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    アメリカも警告、沖縄に蔓延する中国「思想侵略」にはこう戦え

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 米国のシンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)が7月末に発表した「日本における中国の影響力」と題する報告書が注目されている。 自民党の二階俊博幹事長と今井尚哉(たかや)首相補佐官が、安倍晋三首相の対中政策に大きな影響を与えている「親中派」のキーマンとして名指しされている。ただ、このことはメディアで大きく報じられたが、「中国の沖縄工作」に触れた部分はあまり知られていない。 約50ページに及ぶ報告書は、2018年から2年をかけ、約40人の専門家にインタビューするなどしてまとめられた。その中では、「中国の沖縄工作」についても多くの文字数が割かれている。 日本の安全保障上の重要懸念の一つとして、沖縄の人々が日本政府や米国に対する不満を理由に「独立を宣言」する可能性を指摘している。中国の最重要ターゲットも、米軍基地の多い沖縄であり、外交や偽情報、投資を通じて、沖縄独立を後押ししているという。 さらに、日本の公安調査庁が2015年と17年の年次報告『内外情勢の回顧と展望』で、「中国の影響力により沖縄の世論を分断する可能性の問題を取り上げた」とし、その内容を紹介している。まずは『内外情勢の回顧と展望』を改めて確認してみよう。 2017年版では「在日米軍施設が集中する沖縄においては、『琉球からの全基地撤去』を掲げる『琉球独立勢力』に接近したり、『琉球帰属未定論』を提起したりするなど、中国に有利な世論形成を図るような動きも見せた」と記されている。さらに「『琉球帰属未定論』を提起し、沖縄での世論形成を図る中国」というコラムでは、次のように解説している。 人民日報系紙「環球時報」(8月12日付け)は、「琉球の帰属は未定、琉球を沖縄と呼んではならない」と題する論文を掲載し、「米国は、琉球の施政権を日本に引き渡しただけで、琉球の帰属は未定である。我々は長期間、琉球を沖縄と呼んできたが、この呼称は、我々が琉球の主権が日本にあることを暗に認めているのに等しく、使用すべきでない」などと主張した。
 既に、中国国内では、「琉球帰属未定論」に関心を持つ大学やシンクタンクが中心となって、「琉球独立」を標ぼうする我が国の団体関係者などとの学術交流を進め、関係を深めている。こうした交流の背後には、沖縄で、中国に有利な世論を形成し、日本国内の分断を図る戦略的な狙いが潜んでいるものとみられ、今後の沖縄に対する中国の動向には注意を要する。「内外情勢の回顧と展望(平成29年1月)」(平成28年の国外情勢)公安調査庁米有力シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」が発表した調査報告書「日本における中国の影響」の表紙 CSISの報告書は、慶応大教授の言葉を借りて、「中国は日本に影響を与えるために間接的な方法を使用している。資金調達を通じて沖縄の動きに影響を与え、沖縄の新聞に影響を与えて沖縄の独立を推進し、そこに米軍を排除するなどの隠れたルートがある」と指摘した。その上で、「中国は日本に、文化外交、二国間交流、国営メディア誘導などの温和な影響活動と、強制、情報キャンペーン、汚職、秘密の戦術などのより鋭くより悪質な活動の両方を展開している」と結論付けている。 筆者もこの報告にあるように、沖縄の琉球独立工作があらゆる面で進められていると認識している。特に、10年9月に起きた尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖での中国漁船衝突事件直後から急加速してきた。危険すぎる「思想侵略」 これまで、自らを日本人と異なる琉球人という自己認識を持つ沖縄県民はほぼ皆無だった。自らを「ウチナーンチュ」(沖縄の人)という自己認識があっても、日本人という認識を持たない人もほとんどいなかった。 しかし、ここ10年間で沖縄は大きく変わってしまった。自らを日本人ではなく琉球人との「アイデンティティー」と、「沖縄は日本に植民地支配されている」という「歴史」を背景に、政治活動をする若者が多数出てきているのである。誰かに洗脳されたとしか筆者には思えないが、政治家になる若者がターゲットとして狙われたのだろう。 もし、琉球独立を公然と主張するこのような若者が、国会議員に当選すれば、沖縄の未来は危うくなる。「スパイ防止法」のない日本で長年続けられてきた「思想侵略」は、危険領域に達していると言わざるを得ない。 では、中国の標榜(ひょうぼう)する「琉球帰属未定論」は、今後どのように展開されていくのだろうか。カギとなるのが、13年5月12日の中国共産党機関紙、人民日報のウェブサイト「人民網」に掲載された論文にある。 それは「琉球問題を掘り起こし、政府の立場変更の伏線を敷く」というタイトルにも表れている。その論文には、中国は三つのステップで「琉球再議」を始動できるとし、次のように提言している。 第1ステップ、琉球の歴史問題を追及し、琉球国の復活を支持する民間組織の設立を許可することを含め、琉球問題に関する民間の研究・議論を開放し、日本が琉球を不法占拠した歴史を世界に周知させる。政府はこの活動に参加せず、反対もしない。 第2ステップ、日本の対中姿勢を見た上で、中国政府として正式に立場を変更して琉球問題を国際的場で提起するか否かを決定する。一国の政府が重大な地政学的問題において立場を調整するのは、国際的に珍しいことではない。その必要が確かにあるのであれば、中国政府はこのカードを切るべきだ。 第3ステップ、日本が中国の台頭を破壊する急先鋒となった場合、中国は実際の力を投じて沖縄地区に「琉球国復活」勢力を育成すべきだ。20〜30年後に中国の実力が十分強大になりさえすれば、これは決して幻想ではない。日本が米国と結束して中国の将来を脅かすのなら、中国は琉球を日本から離脱させ、その現実的脅威となるべきだ。これは非常にフェアなことだ。 さて、現在の日中関係はどのステップに位置するのだろうか。筆者はまもなく第3段階に突入すると見ている。沖縄・尖閣諸島周辺の領海で、日本漁船を追尾した中国海警局の巡視船=2020年4月10日(金城和司さん提供) まず、国際社会は米国を中心に、対中包囲網を構築しつつある。日本は心もとない面もあるが、結果的に米国側に付いて、対中姿勢を強めていくことになる。 また、現在は尖閣諸島をめぐって、日中がかつてない緊張した関係にある。この二つの要素から、「琉球再議」第3段階の「日本が中国の台頭を破壊する急先鋒」に該当するため、中国が沖縄に「琉球国復活」勢力育成を実行する段階に突入することになるだろう。中国にとっては、沖縄の独立工作が思うようにいかず、準備不足の部分も多いと思うが、それでも最終段階にさしかかっていると見ている。もはや推測不可能 現在、日本の対中安全保障の課題としては、尖閣諸島周辺海域に、中国海警局の武装公船などが連日のように侵入していることが挙げられる。また、8月16日の休漁期間終了後、尖閣諸島領海に多数の中国漁船を送り込んでくる可能性も指摘されている。 海上保安庁と沖縄県警、自衛隊は、尖閣諸島で起きるさまざまな事態を想定して、対処方法を検討し、訓練を続けているとみられる。だが、これだけでは、中国による尖閣・沖縄侵略に対峙(たいじ)する「図上演習」は不十分といえる。 軍事的な側面について、自衛隊はもれなく想定できるだろうが、琉球独立工作を含む中国の外交的反応は、現時点で既に日本人の想定を超えており、推測不可能だからだ。 例えば、中国が日本政府を飛び越して、沖縄県に直接「尖閣諸島と東シナ海の共同開発」を提案し、玉城デニー知事が提案を受け入れた場合、どうなるだろうか。しかも、沖縄の新聞が世論を誘導し、沖縄経済界も共同開発を望んだら、どうなるだろうか。 常識的には、外交権は日本政府に属するため、外交権のない沖縄県には不可能だ。しかし、国連では2008年以降、自由権規約委員会と人種差別撤廃委員会から日本政府に「琉球・沖縄の人々を先住民族と認め、その権利を保護すべきだ」という勧告が5回も出されていることを忘れてはならない。 琉球独立派が、国連人権理事会などに「琉球の自己決定権がないがしろにされた」「中国と沖縄の外交を認めよ」と訴えかねない。訴えを受けた国連も「琉球・沖縄の権利を保護せよ」と日本政府に勧告を出す危険性がある。 万が一日本政府が妥協して、沖縄が中国と独自外交を展開することになった場合、その先に何が待ち受けるのかは、語るまでもないだろう。中国の思惑通り、沖縄を日本の「一国二制度」行政区にし、中国によるコントロールを強化していくに違いない。沖縄県議選の大勢が判明し、記者の質問に答える玉城デニー知事。知事の支持派が過半数を維持した=2020年6月8日 CSISも報告書で危惧するように、中国は尖閣関連の混乱に乗じて、あらゆる手を使って沖縄を日米から引き剥がしに動いてくるはずだ。ぜひとも、尖閣有事の図上演習には、自衛隊のみならず、外務省や公安調査庁も参加してほしい。 その際には、琉球独立につながる沖縄の政界や経済界、マスコミ、国連の各組織の動向も「要素・要因」として組み込む必要がある。それらの要因をしっかり米軍と共有して対処することこそ「中国の野望」を打ち払う最善の策ではないだろうか。

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    香港を踏みにじった中国の脅威、なぜ沖縄メディアは目を背けるのか

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 6月30日、香港国家安全維持法(国安法)がついに施行された。翌日の返還記念日に香港市民の抗議デモが行われ、現地メディアによると逮捕者は約370人に上った。1997年7月に英国から返還された香港に対し、中国は外交・防衛を除く分野で高度の自治を50年間維持すると約束した。 しかし、この瞬間、香港の「一国二制度」は形骸化してしまったのだ。もはや、香港に希望はない。香港がウイグルやチベットのように弾圧される時代もそう遠くないかもしれない。自由を求めて香港を脱出する人も多くなってくるだろう。 さて、このような香港のニュースは日本国内でも注目され、偏向報道が指摘される沖縄メディアでも報道されている。人権がじわじわと奪われていく香港の実態を目にすれば、沖縄の人々もさすがに中国の脅威に気がつき、反米運動や反米報道も収まっていくのではないかと期待する人も少なくないだろう。 実際にはどうなのか、沖縄メディアの香港に関する報道を確認してみよう。7月6日の沖縄タイムスでは、「香港の民主主義が死んだ…国安法おびえる県出身者 『デモできる沖縄がうらやましい』」という記事の中で、香港在住の沖縄出身女性の声を伝えている。 約30年住むその女性は「意思表示できる自由があることを、当然だと思わないで」と、政治や選挙に目を向けることの大切さを訴えていた。筆者もその通りだと相槌を打ちたくなった。 だが、記事を読み進めていくと、後半になって香港の問題が想像を超える方向に変わっていった。引き合いに出されたのは、昨年、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移転に伴う名護市辺野古埋め立てを問う県民投票の運動に参加した25歳の写真家の言葉である。 示された新基地建設反対の民意を無視し、日本政府が工事を強行する沖縄の現状に「民意を国家の力で押さえ付ける香港の状況と似ている。沖縄も安心できない」と危機感を抱く。香港の人々の話を聞き内実を知ることで沖縄の現状打開についても模索し、連帯していきたいと語った。 このような報道は今回だけの話ではない。香港区議会(地方議会)選挙で民主派が圧勝した直後の昨年11月28日、琉球朝日放送で「香港民主化デモ現地で見えた沖縄との共通点とは」という特集が放映された。2020年7月1日、香港で返還記念式典会場周辺をデモ行進し、気勢を上げる民主派活動家ら(共同) 取り上げられたのは、香港に実際足を運んだ200万人デモの参加者たちが那覇市内で開いた報告会である。香港警察による発砲など人権を無視した過激な取締りの悲惨さや国家権力の恐ろしさを伝えた上で、報告者は次々にこのようなことも訴えていた。「個人の権利対国家の権力の戦いというか構造になっている。それは沖縄とも結びつきがあるというか、同じ構造であると僕は考えていて」「沖縄もそうだけど香港も決まったことだからということで諦めないで、若い人たちが将来の人のために、自分たちの未来のために一生懸命声を上げている。そのことを沖縄の人たちも知ってほしいと思いました」「日中友好運動」真の目的 つまり、中国による香港弾圧が米軍基地撤去運動のブレーキになるのではなく、アクセルとして利用するという巧妙すぎるすり替え報道が行われているのである。だから、香港の民主運動家と連帯して立ち向かうべき敵が、なぜか中国共産党ではなく、安倍内閣になってしまっている。 世界最大の人権弾圧国家は間違いなく中国である。また、世界最悪の人権弾圧国家は北朝鮮といえるだろう。 香港の民主主義が中国共産党の全体主義的国家権力により崩壊してしまった今、その矛先は台湾、そして沖縄に向かう可能性が高まることは間違いない。しかし不思議なことに、日本国内の人権団体と呼ばれる組織が、中国や北朝鮮に対する批判や抗議運動を目にすることはない。その理由は何なのだろうか。 日本の人権活動団体の中で、最も影響力があるといわれている「反差別国際運動」がある。ジュネーブに事務所を設置し、日本組織として、反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)を設置している。国連における日本の人権運動の代表格であり、顔といってもいい。 この団体が中心となって、人種差別撤廃NGOネットワークという団体が設立されている。そのネットワークの参加者として名を連ねる人種差別に取り組む団体は80を超える。 ただ、これだけの団体がありながら、北朝鮮による日本人拉致犯罪に関しても、中国のウイグルやチベット弾圧についても取り上げている団体は見られない。取り上げているのは、日本人による在日や部落、そしてアイヌや琉球などの少数民族差別や、日本国内の性的マイノリティー差別のようにここ数十年取り上げられ始めた新しい差別概念に関するものばかりである。 一方、国連で中国批判を行う日本の団体は新参者といってもいい小さい組織で、訴えが取り上げられるのは容易ではない。 また、日中友好運動の歴史から反差別国際運動の人権運動について考察すると見えてくることがある。日中友好運動とは、1950年10月に東京で結成された「日本中国友好協会」による運動のことだ。その運動の本質が「サンフランシスコ体制」の打破にあったのである。米軍キャンプ・シュワブのゲート前でデモ行進する米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設反対派=2018年9月 中国にとって、51年に結ばれたサンフランシスコ講和条約と日米安保条約は、日本と台湾を利用した米国による封じ込め政策だったのだ。日中友好協会は中国を含めた全面講和を主張し、翌年締結された日華平和条約の反対運動も行ったが、これも失敗してサンフランシスコ体制が完成する。それ以降、米国主導のサンフランシスコ体制による中国封じ込めを打ち破ることが、日中友好協会の本当の目的だったのである。 それから20年後、日米安保の破棄には失敗したが、72年の日中共同声明によって目的を半歩達成した。日本に「一つの中国」の原則を尊重させ、日華平和条約を破棄させ、中華民国(台湾)と断交させたからだ。民主主義の防波堤 この間、沖縄返還協定をめぐる71年11月24日の衆院本会議では、非核三原則が返還協定の付帯決議として可決されている。そして、現在も日中友好協会と反差別国際運動は、引き続きサンフランシスコ体制を打ち破る方向で活動を続けている。 その最前線の一つが反差別国際運動が取り組んでいる沖縄の人権運動である。尖閣諸島での漁民の権利を奪う中国の行為には目もくれず、米軍の事件や事故を針小棒大に騒ぎ立て、国際的な人種差別として国連への報告を欠かさない。 この活動により、琉球人は1879年の琉球処分以来、日本に虐待的支配をされ続けている少数民族として認められようとしている。実際、国連の自由権規約委員会と人種差別撤廃委員会は日本政府に対し、「琉球・沖縄の人々を先住民族と認め、その権利を保護すべきだ」という勧告を5回も出している。 このような状況が続けば、いつの日か、在沖米軍は琉球民族の自決権により、沖縄から撤退せざるを得なくなり、日米安保体制も正常に機能しなくなるだろう。現在の日本の人権運動は、日本人を利益誘導によって分断することで、サンフランシスコ体制を打ち破ろうとしているのである。 さて、もう一度冒頭で紹介した香港に関する沖縄の報道を読み返していただきたい。滑稽に思える報道が、まさしくサンフランシスコ体制の打破へと沖縄県民を扇動していることがうかがえるだろう。 香港が中国の全体主義に飲み込まれてしまった以上、次は台湾、沖縄の順に危機が訪れることは想像に難くない。沖縄は、まさに民主主義の防波堤なのである。 最後に、このような中で私たちがやるべきことを考えてみたい。本来であれば、条約締結時の状況のサンフランシスコ体制に戻すため、台湾との国交を回復し、軍事同盟を締結し、日米台で共同訓練を積み重ね、東シナ海の守りを強化することだ。しかし、残念ながら日中共同声明の呪縛を解くまでは、実現はほぼ不可能である。 次善の策として実施可能なことが二つある。まずは、日本の海上保安庁が台湾の海巡署と共同で「海難救助訓練」を行い、中国の海警局の船を海賊と想定した訓練を繰り返すことだ。 もう一つは、日台経済安全保障同盟の締結である。経済安全保障には、軍事転用可能な技術流出防止や中国製の第5世代(5G)移動通信網の排除だけではなく、チャイナマネーによる不動産の購入制限、中国依存のサプライチェーン(供給網)見直しのように、分野が多岐にわたる。沖縄復帰を前に街頭に幕が飾られたコザ市センター通り=1972年5月 抱えている課題は、日本も台湾もほぼ同じはずである。であれば、その取り組みを日本と台湾が個別に実施するのではなく、情報を共有し、協力・調整し合えばいい。 日台に相互の優遇措置を設けて、サプライチェーンを密にすることも可能ではないだろう。日台間の経済交流が密になれば、対中経済安全保障網が、経済侵略を得意とする中国を大陸側に封じ込める「海の万里の長城」となるに違いない。

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    魔の手は尖閣から沖縄へ、中国が仕掛けた「共同声明」の罠

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 尖閣諸島領海内で起きた中国公船による与那国町漁協所属の漁船の追尾事件は、中国の尖閣諸島への野心を露にし、多くの日本国民が危機を再認識することとなった。 事件が起きた5月8日の3日後、中国外交部の定例記者会見が行われたが、趙立堅(ちょう・りつけん)副報道局長は「中国の領海で違法操業」している日本漁船を海警局の船が「法に基づいて追尾・監視」したと主張し、早速中国側の行動を正当化した。さらに中国メディアの報道によると、趙氏が「われわれは日本側に四つの原則的共通認識の精神を遵守し、釣魚島問題において新たなもめ事が起こることを避け、実際の行動で東中国海情勢の安定を守るよう要求する」と中国の立場を強調したという。 趙氏は日本を強く批判する根拠として「四つの原則的共通認識の精神」を持ち出している。この「四つの原則的共通認識」とは1972年以来、日中間で合意した四つの政治文書を指す。つまり、72年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約、98年の日中共同宣言、2008年の日中共同声明のことである。 「双方は、日中間の四つの基本文書の諸原則と精神を遵守し、日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていくことを確認した」。日本外務省のホームページにも、このように14年11月の日中関係改善に関する合意文書が記されている。 つまり、趙氏は、これらの共通認識に従って「日本は尖閣諸島の主権を放棄せよ」と主張したわけだ。となると、この事実は、国交樹立までさかのぼって、日中間に大きなボタンの掛け違いが存在するということになる。 12年8月14日の中国共産党機関紙、人民日報のウェブサイト「人民網」に掲載された「釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)が日本のものではない四つの理由」という論文は、中国の尖閣領有主張のロジックを理解しやすい。その四つの理由とは次の通りだ。・サンフランシスコ講和条約は不法条約である。・釣魚列島は琉球列島ではなく中国に属している。・琉球諸島は日本に属さない。琉球はかつて中国の藩属国だった。・ポツダム宣言第8項には「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州、四国及吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と定めている。 実は、先の四つの基本文書とこの言い分には、一つだけ接点がある。1945年に米英中から無条件降伏を求められ、受諾したポツダム宣言だ。72年の日中共同声明の第3項には、「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」と書かれている。記者会見する中国外務省の趙立堅副報道局長=2020年4月、北京(共同) そして、そのポツダム宣言第8項には先述の一節がある。さらにこの論文では、「戦後の日本の版図に琉球諸島は全く含まれておらず、釣魚列島に至っては論外であることがここにはっきりと示されている。これが戦後の取り決めなのだ。日本はこれに服さなければならない」とまで言い放っているのである。中国の「日中友好」 日中共同声明の締結時、日本側は、中国が提示した「復交三原則」の「日華平和条約は不法・無効であり破棄されるべきである」という文言を許すわけにはいかなかった。そこで腹案として、「ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」という文言の追加を提案し、両国が合意したと栗山尚一(たかかず)元駐米大使が証言している。 ただそれは、あくまで台湾の中国返還を婉曲(えんきょく)に認めるためであり、尖閣も沖縄も関係なかった。しかし、中国は今になって、カイロ宣言に明記された「台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域」の定義を尖閣も含まれていると拡大解釈して、「四つの基本文書の精神を遵守せよ」と日本を批判し始めたということが分かる。しかも、その定義についても、いずれ沖縄も含まれると言い立ててくることは確実だ。 中国による尖閣の領海侵入侵犯が、日本から見れば、日中友好の精神に反していると感じるのは当然だ。ところが、中国側は尖閣侵入こそ、日中共同声明で日本と約束したと認識しているのである。 もう一つ、中国と付き合う上で大きな懸念事項がある。国務院報道弁公室が2012年9月25日に発表した「釣魚島は中国固有の領土」と題する白書に明らかにされている。 1951年8月15日、サンフランシスコ講和会議の開催前に、中国政府が「対日講和条約の準備、起草および調印に中華人民共和国の参加がなければ、その内容と結果のいかんにかかわらず、中央人民政府はこれをすべて不法であり、それゆえ無効であるとみなす」という声明を発表した。そして1カ月後の9月18日にも再び声明を出し、サンフランシスコ講和条約が不法かつ無効であり、断じて承認できないと強調した。 そして、71年に日米国会が採択した沖縄返還協定に対し、中国外交部は「釣魚島などの島嶼(とうしょ)は昔から中国領土の不可分の一部である」との厳正な声明を発表した。 つまり、サンフランシスコ講和条約と沖縄返還協定は認めないばかりか、カイロ、ポツダム両宣言を根拠として、中国に都合のよいように戦後秩序をひっくり返そうとしている。中国の尖閣領有主張が、単なる尖閣の領土、領海の問題ではなく、沖縄の主権を含めた、東アジアの国際秩序を脅かすことは明らかだ。日中共同声明の文書を交換する田中角栄首相(左)と中国の周恩来首相。後列、両首脳の間に見えるのが栗山尚一外務省条約課長(いずれも当時)=昭和47年9月29日、中国 結局、中国の言う「日中友好」とはこういうことなのだろう。まずは日本を油断させ、世論戦や政治工作で日本を骨抜きにする。 そうしておいて、尖閣諸島で衝突が起きた瞬間に、日本国内と日米関係に隙ができたチャンスを見て、何らかの制裁カードとともに「四つの政治文書の精神を守れ」と日本に迫る。さらには、尖閣諸島だけでなく、「そもそも琉球の主権は日本には無い、放棄せよ」などと言い始めるのである。 そうなる前に、日本政府は、日中共同声明に対する中国側の解釈の豹変ぶりに注目して、中国側にその真意をただす必要がある。そのために、すぐにできることが二つある。国防は安全保障だけにあらず まず、四つの政治文書について「日中共通認識確認会議」の開催を提案することだ。そして、双方の言い分を公にし、米国をはじめ多くの国を味方につけた上で、中国側の言い分が国際社会では通用しないことを知らしめるのである。 さらに、日本政府は、中国の仕掛ける罠を明確に把握した上で、外交防衛戦略を練り直して反撃する必要がある。2013年、内閣官房に設置された領土・主権対策企画調整室による情報発信は、沖縄の歴史戦に関して不十分だ。 国連のクマラスワミ報告や委員会の勧告に翻弄(ほんろう)されている慰安婦問題のことを思い出してほしい。沖縄の人々を先住民族として公式に認めるべきだという国連人種差別撤廃委や自由権規約委の勧告が独り歩きして取り返しがつかなくなる前に、力強く情報発信しなければならない。尖閣と同等かそれ以上に沖縄の歴史戦に力を入れなければ、優位は築けない。 中長期な課題にも目を向ける必要がある。日本にはスパイ防止法がないため、中国に対する毅然とした外交防衛体制を整えようと思っても潰されてしまう。そこで提案したいのが、全省庁で、あらゆる領域に対する「国防計画」の策定だ。 政府が策定する防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画はあくまで安全保障政策の指針や計画であって、経済や世論戦、歴史戦の分野にまで広げることは不可能だ。そこで、自衛隊以外の省庁も参加することで、横断的に計画策定を進めなければならない。 具体的な例でいえば、経済産業省は経済領域での他国(中国)の侵略を想定した計画となる。重要技術の流出や中国製ハイテク機器の導入によりスパイ活動のインフラを構築されるリスクなどを回避する政策立案が必要だ。 また、文部科学省は教育、歴史などに対する侵略行為を想定する。地方自治体でも、その特色に応じて経済や歴史戦における侵略を想定し、特に北海道や沖縄などが急務だろう。沖縄県・尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島 精神的に自立し、国家百年の計を考えることができるリーダーを日本で輩出するためには、国民全員が国防を考えるスキームをつくることが重要である。まずは、公務員が自分の管轄領域で「国防」を担うところから始めることだ。 すぐに着手することは困難かもしれない。それでも、戦わずして中国の「属国」にならないために、現政権にはぜひとも実現に向けて動いてほしいと願わざるをえない。

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    酒と女と横須賀ドブ板通り、沖縄だけでは語り尽くせぬ米兵街の素顔

    る」とあきらめ顔だ。 原因は米兵の深夜の外出禁止令と飲酒規制、いわゆる「リバティー制度」だ。これまで沖縄や横須賀では米兵による犯罪がたびたび起きてきた。それらは女性や未成年が被害者となるものが多かった。 駐留米軍と基地問題の賛否を巡る世論への波及を恐れた在日米軍は、その都度、基地の米兵に一時的な深夜外出禁止令を課してきた。しかし、それでも米兵の犯罪は収まらない。 2006~07年、米空母キティホークの乗組員による殺人事件が連続して発生し、それ以来、米軍は深夜の基地の外での飲酒規制を開始した。 それでも08年の沖縄県での女子中学生暴行事件、12年には同じく沖縄で米兵2人による集団強姦など痛ましい事件が発生し、さらに16年に元海兵隊員の軍属による日本人女性への強姦殺害事件が起きると、深夜外出禁止令も恒久化されることになった。この規則では深夜の午前0時過ぎには米兵は基地の外での飲酒ができず、さらに午前1時までには基地に戻らなければならない。ドブ板通りにある米兵向け老舗バー「ROCK CITY」(筆者提供) ここ横須賀も、そして隣り合う横浜も、もともとは港で栄えた街であった。そして、ともに米兵を相手に商売をしていた人たちを戦後から多数かかえていた。今では日本人向けの観光地化で街並みが変わってしまった横浜の中華街も、実は戦後、ずっと米兵や外国人船乗りのための夜の街であった。 しかし、港町の光景は変わった。これまで大量の貨物は、袋単位や木箱単位で荷下ろしされていたため、多くの人員を必要としていた。のちに、それらが規格化された大型コンテナにとって代わり、鉄道やトラックなどの陸上輸送と直結し、プログラミングされたシステムで効率よく運送されるようになっていった。 これによって、海上輸送にかかる荷下ろしの人員は劇的に削減され、荷受けの労務者は港町から姿を消すことになる。これは世界中どこの港町でも経験していることであった。イギリスのリバプールやドイツのハンブルグといった、世界の港町が同じように廃れていき、街の様相を変えていった。 敗戦直後の横須賀では、旧日本海軍の基地をはじめとする各所が米軍に接収され、多数の米兵がたむろする街となった。やがて朝鮮戦争が始まり、その後数年すると長いベトナム戦争が続いた。これらの戦争特需で日本は高度経済成長期の原動力となる経済的恩恵を受けたが、これは横須賀にとってはさらに大きな影響があった。 横須賀は生死をかけた戦場から戻ってきた兵士が、一時の休暇を過ごす場所となったのだ。そこで求められるものは酒と女。ドブ板通りは「進駐軍」のためのおみやげ物売りと、色とりどりの原色のネオンがきらめく、米兵相手のキャバレーやバー、街娼(がいしょう)たちの街となった。かつての「ドブ板通り」 今村昌平監督の日活映画『豚と軍艦』(1961年公開)はその頃のドブ板通りを舞台にしている。長門裕之演じる、チンピラな主人公の連れ合い女性はもちろん、水商売の娘である。チンピラ長門は、米軍基地から横流しされる米兵の残飯を豚のエサとして商売する暴力団とつるんでいる。 キャバレーとバーと米兵向けの「スーブニールショップ」(おみやげ物屋)の軒先には、サテン生地に派手な刺しゅうがされた「スカジャン」がこれみよがしにつるされている。長門裕之はそのスカジャンを着て、ドブ板通りを闊歩(かっぽ)する。 「スカジャン」は、もともとはエキゾチックな東洋の刺しゅうが売り物の米兵向けのみやげだった。今でもドブ板通りでミシンをおいてオリジナルの刺しゅうを入れてくれる「大将ミシンししゅう店」は、その頃に商売を始めた。 軒先でミシンを動かす2代目店主に聞くと、「今ではコンピューターで縫製する前の生地に刺しゅうするんだけど、ウチはそれはやらないよ」と、当時から使い続けているというミシン越しに語ってくれた。 「ウチは先代の『人を使うな、使われるな』という教えを守っているけれど、みんなこうやって刺しゅうしているわけじゃないからね」 刺しゅうの作業を見せてもらうと、確かに手作業でパソコンを使っていない。そういえば数年前、横須賀市の観光プロモーションで、地元選出の小泉進次郎環境大臣が「スカジャン」を着ている姿を見たが、それはどういうわけか横須賀のものではないらしい。「大将ししゅうミシン店」。ワッペンの刺しゅうでも知る人ぞ知る老舗(筆者提供) ドブ板通りで米軍の払い下げ放出品を売っている「カキタ」は、もともとは米兵相手のスーブニールショップだったようだ。それが朝鮮戦争とベトナム戦争が終わるあたりから米兵が減り、日本人相手にミリタリーを扱うようになったという。店頭には通称「ドッグタグ」というステンレス製の認識票がぶら下がっている。オリジナルで自分のドッグタグがつくれるそうだ。 このドッグタグは2枚のセットで首からネックレスとしてつるす。兵隊が戦死すると、一枚は遺体に残し、もう一枚は戦死の証明のために同僚や医師が保管する。こんな装備品をわざわざ米兵は買わない。これが商売になるのは、横須賀が観光地化してきたということなのだ。 横須賀の観光地化の理由には、1971年のドルショック(米ドルの変動相場制への移行)もある。それまで1ドル=360円だったのが急激にドル安に傾き、20年もたつとドルは一時100円を割り込むようになった。ドルの価値は、ドブ板通りの全盛期の4分の1程度にまでなってしまったのだ。米兵が落とすドルもそれだけ価値が下がったわけである。これではやはり米兵向けの商売は立ち行かなくなるだろう。 最近、ドブ板通りで目立つのは「CHU-HI」と英語で書かれた看板である。米兵向けのスタンディングバーみたいなものである。シングルが500円、ダブルは千円で、店が趣向を凝らして30種類以上のフレーバーで割る。米兵でにぎわう「CHU-HIスタンド」に立ち寄ると、オレンジとバニラをミックスさせたCHU-HIをオススメとして出してくれた。 アメリカのアイスクリームにそのようなフレーバーがあるらしく、それを再現したそうだ。グラスはプラスチックのカップ。どこでも好きに持ち出していい、ということなのだろう。もちろん、支払いは一杯ずつ支払う「キャッシュオン」である。 甘いCHU-HIをいただきながら、古い横須賀もドブ板通りも知らないという店のバーテンダーの女性と話していると、ひっきりなしに若い外国人がやってくる。もちろん、皆米兵か軍属の人たちである。ときに隣に日本人女性の姿もある。そしてプラカップのCHU-HIを飲みながら、どこかに消えていく。 朝鮮戦争の頃からあるという、ドブ板通りの真ん中にあるウナギ屋にも聞いてみると女将が思い出話をしてくれた。 「昔はキャバレーや女のコのいる店ばかりだったのが、今では本当に減ったわよ。米兵はお金ないから、みんなCHU-HIとか飲んでいるしね。みんな日本ではあんまり飲まないのよ。どっか他の国で飲んできちゃう」。ウナギのかば焼きで、その店のレモンハイを飲んでいる私に自信たっぷりに教えてくれた。「立ちんぼもいなくなったしね」 ドブ板通りといえば、街娼の女性と米兵目当てにやってくる女性と切っても切れない街だった。米兵目当ての女性は、そろいもそろって皆、黒髪のロングである。それが外国人からエキゾチックで魅惑的な女性にみられる秘訣だ。港の兵士は、酒と女を必要とする。 そこで無軌道な若者がいれば、さまざまな事件を起こすこともある…というよりも、それはドブ板通りでは日常茶飯事であった。そして相手は米兵である。まるでニューヨークやシカゴやデトロイトのダウンタウンが日本にあるようなものだ。しかし、その環境を別段に不思議だと感じず、なんとかして共存をしようとしてきたのも、この街の人たちである。日本の中のアメリカ 「ドブ板に住んでいて、何かいいことがあったかって? そりゃないな」 ミスタードブ板通りとでも言ったらいいか、横須賀の不良少年がそのまま年をとり、古希を迎えたかのような風貌が印象的な、横須賀ドブ板通り商店街振興組合の越川昌光理事長にも話を聞くが、この質問にはにべもない。 「米兵にはやられっぱなしだったな。来る日も来る日もシャッターが壊されたとかなんだの、そんな話ばかりだった」 もちろんそれだけではない。犯罪数は劇的に減ったとはいえ、近年も米兵による犯罪行為は後を絶たない。横須賀における米兵の犯罪は、敗戦後、横須賀に米軍が上陸した8月30日その日から始まっている。進駐軍として兵士が上陸を開始したわずか2時間後、まずは民家に押し入り時計などの金品を奪う事件を起こした。 そこから2時間後、今度は民家に押し入った米兵により母娘が強姦されるという事件も起きた。連合軍が上陸したこの日、神奈川県内では強姦、傷害、暴行、物品奪取などの事件が202件発生、そのうち192件は横須賀市内のものだったという。上陸からわずか数時間のことである。 もちろんこれは戦後の混乱の中でのことであり、米軍上陸当日の8月30日に記録されている事件も、警官が拳銃や帯刀をしているのを見つけたそばから戦場で敵兵を武装解除しているつもりなのか、次々と脅して奪っていったというのが大半であった。米兵にとって日本は戦場だったということもあるだろう。しかし、これらの民間人に対する犯罪も続いていった。 戦後すぐの時代には、そのような米兵の犯罪は日本中いたるところで起きており、そのほとんどは泣き寝入りが実情だった。占領軍は、それら米兵の犯罪を報道することを禁止していた。その後も痛ましい事件は現在に至るまで続いていた。強盗やひったくり、早朝に酔っぱらった兵士による乱暴狼藉、さらには強姦事件や殺人事件。その都度、横須賀市民は抗議の声を米軍に上げてきた。 「治外法権だからね」と、越川理事長は言う。それは今でも続いている。深夜のどぶ板通り。迷彩服の憲兵ばかりが目立つ(筆者提供) 米軍の駐留を法的に根拠づける日米地位協定は、事実上米兵の治外法権を認めているものだ。よって、米兵の犯罪は日本では条件を満たさない限り捜査も裁判もできない。夜のドブ板通りには、SP(憲兵)がバーやレストランにまで入ってきて巡回している。もちろんこれは犯罪抑止に重要なことだが、もっぱらの理由は日本の警察権が米兵に及ばないことが多いからだ。 それでも横須賀市民はそれに地道な対応をしてきた。なんとか共存はできないものかと、市や県を通じた米軍への陳情を繰り返し、連絡会のようなものをつくったりして、少しずつ関係を築いていった。 横須賀市民は、これまで基地反対運動をどちらかというと冷ややかな目で見てきた。空母の母港化でも原子力潜水艦の寄港でも、戦前から海軍、戦後は海上自衛隊の街だったこともあり、反戦平和の軍隊アレルギーのようなものは比較的少なかった。経済的に基地に依存しているということもあったし、米軍軍属と個人的な関係がある者も多かった。1970年代、横須賀市の商店街連合会は、原子力潜水艦の寄港が社会問題化する中で、いち早く寄港に賛成する決議を採択している。 米軍関連のデモや反対運動は横須賀市内でも幾たび繰り返されたが、そのデモに動員される人たちは必ずしも横須賀市民ではなかった。そのため、むしろデモの騒音や交通への影響に批判の声が高まっていった。最近では08年に第七艦隊の空母ジョージ・ワシントンが初めて入港したときも反対運動はあった。しかし、横須賀市民の反応は極めて冷静だった。基地の町、横須賀 この辺の事情は『米軍基地と神奈川』(栗田尚弥編著/有隣新書)に詳しい。同著によれば、ジョージ・ワシントン入港に際し、地元紙の『神奈川新聞』までもが、市民の反応が鈍いこと、その反対運動が横須賀市民を巻き込んだものとは言えない、とも伝えている。おそらく横須賀が一番米軍基地関連で騒然としただろう第七艦隊空母ミッドウェイの母港化(1973年)のときも、そのデモは横須賀市民が起こしたものでないとも指摘する。 反対運動の舞台は横須賀ではあったが、運動の主役が横須賀市民だったとは必ずしも言い難いものがあった。運動の主役は市民の他に市外、県外から集まったさまざまな思惑を有する抗議団体であり、このような現象は、ミッドウェイ以前の原子力潜水艦の寄港からすでに始まっていたのである。『米軍基地と神奈川』 そして、それらの反対運動に対して「いつもながらの『よそからのデモ』」と横須賀市民が冷ややかに受けとめていたことも当時の神奈川新聞は伝えている。 個人的体験だが、私は横須賀の海上自衛隊の総司令部がある街に生まれた。だから小学校の同級生の親の職業は自衛官である人が圧倒的に多かった。近所には軍属の子供たちや、日本で生まれ育った米兵や軍属とのハーフの子供たちがいた。その中で「米軍基地反対」という発想は子供の頃はなかったし、それは生まれ育った街全体もそうだった。 最近、沖縄の米軍基地反対運動で「ヤンキーゴーホーム」というシュプレヒコールが差別的だという奇妙な議論が、ネット上であった。もし、このシュプレヒコールが本当にあったとしたら、たぶんこれは外からやってきた運動家が言っているのではないかと、私はすぐに想像した。沖縄の基地周りに住む人は、一人や二人の米軍関係者や軍属の家族やハーフの人たちと日常的につきあっているはずで、その人たちを差し置いて「ヤンキーゴーホーム」とは言えないからだ。 80年代に横須賀市の隣にある逗子市で、森を切り開いて米軍家族向けの住宅をつくるという話が大変な反対運動にあったことがある。「池子の森(自然公園)を守れ」という環境運動と、ぼんやりとした米軍アレルギーのようなものがこの運動を盛り上げていたが、横須賀市民の私たちは非常に冷めていた。  そもそも、その反対運動が唱えている人たちも池子の周辺の森を切り開いてアスファルトとコンクリートで固められた住宅街に住んでいるではないか。当時、私の生まれた軍港の街も刻々と住宅開発が続いており、幼年時代に遊んだ山々が次々と丸坊主になっている最中だった。 そして横須賀市民は、米軍基地を問題視するよりも外からやってきて事情も分からないまま、よく分からない平和や非核や反原子力を唱えて混乱を持ちこまれることを嫌って、米軍と共存する方を選んでいた。  沖縄の反基地運動があれだけ県民を巻き込んで大きなものとなっているのに、横須賀は全く何もないというのはどうしてなのか。ドブ板通り商店街の越川理事長に質問をぶつけてみると、答えはシンプルだった。 「飛行機だろうね。横須賀は空母は入るが、艦載機は厚木に行く。その違いが大きいと思う」 横須賀を母港とする空母は、艦載機を太平洋上で発艦させて格納庫が空の状態で入港する。艦載機は厚木飛行場に向かい、空母が入港している間に機体の整備や離発着の訓練もそこで行う。軍用機は騒音と事故がつきものだ。厚木は騒音や事故で、かつて大きな問題を抱えていた。77年には、厚木基地から離陸直後のF4ファントムが火災を起こし、同市青葉区の住宅地で墜落した事故が起きている。この事故の火災で母子3人が死亡している。 その厚木ですら昔のような反対運動は影をひそめつつある。基地の敷地の拡張や住民対応を地道に進めてきたことが、住民の理解を得てきたということだ。 一方、周囲に住宅が密集した沖縄県の普天間飛行場や嘉手納(かでな)飛行場は、厚木など比べ物にならないほど危険度が高い。事故の不安におびえるのは当然であろう。騒音に関してはもちろんのことだ。 沖縄でのオスプレイ配備反対運動に対して、「オスプレイだけが危険だというのは過剰反応ではないか」という批判も、もっともではある。けれども、あれだけ住宅地に囲まれた場所なのだ。安全性に疑念があるといわれる軍用機が配備されることに感情的になるのも、私には十分理解できる。沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場=2018年9月16日(共同通信社ヘリから) さらには米兵の数も違う。基地内外に居住する米軍関係者の人数は沖縄県だけで約5万人超。横須賀を含めた神奈川県の2倍以上である。基地の面積に至っては10倍以上で、在日米軍基地の約70%、沖縄県の総面積の15%ほどを占める。普段から米軍の振る舞いや思惑に抑圧されている被害感情が高まるのも十分に理解できる。 ドブ板通りでさえ「住んでいて何一ついいことはなかった」という感情になるのだから、沖縄が県を上げて感情的になるのも当たり前の話だ。明日の横須賀 横須賀市民はこのような条件の違いがあるとはいえ、米軍を受け入れ続けてきた。おそらく市民の思いの裏側には、犯罪などのデメリット以上に、基地の街の魅力と経済的なメリットが上回っていることがある。 反戦や反核といったテーマに賛同するところはあったとしても、それを日常生活が上回ったということだろう。さらには米軍との関係がそれなりに友好的に進んでいることも事情として大きい。 ドッグタグが店頭にぶらさがる、前述の米軍払い下げ品のミリタリーショップ「カキタ」の入口には、若店主と年配の米軍将校との2ショット写真が飾られている。米軍基地のジェフリー・キム横須賀基地司令官(2016~19年在任)だ。米軍と地元有志とのパトロール活動のときの写真だという。 若店主に、一緒に司令官と写っている写真について聞いてみると、こんなことを教えてくれた。 「地域の商店街と基地司令部の関係は、最近ではとてもいいんですよ。この写真は、地域パトロールを近隣住民と一緒に米兵がやったときの写真ですね。このときはわざわざ司令官まで来てくれたんです。地域のゴミ拾いなどを米兵とやるのも定期的に行っています。非常に関係はいいですね」米軍放出品の店「カキタ」で、ドックダグの横に、三代目と基地司令官。司令官は巡回パトロールまで参加してくれたという(筆者提供) 米兵の犯罪などについて聞いてみるが「最近はめったに聞かなくなった」とのこと。深夜外出禁止令が効いているのだろう。最近では、横須賀基地に配属になった米兵とその家族は、必ず日本での生活や文化の違いなどに関するレクチャーを受けることになっているという。そこに横須賀市を通じて、商店会は講師を頼まれたり、米兵の集いなどに呼ばれることもあるらしい。 「街を歩いていると、米兵やその家族からあいさつされる。定期的な意見交換会もやっていて、それなりに好評だ。これはみんなの努力だよ」と、越川理事長はうれしそうだ。 一方で、米軍の深夜外出禁止令のため、ドブ板通りの夜の商売はかなりの影響を受けているとも越川理事長は言う。 「もっぱら米兵相手という商売は厳しいと思う。夜のバーなどの店主がつくっていた協会も加盟店が減っているとも聞いている。それで、みな昼間の商売に転換しつつある。見たかい? バーが昼間の営業を始めているのを」 ドブ板通りの米兵相手の夜の店だけではなく、横須賀市は人口減に苦しんでいる。近隣の横浜や藤沢といった市が人口を伸ばしていくのに対して、横須賀市は全国の人口減ナンバーワンという不名誉な記録を2013年に残している。このことから横須賀市や経済界は、イメージアップと観光地化を進めていて「米軍と海上自衛隊の基地の街」をセールスポイントにしようとしている。 「海軍カレー」や「ネイビーバーガー」、そして「スカジャン」、さらにオタク向けにはオンライゲーム『艦隊これくしょん』(艦これ)の「聖地」として、横須賀がプロモーションされている。 ドブ板通りは、これらのすべてがある。そして、バーは昼間の営業をはじめ、海軍カレーやネイビーバーガーを売り、ドブ板通りの目抜き通りには「艦これ」のマニアをターゲットとする店ができた。横須賀市のバックアップも受けながら、官民一体で生き残りをかけて変わり始めたのが、この街なのだ。 不思議なことである。沖縄の基地反対運動の一方で、かたや米軍や基地をイメージアップに使う横須賀がある。越川理事長は「実は…」と明かしてくれた。 「今度、沖縄の人たちから話を聞かせてくれと、あっちに呼ばれているんだ。ドブ板と横須賀の経験を話してくれ、とね」 それでは最後に、と少し意地悪かもしれない質問をしてみた。 「ところで、一人の日本人として米軍基地は必要だと思いますか?」 「必要だ」。即答である。「それは日米関係ということもあるのだろうけれど、それよりもドブ板と横須賀のためだ」 私はその答えに少し考え込んだ。そして、この基地の街で生きていくためには、「日本」や「日本人」という大きな主語は似つかわしくないかもしれない。そうして横須賀は戦後生き抜いてきたのだろう。 取材を終えて、横須賀駅まで歩いて帰る。港には米軍か自衛隊か、いくつもの潜水艦が並んで係留されている。ドッグヤードからの、まばゆいばかりのライトが水面に光っている。 煮えたぎるような横須賀とドブ板通りの時代は終わりつつあり、そして新しいドブ板通りの時代が始まっている。

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    沖縄を利用する黒い影」贈収賄で片付けられないIR汚職の本質

    48回衆院議員選挙期間中(10月10日公示22日投開票)、紺野氏らは下地幹郎衆院議員(維新、比例九州沖縄=2020年1月8日に除名処分となり現無所属)と宮崎政久衆院議員(自民、比例九州沖縄)に100万円ずつ渡した。下地議員は選挙期間中に紺野氏から100万円を「陣中見舞い」として事務所職員が受領したことを認めたが、宮崎議員は自身も秘書も紺野氏らからの寄付を一切受領していないと強調している。関係する企業が東京地検特捜部の家宅捜索を受け記者団から質問される秋元司衆議院議員=2019年12月、国会内(春名中撮影) 報道によれば、秋元議員はこの他、2017年12月、500ドットコムが用意したプライベートジェットで中国深圳にある同社本社やマカオのカジノ施設などを訪問したが、この際の旅費(約150万円)を同社が負担していた疑いを持たれている。あわせて同年8月4日に同社が那覇市で主催したシンポジウムで、講演料として200万円を受け取ったとされる。残ったカネはどこへ? さらに2018年2月に家族旅行で留寿都を訪問しているが、その際の70万円余りの旅費も500ドットコムが負担したとされている。これらの情報が正しいとすると、秋元議員は500ドットコムから720万円余りの金品を受け取っていたことになる。 ところが、紺野氏らが香港から持ち込んだ現金は2250万円である。そのうち使途が明らかされつつあるのは、秋元議員の300万円、秋元議員の元政策秘書の50万円、他の国会議員にばらまいたとされる500万円だが、その合計は850万円にすぎない。 残りの1400万円の使途は依然不明である。しかも、中村、船橋両議員の受け取ったとされる計300万円は500ドットコムの資金ではない可能性もあり、宮崎議員は受領自体を強く否定している。 議員諸氏の主張が正しいとするなら、下地議員の受け取った100万円を除く400万円が宙に浮いてしまう。この場合、1800万円が使途不明ということになる。その上、秋元議員は、「300万円なんてはした金はもらっていない」と繰り返しているというから、これがもし事実だとすれば、最大で2100万円が行方不明になってしまう(秋元議員が受けた旅行接待の代金や沖縄での講演料は時系列からいって別資金である)。 いずれにせよ、ばらまいたカネよりも残されたカネの方が多いことになり、ばらまかれなかったカネはどこへ行ったのか。残余は「経費」だという説明も可能だが、香港―関空間、関空―羽田―札幌間の関係者の旅費や飲食代を経費と認めたとしても、その総額はせいぜい100万〜150万円だろう。「他の大物政治家」が受け取った可能性もないとは言えないが、今のところその気配はない。 現金を受け取ったとされるIR議連に参加する国会議員のうち、IR担当副大臣の職にあって職務権限の比較的明確な秋元議員を除き、他の議員が500ドットコッムに便宜を図ったことを立証するのはきわめて困難だ。 秋元議員は500ドットコムのために、国内のIR施設数を「3カ所」以上に増やすよう働きかけたとされているが、2018年3月に成立したいわゆる「カジノ法」(特定複合観光施設区域整備法)が成立するプロセスで、原案の「3カ所」が増える可能性はほとんどなかった。IRやカジノを所管する国土交通省の大臣であった石井啓一議員は公明党所属だが、公明党はカジノ法案にきわめて消極的で、副大臣が介入できる余地は事実上なかったと言っていい。 秋元議員はこうした経緯を承知の上で、カジノの施設上限を「3カ所」から増やすよう働きかけたかもしれないが、「ダメと分かっていて働きかけた」としか思えない。もちろん、秋元議員のこうした行動が贈収賄の要件を満たす可能性はあるので「無実」とはいえないが、秋元議員が500ドットコムのために積極的に動いたとは考えにくい。本人の自覚はともかく、秋元議員はむしろ紺野、仲里両氏による同社からのカネ引き出しに、結果的に協力してしまったと考える方が自然だ。秋元司衆院議員の地元事務所から押収品が入った段ボール箱を運び出す東京地検特捜部の係官=2019年12月、東京都江東区(宮崎瑞穂撮影) そもそも、2017年8月に沖縄で500ドットコム主催のシンポジウムを行った段階で、沖縄はカジノ誘致レースからすでに脱落していた。2006年当選の仲井眞弘多知事はカジノに積極的だったが、2014年当選の翁長雄志知事(故人)は、支持基盤である共産党、社民党が「カジノ反対」であることは承知しており、当選後、仲井眞氏のカジノ推進の方針を撤回してカジノ反対を主張していた。 ちなみに、2018年に当選した玉城デニー知事の出身母体である自由党は、もともとカジノ推進の政策を掲げていたが、その後「野党共闘」の立場から「カジノ反対」に転じている。500ドットコムも「被害者」 仮に2018年の沖縄県知事選で保守系知事が誕生していたとしても、翁長知事時代にいったん撤退したカジノ誘致レースに再参入できる可能性はなかった。大阪、横浜、北海道、和歌山、千葉、長崎などの候補地がしのぎを削る中で、ギャンブル依存症対策などを含めた具体的で詳細なプランを練り、関係者や議会を説得して誘致に漕ぎ着けるには圧倒的に時間が不足していたからである。 紺野、仲里両氏は、沖縄での実現可能性が限りなくゼロに近い状態の中で「シンポ開催」に踏み切ったが、これは500ドットコムからカネを引き出すためのデモンストレーションだったと言っても差し支えないだろう。 北海道の誘致合戦もほぼ同様の状態で、彼らが肩入れしたとされる候補地の留寿都は、2017年の段階で苫小牧の後塵を拝しており、たとえ500ドットコムを留寿都の「委託業者」として選ばせることが可能だったとしても、道内のレースから脱落してしまう可能性が強かった。しかも、候補地に北海道が選ばれるという保証もなかった。500ドットコムの贈賄が成果をもたらすとは思えない状況にあったのだ。 一連のこうした流れを見ると、500ドットコム自体「被害者」であったことは容易に想像できる。秋元議員はパチンコ業界に最も近い議員とされているが、パチンコ業界にもIR参入を目指している企業がある。言ってみれば、パチンコ業界は500ドットコムの商売敵である。ゆえに、繰り返しになるが、今回の「IR汚職」は、日本の事情に疎い中国企業からカネを引き出すためだったとしか思えないのだ。 気になるのは、なぜ沖縄を主な舞台としてこうした事件が起こったのか、という点である。事情通の間では、インバウンド(観光目的の訪日外国人)の急増で不動産や人件費が高騰するなど、ちょっとしたバブルを迎えている沖縄に、小金を手にしたいという怪しげな人物がはびこっているとの情報が広まっている。 増大する観光収入に加えて、過剰な政府補助金が投入される沖縄には、労せずして小金を得ることのできるチャンスが転がっている。実際、詐欺師に限りなく近い連中や半グレなどが政治家や有力者を利用してひと山当てようとする場面にも何度か出くわしている。 始末に負えないのは、政治家や有力者の間にも、怪しげな連中を囲い込み、自らの政治的・経済的権益を広げようとする傾向が見られることだ。彼らのそうした姿勢が怪しげな連中を一段と増長させている。 本土の政治家も例外ではない。沖縄には本土選出の国会議員の後援会や事務所が数多く存在する。しかも、与野党を問わない。比例区選出議員の事務所や後援会が沖縄にあるのは常識の範囲だが、沖縄とは縁もゆかりもないはずの本土の選挙区選出議員が、沖縄に後援会や事務所を置いているのを見ると首をかしげたくなる。秋元議員もその一人だ。 彼らは、「沖縄に寄り添うため」「沖縄振興に協力するため」「基地反対運動を支援するため」だと言うが、にわかには同意しがたい。本気でそう考えている政治家もいるかもしれないが、本当は、「お金や安保反対・基地反対などのイデオロギーが集まる沖縄で、何らかの政治的権益・経済的権益を拡大する」ためなのではないか。本土の政治家のこうした思惑と一部の沖縄県民の欲求が一致して、時には国民・県民を裏切るような悪徳を生み出してしまう。 「基地反対運動」が沖縄を優遇する政府補助金である沖縄振興予算の増大圧力になってきたことと併せて考えると、沖縄を過剰に優遇する政策体系の見直しこそ、腹に一物ある政治家や何らかの権益を求めて政治家に群がる人々を抑制する処方箋になるような気がしてならない。辺野古沿岸への移設が決まっている米軍普天間飛行場=2019年2月、沖縄県宜野湾市(桐原正道撮影) 折しも2022年から始まる新しい沖縄優遇策(期間10年の沖縄振興計画)の策定が始まっている。政府は従来通りの沖縄優遇策を継続するつもりのようだが、こうした優遇策が政治的・経済的悪徳の温床になってきたことは否めない。政府はこの点を率直に認め、英断を持って優遇策見直しを進めるべきだ。さもなければ今回のような不正が繰り返され、わが国はやがて規律と展望を失ってしまう。「IR汚職」を罰するだけでは、何も変わらないのである。

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    首里城の守護者たちが教えてくれる「正しい再建」

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 10月31日に炎上・焼失した首里城の再建をめぐり、所有権や復元主体を沖縄県のものにしようとする動きが県内から出ていることは、前回の論考で記した通りだ。その際、識者たちが「所有権の沖縄県への移管」を主張する根底に、「首里城は歴史的に沖縄のものだ」という認識があるが、首里城は本当に沖縄の人々だけの力で築かれ、守られてきたのだろうか。 前回は首里城問題の深層を指摘したが、本稿では首里城の「歴史」について明らかにしていきたい。まずは、戦後の再建をさかのぼって確認してみよう。 首里城は1945年の米軍による艦砲射撃により焼失し、琉球列島米国民政府時代の50年、城跡に琉球大が設置された。72年5月15日の祖国復帰とともに国史跡に指定され、77年からの琉球大の移転開始に伴い、80年代に入って、県と国による首里城復元に関する計画が策定された。 本格的な復元へと動き出す際に最も大きな働きをしたのが、元通産相の山中貞則である。「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜(たまわ)ランコトヲ」。山中の沖縄への特別な思いは、戦後に友人から教えられた沖縄特別根拠地隊司令官、大田実の決別電文から始まっている。 64年、第1次佐藤栄作内閣が発足すると、山中は佐藤に沖縄訪問を求め、膝詰めで談じ込んだという。山中は「県民が祖国に復帰できるかどうかに、内閣の命運をかける価値がある」と佐藤に断言した。 その結果、65年8月19日、現職首相として戦後初の沖縄訪問が実現する。それ以降本格化する沖縄返還交渉に山中も携わり、72年の祖国復帰につながっていった。返還後に設置された沖縄開発庁の初代長官に就き、沖縄経済の振興に尽力する。 沖縄復帰を2年後に控えた70年には、琉球政府から国費による首里城復元の要請を受ける。「沖縄は日本のために尊い犠牲になったのだから、日本国民、日本政府として復元に力を貸すのは当然だ」。総理府総務長官だった山中は難色を示す大蔵省を説得し、政府も第1次沖縄復帰対策要綱を決定したことで、復元の道筋をつけた。沖縄で開催された復帰記念式典であいさつをする山中貞則沖縄開発庁長官(右端)=1972年5月15日、那覇市民会館 その結果、89年に首里城正殿の復元工事に着手し、祖国復帰20周年にあたる92年に首里城公園が国営沖縄記念公園として一部開園した。その後も復元作業は続けられ、今年2月に全ての復元プロジェクトが完了したばかりだった。 さて、戦後の復元を開始するにあたって、首里城は既に灰となってしまい、現場には何も残っていない。それでも、復元に役立てられた写真や図面といったデータの蓄積があったのは、昭和の首里城大修理を担った先人たちの残したきめ細やかな努力によるものだった。保存に奔走した2人の男 1879年に沖縄県が設置されると、最後の琉球国王だった尚泰は、他の藩主と同じように首里城を明け渡した。その後、09年に首里区(当時)の所有物となっても世間から見向きもされず、11年6月には地震や暴風が相次ぎ、正殿2階の天井が墜落するなど、廃虚にも等しい悲惨な状態をさらした。 1923年9月、沖縄県は首里城正殿を取り壊すことを決定し、取り壊し式を24年4月7日に実施することになった。跡地に沖縄県社(沖縄神社)を建立する計画も立案された。 さかのぼること2年半前の21年4月、香川県出身の鎌倉芳太郎が沖縄女子師範学校の美術教師として赴任した。鎌倉は豊かな沖縄文化に惹かれ、2年の滞在で沖縄本島や宮古、八重山をくまなく歩く。そして、沖縄の芸術や文化、宗教に関する写真やスケッチなど大量な記録を残し、沖縄文化研究の第一人者と呼ばれるようになる。 東京に戻った鎌倉は23年3月、小石川にある沖縄県出身者の寮、明正塾を訪れた際、沖縄地元紙の「首里城取り壊し」の記事を見つける。取り壊し式が10日後に迫っていることを知った鎌倉はすぐさま明正塾を飛び出し、本郷の東京帝大に向かった。同大教授で建築家の伊東忠太に面会して、首里城の危機を訴えるためだ。 伊東は日本最初の建築史家といわれ、神社建築の第一人者であり、古社寺保存の権威としてその名を轟(とどろ)かせていた。鎌倉の要請を受けた伊東はすぐに内務省神社局長の大海原(おおみはら)重義に中止を要請する。 大海原も伊東の働きかけには逆らえず、沖縄県庁に「首里城並びにその建造物は史跡名勝天然記念物に該当するので取り壊しならぬ」と中止命令を打電した。実際には、取り壊し式を待たずに作業が開始されており、既に瓦が外され始めたところだった。しかし、鎌倉と伊東の情熱と行動に支えられて、首里城は奇跡的にその命を守られたのだ。 1925年、首里城正殿は特別保護建造物、次いで旧国宝に指定され、沖縄神社拝殿として存続する。その後、修繕計画が立てられ、28年2月には昭和の大修理が始まった。建築家・伊東忠太の胸像(東京大学工学研究科建築学専攻所蔵)=2009年7月撮影 しかし、早くも30年ごろに工程2割で工事資金が底をついてしまい、手詰まり状態に陥った。7月には観測史上3位(当時)の台風が沖縄を襲い、那覇市では最大風速47メートルを記録する。首里城も大きな被害を免れず、工事も中止状態となった。 再び危機に陥った首里城を救ったのが、文部省宗教局の阪谷良之進と同省建築技師の柳田菊蔵である。阪谷から沖縄への派遣の命を受けた柳田は現地到着後、被害状況の調査に入った。法隆寺や姫路城よりも優先 そこで柳田が目にしたのは、屋根が台風で剝がれ、柱もシロアリの餌食にされた悲惨な首里城の姿だった。柳田は状況を手紙で報告するととともに、阪谷に素屋根(すやね)設置の必要性を訴えた。 素屋根とは、建物をすっぽり覆う仮設物で、台風による再度の被害を避けられるだけでなく、木材を風雨に晒(さら)すこともないため、劣化や損失を防ぐことができる。最大のメリットは、工事が天候に左右されなくなるため、計画通りに工事を進められることだ。ただその分、高額な予算を必要とする。 阪谷も2月には自ら沖縄まで足を運び、滞在を延長して丹念に視察した。その結果、柳田の主張通り、素屋根を用いた工法でなければ、工事は完成できないと確信する。 東京に戻った阪谷はすぐさま、工事費増額のために粉骨砕身の努力を始める。それからわずか数日後、柳田に打った電文には「工費は九八九〇〇円以内に収ること」とあり、ただし書きに「貴族院議員控室にて決定す」とあった。 この予算は当時の首里市にほぼ匹敵する規模であり、文部省が行ったどの修理工事も超える額だった。しかも、台風が首里城を襲う前年の29年3月に国宝保存法が制定されたばかりで、文部省にとっては、この法律に基づいて修理しなければならない文化財が山積みだった。 その中には、伊東により世界最古の木造建築物であると確認された法隆寺や、西の丸の櫓(やぐら)の一部が大雨で崩壊して早急な修理が必要だった姫路城があった。文部省は、これらの文化財より首里城の大修理を優先して予算をつけたのだ。 昭和の大修理では、各部材を実測し記録を取った上で解体し、修復してから組み立てるという気の遠くなる作業を繰り返した。それでも現場監督の柳田と文部省で監督指揮した阪谷のもとで、素屋根がかけられた正殿の修復は迅速に進んでいった。そして、再開からわずか1年9カ月後の33年9月23日、幾多の困難を乗り越えながらも、一人のけが人を出すことなく完成した。激しく燃え上がる首里城の正殿=2019年10月31日午前4時ごろ、那覇市(近隣住民撮影) さて、鎌倉や伊東が取り壊しを阻止し、阪谷や柳田により見事、昭和の大修理を成し遂げた首里城は、いつ建築されたものなのだろうか。1709年の琉球は国難ともいえる不幸の連続だった。病床にあった尚貞王のために壇を設けて、除厄祈福のために経を七昼夜唱えたが、7月13日に亡くなり、在位41年の長期政権が終わりを告げた。 その夏、相次いで台風が襲い、作物を吹き飛ばしたかと思えば、そのあとは雨が一滴も振らない干ばつに見舞われてしまう。18世紀に編纂(へんさん)された琉球王国の正史「球陽」には、次のような記述が残っている。薩州の太守、白銀を発賜して饑ゑたる民人を済ふ。旧年の夏秋、颱颶七次あり。十月に至りて、颱風最も暴し、国、大いに饑饉を致す。王、即ち倉廩を発し、周く人民を済ふ。然れども、春に入り、饑甚だしく、民已に餓殍す。遂に其の事、薩州に聞ゆ。是れに由りて、薩州太守吉貴公、白銀二万両を寄賜して、以て本国の餓□を賑済せしむ。(意訳)夏から秋にかけて台風が7度にわたりやってきた。特に10月の台風は激しかった。国を飢饉が襲ったのだ。そのような中、11月25日午前2時。首里城が紅蓮(ぐれん)の炎に包まれた。この火災で南殿、北殿ともに跡形もなく灰になってしまったのだ。王は人民を救済するために蔵の米を放出するが、それでも足りず、3200人の餓死者を出してしまった。王府は薩摩の在番奉行の協力を得て、救援米の支援を要請するため飛船を出した。薩摩藩主島津吉貴が琉球に救援米3千石を貸与。続いて銀200貫を送り、続いて白銀2万両を送った。「正しい復元」に必要なこと 1710年10月、首里王府は再建責任者として、向鳳彩(しょうほうさい、今帰仁按司(あじ)朝季)を総奉行に任命し、着工した。しかし、木材が不足しているため再建がままならない。球陽にはこのように記述されている。薩州太守、材木を寄賜して、以て宮殿の修造を補ふ。先年、王城回禄し、将に宮殿を修造せんとす。而して材木欠乏す。今、疏文を具し、薩州に求買す。是れに由りて、薩州太守吉貴公、材木壱万九千五百二十五本を寄賜して、以て禁城宮殿の修造を補ふ。(意訳)去年、王城が火災で消失し、まさに宮殿を修繕しようとするが、材木が足りない。薩摩に買い求める。これにより薩摩藩主、吉貴公は、材木1万9525本を琉球国に寄賜し、宮殿修繕の助けとした。 蒸気船もない時代に約2万本の木材を沖縄まで贈ることは、当時の薩摩にとっても国をあげた大事業だったのではないだろうか。このような薩摩の多大な援助により、首里城の再建を行うことができたのである。  琉球については、よく「1879年の琉球処分まで独立国だった」といわれるが、江戸時代は薩摩の支配下にあって、決して独立していたわけではない。また、災害や飢饉に襲われたとき、救援の手を差し伸べたのは、明(みん)や清(しん)ではなく、薩摩であり、中国の属国だったわけでもない。 そして、本稿のテーマである首里城再建を支援してくれたのも、やはり薩摩だったのだ。首里城のような巨大に建築物を建てるには、沖縄ではとても木材が足らないことは、今も昔も変わらない。 これまで、首里城の歴史を振り返って分かるように、少なくとも江戸時代中期以降、建設においても復元においても、沖縄だけで成し遂げることができたケースは一つも見当たらない。首里城の復元は、沖縄県外の人々の多大な尽力により成し遂げられたものである。その背景には、戦前の国宝保存法や戦後の文化財保護法といった国の法律と、それを適用した国の補助金の投入なくしては不可能だったのだ。 最後に沖縄県出身者として、首里城復元に関わっている人に伝えておきたいことがある。復元を語るとき、前述した伊東、鎌倉、阪谷、柳田4人の功績を伝えることを決して忘れてはならない。沖縄県立博物館・美術館で公開される、沖縄戦で焼失した首里城の正殿を再現した模型(同館提供) 彼らへの感謝を忘れたままで、正しい復元など不可能だ。ましてや、その恩を忘れ、沖縄という小さな島だけで、首里城の建設や復元を成し遂げたと勘違いし、所有権の移管を主張したら、どうなるであろうか。 沖縄県は恩知らずの県民性を育む結果となり、将来に修復不可能な大きな禍根を残してしまうだろう。首里城に息づく伝統芸術は沖縄の誇りであることは間違いないが、歴史的に見れば、明らかな「国宝」であり、日本国全体で守り伝えていくものなのだ。(文中敬称略)

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    首里城の復興に沖縄メディアがしのばせた「奪還の計」

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 10月31日早朝、目を疑うような映像がテレビやインターネットで映し出された。激しく燃える首里城の姿は沖縄県民のみならず、全国民に大きな衝撃を与えた。 焼失を受けた政府の反応は異常なほど早かった。沖縄の経済振興政策を担当する衛藤晟一(せいいち)沖縄北方担当相は同日付で「首里城は沖縄のシンボルであり、内閣府として、沖縄県及び国土交通省、文部科学省等の関係省庁と密接な連携を取り、今般の火災の全貌の把握をするとともに、再建に向けて全力で取り組んでまいります」とのコメントを出した。 火災前日から2日間の日程で韓国の観光業界団体と意見交換のために訪韓していた沖縄県の玉城デニー知事も予定を切り上げて、31日午後に那覇に戻った。翌日の11月1日には首相官邸を訪れ、衛藤氏と菅義偉(よしひで)官房長官と続けて面談し、再建に向けて政府の支援を要請した。政府も必要な経費を含めて全面的に支援する方向で検討している。 また、再建を支援する寄付活動も迅速に動き始めた。那覇市は11月1日、ふるさと納税の制度を利用したクラウドファンディングによる再建支援プロジェクトを始めた。県内企業やマスコミも支援のための寄付を募り始め、スーパーなどで募金箱が置かれている。 そもそも、基地問題に代表されるように、沖縄県は何かと政府と対立することが多い。ただ、このように官民問わず早くから迅速に動き始めたことで、首里城再建では一致団結して進められるかのように見える。政府もそれを期待して、早々に支援表明しているのだろう。 しかし、沖縄問題をウオッチし続ける者として、再建に向けた国民の盛り上がりに水を差しかねないし、批判は承知の上で指摘したい。残念ながら、首里城は既に「第二の辺野古」になる方向で動き始めていると言わざるを得ない。炎上する首里城を見つめる市民ら=2019年10月31日午前6時、那覇市 その原因は政府の不作為のツケに尽きる。先の大戦後、「沖縄がいつから日本なのか」分からないあいまいな歴史観を放置し、他国からの思想侵略、歴史戦から国を守る体制を構築してこなかったからである。 これから起こる沖縄の身勝手に見える要求や反応の前に、政府側が理解できずパニックになったり、激高する恐れがある。そのようなことに陥らないよう、本稿では「首里城問題」の深層について指摘しておきたい。首里城を国から取り戻す? まず確認しておきたいが、これから始まるであろう首里城復元の事業主体は日本政府か、それとも沖縄県かご存じだろうか。首里城跡は国有財産であり、城のあった首里城公園を含む沖縄記念公園は国営で、内閣府沖縄総合事務局の管轄である。 そもそも、復元には多大な予算が必要であり、沖縄県単独の財政力では不可能である。そうであるなら、当然日本政府が事業主体になると考えるのが常識だ。 衛藤氏も、11月5日に「必要な財政支援を行うことも含め、国が責任を持って再建を進める」と改めて表明している。ところが10日後の15日、玉城氏が定例会見で「今後、所有権移転をどうするかということも議論していく必要があるだろうと思う」と突然言い出した。 そして、玉城氏は「わったー(私たちの)首里城として、多くの皆さんの魂を込めていく中に、県がどのように取り組んでいくかが一番大事だ」と続けたのだ。21日になって、玉城氏が「今の段階で、私の頭には想定も何もない」と所有権移転について発言を後退させたとはいえ、この言葉にこそ、首里城復元を第二の辺野古へと導く非常に大きな危険性が潜んでいるのだ。 首里城焼失以降、沖縄の二大紙は再建報道で埋め尽くされている。特に、琉球新報は連日の米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に関するニュースが紙面から消え去ってしまったと感じるほどだ。 琉球新報はオピニオン連載「首里城再建・識者の見方」で、識者を次々と登場させた。ただ、この「識者」に注意を払う必要がある。 琉球大の比屋根(ひやね)照夫名誉教授は「民衆の城取り戻す事業に」の中で、国から首里城を取り戻そうと主張する。だが、再建資金は国からもらいたいから「国は戦争の贖罪(しょくざい)意識を持って再建に参加すべき」と注文を付けた。米軍普天間飛行場の移設先として、埋め立てが進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部=2019年9月(小型無人機から) 要するに、首里城は大戦中に軍事要塞(ようさい)化して司令部を置いたために沖縄戦で燃えてしまった。だから琉球王国の城を焼失させた責任は国にある、という理論だ。 琉球民族独立総合研究学会の親川(おやかわ)志奈子共同代表は「『日本の中の沖縄』を懸念」の中で、玉城知事が政府への支援要請の際に示した、祖国復帰50周年事業として再建を進めたいとの姿勢を批判している。所属からもうかがえるように、親川氏は自身を日本人ではなく琉球人だと思っている人物だ。祖国復帰記念事業によって復元すると、琉球が日本のナショナリズムに取り込まれてしまうから、県民や県人が主体となって琉球のアイデンティティーの象徴として首里城を取り戻すべきだというのだ。それでも突き放しちゃいけない理由 連載では他にも、沖縄国際大の前泊博盛教授が「自己決定権」「自立経済」確立の観点で、琉球大の島袋純教授が国際連合の勧告を根拠として、それぞれ首里城の県への所有権移転を求めている。2人とも国有資産をいきなり県に譲り渡せというのだから、はなはだしく傲慢(ごうまん)な主張である。 このように、沖縄のマスコミは「県民主体」という自主自立の精神をもって取り組むかのような聞こえの良い言葉を多用している。報道が繰り返されるうちに、それが当然のことのように聞こえてくるのを狙っているのであろう。 こうして、政府にはカネを出させても、首里城を沖縄県に移管させて、復元事業の主体としてもらおうというわけだ。県と県内マスコミの目的が一致している以上、路線は決まったと認識して間違いないだろう。 すなわち、政府と対立の構図を生み出すレールが敷かれてしまった。首里城が第二の辺野古問題と化し、日本政府を振り回す頭痛の種となる日はそう遠くない。 沖縄県がワガママばかり振りかざすようになったら、「復元にもう1円の税金も使わないようにすればよいではないか」という声が聞こえてきそうである。常識で考えれば、「自分たちの城」というのなら、沖縄県外には寄付も求めず、県民や県人だけで復元すればよいではないか。通常ならそうあるべきだと筆者も思う。 しかし、絶対突き放してはならない大きな理由がある。それは、沖縄県人を先住民族とする国連の存在だ。 2008年以降、国連の自由権規約委員会や人種差別撤廃委員会から、日本政府に対し「琉球・沖縄の人々を先住民族と認め、その権利を保護するべきだ」という勧告が5回も出されている。国連では、沖縄県人は日本人ではなく、日本に滅ぼされた琉球王国の末裔(まつえい)であり、現在は日本政府の差別的支配を受けている先住民族と認識されてしまった。札幌市で講演する沖縄県の玉城デニー知事=2019年11月19日 気を付けなければならないのは、前述の琉球新報に掲載された識者もよく使う「沖縄の『自己決定権』回復」という言葉だ。辺野古移設阻止運動でも多用されてきたスローガンである。 沖縄のマスコミは、自治権の拡大というイメージで報じているが、実際の意味は全く異なる。この「自己決定権」とは、国連専門用語の「self-determination」を日本語に置き換えた言葉であり、正しくは「民族自決権」と訳すべきだ。ユネスコが「復元」に口挟むワケ つまり、沖縄の自己決定権の回復とは、日本政府に沖縄の人々を先住民族と認めさせて、その権利を回復する、ということだ。最終的には、琉球王国の復活を意味する。このように、語意をすり替えながら県民を扇動し、国連に沖縄の人々を先住民族だと認めさせてきたのだ。 また、首里城の復元だけでなく、世界遺産登録の観点からも大きな懸念がある。 ユネスコのメヒティルド・ロスラー世界遺産センター長は15日、上野通子文部科学副大臣と会談し、大規模火災で城の主要な建物が失われた首里城の跡地一帯について、世界遺産としての登録取り消しや見直しを行う考えがないことを表明しました。 その上でロスラー・センター長は、必要があればすぐにでも首里城を復元するために、ユネスコから専門家を派遣する意向も示したということです。「ユネスコ、首里城跡の世界遺産登録取り消す考えなし」MBSニュース、2019.11.16 国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)も手を差し伸べてくれるということで、良いニュースのように聞こえる。首里城跡を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は2000年にユネスコの世界文化遺産に登録された。 しかし、ユネスコは09年になって、沖縄の言葉が「日本の方言ではない独自の言語」だとして、消滅危機言語に指定している。つまり、世界遺産登録の際には、沖縄の人々を日本人だと見ていたユネスコが、この時点から「沖縄の人々は日本に滅ぼされた先住民族」と認識するようになった可能性が生じる。この大きな変化を見逃してはならない。 もし、ユネスコが国連勧告にのっとって首里城復元に口をはさむとしたら「先住民族の権利を保護するために、琉球・沖縄の人々の希望に応えて所有権を移管せよ」と言い出すことにもつながりかねない。応じてしまえば、日本政府が沖縄の人々を先住民族だと認めたことになってしまうのだ。首里城の復元に向けた初の関係閣僚会議であいさつする安倍首相(右)。その左隣は衛藤沖縄北方相=2019年11月6日、首相官邸 果たして、ユネスコは沖縄の人々を日本人と認識しているのか、それとも先住民族だと認識しているのか。大きなリスクを回避するため、日本政府は関与を受ける前に確認するべきだ。そして、日本人と認識しているとの公式回答がない限り、首里城の復元関連事業に関わらせてはならない。 そもそも、焼失した首里城は世界遺産の登録対象ではない復元建築物なので、世界遺産の登録の可否と全く関係性がない。それならば、なぜユネスコは「必要があれば、専門家を派遣する」というのだろうか。裏の目的があるのではないかと勘繰りたくなるのは、筆者だけだろうか。

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    首里城火災、玉城デニーはリーダーシップを果たせ

    ロバート・D・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所代表、元在沖縄米海兵隊政務外交部次長) 沖縄県民をはじめ、首里城を見学したことのある多くの国民や世界の観光客・来賓が、10月31日の火災で衝撃を受け、言葉を失っている。そして、再建に向けた動きが国内外から始まっている。 出火原因は現時点、調査中のため不明だが、火元は「正殿」とみられている。そこで、いくつかの課題が浮かび上がっている。 一つは、城内にスプリンクラーが設置されていなかったこと、そして、消防車や消防士が入りにくいレイアウトだったことだ。このような設備で、なぜ許可されたのかは不思議だが、最近言われがちな「想定外」という言葉で片づけてほしくない。 沖縄県で合計8年間生活し、そのうち6年間、在沖米海兵隊で勤務した経験がある筆者からすれば、沖縄県庁の危機管理体制は皆無に近い。理由はたくさんあるが、その一つは、左翼の「政治思想」が行政を不健全に支配し、まひしているからだ。全ての行動は「政治のレンズ」から見なされ、新しい対策や試みを採択するかどうかは、それによって決められる。 一例を挙げれば、東日本大震災のあった2011年に、トモダチ作戦の立案・実施に関わった筆者が、2006年当時、大阪大学助教授として発表したその起草の中で提唱した「震災前、顔の見える関係の構築に向けて」を盛り込んだ「防災協力プログラム」を転職後の米海兵隊幹部として全国で展開した。その秋に、将来発生すると言われている東海地震などの共同で対応するために、川勝平太知事のリーダーシップのもと、静岡県庁との事前連携を図り、防災訓練にも参加していた。 それは大きく報道されたが、沖縄に戻り、県庁を訪問して「静岡県との防災協力」というプログラムの趣旨を説明し、沖縄県も同じような関係を持ちたいと依頼したところ、無視された。筆者は非常にがっかりし、怒っていた。防災監のみならず、知事公室長にも抗議し、その良心に訴えた。(詳細は、拙著『トモダチ作戦』集英社および『次の大震災に備えるために』近代消防社を参照) 結局、災害協力ができるようになったのは、2014年9月の宮古島で実施した沖縄県防災訓練だった。つまり、3年間待たされた。もしその間、有人島が多く、離島との間で移動が難しい沖縄県で地震や津波などが発生したら、県と米軍の協力関係が薄いため、十分な対応はできない。激しく燃え上がる首里城の正殿=2019年10月31日、那覇市(近隣住民撮影) 今回の首里城の火災では、米軍のヘリによる消火活動の依頼がなかった。依頼があれば、被害はもう少し抑えられたのではないかと思う。いずれにしても、県の政治思想によって、沖縄県と在日米軍の協力関係があまり構築できず、県の生命と財産(この場合、国や世界の財産でもある)を守ることができなかった。協力どころか、深夜に発生した火災の消火活動に対応するための米軍による夜間訓練はいつも抗議を受け、反対されている。ノーとしか言わない沖縄 不思議なことに、これは米軍だけではなく、自衛隊にも要請しなかったようだ。実は、県庁と県内にある自衛隊、特に陸上自衛隊第15旅団は、期待するほどの関係ができていない。それは、『防衛白書』からも読み取ることができる。その中に「退職自衛官の地方公共団体防災関係部局における在職状況」という一覧がある。 全国でほとんどの都道府県や地方自治体で、元自衛官の幹部が防災の専門家として再就職するが、反軍、反基地、反自衛隊の思想を持つ沖縄県は、元自衛官を採用していない。県内で、今年6月30日の時点で退職自衛官を採用しているのは豊見城市のみだ。その結果、県は重要な情報共有、意思疎通ができないだけでなく、速やかに出動などの協力の依頼もできない。 今回の火災の拡大の背景には、こうした事情があると思われる。「危機管理」は、近年よく使用するようになっている4字熟語だが、行政をはじめ、組織や会社が最も重視すべき仕事だ。 これから、首里城の消防体制など多くの内部告発が出ると思う。なぜなら、沖縄県の政治・行政の改革だけではなく、国や他の都道府県などの文化財の保全のあり方の改善につながるからだ。 3年前に、拙著の『オキナワ論』(新潮新書)で、「NOKINAWA」という新しい言葉を発表した。「『ノー』としか言わない沖縄」を意味するが、主張主義によって国と対立やけんかをし、自衛隊や米軍と距離を置き、批判している沖縄県庁は果たして150万人の県民をはじめ、日本国民のことを考えているのか、常に疑問を持っている。 以前にも提案しているが、こうした状況を改善するために、在日米軍と県庁は、互いに連絡官(liaison officer)を置くべきだ。少なくとも、県庁の職員を、筆者が務めたキャンプフォスター(在沖海兵隊司令部)内にある、4軍調整官の事務所に派遣し、連絡・協力体制を強化すべきだと思っている。 今後も、緊急的に連絡を取る必要がある事案(事件・事故、災害など)が考えられるので、このような緊密関係を構築し、沖縄県の危機管理を向上することができれば、今回の火災という「不幸中の幸い」が生まれるかもしれない。 しっかりした体制に加え、リーダーシップが重要である。昨年8月の翁長雄志氏の突然の死去に伴う選挙で選ばれた玉城デニー沖縄県知事は、火災の1カ月前の9月30日に、就任1周年を迎えたが、県内では評判が高くない。 特に、日本本土をはじめ、国外の出張が多く、県知事の仕事が疎かになっているのではないかとの疑念もある。特に今年、台風などの被害が多く、災害における危機管理が既に問われ、「不在の知事」とまで言われている。首相官邸を訪れ菅官房長官(右)と握手する沖縄県の玉城デニー知事=2019年11月1 日 来月で23年も経過している普天間飛行場の県内移設で国との対立が続いている中、沖縄県は、10年おきに策定する政府による沖縄振興策に向けて40ページに及ぶ要望書を政府に提出しているが、その矛盾が県内外で指摘されている。 首里城の火災は行政の無策による「人災」と言っても過言ではない。この悲しい事件を乗り越え、再建することをはじめ、より長いスパンで政府との信頼ある関係をつくることも求められる。玉城知事にその力があるのかは、過去一年間を見る限り、疑わしい。しかし、国民をはじめ、在沖米軍など外国人の沖縄を愛する人たちは、首里城の再建と沖縄の再発展を応援しているに違いない。

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    江田憲司手記「普天間秘録」

    「普天間返還の原点、その真実を書き記すことが私の使命と考えた」。1996年、沖縄・普天間飛行場の返還をめぐり日米両政府が合意し、今に続く基地問題はここから始まった。当時、橋本龍太郎元首相の秘書官だった江田憲司衆院議員がiRONNAに独占手記を寄せた。普天間秘録。初めて明かされる「23年目の真実」とは。

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    沖縄の知事はそんなに甘くない

    沖縄県民の選択は4年前と同じ「辺野古反対」だった。急逝した翁長雄志前知事の遺志を継ぐ候補として出馬した玉城デニー氏が、安倍政権が支援した前宜野湾市長、佐喜真淳氏を大差で破った。「対立と分断」で揺れた民意をつかんだ玉城氏だが、とまれ沖縄の政治はそんなに甘くない。

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    「オール沖縄」ってなんだ!?

    翁長雄志前知事の急逝に伴う沖縄知事選がきょう投開票される。米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の辺野古移設の是非が最大の争点となった構図は前回と同じだが、そういえば4年前ほど「オール沖縄」の合言葉が聞こえてこない。そもそもオール沖縄とはどんな組織なのか。現地リポートも交え、実態に迫る。

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    「ポスト翁長」の現実味

    今年最大の政治決戦となる沖縄県知事選まで4カ月を切った。現職を支える「オール沖縄」と県政奪還を目指す自民党との一騎打ちの構図になりそうだが、翁長雄志知事は膵臓がん術後の健康問題に不安を抱える。「ポスト翁長」をめぐる沖縄政界の動向と秋決戦の行方を読む。

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    あの人に教えたい沖縄の正しい歴史

    また、この人である。「沖縄は中国から取ったんでしょ」発言で炎上したお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔だが、当の沖縄では反基地派に担がれてブレイク中だという。あの発言以来、彼を無知と罵る声は絶えませんが、せっかくなのでiRONNAが「沖縄の正しい歴史」を教えたいと思います。

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    いま沖縄で起こっている「異変」

    沖縄は先の大戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。戦後72年。米軍統治を経て本土復帰から45年の節目の年でもある。基地問題に揺れる民意は今も本土と大きく隔たり、中国がもくろむ「沖縄独立」の危機はいまだ燻り続ける。いま沖縄で何が起こっているのか。慰霊の日に考えたい。

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    あばよ米軍、トランプに媚売る翁長氏の下心

    沖縄の基地問題にどう対応するか、期待しつつ注視したい」。米軍普天間基地の名護市辺野古への移設に反対する沖縄県の翁長雄志知事が、トランプ氏との面会を求め来年2月にも訪米する意向を示した。トランプ政権で強まる米軍の「日本撤退論」に乗っかり、ここぞとばかりに媚を売る翁長知事の下心やいかに。

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    沖縄ヘイトの現実

    沖縄はゆすりの名人」。基地問題で揺れる沖縄だが、差別と偏見によるバッシングはいまだ後を絶たない。その一方で高江のヘリパッド建設をめぐり地元住民と機動隊が衝突を繰り返している事実を本土の人間はどれほど知っているだろうか。そう、この「温度差」こそが沖縄蔑視の現実なのである。

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    辺野古和解にみた翁長氏「敗北」への道

    米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐる訴訟で国と沖縄県の和解が成立した。ただ、安倍首相は「辺野古が唯一の選択肢」との姿勢を崩しておらず、双方がどこまで歩み寄れるのか不透明だ。政府側の「譲歩」に込められた思惑とは何だったのか。勘ぐれば勘繰るほど、翁長氏「敗北」のシナリオが見えてくる。

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    今井絵理子は翁長氏の「刺客」になれるか

    に関心が薄い若年層への浸透を狙うが、彼女にはもう一つ、大きな役割も期待されている。それは、翁長雄志・沖縄知事の「刺客」というミッションである。

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    「辺野古反対」の民意はどこへ

    米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市長選は、現職の佐喜真淳氏が再選を果たした。辺野古移設計画をめぐる安倍政権VS翁長知事の「代理戦争」となった選挙の結果に、安倍首相は「この勝利は大きいね」と胸をなで下ろした。翁長氏が掲げる「オール沖縄」の求心力、そして辺野古反対の民意はどこへ向かうのか。

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    沖縄の民意ってなんだ?

    手法を尽くして基地は造らせない」。米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、国に対する行政訴訟を起こした沖縄県の翁長雄志知事の言葉である。「民意」を盾に徹底抗戦の構えだが、そもそも沖縄の民意ってなんでしょうか? 捻じ曲げられた声ばかりではなく、たまには本当の声も聞いてみたい。

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    日米に「宣戦布告」した翁長知事

    米軍普天間飛行場の移設計画をめぐり、沖縄県の翁長雄志知事がジュネーブで開かれた国連人権理事会で演説し、「沖縄は人権をないがしろにされた」と日米両政府の対応を批判した。世界に向けて自らの正当性をアピールした翁長氏だが、独善的なパフォーマンスは日米に対する「宣戦布告」にも等しい。

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    翁長さんの言う沖縄の論理、間違ってますよ

    米軍普天間飛行場の移設計画をめぐり、沖縄県の翁長雄志知事が移設予定地の名護市辺野古の埋め立て承認を取り消すと表明し、県と国は全面対決に突入した。「本土の支援はいらないから、とにかく基地をどかせ!」という翁長氏の論理、はっきり言って間違ってますよ。

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    百田発言のどこが悪い

    沖縄二紙について、百田尚樹氏の「つぶさなあかん」発言が槍玉に上げられている。沖縄二紙は会見まで開き、被害者面して言論の自由を訴えた。ならば、これまでの沖縄二紙の報道を徹底検証してみようではないか。

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    崖っぷち「琉球王」翁長氏の独善

    沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦の戦没者20万人以上を追悼する「慰霊の日」を迎えた。追悼式に出席した翁長雄志知事は、米軍普天間基地の辺野古移設中止を求める異例の主張を盛り込んだ。日本の安全保障や国益とかけ離れた発言を繰り返す、崖っぷちの「琉球王」はどこへ向かうのか。

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    駄々っ子より始末が悪い翁長知事

    翁長知事、沖縄のメディアは異常なほど基地反対、反米を煽る。しかし、戦後のアメリカ統治は、「生活環境向上」「人口増」「平均寿命伸長」などあらゆる恩恵を沖縄にもたらした。それを忘れて、恨み言を言うなど笑止千万だ。

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    沖縄の誇り」という民意はどこへ行く

    米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題が最大の争点となった沖縄県知事選が16日、投開票され、前那覇市長の翁長雄志氏が初当選した。県民は「移設阻止」を選択したのである。辺野古移設はどうなるのか。解散風が吹き荒れる本土にも衝撃を与えた沖縄の「民意」はどこへ行く。

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    沖縄独立という「自殺」を煽るのは誰か

    沖縄知事選(11月16日投開票)が10月30日、告示された。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題が最大の争点だが、地元メディアを中心に過熱しているのが、「琉球=沖縄独立論」だ。この問題では、NHK番組がBPO(放送倫理・番組向上機構)に告発されてもいる。沖縄に何が起きているのか。

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    責任感なき独立論 スコットランドと沖縄

    ド独立は住民投票で否決されたが、一連の動きは世界に大きな波紋を広げた。 日本でも、ごく少数とはいえ沖縄の独立論者が存在することをどう考えるべきか。