿恵大統領が5月4日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説について「慰安婦被害者たちをはじめとする歴史問題に対する真の謝罪をして近隣諸国と信頼を強化できる機会を活かせなかったことは、米国でも多くの批判を受けている」と述べた。「米国で批判されている」と主張することで、安倍首相を批判したといえる。朴大統領は20日には、ユネスコのボコバ事務局長との会談で、戦時中に徴用された朝鮮人が働かされた施設を含む「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産として登録することに反対する考えを伝えた。 ボコバ氏との会談に関するニュースが流れてきた時、私は編集局内で「朴槿恵さんらしいよね」という声を聞いた。朴大統領が日本にケチをつけるのは珍しくない、という反応だ。驚きがないから、このニュースは翌日の新聞に小さくしか載らなかった。安倍首相の演説への反応にしろ、世界遺産にしろ、日本では「またか」という受け止め方が強いというのが、率直な評価だろう。 ただ、日本でいわゆる「告げ口外交」と言われる言動について、韓国では一般に「告げ口」という意識が共有されていない。韓国では、朴大統領は「正しいことを正当に言っているだけ」であり、「告げ口」という評価は当たらないという感覚が強い。韓国人とこの話題を話すと、話がかみ合わないことが多いのだ。 こうした認識の差は、韓国と日本の社会意識の違いからくるように思われる。韓国側の特徴として挙げることができるのは、やはり儒教の影響だろう。ただし、過去の事象にどれくらい適用すべきかは判断が分かれるとしても、基本的人権のような普遍的「正しさ」というものがあるという感覚は、欧米社会にも強い。さらに、世界遺産問題では日本側の主張にもかなり苦しい部分があるのだが、この点については後述しようと思う。「正しさ」への強い確信4月29日、米議会の上下両院合同会議の演説に臨む安倍首相(共同) 朴大統領は安倍演説を批判した際、「このように日本が歴史を直視できず、自らの過去の問題に埋没していこうとしているといっても、それは私たちが解決してあげられない問題だ」と続けた。ずいぶんと「上から目線」に感じられる発言だ。朴大統領のキャラクターということもあるのだろうが、それだけではなく、自分たちの立場が絶対的に「正しい」という確信が背景にあると見るのが自然だろう。 これは、儒教に基づく韓国社会の伝統的思考法に則ったものだ。韓国では、「正しさ=正義」が絶対視される。別の言い方をするならば、道徳性が非常に重視される。ただ、正義や道徳性の判断基準は自分たちが決めるので、その感覚を共有しない他者から見ると「正義の押しつけ」になってしまう。だから、日本とは「正しい歴史認識」を巡って衝突することになる。 現代韓国研究の第一人者である慶応大の小此木政夫名誉教授は「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下にあったこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分たちの正統性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外に方法がない。それが、『正しさ』を追及する伝統を生んだのではないか」と話す。 1980年代までの強権的体制の下ではこうした意識が顕在化することはなかったが、民主化と冷戦終結によって重しが外れ、「伝統」の影響力が復活してきたと考えられる。こうした現象は、韓国に限らず、東欧などでも見られることだ。強い序列意識が背景に 韓国の社会意識に大きな影響を与えている儒教・朱子学は、序列意識の強いものだ。そして、序列上位のものには道徳性を強く求める「徳治」が強調される。この考えは、国際関係にも持ち込まれる。韓国が自らより序列上位にあると考える欧米先進国や国際機関に徳を求めて、韓国の正しさ=日本の不当性を訴えようとなるようだ。 その裏には、強大国に力で対抗できない「小国」だと自らを規定する意識がある。周辺国の思惑と争いの中で、自らの運命を主体的に決められずにきた朝鮮半島の歴史を背景にしたものだ。 だから、過去の侵略行為を否定し、慰安婦問題での日本の責任を否定する(と韓国が考える)安倍首相を、米国が歓迎するようなことは、あってはならないことだ。米国を訪れる外国首脳に対する最高のもてなしである、上下両院合同総会での演説の機会を安倍首相に提供し、過去への謝罪をしない安倍首相に拍手を送ることは言語道断ということになる。 それなのに実際には、慰安婦問題や植民地支配について演説で明言しなかった安倍首相に、米国の議員たちは総立ちの拍手を送った。韓国の感覚からすれば、あってはならないことだ。韓国メディアが演説後、「韓国外交の敗北」などと大きく書き立てるほどのショックを受けた背景には、こうした感覚があるといえそうだ。 日本と同じように、韓国にも「国連信仰」がある。世界遺産の問題でユネスコが「正しい」姿勢を見せることに期待する韓国の心理は、安倍演説への反応に通じるものだ。米国やユネスコに「正しい主張」を伝えることは、決して「告げ口」などとは評されないのである。日本相手だけではない「告げ口」日本研究者の「声明」に安堵 米国の著名な日本研究者ら187人が5月4日、慰安婦問題などで安倍首相に批判的な見解を示した「声明」を発表した。賛同者はその後、457人に増えている。 声明は、慰安婦問題について「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」と指摘。戦後70年の今年は「日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会」だとして、安倍首相に適切な対応を取るよう求めた。 韓国メディアが歓迎したのは当然だが、その背景には、やはり「国際社会が味方をしてくれた」という安堵感があるはずだ。 研究者たちの声明は、慰安婦問題が「韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と中韓を批判する一方で、「強制連行」があったかどうかよりも「非人道的制度を取り巻く、より広い文脈」を重視すべきだと指摘している。普遍的な人権問題としてとらえる国際社会の潮流を反映しつつ、単純な日本批判に陥らないよう苦心した跡のうかがえる内容だ。 残念ながら韓国メディアの多くは、自分たちの「正しさ」に合う部分だけに焦点を当てて報道し、中韓への苦言は無視したり、簡単に触れるにとどめていた。 ただ、朝鮮日報が「日本に対する世界の著名な歴史学者たちの批判を、第三者によるものだから意味があるというならば、韓国に対する彼らの苦言も第三者によるものだから価値があると受け止めるのが成熟した姿勢だ」というコラムを掲載するなど、一部ではあるものの、正面から受け止めようとする姿勢も見られたことは留意すべきだろう。日本相手だけではない「告げ口」 実は、日本的な感覚で「告げ口」に見える行動は、日本を相手にした時だけ出てくるわけではない。修学旅行の高校生ら300人余りが犠牲になった昨年4月の「セウォル号」沈没事故の時も、朴槿恵政権に責任があると糾弾する活動が、約250万人の韓国系市民が住む米国で繰り広げられた。中韓投資フォーラムに出席した中国の習近平国家主席(左)と韓国の朴槿恵大統領=2014年7月4日、ソウル(代表撮影・共同) 事故の約1カ月後には、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに「真実に光を」と題する1ページ全面を使った意見広告が掲載された。ニューヨーク・タイムズには「なぜ韓国人は朴槿恵大統領に怒っているのか」、ワシントン・ポストには「朴槿恵大統領はセウォル号と共に韓国の民主主義を沈めようとしているのか」というサブタイトルがそれぞれ付いていた。 ニューヨークなど、全米各地で朴大統領の退陣要求集会も行われた。左派系ネットメディア・オーマイニュースによると、マンハッタンでの集会には約150人が参加した。参加者たちは、英語と韓国語で「朴槿恵は出て行け」などと書かれた横断幕やプラカードを持って、「無能無責任な朴槿恵反民主独裁政権を糾弾する」と訴えたのだという。 朴大統領と敵対する進歩派による「場外乱闘」だ。米国の世論が、韓国内の問題に対する抗議活動に大きな関心を寄せるとは考えづらい。抗議活動をしている人たちも、そんなことを本気で期待しているわけではないだろう。米国の世論に「正しさ」を訴えている姿をアピールすることが大事だという感覚があるようだ。世界遺産問題は日韓の意思疎通不在を象徴 「告げ口」外交という本筋からは外れるが、世界遺産問題と関連して一つ紹介しておきたい。「明治日本の産業革命遺産」の対象時期の問題だ。私が知る限り、本稿を書いている5月下旬時点で、このことにきちんと触れたのは5月22日付毎日新聞の社説だけである。 冒頭で紹介した朴大統領の言及にある通り、韓国は、「産業革命遺産」には徴用された朝鮮人が働かされた施設が含まれていると反発している。日本側はこれに対して「対象となっているのは1850年代から1910年までであり、第二次世界大戦中の徴用とは時期が違う」と反論。菅義偉官房長官は「韓国の主張するような政治的主張を持ち込むべきではない」(5月22日の記者会見)と、韓国の反発を一蹴している。 日本も、戦時中に朝鮮人徴用が行われたことを否定しているわけではない。争点といえば、世界遺産登録の申請に入っている時期ではなかったということになる。 申請で対象とされた1850年代は、幕末という意味だ。それくらい、私にもすぐ分かった。だが、「1910年まで」というのは分からなかった。そのため政府の担当者に「1910年に何があったのか」と質問したところ、「ロンドンで開かれた日英博覧会に八幡製鉄所で作られた鉄が出品された」という答が返ってきた。日本が産業化に成功したことを西欧諸国に知らしめた記念の年ということらしい。 世界遺産登録をめざすにあたって、日本の成功を西欧諸国に誇示できた年を区切りとすることは、遺産群にストーリー性を持たせ、訴求力を高める効果を期待できる。だから、申請に当たってそうした手法を取ることは当然であり、なんら批判されるべきことではない。負の歴史があったから世界遺産として保存すべきでないという主張も、正当なものとは思えない。 ただ、1910年が、日本の産業化における画期的な年として従来から認められてきたのかと問われれば、かなり苦しいと言わざるをえない。 象徴的な施設の一つとなっている長崎県の「軍艦島(端島)」で保存運動に取り組んできた関係者によると、世界遺産申請の話が出た当初から、関係者の間では朝鮮人徴用への反発が出るのではないかという懸念があった。そのため、軍艦島などは対象から外そうと検討されたこともあったという。この関係者は「この問題をクリアできるようにしたのが、1910年という区切りだった」と話した。 石破茂・内閣府特命担当相は5月8日の記者会見[注]で、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になった」と説明すると同時に、「この年は日韓併合の年ではないかという指摘も当然予想される」と話した。石破氏の発言にある通り、1910年というのは、韓国との関係においては感情的反発を呼びやすい年でもある。 この問題では、日韓両国の専門家や外交官の多くが「昔だったら事前調整がきちんと行われ、大きな問題にはならなかったはず」と口をそろえる。当初からそうした懸念を持たれていたにもかかわらず、最終局面になるまで放置されていたということは、まさに近年の両国間における意思疎通の不在を象徴するものといえるだろう。[注] http://www.cao.go.jp/minister/1412_s_ishiba/kaiken/2015/0508kaiken.htmlさわだ・かつみ 1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11~15年ソウル支局。15年5月から外信部副部長兼論説委員。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。近著に『韓国「反日」の真相』(15年、文藝春秋)。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 朱子学の影を引きずる朴大統領の反日■ 本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造

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    歴史認識問題で批判を続ける韓国知識人の典型的な主張

    岡崎研究所 韓国延世大学教授の李正民が、4月16日付の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙で、安倍総理が米議会での演説で歴史に向き合おうとしなければ、米国の利益にならず、アジア人の心は掴めないだろう、と述べています。 すなわち、安倍総理が4月29日米議会での演説でどのような歴史に関するメッセージを伝えるかに、アジアの関心が集まっている。 もし安倍総理が、慰安婦問題を含む日本の戦時中の残虐行為をごまかし、無視しつづけるなら、日本が戦後民主主義、人権の先導役を果たしてきたとの主張はできなくなる。多くのアメリカ人は、中国と韓国が歴史にこだわっていることを快く思っておらず、日本が大きな過ちを起こしたのは70年前のことであり、中国など他の国の歴史にも暗い時代がある、日本は戦後責任ある大国であり、ほぼすべての重要問題で米国と立場を同じくする民主主義国、米国の同盟国として、歴史的苦痛を超える勇気を持つべきである、と言う。 しかし、日本の優れた戦後の記録は、その前の出来事を消しはしない。安倍総理の修正主義は、オバマ大統領のアジアへの軸足移動も含めた米国の戦略的利益に反する。日本が歴史と向き合わないため、地域の和解ができず、中国に軍事力強化のための絶好の口実を与える。日本が歴史を否定することで、中国の国際的地位が上がり、中国の政策は他のアジアと調和しているとの見方が広がってしまう。 安倍総理はアジア人の心をつかむことより、日本を「不沈空母」にする方が重要と考えるかもしれないが、もしそれが米議会での演説のメッセージであるとしたら、日本が米国のかけがいのない同盟国、中国に対する責任ある対抗勢力、そしてアジアの友人となる絶好の機会を失うことになるだろう、と述べています。出典:李正民‘Shinzo Abe’s Duty to History’(Wall Street Journal, April 16, 2015)URL:http://www.wsj.com/articles/shinzo-abes-duty-to-history-1429203445* * * 韓国知識人の典型的な議論です。しかし、筆者の李正民は、元安全保障大使を務めた人物であり、安全保障分野では日本にも知人が多く、対中政策、対北朝鮮政策では、日米韓の3国連携を重視している人の一人です。その彼が、ここまで歴史認識に触れなければならない韓国の現在の世論の雰囲気というのは、ゆゆしき状況でしょう。 この論評が、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載されたということは、米国、米国人に対する意見として書かれたものであることを示しています。 日本が歴史と向き合わないために中国に軍事力強化のための絶好の口実を与えているとか、日本が歴史を否定していることで中国の国際的地位が上がっているという議論は、説得力に欠けるものです。 論説は、安倍総理が歴史認識を改めない限り、アジア人の心はつかめず、日本はアジアの友人になれないと言っていますが、それは事実に反します。タイをはじめ、東南アジアや南アジアの国々は、太平洋戦争に関し、日本が侵略を認め、お詫びをすべきだとは言っていません。歴史認識はすぐれて中韓2国の問題です。 1つ言えることは、今後どのような形で歴史認識問題に言及するにしても、それで中国と韓国の批判が収まるとは思われないことです。20年前、戦後50年の年に、村山談話が「植民地支配と侵略」に触れ、「心からのお詫び」を述べたにもかかわらず、中国と韓国は、それで歴史認識問題に区切りがつけられたとは思いませんでした。歴史認識問題に関する両国の批判は、今後も続くと覚悟しなくてはならないでしょう。関連記事■ 朝鮮民族の「恨」は恨み辛みや不満を生きる力に転換した状態■ 北岡君、日本を侵略国家にする気かね■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    朴大統領に問われる反日外交の検証

    長谷川良(ウィーン在住ジャーナリスト) 韓国の朴槿恵大統領は過去2年余り展開してきた日本の歴史問題に対する“告口外交”への再考を強いられてきている。というより、外交路線の変更を余儀なくされている。 朴大統領は4日の首席秘書官会議で、「われわれの外交は歴史に埋没せず、歴史は歴史としてしっかり対応し、韓米同盟や韓日関係、韓中関係などの外交問題は別次元の明確な目標を持って、今後もしっかりとした信念の下、積極的に努力してほしい」(韓国聯合ニュース日本語電子版)と述べ、歴史問題と経済・安全保障は区別して対応するという対日外交の基本方針をあらためて示したというのだ。 このニュースは本来、朗報だが、韓国の一方的な反日攻勢にさらされ、傷つけられてきた日本人ならば、「なんと身勝手な政策変更だ」と批判の一つでも呟きたくなるだろう。 朴大統領は就任後、2年余り、反日外交を主導し、外遊先では告げ口外交を展開してきた張本人だ。その間、日本国民は旧日本軍の慰安婦問題で追及され、米国でも慰安婦像が設置され、年内にはソウル市庁舎前広場にも慰安婦像が設置されるという。その大統領はここにきて歴史問題と経済・安全保障は区別して対応するという。朴大統領は過去2年余りの反日外交を検証したのだろうか。 韓国は歴史問題を反日攻撃の武器として利用してきた。その間、日本側は首脳会談の開催を打診するなど、対話を模索してきたが、韓国側からは「先ず、謝罪しろ」と一蹴されてきた。その韓国がここにきて、「歴史問題と経済・安保問題は区別して対応する」と言い出したのだが、日本側が果たしてすんなりと応じるだろうか。 日本の社会では既に嫌韓が広がる一方、韓国への無関心が広がっている。知識人の間では、韓国とは冷静に話し合うことができない、といったネガティブな韓国観が定着してきた。停滞傾向が見えてきた国民経済を回復させるため、韓国が日本へ再度歩み寄ってきたとしても、日本側から「はい、そうですか」といった返答は期待できないのではないか。日本側から「韓国は過去2年間の一方的な反日外交に対し、わが国の国民に謝罪表明すべきだ」という声が出てきても不思議ではない。 喧嘩をふっかけておいて、分が悪くなると喧嘩を止めた、と言いだしても、喧嘩相手が素直に応じるか。もう一度、仲良しになるためには、喧嘩を始めた側が先ず、「ごめんなさい」というのが筋だ。 誹謗や中傷は怖い。悪口、罵声を発した後、その原状復帰には多くの時間がかかる。言葉による暴力は拳よりも痛く、癒されるまで多くの時間がかるものだ。5月6日、米ロサンゼルス近郊グレンデールで、慰安婦問題を象徴する少女像に触れる李容洙さん(共同) 韓国は日本に併合され、多くの苦渋を味わってきたことは間違いない。その民族が相手の痛みには無頓着となれば、民族の品格が問われる。韓国側の一方的な反日プロパガンダで傷ついた多くの日本国民がいることを忘れないでほしい。「安倍晋三首相が70年前の蛮行を謝罪しないからだ」と、いつものように弁解しないでほしい。 「河野談話」や「村山談話」で日本側は過去に対してはっきりと謝罪を表明したが、日本で新政権が発足する度に韓国側は「日本はこれまで謝罪していない」と言い張り、謝罪を要求してきた経緯がある。 朴大統領は、生存されている慰安婦の一人、李容洙さん(86)が6日、 米ロサンゼルス近郊グレンデールに設置された慰安婦の少女像を訪れ 「安倍首相が謝罪するのを見届けるまで200歳まででも生きる」と訴えたというニュースをどのように受け取っているだろうか。李さんは大統領の反日外交の所産だ。一人の慰安婦の過去の痛みに火を付け、憎悪を駆り立ててきたのは誰か。悲しみ、恨みを癒す努力ではなく、火に油を注いできたのが朴大統領の過去2年余りの外交政策ではなかったか。 70年前、日本が多くの韓国人を傷つけたように、韓国は今、多くの日本人を根拠の乏しい反日プロパガンダで傷つける一方、国内の戦争犠牲者に対して日本への憎悪を煽っている。韓国は同じことをしているのだ。 ベトナム戦争時の韓国兵士によるベトナム人虐殺問題が話題となった時の韓国側の戸惑いは何を意味するのだろうか。韓国が常に自負する「道徳の優位性」は幻想に過ぎないのだ。(ブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」より)関連記事■ 韓国人はドイツ人を全く知らない■ 「大韓ナチズム」に堕ちた韓国■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

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    なぜ韓国は日本を許さないのか

    。 これでは韓国に対して「どうぞ日本を叩いてください」と言っているのと同じようなもので、実際に現在の日韓関係悪化の最大の原因と言われる慰安婦問題を創り出し育てたのも、これらの人たちです。この人たちは口先では「日韓友好」を唱えていますが、実際にやっていることといえば日韓両国民が互いに反発するようなことばかりで、結果的に日韓関係を悪くしているのです。 中でも日本政府は、今まで韓国の言いがかりを放置しただけではなく、さしたる根拠がないのにも関わらず、ただ単に日本が悪かったという内容の談話を発表するなど国家の責務を放棄したかのような振る舞いを続けてきました。 そのため「日本も自身の非を認めている」などと他国から誤解され、韓国には「日本は嘘でもなんでも大声を出せば、謝り金を出す」と馬鹿にされ、都合のいいように反日カードを使われてきたのです。いわば韓国を傍若無人な国に育てたあげた責任は日本にあるといっても過言ではありません。 そして、もう一つ忘れてはならないのが、日韓両国が友好な関係になれば困る国の工作活動です。典型的なのが、韓国でアジア女性基金を受け取ろうとした元慰安婦の老婆を脅迫して金を受け取らせず、問題の解決を妨げた親北団体の「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)で、彼らは事あるごとに「慰安婦」問題を持ち出し、無理難題な要求を突きつけて問題の解決を妨げてきました。 彼らのように表立って行動する人間は、まだ分かりやすくて良いのですが、本当に気を付けなければいけないのが、日韓の政府中枢やマスコミに深く潜り込んでいる人間です。スパイを取り締まる法令のない日本は言うまでもありませんが、金大中、廬武鉉と従北政権が10年も続き、国家の屋台骨であった国家安全企画部が縮小された韓国は昔では考えられないほど食い込まれています。日韓の主要なポストにいる人間の中にも、日々、日韓両国が離反するような活動を行っている人間がいる事を忘れてはいけません。 いずれにしても韓国は、国策として反日政策を行っているわけですから、そのような相手に対して共通の歴史認識など模索しても無意味な話です。あえて日韓共通の歴史認識を確立するとすれば、日本が韓国の言い分を丸呑みするしか方法がないでしょう。 また、単に嫌韓と言って感情論だけで対抗しようとしてもかなうはずがありません。日本も国家が中心となって戦略的に対抗しなければ、この先も彼らは日本に対しての謝罪や賠償を要求するだけではなく、執拗に反日工作を続けてくるでしょう。 この問題を解決するには彼らが言うように「日韓双方とも歴史を直視して、是は是、非は非と認めることから始めなければならないのです。ただし、それには長い長い時間が掛かるでしょう。※注韓国は1948年の憲法制定から現在に至るまで9回、改憲されています。上記は制定時のものですが、現在においても(中略)より前の文言はほとんど変わっていません。関連記事■呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病■韓国好きの私が韓国を批判するワケ■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

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    恨と火病

    「反日」はいつまで続くのか。韓民族特有といわれる「恨(ハン)」の情念と、怒りの激情がもたらす「火病(ファッピョン)」。2つの病に蝕まれた哀しき隣国の精神構造について考えたい。

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    韓国好きの私が韓国を批判するワケ

    でも韓国でも、今の世代に正確に伝わっていないことが、日韓の最大の問題なのだろう。良好になりつつあった日韓関係 70~80年代にかけて、韓国では、慰安婦も歴史認識も、話題にすら昇ったことはなかった。その後、韓国を独裁政権扱いする報道も影をひそめ、日韓関係は、良好な方向へ向かいはじめた。もちろん、一部では、反日もあるにはあったものの、顕在化しなかった。 むしろ、日本人のほうが、韓国への好感度を増していった。「冬のソナタ」のヒットの影響もあったろう。元のタイトルは「冬(キョウル)恋歌(・ヨンガ)」である。主役の裴(ペ)勇(ヨン)俊(ジュン)の魅力もあったろうが、誰が訳したのか、ソナタという言葉が効いたせいもあるだろう。 70年代、日本世代の免税店のおばさんたちは、男ばかり来ないで、女性にも韓国へきてもらいたいと、いつもぼやいていた。家内を同行すると、おおいに喜ばれた。当時、ビーズのハンドバッグ、螺鈿(らでん)の漆器、絞り染めの生地など、男には価値の判らない土産物が、韓国では安く買えたのである。時代は、様変わりして、多くの中年女性が、日本から韓国を訪れるようになった。 私も個人的に、日韓親善に尽くしてきたつもりである。東国大学以外にも、たまたま知り合いができた祥(サン)明女子(ミョンヨジャ)大学(テーハク)など、いくつかの大学へ、文庫本を教材として寄贈しつづけた。韓国の日本語スピーカーを減らさないためである。 また、本業に関して言えば、日韓の推理作家協会の交流プロジェクトが、行なわれた際には、おおいに働いたと自負している。韓国では、減ったとはいっても、日本語で案内してくれる作家に、事欠かない。しかし、日本では、「韓国の独裁政権、やっつけろ」式の景気のいいスローガンをぶち上げる作家は、たくさんいたものの、韓国語で案内できる作家が、ほとんどいなかった。「あれ(イッチョ)に(ゲ・)見えます(ポイヌン・)建物(コンムル)は(・ン)、国会(クッケ)議事堂(ウィサタン)で(・イ)ございます(ムニダ)」などと、東京観光ではバスガイドのようなことも、しなければならなかった。 90年代には、日本人の韓国に対する関心と、好感度も高まり、韓国人の日本への興味、関心も、増していった。サッカーW杯の共同開催に向けて、日韓関係は、新たなステージに向かうかに見えた。日韓離反狙う慰安婦捏造報道日韓離反狙う慰安婦捏造報道 だが、ここで、あの大新聞は、またしても、その強大な権力を行使して、日韓離反の挙に出た。 1991年、いわゆる従軍慰安婦なる虚構が、報道されたのである。この巨大新聞は、現在では、いちおう虚妄だったことを認めてはいる。だが、軍隊相手の売春婦である慰安婦と、勤労動員で働いた挺身隊を、混同した報道に関しては、当時は事実関係の研究が進んでいなかったためと、弁解している。「女子挺身隊」として内地の女学生同様に軍需品の製造に携わる京城の女学生ら(『戦ふ朝鮮』)大阪府の日本アルミ工場で「女子挺身隊」として軍需品の製造に携わる乙女ら。奥は作業を見学に訪れた地元の女学生ら=昭和19年2月 しかし、年齢の離れた姉が、あのころ女学生で、勤労動員により中島飛行機の工場へ、自転車で通っていたのを、私ははっきり覚えている。もちろん、慰安婦とは、何の関係もない。ことは、姉の名誉とも関わってくる。 平成に入って早々のころには、あの新聞社にも、私と同世代の社員が、まだ現役でたくさん働いていたはずである。知らないはずがない。二十数年も訂正することなく、頬かぶりをしてきたのは、単なる誤報などではなく、あの大新聞が仕掛けた日韓離反策の一環で、意図的なものだからなのだろう。 日韓離反を図る大きな意思は、あの新聞の言論支配のもうひとつの柱として、吉田某なる人物による、済州(チェジュ)島(ド)における日本官憲の女狩りという、とんでもない虚構を付け加えることによって、さらに拡大していく。「詐話師」吉田清治の話や行動を、かつて真実のように報じた朝日新聞 しかし、その後の十数年は、この大新聞の企みは、まだ功を奏さなかった。日本では、韓国ブームが続いていたからである。これまで訪韓したことのない、中年婦人層が、韓国を訪れることが多くなり、韓流にはまった韓国語学習者も、増えていった。そればかりでなく、男性のなかにも、韓流ドラマにはまる人が多くなった。韓国の大河ドラマ「朱蒙(チュモン)」は、高句麗の開祖朱蒙を主人公とした作品だが、私の近くのDVD店では、新作が十巻入っても、即日借りだされるほどの人気だった。「朱蒙」のDVD。ドラマとしてはおもしろくても時代考証はデタラメで空想が盛りだくさん 朱蒙は、もともと「三国(サムグク)史記(サギ)」に記録される神話上の人物なのだが、それを強引に歴史ドラマ風に、仕立て上げるところが、まさに韓国人である。元ネタが僅かしかないので、古今東西のエンタテインメントから、使えそうな要素を、流用している。水戸黄門のような部分も、大奥のような部分もあるが、臆面もなく、受けそうな要素を投入しているから、たしかに面白いことは面白い。 また、韓国側も経済力の伸長と共に、訪日して実際の日本を肌で知る人々が増えてきてもいた。別府の大ホテルなど、経営危機に陥った苦境を、韓国からの観光客の増大で乗り切ったほどである。国際化というスローガンが、しばしばマスコミを賑わすが、お互い知り合う以外に、国際理解が進むことはない。 慰安婦と同構造の原発報道 だが、挺身隊=慰安婦という虚妄、済州島女狩りという捏造は、徐々にボディブローのように効いていった。韓国では、従軍慰安婦像なるものが、日本大使館の前に設置され、アメリカ各地へ飛び火していく。あの像は、新聞報道にあった12歳の少女として造られている。挺身隊=勤労動員には、中学生、女学生も動員されたから、その年齢の生徒たちも少なくなかったが、軍隊相手の慰安婦に、その年代の少女がいたという記録もないし、事実もなかった。 韓国では、挺身隊問題対策協議会という団体が、活動し続けている。あまりにも長ったらしいので、挺(チョン)対(テ)協(ヒョプ)と略している。あの大新聞が垂れ流した挺身隊=慰安婦という虚構を、そのまま踏襲しているわけだ。語るに落ちるとは、このことだろう。 事実関係が、はっきりしたのだから、あの新聞の責任で、韓国側に訂正を求めるのが、筋だろう。だが、あの新聞は、それをしない。それどころか、慰安婦の存在は事実だから、これまでの方針に変わりないという態度を、とりつづけている。 なぜ、こうなるのだろうか? 韓国の問題と離れるが、私も筆禍に遭ったことがある。あの新聞社は、取材も検証もしないで、記事を書くことが、はっきり判った。私が受けた筆禍など、些細なことだが、問題の根は、共通している。 私は、本業のSF小説の未来エネルギーとして、昭和30年代から、原子力に興味を持っていた。そして、日本中の原発と、建設予定地の全てを、取材した。当時、人気の「朝日ジャーナル」誌が、特集を組んだなかに、私の名前も、名誉なことに入れてあった。その特集とは、「わたしたち(原発反対派)を未開人と罵った識者十人」というものだった。もしかしたら、原発反対派を未開人と罵った粗雑な人間が、その十人の中に、いたのかもしれない。 しかし、私は、そういうことを言ったこともないし、書いたこともない。それどころか、立地点の住民の反対を尊重すべきだと、常日頃から主張してきた。また、すでに物故したが、反対派の大立者の高木仁三郎は、私の中学の同級生で、同じ大学に入った間柄であり、かれが反対意見を発表できないような事態になったら、私と意見が異なってはいても、かれの言論の自由を守ると宣言してきた。さらに、原発に反対する自由のない国は、原発を建造すべきではないと、何度も書いたことがある。筑紫哲也 ことは、原発賛成、反対という問題ではない。こうした報道をするからには、私をふくめて、そこに記された十人が、そういう発言をしたかどうかを、取材確認する必要がある。 ところが、私には、まったく取材は来ていない。そこで、私は、雑誌「諸君」のページを借りて、当時人気だった筑紫哲也編集長宛てに、私が、いつ、どんなメディアで、そういう発言をしたかと、問い合わせた。もちろん、そんな発言など、あるわけがない。筑紫編集長の回答は、のらりくらりと、話題をすりかえることに終始した。韓国人と〝あの新聞〟の共通点韓国人と〝あの新聞〟の共通点 つまり、あの大新聞は、取材も検証もしないで、主義主張に基づくフィクションを、報道の形を借りて、読者に垂れ流しているわけだ。原発などに賛成し、傲慢な発言をする非国民が、十人必要になった。そこで、関係ない人間もふくめて、誌上でさらし者にしたわけだ。つまり、原発推進めいた意見を、圧殺する方針だったのだろう。 いわゆる従軍慰安婦の報道と、まったく同様の構造である。 従軍慰安婦なるフィクションを、あたかも事実であるかのように、売りまくって読者を欺いた責任は、まさに重大である。しかも、日韓関係を破壊したばかりでなく、全世界にわたって日本の名誉を泥にまみれさせた罪科は、きわめて悪質である。 誤報ではなく、明らかに意図的な捏造である。この捏造が,韓国に飛び火すると、さらに拡大していく。その意味では、この大新聞の離反策に、うまうまと乗せられた韓国も、いわば被害者と言えるかもしれない。主義主張を真っ向から掲げて、事実の確認も検証もしない韓国の国民性と、あの新聞の社是(?)は似ているかもしれない。 私は、過去四十数年にわたって、韓国と関わってきた。最初、自宅ちかくの笹塚の小さな教室で、韓国語を学びはじめた一人に産経新聞の黒田勝弘さんがいる。あちらは、ソウル在住が長いから、私など到底及ばないネィティブスピーカーに近い語学力だが、スタートは一緒だった。 以後、折々に韓国関係の著書を上梓してきたわけだが、その都度、親韓派、嫌韓派などと、勝手に分類されてきた。例の大新聞もふくめて、日本のマスコミが北朝鮮に淫していたころは、日本のマスコミ批判とともに、韓国擁護の論陣を張り、顰蹙を買った。また、韓国の反日が、度を過ぎたと思えば、遠慮なく韓国批判を展開してきたつもりである。 国際親善には、王道はないから、知る以外に近道はないと考え、「日本人と韓国人、ここが大違い」(文藝春秋)「いま韓国人は、なにを考えているのか」(青春出版社)など、比較文化論ふうの著書もあり、口はばったい話だが、日本人の韓国理解に貢献してきたつもりである。 もちろん、私の独断と偏見に堕す危険があるから、多くのコリア・ウォッチャー仲間から、助言や意見も頂戴し、拙著の間違いも指摘された。転向左翼の韓国利用 いわゆる韓国病にはまりかけていたとき、早大名誉教授の鳥羽欽一郎先生から、たしなめられた。「豊田さん、日本人と韓国人は、おたがい外国人なのだから、同じ視点に立つということはできませんよ」と、確か、こんなことを言われた。そのときは、むっとしたが、先生は、韓国にのめりこみすぎている私に、ブレーキをかけてくださったのだ。 70年代、韓国にまじめに取り組もうという日本人は、それほど多くはなかった。田中明氏のような大先達のほか、外交評論の大御所岡崎久彦氏にも、お目にかかり、励ましを頂戴したことがある。外務省在勤中で、本名をはばかったのか、「隣の国で考えたこと」を、長坂覚のペンネームで、早い時期に刊行されている。現在は、本名で再版されているから、入手可能な名著である。中国の圧力に屈せず、その本質を報じ続けた柴田穂 また、産経新聞の柴田穂さんも、大先達の一人だった。韓国関係の会合で、何度か、お目にかかり、アドバイスを頂戴したこともある。なにしろ、中国政府に批判的な記事を書き、産経新聞が北京支局の閉鎖に追いこまれたとき、支局長として残務を整理し、従容として北京を退去された剛直な方である。支局閉鎖という事態を招いたのだから、本来なら責任重大なはずだが、言論の自由を守ることを優先したのである。 それに引き換え、当時あの大新聞は、中国べったりの記事を、垂れ流しつづけていた。この新聞社には、Aという名物特派員がいた。中国通をもって自任していたはいいが、他社の記者まで、このA特派員に、お伺いを立てるようになったという。どこまで書いたら、中国政府の逆鱗にふれるか、A特派員に、判断を仰ぎに来たのだ。早い話が、あの大新聞が、日本の中国報道を検閲していたことになる。 70年代、北朝鮮一辺倒だった日本の文化ジャーナリズムの世界で、一つの伝説があった。いわゆる進歩的文化人は、自分の名前だけ、ハングルで書けたというのである。申し合わせたのかもしれないし、あるいは、あの大新聞の関与があったのかもしれない。現在からは、信じられない話だが、ハングルで名前を書いてみせるだけで、朝鮮問題(?)の権威扱いされたそうである。 しかし、現在の日韓の確執を眺めると、妙なねじれ現象がある。竹島問題にしても、従軍(・・)慰安婦(・・・)にしても、韓国側と共同歩調を取っているのは、70~80年代、あれほど韓国を独裁国家扱いして、忌み嫌っていた進歩的文化人なのである。節操もなにも、あったものではない。日本叩きに資する、あるいは、商売になると判ったら、かつて贔屓にした北朝鮮を見捨て、韓国に媚びるのだから、こういう世渡り上手と戦うのは、容易なことではない。事実伝えることが真の親善に 翻って、現在の韓国である。反日は、狂気の沙汰の域に達している。これには、日本世代が現場から退き、あるいは物故したという事実が、おおいに関係している。私が、多くの教示を受けた方々は、もし存命なら、こんなことを言うと怒られるかもしれないが、日韓双方の美点を兼ね備えておられた。 もう一歩、踏み込んで言えば、日本の教育を受けた方々だった。立派な方というと、ややニュアンスがずれるが、韓国語でいう「アルンダウン・サラム」という方が多かった。こういう世代が亡くなり、反日が質量ともに、変わってしまった。まず、かれらが考える仮想の日本人に対して、際限なく敵意をむき出しにした、いわばバーチャル・リアリティの反日になっている。狂気の沙汰に達している韓国人の反日行動(AP) 日本では、韓国人は、険しいイメージでとらえられがちである。反日の激しさを見れば、間違いではないが、一面的に過ぎる。日頃の生身の韓国人は、お喋りで、陽気で、図々しいくらい人懐こい。日本人は、以心伝心を理想とする文化を生きているが、韓国人は、口にしたことが全てである。発信能力を磨かないと、生きていけない社会である。たとえ嘘でも、自分の主義主張を正面に掲げないと、たえず足をすくわれる危険に直面している。 そのため、国際的には、日本人より判りやすいと定評がある。よく見てもらえれば、日本人の誠意が通じるはずだが、韓国人のほうが声が大きいから、知らない人が聞くと本気にする、と言った程度には、説得力を持ってしまう。 大方の日本人の対韓姿勢は、「また、韓国人が騒いでおる。放っておくのが、大人の態度」といったものだろう。これが、日韓摩擦を拡大した主な原因のひとつである。日本からの反撃がないから、向こうは、さらに反日をエスカレートさせるのだ。 日本は、和の社会だとされる。これには、聖徳太子が引き合いに出されることが多いが、贔屓の引き倒しの面がある。有名な十七条憲法の第一条が、はきちがえられている。太子は、談合のような和を勧めているわけではない。あくまで論じてからと、なれあいを戒めている。 まさに韓国相手では、論じなければ駄目なのだ。相手は、合理的な議論が苦手だから、徹底して、論拠を上げて、言い負かすつもりで、追いつめなければ、非を認めない。一見、乱暴なようだが、反日が、高くつくという事実を、知らしめないかぎり、韓国の反日は、拡大するばかりで、絶対に解消しない。 現在の韓国は、日本世代がいなくなり、歯止めがかからなくなっている。さながら李朝時代の政争のような、権力闘争すら起こりはじめている。日本が、関わりを持つ以前の時代へ、先祖がえり(atavism)してしまった感がある。ここに乗じて、あの大新聞が、新たなテーマで反日の捏造を加えて、逆襲してくる畏れもある。いや、その萌芽は、すでに現れている。日本を貶め日本人を苦しめて、まともに反省しない〝あの大新聞〟 私の「どの面下げての韓国人」(祥伝社)は、やや刺激的になるのを承知のうえで、出版社と協議して決めたタイトルである。さっそく、左翼弁護士が、噛みついてきた。ヘイトスピーチだというのである。しかし、ネットでは、すぐ反論されている。つまり読んでいないことを白状したようなものだというのである。なかには、あの本は韓国に同情しているのだ、とする感想もあった。こういう応援は、ありがたい。 私は、あるときは親韓派、あるときは嫌韓派というレッテルを、貼られてきた。私は、日本人であり、日本を愛している。その都度、批判すべきことは、日本であれ韓国であれ、批判してきたつもりである。 あの大新聞は、苦境を打破するため開き直って、韓国批判の本には、すべてヘイトスピーチだという烙印を押して、葬り去ろうというわけなのだろう。また、いわゆる従軍慰安婦の仕掛け人の元記者の就職先や自社に、脅迫があったという事実をもとに、言論の自由を盾にして、被害者の立場へ逃げこもうとしている。自分が、強大な権力をふりかざして、異なる言論を圧殺してきたことには、すっかり頬かぶりしている。 韓国には怒りを込めた反論を、あの大新聞には、厳しい追及の手を緩めてはならない。それが、ほんとうの日韓親善につながるからだ。 とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第1回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。50年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。 ※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病

    別冊正論23号「総復習『日韓併合』」(日工ムック)より呉善花(評論家・拓殖大学教授)反日行為を担う「代償的擬似健常者」 東日本大震災直後の3月末、韓国では「竹島は日本の領土」と明記した日本の教科書が検定合格したことに強く反発、義捐金募集活動を中止し、全額を返還したり、独島守護団体や慰安婦支援団体への寄付に振り向けたりする自治体が続出した。 同年9月のAFCチャンピオンズリーグでは、韓国チーム全北現代の応援スタンドに「日本の大地震をお祝いします」と日本語で書いた横断幕が掲げられた。また2013年8月にはKBS2のテレビ番組で、お笑いタレントが「旭日旗を振った日本の応援団に体にいい福島産さくらんぼを送った」と揶揄し、これを東亜日報など各紙が「よくぞいった」とばかりの評価で報じた。 「その神経を疑う」といった報道が諸国に見られた。韓国人の反日行為は常軌を逸している。こうした非文明性、異常性は世界的な「不可思議」の一つにまでなった。だが彼らは明らかに文明生活を送っており、反日行為は病者ならぬ正真正銘の健常者たちによるものだ。だからこそ「不可思議」なのである。 精神医学者の中井久夫氏は、精神障害というものは、自らの破滅を防ぎ、生き残るための知恵だという観点を示している(「治療文化論―精神医学的再構築の試み」)。私もこの観点を強く支持したい。その上で私が問題としたいのは、これも中井氏の観点の一つなのだが、正常・健常者といわれる人のなかには、病気からほど遠い余裕のある人だけではなく、「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」によって自らの精神衛生を維持している人、中井氏のいう「代償的擬似健常者」が多数いるということである。 「代償的擬似健常者」による常軌を逸した人類最悪の行為が、中世ヨーロッパの魔女狩りやナチスのホロコーストなどだろう。「代償的擬似健常者」が「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」を一挙に極端化していくと、こうした大虐殺が引き起こされることにまで至る。 常軌を逸しているとしかいえない場合の韓国人の反日行為は、大挙して群なす「代償的擬似健常者」によるものと考えればいい。彼らは韓国人に特徴的な心の病に陥った人たちと同じように、韓国人に特有の苦悩やコンプレックスを抱えている。 しかし彼らは、病者のように自らを苛(さいな)むのではなく、他者を苛むのだ。彼らは、他者への依存や他者への攻撃によって、自らの精神的危機を回避しようとする。そこで彼らの反日行為は、病者が示す病像ときわめて近似していく。彼らの反日行為が、非文明性、異常性をもって現れる最大の理由がここにある。韓国人は〝魔女狩り〟ならずともすぐに火をつける。日本の首相の靖國神社参拝に抗議して日の丸に(右、AP)竹島問題に抗議して日本の教科書の写真や日の丸に(中、ロイター)米国産牛肉輸入問題で警察のバスに(左、同) 以上のことを前提に、日本人をはじめ外国人には容易に理解できないと感じられている韓国人(韓民族)の反日行為の心理、情緒、精神のあり方の特異性を、韓国人に特徴的な心の病を通して照らし出してみたい。その前に、韓国人との一定の比較という意味から、十分なものではないが、日本人に起きやすいとされる心の病と日本人の性格的な特徴の関係について、一つの事例から簡単に眺めておきたい。日本人とメランコリー 日本人に起きやすい心の病の代表的なものに「内因性単極性鬱(うつ)病(メランコリー)」がある。「内因性単極性鬱病」は、とくに日本人に顕著に見られるものだが、誰にも起き得るものではなく、ある特定の性格の人に限って発生率が高いことが知られている。日本人はまじめゆえにメランコリーが起きやすい… 特定の性格とは「メランコリー親和型」と呼ばれる性格で、ドイツの精神科医テレンバッハが1960年代に理論化したものである。テレンバッハは「内因性単極性鬱病」にかかった人の性格的な特徴として「几帳面、仕事熱心、堅実、清潔、権威と秩序の尊重、保守的、律儀」を挙げている(木村敏訳「メランコリー・改訂増補版」)。 これはまさしく日本人によくある性格だといってよいだろう。最近亡くなられた経営学者の大野正和氏も、日本人の「働き過ぎ」に関連するとして次のように述べている。「日本人に多いのは、前うつ病性格(うつ気質)であるメランコリー親和性だ。真面目で几帳面、責任感が強く他人に気を遣う。この性格は、日本の職場では優秀な労働者の象徴である」(「過労死と日本の仕事」ブログ「『草食系』のための日本的経営論」)。 精神科医芝伸太郎氏は、この「メランコリー親和型性格はそのまま日本人一般の性格特徴(を極端にしたもの)に他ならない」と述べ、テレンバッハらとは別に「日本人だからこそわかる」視点から、とても興味深い独自の理論を打ち立た(「日本人という鬱病」1999年)。 芝氏の理論は「お金理論」といわれるもので、概略、次のようなものである。律儀な性格の日本人の多くは、人から借りたものは必ず返さなくてはならないと考える。物品であれ、精神的な好意であれ、地位や名誉を与えられた場合であれ、まるで精神的な貸借対照表があるかのように、「借りたら返す」という原則を貫こうとする。 ちょっとしたミスを犯しても、必ず相手や社会に埋め合わせができるだけの良き行ないをしなくてはならないと考える―。 こういう性格の人は、社会に出ると「決して借りをつくるまい」と一生懸命になる。会社では人並み以上に働き、他人に対しては執拗に「お世話」をしようとし、昇進をしようものならさらに時間を無視してまで働こうとする。中年になって高い役職に就いた途端にこの種の鬱病を患う人が、日本人には多いそうである。 こういう人は、家庭生活にもとても生真面目に向かう。ミスをすれば、その挽回を思って、ミスのために会社や相手が失ったもの以上のものを生み出そうと盛んに努力を重ねる。 そこでは、あらゆる人間関係があたかもお金のやり取りであるかのようになっていると芝氏はいう。もちろんそれは、「姑息な金銭勘定の意識」とはまったく異なるもので、逆に「金銭勘定を無視して」がんばってしまうのだ。 そうすることで、自分が自分であることを保つことができている。こういう極端な性格の人は、そのままではいつかはやっていけなくなる。心身ともに疲れてしまうし、何をやっても不十分だと感じられていく。そこで、「自分はだめな人間だ」「だらしない」と深刻に悩み、やがてはメランコリー状態に陥って鬱病を発現するまでなってしまう。これが芝氏の「お金理論」である。 芝氏のいう「お金と同じように人間関係を考える」というのは、物事についての「借りる・貸す」の関係を、それぞれの関係のあり方の個別的な性格を無視し、何でもかんでも普遍的に向き合ってしまっていることを意味している。確かに、日本人にはそうした性格的な傾向をもつ人が多いといえるだろう。韓国人と火病韓国人と火病 韓国人に顕著に見られる心の病が火病(ファッピョン)である。火病は「韓国人にだけ現われる珍しい現象で、不安・鬱病・身体異常などが複合的に現われる怒り症侯群」とされる(米精神医学界「精神障害の診断と統計マニュアル」付録「文化的定式化の概説と文化に結び付いた症候群の用語集」)。 火病は「お腹の中に火の玉があがってくるようだ」といった韓国人に特有な愁訴が特徴で、「怒りを抑圧し過ぎたことによって起きる心身の不調」とされている。 韓国の精神科医キム・ジョンウ氏は、著書「火病からの解放」のなかで、ある中年女性の火病患者の訴えを、次のように記している(要約)。 その女性は長男にだけ関心と愛情が深かった。長男を大学にやってから、今までの自分の生き方があまりにもむなしくて悔しいという気持ちになり、憂鬱な気分がはじまった。その頃は身体的な症状はなかったが、自分には不服な長男の結婚問題がきっかけとなり、突然火病がはじまった。14日の間大声を張り上げて泣く、眠れない、息苦しく胸から顔まで熱が出てくる感じ、喉が渇く、口の中が苦い、右脇腹が痛くてたまにぐらぐらする症状と、腕と足が麻痺する感じ。全身がおかしいという訴えである。 また別の患者は、次のように訴えてきたという。極端な特権と意識を持っていた両班層の豪邸(朝鮮総督府『生活状態調査 慶州郡』昭和9)貧しい農民の集落(朝鮮総督府『写真帖朝鮮』大正10) 何か大きなかたまりが胸のなかで圧迫しているという感じ。ある人に対する憤怒と悔しさが十四年過ぎても消えていない。今もその人を見れば憤怒が吹き出す気持ちになる。いろいろな病院を訪ねたが、誰もわかってくれない。 キム・ジョンウ氏は同書で火病を次のように説明している。 「怒りや悔しさをまともに発散できなくて、無理に我慢するうちに火病になるのです。…略…火病も一種のストレスの病気です。しかし違うところがある。一般的にストレス病は急にストレスが表に出る場合が多いのに対して、火病は同じストレスを六カ月以上受けるところが違います。また火病は怒らせる原因、怒りをつくる原因はわかっているけれども、それを我慢して起こすのが特徴です。ストレスを発散すれば離婚したりすることにもなるので、我慢することが多いのです」 またキム・ジョンウ氏は、火病の原因は恨(ハン)にあると指摘している。 「火病の原因は恨です。弱くて善なる人間が強い人間に感じる劣等意識、葛藤として見えるものです。かつては抑圧的な夫のせいで、女性たちの恨が溜まるしかありませんでした。今では患者の3割は男性で、職場の人間、中年の事業家、定年退職を前にした人たちなどが病院に訪ねてくるようになっています」(同) 日本では怨恨の「怨」も「恨」もだいたい同じ意味で使われていると思う。しかし韓国の「恨」は、韓国伝統の独特な情緒である。恨は単なるうらみの情ではなく、達成したいが達成できない自分の内部に生まれるある種の「くやしさ」に発している。それが具体的な対象をもたないときは、自分に対する「嘆き」として表され、具体的な対象をもつとそれがうらみとして表され、相手に激しく恨をぶつけることになっていく。 キム・ジョンウ氏は火病と恨の関係を次のように述べている。 「火病患者の一部は憤怒が目立って現れませんが、その場合恨が関係する場合が多いのです。原因となるのは、貧困であること、弱者であること、悔しさ、怨痛さ、むなしさ、抑制などが積もりに積もること。症状面では、ため息、涙、苦しさ、胸の中の塊感など。そうした共通的なことが多いという点で、火病は韓国人特有の恨と関係が深いと推定できます」(同) 続けてキム・ジョンウ氏は「火病は、原因と感情反応で歴史的な民族固有の情緒的な恨と共通線上にあることと、時間的経過によって恨が克服されずに病理化されたことを示唆しています」と述べている。韓国人の反日行為はまさしく火病のように、「時間的経過によって恨が克服されずに病理化された」状態であるかのようだ。恨の多い民族 恨があるから強く生きられる、恨をバネに生きることができるというように、本来は未来への希望のために強くもとうとするのが恨である。そうして生きていくなかで恨を消していくことを、韓国人は一般に「恨を解(ほぐ)す」あるいは「恨を解く」と表現する。うらみにうらんだ末に恨が解けていくことを、大きな喜びとする文化は韓国に特有のものである。 そうした心情の典型を、朝鮮民族の伝統歌謡「アリラン」にみることができる。「アリラン」は恨が解き放たれる喜びを歌った「恨(ハン)解(プリ)の歌」ともいわれる。一般に行なわれている日本語訳で歌詞を紹介すると、その一番は次のようになる。 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く 私を捨てて行かれる方は 十里も行けずに足が痛む ここでは親しい人が自分を捨てて去っていく恨が歌われている。哀しい歌詞なのだが、これを喜ばしい気持ちで快活に明るく歌うのである。二番、三番で、次のように恨解へと向かう心情が表現されていく。 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く 晴れ晴れとした空には星も多く 我々の胸には夢も多い 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く あの山が白頭山だが 冬至師走でも花ばかり咲く 固い恨があるからこそ未来への希望があるということでいうと、韓国人にとっては生きていることそのものが恨である。自分の今ある生活を不幸と感じているとき、自分の運命が恨になることもある。 自分の願いが達成されないとき、自分の無能力が恨になることもある。そこでは、恨の対象が具体的に何かは、はっきりしていないことが多い。韓国人は、自分のおかれた環境がいかに不幸なものかと、他者を相手に嘆くことをよくする。韓国ではこれを「恨嘆(ハンタン)」といっている。思いこみ・妄想を偶像化して事実だと信じ込み、崇める姿は何とも哀れだ=ソウルの日本大使館前 そこでは、「私はこんなに不幸だ」「いや、そんなのは不幸のうちに入らない、私の方がもっと不幸だ」という具合に、あたかも「みじめ競争」のようになることも少なくない。 ここで特徴的なことは、「自分は何の罪もない正しく善なる者なのに、誰(何)かのせいで自分が恵まれていない」と、一方的に自らを純化し自己責任を回避していることだ。そうやってお互いにストレスを解消し合い、それでなんとかなっていれば火病に罹ることもない。 自分が今おかれている境遇や自分の過去の不幸を題材にして「ああ、私の人生は…」と節をつけて、自前の身世打令(シンセタリョン)(韓国伝統の雑歌)を友だち相手に披露することもよくある。こうした場合の恨は、その対象が曖昧なままなのだが、それだけ、対象を求めてさまよっているのだともいえる。だんだんと、自分の恨を固めている相手、恨をぶつける具体的な対象が欲しくなっていく。 韓国人はしばしば自分たち民族を、「恨の多い民族」と呼ぶ。韓国には「我が民族は他民族の支配を受けながら、艱難辛苦の歴史を歩んできたが、決して屈することなく力を尽くして未来を切り開いてきた」と自分たち民族を誇る精神的な伝統がある。こうした歴史性をもつ「我が民族」が「恨の多い民族」である。 韓国人がキリスト教を受け入れやすい一つの要素は、苦難の歴史を歩んだユダヤ人・イスラエルの民と、自分(たち)の境遇を重ねる意識が強く働くところにある。韓国人とユダヤ人には、どんな罪もない優秀な民族が苦難の歴史を歩んできたという歴史的な共通性がある。ユダヤ人がそうであるように、我が民族もまた神から選ばれた特別の民(エリート)であり、最終的な救済を約束された民である―というように。 実際、このように説く韓国人牧師は多く、韓国がキリスト教を受容した理由の第一をそこに求める論者も少なくない。こうした考えは、すでに韓国の初期キリスト教にあったが、戦後に反日民族主義と結びつき、より強固なものとなっていった。 戦後韓国は、「日本帝国主義の支配」によって、我々は無実であるのに国を奪われ、国土を奪われ、富を奪われ、言葉を奪われ、文化を奪われ、過酷な弾圧下で苦難の歴史を歩まされたという、反日民族主義を国是として出発した。そうした「無実の民」が蒙った「苦難の歴史」、その「誇りの回復」というところで、反日民族主義とキリスト教が一致していく。キリスト教ピューリタニズムとも通じるところである。 欲望・希望・願望といったものが通らずに阻止され、これが抑圧されることで形づくられる「心の凝り」というものがある。情緒的な色合いを強くもつことが特徴で、精神医学ではこれをコンプレックス(観念複合体)と呼んでいる。韓国人が古くからいう「恨が固まる」とは、現代でいえばコンプレックスとしての「心の凝り」が形づくられることに他ならないだろう。 韓国の精神医学者イ・ナミ氏は、著書「韓国社会とその敵たち」のなかで、韓国人は「物質、虚飾、教育、集団、不信、世代、怒り、暴力、孤独、家族、中毒、弱い自我」にわたる12種類のコンプレックスの塊だといっている。そして、このコンプレックスの塊こそが、現代韓国社会に顕著に見られるさまざまな病理現象の原因をなすものだと断じる。自分を無罪とする責任回避自分を無罪とする責任回避 恨の多い人がそのまま恨を抱え続けていくと、一種の怒り症侯群である火病にまで至ることが少なくない。「怒りや悔しさをまともに発散できなくて、無理矢理に我慢するうちに火病になる」のだが、多くの人はそこまで我慢することなく、四方に怒りを爆発させていくことになる。韓国人がしばしば激しやすいといわれる理由もそこにある。 いずれにしても、なぜ韓国人は一方的に自らを純化し、無実の者として自己責任を回避し、恨を抱えて生きようとするのだろうか。アメリカの精神医学者ロロ・メイの「疑似イノセンス」論は、この疑問に明快な答えを与えているように思う。 イノセンス(innocence)とは、「無罪・無実、無害の・悪意のない、純粋・無邪気」などを意味する言葉である。イノセンスそのものを生きているのが子供だが、大人になってもイノセンスの見かけをもって生きているような人がいる。つまり自分を擬似的にイノセンスで装うのだ。これがロロ・メイのいう疑似イノセンス(Pseudo-innocence)である。心の内のイノセンスではなく、外から見たときだけのイノセンスである。 ロロ・メイは「それは決して大きくなりすぎることのない子供らしさやある種の過去への固着から成っている。それは、無邪気というよりむしろ幼稚だ」として次のようにいう。 「これは神経症に見られるイノセンスと平行関係にある。このイノセンスは、決して生き抜いてこられたものではなく、幼児のままに固着してしまうイノセンスで、ただ敵対的で冷たいあるいは支配的な親に対して身を守るだけのために、その幼児性にしがみつくのである」(小野泰博訳「わが内なる暴力」) なぜ世間の荒波を生き抜こうとせず幼児性にしがみつくのか。それは外部の権力から自らを守る防御のためで、疑似イノセンスは「外的な力の形態とかあるいは地位および威信といった内的な力の形態を含む、権力の現実に直面しなければならないときの防御壁」(同書)なのである。 ここは多くの日本人には容易に理解できないところかもしれないが、韓国社会に生まれて大人になった私にはとてもよくわかる。韓国の社会には、地位や威信などを含む権力のまことに不条理な働きが、排ガスのように充満しているからだ。子供からすれば、大人になることは不条理な人間になることに等しいとすら思えてくる。 疑似イノセンスは「自分を無罪とする責任回避」で大きく特徴づけられる。韓国の旅客船セウォル号沈没事故の犠牲者を追悼するポストイット・ボードに、青少年らによる無数のメモが貼り出された。新聞報道されたものからいくつか拾ってみる。 「姉さん、そして兄さん、もう二度とこんな国に生まれないでください」「さようなら。兄さんが、必ず悪い大人たちと最後まで戦って、二度とこんな悲しみが無いようにするから」「冷たい海中に恐ろしさで真っ青になって泣いた私たちの後輩を考えなさい。こんな権力に耳をふさいで目をとじる人々ならば、本当に嫌いだ」「道徳を学ぶ理由は何ですか? どうか大人たちは非道徳的に生きないでください。花のように美しい私たちの命を安全にして欲しい」「互いに利益だけ考える社会だ。大人たちの欲望のために姉さん兄さんの命が一日で消えた」(ハンギョレ新聞日本語電子版2014年4月25日) 韓国各地のポストイット・ボードは、こうした国家、権力、社会、大人の罪・責任を問う子供たちの悲痛な声に満ち溢れていた。 社会の制度・秩序・慣習を受け入れていくことで、子供はイノセンスを脱して大人になる。大人としての自覚と責任をもって生きていこうとする。これがまっとうな社会でのあり方だ。しかし韓国のような不条理が大手を振ってまかり通る社会では、大人になりたくない子供たちをたくさん生み出すことになる。 「幼児のままに固着してしまうイノセンス」をもって、「花のように美しい自分、責任がない自分、無罪である自分」を守ろうとする。こうして疑似イノセンスで自らを装う大人になっていく。 そうした人たちは、人間ならば誰もが内部に抱えている不道徳性とか反秩序性といった破壊的な力を、自分のなかには認めようとしない。そして、自らを潔癖であり無罪であるとする一方で、他者に対しては道徳的な完全性を求めて強く批判する。 この態度がロロ・メイのいう疑似イノセンスである。そしてロロ・メイがいうように、自己内部の破壊的な力が抑圧されると、極めて暴力的な形で噴出するのである。 「責任回避の防御物としてのイノセンスは、また成長を妨げる防御物である。こうしたイノセンスは、われわれの新しい認識を妨げ、人類の苦悩とともによろこびをわがこととして感じとることをできなくしてしまう。この苦悩とよろこびは、擬似的なイノセンスの人間には閉ざされているものである」(同書) 多くの恨を抱えさせているのが擬似イノセンスである。恨はキム・ジョンウ氏がいうように「弱くて善なる人間が強い人間に感じる劣等意識、葛藤として見える」面をもつことは確かだが、その主体は自分を「無罪、無責任、純粋」と装う疑似イノセンスにある。自分には責任がないのだから、自分にふりかかる火の粉はすべて他者によるものである。こうした「他人のせい」へのうらみが恨として溜め込まれるのである。妄想による偶像への崇拝を選挙投票と引き換えに押し売りする姿は滑稽ですらある=米グレンデール 擬似イノセンスでは、自分をイノセンスと装うことが、自分が生きるための戦略として利用される。民族レベルでいえば、韓国が無罪であることが、韓国が(民族の誇りを失うことなく)生きるための戦略として利用される。そこで日本は韓国にとって、どこまでも有罪でなくてはならない、責任が追及されなくてはならない、この世になくてはならない対象なのである。 彼らの関心は、自分(韓国)が善であり道徳的に正しいという聖なるイメージを維持することに向けられる。他者(日本)が自分の純粋さにどれほど応えてくれるかを期待し、自分自身の汚れのないイノセンスを再確認し続けようとするのである。韓国人と人格障害 外部の権力から自分を守る防御として、イノセンスで自らを装う。その装いが強固であればあるほど、対人関係にさまざまな障害が生じてくることは疑いない。 十年ほど前のことだが、韓国の新聞で「二十歳の男性の45%が対人関係障害の可能性」という記事を読んだ。韓国の研究チームによる人格障害の調査だが、「この数値は、米国やヨーロッパなど先進国の平均11~18%に比べて、2・5~4倍に達する」という(東亜日報日本語電子版2003年2月10日)。 記事には「今回の研究結果は国内学術誌『精神病理』と米国の学術誌『精神医学と臨床神経科学』に掲載される予定」とあったから、学術的な研究であるのは間違いない。 人格障害(パーソナリティー障害)とは通常、「偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態」とされている。関係する書物(岡田尊司著「パーソナリティー障害がわかる本―『障害』を『個性』に変えるために」)を何冊か読んで深く考えさせられたのは、その偏り方が韓国人一般に見られる精神的な傾向ときわめて酷似していることだった。 それら書物から私なりに整理してみたところでは、人格障害の人には次のような性格の偏向が強く見られる。(一)善悪、白黒、敵味方など、中間のない両極端の考えに陥りやすい。(二)「私とあなた」(自分と他者)の区別があいまいで自分本位。(三)容易に他人を信じることができない。(四)自分は理想的・完璧だという思いと、自分は劣等で価値がないという思いが同居している。(五)物事を受け止める心が弱くて狭く、処理できなくなると暴発的な行動を起こしやすい。 いずれについても、韓国人の精神的な特徴と、とてもよく合致していると思わずにはいられない。疑似イノセンスがそうであるように、考え方が極端なので、広い視野をもって物事を判断することができない。自己本位で自分を絶対視しやすいので、自分が善い(正しい)と思うことは他人もそうだと思い込む、何かまずい事態が起きても自分ではなく他人に問題があると考える、といったことが生じやすい。 他人が信じられないので、表面的にしか親しい振る舞いができず、本当に他人に心を許すことができない。プライドが高いので、自信過剰とも見えるが、実際には自信がなく劣等感に苛まれている。受け止める力が弱いので、すぐに感情的となり、冷静に物事に対処することが難しくなる。ありのままの自分を愛することありのままの自分を愛すること 人格障害は自己愛の障害、つまり「ありのままの自分を愛すること」のできない障害だといわれる。自己愛が傷ついたり損なわれたりしているために起きるもので、幼い自己愛に支配されている一種の幼児性とも見られている。 「ありのままの自分を愛すること」ができないと自分が嫌になってくる。引っ込み思案から、ひきこもりにもなりがちである。しかし、そういう嫌な自分に我慢がならず、逆に「自己愛」を過剰に膨れ上がらせていく人がいる。このタイプの人が陥る人格障害が自己愛性人格障害といわれるものだ。 自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む人格障害の一類型である(米精神医学界「精神障害の診断と統計マニュアル」)。両親・家族が社会同様に「ありのままの自分を愛してくれる」体験に乏しいため、「ありのままの自分を愛すること」ができず、自己愛性人格障害になりやすいと考えられている。セウォル号沈没事故で高校生ら乗客を置き去りにして身分を隠し、われ先に逃げ出した船長 何種類もある人格障害のなかでも、自己愛性人格障害の病像はとくに、韓民族の性格的な特徴をそのまま極端化したものであるかのようだ。以下が診断基準となっている。 【診断基準】誇大性(空想または行動における)、賞賛されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち五つ(またはそれ以上)によって示される。 (一)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待)(二)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。(三)自分が〝特別〟であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。(四)過剰な賞賛を求める。(五)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。(六)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。(七)共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。(八)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。(九)尊大で傲慢な行動、態度 (高橋三郎・大野裕・染矢俊幸訳「DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル新訂版」)。 自分をイノセンスで装い、いつしかそれが本当の自分だと思い込んでいく先に、こうした病理的な心的現象が出てくるように思われる。人格障害に関連する精神医学・心理学の書物が記すところを私なりに整理・解釈してみると、自己愛性人格障害の人の対人関係には次のような特徴が見られる。 ▽「ありのままの自分を愛すること」ができないので、優越的な存在だという自分で作った幻想の自分を愛そうとする。▽自分より優れたものを認めたくないので、他人の優れた能力や才能を無視する。▽他人を見下し・軽蔑・侮辱することが快感となる。▽自分の優越幻想がなかなか示せないとなると、過ぎたことであろうとも他人の欠点・難点を探し出してはなんくせをつけていく。▽人をバカにしているので、自分もいつバカにされるかわからないと疑心暗鬼になる。▽閉じられた自己幻想から出ようとせず、他人に心を開くことがなくなる。 韓国人がしばしば示す自民族優越主義、反日民族主義、反日行為には、こうした心的傾向との同質性を強く感じさせられる。反日が常軌を逸すると思える根拠 多くの韓国人が示す反日行為が「常軌を逸している」と感じられるのは、これまで見てきたように、火病に現われる複合的な怒り症候、人格障害に現れる各種の性格的な偏向ときわめて近似しているからである。しかし彼らは病者なのではない。彼らは、他者に依存したり他者や社会を攻撃することによって、火病や人格障害に陥ることを回避している「代償的擬似健常者」なのである。 自分には罪がないのに(イノセンス)、なにゆえに自分はこれだけの苦労を背負わされるのかと、コンプレックス(恨)が心の凝りとして固まっていく。これが高じると火病にまで至る。外部の権力から自らを守ろうとする疑似イノセンスが、ありのままの自分ではなく誇大にピュアーな幻想的自分を愛するようになっていく。それが高じると人格障害にまで至る。 韓国人の反日行為が「常軌を逸している」と感じられる根拠は、火病や人格障害と近似する心性を内部に抱えた「代償的擬似健常者」が、韓国社会に多数生み出されていることにあるのではないか。そこには、儒教・朱子学に特有な潔癖主義、厳正主義を重んじる、伝統的な制度文化が、諸個人に対する外部の権力として強く作用していると思う。 儒教的な制度文化に覆われた社会では、制度規範としての絶対的な勧善懲悪(善を勧め悪を懲らしめる)が人々の心の内面を圧迫する。そこでは、人々は自分の表面を勧善懲悪の構えで飾り立てて生きるしかなくなっていく。 しかし現実はまことに不条理なものとしてある。疑似イノセンスが入り込む余地がそこにある。固まっていくコンプレックス=恨を抱え続け、「アリラン」の歌のようにそれが解けていく先に希望をもとうとする。現実には他者より抜きん出て俗世間で成功することが一途に目指されていく。 朝鮮半島の伝統的な社会では、そうした人々の恨をバネとする上昇志向が社会を活性化させる原動力となっていた。良くも悪くも、排他的な自己愛と自己繁栄のエネルギーが、自分の一族や自分が所属する小集団の繁栄へと一途に向けられてきた。 こうした「集団利己主義」の社会が根本的な解体を経ずして近代へ突入した。日本統治下での近代化推進で解体への道がつけられたとはいえ、戦後はその道を遮断し、反日を繁栄へのエネルギーとする国策が根を下ろした。「集団利己主義」の民族規模での強化が推進されたのである。◇本稿は、拙著『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)「第五章」前半を要点中心に圧縮し、新たな観点を加えて書き改めた。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    自国民から外国人労働者まで…実は差別だらけの韓国

     韓国とは「人間差別」があふれた国だ。ここで「人種差別」と言わないのは、韓国人同士にも激しい差別があるし、別の国に住む韓民族も差別の対象になっているからだ。 全羅道(旧百済地域=朝鮮半島南西端の地方)出身者に対する差別は高麗時代から始まった。朴正煕大統領から金泳三大統領に至る政権は、慶尚道(旧新羅地域=朝鮮半島の南東部の地方)人脈を中枢に据え、「中央省庁の標準語は慶尚道方言だ」とされるほどだった。 慶尚道人脈が圧倒的優位だった全斗煥政権下でのことだ。 「政権を支える3人」と言われた大統領秘書官3人が私を高級ルームサロンに招いてくれた。 その中の1人が言った。 「在日韓国人が日本で差別されるのは当然だ。彼らの大部分は済州島か全羅道の出身なのだから」3・1独立運動記念日にあわせ、ソウル市内を韓国国旗を持って行進する市民ら。愛国教育に熱心だが、仕事を求めて海外に出る韓国人は多い(共同) 数日後、くだんの秘書官が「日本の韓国人差別の撤廃を求める大統領談話」を朗読しているテレビを見て吹き出した。 慶尚道出身の在日韓国人が「全羅道の女などにウチの敷居をまたがせないぞ!」と息子を怒鳴りつけている場面に遭遇したこともある。 韓国人同士の会話で、日本人のことを侮蔑語の「倭奴(ウェノム)」と呼ぶのは珍しくないし、時には「チョッパリ(=ひづめが割れた奴の意味)」が使われる。 在日韓国人は「半チョッパリ」と言われる。韓国のサッカー場で「半チョッパリ」とヤジられたのを機に、日本に帰化した選手がいたではないか。 韓国人同士の間にも、異様な学歴崇拝癖と、職業に対する伝統的にして病的な貴賤意識とが絡み合い、李王朝時代と同じような事実上の身分制度がある。 さしずめ財閥系大手の管理職は両班(ヤンバン=貴族)であり、町工場のブルーカラーの人々はひどく差別されている。李王朝時代の身分制度には法的根拠があったが、現代の両班は故なく威張りちらしている。 今日の韓国では、外国から就労目的で来た人々がひどい差別の対象になっている。 脱北者、中国の東北部に住む朝鮮族、そして外国人労働者だ。彼らは、同業種の韓国人よりも、はるかに低い賃金・悪い労働条件で働いている。 韓国の大手紙は、差別による事件が発生すると「外国人労働者への差別をやめよう」といった社説を掲げるが、状況に目立った改善はない。 3K業種で働く当の朝鮮族から「韓国での待遇を考えると、中国に戻って仕事をする気にはならない」といった声が出ている(朝鮮日報12年4月20日)というから驚きだ。 旧満州地域に住む朝鮮族の生活水準は、よほどひどいのだろう。 朴槿恵(パククネ)大統領が中国首脳に「朝鮮族の待遇改善を訴えた」という報道は、ついに見付からなかった。 むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「日韓がタブーにする半島の歴史」(新潮新書)、「悪韓論」(同)などがある。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    「ウリジナル」と「反日」の底流にある韓国ファンタジー古代史観

    【新・悪韓論】室谷克実(ジャーナリスト) 韓国の「反日暴走」が止まらない。為政者、マスコミ、職業的活動家が日に日に「悪なる日本の事実」を捏造(ねつぞう)しては、「日本が-」の大合唱。まるで国中が「対日憤怒調整障害」を患っているかのようだ。 この様相は、国家としての韓国が滅亡の危機に瀕しても変わらないのかもしれない。 韓国の「反日」意識の底流にあるものは、彼ら自身が戦後になってから育んだ「悪なる日帝」という虚偽情報だ。 例えば、皇民化政策が実施されたことは事実。日本側とすれば朝鮮近代化政策だったが、李承晩(イ・スンマン)教育は「朝鮮民族の抹殺を企図した」とした。皇民化を“朝鮮人の日本人化”とすれば、「朝鮮民族の抹殺を企図した」との比喩的分析は成り立つだろう。朴槿恵大統領もある意味、「悪なる日帝」教育の犠牲者かもしれない(共同) しかし、今日の韓国人は前世代から教えられた「民族の抹殺」を「ジェノサイド」(民族大虐殺)に置き換えて、世界に喧伝している。「われわれはナチスに囲まれたユダヤ人と同じ境遇だった」「だからカギ十字旗と旭日旗は同質なのだ」「日本を戦前に戻そうとしている安倍政権はネオ・ナチズムだ」などと。 日帝によるジェノサイドがあったのかどうか。朝鮮併合期に朝鮮民族の人口が2倍に増えた事実だけ見ても分かるだろうに、そんな史実は韓国では教えられていない。 韓国の「反日」意識の底流には、実はさらなる底流がある。ファンタジー古代史観だ。「朝鮮民族は中国の中原から満州に至る大帝国を築いていた」という韓国でしか通用しないお話だ。 このお話は、日本については「未開の民が住む地だった」「半島から渡った人間があらゆることを教えてやった」と説く。 これを十分、頭に刷り込んでから今日の日本を見ればどうなるか。日本に昔からある良き文物はすべて、「われわれの祖先が教えてやったことであるはず」となる。次から次へ出てくる「良いもの何でも韓国起源論」(ウリジナル)は、こうした刷り込み教育の当然の帰結なのだ。 ファンタジー古代史観は同時に「われわれは日本の兄に当たる国だ」とする優越意識をもたらしている。優越意識があるから、何らかの面で日本に立ち遅れると「弟の分際で生意気だ」と“瞬間湯沸かし器”よろしく燃え上がる。 本当に危ない状況だ。関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

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    朝鮮民族の「恨」は恨み辛みや不満を生きる力に転換した状態

     20年以上前に遡る1991年、韓国と日本が歴史認識をめぐって法廷で争うという、現在を予見するような異色長篇小説が刊行された。本誌で「逆説の日本史」を連載中の作家・井沢元彦氏が書いた『恨の法廷』である。井沢氏はこの作品で、韓国の反日の根底には、「恨」の感情があると喝破した。隣国が戦後最悪ともいうべき「反日ムード」に冒された今、井沢氏が改めて「恨」について解説する。 * * * 今年3月1日、日本統治下の1919年に起こった「三・一独立運動」を記念する式典で、韓国の朴槿恵大統領は「(日本と韓国の)加害者と被害者の立場は、千年の歴史が流れても変わらない」と述べた。日本に対する恨みは永遠に続くと公言したわけである。尋常ならざる怨念に背筋が寒くなった日本人は多いであろう。 だが、この感情は歴史的に韓国人、いや朝鮮民族全体に共通するもので、「恨千年」は決して大袈裟ではない。たとえば、チョー・ヨンピルが歌ったことでも知られる「恨五百年」という韓国の代表的な民謡がある。 高麗の武将・李成桂が高麗王朝を倒して李氏朝鮮(1392~1910年)を打ち立てたとき、高麗の遺臣が李成桂を恨んで歌った歌が元になっていると言われ、そこでは「恨五百年」という言葉が何度も繰り返される。 私は20年以上前の1991年に『恨の法廷』という作品を刊行し、韓国人、朝鮮民族のメンタリティを解剖したが、今はそのとき以上に「恨」が噴出している。「恨」とは「恨み辛みや不満を生きるエネルギーに転換した状態」のことで、朝鮮民族特有の精神構造である。 確かに、ネガティブな感情が生きるエネルギーになることはあるが、そういう人間、民族や国家は、必要以上に攻撃的、非理性的になる。民族が団結するためにも、必ず憎悪の対象が必要になるからだ。 逆にわれわれ日本人は、太古の昔から「恨み」という感情をケガレの一種、つまり排すべきものだと捉えてきた。いつまでも恨みを抱き続けるのは悪いことで、いずれ水に流すべきものと考えられてきたのだ。だからこそ、日本人は和や協調性や思いやりを大切にするのである。関連記事■ 韓国人 田沢湖は韓国人が掘ったと主張も田沢湖は大昔から存在■ 韓国の日本への執拗な謝罪要求は事大主義と小中華思想が理由■ 北朝鮮と韓国との全面戦争はあるか? 専門家はないと説明■ 旭日旗韓国起源説は韓国ネット民の間でも「呆れた」の声多数■ 井沢元彦氏 「韓国では真実の歴史を語ると黙殺、弾圧される」

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    韓国による濡れ衣「もう傍観できない」個人の挑戦

    櫻井よしこ(ジャーナリスト) 「20万人の強制連行」「性奴隷」「終戦間際の虐殺」など、日本国の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)と不名誉を晴らしたいと本当に思えば、個人だってここまでできる。そう実感したのが、谷山雄二朗氏が全編、英語で語った作品『スコッツボロガールズ』だった。 私はこれをDVDで観(み)たが、作品の題名を氏は1931年に米国アラバマ州スコッツボロで起きた事件からとっている。白人女性2人が黒人青年9人に強姦(ごうかん)されたと訴え、8人に死刑判決が下された。証拠は女性の証言のみ、物証はなかった。後に女性の1人が被害話を嘘と認め、被告人らは50年に釈放されたが、全員の無罪確定は事件からなんと七十余年後だった。 谷山氏は黒人青年らの濡れ衣の苦しみと日本人の慰安婦問題の苦しみに共通性を見いだし映画の題名をつけた。氏は41歳、日本で生まれ豪州、タイで育ち、英語は極めて流暢(りゅうちょう)だ。言論の自由を尊び差別を憎む。氏は少年時代に受けた人種差別の記憶があるからこそ、「今になっても、偽善や、どうみても筋が通らないことに対し、黙っていられないのかも」と語っている。28日、ワシントンの米連邦議会前で、安倍首相に従軍慰安婦問題での謝罪を要求する人々(共同) なぜ人は事実に目をつぶり偏見を抱くのか。氏はこうも訴える。 「僕がチャレンジする慰安婦問題は(海外では)超アウェーの議論になるでしょう。だって国際社会では今や『慰安婦=セックス奴隷』ですから」。しかし、「もう傍観できない。日本人として反撃キックオフ、それしかない」 氏は韓国人の言い分を聞くべく、まず、ソウル郊外にある元慰安婦のための施設、ナヌムの家を訪ねる。しかし、そこで摩訶(まか)不思議な体験をする。大阪の在日の人々に阻まれ、門前払いされたのだ。彼らは一体そこで何をし、何を隠そうとしているのか。 日本大使館正面に設置された慰安婦像前の集会で歌や踊りに熱中する韓国の若者にも氏は問う。金学順氏の「貧しさゆえに14歳で母親に売られた」とのハンギョレ新聞の告白記事を読んだことがあるかと。彼らは読んでいない。金氏は女子挺身隊の名の下に連行されたとの「朝日」の記事を信じているのであろう。 谷山氏は別の元慰安婦、文玉珠氏の残した貯金通帳の拡大コピーを示し、東条英機首相の月給が800円だったとき、彼女が2年間で2万6145円を貯金したことを明らかにする。ソウルでは1千円で家が買えた時代に26軒分の資産を2年で蓄えた女性を奴隷と呼ぶのは無理だと、これは誰でもわかる。 こうした情報はすでに大半の日本人が共有する。問題は、しかし、当の韓国をはじめ諸外国の人々が恐らく、ほとんど知らないことだ。だからこそ全情報を英語で発信する谷山氏のように、国際社会にあらゆる面で事実を知らしめる具体策が急がれる。 1944年10月1日の米軍による慰安婦の調査書や94年1月24日のオランダ政府の調査書は、日本が活用すべき一次資料である。 ビルマで働いていた朝鮮人慰安婦20人を米軍が実態調査した結果、彼女らは強制連行の犠牲者でも、性奴隷でもなかったことが明確にされている。これも多くの日本人にとっては、いまや常識であっても、アメリカ議会の選良でさえ、知っているのは極めて少数である。 94年1月24日のオランダ政府の調査報告書は日本人として気の重くなる内容も多いが、詳細な事実関係を踏まえている。 報告書はインドネシアのスマランの慰安所を「最悪のケース」と断じ、同時に日本軍の上官が、現地の日本軍が女性たちを強制したことを知ると、同慰安所を直ちに閉鎖させたこと、さらに責任者が戦後死刑に処せられたことも明記している。同件は、女性たちへの強制が日本軍の方針ではなかったことを、オランダ政府が逆に証明する結果になっている。 調査は全体の結論を、200~300人のオランダ系女性が働いていた、内65人は売春を強いられたが、大多数(majority)の女性は強制ではなかったとまとめた。 スマランの事例は戦時の性犯罪であり、強制連行問題とは明確に分けて考えるべきものだ。ところが、両者を意図的に混同する議論や論点のすり替えがとまらない。 朝日新聞は吉田清治氏の嘘を認めたうえで、慰安婦問題の「本質」は女性の人権問題だと強弁する。韓国も朝日の論調に同意する。 ではなぜ、韓国政府は韓国当局が100万人もの女性が売春に身を落としていると発表した自国の現実を正そうとしないのか、なぜ、気の毒な女性たちに救いの手を差しのべないのか。谷山氏のこの問いかけに、私は同感である。 もうひとつ、私たちが改めてしっかりと見据えるべきことは慰安婦問題をはじめとする歴史問題がおよそいつも日本人によって提起されている点である。どれも火元は日本であり、朝日はそのすべてに関わっている。 挺身隊と慰安婦を同一の存在として報じた植村隆元記者、南京事件を捏造(ねつぞう)報道した本多勝一氏らの説明責任とともに、一連の問題に日本はなぜ筋立てて反論できなかったのかが、私たちが自問すべき最重要の点であろう。 谷山氏はドキュメンタリーの最後で、日本にいわれなき非難を浴びせる韓国やアメリカにすさまじい憤りを爆発させている。その憤りこそ、大半の日本国民が、実は国内に向けて抱いている思いであることを、私は実感している。 政権与党も外務省も含めて私たちの国は、一体どこで、なぜ、何を、間違えたのか。その失敗を認識して、初めて、有効な反撃作戦が可能になると思う。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    歴史捏造

    日本文化は朝鮮半島から伝えられた、などと信じている人がいたら、その根拠は? 天皇のルーツは半島にあり、などと無知をさらした政治家もいましたが…

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    慰安婦強制連行は虚構…マイケル・ヨン氏「韓国は中国の操り人形」

     慰安婦問題を調査し、20万人強制連行説は虚構と主張するアメリカのジャーナリスト、マイケル・ヨン氏が、日本の媒体に相次いで登場している。ジャーナリストのマイケル・ヨン氏(鈴木健児撮影) ヨン氏は2007年にまとめられた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」など、さまざまな資料を調査。IWGは2000年に始まり、アメリカ各省庁の文書850万ページが対象になった。調査するよう働きかけたのは、在米の反日的な中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」。ところが慰安婦の「奴隷化」を裏付けるような文書は一つも見つからなかった。 昨年11月、日本で最初にこのことを報じた古森義久・産経新聞ワシントン駐在客員特派員とヨン氏が、「Voice」2月号で対談している。「『日本軍が二〇万人のアジア女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張はまったく根も葉もない幻だった」と、ヨン氏は明快だ。 女性を強制連行するなら拘束して輸送し食事も与えなければならないが、戦闘中の軍隊がそんなことをするか。故吉田清治が書いたような強制連行を済州島でしていたら目撃証言が残るはずだし、なぜ大規模な反乱が起きなかったのか。アメリカ戦時情報局の報告書には日本の将軍の平均年収が6600円の時代に慰安婦のそれは9000円だったと書いてある--等々、ヨン氏は「強制連行」の虚構を斬っていく。アメリカ人がこのように公平に資料を見て、発信しようとしていることの意味は大きい。慰安婦問題の主戦場の一つはアメリカになっているからである。韓国を利用する中国 ヨン氏の指摘で興味深いのは、慰安婦問題の背景に中国の存在を見ていることだ。「本当の主役は韓国ではありません。慰安婦問題を地政学的、政治的問題の道具として利用しているのは中国です。いわば韓国は、中国の操り人形として利用されているだけなのです」。対談でこれまた明快にヨン氏はそう述べている。 ほか、ヨン氏は「ザ・リバティ」2月号のインタビューでも、「中国は歴史問題を使って、アメリカ、日本、韓国の仲を割り、協力しないようにしています。これは巨大な情報戦・諜報戦なのです」としている。 こうした見解には筆者も同意見である。過去、何度か書いたことだが、中国には古典兵法以来の謀略の伝統がある。思考様式といってもよい。はかりごとにより敵を追い込む世論を作り、心理的に士気をくじき、戦わないで勝つことが、最上なのである。「兵とは詭道(きどう)なり」「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とはすでに「孫子」にある。 中国は歴史問題で韓国を走狗(そうく)として使ってきたといってよい。2年前、朴槿恵政権が発足する直前に中国はソウルに特使を送り、「中韓が(歴史問題で)はっきりとした態度を取り、立場を示さなければならない」などと、歴史問題での共闘を呼びかけた。韓国はけたたましく反日に走ったが、中国はしばらく静かに構えていた。大国に事(つか)える事大主義の伝統を持ち、反日をいわば国是とする韓国を、うまく使ってきたのである。 自由主義国である韓国と日本が離反して都合がよいのはどの国か。共産主義国にほかならない。だが韓国にはそれが見えていない。さらにアメリカでも、歴史問題で反日世論を広めている中心は、先述の「世界抗日戦争史実維護連合会」という中国系組織である。日米韓を離反させようとする中国の思惑を、日米韓の敏感な人間は読み取るべきなのだ。「親にしてこれを離す」、つまり敵が親しみあっているときはこれを分裂させる、ということも、「孫子」に書かれている。朝日は深刻な問題をもたらした 日本では、慰安婦についての報道で誤った事実を広め国民の名誉を傷つけたとして、約8700人が朝日新聞に謝罪広告などを求める訴訟を起こした。訴訟とは関係ないが、ヨン氏は「Voice」でこうも言っている。「『朝日新聞』は全世界を騙(だま)して、日本に深刻な問題をもたらしたままです」。朝日はこうした声に、言論機関としてもっと答えていくべきだろう。 ヨン氏のように慰安婦問題を公平に見るアメリカ人がいるということは、心強い。「Voice」では、日本人に次のようなメッセージを発している。「大切なのは、慰安婦問題を大声でわめく韓国に対して日本が引き下がらないこと、そして中国の脅威に屈しないことです」。その通りだろう。さらにいえば、日本人が日本の中の左傾勢力の言い分などにごまかされず背筋を伸ばしていくことも、大切である。(大阪正論室長 河村直哉)関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    「不遡及」覆し歴史清算に走る国

    渡辺利夫(拓殖大学総長) 否定したい、できれば消し去ってしまいたい過去を抱えもつ人間は少なくなかろう。しかし、そういうわけにはいかない。現在は過去の蓄積のうえにしか存在しないのだから。過去とは、つまりは宿命である。国家や民族とて同様であろう。国家や民族の歴史は栄光と汚辱こもごも紡いで引き継がれる。誇らしい過去ばかりに支えられて現在がある、というほど歴史は単線的ではない。栄光の歴史は引き受けるが汚辱の過去は否定してしまおうというのは、ただの傲慢である。近代法の原則を簡単に放棄 「過去史清算」とか「歴史清算」という表現をたやすく使う国が隣にある。2005年12月、盧武鉉政権下の韓国において「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」が成立した。日本統治時代、その統治に協力した指導者の「反民族行為」の真相を糾明(きゅうめい)し、それが罪過(ざいか)と認定されれば、子孫の財産を没収して国家の帰属とするための法律である。韓国の政治家の法感覚は一驚に値しよう。近代法における法律不遡及(そきゅう)の原則(事後法の禁止)は、ここではいとも簡単に放棄されている。「罪千歳に及ぶ」という中世の法感覚というべきか。 韓国には「正しい歴史」と「間違った歴史」というものがあって、前者の中に生きていくためには後者を抹消しなければならないと考えられているようだ。11年8月の「元従軍慰安婦の個人請求権放棄は違憲」とする大法院判決、13年7月に相次いだ新日鉄住金や三菱重工の元徴用工に対する賠償金支払いに関する高等法院判決などの背後にあるのは、同類の法感覚であろう。 過去史清算や歴史清算の多くが日本の統治時代を対象としており、中国やロシアとの関係史にこれが向けられることはない。一体、どうしてか。李朝の成立以来、朝鮮の支配者の脳細胞の中に埋め込まれた民族的遺伝子のなせるわざなのであろう。14世紀末に成立した李氏朝鮮は、往時の中華王朝・明の忠実な臣下として生きる道を選択した。国号も王位も明による命に服し、喪礼(もれい)、祭祀(さいし)など冠婚葬祭の礼式のすべてが中華のそれに擬して執り行われた。中華より中華的たることをもって誇りとし、「大明国之東屏」と称して中華文明を守護することが朝鮮王朝の任務だと自認したのである。 しかし、17世紀の中葉に満族によって明が倒され、征服王朝としての清が成立して、朝鮮の中華に対する崇敬の念は鬱屈へと変じた。「蛮夷(ばんい)」満族によって樹立された清には服属し難い。さりとて小国朝鮮にはこの巨大王朝に抗(あらが)う力はない。そこで表面的には清の臣下として事(つか)えながらも、心の深層においては中華の伝統を正しく継承するのは清ではなく、「東方礼儀之国」たる朝鮮のみだとする考え方が次第に強化されていった。前者を事大主義と呼び、後者を小中華主義と称する。 朝鮮の小中華主義思想の中枢に位置していたものは、人間社会は儒教の思想と礼式(礼教)により教化され、初めてまっとうすると考える朱子学である。これが原理主義となって朝鮮社会を染め上げた。礼教に無縁な日本人は文字通りの蛮夷である。礼教を原理とする典雅なる朝鮮王朝を蛮夷の日本が侵略し、あまつさえ朝鮮を日本に「併合」することなど道義において許されるはずがない。道義に違背する過去はそのことごとくを糾弾・否定しなければならない。韓国の方こそ未来あるのか ここでは道義が近代法や国際条約に優先する。先の大法院や高等法院の判決がそのことを端的に物語る。国際条約とは1965年の日韓基本条約のことである。それに伴う協定で国家賠償はもとより個人賠償までが「完全かつ最終的に解決」されているのである。道義を近代法と国際条約の上位観念とする国家が近代主権国家といえるか。道義を国是とする専制国家への道を韓国は歩もうというのか。「反日の法令化」を進めて韓国は中世への逆行を始めたのか。 現在の韓国人にはいかにも悔しかろうが、日本の韓国併合は諸列強によって幾重にも承認され、往時の国際法に則(のっと)って合法的に実現されたものである。朝鮮の「文明開化」は日本との「合邦」によって実現するより他に方途なしとする「一進会」に集(つど)った人々は、朝鮮統監府の資料によれば14万人、実際には数十万人に及んだといわれ、朝鮮史上最大の政治集団であった。日本統治下にあって朝鮮の人的・物的・制度的インフラが、王朝時代には信じられない速度で整備され、後の「漢江の奇跡」を呼びさます誘因となった。このことについては、韓国の真摯(しんし)なる研究者の実証研究が少なくない。 「歴史を顧みない国家に未来はない」と朴槿恵大統領は言うのだが、この問いかけが何より自国民に対してなされるのでなければ、韓国は今後とも「仮想空間」の中を漂いつづけ、日本との和解も叶(かな)うまい。従軍慰安婦問題などという虚構を国事と見違える国家にこそ、未来はないのであろう。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    本当は「日韓併合」が韓国を救った! 「七奪」はすべて捏造

    松木國俊(元豊田通商ソウル事務所駐在員)「遊びに来て」が災いのもと 私は一九七二年に学生として初めて韓国に行きました。クルマといえばトヨタのコロナばかりが走っているころで、裸電球が灯ったりし、初めてなのに、どこか懐かしい気がしました。韓国語は欧米の言語と違って語順が日本語と同じだし、顔も日本人と似ている。けれど、表面はそっくりでも中味は大違いです。 大学卒業後豊田通商に入社。一九八〇年にソウルに駐在しましたが、日韓の文化の違いに驚かされました。日本が当時の金額で5億円の巨費を投じて昭和12年、鴨緑江に建設した水豊ダム。 現在は中朝国境に位置し、いまも北朝鮮の貴重なエネルギー源となっている 日本でも「忠孝の倫理」とか言いますが、韓国では忠より孝が大事。会社の大事なお客が来るときに、韓国人のパートナーが休んでしまう。「お父さんの誕生日だから」と言うのです。仕事のあとで駆けつければいいじゃないかと言うと、「そんなことをしたら周りから白い目で見られる」。考え方が日本とは根本的に違う。言葉の意味も違う。例えば「約束」。ある程度できそうだという見込みがあれば「できる」と約束してしまい、状況が変わると守れなくてもしかたがないという考え方です。「予定」も違う。「明日お客が空港に何時に着く予定だから迎えを頼む」と言っておいたのに、予定の時間に会社にいるので焦って事情を聞くと、「あれは予定でしょ。決定するのを待っていました」との答えがかえってきました。 人と人の間の距離感も違います。韓国人は親しくなってある線を越えると、その内側の相手は身内ということになる。身内ならお金も貸すし、いつ家に遊びに行ってもいい。相手の都合なんかおかまいなしです。私の日本人の友だちが韓国人の女性と結婚しましたが、当時夜間外出禁止令があって、夜、家に帰れなくなった親戚がしょっちゅう泊まりに来る。プライバシーなんかあったものじゃなくて閉口していました。 ある日本人の夫婦が韓国のアパートに入居したとき、エレベーターで隣家の人に会ったので「いつでも遊びに来て」と挨拶したら、その晩に家族五人でやって来て、食事中だから待ってと言ってもかまわず上がりこみ、テレビを勝手につけたり冷蔵庫を開けて飲み物を出したりで、嫁さんが「こんなところにはいられない。日本に帰る」と叫んだなどということもありました。 ジャーナリストの室谷克実さんは慶応大学時代の二年先輩ですが、その室谷さんに聞いた話です。──ソウルのホテルの鮨カウンターで食べていたら、ウェイトレスが「(そのホテルの)社長様がいらっしゃいましたので席を譲ってください」と言う。こっちが客だよ、と窘めても、「私は社長様から給料をもらっていますから」と平気な顔だったそうです。日本と逆で、外部の人に話すときに身内のものに敬語をつけるんです。「父上様は今いらっしゃいません」「課長様は今いらっしゃいません」という調子です。一番大切な身内にすら敬語を使わない日本人は極めて不道徳となるのです。身分格差 韓国人は大げさな表現が好きで、すぐ話がふくらんでしまう。造船輸出が急激に増えた時期にはドックで修理したものまで新造船に数えて統計をふくらませたと聞いたことがあり、実態とは違った数字だったようです。韓国としてはライバル日本に負けないよう精一杯背伸びしたのかもしれません。規模と利益で日本企業を圧倒する韓国のサムスンを模範企業のように言う論調がありますけれど、まだ問題はあるようです。 「サムスン電子は、技術パクリを常とし、世界のさまざまな家電・半導体メーカーから特許権侵害で提訴されている企業です。2011年4月には、アップル社がついにスマートフォンに関する特許権侵害でサムスン電子を告発しました。(略)サムスン電子はアップルに半導体や液晶を納入している、いわばお得意先。そこの製品をパクったのですから、その度胸は賞賛ものです。(略)社員は使い捨てで下請け泣かせ、オーナーの一族は金銭スキャンダルに塗れ、オーナー自身、脱税で有罪判決を受けました。売上高は世界的規模でも、韓国型悪辣・不道徳企業の代表です」〈室谷克実・三橋貴明『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』(PHP研究所刊)より〉 サムスンは、以前は日本人を雇って、役員会も時々日本語でやっていたとのことです。研究開発費も、他社から図面やノウハウを買うのにかなり使われているようです。韓国では身分格差が大きくて、サムスン電子のオーナー会長は二〇一一年春、株の配当金だけで百一億円を受け取ったが、勤労者の四五%は二〇一〇年中の平均月収が十五万円以下だったそうです。企業はオーナー一族のものという意識が強く、企業トップが公私混同して背任罪に問われるケースもよくあります。一人が出世すると一族が頼って来て、出世した当人もみんなを養う義務があると考える。一族の者だから金を貸せと突然言って来て、貸さないと門前で「一族なのに貸さないのを皆さんどう思うか」と騒ぎ立てる。大統領ほどの権力者となるとこれにたかろうとする人が後を絶ちません。某大統領が「聞いたこともない親戚が三倍増えた」と嘆いたことがありました。だから辞職した歴代大統領がみんな汚職で追及されることになるのです。人の親切につけこむ人の親切につけこむ こういう韓国社会の様相は百年前に朝鮮を観察したイザベラ・バードの『朝鮮紀行』(講談社学術文庫 時岡敬子訳)にも描かれています。 「朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり『人の親切につけこんでいる』その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。……おおもとはほとんど揺るがない」 おおもとが揺るがないと言えば、韓国では「過去を水に流す」ということがありません。そういう日本的な美意識は絶対通じません。人を責めるのに、その父、祖父が何をしたかにまでさかのぼって責める。「親日法(日帝下の親日・反民族行為真相糾明に関する特別法)」でも、親日派だった者の子孫の財産を没収するというのですから、不溯及という近代法の原則も何もあったものではありません。だから、過去は自分に都合のいいものでなければならない。実際にあった過去ではなく、「あるべき過去」を主張して、でっち上げてでも押し通さないと生きて行けないのです。 それゆえ、大韓民国の正統性を主張するために、上海にあった大韓民国臨時政府が日本に対する独立戦争をやって勝ったのだと教科書に書き、教えている。近代において日韓が戦ったことなどはないのです。臨時政府が国家として承認されていたのなら、日本の敗戦ですぐ民国ができてもよかったはずですが、実際には南北の軍政下に置かれ、一九四八年にアメリカの軍政下から独立したのです。いわれなき非難に謝罪 韓国にいて歴史認識がおかしいと思い始めたのは、一九八二年の、日本の教科書が「侵略」を「進出」と書き換えたと騒がれたときです。事実ではなかったわけですが、韓国人が興奮状態で、新聞の一面に「日本の軍国主義がまた始まる」と書いて自衛隊観艦式の写真を載せたりした。実態を知らぬまま思い込みだけで非難するのかとびっくりしました。新聞は反日記事を書けば売れる。先日もハンギョレ新聞の論説委員が「日本の右翼勢力をただすには日本を韓国の植民地にするしかない」と書きました。 韓国の非難は的外れだと思って歴史の勉強を始めたのですが、日本では鈴木善幸、宮沢喜一の両元首相が韓国に謝罪してしまい、これでは歴史のウソを認めることになると切歯扼腕しました。 五十歳で会社を早期退職した理由の一つは、日本語教師になり、韓国人に日本語を教えながら日本の本当の姿を伝えて誤解を解きたいと思ったことでした。専門学校に通って教師の資格を取りました。韓国人が日本に来ても、一年ならいい印象を持つ。「韓国人はいじめられる」と聞かされていたがそんなことはなかったと。しかし二年目に文化の壁にぶつかります。友人の家に夜、突然遊びに行ったら嫌な顔をされた、差別じゃないかとか。学校や課外活動を通じて日韓の文化的な違いを教える必要がありますが、なかなか容易じゃない。教師の口が少なく、非常勤講師を二、三コマやっても週に一万円にしかならないなどということもあって、また商売を始めました。 それが可能だったのは、私が前の会社をやめても付き合いを続けてくれた韓国人の友人たちのおかげです。これは有難かった。今度はまず日本人の意識を変えようと、日本会議などに入って情報交換をしていました。 そこへ、ある老人が資料を見せてくれた。かつての朝鮮総督府の年鑑や日本統治下の朝鮮で使われた教科書など。「日本が朝鮮から強奪した」として韓国が主張するいわゆる「七奪」が捏造であることを示す一次資料で、私は目からうろこが落ちる思いでした。 この資料によれば「七奪」非難は完全に否定されます。 一、「韓国国王を奪った」…… 日本は李王家を日本の皇族の一員としてお迎えし、併合時の純宗皇帝は李王となられて日韓の皇室が融合したのです。日本は李王家を手厚く保護しました。朝鮮総督府『施政三十年史』(国立国会図書館蔵)には歳出項目の最上段に「李王家歳費」とあり、毎年百八十万円が計上されています。現在の価値で約二百億円になります。他の宮家の皇族費とは格段に差のある巨額です。さらに梨本宮方子女王が李王家の王世子・李垠殿下に嫁がれました。このこと一つをとっても、日本の「朝鮮統治」は、植民地の王室をことごとく廃止した欧米列強の「植民地支配」とは根本的に違っていることが明らかです。終戦時、李垠殿下は密航してでも朝鮮に帰ろうとされましたが、韓国の李承晩大統領が許さなかった。李王朝を復活させず、共和制国家をつくったのは韓国自身です。 二、「主権を奪った」…… 李氏朝鮮は清の属国であり、国家主権はもともとなかったのです。朝鮮が近代国家として独立し、共に欧米列強の侵略に対抗することを望んだのは日本であり、それを許さぬ清との間で戦争になったのです。日本が勝利し、清と結んだ講和条約(下関条約)第一条には「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ」と朝鮮の独立が明確に謳われています。『日本之朝鮮』(1911)に掲載された「朝鮮人より日本国民に送れる合邦希望の電報」。日韓合邦を望む朝鮮人がいかに多かったかを物語る。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載日韓合邦の嘆願書日韓合邦の嘆願書 ところが、ロシア、ドイツ、フランスの三国による干渉で日本が遼東半島の放棄を強いられると、国内改革によって専制権力を奪われつつあった国王・高宗はロシアと組んで巻き返しに出ました。国内の親日・改革派を葬り、ロシアに朝鮮の利権を売り渡し、馬山にはロシア海軍の基地が建設されて、日本の独立が脅かされる事態に至りました。そして日露開戦。大韓帝国内では李容九が「一進会」を結成し、日本との一体化こそが国を救う道であると朝鮮民衆に説きました。白人大国ロシアに対する日本の勝利はアジア・アフリカの有色人種を狂喜させた。戦後、李容九は一進会百万人会員の名前で全国民への合邦声明書を発表、さらに韓国皇帝、曾彌統監、李完用首相に対し「日韓合邦」の請願書を提出しました。日韓併合は日本が一方的に進めたのではなく、大韓帝国の中にも日本との合邦を推進した人々が多くいたのです。 一九一〇年に日韓は「韓国併合ニ関スル条約」を締結しました。このときの韓国皇帝の詔勅には、「韓日両国の親密なる関係をさらに進めて一家をなすことがお互いの幸福に通じる」として内閣総理大臣李完用に全権を委任し、大日本帝国統監寺内正毅との両国併合交渉に当らせると記されています。日韓併合条約は国家同士が当時の国際法や国内法に基づいて平和裏に締結した正式な条約なのです。日本が一方的に主権を奪ったのではありません。ヘレン・ミアーズの証言 『アメリカの鏡・日本』の著者ヘレン・ミアーズも「日本が韓国を併合したのは、新皇帝が懇願したからだ。日本は一つ一つ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で最終的な併合を達成した。列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法な手続きを踏んでいなかった」と記しています。J・クロフォード英国ケンブリッジ大教授も、二〇〇一年の国際学術会議で「自分で生きて行けない国について、周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むというのは当時よくあったことであり、日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった。強制されたから不法であるという議論は第一次大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」と述べて、韓国側の主張は完全に崩れました。イザベラ・バードも夙にこう書いていたのです。「わたしは朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。Ⅱ 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない」三、「土地を奪った」…… 一九七四年以来、韓国の国定教科書には「全国農地の四〇%を日本人に収奪された」と記載されてきました。とんでもない。李氏朝鮮時代は所有権の概念があいまいなために、土地をめぐる争いが絶えませんでした。そこで朝鮮総督府は一九一〇年から八年かけ、近代的測量技術を使って土地調査を行いました。朝鮮総督府『施政二十五年史』(国立国会図書館蔵)には「抑々土地調査は地税の負担を公平にし、地籍を明らかにして其の所有権を確立し、その売買譲渡を簡確実にして以て土地の改良及び利用を自由にし、かつその生産力を増進せしめんとするものである」と目的がはっきり書いてあります。調査の結果、二百七十万町歩と言われていた耕地が、実際には四百八十七万町歩にも上ることが明らかになりました。耕地全体の四五%もが当時の貴族階級であった両班らによって隠匿されていたのです。 韓国では土地調査について「日本人が小高い丘に登ってあたりを見回し、土地を指さして手当り次第良田を奪った」と非難していますが、これは李氏朝鮮時代の話なのです。李朝末期にダレ神父は『朝鮮事情』(平凡社)の中でこう書いています。両班の暴君ぶり「両班は、いたるところで支配者か暴君のようにふるまっている。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、殆どの場合、支払なしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(現在の知事に相当)は一人もいない」。 実際に朝鮮総督府が接収した土地(李朝時代の国有地等)は耕地全体の三%でした。接収の過程で朝鮮人の私有地を奪った事実は全くありません。一九二二年時点で朝鮮半島における国有地及び日本の個人、法人が保有していた土地は合わせて二十五万五千町歩、全耕地面積の六%にすぎません(『朝鮮における内地人』朝鮮総督府、大正十三年発行)。農民たちは自分の土地が測量され地籍に上がるのを見て、測量事業に積極的に協調しました。しかし中には一時の利益に目がくらみ祖先伝来の土地を売ろうとするものもありました。一方、一攫千金を夢見る日本人が大挙、朝鮮にやってきました。当時の寺内総督は、一旗組によって朝鮮の土地が買いたたかれては百害あって一利なしとし、朝鮮農家が日本人に土地を売るとの情報をつかむと憲兵を派遣し、日本人には売らないよう説得させました。そこまで総督府は朝鮮人の利益を守ろうとしていたのです。 四、「国語を奪った」…… 韓国の国定中学校教科書には「我々の言葉を禁止し日本語だけを使うようにして、我々の歴史の教育も禁じた。ハングルで刊行された新聞も廃刊させ、我々の言葉と歴史に対する研究も禁止させた」と書いてあります。そもそもハングルは十五世紀に李朝四代世宗が学者を集めて作らせたと言われていますが、当初より諺文として忌み嫌われ、公文書では一切使われませんでした。イザベラ・バードも「諺文は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない」と記しています。そのハングルを再発見したのが日本人の福沢諭吉でした。「日本の漢字仮名まじり文同様、ハングルを駆使すれば難解な漢文を朝鮮語式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに役立つはずだ」 と考え、漢字ハングル混交文を提唱し、ハングル活字を私費で作りました。 朝鮮総督府は日本と朝鮮の学者を集めてハングルを近代的文字体系にまで高め「普通学校用諺文綴法」を決定して教科書に採用しました。さらにソウルとその近郊で話されている言葉を標準語と定め、学校教育を通し全土にこれを広めました。現在の韓国語は、このときに成立したのです。 一九二〇年には総督府によって初めて本格的朝鮮語辞典が完成、刊行され、一九二四年には京城帝国大学に朝鮮語・朝鮮文学の口座が開設されました。半島における日本語の普及にも力を入れましたが、これは共通語の普及が目的であり、朝鮮語廃止など毛頭考えていなかったのです。 日本が朝鮮を植民地と考えていたのなら日本語など教えないほうが支配しやすかったはずです。一九四一年からは朝鮮語の科目が廃止されましたが、これは戦争の激化によって朝鮮語教育に力を入れる余裕がなくなったためです。また科目が廃されたからと言って、朝鮮語の使用が禁止されたわけではありません。当時の日本人は半島の人口の二%程度であり、禁止など不可能です。朝鮮語の新聞も、京城では終戦まで二紙が発行されていました(中村粲『韓国併合とは何だったのか』)。むしろ朝鮮の知識人の中に朝鮮語廃止と日本語常用を唱える人々が大勢いたのです。ハングルを教えている朝鮮・水原郡松山面(村)の公立学校。1929年『生活状態調査』水原郡・第28号より。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載朝鮮語廃止にストップ日本統治時代のハングル教科書。ハングルを禁止したことなど ないどころか、積極的に教えていた朝鮮語廃止にストップ 南次郎総督が「朝鮮語を廃止するのはよくない。国語(日本語)普及運動も朝鮮語廃止運動に誤解されることがあるくらいであるから、それはできない相談である」と拒否した経緯があります(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』)。日本が朝鮮語を奪ったのなら、当時の朝鮮人は全員日本語を話せたはずですが、『朝鮮総督府施政年報 昭和十六年版』には日本語を「やや解しうるもの」「普通会話に差し支えなき者」合わせて約三百九十万人、当時の朝鮮の人口の一六%に過ぎないと記載されています。同資料には「内地人職員に対する朝鮮語の奨励」なる項目があり、日本人官吏が朝鮮語を必死で学ぶ様子がうかがえます。 近代においては日本が西洋の用語を日本語に翻訳して新たな漢語を創造したのですが、朝鮮の人々は日本製の漢語を借用して今日の韓国語を形成しました。韓国語の名詞の七〇%程度が漢語であり、政治、経済、科学、哲学、医学分野はほぼ一〇〇%が日本語の借用です。「社長、副社長、専務、常務、部長、課長、係長」も、「株式会社」「合弁会社」「水素」「酸素」「電気」「手術」もみんな日本語の韓国読みです。日本は統治期間中に朝鮮語の標準語を定め、近代社会に必要な単語を提供しました。奪うどころか、まったく逆のことをやっているのです。 歴史教育についても、朝鮮総督府大正十三年発行『朝鮮語読本 巻五』には「(慶州為先陳列館では)この地方において発見された各種の遺物が保存されており、新羅文明の卓越した様子が明らかに分かる」「石窟庵に入れば穹窿たる石窟の中に二十九体の仏像を周壁に彫刻してあり、その彫刻の優美さは東洋芸術の誇りである」などの記述があり、朝鮮の卓越した歴史を学童たちに教えるべく努力していたことがよくわかります。五、「姓名を奪った」…… 一九三九年に朝鮮総督は朝鮮戸籍法を改正し、朝鮮人が日本名を名乗ることを可能としました。「創氏改名」と呼ばれるこの政策によって朝鮮人の姓名を奪われ、無理やり日本人に同化させられたとして韓国は日本を非難します。しかし、朝鮮人が日本名を名乗ることで日本人が何か得をしたでしょうか。実は、日韓併合直後の一九一一年に朝鮮総督府は総督府令第一二四号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を施行し、朝鮮人が日本式姓名を名乗ることを禁止していたのです。朝鮮の伝統風俗を尊重すると同時に、日本人と朝鮮人を名前で区別できなくなることで発生するであろう不都合に配慮したものでした。ハングルで書かれた生徒作品も学校の書道展に並んでいる。日本人がハングルを奪ったという説が大噓であることがわかる。1938年『日本植民地教育政策史料集成』朝鮮篇所収、「渼洞公立普通学校創立30周年記念集」(1936)より。水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』(PHP刊)より転載日本名をくれないのは差別 それが変更されたきっかけは、朝鮮人満州開拓団からの強い要望です。朝鮮人に対する中国人や満州人の侮蔑意識が強く、朝鮮人の村々は略奪、放火、虐殺など甚大な被害を受けていた。日本名を名乗れば名実ともに日本臣民となり、侮蔑されなくなるというわけです。半島の朝鮮人の間でも「日本人になって三十年近く経っても日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」との不満が高まってきました。しかし朝鮮総督府警務部は日本への密航増加や治安上の問題を憂慮して反対し、内地人も朝鮮人も平等であるという「一視同仁」の考えから賛成する文部部とすったもんだの議論の末、ようやく一九三六年に戸籍法改正に至ったのです。 総督府では朝鮮の文化伝統を尊重する立場から「姓」を戸籍簿上に残し、新たにファミリーネームとしての「氏」を創設することにしました。これは朝鮮人が「姓」を変えることなく合法的に日本式の苗字を持てる妙案でした。さらに「せっかく日本人の苗字が名乗れるようになっても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がない。名前も変えさせて欲しい」という要望が多く、これに応えるために、裁判所に申請し正当な事由があると認められた場合に限り、手数料を払って名前を変えることも可能としました。これによって「創氏改名」が実現したのです。 この法律が施行されるや町や村の議会で「全員日本名とする」ことを決議するケースも続出しました。朝鮮人官吏が点数稼ぎのために日本名を勧めたこともあったようです。日本名を名乗らないものが朝鮮人の間で非難されることもあったでしょう。改名を拒否して自殺したという話も残っています。しかしそれはあくまで朝鮮人社会内部での問題であり、日本側が強制したわけではありません。南総督は三度も「強制してはならない」という通達を出しています。 また、日本名を名乗らなくても不利益を被ることがなかった証拠に、軍人や政治家、スポーツ選手のなかに朝鮮名を通した人たちもかなりいました。結果的に八○%の朝鮮人が日本名の「氏」を選択したのは、当時世界五大強国の一つであった日本の臣民になることを望んだということです。朝鮮では本貫(一族始祖の発祥地)を同じくする同姓同士の結婚はできず、異姓を婿養子にすることもできない規定がありましたが、創氏改名に伴う民事令の改正で異姓の婿養子を迎えることができるようになり、喜ばれたという事実もありました。あまりの歴史歪曲六、「命を奪った」…… 日清戦争の原因となった東学党の乱から一九四五年までの五十年間、日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと韓国では教えています。これが世界中で韓国だけに存在する「日韓五十年戦争」論です。この主張は、朴殷植が一九二〇年に書いた『朝鮮独立運動之血史』という本がベースになっています。朴は上海臨時政府の二代目〝大統領〟になった人物であり、この本は日本を攻撃するために悪意をもって著述したもので、日本の官憲や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねてあり、私もこれを読んであまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句しました。しかし韓国ではこれが史実として教えられています。「東学党は、政府軍や日清軍と交戦すること九カ月以上にも及んだ。死者三十万人を数え、民族史の上に古今未曾有の惨状を極めた」というのですが、日本軍の本隊が朝鮮半島に上陸したのは東学党の乱が朝鮮政府軍や清国軍隊によって鎮圧されたあとで、それまでは二個小隊しかいませんでした。また、「わが民衆を日露戦争の軍用務労働者として徴用しはじめ、これを拒否したものはロシアの間諜として罪におとしいれ、あるいは拘束し、あるいは拷問を加え、甚だしくは斬殺した。」とあります。しかし日本で国民徴用令が制定されたのは一九三九年であり、一九〇四年に他国の国民を徴用できるはずがありません。 韓国の民族独立運動である「三一運動」を日本が残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺したと韓国は主張しています。一九一九年三月一日、京城(ソウル)の公園に宗教家三十三人が集まり、非暴力・無抵抗主義を標榜して「万歳デモ」に移ったのが始まりですが、これが瞬く間に全国的暴動に発展し、地方では農民たちが武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃する凶悪な行動へ転化しました。在朝鮮日本人に「日本へ帰れ」と投石して脅迫した事実はテロそのものであり、決して一般大衆から支持されたものではなかったのです。黄色人種間の分裂を図る欧米宣教師に煽られた朝鮮人キリスト教徒たちが暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人らの不満分子が乗っかって広がった破壊活動であり、警察や憲兵が鎮圧するのに武器を使用したのもやむをえざるところでした。『朝鮮独立運動血史』には日本官憲が各地で悪逆非道な弾圧を行ったと記されています。ところがそのほとんどは裏付けのない伝聞にすぎません。唯一、西洋人が視察して公に伝えたとする水原岩里事件では婦女子が犠牲になったとしていますが、英国紙「モーニング・アドバタイザ」の京城特派員は「殺害された三十七名全員が男性」と記述しており(木原悦子『万歳事件を知っていますか』)、朴の創作が明らかです。日本の裁判の公正に感激 実際の日本の対応は、金完燮『親日派のための弁明2』によれば送検された被疑者一万二千六百六十八人、六千四百十七人が起訴され、一審で三千九百六十七人が有罪判決を受けましたが、日本人憲兵六名と警官二名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑は一人もなく、十五年以上の実刑もなく、三年以上の懲役がわずか八十人で、しかも減刑と赦免で刑期が半分以下となりました。この時逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟、李光洙、崔南善、朴煕道たちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な日本ファンとなって、一九三〇年代の言論界をリードすることになります。 李朝末期における農民の生活は悲惨で、毎年多数の餓死者が出ていました。この改善が朝鮮総督府の最大の目標であり、一九二六年に「朝鮮産米増殖計画」が施行されました。併合当初、朝鮮の水田は八〇%が天水に依存していましたが、この計画により七〇%以上が天水依存から脱し、その他の改良と相まって朝鮮農業は飛躍的に発展しました。一九一〇年に朝鮮全土で約一千万石程度だった米の生産高は一九三〇年代には二千万石を越え、大豆と雑穀の生産高も併合時より六〇%増えました。一九三一年に朝鮮総督となった宇垣一成は「朝鮮農山漁村振興運動」を展開し、朝鮮農民の意識を近代化に向けて大きく前進させました。一九三三年から三八年にかけての農家収入は二倍に増えています。 李氏朝鮮時代は劣悪な衛生環境のなかでしばしば十万人以上の死者を出す疫病が流行していました。西洋医学が普及しておらず、東洋医学のみに頼る状態でした。本格的に近代医療システムの導入が始まったのは併合後、朝鮮総督府が改善に取り組んでからです。京城大学附属病院、各道の慈恵病院が作られ、一九一〇年には百二十万人に種痘が施されました。このような日本の努力の結果、朝鮮人の平均寿命は、一九一〇年の二十五歳から一九四四年には四十五歳まで伸びました。日本が朝鮮人の寿命を伸ばし、命を救ったのが歴史的事実だったのです。七、「資源を奪った」…… 韓国の中学校歴史教科書には「日帝は金、銀、タングステン、石炭など産業に必要な地下資源を略奪した」と書いてありますが、実際には朝鮮半島にそれほど魅力的な資源はありませんでした。石炭は無煙炭であり、オンドル部屋の暖房用練炭が主用途で、金、銀、タングステンなどは日本の会社が厖大な開発費を投じながら、結局大赤字でした。東南アジアから輸入したほうがよほど安上がりだったのです。収奪どころか、日本は逆に税金をつぎ込み、産業を育成しました。大韓帝国が一九〇六年に初めて作成した国家予算は七百四十八万円にすぎなかったのに対し、日本は一九〇七年から一九一〇年まで毎年二千万円から三千万円を補助しています。日本の国家予算の二〇%を越えたこともあります。併合後も毎年二千万円前後の資金を持ち出し、昭和十四年になっても日本からの補充金と公債を合わせると全予算額の四分の一を占めていました。日本統治期間を通して日本政府が朝鮮半島につぎ込んだ金額は、累計で二十億七千八百九十二万円、当時の一円が平均して現在の三万円とすると六十三兆円という天文学的な数字になります。また、大韓帝国時代から日本は鉄道建設に力を注ぎ、その総経費は現在の価値にして十兆円以上になります。民間資金もダム建設に投入され、有名な水豊ダムだけでもその額は現在の価値で三兆円近いものです。これによって生み出された豊富な電力を利用するために日本の多くの大企業が朝鮮北部に投資しました。それによって朝鮮人の雇用を創出するとともに、付加価値の高い製品を日本へ移出することで朝鮮経済を豊かにしたのです。*   *   * いまや韓国はG20に名を連ねる大国です。「日本への恨」を持ち続けて何の意味があるのでしょう。日本民族と韓民族が互いに誤解と偏見を克服し、それぞれの先人を誇りに思えるとき、初めて日韓間に互恵平等の関係が樹立できると思います。日の丸と太極旗が並び立ってアジアの繁栄と安定を築くことを願っています。松木國俊(まつき・くにとし) 一九五〇年、熊本県生まれ。七三年、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。同年、豊田通商株式会社入社。八〇年~八四年、豊田通商ソウル事務所駐在。秘書室次長、機械部次長を経て二〇〇〇年、豊田通商退社。〇一年、松木商事株式会社設立、代表取締役。現在に至る。日本会議東京本部調布支部副支部長、新しい歴史教科書をつくる会三多摩支部副支部長も務める。関連記事■合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識■北岡君、日本を侵略国家にする気かね■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

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    日本は侵略国家か

    「朝鮮を植民地化した」と気やすく表記しますが、本当でしょうか。正しくは合邦で、日本本国と同等としたのですが…。

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    「侵略戦争」という言葉は歴史を見る目を歪める

    埼玉大名誉教授・長谷川三千子 「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」―3月9日、或(あ)るシンポジウムの席上で北岡伸一氏が述べたと伝えられるこの発言は、大変な問題発言と言うべきものです。「安倍談話」について検討する懇談会の座長代理を務める方が、いわば場外である公の場で自らの私見を述べる、というマナー違反もさることながら、一番の問題は発言の内容です。 日本が侵略戦争をしたのか否かという話を政治の場に持ち込んではならない―これは単に、そういう問題は歴史学者にまかせておけばよいから、というだけのことではありません。もしも本当に学問的良心のある歴史学者ならば、そんな問いには答えることができない、と突っぱねるはずです。 なぜなら「侵略戦争」という概念そのものが極めていい加減に成り立ったものであって、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはないからなのです。 ここで簡単に「侵略(アグレッション)」という言葉が国際法の舞台に登場してきた経緯を振り返ってみましょう。今われわれが使っているような意味での「侵略(アグレッション)」という言葉が最初に登場するのは、第一次大戦後のベルサイユ条約においてです。 いわゆる「戦争責任(ウォー・ギルト)」条項として知られる231条には「連合国政府はドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を確認し、ドイツはこれを認める」とあります。 そして、このような罪状によって、ドイツには連合国の戦費すべてを負担する全額賠償という巨額の賠償が負わされたのでした。敗戦国だけに責任負わせる概念 では、そのような重大な罪であるドイツの「侵略」はどんな根拠に基づいて認定されたのかといえば、ほとんどいかなる客観的検証もなされなかった。むしろ逆に、前例のない巨額の賠償を根拠づけるために、降伏文書では単なる普通の武力攻撃を意味していた「アグレッション」という語を、重大な罪を意味する言葉「侵略」へと読みかえてしまったのです。 現在のわれわれは、第一次大戦がいわば誰のせいでもなく起こってしまった戦争-各国のナショナリズムの高揚の中であれよあれよという間に拡大してしまった大戦争だったことを知っています。 その戦争の原因をもっぱら敗戦国だけに負わせる概念として登場したのがこの「侵略」という言葉だったのです。こんな言葉を使ったら、歴史認識などというものが正しく語れるはずはありません。 でも、それからすでに100年近くたっているではないか。こんなひどい概念がそのままということはあり得ない、と言う方もあるでしょう。確かに、第一次大戦と第二次大戦の間には不戦条約というものが成立して、それに違反した戦争は違法な侵略戦争である、という言い方ができるようになってはいました。 ところが不戦条約には米国の政府公文の形で、この条約は自衛権を制限するものではなく、各国とも「事態が自衛のための戦争に訴えることを必要とするか否かを独自に決定する権限をもつ」旨が記されています。現実に個々の戦争がこれに違反するか否かを判断するのは至難の業なのです。 第二次大戦後のロンドン会議において、米国代表のジャクソン判事はなんとか「侵略」を客観的に定義づけようとして、枢軸国のみを断罪しようとするソ連と激しく対立しますが、最終的にはその定義づけは断念され、侵略戦争の開始、遂行を犯罪行為とする、ということのみが定められました。しかも、それは枢軸国の側のみに適用されるということになったのです。そしてその後も、この定義を明確化する国際的合意は成り立っていません。 つまり、「侵略」という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていないというわけなのです。この概念が今のまま通用しているかぎり、国際社会では、どんな無法な行為をしても、その戦争に勝って相手に「侵略」のレッテルを貼ってしまえばこちらのものだ、という思想が許容されることになるといえるでしょう。 こんな言葉を、安倍晋三首相の談話のうちに持ち込んだら大変なことになります。首相がしきりに強調する「未来志向」ということは、もちろん当然正しい歴史認識の上に立って、平和な未来を築いてゆくのに役立つ談話を出したい、ということに違いない。だとすれば、歴史を見る目を著しく歪(ゆが)めてしまうような言葉や、国際社会において、「法の支配」ではなく「力の支配」を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念は、決して使ってはならないのです。国際政治がご専門の北岡さんには改めて、本来の学識者としての良識を発揮していただきたいものです。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    「侵略」といえなかった朝鮮統治

    古田博司(筑波大学大学院教授) 普通わが国の人々は、明治になってはじめて西洋を知ったことを喜ぶべき出来事として記憶にとどめている。だが、知ったのは西洋ばかりではなかった。東洋とも、この時はじめて顔を突き合わせたのである。東洋といえば支那・天竺(てんじく)だと、書物からイメージしていた人々が汽船に乗って海を渡り、やっと東洋を見ることができた。 明治時代の経済学者・福田徳三は李氏朝鮮を目の当たりにして、まるで平安の藤原時代のようだと言った。土地の所有権ナシ、商店ナシ、行商人のみアリ。今の北朝鮮のような世界である。さぞかし驚いたに違いない。 戦後のマルクス学者たちは、世界各地はみんな発展していなければならないし、それは一定の段階を踏んで進んでいくのだと信じていたので、福田に朝鮮差別のレッテルを張りつけて退けた。だが今では、福田の方が正しかったことを研究が明らかにしている。 シナ地域と朝鮮半島は全く対等ではなかった。今で言えば、先進技術国の隣に極貧国があるようなものである。朝鮮には一次産品以外売るものがなかった。シナの針や染色衣料などの高度な技術品を得ようとすれば、米・布が流れ出し、飢餓輸出になってしまう。12世紀からは銀が流出し、2世紀あまりで朝鮮半島の銀山は掘りつくされてしまうのである。 だから、李朝になると朝鮮半島の経済はずっとシナ地域に対して防衛的になった。特権商人が対馬との交易でシナの白糸と日本銀を交換する。その日本銀で朝貢使節に下人や馬夫身分で200人、300人単位でついてゆき、支配階級のために北京で高度な技術品や芸術品を買い付けるのである。人数分ご褒美もくれるのでこれも売り物になった。女真族がシナ地域の征服者になり清朝を開くと、大きな貢物を要求されたので、この供給も彼らの仕事になった。 こんなことをしていたので、李氏朝鮮は18世紀まで古代に固定されていた。これがガラガラと崩れてゆく。17世紀以来の商人ギルドは、支配階級自らが他の商人たちと個別に結託したので穴あきになり、他方民間では自前の染料がないので民衆は白衣姿、結局針一本作れない技術水準のまま、近代日本に併呑された。格差ゆえに施した近代化政策日韓併合後の朝鮮を統治した旧朝鮮総督府庁舎(奥)。1995年に解体された。手前は光化門(1972年、ソウル市) 日本がやってきたとき李朝の国庫は空だった。王は「そちたち好きに計らえ」と、5人の大臣に国を丸投げした。この史料は実録、王室日記をはじめ3カ所から出ている。日本が統治したのは当時、西洋列強が角突き合わせる時代だったので、その安全保障ゆえだった。近代化政策を施したのは、あまりに格差がありすぎたからであり、放置したのではかえってコストがかかりすぎるためだった。 だから朝鮮半島に関しては「侵略」などというのは無理である。明・清代にはシナ地域との圧倒的な格差のため、朝鮮の経済をシナ経済の末端にしないように意識して経済の発展を抑制していたが、19世紀末に近代日本が来ると貿易の自由化が始まり、あっという間に日本に呑(の)み込まれた。もし過去の歴史をさして、「侵略」以外の何かしらの言葉をもって置きかえるならば、「不運」というのが妥当と思われる。これからの未来だが、朝鮮半島の経済は中国経済の末端に連なることになるだろう。 ここで、もう一つ気がついたことがある。日本を除く東アジア地域、西洋に比しての「東洋」だが、この地域に世界的に孤立した特徴がある。それは、ここのみが無神論地域だということだ。彼らの伝統では、自己の血族でない霊魂は祭ってはならない。自家の祖先の霊魂だけが神さまであり、他家のは全部ゴーストなのである。これがまさに、彼らに靖国神社が理解できない理由となっている。 日本には古来神さまがいる。日本人は元旦には神社に初詣に行き、家に神棚のある人は手を合わせるだろう。だが、なぜ宗教としての自覚が希薄なのか。それは恐らく隣国が特異な無神論地域なため、宗教的な確執や葛藤を経験していないからではあるまいか。 隣国では、社会の基本単位が男系血族による宗族である。だから共同の意識が地縁にまで及ばない。物理的に一族のために蓄財し、精神的に宗族の歴史が一番大事なので歴史認識にこだわるのであろう。国は不運の歴史ではあっても、自家の歴史は立派だったと思いたい。後者の意識が前者を凌駕(りょうが)し、ついに国史まで偽造するに至った。これを国家的規模で行ったのが、北朝鮮の金家の「革命伝統」であり、韓国では金泳三大統領時代に始まる「歴史の立て直し」政策であった。 韓国では1990年代以降、テレビの時代劇では奴婢(ぬひ)まで色物を着るようになり、外出禁止だった李朝・京城の夜を提灯(ちょうちん)を持って出歩くようになった。不運だった「隠者の国」はケバケバしく彩られ「自尊者の国」へと変貌した。 以後、韓国人の現実像と歴史像は乖離(かいり)し、言うこととやることがちぐはぐになっていくのである。

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    合邦と植民地は大ちがい! 大人の国・英国の歴史認識

    渡部昇一(上智大名誉教授)ピサロの侵略と「コロニー」 明治四十三年(一九一〇年)、日本と韓国は合邦しました。 これを日本による韓国の「植民地化」ととらえる考え方があり、むしろ、それが一般的な風潮となっています。もちろん、韓国や北朝鮮は政治的な利害からそう主張している。しかし、それは日本と朝鮮半島という、地域的にも思想的にも限定的な、狭い見かたにすぎません。アジアに対する欧米の帝国主義、植民地主義が当然とされていた時代の、世界史的な視野で見るべきだと思います。 たとえば、英語の文献では、日韓合邦のことを「アネクセイション」(annexation)と表現しています。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization)とはイメージがまったく違う。歴史を公平に客観的に見るには、言葉が当時どのように使われていたかを知ることも重要です。現代の常識で過去を断罪すべきではありません。頭ではわかっていても、ついついいまの物差しで歴史を計ってしまいがちです。 そこで、少々衒学めきますが、初めに「アネクセイション」と「コロナイゼーション」の違いをイギリスの辞典などにもとづき、できるだけわかりやすく述べておきたいと思います。 まずコロナイゼーションの語源を考えてみましょう。“colonization”の“colo”は「耕す」とか「居住する」という意味です。このラテン語の動詞の過去分詞“cultum”は「耕された」「洗練された」の意で、「耕作」「教養」の意味の英語「カルチャー」(culture)も、そこからきています。 “cultum”の派生語である“colonia”(コロニア)は、「農場」「領地」という意味でした。元来はローマ帝国の拡大にともなって新たな征服地へ移り住んだローマ市民、とくに「ベテラン」(veteran)と呼ばれる除隊した兵士たちが住んだ土地のことです。彼らはローマ市民権を持ち、駐屯兵として帝国防衛の役割も担いました。「屯田兵」のようなものと言えばわかりやすいでしょうか。 イギリスをみてみると、ブリテン島にはローマのコロニアが九つありました。よく知られている地域では、ロンドン、バース(Bath)、チェスター、リンカーンなどがあげられます。いずれも当時はローマのコロニアでした。 さて、ローマ時代には「農場」「領地」という意味だった「コロニア」が、やがてギリシャ語の「アポイキア」(apoikia)の意味にも使われるようになりました。ギリシャはシュラキウスやイタリアの島に入植し、独立・自治の・植民地を建設した。それが「アポイキア」で、メトロポリス(母なるポリス)から独立して住むところという意味でしたが、それもラテン語ではコロニアというようになったのです。 では現代英語で「植民地」をさす「コロニー」(colony)という言葉はいつから使われるようになったのか。 最初にコロニーという言葉を英語で使ったのは、リチャード・イーデンという十六世紀イギリスの翻訳家です。ペルーのインカ帝国を滅ぼし、文明を破壊した例のスペイン人、フランシスコ・ピサロの行状を書いた本の翻訳のなかで彼が初めて「コロニー」という言葉を使いました。一五五五年に出版した“The Decades of the New Worlde, or West India”(「新世界あるいは西インドの数十年」)という本に出てきます。インカ帝国最後の実質的な皇帝アタワルパの死を描いた絵画。アタワルパはピサロによって処刑され、インカ文明は滅亡した植民地に犯罪者を送り込んだ英国 現代語の「コロニー」、つまり「植民地」という言葉は、大航海時代、ペルーの先住民族を絶滅にまで追い込んだピサロの非道な侵略・掠奪を連想させる言葉として英語に入ったわけです。一五五五年といえば、毛利元就が厳島の戦いで陶晴賢を破って中国地方を支配する基礎を固めた年。織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝利する五年前です。 「植民地をつくる」という動詞コロナイズ(colonize)、そして「植民地化」という名詞コロナイゼーション(colonization)は、一七七〇年、エドマンド・バークが最初に使いました。著書“The Thoughts on the Present Discontents”(「現代の不平家についての考え」)のなかで彼は、“Our growth by colonization and by conquest”(イギリスのコロナイゼーションと征服による成長は……)という言い方をしています。 その六年後の一七七六年に刊行された、アダム・スミスの『国富論』には“The discovery and colonization of America”(アメリカの発見と植民地化)という用例が見られます。インディアンを蹴散らして強引に土地を奪うというニュアンスです。日本でいえば田沼時代にあたります。 イギリスの詩人・作家であるロバート・サウジーは、晩年には『ネルソン提督伝』を書き、小説家のウォルター・スコットの推薦で桂冠詩人にもなっていますが、若いころは、いまでは忘れられている「パンティソクラシー」(pantisocracy)、日本語にすれば「万民同権社会」なるものを夢見た人で、ドン・マヌエル・アルバレース・エスプリエーラというスペインの旅行者が書いたという設定の“Letters from England”(「ロンドン通信」一八〇七年)に、次のように書いています。「犯罪者をもって植民させる(colonize)ことはイギリスのシステムの一つである」 つまり、イギリスが植民地に犯罪者を送り込んでいることを批判しているのです。彼はまた、英国人の生活は、とくにその産業的・商業的な拡大(industrial  and commercial expansion)という面で非常な危険にさらされているとも言っています。 この頃から、英語の「コロナイズ」には侵略・掠奪というイメージがあり、イギリスの心ある人たちはみな悪い意味で使っていたのです。日韓合邦は「アネクセイション」日韓合邦は「アネクセイション」 一八三〇年代になると、アメリカでは、「コロナイゼーショニズム」(colonizationism)=植民地主義とか、「コロナイゼーショニスト」(colonizationist)=植民地主義者という言葉も用いられるようになりました。これなどはまったく批判的な意味合いを持っています。 もともと悪い意味ではなかった「コロニア」という言葉が、大航海時代に白人が有色人種の国を征服していくにしたがって「コロナイズ」という言葉を生み、「掠奪」「侵略」というイメージを持つようになったのです。 その「コロナイゼーション」という言葉は、日韓合邦については私の知る限り、イギリスの文献にはまったく現れません。すべて「アネクセイション」(annexation)と書かれています。「アネクセイション」という言葉は、イギリスの哲学者フランシス・ベーコンが一六二六年より以前に書いたといわれる“Union England and Scotland”(イングランドとスコットランドのユニオンについて)のなかで、「二つの国(民族)の土地から、一つのコンパウンデッド・アネクセイション(複合した合併)をなす……」と、平等というニュアンスで使っています。 一八七五年には、ジェームズ・ブライスという法学者・歴史学者が、“The Holy Roman Empire”(神聖ローマ帝国)のなかにこう書いています。「フランスは、ピーモントをアネクセイション(合併)することによって、アルプス山脈を越えた」。ここにも「掠奪」という意味合いはまったくありません。 動詞の「アネックス」(annex)は、subordination(従属関係)なしに、という意味を元来含んでいて、もともとどちらが上というニュアンスはなかったのです。 一八四六年に出た『英国史』、元来はラテン語の本で、それ以前に出版されているのですが、そのなかには「ジュリアス・シーザーはブリテンをローマ帝国にアネックスした」という記述があります。この場合も、ローマの文明をブリテン島におよぼしたというニュアンスが強く、掠奪したという感じはない。略奪、征服の意味はない さらに「アネクセイショニスト」(annexationist)という言葉は、アメリカにおけるテキサス併合論者の意味です。一八四五年に実現したアメリカの「テキサス併合(アネクセイション)」という言葉にも、「掠奪」や「征服」という意味はありません。 このことをふまえて、『ブリタニカ百科事典(Ency-clopdia Britannica)』一九二二年の十二版を見てみましょう。日韓合邦の翌年、一九一一年の十一版にはまだ記載がなく、十二年後に発行された十二版の「KOREA」(コリア)の項目のなかに、初めて日韓合邦のことが出てくるのです。 一七七一年にグレートブリテンのエディンバラで第一版が出たブリタニカは、イギリスのみで発行されていた時代には『ロンドン・タイムズ』と並び情報の公平さで世界的に評価され、世界中の知識人に読まれた信頼度の高い事典です。そこには、こう書かれています。「一九一〇年八月二十二日、コリアは大日本帝国(Japanese Empire)の欠くべからざる部分(integral part)になった」 ここで「欠くべからざる部分(インテグラル・パート)」という書き方をしていることからも、・植民地・とは見なしていないことがわかります。 「国名はおよそ五百年前に使われていた朝鮮(Chosen)に戻った。(略)日本が外交権を持った一九〇六年以来、日本によって秩序ある体系的な進歩がはじまっていたが、これ(合邦)によってその進捗はさらに確かなものになった」。ただ、「コリアン・ナショナリズムの抑圧を批判する人もいる」ということも書かれ、以下、およそ次のような趣旨の記述が続きます。「警察制度を整備して内治をすすめたことによって泥棒や強盗団が跋扈していた辺鄙な地方の治安もよくなった。朝鮮の平穏さは、併合(アネクセイション)以来、曇ることなく続いていたが、一九一九年三月に突如、騒乱が起こった(渡部注 三・一運動)。これはウィルソン米大統領の唱えた民族自決主義(セルフ・ディタミネーション)の影響であったが、ただちに鎮圧された。日本は慎重に改革を進めていたが、これを見て計画を急ぐことになった。注目すべきことに、軍人だけでなく民間人でも朝鮮総督に就任できることになり、総督は天皇のみに責任を負う立場から、首相に従うこととなった。朴正熙が日本から受けた恩恵朴正熙が日本から受けた恩恵 原(敬)首相は、教育・産業・公務員制度について日本人と朝鮮人との差別を取り除く政策を進めていると声明し、こうして朝鮮に再び平穏が戻った。その後も不満分子はときどき騒いだが、みごとに押さえられていた」。 朝鮮人が暴動を起こすのは日本統治時代に限ったことではありません。独立後も済州島事件(一九四八)や光州事件(一九八〇)など、ずいぶん反乱が起こっている。日本時代よりむしろ多いくらいです。 それはともかく、この一九二二年版ブリタニカの記述にも、すべて「アネクセイション」という言葉が使われているのです。 それから四年後の一九二六年に発行された第十三版には「アネクセイション・オブ・コリア」という項目がたてられ、「日清・日露戦争は、朝鮮が日本の心臓に向けられた短刀となることを防ぐための戦いであった」と記し、「朝鮮の宮廷人たちの気まぐれで自殺的な外交をやめさせるためには日本が合併するより方法がなかったが、とどのつまり、伊藤博文の暗殺によってクライマックスを迎えた」と、日本に対して非常に同情的に書かれています。 日本との合邦後、朝鮮半島ではいかに経済が発展し、安定したかというようなことも縷々述べられています。「朝鮮を治めるのは日本の責任であると東京の政府は考え、朝鮮王家は、高い名誉と潤沢な経済支援を受けることになった」と記されているのは、朝鮮の李王家に対する日本の丁重な遇し方のことです。日本の皇族に準ずる待遇をし、李垠皇太子のもとには梨本宮家の方子女王が嫁いでいます。侵略によって征服された「植民地」の王家であれば、本国の王家と婚姻を結ぶなど、ありえない話です。朝鮮王でシナの皇族の娘を妻とした例はありません。 それまでの朝鮮半島は清国に支配されていました。朝鮮は明に建ててもらった国ですから、明が清に滅ぼされたとき、義理立てして抵抗したものだから、清に徹底的にやられてしまった。清の属国だった時代が記憶に残っている人の話を聞かないと、そのひどさはなかなかピンときません。私は、たまたま元北朝鮮の脱走兵だった人を一年ほど家に住まわせていたことがあります。旧制の平壌中学を出た教養のある人でしたが、彼の話によれば、清末の朝鮮がなぜあれほど汚かったかといえば、清潔にしておくと清の兵隊がやって来るからで、だから彼らさえ近寄れないほど汚くしたのだというのです。おいしい食べ物があるとすべて持っていかれるから料理も発達せず、口にするのはおこげくらいのもの。倭寇が怖くて昔から海にも出られないから海の魚の料理の発達もなかったのだそうです。 だから、日清・日露戦争のときも朝鮮の民衆は日本に協力的でした。合邦についても、ブリタニカにもフェアに記載されていたように、たしかに反対派もいたしテロリストもいたけれど、大方の民衆は大喜びだったわけです。 合邦のおかげで朝鮮人がいかに救われたかは、一九六三年から七九年まで五期にわたって韓国大統領をつとめた朴正熙の伝記を読めばわかります。 朴正熙は極貧の家で七人目の子供として生まれています。日韓合邦以前の貧しかった朝鮮はいまの北朝鮮のようなもので、多くの人が春窮で餓死していました。だから、七人目の子など育つわけがありませんでした。それが日韓合邦のために生き延びることができただけでなく、日本の教育政策によって学校にも行けた。小学校で成績優秀だったために、日本人の先生のすすめで学費が免除される師範学校に進み、さらに満洲・新京の陸軍軍官学校に進学して首席で卒業したため、とくに選ばれて日本の陸軍士官学校に入りました。日本と合邦していなければ考えられないコースをたどって、結果的には韓国大統領として「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を故国にもたらしたのです。これは日韓合邦によって韓国が受けた恩恵のめざましい一例と言えるでしょう。この種の例は無数にあったのです。「われわれは日本を見習うべし」 日韓合邦時代における朝鮮人の暴動や反乱は、満洲事変以来すっかりなくなりました。それは、かつての朝鮮の支配民族だった清の満洲人に対して、朝鮮人が平等になったからです。満洲人に限らず、漢族のシナ人も、それまでずっと朝鮮民族を見下していて、朝鮮人はいじめられっぱなしでした。ところが、日韓合邦によって「自分たちは日本人だ」と言えるようになった。創始改名運動が起こり、日本人名になると、数千年間つねに頭を押さえつけられていた満洲人やシナ人に対して大いばりできたのです。それからは、いっさい朝鮮人の反乱がなくなりました。「日韓同祖論」が流行り、朝鮮の中学は修学旅行で伊勢神宮に参拝するようにもなった。戦争のときは志願兵も多かったし、朝鮮人の特攻隊員も数多くいました。 明治政府には、「コロナイゼーションはやらない」という覚悟が強くあったと思います。台湾は日清戦争後の明治二十八年(一八九五)に日本に併合されましたが、その約十年後に、『ロンドン・タイムズ』は以下のような主旨のことを書いています。 「わずか十年の間に台湾の人口は数十万人ふえた。イギリス、フランス、オランダも台湾を植民地にしようと思えばできたが、あえてそうしなかったのは、彼の地が風土病と伝染病が蔓延する瘴癘の地だったからである。しかも、山奥の原住民はともかく、住民の大部分はシナから逃げてきた盗賊だ。台湾譲渡を決めた下関条約の全権大使、李鴻章は、「日本に大変なお荷物を押しつけてやった。いまにひどい目に会うから見ていろ」と内心ほくそえんでいた。ところが日本は大変な努力をして風土病を克服し、人口を飛躍的に伸ばした。西洋の植民地帝国は日本の成功を見習うべきである」 『ロンドン・タイムズ』が評価した日本統治は、朝鮮でも同じように行われていました。 台湾合併は五十年、日韓合邦は三十五年続きました。戦後、韓国に戻って初代大統領になった李承晩の反日運動がなければ、そして半島が南北に分かれないままだったら、そうしてあと十五年、台湾と同じく、五十年間日本との合併が続いていれば、日本も台湾に近い感情で韓国に対してつき合うことができていたのではないか……。これは空想にすぎませんが、そんな気がしています。渡部昇一(わたなべ・しょういち)上智大学名誉教授。英語学者。文明批評家。1930年、山形県鶴岡市生まれ。上智大学大学院修士課程修了後、独ミュンスター大学、英オクスフォード大学に留学。Dr.phil.,Dr.phil.h.c.(英語学)。第24回エッセイストクラブ賞、第1回正論大賞受賞。著書に『英文法史』などの専門書のほか、『知的生活の方法』『日本興国論』などの話題作やベストセラー多数。小社より、『読む年表 日本の歴史』好評発売中。関連記事■呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁■併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

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    韓国併合の真実

    日韓の国交が正常化した基本条約締結から今年で50年、「最も重要な隣国」との関係は硬直したまま改善の兆しも見えません。 思えばわが先人たちは、明治維新から日清・日露戦争、そして韓国併合と、シナ・朝鮮との一定の距離を決して縮めようとはしませんでした。その真意は祖先を仰げばわかるはずです。

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    呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

    第一の前提におかれるのが、「生来の野蛮で侵略的な資質をもった日本民族」である。この日本民族の性格は、日韓関係の歴史を次のようにとらえる歴史観から導き出されるものだ。 韓国は文化も何もなかった時代の日本に、儒教・仏教・技術をはじめとする高度な文化を伝えてあげた。にもかかわらず日本はその恩を忘れ、古代には「神功皇后による三韓征伐」や「任那日本府(日本による朝鮮の植民地)」があったなどの捏造記事を国史に記載し、中世には豊臣秀吉による朝鮮侵略が行なわれ、近世末には国学者らにより韓国征伐論が唱導され、明治初期には政府内に征韓論が火を噴き、韓国の江華島に砲撃を加えて戦争を仕かけ、明治末に韓国を併合して36年にわたる暴力的な支配を行なった―。 このように歴史を連続させ、この流れを一連のものとみなして、その根本的な原因を「日本民族の野蛮で侵略的な資質」に求めるのが、韓国の反日民族主義史観である。これが反日教育の柱となる。 日本民族というのは、そもそもからして野蛮な侵略者だったという考えが、なぜ出てくるかというと、古くからの朝鮮半島諸国には、日本を蔑視していた歴史があるからである。なぜ日本を軽蔑したかというと、朝鮮半島諸国が奉じた中華世界では、華夷秩序(かいちつじょ)が正しく善なる世界システムだからにほかならない。 世界の秩序は「文明の中心=中華」と「その周辺の感化・訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」で構成される、というのが華夷秩序の基本的な世界観である。中華世界の中心にあった中国とその忠実な臣下だった歴史的な朝鮮半島諸国は、日本という国を千数百年にわたって、「その周辺の感化・訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」とみなし続けてきた。韓国の日本観の根本にあるのは、こうした歴史的・伝統的な意識体験に由来する侮日観なのである。シナ皇帝の使者を属国朝鮮として迎えた「迎恩門」。日清戦争後の日本が清から独立させると取り壊され、代わって「独立門」が建立された 道徳的に優れた上の者が、道徳的に劣った下の者を、常に訓育・感化していかなくてはならないという儒教の考えが侮日観を形づくっていて、これが韓国の対日民族優越意識の根本にある。さらに韓国には、自らこそ中華の正統なる継承者であるという小中華主義の誇りから、潜在的なエスノセントリズム(自民族優越主義)がある。 そのため、対日民族優越意識がいっそう強固になっているといってよい。竹島問題にしても、靖國神社をめぐる問題にしても、慰安婦問題にしても、我々が文化を与えてきた、本来は我々の下に立つべき日本人が、我々を下に見て、我々をばかにしていると、そういう感覚からの反発が第一となっている。 そもそも民族主義とは、戦後に独立したアジアやアフリカ諸国の民族主義をみても、まずはエスノセントリズムから出発したといえるかと思う。かつての西洋にも、これを拡大した白人優越主義があった。我が民族は他民族に優越する優秀な民族だというエスノセントリズムは、民族国家の出発に際しては多かれ少なかれどこにもあったものだ。それを秘かに思っていようと、常に公言していようと、初期の民族主義成立にはそういう自民族優越主義の要素が不可欠だったと思う。 しかし韓国の民族主義はそこから一歩も進まない。なぜかというと、民族主義の内容が反日と結びついた反日民族主義だからである。反日なくしては韓国の民族主義が成り立たない。反日の理念を核に国民国家の意識を形成してしまったのが韓国である。こんな国は他に例がない。 結局のところ、韓国の反日民族主義の根は日本を蔑視してきた歴史にある。日本統治時代への恨みが反日の根拠となっているのではない。日本が韓国を統治したというのは、そういう蔑視すべき民族がもたらした結果であって、日本統治を原因として日本蔑視の反日民族主義が興ったのではないのである。来日2、3年目にぶつかる壁 学校教育で身に付いた、反日感情に裏打ちされた反日意識は、成長するに従い、社会的・国民的なコンセンサスとしてあること、韓国人ならば誰もがもつ常識であることを自覚する。異議・異論と一切出会うことがない社会環境で、疑問の余地なく韓国人としての自分のアイデンティティとなっていく。こうして私は、「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識・反日民族主義」の混合体を強固に抱えもつ、「新世代の韓国人」へと成長していった。 私は小さい頃から、島から半島へ、半島から世界(欧米)へという志向が人一倍強かった。男尊女卑の強い韓国社会を脱して世界に羽ばたきたかった。そこでアメリカへ留学したいと思ったが、当時の韓国ではアメリカのビザ取得はきわめて困難だった。そのため、まず何人かの親戚も生活する日本へ留学し、日本を足場にアメリカへ渡ろうと思った。三十数年ほど前のことである。 日本へ留学する数カ月前、たまたま機会があって、韓国のキリスト教教会の関係で、日本の老人ホーム慰問団の一員として初来日を果たした。1982年12月から翌年の1月にかけての短い期間だったが、そのときに私が体験した日本は、韓国にいるときにイメージしていた日本とはまるで違っていた。 日帝時代を頑迷に反省しない日本人―決して許してはならないと強く思っていた私は、どこへ行っても優しく親切な日本人に触れて、大きく肩透かしをくった感じがした。わずかに触れた日本の生活風習も、私にはとても好感のもてるものだった。 駆け足での体験とはいえ、滞在した一カ月の間、悪い印象はまったくなかったことは大きなショックだった。きわめて驚くべきことであった。イスラム過激派に拉致・殺害された邦人男性の父親は取材を受け「皆さまにご迷惑をおかけしました」とまず詫びた。この冷静な態度を称賛したり、理解しがたいとしたりする声が韓国で上がった  私がはじめて知った日本は、そのようにとても印象のよいものだった。反日意識に変わりはないが、「これなら、それほど緊張することなくやっていけそうだ」という感じをもてた。いや、表面だけではわからないぞ、とも思うのだが、帰国した私は気を昂らせながら日本へ渡る留学手続きに奔走した。留学生ビザを手に日本にやって来たのは1983年7月のことだった。 留学生として、また仕事関係で日本に長期滞在する場合、ほとんどの外国人、とくに韓国人や中国人は、来日1年目はとてもよい印象をもつものである。韓国人には多かれ少なかれ、日本人=未開人、野蛮な人たちというイメージがある。しかし、実際に日本人と付き合ってみると、誰もが親切で、優しくて、思いやりがあって、未開人的な、野蛮人的な日本人はどこにもいないではないか、日本はなんて素晴らしいのか、ということを誰もが感じる。なんといっても、日本は自然が美しい。そして、空気がきれい。しかも、治安がすこぶるよい。 とくに反日意識が刺激されることもなく、こうした日本の良さを感じながら、最初の一年は楽しく過ごすことができるのが普通だ。 しかし1年が過ぎて、もう一歩踏み込んだ付き合いをすることになる2年目、3年目になると、多くの韓国人は日本人がさっぱりわからなくなる。価値観が違うし、善悪の考え方も違う、日本人の精神性、メンタリティーがどうにも理解できないことになってしまう。人によって、程度の差はあるけれども、だいたい2年目、3年目で落ち込んでしまう。 もはや日本人は人間ではないとまで思う人たちもいる。私もそう感じて深刻に落ち込んでしまった。同じ人間なのに、日本人はなぜこうなのか、日本は人間が住む社会ではないとまで私は落ち込んでしまった。日本人は我が国を貶めてきただけに、やはりおかしな人たちだったのだと思うようになっていく。 実際には、本格的な異文化体験がはじまったということなのだが、異文化ゆえの異質性が、根にある反日意識と結びつき「人間としておかしい」といった感覚的な判断を生じさせてしまうのである。 その典型を、日本に2年半滞在して韓国に戻った韓国人の女性ジャーナリストに見ることができる。彼女は、帰国して書いた本で「日本に学ぼうという声が高いけれども、日本のような国には絶対学んではいけない」、なぜかといえば、日本人は異常な人たちだからだ、というように書いている(田麗玉「日本はない」、日本語版「悲しい日本人」)。 どんなことから、彼女は日本人は異常だというのか。たとえば彼女は、「日本人の割り勘は、その場限りで人間関係を清算しようとする冷たい心の現れだ」と書いている。 ことごとくが、2年目、3年目でぶつかった、異文化ゆえの習慣の違いや価値観の違いに関わることなのである。それが反日意識と結びつくため、すべて日本人の「悪意の現れ」としてしまうのだ。私も2、3年で韓国へ戻っていたら、彼女と同じ考えのままだったと思う。 そこには、自民族の文化を価値規準にして、他民族の文化、生活習慣、思考様式、行動形態などを、みっともない、不合理だ、間違っている、劣っているなどと否定する傲慢な態度がある。自文化の価値体系こそがどこよりも正当なものであり立派ものだと頭から信じられている。 その弊害は、自分に都合のよい空想をもって現実を見ようとはしないさまざまな面に現れてくる。「反日」という「バカの壁」「反日」という「バカの壁」 韓国の「反日」は「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識・反日民族主義」の混合体である。そのように完成された一つの固定した考え、揺るぎのない考えである。 一つの固定した考え、完成された考えにはその先がない、未来がない、そこが終局の地点となっている。だから相手の考えを耳に入れる余地がない。多角的な視点から物事を見て判断することができない。自分のいやな事、知りたくない事、興味のない事を無視しようとする。そういう相手には、いくら誠意をつくして話しても、わかってもらえることがない。なんとしても「話せばわかる」ことにはならないのである。 ようするに「反日」は一つの硬直した固定観念であり、それが養老孟司氏がいうところの、自分の思考を限界づける「バカの壁」となっているのだ。そのため話が通じないのである。来日2年目、3年目にぶつかる壁が「バカの壁」だとは、誰も容易に気づくことができない。そこで私のように落ち込んだり、「日本人は人間ではない」とまで思うことになってしまうのだ。大邱地下鉄放火事件で政府高官に食って掛かろうとして取り押さえられる遺族。韓国では事故や事件などで激しく取り乱す遺族が少なくない 「反日」を脱するとは、この「バカの壁」を超えることにほかならない。簡単にいえば、柔軟に、多角的に、相対的に物事を見て判断する、といったことになるだろうが、これが韓国人には実に苦手なのである。 たとえば、人は現実社会のなかで、家族関係、友人関係、先輩・後輩関係、集団関係など、さまざまの実際的な人間関係の体験を通して、自分なりの物事への対処の仕方を身につけていく、という考えがある。 それに対して、人には本来的な人間のあるべき姿があって、これを目標に社会のなかでさまざまな物事を体験することによって、正しい物事への対処の仕方が自分のものになっていく、という考えがある。 日本人の多くは前者のように考え、韓国人の多くは後者のように考えている。仮に前者を実際主義、後者を理念主義と呼べば、実際主義では「現実的な人間関係」が先にあり、理念主義では「理想的な人間像」が先にある。この「理想的な人間像」が「バカの壁」となっているのが韓国人である。 また、多くの日本人は、善悪・正邪は相対的なものだという。しかし多くの韓国人にはどんな場合も変わることのない絶対的なものである。だから、善悪・正邪は時々で異なるものだといった日本人は「人間ではない」とまで思えてしまうのだ。 倫理・道徳も韓国人にとっては相対的なものではない。人間ならば絶対に守らなくてはならない真理である。しかし多くの日本人は、倫理・道徳は大切ではあるけれど、それは「時・場所・場合」によるもので、普遍的にあてはめて説くべきものではない、倫理・道徳を説く理念は立派なものだが、それは第一に優先されるべきものではない、と考えている。韓国人の場合は、「倫理・道徳」は完璧で揺るぎのない「バカの壁」となり、自分自身の心を縛ってしまうのである。 多数の韓国人が、来日2、3年でぶつかる壁を越えられない。だが、そこをなんとか乗り越えて、5年ぐらい居座っていると、異文化としての日本が見えてくる。だいたいは日本のよさが理解でき、日本が好きになっていく。私もそうだが、そういう韓国人が多いのは確かである。 それでも「反日」だけは抱え続ける人もいる。そこでは反日意識と親日感が同居する。「公的(理念的・外面的)には反日、私的(実際的・内面的)には親日」というようになっていく。現在のように情報が自由に飛び交い、日韓交流が盛んな時代では、韓国に居ながらにして「公的には反日、私的には親日」という人が大部分といってよい。 「反日」をひとたび棚上げにしさえすれば、韓国人の誰でも日本人と親密に付き合える。国交という面でいっても、かつての日韓関係でも日中関係でも、できる限りそう処して付き合おうとしていた時代があった。しかし、そのままではやがては限界がくる。現在の最悪ともいえる日韓関係が如実に物語っている。物事への相対的な視線の大切さ 知識人であればあるほど、「反日」から抜け出ることが難しいようだが、人それぞれの脱し方があると思う。私の場合を振り返ると、そこには大きく三つの契機があった。 一つには、来日3年目で最も落ち込んでいた頃、「郷に入れば郷に従え」を徹底的に実践してみようと思い立ったことである。たとえば、日本人好みの渋みある茶碗。「あんなもののどこがそんなにいいのか」と蔑む気持ちがあった。そこで「韓国人好み」をひとまずカッコに入れて、そうした茶碗を次々に買い求めていくことにした。 そのうち収集が趣味ともなって、大きな楽しみになっていった。習慣・価値観・美意識などを含めて、そうしたことをやっていった。直接「反日」とは関係ないが、先に述べた「日本人は人間としておかしい」という感じ方が崩れていく大きなきっかけとなった。 二つには、日本人ビジネスマンに韓国語を教え、韓国人ホステスやビジネスマンに日本語を教える語学教師を数年間やったことである。そこでは、否(いや)が応でも日本人からは韓国人との行き違いの悩み、韓国人からは日本人との行き違いの悩みを、さんざんに聞かされるのである。  韓国人ホステスたちの悩みは、日本人の彼氏との悩みが多く、また結婚している人もいて、彼女たちは日本人家庭での嫁姑の問題で悩んでいる。日本人ビジネスマンの悩みは、会社を背負って韓国に仕事に行ったが、どうにも勝手が違うので交渉事がはかどらない、仕事の手順が合わない、といったものが中心だった。  聞けば聞くほど、私が悩んでいたことそのままである。嫁姑の問題やビジネスの問題を超えて、そこには共通の日韓の「行き違い問題」が伏在していることを知った。  韓国人は、自分の行動や思考をよしとする一方で、日本人をおかしな人たちと見ている。それにまったく匹敵する程度で、日本人も同じように韓国人をおかしな人たちと見ている。日本人と韓国人は、実に合わせ鏡のような相互関係にある。いや、あるというよりは、そこへと無意識のうちに落ち込むのである。  私が美しいと思えないものを、なぜ日本人は美しいと思うのか―。それは私のテーマであり、また私の語学教室の韓国人生徒たちの切実なテーマでもあった。 韓国人ホステスたちと日本人ビジネスマンたちの時間の都合から、私は主に、昼は韓国人に日本語を、夕方からは日本人に韓国語を教えた。この行ったり来たりが、おそらくは日韓をめぐる物事への相対的な視線を養わせたのではないかと思う。「反日」からの脱出  三つには、日韓ビジネスコンサルタント会社でアルバイトをしていた関係で、仕事で韓国とつながりをもつ人たちが行なっていた勉強会に参加したことだった。メンバーは、大企業の幹部社員、弁護士、弁理士など、そうそうたる第一線のビジネスマンたちだった。  勉強会では、まずはみなでそれぞれ自分の韓国での体験を話す。最初は一様に韓国のよさをほめている。しばらくすると、しだいに韓国の悪口が出はじめ、会のなかごろからはいっせいに韓国と韓国人への猛烈な批判が展開されるようになる。彼らの舌鋒は私の存在にまったく頓着することのない、実に厳しいものだった。もちろん歴史認識の問題についても、領土問題についても、靖國問題についてもである。  私はしだいに腹が立ってくる。しかし「感情むき出し」といわれる韓国人の弱点はみせまいと、必死にがまんをして、できるだけ冷静に反論するようにしていた。それでも時折、大声を張り上げて反撃することは少なくなかったと思う。 現在からすればとても信じられないかも知れないが、私が日本にやって来た1980年代当時は、韓国に厳しいことをいう日本人はきわめて少なく、総督府の朝鮮統治についても、韓国の主張と真っ向からぶつかるような議論はそうそう見られなかった。日本の有力紙が、北朝鮮へのシンパシーを記事の中で示すのも珍しいことではなかった。朝鮮半島をめぐる言論環境は、当時と今とでは大きく違っていたのである。  そうした状況で、知韓派日本人から遠慮会釈もない徹底的な「韓国批判」を突きつけられることなど、あり得ない希有な体験だったと思う。よくあるように、彼らが「日本人は韓国人にひどいことをしたね」とばかりいう人たちだったなら、間違いなく今の私はなかったと思う。 勉強会を通して、韓国では日本の朝鮮統治を、自民族に固有にふりかかった災難という観点だけでとらえ、人類史的なテーマとして植民地化の問題を追究する姿勢がまったく欠落していることを思い知らされた。欧米の研究者でも、日本の統治をおおむね「善政」とみなしている論者が大部分であることを知った。マレー作戦成功でシンガポールの英軍に降伏を促す山下奉文中将(左から3人目)ら。大東亜戦争で多くのアジア諸国が欧米の植民地支配を脱した 欧米人のなかにすら、日本の戦争を、アジア諸国の植民地からの解放と独立に一定の役割を果たしたと評価する考えがあることを知った。韓国にいた時分の私は、世界にこれほど多様な観点があることなど、思っても見なかったのである。 この勉強会で私は、「これは真剣勝負なんだ」と自分自身にいい聞かせ、彼らと正面から向き合っていったと思う。その体験を通して、それまでの自分の歴史認識を見直していく方向への道が、しだいに開かれていったのは確かなことだった。 私の体験はかなり特異かもしれない。しかも三十年を遡る時代のなかでの体験である。それでも「来日2、3年でぶつかる壁」は現在のものでもあり、この壁との激突の内に、反日からの脱出可能性が秘められていることは、示すことができたのではないかと思う。現在の日韓関係がぶつかっているのも、まさしくこれと同じ性質の壁なのである。 お・そんふぁ 1956年韓国済州島生れ。志願して4年間の軍隊生活を送る。昭和58年大東文化大学に留学。平成6年東京外国語大学大学院で修士課程修了。同年から執筆活動を始め、日本で働く韓国人ホステスを取材した『スカートの風』がベストセラーに。新潟産業大学非常勤講師、拓殖大学客員教授を経て同大国際学部教授。『攘夷の韓国 開国の日本』で8年に第5回山本七平賞。日韓関係や韓国の民族性などについて客観的な論評を続ける。現在は日本国籍。客観的な論評が「反韓的だ」と19年以降、韓国から度々入国を拒否されている。『韓国併合への道 完全版』『「見かけ」がすべての韓流』『日本浪漫紀行 風景、歴史、人情に魅せられて』『漢字廃止で韓国に何が起きたか』など著書多数。近著に『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)。 ※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載関連記事■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民   

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    日韓併合時代に無関心でいいか

    。 てい・たいきん 首都大学東京特任教授。1948年岩手県生まれ。立教大学と米UCLAで学ぶ。専門は日韓関係。主な著書に『韓国のイメージ』(中公新書)、『在日・強制連行の神話』(文春新書)、『姜尚中を批判する』(飛鳥新社)など。2004年日本国籍を取得。関連記事■ 半島国家の悲しき世界観■ 多くの日本人が疑問に思うこと■ 韓国人を理解する単語「ヤンバン」「恨(ハン)」「ジョン」

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    併合朝鮮をめぐる国政参政権付与

    別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より榊原智(産経新聞論説委員)帝国議会の朝鮮人代議士 日韓両国の歴史をめぐって、慰安婦のことばかりが論じられています。バランスよく歴史を見ていくには、もう少し別の側面にも関心を寄せた方がよいのではないでしょうか。 今年は、朝鮮や台湾といった外地が、日本の領有を離脱してから70年の節目の年に当たります。この誌上では、併合後期の朝鮮について、衆議院で活動した朝鮮人代議士や昭和20年に決まった朝鮮、台湾在住民に対する国政参政権の付与について紹介したいと思います。当時の日本が、朝鮮をどう位置づけていこうとしたかを考える材料になるからです。 戦前戦中の帝国議会に、朝鮮人の衆議院議員や貴族院議員、台湾人の貴族院議員がいたことをご存じでしょうか。 まず引用するのは、今から82年前、昭和8年1月26日の衆議院本会議における質疑の一部です。読みやすいよう、議事録を今の表記に改めました。 「朴春琴君 質問の前に、今回朴泳孝侯爵が勅選議員になられました事は、国家の為に、また内鮮一家の為にまことに感謝にたえませぬ。(略)私は第一に、参政権問題について内務大臣に承りたいと思うのでありますが、まずその前に各党の総裁の方々が党の大会におきまして、我国の人口は七千万云々ということを再々言っておる。(略)新附の二千万の立場から考えれば、何だか除外されたような気持ちがして仕様がない。(略)国家の為に大不利益と私は思うのであります。(略)併合当時、おそれ多くも明治大帝陛下は二千万人は一視同仁であるということを仰せられたのでありますから、日本国民としてのこの権利義務を明らかにするのが、即ち日本国民の義務と思うがゆえに、内務大臣に私はこの要求をしたいのであります。(略)今までなぜ朝鮮に参政権を与えてないか(略)植民地と言われることは非常に気に喰わないのであります(拍手)」 「国務大臣(男爵山本達雄君) 御質問について(略)参政権の事につきましては、将来においては必ず御質問の如き参政権を与えられるようなる時代も来ることと考えております。しかしながら目下の所において土地、人情及び法律などの点におきまして色々違ったる点が多いのでございます」 この国会質問を手がかりに、さまざまなことが分かります。 朴春琴は、明治24(1891)年に韓国慶尚南道で生まれた朝鮮人政治家です。建設業に関わっていましたが、昭和7年2月の総選挙で東京4区(本所区、深川区)から出馬、当選しました。11年2月の総選挙は当選しませんでしたが、12年4月の総選挙で再び当選し、大東亜戦争中の17年4月まで代議士でした。通算9年間になります。 昭和10年3月16日、衆院の米穀自治法委員会で朴は2回目の当選についてこう語っています。 「朴委員 私は東京で七千票入れられた。その際朝鮮ではどういうことを言われたか、あれは皆本所、深川には朝鮮人の有権者が多い為に、全部朝鮮人が入れたのだろう(略)。ところが事実はこれと反対に、朝鮮で生れた日本人からは、私は四十票か五十票しか貰っていない。これは皆、日本で生れた日本人が入れた」内地人と外地人で同じ選挙制度 当時の衆議院議員選挙法は、日本国民の男子に選挙権と被選挙権を与えていました。ただし、選挙区は、昭和20年までは内地にだけ設定されていました。ですから内地に住む朝鮮人や台湾人も選挙権を行使できました。併合で侯爵となった朴泳孝。閔妃暗殺の犯行を告白して同じ朝鮮人に殺された禹範善が日本に残した長男、長春の養育を援助し、東大で農学を学んだ長春は韓国に渡り「戦後韓国農業の父」といわれた ハングルによる投票も可能でした。以前、フジテレビの番組で、現東京都知事の舛添要一氏が、自身の父が戦前の地方選挙に立候補した際のポスターを見せたことがあります。ハングルでも候補者名が書いてありましたが、戦前の制度に基づくものだったのです。 また被選挙権は、内外地を問わず内地人、外地人とも享受していました。 一方、内地人が朝鮮や台湾に移住すれば、衆議院の選挙権は行使できませんでした。選挙区がないからです。 国政選挙をめぐって内地人と外地人に差別はなく、異なる扱いだったのは内地、外地という地域だったのです。もちろん、故郷の地に住む人が圧倒的ですから、朝鮮や台湾に選挙区がなければ、選挙権を行使できない人の大部分は外地人になります。 この構造を大きく変えたのが、後述する昭和20年の国政参政権付与でした。 女子に参政権がなかった時代であり、選挙は男子に限った話ですが、兵役(男子の徴兵)はどうだったのでしょうか。衆議院選挙東京府4区で当選し、支持者らの祝福を受ける朴春琴 兵役は長い間、内地人にだけ課せられ、内地人は朝鮮に住もうと台湾に住もうと兵役の義務がありました。戦局の激化もあって朝鮮人の徴兵は昭和19年度から、台湾人は20年度から行われました。彼らが訓練を終え、部隊に配属される頃に国政参政権の付与が決まったことになります。用語メモ…内地が本籍の日本国民を内地人(今の日本人)、朝鮮が本籍の日本国民を朝鮮人、台湾が本籍の日本国民を台湾人と称します。朝鮮と台湾を合わせて外地、朝鮮人、台湾人を合わせ外地人と称します。籍は養子など一部の場合を除き、原則変わりませんでした。本籍とは別の地域に移住しても籍は変わらないわけです。朴春琴の激しい要求朴春琴の激しい要求 実際に衆院議員に当選した朝鮮人は朴春琴一人ですが、他にも立候補した人は存在しました。代議士としての朴の質問は鋭いものがありました。帝国議会の議事録を読みますと朝鮮名を名乗ったままの朴は、日本国民であることを強調した上で、兵役や参政権の要求を繰り返しています。併合の枠の中で、朝鮮人の地位向上を求めていたのでしょう。 「朴委員 年々に少なくても二百や三百の人は支那の官民に間違なく虐殺を受けている。(略)殺されながら満洲天地を開拓する皆さんの兄弟、これを今日まで保護したことがあるか(昭和七年六月四日、衆院本会議)」  「朴委員 新附二千万ばかりでなく、内地にいる日本国民の中にも不逞が沢山いる。(略)不逞鮮人とか(略)そういう侮辱的の言葉をやって、俺の言うことに従えと言ってもなかなか従いませぬ(八年二月十七日、衆院請願委員会)」 朝鮮人の利益に立った質問を踏み込んで行っています。政府側は、先に引用した山本大臣(内務大臣)の答弁でもわかりますが、他の内地人代議士向けと同様の丁寧な口調で答弁しています。朝鮮総督府の「施政30周年紀念式典」には多くの朝鮮市民が詰めかけた(朝鮮総督府『朝鮮事情 昭和十六年版』) 昭和10年3月16日の衆院の委員会質疑では、朴は自身の当選について、次のようにも述べました。 「朴委員 朝鮮においても、朴春琴のように日本人として国家的見地の下に働けば、必ず日本人は将来、朝鮮に生れた日本人に向って、大臣も与えるだろうと、大きな期待を持って臨むようになった」 朴は戦後、韓国民団中央本部の顧問などを務め、1973(昭和48)年に亡くなりました。韓国では親日派として厳しい目でみられているそうです。日本の帝国議会の議員だったこと自体が韓国では批判の対象になるのだと思われますが、当時、併合継続を前提とすれば朴のような要求があっても不思議ではありません。 朴春琴の質問の冒頭にある「朴泳孝侯爵が勅選議員」になったとは、朝鮮貴族だった朴泳孝が、帝国議会の貴族院議員に選ばれたことを意味します。朴泳孝は金玉均の同志で、朝鮮の開化党を作ったこともある政治家です。日韓併合に協力し、日本の華族とは別に朝鮮貴族令(明治43年)によって設けられた「朝鮮貴族」に連なりました。 戦後、日本国憲法第十四条にある「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」の「その他の貴族」とは朝鮮貴族を指すそうです。昭和20年の大転換 「鮮台同胞国政参与に 畏(かしこ)くも大詔渙(かん)発(ぱつ)」 これは、昭和20年4月2日付朝日新聞の1面トップ記事の主見出しです。台湾・朝鮮参政権付与の「大詔渙発」を報じる朝日新聞。隣は「沖縄本島に敵上陸」 70年前の日本は、朝鮮と台湾に住む国民に、国政参政権の付与を決め、昭和天皇が詔書で布告されたのです。 同じ日の朝日新聞1面の二番手は、沖縄本島に米軍が上陸したという大ニュースです。読売新聞の1面も同様でした。 なぜ詔書が出るほど、参政権付与が重視されたのでしょうか。それは、大日本帝国の政治構造を大きく変える決定であったためだと思われます。 詔書に合わせ、改正衆議院選挙法と改正貴族院令が公布されました。先に貴族院について説明します。朝鮮、台湾に住む国民で名望ある人から、合計10人を勅選議員にするものでした。以前にも勅選の例はありましたが、朝鮮、台湾枠から選ぶのは初めてでした。 貴族院議員は20年4月3日、朝鮮人7人、台湾人3人が発令されました。戦局の悪化で朝鮮人の貴族院議員は海を渡れず登院できませんでしたが、台湾人議員は実際に登院しています。 一方、衆議院は、朝鮮は各道を選挙区として合計23人を、台湾は各州を選挙区とし5人を、制限選挙で選ぶことになりました。選挙権は国籍をもつ満25歳以上の男子で直接国税を年額15円以上納めている人に与えられました。すでに内地に編入されていた樺太にも3人の定数を設けています。 当時、内地の人口は約7000万で464人の議員定数でした。朝鮮、台湾は3000万で定数は28人です。人口比でも内地よりも少ない制限選挙でしたが、徐々に制限を解いていく方針でした。㊤朝鮮で年々増加した志願兵のための訓練所㊦と実際の教練の様子(『朝鮮事情 昭和15年版』) 外地の領有が保たれ、選挙が実施できる情勢になっていれば、昭和21年予定の衆院選で外地選出の衆院議員がそろう算段でしたが、戦局の悪化はそれを許しませんでした。 日本在住外地人の参政権は、昭和20年12月の、女性参政権を認めた際の改正衆院選挙法の付則で停止されています。 国政参政権は選挙権にとどまりません。官職につくことも含まれます。もともと朝鮮総督府では、13ある道の知事のうち五人は朝鮮人とする慣例がありました。総督、政務総監に次ぐ最高幹部である局長のうち、学務局長に朝鮮人官僚が2回登用された例がありました。 ところが昭和18年度になると、中央省庁、総督府双方への登用が本格化します。高等文官試験に合格した朝鮮人37人のうち、内務省3人、鉄道省2人、大蔵省1人、文部省1人など12人が中央官庁に、21人が朝鮮総督府に採用されました。キャリア組です。内地人をも統治するポストへ進む若手官僚に選んだわけです。大日本帝国の構造を変える道へ大日本帝国の構造を変える道へ 徴兵、高級官僚への登用は大きな出来事ですが、大日本帝国のあり方自体を変える道を開いたのは衆院選挙区の設置でありました。 この道は、数十人単位、いずれは百人を優に上回る数の外地選出議員が帝国議会を占めることを意味します。内地人化が進んだとしても、日本の政治が複数の民族によって運営されるようになっていったかもしれないのです。 もう一つは、内地、外地の区別が消えていき、将来は総督府が廃止されたかもしれない、という点です。 内地では当然、完全施行されていた明治憲法は、朝鮮や台湾では名目的施行にとどまっていました。経済や教育の水準、慣習、日本語の普及などが違いすぎるからで、無理もない面もあります。 このため帝国議会が協賛して決める法律は、外地では一部しか適用されず、総督府が実情に応じて制令(朝鮮)や律令(台湾)という法令を発しました。これを「法域」問題と言います。 法域が同じになれば統治上は内地と同じになるわけです。朝鮮や台湾を内地とあくまで異なる外地にとどめるのか、内地と同様にしていくのかということです。京城では銀行の壁面に「日本精神発揚」「国民精神総動員」「貯蓄報国」などの垂れ幕が懸けられた(『朝鮮事情 昭和15年版』) 敗戦直前の昭和20年に、日本は後者の道を選んだのです。松阪広政司法大臣は同3月20日の衆院の選挙法改正案の委員会で「法域」について「朝鮮、台湾から立法府に議員が出て法律を協賛するということになりますれば(略)法律は朝鮮、台湾にも施行せられるものと見なければなりませぬ」とし、運用上、例外を設けることはあっても、法律は外地でも原則施行すると表明しました。 日本統治下最後の全羅南道知事を務めた八木信雄は著書『日本と韓国』で、内務省と朝鮮総督府の人事交流が始まっていたことを挙げ、「窮極的には総督政治を廃して」いく流れにあったという見方を示しています。 朝鮮総督府は、斎藤實総督当時の昭和4年から6年にかけて、朝鮮に自治議会を置く案も検討していました。 しかし、三・一事件後の大正8年の詔書で「一視同仁」という統治の大方針が明示され、これが内地化を目指すものと解されていたため、自治議会の案は日の目を見ませんでした。 朝鮮統治は、教育や農業、工業の発展を進め、同時に日本語の普及や 創氏改名など内地化を促していきました。そして戦争が激しくなって、参政権を反対給付として促す効果をもつ徴兵が始まったのです。        ありえない「性奴隷」 徴兵の数年前から朝鮮には志願兵制度がありましたし、当時の朝鮮に徴兵実現を求める声も上がっていました。そうであっても、十万単位の若者に軍事訓練を施し、武器を渡す徴兵は重大な選択です。日本の政府や総督府、軍が情勢の悪化した戦争末期に、朝鮮、台湾統治の安定度をどう見ていたかがわかると思います。 ここまで読んでいただいた方の中には、「戦局は悪化し、国政参政権の付与は空手形だったのではないか」と思う人もいるかもしれません。けれども、史料や関係者の回想をみれば、しごく真剣に物事は進められていました。 朝鮮をはじめとする日本の外地統治への評価は、いろいろな視点があって当然だと私は思います。ただ一つ、指摘したいのは、これらの統治への取り組みと、日本が20万人もの朝鮮人の女性を「性奴隷」として駆り立てたという荒唐無稽な話は、どうしても両立しないように思えるのです。 さかきばら・さとし 昭和40年愛知県生まれ。専門は政治、安全保障。東大文学部国史学科卒業(近現代政治史専攻)。平成2年産経新聞社入社。政治畑の記者として、55年体制の幕引きをした宮沢喜一内閣以来の国政を取材。防衛や憲法改正のテーマに取り組み、産経新聞が平成25年に発表した憲法改正案「国民の憲法」要綱の起草作業に参加した。23年から2年間、防衛大学校総合安全保障研究科で、核軍備と日本の安全保障論の歴史的関係について専攻、卒業した。安全保障学修士。共著に『未来史閲覧』『同2』(産経新聞社)など。  関連記事■ 半島国家の悲しき世界観■ 多くの日本人が疑問に思うこと■ 韓国人を理解する単語「ヤンバン」「恨(ハン)」「ジョン」

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    日韓併合を考えて脱韓論に至るの弁

    別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より黒鉄ヒロシ(漫画家)極東町内の四軒の家々とは… 弁解したところで詮無く、また、するつもりもないが、韓国問題を考える時、日本人はどうやらスタート地点の選択を間違えていたように思う。 譬(たと)えは乱暴でも、ここを押さえておかないと続く後輩達も我々同様のミスを犯す可能性が残る。 四カ国、つまり日本、韓国、中国、ロシアの位置関係と特質をそれぞれ一軒の家として見直してみるところから始めたい。 まず、水の上に一軒の家がある。日本である。大和家とする。 少し離れたところに今一軒の家がある。朝鮮である。金(キム)さんの家。この一軒は後に二軒に分断されるが、この時点ではまだひとつにまとまっている。 更に今一軒がその先にあって、これが敷地面積の広い、造作はともかくやたらにデカイ家で、意味なく威張って何故か昔から尊大である。中国であり、態度の理由は中華思想。今は漢さんが住んでいるが、昔は「清」という表札が掛かっていた。 北の方角に、譬える最後の一軒がある。 これまた馬鹿デカイ家だが、北向きに建てられており、何かにつけ寒さが付き纏(まと)うので、常に南の方の土地を手に入れたいと考えている。もちろんロシアで、イワンの家。 とり敢(あ)えず、この東アジア、いや、この町内は以上の四軒で成り立っている。 この四軒がゴチャゴチャと何かと揉(も)めるのは、寒さを動機に最北の一軒が動くのが専らである。 後(のち)に大和家とイワン家が一家を挙げての大喧嘩に発展―譬えを歴史に直せば日露戦争の原因も同様であった。 譬え話は、その日露戦争の前、更にその前の日清戦争の辺りから始まる。 この四軒以外にも〈地球町〉には当然に他にも家はあって、漢さんが住みつく前の清(しん)さんの時代にこれを攻めたものがある。 イギリスであり、歴史で見れば阿片戦争で、ま、チャーチル家としておく。 阿片戦争は二度もあって、後の方にはドゴール家(フランスですね)もしゃしゃり出て、清さんから多額の賠償金をせしめた。 この時、戦争には加わらなかったが、ルーズベルト家(アメリカ)もイワン家もドサクサに紛れて清さんに対し様々な特権と土地の一部の割譲を認めさせた。 特にヒドイのはチャーチル家で、この海賊のやり口としか思えない暴挙を知った大和家は大騒ぎとなった。 彼等の手口には法も正義もあったものではない。 圧倒的な武力、元い腕力でチャーチル家は清さんを一方的にぶん殴り家財は強奪するワ、土地は分捕るワで、まるで強盗そのもの。 困惑の余り大和家内で大揉めに揉めているところへ、ルーズベルト家の使者としてペリーがやってきて閉め切った雨戸を激しく叩いて開けろとわめく。 大和家では、当時の家長(徳川である)が取り替わる事態にまで発展する。〝隣家〟めぐり明治政府に政変 再出発を決めた大和家では家訓も単なる大和魂に、和魂洋才を加え、何んとかチャーチルやルーズベルトにぶん殴られる事態だけは避けることができたが、奇妙な約束だけは押しつけられた。 長く悩むことになる不平等条約である。 清さんも金さんも殴られるだけ殴られて、血だらけでもはや歩行も困難な有様。 イワンの身勝手な寒がりは続く。 チャーチルに加えてドゴールやハンス(ドイツ)までが見倣(なら)って三軒を狙って遠くから押し寄せる。 あのですね、いちいち律儀に譬えるのも煩雑に過ぎるし、書くべきことは他にあって、かといって譬え終わらないと先に進めないので表記がところどころ継(つ)ぎ接(は)ぎになる点はご寛恕(かんじょ)を願う。 チャーチル家、ドゴール家、ハンス家など西欧列強の帝国主義的なアジア戦略に対して、勝海舟や西郷隆盛は対抗策として、神戸、対馬、釜山、天津などに海軍の本拠地を置き、日、韓、清の三国による合従連衡(がっしょうれんこう)を構想するに至る。 チャーチル家、ドゴール家、ハンス家が組んだ白人強盗団に対して、大和家と金家と清家で対抗せんとのアイデアを提案した訳である。 この三家の合従連衡案は大和家以外の理解力と能力の不足によって頓挫する。 能力に含まれるものかは考えようだが、当時の金家の大和家に対する非礼は度が過ぎた。列強や朝鮮の本質を見抜いていた西郷隆盛(東大法学部明治新聞雑誌文庫所蔵) 要は夜郎自大(やろうじだい)にして世間知らずの田舎者ということなのだが、一家の上から下までがそうなのだから、特に誇り高き武士(もののふ)出身の新たな指導者で占められた大和家では耐え難い屈辱として受け取った。 金家の最上位にある大院君からして、大和家が新政府樹立を報(しら)せる国書を送った際には、この受け取りを拒否するという無礼で応えている。 如何に前近代的にして外交に無知とは言え、品無きを通り越した蛮族の所業である。 上が上なら下も下で、以後金家では根拠もなく「大和家は禽獣(きんじゅう)にも劣る」として、大和家よりの正式な使節を粗末な小屋に待たせてみたり、公衆の面前で辱(はずか)しめるような高圧的な態度を取り続ける。 彼(か)の民族の、いや金家の家風であるか、調子に乗り易いというか、発想が幼稚なのか、大和家の公館への正当な食料の供給を拒否してみたり、門前に謂(いわ)れなき侮辱を書き連ねた文書を貼り出したりと、愚行は止まらない。 現在の慰安婦とやらの像の設置によく似たり。やはり家風であるか。 そんな折、つまり明治6年(1873)に、明治新政府内に於いて政変が勃発する。 遣欧使節として欧米視察から帰国した大久保利通、岩倉具視、伊藤博文、木戸孝允(たかよし)らと、留守政府側の西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、副島種臣らが対立したいわゆる「征韓論政変」である。 この後に述べる日清戦争同様に、西郷のこの「征韓論」を、今も多くの日本人が誤解したままであるようだ。朝鮮やシナの本質見抜いた西郷朝鮮やシナの本質見抜いた西郷 誤解の専(もつぱ)らは、士族の不平不満の解消策としての朝鮮との開戦であり、そのきっかけとして西郷自らが殺されての口実作りの二点であり、後者は板垣宛西郷の文面を証拠とするが、強硬派を諫(いさ)める為の方便であることは明白である。日本の軍艦雲揚号を朝鮮が砲撃して勃発した江華島事件を描いた錦絵 他の単純な征韓論者の中味と西郷のそれとは性格が異なる。 西郷は既に側近を朝鮮に派遣して情報収集まで行っていた。 その上で「本当の文明ならば、未開の国に対しては慈愛を本とし、開国に導くべきだが、欧米列強は未開蒙昧(もうまい)の国に対するほど、むごく残忍なことをして自らを利している」と、西洋文明の本質を説き、正道(せいどう)、有道(ゆうどう)を踏むべき方向を指し示し、アジア諸国と結んで西欧列強に対抗すべきであると、あの「一日会えば一日分惚れられる人」と言わしめた西郷が出向いて説いていれば、いっかな頑陋(がんろう)不明な朝鮮と雖(いえど)も、もしやと思わせるが、大和家に於いては征韓論は容れられず、西郷達は下野することとなる。 その後の日韓の不幸を避けられたかもしれないひとつのチャンスはここに失われた。 西郷の正しさは二年後の日本軍艦、雲揚(うんよう)号を朝鮮が砲撃した江華島(こうかとう)事件で証明される。 正当防衛ではあったが、結果としてペリーがやった砲艦外交に日本も愚を重ねた。仏の漫画家ビゴーによる朝鮮(COR●E)をめぐる日、清、露に対する風刺画(明治20年)※●は「E」の上に「ノ」 骨のある抵抗なら続ければ良いと思うが、元より先の嫌がらせ同様に思い付きの砲撃であったから、掌(てのひら)を返すように日朝修好条規が締結されることになる。 これを知った西郷は、「天理に於いてまさに恥ずべき」と、ペリー同様の軍事的威嚇は断じて避けるべきであったと叱る。 ここにも西郷の征韓論の本質が覗く。 福沢も「大久保らの、かつての征韓論反対は何んであったのか」と批判した。日清戦争の緒戦となった興宣大院君を担いでの朝鮮王宮占拠の様子(吉村卯太郎画『日清戦争画帖』明治27) 朝鮮側は自らが先に砲撃したことには頬被(ほおかぶ)りを決め込み、砲艦外交をやられた屈辱感だけを忘れないという、今に変わらぬ例の癖を見せる。 清家も金家もやる気が無いどころか、事態の重大さに気付かず、洋の技術を最短で学習して対抗せんと焦る大和家を、やれ洋夷じゃ、それ裏切りよと的外れに罵(のの)しる始末。 清家には〈華夷(かい)秩序〉なる家訓があって、つまり自らは中華帝国として君臨し、一夷(えびす)(蛮族)とする周辺国は朝貢し我が保護下にあるべきだと勝手に思い込んでいる。 特に朝鮮は属国と見做(みな)してそのままにして、本来の敵が西欧列強であるのに、日本叩きに出る清家の時代音痴ぶりは如何んともし難い。 いつまでも属国と見做される金家も金家で、元は清家の庇護の元にあり、その期間は二千年もの長きに亘っているから、宗主国、いや親分のいう事につい従いたくなるのは、刷り込まれた下僕根性という他はない。 ここまでも譬えは乱れに乱れたが、四つの国の立場を手ばやく説明する役目は一応終えたとして、ここから通常の表記に戻す。「大鳥公使、大院君に改革を協議の図」(耕書堂『日清戦争漫画』明治28)日清戦争は野蛮に対する文明の義務 ついに、日清戦争が勃発する。 三国で組んで西欧列強に対抗する筈(はず)が、組むべき三国の二国が戦うというのだから、欧米から見ればアジアの同志討ち、内部紛争の如きに見てとって嗤(わら)った。 嗤われようとも怒るべきときは怒るべきである。 福沢諭吉も怒った。 「かの頑陋不明なるシナ人の為に戦さを挑まれ、わが日本国民は自国の栄誉の為、東洋文明の先導者として、これに応ぜざるを得ず」と、日清戦争について記す。 福沢の論に内村鑑三も「日清間の戦いは、野蛮に対する文明の義務である」と筆先を揃(そろ)えた。 清側の言い分は、属国朝鮮の独立など認めてたまるものかと、あくまで前近代的で、ついにはヒステリックに軍事力に頼ったものである。 朝鮮に頼まれた訳 でもなく、良かれと思った理想の元が、自国の危機脱出であってみれば、代理戦争の性格についての説明を加えても虚しい。 日本の誇る英傑、かの西郷までが西南戦争で命を落とした理由が朝鮮問題と縁浅からずと呟(つぶや)いても、今となってはこれも虚しい。 正道、有道なる理想の道を貫き、西欧による植民地化の怖れはあったとしても、日本一国で立つべきであった。 何故か、西郷も福沢も、隣国二つがまさかそこまでの腑抜けとは知らず判らず、人好しにもつい同じアジアと期待し仲間と見た。 学習しさえすれば、日本がそうであったように、朝鮮もきっとそうなると考えたが、国柄というものを見落とした。 朝鮮にも、金玉均や朴泳孝という西欧列強の横暴に危機感を募らせて、日本と結んで近代化を画策した若手改革派がいない訳ではなかった。露海軍旅順艦隊を旅順湾に閉じ込めた「第三回旅順港口閉塞」図(若林欽画『日露海戦画帖』明治39) 福沢は自らの慶應義塾に多くの朝鮮人、清国人の留学生を受け入れたり、先を見越してハングル表記の新聞発刊の為の印刷機を贈ったりと、物心両面の援助を惜しまなかったが、清国によって多くの進歩派は弾圧され続ける。 凡(およ)そ世界状勢の変化と、自国に対する危機感に関して当時のこの二国の理解力はゼロであったと言い切って良い。 朝鮮政府による刺客によって金玉均が暗殺され、その遺体が切り刻まれて晒(さら)されるという無惨を知るに及んで福沢が書いたのが『脱亜論』であった。 「悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於(おい)て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」福沢は因循固陋(いんじゅんころう)なる清国や朝鮮の思考と体質に協力と努力を重ねた揚句(あげく)、心底絶望したのである。 両国の本質は今も変わっていないように思うが、どうか。 弱体化の止まらない清国に、さすがに鈍感な朝鮮も気付きはしたが、彼の国らしいといえばそれ迄だが、奇天烈(きてれつ)なアイデアを思い付く。 何んと、最大の脅威である筈のロシアに対して不凍港の租借を代償に、軍事的保護を求めるというスットコドッコイ振りに、あの清国すらも慌(あわ)て、日本は更に驚いた。 日清戦争に至る要因の専らは、そも不凍港を獲得したく思うロシアの南下政策にあった。 不凍港の次は朝鮮半島がターゲットになるのは赤児にも判る予測であろうに、はたして後先を考えずに泣きわめいて敵の懐ろに飛び込むというあはれ。 半島がロシアの手に落ちれば、次なる目標は海を挟んだ日本である。 これを危うしと感じたのも、自国の都合よと言われればそれ迄だが、世界の構図など元は国々の勝手な都合で成り立ってきた。 滅茶苦茶な都合で、朝鮮が他国を危機に陥(おとしい)れるなら、これを阻止するのもこっちの都合だろう。何かが欠落している韓国の思考何かが欠落している韓国の思考 朝鮮に清国から独立して貰い、まともな国家として独り立ちして欲しい日本と、従属させたままの現状維持を主張する清とでは、道理と無理の不毛な鬩(せめ)ぎ合い。 無理を通して道理を引っ込ませる中華思想に対しての日本の我慢にも限度があった。 この日清戦争を、未だ日本の「侵略戦争」とする説があって、どこをどう解釈すればそうなるのであろう。  日清戦争に至った日本の動機を読み下してみれば「西欧列強に対峙する為に」(つまり現状での因循固陋な朝鮮と清国ではそれはならず)、「華夷秩序に固執する清や朝鮮を目覚めさせ」(このままでは日本も道連れにされてしまうから)、「朝鮮を独立自尊の国にする」(何んとか、この戦争で目覚めさす、いや目覚めて貰いたい、否(いな)目覚めて貰わねばならぬ)。 参謀本部の川上操六も「日本軍の砲声は、清の目覚めを促そうとする警鐘である。戦後の日本は進んで清と提携し、東亜の平和を維持せねばならぬ」と明解である。 歴史は捏造と改竄(ざん)が、ソフトに云い換えれば解釈の差と被害者意識による思い込みが、史実から遠いところへと押し流すということは良くある。 勝者に於いてすらの記録の数多(あまた)の不備は、まして云わんや敗者に於いてをや。 最近の「太平洋戦争」も、局所はともかく、大本のところすら意見の整頓は成されていない。 百二十年前の日清戦争を侵略戦争と見たがる動機とは何か。 ここを掛け違えれば、その下のボタンも、更にその下も、すなわち日露戦争も、日韓併合も、大東亜戦争も、正確な穴との巡り合いは永久に失われる。 日清戦争の、戦前と戦中は意図するところは明解であったが、戦後に禍根を残した。 西欧に倣(なら)ってか、勝った日本は清に対して賠償金と領土割譲を要求してしまう。 大儀は立派でも結果が違えば西欧と同じ穴の貉(むじな)と云われよう。 日清戦争侵略説派は、ここを突きたいのであろう。 日韓問題を考える上でも、有道の国の大儀から無道への変化の理由は、是非とも押さえておくべき点である。 かといって、全てが無道に変貌した訳ではなく、多くの面で余る程に有道は残った。 賠償金や領土割譲を無道と攻めるなら、第一次世界大戦や、続く大東亜戦争後の戦勝国も同類となるだろうが、アンタもやっているからオレもやるでは有道の理念が泣く。 日清戦争の汚点はさて措(お)いて、日韓問題を考える時、以上の如くに二国間だけの話では収まらず、他の二国も転び出る事実と地域的関係性。 本稿の目的である日韓併合問題に至る前にここまでの伏線が必要である複雑さに、既に福沢同様に脱亜を唱えたくもなる。 あれ程、朝鮮の近代化に手を貸した日本を代表する人間、いや恩人福沢諭吉をして〈我国の近代化の過程を踏みにじり、破綻へと追いやった我が民族全体の敵〉とは、もはや身体のどこぞの何かが欠落していると断じざるを得ない。 日韓併合に限ったことではなく、歴史上の事例を語る時、その時点に立ち返って当時の世界常識や都合を加味して解釈し、時効のようなラインで遮(しゃ)断する方法と、過去完了と現在進行形をロープで結び付け、今と未来の議題として息を吹き返させる方法とがある。 成熟した国では多く前者を支持し、未だ前近代的な国は後者を選択するようである。 併合前の朝鮮には、全土で小学校が四十程しかなかったが、中国からの独立には教育こそが必要だと考えた一人の日本人が一気に四千校以上に増やした。 この日本人は、寺内正毅一派が強権的日韓併合を進めるのに強く反対し、朝鮮人自らによる内閣を構想していたが、何故か暗殺された。 男を殺した為に日韓併合が早まるという皮肉な結果を招いたこのテロリストは、英雄として中国黒竜江省のハルビン駅で銅像になった。 殺されたのは伊藤博文で、殺したのは安重根。 伊藤暗殺の翌年、韓国は日本に併合された。 この併合を日本の植民地化というが、概念として以前のイギリス、フランス、スペイン、ポルトガル等々のそれと比べると明らかに性格は異なる。 ソウルには帝国大学も創ったし、留学生も多くを受け入れた。植民地にしようとするところに小学校数を百倍にし大学まで創る宗主国など過去には無い。 次に農地を開墾し、商業を興し、資本主義の理解を早めたというに、米を収奪し、既に存在した資本主義の芽を摘み、日本語と日本名を強要した―と、全くに逆のことを主張する。 「日本が朝鮮から強奪したもの」として、今も韓国が言い募る「七奪」である。 「七奪」には根拠が無いどころか、全てが捏造の類(たぐ)いだから反論すら阿呆らしい。 西欧列強による支配は植民地の王室を廃止したが、日韓の皇室が融合しての統治はそれには重ならない。 「李王家の歳費」として日本政府が毎年計上した金額は現在の価値に換算して約二百億円程にもなり、日本の宮家の皇族費と比較しても圧倒的に巨額であった。 経済や待遇などは末梢なことで「日本が李王家を奪った」ことこそ重要というのなら、終戦時に朝鮮に帰国せんとした李垠殿下と王朝復活を断固として拒否し、共和国制国家に移行したのは李承晩の意志ではなかったか。 李王家の面目を奪い消滅させたのは朝鮮人自身に他ならない。 次なる「奪」として「主権」を挙げるが、李氏朝鮮は長く清の属国であったから、元より主権など存在しなかった。 そも「日韓合邦」の嘆願書は日露戦争後、多くの朝鮮人によって李朝皇帝、統監、首相に対して提出された。 日本によって一方的に併合が成されたのではなく、多くの朝鮮人の意志によって推進された側面を隠そうとする。「人命尊重」教えた日本だが… 明治43年(1910)、日韓は「韓国併合ニ関スル条約」を締結するに至る。これは日韓両国がそれぞれに国内法を踏まえ、当時の国際法にも照らし、国家同士が合法的に締結した正式にして正当な条約であって、日本が一方的にごり押しした結果などという子供の作文のような主張がどこから出るのか。 2001年の国際学術会議も「日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった」と結論付けている。 法的な結論が出ている以上、他の「奪」に関する点検など今更不要だが、教科書にまで載せて捏造のingを続けたい様子だから、テキパキと片づける。 韓国の主張する土地の簒奪など無かったどころか、日本は近代的測量技術によって、それまでメチャクチャであった朝鮮側の数値を正確にした。具体的に申せば、それまで二百七十万町歩とされていた農地を四百八十七万町歩と糺(ただ)した。 如何なる国にも、跳(は)ねっ返りは出現するから、朝鮮のお国柄とも言えまいが、測量後増えた土地を売ろうとする輩が続出する中、日本政府は憲兵を差し向けてまで日本人への売買を禁止して朝鮮人の利権を守っている。 次に「朝鮮語を奪い、日本名を押しつけた」と教科書に書くが、話はここでも全くに逆で、朝鮮語を禁止した事実など一度としてない。 だいたい当時の半島に於ける日本人の割合は朝鮮人の98%に対して2%ほどだから、禁止などしたら日常生活が立ち行かない筈ではないか。 朝鮮語の廃止と日本語常用を唱えたのは、何んと朝鮮の知識人の方である。 「朝鮮語廃止論」を「廃止」させたのは日本なのだ。白い制服に身を包み校庭に集う平壌女子高等普通学校の生徒ら(幣原坦『朝鮮教育論』大正8) 「創氏改名」に就いては、多くの日本人も誤解している。 「日本人になって三十年近く経っても、日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」と机を叩いたのは朝鮮人の方だ。 日本への密航増加と治安の問題を指摘する慎重派と、「一視同仁」の考えから内地人と朝鮮人を平等に扱うべきとする推進派が二派に分かれて対応に窮した。 結果、1936年の戸籍法改正に至るのだが、朝鮮の文化伝統を重んじる日本は夫婦それぞれの「姓」を戸籍上に残し、「氏」としてファミリーネームを創った。この「氏」は朝鮮姓を用いるのが基本だが、希望すれば日本語式にもできた。 朝鮮人としてのアイデンティティを残しつつ、日本人と同等の権利を獲得できるグッドアイデアであったが、またもや朝鮮側からクレームがついた。 「せっかく日本人の苗字が名乗れても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がないので、名前も変えさせてくれ」との要望が引きも切らず、ついには日本側もこれに対応し、裁判所に申請し、正当な事由有りと認められた場合に限り、可としたのである。 これが「創氏改名」であった。 「米を収奪した」については先述の農地の近代的測量技術を駆使した事実で充分であろうが、何時までも「盗った!盗った!」と騒ぎ続けるので息の根を止めておく。 併合なった朝鮮の水田を見て日本は驚いた。 古代さながらの天水頼みの農耕は、飢饉による多数の餓死者を出し続けていた。 そこで日本は「朝鮮産米増殖計画」で改造に踏み出す。 かつて朝鮮全土で一千万石ほどであった生産高は、計画実施の結果倍増の二千万石に達し、大豆や雑穀類も60%を増やした。 更に「朝鮮農山漁村振興運動」によって、農家の収入は二倍に増えている。「命も奪った」というから、直接的な「命」にも触れておくが、西洋医学の普及しない李氏朝鮮時代の衛生事情は劣悪で、疫病によって度々十万人単位の人命が失われていた。 併合後、日本は近代医療を朝鮮に導入する。 1910年当時の朝鮮人の平均寿命は二十五歳程度であったが、導入後30年にして、45歳にまで延びた。 命を奪ったか、命を救ったか、歴史を識(し)れば判るしごく単純明快な事実ではないか。 日韓併合によって生じた単純明快なる景色を物差しにして、昨年に起きた韓国の旅客船「セウォル号」沈没事件にあててみる。 身分を偽って、まっ先に逃げた船長は、かつて海難事故では日本の自衛艦に救(たす)けられていた。救けなければ今回の事故もなかったかもしれぬ。救けた日本が悪かった。 船にしても日本が造った。安全など二の次に利益優先に改造しまくるお国の性癖を無視してお譲りしたことは思慮を欠く。日本が悪い。 船長が逃げた、乗組員も逃げたとお怒りのようだが、そもお国のトップ達は歴代に亘って逃げているではないか。 清国建国前の満州軍による朝鮮侵攻の際も李朝の仁(じん)祖(そ)は江華島へと逃げた。第二次日韓協約の際の高宗も逃げた。韓国初代大統領の李承晩も逃げた。遡って、秀吉の文禄、慶長の役に於いてもトップ達は逃げまくった。 お国では、ことあらばトップが逃げ出すという、雅(みやび)といおうか、奥ゆかしいというか、何んというか、〝逃げの美学〟のようなものが育(はぐく)まれてきた。 逃げと同様に、お国は近代的な「機械」というものを理解したくもなければ造りたくもないようで、その結果「パクる」という行為を日常化なされた。普通ではなかなか出来ないことで舌を巻く他はない。 2003年2月の大邱市の地下鉄放火事件でも、運転士は「席を離れるな」と言い残して自分は逃げて192人の死者を出した。 逃げるのは、お国の美学でもあろうから、何も言えないが、思えばこの地下鉄も日本の援助によって出来たが、力量と性癖とを考えずにかくも危険なモノを造って差し上げた日本が悪い。お札の顔としても世界に知られるようになった福沢諭吉が現在の日韓、日中関係を知ったら何と言うか… セウォル号には修学旅行中の生徒が多かった。これも小学校の数を増やしたりせず、そのままにしておけばと悔やまれる。 伊藤博文は全くに余計なことをした。 先見の明を持つ安重根がこれを殺したのは、げに当然のことといえるやもしれぬ。 農業を改良し、収入を増やし、寿命など延ばして、本当に悪かった。 お国がメチャクチャなことを言うようになったのも日本の所為であろうが、今、日韓併合を点検するに、感謝されこそすれ恨まれることなどひとつだに無きように思うが、逆恨みの逆さの根拠すらないというに、捏造、改竄(かいざん)、虚言によって、プライドとも云えぬ、奇妙な立場を主張する民族と国にした日本の責任は重かろう。 もう係りなく、福沢先生の背中を追って、ここに〝脱韓論〟を唱えるに至る。合掌 くろがね・ひろし 昭和20年高知県生まれ。39年武蔵野美術大学中退。43年『山賊の唄が聞こえる』で漫画家デビュー。平成9年『新選組』で第43回文藝春秋漫画賞、10年『坂本龍馬』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門の大賞、14年『赤兵衛』で第47回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。ギャンブル好きで競馬ファンとしても知られるが、政治や国際関係の見識は高く、民主党政権「失われた3年間」のデタラメ政治を痛烈に批判。中国や韓国の反日プロパガンダに対しても事実を挙げながら、漫画家らしい皮肉たっぷりの反論を展開している。著書に『千思万考』シリーズ、『GOLFという病に効く薬はない』(ともに幻冬舎)、『新・信長記』(PHP研究所)など。近著に『韓中衰栄と武士道』(KADOKAWA)。   関連記事■ 半島国家の悲しき世界観■ 多くの日本人が疑問に思うこと■ 韓国人を理解する単語「ヤンバン」「恨(ハン)」「ジョン」

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    「謝るほどに悪くなる日韓関係」ついに終止符を打つ時が来た

    うことは、韓国相手にはもはや「謝罪と反省」は何の意味も効果も持たないということだ。「謝るほど悪くなる日韓関係」に終止符を打つ時である。 その意味で「戦後70年安倍談話」は韓国にこだわる必要はない。そして70年前いや1945年以前にこだわることもない。むしろ1945年以降、これまでの70年間の歴史をしっかり振り返った方がいい。日本は過去の反省、教訓の上でいかに国際社会に貢献したかを語ることだ。 そして韓国、中国を含むアジアに対しては、過去の反省に立った日本の支援がアジア諸国の発展に寄与できたことをうれしく思うと、堂々と述べればいい。戦後70年とは別に「日韓50年談話」も必要なら出していい。その際も併合や日本統治時代の話などではなく、新しい日韓協力の50年間が韓国の現在のめざましい発展につながったことに感謝(!)し、共に喜びたいと語ればいいのだ。 “歴史戦争”は相手にこちらの主張をいくら認めろといっても耳は貸さない。狙いはむしろ外野というか国際社会だ。韓国、中国を含む戦後アジアの発展への日本の寄与これこそが“過去イメージ”を乗り越え、国際的共感を得るものであり、歴史戦争に勝てるキーワードなのだ。関連記事■ 李明博前大統領の回顧録 竹島上陸を自画自賛する記述が並ぶ■ 朴槿恵大統領の言論抑圧 ISや北朝鮮テロに免罪符与えかねず■ サムスン 栄華の象徴だった六本木自社ビルから飯田橋に移転■ 事故続発の韓国・第2ロッテワールド 扉はドイツ関連と説明■ 韓国人作家「蔑称『チョッパリ』はただの哀れな呻き」と指摘

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    大韓ナチズム

    私たちは優れた〝創造DNA〟を持った民族だ。韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にある・・・。

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    34カ所の削除に応じなければ出版差止め…慰安婦本が事実上の発禁処分

     世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授が一昨年8月に韓国で出版した『帝国の慰安婦』は、慰安婦問題について日韓双方の責任に触れた書である。ところが、今年2月17日にソウル東部地裁は「34か所の削除に応じない限り出版を差し止める」との決定を下し、事実上の発禁処分にあっている。同書は、朝日新聞出版から昨年11月に日本語版が出ている。 「(早稲田大学文学研究科で博士号を取得した)朴氏が日本語で書き直した。論旨は同じだが、表現を変えたり加筆したりした部分があり、構成も変えている」(朝日新聞出版担当者) 日本語版は国内の書店で手に入るが、それを見ても、どこが「34か所の削除命令」に該当するのかはわからない。昨年8月に出版された「帝国の慰安婦」 韓国の裁判資料をもとにどんな記述に削除命令が出たのかを紹介する。まず「慰安婦は強制連行されていない」という部分を削るように求めている。 〈慰安婦たちを誘拐し、強制連行したのは、少なくとも朝鮮では、そして公的には、日本軍ではなかった〉(『帝国の慰安婦』38ページ=韓国語版、以下同) 旧日本軍が強制連行を行なったことを示す史料は一つもない。つまりこの部分は単に史料の分析結果を述べただけだが、「名誉毀損の恐れがある」として削除対象になった。事実よりも「親日」の記述を糾弾することが優先された。 元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏はこういう。 「朴氏の著書では、朝鮮の女衒(人身売買の仲介業者)が女性を誘い出して慰安婦にしたという事実を紹介しているのですが、原告はとにかくすべて日本軍の責任で、そうでない記述は名誉毀損だと主張しています。日本を悪者にしないと自らの存在意義が失われてしまうからです」 戦時中に日本人と朝鮮人が「同胞」だったことを示唆する部分も削除対象とされた。 〈慰安婦の本質を見るためには、朝鮮人慰安婦の苦痛が日本人娼婦の苦痛と基本的に変わらないということをまずは知っておく必要がある〉(33ページ、傍線部が削除命令の出た部分) 朴教授の記述はもっともで、仮に慰安婦問題を「女性の尊厳」の問題だと捉えるのであれば、国籍による違いはないはずだ。ところが、「日本は悪者で、韓国は被害者」という構図にしがみつくから、「(数としては朝鮮人慰安婦の何倍もいた)日本人の慰安婦は辛くなかった」という倒錯した理屈にたどり着く。 他にも「慰安婦たちには日本帝国の一員としての役割が求められ、それゆえに(兵士との間に)愛が芽生えることもあった」といった部分に削除命令が出た。しかし現実に慰安婦と日本兵が結婚する事例はいくつもあったのだ。 原告側の反日団体が削除を求め、裁判所が認めた部分を見ていくと、戦時中に日韓が協力し合っていたことを絶対に認めたくないとわかる。 それがすべての韓国人の意思に基づくものだったとはいえないが、1910年の日韓併合によって日本と韓国は戦時下で一つの国家だった。当然、韓国は日本と戦争していたわけではないし、戦勝国でもない。だが、反日を貫くためにはそれを認めるわけにはいかないのだ。教授は、慰安婦問題を巡る日韓の和解を模索し、こう書いている。 〈慰安婦問題を否定している人々は「慰安」を「売春」としてだけ考え、我々(注・韓国人)は「強姦」としてのみ理解したが、「慰安」とは基本的にその二つの要素をすべて含んだものだった〉(120ページ) 「慰安婦は存在しなかった」という日本にある極論も、韓国の根拠のない主張も等しく批判する良識ある見解と感じられるが、その部分にも削除が命じられる以上、韓国側には和解の意思などないと思わざるを得ない。関連記事■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 韓国で「慰安婦は売春婦と認めよ」と主張の署名サイトが出現■ 韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う■ 韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ■ 韓国紙 慰安婦のために闘った朝日新聞を助けようと呼びかけ

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    「大韓ナチズム」に堕ちた韓国

    サクサの最中だ。 どちらも、たいして読まれたとは思えない。しかし、最近の韓国の諸メディアに載る古代の日韓関係をテーマとする論文やエッセーを見ても、どの内容も「申采浩プラス崔南善」の大枠を超えていない。当時はたいして読まれなかったとしても、この二人が〈大韓ナチズム〉の古代史部門のイデオローグなのだ。国民を騙している 韓国では今や、特別な教育を受けた人を除いては漢字を読めない。それを前提にして、国民を騙すような歴史専門家の論文やエッセーもある。 国家機関である国史編纂委員会の編史室長まで務めた朴ソンス名誉教授のエッセー「百済が日本に国を建てた」(民族派サイト「コリアン・スピリッツ」二〇一四年十月二十六日)には、本当に驚かされた。「日本古代史は中国の史書『魏志』倭人伝に至って初めて出てくる」とエッセーは始まる(原文はハングル)のだが、ここからして「!?」だ。『魏志』より遥かに古い『漢書』地理誌に「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国と為し、歳時をもつて来たりて献見したと云う」の一文があることを、この名誉教授は本当に知らないのだろうか。 名誉教授のエッセーは、こう続く。 「それ(魏志倭人伝)を読めば……韓半島の南側に韓国があり、また海を渡った日本の土地には、もう一つの韓国である狗邪韓国があるということだ。 すなわち、日本には倭人が暮らしているが、彼らを支配するのは狗邪韓国という国だというのだ。つまり、日本には百済の分国すなわち植民地があったことを証言している」 崔南善は、倭には新羅の植民地があったとしているが、その根拠文献は何ら示していない。今度は、新羅ではなく「百済の植民地」だという。その根拠が『魏志』倭人伝だというのだ。『魏志』倭人伝をどう読むと、そんな解釈が出てくるのか。 これは、もう「解釈の違い」といった問題ではない。韓国の国民一般が漢字を読めないことを前提に、国民を騙しているとしか思えない。『魏志』倭人伝の一つ前は韓伝だ。韓伝には、百済は馬韓五十余カ国の中の一国として名前だけでてくる。新羅は辰韓・弁韓二十四カ国の中の一国として、やはり名前だけ出てくる。そんな存在だ。 一方、倭は邪馬壹国が二十数カ国を束ねる連合王国として描かれている。 半島と列島と、政治文化はどちらが進んでいたか、明らかではないか。馬韓五十四カ国の中の一国にすぎなかった百済が、倭に分国を置き、倭国を支配していた──妄想、ここに極まるだ。 『魏志』韓伝は、半島南部を倭地としている。倭人伝に入ると、狗邪韓国を倭の北岸の地としている。全く矛盾がない。 そして対馬も壱岐も、倭人伝の中で描かれている。 それなのに韓国の民族派は、「対馬はわが領土だ」として「対馬奪還運動」を進めている。昌原市や、釜山市の一部の区では、首長が奪還運動の先頭に立っている。そんな市や区と、姉妹都市関係を結んでいる自治体が日本にあるのだから呆れる。 対馬奪還運動は「昔から対馬は新羅に属していた」と主張している。彼らは『魏志』倭人伝には触れずに、『李王朝実録』を持ち出してくる。 『李王朝実録』には、王が「古籍に対馬は慶尚道に属したとある」と述べたことが記載されている。しかし、その古籍の題名すら書いていない。 李王朝は一四一九年に対馬を急襲するが、宗氏の将兵に撃退され逃げ帰る。その後、対馬から来た使節に「対馬は辺境といえども日本である。日本を相手に戦争する気か」と詰め寄られる。以後、『李王朝実録』では「日本国対馬島」の表記が常態となる。 が、運動を進める民族派は、『李王朝実録』には「王が対馬は慶尚道に属したと言った」とあるだけでいいのだ。きっと、『魏志』倭人伝なんて、名前も知るまい。朴槿惠のネオナチ発言 朴槿惠大統領は述べている。 「私は韓国経済が進む新しい発展パラダイムとして創造経済を提示している。……私たちは優れた・創造DNA・を持った民族だ。……私はその創意の力と情熱を生かして第2の漢江の奇跡を必ず実現する」(「発明の日」記念式典二〇一三年五月十六日) 「韓国民のDNAの中には芸術的感性が豊富にあり、(われわれは)血液中に流れる・気・がある国民だ」(文化人との会話二〇一五年二月二十五日) DNAを「ある民族が持つ不変の遺伝子」といった意味で使っているようだ。朴槿惠大統領は西江大学理工学部を卒業したのに、理系出身者らしからぬ誤用だ。きっと、その背後には「韓国人は世界でも稀な単一民族」とする誤った内容の刷り込み教育も蓄積されているのだろう。 そうした批判はさておき、上に紹介した発言そのものが問題だ。これぞナチスの「アーリア民族の優位性」主張と同質の優生学的選民思想そのものだ。 捏造と歪曲を重ねた超ファンタジック史観をもって、自国民に優生学的選民思想を植え付けると同時に、「劣った隣国」への敵愾心を煽り立てることで、国内の深刻な問題(例えば青年層の高失業率)に国民の目が集中することを回避し、国政を強引に推進していく──まさに〈大韓ナチズム〉だ。 その政権が海外で「日帝=ナチズム=安倍政権」とするキャンペーンを展開しているのは、基本的にジャパン・ディスカウント戦略による。「ネタは何でもいいから国際社会で日本を貶める」という運動だ。同時に、自らへの「ナチス批判」を回避するための・目晦まし工作・と言える。 日本語でいう「修正」とは「正しく直すこと」だから、良いイメージがある。それで「歴史修正主義」という用語も、さして重く受け止められない。しかし、この用語は「ヒストリカル・リビジョニズム」の英訳であり、その英語は「ネオナチス」の言動を意味する。 韓国政府当局者は、一年ほど前から頻繁に「歴史修正主義の安倍政権」といった表現を使うようになった。これは「ネオナチスの安倍政権」と同義だ。そうと知ってか知らずか、日本にも簡単に「歴史修正主義」と言うジャーナリストが出てきた。韓国の狡猾な情報工作に呑み込まれているのだ。 〈大韓ナチズム〉の謀略に呑み込まれてはならない。そのためには、列島と半島の関係史を古代のページからしっかりと押さえておきたい。室谷克実(むろたに・かつみ) 一九四九年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』(産経新聞出版)などがある。関連記事■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ ナッツリターン問題に潜む韓国文化の深い闇

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    朱子学の影を引きずる朴大統領の反日

    古田博司(筑波大大学院教授) わが日本国では、正当性と正統性を区別するのが難しい。「これが正しい!」と、正当であることを信じるのが正当性だ。だから異端からも正当な権力は生まれる。16世紀ごろまで、カルヴァン派はキリスト旧教にとって異端だったが、ここから当時のジュネーブの新教政権が出てくる。ゆえに、今の中国の「防空識別圏」も注意しなければならない。国際的異端者による正当性の主張だからだ。 「3・1独立運動」を記念する式典で演説する韓国の朴槿恵大統領=2015年3月1日、ソウル(共同)異端ではないとの証求めて 正統性はそうではない。「どちらが正しいか。こちらだ!」という選択を経て、選ばれたものが正統で除かれたものが異端である。韓国の朴槿恵政権の苦悩はここにある。韓国は対日独立戦争をしていない。日本統治時代は自然に始まり自然に終わった。北朝鮮の金日成氏は負け戦だったが、日本軍警と東満州で一応戦っている。 国家の正統性は北朝鮮にある、と韓国の左翼政党や左翼教員組合は攻撃する。朴氏は自らの正当性を確保すべく、彼らを非合法として裁判に訴えた。同時に自分が異端でないことの証として反日を連呼する。慰安婦の像や碑を米国に建て続ける韓国系移民も同様だ。自分たちは国を捨てた異端ではないと故国に弁明しているのだ。 こういうのは日本人にとっては迷惑千万である。日本では正統とか異端とか区別しない。神道と仏教はみごとに習合し、今ではキリスト教式で結婚式をしたりする。江戸の儒者たちも寛容だった。 朱子学は南宋の朱子が作った儒教で、本来は排他性が強い。北方民族が攻めてきているし、朱子の住む中国南方では民衆は道教を拝み、仏教で葬式していた。それらはみな異端、儒教こそ正道だ、というのが朱子学の主張である。 朱子学が江戸時代に普及し、儒者の伊藤仁斎などはこれを消化しようと29歳で引きこもりになり、8年たって世に出て塾を開いた。出てきてもやはり日本人だった。弟子が「先生、人の道とは?」と問うと、「情けじゃ」と答えた。「天理とは?」と尋ねると、「おてんとうさまじゃ」と語った。正統コンプレックスの極み 儒教立国した李氏朝鮮は苛酷である。元々排他性の強い朱子学を厳格に実践、仏教を弾圧し仏像の首をはね寺を壊し茶園を枯らし、僧侶を山に追いやった。法事など禁止だ。儒教の祭祀(さいし)をさせ、3年の喪に服さない民を捕らえ棍棒(こんぼう)で打ちすえた。異端になれば酷(ひど)い目にあうと彼らは骨身にしみた。 だから韓国人は自らの歴史から学び続ける。「剣道も茶道もうちが正統で日本が亜流。孔子さまも韓国人、中国人ではない」。周りの国々が唖然(あぜん)とするウリナラ起源説をとうとうと述べる。これぞ正統性コンプレックスの極みだ。 中国はそもそも朱子学が合わなかったので、陽明学の方が広まった。王陽明先生に弟子が意見を聞く。「先生、私はぜひとも古代の音楽を復元したいと思います」。先生はおっしゃる。「うん、しなくていいよ。それは全部、君の心の中にあるのだ」。これが陽明学の「心即理」である。思っているものは実在する。防空識別圏も、中国人が思ったわけだから、実在することになりかねないのだ。 自己中心の彼らに怒りを浴びせたのが、後に清朝を建てた満州族のヌルハチだった。満州語では中国をニカン国、朝鮮をソルホ国と呼ぶ。ニカン国は「天下の主だ」と思い、ニカン人は毎年越境して略奪する。ソルホ国はわが国の国書の受け取りを拒否し侮蔑する。満州族のハーンは二代にわたり遠征して、両国を攻め滅ぼした。竜の衣はシナの皇帝にしか着られない。清朝ではこれをすべての役人に着せ、ニカン人を侮辱した。朝鮮の伝統「告げ口外交」 李氏朝鮮は、明国は滅んで野蛮人の清朝になってしまったのだから、明の正統性を継ぐのはわれわれだと解釈した。そこで「大明国の東の壁」と自称し、清朝から流れ込む文化を悉(ことごと)くはねつけた。 李氏朝鮮の国内では、両班たちが朱子学の正統性を争っていた。朱子学の解釈権を握り、科挙の試験官を自派で占める。合格者は官僚になって、学閥は権力を手に入れる。儒者の塾は棍棒で武装し、敵方の打ち壊しまでした。朝鮮史では、これを「党争」という。 三年喪や祖先祭祀など、朱子学の礼の実践ばかりした李氏朝鮮では、経世済民を考える暇がない。流浪の民が居ついた地方の知事が良い知事である。土地には所有権がなく、村には村界がなかった。町には民のための商店もない。 そこに、今度は近代化した日本がやって来た。南下するロシアに対する安全保障として朝鮮を統治し、開発する必要があった。手の施しようもない李朝の王は臣下たちに丸投げし、諸外国に日本のことを「告げ口」して回った。朴槿恵氏の「告げ口外交」のように、上位者に悪口を言いまくることを韓国語でイガンヂル(離間事)といい、離間が目的である。韓国人同士が毎日国内でやっている。 中国人も韓国人も世界史から学ばず、確かに自国史から学んでいる。彼らには「卑劣」ということが分からないのはそのためだ。関連記事■ 最新の脳科学[ダマシオ理論]で説く韓国・朝日の病理■ 豪州の慰安婦像はこうやって阻止した■ 秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」

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    朴大統領批判の大量ビラ&抗議デモ…青瓦台を取り巻く混沌

     韓国に不穏なムードが広がっている。韓国各地で朴槿恵(パク・クネ)大統領を非難するビラがまかれ、海外の韓国系住民による抗議デモが頻発するなど、国内外で政権批判の動きが加速しているのだ。朴政権は、こうした反対勢力に対して、警察による強引な捜査などで対抗。かつての軍事独裁政権を思わせる荒っぽい手法で批判を封じ込めようとしている。青瓦台(韓国大統領府)を取り巻く混沌をノンフィクションライターの高月靖氏がリポートする。 中国や日本などからの観光客でにぎわうソウル中心部の繁華街、明洞(ミョンドン)。先月下旬、この街で奇妙な光景が繰り広げられた。朴氏を批判する大量のビラが、ビル屋上からばらまかれたのだ。 「サイズはA5判ほどで、朴氏を批判する『国民生活破綻』『民主主義破壊』『朴槿恵政権糾弾・汎国民大会』などのメッセージが白黒で印刷されていました。約4000枚が一斉にばらまかれ、一時ビラが空を埋めるような形になったほどです」(現地日本人フリー記者) 朴政権を批判するビラがゲリラ的にばらまかれるのは、この日が初めてではない。昨年12月にソウルと地方都市で行われた後、今年1月から3月にかけて韓国各地へ波及。朴氏のイラストを添えて、朴氏からの「つまり辞任しろと言うんですか?」との問いに、民主主義を願う市民が「そうだ」と答えるものなど、ソウルでは今月1日まで連日のようにあちこちで大量にまかれ続けた。 「ちょうど同じ時期に米国ニューヨークやワシントンDCでも現地の韓国系住民による反・朴政権デモが同時多発的に行われていました。デモはオーストラリアにも飛び火しています。セウォル号事故などの際も同様のデモはありましたが、今また就任2周年の節目で朴政権批判が過熱しているようです」(同)自民党の二階俊博総務会長(左)との会談に臨む韓国の朴槿恵大統領=2015年2月13日、ソウルの青瓦台(共同) 韓国の内外で盛り上がる反・朴政権の動き。だが、1月に30%を割り込んだ支持率は、ここに来て急上昇している。3月上旬の支持率は40%台後半に持ち直した。 「米大使襲撃事件に驚いた保守層が、慌てて政権支持に逆戻りしたせいです。朴政権が事件の背後にいると指摘する左派勢力を一掃すべく、保守層が力を合わせようとしているのでしょう」(同) ビラの作成者らも、朴氏に批判的な左派勢力として政権から目の敵にされている。警察は今月12日までに、地方都市でビラ散布に関わった3人の関係先を家宅捜索した。だが、微罪や別件逮捕の摘発、家族にまで圧力を加える捜査手法が、現地メディアで非難を集めた。 「ビラ散布はゴミを無断投棄した程度の軽犯罪に過ぎません。しかし警察は朴大統領に対する名誉毀損(きそん)、さらに所有するバイクの改造などまで口実にして、強制捜査を行っています。3人のうちの1人が出頭を拒否したところ、警察は令状なしに妻の勤務先にまで踏み込みました」(同) ビラに対して与党は非常に敏感だ。2月に釜山で朴氏を風刺する紙がまかれた際、与党・セヌリ党釜山支部のスポークスマンは「徹底した調査で犯人を探し出し、国家元首に対する冒涜(ぼうとく)と名誉毀損(きそん)に対する厳重な法的責任を問わなくてはならない」と息巻いた。 韓国では過去、国家元首=大統領への冒涜(ぼうとく)を裁く法律が、民主化とともに廃止された経緯がある。そのため、スポークスマンの軍事独裁時代に逆行するような発言には批判が渦巻くが、「警察の横暴な姿勢は変わらない」(現地関係者)という。 インターネット全盛の時代にビラをまくのは古典的な手法だが、実は、これにはわけがあるという。 「ネットではすぐに発信元を特定され、名誉毀損(きそん)で告訴されるからだといわれています。ソウルで連日ビラを散布したグループは防犯カメラもうまくかわしており、まだ身元は特定されていません」(前出のフリー記者) 内外で盛り上がる大統領批判の機運と、大使襲撃事件をも利用して左派勢力への圧力を強める政権。韓国社会を二分する対立は、政権崩壊につながりかねない危険な雰囲気を漂わせている。関連記事■ 加藤達也が指弾 韓国社会の「言論の自由」こそ問われている■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    韓国の言論弾圧には屈しない

    国際社会に波紋を広げた。理不尽な言論弾圧に屈しない姿勢が、朴政権の「譲歩」を引き出したともいえるが、日韓関係のしこりは今も残ったままだ。

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    韓国には「譲歩しない」大切さを教えてくれた

    8か月間で失った国際的信用 “筋違い”の上に“理不尽”と“不条理”が重なった目茶苦茶な「8か月」だった。産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長の出国停止の措置が解かれ、4月14日夜、ついに加藤氏はソウルから日本に帰国を果たした。 出国禁止措置が繰り返されること実に8回。昨年の11月27日の初公判では、ソウル地裁前に100人ほどの保守系の抗議団体が集まり、加藤氏を乗せた車に生卵が投げつけられるなどの狼藉が加えられた。それは、加藤氏の身の安全が極めて憂慮される「8か月」でもあった。 周知のように、3月4日には、ソウル市内の講演会会場で、リッパート駐韓アメリカ大使が暴漢に切りつけられ、80針もの頬の縫合手術を受けた。 もともと伊藤博文を暗殺したテロリスト「安重根」を国家の英雄に祭り上げている国だけに、ひとたび“渦中の人物”となれば、身の安全をはかるには、細心の注意が必要なのである。それだけに、9か月ぶりに無事帰国した加藤氏の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろしたのは、家族ばかりではなかっただろう。 私は、この8か月間で、韓国はどれほどの国際的信用を失っただろうか、と思う。結局、この問題によって、国際社会で、「ああ、韓国のことだから」「あそこは危ない」「言論の自由をあの国が獲得するのはいつだろう」……そんなことが再認識されることになった。産経新聞・加藤達也前ソウル支局長の公判が開かれているソウル中央地裁(鴨川一也撮影) つまり、韓国は「法治国家」ではなく、「人治国家」であることが、まさに証明されたのである。今回の事件でわかったことは、大きく分けて2点ある。1つは、韓国が「言論の自由」や「表現の自由」といった民主主義国家が共有している「価値観」を持たない国であることが、あらためて明らかになったことだ。 2つめには、韓国に対しては、一寸たりとも「譲歩をしないこと」の大切さを教えてくれた、という点だ。何ひとつ譲歩せず、加藤氏は堂々と自説を唱えつづけた。だからこそ、「出国禁止」を解くという“譲歩”を韓国がおこなったのである。唖然とすることの連続 今回のことは、ジャーナリズムにとって、そして通常の民主主義国家にとって、唖然とすることの連続だった。そもそも特派員というのは、その対象の国の政治・経済・社会状況や世論の動向、あるいは、その国がこれからどこへ進むのかも含め、さまざまな出来事や現象を記事にして、自国の読者に伝えていくのが役目である。 今回の場合、あのセウォル号事故があった当日の朴槿恵大統領の「謎の7時間」について、韓国の有力紙『朝鮮日報』が書いた記事を、加藤前支局長がインターネットのコラムで論評し、伝えたものである。 加藤氏は、噂の「真偽はわからない」ことをきちんと明記した上で、そんな噂が出てくる「背景」をわかりやすくコラムで説明した。それは、あの事故のあと、朴大統領がどういう状況や立場に置かれているかが、よく理解できるものだった。 しかし、韓国の検察は、もとの『朝鮮日報』のコラムも、またその執筆者も、不問に伏したまま加藤前支局長のコラムだけを、インターネットによる「情報通信網法」に基づく名誉毀損として取り上げたのである。 そして、そんな情報通信網法違反という“微罪”で「在宅起訴」し、しかも8か月という長期にわたって「出国禁止」にするという、民主国家では考えられない異常な措置をとったのだ。 これは、立場を「逆」にして考えたらわかりやすい。日本の大手新聞が「安倍首相の謎の7時間」をめぐる噂をコラムとして書いたとしよう。そして、韓国の東京特派員が、そこに書かれている噂と安倍首相が置かれている政治的状況について、「噂の真偽はわからないが」と断った上で、そういう噂が飛び交う背景を踏まえてインターネットで記事(コラム)を書いたとする。 もし、日本の検察が、その韓国人特派員を、もとの日本の大手新聞のコラムと執筆者を全く不問に伏したまま「在宅起訴」し、8か月も「出国禁止」の措置をとったとしたら、いったい韓国の世論は、どんな沸騰を見せるだろうか。そして、日本政府は、どんな糾弾を受けるだろうか。 韓国は、情報通信網法違反という微罪で、まさにそれを「おこなった」のである。加藤氏が受けた理不尽で、不条理で、筋違いな措置とは、それだ。すなわち韓国には、民主主義の根幹である言論や表現の自由というものに対する「敬意」も、さらに言えば、「問題意識」も、まるでなかったのである。「道理」が存在しない韓国「道理」が存在しない韓国 この異常な事件は、ついに国際的な人道問題となり、韓国に拠点を置く外国メディアで構成する「ソウル外信記者クラブ」が、朴大統領宛ての書簡を大統領府(青瓦台)に送り、加藤前支局長の出国禁止措置が長期化している状況に「憂慮を表明」するに至った。 もはや誰の目にも、韓国がとり続けている措置の異常性が明らかになった今、ついに「出国停止措置」は解除せざるを得なくなったのだ。私は、この意味は大きいと思う。それは、加藤前支局長が一寸たりとも譲らず、堂々と自分の立場を主張しつづけたことが生んだものだからだ。 裁判の過程では、噂が「虚偽であった」ことが認定された。しかし、もとより加藤前支局長のコラムの主題は、真偽不明の「噂」が乱れ飛ぶ朴大統領が置かれている「状況」を伝えるものだ。噂の真偽は不明であることをわざわざ断わった上で、書いたコラムなのである。 さらに言えば、ならば『朝鮮日報』のコラムと執筆者は、なぜ不問に伏されるのか、ということが改めてクローズアップされたと言うべきだろう。 韓国には、「道理」というものが存在しないとしか思えない。道理を弁(わきま)えてさえいたら、言論の自由を踏みにじり、外国のジャーナリストを“見せしめ”のように痛めつけるやり方が「選択」されるはずはないからだ。 私は、韓国のこの道理のなさについて、2005年に成立した「反日法(親日反民族行為者財産帰属特別法)」のことを思い出した。日本統治時代に日本に協力した人物が蓄えた財産は、たとえ「代」を越えた子孫であっても「没収」されるということを定めた法律だ。 日韓基本条約で請求権はお互いの国が放棄している。それでも韓国国民は、この「反日法」によって、戦前に日本の協力者であったことと、財産の構築が証明されれば、その子孫の財産は「没収」されることになったのである。「理不尽」「不条理」を通り越して、まさに目茶苦茶である。 加藤前支局長の出国禁止が解かれた理由に、同盟国のアメリカの中で広がった韓国への「不信」も無縁ではない。中国への接近を強める韓国の姿勢に対しても、また民主主義国家とは思えない感情的で、法を無視したやり方にも、「いい加減にしろ」という意見は、アメリカで想像以上に大きくなっている。 そのことに、さすがに青瓦台も気がついたのではないか。アメリカにおける韓国に対する失望と困惑の拡大が、今回の加藤前支局長の出国禁止措置の停止に大きく影響していると思われる。 いずれにせよ、韓国は国際的な信用という点において、はかり知れないダメージを受けた。最後まで毅然とした姿勢を崩すことがなかった加藤前支局長に敬意を表するとともに、今後も歯に衣着せぬ、ますます厳しい青瓦台への論評を期待したい。関連記事■ 2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    佐藤優が分析 大統領制での忖度政治は韓国の構造的な問題だ

    題としてみるべきだ。今後はこの構造について明らかにすることが重要となる。 今後の裁判の結果次第では、日韓関係がさらに悪くなる可能性があり、日韓関係が正常化するか、悪化するかは韓国政府にかかっていることを認識させていく必要があるだろう。(談)関連記事■ 韓国で結びつくナショナリズムとテロリズム■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    韓国人作家「産経前ソウル支局長起訴で韓国は世界から嘲笑」

     産経新聞前ソウル支局長の朴槿恵大統領に対する名誉毀損裁判について、韓国国内ではたとえ「おかしい」と思っても声が上げられない状況にあるという。そんななか、戦前の日本に生まれた韓国人作家・柳舜夏氏が、日韓を比較した新著『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』(小学館刊)で、ついにそのタブーを破った。* * * 私が堅く願うのは、わたしが生まれた国・日本と、私が住む国・韓国の共生です。ふたつの国は手を結ばなければなりません。 ところが、私の祈願に冷や水をかけるような不幸な出来事が起きました。産経新聞前ソウル支局長・加藤達也氏の起訴、出国禁止措置です。問題となった産経新聞の韓国大統領関連記事は、正論直筆というメディアの正道を明らかに逸脱していたと、私は考えています。しかし、それが法的な断罪の対象になってはなりません。韓国政府は自ら手に負えないことをしでかしました。自縄自縛、まさにそのような状況に陥ったのです。それが、彼らの度量や器の限界です。セウォル号沈没事故から1年を前に、現場海域を訪れ沈没地点を示すブイ(手前)を見つめる遺族=4月15日、韓国・珍島沖(共同) 300を超える命を、政府立会いのもと水葬させたセウォル号事件が内憂であれば、韓国検察が産経新聞の加藤達也記者を起訴した今回の事件は、韓国を世界の嘲笑の対象にした外患です。 すべての韓国人の名誉が傷つきました。何をどうすれば、一国の治者があのような行為を起こすことができましょうか? ましてや、韓国の法律事務所が、この事件に対する弁護を拒否するとはどういうことでしょうか? おそらく、“親日派”という指弾を恐れたのでしょう。本当に恥ずべきことです。 合理的でないものが、思考と行動の根拠になってはなりません。非合理的で無条件的な反日感情にとらわれている限り、韓国人は直視すべき真実を見ることはできないし、おなじ失敗を繰り返すことになるでしょう。その先に待っているのは、日本の永遠の“鵜”になることです。これは予測ではありません。まず間違いない、韓国の決まった未来です。※柳舜夏氏・著/『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』より関連記事■ 韓国では「サザエさん韓国人説」が流布し真に受けている人も■ 世界36か国の「不倫経験調査」 1位タイ54%、2位韓国34%■ KARA、少女時代、キム・ヨナを通じて日韓の違いを理解する■ 「活版印刷」と「羅針盤」 韓国が起源は韓国人の間では常識■ フィリピン人ホステス「スマートに飲む韓国人見たことない」

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    崩壊した対岸の国の「法治主義」

    古田博司(筑波大学大学院教授) 歴史の中に未来はない。あれば将来の得を取ろうと皆が歴史学者になってしまう。そういうことはあり得ないので、歴史の中に未来はないのである。他方、未来に対する先見性はいらないという社会科学者がいる。だが、先見性がなければ政策提言はできない。だから先見性は必要なものだ。『大明律』にみる法の粗放性 歴史を学ぶと情感は豊かになるかもしれない。だが現在ではそんなに悠長なことは言っていられない。先見性は跳ばなければ分からないが、この撥(は)ね板の位置と方向性を教えてくれるのが歴史である。とすれば役に立つ歴史とは、現在から遡(さかのぼ)って自分で調べてみるほかないというのが実感である。 中国や韓国の法治がどうもおかしいと、最近気がついた。あまりに恣意(しい)的で放埓(ほうらつ)である。粗放というべきかもしれない。そこで明国14~17世紀の『大明律』をひもといてみる。名前の偉そうさに騙(だま)されてはいけない。大明律刑律闘殴条に、「人の一歯および手足一指を折り、人の一目をつぶし、人の耳鼻をえぐり、人骨を破り、銅鉄汁(銅鉄の溶けた液体のこと)で人を傷つけるがごとき者は杖(つえ)(棍棒(こんぼう)のこと)で一百。汚物をもって人の口鼻内にそそぐ者、またかくのごとし」とある。私闘したものは百叩(たた)きということだが、最後のところがヘンだ。人の顔にヘドでも吐きかけるのだろうか。 他方、李氏朝鮮の法典の刑律の項には「大明律を用いる」と書かれている。こういうのを中国の権威にそのまますがる事大主義という。だが、異国の刑政をそのまま持ちこめるのだろうかと疑問がわく。そこで李朝18世紀の『続大典(しょくたいてん)』に上の該当項目があるかと探すと、あった。「墓穴を穿(うが)ち放火し、あるいは汚物を投げこんで戯れをなした者は『汚物、人の口と鼻にそそぐ律』により(罪を)論ず」とある。人の墓穴にゴミを投げこんだ者は、大明律の人の顔にげろを吐いた者を罰する法律で百叩きにするというのである。大変だなと思うことはない。実は賄賂でいかようにも手加減された。近代化に失敗した歴史 それよりも、この両者の訳の分からない法律の歴史を問わなければならないだろう。李朝のほうは18世紀ともなると一族同士の墓所争いがひどくなる。朝鮮の墓所は山だから即山争いである。敵一族の墓に汚物を投げこめば百叩き、棺を燃やせば斬首だった。それにしてもシナ人の顔面を朝鮮人の墓面に置きかえるとは何なのか。 実に、彼らの歴史とはこのような古代の粗放性に彩られている。日本のような中世や近世はないのだ。日清戦争とその結果の下関条約で直接近代に押し流された。以来120年間。中国は近代化をする気がなく、韓国は近代化の根本である法治主義に失敗したことがますます明らかになりつつある。 近代にいたるまで中国の文明は現代芸術・技術であった。ところが以後は骨董(こっとう)の芸術品と化した。かつて朝貢とは中国にしかできない精巧な針とか、彩色衣料とかを周りの「蛮族」がもらいに行ったものである。人数分くれるので300とか500人とかで行く。これが財政を圧迫すると止める。するとすぐに略奪しに来る。 李朝にはそんな勇気はない。軍事力が違いすぎる。むしろ馬とか女とか援軍とかをシナに要求された。馬はしぶって分割払いして数を減らして誤魔化(ごまか)す。女は明時代には働き者の下女が人気だった。清時代になると女色を要求されたので、妓生(キーセン)を送って誤魔化した。伝統として続く「濫赦の弊」 この誤魔化し・逃げ口上を漢文で「トウ塞」という。朝鮮の外交史はトウ塞の歴史だ。援軍を要求されると、倭寇が攻めてきて忙しいからいけないと誤魔化した。こういうのをシナと朝鮮の宗藩関係とかいうのである。手なずけとばかし合いの関係だ。 このような朝貢外交しか知らない中国が、西洋勢力の進出で半植民地状態に陥り、ついで軍閥割拠する戦乱の地となり、日本が進出してくると国共内戦がらみで三つ巴(どもえ)となり、共産軍が勝って社会主義国となり、西洋外交を知らない年月が延々と積み重ねられて100年を超えた。近代になって「蛮族」にあげられる物のなくなった中国は今、アジアインフラ投資銀行(AIIB)とか、中韓の自由貿易協定(FTA)などの朝貢外交に余念がない。だが、後者ではすでに中身が空っぽである。農産物や自動車などの主力商品が関税撤廃の対象外になっている。 現代の韓国では法治主義が崩壊し、李朝並みの濫囚・濫刑・濫赦(みだりな逮捕や刑罰・恩赦乱発)に戻りつつある。産経新聞社の加藤達也前ソウル支局長起訴やセウォル号船長の死刑求刑などがそれである。「濫赦の弊」は伝統としてずっと続いてきた。蓄財で逮捕された元大統領や左翼運動で死刑判決を受けた元学生などが平然と出獄し、豊かな老後を送ったり、死刑宣告を勲章に左翼議員として返り咲いたりするのはこのためである。蓋(けだ)し、われわれの海の対岸にいるのはこのような人々であり、別に驚くにはあたらない。【注】トウ塞の「トウ」は手へんに唐 ふるた・ひろし 昭和28(1953)年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。下関市立大学助教授などを経て、現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。韓国滞在が長く、朝鮮半島の研究者として著名。文明論や思想についても論考を多数発表しており、『月刊正論』で「近代以後」を連載中。著書に『日本文明圏の覚醒』(筑摩書房)、『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国』(ワック)、『ヨーロッパ思想を読み解く』(ちくま新書)など。関連記事■ 産経攻撃は卑劣な最終独立兵器の作動だ■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    韓国社会の「言論の自由」こそ問われている

    加藤達也(産経新聞 前ソウル支局長) 12月号に私の手記が掲載されたのち、読者の皆さんから少なからず反響があったと聞きました。私は相変わらず韓国政府に出国を禁じられており、日本に戻ることが許されない日々を送っています。掲載された正論の手記に対する反響をここ韓国で直接耳にする機会はあまりないのですが、東京の本社には電話やメールなどで激励が数多く寄せられていると聞きました。本当に有り難いです。 まだ、経緯をご存じない方のために今一度、私の身に降りかかった出来事を振り返っておきます。昨年4月にセウォル号事故が起こったさい、私は産経新聞社のインターネットサイトにコラムを出稿しました。 それは、事故直後、朴槿惠大統領が何をしていたのかについて焦点を充てたコラムで、韓国紙「朝鮮日報」のコラムなどを引用しながら、ソウルで飛び交っている観測や分析などをレポートしたものでした。 このなかには朴大統領よりも3歳年下で、彼女が国会議員だった当時に秘書室長として尽くしていた男性、鄭允会氏との密会疑惑も含まれています。鄭氏をめぐっては、今も大統領に対する隠然とした影響力があるのではないか――などとも言われ、「青瓦台の陰の実力者」などとも評されている人物です。 ところがこれが青瓦台の逆鱗に触れたらしい。詳しくは12月号を読んでほしいと思いますが、大統領が誰に会って何をしていたのかといったことをメディアが問題提起する。これは民主主義国では当たり前の光景です。 それに私が引用した・本家・朝鮮日報には全くお咎めがありませんでした。引用した産経の記事だけが問題にされ、刑事責任を問われ、引用元を不問に付すのは公正さに欠けています。 私の起訴事実はインターネット上で虚偽事実を流して第三者の名誉を毀損したという罪ですが、そもそも大統領に不都合だからといって記事を執筆した記者の刑事責任が問われてしまうことなど真っ当に民主主義を掲げ言論の自由を保障する国ではあり得ない話です。政権としての度量や器量が問われる重大な問題です。公判を揺るがしかねないニュースソウル中央検察に出頭した朴槿恵大統領の元側近の鄭ユンフェ氏=2014年12月10日、ソウル(共同) 私は11月27日に裁判に臨みました。前回の手記は起訴された直後に書いたもので、私はそれ以降、公判に向けた準備を進めてきました。特に検察による開示資料には時間を掛けて丁寧に目を通しました。 ところで私がコラムで朴大統領と密会していたのではないかと疑惑を報じた人物、鄭氏をめぐって事実上の初公判の直前に新たなニュースが報じられました。韓国紙、世界日報によると鄭氏は一昨年末から青瓦台内の大統領側近らと頻繁に会って、政権内の実力者とされる大統領秘書室長の辞任説を広めるよう指示するなど、政権内部の人事に介入していたという話でした。 鄭氏らは一昨年10月から毎月2回の割合で会合を重ねていたとも報じられています。世界日報のニュースソースは青瓦台で行われた内部調査をとりまとめた報告書でした。世界日報は独自にこれを入手、報告書の記述に依拠して報道したのでした。 鄭氏はこれまで、朴大統領と全く関係がない、と強調してきました。陰の実力者などと言われているけれどもそんなことはない、青瓦台とも全く無関係である、と主張してきた。 一方の青瓦台もそうです。鄭氏と会ったことはもちろん、電話したことすらない、としてきた。彼を一貫して遠ざけ、その関係を全面否定してきたのです。検察が私のコラムがデタラメだという結論を導くうえでも有力な支えとなっていたのです。 ところが、その彼が青瓦台と密接な関係にあったと報じられた。報道の波紋は大きかった。まず大統領を除く青瓦台の職員8人が世界日報の記者や編集幹部ら6人を名誉毀損の罪で刑事告訴する事態に発展したのです。 報告書には青瓦台内部の権力闘争についてあれこれ記しているが、その記述は必ずしも正しい事実ではない、というのが青瓦台側の主張です。青瓦台はあくまでも飛び交っている噂話を噂として集めたに過ぎない。飛び交っている噂について噂として部内で検討する必要があるから報告を集めたのであって真偽は確定していない。報告書の記述に依拠している世界日報の記事は事実ではなく、虚偽である、だから名誉毀損が成り立つ――というのです。 一方で検察はこの文書が流出したことを問題視して捜査を始めました。この文書は青瓦台で作成され、文書番号もある公文書であって、これが勝手に外部に流出したことが犯罪に該当するというわけです。 名誉毀損による刑事告訴の一件は私の事件捜査を担当したソウル中央地方検察庁刑事一部が担当しています。一方、文書流出の件は――日本の検察でいえば、特捜部にあたる――同地検特殊捜査部が捜査を始めており、すでに文書を作成、とりまとめた人物の家宅捜索と事情聴取に乗り出しています。 この人物は、韓国の警察庁の官僚で、当時青瓦台に出向、現在は警察庁に戻っています。また、この人物の青瓦台当時の上司の元青瓦台秘書官は「報告書にとりまとめた記述の6割は真実である」旨証言し、青瓦台の立場とは真っ向から対立する形になっています。文書流出のみ問題視する事に批判文書流出のみ問題視する事に批判 一方、こうした検察の捜査に対しては野党やメディアが批判し、反発を招いています。 文書には青瓦台内部の権力闘争が描かれている。そのなかにはかつての朴大統領の側近で、今は公務員でも秘書官でも青瓦台職員でもない、鄭氏が首を突っ込み横槍を入れる――という話も載っているわけです。 記述の真偽については全面否定しておきながら、文書が流出したことだけを問題視して事件捜査が行われる。これは歪だし、政権は触れられたくないものに煙幕を張って蓋をしようとしている――という批判です。 韓国メディアの記者達と話していると「加藤記者があのコラムを書いたおかげで青瓦台にあった岩盤が揺れ動いたことは間違いない」とよく言われます。 世界日報の記事と私の記事はもちろん内容は異なります。しかし、青瓦台と何の関係もないはずの男性と朴大統領との関係に焦点を置いている点では同じで、地続きの話だといえます。 大統領の動静、即ち青瓦台を舞台に何が行われているのか、大統領が誰と会って何を話したのか、といった問題はメディアがしっかりと見届けなければならない問題です。たとえ、為政者にとって都合の悪い内容が含まれていても、それはメディアに負わされた、とても大事な役割なのです。 世界日報の記事も私のコラムも同じ土俵上の話だと言っていいでしょう。記事を報じた世界日報には私同様、捜査の手が伸びています。捜査の行方から目が離せないことはいうまでもありませんが、本来はこうした政権の姿勢自体が厳しく問われなければならないはずです。無罪に向けて戦おうと決意加藤達也・産経新聞前ソウル支局長の初公判が行われたソウル中央地裁=2014年11月27日、韓国・ソウル(大西正純撮影) 27日に開かれた事実上の初公判について話しましょう。韓国の刑事裁判ではまず、日本で公判前に行われる争点整理の手続きの場が被告人も立ち会って公開の場で行われます。そのさい、日本の初公判で行われる人定質問や起訴事実や検察の証拠に対する認否などの冒頭手続きも同時に行われるのです。起訴状の要約に対して私は全面的に争う姿勢を表明しました。 そもそも私は自分の記事はもちろん、自らの行動について刑事罰を負わされる類いのものだったなどとは微塵も考えておりません。裁判に掛けられること自体が納得いかない。そういう思いはあります。 しかし、韓国の司法界のなかにもこうした光景が如何におかしいか。そう考えている人達が少なからずいるだろうと思う。そういう司法の良心、良識を信じて裁判という土俵にあがってそこで誠実に事実を述べて行こうと考えました。そのうえで幅広い観点から自らの主張を展開し、無罪を勝ち取るべく戦おうと考えたのです。見えて来た公判の争点 公判の進行打ち合わせのなかで、裁判における具体的な争点も一定程度見えてきました。裁判所側が想定している争点のうち、まず一つ目は立証責任が検察側と私のどちらにあるか、という点でした。 私を罪に問いたいと検察が考えるのであれば、そのための全ての立証を検察側が用意するのが当然です。その立証が足りなければ、私を罪に問うことはできません。これが刑事裁判のセオリーというものでしょう。問題となるのは報道が虚偽か否か、という点です。記事が虚偽だと言いうるには私が大統領を誹謗中傷するなどの悪意を持って記事を書いたという事実の立証が不可欠で、その立証は検察側がやらなければならないはずです。 ところが検察側は「虚偽の事実を報道していないと弁護側がいうのであれば、その立証は弁護側が負うべきである」などと言い出しています。私ははじめから物事を断定して書いたわけではありません。噂が存在するという事実を朝鮮日報のコラムを引用しながら書いた、そうした状況が朴政権のレームダック化が進んでいる証左なのではないかと結論づけたのであって記事に間違いはありません。虚偽でもなければ、まして悪意を持って書いたのでもありません。ですが、この点をめぐる双方の主張が必ずしも折り合っているわけではないのです。 次に被害者による処罰感情の確認という点でも問題点がないわけではありません。この場合、被害者というのは朴大統領本人を指すことになるでしょう。記事が出た時点で青瓦台から電話があって記事が誤っているという主張や民事刑事両面での責任を追及する旨が告げられました。記者会見でもそうした意思を表明しており、大統領の処罰意思はそれで明らかだというのが検察側の主張です。 しかし、私達から見るとそれは青瓦台という国家機関の意思ではないのか、本当に朴大統領があのコラムを読み、名誉を毀損されたという被害の認識や起訴すべきだという考えを個人として持っているのだろうか、と問うているわけです。 今回の案件は名誉毀損罪です。日本では親告罪といって、被害者の告訴がなければ、起訴できません。韓国では第三者の刑事告発でも訴追はできます――実際、3団体が刑事告発しており、それが受理されて私は訴追されているのですが――が、「反意思不罰罪」といって被害者の意思に反して処罰することはできないのです。仏オランド大統領の例を見よ!仏オランド大統領の例を見よ! さらに男女関係に言及すること自体が、名誉毀損になるのか否か。ここも争点のひとつとなりそうです。今回、私のコラムで朴大統領の男女関係について言及したことに検察側はけしからん、冒涜だと主張しているわけです。 そこで弁護側はフランスのオランド大統領の女性関係について例を出しました。昨年はじめ、オランド大統領と女性のスキャンダルが世界中で大きく取りあげられました。ご記憶の方もいると思います。 フランスは米国や英国と違って権力者の私生活についてあまり追及しないという伝統が一応あります。ただ、そういうフランスにおいても公人である政治家は、私生活についても相当程度はオープンにすべきだという声も徐々に大きくなっているのです。 さらにオランド氏の場合、フランス大統領としては初めての事実婚夫婦です。女優との密会が不倫に該当するのか否か、今後のファーストレディの公務はどうなるのか、さらには安全保障上の問題はないのか…たとえ私生活であっても問題点は山積みされている。これをめぐって議論が交わされているのです。 それに国家指導者の私生活をつまびらかにすることに消極的とされるフランスでも大統領のプライバシーを報じたからといって記者の刑事責任が問われたケースなどはありません。 誰にだって守られるべきプライバシーはあります。大統領にだってあるでしょう。ですが、仕事さえできれば、本人がどんな私生活を送っていてもいいとはならないはずです。私がコラムで取りあげたようにセウォル号沈没事故のような国内外を揺るがすような例のない緊急事態が発生して多くの人命が奪われたときに国のトップに立つ大統領が何をしていたのかというテーマは当然、メディアの取材対象となる問題だと思います。 公共目的があったか否か、という点においても私と検察側は180度異なります。無論私は記事が公共目的で書かれたものだと主張しました。逆に検察は私が悪意を持って故意に虚偽を書いたと主張しています。特派員の実態を明らかにせよ 裁判所からは、韓国における特派員の取材実態、取材環境などを明らかに出来る証人がいないか、と提案がありました。国内メディアとは違って海外のメディアは言語上の制約もあれば、人的な問題もあって国内メディアほど縦横無尽に取材が自由にできる環境にはありません。同じ報道機関といっても仕事の進め方ひとつから国内メディアとは相当異なります。ただ、その実態は必ずしも明らかではありませんし、国内メディアにあてはめる常識や尺度との違いを裁判所が把握しておこうということなのだと思います。 さらに国家指導者に対するスキャンダルを記事に書いて刑事責任を問われた事例がこれまで存在するのか、しないのか――裁判所として海外の事例を明らかにするよう求められました。また韓国の取材事情や海外における権力報道などに明るいメディア論を手掛ける専門家なども求められました。 今回のケースが国際的に見て、あまりかけ離れた判断にならないようにしたいという裁判所の判断なのかもしれません。閉廷後生卵が投げつけられる初公判を終え、ソウル中央地裁をあとににする際、加藤達也前ソウル支局長を乗せた車が抗議デモ団に囲まれ生卵が投げられるなど妨害行為が行われた=2014年11月27日、韓国・ソウル(大西正純撮影) 約1時間かかった事実上の初公判は終わりました。法廷では途中で騒ぎ出す人が出てくるかもしれないと懸念していましたが案の定、開廷中に私の名前とともに「大韓民国に謝罪しろ」「直ちに拘束しろ」と叫ぶ人が現れました。産経新聞というのは韓国を貶めることばかり書いている新聞だとつぶやいていました。 そこまでは、さほど驚かなかったのですが、裁判所を車で出るときに走行を妨害しながら生卵が車両にぶつけられる一幕がありました。車の進路に寝そべったり、ボンネットを叩いたり、正直ここまで執拗だとは思いませんでした。 韓国社会を見ていると、この手の現象はいわば「お約束」のような出来事だと感じることがこれまでもしばしばありました。ですから、私の公判でも似たようなことは起こるかもしれない、あってもおかしくはないだろうと一定の覚悟はありました。 しかし、これだけ外交の場で俎上にのぼった問題です。静謐な環境のなかで安全が確保され公判が開かれるべきで、常識的に考えて、裁判所はもう少し警備をしっかりしているのだろうと漠然と考えていました。 それにしても、自分達の主張をするのにこういう恫喝紛いの憂さ晴らしの類いが当たり前に横行する社会というのはやはり歪だし不幸だと思います。決して健全な社会とはいえません。裁判で問われているのは何なのか裁判で問われているのは何なのか 最後に裁判をめぐってもうひとつ述べておきたいことがあります。それは私が書いたコラムが有罪になるのであれば、世界中にあふれる韓国や大統領に関する報道について韓国の国家指導者が任意に有罪にできうることになってしまうのではないか、という疑義です。韓国の検察当局は、本件は韓国国内で起きた犯罪である、国内法を適用することに何の問題もなく、それを政治問題や外交問題にすり替えるのは許されないと反発しています。産経新聞ソウル支局内で仕事をこなす加藤達也前ソウル支局長=2014年10月、ソウル(撮影・桐山弘太) 特派員が韓国内において韓国国内法を遵守して暮らしていくことは確かに当然です。しかし、今回の事案で刑事処罰の対象となっているコラムは日本の読者に向けて日本語で書いたものです。記事を執筆した場所は確かに韓国国内ですが、記事の編集作業は東京との間でやり取りを重ねながら掲載に至ったものなのです。 なるほどインターネットに国境はありません。掲載後の記事を翻訳すれば、日本語のわからない韓国の読者でも読むことは可能でしょう。大統領本人がどういう経緯で私の記事を読まれたのか、わかりませんが、重要なことは先の検察の論理を無条件に認めてしまった場合、世界中,特にネット上に存在しうる韓国大統領への批判などにも韓国国内法が無条件に適用され、処罰されうることになりはしないか。裁判の争点には今のところなってはいませんが、その点についてどう整理して考えているのか、納得できる回答がほしいと思っています。 私は前回の手記で、韓国国内で今起きている自由な言論が蝕まれている光景について韓国の方々ももっと敏感になった方がいいと思うと述べました。日本人とか韓国人、あるいは産経新聞といった、さまざまな立場を超えてまず守らねばならないものは一体何なのか。そのことをしっかり見据えてほしい。そう心の底から願っているとも書きました。 その気持ちに今も全く変わりはありません。私はこの刑事裁判に誠実に臨むつもりです。私の主張は全て法廷で述べるつもりですし、この裁判から逃げるつもりも隠れるつもりも全くありません。 ただ、この裁判で本当に問われているもの、裁かれようとしているものは何か。それは被告人である私ではなく、むしろ韓国社会の側ではないのだろうか、という思いがします。韓国の司法が明察を持って、公正な裁きを貫くことを願っています。(構成 月刊正論編集部安藤慶太)※インタビューは2014年12月3日に行われたものです。関連記事■ 加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず■ ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

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    愛国者か、テロリストか

    リッパート駐韓米国大使がソウルで暴漢に切りつけられた。犯人は米韓同盟に楔を打ち込むためか、テロを決行した。今回の事件で思い出されたのは韓国で「義士」「英雄」と呼ばれる安重根のテロである。伊藤博文を暗殺した安重根は愛国者なのか。韓国はテロリストを英雄視することの危険性をわかっていない。

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    第二の安重根が生まれる日

    早坂隆(ノンフィクション作家)拳骨拓史(作家)英雄の名に値する人物か 早坂 2014年1月、中国・ハルビン駅に安重根記念館ができたことがきっかけで、日本で安重根に関する報道が増えました。ただ、彼に関する書籍は意外と少なかった。しかも、それらの大半の書籍が韓国側の主張に沿うようなかたちで安重根を「義士」とか「英雄」と捉える内容でした。私はいかなる理由があるにせよ、暴力をもって他国の政治家の命を奪うということは、テロ行為以外の何物でもないと考えます。ノンフィクション作家として、とにかく信頼に足る一次史料と現地取材を通じて、真実の安重根像を浮かび上がらせたい、という思いで連載を始めました。そして、その出自や経歴を調べていく過程で、安重根はほんとうに英雄の名に値する人物なのか、疑念を強めることになりました。彼は自叙伝(『安応七歴史』)のなかで、酔って酌婦に説教した挙げ句、暴力を振るったなどということを得意げになって書いている。粗暴というか、器が小さい男だという印象をもちました。 拳骨 「女は3日殴らないと狐になる」という諺があるほど、伝統的に朝鮮は日本よりもはるかに男尊女卑の傾向がある国です。妻は夫と母屋を別にして暮らさなければいけないとされ、人が訪ねてきても、けっして顔を見せてはいけないという風習があった。現在でも、韓国で国際結婚をした外国人女性の約70%が家庭内暴力の被害を受けているといわれています。安重根が酌婦を殴ったという話を聞いて、じつにかの国の人間らしい振る舞いだと感じました。安重根義士記念館敷地内に建立された安重根像 早坂 安重根は貴族階級である両班の出身です。しかし、当時の朝鮮の身分制度が崩壊していくのと同時に没落し、生活が苦しくなった。やむをえず、自分で事業を興したり、学校の経営にも乗り出しますが、うまくいきませんでした。「日本人に邪魔された」と彼は自叙伝に書いていますが、人生の不遇を自らの才覚や運に起因するものとは見なさず、すべて日本のせいにしてしまっている。 拳骨 いまの韓国をみていても、「うまくいかないのはすべて日本のせい」と外部に原因を求める発想が強い。安重根が日本に対していわれなき恨みを抱いたのも、これまたかの国の人間らしくてわかる気がします。 早坂 未完に終わった安重根の論文「東洋平和論」を読んでいても、「韓国は絶対的な被害者」という思想の域から一歩も出ることができない。当時の韓国(李氏朝鮮、大韓帝国)が清国やロシア、日本といった他国の動向に振り回されていた側面はたしかにあるでしょう。ただ、安重根は自国を一方的に蹂躪された立場に置くだけで、そこから議論が発展していかない。伊藤博文は吉田松陰の松下村塾に学びましたが、松陰は『孟子』の「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」という言葉を己の指針にしていた。松陰の教えを受けた伊藤も誠を尽くせばという思いで朝鮮統治に臨んだわけですが、こうした伊藤の至誠の精神は韓国の「恨」の精神に撥ね返されてしまったといえます。 拳骨 安重根の「東洋平和論」には日清韓で共通の通貨や銀行をつくろうという主張が出てきます。これをもって「安重根には先見の明があった」という人が日本にもいますが、無理がある。もともとこのような説は当時の開化派(日本と結んで朝鮮の近代化と独立を進めようとしたグループ)が唱えていたもので、目新しいものではありません。それらを安重根の卓見とするのは、歴史を知らなさすぎます。 早坂 安重根の父、安泰勲は開化派に属していましたから、おそらく父親経由でさまざまなことを学んでいたのでしょう。このようなことが日本ではほとんど知られていませんね。 拳骨 早坂さんはご存じだと思いますが、「安重根無罪論」という虚説があります。その論拠は二つ。一つは安重根は大韓義軍の参謀中将であり、軍人が敵国の将を撃ったのだから、無罪とするもの。もう一つは、軍人である安重根を日本の国内法で裁いたのはおかしいというものです。つまり、安重根を処刑したのは法律違反というわけですが、どう思われますか。 早坂 ソウルの南山にある安重根義士記念館でも、彼を連合大韓義軍の参謀中将という肩書で顕彰していました。しかし端的にいって、連合大韓義軍とは非合法のゲリラ組織にすぎず、そこでの肩書は国際的に通用するものではない。現代のIS(イスラム国)のような過激派組織のなかにも、いろんな肩書の人物がいるのでしょうが、そんなものは国際的に認められないのと同じです。 獄中で安重根は自身を「捕虜として扱え」と要求しました。しかし伊藤の暗殺時、彼は徽章をつけず、武器を懐に隠して携行していた。これ自体が完全な国際法違反であり、彼が捕虜として扱われなかったのは当然です。そもそも伊藤は文民であり、軍人ではなかった。どう考えても、彼のやったことは非合法なテロ行為にすぎなかったと断定できます。 拳骨 安重根を称える人は、彼をインテリジェンスに富んだ人物だと言いたがりますね。しかし、国際法の知識一つとっても、無知であったということです。ただ、それは安重根に限らず、国王を含めて、当時の大韓帝国全体が無知だった。1907年、大韓帝国がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送るという事件が起こりました(ハーグ密使事件)。しかし、1905年の日韓保護条約で韓国の外交権は日本にあり、密使たちの“告げ口外交”に付き合う国はありませんでした。国際法に疎かったことで、失態を演じる羽目になったのです。日本の維新の志士たちが「万国公法」に通じていたのとはあまりに対照的だったといえるでしょう。テロを助長するような愚行テロを助長するような愚行 早坂 伊藤博文の暗殺理由について、安重根は先述の自叙伝『安応七歴史』で15の理由を挙げています。ところが、事実の誤認に基づくものが多く、こんなことでわが国の初代総理大臣が暗殺されてしまったかと思うと、許し難い気持ちに駆られます。たとえば、伊藤暗殺の第一の理由として挙げているのが、韓国王妃(閔妃)の暗殺を伊藤が指揮したというもの。むろん事実ではありません。裁判中の彼の証言録を読んでも、基本的な事実に関する間違いが多く、唖然とさせられました。そんな安重根を韓国は「義士」「英雄」として顕彰し、伊藤の暗殺を「義挙」として称えている。これでは第二、第三の安重根を生みかねず、国家としてテロを助長するような愚行です。 しかし一方で、韓国における安重根の理解は「英雄」だという一点にとらわれており、じつはその経歴や思想について詳しいことは知らない人が多い。伊藤についても同様で、韓国では併合の張本人と思われていますが、併合は伊藤が暗殺された翌年のことです。それをソウルの安重根義士記念館の見学者たちに尋ねてみても、「知りません」と答えるだけ。遠足で来ていた生徒たちだけではなく、引率の教師にも聞いてみましたが、正確な知識があまりに乏しいことに驚きました。中国黒竜江省のハルビン駅に開館した安重根の記念館。右端は初代韓国統監の伊藤博文の肖像画=2014年1月19日(共同) 拳骨 私も韓国から来た留学生たちに、安重根について聞いてみたことがあります。しかし一様に「わからない」という。「なんで?」と聞くと、「小学生のときに記念館に連れて行かれただけで、それ以上の教育は受けていない」とのことでした。 早坂 むしろ、安重根に関して詳しい知識を得る機会がないからこそ、記念館の展示の内容にすんなりと入っていけるし、英雄だと信じ込めるのでしょう。私は、歴史というものはつねに事実に立ち返り、謙虚に見詰め直す姿勢が大切だと考えています。ただ、日本側はある程度それができても、韓国側もそうとは限りません、むしろ、お互いにわかり合えない、ということを前提にすべきかもしれません。無理に歴史認識を共有しようとすると、かえって将来に禍根を残しかねませんね。 拳骨 私も最初は日韓の歴史問題において、議論や対話の重要性を考えていたのですが、いまでは時間の無駄だと思うようになりました。そのきっかけは、韓国の学者たちと歴史認識について論戦したことです。私は韓国側の主張に対し、事実を一つひとつ挙げて反駁していったのですが、「この方は偉い先生だ。偉い人がいうことだから、正しい」という。とにかく最後まで「日本が悪い」の一点張り。これでは冷静な議論は無理だと思いました。 早坂 冒頭でも触れたように、日本の識者のなかにも、安重根に対して肯定的な評価を下す人がいるのは事実です。たとえば、彼の残した「東洋平和論」を表面的に捉えて「安重根は平和論者であった」などという者がいますが、いかがなものか。現代でも多くの国際テロ事件が起きていますが、テロリストの自己正当化の論理として使われるのがまさに「平和」です。自国の首相を暗殺されて、その暴漢に対して肯定的な評価をする人間がいるような国は、世界でも日本ぐらいでしょう。ただ、そうした姿勢が日韓の親善にどのように役立つのか、はなはだ疑問です。安重根のテロを「義挙」として認めることは、日本はもちろん、韓国の将来にとってもけっして資することはないと思います。 拳骨 日本で安重根を評価する者は、じつは伊藤の暗殺当時からいました。暗殺時に伊藤の隣にいた満鉄理事の田中清次郎は、「いままで会ったなかで一番偉いのは誰か」という問いに対し、「それは安重根だ。残念ながら」と答えています。こうした風潮を憂いた三浦了覚という曹洞宗のお坊さんは、『禅と武士道』(大正4年)という本のなかで、「世人或いは伊藤公を狙撃せる安重根(中略)を以て志士仁人とするものあるは是れ容易ならざる誤謬なり。若し是等の人物を以て志士仁人なりと誤解する時は帝国の将来に向って実に恐懼の至りに堪へざるなり」と警告を与えています。当時の日本人にも安重根を評価する向きがあったことをどう考えますか。 早坂 藩閥出身の政治家であった伊藤博文には、政治的または思想的に対立する者がいたはずで、こうした事情が安重根の評価に影響を与えた可能性があります。 また、当時の朝鮮の基礎学問は漢学でしたが、識字率が極端に低いなか、両班出身の安重根には一定の素養があった。遺墨を見ると達筆で、漢詩がすらすら書けたようです。安重根が収監された旅順監獄の看守であった千葉東七は、それだけで感心してしまっている節があります。ちなみに、宮城県の大林寺には、安重根の記念碑があるそうです。看守の千葉東七に託された安重根の遺墨を、千葉の遺族が韓国に返還した経緯がもとでできたらしい。この記念碑の案内板を県の予算で道路に建てていたのが問題となり、国会の質疑で取り上げられたこともあります。 千葉に限らず、当時の日本人のなかには朝鮮が置かれた立場に同情する者が大勢いました。日韓同祖論を唱える者もおり、こうした文脈のなかで、安重根のテロにも理解を示す者がいたかもしれません。しかし当の韓国のほうは、華夷秩序がもたらす優越意識のなかで、日本と同格扱いされることすら拒否する姿勢があった。日本人の韓国に対する思い入れは一方的で、要は「甘かった」ということなのでしょう。「反日」を煽る親北勢力「反日」を煽る親北勢力 拳骨 今年3月、第二、第三の安重根が生まれるのではないか、という早坂さんの懸念が現実になる事態が起きました。金基宗容疑者によるリッパート米駐韓大使襲撃事件です。金容疑者は北朝鮮との関係が取り沙汰されていますが、それを裏付けるようなことがあります。北朝鮮が運営している「わが民族同士」というサイトがあるのですが、リッパート大使への襲撃事件の数日前、それを予告するかのような一文が載った。平成22年7月、金容疑者が重家俊範・駐韓日本大使(当時)にコンクリートの塊を投げて逮捕されたときも、やはり犯行の数日前に同サイトに予告文らしきものが載った。金容疑者はそれらを北朝鮮からのメッセージとして受け取り、犯行に及んだ可能性があります。 北朝鮮は、重家大使が襲撃された際、金容疑者を「現代の尹奉吉」であると称えました。尹奉吉は昭和7年4月29日の天長節(天皇誕生日)に上海で爆弾テロを決行し、多数の日本人を殺傷したテロリストです。そして今回のリッパート大使の襲撃に際しては、北朝鮮は金容疑者をまさに現代の安重根になぞらえた。北朝鮮がメッセージを出す、それを受け取った金容疑者が犯行に及ぶ、それを北朝鮮が称えるというパターンが繰り返されたことになります。 早坂 現在、韓国では『安重根、アベを撃つ』という本がベストセラーになっています。現在に甦った安重根がハルビン駅で日本の「安培」首相を撃つという俗悪な内容ですが、悪趣味だというほかありません。こうした本が書店で平積みになっていることに、日本人としては違和感を覚えざるをえません。こんな状況下では安倍首相の訪韓などとても考えられません。 拳骨 いまの韓国では親北勢力が台頭したことで「反日」であれば何でも許されるといった雰囲気があります。重家大使にセメントを投げつけた金容疑者も、結局、執行猶予が付いて釈放されてしまったわけです。このことが金容疑者に増長を与え、今回のリッパート大使への襲撃につながった。つまり、反日を容認する韓国内の風潮に対し、ありうべきことか司法がこれに迎合したことに問題がある。慰安婦、徴用工、仏像窃盗、産経新聞の前ソウル支局長がいまだに帰国できないという問題にしてもそうですが、いまの韓国社会を取り巻く「反日無罪」の風潮は異常です。 早坂 私が気になるのは、昨年あたりから安重根顕彰の動きが強まっていることです。韓国が中国に働きかけてできたハルビン駅の安重根記念館もその一つですが、中国映画界の巨匠、張芸謀が安重根に関する映画を製作するとの報道もありました。日本に対する歴史戦における中韓共闘をうかがわせるような情報です。さらに、韓国単独でも安重根の映画を製作するという。韓国は安重根を日本に対する歴史カードとして使えると考えているのではないでしょうか。テロリストを堂々と顕彰するような韓国の動きを黙って見過ごしていると、将来に禍根を残します。従軍慰安婦の問題も、最初に日本政府が対応を誤ったことが問題を大きくしてしまった。いまこそ、このことを想起すべきです。 拳骨 そうですね。従軍慰安婦問題が起こったとき、韓国の親日派は「誇りある日本人が謝罪するはずがない」と公言していました。ところが、日本が河野談話でまさかの謝罪をしてしまったことで、彼らは立場を失くしてしまった、という経緯があります。そう考えれば、韓国の親日勢力を弱体化させたのは日本側の責任だといえます。 そもそも、韓国内で「反日」を煽っているのは誰か。親北勢力です。かつて金日成は「冠のひも戦術」を説きました。韓国を冠に見立て、左右の両端に付いたひもであるアメリカや日本との関係を断てば、韓国は崩れるというもので、日韓の離間はまさに北朝鮮の思うツボなのです。日本側はこの流れを断ち、韓国内の親日勢力をもう一度育成していかなければなりません。怒りのあまり「日本は韓国と断交すべきだ」という論調も聞こえますが、日本のように国土が小さく資源の乏しい国は、敵は少なければ少ないほどよい。これは安全保障のイロハです。 当然、それは簡単なことではありません。日本側がまずなすべきは、韓国に対して“同文同種”であるという甘い幻想を捨てることです。互いに異なる歴史観と価値観を抱く国だという認識をはっきりもたなければいけない。そのためにも、まさに安重根が生きていた李氏朝鮮や大韓帝国の時代まで遡り、かの国を完全なる異国として対峙していた感覚を取り戻す必要があります。そうしてこそ、日韓の友好は結ばれるものと信じます。 早坂 私が今回の仕事を通じて痛感したのは、歴史というものは簡単に書き換えられてしまう、ということです。安重根を肯定的に描いている韓国側、あるいは日本側の出版物のどれを取っても、彼の残した手記や論文から都合のいい部分だけを引っ張り出して構成している。私はノンフィクション作家として、こうした現象に一石を投じたかった。ほとんどの日本人は、安重根に関して絶対的な知識が不足しています。だから、いまは肯定も否定もできないという状況かもしれません。しかし、韓国側に都合のいい解釈を押し付けられないようにするためにも、その実像をよく知るべきです。そして間違っている部分があれば、違うと指摘することが大切です。安重根はけっして義士、英雄などではない。わが国の初代総理大臣を暗殺した愚劣なテロリストにすぎません。はやさか・たかし 1973年、愛知県生まれ。著書に、『戦場に散った野球人たち』(文藝春秋)、『鎮魂の旅 大東亜戦争秘録』(中央公論新社)、『昭和十七年の夏 幻の甲子園』(文春文庫)、『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)ほか多数。4月中旬に『愛国者がテロリストになった日』(PHP研究所)が発売予定。げんこつ・たくふみ 1976年生まれ。漢学、東洋思想、東洋史の研究を行ない、名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)、杉之尾宜生(元防衛大学校教授)に師事。論文や研究発表などを精力的に行なう。近著に、『韓国「反日謀略」の罠』(扶桑社)がある。関連記事■ [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバッグ状態を脱するとき■ <特別対談>慰安婦問題はフィクションだ■ 中韓とリベラルが主導する「反日」報道を許すな!

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    韓国で結びつくナショナリズムとテロリズム

    佐藤優(作家、元外務省主任分析官) ナショナリズムは、現代における宗教の機能を果たす。自らが所属する民族のために命をささげることは崇高な行為と受け止められる。ただし、ここに落とし穴がある。民族のために自らの命を捨てる覚悟をした人は、躊躇(ちゅうちょ)せずに他者の命を奪う傾向があるからだ。そして、ナショナリズムとテロリズムが結びつくと厄介なことになる。素直に言うが、韓国でナショナリズムとテロリズムが結びつき始めている。襲われた駐韓米大使 5日朝、韓国のソウルで、リッパート駐韓米大使が、「愛国者」を自称する男に斬りつけられるテロ事件が発生した。この事件について、産経新聞社の藤本欣也支局長はこう報じた。 <リッパート米大使襲撃事件を受けて、大統領府の金寛鎮(キム・グァンジン)国家安全保障室長が5日、国家安保会議を緊急開催、今後の対策と対応を協議した。李完九(イ・ワング)首相は関係当局に対し、米国など各国の大使館・施設の警備と要人の警護に万全を期すよう指示した。 聯合ニュースによると、「主要外交官に対する深刻な襲撃事件でテロ行為ともいえる」(検察関係者)との判断から、捜査指揮はソウル中央地検の公安1部が担当。キム・ギジョン容疑者の犯行動機のほか、共犯者の有無など背後関係について捜査を進めている。 キム容疑者は2010年、日本大使にコンクリート片を投げつけた前科があるにもかかわらず、今回、米国大使に近づくことができた。 捜査当局の発表によると、キム容疑者は政治団体代表としてこの日の朝食会が開かれるとの案内を受けていたほか、米国大使館から警備要請がなかったとしている。だが、ただでさえ米韓関係がぎくしゃくする中、米要人への襲撃を防げなかったのは韓国当局の失態であり、責任問題に発展するのは避けられない>(3月5日「産経ニュース」)リッパート駐韓米国大使が出席した会合の主催団体が入るビルの前で、抗議集会をする保守団体メンバー=3月5日、ソウル(共同) キム容疑者は、要人テロを行う可能性がある要注意人物だ。韓国の警察力は強い。このような要注意人物を24時間、完全監視下に置いて事件の発生を防ぐことは、韓国警察の能力にかんがみれば、可能である。しかし、韓国はそれをしなかった。外交官、とりわけ特命全権大使は国家を人格的に体現する。駐米大使に対するテロ防止について、韓国当局の対応に不作為があったことは間違いない。 ただし、今回の事件は、精神に変調を来した人による突発的な事件ではないと思う。韓国では最近、反米機運が急速に高まっている。そのきっかけになったのが、2月27日のシャーマン米国務次官(政治担当)の発言だ。<シャーマン氏は特定の国を名指しせずに「国家主義的な感情が依然、利用されている」とし、政治指導者がかつての敵を中傷することで国民の歓心を買うことがないように求めた>(2月28日「産経ニュース」)。この発言は、日中韓3国の指導者に対して向けられているにもかかわらず、韓国の政府もマスメディアも、シャーマン次官が日本寄りの立場から韓国を批判したと曲解し激高した。このような、事実を事実として客観的に認識できない韓国の政治的空気が、リッパート大使に対するテロ事件が発生する背景にあったのだと思う。 韓国では、ナショナリズムがテロリズムと結びつき始めている。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が、朴槿惠大統領に対する名誉毀損(きそん)容疑で在宅起訴され、いまだに韓国からの出国を認められない状態もソフト・テロリズムだ。このようなテロリズムを許す空気が韓国人の集合的無意識を支配している。無意識のうちにある集団がとっている行動を変化させるのは至難の業だ。韓国のナショナリズムが危険水域に入っていることを、われわれは冷静に認識しなくてはならない。関連記事■ 韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」 ■ あの日を境に変わった私のメディア認識■ ケント・ギルバートが説く 日本がサンドバッグから脱するとき

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    「韓国は反日劣等感を捨て国際社会で力を養え」と韓国人作家

    悩んだりしません(笑い)。井沢:私は、韓国の歴史学者が声を上げるべきだと思いますね。柳:韓国で日本や日韓関係の研究で目立つと、親日派の烙印を押され、学者生命を絶たれかねない。井沢:ソウル大の李栄薫教授は、慰安婦は売春婦だと主張したために暴行を受け、元慰安婦らに土下座させられたことがありましたね。柳:私の出身大学には日本研究所がありますが、そこから出た論文は1本もありません。韓国の日本関連学科はほとんどが語学中心で、日本学ではない。 15年ほど前の話ですが、日本には韓国の歴史や社会に関する論文を書ける研究者が250人いたのに対し、韓国には日本の論文を書ける研究者が1人もいなかった。今もそんなに変わっていません。井沢:それは健全ではないですね。外部の視線がなければ、独りよがりで批判を受け付けない国民性を育ててしまうのではないですか。柳:否定できない現実です。井沢:それでも私は、歴史学者が勇気をもって声を上げるべきだと思います。歴史学者がやるべきことを文学者である柳さんがやっているのがおかしい。柳:私が本に書いたようなことは、実は30年間言い続けていて、若い研究者らにも呼びかけてきたんですが、何も変わらなかった。アカデミズムの世界にも反日が巣食っている。井沢:ジャーナリズムというのは現在の事実を、歴史学というのは過去の事実を明らかにすることです。その二つが反日というイデオロギーで歪められているのは、韓国にとって決して良いことではない。柳:私の本に対しても歴史学者からの反応はほとんどなくて、ジャーナリストについても一部の人は反応していますが、ネットのマイナーメディアの人たちばかりです。 産経新聞の加藤支局長の起訴についても、ネット上の書き込みでは、ほとんどが政府を批判していますが、メジャーなマスコミは口をつぐんでいます。先生は韓国が反日を克服するアイデアをお持ちですか。井沢:やはりネットやコミックなどわかりやすい表現手段を使うことでしょう。たとえば、韓国の「独立門」は日本から独立したときに建てられたと多くの人が信じているけど、実は日清戦争で日本が勝ったことで中国から独立したときに建てられたものなんだよと、基本的な歴史的事実を平易に伝えていくところから始めてはいかがでしょうか。柳:参考にさせていただきます。この本の出版は作家として最後の戦争だと思っていますので、見守っていてください。関連記事■ 韓国人 本田のJリーグへの発言受け「韓国へおいで」と絶賛■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 中国のネットで「南鳥島も古来より中国領土」との意見出る■ 韓国では「独島」問題となると正論、常識はもはや通用しない■ 韓国人は「日本はサタン」という「反日教」に毒されている

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    韓国は日本が黙らせる!

    に日本にいちゃもんをつけてくるのか。就任3年目を迎えた韓国の朴槿恵大統領の反日姿勢に変化はみられず、日韓関係は冷え切った状態が続く。今年は日韓国交正常化50年の節目でもある。難癖ばかりの隣国とどう向き合うべきか。

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    李明博氏の回顧録 慰安婦問題で野田佳彦首相追及をアピール

    。 その内容の一部は、李氏が2012年8月に「竹島上陸」したことを自画自賛するなど、今日の冷え切った日韓関係につながった自身の行為を“偉業”として紹介しているような記述がある。 慰安婦問題に関しても自身がいかに日本を厳しく追及したかをアピールしている。回顧録では日韓交渉の裏側をこう明かした。〈2012年11月18日からのカンボジア・プノンペンでの東アジア首脳会議(EAS)の際に韓日首脳会談を開き、慰安婦問題の最終協議を予定していた。野田(佳彦首相。当時)が直接、慰安婦のおばあさんたちに手紙を送って謝り、日本政府の予算でおばあさんたちへの被害補償をするという内容だった〉 ところがその後に野田首相が衆院解散に踏み切り、この解決案が潰れたという内容が書かれている。APEC首脳会議を前に、韓国の李明博大統領(右)と握手する野田佳彦首相=2012年9月、ロシア・ウラジオストク(代表撮影・共同) 日本は1965年の日韓基本条約と日韓請求権協定の締結で、13億ドル(無償・有償含む)の経済支援を行ない、日本に対する個人の請求権は消失した(韓国政府に移った)。元慰安婦に賠償をするとなれば、その前提を放棄することになり、際限なく補償要求が広がりかねない。 回顧録の記述が事実かを野田前首相に確認すると、「2012年11月に李大統領と首脳会談の予定はなかった。水面下で様々なやり取りがあったが(回顧録の記述は)自分が承知している内容とはかなり違いがある」との回答だった。慰安婦問題に詳しい東京基督教大学の西岡力教授はいう。「李前大統領の話は、当時の佐々江賢一郎外務事務次官が提示した、いわゆる『佐々江案』で、まったくの作り話というわけではない。しかし、日本の政府予算からの資金拠出がどのような名目になるかで韓国の慰安婦支援団体も反発しかねない話だから、合意間近だったとは思えない」 韓国内では、慰安婦問題に関する記述は李氏による朴槿恵・現大統領へのあてつけだとする見方もある。産経新聞ソウル駐在論説委員の黒田勝弘氏がいう。「政権与党には李派と朴派の派閥争いがある。だから、回顧録の記述は『私は慰安婦問題ではここまでやったが、朴槿恵は何もしていない。外交を知っているのか』という批判の意図もあるとみられています」 結局、朴政権の反日外交を煽ることになる。2011年12月にソウルの日本大使館前に慰安婦支援団体が設置した慰安婦像に関しても、李氏は自身の功績として誇っている。野田前首相が2011年12月の首脳会談で早急な撤去を求めた際に、李氏はこう答えたと記している。〈日本政府が誠意を見せない限り、ソウルの銅像に続いて、おばあさんたちが亡くなるたびに第2、第3の銅像が次から次へと建てられるでしょう〉 さらに〈野田が(当初の議題であった経済・安全保障協力)関連の話を持ち出しても、慰安婦の問題に集中して話をした。このような私の態度に野田も少なからず驚いた様子だった〉と武勇伝風に書いているが、首脳会議の場でそんな対応をされたら誰だって驚くだろう。 大前提として、「慰安婦像は許可なく歩道上に建てられた違法建造物である」(前出・西岡氏)ことを指摘しておきたい。関連記事■ 反日パフォーマンスやった李明博氏に国賓訪問あり得ぬと指摘■ 韓国の反日スレ「日本に爆弾テロする?」「お前通報シマス」■ 韓国 慰安婦を人権問題として世界に注目させ日本の譲歩狙う■ 韓国紙 外相が国連総会で安倍首相の足引っ張るかで沸き立つ■ 安倍首相 オバマ氏会談後「遠くから来たのに冷たい」と愚痴

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    日韓歴史問題 「ゴール」を動かす韓国

     [世界潮流を読む 岡崎研究所論評集]岡崎研究所 米ヴァンダービルト大学教授・同米日研究協力センター所長のジム・アワーが1月4日にReal Clear Worldのウェブサイトに掲載された論説で、日韓間の歴史問題について、韓国側がゴールを動かしていると批判する一方、戦後日本が民主主義、自由経済に貢献してきた実績を指摘し、ナショナリストとされる安倍総理の取り組みも実際は平和的なものである、と述べています。 すなわち、今日では売春は不快なものとされているが、当時は合法で、多くの日本人女性、一部の朝鮮人女性が農村から売られてきた。日本は、政府がこれに関わっていたことを示す証拠はなく関与していたのは仲介業者だとしているが、韓国は、これに強く反対している。 ただ、この問題は1945年以降の30年間、韓国でも日米でも重大な問題と捉えられたことはなかった。1944年に米軍が行った調査は、「これは売春婦に他ならない」と結論づけている。記者会見で歴史認識などについて説明する安倍晋三官房長官=2006年 日韓両政府は1965年に基本条約を締結し、この合意を「完全かつ最終的なもの」とした。日韓基本条約に対する韓国国内の不満が高まったのは1990年代初頭である。1992年には、朝日新聞が日本軍のために韓国人女性を拉致したとする証言録を掲載しはじめ、1993年には侵害行為への謝罪と、政府による何らかの強制があったことを示唆する河野談話が発表された。そして韓国側はこれを評価した。 1998年、日韓首脳は日韓共同宣言に調印し、当時の小渕総理は「多大な損害と苦痛を与えたこと」に対し「痛切な反省と心からのお詫び」を述べ、金大中大統領はそれを真摯に受け止め、評価した。しかし、この後3人の韓国大統領は、共同宣言を支持しておらず、日本側も対日批判の原因を韓国の内政事情によるものだと見做すようになっている。 安倍総理は、中韓と緊密な関係を築きたいと考えており、河野談話を継承する意向も示している。 複数の謝罪で1世紀前の出来事が元に戻るわけではないが、日本が戦後69年間、民主主義、自由市場経済に果たしてきた目覚ましい実績は認められるべきものだ。冷戦期には、日米の対潜ネットワークは、100を超えるソ連艦隊の抑止に貢献したし、湾岸戦争時には130億ドルもの支援をした。 安倍総理は、日本の軍事力を再強化するナショナリストとして非難されているが、彼が言っているのは日本経済を平和的に再建し、日米同盟に資するより有益なパートナーとなるようにするということである。そして、中国と北朝鮮以外のアジア諸国は、日本の取り組みが西太平洋の平和と安全を維持することに資すると信じているのである、と述べています。出典:James Auer,‘Is Japan Revising History, or Is South Korea Moving the Goalposts?’(Real Clear World, January 4, 2015)* * * これは大変良い論説です。日本の事情にも詳しいアワー氏ならではのものであり、アワー氏の勇気に敬意を表するべきでしょう。論説の内容は、全て的を射ています。 韓国側がゴールポストを動かしているということは、金大中時代の共同声明起案の経緯を知る人すべてがそう認識しているでしょう。したがって、この論説は、日本としてコメントすべきものというより、韓国当局者こそ熟読玩味して反省すべき性質のものです。 慰安婦問題については、これは、当時は合法的であった売春婦の話です。売春婦は奴隷ではありません。事実を歪曲して、ことさらに刺激的な「性奴隷」という言葉を使い、女性の人権擁護者ぶる人がいますが、そういうことは、安っぽい正義漢気取り、人気取りの言動と言わざるを得ません。彼らは、慰安婦の大多数は日本人であったことを知ってこういうことを言っているのか疑問です。 戦場における性の問題は、現在も続いている、人権上の重大な課題です。そして、人権への意識は、ますます高まっているというのが、大きな潮流と言ってよいでしょう。確かに、過去の不幸な経験は真剣に直視しなければなりません。しかし、上述の「性奴隷」のレッテルがよい例ですが、過去を直視するということは、正確な事実に基づかなければ、直視したことにはなりません。さらに、過去に対する直視は、過去の出来事を現在の基準で裁くことを意味しません。こうしたことを踏まえながら、現在の人権についての規範や意識に即して、戦場における性の問題を今後どう解決していくか、国際的に英知を結集して考えていく必要があります。 なお、歴史問題、慰安婦問題で日本側が態度を変えないなら日韓首脳会談はしないと朴大統領は条件を付けているようですが、そういう条件を呑んでまで首脳会談をしてもらう必要は全くありません。現在の日本政府は、そのように対応しており、今後ともこの方針を貫いていかなければなりません。関連記事■ 日本がサンドバッグから脱するとき■ 韓国の財閥3世に向けられる世間の冷たい視線■ なぜ、台湾の若年層は韓国を嫌うのか~現地座談会から■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である

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    しつこいキム・ヨナ採点遺恨「ソチは終わってない」

     韓国メディアは、今年2月にソウルで開催されたフィギュアスケートの「四大陸選手権大会」で、2014年ソチ五輪でキム・ヨナが銀メダルに終わった「採点」に対する抗議行動が行われたと一斉に報じていた。観客が「ソチは終わっていない」などと英語で書かれた横断幕を掲げた。韓国スケート連盟は国際スケート連盟(ISU)への提訴を断念し、「キム・ヨナ採点」問題は幕引きされたはず。1年が経過し、韓国特有といわれる「恨文化」の一端が垣間見られた。 韓国・聯合ニュースによると、抗議行動は2月13日、女子ショートプログラム(SP)の整氷時間に行われた。「キム・ヨナの一部のファン」(韓国メディア)は英語で書かれた「我々は絶対に忘れない」「ソチは終わっていない」「ISUは改革が必要だ」「2017年までにスポーツ仲裁裁判所(CAS)に抗議するぞ」などの横断幕を一斉に広げた。1年前のソチ五輪の「キム・ヨナ採点」に対して抗議する横断幕を掲げる観客=2月13日、ソウル(共同) ソチ五輪のSPで1位だったキム・ヨナはフリーで、SP2位だった開催国ロシアのアデリナ・ソトニコワに逆転され、五輪連覇を阻まれて銀メダルに終わった。その際、採点を疑問視する声が韓国内に上がり、韓国連盟はISUに異議を申し立てた。ただし「採点」に関するものではなく、審判員の「構成」に疑義を提示するものだった。ISUに棄却され、韓国連盟はCASへの控訴も断念した経緯がある。 韓国メディア・OSENによると、四大陸選手権では観客のプラカード持ち込みが禁止されていたという。大会組織委員会関係者は「発見した場合は強制回収する」としていた。 ところが、別の韓国メディアによると、韓国スケート連盟の関係者は横断幕について「ISUの規定上、問題になることはない。選手が競技をするときに横断幕を下ろし、整氷時やウオーミングアップの時間にのみプラカードを掲げているため、競技の妨害になる行為ではない」と述べた。主張が真反対だ。どちらが真実なのかは不明だが、日本人が韓国選手に対して同様の行為を行ったとしたら、このような寛容な態度を取るだろうか。 今回の横断幕提示には「恨」という国民文化が強くうかがえる。昨年2月に米誌ニューズ・ウィークにこのような考察が掲載されていた。「恨を引き起こす大きな要因の一つは、大国から不当な扱いを受けた歴史にある。韓国人が厳しい歴史を経験する中で育まれてきた哀しい感情だ」 たとえば、2013年3月1日、韓国の朴槿恵大統領は独立運動を記念する政府式典の演説で、加害者と被害者の立場は「千年の歴史が流れても変わらない」と強調していた。 さらに、ソトニコワが昨年7月19日から23日にかけて長野で開催されたアイスショーに出演した際、ジャンプで尻もちをついたり、回転不足や着地で乱れるなど大きなミスを連発。これに韓国メディアは「ソトニコワ 日本のアイスショーでジャンプをすべて“失敗” これが金メダリスト?」(ヘラルド経済)、「ソトニコワ フィギュア金メダリストで合ってる?」(スポーツ京郷)、「ソトニコワ アイスショー、見るに哀れなほど? 金メダリストの大屈辱!『あんまりだね!』」(MTN)などといった見出しの記事と転倒写真を掲載し、批判した。 韓国のスケートファンからは、今回の集団行動に対して「キム・ヨナを心配するファンによる抗議だが、こんなことをしても仕方がない。韓国のスケート協会は動かないから、ファンたちはプラカードで意思を示すことしかできないのだ」といった声が漏れた。韓国メディアの中には「ソチ五輪から1年が経つが、女子フィギュアの不公平はいまだに忘れることができない」との指摘もある。 日本のネットユーザーは「規定上問題にならないからやっていいって話じゃないと思う」「何より『いつまでやってんだ』という気がしてうっとうしい」「選手が抗議するならまだ分からんでもないけど、ファンがこんな抗議って逆効果にしかならないと思うけどね」「キム・ヨナの件はしつこいと思いますが、どうしてもまだ抗議を続けたいのならIOC(国際オリンピック委員会)に直接するべきでしょ」などの意見が多くみられた。

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    反日と嫌韓の応酬─日韓関係を「精神分析」

    本人が韓国人の恨みを理解しないどころか、嘲笑し軽蔑するのでますますイライラし、恨みを深くする。まさに日韓関係はこんがらがって、ほぐしようがないように見える。オールオアナッシングで解決するか A陣営とB陣営がいがみあい、争っているとき、最も絶望的事態は、両陣営がともに、さっき挙げた歴史認識に関する朴槿恵大統領の発言が典型的な例であるが、自分の見解は全面的に正しく、相手の見解は全面的に間違っており、相手が自分の見解を採用することが唯一の解決であると思っている事態である。これではどこにも出口がない。 朴槿恵大統領はまさにこの事態にあるようであるが、これは韓国国民の大勢の気分を代表しているのであろうか。もしそうだとすれば、問題の解決はきわめて困難であろう。歴史が示しているように、ある国がこのような気分に流れているとき、客観的証拠の提示や論理的説得はほとんど効果がない。日韓のあいだでは、謝罪・賠償・靖国神社などの問題で対立しているが、たとえば、謝罪に関して言えば、日本の首相がどれほど謝罪しようが、韓国が満足することはない。 以前、どこかで指摘したことがあるが、韓国の大統領は日本に謝罪させることを国民の人気を得るための業績としているらしく、したがって、ある大統領が日本からあるレベルの謝罪を獲得すれば、次の大統領はそのレベル以上の謝罪を獲得しようとするから(その流れで、李明博大統領は天皇の謝罪まで言い出した)、キリがない。また、賠償に関しても同じで、韓国は日本からこれこれの金額の損害を被ったからそれに相当する賠償を要求するという合理的なものではなくて、日本は韓国に賠償しなければならないほどの悪事を犯した悪の国であることを示し、日本を貶めるための賠償要求であり、韓国は日本を徹底的に貶めたいのだから、これまたキリがなく、莫大な賠償をすれば、それで済むというわけにはゆかない。賠償をすれば、さらなる賠償の呼び水になるだけである。 わたしは、中国が日本の首相の靖国神社参拝に抗議するのは、中国としてはそれなりの根拠がないでもないと思っているが(ここは日中関係を論じる場ではないので、ごく簡単に言うと、1972年の日中国交正常化の交渉の際の、日本軍国主義者と日本人民を区別した周恩来の発言)、韓国が抗議するのは何の根拠もなく、根も葉もない的外れのたわごとである。第一に、敗戦前は、韓国は日本だったのであって、日本は韓国と戦争したわけではなく、もし靖国神社の戦犯の合祀が問題であるとしても、日本には韓国に対する戦犯は存在しない。戦争中、日本は、日本人だった朝鮮人を兵士、軍属、労務者、慰安婦に使ったが、それは戦争犯罪ではない。戦争中、日本政府・日本軍部は、内地の田舎でのんびり田圃を耕していた農民を徴兵して危険な戦地に追いやって死なせたが、日本国民として当然の兵役の義務を課しただけであって、何の義務もない田舎の青年を何の権利もないのに拉致して不当な労役を強制して殺したわけではない。現在の韓国人・朝鮮人が、戦争中、日本人だった韓国人・朝鮮人に対する日本の好ましくない行動を、あたかも外国人に対する好ましくない行動のように見なし、問題にするのは見当違いも甚だしい。彼らの深い屈辱感を理解すべき このように、現在の韓国人は気でも狂ったのかと思われるような馬鹿げたとんでもないことばかり言ったりしたりしているように見えるが、では、われわれ日本人はどうなのであろうか。日韓関係の歴史と現状について、韓国人には見えていないが、日本人には明らかなことがあるが、しかしまた、日本人には見えていないが、韓国人には明らかなこともあるのではないか。もし、日本人が日本は全面的に正しく、韓国が全面的に間違っており、韓国が日本と同じ考え方をするようになれば、日韓関係はうまくゆくと考えるとすれば、それは、日本人が韓国人と同じレベルに堕ちているということであろう。近頃、東京の大久保あたりで、朝鮮人・韓国人を罵倒するヘイトスピーチなるものを叫びながらデモする連中がいるとのことであるが、彼らのことを考えると、朴槿恵を笑ってばかりはいられない。いずれにせよ、朝鮮人・韓国人の深い屈辱感を理解すべきである。朝鮮人・韓国人に日本人がどう見えているかを考慮すべきである。岸田秀氏(きしだ・しゅう) 昭和8(1933)年、香川県善通寺市に生まれる。早稲田大学大学院修士課程修了。和光大学名誉教授。昭和52年に刊行した『ものぐさ精神分析』(青土社)で「唯幻論」を唱え注目を集める。著書に『二十世紀を精神分析する』(文藝春秋)、『日本がアメリカを赦す日』(毎日新聞社)、『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』『「哀しみ」という感情』(新書館)など。関連記事■ 異常国家、異常社会の実体を晒しつつある韓国■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 暴かれた「河野談話」の嘘

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    太政官指令「竹島外一島」が示していたもの

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)はじめに 我が国と韓国との間の竹島領有権論争における争点の一つとして語られる「太政官指令」、すなわち明治10年(1877年)3月に明治政府の最高国権機関である太政官が内務省からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文は、現在、多くの学者・研究者によって明治10年の時点で日本の政府が朝鮮の鬱陵島と共に今日の竹島に当たる島を「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈されていて、それはほとんど「定説」となっているような状況にある。 しかしながら、筆者は「太政官指令「竹島外一島」の解釈手順」と題する前回の寄稿においてこれに異議を唱え、その解釈は単に島根県が提出した書類である「磯竹島略図」を説明しているに過ぎないものであって太政官の意思としては全く証明されていないことを指摘すると共に、太政官指令が発出された際の一件書類からは太政官がどの島を想定して指令を発したのかを明らかにすることはできないので、したがって指令の直接の関係書類以外の書類やできごとから逆に指令が何を示していたかを探るべきだという主張を述べた。 本稿では、その主張の最後の部分、すなわち太政官指令の直接の関係書類以外の書類やできごとから逆に太政官指令が何を示していたかを明らかにする検討を具体的に行い、指令は果たして今日の竹島を想定して「本邦関係無し」としたものであったかどうか、その結論に迫って見たい。 なお、本稿の理解のためには前回の寄稿を先にお読みいただくのがいいのだが、とりあえず前回の寄稿のうち本稿の検討のポイントとなる三つの点を簡単に記しておく。 すなわち、一つは、江戸時代の日本では朝鮮の鬱陵島は「竹島」と呼ばれ、今日の竹島に当たる島は「松島」と呼ばれていたこと。二つ目は、太政官指令が発される端緒となった島根県の質問書「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に添付された絵図面「磯竹島略図」と説明書「原由の大略」によれば、島根県の質問にある「竹島外一島」とは「竹島」という名前の島と「松島」という名前の島のことであり、その「竹島」と「松島」とは地理を知る者が見ればまぎれもなく朝鮮の鬱陵島と今日の竹島を指しているのは明らかであること。三つ目は、一方でその当時に西洋から流入した地図では、測量の誤りに起因して、竹島(鬱陵島)の実際の位置から西北の方向(朝鮮半島に近い方向)に飛んだ位置に実際には島はないのに「竹島」(アルゴノート島)という島があるように表示され、実際に存在している竹島(鬱陵島)の位置には「松島」(ダジュレー島)という名前の島が表示されていた。そして今の竹島は描かれていなかったり、描かれている場合でもその名前として「松島」と表示したものはなかった。そういう、現実の島の配置とは異なる誤った地理情報が存在していた。以上の三点である。 こういう状況の中で、太政官(及び太政官の指示を請求して回答を受け取った内務省)が、指令文にある「竹島外一島」というものを島根県が提出した磯竹島略図に描かれているとおりに鬱陵島とその手前にある岩礁―今日の竹島に当たる島―のことと正しく認識していた (以下「多数説」という) と見るのが妥当か、それとも当時存在していた誤った地図のために間違って認識していた (以下「少数説」という) と見るのが妥当かを、太政官指令以後の関係文書等を通じて明らかにするのが本稿の趣旨である。「華夷一覧図」の日本部分。隠岐諸島の上方に「松シマ」「竹シマ」と記された竹島と鬱陵島が日本領として赤く塗られている(島根県提供)検討対象一覧 明治10年太政官指令というのは、日本海にある「竹島外一島」すなわち「竹島」と「松島」についてどう取り扱うべきかを明治政府が示したものだ。したがって、その内容を他の資料を通じて明らかにするとすれば、その資料というものは、指令と同じように政府、特に指令の当事者である太政官若しくは内務省が日本海にある「竹島」と「松島」についてどう取り扱ったかを示すものを取り上げるのが適切だろう。そういう観点から筆者が選んだ史料ないしできごとを、それを選んだ理由も含めてまず列挙して見たい。いずれも、筆者が竹島領有権論争に関連して見聞きする中から該当するであろうと考えたものである。(1)『大日本府県分割図』(明治14年内務省作成)内務省が作成した地図であり「竹島」と「松島」が描かれている。(2)明治14年(1881年)内務省再指令関係文書 ア 内務省の権大書記官の外務省あて照会文書 内務省の書記官が明治10年太政官指令を変更するような政府決定があったかどうかを外務省の書記官に質問したもの。 イ アに対する外務省の権大書記官の回答書 ウ 明治14年(1881年)内務省指令 島根県からの「松島に関して明治10年太政官指令は何か変更されたのか」という問いに対して内務省が「変更なし」と回答した指令(3)内務省(地理局測量課)が明治15年8月に作成した「朝鮮国全図」内務省が作成した地図であり「松島」が描かれている。(4)明治16年全国通達  内務卿から各府県長官あてに「松島」への渡航禁止を指示するもの。(5)中井養三郎のリャンコ島編入及び貸下げ願いに対応した内務官僚の反応  リャンコ島(=江戸時代に「松島」と呼ばれた島。今日の竹島。)を日本の領土としてほしいとの申請に対する内務省官僚の反応。 以上の5件(細かく言えば7件)について以下検討する。検討(1)『大日本府県分割図』(明治14年内務省作成) 明治14年に内務省は『大日本府県分割図』と題する地図を発行している。内容はその題名が示すように日本全国の府県をいくつかに分割して地理情報を表示した府県地図が中心だが、「大日本全国略図」という日本全体とその近隣地域をも含めた全体図も作られている。その全体図には「竹島」と「松島」が描かれているのだが、どのように描かれているだろうか。それは、実際には島は何もない位置(アルゴノート島の位置)に島を描いて「竹島」という名を付し、実際には鬱陵島が存在する位置には「松島」という名で島を描いている。今日の竹島はというと、全く描かれていない。そして、それら「竹島」と「松島」は全体図には描かれていても、府県地図のうちの地理的に近い「鳥取・島根・山口三県図」には描かれていない。つまり日本の領土とは認識されていないわけだ。 この事実が多数説と少数説のどちらに符合するかは明らかだろう。「竹島」と「松島」の位置はまさしく西洋の間違った地図と同じだ。もし多数説が正しいのだとすれば鬱陵島の位置にある島を「竹島」とし、今日の竹島の位置にも島を描いてそれに「松島」という名を付してあるべきだが、実際は全くそういうことになっていない。 この地図は明治14年に、すなわち太政官指令から4年後に内務省が作成した地図だ。指令から4年後の時点で内務省は「竹島」と「松島」に関しては西洋の誤った地図と同じ認識を有し、かつそれはいずれも日本領土ではないと考えていた。これはまさに少数説の状況だ。これに対して、内務省は明治10年には「竹島」と「松島」に関して正確に把握していたものの明治14年時点で西洋の誤った地図の影響を受けるに至ったと考えるのは難しいだろう。明治10年時点で既にこのような認識であったと考えるほうがよほど自然だ。 (2)明治14年(1881年)内務省再指令関係文書 ここでは検討対象一覧の(2)に掲げた3件の文書が検討対象なのだが、その前提となる経緯を確認しておく必要がある。重要な部分なので、少し長くなるが資料を引用しながら説明したい。 明治14年に、大屋兼助という人物から島根県令あてに「松島開墾願」が提出された。それをもとに、島根県令が内務省に質問したのが次の文書だ。(読みやすいように、原文を筆者が現代の言葉使いに改めた。これ以降の書類も同じ。なお、原文は島根県庁ホームページの「Web竹島問題研究所」の中の『「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考』の記事で読むことができる。)日本海内松島開墾の儀について伺い 当管内石見国那賀郡浅井邨士族大屋兼助ほか一名から松島開墾願いが提出されました。その対象の島は同郡浜田より海上の距離およそ83里の北西の方向にあり、無人の孤島でありますが、東京府の大倉喜八郎が設立した大倉組の社員片山常雄という者が木材伐採のため海軍省の第一廻漕丸にて本年8月にその島に渡航した際、右大屋兼助が浜田から乗り込んで同行して実地調査をしたところでは、東西およそ4~5里、南北3里余、周廻15~6里、ほとんどは山で海岸から山頂までは約1里半、雑木林や古木が密生し、その間には多くの渓流と平坦地があります。 土地は肥沃で水利も良く、どこかの一部を開拓するだけでも数十町歩の耕地が得られ、その他にも海藻採取や漁業の利益など全島の経済的価値は大であります。移住開墾に適した地ですので浜田地方で賛同者を募って資金を集め、私財をもって荒れ地を開き眠れる利益を開発すべしとの志を抱いているようですが、その島は、去る明治9年の地籍調査の際に本県の地籍へ編入すべきか内務省ヘ伺いましたところ、同10年4月9日付けで書面竹島外一島の義は本邦関係無きことと心得るべしとの御指令がありました。ところが、前述したように、このたび大倉組が渡航して材木伐採をしているとのことですので、推察しますところ、明治10年4月の御指令はその後判断が変更されて本邦の領土内と定められたのでしょうか。その島がもし本邦の領土であるならば、大屋らの願いにつきましては、事業の予算の見積り、資金支出の方法及び一同の規約などを詳細に調査して改めてお伺いしたいと考えますので、別紙添付の上この件お伺いします。  明治14年11月12日島根県令 境二郎 内務卿 山田顕義 殿 農商務卿 西郷従道 殿 島根県令からすれば、松島は4年前に内務省から本邦版図外という指示を受けていたのに、今、日本人がそこに行って木材伐採をしているという話なので、これはもしかしたら指令が変更されたのだろうかと疑問を感じ、内務省に質問をすることにしたわけだ。ところで、質問の対象は「松島」なのだが、その松島は上の文書中の説明を見れば現代の私たちはそれが今日の竹島(小さな岩礁)ではなくて鬱陵島(比較的大きな緑豊かな島)であることが分かる。ということは、県令自身が気づいているかどうかは別として、県令は実際には鬱陵島である島についてそれを「松島」と呼びながら「明治10年に内務省から本邦関係無きことと心得るべしとの指令を受けた島」と説明していることになる。これは島根県令が「松島」を西洋の誤った地図の表記に従って理解している可能性を示唆するものだが、太政官指令問題において解明すべきは太政官(及び内務省)の認識であって島根県令の認識ではないから、この事実は決定的なものとして引用することはできない。 ところで、島根県からの質問を受け取った内務省でも、自分のところでは指令は何も変更していないから、ひょっとして外務省ルートで何か朝鮮国との新しい取り決めがあって松島は日本人が利用できるようになったのだろうかとの疑問を持ち、次の質問文書を外務省に送った。検討対象一覧の(2)アに掲げた文書である。ア 内務省の権大書記官の外務省あて照会文書島地第1114号 日本海にある竹島松島の義は、別紙甲号のとおり去る明治10年に本邦とは関係無きものと定められ、以後そのように心得ておりましたところ、このたび島根県から別紙乙号のとおり申し出があったところによれば大倉組の社員が渡航して木材伐採をしているとのことです。ついては、その島について最近朝鮮国と何らかの交渉決定があったのか、一応承知いたしたく照会いたします。明治14年11月29日内務権大書記官 西村捨三外務書記官 御中 この質問文書には、状況をきちんと説明するために、明治10年太政官指令が「別紙甲号」として、また島根県令からの照会文(上述)が「別紙乙号」として添付された。このときの別紙甲号は次のようになっている。別紙甲号  日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(外一島は松島なり) 竹島の所轄の件について島根県から別紙の伺いが提出されたので調査したところ、この島の件は、元禄5年に朝鮮人が島に来たことを契機として、別紙書類に要約したように、元禄9年正月の第一号「旧政府評議の趣旨」に基づき、二号「訳官へ達書」、三号「該国来柬」、四号「本邦回答及び口上書」などのように、結局、元禄12年までにそれぞれ協議が終了し、本邦とは関係無いものとされているようですが、領土の取捨は重大な案件でありますから別紙書類を添えて念のためにこのとおり伺います。  明治10年3月17日  内務少輔    右大臣殿       (添付書類は省略する)指令 伺いの趣旨の竹島外一島の件は本邦と関係無きものと心得るべし  明治10年3月29日(下線は引用者=筆者による) これは、明治10年に内務省が太政官の確認を受けるために提出した伺文書の控えに、その回答として出された太政官指令を書き足したもの(正確に言うならそういう文書の写し)で、質問を受ける側の外務省が太政官指令とはどういうものなのか理解できるように添付された。ところが、本来の書類とは異なる点が2点ある。下線をひいた部分がそうなのだが、一つは「添付書類は省略する」とされたこと、もう一つは、本来の件名である「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の後に「外一島は松島なり」という説明が書き加えられていることだ。この一言が書き加えられたのは、本物の太政官指令の一件文書には添付されている磯竹島略図その他の書類を省略したので、伺文書だけでは「外一島」が何という名前なのか分からなくなってしまうからそれを補うために書き加えられたわけだ。だから、内務省の照会文書の書き出しは「日本海にある竹島松島の義は、……」となっているのだがこの「竹島松島」は「竹島と松島の二島は……」という意味で書かれていることが分かる。 ここに明治10年太政官指令の「竹島外一島」(竹島と松島)とはどの島を想定していたかという問題の答えが現れていることに読者は気づかれただろうか。 内務省の書記官は外務省の書記官に対して、明治10年の太政官指令は「竹島」と「松島」を日本領外と指示していることを説明した上で「松島」について何か変更があったのかを尋ねた。ということは、ここで質問の対象となっている「松島」が内務省が太政官指令の「松島」と考えていた島だ。そしてその「松島」は、島根県の質問書に書かれていることから分かるように朝鮮の欝陵島だ。内務省が考えていた「松島」は鬱陵島だった。とするならば、「竹島」というのは実際には存在しない位置に描かれていた「竹島」(アルゴノート島)のことだったということになる。内務省は島が実在しない位置に「竹島」を表示し鬱陵島を「松島」と表示する西洋の誤った地図情報に従って「竹島」と「松島」を見ていたことが分かる。太政官指令の「竹島外一島」の答えはこんなところにあった。 このように、現代の我々、特に鬱陵島や今日の竹島の地理情報を知る者は内務省が見ていた「竹島」と「松島」が何であったかを知ることができるのだが、このときの内務省自身の認識はどうだったのだろうか。「松島」というのは鬱陵島だということを知っていたのだろうか。「竹島」というのは実際には存在しないということを知らなかったのだろうか。そういう疑問を感じた読者もおられるかも知れない。その答えはこれまでの文書からは必ずしも明らかではないが、それは意外にも外務省の回答文書から明らかになる。イ アに対する外務省の権大書記官の回答書公第2651号内務権大書記官 西村捨三 殿外務権大書記官 光妙寺三郎 朝鮮国の蔚陵島すなわち竹島松島の件に関する質問を拝見しました。この件は、先般、その島へ我が国から渡航して漁撈をする者があるとの趣旨で朝鮮政府から外務卿へ照会があったので調査したところ、実際にそのような事実が確認されたので既に撤収させ、今後そのようなことが無いよう禁止措置を取ったことを朝鮮政府に回答してあります。 以上のとおり回答します。明治14年12月1日 外務省書記官の回答は、その島は日本人渡航禁止という取扱いで変更はないということ-つまり太政官指令を変更するようなことは生じていないこと-を伝えるものだが、ここではその結論もさることながら前置きの部分に注目していただきたい。 内務省の書記官が、「竹島」と「松島」という二つの島が明治10年指令によって本邦領土ではないとされていることを示しながらそのうちの「松島」について質問したのに対して、外務省の書記官は「朝鮮国蔚陵島即ち竹島松島の儀についての御質問を拝見しました。」という書き出しで回答を返して来た。「竹島」と「松島」のとらえ方が変わっていることがお分かりいただけるだろう。「朝鮮国蔚陵島即ち竹島松島」というのは、「日本では竹島と言ったり松島と言ったりする朝鮮国の蔚陵島」という意味だ。なぜそう読めるかというと、その根拠の一つは文章自体だが、「蔚陵島」という一つの島がすなわち「竹島松島」だというのだから「竹島松島」も一つの島だと読むしかない。もう一つの根拠は-こちらの方が実質的な根拠だが-この時点で外務省は朝鮮の鬱陵島は日本では松島と呼ばれたり竹島と呼ばれたりしている島だということを確認して知っていたという事実だ。 太政官指令は島根県~内務省~太政官というルートによるものだが、その当時、これとは別に外務省でも、「松島開拓の議」という「松島」開拓の建白書が提出されたことなどにより「松島」の開拓を許可していいものかどうかを、言い方を変えれば「松島」は日本のものなのか朝鮮のものなのか、それともいずれのものでもないのかを検討していたが、答えが分からない状況が続いていた。それが、最終的に海軍の「松島」実地調査によって「松島」とは朝鮮の鬱陵島であり日本ではもともと「竹島」と呼ばれていた島であること、つまり「松島=竹島=鬱陵島」という三名一島であることが確認されて、外務省はその事実を把握していた。(その経緯は外務省の北澤正誠という人物が明治14年(1881年)に取りまとめた『竹島考証』という冊子に詳しく紹介されている。『竹島考証』は現代の竹島領有権論争においてしばしば引用されるが、そこに記されている鬱陵島確認に至る経緯は、外務省は当時存在していた誤った地図に従って「竹島」と「松島」を把握していたが実地調査によってそういう地図が誤っていたことを知ったことを示している。ただし、外務省が太政官指令に関与していた形跡はないので、外務省の認識によって太政官や内務省の認識を直接に推定するわけにはいかない。) 外務省がその事実を確認したのは明治13年のことだった。それで明治14年に内務省から質問を受けたときに上のような回答ができた。しかし、その回答の仕方は実に奇妙なのだ。内務省の書記官は別に「竹島」と「松島」の関係などを尋ねたわけではない。しかし、外務省の書記官は問われてもいないことをまず説明した。しかも、それは内務省の書記官が言ってきた内容を勝手に変えながら「あなたが尋ねたのはこの島のことですが」と言ったようなものなのだ。 これが何を意味するかは明らかだろう。外務省の書記官は、質問に答える前に質問の前提を訂正したのだ。質問にある「松島」は朝鮮の鬱陵島であり竹島ともいうのが現実であって、内務省が認識している「竹島と松島」という二島認識は間違っているということを内務省にまず教えたのだ。  内務省はこのときまで松島は鬱陵島であるという事実を知らなかった。これが外務省の回答文書から読み取れる真実だ。また、内務省は「松島」のほかに「竹島」という島があると思っていたわけだが、なぜそう思っていたのかというと答えは一つしかない。その当時の地図に描かれていたアルゴノート島に当たる「竹島」がその地図のとおりに実際にあるものと考えていたということになる。(また、内務省は、太政官指令を求める前の文献調査で竹島というのは朝鮮の鬱陵島であるという事実だけは確認ずみだったので、アルゴノート島に当たる「竹島」が実際にあると考えていたのであれば、同時にその竹島が朝鮮の鬱陵島だと思っていたことになる。) 結局、内務省もその少し前までの外務省と同じように、「島名の混乱」を含んだ間違った地図に従って「竹島」と「松島」という島を理解していたこと、逆に言えば、現実の鬱陵島とその手前にある小さな岩礁―今日の竹島―のことを想定していたのではなかったということが外務省の回答文書からも証明される。  説明が長くなった。要点のみを繰り返す。明治14年に、内務省は「竹島」と「松島」という二つの島が明治10年太政官指令によって本邦領土外とされていることを説明した上で、そのうちの「松島」について何か変更があったのかと外務省に質問した。外務省は、内務省が質問した「松島」は朝鮮の鬱陵島であり竹島でもあるという事実をまず指摘した上で取扱いに変更はない旨を回答した。この回答によって、内務省は指令の「松島」は実は鬱陵島であったこと、そのほかに別に「竹島」という島は無いことを知った。このことは、内務省は、太政官指令の「竹島外一島」というのは実在しない「竹島」(アルゴノート島)と実際には鬱陵島である「松島」を(それと気づかずに)想定していたことを明らかにしている。ウ 明治14年(1881年)内務省指令 上記イの回答を受けて、内務省は島根県に(おそらく)明治15年の1月に「書面松島の義は最前の指令の通り本邦関係無きものと心得るべし」との回答を送った。「質問のあった松島の件は明治10年太政官指令のとおり本邦関係無しであることに変更はない」ということだ。明治10年指令の時点では、内務省(及び太政官)は「松島」というのは「竹島=鬱陵島」とは別の島でありそれも本邦の版図外と考えていた(その理由は明らかではない)が、今回の回答指令を発する時点では、外務省の教示によって「松島」というのは「鬱陵島」であるという事実を分かっていた。しかし、どちらにしてもその「松島」が本邦版図外であることは何ら変わりはない。だから、前回の指令のとおりに本邦関係なしと心得よと指示したのは実に自然な回答だ。 (3)内務省(地理局測量課)が明治15年8月に作成した「朝鮮国全図」この地図でも、実在の鬱陵島の位置の島が「松島」とされている。一方、(1)で述べた 『大日本府県分割図』(明治14年作成)では存在しない「竹島」も描かれていたが、それは消えている。つまり、内務省はこの二つの地図が作成されたその間のどこかで「アルゴノート島」の位置の「竹島」という島は存在しないことを知ったことが分かる。それまでは「竹島」と「松島」というものを西洋の誤った地図情報に従って理解していたのだ。この内務省の認識が変化した時期は、(2)イで述べたこと-内務省は明治14年12月1日付の外務省の回答文書によって「竹島」と「松島」に関する正しい知識を得た-という分析と矛盾しない。(4)明治16年全国通達太政官指令から6年後の明治16年3月31日付けで、内務卿から各府県長官あてに次の通達が出された。北緯37度30分西経8度57分(東京天守台より起算)に位置する日本でいう松島(一名竹島)朝鮮でいう蔚陵島については、従前、日朝両政府の議定もあって日本の人民がみだりに渡航上陸することはできないので、心得違いの者無きよう各管下へ諭達するよう内達する。明治16年3月31日内務卿各府県長官宛 親展 これは、鬱陵島ははっきりとした朝鮮領土であるにも拘わらず多くの日本人が押しかけて山林の伐採や漁を行っていることに朝鮮政府から抗議が来ていたので、その対応として太政大臣三条実美の指示に基づいて内務省が全国の府県に向けて発した通達だ。 この通達に関して太政官指令との関係でとりあえず注目すべきは、渡航禁止の対象が鬱陵島の一島であるという事実だ。もし多数説が正しいのであれば、本邦領土外(=朝鮮のもの)と判断した二つの島のうち鬱陵島だけを渡航禁止として今日の竹島のことに一切の言及が無いのははなはだ不自然である。多数説の見解に従うならば、今日の竹島を「松島」と称してそれも渡航禁止とすべきだったはずだが通達は今日の竹島にはふれておらず、「松島」という名前も鬱陵島に充てられている。 少数説の立場からはこのことの説明は容易だ。かつて太政官指令は存在しない「竹島」と実際には鬱陵島である「松島」をそれと知らずに版図外と指示していたが、この通達を発する時点では「竹島」は存在せず「松島」こそが鬱陵島であることが判明していたので、改めて渡航禁止の通達を発するとすれば鬱陵島一島を対象とするのが当然である。この通達も明らかに少数説と符合するのであり、多数説とは全く合わない。(5)中井養三郎の申請に対応した内務官僚の反応(明治37年) 中井養三郎は島根県隠岐の漁師で、明治37年(1904年)に、その翌年の竹島領土編入のきっかけとなる「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」を日本政府に提出した人物である。今日の竹島は、この当時はフランスの命名による「リアンクール」という名前に由来して日本ではリャンコ島と呼ばれていた。中井養三郎はリャンコ島でのアシカ猟を自身が統制したいとの考えから上記の申請を内務大臣、外務大臣、農商務大臣に提出した。 中井の回顧によれば、出願先の一つである内務省の反応は、「内務省の当局者は、日露戦争を行っているこういう時期に韓国領地の疑いがある小さな不毛の岩礁を領土にして、事態を注目している諸外国に我が国が韓国併呑の野心を持っているのではないかという疑念を大きくさせるのは、領土に編入する利益が非常に小さいことに比べて決して簡単なことではないとして、何度説明しても願いは却下されそうであった。」というものだった。 ここで「韓国領地の疑いがある」という言葉に注目してほしい。内務省の当局者は「その島は韓国の領土だ」とは明言せず、「韓国領地の疑いがある」という認識を示したわけだ。このことは多数説と少数説のどちらに合うだろうか。 多数説によれば、リャンコ島は太政官指令で外一島(松島)として「本邦関係無し」と指示されていたことになる。「関係無し」と言う言葉ではあるがその実質は、徳川幕府が朝鮮国との交渉の末にその島は朝鮮のものだということを了承したので明治政府もそれを踏襲するという意味であることは、太政官指令を知る内務省の官僚なら分かっていただろう。つまりリャンコ島は明らかに朝鮮のものだということのはずだ。そういう指示を内務省は太政官から受けている。だから誰かが「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」などというものを持ち込んで来たならば、それは明治十年に右大臣の御指令によって朝鮮領と決着ずみである。却下!」と門前払いにすべきだったろう。ところがこの内務官僚は、朝鮮の領土である可能性があるというあいまいな認識を示し、太政官指令を全く持ち出すことなく、領土編入が困難な理由をあれこれと説明している。申請を拒否したいのならば太政官指令を持ち出せば話はすぐに済むはずなのに、だ。こういう状況は、多数説とは矛盾している。これに対して、少数説から見れば話は簡単だ。太政官指令は現在の竹島を想定したものではなかったのだから、内務省としては「リャンコ島編入並びに貸下げ願い」はこれまで所属の検討などしたことのなかった島について初めて持ち込まれた話だということになる。したがって門前払いをすることなく一応話を聞いたことは自然な対応だし、その中で「韓国領地の疑いがある」と思ったとしても別に不思議ではない。この件も少数説のほうが合うのである。結論 以上5件の文書あるいはできごとを見れば、これらはいずれも多数説では全く説明ができず、少数説であれば無理なく説明できる。いや、無理なく説明できるというにとどまらず、(1)で見たように内務省自身が誤った地図を作成していたし、(2)のイの外務省書記官の回答文書では、内務省が太政官指令の「松島」と捉えていた島は鬱陵島であったことが明示されている。これが答えなのだ。太政官指令にいう「竹島外一島」(竹島と松島)とは、鬱陵島と今日の竹島のことではなく、その当時の誤った地図に描かれていた「竹島」と「松島」、すなわち実在しない島と鬱陵島のことをそれと知らずに想定していたのだった。太政官指令の解釈の主流をなしている多数説はとんでもない間違いなのだ。 それに、そもそも多数説というものは、内務省と太政官は、当時存在していた西洋の情報に基づく地図が誤りであること―具体的にいうと、そこに描かれている「竹島」というものは実際には存在しないこと、また「松島」とされているのが鬱陵島であることーを明治10年の時点で知っていたという前提に立つものだ。内務省と太政官は明治10年には正確な地理を知っていたというわけだ。外務省が実地調査によって明治13年に知るに至った真実を内務省はその3年前には知っていたということになるわけだが、多数説を唱える学者・研究者は誰も、内務省あるいは太政官がいつどのような調査・検討を経て正確な地理を知るに至ったのか全く説明しないし、これからも説明することなどできないだろう。なぜならば、そういうことが分かる資料など(少なくとも現在明らかになっている史料の中には)ないからだ。前回の寄稿で述べたように多数説を唱える人々はそもそも立証できないことを個人的な思い込みだけで主張しているのだが、それはまたそもそも立証できないことを前提とした主張でもある。 以上のように明治10年太政官指令の後に明治政府が取った行動をつぶさに見ていけば、「外一島」とは今日の竹島ではなく鬱陵島であったのであり、多数派の主張は全く間違っていたことが明らかになる。太政官指令のことが初めて公に論じられたのは1987年のことだったとされるが、そのときの論文も磯竹島略図などを根拠として太政官は鬱陵島と今日の竹島を版図外と指示したという立場で書かれている。以来二十数年、そのような解釈が通説化し、韓国側ではもちろん一も二もなくこの見解を採用し、日本側でも多くの追従者が生まれた。だが、事実は異なる。明治10年太政官指令は今日の竹島について述べたものではなかったのだから、現在の竹島領有権論争には何の関係もない史料なのだ。太政官指令があるから日本の固有領土論は矛盾しているとか、日本の外務省は自己に不利な太政官指令には一切ふれずに都合のよい資料だけを紹介しているなどという批判は、それをいう者たちの前提自体が誤っているのだ。 彼らのために、竹島領有権論争には本来テーマとする必要のないテーマが持ち込まれ、無用の混乱が引き起こされ増幅されて来た。だが、上記検討(2)でも引用したが、近年になって島根県竹島問題研究会の関係者からは新たな視点での見解も示されている。もう真実を理解すべき時期だろう。根拠のない主張を繰り返している多数派の人々が書く文章からは、島根県が提出した磯竹島略図や原由の大略に書かれている内容を自分が詳細に読み解くことが「歴史資料に忠実な解釈」であると自負しているような印象をしばしば受けるのだが、歴史上の事件を解釈するに当たっては自分ではなくてその時代の当事者たちが何をどう考えたのかを解明することこそが重要だということをもう少し考えて、本当の意味で歴史資料に真摯に向き合ってこの問題を再考されることを望みたい。関連記事■ 太政官指令「竹島外一島」の解釈手順■ 政治的過激主義としての韓国の反日主義■ 韓国の皆さんへ 嫌・嫌韓本のススメ

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    韓国の論理「日本にある物はすべて略奪された」

    室谷克実(評論家・ジャーナリスト) 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が新年早々、「今年は統一が」「統一が」と、はしゃいでいる。振り返れば、朴氏は昨年初めも「今年は統一が“テーバク”(=大当たりの意)だ」とやった。“テーバク”とは辞書にもない博打用語。これが大受けして盛り上がったが、南北間の実質進展はなかった。 まるでカレンダー演説だが、国是の「反日」の方も、主要な闘争スケジュールが決まっている。 まず2月22日、島根県松江市で開かれる「竹島の日」記念式典に、民族派が乗り込み、嫌がらせをする。彼らは「日警(日本の警察官)に暴行された」と言える場面を狙っている。さらに、日本政府がアップした「竹島動画」に過激な反応を示しているから、今年は危うい予感がする。 3月1日は「3・1独立運動記念日」で、朴氏が大統領演説をする。今年は日韓国交50周年。そこで「50周年だから…」と“すり寄りポーズ”を見せるかもしれない。唯我独尊の歴史認識への日本側の同調を前提とする大原則すら、「政経分離で」という用日論理で乗り越えることも考えられる。 彼らなりの譲歩に、日本側が応じなければ、今度は逆ギレ反日のスタートだ。 3月下旬から4月上旬にかけては、日本の教科書検定の結果発表がある。政府間交渉がどう進んでいようと、韓国マスコミは「公民教科書はわが独島(島根県・竹島)を日本領と明記し…静かに進む友好ムードに冷水を浴びせた」と、毎度おなじみの記事を掲げる。自民党の二階総務会長(左)との会談に臨む韓国の朴槿恵大統領=2015年2月13日、ソウルの青瓦台 その時期には、日本の外交青書も刊行される。これまた毎度おなじみ、韓国のマスコミは、朝日新聞が「問題だ」とした部分をそのまま採り上げ「恥知らずの戦犯国家・日本」のキャンペーンを張るだろう。 5月には竹島防衛訓練がある。まさに対日挑発だ。海兵隊の上陸に踏み切るようだと、温厚なる日本政府も黙ってはいられない。 8月上旬の日本の防衛白書刊行では、またまた毎度おなじみの…。 それから、8月15日の光復節に向けては、反日全開だ。韓国マスコミは「日帝の残虐行為」の掘り起こしに全力を挙げる。韓国の小説に載っていた数字史実にしたり、合成写真を掲載したり…何でもありになる。 そして、9月1日は関東大震災。韓国マスコミはこれを「関東大虐殺」と呼び、反日盛り上げの材料にしている。 まさに「反日スケジュール闘争」なのだ。 今年は「略奪された文化財の奪還」が、対日要求の1つとして本格化しそうだ。すでに反日日本人が連携に動いており、「年中闘争」になる可能性もある。極言すれば、彼らの論理は「朝鮮半島で制作された(と思われる)文化財で、日本にある物はすべて略奪された」というものだ。 条約・協定の価値を知らない隣国の人民は、厄介なこと、この上ない。 むろたに・かつみ 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「悪韓論」(新潮新書)、「呆韓論」(産経新聞出版)、「ディス・イズ・コリア」(同)などがある。関連記事■ インターネットで売られる日本の離島■ 無居住エリア拡大 「国防の危機」の認識必要■ 移民政策の本当の怖さ

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    日本が知らない「竹島」の真実

    日本が竹島を正式に領土編入したのは明治38年。今年でちょうど110年になる。わが国固有の領土でありながら、韓国の不法占拠が続く竹島。2月22日は返還運動に取り組む島根県が制定した「竹島の日」でもある。日本人の関心が薄らぐ今、竹島について改めて考えたい。

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    尖閣を“第二の竹島”にするな

    葛城奈海(キャスター・女優) 昨年のウクライナ問題や、日本人にもにわかに脅威として浮上してきたテロ集団「イスラム国」の台頭は、「国境線は変わる」という現実をまざまざと見せつけてくれている。それでも、いまだ多くの日本人には「自国の国境線が変わる」ことには現実感がないのが実情ではないか。 しかし、現実をよく見てほしい。国境線は事実、変わってきたのだ。戦争を経ずしても。 日本国憲法公布の6年後(1952年)、韓国は李承晩(イ・スンマン)ラインを一方的に宣言し、島根県・竹島を奪った。日韓漁業協議会によれば、以後65年の日韓基本条約締結までに、韓国軍はライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕(だほ)し、日本人44人を死傷させ、3929人を抑留している。 日本政府は「不法占拠だ」と声明は出しているが、具体的対抗策を取ってこなかった。結果、今や竹島には、韓国の武装警察官ばかりか民間人も常駐し、あまつさえ大統領まで訪れた。残念ながら、客観的にこれを見れば、日本領だと言い張る方が無茶な話である。 現状を放置すれば、「第二の竹島」となってしまう島がある。沖縄県・尖閣諸島だ。 2010年9月の中国漁船衝突事件で、民主党政権の対応に腸が煮えくりかえる思いをした私は「政府がそんな弱腰なら、国民が日本の尊厳を守るしかない」と決意した。志を同じくする草莽(=民間)の募金で購入された漁船に乗り、これまで15回にわたって尖閣海域を訪れてきた。沖縄県・尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島 当初は、美しい尖閣の島々に肉薄し、漁を行うことができた。だが、12年9月の国有化以降、「1カイリ(=1852メートル)制限」なるものが出され、島の1カイリ以内に入ろうとすると、海上保安庁によって阻止されるようになった。 自民党政権に代わって少しはマシになるかと思いきや、なんと今度は、沖縄県・石垣島からの出港さえ認めないという。事なかれ主義に拍車がかかってしまった。 われわれ日本の漁船を締め出しておきながら、中国公船は大きな顔で尖閣周辺を航行しているのだから、完全に倒錯している。14年の領海侵犯は実に32日間。こんな体たらくでは、東京都・小笠原諸島沖への200隻を超える赤サンゴ密漁船団も「自ら招き入れたようなものだ」といわれても仕方ないだろう。 中国が13年11月、東シナ海上空に防空識別圏を設定して以来、NHKや共同通信の取材ヘリも飛ばなくなっていると聞く。よって、現在、われわれがニュースなどで目にしているのは、基本的に「資料映像」だ。 日本人は尖閣への上陸はおろか、漁師が1カイリ以内で漁をすることも、メディアが上空を飛ぶこともできない。これで日本領といえるのか。日本政府自身が、着々と「尖閣の竹島化」に手を貸しているのではないか。黙って見過ごしていいのか。 尖閣の未来は、今を生きる私たちの手にかかっている。 かつらぎ・なみ 1970年、東京都生まれ。東京大学農学部卒業後、女優としてテレビドラマやラジオ、CMなどで活躍。ライフワークとして自然環境問題に取り組む。武道と農業を通じて国の守りに目覚め、予備自衛官となる。日本文化チャンネル桜『防人の道』レギュラー出演。共著に『国防女子が行く』(ビジネス社)など。関連記事■ インターネットで売られる日本の離島■ 無居住エリア拡大 「国防の危機」の認識必要■ 移民政策の本当の怖さ