検索ワード:沖縄独立/149件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    アイヌ新法成立で大きくなる「琉球独立工作」の火種

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) アイヌ民族を法律として「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法が4月19日、国会で成立した。この政府の動きは、沖縄問題を専門として活動している筆者にとっても看過できないものだと認識している。 昨年8月16、17日の2日間にわたり、スイス・ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会で対日審査が行われた。日本政府代表の外務省の大鷹正人・国連担当大使は、初日の全体説明で、真っ先に2020年4月にアイヌ文化センターをオープンすることについて紹介した。先住民族であるアイヌの象徴空間を建設し、文化保護に力を入れていることをアピールしたのだ。 全体説明終了後、各委員から日本政府に対して質問が行われた。「アイヌ語は危機にひんしているが、学校で教えられていない」「教育や労働、文化・言語の権利が保障されていないのではないか」などといった内容であった。 先住民族の人権問題として指摘されているのはアイヌだけでない。沖縄についても多くの指摘を受けた。・琉球・沖縄の人たちを先住民族として認め、権利を守ることが必要である。しかし、日本は先住民と認めることを拒否している。・日本の本土から移住した人は別として、琉球の人たちの先住民性を認め、権利を守る必要がある。・琉球・沖縄について、日本は先住民族ではないというが、米軍基地があり、事故が起き、人々が苦しんでいる。 2日目、大鷹代表から前日の質問に対する回答が述べられた。アイヌに関しては、「アイヌ生活実態調査が定期的に行われているが、生活状況の向上は着実に効果を上げている」と回答した。 沖縄に関しては、「先住民はアイヌ以外には存在しない。沖縄の人々が先住民だとの認識は国内に広く存在しない」「米軍による事故について、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設が、危険を一刻も早く除去する唯一の解決策である」と回答している。糸数慶子参院議員=2017年8月(斎藤良雄撮影) 沖縄についての回答は、筆者もその通りだと思う。アイヌに関しては専門家でないので、問題点の指摘は他の専門家に譲る。 しかし、アイヌ新法の成立が「琉球独立工作」という最も危険な火種に油を注ぎ込むことになるのではないかと、大きな危惧を抱いている。それは、今から約5年前の出来事がちらついて離れないからである。 2014年、糸数慶子参院議員が米ニューヨークの国連本部で、先住民族代表としてスピーチを行ったことが地元紙に報じられた。筆者はその報道を知り、抗議するために、彼女の所属する沖縄社会大衆党の事務所の連絡先を探し出し、電話で次のように追及した。筆者が驚愕した「答え」筆者: 私は沖縄県出身の者だが一度も自分を先住民族だと思ったことはない! あなた方は『沖縄の自己決定権の回復』を唱えているが、それは日本政府に沖縄県民を先住民族と認めさせて、その権利を獲得するということではないのか。社大党職員: はい、そうです。筆者: では、大事なことを隠しているのではないか? 先住民族の権利を獲得するかもしれないが、それにより、日本人としての権利を失うではないか。それを隠しているのは卑怯(ひきょう)だ。 この追及に対し、社大党職員が言葉に詰まるだろうと予想していたが、思いもよらない回答が返ってきた。 仲村さん、心配はいらないですよ。アイヌの人々は、既に政府により先住民族だと認められていますが、彼らは日本国民であり何の権利も失いませんよ。 この答えに、筆者は衝撃を受けた。彼らの求める沖縄の「自己決定権」とは、総額3千億円の沖縄振興予算を受け取る権利を維持しながら、先住民族の土地の権利により、米軍基地を撤去する権利を新たに獲得する運動だったからだ。 先住民族の特権のみを獲得しても、何一つ失うものはない。つまり、新たな巨大な「在日特権」が日本に出現するということを意味する。 そして、彼女の言葉に、アイヌが先住民族として認められたのなら、いずれ沖縄も先住民族として認められるべきだという思いも込められていることにも、強い危機感を覚えた。 2015年9月、沖縄県の翁長雄志前知事の国連人権理事会での演説に同行していた非政府組織(NGO)代表がいる。沖縄県民を先住民に認定させる運動を展開する「市民外交センター」代表で、恵泉女学園大の上村英明教授だ。2019年2月24日、「反対」が有権者の4分の1を超える見込みとの報道を受け、那覇市内の県民投票連絡会の事務所で「頑張ろう」の声をあげる人たち(桐原正道撮影) NGO「反差別国際運動」が発行した「日本と沖縄~常識をこえて構成な社会をつくるために」にという小冊子に、彼のプロフィルが掲載されている。 1987年以降、アイヌ民族の先住民族としての権利を支援し、国連人権機関を舞台に活動。1996年以降、琉球民族の代表の国連における活動を支援。2015年、翁長雄志沖縄県知事とともに、国連人権理事会に参加。 つまり、彼は30年以上前から国連を舞台にアイヌの先住民族の権利を獲得させる運動を開始していた。さらに、沖縄についても県民や県出身者の全く知らないところで、同様の活動を20年以上続けてきたのだ。 また、反差別国際運動のホームページ(HP)の人種差別の項目には、「日本には目に見えなくされた人種差別がある」とした上で、「その影響を受けているのは、部落、アイヌ、琉球・沖縄の人びと、日本の旧植民地出身者とその子孫、そして外国人・移住労働者です」と書かれている。独り歩きした「7割の民意」 このNGOが、アイヌと沖縄両方の先住民族の権利獲得運動の事実上の本部と見て間違いないだろう。つまり、アイヌ新法が成立した後は、琉球民族の権利獲得運動に全力をつぎ込むことが予想されるのだ。 次に現在の沖縄の政治状況を見てみよう。2月24日に辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が行われたが、投票率は52・48%で、埋め立て「反対」が有効投票の約72%だった。 新聞やテレビはこの結果をタテに「圧倒的多数の7割の県民が反対」と報じているが、それはトリックだ。今回の県民投票は、政治家を選ぶ選挙ではなく、県民全体の世論を確認する投票だから、有権者全体を基準にした数字を見る必要があるからだ。 そもそも、今回の県民投票は当初、不参加表明をする自治体が現れるなど、実施意義を問われながら始まったいわくつきの「政治イベント」である。結果的に全県実施となったが、県民投票そのものに不満を抱く県民もいるため、約48%の県民は「棄権」という形で意思を表したとも言える。 この棄権数を踏まえれば、反対票は有権者の38%足らずということになる。とても「多数の民意」といえる数字ではない。 それでも、共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄会議」は、3月16日には圧倒的多数の民意を背景に、辺野古移設阻止を訴える「県民大会」を開催し、玉城デニー知事は所用で欠席したものの、代読のあいさつで「建設断念まで闘い続ける」と表明した。 今回特異なのは、この県民投票の結果を地元紙沖縄タイムスが英語と中国語でも報道したことだ。もちろん、中国共産党機関紙の人民日報など、大手中国メディアも取り上げて報道した。 そこでは、独り歩きした「7割の民意」が国際発信されている。さらに「琉球処分」などの沖縄の歴史解説などを加えると、「日本の先住民族たる琉球民族の人々の7割が、日米両政府による米軍基地の押し付けに反対している」という認識が国際的に広がっていくことにつながる。 つまり、県民投票は県民の意識調査ではなく、琉球差別の「国際世論戦のツール」だったのだ。「沖縄県民が先住民族だ」という認識ほど、簡単なプロパガンダは無い。日本国内も「琉球王国」の存在を認めているからだ。辺野古埋め立ての是非を問う県民投票の結果を安倍晋三首相へ手渡す玉城デニー沖縄県知事(左)=2019年3月1日(春名中撮影) 逆に、外国人に対して、琉球王国が日本から独立した外国だったと認めながら、その子孫である沖縄の人たちは先住民族ではないと説得することのほうが、不可能なぐらい困難なのだ。 そのような国際世論が広がったとき、筆者は一つの懸念がぬぐえない。「アイヌを先住民族として認めながら、琉球王国という独立した国家と文化と歴史を持つ琉球の人々を先住民族として認めないのはおかしい!差別だ!」 このようにアイヌ新法をてことして、琉球独立運動家やその支持団体が琉球独立運動に利用した場合、日本政府はどのように反論するのだろうか。■ 沖縄で騒がれ出した「独立論」の正体■ 沖縄「反基地ヒーロー」に担がれたウーマン村本が気の毒である■ 石平が警告、玉城デニー「中国一帯一路に沖縄活用」提案の危険度

  • Thumbnail

    記事

    石平が警告、玉城デニー「中国一帯一路に沖縄活用」提案の危険度

    石平(評論家) 沖縄県の玉城デニー知事は4月26日の定例記者会見で、中国を訪問した際に行った胡春華(こ・しゅんか)副首相との会談内容を明らかにしたが、これはとんでもない問題発言である。 玉城知事は、河野洋平元外相が会長を務める日本国際貿易促進協会の訪中団の一員として同月16~19日に訪中し、会談した胡副首相に対し「中国政府の提唱する広域経済圏構想『一帯一路』に関する日本の出入り口として沖縄を活用してほしい」と提案したというのだ。そしてそれに対し、胡副首相は「沖縄を活用することに賛同する」と述べたという。 この玉城知事と胡副首相のやり取りを新聞報道で知ったとき、筆者はまず大きな違和感を覚えた。なぜなら玉城知事は言うまでもなく、沖縄という日本の一地方自治体の長である。 一方の胡副首相は当然、中国の副首相であり国を代表して日本の訪中団と会談している。このような席で、日本の一自治体の長が中国の副首相に対して何かを提案すること自体、すでに一般的な外交儀礼あるいは外交ルールから大きく逸脱している感じもする。そこでさらに問題となっているのは、玉城知事が胡副首相に対して「提案」した中身だ。日本の一地方である沖縄の「活用」を、外国政府に提案したからである。 このような「提案」はどう考えても、憲法に定められた地方自治権から大きく逸脱したものであろう。沖縄県は一自治体ではあるが、そもそも日本国の領土であり、日本国の一部である。沖縄県知事が日本の領土である沖縄の「活用」を外国政府に提案したり、相談したりするようなことは尋常ではない。それは軽く言えば悪質な越権行為だが、重く言えば自国の一部を外国に売り飛ばすような「売国行為」そのものではないか。中国の胡春華副首相(右)と会談する日本国際貿易促進協会会長の河野洋平元衆院議長(中央)、沖縄県の玉城デニー知事=2019年4月18日、北京の人民大会堂(共同) そして、よりによって玉城知事が提案したのは、中国の「一帯一路構想」における沖縄の「活用」だが、それはなおさら、危険な「売国行為」なのである。 悪名高い「一帯一路」は今、国際社会から「新植民地主義」あるいは「中国版植民地主義」として厳しく批判されている。欧米諸国の大半にそっぽを向かれ、アジア諸国の強い反発をも受けている。「玉城提案」の危険度 習近平政権肝いりのこの壮大な構想の一貫した手法と戦略的目標は、要するに、アジア地域などの発展途上国において中国政府主導の投資プロジェクトを展開し、これによって広範な地域を中国が頂点に立つ「中華経済圏」に取り込むことだ。 その一方、投資を受ける国々を借金漬けにした上で債権をチャラにするのと引き換えに、それらの国々の持つ戦略的拠点や一部の国家的主権を奪い取って我がものにしていくのである。 5月2日に米国防省が議会に提出した年次報告書で、中国が大経済圏構想「一帯一路」への投資を保護するため、世界各地に新たな軍事拠点を建設していくとの見通しを示したことからも分かるように、「一帯一路構想」の推進は中国の軍事戦略とも連携しており、「一帯一路」による「新植民地支配」は、中国による世界各地の軍事支配の確立にもつながるのだ。 このような覇権主義的な「一帯一路構想」を進めている中国政府に対して、沖縄の玉城知事が構想への「沖縄の活用」を申し出たことがどれほど危険な行為か、よく分かるであろう。 また、沖縄の特別な地政学的な位置と安全保障における重要性を鑑みれば、いわば「玉城提案」の危険度は深刻さを増すのだ。 地図を開けば分かるが、沖縄は台湾と並んで中国が完全突破しようとする第一列島線の中核をなす島である。そして沖縄には、中国の軍事的膨張と海洋侵略に対する最大の防波堤である米軍基地がある。 中国からすれば、沖縄から米軍基地さえ追い出すことができれば、自国のアジア支配戦略の最大の邪魔はこれで取り除かれる。その上で、沖縄を自国の海洋進出の拠点として「活用」できるのならば、それに越したことはないのであろう。巨大経済圏構想「一帯一路」をテーマにした国際会議の開幕式を終え、笑顔を見せながら引き揚げる中国の習近平国家主席(中央右)=2019年4月26日、北京(共同) こうして見ると、「沖縄を一帯一路に活用してほしい」という玉城知事からの提案ないし申し出は、本人はどういう意図であるかは関係なく、客観的に見れば中国政府の戦略的意図と全く合致しており、まさに沖縄知事の、沖縄知事による、中国のための「提案」でしかない。 もし、この危うい「提案」が現実なものとなれば、玉城知事と沖縄は確実に、中国の覇権主義的海洋戦略の推進に大いに貢献することになるだろう。そしてその結果、日本の安全保障とアジア太平洋地域の平和秩序が大きく損なわれることは間違いない。そんなことを許して良いのかと、私は一日本国民としては大いなる疑問を感じ、大きな危機感を覚えているのである。■米露を呑み込む中国の「一帯一路」 巨大利権に潜む習近平の大戦略■2049年「習近平の夢」は96歳で完成する■稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」

  • Thumbnail

    記事

    【独占手記】江田憲司が初めて明かす普天間合意「23年目の真実」

    江田憲司(衆院議員) 私には、今でも忘れられない光景がある。時は1996年12月4日。場所は沖縄県宜野湾市のラグナガーデンホテル。当時の橋本龍太郎総理と沖縄の基地所在市町村長との会合でのことだ。 その場を支配していた雰囲気は、感涙にむせび、その涙をこらえる嗚咽(おえつ)ともつかない声で満ち満ちていた。そして、この会の最後に発せられた地元新聞社社長の言葉が象徴的だった。 「こういう雰囲気は、40年のマスコミ生活を通じて空前の出来事だ。これまで沖縄は、被支配者としての苦悩の歴史だった。橋本総理、本当にありがとう。どうか健康には留意してください、それがここにいる皆の願いです」 橋本総理の沖縄への篤(あつ)い思い、真摯(しんし)な向き合い方が、ヤマトンチュ(本土人)とウチナーンチュ(沖縄の人)の厚い壁を初めて打ち破った! と心の底から感じられる、そういう「歴史的瞬間」だった。当時の私の日記をひもとき、そこに出席した各市町村長の言葉をもう少し聞こう。 那覇市長「総理は沖縄の心を十二分に理解してくれている。その情熱が心強い」 名護市長「沖縄に『お互いに会えば兄弟』という言葉があるが実感した。沖縄の痛みがわかる総理に初めて会った。あとは感謝で言葉にならない」 宜野湾市長「一国の総理が心を砕き、我々の国政への信頼が倍加した。普天間基地の跡地開発をしっかりやりたい」 金武町長「希望が見えた。町民全体が燃えている」 読谷村長「日本の生きた政治を見る思い。村長をして22年になるが、総理が初めてボールを沖縄に投げた。もうやるしかない」   これを受けて、橋本総理があいさつに立った。 「私がひねくれていた頃、数ある従兄弟(いとこ)連中と片っ端からけんかをしていた。その中で岡山にいた源三郎兄、彼は海軍の飛行練習生だったが、唯一私をかばってくれた。最後に会ったのは昭和19年の初夏、その時、彼は、継母になじむように私に小言を言ってくれた。そして、『今度会うときは靖国で』と言って、その年の10月、南西方面で還らぬ人となった。だから、これまで春と秋の例大祭には必ず、私は靖国神社を参拝してきた。それが我が国の外交に影響するのであれば自制したいが、彼が戦死した南西諸島というのが沖縄だということを知ったのは、戦死公報が届いた後のことだった」 ここで不覚にも、私までが涙してしまったことを覚えている。1997年9月、組閣のために官邸入りする橋本龍太郎首相 普天間飛行場の返還。それは、当時の橋本総理が、まさに心血を注いで成し遂げたものだ。元々、幼少期に可愛がってくれた従兄弟を沖縄戦で亡くしたという原点もあり、何度も総理として沖縄入りし、また、都合17回、数十時間にわたり、当時の大田昌秀沖縄県知事と直談判して、まとめあげたものだ。 1996年1月に発足した橋本政権は、村山富市前政権から困難な課題を二つ、引き継いでいた。一つは「住専問題」、そして、もう一つが、この「沖縄の基地問題」だった。1995年9月に起こった海兵隊員による少女暴行事件、それに端を発する沖縄県民の怒り、基地負担軽減、海兵隊の削減等を要求する声は頂点に達していた。  こうした声を受けて、橋本総理は、政権発足早々から一人、この沖縄問題を真剣に考えていた。夜、公邸に帰ってからも、関係書物や資料を読みふけったり、専門家の意見を聞き、思い悩んでおられた。意を決したクリントン会談 そんな時、旧知の故・諸井虔氏(元日経連副会長・秩父セメント会長)から、秘書官である私に「大田知事とは、彼を囲む沖縄懇話会というのをやっている。当選の時から懇意にしているから本音の話もできる。知事からも外務省や防衛庁などの官僚ルートを通さず、総理に直接、生の声を伝えたいとの希望がある」との話があった。私と諸井氏は、私が通産省窯業建材課勤務の時に、セメント産業の構造改善事業を通じて交友があった。 そこで、早速、このルートで知事の意向を確かめたところ、諸井氏から「普天間飛行場の返還を、初の首脳会談の場で口の端にのせてほしい。そうすれば県民感情は相当やわらぐ」との感触を得た。1996年2月21日のことだ。あえて「人払い」のため、役所出身の事務秘書官がいる官邸執務室ではなく、わざわざ自民党本部の総裁室で、私は総理と諸井氏との会談をセットしたのだ。 ちなみにこの時、大田知事は決して「反米」ではなく、むしろ「アメリカのファン」で、また、橋本龍太郎という政治家を信頼し尊敬していることも分かった。今後、この問題では、総理⇔江田⇔諸井⇔知事のルートで進めていくことも確認した。 しかし、この「普天間飛行場の返還」について、外務、防衛当局、殊に外務官僚は、いつもの「事なかれ主義」「対米追従主義」で全く取り合おうとはしなかった。普天間飛行場のような戦略的に要衝の地を米軍が返すはずがない、そんなことを政権発足後初の首脳会談で提起するだけで同盟関係を損なう、という考えだった。あたかも、安全保障の何たるかも知らない総理という烙印を押され、馬鹿にされますよと言わんばかりの対応だったのである。したがって、クリントン大統領との首脳会談(96年2月24日/サンタモニカ)用の事前の「総理発言要領」には、「普天間」というくだりはなかった。 橋本総理も、この外務当局の頑ななまでの対応を踏まえ、ギリギリまで悩まれた。首脳会談の直前まで決断はされていなかったと思う。しかし、クリントン大統領と会談をしているうちに、米国側の沖縄に対する配慮、温かい発言もあって、ついに総理は、その場で意を決して「普天間飛行場の返還」を切り出したのだ。「難しいことは分かってはいるが、沖縄県民の切なる願いは、普天間飛行場の返還である」。 当時、絶対返すはずがないと思われていた普天間飛行場の全面返還合意。それが実現できたのは、ひとえに、この総理のリーダーシップと沖縄に対する真摯な思い、それを背景に事務方の反対を押し切って「フテンマ」という言葉を首脳会談で出したことによる。会談後、総理からその首尾を聞かれた私は「フテンマという聞き慣れない四文字を、クリントン大統領の耳に残しただけで、この首脳会談は成功だと思います」と申し上げた。1996年9月、沖縄米軍基地問題で沖縄県の大田昌秀知事(左)と会談する橋本龍太郎首相 この会談を機に、クリントン大統領も早速動き、その3日後にはペリー国防長官に検討を指示した。ペリー氏(あの黒船のペリーの末裔)も沖縄での従軍経験から、沖縄県民の思い、苦悩、実情を十分理解し、軍(特に海兵隊)との調整に大変な努力をされた。副大統領経験者の大物・モンデール駐日大使(当時)も含め、日米の首脳レベルの連携プレーが見事にワークした事例だったのである。この交渉が極めて異例な総理主導であったことは、担当の外務大臣、防衛庁長官にすら、その交渉そのものが知らされていなかったことに象徴されている。歴史的な一日 その「返還合意」発表の96年4月12日。この歴史的な一日の動きを、改めて私の日記で再現してみたい。 18時半。総理から沖縄県知事に電話。 「今夜モンデール大使とギリギリの交渉をする。そのためには、今ある基地とは別の所にヘリポートをつくらなければならない。アセスの実施や地主の協力を得るためには県の協力が得られなければとてもやれない。それだけは約束を。交渉の中味は死に物狂いでやるが、どうなるかわからない。普天間を何とかするために全力を尽くす。県が全力を挙げて協力してくれないと後が進まない。古川官房副長官を中心にチームを作るので県も参加してほしい。私は、外務省、防衛庁、他の閣僚も飛ばしてやろうとしている。それだけの決心だ。県内に適地を探す、また本土の基地を含め、緊急時の使用も検討する」 これに対し、大田知事は、当初は「県の三役会にかけなければ」と口を濁していたが、「そこまで総理が言われるなら、できるだけのことをやります」 その後、モンデール大使と執務室で会談。返還合意。終了後、外務大臣、防衛庁長官、渡辺嘉蔵、古川貞二郎両副長官が入り、総理より説明。 「両大臣には申し訳ないが、私の責任で決めさせていただいた。各省庁には記者会見で知ってもらう」 外務大臣「総理の決断に感謝。日本側としては誠実に対応し、あらゆる努力をしていきたい」。ここで総理が防衛庁の局長に問題点の説明を促す。 防衛局長「アセスメントと地元対策に時間がかかる。跡地対策には原状回復と米軍への協力等が必要」 19時。総理より沖縄県知事に再び電話。 「今、大使と握手した。普天間基地は全面返還する。ここ5年から7年のうちに。条件は基地機能の維持。約束を果たしたことを認めてくれるか。そこでヘリポート問題。跡地について県の最大限の協力をいただきたい。各省庁にまたがる。古川副長官の下にタスクフォースを設置。そこに吉本副知事と調整官が入る。こうなれば、5-7年を1年でも早くするかどうかは私たちの問題。一緒にやろう」 「知事に喜んでいただいた。国と県が協力していこうと確認した」と総理が同席者に。その後、総理に促されてモンデール大使と知事が英語で電話。知事は、突然、大使が電話に出て驚くも良いムード。モンデール大使「知事の最善の努力をお約束していただき、ほっとしている」 20時より記者会見。「返還合意」をモンデール大使と発表。1996年4月、沖縄の米軍普天間飛行場返還で共同記者会見する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日大使 この会見後、公邸に先回りして待っていた私は、思わず、帰ってこられた総理とどちらからともなく抱き合い、喜びあったことを覚えている。その時は、大田知事も「総理の非常な決意で実現していただいだ。全面協力する」との声明を出したのである。 ただ、普天間飛行場の返還は決まったものの、その移設先については日米交渉がデッドロックに乗り上げていた。移設先が決まらなければ返還も不可能となる。「普天間飛行場の代替機能を確保する」というのが条件だったからである。苦渋の海上施設案 もちろん、沖縄にとっては県外移設に越したことはない。しかし、そもそも当時は、「返すはずがない」という出発点からの交渉だったため、「県内移設」しか考えられなかったことも実情だった。 やはり「キャンプ・シュワブ沖案」しかないか。しかし、ここは珊瑚礁がきれいでジュゴンも生息する美しい海岸地帯だ。そこで、こうした生態系や騒音をはじめとした環境への負荷も比較的少なくてすみ、地元住民の負担もなるべく軽減、かつ日米安保からの要請も満たすという諸点をギリギリまで追求し、発案したのが「海上施設案」だった。土砂による「埋立て案」や、「メガフロート案」のようなコンクリート製の防波堤を打ちこむ必要のある工法では、その生態系に多大な影響を与える。誰もが納得する百点満点はなく、そのベストミックスを考え抜いた末の、苦渋の決断が「海上施設案」だった。 この案の経緯は、ある日、羽田空港に向かう車中で総理から「江田君、海上構造物というのは、一体技術面やコスト面でどこまでクリアーされているのか調べてくれ」という指示を受けたことからはじまる。私には、総理秘書官という立場上、色々なルートから様々な情報が入ってきていた。その中に、「あるいは最終局面では海上案も検討に値する。その場合は既に実用化されている浮体桟橋工法(QIP)が有効だ」という情報があった。私は「それなら良い工法がある。沖ノ鳥島やニューヨークのラガーディア空港に実例があるし、何といっても環境影響が少なく、かつ、容易に撤去可能で、基地の固定化の懸念も払拭できる」と答えた。  総理もこれなら、粘り強く理解を求めれば沖縄の人たちもギリギリ受け入れてくれるのではないかと決断された。相変わらず、事務当局は否定的であったが、別ルートで探ったところ、米国からも良い感触が伝えられてきた。その結果、1996年12月2日、米国とのSACO(沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会)最終報告で、この案が採用されたのである。 その報告書にはこうある。「海上施設は、他の2案(注:嘉手納飛行場への集約とキャンプ・シュワブ内における建設)に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質にも配意するとの観点から、最善の選択であると判断される。さらに、海上施設は、軍事施設として使用する間は固定施設として機能し得る一方、その必要性が失われたときには撤去可能なものである」。 そう、日米双方の合意として、この時は「将来的な基地の撤去可能性(出口)」についても言及されていたのである。 その後、この移設先を巡っての沖縄との交渉は紆余曲折を経た。しかし、97年12月24日、比嘉鉄也名護市長は官邸執務室で橋本総理と向き合い、自らの市長辞職と引き換えに、名護市辺野古への移設受入れを表明したのである。1997年12月、橋本龍太郎首相との会談を終え、代替ヘリポートの受け入れを決めた名護市の比嘉鉄也市長(瀧誠四郎撮影) 「知事がどうあろうと私はここで移設を容認する。総理が心より受け入れてくれた普天間の苦しみに応えたい(ここで総理がすっと立って頭を下げる)。その代わり、私は腹を切る。場所は官邸、介錯は家内、遺言状は北部ヤンバルの末広がりの発展だ」。 まさに市長の身命を賭した「侍の言」に、その場にいた総理をはじめ皆が涙したものだ。 思えば、ことは、国と沖縄との関係、日米安保体制の下での基地負担のあり方ということにとどまらず、本当に総理と沖縄県知事、名護市長との、「人間対人間」の関係の極みまでいった交渉であった。いや、それを支えた梶山静六官房長官を含めて、当時の内閣の重鎮二人が、心の底からうめき声をあげながら真剣に取り組んだ問題であった。理屈やイデオロギー、立場を超えて、人としてのほとばしる力、その信頼関係に支えられたと一時本当に信じることができた、そういう取り組みだったのである。大田知事の「方便」 しかし、このような全ての努力にもかかわらず、結論を延ばしに延ばしたあげく、最後に自らの政治的思惑で一方的にこの「極み」の関係を断ち切ったのが、大田知事だった。それまでの知事は「県は、地元名護市の意向を尊重する」と言っていたにもかかわらず、名護市長が受入れを表明した途端に逃げた。当日、時を同じくして上京していた知事は、岡本行夫首相補佐官らの説得にもかかわらず、名護市長とは会おうともせず、官邸で徒(いたずら)に先送りの方便を述べるだけだった。「方便」とは「移設先検討のための有識者委員会の設置」。それは知事側近さえ知らなかった、その場逃れの思いつきの提案だった。 これに怒声を上げたのが、意外なことに、いつもは温厚で感情を表に出さない古川官房副長官だった。「あなたはこれまで名護市の意向を尊重すると言ってきたじゃありませんか! 名護市長が命をかけてやるというなら、それをサポートするというのが筋でしょう! それは格好をつけるためだけの、先送りの委員会だ!」。その言葉に、知事は下を向いてうなだれるしかなかった。 大田知事にも言い分はあるだろう。しかし、私は、当時の橋本総理の、次の述懐がすべてを物語っているように思える。「大田知事にとっては、基地反対、反対と叫んでいる方がよほど楽だったのだろう。それが思わぬ普天間返還となって、こんどは自分にボールが投げ返されてきた。その重圧に堪えきれなかったのかもしれない」。 そして、この総理と沖縄県知事の「人と人との関係の極み」は、それからまもなくのこと、98年2月、たった一本の電話で断ち切られたのである。それは、この問題を十数回もひざ詰めで進めてきた、知事と総理との直接の会談の場ではなく、秘書官風情の私への、一本の電話だった。 「総理に代わりましょう。この問題は総理と知事でやってこられたわけですから」と私が何度言っても、「その必要はない」「辺野古への移設は絶対に認められない」と言って、知事は一方的に電話を切ってしまった。 この普天間飛行場の返還が、これまで解決できなかった理由は多々あるが、橋本、小渕政権が終わり、森政権以降、総理に「沖縄」の「お」の字も真剣に考えない人間が続いたことが一番大きい。それに加えて、政治家や官僚にも、足で生の情報を稼ぐ、県民の肉声に耳を傾ける、地を這ってでも説得、根回しをするという努力が決定的に足りなかった。そういう人たちによる政治や行政が、沖縄県民に受け入れられることもなく、積年の不信感をぬぐい去ることもできなかった。 特に、民主党への政権交代時には、この分野では最もやってはいけない政治的なパフォーマンスが繰り広げられ、それが「パンドラの箱」を開け、その代償は限りなく大きいものとなった。「覆水盆に返らず」。「ガラス細工」のように周到に積み上げられた先人の努力は脆くも崩れ去り、沖縄との信頼関係は「橋本政権以前」にリセットされてしまったのである。 そして今、安倍政権は「辺野古が唯一の解決策」と言い募り、強引に沖縄を押し切ろうとしている。しかし、本当に辺野古は、移設先として「唯一の解決策」なのだろうか? 鳩山政権時の「ダッチロール」があるだけに、政府として慎重にならざるを得ない立場はわからないでもないが、何よりもこの問題は、「沖縄の心」に真に寄り添わなければ、決して最終的に解決しはしない。安倍総理も心底「沖縄の皆さんの心に寄り添う」と言うなら、一旦ここで立ち止まって、今一度、再検証をしてみる必要があるのではないか?  96年当時と今は、東アジアを巡る安全保障環境をはじめ諸般の状況も大きく変わった。当時正しかったことが、今でも正しいとは限らない。そして、この普天間飛行場の返還を決めた時、同時に「海兵隊の削減」も沖縄は求めたが、当時の状況からは、橋本総理ですら、とてもそこまでは踏み込めなかった。しかし、それから10年以上が経ち、むしろ、米国の方から在沖縄海兵隊の8000人削減(グアムへの移転)が提案されたではないか(2006年5月/「再編実施のための日米のロードマップ」)。ことほど左様に、沖縄の米軍基地の必要性、その役割、機能等を巡っても、「10年スパン」でみれば、今時点では不可能と思えることが可能になることもある。1997年12月、橋本龍太郎首相との会談を終え、報道陣に囲まれる沖縄県の大田昌秀知事(瀧誠四郎撮影) また、既に知られているように、普天間飛行場の代替機能は、沖縄県内に必ずしも置かなければならないものでもない。安全保障や軍事戦略上、海兵隊の即応能力や機動性等を確保するためには、県外移設でも十分にそれが担保されうる場合がある。海兵隊の運用は、「教育・訓練」「演習や実任務」「次に備えた部隊再編成・教育」というフェーズに分かれ、実際、在沖縄海兵隊も、これらに合わせ、普天間飛行場だけでなく、アメリカ本土、太平洋の各地をローテーションして動いており、半年間以上、沖縄を留守にしているともいわれる。心血注いだ橋龍 さらに、最近では、北朝鮮のミサイル能力の向上に伴い、米軍側に、海兵隊を沖縄のような前線に常置しておいて良いのか、抑止力や反撃能力のことを考えれば、むしろ、もっと後方(例えばグアム)に配備した方が戦略的に正しいのではないかとの声も上がり始めたと聞く。        そうした機会をとらまえて、日本、沖縄においても米軍基地の再編が起こる可能性は十分にあるだろう。そうした時に「代替機能」が本当に沖縄に、日本国内に必要なのか、その問題提起をもう一度、米国にしてみる価値はあるのではないだろうか。少なくとも、そうした「思考回路」を持つことが、この問題を解決に導くこともあるということを、常に為政者は頭に置いておくべきだろう。 2015年4月18日。私は故翁長雄志知事と公舎でお会いした。その時、知事が一番懸念されていたのが「流血事故」の起こる可能性だった。基地建設、土砂搬入を阻止しようとする「人間の鎖」で「流血事故」の惨事にまで発展したら…。想像したくもないが、それが瞬く間に全世界にインターネットで配信されるようなことになれば、「人権大国」を自負する米国にとっても決して好ましい事態ではないはずだ。 改めて言う。普天間飛行場の返還、それは、当時の橋本総理がまさに心血を注いで成し遂げたものだ。こんな戦略的要衝の地を米国が返すはずがないという外務省の反対を押し切って、96年4月、クリントン大統領との直談判で確約を取りつけたのだ。 それほど、この国のトップリーダーが、時々の国際政治、安全保障環境、国内、特に沖縄の実情等を総合的に勘案して、決断、実行していくべき課題なのである。その自覚が、認識が、今の安倍総理にあるだろうか? それは、安倍総理の沖縄への向き合い方をみれば明らかだろう。当時の橋本総理のそれとは比肩すべくもない。 振り返れば、この問題で、安倍総理は故翁長知事に、彼の当選後、4カ月以上経っても会おうとしなかった。普天間飛行場の代替機能の確保が、国の安全保障上重要な課題だと言うなら、知事当選後、本来なら速やかに総理の方から沖縄に出向いてでも協力を要請すべきだった。その後も時折、ふと思いついたように不承不承、知事と会うことはあっても、原則、この問題の処理を菅義偉(よしひで)官房長官に任せている。 当時の橋本総理が知事と直接、しかも二人きりでひざ詰めで談判していたのとは彼我の差だ。そうした対応が「これまでは被支配者の苦悩の歴史だった」沖縄の人々の心に響くわけもなく、これでは到底、辺野古移設への沖縄県民の理解は得られないだろう。2019年2月、衆院予算委で質問する立憲民主党会派の江田憲司氏 そして、昨年12月14日、法的手段の応酬にまで発展し泥沼化した双方の対立は、とうとう、辺野古への土砂投入という重大局面に突入した。沿岸部の埋め立てによる飛行場建設は、96年の返還合意時に採用された「海上施設(杭打ち桟橋方式)案」とは違い、将来にわたって恒久施設化する可能性が高く、また、藻場やリーフの破壊、海流の変化による生態系への悪影響等環境への負荷が著しく大きい。そして、何よりも、日々刻刻、もう「後戻り」できない可能性が高まる選択肢でもある。 この「ヤマトンチュ政権」の強行に、玉城デニー知事は「本当に胸をかきむしられるような気持ち」と天を仰ぎ、琉球新報は「軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を『南の関門』と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)と重なる」と書いた。  今、橋本総理が生きておられたら、こうした事態を目の当たりにし、一体、何とおっしゃるのだろうか。■ 稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■ 「ヤンキーゴーホーム」はヘイトではない! 高江で見た基地問題の本質■ 基地依存から脱却「アベノミクスの逆説」が変えた沖縄の民意

  • Thumbnail

    テーマ

    江田憲司手記「普天間秘録」

    「普天間返還の原点、その真実を書き記すことが私の使命と考えた」。1996年、沖縄・普天間飛行場の返還をめぐり日米両政府が合意し、今に続く基地問題はここから始まった。当時、橋本龍太郎元首相の秘書官だった江田憲司衆院議員がiRONNAに独占手記を寄せた。普天間秘録。初めて明かされる「23年目の真実」とは。

  • Thumbnail

    記事

    有田芳生が問う「安倍首相よ、それでも沖縄の民意を踏みにじるのか」

    有田芳生(参院議員) 「沖縄県と政府の溝」という質問に回答を求められれば一言で表現できる。「本土による沖縄差別」である。 琉球(りゅうきゅう)王朝と日本との長い歴史をさかのぼると、1度目は17世紀の薩摩藩による侵攻と支配、2度目は1879年の琉球処分、3度目が沖縄戦を経た米国による支配、4度目は1972年の本土復帰後も続いている沖縄への差別構造である。単なる言葉の問題ではない。 沖縄本島や八重山諸島などの住民あるいは出身者に対し、政府や本土の日本人による差別がいまだ連綿と続いているのだ。「沖縄県と政府の溝」を埋めようとするには「見ようとしなければ見えない」この現実を正視するところから出発するしかない。 たとえば、米軍基地問題の焦点である名護市辺野古と東村高江だ。芥川賞作家の目取真(めどるま)俊さんは現地で身体を張って反対運動に取り組み、辺野古新基地建設現場では土砂投入を遅らせるため、カヌー隊の一人として毎日のように海上で抗議を続けている。 目取真さんは、高江のヘリパッド建設現場でも座り込みで抗議の声を上げてきた。それを排除せんとした大阪府警の若い機動隊員が「ボケ、土人が」と罵倒したことが問題となり、私も参院法務委員会で取り上げたことがある。2019年2月、衆院予算委の集中審議で答弁を行う安倍晋三首相(春名中撮影) 沖縄出身の詩人である山之口貘(ばく)さんは、大正12年に関西のある工場の見習工募集広告に「但し朝鮮人と琉球人はお断り」とあるのを発見した。貸家に「沖縄人お断り」の張り紙があったり、新聞を読んでいると「日本語が分かるの?」と大家に問われたこともあるという。 戦後においても、結婚差別や就職・居住差別は残っている。過去も現在も、沖縄県人に対する偏見と差別がこの日本には根付いているのだ。まさに「無意識の植民地主義」(沖縄出身で広島修道大の野村浩也教授)である。沖縄差別の現代的表現 今、日本政治の焦点になっている辺野古新基地建設問題の思想的・精神史的背景には、意識的にせよ無意識にせよ、日本本土と沖縄との間のこうした深刻な問題が横たわっているのだ。 いい機会なので、沖縄差別の驚くべき事実を紹介しておこう。「人類館」をどれだけの日本人が知っているだろうか。1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会で設けられた展示である。沖縄、アイヌ、朝鮮人など、生きた人間が見世物として展示されたのである。 いまだ克服できない外国人差別やヘイトスピーチの地盤は、日本人の歴史の中に陰湿に隠れ、時に腐臭を発しながら噴出する。その現代的表現が辺野古問題であり、本土と沖縄との大きな「溝」なのである。 米国の戦略により沖縄の海兵隊は縮小の方向にあり、抑止力の観点からいっても辺野古新基地は必要ない。なぜなら、米朝接近により朝鮮半島有事に対応するというSACO(日米沖縄特別行動委員会)合意の前提が大きく崩れつつあるからだ。 それでも工事を強行する安倍晋三首相と菅義偉(よしひで)官房長官の発言には唖然とするしかない。平然と虚偽を語り、あるいは隠蔽(いんぺい)していることは、いくら言葉で逃れようとしても、厳然たる事実である。 まずはサンゴ問題だ。安倍政権は2018年12月14日から辺野古に土砂投入を始めた。県民の強い反対を踏みにじっていることは言うまでもない。2018月12月14日、米軍普天間飛行場の移設工事で、埋め立て用土砂の投入作業が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部(小型無人機から) 沖縄県は1995年10月に赤土等流出防止条例を施行した。土砂に赤土が相当程度混入していることは条例違反の可能性が高く、県と沖縄防衛局との約束違反だ。 赤土は、海においてはサンゴをはじめとする自然を破壊する。土砂投入は海流に影響を与えることで、絶滅危惧種や準絶滅危惧種であるサンゴを傷つける。藻場が荒れることで、絶滅危惧種であるジュゴンの生態にも影響を与えている。安倍首相「サンゴ」のデマ 安倍首相は1月6日に放送されたNHK『日曜討論』でこう語った。「土砂投入をしていくにあたって、あそこのサンゴについては移している」。発言の文脈は明らかだ。土砂投入する前に、そこのサンゴは移植しているとしか読めない。 安倍政権は希少価値のサンゴを移植しながら基地建設を進めているという印象操作をやりたいのだろうが、流行りの言葉を使えばフェイク(事実でないこと、あるいはデマ)だ。ここで、NHKが収録番組にもかかわらず、誤った事実をそのまま垂れ流した問題は指摘しておくだけにする。 安倍首相や首相官邸は、辺野古の海を埋め立てるにあたって、サンゴを移植したとしているが、言葉によるごまかしだ。新基地建設現場海域のサンゴは約7万4千群体。しかし、その中で移植したのはわずか9群体である。 海洋専門家によれば、サンゴは移植したとしても、そこで生き残るのはわずかで、環境保全策にはならないという。土砂投入海域付近に準絶滅危惧種であるヒメサンゴがあることも環境省によって確認され、レッドリストに掲載されている。 かくして「政府と沖縄の溝」は、辺野古新基地建設用地に集中している。沖縄の基地問題には大きな誤解がある。普天間飛行場の機能が辺野古新基地に移転するのではない。新たに軍港、弾薬庫などが設置され、耐用年数は200年とも評価されている。 日本で唯一の地上戦を経験した沖縄では「アメリカ世(ゆー)」が戦後もいまだ続き、さらに「ヤマト世」が重なり、基地があることによる事件や事故が頻発している。基地が返還された方が経済が振興する事実については、いまや沖縄では常識に属する。にもかかわらず沖縄にはいまだ自己決定権がないのである。 沖縄差別に抗した翁長雄志前知事に続き、玉城デニー知事の圧勝で誕生した沖縄の民意は鮮明だ。「政府と沖縄の溝」を解決するには、安倍政権が文字通り沖縄の民意に寄り添い、米政府と真剣に交渉し、「第三の道」を模索していくことだ。安倍政権がそれをしないというのなら、私たち野党は辺野古に新基地を作らない新しい政府の樹立を目指していく。2018年12月、辺野古沿岸部への土砂投入開始を受け、厳しい表情で記者会見に臨む沖縄県の玉城デニー知事 紆余(うよ)曲折はあったものの、2月24日に全県で行われる県民投票の底流には、琉球・沖縄の苦難の歴史が流れている。沖縄県民が求めているのは「イデオロギーよりアイデンティティー」(翁長雄志前知事)なのである。■ 変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■ 沖縄のデマ垂れ流し「ニュース女子」お寒い番組制作に絶句する■ 「沖縄に関心がない」東京のメディア 地元紙が痛感した温度差

  • Thumbnail

    記事

    宮古島市長手記「県民投票に参加しない」私の真意を改めて語ろう

    下地敏彦(宮古島市長) 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の賛否を問う県民投票が2月24日に実施されます。当初、私は宮古島市長として「県民投票を実施しない」と表明しました。なぜなら宮古島市では関連予算案が市議会で2度にわたり否決されており、その議会議決を重視したからです。 県民投票の不参加について、報道などでは否定的な論調にありましたが、行政の長としては議会における議員の意見がまさに民意であり、地域の代表者としての議員の意思は到底無視することはできません。そのような中で、リコール運動を示唆し、県内の市町村長に県民投票の実施を迫った市民団体などの手法は、尋常ではないと感じていました。 県民投票は昨年10月の県議会で、普天間基地の移設の背景や経緯などに深慮なく、賛否のみを問う二者択一方式での実施が決まりました。「普天間基地の危険除去のための辺野古移転についてはやむを得ない」とする一定数の県民が選択する可能性のある項目の検討が求められながら、かたくなに追加を認めないまま県民投票を推進する県与党の姿勢について再考を求める意見があったのも事実です。 そんな中、県議会は現行の賛成、反対の二者択一に「どちらでもない」を加えた3択に条例改正することで合意し、1月29日に改正案を可決しました。3択になったことにより、多様な県民の意思を確認することが可能になったことを私は高く評価しています。 いま、私たちが置かれている安全保障環境は、南西諸島地域では中国公船による度重なる尖閣諸島での領海侵犯や沖縄本島宮古島間の軍艦などの航行、軍用機の飛来に対応するスクランブル発進の常態化など、厳しさが増しています。 国は不測の事態に対処するため、島嶼(とうしょ)防衛の一環として宮古島に陸上自衛隊を配備することとし、地域住民に理解を求めています。市議会においても幾度となく議論が重ねられ、自衛隊配備に反対する意見、賛成する意見や現状を鑑みて条件付きで賛成とする消極的賛成意見など多様な意見があります。 私は、議会での議論の状況や市民の意見などから総合的に判断し、平成28年6月の議会において宮古島市への陸上自衛隊配備については「了解」することとしました。記者会見で沖縄県民投票を実施する方針を表明する宮古島市の下地敏彦市長=2019年1月31日、宮古島市役所(共同) その後施行された平成29年1月の市長選挙において、自衛隊配備について「了解」とする私自身が当選したことから、自衛隊配備については市民の理解が得られているものと考えています。昨年の地元紙などによる、住民合意のない自衛隊の配備強行は認められないなどという報道については、私の見解と相違しています。 国と沖縄県においては、対立をあおる論調については冷静に対応し、周辺の安全保障環境の状況なども総合的に判断し、適切な対応をしていただきたいと切に願います。もっと他にやることがある ところで、豊かな自然と文化に恵まれた沖縄県において、観光産業は経済発展を支える主要な柱となっています。 国は観光立国の実現に向けて平成18年に観光立国推進基本法を制定し、経済波及効果の大きい観光を推進することとして、急成長するアジアをはじめ海外からの観光需要をとりこむ施策を積極的に展開しています。 観光をリーディング産業と位置付ける宮古島市においても、平成29年7月に市の北西部に位置する平良港(ひららこう)が国際旅客船拠点形成港湾に指定され、大型化する海外クルーズ船に対応するための岸壁の整備や官民連携によるターミナル施設などの整備に取り組んでいます。 また、これまで国内唯一のパイロット訓練飛行場として活用されてきた下地島(しもじじま)空港においては、訓練の海外移転が進み同空港での訓練実施が急激に減少したことから、その利活用について議論されてきました。 そんな中、沖縄県は公募により三菱地所運営による旅客ターミナル事業を選定し、来る3月30日より下地島空港においての旅客事業が供用開始される運びとなりました。 さらに沖縄県経済団体会議の石嶺伝一郎議長による熱い思いと迅速な行動により、同空港は航空機燃料税の軽減措置が適用されることになりました。新規航空路線の参入を促進し、かつ安定的な路線定着を図るために軽減措置は必要不可欠であり、心から感謝する次第であります。  近年、本市における入域観光客数の伸びは右肩上がりに順調に推移しており、さらに海外クルーズ船寄港数の増加や下地島空港への新規路線の就航などにより、本市の観光産業を取り巻く環境は大きく変わろうとしています。下地島空港で離発着訓練をする日本航空機(JAL)=2010年3月、沖縄県宮古島市(中静敬一郎撮影) 宮古島市を含む沖縄県全体の経済は、観光産業がけん引して有効求人倍率が上昇し、働く世代にとっては好条件となっています。その一方で、介護や看護といった医療福祉分野、保育などの子育て支援に関する分野、建設技術者らの建設分野などで人材が不足するという悩ましい課題もあります。 また、本市を含めて沖縄県においては全国水準と比べて低い県民所得の引き上げや、子どもの学力向上、貧困問題など、国、沖縄県と市町村が一体となって取り組まなければならない課題が山積している状況であるのも事実であります。 平成24年度に10年間の期限付きで創設された沖縄振興特別推進市町村交付金(以下「一括交付金」)は、まさに沖縄県内市町村の抱える課題を解決する事業に大きく貢献してきました。今後も、観光振興に資する事業や人材育成事業、教育環境の整備に関する事業など、地域の活性化のために、大変重要な交付金であります。 しかしながら、一括交付金については近年減少傾向にあり、新年度(平成31年度)の国の概算要求では、交付金創設時(平成24年度)の800億円台から561億円と年々減少しており、今後の県域全体における地域活性化の取り組みへの影響が懸念されています。 こうした早急に課題解決を図らなければならない事項については、予算の確保など、国と県がしっかりと連携して対応していく必要があると考えています。■稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■ウーマン村本に知ってほしい「沖縄モヤモヤ史観」

  • Thumbnail

    記事

    沖縄県民投票、辺野古埋め立て反対は「有効な武器」になり得ない

    篠原章(評論家、批評.COM主宰) 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移転先となる辺野古(同県名護市)埋め立ての賛否を問う県民投票が迷走の末、2月24日に行われる。 この県民投票は、「シールズ琉球」のメンバーだった元山仁士郎氏が代表を務める「『辺野古』県民投票の会」が集めた請願署名に基づき、沖縄県議会が条例を制定して実施することになったものだ。 当初は、保守系市長の宜野湾市、沖縄市、うるま市、石垣市、宮古島市の5市が不参加を表明し、全県での実施が危ぶまれていた。これらの5市は、「(辺野古)埋め立てに賛成か反対か」という二択の設問では民意を吸収しきれないことなどを根拠として、県から配分される投票事務にかかわる予算案を否決するというやり方によっていったん不参加を決めた。 だが、沖縄県の謝花喜一郎副知事、新里米吉県会議長、県議会公明党などは、県民の3割超の人口を占める5市の市民が投票に参加できない事態を回避するため、「賛成」「反対」「どちらでもない」という三択の設問に差し替えることを提案した。 これを受けて、県民投票に消極的だった県議会の自民党が妥協することになり、結局5市も参加に転じたが、県議会における三択案の議決の際には、過半数の自民県議が「反対」または「離席」という行動に出たことで、混迷を極めた。 全県実施が決まるまでには紆余(うよ)曲折があった。玉城デニー知事や県政与党は、当初この提案に難色を示し、原案通り「二択」での実施を主張していたが、周囲の熱意に押される形で「三択」を受け入れることになったという。 ところが、自民党県連は「三択」を受け入れる前、県議会で「仕切り直し」となる新条例の制定を求めたため、与党側が態度を硬化させていた。なんとしても県民投票を実施して「埋め立て反対」の民意を明らかにし、政府にこの民意を突きつけたい玉城知事や県政与党と、県民投票自体に消極的な自民党との溝は依然深い。 そもそも、自民党は今回の条例を審議する県議会の場で、「賛成」「反対」の二択から成る原案に対して、「賛成」「反対」「やむを得ない」「どちらともいえない」という四択案を修正動議として提出し、採決で敗れたという経緯がある。沖縄県民投票の告示日に那覇市内に掲げられたのぼり旗=2019年2月 今回登場した「三択」案は、「やむを得ない」だけを除いた両者の折衷案ともいえるから、自民党は三択案に合わせた条例修正に応じてもよかったはずだが、あえて「仕切り直し」という過大な要求を出すことによって事態を錯綜させた。  自民党が当初から「県民投票には反対」と主張していたのなら分かるが、四択案まで提出しておきながら、後になって「仕切り直し」を求めるのはやはり筋が通らないと言えるだろう。ねじれかねない民意 これを踏まえれば、「仕切り直し」という自民党の要求は過大であるが、今回の「埋め立て」をめぐる県民投票が矛盾だらけである点もはっきり指摘しておかなければならない。 そもそも「埋め立て」は基地機能移設の技術的一手段だ。「埋め立て」反対に一票を投じた人の中には、キャンプ・シュワブの陸上部分への移設なら「是」とする県民、県内の別の場所への移設なら「是」とする県民も、また移設をやめ普天間基地をこのまま維持する(固定化する)なら「是」とする県民まで含まれてしまう。 つまり、埋め立ての是非を問う県民投票では、本来の問題である普天間基地の辺野古移設に対する是非は問われないのである。 これでは、民意を汲み取るには不十分だ。法的拘束力のない投票だから、結果自体が埋め立てを左右するわけではないが、もし政府が「では辺野古埋め立ては止め、普天間基地は当面このままにしておきましょう」と判断することにでもなれば、この県民投票にはほとんど何の意義も見いだせなくなってしまう。 これに加えて「民意の範囲」をどう見るかという別の問題もある。地元の名護市辺野古の住民は「移設受け入れ」が多数派である。辺野古を含む名護市で昨年行われた市長選挙では、「移設容認」の姿勢をとる市長が選ばれ、「移設反対」を主張する候補は落選している。 要するに、辺野古や辺野古のある名護市の「民意」と県民投票で示される「民意」がねじれる可能性が高いということだ。地元住民が受け入れる移設を、県内他地域の住民が受け入れないという結果を、われわれはどう捉えればいいのか。 今回の県民投票を客観的に観察すれば、「県民の基地負担の増加」と「埋め立てによる自然環境の破壊」を前面に出して移設に反対するという「基地反対派」の「戦術」の延長線上に位置づけられるものだ。 これは極めてシンプルかつ巧妙な構造を持つ戦術で、沖縄県、名護市、辺野古の「容認」の下に進められてきた移設の経緯、基地や埋め立てをめぐる利権や補助金に依存してきた沖縄経済の実態、基地負担の実情に対する理解、日米同盟の望ましいあり方の考察といった複雑な問題を回避しながら人々の素朴な「感情」に訴える効果がある。米軍普天間飛行場移設のための埋め立てが進む名護市辺野古の沿岸部=2019年2月(ドローン使用) 県民・国民の中には、辺野古移設に絡むこうした複雑な事情を知らないまま、「純粋」な気持ちから埋め立てを批判する人が多いが、これこそこのシンプルかつ巧妙な戦術の「効果」と呼ぶべきものだ。 「埋め立て」は、辺野古移設や基地問題に絡む本質的な問題を棚上げしながら「反対」を唱えることのできるテーマと化しているのが実情である。今回の県民投票は、「民意の集約」というより「民意の誘導」を目的とするものだと断定してよいだろう。「武器」にならない県民投票 結果的に県民投票は「辺野古移設」の賛否を「三択」で問うことになり、これは最善だと思う。だが、新たな問題に直面することになる。新たな問題とは、投票率の高低だ。1996年9月8日、大田昌秀知事の下で行われた「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する県民投票」での投票率は59・53%で、うち89・09%の48万2538人が「基地の整理縮小に賛成」に投じた。これは当時の有権者総数の54・32%に相当する。有権者の過半数が基地の整理縮小に賛成したことになる。 この時、「59・53%」という投票率をめぐってちょっとした議論が起こっている。沖縄県民の総意は基地の整理縮小にあるとするためには、当時の知事選や国政選挙で一般的だった70%程度の投票率が必要だといわれたのである。 大田知事サイドでもこの数字を「敗北」と捉える人もいたが、有権者の過半数が整理縮小を訴えたことは大きな事実として残った。この前例を参考にすると、今回の県民投票でも有権者の50%(約58万票)が「埋め立て反対」の意思を表明するか否かが一つの分水嶺になる。 昨今の沖縄における重要な選挙の投票率は60%前後である。しかしながら、法的拘束力のない県民投票で60%の投票率を実現することは難しい。おそらく50% を越えられるかどうかといったところが見どころだろう。 たとえば投票率を多目に見て55%と仮定した場合でも、「反対」が有権者の過半数に達するには投票者の約91%が「反対」に 投票しなければならない。設問が「賛成」「反対」「どちらでもない」の三択の場合、「91%」を達成するのは極めて難しい。住宅地に隣接している米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市) 先に述べたように、今回の県民投票はそもそも意義を見いだしにくいものだが、結果が得られたとしても、「移設反対」の論拠を補強するものにはならないというのがここでの結論である。 にもかかわらず、移設反対派は、「強権的な政府により県民投票を妨害された」という主張を掲げて、4月に行われる衆院沖縄3区補選、7月に行われる参院選を闘うだろうが、それは決して有効な「武器」にはならない。振り出しに戻るだけの話である。徒労感ばかりが残る県民投票になりそうだ。残念なことである。■ 稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」■ 変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」■ 自衛隊を排斥しても「オール沖縄」玉城デニーのデタラメな論理

  • Thumbnail

    記事

    尖閣 自衛隊が動けば中国は即座に人民解放軍を投入する準備

     尖閣国有化から5年。いまも頻発する中国海警の領海侵犯に日本は「いつものこと」とばかりに麻痺しているが、事態は深刻だ。2016年までは尖閣周辺の日本領海やそのすぐ外側で日本の主権の及ぶ接続水域に侵入してくる中国海警の武装艦艇はいつも2隻だった。だが2017年の今は必ず4隻の行動をともにする艦隊となっているのだ。産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏が警鐘を鳴らす。* * * 中国の軍事研究を専門とするワシントンの民間研究機関「国際評価戦略センター」のリチャード・フィッシャー研究員は語った。「いまの中国海警の尖閣攻勢はすぐ背後に控えた海軍と一体の尖閣奪取の軍事能力向上の演習であるとともに、日本側の防衛能力や意思を探っている。中国軍は大型ヘリ、潜水艦、新型ホバークラフトを使っての尖閣奇襲占拠作戦も立てている。長期には尖閣占拠により沖縄を含む琉球諸島の制覇から東シナ海全体の覇権をももくろんでいる」 中国の海洋戦略研究では米国有数の権威とされるトシ・ヨシハラ氏に中国側の当面の狙いについてまず聞いた。日系米人の同氏は米海軍大学教授を長年務め、今年はじめからワシントンの主要防衛問題シンクタンク「戦略予算評価センター」の上級研究員である。「中国はトランプ政権が尖閣防衛の意思を明確にした以後も4隻の艦隊で毎月3、4回、尖閣の日本領海や接続水域に侵入しているが、日本側の尖閣の施政権を無効にみせることが当面の目標だろう。中国が自国の“水域”や“領土”としてこれだけ自由に出入りするのだから、日本側には主権はもちろん施政権もないというイメージを国際的に誇示することだ。施政権は中国にあるという公式宣言を間もなくするかもしれない」「中国は当面は侵入を繰り返し、日本側の海上保安庁を消耗させることに力を入れている。日中の消耗戦なのだ。中国側はいまは沿岸警備隊レベルの海警を使って侵入しているが、日本側がもし自衛隊を動員すれば、ただちに『日本の挑発』を口実に人民解放軍を投入する準備もしているはずだ」 だから日本は尖閣のために中国との本格的な軍事衝突を覚悟していない限りは、中国側の挑発に乗らないことが賢明だという。では日本はどうすればよいのか。ヨシハラ氏は語った。「アメリカの抑止力も重要だが、当面は日本が中国側の尖閣への侵入や攻撃に自力で対応し、撃退できる能力と意思を示すことが中国の実際の軍事作戦を抑える最大の効果があるだろう」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 尖閣周辺を警戒している海上保安庁の能力増強はもちろん、実際に投入することはなくとも海上自衛隊をはじめとする防衛力の強化、そしてその覚悟が必要だというのだ。 尖閣問題こそが、「国難」と呼ぶにふさわしい国家の危機を私たちに突きつけているのである。【PROFILE】古森義久●慶應義塾大学経済学部卒業。毎日新聞を経て、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長などを経て、2013年からワシントン駐在客員特派員。2015年より麗澤大学特別教授を兼務。近著に『戦争がイヤなら憲法を変えなさい』(飛鳥新社)。関連記事■ 中国尖閣攻勢は米にとって「日本の国難」との深刻な懸念■ 中国の対日工作機関 河野外相と翁長知事に伸ばした魔の手■ 中国工作機関が尖閣触手で宮古島観光協会「恐ろしくなった」■ 日中友好謳う謎の一行が翁長・沖縄知事訪問 日本分断画策か■ 性善説に基づく出産一時金42万円等 健康保険を外国人が乱用

  • Thumbnail

    記事

    今上天皇の偉大さは沖縄問題への対応を見れば理解できる

     平成最後となる終戦記念日の天皇の「お言葉」は、近年同じだった文言に、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致し」という一節が付け加えられた。そこにはどんな思いが込められていたのか、『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』著者の矢部宏治氏と『天皇論 平成29年』著者の小林よしのり氏が議論した。小林:陛下のお言葉というのは、何を言っても政治的に受け取られかねないので、ものすごく慎重に言葉が選ばれている。だから、この一文から真意をはかるのは難しいのだけど、平成時代は戦争が起きなくてよかったという安堵感とでもいうのかな。この平和がずっと続いてほしいという思いが現われたのだと思います。矢部:今上天皇の非戦に対する思いには非常に深い背景があります。まだ皇太子だった15歳の誕生日、1948年12月23日に7人のA級戦犯が処刑されました。誕生日が来るたびに天皇はそのことを思い起こされたはずです。自分の誕生日をさわやかな気持ちで迎えられたことは、おそらく一度もなかったのではないか。本当に重いものを背負わされてきた方だなと思います。小林:天皇というのは“祈る人”で、国家の安寧と平和を願って祈るのが仕事。今上天皇に限らず、明治天皇も昭和天皇も戦争など望んでいなくて、平和を願い祈っていたんですよ。 日米開戦を決定した1941年9月6日の御前会議で、昭和天皇は、〈よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ〉と詠んだ。これはもともとは明治天皇が日露戦争に反対して詠んだ歌で、「四方の国々はみな兄弟なのに、なぜ争わないといけないのか」という意味。戦争の惨禍に国民を巻き込むことなど、望むはずがない。でも、戦争になってしまった。矢部:だからこそよりいっそう平和を祈るわけですね。小林:そうです。11歳のときに敗戦を体験し、荒廃した東京を見て、戦犯の処刑を見て身に染みたんでしょう。もう戦争は起こらないようにと祈り、アジアのあちこちに慰霊に出かけ、日本国民もそういう天皇の姿勢を見て、平和が尊いということを脳裏に焼き付けた。2018年3月、那覇空港で見送りの人に手を振られる天皇、皇后両陛下矢部:私も今上天皇の凄さを知ったのは、沖縄問題を調べ始めてからです。それまでは美智子皇后は文句なしの「戦後スーパースター」だけれど、今上天皇はどちらかというと影が薄い印象でした。けれど、沖縄という視点から見ると実は非常にアクティブで強い意志をもった方だった。 1975年7月17日に皇太子として戦後初めて皇族として沖縄を訪問されたとき、ご夫妻の車列にガラス瓶やスパナが投げつけられ、さらにひめゆりの塔に献花に訪れた際には、新左翼の過激派から火炎瓶を投げつけられる事件が起きました。ご夫妻から数メートルの距離で火炎瓶が炎上し、現場は大混乱となった。ところが、そんな大事件が2回も起きているのに皇太子ご夫妻はスケジュールを変えず、慰霊の旅を最後まで続けられたのです。「戦後日本」を象徴する歌小林:わしが学生だったころに起きた事件ですよ。当時、学生運動的なものをかじっていたから、火炎瓶を投げつけた写真が回ってきて、衝撃を受けた。でも、それに動じなかった今上天皇は本当に凄い。矢部:昭和天皇がやり残したことを自分がやるんだという強い意志が感じられます。今上天皇はその後何度も沖縄へ慰霊に訪れるだけでなく、「沖縄の言葉(うちなーぐち)」の「琉歌」で、その思いを詠まれています。〈花よおしやげゆん 人知らぬ魂 戦ないらぬ世よ 肝(ちむ)に願いて〉(花を捧げます 人知れず亡くなった多くの人の魂に 戦争のない世を 心から願って) 何度読んでも本当に素晴らしい。「戦後日本」のあるべき姿を、まさに象徴するような歌だと思います。今沖縄の人ですら、琉歌なんて詠めないですよ。だから、沖縄の人たちにも本気度が伝わったんです。小林:外国にも自分の身がどうなってもかまわないくらいの覚悟で行かれている。オランダには、日本を恨んでいる元兵隊がいっぱいいたんですが、陛下が行かれることで、兵隊たちの心を癒やして逆にファンにしてしまった。そういう力がある。政治家の外交ではできないことを成し遂げてしまうんです。◆こばやし・よしのり:1953年、福岡県生まれ。漫画家。代表作『ゴーマニズム宣言』シリーズのスペシャル版『天皇論 平成29年』が大きな話題に。◆やべ・こうじ:1960年、兵庫県生まれ。書籍情報社代表。著書に『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(須田慎太郎氏との共著)など。関連記事■ 退位後 天皇・美智子皇后にもう会えなくなってしまうのか?■ 小室圭さん、看板のない個室マッサージに月2回通う■ 安倍首相vs宗教団体 元号と改元めぐる暗闘■ 小林よしのり×石破茂 生前退位で安倍首相にもの申す■ 小室圭さん 「皇室のしきたり」を破り記者は顔色を変えた

  • Thumbnail

    テーマ

    沖縄の知事はそんなに甘くない

    沖縄県民の選択は4年前と同じ「辺野古反対」だった。急逝した翁長雄志前知事の遺志を継ぐ候補として出馬した玉城デニー氏が、安倍政権が支援した前宜野湾市長、佐喜真淳氏を大差で破った。「対立と分断」で揺れた民意をつかんだ玉城氏だが、とまれ沖縄の政治はそんなに甘くない。

  • Thumbnail

    記事

    稲嶺恵一独白「『反対』だけでは沖縄の声は届かない」

    稲嶺恵一(元沖縄県知事) 私は1998年の沖縄県知事選で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の「条件付き県内移設」を掲げ、現職の大田昌秀知事を破り、99年に辺野古(名護市)への移設を正式に表明しました。私にとって苦渋の選択でしたが、もちろん県民の方々にとっても苦渋の選択でした。 物事には理想論と現実論がありますが、あの時は、現実論を考えた場合、沖縄が苦渋の選択をしなければならないのではないか、と県民のマジョリティー(多数派)がそう考えたということです。 辺野古は、軍民共用で、将来は返還してもらい、基地を財産として使うこととし、固定化を避けるために「15年」という使用期限をつけました。あの時はまだ「最低でも県外」という鳩山由紀夫氏の発言がありませんでしたから、反対が60%程度だったわけです。十数パーセントが、こっちに賛成してくれれば進めることができる状況でした。 ところが、私の次に知事に就任した仲井真弘多さんの時代に、当時首相だった鳩山さんの「最低でも県外」発言があり、県民の意識を変えてしまった。政府がその気になればできるのではないか、沖縄が苦渋な選択をしなくて済むと。あの時、マスコミにあの鳩山さんの発言をどう思うかと聞かれて、私は「覆水盆に返らずです」と答えましたね。 人間は感情もあれば、理性もある。県外移設が難しいことは、県民も理解していたと思いますよ。でも、感情に火をつけたのは日本政府なんですよ。政府としてはっきり県外移設を明言したんだから。政府ができるというならそう思うでしょう。 移設に反対する沖縄県民がけしからんという人もいますが、そもそも沖縄県民に混乱をもたらしたのは、政府なんです。最もかわいそうなのは、仲井真さんですね。最初、首相は安倍晋三さんだったのに、福田康夫さん、麻生太郎さん、そして旧民主党への政権交代があって鳩山さん、菅直人さん、野田佳彦さんになった。その後、また政権が自民党に戻って安倍さんでしょ。その時々の首相、外務大臣、防衛大臣の言うことが違うわけです。 沖縄担当大臣だって、就任するたびに「初めまして」とあいさつする人が多い。政府側からはさまざまな発言が出てくるのに、沖縄側は仲井真さんがすべて1人で受け止めなければならなかった。こうした政治情勢に翻弄(ほんろう)され、それが今なお、基地問題の混乱に拍車をかけているのです。  私が知事のときは、はっきり言って、政府としょっちゅう喧嘩(けんか)ばかりでしたね。それでも、最後は落としどころを見つけ、苦渋の選択をした。それはなぜかと言うと、外交や防衛は国の専権事項だからです。はっきり基地反対と言えば、気持ちはいいけれども、解決できずにいつまでもズルズルとしていたら、沖縄県民全体にとっても不幸なことです。沖縄基地問題について語る稲嶺恵一氏=2018年9月(川畑希望撮影) 私の前に知事を務め、革新だった大田さんも、政府と対立したのは最後の最後でした。私から見れば、両者はうまくいくと思ってましたよ。それはなぜかと言うと、吉元政矩さんという、当時沖縄政界などで絶大な力を持った副知事がいて、政府との折衝を重ね、裏でいろいろ詰めながらやっていたわけです。 でも、共産党が吉元さんの考え方に反対したんですよ。自民党も、当時党の要職にいた野中広務さんが自民県連のメンバーに対して、「吉元を支持しろ」と電話をかけていたのですが、県連は野中さんの言うことを聞かず反対した。それから大田さんの政府との折衝は停滞していったんです。基地移設の始まりは「大田、諸井会談」 そもそもこの一件まで、大田さんは当時首相だった橋本龍太郎さんと17回も会っています。喧嘩して対立していたら17回も会いませんよ。しかも、一対一で、酒を飲みながら17回ですよ。密度が違います。だけど、その中身は誰もわからない。大田さんはその中身を口外しませんでしたから。 大田さんと橋本さんがこれほど密な関係だったことには理由があるんです。橋本さんのお父さん、龍伍さんが厚生大臣の時、戦時中の学童疎開で輸送中に米軍の攻撃を受けて沈没した「対馬丸」の問題がクローズアップされていました。このため、当時、橋本さんは慶応大の学生でしたが、対馬丸の関係者が龍伍さんの自宅をよく訪れていたんです。 おそらく、その時にお茶を出したとか、応対した関係で、対馬丸問題に詳しくなったんでしょう。自身は戦争体験はないが、沖縄は大変な思いをしたことを認識し、対馬丸の遺族と接することによって、戦争そのものや沖縄戦、そして沖縄を強く意識するようになったようです。 だから、普天間飛行場の移設問題のスタートは、実は、橋本さんが、当時財界の中枢にいた諸井虔さん(秩父セメント会長)を特使として沖縄に送ったんですよ。大田、諸井会談がすべてのスタートだったんです。 この時に大田さんが、普天間の返還が第一優先ですと言ったわけですよ。それで、橋本さんは、沖縄に思いを持っている人だから、外務省や防衛省が反対するにもかかわらず、自らモンデール(米駐日)大使と話をした。そして、大使がクリントン大統領に伝えて話が進んだわけです。 諸井さんは私にこう言ったことがあります。「稲嶺さん、国民の60~70%のコンセンサスが得られないものについては、いかに沖縄がどんな大きな声で、沖縄だけで言っても、通りませんよ」と。会うたびに何度も言っていた。多く人は、ただ反対するだけだったり、逆に甘い言葉はよく出ます。でも、沖縄のために、きれい事ではなく、本当の話をしてくれる人は少ない。基地問題で橋本龍太郎首相との会談を終え、報道陣に囲まれる大田昌秀・沖縄県知事=1997年12月 その中で、諸井さんはそうじゃなかった。私に何回も言ったのは、あの人はそれがどうしても重要なことだと思っていたからです。私は、今でもそれを言い続けています。これがポイントなんです。 私が一番悲しいのは、マスコミが、米国が尖閣諸島は日米安全保障条約の範囲内だと言うとほっとし、それを明確にしないとがっかりするという姿勢です。つまり、国防を国の問題、自分たちの問題ととらえられていないんです。このままでは、沖縄の問題は解決しません。 国民のコンセンサスを得るためには、沖縄が一つにならならなければ実現できないでしょう。今、大切なのは、沖縄を一本化して、国民のコンセンサスを得られるように努力することです。 国と沖縄が真っ向から対立し続けたままではマイナスが多いわけです。先方の言うことをストレートに聞くというわけではなく、沖縄が主張すべきことは強く主張しながら、一致点を見出すことが重要でしょう。(聞き手/iRONNA編集部、川畑希望)「対馬丸」事件 先の大戦中の昭和19年8月22日夜、沖縄から九州に疎開する学童ら約1800人を乗せた学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県のトカラ列島・悪石(あくせき)島沖を航行中、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没。学童約780人を含む約1500人が犠牲となった。平成9年の海底捜索で船体が確認された。 いなみね・けいいち 1933年、中国大連生まれ。慶応大経済学部卒。いすゞ自動車、琉球石油(現在のりゅうせき)社長、沖縄県経営協会会長などを経て、平成10年から沖縄県知事を2期務めた。

  • Thumbnail

    記事

    変わらぬ対立構図、沖縄の政治が色濃く映す「ムラ社会」

    三浦瑠麗(国際政治学者) 沖縄県知事選は、列島を縦断する台風が沖縄本島を過ぎ去った中で、祭りのように島を満たして終わりました。その結果、玉城デニー候補が勝利しました。 玉城氏は、辺野古移設への反対を唱え、また翁長雄志前知事の政策を大筋で継承するとしました。20時過ぎに当確を打ったメディアがあることからも分かるように、沖縄県民の民意は明確であったと思います。 本稿では、勝敗がもたらす影響についての分析よりも少し巨視的な目で、変わらぬ対立構図について考えてみたいと思います。今回の選挙戦が映し出したものは何だったでしょうか。 争点は明確でした。ただ、それは従来の「基地」と中央からの「バラマキ」の不毛な対立に終始しました。それ以外の広範な有権者に訴えかけるメッセージは「暮らしを大事にする」「生活者の視点」といった、ふわっとした言葉ばかりでした。そこには大構想はなく、将来の沖縄県がどのように食べていくかを描く戦略も不足していました。 こうした停滞は日本全体についても言えることです。日本が21世紀にどうやって食べていくかを考え、実行に移すことができる政治家はあまり見当たらないからです。ましてや、日本の地方においてはそのような自律的な政策が唱えられることはまれです。 これまで注目されてきた地方公共団体の「改革」の多くは、小さな町で、長老と首長が重なりあっている場合に、首長が果断なリーダーシップを取った事例にとどまっています。町おこしの成功例としてよく挙げられる、隠岐諸島にある島根県海士(あま)町の事例を、全国津々浦々に適用できないのは言うまでもありません。 地方自治体が国に先駆けて、時に歯向かいながらも何らかの変革を訴えた例といえば、石原慎太郎氏の都政改革や橋下徹氏の「大阪都構想」くらいでしょう。沖縄の政治は、日本の「田舎」性を色濃く反映しているのです。2018年9月27日、沖縄県知事選で那覇市内の期日前投票所に並ぶ有権者ら 沖縄県知事選が象徴しているのは、自主性が低いからこそ政治的争点の領域が狭いという現象です。沖縄の場合、米軍基地問題や中央政府との距離感は大きな争点になりますが、他の都道府県と比べたときの沖縄の特殊性は、本土に対する感情や違和感ぐらいであって、そこまで特殊であるかのように捉えるのも当たらないと思っています。 基地問題が常に選挙で争点化するのは、ままならぬ「お上」との接点の最大のもの、あるいは摩擦の最大のものが基地問題であるからです。原発立地自治体の場合、それは原発の再稼働をめぐる問題ということになります。規模こそ違え、何らかの招致や受け入れなどをめぐって、自治体に摩擦が生じるのは当然です。日本政治のダイナミズムを阻むもの 地方分権の度合いが少ない日本においては、資源配分をめぐる政治は必然的に「お上」との関係性を中心としたものにならざるを得ません。県知事選は、地元負担と見返りを含むプロジェクトを「止める」あるいは「受け入れる」といった受動的な論点になりがちです。 中央政府にもずるいところがあります。米軍普天間飛行場の返還に膨大な時間がかかっているのも、沖縄に基地が集中しているのも、国家戦略レベルの話を県知事の責任に押し付けているところが大きいからです。国がリードしなければ、国家安全保障に関わる問題を解決することはできません。 そもそも、県知事が米国と交渉することなどできようはずもありません。地方に真の自主性はないのに、中央が責任転嫁をするから、こうした選挙が繰り返されるわけです。 沖縄に限らず、日本政治には有為なダイナミズムは存在しません。日本が先進国の中で際立って安定し、ポピュリズムにさらされておらず、またそれゆえに異端が力強く社会を変えることも少ないのは、明らかです。 その一因は、社会を分断する要素が日本にはごく少ないからです。英国では階級であり、米国では人種であるところの分断のようなものは、日本社会には存在しません。沖縄県にしても、そのような明確な亀裂は存在しないのです。存在するのは、中選挙区制の時以来の人間関係による対立構図であり、陣営です。 地方に行くたびに思うのですが、人間関係の積み重ねの歴史以外に、そこの土地における対立を説明できる要素がありません。それゆえに、選挙報道も政策ベースというよりはいわゆる政局(≒人間関係)の細かい知識比べにならざるを得ません。 プロ以外の一般人にとっては、「Who cares?(知るかよ)」というものになります。いきおい、政治に興味を持つ層は既得権層か、政治運動に居場所を求める人々に限られてきます。 ダイナミズムを阻んでいる最大のものは日本の「ムラ社会」です。ムラ社会は、人間関係で回っている社会であり、実力主義と階級秩序を足し合わせたものです。2018年9月1日、辺野古移設反対派の抗議集会に参加した玉城デニー氏(右)=沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前 田舎では初めから、機会の格差は開いている。「イエ」の格による秩序も厳然と存在し、新たなチャレンジャーを阻む土壌があります。村社会の一番の問題は、人に迷惑をかけないことを主要なモチベーションとした行動が取られがちだということです。そして、それはダイナミズムを生む構造とは真逆の行動様式であるのです。 沖縄の問題は、政府の積極的なリーダーシップと真の地方分権以外に解決の糸口はありません。ところが、沖縄県知事選の報道は、どちらが勝った・負けたを安倍政権の政権運営への影響に変換してのみ理解しているものが多い。けれども、日本のいびつな中央=地方構造こそ、真の改革を阻むものなのです。

  • Thumbnail

    記事

    「玉城氏よ、痛みに耐えられるか」エルドリッヂが見た沖縄知事選

    ロバート・D・エルドリッヂ(政治学者、元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長) 9月30日の沖縄県知事選は1972年の本土復帰以来13回目を数え、米国統治下だった琉球(りゅうきゅう)政府の行政主席選挙を含めると14回目となる。 1968年の主席選以来、今回の選挙は、沖縄の有権者が自らの知事を直接選ぶことができるようになってから50年という節目でもある。では、この50年、沖縄の有権者は誰を選んできたのだろうか。 この半世紀を振り返ると、沖縄県知事はこれまで、保守系政治家が28年務め、革新系が22年県政を担った。「政治的左派」のイメージが強い沖縄だが、実際には有権者の投票行動は保守的な傾向がみられる。 沖縄にはこれまで7人の知事がいたが、そのほとんどは2期8年在任し、西銘順治氏(公選後第3代)だけが3期12年務めた。他の2人は1期未満で退任した。前知事の翁長雄志氏は任期満了前に急逝し、それに伴う知事選も前倒しで実施された。第2代、平良幸市氏は就任2年目に脳血栓で倒れ、任期途中の辞職を余儀なくされた。 沖縄県知事は、時に厄介な立場に立たされ、精神的にも肉体的にも非常に過酷な職務である。実際、歴代知事の多くが任期中、極度の疲労などによって入院している。琉球政府の初代行政主席だった比嘉秀平氏は、米軍基地建設のための土地収用に反対する「島ぐるみ闘争」の最中に死去した。 今年8月に亡くなった翁長氏は比嘉氏とは異なり、中央政府との対決姿勢を鮮明にし、いろんな局面で物議を醸した。もともと教員だった比嘉氏が英語力を買われて、政治の世界に飛び込まざるを得なかったのに対し、翁長氏は長年抱いた知事への野望を実現するために、自ら多くの穏健保守派のライバルを政治的に排斥する道に突き進んだ。1972年5月、沖縄の日本返還後、新県知事として、初めて佐藤栄作首相(右)にあいさつする屋良朝苗知事 膵(すい)がんを公表した翁長氏の健康状態に懸念があったとはいえ、彼の任期満了は今秋だった。対立する保守陣営にとって、翁長氏の死去が予想外だったとはいえ、さして混乱を招くほどではなかった。むしろ左派陣営からは誰が出馬するのか、誰が保守系候補の出馬に反対するのか、それを見極めればよかったのである。佐喜真氏は宜野湾に集中すべきだった 他方、翁長氏の急逝は左派陣営を混乱に陥れた。翁長氏のいない選挙戦を想像したくなかったのか、左派陣営の統一戦線、いわゆる「オール沖縄」は候補者選びに難航した。陣営が擁立した玉城デニー氏の出馬会見の際、テーブルの上には翁長氏が生前愛用していたという帽子が置かれてあった。むろん、翁長氏の「弔い合戦」を演出するパフォーマンスだが、これが今回の知事選の結果に多少なりとも影響したことは言うまでもない。 私は、在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長として、米軍普天間飛行場を抱える前宜野湾市長、佐喜真淳氏と緊密に連携する機会があったので、彼のことはとても尊敬している。だが、正直に言えば、今回、佐喜真氏が保守系の中で最もふさわしい候補とは思わなかった。佐喜真氏は宜野湾市長2期目の途中であり、市政に集中した方がいいと思ったからである。その旨を昨秋、直接本人にも伝えた。実はもっとおもしろい候補者がいると考えていた。 しかし一方で、もし佐喜真氏が知事になっても、専門性の高い2人の副知事を補佐役につけさえすれば、彼は十分リーダーシップを発揮できるという確信があった。政府与党から全面的な支援を受けることもできたはずだ。沖縄と日本、米国の三者の関係は、極めて安定した時代を迎えることができる、と評価していた。いや、もしかすると2003年以降で、米国と日本に加え、沖縄県と宜野湾市、基地移転先の名護市の五者が初めて、同じ方向性を共有できるかもしれない。この意味で、佐喜真氏は重要かつ必要な候補者であるという期待があった。 津波による被害から免れられる高台にあり、戦略的に日本にとっても重要な普天間飛行場の閉鎖と、問題が山積する辺野古への移転案について、かねてより私は反対だった。これは「反対のための反対」ではない。辺野古移設が日米同盟を空洞化し、弱体化するとの懸念があったからだ。 96年12月の沖縄特別行動委員会(SACO)による普天間問題の勧告から22年が経過しても、いまだ実現に至っていないのは、この15年間で日米、沖縄県、宜野湾市、名護市の五者の方針が一致しなかったことが最大の原因である。知事や上記の関係自治体の市長が、移設賛成派・反対派問わず選挙により交代したことで足並みがそろわず、それぞれが移設問題への対応でますます溝を深めていく結果となった。 鳩山由紀夫政権(2009~2010年)の下で、政府が「最低でも県外移設」との方針を打ち出し、当時保守系知事だった沖縄が基本的に「県内移設容認」だったことは、究極の皮肉としか言いようがない。元在沖縄米海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ氏(奥清博撮影) もともと佐喜真氏は、宜野湾市長として普天間飛行場の閉鎖・移設を求めた立ち位置だったこともあり、名護市長や沖縄県知事とは違って、沖縄の一般的なスタンスを守る必要はなかった。これに対し、玉城デニー氏はうるま市で生まれ、沖縄市や名護市のある沖縄3区を地盤とし、衆院議員を4期務めた。玉城氏は長年、普天間飛行場の県内移設に反対し、県外移設と米軍の整理縮小などを求める立場だった。とはいえ、私自身、玉城氏について明確な意見を持っているわけではない。 彼は選挙期間中、過去の政治的発言に矛盾した言動があるとたびたび指摘され、左派の支持者が理想とするクリーンな政治家像とはかけ離れている、との印象がある。それでも、若々しく気さくな人柄で、玉城氏は有権者の心をつかんだ。佐喜真氏より4歳年上の58歳だが、佐喜真氏の保守的な政治思想が玉城氏よりも年上に見られた可能性は否めない。玉城県政「対立」か「協調」か しかし、興味深いことに、玉城氏の支援団体の古参メンバーが彼の知事としての資質に疑問を呈し、後援会をまとめるのには随分苦労したようだ。事実、県内移設への反対や日米地位協定の改定以外に、玉城氏の具体的な政策は見えてこない。しかし、移設反対は「政策」ではない。あくまで「政治姿勢」でしかないのである。 確かに、左派系政治家でも、日本政府からの補助金や米軍関係からの直接、間接的な経済貢献が沖縄にもたらされることを認識している人はいる。つい最近まで、移設反対の声が大きくなればなるほど、沖縄にバラ撒かれる予算も多くなった。 沖縄県や県内自治体、そして沖縄に関わる政治家は皆、政府と沖縄の調整や折り合いを巧みに続けることが求められた。残念ながら、日本政府は沖縄に対する罪悪感や、または無気力のために何十年もの間、基地問題が進まなかった経緯がある。しかし、安倍晋三首相は、4年前の沖縄知事選で与党候補の敗北を受け、ようやく「自動操縦モード」から目覚めたのである。 沖縄に対する「アメからムチ」のアプローチについて、私は双方の視点から長年にわたって注視してきたが、いずれも痛みを伴うものだった。安倍政権と過去の政権とでは、沖縄に対する基本的認識はかなり異なる。 沖縄の議員も国政、地方を問わず質が低く、ただ議案に反対することや、利権を要求することだけを自分の仕事と考えている。これでは、沖縄が持つ「真の可能性」を模索することはできない。より持続可能で活力のある関係を日米が作り上げることは難しい。 沖縄知事選は単なる地方の首長選挙ではない。日本をはじめ、日米関係、インド太平洋の安全保障そのものに影響を与えかねない選挙である。玉城氏は県内人口3位のうるま市出身で、大票田の那覇市も革新市政であり、今回の当選にさほど驚きはない。2018年9月30日、沖縄県知事選で当選を決め、支援者らと万歳する玉城デニー氏(前列中央) ただ、沖縄は2022年に本土復帰50年を迎える。仮に佐喜真氏が知事だったら、基地問題のソフトランディングも可能だったかもしれない。それだけに玉城県政のスタートで、日米と沖縄はよほどの想像力と努力を重ねなければ、基地問題解決の道筋をつけることは難しいだろう。 それだけではない。玉城県政は本土復帰後6度目となる次期「沖縄振興計画」(期間は10年)を政府とともに22年までにまとめる作業にも関わる。中央政府と「対立」か「協調」か、そのスタンスによって内容も大きく変わる。さて、玉城氏はどっちの道を選ぶだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    本気を出した自民党が翁長氏「弔い選挙」に負けた4つの敗因

    篠原章(評論家・批評.COM主宰) 翁長雄志前知事の死去に伴う沖縄県知事選挙で、開票とほぼ同時に、普天間飛行場の辺野古移設に反対する「オール沖縄」が支援する玉城デニー前衆院議員の当確が出た。 事前の調査や予測では一貫して玉城氏の優勢が伝えられ、当初は「ダブルスコアで玉城」という噂まで広がった。自民、公明、日本維新が推薦する佐喜真淳前宜野湾市長が猛追し、選挙終盤の世論調査では「互角の闘い」に持ち込んでいると報道されていたが、結局蓋(ふた)を開けてみれば、期日前投票でも当日の投票でも、佐喜真氏の得票は玉城氏のそれに及ばなかった。 佐喜真陣営にとっては、「票差」以上の惨敗だった。自民党からは菅義偉(よしひで)官房長官、二階俊博幹事長、小泉進次郎筆頭副幹事長が、それぞれ複数回にわたり沖縄に応援に駆けつけたほか、竹下亘総務会長が最前線で指揮を執るなど、それこそ総力戦で臨んだ。 公明党も全党をあげてこれまでにない支援態勢をとったが、「翁長前知事の遺言」で選ばれた玉城氏にまるで歯が立たなかった格好だ。はっきり言えば、自公の面目は丸つぶれである。 玉城氏が当選し、佐喜真氏が落選した要因については、今後さまざまな分析が行われることになろうが、おおよそ以下のように整理される。沖縄県知事選当確後、琉球新報の号外を持つ玉城デニー候補=2018年9月30日、沖縄県那覇市(安元雄太撮影) 最大の要因は、任期途中で翁長前知事が亡くなったことである。亡くなる直前まで翁長氏は知事選出馬の意思を表明していなかったが、翁長氏が出馬したとしても、厳しい選挙になるといわれていた。 県民の間に「辺野古疲れ」「辺野古離れ」のようなムードが蔓延(まんえん)し、2月の名護市長選挙では、自公の推す新人が「オール沖縄」の推す現職を下していた。知事選は当初11月に予定されていたが、翁長氏が病床からどこまで指揮を執れるのか疑問視する向きもあった。翁長氏が玉城氏を選んだ理由 ところが、翁長氏が亡くなった途端、「オール沖縄」にとっての追い風が吹き始めた。「弔い選挙」のモードに入ったのである。玉城氏は存在の有無を確認できない「翁長氏の遺言」で指名されたが、「翁長氏の遺志を継ぐ」と訴えることで、死して高まった翁長氏のカリスマ性に支えられて、選挙を有利に進めることができたのである。 二つ目の要因は、玉城デニーという最適な候補者を選んだことだ。「遺言」は確認されていないものの、「後継者指名」はおそらく翁長氏が死の床にあって下した結論だったと思われる。 唐突に「遺言」が飛び出すまで、玉城氏は有力候補者の名簿に入っていなかったが、選挙にすこぶる強い翁長氏は、これに危機感を覚え、「勝てる候補」として玉城氏を指名する決心をしたに違いない。 衆院沖縄3区で圧倒的な強さを見せ、県民の間で広く知られる玉城氏であれば、他のどの候補よりも有利に選挙を進められる。米兵を父に持ち、苦労して育った玉城氏なら有権者に訴える「ストーリー」にも事欠かない。 しかも、自由党幹事長の玉城氏であれば、小沢一郎同党代表が後見人として支えてくれる。小沢氏が背後にいれば、オール沖縄の主勢力である共産党の圧力も抑えられるだろう。翁長氏には以上のような「読み」があったに違いない。 もともと保守本流だった翁長氏だが、前回の知事選以降「オール沖縄」を率いて政府と対決し、しばしば「革新に変節した」といわれる。だが、翁長氏は保守政治家としての矜恃(きょうじ)を失いたくなかった。沖縄県知事選をめぐり会談した(左から)自由党の小沢一郎代表と玉城デニー幹事長、立憲民主党の枝野幸男代表=2018年8月28日、国会内(春名中撮影) 小沢氏が支える玉城氏であれば、「極端な革新」にぶれることはないだろう。自民党の基本的な政策に決定的なダメージを与えることもないに違いない。翁長氏は玉城氏を選ぶ際に、そこまで考えたとしてもおかしくない。 いずれにせよ、玉城氏は翁長氏にとって最適な候補者だったに違いないし、まさに翁長氏の読み通り、選挙を勝ち抜くことができた。自民党県連がだらしなかった 三つ目の要因は、自民党沖縄県連の体たらくだ。本部からさまざまな支援を受けて選挙を進めてきた自民党県連だが、最後まで「死に物狂いの選挙」を闘う態勢は整わなかった。 実は、前回知事選で翁長氏が自民党を離れるまで、自民党県連のかかわる主要選挙は、ことごとく翁長氏と腹心の安慶田光男氏(元副知事)が指揮してきた。両氏が自民党を離れてからは、翁長氏に近かった翁長政俊前県議が自民党県連を仕切ることになったが、今回の知事選では、その翁長政俊氏が10月に実施される那覇市長選に立候補することになったため、自民党県連は事実上司令塔を欠く形となった。 結果として、集票の主力部隊である県内各自民党支部や経済界との調整に失敗し、かけ声と焦りばかりが膨らんでいった。 公明党の支持母体である創価学会員の一部も佐喜真氏から離反するなど、「組織」が効果的に機能しないまま終盤を迎えてしまったのである。「自民党本部が介入し過ぎたから選挙に負けた」という声もあるが、むしろ自民党県連がだらしないから本部が介入したと見るほうが適切である。 四つ目の要因は、上記のような自民党県連の焦りを一因として、佐喜真氏の支持者・支援者によって相手候補をおとしめるようなソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)発信などが過剰に行われ、「自公は汚い選挙をしている」というイメージが生まれてしまったことである。沖縄県知事選で落選が決まり、うつむく佐喜真淳氏=2018年9月30日、沖縄県那覇市(上松亮介撮影) 玉城陣営からも、これに対抗するようなSNS発信が行われたが、トータルでいえば玉城陣営のほうがクリーンだったといえよう。玉城陣営からSNSで発信されるテキスト、画像、動画なども有権者の心をつかむような効果的なものが多く、これもまた玉城氏の勝利に寄与した。 結果的に辺野古移設問題を含む「政策論争」は、選挙中どちらかといえば棚上げされた格好だった。辺野古移設問題を除けば、両者とも「県民の暮らしを豊かにする」という政策を掲げていた点で大差なく、佐喜真氏が辺野古移設問題を避けるように選挙を闘ったことがかえってアダになった可能性もある。 ただ、投票率は前回を下回り、総じていえば県民の関心が高い選挙とはいえなかった。メディアが大きく報道する中、4割程度の有権者が棄権したが、「沖縄の未来」を考えたとき、「自公VSオール沖縄」という対決の構図をこのまま続けていいのか、今一度熟考する時期が訪れているかもしれない。

  • Thumbnail

    記事

    米兵が左翼活動家から「死ね」と罵詈雑言浴びせられ幹部激怒

     戦後70年以上、政治家たちは「国防」を正面から議論してこなかった。左翼陣営は議論すら許さなかった。そのツケが回ってきたようだ。国難を前に日本は無防備だ。ジャーナリストの櫻井よしこ氏と米カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバート氏の国を憂う二人が、日本人の覚醒を期待して国防について論じた。櫻井:本来なら、日本は自力で日本を守るべきですが、中国の軍拡が猛烈な勢いで進み、単独での自国防衛が難しい状況になってきた。 そこで日本にとって重要なのはいかに日米同盟を維持するかです。米国が「日米安保はアメリカの国益にとっても重要だ」と思うように、日本も役割を果たしていかなければいけない。人間関係も同じですね。一方が他方に頼りっぱなしでは嫌になってしまいます。ケント:米軍兵士たちはみんな若いですが、彼らの平和を守ろうという精神には本当に感動しますよ。沖縄にいる米兵たちは皆、本気で日本を守るつもりで来ています。 ところが米兵たちが仕事に行こうとすると左翼活動家の私的検問にあい、「死ね、死ね、米兵死ね!」と罵詈雑言を浴びせられ車をバンバン叩かれる。 全国から過激派の活動家が集まってきて、中国や北朝鮮の工作員の疑いがある者まで混じっているのに、沖縄県警の動きは鈍い。これでは米兵は複雑な気持ちになりますよ。僕が直接話した米軍の幹部はカンカンに怒っていました。記者会見する在沖縄米軍トップのニコルソン沖縄地域調整官=2017年11月16日、沖縄県うるま市の米軍キャンプ・コートニー(高木桂一撮影)櫻井:怒るのは当然です。米国の国益とはいえ、いざという時には日本を守るために命を懸けるんですから。ケント:米国では「ファースト・リスポンダー」と言って、危機に際して最初に対応し、我々を守ってくれる人たちは国民からとても尊敬されます。警察、消防、救急隊員、そして軍人です。自衛隊員ももっと尊敬されるべきだと思います。櫻井:戦後、日本は占領下で行われた洗脳政策、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と学校教育を通じて軍に対するアレルギーを植え付けられました。それが間違いの根本で、経済力と軍事力のふたつがない国はまともに国を守れません。 幕末にペリーの黒船が来航した時、日本には経済力も軍事力もありませんでした。鎖国していたから情報力もない。そのため欧米列強に様々な不平等条約を結ばされてしまった。しかし、先人たちには現実を見つめる賢さがありました。国を守るためには経済力と軍事力が必要だとして「富国強兵」を国策に掲げたんです。●さくらい・よしこ/新潟県長岡市出身。ハワイ州立大学卒業。元日本テレビ「きょうの出来事」キャスター。1995年、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で大宅賞受賞。執筆・講演活動を続ける一方、インターネット放送「言論テレビ」を運営中。●ケント・ギルバート/1952年アイダホ州生まれ。1971年初来日。カリフォルニア州弁護士。1983年にテレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し人気に。近著に『中韓がむさぼり続ける「反日」という名の毒饅頭』、近日刊行予定に『日本人だけが知らない世界から尊敬される日本人』がある。関連記事■ ケント氏「憲法によって危険に」櫻井氏「日本は商人の集合体」■ ケント氏「韓国には嘘が恥ずかしいという概念がないのか」■ ケント氏「韓国はベトナム女性に謝罪する像を建てるべき」■ 中国官製メディア 反日へ誘導のため日本人学者を登場させる■ 慰安婦問題は振り出しに? 蒸し返し続ける韓国側の事情

  • Thumbnail

    記事

    いまも続く「ポッポロス」 「アベロス」起きる可能性は

    歴代首相のなかでもネット人気が高いのは、2009年に第93代内閣総理大臣に就任した鳩山由紀夫氏だろう。政界を引退したいまも、その再登場を望む声があがるほどだ。では、安倍晋三首相が自民党で総裁選に敗れたら、どんな反応が起きるのか。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が分析する。 * * * 自民党総裁選は安倍晋三氏の圧勝との見方が出ているが、安倍氏が負けた場合に喪失感を抱くのは誰か? 安倍内閣での入閣を目指していた議員や地元の支援者は当然ながら、案外「反アベ」の人々が脱力するのでは。アベは日本を戦前の状態に戻そうとする危険な独裁者であり、この人権蹂躙の政権を倒さぬ限り市民生活は暗澹たるものになる──。 これがこの5年8か月ほど彼らが主張してきたことであり、デモではアベの顔にヒトラー風のチョビ髭をつけたプラカードを掲げたり、アベの宴会芸用マスクをブルドーザーで潰すパフォーマンスをしたりする。ヒトラーと並ぶ悪党扱いをしてきたアベが消えた場合、「イシバ」とカタカナで呼んで悪党扱いするのもまだ想像できない。というか、毛沢東やスターリンや金正日はあまり悪党扱いしないんだよな、彼ら。 アベの反対の立場ではあるものの、ネットでは「喪失感」が過去に蔓延したことがある。それは、2009年9月から2010年6月まで首相を務めた鳩山由紀夫氏をめぐってのことである。 当時ネット上で鳩山氏はかっこうのオモチャだった。沖縄の米軍基地について「最低でも県外」と安易に言ったり、米・オバマ大統領と会ってもらえなかったり、中韓に対して媚びまくったりしたのだから、右派が強い傾向があるネットではそうなるのは自明だった。「宇宙人」や「ルーピー(バカ)」と呼ばれるほか、89歳の母親から弟の邦夫氏も共に合計42億円ずつの献金を受けていたことから「高額子ども手当」と揶揄された。鳩山氏の話題が出ると当時の2ちゃんねるでは、2ちゃんねる発のキャラ「やる夫」をベースとしたAA(文字を組み合わせて作る絵)が登場し、このAAに間抜けなことを言わせるのがブームとなった。インタビューに答える鳩山由紀夫元首相=2018年4月23日、東京・永田町の事務所(酒巻俊介撮影) 基本的な行動パターンは、親に甘え、自分では立派なことを言っていると思ってキリッとするも周囲は嘲笑しており、余計なことを閃き謎の行動力を発揮する、といったものだった。呼び名はルーピーに加え、鳩にひっかけて「ポッポ」もあり、散々バカにされた。だが、いざ同氏が「国民が徐々に聞く耳を持たなくなった」と辞任して菅直人氏が首相になると「ポッポロス」が発生した。 同年7月、2ちゃんねるに『鳩山前首相「“ぽっぽ帰れ”と言われた」』というスレッドが登場。応援演説に訪れた同氏に対してこうヤジが飛んだのだという。この時に書き込まれた意見には「菅なんかよりポッポの方が19倍マシ」「だんだん可愛そうになってきたwww」「いまさらだが、本当はいい奴かもとか思ってしまう」などが並び、「なにこのポッポ人気www」とまで書かれた。 8月第2週にも翁長雄志氏の逝去を受けての沖縄知事選候補に鳩山氏の名前が登場、という記事に対しては「面白そうやし出てほしいw」という声も出るなど、鳩山人気は相変わらずである。「ポッポロス」はまだ続いているが「アベロス」は今回はなさそうなので反アベ派にとっては闘志がかきたてられる材料が残り、案外良かったのでは。●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。関連記事■ 「戦後歴代最低の総理大臣」調査、3位は鳩山由紀夫氏■ 鳩山由紀夫氏が重慶爆撃を謝罪 中国人も「さすが宇宙人」■ “ポッポのスタンドプレー”が民主党内抗争激化させる可能性■ テキーラ40杯注文 米倉涼子と飯島直子がベロベロでAKB熱唱■ 1980年代の困った舅 ベロベロになりオシッコシャワー発射

  • Thumbnail

    テーマ

    「オール沖縄」ってなんだ!?

    翁長雄志前知事の急逝に伴う沖縄知事選がきょう投開票される。米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の辺野古移設の是非が最大の争点となった構図は前回と同じだが、そういえば4年前ほど「オール沖縄」の合言葉が聞こえてこない。そもそもオール沖縄とはどんな組織なのか。現地リポートも交え、実態に迫る。

  • Thumbnail

    記事

    自衛隊を排斥しても「オール沖縄」玉城デニーのデタラメな論理

    潮匡人(評論家) 「100-5=95」。これなら小学生にも解ける数式であろう。ならば以下はどうか。 「オール沖縄」-「おきなわ」=? 「オール沖縄」は辺野古移設反対派による統一戦線(選挙運動)組織として2015年12月に結成された「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」の略称だ。社会民主党、日本共産党、自由党、沖縄社会大衆党、那覇市議会「新風会」、沖縄県議会「おきなわ」、などの政党や会派に加え、知事、那覇市長、名護市長らの首長も参加、県議会および那覇市議会で過半数の勢力を確保している。 ただし、移設反対派でも、公明党沖縄県本部、おきなわ維新の会、政党「そうぞう」は参加していない。ということは、そもそも「オール沖縄」と名乗る資格を欠くのではないだろうか。 さらに今年に入り、県内の観光大手「かりゆしグループ」が脱会を表明。新たに結成された別団体(オナガ雄志知事を支える政治経済懇和会)の総会に出席した。総会には、建設大手「金秀グループ」に加え、上記会派「おきなわ」の関係者も出席した。 産経新聞は「オール沖縄の名前を使うのはおかしい。有権者へのごまかしだ」と憤る「おきなわ」幹部の声や、「オール沖縄ではなくパーシャル沖縄だ」と揶揄(やゆ)する自民党県連幹部の声を紹介し、「事実上の分裂」と報じた。ならば、ますます「オール沖縄」を名乗る資格は怪しい。「オール沖縄」から会派「おきなわ」が離脱すれば、残るのは「オール」? 自称「オール沖縄」を読み解く方程式は複雑怪奇極まる。彼らの公式サイトを見てみよう。トップページにこうある。沖縄の基地問題について知ってほしい/私たちは、オール沖縄会議です/辺野古への新基地建設を止めたいー/オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖撤去、県内移設断念を求めた「建白書」の精神を実現させるため/2015年12月14日、「オール沖縄会議」は結成されました/「オール沖縄会議」は多くの市民団体や政党、労働組合や経済界、個人に支えられています/私たちは、本サイトをとおして、沖縄の基地問題について、正確な情報をわかりやすく発信していきます/2016年5月14日 言葉尻をとらえるようで恐縮だが、彼らが認める通り「多くの」であり「すべての」(オール)ではない。「正確な情報をわかりやすく発信していきます」というが、情報量にも正確性にも乏しい。「正しい情報」として7項目(「7POINTS」)がアップされ、その最初が「日本の米軍基地の約74%が沖縄に集中しています」と、使い古された表現と数字を挙げるが、「正確」には以下の通り。住宅地(手前)に隣接する米軍普天間飛行場=2009年、沖縄県宜野湾市 在日米軍施設・区域(専用施設)のうち、面積にして約70%が沖縄に集中し、県面積の約8%、沖縄本島の面積の約14%を占めている(2018年版「防衛白書」) まず数字が違う。彼らは、ここ数年の動きを踏まえていない。たとえば2016年12月22日、北部訓練場の過半(約4000ヘクタール)の返還が実現した。県内の在日米軍施設・区域(専用施設)の約2割にあたる広大な面積である。玉城氏のデタラメな主張 これは「沖縄の本土復帰後最大のものであり、1996年のSACO(沖縄特別行動委員会)最終報告以来、20年越しの課題であった」(前出白書)。ホームページの情報を更新する努力を怠ったのか、返還を実現させた政府の努力と実績を意図的に無視したのか。どちらにしても痛々しい。 さらに言えば、白書のごとく、最低でも(専用施設)と明記しなければ、論じる意味の乏しい数字である。上記の数字とも、基地問題に関心を持つ者なら常識に属する話だ。意図的に(専用施設)と書かなかったのか、単なる非常識なのか。どちらにしても度し難い。 上記7項目の五つ目は「沖縄に新しい基地を作る必要性はない」。本文でこう書く。「(前略)日本周辺に有事の危機が起こりアメリカ軍に出番があるとしても/最初に動くのは空軍か海軍第七艦隊であって米海兵隊ではありません(後略)」 海兵隊のスローガンは賛歌(公式軍歌)にもある「First to fight(for right and freedom)」。つまり「真っ先に戦う」。誰よりも早く、最初に動き、戦場に飛び込み戦う。それが海兵隊の使命である。第一次大戦以来、新兵募集のポスターにそう大書されてきた(野中郁次郎『アメリカ海兵隊』中公新書参照)。他人に「沖縄の基地問題について知ってほしい」と訴えるなら、自身もう少し勉強してほしい。 今回の県知事選挙で自称「オール沖縄」が担ぐのは玉城デニー候補。ネット検索すると、本人がこう語る動画にヒットした。飛んでくるミサイルを迎え撃つ、そういう戦争の有事の前提をつくっている。有事の前提をつくれば何でもできちゃうんですよ。だから安倍政権になり、どんどん安保法制とか特定秘密保護法とかいろんなものを、まるで戦時に備えてそういうことを整備していくんだというやり方は、およそ日本が取ってきた国のかたちをドンドンドンドン変えてきている。だから僕は、有事の前提を置かずに、平時における外交というものが一番大事で、相互関係で成り立っているのに基地を置くという事は、ある種の裏切り行為と捉えられてもおかしくない。(中略)基地をつくってしまえば、平和になるなんてことは絶対にありませんから(後略)沖縄県知事選で、街頭演説をする玉城デニー氏=2018年9月27日午後、沖縄県うるま市(共同) いまいち論旨不明瞭だが、どう好意的に受け取っても、主張の中身はデタラメというほかない。弾道ミサイルの破壊措置(迎撃)は警察権行使であり自衛権行使ではない(政府見解)。つまり「戦争の有事の前提」でもなんでもない。 いや、細かい間違いはもはやどうでもよい。まさに「飛んでくるミサイルを迎え撃つ」べく日夜、警戒監視や展開配備を続ける海上自衛隊員や航空自衛隊員が、これを聞いてどう感じるか。想像するだけでおぞましい。 当たり前だが、沖縄には陸海空の自衛官も多数いる。家族も多数住む。なのに、自衛隊関係者を排斥しながら「オール沖縄」と自称する。いったい、どういう神経の持ち主なのか。

  • Thumbnail

    記事

    ウチナーンチュは口に出すのも恥ずかしい「オール沖縄」の今

    仲新城誠(八重山日報編集長) 沖縄県知事選は故翁長雄志前知事の後継者である前衆院議員、玉城デニー氏と、自民、公明、維新が推薦する前宜野湾市長、佐喜真淳氏の激戦だ。本土からは「オール沖縄」対自民党の戦いという構図で見られることも多いが、実は地元では沖縄メディアも含め、玉城氏の支持勢力を「オール沖縄」と呼ぶ機会は少ない。「オール沖縄」という言葉は、ほかならぬ沖縄で急速に死語と化しつつある。 「オール沖縄」を自称する政治家たちは確かにまだ存在する。「オール沖縄会議」という団体もある。だから固有名詞としての「オール沖縄」は今でも使われているが、概念としての「オール沖縄」がもはや成立し得ないことは、沖縄では周知の事実となっている。 翁長氏の支持勢力は「オール沖縄」と呼ばれた。しかし、翁長県政の末期、その概念が虚構であることは、支持者自身も重々承知していた。それでも翁長氏の存命中は「オール沖縄」を名乗ることが許される雰囲気があった。だが、翁長氏の死によって「オール沖縄」は事実上、とどめを刺された。 選挙期間中、私は何度か佐喜真、玉城両候補の演説を聞いたが、佐喜真氏はもとより、玉城氏の口からも「オール沖縄」という言葉はほとんど出なかった。沖縄の県紙の記事や見出しにも、この言葉はめったに登場しなくなった。翁長氏が初当選した2014年の知事選とは、全く状況が異なる。 そもそも「オール沖縄」とは何か。 私の見たところ、この言葉には二つの意味がある。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に対し「県民はオール沖縄で反対だ」というニュアンスで使われる場合だ。これは2013年1月、県内全41市町村の首長が連名で安倍晋三首相に対し、同飛行場の県内移設断念などを求める「建白書」を提出したことがきっかけである。翁長雄志知事(左)と安倍晋三首相(右)のコラージュ(共同) しかし、翌年の知事選で状況は変わり、県内11市のうち、保守系市長が在任する9市は「反翁長」のスタンスを鮮明化。「オール沖縄」に対し「チーム沖縄」と名乗るようになった。その後の市長選で9市のうち名護市と南城市が入れ替わったが、現在でも9市は「反翁長」勢力で、安倍政権に近い。 だから、沖縄が辺野古反対一色に塗りつぶされているという意味での「オール沖縄」という言葉は、とうの昔にうそであることが証明されている。本土の人たちは、辺野古移設反対勢力が「オール沖縄」と名乗るだけで「沖縄は本当に大丈夫なのか」と懸念するが、移設反対が「オール沖縄」でないことは、誰よりも県民自身がよく理解している話だ。「オール沖縄」もう一つの意味 「オール沖縄」のもう一つの意味は、政治勢力としての「保守」と「革新」が、辺野古移設反対という一点で手を握って構築した「保革共同体」である。 「翁長知事」は、その象徴的存在だった。翁長氏は、那覇市議、県議、那覇市長とステップアップする過程で、常に沖縄の保守本流を歩んだ。自民党沖縄県連の幹事長なども歴任し、仲井真弘多前知事が再選された10年の知事選では、選対本部長を務めた。その翁長氏を、14年の知事選で、保守とは水と油のはずの共産党、社民党など「革新」勢力が推した。 翁長氏が「革新」に転向したわけではないという建前だったため、翁長氏の支持基盤である保守層は、多くが翁長氏に同調した。もともと保守系とされる、建設業や小売業などの「金秀グループ」、ホテル経営の「かりゆしグループ」は、その代表格だ。それを見た沖縄メディアは、翁長氏を中心とした政治勢力を「オール沖縄」と盛んに喧伝(けんでん)し、この言葉が本土と沖縄の双方で定着することになった。 前回知事選で翁長氏が叫んだスローガンが「イデオロギーよりアイデンティティー」である(これは玉城氏もそのまま今選挙で使っている)。保守、革新というイデオロギーより、沖縄人としてのアイデンティティーを優先し、辺野古移設反対に立ち上がろう、という意味である。 基地をめぐる長い政争にうんざりした多くの沖縄県民には、その訴えが斬新に響いたようだ。翁長氏は仲井真氏に約10万票の大差をつけ、初当選を果たすことになった。 知事選の余勢を駆って「オール沖縄」は沖縄政界を席巻した。2014年の衆院選、16年の参院選、同年の沖縄県議選と、主要選挙で連戦連勝し、一時は沖縄選出の国会の議席を衆参とも独占した。自民党議員は衆院の比例でわずかに生き残るありさま。「オール沖縄にあらずんば政治家にあらず」と言わんばかりの時代が到来し、沖縄で要職に就こうとする者が「辺野古容認」とは間違っても言えない、というムードがこの時決定的となった。この異様な空気は現在でも続いている。 転機になったのは16年12月、辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる訴訟で、最高裁が県の上告を棄却し、県敗訴が確定したことだ。辺野古移設をめぐる初の司法判断である。翁長氏は「あらゆる知事権限を用いて新基地を造らせない」と抵抗を続ける考えを示したが、以降、移設工事は着実に進む。翁長氏の公約達成が困難であることが明らかになった。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐる訴訟の上告審判決が言い渡された最高裁第2小法廷=2016年12月20日午後、東京都千代田区(桐原正道撮影) 国と県の対立が深刻化する中、安倍政権を批判する翁長氏の言動はどんどん革新リベラル寄りになり「オール沖縄」の保守色は薄れていった。これは保守層の支持離れを加速させた。「沖縄県民は自己決定権をないがしろにされている」などという翁長氏の過激発言は、沖縄と本土を分断するものであり、到底、保守層の受け入れるところではないからだ。オール沖縄が機能不全になったワケ 石垣市の中山義隆市長は「『オール沖縄』と称する勢力は共産党が主導しており、アイデンティティーよりイデオロギーになっている」と指摘する。共産党や社民党、労働組合などが発言力を増す中で「オール沖縄」は元自民党沖縄県連幹事長の翁長氏が総帥であるということ以外「保革共同体」と呼べる要素がほぼ皆無になってしまった。県議会では翁長県政を公然と「翁長革新県政」と呼ぶ議員も現れた。 「オール沖縄」の崩壊を決定づけた直接的な動きは、自民、公明、維新による「保守中道勢力」の結集が進んだことだ。前回知事選で自民は仲井真氏を推し、公明は自主投票、維新は下地幹郎衆院議員を事実上支援と、対応はバラバラだった。その三者がまとまったインパクトは大きかった。「オール沖縄」に取り込まれていた保守中道層が「復帰」し始めたのだ。 これにより「翁長知事」の誕生以降続いた「オール沖縄」対「自民」の構図が「オール沖縄と称する革新」対「保守中道」の構図に塗り替えられた。今年の名護市長選、石垣市長選は、自・公・維の「保守中道」が「オール沖縄と称する革新」に完勝。集票マシンとしての「オール沖縄」が機能不全に陥ったことが明らかになった。 保守系企業も「オール沖縄」の革新色に反発し、距離を置き始めた。「かりゆしグループ」は、オーナーの平良朝敬氏が沖縄観光コンベンションビューロー会長に指名されていたが、今年4月に「オール沖縄」を離脱。知事選での自主投票も決めた。金秀グループの呉屋守将会長も名護市長選敗北後の3月に「オール沖縄会議」の共同代表を辞任し、知事選で翁長氏の後継候補となることも辞退した。両グループの離脱は「オール沖縄」瓦解(がかい)を強く印象づけた。 「オール沖縄」の致命傷になったのは、改めて言うまでもなく8月の翁長氏死去である。「オール沖縄」の「保守」を代表するほぼ唯一の顔を失った。玉城氏は翁長氏後継として優秀な候補者には違いないが、翁長氏ほど保守層をつなぎとめる求心力はないとされる。知事選で、保守中道を支持基盤とする佐喜真氏の基礎票は、革新を支持基盤とする玉城氏を上回る。佐喜真氏が勝利するなら、その勝因は、単純に数の力だろう。記者会見する沖縄県の翁長雄志知事=2018年7月27日午前、沖縄県庁(共同) 玉城氏が勝利するなら、それは無党派層の取り込みに成功したからであり、翁長氏のように「オール沖縄」の構築に成功したからではない。 「オール沖縄」は、もはや存在しない。今どき大まじめで「オール沖縄」などと叫ぶ政治家や評論家は、それだけで恥ずかしい、というのが私の感覚だ。 本土の保守派からは「知事選を機会に、オール沖縄の欺瞞(ぎまん)を暴いてほしい」という要望がよく届く。しかし、何も心配するには及ばない。「オール沖縄」は、沖縄ではすでに亡霊だ。知事選で誰が勝者になったとしても、もうよみがえることはないだろう。

  • Thumbnail

    記事

    矛盾した県民感情に入り込む共産勢力と「オール沖縄」の限界

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 全国の注目を集める沖縄県知事選は投開票日を迎えた。台風24号が最接近した選挙戦最終日まで激戦が繰り広げられた。急逝した翁長雄志前知事を支えた「オール沖縄」は前衆院議員の玉城デニー氏を支援している。 オール沖縄陣営は候補選定基準を、翁長氏の遺志を引き継ぐ者と定めたが、候補選びに難航していた。ところが、突然翁長氏の「遺言」テープが見つかったと発表され、そこに名前が挙がっていたとされる玉城氏が擁立されることになり、玉城氏も出馬要請を受諾した。 さて、ここで言葉の矛盾に気がつく方もいらっしゃるだろう。オール沖縄代表が立候補し、地元紙の世論調査でも接戦を繰り広げているということは、沖縄全体の代表でなく半分の支持しか得ていないことを意味する。つまり、その実態は「ハーフ沖縄」だということだ。オール沖縄の中核も、革新政党である日本共産党や社民党、社会大衆党であることから、ほぼ「革新統一候補」にしか見えない。 そこで、まずはオール沖縄体制がどのように構築されたか振り返ることで、沖縄の「保革共闘」の歴史を考察したい。きっかけは、2009年9月に発足した鳩山由紀夫内閣で、鳩山氏が米軍普天間飛行場の移設問題について「最低でも県外」と発言したところから始まった。 それまで名護市辺野古への移設でまとまっていたのに、民主党政権にはしごを外された自民党沖縄県連は、翌年1月に県外移設に舵を切った。同月の名護市長選でも、辺野古移設に反対する革新統一候補の稲嶺進氏が当選し、県外移設を求める流れが加速する。 その後、2月の沖縄県議会で普天間基地の国外・県外移設を求める意見書が自民党会派を含む全会一致で可決される。4月にも、国外・県外移設を求める県民大会が開催され、そこに仲井真弘多(ひろかず)知事の登壇を執拗(しつよう)に迫って実現することにより、オール沖縄体制が完成したのである。 翁長氏が注目を浴びるようになったのは、那覇市長時代の12年9月、オスプレイ配備反対県民大会の共同代表になってからだ。13年1月には、沖縄全県の市町村長と市町村議会議長、県議33人のほか、沖縄選出国会議員などを含め、総勢144人が「総理直訴代表団」と称して上京した。 彼らは、オスプレイ反対集会や銀座でデモ行進した後、安倍晋三首相に対し、全市町村長が署名、捺印(なついん)した辺野古移設断念と、オスプレイ配備反対を訴える「建白書」を手渡した。ここで、オール沖縄体制は「反政府闘争体制」にグレードアップしたのである。2006年11月、沖縄県知事選に当選し、万歳をする仲井真弘多氏(中央)と、稲嶺恵一沖縄県知事(左)、翁長雄志那覇市長(右) しかし、この体制は1年も続かなかった。14年1月の名護市長選で現職の稲嶺氏に対し、辺野古移設を掲げる島袋吉和前市長と、引き続き県外移設を公約にする自民県連が推す末松文信県議が、ともに立候補する構えを見せた。保守系の分裂だけではなく、党本部と県連のねじれが表面化してしまったのだ。 それに慌てた自民党の石破茂幹事長は13年11月、沖縄県選出5人の国会議員を呼び出し、辺野古への移設容認を確認し、候補者も末松氏に一本化された。12月に自民県連が辺野古への移設容認に転換することを表明した時点で、オール沖縄は事実上崩壊したのである。不完全でも「保革共闘」 しかし、オール沖縄は安倍首相に提出した建白書を金科玉条のように大切にし、建白書を実現する知事候補として、翁長氏の擁立に動き始める。6月、那覇市議会の自民党新風会は那覇市役所で翁長氏と面談し、知事選への出馬を正式に要請した。だが、自民県連はこれを問題視し、那覇市議会の自民党所属議員12人のうち、安慶田(あげだ)光男議長など3人を最も重い除名、9人を離党勧告とする処分を決めた。 7月には「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」結成大会が開催され、およそ100人が発起人に名前を連ねたという。だが、実際はその時点で県内の市長11人中、名護と那覇を除く9人が「反翁長」であった。つまり、オール沖縄が根拠とする、全市町村が要望した建白書の効力は半減しており、オール沖縄は有名無実化していたのである。 だが、その事実を隠蔽したまま、オール沖縄を前面に出した報道が繰り返されていった。9月に入ると、「島ぐるみ会議」の度重なる要請を受けて、翁長氏は知事選出馬を表明した。翁長氏は「これ以上の(基地の)押しつけは沖縄にとって限界で、地元の理解を得られない移設案を実現することは事実上不可能だ」と政府と仲井真知事への対抗姿勢を示した。 11月の知事選で、翁長氏は仲井真氏に10万票差を付けて初当選を果たした。翁長氏の下で、沖縄は県をあげての政府との対立路線に突入していくのである。 その後、オール沖縄の象徴で、唯一の保守系会派だった新風会が17年の那覇市議選で壊滅的敗北を喫する。また、翁長氏の懐刀だった安慶田氏が口利き疑惑で副知事を辞任するなど、保守層の支持基盤は風前のともしびとなった。 現在、オール沖縄という言葉をかろうじて使う根拠になっているのが、保守政党出身の一部政治家が支援し、また地元建設・小売り大手、金秀(かねひで)グループの呉屋守将会長やグループが選挙戦で玉城氏を支援しているからだ。「保革共闘」とはいえ、その体制はかなり不完全だ。 確かに、保革共闘は沖縄県以外でもいくつかの地方選で行われている。福島県でも「反原発」に関しては、保守も革新も同じだが、知事が先頭に立って反原発運動をすることはない。しかし、保革共闘で反政府闘争が実現するのは沖縄だけである。その原因は、中国や北朝鮮による、沖縄への目に見えない反米工作があるともいわれている。 しかし、現在日本にはスパイ防止法がないため、その関与がたとえ分かったとしても、合法的な場合止める手立てはない。今できることは、その関与を呼び込む沖縄の保革共闘を生み出す土壌の原因を知り、それを克服することだ。2017年6月、米軍普天間基地と米海兵隊のV-22オスプレイ(早坂洋祐撮影) ところで、「なぜ、沖縄には広大な米軍基地があるのか?」と聞かれた場合、本土の保守層の多くは「沖縄は安全保障の要であり、米軍の抑止力が必要だから」と答えるだろう。日米安保条約により、在沖米軍が駐留していると認識しがちだ。そして、「米軍駐留に反対する沖縄の人は左派だ」とレッテルを貼ってしまいがちになる。しかし、真実はそう単純ではない。 沖縄に巨大な米軍基地があるのは、先の大戦末期に米軍が沖縄に上陸し、その直後に本土上陸作戦のための基地の建設を始めたからである。捕虜収容所に入れられた沖縄県民は、戦時中から米軍基地の建設に駆り出されていた。昨日の敵は今日の友 終戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)は沖縄の行政を日本から切り離したものの、連合国の関心が日本の戦後処理に集中した。こうして、沖縄の統治方針は定まらず、場当たり的な軍政が行われ、経済復興も遅々として進まなかった。 それが、1949年に中華人民共和国が成立し、翌年に朝鮮戦争が起きると、米国も沖縄の基地の価値を重要視し始めた。日本本土上陸作戦のために建設した沖縄の米軍基地が、今度は、大陸の共産主義勢力を封じ込めるために、「太平洋の要石(キーストーン)」として位置づけられ、恒久基地の建設が始まったのである。 当時のアイゼンハワー大統領は年頭の一般教書演説で沖縄を無期限に管理すると言明していた。つまり、当時の沖縄での「親米」とは米軍に従うだけで、永久に日本に復帰しないことを意味し、日本人の誇りを捨て去った「植民地根性」以外の何物でもなかった。日本への復帰を願う沖縄の愛国者は自然と反米的にならざるを得なかったのだ。 このような中で、在沖米軍の撤去と、日米安保破棄のために毛沢東が仕掛けたのが、沖縄県祖国復帰闘争だ。沖縄の祖国復帰に反対する人は皆無のため、1950年代以降の復帰運動への参加には保守も革新もなく、島ぐるみで盛り上がりを見せた。そこで、米国は施政権を返還して基地機能を維持する方針に転換した。 その直後から、中国共産党のコントロール下にあった革新勢力は、基地の残った復帰に反対し、米軍基地の即時・無条件・全面返還を唱え、日本政府と対立するようになる。一方、沖縄自民党は政府と協調し、基地抑止力を残したままでの復帰する方針を採り、保革共闘は事実上崩壊した。 だが、現在のオール沖縄と同じく、革新勢力の作った「沖縄県祖国復帰協議会」を中心とする復帰運動が、地元メディアではあたかも沖縄の世論のように報じられ続けた。そのピーク時の68年、琉球政府行政主席選が行われ、投票率90%の激戦の末に革新統一候補の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏が当選した。その後、激しい沖縄返還協定粉砕を唱えるデモが繰り返される中で、71年6月17日に沖縄返還協定が調印され、翌年5月15日に沖縄の祖国復帰が実現することになる。 わずか27年間とはいえ、激動の占領期間だったが、米軍の抑止力が必要だと認識する沖縄の保守層といえども、米軍の言いなりになっていては復帰が実現せず、単純な親米だけでは沖縄の未来が開けなかったことを知っていたからである。 日本復帰後から46年後の現在は、軍事覇権を強める中国の脅威にさらされ、米軍の抑止力の重要性がなくなることはない。つまり、73年前に沖縄に上陸し全てを破壊した米軍は戦後に占領軍となり、そして復帰後はなくてはならない同盟軍だ。まさしく「昨日の敵は今日の友」である。1965年8月、佐藤栄作首相の沖縄訪問の影響で、琉球政府庁舎前で警官隊と衝突した、沖縄県祖国復帰協議会に参加する琉球大生たち 今、多くの沖縄県民は、理性的な現実認識と歴史的体験による感情を整理できないままでいる。そのような中で、矛盾した県民の心理を、共産主義勢力がターゲットにしている。 それは、沖縄戦や米軍による沖縄占領の歴史、そして沖縄県祖国復帰運動の歴史を、今後の沖縄の安全保障政策や沖縄の未来構築に生かしていくだけの整理、清算が終わっていないからだ。これこそが、保革共闘の土壌であり、沖縄問題の深因なのである。

  • Thumbnail

    記事

    なぜ沖縄に米軍基地が集中するのか

    秋元千明(英国王立防衛安全保障研究所アジア本部所長) なぜ沖縄に米軍基地が集中するのか。地図を眺めるとその戦略的な重要性がよくわかる。 日本政府が2012年9月、尖閣諸島の3つの島を国有化してからというもの、中国は恒常的に海洋警備の艦艇を尖閣諸島の周辺に侵入させ、そこが中国の領域であることをさかんにアピールしようとしている。力を使って緊張を高め、外国の領域で強引に自分たちの主張を通そうとする姿勢は、国際社会の安定に責任を持つ大国の行動としては到底容認できるものではない。ただ、なぜ中国がそれほどまでに沖縄県の南端の小さな島々を欲しがるのか、中国の意図についてはあまり議論されていない。 沖縄周辺に豊富な海洋資源があるためか、もしくは軍事的な野望があるのか、様々な見方が混在する。それを理解するにはまず地図の見方を変えなくてはならない。 英国では戦略専門家がしばしば、世界地図を逆さまにしたアップサイド・ダウンと呼ばれる地図を用いる。対象となる地域をいろいろな角度から眺めるほうが、相手国との関係を客観的に読み取れるからだ。  富山県が発行した日本列島の北と南を逆さまにした「環日本海諸国図」や、新潟県佐渡市が発行した「東アジア交流地図」は、まさにそれである。逆さ地図は、大陸の中国人の目に、日本列島がどのように映っているのかを明解に説明している。まず気づくのは、日本列島が中国の沖合に壁のように鎮座し、中国の海への進出を阻んでいる事実である。 1990年代以降、中国は海の権益を核心的利益だとして、海軍力の強化に取り組んできた。めざすのは太平洋、インド洋など外洋への進出である。 黄海に面した中国山東省の青島には、中国人民解放軍の北海艦隊の司令部があり、ここを拠点に日本近海の東シナ海や西太平洋で活動している。とりわけ、太平洋への進出は外洋型の海軍をめざす中国にとっては最も重要であり、そのためには次の4つのルートを通って、太平洋に抜けなくてはならない。すなわち、 ①日本海からオホーツク海を経由して太平洋に抜けるルート ②日本海から津軽海峡を抜けて、太平洋に出るルート ③沖縄県の宮古島と沖縄本島の間の広い海域を抜けるルート ④台湾海峡を抜け、南シナ海を経由して、太平洋に抜けるルート以上の4つである。出所:ウェッジ作成 このうち、中国にとって、沿岸国を刺激せず、迂回せずに太平洋に出られるのは③の沖縄本島と宮古島の間を抜けて行くルートである。そして、そのルートの入り口近くに尖閣諸島があるのだ。つまり、中国が沖縄県の一部の領有を主張する背景には太平洋進出の拠点を確保しようとする軍事的思惑があることは間違いない。沖縄は「太平洋の要石」 それでは、東アジアの中で沖縄はどのような位置にあるのだろうか。 沖縄の那覇から台北までの距離は620キロ、台湾海峡まで750キロと、沖縄本島は日本本土よりはるかに台湾に近い。また、北京まで1860キロ、中国海軍の北海艦隊の司令部がある青島まで1300キロ、中国の特別行政区である香港まで1430キロである。 一方、朝鮮半島までの距離は、北朝鮮のピョンヤンまで1440キロ、韓国のソウルまで1260キロの距離にある。 つまり、沖縄は、日本の安全保障上の脅威になるそれぞれの地域とほぼ等距離の位置にあり、台湾海峡に非常に近いことが指摘できる。将来、危機が予想される地域に対して、近過ぎず遠過ぎず、ほどよい距離に沖縄は位置しており、そこに緊急展開部隊である海兵隊を配備していれば、有事の際、迅速に危機に対処することが可能になるのである。太平洋戦争の際、沖縄が「太平洋の要石(かなめいし)」と呼ばれたのはこのためである。 また、沖縄の位置を地球規模で眺めてみよう。世界のいくつかの場所を中心に半径1万キロの円を描いてみる。地球は球体なので、平面の地図に同心円を描くと、波打つように表される部分がその範囲となる。すると、1カ所だけ、世界中のほとんどの地域をすっぽりと覆ってしまう都市がある。それはロンドンであり、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸の全域と南米の北半分がその範囲に収まる。かつての大航海時代、英国が7つの海を支配できたのは、英国が世界各地へアクセスしやすい場所に位置していたことと無関係ではない。 そして、ロンドンの次に、同じ同心円で世界の主要な地域を覆うことができる場所は、実は沖縄である。那覇を中心とする半径1万キロの範囲には、ユーラシア大陸のほぼ全域、オセアニア、アフリカの東半分、北米の西半分が含まれ、これほど世界各地へのアクセスが容易な地域は太平洋には他にない。出所:ウェッジ作成 一方、戦略拠点として知られる、インド洋のディエゴ・ガルシアは、確かにユーラシア大陸のほぼ全域とオセアニアを完全にカバーするが、北米、南米は範囲に含まれない。つまり、アジアと欧州、中東、アフリカをにらむ戦略拠点であることが容易に理解できる。不後退防衛線「アチソンライン」とは それでは沖縄は地政学的に見た場合、日本の安全保障上、どのような意味を持っているのだろうか。 米国が第二次大戦後、太平洋西部に配置した防衛線は、かつて「アチソンライン」と呼ばれた。アチソンラインはハリー・トルーマン大統領のもと、国務長官に就任したディーン・アチソンが共産主義を封じ込めるために考案したもので、アリューシャン列島から宗谷海峡、日本海を経て、対馬海峡から台湾東部、フィリピンからグアムにいたる海上に設定された。 アチソン国務長官は、この防衛線を「不後退防衛線」と呼び、もし、共産主義勢力がこのラインを越えて東に進出すれば、米国は軍事力でこれを阻止すると表明した。当時はランドパワーのソビエトが海洋進出を推し進めようとしていた時期であり、これを阻止するための米国の地政戦略がアチソンラインであった。 ただ、このアチソンラインには重大な欠陥があった。朝鮮半島の韓国の防衛や台湾の防衛が明確にされておらず、むしろこれらの地域を避けるように東側に防衛線が設定されていたため、誤ったメッセージを発信してしまった。北朝鮮が、このアチソンラインの意味を読み誤り、米国が朝鮮半島に介入しないと解釈したことが朝鮮戦争の引き金をひくことになったというのが定説である。 このように、はなはだ評判の悪い防衛線ではあったが、現代でも米国は海軍の艦艇をこのアチソンラインに沿った海域に定期的に展開させており、海上の防衛線と言う意味では、アチソンラインはいまだに米国の安全保障戦略の中に息づいていると言ってよい。出所:ウェッジ作成 ただ、現代では、韓国と台湾はいずれも米国の防衛の対象とされているから、現代の「新アチソンライン」は、アリューシャン列島から宗谷海峡、朝鮮半島の中央を突き抜けて、東シナ海から台湾海峡を通り、南シナ海へ抜けるルートであると解釈すべきだろう。実際、米国の海軍艦艇は、現代でも、この線の東側で活動するのが一般的であり、西側に進出することはほとんどない。 一方、これに対抗して中国が1990年代に設置した防衛線が、第一列島線と第二列島線である。第一列島線は、九州を起点として南西諸島、台湾、フィリピン、ボルネオ島に至る防衛線であり、中国は有事の際、第一列島線より西側は中国が支配することを狙っているといわれている。 一方、第二列島線は、伊豆諸島から小笠原諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアに至る防衛線であり、中国は有事の際、第二列島線より西側に、米国の空母攻撃部隊を接近させない方針だといわれている。沖縄の戦略的価値は変わらない つまり、米国の防衛線、新アチソンラインよりはるか東側に中国は二重の防衛線を設置していることになる。この米国の新アチソンラインと中国の2つの列島線に挟まれた海域こそ、日米と中国の利害が真っ向から衝突する海域ということになる。 そして、この海域には、日本の生命線であるシーレーンが集中している。シーレーンは中東方面から物資を日本に輸送する船が航行する海上交通路であり、日本の輸入する原油の90パーセント近くが、中東からシーレーンを通って運ばれてきている。 シーレーンは、インドネシア周辺のマラッカ海峡から南シナ海を経由して、バシー海峡から太平洋に入り、南西諸島の東側に至り、日本本土に達するルートか、もしくは、インドネシアのロンボク海峡から、フィリピンの東側の太平洋を北上して、南西諸島に通じる遠回りのルートの2つがあるが、いずれも南西諸島の東沖で合流し、日本本土へ達する。つまり、南西諸島の東側の海域は、日本のシーレーンが集中する海域であり、日本の死活的利益がここにある。 そして、まさにその海域で米国の防衛線と中国の防衛線が向かい合っているのである。米国の新アチソンラインは南西諸島のすぐ西側を台湾海峡に向かって南下し、これに対する中国の第一列島線は、まさに南西諸島そのものに設置されている。 南西諸島は、日本の九州から台湾にかけて連なるおよそ1200キロに及ぶ長大な島嶼群だが、そのほぼ中央に沖縄本島が位置し、そこに米軍基地が集中しているのである。つまり、日本の生命線の中心に米軍は駐留していることになる。沖縄米軍嘉手納基地には、実弾を搭載していると見られる戦闘機が見られた=2013年3月21日、沖縄県嘉手納町の米軍嘉手納基地(鈴木健児撮影) このように、地政学的に見た場合、沖縄を中心とした南西諸島周辺は、日本にとってシーレーンが集中する戦略的要衝であると同時に、米国と日本という太平洋の二大海洋国家・シーパワーと、中国という新興の内陸国家・ランドパワーのせめぎ合いの場であり、その中心に位置する沖縄がいかに日本や米国にとって重要な戦略拠点であるかはこれ以上の論を俟(ま)たないであろう。 そして、その戦略的価値は将来、沖縄の米軍基地が大幅に縮小されることはあっても、ほとんど変わることはないだろう。大陸と海を結ぶ玄関口に沖縄があるからである。あきもと・ちあき 英国王立防衛安全保障研究所アジア本部所長。早稲田大学卒業後、NHK入局。30年以上にわたり軍事・安全保障専門の国際記者、解説委員を務める。2012年から現職。著書に『アジア震撼』(NTT出版)、『戦略の地政学──ランドパワーVSシーパワー』(ウェッジ)など多数。

  • Thumbnail

    記事

    中国工作機関が尖閣触手で宮古島観光協会「恐ろしくなった」

     永田町が政局に揺れ、国全体が北朝鮮のミサイルに緊張感を高めるなか、沖縄県・那覇を訪ねる謎の一行がいた。その名は中国国際友好連絡会(友連会)。表向きは日中友好を謳う。だが、実態は対日工作活動の一翼を担っているとされる。ジャーナリストの竹中明洋氏がレポートする。 * * * 9月4日、北京からやってきた友連会の一行4名が、沖縄県庁6階の応接室に翁長雄志知事を訪ねた。今回、訪日団長を務めた辛旗副会長は翁長知事に要請した。「ぜひ北京を訪れてほしい。私の大学の同級生が故宮博物院の館長ですので、招待したいと思っています。また、私の娘も学芸員です。彼女は、昨年沖縄を訪れて、琉球王朝を研究しているので交流したい」 だが、友連会のいう「交流」の本当の狙いは、沖縄と日本本土との間に楔を打つことにある。基地問題を背景に沖縄では日本政府への不満が高まっているが、友連会の中にそうした気運を利用しようという動きがある。 事実、2012年8月、中国の友連会と「交流」していた日本の日中友好団体である、沖縄・中国友好協会が主催したセミナーでの議論をもとにまとめられた文書には、尖閣領有権問題の処方箋として、短期的に「領有権の棚上げ」を行い、その上で「政府と沖縄との間で、尖閣の土地の賃貸借契約を締結」し、沖縄に「尖閣の管理を委託」することを目指す、といった内容が書かれていた。 このセミナーが講師として招いたのは、清華大学の劉江永教授。中国きっての日中関係の研究者として知られ、友連会の理事でもあった。劉教授が、島の管理を沖縄に委託するとの奇策を持ち出したのは、日本が実効支配している尖閣領有権を棚上げすべきだとの世論を沖縄県内で喚起するためだろう。 こうした世論工作とは別の動きを掴んだことがある。2010年3月のことだ。沖縄本島から南西に320kmも離れた離島を友連会の一行5人が訪れていた。島の名前は下地島。2015年に宮古島と橋で繋がったが、当時は宮古島から連絡船に乗らなければ、渡ることができないような不便な島だった。現地を案内したのが、当時の宮古島観光協会の会長・藤村明憲氏だった。 藤村氏は昨年9月に亡くなったが、生前の取材にこんな話をしてくれた。下地島空港=2010年3月、沖縄県宮古島市(中静敬一郎撮影)「那覇市内で開かれたセミナーで彼らを紹介されました。『中国の友好交流団体の人たちが宮古島や下地島を見たがっているので案内してやってほしい』ということでした。引き受けると、その2日後には一行が宮古島に飛行機でやって来ました。到着するなり、『観光はいいから、すぐ下地島をみたい』と言い出すので、何か変だなと感じたものです」沖縄を舞台にした米中の情報戦 藤村氏の直感は正しかったというべきか。彼らが何を差し置いても見たがったのは、下地島にある日本で唯一のパイロット訓練専用飛行場の下地島空港。滑走路の長さは3000mもある。大型機のボーイング747でも離着陸訓練ができるように建設されていた。これだけの規模となると、県内では他に那覇空港と米軍嘉手納基地しかない。「はじめは『小さな島にこれほどの滑走路があるのか』と驚いた様子でしたが、そのうち『この島に大リゾートを誘致しないか』と切り出してきたのです。『資金なら、さしあたって200億、300億円出す。プロジェクト次第でもう1000億円積める』と言い出す。まともに取り合いませんでしたが、あとで恐ろしくなりました」(藤村氏) 経費削減のために航空会社がフライトシミュレーターを使った訓練へとシフトしていく中で、この飛行場への年間の着陸回数は200回程度まで落ち込んでいる。近年は、航空自衛隊の基地として活用することも検討されてきた。そこに、友連会からの触手が伸びた。 下地島は尖閣諸島までわずか200km。中国機が尖閣上空の領空に近づいた場合、ここからなら空自のF15が短時間でスクランブルできる。友連会はリゾート開発をちらつかせ自衛隊基地化を妨害できないかを探っていたのではないか。さらに後日談がある。「じつは一行を案内してから数か月後に、在沖縄米国総領事館の職員と会う機会がありましたが、『中国の人たちを下地島に案内したでしょう』と言われ、『なぜ分かったのか』とドキッとしました」(藤村氏)東シナ海公海上で中国国旗を掲げて航行する潜水艦。尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の接続水域を潜没航行した=2018年1月12日(防衛省提供) 沖縄の離島を舞台にした米中の情報戦が垣間見える。●たけなか・あきひろ/1973年山口県生まれ。北海道大学卒業、東京大学大学院修士課程中退、ロシア・サンクトペテルブルク大学留学。在ウズベキスタン日本大使館専門調査員、NHK記者、衆議院議員秘書、「週刊文春」記者などを経てフリーランスに。著書に『沖縄を売った男』。関連記事■ 日中友好謳う謎の一行が翁長・沖縄知事訪問 日本分断画策か■ 日本人12人が中国で拘束、習政権の基盤強化の生贄か■ 外国資本の日本の土地買い占め、1年でTDL15個分■ 北海道が中国の“北海省”になる日も遠くない? 事態は逼迫■ トランプ大統領 中国からの尖閣防衛は何も約束していない

  • Thumbnail

    記事

    韓国に思いを寄せる左派により韓国が窮地に陥る皮肉

     第二次世界大戦の終戦直後、GHQは日本人に贖罪意識を植え込む洗脳政策を実施していた。その一つに「朝鮮を批判してはいけない」という項目があるとケント・ギルバート氏は指摘している。ケント氏と『東京裁判をゼロからやり直す』(小学館新書)の共著者、井上和彦氏のスペシャル対談、GHQの占領政策に影響を受けた日本の言論により、70年後のいま、何が起きているのかを語り合った──。ケント:沖縄では反米軍基地運動が展開されていますが、「九条を守れ」と言いながら「米軍は出て行け」ですからね。日本に丸裸になれと言っている。井上:彼らはよく「沖縄に基地を押し付けている」と言うんですが、米軍基地が沖縄にあるのは、簡単に言えばあの場所に基地があることで、アメリカは朝鮮半島と台湾の有事に即応でき、中国、中央アジア、中東まで睨みを利かせることができるからです。アジアの安全保障にとって極めて重要な場所だからアメリカは基地を置いているわけで、日本政府が沖縄に押し付けているわけじゃない。ケント:結果的に日本にも大きなメリットがあるということですね。井上:もし日本から米軍基地がなくなると、一番困るのは実は韓国でしょう。現在の在日米軍と在韓米軍の戦力を比較すると、在日米軍は、世界最強の第7艦隊を筆頭に陸海空合わせて5万人規模ですが、在韓米軍は、陸軍部隊を中心に空軍部隊がいるだけで、海兵隊および海軍部隊はわずか。規模も在日米軍の半数程度です。つまり、朝鮮半島有事の際には、在日米軍が主力になる。ケント:日本の左派の人たちは「軍事基地があるから戦争になる」と本気で信じていて、日本が武装解除すれば戦争にならないというんですね。それこそが戦争を誘発するということがわかっていない。在日米軍基地がなくなれば、北朝鮮が韓国に攻め込む可能性も高まる。米軍普天間飛行場・辺野古移設問題米軍普天間飛行場移設に向けた護岸工事が進む沖縄県名護市の辺野古沿岸部=2018年1月27日午後(共同通信社機から)井上:左派のなかには韓国に異常なまでに思いを寄せる人が多いんですが、彼らの主張が韓国を窮地に陥れかねないのだから皮肉な話です。ケント:しかし、マッカーサーも自分たちの占領政策が原因とはいえ、70年後の日本がこんな状況になるとは思っていなかったでしょうね。占領統治が終わったら、憲法くらいは改正するだろうと思っていたら、まったく変えないので、びっくりしたんじゃないですか。 終戦から約5年半後の1951年にジョン・フォスター・ダレス国務省顧問は、吉田茂首相と会談して「憲法を改正してはどうか」と提案しましたが、吉田首相は断わった。経済復興に専念することを選んだわけです。井上:いま安倍政権下で憲法改正の議論が始まっていますが、日本人はGHQの洗脳によって植え付けられた東京裁判史観を見直すことが、議論の第一歩だと思います。ケント:まず日本人は、その東京裁判史観を反日戦略に利用し続けてきたのが、中国と韓国であることを認識するべきでしょう。関連記事■ ケント氏「韓国には嘘が恥ずかしいという概念がないのか」■ 慰安婦問題 繰り返される手のひら返しと河野談話への流れ■ 文在寅大統領就任で青瓦台は「反米親北勢力」に乗っ取られた■ 韓国による「慰安婦」世界記憶遺産登録を完全阻止の秘策あり■ ケント氏「議論すら許さない日本のリベラル派は全体主義者」

  • Thumbnail

    記事

    創価学会「最後の夢の国」池田大作はなぜ沖縄にこだわり続けるのか

    島田裕巳(宗教学者) 創価学会の池田大作氏は、第3代の会長を退いて以来、長く名誉会長と呼ばれてきた。ところが、最近、名誉会長から退いたわけではないようなのだが、「池田大作先生」という呼称が使われるようになっている。 池田氏が会長に就任したのは1960年のことで、そのときまだ32歳だった。その若さで巨大な新宗教教団を率いるのは容易なことではないが、若きリーダーの下、創価学会は、少なくとも1960年代いっぱいは、その勢力を拡大し続けた。 池田氏が初めて沖縄を訪れたのは、会長に就任してわずか2カ月後のことである。沖縄に初めて創価学会の会員が生まれたのは1954年のことだが、当時の最小単位の班はあっても、まだ支部はなかった。そこで、池田氏の提案で沖縄支部が結成される。 それ以来、池田氏は、2000年までの間に沖縄を17回訪れている。池田氏の会長としての主な仕事は、国内外を訪れ、現地の会員を励ますことにあった。 池田氏が、沖縄のことをいかに重視していたかは、ごく最近『聖教新聞』での連載が終わった『新・人間革命』の正編、『人間革命』の執筆を、1964年に沖縄の地で始めたことに示されている。 池田氏の基本的な認識は、沖縄が第2次世界大戦において悲惨な戦争の犠牲になり、なおかつ戦後は、在日米軍の基地を抱えていることを踏まえ、本土の「捨て石」になっているというものだった。その上で、基地問題を解消し、沖縄に本当の平和をもたらすべきであることを訴えてきた。1970年5月、創価学会第33回本部総会であいさつする池田大作会長=両国・日大講堂 この池田氏の主張は、沖縄の多くの人々の共感を集めるもので、その点では、平和の実現ということに力を入れてきた創価学会の指針としては重要なものということになる。ただ、なぜ池田氏が沖縄に力を注いできたのかということになると、平和の問題だけでは理解できないように思われる。 創価学会の組織は基本的に、地域別、年齢別に組織されている。地域では、現在の最小の単位はブロックで、それが地区、支部、本部、圏、分県、県へと範囲が広がっていく。性別では、性と年齢に応じて「青年部」「婦人部」「壮年部」に分かれる。沖縄の人々の生活にある「空白」 ただ、そうしたものとは別に、医者だけの集まりである「ドクター部」などというものもあるし、芸能人の入っている「芸術部」もある。さらには「団地部」や「離島部」というものもあり、創価学会ではこの二つの部の活動にかなり力を入れてきている。 団地は住民が近接して暮らしているために、人間関係は密である。そこに入り込めば、創価学会は会員を増やしていくことができる。東京都であれば、都営団地の中に創価学会の会員が多いところがあり、そうしたところでは自治会の役員なども積極的に務めている。 離島の場合も地域社会の結束が強く、その点は団地と似ている。ただ、離島は外界から閉ざされている面があり、創価学会の会員が伝統的な信仰を否定するようなことになると、住民との間でトラブルになりやすい。 ところが、沖縄の場合には、宗教をめぐる状況は本土とは大きく違う。近代以前には、沖縄独自の祭政一致の信仰体制が確立されていたものの、それは日本に組み込まれる過程で崩壊し、失われてしまった。神道や仏教も入ってはいるが、正月や盆などの伝統的な行事だと、神道や仏教と無縁な沖縄独自の信仰が今も生き続けている。 つまりそれは、沖縄の人々の信仰生活に空白の部分があることを意味する。そして、創価学会の信仰を広めるには状況として都合がいい。実際、沖縄の離島では、創価学会の会員が増えている。そのことは、公明党の選挙結果に反映されている。 前回の衆議院議員選挙は昨年10月に行われた。その際、沖縄県全体での比例代表の得票数は第1位の自民党が14万960票だったのに対して、公明党は第2位で10万8602票だった。立憲民主党でさえ、10万票を獲得できなかった。ここからも沖縄における公明党、創価学会の強さがうかがえる。 この公明党の得票数から、沖縄の創価学会員の数を推測することができる。大阪商業大にあるJGSS研究センターでは、毎年詳細な世論調査を実施しており、その中には、信仰について聞く部分も含まれている。米軍普天間飛行場の移設工事が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部=2018年8月(小型無人機から) その中で「自分は創価学会の会員である」と回答している人間は、毎年およそ2・2%である。この数は年によってほとんど変わらないので、現在、創価学会の会員は人口の2・2%と考えていいだろう。 人口の2・2%ということは、それはおよそ280万人を意味する。つまり、現在の創価学会の会員数は約280万人なのである。乳児ばかりの新入会員 前回の衆院選で、公明党は比例代表でおよそ698万票を稼ぎ出した。これは、280万人よりはるかに多いが、創価学会の会員は選挙のたびに友人知人にアプローチし、公明党への投票依頼を行っている。 698万を280万で割ると、2・5という数が出てくる。創価学会員は、衆議院議員選挙において1人が2・5票を稼ぎ出しているわけである。 これを沖縄県に当てはめてみると、創価学会員は4万3500人程度ということになる。これは、沖縄県の人口の3%にあたり、日本全体の平均よりも高い。さらに、沖縄の離島に目を移すと、本土から遠い島であればあるほど、創価学会が深く浸透していることが分かる。 石垣市では、自民党が4061票であるのに対して、公明党は5171票で、政党の中でもっとも多い。さらに西の竹富町では、481票に対して619票とかなりの差をつけている。与那国町でも278票に対して290票である。 沖縄本島より東の南大東村になると、なんと91票に対して343票と、公明党が自民党を圧倒している。しかも、全体の得票数が681票だから、公明党は過半数に達している。 もちろん、南大東島の選挙結果が国政選挙全体に影響を与えるわけではない。だが、公明党の得票数が半数を超える島の存在は、選挙活動に邁進(まいしん)する創価学会員にとっては大いに励みになる。日本全体がこの島のようになれば、公明党は第1党となり、単独で政権を獲得できるのだ。 池田氏が会員の前に姿を現さなくなってから、すでに8年の歳月が流れた。時折『聖教新聞』などに近影が掲載されるが、そこに笑顔はない。姿を現さなくなるようになる前から、本部幹部会でのスピーチからは迫力がすっかり失われていた。池田氏が、再び会員の前に姿を現し、会員全体を鼓舞することはありそうにない。中国の王岐山国家副主席(右)と会談を前に握手する創価学会の原田稔会長=2018年9月25日、北京の中南海(共同) 現在の原田稔会長も77歳になろうとしている。他の幹部も高齢化が進み、組織の刷新は図られていない。かつては「折伏(しゃくぶく)」によって信者を伸ばしていったものの、現在の新入会員は、会員宅に生まれた乳児ばかりである。 その中で沖縄の状況は突出している。沖縄は創価学会にとって、最後の「夢の国」なのかもしれない。果たして、公明党はその夢の国に平和をもたらすことができるのだろうか。それは、公明党が自民党との連立を解消しない限り、相当に難しいことであるように思われる。

  • Thumbnail

    記事

    沖縄知事選は反差別の理不尽と戦う「日本解体闘争」である

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 平成30年8月31日の琉球新報1面に「沖縄への基地集中は『人種差別』国連が日本政府に勧告」というタイトルで次の記事が掲載された。 国連人種差別撤廃委員会は30日、対日審査の総括所見を発表した。日本政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告した。米軍基地に起因する米軍機事故や女性に対する暴力について「沖縄の人々が直面している課題」と懸念を示した。その上で「女性を含む沖縄の人々の安全を守る対策を取る」「加害者が適切に告発、訴追されることを保証する」ことなどを求めた。同委員会が勧告で、差別の根拠として米軍基地問題を挙げたのは2010年以来。(以下省略) 前回の寄稿「沖縄の基地集中は『人種差別』危険な国連勧告の裏側を読む」では、筆者がスイス・ジュネーブまで足を運び、国連人種差別撤廃委員会の対日審査に先立ち、「沖縄県民は先住民族としての自己認識を持っておらず、日本人である」とスピーチしたことを報告したが、それを全く無視し、このような勧告が出されたのだ。沖縄県民を先住民族と断定した勧告は、2008年の自由権規約委員会以来、これで5回目である。 さて、前知事の翁長雄志氏急逝に伴い9月30日に投開票が行われる沖縄県知事選で、翁長氏を支援してきた「オール沖縄」は、後継候補として自由党幹事長の玉城デニー前衆院議員の擁立を決めた。オール沖縄は「イデオロギーではなくアイデンティティー」をスローガンにして米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を掲げてきた。 このスローガンは、基地問題が保革の対立問題ではなく、国際的人種差別問題にエスカレートさせる一つの罠(わな)であり、玉城氏もこのスローガンを引き継いでいる。沖縄県民が全く望まないのに、国連で先住民族と認識されるからくりと、その目的が米軍基地撤去であることについては、すでに「沖縄・翁長知事の国連演説は本当にヤバい」(月刊正論2015年10月号)で述べたので詳細は、そちらを参照いただきたい。沖縄知事選で支持を呼び掛ける玉城デニー氏=2018年9月13日 ここで、先住民族勧告に関する沖縄選出の国会議員全員の姿勢が明らかになった報道を紹介したい。まず、平成28年4月27日、国連の各委員会による先住民族勧告を問題視した沖縄選出の宮崎政久衆院議員が内閣委員会の質疑で勧告の撤回を働きかけるよう政府に求めた。 これに対し、木原誠二外務副大臣は「事実上の撤回、修正を働きかけたい」と答弁し、それを問題視した琉球新報は、翌日の新聞1面で取り上げ、別稿記事で沖縄選出の全ての衆参両議員に賛否を問うアンケートの結果を掲載した。 それによると、自民党所属議員5人と、おおさか維新の儀間光男議員は「沖縄県民は日本人であり勧告は不適切だ」との主旨の回答をした。また、おおさか維新の下地幹郎議員は「政治家の領分ではない」と判断を回避。問題のオール沖縄の議員5人は、「勧告は人権を尊重したもの」や「その撤回は侮辱」などと勧告を評価、肯定する主旨の回答をした。そして玉城氏も「差別を否定する勧告は政府も尊重すべき」と答えたのである。 沖縄では差別とか自己決定権という言葉で覆い隠してはいるが、結局のところ、オール沖縄とは「オール先住民族」だったのである。つまり、現在行われている知事選は辺野古移設阻止を問う選挙ではなく、沖縄県民はこれまでのように日本人として生きていくか、日本のマイノリティーである先住民族として生きていくのか、を問う選挙なのである。民意を無視した地元紙 沖縄の米軍基地撤去運動は「安保闘争」から国連を利用した「沖縄反差別闘争」にシフトしていることも前回の寄稿で説明した。先住民族の権利を利用して米軍基地を撤去する方向に動いているのだ。今さら驚く必要もないが、琉球新報は8月30日の国連勧告を重要視し、9月3日の社説でも以下のように取り上げている。「国連の沖縄基地勧告 政府は差別政策改めよ」 過重な米軍基地負担によって県民が差別的処遇を受けていることを国際社会が認めた。国連人種差別撤廃委員会が、米軍基地の沖縄集中を差別の根拠として挙げ、沖縄の人々の権利を保護するよう日本政府に勧告した。勧告に法的拘束力はないが、実情を真摯(しんし)に受け止め沖縄に寄り添った内容だ。世界標準で見ても、政府の新基地強行がいかに理不尽であるかが改めて浮き彫りになった。政府は勧告を受け入れ、直ちに辺野古の新基地建設を断念し、沖縄に対する差別政策を改めるべきだ。(以下省略) その後の内容も社説というよりは、被差別意識をあおるような言葉が続く。◎「戦後70年余も米軍基地に反対し続けてきた沖縄の訴えには一切耳を貸さず、本土の『民意』にはすぐに理解を示す。これを差別と言わずして何と言おう」◎「日本政府は勧告を受け入れてはいない。むしろ逆に、沖縄に対する圧政の度合いを強めている」◎「政府は国際社会の指摘に頰かむりせず、きちんと向き合うべきだ。県民の人権、自己決定権を踏みにじることは許されない」 筆者は、多くの沖縄県民がこの社説のように思っているとは思わない。また、先住民族の権利を理解しているとも思わない。問題は、この社説が沖縄県民の代弁として国際発信されることだ。筆者は、国連の人種差別撤廃委員会で休憩時間中に日本語で書かれた琉球新報を広げて読んでいる委員を見た。彼は委員会でもたどたどしい日本語でスピーチするなど非常に日本に好意を持っている人物である。しかし、琉球新報に書かれていることが「沖縄県民の世論だ」と勘違いしていることは間違いない。 一方、沖縄反差別闘争の特徴に日米同盟容認があることも述べたが、それを裏付ける動きがあった。8月29日、立憲民主党の沖縄県連設立を受けて、那覇市内で記者会見を行った枝野幸男氏は「辺野古に基地を作らせない」「普天間を返還させる」とした上で、「日米安全保障体制の堅持」を方針として掲げた。 これには、すでに巧みな罠が仕掛けられている。それは、沖縄の米軍基地を全国で引き取る運動だ。言い換えれば「日米安全保障体制は重要だ。しかし、沖縄にばかり基地負担をかけているので、公平にするため全国で引き取ろう」という考えである。 これは、日米同盟を重要視する自民党系の首長も賛同してしまいそうな主張とも思える。だが、訓練移転は実現できても、実際に沖縄の基地負担を大幅に減らす移設を実現する可能性はゼロだ。なぜなら、これまでの日米両政府の合意を覆すことであり、交渉を振り出しに戻すようなものだからである。 仮に合意したとしても今度は、受け入れ先の自治体が基地反対の活動を起こして、失敗させることを目論んでいる可能性があるからだ。結局、基地引き取りに失敗して、琉球新報や沖縄タイムスに「沖縄差別!」という大きな見出しが掲載されることになり、国連に報告する具体的な材料が増えるだけだ。 もう一つ、新たな「沖縄差別運動」が始まろうとしている。前述した立憲民主党の沖縄県連が設立され、その県連会長に反ヘイトスピーチ運動の先頭を走ってきた参院議員、有田芳生氏が就任した。彼は、参院議員の糸数慶子氏がジュネーブの国連人種差別撤廃委員会に参加した際も会場で常に隣りに座っていた。この2人は、反ヘイトスピーチ運動と沖縄の米軍基地問題という、一見異なる領域で活動しているように見えるが、実態は「反差別闘争」という日本解体運動をともに戦う同志でもある。国連人種差別撤廃委員会の対日審査会合後、記者会見する参院議員の有田芳生氏(右)と糸数慶子氏=ジュネーブ 有田氏を県連会長に送り込んだ立憲民主党の狙いは、国連勧告を錦の御旗にして、沖縄発の反基地運動、独立運動に対して、全ての批判をヘイトスピーチとして阻止するためではないだろうか。 それを許してしまうと、「沖縄県民は日本人ですから独立なんてバカなことを言わないでください」という発言も、「琉球人の尊厳を踏みにじった! ヘイトだ!」とされてしまうことになる。要するに、沖縄の反日反米闘争批判の「言葉狩り」がこれから始まるのである。 このように、反差別闘争とは偽装マイノリティーの力を最大化し、マジョリティー(日本人)の発言を封印する日本解体闘争なのである。政府も国民も早急に沖縄反差別闘争に備えなければならない。

  • Thumbnail

    記事

    沖縄の基地集中は「人種差別」危険な国連勧告の裏側を読む

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) スイスのジュネーブで8月16日から2日間開催された国連人種差別撤廃委員会の対日審査に合わせ、筆者は英語でスピーチを行った。まず、そのスピーチ内容を日本語訳でごらんいただこう。 私は日本沖縄政策研究フォーラムの仲村覚です。日本国沖縄県に生まれ育った者の代表として発言させていただきます。 まず、沖縄県に生まれ育ったすべての人々は、日本人として生まれ、日本語で会話をし、日本語で勉強し、日本語で仕事をしてきました。ゆめゆめ日本の少数民族などと意識したことはありません。沖縄は第2次大戦後、米軍の占領支配下におかれましたが、沖縄では激しい祖国日本への復帰運動が起こり、わずか27年後には沖縄は日本に返還されました。 祖国復帰運動の最大の情熱の根源は、沖縄の子供たちに日本人としての教育を施したいということでした。沖縄は日本の中では複雑な歴史を持つ地域ですが、一度たりとも日本からの独立運動が起きたことはありません。独立を公約として立候補して当選した政治家も一人もいません。 また、過去一度たりとも、沖縄から先住民族として認めるよう保護してくれという声があがったことはありません。議会で議論すらされたことはありません。沖縄で独立を標榜(ひょうぼう)する団体がありますが、それは沖縄ではごく少数の団体です。 委員会は、数百人の意見を根拠に、140万人の運命を決する判断をしたようなものです。日本人である沖縄県民に先住民族勧告を出すことは、国際社会に誤解を与え、沖縄県民に対する無用な差別や人権侵害を生み出すことになります。それは、委員会の存在意義に反します。早急に撤回すると同時に、同じ過ちを繰り返さないように、なぜ誤認識したのか原因を調査し、再発防止策を講じるようお願い致します。 沖縄県民が日本人であることは、当たり前である。ほとんどの日本国民も、当事者の沖縄県民や全国各地および海外在住の沖縄県出身者も、自らを日本人だと認識している。 それにもかかわらず、なぜわざわざジュネーブまで行って、「私は日本人です」と言わなければならないのか。それは、裏でコソコソ隠れて、「沖縄の人々は日本に植民地支配されている先住民族であり、日本政府はその権利を守るべきだ」と訴え続けた勢力がいるからだ。実際、当日もその勢力に属する人物が姿を見せていた。その人物が8月17日付の琉球新報の26面に小さく掲載されていた。「糸数氏基地問題は差別 国連対日審査で訴え」 国連人種差別撤廃委員会の対日審査が16日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で始まった。審査に先立ち、沖縄から糸数慶子参院議員がスピーチした。糸数氏は沖縄の人々に対する差別の事例として、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設をはじめとする基地問題をあげた。日本政府に差別的な政策をやめさせ、先住民族としての権利を守らせるよう訴えた。(以下省略、『琉球新報』2018年8月17日付) 日本国内でほとんど知られていない国連の実態に、「沖縄県民は先住民族だという認識がほぼ固まっている」ということがある。実は、自由権規約委員会と人種差別撤廃委員会でそれぞれ2回、計4回も勧告が出されているのである。 これらの勧告に対して、日本政府は毎回「日本にはアイヌ以外の先住民族はいない」ときっぱり拒否しているし、そもそも国連の勧告に法的な拘束力はない。それでは、問題がないかというとそうではない。日本政府の拒否が、委員会の勧告をより厳しいものにしているのである。2018年8月、国連人種差別撤廃委員対日審査のランチミーティングブリーフィングにおいて、スピーチを行った筆者 2回目以降の勧告には、「前回勧告を出したにもかかわらず、現時点も沖縄の人々を先住民族として認めていない」という趣旨の文言が加わっていた。国連の委員会にとって、政府というのは弱者を弾圧している被告人であって、どのような説明をしても独裁権力の言い訳にしか聞こえないようだ。国連を利用した「反差別闘争」 そのため、勧告と拒否が繰り返されるたびに「沖縄県民は先住民族」「日本政府は非人道的」というイメージが作られていく。その結果、沖縄県民は政府から虐待的差別を受けているかわいそうな先住民族だという認識が独り歩きし、国際社会に誤解を与え、沖縄県民に対する無用な差別や人権侵害を生み出すことになる。将来、沖縄の子供たちが海外に留学した場合、「あなたは日本国籍を持っているけど日本人ではなく琉球人なんですね」と言われかねないのである。 この流れを止めるには、糸数氏や県外でそのおぜん立てをしている仲間と全く反対のことを主張する非政府組織(NGO)の情報提供と発言以外にはない。 ところで、そもそも、どのような目的をもって、沖縄県民が全く預かり知らぬところで、沖縄県民を先住民族にしたのだろうか。最初にその目的を確認してみたい。 日本復帰前から沖縄の革新政党の至上命題は「日米安保破棄」と「在沖米軍の撤去」であった。拙著『沖縄はいつから日本なのか』(ハート出版)にも記しているが、日本共産党を中心とした70年安保や沖縄復帰闘争の背後には、中国共産党の存在があった。そのころから一貫して、日本の非武装弱体化工作と、アジアから米軍を追い出す政治マスコミ工作を続けている。 中国はその後、西太平洋の覇権獲得を目指して、海軍、空軍の近代化を推し進め、米国と対峙(たいじ)できる軍事力を備えつつある。現在では、爆撃機を含む中国空軍の編隊が宮古海峡を突破し、台湾を軍事占領する訓練を日常的に行うようにまでなった。平時とはいえ、第一列島線を突破したのである。 中国の台湾占領計画において、第一列島線と第二列島線の間の海域はハワイやグアムからの米国の増援阻止エリアで、宮古海峡はその東シナ海に米軍が侵入するのを封鎖する関所にあたる。このシナリオで最も邪魔になるのが在沖米軍だ。中国はこれを戦わずに追い出すための、政治工作を続けてきたが、先日亡くなった翁長雄志知事の誕生から大きな路線変更が行われた。 意外と思うかもしれないが、知事時代の翁長氏は日米同盟に賛成していた。事実、「私は日米安保体制を十二分に理解している」と発言し、オスプレイ配備に反対する理由を「墜落事故が起きると日米同盟に亀裂が入るから」と説明していたのである。 今となっては本音かどうか分からないが、この発言には、先住民族勧告と深い関係がある。つまり、辺野古移設に反対する「オール沖縄」が、日米同盟賛成論者の翁長氏を反米運動のリーダーとして担ぐという奇策に出たということだ。その理由は「安保反対」では多数派形成が無理だと判断したことにある。 そこで、多数派形成の軸を辺野古移設阻止とオスプレイ配備反対の2点に絞り、それを争点に国連を利用した「反差別闘争」により、米軍基地の全面撤去を狙う方針に切り替えた。これから、「私は日米安保賛成だけれども、沖縄に米軍基地の7割を押し付ける差別は許さない」という理論が可能になったのである。 そのころから、オール沖縄の運動や地元新聞の解説や見出しに「差別」という言葉が多用されるようになった。さらに、これに国連の先住民族勧告が加わると、沖縄の米軍基地問題が、一気に国際的人種差別問題にエスカレートする。国連では先住民族の土地の権利を保護しなければならないというルールがあるからだ。 現在の勧告には強制力はないが、それを持たせるのは、ILO169と呼ばれる「独立国における原住民及び種族民に関する条約」である。その条文には、「関係人民が伝統的に占有する土地の所有権及び占有権を認める」「関係人民の土地に属する天然資源に関する関係人民の権利は、特別に保護される」とある(※上の表の2014年の自由権規約委員会の勧告を参照)。 つまり、土地の所有権により、米軍基地を撤去する権利や、尖閣諸島の油田やレアメタル権利が特別に守られる権利があるということだ。日本は幸いこの条約を批准していないが、今後も批准してはならないと思う。 こうして、沖縄の米軍基地撤去運動は、「安保闘争」から、国連を利用した「反差別闘争」に変貌したのである。当然、この主張への反論も「日米安保賛成の世論」ではなく「沖縄県民は日本人だ!」という国際発信に切り替えなければならない。2018年8月17日、ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会で報告する日本政府代表の大鷹正人・国連担当大使(中央) このような背景の下で、冒頭に紹介した筆者のスピーチは行われた。だが、8月30日に発表された対日審査の総括所見では、沖縄の人々が「先住民族」だとして、その権利を保護するよう、日本政府に勧告したのである。ところが、この勧告に対して、沖縄県民は反論できる状況にはない。これまで、日本外務省は県民や県選出の国会議員に勧告を直接伝えていなかったからだ。政府は広報予算をつけてでも「先住民族」勧告を周知する必要がある。 われわれは政府に対し、勧告撤回の要請以外にも、「沖縄県民の創意」を利用して国連に「先住民族」を働きかける人々への、再発防止のための法整備を求めていきたい。人種差別撤廃委の勧告を受け、戦いの場は、生前の翁長知事による辺野古埋め立て承認撤回を引き継いだ、9月30日投開票の沖縄県知事選に移ってきている。

  • Thumbnail

    テーマ

    「ポスト翁長」の現実味

    今年最大の政治決戦となる沖縄県知事選まで4カ月を切った。現職を支える「オール沖縄」と県政奪還を目指す自民党との一騎打ちの構図になりそうだが、翁長雄志知事は膵臓がん術後の健康問題に不安を抱える。「ポスト翁長」をめぐる沖縄政界の動向と秋決戦の行方を読む。

  • Thumbnail

    記事

    ポスト翁長のキーマン下地幹郎手記「特別な沖縄県知事を待ち望む」

    下地幹郎(衆院議員) 「日米同盟」「日米安保条約」「日米地位協定」「米軍」「自衛隊」この5つの安全保障を支えるファクターについて、沖縄県民と他府県の人々とは大きな違いがあることを認識した上で、沖縄の政治は考えなければなりません。 翁長雄志知事は4年前、沖縄の政治史上初めて保革の対立でもなく、単純な保守の分裂でもない構図で政治に化学反応を起こし、知事の座を勝ち取りました。翁長知事の誕生で、沖縄県民は「保守・革新」ではない「新しい沖縄県政が始まる」という大きな期待を持ちました。あれから3年8カ月、翁長県政を検証することで、11月の沖縄県知事選を予測することができると思います。 翁長知事を取り巻く政治環境には8つの流れが存在し、それぞれが立場や新しい考え方の下に、支援と対立を繰り広げています。翁長知事を支援する「オール沖縄」「革新共闘」「翁長支援保守連合」、また反翁長の立場から「自公連合」「経済界」があり、中立的な立場で「中道的翁長支持無党派層」「中道的翁長反対無党派層」、そして前回の知事選挙でどちらにも与しなかった「日本維新の会」、この8つがどう意思表示をするかで、知事選挙の流れが決まることになると思います。 しかし、7月を迎えた現在、翁長知事は出馬表明せず、後継を出す決断もせず、自民党と公明党は候補者が決まらず、無所属の保守系候補を抑えることもできず、混迷の色は深まるばかりです。  今回の知事選挙の最大の争点は、4年前と全く同じ「米軍普天間飛行場の辺野古移設に賛成か、反対か」であることは否定できません。今年2月の名護市長選挙において、保守系候補は「裁判所の判断に従う」という公約で済みましたが、知事選挙ではそのような曖昧(あいまい)な公約では立候補すべきではないし、支援する方々に明確にした後、判断を求めるべきです。 翁長知事を支える「オール沖縄・革新勢力」は、翁長知事が政策的にブレず、さらに自民党沖縄県連の幹事長を務めたという立場を超越し、辺野古賛成か反対かのワンイシューにこだわらず、在沖米軍基地すべての存在に疑問を抱き、在沖海兵隊の存在意義がないという方向に舵(かじ)を切ったことに対して厚い信頼を置いています。 また、経済界も沖縄経済が稀に見る好景気であり、「政府と対立すれば沖縄経済は成長しない」というジンクスが崩壊したことで、経済界の無関心層は4年前より増え、そのことは翁長知事にとってマイナス要因とはなりません。日本維新の会国会議員団政調会長の下地幹郎氏 翁長知事を支持しない勢力は、翁長知事に対して、新しい政治をつくるという看板の下にスタートしたものの、結果的に辺野古移設の工事を止めることはできず、米軍基地負担軽減の流れをつくることができなかったと評価しています。「反翁長」の経済界グループは、政府と一体となって政策をつくれば、今の好景気を上回る経済を作ることができると主張しています。 このように2つの「親翁長」「反翁長」の主張は、4年前に化学反応を起こした「保守でもない」「革新でもない」「単純な保守の分裂でもない」といったものとはまるで別の、ただの「保守VS革新」という戦いの状況を生みつつあります。知事選は政府にとって天王山 翁長知事は今、支持勢力の中においてはカリスマ的存在と位置づけられ、2期目の当選を期待する声があります。しかし、今年6月23日の沖縄全戦没者追悼式において、翁長知事の姿を見た多くの方々が、知事の体調を心配したことは間違いありません。そして、その姿から「覚悟」を感じた県民も多くいるでしょう。 政府は、この知事選挙を今年の天王山と位置づけ、政治のあらゆるエネルギーを傾注してこの戦いに臨むことになるでしょう。そのことによって、沖縄と政府との反目関係に決着をつけ、基地問題の安定を実現したいと考えているはずです。 このような状況のなかで、両者の主張とは違う、4年前に幻となった「新しい沖縄の姿を示す勢力」の流れが、いまの旧態依然の戦いを見て台頭してくることも考えられます。  沖縄の米軍基地は朝鮮有事を想定して構築されていますが、今度の知事選挙が4年前と大きく違うところは、トランプ政権の誕生とともに、米韓軍事演習の中止が行われるなど朝鮮半島の変化が始まり、在沖米軍基地を取り巻く環境が大きく変わろうとしていることです。それに対し、沖縄県知事がどのような立ち位置で米軍基地問題に対してポジティブに提案をしていくかが注視されるでしょう。 日本国内47都道府県の知事の中で、沖縄県知事は特別な知事です。わが国の防衛の根幹である日米同盟において、大きな役割である駐留米軍の7割が沖縄に集中している現状は、沖縄こそが日本の安全保障の要だといっても過言ではないからです。沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場 だからこそ、沖縄県知事は特別な知事としての権利があるのです。しかし、これまでの沖縄県知事がその権利を確実に行使していたかどうかはわからない現実がありました。次に知事になる人物は、まさにその権利を確実に行使し、変えて行くという結果を見せることが大事です。 グローバル、沖縄の歴史、日本の安全保障、新しい提案能力を持つという4つの視点から、政府追随型と政府にすべて反対型に偏る「これまでの構図を終わらせたい」という県民の期待に応えられる「特別な沖縄県知事」の登場が待ち望まれています。

  • Thumbnail

    記事

    沖縄に広がる「辺野古疲れ」 カネ目当ての知事はもう要らない

    篠原章(評論家・批評.COM主宰) 注目を集める沖縄県知事選の投開票日が11月18日と決まった。ところが、11月1日の告示まで4カ月を切った7月10日時点でも、現職の翁長雄志知事は出馬の意思を表明していない。他方、「打倒!翁長」を掲げて県政奪還を目指す野党陣営(自由民主党・公明党・日本維新の会など)もまだ候補者を絞り切れていない。 今回の知事選にはこれまで以上に重要な意義がある。1972年の本土復帰以来、5期50年にわたって実施されてきた沖縄振興計画(沖縄振興予算)が、2022年度から「第6次」という新たな局面を迎えるからである。 新知事はこの第6次沖縄振興計画に主体的にかかわり、その質や規模の決定に関与することができる。これまで約12兆円の沖縄振興予算が沖縄県に投入されてきたが、前例に倣えば、2022~31年までの10年間について、新たに約3兆円に上る補助金が給付される可能性が高い。 こうした補助金を減額または増額するのも、また生かすのも殺すのも、知事の考え方一つである。沖縄振興予算が、明治以降の沖縄の経済的遅れや沖縄戦、戦後米軍統治に起因する沖縄の社会経済基盤の脆弱(ぜいじゃく)性を取り除いてきたことは確かだが、社会経済基盤が本土並みに整った2000年代以降も継続されており、今や「基地負担の代償」と見なされている。 その結果、目的や効果が不明確・不透明な使途が増え、単なる無駄遣いと批判される支出も多い。こうした補助金は、沖縄経済の自律的発展を妨げるばかりではなく、基地反対運動に対して補助金獲得のための「圧力装置」としての性格すら付与する結果となっている。江崎鉄磨内閣府特命担当大臣(右)と握手する沖縄県の翁長雄志知事=2017年11月、東京・永田町の内閣府 次期知事には、こうした現状を理解した上で、沖縄振興予算を大胆に改善または見直しできる人材が求められている。このような人材が現れない限り、沖縄県はいつまでたっても「基地と補助金との間で揺れ動く島」から抜け出すことはできない。 第三次沖縄振興計画以降(1992年~)でいえば、革新系の大田昌秀知事(在任期間90~98年)の時代に、基地反対の姿勢が補助金増額のための政治的圧力として露骨に作用するようになり、保守系の稲嶺惠一知事(同98~2006年)と仲井眞弘多知事(同06~14年)の時代には、大田知事自体に比べて補助金はむしろ抑制される傾向にあった。保守系の一部と共産党、社民党、連合沖縄などの支持者を「オール沖縄」として糾合して当選を果たした翁長知事(同14年~)は「基地反対が補助金を増やす」と言い切っており、沖縄経済の補助金漬けを促進する側に立った知事であることは疑いない。補助金漬けを促進した翁長知事 前述の通り、病気療養中の翁長知事の知事選に臨む姿勢は、現在明らかにされていないが、翁長知事が立つにせよ翁長知事の後継者(目下、謝花喜一郎副知事などの名が挙がる)が立つにせよ、次期沖縄振興計画の改善や見直しを掲げる可能性は小さく、これまで通り「辺野古反対か容認か」のワンイシューで選挙戦を戦うことが予想される。 というより、前回知事選で翁長県政を誕生させた「オール沖縄」自体が、「辺野古反対」という一点においてのみ共闘する組織なので、彼らから辺野古を差し引いたら何も残らない。 おまけに「オール沖縄」からは、経済・経営に通じた保守派がすでに離脱して組織的にも大幅に弱体化しているため、第6次沖縄振興計画や沖縄の未来について構想する力など皆無である。2月に行われた名護市長選以降、県民の「辺野古離れ」「辺野古疲れ」があらわになっており、米軍基地の有無やその増減を争点にするだけで県民の心をつかむのは極めて難しい情勢だ。 したがって、現段階ではどちらかと言えば反翁長陣営に分がある。だからといって、彼らが「基地と補助金との間で揺れ動く島」から脱却できる知事候補を選ぶことができるかどうかは未知数だ。 自民党沖縄県連は、3月に知事選の候補者選考委員会を立ち上げ、当初の会合で名の挙がった15人程度の候補者を5月中に4人程度までに絞り込み、6月には最終候補を指名する方針だったが、6月末の時点で合意形成には至らなかった。 候補は、高良倉吉元副知事、川上好久元副知事、安里繁信シンバネットワーク代表、佐喜眞淳宜野湾市長の4人に絞り込まれていたが、安里氏以外は立候補に積極的でなかったという。にもかかわらず、一部の県連幹部が「佐喜眞淳宜野湾市長が最有力」と発言したと伝えられ、ちょっとした混乱が生じてしまった。 沖縄県宜野湾市の佐喜真淳市長(左)から要請書を受け取る福井照・沖縄北方相=2018年3月4日、宜野湾市役所 ところが、「佐喜眞氏最有力」と報道されたことで、関係者に大きな不信感を抱かせてしまったのである。発言した幹部に近い筋からは、「自民党本部、官邸、業界団体、公明党、日本維新の会との調整の上決まったことをリークしただけ」という声が聞こえてきたが、他方で「県政への影響力を保持したい仲井眞前知事などの意向を反映した発言で、選考委員会を軽視する行為」という批判も起こった。  特に強く反発したのは、立候補に強い意欲を示してきたにもかかわらず、最終選考の4名に残らなかった古謝景春前南城市長だ(1月の市長選で落選)。古謝氏は、選考委員会の決定を待たずに、7月1日、知事選への立候補を正式に表明した。自民党県連のここがおかしい 安里氏の支援団体(「新しい沖縄を創る会」)も「選考委員会の運営が不透明である」として、選考委員会の決定の如何(いかん)にかかわらず安里氏に立候補するよう要請し、安里氏側もこれを受諾、7月2日に立候補を表明した。 7月9日には、選定委員会が佐喜眞淳宜野湾市長に出馬要請を行い、佐喜眞市長は前向きだという。ところが、佐喜眞氏の後援会は、佐喜眞氏が立候補する場合に行われる宜野湾市長選挙で自民系候補が勝てる保証がないこともあり、知事選への出馬には消極的だと伝えられている。 「保守乱立選挙になったら翁長陣営に負ける」との懸念もあるが、「最終的には佐喜眞、安里、古謝氏の間で一本化に向けた調整が行われる」という楽観論もある。7月末までには何らかの「決着」が見られる可能性もあるが、決して予断は許さない状況だ。 筆者がここで問題視したいのは、「翁長知事さえ倒せればOK」といわんばかりの自民党県連の姿勢である。選考委員会において候補者の理念、政策、指導力などをめぐる議論が行われた形跡はない。 政治的な力関係、組織益、既得権益ばかりが尊重されて、第6次沖縄振興計画や安保政策への姿勢はもとより、「沖縄をどう変えるのか?」というビジョンを欠いたまま候補者が選ばれても、「基地と補助金との間で揺れ動く島」からは決して脱却できない。それどころか、「第二、第三の翁長知事」の出現を許すことになりかねない。会談を前に安倍晋三首相(右)と握手する沖縄県の翁長雄志知事=2015年4月、首相官邸(酒巻俊介撮影) 確かに自民党にとって翁長知事(またはその後継者)を倒すことは重要だろう。しかしながら、第6次沖縄振興計画を控えた今回の選挙では、「沖縄をどう変えるのか」というビジョンを掲げた候補を選ぶことが勝利への第一歩であり、そうしたビジョンを前提に選挙戦を戦えば、未来は自(おの)ずと開かれるはずだ。「前に進む沖縄」を選ぶのか、「後ろに下がる沖縄」を選ぶのか。今回の知事選の争点はまさにそこにある。

  • Thumbnail

    記事

    「中国の政治工作にイチコロ」こんな生ぬるい沖縄知事選は嫌だ!

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 沖縄県選挙管理委員会は任期満了に伴う知事選を11月1日告示、同18日投開票とする日程を決めた。米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を公約とした翁長雄志知事が当選して以来、政府と沖縄県の対立が続いてきたが、その解消の可否がかかるだけに注目が集まる重要な選挙である。 自民党県連などでつくる候補者選考委員会は7月5日、会合を開き、宜野湾市の佐喜真淳市長の知事選擁立を全会一致で決め、正式に出馬を要請した。一方、選考委の発表を待たずに、独自に出馬表明していたシンバホールディングスの安里繁信会長は「選考委のプロセスが不透明だ」と不満を訴え、「佐喜真氏との一本化は諦めない」と改めて立候補する考えを強調している。 この状況を受けて、「佐喜真氏は受諾する見通しで、保守分裂含みの選挙戦になる」と県内メディアを中心に報じられている。だが、安里氏が出馬を取り下げない限り、佐喜真氏が、宜野湾市長の座を革新に奪われるリスクを冒してまで出馬を決断するのは容易ではない。 一方、辺野古移設に反対する「オール沖縄」陣営が再選を期待する翁長氏は、4月に受けた人間ドックで膵(すい)がんが見つかり、4月21日に摘出手術を行い、約1カ月後に退院した。6月12日開会の県議会定例会への対応に注目が集まったが、抗がん剤治療中の翁長氏は議会運営委員会で認められた帽子を着用して出席し、そのやつれた姿は同情さえ集めている。 常識的に考えれば、抗がん剤治療を受けながら、激しい選挙を戦うことも、当選後に知事としての公務をこなすことも無理がある。しかし、日本共産党の志位和夫委員長は、翁長知事の再出馬は既定路線だとして「翁長知事の再選を必ず勝ち取るために頑張り抜こう」と訴え続けているのである。 また、県議会与党の会派おきなわは、5月27日に「翁長知事を支える政治・経済懇和会」を発足させた。さらに、7月6日には県政与党会派の議員が集会を開き、翁長氏擁立を目指して一致して取り組むことを確認した。オール沖縄にとっては、やはり「翁長の代わりは翁長しかいない」というのが実情のようである。2017年9月、外務省で佐藤外務副大臣に要請を行う沖縄県の翁長雄志知事(原田史郎撮影) だが、翁長県政が誕生してから約3年半の県内市長選で、自民系候補は8勝1敗と圧倒している。辺野古移設反対の大義となっていた名護市長の座も8年ぶりに奪還し、自衛隊配備が争点となった先島諸島の石垣市、宮古島市でも勝利を収めた。安全保障に大きな影響を及ぼす可能性のあった与那国町長選に至っては、革新側は擁立すらできずに終わったのである。 結局、翁長知事の誕生以来、オール沖縄系候補が勝ったのは南城市長選のみで、それも65票の僅差である。知事選前に残された市長選は豊見城市と那覇市だけだ。さまざまな課題のある選挙だが、新聞マスコミがいくら笛を吹いても県民は踊らなくなっている。むしろ、マスコミ報道とは正反対に、沖縄におけるオール沖縄勢力は急速に支持を失いつつあるのである。 自民県連にとって、この流れを受けた知事選は県政奪還の大きなチャンスである。それには、自民党を中心とした支援組織が一枚岩になることが前提条件になる。ところが、現在の保守陣営の分裂により、この大チャンスを失いかねない状況にある。本稿ではその深因を探ってみたい。 まず、沖縄の選挙において、革新系の候補擁立が本土より数段進んでいることを忘れてはならない。本土ではここ数年になって、「野党連合」というスローガンが聞こえ始めたが、現実はほとんど追いついていない。沖縄知事に求められる「資格」 しかし、沖縄では祖国復帰前から社民党や共産党、それに地域政党である沖縄社会大衆党が話し合った上での革新統一候補の擁立が日常的に行われていた。その中で、一部の保守系の勢力をも取り込んで統一候補を擁立したのが、オール沖縄なのである。これは、共産党の革命理論用語でいう「統一戦線」を保守にまで広げたということになる。つまり、オール沖縄の出現直前から、統一戦線工作の対象は常に保守政治家にあったということがわかる。 だからこそ、現在の沖縄では私心のない謙虚な人物でなければ、中国の政治工作にイチコロで、とても知事は務まらないというのが現実だ。知事選前の沖縄は、そのような状況下にあるということを前提に「保守分断」を分析する必要がある。最悪の場合、保守系候補だと思って心血を注いで応援していた候補が当選後に豹変(ひょうへん)し、オール沖縄のコントロールを受ける政治家になる可能性もあるということだ。 さて、沖縄は安全保障の要であると同時に、日米同盟の最重要拠点である。米国のトランプ大統領が中国と貿易戦争を始めた今、米国の構築する包囲網を突破して、中国が生き残るためには、「日中友好」のパイプを使って日米を離間させるしかない。その場合、最重要拠点の沖縄が日米分断工作のターゲットになり、知事選が最大の政治工作の場となのである。 では、自民党政権の中国の対日政治工作に対する「防衛体制」はどうなっているのか。日中友好というスローガンを能天気に唱え続けてきたことでもわかるように、全くの無防備だったのである。 その間、中国は有事の際、日本が身動きを取れなくなるような仕掛けを着々と進めてきた。その仕掛けこそ、2010年の「国防動員法」だ。日本国内にいる中国人観光客、学生も徴用対象になるこの法律で、尖閣有事が起きた場合に彼らがテロリストや工作員と化す仕組みが出来上がったのである。 法律施行の約半年後に、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件が起きた。また、中国による尖閣諸島海域の実効支配が強化され、中国軍機に対するスクランブル発進も急増していることは無関係ではないだろう。 本来なら日本政府が中国の「間接侵略」に備えるところだが、外務省は2011年に中国人観光客向けの「沖縄数次査証」という渡航ビザの発給を開始してしまう。こうして、2010年にわずか2万4000人だった中国人沖縄観光客が2017年には54万6000人と約23倍に急増し、沖縄県の中国への経済依存度を急速に高めたのである。 また、ここ数年、沖縄県と福建省の経済交流は加速度的に動いており、行政レベルだけではなく、企業・団体間でもさまざまな覚書が交わされている。その動向はすでにiRONNAでも寄稿したが、その後もさまざまな「経済籠絡(ろうらく)」が進められている。2017年8月、オール沖縄会議が主催した集会で、米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古移設に反対するメッセージを掲げる参加者=那覇市 実際、昨年6月には中国の『一帯一路』構想の沖縄展開に関するフォーラムが開催され、「中国との関係が深い沖縄が先駆けて一帯一路政策を取り込むことで、日本経済を牽引(けんいん)できる」という趣旨の講演も行われた。一帯一路とは経済交流の仮面をかぶっているが、その実態は中国による軍事拠点の獲得であり、制海権の獲得である。 つまり、沖縄で一帯一路を展開するということは、いずれ沖縄に中国人民解放軍の軍事基地が建設されることになる。このような沖縄の中国との経済交流は、沖縄県主導で進められているのではなく、日中友好という日本政府の基本姿勢に基づき、河野洋平元衆院議長が会長を務める日本国際貿易促進協会(国貿促)が推進しているのである。 そもそも、中国共産党の「日中友好の歴史」とは「対日工作の歴史」である。彼らの目的は日本国民への自虐史観の浸透に始まって、日米安保破棄を目的とする反米と非戦主義の浸透にあるのである。前述した対中スクランブル発進が急増しているにも関わらず、沖縄への中国人観光客も急増するというこの異常な状況に、誰も問題意識を持たないことこそ、工作の大成果といえるだろう。本当の「日中友好の歴史」 さて、これまで述べてきたように、沖縄知事選は中国政府にとって、トランプ大統領の中国包囲網を突破する最大のチャンスである。そして、現在そのターゲットは保守政治家にある。一方、日本政府は政治工作の基盤となる経済交流や文化交流を推進し、多くのチャイナマネーを沖縄に招き入れ、中国の沖縄政治工作に加担している。 次の知事選は自民もオール沖縄陣営も内部に課題を抱えており、選挙戦の行方を読み解くのは困難である。だが、仮に自民が県政を奪還したとしても、現在の自公政権では中国の沖縄乗っ取りの動きを止められないだろう。それは、返り血も覚悟の上で中国と貿易戦争を始め、本気で中国を封じ込めようとするトランプ大統領に対する背信行為ではないだろうか。 米シンクタンク、「プロジェクト2049研究所」が4月に発表した報告書によれば、中国軍による尖閣諸島への軍事侵攻が2020年からの10年間に行われるという。つまり、自民党政権が中国の沖縄乗っ取り工作への加担を続けることで環境が早く整い、侵攻が時間の問題であることがわかるだろう。 では、このような中、今すぐ日本政府が着手すべきことを考えてみたい。まず、日中友好の見直しが必要である。日中の友好や経済交流推進を目的に、日本には日中友好協会と国貿促が、中国には中日友好協会や中国国際貿易促進委員会が、カウンターパートとして存在する。だが、中国側は民間交流をうたっているが、事実上の政府機関であることは誰もが知っており、政府の意向が当然反映される。 一方、日本側は民間活動である以上、政府の管轄外であり、国益に反しても法律に反しない限り政府のコントロールがきかない。何よりも「けんかをするより仲良くしたほうが良い」という漠然とした考えしかなく、国益実現へのビジョンも戦略もない。結局、日中友好、日中経済交流とは、中国政府の意思を日本国内に反映できても、日本の意思を中国国内に反映するルートとして全く機能していないのである。 前述のように、中国政府は対日工作として、軍事力のみならず、経済、文化、歴史、マスコミなど全てを含めた総力戦で攻撃を続けてきた。ところが、日本政府の対中防衛といえば、自衛隊と海上保安庁の武力レベルばかりで、それ以外は無防備のままで過ごしてきた。これが、中華人民共和国が成立した1950年以降の「日中友好の歴史」なのである。しかも、中国の軍事力が米国を脅かすレベルに達した現在、中国による「日本強奪」は最後の仕上げ段階に入っているとみても過言ではない。2017年10月、中国共産党の第19期中央委員会第1回総会を終え、記者団に手を振る習近平総書記(左から3人目)ら新指導部=中国・北京の人民大会堂(共同) そうであるならば、まずは1950年以降の日中友好の歴史でどのような国益を失ったか、分析と評価が必要だ。そのうえで、失敗を繰り返さないための防衛体制の構築を急がなければならない。 これには、有事での連携の在り方や具体的な対処方針を定めた「国民保護計画」というモデルがある。すでに、全省庁と都道府県、ほとんどの市区町村で策定済みである。これになぞらえて考えてみよう。 中国の経済侵略に対しては、経済産業省による「経済防衛計画」を立案する必要がある。また、中国系企業の土地買収という間接侵略から日本の国土を守るために、国土交通省には「国土資源防衛計画」の策定が求められる。従軍慰安婦や南京大虐殺に関しても、文部科学省の計画立案が必要となる。つまり、間接侵略を含む国家防衛についても、国民保護計画と同じように、全省庁と関係機関、自治体が国防計画を事前に用意すべきだということである。 一見、突拍子もない考えのように思えるかもしれない。だが、国民の生命と財産を守る責務は政府と自治体にあり、本気でその任務を果たすのであれば、どうしても必要なことである。事が起きてから後悔しないためにも、今すぐ着手しなければ間に合わない。

  • Thumbnail

    記事

    普天間移設でも安保ただ乗り論でも米国が日本を支持する理由

    岡崎研究所 4月17日、米国上院の軍事委員会にて、次期太平洋軍司令官に指名されているフィリップ・デイヴィッドソン提督の公聴会が行われた。多岐にわたる質疑応答のうち、日本に関わる部分を以下に紹介する。(1)日米安全保障関係の現状について 日米同盟は70年以上、インド・太平洋地域の平和、繁栄と自由の礎石である。日米両国は、同盟をさらに強化するため、次の数十年に向けて、役割分担を含めた兵力再編を始めた。2015年の日本の平和安保法制と新日米防衛ガイドラインは、日本の役割を拡大させた。日米の軍同士の関係はかつてないほど強固である。(2)日本の隣国との関係が日米関係に及ぼす影響について 日本が近隣諸国と建設的関係を築くことは重要なことである。日本は、韓国、豪州、インド、アセアン諸国との防衛協力を拡大すべきと思う。日本は、米国や米国の同盟国と協力することで、より国際平和に貢献できる。 日本は、ルールに基づいた国際秩序の重要性を認識し、「自由で開かれたインド太平洋戦略」を推進している。北東アジアにおける多国間安保対話の進展は、日米韓の連携による。その点、日韓関係が歴史や領土対立で緊張することを懸念する。日韓両国間で問題解決するにしても、外部勢力が摩擦を利用して、米国と同盟国との離反を図ろうとすることには注意しなければならない。(3)日本の対北朝鮮、対中国の抑止力を高めるためにすべきことについて 日本政府は、北朝鮮や中国に関係なく、自衛隊の対空防衛力及びミサイル防衛力を向上させようとしている。私は、日本は、さらに海洋安全保障、情報、監視等の分野の能力も高めてほしいと思う。沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場(上)と周辺の住宅地=2017年7月撮影(4)普天間移設計画について 日米両国は、長期的持続可能な米軍のプレゼンスを確保するため、在日米軍の再編を進めることで一致している。そして、普天間の海兵隊基地を返還する唯一の解決策がキャンプ・シュワブへの移設であることも確認している。米国の防衛産業を潤すために(5)在日駐留経費等について 日本の経費負担は適切なものである。日本は、グアムへの移転や普天間移設を含む在日米軍再編費用の相当の割合を負担している。日本が、日本以外の米国の主権の及ぶグアムの経費を負担するのは初めてのことである。 概算して、日本は移転費用の約3分の1を負担する。米軍駐留経費に関しても、日本は公平な負担をしている。米軍で働く日本人スタッフに関しては90%、光熱費に関しては61%負担している。 また施設の維持費や移動訓練費等も相当負担してくれている。2015年12月に合意したホスト・ネーション・サポートの5か年計画でも、日本は負担額を1%増額してくれた。日米同盟及びインド太平洋の安全保障のために必要なのは、在日米軍の駐留経費への日本の負担を増やすことではなく、現代の脅威に適した日本の防衛力を高めるために日本が投資することである。出典: US Senate ‘Advance Policy Questions for Admiral Philip Davidson, USN Expected Nominee for Commander, U.S. Pacific Command’ (April 17, 2018) 上記のデイヴィッドソン提督の発言は、常識であり、前任となるハリー・ハリス現太平洋軍司令官との政策上の差異は、日米関係上はさしあたりないのではないかと思う。日米安全保障関係の継続性が期待できる。 トランプ政権になってからは、アジア・太平洋ではなく、「インド・太平洋」という言葉が、この地域を表現する時に使用されるようになった。この点は、デイヴィッドソンでも踏襲された。日本が協力すべき相手国としても、韓国、豪州、アセアン諸国の他、インドが挙げられている。日米協力の範囲が広がったと言える。2018年4月に米軍が嘉手納基地で実施したパラシュート降下訓練(沖縄県嘉手納町提供) 米国の議員からは、日本の経費負担に関する質問が出たが、デイヴィッドソンは、日本は十分に経費を負担していると応じ、かつてのような「ただ乗り論」が出る余地はもはやなさそうである。 しかし、最後にデイヴィッドソンが述べたように、日本の防衛能力向上のための投資、すなわち、米国製の防衛装備品を購入してほしいというニュアンスは、感じ取られた。これは、Make America Great Again (MAGA)を標榜するトランプ大統領の考えとも一致し、日本が高価な防衛装備品を購入してくれれば、米国の防衛産業は潤う、との議論で、今後、その方面での要望や圧力が高まることは覚悟しなければならないだろう。

  • Thumbnail

    記事

    中国人の沖縄像 文化の50%が中国、40%が日本、10%が米国

     スーツケースを引きずり街を闊歩する大勢の中国人観光客──その姿が、とりわけ目立つのが、地理的にも歴史的にも大陸と距離の近い沖縄だ。中国人観光客にとって沖縄はどのような存在なのか。その実態を探るべく、フリーライターの西谷格氏が、中国人観光客の沖縄バスツアーに潜入した。* * * バスツアーの集合時間は、午前8時20分。出発前日の夜には、ウィーチャット(中国版LINE)で参加者向けのグループチャットが作られ、中国人の女性ガイドから当日の注意事項が送られてきた。「バスは定刻通りに発車します。乗り遅れた人はタクシーで次の集合場所まで自費で移動してください。日本人の運転手は時間に非常に厳格です」「重要なことなので3回言います。遅刻禁止、遅刻禁止、遅刻禁止。集合場所が心配な人は、下見をしておきましょう」 遅刻をさせないための注意喚起が、日本人の常識の範囲を少々超えている。ここまで徹底しないと、遅刻やトラブルが起きてしまうのか。 ツアー当日、発車時間10分前になるとグループチャットから「急いでください。バスは8時20分に出発します」「来ていないのはあと3人!」とのメッセージが送られ、私の名前もさらされてしまった。 「沖縄は かわいそうなんです」 駆け足でバスに乗り込むと、定刻通りに発車。乗客は約50人で、ほぼ満席だった。まず目に飛び込んできたのは、参加者たちの独特な中華ファッションだ。子供服のようなゴチャゴチャした柄物や、原色中心の派手な色使いが目立ち、尻が見えそうなほどのホットパンツを履いている女性もいる。眩しいのが苦手なのか、サングラス率も高い。年代は30~40代が中心。女性が6割ほどで、カップルや家族連れも多い。話しかけてみると、北京や上海、南京といった都市部出身者、日本留学経験者などが目立ち、裕福そうな人ばかりだった。那覇市の国際通り(iStock) 車両が動き始めると、アラフォーの女性ツアーガイドがマイクを握り、中国語で話し始めた。「本日のバスは公共バスと同じです。人間がバスを待つことはできますが、バスが人間を待つことはできません!」 と繰り返し強調。続いて、日本と中国の基本的な違いから説明を始めた。「釣魚島も見えますかー」「時差は1時間。交通ルールは日本は自動車が左側通行。水道水は飲むことができ、トイレットペーパーは便器にそのまま流せます」 しばらくすると、バスは鉄条網で囲われた嘉手納基地の前を通過した。「ここは東アジア最大の空軍基地で、北京の故宮76個分の広さがあります」 ガイドがそう告げると、車内からは驚きのため息が漏れた。「この道路は両脇が米軍基地に囲まれています。沖縄は島じゅう基地だらけで、かわいそうなんです」 言い方はどこか冷淡で、少し見下したようにも聞こえる。「釣魚島も見えますかー」 那覇の中心から出発したバスは、1時間ほどで最初の目的地「万座毛」に到着した。断崖絶壁に広がる草原の上から、真っ青な海を望むことのできる景勝地だ。歩いていると中国語と韓国語しか聞こえてこず、日本人観光客の姿はゼロ。これで良いのだろうか、と思っていたら「10時35分出発です」との“警告”がグループチャットに届き、急いでバスに戻った。再びガイドの解説が始まった。沖縄県の観光スポット、万座毛(iStock)「東京から沖縄は非常に離れていますが、台湾からは600km。与那国島から台湾はわずか160kmで、晴れた日には台湾が見えるんですよ」 すると、前方に座っていた中年男性がすかさず質問した。強調される「沖縄」と「本土」「釣魚島も見えますかー?」 ガイドは苦笑いして「釣魚島は見えません。あと、こういう話は話題にしたくありません」と言い、会話を断ち切った。即座に釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)を連想する発想がすごい。 ガイドの説明が続く。「沖縄は1879年まで琉球王国という国家が存在しましたが、日本政府によって滅亡させられました。琉球という名前は、もともと中国が名付けたものです」 説明を聞いていると、沖縄と日本本土の違いを強調する話が多いことに気づく。「沖縄の人は日本人とは人種が異なります。大和民族は顔が真っ平らで鼻が低く、目が細いのが特徴ですが、沖縄の人はそうではありません。目鼻立ちがはっきりしていて、台湾の原住民とよく似ています」沖縄の世界遺産・今帰仁城跡「漢字は唐の時代に日本に伝わりましたが、日本人は舌が短いので中国語の発音ができない。そのため日本語の音を当てたのです」 舌が短いとか顔が真っ平らとか、日本人が聞いてないと思って言いたい放題である。そして、最後はこう断言した。「沖縄の文化は50%が中国、40%が日本、10%がアメリカです」 文化的には、沖縄は日本よりも中国に近いというのだ。事実かどうかはともかく、これが中国人の頭のなかにある沖縄像ということだろう。●にしたに ただす/1981年、神奈川県生まれ。早稲田大学卒。地方紙記者を経てフリー。著書に『ルポ 中国「潜入バイト」日記』(小学館新書)、『この手紙、とどけ!』(小学館)、『中国人は雑巾と布巾の区別ができない』(宝島社新書)などがある。関連記事■ 中国人バスツアーのガイドが告白「観光客は洗脳すればいい」■ 中国「ヘビ料理店」にバイト潜入 さばくのはけっこう難しい■ 中国人留学生の部屋探し方法「“東大志望”で信用勝ち取る」■ 6月新法施行の「民泊」で中国人若者観光客を泊めてみたら…■ 2割の医療機関で訪日外国人患者の医療費未払い、回収は困難

  • Thumbnail

    記事

    中国が水陸両用航空機の初飛行に成功 尖閣に新たな脅威

     中国が初めての世界最大の水陸両用航空機「クン龍(クンロン=AG600)」の初飛行に成功したことが明らかになった。陸上と水面の両方から離着陸が可能なAG600は中国が南シナ海で造成などを進めている人工島の全てをその航続距離内に収めており、中国内の基地から尖閣諸島を急襲することが可能となる。 すでに、中国人民解放軍は一昨年、海軍陸戦隊(海兵隊)を創設しており、AG600による尖閣諸島への兵員輸送も現実味を帯びており、中国人民解放軍が沖縄県尖閣諸島を攻撃、占領する動きを強めている。 中国国営新華社通信によると、AG600は昨年12月24日、中国南部広東省珠海の解放軍基地を離陸し、約1時間飛行した。製造元の中航通用飛行機公司の黄領才・設計主任は新華社通信に対し「初飛行の成功で、中国は大型水陸両用機を開発可能な世界有数の国となった」と述べている。 AG600は翼幅38.8メートルで、ターボプロップエンジンを4基搭載、定員50人。航続距離は4500kmで2m以上の波に対応した着水能力を有し、最大滞空時間は12時間。 米国防総省が昨年6月に発表した中国の軍事情勢に関する年次報告書によれば、中国人民解放軍は台湾侵攻や南シナ海や東シナ海での島嶼防衛のため、水陸両用部隊による上陸作戦の遂行能力の向上を急いでいる。 とりわけ海軍陸戦隊は昨年、広東省で水陸両用車や小型船舶を運用し、ヘリコプターで特殊部隊を投入する実戦的な強襲揚陸作戦の訓練を実施した、と報告書は明らかにしている。 中国人民解放軍が昨年創設した海軍陸戦隊(海兵隊)は、沖縄県・尖閣諸島への急襲作戦も念頭に部隊の育成を進めていることで知られており、AG600の実戦配備が可能になったことで、水陸両用部隊による尖閣諸島への上陸作戦の遂行能力が格段に高まったことは明らか。尖閣諸島占領に大きな戦闘力が加わったことになる。初飛行に成功した、中国が自主開発している水陸両用機「AG600」=中国広東省珠海(新華社=共同) 一方、中国の国産空母については、2020年までに初期的な作戦能力を確保すると予測。潜水艦も同年までに現在の63隻から69~78隻に増強される見通しで、従来の「近海防御」に加えて「遠海防衛」も行う「混合戦略」の実現に向け、海軍力を強化していると指摘しているほどだ。 日本は平時、海上保安庁と航空自衛隊による警察権の行使により、尖閣周辺の海空域を守っているが、中国人民解放軍の尖閣急襲などに対応するため、陸上自衛隊も年内に初の水陸両用部隊「水陸機動団」を創設。この部隊は離島に他国が侵攻した場合、迅速に機動展開して奪還作戦に取り組む。 本部は陸上自衛隊相浦駐屯地(長崎県佐世保市)で、隊員約3000人規模の予定。水陸両用車「AAV7」も配備する。すでに米海兵隊との訓練を続けており、創設に加わる隊員らの練度向上を図っている。関連記事■ 175億円横領の重慶トップ 女子大生含む愛人4人に隠し子3人■ 中国5つ星ホテル 便所掃除用具を食器に使い歯ブラシ使い回し■ 中韓の「日本買収」が止まらない これは武器を持たない戦争■ 韓国製兵器の無惨「沈む水陸両用車」「ミサイルが自国民に」■ 日米合同訓練に登場の水陸両用装甲車 442億円の価値あるか

  • Thumbnail

    テーマ

    あの人に教えたい沖縄の正しい歴史

    また、この人である。「沖縄は中国から取ったんでしょ」発言で炎上したお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔だが、当の沖縄では反基地派に担がれてブレイク中だという。あの発言以来、彼を無知と罵る声は絶えませんが、せっかくなのでiRONNAが「沖縄の正しい歴史」を教えたいと思います。

  • Thumbnail

    記事

    ウーマン村本に知ってほしい「沖縄モヤモヤ史観」

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏が元日、テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』に出演し、「沖縄はもともと中国から取ったんでしょ」などと発言したことで、ネットで炎上し「不見識だ」と多くの批判を浴びた。中国の「琉球(りゅうきゅう)独立工作」に関して警鐘を鳴らし続けてきた筆者に「先頭に立って彼を批判してほしい」との声も出たが、私の感じ方は若干異なる。 単に沖縄を観光地としてしか見ていない若者と比べれば、沖縄の問題や歴史に関心を持つことは100倍素晴らしいことなのだ。そして、村本氏が沖縄の歴史を誤って認識してしまった原因は、彼にだけあるのではない。現在の沖縄問題と沖縄の歴史に真正面から取り組んでこなかった日本国民全体、特に日本の政治家にこそ大きな責任があると思っているからだ。  村本氏の発言問題のポイントは、明治政府が琉球国を廃して沖縄県を設置したとき、琉球を清(しん)国から奪ったのかどうかである。沖縄県設置前の幕末から明治にかけて、もし琉球が日本に属していたら、沖縄県の設置は国内の措置であり清国から奪ったわけではない。逆に、琉球が清国に属していたら奪ったということになる。ではその点について、日本政府の公式見解はどうなっているのだろうか。 例えば、外務省ホームページ(HP)の「外交史料 Q&A幕末期」には、黒船で来航したペリー提督が琉球と条約を結んだ琉米条約に関する回答に次のような一文がある。「当時の琉球は、薩摩藩島津氏の統治下に置かれていましたが、他方中国(清国)との朝貢関係も維持するという『両属』の体制にありました」。ここには、琉球が清国に属しているとも日本に属しているとも書いていないが、薩摩と清国の両方に属していると書いている。この外務省の見解によると、当時の琉球は半分清国に属し、半分は薩摩藩に属していたことになる。外務省飯倉公館(代表撮影) そうすると、清国に半分属していた琉球を完全に日本に属するようにした沖縄県設置は、「琉球を清国から奪った」という村本氏の回答は100点満点中50点ということになる。当然「沖縄は中国に属したことはない」と批判する人も50点になるのだ。「1609年に薩摩が琉球を支配してから琉球は日支両属(日清両属)の地位にあった」という認識は何も外務省だけの見解ではない。日本史の教科書、沖縄の歴史の参考書、どれを見てもこの言葉を使っている。いわゆる日本の常識なのだ。つまり、日本の常識では、村本氏の発言は50点だということになる。あいまいな日本政府の「沖縄史観」 この問題に衆議院で取り組んだ人物がいた。当時衆院議員だった鈴木宗男氏だ。鈴木氏は平成18年11月11日、衆議院に「琉球王国の地位に関する再質問主意書」を提出している。「政府は、1868年に元号が明治に改元された時点において、当時の琉球王国が日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか。明確な答弁を求める」という鈴木氏の質問に対して、政府は「沖縄については、いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かである」と回答した。これが当時の日本政府の沖縄の歴史観だ。 先ほどの外務省のHPには琉球は日本と支那に両属していたと書かれていたが、この答弁書には沖縄県が設置される前の沖縄は「清国に属していたのか、日本に属していたのか、日清両属だったのかもわからない」ということになる。この政府の公式見解によると、村本氏の発言は0点から100点となる。だから点数のつけようもないのだ。2017年6月、参院決算委員会で質問する自民党の山田宏参院議員(斎藤良雄撮影) このあいまいな日本政府の沖縄史観は、沖縄の日本からの分断強奪を狙って「琉球の帰属は未定で解決しておらず、日本が明治時代に沖縄県を設置して強奪した」と主張を始めた中国を利することになる。危機感を抱いた筆者は数年がかりでこの政府の認識を改めることに尽力した。陳情要請を受けた山田宏参院議員が2回の国会質問を行い、2度目の平成29年6月5日、安倍晋三首相から「沖縄については、寺島(正則)外務卿が沖縄が数百年前からわが国所属の一地方である旨述べていたことが確認されています。いずれにせよ、沖縄は長年にわたりわが国の領土であり、沖縄がわが国領土であることは、国際法上何ら疑いもないところであります」という答弁を引き出した。それまでの鈴木氏の質問主意書に対する政府見解を修正させることができたのである。 山田氏に要請するとき、筆者は重要な資料を持参した。それは明治12(1879)年の外交文書だ。実は、政府のあいまいな歴史認識を覆す資料が政府内部に存在していたのである。外務省のHPからダウンロードして入手した、カタカナ漢字交じり、もしくは漢語で書かれている文書の概要は次のようになる。 明治12年4月4日、沖縄県設置後、その事実に気が付いた清国は沖縄の廃藩置県を停止するよう求めた。続いて5月20日には「廃藩置県はいかなる理由によるものか」と抗議を寄せた。それに対し寺島外務卿は「内政の都合により処分した」と答え、8月2日に、琉球は嘉吉元(1441)年より島津氏に属し、日本は数百年琉球の統治権を行使してきたため今回の措置が当然であることを述べた。さらに、慶長16(1611)年に薩摩の定めた琉球統治の法章15条と尚寧王および三司官の誓文を含む「略説」を送致した。 すると、清国は8月20日、琉球が清国に属することを主張して廃藩置県に対する公式な抗議を行った。10月8日、新外務卿井上馨は宍戸璣(たまき)駐清公使に、抗議に対する回答書を清国に提出するよう訓令した。その回答書の要点は次の通りだ。「清国が琉球の主権主張の根拠とする朝貢冊封(さくほう)は虚文空名に属するものだ」「日本が琉球を領有する根拠は将軍足利義教がこれを島津忠国に与えたときより確定している」。「日本は沖縄を侵略していない」のウソ 前者については「自らを世界の王と称し、朝貢冊封を振り回して主権を主張するのは支那古来の慣法であり、日本の足利義満や豊臣秀吉への冊封、魏源の著『聖武記』にはイタリアや英国も指すとある。このようなことをもって日本やイタリア、英国が中国皇帝に臣服するとすれば、その虚喝も甚だしく、今清国が沖縄に関与しようというのもこのような虚妄にすぎない」という趣旨を述べたのだ。現在の日本政府の「媚中外交」とは異なり、なんと論理的で痛烈な反論であろう。 ところで「沖縄県民は日本人か?」と質問すると99・99%の日本国民が「日本人だ」と答えるだろう。では、「沖縄はいつから日本になったのか?」と聞かれると「明治かなあ、江戸時代はどうだったっけ?」とはっきり答えられる人は少ない。 ところが、「日本は沖縄を侵略したのか」と聞くと、なぜか沖縄の米軍基地に反対している人は「侵略した」と大きな声で主張し、保守的な人は「侵略していない」と主張する人が多い。私がここで指摘したいのは「侵略していない」と回答する人たちだ。「侵略していない」というからには、沖縄が昔から日本であり、昔から日本人でなければならない。それ以外に、集団帰化したという可能性も考えられるが、そのような事実はない。結局、「日本は琉球を侵略していない」と認識する人の沖縄の歴史観は次のようになるのではないだろうか。 「日本とは異なる『琉球国』という独立国は存在した。明治12年に沖縄県になった。しかし、日本が侵略したわけでもなく琉球人が日本に集団帰化したわけでもなくいつの間に日本人になった。もしかしたら強制併合かもしれないが、今は同じ日本人だから、いまさら問題にすべきでない」 この考えは、曖昧思考の日本人にはかなりの確率で通用する。しかし、一歩国外に出ると全く通用しないのだ。ある独立国が、ある瞬間日本の一地方になったけれども、侵略も強制併合もしていないという歴史はいくら説明しても嘘としか思われないのだ。日本が琉球を侵略していないと言うなら、沖縄は最低でも江戸時代には日本に帰属していなければならないのだ。2017年4月、札幌市内のセミナーであいさつする新党大地の鈴木宗男代表 しかし、筆者が指摘するまで、鈴木氏への答弁書の危険性をどの政治家も全く気が付かなかったのである。これが筆者が冒頭で指摘した「村本氏が沖縄の歴史を誤って認識してしまった」理由である。幸い現在は、山田氏が安倍首相から引き出した答弁により、国家的リスクを回避できたかわりに、村本氏の発言は0点になってしまった。祖国復帰の思いへの熱い思い 以上、村本氏の発言のポイントである沖縄県設置の位置づけを確認するため、沖縄県設置前の沖縄の地位について確認してきた。明治12年の外交文書にあるように、江戸時代の沖縄は薩摩の統治が隅々にまでおよび、江戸幕府の幕藩体制下にあった。しかし、幕府と薩摩藩の外交貿易戦略として、琉球を明や清との貿易拠点として活用するため、独立国の体裁をあえて保っていたのだ。朝貢や冊封はそれを行うための外交儀礼にすぎなかった。明国もそれを知っていたが黙認していたことも明らかになっている。 でも、それは日本国が力で統治しているだけで、当の琉球の人たちは、本当は日本人でなかったかもしれないと思う方がいるかもしれない。しかし、実は沖縄の人たちが「日本人の中の日本人」であることを雄弁に物語る沖縄の歴史がある。それは、敗戦後の沖縄県「祖国復帰」の歴史だ。サンフランシスコ講和条約で日本の放棄した領土には、朝鮮半島、台湾、奄美、沖縄、小笠原諸島がある。その中で、祖国復帰運動が起きたのは奄美と沖縄だけである。もし、奄美や沖縄の人たちが日本人でないのなら、日本から独立するチャンスとして、復帰運動ではなく「独立運動」が起きたはずである。1972年5月、沖縄県の新知事として佐藤栄作首相にあいさつする屋良朝苗氏 その沖縄県祖国復帰運動の最初から最後までリーダー的存在だった人物に、屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏がいる。屋良氏は戦前、台北で師範学校の教師をしていた。戦後は米軍統治下の沖縄で、群島政府の文教部長を務めた。日本政府でいう文部科学大臣である。しかし、戦争でほとんどの校舎が焼け、米軍による復興支援も不十分なため、教育に困難を感じるようになった。そこで、サンフランシスコ講和条約が公布された翌年、戦災校舎復興支援を求めて全国行脚を始めた。その時に衆院文部委員会に参考人として招致された屋良氏は、戦災校舎の復興支援を訴えるはずの場で沖縄県の祖国復帰を求めたのである。 その心は、沖縄の子供たちに日本人としての教育を施したい。日本人としての教育をするからこそ、子供たちはすくすくと真っすぐ育つのだ。それをかなえるには沖縄が祖国日本に復帰するしかないというものだ。筆者が国会の議事録から発掘したこの演説は、今まで埋もれたままで全く世に出ていなかった。日本人が日本人としてあり続けるために、何が必要かを私たちに教えてくれる演説だ。 この名演説を味わい、沖縄県祖国復帰の歴史の意義を感じ取っていただきたい。沖縄問題に関心を持ってくれた村本氏にもこの演説文をプレゼントする。どこかで、屋良氏の祖国復帰への身命を賭(と)した情熱をネタに使っていただければ幸甚である。

  • Thumbnail

    記事

    沖縄「反基地ヒーロー」に担がれたウーマン村本が気の毒である

    仲新城誠(八重山日報編集長) 沖縄で今、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんがブレイク中だ。米軍基地問題で政府を批判した漫才に共感が広がっているとして、県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」が村本さんを絶賛。「大事なことを伝えてくれた」(沖縄タイムス)などの見出しで村本さんの沖縄公演を大きく報じた。地元の民放テレビ局も村本さんのインタビュー企画を放送。米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を貫く翁長雄志知事らに続く、新たな「反基地ヒーロー」誕生の観さえある。ウーマンラッシュアワーの村本大輔さん 一方、村本さんがテレビ番組で「尖閣諸島は取られてもいい」「沖縄は日本が中国から取った」という趣旨の発言をしたことは、沖縄メディアは報じていない。せっかく売り出した反基地ヒーローにケチをつけたくないのだろう。しかし村本さんの発言のうち、基地反対に都合のいい部分だけ切り取って報道するのは、情報操作そのものに思える。 ただ「ネットで村本さんの発言を知った」という県民は一様に憤っている。私が編集長を務める八重山日報にも「無責任だ」などと村本さんを非難する県民の投稿が相次いだ。沖縄県民は誰もが基地反対というイメージが強いが、それは沖縄メディアが内外に発信している虚構だ。ほとんどの県民は、今回のような問題発言に対しては、日本人として普通に反発する。 村本さんはくだんの問題発言の理由について「おきなわのあるおばあちゃんが『400年前に戻りたい、中国はよくしてくれた、いまはアメリカと日本が怖い』と言ってたのを聞いていて、中国から取ったと言っちゃった」とツイートした。 私は、これは真実だと思う。2015年、私が辺野古を取材した時、移設工事を阻止しようと抗議活動する反対派の男性が、唐突に言い放った。 「沖縄は中国だ。福建省の一部なんだよ」 沖縄から基地を撤去させる戦略なのか、この人物が文字通り中国の工作員なのかは分からない。沖縄では実際、そんなことを言う基地反対派が跳梁(ちょうりょう)しているのだ。ただし、それが基地反対派の総意であるかは別の話である。 「沖縄は日本ではない」と言わんばかりの宣伝戦を華々しく展開しているのは、中国ではなくむしろ沖縄メディアのほうだ。「沖縄人か、日本人か」という問い 琉球独立論を大々的に扱うことで、本来は妄説であるべきものに市民権を与えている。「沖縄県民は先住民族である」とする反基地団体の主張も好意的に取り上げている。沖縄への基地集中は「本土による構造的差別」と繰り返し、結果として沖縄と本土の対立を促進している。名護市辺野古地区の米軍キャンプ・シュワブ前でデモをする 米軍普天間飛行場移設反対派=2015年6月、沖縄県名護市 沖縄メディアの狙いは「基地のない平和な沖縄」を実現することだ。「基地が撤去されないなら沖縄は独立するぞ」という脅しで日米両政府をけん制しているのだが、反基地イデオロギーに民族主義を注入するやり方は、火遊びに似ている。 ただ県民の心情には、そうした宣伝に影響されてしまう微妙なひだがある。生粋の沖縄人であれば誰でも「私は沖縄人か、日本人か」という問いに、一度は直面するのではないだろうか。 その理由は、まず歴史だ。沖縄はかつて琉球王国という独立国家であり、日本とは別の道を歩んできた。1609年の薩摩・島津氏による侵攻後、日本の支配下に置かれるようになったという歴史認識が、今でも県民の間では一般的である。 沖縄人と日本人は民族的に同一であるとか、沖縄の方言は日本本土の古語を含んでいるなどと言われるが、少なくとも沖縄人は、沖縄が日本国の一部ではなかった時代に活躍した聖徳太子や織田信長を「われわれの偉大な先人」とは感じにくい。 地理的な距離も大きい。沖縄は本土とは海で隔てられており、一体感を持つのはなかなか難しい。「沖縄」と対置される単語として「本土」「内地」という言葉がいまだに使われていること自体、その証左である。本土出身の移住者は「ナイチャー(内地の人)」と呼ばれ、一般的に地元出身者とは区別(差別ではない)される。 とはいえ、現に沖縄県民は日本人であり、そのことにあえて疑問を抱くいかなる理由もない。「お前は沖縄人か、日本人か」と問われれば、私は「沖縄人であると同時に日本人」と答えるだろう。独自の文化を育んできた沖縄に誇りを抱きつつ、日本人であることに喜びを感じる。「東京都民であると同時に日本人」と言うのとほぼ同じ感覚だ。村本さんの善意を見た ただし歴史的、地理的な理由から、私の思考回路は、その答えにたどり着くまで、本土の人たちより、ほんの少し複雑な経路をたどるだろう。基地反対派のプロパガンダは、その隙間を狙うのである。中城城(沖縄県中頭郡北中城村) 前述の問いに対し、素直に「私は日本人だ」と即答できない人は、沖縄が日本から切り離され、米軍の占領下にあった復帰前を知る世代に多い。沖縄戦の惨禍を体験するか、あるいは親から聞き、本土に対し本能的に反発を覚えてしまう世代でもある。 ただ、復帰後の世代は劇的に意識が変わった。生まれながらの日本人であり、充実したインフラと経済的な豊かさを享受し、何より沖縄が「南国のリゾート地」として、全国から憧れの目で見られる時代を生きている。東京と沖縄は飛行機でわずか3時間になり、地理的な距離も縮まった。現在の10代や20代は、前述の問いに対し、40代の私が抱く一瞬の躊躇(ちゅうちょ)さえ、もはや感じることはないかも知れない。だから近い将来、沖縄で独立論が現実的な影響力を持つことは決してないと断言できる。 それより今は、純粋な気持ちで沖縄に同情する本土の人たちのほうが、基地反対派の宣伝を真に受けてしまう危険性が高い。まさに村本さんのような人たちだ。「かわいそうな沖縄を日本の圧政から救ってあげよう」という善意の一心から、大勢が海を渡り、辺野古などの工事現場で抗議活動に身を投じているのである。 私は、沖縄と真摯に向き合おうとする村本さんの善意をいささかも疑っていない。なぜなら村本さんと直接会ったことがあるからだ。 あるインターネット番組に出演した際、私は沖縄メディアを批判し、八重山日報が沖縄本島に進出する意義を主張した。その場にいた人たちの中で、最も熱心に耳を傾けてくれたのが村本さんであり、番組の収録が終わったあとも、わざわざ私と話をしに来た。彼の沖縄への関心は決してお座なりとは思えず、くだんの問題発言も、そんな彼だからこそ飛び出したのだろう。 ただ村本さんに限らず、基地反対派に肩入れする本土の人たちを見るたび「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざを思い出さずにはいられない。沖縄の分離主義を内包するような反基地イデオロギーが沖縄の未来を開くとは、到底思えないからだ。

  • Thumbnail

    記事

    ウーマン村本がどっぷり浸かった「反辺野古」歴史学者の教え

    篠原章(評論家・批評.COM主宰) しばしば、歴史を知ることは現在と未来を知ることだといわれる。その通りだと思う。ところが、私たちは往々にして歴史を知ろうとする作業を忘れ、特定の「歴史観」に縛りつけられてそこから動けなくなってしまう。そうなると、現在も未来も見通すことはできなくなる。 たとえば、カール・マルクスの歴史観は「マルクス史観」あるいは「唯物史観」と呼ばれ、司馬遼太郎の歴史観は「司馬史観」と呼ばれるが、それらは一つの相対的な歴史観であって、歴史そのものではない。歴史の見方はきわめて多様であり、歴史的事実や歴史的真理は、さまざまな歴史観が共有する土台の部分に横たわっている。ところが、いつのまにか土台が忘れられて、歴史観同士の勢力争いのようなものが起こり、それはやがてイデオロギー闘争のようなものに変質してしまう。  歴史観同士の争いが歴史の研究を進化させることも多いから、こうした争いを全面的に否定するつもりはないが、ひとたび勢力争いが起こると、次の段階で歴史の土台を捏造(ねつぞう)する人たちまで出てくる。自分たちの主張や歴史観に都合の良い歴史的事実のでっち上げだ。厄介なことに、歴史の捏造者たちは、自分たちの考え方こそ唯一の真理だと思いこんでいるから、捏造したことにすら気がつかない。  こうした捏造や、その一歩手前の頑固な思いこみは、なぜか沖縄や朝鮮半島の近現代史研究の分野で頻発している。それも比較的最近になってからのことである。 私は7年ほど前まで経済学や財政学を専門とする大学教員だったから、その時期は関連分野の歴史系学会にいくつも加入していた。私自身はマルクス史観とは一線を画す立場だったが、所属する学会の多くはマルクス史観が支配的だった。が、マルクス史観の研究者たちが自分たちの歴史観を押しつけてくることは稀だった。大部分の研究者は歴史的事実を尊重し、マルクス史観とはかけ離れた研究にも少なからぬ敬意を払っていた。  こうした学会の仲間たちと、1990年代の半ばに「琉球処分」について議論したことがある。琉球処分とは、1872年の琉球藩設置に始まり、1879年の沖縄県設置で終わる「琉球併合」のプロセスのことを指している。高麗文化の影響が色濃い首里城正殿 マルクス史観やその落とし子ともいえるポストコロニアリズム(ポスト植民地主義)の歴史観を重視する研究者は、琉球処分は明治政府による「植民」であり、日本軍国主義の帝国主義的拡張政策の端緒である、といったようなことを主張していた。 彼らの説明は理解できないものではなかった。琉球はそのとき明治政府により「植民地にされた」という側面はあるだろう。だが、それは本土が一方的に沖縄を搾取したことを意味しない。前時代的な生産力しか持たない封建社会「琉球」に対して、近代への扉を開く歴史的プロセス(封建制・身分制の廃止)だった、という側面も持っていたのである。 私はその議論の場で、伊波普猷(いは・ふゆう)という琉球・沖縄研究の偉人の言葉を引き合いに出して、「琉球処分は、王制下で農奴のような暮らしをしていた人たちを解放する試みだったのではないか」と主張した。当時、私のこの主張はありふれたもので、同席した他の歴史研究者たちも「そんなことはわかっているよ」という態度だった。要するに琉球処分が、植民化という側面と近代化という側面を併せ持っていたことは、研究者の間で立場を超えて共有される了解事項だったのである。「琉球処分は許し難い」 ところが、である。そのとき同席していたある歴史研究者が最近になって発表した論考には、「琉球処分は明治政府による強引な琉球併合のプロセスであり、許し難い植民地主義的蛮行であった」としか書いていなかった。「許し難い蛮行」とは恐れ入る。 当時の沖縄の人口に占める士族(サムレー)の割合は、最小で2割、最大で5割であるとされている。日本全体の士族人口の割合は7%から10%だったといわれているから、沖縄がとんでもない士族優位の社会だったことは明らかである(琉球を実質支配していた薩摩の士族比率も高かった)。士族比率の高い社会のほうが、農民(ハルサー)に対する搾取や抑圧の度合いは高くなるから、琉球処分による封建制の廃止は、農民にとって歓迎すべき革命的変化だった。琉球処分の持つこのようなポジティブな側面も注目されてしかるべきだ。そのことは、伊波普猷を始め多くの研究者が指摘している。 そんなことは百も承知しているはずの歴史研究者が「琉球処分は許し難い」と語っている。歴史的事実に許すも許さないもない。事実は事実である。彼はなぜこんな一方的で、非科学的な物言いをして平気でいられるのだろう。 彼の論考を読み進めていくうちに、その理由がはっきりわかった。「安倍政権による辺野古新基地建設の強行は、明治政府による琉球処分という蛮行に重なって見える」と書かれている箇所があったからだ。彼は「安倍政権は許し難い」といいたいがために、「琉球処分は許し難い」といわなければならなかったのである。彼は自らの主張を正当化するために歴史を歪曲したのである。護岸工事が進む米軍普天間飛行場移設先の沖縄県名護市辺野古沿岸部=2017年7月(小型無人機から) 実のところ沖縄近現代史分野では、こうした歴史の捏造や歪曲は珍しくない。似たようなことは吐き気がするほどの頻度で起こっている。「辺野古新基地反対」大いにけっこう。それはそれでやればいい。だが、政治的立場を強化するために、歴史を捏造したり、歪めたり、誇張したりすることはけっして認められることではない。 ウーマンラッシュアワーの村本大輔の発言にも、歴史の捏造者たちと同じような匂いを感じてしまう。村本大輔個人を責めようというのではない。この世界には、「日本」に「琉球」を対置し、「辺野古」に「植民」を重ね合わせるために手段を選ばない連中がいるということだ。「日本にしてやられている沖縄」というイメージを強調するには、沖縄が「異国」であったほうが便利だ。植民地主義者・日本が、「辺野古移設の強行」を通じて本来別の国であった琉球をあらためて侵略しようとしている、というストーリーである。 村本から「沖縄はもともと中国」という発言が出てきたのは、けっして偶然ではない。自分たちの政治的主張を優位に置くために歴史を歪め、「沖縄の異国性」を声高に叫ぶ連中が、学者や識者だけでなくメディアにもごまんと存在する。そうした連中が捏造した歴史空間のなかに村本はどっぷり浸かっているということだ。 村本を誤認させた歴史の捏造者たちの層は驚くほど厚い。従軍慰安婦問題もその一つである。彼らから言論空間を取り返し、正常化するのは並大抵のことではないが、この国の将来にとって最大の課題の一つだ。もはや私たちには村本なんぞにかまっている余裕などないのである。(文中敬称略)

  • Thumbnail

    記事

    「尖閣は中国から取った」ウーマン村本の認識はこの法理で崩れる

    松竹伸幸(ジャーナリスト、編集者) 私はもう寝ている時間帯だったが、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏が1月1日、テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』に出演して発言したことが議論になっている。憲法9条の解釈、非武装中立の考え方その他、議論は多岐にわたっている。 その発端になったのは、中国が攻めてきた場合、尖閣諸島について、「僕は、取られてもいいです。僕は明け渡します」と主張したことだとされる。村本氏はさらに、「人を殺して国を守ることってどうですか?」として、そういう状況に置かれた際、「じゃあ、(自分が)殺されます」と述べたという。お笑いコンビ、ウーマンラッシュアワーの村本大輔 村本氏は典型的な「非武装中立」論者なのであろう。その中でも、非武装中立をあくまで将来の理想として掲げているだけでなく、現実の目の前の世界でも攻められたときには「座して死を待つ」という徹底した立場だということだ。私はそういう立場をとるものではないが、理想に殉じようとする村本氏は立派だと思う。ぜひ、その志を実際にも貫いてほしいと期待する。 確かに、村本氏は沖縄の基地問題などをネタにする数少ない芸人の一人であり、現地での人気も高い。ただ問題は、村本氏の考え方が沖縄の人々を代弁しているように思われていることである。もちろん、沖縄の人々に同じ考えの人がいること自体は否定しない。沖縄戦とりわけ日本軍が関与した集団自決なども体験したことによって、少なくない沖縄の人々の中に軍隊そのものを忌避する感情が生まれ、それが非武装中立という考え方につながっている面はある。 けれども、沖縄県民の選挙で選ばれた翁長雄志知事が自衛隊も日米安保条約も認めていること一つとっても明白なように、非武装中立の世論は沖縄でも少数である。翁長知事は、米軍普天間基地の名護市辺野古への移設には強く反対しているが、日本の安全保障について真剣に考えているのである。いま、「沖縄は基地の重圧ばかり訴えて日本の安全には無責任だ」という本土の世論が、安倍内閣による辺野古移設強行を支える役割を果たしている。その中で、村本氏の言明を持ってきて「沖縄の世論はやはり非武装中立」のような世論が本土で加速するなら、普天間基地を閉鎖するという沖縄の人々の闘いに水を差すことになりかねない。 その意味で、村本氏には自重を促したいと思う。自分の個人的な見解にすぎないものが沖縄の代弁だととられる誤解を生むような言動は慎んでほしい。 ここまでは前置きである。本稿で論じたいのは、村本氏の尖閣諸島の領有権に関する誤った認識のことだ。村本氏に警告したい「誤認識」 村本氏は一連のやり取りの中で、尖閣を「明け渡す」と言明したのに続いて、沖縄についても同じかと問われ、「もともと中国から取ったんでしょ」と主張したという。さすがに番組後のツイッターで「沖縄は中国だった、ってのは(中略)咄嗟(とっさ)の拡大解釈でした、反省」と述べたというが、尖閣についての認識までは撤回していない。尖閣は「中国から取った」ものだという認識のままなのであろう。 安倍政権と対峙(たいじ)しようとするあまりなのか、日本と中国、韓国、北朝鮮の周辺諸国に対立する問題が存在するとき、特に深い検証もないまま周辺諸国側の見解を支持する人がいる。進歩派を自称する人々の一部によくあることだが、慰安婦問題しかり、核・ミサイル問題しかりである。 尖閣もそういう問題の一つになりやすい性格を持つ。安倍政権の立場と違うと強調すれば、それだけで批判者としての役割を果たせると勘違いする人がいるわけである。沖縄県名護市長選で稲嶺進氏の落選が決まり、厳しい表情で報道陣の取材に応じる翁長雄志沖縄県知事=2018年2月4日夜 しかし、普天間の辺野古移設を推進しようとする人々の中には、翁長知事や家族の中国との「親密な関係」をでっち上げ、「このままでは尖閣は中国に奪われる」とあおり立てることにより、辺野古移設の世論を高めようとする考え方もあることだ。「尖閣の領有権は中国の言う通り」ということを、沖縄を代弁するように思われている人が主張するのは、それだけで翁長知事を窮地に追いやることなのである。 領有権問題というのは、「どっち寄り」のような政治的配慮で左右される問題ではなく、国際法上の厳密な検討によって決められるべきものである。沖縄に寄り沿う気持ちがあるなら、中国寄りととられる発言をする際には、多少なりともその根拠については突っ込んで検討すべきであろう。そうでないと、村本氏の意図とは異なり沖縄に迷惑をかけるものになりかねないことを、まず警告しておきたい。 さて、尖閣の領有権問題である。尖閣がもともと中国のものだったと発言する人は日本人の中にも存在する。学者の中にもいる。だから、そのような言説を目にした村本氏が「もともと中国から取ったんでしょ」と考えるに至った事情があることは理解する。 そんな言説の中でも代表的なのは、尖閣の存在についての認識では日本より中国のほうがずっと古かったとする主張である。例えば『順風相送(じゅんぷうそうそう)』という中国の航海案内書とされるものが存在し、中国の船が琉球(沖縄)との間を行き来する際、尖閣を目印にしていたことが分かる。これが書かれたのは16世紀とも15世紀とも言われている。アメリカはいまでもスペインのもの?林子平像(龍雲院蔵、部分) 一方、当時の日本人の手によるものでは、18世紀後半に林子平があらわした『三国通覧図説』(1785年)がもっとも古いとされる。中国側文献よりずっとあとのことだ。 琉球の人々が書いたものも含めると、『琉球国中山世鑑』や『指南広義』などさらに古いものも出てくるようになる。しかし、それでも17世紀や18世紀初頭のものであり、中国にかなわないことに変わりない。しかも、当時の琉球は、中国(明)との間で冊封(さくほう)関係にあり、これらを日本側の文献といえるかでも議論の余地がある。とはいえ、村本氏は「沖縄を中国から取った」という言明を撤回しているので、冊封関係をもって琉球を中国領だったと認識しているわけではないだろうから、その議論にここでは深入りしない。 こうして、尖閣「発見」の時期を見ると、どうしても中国側に軍配が上がるのだ。村本氏のような考え方が生まれるのには、それなりの背景がある。 しかし、である。もし、「発見」が領有権を決める基準であるなら、アメリカはいまでもスペインのものであろう。ところが、アメリカはその後、イギリスが領有することになり、現在ではアメリカ合衆国のものになっている。なぜそうなっているかを考えてみれば、日本が尖閣を「中国から取った」ものでないことは、一目瞭然になるのである。 ある土地の領有権を決める基準は何か。 一つには、ずっと古い時代から領有しており、国家の領土としても認識していたという、動かせない事実が基準になる場合がある。日本でいえば、本州や北海道、四国、九州などがそれだ。古代から日本人が住み、国家の支配が及び、誰もが日本のものだと認識し、それに対してどこからも異論が寄せられないような土地の場合である。 それに対して、時代が新しくなるにつれて人々の認識の範囲に入ってきた土地の場合、別の基準が必要となる。尖閣やアメリカ大陸のような場合である。ただし、この場合もその土地に昔から住んでいた人はいたわけで、それをどう考えるかは後述する。 こういう場合の基準は、もともとは「発見」だったのである。大航海時代に七つの海を旅したスペインやオランダは、そうやって領有権を世界に拡大していった。しかし、そのやり方はすぐに頓挫する。イギリスやフランスなど後発の国々が力をつけ、領有権が各国同士で衝突するようになってきたからである。「発見」だけでは決まらない こうして、現代にもつながる国際法上の領有権の基準が登場する。それが「先占」というものだ。これには二つの要素があって、一つはその土地が自国のものだと「宣言」することである。これだけだと「発見」と似たようなものだが、さらにもう一つ、「実効支配を及ぼす」という要素が加わる。その土地で国家が警察権を及ぼしたり、経済活動には課税したりというようなものである。 すぐに理解できることだが、これは植民地支配の論理である。アフリカなどをどう分割するかについて、実力がものを言う世界をつくりあげたのだ。それを欧米列強が勝手に国際法の原則にしたのである。 だからこの基準は、現代において、かつての植民地世界で通用していない。植民地の人々は、「先占」によって支配されることに歯向かい、「この土地は住んでいるわれわれのものだ」という新しい原則を打ち立てていったのである。昔から住んでいた人も含む「人民の自決権」が領有権の基準になったということだ。 とはいえ、誰も住んでいなかった土地もある。尖閣もそうである。そういう場合、なお「先占」が領有権を決める基準になっているというわけである。 尖閣についていえば、先述のように、中国はいち早く「発見」をした。しかし、「先占」はしなかった。実効支配を及ぼさなかったのである。中国国旗を掲揚して航行する潜水艦=2018年1月12日、尖閣諸島北西の東シナ海(防衛省提供) 一方の日本は「発見」こそ遅かった。けれども「先占」は完璧であった。明治17(1884)年、古賀辰四郎が尖閣を探検し、翌年、同島の貸与を政府に願い出る。同28(1895)年、日本政府は尖閣を日本に編入するための閣議決定を行う。「先占」の一つ目の要素である「宣言」にあたる。さらに、古賀が政府の許可を得て船着き場をつくり、アホウドリの羽毛の採取を事業化し、最盛期には200人近い人々も住むようになる。これらの人々は日本政府の納税をした。「実効支配」である。 その経過の中で、中国側からは一度も抗議のようなものはなかった。それどころか、大正8(1919)年に中国の漁民が遭難し、尖閣の日本人が救助して送り返したとき、当時の長崎駐在中国領事は日本に感謝状を寄こしたのだが、そこには「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」という記述もあったほどだ。 そういう事情は第2次大戦後、中国で共産党政権ができてからもしばらく変わらなかった。共産党の機関紙「人民日報」が、米軍占領下の沖縄の人々の闘いを報道する記事の中で、「琉球群島は、…尖閣諸島…など七つの島嶼(とうしょ)からなっている」と書いたこともある(1953年1月8日)。帝国主義時代に「逆戻り」 中国の態度が180度変わったのは、1970年代初頭である。69年に東シナ海で海底資源の存在が明らかになったことが理由だといわれているが、真偽は不明である。 その後、中国側は尖閣が中国領だという主張を強めていく。その中で、先述の『順風相送』など新「証拠」が発見されているのが現状である。 今後も新「証拠」が出てくるかもしれない。しかし、現在通用している国際法に基づいて判断する限り、尖閣の領有権が日本にあることは疑えない現実である。 「法」ではなく「人情」で判断すれば、中国側に同情の余地はある。なぜなら、その国際法の形成には中国は関わっていない(日本もだが)からだ。欧米列強が勝手につくり、世界に押しつけてきたものである。日本は弱小国だったが故に、どうやって日本を国際法基準に国にするかで腐心した。中国は強国だったが故に、そんな国際法を無視した。そこに「先占」をめぐる日本との格差が生まれる。第19回中国共産党大会の閉幕式を終え、拍手する習近平総書記(前列中央)、胡錦濤前総書記(同左)、江沢民元総書記(同右)=2017年10月24日、北京の人民大会堂(共同) さらにその後の中国は、帝国主義列強に国土を踏みにじられ、日本にも侵略された。戦後も内戦が続いたし、共産党政権になっても文化大革命などの混乱が続くことになる。そうして、ようやく混乱から抜け出て一息つき、国家の建設を真面目に考えようとしたら、目の前にあったのは中国があずかり知らぬ国際法が幅を利かせる世界だったのである。「こんな国際法など知るか」という腹立たしい気持ちにもなるだろう。尖閣だけでなく、かつて影響を及ぼした南シナ海に「九段線」なるものを引いて、勝手に権利を主張しているのも、そうした気持ちの表れなのだ(国際司法裁判所に否定されたが)。 もしかしたら、かつて列強が国際法をつくったように、強大化した中国が力で国際法を変更する時代が来るかもしれない。しかし、現在の国際法を無視して変更するとなれば、再び力で領土を分割する時代に逆戻りしてしまう。村本氏の「(尖閣は)中国から取った」という認識は、そういう時代を招きかねないものである。 しかも、再び冒頭の議論に戻ってしまうが、そういう言明を、沖縄を代弁すると思われている人がすることが問題なのである。普天間基地閉鎖をめざす沖縄県民の闘いに悪影響を与えるのだ。 村本氏の信念に属することについて、部外者の私が「変えろ」と求めることはしない。しかし、非武装中立にしても尖閣の領有権にしても、あくまで自分個人の見解だと明確にして発言すべきであろう。あるいは、沖縄県民の多数は安全保障を真剣に考えているし、尖閣は日本のものだと沖縄県民は確信していることを明確にした上で、自分は別の考えだと主張すべきだろう。沖縄に寄りそう気持ちが村本氏にあるならば、だ。

  • Thumbnail

    記事

    尖閣 自衛隊が動けば中国は即座に人民解放軍を投入する準備

     尖閣国有化から5年。いまも頻発する中国海警の領海侵犯に日本は「いつものこと」とばかりに麻痺しているが、事態は深刻だ。2016年までは尖閣周辺の日本領海やそのすぐ外側で日本の主権の及ぶ接続水域に侵入してくる中国海警の武装艦艇はいつも2隻だった。だが2017年の今は必ず4隻の行動をともにする艦隊となっているのだ。産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏が警鐘を鳴らす。* * * 中国の軍事研究を専門とするワシントンの民間研究機関「国際評価戦略センター」のリチャード・フィッシャー研究員は語った。「いまの中国海警の尖閣攻勢はすぐ背後に控えた海軍と一体の尖閣奪取の軍事能力向上の演習であるとともに、日本側の防衛能力や意思を探っている。中国軍は大型ヘリ、潜水艦、新型ホバークラフトを使っての尖閣奇襲占拠作戦も立てている。長期には尖閣占拠により沖縄を含む琉球諸島の制覇から東シナ海全体の覇権をももくろんでいる」 中国の海洋戦略研究では米国有数の権威とされるトシ・ヨシハラ氏に中国側の当面の狙いについてまず聞いた。日系米人の同氏は米海軍大学教授を長年務め、今年はじめからワシントンの主要防衛問題シンクタンク「戦略予算評価センター」の上級研究員である。「中国はトランプ政権が尖閣防衛の意思を明確にした以後も4隻の艦隊で毎月3、4回、尖閣の日本領海や接続水域に侵入しているが、日本側の尖閣の施政権を無効にみせることが当面の目標だろう。中国が自国の“水域”や“領土”としてこれだけ自由に出入りするのだから、日本側には主権はもちろん施政権もないというイメージを国際的に誇示することだ。施政権は中国にあるという公式宣言を間もなくするかもしれない」「中国は当面は侵入を繰り返し、日本側の海上保安庁を消耗させることに力を入れている。日中の消耗戦なのだ。中国側はいまは沿岸警備隊レベルの海警を使って侵入しているが、日本側がもし自衛隊を動員すれば、ただちに『日本の挑発』を口実に人民解放軍を投入する準備もしているはずだ」沖縄県・尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島 だから日本は尖閣のために中国との本格的な軍事衝突を覚悟していない限りは、中国側の挑発に乗らないことが賢明だという。では日本はどうすればよいのか。ヨシハラ氏は語った。「アメリカの抑止力も重要だが、当面は日本が中国側の尖閣への侵入や攻撃に自力で対応し、撃退できる能力と意思を示すことが中国の実際の軍事作戦を抑える最大の効果があるだろう」 尖閣周辺を警戒している海上保安庁の能力増強はもちろん、実際に投入することはなくとも海上自衛隊をはじめとする防衛力の強化、そしてその覚悟が必要だというのだ。 尖閣問題こそが、「国難」と呼ぶにふさわしい国家の危機を私たちに突きつけているのである。【PROFILE】古森義久●慶應義塾大学経済学部卒業。毎日新聞を経て、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長などを経て、2013年からワシントン駐在客員特派員。2015年より麗澤大学特別教授を兼務。近著に『戦争がイヤなら憲法を変えなさい』(飛鳥新社)。関連記事■ 中国尖閣攻勢は米にとって「日本の国難」との深刻な懸念■ 中国の対日工作機関 河野外相と翁長知事に伸ばした魔の手■ 中国工作機関が尖閣触手で宮古島観光協会「恐ろしくなった」■ 日中友好謳う謎の一行が翁長・沖縄知事訪問 日本分断画策か■ 性善説に基づく出産一時金42万円等 健康保険を外国人が乱用

  • Thumbnail

    記事

    前沖縄県知事・仲井眞弘多氏「活動家と化した翁長君へ」

     前沖縄県知事の仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)氏は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に道筋をつける埋め立ての承認手続きを行ったことで、多くの非難を受けた。一方、辺野古移設を「あらゆる手法で阻止する」として2014年に当選したのが現知事・翁長雄志氏である。当選後に仲井眞氏の手続きに瑕疵(かし)があったとして埋め立て承認を取り消し、政府との法廷闘争を繰り広げた。一昨年の最高裁判決で敗訴が確定してもなお移設反対の構えを崩さない。だが、展望は開けない。沖縄県政も停滞したままだ。いま仲井眞氏は何を思うのか。彼は本当に「沖縄を売った男」だったのか。沖縄国際映画祭のクロージングセレモニーに登壇した仲井眞弘多沖縄県知事(当時)=2011年3月27日、沖縄(白石大地撮影) * * * いったい沖縄をどうしようとするのか、この人物は意味不明です。ただ反対と叫ぶだけでは活動家のようなものではないですか。 私の承認手続きに瑕疵があったというが、どこにもなかったことは最高裁が認めた通り。法律に則り適正に行われた手続きを「辺野古に基地を造らせない」という一方的なスローガンで覆そうというのは、日本の法制度を否定するようなもので、行政のトップとしてあってはならないことです。 私には彼の行為は、理解しがたい。知事たる者、法制度を遵守し政府と交渉や協議を通して政策を実現していくというスタンスが欠かせない。今の彼は辺野古のテントで「反対」を叫んでいる活動家と変わりがない。先日も普天間飛行場のそばの小学校の校庭にヘリの窓が落下する事故がありましたが、こういう危険を失くすために現在の辺野古移設計画があるのです。反対すればするほど、危険な状態が続くことを自覚しているのかと問いたい。 翁長県政は今年で4年目、翁長氏は「基地問題に労力の8~9割を費やしている」と公言しているそうですが、県知事の責任を放棄しているとしか見えません。産業や医療、教育、防災、離島対策と取り組むべき課題はたくさんある。この4年で沖縄関係予算は減り、独自の経済政策や目玉となる大型インフラの整備は全く実現できていません。 こんなことでは県職員のモチベーションも下がってしまう。県庁は優秀な人材が集まった沖縄最大のシンクタンクでもありますが、彼らが法制度を捻じ曲げることに加担させられてばかりとは……。翁長氏の意味不明な言葉遊び 沖縄県と日本政府が対立する局面も目立ちます。 翁長氏が「魂の飢餓感」や「差別」などの感情的な言葉で沖縄のアイデンティティー論を振りかざし、沖縄と本土の溝を深めるかのような言動を繰り返していることに、沖縄の将来に由々しき禍根を残すのではないかと懸念しています。私たち沖縄県民は、長い間をかけて本土との溝を埋めるべく努力してきたのです。沖縄県の翁長雄志知事=2017年9月12日、外務省(原田史郎撮影) 今や私たちは、少し個性は強いけれども日本人以外の何者でもありません。こんな意味不明な言葉遊びをするのは理解できません。 私は決して今の米軍基地を良しとしているわけではない。依然として県民が被害者となる悲惨な事件事故が絶えませんが、こんなことはあってはなりません。よく企業が無事故無違反の運動に取り組んだりしますが、米軍は怠慢だとしか言いようがない。 ただ、東アジアの現在の情勢を考えると、日米安保体制の堅持が欠かせません。中国が圧力を強める尖閣諸島は沖縄県の一部。一定の米軍のプレゼンスは必要です。だからこそ、沖縄の基地負担の軽減を一歩一歩着実に現実的に進めることで、日米安保体制の安定的な運営に繋げていくべきだと思います。即時全面返還などの情緒的な反対を唱えるだけでは決して解決策とはなりません。【PROFILE】なかいま・ひろかず/1939年生まれ。東京大学工学部卒業後、通商産業省に技官として入省。1987年に沖縄電力理事に、1990年からは大田昌秀沖縄県知事の下で副知事に就任。2006年より、沖縄県知事を2期務める。●取材・構成/竹中明洋(ジャーナリスト)関連記事■ 中韓の「日本買収」が止まらない これは武器を持たない戦争■ 中国尖閣攻勢は米にとって「日本の国難」との深刻な懸念■ 日中友好謳う謎の一行が翁長・沖縄知事訪問 日本分断画策か■ 中国の対日工作機関 河野外相と翁長知事に伸ばした魔の手■ 尖閣 自衛隊が動けば中国は即座に人民解放軍を投入する準備

  • Thumbnail

    記事

    沖縄伝統行事の無知でバレた基地反対活動家たちの本性

    和田政宗(参議院議員、元NHKアナウンサー)(青林堂『日本の真実50問50答』より) 今、日本とはどういう国であるのか、世間やメディアで述べられている戦前や戦中の日本、戦後の歩みは真実なのか、こうしたことに興味を持ち自ら調べる人々が増えています。こうした人々は、一方的に日本をおとしめるような外国勢力の発言や日本国内における国を愛せない勢力の活動に疑問を持ち、自ら真実を探求しようとさまざまな情報を収集し、ネットで発信したり本を出版したりと積極的に行動しています。和田政宗政氏 私も受けたような戦後の左寄り教育やとにかく批判ありきの主要なメディアの呪縛に気づき、自ら解き放ちたいという人々です。また、若者を中心に新聞を購読せずヤフーニュースなどで情報を得る、テレビもあまり見ないといった人が増え、そうした人たちは、何が真実なのか自らネットを通じ探求するようになっています。 これまでは新聞やテレビで報道されていることのみが真実であると思われがちでしたが、ネット社会の発展が、本当の真実を明らかにする大きな力となっているのです。これは国民の情報に対する成熟をもたらし、日本にとって国家としてより揺るぎない将来をもたらすものとなるでしょう。 そこで本著においては、皆様が我が国の真実を探求するための一助になればと、これまで世間で言われているようなことが真実なのかそうでないのかを、わかりやすく解説できればと思っています。 私自身が戦後の左寄り教育によって洗脳され続けてきた過去がありますので、どれだけそうした教育に嘘が多かったかを実感しています。また、以前はメディアで働いていましたので、真実を探求しようという心あるジャーナリストがいる一方で、捏造に近い報道や番組を作る勢力も目の当たりにしてきました。 今こそ日本の将来のために、日本の真実を知ることが重要です。皆様とともに、今日本で起きていることや歴史的事実を正確に理解することで、誇りある豊かな日本を築いていければと考えています。 日本は素晴らしい国です。優しさにあふれ性善説に立ち、自ら覚悟をもって行動する。これほど素晴らしい民族や国家は世界を見渡してもないくらいだといえるでしょう。そうした我が国を築いてきた先人に感謝し、国を愛し、次世代に素晴らしい日本を受け継いでいきましょう。「保守」「革新」とは何か?Q 保守とは何か? 革新とは何か? まず考えなくてはいけないのは、日本では「保守と革新」という言葉の解釈が、欧米と違うということです。本来の意味からいうと、保守とは「明日を今日よりも豊かにして、豊かになった分を分配しよう」というところから考えます。経済発展をなし遂げ、その中で得た利益を分配する、ということです。そうして将来的に今以上に良い社会を目指す発想です。 一方の革新は「今得られるものを平等に分配しよう」というところから考えます。明日はまた、明日得られたものを分配していく。社会主義的な発想です。「保守と革新」という言葉のイメージからすると、正反対のように感じることでしょう。今以上の発展を目指し、得られた利益を分け合うのが保守であり、今現在あ るものを分配するのが革新です。 確かに逆のイメージをお持ちの方は、特に日本には多いかもしれません。ですが保守のほうが未来を見据えて大局を見て、そのために今、何をするかというアクションにつなげる側です。革新は常に「今あるもの」を分配していきますから、将来のことはその次に考えましょう、ということになりがちです。これはまさに某政党が政権を執っていた時の状況に似ています。 時おり保守を「先祖返り」と批判する声が聞こえてきますが、これは言葉の意味を取り違えた、的外れな指摘だと私は思います。保守陣営の中にも、この言葉の本質をはき違えている、あるいはあまり理解できていない方はおられます。ですから、政治学者の中西輝政先生がしばしば語られるように、まずは「保守と革新」というふたつの言葉の、再認識が必要でしょう。 保守というと「伝統を守る」「旧来のやり方を通す」という見られかたをされがちで、そうした面も確かにあります。しかしそこには「今までに受け継いだものを、さらに良くしていこう」という、将来に向けたビジョンとアクションも含まれています。 たとえば、今は亡き田中角栄先生は、「東京の首都高速道路を片側4車線にしよう」という構想をお持ちでした。片側4車線の高架道路となるととても大がかりなもので、さすがは日本列島改造論の田中先生らしい、大胆な発想です。それだけに、周囲からはこの構想は「絵空事だ」と扱われていたのかもしれません。でも、もしもこの構想が実現していたらどうでしょう?自民党「青嵐会」のメンバーとして、首相の田中角栄(手前)を表敬訪問した石原慎太郎(後方中央)=昭和48年7月26日、首相官邸 現在の都心の道路渋滞は起こっていなかったはずです。その時その時の状況だけではなく、将来にも目を向けて、発展できる可能性を追求していく。これが保守です。田中先生は保守系からの批判を受けることもありますが、やはり経済に関する先見の明は、とても優れたものをお持ちでした。 一方、革新系の共産党や旧社会党の過去の主張を振り返ってみると、その当時の状況だけを踏まえた主張しか出てこない。首都高速道路については一人でも反対があれば建設しないという意見まで出ていたのですから驚きです。これが、彼らにとって最善の策なのです。今あるものをとにかく分配してしまう。反対のあるものはやらない。その後のことは、それから考える。このやり方では成長が望めません。それは社会主義モデルであり、将来破たんするのは目に見えています。 いま、安倍政権が進めていることは、まさに本当の保守政治です。経済を今以上に発展させて利益を上げ、それをみなで分配しようというわけですから、国民にとってもこれは良いことであるはずです。 また、若い世代が保守傾向にある、という話もよく聞きます。これはヨーロッパの政治学者たちが定義する「保守の本道」を行く、安倍政権への若者たちの共感があるのではないでしょうか。将来ある若者にとっては、自分たちの未来をどれほど明るいものにできるかは、大いに興味があるはずです。それが保守への支持、保守化となって表れているのでしょう。 決して懐古主義ではなく、先祖返りでもない。より良い将来を見据えて、それを実現していく。それが保守であり、そうした保守の本質が若者たちの間にも知られてきたために、支持が広がっているのだろうと思います。日本軍は沖縄を見捨てたのか?Q 先の大戦で日本軍は沖縄を見捨てたのか? 2017年(平成29年)2月の半ば、私は沖縄を訪れました。浦添市長選挙の応援が主な目的だったのですが、その合間に、糸満市の平和祈念公園、さらに同じ糸満市内の「白梅の塔」にも足を伸ばしました。平和祈念公園は県営の公園として、今は広々と整備されていますが、沖縄戦として知られる激しい戦闘により、日米両軍と一般人に多数の死傷者を出しつつ、日本軍の沖縄守備部隊が終焉を迎えた場所です。沖縄全戦没者追悼式で黙祷する参列者=2017年6月、沖縄県糸満市の平和祈念公園 園内にはいくつもの慰霊碑、慰霊塔などがあり、中でも「平和の礎(いしじ)」は修学旅行で学生たちが多く訪れるためか、よく知られているようです。ここでは屏風のような形に立てられた黒い石碑に、沖縄戦などで亡くなった方々の名前が、国籍に関わらず刻まれています。その石碑の間を歩いていると沖縄戦というものがいかに悲惨なものだったかということを、あらためて強く感じます。そして、平和の礎の少し先には「摩文仁の丘」があり、ここには沖縄のために戦った各都道府県の方々の慰霊塔が建ち、沖縄戦で散った全国の方々の霊を慰めています。 白梅の塔は過去にも訪れたことがあったのですが、この日も人影はまったくなく、ひっそりと静まりかえっていました。近くには沖縄戦を戦った陸軍第24師団歩兵第22連隊の慰霊碑が建っています。 22連隊は愛媛県松山市の歩兵連隊であり、1945年(昭和20年)6月にこの地で最期を迎えています。慰霊碑の碑文には、住民とともに勇敢に戦ったことが刻まれています。こうした場所は修学旅行の訪問先にはなかなかなりません。日本各地から沖縄のために戦い戦死した方々がいることが、いわゆる平和教育において不都合なのでしょうか。 大戦末期、日本中から多くの軍人、民間人が、沖縄を守るために駆けつけました。沖縄では航空機による特攻がかなり行われたのですが、それは敵艦を攻撃するという目的に加え、民間人へのサポートにもなりました。特攻をかけている間は、敵の砲撃は陸地には向かってきません。その間、住民たちは身を潜めていた防空壕を飛び出し、水を汲みに行ったり食料を取りに行ったりができました。 しかし、戦後のいわゆる平和教育の名のもとで「沖縄は捨て石にされた」という声が上がるようになりました。私も育った土地が日教組の強い土地柄だったためか、小学校の授業で「沖縄は、日本に見捨てられたんです」という話を聞かされていました。ですが、決してそんなことはありません。当時の沖縄では、日本軍と現地の住民とが一体になり、勇敢に戦っていたのです。思いをともにして戦った場所には、多くの慰霊碑や慰霊塔が残されています。 また、1945年(昭和20年)1月という、まさに米軍上陸は避けられないと見られて いた時期に沖縄県知事に就任し、沖縄の方々とともに亡くなった島田叡のような人もいます。日本は、決して沖縄を見捨てたりはしなかった。国家の総力を傾けて沖縄戦を戦いました。それは多くの記録や書物にまとめられています。近年では仲村覚さんの著書などを開けば、なぜそこまでして戦い抜こうとしたのかが判ることでしょう。靖国神社の遊就館を見学するなどすれば、そのことは本当に強く感じられます。沖縄の民意は「反基地」なのか?Q沖縄の真実の声は、本当に反基地・反米軍なのか? 私はこのところ年に数回、沖縄を訪れています。昨年(平成28年)10月に行った時には、 米軍基地内でハロウィンパーティをやっていました。もちろん当日は基地を開放していますから、一般の方々も入場できます。基地の入口付近は入場を待つ車が列をなして、大渋滞です。 米軍としては、やはり地元の方々の基地への理解は必要だと考えているでしょうから、こうしたイベントをどんどん行って、地域住民との接触の機会を増やしていきたいところでしょう。ふだんは入れない米軍基地の中で、しかも純アメリカ流のイベントを楽しめるということで、地元の方々が大勢やってきます。その光景は「反基地こそが沖縄の総意」というスローガンとはまったくかけ離れたものでした。 私は、日本国は日本人の手で守るのが本筋だと考えています。ですが米軍基地は日本全国に存在しており、その強大な軍事力は現状において日本を守る防衛力の一部となっています。ですから、いきなり在日米軍基地をゼロにする、ということはできません。将来的にゼロにするということには賛同できますが、段階的な縮小を経ていくというのが、もっとも現実的でしょう。 米軍基地と地元住民とが穏便に共存している地域はいくつもありますし、沖縄にも同じことがいえるはずです。まして辺野古については、住民の方々はすでに移転を受け入れているわけです。もちろんそこに温度差はあるでしょう。「積極的に受け入れる」という方もあれば、「仕方なく容認する」という方もあったはずです。ですが地元住民として受け入れたからには、基地のゲート前で違法テントを張ってまで抗議活動するというのはどうにも理屈に合いません。本土復帰45年の「平和とくらしを守る県民集会」で、米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止へ気勢を上げる参加者たち=2017年5月 昨年の2月、私が沖縄を訪れた時は、ちょうど「ジュウルクニチ」にあたっていました。沖縄では今も旧暦に従った伝統行事が数多く残っていて、それが人々の生活の中にしっかりと根付いています。そのひとつであるジュウルクニチ(十六日)は旧暦の1月16日に あたり、「あの世のお正月」とされる祭日です。新暦では 2 月の15日頃になりますが、こ の日は会社も半休、あるいは休日になるところもあるそうで、一族がご先祖様の墓前に集い、お重に詰めた料理を広げて祖先の霊を慰めるのだそうです。 私が辺野古の抗議活動の視察にいった時が、まさにジュウルクニチの日でした。同行してくれた沖縄の方は「さすがに今日は、誰もいないんじゃないですかね」と言います。それでもせっかく来たのだから、誰かいたら『違法テントなんかやめて、もっと合法的な抗議活動をしましょう』くらいは呼びかけてみよう。そう思っていました。 ところが現場に着いてみると、抗議活動中の人がわんさといるわけです。今日は大事な祭日なのに、お墓参りにいかなくていいのかな?私は少々面食らって、その場にいる人々に尋ねてみました。 「今日はジュウルクニチですけど、皆さん、ここにいていいんですか?」 「ん?なんだ、その『じゅーるくにち』ってのは」 一瞬にして答えが判ってしまいました。 「なんだ、皆さん沖縄の方じゃないんですね」 「……お前だって、沖縄の人間じゃないだろう」 こんなやりとりをしているうち、テントの中にいた名護市議の大城氏があわてて出てきて「ちょっとまずい」とバツが悪そうに私に話しかけてきました。その後、5月に再訪した時には、すでに私の顔が知られていたのか、現地の活動家から暴行を受けるはめになってしまいましたが、その時の印象では標準語を使う人が多く、また関西弁も混じっていました。その場にいる人々の多くが県外組であるのは明らかで、さらには韓国語で書かれた垂れ幕まである、というありさまです。辺野古テントに地元民はいない それでもめげずに、違法テントを挟んで通りの反対側で演説をやっていましたら、何やら、その違法テント側の歩道をいかつい人物が歩いてくるのです。がっちりした体つきに濃い色のサングラス。小型のブルドッグを連れて、のっしのっしとやってくる。そして演説している私の正面、道を挟んだ向こう側の、路肩の縁石にドカッと腰を下ろして、私の演説を聞き始めました。 『いやぁ、マズイなぁ。怖い人が来ちゃったかな』などと一瞬思いましたが、といって逃げ出すわけにもいきません。演説を続けしばらくして終わると、なんとその人は「パチパチパチ」と拍手してスッと立ち上がり、そのまま悠々と去っていきました。犬を連れていたので明らかに近所の住民の方だと思うのですが、テントにいる活動家たちも、その人には何も言わない。活動家と地元の方々との間に、何かひと悶着があったのかもしれません。 近くの商店の方に話を聞いてみたのですが、「あのテントには辺野古の人間は一人もいませんよ」ときっぱり言います。時々トイレを借りに来るので、まぁ貸してはいるけれども、ウチで何も買ってくれないのでね…。「そのうえトイレットペーパーを持ち出していくんです…」 地元の方々にとっては、迷惑はなはだしいわけです。「基地周辺の人々が、米軍基地に対して問題を抱えているのなら、そこは政治が仲立ちをして段階的に改善をしていきましょう」 橋本龍太郎総理の頃から、基地問題は一貫してそうした姿勢で政府が取り組んできました(民主党政権時代は除きますが)。ですが辺野古では抗議活動が活動家のためのものになってしまっていて、彼らはこれまでの枠組みを破壊しようとしている。そのことに対して、沖縄の方々は決して快く思っていません。基地問題について中庸な立場をとっている人たちの間にも、そうした感覚は広がっています。米軍普天間飛行場=沖縄県宜野湾市 もちろん、基地があるからこその負担はあります。米軍機による騒音などは、もっとも大きなものでしょう。でもそれについては「今までの政府の姿勢に沿って、対応していく」という方向性を変えることなく、その中で改善に向けた努力をしていくことが必要です。あのハロウィンパーティをたくさんの地元の方々が楽しんだでしょうし、また米軍軍属の方から英語を教わって、相互理解を深めようという活動をしている方もいます。 白か黒かという話にせず、できる部分は歩み寄り、良しとしない部分は論拠のある主張を挙げて改善を求める。双方がこうした姿勢を崩さずに交渉に臨めるのであれば、いさかいは平和的に解決できるでしょう。しかし沖縄においては県外から来た活動家が混乱を引き起こしています。 私が引き出した政府答弁では、沖縄の反基地運動に過激派が参加していること、ここ2年の逮捕者の3分の1が沖縄県外の人や外国籍の人物であることが明らかになっています。沖縄の現実を自分自身の目で見るにつけ、「反基地・反米軍が沖縄の総意だ」などという言葉が、私には空しく聞こえるばかりなのです。 わだ・まさむね 1974年、東京都生まれ。慶応大卒。1997年にアナウンサーとしてNHKに入局。2013年の参院選でみんなの党(当時)公認で出馬し初当選。著書に『戦後レジームを解き放て! 日本精神を取り戻す!』(青林堂)など多数。

  • Thumbnail

    記事

    ヘイトを逆手に取る「差別ビジネス」から沖縄を護れ

    依田啓示(カナンファーム代表) 私は幼い時から毎年、慰霊の日に生中継される厳かな慰霊祭を見てきました。小さいころは、学校が休みになるのでうれしくて外に遊びに行った記憶もありますが、戦地としての沖縄県を知るにつれ、戦争や平和について深く考えるようになりました。沖縄全戦没者追悼式で、演台に向かう安倍首相(手前)を見つめる沖縄県の翁長雄志知事(左端)ら=6月23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園 沖縄県は、これまで「保守」と「革新」の間で熾烈(しれつ)な選挙が戦われてきましたが、少なくとも、この「慰霊の日」については、どちらの陣営も非常に中立的で、ともに心を合わせて、その日を迎えていたと鮮明に記憶しています。 ところが、2年前くらいから、本土の活動家が慰霊祭に顔を出すようになり、テレビで報道された通り、厳粛な慰霊祭の最中に現職の総理大臣に向かって罵声を浴びせたり、会場入り口では「反原発」「反差別」など慰霊祭に全く関係のないのぼりやプラカードを持ったデモ隊が騒ぐようになり、心を合わせてともに祈る場であるはずの慰霊祭が「政治利用」されるようになりました。これは非常に残念なことだと多くの県民は心を痛めています。 沖縄県の「被害感情」や「平和を希求する心」がうまく利用され、民主党政権の鳩山由紀夫元総理の「最低でも県外」というウソの公約がきっかけとなり、「沖縄県民をバカにするな!」と火がついてしまったのです。その元総理は現在、平気な顔をして何度も沖縄の過激な抗議現場を激励に訪れ、何食わぬ顔で基地反対を叫んでいますが、もともと「やっぱり県内」と言って、基地を沖縄に押し付けてきた張本人であり、ロシアによるクリミア併合を支持しています。そんな「言行不一致」な人物がいま、平和の象徴として祭り上げられているのです。 慰霊の日を迎えるにあたり、今年はどんな騒ぎがあるのかと非常に不安を抱えています。戦死された多くの魂に安らかに眠ってもらうための慰霊祭がまるで戦場と化してしまう現在の「平和活動」に全く賛同できません。 さて、基地反対派ですが、厳密に分けると「暴力肯定派」と「暴力反対派」がいます。ただし、暴力的でない対話派は非常に少数であり、100かゼロかの議論に終始せず、相手の立場に配慮し、現実的な事情を把握するような、冷静に議論できる反対派の「左派」が少なくなったような気がします。 実は、「辺野古移設」だけを見ると保守層の中にもそれなりの反対派が存在し、本土で報道されている「反対派」と言ってもひとくくりにすることはできません。例えば、辺野古移設が実現すると、職や借地料が無くなる「普天間基地」周辺の人たちは当然反対します。 普天間基地周辺の不動産業界は、広大な土地の返還に伴う返還前の危険物の調査や除去などの整備、そして区画や名義の確認などにかかる空白期間が10年近く及ぶことを知っています。その空白期間は土地の有効利用されず、一切お金を生みません。また、それだけ広大な土地が返還されるということは、不動産の価格、または賃料が劇的に下がるということが確実視されています。翁長知事の街づくりは失敗 翁長雄志知事は、現在の「那覇新都心」が過去に米軍基地として利用されていた時代と比較して、返還前の52億円に対して、返還後は1634億円と経済効果で32倍も上昇したというような趣旨の発言をしていますが、普天間基地返還後の跡地利用について、那覇新都心と同じような開発プランしかありません。どう考えても、大型ショッピングセンターやオフィスビルを整備することくらいしか案はなく、県民と来訪する観光客のキャパシティーを考えても、互いに少ない客を奪い合う現象しか想像できません。 実際に、返還された米軍施設「泡瀬ゴルフ場跡」の跡地に国内有数の規模を誇る「イオンモール沖縄ライカム」が建設されましたが、テナントの出入りが激しく、当初の売上目標に及ばないばかりか、地元零細産業に大きな打撃を与えています。つまり、町づくりに失敗していると断言せざるを得ません。 さて、反対派について話を戻します。経済的な理由で反対している保守側を除き、沖縄県では社民党(社会大衆党含む)系と共産党系に別れますが、一般的に「革新勢力」と呼んでいます。 この「革新」というのは、非常に便利な言葉で、本来、全く連携や連帯をすることがない共産党と社民党が沖縄県では共闘するファジー(曖昧)な関係を構築しています。沖縄の革新系反対派(以後、反対派)に聞くと、そのほとんどは、自分が「革新系」だと答えるくらいで、本土で言うところの共産主義や社会主義のイデオロギーはほとんど浸透しておらず、自分がなぜ共産党または社民党を支持するのか説明できる人はほとんどいません。革新という呼称は、沖縄左派にとっては非常に便利な名称だったわけです。2016年12月21日、沖縄県東村高江の米軍高江ヘリパッド建設に抗議する反対派とにらみ合う機動隊員ら。反対派による通行妨害や機動隊員に対する挑発行為も目立った これまではそれでうまくやってきたのですが、最近、本土の政党本部からの影響力が増したせいか、そのイデオロギーをハッキリさせるという風潮が強化され、狭い島の「物事を白黒ハッキリとさせない」という処世術、知恵のようなものを否定するような圧力を受けています。 つまり、「おまえは共産党員なのか社民党員なのか?」という踏み絵を踏まされるのです。沖縄県民独特の「ハッキリさせない」融和主義が崩壊し始めたことにより、最近の首長選挙では「保守」対「革新」という構図から、「共産党」対「社民党」という風に移り変わっています。 翁長知事も「オール沖縄」という共産党主体の枠組みの中で、自身と支援候補の当選のためには、共産党との共闘を意識せねばならず、東京の「都民ファースト」や「民進党」と同じように、共産党の方針に引きずられた政策を打ち出していくような姿へと変化してきています。反対派の暴力 反対派の活動ですが、社民系の活動家がどんどん本土から流入していく中で、「山城博治」というリーダー(現在は複数の暴力事件で保釈中の被告)の下、過激さが日ごとに増し、昨年夏の東村高江地区でのヘリパッド建設(着工は約10年前)の集中工事に伴って、現地を完全に無法地帯と変えてしまいました。 その抗議団体の構成もさまざまで、労働組合を始め、宗教団体、同和系反差別団体、在日朝鮮系、韓国系団体、反原発系など大小100以上の団体が名を連ねています。特に際立って暴れたのがいわゆる「しばき隊(レイシストしばき隊)」と言われる暴力組織です。本土においても「十三ベース事件」など身内同士の暴力事件を数々起こしている団体であり、在日朝鮮、韓国系の構成員を多く含み、辛淑玉(シンスゴ)氏を頂点とする「のりこえねっと」などの協力で、沖縄県に闘争という目的を持って沖縄に上陸してきました。 当然、先述の「穏健非暴力派」からは活動参入後、非常に大きな抵抗にあい、「日本人でもないのにここで何をしているんだ」という声を浴びせられたと辛淑玉氏本人が証言しています。そういうこともあり、その過激運動は山城被告周辺で行われるようになり、カンパ資金を集めるために、機動隊員にケンカを仕掛けたり、検問している様子をネット配信するなど組織的な活動を開始しました。この抗議行動は全国に知られるようになりましたが、同時に彼らの蛮行が配信されるようになりました。「平和運動」そのものにも疑問符が付くようになり、元山口組組員を自称する、しばき隊の「男組」組長、添田充啓被告の逮捕と同時に、現場での彼らの影は急激に薄れ始めました。 ただし、どういう理由からなのか、地元新聞の琉球新報と沖縄タイムスにいたっては、辛淑玉氏や添田被告、そして山城被告を英雄視し、逮捕された後も「容疑者」起訴後の「被告」を付けずに報道して全面的にバックアップしています。 もうすでにネットなどでご覧の方に説明は不要ですが、車が違法に公道上でバリケードにされ、地元住民が全く往来できない時期が長期間発生し、過激派による違法な検問が行われ、住民がいちいち身分証明を見せないと通してもらえないほど現状が悪化していたにもかかわらず、それらの報道は皆無でした。「警察を呼べばいい」といった声を多く頂きましたが、沖縄県の現状は非常に複雑で、当初は政府の過激派に対する遠慮もあり、山城被告の独壇場でした。 そもそも地元の人間による反対運動というのは「高江住民の会」として存在していましたが、共産党主体で非常に穏健的だったものが、辺野古の過激グループが運動を乗っ取ったというのが僕の見立てです。その証拠に、住民の会のメンバーは、山城被告と行動を共にしていないし、一緒に逮捕されたメンバーもいません。僕も個人的に親しい共産党の村議がいますが、彼の口癖は「地元民から抗議を受けるような反対活動は絶対に支持されない」というもので、僕もそれに賛同していました。自称「人権の専門家たち」 さて、今回の国連での直接行動に至った背景やわが国をおとしめる集団について、私がこれまでに観察してきた、誰がどのように「ヘイトジャパン運動」を画策し、主導してきたかということをお話したいと思います。 まず、国連人権理事会の「特別報告者」ですが、通常は大学教授など民間の学者が選任される場合が多く、最近の日本に対する代表的な報告を行ったものとして、クマラスワミ(スリランカ)、ブキッキオ(オランダ)、マクドゥーガル(アメリカ)、ビクトリア・コープス(フィリピン)、カナタチ(マルタ)、そしてデービッド・ケイ(アメリカ)といった、自称「人権の専門家たち」がとんでもないウソで日本をおとしめてきました。記者会見するデービッド・ケイ国連特別報告者=6月2日、東京都千代田区(佐藤徳昭撮影) これらの報告者は、日本語を全く話さず、日本について、ほとんど知識が乏しい中、わが国が国費で招待し、必要な調査に対して100%協力しているにも関わらず、派遣される前のブリーフィング段階で、国連の認定NGOの反日活動家による「悪魔のイニシエーション」を受けています。 クマラスワミは、その報告の根拠を「吉田証言」に頼り切っており、国連において、日本の「慰安婦強制連行」は認定されたままとなっています。吉田証言が覆され、あの朝日新聞まで謝罪に追い込まれた後でも、クマラスワミはその報告の修正は必要ないと断言しています。 ブキッキオは、それに輪をかけたとんでもない人物で「日本の中高生の13%が少女売春を行っている」と報告し、大問題を引き起こした人物です。 マクドゥーガルは慰安所は「レイプセンター」であり、20万人以上のアジア女性を強制的に性奴隷にし、その多くが11歳〜20歳、毎日数回強制的にレイプされ、肉体的な虐待、性病罹患(りかん)の虐待を受け、生き延びたのは25%だったなどと報告。また、個人的に米国ジョージア州における慰安婦像の設置に積極的に協力しています。 コープスは、フィリピンにおける自国民の差別や殺人について一切発言せず、あの有名な翁長知事の国連スピーチを実現させ、辺野古の抗議団体の前で激励のスピーチを述べるなど、報告者としての中立性を完全に無視した行動で知られています。「沖縄県民は差別され、自己決定権はある」と無責任にけしかけた張本人でもあります。 カナタチとケイは、最近出没するようになりましたが、「報道や表現の自由」という担当分野の自称エキスパートで、日本におけるテロ対策法「共謀罪」や「表現の自由」の制約について、以下の国連反日活動エキスパートたちの意見を「うのみ」にして、日本政府に警告文を送ったり、国連で報告を行いました。組織的「差別ビジネス」 今回の「山城博治被告」の国連人権理事会のスピーチを実現させたのは、NGOヒューマンライツナウの伊藤和子氏と反差別国際運動(IMADR)の藤田早苗法学博士の両名であり、ここでも、「慰安婦」「在日朝鮮韓国活動家」「同和」「社民党」のキーワードですべてがつながってきます。ちなみに、平成10年に3人の女子高校生が同じ場所で「制服強制は人権弾圧だ!」と叫んだのもこういう人たちのお膳立て。国連では「甘ったれ!」と相当なひんしゅくを買っていました。伊藤和子弁護士(NGOヒューマンライツナウ) 13%の少女売春について情報提供を行ったと言われ、本人は否定していますが、ブキッキオと唯一の接触者であったことは認めています。また、その前後の特別報告者とも密接な関係を持っていることから、そう言われても仕方が無い。藤田早苗法学博士(英エセックス大学、IMADR) 伊藤和子弁護士が表に出ている中で、国連のキーマンと内通し、非常に巧妙にそして戦略的に日本をおとしめている陰の立役者。私も目撃しましたが、「さなえ」「デービッド!」とハグをするくらい特別報告者と親密で、本来必要のなかった来日を実現させたのも彼女だと言われています。政府の共謀罪法案をすぐに英訳し、特別報告者に送ったり、とにかく国連人権屋界隈では日本政府をしのぐ力を持っています。 ヒューマンライツナウの理事長は、青山学院大学教授で在日朝鮮人の申惠丰(シンヘボン)氏。その申氏が同じくIMADRの理事にしっかり入っているし、在日活動家の名前と同和団体(部落解放同盟)の幹部もIMADRの役人に名を連ねています。 この二つの組織を連携させた功績を持っているのが先述の「のりこえねっと」辛淑玉氏だと言われています。その彼女が「沖縄ヘイト」という言葉を生み出し、「沖縄人も日本人じゃない」「琉球人として差別されてきた」「一緒に戦おう」などと沖縄に介入し始めてから沖縄県がおかしくなり始めました。 つまり、陳腐化し、マンネリ化してきた彼らの組織活動にとって、沖縄県は、これら差別ビジネス、被害者ビジネスの一番ホットな「稼ぎ頭」または「存在意義」となりつつあり、これについては、本来反戦平和の運動を担ってきた地元の共産党員のほとんどがかなり困惑している状態なのです。 社民系は手段を選びません。「暴力を平気で使う」「言葉や態度が汚い」「対話ができない」といった共産党幹部が吐いた言葉からそれが分かります。 上記組織を簡単に説明すると、組織的「差別ビジネス」の在日版と同和版。つまり沖縄県をこれらの「魔の手」から護ることは、わが国日本を守ることなのです。 彼らの得意な戦略(手口)は、国連に自ら「告げ口」しておいて、日本のメディアの取材を受けて「日本政府の独裁体制は国連で問題視されている」と喧伝すること。日本に対して国際基準に合わせた人権意識をしっかり持ってほしいと言います。海外に一歩出れば分かりますが、こんなに人権が保障された国は世界でも珍しいくらいです。これだけねつ造された事実で日本をおとしめた特別報告者だって、自分の国については一切言わない。「国連は自分以外の国の恥部をさらけ出し、辱めるところだ」と表現する人もいるくらいです。国連人権委で行ったスピーチの内容を説明する我那覇真子さん(右)。左はともに国連人権委に出席した筆者=6月16日、日本記者クラブ 日本国民の国連に対する「公共的な国際機関」に対する信頼が逆手に取られ、国内の反日団体のスピーカーとして利用されているのです。国際社会での風評を落としたくないという政府の寛容な態度が逆に反日活動家たちの格好のステージを用意してしまっていると言えます。 私たちの先祖が護ってきた誇りある日本を取り戻す必要があると強く信じています。そのためにも「ダメなものはダメ」と毅然と対処する政府を作らなければなりませんし、そのための政治家を育てていかなければなりません。

  • Thumbnail

    記事

    沖縄の民意に裏切られた「翁長王国」崩壊の危機

    篠原章(評論家・批評.COM主宰) 昨年12月20日、翁長雄志沖縄県知事による「埋め立て承認取り消し」をめぐる訴訟の上告審で、知事側の上告が棄却され、国(沖縄防衛局)による辺野古沿岸埋め立ては適法とされた。翁長知事側の全面的な敗訴である。 知事はこれに反発し、今年3月24日にキャンプ・シュワブのゲート前で開かれた抗議集会で「埋め立て承認を撤回する」と明言した。以前から「撤回」を求めていた琉球新報、沖縄タイムスなどの地元メディアは、この撤回発言を大きく報道している。 「取り消し」は、過去の行政行為(この場合は、2013年12月の仲井眞弘多前知事による埋め立て承認)に違法性があったと判断する場合に行われるものだが、「撤回」は、その後の諸事情の変化を受けて、過去の行政行為が正当性を失ったと判断する場合に行われるものである。 簡単にいえば、「取り消し」は前知事のミスを根拠とするものだが、「撤回」は現知事の「意思」を根拠とする。翁長知事側は、辺野古移設に反対する県民の「民意」が強まったこと(すなわち自分自身が知事に選ばれたこと)を「諸事情の変化」に挙げて、「埋め立て阻止」のための闘いを続けるつもりだといわれている。 ところが、3月の撤回発言から3カ月経っても、翁長知事は埋め立て承認を撤回する気配はない(6月20日現在)。一説では、翁長知事の発言を受けた菅義偉官房長官が3月27日午前の定例記者会見で、「(知事個人に対して)国家賠償法に基づく損害賠償請求を検討中」と述べたことが、翁長知事や県当局を慎重にさせているという。だが、翁長知事が撤回に踏み切らない理由はそこにはない、というのが筆者の見立てである。沖縄県の翁長雄志知事 たしかに国家賠償法には、「第1条  国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。第2条  前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する」と定められている。 筆者の推計では、翁長知事の法的手段を駆使した抗議行動のために、警備費用や一部工法変更のための経費としてすでに50億円以上の国費が失われている。これはあくまで直接的な経費であり、移設遅延に関わる総経費を算出すれば、おそらく数百億円にのぼる「遅延損害金」が発生しているだろう。このうちどの程度の金額が翁長知事個人に請求されることになるのかはわからないが、少なくとも数億円に上ることは十分予想される。 しかしながら、国が知事個人に直接損害賠償を求めた例はこれまで見あたらない。手続きとしては、(1)国が沖縄県に対して損害賠償を要求する(2)沖縄県が国に対して支払った賠償額を、翁長知事個人が負担するよう求める訴訟を起こす、という2段階のプロセスを経るのが常識的である。だが、沖縄県が翁長知事に対する求償権を行使しない(訴えない)可能性もある。この場合は、国家賠償法や地方自治法に基づき、住民が求償を求めて提訴する必要が生ずる。最終的には住民訴訟になる可能性が高いということだ。 たとえ県当局による求償権の行使や住民訴訟で賠償金を払うことになっても、翁長知事はその資金を十分調達できる。調達先が、一般支援者からの寄付になるのか、支援企業からの借り入れなるのかはわからないが、支援者は翁長知事を支えるだろう。ただし、資金調達の方法によっては、その合法性・適法性が問われる可能性はある。「オール沖縄」は3連敗 いずれにせよ、賠償金云々の話はまだまだ先のことであり、実際に訴訟が行われるかどうかもわからないのだから、「翁長知事は菅官房長官の恫喝に怯えて撤回に踏み切れない」という観測は必ずしも適切ではない。 菅官房長官の賠償発言に、沖縄県の財政当局は大きな不安を抱えているだろうが、知事個人には「自分は沖縄県民の民意を後ろ盾に闘ってきた」という思いがあろうから、「賠償請求の可能性がある」程度の話で弱腰になるとは考えにくい。 だが、問題はその「民意」だ。「沖縄県民の民意」が翁長知事を支えているという構図は大きく揺らいでいる。しかも、その揺らぎを生みだしたのは、翁長知事自身と「オール沖縄」なのである。その証拠はいくつもある。 証拠の一つ目として挙げたいのは、沖縄における首長選の連敗である。沖縄県政界は、目下翁長派(オール沖縄)と反翁長派に大別されるが、今年に入ってから行われた3つの首長選(宮古島市長選、浦添市長選、うるま市長選)で、「オール沖縄」は3連敗を喫している。 市長選の場合、当該自治体固有の課題や地域固有の政治力学が色濃く反映するので、「翁長派VS反翁長派」という対立の構図がそのまま当てはまるわけではないが、「翁長支持・オール沖縄」で凝り固まった地元メディアが対立の構図をいたずらに強調しすぎたきらいがあり、県民のあいだに「翁長派敗北」が必要以上に強く印象づけられてしまった。その結果、県民の「翁長離れ」が進み始めている。いわば「自殺点」である。沖縄県民大会でメッセージボードを一斉に掲げる参加者=2016年6月、那覇市(竹川禎一郎撮影) 第2に、翁長知事やその支援者、そして地元メディアなどが繰り返し述べてきた「沖縄VS日本」という構図もまた「沖縄の民意」を動揺させている。「沖縄は差別されている」「沖縄は虐げられている」という彼らの主張は一時県民を刺激し、反対運動も盛り上げたが、辺野古や高江などの闘争の現場で、県民以外の活動家が次々に逮捕される現状が明るみになるにつれ、翁長知事を支援する保守層のあいだにも、「一体誰のための反対運動なのか。『沖縄VS日本』ではなく『反政府運動VS政府』が実態ではないのか。沖縄はその構図に巻き込まれているだけではないのか」といった疑問が浮上している。 第3に、辺野古埋め立て承認訴訟での翁長知事の敗訴も民意に影響を与えている。敗訴に直面して、「やっぱり国にはかなわないのか」という諦めを感じた県民も多いというが、県民のあいだには「知事は勇ましいことをいってきたが、成果は何もない」といったように翁長知事自身の責を問う声も少なくない。敗訴によって、保守層から共産党まで広く支持を集めていた「オール沖縄」に大きな軋みが生じたということだ。 第4に、国による「懐柔策」が功を奏しているという側面がある。実はこれがもっとも重要なポイントである。「埋め立て承認」を撤回しない理由 菅官房長官は、5月に入ってから沖縄に対する特例的な財政支援の枠組みである「沖縄振興計画」の延長を数回にわたり示唆した。1972年の復帰以来、計画期間10年の沖縄振興計画は5度にわたり実施されており、これまで投入されてきた沖縄振興予算は累計12兆円に上るが、政府はこれを現行計画が終了する2022年度以降も継続するというのである。 振興計画延長は翁長知事の「悲願」だった。私見だが、翁長知事はそのために日の丸保守という立場を捨て、「辺野古反対」まで訴えて政府に圧力をかけたと推量している。筆者は、振興計画の継続は沖縄経済を蝕むだけの愚策だと考えているが、翁長知事を始め、振興計画こそ沖縄経済の屋台骨だと考える政治家・財界人はいまだに数多い。菅官房長官が延長を示唆したことで、「振興計画継続」の旗頭だった翁長知事は、これまでのように強力な「反政府姿勢」を取れなくなってしまったのである。 知事が「埋め立て承認」を撤回しない最大の理由はここにある、と筆者は読んでいる。要するに「辺野古反対」は、翁長知事にとってあくまで振興計画継続を勝ち取るための手段にすぎなかったのだ。 もっとも、自身の体面を保つために、知事が政府に対する「矛」を完全に収めることはないだろう。実際、翁長知事は、勝ち目の薄い「訴訟合戦」をまだまだ続ける意向を持っているようだ。が、すでに目的は達してしまったのだから、知事の「矛先」は以前よりもはるかに鈍いものになるに違いない。 誤解を恐れずにいえば、翁長知事は事実上政府にすり寄ったのである。共産党、社民党などの移設反対派からみれば、これははっきりいって「裏切り」だが、彼らはまだその事実を認めようとしてはいない。とはいえ、翁長派のあいだでも翁長知事に対する不信感が広がり、「民意」は大きく揺らぎつつある。本土復帰45年の「平和とくらしを守る県民集会」=2017年5月 以上見てきた通り、翁長知事はもはや求心力を失い、「翁長王国」は音を立てて崩壊し始めている。基地負担の問題、日米同盟の問題、沖縄経済の脆弱性の問題など複数の問題をきちんと整理しないまま、「辺野古反対」だけに県民の民意を集約させようとした「オール沖縄」の戦略は、ここにきて完全に破綻したといえる。 翁長派・反翁長派を問わず、沖縄の政治的リーダーの中にも、「オール沖縄は終わった」「辺野古は終わった」という認識を持つ者は少なくない。両派ともすでに「ポスト辺野古」の県内政局を睨んだ生臭い動きに関心を寄せ、2018年11月に行われる沖縄県知事選に焦点は移り始めている。崩壊しつつある「翁長王国」 反翁長陣営からは、西銘恒三郎衆院議員(自民党)、安里繁信シンバホールディングス代表取締役会長、古謝景春南城市長、我喜屋優興南学園理事長(元興南高校野球部監督)などといった候補者名が聞こえてくるが、候補者選びは始まったばかりだ。反翁長陣営から複数の候補が正式に名乗りを上げる可能性も否定できない。演説する沖縄県の翁長雄2016年6月、那覇市 いちばん問題が大きいのは、翁長知事以外に有力候補が見あたらない翁長派だ。政府との「対決」で事実上力負けしてしまった翁長知事は、健康問題も抱えているといわれ、出馬を見合わせる可能性がある。二階俊博自民党幹事長は、翁長派・反翁長派に分かれている保守を「手打ち」させようという思惑を抱いているようだが、翁長知事と仲井眞前知事のあいだの根深い確執もあり、今のところ先行きは不透明だ。 これまで翁長知事を載せた御輿を、保守系翁長派とともに担いできた共産党、社会民主党、社会大衆党(沖縄の地域政党)の動きも大いに気になる。彼らは表面的にはまだ「オール沖縄の崩壊」を認めていないが、崩壊を認めたとしても候補者探しは難渋しそうだ。 行き過ぎた抗議活動で逮捕された山城博治沖縄平和運動センター議長の名前も浮上しているが、山城氏のように保守票を集められない候補では苦戦を強いられることになる。彼らが「民意の揺らぎ」を正面から受けとめながら、仕切り直す意思があるのかどうか不明だが、少なくとも「辺野古反対」だけでは県民生活の安定は得られないことをしっかり認識すべきである。 波乱はまだまだ続くだろうが、現状では、あれだけ盛り上がったかのように見えた「辺野古反対」「オール沖縄」とは一体何だったのかという反省や総括を欠いたまま、「県内政局」への関心だけで次の知事が選ばれることになりそうだ。 誰が当選しても、それは県内の利害対立と利害調整の結果にすぎず、「基地」に対する県民の意思とは異なるレベルで雌雄が決するという意味である。「普天間飛行場の辺野古移設」が決着に向かい、基地縮小プロセスが着々と進むのは結構なことだが、県民・国民を翻弄し、莫大な税を投入してきた「辺野古移設」をめぐる大混乱が、責任者不在のまま「政治的駆け引き」のようなものによって幕を引かれるとしたら、何か釈然としない思いが残される。 要するに「何事もなかったかのように曖昧に済ませてよいのか」というのが筆者の疑問である。県民や国民を不幸にするだけの、あのような混乱は二度と起きてほしくないが、曖昧に済ませれば問題は必ず再燃する。「翁長王国」は崩壊しつつあるが、火種はまだ残されたままなのである。

  • Thumbnail

    テーマ

    いま沖縄で起こっている「異変」

    本土復帰から45年の節目の年でもある。基地問題に揺れる民意は今も本土と大きく隔たり、中国がもくろむ「沖縄独立」の危機はいまだ燻り続ける。いま沖縄で何が起こっているのか。慰霊の日に考えたい。

  • Thumbnail

    記事

    怒声は関西弁ばかり 「ウチナーンチュ」不在の基地反対運動の真実

    仲新城誠(八重山日報編集長) 今月、沖縄のある自民党関係者と話す機会があり「『オール沖縄』はもうそろそろ終わりでしょう」という話題で盛り上がった。「オール沖縄」は翁長雄志知事を支持し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する勢力だ。翁長知事が誕生した知事選以降、沖縄でのあらゆる国政、県政選挙を制し、沖縄の政界を席巻した。 しかし、ここへ来て明らかに潮目が変わりつつある。政府が4月、辺野古の護岸工事に着手したためだ。今後、移設工事は後戻りできない段階まで進む。「オール沖縄」には共通の政治理念もなく、さまざまな政党や団体が移設反対という一点だけで結集しているに過ぎない。今後も民意をつなぎとめられるか、正念場である。 だが、当の沖縄で「オール沖縄」の終焉(しゅうえん)を感じている県民は、どれほどいるだろうか。沖縄メディア、全国メディアを問わず、相変わらず辺野古移設問題で「沖縄が政府にいじめられている」と印象操作する報道があふれかえっている。 県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」を開けば、正義の「オール沖縄」が負けるはずがない、と言わんばかりの強気の記事ばかりだ。最近では、近く工事の差し止め訴訟を起こす翁長知事の主張が、法的にいかに正当であるか力説する記事をよく見かける。しかし、実際のところ移設反対運動は、現場レベルで県民にどこまで支持されているのか。 辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前では、工事を実力で阻止しようと反対派が座り込んでおり、機動隊から連日のように排除されている。私の見たところ、反対派は20~30人と言ったレベルであり、機動隊を押し返すほどの勢いはない。米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、機動隊員に排除される普天間飛行場の辺野古移設反対派=2017年4月 反対派リーダーは、辺野古での集会で「現場に多くの人が集まることで工事を遅らせることができる。毎日200人、300人集めたい」と呼びかけているが、一般県民が平日の朝から、仕事を休んでまで反対派に呼応するはずがない。 過激な反基地運動が一般県民のレベルで広がるきざしはなく、最前線で活動しているのは一握りの特殊な人たちである。多くはリタイヤ組と思われる高齢者たちだ。話すと一応は沖縄出身者だが、現役時代から労働組合運動に打ち込んできたような、バリバリの思想傾向の人たちが中心のようだ。「職業的活動家」がほとんど 沖縄という土地の特徴は、現地の住民と少し話しただけで、この人が沖縄出身の「ウチナーンチュ」か、本土出身の「ヤマトーンチュ」か、容易に判断できるケースが多いということだ。言葉のイントネーションが大きく違うからだ。 辺野古で機動隊による強制排除の現場を取材すると、明らかに本土出身者のイントネーションで「美(ちゅ)ら海を守れ」「警察権力の乱用だ」などという絶叫が聞こえる。叫ぶ元気がある比較的若い世代は、県外から流入したと思われる職業的活動家がほとんどのようだ。 辺野古に行って反対派の話を聞いたり、リーダー格の演説に耳を傾けると、それは歴然となる。最前線の反対運動は間違いなく、本土出身者が一翼を担っている。沖縄出身者はもちろんいるが、辺野古住民はほとんどいない。しかし、それは反対派もメディアも決して発信したがらない「不都合な真実」だ。 反対派のリーダーというと公務執行妨害容疑などで逮捕、起訴された山城博治氏が有名だが、彼がやたらと表に出るのは、恐らく沖縄出身だからだろう。本土出身者は用心深く、スポットライトに当たらないようにしている。メディアもそこは心得ており、新聞やテレビを見ると基地反対運動の現場で、意識的に沖縄出身者を取材する傾向があるように見受けられる。スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会で演説する沖縄平和運動センター議長の山城博治氏=2017年6月 沖縄出身者と本土出身者の微妙な関係をめぐっては、沖縄メディアにも同じような状況が存在する。実際、反基地を発信する県紙の基地担当記者には、本土出身者が目立つ。 沖縄の人材の市場はもともと狭い。県紙のように、ある程度大きな企業になると、沖縄出身者だけでは到底支えられず、優秀な本土出身者が登用されるのは当然だ。八重山日報は中小零細企業だが、本土出身者はいる。 沖縄の基地反対運動の現場で飛び交う「クソ」「ボケ」などという反対派の怒号は関西弁。「これが沖縄の民意だ」と県紙に書く記者も関西人、「辺野古住民の多くは移設容認」と、県紙とは違う視点で取材する八重山日報の記者も関西出身、というコメディのような事態も現実に起こっている。 ついでに言うと、沖縄に駐在して基地問題の記事を書いている全国紙の記者も、もちろん数年単位で転勤を繰り返す本土出身者である。こうした記者たちの特徴は「ステレオタイプの記事を書く」ということだ。印象操作を重ねる地元メディア 安倍政権に不祥事が起きれば「安倍一強の緩み」という決まり文句の記事が氾濫するように、彼らに沖縄の記事を書かせれば、ほとんど「政府が沖縄の民意を踏みにじり、基地建設を強行している」という例文通りになる。本質的に、当事者ではなく傍観者なのである。 もう一つ、現場に行くと一目瞭然なのは、辺野古移設の反対運動というのが一般県民のレベルで浸透するような平和運動ではなく、特定の政治勢力に奉仕する政治運動だということだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止へ気勢を上げる集会の参加者ら=2017年5月 私は4月以降、辺野古で開かれた抗議集会を3カ月足らずで3度取材した。登壇した国会議員や県議は共産党、社民党、自由党など、いずれも国政野党である。参加者が手にするのぼりはほとんどが労働組合の赤旗であり、参加者に配布されるチラシには「革マル派」と明記してある。沖縄では「オール沖縄」と称しても、国政では「反自公」「反安倍政権」を掲げる野党連合の運動に過ぎないことは、これだけでも明らかだ。 しかし、全国メディア、沖縄メディアを問わず、辺野古反対が平和運動であるかのように報道されているのが、私には奇怪なのである。沖縄は6月23日に「慰霊の日」を迎えたが、この日に向け、地元のある民放テレビ局がニュース枠で特集を組んだ。 それは辺野古で座り込む一人の高齢者に焦点を当てた番組で、彼は「戦争につながるすべてのものに反対する」と言い切る。アナウンサーは「辺野古には、この人のように戦争を体験した多くの高齢者が座り込みに参加しています」とナレーションを入れる。県民の負担軽減策である辺野古移設が、戦争準備の新基地建設であるかのような印象操作番組だ。 とはいえ、沖縄ではこのような番組に対する批判の声を全く聞かない。作り手も受け手もあまり違和感がないようだ。沖縄では県紙2紙の寡占状態となっている新聞をはじめ、あらゆるメディアがこうした状態であり、おそらく慣れてしまっているのだろう。

  • Thumbnail

    記事

    中国の「沖縄包囲網」は最終段階に入った

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) 米軍普天間基地(宜野湾市)の名護市辺野古移設阻止を最大の公約とし、「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティティー」「保革を乗り越えて」をスローガンとして2014年の沖縄県知事選で当選した翁長雄志氏は、就任以降、新聞、テレビで連日報道され、圧倒的な存在感を放っていた。マスコミを介した翁長氏の姿は、沖縄県民の期待を一身に担うヒーローであり、応援しない人は沖縄県民ではないと言わんばかりの勢いだった。 しかし、現在の翁長氏に当時のような勢いは感じられない。その最大の理由は知事の支持母体「オール沖縄」が推薦した候補が県内の市長選で連敗しているからだ。今年1月に側近中の側近だった安慶田(あげだ)光男副知事が教員採用口利き疑惑で引責辞任したことももう一つの理由だろう。 では、「オール沖縄」はそのまま勢いを失い、来年1月の名護市長選、11月の県知事選でも自民党擁立候補が当選して、沖縄問題が収束していくのだろうか。一見すると、そのような期待感も漂っているが、手放しで喜べる状況にはない。沖縄の現状をつぶさに見ると、中国による沖縄工作が既に始まっているからだ。4月10日、北京の人民大会堂で中国の李克強首相(右)と握手する沖縄県の翁長雄志知事(共同) 昨年12月28日、東京都内のホテルで沖縄県と中国・福建省が「経済交流促進に係る覚書」(MOU)を締結し、福建の自由貿易試験区での規制緩和や手続きの簡素化に向けた協議を進めることなど6項目の取り組みを約束した。締結式には翁長氏や中国の高燕商務次官のほかに、日本国際貿易促進協会(国貿促)の会長、河野洋平元衆院議長も出席した。沖縄県は、県産品や沖縄を中継した国産品の輸出拡大を図る絶好の機会とみている。 さて、辞任した安慶田氏の後任として副知事に就任したのが、沖縄国際大学元学長の経済学者で、県政策参与を務めていた富川盛武氏である。富川氏は、参与時代からさまざまな沖縄経済の発展構想を県のホームページで発信しており、その構想に期待を示す県民も少なくないだろう。 実は、富川氏が示しているプランは、沖縄県が福建省と締結した覚書と同じ路線にある。それが「福建-台湾-沖縄トライアングル経済圏」構想である。沖縄県の経済特区、福建省の自由貿易試験区、台湾の経済特区のトライアングルをつないだ経済圏を構築するものだ。それは、沖縄県産品のみならず、那覇空港をハブと位置付けて日本全国の特産品を福建省に送る「沖縄国際物流ハブ」構想だ。 確かに沖縄は「アジアの玄関口」として物流の中継点に好立地である、という発想は正しい。 しかし、少し立ち止まって考えていただきたい。経済的視点から、沖縄が「アジアの玄関口」であることは、軍事的に見れば「日本侵略の要所」「日本防衛の最前線」でもあるということだ。現に、昨年度の航空自衛隊のスクランブル発進は1168回(前年比295回)と過去最高であり、そのうち、中国機に対する発進が851回(前年比280回)で7割超を占めている。前年比から増加したのはほぼ中国機である。沖縄自民党にすりより始めた中国 そして、ここで忘れてはならない重要なことは、中国は尖閣諸島を福建省の一部と位置付け、天気予報まで行っているということだ。つまり、沖縄県はあろうことか、海と空から尖閣実効支配の既成事実を作ろうとしている中国の、一地域と主張する福建省の経済圏に自ら入り込もうとしているのだ。 中国との経済交流を進める動きは行政だけではない。今年2月3日、那覇市内のホテルで、「沖縄県日中友好協会」の設立を記念した祝賀会が開催され、中国の程永華駐日大使の講演会も行われた。駐日大使の講演があったということは、この組織が中国共産党、中国政府の肝いりということがうかがえる。 この祝賀会には、日中友好協会の丹羽宇一郎会長も参加し、乾杯の音頭をとっている。だが、参加した政治家は翁長氏を応援する「オール沖縄」系ではなく、自民党などの保守系がほとんどだった。中国の一部メディアは、沖縄県日中友好協会が「沖縄県議会議員の提唱によって、官民ともに設立した一般社団」と報じている。その県議会議員とは特別参与に就任した県議会議員を指していると推測されるが、彼もやはり自民党所属議員だ。 沖縄県と福建省の経済的な動きは既に加速度的に進み始めている。県内企業の中国貿易を支援する琉球経済戦略研究会(琉経会、方徳輝会長)は2月23日、中国国際貿易促進委員会の福建省委員会と貿易や投資促進を目指す覚書を交わした。会長の方氏は貿易業のダイレクトチャイナ社長であり、中国現地の会社と連携して県産品を中国に送り込むビジネスを展開している人物である。県と福建省が昨年12月から規制緩和や手続きの簡素化に取り組む中、企業間交流を加速させ、具体的な取引を始めさせる算段だ。中国・福建省の中心都市、廈門(アモイ)の海岸 3月には新たな福建省に進出が決まった企業のニュースも報じられた。沖縄本島南部にある与那原町の合同会社「くに企画」が7月から県産化粧品7商品を福建省のドラッグストアで販売することが決まったというのだ。この実現には県と中国政府の手厚い支援がある。中国では化粧品を輸入する会社は、政府の国家食品薬品監督管理局の許可を得ることが必要である。「くに企画」の商品を輸入するケースでは、「上海尚肌(しょうき)貿易有限公司」が許可を取得し、福建省内のドラッグストア十数店と契約を締結した。 一方、沖縄県のほうでも、くに企画に政府系金融機関の「沖縄振興開発金融公庫」から1000万円の融資が行われたという。くに企画を調べると、2015年10月設立された法人の存在は確認できるが、会社のホームページすら存在しない。その実態は、くに企画によるビジネスというより、中国の会社が沖縄からの仕入れを計画し、くに企画にたまたま白羽の矢が立って、沖縄振興開発金融公庫が融資を行ったようにしか見えないのだ。人民解放軍の軍人が潜伏? 日本では日中国交正常化以来、中国に進出した企業の多くは、人件費の高騰や政策変更などリスクがつきまとい、撤退を始めている。しかし、現在の沖縄では、福建省に進出するといえば誰でももうけさせてもらえるような、上げ膳据え膳のサポート態勢が整いつつある。沖縄では20年以上遅れて、中国と福建省の合作で人為的な中国進出ブームが起きようとしているのだ。 一方、観光客のみならず、さまざまな切り口で沖縄に中国人を呼び込むプロジェクトも進められている。昨年3月、中国で高齢者福祉などを支援する中国老齢事業発展基金会(李宝庫理事長)が、中国への介護技術の普及に向けた「沖縄国際介護先端技術訓練センター」建設のために、本島南部の南城市にある約4300平方メートルの土地を買収したのだ。 沖縄をモデル地域に位置付け、中国からの研修生が日本の介護技術を習得し、中国国内約300都市に設置予定の訓練センターで介護技術普及を図るという。この案件を進めたのも、前述した河野洋平氏が会長を務める国貿促だ。国貿促の担当者は沖縄を選んだ理由に、アジアの中心に位置し国家戦略特区であることを挙げたという。 その訓練センターの事業体として、昨年9月13日、東京都赤坂のアジア開発キャピタル(網屋信介社長)と中国和禾(わか)投資(周嶸、しゅうえい代表)が共同出資を行い、新会社「アジア和禾投資」を設立した。新会社はアジアキャピタルの連結子会社となり、所在地もアジアキャピタルと同じビルとなっている。新会社への出資比率はアジアキャピタルが55%と多いが、社長は中国に多くの人脈を持つ中国和禾投資の周代表が就いている。沖縄に中国人が社長を務める巨大な介護訓練センターが出現するのだ。 もう一つ、気になるプロジェクトがある。航空パイロットの育成を手がけるFSO(玉那覇尚也社長)が中国の海南航空学校と業務提携の覚書を締結し、今年から70人程度の訓練生を受け入れるというのだ。FSOは沖縄県にフライトシミュレーターと実際のフライトを組み合わせた訓練場を、宮古諸島にある下地島空港の活用策として提案しており、県から空港利活用の候補事業者としても選定されている。中国人訓練生の中には人民解放軍の軍人が潜り込んでいる可能性もあり、かなり危険なビジネスである。有事の際、下地島空港で破壊活動や工作活動をされるリスクを招くのではないだろうか。翁長敗北で起こる「最悪のシナリオ」 沖縄は既に、多くの中国人観光客が訪れ、街も変貌してきたが、これら2つの事業が本格化しただけで沖縄のビジネス界も様変わりしてしまう。沖縄は既に中国経済に飲み込まれるレールが敷かれているのだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する集会で演説する沖縄県の翁長雄志知事=3月25日午前、沖縄県名護市 以上、中国による官民一体となった沖縄経済の取り込み工作の実態を確認してきた。このままいけば、沖縄では中国人観光客があふれるだけではなく、「社員が中国人」という会社が多くなり、「私の会社の社長は中国人」というケースも増えていくことになるだろう。そんな中、来年の県知事選で辺野古移設阻止に失敗した翁長氏を自民党系候補が破り、県政奪還に成功しても、新知事も福建省との経済交流推進者にならざるを得ない「最悪のシナリオ」が起こる可能性は大きい。自民党にターゲットを定めたかのような沖縄県日中友好協会の設立はそのための伏線ではないだろうか。そうなれば、沖縄が後戻りすることはもはや不可能になってしまう。 また、尖閣諸島で紛争が起きたとき、中国政府は中国進出企業との取引を停止する制裁を科すだろう。「中国依存度」の高い会社からは、政府や沖縄県に取引再開の交渉を求める声が当然上がってくる。会社が倒産したら、社員の明日の生計が立たなくなるからだ。琉球新報や沖縄タイムスには「政府は無人の尖閣諸島より県民の生活を守れ!」という趣旨の見出しが掲載されるだろう。そこで、中国は紛争の解決策として「尖閣諸島の共同管理」を提案してくることは間違いない。そのとき「沖縄は中国と経済交流してここまで豊かになってきた。中国と戦争して貧しくなるより、尖閣諸島を共同管理、共同開発して豊かな生活をしたほうが良い」という声が上がったら否定するのは極めて困難になってくる。 現代の戦争は軍事衝突だけではない。平時においても戦争は行われている。それは外交戦、経済戦、歴史戦、国際法律戦など、ありとあらゆる手段を使った戦争が行われているのだ。武力戦が始まるときにはほぼ勝負は決まっている。今、東シナ海の真ん中にある沖縄は、その総力戦のまっただ中にある。 沖縄をハブ空港として発展させるビジョンは正しいが、その背後に経済・防衛政策がなければならない。なによりも、沖縄を日本の経済圏の中に断固として組み込み、中国にコントロールされるような隙をつくらないことが必要だ。沖縄防衛は自衛隊だけでは不可能な時代である。手遅れにならないためにも、日本政府は経済や歴史、文化侵略など、あらゆる側面から沖縄防衛計画の策定を急がなければならない。

  • Thumbnail

    記事

    慰安婦像の制作者夫婦が沖縄を訪問してやっていたこと

     昨年、本誌・SAPIOが先駆けて報じた「慰安婦像アーティスト」とでも言うべき夫婦。その後も釜山総領事館前をはじめ、像を供給し続けたことで慰安婦像問題における夫婦の存在感が高まっている。そんななか、2人が今年1月末、沖縄を訪れていたことが判明した。  夫婦はキム・ウンソン氏(52)とキム・ソギョン氏(51)だ。ソウルの日本大使館前や釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像をはじめ、夫婦の手による像は、韓国全土に広がっている。いまや慰安婦問題の伝道者と言わんばかりだ。この夫婦が1月24日から27日にかけて沖縄を訪れていた。 次は沖縄か。新たな懸念が生まれるなか、ジャーナリスト・織田重明氏が訪沖の真意を探る。* * * 今回の訪問にあたって、引率役を担った人物がいる。現在は、関西の某大学で教鞭を執るA氏である。 韓国に留学中の70年代、北朝鮮の指示を受けて工作活動をしていたとして、KCIA・韓国中央情報部に国家保安法違反で逮捕された過去を持つ。今回、先導役を務めた理由についてA氏に取材を試みたが、返答はなかった。 夫婦訪沖の意図は判然としない。そこで夫婦が辿った道をトレースしてみた。彼らが訪問したのは、沖縄で“反戦彫刻家”として知られる金城実氏(78)の工房の他に、夫婦は沖縄戦の追悼施設である糸満市摩文仁の平和祈念公園へ。普天間飛行場を望むことができる宜野湾市嘉数の高台、そして名護市辺野古が面する大浦湾を訪れた。大浦湾では、海中が見えるグラスボートに乗り、珊瑚礁やカヌーによる反対派の抗議活動の様子を見学したという。米軍普天間飛行場の移設に向け沖縄県名護市辺野古で始まった護岸工事で、波打ち際に置かれた石材の入った袋(下)=4月25日午後(小型無人機から) いずれも戦争や米軍に関連する場所ばかり。今回、夫婦が取材に応じた数少ないメディアである沖縄タイムスの記事によると、夫婦は、〈韓国民として芸術家として(慰安婦の)被害の実相を明らかにしようと少女像を造り、さらに視野を広げるため初めて沖縄に足を運んだ。沖縄戦の激戦地やガマ、米軍基地の現状を見て回り、(妻の)ソギョンさんは「非常につらいことを経験した人の魂を感じた」〉という。その上でソギョン氏はこう述べている。「朝鮮半島も沖縄も戦争が続いている。芸術家として、平和の懸け橋になるための活動をしていきたい」韓国人が沖縄に特別な関心を払う理由 南北の睨み合いが続く朝鮮半島はともかく、沖縄でも「戦争が続いている」とは、米軍基地があることを指しているようだ。韓国と沖縄は同じ状況にあるというのが夫婦の認識。だからこそ、「連帯」が可能だという考えは、実は二人に限ったものではない。 筆者が前号(2017年3月号)で述べたとおり、元慰安婦の支援団体である挺身隊問題対策協議会(挺対協)は、傘下の学生団体である平和ナビのメンバーらを一昨年に沖縄に派遣し、反基地運動に参加させている。 済州島では2016年、軍事基地が完成した。表向きは韓国・海軍が利用しているが、実態は米軍の東アジアの拠点として利用される。住民は建設に反対したが政府が強行。沖縄と済州島をリンクさせる日韓の市民活動家も多く、学生たちにも浸透しやすい。例えば、カヌーを使った海上抗議活動のやり方を伝授するため済州島に出向く沖縄の活動家もいる。 さらに、韓国人が沖縄に特別な関心を払う理由がもうひとつ存在する。 沖縄において慰安婦問題は、本土とは異なる深刻さを伴う。太平洋戦争で、唯一の地上戦の舞台となった沖縄では、全島にわたって慰安所が設置されていた。その数、百数十箇所。朝鮮人慰安婦の存在も明らかになっている。 2008年には、挺対協の初代代表である尹貞玉氏らの運動によって宮古島の上野原地区に慰安婦の祈念碑が建てられた。2013年にも尹氏らが参加して建立5周年の集まりが開かれている。碑が建てられた場所は、慰安所の慰安婦らが洗濯から帰る途中に休憩した場所だった。 米軍基地に慰安婦問題。韓国と沖縄が共鳴する余地は大きい。「反戦運動」というフレームからみた日韓交流に、筆者は異議を申し立てたいわけではない。だが、挺対協は慰安婦問題では、常に過激な手法をもって日韓交渉を妨げてきた。日韓合意では元慰安婦46人中、34人が交付金を受け取っているにもかかわらず、「しっかりとした謝罪も賠償も後続措置もない。日本政府は責任逃れしている」という理由で、合意破棄を主張する。彼らが設置した慰安婦像は、「反日」思想を育むモニュメントとなっている。 また同団体は、北朝鮮とも交流する“親北団体”として韓国当局から監視されている。彼らの思想が沖縄に伝播することを警戒する日本の公安関係者は多い。 夫婦が言った「平和の懸け橋としての活動」が何をさすのか。今後も注視したい。関連記事■ 慰安婦像の制作者夫婦が沖縄の“反戦彫刻家”を訪れていた■ 朝鮮日報「韓国はみんな狂っている」の警告は韓国民に届くか■ 小川彩佳アナから櫻井翔へのバレンタインの贈り物は?■ 18kg減の愛子さま 宮内庁は報道陣に「アップ写真使うな」■ 「喜び組」の定年は25才 口にするのも…な酷い罰ゲームも

  • Thumbnail

    記事

    百田尚樹氏 中国は尖閣どころか本気で沖縄まで狙っている

     中国の脅威は日に日に増し、2017年中にも尖閣諸島が奪われる懸念がある。今年は、国を守るために重要な憲法改正論議も山場を迎える可能性がある。が、いざ憲法改正となると“内なる敵”がいるという。注目の2人が、90分にわたって論じ合った。* * *櫻井よしこ:今年は日本にとって正念場の年になります。中国がいつ尖閣諸島を奪いに来てもおかしくありません。百田尚樹:本当ですね。ひとつのシナリオとして、中国の偽装漁民がエンジントラブルを装って尖閣に上陸する。そこで中国の軍艦が自国民保護の名目で尖閣にやってくる。もちろん日本側も急いで尖閣に向かいますが、中国軍の上陸を阻止できるかどうか。ここが勝負の分かれ目になります。櫻井:中国の軍拡の速度と規模はすさまじいものがあります。領海侵入するのは主に中国海警局所属の艦船と漁船です。海警の船は、軍艦に白いペンキを塗っただけのものもあり、実質的には軍艦です。彼らの背後には、いつも中国海軍所属の軍艦が2隻、控えています。 気がかりなのは、これまで北緯27度のラインより南には入らなかった中国軍艦が、最近ではそのラインを突破してきている。極めて危険な段階に入ってきたと思います。作家の百田尚樹氏百田:空でも、中国軍の戦闘機に対する自衛隊機のスクランブル発進が急増しています。昨年12月には、中国国防部が「妨害弾」を受けたと主張しました。 妨害弾とは自動追尾ミサイルをかわすための「フレア」のことで、ロックオンされるなど、よほど危険が迫らないかぎり使わないものです。相手がいきなり殴り掛かってきたので身構えたら、「安全を脅かした! 危ないやないか!」というのと同じで、おかしな話ですよ。櫻井:領空侵犯されたら、他の国なら撃墜してもおかしくありません。日本はそれができないうえ、相手から攻撃を受けない限り手を出せない。現行憲法下では、もし領空侵犯機を撃墜したら、自衛隊のパイロット個人が刑事罰を科せられてしまう可能性が高いのです。百田:本当にアホな話です。昨年12月に自衛隊がフレアを撒いたと思われる中国機の編隊の一部は、そのまま台湾に向かいました。台湾は戦闘機を出して中国機をロックオンしたら、すぐに中国機は帰って行ったそうです。自衛隊機もロックオンすればいいんですよ。櫻井:それができないというのはかえって危険ですね。百田:中国機は、自衛隊機が手を出せないのを知っているから、好き勝手し放題。かたや自衛隊のパイロットはいつ撃ち落とされるかもわからない極限の緊張状態を強いられる。中国機によって、自衛隊は1年に500回以上もスクランブル発進させられています。自衛隊のパイロットを疲弊させることも、中国の狙いのひとつだと思います。櫻井:中国の空軍力の増強も尋常ではありません。すでに第四世代の戦闘機の数でも自衛隊を大きく上回り、さらに宇宙にまで軍拡を進めています。百田:それでも、「戦わずして尖閣を奪いたい」というのが中国の本音でしょう。尖閣の局所戦だとしても、もし中国側が負けたら習近平はエラいことになりますからね。 鍵は米軍が尖閣に出てくるかどうか。もし米軍が100%出てこないと確信したら、中国はすぐに来ます。必ず来ます。だからトランプ大統領が就任したら、あの手この手で探りを入れてくるでしょう。そこで米軍が来ないと確信したら、1か月、2か月のうちに行動を起こしてもおかしくありません。私は中国は、尖閣どころか、本気で沖縄まで狙っていると思います。櫻井:中国は以前から、沖縄も「中国領」と主張していますからね。そうならないためには、日本人の覚悟が問われます。【PROFILE】さくらい・よしこ/新潟県長岡市出身。ハワイ州立大学卒業。元日本テレビ「きょうの出来事」キャスター。95年、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で大宅賞受賞。執筆・講演活動を続ける一方、インターネット放送「言論テレビ」を運営中。【PROFILE】ひゃくた・なおき/1956年、大阪市生まれ。同志社大学中退。放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などの番組構成を手がける。2006年、『永遠の0』で作家デビュー。近著に『カエルの楽園』『幻庵』などがある。関連記事■ イラクで活躍「ヒゲの隊長」 震災後の自衛隊の活躍を報告■ 尖閣侵略時の自衛隊出動は集団的自衛権ではなく個別的自衛権■ 元防衛大臣・北澤俊美氏が震災時の自衛隊の働きを解説した書■ 人命救助2万人、遺体収容1万体 自衛隊の災害派遣の実績■ 【中国人のジョーク】尖閣でTwitterやFB開かなければ中国領

  • Thumbnail

    記事

    オスプレイの飛行再開でメディアの偏向報道は続く

    山田順(ジャーナリスト) 12月19日のNHK「ニュース7」のトップニュースは、オスプレイの飛行再開だった。なんで、この程度のことが、トップニュースになるのかまったく理解できない。先日のオスプレイの墜落は、1人も死者を出さず、事故原因が機体にないことはすでに米軍によって公表されている。とすると、これ以上、なにが問題なのだろうか? ところが、NHKをはじめとする日本の大メディアは、「100パーセント安全でないとダメ」というオールオアナッシングの非科学(宗教)に染まっていて、それを主張する人間のコメントしか報道しない。それをいいことに、たとえば沖縄の翁長知事は「原因究明をしっかりやって説明を果たしてもらわないと認められない。とんでもないことだ」などと現地視察で記者団にコメントした。しかし、前記したように、事故原因はすでに公表されている。それ以上なにが知りたいのだろうか。1月6日、米軍普天間飛行場に駐機する新型輸送機オスプレイ=沖縄県宜野湾市 じつは、この方は、米軍がどんな報告を出そうと聞く耳を持っていない。そればかりか、沖縄は米国の従属国・日本の一地方だという事実を受け入れられないという、現実無視メンタリティの持ち主である。 だから、自分の行動を「植民地の王」としてふさわしいと信じているようだ。ところが、沖縄の人々で、自分たちの状況に不満を持っている人は、大メディアと現地メディアが騒ぐほど多くないだろう。 ただ、それがバレてしまうとメディアは困るので、基地反対派、オスプレイ反対派のインタビューコメントばかりを取り上げる。 NHKニュースは、「アメリカ軍がオスプレイの飛行を再開させたことについて、普天間基地がある沖縄県宜野湾市の住民からは、批判や不安の声が聞かれました」などと、嘘ではない程度にナレーションして、たとえば40代の男性の「小さい子どもがいるので、飛行を再開すると聞いて非常に不安です。こんなに早く飛行を再開することは許されることではありません」などいう声を伝えた。 しかし、ここであえて言いたいが、もし日本のメディアが伝えるようにオスプレイが本当に危険な飛行機なら、いちばん不安なのは、それに搭乗するパイロットなどのクルーたちだろう。次に、そうした兵士を送り出した親や家族たちだ。万が一の事故で巻き込まれる可能性がある地上にいる住民より、彼らのことを心配する方が、たとえメディアとしても先に来なければならない。沖縄住民を本当に危険にさらしているのは誰だ 在沖縄米軍トップのニコルソン中将(四軍調整官)は、飛行再開に先立ち、現地を訪れて住民らに事故について謝罪し、「MV22の安全性と信頼性に米軍が最大級の自信を持っていることを日本国民に理解していただくことが重要だ」とする声明を発表した。そして、「この4年間、ここを飛んでいるが事故は1度もなかった」と言った。 日本のメディアの論理で行くと、この司令官は部下の命を顧みない、人命無視の非情な軍人ということになる。2016年12月22日、沖縄県名護市で開かれたオスプレイ不時着事故への抗議集会に参加した翁長雄志知事(奥中央)。同市内で開かれた北部訓練場返還式には欠席した(恵守乾撮影) 不思議なことに、この国では翁長知事のような考えが正義だと考える人間が少なくない。たとえば、民進党の蓮舫代表は、オスプレイの飛行再開より、事故原因の説明が先だと指摘し、「安全を担保した、 どのように担保したのかを、しっかり政府は説明する責任があると思います」と述べた。 オスプレイが飛ぶこと自体に反対なので、いくらコメントを求めてもこうなるという程度のことしか、この人は言わない。 おそらく、この日本には、オスプレイが飛ぶことを歓迎している人もいっぱいいるだろう。私は、沖縄と同じように米軍基地が多い神奈川県民だが、小さい頃から基地に遊びに行ったりしたこともあり、米軍に出て行ってほしいと思ったことは1度もない。本当にほとんどの沖縄県民が、今度のことで怒っているのか? メディアはちゃんと世論調査して、その結果を公表してほしいと思う。 沖縄の住民を本当に危険にさらしているのは、じつは米軍であるわけがない。それは、尖閣諸島に押し寄せ、しばしば領海侵犯する中国の艦船と、最近、領空侵犯寸前を繰り返すようになった中国軍機のほうだ。 民兵が乗っている中国の「偽装漁船」、あるいは中国空軍の戦闘機「スホイ30」や戦略爆撃機「轟&K」とオスプレイでは、どちらがより潜在的な脅威か考えてみたほうがいい。米軍は、日本の同盟軍である。 これまで、翁長知事はワシントンDCやスイスに出向き、「県民の人権が侵害されている」などと訴えてきた。しかし、この人は行く場所を間違えている。彼が本当に抗議しに行くべきなのは、アメリカ政府、国連、日本政府ではない。それは、北京だろう。それをしなければ、この知事は、県民の安全を平気で無視できる偽善者と言わざるをえない。(Yahoo!ニュース個人より2016年12月19日分を転載)

  • Thumbnail

    テーマ

    あばよ米軍、トランプに媚売る翁長氏の下心

    「沖縄の基地問題にどう対応するか、期待しつつ注視したい」。米軍普天間基地の名護市辺野古への移設に反対する沖縄県の翁長雄志知事が、トランプ氏との面会を求め来年2月にも訪米する意向を示した。トランプ政権で強まる米軍の「日本撤退論」に乗っかり、ここぞとばかりに媚を売る翁長知事の下心やいかに。