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    「箱根と富士山は兄弟」と専門家 連動噴火の可能性を指摘

     4月26日以降、火山性地震が1000回を超えた箱根山では、泉質の変化、山頂に亀裂が入った、鹿や熊が逃げ出し始めたなど、数々の異変が起きている。神奈川県箱根町仙石原の旅館「箱根温泉山荘なかむら」の従業員はこう話す。「いきなり黒い湯が出てきたんです。36年間営業してきて、こんなことは初めてです。うちの温泉は大涌谷の源泉から湯を引いてるんで、やっぱり火山活動の影響で土や灰が混じったのかな…」 気象庁は5月6日、噴火の危険度を5段階で示す「噴火警戒レベル」を「1(平常)」から「2(火口周辺規制)」に引き上げ、これに伴い蒸気噴出が確認されている大涌谷の遊歩道は全面閉鎖された。蒸気を噴き出す大涌谷=5月22日午前、神奈川県箱根町(川口良介撮影) 気象庁は噴火の危険性について、あくまでも大涌谷周辺の「小規模噴火の可能性」と位置づけ、「直ちAに噴火する兆しはない」としているが、自然は常に人知を超えるものだ。武蔵野学院大学特任教授の島村英紀氏はこう話す。「レベル2だからまだ大丈夫という話ではないんです。そもそも現在の学問では、噴火予知は不可能に近い。世界的に見ても、気象庁は噴火の危険性について、あくまでも大涌谷周辺の「小規模噴火の可能性」と位置づけ、「直ちに噴火する兆しはない」としているが、 とくに箱根山は直近の噴火が3100年前であり、噴火前後の観測データがないことが問題になっている。「過去のデータがないので、前兆となる地震運動から噴火規模を予測することができず、今後、どれほどの規模の噴火が起きるかわからないんです」(前出・島村氏) 箱根町は年間2000万人の観光客が訪れる全国有数の温泉地。もし噴火すれば甚大な被害は避けられない。しかも箱根山の噴火が、“最悪のケース”を招く可能性も指摘されている。「60万年前、火山島だった伊豆半島が日本列島にぶつかり、その時に地下にマグマが生まれて富士山と箱根山ができました。2つの山はいわばきょうだいの関係で、距離も25kmしか離れていないので、どちらかが噴火すれば、連動してもう片方も噴火する可能性があるんです」(前出・島村氏)関連記事■頻発する箱根での地震 富士山噴火の前ぶれと指摘する声も■箱根に噴火リスク 観光地ゆえ観測データ出てこないの指摘も■箱根で不気味な地震が頻発 専門家は「最大限の警戒が必要」■箱根山噴火ならホテルや別荘の被害深刻 首都機能マヒ恐れも■地下水湧出、マグマだまり10km上昇で富士山の噴火近づくか

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    御嶽山噴火 なぜ警戒レベルは1のままだったのか

    報を共有し共に医療を進めていこうとする姿勢であったわけで、医療界も、今ではその方向に進んでいる。火山災害の減災のためのリテラシー向上を これまでは、医療側の患者との情報共有の姿勢が乏しかったために、国民の医療リテラシーがなかなか向上しなかった。それと同じように、火山の専門家たちが、国民は困難な予知の成功だけを求めていると考えていたら、かえって、国民の防災や減災に関するリテラシーは向上しないだろう。 また、医療の世界では、それぞれの患者に主治医がいるように、それぞれの火山に主治医となる専門家が必要だ。最近の医療では、一人一人の患者をチーム医療でみていくことが当然となっているように、火山も専門家のチームで見つめていくことが必要だろう。 「防災の日に思う 地学教育を空洞化させた文科省と教育委員会の責任は重い」でも書いたように、長年にわたり、日本では地学教育が軽視されてきた。火山の監視は、それぞれの地域の大学の専門家の協力も不可欠だが、地学教育の空洞化の流れは、国民の火山に対する理解や専門家の育成にも悪影響を与えるなど、火山災害の遠因になっていく可能性はある。 今回の御嶽山の担当者たちは、地震増加の情報をすぐに自治体に伝え公表しており、仕事は誠実になされていた。今後の課題は、情報を登山者や市民に周知させる技術と、警戒レベルの判断や定義のあり方だ。 特に、御嶽山はカルデラも存在するような大きな火山である。27日の噴火以降、警戒レベル3となっている現状から、今後の変化を読み解き、適切に判断をしていく必要がある。 現場でのそれらの業務の大変さや、噴火後の情報共有と判断の重要さについては、雲仙普賢岳の噴火の際に九州大学島原地震火山観測所に勤めていた太田一也氏の体験談と提言を読めばよくわかる。特に、インターネット上で公開されている下記のページなどは必読だと思う。www2.pref.iwate.jp/~hp010801/iwatesankiroku/PDF/2-5.pdf 火山国日本での、できる限りの減災の取り組みがすすむことを願ってやまない。かつむら・ひさし 1961年生まれ。京都教育大学理学科卒業。高等学校教諭。90年、陣痛促進剤を使用した出産で長女を失い、市民運動に取り組む。著書に『ぼくの星の王子さまへ』(幻冬舎文庫)、『レセプト開示で不正医療を見破ろう!』(小学館文庫)など。関連記事■ 御嶽山噴火は破局の前兆なのか■ 自衛隊こそ震災救援の中核を担う■ 「逃げ地図」津波に負けないまちづくり

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    300年沈黙の富士山がもし噴火したら…避難対象75万人 前兆ないことも

     戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火は、同じ活火山である富士山を抱える周辺自治体に大きな衝撃を与えた。静岡県や山梨県では、今後の観光への影響を心配する声が上がるとともに、登山者へのヘルメット義務化やシェルター導入などについての議論が始まっている。また、2014年10月19日には神奈川県を交えた3県と国合同による噴火時の広域避難訓練が行われるなど、にわかに現実味を帯びてきた「富士山噴火」に対して、関係者たちの懸命の取り組みが始まっている。 「大変なショック。富士山が噴火したら、御嶽山の比ではない」 富士山の麓にある静岡県の御殿場市観光協会の芹沢明彦事務局長は、危機感をあらわにする。 御嶽山の噴火後、同協会には「御嶽山と連動しないのか」「富士山は噴火する可能性はあるのか」などの問い合わせが相次いだという。 「まさか噴火警戒レベルが1で噴火するとは思わなかった。今はこうした問い合わせに『可能性はゼロではない』と言うしかない」と芹沢事務局長は困惑気味に話す。関係者の間では、来夏の登山シーズンへの影響を不安視する声も出始めている。 こうした中、御殿場市と同協会は、富士山の噴火時に防災情報を提供するスマートフォンの無料アプリの開発に取り組んでいる。現在、観光情報を配信している無料アプリ「御殿場おもてなしナビ」に、気象庁が発表する噴火警戒レベルや最寄りの山小屋までの避難ルートを表示するなど機能を追加する予定だ。 芹沢事務局長は「われわれができることは、観光客に正確な情報を提供すること。市と連携して、できるだけ早く噴火用アプリの配信を始めたい」と話している。「富士山火山三県合同防災訓練2014」で実施された、溶岩が市街地に流れ込まないように「導流堤」を築く訓練=2014年10月19日、静岡県御殿場市避難対象者最大75万人 2014年10月19日、国と静岡、山梨、神奈川の3県は、富士山の噴火を想定した「富士山火山三県合同防災訓練2014」を実施した。 3県などは今年2月、富士山火山防災対策協議会で「富士山火山広域避難計画」を策定。最も直近の宝永4(1707)年に起きた宝永噴火と同レベルの噴火を想定し、30センチ以上の降灰による避難対象者を3県で47万人、溶岩が流れた場合は、静岡、山梨両県で最大約75万人に上ると試算した。 今回の訓練では、静岡県御殿場市や山梨県富士吉田市、神奈川県秦野市など3県26市町村の住民ら約3900人が参加。住民の自家用車による自主避難訓練や、取り残された住民の救出訓練などが行われた。 参加した住民は、「御嶽山の噴火で改めて身近な問題だと感じた」「噴火はいつ起こるかわからないのでみんなが安全に避難できるか心配」などと話し、緊張感のある訓練となった。 ただ、今回の訓練は噴火を予知できたことが前提になっているため、御嶽山のような突発的な水蒸気爆発や噴石による負傷者が出たことは想定されておらず、課題も残る。 「今回は理想的なシナリオになっているが、火山は想定外の現象を起こす場合がある」と話すのは、この日、静岡県庁で開かれた噴火対策合同会議に参加した、小山真人・静岡大教授(火山学)。「噴火警戒レベルが徐々に上がっていくとはかぎらない。前兆もなく次の現象を起こす場合があることを肝に銘じてほしい」と話した。 また、富士山科学研究所(山梨県富士吉田市)の荒牧重雄名誉顧問は「富士山は宝永噴火以降、300年の沈黙を保っている。噴火エネルギーが一気に開放された場合は、宝永以上の噴火になる可能性も否定できないので厳重な警戒が必要だ」とする。今後の富士山の監視態勢について、「富士山の地殻変動や地下のマグマの量や動きの観測強化に努めてほしい」と話した。防災と景観の両立は可能か 噴火時に緊急避難所としての役割が期待される山小屋の関係者の反応もさまざまだ。 「現時点で突発的な噴火への具体的な対策はない」 そう明かすのは、山小屋経営者でつくる富士山頂上奥宮境内地使用者組合の宮崎善旦組合長だ。 現在、富士山に約50ある山小屋のほとんどにはヘルメットが常備されておらず、噴火時の避難経路も定まっていない。宮崎組合長は「防災備品をどれだけ用意すべきかを含めて山小屋関係者と話し合う必要がある。御嶽山の教訓を生かさないといけない」と話す。 一方、静岡、山梨両県が検討している避難シェルターの設置については「建設には景観との兼ね合いもある。建設費や維持費は誰が負担するのか」との意見も挙がっている。 2013年、世界文化遺産に登録された富士山。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、平成28年2月までに噴火などの危機管理戦略などをまとめた「保全状況報告書」の提出を求めている。噴火に備えた「防災」と、文化的価値の「景観」をどう両立させていくのか、今後の課題になりそうだ。(広池慶一)関連記事■思い出とともに 阪神大震災20年■情報の空白埋める災害報道を■【野田政権考】「震災対策」としての憲法改正■「逃げ地図」津波に負けないまちづくり■被災地アンケートで浮かび上がる貧困の現実

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    「M9巨大地震から4年以内に大噴火」 過去の確率は6分の6

     巨大地震と火山の噴火に密接な関係があることは、世界の地震学者や火山学者の共通認識となっている。地震学者の島村英紀・武蔵野学院大学特任教授がいう。「1950年以降、M9クラスの地震は世界で7回起きている。そのうち6つの地震では4年以内に近隣の複数の火山が噴火しました。この“4年”という節目が研究者の間で話題になっています」 具体的に見てみよう。1952年11月4日のカムチャツカ地震(M9.0)では、翌5日にカルピンスキ山が大噴火を起こし、その後、周辺の2つの火山が11月12日、12月5日とたて続けに噴火。2年後の1954年8月にも1つの火山が噴火し、さらに1955年10月には、それまで1000年近く活動がなかったベズイミアニ山が大噴火を起こし、噴火活動は1957年3月まで続いた。 1957年3月のアリューシャン地震(M9.1)では、ヴィゼヴェドフ山が2日後に、オクモク山が1年半後に噴火した。 続く1960年5月のチリ地震(M9.5)、1964年3月のアラスカ地震(M9.2)、2004年のスマトラ地震(M9.1)、2010年のチリ中部地震(M8.8)でも、同様に4年以内に周辺の火山が噴火した。過去には6回中6回、100%の確率で「巨大地震後の大噴火」が起きている。 今のところ唯一の例外が東日本大震災なのである。震災後の噴火としては昨年9月、63人の死者・行方不明者を出した御嶽山が挙げられるが、高橋学・立命館大学歴史都市防災研究所教授は「これはカウントすべきではない」という。噴火から1カ月近くが経ち、噴火当時と変わらず頂上付近から噴煙を上げる御嶽山=2014年10月25日、長野県木曽町(早坂洋祐撮影)「御嶽山の噴火は、紅葉のハイシーズンでしかも土曜日の昼間にあたり、観光客が多かったせいで被害が大きくなったが、噴火の規模は小さく、『VEI2』の水蒸気爆発にすぎない」 VEI(火山爆発指数)とは噴火の規模を示す国際的な指標で、噴火活動による噴出物の量によって0~8までレベル分けされ、数字が大きいほど噴出量が多いことを示す。VEI2だった御嶽山の噴火は東日本大震災に連動したものとしては小さすぎるというのだ。過去の6地震では、VEI3~5の噴火が起きている。 仮に御嶽山を震災後噴火の一つと数えても、まだ数が足りない。過去6地震では4年以内に2~5つの火山が噴火しているからだ。「今、最も心配されているのが、火山噴火です。太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込むと、地下深部でプレートが原料になってマグマが作られ、大きな火山噴火を引き起こす。東日本大震災によって太平洋プレートと北米プレートのくっついていた部分が剥がれたため、1年間に30~40センチも動くようになった。それだけマグマが溜まりやすくなっていて、北海道、東北、関東など東日本の火山は軒並み噴火準備段階に入っている」(前出・高橋氏) しかも、日本の火山のマグマは「粘性が高く、いったん噴火すると被害が大きくなる」(前出・島村氏)という特徴がある。 2010年のチリ中部地震では、地震から丸5年たった今年3月1日にビジャリカ山が噴火したばかりだ。東日本大震災から4年が過ぎたからといって、決して安心はできないのである。関連記事■頻発する箱根での地震 富士山噴火の前ぶれと指摘する声も■箱根に噴火リスク 観光地ゆえ観測データ出てこないの指摘も■箱根で不気味な地震が頻発 専門家は「最大限の警戒が必要」■箱根山噴火ならホテルや別荘の被害深刻 首都機能マヒ恐れも■地下水湧出、マグマだまり10km上昇で富士山の噴火近づくか

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    思い出とともに 阪神大震災20年

    泣く暇ない20年。でも考えん日はなかった ~ 志智キミ子さん(76)〈夫、志智勉さん=当時(58)=を亡くす〉がれきの中から見つけ出した2つのステンレスのポットでアイスコーヒーとガムシロップを作る志智キミ子さん=神戸市長田区御蔵通の喫茶店「ホワイト」(頼光和弘撮影) そろそろ店を開けようかという時間でした。私は2階におってね。ドーンというたなと思ったら、2階が下になっとった。息子らがつぶれた1階からお父ちゃん(勉さん)を見つけたんです。エプロンもしていました。 「勉さんが一生懸命やっとったんやから、もう一回頑張ってみたら」。田舎の弟に言われたのをきっかけに、お父ちゃんの親の代から始まった神戸市長田区の喫茶店を続ける決断をしたんです。それまでは、レジに立つくらいだったから、コーヒーのいれ方も一から勉強しました。 仮設住宅から街に出るたびにコーヒーカップを買いそろえました。震災の翌年にオープンしたときには、お父ちゃんの高校の同級生が集まってくれて、記念に写真を撮りました。 このポットは誰かが、見つけてくれたんでしょうね。1つは蓋(ふた)がないんです。よう残してくれた。ガムシロップや、アイスコーヒーを作るのに大事に使うてます。 あれから20年。あっという間やねえ。泣いてる暇もなかったわ。でもお父ちゃんのこと、考えん日はなかった。落ち着いたんかな。今の方が涙が出るわ。 17日は毎年、(勉さんの名前が刻まれた銘板がある)東遊園地に行きます。孫らが二十歳になるたびに連れていっています。お父ちゃんがおったら、喜んだやろうね。最愛の母の死…。悲しすぎて涙も出なかった ~ 片山秀和さん(60)〈母、片山サヨ子さん=当時(64)=を亡くす〉母のサヨ子さんが愛用していたかばん。片山秀和さんが命懸けで取り出した=兵庫県淡路市(頼光和弘撮影) 余震が襲う中、母が使っていたかばんを命懸けで取り出しました。中には、長財布やお守りのように持っていた木の札がありました。長財布には、父親とハワイ旅行をした際のドル紙幣が入っていました。 私の長男が幼いころ、田植えの苗を田んぼに投げて、遊んでいたことがあるんです。母は怒らずに、やさしく「上手に植えたね」と言うような心の広い人でした。花が好きで、よく部屋に飾っていました。 兵庫県北淡町(現淡路市)にある自宅の柱が外れて屋根が落ちました。消防団員が母を助け出したときには、体が冷たくなりつつありました。悲しすぎて涙が出ず、パジャマに何かを羽織っただけなのに、寒くなかったんですよね。前年末に初めて買った携帯電話で、親族に母の死を伝えました。 前日の夜、いつもより早く帰宅できました。母も起きていて、話をした後、日記に「家族全員、今日も無事に終わりました」と書いていました。その日記帳は、フランス人形と一緒にひつぎに納めました。 昨年、病気で入院しました。直前にかばんを手に取り、じっと見つめました。20日間も入院するので、きっと寂しかったんやね。娘の死無駄にしない。重たい足かせ引きずる覚悟 ~ 寺田孝さん(75) 〈長女、寺田弘美さん=当時(30)=を亡くす〉震災で亡くなった長女の弘美さんの遺影の前で、最愛の娘の声が録音されているカセットテープとレコード盤を見つめる寺田孝さん=神戸市長田区(頼光和弘撮影) 寝付けずうとうとしてると、いきなりグラッときました。倒れたたんすが右耳を直撃したけれど、命は助かった。近所の兄や姉の家に安否の確認に走り、神戸市長田区の娘のアパートに行くのが最後になってしまって…。着いたときには焼けてあれへんかった。 4日後、跡地を自衛隊の人に掘ってもらったら、遺骨が出てきて絶句しました。地べたに頭をこすりつけて、何回娘に謝ったか。 明るい子でした。小学生の頃、三宮であったのど自慢大会でアグネス・チャンの曲を歌って優勝。その歌声が録音されたレコードが宝物です。仕事が決まり、友達と就職祝いをしようという矢先やったそうです。 娘は火事の熱い中で亡くなったから、真夏を選んで、震災の翌年に四国霊場八十八カ所を巡りました。静かな山の中を歩いて札所を回ると、人生を振り返る機会にもなり、これまで、3回結願(けちがん)しました。地震で命を落とさないよう、震災の語り部もしています。 足を悪くして四国には行けないので、20年を機に、娘と静かに向き合おうかなとも思っています。(娘の死で)重たい足かせをはめられた。ずっと引きずっていく覚悟はできています。手書きメニューはがされへん。値段はそのままや ~ 上野数好さん(71)〈妻、上野美智子さん=当時(47)=を亡くす〉色あせた手書きメニュー。美智子さんが優しく上野さん親子を見守っているよう=神戸市東灘区の灘寿司(頼光和弘撮影) よう気がつく、優しい嫁やった。よう仕事もしよったで。震災の前から貼ってあるメニューも、丁寧に書いてるやろ。破れてるけど、はがされへん。だから今も値段はそのままや。 震災の日の夜中3時ごろ、神戸市東灘区の家でくつろいでいたら、大学生やった長男と電話しとった。スキーに行ったという長男に、「私も2月にフランスに旅行するよ」って。2人で行くと決めとったんや。その2時間後に地震や。 嫁は震災の2年ほど前に、自転車でこけて、当時は股関節のボルトを抜いたばかり。「階段を上がると痛い」って、1階で寝たんですわ。つぶれた家の下から遺体を出してもらった。数百メートル先の安置所まで、車で5時間ぐらいかかったわ。 つらかったな。2カ月ぐらい店を休んだかな。お客さんがシャッターに「大将、頑張ってよ」って貼り紙してくれて。家におったら酒ばかり飲むから、店を再開したんや。今は、長男と一緒に仕事しとる。でも、家に帰ったら1人やから、寂しくなるんや。 17日は仕事をしてから、近くの慰霊碑に行く。嫁は頑張り屋さんやったから「来んでいい。仕事しなさい」って言うと思うわ。活発な娘。もうお母さんになってたやろね ~ 大石博子さん(65)〈次女、大石朝美さん=当時(16)=を亡くす〉次女の朝美さんが着ていたカーディガン。今も大切に袖を通す=神戸市兵庫区 何年たっても、娘を思う気持ちは変わりません。今日は娘のカーディガンを持って東遊園地に来ました。去年の12月で36歳。「早くお嫁さんになりたい」って言ってたから、もうお母さんになってたやろね。 神戸市兵庫区の文化住宅で被災しました。たんすが倒れてきました。胸が苦しかった。助けられるのがあと30分遅かったら、私もだめやったかもしれない。 あの日、午前3時ごろに起きた主人が、宿題をしていた娘に「はよ寝えや」って言うたら、娘が隣の布団に入ってきたことは覚えてるんです。(家が崩れ、閉じ込められていたときには)無意識に手を握っとったんやけど…。 活発な娘でした。いまだに、中学校の先生や友達が家を訪ねてくれるんです。 お笑いコンビの追っかけをしていたことや、帰ってくると、間仕切りののれんを勢いよく手で払って入ってくる姿。いろいろな場面が思い出されて。 やっぱり、娘のことを忘れることはないわね。(文・吉田智香、写真・頼光和弘)

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    阪神大震災 メディアはどう伝えたか

    たった11秒の揺れが6434人の尊い命を奪った。都市直下地震の恐怖や被災地復興の難しさを今に伝える阪神大震災は17日、発生から20年を迎えた。震災を知らない神戸市民が4割を超えた今、震災の風化はこれからの課題でもある。この20年、メディアは何を伝え、これから何を伝えなければならないのか。

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    情報の空白埋める災害報道を

    京都立大学大学院工学研究科博士課程修了。工学博士。平成9年大阪市立大学教授。22月4月から現職。 大災害が発生すると、最大の被害を受けた被災地の詳しい被害状況がわからないだけでなく、本来最も情報を必要とする被災の中心地には情報が伝わらなくなる。いわゆる「情報の空白化」である。平成7年に発生した阪神大震災では、神戸にいた人が目の前の状況を見て、地元がこのように大きな被害を受けているので、大阪や東京は壊滅しているのではないかと考えたと聞いたことがある。一方、大阪市内にいた私は空中から撮影したテレビの映像で阪神高速道路の高架が横倒しになり、神戸市内で多数の火災が発生している状況を知ることができた。倒壊した阪神高速神戸線=平成7年1月17日、神戸市東灘区(産経新聞社ヘリから) 産経新聞大阪本社は、震災発生9カ月後に神戸市、兵庫県芦屋市、西宮市の応急仮設住宅居住の被災者200人に「阪神大震災と新聞」をテーマとしたアンケートを実施して活字メディアの役割を問うた。結果によれば、震災当日から新聞を読むことができた人はわずか6%だった。それにもかかわらず、新聞の評価を下げた人が16%に対し、むしろ評価を上げた人は43%で、「信頼できる」「情報が残る」が主な理由だった。 東日本大震災でも、その被害の甚大さ故に情報の空白化と同様のことが起きていたと思う。しかし、この震災では津波を中心とした被害の大きさに加えて広域性と度重なる大きな余震などにより被害の全容が被災地の外にいても把握しにくかった。情報の空白化は不安を増大させ、風評被害など間接被害を発生させる。駅舎がつぶれ、電車が脱線した阪急伊丹駅=平成7年1月17日、兵庫県伊丹市 情報の空白化が自然災害の被害を拡大させた事例として、柳田邦男氏著による『空白の天気図』を思い出す。ここでは第二次世界大戦の敗戦によって台風予報には欠くことのできない洋上の気象観測データが得られないだけでなく、情報網も寸断されていた昭和20年9月17日に九州の南端に上陸した枕崎台風による被害の実態が取り上げられている。この台風は原子爆弾による被害を受けた直後の広島を情報の空白の中で直撃し、広島県で2千人以上の死者を出した。 記者たちは災害の発生直後から被災地に向かって走り出し、掘り起こしてきた情報を文字にして、新聞記事として被災地に返していく。直後には、被災の中心地でそれを読むことのできる人がたとえ数%だったとしても、信頼できる情報を、残る形で提供することによって、情報の空白を補い、風評などによる防ぎ得る被害を少しでも減らしていくことが活字メディアである新聞の使命といえよう。関連記事■ 被災者に何を伝えられたのか■ 発生から11時間ニュース伝え続けたNHKアナウンサー■ 徹底的に被災者の立場に立った神戸新聞

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    発生から11時間ニュース伝え続けたNHKアナウンサー

    (産経新聞 平成7年9月12日掲載) 史上空前の大災害となった阪神大震災の発生直後から、11時間余にわたってニュースを伝え続けたNHKアナウンサーの体験記録「危機報道-その時、わたしは…」が関西書院(大阪市)から15日に刊行される。著者は現在、土・日曜夜の「ニュース7」を担当している宮田修さん(47)。当時、大阪放送局勤務の宮田さんが、その時々でカメラとマイクの前で何を考え、迷い、言葉にしたのかが克明につづられている。崩壊した阪急三宮駅ビル=平成7年1月17日、神戸市中央区 宮田さんは今年がアナウンサー生活25年目。北海道・旭川を振り出しに、「生ばかりやってきた」。だから自分が映っているVTRも「潔くない」と、これまで一本も手元に残してこなかった。しかし「今回だけは違う」と、録画テープを取り寄せた。 「“記念”という以上にどういう放送をしたのか、ほとんど覚えていない。自身で点検しなければ」と考えたからだ。放送内容の記憶がないのは「ほんの一言、不適切なことを口にすれば大変なことになる。一瞬の判断を重ね、完結させていったからではないか」と自己分析している。転覆した阪神電車。線路わきの民家は火の手が上がった=平成7年1月17日、神戸市東灘区(産経新聞社ヘリから) 大阪のローカル枠のキャスターとして局内で待機していた1月17日午前5時46分、突き上げるような揺れがあった。スタジオに飛び込んで「早くおれを撮れ」と叫ぶ一方、最初に何を言おうか考えたという。5時49分に発した第一声は「地震です」でも「気をつけてください」でもなく、いつものように「おはようございます」だった。 宮田さんは著書で、「私が冷静さを失ったらテレビの前の人たちはパニックに陥る危険性がある。笑顔はいけないが、まったく普段どおり始めようと思った。その後の私の放送のトーンを決める重要な一言であった」と書いている。 以後、スタジオに午後1時まで座り続け、わずかの仮眠の後、さらに午後7時から10時50分まで放送を続けたが、改めてテープを見ると「不満も残る」という。 世界中に配信された神戸局内の大揺れ映像は午前6時50分に突然入り、宮田さんはとっさに「棚の上のものがすべて落ちまして、激しい揺れを示しております。震度6を神戸では観測しております」とコメントを付けた。 「この場合『震度6』と言ったのは適切だった。しかし、ほかの情報は映像を見ればわかる。かつて3年間、神戸で勤務をしたことがあり、神戸局は市内のどこで、この部屋は何階にあるかなど、画面から知り得ない情報を伝えることができたのに」と反省する。橋脚が落下したが、間一髪のところで落下をまぬがれたバス=平成7年1月17日、兵庫県西宮市の阪神高速 ヘリコプターからは午前8時14分に初めて、阪神高速道路の高架橋落下をとらえた映像が入ったが、「不意を突かれ、しゃべり手の気迫が強烈な映像に凌駕(りょうが)された。ヘリのカメラマンに呼びかけることができたはずなのに、一瞬、映像に立ち向かっていく言葉を失ってしまった」と悔やむ。 「もっと伝えられたという思いもあるが、取材でつかみ得た事実以外は言わなかった。『おそらく』『と考えられる』といった言葉は絶対に避けた。災害報道が伝える情報はすべて生死にかかわるものだから」と宮田さん。 著書は、自分の考えや状況を言葉で表現せずに「この映像を見てください」と逃げてしまう“映像先行”の若い後輩アナたちに対し、「言葉で勝負する潔さ」を伝えたかったのだという。関連記事■ 徹底的に被災者の立場に立った神戸新聞■ 被災者に何を伝えられたのか■ 情報の空白埋める災害報道を

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    被災者に何を伝えられたのか

    時間ニュース伝え続けたNHKアナウンサー■ 徹底的に被災者の立場に立った神戸新聞■ 情報の空白埋める災害報道を

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    徹底的に被災者の立場に立った神戸新聞

    生から11時間ニュース伝え続けたNHKアナウンサー■ 被災者に何を伝えられたのか■ 情報の空白埋める災害報道を