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    「慰安婦は誰が強制したのか」曖昧な英文記事、朝日のヘリクツ

    午前10時。都営地下鉄大江戸線の築地市場駅を出ると、巨大なレンガ色の建物が降りしきる雨に煙っていた。朝日新聞東京本社。都心の一等地にそびえる重厚なビルが、この新聞社が長年、日本の言論界に支配的な存在として君臨してきた歴史をしのばせる。雨をよけながら、ケント・ギルバート氏の到着を待つ。報道陣も集まり始めた。 「慰安婦強制連行・性奴隷説」を流布するかのような朝日新聞電子版に掲載された英文記事の修正をめぐり、ついに朝日新聞に直接申し入れる日が来たのである。一般の国民が気づかないところで、連綿と続く英文記事による「印象操作」でどれだけ国益を損ねたか、計り知れない。 1980年代から90年代にかけて、吉田清治の「つくり話」が信じられていたころ、朝日新聞が英語版で「性奴隷(Sex Slaves)」という言葉を躊躇(ちゅうちょ)なく使っていたことを私は知っている。国立国会図書館で、フィルム化された記事をリールでくるくると回しながら、当時何が世界に発信されたかを見て暗然とした。「11歳の小学生が日本軍の慰安婦にされた」という衝撃的な記事まであった。朝日新聞は吉田証言が虚偽だったと判明した後も、ずっと放置してきた。その間に「慰安婦=性奴隷」という固定概念が世界中にまき散らされ、浸透したのである。 2014年8月、とうとう吉田証言の虚偽を認めた後、朝日新聞は英語版でも性奴隷という言葉を使わなくなった。その代わりに使い始めたのが、次の表現だ。Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II.第二次大戦前、および大戦中に、日本兵に性行為を強制された慰安婦Comfort women is euphemism for women who were forced to provide sex to Imperial Japanese troops before and during the war. Many of the women came from the Korean Peninsula.慰安婦とは戦前および戦中に日本軍部隊に性行為を強制された女性たちの婉曲(えんきょく)表現である。女性たちの多くは朝鮮半島から来ていた。 慰安婦に関する記事であれば、これらのフレーズやセンテンスが文脈に全く関係なく、機械的に挿入される。たとえ、日本政府が国連で慰安婦の強制連行や性奴隷化を否定したことを伝える記事であってもだ。 今回、朝日新聞側でわれわれ「朝日新聞英語版の『慰安婦』印象操作中止を求める有志の会」に対応したのは、及川健太郎編集局ゼネラルマネジャー補佐、後田竜衛広報部長、河野修一広報部長代理の3人だった。大西達夫弁護士を加えたわれわれ3人は小さな応接室に通され、向かい合って座った。われわれは印象操作中止を求める1万411筆の署名を手渡し、努めて穏やかにこちらの論点を説明した。一方の朝日側も紳士的に対応していた。2018年7月、朝日新聞英語版の慰安婦記事に対する訂正などを求める署名と申し入れ書を提出するため、東京本社を訪れたケント・ギルバート氏(左)とAJCN代表の山岡鉄秀氏 しかし途中、ギルバート氏の語気がやや荒くなる局面があった。ギルバート氏は、受動態を使用して印象操作を狙う姑息(こそく)さを指摘していた。 「Were forced」と受動態で書かれているから、強制されたのは明らかである。しかし、「By XXX」という部分がないから、誰が強制したのか明示されていない。性奴隷や強制連行という言葉もどこにも書いていない。あぜんとさせられた朝日の回答 しかし、これまで日本軍による強制連行が散々流布されてきた事実や、日本兵に対して性行為を提供させられた、という文脈から判断して、読者は当然「日本軍が組織的に強制連行して性奴隷にした」と思い込んでしまう。実に姑息な印象操作の手法だとギルバート氏は憤る。 ここで肝心なことは、私のような英語を日常使用する日本人だけではなく、米国人で弁護士でもあるギルバート氏がそう断言した、という事実だ。もちろん、他にも多くのネイティブスピーカーが賛同している。この点は議論の余地がないと言っていい。 われわれは次の4点を申し入れた。1.今後、前記の表現(forced to provide sex)を使用しないこと2.吉田証言が虚偽であり、記事を撤回した事実を改めて英文で告知すること3.もし、前記表現が軍隊による物理的強制連行や性奴隷化を意味しないと主張するなら、具体的に、「性行為を強制された(forced to provide sex)」とは何を意味するのか明確に説明すること。4.今後慰安婦の説明的表現を追加するなら、comfort women who worked in brothels regulated by the military authoritiesなどの表現を使用すること。 われわれは、朝日が「forced to provide sex」という表現が、軍隊による物理的な強制を意味しないと強弁することを想定して、3番目の質問も加えた。われわれの主張を否定するならば、実際に何を意味しているのか明確に説明すべきである。後田広報部長の「重く受け止めて真摯(しんし)に回答する」という言葉を受けて、われわれは朝日新聞本社を後にした。 回答期限の7月23日。夕方になって後田広報部長名で朝日からの回答が届いた。その中身については朝日がウェブで公開した回答全文を見ていただくとして、私は上記3番目の質問への回答を見て唖然とした。「forced to provide sex」という表現について、英語ネイティブスピーカーが読めば、「軍隊による物理的な強制で性行為を強いられた」という印象を受けると指摘されていますが、当該表現は「意に反して性行為をさせられた」という意味です。 受動態で行為者を曖昧にするのは、公正ではないという指摘に対し、「意に反して性行為をさせられた」と受動態で答えている。これでは全く答えになっていない。「forced to provide sex」という表現を用いた2018年1月10日付の朝日新聞デジタル英語版の記事 「forced」と書いているのだから、意に反しているのは当たり前である。強制性を前提としながら、行為者を明示しないという無責任な行為を止めようとしない強い意志を感じる。 恐らく朝日は理由が何であれ、本人の意に反していたらそれはすなわち「強制」であり「性奴隷」である、と言いたいのだろう。いわゆる「広義の強制」というスタンスである。朝日に載った「終戦後秘話」 しかし、「広義の強制」という捉え方なら、強制した行為者もさまざまだ。昔は、前金をもらって子供を奉公に出す習慣があった。売春などの醜業もこれに含まれた。 その場合は貧困に強いられたと言える。また、そのような契約を結ぶ権利は親にしかなかったから、親に強いられたともいえる。娘が嫌がっても、人身売買を生業とする女衒(ぜげん)が強引に連れ去ったケースもあったそうだから、女衒も強制の行為者である。 朝日新聞の回答があまりにも曖昧であったため、われわれは追加質問をすることにした。この「強制の行為者」をめぐる問題に関しては次のように質問した。 Forced to provide sexという表現の意味は「意に反して性行為をさせられた」という意味だとのことですが、forcedと書けば、意に反していたのは当然で、この表現の読み手、とりわけ英語を母語とする読者の通常の言語感覚からすれば、たとえby XXXという受動態の構文における行為者の明示がなくとも、私どもが指摘している「軍隊による物理的な強制で性行為を強いられた」という印象と何ら変わりがありません。そこで改めてご質問いたします。御社が使用するforced to provide sexというフレーズにおいて、「女性の意に反して性行為をさせた」のは誰なのでしょうか?明確にお答え願います。 私の手元には国会図書館で見つけた一本の記事がある。昭和30年8月15日発行の朝日新聞朝刊だ。終戦10周年特集として東京本社で開催された座談会の記録である。タイトルは「終戦直後の苦心」「調達命令乱れ飛ぶ」とある。占領下で連合国軍総司令部(GHQ)の命令を受け、東奔西走した人々の苦労話披露会という趣だ。参加者は以下の通りである。田中栄一 内閣官房副長官与謝野光 東京都衛生局長福田赳夫 民主党衆議院議員曽禰 益 右社参議院議員大池 真 衆議院事務総長昭和30年8月15日の朝日新聞朝刊に掲載された終戦10周年特集の座談会 与謝野光は与謝野晶子の長男で、終戦時は東京都防疫課長だった。座談会で与謝野は次のように語っている。 9月の14、15日だったか、マックアーサー司令部から呼び出しがかかったので、行ってみると実は君を呼んだのはこういうわけだといって大きな東京の航空写真を出して、実は折いって頼むのだけれど兵隊のために女の人を世話してくれという。(笑)よく調べたものでそういう場所は地図にちゃんと点が打ってある。将校にはどこ、白人兵にはどこ、黒人兵にはどこがいいだろうか相談に乗ってくれという。将校はいいけれども、黒人兵には僕も弱った。後で恨まれるだろうと思って。(笑)仕方なしにある場所を考えたんだが……。そのとき性病でもうつされては困るから予防措置をやれといわれたが薬がないから責任が持ち切れないというと、よろしい、薬は必要なだけやろうといってダイヤジン、ペニシリンなどを幾らでも無料でくれて、こういう方式で検診治療をやれ、責任は都知事が持てといったから仕方なしに花柳界に診療所をつくって都の職員の手で検診治療をやった。わざと曖昧にする欺瞞 与謝野の別の手記によれば、この時、与謝野に依頼したのはGHQ軍医総監のウエブスター少将だった。慰安用に指定された場所というのは、将校用が向島、芳町、白山、白人兵士用が吉原、新宿、千住、黒人兵士用が亀戸、新小岩、玉の井だったという(『新潮45』1990年5月1日号、敗戦秘話・「占領軍慰安」防備録)。 この与謝野の発言を裏付ける公文書までは見つけられなかったが、当時の朝日新聞も裏取りはしていただろう。この場合、ほとんどの女性が意に反して米軍兵士の相手をさせられたと考えられるが、強制したのはGHQではないのか。 このように、広義の強制などという曖昧な定義をすれば、強制の行為者もまた多様になるのである。それにもかかわらず、「forced to provide sex」とだけ書けば、読者は狭義の強制、すなわち日本軍による強制連行を連想する。「広義の強制」などと言いながら、わざと行為者を曖昧にし「狭義の強制」としか受け取れない表現を繰り返し使うことは、誠に欺瞞(ぎまん)的と言わざるを得ない。 8月3日、われわれの追加質問に対する朝日新聞からの回答が再び届いた。冠省 今回いただいたご質問については、基本的には前回お送りした回答で意を尽くしていると考えております。 今後も、記事でどのような表現を使うかについては、国内外のさまざまな立場の意見や歴史研究の蓄積なども考慮しながら、個々の状況や文脈に応じてその都度、判断してまいりたいと考えています。草々 結局、朝日新聞は「強制の行為者」を明示することを拒否したのである。 そして、「今後は」ではなく「今後も」と書いているということは、これまでも「様々な要素を考慮し、その都度の判断でforced to provide sexを使用してきた」という意味にも読める。そうであれば、これからも「forced to provide sex」を使い続けるという宣言なのであろうか。朝日新聞東京本社の外観=産経新聞社チャーターヘリから(桐原正道撮影) これはもう「反社会的行為の域に達している」と考えるのは筆者だけであろうか。朝日新聞は「社会の敵(public enemy)」として生きることを決意したのだろうか。

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    「炎暑でも高校野球」朝日の二枚舌

    「運動部のみんな、熱中症『無理』『もうダメだ』の勇気を」。こんな見出しのコラムが朝日新聞に掲載され、ネットで炎上した。その理由は「炎暑でも高校野球」を主催する朝日の二枚舌にあった。「災害級」とも言われる猛暑の夏。誰がための高校野球なのか。

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    朝日新聞の皆さん、夏の甲子園「無理」「もうダメだ」の勇気を

    夏。気象庁の予報官も「命に危険を及ぼすレベル」「災害と認識」と述べるほどである。 こうした猛暑の中、朝日新聞社と日本高野連主催の全国高校野球選手権大会の地方大会が開かれており、地方大会を勝ち抜いた全国の代表校により8月5日から17日間の日程で甲子園において全国選手権大会が開催される。 「夏の高校野球」「夏の甲子園」は、季節の風物詩となっており、楽しみにしているファンも多いが、忘れてはならないのは夏の高校野球が「選手ファースト」となっているかという視点である。 猛暑の中での試合は果たして選手の健康管理の面でどうなのか、また、日程面でも準々決勝、準決勝、決勝と勝ち抜くと、4日間で3試合を行うことになり、選手を猛暑の中で体力的に極限状態に追い込んではいないだろうか。 朝日新聞は7月14日に編集委員の中小路徹氏が「運動部のみんな、熱中症『無理』『もうダメだ』の勇気を」と記事を書いておきながら、今も猛暑の中で大会を強行している。 この記事に批判が集まると、「地方大会の熱中症対策呼びかけ 朝日新聞社と日本高野連」との記事を7月19日に掲載し、地方大会を開催している各都道府県の高野連に対し「熱中症への注意を」と題した文書を配布したと伝えている。 その文書には、全国選手権大会での取り組みとして、「1日あたり14~18人の理学療法士が対応にあたっています。背番号入りのカップにスポーツドリンクと氷囊(ひょうのう)を用意。体温計や血圧計の備えもしています」と記されているが、果たしてこういうものが用意される中での大会が適切なのかという議論には、朝日新聞は全く立ち入らない。2018年7月、西東京大会3回戦、二回の守備を終えて、仲間から氷のうを当てられる明治の能登(山田俊介撮影) 私は過去、NHKのアナウンサーとして、地方大会や甲子園での実況を行ってきたが、暑さでフラフラになり、うずくまってしまったり打球が追えなくなったりした選手を何人も見てきた。朝日新聞は猛暑の中で大会を行うことで、選手がもし熱中症で倒れてしまい命の危険にさらされたらどうするか、という視点を持っているのだろうか。トーナメントは最適か 選手の健康を考えた場合、気温が著しく上がる昼前後には試合を行わず、朝と夕方の試合を中心としたり、試合間隔を十分に取ったりすることは可能であるはずだ。また、時期を猛暑期からずらすこともできるのではないか。 甲子園球場はプロ野球、阪神タイガースの本拠地であり、当然ながら日程調整も必要となるが、高校球児の健康管理と高校野球の発展のためにということであれば、何を優先すべきかは自明であろう。 そして、私は高校野球のトーナメント形式も再考すべきであると思う。一発勝負のトーナメントは勝負の厳しさにつながるわけだが、選手のことを考えた場合、果たしてそれは最適なのだろうか。 「一度負けたら終わり」のトーナメント戦では、どうしても「勝った負けた」の結果にこだわってしまう。甲子園で優勝したものの、勝利至上主義によって消耗し、大学では野球を続けることができなかった高校球児を実際に私は見ている。 高校野球は本来、子供たちが野球を通じて成長するために行うものではないのか。またスポーツとしても、選手が将来的にプロ野球などで継続して活躍できるように育成するための基盤を作るものではないのか。 私はNHK時代に16年間にわたって高校野球を取材し、現在も全国の監督やコーチとも親交があるが、トーナメント形式は一回の失敗が決定的な勝敗につながる場合があり、選手も指導者も失敗を恐れる傾向がある。 しかし、高校野球にとって本当に大切なことは、選手たちが失敗を恐れず思い切ってプレーし、指導者もそれを後押しできる環境をつくることではないのか。高校野球の真の発展のために重要なのは、主催者や運営側のそうした配慮であろう。2018年7月、猛暑のためナイター開催となった、全国高校野球選手権京都大会準々決勝第4試合の鳥羽―立命館宇治戦=京都市のわかさスタジアム京都 そうであるならば、サッカーのワールドカップ(W杯)のように、甲子園や地方大会においても、たとえ一度負けても、また次に向かって前進することができる「リーグ戦形式の大会」の方が望ましい、その上で、プレーオフや決勝トーナメントを実施すれば、球児らへの身体的、精神的負担も今よりは随分軽くなるだろう。  実際、アメリカでは高校野球の試合はリーグ戦が主体となっており、甲子園のような全国大会はないが、卒業後にメジャーリーガーとして飛躍する選手が数多く生まれている。極限で生じるドラマの「うまみ」 トーナメント方式は、負ければそこで全てが終わるために「一球のドラマ」が生まれることが多い。新聞紙面でもその点がよくクローズアップされるが、どうも無理して感動をつくり出す「演出」のように思えてならないことがある。 選手たちが試合で伸び伸びと最大限の力を発揮できる中で「一球のドラマ」が生まれるのであれば素晴らしいことだと思うが、猛暑の中で体を酷使し、どんなにつらくても踏ん張らなくてはならない極限の疲労状態の中で生まれる「一球のドラマ」は手放しで称賛されるべきなのか。選手が本来の力も出せない中でのドラマは、感動よりもむしろ「選手がかわいそう」という感情の方が先立つはずである。 しかし、朝日新聞がこうした「演出」から脱却できないのは、極限で生じるドラマが、新聞の売り上げにつながるからであろう。 朝日新聞は、全国高校野球選手権大会を主催し、地方大会から紙面で大々的に生じることで、販売促進につなげている。そして、猛暑下の大会の抜本的な改革に乗り出さないのは、「一球のドラマ」が生まれやすくなる状況をつくるためではないのか。邪推かもしれないが、そう勘繰りたくもなる 果たして、それは高校球児のためになっているのか。「朝日の商業主義」が高校球児をすり減らせ、もし彼らの将来を潰しているのだとしたら、朝日新聞は抜本的に全国高校野球選手権大会の在り方を見直すべきだろう。 甲子園は、高校球児にとって今も夢であり、目標である。しかし、もしこの先、夏の甲子園が形を変えたり、なくなったりしても、野球というスポーツの高みを追い求めることはできる。夏の甲子園を目指す選手が将来、より高い舞台で活躍することを願うのであれば、高校時代に極限の猛暑下で身体を酷使することが選手のためになるとは思えない。2017年8月、閉会式で、朝日新聞社の渡辺雅隆社長(左)から優勝旗を受け取る花咲徳栄の千丸剛主将=甲子園球場(代表撮影) 高校球児にとって何が重要なのか。甲子園での全国大会を健全に発展させたいのであれば、朝日新聞は新聞を売ることだけを目的にするのでなく、真に高校球児にとって何が良いのかを考え、猛暑の中での開催を根本から見直すべきではないだろうか。 もし朝日新聞が抜本的な改革に踏み出せないのであれば、「高校球児を酷使する新聞」として非難の声が高まっていくことは自明の理である。

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    朝日新聞は「夏の甲子園有害論」にそろそろ耳を傾けよ

    日から、準々決勝翌日に設定された休養日1日を含む17日間(雨天順延除く)で開催される。大会を主催する朝日新聞社と日本高野連は、今年で100回目を迎える本大会を記念大会と位置付け、さまざまなイベントを行っている。 朝日新聞社は、夏本番を前に「スポーツと熱中症」と題したシンポジウムを5月に開催した。シンポジウムでは、日本高野連の八田英二会長が「甲子園では今年から延長13回以降はタイブレーク制を導入した。熱中症が起こらない高校野球を目指していきたい」と述べているが、ファン視点の無さが米国との違いを感じざるを得ない。シンポジウムの記事下にあるポカリスエットの広告も、もどかしく感じてしまうのは筆者だけであろうか。 そもそも夏の甲子園は、1915(大正4)年に「全国中等学校優勝野球大会」として、大阪朝日新聞社の主催で始まった。当初は豊中球場で開催されていたが、観衆増加によって手狭になったため、第3回大会から阪神電鉄が所有する鳴尾総合運動場野球場へ移行する。阪神甲子園球場の外観=2014年8月(志儀駒貴撮影) これにより阪神電鉄は全国的規模の野球大会の球場を提供する機会を獲得し、その後も阪神甲子園球場の建設とともに、プロ球団経営にも参画することになる。そして、甲子園球場の完成とともに新たに鉄道が敷設されるなど、同社のマーケティング戦略の一翼を担うことになる。現在も、大会期間中の電車利用者もさることながら、NHKによる期間中の全国完全生放送が球場内広告のセールスに大きく寄与しているという。有害論の朝日「転向」のワケ 一方で、東京朝日新聞は1911(明治44)年8月から、新渡戸稲造らの有識者による「野球と其(その)害毒」を22回にわたって連載し、「野球有害論争」を展開していた。にもかかわらず、4年後には全国中等学校優勝野球大会の主催社になっている。 この不条理について、朝日新聞社は「有害論」から一歩進んで、新聞が「よき鞭撻(べんたつ)者」「よき監視者」「よき指導者」として、実際その浄化に努めるために当大会を主催したという。 こうして、夏の甲子園は「わが社ものスポーツイベント」のはしりとして現在に至る。その後も強烈な企業競争の中で、営利組織としての新聞社は当時人気のあったスポーツコンテンツの囲い込みとそのニュースソースの確保に奔走する。 メディアが商品化したスポーツ(メディアスポーツ)は、わが国のスポーツスポンサーシップの特徴でもあり、本来のスポーツビジネスの発展を大きく阻害することになったのである。 果たして、わが国では、スポーツが社会の中で社会的な役割を十分果たしているだろうか。16歳の日本の野球少年が挑戦するMLBでは、毎年春にダイバーシティビジネスサミットが開催される。そこでうたわれたメッセージは「野球は社会改革の土台となる(Baseball is a platform of social change.)」であった。 つまり、ベースボールを通じてさまざまな社会的課題を解決していかなければならないというスポーツの役割と価値を明確に示すMLBの宣言でもある。2015年8月、「夏の甲子園」生みの親で、朝日新聞社の創業者、村山龍平の野球殿堂入りを記念した品を受け取る同社の飯田真也会長(右)=代表撮影 「よき鞭撻者」「よき監視者」「よき指導者」を目的に開催された夏の甲子園が、スポーツの大衆化と教育化を果たしてきたことは間違いない。しかし、メディアが主催社として位置付けられる限り、メディアスポーツを発展させるだけで、本来のスポーツが持つ社会的役割が果たされることはないだろう。 元高校球児を起用した系列局のバラエティー番組では、高校野球部の出来事を面白おかしく話題にしている。そのことが野球はおろか、スポーツの価値も下げていることをそろそろ自覚すべきではないだろうか。この猛暑がこれまでの歴史を変革させる契機になることを願うばかりである。

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    夏の高校野球「朝日の熱中症対策」医師の私が言葉を失った理由

    いるだろう。真夏のスポーツの在り方が変わりつつある。 全国高校野球選手権を主催する日本高校野球連盟と朝日新聞社も対応に余念がない。7月19日に各都道府県の高野連に対し、熱中症対策に万全を期すように呼び掛けた。 全国選手権では、スポーツドリンクや氷囊(ひょうのう)も準備するそうだ。1日あたり14-8人の理学療法士を待機させ、全身状態もチェックするらしい。朝日新聞は7月19日の記事で、彼らの取り組みを大きく報じている。 朝日新聞の真意は分からないが、私はこの記事を読んで唖然(あぜん)とした。選手を守ろうという点で、滋賀県や京都府の高野連の対応と全く異なるからだ。捕手の防具は仲間が着け、当人は水分補給=2018年6月2日(岩崎吉昭撮影) もちろん、氷嚢(ひょうのう)やスポーツドリンクを用意すること、メディカルスタッフを待機させることが悪いとは言わない。ただ、そんなことをしても、熱中症を予防するのは限界がある。もっとも有効なのは、滋賀県や京都府の高野連がやったように、炎天下での試合を避けることだ。具体的には午前の試合開始を早め、午後は夕方からに遅らせることだ。おそらく、朝日新聞にはテレビ放送など大人の都合があるのだろう。 今年で100回目を迎える夏の全国高校野球選手権大会は、わが国を代表する国民的行事だ。この大会を通じ、毎年スターが誕生し、そこからプロ野球やメジャーリーグで活躍する人物が生まれる。この大会は、わが国の野球を支える「ふ卵器」のような存在だ。この大会がなくなれば、わが国の野球は衰退するだろう。 地球温暖化が進み、猛暑が常態化した日本で、夏の全国高校野球選手権大会はどうすれば続けていけるだろう。今こそ、球児の健康を第一に考え、その在り方を問い直すべきだ。

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    「炎暑の甲子園」に目をつぶる朝日の矛盾はメディアの自殺である

    5日午前、大阪府吹田市の万博球場(岡田茂撮影) 炎天下で行う試合そのものもさることながら、主催者たる朝日新聞が熱中症の危険を紙面で喚起しつつ、その一方で夏の甲子園を開催するという神経が、私には信じられないのである。 たとえて言えば、熱心に街の美化を主張する人間が、鼻紙をポイ捨てするのと同じではないのか。言行の一致せざることを世間では「口舌の徒」と呼ぶ。 「ためらうことなく冷房を入れてください」という呼びかけがテレビで流れるたびに、「電気代はただじゃないわよ」と、カミさんは主婦感覚で口をとがらせていた。「冷房を入れろ、電気代は自分持ち」と言われたのでは、余計なお世話と腹立たしくもなるだろう。 ところが九州電力は熱中症予防のため、高齢世帯の電気料金割り引きに踏み切った。「猛暑が続く中で、迅速に対応したいと導入した。冷房や扇風機を積極的に使っていただき、熱中症を予防してもらいたい」とコメントしており、これを「言行一致」と言う。朝日新聞がまた「言行不一致」? それに引き替え、朝日新聞はどうだ。「モリカケ問題」では、重箱の隅にまで目を光らせた同紙が、もし「言行不一致」を承知で、自社が主催する「炎天下の甲子園」に目をつぶるとしたら、メディアとして自殺行為と言っていいだろう。 新聞社も企業だ。利益を出さなければ存続はできない。だから夏の甲子園が朝日新聞にとって営業政策上、大きな意味を持つのはわかる。 しかし、どんな営業政策を講じようとも、新聞にとっての生命線は「読者の信頼」である。「読者の信頼」こそが企業を発展させ、オピニオンリーダーとして影響力を発揮する。 言い換えれば、「言行不一致」こそ最大のリスクとなり、このことを考えれば、おのずと処し方は決まってくる。 夏期に開催するのは、長期休暇となる夏休みということもあるのだろうが、どんな理由があるにせよ、「命にかかわる危険な暑さ」の中で大会をやっていいはずがない。これが大前提である。 炎天下でプレーすることの危険性については、日本高野連も認識しているようだ。昨年5月、当の朝日新聞は「スポーツと熱中症」と題したシンポジウムを開催したが、基調講演した日本高野連の八田英二会長は、こう述べている。 「夏の大会については確かに、こんな暑い中で子供にスポーツをさせていいのかという厳しいご批判はいただいております。しかし、注意深く対策を立てながら運営すれば、安全に開催することはできると信じています」あいさつする日本高野連の八田英二会長=2018年6月27日、兵庫県西宮市の甲子園球場(共同) 厳しい批判を受けながら、なぜ「炎天下」の開催にこだわるのか私には理解できない。朝日新聞主催のシンポジウムということで、忖度(そんたく)しての発言ではないかと勘ぐりたくもなるだろう。人命に優先する大義など、あるわけがないのだ。 夏の甲子園は今大会で100回目という大きな節目を迎える。「暑さの質」が変わったとされる時代に、主催者の朝日新聞はこれからどう対処するのか。あってはならないことだが、熱中症で人命にかかわる事故が開催中に起きたら、誰が責任を取るのか。 朝日新聞がこのまま「炎天下の甲子園」に目をつぶって開催を継続するなら、熱中症対策を喚起する報道姿勢は欺瞞(ぎまん)と言われても仕方あるまい。

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    突出した朝日新聞のモリカケ報道「1172行」が意味するもの

    た。新聞による報道姿勢の違いがあまりに鮮明だったからだ。 突出した報道でネット上でも問題になったのが朝日新聞だ。安倍晋三首相も朝日新聞の突出ぶりを指摘した。10月8日に行われた党首討論会で、朝日新聞を名指しして、加戸守行・前愛媛県知事の証言について「次の日には全く(報道)していない」と指摘、「胸を張って(報道)しているといえますか」「国民はよくファクトチェックをしてほしい」と、わざわざ「ファクトチェック」という言葉を使って語気を強めた。 「全く」というのは言い過ぎた部分があったにせよ、前川氏の発言が大きく扱われ、加戸氏の発言を小さく扱っていたのは事実だ。「不偏不党」を標榜する朝日 朝日新聞が、森友・加計問題に執心していたことは、10月26日付の産経新聞「森友・加計問題 朝日は執念の断トツ1172行も…投票で重視は有権者8%」で明らかにされている。産経新聞による「ファクトチェック」だ。 産経新聞によれば、10月11日付~22日付の朝刊で、森友・加計問題に関する衆院選の記事は、毎日新聞が483行(1・2ページ分)、日本経済新聞が378行(0・6ページ分)、読売新聞が48行(0・1ページ分)だったのに対し、朝日新聞は1172行(2・2ページ分)と突出していた。 一方で、産経新聞はNHKが投開票日の22日に実施し、27万3千人以上が回答した出口調査で、森友・加計問題を投票で重視したとの回答は8%で、最も高かった「消費税率の引き上げへの対応」(29%)の約4分の1にとどまっていたことも指摘している。 読者が「これは反安倍のエンドースメントなんだ」と納得して朝日新聞の記事を読んでいれば、それはそれでいいだろう。記事に一定の方向性を盛り込むことを「角度をつける」というが、「角度をつけています」と言わずに、「公正中立」「不偏不党」を標榜しながら角度がついているというのは、メディアの矩(のり)を超えた情報操作のそしりをまぬかれまい。 もっとも、朝日新聞は角度をつけた世紀のフェイクニュース、いわゆる従軍慰安婦問題の「前科」があり、今日に至るまで国益を損なうような大誤報で「誤報ではないか」とずっと指摘され続けながら、そのファクトチェックを怠り、慰安婦問題は日韓関係の「トゲ」となって、歴代政権のくびきとなっている。それが狙いだったとしたならば、狙い通りなのかもしれないが、世界に対して「慰安婦の自社の報道をファクトチェックしたところ、虚偽でした」と、韓国のプロパガンダ攻勢で半ば歴史的事実にされようとしている慰安婦問題を、当事者として火消しに回るのが筋だろう。特集「慰安婦問題を考える」を2014年8月5、6両日付の朝刊に掲載した朝日新聞 メディアには権力を監視する機能も期待されているが、「エンドースメント」と「ストレートニュース」を分離しない、ということであれば、メディア同士で「角度がついた報道」をクロスチェックするしかないだろう。 「フェイクニュース」も「ファクトチェック」も、「権威を装ったニセモノ」と見透かされて、政治のはやり物として消え去っていくかもしれないが、政治家もメディアも「信頼」というもっとも大事な財産を失わないように、有権者は自戒を求め続けるしかあるまい。

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    朝日新聞と嘘ニュース

    先の総選挙が終わってはや一カ月。政権与党に対する朝日新聞の論調は相変わらずである。「数におごることなかれ」「謙虚というなら行動で」…。安倍憎しがウリとはいえ、選挙の民意をこうまで否定されると、さすがに「嘘ニュースでは?」と疑念を持つ人もいるのではないでしょうか?

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    「そんなもんスよ、日本なんて」あの朝日社説に感じた異質な疑問

    渡辺龍太(フリーニュースディレクター) 朝日新聞が慰安婦記事の誤報を認めてから、世間の朝日新聞に対する監視の目は厳しくなっています。それにも関わらず、朝日新聞は「記事に角度をつける」という演出をやめません。実際、多くの人によって朝日新聞の記事がファクトチェックされ、印象操作ではないかと指摘される事が、今も頻繁にあります。やはり、戦前から脈々と伝わる、事実を自社の主張に合わせてねじ曲げる記事の演出テクニックは今も健在なようです。それに加え、最近、あえてファクトチェックできないようなスタイルで書いたのではないかと感じさせられる異質な社説が、11月5日に掲載されていました。朝日新聞東京本社=東京・築地(産経新聞チャーターヘリから、桐原正道撮影) 問題の社説は、「政治の可能性 『そんなもん』を超えて」というタイトルです。 そこから、すでに曖昧でポエム調な雰囲気を醸し出していて、一流新聞の社説として違和感を覚えます。内容は学生らが民主主義などについて語る「Bottom Up Democracy」というイベントを見てきた朝日の記者が、記憶に基づいて感じた事だけを書いたエッセーです。 この社説は冒頭で、このイベントについて、次のように説明していました。 呼びかけ人に名を連ねたのは、2年前、安全保障法制への反対運動を展開した元SEALDs(シールズ)のメンバーや弁護士ら。高校生や大学生が次々と脚立にのぼり、民主主義や選挙についてそれぞれの思いを語る。投票に行こうと呼びかける。 この文章を読んだら、その後に続く内容が、「(左寄りの)若者が語る民主主義や選挙の大切さ」という内容なのだろうと感じる人がほとんどだと思います。しかし、そうではありません。この後に登場するのは、このイベントに登壇する立憲民主党の政治家たちのスピーチと、それを聞く若者たちの様子が書かれています。 普段、新聞を一字一句のレベルで精読している人は少数派です。多くの人は、流し読みに近い形で、テンポよく読んでいるはずです。そうなると、おそらく多くの人は、この文章を冒頭のイベント内容の説明の先入観から、政治に声を上げる若者たちの姿が書かれているのだろうと思いながら読んでいるだろうと推測できます。そのため、どれが政党の主張で、どれが若者の声なのか、読者に誤解を与える可能性のある文章の作りだと私には感じられました。誤解が生じないようにするには、引用した文章の最後に、記者としては、特に立憲民主党の政治家の話を聞く若者が印象に残ったという事を書くべきだと思いました。記者が勝手に推測した部分 では、立憲民主党の政治家の話を聞く若者について、書かれている部分も引用します。 主役はみなさん 結党1週間、立憲民主党の枝野幸男代表もマイクを持った。 草の根から声をあげていく、本当の民主主義をつくりましょう、主役はみなさんです――。 何事かと立ち止まる人。顔をしかめて通り過ぎる人。会場に背を向けて横断歩道の両端に立ち、渡ってくる人を見据えている若い男性2人組はおそらく、スカウトマン。派手めの女性にだけススッと近寄り、声をかけている。 ○○さん。後輩スカウトマンがふいに、先輩の名を呼んだ。「あいつ『主役はみなさん』とか言いながら、俺らのこと『草の根』ってディスりましたよ」 へえ。聞いていたのか。「草」「根」の語感から、下に見られたように感じたのだろう。「そんなもんスよ、日本なんて」 後輩の憤怒を受け流していた先輩は、枝野氏に続き脚立に乗った同党の福山哲郎幹事長が「まだ働かれているみなさんも、この大きなうねりにおつきあいを」と呼びかけると心なしかうれしそうな表情を見せた。 後輩よりも仕事熱心、声をかけ、無視され、肩でため息をつきつつ定位置に戻る先輩の右手にはなぜか、最低賃金1500円への引き上げを求めるグループが配っていたパンフレット「働き方改革のひみつ」がずっと、握られていた。 どんな言葉なら、彼らに届くのだろう。果たして政治は、そんな言葉を持っているか。いや、それ以前に、彼らのことがちゃんと見えているだろうか。 この文章に書かれている男性2人の情報を、整理してみましょう。まずは、事実と確定できる部分を見ていきます。記者が本人に確認したわけではありませんが、2人の行動から職業はスカウトマンと言えるでしょう。後輩らしき人物は、「草の根」という単語が分からない学力で、日本の政治家には失望しているような発言をしていました。先輩らしき人物は、後輩よりも仕事熱心な人物で、手には働き方改革のパンフレットが握られていました。 こうやって、事実だけに注目してみると、あまり政治色が強くない、よくいる歌舞伎町の若者のように見えなくもありません。例えば、街を歩いていると、必ずしも、自分の興味のあるパンフレットだけを受け取るわけではありません。絶妙なタイミングで渡されたら、思わず手にとって、しばらく、持ったままになってしまう事もよくあるはずです。 次に、記者が勝手に推測した事を見ていきましょう。後輩は草の根という言葉の語感から、政治家から下に見られたように感じて怒っているのではないかと推測しています。そして、先輩は立憲民主党の福山幹事長のスピーチに対して、うれしそうな表情を見せたと記者は主観で書いています。この文章から、記者は先輩が、立憲民主党に対して、何らかの希望を抱いているのではないかと推測しています。記者はなぜ取材しなかった? この記者の推測を事実に加えると、男性2人は、非常に政治に興味があるようにしか見えなくなります。それだけでなく、スカウトマンという職業の2人が、学力や収入が少ない「弱者」という立場に置かれている人たちに見えてきます。その結果、その弱者の若者が、現状の政治(自民党政治)に不満を持ち、立憲民主党に期待しているように見えてきます。 確かに、この社説は、記者が見て感じた事を書いただけの文章ですから、一般の記事のようにファクトの根拠が正確に求められる事はありません。しかし、積極的に意見を述べてはいない若者が、イベントの概要説明の冒頭部分からの文章構成と記者の推測により、明確な意見を持っているように読者に見せていることには問題があります。100歩譲って文章構成は偶然だとしても、記者の臆測を文章から排除したければ、スカウトマンと思われる2人組に記者が話を聞いて取材すればよかっただけです。(画像:iStock)  それをしなかったのには、ファクトチェックのしようがない状態を保ちつつ、「立憲民主党が、スカウトマンの若者に希望を託されている」という記事を書きたかっただけのように思えます。そうすれば、立憲民主党の支持者が多そうな読者に意外性とうれしさなどを感じさせる事ができ、記事の反応が良い事が容易に想像でき、動機も明快に見えてしまいます。 そうやって、記者に対する信頼を無くした上で、改めて社説を読み返すと、スカウトマンの2人の会話も実際に起こった出来事なのか疑問に感じられてしまいます。なぜなら、「俺らのこと『草の根』ってディスりましたよ」と言う後輩は、「草の根=俺ら」という事を理解する国語力があるわけです。その能力がある人が、草の根の意味が分からないという事があるでしょうか。草の根の意味が分からない人は、「草の根から声をあげていく」という言葉を聞いても、それが「俺ら」である事も分からないのが自然なのではないでしょうか。 また、スカウトマンが、あたかも最低時給が1500円に上昇する事に興味があるような雰囲気で文章が書かれていますが、非常に強い違和感を覚えます。なぜなら、スカウトマンという職業は、一獲千金を夢見て、稼ぎたいような若者がする職業だと思われるからです。普通のアルバイトよりも稼ぎたいとスカウトマンになる若者が、飲食やコンビニのアルバイトスタッフのように、最低時給に興味があるのでしょうか。大いに疑問です。 さて、この記事は、ツイッターで有田芳生議員がコメントするように、朝日新聞のコアなファンには非常に受けが良い文章のようです。(社説)政治の可能性 「そんなもん」を超えて:朝日新聞http://www.asahi.com/articles/DA3S13214074.html … 読みごたえがある政治家必読の論説です。路上の声をよく聞き取っているこの社説子は「きっとあの記者だろう」と推測してしまいました。とてもユニークです。 (有田芳生氏ツイッターより) 私は、これに対しても、非常に強い違和感を覚えました。それは、私は放送作家やニュース番組のディレクターとして取材をしてきましたが、ここまで絵に描いたように、記事的に都合の良い事は、なかなか起こらないからです。表情を記者が「憶測」で解釈 その観点から見ると、特に、この記事に登場するのが、一般的な若者でなく、政治に興味を持つだけで意外性のあるスカウトマンというのが、非常に出来すぎている気がします。しかも、今の20、30代は自民党支持者が多く、立憲民主党は割と高齢な人に支持されているのに、そのスカウトマンが立憲民主党に期待しているのです。このように、2重に意外な事が実際に起きたとは私には思えません。ですから、スカウトマンの「草の根と俺らの事をディスられた」という会話を、記者が本当に聞いたのか、私の感性では、どうしても疑いたくなってしまいます。 こうやって書くと、私こそ朝日新聞に憶測でイチャモンを付けていると感じる人もいるかもしれません、しかし、朝日には記事に角度をつけて演出してきた歴史があるので、私は正当な指摘をしていると思っています。 例えば、過去には慰安婦の記事だけでなく、朝日新聞のカメラマンが、自分の書きたい事が、都合よく起きないために、サンゴに自ら落書きをして、それを記事にした事件があった事もありました。福島市内での第一声で地元住民が握ったおにぎりを食べる自民党の安倍晋三首相=2017年10月10日、福島市佐原(松本健吾撮影) そういった過去の出来事に加えて、最近も、朝日新聞の印象操作ではないかと指摘された記事は、多々あります。例えば、福島産のおにぎりを食べる安倍総理の表情がこわばっていたという記事があります。実際に、総理がおにぎりを食べている映像を見ると、決して、こわばっていたようには見えません。偶然なのか、同じ手法で書いたのかわかりませんが、今回の社説にもスカウトマンの表情を記者が憶測で解釈する部分もありますし、非常に角度の付いている文章と感じられると言われても仕方ないと思います。 朝日新聞が慰安婦報道の誤報を認めて以来、数多くの人が、朝日新聞のファクトチェックを行なっています。ですが、もう、それだけでは十分で無いように感じます。 今回のような、ファクトの確認できない記事にも、なぜファクトが明示できない記事を新聞が書くのかと追求するべきです。そうしなければ、記者が頭の中で、あらゆる事を創作して書いたにも関わらず、ファクトチェックすらされない記事が世の中に流通してしまいます。その結果、事実では無い事を、事実だと思ってしまう国民が大量発生してしまうでしょう。以後、再びポエムだかエッセイだかよく分からない、ファクトが曖昧な記事が、朝日新聞に登場しない事を心から期待したいです。

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    朝日新聞に問う「国民の意思」はアンチ安倍しか認めないのか

    憲法にのっとった政権選択のプロセスに対して、これを尊重する必要がないという執拗(しつよう)な攻撃が、朝日新聞を代表とする「自称リベラル勢力」から繰り返されたことである。 選挙の前には「解散して国民の判断を求めることは大義がない」といい、選挙が始まったら「たとえ、与党勢力が過半数を取っても、現在の議席より減ったら辞めるべきだ」と批判した。ところが、自公が公選前の議席数を確保すると「議席数だけで結果を論じるべきでない」「得票率は過半数を割っている」「棄権も含めれば国民の4分の1くらいにしか支持されていない」と主張しはじめた。2017年11月1日、特別国会が召集され、開かれた衆院本会議 さらに、公職選挙法で禁じられている選挙活動への妨害行為を正当化し、しかも、それを針小棒大に「国民の声」として報道した。これは、もはや憲法にのっとった民主主義のプロセスを愚弄(ぐろう)し、その正当性を否定する暴挙であり、ナチスやボリシェビキのやり口にたとえられるべきものだ。  「立憲主義」という言葉は、英語では Constitutionalism、フランス語でConstitutionnalismeというが、それほどメジャーな言葉ではないし、その内容を明確に定義できるものではない。だいたい、英国では成文法としての憲法がいまだにないのである。ただ、憲法やそれに類する基本的な法原則を権力行使の前提として尊重すべきだという考え方だ。 その意味では、選挙で政府を選ぶということを前提にしているわけですらない。むしろ、政府は国家元首が指名し、それに対して議会が必要な立法権や予算のチェック機能をもつという意味合いだ。実際、現在でも欧州諸国では、国王や大統領が首相を指名して、政党色がない実務内閣が成立することもときどきある。 ただ、日本では明治時代、王政復古の大号令で天皇とその権威によって指名された取り巻きが立法や行政を動かしていたのに対して、憲法を制定して議会を設置すべきという自由民権運動が興り、その結果として、当時の欧州の政治思想に沿ったかたちで、大日本帝国憲法が制定された。帝国憲法では、内閣が議会での多数政党に基盤を置くことは当然の前提とはされていなかったが、実際に制度を運用していくうちに、そうしないと制度が機能しないことが明らかになった。そこで、大正2年に桂太郎内閣、13年に清浦奎吾内閣といういずれも政党に基盤を置かない超然内閣に対して、2度の護憲運動が起こり、議会の多数党を基盤とする政府を原則とするという考え方が確立された。民主主義のプロセスを破壊しようとしたメディア そして、日本国憲法では、議院内閣制が採用されて、衆議院の指名で首相が選ばれるようになった。その意味で、立憲主義とは総選挙で首相を決めるということをもって、その基本としているわけである。 現行憲法の下で、各政党は通常、首相候補を明示して総選挙を戦っている。その意味で、今回の総選挙で希望の党が明示しなかったことは非常に疑問があったのだが、少なくとも、自公は安倍晋三首相が与党過半数なら続投と明言したのだから、そういう結果が出た場合に、首相続投以外の選択をすることは立憲主義のプロセスを否定するものにほかならなかった。 さらに、過半数を割った場合でも、首班を誰にするか各党で話し合いが行われるのが普通だが、最優先の候補は第一勢力の代表だ。第一党といわないのは、自公のように連立を組んでいる、あるいは、連立を組むと明言している場合は、ワンセットとして扱うべきだからだ。例えば、ドイツでキリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)はワンセットとして扱われている。 英国のメイ首相も6月の総選挙で保守党が過半数割れしたが、小地域政党の協力を得て続投しているし、スペインのラホイ首相も2回連続で過半数割れしているが同じく引き続き政権を担っている。英国議会の議事堂、ウェストミンスター宮殿(iStock) もちろん、自民党内の問題としては、自公で過半数割れすれば、勝敗ラインをそこに置いたがゆえに退陣論が出ることはあるだろうし、勝敗論として国民にそれを明示しているがゆえに、退陣することが国民への背信とはいえないというだけのことだ。こんなことも分からないなら、民主主義を論じる資格はない。 しかし、朝日新聞やそれと同傾向にあるマスメディアは、この民主主義のプロセスを破壊することに全力を挙げたのである。 特に、10月8日の日本記者クラブ主催の党首討論とそれを巡る報道はひどかった。ともかく行司のはずの司会進行役が、自らまわしを締めて戦う気全開だったからだ。その1人である毎日新聞の倉重篤郎氏は、自らこんなことを書いている。 日本記者クラブの企画委員という仕事をこの数年やらせていただいている。 同クラブで記者会見をしていただく方々のコーディネート役である。政治担当なので国政選挙や自民党総裁選のクラブ主催の討論会の際には、代表質問役の一人を仰せつかる。 重要な仕事だと思っている。国民が聞きたいことに質問の矢を絞る。何らかのニュースを引き出す。ことの本質にできるだけ迫る。毎回そういう思いで、やってきたつもりであるが、いつも終わった後で、あの時こう聞けばよかった、という後悔の嵐である。 10月8日の衆院選党首討論会もまた然(しか)り。私からしてみると大義のかけらもない安倍晋三首相によるこの解散政局に対し、その非道さの本質を突く質問ができたか。安倍氏から十分な答弁が得られたか。改めて自らに問うてみた。2017年10月17日「サンデー毎日」質問のなかに価値観を入れた この討論会で、倉重氏は「総理の友人が優遇されたことについて」と首相の答えを遮ってしつこく回答を求めた。加計学園は優遇されたのではないかという指摘があり、その有無が論争の種なのに、優遇されたということを前提にして、責任を取るかどうかの質問をするのは全共闘のつるし上げでもあるまいし、むちゃくちゃだった。私も敬愛していた立派なジャーナリストだったが、どうしたのだろうか。もはや、東京新聞のM氏並みといえばM氏に失礼かと思ったほどだ。2017年10月、党首討論会で討論する自民党の安倍晋三首相(左)と希望の党の小池百合子代表=日本記者クラブ(宮崎瑞穂撮影) さらに、倉重氏は「この解散は安倍さんの、安倍さんのための、安倍さんによる選挙だといわれている」とか、「50議席以上減っても居座るか」と尋ねていたが、質問のなかに価値観を入れてしまったら記者がプレーヤーになってしまう。「居座るか」でなく「退陣される可能性はないのか」と言うべきだろう。このような討論会が二度とあってはならないし、きちんとルールをつくるべきだと思った。 しかし、このようなアウェーで不公正な場でも安倍首相は冷静に対処した。その結果、朝日新聞デジタルは次のように報じていた。 (解説)勝敗ラインは・・・自公で「過半数」? 選挙につきものなのが、「勝敗ライン」。今回の衆院選では、定数465議席を各党がどう分けるかで、その後の政治情勢が大きく左右されます。 安倍晋三首相(自民党総裁)は党首討論で「政権選択選挙だ。過半数を維持すれば政権を継続する」と述べ、自民、公明両党で過半数(233議席)を得れば、引き続き政権を担えるとの認識を示しました。ただ、9月28日の解散時、自公はあわせて323議席ありました。自公で過半数というラインはあまりに低い、という印象です。 討論で記者は「(自民党が)50議席減なら(首相の)退陣論がある」と指摘し、現実的な勝敗ラインを引き出そうとしましたが、安倍首相はラインを引き上げることはしませんでした。 自公で憲法改正を発議するために必要なのは、定数の3分の2にあたる310議席。13議席減というラインです。また、自公あわせて63議席減だと、衆院で17ある常任委員長ポストを自公で独占したうえで委員の数でも過半数をおさえる「絶対安定多数」を割り込みます。そのほかにも、自公あわせて244議席という、「安定多数」というラインもあります。 こうした様々なラインのどこに落ち着くのか。安倍首相の去就、政権の安定、政権交代――。あらゆる選択肢が、こうした数字によって起こりえるのです。衆院選2017「衆院選 討論会」(2017年10月8日)「石破擁立」で与党分裂の不見識 あらゆる挑発に乗らずに、「自公で過半数」と言い切ったのだから、これで、自公が過半数を得たにもかかわらず、安倍首相が退陣したら公約違反ということになったとみるのが、普通の見方だ。 さらに、本当は「過半数を取ったらいうまでもなく続投します。また、過半数は取れなかったとしても、ほかに過半数を得た政党や連立を組むということで政策協定を結んでいる政党連合があれば、退陣せざるを得ません。しかし、そうでないならできる限り続投すべく努力をしたい。特に、自公合わせて比較第一勢力であれば、まず優先して連立や閣外協力をどこかいただけないか努力するのが筋だと思います」と言ってほしかったくらいだ。  アンチ安倍勢力のなかには、自公が過半数を得ても僅差なら、石破茂元幹事長を首相候補として担いで与党分裂を狙おうという輩もいたが、これもひどい不見識だった。 選挙のときと違う政党に移ったり、党内手続きを経ずに自党の党首と違う首班候補に投票することは、それこそ立憲主義に反する。その後に根本的な状況の変化がない限りは禁じ手である。かつて細川護煕内閣が誕生したときには、自民党で宮沢喜一内閣不信任案に賛成した小沢グループは新生党を結成し、不信任案に反対したもののその後は自民党の外で活動したいという武村グループは新党さきがけを結成して、それぞれ総選挙を戦った。それが民主主義というもので、彼らは選挙のあとになって自民党を離れたのではない。 だから、選挙で自公がどうなろうが、石破氏が自民党としての意向に基づかず、首班指名を受けることなど許されないはずだった。あるとしたら、どこも過半数を取らなかったときに、希望の党から「安倍首相には協力できないが、石破さんなら協力しても良い」という提案があって、自民党が党としてそれに乗ったときや、希望の党が過半数を制して「自党に適当な首班候補がいないので、石破さんどうですか」と持ちかけられたときくらいだった。ところが一部マスコミは、自公が過半数を得ても、石破氏らが首班指名で造反することを期待するようなことをいっていたが、これも立憲主義に反した期待だった。真の「立憲民主主義」とは さらに、選挙が終わってからも、朝日新聞などは選挙結果を国民の意思として認めないという論調を続けた。東京都中央区にある朝日新聞社東京本社(産経新聞社チャーターヘリから、納冨康撮影) 立憲民主主義とは、選挙で誰が過半数を占めたか、それが実現していなければどこが第一党かを尊重するということなのである。一般的な人気や大きな影響力を持つ人の意見、アンケートなどによる調査、得票率などといった意見集約方法の結果ではなく、唯一国会の議席の数、特に過半数を制しているかどうかをもって国民の意思とすることこそ、立憲民主主義なのだ。選挙の結果にかかわらず、「国民の意思が別のところにあるから無視しろ」というのは、まさにナチスやボリシェビキの論法だ。 「野党分裂型」の226選挙区は全289選挙区の78%を占める。結果は与党183勝、野党43勝と与党側の大勝だった。これに対し、「与野党一騎打ち型」の57選挙区では、与党39勝、野党18勝。分裂型に比べて野党側が善戦した。 野党が分散した最大の原因は、民進党の分裂だ。民進の前原誠司代表が衆院選前に小池百合子・東京都知事率いる希望の党への合流を表明。民進で立候補を予定していた人は希望、立憲民主党、無所属に3分裂した。 ただ、民進は前原執行部の発足以前、共産党や社民党などとの野党共闘を進めていた。昨年7月の参院選では、32の1人区で野党統一候補を擁立し、11勝という成果を上げていた。 そこで、「立憲、希望、共産、社民、野党系無所属による野党共闘」が成功していればという仮定のもと、朝日新聞は独自に、各選挙区でのこれらの候補の得票を単純に合算する試算を行った。その結果、「野党分裂型」226選挙区のうち、63選挙区で勝敗が入れ替わり、与党120勝、野党106勝となった。野党一本化なら63選挙区で勝敗逆転 得票合算の試算(2017年10月23日) 3年前の総選挙でも日本経済新聞が「衆院選分析 自民、得票率は48%どまり 議席占有率は76%」と報じたが、連立政権を組むための政策協定を結べずに政権を取れば、公約違反は必然となる。 だから、ワンセットでの政権公約を出した勢力のなかで最有力のグループが過半数を取りやすいような選挙制度になっているのが普通だ。イタリアでは第一党(政党連合)に過半数の議席を与えるようにしているし、スペインは、議会で過半数を形成できなければ、前政権が引き続き政権を担う仕組みだ。現政権を倒したいのなら、選挙の前に連立政権の政策合意をしなさいというだけのことである。 さらには、投票率まで問題にして、自公への投票は有権者の4分の1程度という論法も使われているが、棄権はあくまで白紙委任という意思表示であって、選挙への不参加ではないはずだ。ジャーナリズムの名に値するか疑問 最後に、フリーライターの山田高明氏がブログで「アゴラ砲に殺された民進党」という記事を書いているので、そのさわりを紹介しておきたい。 民進党は今現在、哀れなプラナリアのように四つの勢力に分裂して生き永らえている。今回の選挙結果が一連のプロセスの区切りだとしたら、「始まり」は何だったのだろうか。私はまさに八幡和郎氏による次の記事だったのではないかと思っている。「蓮舫にまさかの二重国籍疑惑」(2016年08月29日)フリー座 By 山田高明 Takaaki Yamadaという出だしに始まり、 誠実な対応によってのみ消火可能だったのに、彼女を露骨に援護射撃した朝日・毎日や左派系知識人の尻馬に乗ってか、同じ様に批判を排外主義や差別主義へとすり替えてしまった。だが、「赤いパスポートになるのが嫌だった」という本音を持つ人が、なんで日本の国会議員になろうと思ったのか、なってどう国家に奉仕する意志だったのか、誰であろうと疑問に思うのは、素朴な庶民感情として当然のことだ。興味深いことに、上のような現象は、これまで新聞・週刊誌やワイドショーなどのメディアが火付け役だった。ネットメディアから放たれた「実弾」がここまで政局を揺るがした例は、国内史上初めてのケースかもしれない。これはまた、ネットを通して大衆に広まった「野火」が、朝日・毎日といった既存メディアの権威と力をもってしても消火不能だったことを意味している。力関係の逆転とまでは言わないが、大衆による情報の拡大再生産がメディアの大衆操作力を打ち破った例として、ある種の歴史的な転換点だったのは間違いない。(中略) ここまで急激に民進党が衰退して離散を余儀なくされたのも、元はと言えば、八幡和郎氏が放った一発の「銃弾」がきっかけだったのかもしれない。フリー座 By 山田高明 Takaaki Yamadaで結んでいる。 山田氏は、アゴラや私が民進党をつぶしたようにいわれているが、もし、蓮舫氏が私の指摘を受けて代表選への出馬辞退をしておけば、私たちは民進党を創立早々の瓦解(がかい)の危機から救った救世主と言われて、自民党から恨まれていたはずだ。2017年10月、民進党参院議員総会を終え、記者の質問に答える蓮舫前代表 ジャーナリズムというのは、どの政権や党を「助けよう」とか「つぶそう」とかいう気持ちで行動するのは邪道だと思う。その意味でも、「最近の朝日新聞はジャーナリズムの名に値するか疑問だ」という言葉で締めくくっておきたい。

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    トランプ“グルメ報道”合戦が象徴する新聞・TVの凋落

    ランプ氏が親指立てて喜ぶ〉(7日付、夕刊)とハンバーガーに米国産アンガス牛が使われたことを報じると、朝日新聞は〈佐賀牛「トランプ特需」来る? 問い合わせ続々〉(8日付、デジタル)の見出しで、迎賓館での歓迎晩餐会で振る舞われた佐賀牛のステーキを記事化した。 いくら首脳会談の中身が乏しかったとはいえ、これでは読者や視聴者が“食傷”してしまう。 情報媒体としての新聞・テレビの著しい凋落は数字にはっきり表われている。日本新聞協会のデータによると、全国紙と地方紙を合わせた一般紙の総発行部数は2007年の4696万部から2016年は3982万部へとこの10年間で714万部もの急落。第2次安倍政権発足後の2013年からは毎年100万部前後のペースで部数が落ちている。 とりわけ凋落著しいのが朝日新聞だ。「慰安婦報道」の誤報問題(*注1)で批判を浴びた2014年度の1年間に64万部の激減に見舞われ、その後も部数減に歯止めがかからない。【*注1/朝日新聞が1982年から従軍慰安婦をめぐり「強制連行」があったとする吉田清治氏(故人)の証言を取り上げた記事について、2014年に「誤報」であったことを認めて記事16本を取り消した】読者とズレていく大メディア 2013年4月には760万部あった朝刊部数はいまや624万部(2017年4月)。安倍政権下の4年間に136万部も落ち込んだ(日本ABC協会調査)。 危機的な部数激減は「反アベ」の朝日だけではない。憲法改正や安保政策で安倍政権と足並みを揃える論調を取ってきた読売も同じ4年間に986万部から881万部へと105万部の大幅な部数減となり、毎日、日経、産経を加えた有力5紙は「親アベ」「反アベ」の報道スタンスにかかわらず、減少傾向に歯止めがかからない。 当然、経営の屋台骨である広告収入は減る。朝日の2017年3月期決算(連結)は売り上げが4009億円で4年前から686億円落ち込み、営業利益は前期比41%ダウン。読売新聞東京本社も4期連続の減益となっている(東京商工リサーチ調べ)。安倍首相の演説中にマスコミ批判のプラカードを掲げて歩く人々=2017年10月18日、東京都豊島区(今野顕撮影) テレビ離れも確実に進んでいる。テレビ全体の総世帯視聴率(*注2)は「全日」(6時~24時)が2007年度の43.3%から2017年度上半期には40.3%に3ポイントのダウン。最も視聴者が多い「ゴールデンタイム」(19時~22時)の総世帯視聴率は同じ10年間で65.8%から59.9%へと5.9ポイントも下がった。平日の視聴時間(1日)はこの5年で184分から168分へと1日あたり20分近く減っている(総務省の調査による)。【*注2/調査対象の世帯で、どのくらいの世帯がテレビ放送を放送と同時に視聴していたのかという割合】 民放キー局の視聴率戦争はフジテレビの凋落が著しく、「健闘」とされる日本テレビも横ばいだ。 安倍晋三・首相は首相に返り咲いて以来、メディア対策を重視して新聞・テレビの経営トップと相次いで会食を重ねてきたが、大メディアと政権が接近するにつれて読者・視聴者が離れているのである。関連記事■ 朝日新聞「社外秘」資料入手 「3年で500億円減収」の衝撃■ 昭恵夫人の「パール接待」 メラニア夫人は何も購入せず■ イヴァンカ氏接待での“昭恵氏隠し”の意図は?■ 高須院長 元慰安婦同席の韓国に「日米にケンカ売る行為」■ しんぶん赤旗 部数が産経を超える日も近いとの見方

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    安倍氏vsメディア イヤホン騒動など「ガキの喧嘩」の醜悪

    裁)=2017年10月18日日、東京都豊島区(松本健吾撮影) 日本記者クラブの党首討論会(8日)で、朝日新聞の論説委員から加計疑惑について問われると、“朝日の報道こそおかしい”と色をなして反論した。「朝日新聞は先ほど申し上げた八田(達夫・国家戦略特区WG座長)さんの(加計の特区決定に一点の曇りもない、との発言の)報道もしておられない」 対する朝日は論説委員が「(報道)しています」と言い返すだけでなく、わざわざ翌朝の紙面で〈今年3月下旬以降に10回以上、八田氏の発言や内閣府のホームページで公表された見解などを掲載〉とやり返した。 もちろん、総理大臣の政策論を聞き、選挙記事を読んで投票先を決めたいと考える有権者にとっては、不毛な応酬でしかない。『NEWS23』(TBS系)での諍いもそうだ。きっかけは解散表明当日、同番組に出演した安倍首相が、“解散の大義”を延々と語っている最中に突然、「2人でモリカケ!」という音声が流れた一件だった。「流れてしまったのは森友・加計問題に話題を移すよう指示する番組ディレクターの声で、キャスターの星浩氏が外していたイヤホンから音が漏れ、それをマイクが拾った。初歩的なミスだが、安倍首相は“敵失”がよほど面白かったのか、公示前日に再び同番組に出演すると、話題が森友・加計に及んだ時、わざわざ星氏に『イヤホンは大丈夫ですか』と当てこすってみせた」(TBS関係者) 政権に批判的なメディアには“口撃”を繰り返しているわけだ。田島泰彦・上智大文学部新聞学科教授はこう嘆く。「権力者がメディアに監視され、批判的検証の対象になるのは当然のこと。安倍首相の対応はあまりに子供じみている。また、メディアの側も“報じたかどうか”といったレベルに合わせるのではなく、疑惑の本質を伝える報道に絞るのがあるべき姿ではないか」 与野党間のやり取りも、首相とメディアの諍いも、まるで「子供のケンカ」である。関連記事■ 「安倍ヤメロ!隊」完封するため最強「安倍応援団」組織登場■ 小池知事が来春国政復帰も まさかの自民復党シナリオ■ 安倍首相 11月のトランプ会談後に“禅譲”の可能性も■ 安倍首相「過半数は堅い」の報告も喜ばず 目標喪失原因か■ 公明中心に自民、希望連立の場合 山口総理誕生の可能性は?

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    そっぽを向かれた朝日新聞とモリカケ報道

    、ネットで繰り返し報じられていた。具体性もなく観念論ばかり 加計学園問題もひどかった。5月17日付の朝日新聞の一面トップ記事から始まったこの問題は、その記事に出ていた文科省の内部文書なるものの写真が“加工”されていたことが判明するなど、多くの問題点がネット上で指摘された。 具体性もなく、観念論ばかりで、印象操作を必死でおこなったテレビや新聞は、当事者である加戸守行・元愛媛県知事の国会証言も報じず、国家戦略特区諮問委員会のメンバーたちの証言や記者会見もカットした。そんな偏向報道をもとに「モリ・カケ」を延々と問題化してきたマスコミや野党に対して、有権者はとっくに「愛想を尽かしていた」のである。 残念だったのは、“現実政党”になるはずだった小池新党(希望の党)が「第二民進党」となり、現実から「自ら遠去かっていった」ことである。「一院制」やら、「原発ゼロ」やら、思いつきとしか思えない聞こえのいい政策を打ち出した末に、財源問題で「企業の内部留保への課税」まで言い出してしまった。 私の周囲には、「こりゃ、だめだ」と思わず笑いだす人もいた。それはそうだ。自分の身に置きかえて考えてみたらいい。所得税も、消費税も負担している自分が、そのうえ、貯金にまで「課税」されたら、どうなるだろうか。そんな二重課税など、常識で考えても許されるはずがない。 こんな政策が罷(まか)り通ったら株式市場は大暴落し、たちまち日本経済はあの民主党政権時代に逆戻りしてしまうだろう。「希望の党も、結局、現実を見ることができない“空想政党”なのか」と、失望した人は多かったに違いない。 一方で、安保法制を「戦争法」と断じ、空想的平和主義、一国平和主義たちの集団である立憲民主党の躍進という意外な結果も見られた。立憲民主党とは、国民の総スカンを食った、あの「菅直人政権」の面々である。彼らに一体、何を期待するのか、と思う。 日本には、かつて55年体制下で「革新票」を投じつづけた一定の層がある。そこに、小池氏によって「排除された人々」という立憲民主党への同情が加わり、予想外の票を集めたのである。 希望の党は、今後、“泥船”から逃げ出し、もとの仲間のもとに走る面々が出ることが予想され、“茨(いばら)の道”が待ち受けている。しかし、思いつきで、耳ざわりのいい政策だけを並べて有権者に媚びようとした今回の失敗を反省して、ひたすらリアリズムを突きつめていくなら、まだブームを起こす可能性は残っている。ポイントは、日本維新の会と、どういう形で連携、もしくは合併を模索していくかにあるのではないだろうか。 今や自民党の最大支持層は、ネット世代である二十代を中心とする若年層になってしまった。朝日新聞が選挙終盤の10月17、18日の両日に実施した世論調査でも、比例区投票先を「自民党」と答えた世代は、圧倒的トップが「18~29歳」の41%であり、親の世代である「60代」の27%を大きく引き離していた。(iStock) 各社の世論調査も同様で、若者ほど自民党を支持していることが数字にはっきりと現われているのである。若者は冷徹なまでのリアリストであり、現実政党しか信じない。 就職もままならなかったあの民主党時代にだけは戻りたくない彼らを、安倍政権が今後もどう惹(ひ)きつけていくのか。朝鮮半島有事が刻々と近づく中、さまざまな面で「お手並み拝見」といきたい。(「門田隆将オフィシャルサイト」より2017年10月23日分を転載)

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    球場使用料も放映権もタダ!「高校野球ビジネス」はこんなにおいしい

    る全国高等学校野球選手権大会であるが、その位置づけはよくわからないものである。主催者は営利企業である朝日新聞社と公益財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)であり、公的なものとも私的なものともつかない状態になっている。第1回全国中等学校優勝野球大会の広島中対鳥取中の熱戦を報じた大阪朝日新聞 これは1915年、前身となる全国中等学校優勝野球大会を大阪朝日新聞社が始めたという大会の歴史にも関係するが、第2次世界大戦後、大会の運営主体として高野連ができた時点で、もともとの役割は終えたといっても過言ではないだろう。しかし、いまだに朝日新聞社は主催者であり続け、大会を企業活動の営業活動に利用しているわけである。 ご存じのようにプロ野球はスポーツではあるがあくまでも興行であり、球団選手はそれを興行として行い、ビジネスとして成立させている。各球団は営利企業であり、企業活動の一環として、選手を雇い球場などを運営し、テレビに放映権を販売し、選手や球団のブランドライセンスで稼いでいる。では、夏の甲子園はどうなのか。13.出場選手の旅費、滞在費補助規定全国大会 1校20人(選手18人、責任教師1人、監督1人)を限度とし、次の通り旅費と滞在費補助を支給する。(イ)旅費は代表校の所在地から大阪までの往復普通乗車運賃(新幹線、特急、急行料金を含む)、船舶利用の場合は普通二等の乗船運賃を支給する。ただし、沖縄、南北北海道代表校は航空運賃を支給する。(ロ)滞在費は抽選日(8月4日)から、その学校の最終試合日までの日数に対し、1日1人4,000円を補助する。(ハ)前年度優勝校が全国大会に出場できなかった場合、優勝旗を返還する主将と同伴の責任教師に、規定による旅費、滞在費と滞在雑費(1人1日2,000円)を支給する。第99回全国高等学校野球選手権大会 開催要項 大会規定ではこのように記されており、開催費に入場料を充て、過不足が出た場合、大会準備金を充てるとしている。そして、昨年の夏の甲子園の収支決算を見ると、1億円近い利益が出ている構図になっている。宿泊も球場もすべて「善意」出典:<お知らせ>第98回全国高校野球選手権大会収支決算(朝日新聞デジタル、2016.12.02) 収支決算上は「1億円程度の黒字」となっているが、この黒字は最低限の補助金だけで参加する学校側と選手と地元企業などの負担により生まれている。大阪の平均的なホテルの宿泊費は1泊1万5千円程度で、甲子園開催期間ではさらに高騰することが予想される。高野連はホテルや旅館と提携し、1万円以内で宿泊できるホテル(1校当たり35人まで)を用意しているが、これはホテル側の善意と協力で成り立っているものでしかない。そして、食費を除いても1日6千円程度の差額は生徒や学校が負担している計算になるわけだ。ちなみに第94回大会の滞在費補助が7500円であり、現在の4千円という補助は収益からの逆算で割り出されたものであろう。 また、主催者である朝日新聞社や高野連は甲子園球場の利用料も払っていない。これは甲子園球場の所有者である阪神電気鉄道の「善意」である。甲子園は全国中等学校優勝野球大会を開くために作られたという歴史があり、甲子園が利用されることで所有者である阪神電鉄に間接的な利益があることに起因するが、当然運営費はかかるわけであり、それは阪神電鉄による寄付的行為で成り立っているにすぎない。 現在、NHKも朝日新聞社のグループ会社であるテレビ朝日も放映権料を払っていない。しかし、これは最低数十億円の価値を持つものである。先日獲得合戦で話題になったJリーグの10年間の放映権料が2000億円(2017年から2026年)、年間200億円であり、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で放映権とスポンサー収入で80億円程度だといわれている。プロとアマチュアの違いがあるとはいえ、ファンの多い高校野球ではさらに多くの収入を得られる可能性があるといえる。そして、それを開催費用や生徒への補助、学校への助成に利用すればよいのだろう。 現在の高校野球は非営利という建前で、すべてが人の善意で成り立っている。そして、ここに最大の欺瞞(ぎまん)と利権が眠っているわけである。大阪府豊中市の「高校野球発祥の地記念公園」。この場所で「全国中等学校優勝野球大会」の第1回大会が行われた 非営利であるのであれば、営利目的企業である一新聞社にすぎない朝日新聞社が主催に名前を連ねるべきではなく、高野連が単独主催すればよい話である。また、非営利であったとしても、高野連が放映権を販売するのは問題なく、一方で甲子園球場に対して適正なコストを払うことも可能である。アマチュアビジネスの商業化の是非はあるものの、人の善意に付け込み、それを朝日新聞社やNHKが「タダ食い」している現状を許すよりは格段に良いと私は考える。

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    朝日新聞と高野連と夏の甲子園

    50億円にも上るという。酷暑の中でプレーする球児や学校関係者の苦労は想像に難くないが、大会を主催する朝日新聞と高野連にとってはおいしい季節である。「高校生らしさ」というアマチュアリズムを売りにする夏の甲子園は教育の一環か、それともビジネスか。

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    朝日新聞はいっそ夏の甲子園を「ビジネス」と割り切った方がいい

    本から見直せば、早朝から夕刻まで試合を放映しているNHKからは巨額の放映権料を獲得できる。主催である朝日新聞社は後援に回り、大会スポンサーを募ることもできる。考えてみれば、高校野球を主催運営することで、朝日新聞は多くの「利益」を得ているであろう。ならば、高校野球発展のために、朝日新聞からの寄付をいただくのも一考かもしれない。春の選抜大会を主催する毎日新聞社は、夏は後援という立場である。全てのメディアを対象に高校野球教育プログラムにスポンサーシップを募ることもできるだろう。 全国高校野球選手権大会が「各校がそれぞれの教育理念に立って行う教育活動の一環として展開されることを基礎」(日本学生野球憲章より抜粋)とするのであれば、まさに教育に力点を置き、それが高校野球でなければ実現できないということを実践的に表現しなければならない。 五輪のモットーである「より速く、より高く、より強く」は、ラテン語の訳だが、これは比較級を表す。つまり、優勝者になることではなく、自分の限界に挑む志を示すものだ。常に自分の力の限りを尽くして、勝利を目指さなければならない。しかし、勝利を得ればいいのではない。自分の限りを尽くさなければならない。たとえ勝利が得られないとしても、自分の力のより一歩先を目指さなければならない。「勝利至上主義」のように誤解されるこのモットーの真意は、勝利至上主義を超えることなのである。 そして、このモットーを最も心に留めてほしいのは、高野連であり、そして朝日新聞なのだとつくづく思う。

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    夏の甲子園はやはり商業利用? 朝日新聞だけが得する3つのメリット

    だと思います。 ところが賛否両論どころか、問題にもしないメディアがあります。夏の甲子園大会を主催する朝日新聞社です。高校野球に関しては、ひたすら美談を感動的に新聞記事にします。朝日新聞にとって夏の甲子園は、販売促進のための「キラーコンテンツ(最大の目玉商品)」であり、批判することはタブーなのです。 何事にも両論併記で、リベラルを自認する朝日新聞が、自社内にこんなタブーを抱えているとは、意外な盲点ですが、これほどまでに朝日新聞が高校野球に肩入れするのはなぜなのか。それは圧倒的なメリットが、高校野球から得られるからではないでしょうか。 新聞社が、野球などの国民的スポーツを売り物にするのは、別に珍しいことではありません。読売新聞には読売ジャイアンツといった例を引き合いに出すまでもなく、今では多くのマスメディアが、スポーツの大会を主催したり後援したりしています。しかし、それらとは一線を画した新聞社にとって特別に有利な要素が、日本の高校野球には少なくとも三つあると私は考えています。高校野球独特の「メリット」 第一に選手たちが全員高校生ということで、純真でクリーンなイメージを、読者に鮮烈に植え付けることができます。紙面ではフェアプレイを強調します。それは新聞社として販売部数を伸ばすという意味よりも、むしろ自社の記事に対して無意識のうちに信頼感をもたせるという、潜在的に心理を操作する効果の方が大きいと言えそうです。 第二にお金がかからないという点で有利です。選手への高額な報酬など、球団の維持費を気にする必要はありません。アマチュアですから練習に必要な部費の調達は各学校がそれぞれ負担します。大会中の甲子園球場の使用料も阪神電鉄からの無償提供です。甲子園までの出場選手の旅費は支給しますが、入場料収入でまかなえる程度だそうです。 第三に47都道府県全てから代表校が出場するシステムにより、全国津々浦々に至るまで、それぞれの地域の人々の郷土愛を引き出せる点が挙げられます。全国紙として地方への販路拡大は苦心するところですが、地元代表校の活躍ぶりを書き立てるだけで、全国47都道府県の購読者の心をつかむことができるとすれば、かなり有利です。朝日新聞の社旗が飾られた甲子園で入場行進する選手ら=2017年8月 こうした日本の高校野球のみが持つ、独特のメリットをフルに生かして、朝日新聞は夏の甲子園とともに、また毎日新聞は春の選抜甲子園とともに、それぞれ全国的に購読者数を伸ばしてきたと言えるでしょう。 マスコミ各社が、スポーツの情報を提供し、国民の娯楽としての需要を満たすのは大いに結構なことです。娯楽を目的として存在するプロスポーツにおいては、マスコミとの関係は車の両輪であり、協力し合わなければ成り立ちません。マスコミにはビジネスとしてスポーツ業界を発展させる使命さえあると言えるかもしれません。 しかしそれはプロスポーツのビジネスモデルであって、高校野球の場合はそもそもの理念、目的からして全く異なります。高校野球の目的は「青少年の健全な育成」であることを絶対に忘れてはなりません。結果的に人々に娯楽をもたらすことがあっても、決してそれは目的にはなり得ません。あくまでも教育の一環として認識することが大切です。 主催する朝日新聞社、毎日新聞社には、今一度その原点に立ち返ってもらいたいものです。この時期になると、高校野球以外にニュースはないのか、と思われるほどの朝日新聞紙面の過熱ぶりには違和感を覚えます。高校球児たちの純粋な汗と涙を、大人の娯楽産業として汚すことのないように、商用利用は極力慎むべきだと私は考えます。

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    高校野球の時短を阻むメディアと球界の「美意識」

    赤坂英一 (スポーツライター) 高校野球選抜大会が終わり、プロ野球取材を再開すると、試合の長さを痛感する。甲子園は2時間前後で終わるのに、プロは軒並み3時間以上かかる。1日の広島-阪神戦など、両チームの四死球が合計28個に上る大乱戦となり、試合時間も5時間24分に達した。広島対阪神 四球を選ぶ広島・田中広輔=8月1日マツダスタジアム広島(撮影・村本聡) そうした中、メジャーリーグでは今季から敬遠の四球が「申告制」となり、投手が実際に4球ボールを投げる必要がなくなった。守備側のチームが打者との勝負を避ける場合、監督が審判にそう伝えれば済む。MLBでは試合時間の短縮を喫緊の課題としており、3時間前後の試合時間を2時間半に縮めるのがロブ・マンフレッド・コミッショナーの悲願だという。敬遠の申告制度化もその一環だ。 早ければ来年、NPBもMLBのルール改正に倣うことになるだろう。2016年の平均試合時間は3時間10分(9回制のみ)で、15年に2時間56分として3時間台を切ることに成功したMLBに比べるとまだ長い。公式HPに連日平均試合時間をアップし、時短を呼びかけているNPBが「敬遠申告制」を導入するのも、それこそ〝時間の問題〟である。 試合時間短縮のためには、延長制度の改革も避けて通れない。プロ野球の公式戦は最大12回まで行われ、決着しなければ引き分けとなる。MLBでは勝負が決するまで何回まででも続けられ、延長20回を越え、2日間にまたがって行われたケースもある。勝負論としては正しいのかもしれないし、曖昧な決着を許さない大リーグの伝統のひとつとはいえ、これだけ時短が叫ばれるようになった現在、そろそろ見直される可能性もありそうだ。 その兆候を示したのが、今年行われたWBCのタイブレーク制度だ。延長戦自体はMLBと同じ無制限となっていた一方で、延長11回以降は点が入りやすくなるよう無死一・二塁でプレーが続けられた。2次ラウンドの日本-オランダが延長戦にもつれ込み、タイブレークに入った延長11回、中田翔(日本ハム)が2点タイムリーを打って勝利をものにしたケースは記憶に新しい。もしタイブレークがなければ、何回まで試合が続いていたか。タイブレーク導入は高校野球界にも いま、このタイブレークを導入すべきだ、という議論が再燃しているのが高校野球界である。今年の選抜大会では、準々決勝進出をかけた2回戦、滋賀学園-福岡大大濠、健大高崎-福井工大福井がともに延長15回の末に引き分け再試合になるという史上初の事態が発生。福岡大大濠のエース三浦銀二は延長15回で196球、中1日置いての再試合でも9回を130球。ともにひとりで最後まで投げ抜き、8強進出を決めている。が、準々決勝の報徳学園戦では、さすがに八木啓伸監督が登板を回避。控え投手に外野手や捕手を注ぎ込みながら、報徳に大敗して甲子園を去った。第99回全国高校野球選手権、日大山形戦に六回から登板、延長十二回まで無失点に抑えた明徳義塾の市川=8月9日(岩川晋也撮影) かつての甲子園は大黒柱のエースがひとりで投げ抜くのが当たり前だった。そのために肩や肘を壊す投手が続出し、再三世間の批判に曝され、一時期より苛酷な連投が減少したとはいえ、それでもこの種の根性論的投手起用は消滅してはいない。4年前の選抜でも済美の安樂智大(現楽天)がひとりで722球を投げ、大会後にしばらく投球不能の状態に陥った。安樂の件は海外でも話題になり、とりわけアメリカのメディアに手厳しく批判されている。 このときもタイブレーク導入を訴える声が挙がったが、一部の著名なプロ野球OB評論家が異議を唱えた。「日本には日本、甲子園には甲子園の野球というものがある。苛酷な条件の中で投げ続けているからこそ、全国の野球ファンも野球少年たちも感動するのだ。アメリカの言うことだから、何でもかんでも正しいとは限らない」というわけ。私と旧知の仲の解説者など、「アメリカが偉そうに、日本の野球に口を出すな!」と憤っていた。  こういう昔ながらの精神論が、現代の高校球児の胸中にもまだ宿っているらしい。現に福岡大大濠の三浦も報徳戦の最中、2度自らブルペンに走って、ベンチに戻されている。そんな場面が〝美しい光景〟としてマスコミに報じられるのもまた、日本ならではだ。 だが、時代は確実に変わりつつある。一般のファンにはあまり知られていないものの、いまや社会人の都市対抗、大学や高校の明治神宮野球大会でもタイブレークが実施されている。あのWBCでもやっているのだ。物は試し、プロと高校野球で歩調を合わせてタイブレークをやってみたらどうだろう。プロの試合時間が短くなり、高校球児の健康維持にも役立つ。メリットは小さくない、と思う。

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    朝日新聞 高校野球地方大会のたび購買部数が大幅増

    ないのである。 そうした恩恵を誰よりも受けているのが、夏の大会を主催する高野連(日本高校野球連盟)と朝日新聞である。 昨夏開催された第97回大会の収支決算をみると、入場料収入は約4億4900万円。支出は約3億3900万円で、差し引き約1億1000万円の剰余金が出ている。これを高野連を中心とする委員会で運用する。 この剰余金は全国高校軟式野球選手権大会関係費に500万円、少年野球振興補助金として100万円など、様々な補助金に充てるとされている。高野連関係者は「公益目的以外で使うことができないようにするため基金を設けているが、13億円以上の資産を保有する超優良組織といえる」と明かす。高野連とともに夏の大会を主催する朝日新聞は、拡販ツールとして甲子園を利用する。 地方大会が始まると、地方版の紙面に各高校のメンバー表を掲載するなど、独占的に情報を扱える。試合経過も詳しく報じられるため、高校野球ファンの購買部数が大幅に増えるという。孫が甲子園に出るので購読を始める年配者も少なくなく、地域によっては2割増しになる販売店もあるという。 間もなくプレイボールを迎える夏の甲子園。大金を、いや優勝旗を故郷に持ち返るのはどこの代表校になるのだろうか。関連記事■ 高校野球のお宝展示される甲子園歴史館 現在特別展を開催中■ 地域別にみる高校野球トリビア 鳥取県が日本一を誇るのは?■ 週刊誌「不倫メール」スクープ後に高野連理事の名が消された■ 夏の甲子園 大会通算戦績で最も強い地域は近畿で勝率は.596■ 高校野球で舌禍の“やくざ監督”「喉元過ぎれば熱さ忘れる」

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    朝日新聞、度し難し! 被災地急派の足を引っ張る「オスプレイ叩き」

    潮匡人(評論家、拓殖大学客員教授)朝日が報じた「疑問」 4月19日付「朝日新聞」朝刊総合面に「被災地にオスプレイ 米軍が派遣、国内初の災害対応 熊本地震」と題した記事が掲載された。記事はこう書き出す。 「米軍の新型輸送機オスプレイが18日、熊本地震の被災地へ物資輸送を始めた。オスプレイが日本の災害対応に使われるのは初めてだ。今回の救援活動に必要なのか。安全面に問題はないのか。疑問の声が出ているが、日本政府と米軍は、オスプレイの災害派遣での実績づくりを急いだ」 見てのとおり、オスプレイの投入に否定的な脈絡から「疑問」を呈している。震災の最中、救援に当たる日米両政府を批判した記事だ。支援物資を積んで、海自護衛艦「ひゅうが」から熊本県南阿蘇村へと飛び立つ米軍オスプレイ=4月19日午後2時8分、熊本県の八代海 実は朝日の公式サイトに、上記と同じ記事が別途、掲載されている。上記は「4月19日05時00分」に同日付朝刊記事がアップされたものだが、別途、朝日新聞デジタルの記事として、前日の20時58分に同じ記事がアップされている。 後者のタイトルは「米軍オスプレイ、初の災害対応 実績づくりに疑問の声も」。見出しは、こちらのほうが内容に忠実である。以下検証するとおり、記事は「初の災害対応」を「実績づくり」と断じ「疑問の声」だけを報じた。ちなみに、後者には「米軍の新型輸送機オスプレイが救援物資を載せ、熊本・南阿蘇村へ飛んだ」際の動画もアップされている。間違いなくPV(閲覧回数)に貢献したであろう。ため息を禁じ得ない。 記事は「必要性、疑問の声」の中見出しを掲げ、こう疑問を呈した。 「自衛隊にも約60人乗りの大型輸送ヘリCH47が約70機ある。約30人乗りの米軍オスプレイがさらに必要なのか。疑問の声が上がる」 私は朝日記事のほうに疑問の声を上げたい。なるほど輸送兵員数はCH47がまさる。他方、CH47Jの巡航速度は260km/hだが、オスプレイは490㎞/hと倍近く、航続距離も数倍長い(オスプレイは空中給油も可能)。またオスプレイは海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)での運用にも適しており、実際「ひゅうが」型護衛艦(DDH)での運用が予定されている。 政府の公式見解を借りよう。「中期防衛力整備計画(平成26年度~平成30年度)」(平成25年12月17日国家安全保障会議及び閣議決定)はこう明記した。 「輸送ヘリコプター(CH-47JA)の輸送能力を巡航速度や航続距離等の観点から補完・強化し得るティルト・ローター機を新たに導入する」朝日新聞か頭が悪いのか この「ティルト・ローター機」こそ、オスプレイである。中期防が明記したとおり、オスプレイはCH-47を「補完・強化し得る」。だから、自衛隊が導入する。なぜ今「米軍オスプレイがさらに必要なのか」(朝日記事)。朝日が本気で「疑問」に感じているなら、先ず中期防から勉強してほしい。さらに朝日記事はこう続く。 《「オスプレイに対する国民の恐怖感をなくすために慣れてもらおうということで、こういう機会を利用しているとすれば、けしからんことだ」。共産党の小池晃書記局長は18日、朝日新聞の取材に語った》 これ以外、記事が報じた「疑問の声」はない。もし被災者が落下事故を恐れているなら、報じる意義もあろう。だが、そうした声は聞かない。反対に感謝の声なら、ネット上にあふれている。それでも朝日は被災者ではなく、日本共産党書記局長を「取材」した。誰のため、何のために書いた記事か海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」の艦上でオスプレイに生活支援物資を積み込む自衛隊員=4月19日午後、熊本県の八代海(海上自衛隊提供) それだけではない。「政治的な効果」の見出しを掲げ、「安倍晋三首相」の「方針転換」を揶揄し、「防衛省関係者」の「説明」として「米軍オスプレイの支援は必ずしも必要ではないが、政治的な効果が期待できるからだ」と報じた。どこの誰か知らないが、オスプレイがCH-47を「補完・強化し得る」事実を御存知ないなら、もぐりであろう。さらに記事はこう続く。 「米軍普天間飛行場のオスプレイには、騒音被害や事故への懸念が絶えない。自衛隊が陸自オスプレイ17機を佐賀空港(佐賀市)に配備する計画も、地元の反対で進んでいない。/しかし、今回オスプレイを十分に活用できれば、その安全性や性能を広く知らせる機会となりうる」 明らかに読者と世論を誘導している。救援目的ではなく、「政治的な効果」を狙ったオスプレイ投入との印象を読者は抱く。暗澹たる思いを禁じ得ない。「オスプレイには騒音被害や事故への懸念が絶えない」というが、それは朝日らが自ら喧伝してきた「懸念」に過ぎない。私がテレビや雑誌で指摘してきたとおり、他の機種と比べ、特段に危険な航空機ではない。騒音もむしろ小さい。 念のため付言するが、私は御用学者ではない。事実「政府は安全神話を語るべきでない」と最初にマスメディアで苦言を呈したのは、他ならぬ私である。原発同様、オスプレイも「100%安全」とは言えない。そもそもこの世に、ゼロリスクなどあり得ない。残念ながら、いずれオスプレイも事故を起こす。今日、熊本で起きるかもしれない。だとしても、その可能性は非常に低い。 他方、オスプレイの救援活動で人命が救われたり、被災者の健康が保たれたりする蓋然性はきわめて高い。事実そうなっている。独善的なイデオロギーを排して客観的・学術的に、確率を踏まえたリスク評価をしてみよう。オスプレイ投入で得られる利得は、投入に伴う損失(リスク)より桁違いに大きい。誰がどう計算してもそうなる。 朝日新聞は頭が悪いのか。それともパシフィズム(反軍平和主義)に染まっているのか。どちらにしても度し難い。いったい誰のため、何のために書いた記事なのか。頼むから、これ以上、現場の足を引っ張るのは止めてほしい。

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    慰安婦基金、10億円は朝日が負担しろ!

    元慰安婦支援を目的に韓国が設立する財団に、少女像が撤去されなければ10億円拠出をしない意向を示した日本政府。仮に慰安婦像が撤去されて10億円を出すことになったら、朝日に負担させるべきだ。32年にわたってウソ八百を垂れ流し名誉を汚された日本人への慰謝料はどうしてくれる。

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    呉智英氏 元号について天声人語がおかしなこと書いたと指摘

    ことが様々なことがあるが、最近評論家の呉智英氏がおかしいと感じたことは何か。同氏は、「元号」に関する朝日新聞「天声人語」の書き方に異議を呈する。* * * 1月9日付朝日新聞の「天声人語」がおかしなことを書いている。衆院予算委で自民党の新藤義孝議員が「平成二十八年、伝統的な数え方では皇紀二六七六年」と発言したのがけしからんというのだ。和暦の年号(元号)は大化以来千四百年の伝統があるのに、たかが明治以来の皇紀を伝統的だとするのがけしからん、と言いたいのかと思ったら、そうではなかった。自民党の「復古志向」、それも「無遠慮」なところがけしからんというのである。 自民党の復古志向なるものは、確かにあると言えよう。だが、無遠慮って、何がどう無遠慮なのだろう。異なる歴史観を持つ野党、さらには近隣諸国に対して無遠慮だということらしい。 どうも、天声人語は紀年法(暦数の方法)ということが分かってないようだ。日本では伝統的に年号が使われてきた。ただ、年号は明治までは数年ごとに変わったし、明治以降は一世一元制になったけれど、それぞれに年数が違うため、通歴計算が難しい。そこで通しの紀年法が必要とされ、皇紀が定められた。 皇紀は神武紀元とも呼ばれるように、神武天皇即位の年を皇紀元年としている。もちろん、これは神話に基いている。 それなら、天声人語が奨励しているらしい西暦はどうか。西暦はキリスト教暦とも言うように、キリスト生誕年を西暦元年としている。そのキリスト生誕年も、歴史学者の多数はBC4年説を採る。キリスト生誕はキリスト生誕の4年前、というおかしなことになる。それで別段問題が起きないのは、これがもともとキリスト教神話に基いているからである。皇紀だろうと西暦だろうと、宗教基準なのである。 私はキリスト教徒ではなく、日本神話も信じていないけれど、通常、西暦を使用している。それは通歴計算に便利だという「利便性」の一点である。皇紀を使わないのは、通歴計算に便利だとはいえ、欧米の歴史と比較する利便性がないからである。 これは英語学習と同じである。事実として経済的にも外交的にもアメリカが覇者であるから、英語が優勢言語であり、その学習が奨励されるのであって、英語が「正しい言語」だからではない。あくまでも利便性の故である。西暦も同じく「正しい紀元法」であるはずがなく、キリスト教文化圏が優勢である以上、利便性が高いからにすぎない。むしろ「無遠慮」なのは、西暦の方であり、それを奨励する方なのだ。 世界中には、西暦を使用しない国も多い。東南アジアには仏暦を使用する国々があるしイスラム国ではイスラム暦が使われている。 21世紀に入って、イスラム勢力の「反攻」が目立つ。万一彼らが勝利して、イスラムの世界制覇が実現したら、天声人語はそれでも「無遠慮」にキリスト教暦を奨励するのだろうか。私は利便性の前に膝を屈し、涙を飲んでイスラム暦を使うつもりである。●くれ・ともふさ/1946年生まれ。京都精華大学マンガ学部客員教授、日本マンガ学会理事。著書に『バカにつける薬』など。関連記事■ 藤原正彦氏 日本のノーベル賞多いのは文化の厚みがあるため■ 木になった状態で熟成させたグレープフルーツ使った「氷結」■ プロテスタントの一部「収入の10分の1を献金」指導する例も■ 日本のキリスト教徒率は1% 首相経験者の13%はキリスト教徒■ 一部の韓国人 イギリス人もキリストも韓国が起源と主張する

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    朝日新聞賃金大幅カット「もっとやるべきことある」と社員

     今年に入ってからの朝日新聞の紙面は、賃上げに関しての記事が目立つ。例えば1月20日から始まった連載「教えて! 春闘」では、月給と年収ベースの賃上げの違いについて説明。さらに同日の別の記事では「公共工事の賃金 5年連続アップ」と見出しを打ち、公共工事における人件費が全国平均で4%程度引き上げとなる見通しを報じている。25日夕刊では「経団連会長が賃上げを要請 加盟企業に」、翌26日朝刊は「経団連ベア慎重 賃上げは前向き」と続く。労使トップ会談の冒頭、あいさつする経団連の榊原定征会長(右から3人目)=1月29日、東京・大手町の経団連会館 そして2月2日には社説で春闘に触れ、賃金の引き上げを含めた待遇改善を論じるなど、とにかく「賃上げ」の文字が躍る。一方で、その景気の良い記事を書いている記者たちからはなぜかため息が聞こえてくる。朝日新聞の40代社員がこう話す。「僕らは紙面とは逆の立場ですよ。今年の初めに、『2017年の4月から給与、年2回の期末手当、春夏手当などを段階的に削減する』という案が通達された。最大で給与の約15%がカットされるという大幅な賃下げが行なわれるのです」 これは1月4日、東京本社で行なわれた新年の挨拶において、渡辺雅隆社長による「中期経営計画」の説明の中で提示された。経営基盤の強化をうたい、総額にして100億円規模の人件費を削減する、というものだ。 賃下げが実行された場合、最も引き下げられるのが55歳社員で、平均年収1529万円から1290万円(239万円カット)。続いて40歳は1245万円から1053万円(192万円カット)となる。  これを受けて組合側は1月19日に社長と面談したが、渡辺社長は「やっていけないなら“退場門”も用意している」と早期退職制度の存在を示唆。賃下げ中止に応じる気配はなかったという。朝日新聞労働組合は、「現在、組合としての対応を協議中です」と回答した。 2011年上半期(1月~6月)には約780万部だった朝日新聞の部数は2015年11月には663万部(日本ABC協会調べ)まで落ち込んだ。これは前年同月比で約40万部減少となる。社員の給与カットは避けられないようにも思えるが、社内からは「給料に手をつける前にもっとやるべきことがあるはずだ」(前出の社員)と憤りの声が聞こえてくる。『新聞社―破綻したビジネスモデル―』(新潮新書)の著者である、元・毎日新聞常務の河内孝氏はこう指摘する。「本来必要な経営改善を行なってこなかったツケを払うために、手を付けやすい社員の給与削減にもっていった感があります。マーケットが国内のみで、人口も減る中、やるべきはデジタル情報の有料化や、大手新聞社ごとに持っている印刷工場や流通経路を再編してのコストカットです。それをやらずに給与を削って社員の反発を買うようでは本末転倒です」関連記事■ サラリーマンの「有給休暇」「残業代」等知っておきたい知識■ 「賃上げ表彰」のローソン 2013年の年収は前年比で13万円減■ 給与カットのNHK 有働アナは課長待遇で推定年収は1300万円■ 健康保険料抑えるため 4~6月に残業や副業はしないのが吉■ アベノミクス 賃上げが達成されたのは公務員と国会議員の方々

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    「恬として恥じず」朝日新聞は“再び”死んだ 

    門田隆将(作家) 昨日の朝日新聞、そして今日の産経新聞の記事を見て、目が点になった人は多かったに違いない。仰天、唖然、衝撃……どんな言葉を用いても、そのことを表現することは難しいだろう。 私は前回のブログで、国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の「対日審査」での日本の主張について書かせてもらった。 外務省の杉山晋輔・外務審議官が慰安婦の「強制連行」を裏付ける資料がなかったことを説明し、強制連行説は故・吉田清治氏による「捏造」であったこと、さらには、朝日新聞の報道が国際社会に「大きな影響」を与えたことを指摘したのである。ジュネーブの国連欧州本部で開かれた国連女性差別撤廃委員会の対日審査会合=2月16日 私は、日本政府が国連の場で、こうした事実関係を「初めて」説明したことと、外務省の姿勢が変わらざるを得なくなってきたことを、感慨をもって見つめている、という趣旨のことを書かせてもらった。 しかし、昨日の朝日新聞朝刊には、その外務省に対して、朝日が「抗議をおこなった」ことが書かれていたのだ。私は職業柄、主な新聞には、すべて目を通すようにしているが、その朝日の記事には本当に驚いた。 第4面の「総合面」に〈国連委発言で慰安婦報道言及 本社、外務省に申し入れ〉と題して、朝日が国連での杉山審議官の発言に対して、〈18日、外務省に対し、「根拠を示さない発言」などとして遺憾であると文書で申し入れた〉と報じたのである。 「えっ? ウソだろ……」と呟きながら、この記事を読んだ人は少なくなかっただろう。朝日の記事の主要部分をそのまま引用する。 〈申入書(※筆者注=朝日が外務省に申し入れた文書)では、国際的な影響について、朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会でも見解が分かれ、報告書では「韓国の慰安婦問題批判を過激化させた」「吉田氏に関する『誤報』が韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとは言えない」などの意見が併記されたと説明。国際社会に大きな影響があったとする杉山氏の発言には根拠が示されなかったと指摘した。 また、女子挺身隊と慰安婦を混同して報じた点について、朝日新聞社はおわびし、訂正しているが、20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」と指摘した。慰安婦の人数については諸説あることを報じていることも伝えた。川村泰久外務報道官は文書を受け取った上で、「お申し入れの内容が詳細なので、精査させて頂きます」とコメントした〉“居直り強盗”という言葉が浮かんだ いかがだろうか。私は、品のない表現で大変申し訳ないが、“居直り強盗”という言葉を思い浮かべた。そして、こんな“子供の屁理屈”にも劣る言辞が通用すると「本気で思っているのだろうか」と考えた。少なくとも、自分たちが、根拠もなく慰安婦の強制連行を世界に広めたことに対して、反省のかけらもないことがわかる。 あらためて言うまでもないが、朝日新聞の報道の一例を示すと、1992年1月11日付朝刊1面トップで、朝日は、日本軍が慰安所の設置などに関与したことを示す資料が見つかった、と大々的に報じている。当時の宮沢喜一首相の訪韓わずか「5日前」にブチ上げられた記事である。 その中で朝日は「従軍慰安婦」の用語解説をおこない、〈太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と書いた。 しっかりと、〈挺身隊の名で強制連行〉と書き、〈その人数は八万とも二十万ともいわれる〉と記述している。また、翌12日付の社説でも〈「挺身隊」の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられた〉と書いている。ジュネーブで開かれた国連女子差別撤廃委員会で、日本の立場を説明する杉山晋輔外務審議官=2月16日 これはほんの一例だが、朝日新聞は、長年の外部からの指摘に耐えかねて、ついに一昨年(2014年)8月5日、「検証記事」を掲げた。そのなかで、〈読者のみなさまへ〉と断って、わざわざ〈女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と、「混同」「誤用」を認めているのである。 杉山審議官の国連での発言は、もちろん、それらを踏まえたものだ。しかし、当の朝日新聞は、こともあろうに、これに対して「抗議」をおこなったのである。子供の屁理屈にもならない、というのは、〈20万人という数字について、「女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」〉と噛みついている点だ。 では、その〈20万人〉がどこから出てきたものなのか、〈女子挺身隊との混同〉でなければ「いったい何でこんな途方もない数字が出てきたのか」、それを自ら指摘・告白するのが、礼儀であり、大人というものである。〈慰安婦の人数については諸説ある〉という申し入れの文言は、明らかに「開き直り」というほかない。「法的措置を検討する」朝日新聞からの脅し 私は、自分自身の経験を思い起こした。2014年5月20日付で朝日新聞が、「吉田調書を入手」したとして、福島第一原発の現場の人間の「9割」が所長命令に違反して撤退した、と1面トップで報じた件だ。 吉田昌郎所長をはじめ、現場の多くのプラントエンジニアたちにも取材した私は、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』というノンフィクションを2012年に出しているが、その取材結果をもとに、朝日の記事を「誤報である」と指摘した。公開された「聴取結果書(吉田調書)」 (一部モザイク加工しています) それに対して、朝日新聞は「報道機関としての名誉と信用を著しく毀損する」として、私に「謝罪と訂正」を要求する文書を送りつけてきた。そして、その文書の中には、要求に応じない場合は、「法的措置を検討する」という“脅しの文言”がしっかり入っていた。 私は、朝日新聞という報道機関が「自由な言論を封殺」しようとしたことに、一種の感慨が湧き起こった。自分たちに都合の悪いことに対しては、言論や表現の「自由な空間」を守るどころか、「圧殺する」という恐ろしい体質を同紙が持っていることがあらためてわかったからだ。 私は、これで逆に大いなる闘争心が湧き起こり、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……等々で、自分にできる最大の論陣を張らせてもらった。その意味で、私に対する朝日の“脅し戦略”は、まったくの逆効果をもたらしたことになる。 幸いに3か月後の9月11日、朝日新聞は自らの「誤報」を認め、木村伊量社長が記者会見を開き、訂正・謝罪の発表と、社長退陣と編集幹部の更迭がおこなわれた。 私はその後、朝日新聞からの正式な謝罪を受けたが、今回の外務省への抗議は、「真実」を指摘された時の「開き直り」という点で、まったく「共通」のものであることがわかる。 今回の朝日の外務省への申入書には、自らつくった慰安婦報道に対する「第三者委員会」の委員の中には、朝日の報道が「国際的な影響を与えた」ということに「そうではない」と言っている人がいます、と書いている。なんと稚拙な論理だろうか。 岡本行夫、北岡伸一両委員は、はっきりと朝日の報道が韓国による批判に弾みをつけ、過激化させたことに言及しているが、波多野澄雄、林香里両委員は、「国際的な影響はない」との見解だった、というのである。 イタズラを怒られた駄々っ子が、「でも、ボクは悪くないって言ってる人もいるもん!」と、お母さんに必死で訴えているような図である。私は、昨年末に出た朝日新聞の元スター記者、長谷川熙さんの『崩壊 朝日新聞』の一節を思い出した。長谷川さんは半世紀以上務めた「朝日新聞」にいる記者たちのことを“パブロフの犬”だと書いて、その典型例の実名まで挙げている。 〈旧陸海軍について、いかなる虚偽の悪行が伝えられても、旧軍のことであれば、記者であるのにその真否を究明することなく、なんでも実話と思い込んでしまうその現象を私は、ロシアのパブロフが犬の実験で見つけた有名な生理反射(ベルの音と同時に犬に餌をやっていると、ベルの音を聞いただけで犬は、餌がなくても唾液を出すことをパブロフは発見した)になぞらえてみた。(略)そうした条件反射のまさに典型例が、吉田証言関係の虚報でとりわけ大きな影響を内外に及ぼしたと私が見る北畠清泰であり、そして一連の虚報を背景に、OBになってからではあるが、慰安所糾弾の模擬法廷の開催へと突き進んだ松井やよりである〉 事実をそっちのけに、“条件反射”のように「日本」を貶める朝日の記者たち。彼らは、朝日に言及した国連での杉山発言の中身を今回も「抗議の段階」でしか報じていない。都合の悪いことは、ねぐり続ける朝日新聞らしい姿勢というほかない。 本日の産経新聞には、その朝日新聞広報部のコメントとして、「記事と申入書に書いてある以上は、お答えできない」というものが紹介されていた。ただ、「溜息が出る」だけである。私は思う。朝日新聞が、再び「死んだ」ことは間違いない、と。※2016.1.20 門田隆将ブログ「夏炉冬扇の記」より転載。

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    朝日新聞の護憲論 あまりの「倒錯」に驚く

    岩田温(政治学者) 2月6日の社説で朝日新聞は、「首相の改憲論 あまりの倒錯に驚く」と題して、安倍総理の発言を取り上げて批判している。  『東京新聞』が噛みついたのと同じ発言だ。「憲法学者の7割が、9条の解釈からすれば自衛隊の存在自体が憲法違反のおそれがあると判断している」「この状況をなくすべきではないかという考え方もある」 さらに、この総理の答弁を引き出した稲田朋美政調会長の発言も取り上げている。 「現実に合わない9条2項をこのままにしておくことこそ、立憲主義を空洞化する」との発言だ。衆院予算委で質問する稲田朋美氏(自民) 、2月3日 私は、この稲田政調会長の指摘は、もっともだと考える一人である。稲田政調会長は政治家である限り、発言できないのかもしれないから、政治家ではない私が正直に言えば、吉田茂が、本来、「自衛戦争も出来ない」と解釈していた日本国憲法を、解釈の変更によって、自衛隊を持てるようにし、敵が攻めてきた際には戦えるように変更した時点で、厳密な意味において日本の立憲主義が終わっている。仮に日本の立憲主義を破壊した政治家がいたとするならば、それは安倍晋三ではなく、吉田茂である。 さて、『朝日新聞』の安倍批判が面白い。 まず、『朝日新聞』が行ったアンケートで63%の憲法学者が、自衛隊の存在を「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」と答えた事実を認めている。 このアンケート結果は、随分正直なものだろうが、自衛隊が「合憲である」と断言できる憲法学者が殆どいないというところに日本の悲劇があるといってよいだろう。祖国を守る崇高な任務を引受けた自衛隊を「違憲だ!」「違憲かも知れない・・・」と解釈するということが異常な事態でなくて何であろうか。そして、現実には多くの国民が自衛隊を支持し、自衛隊を解体するような主張は、およそ現実離れした主張だと思われている。要するに、日本国憲法第九条第二項そのものがあまりに現実離れしており、憲法学者たちの解釈通りに解釈したら、自国の防衛すらままならないというのが現実なのだ。そして多くの国民は憲法学者の憲法解釈ではなく、現実に適った極めて「不自然な憲法解釈」を受け入れている。「戦力」も「交戦権」も否定した憲法を有しながら、「自衛隊」を保持できるという、極めて「不自然な憲法解釈」によって、日本はなんとか、自国を防衛してきた。『朝日新聞』は旗幟鮮明にすべきではないか? 『朝日新聞』は、自衛隊は違憲であるという憲法学者の見解を紹介しながら、、自衛隊の存在を否定したり、吉田茂の憲法解釈の変更を批判したりするのではなく、安倍内閣の批判へと進む。「多数の憲法学者と国民の反対を押し切り、集団的自衛権は行使できないとの歴代内閣の憲法解釈を、閣議決定だけで変えてしまったのは安倍内閣である。 自衛隊の存在と学者の見解とのへだたりを問題にするのであれば、安保法制を撤回するのが筋ではないか。「立憲主義の空洞化」を批判するなら、まずは我が身を省みるべきだろう。」 社説のタイトルが「首相の改憲論 あまりの倒錯に驚く」とあるが、私はむしろ逆に「朝日の護憲論 あまりの倒錯に驚く」とした方が相応しいと思う。衆院予算委員会で答弁に立つ安倍晋三首相 =2月4日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 何故なら、「自衛隊の存在と学者の見解のへだたり」が生じたのは遠い過去の出来事だ。これは吉田茂の解釈変更に端を発する「見解のへだたり」だろう。この根本の部分に目を向ける必要があるのではないか、というのが安倍総理、そして稲田政調会長の議論の要点だ。それに対して、『朝日新聞』は、そうした「見解のへだたり」を無視した上で、集団的自衛権の行使容認のみを「違憲だ!」と騒ごうとしているのだ。本を正さずして末に走る議論と言ってよい。 「自衛隊すら「違憲」とみなされるのは、おかしいのではないか?」と多くの国民が思うだろうが、現実に『朝日新聞』のアンケートでは、憲法学者の63%が「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」と答えているのだ。 『朝日新聞』は旗幟鮮明にすべきではないか?「我々は多数の憲法学者の見解を受け入れ、自衛隊を「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」と考えている」と表明するのか、それとも、「多数の憲法学者が自衛隊を「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」というが、それは極端な見解であるから、いくら大多数の憲法学者がそのような極端な憲法解釈をしても、そうした極論には与しないで自衛隊は合憲と認める」とするのか。 一体どちらなのか? 朝日新聞の自衛隊に関する憲法解釈が「倒錯」しているのは、自衛隊の存在に関しては、多くの憲法学者の主張を無視して、「違憲である!」と表明しないのに、集団的自衛権の行使容認に関してのみ、自衛隊違憲説を奉じる多くの憲法学者の主張を鵜呑みにして「違憲である!」と騒ぎ立てるからだ。 「自衛隊を違憲である」という人が「集団的自衛権の行使は違憲である」というのは、一貫していてよい。現実離れした主張ではあるが、「倒錯」してはいない。 だが、「政府の勝手な憲法解釈の変更を許すな!」「立憲主義を守り抜け!」と騒ぎ立てる人々が、吉田茂の解釈の変更によって作られ、多くの憲法学者が「違憲だ!」と主張している自衛隊の存在に関しては、否定せず、そして積極的に肯定もせず、口をつぐんでいるのは、まことにご都合主義的で、倒錯した「護憲論」と言わざるを得ない。※「岩田温の備忘録」2016年2月9日分を転載

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    日本を無謀な戦争に巻き込んだ「戦犯」は朝日と毎日との指摘

    て日本を戦争に引きずり込んだ、というストーリーを歴史上の事実として教えていたのである。有楽町にあった朝日新聞社旧社屋(1979年1月撮影) そうした側面もまったくなかったとは言わないが、もし日本を無謀な戦争に引きずり込んだ人間を「戦犯」あるいは「戦争犯罪人」と呼ぶならば、陸軍の強硬派に匹敵する、いやある意味でそれ以上の「戦犯」がいる。朝日新聞あるいは毎日新聞(東京日日新聞)といった戦前からある新聞社である。  戦前はテレビは無く、雑誌とラジオはあったがマスコミといえば新聞が中心であった。マスコミ=新聞と言っても過言ではない。その新聞社がいかに日本を戦争の方向に誘導したか、日本人がとにかく戦争で物事を解決するように煽動したか。 私や私よりは少し年上の団塊の世代の人々は、いわゆる戦後教育において、戦前の新聞社は軍部の弾圧を受けた被害者だと教えられてきた。学校で近代近現代史の授業は受けられなくても小説や映画やテレビドラマを通じて、戦前の新聞社はいかに軍部の弾圧に対して抵抗したかという英雄的ストーリーを叩きこまれてきた。それは大嘘である。 確かに昭和十八年以降敗戦が決定的になった頃、その事実を隠した大本営発表を強要する軍部に対し一部抵抗した記者がいたのは事実だ。だが、抵抗の事実はほとんどそれだけである。それ以前まさに、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変からの一連の日中戦争そして日米開戦まで、「日本は戦争すべきだ」と常に国民を煽り続けたのが新聞社であった。これが歴史上の真実である。 特に朝日新聞社は、満州事変が始まると戦争推進派の評論家などを動員し全国で講演会や戦地報告会を多数開催した。またテレビ以前の映像メディアとして「ニュース映画」というものがあったが、朝日のカメラマンが現地で撮影してきた事変のニュース映画も全国で多数公開された。 昔は普通の映画館に隣接して全国各地に「ニュース映画専門館」があったことを、団塊の世代ならかろうじて覚えているだろう。もちろん、これらの朝日のキャンペーンは、この戦争が正義の戦いであるから、国民は軍部の方針を支持するように訴えたものである。  それだけではまだ不充分だと朝日は戦意高揚のための「国民歌謡」の歌詞を全国から公募した。しかし応募作の中には朝日の意に沿うような作品がなかったのだろう。結局朝日新聞記者の作品を当選作としプロの作曲家に作曲を依頼し完成したのが『満州行進曲』である。これは大ヒットし親しみやすい曲調からお座敷などでも盛んに歌われた(戦後作られた「反戦映画」にはこうしたシーンはほとんど出てこない)。 世の中には新聞を読まない人、ニュース映画を見ることができない人もたくさんいたが、そういう人々にこの歌は「戦争することが正しい」と教えた。その結果日本に「満州を維持することが絶対の正義である」という強固な世論が形成された。 軍部がいかに宣伝に努めたところでそんなことは不可能である。やはり、「広報のプロ」である朝日が徹底的なキャンペーンを行なったからこそ、そうした世論が結成された。それゆえ軍部は議会を無視して突っ走るなどの「横暴」を貫くことができたし、東條(英機)首相も「英霊に申し訳ないから撤兵できない」と、天皇を頂点とする和平派の理性的な判断を突っぱねることができた。  新聞が、特に朝日が軍部以上の「戦犯」であるという意味がこれでおわかりだろう。 朝日新聞社にとって極めて幸いなことに、戦後の極東軍事裁判(東京裁判)によって東條らは「A級戦犯」とされたが朝日にはそれほどの「お咎め」はなかった。そこで朝日は「A級戦犯である極悪人東條英機らに弾圧されたわれわれも被害者である」という世論作りをこっそりと始めた。 たとえばその手口として「反戦映画」に「新聞社も被害者」というニュアンスを盛り込むというのがある。「よく言うよ」とはこのことだが、特に団塊の世代の読者たちはずっと騙され続けてきた。いやひょっとして、今も騙されている人がいるのではないか。身近にそういう人がいたら、是非この一文を読ませてあげてください(笑)。関連記事■ 日本の新聞 戦意高揚させて日露開戦を煽って部数を伸ばした■ 朝日新聞発の自分史出版事業 粗利高くOB再雇用の一石二鳥■ 野坂昭如が体罰問題や農業政策などを独自視点で記した時評集■ 2000件超問い合わせの朝日新聞発自分史事業 30部111万円も■ 朝日の視線の先にあるのは権力者の顔色や大新聞仲間との関係

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    慰安婦見舞金は朝日新聞が払え!

    治政府の名誉も辛うじて守ることができるのではないでしょうか。 従軍慰安婦が日韓の政治問題化したのは、朝日新聞の捏造記事が発端であり、本来、この金は朝日新聞が出すべきものです。私案のように一度基金として金を集めてから予算化するのであれば、最大責任者の朝日新聞に負担させることも可能です。また、この問題を大きくした河野氏や村山氏なども私財を供出すべでしょうし、左派は「かわいそうな従軍慰安婦様のため」、保守派は「先人の名誉を守るため、税金を出させぬため」に浄財を寄付してくれるのではないでしょうか。ここまで磐石だった安倍政権が、今回の慰安婦交渉で最も熱烈に安倍総理を支えた人達の支持を失いかけています。本私案は、政権の危機を救う妙手になると自負しているのですが、いかがでしょう。 ちなみに、私が別のサイトで行っている「慰安婦見舞金は朝日新聞が払え」キャンペーンは大勢の賛同を頂いています。これが国民の声、少なくとも安倍政権を支持してきた人たちの声なのです。(森口朗公式ブログ 2015年12月29日分を転載)

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    安保社説を読めば朝日の劣化がよく分かる

    朝日をはじめとする左翼メディアは安保法制反対の理由に「自衛隊のリスク」を挙げる。これまで左翼メディアが自衛隊を「税金泥棒」「憲法違反」と誹謗はしても、気遣ったことなどあっただろうか。見え透いたお為ごかしはもうやめていただきたい。

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    ちゃんちゃらおかしい朝日の「自衛官同情論」

    を一言でいえば、中国の軍事的脅威からわが国を守るためです。 しかし、共産党や民主党などの野党、学者、朝日新聞などは、中国の脅威から如何にして国を守るかではなく、この法案が憲法に違反するとか、心にもなく自衛官のリスクが増大するとか、安倍晋三首相や礒崎陽輔首相補佐官の言葉尻を捉えての非難に終始、法案の本質を逸らして国民の不安を煽り、法案成立を妨害しています。 民主党や朝日新聞などを見ますと、次に示す「孫子」(兵法)の原則が頭に浮かびます。●其の来らざるを恃むことなくして、吾が以て之を待つことあるを恃め(敵の侵攻がないことを希うのではなく、侵攻意図を断念させるための十分な備え、つまり抑止力を保持しなければならない)。本原則は「戦わずして勝つ」の前提ですが、知る人は少ないです。●用間(間者を用いる)に五あり、郷間(敵国のマスコミ、学者など)あり、内間(敵国の政治家、官僚など)あり、反間(敵国の大臣、軍人、外交官など)あり、死間(敵国を攪乱する自国民)あり、生間(敵国の情報を持ち帰らせる自国民)あり。 「孫子」や中国が見れば、朝日新聞は「郷間」、民主党や共産党は「内間」であり、与党のなかにも朝日新聞などの風評に毒されて「内間」「反間」を疑わせる議員もいます。 本論では、朝日新聞の報道を中心に安全保障関連法案に対する「間」ぶりを検証します(以下、「声」は読者投稿欄、「社」は「社説」、「天」は「天声人語」を指す)。中国の軍事的脅威を無視 軍事的脅威は、相手の国を侵略し得る能力、侵略しようとする意図、侵略を許す環境条件が整った時に生じます。が、朝日新聞の「社説」は中国に阿り、中国の軍事的脅威をオブラートに包み、具体的に報道しません。(1) 能力(軍事費、兵力、兵制) 朝日新聞は3月6日付社説で「中国国防費」について、見出しに「これで責任ある大国か」を掲げていましたが、中身を見ますと、《8868億9800万元。日本円にすると、17兆円近い。日本の防衛予算のゆうに3倍を超える規模である。……90年代以降、中国は毎年、国防費を10%前後、時にそれ以上の伸びで増やしてきた》 と述べていますが、急激に増大させている具体的な状況や兵制については説明しません。 朝日新聞は繰り返し、安保法制は国民の理解を得ていないと主張していますが、朝日新聞の記述では敵を知ることはできません。朝日の読者が法案の必要性を理解できないのも納得できます。 中国は国防費を平成元年度から、22年度を除き、毎年二ケタ増大させ、3月5日に発表した27年の国防予算は前年実績比10・1%増の8868億9800万元、日本円に換算すれば約16兆9千億円、わが国の防衛関係費、約4兆9800億円の約3・4倍です。 公表額には、研究開発費や外国からの兵器購入費などの全てを含んでいないと指摘され、アメリカの国防総省などの発表を総合すれば、実際額は公表額の2~3倍と見られています。 平成26年版防衛白書は、中国の「公表国防費の名目上の規模は、過去26年間で約40倍、過去10年間で約4倍となっている」と記述しています。兵役は苦役なのか兵役は苦役なのか 中国は膨大な軍事費に裏付けされた核兵器、各種類・各射程の弾道ミサイル、空母をも保持しています。さらに注視すべきは、人口が13億人を超え、徴兵制で兵隊は無尽蔵、兵役を「神聖な責務」「光栄ある義務」として軍人に敬意を表し、十二分の侵攻能力を保持していることです。 ちなみにわが国では、朝日新聞や民主党や共産党が、安保法制が成立すれば「徴兵制になる」と叫び、国防の任に就きたくない国民の不安を煽っています。 一方、安倍首相は7月30日の参院平和安全法制特別委員会で、自民党の森雅子氏の「子育て中のお母さんと話すと、『徴兵制になるんじゃないの』という声を聞く」(7月31日付朝日新聞)との質問に対し、 「徴兵制は憲法が禁止する意に反する苦役で、明確な憲法違反だ。今後も合憲になる余地は全くない。政権が代わっても導入はあり得ない。自衛隊はハイテク装備で固めたプロ集団で、短期間で隊員が入れ替わる徴兵制では精強な自衛隊は作れない。G7諸国で徴兵制を取っている国は一つもない」(同日付産経新聞) と答弁しました。 安倍首相の答弁にあるように、G7諸国は現在、志願制です。しかし憲法で徴兵を禁じている国はなく、徴兵、志願を問わず、「兵役を苦役」としている国もありません。 わが国の憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」は、米国憲法修正第13条「奴隷又は意に反する苦役の禁止」から流用したものです。米国憲法修正第13条は、奴隷制度が廃止された1865年に成立したものです。 マッカーサー元帥から短期間に憲法原案の作成を命ぜられたわが国の実情に疎い米軍人が、わが国にも奴隷がいると勘違いし、原案に導入したのでしょう。米国は昭和48年から志願制にしましたが、修正第13条をもって兵役を苦役とはしていないことは、それ以前は徴兵制だったことからも明白です。ドイツは平成23年7月1日から徴兵制の運用を停止していますが、基本法(憲法)上は現在も徴兵です。 軍隊はハイテク装備だけで構成されているわけではなく、経験が豊富でない徴兵された兵隊でも役に立つ分野がたくさんあります。 自衛官にも配偶者、子、親がいます。最高指揮官たる首相の「兵役は苦役」発言を何と聞くでしょうか。言葉尻を捉えて追及する野党や朝日新聞が「兵役は苦役」発言を問題にしないのは、外国では尊敬されている兵士(自衛官)を尊敬せず、心の底で蔑んでいるからではないでしょうか。(2)意図(南シナ海問題) 中国は虎視眈々とアジアの支配を狙っています。その手段の一つが、南シナ海の占有です。が、朝日新聞の社説は中国の侵攻意図に無関心です。たとえば、次のように報じています。●「南シナ海の問題もあくまで平和的に解決しなければならない。抑止力を振りかざす前に『法の支配』を浸透させる外交努力を最優先すべきだ」「万が一にも軍事衝突にいたれば、日中両国は壊滅的な打撃を被る。その現実感を欠いた安保論議は危うい」(5月20日付)●「中国の動きを受け、東南アジア各国が海軍力の強化に動いているのも心配だ。フィリピンは実効支配する島で軍事基地を強化し、ベトナムも岩礁の埋め立てをしていると伝えられる。中国を牽制する米軍の行動も緊張を高めかねない」(6月2日付)●「南シナ海を『対立の海』にしてはならない。シーレーン防衛は本来、国際社会として取り組む課題だ。長期的には、日米豪、東南アジア諸国連合(ASEAN)、さらに中国も加える形で協力しなければ安定した地域秩序は築けない。そのために日本がどんな役割を果たすべきなのか。聞きたいのはそんな本質的な議論だ」(7月14日付) 朝日新聞は、周辺国の抗議を無視してどんどん埋め立てを行ってシーレーンを脅かしているのが中国であるにもかかわらず、中国を代弁する発言に終始しています。(3)意図(尖閣諸島侵犯、東シナ海問題) 中国海警局の船が尖閣諸島周辺の領海を侵犯した日数は、今年に入って22日(8月2日現在)、領海外側にある接続水域の航行を含めると、ほぼ毎日です。この状況を産経新聞はその都度、報じていますが、朝日新聞は接続水域の航行は無視、領海侵犯すら満足に報じず、中国の脅威を国民の目から逸らしています。 政府は7月22日、中国が東シナ海の日中中間線付近でガス田を急速に開発している状況を公表しました。中国の狙いは、地下で繋がっているわが国側のガスの盗掘と軍事施設の建造です。政府の公表を受けて、23日付で産経新聞は「主張」で「『緊張の海』を示す証拠だ」、読売新聞は「社説」で「実態公開して自制を促したい」と述べました。 しかし朝日新聞は中国の反応、「産経」の「主張」や「読売」の「社説」を見て、翌24日付「社説」で「不信の連鎖に陥るな」との見出しを掲げて、こう述べています。 「日本政府がこの時期に公表したのは、中国の脅威を強調し、安全保障関連法案への理解を求める意図もありそうだ。だが、東シナ海の軍事的な緊張を高めることは避けなければならない」 「不信の連鎖に陥ることは日中双方の利益にならない。安全保障上の対立をあおるより、今後の協力関係を発展させる糸口としなければならない」 不信を高めているのが中国であるにもかかわらずわが国だと言わんばかりです。人民日報の「日本支局」ではないか、と疑ってしまいます。(4)環境条件の変化(アメリカの相対的力の低下) 一方、アメリカの2016会計年度の国防予算案は約68兆7700億円(2月4日付読売新聞)です。中国の軍事費がアメリカを追い越すのも時間の問題です。相撲にたとえれば、アメリカを横綱とすれば中国は横綱直前の登り龍の東の大関です。 つまり、中国の侵攻能力、意図が日々高まり、アメリカの中国に対する相対的な力が低下しつつあります。アメリカに「おんぶにだっこ」式の国防は成り立たないのです。日本人であれば、抑止力の低下を危惧しなければなりません。にもかかわらず、民主党や共産党、朝日新聞などは、抑止力の低下の助長に熱中しているのです。心と反対の「自衛官同情論」心と反対の「自衛官同情論」 朝日新聞や左翼は、安保法案反対理由に、自衛隊員に危険が及ぶと叫んでいます。私は自衛隊に35年間、勤務しました。この間、左翼から「税金泥棒」「憲法違反」と誹謗されたことはありましたが、気遣っていただいた記憶はありません。安保法成立を伝える9月20日付の朝日新聞一面 それゆえ、「自衛隊員のリスク云々」を耳にしますと「心にもないことを言うな」と怒りが込み上げてきます。ちなみに、自衛隊員とは事務次官などの官僚、防大教授などの文官教官を含み、いわゆる「軍人」は自衛官と言います。ここでいう「自衛隊員」は「自衛官」というべきでしょう。「自衛隊員リスク」に関する朝日新聞報道の代表例を列挙します。(1)3月1日付「声」「自衛隊が攻撃される危険話せ」(2)3月22日付「声」「自衛隊員の命は保障されない」(3)3月26日付「声」「自衛隊の海外活動拡大は危険」(4)5月23日付「声」「自衛隊員の立場から安保考えて」(5)5月28日付「社説」「リスクを語らぬ不誠実」(6)同日付「声」「自衛隊員の命 軽く考えるな」 私はこれらの意見を聞いて、思わず吹き出してしまいました。過去、朝日新聞や左翼は、次に示すように逆の発言や行動をして、自衛官の誇りを奪っていました。(1)大江氏の防大生の人権侵害 安保法制反対を叫んでいる作家の大江健三郎氏は、私が防衛大学校入校直後の昭和三十三年6月25日付毎日新聞夕刊のコラムで、こう述べました。 「ぼくは防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」 大江氏の働きかけが成功して、防衛大学校の志願者がなくなったり、自衛隊がなくなったりしていたら、東日本大震災などの災害救助にも著しく支障が出たでしょう。否、その前に、わが国は中華人民共和国の「日本自治区」となり、チベットやウイグルと同じように、漢族から迫害を受けているでしょう。相次ぐ自衛隊差別(2)日教組の自衛官の子いじめ 日教組所属の教員が職権を濫用して授業中、自衛官の子をいじめました。その一例として、産経新聞編集委員の大野敏明氏が、平成8年2月2日付産経新聞夕刊で「日教組の『自衛官の子いじめ』」「『人権』はなかった……」とのタイトルで詳述しています。一部を抜粋すれば、次のとおりです。 《私の父は自衛官だった。小学生も安保反対デモのまねをしていた60年安保騒動の翌年、小学校の四年生だった私は社会科の授業中、担任の女性教師から「大野君のお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。しかも憲法違反の集団です。みんな、大きくなっても大野君のお父さんのようにならないようにしましょう。先生たちは自衛隊や安保をなくすために闘っているのです」と言われたことがある》(3)住民登録の受付拒否(昭和51年版「防衛白書」) 《昭和47、48年に、ある市で隊員の住民登録の受付が拒否されたことがあったが、……こうした事例は、偏見によるものであり、……隊員の基本的人権の侵害につながるもので……》(4)入学拒否等(同) 《防衛庁では、職務上の必要から、隊員を国内の大学院等において研修させているが、受験の際その辞退を求められたり、願書が返送されたりするといった事例は、昭和39年から46年までの間に、延べ約50人に及んだ。(中略)例えば某県であった例のように、自衛官であることを理由として高校通信課程の転入学を拒否され、あるいは大学入学後自治会学生等に一年間にわたってその通学を妨害され、現地の地方法務局に人権侵犯問題として申告した事例等がある》(5)国民体育大会の出場辞退(同) 《国民体育大会の県代表チームの選手として隊員が内定したことから、その隊員の出場辞退、出場取消し又はチーム全員の不参加を招いている事例がある》(6)自衛官を「罪人」扱い 平成20年2月、漁船「清徳丸」と海上自衛隊イージス艦「あたご」が衝突しました。朝日新聞は事故原因の全く不明の段階から、イージス艦だけに回避義務があるがごとく「あたご」と海上自衛隊を叩きまくり、検察は衝突時と衝突直前の当直士官を起訴しました。 が、裁判所は「あたご側に衝突回避義務はなく、両被告の過失は認められない」とし、無罪を言い渡しました。無罪判決を受けても、朝日新聞は謝罪しません。なぜでしょうか。学者の尻馬に乗る政治家学者の尻馬に乗る政治家 おためごかしの自衛隊員リスク論や首相のヤジ発言などで、肝心の安全保障の問題が一向に論じられないなかで降って湧いたのが、6月4日の衆院憲法審査会で、与党が推薦した参考人・早稲田大学教授の長谷部恭男氏の憲法違反発言です。法案潰しの材料に共産党、民主党、朝日新聞は飛びつきました。 朝日新聞はアリバイ工作のため、「声」にはごく少数の賛成意見を載せましたが、「社説」「天声人語」「声」を総動員して違憲、反対を連発しました。代表例は次のとおりです。(1)6月5日付「社」「安保法制」「違憲との疑義に答えよ」(2)6月6日付「社説」「『違憲』法制」「崩れゆく論議の土台」「天」「一内閣の勝手な解釈変更が通るなら、憲法などあってなきがごとし。立憲主義は空洞化する」「声」「安全保障関連法案は撤回せよ」(3)6月7日付「声」「憲法に反する法あってはならぬ」「憲法改正を堂々と問うべきだ」(4)6月8日付「声」「『憲法違反』の法律を作るのか」(5)6月9日付「社説」「『違憲』法制」「政治権力は全能ですか」「天」「憲法で政治権力を縛るという立憲主義そのものが危機に瀕している」(6)6月10日付「声」「憲法を法案に合わせるのは変」(7)6月11日付「社」「『違憲』法制」「また砂川とは驚きだ」(8)6月12日付「社」「安保法制」「違憲の疑いは深まった」(9)6月16日付「社」「『違憲』の安保法制」「廃案で出直すしかない」(10)6月17日付「声」「最高責任者こそが明白な危険」(11)6月19日付「天」「安保関連法案を『違憲』とみる憲法学者は多数だ」(12)6月23日付「社」「安保法案」「違憲の疑いは晴れない」「声」「安保法制 大きな弱点がある」(13)6月25日付「声」「国会審議で立憲主義を学ぼう」(14)6月28日付「天」「安保法制を明快に『違憲』と断じた長谷部恭男・早稲田大教授らの見解である」(15)7月10日付「声」「砂川判決は根拠にならない」(16)7月14日付「社説」「生煮えの安保法制」「有識者や市民団体が『憲法違反』の法案に対し、反対の声をあげ続けている」「天」「憲法学者の石川健治・東大教授が、雑誌『世界』で語っている。これは『法秩序の連続性の破壊』であり、法学的にはクーデターだった」占領軍に「させられた」 民主党や朝日新聞は「立憲主義」と叫びますが、憲法の制定過程に口を閉ざしています。 サンフランシスコ平和条約第1条は、こう定めています。 「(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。(b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」 つまり、条約の効力が発生したのは昭和27年4月28日ですから、それまではわが国と連合国とは戦争状態にあり、日本国民の主権はなかったのです。 それゆえ、昭和21年11月3日に公布、6カ月後の22年5月3日に施行された「日本国憲法」は、公布も施行も戦争状態中、主権がなかった時の出来事で、公布や施行は自主的に「した」のではなく、占領軍から「させられた」のです。 左翼は自衛隊を違憲と言い、自分たちは兵役に服さず、平和の恩恵だけに浴してきました。が、内心は「軍隊」がなければ国の防衛はできないと思っていたのでしょう。その証拠に、社会党は自社さ政権で、すぐに自衛隊「合憲」に転向しました。集団的自衛権の行使を違憲と主張する政党や学者などは、自衛隊違憲に戻るのが筋ではないでしょうか。 憲法の字句を一切変えず、世界有数の近代的装備を有する自衛隊をいつまでも「違憲」に放置できず、国家、国民は「合憲」としたのです。わが国の周辺状況の変化に伴い、集団的自衛権の行使も「違憲」から「合憲」に解釈を変更すべきです。 わが国民にいま、求められているのは、解釈を変えるか、頑迷固陋に従来の解釈にこだわり、チベットやウイグルのように中国の一部になるかの選択なのです。この選択の権限は、国民と無縁の憲法学者やマスコミにはなく、国民が政権を委ねた政府にあるのです。 解釈変更ではなく改憲すべきだ、との主張があります。改憲すべきは当然で、並行して進めるべきです。が、占領軍はわが国を半永久的に弱小国家に留めておくことが自分たちの国益と考え、改正が不可能に近い改正規定(96条)を設けたのです。 「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」は、「泥棒を捕まえて縄」よりも難しいのです。「中身が理解できない」「中身が理解できない」 朝日新聞や民主党、共産党などは、安保法制は国民の理解を得ていないと強調します。正直言いまして、防大に入校して定年まで自衛隊に勤務した私でも、理解するには苦労するところがあります。一般の国民が理解困難なのは、ある意味で当然です。 だから戦後体制からの脱却を目指す安倍首相を信頼するか、民主党内閣の大臣就任記者会見の際、国旗に敬礼せず、「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」の「祝賀式典」を欠席した民主党代表の岡田克也元外相や安保法制の参院特別委員会の野党筆頭理事の北澤俊美元防衛相を信頼するかの選択です。アメリカと一体となって国の防衛を目指す自民党を信頼するか、共産党と連携して法案に反対する民主党を信頼するかの選択です。 ちなみに北澤氏は防衛相の時、米軍駐留地を「迷惑な施設」と発言、「『信頼してくれ』という言葉だけで(日米同盟は)維持できない」と述べた連隊長を処分し、更迭しました。 60年安保騒動の時、私は防大の3年生でした。大学生のほとんどは共産党、社会党、朝日新聞など左翼に扇動され、「安保反対」「自衛隊反対」「戦争に巻き込まれる」と騒ぎ、授業が行われていた大学は、防大など僅かでした。 が、戦争に巻き込まれることはなく、自衛隊と日米安保で平和が保たれて経済的に大発展し、デモに参加していた学生は高額の収入や多額の年金を得て、優雅な老後を送っています。 東大の二年生で、「安保反対」「自衛隊反対」デモに参加していた加藤紘一氏もその一人です。父のあとを継いで自民党から衆院議員に当選、中曽根内閣の防衛庁長官になりました。 長官任務を終えて10年近く経った平成6年11月3日付の産経新聞で、「安保の中身を知っている者は百人に二人もいなかった」と自白しています。全学連の闘士だった西部邁氏や田原総一朗氏も、「当時、安保条約など読んだこともなかった」と告白しています。 朝日新聞は60年安保騒動時の報道を反省することなく、また同じ過ちを繰り返しています。軍人としての処遇を 安保法制が成立すれば、自衛官の任務は拡大します。自衛官には、少なくとも以下に示すような任務に見合った名誉と処遇を与えなければなりません。(1)兵役を神聖な任務 兵役を「苦役」ではなく、「神聖な任務」と位置付けるべきです。(2)勲章の充実 外国軍人と同じように、自衛官全員に現役中に叙勲を授与し、かつ新たに終身年金付の「防衛功労勲章」(金鵄勲章)を設け、年齢、階級に関係なく、任務遂行中、功績のあった自衛官に授与すべきです。アメリカでは、最高位の勲章は現役の軍人にしか授与されません。(3)戦死者の処遇 戦死した場合、靖國神社にお祀りして首相以下、全閣僚が参拝し、かつ十二分な「戦死手当」を出すべきです。(4)自衛官の位置付け 統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長、陸上自衛隊の方面総監、海上自衛隊の自衛艦隊司令官、航空自衛隊の航空総隊司令官を認証官に、外国の士官学校長が現役の軍人であるように、防衛大学校長を自衛官にすべきです。(5)捜査、起訴、求刑は自衛隊が 軍人の犯罪は、外国では軍法会議が裁きますが、わが国の憲法には軍法会議がありません。任務遂行中に自衛官が罪を犯した場合、少なくとも捜査、起訴、求刑は安全地帯にいる警察、海上保安庁、検察ではなく、自衛隊に付与すべきです。平成27年度自衛隊観艦式で護衛艦「くらま」の艦上で海上自衛隊の演習を観閲する安倍首相(中央右)。左は麻生副総理=10月18日、神奈川県沖の相模湾(三尾郁恵撮影) 戦後、わが国の政策の大転換は二つありました。日米安保の改定と消費税の導入です。いずれも朝日新聞や当時の野党が国民の不安を煽り、世間を混乱させました。 その結果、平成20年12月16日付朝日新聞夕刊によれば、岸内閣が安保改定した退陣前の支持は12%、不支持は58%、竹下内閣が消費税を導入した退陣前の支持は7%、不支持は84%でしたが、いずれの大転換も歴史上、高く評価されています。 安倍内閣の支持と不支持が逆転したとはいえ、その差は10%内外、民主党の支持率は衆院採決前と同様、自民党に大差をつけられています。民意に反するとの民主党や共産党の主張や朝日新聞の報道は、国民をミスリードしているのです。 衆院は民意を問うてから半年しか経っていません。昨年暮れの衆院選挙では、集団的自衛権の行使を含む安保法制も主要争点でした。選出されて2年と5年を経過した議員の集合体である参院で議決しなければ、直近の民意である衆院の3分の2以上の可決で成立させることが、国民に対する責務ではないでしょうか。かきや・いさお 1938年、石川県生まれ。62年、防衛大学校(第6期)卒。同年、陸上自衛隊に入隊。66年、大阪大学大学院修士課程修了。陸上幕僚監部幕僚、防衛大学校教授等を経て、93年、退官(陸将補)。著書に『自衛隊が軍隊になる日』『徴兵制が日本を救う』『自衛隊が国軍になる日』(展転社)がある。

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    日本の未来への障害となっているのは中韓を煽るメディアだ

    私は、溜息が出た。読売新聞や産経新聞を除いて、むしろこの談話を非難するものが「圧倒的」だったのだ。 朝日新聞は、その中でも急先鋒だった。1面で〈引用・間接表現目立つ〉、2・3面も〈主語「私は」使わず〉〈おわび 最後は踏襲〉と攻撃一色で、社説に至っては、〈戦後70年の安倍談話 何のために出したのか〉と題して、徹底した批判を加えた。 それによれば、〈侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワード〉は盛り込まれたが、〈日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされ〉、談話は〈極めて不十分な内容〉であったというのである。 そして、社説子は、〈この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う〉と主張し、〈その責めは、首相自身が負わねばならない〉と締めくくった。 私は、正直、呆れてしまった。それは、いつまで経っても、中国や韓国に「日本攻撃」をするように「仕向ける」報道手法がとられ、これからもそれに添って、中国や韓国が延々と「日本を攻撃していく」という“未来”がわかったからである。 それは同時に、ここまで中国や韓国との間の友好関係が「誰によって破壊されてきたのか」を明確に指し示すものでもあった。 私たちの子や孫の世代、すなわち「未来」に向かって障害となっているのは「誰」なのか、という問いには、自ずと答えが出てくるはずである。それは日本のマスコミが、絶対に日本と中国・韓国との和解と真の友好への発展は「許さない」ということだ。 私は、今から30年前の1985(昭和60)年の夏を思い出す。「戦後40年」を迎えた夏だ。あの時、巷では「戦後政治の総決算」を唱えた当時の中曽根康弘首相を打倒すべく、朝日新聞をはじめ“反中曽根”メディアが激しい攻撃を繰り広げていた。それは、“打倒安倍政権”に邁進している今のメディア状況と酷似している。 この時、中曽根首相の「靖国参拝」を阻止するために大キャンペーンを張っていた朝日新聞が、「人民日報」を担ぎ出し、ついに中国共産党機関紙である同紙に、靖国参拝批判を書かせることに成功するのである。 文化大革命でも明らかなように、中国は「壁新聞」の国である。人民は、“お上”の意向を知るために、北京市の長安街通りの西単(シータン)というところに貼りだされている新聞を読み、上の“意向”に添って行動し、あの文革で権力抗争の一翼を担ったのはご承知の通りだ。 そんな国で、人民日報が取り上げて以降の「靖国参拝問題」がどうなっていったかは、あらためて説明の必要もないだろう。A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは1978(昭和53)年であり、それが明らかになったのは、翌年のことだ。その後、この時まで日本の首相は計21回も靖国に参拝しているのに、どの国からも、たった一度も、問題にされたことはなかった。 しかし、朝日が反靖国参拝キャンペーンを繰り広げ、人民日報がこれに追随したこの昭和60年以降、靖国神社は中国や韓国で「軍国主義の象徴」となり、「A級戦犯を讃える施設」とされていった。 靖国神社が、吉田松陰や坂本龍馬を含む、およそ250万人もの幕末以来の「国事殉難者」を祀った神社であることは、どこかへ「消し飛んだ」のである。靖国参拝を完全に「外交問題化」「政治問題化」することに成功した朝日新聞は、より反靖国キャンペーンを強め、中国は日本に対する大きな“外交カード”を手に入れたのである。 慰安婦問題については、これまで当ブログで何度も取り上げ、しかも、昨年、朝日新聞による訂正・撤回問題に発展したので、ここでは触れない。しかし、この問題も朝日新聞によって「外交問題化」「政治問題化」していったことは周知の通りだ。 今回の安倍談話でも、中・韓に怒りを呼び起こすように記事化し、「これでもか」とばかりに一方的な紙面をつくり上げた朝日新聞をはじめとする日本のメディア。私は、溜息をつきながら、これらの記事をこの夏、読んだのである。 折も折、フランスの「ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)」がその2日後の8月17日、興味深い報道をおこなった。同ラジオは、フランス外務省の予算で運営されている国際放送サービスだ。 この放送の中国語版が安倍談話を取り上げ、これを報じた『レコード・チャイナ』によれば、「中国が歴史問題で日本に毎年のように謝罪を迫るのは根拠のないことだ」「日本は中国への反省や謝罪だけでなく、罪を償うための賠償もしている」「永遠の不戦を誓った日本に比べ、日本による侵略、植民地化をくどくどと訴える中韓は、あまりにも遅れている」と論評した。 その内容は、常識的、かつ中立的なものと言える。敗戦国も「領土割譲や賠償、戦勝国による一定期間の占領、戦争裁判などが終われば、敗戦国の謝罪や清算も終わりを告げられる」ものであり、償いを終えた敗戦国にいつまでも戦争問題を訴え続けることに疑問を呈したのである。 さらには、「平和主義、民主主義を掲げる日本が、軍事拡張路線、権威主義の中国に屈することはない」と主張し、日本の首相が替わるたびに中国が謝罪を求めていることは、同じ敗戦国である「ドイツやイタリアでは見られない事態」だというのである。 その報道は、最後に「安倍談話に盛り込まれた“謝罪”というキーワードは、表面上は中国の勝ちのように思われがちだが、国際世論を考えれば本当の勝者は安倍首相だ」とまとめられている。だが、RFIが報じたこの内容は、日本のメディアには、ほとんど無視された。 70年もの間、平和国家としての実績を積み上げてきた日本が、「力による現状変更」で、今や世界中の脅威となっている中国に対して「謝り方が足りない」と当の日本のメディアによって主張されていることを、私たちはどう判断すればいいのだろうか。 私には、代々の日本の首相などが表明してきた謝罪や談話の末に「戦後50年」の節目に出された村山談話で、日本と中・韓との関係は、どうなったかが、想起される。 朝日新聞をはじめ日本のメディアが歓迎したあの村山談話の「謝罪と反省」によって、両国との関係は、むしろ「それまで」より悪化していった。村山談話以降の歳月は、両国との関係が“最悪”に向かって突っ走っていった20年だったのである。 どんなに反省し、謝罪しようが、彼らを“煽る”日本のメディアはあとを絶たず、日本への怒りを中・韓に決して「収まらせはしない」のである。そして、この「戦後70年」夏の報道でもわかった通り、それは「今後もつづく」のである。 どんなことがあっても、日本の未来への“障害”となりつづける日本のマスコミ。私たちの子や孫の世代に大きな重荷を負わせるそんな日本の媒体が、なぜいつまでも存続できているのか、私にはわからない。

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    朝日と毎日の論調が地方選挙をダメにする

    しているわけです。 日本新聞協会が綱領で「報道は正確かつ公正でなければならない」と示す建前論の影で、朝日新聞は昨年の第三者委員会の調査で「角度をつける報道」をやっていたのが暴露されたわけですが、永田町文脈を安易に持ち込む全国紙の地方選挙報道が、不毛な対立を招いたり、政策論議の空洞化につながっていたりするんじゃないでしょうかね。むしろ国政マターを安易に持ち込もうとする中央政党を戒めるような論調をすべきじゃないでしょうかね。別に争点化を避けたかった自民党の肩を持つつもりも全くないけど、政治関連の仕事をしていると、つくづくそう思います。 とりあえず、山形市長選に勝って「安倍政権の打倒へ弾み」なーんてFacebookでシェアしようと思っていたSEALDsクラスタの皆さん、空振りに終わってご愁傷様でした。逆に自民党の皆さんも調子に乗らないことですね。「安保法制が支持された」なんて言わないで粛々と国政と地方のことは切り分けて仕事していただきたいと思います。ではでは。(「新田哲史のWrite Like Talking」より2015年9月14日分を転載)

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    古舘伊知郎が泣いた朝日新聞ジョン・ダワー記事を検証する

    発言していました。 ふーん。どんな「スバラシイ」インタビューなのでしょうか。 これですね、4日付けの朝日新聞にアメリカ人の著名な歴史家ジョン・ダワー氏のインタビュー記事が掲載されています。(戦後70年)日本の誇るべき力 戦後日本を研究する米国の歴史家、ジョン・ダワーさん2015年8月4日05時00分http://digital.asahi.com/articles/DA3S11897005.html うん、確かにこれなかなかの良インタビューであります。大変興味深いインタビュー記事です。 ここに表出しているのは、いわゆる護憲派『平和憲法を守れ』『九条を守れ』的な考えの人たちのひとつのテンプレ・典型的な思考パターンです。彼らの思考パターンを理解するにはよい記事だと評価します。 まず戦後70年の日本の平和国家としての歩みを肯定的に捉えています。 「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から湧き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」 ここに護憲派の論の一つのテンプレを見ることができます。戦後70年日本が平和を守ってこれたのは「平和憲法」「九条」のお蔭であるという論理です。日米安保条約並びに在日米軍・在日米艦隊の存在そして米国の核の傘に庇護されてきたことを全く無視しています。 また「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。」との箇所もあります。 「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も、そして米国も、戦争中に多くの恥ずべき行為をしており、それは自ら批判しなければならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです。すべての国は称賛され、尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ、人々は過去を反省し、変革を起こそうとするのです」 過去を反省することはけっこうなのですが、従軍慰安婦問題などで顕著である事実とは異なる誇張された間違った捏造された「虚構」が一部メディアや反日的な国で拡散していることにに対しては、厳しく反証すべきなのですが、その事実にはまったくふれていません。憲法記念日に開かれた憲法集会に参加する人々=5月3日、横浜市西区 さらに「アジアにおける安全保障政策は確かに難題」との認識も「米軍と一体化するのが最善とは思えません」という危惧を提示しています。 「尖閣諸島や南シナ海をめぐる中国の振る舞いに緊張が高まっている今、アジアにおける安全保障政策は確かに難題です。民主党の鳩山政権は『東アジア共同体』構想を唱えましたが、それに見合う力量はなく、米国によって完全につぶされました」 「だからといって、米軍と一体化するのが最善とは思えません。冷戦後の米国は、世界のどんな地域でも米軍が優位に立ち続けるべきだと考えています。中国近海を含んだすべての沿岸海域を米国が管理するという考えです。これを米国は防衛と呼び、中国は挑発と見なす。米中のパワーゲームに日本が取り込まれています。ここから抜け出すのは難しいですが、日本のソフトパワーによって解決策を見いだすべきです」 ここで決定的な護憲派のテンプレが登場します。「ここから抜け出すのは難しいですが、日本のソフトパワーによって解決策を見いだすべき」とジョン・ダワー氏は提言しているのですが、「日本のソフトパワー」って何かと問われた彼はこう説明しています。ここ核心部分ですので、少し長いですがそのまま引用。――では、日本のソフトパワーで何ができるでしょうか。 「福島で原発事故が起き、さらに憲法がひねり潰されそうになっている今、過去のように国民から大きな声が上がるかどうかが問題でしょう。今の政策に国民は疑問を感じています。安倍首相は自らの信念を貫くために法治主義をゆがめ、解釈によって憲法違反に踏み込もうとしている。そこで、多くの国民が『ちょっと待って』と言い始めたように見えます」 「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から湧き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」 「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も、そして米国も、戦争中に多くの恥ずべき行為をしており、それは自ら批判しなければならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです。すべての国は称賛され、尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ、人々は過去を反省し、変革を起こそうとするのです」 迫りくる中国の軍事的脅威に対して、日本のソフトパワーによって解決せよ、と言います。それは、世論を盛り上げて安倍政権に反対して『平和憲法』を守り、また自分たちの過去もしっかり反省することだと、要はこのように言っているわけです。 でました。ここなのです。護憲派の主張の典型です。 目の前の安全保障上の脅威に対して具体的な策がまったく示されないのです。「憲法第9条だけ唱えていれば、日本だけは平和になる」、まるでこのように主張しているようなものです。 この冷徹な現実を前に日本だけが「九条」を念仏のように唱えれば平和が確保できるなどそれこそ平和ボケ外交音痴な戯言(ざれごと)です。 この状況下で、防衛、外交方針を具体的に打ち出す保守派に対して、護憲派は数十年前から更新されない言葉で教条的かつ精神論的な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしません。 多くの護憲派メディアおよび論者は「戦争法案反対、憲法を守れ」と安倍首相をバカにするわけですが、こうした指摘自体が一歩譲って仮に妥当だったとしても、護憲派勢力はこうして相手をバカにするだけで自分たちは具体的な、現実的な処方箋を出せていません。 これで国民の支持を得れるはずがありません。 護憲派は国家に軍事力が必要であることも、中国の軍事的膨張の脅威や近隣諸国の反日ナショナリズムの問題も一通り認めなければなりません、その上で、保守派の掲げる論以外の現実的な選択肢を提示することこそすべきなのです。 保守派の主張以外の手段を講じた方が、国防に結びつくというアピールがまったくないのです。 もっとも問題なのは、護憲派勢力のある種の大衆蔑視ともいえる自己陶酔です。 保守派は現実に起こっている変化に何とか対応しようと具体的に政策を打ち出しますが、護憲派は教条的憲法擁護論に拘泥し、自らの主張に酔い反対意見を机上で論破することのみに執着し、現実の日本を取り巻く状況に対して何ら具体的政策を国民に訴えることを放棄して、そこで自己満足しているのです。 現実に社民や共産などの護憲政党の長期凋落傾向を持ち出すまでもなく、護憲派リベラルの浮世離れした教条的憲法擁護論だけでは、すでに国民の支持を失っていることを強く自覚すべきでしょう。 冷徹な現実を見つめよ、ということです。(ブログ「木走日記」より2015年8月7日分を掲載)

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    櫻井よしこが問う 朝日新聞が導く「戦争への道」に惑わされるな

    なかったのか 中国による急速なガス田開発を国民に知らせないという点では、メディアの責任も大きい。特に朝日新聞の報道には疑問を抱かざるを得ない。 私は7月6日の産経新聞でこの東シナ海の新たなガス田開発問題を報じたのだが、同日、菅義偉官房長官は定例記者会見で、「一方的な開発を進めていることに対し、中国側に繰り返し抗議すると同時に、作業の中止を求めている」と語った。プラットホームの数など具体的情報は明らかにしなかったが、中国が一方的に新たな開発を進めていることを認めたものだ。 7月10日には、中谷元・防衛相が衆院平和安全特別委員会で、海洋プラットホームが軍事拠点化される可能性に関して、「プラットホームにレーダーを配備する可能性がある」「東シナ海における中国の監視、警戒能力が向上し、自衛隊の活動がこれまでより把握される可能性があると考えている」と述べた。国民の知らない内に中国が東シナ海を一方的に開発し、日本の安全保障に深刻な脅威を与える状況が生まれていたとの認識であろう。 産経新聞と読売新聞は防衛相答弁を翌11日付朝刊の一面トップで報じた。中谷氏の答弁は、中国の脅威増大と密接にからむ新安保法制の審議中というタイミングからいっても、大きく報じる価値があるはずである。 しかし、朝日新聞は、このいずれのタイミングでも中国の新たなガス田開発について報道しなかった。朝日が報じたのは、7日の自民党国防部会が、本年度の国防白書にガス田開発の記述がほとんどないとして了承を見送ったこと(八日付朝刊)と、衆院平和安全特別委員会で安全保障関連法案を可決した16日、自民党国防部会が改めてこの国防白書を了承したことだけである(同日付夕刊)。 8日の記事では、「中国の東シナ海でのガス田開発についての記述がほとんどなく、安全保障法制に影響する」という部会長の佐藤正久議員のコメントはあるが、いつ、どんな開発がなされていたのかまったく不明である。16日になってようやく、中国は「13年6月以降…新たな海洋プラットホームの建設作業などを進めている」と書いたが、中谷氏も「日本の安全保障にとって新たな脅威になる」と指摘したプラットホームが持つ危険性には触れていない。これでは、朝日しか読まない人々は、東シナ海で起きていることやその脅威について全く知ることはできないのではないか。 安全保障関連法は7月15日に衆院特別委で採決されたが、翌16日付の朝日新聞は朝刊一面で、「安保採決 自公が強行」というトップの記事の下に立松朗・政治部長が、「熟議 置き去りにした政権」とコラムで書いた。 「熟議」は、あらゆる必要な情報が与野党双方に認識されていなければできないはずである。日本の安全、日本の空と海と陸をどう守るのか。国民の財産と安全をどう守るのか。日本国の安全保障を論じるとき、隣国が係争の海である東シナ海で進めている蛮行を考慮せずに、如何にして、まともな形の議論が可能なのだろうか。 朝日が熟議に必要な情報を報道したとは到底、言えないのだ。南シナ海の軍事拠点づくりで世界中を震撼させた中国の脅威が東シナ海でも急速に増大していることを報じようとしない朝日新聞は、メディアとして、報じるべきことを報じてから「熟議」を求めるべきではないのか。大局面で判断を誤り続けたのは大局面で判断を誤り続けたのは 立松氏のコラムはさらに、安倍首相が「日米安保条約改定や国連平和維持活動(PKO)協力法もメディアが批判し、反対の世論が強いなかで実現させ、今ではみんな賛成している」と主張したとして、「『どうせ理解されないし、時が解決する』と言わんばかりの態度は、政治の責任に無自覚だ」と批判している。 しかし、そのときは国民の理解を得られなくても、本当に国家に必要なことを為し、その評価を歴史の審判に委ねる姿勢は政治家の崇高な義務感の表れでもある。 逆に、朝日新聞に問いたい。朝日は日米安保条約改定やPKO協力法に反対してきた。それは歴史の審判に堪えられる見解だったのか。答えは明らかに「ノー」であろう。日米安保も自衛隊のPKO活動もいまでは国民の大多数が必要だと考え、支持している。 それだけではない。サンフランシスコ講和条約締結時における「単独講和」反対論、自衛隊を白い眼でみる論調。国家の命運をかけた重要な選択や、国家の土台である安全保障について、朝日新聞はことごとく間違ってきた。自衛隊は、いまや国民の九割の信頼を集めている。 重要課題でこれほど間違いを重ねてきた新聞は、世界でも珍しいのではないか。朝日は安倍首相を批判するよりも、自らの不明を恥じ反省することが先ではないか。 わが国の眼前に迫り来る脅威は報じずに、日本の抑止力を高めるための法整備に、「戦争法案」「戦争への道」「徴兵制」「殺し殺される国」といった情緒的なレッテルを、デモ参加者や野党議員らのコメントを利用して書き立て、反対を煽る。こうした報道姿勢は、自分たちのイデオロギーに沿わない安倍首相を敵視する「反安倍キャンペーン」だと言ってもよいもので、国の針路を誤らせかねない。中国の脅威にいま対処して抑止力を高めなければ、それこそ逆に「戦争への道」に追い込まれる危険が増大するのではないか。 そして、7月22日、政府が15点の写真と共に、中国の東シナ海でのガス田開発情報を公開した。23日付「産経」も「読売」も一面トップ扱いである。「朝日」も遂に報道したが、一面の左カタと二面を割いての報道である。政府の情報公開は遅きに失しているが、公開自体は評価したい。朝日の読者もようやくこれで中国の蛮行について知ることができたといえる。日本と安倍政権の使命 中国は、アメリカが内向き思考のオバマ政権下にある間に、中国式の世界秩序をつくろうとしているのではないか。かなりの部分、それが成功しつつあると思われる。軍事しかり、アジア投資銀行(AIIB)に象徴される金融しかり、中国語教育機関を名乗る思想宣伝機関の孔子学院の世界展開しかり、である。 7月1日には中国の全国人民代表大会が「国家安全法」を採択し、即日施行された。領土と海洋権益の防衛、テロや暴動、少数民族などの国内治安維持に加えて、宇宙やサイバー空間での安全保障、資源確保などが担保されなければならないとする内容だ。そのうえで、国家主権と領土保全の維持は「香港、マカオ、台湾の住民を含む中国人民の共同義務」とされた(産経新聞7月4日付)。 共産党批判や民主派の活動を封じ込める狙いがあるとみられるが、その対象になんと台湾人も含めたのである。反中国デモに参加したことのある台湾人が、その後に旅行や仕事などで中国を訪れるだけで、逮捕または拘留されることもあり得るのだ。中国が横暴な拡張主義を法律面でも強めている具体例である。 こうした中国の強硬策を見て、アメリカの対中姿勢が硬化しつつある。長くアメリカの外交政策をリードし、親中路線の旗振り役でもあった有力研究所「外交問題評議会」(CFR)は今年3月の特別報告書で、「現在の最大かつ最も深刻なアメリカへの戦略的挑戦は中国の強大化である」として「国防予算の削減を止めて軍備を増強し、中国包囲網を構築すべき」と提言した。国務省でさえ南シナ海の人工島を認めないとし、ハリー・ハリス太平洋軍司令官は「砂の万里の長城である」と非難した。極めつけは、統合参謀本部が七月一日に公表した「国家軍事戦略」である。中国をロシア、北朝鮮、そしてイランと並ぶ「潜在的な敵性国家」に初めて位置づけ、国際秩序を脅かす「リビジョニスト国家」とも呼んだのである。 ただ、肝心のホワイトハウスは中国の脅威を正面から受け止めかねているかのようだ。世界はいま、そのことを半ば恐怖の目で見ている。アメリカの内向き姿勢はオバマ政権だけのものではなく、国民意識の変化の表れで、今後も続くのではないかという懸念も捨てきれない。国際情勢がアメリカを中心軸とする秩序から中国の覇権を中心軸とする体制へと移行しつつあるのかもしれないとの見方が広がっている。 そんな中で、中国の脅威をリアルに実感している国際社会、特にアジア諸国の、日本への期待感が強まっている。日本の憲法改正を求め、軍事的プレゼンスも求める声は少なくない。中国の横暴に対するカウンターバランスとしての日本の存在への期待といってよい。 日本の力は、アメリカの軍事力とは比べるべくもないが、日本は自由、法の支配、人権といった善き価値観を多くの国々と共有する。加えて民族の宗教、文化、言語を大事にする非常におだやかな文明を有する。各民族がお互いを尊重しながら共存する国際社会の実現を目指している。こうした価値観や文明は中国とは対極にある。 また一方で、日本は高水準の産業・科学技術を有する。中国や韓国はもちろん、アメリカでさえ、さまざまな分野で日本の技術に支えられている面は少なくない。優れた技術、おだやかな文明と価値観を前面に掲げ、軍事的力も強化できれば日本の強さはよりよい世界の構築に貢献するはずだ。 戦後の呪縛を解き、自立国家として再生し、中国の脅威に抑止力を発揮していくのが、現在の日本国の責務であろう。その意思と能力を期待できるのが安倍首相ではないか。 にも拘らず、東シナ海のガス田の開発を隠し続けてきた。安保法制に関連して、北朝鮮の脅威には言及しながら、中国の脅威にはほとんど触れない。なぜだろう。首相には大局的な観点から、その考えを示してほしい。 終戦70年の節目に、国際情勢は大きく変化しつつある。私たちはその変化を適切に認識し、偏ったメディアや政治勢力の主張に惑わされることなく、国家の針路を考えていかねばならない。さくらい・よしこ ハワイ州立大学歴史学部卒業。「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局員、日本テレビ・ニュースキャスターを経て、フリーでジャーナリスト活動を開始。第26回大宅壮一ノンフィクション賞、第46回菊池寛賞を受賞。平成19年、国家基本問題研究所を設立し理事長に就任。著書に『日本よ、「歴史力」を磨け』(文藝春秋)、『異形の大国 中国』(新潮社)など多数。近著に『新アメリカ論』(共著、産経新聞出版)、『戦後七〇年 国家の岐路』(ダイヤモンド社)。

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    慰安婦誤報で失われた32年、「濡れ衣」は朝日が晴らせ

     朝日新聞が慰安婦問題について『訂正記事』を出してから一年が過ぎました。記事では、 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。 記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。と、ストレートに誤りを認めていたのですが、ここにきて、「『慰安所は軍の施設』公文書で実証」等、新たな大学教授の見解を大宣伝しています。慰安所が軍の施設であったことは誰もが認めていますし、それを理由に日本が世界中から非難される謂れはありません。「強制連行があったかなかったか」。それが慰安婦問題の論点です。 国連女子差別撤廃委員会プレセッションで発言させていただいた翌日、ジュネーブ市内のホテルで開かれた地元の人を対象にした講演会「慰安婦は性奴隷ではなかった」の中で、英語でスピーチを行いました。今回はその内容をここに紹介したいと思います。 私は日本の前衆議院議員の杉田水脈です。 一昨年12月、慰安婦像を建立した米国カリフォルニア州グレンデール市に、日本の国会議員として初めて訪問し、現地で何が起こっているのかを調査してきました。それをもとに衆議院予算委員会、内閣委員会などでこの問題について数々の質疑を行いました。 ほぼ同時期の2014年2月20日の衆議院予算委員会において、慰安婦問題で日本が他国から攻撃される原因となっている1993年に発表された「河野官房長官談話」について、談話作成当時の副官房長官石原信雄氏より、(1)河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行っていない(2)河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある(3)河野談話の発表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が生かされておらず非常に残念である旨の証言が出てきました。 この証言を受け、「河野談話の見直しを求める国民運動」を行ったところ、14万筆を超える署名が集まり、首相官邸を訪ね、菅官房長官に直接提出しました。 河野談話見直しの機運が高まる昨年の8月5日、朝日新聞が紙上で慰安婦問題のこれまでの報道の検証を行い、日本と日本人の国際的地位を貶める大誤報を認めました。吉田清治氏の記事が掲載された昭和58年10月19日付の朝日新聞紙面 1982年9月、朝日新聞は「韓国・済州島で200人の慰安婦を奴隷狩りした」という吉田清治という男性の証言を報道します。その後も16回にわたりこの証言を取り上げ、「強制連行」の根拠として報道を続けました。今回の記事は次のとおりです。 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。 日本には軍や官憲が『強制連行』を行ったという記録は全く存在せず、第1次安倍内閣でも「慰安婦の強制連行はなかった」という閣議決定がなされています。 この「吉田証言」が虚偽であったということが明らかになった以上、慰安婦の強制連行は存在しません。 また朝日新聞は、「女子挺身隊」と「慰安婦」と混同し、誤った報道を行ったことも認めました。記事は次のとおりです。 女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。 朝日新聞は、「研究の乏しさ」を原因に挙げていますが、当時はまだ女子挺身隊経験者が多数生存しており、慰安婦と全く異なることは取材すれば容易に知り得たはずです。それを怠ったのは、国連の報告書にも記された「日本政府は20万人の子女を慰安婦にした」という虚構を作り上げようという意図があったのではないか、と疑わざるを得ません。戦時中の勤労奉仕団体である女子挺身隊の数を足さなければ、あの20万人という数字は出てこないからです。 アメリカ国立公文書館で公開されている、アメリカ軍が1944年に作成した尋問調書に寄れば、慰安婦たちは相当な高給を受け取っており、その暮らしぶりは贅沢と呼べるほどだった、また、町の中では買い物に行くことも許されており、スポーツイベントに参加したり、ピクニックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身が楽しんでいた。ということが記されています。「性奴隷」という言葉から我々が想像する状態とは明らかにかけ離れています。 これまで韓国が主張してきた次の三点・20万人の少女や女性たちが・官憲により強制連行され・日本軍の性奴隷にされた これが全く事実無根であることが公になったわけですから、我々日本はこの事実を世界中に発信していかなければなりません。 先ほどの朝日新聞の訂正記事により、日本国内では「慰安婦の強制連行はなかった」ということを国民誰もが認識しています。しかし、まだまだ国外では、日本の慰安婦問題はナチスドイツのホロコーストに匹敵すると宣伝されています。 その結果、アメリカ各地に建立された慰安婦像や碑が建てられ、オーストラリアなどでは新たな像の建立が計画されています。 日本が朝日新聞の報道によって失った32年間は、非常に重くかつ大きいものがあります。しかし、当の朝日新聞は、訂正記事は掲載したものの、まだ、きちんとした謝罪を行っていません。更には、英語版朝日新聞に謝罪記事を掲載することを拒否し続けています。 このため、2015年1月、日本国内外の8749人が、吉田清治の創作証言がそのまま採用され続けてきたことなどを「虚報」とした上で、「多くの海外メディアに紹介され、ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」、「日本国と国民の国際的評価は著しく低下し、国民の人格や名誉が傷つけられた」とし、謝罪広告の掲載等を求める訴訟を東京地裁に起こしました。2月には2次訴訟に踏み切り、原告数が2万3000人に達するという、日本史上例を見ない大きな訴訟となっています。 私が住んでいる宝塚市では、2008年3月、日本の地方会議で初めて慰安婦への謝罪や賠償を求める意見書を採択し、国に提出しました。多くの地方議会がこれに続きました。 が、朝日新聞の訂正記事を受け、昨年10月「2008年の意見書は根拠を失ったことを確認する決議」が賛成多数で可決され、河野談話に基づいた意見書は事実上取り消されました。この動きは全国に拡がっています。 その空白の32年間を取り戻すために、国連においてもこの朝日新聞の虚偽の報道を認め、これまで日本に着せられた「性犯罪国家」の濡れ衣を晴らしていただきたいと思います。

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    「安倍嫌い」の朝日よ、カンボジアの悲劇を思い出せ

     『朝日新聞』は、慰安婦問題で吉田清治という詐欺師の証言を全面的に信用し、ありもしなかった日本軍による組織的な「強制連行」が存在したかのような記事を書きつづけ、日本の名誉を汚し続けてきた。日本国内の読者だけでなく、海外の多くの人々も『朝日新聞』で「事実」として掲載されたことを根拠として、日本軍による組織的な慰安婦の「強制連行」が存在したと思い込まされてきた。多くの人々を欺いた張本人は吉田清治だが、その出鱈目な主張を権威づけたのが『朝日新聞』だった。秦郁彦氏の調査によって、吉田清治の証言の信憑性が乏しいことが明らかになりながらも、長年にわたって『朝日新聞』は記事を訂正しようともしなかった。 「社会の木鐸」とも称される新聞に対する国民の信用は高い。それだけに、その報道内容、主張の是非は厳しく吟味される必要があるといってよい。 さて、今般、安倍政権が整備を進めようとしているいわゆる「集団的自衛権」の一部を限定的に容認しようとする法案に関して、『朝日新聞』は、極めて批判的だ。 その社説の一部を抜粋してみよう。 首相はきのうの集中審議で、集団的自衛権の行使を容認しても「(他国の)戦争に巻き込まれることは絶対にないと断言したい」と述べた。 何を根拠に「絶対に」と言い切れるのか。政権が正しいと言えば正しい、安全だと言えば安全だ、合憲だと言えば合憲だ、そういうことなのか。 これで国民の納得がえられると思っているなら、甘すぎる。「参院審議 歯止めなき「違憲」法案」2015年7月31日 権力が恣意的に憲法を操ることは許されない。政権は根本から考えを改めねばならない。「「違憲」法案 軽視された法的安定性」2015年7月29日 日本で唯一、武力行使できる組織である自衛隊をどう動かすかの議論である。軍事抑制、国際協調を基本にしてきた戦後日本の歩みを大きく変える議論でもある。 何よりも大事なのは、幅広い国民の信頼と合意にほかならない。ところが現状では、それが決定的に欠けている。 憂うべき政治の惨状と言うほかない。国民の不信はなぜ、ここまで広がってしまったのか。「安保法案、参院審議―危機に立つ政治への信頼」2015年7月28日 憲法は権力を縛るもの、という立憲主義を軽んずる振る舞いであり、憲法を中心とする法的安定性を一方的に掘り崩す暴挙でもある。 その結果、いま危機に立たされているのは政治と国民の信頼関係だ。法案が成立すれば、自衛隊が海外で武力行使できるようになる。信頼のない政権の「総合的判断」を、国民がどこまで信じられるのか、根源的な危惧を感じざるを得ない。同上 『朝日新聞』の主張は、安倍政権が進めようとしている政策は、憲法違反であり、自衛隊を海外で武力行使をさせることになるという点にある。そしてそれは、「戦後日本の歩みを大きく変える議論」なのだという。 確かに、日本では集団的自衛権の行使が禁じられてきた。権利を持ちながらも、行使できないという状況が続いてきた。そのために、PKO活動の際の「駆けつけ警護」など、誰がどうみても、許容されるはずの行為が、「集団的自衛権の行使」に該当するとの解釈で、禁止されてきた。 だが、本稿で検討したいのは、集団的自衛権の議論そのものではない。これだけ大きな反対の声をあげている『朝日新聞』の過去の記事を検討することによって、今回の記事の書き方が極端で大袈裟なものではないかを考察してみたいのだ。 平成3(1991)年、日本ではPKO法案が成立する、しないで、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。 その当時、『朝日新聞』がどのような主張をしていたのか、御存知だろうか。 結論からいえば、『朝日新聞』は、自衛隊をPKO活動に参加させることに反対していた。自衛隊以外の非軍事のPKO活動だけに専念しろと主張していたのだ。 自衛隊のPKF派遣の法制化を急ぐよりも、非軍事のPKOの領域で、国連の諸活動への協力体制を強化すべきではないか。その意味で、この法案は、抜本的に練り直すのが望ましい。社説「PKO法案を練り直そう」1991年10月1日 『朝日新聞』が問題視したのは、自衛隊の「武器の使用」が、日本国憲法第9条で禁じている「武力行使」に該当するのではないかという疑念からだった。 政府は個々の自衛隊員の「武器の使用」と「武力行使」とは異なるものだと説明したが、『朝日新聞』は、それは「言葉じりでいいくるめようとする」「ご都合主義」だと批判したのだ。 この法案の審議を通じて、法案自体の問題点が浮き彫りになった。たとえば、憲法9条が禁じる「武力行使」と自然権的に認められる自衛のための「武器の使用」との関係である。両者は異なるものだ、とする政府の統一見解は、軍事活動のために自衛隊を海外に送ることを禁じてきたわが国の戦後史の重みを乗り越えるにしては、あまりにご都合主義に過ぎる。日本の針路にかかわる政策変更を、言葉じりで言いくるめようとしているところに無理がありはしないか。同上 こうした批判が強まったために、国会では、武器の使用に関する議論に終始し、本来、国際社会で日本の自衛隊が如何なる貢献をしていくべきかの議論については、殆どなされなかった。 とにかく、自衛隊を海外に派遣させることは危険だというのが、終始一貫した『朝日新聞』の論理だった。 その結果、自衛隊の武器使用に関しては、「正当防衛」しか認められないということになった。自分自身が攻撃されそうになった時にのみ、反撃する権利が認められるというのだ。これでは目の前のNGOの人間が狙われたときに、自衛隊は救出することが出来ない。だが、自分自身以外の他者の生命を守ることは憲法が禁ずる「武力行使」にあたる恐れがあるとの理屈から、自衛隊は正当防衛以外は全く認められなかった。平成4年9月17日、国連主導で総選挙を行うカンボジアに向け、自衛隊初のPKO海外派遣部隊が広島・呉港を出発した しかし、現実は過酷だった。 自衛隊を派遣せずに、非武装の民間人だけを派遣すればよいとの主張を嘲笑うかのように、現地の情勢は急転する。 カンボジアの民主化のために、選挙要員として訪れていた民間人の中田厚仁氏が何者かによって襲撃され、文民警察官として派遣されていた高田晴行氏も殺害された。 PKOの部隊が派遣される場所は、渋谷やロンドンといった安全な場所ではない。確かに、停戦状態になってはいるものの、治安がよいとは言い切れない。 だからこそ、各国は武装した軍隊を派遣しているのだ。 このとき、自衛隊は、日本の文民を守ることが出来なかった。能力がなかったのではない。誠意がなかったのでもない。そうした警護したり、守ったりすることが「憲法違反」だとされてしまい、守ることが出来なかったのだ。 このとき、自衛隊はどうしたのか。 余りに残酷な話だが、事実から記しておく。 先に述べたように、自衛隊に認められていた武器使用は、正当防衛だけだった。従って、自分が攻撃されなければ、相手を攻撃することは出来ない。 だが、ゲリラや殺人犯は、自衛隊ではなく文民を襲撃する可能性がある。現に、二人の日本人が殺害された。 そこで考案されたのが「人間の盾」という作戦だった。 何者かが民間人を襲ってきた際に、自衛隊が身を挺して、自らの身を盾として、民間人を守るというのだ。この場合、自分自身が攻撃されているのだから、反撃することは、「正当防衛」の範疇に属する。 本来であれば、自らの身を危険に曝すことなく、任務を遂行できるはずの自衛隊員をわざわざ生命の危険に曝してまで守る「憲法九条」「平和主義」とは一体何なのか。 『朝日新聞』をはじめ、多くのリベラルは、生命尊重、平和主義を語る。だが、現実には、身を危険に曝しながら、国民の命を守り、他国の民主化のために貢献している人々が存在するのだ。 PKO法案が成立してから、20年以上の歳月が流れた。日本のPKO活動は感謝されることはあっても恨まれることはない。立派に国際貢献をしている。 憲法違反でもなかったし、自衛隊でなければ出来ない仕事を成し遂げている。 あのとき、PKO法案で、違憲だと大騒ぎしていた同じ人たちが、今回は集団的自衛権の行使は憲法違反だと大騒ぎしている。 少しは頭を冷やして、静かに反省してはどうか。

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    朝日だけじゃない 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリ

    著者 田中一成(東京都) 朝日新聞の記者達が自分の属する国の政府を、何故こんなに悪し様に言うのかと、不思議に思ってしまう。但しこの傾向は朝日新聞に限ったことではない。未だに国内で跳梁跋扈している、いわゆるサヨクインテリに共通するものなのである。もちろん朝日新聞が、そのアジテーターであり主唱者であることは周知のことだ。その偏向思想や行動については、いずれ稿を改めて論じたいが、今日は取り敢えずサヨクインテリの思想や思考の内容について考えてみよう。話のきっかけとして、嘗てサヨクインテリのアイドル的な存在であった御三方、すなわち寺山修司、加藤登紀子、村上龍の御三方を取り上げてみよう。劇作家、演出家の故・寺山修司 寺山修司は、いわゆるベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の主導者ではなかった。むしろ、この運動のごく普通の賛同者に過ぎなかった。ただ一般の穏健な賛同者と違っていたのは、詩人としてのナイーブな感性のために、祖国日本に対する屈折した感情をもつに至ったことであろう。その一端を彼の「寺山修司名言集」によって伺うことができる。この本の副題は(身捨つるほどの祖国はありや)となっている。このセンチメンタルな惹句が、日本嫌いのサヨクインテリの琴線に触れたのであろう。しかし、そんなに値打ちのない国ならば、どうして国外に出て行かなかったのだろう。 加藤登紀子は反戦歌手として、サヨクインテリのアイドルであった。最近は平穏な日本で生活費を稼ぐために、古寺巡礼などの番組に出たりしてお茶を濁している。しかしその信条は、あくまで確信犯的なサヨクである。いみじくもその本心を「週刊朝日」のエッセイ欄で次のように述べている。「日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動に駆られる」と。この奇妙な考え方をどう理解したらよいのだろうか。それほど嫌いならば、出て行けばよいのである。余計なお節介かもしれないが、日本のほかに嫌悪感を催さない国があるのだろうか。たとえば中国か、韓国か、或いはロシアか。それとも無国籍人間になろうとでもいうのだろうか。そんなことが、簡単にできないことは本人もご承知のはずだ。その上で、このような言辞を弄するとは、甘えるな!としか言いようがない。 村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞を受賞した。この作品が芥川賞に値するかは、かなりの論議があったという。私の読後感としても、高い評価を与えることはできなかった。以来、この作家は大した作品を生むこともなかった。それが原因かどうかは知らないが、いつしか政治や経済の分野に関心を持ち始め、この分野で積極的に発言したり行動したりするようになった。メールマガジン『JMM』を発刊したのも、その一環であろう。それには、明らかに村上の政治思想が表明されている。彼もまた、私が言う「サヨクインテリ」なのである。その考え方は、著作を通して容易に読み取ることができる。 たとえば『希望の国のエクソダス』では、登場人物の一人に「日本には何でもある。しかし希望だけがない」と言わせている。これは村上自身の考え方でもあろう。まさにサヨクインテリの考え方そのものではないか。それに加えて現実感覚の欠如を、小説家らしい感傷的な文章で飾っているのである。敢えて私は、この作家に尋ねたい。「貴方は、アフリカやアラブ更にはインドにおける貧民の生活を体験したのか」と。雑誌やテレビ、とくに新聞で知ったからと言って、それにどれ程のリアリティがあるのか。もちろん私は、それ以上に無知だ。であるが故に、日本には希望がないなんて、とても言えない。ほんの少しの想像力があれば、これらの貧窮国で生活する人達の絶望感を察することができるはずだ。それと比べるとき、日本には希望がないなどの言辞は、まさに寝言ではないか。 自分の国を悪し様に言い続けるサヨクインテリの例として、御三方の言辞を取り上げたが、このような例は数え立てればキリがない。サヨクインテリ達は、現実感覚を何時の日か取り戻すことができるのだろうか。そうしない限り、永遠に自らの母国を罵り続けることになるのであろう。

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    欧米に浸透した日本糾弾 朝日が作った慰安婦プロパガンダ

    51年に始まり65年に決着した日韓国交正常化交渉で慰安婦問題が議論になったことはない。国交樹立後も、朝日新聞による旧日本軍の慰安婦強制連行報道が開始される90年代初期までは慰安婦問題が日韓の外交課題となることもなかった。問題の出発点は、92年1月12日付の社説「歴史から目をそむけまい」によって原型が定まり、その後大規模に展開された朝日のプロパガンダであった。 慰安婦問題が戦後70年の長きにわたって日韓の和解を妨げてきた問題だという主張は作為(さくい)である。日本人が日本を貶(おとし)めるために90年代に入って造作した話なのである。韓国の指導者にとってもこの造作は、少なくとも当初は迷惑なものであった可能性がある。韓国の盧泰愚元大統領 「実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、わが国の国民の反日感情を焚(た)き付け、国民を憤激させてしまいました」というのが当時の盧泰愚大統領の発言である。何か戸惑いのようなものが感じられないか。 しかし、世論を自らにひき付けて日本に臨む絶好の外交カードとしてこれを用いようと韓国の指導者が意を転じたとして何の不思議もない。実際、「歴史問題の政治化」は功を奏し、93年には河野談話、95年には村山談話という韓国の対日糾弾に有力な論拠となる政府見解を日本側から引き出すことに成功したのである。欧米に浸透した日本糾弾 朝日報道は、後に秦郁彦氏や西岡力氏の精力的な実証分析により誤報であることが判明した。朝日自身が昨年8月の検証記事により吉田清治証言を虚偽として記事を取り消し、慰安婦と挺身(ていしん)隊との混同についての検証が不十分であったことを明らかにして、後に社長の謝罪となった。 しかしこの間、韓国は日本糾弾のキャンペーンを欧米で活発に展開、旧日本軍の「悪」は欧米のジャーナリズムとアカデミズムに深く浸透してしまった。日本人の油断に慚愧(ざんき)の思いが深い。 米国マグロウヒル社の高校生用の歴史教科書には、20万人が強制徴用、彼女らは「天皇からの贈り物」(a gift from the emperor)として兵士に供され、戦争が終わった後は証拠隠滅のために殺害されたという、まったく根拠のない、それに非礼この上ない記述が平然となされるにいたった。日本外務省も黙認することはできず、昨年末に訂正を同社に求めたものの記述に変更はない。 あまつさえ、今年2月には米国の歴史学者19人が「われわれはマグロウヒル社を応援するとともに、いかなる政府も歴史を検閲する権利をもたない」と逆襲に出たのである。 今年5月には欧米の日本研究者ら187人が連名で声明文を発表し、日本の「慰安婦」制度は、その規模、軍による組織的管理、植民地・占領地の女性搾取などの点からみて、20世紀の戦時性暴力の中でも特筆すべきものだと難じた。根拠資料は何も示してはいない。連名者の中にエズラ・ボーゲル氏やロナルド・ドーア氏といった名前があって驚かされる。真実は事実の中にのみ宿る 戦後の日本の自由と民主主義は祝福に値するものだが、真の祝福を妨げているのは日本の「歴史解釈の問題」だという。「特定の用語に焦点を当てた狭い法律的議論」や「被害者の証言に反論するためのきわめて限定された資料」にこだわってはならないと諭し、「過去の過ちについて可能な限り全体的、かつできる限り偏見なき清算をこの時代の成果としてともに残そうではないか」と結ばれる。 国家や民族による「歴史解釈」の相違を許さない傲慢を私は強く感じる。無数の民間非戦闘員を殺戮(さつりく)した広島、長崎への原爆投下や東京大空襲について、日米の歴史解釈が異なって当然のことであろう。自分の解釈に従えというのなら、国家関係は成り立たない。96年のクマラスワミ報告として知られる国連人権委員会報告、2007年の米国下院外交委員会での慰安婦決議などの「権威」には逆らうなということか。 慰安婦問題は日本国内では大方の決着が付いたものの、肝心の国際社会では日本は無援の孤立を余儀なくされている。ことは日本自身の歴史解釈に関わる。真実は事実の中にのみ宿ると考えるまっとうな日本の歴史学者を糾合、反転攻勢に出ようと臍(ほぞ)を固めている。

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    朝日元同僚が進言「植村元記者は裁判より朝生でケリつけろ」

     日本でも、すぐに「訴えてやる」という声が聞かれるようになった。朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏が、慰安婦問題について言及する。その対象は元同僚・植村隆元記者である。植村氏の書いた慰安婦関連記事を、「捏造」扱いをしたなどとの指摘をした東京基督教大学教授の西岡力氏らが、名誉棄損で訴えられた件だ。* * * 事実は一つ。真実は見る人によって色も形も違う。裁判の判決イコール真実とはいえない。新聞記者の世界で、適切な記事だったかは、法廷でカタをつけられる問題なのか。  朝日新聞元記者の植村隆氏が、東京基督教大学教授の西岡力氏らを訴えた裁判では、170人もの大弁護団の一人が、提訴時に「ほかの人々も順次訴えていく」と宣言したことなどで、歴史学者の秦郁彦氏は、「金銭、時間、精神的負担を怖れる批判者への威嚇効果は絶大」であるとし、「恫喝訴訟」という言葉を使っている(産経新聞「正論」)。  この訴訟がそこまで言われるのは、彼が西岡氏らの様々な批判や疑問に手記や講演などで誠実に答えたと思われていないからだろう。  実際、疑問はまだある。韓国人の元従軍慰安婦の聞き取りテープからの、「思い出すと今も涙」(1991年8月11日朝日新聞大阪社会面)の取材経過について大阪社会部員だった植村氏は手記で、朝日新聞ソウル支局長が当時、南北朝鮮国連同時加盟問題など忙しかったので、植村氏がソウルに出かけたというが、調べた限りでは、当時のソウル支局長が書いた8月中の国連加盟関連記事は7本で、外報面トップの4段のほか、ベタ記事が4本。応援が必要な多忙さだったのか。そして、この弁解は意見陳述から消えている。  その意見陳述などによると、植村氏は8月10日にテープを聞くと、会うことも名前も聞くこともできないまま、その日のうちに出稿した。本来はテープを聞き終えたら、提供した韓国挺身隊問題対策協議会に、「やはり本人に確認しなければ、記事にできない」と注文し、会って、事実であろうとの心証を得たうえで記事にするのが、こうした取材の基本だろう。何百万の読者がいる一般商業紙が信頼に応えるとは、そういうことのはずだが、そんなに急いで記事にしたのはどうしてか? 朝日新聞を捲っていると、翌12日紙面には朝日新聞主催の「歴史認識」をテーマにした広島でのフォーラムの特集記事2頁があった。見出しは「過ちの歴史 率直に反省」。こうした紙面計画があると、同じテーマの記事がいつもより大きく扱われる。それを意識していたのか。特に広島は大阪本社管内で、大阪社会部員なら、東京本社を経ずに出稿できる。ここも気になる。 朝日新聞記者時代に自身が書いた韓国の元慰安婦の証言を報じる記事を前に、記者会見する植村隆氏=2015年8月13日、ソウル(共同) もうひとつ付け加えたい。彼は「24年前に書いた記事で激しいバッシングを受けている」として「自分は被害者だ」との主旨の主張を意見陳述などで繰り返している。しかし、本当の被害者は、十分な取材なしの記事を読まされた朝日新聞の読者であり、考えようによっては、日韓関係なのだ。そのことを、彼はどう考えているか。聞きたいものだ。  植村氏は手記で、月刊「文藝春秋」1992年4月号で西岡氏から最初に批判された時に、朝日ジャーナル誌上で反論しようとしたが、上司らから「放っておけ」と言われたなどで、見送ったと書いている。商業新聞の記事は社会的存在だ。反論することがあれば、その時に反論すべきだった。今度も、西岡氏や櫻井よしこ氏らと「朝まで生テレビ」で論争してけりをつければ、大弁護団など必要なかった。「恫喝裁判では?」と疑われる所以だ。関連記事■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「中・韓の応援」■ 朝日慰安婦問題記事 なぜ裏付け取材しなかったかの疑問残る■ 大江健三郎氏が障害を持つ長男や震災を綴ったエッセイが書籍化■ 若き頃の植村直己を知る編集者が植村の知られざる姿綴った本■ 朝日新聞慰安婦報道の「闇」と裁判担当した福島瑞穂氏の関与

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    「歴史戦」英訳版は朝日が出すべきでごんす

    婦問題」の真実を海外に伝えるための試みですが、本来なら、「慰安婦=性奴隷」という誤報を世界中に広めた朝日新聞がやるべき仕事ではないでしょうか。

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    きれいごとを並べたてる偽善組織 それが高野連だ

    野々村直通(開星高校前野球部監督・教育評論家) 2001年夏、開星高校は8年ぶり2度目の甲子園出場を決めた。もう、私の指導力では子供達を甲子園に連れて行ってはやれないという、諦めにも似た心境でいたところ、試合ごとに奇跡的な試合(ゲーム)を展開してくれた。なんと決勝戦は21対0という大勝であった。再び勝利監督として迎えてくれた選手たちに感謝したい。だが甲子園入りし、久し振りに抽選会場に足を踏み入れた私に新しい経験が待っていた。対戦相手が出揃うと監督もステージに招かれたのである。 前回出場した大会(1993年)では、監督は客席に居ればよかったが、今回はステージ上で主将とともにプラカードの後ろに整列せねばならなかった。戸惑った私は壇上に上がるのをためらった。私は地味な半袖のスポーツシャツ姿だったからだ。見渡すと他校の監督は皆ネクタイを着用し、上着を着ている人もいる。7年の間にすっかりシステムが変わっていた。私は恥ずかしさと同時に「来年も必ずこの会場に来てステージ上で私らしさをアピールしたい」と誓った。 翌年の夏、連続出場を果たした私は、優勝した瞬間から抽選会の服装に思いを馳せていた。その年、私は真っ白なダブルのスーツで颯爽とステージに上がった。裏地には自らが版画印刷した「胸もあらわな歌麿の浮世絵」が縫いつけてあった。民放のテレビ局がそれを見つけると取材を申し出たが、教育的配慮で断った(笑)。開星の選手達は誇らしく私の言動を見つめていた(と信じたい)。「教育者(監督)は常に生徒(選手)から羨望の眼差しで見られなければならない」という私の持論が表出されたシーンである。高校野球抽選会、和服姿で出席した開星の野々村直通監督(中央)=2011年8月3日、大阪国際会議場(塚本健一撮影) その後、2006年~2011年の間に春夏6回の甲子園出場を数えたが、抽選会場にはいずれも私は着物姿で登場した。そのことはマスコミには格好の話題を提供した。だから高野連は、目立つ私がけぶたかったのだろう。2012年3月で私は定年退職し、監督からも身を引くと高野連は、抽選会規定の中に新たな項目を定めた。それは「責任教師、監督は白の半袖シャツまたは所属連盟のスタッフシャツ着用、選手は制服を着用してください」というものである。明らかに私の着物姿を意識したものと思われる。 しかし、日本人が伝統的民族衣装に身を包み、厳粛なセレモニーに臨んで何が悪いというのか! カッターシャツにネクタイこそはアングロサクソン(西洋人)の服飾ではないか!! などと声高に叫べば、「やはり、野々村は屁理屈を言う変わり者」という評価を受けてしまう。ところが、最近のニュースで興味深いものがあった。経済産業省は、日本古来の「きもの文化」を見直し、奨励するために来年度から『きものの日』の制定を検討するというのである。その日は省内にも“きもの出勤”を勧め全国に呼びかけるという。各省にも呼びかけるが、手始めに文科省に呼びかけるとのことである。文科省傘下にある高野連は私の「着物姿」を疎外してきた訳だが、『きものの日』に向けてどんな言い訳をするのだろうか。 事程左様(ことほどさよう)に、自らの組織の中で変革や異論を唱える輩は排除してきた高野連という体質について、紙面の都合上、残りは簡潔に述べてみる。高野連は巨大な興行団体 甲子園では入場料どころか酒もビールも売り歩く。高体連(こうたいれん)の大会で、代々木体育館や武道館でビールを売り歩いたら大問題である。高野連は「プロアマ規定」で未だにプロ野球とは厳しく一線を画している。その理由はプロ野球はお金がからむ営利目的の団体だからだという。アマチュアという仮面を被った金まみれの高野連がどの面さげて言うのか。高野連は、主催新聞社と業者が結託した巨大な興行団体である。高野連は独善的権威主義団体 野球部員の不祥事が発覚した時の例を考えてみる。当該校の方針は無視され、すべての判断と処罰は高野連に負託される。教育現場の独自性から見て、文科省でも教育委員会でもない一財団法人でしかない高野連という組織が、現場の最高責任者である学校長に処分を言い渡し、校長は平身低頭で有難くそれに従うのは滑稽と言わざるを得ない。学校のレベルの問題もあり、大会に参加するのか辞退するかは現場の最高責任者たる学校長が判断するのが妥当である。野球を通じて非行少年を立派な社会人にして世に送り出す使命も実績も数多く存在するのに、その都度、全体責任で出場辞退を迫られては本当の教育はできない。それとも品行方正な子どものみで野球をしろと言うのか! 権威主義的高野連の下では野球を通じて本物の教育はできない。「特待生制度」を正しく位置づけられない高野連第93回全国高校野球選手権 日大三に敗れた開星・野々村直通監督=2011年8月14日、甲子園球場(恵守乾撮影) 数年前、特待生問題でマスコミや高野連が大騒ぎしたことがある。いかにもお金で選手を釣り上げるかの如くに報道された。「特待生制度」はほとんどの場合、私学が対象である。私学助成金のみに頼る私学は公立より授業料が高い。学業や技量に優れた生徒を公立並みにして入学してもらうのは当たり前の話である。なぜ公立は安いのか。税金が投入されているからである。私学の先生方も等しく納めている税金で公立は守られている。私学から見れば公立に通う生徒(選手)は全て税金が投入されている特待生である。公立と比べれば私学は不遇なのである。優能な子が私学に通うのに「特待制度」を利用するのは至極真っ当な話なのである。事勿れ主義の高野連 昨秋の四国大会に於いて、今治西高の監督が試合中に「気合を入れて下さい」と申し出た選手にビンタをした。直後、彼は逆転打を打ちチームを選抜へと導く。しかし、こともあろうにテレビ中継をしていたNHKはこの場面を放映し流した。匿名による抗議の電話が高野連に入り、体罰と判断した高野連の指導でこの名将は辞任した。なにかおかしくはないか!! 選手のミスを一方的に罰として叩いたのではない。選手と監督が勝利に向かって本気で「魂」のやりとりをしただけである。逆に感動を与えるシーンであったはずである。この時、事情聴取した高野連が、「今回は信頼関係にある指導者と選手の事象であり、暴力を背景としたいわゆる「体罰」とは呼べず、現場での厳粛な指導の一環であった」と毅然として発表すれば、より気高き教育現場が具現されるであろうにと思えば残念でならない。高野連の「事勿(ことなか)れ主義」を垣間見た思いである。 色々な事例を述べたが、いずれにしろ高野連は「きれいごと」を並べたてる偽善組織と言わざるを得ない。高野連はマスコミに従属し、生温い社会風潮や似非(エセ)平等主義を唱える現代の教育的価値観へのポピュリズム(大衆迎合主義)でしかないと強く訴えたいと思う。

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    高校生を英雄扱い? 「高野連」ってナニサマなのか

    。私は、これまで何度もこの野球害毒論について指摘させてもらっているが、これを唱えたのは、ほかならぬ「朝日新聞」である。 明治44(1911)年、朝日新聞は、「野球という遊戯は悪くいえば巾着(きんちゃく)切りの遊戯である」「野球は賤技なり、剛勇の気なし」「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」……等々、新渡戸稲造や乃木希典まで登場させて、全22回にもわたる野球への大ネガティブ・キャンペーンを張った。 朝日新聞のこの野球攻撃は、新聞の間で激しい論争を巻き起こすが、そのわずか4年後の大正4(1915)年に、朝日新聞は一転、全国中等学校優勝野球大会(現在の「全国高等学校野球選手権大会」)を開催し、当時の村山龍平社長が第1回大会で始球式をおこない、その“変わり身の速さ”にライバル社は唖然とさせられた。 今年は、その年から100年目にあたる「高校野球100周年」である。同時に、この事実は、朝日新聞の今に至る「変節の歴史」を示す貴重な1ページとも言える。 新聞販売のために高校野球を利用し、できるだけ話題になるようにヒーローをつくってマスコミに大々的に報道させ、商業的に利用してきた高野連をはじめとする大人たち――「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」などと、見当違いなことを言っている自分自身の胸に、一度、手を当ててみたらいかがだろうか、と思う。

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    高野連の「正体」見たり

    100年の節目を迎えた夏の全国高校野球選手権大会が始まった。高校野球を学校教育の一環と位置づけ、独立組織による管理・運営を理念とする高野連だが、球児の「さわやか・ひたむき」を隠れ蓑にして、権威主義・商業主義に陥っているとの批判は根強い。まさに高野連の正体、見たりだ。

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    「甲子園」を主催しながら国旗国歌を否定した朝日の矛盾

    川村二郎(元『週刊朝日』編集長)見てきたような嘘 私が高校野球を担当したのは1965年、朝日新聞の記者になって2年目の夏だった。そのころ小さい県は1県1校ではなく、私の赴任した大分は隣の熊本県代表と中九州大会をして勝たなければ甲子園に出られなかった。 1965年夏、大分の出場校は30校に満たなかった。スタンドの観客もまばらで、観客の雰囲気を伝えるスタンド雑観の取材には連日、苦労した。 その年の福岡代表は大牟田市の三池工である。大牟田ではその前の年に大きな炭坑事故があり、約400人が亡くなった。三池工は悲劇の町の代表として注目はされたが、スター選手がおらず、地元でも「奇跡の出場」と言われていた。率いたのは原・巨人監督の父、原貢さんである。 三池工についてきたのは、朝日新聞福岡総局のS先輩だった。先輩は甲子園にくる直前、パパになったばかりで、赤ちゃんを抱いたことがない。1日も早く福岡に帰りたかったのだろう。 「明日は負けて帰るよ」と、毎日、言っていた。 ところが、三池工は決勝に残った。私の受け持ちの中九州代表大分県立津久見高はベスト8で終わったが、デスクに「決勝戦の取材応援に残れ」と言われ、決勝戦が終わる前に、優勝した瞬間の三池工の選手や応援席の様子を想像して、予定稿を書かされた。 江戸の川柳に、 「能因は見てきたような嘘をいい」というのがある。 能因は平安中期の三十六歌仙の一人だが、いったことのない福島の白河の関を詠んだという話をからかった川柳である。私も能因に倣ったようなものだが、そうしないと、号外に間に合わなかったのである。 社会部から『週刊朝日』に異動し、1981年から『野村克也の目』を書くことになった。野村さんの目を通して見るプロ野球を書く企画で、自慢話をすれば、「野村スコープ」はこの企画から生まれたものである。 企画の1年目、野村さんと夏の高校野球の取材にいった。後にプロ野球で活躍する工藤公康投手のカーブが話題になった年である。野村さんは、 「工藤はカーブ・ピッチャーではないですよ。彼はストレートがいいから、カーブが生きるんです。ピッチャーの基本は、ストレートですよ」と言っていた。 野村さんの母校、京都府立峰山高校は日本海に面した町にあり、京都予選の1回戦ボーイだった。甲子園など、夢のまた夢である。野村さんは入場行進する高校球児を、まぶしそうな目をして見ていた。 その翌年は「山びこ打線」の徳島代表、池田高校の蔦監督が注目を集めた。野村さんは蔦監督のノックを見て、 「こんなに見事にノックを打ち分けられる人は、プロ野球にもいないですよ」と言った。 『週刊朝日』の副編集長になると、各県代表のチームや選手紹介を中心にした別冊『甲子園特集号』を担当した。その別冊を手に、代表校の甲子園練習を見にゆくと、小指のない人たちが別冊と赤鉛筆を手に、練習に見入っていた。どうやら、野球トバクの賭け率を決めるのに欠かせない資料になっているらしい。 ――思い出の詰まった夏の高校野球は毎年、テレビで見ている。特に開会式は、選手宣誓や、朝日新聞社長の挨拶、文科大臣の祝辞に注目している。 今年は台風で延期になり、8月11日に開幕したが、大会会長たる朝日新聞社長も文科大臣(代読)も高校野球連盟会長も、上手な祝辞とは言えなかった。心に残るような言葉、表現がなかったからである。心に届かぬ朝日社長の言葉 釈迦に説法かもしれないが、文章とは何かと言えば、その人にしか書けないことを書くものである。話すときも、その人にしか話せないことを話さなければ、聞く方は退屈する。この心がまえを司馬遼太郎さんは、「話すときも書くときも、具体的でなければあかんな」と言われた。 多くの人が間違えるのはここである。話すときも書くときも、立派な内容にしようとして、抽象論や観念論になるきらいがある。使いなれていない言葉を使おうとする傾向がある。胸に手を当てれば、誰にも思い当たることがあるだろう。 祝辞など“挨拶道”の宗家と言われたのは文化勲章作家、丸谷才一さんだが、丸谷さんに「挨拶道三部作」と呼ばれるものがある。『挨拶はむづかしい』『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』(いずれも朝日文庫)の三冊である。 祝辞にしろ中締めにしろ弔辞にしろ、人前で挨拶をするのは、厄介なことである。しかし、退屈な挨拶を聞かされる方も、負けず劣らず難儀なことである。三部作の書名には、そういう意味もある。 三部作の愛読者の一人として言わせてもらえば、先にあげた文科大臣など三人の祝辞は短くて助かった。しかし、残念ながら通り一遍で、心に残るような言葉、表現がなかった。 肩書の立派なお三方には、司馬さんの、「話すときも書くときも具体的にな」 という言葉を拳々服膺してもらいたい。 お三方には、丸谷さんの三部作を読み、心に届く挨拶に必要な心がまえと、必要な準備を学んでもらいたい。 参考までに、僭越ながら私ならどうしたか。 朝日新聞の木村伊量社長は、岐阜で記者生活を始めたと聞く。高校野球を取材したときの失敗談や、心に残るエピソードがあるだろう。その話を入れれば、社長にしかできない祝辞になったはずである。むろん、聞いた人が、何の予備知識がなくてもわかるものにしなければならない。筆力に自信がなければ、スピーチ・ライター、ゴースト・ライターを見つけることである。心に届く祝辞をすれば、慰安婦報道で泥だらけになった朝日新聞の看板をきれいにできるかもしれない。 下村博文・文科大臣は、家庭が経済的に恵まれなかったそうである。ならば、高校時代に放課後は何をしていたのか。グラウンドで練習に明け暮れる野球部を、どういう目で見ていたのか。体験を織りこめば、下村大臣にしか語れない祝辞になった。 奥島孝康・高野連会長は、昨年より短かったところは評価できる。しかし、相変わらず中身がなかった。 奥島氏は早大総長を務めた後、朝日新聞監査役になった。その時期、早大出身の朝日新聞社員に、 「朝日新聞には経営がない」 と言ったそうである。 事実とすれば、由々しいことである。監査役であれば、そういう苦言、諫言は社長、役員に言うのが務めではないか。 監査役の次に高野連会長に収まれば、監査役として言うべきことを言わず、朝日にゴマをすったのではないかと、痛くもない腹をさぐられる恐れがある。そうした噂を打ち消すためにも、心に残る祝辞が必要だった。 奥島氏は高校時代、受験勉強を猛烈にしたはずである。そのとき、いちばんの敵は何であったのか? 敵がラジオ、テレビの高校野球中継だったとすれば、ウケることは間違いない。 笑い者になるのは、退屈な挨拶をするからである。奥島氏は笑わせることと笑われることを誤解しているのではないか。笑い者になりたくなければ、聞く人を笑わせることである。 作新学院の中村幸一郎主将の選手宣誓も、例年にくらべ短いところはよかった。しかし、 「この場所に立てることを誇りに感じています」 というところは「誇りに思います」と言う方がいい。「思う」と「感じる」の厳密な違いを説明するには、紙幅が足りない。国語の担任に聞いてもらいたい。王監督の思い 無理な反対報道王監督の思い 無理な反対報道第94回全国高校野球選手権、新潟明訓-明徳義塾の試合中、雷雨により2時間18分の中断となった=2012年8月18日(澤野貴信撮影) 開会式では『君が代』に合わせて国旗掲揚がある。場内アナウンスが選手役員に回れ右をし、脱帽して掲揚台を向くよう促し、「スタンドの皆様も御協力をお願いします」と放送する。観客も選手役員と同じようにしてください、ということだろう。 見ていると、観客のほとんどは国旗掲揚の間、立って脱帽していた。驚いたのは、『君が代』に合わせて口を動かす選手がほとんどいなかったことである。 歌詞を知らないのか、あるいは高校の先生に「歌わなくていい」と教わったのか。 ワールド・カップ・サッカーで、外国の選手はほとんどが国歌を歌っていた。中には気魄がみなぎり、命がけのような形相で歌っている選手がいた。 しかし日本代表には、そこまで気魄を感じさせる選手がいなかった。精神論を賛える気はないが、予選リーグ敗退の一因は、覚悟や気魄の欠如にあったのではないか。そういう気がしてならない。 「世界のホームラン王」にインタビューし、『君が代』の話を聞いたのは2006年の春だった。第一回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本チームを率いて優勝し、帰国した直後である。私は既に朝日を離れていたが、朝日新聞の別刷りのbe編集部に、王監督と私が長いつき合いであることを知っていたデスクがいて、インタビューを頼まれたのである。 王さんは早実高校時代、中国籍のために国体には出場できなかった。それでもWBCで日の丸を背負うことの名誉を語り、『君が代』についてはこう言った。 「『千代に八千代にさざれ石の……』というところ、自然に背筋が伸びて、武者震いするんです。生まれかわるとしても日本がいいし、僕は普通の人よりずっと日本人的なのかもしれませんね」 開会式で『君が代』を歌わない球児に聞かせたい話である。 もう一つ、1999年に国旗国歌法ができるとき、朝日新聞は反対のキャンペーンをした。奇怪だったのは、政治部出身のS編集委員(彼の連載タイトルに従い、私はポリティカ君と密かに呼んでいた)が、開会式の儀式に全くふれず、反対の論陣を張ったことである。 儀式で使われているのだから、法律にする必要はないと、主張するならわかる。 しかし儀式にはふれない。それでは「朝日新聞は書いていることとやっていることが違う」と言われたら、何と答えるのか? 私には知恵がない。 キャンペーンの手法は集団的自衛権の行使容認や昨年の特定秘密保護法反対のときと同じで、連日有名人を登場させ、反対論を語らせた。その時期、スポーツの国際大会を数多く取材したというY編集委員は、 「場内に『君が代』が流れると、会場から出てゆく観客が多い」と書いた。 テレビでは、そういう場面は見たことがない。事実かい?、とY君に聞くと、こう言った。 「いや、そんなことはないですよ。だけど、今はこういうふうに書いた方がいいんです」 あまりのことに、二の句がつげなかった。目の敵にすることないのに… 私は1995年から2年間、夕刊一面のコラム『きょう』を担当し、4月30日のコラムに、『軍艦マーチ』をはじめて流したパチンコ屋を取材した。流したのは昭和26(1951)年の春である。丸の内警察署の警官がとんできて、「軍国主義の音楽はダメだ」と言われ、占領軍のMPの詰め所に連れてゆかれた。 しかしMPはレコードを手に取って見るなり、 「これは音楽だろう。音楽は決して人に危害を加えない。レコードをかけてもいい」 と言った、という話を書いた。 子供たちに『君が代』を教えるときは、 「昔、この曲や日の丸の旗を使って、悪いことをした大人がいたんだよ。君たちは悪い大人にならないように、勉強しようね」 と言えばいい。 「『君が代』の『君』は、天皇陛下と思って歌ってもいいけれど、君たちを可愛いがってくれたおじいちゃんやおばあちゃんや幼稚園の先生のことを思って歌ってもいいんだよ」と、教えればいいではないか。 このキャンペーンのとき、私は編集委員だった。こういう話は書いておきたいと思ったが、事実無根の話を書いたY君や、ポリティカ君の話を聞いていると、新聞の編集局の壁は多く、厚そうである。古巣の『週刊朝日』に売りこみにいった。ところが経済部出身のO編集長は、 「社論と整合性がないので、載せられません」 と、とりつく島もない。 「社論と整合性」と聞いたとき、この男は本当に新聞記者かと思った。記者なら、朝日新聞が言論の自由を命をかけても守る会社だと思って入社したはずである。「社論に従わなければならない」とは、どういうことか。朝日新聞は北朝鮮と同じなのか? O編集長はその後『週刊文春』に『武富士』との不明朗な関係を報じられ、退社した。理由ははっきりしないが、H社長はやはり『週刊文春』の追及を受け、新聞協会会長と社長を辞めた。この件については社内にも詳しい説明がなく、今もって全ては闇の中である。 ところで『君が代』と言えば、司馬遼太郎さんのエッセイ集『歴史の中の日本』(1976年9月発行・中公文庫)に「歴史の不思議さ――ある元旦儀式の歌」という短い文章がある。 徳川将軍家の大奥では、元旦に「おさざれ石」という儀式があった。 御台所は、午前四時に起床する。化粧をおえたあと、廊下に出る。廊下にはすでにもうせんが敷かれており、なかほどにタライがすえられている。そのなかに石が三つならべられている。やがて御台所がタライの前に着座すると、むこう側にすわった中臈が一礼し、 「君が代は千代に八千代にさざれ石の」 と、となえる。御台所はそれをうけて、 「いはほとなりて苔のむすまで」 と、下の句をとなえる。そのあと中臈が御台所の手に水をそそぐ。そういう儀式のあったあと将軍家に年賀を申しのべる。 この元旦儀式は将軍家だけでなく、国持大名級の奥にもあったという。そのもとは徳川家の創始ではなく、遠く室町幕府の典礼からひきついでいるのではないかと想像される。(中略) 君が代うんぬんというのは類似の歌が『古今集』にもある。また今様にもあれば、筑紫流の箏曲や薩摩琵琶歌にもあるところをみれば、この歌は「めでためでたの若松さま」と同様、古くはその家々のことほぎのためにうたわれていて流布したものであろう。 『歴史の中の日本』が文庫本になったのは1976年である。中央公論社からハードカバーで出版されたのはその2年前の1974年の5月である。ポリティカ君は、すでに朝日新聞の記者になっている。 読んでいなかったのだろうか。読んでいたのに「甲子園の儀式と私の書くものとは違う」と言い張ったのだろうか。 ポリティカ君の政治部の先輩には、司馬さんと親しい記者、編集委員がいたはずである。なぜ司馬さんに聞こうとしなかったのか。慰安婦報道の検証でも素直にお詫びしなかったが… ポリティカ君は現在、私立大学で特任教授をしていると聞く。学生に司馬さんのエッセイを読むように勧めてもらいたい。自分の書いたものが、間違っていたと思ったら早くお詫びをし、訂正をすることである。自国の国旗国歌に敬意を表さない者は、海外では尊敬されないと、教えるべきではないのか。 8月のはじめ、朝日新聞は慰安婦報道について、検証なるものを紙面に載せた。 この検証がどう読まれたか? 学生時代に私の作文指導を受けた記者たちに感想を聞くと、 「お詫びをしたかったのか、言い訳なのか、はっきりしない」というのが、全国紙、ブロック紙、テレビ局の記者になった若者の一致した感想だった。 特に不評だったのは、「取材をした時点では研究が進んでいなかった」というくだりと、「読売や毎日など、同業他社も似たような記事を書いた」というところである。私も、 「研究が進んでいなかった」 とあったのには、開いた口がふさがらなかった。自分のところの取材の甘さを棚に上げ、研究に責任があるとは、卑怯である。卑怯者は記者になってはいけない。 検証と言いながら、検証した記者の名がないのもおかしい。問題の記事を書いた植村隆記者(3月に退職)が、週刊誌の取材は拒否しながら、どうやら朝日新聞の“事情聴取”に応じているらしいのも妙である。 「同業他社も似たような記事を載せた」にいたっては、言語道断と言うほかない。君には誇りがないのか、と言いたい。 毎日の社内では、 「朝日とうちでは、従軍慰安婦の記事の扱いの大きさが違う」 という声があったそうである。 こういうのを、目クソ鼻クソを笑うという。 読売の社内には、 「朝日の批判は必要でも、激しくやると厄介な相手だから、ほどほどにしよう」 という記者たちがいると聞いた。シッペ返しを恐れるのは、自分のスネにキズがある証拠ではないか。そう思われてもしかたがない。それはそれ、これはこれで、堂々とやり合ってもらいたい。血の臭いのしない国歌 『君が代』の話のはずが、横道にそれた。 ポケット六法を見るとわかるが、『君が代』はわずか11小節の短い国歌である。短さもさることながら、11という奇数のメロディーは珍しいそうである。 国歌は『ラ・マルセイユズ』が典型だが、歌詞に血の臭いがある。ところが『君が代』には、野蛮な臭いがまるでない。どうしてか? 夏休みの研究課題に丁度良かったのではないか。かわむら・じろう 昭和16(1941)年、東京・本郷生まれ。慶應義塾大学卒業。39年、朝日新聞入社。社会部記者、週刊朝日編集長、朝日新聞編集委員などを歴任。退社後も、文筆家として執筆活動を続ける。今年の本誌7、8月号に朝日新聞批判を寄稿した。NPO法人日本語検定委員会審議委員。著書に『学はあってもバカはバカ』(かまくら春秋社)など。

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    左右両翼と闘う河合栄治郎の精神と朝日新聞の差

    に強かった大アジア主義にふれて、『批評』にこんな河合の冷静な言葉を私は引いた。1月5日、記者会見する朝日新聞社の渡辺雅隆社長=東京都中央区(大西正純撮影) 「アジア諸国は独立を回復することを熱望することは確かである。然(しか)し日本の力を借りることには賛成しまい。何故(なぜ)なれば英米の宣伝により日本を誤解している点もあろうが、日本の過去の外交史が彼等(かれら)に疑惑を抱かしめるからである。英米を排して日本を代わりに引き込むならば、彼等は寧(むし)ろ英米の方を選ぶだろう。何故なれば日本の内部に於(おい)て同胞に対してさえ充分(じゅうぶん)の自由を与えていないのに、その日本から外国は充分なる自由を与えられることを期待しえないからであり、又(また)英米にはたとえ不徹底なりとも自由主義的思想が浸潤している。異民族を統御するに就いて彼等は日本人よりも妙諦を解しているからである。アジアの諸国に於ける日本の信用をば、吾々は決して過超評価してはならない」真の自由主義者の系譜 河合は昭和初年、プロレタリア独裁を肯定する左翼共産主義が盛んとなるやそれを批判した。が満州事変以後、青年将校が暴発し右翼国家主義が台頭するや今度は軍部専横を批判した。真の自由主義者は今でもそうだが、左右両面の敵と戦わねばならない。河合研究会で丸山真男が河合の衣鉢を継ぐ学者だと武田清子が言うから私は真っ向から反論した。右翼には手厳しいが左翼には甘い男が河合の思想的系譜に連なるはずはない。 河合は首相暗殺をはじめとする軍人の直接行動を敢然と否定した。なぜならそれは「国民と外国との軍に対する信用を傷つけ…軍人が政治を左右する結果は、国民の中には、戦争が果して必至の運命によるか、或(あるい)は一部軍人の何らかの為(ため)にする結果かと云(い)う疑惑を生ずるであろう」。しかし当時のマスコミは犬養首相を殺害した「純粋な」青年将校を「昭和維新の志士」と称揚した。暗殺者は死刑にもならず、日本は滅びた。思想の自由守り続けた粕谷 大学を追われた河合は自己の思想信条を懸け裁判に臨んだ。弁明は学術論文のごとく見事である。一旦は無罪となるが結局は敗訴する。だが日本は一党専制のナチス・ドイツや共産国とは違う。河合は罰金刑で戦争中も河合の学生叢書(そうしょ)は広く読まれた。私の姉は『学生と生活』を昭和14年に、兄は『学生と教養』を19年に古本で求めている。その年に河合は満53で早世した。生きていれば敗戦後は首相に推されただろう。私は戦後『学生に与う』を読み、溌剌(はつらつ)とした精気と明るさに驚いた。とても苦境に立たされた人の文章とは思えない。私は河合が説く「友情」や「自我」の言葉に酔いしれた。 1960年、マスコミは一斉に「安保反対」を叫び、国会包囲のデモ参加者を「純粋な」学生と称揚した。そんな時、まだ30代の粕谷一希(1930~2014年)は事態を冷静に見ていた。粕谷は『中央公論』の編集長に抜擢(ばってき)されるや周囲の突き上げにもかかわらず思想の自由を守り続ける。その勇気に私は感心した。後年、粕谷が評伝『河合栄治郎』(1983年)を書くに及んで合点した。粕谷も若くして河合を読み、闘う自由主義者の系譜に連なったのである。この夏死去したが編集者として後世に名をとどめるだろう。 では朝日の慰安婦検証記事の関係者はどうか。「朝日撤稿」は中国紙でも先日大きく報ぜられた。それなのに、若宮啓文氏は「朝日の報道によって国際世論に火が付いたという批判はおかしい」(文芸春秋10月号)とまだ言い張っている。こんな朝日の前主筆も後世に名をとどめるだろう。ただしその悪名によって。

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    中立を装う朝日新聞の欺瞞と独善

    古田博司(筑波大学大学院教授) 昨年は朝日新聞社の慰安婦誤報事件をめぐり、様々な検証が行われてきたが、どうもいまいちすっきりしない。いったい何がいけなかったのか根本が極められていないので、朝日以外の他社の新聞記者にまで世上を見る際の視座に不安を及ぼしているというのが現状ではないだろうか。 「角度を付けすぎてはいけないんだ」とか、「特権振りかざすような気分はひかえなければ」とか、「一方に過剰に偏ってはいけない」とか、いくらでも教訓は引き出せるが、教訓というのは断片にすぎないから弥縫策にしかならない。 そこで私は考えたのだが、朝日新聞のまちがいの根本は、「均衡中立性崩壊」にあるのではないか。本来、世上では様々に反対意見の集団が対峙しているし、世界では様々な国々が対立している。それがビリヤードの玉のようにぶつかり合う。そこに政治が生まれるのだが、この政治にははじめから均衡点がない。 あれば皆がそこを目指すからいつかは平和な状況がやってくると期待することができるはずである。でもないので対話の機会を設けて互いに説得し合う。あるいは似た色の玉同士で同盟を作り、圧力をかける。どうしようもなければ局地的に少し暴れる。でも現在では熱い戦いにはなかなかならない。下手をすれば自分が滅亡してしまうことをよく知っているから、摩擦を起こしながら相手を動かしていく。 国会中継を見ていても、昔のように議論白熱し武闘派が暴れるようなことは最早ない。みんなフリップをもってきて、ビジュアルに訴えるような形で説得する。議論や熱い戦いの時代は去り、説得と圧力、摩擦で反対側を動かしていくのである。均衡点はあらかじめあるわけではないから、先んじて中立点をつかむことはできない。中立性をつかんだ気になり、自分こそ客観的だと思うことが危険なのだ。 中立性と客観性は明らかに別物である。反対側の相手にだって客観性はある。だからこそ反対側の人々からも説得力のある意見が当然聞かれる。 朝日新聞社は率先してこの時代の先見性をはずしたのだと思う。はじめから均衡点があると過信する。たとえば日本と中韓もこの均衡点に向かっている。だから平和は双方が議論し、歩み寄りに努力すれば可能なのだ。 自分はこの均衡の位置から中立的に両者を高みから見下ろせばよく見えるはずだ。それで、そうしようとするのだが、そんな場所はないのでどちらかに転がり落ちる。自分は日本人だから日本側に落ちそうになるかもしれない。頑張って落ちないようにしようとすると中韓の側に落ちる。そこで日本の平和への努力不足を批判するという無難な形でこれまでやってきた。 朝日新聞の「日韓国交五十年 歴史の節目に歩み寄りを」(二〇一四年十二月三十日付)の社説は、日本と韓国の間で何とか中立性を奪取しようとする苦肉の策だった。あれほど世間的に批判されたのだからそうされないように、「角度を付けないように」「偏らないように」「傲慢にならないように」と、必死にやじろべいをした。 でも慰安婦の「強制性」を否定したら負けなのでナニクソと「一方で『韓国には軍に無理やり連れて行かれた』と証言する女性がいる」と述べた。この時点で、実は韓国側に転がり落ちている。中立性など均衡点のない世界では無理なのである。でも、次もナニクソと踏ん張る。「韓国の朴槿恵大統領も(省略)日本が加害者であるからといって、ただ提案を待つだけでは問題の決着はありえない」と、韓国側もいさめてみせる。 この時点で読者はげんなりする。こんなに相手側に転げ落ちてまで、まだ中立点に自分がたっていると信じ込んでいる愚かさが「欺瞞」という匂いで読者の鼻を衝くからである。 そして最後に、先見性から物の見事に失墜する。よせばいいのに、「国交正常化に、安倍首相の祖父の岸信介氏は大きく関わり、朴大統領の父、朴正煕氏は国内の反対を押し切って決断した。このままでは日韓双方で当時の決断を疑問視する声さえ強まりかねない」と言ってみせた。 今は過去になったのではっきりしているが、韓国は日米の圧力に屈し、六月二十一日外相会談をもち日本に妥協するとともに、翌日両国で催された日韓国交五十年式典に各々の首脳が出席し、韓国は日韓基本条約の基本線にもどったのである。 朝日新聞社の一体何がいけなかったのか。これで明らかになったと思われる。それは「均衡中立性崩壊」の現代で、崩壊に気づかずに、ことさら中立性を取ろうとして日本の反対側に転がりつづけたことである。新聞記者諸兄姉には是非注意してほしい。世界にあらかじめ均衡点などなく、中立性は取れないのだ。 どちらかに視座をしっかりと据えて、反対側の意見も無視しないことである。反対側にも客観性があることを肝に銘じ、自分がどちら側についているかしっかりと自覚して筆を執る。では、いったいどちらに付いたならばよいのか。それが先見性というものなのである。先見性から失墜すれば、当然予測を外し、せっかく正義の中立点を取ろうとした者が悪になる。朝日の誤報事件は秀才がこの先見性に恵まれていないことを秘かに暗示している。

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    なぜ韓国人は、朝日の社旗に怒らないのか

    マッチポンプという言葉があります。日韓関係が現在のように険悪になったのは、朝日新聞のマッチポンプ報道が原因の一つであると言われています。その下品な手法をちょっと参考にしてみました。

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    新聞広告から見る朝日新聞の経営状況

     私は経済評論家なので経済的側面から朝日新聞を考えてみたい。 朝日新聞とは「株式会社朝日新聞社」が発行する日刊の商業紙である。朝日新聞社は株式会社形態を取る「営利を目的とした私企業」にすぎない。そして、その収益は、読者の払う新聞の購読料と「広告収入」により成り立っている。そして、新聞社の最も大きな収益源は販売店に手数料が入るチラシではなく、本紙に印刷されている「本紙広告」ということになる。 基本的に、新聞の広告代金は時価であり、明確な定価が存在するものではない。しかし、一応の目安は存在し、朝日新聞の場合、全面(15段)で4000万前後というのが朝日新聞社側が提示している参考価格ということになる。そして、この価格は年間の出稿回数や曜日、何面に掲載するか、期日の指定があるのかなどにより、いかようにも変動する。要は需要と供給の市場原理で決まっているわけである。 簡単に言ってしまえば、朝日新聞に広告を出したいと思う広告主が多ければ高くなり、少なくなれば安くなるわけである。また、突然広告主が降りてしまったり、広告が集まらなくなった場合、これが「タダ同然」で販売されるケースも存在するのである。いわゆる穴埋め広告である。その意味では新聞広告というのは、新聞社の経営の健全性を測る一種の目安になるといってよいのだろう。 では、どんな広告が高いのかということになる。基本的に期日の決まったカラー広告は高い。例えば、何かのイベントに合わせた企業のイメージ広告や新発売に合わせた新商品の広告などがそれにあたる。このような広告は単価も高いため、上場企業など有名企業でなければなかなか出せない。このような広告が多ければ新聞社の経営がうまくいっていると見て良いのだろう。 逆にどのような広告が安いのかといえば、1.健康食品などの通販広告2.旅行会社などの広告3.書籍などの出版物の広告 ということになる。新聞の紙面がこのような広告であふれていたら、経営的には黄色信号と見て良いのだろう。そして、一番危険なのは、系列会社や自社イベントの広告や社会啓蒙などの公共広告である。これは広告主が集まらず、穴埋めのために仕方なく入れた広告である可能性が高いからである。 実は、新聞に掲載することが出来る広告スペースは法律や規定で決まっている。新聞は郵便料金が安くなる第三種郵便の承認を受けており、この規定により全紙面の50%までとなっているわけである。そして、公職選挙法により、選挙報道を行うにはこの第三種郵便の承認を受けている必要があるため、事実上、紙面の50%に制限されているのである。そして、どこの新聞社も最大限の利益の確保のため、このギリギリのラインを広告スペースにしているわけだ。朝日新聞の場合、平均で40ページ程度なので20ページ分が広告スペースとして確保されているわけである。 新聞社の営業はこのスペースを埋めるために必死に営業を行うわけであるが、どうしても埋まらない場合、先ほどの穴埋め広告で誤魔化すしかなくなるわけである。単純に考えれば、広告が集まらないならば、記事を増やすことで対応すればよいのであるが、政治部や社会部など部別にある程度枠が決まっており、これを変えるのは簡単ではない。また、年間の使用量に合わせ紙やインクを確保している為、紙面を減らすのも容易では無いのである。 そして、朝日新聞には紙面を減らせない別の理由も存在する。なぜなら、全国紙の他紙よりも高いからである。競合する読売と毎日新聞が130円 産経新聞が110円であり、朝日は150円だからである。他紙よりも高い以上、ある程度のボリュームがなければ今以上の割高感が出てしまうからなのである。そのため、広告主がいなくなると穴埋め広告が増えるわけである。 昨年、朝日新聞問題が起きた時、穴埋めと思われる子会社の広告が急増した。これは広告主が企業イメージの悪化を恐れ、広告出稿を取りやめたことに起因するものと思われる。また、このような子会社の広告にはもうひとつの問題も存在する。いくら子会社とはいえ、別法人である以上、広告費を払っているはずであり、これが朝日新聞の売り上げとして計上されているものと思われる。これを悪用すれば、一種の売り上げの粉飾も可能なのである。100%の連結対象であれば、最終的に親会社子会社の間で利益と経費が相殺されるため、最終的には調整されるが、見た目の売り上げをよく見せることが出来るわけである。 6月25日に公表された朝日新聞決算書(2014年4月から2015年3月)によると 新聞事業4033億2500万円(前年比-7.9%)、セグメント利益29億8300万円(前年比-54.7%)と大幅な業績悪化が生じていた。また、この数字は問題が発生する前の数字を含んだものであり、問題発生後だけで見ればもっと厳しかったのだと想像できる。朝日新聞は新聞事業の売上の明細を公表していないため、具体的な実態をつかむことは出来ないが、この業績悪化の大部分が広告収入の減少によるものであると思われるのである。

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    国防を「悪玉視」して貶め続けた朝日 偏向の大罪

    井上和彦(ジャーナリスト) 朝日新聞以上に自国の歴史や国家の名誉や威信を傷つけてきた新聞が他にあるだろうか。一連の慰安婦報道や吉田調書報道に関する問題以後、もはやそれは衆目の一致するところと思う。これまで朝日新聞がふりまいてきた害毒は数え上げればきりがない。とりわけ国防・安全保障に関する報道は常軌を逸している。命がけで国民を守る自衛官の心と名誉をどれだけ傷つけたことだろう。彼らの報道で実は国民の命が危険に曝されている点も忘れてはならない。紛れもなく日本の安全保障の最大の脅威のひとつが朝日の報道である。本稿では朝日新聞の安全保障に関する偏向報道の手口を紹介したい。集団的自衛権行使容認閣議決定 まずは「集団的自衛権」に関する報道だ。 集団的自衛権の行使容認が閣議決定された翌日の平成26年7月2日の朝日新聞は、朝刊1面で『9条崩す解釈会見』と大見出しで真っ向から批判した。 《1日は自衛隊発足から60年。第2次世界大戦で多くの犠牲と反省の上に立ち、平和国家の歩みを続け、「専守防衛」に徹してきた日本が、直接攻撃されていなくても他国の戦争に加わることができる国に大きく転換した日となった》2014年7月1日、集団的自衛権の行使容認について、会見で説明する安倍首相 記事では「1日は自衛隊発足から60年」「第2次世界大戦で多くの犠牲と反省の上に立ち、平和国家の歩みを続け、専守防衛に徹してきた日本」などと並ぶ。 しかし、日本が第二次世界大戦の反省に立ってこれまで専守防衛に徹してきたからといって未来永劫世界の平和構築のために積極的に関与しなくてよい理由にはならないだろう。 それは、軍拡著しい中国から日本を守るうえで最善の策とされる集団的自衛権の行使を否定する根拠にもなり得ない。朝日は、日本が専守防衛に徹してさえいれば、平和と秩序が保てると考えているのか。日本を覆っている中国の軍事的脅威を払拭できると思っているのだろうか。 この記事の隣に掲載された連載『日本はどこへ 集団的自衛権(1) 「強兵」への道 許されない』では編集委員、三浦俊章氏が《来年は戦後70年にあたる。そのときに日本の選ぶ道が、「強兵」への復帰でよいはずはない》と結んでいる。だが、集団的自衛権の行使容認と来年が戦後70年であることとがどう関係するのか。感傷的な記述からは伝わらない。 社説でも《戦後日本が70年近くかけて築いてきた民主主義が、こうもあっさり踏みにじられるものか》と冒頭から怒りをぶつけ、独善的な“暴走”が始まるのだ。 《「東アジアで抑止力を高めるには集団的自衛権を認めた方がいい」「PKOで他国軍を助けられないとは信じがたい」 一連の議論のさなかで、欧米の識者や外交官から、こうした声を聞かされた。 だが、日本国憲法には9条がある。戦争への反省から自らの軍備にはめてきたタガである。占領政策に由来するとはいえ、欧米の軍事常識からすれば、不合理な制約と映るのだろう。 自衛隊がPKOなどで海外に出ていくようになり、国際社会からの要請との間で折り合いをつけるのが難しくなってきていることは否定しない。 それでも日本は9条を維持してきた。「不戦の国」への自らの誓いであり、アジアの国々をはじめ国際社会への宣言でもあるからだ。「改めるべきだ」という声はあっても、それは多数にはなっていない。 その大きな壁を、安倍政権は虚を突くように脇からすり抜けようとしている》 本末転倒―その一言に尽きる。こちらが恥ずかしくなるほどの論理である。では聞こう。 朝日新聞は「抑止力を高める必要はない」「PKOで助けなくてもよい」とお考えなのか? 朝日新聞が憲法9条をこよなく愛していることはわかった。しかし、憲法9条を守っても国民の命を守らなくて良いという免罪符には成りえない。安倍首相の最大の使命は国民の命を守ることである。 憲法9条の制約から集団的自衛権が行使できず、世界の平和を維持するためにPKOの現場で共に汗を流す他国の軍人の命を助けなくてよいという理屈もまた通らない。朝日新聞は「9条を守る」ことだけを強調するが、その結果、国や国民にもたらされる害毒に責任を負えるのか。 憲法9条を改めるべきだというアジアの声が「多数にはなっていない」ともあった。これもおかしい。では多数に達したら変えてもよいのか。日本国憲法の変更には外国の承認が必要とでも言っているようで綻びだらけの立論なのだ。 さらに暴走は続く。 《首相はきのうの記者会見でも、「国民の命を守るべき責任がある」と強調した。 だが、責任があるからといって、憲法を実質的に変えてしまってもいいという理由にはならない、国民も、そこは見過ごすべきではない》 《この政権の暴挙を、跳ね返すことができるかどうか。 国会論戦に臨む野党ばかりではない。草の根の異議申し立てやメディアも含めた、日本の民主主義そのものが、いま、ここから問われる》 戦争にならないよう抑止力を高める。そのために集団的自衛権行使容認を閣議決定したのだ。抑止力を高めれば、わが国への侵略意図を未然に挫くことにつながる。“他国の戦争に加担する”ためでは断じてない。わが国と国民の生命を守るためなのだ。そういう論理を頭から全否定して始まる朝日新聞の報道こそむしろ“暴挙”ではないのか。 産経新聞は『「積極的平和」へ大転換』と大見出しをつけ、『首相「今後50年 日本は安全だ」』と題した記事で、閣議決定の目的を正確に伝えた。主張も《戦後日本の国の守りが、ようやくあるべき国家の姿に近づいたといえよう》と切り出し《反対意見には、行使容認を「戦争への道」と結びつけたものも多かったが、これはおかしい。厳しい安全保障環境に目をつむり、抑止力が働かない現状を放置することはできない》と書いた。わが国をとりまく安全保障環境は劇的に変化している。それに間断なく対処せねばならない。防衛体制に不備があれば当然それは是正する責任がある。 読売新聞も『集団的自衛権 限定容認』と、閣議決定内容を正確に伝え、田中隆之政治部長の『真に国民を守るとは』と題した記事があった。 《今回の見解にあるように一国では平和を守れない。日本が集団的自衛権を限定的に認め、対米連携を深めることが不可欠だ。それこそが真に国民を守る手段となる。時代にそぐわない憲法解釈を安倍首相が正したことは高く評価できる》 閣議決定の目的と主旨を正確に伝えている。社説でも《今回の解釈変更は、内閣が持つ公権的解釈権に基づく…いずれも憲法の三権分立に沿った対応であり、「立憲主義に反する」との批判は理解し難い》として解釈変更に何の問題もないと指摘している。 しかし、朝日新聞は、こうした冷静な報道を一顧だにしない。社会面に『不戦 叫び続ける』と題した記事を掲載、若者の「びびってます」とか元兵士の「限定的でも引きずり込まれる」といった声をちりばめて『列島 抗議のうねり』と牽強付会にあおるのだ。 日本列島が反対一色であるかのような記事だが、福井市のJR福井駅前での“市民団体”の呼びかけに応じて集まったのは、わずか「30人」だったらしい。これのどこが『列島 抗議のうねり』なのだろう? 日本列島が抗議のうねりに呑みこまる状況など一体どこに存在したのだろう。空自ヘリと取材ヘリ、ニアミスしたのは…平成19年空自ニアミスの報道 これだけではない。平成19年4月9日の朝刊ではこんな見出しが躍った。空自ヘリ、ニアミス墜落機の救助中 NHK取材ヘリと 見出しの横には『墜落機の救助中 NHK取材ヘリと』とある。ということは、墜落機の救助中の空自ヘリが取材中のNHKヘリに近づきすぎてニアミスを起こしたということになる。ところが本文を読んでみると… 《空自ヘリが遭難地点に侵入するために左旋回したところ、相手ヘリが右に旋回して急速に接近した》 つまり“相手ヘリ”が、空自ヘリに異常接近したのであって空自ヘリがニアミスをおかしたのではなかったのだ。本来この記事の見出しは、『NHK取材ヘリ、ニアミス』とすべきだろう。あたかも空自ヘリがNHKヘリにニアミスしたと読者が錯覚するような見出しを付けているのだ。NHKヘリはなぜか「相手ヘリ」として社名を隠し、空自ヘリを際立たせているところにも自衛隊への悪意が垣間見える。 しかもこの事故の隣には 持ち出し、イージス艦中枢情報も という見出しの海上自衛隊の情報漏えい事件の記事が併記されている。読者は「なんだ、航空自衛隊も不祥事をおこしたのか!」と瞬時に連想してしまう。実に巧妙な印象操作だと言わざるを得ないのだ。 そもそもこの遭難事故は、平成19年3月30日に鹿児島県徳之島で発生した救急患者の緊急空輸のため、那覇基地を飛び立った陸上自衛隊第101飛行隊(現・第15飛行隊)の大型輸送ヘリコプターCH47JAが徳之島の天城岳山中に激突して機長以下4名の隊員が殉職した痛ましい航空機事故があって、このとき陸自機の捜索・救難にあたったのが、同じ那覇基地にある航空自衛隊の那覇救難隊の救難ヘリUH60Jだったのである。 いずれにせよこの“ニアミス事故”なるものの非は、NHKの取材ヘリにある。朝日新聞の自衛隊を貶めようとする意図を感じざるを得ない。海自「おおすみ」と釣り船衝突 平成26年1月15日、瀬戸内海の広島沖を航行中の海上自衛隊輸送艦「おおすみ」に釣り船が衝突して釣り船の船長と乗客の2名が死亡するという海難事故が発生した。海上自衛隊輸送艦「おおすみ」と転覆した釣り船(手前右)=2014年1月15日午前、広島沖(本社ヘリから、山田哲司撮影) この事故を取り扱った読売新聞の見出しはこうだ。 衝突、同方向に航行中海自艦と釣り船 重体の船長死亡 ところが朝日新聞の見出しはこうなっている。 回避行動の状況調査へ 海自艦衝突 追い越す船に「義務」 海自艦と釣り船が衝突したのに、表記されているのはなぜか海自艦だけだ。これではまるで海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」に責任がある印象を読者に与えかねない。 この記事のリードも問題である。 《一方、安倍政権は過去に起きた自衛艦の事故の苦い経験を踏まえ、影響を最小限にとどめようと迅速な対応をアピールした》 書き手の悪意がにじみ出たおかしな書きぶりである。そもそも“迅速な対応”は褒められこそすれ、揶揄されることではないからである。逆に、対応が遅ければ、厳しく非難される。迅速に対応すると今度は「影響を最小限にとどめようとアピールした」。ここから安倍政権を叩いてやろういう魂胆が行間から読み取れる。始末に負えない書きぶりだ。 平成12年9月に石原慎太郎都知事(当時)の旗振りで実施された陸海空自衛隊を動員した災害派遣訓練“ビッグレスキュー”を取り扱った朝日新聞のいやみな批判記事は今も忘れられない。 一面には装甲戦闘車両の写真の下に『銀座上空に対戦車ヘリ』の見出しが躍り、銀座上空に物騒な対戦車ヘリが飛んできて軍事訓練したかのような記事となっている。 さらに社会面だ。『迷彩服だらけの首都防災訓練』と『大通り装甲車堂々』と見出しがあって『憂いあり』。いずれも白抜きの大きな文字だ。いったい何に対して、どんな憂いがあるというのだろうか? 誇大妄想も甚だしい。東京都の総合防災訓練。都営大江戸線による自衛隊部隊集結訓練で、地下鉄に乗り込んだ自衛隊員ら=2000年9月3日 迷彩服は自衛隊の制服だ。いったい何が問題なのか。装甲車は大通りを堂々と走行してはいけないのか。装甲車は人目をはばかるように移動せよというのか。 おまけに『憂いあり』の文字の下には『「治安出動」批判派デモ』なる小さな記事がぶら下がっている。自衛隊を動員した都心での災害派遣訓練がどうして「治安出動」に結び付けられて批判されなければならないのか。 どうも朝日新聞の記事には、読者を自らの偏った政治主張や特定イデオロギーに引きずり込もうとするいかがわしいトラップが随所に仕掛けられていると言わざるを得ない。気の毒なのは正確な事実が伝えられず公正な判断ができない読者である。海自「あたご」と漁船の衝突事故 コラムもやりたい放題である。 平成20年2月19日におきた海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船が衝突した海難事故について、平成20年3月3日の「ポリティカにっぽん」と題するコラムで、朝日新聞コラムニストの早野透氏はこう書いている。 《石破茂防衛相が「ハイテクの極致」とたたえるイージス艦、ハワイのミサイル防衛の訓練に疲れ、艦長が居眠りしている間に千分の一の「親子船」を撃沈してしまうとは!》 「艦長が居眠りしていた」などと、まるで任務中にコックリコックリと居眠り運転していたかのように書いている。だが、そもそも艦長は交代で就寝中だったのであって、訓練に疲れたせいでオペレーション中にうっかり居眠りしたのではない。艦長は、航海長に艦の運航の指揮を委任しており、就寝したことは何ら問題ではないのだ。「訓練に疲れ」という言葉が付け加えられ、これに続けて「居眠り」とある。これでは間違いなく誤解を誘発する書きぶりだ。 「親子船」という無条件に国民の同情を誘う言葉を使う一方で、自衛隊には「撃沈」なる言葉を使うのも首を傾げてしまう。そもそも「撃沈」とは、相手を沈める意図があって砲撃や雷撃・爆撃などの攻撃で沈没させることだ。イージス艦「あたご」に漁船を沈める意図など微塵もない。撃沈では決してないのだ。これはほとんど“捏造”の域といっていい。自衛隊の事故なら何を言っても構わないという空気に乗じたゆゆしきコラムである。中国国防費に対する記事も酷かった中国国防費めぐる報道 2010年(平成22年)の中国国防費に対する記事も酷かった。読売新聞(平成22年3月4日)はこんな見出しだ。中国国防費7・5%増2けた伸び21年止まり 開発費除外か これが朝日新聞になるとどうなるか。中国国防費 伸び鈍化10年は7・5% 22年ぶり1ケタ このニュースで読者に伝えなければならない最重要ポイントは、中国の国防費がこの年もまた7・5%も増えた客観的事実で次に兵器の開発費が除外されている可能性だ。これまで20年以上にわたって続いてきた国防費の前年度比2けたの伸び率が2010年は1けただったことは、単なる参考データでしかない。その意味で読売新聞の見出しは、このニュースの伝えるべきポイントを要領よくおさえている。 一方の朝日新聞は、参考データに過ぎない国防費の伸び率が1けただったことをまず強調し『中国国防費 伸び鈍化』と大見出しで『22年ぶり1ケタ』とアピールし、読者に、あたかも中国の軍拡がスローダウンしたかのような印象を与える記事となっている。 最も肝心な前年度比7・5%もの非常に高い国防費の増額については、『10年は7・5%』とだけ記載し、「増」の文字がない。これでは「7・5%」という数字が意味するところがよくわからないのだ。朝日新聞は「7・5%もの増額」という大幅な増額を巧みにごまかしたのである。ちなみにこの年のSACO関係費を除いた日本の防衛費は前年度比0・4%減だった。いかに中国の7・5%という伸び率が驚異的であるか。おわかりいただけよう。自衛隊と韓国軍のイラク派遣報道 自衛隊がイラクに派遣されたさいも朝日新聞は批判を繰り返した。平成19年5月16日の社説はこう述べた。 《英国ではブレア首相が世論の批判から退陣に追い込まれた。ブッシュ大統領も、米軍の期限付き撤退を条件とする予算案や決議を議会から突き付けられた。支持率は最低水準に低迷している。 そんな中で、日本では自衛隊の派遣延長がすんなりと国会を通っていく。これといった総括や反省もないままに、大義に欠ける、誤った米国の政策に参画し続ける。なんとも異様と言うよりない》 最後はこう結んだ。《政府はすみやかに自衛隊を撤収し、イラク支援を根本から練り直すべきだ》 ところが朝日新聞はこの同じ年の1月31日付の紙面で、イラク北部に派遣された韓国軍に対しては『復興支援 韓国がっちり』という見出しをつけ、こう言っているのだ。 《治安悪化で泥沼化するイラクで、唯一安全といえる北部クルド地域に2300人の部隊を駐留させる韓国が、軍と政府機関による復興事業を着々と進め、地元の信頼を勝ち得ている。すでに民間企業も進出するなど、治安の問題から南部サマワで十分な復興支援ができなかった日本との差を際立させている》 ちょっと待てよ!といいたい。あなた方は「大義に欠ける、誤った米国の政策に参画し続けている」と日本を批判したのではなかったか。なぜ韓国だけは“異様”でないのか。これは明らかにダブルスタンダードである。矛盾していることに自ら気づかないのだろうか。 記事には、『安全バックに事業次々』という小見出しがあった。 《韓国の民間人スタッフは全員、韓国軍基地内に居住。町へ買い物やレストランでの食事にも出かけるが、現地で雇った武装警護員を必ずつける。 さらに韓国軍も復興事業として学校54カ所、診療所11カ所、井戸200カ所を建設。基地内で開く自動車修理、コンピュータ技術から菓子料理までそろえた職業訓練コースは、月給110ドルがもらえる上、軍の送迎付きとあって市民に大評判だ。各地でテコンドークラブが作られ、韓国兵らが指導に当たっている。 ハウラミ・スレイマニア商工会議所会頭(32)は「韓国には本当に感謝している。投資促進にも非常に前向きだ。我々は先に来てくれた人を大切にしたい」と話す》 なぜ自衛隊と韓国軍のイラク派遣に対する評価がこうも違うのか。彼らの偏向こそ“異様”であり“異常”である。 朝日新聞は、イラクで自衛隊がどこの国の軍隊よりも歓迎され、そして感謝されていたことを知らないのだろうか。自衛隊はイラク南部サマワで病院や学校の建設、加えて橋や道路の整備を行なって地元イラクの人々からいたく感謝され、地元住民らによる自衛隊への感謝の意を表するためのデモ行進まで起きている。また自衛隊の撤収時には、地元住民が、自衛隊との別れを惜しんで涙したなどという感動のエピソードもある。朝日新聞はそんな数々の話をまったく耳にしたことがないのだろうか。否である。実は朝日新聞はこうした事実を知っているはずだ。なぜ書かないか。自衛隊を利するから書かなかったと私は考えている。海自イージス艦派遣めぐる報道 防衛報道、自衛隊報道における朝日新聞の恣意について述べてきた。最後に私自身の経験を話そう。かつて筆者は謝罪文を朝日新聞から書面で受け取ったことがあるからだ。 平成13年11月23日付の朝日新聞(西部本社発行版)に筆者のインタヴューコメントが掲載された。これは、世界を震撼させた9・11テロに端を発する対テロ戦争で海上自衛隊補給艦による多国籍軍艦艇へのインド洋上での燃料補給任務の護衛に海自イージス艦を派遣させるかどうかの問題が持ち上がったことへの筆者のコメントだった。 朝日新聞はわざわざ佐世保支局からインタヴューを取りに来た。私は記者に、相当時間を割いて海自イージス艦派遣の意義と問題点などを説明し、この記者もよく理解して帰っていった。筆者の主張の要旨はこうだった。 「洋上補給は、補給艦と受給艦が長時間真っ直ぐ並走せねばならず、そんなときに脅威が迫っても迅速な回避行動がとれない。そのため脅威をできるだけ遠くで発見しなければならず、したがって広域の上空および洋上監視ができるイージス艦がこの任務に最適である。 だがそもそもイージス艦の派遣がなぜ問題になるのか。国は、国家の命令によってインド洋に派遣される海上自衛隊の補給艦を全力を挙げて守らねばならないのだから、そのために必要なら、イージス艦であろうとなんであろうと必要な艦艇や航空機を総動員してでも守るべきだ。にもかかわらず派遣を命じた側の国会議員の中に、日本がイージス艦を派遣すると周辺諸国に脅威を与えるのではないかとか、集団的自衛権の行使はできないなどと言っている者もいるようだが、まず政府は、派遣される自衛官の命を守るために万策を講じることを最優先に考えるべきだ」 限られた字数に収めるため、掲載記事内容について記者と電話で文言や字数の調整などを繰り返した。短くなったが着地点を見出して私も納得した。ところが翌朝の新聞を見て仰天してしまった。 私のコメントは、『実績優先し 派遣迷走』という記事の中で、こう短く取り扱われていた。 《安全保障分野を得意とするジャーナリストの井上和彦氏(38)は、今回の派遣論議に自衛官の安全を考えた立場からの議論がなかったと批判する》 これではイージス艦の派遣に賛成なのか反対なのかすらわからない。ただ「批判」という最後の言葉の印象が強いため、反対しているようにも受けとれる。 私は猛然と抗議した。 その結果、次のような謝罪文が送られてきたのだった。 《先日は、ご多忙の中、取材に応じていただき、ありがとうございました。23日付、西部本社発行版(九州・山口)の第3社会面で掲載された記事の中に、井上様との取材の一部を使わせてもらいました。本紙を郵送させてもらいます。 編集の関係で短い扱いとなり、井上様のご意見を十分にくめなかった点があることは、否めません。お時間を取って頂きながら、ご不満を抱かれたことに、お詫び申し上げたいと思います。 今後とも、安全保障分野で取材をお願いすることもあると思います。こちらも、より細心の注意を払うようにします。今後ともよろしくお願いいたします》 私のコメントが朝日新聞の編集方針にそぐわず、最終段階でコメントの核心部分を外し、都合よくつなぎ合わせたのだろう。いずれにせよ、私の言いたかったことは闇に葬り去られたのだ。いのうえ・かずひこ 昭和38(1963)年、滋賀県生まれ。法政大学社会学部卒業。軍事・安全保障・外交問題などをテーマとしたテレビ番組のキャスター&コメンテーターを務める。著書に『東日本大震災秘録 自衛隊かく闘えり』(双葉社)『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』(産経新聞出版)など多数。関連記事■ 立憲主義を破壊する…わけがない解釈変更■ 朝日新聞、「角度つき」安全保障報道の系譜■ 「重く受け止めて」ないじゃないか! 驚愕の朝日・慰安婦社説

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    朝日新聞、「角度つき」安全保障報道の系譜

    月20日の1面には次のような「社告」が掲載された。当時の事情を知るうえで興味深いので、全文を示す。〈朝日新聞東京本社はマックアーサー最高司令官の命令により本日十五、十六、十七日附掲載記事中マックアーサー司令部指示の新聞記事取締方針第一項「眞實に反し又は公安を害すべき事項を掲載せざること」に違反したものありとの理由によつて十八日午後四時より廿日午後四時まで新聞発行の停止を受けた。よつて十九日附および二十日附本紙は休刊の止むなきに至つたが、二十一日附は特に四頁に増頁して三日間における記事、寫眞を収載しました。 右御諒承願ひます。 昭和二十年九月廿日朝日新聞東京本社〉(表記は原文のまま) 一体どうして「朝日」はマッカーサーの逆鱗に触れてしまったのか。この件は同紙にとってのトラウマとなった。そのことは1995年7月に編纂された大部の「朝日新聞社史」から読みとれる。また、「朝日文庫」収録の「新聞と『昭和』」、上巻(2013年8月刊)にもこの「社告」の件が出てくる。つまり、同紙にとっては忘れ難い事件なのだろう。GHQが問題にしたのは9月15日付で掲載された鳩山一郎講話であった。鳩山は、米国が「正義は力なり」を標榜するのなら、「原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう」と語っていた。 検閲に引っかかったもう一つの記事は、翌々日の9月17日に掲載され、「求めたい軍の釈明/“比島の暴行”発表へ国民の声」と見出しが付けられていた。この見出しから記事内容を推定することは困難だろうから説明すると、日本進駐後の米軍兵士が各地で起こした暴行事件と大戦中に日本軍がフィリピンでみせた暴虐行為とを同列に論じることへの疑問を述べたものである。一方は平時、他方は戦時であったことを考えるならば、「朝日」記事の言い分にはもっともなところがあった。 のちに『閉された言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋刊)を発表した江藤淳氏は、問題視された記事は後年首相となった石橋湛山が東洋経済新報社社長・主幹時代に書いたものだ、と詳しく考証している。いずれにせよ、GHQの高飛車の前に『朝日』は恭順の意を表するほかなかった。泣く子と地頭には勝てない。先掲の「社告」は敗戦国ジャーナリズムの屈辱の記念碑とも呼ぶべきものであった。 いずれにせよ、マッカーサー元帥の威光は絶対だった。それをいや応なしに日本人に教えたのは9月29日付の全国紙各紙に掲載された一枚の写真である。『朝日』はそれを「天皇陛下、マックアーサー元帥御訪問」と題して1面トップに掲げた。2日前の27日に昭和天皇はモーニング姿で元帥を米大使館に訪問された。迎えたマッカーサーは開襟の日常服、手を腰に回した悠然たるポーズで新聞写真を撮らせたのである。この写真は後年さまざまな出版物に繰り返し転載されたから、戦後報道写真中で最もよく知られた一枚だろう。日本国民に敗者の悲哀を味あわせたものとして、これを凌ぐ写真はあるまい。 回顧趣味に耽るのをやめて、先を急ごう。欧州での東西冷戦と日本での国内冷戦欧州での東西冷戦と日本での国内冷戦 米国には朝鮮戦争勃発の予感が働いていなかった。それだけにショックが大きく、対日占領政策は徐々にではなく、急激に右旋回した。日本はそれに振り回される。しかし同じころ、もうひとつの敗戦国であるドイツでは事情が違った。ここでは対ドイツ戦勝四国は東西に分かれて対立しはじめてからすでに久しかった。ヒトラーに対して勝利した英国の戦時指導者ウインストン・チャーチルが野党党首として訪米、ヨーロッパの東西の間に「鉄のカーテン」が降りたと有名なフルトン演説を行なったのは、欧州での大戦終結から数えてわずか10ヵ月後のことである。それは冷戦の告知となった。 東西冷戦の主要舞台となったのは、戦勝四国たる米英仏ソが分割占領したドイツである。東欧圏に順次、共産政権を擁立したスターリンは、ソ連占領地帯である東独地域にも類似の親共政権を持ち込んだ。かくて戦時大同盟は雲散霧消し、ドイツは東西冷戦の主戦場となってゆく。その過程を少し辿ってみることは、1940年代後半のわが国の問題を考えるうえで大いに参考になる。 ソ連が占領した東独ではモスクワの命令で、一九四九年秋になると軍隊類似の「待機警察」が設置されていたことが判明する。これが誘い水となり、西独でも軍備是非論が台頭する。1950年6月の朝鮮戦争の勃発よりかなり早い。当時の日本の新聞を繰ってみると、ヨーロッパでの、なかんずくドイツをめぐる冷戦機運については熱心に報道していたことが分かる。 同じ敗戦国たる日本とドイツを比較して気付くのは、欧州ないしドイツでの冷戦は東西両体制間に見られた現象であったのに対し、日本でのそれはいわば国内で戦われたという事実である。日本のこの国内冷戦を戦ったのは第一義的には国会に議席をもつ左右の政治勢力であった。なかで保守陣営では戦時中の因縁もはたらいていくつかの勢力の離合集散が絶えなかったが、左翼陣営の事情はさほど複雑ではなかった。要するに社会党と共産党の二系列があるということで説明がついた。 では報道界ではどうだったか。政党新聞は別として一般の新聞が自紙の党派性を否定するのは当り前のことである。一般読者を対象とするからだ。『朝日新聞』も例外ではなかった。1952年制定で今日なお生きている「綱領」は全体で四項から成っているが、その第一項はこうである。「一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す」。問題は、この綱領が制定された時期である。それは敗戦から7年目、まさに朝鮮戦争がきっかけとなってワシントンでは、軍事的に丸裸の日本を再軍備させるべきではないかとの議論が強まりつつある季節のことだった。『朝日』をはじめ新聞の多くが神経質そうに米国内の日本再軍備必要論をあれこれ報道していた。 それより先、1950年6月下旬には大統領により対日講和問題担当特使に任令されていたジョン・フォスター・ダレスが訪日、マッカーサー元帥との意見調整を始めていた。 まさにその機を捕えて「ダレス顧問に訴える」と題する社説が『朝日』に掲載された(6月25日付)。同紙はいう。 敗戦日本は完全に非武装化された。その日本の安全保障の方式としては国連に委ねる道もあれば、国連に代る「連合諸国」による保障など、いくつか考えられる。そのすべてが検討されるべきであるが、その結果としての選択を知りたい。それが示される場合、「日本が戦後決意しかつ連合諸国が希望して来たこの完全非武装の国は、はじめてその生き得る道を見出すことができる。それとは反対に、非武装地帯が、例えばある一国との盟約による武装によって守られるならば、事態は全く別の方向に走り出すであろう。我々はその意味で、この『完全非武装国の国際規約』の設定こそ、日本問題の解決のカギであることを唱道してきた」。『朝日』の願望表明はなお続く。「我々は、米国のもつ国際正義と高き理想主義が、何よりもまずこれをもって対日講和の第一原理として、連合諸国に呼びかけることを真剣に希望したい。我々は、それがまた、当面の東西緊張に緩和をもたらす一契機となることを疑わないのである」。 要するに『朝日』は、日本に引き続き非武装国家の道を歩み続けさせてほしいと訴えたのである。ひいてはそれが東西冷戦を緩和する一助になるのだから、との論理だった。各界からのダレス特使に向けられた要望は多種多彩であった。新聞各紙もさまざまな期待や注文を表明していた。しかし、「非武装国家の道を引続き歩ませてほしい」と要望したのは『朝日』一紙であった。 この社説は、「中立」を選ばせてほしいとは述べていなかった。もし「非武装」に加えて「中立」願望までもが表明されていたならば、それは当時の日本社会党内の左派勢力の声そのものだったはずである。その後の歩みを眺めるならば、社会党左派的な「非武装中立」論がいかに現実感覚を欠いていたかは明白だった。が、『朝日』もそれに劣らず非現実的な希望的観測に身を委ねていた。事実の規範性事実の規範性 1950年7月8日、マッカーサー元帥は吉田首相に書簡を送った。いわゆる警察予備隊の設置を命じるものである。『朝日』は即刻号外を出した。全文は以下のとおり。 国警七萬五千増員/マ元帥 吉田首相へ書簡 マックアーサー元帥は八日朝、吉田首相に書簡を送り国内警察力および海上警備力の充実を指令し、日本に国家警察予備隊約七万五千を設けることを許可した。なお現在の日本の警官総数は十二万五千名で、そのうち国家警察官は三万名である。 念のために言うと、この号外は縮刷版には収録されていない。正規の紙面ではなく号外だからである。私は通常、縮刷版を活用するが、念のためにデータベースを検索していてこの号外を発見した。驚いた。そこには「…を許可した」とあるが、本当の意味合いは「…を命じた」にほかならない。それにしても警察予備隊設置命令が号外扱いで報じられた事実は、それが如何に大ニュースであったかを雄弁に物語っている。 蜂の巣をつついたような騒ぎがはじまった。喧騒をきわめた新聞報道を紹介するかわりに、その後の経過をここでは昭和三六年に防衛庁から刊行された大部の「自衛隊十年史」に語らせよう。その冒頭「第一節 警察予備隊の創設準備」は、こう始まっている。総司令部を出るマッカーサー=1950年10月「二五年七月八日マ元帥の書簡を受領した政府は、この機会をとらえて早急にその実現を図ることとし、(中略)新しく設置される警察予備隊の性格が明らかでないこと、ことに従来の警察との関係についての疑問点を中心に、政府の意見を具して総司令部側と数回にわたって協議を重ね、その意向を十分に確かめた」(傍点引用者)。 傍点個所は意味深長である。不意討ちをくらった世間では号外騒ぎがもち上がっていたが、政府は待ってましたとばかり、「この機会をとらえ」たのだった。突発した朝鮮戦争で在日米軍が韓国へ派遣されたため、日本政府は治安の悪化を懸念し、警察力の増員を求めてGHQに打診していた。ところがマッカーサー元帥が命じてきたのは普通の警察力増強ではなかった。しかもその数たるや7万5000! 政府は度重ねて総司令部と協議、その結果、警察予備隊は従来の警察とは異なり、全組織が総理大臣直属の警官隊であること、またその使命は必要に応じ随時随所に出動し、治安確保のため重点的に運用されるものであることなどを確認した。自分たちが望んだものとはあまりにも違う。政府は喜んでいいのか、悲しんでいいのか。 これが、警察予備隊誕生にまつわる秘話である。ほどなく隊員募集が始まる。全国津々浦々に隊員募集のポスターが張り出される。そこには「平和日本はあなたを求めている」とのキャッチフレーズの下に鳩が羽ばたいていた。応募者採用試験は8月17日に全国一斉に行われたが、「募集期間がきわめて短期間であったにもかかわらず、予想以上の志願者が殺到した。すなわち、第一日においてすでに採用者の半数に近い応募者があり、締切当日には七万五〇〇〇人に対し約五倍にのぼる三八万二〇〇三名の応募者があった」(先掲「自衛隊十年史」)。『朝日』とてこの好評に目をつむることはできない。募集開始の2日後、「予備隊員の選考に慎重なれ」との社説が掲げられた。その出だしの一文はこうである。「警察予備隊の応募状況はすこぶる好評で、すでに二十万を突破し、全国各管区では第一次採用試験が始まっている」。なのに慎重な選考が必要だとはどういうわけか。ここで憲法九条が登場してくる。いわく、「終戦後、陸海空全軍隊が解体され、新憲法第九條に『陸海空その他の戦力は、これを保持しない』と宣言している建前からいって、日本が今日陸海空の軍備を保有しえないことはいうまでもない。」 募集を始めてはみたものの、志願者は少ないだろうと『朝日』は読みたかったらしい。ところが、結果は逆だった。事実の規範性が教えるところ、日本社会は警察予備隊員募集を歓迎したのである。それでも同紙はまだ半信半疑だったとみえる。右の社説掲載からほどなく、9月20日の紙面には「講和條約をどう思う?」と題して世論調査結果が発表された。そこに表われた国民の反応を『朝日』は信じたくなかっただろう。「日本も講和条約ができて独立国になったのだから、自分の力で自分の国を守るために、軍隊を作らねばならぬ」という意見があります。――そう前置をして、回答を求めた。結果はこうであった。 賛成    71% 反対    16% わからない 13% また、「もし軍隊をつくるとしたらあなたは志願兵制度と徴兵制度のどちらがよいと思われますか?」との設問もあった。志願兵制をよしとする声は五五%、徴兵制がよいとの答は二四%だった。ここでも軍配がどちらに上げられていたかは明白である。国民の大半が警察予備隊の発足を是認し、それが志願兵制であるべきだと考えていることは、疑いの余地がなかった。朝鮮戦争勃発後の日本国民の不安心理を『朝日』は完全に読み誤まっていたのである。これが最初のボタンのかけ違えだった。そのため、後年に高い授業料を払わされることになる。 しかし、ことあるごと読者にお説教したがるこの新聞は、他面で当時の全能者ともいうべきマッカーサー元帥に対しては信じ難いほど従順であった。同元帥は誇り高く、かつ野心的な将軍だった。やがてそれが仇となり、朝鮮戦争をどう進めるかでこの政治的軍人はトルーマン大統領と衝突する。それが原因で解任される。させ・まさもり 昭和9(1934)年、大連生まれ。東大大学院国際関係論専攻修士課程修了。ベルリン自由大学に留学後、東大教養学部助手、成蹊大助教授をへて防衛大学校教授。著書に『虚報はこうしてつくられた――核情報をめぐる虚と実』(力富書房)、『むしろ素人の方がよい――防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換』(新潮選書)など多数。産経新聞社「国民の憲法」起草委員会委員。

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    「右傾エンタメ」の嘘

    愛国心をくすぐる作品を「右傾エンタメ」というレッテルを貼って、日本の右傾化の象徴として危険視する朝日。「永遠の0」のような感動作や、「艦隊これくしょん」のような美少女ゲームまであげつらう魂胆とは何なのか。右傾エンタメの「嘘」を暴く。