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    尖閣・北方領土・竹島「記念日」通じ領土意識の徹底を

    山田吉彦(東海大学教授) 「江戸の日本橋より唐、阿蘭陀(オランダ)迄境なしの水路也」 江戸時代中期の経世家・林子平は、ロシア南下政策を知り「海国兵談」を著し海防の必要性を説いた。その書の中で、日本は四方を海に囲まれ、常に海からの侵略に備える必要があること、海の道を通じ世界とつながる無限の可能性を持つことを示唆したのである。 それは国際化、情報化が進んだ現代においても変わらない。海洋資源開発が進み、海の重要性はさらに高まっているのだ。利害が輻輳する海洋利用 特に1994年に発効した国連海洋法条約は、それまでの国際関係を一変させた。海洋は地球の表面積のおよそ70%を占めているが、この条約は、不明確だった海洋権益の帰属を定めた。具体的には沿岸から12カイリの領海と、その先200カイリまでの排他的経済水域を認め、その中で発生する経済的権益を沿岸国に対し、優先的に認めたのである。この条約は1958年に国連第1次海洋法会議が始まって以降、発効に至るまで36年もの歳月を要した。それだけ海洋利用は、各国の利害が輻輳(ふくそう)し、慎重さを要するものなのだ。 国連海洋法条約成立の結果、海を広く持つ国と持たない国が現れた。そして、狭い海しか持たない国は、管轄海域の拡大に躍起となった。その代表は中国である。 中国は300万平方キロメートルの管轄海域を持つと主張するが、実際に同国が管理下に置いている海域は100万平方キロメートルにも満たない。中国は海洋権益に着目し、野心を前面に出して、その獲得に動き出した。 管轄海域を拡大するには、その基点となる島、もしくは海岸線を獲得しなければならない。そのため、中国は東シナ海、南シナ海においても強引に島の領有権を主張し、海域の管轄権を行使しようとしている。その島のほとんどは無人島である。このような島は防衛機能も持たず、中国の侵攻に耐えることができない。 しかし、中国といえども他国民が既に居住し、コミュニティーを持つ島への侵攻は難しいようだ。島嶼(とうしょ)における安全保障の第一は、島で人々が安定して暮らす社会を構築することである。無人島を他国に奪われる危険島根県竹島資料室「竹島の日」10年記念特別展。竹島の写真などが紹介されている=松江市 日本は国家が守る力を失うと、島は簡単に奪われてしまうことを北方四島で経験した。北方四島では、人々の生活が奪われ、家族を失った人も多い。かつて国後島で郷土史を教えていたロシア人教員に、ロシアが北方四島を実効支配している根拠を質問したところ「第二次世界大戦の結果獲得した土地である」との返答があった。旧ソ連軍は無防備となった島民から島を奪ったが、ロシア政府は北方四島は第二次世界大戦の戦利品であると学校で教えているのだ。 連合国軍はカイロ宣言により領土的な野心を持たないはずであるが、そのような考えについてロシアは聞く耳を持たない。日本人の性善説は、国際社会において通用しないことが間々ある。 無人島が不法に他国に占領される危険があることは、竹島を韓国に奪われたことが一例だ。既に韓国は、竹島を「独島」と称し、自国の領土であることを教育の中に取り込み、その意識を国民に徹底して植え付けている。 また中国も、尖閣諸島の奪取をもくろみ、連日、中国海警局の警備船を周辺海域に派遣し、領海にもしばしば侵入している。国連海洋法条約では他国の公船に対する法執行は禁止されているため、海上保安庁は強制的に排除することもできない。問題の顕在化が重要だ 1月から2月にかけては、海洋問題、領土・領海問題に関して地元の意向を反映する行事が続く。 1月14日は石垣市が定めた「尖閣諸島開拓の日」である。しかし、残念なことに今年の記念式典には、与党の国会議員の姿はなかった。 2月7日は、政府が定めた「北方領土の日」であり、安倍晋三首相出席のもと、式典が執り行われたが、産経新聞以外、記事の扱いは小さかった。 2月22日は「竹島の日」である。この日を条例で定めた島根県は同日式典を行う予定だ。山谷えり子領土問題担当相は、内閣府政務官を派遣する方針を発表した。式典の盛会を強く期待したい。 中国、ロシア、韓国との友好を過度に慮(おもんぱか)るため、これらの式典開催に反対する人もいるようだが、記念行事などを通じて問題を顕在化することが重要だ。政府はこれらの式典を活用し、国民の理解を促すとともに、領土・領海に関する教育を徹底し、海を越えて押し寄せる脅威から自らを守る意識の醸成を図らなければならない。 国民が海域紛争や領土侵略について考えることが本質的な問題解決の前提となり、近隣国との関係構築に向けた第一歩となる。わが国は国際法のもとに海域の安全を守り、固有の領土を取り戻すとともに、国際社会の安定に寄与しなければならない。関連記事■ インターネットで売られる日本の離島■ 無居住エリア拡大 「国防の危機」の認識必要■ 移民政策の本当の怖さ

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    「韓国に併合された竹島」~竹島の日に寄せて

    古谷経衡(著述家) 今日は竹島の日(2月22日)だ。そういえば、2012年秋に、私は韓国に不法占領されている竹島に上陸した。 遺憾ながら、この上陸ルートは韓国に渡航してから鬱陵島まで行き、そこから民間の定期観光船を使う、というものだった。 当然、パスポートを使って上陸するわけだから、韓国の主権を認めたもの、と取らえかねない行為だ。ともあれ、現状、民間人が竹島に上陸する方法は、韓国経由でしか存在していない。かなり悩んだ。結果、フォト・ジャーナリストの山本皓一氏や、コラムニストの勝谷誠彦氏が同じ方法で竹島に上陸しているという事実に思い至り、「赤信号・皆で渡れば~」の精神で自分を納得させたのだ。 そうまでして、私が竹島に上陸したいと思ったのは、基本、私の人生観というか、言論方針は「実証主義」を採っているからである。竹島や、韓国のことを語るのならば、最低一回は、その地に足を運んでみるのが当然だ。 例えば韓国の経済や政治を「けしからん」という論調で批評する評論家の中には、驚いたことに一度も韓国に行ったことがないまま、机上のデータを構成している人々も少なくはない。私は、基本そのような言論姿勢は「嘘」だと思っている。どう頑張っても到達不可能な地球外の天体や、事実上到達が難しい南極やアフリカの僻地などを除いて、基本的に外国に関する評論をやるなら、実際に行ってみないことには本当ではない。 私は韓国による竹島の不法占領を非難し、これを継続する韓国政府の方針にもけしからん、と強く憤っている。だからこそ、それを非難するためには、実際に竹島に行ってみる必要がある。そう、思ったのである。 とはいうものの、「竹島に行く方法」は、どの観光ガイドブックにも掲載されていない。竹島に上陸したい、と決断したは良いが、実際の方法に関しては全くのゼロ・手探り状態からスタートした。日本で調べられる範囲でわかったことは、まず鬱陵島への渡航が絶対条件とのこと。日本海に浮かぶ韓国の島・鬱陵島から竹島への定期観光船が出ている、という情報を得た。 尤も、ソウルの観光ツアーで「竹島(独島)観光ツアー」というのが、パックで出ているという話も聞いた。くだんの勝谷氏は、このパックツアーで上陸したという情報も掴んだ。しかし、既に2010年前後から、日本人の応募を拒否している、という情報もあった。実際、鬱陵島まで行かなければ、全く分からない状況だった。  そこで私は、まず韓国東部の浦項市(ポハン)まで行き、そこからフェリーで鬱陵島に向かった。鬱陵島には空港がなく、移動は全てフェリーに頼らなければならない。ここでまず第一の関門。浦項市から出航する際、現地の警察に入念に尋問された。尋問といえば大げさだが、「鬱陵島に渡航する目的」を入念にチェックされたのである。当然、竹島問題が念頭にある。私は、「アマチュアカメラマン」と適当に方便し、審査をパスした。しかし、警察に私の人相がすっかりファイリングされ、鬱陵島の警察分署にFAX送信されたので、「これは無理かな」と、この段階で竹島上陸には暗雲が立ち込めた。完全に「韓国化」された竹島 鬱陵島に渡航し、竹島行きの航路を調べること2日、私はあっさり、竹島行きの定期観光航路のフェリーチケットを買うことが出来た。心配していた警察の監視も、私が日本人であることも一切、バレなかった。案外、きっちりしているようで抜けているのが韓国警察である。 それどころか、竹島行きの埠頭の桟橋で、統治時代の日本語を流暢に操る老人に話しかけられ、日韓友好の重要性を説かれたりもした。竹島行きの方法を、現地の韓国人に聞き込みしたが、皆熱心になって調べてくれた。実は、現地の人も、竹島行きのフェリーの詳細について、具体的にはそんなに知っているわけではない。航路は完全に観光客用で、地元の人間は乗らないから、知識がないのだ。ともあれ、みんな親切な人ばかりだった。 そうこうして、鬱陵島から約1時間半、とんでもなく揺れる小型高速船にのって、私は竹島に向かった。人生で、あんなにも上下に揺れる船に乗った経験はない。私も、周りの韓国人も、三半規管がイカれてゲーゲー吐瀉していた。運転が荒いのか、その海域がそういう波なのか、よくわからなかったが、晴れて静かに見える日本海は、とにかくとんでも無い船酔いの地獄だった。 いよいよ竹島に上陸(東島)すると、現地の警備員が定期船の観光客らを出迎えてくれる。いちおう「竹島を不法占領している韓国警察」であったが、ここでは完全に観光客用の出迎え要員で、島の観光案内を代理しているというような格好だ。 竹島には韓国政府が1990年代に整備した大型船の埠頭があり、私達はそこに接岸して上陸したのだ。とはいっても、ほとんど平地のないような狭い空間で、上陸はできるものの、東島の遥か頂に存在する韓国による構造物(警備員宿舎、展望台、ヘリポートなど)は地上から眺めるだけで上っていけるわけではない。滞在時間もせいぜい小一時間というものであったが、竹島の今を知るには十分だった。「日本固有の領土」であるはずの竹島は、完全に韓国に併合され、韓国化されていた。よく、「竹島は韓国に不法占拠されている」という。「不法占拠」という言葉のニュアンスには、デモ隊のバリケードとか、成田空港の滑走路に取り残された反対派の家屋とか、道路に放置された廃車とか、そういう「今は占有しているが、遠くない将来出て行く事を前提にしている」というニュアンスが含まれている。 しかし実際に竹島に行くと、韓国による「不法占拠」は、そんな生易しいものではないことが分かる。前述した構造物を始め、民間の寄宿舎、ロープウェイ、太陽光発電施設、観光客用の案内掲示板、住所表記、飲水ろ過装置etc…。ありとあらゆるものが整備され、完全に「韓国化」された竹島は、「不法占拠」などではなく、「併合」という表現が正しいと思う。 日本がどんなに「固有の領土」と訴えても、韓国の積み上げた既成事実を崩すことには至っていない。加えて、本日の「竹島の日」に関する式典がいまだに政府主催で開催されず、島根県という関係自治体の手によってほそぼそと実施されているという意識の低さは、韓国とは雲泥の差だ。韓国に行ってみれば分かるが、韓国の天気予報には必ず竹島の最低・最高気温、降水確率などなど諸々が表示される。韓国地下鉄のソウル市役所駅前の広場には、「”独島”」の特大ジオラマが展示されている。 韓国人一般に、言われるほどの強烈な「”独島”に関する愛着」があるかどうかは分からない。「”独島”」問題よりも生活や給料といった経済問題のほうが重要だ、と考える韓国人は少なくなかもしれない。ただし、それにしても、余りにも日韓で、竹島をめぐる意識の差は歴然としている。「竹島は韓国に併合されている」 しこたま竹島で写真をとった後、さいわい日本人であることも露見せず無事に鬱陵島に戻った私は、同島にあった「独島博物館」を見学、その足で韓国本土に渡り、当時オープンしたばかりのソウル市にある「独島体験館」も見学した。この二施設はいずれも韓国政府が国営で運営しているもので、韓国にある竹島関連施設の全てである。 前者の「独島博物館」は鬱陵島の山間に建てられた堂々たる近代施設であり、ロープウェイを使って鬱陵島の岬から望遠鏡で竹島が展示できるよう、「”独島”展望台」が整備されている。「”独島”グッズ」を売る売店まで併設されている。 一方、ソウルの「独島体験館」の方は、アニメーションCGやジオラマ、3D映画館、竹島切手や小地図の展示を併設した最新鋭の設備を誇り、現地の小中学生の学習見学コースに組み込まれていた。 他方日本は、前述のとおり「竹島の日」式典はもとより、竹島に関する施設は島根県庁の庁舎の中に申し訳程度に設置された「竹島資料室」しか存在しない。 日本政府が本腰を入れれば、東京や大阪に、韓国に匹敵する「竹島学習館(領土記念館)」などを設置・運営することは造作も無いことだが、それをやる機運も計画も存在していない。 私は韓国に行って、なによりも現政府の「やる気のなさ」を痛感し、そのことに怒りを覚えた。「竹島は不法占拠された~」などという、生ぬるいことを言っているようでは、「領土を放棄した」と捉えられても仕方がない。「竹島は韓国に併合されている」のが、正しい認識の出発点だろう。 それなしには、「竹島を返せ」などの一見威勢のよい掛け声は、空疎空論の、徒手空拳の構えに等しい。現実を直視せず「不法占拠」などという言葉のニュアンスで濁したところで、竹島問題は微動だに前進しないだろう。 だから私は以後、「韓国に不法占拠されている竹島」ではなく、「韓国に不法に併合されている状態」というニュアンスを強調するために、「不法占領」という表記を用いている。みなさんはいかが、お考えだろうか。*筆者注現在(過去においても)、日本人による韓国側からの竹島上陸は、自粛要請が出ておりますので、余りお勧めできません。またこの旅程の詳細は拙著「竹島に行ってみた」(2012年刊行)に詳述しております。 

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    知られざる「竹島」の素顔

    撮影 古谷経衡(著述家) 

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    韓国・鬱陵島の反日博物館 日本人叩き潰す内容のゲーム存在

     2013年10月、日本海に浮かぶ韓国・鬱陵島(ウルルンド)に新たな“反日”博物館がオープンしていた。「独島(竹島の韓国名)を朝鮮領と認めさせた」として、韓国人がヒーロー視する安龍福(アン・ヨンボク *注1)の記念館である。 捏造と虚構がちりばめられた展示の実態を、国防問題に精通する某大手紙の名物記者、金正太郎(かねまさ・たろう)氏が現地レポートする。* * *中国で1882年に作られた韓国の歴史や地理などをまとめた書物「東藩(とうはん)紀要」。「江原道図」では、鬱陵島(右下)のすぐ東に小さく「于山」とある。韓国側は竹島と主張するが、実際はもっと遠い 最新の反日プロパガンダ施設「安龍福記念館」は、2007年ごろに建設の構想が浮上し、昨年10月にオープン。総工費は150億ウォン(約14億9000万円)、地上2階、地下1階で延べ床面積は2090平方m、敷地は2万7000平方mと、かなり立派な箱物である。 館内にある史料はというと、1696(元禄9)年の江戸幕府による「竹島渡海禁止令」のコピーが展示されていた。 鬱陵島に朝鮮人が姿を見せたと報告を受けた幕府は、対馬藩に朝鮮側と交渉させた。話し合いは難航したことから竹島(現在の竹島ではなく鬱陵島を指す。現在の竹島は松島と呼ばれていた)への日本人の渡航を禁止することを示した書面だが、コピーの解説には「鬱陵島と独島への渡航を禁止した」と、勝手に「独島」が加えられていた。 また、1837(天保8)年に越後高田藩(新潟県上越市)で掲示された木製の高札(御触書)のレプリカもある。 江戸幕府は元禄期に鬱陵島への渡航を禁止したが、天保期に日本人が密航した事件が発生。このため「(鬱陵島は)朝鮮領に属しており、渡航を禁じる」とするお触れを出して全国に周知した。 この中で竹島については一切言及されていないが、韓国側は「幕府は鬱陵島と独島への渡航を公式に禁じた証拠」と勝手な解釈をして紹介している。 実は、高札は2009年3月に日本国内の美術品オークションに出品され、当時、産経新聞が国外流出の危機を報じて問題となったものだ。結局、韓国人の手に渡り、現在は釜山市の国立海洋博物館が所蔵し、曲解した観念で竹島領有の主張に活用されている。 記念館にある史料のほとんどが、日本の博物館や資料室が所蔵する文化財だが、「複製」とは一切表記せず、しかも無断でコピーや加工をして本物らしく展示していた。念のため、係員に「これらは複製か?」と確認したが、口をつぐんだまま立ち去ってしまった。 子供向けの展示も充実していた。「4D映像館」は可動型の座席に座って、特製のメガネをかけて立体映像で安龍福拉致事件や江戸幕府の関白を説き伏せるという“歴史物語”を楽しめる。 タッチパネル式のゲーム「私たちの国土の守護者 独島はわが領土だ」もひどい内容で、内蔵マイクの前で手を叩くと、竹島の周辺海域にいる日の丸入りの陣笠をかぶった日本人を、蚊を潰すように駆逐できる。 いかに多くの日本人を叩き潰すかでランクが決まり、“功績”が大きいと内蔵カメラで自分の顔をモニターに当てはめて「将軍」気分になれるという仕組みだ。 展示の締めくくりには、朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領が1967年の在任時に筆を執った「国土守護 其功不滅」の揮毫が飾ってあった。「安龍福が独島と鬱陵島を守った史実は『国土守護』に当たる」とし、功績は永遠に不滅だと評価したと説明書きにはある。 安が不法入国者だった(*注2)という「史実」はどこにもなく、「不滅の功績」は子の代に受け継がれる--。 結局、はるばる訪れた安龍福記念館に日本側を驚かせるような目新しい史料はなく、韓国側が繰り返してきた歴史の創作と誇張を都合よく解釈する史料が置いてあるだけだった。そのほとんどが複製品というお粗末ぶりは、日本に「歴史認識を問う」以前の、韓国社会の問題点を象徴していた。 【*注1】伊藤博文を暗殺した安重根に次ぐ“抗日英雄”。江戸幕府に竹島を韓国領と認めさせたと伝えられている。 【※注2】江戸幕府は1661(寛文元)年より、米子(鳥取県米子市)にいた町人グループに竹島での漁業や中継地としての利用を許可していた。1693(元禄6)年、前年から鬱陵島に姿を見せていた朝鮮人が増加していたことから、鬱陵島を日本領だと考えていた町人らは彼らを“不法侵入”と見なし、日本語が話せる朝鮮人と漁夫の2人を鳥取藩に連行。この日本語ができる朝鮮人が、安龍福だった。関連記事■ 反日博物館がある韓国・鬱陵島 日本人は上陸手続きで尋問も■ 韓国鬱陵島行きの船に乗った日本人報道写真家「緊迫の一瞬」■ 「独島は韓国領」とする韓国の主張は矛盾だらけと報道写真家■ 韓国の嘘バレる日迫る今こそ手を差し伸べる包容力見せるべき■ 日本人カメラマンが語るわずか20分の「竹島上陸体験記」

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    「反日」が支配する哀しき国と対話できるか

    韓国の朴槿恵大統領は、今年の年頭会見で「日韓首脳会談の開催には困難がある」と述べ、改めて日本側に姿勢の変化を求めた。日韓は今年、国交正常化50年の節目でもある。歴史認識のズレが埋まらない中で「対話による新しい関係」を築くことができるのか。

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    政治的過激主義としての韓国の反日主義

    。これも「善と悪」に分ける傾向に当てはまるという考えが出来なくもない。この前政権の政策や功績の否定も日韓関係に影響を及ぼす。(8)過激派は常にある程度の検閲と彼らの相手や批判者を抑制するよう唱道する:メディアに流される情報を規制したり、ブラックリスティング、反体制者の隔離、「禁断」な情報拡散を食い止める抑圧的な法律制定のためのロビー活動など。過激主義者らは特定の書物、資料を書店や図書館などから締め出そうと試みたり、報復の威嚇を通して広告を牽制したり、電波から都合の悪い意見を持つスポークスマンをブロックしたり新聞のコラムニストを締め出そうとする。韓国の反日活動例: 韓国の親日的な著者(たとえば呉善花女史)などがブラックリストに載せられ、売国奴として迫害を受ける。欧米の図書館の資料・地図の「日本海」に「東海」のシールを張る。また産経新聞の加藤達也記者の起訴や親日派の末裔に対する後事法的な特別法の制定などもあげられる。(9)過激派はその敵との関係で自己を認識する:過激主義者らは彼らの憎む対象、そして誰に憎まれているかを通して自分の存在意義を確認し、敵に感情的に縛ってしまうこともしばしば。敵である存在も模範にするケースもある。韓国の反日活動例: 反日的な行動を国を挙げて実行しているにもかかわらず、日本文化や産業品をパクる。自国を日本と比較して国際社会での立場を確認するという行動も見られる。日本を貶める行為をしているにもかかわらず、奇妙な共生関係にあるのだ。 (10)威嚇を利用しその主張を通そうとする:過激主義者は彼らの前提と結論を受け止めてくれるように威嚇を利用して主張をまとめる傾向がある。彼らに異論を提示することはあたかも敵に慰めを与えることになると見なされる。これには論争の範囲を定め、主張の都合の悪い部分を切り捨て、相手を守勢の立場に置き続ける意図がある。韓国の反日活動例: 日本を弁護、あるいは日本に同情する親日系の韓国の社会人は社会抹殺の対象にある傾向にある。(11)スローガンや思考停止を狙う決まり文句の利用:簡素なスローガンを複雑な抽象概念の代わりに用いり、都合の悪い事実や反論を牽制しようとする。韓国の反日活動例: スポーツの会場で掲げられる「歴史を忘れる民族は未来が無い」というスローガンの件がある。(12)終末論的な考え:過激主義者は特定の行動方針を果たさなければ破局的な結果が出るという考えを持つ傾向を持つ。韓国の反日活動例: 慰安婦像を「平和の像」と呼び、「慰安婦像を建てるのは平和的な目的だ。日本がまた未曾有の戦争を起さないようにするためであり、世界人民に対する奉仕である。」という言い訳がある。ウィルコックスによると過激主義者は私的で個人的な恨みや特権の追求の理論的根拠を「公共のための福祉」の美名の下で実行しようと試みる傾向があるとも述べている。(13)常に他グループに対する道徳的、または他の面での優越性を主張する:最も顕著なのは民族優越主義であるが、宗教的、哲学的な優越性の主張もある。しかし、比較的に明らかではないという種類の優越性では、被害者であるという申し立ての主張、神の選民意識などもあり、批判者がそれらの主張の事実性を論じようと試みると「鈍感だ」と非難される。韓国の反日活動例: もちろん北朝鮮と共有する朝鮮民族優越主義であり、小中華思想などがこれに当てはまる。また「被害者である」というところでは朝鮮併合時代の「過酷な時代」の主張がこれにあたる。また1960年代後半以降の経済活発化(いわゆる「ハンガンの奇跡」)により韓国は神の選民国であるという主張もある。(14)「良い」大義のためには悪事を行なっても大丈夫、という考えを持つ傾向がある:過激主義者たちは故意的に嘘をついたり、事実を捻じ曲げたり、不正確的に引用したり、批判者たちを名誉毀損したりする。願う結果を得られるのなら正当化され、批判者を打倒するのが優先され、他の価値論は全てそれに従属される。韓国の反日活動例: 悪事といえば、最近の例では「対馬仏像盗難事件」がある。また、日本を侮辱するために設置された韓国の日本大使館のそばにある慰安婦像は外交の基本である「ウィーン条約」に反した行いであると水間政憲氏は指摘している。国内、日本に問わず韓国の歴史的事実の歪曲もこれに当たるだろう。まさに目的を達成するならば不正をやっても良いという考えだ。(15)過激派は感情的な反応に大きな価値を置く傾向がある:まさにプロパガンダ主義であり、教育とも意識高揚ともいわれる。結果的に彼らは大義を愛国心の御旗、正義、または被害者意識に絡める。彼らの批判者に対する活動で感情的な反応を生み出す象徴を利用し、無批判に他人の同情を得ようとする傾向があり、これを通して彼らの提示する前提と結論の検証を食い止めようと画策する。プロパガンダと教育の違いは前者は「何を考えるか」であり、後者は「どう考えるか」である。韓国の反日活動例: 「旭日旗はナチス党旗と同じ」という主張。また、欧米で「慰安婦像」を建てて「(性)奴隷」という感情的な反応を狙うプロパガンダ工作もこれに当たる。小学生時代から徹底的に叩き込まれる侮日・反日教育(歴史教育のみならず、音楽などのアーツなどにも反日思想が反映されると指摘されている)。(16)過激主義者には超自然的、神秘的、あるいは神的な理論的根拠を主張することがある:過激主義者には何らかの宗教運動、または団体に属するケースもあり、彼らの活動は天的な存在のお墨付きであると主張する者もあり、信教の自由のもとで批判から防御しようと試みる。韓国の反日活動例: 儒教は絶対神の存在を説く思想ではないが、儒教に浸っている韓国社会は中華主義の国際ヒエラルキーに浸っており、基礎的な思想から侮日の伝統を持っている。伝統的な思想が侮日・反日主義のセメントとして機能しているといえるのではないか。(17)曖昧さと不確定さへの不寛容性:過激主義者たちは不確定な世界において確定性を見出そうとする傾向があり、これが個人的、政治的に操作的な行動に動かす要素となる。韓国の反日活動例: ケースは思い浮かばないが日本人は曖昧さには比較的寛容的であるが、韓国人は断言するのが好きだという指摘がある。呉善花女史も「何事につけても、こうあるべきだ、こうあることが正しいという理念が第一になって、そこから現実の物事をみていこうとする傾向が強いということである」と述べている(『反日・愛国の由来 韓国人から見た北朝鮮』参照)。これも反日キャンペーンの凄まじさに影響を及ぼしている可能性は否定できない。(18)集団思考への傾向:過激主義者は内向きの集団思考に動く傾向があり、団結と一致を守るために事実を捻じ曲げたり、矛盾する証拠を伏せたり、共有している憶説に疑問を投げかけてしまう観察を抑えつける。これによって共有している正義の幻想や道徳の優越性、迫害などが維持されそれらの考えを挑戦する者は懐疑と敵意を持って応じられる。韓国の反日活動例: 日本の前で韓国批判をする韓国人ジャーナリストは叱責、批判され、時には売国奴として扱われる傾向がある。(19)敵意の個人的化:過激主義者は“敵”に個人的な不幸を望み、不幸が起こった際には祝う傾向にある。韓国の反日活動例: 2011年の東日本大震災の惨事に日本が見舞われたときに韓国スポーツ競技ではそれを「祝う」垂れ幕が飾られた件や2005年、韓国の仁川市の地下鉄駅で子供たちが描いた日本に不幸・災難を願うポスターが展示された件などが挙げられる。(20)「勝たなければ社会はダメだ」という思想を持つ:例で言えばもし過激主義者が選挙で落選したら不正が行なわれたと主張し、もし世論が彼らを批判をし始めると民衆は洗脳されたと主張する。政治・社会システムの善悪は自分たちへのインパクトで判断される。韓国の反日活動例: 韓国の「敗北を認めたがらない文化」の影響もあるだろう。もし第三国の政府が日韓問題をめぐり親日的な処置を執行すると証拠も無いのに「日本がロビー活動した」と噂される。韓国反日主義において自国において都合の悪い事件や状況は「日帝36年強占支配」の悪影響として主張、誇張されるケースがある。◇2014年7月23日、ソウルの日本大使館前で従軍慰安婦問題に抗議する集会の参加者(共同) いかがだろうか。もちろんこれは韓国社会における傾向、トラジェクトリーの分析であり、韓国の国民のひとりひとりがこれに当てはまるというわけではない。提示した反日の例は一握りのサンプルであるが、読者はこれらに当てはまるさらに数多くの適切なケースを思い浮かべるかもしれない。 述べるまでもなく、韓国の反日傾向は幾多もの角度から分析されている。文化的、政治的、歴史的、そして経済的な分析などがある。何百年にわたって徹底された儒教の影響がいまだに濃いのでそれに起因しているのも大きい理由だろう。しかし、結果としてウィルコックスがいう「過激主義者に見られる特徴」のほぼすべてに韓国反日主義の特徴が当てはまるというのは一体、何を物語っているのだろうか。 民族が違えば文化も違うのも当たり前だが、この現象もシンプルに「文化の違い」で済まされるものなのだろうか。朱子学という儒教思想は「過激的」な文化を生み出してしまうものなのか。問題は複雑である。 また、ウィルコックスが掲げる点の要素のすべてが韓国の反日主義に何らかの形で見つけることが出来ても、侮日・反日主義の実行者ら自らが「過激主義者」であると認識して実行しているとは考えることは殆ど無いと思う。 彼らの立場から見れば正義のために戦っているから、それが「過激」とは思いもしないだろう。韓国ではそれが当然であり、文化的に正しい行為と見られているのは幾多の研究者に指摘されてきた。しかしウィルコックスは過激主義は必然的に「主張の内容(Content)」ではなく「やりかた(Style)」であるとも述べている:「過激主義者の振る舞いは内容を超越する“やりかた”によって特徴付けられる。たとえ正しい大義であっても、激しく不寛容的で復讐的な唱道によって危うくされる可能性もある。(中略)『鼠を捕まえるために小屋を焼き払う』という古い格言がこの問題に当てはまる」(The Watchdogs: A close look at Anti-Racist “Watchdog” Groups) 自国の利権、国際的な信頼をも危うくしてまで侮日・反日を繰り返す韓国。この視点からも見れば、やはり韓国の反日主義はある意味、立派な「過激主義」であるという見方も可能なのではないのか。上記の特徴が社会内の特定の過激主義組織だけではなく、主権国家自体に当てはまるとは実に恐ろしい現象だといえるだろう。 2015年は第二次世界大戦の終焉の70年にあたる年である。また「日韓基本条約」締結の50年にあたる年でもある。第一次世界大戦勃発100年記念に踵を接する今年には世界中で多くの行事が行なわれ、書籍が出版され、ドキュメンタリー番組が制作されるだろう。この歴史的な年に当たって韓国を含む「東アジア反日3兄弟」は日本に対して心理的に露骨な宣伝工作と情報戦を繰り出す意図でいるのは明らかだ。 日本はウィルコックスの分析も参考に、歴史的事実としっかりとした論理を手に首尾一貫した戦略を練ったらどうだろう。エリ・コーヘン前駐日イスラエル大使が2014年春に助言したように、日本人は総力を挙げて戦うべきだ。 ウィルコックスは歴史家でもある哲学者アーサー・ケストラーの次のことばを引用している。「神話中毒者との対話のほとんど全ては失敗に帰する。論争は最初から客観性から離れ、主張は長所によってではなく思想体系に適するか否かで考慮される」。もしそうなら、日本は反日に染まった韓国をダイレクトに相手にするよりも、精力的に事実を世界各国に発信するという戦略をとったほうが実を結ぶことができるのかもしれない。まさに情報の総力戦だ。 いずれにせよ感情を煽り歴史を歪曲する相手の戦略に対抗し、日本の命運と未来のために立ち上がり、戦うべき年。それが2015年なのである。関連記事■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 「右翼」「排外主義」狂奔するレッテル貼り■ 反日の根底には「恨」の感情がある

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    産経攻撃は卑劣な最終独立兵器の作動だ

    古田博司(筑波大学教授) 昭和28(1953)年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。下関市立大学助教授などを経て、現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。韓国滞在が長く、朝鮮半島の研究者として著名。文明論や思想についても論考を多数発表しており、本誌で「近代以後」を連載中。著書に『日本文明圏の覚醒』(筑摩書房)、『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国』(ワック)、『ヨーロッパ思想を読み解く』(ちくま新書)など。朝貢とはゴネとたかりである 今回正論編集部から現在の韓国問題が旬だから書いてくれとの依頼があった。そこで歴史的な経緯をどこまで遡るべきか、悩んだのである。戦後の朝鮮研究は、共産主義者の左翼や社会主義のほうが資本主義よりも「自由」だと思い込んだ、自由主義者に非ざる日米版リベラリストたちにより大きな制約を受けてきた。 朝鮮半島は、清のヌルハチの息子が奉天(現・瀋陽)から軍を発して一週間余りでソウルを落とせるほど平坦な、いわば廊下である。この廊下を満州から切り離し、そこに自立性を見出すことに彼らは躍起になったのだった。そしてその自立性を帝国日本が奪ったのだと喧伝した。 だが、廊下は廊下であるから、異民族の侵入に抗することができない。歴代の王は逃亡する。李朝では、海沿いの江華島に逃亡用の王宮までしつらえられていた。このような国では、まともな国家運営はできない。国内では宮廷派閥闘争と粗放な古代経済ばかりが繰り返された。そして貨幣流通の企図はその都度挫折したのだった。 満州には、モンゴル系の部族とジュシェン(女真)系の部族がいた。それらはいくつかの小部族に分かれており、そのうちの或る者たちは朝鮮と同じようにシナに朝貢した。別にシナを慕って朝貢するわけではない。行くと、シナ側から金銀、絹布、薬材、香料、針、衣服などの高価な賜い物があるから行くのである。これを賞賜とか回賜とか言っていた。これを国に持って帰って売るわけである。 朝貢使節の人数分くれるので人数を水増しし、それがばれて戦争になることがあった。明の正統年間にはモンゴル系のオイラト族がこれをやり、両者緊張してオイラトは明に侵入し、保安の近くの土木堡でぶつかって、あろうことか明帝の英宗が捕まってしまった。これをシナの歴史では、シナにとってあり得べからざる変事として、「土木の変」(1449年)という。 この戦いでは李朝は軍馬として3万匹を明から要求されたが、ゴネて負けてもらった。援軍をよこせと言われたが、倭寇が侵入するのを明の代わりに塀となって防いでいると言い訳しゴマかして、行かなかった。こういうのをシナと朝鮮の宗藩関係とか、臣従関係とかいう。 結局オイラトは朝鮮に南下してこなかったからよかったものの、ここを貫かれれば、今度は朝鮮を橋頭堡にしてシナ全土への征服戦が始まるのである。これをやったのが、清のヌルハチとその息子だった。廊下としての朝鮮は、シナにとっての地政学上の弱点なのである。だからシナは朝鮮とワンセットで北方異民族に対するが、朝鮮はごねたりゴマかしたりして、自己のダメージを最小限にすべく努めるわけだ。女や軍馬を強制される伝統 満州の遼陽には明の派出の軍政府があった。李朝はここを通じて、北辺の衞りに馬1万匹とか、処女(若い娘の意)3千人とかを要求される。馬はモンゴルに征服された時代に、済州島を丸ごと馬牧場にされたため、朝鮮には馬が豊富だと思い込まれ、後世も要求された。すぐ凍死するので頭数も多い。処女何千人というのは、モンゴル時代に高麗人の下女が大都の貴族家庭で大人気だったので、これもシナの思い込みを払拭できなかったのかもしれない。これが「従軍」慰安婦の韓国発「強制性」の起源だろうか。 遼陽の軍政府を通じて、李朝は年3回の朝貢使節と随時のそれを遼陽ルートで送った。それ以外にも、北方民族の動きやシナの王族争いの貴重な情報源として、適宜官吏を遼陽に送っていた。ここには降伏したジュシェン人たちの居住区もあった。 17世紀になって、ジュシェン系の勢力が伸長した。ジュシェン人は遊牧民のモンゴル人と異なり、定住農耕もする狩猟民だった。明人が毎年ジュシェンの地を侵し、銀を掘り、高麗人参を採り、木を伐り、松の実、きのこ、キクラゲ、川真珠を取っていくので、越境した明人を見つけ次第殺していた。 ついにヌルハチは怒りを発した。「明は天下の国の中で自分の国が主であるというのだ。主であればすべての国に悉く主であるはずだ。どうして我ひとりだけに主であらうか」(満文老トウ研究会『満文老トウI』東洋文庫、47頁)。今風に言えば中華思想に対する憤怒であろうか。ジュシェン・モンゴル連合軍に対し、明は李朝に援軍を要請した。李朝はこの度はゴマかせなかった。 撫順近郊のサルフで、両軍は激突した。朝鮮兵は敵の勇猛さに恐れをなすと旗をみな隠して、「我が朝鮮はこの戦争に好んで参加したのではない」(同、133頁)と、命乞いし、明兵をみな捕へて山の下に転がした。ジュシェン軍は1625年、ついに遼東を占領した。最終独立兵器はゴネ・からみ・ツッパリ ヌルハチが没すると、子のホンタイジがハンとなった。彼の賢さはまず朝鮮を討ったことである。国境の義州城を落とすと、そのまま軍を江華島に送り、すでにここの王宮に逃げこんでいた朝鮮王を囲んだ。武将が泥人形のように固まった王を見て、彼のハンに対するかつての無礼をなじると、王は「我は知らない。我らの諸大臣が言ったことである」(同・、48頁)と家臣のせいにした。 その後、朝鮮に軍資金として金、銀、角(薬材)を供出させようとすると、「我が国の産物ではない」と言って、十分の一だけ払ってきた。使者を送り、ジュシェンとモンゴルの諸王たちの親書を渡そうとしたが受け取らなかった。これは2年前の8月23日、李明博前韓国大統領の竹島上陸や天皇陛下への謝罪要求に遺憾の意を表明した、野田佳彦前首相の親書を拒否した非礼を彷彿とさせる。このあたりから、韓国は中国を頼みにし、日本を侮辱し始めたことが分かるだろう。 さて、王宮で監視下に置かれたジュシェンの使者は馬を奪って脱出するが、途中、朝鮮王の使者に出会う。王が辺境の警備軍に発した勅書を持っていた。そこには、こうあった。ジュシェンは分を越えて尊大で、我らに密かに書をよこした、と。そして「強弱存亡の形勢を計らず、正義をもって断絶し、書を受け取らず断乎として拒否した」(同・、九七〇頁)とも書かれていた。かくしてホンタイジは第二次朝鮮征伐を決意するのであった。無人の荒野を行くがごとくの快走でソウルを落とし、逃げた王を追って南漢山城を包囲すると、朝鮮側はあっけなく降伏した。東洋的専制圏の極東「韓国」 民族の行動様式は繰り返されるという前提でざっと朝鮮史をさらってみたのだが、こういうのは左翼やリベラリストの概説書には絶対出てこないので、読者には新鮮に映るのではないだろうか。戦前には、このように満州と朝鮮は一体で研究され、「満鮮史」として高いレベルを有していた。最近ようやく荷見守義『明代遼東と朝鮮』(2014年)などの良書が刊行され、満鮮史研究はふたたび東洋史の側から始められている。おそらく朝鮮史研究者は東洋史研究者ほどには漢文ができないし、弟子もうまく育っていないので、将来的には消え去る運命にあるのではないかと危惧される。 もっと問題なのは韓国のほうである。日本の左翼・リベラリストの自立史観から発展した自己中心史観で教育されるものだから、歴史的個性から無意識に出てくる行動様式と歴史観がちぐはぐになってしまい、自分たちの姿が全く見えなくなっているのである。ゴネ・たかり・からみ・ツッパリ・人のせい・イガンヂルなどの卑劣DNAが、自分たちの独立を守ってきたのだという自覚のないまま、無意識で拙劣なことを海外に露呈し続けるわけである。繰り返し言うが、朝鮮半島は廊下であり、まともな国家が存立できる基盤を欠いている。独立は常に卑劣なる手段により全うされてきたのであった。あまりに卑劣なので元明交替期には、明ですら李朝が秘かにモンゴルと通じているのではないかと疑っていたほどである。 ここにもう一つの要素が加わる。今度は、この連載の二回目で詳述した、ユーラシア大陸の極西から極東に及ぶ、圏(zone)の問題だ。具体的には、ロシア・中国・北朝鮮・韓国がこれに含まれる。 これらの地域は歴史上、独立採算制の地域分業、すなわち封建制を経験したことがない。分業がうまくできない地域なのである。もちろんインドは、カーストという分業をしているからこれらの圏には含まれないし、日本も神道の神様まで分業しているくらいの分業得意国である。では、分業がうまくできない国とは、どのような国なのだろうか。分業は仕事を分割して人にまかせるということだから、できないことには信頼関係が生まれない。信頼関係が生まれないから、約束関係も契約関係もダメだ、ということになる。分業がダメな東洋的専制体制 結果として社会的な信頼関係や契約関係が育つことがなく、凝集力を欠いた社会の上に専制集団が派閥をもって君臨し、その不断の闘争による政権交替のみが腐敗緩和の浄化装置となっているというのが、この地域の特徴ということになるだろう。私はこれを東洋的専制圏(A Zone of The Oriental Despotism)と称している。 民衆は「長いものには巻かれろ」式に専制集団や独裁者に従い、経済・政治の責任ある主体であることを自ら好んで回避する。統治形態は王朝国家、征服王朝、独裁国家、強権政体を歴史上繰り返してきた。 社会的に信頼性や契約性が育たないため、国内の規範・法のみならず、国際的なルールにも進んで従うことができず、自己中心的な価値観で無謀な行動をとりやすい。自己中心的な価値観は他の価値観や社会の多様な言論の存在を許さないが、その不寛容性が却って、彼らの社会的凝集力となってしまっている。そのような圏である。 もちろん圏としてでなければ、その諸特徴をもつ組織は他の国にも生まれる可能性がある。日本で言えば、戦時中の軍部や戦後のマスコミの一部など。学歴エリートの専制的幹部と、信賞必罰なしにラインを上昇するヒラメ体質の部下たち、自己保存と出世欲だけの社員が集まれば東洋的専制体制に限りなく近くなる。なぜそうなるのか、私は海の向こうの東洋的専制圏との共鳴、あるいはそこから伝統的な知識を借りるという、アジア主義の深い影響を挙げたくなる。中華思想や華夷秩序がその核になっているのだということは、本連載でも繰り返し述べてきた。産経新聞支局長言論弾圧事件 さて、ここまで来て産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が、朴槿恵韓国大統領の名誉を毀損したとして、情報通信網法違反の罪で在宅起訴された事件を取り上げてみたい。 加藤記者は4月に起きたセウォル号沈没事故に関連するコラムを書き、8月3日の産経新聞電子版に掲載された。コラムは沈没事故の当日に朴大統領が事故の報告を受けてから本部に顔を見せるまで「空白の7時間」があったことに触れ、韓国紙のコラムを引用しながら、朴大統領の男関係のうわさを証券街の関係筋の話として紹介した。(毎日社説、10月10日付) 産経への捜査は、市民団体による8月6日の告発が発端だが、翌七日に青瓦台の広報首席秘書が「民事、刑事上の責任を最後まで問う」と発言し、同8日にはソウル中央地検が出頭を求める素早さだった。(東京新聞、10月9日付) 朴大統領は、すでに捜査が始まっていた9月16日、「国民を代表する大統領に対するぼうとく的な発言も度を越している」などと発言し、その2日後、最高検察庁はネット上に虚偽事実を広める犯罪への対応を強化し、ソウル中央地検に専従捜査チームを設けて徹底的に捜査すると発表した。(朝日新聞、10月10日付) 検察がネット監視強化を打ち出すと、韓国で広く普及している無料チャットアプリ「カカオトーク」の利用者の一部に不安が広がり、セキュリティー機能が高く評価されるドイツのアプリ「テレグラム」へ乗り換える、いわゆる「サイバー亡命」が続出し、10月初旬の一週間だけで150万人が亡命する。危機感を抱いたカカオトークの運営会社は、捜査機関に通信内容を渡すようにという裁判所の令状に基づく命令に協力したことを認めた。(毎日新聞、10月10日付) 国内法で外国人特派員の国外での言論を弾圧するという異様な挙に、日本新聞協会、ソウル外信記者クラブ、日本外国特派員協会、国境なき記者団、日本ペンクラブなどが次々と懸念と憂慮を表明し、米紙ニューヨーク・タイムズは朴政権の光州ビエンナーレへの介入を取り上げ、表現の自由の弾圧を行っているという画家の言を紹介した。 米国務省のサキ報道官は8日の記者会見で、「我々は言論と表現の自由を誇りをもって支持する」と、暗に朴政権を批判した。11日には、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が朴政権の政治的意図を挙げ、韓国側を明瞭に批判した。韓国司法の分業失敗 この事件の背後には、まず韓国司法の分業の失敗が存在する。韓国法院(最高裁判所)の下に、1988年違憲審査を行う憲法裁判所が設立されたが、2004年に、盧武鉉元大統領が国会の3分の2以上の賛成で弾劾訴追されたとき、憲法裁判所が違憲判決を出すことにより盧氏を救った。これより政治家は憲法裁に持ちこんで生き残りを図り、憲法裁は違憲判決を出すことにより政治的な勢力を拡大するようになってしまった。2011年8月、「従軍」慰安婦の損害賠償請求を政府が支援しないのは違憲だとする判決は、李明博大統領をさらなる反日へと追いつめた。他方、検察を統御する法院は2013年、憲法裁判所に対抗し、日本企業に戦時徴用工への個人賠償を認める判決を出した。検察と憲法裁が分業することなく、互いの専制権力を求めて暴走を始めたのである。司法の場で、専制集団が派閥をもって君臨し、その不断の闘争で法治主義を危機に陥れる事態となった。 第二に、ではなぜ産経は狙い撃ちにされたのか。産経新聞の一面コラム「産経抄」(10月4日付)は、「かねて慰安婦問題の真相究明に努めてきた小紙を韓国が狙い撃ちにしたのではないか、という論評すらある。漢江の奇跡をなし遂げた偉大な父の娘である大統領がそんな狭量ではあるまい、と抄子は信じて疑わぬが」と、控えめに語ったが、はっきり産経の狙い撃ちであり、娘は狭量だと言わねばならない。 周知のように韓国は戦時中、日本の対戦国でもなければ戦勝国でもなかった。米軍の進駐により棚ボタ式に独立を得た彼らには、国家の正統性がない。北朝鮮の金日成は中国の軍隊の一司令官で命からがら極東ソ連領に逃れたが、それでも独立戦争を一応戦ったという正統性がある。他方、南の方では、レンガ工場などに潜んでいた共産主義者は戦後北に渡り、金日成に粛清された。 上海に逃げて中国国民党の食客になっていた大韓民国臨時政府は民族主義者と共産主義者の混成集団で、頭目の李承晩は二年で追放され、副頭目の李東輝は辞任したが、コミンテルンからの資金を独り占めし、テロリストの金九の私兵だった光復軍は、ミャンマーの英軍に日本人捕虜の通訳として八名派遣しただけで終戦を迎え、臨時政府は現地で瓦解したのだった。誰も戦っていないので、戦後の韓国では卑劣な爆弾魔を英雄にするしかなかった。 歴史上、長らくイングランド総督府に抗したアイルランドにもテロリストはいたが、彼らは英雄の栄誉にはあずかってはいない。韓国が卑劣なテロリストを英雄にできるのは、卑劣行為への国内基準が国際基準よりもはるかに低いからである。 文化水準がずっと上のシナの横に控え、武力が糅てて逞しい北方異民族を北にこらえて、袋型の廊下に芥のように溜まってしまった民族に、卑劣という戦術をやめろというには無理がある。国家の正統性が卑劣行為により捏造されるという誘惑に彼らが勝てるはずはなかったのである。 それでも韓国が法治国家、民主主義国家にでもなれれば、それなりに正統性が担保できるはずだったのだが、前述のように、それもままならないことになってしまった。南北で最終独立兵器が作動 それゆえ、日本を悪者にし続けて、それと戦ってきたという正統性の偽史が韓国にはぜひとも必要だった。したがって慰安婦問題の真相究明に努めてきた産経新聞のスクープと、慰安婦誤報放置への朝日新聞の謝罪は、朴槿恵大統領には政権の正統性を揺るがしかねない大地震なのである。この動揺は、北朝鮮の正統性を欽慕する韓国左翼政党や労働組合、教職員組合などの左翼勢力にとって、これまで強権で押し切ってきた朴政権攻撃への狼煙となるやも知れなかった。 この独立の危機に臨んで、日本に対するゴネ・からみ・ツッパリという最終独立兵器が作動する。ジュシェンに対し李朝の王が「強弱存亡の形勢を計らず、正義をもって断絶し、書を受け取らず断乎として拒否した」と、あくまでも突っ張ったのと類似である。「慰安婦問題から始めないならば、悪者の日本なんか相手にしてやらないぞ」と、廊下半分の主である朴槿恵大統領は専制君主のごとく自らを偽装した。時同じくして中国に原油を止められじり貧状態となった北朝鮮は、「身代金を払わなければ帰してやらないぞ。日本がまず誠意を見せなければならない」と、ゴネとたかりの最終独立兵器をちらつかせた。 日本人にはもう分かっているのだ。彼らは東洋的専制圏のダークサイドに落ちる。卑劣な最終独立兵器の作動は、彼らの最期と魚爛の如き未来をはからずも予言しているといえるだろう。関連記事■ 加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず■ 秦郁彦×西岡力対談「朝日の誤報は日本の名誉毀損」■ 河野洋平は戦後最も日本を貶めた政治家である

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    行き詰まる朴政権の反日外交

    西原正(平和安全保障研究所理事長)平和・安全保障研究所理事長。京都大学法学部卒業。米国ミシガン大学から政治学で博士号を取得。京都産業大学国際関係論助教授、教授を経て、77年から00年まで防衛大学校国際関係論教授。その間、米国ロックフェラー財団客員研究員、防衛研究所第一研究部長を務める。00年から第7代目防衛大学校長。06年退任、同年6月より現職。ASEAN地域フォーラム有識者グループメンバー。領土・主権をめぐる内外発信に関する有識者懇談会座長。13年産経新聞「正論」大賞受賞。  北東アジアの力関係が変動する中で、安倍晋三首相はそれを巧みに利用し成果を挙げつつある。特に安倍政権を非難し続ける韓国の朴槿恵政権は、慰安婦問題を対日外交の中心に据えているため行き詰まりをみせている。日本は日米同盟を地域の安定軸として北東アジアの勢力均衡を有利に展開する外交を続けるべきである。 日米の不興買う韓国の政策  韓国で最近会った研究者は「慰安婦問題は朴政権にとって政権の正統性にかかわる問題だ」と言っていた。朴大統領は就任以来、外国要人に「告げ口外交」をし、折あるごとに「歴史を直視していない」と日本を非難してきた。今年3月1日の独立運動記念式典の演説でも8月15日の光復節の演説でも同様の対日批判を展開した。 当然、日本の反発も強くなる。雑誌などでは、「歴史を直視せよというのなら、ベトナム戦争時代の韓国兵によるベトナム女性への性的暴力を取り上げるべきだ」とか、朝日新聞が慰安婦強制連行報道の誤りを認めたのを受け「韓国は強制連行はなかったという事実を直視すべきではないか」といった反論が噴き出している。   ラッセル米国務次官補(東アジア太平洋担当)も、歴史認識問題を脇に置いて日韓協力を進めるよう要請している。ケリー米国務長官が今年2月、ソウルで朴大統領と会談した際、大統領が慰安婦問題のみに言及したため、長官は極めて不愉快だったといわれる。  韓国が反日攻勢で連携を追求している当の中国の戦略は、反日姿勢で協力しつつ韓国を自国の影響下に入れることにある。したがって韓国が反日攻勢への協力を呼びかけると、中国は強力な「韓国抱き込み」外交を展開する。対中傾斜で揺れる韓国国内 中国の習近平国家主席は7月3日のソウルでの中韓首脳会談で、来年の抗日戦勝利記念行事を韓国と共催しようと提案した。これには朴大統領も即答は避けたようである。9月27日付の韓国紙朝鮮日報日本語版では、中国指導部に影響力があるとされる王義●・中国人民大学国際問題研究所長が韓国の学術会合で26日、「中韓関係を定義しなおす必要がある。(同盟あるいは準同盟条約の)『中韓善隣友好協力条約』の締結は中韓関係の積極的発展において避けられない流れにある」と述べている。  このままだと、対中経済依存が深化するとともに、韓国は中国の「衛星国」になってしまいそうである。中国に傾斜しすぎることへの警戒心は、すでに韓国国内でも次第に大きくなっている。  韓国の対中傾斜への懸念は米国でも強くなっている。米国が要請してきた共同のミサイル防衛(MD)構想に対して、韓国が中国への配慮から拒んできた。この4月に行われた米韓首脳会談でも、米国が共同のミサイル防衛を唱えたのに対して、韓国側は独自のミサイル防衛を主張し、2つの立場を併記するという奇妙な共同声明が出された。米軍から韓国軍への戦時統制権(OPCON)移管をめぐっても、韓国が2015年末という時期で揺らいでいることにも、米国は苛立(いらだ)っているという。  韓国の対米関係の緊張の種はこれにとどまらない。米国は、韓国との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を締結することに躊躇(ちゅうちょ)している。それは秘密情報が中国に漏れる懸念があるからである。韓国の方も対中配慮から米国との協定には及び腰だという。  米国人の中には、5万人余の米兵の命を犠牲にして韓国を守ったのに、韓国がその敵国、中国に接近していることで、韓国の信頼性を疑問視し、米軍の早期撤退を説く者も増えているという。日米韓の連携へ引き戻せ  安倍首相は政権に就いて以来、アジアをはじめ世界50カ国近くを訪問し、そうした多くの国で「集団的自衛権行使を通しての平和への積極的貢献」を説明してきた。これまでのところ、日本の集団的自衛権の行使容認を公に批判したのは韓国と中国だけである。両国はむしろ孤立しており、その日本批判は無力化されている。  韓国は「自衛隊が朝鮮有事で行動するには韓国の了承が必要」との立場を表明したが、安倍首相は逆に、「在日米軍が半島で作戦するには日本政府の同意が必要」と韓国側をやりこめている。  安倍首相は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のホストとして、習主席が日中首脳会談を断りにくいのを巧みに利用し、その実現へと動いている。日韓首脳会談が取り残されることに焦った韓国は、あわてて日韓外相会談に応じた。9月24日の国連総会での演説では、朴大統領は慰安婦問題を批判したものの日本を名指しするのは避けていた。 韓国は、反日政策を進めて中国の影響が増大する不利を、遠からず認識するのではなかろうか。反日政策で米国の支持を失うリスクはもっと大きい。日本は米国とともに韓国が日米韓連携の利点を再認識し、対日政策を軌道修正するよう促すべきである。韓国外交は東アジアの安定に寄与するようなものでなければならない。●=木へんに危関連記事■加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず■「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■韓国はどうして日本を許さないのか

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    日本の離島が狙われる

    日本の離島が危ない。人口減少による過疎化や高齢化、産業の衰退…。近年では中国やロシアによる軍事的脅威にさらされ、韓国をはじめとする周辺国の土地買収など外資流入も目立つ。国境の離島は今、どんな状況に置かれているのか。iRONNA編集部が対馬より報告する。

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    太政官指令「竹島外一島」の解釈手順

    著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)はじめに 我が国と韓国との間の竹島領有権論争において語られる争点の一つとして「太政官指令」と言われるものがある。明治10年(1877年)3月に明治政府の最高国権機関である太政官を代表する右大臣岩倉具視が、内務省(内務卿大久保利通の代理として内務少輔前島密)からの問いに対して「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」(伺いの趣旨の竹島ほか一島の件は本邦とは関係の無いものと心得るべし)と指示した指令文がそれである。 この指令は、現在、韓国と日本の多くの学者・研究者によって、明治10年の時点で日本の政府が今の竹島を「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈されており、それはほとんど「定説」となっていると言うような状況にある。 本稿では、しかしながらその解釈は全く根拠のないものであり未だ証明されていないものであることを指摘することにより、太政官指令をめぐる論争に一石を投じて見たい。太政官指令が発された経緯  竹島領有権論争におけるこの太政官指令の問題は、先般出版された島根県竹島問題研究会編の『竹島問題100問100答』において問題の難易度三段階区分の「難易度3」に分類されていることからも分かるように、いささか難解である。おそらくこの問題の経緯や関係資料を詳しく知っているという人はそれほど多くはないであろう。しかし、指令の正しい解明に向かうためには太政官指令が発された経緯やその関係資料を一通りは見ておく必要があるので、なるべく簡単に説明したいとは思うが、しばらくお付き合いを願いたい。 明治新政府が発足して全国的な地籍調査が行われることになったが、その過程で、明治9年(1876年)10月、島根県が「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と題する伺文書を内務省に提出した。その内容は、隠岐の彼方にある「竹島外一島」を島根県の地籍に入れたいと考えるがそれでよろしいか、というものだった。 島根県の伺文書には、その「竹島外一島」を図示する絵図面である「磯竹島略図」と「竹島外一島」の様子や来歴を説明する「原由の大略」という説明文書が添付されていた。これらを見れば、島根県の伺文書の題名では「竹島外一島」という表現が用いられているが、それは「竹島」(磯竹島ともいう)と「松島」という二つの島を指すものであることが分かり、また、ここが一つのポイントになるのだが、その「竹島」というのは韓国の鬱陵島であり「松島」というのは現在日韓間で紛争が生じている竹島であるということは、見る者が見れば一目瞭然である。 島根県の隠岐と朝鮮半島の間の日本海中には韓国の鬱陵島と現在日韓間で紛争が生じている竹島の二つの島があるが、かつて江戸時代の日本では鬱陵島は大きな竹が多数植生しているところから「竹島」と呼ばれ、今の竹島はおそらく「竹島」と対をなすというような意味合いからか「松島」と呼ばれていた。島根県が提出した資料は江戸時代の商人が鬱陵島に実際に往来していたときの記録に基づくもので、島の形その他の書きぶりがかなり正確であるために、現代において竹島問題を研究する者はそこに書かれた二つの島が現実のどの島であるかを間違うことはまずないと言える。 島根県はそういう書類を内務省に提出した。そして、内務省はそれら書類を見た上で独自調査(古記録の調査)も行い、「竹島」という島は、かつて元禄時代に日本(徳川幕府)と朝鮮との間で領土争いが生じたが最終的に徳川幕府がそれは朝鮮のものだということを承認した鬱陵島であるという事実を確認した。「元禄竹島一件」と言われる事件のことである。 その結果、内務省は、徳川幕府の決定は維持するべきであり島根県が質問して来た「竹島外一島」(竹島と松島)は日本の版図外として扱うことを変更する必要はないであろうとの判断を固めたが、ただし、ことは領土問題なので内務省限りで判断するのもどうかとの考えから、そういう方針で良いかどうか上部機関である太政官の判断を仰いだ。その際には島根県が提出して来た伺文書(「磯竹島略図」や「原由の大略」が含まれる)と内務省の独自調査の結果を併せて太政官に提出した。その結果として出された太政官からの回答が冒頭の指令文である。太政官指令の解釈をめぐる状況 そういう経緯のもとに発出された指令であるから、日本と韓国との間で竹島領有権論争が進行中の現在、多くの学者・研究者から、太政官は島根県が図示して来た「竹島」と「松島」すなわち鬱陵島と今の竹島を「本邦関係無し」(=朝鮮のもの)と指示したのだとする解釈が強く主張されていて、それは圧倒的な多数説を形成している。この解釈は、ふつうに考えて竹島領有権論争において「韓国有利、日本不利」の材料となるから韓国人の学者・研究者で太政官指令について言及する者はほとんど全員がこの解釈である(韓国政府も同じ)のは当然のことかも知れないが、日本人の学者・研究者の間でもこの解釈が多数派である。日本においては、これに対して、そうではない可能性を指摘する研究者も存在するが、全くの少数派である。 そういう現状は、単に竹島領有権論争の争点の一つについての議論の優劣というレベルを越えて、次の二つの点で現在の日本政府の竹島領有権主張の根幹に大きな疑問を投げかける結果となっている。一つは、日本政府は明治38年(1905年)に竹島を公式に領土に編入したのだが、そのときの閣議決定では竹島は「無主地」(どこの国の領土でもない土地)であると前提されているけれども、その28年前に日本政府は竹島を朝鮮の領土であると公式に認定していたのだから、1905年の竹島領土編入は朝鮮領土であることを知りつつ決定した不当なものであったということになる。もう一つは、現在の日本政府は竹島を日本の「固有の領土」と主張しているが、政府がかつて朝鮮領であることを認定していたものを日本の「固有の領土」と主張することは自己矛盾も甚だしいということになる。この二点はいずれも、竹島(韓国では「独島」と呼ばれる。以後、韓国側の主張について述べるときは「独島」ということがある。)の領有権について絶対の自信を持っている韓国の学者・研究者、さらには報道機関においても、日本政府の竹島領有権主張を非難するための格好の材料となっている。 しかも、現在の日本政府の竹島問題の担当部署である外務省が日本に不利のように見えるこの「太政官指令」問題について沈黙している(かつて韓国の新聞社が太政官指令についての見解を外務省に問い、内容調査中であり現時点では回答できない旨の回答を得たことがあるという。また、外務省の竹島問題広報資料にはこの問題が一切触れられていないことが韓国側の研究者などからしばしば指摘される)ことが、韓国側の独島領有権主張に一層の自信を与えているようである。韓国においてこの「太政官指令」問題が広く知られているとまで言えるかどうかは分からないが、近年、報道などで取り上げられることは多くなっていて、太政官指令の存在を知る者たちはまず例外なく「太政官指令によって日本政府の主張が虚偽であることが明らかとなった」と見ていて、太政官指令は竹島領有権論争で日本政府を打ち負かすことのできる決定的な資料であると考えているようである。 一例として、これは先般韓国の一地方紙(ネット版)に掲載されたものであるが、ある大学教授が次のように述べているのを見れば、彼らの自信のほどが窺える。 大統領は1877年に日本政府が発表した「太政官文書」を持って独島を訪問して、世界の言論の前で「日本政府自らが独島は日本領土でない」とした太政官文書を公布することだ。日本政府は韓国大統領の独島訪問に対して強力に抗議するだろうが、大韓民国の大統領が自国領土としての最も強力な証拠を持って自国領土を訪問するのなら、世界の言論の前で日本の抗議はすぐに影が薄くなってしまうだろう。「太政官文書」は近代国民国家に成長した日本政府が国際法に基づいて自ら「独島は日本領土ではない」と領有権を否認した文書だ。 (下線は引用者=筆者が付した。相手国の内部文書を「自国領土としての最も強力な証拠」とする考え方が面白かったからであるが、ともかくも彼らはそういうふうに考えている。)実は根拠のない解釈 上記のような状況にある太政官指令問題だが、一般に流布している多数派的解釈―太政官は竹島=鬱陵島と松島=今日の竹島を日本と関係無しと指令したとする解釈―には実は全く根拠がないと言えば読者はにわかに信じられないと思われるだろうが、太政官指令の解釈にはいくつかの問題が存在していて、多数説が言うほど単純に結論を言うことはできないのである。 その事情を順に述べていくこととするが、まずは、多数派的解釈の理由ないし根拠を確認しておこう。二つの例を挙げる。 太政官決定に言う「竹島」と「外一島」がどの島を指し示しているかは、付属文書の中で明らかにされている。「磯竹島 一ニ竹島ト称ス……次ニ一島アリ松島ト呼フ………」(乙第二十八号) 当時、日本では、現在の欝陵島は付属文書が記すごとく「磯竹島」あるいは「竹島」と呼ばれ、現在の竹島(独島)は「松島」と呼ばれた。これら二島が、現在の欝陵島及び現在の竹島(独島)を指していることは「磯竹島略図」によって決定的に確証される。 しかるに、この決定の言う「竹島外一島」がはたして鬱陵島と竹島のことか否か確認が必要であるが、「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」と名付けられたこの資料の末尾に略図が添付されており、そこでは隠岐の島からの方角と距離の書き込みとともに二つの島が描かれており、鬱陵島と竹島であることが明確に示されている。 (下線はいずれも引用者=筆者による) この二つの例に共通すること、それは、「島根県が提出した資料に書かれていること」が太政官の判断の証明になるという考え方だ。 (1)太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは別のもの 上記のように、端的に言えば「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実が多数説の理由ないし根拠なのである。上の二つの例だけではない。他の学者・研究者の説明も筆者が見た限り全てこれと同趣旨である。ここで太政官指令の解釈において存在する問題の一つ目を指摘したいのだが、それは、「太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは全く別のものである」というごく当たり前の事実だ。 太政官指令の解釈において問題とされているのは、太政官(及び内務省。以下同趣旨。)は「どの島とどの島を想定して」本邦とは関係無しと判断したのかということだ。つまり、太政官の認識(あるいは判断、思考、主観というような言い方もできる)を明らかにすることが課題なのである。そのときに、内務省あるいは太政官が作成したものであればともかく、太政官とも内務省とも全く別の機関である島根県が作成して提出した資料に書かれていることが果たして太政官の判断の証明となり得るものなのか。答えは否である。太政官の判断と島根県が提出した磯竹島略図とは互いに別のものなのだから、島根県が提出した磯竹島略図に客観的に見て正しい事実が描かれているとしても、それは太政官の判断の基礎となった前提情報に過ぎないのであって、それを説明したことで直ちに太政官の判断を説明したことにはならない。太政官がその磯竹島略図を見てどういう判断をしたのか―磯竹島略図に描かれているとおりの正確な判断をしたのかどうか―の説明が必要なのである。ところが、上記の主張の事例に見るように、多数派の人々は一切そういう説明はしない。ただ磯竹島略図に鬱陵島と今の竹島が描かれているという事実を強調するだけなのである。彼らの論理では判断の材料(磯竹島略図)と判断結果(太政官指令)との間は断絶しているのだが、彼らはそれが断絶していることに気づかないまま結論だけを主張している。太政官指令の解釈を示したいならば太政官の判断(思考)に言及することは必須なのにも拘わらず、である。 (2)磯竹島略図に何が描かれているかは誰にでも分かることではない 上の(1)の指摘を読んで、読者はどう思われただろうか。「そんなところをつっついても、結局は太政官は磯竹島略図に描いてあるとおりに判断したのではないのか、筆者は多数説の形式的な説明不足を無意味に指摘しているだけではないか」と思われただろうか。もしそう思われたとしたら、それは多数説と同じ誤りに陥っていることになる。 多数説が「論理の断絶」などということに全く無頓着なのには相応の理由がある。それは「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という客観的事実は「誰が見ても明らかだ」と思っているからなのだ。次の文章は、ある韓国人学者のものである。 「指令文に添付された「磯竹島略図」を見ても「竹島外一島」が現在の欝陵島と独島であることは一目瞭然で誰にでも分かる。」 この例だけでなく、先に挙げた二つの例でも「誰にでも分かる」という考えが前提として存在していることは感じ取れるだろうし、その他の多数派の説明も「誰にでも分かる」という前提に立つものばかりである。 「誰にでも分かる」と思っているので「当然、明治9年の内務省も分かった、太政官も分かった、そのことに議論の余地はない。」ということになる。したがって、太政官はどう判断したのかなどということをことさらに取り上げて説明する必要性を全く感じないのだ。だが、ここで太政官指令の解釈において存在する問題の二つ目を指摘したいのだが、「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実は、実は「誰にでも分かる」ことではない。 この文を読んでいただいている読者の中にもいらっしゃるかも知れないが、世の中には鬱陵島も竹島もあのあたり一帯の地理も知らないという人は多いことだろう。そういう人たちが磯竹島略図を初めて見たときに「なるほど、ここには鬱陵島と今の竹島が描いてあるな」という判断が下せるものだろうか。そんなことはできない。磯竹島略図を初めて見てそこに描かれているのは鬱陵島と今の竹島であると分かるのは、それが分かるだけの基礎知識を有している者に限られる。朝鮮半島と隠岐の間の日本海には鬱陵島と竹島の二つの島がある(その二つの島しかない)という事実、その二つの島のおよその位置や大きさ、大体の形、そしてかつては鬱陵島は竹島と呼ばれ竹島は松島と呼ばれていたという歴史的事実など、鬱陵島と竹島に関するある程度の知識をあらかじめ有していればこそ、それらの知識と磯竹島略図や原由の大略に書かれた内容とを照合して正しく判断することができるわけだ。そういう知識が何もなければ磯竹島略図に描かれている「竹島」と「松島」が現実のどの島であるかを判断することなどできない。「そうか、こんなところにこんな形の竹島という島と松島という島があるのか」と思うだけだろう。 つまり、世の人は磯竹島略図を見た場合にそれが何を表しているか分かる者と分からない者に二分されるということになる。そうであるならば、明治9年に島根県からの質問を受け取った内務省の官僚たちは、そしてさらにその内務省から説明を受けたであろう太政官の官僚たちは、いったいどちらに属する者であったのかが問われなければならないことになる。それを検証しなければ、内務省や太政官が磯竹島略図を正確に理解したかどうかは言えないのである。しかし、多数派の人々はそんな説明は何もしない。ただ磯竹島略図に鬱陵島と今の竹島が描いてあるからそれで太政官の判断が分かるというだけである。いかにずさんな考え方かお分かりいただけるだろうか。 もっとも、磯竹島略図を正確に理解するには、そのための基礎知識を有していることが絶対の条件だというわけでもない。基礎知識を有していないから見た時点では分からなくとも、何か他の資料を調べてそれと突き合わせた結果、そこに描かれているのは鬱陵島と今の竹島に当たる島だと分かるということでも別に差し支えは無い。要は判断を下す時点で必要な知識があれば良いわけだ。ではそういう「他の資料」としては何が考えられるか。それはほぼ一種類に限られるだろう。地図である。 現代でも、磯竹島略図を初めて見てそこに描かれている竹島と松島がどういうものか分からない人がそれを確かめようとするならば、そのときに取る行動は「地図を見る」ということに尽きるだろう。137年前もそれは同じだったはずだ。 つまり、多数説のようなことを主張したいのであれば、指令に関与した者たちが鬱陵島と今の竹島に当たる島について既に必要な知識を持っていたことを証明するか、それができないならば、当時において正しい判断を下すための参考として使用可能なこれこれの資料があった、内務省や太政官はその資料を参照して正しく判断した、というような説明をしてそれを証明すべきだということになる。しかし多数説の人々はそのようなことはしない。何も証明せずに結論だけを主張するのである。それもやはり磯竹島略図に何が描かれているかは「誰が見ても明らかだ」という思い込みがあるからなのだろう。 (3)当時の地図は間違っていた 上の(2)の指摘を読んで、今度は読者はどう思われただろうか。「筆者はくどくどと検証が必要だというが、そこに鬱陵島と竹島の二つしか島が存在しないのならば何か間違える要因があるのか、これもまた単に多数派のちょっとした説明不足を指摘しているだけのことではないか」などと思われたかも知れない。ここで、太政官指令の解釈において存在する問題の三つ目を指摘したいと思う。当時は「竹島」と「松島」を描く地図には大きな間違いが生じていた。少し長くなるが、そのことを御説明したい。 当時(幕末から明治初期)の多くの地図では、竹島(鬱陵島)の実際の位置から西北の方向(朝鮮半島に近い方向)に飛んだ位置に実際には島はないのに竹島(鬱陵島)とそれほど変わらない大きさの一つの島が描かれ、それに「竹島」という名前が付されていた。そしてそういう地図の場合、実際に存在している竹島(鬱陵島)の位置にはもちろん島が描かれているのだが、その名前は「竹島」ではなくて「松島」と表示されていた。今の竹島はどう表示されていたかというと、竹島は相対的にはごく小さな島なのでそもそも全く描かれていない地図もあり、描かれている場合でもその名前として「松島」と表示したものはなく、西洋諸国がつけた「オリウツ・メネライ」とか「ホーネット」あるいは「リエンコヲルトロック」というような名称が付されていた。つまり、この海域にはもともと竹島(鬱陵島)と松島(今の竹島)の二つの島しかないところを三つの島があるように描かれたり、数は二つのままであっても「竹島」と「松島」の位置が実際よりも島一つずつ朝鮮半島寄りにずれて表示されているという状況にあった。「島名の混乱」と言われる状況が生じていたのである。 そういう状況は二つの理由が組み合わさって生じた。一つはイギリスの船が鬱陵島を「発見」してその位置を測量したときにミスがあり、鬱陵島が実際の位置よりも西北の方向に離れた位置にあるように把握されたことである。その結果、島は何も存在していない位置に島(鬱陵島)があるかのように間違って地図に表示されることになった。この島には「アルゴノート」という名前が付された。一方、現実に存在する鬱陵島もフランス船の測量によって地図に表示され「ダジュレー島」という名称が付された。一つの島が二つの位置に表示されるという誤りが生じたわけである。 もう一つの理由は、シーボルトが「アルゴノート島」を竹島と見て、「ダジュレー島」を松島と見て、そういう地図を作成したことだ。シーボルトとは江戸時代末期に長崎の出島のオランダ商館の医師として勤務していた有名なドイツ人シーボルトのことで、彼は後に帰国後に日本地図を作成したが、その地図には当時の西洋の知識に基づいてアルゴノート島とダジュレー島が描かれた。一方で、彼は隠岐の彼方には「竹島」と「松島」という二つの島があるということを知っていたのだが、その知識をアルゴノート島とダジュレー島にあてはめてしまった。アルゴノート島(実は存在しない島)が「竹島」でありダジュレー島(実は鬱陵島)が「松島」ということにしてしまったのだ。 そういう間違いを含む地図がヨーロッパで一般に使われ、幕末以降の日本にも輸入され使用されることとなり、日本人の知識のみによって描かれた旧来型の地図は別として、近代文明を代表する西洋から入って来た新しい地図は「竹島」と「松島」に関しては大きな誤りを含むものだった。一例を挙げる。勝海舟は1867年に「大日本国沿海略図」という地図を発行したが、その地図では西洋の地図の情報に従ってアルゴノート島の位置に島を描き、それに「竹島」という名前を付した。実際の鬱陵島の位置にも島を描き、それには「松島」の名を付した(「鬱陵島」という名前が付されているわけではないということに御注意いただきたい)。今の竹島は正確な位置に小さな二つの点で表示されたがその名は「リエンコヲルトロック」となっている(つまり「松島」とはなっていない)。 江戸時代に竹島、松島と呼ばれていた島は幕末以降の地図の上では違う島を指すように変わってしまった。現実に、そういう地図を見て、実際は鬱陵島である島をそうと知らずに開拓したいとして「松島開拓の議」という申請を出す者も現れるという状況だった。 島根県から質問を受けた内務省や太政官が磯竹島略図を見た上で判断を下そうとするときに有力な参考資料となったであろうと考えられるそのころの時代の地図は、基本的にそういう状況にあった。だから、内務省や太政官が磯竹島略図に描かれた「竹島」と「松島」を見てこれは実際にはどの島とどの島だろうかと見当をつける際に、これら誤った地図の影響によって判断を間違えた可能性―誤った地図に描かれている竹島と松島が島根県が言って来た竹島と松島だと思ってしまったという可能性―はないのか、という一応の疑問が生じてもおかしくはないのである。 しかし多数説の人々はそのようなことはほとんど考慮しない。彼らも「島名の混乱」の影響を受けた誤った地図が存在していたということ自体は認めている。しかし、そのことと太政官指令とを関係付けて論ずることはない。間違えた可能性があることもないことも何も論証せず、ただ太政官の結論は磯竹島略図から明らかだということだけを主張するのである。それも、結局は「島根県が提出した磯竹島略図には鬱陵島と今の竹島が描かれている」という事実は「誰が見ても明らかだ」という思い込みが強すぎるから、それが間違って理解された可能性があるかも知れないなどということは考えないのだろう。 要するに多数派の主張は勝手な思い込みに基づくものに過ぎず、現時点ではまだ何も証明されておらず、その意味で全く根拠のない主張なのだ。 (4) 小括 ここで誤解を避けるために申し上げておくが、筆者は「当時は誤った地図があったのでその影響によって内務省や太政官は磯竹島略図を間違って理解した」というような結論をここで主張しているのではない。今述べたいのは、あくまで太政官指令の解明に至る方法論ないしは手順の問題である。 磯竹島略図と原由の大略という資料に「竹島」と「松島」として描かれているのは鬱陵島とその手前にある小さな岩礁―今日の竹島―のことだというのは客観的事実であっても、それが誰にでも分かることではない以上、明治10年の政府官僚が正確にそれを理解できたというためにはいくつかの越えなければならないハードルがあるということを御理解いただけただろうか。官僚たちは書類を見てすぐに分かったのか、すぐに分かるほどのどのような知識を持っていたのか、あるいは地図か何かを参照した結果として分かったのか、地図を参照したとして間違った地図に惑わされることはなかったのか、などである。これらを論理的に説明・立証した上で多数派のような結論になると主張するのであれば、それは筆者も尊重したいと思う。しかし現状はあまりにもひどい。多数派の人々の分析はいまだ島根県が提出した資料の段階にとどまっているのであって太政官の判断にまでは及んでいないのだが、御本人たちは太政官指令を解釈し終えたつもりなのだ。 そうなってしまうのは分からないでもない。竹島領有権問題を調べている学者・研究者たちは鬱陵島や竹島(独島)の位置や大きさ、形、島の歴史などの資料を飽きるほど見て来たはずで、何でも頭の中に入っているだろう。そういう人たちは、磯竹島略図を一目見ただけで、あるいは原由の大略を一読しただけで、そこに描かれているのは鬱陵島と竹島(独島)だと理解する。それは彼らにとって誤読の余地が全くないあまりにも平易な史料なのだ。だからそれは誰でも自分が分かるのと同じように分かるのだと錯覚してしまう。だから磯竹島略図に描かれていることイコール太政官の判断ということになってしまうのだ。だが、結局それは勝手な思い込みに過ぎない。誰にでも分かることではないのだ。 太政官指令というのは137年前の明治政府の首脳が発したものだ。137年前の他人が発した指令の解釈を示したいのならば、自分の解釈を優先させるのでなく137年前のその当事者の立場に立って考察するというのが歴史研究の基本ではないだろうか。多数派の方々は太政官指令問題を解説するときに、たいてい磯竹島略図には間違いなく鬱陵島と竹島(独島)が描かれているのだということを力説するのだが、そんなことよりも、それを見た137年前の政府首脳の眼にそれがどう映じたのかこそが重要であり考察すべき対象なのだということを理解して、果たしてどういう説明ができるものなのか改めて考えていただきたいと思う。直接解明は不可能 では、仮に誰かが筆者のいう手順に沿って太政官の意思を解明しようとした場合、どういう結論が得られるものだろうか。実は、筆者の見るところ結論は何も得られない。解明は不可能だからである。 繰り返しになるが、太政官指令で問題とされているのは、太政官(及び内務省)は「どの島とどの島を想定して」本邦とは関係無しと判断したのかということだ。それは、間違った地図情報がある中で正確に判断したのか間違ったのかという問題でもある。ところが、島根県が提出した伺文書から太政官指令の発出に至るまでの書類をまとめた一件資料(11点の文書・図面)の中には、内務省や太政官が島根県が説明する「竹島」と「松島」を最終的にどの島と考えたのかを示す資料は何もない。その位置とか島の形などについて何と判断したかを示すものは何もないのである。資料が何もないから実際のどの島と考えたのかなどということは、現代の我々は知りようがない。明治9~10年の太政官指令の一件資料から指令を解明するのはもともとできない相談なのだ。「いや、できる」という方がいれば上で指摘したようないくつかの論証に取り組んでいただければいいだろう。その場合に何を材料として考察されることになるのかは筆者には見当がつかないが。筆者の見解としてはそれは不可能であり、多数派は立証できないこと(控えめに言うなら、まだ立証していないこと)をいかにも不動の真実であるかのように言いつのっている。それが太政官指令をめぐる論争の現状だ。他をあたる 以上述べて来たとおり、明治10年太政官指令の一件文書から太政官指令の意図を明らかにするのは無理なのだ。そうだとすれば、太政官指令の解釈というものは不可能なのだろうか。 筆者はそれは不可能ではないと思っている。太政官指令というのは日本海内にある「竹島」と「松島」の取扱いに関する政府の方針だ。そうであれば、太政官指令が発出されたときの一件書類のほかにも、「竹島」や「松島」の取扱いに関する政府の方針に関係のありそうな文書やできごとは存在する。そういう太政官指令に関連のありそうな文書やできごと―それは当然太政官指令の以後に生じたものであるが―から逆にたどって明治10年の太政官指令はどういう内容であったかを推定するという方法は考えられるだろう。 太政官指令がどの島を想定していたかは不明といっても、可能性は二つ、すなわち太政官は磯竹島略図を正しく理解したか間違って理解したかの二つに一つだ。だから太政官指令に関連のありそうな文書やできごとを一つ一つ取り上げて、太政官が磯竹島略図を正しく理解していた(=鬱陵島と今の竹島を版図外と判断していた)と考える方がつじつまが合うかそれとも間違って判断していたと考える方がつじつまが合うか、という観点から見ていけば答えは見つかるかもしれないのである。終わりに この文の3において多数説に対する少数派のことを述べた。少数派というのは島根県竹島問題研究会の関係者のことなのだが、彼らは、上に述べたような太政官指令に関連のありそうな文書やできごとから太政官指令は何を想定していたのかに逆に接近する方法を取っている。正しい方向だと筆者は考える。 もちろんその過程でも議論はあるだろう。「太政官指令に関連のありそうな文書やできごと」として何を取り上げるべきかも問題だし、またその一つ一つについて太政官が磯竹島略図を正しく理解していたと考える方がつじつまが合うかそれとも間違っていたと考える方が妥当かを判断するに当たっても見解はいろいろあるだろう。しかし、とにかく太政官指令の解明はこの方向で考えるしかない。できるならば、少なくとも日本人の学者・研究者にあっては、現在の多数説のような思い込みに基づく非学問的な姿勢を改め、この方向での研究に踏み出していただきたいものだと思う。 なお、筆者自身はこの方向でひととおりの検討を行った結果、結論に到達したと思っているが、その結論を述べることはこの文の趣旨から外れるので控えることとする。 長文を読んでいただいた方に御礼を申し上げる。(平成26年12月3日記)

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    特定国境離島保全振興法の制定を急げ!

     国境の島、対馬では多くの韓国人の旅行者の姿を見る。対馬は、人口3万3000人の過疎化が進む離島だが、今年、この島を訪れる韓国人は20万人を超えると予想される。対馬と韓国の距離は、わずか49.5キロ。高速船が1時間10分で結んでいる。天気の好い日には、対馬の展望台からは、対馬海峡を越え釜山の町並みを見えるほど近いのだ。韓国での対馬観光ブームを受け、昨年、韓国の釜山と対馬を結ぶ航路に参入する企業が増え、現在では3社が競合し船賃も片道3000円程度にまで安くなった。観光客の半数は日帰りだが、往復運賃と一泊のホテル代込みでも一万円程度のツアーが販売され、釜山市民にとって手軽に行ける外国が対馬なのだ。 政府は反日だが、対馬を訪問する韓国人は増加している。日本を訪れる韓国人観光客の目当てのひとつは、ショッピングである。近いといえでも外国であるので、免税で買い物ができる。化粧品や市販薬などが人気である。利があれば政府の反日施策など関係ないというのが韓国国民の現実の姿であろう。 また、韓国資本による土地の購入が増えている。かつて、海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接する土地が韓国資本により買収されたことが問題となった。自衛隊の基地の隣が外国人に買われたことが、安全保障上危惧されたのである。ほかにも、中国人や韓国人などが水源地や国防関係する土地を買収する事例が増えている。北海道では自衛隊の基地を見下ろす丘の土地が中国資本により購入された例もあり、社会問題となった。しかし、現行法では外国人の土地購入を規制することは難しいのだ。そして、13年に再び基地に隣接する別の土地が韓国企業により買われ、ホテルが建てられたのである。これで、基地付近に建設された韓国人向けホテルは三軒目であり、基地の周囲を多くの韓国人旅行者が歩き回っているのである。今、すぐに安全保障上の問題とはならないだろうが、有事の際には不安要因となる。 13年、対馬では滅危惧種である「ツシマヤマネコ」が生息する森林が売りに出され、外国資本が買うという噂がたった。この森林は、周辺地の水源の役割も果たす重要な土地である。危機感を持った財部能成市長の決断により市が買収し事なきを得たが、税収が少ない対馬市にとって負担は大きく、今後、同じことが起きた場合に対応することは不可能だろう。土地の売買は認めざる得なくとも、その利用に規制をかけるなど国として早急な対応が求められる。 対馬において韓国との交流には賛否両論がある。韓国人旅行者の増加により、窃盗団の流入やマナーの悪い観光客が増えるなど悩みも深刻であり、受け入れに否定的な市民も多い。特に奪われた仏像が返還されないことに、怒りを隠さない人もいる。 反面、対馬は過疎と高齢化に悩み、韓国との交流に活路見出そうとしてきた。韓国旅行者のもたらす経済効果を30億円に上ると推定されている。市の活性化のために、韓国との交流をさらに進めるべきだと考える人も多く、市民が親韓派と嫌韓派に二分される事態になっている。国の無策がさらなる危機を招く  無秩序な旅行者の受け入れに政府は、対応策は何もとってこなかった。国境を守り続けている対馬の人びとは、国に不満を募らせている。たとえば、対馬にある厳原港および比田勝港の入管、税関の人員では、20万人の韓国人に厳格に対処することは不可能である。 北方四島、竹島、領土の一部が他国に侵略されたままであり、さらに尖閣諸島が脅かされている現状において、国境の島々の管理体制を確立する必要があるだろう。他にも外国人参政権導入の議論、TPP参加による農産品の競争力低下、沿岸域での乱獲による漁業の低迷など島人を不安にする要因は多い。五島列島や与那国島などの国境離島は、いずれも同様の問題を抱えている。国境離島の人々の生活を経済的、精神的に安定させる政策が求められているのだ。海上保安官の増強、自衛官の派遣など社会を安定させる施策とともに、インフラ整備、環境保全などの公共投資を行いことも有効だろう。国として国境を守る「特定国境離島保全振興法」の制定が求められているのである。  急速に増加していた韓国人旅行者に、入出国管理も思うように行かない。2012年10月、韓国人窃盗団によって対馬の寺社から二体の仏像が盗まれる事件が起きた。さらに、今年11月24日、対馬の寺院から市の有形文化財に指定されている仏像を盗んだ韓国人4人が逮捕された。韓国人窃盗団が、大量の観光客に混じり日本へ入り込んでいるのである。今年の事件は、寺社からの被害報告を受けた警察が、厳原港に張り込み、犯人を取り押さえることができたが、12年の事件では韓国に持ち出されてしまい二体とも未だ返還されていない。「仏像は倭寇によって略奪されたもの」というのが理由だ。日本政府は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「文化財不法輸出入禁止条約」に基づき韓国政府に返還を求めている。この条約では、加盟国に対し違法に搬出入された文化財は返還するよう義務付けているが、韓国政府は応じる姿勢は見せていない。  政府は反日だが、対馬を訪問する韓国人は増加している。日本を訪れる韓国人観光客の目当てのひとつは、ショッピングである。近いといえでも外国であるので、免税で買い物ができる。化粧品や市販薬などが人気である。利があれば政府の反日施策など関係ないというのが韓国国民の現実の姿であろう。 また、韓国資本による土地の購入が増えている。かつて、海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接する土地が韓国資本により買収されたことが問題となった。自衛隊の基地の隣が外国人に買われたことが、安全保障上危惧されたのである。ほかにも、中国人や韓国人などが水源地や国防関係する土地を買収する事例が増えている。北海道では自衛隊の基地を見下ろす丘の土地が中国資本により購入された例もあり、社会問題となった。しかし、現行法では外国人の土地購入を規制することは難しいのだ。そして、13年に再び基地に隣接する別の土地が韓国企業により買われ、ホテルが建てられたのである。これで、基地付近に建設された韓国人向けホテルは三軒目であり、基地の周囲を多くの韓国人旅行者が歩き回っているのである。今、すぐに安全保障上の問題とはならないだろうが、有事の際には不安要因となる。 13年、対馬では滅危惧種である「ツシマヤマネコ」が生息する森林が売りに出され、外国資本が買うという噂がたった。この森林は、周辺地の水源の役割も果たす重要な土地である。危機感を持った財部能成市長の決断により市が買収し事なきを得たが、税収が少ない対馬市にとって負担は大きく、今後、同じことが起きた場合に対応することは不可能だろう。土地の売買は認めざる得なくとも、その利用に規制をかけるなど国として早急な対応が求められる。 対馬において韓国との交流には賛否両論がある。韓国人旅行者の増加により、窃盗団の流入やマナーの悪い観光客が増えるなど悩みも深刻であり、受け入れに否定的な市民も多い。特に奪われた仏像が返還されないことに、怒りを隠さない人もいる。 反面、対馬は過疎と高齢化に悩み、韓国との交流に活路見出そうとしてきた。韓国旅行者のもたらす経済効果を30億円に上ると推定されている。市の活性化のために、韓国との交流をさらに進めるべきだと考える人も多く、市民が親韓派と嫌韓派に二分される事態になっている。 無秩序な旅行者の受け入れに政府は、対応策は何もとってこなかった。国境を守り続けている対馬の人びとは、国に不満を募らせている。たとえば、対馬にある厳原港および比田勝港の入管、税関の人員では、20万人の韓国人に厳格に対処することは不可能である。 北方四島、竹島、領土の一部が他国に侵略されたままであり、さらに尖閣諸島が脅かされている現状において、国境の島々の管理体制を確立する必要があるだろう。他にも外国人参政権導入の議論、TPP参加による農産品の競争力低下、沿岸域での乱獲による漁業の低迷など島人を不安にする要因は多い。五島列島や与那国島などの国境離島は、いずれも同様の問題を抱えている。国境離島の人々の生活を経済的、精神的に安定させる政策が求められているのだ。海上保安官の増強、自衛官の派遣など社会を安定させる施策とともに、インフラ整備、環境保全などの公共投資を行いことも有効だろう。国として国境を守る「特定国境離島保全振興法」の制定が求められているのである。

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    ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか

    古谷経衡(著述家) 朴槿恵大統領に対して名誉を既存するコラムを掲載したとして、名誉毀損(情報通信網法)違反で韓国検察に起訴された産経新聞社の加藤達也前ソウル支局長に対する初公判が、27日、ソウル中央地裁で行われた。 公判中の加藤氏にたいしては、現在、韓国検察が「出国禁止措置」を発して事実上の軟禁状態にある。 この事件は、日本のみならず「自由と民主主義」を標榜する世界の自由主義国家に強い衝撃を与えた。韓国はGDPが世界でも15位前後、G20にも出席し、アメリカや日本など西側の自由主義国家と軍事的にも政治的にも、強い関係を有する「西側の自由主義国家の一員」と観られてきた。その「西側の自由主義陣営」の一角である韓国が、自由と民主主義に逆行するような姿勢を鮮明にしたのが、今回の産経加藤氏に関する事件である。 今回の加藤氏への起訴は、「現政権(大統領)の名誉を傷つけた」という韓国検察の言い分が核心である。つまりここからは、「現在の権力者に対する批判的言説は一切許されない」という強い建国検察の意志を感じる。 加藤氏の弁護側は、今回の公判で「コラムに公益性があり、朴大統領を誹謗する目的はなかった」と主張し、一貫して韓国検察による主張に対向する姿勢を鮮明にしている。 しかしよく考えてみると、ジャーナリストが「時の権力者を批判する」のは当たり前のことであり、時としてそれが「誹謗」と呼ばれるようなニュアンスであっても、通常の自由主義国にあっては、そういった時の権力者(現政権)を揶揄し、批判的に論じることは「自由と民主主義」が確立された社会にあっては当たり前のことだ。 だから韓国検察の「朴大統領を誹謗した」という起訴理由そのものがジャーナリズムに対する挑戦であり、「誹謗したわけではない」という弁護側の主張も、たとえそれが法廷戦術の枠内で取られた仕方のない言説であっても、本来、筋論としては間違っている。 正確には、「ジャーナリストが権力者(朴槿恵)を批判・誹謗して何が悪いのか」というのが、加藤氏を弁護する上で、最も的確な理屈なのである。 いかなる権力者に対しても、かならず批判的精神でそれを見つめるのがジャーナリズムの役割である。韓国の法廷で弁護側が上記のような主張を行うことは、加藤氏を弁護する側にとってやむを得ないことだと思うが、本来であれば「朴槿恵という権力者を揶揄したり皮肉ったり批判したり、時として罵倒するのがジャーナリズムの本懐ではないか」と堂々と抗弁するのが、「西側の自由主義国家」で活動するジャーナリストの一致した見解のはずである。 だからこそ、今回の事件が世界の自由主義国家に衝撃を与えたのは、そのコラムに朴槿恵を誹謗する内容があったとか無いとか、そういうことではなく、「権力者に対する批判は一切許さない」という、その韓国のジャーナリズムに対する姿勢そのものなのである。 独裁国家や権威主義国家では、時の権力者を揶揄することも、批判することも無論タブーである。スターリンやフセインや毛沢東や金正日に対する批判的言説は、それが例え事実であろうとなかろうと、その度合の濃淡がどうであれ、一切黙殺され、その禁を破ったものは投獄され、処刑されている。 ニキータ・ミハルコフの映画に『太陽に灼かれて』という作品があった。1930年代のソビエトを舞台にした大粛清をテーマにしたものだ。主人公のコトフ大佐は、ロシア革命で功績のあったエリート将官だったが、ソビエト秘密警察「NKVD」にほとんど言いがかりのような理由で、「反スターリン気質」を疑われ、やがて連行される。 美しいロシアの大自然を舞台に描かれたこの作品は、「権力者を揶揄する、僅かな素振りを見せただけで」粛清の対象となり、実際に消えていった数多の人々の事実を照らしだし、スターリニズムと独裁体制の恐怖と不気味さに迫ったものである。 翻って、今回の加藤氏の起訴事案は、はからずもこの『太陽に灼かれて』を思い出した。時の権力者たる朴槿恵へのいささかの批判も許されず、軟禁され裁判を受けさせられるような国は、大粛清をやっていたスターリン時代と余り大差ない。 繰り返すように、事の本質は「加藤氏のコラムの中に朴槿恵を誹謗する内容が入っているか、そうではないのか」ということではない。 そのコラムの中に、韓国検察が主張する「朴槿恵を誹謗する内容」が存在していたとて、何の問題があるのだろうか。 加藤氏への起訴と初公判は、韓国が「西側の自由主義国家」として存続できるかどうか、その試金石になっている。結審したあと、無罪判決が下らなければ、それは「西側の自由主義国家」が普遍的に共有するジャーナリズム精神に対する重大な挑戦である。 「国境なき記者団」が発表する世界各国の「報道の自由ランキング」の最新版では、韓国は世界50位台(中位圏)に位置しているが、日本もこれと大差のない順位と評価されている。しかし、加藤氏の裁判の行方次第では、韓国のランキングは、明らかに世界の下位圏に転落するだろう。 我々は、「西側の自由主義国家」の一員として、ジャーナリズムの根幹に対する挑戦を断じて許してはならない。

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    佐藤優から加藤記者へ

     韓国に言論・報道の自由はあるのか-。朴槿恵(パク・クネ)大統領に関するコラムをめぐり、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が名誉毀損(きそん)で在宅起訴されてからまもなく1カ月。当初からこの問題に深い関心を持ってきた作家の佐藤優さんと加藤前支局長に手紙を交わしてもらいました。ともに国策的な捜査で国家権力と対峙(たいじ)する経験をした2人の往復書簡からは、自由や民主主義の価値観を共有できない韓国の姿が浮かび上がります。≪往信≫作家・佐藤優氏理解できない起訴「文学世界のような不条理」 加藤達也さま、初めてお便りします。私は作家の佐藤優と申します。もっとも当初から作家になることは考えていませんでした。2002年の鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕されるまでは、外務省で対ロシア外交と情報分析を担当していました。 加藤さんが、韓国政府から受けている理不尽な取り扱いを目の当たりにして、手紙を書きたいという衝動を抑えられなくなりました。私は産経新聞を毎日読んでいます。加藤さんの韓国や北朝鮮に関する記事はとても水準が高く勉強になります。韓国の政府見解だけでなく、マスメディア、民衆の動静についてのきめ細かい報道を加藤さんは心がけていました。外交官や新聞記者は、自分が駐在している国のファンになります。もちろん、わが国を含むどの国にも、よいところもあれば、そうでないところもあります。しかし、そのような善悪を超えて、駐在している国に対しては特別の愛着がでてきます。 私は、1987年8月から95年3月まで、モスクワの日本大使館に勤務しました。ロシア人に生涯の友がいます。同時に不愉快な事件に巻き込まれたことも何度かあります。ソ連末期、リトアニアで、しびれ薬入りのウオトカを飲まされたことがあります。リトアニアの友人から、「佐藤さんが独立派要人に深く食い込んでいるので、ソ連維持派が、『いいかげんにしろ』と警告したのだろう」と言われました。 新生ロシアになってからも、私の行っていた北方領土関連のロビー活動が、一部のロシア当局者の逆鱗(げきりん)に触れ、クレムリンのそばで交通警官の制服を着た者に殴られたこともあります。 そのときも大統領府高官、有力下院議員、露外務省高官が、私が抱えたトラブルが日露関係に悪影響を及ぼさず、しかも私が国外追放にならないようにリスクを負って努力してくれました。 加藤さんは、韓国検察から不当な取り扱いを受けていますが、このような状況をおかしいと思っている韓国のジャーナリスト、大統領府高官、国会議員、外交官もたくさんいると思います。こういう人たちの声はなかなか日本に伝わってきません。しかし、加藤さんが韓国でも孤立していないことが私にはわかります。 加藤さんが現在置かれている状況は、「文学的」だと思います。古くはドイツの作家フランツ・カフカの小説『審判』(1914~15年執筆)、比較的最近ではアルバニアの作家イスマイル・カダレの小説『夢宮殿』(1981年)をほうふつさせるような不条理な状況に置かれています。 8月3日に産経新聞のウエブサイトに署名入りで書いた「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」という記事を私は何度も読みました。なぜこの記事が朴槿恵大統領に対する名誉毀損にあたるのかが、私にはまったく理解できません。旅客船セウォル号が沈没した4月16日に大統領の所在がはっきりしなかったことが韓国の国会でもマスメディアでも大きな問題になりました。大統領が男性と会っていたという噂があるということを韓国紙のコラムなどを引用して加藤さんは日本語で日本向けにコラムを書きました。この程度の内容を理由に新聞記者に刑事責任を追及するというのは常軌を逸しています。それに、米国、ロシア、ドイツの記者が同じ記事を書いたとしても韓国当局はこのような対応をしなかったと思います。 そもそも加藤さんが引用した韓国紙の記事を書いた記者は起訴されていません。明らかに日本のマスメディアが狙い撃ちにされています。 この問題は、韓国の国家権力が加藤さん、産経新聞に対してかけた弾圧にとどまらず、日本のマスメディア、記者、「もの書き」全員(そこには私も含まれる)に対する挑発と思います。 加藤さんを在宅起訴したことによって、韓国は報道の自由を保障できない国際基準での標準的価値観を共有できない国であるという認識が拡大します。韓国の政治エリートにこのような現実が理解できないはずがありません。もっともわれわれから見て、理不尽にしか思えないこの出来事にも、韓国の現政権にはそれを必要とする内在的論理があると思います。日本と韓国は、自由、民主主義、市場経済という価値観を共有する国です。それにもかかわらず、なぜ韓国検察がこのような理不尽な対応をしたのでしょうか。ぜひ、加藤さんの見立てをお聞かせ願いたいです。≪返信≫本紙前ソウル支局長・加藤達也「収拾できぬ政府、もの言えぬ検察」政権の本質 佐藤優さま、ご丁寧なお便りを頂戴いたしましてありがとうございます。また、私が特派員として駐在した韓国で4年たらずの間に書いてきた記事について、マスメディアや民衆の動静について、きめ細かく伝えようとしてきたことを読み取っていただいたことについても、感謝と敬意を申し上げます。 佐藤さまについては、東京地検特捜部に逮捕された後、取り調べの応酬を再現して「国策捜査」の真相をつまびらかにした「国家の罠(わな)」など一連の著作の読者としても存じ上げておりました。 佐藤さまが外交官として、担当地域であるロシア(ソ連)駐在中に受けてきた「不愉快な事件」に比べると、「自由・民主主義国家」である韓国での、現在の私の状況などは身体的な危険も小さく、はるかに幸せな状況であると、改めて感じました。 この問題は佐藤さまのご指摘の通り、朴槿恵政権が私と産経新聞を弾圧しているにとどまらず日本のマスメディア、記者、そして佐藤さまを含む「もの書き」全員に対する挑発だと、私も思います。 韓国ではこの事件について、「一国の国家元首の名誉を毀損したのだから、厳しい刑事処分を受けて当然だ」などという主張が現在も幅広く見受けられますが、近代的な民主国家であれば、国家指導者は自身に対する批評や論評を広い心で受忍する態度が求められるはずです。 産経新聞が現在の韓国に対する厳しい論調をもつメディアであると韓国で認識されていることは、承知しています。ただ、いくら気に入らないメディアであっても、「言論には言論」ではなく、捜査・起訴という公権力の発動をもって応じてしまった事実を、民主主義諸国は決して容認しないはずです。 韓国のメディアや政治家は「国格」という言葉をよく口にします。「国家の品格」という意味と受け止められているこの言葉は、李明博(イ・ミョンバク)前大統領が2010年11月、ソウルで開かれたG20(20カ国・地域)首脳会合を開催した当時、「韓国は先進国入りした」と宣言して以降、さらに重みを増しました。 「先進国入りを果たした」韓国にとって、今回の起訴は国家の体面を大きく傷つけることになりますが、検察はなぜ、そんな選択をしたのか。それはこれまでの経緯を見ると分かります。 私のコラムについて8月5日、大統領府の海外メディア担当の報道官が民事・刑事での法的措置を通告してきました。6日には、検察が告発状を受理しました。政府関係者やメディアの多くはこれを、「朴大統領への忠誠心を示すものだ」と感じたといいます。 その後、8月に2度の出頭をすると国際世論は韓国を激しく批判しました。 韓国政府や法務・検察当局に太いパイプを持つ法曹関係者によると、大統領府はこの時点でなお、検察に呼び出して揺さぶれば産経は謝ると読んでいたというのです。しかし、謝罪も訂正記事も引き出すことはできなかった。 最後の取り調べとなった10月2日、ソウル中央地検の担当検事は私に大統領府との和解について確認し、私が具体的な動きがないことを伝えると失望していました。検察は、大統領本人はおろか、その周辺に「処罰意思の有無」を確認することもできなかったのです。 法的対応を宣言したものの、事態収拾もできない大統領府、そして大統領府に対してものが言えない検察…。今回の在宅起訴は、朴政権の本質の一端をのぞかせたのではないか-。それが背景ではないか、と思います。

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    愚かな韓国よ、目を覚ませ

    韓国の朴槿恵大統領に関するコラムをめぐり、名誉毀損で在宅起訴された産経新聞前ソウル支局長、加藤達也記者の初公判が27日、ソウル中央地裁で開かれ、加藤前支局長は起訴内容を全面的に否認した。真に守るべきは大統領の名誉か、言論の自由か。記者訴追の暴挙で非難を浴びる韓国にいま一度問う。

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    「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家

    呉 善花(拓殖大学教授)先進国にはあり得ない起訴 韓国ソウル中央地検刑事1部が本年10月8日、朴槿恵大統領とその元秘書室長鄭允会氏の名誉を毀損したとして、産経新聞前ソウル支局長の加藤達也氏を在宅起訴した。8月3日付の産経新聞インターネット版記事「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」が、出所不明の噂に基づく虚偽の記事だという判断からだ。容疑は「情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律」(以下、「情報通信網法」と略記)に定めた名誉毀損、罰則は「七年以下の懲役、一〇年以下の資格停止または五千万ウォン以下の罰金」である。 まず、この起訴は法的な観点からして、日本をはじめとする先進諸国では決してあり得ない性格のものだということを述べておきたい。 第一に告訴権者の問題である。日本などでは名誉毀損は告訴がなければ処罰することができない親告罪であり、告訴権者は原則として被害者に限られる。しかし韓国の名誉毀損は親告罪ではあるものの、「被害者の意思」に反しない限り誰でも告訴することができ、今回の告訴は複数の保守系市民団体によってなされている。したがってソウル中央地検は、告訴が朴大統領と鄭允会氏の意思に反していないことを確認したものと思われる。 第二に、ソウル中央地検がこの名誉毀損は「インターネットを利用した権利侵害」とみなしたことである。問題となった産経新聞のインターネット版記事は、産経新聞が日本語で日本から発信したものだから、韓国国内法の制限を受けるいわれはない。「情報通信網法」は、インターネットの「利用者は、私生活侵害または名誉毀損等他人の権利を侵害する情報を情報通信網で流通させてはならない」と定めているが、問題の記事を流通させたのは加藤氏ではなく国外の産経新聞である。しかし起訴状は、加藤氏は次のようにインターネットを利用して権利侵害を犯したとみなしている。「産経新聞ソウル支局の事務室でコンピューターを利用し、被害者、朴槿恵大統領と被害者、チョン・ユンフェの噂に関する記事を作成した」「記事をコンピューターファイルに保存した後、日本・東京にある産経新聞本社に送信し、8月3日正午、産経新聞インターネット記事欄に掲載した」(産経新聞10月9日付の日本語訳より抜粋) 要するに、韓国内で記事を作り、インターネットを利用して日本に送信し、日本からインターネットを利用して発信させるようにしたのだから、「インターネットを利用した権利侵害」にあたるというのである。常軌を逸した拡大解釈というほかない。原典はお咎めなしという不可解 次に、何をもって名誉を毀損する「出所不明の噂に基づく虚偽の記事」としたのか、である。問題の産経新聞記事の主な内容は次の三つである。・セウォル号事故当日、朴大統領が七時間所在不明だったとされる件について、七月七日に行なわれた国会運営委員会での朴映宣・院内代表と金淇春・大統領府秘書室長との問答の一部紹介。・朴大統領はその間、かつて秘書室長だった鄭允会氏と密会していたのではないかとの疑惑を報じた朝鮮日報の記者コラム「大統領を取り巻く風聞」の引用。・同記者コラムが「大統領をめぐるウワサは少し前、証券街の情報誌やタブロイド判の週刊誌に登場した」と書いたことを受けた、「証券街の関係筋」によればウワサは「朴大統領と男性の関係に関するもの」で「一種の都市伝説化している」とする観察。 産経新聞記事は最後に、同記者コラムの「大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきている」との観測部分を引用し、「朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ」と結んでいる。 朝鮮日報の記者コラムや証券街の情報をもとに書いた記事であるのは明らかだ。加藤氏は「朴氏の所在をめぐる問題は国内で議論され、うわさも広がっていたと指摘し、『それをそのまま書いた』と説明」している(朝日新聞10月11日)。記者コラムを書いた崔普植記者は「悪意的に編集され、悪用された」と述べている(産経新聞8月3日)が、加藤氏の記事は最初から最後まで「そのまま」書く手法で一貫している。 誰が見ても、問題は朝鮮日報の記者コラムにあり、これを引用した産経新聞記事が名誉毀損に問われる筋合いはない。にもかかわらず、朝鮮日報の記者コラムを書いた当の本人が何ら問題とされないのはなぜなのか。この記者を名誉毀損で告訴する者が、不思議なことに被害者を含めて一人もいないからである。 産経新聞記事が、政権の近況を伝える公益性十分の記事であるのは明らかだ。報道が公益に関わるものであれば、内容が真実そのものだと証明できなくとも、メディアはそれを報道することができる。これが民主社会のコンセンサスである。疑惑レベルでの報道が許されないとなれば、権力を批判することはほとんど不可能となる。公人中の公人である朴大統領は、いかに不満であろうとこの報道を受忍しなくてはならない義務があるのだ。外に悪く言ってはいけないという情緒的良識 告発は8月6日以降相次ぎ、七日に大統領府が「産経新聞に民事、刑事上の責任を問う」と表明。翌日の8日にソウル中央地検が加藤氏に出頭要請をした。これで出国禁止となり、起訴までに61日間もかかったのは韓国では異例のことだ。検察が起訴をきめかねて逡巡していたこと、最終的には朴大統領自身の強い意向を受けての起訴だったことが想像される。 そうであるのに、朴大統領も鄭允会氏も、2人が会っていたと「虚偽の記事」を書いた朝鮮日報の記者を告訴しようとはしなかった。その一方で、記事を引用したにすぎない加藤氏に対する告訴には、両人ともまったく異義を唱えることがなかった。 こんなおかしな「被害者」がいたためしがあるだろうか。どう見ても、韓国の新聞ならば虚偽の記事も許されるが、日本の新聞ならば引用でもいけない、という論法である。そこには、とくに韓国について日頃から厳しい批判を展開している産経新聞だから、という意図が見えている。 私は以前、まだ日本に帰化していなかったときだが、韓国の大使館の関係者から「あなたの韓国批判には感心させられることがいろいろとある。しかし国内でやるのではなく、国の恥をわざわざ日本に向けてさらすのはどういうわけなのか」と叱責されたことがある。つい最近も、今度は日本国籍をもつ私に対してなのだが、某韓国領事館関係者から講演の席で、まったく同じ言い方で激しく非難された。 身内(民族)の中で身内の悪いところを指摘する分にはいいが、外に向けて身内の悪いところを指摘してはいけない、とくに日本については。これが韓民族ならば誰もが取るべき態度だというのが、韓国に特有な社会的良識なのである。だから朝鮮日報にはお咎めがない。したがって加藤氏については、彼ほどの知韓派知識人ならば我が国(身内)に味方すべきなのに、我が国の恥をこともあろうに日本に向けて発信した、そんな敵対的な行為は絶対に許せないという気持ちになるのである。こうした「韓国人の情緒的な良識」が告訴・起訴の意思に強く働いているのは確かである。韓国紙と韓国社会の反応の怪 告訴の時点から、外部の声は言論の自由への侵害を憂慮するものが大勢だったが、起訴となった段階での朝鮮日報をはじめとする韓国のメジャー紙は、その点には一切触れることがなかった。淡々と起訴の事実だけを報じた。言論の自由を求める声を遮断する、こんな言論機関がいったいどこにあるだろうか。それでも憂慮の念を示した新聞がまったくなかったわけではない。 京郷新聞は「検察側は加藤前支局長のコラムに関し、『虚偽』『悪意的』だと強調するが、立証するのは容易ではないとみられる」と指摘し、「(加藤前支局長のコラムは)公益的目的のための疑惑提起だったことから、加藤前支局長が明白に虚偽であると認識していたと立証するのは困難」という学者のコメントを掲載している(産経ニュース一〇月九日より)。 またハンギョレは「相当数の言論学者は、韓国検察の『産経新聞』記者に対する起訴が『言論の自由を萎縮させかねない』として憂慮を示した。また、裁判で無罪判決が出る可能性が高いと見た」と報じている(ハンギョレ10月10日) 両紙は告訴の時点から「韓国の言論の自由が萎縮する」との懸念を表明していたが、いずれも反保守系の弱小紙で国内の影響力はきわめて小さい。 外から見れば、韓国はなぜ自ら言論の自由がないことを世界に知らしめ、国家の恥を恥とも思わず堂々と開き直ってみせたのかがわからない。中国と同じに、国家の威信・尊厳に関わる問題であり、言論の自由への侵害には当たらないとしているからだ。これに対して、日本政府をはじめ各方面から言論の自由を憂慮する声明や抗議の声が噴出した。 日本では日本民間放送連盟、日本記者クラブ、日本新聞協会、新聞労連などマスコミ関係諸団体が一斉に抗議声明を発している。ソウル駐在外国メディアの記者らでつくるソウル外信記者クラブは、韓国検事総長に対して「深刻な憂慮」を表明し、同クラブ代表者との早期の面会を求める公開書簡を公表した(ソウル共同通信)。 米国務省のサキ報道官は10月8日の記者会見で、「われわれは自信を持って言論・表現の自由を支持する」と強調し、韓国の名誉毀損に関する法律は国務省が毎年公表している人権報告書(2013年版)でも指摘したように「懸念している」と述べ、「報道活動に萎縮効果を及ぼし得る」と批判した(ワシントン時事通信)。  言論の自由への侵害を憂慮する声は、告訴を受けた検察捜査開始の時点で各方面から出されていた。報道されたものからいくつか挙げておこう。・八月二七日、国連のステファン・ドゥジャリク事務総長報道官は、定例記者会見で「特定の件についてコメントはしない」とした上で、「国連は常に、普遍的な人権を擁護するため、『報道の自由』や『表現の自由』を尊重する側に立っている」と強調。・八月二九日、日本新聞協会編集委員会は、地検の捜査について「取材・報道活動と表現の自由が脅かされることを懸念する」との談話を発表。・八月三一日、ネットメディア「インナーシティ・プレス」主宰のアメリカ人マシュー・リー記者は、「こうした報道が出国禁止や刑事訴追の引き金になるべきではない」「国籍やその他の事情に基づいた、記者に対する異なった取り扱いが許されるべきではない」「韓国の報道の自由に関し、韓国出身の潘基文国連事務総長の沈黙が『際立っている』」と厳しく批判。・九月一〇日、NGO国境なき記者団は「報道機関が政治家の行動をただすのは当然だ」と批判し、ソウル支局長が出国禁止措置を受けていることにも触れ、「当局に、告発を取り下げ、行動の制約を撤廃するよう要求する」と主張。振り上げた拳がおろせぬ反日貫徹のジレンマ こうした情勢にあったから、起訴すれば韓国が国際的な批判にさらされるのは目に見えていた。にもかかわらず起訴はなされた。国際社会における国家の威信失墜を承知の上で起訴したと見るほかない。 朴政権に何かの計画や戦略があったとは思えない。最初は、産経新聞に意地悪をすることで日本のメディアをうんざりさせ、韓国を怒らせればこんなリスクを負うことになると、事実をもって思い知らせようとしたものだろう。これだけでもジャーナリズムへのとんでもない圧力なのだが、起訴を当然とする世論が国内に高まり、振り上げた拳が下ろせなくなってしまったのだ。なぜ下ろせないのか。出発時点から強固な反日姿勢を取り続けてきた「反日貫徹が最大の目玉」の大統領だからである。 ここで拳を下ろせば、「朴大統領は反日から退却した」と見なされ、政権支持率の急落が避けられない。朴政権は何よりもこれを恐れたのである。韓国の反日には右も左もない。親日は売国以外のものではない。国民から反日の手を緩めたと思われたら最後、保革逆転が起こりかねない情勢にある。朴政権はそうした危うい勢力バランスの上に乗っている。大統領が国民の支持を失えば、側近がたちまち離反し、こぞって次期権力者の担ぎ出しへと乗り出していく。そうして孤立無援の状態に置かれるのは、韓国大統領の常である。噂の深層はどうなのか 朴槿恵氏が国会議員の補選に出馬し政界入りしたのは1998年である。鄭允会氏は以後ずっと朴槿恵氏の秘書室長を務め補佐官の役割を果たしてきたが、2004年に朴槿恵氏がハンナラ党代表最高委員に就任した際に辞している。鄭允会氏は朴槿恵氏より3歳年上で、秘書室長時代はもちろん、以後も朴槿恵氏を政治的にも個人的にも一貫して支え続けてきたことはよく知られている。 鄭允会氏は青瓦台(大統領府)を動かすほどの権力をもつといわれるが、まさしくその一つの現れともいえる事件を、韓国の有力誌『時事ジャーナル』(2014年3月19日号)が報道している。その内容は日本の週刊誌でも紹介された。 『時事ジャーナル』によれば、鄭允会氏の指示で、青瓦台が1カ月に渡って朴槿恵大統領と仲違いした弟・朴志晩氏を尾行していたという。朴志晩氏が尾行者を捕らえて詰問したところ、鄭允会氏の指示で行なったと自白したということだ。同誌は鄭允会氏が青瓦台の人事に深く介入しているとも伝えている。続いて6月20日号では、鄭允会氏が自分の娘を乗馬競技の韓国代表にゴリ押ししたと報じている(週刊現代2014年8月30日号記事より)。 7月18日に、朝鮮日報の崔普植記者が、問題の記者コラムで「朴槿恵氏と鄭允会氏の密会」をほのめかしたところには、こうした背景があったのである。コラムでは「男女の関係」といった取り上げ方をして人目を引いたのだが、問題の本質はそこにあるのではない。鄭允会氏の青瓦台政務への関与にある。「朴大統領が鄭允会氏に操られているのではないか」と危惧する者は決して少なくないのである。 鄭允会氏の元妻(本年5月突然離婚している)は、朴正煕政権時代に青瓦台で大いに権勢を振るった崔太敏牧師(1994年没)の娘(6回結婚した五番目の妻の子)である。崔太敏牧師は朴槿恵氏より40歳年上で、朴槿恵氏を公私に渡って支え続けた人物である。この二人の間にも低俗な噂が、以前からまことしやかに流されているのだが、ここでも問題は政治権力のあり方に深く関わっている。No.2不在のまま止まぬ反日の到達点 朴正煕大統領時代、朴槿恵氏の母親陸英修が亡くなった後、大統領の娘朴槿恵氏は国家のファーストレディとして表舞台に登場した。その1975年5月、朴槿恵氏は崔太敏牧師が総裁を務める宗教団体・救国宣教団の名誉総裁に就任する。 朴槿恵氏と崔太敏牧師は、救国宣教団を母体に救国奉仕団を組織し、巨大な政治的支持勢力を形成する。70年代末には会員数300万を擁したといわれる全国組織だったが、朴正煕が凶弾に倒れた後の軍事クーデター政権のとき、韓国軍保安司令部によって解体された。二人は他にも、セマウム(新しい心)奉仕団(1976年)、その後身としての槿花奉仕団(1989年)という陸英修の追慕を目的とする、実質的な政治支援団体を設立している。 1979年の朴正煕の死後、朴槿恵氏は父親を引き継いで陸英修が設立した育英財団の理事長となる。財団顧問が崔太敏牧師である。そして1990年、妹の朴槿令氏と弟の朴志晩氏が連名で当時の盧泰愚大統領に宛て、「姉は崔太敏牧師に騙され操られている、姉を助けて欲しい」との主旨の嘆願書を送った。 これが明るみに出て、一大スキャンダルにまで発展した結果、二人とも育英財団から手を引き一切の活動を停止したのである。そして朴槿恵氏は崔太敏牧師の死後に政界入りを果たし、今度は崔太敏牧師の娘婿の鄭允会氏と手を組んでいったのである。 朴大統領の政治家生活は16年になるが、その間信頼を置く側近もナンバー2もいないままにやってきた。朴大統領が心の底から相談できるのは鄭允会氏しかいなかったのだろう。 だからこそ噂が立ったのだが、韓国は「国家の尊厳=朴大統領個人の尊厳」とし、国家本来の威信を自ら国際的に貶めるに至った。これこそまさに売国ではないか。反日から出発し、反日を止めることができなくなったこと、その行き着いた先が今なのである。「国民情緒法」という魔物がすむ韓国司法界 今回の起訴で私が最も危惧するのは、韓国の司法界には国民情緒法という法の概念があることだ。国民情緒に合致するものなら、司法はあらゆる実定法に拘束されない判断を下せるという、民主国家にはあるまじき超法規の考え方である。韓国の新聞はこれを次のように説明している。「これは手につかめる実体も、文字で記録された文件(ママ)もない。長期にわたって蓄積された慣習法でもない。だが国民情緒に合うという条件さえ満たせば、実定法に拘束されない不文律となっている。憲法上にも君臨する」(中央日報・日本語版2005年8月12日) この記事は「国民情緒法に引っかかると、いかなる形態であれ罰を受ける」として、国民情緒法が適用されたいくつかの例の一つに、「半世紀を超えた父親の親日などの問題で、国民情緒に背いた公職者は現職から退く『恥辱刑』を受けた」ケースを挙げている。 たとえば「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」に基づいて作成された「親日反民族行為者リスト」の公表によって、当人やその子孫の多くが、社会的な地位からの追放という事実上の処罰を受けている。また「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」によって、多数の「親日反民族行為者とその子孫」の財産が国家の手で没収されている。 これらの特別法は、韓国憲法で禁止する事後立法(実行のとき適法であった行為に対して後にそれを処罰する法律を制定すること)で制定されている。国民情緒法の適用なくしてはあり得ない法律だ。国民情緒法は「憲法上にも君臨する」のである。 対馬の浮石寺から仏像が盗難された事件で盗品返還拒否を認めた大田地裁の判断、韓国駐在日本大使館前の慰安婦像設置、いずれも実定法に則る限りはできないことだ。 日本の雑誌(『正論』2005年4月号)に「日本統治を評価する論考」を発表したとして、韓昇助高麗大学名誉教授はいっさいの「現職から退く『恥辱刑』を受けた」。 評論家の金完燮氏は、120年も前に亡くなった李朝末期の王妃の所業を批判して、その子孫から名誉毀損で訴えられ有罪となっている。国民情緒法の強力な関与なしにはあり得ないことだ。 私は日本国籍を取得してから、二度に渡って韓国入国拒否の処分を受けている。その理由は明らかではないが、二度目のときに当局から渡された送還指示書を読むと、私は「大韓民国の利益又は公共の安全を害する行動をするおそれがあると認めるだけの相当な理由がある者」(韓国出入国管理法第一一条第三項)として入国拒否されたと理解できる。 私は政治活動すらしたことのない一介の言論人である。韓国が私の言論をもって私の入国を拒否したことは明らかだ。韓国憲法で保障する「言論の自由」は、当然ながら外国籍の者にも適用される。しかし、ここでも国民情緒法は「憲法上にも君臨する」のである。 国民情緒法は国際条約上にも君臨する。日韓条約で請求権が失効しているにもかかわらず、戦時徴用で住金・三菱重工への賠償請求訴訟が起こされたのもそのためだ。一連の「従軍慰安婦」への賠償を求める動きもまたしかりである。万能無敵で正義の味方気どりの国民情緒法 このように、国民情緒法は対日本問題での適用が顕著である。なぜなのか。「反日心情=国民情緒」、つまり反日心情はあらゆる法を超えた民族の正義だという思想がそこにあるからだ。今回の起訴の根底に反日があり、実定法では無理な起訴であるのは明白だから、韓国司法が国民情緒法を適用する可能性は十分にある。それでは、国民情緒法はどのような流れから適用されるのだろうか。先の新聞記事は次のようにいっている。「あいまいで抽象的な概念の国民情緒は、一部の市民団体と学者の意によって具体化される傾向を見せる。彼らが特定事案に対して正否を判断し、これを一部のメディアが後押しすれば、国民情緒法は“制定”される」(同前) とすればもはや条件は整っているのだ。加藤氏の出国禁止はさらに3カ月延長されて「公判準備期日」が11月13日となり、これが事実上の初公判となる。日本政府は韓国に対して加藤氏の出国禁止解除を強く要請し、世界に広く裁判の不法性を訴え、韓国に強力な国際的圧力をかけていかなくてはならない。韓国がそれにどれだけ耐えられるか、これに国民情緒がどう反応していくか、そこが勝負所になると思う。 呉善花(オ・ソンファ)1956年、韓国生まれ。拓殖大学国際学部教授。大東文化大学卒業後、東京外国語大学大学院地域研究科修士課程修了。外語大大学院時代に発表した『スカートの風』がベストセラーに。また『攘夷の韓国 開国の日本』で第五回山本七平賞受賞。著書に『虚言と虚飾の国・韓国』など多数。

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    韓国の「外信信仰」と激しい党派対立

    澤田克己 (毎日新聞ソウル支局長) 韓国のソウル中央地検が10月8日、朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を情報通信網法違反で在宅起訴した。メディアによる権力者に対する名誉毀損を刑事処分の対象にするのは、民主主義国家では極めて珍しい。 私は、問題となった記事について「引用元となった朝鮮日報のコラムと実質的に同じ内容」という産経新聞の主張には与しないし、産経新聞の記事が良質なものとも思わない。さらに言うならば、日本の名誉毀損訴訟でも、「噂を噂として書いただけ」「真偽不明の噂だと断った」という主張だけでは免責されない。だが、それでも刑事処分の対象とすることは明らかに行き過ぎだ。言論の自由を脅かす今回の在宅起訴は、異論や批判を許さない朴大統領の姿勢と政権の意向に忠実な韓国検察の体質を改めて見せたものといえるだろう。「外信だって韓国の法律に従わなければならない」 その点を明確にした上で、今回は、今まであまり指摘されてこなかった点について考えてみたい。 在宅起訴を受けた韓国側の反応で興味深かったものの一つに、「外信だって韓国の法律に従わなければならない」というものがある(韓国では通常、外国メディアのことを「外信」と呼んでいる)。 与党セヌリ党の院内報道官は10日の記者会見で「虚偽報道行為が大韓民国で行われたのだから『治外法権』の対象になることはできない。我が国で法を犯したのなら、国内法が適用されることは、あまりにも当然だ」と述べた。大手紙・中央日報も11日、「産経前支局長の起訴に対する我々の見方」と題した社説で「(検察は)外信の報道も治外法権の領域にはないことを明確にした」と書いた。これ以外にも、「外信記者だからといって許されるものではない」という論評はよく聞かれた。 本来は、外信であろうが、国内メディアであろうが、こうしたケースで在宅起訴にまで持ち込むこと自体が問題だ。だが、あえてそれを無視して考えるならば、一般論として「外信記者だって任国の法律を守るべき=外信記者に特権があるわけではない」というのは当然だろう。当たり前のことだから、恐らく日本や米国では、こうした発言自体が出てこない可能性が高い。軍事政権でさえ手を出せなかった外信 こうした発言が出てくる背景には、韓国の現代史において外信が占めてきた特別な地位があるように思われる。韓国では1987年の民主化まで、外信あるいは外信記者というのは、軍事政権でさえ手を出せない「アンタッチャブル」な存在だったのだ。 国内メディアを力で押さえつけた軍事政権も、日米を中心とする外信を統制することは難しかった。国力が弱い韓国としては、経済と安保の両面で生命線といえる日米両国との関係を悪化させるコストは大きかったからだ。毎日新聞を含む日本メディアの特派員を国外追放処分にしたこともあるが、いくら軍事政権でも簡単にそんな処分をできるわけではなかった。1980年代までは、韓国人記者が「我々は書けないから」と政治的に敏感な特ダネを日本人記者に提供することも珍しくなかったという。 外信がアンタッチャブルだったことを如実に物語るシーンが、昨年末に公開された映画「弁護人」にあった。1981年に起きた公安事件の弁護人となった若き日の盧武鉉元大統領を描いて、観客動員1137万人という大ヒットを記録した映画だ。 拷問で虚偽の自白を強要された被告を弁護する主人公は、内部告発者を見つけ出して証人に立てようとする。公判前日の打ち合わせで先輩弁護士が「判事は証人申請を棄却するだろう」と心配すると、主人公は「明日の法廷には、外信記者と気骨のある(韓国人)記者を呼んでほしい。外信記者は絶対に必要だ」と手配を頼む。そして、主人公は当日朝、判事に証人採択を迫りながら、脅し文句として「毎日(新聞)とAP通信、それにドイツのZDF(テレビ)が来てる」と言い、判事は証言を認めざるをえなくなるのだ。メディアを巻き込む激しい党派対立 1987年の民主化で、韓国の言論環境は劇的によくなった。 もちろん、問題がまったくなくなったわけではない。金大中政権までは、税務査察で新聞社オーナーを拘束するなどして国内メディアに圧力を加えていたし、盧武鉉政権以降は、現政権にいたるまで国内メディアを相手どった民事、刑事の訴訟を乱発している。メディアの側にも、政府や財閥に対する不透明な対応や、事実関係よりも党派色を重視した論調を展開しがちなどという問題はある。それでも、かなり自由な政府批判も行われるようになってきた。だからこそ、「外信記者だからといって特別扱いするような時代ではなくなった」という意識が出てくるのだろう。 だが一方で、民主化から30年も経っていないからか、韓国では未だに「外信報道」を国内メディアより信用できると考える意識が残っている。特に、前述したように韓国メディアは党派性が非常に強いので、保守系が独占する大手紙に対する野党支持者の不信感は根強いものがある。 だから、今回の産経新聞の記事については、「外信までがこう書いた」という感じで韓国内に紹介するネットメディアがあったという。「保守系大手紙はごまかそうとしているが、外信が暴露した」というニュアンスだ。韓国メディア、特に保守系大手紙に対する強い不信感を背景に、外信ならなんでも信じてしまう心理だとも言える。 韓国メディアの青瓦台(大統領府)担当記者は「産経新聞の記事自体ではなく、政府に好意的でない(ネットを含む)韓国メディアが『産経がこう書いた』と書き立てたことの方が負担だったと、青瓦台当局者は話している」と明かす。彼はさらに、「韓国のメディアは、外信報道を自分たちに都合よく使って(対立する党派の)批判をするから」と自嘲気味に話した。今回の在宅起訴に対する反応でも、正面から批判している韓国メディアは、保守派と激しく対立する進歩派系ばかりである。 そうであるならば、産経新聞関係者すら私に「与太話みたいな記事なんだから、無視してくれれば終わりだったのに」と話した産経の記事は、メディアを巻き込む激しい党派対立という韓国政治の構造の中で事件化されるにいたったといえるのだろう。

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    加藤記者、朴政権の理不尽に屈せず

    加藤 達也(産経新聞・前ソウル支局長)悪意があるのはむしろ韓国検察庁 今回の出来事は言論の自由について韓国の狭量さを示した象徴的な出来事だったと思っています。そもそもあの記事で名誉毀損という罪を問われ、刑事の法廷に立たされて、刑事責任を追及されることが今も信じられない。刑事責任を追及されるに値する記事だったとは到底思えないのです。 それはなぜか。大統領という存在は公人─公人のなかでも大統領は最も公益性の高い、いわば「公人中の公人」と言っていい─でしょう。第二に私がコラムで取りあげたセウォル号の沈没事故は、三百人以上の死者が出て世界中の注目を集めた重大なものでした。しかも犠牲者に若い高校生が多数含まれていて、現場に足を何度も運んだ私も胸を締め付けられる思いの連続でした。 その事故の渦中に大統領が何をしていたのか。コラムで取り扱った大統領の動静というテーマは当然公益性を伴った問題だと思っています。 それを韓国検察庁は「コラムは誤報だった」あるいは「故意に間違いを伝えた」、即ち「私が嘘を書いた」などというストーリーに基づき捜査をしています。コラムを書くにあたって私に大統領への悪意が明確に存在していたのだ─というのが検察の主張の柱になっているからですが、それもおかしな話です。 まず私がコラムで書いた当時、大統領の動静をめぐるさまざまな憶測や情報が現実に存在していました。「これだけの事故があったのに大統領は一体何していたのか」というものです。そしてそれは政権を論じるテーマにもなっていた、それだけ政権の有り様を示す事例だと言っていいと思いますが、そういう状況、現象が事実として存在していたのです。 私は朝鮮日報でそのことが明るみに出る前から、そうした情報を自分で掴んで取材を重ねていました。コラムにある証券街の関係者はじめ、国会をはじめとする国政の関係筋に会いながら「なぜこういう情報が飛び交うのか」「情報の真偽はどうなのか」といった疑問をあれこれ調べてきたわけです。 その後、朝鮮日報で記事を目の当たりにしました。一見して腰が引けたというか、暗喩的に書かれた記事だという印象を持ちました。書いた記者は記事の記述がぼやけている理由について後で「大統領に対する配慮があったのだ」などと説明しています。 彼の声明では「極右紙である産経新聞と関連づけられ、私の立場はより悪いものになりました…私のコラムでは産経新聞の記事に出ていた『男女関係』という単語は用いられておらず、特定もしていません。低質と扇情性は職業人としての私のスタイルではない。私のコラムと一部の素材が似ているとしても主旨が同じだといえるのか…これについては検察の判断に委ねます」などとも言っています。 後で詳しく述べますが、彼は検察が捜査に着手したことを決して評価しているわけではありません。しかし、朝鮮日報は不問に付し、産経新聞だけを問題視する検察の立論に沿ったコメントを出し、・自分の記事は別だ・といっているのです。 しかし、出回っていた情報を明るみに出したという意味では私のコラムと彼のコラムは何ら変わりはありません。彼のコラムを目の当たりにした瞬間、執筆した記者が何を意図したのか、私には手に取るようにわかりました。韓国でこうした情報に接していた人ならば記事を見ただけで記事のいわんとするところが明白にわかったと思います。また全くそうした情報を知らない人が記事を読んだのであれば、なおさら私が書いたコラムと全く同じ読後感や印象を持つだろうと思います。 検察はことさらに私のコラムだけを取りあげて「嘘を書いている、悪意がある」などというわけです。しかし、私は物事を断定して書いているわけではありません。噂が存在するという事実を朝鮮日報のコラムを引用しながら書いた、そうした状況が朴政権のレームダック化が進んでいる証左なのではないかと結論づけているわけです。 また取材のやり方が悪い、不十分だ、低俗だなどといって記事の質を批判する向きもあります。しかし記事に嘘はありません。質が低い記事だからといって、では刑事罰を科すのが妥当なのか、といえばそれは絶対に違う。検察もその点を混同している。そういう場面に出会うたびに政権に阿り私に厳しい処断を下すことで溜飲を下げたいという捜査機関の側の悪意を私はむしろ感じざるを得ないのです。大事故、大災害を大統領に問う社会的風土 韓国では4月にセウォル号の事故が発生しました。私は二度にわたって現場近くに滞在しながら取材を重ね、事故の痛ましい場面、生々しい場面を四六時中目の当たりにしてきました。 そういうなかで印象的で忘れられない出来事が何度もありました。「これは一体何なのだろう」と考え込んでしまう出来事にもいくつも遭遇しました。 何しろ事故では沢山の高校生が亡くなっています。私にも高校生の娘がいます。そのような遺族が悲しみを露わにする光景などは胸に突き刺さるような出来事でした。あまりにも杜撰な韓国の安全に対する認識も明るみに出ましたが、本当に驚き、衝撃も覚えました。 やがて朴大統領が頻りに事故について言及を始めるようになりました。その時の発言も印象に残っています。確か公的な会議での発言で、救出をせずに逃げた乗務員達の行為は殺人に相当する、と口走ってしまったのです。 この発言に私は正直、驚きました。しかし、それ以上に衝撃を覚えたのは大統領発言を受けた形で検察庁の最高幹部が「殺人容疑視野に捜査」と言い始めたことでした。確かに事件は痛ましい。乗客そっちのけで逃げた乗員の行為は許されるものではありません。 しかし、多少事件をかじった記者から見ると、あれは業務上過失致死罪だと思う。船舶の法令を丹念に調べれば、ひょっとすると重罪に相当する罪名が出てくるのかもしれませんが、事案が十分に解明できていない発生直後のなかでいきなり殺人だと国家のトップにある大統領が口走る。それを検察─それも最高首脳クラス─が殺人を視野に捜査すると言ってしまう光景に違和感を覚えたのです。 大統領の一挙手一投足は事故後、直ちに政治問題化しました。韓国では何かにつけて大統領の責任が追及される政治文化があります。 この点に限って言えば日本でも首相の責任が追及される光景はそう珍しくはありませんから、大きな違いがあるとはいえないかもしれない。 しかし、決定的に違うなあと思わされることがあります。それは大災害や大事故が起きた場合に、韓国社会では指導者─特に大統領の場合が多いですが─の徳目が欠けているからだと捉え、指導者の資質に結びつけて考えたがる風潮が強いのです。 今回の沈没事故もそうでしたし、例えば過去に起こったデパート崩落事故や橋梁の崩落事故でもそうでした。大災害が起きると、韓国では大統領が出てきて謝罪する光景が珍しくないのです。 これはあまり日本では見られない光景だと思う。御嶽山が噴火した。沢山の人が亡くなった。しかし、だからといってそのことで首相が出てきて謝罪することは─対処がまずかった、救難が遅れた、心ない発言があったといった具体的な話があれば別ですが─まず考えられません。民間航空機が墜落してもそうです。航空会社が一義的に対応して責任が問われ謝罪する。首相が事故の発生原因を直接問われて謝罪する光景などまずあり得ない。謝罪を求める世論だって起こらないでしょう。 ところが韓国では必ずしもそうではないのです。先程の大統領の「殺人」発言にしても、これは事故原因を大統領に直接問いかける社会的な風土が前提としてあるからです。特派員としては大変興味深い、彼我の違いを感じる光景です。実際、朴大統領も事故を受けて頻りに言及を繰り返していました。これも政権側がそうした社会的風土を受け容れて“試練”をつつがなく凌いでいかねばならないという覚悟があったからだと思うのです。 いずれにしても今回のセウォル号事件を単なる事件事故の側面だけでなく、社会現象や政治現象も含めて伝えなければならない、そのためのさまざまな要素が満ちている。そう思いました。ネットでの原稿にセウォル号事件における大統領の動静について書こうと思ったのです。メディアを掌中に置きたがる朴政権 それで「【追跡~ソウル発】朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」というコラムを執筆しました。朝鮮日報のコラムを参考にしたのはすでに申し上げたとおりですが、青瓦台(大統領府)の反応は早かった。ネットに原稿が掲載され8月5日に電話で抗議があり「民事、刑事両面で責任を追及する」と告げられたのです。 そうはいってもこうした抗議はそう珍しいことではありませんでした。私達の支局では7月に新しい駐日大使が内定したという記事を書きました。この時も、記事の解禁指定日時を破った─として1年間に渡る取材応答禁止─いわゆる日本の霞が関にもある出入り禁止に似たものですが─を告げられました。私達に限らず日本の他のメディアでも似たようなことはあるようです。 ただ、これも腑に落ちない話です。解禁指定というのは、あらかじめ情報を事前に告げる代わりに、記事にするのは指定された解禁日に足並みを揃えますよ─という約束事です。しかし、この約束は青瓦台に詰めている韓国の国内メディアの記者を対象にした縛りであって、私達はそうした約束をした覚えなどないのです。今述べた駐日大使の話にしても本来青瓦台とは関係のないソースからの話を裏取りして記事にしたものです。そこへ青瓦台から抗議があって、出入り禁止にされる。われわれとしては理不尽極まりない話なのです。 これは私どもの記事ではありませんが、先日、ローマ法王が韓国を訪問しました。訪韓時の法王と朴大統領の会談日程について、ローマ法王側の発表に基づき記事にした。すると大統領側から「解禁指定があるので勝手に書いてもらっては困る」とクレームがついた。これだって本来ならば日本のメディアに文句をいう前にまず、ローマ法王庁としっかり調整して下さいよという話です。 中国の最高指導者、習近平総書記が訪韓したさいもそうでした。日本のとあるメディアが訪韓をスクープすると、この解禁指定を口実にクレームをつけた。しかし、韓国国内のメディア記者の枠組みに日本の特派員はそもそも入っていない。にもかかわらず抗議やクレームなど不利益は同様に課されているというわけです。 今回私は刑事裁判を受けることになりましたが、これまでも大統領府は少なくとも5件の民事訴訟をセウォル号沈没事故後、提起しています。これは韓国の国内メディアを相手取ったケースですが、メディアに対する朴政権の考え方が読み取れると思います。簡単にいえば自分の掌中に置きたいという欲求が強いということなのです。そもそも事件としてなり立たない 韓国のメディアはどう受け止めているのか。先程、朝鮮日報のコラムを書いた記者の話を紹介しました。 彼は二つのことを言っている。ひとつは検察が今回、記事について名誉毀損容疑で捜査に乗り出したことについてはネガティブに受け止めています。しかし、一方で自分のコラムと私のコラムとは全く別物だとも言っているのです。それが「極右紙である産経新聞と関連づけられ、私の立場はより悪いものになりました…」という声明にあるのです。 朝鮮日報というのは朴政権が自らの応援団のように考えてきた新聞です。実は当該コラムが出たとき、政権側は大変な衝撃を受けた。政権側は相当、頭に来て猛烈な不快感を朝鮮日報に表明し「なぜこんなコラムを書くんだ」といったそうです。 ただ、国内メディアと事を構えるのは得策ではない。そのことは政権だって分かっている。だから朝鮮日報は不問にしたのでしょう。 しかし、産経は違う。大統領も怒っているし、許せない…となって産経には「悪意がある」と、こうなるわけです。検察も捜査することになってしまった。 ところが、朝鮮日報はOKだが、産経は×という理屈はなかなか立たない、それはそうです。検察の主張は土台無理があって捜査でも彼らが苦労した点でした。 私は朝鮮日報の記者が検察庁に書面で出した回答書を読んだことがあります。そこで書かれてある内容は彼が出した声明とほとんど同じ内容でした。つまり、検察の「朝鮮日報と産経新聞は別」だという論理を補強する内容だったわけです。 朝鮮日報は訴追を免れ、検察はこの書面をもって両者を区分けできる証拠を得る。両者には利害の一致があったのだと言わざるを得ません。 もっとも韓国の法曹界の人達に聞いても口を揃えて「無理筋だ」「事件にならない」といいます。流石に検察の現役の方々からそういう話は出ませんが、知り合いの裁判官OBや検察OBの弁護士らに聞くとほとんどの人が今回の起訴が本来はあり得ないし、「そもそも事件としてなり立たない」という見方が一般的です。安倍首相の人形に汚物をつけて糾弾する国民性の? 今回の出来事について表現の自由の危機だ、言論の自由が脅かされている─といった具合に戦うメディアが韓国紙にどれだけあるのか。これは相当濃淡があると思います。 左派系と言われている京郷新聞は正面から取りあげてます。ハンギョレもそうです。ハンギョレの場合は言論の自由、表現の自由の問題を取りあげることに加えて、セウォル号事故発生から早い時点で朴大統領が船内に乗客が閉じ込められていることを認識していた─などというニュースまで報じています。 これに対して保守系紙はどうか、といえば正面から表現の自由だ、言論の自由はどうなったか、というトーンはそう出ていません。やりにくいのだと思います。やれば、朴政権の批判が避けられませんから。私が起訴されたとか、公判期日が決まった、といったニュースをストレートニュースで淡々と報じるにとどめている印象がある。まして世界中が韓国当局の今回の判断をどのように見ているか、などといった記事を見ることはほとんど無いに等しい。 10月8日夕に私は在宅起訴されましたが、刑事処分決定に際して検察は事前に弁護士に通告するとしていました。実際は午後7時に韓国メディアに一斉に発表する形式となりました。検察は私に対して一貫して奇襲的な態度を取ってきました。在宅起訴はその総仕上げに近いものでした。 私への出国禁止は2カ月以上に及んでいます。この間、取り調べは3度ありましたが、検察には私への揺さぶりと心理的な圧迫により産経新聞を屈服させようとする意図と態度が明白でした。 例えば、検察は刑事処分について「(起訴の方針などの)予断はない」と、たびたび宣言していました。そんなことはありません。取り調べは明確に「起訴」を前提としていました。はじめから「有罪判決」を目的としたものでした。 記事にある「混迷」「不穏」「レームダック化」などの言葉をひとつひとつ取り上げて、その使い方から誹謗(ひぼう)の意図を導きだそうと検察官は必死でした。 たとえば、「被疑者の記事にある『レームダック』は政権交代期に、政治に一貫性がないことを意味する言葉だが、韓国の政治状況に対しふさわしいと思うか」などと尋ねてきます。 私は「日本では『レームダック』の言葉は広義で影響力が徐々に低下している状況も示す」と応じると、検事は「政権初期の韓国の政治状況にそのような表現は無理ではないか」。そして「混迷、不穏、レームダック化の単語から、政権が揺れているのだと認識される。このような(単語を使った)記事を報道したのは、韓国政府や朴槿恵大統領を誹謗するためではないか」とたたみかけてくる─といった具合です。 10月2日の3回目の取り調べでは「(セウォル号事故当日の)大統領の所在問題が(韓国内で)タブー視されているのに、それを書いたことをどう考えるか」と聞いてきました。 流石にこの言葉には強い違和感を覚えました。日本では毎日、詳細に公開されている国家指導者の動静が・タブー・だというわけです。禁忌に触れた者は絶対に許さない。政権の意思を如実に示したような発言でした。 何より、この間、心理的な圧迫、揺さぶりが継続的にありました。 その最たるものが出国禁止措置です。日本に帰ることが許されなければ、私の訴訟対応は韓国内に限られてしまいます。私にも家族はいます。大学受験を控えた娘が日本で暮らしています。自由な私生活は奪われてしまった。自由な空間で、思う存分考えたり、闊達に話しながら行く末を考えることなどできないし、とにかくそれが一体いつまで続くのかが分からない。そうした今の私の置かれた状況全体が心理的な圧迫であり揺さぶりに他ならない。 起訴後、安倍首相と私の顔写真を貼り付けたお面や人形に火をつけようとしたり、手足を縛って「土下座しろ」とか足蹴にしたパフォーマンスなども街頭でやっていました。火をつけようとしたさいは、流石に警察に排除されていましたが、安倍首相の頭の上に汚物をつけて喜んでいました。 韓国に対しては日本だけでなく米国、フランスはじめ自由主義国で次々と批判が広がっています。国連に問題提起する動きもあるようです。 そうした国際的な批判を韓国メディアが十分に伝えていないこともあって、国民はまずよく知らない。耳を貸そうとしないという国民性もありますが、国際社会では通用しないということは今ひとつわかっていない。 最近はインターネットがあって、流石にそこでは、韓国当局のしたことが国際社会では如何に許されないことなのかが誰にもわかるようになっている。インターネットで情報を得る国民は自分達の旗色が相当悪いと感じています。「国連で問題になったらどうなってしまうのだろう」といった記事が中道の新聞からもチラホラ出始めています。 日本だけでなく私の境遇を心配して下さった方々や、様々なご配慮をいただいた方々にこの場を借りて感謝申し上げます。初公判もやがて始まるでしょうが、法廷ではこの裁判自体がいかに不当なものであるか。そのことを屈することなくしっかりと主張したい。そう考えています。 言論の自由という観点でいえば今回の出来事は一里塚だと思っています。例えば韓国では今、ソーシャルネットサービス(SNS)大手の「カカオトーク」が無断で捜査機関に情報を提供していたことが明るみに出て大問題になっています。 これは9月中旬、検察がインターネット上で虚偽事実を流して第三者の名誉を毀損した場合、逮捕も視野に徹底的に捜査する方針を示した後に、明るみに出た話ですが、「カカオトーク」を嫌った脱会者はすでに約40万人に達しているのです。 言論をめぐる窮屈な光景は、大統領の個人的な怒りによって検察が動いてしまう私をめぐる出来事だけでは決してないのです。韓国社会の至るところですでに出てきているといっていいのです。 自由な言論活動が蝕まれている光景について韓国の方々はもっと敏感になられた方がいいと思います。日本人とか韓国人、あるいは産経新聞といった、さまざまな立場を超えてまず守らねばならないものは一体何なのか。そのことをしっかり見据えて下さるよう心の底から願ってやみません。

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    日清戦争前夜と酷似する日中韓関係

    【河村直哉の国論】 「我は心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」(明治18=1885年=3月16日、「時事新報」社説)。筆者もいまはこの心境に近い。韓国のホテルが自衛隊創設記念のレセプションを直前になって拒否、中国は米サンフランシスコで抗日戦争記念館を計画するなど、相も変わらず続く反日ぶりには、すでに「心において」謝絶、と構えて対策を練ってよいだろう。隣国が中韓である不幸 ことに7月初めの、習近平国家主席、朴槿恵大統領を韓国に訪問す、の首脳会談の図を見ていると、「脱亜論」として有名なこの文章が現代の文脈でよみがえってくる。福沢諭吉によるとされるこの「脱亜論」にいわく、「ここに不幸なるは、近隣に国あり、一を支那といい、一を朝鮮という」である(表記は読みやすく改めた、以下も)。 なにしろ現代において帝国主義的野心を隠さない中国と、それに尾を振る韓国の、笑みを交し合ってのそろい踏みの図。ことに、怒る以前に哀れをもよおすのは韓国だ。日本に対しては上から下まで罵詈(ばり)雑言、中国指導者に対しては媚(こ)びるかのごとく三顧の礼をもってする。国家としての主体性はどこにもない。 この中韓と日本の関係は、1世紀以上も前の日清戦争前夜と似ている。日清開戦から講和、三国干渉と難局に外相として当たった陸奥宗光は、回想記「蹇蹇録(けんけんろく)」に次のように書いた。朝鮮半島は争いやうちわもめの中心であって、事件がしばしば起こるのは、「まったくその独立国たるの責守をまっとうするの要素において欠くるあるによると確信せり」。朝鮮が独立国としての責任を果たそうとしないから、争いが起こるのだと。 戦争になるなどとあおるつもりはない。しかし現在も近いことが起こっているとは、冷静に見ておきたい。米国の抑止力に頼りながら、自由主義とはまるで価値観が異なる中国に媚を売っているのが韓国なのだ。気色の悪い二股ぶりといわずして、なんといおう。韓国を取り込む中国 今回、北朝鮮より先に韓国を訪問するという異例の行動に出た習氏は、韓国を完全に取り込みにかかっているといってよい。訪問直前、習氏は韓国の新聞に歯の浮くような美辞麗句を並べた原稿を寄せる念の入れようだった。よい隣人へのよい感情を抱いて訪問します、などと。あの表情、あの唇のリップサービスも気色が悪いが、以前書いたようにこれが中国の謀略の伝統なのだ。上面は笑って腹の内で権謀術数をめぐらすということだ。 今回、中韓自由貿易協定(FTA)の年内妥結が合意された。経済で中国への依存度を高めさせ、相手国を勢力圏に取り込んでいくのも、中国の古典的なやりかたの1つ。米戦略国際問題研究所(CSIS)上級アドバイザーのエドワード・ルトワック氏は、古代中国の「蛮夷(ばんい)操作」の考え方が現代にも残っていることを指摘している。経済的に依存した状態に誘導すること、価値観や行動規範を教化することにより、相手を勢力圏に置いてしまうのである。韓国はすでにこの謀略に、からめとられている。 中韓首脳の共同声明では、日本の歴史問題は正面から取り上げられなかった。しかし付帯文書ではしっかりと、慰安婦問題で中韓が共同研究することが盛り込まれている。反日をわめき散らす韓国は、覇権を狙う中国にとって実に使いやすいカードとなる。哀れむべき朝鮮の事大主義 歴史に詳しい人にはいわずもがなだが、中国には中国こそが世界の中心であり周辺は野蛮な夷族(いぞく)であるという、華夷(かい)秩序の世界観がある。日本は古代において、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を中国に送り対等外交の姿勢を示した。華夷秩序の外にあることをはっきり表したといってよい。 これに対し朝鮮は、中国に貢ぎ物をささげる朝貢国として存続してきた。大国に事(つか)える事大主義の伝統が抜きがたくある。日本が近代化に懸命に汗を流しているころも、官僚らは惰眠をむさぼり、経済も軍事力も衰亡していた。その朝鮮を国家として独立させ、西洋の進出に備えようというのが日本の姿勢だった。 「脱亜論」に先立つ明治15(1882)年3月11日、諭吉はやはり「時事新報」の社説「朝鮮の交際を論ず」でこう書いている。「かの国勢果して未開ならば、これを誘うてこれを導くべし。かの人民果して頑陋(がんろう)ならば、これにさとしてこれに説くべし」。明治人は優しすぎた、といわねばなるまい。 諭吉は朝鮮の開化党を支援し、朝鮮に清国との属国関係を断ち切らせて独立させようとした。しかし朝鮮にはその属国関係を重んじる守旧派も根強くあった。なんと中国に事える事大党というものがあったのだ。 1884(明治17)年、開化党が起こしたクーデター(甲申事変)は、守旧派が清に援軍を求めて結局、失敗に終わった。諭吉も腹に据えかねたのだろう、「脱亜論」はそういう状況のなかで書かれた。朝鮮のふらふらした態度は続き、1894(明治27)年、甲午農民戦争が発生。朝鮮は清に鎮圧を要請し、日清戦争のきっかけとなる。悪「友」とみなす必要もなし 今後も中韓は、歴史問題をはじめ日本にさまざまな無礼を働いてくるだろう。再び「脱亜論」にいわく。 「(支那と朝鮮は)一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際においては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残酷不廉恥を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者のごとし」 「支那朝鮮に接するの法も、隣国なるがゆえにとて特別の会釈に及ばず…悪友を親しむ者は、共に悪名を免かるべからず」 そして「心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」との結論に至るのである。もはや悪「友」などとみなす必要もあるまい。不廉恥を極め自省の念なき者は、そのようなものとして処していけばよい。(大阪正論室長)

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    反日の根底には「恨」の感情がある

     本誌で「逆説の日本史」を連載中の作家・井沢元彦氏は、20年以上前に遡る1991年、韓国と日本が歴史認識をめぐって法廷で争うという、現在を予見するような異色長篇小説を上梓した。井沢氏はこの作品で、韓国の反日の根底には、「恨」の感情があると喝破したが、なぜそのような“文化”が生まれたのか? 井沢氏が解説する。 * * *「恨」が朝鮮民族の特徴になったのは、民族の辛い歴史による。朝鮮半島の北側にはつねに中国という超大国が存在し、自分たちを隷属させようとしてきた。そこで、676年に初めて朝鮮半島を統一した統一新羅が典型だが、国王は中国の皇帝の家臣という形を取って政治的に服従し、その代わり直接統治は免れて辛うじて国家と民族を保とうとした。 今、朝鮮民族の名前は中国人同様、漢字で書くと姓1文字、名2文字がほとんどだが、かつては複数文字の姓もあった。統一新羅になったとき、生き延びるために中国に阿(おもね)る必要があり、中国式の名前に変えた。つまり「創氏改名」を行なったのだ。それは苦渋の選択であり、表面上は服従しつつも、内には屈辱が鬱積していった。 そのように、歴史的に朝鮮民族にもっとも屈辱を与えてきたのは中国なのだが、韓国は、中国に対しては執拗に謝罪を要求したり、「恨千年」などと言って憎悪の感情を露わにしたりしない。日本に対する姿勢とは大きく異なる。その理由は、「事大主義」と「小中華思想」にある。 事大主義とは大に事えること。朝鮮民族にとって「大」とはもちろん中国だ。自分との力の差は圧倒的なので、屈辱を受けても耐えざるを得ない。その一方で、自らを中国に次ぐ文明国である「小中華」と自負し、より周辺に位置する日本などを夷狄(野蛮な国)と見下す小中華思想を抱いている。その見下していた相手にもかかわらず、自分たちの上に立った日本に対しては、深い恨みを持ち続けるのである。※週刊ポスト2013年12月20・27日号関連記事■ 韓国 渤海を確固たる韓国史にしようと「官民総動員体制」に■ 井沢元彦氏 「韓国では真実の歴史を語ると黙殺、弾圧される」■ 朝鮮民族の「恨」は恨み辛みや不満を生きる力に転換した状態■ 中国が「北朝鮮は自国領」と伏線張っていると櫻井よしこ氏■ 韓国 中国との国境地帯の一つを「本来は韓民族の領土」

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    韓国はどうして日本を許さないのか

     前回(「多くの日本人が疑問に思うこと」)に引き続き、なぜ韓国は日本が何度となく謝罪や賠償を行っても、許さないのかという話をいたします。 それを一言でいえば「そういう国だから」という答えになります。ふざけた言い方に聞こえるかもしれませんが、一言で言いあらわそうとすると、本当にそうなるのです。これで話を終えれば本当に「ふざけるな」といわれるのは間違いないので、今から順を追って説明いたします。 その国がどういう国なのかを知ろうと思えば、その国民性を見る事も重要ですが、何と言っても、国家の成り立ち(歴史)や統治形態(法令等)を見るのが一番の近道です。特に憲法、中でも「前文」を読み解き現実と対比させれば、その国が、おおよそどの様な国であるのかという様な事がわかります。一例をあげると、いわゆる日本国憲法は前文で「(前略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略)」と謳い、まさに「自国の命運を他国に委ねる」という無責任国家の本質を端的に表しています。 では「大韓民国憲法」の全文はどうなっているのかというと、 「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は己未三一運動で大韓民国を建立し(中略)檀紀4281年7月12日に憲法を制定する」 ※注となっています。 ここで、韓国の歴史を多少なりとも知っている人は、何かがおかしいと感じるはずです。韓国=大韓民国の独立の宣言は1948年8月15日に初代大統領の李承晩が行っているのですから、おかしいと思うのは当然の事です。では、大韓民国が建立されたという「己未三一運動」とは、一体何なのでしょうか? それは、1919年3月1日、日本統治時代の朝鮮で起こった、反日暴動のことです。この運動自体の評価は諸説いろいろとありますが、要約すると、33名の宗教家が独立宣言書を作成し、それに共鳴した民衆がデモを起こしたという事件です。デモに参加した人数は多いものの運動は約2か月で収束し、処罰された人数の少なさや量刑の軽さ、何の成果もあげられなかったことを客観的に見ると「建国」とはほど遠いのが実情ですが、彼らに言わせると宣言書を読み上げただけで、大韓民国臨時政府ができたということらしいです。その後、臨時政府は上海、重慶と場所を移して光復軍を創設し、連合国の一員として日本と戦い、勝利し自力で独立を勝ち取ったそうです。つまり、韓国という国が自国の建立を、国際社会が認めた独立宣言ではなく、自分勝手に遡って設定していることが、この前文から分かるわけです。 このことを、分かりやすく書けば 朝鮮(清の属国)→大韓帝国→大日本帝国→アメリカ軍政→大韓民国 という本来の歴史を 朝鮮→大韓帝国→日本植民地→臨時政府→大韓民国 というふうに書き換えているということです。 以上、韓国が「そういう国」であるという説明です。 次回は、それがなぜ反日に結びつくのかを説明いたします。 ※、韓国は1948年の憲法制定から現在に至るまで9回、改憲されています。上記は制定時のものですが、現在においても(中略)より前の文言はほとんど変わっていません。

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    半島国家の悲しき世界観

    宮家邦彦(外交政策研究所代表)みやけ・くにひこ 1953年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省に入省。日米安全保障条約課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任。2005年外務省を退職し、外交政策研究所代表に就任。09年より、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹を兼務。著書に、『語られざる中国の結末』(PHP研究所)がある。     事大主義とは何か 日本の嫌韓派の人々が韓国を批判する際によく使う言葉が、「事大主義」の弊害なるものだ。事大主義といっても若い読者はあまりピンと来ないだろうが、北東ユーラシアの地政学を理解するうえで、「事大主義」は「華夷思想」「冊封体制」「朝貢関係」などとともに、必須の概念だといえよう。 事大主義とは、「小」が「大」に事える、つまり、強い勢力には付き従うという行動様式であり、語源は『孟子』の「以小事大」である。国語辞典によれば、「はっきりした自分の主義、定見がなく、ただ勢力の強いものにつき従っていく」という意味で、たとえば次のように使われる。 事大主義とは朝鮮の伝統的外交政策だ。大に事えるから事大。この大というのはむろん中国のことなのだが。つまり中国は韓国の上位にある国だったから、そこから侵略されても、ある程度仕方がないとあきらめる。しかし、日本は韓国より下位の国だ、だから侵略されると腹が立つ。上司になぐられても我慢できるが、家来になぐられると腹が立つ、という心理だ。(2013年12月16日付『NEWSポストセブン』) 朝鮮は、中国に貢ぎ物をささげる朝貢国として存続してきた。大国に事える事大主義の伝統が抜きがたくある。日本が近代化に懸命に汗を流しているころも、官僚らは惰眠をむさぼり、経済も軍事力も衰亡していた。その朝鮮を国家として独立させ、西洋の進出に備えようというのが日本の姿勢だった。(2014年7月19日付『産経新聞』WEB版) 以上の例では、いずれも「小国である自国はその分を弁え、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった「支配的勢力や風潮に迎合し自己保身を図る卑屈な考え」を意味している。いずれにせよ、決して良い意味では使われていないようだ。 コリア半島の歴代王朝は、漢族中華王朝だけでなく周辺の非漢民族王朝に対しても「事大外交」を続けてきた。今風の言葉で言い換えれば、新羅・高麗・李朝などコリア半島に生まれた王朝の多くは、漢族系、非漢族系を問わず、周辺の強大国家に対し「事大」して、自国の安全保障を確保してきたということだろう。 他方、新羅や高麗などは中華王朝と冊封関係に入りつつも、同時にこれら中華王朝と対決したり、自ら独自の年号を使用したりするなど、きわめて柔軟で強かな外交を繰り広げたケースもある。事大主義がすべて卑屈な追随外交というわけでもなかったのだ。主体思想と事大主義 この韓国の「事大主義」を最も厳しく批判しているのが、他ならぬ北朝鮮だ。ピョンヤンがいわゆる「米軍慰安婦問題」で韓国を「卑屈で間抜けな事大主義の売国奴」と非難している姿はほとんど滑稽としかいいようがないが、北朝鮮側にもロジックはそれなりにある。まずは関連記事をご紹介しよう。 北朝鮮国営の朝鮮中央通信は2014年8月11日付で、米軍慰安婦問題で韓国を非難する記事を発表した。同問題について沈黙を続けているソウルに対し、「このような卑屈で間抜けな売国奴らが権力のポストに就いているので、南朝鮮では今も米軍犯罪行為が日ごとにはびこり、数多くの人民が不幸と苦痛の中で身もだえしている」などと論じた。 同記事は、米軍慰安婦問題について「米帝と南朝鮮の傀儡こそ、人間であることをやめた野獣の群れ、恥しらず」であり、「米国の植民地支配」が続く南朝鮮の傀儡は「事大主義の売国奴」であり、現状が続くかぎり「人民はいつになっても羞恥と侮辱を免れることができず、不幸と災難から脱することができない」と主張した。 同様の批判は、7月31日発の以下の朝鮮中央通信報道にもみられる。 ある在米同胞が7月28日、事大主義に陥っている現南朝鮮の執権者を非難する記事を在米同胞全国連合会のホームページに掲載し、南朝鮮は米国の軍事的占領と植民地支配の下で自主権がひどく蹂躙されていると非難した。また、南朝鮮の政治圏と事大勢力は自主的に生きようとする民族の志向と要求を拒否し、米国の南朝鮮に対する永久占領を哀願する現代版奴隷の本性を余地もなくさらけ出しているとも糾弾した。 南朝鮮の現実は、まさに代を継いだ親日、骨髄まで親米、反民族的な現執権者の事大主義政策の所産であると暴いた。同記事は、現執権者がこれからでも事大主義的根性を捨ててわが民族同士の立場に立って自主的に、民族の統一と平和を成し遂げるために努めるべきだと強調した。 とまあ、こんな具合だ。いかに北朝鮮でも「事大主義」が軽蔑されているかがよくわかるだろう。それもそのはず、北朝鮮と朝鮮労働党の最も重要な政治思想である「主体思想」の意味する「自主・自立」とは、中華王朝などに対する「事大主義」の克服を意味しているからだ。つねに変わる事大先 事大主義が「はっきりした自分の主義、定見がなく、ただ勢力の強いものに付き従っていく」行動様式であれば、弱者の付き従うべき強者がつねに一定とは限らない。そもそも定見がないのだから、定義上も、弱者は事大する先をときどきの状況に応じ、より強い相手に変えていったのだ。 実際に歴史を振り返れば、コリア半島の事大主義の相手は必ずしも漢族中華王朝だけではなかった。たとえば紀元前108年に漢王朝に挑戦した衛氏朝鮮は漢の武帝に滅ぼされ、それから約400年間、コリア半島の一部はいわゆる「漢四郡」により直轄支配されている。 高句麗は1世紀に後漢、4世紀には非漢族の鮮卑族が建国した前燕、前燕を滅ぼしたチベット系といわれるテイ族の前秦に、それぞれ冊封された。また、百済は唐に、新羅も北斉、陳、隋、唐に朝貢し、それぞれ冊封を受けている。 10世紀にコリア半島を統一した高麗は、漢族の宋、明だけでなく、契丹系の遼、女真系の金、モンゴル系の元にも朝貢し、それぞれ冊封を受けた。李氏朝鮮も漢族の明、女真族の清と冊封関係を維持した。李氏朝鮮が清の冊封体制から離脱したのは、1894年の日清戦争後のことである。 下関条約締結後、コリア半島は1897年に大韓帝国として独立したが、1910年には全土が日本に併合され、第二次大戦後には大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分裂する。伝統的な東アジアの冊封・羈縻関係ではないが、20世紀以降のコリア半島が日本、米国、中国の強い影響下にあったことは間違いない。 以上のとおり、コリア半島歴代王朝は例外なく、なんらかの隣国と冊封・羈縻関係を結び、強者の臣下として臣従関係を誓わざるをえなかった。しかし、こうした冊封・羈縻関係は必ずしも屈辱的なものばかりではなく、また、つねに変化していったものであることを忘れてはならない。 このように、コリア半島の事大主義がかくも変幻自在であった最大の理由は、歴史的にコリア半島北西部に自然の要塞がなく、地政学的に脆弱だったからだと思われる。高句麗・渤海滅亡後のコリア半島の諸国家は、中華王朝の一部や満州・蒙古の遊牧帝国など半島北方からの攻撃に抗しきれなかったのだ。 とくに、高麗が元に降伏して以降、中華王朝はコリア半島独自の皇帝号の使用を厳しく制限するようになった。さらに、李氏朝鮮末期になると、国内で政変が起きるたびに事大先が清、ロシア、日本、米国と代わっていった。事大主義の柔軟性とその限界を示す興味深いエピソードだ。 いかに安全保障を確保するためのやむをえざる措置とはいえ、李朝末期の高宗や閔妃が事大先を次々に変えた行動はあまりに場当たり的な対応であった。韓国の朴槿惠大統領の父親である朴正熙元大統領は生前、「民族の悪い遺産」の筆頭として事大主義を挙げ、その改革を真剣に模索していたという。 こうみてくると、コリア半島の対中華事大主義は中華に対する「憧れ」を示すと同時に、中華王朝に対する「劣等意識」を反映したものでもあったことが理解できるだろう。しかし、この「事大主義」に象徴される対中華「劣等感」は、じつは対中華「優越感」の裏返しでもあった。それを理解するための概念が「小中華思想」である。小中華思想とは何か 「事大主義」と同様、韓国を理解するうえで非常に重要な概念が「小中華思想」だ。この二つの概念は一見相反するようで、じつは「コンプレックス」という同じコインの表裏である。この醜い劣等感・優越感の塊こそが、コリア人の魂の叫びなのかもしれない。 小中華とは、中華文明圏のなかで、非漢族的な政治体制と言語を維持した勢力が、自らを中華王朝(大中華)に匹敵する文明国であって、中華の一部をなすもの(小中華)と考える一種の文化的優越主義思想である。 コリア半島の歴代王朝の多く、とくに李氏朝鮮は伝統的な「華夷秩序」を尊重した。表面的には中華王朝に事大する臣下という屈辱的地位に甘んじながらも、内心は自らを漢族中華と並ぶ文明国家と位置づけ、精神的に優越した地位から漢族中華以外の周辺国家を見下していたのだろう。 ところが17世紀に入り、その李氏朝鮮が拠り所としていた明王朝が滅亡してしまう。しかもよりによって、これまで李氏朝鮮が見下していたマンジュ(満州)地方の女真族が明を圧倒し、中華に征服王朝を樹立したのだ。当時の李氏朝鮮の儒者たちにとっては青天の霹靂であろう。 それまで夷狄だ、禽獣だと蔑んできたマンジュの女真族には中華を継承する資格などなく、李朝こそが中華文明の継承者だと彼らが考えたのも当然かもしれない。一方、実際には軍事的に清朝に挑戦することは不可能であり、李朝の仁祖は清への臣従を誓わざるをえなかったのだろう。 夷狄とは文明化しない、すなわち儒教化しない野蛮人であり、禽獣とは人間ではなく獣に等しい存在をいう。17世紀以降、コリア半島の指導者たちは女真系の清を徹底的に蔑む一方で、事大主義に基づいて、その夷狄・禽獣に朝貢を行なって冊封関係に入るという矛盾した世界観と行動様式を維持してきた。 この屈折したコンプレックスの塊とも思えるコリア半島の住民の民族性は、李氏朝鮮以降、事大主義という劣等感と小中華思想という優越感を、心中で巧みに均衡させることによって維持されてきたのではないだろうか。そう考えれば、激高しやすい韓国の国民性の理由も理解できるだろう。 ならば、コリア半島の住人のこの屈折・矛盾した「事大主義・小中華」的世界観は、最近の韓国外交が大きく変節した原因なのだろうか。韓国は中国との関係をほんとうに全面的に見直すつもりなのだろうか。ネオ民族主義の時代 現在、世界各地で地政学的な大地殻変動が起きている。半世紀近く続いた東西冷戦が終了してから早くも、四半世紀近くの年月が流れた。共産主義超大国・ソ連の崩壊によって真の平和と安定が始まるはずだった欧州では、皮肉なことに「ロシアの巨熊」が復活しつつある。 顧みれば冷戦とは、共産主義と自由主義という二つのイデオロギー・国際主義同士の戦いであった。幸いなことに、欧州各国の不健全で、ときには暴力的な民族主義は米ソ冷戦の陰で事実上、封印されてきた。ナショナリズムよりもインターナショナリズムが優先した時代だったからだろう。 ソ連の崩壊とは、共産主義イデオロギーの崩壊だけでなく、それまで封印されてきたロシア民族主義復活の可能性をも意味していた。危機感を抱いた欧州各国は、1990年代以降、旧東欧社会主義地域までEU・NATOを拡大し、ユーロ通貨まで創設してロシア民族主義の復活を回避しようとした。 2014年3月のロシアによるクリミア併合は、こうした欧州諸国の過去20年間の努力が失敗したことを示す歴史的事件だ。もちろん、あの不健全で、ときに暴力的な民族主義はロシアの専売特許ではない。英、仏、ハンガリー、ウクライナなどで極右ナショナリストが台頭していることは偶然ではない。 このような「プレ冷戦的」「ロシア革命前」の醜い民族主義が復活しているのは欧州だけではなく、東アジアでも中国、韓国などにみられるとおり、各民族の不健全で、ときに暴力的な民族主義が徐々に頭をもたげつつあるとみるべきである。 実際に、ロシアが欧州の陸上で行なっていることは、中国が東アジアの海上で行なっていることとなんら変わらない。東西の二つの旧大帝国は、その不健全な民族主義的衝動により、近年失われた帝国の既得権を回復すべく、力によって国際秩序の現状を変更しようとしている。これが筆者の考える現実である。コリア半島をめぐる国際情勢 当然ながら、東アジア最大の地政学的地殻変動といえるのは中国の台頭だろう。韓国・北朝鮮を含む周辺国は、この新たな地政学的大変動に対して、これまでの外交政策を適応させる必要に迫られている。最近の韓国外交の微妙な変化の背景には、こうした計算が働いているとみるべきだ。 そうであれば、最近日本を軽視し、中国を重視しはじめたようにもみえる韓国外交の変化には、たんなる国内政治的事情だけではなく、最近の中国の台頭に対応した、より戦略的・地政学的な理由があると考えるべきではないか。 しかも韓国を取り巻く国際政治状況は一時期、一世を風靡したポスト・モダニズムのいう“21世紀のグローバル化現象”などといった「新しいもの」ではない。誤解を恐れずに申し上げれば、現在の韓国をとりまく国際情勢は欧州の状況と同様、100年以上前の李氏朝鮮末期の国際情勢に似てきているかもしれないのだ。 北朝鮮からの軍事的脅威に直面していた冷戦時代の韓国にとっては、日米韓の三国連携こそが、対北朝鮮に対応するために唯一、機能する安全保障の枠組みだった。しかし、改革開放を断行できない北朝鮮の国力拡大は不可能に近く、第二次朝鮮戦争が勃発すれば北朝鮮側の軍事的敗北と体制崩壊は、おそらく不可避だろう。 だから北朝鮮は韓国に対して小規模の軍事的挑発を続けても、総攻撃を仕掛けることはない。一方、米韓側から北朝鮮を攻撃することもない。戦争には勝利するが、ソウルは火の海となり、韓国経済が壊滅するからだ。双方が合理的判断を続けるかぎり、今後、コリア半島で大戦争が再発する可能性は低いだろう。 つまり、北朝鮮は韓国にとって危険でありながらも「先のみえたエピソード」となりつつある。これに代わって韓国外交の中心課題となりつつあるのが対中関係だ。これからも韓国は、日清戦争以降考えたこともなかった巨大な隣国・中国との安定的関係を再構築すべく、さまざまな選択肢を模索していくのだろう。不幸な地政学的「罠」 米国、ロシア、中国、インドなどは大規模国家だが、国連加盟国の大半は中小規模国家だ。そのなかには、日本のように四方を海という自然の要塞に囲まれ、外敵の侵入を比較的容易に防ぐことが可能な海洋国家があれば、列強に囲まれた平坦な土地で、外敵の侵入を防ぐ自然の要塞をもたない大陸国家もある。 後者の中小大陸国家の典型例は、独露に挟まれたポーランドや、ローマ・トルコ・ペルシャ・ベドウィンに囲まれたイラクだろう。だが先に述べたように、コリア半島も地理的にみれば、ポーランドやイラクに勝るとも劣らない、不幸な地政学的「罠」に嵌った地域である。 このコリア半島がポーランドやイラクと最も異なる点は半島、すなわち北部は大陸国家、南部は海洋国家の特徴を併せ持っていることだろう。コリア半島の場合、北部はツングース・モンゴル系の狩猟・遊牧民、南部では韓族系の定住農耕民の影響がそれぞれ強かったようだ。 筑波大学の古田博司教授は洞察鋭くコリア半島を「廊下」と見立てる。たしかにコリア半島の北東側には険しい山々があり、外敵が侵入するルートは同半島北西側の比較的なだらかな地域、すなわち遼東半島から現在のピョンヤン、ソウルを通り、半島南西部に抜ける回廊しかないからだろう。 しかも、この回廊は先が海で「行き止まり」だ。なるほど、だからコリア半島は「廊下」なのかと納得した。軍事専門家はこの種の「行き止まり廊下」のことを「戦略的縦深がない」と表現する。撤退できる余地に限りがあるため、長期戦に耐えられない悲劇的地形という意味だ。 だが、コリア半島の地政学的特徴は「廊下」だけではない。「廊下」は遼東半島からコリア半島南部に至るルートだが、遼東半島北方にはもう一つの回廊、すなわち靺鞨、女真、契丹など多くの北方狩猟・遊牧民族が華北方面に向かうルートもある。これら二つのルートが半島北西部でつながっているのだ。「渋谷駅のハチ公前交差点」 こうした地形のコリア半島にとって、華北の中華王朝やマンジュ地方の遊牧・狩猟勢力の強大化はただちに、潜在的脅威を意味する。一度外敵が件の「廊下」を通って南下を開始すれば、これを防ぐことは容易ではないからだ。こうした事態を回避するため、コリア半島の住民は二つの戦術を編み出してきた。 第一は、潜在的脅威となりうる外敵が出現すれば、これとは戦わず、むしろ取り込み、朝貢し、冊封関係に入って自国の安全保障を確保する方法だ。「名」を捨てても、しっかりと「実」をとる戦術だが、戦略的縦深のないコリア半島には、きわめて現実的な選択である。 これに対して第二の戦術は、侵入した外敵と徹底的に戦うことだ。戦うといっても、劣勢になれば歴代の王族は国民を置いて逃げることが多かった。外敵と徹底的に戦ったのはむしろ、一般庶民だったのかもしれない。しかも、この半島の住民は外敵に激しやすく、ときに暴力的であり、少なくとも従順では全くなかった。 先に述べたように、個人的にはコリア人の性格はイラク人に似ていると思う。東西南北をトルコ、クルド、ペルシャ、ローマ、ベドウィンに囲まれ、チグリス・ユーフラテスに挟まれたこの肥沃で平坦な土地には自然の要塞がない。コリア半島が「行き止まりの廊下」なら、イラクは「渋谷駅のハチ公前交差点」だろう。 幸か不幸か、筆者はこのバグダッドに2回赴任している。コリア半島と同様、イラク人も激しやすく、ときに暴力的で、外国人には扱いがたい人々だった。しかし、2度の在勤を通じ、こうしたイラク人の国民性の根源が彼らの「強さ」ではなく、むしろ「弱さ」であることがわかってきた。 イラク人に「激情的で、狭量で、自尊心ばかり強く、協調性に欠ける」人々が多いのは、過去3000年間、東西南北の列強がこの「渋谷駅のハチ公前交差点」の住人を殺戮・搾取しながら通りすぎていったからだろう。イラクほどではないが、コリア半島の住人にも自然の要塞をもたない民族の地政学的悲哀を感じる。征服コストの高さ コリア半島は、アフガニスタンにも似ている。外国勢力が出兵・侵入しても国力を消耗するだけで、征服・支配のコストが高過ぎるからだ。それは唐、元、清などの中華王朝や日本と半島との歴史をみれば明らかだろう。外敵にとってコリア半島は侵入しやすいが、支配が難しい土地だったと思われる。 中国は漢の時代にコリア半島の一部を400年ほど支配したが、その後、少なくとも漢族の中華王朝がコリア半島を直轄支配したことはない。コリア半島の内政に深く干渉した元朝ですら、高麗を併合することはなかった。それには二つの理由が考えられる。 第一は、先ほど述べた征服・支配コストの高さだ。コリア半島に侵入・干渉した唐、元、清はいずれも国力を消耗したのか、ほどなく滅亡している。これが事実かどうかについては別途、検証が必要かもしれないが、少なくとも多くの韓国人はそのように考えていると聞かされた。 第二の理由は、中華王朝にとってコリア半島支配は地政学的に不可欠ではないということだ。歴史的にみても、中華王朝は遼東半島の維持を優先した。彼らが戦略的に関心をもった幹線ルートは遼東地域から北方に抜ける回廊であり、コリア半島の「行き止まり廊下」はあくまで支線だったようだ。 漢族中華王朝とコリア半島との関係も微妙である。たしかに歴史上、両者が助け合ったことは何度かある。たとえば7世紀に新羅は唐の支援を受け、百済と高句麗を滅ぼしたが、その後、唐は新羅を攻めている。李氏朝鮮も明の支援を受けて、侵入する日本の豊臣秀吉軍と戦っている。 しかし、その李氏朝鮮も建国当初は拡張主義政策をとり、明を討つ計画を進めていた。後金の圧力を受けた明が李氏朝鮮に援軍を要請した際も、当時の光海君は出兵こそしたものの、最終的には中立を守っている。コリア半島と中華王朝の関係はつねに緊張感のある、是々非々の付き合いだったようだ。 実際、コリア半島には清朝以降の中華に対する愛着や憧れが感じられない。コリア半島の住人は北方の靺鞨・女真系狩猟民と南部韓族系の農耕民の混血であり、必ずしも全面的な「親」中華ではないらしい。だからだろうか、今日、コリア半島にいまだ神戸・横浜のような「チャイナタウン」は存在しない。 漂流する韓国外交 隣国に信頼できない魑魅魍魎をもちながら、自然の要塞のない中小大陸国家の住民は、外国人を基本的に信用しない。自らがその地域の覇権を握る可能性は低いが、特定の列強だけに依存すれば、いずれ他の列強の反発を買い、中長期的には自らの安全そのものが危うくなるからだ。 そのような国家の外交に「機軸」は不要である。逆に必要とされるのは、隣接する列強の力関係に関する「バランス感覚」。特定の列強に過度に依存しないことこそが生き残りの秘訣だからである。こうした発想は、ポーランド、イラク、クウェートなど魑魅魍魎に挟まれた多くの中小国の外交に共通している。 コリア半島の住民にとって現在の中国、ロシア、日本、米国はいずれも信用できない大国である。ロシアにはどうしても信頼が置けず、そもそも日本とは格が違うと思っている。米国は唯一の域外国だが、しょせんはコリア半島にとっては新参者に過ぎない。 とくに、中国との関係は複雑だった。潜在的に最大の脅威でありつづけた漢族中華王朝に対する憧憬と劣等意識、非漢族王朝に対する反発と優越意識。この2種類の(繰り返すが実際にはコインの裏表でしかない)コンプレックスを併せ持つのが、コリア半島の対中観の特徴なのである。*本論考は、宮家邦彦氏の新刊『哀しき半島国家 韓国の結末』(PHP新書)の一部を収録したものです。関連記事■米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日/テキサス親父トニー・マラーノ■中国のこれからと日本が果たすべき役割/丹羽宇一郎■オバマの嘘・「尖閣を守る」を信じてはいけない/日高義樹

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    崖っぷちの韓国 魂の叫び

    日中首脳会談が2年半ぶりに実現しても、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は安倍晋三首相とのトップ会談を開こうとしない。時に嫌韓派に事大主義と批判される硬直した韓国外交。「不可解な隣国」の思想に学ぶ。

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    朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?

    【追跡~ソウル発】 調査機関「韓国ギャラップ」によると、7月最終週の朴槿恵大統領の支持率は前週に続いての40%となった。わずか3カ月半前には6割前後で推移していただけに、大統領の権威はいまや見る影もないことを物語る結果となった。こうなると吹き出してくるのが大統領など権力中枢に対する真偽不明のウワサだ。こうした中、旅客船沈没事故発生当日の4月16日、朴大統領が日中、7時間にわたって所在不明となっていたとする「ファクト」が飛び出し、政権の混迷ぶりが際立つ事態となっている。(ソウル 加藤達也) 7月7日の国会運営委員会に、大統領側近である金淇春青瓦台(大統領府)秘書室長の姿があった。まず、質問者である左派系野党、新政治民主連合の朴映宣院内代表と金室長との問答を紹介する。 朴代表「キム室長。セウォル号の事故当日、朴大統領に書面報告を10時にしたという答弁がありましたね」 金室長「はい」 朴代表「その際、大統領はどこにいましたか」 金室長「私は、はっきりと分かりませんが、国家安保室で報告をしたと聞いています」 朴代表「大統領がどこにいたら書面報告(をすることになるの)ですか」 金室長「大統領に書面報告をするケースは多いです」 朴代表「『多いです』…? 状態が緊迫していることを青瓦台が認識できていなかったのですか」 金室長「違います」 朴代表「ではなぜ、書面報告なんですか」 金室長「正確な状況が…。そうしたと…」  《朴大統領は側近や閣僚らの多くとの意思疎通ができない“不通(プルトン)大統領”だと批判されている。大統領への報告はメールやファクスによる「書面報告」がほとんどだとされ、この日の質疑でも野党側は書面報告について、他人の意をくみ取れない朴大統領の不通政治の本質だとして問題視。その後、質問は4月16日当時の大統領の所在に及んだ》 朴代表「大統領は執務室にいましたか」 金室長「位置に関しては、私は分かりません」 朴代表「秘書室長が知らなければ、誰が知っているのですか」 金室長「秘書室長が大統領の動きをひとつひとつ知っているわけではありません」 朴代表「(当日、日中の)大統領のスケジュールはなかったと聞いていますが。執務室にいなかったということですか」 金室長「違います」 朴代表「では、なぜ分からないのですか」 金室長「執務室が遠いので、書面での報告をよく行います」 朴代表「答えが明確ではありませんよね。納得し難いです。なぜなら大統領の書面報告が色々問題となっています」 《朴代表はここで、国会との連絡調整を担当する趙允旋政務首席秘書官(前女性家族相)に答弁を求めた》 朴代表「趙政務首席秘書官、マイクの前に来てください。女性家族部相のときも、主に書面報告だったと聞いています。直接対面して大統領に報告したことがありますか」 趙秘書官「はい、あります」 朴代表「いつですか」 趙秘書官「対面報告する必要があるときに」 朴代表「何のときですか」 趙秘書官「案件を記憶していません」 朴代表「では、調べて後で書面で提出してください」  ■ 一連の問答は朴大統領の不通ぶり、青瓦台内での風通しの悪さを示すエピソードともいえるが、それにしても政府が国会で大惨事当日の大統領の所在や行動を尋ねられて答えられないとは…。韓国の権力中枢とはかくも不透明なのか。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を在宅起訴したソウル中央地方検察庁=10月5日、韓国・ソウル こうしたことに対する不満は、あるウワサの拡散へとつながっていった。代表例は韓国最大部数の日刊紙、朝鮮日報の記者コラムである。それは「大統領をめぐるウワサ」と題され、7月18日に掲載された。 コラムは、7月7日の青瓦台秘書室の国会運営委員会での業務報告で、セウォル号の事故の当日、朴大統領が午前10時ごろに書面報告を受けたのを最後に、中央災害対策本部を訪問するまで7時間、会った者がいないことがわかった」と指摘。さらに大統領をめぐる、ある疑惑を提示した。コラムはこう続く。 「金室長が『私は分からない』といったのは大統領を守るためだっただろう。しかし、これは、隠すべき大統領のスケジュールがあったものと解釈されている。世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」。 「秘線」とはわかりにくい表現だ。韓国語の辞書にも見つけにくい言葉だが、おそらくは「秘密に接触する人物」を示す。コラムを書いた記者は明らかに、具体的な人物を念頭に置いていることがうかがえる。コラムの続きはこうなっている。 「大統領をめぐるウワサは少し前、証券街の情報誌やタブロイド版の週刊誌に登場した」 そのウワサは「良識のある人」は、「口に出すことすら自らの品格を下げることになってしまうと考える」というほど低俗なものだったという。ウワサとはなにか。 証券街の関係筋によれば、それは朴大統領と男性の関係に関するものだ。相手は、大統領の母体、セヌリ党の元側近で当時は妻帯者だったという。だが、この証券筋は、それ以上具体的なことになると口が重くなる。さらに「ウワサはすでに韓国のインターネットなどからは消え、読むことができない」ともいう。一種の都市伝説化しているのだ。 コラムでも、ウワサが朴大統領をめぐる男女関係に関することだと、はっきりと書かれてはいない。コラムの記者はただ、「そんな感じで(低俗なものとして)扱われてきたウワサが、私的な席でも単なる雑談ではない“ニュース格”で扱われているのである」と明かしている。おそらく、“大統領とオトコ”の話は、韓国社会のすみの方で、あちらこちらで持ちきりとなっていただろう。 ■ このコラム、ウワサがなんであるかに言及しないまま終わるのかと思わせたが途中で突然、具体的な氏名を出した“実名報道”に切り替わった。 「ちょうどよく、ウワサの人物であるチョン・ユンフェ氏の離婚の事実までが確認され、ウワサはさらにドラマティックになった」 チョン氏が離婚することになった女性は、チェ・テミンという牧師の娘だ。チョン氏自身は、大統領になる前の朴槿恵氏に7年間、秘書室長として使えた人物である。 コラムによると、チョン氏は離婚にあたり妻に対して自ら、財産分割及び慰謝料を請求しない条件を提示したうえで、結婚している間に見聞きしたことに関しての「秘密保持」を求めたという。 証券筋が言うところでは、朴大統領の“秘線”はチョン氏を念頭に置いたものとみられている。だが、「朴氏との緊密な関係がウワサになったのは、チョン氏ではなく、その岳父のチェ牧師の方だ」と明かす政界筋もいて、話は単純ではない。 さらに朝鮮日報のコラムは、こんな謎めいたことも書いている。 チョン氏が最近応じたメディアのインタビューで、「『政府が公式に私の利権に介入したこと、(朴槿恵大統領の実弟の)朴志晩(パク・チマン)氏を尾行した疑惑、(朴大統領の)秘線活動など、全てを調査しろ』と大声で叫んだ」 具体的には何のことだか全く分からないのだが、それでも、韓国の権力中枢とその周辺で、なにやら不穏な動きがあることが伝わってくる書きぶりだ。 ウワサの真偽の追及は現在途上だが、コラムは、朴政権をめぐって「下品な」ウワサが取り沙汰された背景を分析している。 「世間の人々は真偽のほどはさておき、このような状況を大統領と関連付けて考えている。過去であれば、大統領の支持勢力が烈火のごとく激怒していただろう。支持者以外も『言及する価値すらない』と見向きもしなかった。しかし、現在はそんな理性的な判断が崩れ落ちたようだ。国政運営で高い支持を維持しているのであれば、ウワサが立つこともないだろう。大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきているのである」 朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ。 「大統領をめぐるうわさ」は世間の人は皆知っているが、大統領本人は知らないに違いない。7日の青瓦台(大統領府)秘書室の国会運営委員会での業務報告がきっかけだった。客船沈没事故が発生した日、朴槿恵(パク・クネ)大統領が書面で初めて報告を受けてから中央災難安全対策本部に出向くまでの7時間、対面での報告も大統領主宰の会議もなかったことが判明したからだ。産経前支局長在宅起訴:朝鮮日報コラム(要旨) 毎日新聞 10月8日(水)23時53分配信

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    韓国の民主主義が死んだ日

    韓国の朴槿恵大統領の記事をめぐり、産経新聞前ソウル支局長が名誉棄損の罪で起訴された。憲法で言論の自由を保障する民主主義国家とは思えない異例の事態だ。政権に不都合な報道を公権力で封殺しようとする韓国は「独裁国家」へと歩もうとしているのか。

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    笑ってしまう韓国紙の「取材」

    産経新聞出版社長 皆川豪志 弊社の出版物をアピールしていただけるなら、どんな媒体でもありがたいことですが、今夏、こんな記事を見つけたときには、ちょっと呆れてしまいました。  「中卒父の『下剋上受験』、日本で話題に」(朝鮮日報電子版2014年7月26日配信、現在は有料記事なので、紹介記事にリンクします)  弊社が7月に発売した『下剋上受験-両親は中卒 それでも娘は最難関中学目指した!』(桜井信一著)が、なんと「朝鮮日報」に取り上げられたのです。ただ、注目していただきたいのは、次の下りです。  《試行錯誤も多かった。桜井さんは「小学校高学年が読む参考書でも、中卒の自分には難しかった。娘のために、昼は働き、夜は受験生の気持ちでずっと勉強するほかなかった」と語った》  「語った」? はて、いつ桜井さんは韓国人記者の取材を受けたのだろう。というのもこの著者はペンネームであり、娘さんの受験というプライベートな事情もあるため、住所や電話番号を知っているのは弊社でもごくわずかな社員に限られるからです。早速桜井さんご自身にも確認したところ、そのような取材はまったく受けていないとのことでした。  確かに、記事をよく読むと、その少し前に《中卒の父親は、本を通してこう語る。「中卒が中卒を育てるという『連鎖現象』を防ぐため、私は娘と一緒に勉強しました」》という下りがあります。ここで一度「本を通して」という言葉があるため、後の記事もすべて「本を通して語った」と読めなくもありません。ただ、百歩譲ってそうだとしても、本の中のどこをどう探しても、そのような言葉は一言も出てこないのです。  さらに、記事の最後には、《読者の反応も上々だ。ほとんどは「受験生の親なら胸が熱くなるほどの感動受験記」と評価している》とうれしいことを書いてくださっていますが、この「」も誰が話したのでしょうか。何しろ弊社に対して、この件に関して朝鮮日報からは電話取材の1本すらなかったのですから何が何だかわかりません。  実は、この記事が配信される2日前に、Web上の「R25」で次のような記事が紹介されています。『中卒の父、下剋上受験ブログが話題』  さすがにこの記事は、産経ニュースやツイッターといった引用元が書かれていますが、恐らく朝鮮日報の記者はこうした配信を参考に、「読者の反応云々」についても「R25」記事の最後の部分などを使って書いたのでしょう。  特に実害もないですし、目くじらを立てるほどの話ではないのですが、この件の少し後、「週刊新潮」(2014年8月14・21合併号)の記事を見て、ようやく合点がいきました。  「『週刊新潮』の記事を丸々盗用した韓国の反日新聞社『中央日報』の弁明」  これは、アベノミクスによって都内の一部の富裕層の間で「ミニバブル」が起きているという週刊新潮のルポを、韓国の「中央日報」が盗用したことを告発する記事です。何しろ、記事全体の流れはもちろん、タクシー運転手の感想から著名文化人のコメントまで、「」の中も含めて新潮記事の無断盗用だらけです。取材のカケラすら見られません。その上、新潮の指摘に対しても話が噛み合わず、最後は逆ギレされたというのです。  もちろん、かの国のマスコミすべてがそうだと言うつもりはありません。ただ、この記事を読む限り、その報道に対する姿勢は、わが国の倫理感や常識とは相当にかけ離れているように感じました。これはもう、怒りとかではなく、笑えるレベルだと思います。  ちなみに、下記の記事の時も弊社には何の取材もありませんでした。弊社の本が悪いのか、韓国外交当局が悪いのか、何を言いたいのかよくわからない文章ですが、きちんとアポをとっていただければ、弊社はいつでも取材に答えますよ。  取材日記「嫌韓から呆韓まで」(中央日報2013年12月17日配信)  

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    産経前ソウル支局長に対する名誉棄損罪の起訴状全文

     被告は1991年4月、産経新聞に入社し、2004年9月から2005年3月ごろまで、産経新聞ソウル支局で研修記者として活動し、2010年11月1日付で産経新聞ソウル支局長(注)として発令を受け、約4年間特派員として勤務している日本人である。 被告は14年4月16日に発生したセウォル号事故に関連し、朴槿恵大統領の当日の日程が論じられた14年7月18日付の朝鮮日報「大統領を取り巻く噂」というコラムに「大統領府秘書室長の国会答弁を契機に、セウォル号事故発生当日、朴槿恵大統領が某所で秘線とともにいたという噂が作られた」などの文章が掲載されたことを見つけるや、その噂の真偽可否に対して当事者および関係者らを対象に、事実関係を確認しようとの努力などをしないまま、上記コラムを一部抜粋、引用し、出所不明の消息筋に頼り、あたかもセウォル号事故当日、被害者、朴槿恵大統領が被害者、チョン・ユンフェと一緒にいたとか、チョン・ユンフェもしくはチェ・テミンと緊密な男女関係だという根拠なき噂が事実であるかのように報道する記事を掲載しようと考えた。 被告は14年8月2日ごろ、産経新聞ソウル支局の事務室でコンピューターを利用し、被害者、朴槿恵大統領と被害者、チョン・ユンフェの噂に関する記事を作成した。 被告は「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明…誰と会っていた?」というタイトルのもと、「調査機関『韓国ギャラップ』によると、7月最終週の朴槿恵大統領の支持率は前週に続いての40%となった。大統領の権威はいまや見る影もないことを物語る結果となった。こうなると噴き出してくるのが大統領など権力中枢に対する真偽不明のウワサだ。こうした中、旅客船沈没事故発生当日の4月16日、朴大統領が日中、7時間にわたって所在不明となっていたとする『ファクト』が飛び出し、政権の混迷ぶりが際立つ事態となっている。(ソウル 加藤達也)」と書き出し、上記、朝鮮日報コラムの内容中、「金(大統領府秘書)室長が『私は分からない』といったのは大統領を守るためだっただろう。しかし、これは、隠すべき大統領のスケジュールがあったものと解釈されている。世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」などという噂と関連した部分を中心に引用し、「証券街の関係筋によれば、それは朴大統領と男性の関係に関するものだ。相手は、大統領の母体、セヌリ党の元側近で当時は妻帯者だったという。だが、この証券筋は、それ以上具体的なことになると口が重くなる。さらに『ウワサはすでに韓国のインターネットなどからは消え、読むことができない』ともいう。一種の都市伝説化しているのだ」「証券筋が言うところでは、朴大統領の“秘線”はチョン氏を念頭に置いたものとみられている。だが、『朴氏との緊密な関係がウワサになったのは、チョン氏ではなく、その岳父のチェ牧師の方だ』と明かす政界筋もいて、話は単純ではない」との内容の記事を作成した。 被告は、上記のように作成した記事をコンピューターファイルに保存した後、日本・東京にある産経新聞本社に送信し、8月3日正午、産経新聞インターネット記事欄に掲載した。 しかし事実はセウォル号事故発生当日、被害者、朴槿恵大統領は青瓦台の敷地内におり、被害者、チョン・ユンフェは青瓦台を出入りした事実がないうえに、外部で自身の知人と会い昼食をともにした後、帰宅したため、被害者らが一緒にいたとの事実はなく、被害者、朴槿恵大統領と被害者、チョン・ユンフェやチェ・テミンと緊密な男女関係がなかったにもかかわらず、被告は前記したように、当事者および政府関係者らを相手に事実関係確認のための最小限の処置もなく、「証券界の関係者」あるいは「政界の消息筋」などを引用し、あたかも朴槿恵大統領がセウォル号事故発生当日、チョン・ユンフェとともにおり、チョン・ユンフェもしくはチェ・テミンと緊密な男女関係であるかのように虚偽の事実を概括した。 結局、被告は被害者らを批判する目的で情報通信網を通して、公然と虚偽の事実を際立たせて、被害者らの名誉をそれぞれ毀損した。                   ◇ (注)加藤前支局長は11年にソウル支局長に就任。

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    韓国における産経支局長起訴の悩み

     ことの経緯は多くのメディアで既に報じられていますので本稿では省略しますが、韓国はそもそも我慢しない人たちによって構成された社会であり国家だと考えるべきでしょう。それが良いとか悪いとかではありません。韓国国民の民情として「大統領の名誉が日本の極右によって毀損された」と感じられれば、たとえその元ネタが韓国大手紙・朝鮮日報の引用だったとしても、あるいは、別に韓国国内向けの記事ではなく産経MSNでの韓国事情を紹介するに過ぎない記事だったとしても、そうと知ったからには韓国人の怒りが収まらないのでしょう。 産経新聞が紙面作りや報道の方針として、元々韓国に好意的ではないのはある程度知識のある日本人であれば誰でも知っていることで、ある意味で「そういうものだ」と思って読むのがリテラシーというものです。とはいえ、そういう日本の知識人が持ち合わせているものと同じレベルで韓国人に理解せよといっても難しいことであろうし、仮に「韓国人に本件を分かるように説明せよ」といっても私は韓国人を怒らせない自信がありません。 日本ではどこの週刊誌でも書くようなゴシップレベルの話を伝えた程度で韓国人がぷんぷんに怒る理由が分からないのですから。同じように、青瓦台が韓国国民の感情にも配慮して拳を振り上げるのもおとなげないですが、こういう問題で冷静にならない韓国社会のことを知っていれば、韓国政府も一緒になって怒るのも理解できないでもありません。普通、他の国では起きないというだけで。 一連の韓国での産経加藤支局長の起訴劇を「韓国の前近代性によるもので、民主主義の観点からしても危険だし望ましくない」と評するのはとても妥当です。しかし、本件ひとつを持って韓国の問題を語るよりも、各産業分野や商慣行、法制度、行政といったあらゆるパーツで似たような問題が起きるのが韓国なのです。 例えば、金融の分野において韓国財界というのは世界的に見ても非常に特異な振る舞いがある地域であり、ローンスター銀行や現代スイス貯蓄銀行など一般的な金融業界の商慣行ではあり得ないような事例が、むしろ韓国金融当局と一体となって行われることもあるほど不思議な国家です。オンリーインコリアを略した"OINK"という豚の鳴き声に模した揶揄も一時期流行したほどです。もう韓国とはそういうものであり、関わり方をひとつ間違えると身体ごと持っていかれてもおかしくないのだと知っておくほかありません。 正直、そういう社会が隣国で成立しているというのは日本にとって悩ましい話ですが、これはもう、しょうがないことです。頭に血が上った韓国政府に対して「民主主義においては表現の自由があり、市民社会において守られるべき価値なのだ」と説いても始まりません。日本人としては「産経が時として民族主義・極右と見られることがある」のをうまく隠しつつ諸国に対して韓国の前近代性を問題提起し、民主的な価値を重視する日本の立場を情報発信していくことが、韓国のオウンゴールのような失態を活用する最大の手段なのではないかと思います。

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    自滅する国家、韓国の言論弾圧が透視するもの

    だろう。当然である。 冒頭述べたように、極めて抑制的な日本の対応は韓国に舐められるこれまでの50年の日韓関係の歴史そのものであり、河野談話という〈悪の巨魁〉を生んだ温床になったものだ。 さすがの韓国メディアも左派系のメディアを中心に今回の韓国政府の判断にやや批判的である。一方、日本のメディアも9日午前の官房長官記者会見後は韓国に批判的だが、第一報が報じられた8日夜のTV報道は決してそうではなかった。 時事通信がソウルから韓国駐在の外国メディアでつくる「ソウル外信記者クラブ」の「自由な取材の権利を著しく侵害する恐れがあり、深刻な憂慮を表明する」との声明を伝えたのは8日の遅い時間だが、特派員協会が声明を出すほど重大なニュースである。 にも拘らず、驚いたことに、NHKの「NW9」は9時45分頃に「いま、入ったニュースです」との嘘の前触れで、付け足しのように事実関係を伝えただけである。大越キャスターがコメントを残すことはなかった。ニュース・ウオッチというのだから、報道番組のはずである。共同通信の第一報は20時20分であり、産経は20時34分に詳細に報道している。 テレビ朝日の報道ステーションでは、古館キャスターが自らの見解で珍しくまともなことを言ったものの、朝日の恵村順一郎論説委員は韓国の言論弾圧を肯定するかのように沈黙を通すような演出になった。恵村氏は朝日新聞の論説委員であり、朝日は韓国の言論弾圧を黙認したことと同じなのである。このように、10月8日夜の一連の日本TVメディアの報道は、大雑把に言えば、韓国の言論弾圧に加担する、NHK、テレ朝(朝日新聞)という構図になったのである。 面白いことに、絶好のタイミングで8日に韓国聯合通信は、《韓国・崇実大が村山元首相に名誉博士号 あす授与式》というニュースを配信した。《【ソウル聯合ニュース】韓国の崇実大は8日、日本の村山富市元首相に対し名誉博士の学位を授与すると発表した。村山氏が日本の植民地支配や侵略について率直に謝罪した点を高く評価したという。 韓献洙(ハン・ホンス)学長は同大が日本植民地支配下の1938年に朝鮮の大学で唯一、神社参拝を拒否し廃校処分を受けたと紹介。「日本の蛮行に対する許しと和解の意味で、日本の良心的指導者である村山元首相に名誉博士の学位を授与する」と説明した。 村山氏は9日の授与式前に記者会見し、「村山談話」を否定する動きを見せる安倍晋三政権に対する見解を述べるとみられる。 村山氏は首相だった1995年、日本の過去の植民地支配と侵略を謝罪した村山談話を発表した》 河野談話の2年後の村山談話が河野談話を構成した嘘をさらに上書き、増幅したものであることが、今回の産経前ソウル支局長言論弾圧事件を象徴している。韓国の言論界では反日原理主義という全体主義に覆われているからである。 一方、米国は米国時間8日の国務省会見で、サキ報道官が「われわれは言論・表現の自由を支持する」とし、「検察当局の捜査を注視していたが、現時点で追加情報がない」と説明し、韓国の名誉毀損に関する法律について、国務省が毎年公表している人権報告書(2013年版)でも指摘したように「懸念している」と述べた。 国務省の人権報告書は韓国の名誉棄損に関する法律を「報道活動に萎縮効果を及ぼし得る」と批判し、2012年に名誉毀損で訴えられたのは1万3000人以上で、3223人が有罪判決を受けたと記している。この法律は恐らく親北朝鮮勢力が立法化した人権法案と関連があるものだろう。 韓国の「国家人権委員会」が北朝鮮の人権問題には極めて冷淡だ。韓国の市民運動や人権活動が親北派で占められ、人権委員会に圧力をかけることが知られている。そもそも韓国の人権委員会は設立の過程で、特定の政治勢力の政治活動を促進し、一般的な人々の人権を抑圧する性格を持っていた。それがそのまま、韓国の〈言論の自由〉にも繋がっているのではないだろうか。 公園で「日本統治は素晴らしかった」と言った90代の老人が、その場で撲殺される事件が起きたことも最近では多くの日本人が知るところとなった。〈親日〉サイトを作った中学生が逮捕されるのが韓国の常識なのである。そもそも、反民族糾弾法という親日派を罰し、子孫の財産まで奪う法律を2005年に成立させたのが韓国という国家なのである。 今回の産経前ソウル支局長言論弾圧事件は、ただの言論弾圧、報道の自由をめぐる事件ではなく、日本と韓国の安全保障上のスキームに一大転換をもたらす出来事として認識されなければならない。そして、それは、国交正常化後50年になろうとする日韓関係そのものを根底から問い直す事件なのである。 日本が日清戦争に勝利し、朝鮮を清の属国から解き放ち、独立させてから来年で120年目に当たる。それは、シナが古代から唱えてきた華夷秩序の冊封体制を崩壊させる歴史上の大事件であり、アジアの近代史の始まりでもあった。そして、いま、また朝鮮が華夷秩序に従い、中国共産党が支配するシナの冊封を受ける歴史の転換点でもあることを示唆している。西村幸祐(にしむら・こうゆう)批評家・作家・ジャーナリスト、一般社団法人アジア自由民主連帯協議会副会長、戦略情報研究所客員研究員。 昭和27年(1952)東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科中退。在学中より「三田文学」編集担当。「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」)、音楽ディレクター、コピーライターを経て1980年代後半からF1やサッカーを取材、執筆活動を開始。2002年日韓共催W杯後は歴史認識や拉致問題を取材、執筆。「撃論ムック」「ジャパニズム」を創刊、編集長を歴任。 著書に『ホンダ・イン・ザ・レース』(講談社)、『幻の黄金時代―オンリーイエスタデイ ’80s』(祥伝社)、『「反日」の正体』『「反日」の構造』(文芸社文庫)、『マスコミ堕落論』(青林堂)、『NHK亡国論』(KKベストセラーズ)など多数。

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    韓国揺るがす疑獄事件?

     多数の死者を出して沈没した韓国船「セウォル号」の運航会社の実質的オーナー、兪炳彦(ユ・ビョンオン)容疑者(73)が逃亡を続けている。兪容疑者は、1千億ウォン(約100億円)以上の横領、背任、脱税の疑いが持たれ、捜査当局に指名手配された。乗客の安全をないがしろにして巨額のカネを手にし、それを政・官・民の癒着構造の中につぎ込み、政界との強い結びつきも噂(うわさ)される兪容疑者。その行方に注目が集まっている。仏、カナダに亡命申請も…拒否される? 朝鮮日報(電子版)によると、仁川地検特別捜査班は2014年6月3日、こんな発表を行った。 「最近、韓国駐在の外国大使館に匿名の人物が現れ、兪容疑者の政治亡命の可能性を打診した。当該大使館側は、兪容疑者が単なる刑事犯という理由で、亡命申請を拒否した」 兪容疑者が政治亡命を申請したのは、在韓フランス、カナダ大使館とされる。 東亜日報(電子版)などによると、捜査本部は兪容疑者の側近が関連企業の資金を不正に兪容疑者一家に支払っていたとして、横領や背任容疑で捜査している。さらに検察は6月2日、兪容疑者一家に対し、セウォル号沈没事故の責任を問うための財産保全の観点から、長男宅に対し家宅捜索を行い、高級外車4台や絵画16点を押収した。 合同捜査本部は5月9日、過積載などの危険な運航をさせ、船の乗客多数を死なせたとして、業務上過失致死などの疑いで、運航会社の清海鎮海運代表、キム・ハンシク容疑者(72)を逮捕した。兪容疑者の関与についても捜査を続けているとされる。 捜査本部によると、セウォル号は昨年3月の就航以来、241回の航海のうち139回も過積載をして、同社は29億5千万ウォン(約2億9千万円)もの不当な利益を得ていた。 安全をないがしろにし、乗客を危険にさらしながら得たカネの一部は、政治家や天下った元官僚らの懐に消えた疑いがあるという。韓国揺るがす疑獄事件? 東亜日報によると、捜査当局は全羅北道の蔡奎晶元副知事への事情聴取を行った。蔡氏は2001年~06年6月の間に副知事のほか、益山市長などを歴任し、その後、同社の関連会社代表に就任した。検察は、蔡氏に対し、数億ウォンもの資金が貸し出されていることなどに注目。蔡氏が兪氏への裏金作りに加担、政官界へのロビー活動も行っていたとみているという。 もっとも、こうした政治家は多数いるとみられ、東亜日報はこう指摘している。 「兪氏をかばう元現職の政官官界の関係者が蔡氏だけだと思っている国民が果たして何人いるだろうか」 清海鎮海運の急成長をめぐっては、政治家、官僚らが不正に関与した可能性が極めて強い。 東亜日報によると、兪容疑者は1997年に、別の海運会社を経営破綻(はたん)させ、2年後に、事業をほぼ受け継ぐ形で清海鎮海運を設立。仁川~済州間の旅客船運航を独占して急成長を果たした。 その経緯がすでに怪しいが、同社は過積載を繰り返し、安全運航も十分ではなかった。にもかかわらず、政府機関の選ぶ「顧客満足度の優秀船社」に4度も名を連ね、仁川市は物流発展大賞を授与した。行政側が、運航会社としての格を水増ししていたのだ。 要するに、同社を含めた海運業界と、行政側とは“ズブズブな関係”にあったのだろう。悲惨な事故を起こした船の検査…1時間で「良好」 朝鮮日報や中央日報(いずれも電子版)によると、船舶の安全検査を行う韓国船級協会には多数の官僚が天下っていた。しかも検査は杜撰(ずさん)だった。例えば、セウォル号は浸水すれば自動的に46隻の救命艇が下りて使用できる仕組みだったが、実際に使用できたのは1隻だけ。同協会は2014年2月にその検査を実施したが、わずか1時間あまりで「良好」と判定していた。要するに、見逃したのだ。 合同捜査本部は5月12日夜、セウォル号の救命装備の安全点検を怠った検査担当者を偽計業務妨害などの疑いで逮捕した。 一方、今回の事故を受けて海運汚職を捜査していた釜山地検は、同協会に関する捜査情報を、解体が決まった海洋警察の担当者に流出させたとして、地検の捜査官を在宅起訴した。海洋警察の担当者から情報を受けた同協会は家宅捜索される直前に、パソコンから重要な資料を削除していたとされる。 こうした政・官・民の癒着ぶりをみると、セウォル号の沈没事故が人災であったことがよく分かる。「癒着の構造」は社会の隅々に巣くっていたのだ。中央日報はこう指摘している。 「検察は自分たちの腹を肥やす目的の兪氏一家の行動が、どれほど残酷な結果を招いたのかをひとつひとつ国民の前にみせなければならない」「自分さえよければいい」 ロイター通信や中央日報(電子版)などによると、兪容疑者は1941年、京都に生まれ、戦後に韓国に戻った。兪容疑者の妻の父親が興したキリスト教系を自称する新興宗教の傘下団体で牧師として活動。87年にソウル近郊の工場で、教団の信徒32人が自殺した問題で事情聴取を受けたほか、92年には信徒の資産を流用したとして詐欺罪で懲役4年の判決を受け服役した。 兪容疑者率いる企業グループは90年代に拡大したとされる。ただ、朝鮮日報は、兪容疑者を含む一家について、清海鎮海運など系列会社約10社が偽の損益計算書や二重帳簿を作成するというやり方で、約140億ウォン(約14億円)も脱税していたと報じている。 「自分さえよければいい」「他人を押しのけてでも自分が」。癒着構造の根底にあるのは、そうした韓国社会の悪弊でもある。

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    韓国人を理解する単語「ヤンバン」「恨(ハン)」「ジョン」

     日韓関係の今後を考えていく上でも、韓国人への理解を深めることは重要だ。彼らを理解できるであろうキーワードを紹介しよう。●ヤンバン(両班) 朝鮮王朝時代における最上位の身分。日韓併合以後、両班制度は消滅したが、現在ではサムスンやヒュンダイなどの財閥系企業に就職することが、「現代の両班」としてステータスを得ることになる。有名大学に入ることは、その地位への第一歩であり、韓国では激しい受験戦争が繰り広げられている。●ハン(恨) 自分が本来いるべき場所や地位(例えば頭脳労働階級)に就けないことへの無念や悔しさ、もどかしさ、嫉みの感情。日本語の「恨み」とは意味が異なる。自分の無念な気持ちを解消しようとする気持ち。恨を表わす諺、「従兄弟が土地を買うとお腹が痛くなる」は韓国人が2日に1回は使うといわれているくらいに有名だ。●ジョン(情) 友情、人情、恋愛感情、家族への愛情など、あらゆる「情」を一言で表わした韓国特有の言葉。「韓国人は情が深い」と言われるが、良くも悪くも一度関わった相手に特別な感情を持ち、嫌いな相手にも関心を抱き続けてしまうのが特徴。日本を執拗に攻撃するのも、この「情」が関係しているのか。※SAPIO 2014年10月号 ・韓国人男 日本人の悪口言いながら自画自賛しモテようとする ・KARA、少女時代、キム・ヨナを通じて日韓の違いを理解する ・韓国では「サザエさん韓国人説」が流布し真に受けている人も ・新大久保の韓国学生との韓国語個人レッスン 参加費は300円 ・アジアで8割超が日本に好印象 中韓だけ日本嫌いの現実あり

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    仮想敵は日本  韓国軍が狂わせる日米韓の歯車

    これまでいくら日韓の国民感情が悪化しても、自衛隊と韓国軍の関係は維持されてきた。ミリタリーの関係は、両国間の政治的な対立を軍事的な緊張にまで至らせない「安全装置」だったのだ。しかし今、仮想敵を日本に置いたとしか思えない韓国軍の行動が相次ぐ。米国を基軸とした同盟の原点を見失えば、地域の平和と安定は崩壊するだろう。 シンガポールで開かれたアジア安全保障会議。日米韓の3カ国は6月1日、北朝鮮に核開発計画の放棄を強く求める共同声明を発表したものの、日本が求めていた韓国との防衛相会談は、韓国から拒否され開けなかった。日米韓が5月中旬に日本海で捜索救難訓練を実施したときも、韓国海軍は訓練の非公開を条件に参加していた。自衛隊幹部は「海上自衛隊との連携場面が報道されれば、韓国世論から反発を受けるという判断だろう」と説明する。だが、日韓の軍事面での関係悪化が表面化したのは氷山の一角にすぎない。相次ぐ軍事交流の一方的なキャンセル 5月の連休後半に韓国海軍の高官らとの会談を予定していた海上自衛隊トップの河野克俊海上幕僚長の訪韓が4月下旬、日程調整の最終段階になって突然取りやめとなった。靖国神社の春の例大祭に、多くの国会議員が参拝したため、韓国軍側から「不都合になった。訪問は受け入れられない」との連絡があったという。 実はその1カ月前にも、陸上幕僚監部の2人の部長(陸将補)が計画していた韓国陸軍との軍事対話が、相次いでキャンセルされていた。今年に入って、韓国陸軍は陸上自衛隊に対し、「陸将以上の訪問は遠慮願いたい」と、一方的に通告してきた。このため、陸幕では「陸将より下位の陸将補であれば、韓国側も受け入れるはず」(陸自幹部)と判断、装備部長と運用支援部長の2人を訪韓させ、北朝鮮の核やミサイル開発など朝鮮半島情勢について意見交換するつもりだった。竹島。韓国は、昨年末に公表した『国防白書』で竹島の領有を強調した (提供:The Blue House/ロイター/アフロ) 防衛省にすれば、自衛隊幹部が訪韓することによって、韓国の李明博大統領(当時)が竹島に強行上陸した昨年8月以降、北朝鮮のミサイル発射や核実験などの場面で連携が希薄となっていた韓国軍との関係を正常化させる狙いがあった。しかし、相次ぐ受け入れ拒否に、自衛隊幹部は「青瓦台(韓国政府)の指示で、軍のエリート将校養成課程が取りつぶされたように、ここ数年、軍のステータスは著しく低下している。軍も政府の了解がなければ自衛隊との関係を強化できない」と分析する。 これまで、日本海に浮かぶ竹島の領有権をめぐって日韓両政府が対立したときも、従軍慰安婦など歴史認識の問題で双方の国民感情が悪化したときも、自衛隊と韓国軍の関係が損なわれることはなかった。 ミリタリー同士の良好な関係による「安全装置」が壊れ始めていることは、昨年12月に公表された韓国の『2012年版国防白書』が裏付けている。ある自衛隊幹部は「目を疑いたくなるような内容だった」と評している。 韓国が独島と呼ぶ竹島をめぐっては、日韓両国とも領有権を主張しているが、白書には、韓国海軍のイージス艦「世宗大王」を先頭に、艦隊による島の警備活動の模様が大きな写真で強調されていた。前回の『10年版国防白書』では、わずか1枚ずつだった竹島の写真と領有を示す地図が、今回は計4枚も掲載されている。 日本との防衛交流や防衛協力に関する記述では、「独島は疑いもなく、地理的にも歴史的にも、そして国際法的にも韓国の領土である」と明記した上で、「日韓の将来の防衛交流や協力を発展させるためには、独島に対する日本の誤った認識や不当な主張を打破しなければならない」とまで記述している。 腹立たしい限りだが、今必要なことは、居丈高な韓国の振る舞いに対し、感情的になって憤ることではなく、冷静な視点で、自衛隊と韓国軍との連携が、韓国の平和と安全にとって何よりも重要であるということを指摘し、韓国軍、そして青瓦台の目を覚まさせることだ。韓国防衛支える自衛隊 沖縄・尖閣諸島の領有権をめぐる日中対立が激化し、今でこそ、日米同盟や在日米軍が存在する意義は、中国に対する抑止力を維持することのように思われがちだが、戦後一貫して、その主目的は朝鮮半島有事への備えである。自衛隊や在日米軍の体制は、安保条約に基づく日米同盟という枠組みの中で、米国の同盟国である韓国を防衛するために、強力な半島有事シフトを維持している。 具体的には、航空自衛隊は福岡県の築城と芦屋、山口県の防府北の3カ所に、1500~2000メートル級の滑走路を保有しており、海上自衛隊の大村(長崎)、陸上自衛隊の目達原(佐賀)、高遊原(熊本)、在日米空軍が使う板付基地(福岡空港)とあわせれば、北部九州という極めて限定されたエリアに7カ所もの航空基地が点在している。これは万一、第2次朝鮮戦争が発生すれば、米軍の戦闘機や輸送機が発進する拠点として活用されるのはもとより、日本人や米国人だけでなく、韓国から避難してくる多くの民間人の受け入れ基地としても活用されるはずだ。 さらに、北部九州地区には、福岡病院、大分・別府病院、長崎・佐世保病院、熊本病院という4つの自衛隊病院が集中している。これも韓国防衛のために傷ついた米軍や多国籍軍の兵士らの治療を前提に整備、維持されてきたのは紛れもない事実だ。このほか、朝鮮半島と向き合う長崎県の佐世保基地は、米海軍第7艦隊の戦略拠点であり、広大な佐世保湾の大半は、半島有事に緊急展開する米軍が占有したままだ。 そもそも戦後、北朝鮮の侵攻で始まった朝鮮戦争を機に、自衛隊は警察予備隊として発足し、日本各地の空港や港湾は、韓国防衛のために出撃する米軍などの拠点となった。それだけではなく、開戦当初、北朝鮮の攻勢を食い止めるため、米軍などによる仁川・元山への上陸作戦を前に、連合国軍総司令部(GHQ)の命令によって、日本は特別掃海部隊を編成、朝鮮半島の周辺で北朝鮮が敷設した高性能ソ連製機雷の除去作業に従事した。不幸にも活動中、1隻が触雷して沈没、乗組員1人が死亡、18人が負傷している。朝鮮戦争では日本人も戦死しているのだ。 にもかかわらず、休戦後も、日米同盟に基づいて、自衛隊が韓国の平和と安全を支え続けてきたという認識が、韓国はあまりに希薄過ぎるのではないだろうか。それが証拠に、『12年版国防白書』の中で韓国は、「朝鮮戦争で韓国を支援した国々」を特集しているが、日本は5万ドル相当の資材を提供した国として、わずか1行だけ取り上げられているに過ぎない。 今年7月27日は、朝鮮戦争の休戦協定締結から60年という節目にあたる。もちろん、朝鮮半島の混乱は日本の平和と安全に直結する事態であり、自衛隊と在日米軍の半島有事シフトは日本のためでもある。しかし、韓国防衛に対する日本の献身的な貢献がきちんと伝わっていないのだとすれば、それをしっかりと認識させることは、日本政府にとって対韓外交の柱であっていい。戦力増強する韓国軍と新たな基地建設 自衛隊と韓国軍の間で狂い始めた歯車を、早急に元に戻さなければならない理由はほかにもある。それは近年の韓国軍の増強ぶりと新たな基地建設の動きに対し、自衛隊が不信感を募らせているからだ。韓国の保有するイージス艦「世宗大王(セジョンデワン)」=写真先頭 (提供:ロイター/アフロ) かつて韓国は、『08年版国防白書』まで、外部の軍事的脅威である北朝鮮を「主敵」と位置づけていた。だが、10年版白書から主敵の表現が姿を消し、「北朝鮮政権と北朝鮮軍は韓国の敵」という表現に弱められている。呼応するように、100万を超す陸上兵力を持つ北朝鮮軍と、38度線を挟んで対峙しているにもかかわらず、韓国では現在、陸軍と海兵隊あわせて約55万人の陸上戦力を、22年には40万人程度にまで大幅削減する方向で検討しており、それに代わって増強しているのが海軍力だ。 08年以降、韓国海軍はイージス艦2隻を相次いで就役(現在、3隻目が試験運用中)させたほか、外洋航行に適した攻撃型潜水艦9隻を整備。駆逐艦6隻を含めた初の機動部隊を創設している。編成の目的は「国家の対外政策の支援、海上交通路の防衛、北朝鮮に対する抑止」を掲げているが、海上自衛隊幹部は「韓国は日本に負けたくないという思いが強い。あれだけの数のイージス艦と潜水艦をどこで使うのか。韓国がリムパック(環太平洋合同演習)以外で、太平洋で訓練したことなど見たこともない」といぶかる。対潜水艦作戦を念頭に置いたP3Cなどの哨戒機も16機保有しているが、搭載する対艦ミサイル「ハープーン」で攻撃するような水上艦は、北朝鮮軍には見当たらない。 不可解なのはそれだけではない。1つは佐世保の西方約200キロに位置する済州島に大規模な海軍基地を建設していることだ。数年以内には、P3Cの航空基地も併設され、大型揚陸艦も含め、韓国海軍は機動部隊を配備する計画を打ち出す。防衛省幹部は「済州島は日本海と東シナ海をにらんだ前線拠点であり、将来、中国海軍が寄港するようになるとやっかいだ」と打ち明ける。 また、これまで韓国は、米国との取り決めで弾道ミサイルの射程を300キロに制限してきたが、昨年10月、これを800キロに延長した。韓国南端から北朝鮮北端までの距離と説明するが、大阪など西日本は完全に射程圏内に入る。弾道ミサイルの射程延長に併せ、韓国は陸上発射型の巡航ミサイル(射程1500キロ)を配備し、駆逐艦や潜水艦には射程400キロの巡航ミサイルを搭載していることを公表した。北朝鮮を攻撃するためとしているが、「仮想敵は日本だ」とみる自衛官は少なくない。 日米同盟と米韓同盟。日韓は互いに米国を介して朝鮮半島の安定に力を注いできた。在日米軍やその基地施設をめぐって国内が二分することがあっても、日本は戦後、多くの資材と資金を投入し、半島有事シフトを維持してきた。しかし、韓国には日本の努力への理解が乏しく、日本も自らが果たしてきた役割の重要性を認識していない。 その間隙を突くように今、北朝鮮は核とミサイル開発を推し進め、中国は韓国を取り込みながら海洋進出を活発化させ、米国を基軸とする同盟に揺さぶりをかけている。何のために、日本と韓国は米国と同盟を組み、互いの同盟を基盤にしながら連携と信頼を築き上げてきたのか。その原点を見失ったとき、この地域の平和と安定は崩壊するだろう。

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    安保よりも安全が優先する韓国

    伊藤弘太郎 (キヤノングローバル戦略研究所研究員) 事故を巡るメディア報道と「安全」を求める国民の声 今回の韓国メディアによるセウォル号沈没事故関連報道には際立った特徴がある。それは「社会の安全をいかに構築するか」、「国民の安全意識をどのように向上させるか」という視点だ。後述するように、北朝鮮に対する脅威は低下しつつある一方、事故や災害に対する「安全」意識が高まっている。  事故発生直後から有力紙では「韓国社会の安全総点検」に焦点を当て、災害時の政府対応を検証する記事が並んだ。例えば、4月29日付中央日報(日本語版)の記事は、「安保(安全保障)に使われる国防予算約34兆ウォンと安全(災害対策)に使われる予算約1兆ウォン」に大きな差があることを指摘し、「政府は冷戦時代の安保志向から脱却し国民の安全のために予算を割くべきだ」と主張するなど、事故発生後の早い段階から今回の事故の問題点を総括し、各省庁の災害対応業務を統括する新しい省庁の創設の必要性を主張する記事が各紙に掲載された。韓国政府側もこれに呼応するかのように「国家安全処」創設の検討を始めた。  こうした動きは、旅客船沈没事故直後の5月2日夕方ラッシュ時にソウルの地下鉄で列車衝突事故が発生するなど、韓国国内で国民の安全を脅かす大規模火災や事故が多発したこともあり、一層加速されたようだ。 事故から約1カ月が経過した5月20日、朴槿恵大統領は対国民談話の場で涙を流しながら、犠牲者への哀悼の意を表するとともに、「国家総改造」の一環として今回最も厳しく批判された海洋警察庁の解体を発表した。その後、同大統領は「テロ等はNSC(国家安全保障会議)が対応し、災害については新設する国家安全処が管轄するが、関連省庁が災害発生時にしっかりと連携をとらない場合は該当官庁の長官を懲戒する」方針を示した。民防衛訓練=防災訓練? 一連の報道の中で筆者が特に注目した記事は、4月25日付朝鮮日報社説(日本語版)「防災訓練、現状に即して見直しを」(同紙同日付韓国語版では「民防衛から実体験訓練に変え、しっかりとやってみよう(筆者仮訳)」)であった。ほぼ同内容の社説が5月9日付中央日報にも掲載されている。  「民防衛」の定義は「敵の侵攻や、全国または一部の地方の安寧秩序を危うくする災害(民防衛事態)から、住民の生命と財産を保護するために、政府の指導の下、住民が実行すべき防空、応急的な防災、救助、復旧、および軍事作戦上必要な労力支援等のすべての自衛的活動(民防衛基本法第2条第1項)」であり、年に3回の防空退避訓練等を通じて、全国民が非常時に備えるためのものだ。  前述の朝鮮日報社説は「年に数回行われる民防衛訓練をまじめに行っている国民は少ない」、「制度が形骸化している」と現行の民防衛に批判的だ。筆者自身、韓国滞在時に何度かこうした訓練に遭遇したことがある。警報のサイレンが午後2時に鳴ると、通行中の車輌は停止指示に従うが、周辺の歩行者の中には地下への退避指示に従わない人が多かった。社説の指摘通り、民防衛訓練は形骸化が進み、行政のセレモニーと化していた。   同紙社説は、北の攻撃を想定した防空訓練における国民の安全意識の無さを憂いながらも、それが日常的な安全意識の欠如につながっていると批判した上で、国家主導の大規模訓練よりも、地方自治体による国民一人一人の意識改革を促す内容に変えるべきだと主張している。こうした指摘に呼応するかのように、民防衛制度を所管する消防防災庁は6月21日に初めて全国規模の火災避難訓練を実施した。しかし、興味深いことに、2010年11月23日に起きた延坪島砲撃事件の際は、「北の挑発に対する備えが不十分だ」との声が上がり、政府は同年12月15日に初の全国民を対象とした緊急防空訓練を実施している。つまり、韓国ではその時々で国民が「安全」を脅かすと考える脅威対象は変化してきているものの、「訓練の形骸化」という問題は相変わらず変わっていないようだ。 韓国国民の「安全」に対する意識変化 弱まる北への脅威認識 日本と同様、韓国でも安全保障を「安保」と略すことが一般的だが、これまでは北からの軍事侵略が「安保」上最大の脅威とされてきた。実際に、朝鮮戦争停戦後も大統領府襲撃事件等北の軍事挑発は続いており、韓国軍は北朝鮮による度重なる軍事挑発を警戒していたのである。しかし、1993年、民主化した韓国は軍事政権から文民政権となり、経済も発展して先進国の仲間入りを果たした。 軍事面でも、韓国は北朝鮮よりも遥かに高性能の兵器を次々と導入する一方で、北からの直接的な軍事的脅威は減少した。更に、2000年には当時の金大中大統領と金正日総書記による南北首脳会談が実現するなど、南北間の緊張は大幅に緩和されている。 一方、急速な経済発展は人口と経済の首都ソウル一極集中をもたらし、ソウルの人口とその周囲を取り囲むように位置する京畿道の人口の合計は実に韓国総人口の約半分を占めるに至った。Google Mapの衛星写真を見れば、北との国境線から数キロの地点に韓国の大型マンション群が林立していることが良く判る。人口集中により飽和し住環境が悪化したソウルを中心に放射状に都市開発が進み、今や北朝鮮との国境近くにまで多くの国民が居住するようになったのだ。  以上の通り、国民の対北脅威認識は明らかに低下しつつある。これに対し、最近韓国で注目されるようになったのが、大規模事故や異常気象等自然災害に対する「安全」意識の高揚だ。これまでも、1994年にソウル市内で起きた聖水大橋崩落事故、95年に同市内で起きた三豊百貨店崩落事故など一度に何十名、何百名もの犠牲者を出す大事故が発生している。更に、2002年、03年、06年に韓国は台風により甚大な被害を受けている。その意味では、事故や災害に対する韓国国民の意識変化は、今回の旅客船沈没事故により起きたのではなく、既に以前から始まっていたと考えるべきだろう。  特に最近では、国民がメディア報道を通じて諸外国の災害対応・対策を知る機会が増え、災害に備える社会制度の必要性をより身近に感じるようになった。また、SNS等のソーシャルメディアの発達により、大規模な事件・事故が発生すれば、政府が情報を把握し対応策を発表する以前に、多くの国民が「現場からの生の情報」を既に把握できるようにもなった。このような諸状況の変化に対応できなかった韓国政府が今回厳しく批判されたのは当然なのである。 韓国の国防政策とその矛盾点 しかしながら、仮に韓国国民の対北脅威認識が低下しても、南北軍事対立という現実は変わらない。北朝鮮は6月26日に射程300キロの多連装砲を、続く29日と7月9日、13日、26日に射程500キロのスカッドミサイルをそれぞれ発射した。これらはすべて韓国国内が射程内に入る兵器である。特に、ソウルを中心とする首都圏地域はこれらの兵器による攻撃に極めて脆弱である。関係機関による被害見積に差異はあるものの、一度北の攻撃が始まればソウルなど大都市の被害は韓国民だけでなく、韓国経済そのものを崩壊させるだろう。もちろん、3万5000人を超えるとされる在留邦人への影響を見逃すことはできない。  現在の韓国の国防体制は、高度な情報収集能力を駆使して、北の挑発または大規模な攻撃または攻撃準備を瞬時に察知し、圧倒的な軍事力で北に打撃を与え、北の攻撃能力を無力化するというものだ。具体例を挙げれば、現在韓国国防部が多額の国防予算を投入し導入を計画している「キルチェーン」と呼ばれる防衛システムがある。弾道ミサイル攻撃に対しては、日米ミサイル防衛(MD)とは一線を画した韓国独自のミサイル防衛システム(KAMD)の導入を計画している。 こうした最先端技術を駆使した防衛システム構想が実現に向けて動き始める一方で、最近韓国軍内では、戦闘機に搭載されたミサイルが離陸時に落下したり、駆逐艦の電力が海上ですべて喪失し攻撃・自衛能力が無くなる等、現場部隊の装備不良、士気の低下が目立っている。軍事力の基本である兵力の確保も、急速に進む少子高齢化により難しくなってきている。次期中長期国防計画も現在の兵力水準は維持不可能という前提で練られているほどだ。  また、6月21日に発生した韓国軍の最前線兵士による銃乱射事件も深刻である。事件を起こした兵士は普段から注意を要する「B級関心兵士」とされていたようだが、特別管理対象となる「A級関心兵士」とB級を合わせると全隊員の10%を占めているという。更に、兵役期間が以前に比べ短縮されたため兵力を補充する必要が増えているにも関わらず、近年は兵役に適応しない若者が増えているそうだ。  それだけではない。韓国は自力による防衛能力向上を図ろうとしているが、一方で台頭する中国への配慮のためか、日米韓の軍事連携強化が進展する展望は一向に見えない。日米からの軍事技術・情報等の支援または協力なしに韓国は如何にして自前の防衛力を強化できるのだろう。甚だ疑問である。  過去60年に渡って、韓国がソウルを中心に経済を発展させることが可能だったのは、北に対する抑止力がうまく機能していたからだ。その抑止力の主な構成要素は米韓同盟を基盤とした国防体制であったが、主敵とされた「北」への備えを求める国民の強い支持があったことも重要である。しかし、最近の東アジア地域情勢の変化に伴い、韓国では外交面で中国と接近する一方、内政面では国民から「安全」を求める声が高まるなど従来の対北朝鮮抑止力を重視する考えにも変化が見られるようになった。こうした韓国の変化は日本の安全保障にも大きな影響を与えるだろう。閣僚人事等内政面で苦労が絶えない朴槿恵政権は今後どのような舵を取るのか。韓国の将来を考える上では、対日、対中政策等外交面だけでなく、内政にも十分注目していく必要がある。

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    セウォル号でさらに迷走 韓国はどこへ?

    旅客船セウォル号沈没事故発生から5カ月余り、朴槿恵(パク・クネ)大統領政権は混迷し、国民の信頼を喪失している。 セウォル号沈没事故の真相を究明するための特別法(セウォル号特別法)も、いまだに遺族らに拒否されている。

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    性搾取大国韓国の不都合なる真実

    産経新聞ソウル支局長 加藤達也(かとう・たつや)韓国社会で黙殺される米軍慰安婦 朝鮮戦争の休戦後、在韓米軍基地の近くに「基地村」と呼ばれた売春街が設けられた。そこで米軍を相手に売春をしていた韓国人女性122人が6月25日、韓国政府を相手どった訴訟をソウル中央地裁に起こした。原告女性らは「米軍慰安婦」として韓国政府の厳しい管理下に置かれ、人権を侵害された―などと主張し、一人あたり1000万ウォンの国家賠償の支払いを求めたのである。 原告女性を支援する団体によれば「米軍慰安婦」による国家賠償請求訴訟は初めて。ニュースバリューは高いはずだった。今まで日本の慰安婦問題を世界中に喧伝してきた韓国にはブーメランのように自らに返ってくる問題でもある。 日本に対して「慰安婦」の強制動員を認めて謝罪せよ、と執拗に求めている手前もあり、韓国は「女性の性的搾取」を容認しない姿勢を世界に見せてきてもいる。こうしたことから今回の提訴には高い関心が集まるのではないかとみる向きもあった。だがこの提訴は韓国社会からほぼ、黙殺された。 メディアでは左派系のハンギョレ新聞が7月5日、仮名で「キム・ジョンジャ」と名乗る原告の一人にインタビューして大型のカバーストーリーとして伝えたが、通信社の聯合ニュースは提訴当日の記者会見を淡々と伝えた程度だった。韓国の主要メディアはなぜこの問題を黙殺したのか?  国民は「日本軍」による「従軍慰安婦」問題に対するときのようになぜ、沸騰しないのか? それは韓国にとって「不都合な秘密」(ハンギョレ新聞)だからだ。 ある野党系の国会議員のスタッフはいみじくも、こう言った。 「くさい物にはフタ、ですよ。この問題を突き詰めると朴正熙元大統領の責任論につながり、ひいては娘である朴槿恵大統領の政権の正統性にも関わる問題なのです。騒げば、韓国社会がかつて、様々な事情から売春をせざるを得なかった女性に米軍兵士の性欲処理を押しつけて切り捨てていたという目にしたくない事実が表面化してしまう」 韓国政府にとって、今回の提訴は新しい問題提起では決してなかった。歴代政権は「米軍慰安婦」を知っていたし、「ドルを稼ぐ英雄」としておだててもいる。さらに、この問題が本格的に社会に訴えかけられてから10年以上が経過するのだが、左派政権当時も含めて問題の全面解決には至らなかった。国会で示された米軍慰安婦の実態 韓国国会は李明博政権末期の2012年10月と、朴槿恵政権となった後の13年11月の2回、国政監査で「米軍慰安婦」問題をめぐる政府の対応を取り上げている。 質疑からは、1960年代に売春を法で禁じていた韓国政府が「米軍慰安婦」を例外的に・合法・的に管理し、最近まで、この問題に目を向けて来なかったという歴史的経緯が浮かび上がってくる。      × × × 2012年10月26日。5年に1度の大統領選を約2カ月後に控える中、国会は元「米軍慰安婦」の支援に取り組む「ヘッサル社会福祉会」という団体の代表を招聘して意見を聴いた。「米軍慰安婦」が「軍事独裁」政権下で始められたものであったため、この問題を国会で審議することが大統領候補の朴槿恵氏を牽制する意味があったことは間違いなかった。国会でのやりとりを再現する。《左派系野党の民主党(現・新政治民主連合)議員が質問する》 議員「淪落(売春)行為防止法が1962年12月に制定され、その時から淪落行為はできなくなったわけですが、合法的に基地村の売春が行われていたのはどういうことなのでしょう」 代表「健康産業特別法という法律がありました。基地村に送られた貧しい女性は、基地村に到着次第、性病検診を受け、クラブで働くよう政府が煽りました」 議員「国家的レベルで管理していた証拠はありますか?」 代表「2008年に(ソウル近郊の)京畿道女性開発基金で実態調査と討論会を行いました。(米軍慰安婦だった)おばあさんの証言を基に討論会の資料を作成しました。そこに『国が関与した』という内容があります」《議員は、政府機関がおばあさん(慰安婦)たちを対象にした集まりを毎月1回程度開き、愛国者と呼び、名簿を管理、運営していた証拠があったと述べ、さらに「米軍慰安婦」の管理に政府機関が関わっていた事実を紹介。「基地村」の問題が韓国南西部全羅北道の群山や南部の大都市・大邱などにもあることを指摘し、政府に質問をぶつける》 議員「女性家族省でも今後は全体的な実態調査をしなければならないのでは? 女性家族相の考えはいかがですか」 女性家族相「検討したいと思います。調査は簡単ではないと思いますが、以前に調査をした際には統計庁の承認も受けられず、といったようなケースもありました。さまざまな問題がありますが、一度内部的に検討してみます」《野党議員は担当相から「調査する」との言質を取り付けて満足したのかいったん質問を終えた。代わって質問に立った与党議員は論点を「米軍慰安婦」たちの生活実態に絞って質疑を展開する》 与党議員「現在把握されている米軍基地村被害女性は149人ですね」 代表「調査で面会できなかった米軍慰安婦がたくさん存在しています。全国的な人数は分かりません」《与党議員は「米軍慰安婦」が抱える最大の問題は何かと質問。代表によると慢性疾患や(低収入による)生活苦、住居問題に直面している実態を吐露した》 代表「(元米軍慰安婦は)クラブでウエイトレスや掃除などをしている人もいますが、ほとんどはなにもしていません。生活保護を受けられない人もいます。全身の調子が悪く10回、15回と手術を受けた人も…」 野党議員「その方々にお子さんは」 代表「ほとんどは養子に出しています。ハーフの子もいますが、苦労しています。自殺した子もいます」 野党議員「(基地村で活動していた)当時、女性らの間では性病が多く、薬物の問題も多かったのでは。平均寿命は短いのでは」 代表「2002年以前については分かりませんが、それ以降では19人が亡くなりました。平均65歳ほどです」 野党議員「当時、モンキーハウスと呼ばれる治療所兼監禁所があった時期もありました。いろいろ、国家がしたことについては、どの政権とかいつの時代とかは問わず、時間が経っても責任を取らなければならないと思います」 《野党側は「国家の責任」を追及する必要性を強調し始める。別の野党議員は審議を締めくくるにあたり、韓国の政権と米軍慰安婦の関係について質問を始めた》 野党議員「1962年12月、淪落行為防止法が制定されたにもかかわらず、平澤という巨大都市に米軍部隊が入り数千人の女性が売春するため、そこ(基地村、対米軍売春施設)に向かいました。そこで売春が合法的に管理されていたという証言があります。67年、東豆川の(売春)クラブで、外貨が40万・ありました。当時、韓国の輸出額は4000万・でした。ところが皮肉なことに、基地村で一生を送り、残ったものは朽ち果てた体しかない人々に、政府は一銭も支援できないといいます」天に唾するに等しい天に唾するに等しい この議員によると慰安婦だった女性への公的救援の方策については韓国国防省が肯定的に検討しているという。ただ国による法整備などの包括的な動きはまだ始まっていない。「米軍慰安婦」問題で救援のための法的整備を進めるためには、国が「米軍慰安婦」の制度を維持、管理してきたことを認めなくてはならず、最終的には解決できなかった歴代の政権が責任を認定して謝罪し、賠償するということになる。 ただ、それは同時に韓国社会が韓国現代史の・恥ずかしい裏面・を直視することになる。しかも朴槿恵大統領の父、朴正熙元大統領の独裁政権への批判につながりかねないというリスクを発掘することでもあった。 野党側は2012年10月26日の質疑では、責任を強く追及するところまでは踏み込まなかったが、朴政権誕生後の2013年11月6日、国会の国政監査の場でこの問題を再び取り上げた。朴正熙大統領の直筆署名文書の存在 2013年11月6日、国会国政監査で野党議員がある文書を示しながら質問を切り出した。 「基地村における売春が、合法というレベルを超えて国家が非常に組織的に主導していたという証言と証拠があります」 文書は、野党議員が、国立公文書館に相当する国家記録院の大統領記録館から特別に取り寄せたもので、メディアも含めて一般には非公開の文書であった。 文書は「基地村浄化対策」と題され、右側上段に1977年5月2日付で当時の朴正熙大統領が直筆署名したものだった。 そこには、当時、「米軍慰安婦」が居住して売春をしていた基地村が62カ所あり、売春をしていた女性が9935人いたという記載があった。 議員「淪落女性の専用アパート建設問題、性病撲滅、そして周辺整備、生活用水(確保)の項目がある。計画で予算が未確保の場合は、(朴正熙大統領)閣下特別資金から支援措置すると記載されている。特別支援の所要額が2億7600万ウォンなのですが、閣下留保分の特別基金から支援措置するというふうに記されています。周辺の市、東豆川、楊州、平澤、坡州、抱川、高陽の各市の条例の改正案には、『慰安婦を検診し、国連軍の駐屯地域の慰安婦のうち性病保菌者を検診で割り出し、収容治療、保健及び教養教育を実施する』といった文句があります」 《野党議員はこの文書を示すことで、朴正熙政権が米軍相手の売春制度を維持・管理していたと主張。さらに、女性家族相に対し、基地村に国が関与していたかどうかを追及する》 野党議員「前任の女性家族相は、基地村の女性らへの実態調査を検討すると答えています」 女性家族相「売春被害者の女性に対するリハビリ支援をしています」 野党議員「来年には、必ず実態調査、研究調査事業を行わなければならないと思います」 《国による調査対応の確約を促す議員に対し、女性家族相は資料が作成された過程を説明。国家による売春制度の管理ではなく、あくまでも「売春被害者」に対する措置である点を強調するが…》 女性家族相「70年代の(基地村浄化)対策に関してはこの(基地村浄化対策の)資料以外に資料がなく、流れを把握しきれませんが、淪落女性に関しては淪落行為禁止法に基づき、違法であるという前提の下でリハビリ、カウンセリング対策と専用アパート建設、つまり淪落女性の被害支援という視点で、その文献が作成されたものと考えられます。ただ、ご指摘があったとおり検証作業を行っていこうと思います」 議員「基地村浄化対策に国が関与したという事実そのものを否定するのですか」 女性家族相「いいえ、そういうわけでは…」 議員「淪落行為防止法があるにもかかわらず(朴正熙政権下の)国が基地村浄化対策として(売春を管理する目的で)大統領の署名まであるこのような対策を講じたのではないのですか」 女性家族相「違法な売春に関して、浄化整備計画の一環ではなかったかと思います」 議員「整合性がない回答ですね」 《韓国政府は「米軍慰安婦」について、一義的にはあくまでも「売春行為」をなした人である点を譲ろうとしない。政府の救済策はその「被害者」という立場の上に立って進めるものとの意向がうかがえる》既に禁書化された関連資料も 実は、「米軍慰安婦」に関して国家の責任を問う動きは今回の訴訟の前からあった。 2002年に「韓国軍慰安婦」問題を韓国で初めて公開した女性性搾取問題の研究者、金貴玉漢城大副教授は直接の資料調査などの結果、朴正熙政権が「米軍慰安婦」に直接関わっていた事実を提示している。また、2013年には「米軍慰安婦基地村の隠された事実」が出版された。そこには次のような記述がある。 「(1961年に朴正熙元大統領らが起こした)5・16クーデター直後、米軍との友好な関係の維持が重要だと判断した『国家再建最高会議』は、米軍駐屯地の実態調査を実施し、関係省庁に『慰安婦の教養の向上と保健診療所の拡大措置』を含む主要措置事項を指示した。関係法令を再整備し、慰安婦登録と教養を実施し、保健所の性病検診を強化し収容所を設置するというものだった。しかし、米軍慰安婦への性病統制に困難を覚えていた米軍当局は、この措置だけでは満足せず結局、米国は70年代はじめ、韓国政府から積極的な基地村管理政策を引き出すことに成功した。(当時取られた)在韓米軍2万人削減計画は、朴正熙政権を危機に陥れた。撤収しようとする米軍を留めておくために、朴政権は必死に取り組んだが、そのうち最重要な戦略が『(性病検査徹底などの)基地村浄化事業』だった。政権は莫大な金を投入して各地の基地村に性病診療所を設置、米軍の『慰安施設』を再整備した」 金副教授は、同書によせた文の中で2002年に韓国軍慰安婦問題を世に問うた直後、韓国政府は金氏の研究活動を自粛させたり、国防省所蔵の慰安婦政策に関する資料を禁書化したりしたと明かしている。金副教授はその理由について、日本統治時代の慰安婦問題を追及する韓国政府が軍隊に「慰安婦」を運営していたことが世界に知られれば、日本統治時代の慰安婦について『日本政府を追及する資格などない』と、日本の極右勢力が韓国政府を非難すると考えたためではないかと指摘している。 韓国の抱える性搾取の闇は深い。

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    朝日が誤報を認めても韓国人は変わらない

    『朝日新聞』は「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と書く。ならば、米軍慰安婦問題も同時に取材し、問題提起すべきだ。そうでなければ、単に日本人の尊厳を踏みにじるのが目的だと思えてしまう。

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    何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

    会談はしないほうがいい、と考えています。2013年2月に朴槿惠政権が発足した際、日本のメディアには「日韓関係は改善が期待できる」という好意的な報道が目立ちました。父親の朴正熙元大統領が日韓基本条約を締結して日本との国交を回復した人物だったため「親日的」と考えられており、娘の朴槿惠氏も同じイメージでみられたのです。しかし大統領選に出馬を決めて以来、反日的な発言を繰り返してきた朴槿惠氏をどうして「親日的」と考えてしまうのか、私は不思議でなりませんでした。 現に、大統領就任直後から、朴槿惠大統領は強硬な反日姿勢を打ち出してきました。2013年3月1日の「3・1独立運動」記念式典では、日本統治時代を振り返って「加害者(日本)と被害者(韓国)という立場は千年の時が流れても変わらない」とまで演説。これに対して日本国民は怒るというよりも、呆れてしまいました。韓国が日本と友好関係になることを永遠に避けているように感じられたからです。 もともと保守本流の政治家でありながら、朴槿惠氏が強固な反日姿勢をとり続けているのはなぜか。野党をはじめとする親北勢力が、父親の朴正熙元大統領を「親日派」として朴槿惠大統領の大きな攻撃材料としていることが原因の一つとして挙げられます。現在の朴政権は与野党間の危うい勢力バランスで支えられていますので、国民の支持をつなぎ留めるためには、確固たる反日姿勢を打ち出すしか手がないのです。しかし、朴槿惠大統領が反日姿勢を強めるほど、かえって親北の左派勢力を勢いづかせることになってしまいます。 現在、韓国国内に北朝鮮のスパイが12万人ほどいるといわれますが、彼らは政府機関、マスコミなどに根深く入り込み、国民の反日感情を煽動しているとみられます。反日の隠れ蓑を着た親北勢力が「反日=愛国」を煽り、与党・保守勢力も国民の支持を得るために「反日=愛国」姿勢を強める。これが朴槿惠政権発足と同時に出現した韓国のどうしようもない政治状況の実態です。 前述しましたように「米軍慰安婦問題」は野党や左派勢力が朴政権を攻撃する格好の材料となったわけですが、朴槿惠大統領の反日姿勢が彼らの伸長を促していることを考えれば、じつに皮肉なことだといえます。 韓国で保守勢力が後退し、左派勢力が伸長しているもう一つの理由として、経済格差の進展があります。順調な経済成長を続けているとみられた2002~2011年のあいだに、韓国は一部の大企業と富裕層が国民の利益を独占するすさまじい二極化社会になってしまいました。失業率の上昇や貧困層の拡大により社会秩序が不安定になりつつある韓国では、凶悪犯罪が多発するなど、格差が社会問題化しています。国民のなかには「あんなに儲けている金持ちがいるのに、自分たちはなんでこんなに貧しいのか」といった不満が広がっているのです。 こうしたなか、さまざまな団体や集団から生活保障を求める動きが強く出てきています。政治家もこれは無視できません。「米軍慰安婦」の問題にしても、貧富の格差を背景に「恵まれない人の生活を助けるべきだ」「長年、見捨てられてきた人たちの生活を政府は保障せよ」という社会風潮が後押ししていると考えられます。韓国ではなく、世界にどう対応するか いずれにせよ、韓国は反日姿勢を続けてこのまま日本と疎遠になれば、中国への依存を強めるしかありません。ところが中国経済には不動産バブルの崩壊や輸出減速などさまざまな問題があり、けっして好調とはいえません。折からのウォン高で打撃を受けている韓国経済がさらに中国経済への依存を強めれば、共倒れになる心配もあります。にもかかわらず、朴槿惠大統領がこれまで日本との対話を拒否してきたのは、中国に媚びを売るためとしか考えられません。これは外交の選択肢を狭めるだけで、けっして賢い方法だとはいえないでしょう。 今春まで安倍政権は「河野談話」について「検証はするが、見直さない」といっていました。韓国の立場を重んじたギリギリの配慮で、いま振り返れば、このときが日韓首脳会談を行なう最大のチャンスでした。慰安婦問題について『朝日新聞』が誤報を認めた以上、今度は日本国民から「河野談話」の再検証や見直しを要求する声が高まっていくことでしょう。安倍政権はそうした国民の声を簡単には無視できません。そうなれば、日韓ともに対話を切り出しにくい状況になります。しかし先ほどもいったように、歴史問題について韓国から棚上げをいってくるまで、日本側から働きかけを行なう必要はありません。 むしろ日本がいま考えるべきなのは、韓国ではなく、世界にどう対応するかです。日本を貶めるようなプロパガンダを、韓国は欧米を中心に各地で盛んに行なっています。慰安婦などの問題を正しく理解する欧米の政治家、あるいは研究者は稀であり、韓国側の一方的なプロパガンダが世界に浸透してしまう現状があります。 先日、訪韓した私の大学の教え子が「竹島は韓国のものよね」と急にいわれて、戸惑ったと話していました。韓国では子供のころから「竹島はわが領土」というような歌を歌わされて育ちます(これも調教です)。心の底からそう思っているわけで、100パーセント疑いをもっていない。残念なことに、その教え子はうまく言い返すことができなかったそうです。日本では領土問題や歴史問題についてきちんとした教育を行なってきませんでしたから、無理もないことかもしれません。 また、同じくその教え子が驚いたのは、ある大学で韓国語によるスピーチコンテストが行なわれたときのこと。参加資格者は韓国以外のアジア人や欧米人留学生で、テーマはなんと日韓問題なのです。ほとんどの参加者が韓国側の言い分に沿って日本を非難するスピーチをしていたそうです。それだけ韓国の主張が海外で浸透している、ということがいえます。 日本は、韓国の海外での宣伝行為についてもっと危機感をもつべきではないでしょうか。たとえば、日本の小説は翻訳版が世界中で読まれているのに、なぜか近現代史関係の論考や評論は翻訳版が少ない。摩擦を恐れているのか、それとも利益にならないと考えているのか、二の足を踏む出版社が多い。論壇誌に寄稿された論文の英語翻訳も、現状ではほとんど進んでいません。 日本の政府はもちろん、日本のメディアも自国の主張をもっと世界に広げていく方法を探してほしいと思います。日本軍の慰安婦問題について、いくら『朝日新聞』が誤報を認めたところで、韓国が日本への謝罪要求を引っ込めることはありえません。世界で慰安婦像を建てる運動なども、ますます加速していくでしょう。 もちろん、そのきっかけをつくったのは何よりも『朝日新聞』の一連の記事や報道であり、その罪はきわめて重いといえますが、「捏造」や「嘘」など何でもありの幻想の世界に生きている韓国の国民には、いまさらいくら真実を突き付けても通用しないと考えて、日本は自国の正義を世界に向けて発信していく努力をしていくべきです。

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    朴大統領、「慰安婦」間接的に日本牽制 対話モードも歴史認識変わらず

     韓国の朴槿恵大統領は24日の国連総会での演説で、「戦時の女性に対する性暴力」に言及した。「慰安婦」の表現は使わなかったものの「時代や場所を問わず、人権と人道主義に反する行為」と述べ、間接的に慰安婦問題で日本を牽制(けんせい)したかたちだ。 今回の演説はこれまでに比べ、対日批判のトーンを下げたとの見方も一部にはある。これについてソウルの外交筋は「世界の多くの国が一堂に会する場で『慰安婦問題』を直接的に語るのはふさわしくない、との判断があったのではないか」とみる。国連総会という注目が集まる場で見苦しさを見せず、「最大限に言い得た表現」(同筋)というわけだ。 朴大統領は8月15日の光復節(日本の朝鮮半島統治からの解放記念日)の演説で、日韓国交正常化50年となる来年が「両国の新たな出発の年」となるよう日本側に呼びかけた。同時に慰安婦問題の解決を訴えた。 韓国政府は今月になり、日本に対して対話姿勢を見せ始めており、国交正常化の節目の来年を見据える姿勢が背景にあるようだ。「対日関係が悪化したままではまずい」との声が、韓国政府や政界の一部で聞かれる。日韓両首脳が席を共にする11月の中国でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に向け、関係改善を進めたいとの思惑もあるようだ。 ただ一方では、慰安婦問題など「歴史認識」問題に対する韓国の基本姿勢は全く変わっていない。朴大統領は問題解決に向けて「日本の政治指導者の知恵と決断を期待する」と言い続けてきた。この立場では日本に譲歩はしない構えだ。国連での演説で、あらためてその姿勢を見せた。(ソウル・名村隆寛)

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    排外主義者が韓国店舗イジメる新大久保 地元民の複雑な胸中

     安倍晋三首相は未来の労働人口減少を見据え、移民受け入れ策の検討に入った。しかし移民の受け入れで避けて通れないのが、在日コリアンや在日中国人の問題だ。李明博・前韓国大統領が竹島に上陸した2012年以降は、大阪のコリアンタウン・鶴橋や新大久保でのデモがピークを迎えた。関西ローカル紙の記者が語る。 「昨年、鶴橋の在特会デモに参加した女子中学生が『鶴橋に住む在日クソチョンコの皆さん、いつまでも調子に乗っとったら、南京じゃなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ!』と叫んだのには開いた口がふさがりませんでした」 警察がデモの許可を出さなくなった新大久保では、今年に入りヘイトスピーチは鳴りを潜めている。だが、韓国ショップ店員たちの警戒心は解けず、記者が街の様子を撮影していると30代の韓国人女性に「アナタ、ナニ撮ッテル。ワタシ悪イコトシテル?」と詰め寄られる一幕もあった。「在特会メンバーは“お散歩”と称し、店頭の商品を蹴飛ばしながら街を練り歩いていた。そしてショップ店員らに『竹島はどこの国のものだ、答えろ!』と食ってかかり、相手がうろたえる姿を動画配信する。抗議ではなくただのイジメです」(ジャーナリストの安田浩一氏) そんな光景を見てきた地元民は複雑な胸の内を明かす。 「戦後から住み着いた在日韓国人とは仲良く暮らしていました。彼らは日本に溶け込もうとしていたし、国籍に関係なく仲間意識を持てた。でも、10年ほど前に入ってきたニューカマーに『郷に入っては郷に従え』は通用しない。商店街にある街灯の電気代の負担をお願いしたら、『うちの店の前には街灯がないじゃないか』と逆切れする。付き合いもないし、正直やりづらい」(商店街組合関係者) 新大久保に30年住む主婦も話す。 「狭い歩道に陳列棚を置いたり大音量で音楽を流したりして迷惑を被っています。でもトラブルが恐くて注意はできません。近所に建った一軒家には複数の韓国人が出入りしてまるで民宿状態です。誰が住んでいるか把握もできないから不安です」 そう話す地元住民もヘイトスピーチには冷ややかだ。 「苦々しい思いでデモを眺めていたら、その中の1人に『なんや、お前、朝鮮人か!』と因縁をつけられて嫌な思いをした」(60代男性) ※SAPIO 2014年6月号 ・新大久保の韓国学生との韓国語個人レッスン 参加費は300円 ・ネトウヨは変人が徒党組んでる、相手するのバカバカしいの指摘 ・新大久保の「会いに行ける」韓流アイドル・KINOに大行列 ・嫌韓デモ参加者「五輪開催で韓国人の横暴伝えるため頑張る」 ・嫌韓デモに抗議活動活発化 「日本も捨てたものじゃない」の声

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    多くの日本人が疑問に思うこと

     日本がいくら韓国に対して謝っても、彼らは、いつまでも謝罪や賠償の要求を繰り返します。そのことに対し、多くの日本人が疑問に思うとともに辟易としているのが現状ではないでしょうか。なぜ彼らは日本を許そうとしないのか、どうすれば彼らの要求が終わるのか? それを理解しないことには日韓友好も何もあった物ではありません。 日韓両国は1965年に締結された日韓基本条約の付随協約により、当時の国家予算の二倍強の協力金(日韓は戦争しておらず賠償義務がないため賠償金とは呼ばない)を日本が韓国に支払うことにより日韓両国間の請求権問題が「完全かつ最終的」に解決されたことを確認しています。本来であれば、その時点で両国の過去は清算され対等の付き合いを始めるべきなのですが、日韓それぞれの事情により、その後も日本は韓国に対して何度も謝罪や援助を繰り返してきました。それにもかかわらず、韓国は日本に対して、いつまでも謝罪と賠償を要求しています。そんな韓国という国が、我々日本人の目には理解不可能な国に映るのも当然と言えば当然でしょう。しかし、これは日本から韓国を見た感想であり一面的な物の見方でしかありません。では、反対に韓国から日本を見た場合はどうなのでしょうか。当たり前のことですが、彼らには彼らなりの理屈があります。そして、それを理解しないことには韓国人の日本に対する言動の本質は見えてきません。 その理屈を簡単に言うと「日本の植民地支配に起因する出来事は、すべて日本政府の責任であり、それに対して時効の概念はない」というものです。少し大げさに言えば、日韓併合時代に起こったことは、例え交通事故でも「日帝が道路を拡張したから事故が起こった」と言えば日本政府の責任になるということであり、しかもそれは永遠に請求できる権利であるということなのです。日本人からすれば「そんなアホな」という話ですが、韓国では裁判所も認める当たり前の話として通用しています。 ちなみに、日韓基本条約の交渉時に日本政府は未払い賃金等の個人債権は直接個人に対して保証すると提案しましたが、韓国側がそれを断った経緯があるので、条約締結後の個人補償義務は韓国政府にあります。しかし、韓国政府が意図的に自国民に条約の内容を知らせないでいたため、いまだに多くの韓国民が、その事実を認識していません。もう一つ付け加えれば、この時、韓国は朝鮮半島を代表する国家として北朝鮮の分も受け取っています。ですから百歩譲って日本が北朝鮮に協力金を支払う義務があるとしても、日朝の国交が開始された時点で支払い義務は日本にではなく韓国にあるのです。 なぜ韓国では、そう言った話がまかり通っているのかは、次回以降に説明していきます。