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    「豪雨報道」がなんだかおかしい

    西日本を襲った豪雨災害は、平成史に残る甚大な被害をもたらした。これほどの大災害だったにもかかわらず、被災当初のテレビの報道ぶりに違和感を覚えた人も多かったのではないだろうか。「赤坂自民亭」もさることながら、テレビの豪雨報道もなんだかおかしい、そう思いませんか?

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    「赤坂自民亭」より不謹慎? エンタメ化したテレビの災害報道を憂う

    観性や公共性に努めてはいるのであろう。 とはいえ、お笑い芸人やタレントの司会者が、同じように芸能人に災害に関するコメントなどを求めている場面を見れば、それが「報道番組」ではなく、あくまでも「情報バラエティー番組」であることを痛感させられる。 また、東日本大震災や熊本地震などの時でも多発したように、テレビメディアが「震災報道」と称して、単なる「スクープ」「衝撃映像」「独占入手」を求めているだけのような動きをしたり、何を勘違いしたのか、取材クルーが単なる被災地の迷惑になっているだけの場合も少なくない。今回の豪雨被害でも、濁流に流される被災者の救助を助けることなく撮影し続けた様子が「見殺しだ」という批判が高まった。同じような主従逆転の事例は数限りない。 筆者は7月8日から11日まで、役員を務める鳥取県米子市で開催されていた国際学会に出席していたが、その際に改めて現在のテレビ報道がいかに不十分な報道メディアであるか、ということに気づかされ、反省もした。具体的には、東京に在住する筆者は、被災地の隣県・近県にある鳥取県に行って、初めてその被災のリアルを知ることができたからだ。被災地に向けて出発する、鳥取県米子市にある西部消防局の緊急消防援助隊員(山根忠幸撮影) そもそも、首都圏にいる以上、西日本豪雨による物理的なダメージや不都合を感じることは難しい。例えば、多少の影響はあるにせよ、羽田空港から米子鬼太郎空港までは問題なく飛行機は運航している。到着した米子も多少の雨模様とはいえ、基本的には「いい天気」だった。しかし、会場に到着してみれば、海外の研究者も含め、多くの参加者が遅延あるいは欠席の連絡が相次いでいた。ここで、初めて被害状況を理解できたことになる。 駅前にある大型スーパーなども営業こそしていたが、生鮮食品を中心に十分な在庫はなく、品ぞろえも悪い。ロジスティクス(物流)が停滞していたのである。だが、一見しただけでは、街は特に大きな障害もなく動いているようにも見える。隣県・近県が未曾有(みぞう)の豪雨災害に見舞われているとは到底思えない。しかし、表に見えてこない部分では確実に不都合が発生しているのである。コンビニでは品薄状態が続き、朝から現金自動預払機(ATM)には長蛇の列ができていた。 役員として会場に待機していた筆者の元に、国内外から続々と情報が届いてきた。多くの参加者が会場である米子に到達できなかったからである。まず、海外からの訪問者で米子まで到着できなかった人たちの多くが、岡山や大阪などから米子へ向かう経路が確保できず、足止めをされていた。 米子鬼太郎空港はいわゆる「国際空港」ではないので、海外からの直行便はほとんどない。よって、近県の大きな国際空港から陸路や鉄路で米子に向かう方法が採られる。しかし、隣県・近県をつなぐ主要な陸路や鉄路が遮断されており、近くまで来ているにも関わらず、米子に到達できないという現象が起きていたわけである。ショッキング映像ばかり もちろん、それは国内からの参加者も同様であった。東京など東日本から米子に向かう場合、空路利用が多いので、そこまで移動経路が遮断されているとは到底実感できない。一方で、西日本からの参加者は、あらゆる手段が寸断・遮断され、にっちもさっちも行かない…という状況になっていた。 だから、到着した参加者の多くが、いったん西日本から空路で東京の羽田空港へ向かい、そこからまた空路で米子に行くという信じられないような大回りで、どうにかして到着していた。 大きな迂回(うかい)経路を利用するということは、数万円の交通費を新たに消費するということも意味する。しかし、学会参加による出張では、参加できなければ出張旅費が支出できなかったり、国によってはめったに海外出張が許されない大事な機会であることが少なくない。また、座長などの役職者であれば、自分が到着しなければ学会が始められない…といった抜き差しならぬ事情を抱えることが多く、相当無理をして到着してきた参加者も少なくなかった。 この時に痛感したことは、被災地の現地以外の居住者に向けられたテレビで放送される情報の多くが、「しょせん全国放送向け」の薄い情報や、大衆的な興味を喚起できる、すなわち視聴率を獲得できそうなショッキングな情報ばかりであるという現実だ。 一方で、学会の会場にどうにかして到達した「猛者」たちの全てが、ネットで細かい情報を入手していた人ばかりであった。テレビが繰り返し映し出す「独占スクープ」の悲惨映像などは何の役にも立たない。つまり、テレビなどの主要メディアは「ショッキングな映像」以外に有用な情報はほとんど提供しきれていなかった。「公共の電波」と言いつつも、全く公共的には機能していなかったわけである。 しかしながら、テレビには主要キー局だけではなく、それにネットワークを形成する多くの地方局を抱えている。当然、それら地方局や放送網を効果的に利用すれば、さまざまな情報の収集や発信が可能であろう。2018年7月7日、冠水した岡山県倉敷市真備町で、ヘリコプターで救助される人(産経新聞社ヘリから) もちろん、被災地の地方局では、現地ならではの細かい情報を発信していたであろうが、それはあくまでもローカル局が現地に向けて制作したローカル番組でしかない。そのような番組が東京のキー局に届き、全国に発信されたような事例は多くないだろう。 地方局がリアルな「情報センター」として機能していたとしても、その情報が他に届かなければ、われわれは被災地の現実を知りようもないし、対策もできない。キー局による全国ネットの「情報バラエティー番組」は、視聴者の目を引くようなスクープ映像や同情する以外に視聴者には何もしようがないショッキング映像ばかりだ。それにコメントするタレントの喜怒哀楽を映し出すことが、公共の電波の役割ではあるまい。糾弾すべきは安倍首相よりテレビ もちろん、テレビに対して四六時中、細かい災害情報ばかりを放送せよ、と言っているわけではない。しかし、いわゆる「視聴率稼ぎ」の立ち位置からばかりではなく、公共の電波という意識と責任を強く持ち、テレビ局の放送網やリソース(資源)をもっと有効に利用すれば、中央と地方の報道格差を埋め、日本国として一丸となった情報共有もできるはずである。それがひいては効果的な避難情報や救援情報の提供も可能にするのではないか。 タレントたちが神妙な顔つきで「豪雨で大きな被害を受けたショッキングな映像」ばかりを紹介する情報番組が終われば、いつもの通りのバラエティー番組が放送される。もちろん、多少の自粛や方向修正はあるのかもしれないが、いつもと同じものばかりだ。それをとがめる人もいなければ、悪びれることもないのが今のテレビ放送の存在はどう考えても「不謹慎」だ。 一方で、7月5日に自民党の国会議員が安倍晋三首相との宴会に出席し、同席していた兵庫県選出の西村康稔官房副長官がその写真をツイッターに投稿した、ということが「不謹慎だ」と非難が集まった。もちろん、兵庫県内でも10万人以上の避難勧告が出ていたので、地元選出の政治家としては緊張感を持って対応してほしいと願うのは当然だ。タイミングや対応の悪さはあったとは思う。 しかし、宴会やパーティーに出席したり、懇親会の類いに参加することも政治家の仕事の一部という側面もある。時には断ることのできない懇親会だってあるだろう。特に、首相も同席した宴会となればなおさらだ。 むしろ、それを不謹慎だと糾弾するエネルギーがあるのであれば、情報バラエティー番組で「独占映像」などと称してショッキングな映像を繰り返し流して視聴率を稼いだり、いつものようにバラエティー番組を放送したり、「報道もどき番組」で災害をコンテンツ化するテレビの存在の方こそ、はるかに糾弾されるべきものがあるように思う。2018年7月13日、宇和島市役所で行われた愛媛県の中村時広知事(右)との意見交換を終え、取材に応じる安倍首相(代表撮影) 公共の電波であるテレビは、こういった大きな災害時にこそ、あらゆる私欲を捨て、情報センターとしての役割を果たすべきであるように思う。テレビをつければ、公共性の失われた情報ばかりに埋め尽くされている。何のために大きな権力を与えられた「公共の電波」なのか、改めて考えるべきではないだろうか。

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    嫌われるマスコミの災害報道は「オーダーメイド取材」で一変する

    堀潤(ジャーナリスト、キャスター) 西日本を襲った豪雨災害は、200人以上の方々が亡くなり、現在も20人以上の方の安否がわかっていません。私は7月7日以降、豪雨被害が大きかった岡山県や広島県の各被災地を回り、被災された方々に今必要な支援が何かを聞いて回りました。 やはり被災者の第一声は水です。飲み水ではありません。生活用水です。トイレや風呂、手や顔を洗う水だけではなく、泥かきをしたり汚れを拭いたりする時に必要な水です。飲料水は支援物資や自衛隊からの給水などでなんとか賄えているのですが、生活用水を確保するのは至難の技です。 広島県三原市では井戸水を利用している世帯が少なくなく、水をくみ上げるモーターを修理し、使用できるようになった水を近所の人たちと共有し、助け合って復旧、復興に取り組んでいました。ただ、課題もあります。地元三原市の社会福祉協議会の方々に話を聞くと、犠牲になった方々の多くが自力で2階に上がることができない知り合いの方々でした。 足の不自由な50歳代の人、90歳を超え一人暮らしだった女性は「近所の誰かが大丈夫か?と訪ねてくれてさえいれば…」と唇を噛み締め、悔しそうに話をされていました。浸水被害がひどかった地域は比較的商業施設などが集まる中心部でした。新しく移り住んできた人も多く、地域の町内会の加入率が年々下がっていることが地元の方々の悩みでした。 女性はさらに「災害が起きると実感するはずです。地域のつながりがどれだけ大切か。普段から顔見知りだったら井戸の水だって借りやすいだろうに。命だって守ることになるんですから」とも語っていました。 実感したのはハザードマップの正確さです。各地を取材した際の共通の質問が「ハザードマップではこの地域はどのような状況でしたか?」です。地元の方々が改めて驚くほど、災害被害は起こるべくして起こるんだということを実感させられました。水害や土砂災害、地震、火災など災害ごとにハザードマップが作られているのをご存じでしょうか。それが何を意味するのかというと、避難先が変わってくるということです。 今回の豪雨災害でも地震などを想定した避難場所が浸水していたケースがありました。自治体からは防災無線を通じて別の高台の避難所の案内をしていましたが、馴染みのない場所で戸惑いが広がったという声も聞きました。災害が起きてからの対応では遅いのです。当たり前のことですが、平時のアクションが自分の大切な人と自分の命と財産を守るための防災です。 そもそも、私たち日本人は災害が発生しやすい国土で生活しています。地震、津波、台風、集中豪雨、そして火山。2011年3月11日に東北沖でマグニチュード(M)9・0の巨大地震が発生した東日本大震災では、10メートルを超える巨大な津波にも襲われ福島県にある東京電力福島第一原発がメルトダウンを起こす大規模な事故を起こしました。放射性物質に汚染された土地を取り戻すためには半世紀近くの時間が必要だとも言われ、私たち日本人は自然災害だけではなく、原子力災害も経験しています。炎天下の被災地を歩く男性。大量の土砂で下部が埋まった車や標識が放置されたままになっている= 2018年7月13日、広島県坂町(鴨川一也撮影) 地震は地中の岩盤同士がぶつかり合いズレることで地表に揺れを引き起こすわけですが、日本には今後もそうしたズレが起きる可能性が高い「活断層」が2千以上あります。世界中の地震の約10回に1回は日本やその周辺で起きているとあって、実は私たちの暮らす地面はとても揺れやすいのです。 特に東日本大震災以降は地震活動が活発で、政府は今後30年以内に東京や神奈川など首都圏でM7級の直下型地震が起きる可能性は70%と予測。東海から九州にかけてM8級の揺れが想定される東海、東南海、南海大地震も88%〜60%と、こちらも高い確率です。いつ起こるのかは分かりませんが、いつ起きてもおかしくないのです。家族4人が車で生活 また、日本は「火山列島」とも呼ばれ、噴火する可能性のある「活火山」が全国に110もあります。実は、あの富士山も活火山です。いつ噴火してもおかしくはありません。山梨県、静岡県、神奈川県では富士山噴火に備えた避難訓練が行われたりしています。富士山が噴火すると当然東京などにも影響が出ます。火山灰が降り積もり、新幹線や高速道路など交通網がマヒ。灰の影響で水道や電気、ガスが長期間ストップ。ジェット機も飛び立てなくなり、東京が陸の孤島になり混乱することも予想されています。 「これだけ色々な予測がされているのであれば備えも万全だろう」と思いがちですが、冒頭述べた通り、災害には「想定外」がつきものです。例えば、国は熊本地震のように震度7の地震が連続して起きることは想定していなかったと言います。災害発生時の対応をまとめた全国の自治体の防災計画の多くで「想定外」だったということも報道機関の調べで分かりました。 熊本の地震では1度目の震度7の地震で避難所に避難した人に加えて、さらに規模の大きな揺れに襲われ「もうダメだ」と思った人たちが一気に避難所に向かいました。最大で20万人とも言われる避難者の数、小学校や中学校の体育館には収まりきらず、校庭や渡り廊下といった屋外で野宿をせざるをえない人たちも大勢いました。 一方、そうして人があふれた避難所をあきらめ、仕方がなく自分の車の中で寝泊まりする人たちも少なくありませんでした。「赤ん坊が泣いて迷惑になるといけないから」「持病があって硬い床で寝られないから」「余震が怖くて建物の中にいたくないから」など理由は様々です。西日本豪雨被害の避難所でうちわをあおいで暑さをしのぐ人たち=2018年7月8日、岡山県倉敷市真備町の岡田小学校(永田直也撮影) 私が取材をしていた家族は親と子供の4人で3週間以上車で避難生活を続けました。避難所ではないので食料の配給も受けられず自力で調達。狭い車内で同じ姿勢のまま過ごすことで体調を壊す人もいます。「エコノミー症候群」と言って血のめぐりが悪くなり血管が詰まるなどして、最悪、死にいたる症状です。絶えず体を動かしたり、血のめぐりが良くなるようにマッサージをしたり工夫が必要でした。 食料の確保が大変だったのは、車中避難の人たちばかりではありません。避難所でも圧倒的に食料が足りずに苦労した人たちもいました。災害時の対応などを定めた法律「災害対策基本法」の中には「指定緊急避難場所」と「指定避難所」という言葉が出てきます。前者は地震や津波からいち早く身を守るために逃げ込むことができる高台や公園などにある安全な場所や施設。後者はそこに留まって食糧支援などを受けながら避難生活を送ることができる施設を指します。 災害による影響が比較的少ない場所であることや生活物資の運搬がしやすい環境であることなど、法律によって条件が定められています。ですから、すべての小・中学校などの避難所がこの「指定避難所」ではありません。 熊本地震では、避難した人が身を寄せた避難所が「指定避難所」なのかどうかで状況が大きく異なりました。指定避難所の小学校に避難した人は自治体からの物資や自衛隊からの支援を優先的に受けられました。しかし、同じ区内の小学校でも「指定避難所」ではなかった場合は、避難した人たちが自力で食料を調達しなくてはならず、大変苦労したのです。 10カ月の赤ん坊を抱えたお母さんは避難した体育館で「ここは指定避難所ではないので、食料は届きません。自力で調達が必要です」と言われた時には目の前が真っ暗になったと言っていました。そうした避難所ではインターネットを使うなどして全国からの直接支援でなんとか水や食べ物をかき集め、なんとか凌(しの)いだという状況でした。「何のための地元局か」 今回の西日本豪雨や熊本地震のように、首都圏が被災地にならない場合、相対的にテレビの報道量が減っていくのが体感として分かります。台風などは顕著な例であり、首都圏に上陸が予想される場合とその他の地域の場合とでは中継体制の力の入れように温度差があるのは明らかです。全国ネットの放送は東京一極集中であり、首都機能や交通、物流などに与える影響の大きさを考えると、首都圏の情報に重きを置くテレビ局の判断も分からなくはありません。 西日本豪雨の被害の大きさを考えると、首都圏が台風を迎え撃つ時のように事前の特番体制で報じるべきだったという声が上がるのは必然です。ただ、進路や速度などをもとに被害予測をたてやすい台風と短期間で変化に富む集中豪雨災害とでは勝手が違ったのかもしれません。 岡山県に住む方からこんなメールをいただきました。 6日夜、県の広い範囲に避難指示が出されていたにもかかわらず、ニュースでずっと報道していたのは、NHKのみでした。11時半過ぎ、地震かと思うような揺れがあり、家族がツイートやLINEで情報収集すると、浸水で避難途中の真備の友人から、工場爆発との知らせがありました。ツイートを見ると、津山でも揺れ、県内騒然とするなか、民放は、警報のテロップだけで、通販番組とか、いつもの放送内容でした…。日付がかわり7日のNHKニュースの総社市長のコメントで、爆発だと知った人もたくさんいたと思います。豪雨の犠牲者は、お年寄りばかり。岡山県も高齢化が進み、頼りの情報源はラジオTVという一人暮らしのお年寄りもたくさんいると思います。何のための地元局か、と怒りが。 お怒りはごもっともです。逆に、NHKの責任の重さも感じます。個人的には、被害の大きさを量で測るのには抵抗があり、ましてや1人の命も、100人の命もそれぞれ同じ重さであると思いたいものです。 私がNHKを辞め、自由な発信の場を求めた理由の一つが災害報道のあり方に疑問を感じたからです。今年でフリーになって5年になりますが、その間発生したさまざまな災害報道では常にそこで暮らす一人一人の生活者の皆さんとの連携を第一に掲げてきました。 2年前の熊本地震以降、大きな災害が発生すると私はまず自分のLINE IDをツイッターやフェイスブックで公開し、被災者の方とつながりながら、現場が最も必要としている発信を支援する取り組みを始めています。拡散した災害情報 災害時の会員制交流サイト(SNS)には悪意あるデマのみならず、古い情報がそのままリツイートされ誤解を生んだり、伝言ゲームで不正確な表現となり結果としてデマになってしまうケースなど、まさに玉石混交、さまざまな情報が流布します。そうした中に、被災者本人の本当のSOSが埋もれていってしまうことがあります。 フォロワー数の少ない個人が発信するよりもより強い拡散力を持つアカウントから発信してもらった方が多くの人にSOSが届く可能性が高まります。情報を精査、検証する力やより多くの人たちに短い時間で情報を届けるノウハウが求められますが、私のようなSNS使いのテレビマンにとっては何か役に立てそうだと思い、熱心に取り組んでいる支援の一つです。 例えば、今回の西日本豪雨では私が公開したLINE IDには愛媛県西予市野村、広島県呉市天応西条、岡山県総社市下原などで孤立したり、救援が必要な住民の皆さんやそのご家族、約20名の方から切実な連絡が入りました。 8日午前、広島県呉市天応西条3丁目の36歳の男性からのSOSは、20名から30名が今も川の決壊で孤立したままだという内容でした。1歳と12歳のお子さんがいるとのことで、そのうち持病のある12歳のお子さんの薬が明日までしかなく、発作が起きるのが心配だというのです。せめて薬だけでも届けてもらえないかと、男性は私に発信の支援を求めてきたのです。男性がLINEに送ってきてくれた動画を見ると、家の目の前の道路が崩壊し目の前を茶色く濁った泥水がものすごい勢いで流れていく様子でした。 撮影は8日早朝です。男性の身元の確認や映像の検証などをこちらで行い、ツイッターや各SNSで発信したところ、瞬く間に50万を超えるアカウントからのアクセスがあり拡散されていきました。そして、それから5時間後。「堀さん!お力を貸してくれたみなさん。どうもありがとうこざいます。無事救助連絡、そして子供の薬も5日分もらえました!本当に心から感謝します。救助ヘリも何機かきてもらい、具合が悪い方の救助もしてもらえました!断水状態も続きまだ不安定ですが、頑張ります」と男性から連絡が入ったのです。土砂崩れ現場で行方不明者を捜索する消防隊員ら=2018年7月7日、広島県東広島市 情報が途絶え、孤立した状況が続く中、SNSに寄せられる人々の声が男性やその家族を励ましたと言います。このように情報を寄せてくださった方々の元にはその後一人一人直接会いに行きます。今日の時点で岡山や広島から連絡をくれた人たちを直接訪ね、さらなる追加取材を行っています。オーダーメイド型の取材で被災者の切迫したニーズを満たす、これも新しい時代の報道の在り方なのではと思っています。

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    「五感で伝えない」民放テレビの災害報道は役に立たない

    りの生活が戻ってくることを祈っている。 さて、この原稿を書いている時点では、まだ被害は拡大しており、災害報道のあり方を総括する段階ではないかもしれない。ただ、7月5日に気象庁が「記録的大雨となる恐れがある」と警戒を呼び掛けてから、これまでのテレビ報道に関して「取り上げ方が小さすぎる」「腰が引けている」などの指摘がある。 録画していた民放のニュース番組を改めてチェックしてみると、確かに「何かが足りない」ような気がする。なぜこの緊急事態に民放テレビ局の報道姿勢が消極的に見えるのか、これまでの放送内容に問題点はなかったかどうかについて、特にニュース番組の初動対応を中心に考察してみたい。 まずは、5日夜のテレビ各局のニュース番組について振り返ってみよう。番組では、キャスターや気象予報士が落ち着いたトーンで、「大規模な土砂崩れや河川の氾濫の恐れもあるため警戒が必要である」と大雨への注意を呼び掛けていた。 テレビ各局には、災害時の対応の仕方や放送上の注意点をまとめた「災害マニュアル」がある。マニュアルでは、視聴者がパニックにならないように、あおらず冷静に伝えることが原則となっているため、適切な対応である。いわゆる「L字画面」で、随時大雨の状況や避難情報も表示しており、各ニュース番組は、情報をきちんと整理して伝えていた。 ところが、テレビを見ている側からすると、大雨情報は報じられていても、「未曽有の大災害の恐れがある」という切迫感があまり伝わってこないために、「何かが足りない」印象を受けてしまったのである。 その後、「大規模な土砂災害」や「河川の氾濫」が実際に発生し、気象庁の予測が的確だったことが証明されたが、5日の段階では、サッカー日本代表の帰国やタイの洞窟に閉じ込められた少年たちに関するニュースも、それなりの時間を取って放送していた。とりわけ視聴者の関心が高くなるはずの天気コーナーでも軽やかなBGMが流れていて、番組全体の雰囲気は非常時対応ではなく「通常運転」であったことがうかがえる。2018年7月6日、激しい雨が降る中、JR博多駅前を行き交う人たち テレビというメディアは、視聴者の五感に訴えかける。ニュース番組に出演している人の話の内容、すなわち「言語情報」だけでなく、話すときの表情、声色、しぐさのほかスタジオの雰囲気やBGMなどによる視覚情報、聴覚情報などの「非言語情報」が大きな意味をもつ。 豪雨の初期段階でのニュース番組から発信された情報に当てはめて考えてみると、「言語情報」では豪雨による被害拡大の危険性が高いことを強調していながら、視覚情報や聴覚情報から、あまりそのリアリティーが伝わってこなかったことが問題である。「言語情報」と「非言語情報」にギャップがあったように思う。リアリティーに欠けた「東京発」 テレビ局側は災害マニュアルに沿った教科書通りの放送をしていたため、「落ち度はなかった」と反論するかもしれない。確かに、「言語情報」において落ち度はなかったのかもしれないが、「非言語情報」から伝わる緊張感が弱かったために、「伝えるべきことが伝わらなかった」のではないか。 実際、福岡市に住む私にとって、「東京発」のニュース番組は、若干リアリティーに欠けたものに映った。というのも、私が住んでいる福岡市の「一部」に対して、この時点で避難準備情報が発令されていたことがL字画面で確認できたが、「一部」に自分が住んでいる場所が含まれているかが分からなかったのだ。 このため、テレビの災害情報が、避難の準備をするかどうかの判断材料には全くならなかった。結局、福岡市のホームページを見て、避難準備地域から外れていたことが確認できた。 また、番組で「土砂災害」や「河川の氾濫」の恐れがあるというコメントは何度も耳にしたが、自分が住む場所にどの程度のリスクがあるかが、テレビの情報では分からず、やはり福岡市の「浸水ハザードマップ」「土砂災害ハザードマップ」で改めて確認せざるを得なかった。そのサイトでは、刻一刻と変わる近所の川の水位も把握することができた。 東京発のニュース番組からは、大雨が降り続く地域の住民にとって必要な具体的情報が十分にあったとは言えない。しかも、繰り返された注意喚起も紋切り型で、大災害が現実に発生する恐れが本当にあるとは受け止められるような作りではなかった。 せめて、大雨が降り続く地域には、地方自治体のホームページにアクセスすれば、地域別の詳細な災害リスクが分かることを伝えて、視聴者を誘導してもよかったのではないか。私の場合、必要な情報は東京発のテレビにはなく、福岡市のホームページにあったのである。 今回のテレビ報道を見て、大災害にもリアルに対応できる災害マニュアルの再検討が必要ではないだろうか。迅速でスムーズな報道対応のためには、決められた流れで作業を進めるためのマニュアルが欠かせない。愛媛県大洲市の豪雨で、路上に横転したままの車両=2018年7月8日午前 具体的には、どのように情報発信すれば注意喚起のリアリティーが伝わるのかを「言語情報」と「非言語情報」の二つの側面からアプローチしなければならない。そのほか、被災地の人々が望む詳細な情報にいかに誘導するのか、という問題についても検討が必要だろう。 想定外の自然災害がこれからも発生する可能性はある。まずは、今回の被災地の人々がテレビの情報をどのように受け止めたかを丁寧に検証することから始めたらどうだろうか。

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    豪雨報道より『鶴瓶の乾杯』を優先した首都圏NHKが嘆かわしい

    豪雨」は、西日本を中心とした各地で、何十年に一度という驚くべき雨量で甚大な被害をもたらし、未曾有の大災害となった。すでに死者は200人、安否不明も60人超となり、現在も懸命の捜索活動が続けられている。 安倍晋三首相は、被災自治体からの要請を待たず、国が支援物資を送るプッシュ型支援で、20億円を支出しエアコンや水などを被災地に送るよう指示した。また、被災地のコンビニエンスストアなどへの物資の輸送車両を緊急車両の扱いにする考えを示した。 東京にいて幸いにも豪雨の実感を全く持たないでいた私も、8日から9日にかけて、これは大変なことになったと、NHKの画面に目が釘付けになっていた。人命に関わる災害報道はNHKの独壇場だ。 7月9日の朝、毎日楽しみにしていた朝ドラ『半分、青い。』もL字画面(テレビの画面に青い帯で緊急ニュースを入れ、本編の番組画面を4分の3程度に縮小して放送する編成)になり、正直言って私はドラマを存分には楽しめなかった。 それでもNHKには国民の生命・財産を守るための情報を提供するという、極めて優先度の高い任務があり、9日の『半分、青い。』の放送中にも、死者88人安否不明58人という情報は提供され続けた。 安否不明というのは、昔は行方不明と呼ばれた。子供の頃の私は行方不明と聞いて、どさくさに紛れて家出する人がそんなにいるのか、と大きな勘違いをしていた。もちろん、災害における安否不明とは、残念ながら死亡している可能性が大きく、遺体さえも発見してもらえない人であったりもする。『半分、青い。』を見ながら、不明の人が無事に救出されることを祈りつつ、内心この時点で死者数は三桁に達するだろうと懸念していた。豪雨で水に浸かったままの住宅地=2018年7月8日、岡山県倉敷市真備町(小型無人機から) 9日の『半分、青い。』の番組そのものは、L字画面で見づらかった。だが、刻一刻と変わる危機に、私はリアルタイムで接することができ、さすがは災害報道のNHKだと信頼感を覚えたのである。 ところが、同じ9日でも夜になるとNHKは一変した。人気娯楽番組である『鶴瓶の家族に乾杯』がL字画面になることもなく、通常画面で放送されていたのである。災害関連の字幕もない。確認したところ、この時点で死者114人、重体3人、安否不明61人であった。なんと朝ドラが放送された時点よりも死者数、安否不明者数ともに増えているではないか。当然ながら捜索活動も続けられていることだろう。 いったい何を考えてNHKは災害報道体制を、この段階でやめてしまったのだろうか。安否不明の人がすべて発見され、捜索活動が終結したのなら、理解できる。しかし、実際には捜索活動はまっただ中で、安否不明の人がどんどん増えつつある状況だったのだ。軽率なNHKの番組編成 警報が解除されたから、中国地方の雨が上がったから、というのが理由だとしたら、それはあまりにも軽率であろう。大変なのは「これから」だからだ。雨が上がっても土砂災害の危険性は引き続きあり、水没した家、冠水した道路、決壊した河川によって被害は拡大する。そして何よりも、避難所に身を寄せている方々の苦難は、これから始まるのだ。そういった認識がNHKの編成に本当にあったのだろうか。 被害のなかった東京の私たちにしてみれば、西日本の大災害がもたらす、その異常なまでの悲惨さについては、テレビによってしか実感を持って知ることができなかった。NHKはそれをリアルタイムで伝えることのできる唯一のメディアなのだ。 民放の場合、視聴者に「豪雨のニュースもう飽きたよ」と言われればおしまいだ。豪雨のニュース映像も最初はショッキングだが、何日も続くと飽きっぽい視聴者の興味をそそらなくなる。 そうなると別の娯楽番組を用意して、視聴者を満足させなければならない。そうしないと視聴率が落ちて、スポンサーからの収入が減ってしまうからだ。スポンサーによって経営が成り立っている民放の宿命である。 受信料で運営され、視聴率も絶対指標ではないNHKの場合、そこまで民放各局のように視聴者におもねる必要はないはずである。確かに『半分、青い。』も『鶴瓶の家族に乾杯』も視聴率の高い人気番組だ。そして番組本編の画面を小さくするL字画面は、視聴者にすこぶる評判が悪い。 実際に人気番組の放送時には、L字画面が邪魔だからやめてくれ、というクレームの電話が、視聴者ふれあいセンターへ相次ぐ。特に今回のように長期間にわたってL字画面が続いた時は、なおさらそうだろう。とはいえ、これはなんとかご理解いただくしかない。 また、NHKにも災害報道ばかり見せられるとウンザリする、という視聴者からの意見はある。「気分が落ち込む」、「何か楽しい番組で気分を晴れさせてくれ」という声もある。各避難所には特設テレビが置かれているが、それを見ている避難者の方々からさえ、災害の映像は見たくないから面白い番組を見せてくれ、というリクエストが上がってきたりする。ヘリで救助された住民=2018年7月7日、岡山県倉敷市(永田直也撮影) そういった事情を解決する苦肉の策として、災害報道をしつつ同時に一般の番組を見せる、L字画面という手法が取り入れられたのだろう。 あまりスマートなやり方とは言えないL字画面だが、テレビというメディアの使命をNHKが果たすためには、やむを得ない手段なのかもしれない。エンターテイメントのみに走って、災害報道のミッションを忘れては、NHKの存在理由そのものが問われてしまうからだ。東京目線のNHK その意味で『鶴瓶の家族に乾杯』を見せるのに、今まさに死者や安否不明者が増えつつある段階で、あえてL字画面をはずす必要があったのか。それを見て、あたかも災害が去ったかのように、笑うことができたのか。甚だ疑問である。L字画面があったほうが、むしろ安心して楽しめたかもしれない。 良くできた娯楽番組であったがゆえに、裏で続けられている捜索活動が気がかりで、私の目には番組自体が浮いて見えてしまい、素直には笑えなかった。番組にとっても気の毒である。そこには晴れた初夏の風そよぐ東京で、エンターテイメント優先に番組を編成している、東京目線のNHKの姿勢が垣間見えてしまったのである。広島県熊野町の土砂崩れ現場で続く捜索活動=2018年7月13日 さまざまな要望があるだろうが、やはりNHKの目線は被災地目線でなければならない。豪雨の被災地の方々には、翌日から猛暑という厳しい気候が容赦なく襲いかかる。エアコンの十分に行き届かない避難所で、熱中症の危険にさらされるはめになる。停電し、断水する。ボランティアなど支援活動もこれからだ。水没した家の再建を考えると、気の遠くなるような長い闘いが待っている。 今回のような未曾有の豪雨という大災害は、一過性のハプニングではなく、復旧と復興に長い期間と資金を必要とする国難だということを、しっかり認識して報道するべきだろう。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではダメなのである。 特別警戒警報が出たから臨時ニュースにする。警報が解除されたらニュースをやめる。こうした気象庁の発表のみに頼った報道姿勢では、NHKは視聴者の信頼に応えることはできない。警報や避難指示は、もちろん直ちに報道しなければならないが、NHKはあくまでも被災者の目線に立った自主的な取材で、長期的に災害報道にあたるべきだ。 地域に密着した取材網を持ち、視聴率に左右されないNHKならではの災害報道でこそ、その存在意義を示すことができる。金で買えるワールドカップの放映権で満足するのではなく、公共放送としての強みがどこにあるのか、その本質を見失わないでもらいたい。

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    「赤坂自民亭」人命より酒宴の安倍政権に心底絶望した

    本大震災が起きた2011年3月11日以降の民主党政権で懲り懲りなのだ。 慌てた安倍政権は3日後に非常災害対策本部を設置し、「的確に対応していた」と応じている。また西村官房副長官も「安倍首相の陣頭指揮のもと」と繰り返している。 しかし、果たして本当にそうなのか。【日本人の恥】警察・消防・自衛隊・海保・民間有志は発災当初から国民の命を救ってくれている。自民党の力も総理の指示も関係なく…。政治のフェイク介入は現場の士気を削ぐ。むしろ党派の仲間たちと宴に興じていてください。 @AbeShinzo #西日本豪雨災害【日本人の恥】故郷の人々の顔を思い出さなかったのか?演技でも選挙区の有権者の顔が浮かばなかったのか?初代自民党総裁の孫の元秘書として自民党の変節を嘆く。 @AbeShinzo #岸田文雄 #山口県 #広島県 #豪雨災害【日本人の恥】故郷の人々の顔を思い出さなかったのか?演技でも選挙区の有権者の顔が浮かばなかったのか?初代自民党総裁の孫の元秘書として自民党の変節を嘆く。 @AbeShinzo #岸田文雄 #山口県 #広島県 #豪雨災害 【日本人の恥】防衛大臣、自衛隊員が飲酒しながら救援活動をしていたら懲戒です。#自衛隊 #西日本大水害 @AbeShinzo 100人、200人と国民の命が次々と失われていく様をみながら、筆者は感情的になりすぎたのかもしれない。気づくと、安倍首相や酒宴に参加した閣僚たちに対して、繰り返し抗議のツイートをしていた。「赤坂自民亭」で酒を酌み交わす安倍晋三首相(下段中央)と岸田文雄政調会長(同左)=2018年7月5日夜、衆院赤坂議員宿舎(西村康稔官房副長官のツイッターより) 実は、6年目の長期政権を迎える安倍首相にここまで嫌悪感を持ったのは初めてだった。約10年前、拙著『官邸崩壊』(新潮社)で、安倍政権を徹底的に批判し、首相辞任にまで追いつめた時ですら、安倍首相本人への嫌悪感はほとんどなかった。むしろ、本にも記した通り、安倍首相の周囲に集まる政治家や官僚やマスコミの人間に利用された「被害者」という意識を持っていた。 しかし、今回は違う。6年に及ぶ長期政権への過信と、国民への共感を忘れた奢(おご)りの気持ちが、酒宴を開かせ、記念写真を撮り、それをSNSにアップするという愚行を自ら許したのだ。 そして、その愚行を誰も止められなかったのは、安倍官邸のみならず、自民党という党派そのものの腐敗に尽きる。死刑前日に酒宴に参加する法相 悲しむべきことは、翌6日、オウム死刑囚7人の執行にサインをした上川陽子法相がその場にいたことだ。しかも、酒宴の主催者で集合写真では安倍首相の横で親指を立てている。 かつての筆者のボスである鳩山邦夫法務大臣は在任中に13人の死刑囚の執行にサインをした。歴代最多で、当時は朝日新聞に「死神」と揶揄(やゆ)されたものだ。 しかし、その鳩山氏が死刑執行の週にどういう気持ちでいたか、朝日新聞もメディアも知らないだろう。「自分のサインひとつで一人の人間の人生が終わるんだぞ。眠れなくなるのも当然だろう」とも語っていた鳩山邦夫法相。死刑の週には登庁前に必ず体を清めて墓参していた。朝日新聞に「死神」と書かれたが、そんな優しい「死神」がいるのか?民主党政権や現政権の法相の方が心がない。 @hatoyamayukio 筆者が代表を務めるNOBORDERが運営する報道番組『ニューズ・オプエド』に鳩山元法相の兄の鳩山由紀夫元首相が出演した昨日(12日)、筆者が当時の様子を明かした時の言葉だ。 法相は死刑執行の約48時間前、つまり二日前の火曜日か水曜日に、大臣室で執行のサインを行う。その前、執行者リストの知らせが、法務官僚(大抵は大臣秘書官)から受けるのだが、それが前週末か、当週の月曜日だという。 鳩山法相は、その知らせを受けると、早朝に自宅で身を清めて、東京・谷中にある先祖の墓参りをした。さらに、執行日まで墓参を繰り返し、夜は断酒、死刑囚への祈りを毎日欠かさなかった。 「そうですか。弟のそうした振る舞いは知りませんでした」 番組の中で、兄の鳩山元首相はそう語った。 筆者は、死刑反対論に与(くみ)する者ではない。しかし、人命を奪う最強の国家権力行使に当たって、担当の法務大臣が、前夜に酒宴で首相と並んでサムアップで記念撮影に応じるというのはどうしても容認できないのだ。麻原彰晃死刑囚らの死刑執行を受け、臨時記者会見を行う上川陽子法相=2018年7月6日、法務省(桐原正道撮影) 国民の命を軽視する政権に未来はない。いや、そうした政権の存続を許しているのは私たち国民だ。となれば、私たちの国、日本の未来は…。 政治は結果責任だ。安倍首相と自民党は日本の未来のために潔く決断をすべき時に来ているのではないか。

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    NHK「災害報道」は熊本地震で3・11の教訓を活かせたか

    回の地震を考えるうえで、NHKスペシャルが4月3日に東日本大震災後の地震研究の成果を振り返った「巨大災害 日本に迫る脅威~地震列島 見えてきた新たなリスク」が、災害報道の重要な試金石になったことに触れたい。 東日本大震災から5年を経て、日本の研究者の新たな挑戦をとりあげるとともに、東海地方から九州の太平洋岸に甚大な被害をもたらすことが想定されている「南海トラフ」地震がどのようなメカニズムで発生するのかという問題意識だった。 京都大学防災研究所の西村卓也・准教授は、GPS(全地球測位システム)の観測を活用することによって、地殻の変動を数値化して、地震発生のメカニズムを解明するとともに、次に巨大地震がどこで起きるのかを探ろうとしている。 巨大地震の発生は、プレートテクニクス理論によって説明されてきた。海側のプレートが陸のプレートに沈み込んでいくときに、徐々にひずみができてそれが耐えられない圧力となったときに、ずれが生じて地震が発生する。 日本の西日本の陸はひとつのプレートであるとされてきた。このプレートに海側のフィリピンプレートが沈み込むことによって、南海トラフ地震が発生すると推定されてきた。2016年4月17日、大きく亀裂が入った熊本県益城町の畑。地震で地表に現れた断層とみられる(本社ヘリから) 西村准教授は、GPSの数値よって、陸のプレートがひとつではなく、九州は4つのプレートに分かれていると分析している。それぞれの分かれたプレートは違った方向に向かっているのである。大分地方は西へ、長崎と佐賀は南東へ、南部は南に動いている。 こうしたプレートは表面的なものではなく、地下30㎞付近まで壁のようになっている。この帯状の壁が境目となっている地帯は、過去の地震の震源、震度の帯と一致する。それは活断層である。今回の地震が発生した、布田川断層と日奈久断層はまさにこの活断層である。 西村准教授は、こうした陸のプレートの境目に地震が起きる可能性があると指摘して、警戒を呼びかけていた。 NHKは4月16日にNHKスペシャル「緊急報告 熊本地震『活断層の脅威』」を、放送した。14日夜にマグニチュード6.5の地震が発生した28時間後に、マグニチュード7.3の大地震が起きたことを受けたものだった。気象庁は、最初の地震を前震とし、大地震を本震とした。 本震発生前の15日の取材とことわったうえで、先の西村准教授の冷静な判断が紹介される。 「プレートのブロックの境目に、ひずみがたまって地震になる可能性が高い」と。マントルの動きが大地震もたらす可能性 番組では、キャスターのほかに、NHK災害担当の菅井賢治と、東京大学地震研究所の平田直教授を加えて、さらに分析を進めていく。 震災地に入った研究者により、活断層のあとと推定される、地面の割れなどが発見されている。 平田教授は指摘する。 「地震の震源は地下10㎞から20㎞にある。この深さのひずみによって、岩石が耐えられなくなって破壊され、小さな地震が多数起きている」 地形の模型を使って、表面の地表の部分を取り除いて、地下に震源が集中している様子をわかりやすくみせている。地震は、まず比較的揺れの小さなP波が起きて、その後に大きな揺れを引き起こすS波が起きる。直下型地震では2の波の間隔が短く、緊急地震速報を出すP波の直後にS波がくるので、室内にいても避難の余裕がない。 4月3日放送のNHKスペシャルに戻る。東日本大震災後の東北の沿岸部で異常な現象がいま起きている。地震によっていったんは1mほど沈下した地盤が、隆起しているのである。 東日本大震災前から、海底などに水圧の測定機器を配置してきた、東北大学地震・噴火予知研究観測センターの日野亮太教授は、「想定と異なる別の地震の可能性」を指摘している。 大震災前には、東北の陸と太平洋側の海のプレートは、西方向に移動していた。震災後は陸のプレートが東に向かうと推定されていた。しかし、この1年間のデータを分析すると、陸のプレートが西に向かっている。これが、地盤の隆起につながっていると、日野教授は推定している。 これまで、ほとんど陸のプレート移動がなかった、ロシアの沿海州と中国の地盤も東にゆっくりと動き始めている。 こうした現象の原因として、日野教授は東日本大震災によって急激に動いたプレートの下に対流しているマントルに原因がある、と考えている。マントルはゆっくりともとにもどる粘弾性を持っている。プレートの動きについていけずにゆっくりと動いているのではないか、というのである。2016年7月、熊本地震から約3カ月が経ったが、熊本県益城町には倒壊した住宅が今なお多く残る(村本聡撮影) 地盤を隆起させるマントルの動きは、これまでとはまったく異なる大地震を引き起こす可能性もある。 東日本大震災とその後の地震研究を、定期的にシリーズ化することによって、突発的な自然災害において視聴者に的確な情報を提供する底力を、組織ジャーナリストにつけている。たべ・こうき 東日本国際大学客員教授。福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

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    在京テレビ局 大阪北部地震報道に温度差がある?

    で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、6月18日朝に発生した大阪北部地震に見る、災害の報道体制について。* * * 大阪北部地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 18日朝、震度6弱という大きな揺れの地震が発生した瞬間、私は東京の自宅に居たのだが、リビングの吊すタイプの照明がユラユラ揺れていて驚いた。後から、東京にも「震度1」を表示した地図を見て、改めて、広い範囲で揺れたことを知った。 昼過ぎ、私は大阪に本社がある某社での東京広報の人たちとのミーティングに参加していたのだが、「東海道新幹線に閉じ込められている同僚がいる」「会議の時間や参加するはずのメンバーの予定が大幅に狂っている」などと聞いた。普段から大阪と東京を行き来している人たちが青ざめた顔で対応に追われている様子を目の当たりにし、大変なことが起こっているのだと改めて感じた。 午後3時過ぎに一度帰宅し、テレビをつけた。まずは大阪の読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)で、その被害の大きさに愕然とした。 司会の宮根誠司氏は、日曜の夜、東京のフジテレビで『Mr.サンデー』に生出演しているため、月曜日は朝、飛行機で大阪入りする。 通常なら9時羽田発の飛行機で伊丹空港までスムーズに移動できるはずが、この日は20分遅れで飛行機に乗れたものの、伊丹空港の点検のため、2時間、機内で足止めを食ったという。伊丹空港に着いてからも、大阪市内が大渋滞で、結果、30分遅れでの出演になった宮根氏だったが、氏自身も朝日放送の局アナ時代に、そして読売テレビの記者やスタッフの多くが阪神淡路大震災の報道に携わっているだけあって、何を優先し、どう伝えればいいのか熟知しているため、番組はもちろん、地震ニュースに特化した内容だった。 その後、日本テレビでは通常なら東京のスタジオから『news every.』の時間になるが、読売テレビのローカル番組『かんさい情報ネットten。』のオンエアをしばらくの時間、流していた。2018年6月18日、大阪北部地震の発生で、伊丹空港のタクシー乗り場(手前)とバス乗り場には長蛇の列ができた(山田喜貴撮影) TBSも『Nスタ』の時間を早め、15時前から特番体制になっていたが、驚いたのは名古屋のCBC制作の『ゴゴスマ』や、フジテレビの『直撃LIVEグッディ!』が、早々に地震のニュースを切り上げていたことだ。 大阪の読売テレビの生放送を全国ネットしている日本テレビに対し、『~グッディ!』は、番組開始と共に、系列の関西テレビの生ワイド『ハピくるっ!』を終了させている。「ウワサの芸能ワイドショー」とサブタイトルがついていた番組ながら、もしもまだ続いていたなら、関テレからの生放送に切り替えたこともできただろうに。 TBSも、系列の毎日放送『ちちんぷいぷい』とは無関係と言ってもよく、名古屋発の『ゴゴスマ』を14時台はやっていたのだが、15時台は、さすがに報道に切り替わった。 いま、ワイドショーで数字がとれるのは、いわゆる“紀州のドンファン”と、日大のアメフト問題だと言われている。 そして、大阪での地震は、在京局にとっては“対岸の火事”に近いものがあるのだろうか?活きる阪神大震災の経験 実は私は、東日本大震災が発生した日、『情報ライブ ミヤネ屋』に生出演していた。阪神淡路大震災を経験している社員やスタッフが多い読売テレビでは、地震報道に関するマニュアルが完璧で、当時、アシスタントをしていた森若佐紀子アナが「早く、津波情報を」と言い続けていたことをいまでも覚えている。 だが、直後、東京のスタジオからのニュースカメラが映していたのは、お台場付近のビルから煙が上がっている様子だった。フジテレビの近くだから…と感じたのは私だけだろうか。 そして2年前の鳥取県中部地震のときも、私は『~ミヤネ屋』に生出演していた。発生が番組開始12分後のことで、後半は地震特番に切り替わった。 それはやはり、読売テレビの報道スタッフたちが阪神淡路大震災を経験しているからに他ならない。 だが、それから23年が経ち、読売テレビのアナウンサーも半数以上が「阪神大震災の報道を知らない世代」だという。 3年前、読売テレビでは、トークライブ企画「アナウンサーが語り継ぐ『阪神淡路大震災20年』」を開催、若手アナを聞き手に、先輩アナらが体験をトークし、「命に係わる重大なテーマ」でのインタビュー力について説いた。 参加アナの中には、阪神淡路大震災を機に、防災士の資格を取得している者もいて、被災者のもっとも近くで寄り添ってきた彼らならではの、ためになる話が多数あったと聞いた。阪神大震災の被災者向けの公営住宅=2004年1月、神戸市灘区 その中心メンバーで、いまは同局を退社した脇浜紀子アナ(当時)が言っていたのは、「阪神淡路大震災の2か月後、東京で地下鉄サリン事件が起きたことで、在京局制作の番組では、阪神大震災のニュースが激減してしまいました。まだまだ伝えたいことはたくさんありました」と。 阪神淡路大震災にまつわるニュースや新聞記事は、東京では1月中旬に集中しており、東日本大震災のニュースでさえ、3月初旬に集中しているように思える。 3年前、阪神大震災について扱った『クローズアップ現代』(NHK)で、「街は復興したけれど、暮らしや心の復興は半分」と、当時、働き盛りだった方々が異口同音に言っておられたのが忘れられない。 こうして偉そうに書いているが、大地震の日、生番組に出演していた私でさえ、正直、忘れてしまうことがある。震災の記憶を確かなものにしたり、消え去らないようにしたりするのが報道の役目なのではないか。 在京テレビ局はもう少し、被災地のテレビ局から学ぶべきではないだろうか。関連記事■ 米朝首脳会談報道に見る各局キャスターの悲喜こもごも■ さまよい続ける田中みな実 狙うべきは女性層か!?■ 時々やってくる「ジャニーズの異端児」風間俊介ブーム■ フリーアナ思いのTBS 『はやドキ!』は人材の宝庫■ 横澤夏子 女芸人としてレアケースな活躍ぶりの理由

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    テレビが流す「視聴者提供画像」 謝礼は?トラブルは?

    使わせてもらっている」(キー局社員) という。かつては「いの一番に現地入り」を競っていたテレビ局の“災害取材のイロハ”は様変わりしているようだ。 そんなテレビ局の“記者”として大災害の惨状にスマホを向ける人たち──その行動が、被災住民の感情を逆撫でする事態も起きている。「破裂した水道管に大勢の若者が群がって、ひたすらスマホを向けていた。なかにはわざわざバイクで駆けつけ、跨がったまま写真をとる人もいた。側には敷地内に水が流れ込まないように懸命に水を道路に掻き出している人がいるというのに、“そんなことしてる場合か!”と思いました」(大阪府茨木市の住民)(iStock) そんな視線を浴びても“素人カメラマン”は撮影を止めない。地震直後に撮影した動画をフェイスブックにアップした40代男性がいう。「会社に向かっている途中、乗っていた電車が地震で急停車しました。それから20分ほどして、『希望者は電車を降りて線路の上を歩き、ひとつ前の駅に戻ってください』とのアナウンスがあった。線路に降りて歩くなんて初体験なので、スマホで動画を撮ってアップしたんです。ワクワクしたなぁ。アップした後、友人からの反響も凄くて、気持ち良かった」 衝撃的な動画や画像には、日本だけでなく、海外のメディアからもオファーがあるという。現場に駆けつけた記者がそうした動画や画像を自分のスマホに送ってくれるよう頼むこともあるようだ。「基本的に謝礼を払うことはありませんが、記者個人の判断でギフトカードなどを渡すケースもあるようです」(前出・キー局社員) 今回の地震では、ツイッターなどの情報をもとに現地にメディアが殺到することもあった。「テレビ局の記者がワゴンに乗って現われたと思ったら、スマホの動画を見せてきて『この場所に案内してほしい』っていうんです。こっちはガスが止まって飯もろくに食えないのに……」(雑貨店店主) 被災者が被災者を撮影し、マスコミがそれに群がる。奇妙な光景がそこには広がっていた。関連記事■ 危ない「活断層」「隠れ断層」全国詳細マップ完全版■ 災害時の「不謹慎厨」対策、芸能人におかしな作法が定着■ AI地震予測 全国警戒エリアマップ2018年4月最新版■ 全国で地震頻発 首都直下地震を誘発する可能性は?■ 相模川でアユが大量発生 地元住民が気味悪がる言い伝え存在

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    ここが足りないニッポンの都市防災

    最大震度6弱を観測した大阪北部地震は、都市防災の弱点を改めて露呈した。ブロック塀の倒壊で女児が死亡した事故は、まさに「人災」とも言える悲劇だった。帰宅困難者の大量発生、人口密集地域で寸断されたライフライン…。さらなる都市直下地震の発生に私たちはどう備えるべきか。

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    舛添要一が都知事時代に感じた「防災ボケ」日本人の危うさ

    ク塀が小学生の命を奪ったことは深刻に反省しなければならない。 日本は地震や火山、水害が頻発する「自然災害大国」であり、日ごろから災害への備えが肝要である。過去25年を振り返っても、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、1995年)、新潟県中越沖地震(2007年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)など記憶に残る大地震が続いている。まさに、災害はいつ発生するか分からないのであり、それだけに日ごろからの備えが必要である。 今回の大阪北部地震は直下型であるが、都市がこのタイプの地震に襲われると大きな被害が出る。研究者の予測では、東京で30年以内にM7クラスの直下型地震が起こる確率は70%という。 政府の中央防災会議の作業部会によると、M7クラスの首都直下型地震で、死者は約2万3000人、負傷者12万3000人、建物の全壊・全焼は約61万棟、経済被害は約95兆円に上るという。95兆円というのは、わが国の政府予算の1年分に相当する。 私は若いころ、スイスで学んでいたが、この国はフランスやドイツ、イタリアという強国に囲まれており、国家の安全と平和を守るために危機管理体制が完備している。例えば、高速道路はなるべく直線にし、中央分離帯を着脱可能なものとする。それは、戦争や災害のときに滑走路として使うためである。2012年9月、警視庁震災警備総合訓練で、幹線道路を一部閉鎖し「緊急自動車専用路」として通行する警察、自衛隊などの緊急車両(小野淳一撮影) これに対して、日本の高速道路はなるべくカーブを多く作るようにしている。だが、それは居眠り防止という交通安全上の配慮からであり、安全保障や防災という危機管理的な発想は全くない。 私が東京都知事のとき、環状七号線や環状八号線といった広い幹線道路を滑走路として活用できないか検討してみたが、ヘリポートを作るスペースもないことに愕然(がくぜん)とした。道路を通すときに、危機管理の発想が日本人にはないのである。 そこで私は、都知事として重要政策の一つに「災害への備え」を掲げた。2014年4月に「首都直下地震等対処要領」を策定し、関係各機関との効果的・効率的な連携の下で円滑に応急対策活動を展開できるように備え、発災後72時間に行うことが想定される主な応急の対策について万全の体制を組んだ。活かされる「民」の力 また、同年12月には「東京の防災プラン」を策定した。これは、都民や企業、地域、行政があらかじめ備えるべき防災の取り組みを示し、2020年までの目標を提示したものであるが、災害が発生したときに実際に起こり得る事態を時系列でシミュレーションした。 具体的な政策として、まず行政が取り組むべき課題としては、十分な防災用の財源を確保することであり、平成27年度最終補正予算では「防災街づくり基金」に2000億円を積み増した。景気に左右されずに、防災対策を実行するには、基金を積むという手段が有効である。 阪神・淡路大震災のときは、建物の倒壊で道路がふさがってしまい、緊急車両すら動けなくなってしまった。その轍(てつ)を踏まないためには、災害発生時に避難・救援や緊急物資輸送のルートを確保することが重要である。そこで、「緊急輸送道路の沿道建築物の耐震化」や「道路の無電柱化」を推進した。 さらに、区部の木造密集地域対策が課題である。ここで火災が発生すれば、消防車も現場に入れない。そこで、「木密地域不燃化10年プロジェクト」に取り組み、市街地の不燃化を進めるとともに、延焼遮断帯となる主要な都市計画道路の整備を行った。 また、地震と並んで集中豪雨による災害も都市機能を麻痺(まひ)させる。私が都知事になった2014年に豪雨対策基本方針を改定し、区部では時間75ミリ、多摩地区では時間65ミリの集中豪雨に対応できるようにし、調節池や分水路の整備などを実施した。 病院の整備も重要で、都心部で唯一の基幹災害拠点病院である都立広尾病院を改築し、自然災害のみならず、核・生物・化学(NBC)災害やテロなどに対応する「首都災害医療センター」を整備することにした。 公共交通機関が運転停止すると、交通大渋滞が起こり、帰宅困難者が大量に生まれる。実際、東日本大震災のときの東京がそうであった。帰宅困難者を公共の建物だけでは収容できないので、民間の協力が必要となってくる。首都直下地震などに備えるため、東京都が作成した防災ブック『東京防災』 日本橋地区では、三井不動産を中心に2004年以降、大型商業施設を備えた複合ビルの「コレド日本橋」「コレド室町」がオープンしたが、ここでは地震などの災害時には、帰宅困難者を地下通路に避難させるようになっており、毛布や水・保存食なども備蓄されている。このような民間の自発的対策は、大いに評価されてよい。必要なのは防災意識の向上 この例に限らず、防災対策は行政だけでできるものではなく、国民、都民の協力が不可欠である。そこで、一家に1冊常備するために、完全東京仕様の防災ブック『東京防災』を2015年に完成させ、全家庭に無料配布した。キーワードは「今やろう」で、避難先の確認、防火防災訓練への参加、家具類の転倒防止、非常用持ち出し袋の用意、災害情報サービスへの登録、日常備蓄の開始など役に立つ情報を網羅した。 ライフラインの機能を95%回復させるのに、電力で7日、通信で14日、上下水道で30日、都市ガスで60日かかる。そのため、商品の流通に支障が出て、生活必需品が入手困難となる。そのような状況の下、自宅が無事だった人は、そのまま自宅にとどまって生活することが想定される。そのため、食料品や生活必需品を自宅に備蓄しておく必要がある。 しかし、普段使わないものを集めるような、何か特別な準備となると、用意するのが大変であり、そのため備蓄があまり進まない。そこで、発想を切り替えて「日常備蓄」、つまり日ごろから利用・活用している食料品・生活必需品を少し多めに購入することにする。そして、古いものから順に消費していく。この「日常備蓄」を進めるために、11月19日を「備蓄の日」(1年に1度はびち「1」く「9」を確認)とし、この日にみんなが備蓄状況をチェックするように呼びかけたのである。 都が備蓄倉庫などに行う備蓄の品目についても、細かい配慮をするようにしている。例えば、紙おむつや女性用の生理用品などは、毛布や食品と同様な必需品である。 私が知事に就任する前、主たる訓練といえば、9月1日に行う「総合防災訓練」であった。しかし、災害はいつやって来るか分からない。夏の暑い時と冬の寒い時とでは、避難のあり方も異なってくる。そこで、住民参加型の防災訓練を、春夏秋冬の年4回実施することにした。 このような取り組みを進めるためには、都民の防災意識の向上が必要である。災害時には、まず「自助」「共助」が大切である。阪神・淡路大震災のときも、命が助かったほとんどの人は、家族や近所の人たちに助けられているのである。「公助」が到達する前に、自助・共助で自らの生命を守ることが肝要である。そのためには、日頃からの訓練が不可欠であり、自分の住む地域の人々との連帯を強めておく必要がある。2016年9月、葛飾区と墨田区と合同で実施した東京都の総合防災訓練。初めて外国人観光客の避難誘導に重点を置いた(山崎冬紘撮影) ところで、東京五輪・パラリンピックの選手村と多くの競技施設が新設される臨海地域は埋め立て地が多く、地震発生の際には津波の心配がある。五輪期間中に大地震に襲われるという最悪の事態を想定し、五輪準備と防災対策を並行して行わなければならない。2020年には約4000万人の観光客が海外から日本に来ると見込まれているが、彼らを無事に避難させることもまた、重要な課題である。 以上、説明してきた政策は、誰が都知事であれ、実行せねばならないことである。私が全力を傾注してきた防災対策が、小池都政できちんと継続されていることを祈るのみである。

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    東京より防災意識の低い大阪が今やるべき地震対策

    的な被害が限定的な地域に集中する内陸直下型地震だった。日本有数の大都市圏で発生した地震であり、都市型災害におけるヒトとモノの課題を整理したい。 ヒトの課題は帰宅困難者である。地震発生が通勤時間帯にあたり、大量の列車が通勤・通学者を満載していたが、列車の脱線や衝突などの深刻な被害はなかった。一方で、長時間にわたる車内待機を強いられ、降車した後も運行再開のメドが分からず、出勤するか帰宅するかの判断を迷った人が多かった。 ただ、今回は筆者も体験したが、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などのインターネットを使ったサービスがほぼ問題なく使用できたことが大きかった。通勤・通学途上でも会社、学校、家族とスムーズに連絡を取れた人が多かったようだ。 実際に地震発生時に列車内にいた人によると、車内で待機⇒降車⇒最寄りの避難所へ誘導され、避難所でひと休みした後、徒歩で帰路へついたそうだ。大阪府北部の地震で地下鉄「大阪メトロ」も運休し、地上の出入口付近も人でごった返した=2018年6月18日午前8時54分、大阪市住吉区(安部光翁撮影) 地震発生当日の気象条件を見てみると、アメダス大阪の6月18日午前8時の気温は22度、最高気温は午後2時の26・8度と、さほど高温にはならず、風速が4~5メートルあったため、体感気温としては比較的過ごしやすい状況だった。 したがって、数時間に及ぶ徒歩での出勤・帰宅でも熱中症などの発生は少なかったと考えられるが、熱中症に関連する暑さ指数(WBGT)は環境省によると6月18日は午前11時から午後6時まで「注意」の範囲で、そのうち午後2時は「警戒」の範囲となっていた。もう少し気象条件が悪かったら、徒歩での出勤・帰宅は困難を伴っていたと考えられる。 鉄道が止まったため、幹線道路は多くの歩行者が通行し、車両もいつも以上に多く、至る所で渋滞が生じていたが、大規模な混乱は発生しなかった。地震発生がもう少し遅い時間で、出勤が完了していた場合は、特定のターミナル駅でより多くの帰宅困難者が発生し、混乱が生じたかもしれない。 今回の地震において、繰り返し映像が流された新御堂筋は府北部と新大阪駅・大阪駅をつなぐ無料の地域高規格道路であり、日常より混雑していた。地震の被害の大きかった府北部と大阪市中心部をつなぐ幹線道路であり、並行して走る地下鉄御堂筋線の運行が停止したということで、多くの帰宅困難者が新御堂筋に殺到した。小中学校の耐震化率「99・9%」 特に大阪府を分断する淀川にかかる新淀川大橋での混雑がひどかったようだが、大阪市中心部から府北部や阪神間に向かう帰宅困難者は淀川を渡らざるを得ないため、次の災害においても新淀川大橋に加え、十三大橋、淀川大橋、長柄橋などが災害時の帰宅のボトルネックとなる可能性が高い。橋の両端での流出入者の制御、滞留場所の確保などの対策が必要である。 また、来阪外国人観光客は増加の一途をたどり、2017年には1111万人(大阪観光局)と大台を超えている。13年が263万人であったことを考えると、わずか4年で約4倍となっている。 今回の地震は、時間帯が朝だったため観光客は宿泊施設などにいて、大きな混乱はなかったようだが、インバウンドの推進と並行して外国人観光客の災害対策を推進していかなければ、地震に慣れていない外国人が安心して観光を楽しむことができない。 一方、モノの課題といえば尊い命を奪ったブロック塀の倒壊である。子供たちが過ごす学校施設の耐震化は順調に進んでいて、大阪府の公立小中学校の耐震化率は99・7%(2017年4月・文部科学省)に達し、さらに東日本大震災以降、体育館の吊り天井などの落下防止対策も進められ、大阪府の公立小中学校の対策率は78・6%(17年4月・文科省)に達している。 しかしながら、主要構造部が耐震化されても学校施設全体の老朽化は進んでおり、東京都や大阪府の大都市圏は築30年以上の公立小中学校が面積換算で約7割(11年5月・文科省)に達し、全国平均の57・5%を上回る。 筆者も防災教育などの際に小中高校を訪れるが、老朽化した校舎に驚くことがある。法令違反は言語道断であるが、あらゆるモノは時間の経過とともに劣化するのが常であり、管理者・使用者は適切に維持管理をすべきである。地震のため校庭に避難した、大阪府池田市立池田小学校の児童ら=2018年6月18日 地震時でなくても校舎外壁の落下や手すりの損壊などの事故が発生し、ブロック塀を含む学校施設の附属物の安全対策はまだまだ不十分であり、ブロック塀に限らず早急な点検と補修が必要である。 また、ブロック塀は大阪の住宅街では至る所に存在し、大阪が全国一の面積となる「地震時等に著しく危険な密集市街地(国土交通省)」の中の細街路でも多く見られる。道路両側の塀の高さが道路幅を上回るような道路を通行中に地震が発生すると、まさに「逃げ場がない」といった状況になることが容易に想像できる。 そして、建物や塀の下敷きになった時、より大きな被害を受けるのは体重の軽い子供と高齢者というのが過去の災害でも明らかになっている。 一般的な建築用空洞コンクリートブロックは1個あたり10キロ前後で大阪府高槻市の寿栄小学校では、8段分の壁が倒れたということなので、ブロック1個分の幅(約40センチ)でも約80キロになる。 ブロック内部に充填されたモルタルを含めると、さらに重量は増え、今回倒壊した壁の幅は約40メートルなので総重量は8トン近くになる。また、本棚の下敷きとなって亡くなった方もいたが、本棚も相当重い。危険はブロック以外にも 筆者らが過去に行った実験でも、幅1・2メートル、高さ1・8メートルの本棚に本をいっぱいに詰め込むと総重量は180キロになった。このような本棚の下敷きになると甚大な被害が生じる。 では、対策を考えたい。補強や固定は基本だが、すぐにでもできる対策もある。子供に関しては通学路沿いの塀を点検し、遠回りになっても安全な広い道を選ぶことや、大人同伴での通学が推奨される。 高齢者に関しては、日常的な散歩道や通院経路の点検なども必要だが、早朝などの散歩中に地震が発生した際に周囲に目撃者がいないと発見が遅れる可能性もある。阪神・淡路大震災では倒壊家屋の下敷きとなった場合は家族や近隣住民が所在を把握していると、比較的早めに救助を要請できたが、倒れた塀の下敷きとなり、その塀の上に瓦礫などが重なって、著しく発見が遅れた例もあった。 人気のない時間帯や街路はできるだけ避け、いざという時も速やかな救助に繋がるような心がけが必要である。 ただ、ブロック塀以外にも注意が必要な物は多い。01年の芸予地震では、住宅の外壁とベランダの下敷きになり、それぞれ死者が発生している。07年の能登半島地震では石灯籠の下敷きになり死者が発生している。住宅の耐震化や家具固定への関心は高いが、附属物・工作物も時には命を奪うということを改めて認識する必要がある。 ちなみに府民の「ブロック塀を点検し、倒壊を防止している」の実施率は3・8%(09年8月・大阪府)と低く、ブロック塀の倒壊リスクの認知と対策の実施が課題だ。また、敷地内外の見通しがきかないブロック塀は防犯上の観点からも見直す余地はある。校門前の献花台で手を合わせる浜田剛史・高槻市長=2018年6月21日、大阪府高槻市の市立寿栄小学校 今回の地震は、大阪では観測史上初の震度6弱を記録した。尊い命が奪われ、多くの住民が傷を負い、都市型災害の防災上の課題が露呈した。地震発生から時間が経っておらず、これから明らかになる課題もあると思うが、災害経験が少ないとされる府民の防災意識の低さも課題である。 23年前の阪神・淡路大震災を記憶している府民も多いはずだが、「家具転倒の防止」実施率は15・2%(17年7月・大阪府)で、全国平均の40・6%(17年9月・内閣府)を大きく下回っている。 ちなみに東京都は57・6%(17年3月・東京都)だ。その他の防災対策の実施率も大阪は、全国平均を下回っているものが多い。発生が懸念される上町断層帯地震あるいは南海トラフ巨大地震による被害を低減するために、高密度にヒトとモノが集積する都市空間の災害リスクを府民が認識し、対策を始めることが望まれる。

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    東京の空からは「震度5」だって危険が降ってくる

    」は約4割にとどまり、いまだ約6割の世帯で備えが不十分です。 今回の大阪の被害は、過去のよく知られた災害の教訓に対して、われわれの取り組みがいまだ不十分であることを教えてくれます。大阪北部地震の教訓は、過去の災害の教訓を自分たちの備えとしきれていなかったことだといえるのではないでしょうか。 ライフラインの被害が広域にわたりました。地震直後には約17万件で停電しましたが、3時間弱経過した午前10時40分ごろには復旧しました。 断水も、吹田市や高槻市、箕面市など幅広い地域で発生しました。メディアでも多数の水道管被害の様子を目にしました。20日には、ほぼ解消されたと報じられています。また、約11万戸で都市ガスの供給が停止され、発生から1週間後の25日に完全復旧しました。 こうして、非常に迅速に復旧作業が進められていますが、さらに大きな揺れが来ていたら、電気、水道、ガスが長期間使えない可能性もありました。ライフラインの被害が長期化すれば、避難者数が膨大になり、避難所環境が悪化したり、不足したりすることも想定されます。 建物被害がなかったり、軽微であれば、在宅避難や、マンションではそれぞれの集会施設に避難するなど、自力避難への備えも必要と考えられます。物資備蓄の量や方法など十分か、あらためて見直してみることも必要でしょう。地震による公共交通機関の運転見合わせなどで、淀川に架かる新淀川大橋を歩いて渡る大勢の人たち=2018年6月18日午後、大阪市 建物被害については、最大震度が6弱ということで、発生直後は多数の建物被害をイメージしました。まだ増える可能性がありますが、6月25日午前時点で、全壊3棟、半壊13棟、一部損壊が約7000棟程度と、全半壊被害は熊本地震や阪神・淡路大震災に比べて小規模なようです。震度6弱でもここまで違う 震度6弱とは、計測震度5・5から5・9を指します。東京都の地震被害想定を見ますと、計測震度5・5の場合の「揺れによる建物全半壊率」は、木造で0%(建築年2002年以降)から4・3%(同1972〜80年)、非木造で0・3%(同1981年以降)〜1・8%(1972〜80年)程度と非常に低いです。南海トラフ巨大地震等による東京の被害想定(平成25年)より 同じ震度6弱でも、建物がほとんど壊れない程度の計測震度5・5から、相当数の建物被害が予想される計測震度5・9まで、かなり幅があることが分かります。6月18日の地震は、弱い「震度6弱」の揺れであったものと考えられます。 一連の報道の中に、阪急茨木市駅の電光掲示板が傾いた様子を見ました。もしこれが多数の通勤客であふれた中に落ちてきたらと思うと、恐ろしい思いがしました。駅構内の天井に多くつり下げられた看板類に限らず、さまざまな都市特有の構築物が地震により破損して、多量の死傷者の発生に結びつくリスクが心配されます。 東日本大震災の時、震度5程度であった東京でも、天井落下や駐車場崩落などさまざまな都市的構築物の破損があり、死傷者が多数出ました。その後、都内で防災ワークショップをした際に、地域の非営利団体(NPO)で活動されている人から、東日本大震災時に近隣の飲食店で、ご自身は揺れてすぐに机の下に身を隠したが、直後にその机の上に天井から業務用エアコンが落下してきて、九死に一生を得た経験を伺いました。 筆者は、ワークショップでの議論をきっかけに、学生と付近を歩いて、落下危険物を調べて、地図化したことがあります。繁華街には、広告物や無数に張り巡らされた電柱と電線、中高層ビルのガラス、老朽建物の室外機、老朽化が著しい柵、自動販売機、デパートのショーケースや天井飾りがあります。筆者が学生と実施した「落下物危険調査」 目線を上にあげれば、いざというときに落ちてきそうな物がたくさんあるのです。普段何気なく歩いている街でも、「防災目線」で歩いてみると、無数の危険物に囲まれていることに気がつくわけです。 ブロック塀の点検にとどまらず、さまざまな都市的構築物の危険を想像して、その瞬間に身を守ることも、重要な都市防災対策でしょう。地震で電車が長時間ストップすると、徒歩で帰宅したり、受け入れ施設や帰宅困難支援ステーションなどを探す可能性が高くなります。 その際、余震あるいは本震に襲われるリスクがあり、建物倒壊や火災、都市的構築物の落下、膨大な歩行者に取り囲まれてドミノ倒しのように潰されてしまうことなど、無数の危険に取り囲まれていることを忘れてはいけません。いざその瞬間、自分の身は自分で守るしかないのです。

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    マンション管理のプロが語る在宅防災の明暗ライン

    どの備蓄グッズを完備した防災倉庫や、オプションで据え付け可能な家庭用備蓄庫「A.N. D BOX」、災害積立金制度までついた防災型マンションが好評だという。 消防署の協力を得て、あなぶきハウジングサービス主催の防災訓練も定期的に行われている。防災を熟知するPMアカデミー館長で、防災士の資格も有する藤原剛志さんはこう語る。「マンションは鉄筋をコンクリートで覆った堅牢な建築物のため、大地震でも比較的被害を受けにくいと考えられています。しかし、2011年の東日本大震災において、仙台市内の約1400棟の分譲マンションはいずれも倒壊には至らなかったものの、100棟以上が全壊の罹災判定を受けるなど、建物や付帯設備に大きな被害が発生しました。 梁がどんなに頑丈でも、耐震補強されていない壁や床は崩れます。排水管やガス管、貯水槽などが老朽して破損したら、ライフラインが復旧しても生活は成り立ちません。災害が起きる前に、住民みんなで自分のマンションの現状を把握する機会を持ち、必要ならば修繕も考慮する。そして防災、あるいは“減災”の訓練をしておかれること。また、個人とマンションの管理組合両方で防災用備蓄を整備する…。そんな自主防災のサポートを全力でさせていただくのが、私ども管理会社の使命と思っております」※画像はイメージです(iStock) 自分が住むマンションの警報器がどこにあり、どう止めるか、あるいは防火扉の破り方を知っているだろうか? 貯水槽や排水管の内部を見たことがあるだろうか?「あなぶきPMアカデミー」は、マンション管理員のための職業訓練カリキュラムを行う研修施設。受講者は、マンションの構造から防災のノウハウ、共用スペースの清掃のテクニックまで、管理員に必要な知識を1泊2日で学ぶ。 あなぶき興産のマンション管理員は言わずもがなだが、研修生の約4割は他のマンションブランドからの派遣。また、あなぶきが“減災イベント”と呼ぶ災害時に備えた体験イベントは、マンション住民で組織する管理組合のかたがたと一緒に行う。海外の専門家の視察・研修も頻繁に行われる。実際に消火器を使ったり、防火扉を足で蹴り破ってみたりと、防災を直に体験できることも魅力だ。「防災マンションや高齢者用住宅の展示もあるため、見学後、マンションのリフォームに踏み切る管理組合さんも結構いらっしゃいます」(藤原さん)。 コールセンターの設備を確認するにいたって、初めて管理会社本来の役割を認識したと、驚く人も多いという。関連記事■ マンション管理組合の闇 理事長の横領や癒着が表に出ない訳■ マンション管理規約改正 資産価値高い部屋の発言権が増す■ マンション管理規約改正で住民総会が中国語で行われる可能性■ 西日本最大のマンション管理会社 熊本地震で1か月復旧活動■ 60才元凄腕営業女性、マンション管理人に再就職し充実

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    防災教育を担う「地学」を空洞化させた文科省と教育委員会の責任

    災週間」と定め、各地で、防災訓練などが行われる。 これを主導する内閣府も、自治体の防災担当も、悲惨な災害の報道を繰り返さざるを得なかったマスメディアも、何十年にもわたり、防災に向けた広報活動等を精一杯行ってきたように見える。しかし、いまだに、国民の多くが、津波からの避難の判断が適切に行えず、土砂災害が起こる可能性が高いところに宅地が造成されているのはなぜか。 その原因は、緊急時や日常の備え等のマニュアルの普及を繰り返すだけで、本質的な防災教育を担うはずの地学教育が空洞化しているために、基本的な知識や素養が日本の国民全体にかけてしまっているからではないか。 後述するように、日本では、ほとんどの国民全てが高校に進学するが、理科の中で、あらゆる自然災害や防災について学ぶことができる「地学」の授業を受けた者は、役所の職員にも、学校の理科の教員にも、非常に少なくなっている。子供を育てる親の多くも「地学」を学んでおらず、そして、今の高校生たちも同じだ。 いくら、マニュアルの普及を繰り返しても、本質的な防災教育はできない。まず、高等学校の理科の教育の中で、私たちが暮らしているこの日本で起こった、数々の自然災害の歴史と教訓を、風化させずにきちんと教育で伝え、そして、科学的に自然災害が起こるメカニズムを理解するなど、国民の知識の底上げに努める必要がある。 そしてさらに、マニュアルに書かれていることの理解はもちろんのこと、あらゆる個々の災害に直面しかねない場面において、自ら、最善の防災対策を適宜、判断できるほどにまで、国民の防災に関するリテラシーを高めていかなければいけない。それが、公教育を施している文部科学省と教育委員会の責任ではないか。 しかし、日本の地学教育は、深刻なほどに空洞化してしまっている。仙台市「市民防災の日」の総合防災訓練でシェイクアウト(身体保護)訓練に参加する児童=2018年6月12日、仙台市(高梨美穂子撮影) 理科教育は、誰もが知るように、「物理」「化学」「生物」「地学」の4つに分類されている。この内、「地学」は、地震、火山、気象、宇宙、という、まさに私たちを取り巻く自然環境を理解するための科目だ。 教科書では、地震、火山、台風等に伴う様々な自然災害の猛威や歴史、そして、それらが引き起こされるメカニズム等が本編で記載されているだけでなく、防災そのものをテーマにした章も設けられている。大津波も、豪雨の後の土石流も、何度も繰り返されており、必ず繰り返されるということを実感し、どうすれば少しでも被害を減らすことができるかを科学的に学ぶのが地学だ。入試ミスにもつながった「地学不在」 しかし、「地学」の空洞化は、今の高校三年生、つまり今度の大学入試から適用される、新しい学習指導要領(新カリキュラム)の出足から表面化した。 新カリでは、文系用の基礎的な内容を扱う科目として「物理基礎」「化学基礎」「生物基礎」「地学基礎」の4種類、理系用として「物理」「化学」「生物」「地学」の4種類の合計8種類の教科書が各出版社から発行される予定だった。しかし、新カリが適用される生徒が高校二年生になる平成25年時点でも、「地学」の教科書だけが、どの出版社からも発行されなかったのである。学校からのニーズがほとんどないことがわかっているために、出版社にとっては、収益が見込めないからだろう。 その結果、文部科学省は、急遽、「地学だけは、新カリキュラムの授業を行う際に、旧カリキュラムの教科書を使用することもやむなしとする。文科省で旧カリと新カリの対応表を追って作成する」という旨の通知を全国の教育委員会に出さざるを得ないような事態となったのである。 今年からはようやく二社が「地学」の教科書を出版したが、高校では、理系の大学等に進学する生徒たちは、「物理」「化学」「生物」の三科目から二科目を選択するのが当然にようになって久しい。つまり、理系の生徒は「地学」を学ばないのである。このことは、結果として、日本中の小中高の理科の先生の多くが、「地学」を学んでいない、だから、「地学」を教えられない、だから次の世代も地学を学ぶことができない、連鎖になってしまっている。これが、地学教育を空洞化させた負のスパイラルだ。 先日、ある防災に関する講演会で、この分野で著名な大学教授が、「日本では防災を教える科目がないから、マニュアル教育が必要だ」という旨の話をするのを聞き、愕然とした。彼もまた、「地学」を学ばず、「地学」の教科書を開く機会がなかったのだろう。空洞化のために、存在そのものが見えなくなっているかのようだ。 今年の2月24日に実施された都立高入試の理科の問題で出題ミスがあり、東京都教育委員会は、当該問題の配点5点を全員に加点する処置をとった。このことが大きく報道された理由は、単に出題ミスがあって加点されたからではなく、その対応が遅れ、合格発表の前日になってから、加点の処置が施されたという混乱ぶりによるものだ。 通常、こういった出題ミスがあった場合は、入試のテスト終了すぐに、各校で採点を始める頃には、学校現場から指摘がなされ、速やかに教育委員会が対応し、指示を出して、それに基づいた採点作業が進められる。そうすれば、合格判定に向けた作業に、あまり大きな混乱が起こらないで済む。過去2年間で2千件を超える採点ミスが発覚し、謝罪する都教育委員会幹部ら=2014年6月3日、東京都(福田涼太郎 撮影) しかし、今回は、当初、都教委は多くの指摘を受けても「出題ミスではない」として対応をせず、ほぼ全ての高校で採点作業や点検作業や合否判定が終わった後の、合格発表の準備をしている頃である発表前日になって、採点のやり直しが指示されたのである。その問いに関しては、正解不正解関係なく、全員に5点加点だったために、正解とされていた生徒はそのままだが、不正解とされていた生徒に5点を加点する作業となる。 5点も増える生徒が多く出れば、ボーダーライン上の合否判定はおそらく何人も入れ替わり、現場はたいへんだっただろう。ただでさえ、入試業務はミスが起こりやすいのに、判断が遅れ、このような対応となってしまったのはなぜか。文系生徒も「一般教養」が学べない 出題ミスの内容は、秋分の日の地球、月、太陽の位置関係や道筋について質問した大問3の中の問3で、問題文の中に「秋分の日の」と限定条件を記載すべきところをしなかった、というものである。 入試当日の終了直後から、この問題はネット上などでも話題になっていて、筆者も知人から相談を受けて、問題を解いた。工夫された良問だと思うが、問3に関しては、問題文で「秋分の日の」という限定をし忘れているために、解答は、4つの選択肢から2つにまでしか絞り込むことができないものだった。 (この問題文と出題ミスの内容については、東京都教育委員会のトップページから、「報道発表資料」→「平成26年報道発表資料」→「平成26年度東京都立高等学校入学者選抜学力検査(理科)の学力検査問題の誤り及び採点上の対応について(2月27日)」とリンクを辿ったところに今も掲載されている) しかし、多くの指摘を受けても、都教委が一向に出題ミスを認めない、ということがネット上で伝えられ、筆者も、出題ミスに気付いた者の責任として、合格発表の2日前から、都教委にはたらきかけをした一人だ。 混乱の背景には、「地球、月、太陽の位置関係」という地学の基本的な知識を本質的に理解している者が、都教委にほとんどいなかったのではないかと考えられる。中学生向けの都立高校の入試問題であり、地学を学んでいれば決して難しい問題ではない。しかし、地学を学んでいなければ、学識ある大人であるはずの都教委の関係者でさえも、この問題を理解するための前提の知識がなく、そもそも出題ミスの指摘の意味がわからなかったのではないか。 そもそも、地学を専門とする理科の教員は少ない。そのために、出題をする側も限られた人材で行っている可能性があり、現場の地学を専門をする教員全員が指摘をしたとしても、都教委としては指摘数が他の科目の場合より少なく感じてしまうこともあるかもしれない。 また、中学の理科の教員によるネット上の当初の声には、「出題ミスではないか」という指摘よりも、「この問題の答が、なぜそうなるのかを生徒にどう説明していいか分からない」という類のものが多く、中学の理科の教員であっても、地学を学んだ経験のない者には、地球、月、太陽、の基本的な位置関係の理解が非常に難しく感じられていることも想像できた事例だった。 理科は、新カリキュラム対応で初めての実施となる今年度(平成27年1月)の大学入試センター試験から、科目選択においても大きな変更がなされている。最も大きな変更は、これまで文系の生徒は、理科は1科目選択するだけでよかったが、基本的に、「基礎」の付いた科目を2科目選ぶ形になったことだ。このことで、これまで、文系の生徒は「生物」1科目だけを選択してセンター試験を受験をしていた生徒が多かったが、これからは、「生物基礎」と「地学基礎」の2科目を選択する生徒が増え、文系の生徒にとっても一般教養として欠かせない「地学」教育の普及につながるのではないか、と期待された。避難用リュックの重さを体験する児童。防災への心構えを学んだ=2018年5月23日、豊岡市中央町(河合洋成撮影) しかし、例えば、東京都の都立高校のホームページをいくつか見てみると、そこに掲載されているそれぞれの高校の教育課程表には、「地学」はもちろん、「地学基礎」さえ全く記載がない学校が少なくない。つまり、理系の生徒も文系の生徒も、「地学」も「地学基礎」も必修になっていないだけでなく、選択科目の中にも入っておらず、地学分野を全く学ぶことができないのである。このような高校では、文系の生徒も、センター試験では、理系の生徒が「地学」以外の3科目から2科目を選択するのと同じように、「地学基礎」以外の3科目から2科目を選択するように強いているのである。地学教育を受ける権利を保障せよ このように、関東大震災を経験し、豪雨や積雪にも弱いとされている大都市の東京都立高校でさえ、地学は空洞化に向かっているのだ。 東京都だけではない。筆者の暮らす京都府南部の府立高校のホームページをいくつか見ても、全く地学も地学基礎を学ぶことができない(選択科目としても設定されていない)ところが多い。京都府南部は、日本で初めて「集中豪雨」という言葉が使われるような災害を起こした地域だが、そのような地域の住民が、さらに地学を学んだことがない者ばかりになりつつあるのである。 教員免許の種類は、「中学理科」「高校理科」しかなく、物理・化学・生物・地学に分かれているわけではない。つまり、理科の教員は全員が物・化・生・地の全てが教えられる、ということが建前だ。しかし、現実には、各高校には、地学を学んだことがない、したがって地学教えるのが苦手だ、という教員ばかりのところがあり、そのような学校では、地学を選択することさえできない教育課程表(カリキュラム表)が作られているのだと考えられる。 世界全体のマグニチュード6以上の地震の内、20%以上が日本で発生している。日本の国土面積は世界の0.25%しかないのに、世界全体の活火山の7.1%が日本にある。台風も竜巻も、津波も高潮も洪水も、豪雨も土砂災害も、落雷もヒョウも、日本では繰り返されており、今後も必ず繰り返される。だから、防災は不可能で、減災という言葉に置き換えられている。 だから、日本は、高校で地学を学ぶ率が世界一であるべきだし、地学教育の普及で世界の見本になるくらいの気概を持つべきだ。 「大津波が押し寄せる地域の学校の教員の中に、地学を学んだ者がもう少しいれば…」「もし、地域の住民や、家族の中に地学を学んだ人がいたとすれば…」せめて命だけは守れたのではないか、こんなに多くの人命を失わずに済んだのではないか、と考えられる事例は今も多い。それぞれの災害に直面する場面で、もう少し、よりよい判断と行動ができていた可能性は高いのである。追悼行事「1・17のつどい」で分灯された竹灯籠前で黙禱する参加者ら=2018年1月17日午後5時46分、兵庫県神戸市(竹川禎一郎撮影) あの阪神大震災からもうすぐ20年になる。 日本の未来のためには、防災教育を、内閣府や地方自治体の防災担当課に任せるだけではなく、文部科学省や教育委員会が、空洞化した地学教育に中身を入れていくことが、欠かせない。 まずは、全ての高等学校のカリキュラム表を調査し、全く地学分野を学ぶことができない学校には、せめて「地学基礎」が選択できるようにすることを急ぐべきではないか。そのための体制の整備が、教育行政の責務だと考える。かつむら・ひさし 高等学校地学教諭、元厚生労働省医療安全対策検討WG委員。1961年生まれ。京都教育大学理学科卒業。高等学校地学教諭。1990年、陣痛促進剤による被害で長女を失い、医療事故や薬害などの市民運動に取り組む。厚生労働省の中央社会保険医療協議会や日本医療機能評価機構の産科医療補償制度再発防止委員会などの委員を歴任。2015年8月より群馬大学附属病院で腹腔鏡等で死亡事故が相次いだ事件の医療事故調査委員に就任。著書に『ぼくの星の王子さまへ』(幻冬舎文庫)、共著書に『どうなる!どうする?医療事故調査制度』(さいろ社)など。

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    全国で地震頻発 首都直下地震を誘発する可能性は?

     6月18日の朝7時58分、大阪北部を震源として直下型地震が発生した。マグニチュード6.1、最大震度6弱の揺れに、5人の死者が出た。今回、不気味なのは大阪地震の前から、全国で地震が頻発していることだ。6月に入ってから、千葉県の房総半島沖で「スロースリップ」によるM4クラスの地震が、大阪地震の2日前まで断続的に続いた。「スロースリップとは地下のプレートの境界がゆっくりとずれ動く現象で、それによって地震活動を引き起こし、過去には震度5弱の揺れを伴うものもありました。ゆっくり滑っている場所の横に大きな『固着域』があると、そこがバチンと割れるように大きな地震を誘発する可能性があります」(元気象庁精密地震観測室室長の岡田正実さん) さらに、大阪地震の前日17日には群馬県で震度5弱の地震が発生。県内の4市にまたがる「大久保断層」によるものと見られている。立命館大学歴史都市防災研究所・環太平洋文明研究センター教授の高橋学さんはこう指摘する。「大阪地震は『フィリピン海プレート』の圧力が強まることによってユーラシアプレートの内部の断層が動いて起きたと考えられます。実は、そのフィリピン海プレートの東端に当たるのが千葉です。群馬の地震も、同じようにフィリピン海プレートの圧力で発生したと見られます。もう少し広い範囲でフィリピン海プレートを見ると、南の方で沖縄や台湾、フィリピンでも最近、地震が増えているんです。2016年に地震が起きた熊本や原発のある鹿児島、愛媛を含む地域は、日本最大の断層に沿ってフィリピン海プレートの影響を受ける場所で、一斉に地震が起きている印象があります」 日本の関東地方の地下は、とくにプレートが何枚も重なり合う場所なので、さまざまな要因で「首都直下地震」が起こるとされるが、その中でも特に大規模な揺れを起こすとされるのが「相模トラフ」だ。相模トラフとは、フィリピン海プレートと大陸プレートがぶつかり合う境界面を指す。つまり、千葉、群馬、大阪と繋がるフィリピン海プレートの活発化が、近々、首都直下地震を誘発する可能性があるということだ。 さらに甚大な被害を起こすと懸念されているのが「南海トラフ」だ。政府の中央防災会議の試算によれば、死者数は最大で32万3000人という想像を絶する被害が想定される。この南海トラフも同様に、フィリピン海プレートが大陸プレートに圧力をかけることで起こる。2018年6月18日午前、地震の影響で傾いた阪急茨木市駅の掲示板「2016年の熊本地震では、まず日奈久断層帯を震源とするM6.5の地震が起こり、その2日後に隣接する布田川断層帯を震源とするM7.3の“本震”が発生しました。その後、阿蘇地方や大分県にも飛び火するように震源域が広がり、地震が連鎖的に続いた。この地域は関東地方まで続く中央構造体という大きな断層の一部で、1つの断層の動きが各地に地震を引き起こした可能性はあります」(前出・高橋さん) 今回の大阪地震では「有馬—高槻断層帯」が震源になったが、大阪市中心部の真上を通る「上町断層帯」の方が、発生確率はそもそも高かったので、大阪都心部もさらなる警戒が必要だ。 いつ、どこで起きるかわからない大地震。「万が一」ではなく、「明日来る」覚悟で備えておくべきだ。関連記事■ 大阪地震 ほぼノーマークだった「有馬—高槻断層帯」で発生■ 「日本で一番危険な活断層」と専門家が口揃える大阪・上町断層■ 在京テレビ局 大阪北部地震報道に温度差がある?■ 相模川でアユが大量発生 地元住民が気味悪がる言い伝え存在■ 地震発生源の活断層 未知なる活断層は6000あると推察される

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    大阪直下地震で思い出す「増税なくして復興なし」のペテン

    るにもかかわらず、経済対策の側面では、地震に全く弱い国だと言わざるを得ない。しかも弱いだけではなく、災害につけ込んで、官僚や政治家が「私的な利益」をむさぼろうとする国でもある。 東日本大震災のとき、筆者は経済評論家の上念司氏と共著で『震災恐慌』(宝島社)を出版した。この本は後に、嘉悦大の高橋洋一教授の補論を備えて、さらに内容を強化して『「復興増税」亡国論』(宝島社新書)として刊行した。 題名からも趣旨は明瞭だが、東日本大震災からの復興を名目にして行われようとしていた「復興増税」を中心とした、政府と日本銀行の緊縮政策を批判する内容であった。当時、われわれは国会議員などとも協力し、増税反対の国民運動を展開したが、残念ながら「復興増税」は復興特別税として実施されてしまった。2011年11月、東日本大震災に関する復興増税や消費増税を食い止めようと、約1500人が「増税NO」のシュプレヒコールをあげながらデモ行進した(緑川真実撮影) この税は現在も所得税、地方税を対象に継続中だ。所得税は2037年まで、地方税も2023年まで上乗せされており、長期間の負担が続く。 もちろん、被災地支援のためにお金が必要なのは当然である。だが、当時の民主党政権の時代は、今日とは異なり、リーマンショックと長期停滞の「合わせ技」で、極めて深刻な不況に陥っていた。そこに増税を課すのは、日本経済にダメージをさらに負わせ、もちろん被災地にも深刻で回復不能の打撃を与えると、われわれは警鐘を鳴らしたのである。 そのため、増税よりも、それこそ永久ないし超長期の復興国債を発行することによって、日本銀行がそれを事実上引き受け、積極的な復興支援を行うべきだとした。これが長期停滞への脱出と、震災復興の両方を支援できる経済政策だというのが当時のわれわれの主張であった。 だが、財務省を中心とする増税勢力にはそんな論法は通じなかった。彼らのやり口は実に巧妙であり、「復興増税」を民主党、そして当時は野党だった自民党と公明党で実現させたのである。さらに、この三党協調をもとに、おそらく当初からその狙いであった消費増税の実現にまで結び付けた。当時の日本経済からすればまさに人災に等しい「大緊縮路線」の成立である。「最悪の人災」=増税 緊縮政策が、不況もしくは不況から十分に脱出できないときに採用されれば、人命を損ねる結果になる。職を失い、社会で居場所を失った人たちなど、自殺者数の増加など負の効果は計り知れない。その意味では、天災を口実にした「最悪の人災」=増税という緊縮政策の誕生であった。ちなみに、民主党は現在、国民民主党や立憲民主党などに分裂しているが、経済政策は全く同じ発想である。 このような緊縮路線は今日も健在どころか、最近はその勢いを強めている。消費増税をはじめとする緊縮政策の一番の推進者は、言うまでもなく財務省という官僚機構である。財務官僚とそのOBたちのゆがんだエリート意識とその醜い利権欲は、いまや多くの国民が知ることだろう。 セクハラ疑惑によるトップの辞任、財務省の局をあげての文書改ざん、何十年も繰り返される「財政危機」の大うそ、社会的非難が厳しくても繰り返される高額報酬目当ての天下りなど、ブラック企業も顔負けである。このようなブラック官庁がわれわれの税金で動いているのも、また日本の悲劇である。 しかも財務官僚だけではなく、増税政治家、経団連や経済同友会などの増税経済団体、増税マスコミ、増税経済学者・エコノミストなど、緊縮政策の軍団は実に広範囲である。しかも、グロテスクな深海魚がかわいらしくみえるほどの奇怪な多様性を持っている。 例えば、反貧困や弱者救済を主張する社会運動家が、なぜかその弱者を困難に陥れる増税=緊縮路線を支持しているのも、日常的な風景である。増税したその見返りが、自分たちの考える「弱者」に率先して投入されるとでも思っているのだとしたら、考えを改めた方がいいだろう。 日銀の岩田規久男前副総裁は、メディアの最近の取材や筆者との私的な対話の中で、日本が20年も長期停滞を続けたため、非正規雇用など低所得者が増えたと指摘している。さらに、岩田氏によると、年金世代が全世帯の3割以上に増えたことで、消費増税による経済への悪影響を強めているという。 つまり、増税、特に低所得者層に強い影響が出る消費増税は、日本において最悪の税金である。「弱者救済」を唱える人たちが財務省になびくのは、まるで冗談か悪夢のようにしか思えないのである。電車のダイヤが乱れ、阪急梅田駅前の階段に座る人たち=2018年6月18日、大阪市北区(安元雄太撮影) 最近、この消費増税、緊縮政策路線が、政府の経済財政諮問会議により提起され、閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」にも強く採用され続けている。経済活動が活発化し、その結果として財政が改善していくのが、経済学で教わらなくても普通の常識であろう。 だが、財務官僚中心の発想は違う。まず財政再建ありきなのである。財政再建が目的であり、われわれの経済活動はその「奴隷」でしかない。これは言い方を変えれば、財務省の奴隷として国民とその経済活動があることを意味する。恐ろしい傲慢(ごうまん)な発想である。財務省の目論み 例えばしばしば「財政健全化」の一つの目標のようにいわれる基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化。この概念は、そもそも経済不況を根絶するために積極的な財政政策を支持した経済学者、エブセイ・ドーマーによって主張されたものである。 つまり、緊縮財政を唱える論者を否定するために持ち出した概念が、なぜか財務省的発想で緊縮財政のために利用されているのである。まさにゆがんだ官僚精神をみる思いで、あきれるばかりである。 PBは、経済が停滞から脱出し、経済成長率が安定すれば、それに見合って財政状況も改善するということを言いたいのが趣旨だ。何度もいうが、これが逆転して、増税勢力に都合のいい「財政再建」や「社会保障の拡充」という緊縮政策に悪用されてしまっている。 しかも経済学的には意味を見いだしがたいPBの黒字化目標を、2020年度から25年度にずらしたところで、緊縮病から抜け出せるわけではない。あくまで目標にするのは経済の改善であって、PB目標などどうでもいいのだ。 だが、PB先送りについて、朝日新聞の論説にかかると「骨太の方針 危機意識がなさ過ぎる」んだそうである。まずは、この朝日新聞の論説を書いた人の経済認識こそ、危機意識が足りないと思う。地震で崩れた外壁=2018年6月18日、大阪市淀川区(渡辺恭晃撮影) また、国債市場では取引が不成立なことがしばしば起こることをもって、「国債危機」的な煽り記事もある。これは、単に日本銀行が「今の積極的な金融緩和を続けるためには、もっと政府が新規の国債を発行することを求めている」、市場側のシグナルの一つでしかない。つまり経済は、緊縮よりももっと積極的な経済政策を求めている。だが、全ては「財政危機」「社会保障の拡充」という上に書いたようなゆがんだ経済認識に利用されているのが実情だ。 数年前、いや今も天災さえも利用して自らの増税=緊縮政策を貫いた財務省を核とした「ブラックな集団」が日本に存在していること、これこそが日本の「最大級の人災」である。そして対策は、このブラック企業顔負けの集団の核である、財務省の解体しかないことを、世間はより強く知るべきではないだろうか。

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    熊本地震と瓜二つ、次は上町断層帯M7・5級の「本震」に備えよ

    遠田晋次(東北大災害科学国際研究所教授) 23年前の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)で「関西に大地震は来ない」という認識はさすがに消え去ったが、いまだに関西の人々は地震に不慣れだ。 北摂山地(大阪府北部)や和歌山市周辺を除いて普段から地震が少なく、小さくて浅い地殻内地震のために、揺れる範囲が狭いからである。 筆者は2009年から3年半、京都大学に所属し、その後も先月まで居を京都市南部に構えていたが、その間に体感した地震は指折り数えるほどしかなかった。実際、今回の地震は、大阪府で1923年の観測以来初めての震度6弱であったという(23年前の兵庫県南部地震で、大阪市は最大震度4であった)。 京大時代に関西の方々と触れ合う機会が何度かあったが、活断層に関心がある方々は多かったが地震に対する危機感は低かった。3・11後も、どうやら南海トラフの巨大地震や津波に関心が行きがちで、近畿地方や中部地方の本当の危機は、活断層による直下型地震であるという認識が薄い印象を受ける。 不幸にも、揺れで倒れたブロック塀によって幼い命が失われたが、これはくしくも40年前の1978年6月12日の宮城県沖で多発した地震被害と同じであり、ブロック塀の耐震化は東日本では常識となっていたものだ。 一方で、阪神・淡路大震災をきっかけに「活断層」は少しずつ身近なものになってきた。著者も時折、NHKのバラエティー番組『ブラタモリ』を見るが、番組の2、3回に一度は「高低差」や「段差(ダンサー)」「活断層」というキーワードが登場する。京都編などでも、清水寺や天竜寺周辺の風光明媚(めいび)な地形が活断層と関係しているという紹介もあった。 実際、「凹凸」の凹にあたる京都盆地や琵琶湖、大阪平野、大阪湾、奈良盆地、凸の六甲山地、生駒山地、鈴鹿山地、金剛山地など、10〜30キロの波長で凹凸を繰り返す地形は数十万年間に及ぶ活断層の営みの賜物(たまもの)である。 大地震の時の断層の動きは数メートル程度でも、それを数千年〜数万年で繰り返して、数十メートル〜数百メートルの崖や凹凸の地形になる。逆に言えば、凹凸の境界部分に大きな活断層が分布することになる。2018年6月18日、屋根瓦が落ちた大阪府高槻市の住宅=産経新聞社ヘリから(恵守乾撮影) まだ情報が不十分であるが、現時点で今回のマグニチュード(M)6・1の地震を一言でいうと、「活断層とその周辺で起こった一回り小さな地震」と表現できる。今回の地震は、近畿地方を代表する活断層の一つである「有馬ー高槻断層帯」の東端付近で発生した。しかし、本震の震央とその後の余震(6月18日17時ごろまで)は、有馬ー高槻断層帯よりも少し南側に集中しているようにみえる。 活断層というと、地図に描かれた線だと勘違いされている一般の方が多数いらっしゃる。しかし、地下では断層は傾いていて、地表の位置と遠く離れたところに位置する。大阪直下の「断層帯」 今回も、震央は有馬-高槻断層帯と、上町断層帯ではなく生駒断層帯が交差するあたりに位置する。しかし、仮に上町断層が45度で傾いていたとすると、ちょうど震源の深さである13キロ辺りでは地表の位置から13キロ東にずれ、今回の震央と整合する。つまり、今回の地震は、有馬-高槻断層帯と上町断層帯という二つの第一級の活断層が交差する接合部で発生したとみられる。 この状況をどこかで見たことはないだろうか。そう、熊本地震の「前震」と言われる2016年4月14日のM6・5の地震に状況が似ている。この地震で益城町では震度7を観測している。 この前震は日奈久断層と布田川断層の交差する場所で発生した。その後周辺で余震が活発化し、28時間後の4月16日に「主役」の布田川断層が動き、熊本地震の本震(M7・3)が発生する。 最初のM6・5の地震を、起きるべくして起きた前兆としての「前震」と解釈する研究者もいるが、筆者は最初の地震の余震の一つがM7・3になったのだと考えている。すなわち、M6・5の地震が周辺の活断層、つまり、熊本地震では布田川断層を刺激したとみる。その意味では、今回の大阪府北部の地震の余震活動の活発度や広がり方、近傍活断層への影響評価を早急に行う必要がある。 特に注意が必要なのは、人口269万人の大阪市の直下を走る上町断層帯への影響だ。そもそも今回の地震は上町断層帯の地下深部が一部動いた可能性もある。上町断層帯は、平均的な活動の繰り返し間隔が約8千年で、最後に動いたのが9千年〜2万8千年前と推定されている。 すでに「満期」は過ぎ、「いつ動いてもおかしくない」というのが活断層研究者の大方の見方だ。30年確率にすると2〜3%と算定されている。現実的な確率値は小さいが、日本列島の活断層の中では非常に高い部類に入る。国の地震調査研究推進本部や大阪府によって推定震度や被害想定も公表されているが、被害の深刻さは実際に起こってみないとわからない。2016年4月15日、熊本地震により倒壊した家屋が塞いだ道路を歩く被災者ら=熊本県益城町(桐原正道撮影) 一方で、政府のこのような活断層地震の評価というのは、あくまでも、その活断層で起きる最大地震の確率である。上町断層帯であれば、M7・5レベルの地震となる。 しかし、最近注目されているのは、「活断層とその近傍で発生する一回り小さな地震(M6台)」だ。今回の地震もそのような地震かもしれないし、今後も同規模か少し大きな地震が有馬-高槻断層帯や上町断層帯上で発生するかもしれない。少なくともM6台の地震が2〜3%よりも高い確率で発生することは間違いない。 今回のM6・1の地震は、M7・3の熊本地震や兵庫県南部地震の60分の1のエネルギーしかないが、今回の高槻市のように、震源直上では局所的に震度6弱を超えるような強い揺れとなる。これが内陸地震の特徴でもある。 災害は揺れに見舞われる暴露人口と都市の脆弱(ぜいじゃく)性で決まるので、M6級でも状況によっては、大きな被害に直結する。特に、大阪平野は軟弱な堆積物が厚く、揺れが増幅される傾向がある。今回の地震も、淀川沿いの軟弱地盤に被害が集中しているようにもみえる。今後の地震活動の推移を注視するとともに、構造物の耐震化や家具の固定など、早急な防災・減災対策が必要である。

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    大阪直下地震は南海トラフの前兆か

    大阪府北部で震度6弱の地震を観測した。朝の通勤ラッシュを襲った地震で都市機能は混乱に陥り、各地で被害が報告された。震源は断層帯のごく近くだったが、やはり気になるのは南海トラフ巨大地震との関連である。今回の直下地震はその前触れなのか。専門家が緊急分析した。

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    大阪直下地震は次に起こる南海トラフの前兆か

    島村英紀(武蔵野学院大学特任教授) 大阪府北部で最大震度6弱を観測する地震が起きた。地震の規模を示すマグニチュード(M)は6・1で、震源の深さは13キロと浅かった。典型的な直下型地震である。 都市部を襲った地震だけに、死者を出してしまったブロック塀の倒壊や地下の水道管の破裂など、都会を襲う地震の被害がここでも繰り返されている。 ところで、日本の都市部の中でも、近畿地方は例外的に活断層がよく見えている地域だ。それに比べて、首都圏では厚い堆積物に覆われていて、地下の岩の割れ目である活断層はほとんど見えない。しかし、どちらの地方でも同じような直下型地震は起きるのである。 1855年に起こった安政江戸地震は、1995年の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)以上の、日本で最大の被害を生んだ直下型地震であった。1万人以上が犠牲となったこの地震はM7クラスとい言われ、震源は隅田川の河口付近だと思われている。だが、ここには厚い河川堆積物があって、活断層が見えない。 三大都市の一つ、名古屋を形作った濃尾平野など、日本の都会のほとんどは厚くて平らな堆積物の上に展開されている。それゆえ活断層は見えない。 活断層の定義は「地震を起こす地震断層が浅くて地表に見えているもの」である。だから、日本の都会のほとんどの地下には活断層が「ない」ことになる。しかし、実際は活断層が引き起こすのと同じような直下型地震が起きている。つまり、活断層が見えないだけで「ない」わけではないのである。 今回の大阪北部地震は、大阪平野の北縁にある「有馬-高槻断層帯」の東端に近く、大阪の東部を南北に走る「生駒断層」の北方の延長上にある。つまり、二つの活断層の交点で起きたものだ。 大阪市の中心部には「上町断層」が南北にあり、生駒断層と並行して走っている。この活断層が地震を起こせば、阪神・淡路大震災並みの被害を生むのではないかと、かねてより恐れられている。大阪北部で起きた最大震度6弱の地震で冠水した道路=2018年6月18日、大阪府高槻市(沢野貴信撮影) だが、今回の地震は上町断層ではないところで起きた。上町断層が「近畿地方の次の地震」を起こす断層ではなかったことになる。一つの活断層が大地震を起こすのは、長ければ数万年に一度なので、注目されている活断層が、注視されている間に地震を起こすわけではないのである。 さらに今回の地震に関連して、怖いことがある。それは、近い将来発生が恐れられている南海トラフ巨大地震の前の「先駆け」として、西日本に直下型地震がいくつか起きることが経験的に知られていることだ。つまり、今回の地震も「先駆け」の一つかもしれないのである。南海トラフの前に起こる「直下型」 南海トラフ巨大地震の「先祖」は、これまで13回発生したことが知られている。だが、地震の規模は1回ごとに異なる。 一番最近に起きた1944年の東南海地震と1946年の南海地震は、二つ合わせても、「先祖」の中で小ぶりのものだった。「一番近い先祖」が小ぶりだったことは、すなわちこの次に起きる南海トラフ巨大地震の規模がそれよりも大きい可能性が高いということでもある。 実際、2回前の先祖である1707年に起きた宝永地震は、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)並みの巨大地震だったことが分かっている。 その1944年から1946年にかけて発生した「一番近い先祖」の前に、1925年の北但馬地震、1927年の北丹後地震、そして、1943年には鳥取地震が起きていたのである。それぞれ直下型地震で、400~3000人もの死者を出していた。そのあとに、東南海地震と南海地震が襲ってきたのである。 では、巨大な海溝型地震である南海トラフ巨大地震の前に、なぜ西日本で直下型地震が多く起きるだろうか。実は、地震学的には解明されていない。ただ、経験的に今まで起きてきた以上、無視するわけにはいかない。 今回の大阪北部の地震に限らず、近年、西日本では直下型地震がいくつか起きている。2013年4月には淡路島でM6・3の直下型地震が起き、住宅の一部損壊が2000棟以上にのぼったほか、液状化により施設が壊れたり、水道管破損による断水が起きた。 また、2015年2月には徳島県南部でM5・0の直下型地震が起きた。この地域は近年、地震が少ないところだけに余計注目を集める結果となった。昭和南海地震で浸水した高知の市街地。震災の歴史は繰り返すのか=1946年撮影(高知市提供) 淡路島の地震と徳島の地震は幸いマグニチュードが小さかったので被害も少なかったが、もっと大きな地震が起きていたら、より甚大な被害をもたらしたに違いない。 もし、数年あるいは十数年以内に南海トラフ巨大地震が起きれば、阪神・淡路大震災も、南海トラフ巨大地震の「先駆け」の直下型地震として数えられるかもしれない。 阪神・淡路大震災の半年後に起こり、同じM7・3だった鳥取県西部地震も、同じように数えられるに違いない。それほど、南海トラフ地震が放出するエネルギーは巨大なものであることを忘れてはならない。

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    死者47万人「スーパー南海地震」の条件はいよいよ整った

    高橋学(立命館大学環太平洋文明研究センター教授) 6月18日午前7時58分、大阪と兵庫両府県の断層である「有馬・高槻構造線」と「生駒西麓断層」が交わる深さ10キロを震源としたM(マグニチュード)6・1の地震が発生した。 規模からみると、日本列島でM6クラスの地震は5年に6回程度発生しており、さほどめずらしいものではない。今回の約33倍のエネルギーが放出されるM7クラスの地震でも、5年に3回は発生している。 今回の地震が注目されたのは、大阪という非常に地盤の軟弱な地域で起きたことである。大阪は大阪城の位置する「上町段丘」だけが東京の山手にあたる比較的地盤の良いところであり、大阪中心部を南北に走る地下鉄御堂筋線や新大阪駅、梅田駅周辺などは、東京の下町や銀座、有楽町と同様に極めて地盤が悪い。 そういった地点に主要な鉄道駅があるのが現状だ。これは、東京駅、上野駅、品川駅などと同様に、鉄道駅は街はずれの地盤の悪いところにつくられたという過去からの経緯がある。そのため、新幹線や多くの鉄道がストップし、交通障害が発生したのである。 また、先週から、千葉沖で「スロースリップ」と呼ばれる、非常にゆっくり動く地震が観測されていたことで、国民が地震に過敏になっていたことも一因になったようだ。 スロースリップは、2011年の東北地方・太平洋沖地震(東日本大震災)を機に、東北地方から関東地方の太平洋沿岸に非常に精密な観測機器が設置され、人工衛星による測量の進歩で1日にミリ単位の変化をとらえられるようになっている。 そして、スロースリップが発生すると、小規模、中規模の地震が発生しやすいことが分かってきている。ただし、これが大地震、巨大地震とつながるかは、まだ判明していない。観測できる場所も限られており、観測期間も極めて短いのである。しかし、気象庁などの発表が首都直下型地震を連想させた。地震で水道管が破裂し陥没した道路=2018年6月18日、大阪府高槻市 しかも、6月17日午後3時15分に群馬県南部で、深さ約10キロを震源とする地震が発生し、関東地方が揺れた。地震規模はM4・6と小さかったが、約7400年前の縄文時代に海が侵入し、非常に軟弱な粘土が堆積した地域だったため、震度5弱を記録した。 日本の現在の一般的な建造物は、手抜き工事、老朽化、建築構造の悪さ、地盤の悪さなどがなければ、震度5弱の地震では、ほとんど被害は発生しない。それにもかかわらず、スロースリップというこれまで聞きなれない言葉が報道されたこともあり、国民の心理的な不安が増幅した。 筆者は、これまで別個に語られてきた内陸直下型地震、火山噴火、プレート型地震は、基本的に同じであると考えている。すなわち、太平洋プレートやフィリピン海プレートの移動が、北米プレートやユーラシアプレートを圧迫し、それらが割れたり、古傷の断層が動いたりするのが内陸直下型地震である。 また、北米プレートやユーラシアプレートのマグマ溜まりが圧縮され、マグマが外に飛び出すのが火山噴火である。さらに、太平洋プレートやユーラシアプレートの動きで引きずりこまれている北米プレートやユーラシアプレートが跳ね上がるのがプレート型地震だ。 このように地震の原因は、すべてプレートの移動に起因しているのである。なお、太平洋プレートは、フィリピン海プレートの下にも潜り込んでおり、そのために、伊豆・小笠原諸島、マリアナ、グアム、パラオなどで火山活動が起きる。目前に迫るスーパー南海地震 西之島新島や海底火山の明神礁、ベヨネーズ礁などは、その例である。首都圏は、一番下に太平洋プレートが、その上にフィリピン海プレートが、さらにその上に北米プレートが重なっている。そして、それぞれのプレートの内部や、境界で地震が発生する可能性があり、一口に首都圏直下地震といっても、発生する場所はさまざまである。 一般に深いところで発生した地震は振幅の周期が長く、超高層ビルなどをゆっくり大きく揺らす。また、津波を発生させやすい。津波は、関東地方では下町や埋立地だけでなく、埼玉県春日部や群馬県館林のような、普段住民が海を意識しないところまで達する可能性がある。それに対して、浅い震源の地震は振幅の周期が短く、一般住宅を倒壊させやすいが、津波は起きない。 さて、今回の大阪の地震で注目すべき点は、熊本地震、鳥取県中部地震、韓国釜山地震、韓国浦項地震、台湾花蓮地震、トカラ地震、西表島地震などで分かるように、フィリピン海プレートの移動による圧縮のおよぶ非常に広範囲で範囲で地震が起き、桜島、霧島新燃岳など多くの火山が噴火活動を活発化していることである。つまり、ユーラシアプレートの歪(ひずみ)が限界に達して悲鳴を上げているといってもよいだろう。 今回の地震を引き起こした「有馬・高槻構造線」は六甲山地の北側から京都盆地に向けて延びる活断層であり、2017年末から2018年初頭にかけて、小さな地震が頻発していた。また、4月16~17日には、紀伊半島南端で地震が連続し、6月に入る頃から徳島県南部で、さらに紀伊水道を震源とする地震が続いている。地震の影響で傾いた阪急茨木市駅の電光掲示板=2018年6月18日、大阪府茨木市(渡辺恭晃撮影) 千葉沖の地震の陰に隠れていた関西の地震が顕在化してきているのである。これらは、いずれも南海トラフ地震(フィリピン、台湾、琉球列島、南海、東南海、さらには首都圏まで含めてスーパー南海地震と呼ぶ)の前段階の地震と位置づけることができる。 筆者はこれまでにも指摘してきたが、大地震・巨大地震は突然には起きない。約2カ月前から顕著な前兆がみられることが多い。阪神大震災(1995年)、中越地震(2004年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)、鳥取県中部地震(同年)など、いずれも前兆現象がみられた。 南海トラフ地震(スーパー南海地震)について、政府は30年以内にと80%の確率で発生すると言っているが、これは30年先のことではない。30年以内には、今日も明日も含まれている。 ユーラシアプレートの悲鳴が聞こえる現在、スーパー南海地震は極めて近い。そして、その被害額は土木学会の見積もりでは1400兆円(日本の国家予算は約37兆円)、死亡者は国の想定で32万人~33万人。筆者の推定では47万人を超える。それにもかかわらず。国、都府県、市町村の動きは極めて鈍く、今回の大阪北部地震を教訓に早急な対策が必要だろう。

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    進化するMEGA地震予測 AI活用でさらに精緻に

     政府の中央防災会議が「現時点では確度の高い科学的手法はない」と匙を投げるなど、地震予測は長く不可能なものとされてきた。しかし「MEGA地震予測」は、全国各地のGPSデータを元に着実に的中実績を積み重ねている。さらにその精度を高めるために村井俊治・東大名誉教授が選んだのは、AI(人工知能)の導入だ。膨大なデータを解析するMEGA地震予測とAIの親和性は高い。従来の予測を飛躍的に進化させる試みを初公開する。精度を高く、客観的に 測量学の世界的権威である村井氏は、2013年以降、本誌やメールマガジンで『MEGA地震予測』を発表し続けてきた。 全国約1300か所にある電子基準点のGPSデータをベースとする同予測は、震度5クラスの大地震の前兆を幾度となく捉え、実績を積み重ねている。 しかし、地質やプレートの変動を調査することを前提とする地震学の世界においてその予測方法は「異端」と見なされてきた。そのため、「地震学の知識がない」「ノイズのような数値を使った“占い”だ」といった批判を浴びてもいる。 それでも村井氏が予測を続けるのは、7年前の東日本大震災の「苦い教訓」があるからだ。「3.11の半年前から、東北地方の太平洋側の電子基準点に次々と沈降現象が起きていた。私の予測に従えば、それは紛れもない大地震の予兆だったわけですが、“パニックになるのではないか”と躊躇し、広く注意を呼び掛けることができませんでした。研究者として、これほどの無念はありません。ですから測量学者としての地位や名誉をたとえ失うことがあっても、私の知見と信念に基づいて異常を警告していくと決めたのです。そして、少しでも予測の精度を上げるため、あらゆる知識と技術を採用してきました」 そうしたバージョンアップの集大成といえるのが、この3月から実用化されたAI(人工知能)による予測である。「これまでは、電子基準点のデータを私と数人のスタッフのみで分析してきた。しかしデータは膨大で、マンパワーだけに頼るには限界がありますし、解析のノウハウも伝えきれない。AIを活用できれば、より客観的で高精度の予測が行なえると考えました」※画像はイメージです(iStock) 村井氏が会長を務める民間会社JESEA(地震科学探査機構)は、2年前から工学博士(品質工学)の手島昌一氏が代表取締役を務めるアングルトライ株式会社と、AIシステムの共同開発を始めた。手島氏が解説する。「我々が用いるのは、MT法(マハラノビス・タグチ法)というもので、世界の大手自動車メーカー工場などで不良品の発生予知や検査などに使われている人工知能です」 AI地震予測の解析対象は、これまでの『MEGA地震予測』と同じく、国土地理院が全国に設置する電子基準点だ。 村井氏と手島氏は、2005年からの現在までの電子基準点データ全てをAIにインプット。それを最新の電子基準点の動きと照合すれば、AIが「異常変動」を察知し、地震発生のリスクを割り出す。 AI地震予測は、これまでの『MEGA地震予測』と同じ理論をベースにしているため、基本的には村井氏の予測と似たような結果を弾き出すことが多い。しかし時には例外もあるという。「AIは私が予想もしていなかった地域を警戒ゾーンとすることがあるのです。将棋の人工知能ソフトが定石外れの手を指すことがあるように、地震予測でも私の経験則を超えてくることがある。AIの存在が私の予測そのものにも広がりを与えています」(村井氏)●JESEAでは毎週水曜日にスマホ・PC用ウェブサービス「MEGA地震予測」(月額378円)で情報提供している。詳しくはhttp://www.jesea.co.jp関連記事■ 驚異の的中率MEGA地震予測、2018年の警戒地域は■ 日本には111の活火山存在 これから心配な山はどこか■ テレ東番組で捕獲されたヘラザメは大地震の前兆だった?■ 政府・地震学会はなぜ「MEGA地震予測」を無視し続けるのか■ 熊本地震受け「MEGA地震予測」で新たに加わった警戒ゾーン

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    災害を「仕方ない」とする日本人の無常観、防災意識を高めるには?

    あるのは、リスクへの備えが十分でないことの裏返しなのだろう。 日本では、十分とはいえないものの、自然災害のリスクに対し、ハード面やシステム面は相当に発達してきた。 いっぽう、人の心構えという面では、いまも「リスクに備えよ」が警句でありつづけている気がする。日本は地震も大雨・台風も避けられない国土であり、そうした自然現象はこれからも起きつづけるとわかっていながら、あまり災害に備えようとしないからだ。 2016年5月に経済広報センターが実施した「災害への備えと対応に関する意識・実態調査」では、3人に2人が、自身の災害への備えが「不十分」と答えたという。 日本では自然災害は多いけれど、多いがゆえに「起きて当然」「被ってもしかたない」という精神性がはたらき、それが日本人の自然災害リスクへの備えに影響をあたえているのではないか。 けれども、死に直面した瞬間、もし自分の備えが十分なら死を免れられたかもしれないと感じるのであれば、やはり「備えておくべきだった」と思うのではないか。後悔は先に立たない。 国民性や精神性というものは風土に根ざしているから簡単には変わるものではない。それゆえ、自然災害を「起きて当然」「被ってもしかたない」と思いがちな日本人だからこその自然災害への備え方を考えなければならない。 今回、話を聞いた神戸学院大学教授の前林清和氏は、著書『社会防災の基礎を学ぶ』や論文「災害と日本人の精神性」のなかで、日本人の精神性から災害観を捉え、その災害観を前提とした防災や減災のあり方を唱えている。 とくに日本人の「無常観」の存在は、これからの防災や減災を考えるうえで、大きな要素となるようだ。詳しく話をうかがった。前林清和氏。神戸学院大学現代社会学部社会防災学科教授。博士(文学)。1995年の阪神淡路大震災におけるボランティア活動を機に、防災や減災への取り組みを研究や活動のテーマのひとつとする。 「無常」とは、すべてのものは生滅流転し、永遠に変わらないものはひとつもないということを意味する仏教用語だ。前林氏は、無常観こそが日本人の人生観の中核をなすものと考えている。 「日本には四季があるため、おなじことは続かないという考えかたが根づいています。そして、自然災害がひんぱんに起きるため、すべてが潰れてしまうという考え方も強くあります。なにもかもが変化していくなかで生きていく感覚があります」 西欧では、突然ふりかかる死といえば、戦争や侵略などの殺戮によるものが主と捉えられてきた。遺された人たちは理不尽さを感じ、その恨みを人に向ける。だが、日本でのそれは、もっぱら自然災害によるものだった。「恨む相手がいなければ、次に行かないとしかたがない。日本人に無常観があるのはそれゆえです」。「すぐ忘れる」日本人の良し悪し もちろん、日本人も、突然に災厄がふりかかれば、「なぜ自分たちが」という理不尽さにさいなまれる。そのとき、日本人は、そのやるせなさを「天のせい」にすることで処理しようとしてきた。天に定められた運命なのだと考える天命論や、天から罰をあたえられたのだと考える天譴論(てんけんろん)はその例だ。 「日本における災害は、天災によるものを基本としているので、人間への恨みがすくない。そのため、あっさりと忘れていきやすいのです。無常観とは、忘れることに等しい」 では、この無常観は、日本人の災害観や、災害対応のしかたにどう影響をあたえるものだろう。 前林氏は、日本人の自然災害に対する心の向き方を、災害が起きた後の「復旧・復興」の側面と、起きる前の「防災」の側面に分けて整理する。 まず、復旧・復興を進めるという面では、日本人の無常観はプラスに作用するという。 「復旧や復興については、無常観があるため、基本的に早いといえます。無常観とは忘れることと言いましたが、それは次へ次へと前を向く感覚でもあるので、復旧・復興は進みます。それに、恨みつらみもあまり生じないことから暴動や略奪なども起こりにくい。これは支援の早さにつながります」 東日本大震災のとき、被災者たちが静かに配給を待つようすが世界で賞賛された。災害後のボランティアについても、阪神淡路大震災があった1995年が「元年」とされるが、1923年の関東大震災や、1959年の伊勢湾台風のときも、相当な助け合いがあったと前林氏は指摘する。これらにも、根底で無常観がはたらいているのだろう。大阪で発生した地震の影響で不通となった阪神電車の駅ホーム。通勤・通学が出来ない大勢の客であふれた=2018年6月18日、阪神西宮駅(撮影・林俊志) だが一方で、防災をするという面では、日本人の無常観はマイナスに作用してしまう。 「たしかに、ハードやソフトの点では、台風対策でも地震対策でも、日本は世界トップレベルにあります。災害が多かったからです。けれども、ハードやソフトとは別の“ヒューマン”の点では、すぐに忘れてしまうという国民の意識がマイナスに作用してしまいます。防災意識がなかなか高まらないということです」 物理学者だった寺田寅彦にまつわる「災害は忘れた頃にやってくる」という警句は有名だ。この「忘れた」という言葉が使われた背景には、日本人の無常観への意識もあったのかもしれない。寺田は「地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑に染み渡っている」とも述べている。防災意識を高める2つのこと ハードやソフトにくらべて、ヒューマン、つまり人の意識の点が取り残されているのであれば、やはりここにも手を打たなければならない。だが、「五臓六腑に染み渡っている」無常観を覆すのは不可能だろうから、無常観があることを前提に日本人の防災意識を高める方法を考えなければならない。 そこで、前林氏は二つの方策を提唱する。 「一つは教育です。小中学校で『防災』という科目の授業をおこなえば、人々の防災への意識は変わっていくと思います」 前林氏は人の意識を変えるには宗教と教育しかないと考えている。だが、「日本での宗教は、“八百万の神”を崇めるもので、無常観とも深く関わっているので、宗教で災害意識を変化させるのはむずかしい」と言う。一方、教育のなかで防災を扱う授業を組み込めれば、「意識は変えられると思います」。 2011年の巨大地震の発生直後、釜石市の約3000人の小中学生たちは素早く避難をして大津波から逃れるなどし、99.8パーセントが生存した。これは“奇跡”でなく“実績”だと、生き抜いた子どもみずからが述べている。「釜石の事例は教育の成果といえます」。 ボトムからの防災教育とともに、もう一つ、前林氏は提唱する。 「防災省、あるいは防災庁といった、防災関連の省庁の設置です。いま、政府では日本の防災を内閣府が担っています。しかし、2、3年でキャリアが変わってしまうため、専門家といえる官僚はいません。都道府県を指導し、さらにそれを防災の実務を担う市町村まで行きわたらせるため、まずは“親玉“として省庁レベルの専門組織を置くべきです」 人は、無常観から災害のことを忘れがちだし、正常性バイアスという心理もはたらいて自分に都合よくものごとを捉えがちだ。「これらは、生きていく上ではたいていプラスに働くものです。けれども防災に対してはマイナスに働きます」。防災袋についての授業をする京都大防災研究所の矢守克也教授=2017年11月30日、大阪府(北村理撮影) 一般の人びとが無常観や正常性バイアスを外して生きるのはむずかしい。「ですので、防災の省庁につとめる専門家たちだけはそうした意識を外して仕事にあたり、防災のシステムとヒューマンの点を充実させてほしいのです」。 2011年の巨大地震以降、日本は地震活動期に入ったといわれる。また、1時間降水量が50mm以上の雨の発生回数はここ30年で増加している。災害リスクが高まっているといえるなかで、私たちの無常観を見つめ直し、それを踏まえて対策を立てることが、実のある「リスクに備えよ」につながる。うるしはら・じろう 1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、科学技術関連の記事を寄稿。早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラム修了。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』『日産驚異の会議』『宇宙飛行士になるには』など。

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    テレ東番組で捕獲されたヘラザメは大地震の前兆だった?

    部をマグニチュード6.4の激震が襲い、17人の死者と280人以上の負傷者が出た。海の向こうで起きた大災害は、日本とも無関係ではない。元気象庁精密地震観測室・室長の岡田正実さんが解説する。「日本は“地震の巣”と呼ばれますが、それは日本列島が4つのプレートが重なり合う真上にあるからです。プレートというのは、地球の表面を覆う厚さ100kmほどの岩盤のこと。少しずつ動いて他のプレートとぶつかり、プレートの境界や内部で破壊(断層運動)が起きることで地震が発生します。 台湾の地震は、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートが接触するところで起きました。実は、台湾から北上して見ていくと、そのプレートの接触面は、日本列島の九州から東海にかけての太平洋側の海底まで続いています。それを『南海トラフ』と呼びます。 つまり、今日本で懸念されている大規模な『南海トラフ地震』を引き起こすプレートは、台湾の地震の原因となったプレートと同じ。日本でも『南海トラフ地震』とその津波への備えを充実させる必要があります」死者は最大で32万3000人 南海トラフ地震は、駿河湾から九州沖にかけての海底にある溝(トラフ)を震源とする地震だ。海側のフィリピン海プレートが陸側のユーラシアプレート下に沈み込む時、陸側のプレートの端が巻き込まれて“歪み”が蓄積する。その“歪み”が限界に達すると、陸側のプレートの先端が元に戻ろうと一気に跳ね上がって、激しい揺れと同時に海水を一気に持ち上げるので、大きな津波が発生する。2017年11月、名古屋市で開かれた、南海トラフ巨大地震に伴う企業の防災対応の在り方を議論する検討会「最大規模のマグニチュード9クラスの南海トラフ地震が発生した場合、静岡県から宮崎県にかけての一部では震度7、隣接する周辺の広い地域でも震度6強から6弱の強い揺れになることが想定されています。関東から九州地方にかけての太平洋沿岸の広範囲で10mを超える津波が襲来し、さらに最大30m級の大津波が起こる可能性も否定できません」(前出・岡田さん)サメの電気感度は人間の10万倍以上 政府の中央防災会議の有識者会議の試算によれば、死者数は最大で32万3000人、経済被害は220兆3000億円にものぼるというから、被害は想像を絶する。 台湾地震が起きた2日後、日本政府の地震調査委員会が重大な発表を行った。南海トラフ地震が「30年以内に起こる確率」を、それまでの「70%程度」から、「70~80%」に引き上げるとしたのだ。「地震は、プレートの接触面の“歪み”が溜まると起こるので、“歪み”が限界まで溜まる年数を計算すれば、おおよそ発生確率がわかります。委員会が今回、発生確率を算出する時には、南海トラフ地震は、『88年』の平均間隔で起きるとして計算しました。前に起きたのが、昭和東南海・南海地震が起きた1944年~1946年なので、もうそろそろ起こるかもしれないという時期にさしかかっているんです」(前出・岡田さん) 地震が「いつか確実に起こる」のはわかっているが、その予知は難しいのが現状だ。だが、女性セブンは南海トラフ地震の「ある予兆」をキャッチした。サメの電気感度は人間の10万倍以上 今回の台湾地震発生の約1か月前、台湾ではあるニュースが話題を呼んでいた。「ワニグチツノザメ」という深海に生息する小型のサメが5匹、台湾の沖合で発見されたという。このサメはごく稀にしか見られないため、生態はほぼ不明。超希少な深海ザメだ。 実は、このワニグチツノザメ、2016年4月、熊本地震が発生する1か月半ほど前に、日本の静岡・沼津でも捕獲されていた。 もちろんサメと地震の因果関係は立証されていないし、今のところ地震学でも研究対象外だ。だが、海洋地震学が専門の武蔵野学院大学特任教授・島村英紀さんは「サメと地震が関係している可能性はある」と話す。トンガリサカタザメの一種、シャベルノーズシャーク「サメの頭部にはロレンチーニ器官という小さな穴がたくさんあり、電気センサーの役割を果たしています。サメの電気の感度は人間の10万倍以上ともいわれていて、地震前の地殻変動で生じる、海底下に流れる電流なども敏感に察知することができる。サメが普段は見られないような場所に現れたのは、地殻になんらかの変動を感知したからだとも考えられるのです」(島村さん)“幻のサメ”まで捕獲 希少なサメの不可解な発見は続いている。昨年5月末、南海トラフに近い三重県尾鷲市の沖合では、メガマウスという巨大なサメが捕獲された。「メガマウスは体長5mもあり、頭部と口が異様に大きいのが特徴。世界で120匹、日本でも20匹ほどしか発見例がなく“幻のサメ”と呼ばれています。メガマウスは東日本大震災の約2か月前に捕獲されていたことも知られています」(全国紙科学部記者) さらに、ほとんどの人は意識していなかっただろうが、地震の“前兆”を、実は多くの視聴者が目撃していた。1月28日に放送されたバラエティー番組『東京湾大調査!お魚ぜんぶ獲ってみた2』(テレビ東京)のロケで、これまで東京湾では見られなかったヘラザメが初めて捕獲されたシーンだ。 ヘラザメは水深800~1400mの深海に生息するサメで、日大の研究チームが東京湾で2005年から3年間にわたって行った57回の調査でも、一度も確認されていなかったという。 海洋生物の専門家は「海流や温暖化の影響も考えられる」としているが、前出・島村さんはこう指摘する。「地殻変動による微弱な電流を感じて上がってきたのか、あるいは餌がなくなったからなのか。東京湾の深いところで何が起きたのかはわからない。しかし今後の地震の前兆である可能性は否定できません」希少なサメの不可解な発見が続く 東京湾といえば、首都圏の目の前だ。南海トラフ地震とは別モノだが、首都圏を直撃する「首都直下地震」も、30年以内に発生する確率は70%とされている。「直下型地震は、陸側のプレート内部の歪みが大きくなり、プレート内部の弱い部分で破壊が起こることで発生します。南海トラフ地震のような海溝型地震に比べて規模は小さいものの、震源が浅いので局地的に激震が起こる。都心でマグニチュード7級の地震が起きた場合、死者は最大2万3000人、経済被害は95兆3000億円にのぼると想定されています」(前出・岡田さん)「珍しいサメが見つかった」と喜んでいる場合ではなさそうだ。関連記事■ 「巨大鮫・メガマウスが捕獲されると大地震」は本当か?■ 「北海道での震度5は3.11とは別の大地震の前兆」と専門家■ 10日間も止まらなかったしゃっくり 実は脳梗塞の前兆だった■ 名古屋市中心部にワニガメ登場、ボランティア30人で捕獲作戦■ 推定体長180センチ体重70キロの脱走ライオンを石川県で捕獲

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    新燃岳噴火は前兆か 「スーパー南海地震」は2年以内に起こる

    噴火口近くに観光客などがいて被害がでる恐れはある。地震とその被害である震災とが違うように、噴火と火山災害も同じではない。今年起きたフィリピンのマヨン山噴火や2011年前後からの阿蘇山、霧島新燃岳、桜島の噴火、14年の木曽御嶽山噴火などがこれにあたる。噴煙を上げる宮崎、鹿児島県境の霧島連山・新燃岳=2018年3月2日 桜島の噴火活動に注目すると、波打ちながらも2005年まで減少し一時ほとんど停止した。しかし、その後反転し、東日本大震災の起きた11年に噴火回数が観測史上最多の1355回に達した。ただ、15年10月にはユーラシアプレートの中のマグマたまりにマグマがほとんど無くなり噴火が停止した。そして、17年3月になると再び噴火が起きるようになったのである。 これまで、西南日本が位置するユーラシアプレートでは、フィリピン海プレートの影響を受けるだけで、太平洋プレートの影響を受けるとは考えられていなかった。しかし、上記のようにフィリピン海プレート自体の動きも太平洋プレートの影響を受けているし、ユーラシアプレートの火山活動にも間接的に関与していると思われる。「スーパー南海地震」は近い 次に「ステージ3a」であるが、表1に示したように、相対的に上にあるプレートで歪に耐えかねて、比較的大規模な直下型地震が発生する。1943年の鳥取地震、2008年の岩手・宮城内陸地震、16年の熊本地震、鳥取県中部地震などがこれにあたる。同年に韓国で起きた慶州地震、17年の浦項(ポハン)地震はユーラシアプレートの歪が大きく、通常、地震の少ない韓国においてすら活断層が活動したことを示している。また、フィリピン海プレートの圧縮を受けるフィリピン地震(17年)、台湾地震(18年)も同様なメカニズムによる地震である。 さらに、熊本地震を、東アジアという視点でみるならば、アリューシャン列島、カムチャッカ半島などから熊本を経てフィリピン、パプアニューギニア、ソロモン諸島方面まで、同日に規模の比較的大きな地震が発生したことは意外に知られていない。この日の地震は熊本にとどまるものではなかったのである。 しかし、メディアは、熊本と大分に限定して地震の状況を発表していた。阿蘇山を挟んで西側と東側に震源を持つ地震は、日本最大の活断層である中央構造線と関係することは明白であった。放送する映像の範囲をやや広域にとるだけで、西は鹿児島県の川内(せんだい)原発が、東は愛媛県伊方原発が視野に入ってくるのを意図的に避けたと思わざるを得ない。現在の西南日本はこのステージに属する。 筆者が「南海トラフ地震」を「スーパー南海地震」と呼んでいるのは、フィリピン—台湾—琉球列島—南海—東南海—東海に広がるフィリピン海プレートとユーラシアプレートの接触する範囲全体を視野に入れているからである。1944年の昭和東南海地震(M8・2)や46年の昭和南海地震(M8・0)というプレート型地震の前に43年に発生した昭和鳥取地震(M7・2)や45年に発生した昭和三河地震(M6・8)などがこのステージにあたると考えられる。 東日本大震災の3年前に起きた岩手・宮城内陸地震や、その後の熊本地震、韓国の慶州(キョンジュ)地震、鳥取県中部地震、韓国の浦項地震などは、「スーパー南海地震」の前段階にあたる。ユーラシアプレートの歪は、すでに韓国南東部まで及んでいる。ゆえに、経験則によれば、「ステージ3a」からプレート型地震まではおよそ3年。「スーパー南海地震」は、2020年の東京五輪までに発生する可能性が高いのである。 次に「ステージ3b」をみてみよう。東日本大震災のように、太平洋プレートに引きずり込まれていた北米プレートが跳ねあがり、巨大地震と津波を生じさせるのがこのステージだ。西南日本では、1944年に昭和東南海地震、46年に昭和南海地震が発生したが、この時、東海沖地震は発生しなかった。長年にわたって東海地震が注目され続けたのは、これがいつか起きると想定されていたためである。 しかし、地震考古学者、寒川旭氏の研究によれば、南海地震、東南海地震、東海地震の3つが常に起きていたわけではないことが明らかにされている。南海、東南海しか地震が起きない場合と、全部が地震を起こす場合が交互に繰り返してきたらしい。この次は西南日本で少なくとも3つの地震が連動する可能性が高いという。 ただ、プレート型地震は揺れの周期が約5秒と長く、高層・超高層ビルは大きく揺れるが、一戸建住宅の倒壊は少ない。1944年の昭和東南海地震の場合、濃尾平野の南西端の最も軟弱地盤が約90メートルと厚いところでも倒したのは5~10%であった。プレート型地震の被害は津波によるものが大部分を占めるのである。見過ごしがちな前兆 そして「ステージ4a」は、現在の東北日本の状態である。陸側プレートの跳ね上がりにより、プレート間の固着域が少なくなり、海側プレートの沈み込む速度が速くなる。東日本大震災の場合、太平洋プレートの沈み込み速度は地震前の年間10センチから、年間30~40センチに加速した。そして、太平洋プレートは深さ200~500キロに到達し、溶けて大量のマグマが生成されている。 このステージでは火山の噴火が再び生じるが、今度の噴火はマグマが大量に生成されているために、噴煙が1万メートルの成層圏まで達する爆発的噴火になると考えられる。プレート型地震であった明治三陸地震(1886年)の後には会津磐梯山(1888年)が大噴火した。また、東北地方・太平洋地震の影響で、カムチャッカ半島から千島列島にかけてシベルチ山、クリュチュシュコア山、ベズイミアニ山、カンバルニー山、エベコ山など5つの火山が爆発的噴火を起こしている。 現在、東北日本では、浅間山、草津白根山、蔵王などで火山活動の活発化が認められるものの、まだ、本格的な火山活動は起きていない。しかし、これまでに観測されたM8・5以上のプレート型地震のほとんどで大規模な火山活動を伴っていることを忘れてはいけない。前述した熊本地震のように、日本という国の範囲だけで地震や火山活動などをみていると、重要なポイントを見過ごしかねないのである。草津白根山の本白根山が噴火し、火山灰で覆われた山頂付近=2018年1月、群馬県草津町 たとえば、1960年のバルデビア地震では地震の2日後に、コルドン・カウジェ山が、49日後にはペテロア山、54日後にはトゥプンガティト山、7カ月後にカルブコ山が次々と噴火し風下のアルゼンチンで大きな被害が生じた。また、2010年2月にチリ中部のビオビオ州で発生したマウレ地震(M8・8)でも、最大到達標高30メートルの津波が発生し、同年6月にはコルドン・カウジェ山、11年6月にはプジェウエ山、15年3月にはビジャリカ山、4月にはカルブコ山などが噴火し、巨大地震と火山活動との間に密接な関係があると推測される。 最後に「ステージ4b」では、太平洋プレートの沈み込み速度が数倍にも加速したことで、東側に続くプレートが追従できず正断層が生じる「アウターライズ型」地震が起きる。東北日本では、もう一度発生し大きな揺れとともに津波が発生する可能性がある。明治三陸地震(1896年)に対して昭和三陸地震(1933年)はアウターライズ型地震であった。巨大地震は予知できる この時は、37年と長い時間がかかった。しかし、インド洋大津波を起こしたスマトラ・アンダマン地震(2004年)の場合、8年後にアウターライズ型地震が生じている。東日本大震災から7年たち、カムチャッカ半島や千島列島で火山の爆発的噴火が起きている状況の中で、東北日本でアウターライズ型地震が発生するのは時間の問題であろう。 仮に、このアウターライズ型地震で津波が東京湾に来た場合、東京駅、有楽町駅、品川駅周辺や銀座、築地、豊洲をはじめ下町地域を中心に水没の恐れが高い。その範囲は群馬県館林まで及ぶ可能性がある。また地上から地下街や地下鉄への階段の傾斜は約30度であり、深さ10センの水が流入するだけで年配者や女性は手すりにつかまっても階段を登れない。30センチの水では屈強な青年男性でも階段を上ることは不可能となる。 大阪でも中心市街地は津波におそわれる地域である。また、東京ディズニーランドや大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン、名古屋のレゴランドなど多くの観光客が集まるところでの津波に襲われやすい場所での対策は極めて重要である。 これまでステージごとに関連性を見てきたが、巨大地震は突然起きるものではないことがわかるだろう。約2万人の人命を奪った津波が起きた東日本大震災の発生前に注目すれば、2008年6月に岩手・宮城内陸地震が発生。10年9月からは福島県中通りで、10月からは上越地方で直下型地震が頻発した。そして、11年3月9日から三陸沖を震源とした地震が連続的に起きていた。地元の研究者はこれが本震であると誤解しメディアを通して情報が流れた。 ところが、3月11日にM9・0の地震が起き、大規模な津波が東北地方太平洋岸を中心に発生したのである。また、宮城県栗原市で震度7の揺れが記録され、揺れは非常に広域に及んだ。しかし、その周期は約5秒と長かったため、地震そのものによる住宅倒壊は少なかったのだ。他方、臨海部の地盤沈下(約50センチ)と高さ21・1メートルの津波(最大遡上高43・3メートル)が生じ、臨海部で人口の1%から最大9%の死者と行方不明者が出た。東日本大震災 津波で流された住宅 =2011年3月、仙台市若林区(本社ヘリから) そしてその総数は約2万人を数えた。その後、震源は茨城県沖や福島県沖へと移動し、東京電力福島原発での事故などが問題をより深刻なものにしたのである。さらに、3月12日になると、震源は長野県北部や新潟県上・中越地方へと移っていった。このような震源の移動は、この地域で発生する地震のクセのようなものである。 東日本大震災はしばしば869(貞観11)年に似ており、千年に一度の地震であったと言われるが、1896年に発生したプレート型地震である明治三陸地震の場合も死者と行方不明者は約2万2千人であり、大船渡市綾里湾で津波の遡上高は38・2メートルであった。震災の規模としては明治三陸地震もよく似ている。決して千年に一度の地震ではない。 なお、1960年のチリ・バルデビア地震も、本震の前にM8・2とM7・9の地震が発生しており、突然、M9・5の地震が起きたわけではなかった。地震記録を詳細に検討すると95年の阪神大震災、2004年の中越地震、16年の熊本地震や鳥取県中部地震においても約60日前と、3日~半日前の2度にわたって、巨大地震と大地震の発生する地点で前兆となる地震がみられる。要するに巨大地震と大地震は突然起きてはいないのである。この前兆をつかまえることができれば、発生を予測・予知できるのだ。

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    もうすぐ「超巨大噴火」が起こる

    群馬県の草津白根山が噴火し、多数の死傷者が出る大惨事となったが、今度は宮城県と山形県にまたがる蔵王山でも噴火の可能性が高まった。現代科学をもってしても噴火予知は難しい。とはいえ、列島を揺るがす「超巨大噴火」はいつ起きてもおかしくない。非常事態が続く列島の地下で何が起こっているのか。

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    100年近く大噴火ゼロ「異常な時代」はもうすぐ終わる

    0年から始まった雲仙普賢岳の噴火は6年も続き、噴火の開始から1年たってから、当時戦後最大になった火山災害を起こしてしまった。火山から出てきた溶岩ドームが崩れて大きな火砕流を出し、43人が亡くなったのだ。つまり、この草津白根山の噴火がいつまで、どういう形で続くかは、現在の火山学では分からないのである。激しく噴煙を上げる御嶽山=2014年9月、長野・岐阜県境(甘利慈撮影) 噴火の規模はごく小さなものから巨大なものまで、とても範囲が広い。噴火の規模を示す指標はいくつかあるが、噴火の時に火口から飛び出したものの体積を立方メートルで表すのが一般的に行われている。火口から飛び出すものには、火山灰のほか、噴石、火山弾、溶岩などがある。火山弾というのは溶けた溶岩が飛び出して空中で固まったものである。 容積の指標の一つとしてよく使われる東京ドームは124万立方メートルあるが、その東京ドームで数えると250杯分以上だったものを「大噴火」という。実に3億立方メートルという途方もない量だ。ちなみに2014年の御嶽噴火は、東京ドームの半分ほどだった。つまり戦後最大の犠牲者を出した御嶽噴火でさえ、噴火としてはごく小さなものだったのである。 しかし、この「大噴火」は過去たびたび日本で起きてきた。記録がちゃんと残っている17世紀以降だと、日本のどこかで各世紀に4~6回の「大噴火」が起きてきた。起きた場所は九州や北海道が多かったが、その地域ばかりではなく、富士山や伊豆大島も「大噴火」を起こした。大噴火の「執行猶予」は明けていない ところが不思議なことに、20世紀の初めに2回の「大噴火」があった後、現在に至る100年近くはこの「大噴火」がないのである。その2回とは1914年に起きた鹿児島・桜島の噴火と1929年の北海道・駒ケ岳の噴火だ。この先いつまでも、日本で「大噴火」が起きないということはあるまい。残り80年あまりしかない21世紀に「大噴火」が4回ほどあっても驚かない、という火山学者は多い。 「大噴火」というものが不思議なほど起こらない、ある意味では「異常な時代」が続いているが、その状態が元に戻るきっかけが、もしかしたら東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)であったと考える根拠がある。 2011年に起きた東北地方太平洋沖地震はマグニチュード(M)9・0という、世界的にも珍しい巨大地震だった。この地震は広く日本の地下にある基盤岩を一挙に動かしてしまった。そのとき動いた量は、震源に近い牡鹿(おじか)半島で5メートルを超え、遠くに行くにしたがって徐々に小さくなっているが、それでも首都圏や富士・箱根の地下で30~40センチに達した。※写真はイメージ(iStock) 日本には太平洋プレートやフィリピン海プレートが4~8センチほど押し寄せてきているから地震も火山も多いのだが、プレートがゆっくり動いていた何年分もが、大震災で一挙に動いてしまったのである。 世界的に見てもM9クラスの巨大地震はこれまでに7回しか知られていないが、実は東日本大震災以外のすべてで、地震後に大きな噴火が近くで起きた。御嶽噴火や今回の草津白根山の噴火があったものの、まだ大きな噴火が起きていないのは日本だけなのである。 これまで世界で起きた例では、2004年のスマトラ沖地震(M9・3)の後、タラン山やメラピ、ケルート両火山などが地震後4カ月以降に起きているし、1964年のアラスカ地震(M9・2)後、3カ月以降にトライデント火山やリダウト火山が相次いで噴火した。 このほか、1960年のチリ地震(M9・5)、1954年のアリューシャン地震(M9・2)、1952年のカムチャツカ地震(M9・0)など、いずれも巨大地震の直後、早ければ数カ月以内、遅ければ数年以内に大きな噴火が続いた。 巨大地震から短くても数カ月、長ければ数年以上という時間の遅れがあるのは、プレートの動きや地下の岩盤の動きと直接関係するのが地震であるのに対して、火山活動は間接的なためである。プレートの動きが地下でマグマを作り、それが上がってくるのが噴火であるために遅れが生じる。その意味では、東日本大震災から7年たったとはいえ、日本はまだ「執行猶予期間が終わった」とは言えない情勢にある。富士山も知られていない噴火の前兆 次に、日本のどの火山が噴火するかは、現在の火山学では分からない。しかし、活火山だけでも110を超える日本では、いつ噴火してもおかしくない火山が多い。 いずれ噴火することが確かで、もし噴火したら首都圏、引いては日本全体や世界にも影響が及ぶ活火山に、富士山と箱根がある。ともに活火山の中でも噴火警戒レベルが設定されている38火山に入っているほどの活動度が高い活火山である。 それゆえ、これらの火山では密度の高い機械観測が行われているが、富士山の一番近年の噴火は1707年の宝永噴火で、箱根は1200年前が最後の噴火だから、噴火の前にどんな前兆があったかは知られていない。もちろん機械観測などなかった。 このように富士山や箱根で各種の観測が行われているが、観測データがどこまでいったら危ないのか、その閾値(しきいち)が分かっていない。富士山や箱根はいつ噴火してもおかしくない活火山なのを忘れてはいけないが、予兆の観測には全面的に頼れまい。三保松原から望む富士山=静岡市清水区 1995年に発表された草津白根山の火山防災マップでは、想定火口が湯釜に限られている。しかし今回の草津白根山で噴火した草津白根山の南部、本白根山は約3千年前から約1万年前まで、盛んに噴火していたことが火山地質学の調査から分かっている。これは1983年に発行された「草津白根火山地質図」で明らかになっていた。 ただ、歴史記録が残っている約300年間は、噴火はもっぱら草津白根山の北部、つまり白根山の山頂付近で小規模な水蒸気噴火ばかり繰り返し起きており、そこばかり警戒していて南のことは忘れていた。現行の防災マップでも、特定の火口で最近発生した小規模な水蒸気噴火だけしか示されていなかったのである。 人間にとっては3千年というのはとてつもなく古い歴史だが、火山や地球の物差しでみれば、ごく最近のことである。富士山の300年というのも、つかの間の休息かもしれない。M9の巨大地震の影響も、地球のスケールでは「すぐ後に引き続いて」起きるものなのだ。

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    「3・11」と連動する火山、 関東以北で高まる巨大噴火の現実味

    高橋学(立命館大環太平洋文明研究センター教授) 1月23日午前、草津白根山が突然噴火し複数の死傷者が出た。たしかにこの噴火、直前まで噴火するような前兆はみられなかった。防災科学研究所のHi-net地震観測システムでは、むしろ日光白根山付近で微細な地震が集中していた。 ただ、筆者は、草津白根山の噴火を2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と関連すると考えており、地震後に噴火する火山として、草津白根山の名前を常に挙げてきた。なぜなら、世界で発生したプレート型の巨大地震の後には、必ずと言っていいほど火山の巨大噴火が起きているからだ。 たとえば、2010年2月27日にチリ中部で起きたマウレ地震(M8・8)の場合、およそ半年後にプジェウエ・コルドン・カウジェ山が、2014年3月にはビジャリカ山、4月にはカルブコ山が巨大噴火した。2004年12月26日にインド洋大津波を引き起こしたスマトラ・アンダマン地震(M9・3)の3カ月後には、タラン山などが噴火している。噴煙を上げる草津白根山=2018年1月23日(被災者撮影) また、2011年東北地方太平洋沖地震と似ている貞観地震(869年7月9日)では地震津波と判断される堆積物の上に、「十和田火山灰」(915年)、さらには中朝国境の白頭山で噴火した白頭山苫小牧テフラ(946年)が堆積しており、地震と火山噴火との間に関係があると推測できるのである。そのため、筆者は東北地方太平洋沖地震後に火山噴火の注意喚起を機会あるごとに行ってきた。しかし、日本列島では火山噴火があまりみられなかった。 ところが、視野を広げカムチャッカ半島までみるならば、3年ほど前から、シベルチ山、クリュチュシュコア山、ベズイミアニ山、カンバルニー山、エベコ山など5つの火山が爆発的噴火を起こしている。2017年12月20日には、ベズイミアニ山が巨大噴火し噴煙の高さは上空1万5000メートルの成層圏まで達したのである。 東北地方太平洋沖地震は、北米プレートの下に太平洋プレートがもぐり込んでおり、その圧力に抗して北米プレートが跳ねあがり発生したものである。地震前には北米プレートの摩擦で、太平洋プレートの移動速度は年間約10センチであった。これに対して、地震後には北米プレートの摩擦が減少し年間30~40センチへと速度を増した。しかも太平洋プレートは地下深くにおいて溶けマグマが大量に生産されている。「草津」は巨大噴火の始まり 北米プレート上の火山は軒並み巨大噴火の準備ができつつある。そのため、関東地方以北の火山は、いつどれが噴火してもおかしくなく、その噴火は巨大噴火・大噴火になりやすいのである。今回の草津白根山の噴火はその始まりに過ぎない。 筆者は、よく、マスコミからどの火山が噴火しそうかという質問を受けるが、今回の場合は、マグマの生産されている場所が線状なので、単体の火山の噴火にとどまることはなく、既存の火山の火口はもちろん、それ以外の場所から噴火する可能性がある。しかも、マグマが大量に生産されていることから、一度噴火が起きれば長い期間継続する。そして、火山灰などは風下の数千キロに達することもある。 西南日本の桜島、霧島、阿蘇山などの火山は、ユーラシアプレートに位置しており、現段階では、直接的にはフィリピン海プレートの、間接的には太平洋プレートの圧力でマグマ溜まりに存在しているマグマが噴出してしまえば休止する一過性の噴火をしており、その規模も大きくない。これに対し、関東地方以北の火山は、地下深くにおいて太平洋プレートが溶けて大量にマグマが生産され続けているため、継続的で大規模な噴火になりやすいのである。 噴石や溶岩の流出など噴火した火山の周辺に直接的に被害をもたらすだけではない。噴煙が1万メートルを超えるような場合には、火山噴出物が成層圏にまで到達し、地球を覆い太陽からのエネルギーが地球に到達するのをさえぎる「パラソル効果」により、地球の気温を数度低下させることも考えられる。 1783年には、浅間山の噴火が旧暦4月9日(新暦5月9日)に始まり、7月7日(同8月4日)夜から翌朝にかけて最盛期を迎えた。また、同年3月12日には岩木山が噴火(4月13日)。さらにはアイスランドのラキ火山の巨大噴火とグリムスヴォトン火山の噴火が起きた。これらにより、日本では天明飢饉、ヨーロッパでもフランス革命のきっかけとなった「パンよこせデモ」などが生じた。18世紀末は、ただでさえ「小氷期」と呼ばれる寒冷期であったのに、火山噴火はそれに輪をかけたのである。※写真はイメージ(iStock) また、浅間山から大量に噴出した火山灰は、利根川本川に大量の土砂を流出させ、1783年の水害、1789年の水害などを起こした。直接、火山噴出物に覆われなくとも河川の洪水によって下流側で被害が起きる場合もある。 一方、1985年のコロンビアのネバドデルルイス火山の噴火では、山頂付近の雪氷が融けて濁流となって谷を流下し、約100キロ離れたアルメロの街を泥流が襲った。アルメロのほぼ全域がラハールと呼ばれる泥流に飲み込まれた。しかもそれが深夜であったため、人口約2万5000人のうち、2万1000人が生き埋めとなり命を落としたのである。積雪期の火山噴火は雪崩やこのようなラハールの危険性もともなう。 悲劇は火山噴火にとどまらない。太平洋プレートの沈み込み速度が、2011年の地震以前の数倍にも加速した。そのため、東側に続くプレートが追従できず、太平洋プレートの内部で正断層ができ、東北日本を中心に、もう一度、巨大地震が発生し津波が起きる。これがアウターライズ型地震である。明治三陸地震(1896年)に対して、昭和三陸地震(1933年)はアウターライズ地震であった。この時は、37年と長い時間がかかったが、インド洋大津波を起こしたスマトラ・アンダマン地震(2004年)の場合、8年後にアウターライズ型地震が生じている。 東北地方太平洋沖地震の発生から7年がたち、カムチャッカ半島や千島列島で火山の爆発的噴火が起きている。アウターライズ型地震が発生したり、火山の巨大噴火が連続的に起きたりするのは時間の問題である。

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    日本列島が「火山活動期」に突入したとは言えない理由

    ために、第四紀(約260万年前から現在まで)に活動した火山をインターネットで確認いただきたい。図2:災害や事故の「危険値」 もう一つ「覚悟」しておかねばならないことは、「巨大噴火」や「超巨大噴火」も将来必ず起きることである。地震や噴火の規模と頻度には逆相関関係があり、大規模なものの発生確率は低くなる。一方で、規模が大きくなるとその被害は劇的に増大する。例えば今後100年の発生確率が1%といわれる「巨大カルデラ噴火」は、最悪の場合1億人以上の被害者を出す。災害や事故に対して覚悟を持って対応するには、被害者数に発生確率を乗じた「危険値」が参考になろう。

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    日本の山が美しい本当の理由

    柳原一信 (ウェブマガジン『山旅々(やまたびたび)』編集担当)『山旅々』編集者の「山旅のすすめ」(2) 『日本の山は美しい』。こう思うのには2つの理由があります。それは大きく俯瞰して、山を縦に観察したときと横に観察したときの景色の豊かさによるものです。このことは日本だからこそ生じる事象で、それに気づいていない方々が多いように思うのです。(画像:istock) 今回は日本における自然美を改めて知ることで、ハイキングでも登山でも……歩くことが厳しければ遠くから山を眺めるのでもいいから、より日本の山を、ひいては日本という国を愛でていただければと思うのです。山を縦に観察してみる 登山をする人にとっては身近なお話になるかもしれませんが、改めて知ってみると「なるほど」と思っていただけるように、世界全体を眺める中で、日本の山を抜き出して縦に観察してみたいと思うのです。 縦に観察するというのは標高という考えに則って景色の豊かさを見てみようという試みです。 まずはじめに、あたり前のお話になりますが山では高く登るほど気温が低下します。そのため、気温に応じた植生の配列ができあがります。100メートル登ると0.6度下がると言われておりますから、下界が気温30度の季節に約3,700メートルの富士山の頂上は、凄く大雑把ですが気温8度程となる訳です。だから山に登れば登山口から登頂を果たすまでに様々な植物に巡りあうというのも不思議ではありません。 日本アルプスなどの山に高山植物が分布しているということも、誰も不思議と思わないのではないでしょうか?けれども世界規模で日本の山を観察すると、ずいぶんと南に位置する日本列島にある山で、しかもそれほど標高もない山に高山植物がたくさんあるというのは非常に不思議なことのようなのです。 『森林限界』という言葉を耳にしたことがありますでしょうか? 森林限界というのは名前の通り、気候が寒冷になって樹木が生育できない限界線のことをいいます。これを越えると高山帯といってハイマツやさまざまな高山植物が生息する場所になるのです。この森林限界は南北に長い日本列島ですから北海道では1,600メートル付近、本州中部では2,600メートル付近と、同じ日本なのに違いがあるのも面白いところです。北海道ではそんなに高く登らなくても高山植物を楽しめるんですね。 この高山帯と呼ばれる場所に僕たちは高山植物を見るわけですが、何故それが不思議なことなのかを紐解いていきたいと思います。 この高山帯と言われる場所を歩いているとハイマツを多く見かけます。しかしながら全てをこのハイマツが覆いつくしているかと言われるとそうではないのです。まだら状に分布しているんですね。これには理由があって、それこそが日本ならではの条件が及ぼす結果なんです。 日本の冬山を登ったことがある人であればよくわかると思うのですが、日本の山々は世界一の多雪地域にあるんです。日本海に流れ込む対馬海流が水蒸気を盛んに上げ、この水蒸気をシベリアからの冷たい季節風が雪に変え、その雪が山地に積もるという、日本列島という場所だからこそ生じる現象で、緯度から想像するより多雪なんですね。 このシベリアからの季節風とヒマラヤ山脈の方から流れてくるジェット気流によって非常に強風であるというのも日本の冬山を厳しくしている原因のひとつで、多雪・強風という自然現象によってハイマツの分布が形成されているようです。火山大国日本だからこそ ハイマツを雪が覆う事で厳しい冬の環境からこの植物を救い、夏の時期に雪が解けてハイマツが顔を出すことが出来れば光合成ができ生きていける。いわゆる雪が多すぎても少なすぎても生きていけないんですね。ちょっと脱線しますが、こういう事象からハイマツの背丈というのが冬の雪の深さを推定することができるともいえて、夏場歩いていて冬場の積雪を想像することができるのも面白い趣きかと思います。 このようにハイマツが生きていけない土地が空くと、コマクサ・チングルマ・ニッコウキスゲ・ハクサンチドリといった別の高山植物が分布することになります。これが私たちがみる高山植物なんですね。ハイマツが生きていけないような場所に分布している高山植物ですから、とにかく悪条件に耐えて生活しているといえます。ハイマツも高山植物も僕たちは大事にしなければなりません。 このように強風・多雪環境にある日本だからこそ生まれることが出来た高山植物であり、更に強風地や残雪周辺、やや風の弱い場所やハイマツ群落の周辺……というように土地の違いによって生育する植物の違いが見られ、このことが日本の山を美しく魅せている要因なんです。 また夏場でも雪渓が残る山を見ると緑と白のコントラストが美しい。白馬岳・蝶ヶ岳・爺ヶ岳など雪渓や植物に因んだ山の名前があるのも不思議ではないと感慨深くなります。 横に観察するというのは山単位で景色の違いとその豊かさを見てみようという試みです。 火山大国日本だから地震もあり温泉もあり……悪いことがあれば良いこともあると毎度のように思うのですが、このように植生が豊かなひとつの原因に火山というのはあると思うんです。火山が噴火すればそこに生きていた植物はリセットされる。その空いた土地に飛んできた種子が宿る。そういう長い歴史の中で日本列島という島国の中に様々な景色を彩ってきた。これもまた日本の山を美しくしている現象のひとつだと思います。 そして面白いのは地質の違いです。地質学者ではないので詳しい事はここでは省きますが、山を歩いているとひとつの山の中にも様々な地質の違いによって形成される地形の違いを見出すことができます。南アルプス最高峰、3193メートルの北岳=山梨県南アルプス市 例えば先日南アルプスの北岳に登ってきたのですが、北岳肩という山小屋のある場所までは高山植物を楽しみながら、なだらかな尾根道を歩いていくのですが、肩の小屋に着いて、小屋の背後に目を移すと北岳山頂までの景色が見渡せるのですが、それまでのものとは全く違う様相となるのです。これは明らかに地質がこの肩の小屋から変わっているからで、山頂までの道のりを飽きないものにしてくれる日本の山の面白さに感動するんです。 このようにわかり易い地形の違いも面白いですし、なだらかな稜線で時折見ることのできる地質の違いによる斜面の彩りもまた非常に美しいものがあります。 今まで行った山は数限りなくありますが、ひとつたりとも同じような山というのに出会ったことがありません。奥多摩の山、奥武蔵の山、丹沢の山、北アルプス、南アルプス……こういう山域で考えても様相は異なりますし、奥多摩の山の中でも雲取山・川苔山・鷹ノ巣山……と山単位で見てみても違いを感じることができます。 いつだったか、登頂を目指そうとする文化は日本ならではのものと聞いたことがあります。海外ではロングトレイルという言葉があるように登頂を目指すのではなく山々を眺めながらひたすらに長いトレイル(山道)を歩いていく、そのような山の楽しみ方があります。 これは登頂を目指すことの面白さ、いわゆる景色の美しさや植生の違いを楽しめる魅力が日本の山にはあるとも言えるのではないでしょうか。またそれが山々によっても違う。急峻な山もあれば、なだらかな山もある。こんな特殊な自然を楽しめる日本という国を今一度見直してみて、山を楽しむ視点を1つ、2つ加えていただければと思います。やなぎはら・かずのぶ ウェブマガジン『山旅々(やまたびたび)』編集担当。登山に出かけ、その山に属する町・食・人を知る『山旅』を楽しむ。背景にひそむ歴史や文化を知ることで旅路に奥行きある時間を作ることが好き。趣味は登山以外にトレイルランニングやテンカラ釣り、キャンプとアウトドア全般を楽しみ、遊びのスタイルやアクティビティに関する様々な情報発信している。

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    草津白根山噴火 温泉キャンセルを風評被害と断じるのは早計

    「今回の噴火は“序章”にすぎないといえるでしょう。東日本の火山はこれから大規模な活動期に入っていくと考えられます」──高橋学・立命館大学環太平洋文明研究センター教授は1月23日に起きた草津白根山の噴火を受け、そう語った。 同山付近にある草津国際スキー場で訓練をしていた陸上自衛隊の隊員1人が噴石の直撃を受け死亡、観光客も含め11人が重軽傷を負った(1月25日時点)。噴火に先立ち、監視にあたっていた気象庁で異変は感知されなかった。気象庁担当記者がいう。「噴火口は従来から警戒監視を高めていた湯釜ではなく、2km南にある鏡池付近で“3000年間は噴火していない”とされてきたエリア。近年では火山性地震が増加した2014年に警戒レベルを1から2に引き上げたものの、昨年6月には1に戻されていた。火山活動が高まったことを示す観測データもなかった」 地元の草津温泉には安全確認の問い合わせとキャンセルの連絡が相次ぎ、動揺が広がっている。一方、草津温泉観光協会は「規制対象は火口から半径2kmで温泉街は5km以上離れています。噴石なども確認していません」と安全を強調する。だが、火山活動の活発化が近隣の温泉地への客足を鈍らせるのは間違いない。 2015年6月に小規模な噴火があったとして噴火警戒レベルが3に引き上げられた箱根山。その際に箱根温泉では年間の宿泊客数が約460万人から約360万人へと100万人も減った(2015年)。(画像:istock) 草津温泉は箱根に比べ旅館の経営規模も小さく、打撃はより深刻になる。すでに草津の旅館関係者は「いくら安全だと訴えても、客足は遠のく。リストラもやむをえなくなるだろう」と肩を落としている。 ただ、これを“風評被害”と断じるのは早計だろう。2014年に起きた御嶽山の噴火では、秋の紅葉シーズンに足を運んだ登山客58人が犠牲となった。2週間前から火山性地震が増加するという“予兆”があったが、警戒レベルが事前に引き上げられることはなかった。 予知に限界があるのは致し方ないが、観光客が集まる場所・季節だからこそ、「リスクを過小評価してはならない」という教訓が残された。 だからこそ高橋氏は「警戒レベルが1でもゼロでも、兆候と考えられる動きがあれば広くアナウンスされるべき」との姿勢を取る。関連記事■ 驚異の的中率MEGA地震予測、2018年の警戒地域は■ 登山中の噴火避難術 谷や沢沿いの移動は避け尾根伝いに下山を■ 地震・火山「予知ムラ」 税金250億円使い成果ゼロの言い訳■ 「M9巨大地震から4年以内に大噴火」 過去の確率は6分の6■ 東日本大震災との連動噴火 吾妻山の危険性を監視センター警鐘

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    登山中の噴火避難術 谷や沢沿いの移動は避け尾根伝いに下山を

    はこぶし大から直径2mを超える巨大なものまでさまざま。どこに飛んでくるか、まったく予測ができない。 災害危機管理アドバイザーの和田隆昌さんが語る。「噴火の避難では、致命傷となる噴石の直撃や、降り注ぐ大量の火山灰から発生する有毒ガスの吸引を最大限まで防御することです。ヘルメットやゴーグル、防塵マスクの用意がないときは、リュックやタオルで頭と背中を噴石から守り、ハンカチで口を覆い火山灰などの吸い込みを防いでください」(以下・「」内同) 逃げる最中に山小屋や避難シェルターがあれば、迅速に建物を目指して進んで行く。もし、建造物がない場合は、火口を背にして、噴石を防げる岩陰などに身を隠す方法もある。ただし、山小屋や避難シェルターは決して避難の最終ゴールではないことを忘れてはいけない。(画像:istock) 噴石を最低限防御し、噴煙程度は遮断できるものの、有毒ガスが流れ込んだり、発生した火砕流にのみ込まれたらひとたまりもない。山小屋などでヘルメットやマスク、もしくは身を守る最低限のものを装備したら、噴火の状況を見極めて下山しなければならない。「下山を始めたら体を防御しながら迅速に麓を目指して進んでください。火砕流や、高温の火山ガスと火山灰からできた火砕サージなどは低地に向かって流れるので谷や沢沿いの移動は危険です。 峠から峰に続く尾根伝いに下山できるコースがあれば、そちらを選択した方が、生還率は高まります」 下山を始めても危険な状況は続く。 特に冬場は、火砕流同様に危険な、マグマによって溶かされた雪が流れ出す融雪泥流が起こる可能性もある。噴火による現象のすべてが生死にかかわるため、麓に着いて安全な場所に移動するまで、緊迫した状況が続くことは肝に銘じておくべきだろう。「観光登山であっても、火山に登る限り、噴火はいつ起こってもおかしくありません。事前に山の情報をしっかり把握してから出かけてください」 噴火から逃げる術をひとつひとつ積み重ねることで、災害からの生還率をわずかでも高めることができるはずだ。関連記事■ 世界の7分の1が日本に集中する火山について易しく語った本■ 噴火対策 コンタクトレンズでなく眼鏡着用し車の移動やめる■ 懸念される富士山の噴火 1.3万人が死傷、被害総額2.5兆円の想定■ 専門家「噴火予知は困難。警戒レベル区分すること自体間違い」■ 御嶽山噴火を的中させた教授 富士山噴火2014年±5年と予測

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    もう手遅れ? 「殺人」ヒアリの猛威

    この夏、小さな「殺人アリ」が日本を席巻している。南米原産の強毒外来種、ヒアリ。女王アリを含む固体が各地で見つかっており、生息域の拡大に懸念が広がる。ひとたび定着すれば、根絶は不可能とも言われるヒアリの生態。水際で防ぐことはできるのか、それとも既に手遅れなのか。

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    なぜ世界で唯一ニュージーランドだけがヒアリを「根絶」できたのか

    村上貴弘(九州大学決断科学センター准教授) 5月26日に兵庫県尼崎市のコンテナ内から「世界の侵略的外来種ワースト100」に入っているヒアリが発見されてから1カ月あまり。次々に見つかるヒアリに付近住民のみならず多くの人々が心配をしている状況です。私の知り合いの息子さんもヒアリに刺される夢をみているという連絡があり、心を痛めています。多くの人々に正しい情報を提供し、正しく恐れることを目的に本稿を書き進めたいと思います。ヒアリの女王アリとみられる個体(環境省提供) まず、第一点目は、ヒアリの毒はアリの中で最も強い毒というほど強くはないということです。世界には、もっと強い毒を持ったアリが複数存在します。 では何が問題なのでしょうか? 一番の問題はその繁殖力です。現在、米国では、アラバマ州、テキサス州、フロリダ州など南部の18の州に定着しています。そして、地域住民の約50~90%(約1000万人)がヒアリに刺された経験を持つといわれています。この数の多さが厄介なのです。 その中でアナフィラキシーショックを示すのが約1~2%、亡くなられた方が約100名ということで致死率は0・001%程度です。したがって、死への恐怖をあおるというのは正しくなく、広範囲に定着して多くの人が刺されてしまうということを心配することが正しいと思います。 現段階の日本の現状をまとめてみましょう(2017年7月11日現在)。これまで6地点(尼崎、神戸、大阪、名古屋、春日井、東京)で侵入が確認されています。そのうち春日井市(愛知県)の事例を除いてすべてが港のコンテナ内、もしくはコンテナ保管場所から見つかっています。内陸の春日井市では1個体の働きアリが見つかっています。女王アリは大阪港で見つかっています。これらの情報から現段階で日本へのヒアリの進出状況は『侵入』段階で、『定着』には至っていません。 ヒアリの駆除には初期対応が重要です。ヒアリは1930年代にアメリカ合衆国に侵入・定着した後、カリブ海、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、中国に侵入・定着しています。 アメリカ合衆国は、もっとも対応を誤ってしまった国です。問題点として①気づいたときには多くのヒアリが定着していた(初期対応の不足)、②ヒアリ駆除の方法論が確立されていなかった、③レイチェルカーソン著「沈黙の春」でヒアリの被害が過小評価され、DDTやBHCなどの強力な殺虫剤を使えない状態になってしまった、④南米では天敵となっているノミバエを使った生物防除の大規模実証研究もしていますが、有効な手段にはなっていません。 現在、米国では年間5000~6000億円の経済被害が出ています。おもな被害は農作物の食害、電気設備の配線を食い破りショートさせる、公園などに営巣したコロニーの除去、敷地内に巣がある場合の不動産価値の低下などがあげられています。中国と台湾の場合 オセアニア2カ国は非常に参考になる対応をしています。 まずニュージーランドですが、01年にオークランドの空港そばの敷地にヒアリの巣を空港関係者が発見しました。その後、ニュージーランド農務省は迅速に対策チームを結成し、殺虫剤を使ったコロニーの駆除、発見場所から1キロ圏内を定着ハイリスクエリアに設定し徹底してモニタリング、5キロ圏内を要注意エリアとして調査を行うことで03年の夏までに根絶宣言を出すことができました。この作業にかかった費用は約1億2千万円です。その後も複数回港のコンテナ内からヒアリが発見されましたが、定着前に駆除されています。 オーストラリアでも01年にブリスベーンに定着が確認されました。ニュージーランドに比べると定着した巣の数が多く、駆除は難航しました。ニュージーランド同様、迅速にヒアリ根絶国家プログラムが発動し、6年後の07年にはブリスベーンに定着したヒアリの99%を駆除できたと発表しています。しかし、残りの1%は現存しており、いまでも繁殖の危険性はゼロにはできていません。また、14年と15年にも侵入が確認され、継続的に予算をつぎ込んでおり、この15年間で270億円を費やしています。 この2カ国の対策の違いは非常に参考になると思います。ニュージーランドで発見されたヒアリの巣は定着後半年から1年以内と推定され、わずか1コロニーだけでした。この場合、根絶は可能でした。しかしながら、ブリスベーンでは巣は複数同時に確認され、ニュージーランドより大規模に根絶プログラムが発動しましたが、根絶できませんでした。かかった費用も約200倍以上です。いかに初期対応(定着前に発見すること)が重要か分かると思います。 隣の台湾には04年に侵入・定着しています。台湾も国家紅火蟻防治中心(National Red Imported Fire Ant Control Center)を迅速に設立し国家プロジェクトでヒアリの根絶を進めています。08年の報告では桃園のヒアリの88%、嘉義では94%を駆除できたとしています。台湾ではヒアリ探索犬を開発するなどユニークな取り組みをしていますが、それでも根絶にはいまだにいたっていません。台湾では年間約2億円の予算を計上していました(09年当時)。 中国も2004年に深圳市に侵入・定着し、急速に分布範囲を広げており、07年の報告では広東省、広西チワン族自治区、湖南省、福建省、江西省まで拡大しています。中国本土でも駆除対策のみならず、基礎研究を行っており2013年の論文では95本の研究論文が少なくとも報告されていることが明らかになっています。 以上のように、これまで侵入・定着した国と地域で根絶に成功したといえるのはニュージーランドのみです。繰り返すようですが、初期対応の違いで大きく結果が違ってきます。巣を壊したときの反応 次に、ヒアリの特徴を説明します。 ヒアリはもともとブラジル、アルゼンチン、パラグアイ国境の熱帯雨林に生息するアリです。体長は2.0ミリ~6.0ミリとばらつきが大きいのが特徴です。体は、頭部と胸部がやや赤茶色、腹部が黒色で全体的に光沢があります。 ただ、一般の方がヒアリを形や色からだけで識別できるかというと、かなり難しいのではないかと思います。現在、日本社会性昆虫学会がサイトでQ&A形式で基本的な情報をビジュアル付きで解説しております。 日本のアリとの大きな違いはその動きと攻撃性です。たとえば、巣を壊したときの反応が非常に素早く、また躊躇(ちゅうちょ)なく刺してきます。  また、女王アリの産卵能力が高いことでも知られており、1個体の女王アリが条件さえ整えば1時間に平均80個ほど卵を産むことができます。女王アリの寿命は6~7年。生涯で産む卵の数は200~300万個といわれています。 原産地では一つの巣に女王アリは1個体いることが多いのですが、侵入地では10個体前後、多いときには100個体を超える女王アリがいて、それぞれが産卵している場合もあります。このことが、さらに繁殖力を高めています。 原産地では、ヒアリは熱帯雨林の中に巣を作らずに川べりの赤土の露出したところに巣を作ることが多いです。そういった場所は雨期には増水し、巣を破壊します。そのときにヒアリは働きアリ同士が協力して「イカダ」を作ります。その上に女王アリや幼虫・卵・さなぎを乗せ、川を下っていきます。そうして適した場所にたどり着いたら、上陸しそこでまた新たな巣を作っていきます。コンテナ周辺でヒアリがいないか確認する鳥取県職員ら=7月6日、境港市の境港 まさに、自然条件下でも厳しい環境の変化に適応しており、それが侵略的外来種としての特質をすでに持っていたということもいえるかもしれません。  これから私たちはどのようにしていけばよいのでしょうか? まずは落ち着いて行動しましょう。現在、過度にヒアリの被害を強調されています。それらの情報に振り回されないよう冷静に対処しましょう。現段階でヒアリがすぐに大繁殖することはありません。その上で適切な対応を考えていきましょう。 特にこれは行政・研究者レベルの話ですが、まずは供給源となっている地域を特定し、その地域と連携しながらヒアリの駆除プロジェクトを立ち上げるべきです。 より広範囲にわたって貿易を行い、しかもそのスピードも頻度もどんどん増加している21世紀。私たちは今回のヒアリの侵入から、人間活動の活発化がもたらす光と影を深く理解し、影の部分のリスクに対してしっかりとした覚悟を持って対処していくことが大切です。

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    「殺人ヒアリ」恐るるなかれ、マムシやスズメバチより危険度は低い?

    土畑重人(京都大学大学院助教) 5月20日、神戸港に陸揚げされたコンテナの中には、積み荷とともに招かれざる客も乗り込んでいた。その名はヒアリ。国際自然保護連合の「世界の侵略的生物種ワースト100」にリストアップされ、外来生物法の特定外来生物にも指定されている有毒アリである。その後1カ月ほどの間に、名古屋港、大阪南港、東京港、さらには港湾部から輸送された荷物が保管されていた内陸部でもヒアリ発見のニュースが相次いだ(2017年7月11日時点)。東京・大井ふ頭で見つかったヒアリ=4日(環境省提供) 筆者のような基礎科学をもっぱらとするアリ研究者のもとへも各方面からの問い合わせが寄せられたが、これもひとえに、ヒアリが人への健康被害をもたらし、莫大(ばくだい)な経済的損失の原因となる危険生物だからである。長らく時間の問題だといわれていた国内への侵入が確認された今、これ以上の分布拡大をくい止めるべく最大限の努力が払われる必要があると同時に、現前のリスクを「正しく怖がる」態度が重要である。 ヒアリの被害が最も多く報告されているのは、1930年代から定着している米国南部一帯である。現地では刺されることによる人や家畜への被害や農作物への食害、配線をかじられることによる電気設備への被害も生じ、米国での経済的な損失は年間6,000億円にものぼるという。他の有毒生物とは比べものにならない被害の規模は、ヒアリがもつ「社会性」に起因するところが大きい。 10万匹以上のアリがコロニーと呼ばれる巣に同居し、コロニーの中では産卵に特化した女王アリと巣を維持する働きアリとが分業体制を敷いている。ヒアリの働きアリは非常に攻撃的であり、また女王アリは1時間に80個もの卵を産む能力があるとされるが、これらも効率的な分業体制によって可能になっているものと考えられる。生物進化の歴史の中でヒアリが獲得した「社会性」が、同じく社会性を持ったわれわれにとってのリスクとなっていることはなんとも皮肉である。 ヒアリの原産地は南米であるが、世界の温帯・熱帯地域で繁殖できる能力を持っているとされ、北米を経由地とした分布拡大は、現在でも世界的な規模で続いている。21世紀に入ってからはオーストラリアやニュージーランド、さらには中国、台湾、東南アジア諸国への侵入が報告されている。これらはすべて、今回の日本への侵入と同じく物流を介して生じたと思われ、経済活動のグローバル化が意図せぬ弊害をもたらした格好だ。 ヒアリ発見のニュースの中で筆者が驚いたのは、輸入されたコンテナが国内でも頻繁に移動しているという事実である。ヒアリの自然状態(巣の移動や翅アリの飛翔)での分布拡大能力は米国での事例では年に10キロメートル程度とされる。しかし、物流に伴う人為的な移動はそれをしのぐスピードで国内の港湾など物流拠点間での飛び火的な移動を助長する可能性がある。ヒアリは幹線道路脇や都市公園など人工的な環境に好んで生息するため、いったん物流拠点での定着を許してしまうとその後の陸続きの分布拡大にも同時並行的な対処が必要となってしまう。ヒアリの研究は進んでいる 現実のものとなってしまったヒアリのリスクを前に、われわれにはどのような対策が可能だろうか。まずは、これ以上の分布拡大を阻止しなくてはならない。現時点での情報から判断すれば、日本へのヒアリの侵入は港湾部や事業所の倉庫内などに留まっており、他の場所で刺された被害も報告されていないことから、国内での世代交代はまだ生じていない段階であると思われる。近隣諸国への侵入以来警戒されていたことが功を奏して、定着後の発見とならなかったことは不幸中の幸いである。 発見された場所では、殺蟻剤による迅速かつ念入りな処置が必要である。港湾部などの人工的な環境では、在来生物の多様性は比較的低いとは思われるが、在来アリとの餌や住み場所をめぐる競合や天敵によってヒアリの分布拡大を抑制できることも可能性としては考えられることから、発見場所周辺の生物相や殺蟻剤の影響には継続的なモニタリングが肝要であることは指摘しておきたい。根絶に成功したニュージーランドの事例は参考になるであろう。 発見場所の近隣に住む人々にとって一番の気がかりは、健康被害の可能性であろう。ヒアリが発見された場所の周辺では、無用にアリに触らないことが望ましい。ヒアリに刺されてしまった場合に重篤なアレルギー反応を生じる可能性がある人の割合は、米国などでは1〜5%とされている。その場合、早急に適切な治療を受けることが推奨されている。 筆者の個人的見解であるが、マムシやスズメバチとは異なり、ヒアリに遭遇する可能性が高いのは都市部であるため、刺された場合でも最寄りに医療機関がある場合がほとんであろうから、治療が遅れたために命を落とすということは起こりにくいのではないだろうか。医療機関にヒアリに刺された場合の症状についての知見があれば、迅速な対応が可能になるのみならず、ヒアリの分布拡大を察知することにもつながるだろう。 日本という新しい環境に侵入したヒアリが、実際にどのような被害を引き起こすかを事前に予測することは難しい。ただ、死亡者数などのセンセーショナルな情報が先行して、地域ごとに異なる生態的・社会的背景を無視した議論が起こることは望ましくない。基礎研究に携わる者として強調しておきたいことが一つある。 ヒアリはゲノム情報の解読をはじめ、アリの中では基礎研究・応用研究ともに研究が最も進んでいるものの一つである。公的機関・研究機関から出されている情報は、最新の研究成果を反映しており、典拠を明示してあるものも多い。何がわかっており何がわかっていないのか明確にし、わかっていないことに関しては先行事例を参考にしながら他のリスクと比較衡量しつつ行動する。リスクを「正しく怖がる」という態度が、結果的に被害を軽減し、ヒアリ根絶にもつながる早道であろう。

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    ワカメやコイも 「世界を侵略する」日本固有の生物はこんなにいた!

    草刈秀紀(WWFジャパン) 1971年2月、日本で『侵略の生態学』(※1)という書物が出版された。通称『エルトンの侵略の生態学』という。原著は58年に刊行されている。本書の日本語版前書きには、次のような記述がある。「…なかでも人類の働きによる生物種の移動は、世界のどの地域においてもたいへんなもので、新しい生物が、それまで住んでいなかった地域へ、つぎつぎに“侵略”して行っています。これには、人間が意図して持ち運ぶ場合も、また意図しないにもかかわらず移動させてしまう場合もありますが、とにかく最近百年間には、この動きがとくに激しくなっているのです。こうした結果、一連の“生態的撹乱(かくらん)”がまき起こり野生の動植物間に何千万という全く新しい相互関係を生み出すと同時に、人間の健康や天然資源、さらには人間環境全体をも狂わしています」 『エルトンの侵略の生態学』が指摘する点は、現在、世界中で起こっている外来種の問題そのものであり、話題となっている外来種による影響と対策は、既に日本語版で46年前に指摘されていたことになる。 外来種の影響は、生態系の攪乱のみならず、人間の健康や天然資源、さらには人々の環境全体をも狂わしているのである。 昨今の外来種問題や防除対策などの法的根拠として、生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)の第8条(h)「生態系、生息地若しくは種を脅かす外来種の導入を防止し又はそのような外来種を制御し若しくは撲滅すること(第8条・生息域内保全)」がよく引用されている。国際自然保護連合の「世界の侵略的外来種ワースト100」に入っているワカメ 外来種対策は、そもそも生物多様性を保全するという大きな将来目標を実現するための一つの対策として、考えられているものである。 海外から侵入した外来種による問題が昨今、多く取り上げられているが、日本も世界の生物多様性に影響を及ぼしている加害者である。ワカメもコイも「侵略者」 例えば、私たちが日ごろから食しているワカメは、国際自然保護連合(IUCN)による「世界の侵略的外来種ワースト100」の選定種の1つである。ワカメの遊走子(べん毛を持って水中を泳ぐ胞子)が日本からの商船の「バラスト水」に混入した状態でニュージーランドやオーストラリア、ヨーロッパ諸国の沿岸域に運ばれ、そこでバラスト水とともに放出されて、沿岸域に定着。増殖して、侵略的な外来生物になっている。ワカメを食べない文化圏の国々にとっては、大きな問題となっている。 バラスト水は、船舶が空荷の時に、船舶を安定させるため、重しとして積載する海水で、主に貨物を積む港において排出される。世界では、年間30-40億トンのバラスト水が移動していると推計されている。日本には、年間およそ1700万トンのバラスト水が持ち込まれ、約3億トンが持ち出されているとみられる。バラスト水に存在する生物が、船舶を介して本来の生息域でない海域に侵入し、繁殖して、被害が発生するのである。国際自然保護連合の「世界の侵略的外来種ワースト100」に入っているコイ 日本の河川や公園の池でよく見かけるコイは、比較的流れが緩やかな川や池や沼、湖、用水路などにも広く生息する淡水魚である。しかし、コイは、汚染に強く雑食性で何でも食べ、さらに低温にもよく耐える生きものである。30センチを超す大きさに育つので天敵が少なく、淡水域の水底において優占して問題となっている。移入された北アメリカでは泥臭いという理由で食用にされないこともあって、爆発的に個体数を増やして問題となっている。 日本の固有種ではないが、日本から生物が海外に広がり希少なカエルが絶滅したと思われる例もある。生態系への深刻な影響として、一時話題となった、カエルツボカビ症問題にふれざるを得ない。 カエルツボカビは感染力が強く、野外での根絶が不可能といわれ、海外では、地域的にカエル類の絶滅が起こったり、一部のカエルが絶滅したりしているケースが見受けられる。アジア起源のカエルツボカビが世界に拡散 2006年12月、日本で初めて飼育下におけるカエルツボカビ症が確認された。そして、07年1月「カエルツボカビ症侵入緊急事態宣言」がWWFジャパンも含めさまざまな学会から16団体が共同署名して、全国に発信された。その後、飼育下および流通過程において、カエルツボカビ症の感染が明らかとなり、6月には、野生のウシガエルからカエルツボカビ菌が検出された。そこで、全国のカエルツボカビの拡散状況が研究者によって調べ上げられた。特定外来生物に指定されているウシガエル 国立環境研究所などの調査で日本のカエルから約30系統のカエルツボカビ菌が見つかったが、中米や豪州では1系統しか見つかっていないということで、アジア起源のカエルツボカビが世界に拡散し被害をもたらしたと考えられている。日本・中国・韓国などで感染の報告があっても被害の報告がないこととも符合する。 10年9月時点で50タイプのカエルツボカビ菌が確認されており、調査したカエルのサンプルの3%が菌に感染していたが大量死は発生していないこと、1932年のオオサンショウウオの標本からもこの菌が検出されていることなどから、日本ではカエルツボカビ菌が昔から自然に存在し、日本の両生類は、これにすでに抵抗力を持っている可能性が高いと考えられている。むしろ日本の研究者や採集家が用いるフィールドワーク時の装備などを通じて、カエルツボカビ菌が世界に拡散した可能性があると揶揄(やゆ)された。 『エルトンの侵略の生態学』の原著が59年前に出版されており、半世紀以上が過ぎた。この間、私たちは、外来生物対策として、今まで何をしてきたのだろうか。先人の知恵を謙虚に受け止め、学び、対処していれば、防げたことが世の中に多数存在するのではないだろうか。 外来種対策は、私たちが将来健全に生活していくために必要な生物の多様性や生態系を健全に保つための一施策である。 環境省では、外来生物被害予防三原則として、(1)入れない(悪影響を及ぼすかもしれない外来生物をむやみに日本に入れない)、(2)捨てない(飼っている外来生物を野外に捨てない)、(3)広げない(野外にすでにいる外来生物は他地域に広げない)としている。だが、日本起源の外来種が世界で悪影響を及ぼさないためにも、4項目めとして、「日本から出さない」ということを加えたい。引用文献(※1)川那部浩哉・大沢秀行・安部琢哉訳(1971):侵略の生態学,思索社(※2)カエルツボカビ症について:WWFジャパン(※3)日本由来の外来種

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    日本を侵略する外来種との「終わりなき戦い」を食い止める方法がある

    辻村千尋(日本自然保護協会保護室室長) 「ヒアリ」が発見されたというニュースが日本列島を席巻しています。毒を持っていることから人的被害への恐れがこのニュースをより大きくしている側面もあります。しかし、外来種問題の本当の恐ろしさは、人的被害だけではありません。そのことの理解のために「外来種とは何か」というところから整理します。 外来種とは、人の移動手段が人力から動力に変化し移動速度が格段に上がってから、人の手によって移動させられた生きものをいいます。日本では明治時代以降になります。そして、その外来種の中でも、他に競合する生きものがなく、もともとその地で暮らしていた生きもの(在来種)を駆逐して爆発的に生息・生育地を拡大していくものを「侵略的外来種」としています。 歴史的にできあがった自然のつながりが壊されることこそが、外来種問題の本当に怖いことなのです。ヒアリや、同時期に見つかった毒アリ「アカミミアリ」も生態系への影響に対する危険を重視しなければいけません。外来種の侵入が確認された場合、初期段階で完全駆除を徹底しなければなりません。一度定着してしまうと、根絶は非常に困難になってしまうからです。天然記念物アカガシラカラスバトの繁殖地を「サンクチュアリー」に設定し生態系保護に取り組む=東京都小笠原村父島(2011年撮影) 世界自然遺産に登録されている小笠原諸島での外来種問題をみれば、そのことの意味がよくわかると思います。 小笠原はその自然の価値から世界自然遺産に登録されています。しかし、登録前から外来種問題を抱えており、その対策の確実な履行が登録の条件でもありました。最も遺産の価値として位置付けられたカタツムリなどの陸産貝類については、再生能力を持つ扁形(へんけい)動物「プラナリア」の侵入により父島では壊滅的な状況になっていますし、特定外来生物のトカゲ「グリーンアノール」により固有の昆虫類も父島では絶滅してしまったものもいます。 野生化した猫「ノネコ」は絶滅危惧種のアカガシラカラスバトや海鳥類、ノヤギは固有の植物にそれぞれ大きなダメージを与えました。環境省や林野庁、東京都などの行政機関や研究者、地元のNPO等の活動で、例えばノネコの捕獲が進んだことでアカガシラカラスバトの生息数が劇的に改善されたり、属島からノヤギが完全駆除されたりと成果も多く上がっています。外来種問題を引き起こさない方法とは しかし、その一方で新たにグリーンアノールが兄島という無人島に侵入してしまうなど次々に問題も浮上しています。さらには、捕獲して減少したノネコの影響でクマネズミが増加したり、ノヤギによって被圧されていた外来植物が繁茂拡大する問題も起きています。このように一度定着してしまうと単純に駆除すればよいという状況ではなくなり、生物間の相互作用を予測評価しながらの対策が必要となり、結果、完全駆除ができないものも出てきてしまうのが、外来種問題の大きな課題です。 ところで、費用対効果が高く、かつ外来種問題を引き起こさない方法として、どんな方法が思い浮かびますか? それは、外来種を「入れない」ことです。しかし、グローバルなつながりがある現代では、最も難しいことでもあります。ヒアリもそうでしたが、外来種はいろいろなものと一緒に混入して運ばれてくるので、物流を止めない限り実現できないからです。もう一度鎖国するということは現実的ではありません。神戸港のコンテナヤードを調査する環境省の職員ら=6月16日(神戸市提供) それでも、できることもあります。それは不必要な物資の移動をやめることです。日本は島国です。そしてその成り立ちから地形や地質が複雑に入り組んだ箱庭のような自然環境をしています。同じ日本という国であっても、その土地土地でそれぞれの生態系があります。ましてや、国内といっても海を挟んだ島と島では生態系は全く別物のこともあります。 せめて、島と島の間で土砂の移動を制限するとか、やむをえず入れなければならないのであれば徹底した検疫システムを作るなど、できることもあるのです。 固有種の多い島では、島外から持ち込む海の埋め立てに使う土砂は、すべて焼却処理を施すことも考えられます。そんな対策をしたらいったいいくら費用がかかるのか、費用がかかりすぎて現実的ではないとの意見もあるでしょう。しかし、外来種が蔓延(まんえん)し、在来の自然に致命的な打撃を与え、多くの絶滅種や危惧種を作りながらも「終わりなき戦い」を続けることと比較した場合、どちらが「安い」のでしょうか。一度そのことを真剣に議論するべき時に来ているのではないでしょうか。

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    ブラックバスと肩を並べる「侵略的外来種」の恐るべき“被害”

    木寅雄斗 (Wedge編集部) 日本文化の象徴、ニシキゴイ。見る人の目を楽しませようと、全国各地で放流が行われている。だがその安易な考えの放流は、生態系破壊や感染症蔓延など、不可逆の事態を招きかねない。 富士川水系の一つ、荒川。山梨県甲府市を南北に貫く一級河川だ。その支流、貢川(くがわ)の堤防から水面を眺めると、色鮮やかなニシキゴイが優雅に泳ぐ姿が目についた。遊歩道に設けられた掲示板には、ニシキゴイを川に放つ小学生の写真。こののどかな場所が、ゴールデンウィーク中に起こったインターネット上の「炎上」の舞台となった。 5月2日、NPO法人「未来の荒川をつくる会」が貢川に300匹のニシキゴイを放流した。地元の小学生53人がこのイベントに参加し、甲府市長や国会議員も立ち会った。山梨日日新聞など地元メディアも微笑ましいイベントとして好意的に報道した。同NPOが開催したニシキゴイの放流は今回で9回目だ。これまで通りであれば、ささやかな地方のイベントとしてお茶の間を和ませて終わっただろう。 しかしこの後、山梨日日新聞電子版に記事が掲載されたことをきっかけに、ニシキゴイ放流の是非を問うインターネット上の書き込みが相次いだ。その多くは、ニシキゴイが環境に及ぼす悪影響を懸念するものだった。 ニシキゴイはコイを品種改良して生まれた観賞魚であり、そもそも自然環境には存在しない。 コイそのものも大きな問題を孕(はら)んでいる。IUCN(国際自然保護連合)が定める「世界の侵略的外来種ワースト100」のうち、魚類は8種。そこにコイはブラックバスなどと並び指定されている。ユーラシア原産のコイは世界各地に広まっており、北米のミシシッピー川や五大湖では中国産のコイが繁殖して生物多様性を脅かし、重大な問題になっている。オーストラリアではコイにより年間400億円の経済損失が発生しているとの報道もある。※写真はイメージ もちろん、日本の自然環境にとってもコイの危険性は他人事ではない。コイの生態に詳しい国立環境研究所の松崎慎一郎主任研究員は「コイは自然環境に甚大な影響を及ぼしかねない」と指摘する。 一つは生態系への影響だ。コイは食欲旺盛で、在来魚の餌である貝類や水棲昆虫、水草の芽を食べる。また水底から餌を探す際に泥を巻き上げ、日光をさえぎってしまうため、池や沼では水草を枯らしてしまうことが松崎氏の実証実験で示唆されている。また成体になれば目立った天敵もおらず、長寿のため(一説には100年以上生きるとされる)、長期にわたって影響を及ぼす可能性が指摘されている。 遺伝的撹乱(かくらん)の懸念もある。最近の研究によって、日本に生息するコイの多くがユーラシア原産の外来種、あるいは外来種と日本在来のコイの交雑個体であることが確実視されている。在来のコイは琵琶湖北部などで細々と生き残っているのみとされ、環境省レッドリストにも掲載されている。専門家によると「在来のコイは近々学名がつき、日本固有種になる」ようだ。一方、遺伝的にみれば、ニシキゴイは中国ルーツであるという。安易なニシキゴイの放流は、古来、日本に生息している残り少ない在来のコイの遺伝子を消滅させる可能性がある。 最後に感染症蔓延(まんえん)の危険性だ。1990年代からコイのみが罹る致死性の感染症・コイヘルペスウイルス(KHV)が世界各地で猛威を振るっており、日本でも甚大な被害が出ている。都道府県の条例などによってKHVに感染したコイの放流は禁止されているが、危険性はつきまとう。加えて「高密度の環境で養殖された魚がどのような病気を持っているかはわからない」(業界関係者)のが実態だ。 冒頭の放流イベントが炎上したのは、こうした理由があったからだ。放流をやめられない事情 貢川の堤防から川の中に目を凝らすと、黒いコイに混ざって泳ぐ数匹のニシキゴイが、泥を巻き上げながら水底をついばんでいた。十数人の地元住民に話を聞くと、口をそろえて「あまりニシキゴイを見たことはないですが、いたとしたら優雅できれいな感じはしますね」と語る。ニシキゴイの放流イベントはこうした「良い印象」を地元住民に与えるため、地元の盆踊りに顔を出すような感覚で、政治家は放流イベントにも参加するのだろう。 しかしこれは本来の自然には存在しない光景だ。教育として小学生に放流をさせたことは、河川に親しみを持ってもらうというメリットはあるかもしれないが、本来の自然環境を誤認してしまうという意味ではデメリットは大きい。甲府市環境部の担当者は「法律には抵触していないが、今回の件を受けて考えないといけない。今後は適切に対処していきたい」と話す。 では何故、NPO法人「未来の荒川をつくる会」はニシキゴイを放流したのか。事情を聴くため、NPOの代表と、放流に際してニシキゴイを提供したとされ、NPOの理事にも名を連ねるニシキゴイの販売業者の会長に再三取材を申し入れたが、NPOの代表は一切の音沙汰がなく、販売業者は「この件についての取材には応じられない」という返答であった。甲府市にある販売業者の店舗を直接訪ねて取材を申し込んだが「会長は現場に出ている」の一点張りで、残念ながら当事者から話を聞くことはできなかった。コイを放った現場には放流時の写真が掲示されていた (写真・WEDGE) 山梨県内の観賞魚関係者によると「ニシキゴイは模様などによって価格差があるためどうしても『ハジキ』と呼ばれる売れ残りが出る。これを処分すると、産業廃棄物のためお金がかかる。一般論だが、放流のために買い取ってくれるとなれば、お金を払うどころか収入になるので、業者としてはありがたいもの」と語る。 今回、NPOに販売業者が無償提供したのか、NPOが有料で買い取ったのかは不明だが、維持管理だけで餌代など経費がかさむことを考えれば、少なくとも観賞魚業者にとって放流は悪い話ではなさそうだ。 このようなニシキゴイや金魚といった観賞魚の川への放流は、岐阜県高山市や大阪府泉佐野市など各地で行われており、珍しいことではない。泉佐野市では昨年、インターネット上で起こった「炎上」によって金魚の放流イベントが一時は中止になったにもかかわらず「30年近くの伝統がある」「下流にネットを張るなどの対策をした」としてすぐ再開された。放流すれば再び物議を醸すリスクをおしての再開からは、なかなか放流を止められない事情が垣間見える。 昨年12月に神奈川県川崎市にある多摩川の支流・五反田川で行われた放流イベントでは、800匹のニシキゴイが放流された。ニシキゴイを無償提供したNPO法人「おさかなポスト」の山崎充哲代表が取材に応じてくれた。 「ニシキゴイ放流がベストの選択肢とは思っていないが、ニシキゴイ放流によって住民や行政が川に関心を持ってくれる。それが環境改善につながる。放しているのはニシキゴイの幼魚で、すぐにカワウやサギなどの天敵に食べられてしまうため生き残れない。また、今回放流した川は堰(せき)で区切られているため、多摩川にニシキゴイが流れ着くことはほぼあり得ない。そもそも多摩川は高度経済成長期に一度死の川になったため、本来の生態系は破壊されている。ただ、今年はニシキゴイを放流する予定はない」と説明する。 なお、山崎氏は『タマゾン川』の著者として知られ、多摩川の外来種問題についてかねて警鐘を鳴らしており、飼い主が飼いきれなくなった観賞魚を引き取る「おさかなポスト」を創設、自費で運営している人物だ。山崎氏ほど考えずに放流している例も全国には数多くあるだろう。 湖沼と異なり、河川での調査は難しくニシキゴイの放流が川の生態系に悪影響を与えるという確たるエビデンスはない。だが放流するのであれば少なくとも「たぶん大丈夫だろう」ではなく、科学的な知見を基に行うべきだろう。「予防原則」の下、生態系に影響がないことを確認してから放流を行うべきではないだろうか。ニシキゴイや金魚のような美観目的の放流に限らず、漁獲量向上を狙った放流についても効果を疑問視する意見は根強い。規制する法律がない放流 アユは放流のリスクが表面化した好例だ。川や湖などの内水面では、漁業法により「獲ったら増やす」の増殖義務が漁協に課せられている。義務履行の手段として大部分を占めるのが放流だ。釣り人から徴収するアユの遊漁料が経営の柱という内水面漁協も多く、琵琶湖産のアユが友釣りに適しているとして人気を集め、戦前からこぞって全国の川に放流されてきた。 しかし90年代に入ると、アユの漁獲量が激減した。サケ由来の致死性の感染症・冷水病が湖産アユに伝染、放流によって全国に拡散したのが原因とされる。さらにある業界関係者は「冷水病のパンデミックは90年代からだが、むしろよくここまで何事もなかったなという印象。エドワジエラ・イクタルリ症など、第二の冷水病になりうる病気はアユで確認されている」と警鐘を鳴らす。 またアユは回遊魚であり、川で卵からかえり、稚魚の間を海岸近くの海で過ごした後、遡上する。しかしアユの生態に詳しい長崎大学の井口恵一朗教授は「湖産アユは琵琶湖の淡水環境に適応した『陸封アユ』であり、在来アユと比べると海水への耐性で著しく劣る。湖産アユ同士の仔はもちろん、湖産と在来の交雑個体も海水環境では多くが死んでしまうと予想される。少なくとも海から遡上してきた個体に湖産の特徴は現段階で見出されていない」と指摘する。ヤナ漁で捕れた琵琶湖のアユ この反省から、最近では川のアユを卵から育てた人工アユ種苗が放流量の過半を占めている。しかし養殖場で育った“温室育ち”の人工アユ種苗はカワウなどの捕食者を天敵と認識できず、野生では生き延びられないとされる。井口教授は「湖産アユ放流も人工アユ種苗放流も、再生産に資する増殖効果はほとんどなく、放流でアユを再生産することは期待できない。産卵場や魚道の整備によって天然アユを増やすのも、やり方によっては増殖義務の履行になる。そちらの方が良いのではないか」と語る。 海への放流で最も大きな割合を占めるのがヒラメだ。2015年現在で放流量の3割を占める。しかしこの放流も、ヒラメの再生産に寄与しているかは疑問符がつく。1999年をピークに放流量は右肩下がりであり、2015年にはピーク時の半分以下になったが、それ以後も漁獲量は6000トンから8000トンの周辺で増減を繰り返しながら横ばいに推移している。 一方、震災でヒラメの種苗生産施設が被災し、放流量・漁船数が共に激減した宮城県では、11年の漁獲量288トンに対して12年は197トンと減少したものの、13年は987トン、15年には1644トンと急増している。自然に任せることが何よりの漁獲量向上につながる方策のようだ。 話をニシキゴイに戻すと、ニシキゴイの放流を規制する法律はない。では全国各地で行われている放流を防ぐ手段はあるのだろうか。 放流を規制できるのはブラックバスなどが指定されている外来生物法のみだが、運搬や飼育なども禁止されてしまうため、産業として成立しているニシキゴイを同法の対象にするのは実質的には不可能だ。そうなると、都道府県レベルでの条例や漁業調整規則、内水面漁場管理委員会指示での放流規制が最も現実的である。 しかしこれを実現できている自治体は存在しない。ブラックバスのキャッチアンドリリース禁止など生物多様性保護では先進的と専門家から言われている滋賀県でも同様だ。愛知県では10年、既存の条例に盛り込む形で外来種の放流禁止を規定したが、指定対象選定の際にコイを加えるかどうかが議論になった。だが「コイ放流に歴史と文化がある」「広くなじまれている」など愛着を理由に指定を見送った。

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    ヒアリの恐怖は命以外にも、米で6000億円超の経済的被害

     神戸港で水揚げされたコンテナから日本に上陸したことが5月下旬に確認されて以来、連日のようにメディアで報じられている「ヒアリ」。攻撃的な性格と尻の毒針によって、米国では毎年100人もの命が奪われている。国内初確認となる「ヒアリ」が見つかった神戸港のコンテナヤード=神戸市中央区港島「刺されて死ぬこと」はもちろん恐ろしいが、そればかりではない。1930年代からヒアリ被害に悩まされる米国では経済的にも深刻な打撃を受けている。 テキサスA&M大学農業経済学部のカーティス・ラード氏らの2006年の調査によれば、ヒアリの定着が確認されている米14州の経済的被害の合計額は54.6億ドル(約6069億円。6月22日現在、以下同)にのぼる。 被害の内訳は「一般家庭」が年間約36.7億ドル(4075億円)、次いで「電気・通信」が6.4億ドル(711億円)となっている。 巣が建物や道の下に作られれば、倒壊や陥没の危険性があるほか、通信ケーブルや電気設備を破壊することが報告されている。 農業への影響ももちろん甚大で、年間4.2億ドル(466億円)の被害があるという。ヒアリは作物を枯らす原因となるである害虫・アブラムシの数を激増させるからだ。神戸港のヒアリ駆除を担当した、環境省外来生物対策室の若松佳紀氏が言う。「ヒアリはアブラムシが出す甘い体液を好むため、共存関係を維持するべくアブラムシを保護する習性があります」 もし日本にもヒアリが定着すれば、甚大な被害は避けられない。日本経済への影響を、アリの生態に詳しい九州大学の村上貴弘准教授がこう予測する。「今は温暖な地域にしか生息できないといわれているが、ヒアリは環境適応能力が高いため、関東から沖縄までなら住み着く可能性は十分にある。各地の農業への影響はもちろん、東京、大阪、名古屋といった大都市で定着すれば、その被害額は甚大でしょう」“蟻の一穴”の時点から凶暴すぎる。関連記事■ 47都道府県の経済力 東京=インドネシア、群馬=オマーン■ 【日韓比較・経済編】名目GDP、国際特許出願件数、対外投資■ 資産2.3兆円のアリババ会長 上場で孫正義氏も笑い止まらない■ イスラム国 外国人戦闘員の月給は約72万円で油田が資金源■ 中国の外貨準備高が5000億ドル激減 人民元防衛で市場介入か

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    知られざる「中世の要塞」熊本城

    築城の名手加藤清正によって建てられた熊本城は、外観の美しさだけでなく、実戦と籠城にも適した「中世の要塞」だった。いまでこそ熊本地震で痛々しい姿を見せている熊本城だが、かつては隣国の雄藩薩摩も恐れさせた難攻不落城の魅力に迫る。

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    西郷隆盛も恐れた熊本城、知られざる「肥薩攻防」の歴史

    原口泉(志學館大学教授) 熊本城攻めに敗れた西郷隆盛は、「官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」とつぶやいたという。また、司馬遼太郎は「西郷軍にとって熊本城を攻めつぶすことが、戦略以前の自明の世界に属することであった」(『街道をゆく~肥薩の道』)と書いているが、熊本城は日本国政府そのものだったのである。 加藤清正が天下無双の堅城を築いたのは1607年、薩摩の島津押さえのためとも、豊臣秀頼を守るべく徳川氏と戦うためともいわれる。復元された本丸御殿の「昭君の間」の華麗さを見れば一層その感がする。西郷隆盛の肖像画(国立国会図書館蔵) 西南戦争で熊本城攻撃を指揮した桐野利秋は、「百姓兵の熊本城など青竹一本で足りる」と豪語したが落ちなかった。西郷軍の攻撃直前、熊本城の天守は不審火で焼失したが、熊本鎮台司令長官の谷干城が焼き払ったといわれる。熊本城は石垣だけ守り通したのである。 しかし、この難攻不落の石垣も今回の地震では、その3分の2の53か所が崩落した。全体の3割の積みなおしが必要で、復旧には10年以上、文化庁は石垣修復費を354億円と試算している。また、石垣の耐震技術は確立されていない。熊本城は1625年の大地震でも天守をはじめ城内の瓦や建具がすべて落ち崩れ、50人ほどの死者が出る被害を受けたが、今回は日本の城郭がかつて経験したことのない規模で損壊している。 細川氏の時代に被害にあうたびに何度も修復されてきたのは、熊本城が肥後国、熊本県のシンボルであり、宝であり、誇りだったからである。昭和35年に鉄筋で天守が復元されたときも、「城のない熊本はあり得ない」という声が圧倒的に多かったという。 6月1日、満身創痍ながら、約1か月半ぶりに熊本城がライトアップされたとき、市民は「心に光がともった気がする」と語っている。熊本在住のSF作家、梶尾真治による「それでも熊本城はそこに建っていた」(新潮45)が県民の心情を吐露している。 ところで、皮肉なことに熊本城は薩摩の人にとっても精神的支えであった。薩摩は肥後を仮想敵として、領国を針ネズミのように閉ざしてきた。ことわざにも「汝の敵は汝をして賢人たらしむ」とある。薩摩武士は戦国時代から「いろは歌」の「敵となる人こそはわが師匠ぞと おもいかへして 身をもたしなめ」と諳んじてきた。敵こそが、自分の先生であるという意味である。肥後への警戒を怠らなかった薩摩 肥薩の国境は険阻な自然の障壁があるだけでなく、出水郷の野間の関、大口郷の小川内(おがわち)の関など、名だたる境目番所が置かれ、人や物の出入りに対して厳しい取り締まりが行われていた。国境の各外城(とじょう)ではとくに士風の高揚に努めて警備にあたったが、肥薩国境大口外城の地頭、新納忠元(にいろただもと)は、自ら士風作興の兵児(へこ)の歌をつくっている。 一つ、肥後の加藤が来るならば煙硝肴に団子(弾丸)会釈、それでも聞かずに来るならば首に刀の引手物 五つ、いつも替らぬ加藤奴が片鎌鑓で来るならば、はたやまさかりとぎたててもろ鎌共に討ち落とせ 九つ、ここは所も大口よ肥後の多勢も安々と、只一口に引き入れて口の中にてみなごろし 十、咎なき敵を法もなく殺さば後の罪作り、弱き加藤はそのままにいざや仁愛加へおけ 肥後国境の緊張感は民俗芸能の棒踊りにも反映されており、北薩大口の棒踊りはさながら格闘であるが、南薩の知覧あたりでは、だいぶ風流化(芸能化)している。 薩摩は熊本城があるから肥後への警戒を怠らなかった。こんなエピソードがある。 寛永9(1632)年、加藤氏が改易されて細川氏が入封したとき、薩摩藩主の島津家久は挨拶として、細川忠利に鉄砲200挺を贈った。これについて、翌寛永10年、幕府上使が島津領内を巡見した際、尋問した。城下に多くの鍛冶職人を抱え200挺もの鉄砲をいっぺんに作ったのは、なぜか?というのである。 応対した家老は「細川越中守が隣国の肥後へ入国なされたので、立派な贈り物を調達せよと藩主から命じられました。上方で武具、馬具を買い入れては金がかかるので、鉄が豊富な薩摩ですから鉄砲を作って贈ったのです」と答えて窮地を切り抜けている。薩摩は常に肥後を意識し、大量の鉄砲を製造できる能力を示していたのだ。数え歌の弾丸会釈も脅しではないという。示威行為だったのかもしれない。 今回の地震は、自然が相手ではかなわなかったことを思い知らされた。夏目漱石の門下生で地震学者の寺田寅彦が『天災と国防』で指摘した通りであった。 鶴丸城(鹿児島城)にも屋根が軽く重心が低い「地震の間」がある。地震のときの避難所である。鹿児島県では2012年度から鶴丸城の石垣の調査修復と、2020年を目指したご楼門の復元に取り組んでいる。自身もこの調査修復に関わっているだけに、石垣修復がいかに困難な作業であることを痛感していたが、何よりも伝統技術の再興が望まれる。 また、熊本城の修復を中心として文化財、古文書の保護ネットワークづくりも喫緊の課題であろう。 最後に触れておきたいことがある。 明治10年まで、薩摩では浄土真宗が禁じられていた。「かくれ念仏」という信徒たちは、ひそかに肥後水俣の源光寺で法話を聴いていた。源光寺には「薩摩部屋」という隠し部屋もあった。信仰の絆で肥薩の庶民の心がつながっていたことを特筆しておく。 熊本地震で甚大な被害を受けた九州新幹線や九州自動車道がわずか2週間後に全面開通したことは大変喜ばしい。これに続くよう、今こそ、関係機関が絆を深めて日本が一つになり、熊本城修復を含めた創造的復興に向かうべきである。

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    本丸が落ちても戦い抜く! やりすぎ「防御」熊本城の秘密

    中井均(滋賀県立大学教授) よく日本三大名城と呼ばれる城がある。大坂城と名古屋城と熊本城である。もちろん三城の選定は時代や選び方によって様々なのであるが、荻生徂徠は築城の名手と呼ばれた加藤清正、藤堂高虎の手によるこの三城を名城に挙げている。 ところでこの三城のなかで大坂城と名古屋城は徳川幕府による天下普請の城である。熊本城のみが一大名の居城として築かれた城なのである。その特徴は何といっても石垣にある。築城の名手である加藤清正と藤堂高虎はともに石垣普請の名手でもあったが、二人の石垣には大きな違いがある。清正の石垣が天端三分の一近くのところから反り返る構造であるのに対し、高虎の石垣は極めて直線的に積み上げられている。両者の代表作が熊本城と伊賀上野城の石垣である。 私が熊本城の特徴をあげるならば、その第一は五階櫓という巨大な櫓をいくつも構えている点である。本丸の中心には大天守と小天守からなる連結堅天守を構えているが、本丸の北西隅には宇土櫓と呼ばれる三重五階地下一階の三重櫓が配されている。実際は三重櫓であるが、その威容から五階櫓と呼ばれ、さらには小天守に次ぐ櫓として、三の天守とも呼ばれた。これは名古屋城西北櫓、大坂城伏見櫓(戦災で焼失)とともに日本最大の櫓であり、一階平面が九間に八間あり、四重四階の伊予大洲城の天守をも凌駕する規模であった。工事が始まった熊本城の「飯田丸五階櫓」  熊本城ではさらに西竹の丸(飯田丸)には西竹の丸五階櫓(飯田丸五階櫓)と呼ばれる三重三階の櫓が、数奇屋丸には数奇屋丸五階櫓と呼ばれる三重四階の櫓が、本丸北辺には御裏五階櫓と呼ばれる三重四階の櫓が、東竹の丸には竹の丸五階櫓と呼ばれる三重櫓が配されていた。さらに本丸の東辺には本丸東三階櫓と呼ばれる三重櫓と、北出丸には櫨(はぜ)方櫓と呼ばれる三重櫓も配されていた。このような巨大な櫓が本丸、西竹の丸、東竹の丸、北出丸という中心的な曲輪にそれぞれ配置される構造は熊本城だけである。 これはそれぞれの曲輪に重層櫓を戦闘指揮所として配置していたものと考えられる。熊本城は規模も巨大である。その巨大な城は各曲輪を独立させて防御空間としていた。つまりいくつもの城の集合体として築かれていたわけである。本丸が落ちてもなお、別の曲輪で戦い抜くつもりで設計された城であった。 今ひとつ私が熊本城で注目したいのは井戸である。絵図や文献などから熊本城には一二〇ヶ所もの井戸のあったことがわかっている。現在も城内には十七ヶ所の井戸が残されている。これも櫓と同様に各曲輪に設けられ、籠城戦の際にどの曲輪でも水を確保するために備えられたものである。その極めつけは小天守地下の井戸であろう。天守は決して飾りではなく、実戦に備えて築かれたことがよく示されている。井戸が多いのは籠城戦の教訓から 私が関心を持つのは加藤清正による熊本築城が天正十九年(一五九一)頃より開始されるのであるが、その直後に勃発した豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄慶長の役)により、清正は参戦渡海することとなり、築城は一時中断されたことである。そして役後の慶長四年(一五九九)頃より再開され、慶長十二年(一六〇七)に完成する。 ちょうど築城中に清正は朝鮮半島で戦っていたのであるが、その最大の戦いが慶長二年(一五九七)の蔚山籠城戦である。約六万の明・朝鮮連合軍に囲まれた蔚山城は冬の寒さと飢えで惨状を極めた。こうした籠城戦を戦い抜いた後に熊本築城は再開されたのである。そこには蔚山での教訓を活かした普請がおこなわれたものと考えられる。そのひとつが井戸の多さだったのであろう。 さて、今年四月十六・十七日に熊本を襲った震度七の地震は天下の堅城熊本城をも襲った。私は熊本大地震で映し出された熊本城の惨状に驚き、涙した。そしてマスコミからは、あの熊本城の石垣すら崩れたことに対するコメントを求められた。石垣は決して崩れないわけではない。江戸時代を通じて日本の城で石垣修理をしなかった城などほとんどない。しかもその修理は大半が地震で崩れたことによるのである。まして今回は震度七という激震である。 これからの修復には相当の費用と時間がかかる。石垣修復は旧状に戻すのが原則である。これは石垣も歴史遺産であることで当然なのであるが、問題は耐震補強をどうするかということである。建物に関しては耐震補強がなされてきたが、石垣修理にはこれまで耐震補強は考えられてこなかった。今回の熊本大地震を教訓とするためにも修復に際して議論されるべき課題だと考えている。 今回の地震でお城が市民の誇りであることを改めて認識させられた。城は単なる歴史遺産ではなく、住民にとっての誇りとなっているのである。熊本市民、さらには県民の誇りである熊本城の復興こそが地震からの復興につながるものとなるだろう。

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    家康との一戦も覚悟した熊本築城「昭君の間」に込めた清正の恩返し

    小和田哲男(静岡大学名誉教授) 戦国武将の中には「公」の字をつけてよばれる武将が何人かいる。山梨県の武田信玄公、静岡県の徳川家康公などはその例であるが、加藤清正はさらにその上をいっている。「せいしょこさん」と、清正公(せいしょうこう)に、さらに「さん」をつけてよんでいるのである。それだけ、熊本市民に慕われていることがわかる。熊本を統治していた時代の長さでいえば、加藤家改易(かいえき)の後に入った細川家の方がはるかに長いが、細川家の歴代の殿様より、清正一人の方が存在感がある。熊本城の加藤清正像 それは、熊本城を築いたのがほかならぬ清正だったからである。日本三名城の一つに数えられる熊本城は、たしかにわが国を代表する名城であり、「築城名人」とか「土木の神様」などといわれる清正が、自分の持てる力をすべて投入した芸術品といってよい風格をただよわせている。扇の勾配といわれる石垣のみごとな曲線は見る者を魅了してやまない。 清正といえば、天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いにおいて、先陣を切って柴田勝家軍と戦い、「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられ、また、文禄・慶長の役のときの朝鮮における虎退治のエピソードが広く知られていて、どちらかといえば猪突猛進型の武将と思われているが、意外と気配り上手でもあった。 天正15年(1587)の秀吉による九州攻め後、論功行賞で肥後一国を与えられたのは佐々成政だった。ところが、成政は検地を強行したため、検地反対一揆が起き、その失政をとがめられ、切腹させられ、代わって、北肥後半国に入ったのが清正だった。ちなみに、南肥後半国に入ったのは小西行長である。清正は、成政の失敗を見ているので、力による支配ではなく、領民の心をつかむための施策に乗り出している。その一つが堤防工事だった。 北肥後には、菊池川・緑川・白川といった3本の大きな川が流れており、その3本の川ともよく氾濫した。それは、それら河川の流域を上流から下流まで一人で押さえるような領主権力がなかったからであった。流域は荒れ放題だったのである。そのようなところに乗りこんだ清正が、はじめに手をつけたのは、それら3本の川の堤防工事であった。自分の居城熊本城の工事より前に堤防工事に着手しており、これは人心をつかむ上でも効果的だった。佐々成政のときのような抵抗を受けることがなかったのである。このとき、清正によって築かれた堤防は清正堤といわれ、その一部は何と、400年以上たった今も機能しているのである。熊本城にもみられた豊臣への忠誠 その後、熊本城の築城にかかっている。清正には築城術にたけた二人の家老がいた。飯田覚兵衛と森本儀大夫である。前述したように、清正のことを「築城名人」とか「土木の神様」というが、実際のところは、築城術にたけた家老を清正が抱えていたといってよいのかもしれない。もっとも、そうした家臣の能力に着眼し、家老にまで引きたてたのは清正なので、清正にそうした能力があったことはいうまでもない。 清正は、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いのときは東軍徳川家康方についた。「秀吉子飼いの武将」といわれ、豊臣恩顧の大名だった清正が東軍についたのはなぜだったのか。結論からいってしまえば、清正は石田三成を嫌っていたからである。ただ嫌いだったというだけでなく、豊臣秀頼の将来を考えた上での決断だった。秀頼を三成に託すのがよいのか、家康に託すのがよいのか考え、家康を選んだというわけである。ちなみに、清正はちょうど熊本にもどっていたときに関ケ原の戦いとなったので、関ケ原には参戦していない。しかし、東軍に加わっていたので、戦後の論功行賞では、西軍についた小西行長の南肥後も与えられ、肥後一国54万石の大々名となったのである。 その後、家康が慶長8年(1603)から征夷大将軍になり、豊臣政権簒奪の動きが露骨になってきた。清正および同じく「秀吉子飼い」の福島正則らは次第に家康の目的に気がつくようになる。熊本城内本丸御殿の中に「昭君の間」というものがあり、そこは、清正が、いざというとき、秀頼を熊本城に招き、そこで家康と一戦を交えるつもりだったといわれ、「昭君の間」は「将軍の間」の隠語だといわれている。豊臣家は、将軍ではなく関白なので、果たして、「将軍の間」を意識していたかどうかはわからないが、熊本城が実戦を念頭に置いた縄張りによって築かれていたことはたしかである。清正は最後まで秀頼を盛りたてるつもりでいた。 慶長16年(1611)3月28日の家康と秀頼の二条城会見の場に清正が秀頼のすぐ側にいて、秀頼の護衛をする形だった。会見が無事終わったところで、おそらく、そのときの心労がたたったのであろう。同年6月24日、清正は没している。享年50であった。

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    日本財団はなぜ今、熊本城の再建支援を約束したのか

    うじて支えている熊本城の飯田丸の石垣=6月15日、熊本市中央区東日本大震災での経験と教訓を生かして 災害時に後回しになりがちな文化財保護支援を迅速に決めた背景には、東日本大震災での経験と教訓があったようだ。同財団は2011年の東日本大震災の約半年後から、12億円規模の文化財保護支援を始動。被災地の沿岸部の漁村で、津波で流された神社の再建やお祭り道具の支援を続けてきた。同担当者は「地域のお祭りが復活すると、それまで離れて避難していた住民が戻ってきた。文化財や文化への支援は、人々の心の支えや希望になるものだと確信しました」 同財団は2014年、東日本大震災での教訓をふまえ、大規模災害の発生時にすぐに緊急支援を拠出できるように特別基金を創設した。毎年50億円ずつ積み立てる計画で、2年が経った特別基金には100億円が積み立てられていた。この積み立てを生かすことで今回、被災者の生活に必要な緊急支援とあわせて文化財の保護にも予算を充てる目処がつき、早期に文化財支援まで表明することができたという。 熊本城は度重なる地震で、国指定重要文化財のやぐらや石垣が倒壊するなど大きな被害を受けた。日本財団は「今この段階で再建にどのくらいの時間と金額がかかるのか分かっていないが、この支援表明が熊本城再建の機運を高める一つのきっかけになれば」と期待を込めている。(安藤歩美/THE EAST TIMES)

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    熊本城が傷ついたいま考える 建築は日本に何を遺すのか

    を重んじ改修しながら使い続けるというのが一般的だからです。 一方、建築本来の存在価値を問うような自然災害も発生しています。石垣が崩落し、地震の被害が痛々しい熊本城 未曽有の被害をもたらした東日本大震災。今でも完全な復興にはほど遠く、福島ではいまだに原発事故の収束作業が続いています。毎年のように各地で大雨や大風、大雪、河川の氾濫や土砂崩れによる災害も起きています。築400年を誇った熊本城の石垣が倒壊した熊本地震は現在も活発な余震が続いており、まだまだ予断を許しません。街や建築の本来の姿を取り戻せ 日本列島は歴史的にも大きな自然災害を幾度となく被ってきました。古(いにしえ)の工人より地震や洪水など自然の猛威に対処する建築や土木の工夫を凝らし続けたにもかかわらず、近代に至っても完全な防御の術をわれわれは持ち合わせていません。改めて災害時のよりどころである各地の避難所をはじめ、安全な建築がこれまで以上に求められています。 これらの事態からいえるのは、建築に対するこれまでの考え方や社会制度に見直しの時期が来ているということに他なりません。 戦後に建設された多くのビルやインフラ、公共施設の多くが、用途や制度、物理的にも寿命を迎えています。それが引き起こす問題は、日本全国津々浦々で同時多発的に起こります。 現在の日本の街の姿は、太平洋戦争の空襲からの復興によるものです。鉄道や道路網の整備、高速道路の設置、民間工場や住宅地の開発、住宅の高層化、学校の建て替え、スポーツ・文化施設の建設など。前回の東京五輪(1964年)を契機として、現在まで残る日本中の街や建物の大半がこの頃に生まれたといっても過言ではないでしょう。 いま、日本社会の建築をめぐる状況は大きく様変わりしています。 最低限必要なものは既に整備されており、これ以上新たに建設するものがないのです。また、社会情勢の変化によって利用者が変わり、使われていない施設も数多くあります。 そうした状況では、これまでに建設した公共施設をはじめとする社会ストックをどう生かすかが喫緊の課題となっていくでしょう。 日本の街並みと欧州の街を比較し、その景観や雰囲気の違いを嘆く声もよく聞きます。欧州に赴くと、まるで中世から変わらぬような風景に出合いますが、それらはちょうど彼らにとっての高度成長期である大航海時代やルネサンス、産業革命時に建設されたものです。それらを後世にうまく残してきたから現在の街があるのです。 非新築による古い建築の長期にわたる活用が、街や建築の本来の姿なのです。戦後から高度成長期のような、大規模な破壊の後に永遠に新築が続くという誤った建築観を見直す必要があります。次世代にどんな社会資産を残していくことができるかが問われているのです。もりやま・たかし 建築エコノミスト、一級建築士。昭和40年、岡山県生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、設計事務所を経て、同大政治経済学部大学院修了。地方自治体の街づくりや公共施設のコンサルティングなどに携わる。著書に『マンガ建築考』『非常識な建築業界「どや建築」という病』など。

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    「象徴」熊本城と歴史的事実が被災者の心の復興を支える

    守りたい 熊本城の“危機”、今回の地震が初めてではありません。400年前の築城直後からたびたび地震や災害に見舞われ、そのたびに修理され復活を繰り返してきました。エピソード3 あの天守をもう一度出典:歴史秘話ヒストリア「熊本城 400年の愛」地震で被害を受けた熊本城(上、4月19日撮影)。下は2012年3月の様子 この番組は、毎回歴史をひもときながら、私たちに勇気と希望を与えてくれる番組です。今回の「熊本城 400年の愛」は、まさに歴史ヒストリアの面目躍如たる放送でした。 熊本城は、日本随一の堅固さを誇る城です。番組では、熊本地震以前に、街のいたるところから見えた熊本城の勇姿を見せます(4年前の取材映像)。さらに、現在の姿を超える築城直後の素晴らしい城全体の様子を、CGで紹介します。 バーチャールカメラは、城の周りをぐるりと回ります。巨大な石垣、数え切れないほどの櫓(やぐら)。その完璧な防御力。番組では、城を攻めようとするものに絶望感を与えるほどの力強さだと評します。 しかし今、名城熊本城は、大きな被害を受けています。その様子を改めて見ると、また心が痛みます。 けれども、熊本城が大きな被害を受けたのは、今回が初めてではありませんでした。敵の攻撃で落城したことはないものの、江戸時代には地震の被害を受けます。明治時代には火事で本丸も消失します。しかしその度に、熊本城は復活しました。 番組では、江戸時代、明治時代、昭和の戦後復興、そして現代の様子を示します。懸命に頑張る城主、立ち上がる市民、私財を投げ打つ人、そして全国からの応援。彦根城も、姫路城も、小田原城も、熊本城を応援します。復興のための災害心理学復興のための災害心理学 番組では、最後に再び現在の大きな被害を受けた熊本城天守閣の様子を映します。客観的に見れば、ひどい状況の熊本城です。しかし、私の目にはもう哀れに壊れた熊本城には見えませんでした。 それは、番組の中で、何度も破壊されては復興してきた様子を見聞きしたからです。白黒写真に残る、かつての災害で破壊された無残なお城の姿。しかし、その熊本城が後に見事に再建された歴史上の事実を、私は知りました。その私の目には、現在の熊本城の姿も、これから復興へと向かう勇姿に見えました。 さて、こんな話は、ただのファンタジーでしょうか。歴史上の事実と言っても、歴史は歴史家が個々の事実を解釈しストーリーを作り上げたものとも言えるでしょう。番組も、もちろん台本があり、演出があります。「私の目には」などと言っても、それは私の感傷的な思い込みに過ぎないでしょうか。 しかし番組は、ただ夢を語っているわけではありません。これまでと同じように、再建には長い時間と莫大な予算がかかることも、解説しています。そして、視聴者一人ひとりの目に、今の熊本城がどのように映るのかという「心理的事実」は、ただの思い込みや綺麗事ではありません。熊本城本丸御殿、豪華な装飾で彩られた「昭君の間」 ある災害心理学者は、大災害の発生時には、被災者は「神」を失うと表現しています。夢や希望、努力は報われるといった価値観すべて、その人にとっての「神」や「世界」と言えるような大切なものを失うという意味です。 ここから、何とか立ち上がらなくてはなりません。たとえ街並みが戻っても、住民たちの心が復興しなければ、本当の復興にはなりません。 そのために効果的なのが、郷土の歴史であり、象徴です。たとえば、東北の人々が何度も困難を乗り越えてきた、三陸の人々は何度も大津波の災害から復興してきた。そのような郷土の歴史は、住民に力を与えます。 熊本の県民性を表す「肥後もっこす」も同様でしょう。熊本県民は、正義感が強く、頑固で妥協しません。熊本県民は、熊本城を守り続けたように、決してあきらめません。 そのようなアイデンティティを持つことが、復興の力とつながるでしょう。 そこから、復興の象徴も生まれます。お金も法律も大切ですが、心を支える象徴も必要です。熊本にとっては、それが熊本城であり、「くまモン」なのでしょう。 熊本県の人気ゆるキャラ「くまモン」が、地震前にユーモアたっぷりに言っていました。「熊本県は、日本でいちばん強そうな県名だと自負しております」。私も同感です。 「熊本城400年の愛」。熊本県民は、400年間熊本城を愛し、互いに敬愛しあい、そして全国から愛され、共に支えあってきました。その愛と不屈の歴史に、今また新たなページが書き加えられるのでしょう。*「熊本地震」ですが、大分県の復興も全国で支援したいと思います。(Yahoo!ニュース個人より2016年6月3日分を転載)

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    韓国匿名掲示板に「日本の地震に募金する人間は売国奴」

     熊本地震の発生後、韓国では日本の災害を喜ぶかのような暴言が数多く飛び交った。主要メディアでは九州で起きた悲劇と、それに耐えて秩序を守る日本人の姿を好意的に伝えているが、ネットニュースをはじめとする一部のメディアで、日本の災害を揶揄するような報道が見られ、匿名掲示板でも日本の地震をあざ笑うような書き込みが相次いだ。どんな内容だったのか。 一例が、韓国ネット新聞『ノーカットニュース』(4月23日)に掲載された「熊本、残念に思えない理由」というコラムだ。  「熊本地震を眺める韓国人の心は複雑である」との書き出しで始まるコラムは、朝鮮出兵で兵を率いた熊本城初代城主・加藤清正を槍玉に挙げ「築城過程でも多くの朝鮮人捕虜の犠牲があった」と主張。  さらに1895年の「乙未事変」(いつびじへん=駐韓公使の三浦梧楼が指揮を執り朝鮮王妃を殺害したとされる事件)に話題を転じると、「王妃を凌辱、殺害した日本浪人のほとんどが熊本出身」とし、「(日本は)真の反省がない国だ。友邦という言葉だけを信じて歴史を忘れれば、再び歴史の審判を受けることになる」と結んだのである。まるで熊本の地震被害が「過去の日本の行いに対する報い」であったかのような物言いだ。  東日本大震災以降、韓国では日本の不幸を嘲笑するネットユーザーやメディアの存在が問題視されてきた。たとえばネット新聞『デイリー光州全羅南道』は、2012年8月18日の編集委員コラムで、慰安婦や竹島問題に対する日本政府の対応を猛烈に非難。日本人を「猿のように卑怯な国の人々」と蔑み、「反省のない日本人には大震災に続き再び天罰が下る」として物議を醸した。  また、2014年1月には、男性誌『マキシム』が「被曝していない日本女性と付き合う方法」と題した特集を掲載。その後、謝罪に追い込まれた同誌編集長は、福島原発事故の被災者を侮辱したタイトルについて「日本の独島関連妄言、安倍首相の靖国参拝、慰安婦問題などを非難し皮肉るつもりだった」と弁明した。今回の熊本地震でも、韓国のネット掲示板には日本への罵詈雑言が溢れ返った。〈エクアドルの地震は残念だが、日本の地震は当然のように起きた天罰ですww〉〈日本は早く私たちに謝罪を。さもなければ、もっと大きな災害で滅びます〉〈日本で何が起きても助けない。恩も知らない猿に過ぎない〉〈日本の地震に募金する人間は売国奴〉 これらの書き込みは主に韓国の匿名掲示板に投稿されたものだが、中にはフォロワー数1万人超の韓国の有名ツイッターユーザーもいた。こんなツイートだった。「日本の国民には悪いが、安倍の畜生のことを考えると天罰だな。それに、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時の熊本城が崩壊の危機にあるとか。すっかり崩れちまえ。安倍、くたばれ」 5年前の東日本大震災では、韓国サッカーチームのサポーターがスタジアムに「日本の大地震をお祝い(し)ます」という横断幕を掲げ、ネットの動画サイトには「日本人は(地震で)一瞬で死んでください」と心無い言葉を浴びせる若者の動画が投稿された。 今回の熊本地震では、このように目立つ行為はなかったものの、隣国の厄災に乗じた侮辱行為は、ネットの匿名性を利用したヘイトスピーチにほかならないのではないか。関連記事■ 韓国人 富士登山で野グソ報告「俺のクソで富士高くなった」■ 韓国人 本田のJリーグへの発言受け「韓国へおいで」と絶賛■ 熊本地震への韓国ネットユーザーの嘲笑に韓国紙も不快感■ 1年間で震度5弱以上の地震が70回発生 福島では26回も■ 韓国では「サザエさん韓国人説」が流布し真に受けている人も

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    地震予知は本当に不可能なのか

    マグニチュード(M)7・3の「本震」発生から1カ月が経過した熊本地震は、震源域を広範囲に拡大させ、異例づくしの推移をたどる。「これまでの経験則が通じない」と気象庁も匙を投げた一連の巨大地震。専門家による調査研究が進んでいるとはいえ、地震の「予知」はやっぱり不可能なのか。

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    東日本大震災、熊本地震も前兆キャッチ! 電磁気で地震予知はできる

    すこぶる難しい仕事である。この短期予知は、日本のような地震国では社会的要請の強い課題であろうが、地震災害を軽減するという目的のためには予知研究よりは防災の方がより直接的であり、建造物の耐震性等を高めることが必要であることは論を持たない。予知は、国民的関心も高く、また学問的に見ても地球科学に残された最大のフロンティアの一つと言ってもよい。 読者は永らく「地震予知はできない」と聞かされている。いわゆる「地震予知不可能論」だ。2011年東北大震災後、2013年にも国は改めて「地震は予知できない」と社会に宣言し、新聞誌上で大きく取り上げられたことを皆様は記憶されていよう。これは地震学の手法では短期予知は困難であるという結論であると理解すべきだ。 因みに、長、中期予測(予知は適切でなく、予測という)はこれまで日本でやられてきた地震学のテーマで、過去の事例に基づく確率予測で、「南関東ではここ30年でマグニチュード7の地震が起こる確率が70%」という予報をよく耳にされていると思う。都市計画や地震保険料の設定などにおいてそれなりの意味はあろう。しかし、あくまで確率であり、それ以上でもそれ以下でもなく、来週地震が来るのか否かはわからないと言える。例えば、今回の熊本直下型地震も国の地震調査推進本部が発表しているその地域での中期予測では1%にも満たなかったが、実際には地震は起こってしまったのだ。以上の事を踏まえて、国民誰もが「日本中どこでも地震は起こる」と念頭におくことが重要であり、この考えが災害軽減のための防災には有用だと言える。地震予知学とは地震予知学とは 実用的な地震の予知とは「短期予知」だけであり、それには地震の“短期的前兆現象”を捉えなければならない。このような短期的前兆を用いて短期予知を目指そうとするのが地震予知学である。単純に言えば、地震予知学の興味は将来の地震であるのに対して、地震学は過去の地震を調べ地震のメカニズムを調べる学問である。実は地震観測は短期予知には不向きであると言える。なぜなら、地震計では起きてしまった地震の情報しか得られないからだ。 私事で恐縮だが、私の経歴と過去の研究テーマをご紹介することで、地震予知学への読者の理解を得られると思う。私は実は地震学の出身ではなく、電気/電子工学の出身で、しかも“電波”が専門なのだ。名古屋大学在職中は、雷からの電波ノイズ、宇宙でのノイズなどを研究していた。1991年に電気通信大学に赴任してから、“地震の前兆的電磁気現象”の研究を開始した。これは地圏からのノイズという位置付けで、このことが地震予知に使えたらさらに有意義だとの考えで始めた。当初は、地震に伴う電波はやはり半信半疑の状態であった。地震の前にいろいろな周波数で地圏からの電磁ノイズが発生しているという先駆的論文が1980年代前半に数件発表されていた。それらは、私を納得させるには全く不充分だった。その後、1995年の神戸地震に遭遇することとなる。この地震に対して、電離層という領域(高度80-100キロメートル)が前兆的に乱れていることを、低周波(VLF)電波を用いて私たちは発見したのだ。この事例により、半信半疑が確信に変わり、“電波を用いた地震予知”の研究に本格的にのめり込むこととなったが、その発見時の衝撃は今でも忘れられない。 やはり、1995年の神戸地震が日本のみならず世界的にも地震予知学の実効的なスタートだと言える。神戸地震後、我が国の地震予知研究をいかに進めるかを模索するなか、何人かの理解者のおかげで、1996年~2001年の5年間、科学技術庁(当時)のフロンティア計画の枠内で、2つの研究機関(理化学研究所と宇宙開発事業団(当時)、前者は上田誠也先生がリーダー、後者は筆者がリーダーを務めた)に資金援助があった。地震前兆の本格的研究による地震予知の可能性を追究することになった。私たちへの国からの資金援助はこれが最初で、最後であった。理化学研究所グループは、ギリシャにてそれなりの成果を収めていた地電流の観測を全国規模で展開した。他方、私たち宇宙開発事業団グループは、大気圏や電離層の乱れを人工的電波を用いた手法にて精力的に研究した。両グループとも多くの成果を挙げたが、その計画の延長は認められなかった。しかし、この日本でのフロンティアの成功は他国の活動に多大な影響を与え、台湾、欧州、米国、インドなどでも同様のフロンティアがスタートした。阪神・淡路大震災で地表に姿を見せた野島断層を保存する「断層保存館」=兵庫県淡路市 ここに地震の前に地下(断層帯)でなにが起こっているのかを簡単に説明しよう。割り箸をゆっくり折り曲げ続けてみてほしい。「ゆっくり」がポイントで、長年にわたり地震震源周辺でストレスが蓄積されることを想定し、破壊の前にパチッパチッというひび(クラック)が発生し、更にストレスが加わり破壊(地震)に至るのだ。そのひび割れの時に、そのメカニズスムは未解明でも、プラスとマイナスの電荷が発生し、直流なら巨大な乾電池が、交流なら小さなアンテナが多数発生すると考えられる。この震源域での電池あるいはアンテナの生成により、いろいろな電磁気現象が発生する。さらに、このひび割れは幸いにも地震の約1週間前であることは私たちには好都合だ。地震学での「地震破壊核の形成」という発生メカニズムが解明されなくても、「短期予知」は可能なのである。 すでに否定しがたい短期前兆は電磁気現象だけでなく、ラドン、電気を帯びたガスの放出、地下水位変動などあり、全て“非地震学”パラメータだ。そのため、地震予知学に従事する研究者は、電気/電子工学者、超高層物理学、プラズマ物理学、物理学の出身者がほとんどだ。おなじ地震という言葉がついているにもかかわらず、地震予知学と地震学は全く別のものだといえる。電磁気的短期前兆地震予知は可能か 地震の前に現れる前兆現象には二種類ある。一つは電源から直接的に放射される電磁ノイズで、いろいろな周波数で発生する。もう一つは人工的な電波を活用することにより、その伝搬異常を抽出する大気の乱れや電離層の乱れである。前者は、割りばしのパチッパチッによる発電メカニズムにより震源から電磁ノイズが発せられるもので納得しやすいものだ。他方、後者は地下数10キロメートルでの震源での何らかの原因により、高度100キロメートルにある電離層まで影響を与えるということだが、当初はなかなか理解しがたいことであった。1995年の神戸地震の時に明瞭なVLF送信局伝搬異常を見出した時も、電離層内での種々の現象を研究していた私たちにとっても、にわかには信じがたいものだった。すでに多数の電磁気前兆が世界各国から報告されているが、その前兆現象が長期的データに基づいて地震と明瞭な因果関係があるかが、実用的地震予知につながるか否かの最大の課題である。 他に動物の異常行動(宏観現象という)について一言。この現象はメディアを中心によく取り上げられ、当然あり得ることだが、残念ながら科学的データに基づく検証にはまだ至っていない。 実は2010年前後には、地震前兆現象のうち地震との統計的因果関係が確立しているものが報告され始めた。一番はっきりしているのは電離層の乱れで、電離層が地震の前兆として最も敏感であることは特筆すべきことだ。人工的VLF電波による電離層(下部)の乱れが10年程度の観測データに基づいて地震(とりわけ、マグニチュード5以上の、浅い)との統計的因果関係があることを私たちは発表している。電離層の上部(F層、高度300キロメートル)の乱れについても、台湾のグループが10年程度のデータに基づいて両者の因果関係を検証している。これらの因果関係の確立は実用的短期予知に大きく前進するのだ。どうして地圏での効果が上層大気まで影響するかという地圏・大気圏・電離層結合という科学的メカニズムは充分には解明されていない。もちろん、この原因は前に述べた地下でのひび割れに関係していることは間違いない。さらには、地電流、地圏からの直接放射の極超低周波(ULF)電磁ノイズ、大気圏放射など地震との因果関係の確立も間近いといえる。いまや短期予知は学問的には射程内だといえる。 私も電気通信大学在職中に、調布において国際会議(地震電磁気現象と地震予知)(直近は2005年)を4回開催し、地震予知学の国際コンソーシアムの設立に努力してきたが、この地圏・大気圏・電離圏結合という言葉は、すでに科学分野では常識的に使われるようになっており、世界中の科学者が「電離層と地震」という挑戦的なテーマの解明に日々努力している。しかも、どこの国も財政的には厳しい状況にあるにもかかわらず。地震予知学をサイエンスとして認める方向性はすでに学会的には定着しつつあると言えよう。電波科学を対象とする国際電波科学連合(URSI)、地震物理学の最大組織(IUGG)などにも常時取り上げられている。 さらには、わたしが当初の企画段階から参加した仏国の地震電磁気専用衛星(DEMETER)が2004年に打ち上げられ、2010年末まで運用したが、実用的予知の意味合いはないものの、科学的には甚大な貢献をした。この衛星に続き、中国は本年同様の衛星の1番機を打ち上げる予定だ。ロシア、英国も共同してこの種の衛星ミッションを計画中だ。複数の衛星が同時に飛翔することになれば、宇宙からの地震予知もまんざら夢ではない。ここ数年での社会の諸変化ここ数年での社会の諸変化 私は神戸地震以来短期予知の重要性を訴える講演を続け、とりわけ2011年東日本大震災以降ももの凄い数の講演会にお呼びいただくとともに、テレビ出演も含めたいろいろなメディアを通して啓発活動を続けている。地震予知の重要性への理解が社会一般にここ1-2年で著しく浸透してきたと感じている。 地震予知学という学問の世界的な飛躍的進展も踏まえ、また2013年の国の「地震予知不可能」宣言を考慮し、2014年に一般社団法人「日本地震予知学会」を設立した。この学会では、先行現象を集中的に学術的に議論する場として仲間とともに設立した。あえて「日本」を冠しているのは、日本が「地震予知学」の世界をリードしていることを誇れるよう願うからである。驚いたことに、法人会員として16社にも及ぶ会社に応援していただき、民間からの期待の高さを感じている次第だ。 さらに、民間会社の地震予知への参入については、私事をお話しすることのが良いかと思う。私は研究者の立場とは別に、大学退官後2010年ベンチャーを立ち上げ地震予測情報の配信事業をスタートして4年になる。このような民間会社に対して一部批判がある事は承知しているが、この設立理由は明確である。国は予知は出来ないとの立場で、国からの予知研究の予算獲得が期待できないため、国民の皆さんからのご支援をいただいている。これにより学問の継続も可能になる。私たちに続いて複数の民間会社がこの分野に参入してきたことは望ましい方向だと思う。地震予知は、本来社会と密着した実学なので、科学者と連携した民間活動は当然考えられることだ。地震予知学の将来 ここに、実用的地震予知の数事例を紹介する。2011年3月11日の東日本大震災の前兆として3月5日、6日の両日にわたり極めて強いVLF伝搬異常をみており、わたしは仙台在住の友人に事前にメールをしていた。東北沖の海の中での大きな地震が来るかと。海溝型地震なので津波の問題だと述べた。さらに、今回の熊本直下型地震に関しても4月に前兆が出ており、事前に九州には地震があることは指摘していたが、残念ながら九州北部には私たちのVLF受信点がないため、マグニチュードが実際より小さいものであった。民宿の屋上に乗り上げた観光船「はまゆり」=2011年4月、岩手県大槌町 これらの事も踏まえ、以下に地震予知に関して学術的観点及び実用的観点から提言したい。 (1) 一部実用化が始まっているVLFネットワーク観測による電離層の乱れだけでなく、いろいろな前兆現象の集中的かつ総合的研究が不可欠である。とりわけメカニズムに関しては未解明の課題が多くあり、その解明は不可欠である。そのためには、現在の研究不在体制を脱却するイノベーションが絶対必要だ。私たちは地震観測をするなと言っているのではない。短期予知の主役は、地震観測ではなく、電磁気現象などであることを認識して、いま一度1996―2001年のようなフロンティア計画を立ち上げ、地震予知に人員と予算を投じてはと提言する。 (2) 4年間の予測配信で65-70%の確率を達成し、私たちの予測情報配信事業も一定の評価を得たものの、種々の課題が浮き彫りになってきた。まず、第一はベンチャーの限界である。日本中どこで起こるかもしれないすべての地震を捉えようとすれば、既存の観測点の少なくとも5倍程度が必要であろう。これが出来れば、地震の三要素のうち場所と規模の予測が著しく向上するだろう。しかし、どのベンチャーも人材と予算は極めて限られており、少人数で欠測のない観測を続け、毎日データを解析するという膨大な作業を行っている。この点が地震発生後に後追いで検証する研究ベースとは異なる。そこで提案したのは、地域ごとにその地域専用の観測ネットワークを設立することである。例えば、東北地方、北海道、九州などなど。その一例として、わたしたちの活動を紹介しよう。私も最初のベンチャーを近々辞し、(株)早川地震電磁気研究所(電気通信大学発ベンチャー)が主体となり、関東直下型地震だけを狙う観測ネットワークを構築しつつある。いろいろな周波数での電波観測の複合的なシステムを駆使するもので、科学的メカニズムの解明にもつながり、研究的にすこぶる興味深いものである。ひいては予知精度の向上に大きく貢献することが期待できる。 (3) 第2の問題点は、従来の一方的な地震予測情報配信では、受け手側(個人でも、企業でも)がその予測に如何に対応するかに苦慮することであった。国が予知できないと言っている以上、国民は自分の身は自分で守るしかなく、予測情報は不意打ちを食わないためのものある。予測情報とそのソリューションを融合した事業が社会の求めるものではないかと思う。すなわち、予測情報がある時のBCP(事業継続計画)を新たに考える段階に入ったと言える。幸いなことに地震の1週間前には予測が出せるため、この1週間に集中し地震までの時系列(time line)で何を順次備えるかという革新的BCPマニュアルを開発する時期にきているのではないだろうか。当然のことながら、このマニュアルには発災後の迅速な災害事後処理(disaster recovery)が含まれているのは言うまでもない。もともと危機管理は最悪の事態を想定して行うもので、よしんば地震が来なくても「来なくてよかったね」というリテラシーにすべきである。地震は自然現象で、どんなに精度向上をはかっても予測確率100%はありえず、外れを許容した地震予知でよいのではないだろうか。 参考文献(1)上田誠也 「どうする!日本の地震予知」 中央公論 2011年4月号(3月10日発売)(2)早川正士編 「地震予知研究の最前線(The Frontier of Earthquake Prediction Studies)」日本専門図書出版 2012年(3)M. Hayakawa  「Earthquake Prediction with Radio Techniques」 Wiley (USA) 2015 

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    一回も成功したことがない日本の「地震予知」に未来はない

    業誘致に関するホームページには、地震が少ないことが高らかに謳ってあった。九州にとってのいちばんの自然災害は台風だったのである。 しかし、ウェブサイトが地震後閉鎖されてしまったのは熊本県のせいではない。国が地震の安全性にお墨付きを与えていたのだ。国土交通省が定めている「地震地域係数」が、関東や太平洋沿岸の東北地方などが1.0なのに対し、九州の大半は0.9~0.8だったからだ。 この係数は市町村ごとに指定されているから、細かく見ると熊本市の大部分や熊本県益城町、大分市、宮崎県全域は0.9で、福岡、佐賀、長崎の3県全域や、市役所が大きく損壊してしまった熊本県宇土市などは0.8だった。ちなみに沖縄は全国最低の0.7だ。 鉄筋コンクリート造りや3階建て以上の木造を建てるときに義務付けられている構造計算にこの係数が使われる。2階建て以下の木造住宅では、構造計算は義務付けられてはいない。 この係数が低いほど、構造計算で設定する地震力は小さく、耐震性も低くなる。この係数は1952年に導入されたものだが、1980年に改定されて以降、40年間近くも変わっていない。もちろん、係数が低いほどコストの安い建物が作れる。 この仕組みは「過去数百年間の地震の規模や頻度、被害を基に設定」されたと言われる。地震の少ない地域は耐震性を低減してもいいという考え方なのである。回送中に脱線した九州新幹線 しかし、最近の地震学では、熊本に限らず、内陸直下型地震は、日本のどこでも襲う可能性があることが分かってきている。たとえば2005年に起きて大きな被害を生んだ福岡県西方沖地震(マグニチュード(M)7.0)は、日本史上、ここで初めて起きた大地震だった。ものが壊れるとき、普通の物理学の法則は使えない コップを硬い床に落として、割ってしまうことを考えてみよう。もしふたつのコップを落としたとしたら、まったく同じ形と大きさのコップでも、その割れかたは、けっして同じではない。 つまり、どこから割れ始めて、割れかたがどう広がっていくか、を割れる前に予想することは、ほとんど不可能なことなのである。 これは「ものが壊れる」ということを研究するのが難しいからだ。引っ張っていったゴムひもの、「どこ」が、「いつ」切れるかを予測することは、現代の科学では不可能なことなのだ。つまり、ものが壊れるときには、普通の物理学の法則は使えない。 そもそも物理学でも工学でも、ものが壊れる現象の解明は非常に難しい。地震に限らず、金属疲労による破壊も同じだ。破壊現象の解明や予測(地震で言えば地震予知)の成功例は、どの学問分野でも、ほとんどない。 たとえば潮の満干の時間は、1年先まで、カレンダーに書いてある。また、日食や月食の時間も、何年も前から正確に分かっている。これは、これらの現象は「古典物理学」で解ける問題だからなのである。天気予報と地震予知には根本的な違いがある天気予報と地震予知には根本的な違いがある 東海地震の予知を担当して、いざというときに警報を出すことになっている気象庁は天気予報をやっているところだから、地震の予知も天気予報に似ているように見えるかも知れない。だが、天気予報と地震予知には根本的な違いがある。 それは天気予報には、すでに、未来を予測する「方程式」が分かっていることだ。全国に1300地点以上もあるアメダスの観測データを入れれば、その式を使ってコンピューターが数値的に計算して、将来を予測することができるのである。 方程式が分かっていて、それに観測したデータを入れれば答えが出るという仕組みが、天気予報のやりかたなのである。 ところが、地震の予知は天気予報とはまったくちがう。それは地震には、地下で岩の中に地震エネルギーが蓄えられていって、やがて大地震が起きることを扱える「方程式」は、まだないからなのだ。 そのうえ、観測データも、天気のデータよりもはるかに貧弱なことがある。地表のデータはともかく、肝心の地震が起きる場所であり、来るべき地震のエネルギーが実際にたまっている地下数キロメートルとか数十キロメートルでのデータは何ひとつない。 これでは、天気予報なみのことができるはずがないのだ。「前兆の報告」は地震後の調査でわかっただけ 日本の国家計画としての地震予知研究は1965年に始まった。「地震の方程式」を見つける試みは半世紀経ったいまでも成功していない。 しかし大地震の過程そのものが分からなくても、もし大地震に前兆というものがあれば、それを捕まえることによって、地震予知ができるのではないか、というのが地震予知計画の希望だった。 つまり、純粋な科学はたとえ後回しにしても、とりあえず実用的な地震予知ができれば、という希望を、国民と科学者が共有していたのである。 1960年代には、世界中で前兆が報告されていて、地震予知研究にバラ色の未来が見えていた時代だった。 たとえば中国の遼寧(りょうねい)省に起きた海城(かいじょう)地震(1975年)では地震予知が見事に成功したと伝えられたのをはじめ、旧ソ連の中央アジアや米国などでも有望そうな前兆現象がさかんに報告されていた。 このほか、1970年代には、当時の地震予知「先進」国、つまり、中国、当時のソ連邦のうち中央アジアの共和国、米国東部などで前兆が相次いで報告された。 日本でも伊豆大島近海地震(1978年、マグニチュード7.0)などいくつかの地震のときに、地震活動、地下水の異常、地殻変動、地球の磁気などに、いくつもの前兆があったという報告があった。このように、1970年代の半ばまでは、世界各地で前兆の報告が相次いだ。 しかし、避難指示をしてから地震が起きた中国の海城地震以外のすべては、じつは地震の後に、調べたらこんな前兆があった、という発表だった。 日本でも諸外国と同じ方法を追試する科学者も多く、地震予知計画にも、さまざまな手法による前兆捕捉の研究が取り入れられた。いわば、地震予知が熱気を持っていてバラ色の未来が見えていた時代だった。 また、それら前兆を捉えた国内外の「成功例」がメディアに乗って華々しく国民に流され、それが地震予知の研究予算を左右する政府の意向にも影響した。 日本では、もちろん地震はもっとも悲惨な自然災害だから、地震学者にとっても、なんとか地震予知をしたいというのが悲願だった。そのため、「前兆が見つかれば予知が可能になるのではないか」という、学問的な根拠というよりは、むしろ研究の期待や願いというべきもので、地震学者が動かされていたと言えるだろう。 「科学」はあとでもいい、とにかく前兆を捕まえて地震予知が可能になれば、というのが地震予知を研究している地震学者の心情だったのである。地震予知に成功した例は一回もなかった地震予知に成功した例は一回もなかった しかし、たくさん前兆が見つかっていたはずなのに、地震予知研究の未来に見えていたバラ色は、急速に色褪せていってしまった。 それまでは外国だけではなく、日本でも多くの前兆が見つかったといわれた。しかしこれだけ種類があっても、前兆が必ず出る、それだけ観測していればいい、という、いわば「決め手の前兆」はひとつもなかった。 これほどたくさん前兆が見つかっていたはずなのに、時間がたつにつれて、地震予知研究の未来に見えていたバラ色は、急速に色褪せていってしまった。これは、日本だけではなく、世界のほかの国でも同じ事情だった。 同じような地震が起きても肝心の「前兆」なしに大地震が起きてしまったり、逆に、前の成功例と同じ「前兆(と考えられるもの)」が出たのに大地震が起きなかった例がたくさん経験されるようになってしまったことであった。 ひとつの地震で出た前兆が、同じ場所であとに起きた地震で同じように出る例はほとんどなかった。また、ある地震で現れた前兆が、別の場所で起きた地震でも同じように出ることもなかった。 つまり、報告されてきた前兆現象に、科学を進めるうえで重要な「再現性」も「普遍性」もほとんどないことが明らかになってきてしまったのである。 また、それまでに報告された前兆の例のいずれも、震源に近づくほど前兆が大きくなることもないし、地震の大きさが大きいほど前兆が大きいこともなかった。つまり系統的な前兆でもなかった。 いまでは、いままで追い求めてきた前兆と地震とのあいだに、因果関係があるかどうかさえも、疑わしくなってきてしまっているのである。「前兆(だと思っていたもの)」と「地震」は、たんに別の物理現象が「偶然にも」相前後して起きただけだったのではないかと思われるようになってしまったのである。 残念ながら、いままでの半世紀にもおよぶ日本の地震予知の歴史で、地震予知に成功した例は一回もなかったのだ。つまり、地震予知がいつ可能になるのか、そもそも可能かどうか、はいまの科学ではわかっていないのである。「不意打ち」に備え始めた東海地震の地元 日本の地震予知の研究計画が大きな転換点を迎えたのは、1976年に石橋克彦氏(当時東京大学理学部助手、元神戸大学教授)が東海地震説を発表したことだった。 この発表は全国的なニュースになり、国会でも取り上げられた。そして当時の首相の強い指示で、わずか2ヶ月のスピード審議で大規模地震対策特別措置法(大震法)が作られ、1978年に成立した。この法律はいまでも生きている。 この大震法のいちばんの基本は「地震は予知できる」ことを前提にしていることである。当時は、前兆を捕まえれば地震予知ができる、と地震学者のかなりがまだ考えていた時代だった。 大震法は世界でも類を見ない、地震を対象とする法律で、この法律にもとづいて警戒宣言が発せられたときには、ほとんど戒厳令のようなさまざまな規制が行われることになっている。 たとえば新幹線は停止し、高速道路は閉鎖される。銀行や郵便局も閉鎖される。スーパーやデパートも閉店させられるし、耐震性のない病院も閉鎖されることになっている。また学校は休校になり、オフィスで働いている人たちは退社させられる。地域住民も避難させられ、自衛隊が出動する。東海地震発生時に緊急物資の輸送路を確保しようと、静岡・神奈川の両県警などが初の合同訓練を実施した=2014年9月8日 この法律に基づいて、気象庁に地震防災対策観測強化地域判定会(通称、判定会)が作られた。東海地震だけを予知するための委員会だ。判定会はデータから東海地震が来ることを予知して警戒宣言を出すことが役目である。 しかし「地震は予知できる」という前提は、年々、怪しくなっていった。 地震予知をするための根拠が怪しくなってしまった近年でも、日本の政府は、法律を作った以上、他の地震は予知できないが、東海地震だけは予知できる、という立場をとっている。だが、地元静岡県では、地震予知なしに不意打ちで地震が起きる備えをはじめている。