検索ワード:田中秀臣の超経済学/142件ヒットしました

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    韓国の裏切り、もう我慢ならぬ

    「目には目を歯には歯を」とはハンムラビ法典にある有名な報復律だが、実は経済学のゲーム理論の中にも「しっぺ返し戦略」というのがある。協調でも裏切りでも、相手と同じ出方をするのが最良という考え方だが、ではこの理論を日韓関係に当てはめてみるとどうなるか。真剣に考察してみよう。

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    韓国の裏切りには最強の「しっぺ返し戦略」で応じるほかない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 元朝鮮女子勤労挺身(ていしん)隊員らによる訴訟で、韓国大法院(最高裁)が三菱重工業に賠償を命じた確定判決を出したことを受け、原告側が同社の韓国内で保有する商標や特許権の差し押さえをソウル中央地裁に請求した。仮に、地裁が差し押さえを認めれば、新日鉄住金に続いて2社目になる。 また、報道によれば、原告側弁護団は、欧州でも同社の資産を差し押さえる検討に入ったとされる。昨年、徴用工問題でも同じく賠償判決が出ていて、資産差し押さえ請求の動きが続いている。 1965年の日韓請求権協定に反する韓国側の動きに対して、日本政府は当然協定を順守するように韓国側に外交ルートで要請しているが、全く反応がない。韓国びいきの論者には、日本を刺激しているのではなく、単に文在寅(ムン・ジェイン)政権が北朝鮮や中国に傾斜しているからだ、というおかしな理屈を持ち出す人もいる。いずれにせよ、日本と韓国の協調は崩れたままだ。 経済学には「ゲーム理論」という手法がある。ゲームといっても、将棋やチェスのような遊戯だけではない。現実の国家間の争いから私人間の戦略的な動きまで、幅広く分析する学問だ。この理論を応用することで、ノーベル経済学賞を受賞した学者も多い。 米国の政治学者、ロバート・アクセルロッドの『つきあい方の科学』(1984)は、このゲーム理論の中で興味深い分析を提示した。さまざまな戦略の中で最強の戦略が、いわゆる「しっぺ返し戦略」だというのである。 では、最強と言われる「しっぺ返し(Tit for Tat)戦略」とは、どのようなものだろうか。初め、二人のゲームのプレーヤーが協調しているとする。2回目からどんな手番を採用するかは、「協調」でも「裏切り」でも、相手と同じ出方を採ることが、最も両者にとって望ましいという戦略の在り方である。 例えば、日韓請求権協定の下で、日本と韓国は一応「協調」してきた。しかし、文政権が成立すると、韓国は「裏切り」を選んでしまった。それに対して、日本もまた「裏切り」を選ぶことは、長期的な利害を重視するならば最適な戦略となるのである。 政治的にはかなり「タカ派」のように思えるかもしれないが、現実の日韓関係を考察すると、この「しっぺ返し戦略」はかなり有効に機能するのではないだろうか。慰安婦問題で合意を見たはずの「最終的かつ不可逆的な解決」も、韓国側が完全に「裏切り」行為をしたことは言を俟たない。2019年2月、三菱重工本社を訪問した元徴用工訴訟の原告側代理人弁護士(右)ら(宮崎瑞穂撮影) おそらく、韓国政府は「歴史問題」を、国内政治の人気取りや、北朝鮮や中国との関係構築のカードとして、今後も使い続ける可能性が大きい。ならば、そのような「裏切り者」に対して、この「しっぺ返し戦略」を日本が採用する価値は一層高くなったはずだ。 実際、日本国内でも「しっぺ返し戦略」採用に向けての動きが出始めている。まだ、報道レベルだが、上記の差し押さえ請求を契機にして、韓国の多数の輸入品に対する関税引き上げを実施する対抗措置を、日本政府が検討しているという。裏切りへの「協調」こそ愚か さらに、一部の政治家や識者からは、韓国国民のビザ(査証)発給制限や韓国内における日本資産の引き上げなども指摘されている。いずれも日本側に経済的損失が出る可能性があるが、それでも長期的に日韓関係が安定化するなら帳尻は十分に合う。短期的にはタカ派の行動に見えても、長期の平和を望むための有効な方法なのである。 今こそ「しっぺ返し戦略」を採用する好機だと、筆者は思っている。国際的にも韓国政府の不公平な対日姿勢を積極的にアピールする必要がある。 日本を「歴史」の奴隷のように処する姿勢と、北朝鮮という独裁国家の「エージェント」と化した文政権のやり方を、併せて世界に告知する必要があるだろう。そのためには一定の予算化が必要だ。 もちろん、これは政治や経済的関係だけではない。安全保障面でも採用できる方法だ。 レーダー照射問題以降、防衛を巡る日韓関係も「しっぺ返し戦略」の観点から再考すべきである。今の岩屋毅防衛相や自衛隊の幹部には、なぜか韓国との防衛交流を急ぐ姿勢が強い。 だが、そのような韓国の「裏切り」に対する「協調」は、最も愚かしい戦略と言わざるを得ない。過去の韓国政府の出方を分析する限り、この戦略の甘さが、韓国軍も同様に「裏切り」を続ける土壌を生み出す背景にあるのではないか、と不安である。 「裏切り」の兆候は既に明らかであろう。7閣僚が交代した3月8日の文政権の内閣改造でよく分かる。 この改造では、対北朝鮮政策で慎重な姿勢をみせていたと評価される趙明均(チョ・ミョンギュン)統一相を事実上更迭し、代わりに北朝鮮への制裁解除を強く志向する金錬鉄(キム・ヨンチョル)氏を登用した。他の閣僚は、外交関係も安保関係も留任であり、いわば「北朝鮮傾斜」「日本軽視」の方針を引き続き採ることを内外に示したといえる。2018年5月、第6回日中韓ビジネス・サミットに臨む(左から)韓国の文在寅大統領、安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) ベトナムの首都、ハノイで行われた米朝首脳会談に関して、文政権は「北のエージェント」外交を展開したが、会談決裂とともに失敗に終わった。もちろん、外交や安保関係の閣僚続投が、これらの政策の失敗を国内外に印象づけるのを避けるためという見方もできるだろう。いずれにせよ、日本に対する「裏切り」姿勢に今後も変化はないだろう。 それを助長しているのは、相手が「裏切り」行為をしても、愚者のように「協調」路線を堅持する、日本側の非合理的な姿勢にある。日本政府は、経済面での制裁、そして防衛協力の見直しをワンセットで韓国に提示し、「しっぺ返し」戦略への転換を急ぐべきである。

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    米朝決裂もアベガー 「日本軽視」韓国より重視すべき隣人

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 2月27、28日にハノイで行われた米朝首脳会談が決裂したことは、世界を驚かせた。筆者も驚きに変わりはなかったが、他方でこれは日本の国益にとっては良かったと理解している。 交渉決裂をめぐっては、米国側と北朝鮮側で異なる二つの主張が出てきている。トランプ大統領側は、北朝鮮が完全な非核化を拒否し、制裁の全面解除を求めてきたことが交渉決裂の原因だとした。 他方で、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長側は、解除を求めたのはあくまでも民生分野の一部だと主張した。北朝鮮側は、国内で会談の「成果」を喧伝(けんでん)しているようだが、それは単なる体制のメンツを保つため以外のなにものでもない。 わざわざ国のトップが直接交渉をして、それで具体的な成果が上がらないのだから、どちらも都合のいいことを言わなければ政治的失点になる。そのため、両方の言い分を鵜呑みにはできない。 ただ、仮に交渉がまとまったとしても、それは具体的な中身に欠けるものだったろう。相変わらず、北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)以外の核施設を利用して長距離核兵器の開発を進めただろうし、日本を射程に収める中距離核兵器の廃棄も全く進展しなかったろう。 もちろん、前回の米朝首脳会談後の展開を考えても、この2回目の首脳会談を契機にして、拉致被害者の救済が劇的に進展する可能性も低かったのではないか。この交渉がたとえまとまったとしても、日本はもちろん、米国にも具体的な成果などなかったろう。2019年2月27日、ハノイで会談に臨むトランプ米大統領(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(ロイター=共同) このことは以前から、筆者の出演するラジオ番組などで何度か指摘したことでもある。要するに、交渉がまとまっても日本の国益に資するものが見えない。「米朝融和」という国際的キャンペーンの中で、北朝鮮による日本への脅威と犯罪行為は続いたことだろう。韓国でも「アベガー」 私見では、北朝鮮が核開発を放棄するというのはフェイク(嘘)だ。そもそも寧辺以外の核施設を話題に出したのは、米国側からである。つまり、北朝鮮側は核開発の継続を隠していたことになる。合理的な交渉者ならば、トランプ氏でなくても交渉の席を立つだろう。 さて、今回の交渉決裂は、韓国の政治家たちの「本音」も暴いてくれた。韓国野党、民主平和党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)代表は、自身のフェイスブックで「交渉決裂の裏で、安倍(晋三)首相の影がちらつく」と日本政府をいきなり批判したのである。 「安倍首相の影」がどのようなものか分からないが、よく日本でも見かける「何でもかんでも安倍首相の責任」という論法に似ている。それはともかく、韓国にとっては、文在寅(ムン・ジェイン)政権だろうが野党だろうが、この交渉決裂が大きな損失になるのは間違いない。 私見では、今回の交渉決裂により、北朝鮮は何の成果も挙げられなかったことで最大の失点を被った。そして、同じぐらいに政治的なダメージを受けたのは、文政権だろう。 昨年の米朝首脳会談後を見ても分かるように、韓国の北朝鮮への傾斜はさらに強まるばかりだった。制裁解除のアピールは、いくつものチャンネルを通じて喧伝していたし、実際に韓国の「制裁違反」が国際的にも問題化していた。 しかも、文氏は北朝鮮との連合国家構想を抱いているとされる。もしこんな構想が実現化すれば、日本に敵意を持ち、核兵器を所有する非民主的な国家を隣国に誕生させることになる。日本にとって極めて懸念すべき情勢になるだろう。2018年4月、「板門店宣言」に署名後、共同発表に臨む韓国の文在寅大統領(手前)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(韓国共同写真記者団撮影) 確かに、1回目の米朝首脳会談後から、文政権の「日本軽視」は今までになく際立っている。徴用工問題については、昨年10月の韓国大法院判決以降、日本政府からの対応要求を全く無視している。「単なる経費の無駄遣い」 レーダー照射問題についても、韓国側は嘘に嘘を重ねている。東アジアの防衛をともに担う意志が極めて低下していると判断できる。 2日に発表された、朝鮮半島有事を想定し、毎年春に行ってきた米韓の大規模軍事演習の終了も、このような韓国の「北朝鮮化」を確認した上での米国側の判断だろう。トランプ氏ではないが、共同して北朝鮮に抗する意欲のない国との合同演習など「単なる経費の無駄遣い」でしかない。 ただ、韓国側の北朝鮮への傾斜は、今回の米朝の交渉決裂で大きく歯止めがかかるだろう。それは日本にとっては有利な材料になる。 そこで、日本は東アジアの安全保障を考える上で、台湾との関係を再考すべきではないだろうか。台湾の蔡英文総統は、安全保障問題に関する日本政府との対話要請と、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加意欲を産経新聞のインタビューで示した。その報道の直後、蔡氏は自身のツイッターに、日本語と英語の双方でこのインタビューの要旨を熱心に何度も投稿していた。 もちろん、現在の日本と台湾に外交上の関係はない。日本の政治家たちは、保守も左翼も台湾の政治に冷淡な人たちが大半である。 しかし、この蔡氏の提案は、台湾が直面している中国からの脅威を前提にしてのものである。日本もまた尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題において、安全保障上の深刻な脅威を中国に抱いている。しかも、先述したように、韓国の「北朝鮮化」が止まらないのであれば、地域的脅威はさらに増加するだろう。蔡氏の提案を、日本政府が積極的に検討する環境にあるのではないか。2019年1月、台湾の総統府で海外メディアと記者会見する蔡英文総統(共同) 台湾は日本と同じ民主主義の国である。経済や文化での交流も以前から深い結びつきがある。台湾からのメッセージを前向きに議論すべき時が巡ってきたと言えるだろう。■ 「親日清算」も政治ショー? 文在寅はいずれ「歴史の罪人」となる■ 北朝鮮非核化の主導権を虎視眈々と狙う文在寅「逆転シナリオ」■ 「マイナス30度」に達した日韓関係はどこまで冷え込むか

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    物価上昇率250万%、ベネズエラ「超インフレ」より怖い反米思想

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 南米ベネズエラが国家的な危機に見舞われている。同国の独裁政権であるマドゥロ政権に対抗して、グアイド国会議長が暫定大統領の就任を表明し、米国や欧州各国がその地位を承認した。これを契機にして、マドゥロ政権に対するベネズエラ国民のデモがさらに活発化し、政権側の弾圧も厳しさを増している。 経済面を見ても、ベネズエラの苦境は深まっている。特に注目を集めているのは、ハイパーインフレーションの進行だ。 ハイパーインフレの厳密な定義はない。だが、前期比250万%を上回る水準で物価が高騰しているベネズエラは、誰が見てもハイパーインフレの典型例だろう。「IMF Data Mapper」により筆者作成 モノやサービスの値段が急騰しているということは、それと交換に使われる自国通貨(ボリバル・ソベラノ)の価値が激減していることと同じである。図はベネズエラのインフレ率の推移を描いたものだ(「IMF Data Mapper」により筆者作成)。国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し」によると、やがて1千万%まで上昇すると推測されている。 ハイパーインフレのもたらす弊害は大きい。生活必需品を含めて、日々の暮らしが困ることは容易に想像できるだろう。 自国通貨が「紙切れ」同然のために、生活必需品を外国の通貨や物々交換で手に入れることが常態化する。当然、消費水準が抑制されてしまうので、経済活動は停滞する。失業者は増加し、世情も不安定化してしまうだろう。 現在のベネズエラの1人当たりの国内総生産(GDP)は、1ドル110円換算で年およそ34万円であり、日本の13分の1ほどである。インフレの加速が始まった2016年からは、ほぼ半減してまった。 失業率も急上昇しており、ハイパーインフレの出現とともに、2015年は7%台だったが、2018年は38%台まで上昇したと推定されている。若年雇用の失業率はおそらくこの倍以上だろう。日常的な感覚では、若い人は軍人や警察以外で働いている人を探すのが困難なレベルかもしれない。必然的に世情が不安定になる。 このハイパーインフレの原因は、簡単に言えば、マドゥロ政権の財政政策と金融政策といった政策の束(レジーム)の毀損(きそん)である。このレジームの失敗によって、国民の大半が、財政は放漫であり、金融はインフレ放任であることを固く信じている。2019年1月、ベネズエラの首都カラカスの精肉店。壁に掲げられた肉の価格は空欄になっていた(共同) 米国の研究者はさらに踏み込んで、「マドゥロ政権自体の維持不可能性が、このハイパーインフレの真因である」と主張している。つまり、政権瓦解(がかい)とそれに代わる新政権が国民に信頼されることが、ベネズエラの再生にとって不可欠だという見方だ。 もともと、ベネズエラは豊富な石油資源を活用することで、中南米でも富める国であった。半世紀前の生活水準は、当時の米国の8割ほどに迫っていて、事実上の「経済先進国」とも言えた。「為替レート」崩壊のワケ だが、他方で経済格差は深刻の度合いを深め、やがてそれは「反米」を唱えるチャベス前政権を生み出す原動力となった。取りあえず、米国の国際金融資本が石油で得た富を奪い、それが同国に貧困と格差を生み出したという、「チャベス流」にありがちなストーリーが生まれた。いわば、「『米国流』の新自由主義の犠牲者だった」というのが、チャベス前政権やそれを支援している世界の左派勢力による主流の見方であったのだろう。 そして、マドゥロ政権がハイパーインフレなどの経済的苦境に陥っているのは、主に米国などによる経済制裁が原因だという見方をする人たちもいる。だが、ハイパーインフレは本当に経済制裁が原因なのだろうか。 国際金融において「マンデルの三角形」という考え方がある。一国においては、「為替レートのコントロール」「資本移動の自由」「金融政策の自律化」のうち、同時に二つしか採用できないというものである。 この枠組みで考えると、ベネズエラ経済の現在が理解しやすくなる。簡単に言うと、マドゥロ政権は為替レートのコントロール、資本移動の自由の二つを採用している。これが今回のハイパーインフレを準備している。 チャベス前政権では、為替レートのコントロールを固定為替レート制で実現しようとした。これは同国の通貨を「割高」に維持するためのものだった。 ベネズエラの輸出は石油が大半を占め、国内経済もチャベス前政権から現在まで急速に原油依存体質を強めた産業構造になっている。自国の通貨高はベネズエラの現在の経済構造からいえば「生命線」だと、政権側が考えているのだろう。 為替レートのコントロールは、実際には政府とベネズエラの中央銀行が行うことになる。つまり、金融政策は為替レートのコントロールに使われることになり、国内の経済状況への対応には財政政策が割り当てられる。 チャベス前政権では、経済格差を根絶しようと、低所得層向けの社会保障の支出を急増させていった。他方で価格統制も行われ、自由な経済活動は損なわれていった。 また近年では、原油価格の国際的下落により、先述の産業構造上、ベネズエラ経済が急速に低迷した。膨張する支出と、経済悪化で縮減する政府収入の中で財政状況が悪化し、そのファイナンスをやがて中央銀行が発行するマネーそのもので行うようになる。つまり「財政ファイナンス」という手法である。これは中央銀行のマネタリーベース(資金供給量)の急増を生む。2019年1月、ベネズエラの首都カラカスで、同国の憲法を持ちながら話すマドゥロ大統領(ロイター=共同) これ以前「割高」に維持された為替レート制が、マドゥロ政権誕生の2013年以後、頻繁に引き下げられていったのは、このような国内事情による。ここまでの話を考えれば、米国などの経済制裁が一切関係ないことが分かる。 ハイパーインフレが出現する主因は、為替レートのコントロールを意図し、さらに財政支出の放漫な増大の結果、金融政策を失敗することに帰結したことによる。一見すると「マンデルの三角形」でいうと、今のベネズエラ経済は、変動為替レートと資本移動の自由の組み合わせのように思える。それは大きな間違いで、上記の事情から、金融政策の自律化を大きく損ねた状況になっているのだ。「反米」で失政隠し そうして、事実上「通貨安シンドローム」が反映されたことで、現在のハイパーインフレが出現している。その通貨安シンドロームはチャベス、マドゥロ両政権が採用した、左派的な財政拡大路線や、価格統制や最低賃金の引き上げによる民間経済の抑制、原油依存の産業構造への「転換」という政策の失敗によるものだ。 わかりやすくいえば、政府のツケを中央銀行がおカネを刷って、どんどん払ったために、自国通貨の価値が対外的に大きく下落せざるを得ないのである。このとき、金融政策はインフレを沈静化する役割を失っている。それが「金融政策の自律化がない」という意味だ。 反米や反新自由主義を唱える左派勢力には、ハイパーインフレは欧米の経済制裁の結果であり、生活必需品の不足によるものだという認識だろう。だが、生活必需品の不足もチャベス、マドゥロ両政権の左派的な政策が引き起こした高インフレ、ハイパーインフレの帰結である。 日本共産党は樹立当初のチャベス政権に対して、新自由主義に抗する反米政権という理由からも、その活動に期待を表明していた。最近は、マドゥロ政権の独裁ぶりへの批判に転じているが、日本共産党は「反米」「反新自由主義」にこだわる余り、チャベス、マドゥロ両政権の評価を首尾一貫したものとはしていない。前述したように、マドゥロ政権の混迷は、既にチャベス前政権の政策で準備されていたからだ。 また、経済評論家の上念司氏の指摘のように、日本の左派勢力が唱えるような「平和的な解決」を主張することは、ベネズエラ国民の生命を脅かし、実際に数多く奪っている状況のもとでは、独裁政権に利するものだと言っていい。 ちなみに、ここまで書くと、「安倍政権だって『財政ファイナンス』ではないか。日本銀行の信認が失われかねない」という皮相な見方が出てくると予想される。だが、日本の財政は「緊縮スタンス」で運用されてしまい、それが経済の安定化を成し遂げられない原因になっている。 むしろ、放漫財政に伴う経済悪化の心配よりも、緊縮財政による悪化の心配をすべき段階である。実際に、ベネズエラと大きく違い、今の日本のインフレ率は0%をわずかに出たぐらいだ。急激にインフレ率が加速する心配もない。 なぜなら、中央銀行が為替レートに振り回される状況ではなく、国内の経済状況を分析した上で2%のインフレ目標を採用し、運用しているからだ。急激なインフレが起きない仕組みが採用されているのである。2019年2月、国会で記者会見する共産党の志位委員長 もっとも、このインフレ目標を日銀が採用する前まで、日本ではベネズエラと逆に「円高シンドローム」という状況に置かれ、デフレ不況が続いていた。今思えば、情けない限りである。しかも、今秋に予定されている消費税率10%への引き上げは、日本の経済政策の失敗を再び引き起こしかねない。ベネズエラと同様に、日本でも経済政策が失敗すれば、また「失われた20年」に逆戻りしてしまうだろう。 ベネズエラとブラジルの国境では、援助物資を受け取ろうとした民衆に、政権側が発砲して死傷者が出た。郵便学者の内藤陽介氏が指摘するように、このような民衆への発砲は、およそ貧困層への共感をもとにして生まれた政治体制とは思えないものだ。 日本国内でも「反米」や「反新自由主義」というイデオロギーで、この独裁政権の振る舞いを、事実上肯定する人たちもいる。一方で、独裁政権も「反米」などの旗印で、自分たちの経済政策の失敗を隠そうとするだろう。そこに政治イデオロギーの持つ本当の恐ろしさがある。■ 消費増税廃止、マハティールにできて安倍首相にできない道理はない■ 「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」

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    統計不正「官邸の圧力」追及、ならば辻元氏もあの疑惑に答えよ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 立憲民主党の辻元清美衆院議員は、同党の国会対策委員長の重責を担い、マスコミへの露出も多い政治家である。それだけではなく、客観的データがないのであくまで感想レベルだが、日本の政治家の中で、デマなどで最も誹謗(ひぼう)中傷されている議員の一人ではないか。 完全に対照的な政治的立場にいると目される自民党の杉田水脈(みお)衆院議員と、インターネット界隈では「両翼」といっていいかもしれない。ただし、2人を大きく超える安倍晋三首相という「別格」がいることも忘れてはならない。 辻元氏も自身に対するデマの多さは問題視していて、彼女の近著の題名『デマとデモクラシー』(イースト・プレス)はまさにその象徴だし、辻元氏のホームページにも同氏についての「10大デマ」についてきちんとした反論がある。 率直に言えば、ひどいデマが多すぎる。デマやフェイク(嘘)では、政治も政策も何もよくはならないことをぜひ理解してほしいと、その10大デマを見ていて思った。 デマや誹謗中傷はもってのほかだ。ただし、辻元氏に対するネット上での批判には理由がないわけではない。 今日の立憲民主党の国会運営における主軸であり、世間に向けての大きな論点は、今に至るも森友・加計学園問題である。最近では、これに厚生労働省の統計不正問題が加わった。 両方とも安倍首相本人の関与か、もしくは「首相官邸の圧力」があったことを、立憲民主党を中心とした野党は問題視している。先に結論を書けば、モリカケ問題もそうだったが、今回の統計不正問題も安倍首相の関与や圧力は事実としてない。2018年11月、パーティーであいさつする立憲民主党の辻元清美国対委員長(酒巻俊介撮影) 例えば、今統計調査のサンプル入れ替えが、官邸の「圧力」があったために行われ、それが賃金水準の「かさ上げ」に至ったとする見方がある。統計調査のサンプル入れ替えは、公開された委員会で審議され、そこで統計的手法の問題点なども議論されてきた。何の不透明性も、そこにはない。 いわばデマ、嘘の類いだ。だが、辻元氏らは、この問題を国会の貴重な時間をまさに「浪費」して、政治的な観点で政権批判を繰り返すことに大きな役割を果たしている。問われるべきは「ダブスタ」 一方ではデマを批判し、他方ではデマに加担しているともいえる、その「ダブルスタンダード」が問われているのではないだろうか。もちろん、辻元氏をデマで攻撃するのは全く悪質なことだけは再三注意を促したい。 このようなダブスタ的な政治姿勢に対する批判は理解できる。また、今後も辻元氏だけでなく、立憲民主党の国会運営や政策観については問題視すべきだと思っている。 ちなみに、辻元氏の経済政策観は、成長よりも再分配重視のものだ。辻元氏のホームページには、経済学者で法政大の水野和夫教授が、辻元氏本人の言葉を引いた形で応援メッセージを寄せている。 「何が何でも成長優先の安倍政権では、企業は収益を内部留保せざるをえない。働く人への還元こそが未来の安心と消費を生み、経済の好循環をつくる」 企業の内部留保を活用して、それを再分配して勤労者に還元する。辻元氏にどのような具体策があるかわからない。ただ、もし勤労者に企業から還元することで、経済の好循環を目指すならば、安倍政権の経済政策をさらに進化させて、大胆な金融緩和と積極的な財政政策で、さらに雇用を刺激し、賃金の上昇を高めていけばいいのではないか。 さらに、2012年の消費増税法案に辻元氏は賛成しているが、国会運営を担う立場から、今こそ消費増税の凍結か廃止法案を提起すべきではないだろうか。だが、どうも『デマとデモクラシー』での思想家の内田樹(たつる)氏との対談や、水野氏の推薦文などを見ていると、辻元氏の経済政策観は、全体のパイの大きさを一定にしたまま、そのパイを自分たちの政治的好みで切り分けるというものだ。2019年1月、与野党国対委員長会談に臨む自民党の森山裕氏(左)と立憲民主党の辻元清美氏 つまり、民主党政権時代の「実験」で、国民を悪夢、いや地獄に突き落とした政策観と変わりがない。反省なき旧民主党議員の典型であろう。 辻元氏にはデマではなく、今日、政治家として答えるべき二つの問題がある。一つは外国人からの献金問題である。筆者が辻元氏に聞きたいこと この点については、多くの識者が指摘しているように、辻元氏だけに発生する問題とはいえない。政治資金規正法では外国人からの献金を禁じている。 だが、どんな国会議員でも、現在の制度では、献金を日本人が行ったのか外国人が行ったのか分かりづらく、完全には防ぎようがない。そのため、辻元氏には、ぜひこの問題を率先して国会で審議する道をつくるべきだと思う。 だが、どうもその種の動きはない。あるのは、全く事実に基づかない「疑惑」だけに依存した「官邸の圧力」を審議しようとする「国会の浪費」である。 もう一つは、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関生支部)との政治的な関係である。一部報道にあるように、大阪市内の生コン製造会社でミキサー車の前に立ちふさがって業務を妨害したなどとして、威力業務妨害容疑で同支部執行委員長の武建一被告らが逮捕、起訴された事件である。この武被告と辻元氏との関係が特に注目されている。 『夕刊フジ』や『デイリー新潮』などで、両者の関係が政治献金などの繋がりを含めて問題視されている。この関係について、辻元氏は説明をする必要があるのではないか。 ちなみに、私が今回、あえて辻元氏の政治的姿勢や政策論の一部について取り上げたのは、この関生支部との関係が気になったからである。政治的立場は異なるが、筆者と同じリフレ政策を主張する立命館大の松尾匡(ただす)教授や、穏健な人柄で国際的にも著名なマルクス経済学者の東京大の伊藤誠名誉教授、そして大阪産業大の斉藤日出治名誉教授らが、この武被告の主導する「関生型労働運動」を代替的な経済モデルの一つとして評価していたからだ。2018年11月、自身のパーティーで出席者にあいさつする立憲民主党の辻元清美国対委員長(酒巻俊介撮影) 今回の論考を書くために、彼らの文献をはじめ、武被告の発言や著作を読んだ。また、労組に過度に期待する者は、今回の逮捕劇を「権力vs労組」でとらえていることも知った。だが、一般の国民は、今回の逮捕劇が罪の存否を含め、司法の場で裁かれるべきものだと考えているだろう。 辻元氏が、過去に支援を受けた組織の大規模な逮捕劇、さらには関生支部の活動を今どのように評価しているのか、筆者はその点を聞いてみたい。少なくとも、それを明らかにしないようでは、「辻元氏はずっと他者の疑惑には厳しく、自分には甘いダブルスタンダードである」という批判から逃れることはできないのではないか。■ 統計不正も実質賃金も「アベガー」蓮舫さんの妄執に為す術なし?■ 「昭和天皇は慰安婦戦犯」韓国の理屈に加勢した朝日とあの政治家■ 辻元さん、あなたに安倍総理と同じ「悪魔の証明」ができますか?

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    望月衣塑子記者に教えたい「硬骨のエコノミスト」の戒め

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者は、菅義偉(よしひで)官房長官の定例記者会見での自説を交えた長い質問で有名である。時には、質問というよりも自説の開陳とでもいうべきものがあり、それは事実確認の後に自社で記事にすればいいのではないか、と思うことがある。 SNS(会員制交流サイト)時代の現代では、各メディアの記者本人がツイッターで意見表明もしている。望月記者の発言もしばしば注目されるので、何も記者会見で「演説」しなくてもいいのではないか、と思うのだが。 いずれにせよ、記者クラブという閉鎖的なコミュニティーの一員が、その特権を活用して質問している。特権を持つ人たちは、その権利の行使が自分たちに当然に認められていると錯覚する場合がままある。 他方、インターネットメディアなどは申請しないと記者会見には参加できないし、その曜日も限られているという。望月記者が菅長官相手に「言論の自由」を謳歌(おうか)する一方で、そのための時間は既得権(いわば取材の不自由の行使)の産物ということになる。記者会見に参加できない多くの人は、望月記者に取材時間を奪われ、さらには筆者のようにその内容にげんなりしている人も無視できないほどいるだろう。 事実、大阪経済大学の黒坂真教授は、次のようにコメントしていて、筆者も同意する内容だった。 官房長官の記者会見は記者との公開討論会ではない。官房長官の見解を聞く場です。それを新聞は紙面で論評すれば良い。望月記者の質問は長すぎます。これを他社の記者もやったら、記者会見が毎日数時間かかる。官房長官は記者会見を廃止する。権利の要求には節度が必要です。黒坂真氏の2019年2月11日のツイート『女性セブン』に掲載された東京新聞の望月衣塑子記者=2017年11月 ただ、「節度」は価値判断なので、望月記者のファンには受け入れられないかもしれない。ところで、望月記者のツイッターを最近読んで、以下のコメントには同意できないものがあった。 統計不正 2015年1月のサンプル入れ替え後、実質賃金が下がった。それに激怒したのが菅義偉官房長官という。2017年2月に菅氏は、政府の統計改革推進会議の議長に就任。様々なGDPの嵩上げや統計不正は政治的圧力がなければ、起きえなかったのでは。望月衣塑子氏の2019年2月11日のツイート「モリカケ」でうま味? 要するに、望月記者は自社の記事を引用する形で、毎月勤労統計調査に関する「統計不正」問題を、安倍政権の政治的圧力によるものと、疑惑を表明したのである。だが、そもそも今言われている「統計不正」は、第2次安倍政権以前から十数年にわたって行われてきた「不正」である。これを安倍政権の圧力とするのは理解できない。 東京新聞の当該記事でも、「2004年ごろ厚生労働省が東京都の500人以上の事業所の抽出調査を始める」としている。望月記者は安倍政権の「疑惑」にご執心のようだが、むしろなぜこの統計不正が始まったか、そちらの事実の追及をすべきではないだろうか。 嘉悦大の高橋洋一教授や筆者も、この問題が起きてすぐに指摘したように、統計予算の緊縮によって人材の確保や育成に失敗している可能性が高い。すなわち、緊縮主義が「統計不正」の背景となる見方である。 この点が正しいかどうか、報道による追及が待たれるが、どうも多くのメディアは安倍政権の「政治的圧力論」が大好物である。おそらくこの数年続いている「モリカケ問題」でうま味を得ているのかもしれない。 さらに、望月記者だけではなく、反安倍を強く主張する野党やマスメディアでは、「実質賃金」だけを「疑惑」の対象として非常に強く打ち出している。特に強調しているのが、「実質賃金の変化率が2018年にマイナスに落ち込んだ」ことである。 しかし、安倍首相が国会でも答弁したように、安倍政権の経済政策は実質賃金の水準やその変化率をことさら目的にしてはいない。特に、実質賃金の変化率は、経済の状況(デフレを伴う停滞期、停滞からの脱出期、完全雇用が達成された後など)に応じて、それぞれ複雑な動きをすることが知られている。衆院予算委で答弁する厚労省の大西康之元政策統括官。手前右端は安倍首相=2019年2月12日 例えば、デフレを伴う経済低迷期の場合、実質賃金の水準も高い。なぜなら実質賃金は、名目賃金を物価水準で割ったものである。デフレで物価が低ければ、それに応じて実質賃金は上昇するからだ。 民主党政権の時代を今よりもはるかに良かったという主張を目にするが、その根拠として、実質賃金の水準やその変化率が高いことを挙げている人がいる。デフレは総需要が総供給に満たないときに起きていた。この場合、経済状況は「不況」である。他方で、実質賃金は高めになり、またデフレが継続するほどにその変化率も増加する。これでは「不況がいい」と言っているに等しいことになる。 他方で、経済低迷から脱出するときは、失業状態にあった人や働くことを諦めていた人たちが、雇用に参加することになる。失業率が低下すると同時に、就業者数も増加していく。実質賃金を強調「悪しき経済論者」 このとき、新規雇用された人たちは、新卒者や再雇用者のように給料の低い人たちが多いだろう。すると、平均賃金は低下する可能性が大きい。しかも同時に総需要が増加していけば、その過程で物価も上昇する。これらは実質賃金の水準を低下させるし、変化率も大きく低下するだろう。だが、この実質賃金の低下が雇用を回復させることにつながるので、国民の暮らしには大きくプラスに働くのである。 望月記者は、あたかも安倍政権が実質賃金の低下を強く懸念し、それが政治圧力に至ったという「疑惑」を抱いているようだ。そもそも、アベノミクスは実質賃金の水準を低下させ、またその変化率は場合によればマイナスでもかまわない、という形で経済を回復させる政策なのである。むしろ、実質賃金にいかなる状況でもこだわり続けるのは、望月記者らアベノミクスに批判的な人たちに見られる現象である。 もちろん、経済が完全雇用に達すれば、実質賃金の水準は向上していくだろう。それだけの話である。ちなみに、2013年以降の実質賃金の変化率(対前年同月比)と失業率の推移をグラフ化してみた。 実質賃金の変化率は、5人以上の事業所の現金給与総額のものであり、その従来の公表値と修正値の両方を提示している。また、よく話題に上る共通事業所での継続標本による実質賃金の変化率も似たような動きだ。グラフを見れば分かるように、安倍政権になって失業率は継続的に低下しているが、他方で実質賃金の変化率自体は大きく上下動している。このように、複雑な動きをしていることが分かれば十分である。 変化率の上下動は、先ほど説明したような、雇用の回復をもたらす実質賃金の「水準」自体の低下が寄与している場合もあるだろうし、物価水準の上昇や下降が寄与していることもある。さらには2014年では、消費増税の影響が特に顕著だったのかもしれない。要するに、変化率の方は複雑な動きをしているため、これだけを特段に重視することはあまり意味がないのである。 実は戦前でも、望月記者たちのように、経済停滞からの脱出期に実質賃金をことさら注目し、経済政策を批判した人たちが多くいた。それらの人たちが当時の政策議論を混乱させていたのである。日本を代表する保守リベラリストであり、優れたエコノミストであった石橋湛山は、1930年に起きた昭和恐慌に際して次のように記し、実質賃金をことさらに強調する「悪しき経済論者」を批判していた。1.不景気から好景気に転換する場合には労働者にしてもサラリーメンにしても、個々人の賃金俸給は用意に増加せぬ。だから従来継続して業を持ち、収入を得ている者からは、収入は殖えぬに拘らず物価だけが高くなると観察せられる。2.けれども斯様(かよう)な時期には、個々人の賃金は殖えずとも、少なくとも就業者は増加する。故に勤労階級全体としては収入が増える、購買力が増す。3.而(しこう)して斯様に大衆全体の購買力が増えばこそ、其個々人には幸不幸の差はあるが、一般物価(ここで問題の物価は、云うまでもなく生活用品の価格だ)の継起的騰貴も起り得るのである。『石橋湛山全集』第9巻454ページ だが、望月記者たちの「疑惑のインフレーション」を止めることはできないだろう。何年やっても、安倍政権の圧力など全く事実を見いだせなかったモリカケ騒動と同じ構図が生まれようとしている。石橋湛山元首相 石橋湛山も批判したような「トンデモ経済論」を背景に持った人たちが、政権批判のためにさらに経済政策の議論を混乱させていくのかもしれない。その不幸だけは避けなければいけない。■ 豪雨災害「クーラーデマ」を否定しない蓮舫議員もどうかしている■ 民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない■ 「蓮舫降ろしの密約」内部崩壊した民進党が政権復帰するために

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    統計不正も実質賃金も「アベガー」蓮舫さんの妄執に為す術なし?

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 厚生労働省の毎月勤労統計を巡る不正問題に関して、ワイドショーなどでは相変わらず「低レベル」と言っていい報道が続いている。 毎月勤労統計の不正問題自体は、国の基幹統計と言われる賃金水準の実態を正確に捉えることを怠った問題であり、厚労省の官僚たちを法的に厳しく処罰すべき問題であろう。 また、厚労省が設置した「特別監察委員会」に関するずさんな対応については、これはデータ不正そのものを生み出した厚労省の「自己都合」で、国民の関心をないがしろにする行為として批判すべき問題である。ただし、どの程度のデータ不正かと言えば、報道や野党、そして一部の識者からは、安倍晋三政権批判の思惑が「ダダ漏れ」で、そのため過度に誇張されたものになっている。 筆者の周囲でも、ワイドショーから情報を仕入れた人が「統計不正は大変な問題ですね。安倍政権の責任は大きいですね」と尋ねてきた。そこで筆者は、統計の全数調査を怠ったことは重大な「犯罪」だが、抽出調査自体は統計的には適切に実施し、法規に従えば特に大きな問題ではないことを説明した。 その上で、安倍政権のはるか前から続いていた話が、安倍政権で発覚したに過ぎないことを指摘した。ついでに「ワイドショーなどを見て、その報道につられて、安倍政権が悪いように誤解する見識のない人が増えて、テレビに振り回されていて、かわいそうだ」と返したら、やはりご本人に思い当たることがあるのか、顔色を変えてにらまれてしまった。 この例でも分かるように、安倍政権の長期化に伴い、これまたテレビの影響で「長く続くからダメ」というような、事実に立脚しないイメージ批判が蔓延(まんえん)している。そのせいで、ワイドショーなどの報道を鵜呑みにする人たちや、何でもかんでも安倍政権のせいにする人たちを、私の周りから遠ざけてしまうことになった。ただでさえ「友達」が少ないから、安倍政権の長期化は困ったものである。2019年2月、厚生労働省が入る東京・霞が関の中央合同庁舎 統計調査不正を利用して、安倍政権の経済政策の成果を不当に貶(おとし)める発言も実に多い。別に安倍政権を特に持ち上げる必要はない。だが、安倍政権の経済政策が、雇用面で大きな成果を挙げたことは否定できない事実である。 マスコミや野党、反安倍的な識者には、この成果を否定したい思惑が広がっていて、それは事実の否定さえも伴っている。確かに、統計不正はいわば事実をないがしろにする行為だ。だが、批判している野党やワイドショーなどのマスコミがまさに雇用改善の事実をないがしろにしているとしたら、悲劇を超えて「喜劇」ですらある。蓮舫氏「事実誤認」のツイート 例えば、立憲民主党の蓮舫副代表はツイッター上で次のように述べている。 「アベノミクスの成果の根拠として、去年6月に前年比3・3%としていた賃金上昇率の伸び率が、実は1・4%だった。実質賃金の伸び率で比較すると、2%が実は0・6%と推計されました。昨年1月から11月の平均は、マイナス0・5ではないかと推計もされます。野党ヒアリングで厚労省はおおむね認める発言をしました」 まず、安倍首相自ら国会で説明している通り、アベノミクスはその成果の根拠としても、政策目的としても、実質賃金の伸び率を重視したことはない。蓮舫氏はこの点で事実誤認している。 さらに、前年比での実質賃金の伸び率がマイナスなのは、単に17年が18年よりも実質賃金の「水準」が高かったからである。しかも、アベノミクス期間中の賃金指数を、不正データと修正データとを比べると、むしろ上昇している。都合の悪いデータを隠すことは十分考えられるが、都合のいいデータを隠す意図は、さすがに政権側にはないと考えるのが常識的だ。 もちろん、強固な反安倍主義者の中には、それでも政権への「忖度(そんたく)」があった、と考える人がいるが、もはや事実を提示して納得できるようなレベルの人たちではないだろう。悪意か妄執か、あるいは頑なな政治イデオロギーの持ち主か、いずれにせよ経済学による説得では無理である。 またアベノミクスの開始当初から、なぜか蓮舫氏のように実質賃金とその伸び率を重視する人たちが多い。その多くが反安倍、反アベノミクス論者である。立憲民主党の蓮舫副代表兼参院幹事長=2018年5月(春名中撮影) だが、そもそもアベノミクス、その中核であるリフレ政策(デフレを脱却して低インフレ状態で経済を安定化させる政策)は、実質賃金の水準や伸び率の動きをただ上げればいいだけの政策のように、単純な見方はしていない。むしろ、長期停滞からの脱出局面(現時点)では、実質賃金の伸び率が低下することも不可避であると主張してきた。 リフレ政策が効果を与える停滞脱出期においては、実質賃金の切り下げが生じる。なぜなら、雇用が増加することで、新卒や中途採用、退職者の再雇用といった新たに採用された人たちの賃金は、既に長年働いている人たちの賃金よりも低いことが一般的だ。 すなわち、雇用される人数が増え、失業率が低下することは、同時に平均的な賃金を低下させることになる。これを「ニューカマー効果」という。あべこべな日本の「リベラル」 しかしニューカマー効果では、同時に失業率が改善し、雇用状況の改善(有効求人倍率改善、いわゆる「ブラック企業」の淘汰など)も実現していく。さらに、支払い名目賃金の総額も上昇していくだろう。そうして、経済全体の状況は大きく改善されていくのである。 実際、安倍政権ではこのニューカマー効果による実質賃金低下と、同時に失業率低下、有効求人倍率の上昇、賃金指数の増加、名目国内総生産(GDP)の増加などが見られる。さらに、雇用安定化の成果で、失職などに伴う経済的要因での自殺者数が激減し、不本意な形で就業しなくてはいけない非正規労働者の数も大きく減少した。これらは、単にアベノミクスによって雇用の量的な改善だけでなく、質的な改善も見られたことを証明している。 そして失業率が低下していくと、いわゆる「構造的失業」という状態に到達する。その過程で名目賃金の増加だけではなく、労働市場の逼迫(ひっぱく)の度合いに応じて、実質賃金も上昇していく。日本経済は、2014年4月の消費税率8%引き上げの悪影響がなければ、このプロセスが実現していた可能性が大きい。 このように蓮舫議員に代表されるような「実質賃金低下ガー(問題)」論者は、あまりにも問題を単純に捉えていると言わざるを得ない。実は、実質賃金の低下だけを問題視する人たちは、経済が常に完全雇用の水準にあると思い込んでいる新自由主義者的な人に多い。 新自由主義的な人からすれば、実質賃金の低下など、単に労働の生産性の低下を示すものでしかないからだ。蓮舫議員を含む立憲民主党や国民民主党などの多くの野党は、確か経済問題を適切な政府介入で是正していく「リベラル」のスタンスであるはずなのに、主張が新自由主義者風なのはなぜだろうか。 おそらく、野党議員の多くは経済政策のアドバイスを受ける相手を間違えているのであろう。例えば、立命館大の松尾匡(ただす)教授が最近、安倍政権の経済政策に対抗するリフレ政策的な政治キャンペーン「薔薇マークキャンペーン」を始めている。なんでも今度の参院選に立候補する議員に、反緊縮に賛同する候補者と対して「薔薇マーク」の認定を与えるというものだそうだ。2019年1月、毎月勤労統計の不正調査問題で、厚労省の職員らに質問する野党議員(奥) 認定候補が野党勢力だけかどうか定かではないが、筆者はこのキャンペーンが与野党の対立構図に乗った政治色の強いものだと考えている。リフレ政策はそういう政治的イデオロギーを超えるべきだと考えているので、この運動自体には賛成できない。 ただ、蓮舫氏のような反安倍主義者たちが、よりまともな経済政策を構築するには、松尾氏のアドバイスに対して、真剣に耳を傾けることを勧めたい。それが日本の政策議論の底上げにもつながるに違いないからだ。■ 豪雨災害「クーラーデマ」を否定しない蓮舫議員もどうかしている■ 民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない■ 「蓮舫降ろしの密約」内部崩壊した民進党が政権復帰するために

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    「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本を代表するアイドルグループ、嵐が2020年末での活動休止を電撃的に報告した。1月27日午後5時、ジャニーズ事務所の公式サイトで発表された彼らの決断は、ニュース速報となって世界を駆け巡った。 その日の夜に、大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤のメンバー5人そろっての記者会見が行われた。ただ、テレビの生中継もなく、インターネットでの動画配信なども厳しく制限されていて、彼らの所属しているジャニーズ事務所らしい「統制」ぶりではあった。それでも、世界中の嵐のファンには、彼らがなぜ活動休止を決断したのか、その理由が丁寧な言葉とともに伝わったに違いない。 2年近くも休止まで活動期間があるため、本稿で嵐の総括をするのは適当ではないように思う。おそらくこの2年間でも、嵐は日本のアイドル史に残る偉業をさらに作り続けることは間違いないからだ。 そこで、嵐のアイドルとしての特徴を改めて振り返ってみたい。筆者は2014年から15年にかけて、嵐の活動を経済学的な観点から解説したことがある。 以下ではそのときの分析を基に、嵐の活動を経済学的視点から次の4点に絞って解説する。「嵐の経済効果の推計」「嵐ファンの『みせびらかしの消費』」「嵐ファンの『年輪モデル』仮説」、そして最も重要な「嵐の成功を支える三つの『三位一体』」である。 最初の「経済効果」だが、1年間で彼ら5人はどのくらい稼ぎ出しているのだろうか。まず挙げられるのが、ライブ収益やグッズ販売、嵐ファンクラブの会費収入、CDやDVDなどの売り上げ、そしてCMやテレビなどメディアでの収益である。 いわゆる経済効果を考えるときは、単に売り上げだけでなく、どのくらい経費がかかったかを計算する必要がある。売り上げから費用を引いた「粗利」をもって経済効果とするのが正しい。2019年1月27日夜、グループ活動休止について記者会見する「嵐」の(左から)相葉雅紀、松本潤、大野智、櫻井翔、二宮和也 ただし、費用面のデータがないので、あくまで売り上げの推計でしかないことをお断りしておく。さらに嵐の運営本体の売り上げがもたらす経済的波及効果、例えば、嵐が出演したCMがどのくらい商品の売り上げに貢献したか、といった金額も対象外とさせていただいた。 それではライブ収益から見てみよう。音楽CDの売り上げが低下するという世界的な潮流において、ライブを中心にした収益モデルが音楽系のアーティストたちの基本になっている。当然、嵐もライブ活動に力を入れている。日本のオンリー1アイドル 2013年の日本国内でライブを行った音楽系アーティストの観客動員数ランキングで、嵐は約78万人で第4位だった(日本経済新聞社調べ)。その後も観客動員数は順調に増加し、音楽ライブ情報サービス「LiveFans」の独自集計によれば、2018年には国内3位の約89万人を動員したという。 嵐のチケットの平均価格は9000円(一般)で、ファンクラブ会員の値段は一般よりも低い8500円である。ここでは、会員価格を動員数に掛けると、ライブの売り上げは約76億円になる。 他のアイドルも同様だが、嵐はグッズ販売にも力を入れている。ライブ会場では、メダルブローチや嵐メンバーの写真、会場限定販売のパンフレット、うちわに色つき電球を仕込んだ「ファンライト」、Tシャツ、ポーチ、オリジナルUSBメモリなど、筆者が2014年に調べた段階でも多様だった。 最近でもその開発の動きはとどまることを知らない。特に昨年後半から行われているデビュー20周年記念ツアー「5×20」では、会場限定チャームが人気を呼んでいた。個人的には「ARASHIかるた」に興味をそそられる。 当然、多くのファンたちはその場でしか手に入らないグッズに殺到する。売り場の混み具合によって、開演時間まで左右される場合もあるほどだ。一般に業界の経験則では、ライブのチケット代金の7割程度をグッズ購入にあてるという。この経験則を適用すると、先の76億円の7割にあたる53億円がグッズ収入として推計できる。 そして何といっても、嵐のビジネスモデルの中核となるのが、ジャニーズの系列企業が運営するファンクラブの存在だ。現時点での入会金1000円、年会費4000円を元に、会費関連収入を推計しよう。 ファンクラブに入会すると、「プラチナチケット」と化している嵐のライブチケットを優先的に購入することができる。ただし、会員番号が現在で180万台であるため、会員であっても入手は難しい。だが、一般販売はさらに入手が絶望的に困難なので、嵐のコアなファン層はほとんどファンクラブに入っているものと推定される。 もちろん、180万人の会員全てが現存せず、「幽霊会員」も混じっていると考えられるので、少なく見積もってライブに来た延べ人数の90万人ほどが年会費を支払っているとしよう。これだけでも36億円の収入になる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 世界的にCDの売り上げが低下していると先述したが、嵐の場合はその例外になっている。また、日本の他のアイドルと比べても、ユニークな立ち位置を確立している。 今のアイドル界でビジネスモデルの典型であるAKB48と比較してみよう。AKB48は、CDにさまざまなイベントの参加券や彼女たちの人気度を計る「総選挙」の投票券を付けている。簡単に言えば、熱心なファンには同じCDを複数枚購入するインセンティブが存在するわけだ。AKB48だけでなく、今のアイドルは同じメーン曲のCDを3~5パターン作成することが多い。人気支える「年輪モデル」 ところが、嵐の場合は、シングルでもアルバムでも通常盤と初回限定盤の2種類しかリリースしない。中には何枚も購入するファンもいるかもしれないが、AKB48のように、同じものを複数枚買わせる仕組みはないのである。 それにもかかわらず、売り上げはシングルでもアルバムでも60~70万枚台で、安定的に推移している。嵐のツアーを記録したDVDの売り上げも国内最高水準で、2017年の音楽ソフトの総売り上げは約109億円であった(オリコン調べ)。 ここまでの収益をざっと計算すると274億円になる。同様の推計をした2014年は260億円で、売り上げが拡大しているが、これが全貌ではない。嵐を利用したCM・広告料収入、書籍や雑誌収入、テレビなどメディアへの出演料などが残されているからだ。これらを全部含めると300億円をはるかに上回ることが予想される。重要なのは、この収益水準が、嵐がデビューしてから20年、成長することはあっても衰えないことに特徴がある。いったいその理由はなんだろうか。 嵐の魅力の一つに、彼らのライブの構成力がある。ムービングステージやトロッコ、リフトなどを先駆的に実験し、それは他のアーティストやアイドルたちにも影響を与えたほどだ。 彼らのライブを目の当たりにしたファンが、会員制交流サイト(SNS)でその魅力を拡散し、それを見た他の人たちが生で嵐のライブを見たいと思う。これを「みせびらかしの消費」といい、次は自分も見たいという誘惑を生み出す効果がある。それでも、ライブ構成力は、嵐の多彩な魅力の一部でしかない。 さらに発展する嵐の人気を支えるのが、ファンクラブを核にした「年輪モデル」だ。年輪モデルというのは、若いうちに嵐のファンになった人たちが、年を経てもほとんど抜け落ちることなくファンで居続ける。さらに、より若い層もファンとして取り込んでいき、あたかも木の年輪が形成されるように、時とともに巨大化していくモデルのことを指し、日本ではアニメやマンガ市場でも見受けられる。 このモデルを可能にしている要素の一つが「卒業のないアイドル」というものだ。本来、アイドルは男女問わず、若いときが人気のピークであり、20代前半を過ぎれば大概はアイドルとして終わる、というのが、1970年代から90年代ごろまでのイメージだった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ところが、ジャニーズ事務所の男性アイドルの多くは、中年になっても「アイドル」として活躍を続けた。メンバーの平均年齢が30代後半の嵐には、「先行モデル」として同じ事務所にSMAPやTOKIO、V6などがいた。つまり、年齢を重ねてもアイドルでいられるノウハウを、所属事務所が経験知として蓄積しているということが分かる。 だが、SMAPの「一時期の休止」(個人的に「解散」とは書きたくないのでメディアの通例に反してこう表現する)により、ジャニーズ事務所の運営に対して、厳しい批判が起きた。だが、今回の嵐の活動休止は、SMAPの一件とは無縁である。嵐の真の「強み」 筆者は休止に関して、メンバーの発言をそのまま真に受けることにしたい。それが彼らへのリスペクトともなるからだ。ただし、それとは別に、ジャニーズ事務所の運営に経済学的な意味で限界が来ていることを指摘しておきたい。 嵐の経済システムは、構造的にはジャニーズ事務所を中心にしたいくつのも分業化した関連企業によって支えられている。評論家の速水健朗氏は「ジャニーズのディズニー化」と形容したが、確かにジャニーズ系のアイドルの肖像権や原盤権の管理は徹底している。 事実、つい最近までネット上で嵐のメンバーの写真を見ることは極めて難しかった。今はかなり緩和されてきてはいるが、それでもK-POP勢に比べれば、管理はいまだに厳格すぎるといえる。 また、このような厳格な管理も同グループの多岐に分かれた企業群によって担われている。音楽著作権やファンクラブ運営、CM・広告制作、グッズ販売、コンサート主催、アイドルグループごとのコンテンツ管理などが挙げられる。 嵐の強みは、この嵐という「商品」を独占的に販売できるジャニーズの、企業集団としての力に大きく依存していたわけである。その力が、上記のように売り上げ拡大の基礎となるものだ。 このジャニーズ事務所の「独占力」が、業界やメディアに対して圧倒的な影響力を持つと同時に、批判の対象ともなってきた。肖像権などで緩い著作権を背景にしたK-POP勢が、BTS(防弾少年団)の国際的な展開につなげたこととは対照的に、ジャニーズ事務所のやり方はいかにも旧世代の遺物のようだ。だが、この事務所の時代からの「遅れ」をものともしない強みが、嵐にはある。2018年11月、公演する韓国の男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」のメンバーら=韓国・仁川(聯合=共同) その強みを一言でまとめるならば「三つの『三位一体』」だろう。国民的なアイドルとしての嵐には、次の三つの「三位一体」が備わっている。「テレビ×広告代理店×所属事務所=パブリシティーの『三位一体』」、「歌+ダンス×演技×バラエティー適応能力=コンテンツの『三位一体』」、そして「ライブ×テレビ×CD+DVD=媒体の『三位一体』」である。 この三つの三位一体を、メンバーが意識的にうまくコーディネートしているのが、嵐の強みである。つまり、アイドルではなく、彼ら自身が創造的な「総合監督」的な地位を獲得していることが、成功の大きなカギとなっているのである。 この強みを裏付けるように、今回の決断に至る過程においても、彼ら自身が長期間徹底的に話し合い、その後に事務所との交渉に移行したという。ファンや国民の声援を背景に、「作られるアイドル」ではなく「自らの人生を作るアイドル」、それこそが嵐の経済モデルである。■ 「義理と人情」日本的価値観を体現したSMAP解散劇■ 元SMAP3人のホンネに国民的アイドルの真髄を見た■ 韓国アイドル「BTS」が映すヘル朝鮮の現実

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    習近平独裁に痛撃、中国経済「大失速」が意味するもの

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 中国経済の大失速の可能性が高まっている。もちろん、その背後にあるのは「米中貿易戦争」だ。昨年12月の輸出は前年同月比で4・4%減、輸入は7・6%も減少した。中国の貿易のボリュームが金額面で大幅に減少したことは、現実の経済成長率の失速を予想させるものであった。 実際に、中国政府が21日に発表した2018年の国内総生産(GDP)の実質成長率は6・6%(17年は6・8%)となり、天安門事件翌年の1990年(3・9%増)以来28年ぶりの低水準となった。内容を見ても、昨年後半からの消費低迷が影響しているのは明らかで、輸入の減少とも整合的だろう。 高度成長から「低成長の時代」に移行することにより、中国の国民や企業の期待成長率もまた引き下げられていく。米中貿易戦争が、この期待成長率の押し下げをさらに加速させるだろう。 個々の事例を見ても、中国の新車販売が28年ぶりに前年を下回ったことが象徴的だろう。ただ、これは自動車取得税の減税措置が17年末で終了したことを受けた反動減という見方が通説だ。 いずれにせよ、消費者のマインドが冷え込んでいるところに、今後、米中貿易戦争の影響が到来する可能性が大きい。輸出も携帯電話の出荷数は前年比15・6%の大幅減少だった。華為技術(ファーウェイ)など中国の通信・携帯事業への国際的な制裁や規制が強まる中で、海外での中国ブランドを敬遠する動きも今後進展する可能性がある。 貿易面での不振や期待成長率の押し下げは、中国企業の在庫調整や、生産ラインの拠点見直し、そして雇用面のリストラなどを伴っていく。リストラは、消費や投資の低下をもたらし、それはまた一段と経済成長と雇用を悪化してしまうだろう。ただし、このような悪循環は、可能性を高めつつも、実際にはまだ始まっていない。2018年1月21日、配布された中国のGDP速報値の資料を受け取る報道陣(共同) 中国政府も「防戦」に必死なのだ。まず、中国人民銀行は預金準備率をこの1年で5回も引き下げるなど、金融緩和姿勢を強めている。 財政政策においても、個人所得税の減税を強め、さらに日本の消費税に相当する増値税の引き下げ予定も伝えられている。増値税は、日本の現行のものとは違う複雑な税制になっているので単純比較はできない。それでも、消費税率の引き下げを実施する姿勢だけは、日本政府も率先して真似をすべき政策だと思う。もちろん、他の政策で習うものはないことは言うまでもない。 中国政府のこの必死さの背景には、中国共産党の一党独裁制、さらには習近平主席の「永久」独裁制を死守するという動機がある。政治体制を死守するために、経済体制をまず防衛しなければいけないわけだ。資本移動の自由に消極的なワケ 米中貿易戦争は、経済面での「戦争」だけではなく、その中核は世界政治の覇権を巡るものだといっていい。もちろん、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏が指摘するように、米中貿易戦争の行方は、トランプ大統領の「個性」に大きく依存している。トランプ大統領の「壊れた家具がごちゃまぜに詰まった屋根裏部屋」(クルーグマン氏)のような頭脳の動き次第では、米中貿易戦争の不確実性が大きく高まるというのだ。 ただ、クルーグマン氏の評価は、トランプ大統領に厳しすぎる気がしている。今のところ、米中貿易戦争に関して、トランプ大統領がツイッター上で習主席にリップサービスを行う以外で、対中交渉で妥協しているシグナルは乏しい。 むしろ、中国側が最近提案したといわれる「2024年までに対米貿易赤字ゼロ」という数値目標も、米政権を満足させるものではないだろう。トランプ政権の中長期的な狙いは、国際的な資本移動の自由化や中国国内の大幅な規制緩和、欧米や日本企業からの技術のパクリを厳しく制限するための法整備とその実効性の担保であろう。これらはいずれも経済体制の変化だけではなく、中国の一党独裁制を痛撃する可能性を持つものだ。 この点を理解するためには、国際的な資本移動を今の中国が制限している理由を考察した方が分かりやすい。その見方が「マンデルの三角形」もしくは「国際金融のトリレンマ」というものだ。「国際間のおカネ(資本)の移動が自由であること」「為替レートの変化が激しくなく、一定の水準で安定化していること」「金融政策が経済成長や雇用の安定のために利用されること」、この三つのうち、同時には二つしか選択することができないことをいう。 現在の中国は為替レートの安定化(基本的に対ドル連動)と金融政策の自律性を採用し、資本移動の自由を制限している。ただし、完全な固定為替レート制ではない。中国が海外との取引を拡大すればするほど、中国の企業も海外企業も、物やサービスだけではなく、「おカネ」の取引の自由化を求めるようになる。それが先進国経済の基本的な進路でもある。 資本移動の自由が段階的に行われるようになると、対ドルに完全に連動することは困難になる。そのため、現在では、基準レートの上下である変動を許す「準固定為替レート制」になっている。 ただし、為替レートを中国政府がコントロールしたい動機は健在である。その背景には、習近平体制の権益があると以前から指摘されている。輸出企業やそれによって潤う人たちが、彼の体制を維持しているわけだ。 そのため、中国通貨である元が安い方が輸出には有利だ。つまり変動為替レート制への移行は、現在の政治体制を不安定化させかねない、という解釈だ。G20首脳会合の記念撮影に臨む中国の習近平国家主席(左)と米国のトランプ大統領=2018年11月30日、ブエノスアイレス(共同) また、国際的な資本移動の自由化に消極的な姿勢も、似た理屈で説明できそうだ。つまり、海外へのおカネの移動は制限されているが、人脈など既得権階級のコネに頼れば、海外へ資産を移動できるし、投資も可能になる。このような特権階級の「旨味」が、資本移動を自由化してしまうと消滅する。これもまた今の政治体制を不安定化してしまうだろう。 米国は今後、これらの中国政治と深く結ばれた経済的な既得権を破壊するところまで、貿易戦争を進めるだろうか。その鍵は、中国がどう変化していくかにある。■米中貿易戦争、トランプ流は「ニセモノ大国」の市場開放を遅らせる■中国を狙い撃ち「トランプ貿易戦争」の本気度■2049年「習近平の夢」は96歳で完成する

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    「日本を奴隷扱い」文在寅の外交ゲームを攻略するベスト戦術

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 10日に行われた韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の年頭会見に関する報道に接したとき、筆者は驚きを禁じ得なかった。いわゆる徴用工問題をめぐり、「日本は不満があってもどうしようもない」との理由で、日本に歴史を考慮し、慎重な姿勢を要求したからである。 文大統領の日本への言及はごく一部分であった。そこで、識者の中には、文政権は日本を中国や米国ほどには重視していない、今回の徴用工問題もそれほど重視していないので、日本の一部の人たちのように徴用工問題やレーダー照射問題に過剰に反応するのはおかしい、という論調を展開する人もいた。だが、果たしてそのような見方は妥当だろうか。 そもそも、徴用工問題は日韓という国家同士の国際的な取り決めである。韓国も日本と同様に三権分立だが、国際的な交渉においては、もちろん三権それぞれと外国が交渉する必要はない。司法の判断で、行政府の国際的な取り決めとは違う帰結をもたらしてしまえば、まずは韓国内で調整すべき話である。 だが、文政権にはそのような動きはほとんど見られない。日本を軽視しているとするならば、もちろんそれで日本が「過剰」反応を抑制する理由にはならない。むしろ、事態は逆で、文政権に対しては厳しくその国際的責任を追及するのが、いちいち国際法などを持ち出さなくても明らかな物事の理(ことわり)である。 しかも、文大統領の会見では、事実上「日本国民に『歴史』を反省して、この事態に甘んじろ」という、他国民をあたかも自分たちの「奴隷」のように扱う姿勢を鮮明にしていた。植民地としての歴史が韓国民のプライドとアイデンティティーを傷つけた過去の経緯は不幸な出来事だろう。だが他方で、「歴史」を根拠にして「反省」を迫られている現代の日本人の大多数は、植民地支配にもいかなる戦争にも、そして韓国が現在直面している半島の分断にもいささかも関係していない。 確かに、日韓の過去の不幸な歴史を知ることは必要だろう。だが、その「歴史」を基にして、現在の日韓に横たわる問題にも「反省」を求め、「自制せよ」というのは、単に「歴史」を利用して、他国民を自国の精神的従者にでもしたいだけではないか。 言い方を換えると、韓国は日本との揉め事が起きるたびに、「歴史」を政治利用しているだけなのである。その根底には、日本を韓国の都合のいい言い訳として利用しているのだろう。2019年1月、ソウルの韓国大統領府で年頭記者会見する文在寅大統領(共同) ただ、韓国の外交は、日本を本当に軽視しているからこのような不当なものになるかは、慎重に考察する必要がある。実際には、文政権の外交政策というのは、他国の責任を常に要求する「他国責任論」とでも言うべきものではないだろうか。 例えば、最近の報道によれば、韓国は中国との間でも紛争事案が発生している。韓国の首都圏では、微小粒子状物質「PM2・5」による大気汚染が今までになく悪化したという。日本のベストな戦術 韓国では中国からの排出であると指摘する声が強いのに対して、中国政府はそれを韓国発のものであると反論した。なぜなら、韓国と近接する中国の大都市など、PM2・5が飛来する可能性がある地域での大気汚染は改善しているからだ。中国政府は、それに対してソウルなど韓国側では悪化しているのは矛盾する、と指摘した。 それでも、韓国の趙明来(チョ・ミョンレ)環境相は中国の飛来の方が大きいと譲らない。日本とのレーダー照射問題と同様に、客観的事実を突きつけられても、強硬に「他国責任論」に固執するだけなのである。 文政権は「反原発政策」を採用していて、火力発電に大きく依存しているためにソウル近郊で二酸化窒素濃度が高まっている可能性も指摘されている。これがPM2・5の濃度を韓国側で高める遠因となっているかもしれない。とすれば、これは文政権の反原発政策が生み出した環境問題ということになる。 だが、もちろん「他国責任論」の前では、そのような事実を挙げても何の意味もない。他方で、中国国内のPM2・5が低くなる可能性は確かにある。トランプ政権との「米中貿易戦争」によって中国の国内景気が大きく減速している可能性が高まっている。そのため生産活動が鈍化しているからだ。 このような韓国の「他国責任論」そして、常に日本との外交的な約束を反故(ほご)にする傾向にはどう対処すればいいのか。韓国との政治的な断交や「無関心」を求める人たちもいる。それも一つの意見だろう。だが、ここでは日本と韓国が今後も長期的な外交交渉に携わることを、取りあえず前提にしよう。 現在の日韓関係はゲーム理論でいう「繰り返しゲーム」という状況だ。徴用工や慰安婦、レーダー照射問題のように、国家間の取り決めがあって、初めは両者とも「協力」している。だが、やがて韓国が一方的に「裏切る」。2019年1月、大気汚染で白っぽくかすんだソウル中心街を歩くマスク姿の人々(共同) この場合、日本側は「報復」や「異議申し立て」などを行うのがベストな戦術である。もし、文大統領が会見で日本国民に求めたように、日本が「歴史を顧みて自粛すること」を受け入れて、韓国の裏切り行為を容認してしまえば、日本と韓国双方が長期的に最適な関係構築に失敗してしまうだろう。 つまり、日本の「謝罪」は、日韓の外交ゲームを、日本だけでなく韓国にとっても有利に展開することができなくなるのである。具体的には、両国の協力よりも常に裏切りの蔓延(まんえん)する「非協力」が解になってしまうのだ。 日本の世論の一部やマスコミ、そして識者や政治家には、「植民地支配」をまるで自然法則か何かのように、日本人の背負うべき宿命として考える傾向にある。これは実に非倫理的なことだ。歴史から学ぶことは必要だが、他方で歴史によって常に特定の国民が罰せられ、他国の道理に合わない行いに甘んじる、こんなことは不正義以外のなにものでもない。■ 「武士の情は通用しない」韓国との情報戦はこう戦え!■ 米中貿易戦争の渦中で激化する韓国「謝罪ゲーム」のツケ■ 漂流する日韓関係 「ニッポン軽視」文在寅が抱えた政治リスク

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    米中貿易戦争の渦中で激化する韓国「謝罪ゲーム」のツケ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 2019年の日本経済は、昨年来の米中貿易戦争と、財務省が主導する消費増税という二つの大きなリスクを背負ったままの状態で迎えた。さらに最近では、韓国との政治的な対立が深まっている。 まず、米中貿易戦争は単なる経済抗争ではない。中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)やZTEに対する米国の制裁を見ても分かるように、それは国家の軍事的・政治的な安全保障にかかわるものである。 最近のウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の論説でも指摘されていたように、トランプ政権は自由貿易圏自体を否定しているとはいえない。むしろ民主主義的価値観を共有し、さらに安全保障上の利害を同じくする諸国(日本や欧州)とは協調的に貿易交渉を進める一方で、中国とは敵対的な政治・経済圏を構築しようという意欲が伺える。 もちろん、この二つに分かれた経済圏は厳密なものではない。米中貿易戦争自体、その推移はさまざまな不確実性に満ちているので、断定は禁物であろう。 例えば、日本や欧州が完全に米国中心の経済圏に属しているとはまだいえない。米ソ冷戦時のように社会主義経済圏と資本主義経済圏が一定のレベルで対立し、互いの経済的交流を閉じているわけではない。実際に、米国と中国の貿易取引でさえも依然、拡大基調にあるといっていい。共同記者発表で握手するトランプ米大統領(左)と中国の習近平国家主席=2017年11月、北京の人民大会堂(共同) ただし、イェール大の浜田宏一名誉教授が最近の論説「Who Benefits from Trump’s Trade War?(トランプの貿易戦争で利益を得るのは誰か?)」で指摘したように、米国と中国の現在の関係を一種の関税同盟の枠組みで捉えた方が分かりやすいのも事実である。ここでいう関税同盟とは、同盟に入っている国々だけに特定の関税ルールを課すものである。 通例は、関税の引き下げ措置を共通のルールとして設定する。つまり、関税同盟内では、同盟に属していない国々に比べて、貿易上の恩恵を受ける。この関税同盟に属することの利益を「貿易創出効果」という。貿易戦争「部外者」の利益 他方でいいことばかりでもない。関税同盟に入っていない国との貿易は、関税の存在が障害になり、それによって貿易利益を失うことになる。 この効果を「貿易転換効果」という。カナダを代表した経済学者であり、経済思想史の研究でも著名なジェイコブ・ヴァイナーが提起した考え方である。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)のような自律性の大きな経済圏の貿易効果を総合的に考えるときには、この貿易創出効果と貿易転換効果の二つを合わせて考える。 浜田氏の分析は、トランプ政権の対中貿易戦争を一つの関税同盟、つまり、先のWSJ論説と同様に排他的側面の強い二大経済圏の創出とみなしている。浜田氏は、米中貿易戦争自体が、今後それが本格化するほどに両国の貿易にマイナスの影響をもたらすことは疑いない、と指摘している。典型的な貿易転換効果が生じるわけである。 最新の貿易統計を見る限り、米中には貿易転換効果が次第に顕在化している。昨夏以降、米中貿易は大きく停滞し始めている。ただし、この動きが今後も続くかは、まだ様子見の段階だ。浜田氏はむしろ、日本や欧州、韓国など米中貿易戦争の「部外者」が、プラスの貿易転換効果を得ている可能性を指摘している。このプラスの貿易転換効果とは、米中の関税引き上げによって、「関税同盟」の当事者とはいえない日本や韓国、欧州諸国が対中貿易で利益を得ることを意味する。 浜田氏は、2017年4月から2018年3月にかけて、日本の対中輸出が18・3%も拡大したと指摘した。いわば日本は米中貿易戦争で漁夫の利を得た形となる。これは米国中心の「関税同盟」に入っていないために生じた利益だ。 だが、冒頭で指摘したように、今回の米中貿易戦争は単なる経済的抗争ではない。むしろ、メーンテーマは民主主義的価値観や安全保障である。そのため「ファーウェイ包囲網」でも明らかなように、米中貿易戦争が長期化すれば、日本や欧州も米国の「関税同盟」に加わることで、この漁夫の利(プラスの貿易転換効果)を失うであろう。 そして、韓国の動向にも注意が必要だ。北朝鮮に融和的な姿勢を文在寅(ムン・ジェイン)政権が一貫して採用している。北朝鮮に対する経済制裁の解除や経済交流の拡大に積極的なのは明らかだ。北朝鮮はおよそ民主主義的価値観に遠い。2018年12月、ソウルの韓国大統領府前にある広場で作成中の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が握手する絵(共同) 対して、最近の「徴用工」判決問題、そして昨年末から続くレーダー照射問題の経緯を見ても分かるように、日本に対しては一貫した「謝罪」を要求するだけの国家といっていい。特に、レーダー照射問題は、下がり続ける文政権への支持率が背景にあるのかもしれない。韓国の歴代政権も「愛用」 つまり、韓国の歴代政権が「愛用」してきた日本を利用した「謝罪ゲーム」を行っているのだろう。韓国の国内向けの人気取りか、あるいは韓国世論の目をそらす役割を果たしている。 今のところ、日韓はゲーム理論でいうところの「しっぺ返し戦略」になっている。防衛協力を韓国が破ったことで、日本側がしっぺ返しをし、それに対して韓国が応酬し、さらに日本が…という展開だ。 おそらく韓国の政府、マスコミ、野党、そして識者(これには日本の一部の識者も含まれる)はレーダー照射問題についても、徴用工問題などと同じように、無限に「謝罪」を要求してくるだろう。もちろん、日本にとっては「裏切り」が無限に繰り返されるゲームとなる。 この場合、日本が取るべき戦略は、相手が裏切りを続ける限り、こちらも「報復」をし続けるというものだ。確かに、長期的には日韓の防衛上の利害を損ねるかもしれない。この損失を重く見れば見るほど、両者はやがて「暗黙の協調」に移行する。たとえ今回のレーダー照射問題で、当事者間で白黒がつかなくてもだ。分かりやすくいえば、「あのレーダー照射問題のけりはついてないが、このまま争いを続けると両者とも損が重くなるので、他の防衛面では協力を続けようか」という姿勢になる。 だが、文政権が国内の人気取りを優先して、日韓の防衛協力の長期的な損失を重視しないときには、両国の暗黙の協調は以後も達成できない。 もちろん、他方で日韓の経済的取引は拡大基調であり、観光客など人的交流も盛んだ。ただし、米中貿易戦争が、民主主義的価値観と安全保障の対立を今後も先鋭化させていけば、やがて韓国の外交姿勢は転換を迫られる可能性はある。2018年11月、G20首脳会合の記念撮影に臨む(左から)安倍首相、アルゼンチンのマクリ大統領、韓国の文在寅大統領、中国の習近平国家主席(共同) 北朝鮮は経済や安全保障、そして政治的価値観において中国政府に極めて近い。つまり、北朝鮮は中国中心の「関税同盟」のメンバーといえる。 この状況下で、日韓が防衛の面で十分な協調が取れないことは、韓国が米国中心の「関税同盟」メンバーに不適格とされる可能性が高まるだろう。レーダー照射問題は米中貿易戦争の動向の中で、日本と韓国がどう進むかを見るいい試験紙になるのである。■ 崖っぷちの金正恩、万策尽きた文在寅「南北首脳の叫び」■ ファーウェイ通信網で「世界征服」狂気に満ちた中国の妄想■ 「マイナス30度」に達した日韓関係はどこまで冷え込むか

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    国民をカモにする「ブラック官庁」財務省はXマス暴落よりもヤバい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 3連休明けの12月25日に届いたのは、サンタクロースのプレゼントではなく、世界経済からの強烈な一打だった。日経平均の終値は1万9155円74銭で、先週の終値から約1010円も下落した。まさに大暴落である。大幅な下落は既に10月中旬から続いており、2万2千円台から3千円近くも値下がりしている。 この手の暴落が起きると、リーマンショック級であるかどうかよく話題になるが、実はどうでもいい。現時点で十分に世界経済の変調を確認できる。世界経済の後退を見越して、原油価格も大幅に低下を続けている。為替レートはドル・円で見ると110円台をなんとかキープしているが、これも現状の株価暴落や経済の不安定性が目立っていけば、やがて一段の円高になるだろう。 この真因は、やはり米国の金融政策の失敗だ。今の連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル総裁は凡庸を通り越して、今や経済失速の「主犯」となろうとしている。 その理由は、FRBがインフレ目標2%にあまりに固執しているからだ。2%の目標をあまりに厳格に守るために、将来的な雇用の最大化や経済成長率の安定を犠牲にしている。 実際、FRBが現在公表している「予測」を見ると、今後失業率が上昇し、経済成長率が鈍化する一方で、現状よりも政策金利は引き上げられている。つまり、インフレ目標を厳格に守るために、雇用や成長を犠牲にするのだ。全く愚かな判断である。 そもそも、インフレ目標は伸縮的に運用するのがコツだ。自動車運転と同じで、ルールを守りながらも、裁量の余地を認めていくのがこの政策のコツだった。だが、パウエル議長のFRBは四半期ごと機械的に利上げすることや、米中貿易戦争での世界経済後退リスクを考慮することなく、単なる数値目標に固執しすぎてしまっている。2018年12月25日、値下がった日経平均を示す株価ボード(渡辺恭晃撮影) 経済政策の最終目的は、雇用の最大化(完全雇用の達成)と、経済成長率の安定だ。インフレ目標はこの最終目的を実現するための中間目標でしかない。それが、中間目標があたかも最終目的になってしまったかのようだ。 トランプ大統領との不協和音も問題だ。これは、政府と中央銀行がその政策目的を共有できてないことに原因がある。もちろん、優れた前任者だったイエレン氏を事実上更迭して、パウエル総裁を任命したのは、トランプ大統領自身である。 要するに、今回の株価大暴落と経済危機の高まりの背景には、トランプ大統領の金融政策に対する無理解と、現時点での政府とFRBの政策協調の失敗がある。これは両者の出方次第では、協調の失敗が長期化する可能性がある。財務省のブラック体質 私見では、今のインフレ目標の目標値は低すぎる。もしくは、同じ数値設定でも、より一層の賃金上昇などが見られるまで、インフレ率が目標値を上回っても現状の金融政策を進めると表明すべきだ。 FRBが今後もインフレ目標に厳格にこだわり、利上げを続けると予想されているため、日本銀行の金融緩和政策とのバランスから、今のところ為替レートはまだぎりぎり円安水準といえるものだ。これは、日本が長期停滞から完全に別れるために必要な円安水準という意味である。 ただし、世界経済の状況が悪化している現在、今の日銀の金融緩和姿勢で事足りる可能性は低い。つまり、この状況が続けば、過去のリーマンショックや2015年に起きた世界経済不況と同様に、円高局面が訪れる。そうなれば、日本企業の収益性を直撃するだろう。仮に、2015年の世界経済の後退と同水準のショックがこれから来年にかけて訪れるとすれば、最悪のタイミングと言わざるを得ない。 現時点で、財務省高官たちは「大したことがない」と様子見しているが、実に愚かな態度である。2014年4月の消費税8%引き上げの翌年に、世界経済の後退局面が訪れた。そして、消費低迷と成長率の鈍化、より一層の回復が見込めた雇用改善のストップなどが起きた。もし来年、このまま消費増税すれば、世界経済後退の中での引き上げになる。それは最悪のシナリオだ。 そんな財務省が、2018年の「ブラック企業大賞」で「市民投票賞」を受賞した。インターネット投票なので、個々のユーザーもさまざまな理由で1票を投じたのだろう。 だが、今年だけに絞っても、テレビ朝日の女性記者に対する福田淳一前事務次官のセクハラ行為に端を発したスキャンダル、そしてセクハラ疑惑を受けた福田前次官の辞任は記憶に新しい。さらに、佐川宣寿元理財局長(前国税庁長官)の国会答弁を忖度して、理財局全体をあげて行った公文書改竄(かいざん)は、国民に政府組織に対する深刻な不信感を与えた。 つまり、財務省の公的サービスが、国民に被害を与えたと認定していいだろう。財務省のブラック企業体質は本当に深刻である。さらに、過度な残業やまたパワハラ的な職場風土についても、さまざまに漏れ伝わるところでもある。トランプ米大統領(左)とパウエルFRB議長=2017年11月、ホワイトハウス(ロイター=共同) その一方で、最高学府からエリート層を常に吸収することで、自らの権威を保っている。要するに、エリート層が集まることが、今や財務省のただ一つ拠って立つ「権威」なのだ。醜いプライドだといっていいだろう。 率直にいえば、筆者には財務省が「日本の恥」だとしか思えない。恥は主観的な言葉なので、より客観的にいえば、財務省のお粗末なパフォーマンスを評価すれば、「省」ではなく「庁」程度がお似合いである。 お粗末なパフォーマンスの一例は、平成の経済史をさかのぼれば明白である。最近でも、嘉悦大の高橋洋一教授の新著『めった斬り平成経済史』(ビジネス社)や、経済評論家の上念司氏の『日本を亡ぼす岩盤規制』(飛鳥新社)を読めば、バブル崩壊から20年に及ぶ長期停滞の主犯が、財務省と日銀であることがよく分かるだろう。筆者もまた、時論を始めてから20年近くになるが、それはほとんど財務省と日銀による政策の失敗を明らかにし、その責任を糺(ただ)すことにあったといっていい。「政治家有罪、官僚無罪」 財務大臣に財務省のブラック企業体質の責任を全て求めることは、今までも長年、マスコミや世論の主導で行われてきた。つまり、「官僚の問題が明らかになれば、政治家が責任を取る」構図のことである。 だが、財務省のこのブラック企業体質は、大臣のクビを切れば済むかといえば、それで話は終わらない。むしろ、事実上論点をずらし、問題の本質を隠蔽(いんぺい)することにさえ通じている。要するに、今回の一連の問題を単純に「麻生大臣やめろ」などというだけではあまり賢明ではない。いや、率直にいえば、その種の意見は、財務省にとって好都合の「批判」でしかない。 官僚組織は個々の大臣の在任期間よりも長いし、また政党の「生命」よりも長い。政治家や大臣どころか、政権さえも財務省の使い捨ての駒でしかないのだ。 財務省が消費増税を悲願にしていることは周知の事実だろう。そんな中で、1997年に5%引き上げを実施した橋本龍太郎政権や、2012年に消費増税法を成立させた野田佳彦政権は事実上、財務省によって使い捨てされたとみていいだろう。その間、消費増税による経済停滞の本格化(橋本政権)、停滞の深化(野田政権)の責任は、全て政治家だけが取った。 一方、その当時の財務官僚はなんら責任を国民から問われることもなく、その後も高給の転職先や天下りを享受している。それでも、マスコミも世論の多くも、「政治家有罪、官僚無罪」という発想を捨て去ることができない。 この根源には、マスコミの「財務省依存」とでもいうべき体質がある。そして、ワイドショーやニュース番組などでしか情報を得られていない層が、財務省依存のニュースによって意見を形成してしまっている不幸な現象があるだろう。最近は、ネットなどで「真実」を知る人たちが増えてきたことで、「財務省はブラック企業である」という認識を生んだのかもしれない。実にいい傾向である。 だが、その認識にはまだまだ足りないところがある。財務省の最大のブラック企業体質は、経済政策の失政で、われわれ国民の生活をドン底に突き落とすところにある。2018年4月、事実上更迭され、記者の質問に答える財務省の福田淳一事務次官(当時) だが、世間には「消費税は社会保障目的で好ましい」という財務省やマスコミの意見を鵜呑みにしている人がかなりいる。申し訳ないが、その種の人たちは、財務省の「いいカモ」でしかないだろう。 政府が課税とそれによって得た財源を利用して、社会保障の名目で所得を再分配することは、もちろん現代国家の在り方として基本的に望ましい。しかし、方法を誤れば、所得の再分配によって、経済的な弱者がさらに損をしてしまうことがある。 例えば所得水準が低い人たちは、生活のために必要な支出だけでお金が底をついてしまう。これでは、将来のための貯蓄も難しい。この低所得の人たちの消費に重たい消費税率が課せられるわけだ。もはや「精神論」 他方で、高所得者たちは、その収入のほとんどを消費しない。消費の占める割合は、高所得者ほど低いだろう。では、高所得者たちは消費せずに、いったい何をしているかというと、せっせとお金を増やすための資産運用をしているのだ。 お金を使うことではなく、お金自体が一つの魅力となり、その無限の増殖を果たしていく。デフレになって、貨幣の魅力が増せば増すほどこの傾向は強くなる。これを「貨幣愛の非飽和性」という。 例えば、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者が特別背任罪などで罪を問われている。その真相はまだ不明だ。だが、報道によれば、巨額の資産運用をしていたことは明白である。 ゴーン氏といえば、安くておいしい焼き鳥屋で食事するエピソードがあるように、日本での消費活動はそれほど派手に報道されていない。その一方で、リーマンショックの発生に伴う巨額の損失を、日産に付け替えようとするなど、その資産運用は強欲的である。ある意味で、高所得者の典型的な行動パターンだ。 消費税は、いわばゴーン的高所得者には有利に働き、カツカツで生きる人には地獄のような税制だ。現状では、米中貿易戦争や米国の金融政策の不安定性から、世界経済の失速が懸念される中で、消費増税を実施すれば、さらに経済的な困窮を深めてしまう可能性が大きい。 安倍晋三政権自体の責任もあるが、その背後で暗躍する財務省という国家の寄生虫を退治しない限り、この悲劇は繰り返し起こるだろう。最近では、消費税を全ての国民が社会保障のために担う政策だと説明しているが、一種の「精神論」(上念司)である。 ブラック企業の特徴は、社員をどうしようもない精神論で追い詰めるところにある。まさに、財務省のブラック企業体質がこの「精神論」に結晶されている。 財務省を解体するのも大いにありだが、個人的には財務省を財務庁に「格下げ」して、彼ら、彼女らのエリート意識を砕くことが手っ取り早いし、重要なことだと思う。格下げと同時に歳入庁をつくり、両方とも内閣府の直轄に置くのがいいだろう。2018年10月、消費税の10%引き上げを表明した臨時閣議に臨む安倍首相(中央)。左は茂木経済再生相、右は麻生財務相 そうして、財務官僚の歪(ゆが)んだエリート意識を糺すことが最優先だと思われる。ただし、最近は、財務省のセクハラ、パワハラ的なブラック企業体質が知れ渡ってきたのか、官庁志望ランキングでも苦戦しているとも伝え聞く。その先には、世論が財務省の解体を支持する環境になれば、さらにいい。 株価の大暴落から世界経済の減速の可能性が高まっている中で、消費増税の議論を続けるなど、どう考えてもおかしい。だが、この異常な財務省を軸とした「消費増税狂騒曲」を止めることができるかどうかに、安倍政権の命脈などよりもはるかに重要な、日本国民の生活と命がかかっていることは言うまでもない。■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」■ 馬淵澄夫手記 「日本を覆う『消費税神話』からの脱却を」■ メールも使えない経営者は大喜び、消費増税「狂信者」が描く未来図

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    「官僚の本分忘れた驕り」森友問題、泥沼化の本質はここにある

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 2018年も相変わらず国会で大きな話題になったのが学校法人「森友学園」「加計(かけ)学園」、いわゆるモリカケ問題だった。しかもまだ「過去形」ではない。いまだに野党やマスコミはやる気満々である。 事実、12月8日に安倍晋三首相に対する問責決議案の趣旨説明で、立憲民主党の蓮舫副代表が「森友学園問題は終わってない」と発言している。森友問題について、蓮舫氏は「9億円が1億円に大幅値引きされていた問題」として捉えている。要するに、この国有地の大幅値引きに、安倍首相や昭恵夫人が関与したかどうかという、いつもの話題である。 同様に、加計学園問題についても、加計孝太郎理事長が首相の友人なので優遇があったかどうかを追及している。これまたいつもの切り口である。本当に全く進歩がない人たちである。 加計問題については、この連載でも、獣医師会や文部科学省といった既得権組織が「市場からの排除」をもたらしている問題だとして、経済学的な観点から整理した。今回は森友問題について、同様に経済学的視点からまとめてみたい。 森友問題は財務省、そして近畿財務局が土地利用について、効率化政策よりも特定の団体、つまり森友学園の「経済厚生(経済的な満足度)」を増加させようとしたために、むしろ土地利用の効率化が滞った事例だと考えられる。近畿財務局は、当初から公有地を入札方式で売却すればよかった。入札は価格競争を促すメカニズムの一つなので、効率化政策として考えることができる。2018年12月、参院本会議で、安倍晋三首相(左奥)への問責決議案の趣旨説明を行う立憲民主党の蓮舫副代表兼参院幹事長(春名中撮影) だが、実際に近畿財務局が採用したのは直接交渉であり、しかも「事務的なミス」をきっかけに、森友側の厚生水準を向上させる政策を採用してしまった。その結果、森友側の厚生は一時的に増加した(長期的には厚生損失)。だが、他方で土地利用という観点では、効率化が著しく阻害され、結果として、国有地が現段階「塩漬け」のような状況に陥っている。 経済政策の基本は効率化政策である。これは、規制緩和や取引ルールの設定などで市場競争を確立することで、資源配分を効率化することである。 一定の労働や資本などを利用することで、私たちが日常的に消費・生産する財やサービスの範囲を、最大までに拡大していく。また、一分野だけではなく、多様な領域で効率化政策を推し進めていけば、長期的にはその国民の厚生全体も改善していく。これは、経済学的には古典的な政策観で、「ヒックスの楽観主義」という。効率化に代わる二つの政策 筆者はミクロ経済学を考えるときには、大阪大の八田達夫招聘教授の『ミクロ経済学』(Ⅰ&Ⅱ、東洋経済新報社)と、日銀の岩田規久男前副総裁と明治大の飯田泰之准教授による『ゼミナール経済政策入門』(日本経済新聞社)を常に参照している。特に、前者は具体的な事例を元にしているので使い勝手がいい。 これに日本の場合は、官僚の力が強いので、嘉悦大の高橋洋一教授の一連の著作が具体的な政策論を書く上で必備となる。「ヒックスの楽観主義」も八田氏の『ミクロ経済学』に詳細な解説がある。 効率化政策に代替する政策は2種類ある(八田『ミクロ経済学』Ⅱ)。一つは既得権の利害に配慮する既得権保護政策である。加計学園問題で明らかになった文科省の獣医学部規制がそれである。しかも、文科省の場合は、既得権保護政策のいわば極北であり、そもそも獣医学部の申請自体を認めないので、まさに「市場からの排除」である。 効率化政策に代替するもう一つの政策が、厚生改善政策である。これは特定の人や集団の厚生増加に配慮することである。効率の増進は二の次で、ともかく「特定の人の厚生さえ上がればよし」とするやり口である。 今回の森友問題は、近畿財務局の厚生改善政策によって土地利用の効率化が無視され、その結果、長期的には当事者の厚生水準も低下したことになる。ここでいう「当事者」は森友側であると同時に、また公有地の活用ができなかった国民の損失でもある。 高橋氏の『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』(PHP新書)は、モリカケ問題を時系列で整理しながら理解するには最適の書である。他の類書は、「安倍ありき」「昭恵夫人ありき」みたいなバイアスが強くて使い物にならない。財務省=2018年11月8日(飯田英男撮影) 高橋氏の整理は単純な明解で、森友学園に売却した国有地は、過去にゴミの投棄場として知られていた。 近畿財務局は土地のプロですから、きちんとした手続きをすべきでした。ゴミのことを十分に説明していなかった可能性があるうえに、入札ではなく随意契約にしたことなど、近畿財務局の事務手続きのミスです。高橋洋一『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』救いなき「扇動ゲーム」 この森友側との直接交渉で、近畿財務局は、森友学園だけの経済厚生の向上を目指してしまったとも解釈できる。高橋氏も指摘するように、なぜ公開の入札にしなかったのか、つまり市場競争のスキームを利用しなかったかが、この問題の経済政策的な論点である。 八田氏は、個々のケースで交渉相手の厚生改善を官僚がその都度行うことは適切な役割分担ではない、と指摘している。なぜなら、厚生改善は価値判断を伴うので、官僚にはなじまないからだ。官僚は効率化政策に特化すべきである。 今回のケースでいえば、公開入札など市場競争スキームを採用すべきであった。だが、おそらく近畿財務局、そしてその親元である財務省には「政治的な配慮をすることが自分の任務である」という驕(おご)りがあったのではないだろうか。財務省は特に、政治的な振る舞いを政治家以上に行う風土が存在する。その意識が、末端まで波及していても不思議でもなんでもない。実に傲慢(ごうまん)な姿勢だ。 もちろん「安倍ありき」「昭恵夫人ありき」で魔女狩り的な報道を繰り広げたマスコミ、それに煽られやすい世論も問題だろう。この点については、近著『増税亡者を名指しで糺す!』(悟空出版)の中で丁寧に解説したので、ここでは省略する。 近畿財務局、財務省の政治的な驕りは、森友問題の「深刻なスピンオフ」ともいえる文書改竄(かいざん)問題でも明らかである。訴訟化はならなかったが、国民の信頼を踏みにじる不遜ともいえる行為であった。この文書改竄もまた特定の人物や組織、つまり財務省高官の厚生を改善するために、適正な公文書管理という効率化を犠牲にした「厚生増進政策」だといえるだろう。繰り返すが、その根源には官僚があたかも政治家のように振る舞う、その傲慢な姿勢がある。学校法人森友学園前理事長の籠池泰典被告=2018年11月撮影 森友問題は、日本の官僚たちの日常的に行っている厚生増進政策の「負の側面」が大きく世に知られたものだと思う。官僚たちが、本来の職分である効率化政策への特化に至るにはまだ「道はるかに遠し」である。 それでもマスコミや野党は、官僚制の問題を議論することに熱意を示さない。安倍首相と昭恵夫人の「関与」という、2年近く経過しても全く証拠も出ていない問題に、まさに報道機会と国会の審議時間、それぞれの「ムダ」使いを続けるばかりだ。 おそらく来年の参院選での「安倍降ろし」を狙って、またモリカケ問題が再炎上する可能性がある。そしてワイドショーレベルの情報で満足する高齢層を中心とした、ずっと「疑惑」を深めている人たちを「釣る」のだろう。まさに救いのない「扇動ゲーム」だといえる。■ 新聞、テレビの受け売り「モリカケ安倍陰謀説」の無責任■ 政治的娯楽「モリカケショー」があまりにバカバカしい■ 「安倍マンセー保守」たちよ、森友文書改ざんの罪深さを認めよ

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    ファーウェイ通信網で「世界征服」狂気に満ちた中国の妄想

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の孟晩舟副会長兼最高財務責任者(CFO)が、米当局の要請によってカナダで逮捕された。それ以来、米中貿易戦争の激化を懸念して、事件発覚後から週明けまでの東京株式市場は大きく株価を下げた。 米中貿易戦争の核心は単なる経済問題ではなく、両国の安全保障にかかわる問題であることが明瞭になっている。もちろん、安全保障の問題になれば、同盟国である日本やカナダ、欧州、オーストラリアといった国々にも、その影響は波及する。 ファーウェイは年間の売上高が10兆円に迫る巨大企業で、スマートフォンや携帯などの通信インフラでは世界でダントツのシェアを誇る。また、スマホ単体でも、出荷台数で米アップルを抜き、世界一の韓国サムスン電子に迫る勢いである。 筆者も渋谷の繁華街を歩いたときに、「HUAWEI」と大きく打ち出されたスマホのポスターを頻繁に目にした。それだけ勢いのある企業である。だが同時に、以前から中国人民解放軍や中国共産党との密接な関係を疑われていた。 それは、同社の通信機器に「余計なもの」、つまり中国政府や軍などに情報を抜かれる恐れのある何らかのチップが入っていると懸念されていることが原因である。本当だとしたら、あまりに露骨なやり口ともいえる。米国ではいち早く、これらの懸念があるファーウェイや中興通訊(ZTE)の製品を、政府機関や関連企業が利用することを禁止する法案が可決された。これは米国の国防予算やその権限を定める国防権限法の一環であった。 米国が始めた流れに、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、英国などが追随、日本もそれに倣う方針を固めた。日本でも、実質的にはファーウェイなど中国通信企業の締め出しが既に行われていたようだが、政府調達から締め出す構えを公式に認めた。2018年12月6日、北京にある華為技術(ファーウェイ)の店舗で、同社のコンピューターに映し出された最高財務責任者、孟晩舟容疑者の画像(AP=共同) 中国政府は、日本に対して強烈な抗議を行ったという。また、米国とカナダに対し、拘束されている孟氏の釈放も要求している。孟氏が逮捕された理由は、取引を禁止されているイランとの交易や詐欺などの理由だという。 通常、政府が個々の経済犯罪について、身柄を釈放するように抗議することはしない。例えば、ルノーの大株主であるフランス政府でさえも、日本に対して、同社会長のカルロス・ゴーン容疑者の釈放を訴えるようなバカなことはしていない。言い換えると、それだけこのファーウェイ関連の問題が、中国政府ぐるみのものであることを明らかにしているといえよう。中国がもたらす「負の外部性」 中国政府のやり口は、米国に代わって世界的な覇権を目指し、その政治的・経済的な権力を中国共産党のもとに統一するという「一大妄想」に基づいている。経済的な権力の手段としては、次世代の通信インフラの支配や、巨大経済圏構想「一帯一路」などがあるだろう。両方とも、アジアやアフリカ諸国を中心にして、その成果はかなり上がっていた。 通信インフラも一帯一路によるインフラ整備も、ともに国際的な公共財のネットワークを構築することにある。通常、この種の国際的公共財のネットワークは、各国の国民に恩恵をもたらすものなのだが、中国中心の国際公共財供給は、もっぱら「ネットワークの負の外部性」をもたらすと断言していい。簡単に言うと、自由で民主的な社会が中国によって危機に直面してしまうのだ。 「ネットワークの外部性」とは、ある財やサービスを利用するときに得る個人の利益が、他の人たちも利用すればするほど増えるというものだ。一例として、英語の国際的利用が挙げられる。 英語を使う人が増えれば増えるほど、一人ひとりが英語を使う効用が増加していく。英語さえ学べば、いろんな国でビジネスや観光がしやすくなるという効果だ。これは特に個々人にもたらす便益を社会全体の便益が上回っているので「正の外部性」という。 ところが、通信インフラのようにこの種のネットワークの外部性が大きいと、特定の企業だけが市場のシェアを奪うことが頻繁に起きやすくなる。ファーウェイもその教科書通りの展開で、このネットワークの外部性に伴う独占力の奪取を実現してきた。 しかし、ここで大きな問題が出てくる。経済学者の早稲田大の藪下史郎名誉教授は、以下のように指摘している。 情報通信技術におけるネットワーク外部性が、参加するすべての人に便益をもたらす反面、その市場に独占的地位を生み出す可能性があると論じたが、同様にネットワーク外部性はある思想や理論が支配的になると同時に、それらに独占的地位を与えてしまう可能性もある。『スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない』東洋経済新報社 今回のケースでいえば、ファーウェイなどによる通信インフラ構築を通じて、「中国の覇権」というイデオロギーを世界に流布することだろう。中国政府が国内で行っている「監視社会化」や、ウイグル自治区などで進める「集団的な洗脳」を見れば、それがいかに自由で民主的な社会の脅威であるかは明らかである。2018年12月、北京にある華為技術(ファーウェイ)の店舗で、スマートフォンを操作する客(共同) しかも、詳細は明らかではないが、ファーウェイの通信機器にある「余計なもの」を通じて、われわれの私的情報が効率的に集められてしまう可能性もある。そうなれば、中国共産党による世界市民の支配につながってしまう。「世界征服」など妄想にすぎないと思うが、それを真顔で進めていく国の狂気は、いつの時代も世界の脅威となるのである。■ 「孤絶化による洗脳」人権圧殺国家、無視できないメディア規制■ 「中国五千年のウソ政治」石平氏の視点は実にユニークである■ ノーベル賞候補の日本人研究者はなぜ中国と韓国を目指すのか

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    「仮想通貨バブル」はこうして崩壊した

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「仮想通貨バブル」が事実上終わった。仮想通貨自体は、代表的存在である「ビットコイン」を含めて10年以上、支払い手段や投機の対象として、ある程度親しまれてきた。 ただ、昨年からのビットコインの猛烈な価格上昇は、仮想通貨バブルと呼ぶべき投機を生んだ。2017年の1年間で、ビットコインの資産額は14倍ほどに膨張した。 しかし、年明けから状況は一変し、ビットコインをはじめとした仮想通貨バブルは一気にしぼみ、事実上崩壊した。ビットコインは、昨年末には200万円台だったが、12月3日現在では約45万円まで暴落している。 また、単純に暴落しているだけではなく、乱高下を繰り返している。この現象を「ボラティリティー」という。もちろん、ビットコインのみならず、仮想通貨全般に大幅な下落が生じている。株式評論家の早見雄二郎氏は、仮想通貨ならぬ「火葬通貨」と表現している。さらに、仮想通貨バブルに積極的な批判を展開しているニューヨーク大のヌリエル・ルービニ教授は、「ゾンビ仮想通貨」と辛辣(しんらつ)な表現をしている。 前述の通り、仮想通貨は去年の後半に大ブレークを起こし、注目を浴びた。また今年前半には、仮想通貨交換所のコインチェックで約580億円相当の仮想通貨「NEM(ネム)」が盗難されるというサイバー犯罪が起き、国内外に大きく報じられた。不動産や株価を中心に起こった80年代終わりから90年代初めのバブル景気も、資産価格の高騰とその後の大暴落の前に、犯罪や怪しげなバブル貴族が多く湧いたが、今回もその手の話題には事欠かない。 筆者は昨秋から、仮想通貨の価格高騰が単に投機的な目的に基づいていて、脆弱(ぜいじゃく)なものであると事あるごとに指摘してきた。そのため、1年以上たって起きている火葬通貨化やゾンビ化は不思議なことではない。なぜなら、仮想通貨には根源的な問題があるからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ここで、仮想通貨の基本とその問題点を簡単に解説してみたい。仮想通貨の基本的な性格は、それがインターネット上の通貨ということだ。日本の円通貨が紙幣や硬貨のような有形物なのに対して、仮想通貨は手に触れることができない。支払いも残高の管理も、全てネット上で行われている。 ところで、日本は世界でも有数の「現金好き」な国である。海外に旅行する経験が豊富であれば、欧米やアジア諸国で急速に「キャッシュレス社会」が進展していることに気が付くだろう。 ただ、日本でも徐々にキャッシュレス化は進行している。例えば、電車の運賃やコンビニなどの支払いを、「Suica(スイカ)」や「PASMO(パスモ)」などの交通系の電子マネーで済ます人は多いだろう。支払い手段としては厳しい 電子マネーは、ビットコインなどの仮想通貨とは異なる。スイカは、JR東日本が利用者の残高を管理しているが、ビットコインには管理者がいない。 また、スイカの残高の価値は円表示されていて、それが刻一刻変動することはない。だが、仮想通貨の場合は、冒頭で記したように1単位の価値が円に対して変動する。海外の電車を使う際には、スイカのICカードを直接利用することはできないが、仮想通貨は、国境を跨(また)ぐ支払いに使うことができる点も大きく異なる。 ちなみに、来年10月に予定されている消費税率の10%引き上げの緩和策として、キャッシュレス決済を促進する政策が提起されている。ただし、消費増税により、元々の「決済」自体が大きく低下しそうな状況で、このような「浅知恵」は官僚的なものだな、とため息をついてしまう。 仮想通貨には、代表的なビットコインと、それ以外の仮想通貨「アルトコイン」があり、全て含めると種類は1000を超える。ただし、一般の人が利用する仮想通貨はおそらくその3割程度だと思われる。 仮想通貨はインターネット上に存在するため、実際の決済はパソコンやスマートフォンを操作することで行われる。日本でビットコインの決済サービスを導入している代表的な企業として、家電量販大手のヤマダ電機が挙げられる。ビットコインの交換業者大手である「bitFlyer(ビットフライヤー)」は、利用者にビットコインのための口座「ウォレット」用のアプリを提供し、そこでビットコインの支払いや受け取り、購入、保管なども一括して行っている。 このアプリはスマホにダウンロードできるので、ヤマダ電機の店舗に行ってアプリを利用して、その場で買い物ができるようになる。ただし、ビットコインで支払いできる店舗は極めて少なく、支払い手段としてはかなり厳しいというのが、今のビットコインに対する評価ではないだろうか。 本来ビットコインは、従来の銀行を経由した決済よりも手数料が極めて低額であることが魅力だった。ただ、最近はビットコインの価値上昇に伴い、このメリットが失われつつあり、また支払い確認にも時間がかかる。例えば、通常のカードによる支払いも端末などで認証をしているが、認証時間は極めて短い。それに対して、ビットコインの取引時間は短ければ数分だが、数時間もかかる場合もある。 この時間のコストは無視することができない。なぜならば、ビットコインは、価格変動が大きいので、時間がかかればかかるほど「価格リスク」が発生する。ただし、先ほどのヤマダ電機のケースは、購入者側での価格リスクを回避できる仕組みがあるなど、さまざまな対応策が現場で採用されているようだ。ビットコインの支払いで使うスマートフォンの画面=2017年4月、東京都千代田区 では、なぜ一般的にビットコインの取引には時間がかかるのだろうか。そこには、ビットコインに代表される仮想通貨と、私たちが普段の生活で利用している貨幣に共通する性格が関わってくる。 われわれが利用している円やドルなどの貨幣は各国政府が発行し、その信頼性を裏付ける。もっと踏み込んでいえば、通常の政府貨幣は、それが「貨幣ゆえに貨幣である」という形で信頼性を得ている。 利用する人たちが、この紙切れが「円やドルという貨幣である」と信頼することが、そもそも貨幣が貨幣たるゆえんなのである。政府や、唯一の貨幣発行機関である中央銀行は、いわば単なる「きっかけ」程度の役割しか、実は持っていない。良貨が悪貨を駆逐する 貨幣を使う人たちがそれは貨幣であると信頼することができれば、貨幣は誕生する。これを「貨幣の自己循環論法」といい、かなり正しい経済学の考え方だ。 政府も中央銀行も貨幣誕生について本質的なものではないならば、取引する人みんなが貨幣(通貨)だと思う仕組みを作ればいいことになる。ビットコインなど仮想通貨の貨幣としての信頼性を生み出す仕組みが、ブロックチェーンと呼ばれる機構である。簡単にいうと、ネット上でその電子情報がちゃんとした「通貨」として取引されてきた、という裏書きがされているものだ。 そして、裏書きされているかどうかは、市場に参加している不特定多数の人が立証することができる。立証することが出来れば利益も出る。そのため、ビットコインの運用は、市場参加者により自発的な形で行われ、しかも信頼性の高いものとなっている。これが「分散型」といわれるものだ。 ただし、ここに先述した「ビットコインの取引には時間がかかる」というコストが発生する原因がある。今支払いに利用された電子情報が「ちゃんとしたビットコイン=仮想通貨」であることを確認するのは、特定の管理者ではなく、市場の不特定多数の人たちである。この不特定多数の人たちは「採掘者(マイナー)」と呼ばれている。実際には報酬が伴うとはいえ、彼らの「自主的な努力」によって、ビットコインは貨幣としての信頼を獲得するのである。 でも「市場任せ」のために、どうしても時間がかかってしまう。政府や中央銀行が紙や金属片を精緻に印刷し、精巧に鋳造することで、貨幣の信頼性をモノの側面であらかじめ保証するのに対して、電子情報が貨幣として信頼あるものになるには事後的に認証されるために、時間がどうしても必要になるのだ。 ただし、貨幣の本質から見れば、既存の貨幣も仮想通貨も、市場に参加している人々の信頼だけが貨幣を貨幣たらしめることでは大差ない。そこが理解のポイントである。 そして、この「貨幣ゆえに貨幣である」という貨幣の基本的性格を、仮想通貨が満たしているとはいえない。確かに、支払い手段として使われているのだが、それは局所的現象にとどまる。大半の仮想通貨は単に投機目的のために所有され、「投機が投機を招く」という別の自己循環論法で存在する経済的価値でしかないのである。2018年9月、70億円相当の仮想通貨を流出させた仮想通貨交換業者「テックビューロ」本社が入居する大阪市内のビル。金融庁から3度目の業務改善命令を出された ルービニ教授は最近、仮想通貨の持つ根本的な問題として、中央銀行が仮想通貨を発行すれば、既存の仮想通貨は全て排除されるだろうと指摘している。中央銀行の仮想通貨には、ブロックチェーン技術さえ不用かもしれない。なぜなら、中央銀行の発行する貨幣がそのまま仮想通貨に置き換わるならば、その既存の貨幣が保有していた「貨幣としての信頼性」をも完全に代替可能になるからだ。 つまり、日本銀行がスイカやパスモを発行しているようなものだ。それぞれの国民は直接、中央銀行に口座を所有し、そこで残高管理されるわけである。この強力な中央銀行型仮想通貨、むしろ中央銀行型電子マネーが誕生すれば、おそらく民間発行の仮想通貨が生き残ることは難しい。 もっとも、投資対象として生き残ることは可能かもしれないが、今よりもさらに規制が厳しくなるだろう。支払い手段を目指した貨幣ではなく、その場合は単なる「ネズミ講」と変わらなくなるからだ。そこに民間主体の仮想通貨が持つ長期的な不安定性がある。「悪貨が良貨を駆逐する」のはまずいが、「良貨が悪貨を駆逐する」のは望ましいことでもある。■ 山本一郎が読み解く仮想通貨流出「コインチェック事件」の本質■ コインチェック事件は想定内、仮想通貨が抱える3つの問題■ 「仮想通貨は危ない」という人も知って損はないビットコインの潜在力

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    外国人労働者受け入れにも応用できる「マルクスの経済学」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) カール・マルクス(1818-83)は、資本主義経済の本質と限界を明らかにした。マルクスの代表的な著作『資本論』(1867に第1部公刊、没後に2部・3部公刊)や、盟友のフリードリヒ・エンゲルスとの共著『共産党宣言』(1848)などは、世界中の人たちに今も多大な影響を与えている。 マルクスは2018年で生誕200年を迎えることもあり、世界各国でその業績を振り返るイベントなどが盛んに行われた。例えば、中国では習近平国家主席が、中国の経済・社会的な繁栄をマルクスの教えに基づくものとして、さらには習体制自体のマルクスからの正当性と成果を強調するために利用した。 もちろん、このような「政治的利用」については、各国の識者やメディアから厳しい批判もあった。マルクスは資本主義経済の問題点と限界を明らかにしたのであり、現在の中国は、一党独裁の政治体制の下で人々の自由な発言や暮らしを制限している一方、経済については営利追求を中心にした資本主義経済そのものではないか、という内容である。 マルクスによれば、資本主義経済は資本家階級と労働者階級との「階級闘争」の場であった。マルクスは、資本主義経済が発展しても、そこでは実際に経済そのものを発展させる原動力である労働者階級の生活は苦しく、資本家階級に酷使され、その経済的成果を「搾取」されている。しかも、資本主義経済というのは、この資本家階級による労働者階級からの「搾取」がなければ、そもそも成長しようがない。 このような不当な抑圧と対立は、やがて二つの階級闘争をエスカレートさせていき、やがては資本主義経済の行き詰まりとその体制の「革命」を必然的に伴うだろう、という見方である。労働者階級には圧倒的多数の人たちがおり、その自由を求める必然の活動を、マルクスは正しいかどうかは別にして、それなりの理屈で主張したのである。 このようなマルクスの考え方に影響を受けて、19世紀中期から現代に至るまで、さまざまな社会的な運動が生じた。その中から、ソ連や改革開放路線以前の中国、キューバなどの共産主義国家が生まれてきた。2018年5月、マルクス生誕200年の記念大会に臨む中国の習近平国家主席(左)と李克強首相=北京の人民大会堂(共同) だが実際には、多くの国では、マルクスが批判していた一部の特権者による政治的弾圧が広範囲に見られ、人々の自由は著しく制限された。資本家階級が単に政治的特権階級に入れ替わっただけであった。 生活水準は、確かに平等化が大きく進んだが、それは極めて低水準のものであることが大半であった。例えば、崩壊したソ連経済では、国民の消費が大きく抑圧される一方で、軍事の拡大やムダな投資が行われた。マルクスの予言も分析も間違い? ハンガリーの経済学者、ヤーノシュ・コルナイは、人々に必要な物資が行き渡らないのは、中央集権的な「指令経済」の責任であるとし、ソ連などの共産主義国家の経済の在り方を「不足型経済」と呼んだ。全く妥当な意見だろう。この「不足型経済」はやがて限界を迎えて、ソ連は崩壊し、中国も「改革開放」路線という形で資本主義経済に「復帰」した。 英オックスフォード大学のフェロー(教員)であり、また英BBC放送の筆頭経済記者だったリンダ・ユーは、近著『偉大な経済学者たち』(2018)で、現在の中国とマルクスの関係について解説している。ユーは、マルクスが市場経済を取り入れた今の中国共産党を批判するだろうとした。他方で、中国が市場経済を導入することで、貧困や経済格差を解消したのならば、マルクスはそのことを評価しただろうとも指摘している。 都市の中での富裕層と貧困層の経済格差、そして農村部と都市の経済格差は中国だけではなく、国際的にもしばしば問題視されてきた。ただしこの経済格差自体は、まだ数値としては大きいものの、近年では縮小するトレンドに入ったと指摘する専門家もいる。 他方で「絶対的貧困」とも呼べる人たちが農村部を中心に膨大に存在していたが、「改革開放路線」という中国的な資本主義化によって急速に減少した。おそらくこの農村部の貧困解消は、都市部への労働者の流入とその生活水準の向上によるものが大きいだろう。またリーマン・ショック以降に加速した内陸部への公共投資の拡大が地方経済の底上げに役立ったことからも、貧困と格差の縮小に貢献したのではないだろうか。 だが、これらはマルクスの指摘とは異なり、現在の資本主義経済を基本的に採用している国々の発展パターンと極めて似ている。 むしろ、マルクスの予言も分析も間違っていた可能性を示唆している。では、マルクスの分析は今日では全く意義がないものだろうか。必ずしもそうだとは言い切れない。特に、「搾取」とは異なるマルクスの分析にも注目すべきである。 マルクスの有名な著書『経済学批判要綱』(1857-58)に、「時間の経済、全ての経済は結局そこに解消される」という有名な言葉がある。この言葉については、経済学者の杉原四郎(1920-2009)による以下の解釈が参考になる。 「こうした主張は、人間生活にとって最も本源的な資源として時間があるということ、労働時間がその時間の基底的部分を構成するということ、そして生活時間から労働時間をさしひいたのこりの自由時間によって人間の能力の多面的な開発が可能になること、したがって労働時間の短縮が人間にとって最も重要な課題とならざるをえないこと、このような認識をまってはじめて成立することができる」(『経済原論Ⅰ』)。ロンドンにあるカール・マルクスの墓(ゲッティイメージズ) 人間の労働が、本来は自分の本質を実現する生命活動でもあるにもかかわらず、ワーカホリック(仕事中毒)や過重労働などで自分の生命さえも危機に陥ることが、今の日本でも大きな問題になっている。労働者は自分の時間を自由に使うことができず、社会から「疎外」されている。マルクスの分析はこの時間の経済論としては再考すべき現代的意義があるだろう。 ただし、マルクスの現代的意義をこの「自由」の観点から考察すると、実はマルクスの貢献がかなり相対化され、事実上無視しても差し支えなくなる。マルクスは、資本家と労働者の間できちんとした雇用契約がなければ、そもそも「市場」などは存在しないと考えていた。この観点は、マルクスだけではなく、何人かの経済学者たちが共有している観点でもある。例えば、辻村江太郎は以下のように書いている。見せかけの「需給一致」 「労働市場を放置すれば供給過剰になりやすいということは、マルクスと同時期に、すでにゴッセンが警告していたことである。労働の供給過剰は、一人当たりの労働時間の面と、家計の有業率(ミクロの労働率)との面に現れるか、ゴッセンは後者について、家が貧しいと子女が幼時から働きに出て、それが労働条件(悪化)の悪循環のもとになることを指摘していた」(『経済学名著の読み方』)。 ヘルマン・ハインリヒ・ゴッセンは19世紀前半のドイツの経済学者だ。彼の発言を図にすると以下のようになる。 経営者や資本家から自分の労働を厳しく買いたたかれて、もはやギリギリの生活水準まで落ち込んだ状態が、マルクスやゴッセンの考えた賃金状態=W0だとする。そのときに雇用されている人数(雇用量)は、L0だとしよう。これは、経済学の普通の労働需要と労働供給の一致を示しているようにも思える。 だが、マルクスとゴッセンは、この需要と供給の一致はあくまで見せかけであって、実際には労働者の雇用契約の自由が奪われてしまっている、と指摘した。労働者側は自分の生活水準ギリギリの賃金に落ち込んで、それでもこの「契約」を生きるために飲まざるをえないのだ。 日本の現状でいえば、あくまで一例だが、非正規雇用に多い年収100万円以下で働いて家計を支える人たちや、現在議論されている出入国管理法改正案で対象となっている外国人技能研修生の一部に見られるブラックな雇用環境をイメージしてほしい。 ところが、厳しい生活に直面している人たちが、家計の補助になるだろうと子供たちを働かせることにより、かえって貧困を加速してしまうと、ゴッセンは指摘している。上記の図でいえば、労働供給曲線が右下方にシフトする。これが、純粋に家計補助で駆り出される子供たちの労働の増加を示す。 だが、これは彼らの家庭をさらに貧困のどん底に突き落とすだろう。なぜなら、今までも生活ギリギリだった賃金水準が、それをさらに下回るW1のラインまで下落しているからだ。 この結果はどうなるだろうか。一つは、今まで食べていたものを、さらに安価で不健康で高いカロリーのみを追求するだけのものにするかもしれない。また子どもの貧困が加速するために、子どもたちは満足な食生活を維持できずに、また過酷な労働の結果、死にさえも直面するだろう。 ゴッセンが児童労働を強く批判した理由はこのためである。市場原理は、競争の結果、労働の売り手と買い手が最適になる、つまり経済学の意味でハッピーになると考えている。だが、このゴッセン=マルクスのケースでは全く市場原理は機能していない。むしろ、政府の介入による児童労働の禁止が強く要請されるだろう。実際に、このゴッセン的な観点での児童労働の禁止は、今も有効なのである。2014年にノーベル平和賞を受賞したインドの人権活動家、カイラシュ・サトヤルティ氏=2016年6月撮影 2014年のノーベル平和賞がインドの人権活動家、カイラシュ・サトヤルティに与えられた。児童労働への反対運動を評価されてのことだ。彼はインドだけでなく、世界各国で強制労働に直面していた児童8万人余りを解放した。児童労働(5歳から14歳まで子供たちの強制的労働)は、全世界で2億5千万もの人数に達するという。サトヤルティ自身は経済学者ではないが、その児童労働廃絶の根拠は、今説明したゴッセンやマルクスの考えと同じだろう。リベラル2.0の経済学 ところで、この考えは児童労働だけの問題ではない。国会で審議されている入管法改正の議論でも参照になるのだ。 この議論でも、W0が生活に追い立てられたために、やむなく条件を飲んでいる厳しい賃金水準だとしよう。そのときの国内の(未熟練)労働者の雇用量はL0になる。ここで、現状の入管法改正案のように、外国人労働者を増加させるとどうなるだろうか。 今までの国内の労働者たちと同じ質を持つ外国人労働者が増加することで、やはり労働供給曲線は右下方にシフトする。このとき図から自明なように、賃金は今までの水準よりもさらに低下する。さらに国内の労働者の雇用も減少してしまう。国内の労働者賃金は前よりも下がったW1になり、そのときの雇用量はL2になる。受け入れた外国人労働者もまた日本国内で過酷な待遇を甘受しなくてはいけない。どこにもいいことはないのである。 では、どうすればいいか。まず考えられるのは、ゴッセンが追求した道であり、外国人労働者の移入制限がこれにあたる。だが、制限だけでは、生活水準は相変わらずW0の位置で酷悪なままだ。加えて経営者側へのさまざまな規制、例えば労働時間の規制や労働者の交渉力の向上などが必要とされる。これが今までのリベラルな経済学の在り方だ。これを「リベラル1.0の経済学」としよう。その上で、市場を十分に機能させるための制度上の構築が必要なのだ。 次に必要なのが、マルクスらがまるで評価しなかった、現実の経済水準全体を拡大していく政策である。これを「リフレーション政策」と一応名付けよう。経済の現実的な成長率を年率3~5%程度で安定化させるために、積極的な金融政策と財政政策の組み合わせで臨んでいく政策スタンスをいう。 もちろん、政府による異常なムダが削減されるが、それによって経済全体を縮小するような緊縮スタンスには反対する。そういう姿勢だ。これを「リベラル2.0の経済学」とする。先ほどの図でいえば、①制度構築による市場原理の達成(需給一致が労使双方の満足を最大化する)②経済成長の安定化、その一つの在り方としての労働需要の増加、である。②の労働需要の増加を最初の図に書き加えよう。 リベラル2.0の政策によって労働需要曲線が右上方にシフトしている。と同時に、市場の制度的基盤が改善されていることで、生活ギリギリの賃金から労働者は解放されている。ただし、このケースでも外国人労働者が移入することは、国内の労働者の賃金と雇用を奪うことには変わりはない。ただし、最初のケースに比べれば、国内労働者からの「収奪」は相対的に少なくなるだろう。 外国人労働者のケースで付け加えることは、あくまで同じ質の労働者を前提にしていることだ。例えば、国内の労働者と補完的な関係の人たちや、高度な技能を有する人たちは国内の生活水準を改善することに寄与する。 少なくとも、国内の雇用環境を、ブラックな処遇の改善、そしてマクロ経済全体の改善という手順を踏んで、その上で外国人労働者をその雇用の質に配慮しながら受け入れることが望ましいだろう。(敬称略)

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    元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 元SMAPの稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の3人の公式サイト「新しい地図」が誕生して1年がたった。彼らの会員制交流サイト(SNS)の利用があまりにも自然で、新鮮で、また驚きでもあった日々だった。ファンもいろいろな楽しみを見いだしたのではないだろうか。 彼らの日々つぶやかれるツイッターでの発言。時にはメンバーに向けて、時にはファンに向けて時間を問わずつぶやく。タイムラインにいきなり現れるその言葉を目にすると、大スターと同じ時間を生きているうれしさを直接に感じる。 個人的な趣味で申し訳ないが、稲垣吾郎のブログが好きだ。短いセンテンスの中で複雑な韻や陰影をこめて、さらに他者への配慮を忘れない明晰(めいせき)さ。ちょっとおちゃめなところもある。文章は人なり、そしてブログに掲載されている写真も人なり、だ。特に、距離を置いた自撮りや風景写真は絶品である。 最初のうちは、いくら彼らが大スターとはいえ、SNSでも人気になるとは限らないと、ツイッターのフォロワー数やブログのコメント数、そして3人がレギュラー出演するAbemaTVの番組視聴数など量的なところに関心がいってしまった。だが、そんな心配は杞憂(きゆう)であり、むしろ質を楽しむことが最近の日常になってしまった。 もちろん稲垣だけではない。草彅のユーチューバーとしての活動も注目だ。最近では、ユーチューバーの祭典『U-FES.2018 プレミアムステージ』にサプライズで登場したことがニュースになった。そこで他のHIKAKIN(ヒカキン)、はじめしゃちょーといった人気ユーチューバーと共演した。まさに「新しい地図」、「新しい世界」を自ら描いている。 数は気にしない、と書いておきながら何だが、「ユーチューバー 草彅チャンネル」のチャンネル登録数は85万人に達している。ちなみに、これだけほのぼのしたチャンネルは、地上波や商業系のネット番組では絶対にありえないので、未見の人はぜひ、と頼まれてもいないのに宣伝したくなる魅力がある。 そして芸術的なセンスと、じわりとくる楽しさが持ち味の香取も独自性を行く。インスタグラムに自らの絵を掲載して、そこにツイッターのフォロワーたちが塗り絵を楽しむ。SNSを有機的に利用し、ファンや絵心のある人たちを直接刺激し、交流の輪を広げていく。 またSNSではないが、コンビニの前を通り過ぎたときに、「あれ? 慎吾ママ?」と思ったが、実は「慎吾母」だったというじんわりくるCMも、彼のキャラクターならではだろう。9月に行われた香取のルーブル美術館での初個展も素晴らしい偉業だ。「NAKAMA des ARTS」と題された個展は、ファンたちとアートを通じてつながりたいと、先ほどの塗り絵をつなぎ合わせた作品が展示された。まさにSNSの有機的結合を絵画として表現している。2018年9月、パリの展覧会の内覧会で草彅剛(右)、稲垣吾郎(中央)と話す香取慎吾(共同) 「新しい地図」のSNSの利用は、それぞれの領域で目覚ましい。SMAP時代の「反SNS」とでもいうべき戦略とは一新している。特に、「NAKAMA(「新しい地図」のファンの総称)」との結びつきがさらに深まっているように思える。特徴的なのは、香取の試みにも代表されるように、SNSの世界とリアルの世界を結びつける点だ。3人がジャニーズを動かした? 来年初めに予定されている最初のファンミーティング『NAKAMA to MEETING_vol.1』にもその特徴が顕著である。そのファンミーティングで話題になったのは、「お一人様NAKAMAシート(エリア)」の導入である。これは新しいファンを開拓していく戦略でもあるだろう。 例えば、筆者が彼らのファンミーティングに行きたくとも、「今まで女子アイドルばかりの現場しか経験していないので大丈夫かな?」と考えたりして、やはり一人だと気後れするかもしれない。そんな気後れを解消する狙いがこの「お一人様NAKAMAシート(エリア)」にはあるようだ。一人で来場した人同士が、自然と交流できるエリア設置になるという。ファンミーティングのイノベーション(技術革新)が期待できる。 SNSの特徴の一つは、よくも悪くも「本音」が透かしてみえることだ。これはファンの声もあからさまになるということだ。 だが、ツイッターなどで「#(ハッシュタグ)新しい地図」と検索すれば、新しい地図のNAKAMAたちが、いかに穏やかで温かい人たちが多いか、一読でわかるだろう。別におべっかを書いているわけではない。この連載で、SMAPに関して論じていたときから指摘していたことだ。ちなみに、筆者はまだSMAPの再生を夢見ている。 このようなSNSを全面的に活用し、新しいファン層までも有機的にリアルの場で結合していく戦略は、日本の男性アイドルの中では既に突出したものになりつつある。国際的な展開でも十分期待できるだろう。 このような「新しい地図」のSNS戦略は、古巣のジャニーズ事務所のSNS戦略にも影響を与え、重大な転換をもたらしているかもしれない。ユーチューブで「ジャニーズJr.チャンネル」(チャンネル登録者数40万)を開設し、Jr.内ユニット「SixTONES(ストーンズ)」の新曲のミュージックビデオを同チャンネル上で公開したことが、大きな試金石になる。 日本のアイドルは韓国のアイドルに比較して、SNSの利用に関して格段の後れを取っていた。その原因は、ジャニーズ事務所などが採用している「厳格な著作権」管理にある。まず、SNS上にあるジャニーズ系のアイドルの動画はことごとく削除されてしまい、目にすることなど通常ではなかった。2018年7月、チャリティーソングの売上金を寄付し、記念撮影する元SMAPの(後列左から)香取慎吾、稲垣吾郎、草彅剛ら それに対して、韓国のアイドルたちは、テレビの音楽番組もあっという間にユーチューブなどにアップされ、それがファンの手で解説や各国語の字幕とともに世界に伝わっていく。この「緩い著作権」戦略は、日本のアイドルも積極的に採用すべきだと、筆者はことあるごとに指摘してきた。 おそらく、この「永久凍土」とでもいうべき日本の現状を打ち崩したのが、「新しい地図」のこの1年の活動にあったのだろう。彼らの個性をベースにし、SNSとリアルを結び付けた、ファン=NAKAMAとの活動は、まだ幕が開いたばかりだ。その行方には、おそらくより広い世界のNAKAMAが待っている。まったりとした雰囲気の彼らのSNSに触れながら、その野心的な試みの行方を見守っていきたい。

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    「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「失われた20年」と言われる日本の長期停滞は、デフレ(物価の継続的な下落)を伴っていた。人々の所得が減ってしまい、日々の暮らしも困難になる人や就職、進学などで苦労を味わう若者も多かった。実際に経済的な理由で退学していった学生たち、就職が決まらずにずっとコンビニや居酒屋などでアルバイトしていた卒業生も多かった。 また、就職してからも大変だった。最もデフレ不況が深まった時期には、卒業生のためにその会社の上司宛てに「推薦状」を書いたこともたびたびあった。ふつうは就職する際に、大学や教員が推薦状を書く。だが、「失われた20年」のピークのときは、就職してからも困難が続いたのである。 多くの企業は、将来性や人材育成よりも目先の利益の獲得のために、若い人材の使い捨てや「試用期間切り」のように使う前から切り捨てることもあった。そんな環境の中で、本人に頼まれたり、または会社の上司の方がその卒業生の将来性について「推薦状」を書いてくれと要請されたのである。 もちろん、喜んで引き受けた、と書きたいが、そのプレッシャーは尋常ではなかった。一人の元学生の人生を直接左右しかねないからだ。そのためか、当時過労で倒れてしまった。 おそらく、この種の話は、大学教員の多くが体験したことだろう。景気が悪くなるということは、少なくとも学生たちの就職を極端に困難にする。もちろん就職だけではない。今書いたように、働くこと、生きることが難しくなるのだ。 景気をよくすること、もう少し難しくいえば雇用を最大化する責任は、多くの場合は政府と中央銀行がその責務を負う。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 日本の長期停滞がデフレを伴っていることは冒頭で書いた通りだ。モノとお金の関係でいえば、モノの価格が下がることは同時に、お金の価値が高まっているということだ。なぜお金の価値が高くなるかといえば、それはお金が手元にないからだ。具体的には、給料やバイト代などが不足していく。 要するに、お金の量が足りないのだ。しかも、より重要なのは、これから先もお金の量が足りなくなると国民が思っていたことである。過去形で書いたが、そのお金の量の不足は、深刻さが弱まりつつあるとはいえ、いまだに継続している。デフレの責任を取らない日銀 お金の不足を解消する責任は、究極的には中央銀行、つまり日本銀行にある。だが、官僚組織の常というべきか、日銀もまたそのデフレ不況の責任を20年以上、一貫して拒否してきた。 今の黒田東彦(はるひこ)総裁の前まで、日銀は雇用にも経済の安定にもほぼ無関心だった。昔の日銀は「失われた20年」に対して「無罪」を主張してきたのである。 この「日銀無罪論」は、官僚の伝達機関でしかないマスメディアや、経済論壇でも主流の意見だった。彼らが愛する「日銀無罪」の論法は、おおよそ以下のパターンだった。(1)デフレ不況は、グローバル化や人口減少など構造的な問題が原因なので、金融政策では解消できない。(2)今の日本経済は、失業率が3・5%以上であっても、完全雇用で安定している。(3)そもそも、デフレは中国などが安い製品を作ったせいであり、外国の責任である。(4)急激に金融緩和を実施すると、急激なインフレ(ハイパーインフレ)が起きるから危険である。(5)デフレに伴い、牛丼などの価格が下がるのはいいことである。 これらの「日銀無罪論」が最近、再び活性化している。例えば、最後の「そもそも牛丼などの価格が下がるのはいいこと」の最新版は、携帯料金の値下げに関しての話題だといえよう。 これは、菅義偉(よしひで)官房長官が携帯料金を4割下げることができるとした発言を契機にしている。日本の携帯各社の料金が高いのは経験上でも自明だろう。この料金の高さの原因は、携帯各社が寡占状態にあり、そのため価格支配力が強いことに原因がある。これを打ち破ることは、多くの国民に利益をもたらすだろう。2018年10月、衆院予算委で自らの携帯電話を楽しそうに安倍晋三首相(左)に見せる菅義偉官房長官(春名中撮影) だが、マスメディアでは、携帯料金の値下げがデフレを加速させるものとして解説するものがあった。デフレやインフレで話題になるのは、平均的な価格である。これを一般物価という。対して携帯料金は個別価格である。いくら個別価格が下がっても、一般物価に反映するのは次元が違う。 先ほど述べたように、デフレはお金が不足していることだ。具体的には給料やバイト代が不足していることである。いくら個々の商品の値段が下がっても(反対に値上がりしても)、そもそも買うお金がなければ全く意味がない。手元のお金が増えることで、安くなった財(携帯)を買うことが容易になるのである。前総裁の姿勢に異議あり! さらに、白川方明(まさあき)前日銀総裁の発言も最近活発化している。著作の『中央銀行:セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社)を出してもいる。正直、読むのがつらい本だ。 この本の中で、白川氏は雇用を重視するという姿勢に乏しかった。また、日本経済の問題は、財政危機や人口減少など日銀の責任ではないものに求めているようだ。 中でも「物価が人口減少で決まる」と読める箇所があった。地域エコノミスト、藻谷浩介氏の『デフレの正体』(角川書店)を想起させるが、そもそも藻谷氏は個別価格を「デフレ」としている。もちろん正しいデフレの意味ではない。 さらに、人口減少デフレ説は日本の現実の前に否定されている。日本の人口減少率は、現時点でマイナス0・32%(前年同月比)だ。対して、9月の全国消費者物価指数(生鮮食料品を除く)はプラス1・0%である。白川日銀の時代はデフレが普通だったが、インフレ目標に届かないものの、今はプラス域を保っている。ここしばらくは上昇傾向でもある。 白川氏によれば、今の景気回復は将来生じる需要の先取りの結果であるらしい。筆者の知人は、この白川説に対して、「(円安による)海外観光客の増加も需要の先取りになるんですかね」とあきれていた。 ただし、この需要先取り説には注意が必要である。例えば、昔の日銀を懐かしむ勢力が望みそうな早急な出口政策が採用されたり、消費増税などの影響で金融政策の効果が乱れると、それを現在の積極的な金融緩和の責任にされかねないからだ。 消費税を引き上げれば、当然積極的な金融緩和と矛盾し、効果も低迷する。だが、消費増税の責任にしたくない人たちは、また野菜不足などと同様の理屈で、需要を先取りした反動が今出ていると、責任転嫁に利用するかもしれないからだ。2013年3月、退任の記者会見をする日銀の白川方明総裁(宮川浩和撮影) もちろん、性急な出口政策の採用も消費増税と同じ、いやそれ以上の悪影響をもたらす。そこから目をそらせるためには、現在の大規模緩和の責任にするのが手っ取り早いだろう。 いずれにせよ、消費増税勢力が活気づき、他方で日銀無罪論が出回るような、今の言論の状況は憂慮すべき事態である。

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    徴用工「デタラメ判決」と韓国のポピュリズム

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 韓国での徴用工に関する大法院(最高裁)の判決が日本国内で大きな話題になっている。この判決を聞いたとき、筆者はまず「とてもデタラメな判決だな」と思った。 と同時に、韓国の国家としての脆弱(ぜいじゃく)性、現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権のポピュリズム(大衆迎合)的な性格の弱さにも思いが至った。要するに、その韓国の脆弱性のツケが日本に回ってきたように思えたのである。 それでは、文政権のポピュリズム的な政策とは何だろうか。ポピュリズムは大衆扇動的といわれるが、政権を奪取して維持するためには、大衆からの支持はいわば必要条件である。 その意味では、ポピュリズムに特別な意味はない。だが、ポピュリズムにはもう一つの特徴的な側面を伴うことが多い。 いわば「敵」-「味方」の論理を利用することである。「敵」を特定し、その「敵」が「味方」の利害を侵しているとして徹底的に批判することで、「味方」の士気を高めることである。 これも程度問題ではある。さまざまな社会的問題の根源で、既得権益にぶら下がっている人たちがいる。この勢力を批判することが、あたかも「敵」-「味方」のロジックに乗った話に見えがちだ。特に経済学では、構造的問題(経済を非効率的にしてしまい国民の福利の向上を阻害する問題)について、この既得権者たちを問題視することが多い。2018年10月、ソウルの最高裁前で、徴用工訴訟での原告勝訴を訴える支援者ら(共同) 例えば、経済評論家の上念司氏の新刊『日本を亡ぼす岩盤規制 既得権者の正体を暴く』では日本に巣くうさまざまな既得権者や組織を容赦なく批判している。その指摘には筆者も学ぶことが多い。 上念氏も筆者もそうだが、経済学での既得権益者はその既得権にこだわる限り、批判されてしかるべきだ、という意見を持つ。だが、経済的な意味で彼らは「敵」ではない。なぜなら、経済政策の基本は、既得権による経済的な非効率性を次から次へと解決していけば、やがてそれは社会全体の福利厚生の向上につながるからである。なぜ「反成長主義」なのか つまり、既得権益者はその既得権を奪われることで不利益を被るが、やがて同様の効率化政策が各所で行われることで、社会全体の福祉が向上し、元既得権益者もそこで利益を受けるというのが、経済学の基本的な考え方だ。この考え方を「ヒックスの楽観主義」といい、偉大な米国の経済学者、ハロルド・ホテリングが指摘したことでもある。 要するに、「社会全体のパイはやがて拡大していく」という成長主義的な観点がここにある。日本や世界の歴史を見ても、おそらくこの「楽観主義」やホテリングの予測は正しいだろう。 だが、文政権のポピュリズムは、このような経済政策の基本から外れている。何より特徴的なのは、その「反成長主義」的なマクロ経済政策の運営手法だ。 韓国のマクロ経済政策が「反成長主義」というのは意外に思われる人もいるだろう。なぜなら、文政権の財政政策だけ見れば、予算規模をリーマンショック時点並みの2桁拡大をしようとしているからだ。 しかし、ここでは、マクロ経済学の教科書的な常識で、韓国のマクロ経済政策を評価する必要がある。それは「マンデルの三角形」というものだ。これは「為替レートの安定」、「資本移動の自由」、そして「金融政策の自律性」の三つのうち、基本的に二つしか採用することができないという見方である。 韓国の経済運営は、変動為替レート制であるものの、過去のアジア経済危機での経験を恐れて、過度にウォン安回避的な運用がされている。つまり、政府と中央銀行である韓国銀行が、その政策運営に為替レートの安定を政策変数として考慮しているのはほぼ明白である。韓国の5万ウォン札(ゲッティイメージズ) また、資本移動の自由化が行われている。「マンデルの三角形」の議論でいえば、韓国は金融政策の自律性がないことになる。これは自国の経済の景気や雇用の状況に対応して、金融政策を割り当てることが難しいことを示している。さらに、教科書的にいえば、海外との取引がある韓国のような「小国」経済では、財政政策の効果が限定されてしまうことになる。 要するに、雇用状況が悪くても、金融政策が拘束されている下では、財政政策を拡大しても効果が著しく減少するということだ。これは、1990年代に積極的な財政政策を行いながら、金融政策が事実上の円高志向、つまり緊縮志向だったために長期停滞に陥った日本の経験を思い出させる。しかも、金融政策においても、韓国の雇用状況の悪化と並行するように、インフレ目標の数値を引き下げるなど、緊縮傾向をむしろ自ら強めている。文政権、本当の「味方」 文政権は若年失業率の高止まりを財政政策で対応しようとしている。しかし、自国為替レートの自国通貨の減価(ウォン安)を極端に避ける政策を採用している限り、なかなかこの雇用の低迷から脱出できないのは自明である。これが文政権の経済政策が「反成長主義」的である、という意味だ。 簡単にいえば、経済全体をパイになぞらえれば、パイの大きさはほぼ一定のままである。しかも、文政権はこの一定の大きさのまま、自分の支持を集められるようにパイを切り分ける必要がある。これが、彼の手法が「敵」と「味方」に分けるポピュリズム的である理由ともなる。 既に企業社会の中にいる人たち、特に大企業の労働者や組合に、文政権は切り込む姿勢を見せていない。つまり、先の「ヒックスの楽観主義」的な効率化政策に踏み込めないままだ、ということになる。 これは、文政権の「味方」が大企業などの労働組合だということを示している。実際、大幅な賃上げを掲げた文政権の政策にその特徴が表れていた。 賃上げは、既に企業社会の一員である人たちには恩恵(既得権)となるが、これから働こうという人たち、特に若者たちに対しては障害になる。なぜなら、経済の大きさが一定のままで、ある人のパイの取り分を増やすことは、他の人の取り分を減らすことになるからだ。 前者は大企業の労働者、典型的な後者が若者である。実際に文政権の雇用政策は、既得権者である大企業の雇用を守りながら、若年失業率を累増させている。2017年8月、韓国・仁川市内で公開された徴用工像(川畑希望撮影) でも、文氏は若者を「敵」だとは決して言わないだろう。それどころか、全く思ってもいないかもしれない。だが、その経済政策は、ポピュリズムの「敵」―「味方」に分けた政策の典型になっている。文政権の支持率は低下傾向にあるが、それは文政権のポピュリズムが持つ弱さにある。 さらに、この「敵」-「味方」は徴用工問題でも顕著である。もちろん、この場合の「味方」は自国民であり、「敵」は日本国民である。事実上の「二枚舌外交」 ここで「日本政府」とは書かない。あくまでも日本国民である。なぜなら、今回の訴訟は、韓国国家が日本の民間企業に対して下した判決である。 韓国国民が日本統治時代の出来事に対して、賠償などについて個別請求権を持っているのは認識すべき点だろう。ただし、1965年に国交を正常化した際に結んだ日韓請求権協定により、韓国国民の請求先は日本政府や日本企業ではなく、あくまでも韓国政府に対するものであった。これが今回、ちゃぶ台を大きくひっくり返されたことになる。一種の「無法行為」である。 だが、この無法行為、その背景にある「敵」-「味方」の論理を、文氏は大統領になる前から肯定していた。文氏が無法の人でなければ、彼は政治的な宣言として、賠償請求先は韓国政府だと表明すべきだったろう。 そして、韓国政府による今までの国民への賠償政策が不十分であったことを、歴史の反省に立って率直に見直すべきである。ところが、文氏はそんなことをしない。大きな理由は、徴用工の賠償を求める政治的勢力が強いからだ。これは先の経済政策における大企業の労組の位置づけと同じである。 だが同時に、今回の判決を受けて、文政権は日本に対して、外交の場で「今回の判決を認めよ」と積極的に主張するだろうか。おそらくその確率は高くないだろう。ここにも文政権のポピュリズムの脆弱性が明らかである。 国内的には、暗黙のうちに今回の判決が出される政治的な流れを作っておき、他方で、対外的には日本に対しての積極的な働きかけを行わないはずだ。要するに、日本に強く出るほどの政治的パワーがないのである。事実上の「二枚舌外交」である。このやり方は、慰安婦問題についての文政権のやり方にも似ている。2018年10月、日本企業に賠償を命じるとした韓国徴用工訴訟判決を受け、韓国の李洙勲駐日大使(右端)に抗議する河野外相(左端) そもそも、日韓請求権協定を文政権自身が外交的に覆せば、おそらく日本とは決定的な対立を生み出すだろう。実際、日本側として見れば、決定的な対立が避けられないという意見は今でもあり、感情的なリアクションとはいえない側面も持つ。戦略的には、政治的断交は、全面的な韓国との交流停止とはいえない。台湾と日本の関係を想起すればわかるはずだ。政治的断交は一つの選択肢として有効だ。 ただし、今も書いたように、文政権は、ポピュリズムの持つ脆弱性から見れば、経済的にも政治的にも既得権を侵さない政策を維持し続けるだろう。従って、国内経済を拡大し、日韓関係を改善する政治的にも経済的にも成長を許さない政策を採るしかない。文政権がいくら弱くてもいいのだが、その弱さを繕うために日本国民が利用されるのは許されることではない。

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    メールも使えない経営者は大喜び、消費増税「狂信者」が描く未来図

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 政治家の驚くべき発言には事欠かないが、自民党の竹下亘前総務会長が講演の中で今後の消費税について語ったものは、その無責任ぶりと妄信的な性格で群を抜いている。 報道が正しければ、消費増税について「10%で打ち止めというわけにはいかないと感じております。いくらになるかは予想はできませんが、まだ上げなければ、財政再建には寄与できない」と、竹下氏は述べたという。 自分でも予想できないにも関わらず、上げるだけ上げないといけない、というふうに解釈できる。「財政再建」がお題目になっているが、これではまるで増税することが自己目的化しているといわれても仕方がないだろう。 しかも、竹下氏のこの発言は、政権のいくつかを犠牲にしても政治家の使命としてやらなければいけない、という精神論付きである。10%を巡る国民的議論から見ると、お粗末な内容としか言いようがない。 戦前の日本政府や軍部、そして官僚組織も具体的な数字を示すこともなく、特定のスローガンを精神論的に掲げる中で自壊していった。その構造と竹下氏の発言は変わらないといえる。 ちなみに、財務省による税率の水準は、21世紀の初めあたりは15%だったが、今では18~20%の範囲に上昇しているというのが「通説」である。竹下氏の発言と同様にその上限の先は見えない。 また、竹下発言では、過去の消費増税がなければ日本はとうに破綻していたという認識を披露している。これも極めて疑わしい話だ。1989年の竹下登内閣による消費税導入以後、消費税収の動きだけ見れば「安定」した財源のように見える。だが、これはもちろん一部分だけ切り取っているだけの話である。2018年10月、北九州市で行われた会合で話す自民党竹下派の竹下亘会長 要するに、消費税収が「安定」的な財源になる一方で、他の税収が不安定化し、より重要なのは経済全体が不安定化していることだ。この理由は、消費増税のもたらす経済への悪影響がある。 確かに、89年の導入時点では、経済が過熱気味であったため、それを抑制する効果があったかもしれない。だが、消費増税は、経済が過熱していても停滞していても、持続的に税の重圧を掛けていく、恒久的な増税という特徴があることを忘れてはいけない。 日本の90年代初頭からの「失われた20年」は、金融政策の失敗が原因であった。さらに、これに財政政策との協調の失敗が重しとなっている。経済が停滞していても、消費税は恒久的にこの不調極まる経済の重しとなっていた。消費は「罪」か 日本人特有の気質なのかわからないが、いったんお上が決めた法律や増税は、変更できない「自然現象」のように扱われてしまいがちで、この停滞の時期にむしろ消費「減税」をすべきだと主張する人はごく少数だった。消費減税をすれば、恒久的な経済改善効果を発揮しただろう。 だが、実際には、1997年に橋本龍太郎内閣のときに5%へのさらなる引き上げが起きた。このときもアジア経済危機、金融危機などが生じている最中だったが、消費増税を撤回ないし引き下げるという議論もなかった。 結局、消費増税は家計や中小企業を直撃し、日本は完全にデフレ経済に落ち込んだ。このときも「財政再建」のための「安定」財源が増税勢力のお題目だった。一種の狂信であろう。 消費税率と消費税収の「安定」だけが成立し、経済は不安定化していく。要するに、日本国民が貧しかろうが苦境だろうが、そんなものは一切お構いなく、消費すること自体に「罪」を負わせているようなものである。 その負担の最大の犠牲者は、国民の中でも最も所得の低い層だった。日本経済が停滞し、非正規雇用など不安定な雇用状況の人たちが増加しても、この増税が持続的に負担になり、日本の窮乏は募っていった。 だが、それでも増税勢力は、長期停滞の極まった21世紀初めには消費増税15%を目標にしていたし、また、東日本大震災では復興増税を政治的に模索することで、それを与野党合意の消費税増税路線として結実していった。まさに「国滅びて、消費税ありき」である。 税構造全体にも無視できない問題がある。平成になってから消費税率は上がる一方で、法人税率は引き下げ傾向にあり、所得税の最高税率や相続税率もつい最近までこれも引き下げ傾向にあった。 消費増税導入とほぼ同じタイミングで、他の主要税の税率が引き下げトレンドに転じていく。法人税は1989年から91年にかけて段階的に大きく引き下げられ、そして今日も引き下げられている。 しかし、法人税の引き下げによって、企業投資が活発になったり、経済の浮揚に貢献した可能性はない。なぜなら、法人税引き下げは90年代初頭から今日まで行われたが、その間に日本経済は法人税率の変化と無関係に、長期停滞と最近の停滞から一応の脱出を果たしているからだ。 また、トランプ政権による法人税引き下げを、米国の経済好転の要因と考える人たちがいるが、筆者は極めて懐疑的な目でみている。むしろ、米経済の好調は、トランプ政権以前から続く米国の金融政策の成功の「遺産」でしかないだろう。日本も全く同じで、法人税引き下げには経済全体を好転させるかどうかは関係ない。むしろ、停滞するかそこから脱出するかは、金融政策が大きなキーを握っている。 所得税の最高税率は、1986年まで約70%だったのが、段階的に引き下げられ、1999年には37%まで引き下げられた。最近では多少引き上げられている。ただ、累進税率を引き下げることで、所得税のもたらす経済安定効果を損なってしまった。経団連が消費増税を優先するワケ 所得税は、経済が過熱すれば税収が伸びることで経済を沈静化させ、経済が停滞しているときは経済を回復させる効果を持つ。これは、所得税収が経済の順調な成長と一致していることを意味している。実際に、80年代終わりまでの所得税収はそのように進展していた。ところが、図表を見ても、所得税収は90年代に入ると、急転直下で減少トレンドを描き出す。消費税の「安定」とは真逆である。 経済全体の安定を犠牲にして、消費増税の「安定」だけを自己目的化にし、またそれが「安定」していれば、「財政再建」は成し遂げられるという妄信は、狂信でしかない。恐ろしいことだが、この支持者は非常に多い。 経団連の中西宏明会長もその一人だ。中西氏は最近、歴代の経団連会長がパソコンでメールを活用していなかった事実を公にするという「貢献」で話題になった。経団連はよく「生産性」と大声を上げるが、自分たちのビジネススキルがお粗末だったことが、明るみに出たわけである。それはそれとして、中西氏は次のような発言をしている。「まずは消費税率を10%へと引き上げることが最優先課題である。日本社会は5%から8%に引き上げたときの景気の落ち込みがトラウマ(心的外傷)となっている。同じような事態を招かないよう、経済対策を実施することに反対ではない。他方、消費増税は財政健全化に資するものでなければならない」 経営者が自分の会社の財政再建を優先するのは理解できるが、なぜ自分の顧客である消費者の懐具合を悪化させてまで、「消費増税が最優先」になるのだろうか。全く理解に苦しむが、この発言の答えは、実は先ほどの「パソコンでメールを出さなかった歴代経団連会長」のエピソードの中に表れている。 つまり、メールさえも活用できない旧態然とした経団連の体質にある。単なる大企業の既得権を死守するだけの、まさに存在すること自体が目的化している、官僚的な大組織だといっていいだろう。 そこには日本経済のイノベーション(技術革新)を牽引(けんいん)するよりも、むしろ大企業の既得権を死守しつつ、新しい芽には無理解で、むしろ抑圧する動きが顕在化していると考えていいだろう。なぜなら、消費増税によってデフレ経済に戻ったほうが、大企業は安泰だからだ。 大企業のライバルとなるような新興企業や意欲的な中小企業がいなくなれば、経団連的には大助かりだろう。それを「財政再建」という聞き心地のいいフレーズで、政府が責任をもって実行してくれるのだからたまらない。 アベノミクス以前は、20年にわたるデフレを伴った大停滞だった。このとき、企業の倒産件数の方が、新規企業の立ち上げ件数よりもはるかに多かった。2018年10月、記者会見する経団連の中西宏明会長 要するに、新しいイノベーションは生まれなかったのだ。このデフレ経済の持つ「イノベーション殺し」は、既得権を有する大企業に有利だった。今も経団連に所属する多くの大企業経営者たちは、このデフレ期をうまみがある期間として実感していることは疑いない。 そう感じていないのであれば、今、経営者たちがやるべきことは、消費者たちがお金を使いやすく、またそれによって経済を活性化させ、税収も安定化することを求めること以外にはない。だが、経団連からは増税の声しか聞こえない。まさにメールも使えない経営者だけが生き残り、国民が滅ぶのである。

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    「孤絶化による洗脳」人権圧殺国家、無視できないメディア規制

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 安倍晋三首相は、25日から3日間の日程で訪中し、習近平国家主席ら中国首脳と会談を行う予定である。日中友好平和条約が発効して今年で40年の節目を記念したもので、日本の首相としては約7年ぶりの訪中となる。前回は民主党政権の野田佳彦前首相の時代だったので、もちろん第2次安倍政権では初となる。 安倍首相の訪中としては、第1次安倍内閣のときの2006年10月における「電撃訪問」が思い出される。当時の胡錦濤国家主席と対談し、そこで「戦略的互恵関係」や、共同プレス発表という形で「日本の戦後の平和国家としての歩み」を評価したことで知られる。 後者の「平和国家としての日本の歩み」を評価したのは、中国側からすれば最大限のリップサービスだったのだろう。その後、中国側の尖閣諸島周辺への侵入が常態化していくことを想起すると、中国側の「譲歩」の後には「ごり押し」や無法行為が待っているようにも思える。 今回の訪中は、トランプ政権との「米中貿易戦争」の真っただ中で行われるために、国内的な関心も高く、国際的にも注目されているだろう。しばしば、米中貿易戦争では、日本が漁夫の利を得ると報道される場合がある。今回の訪中もそのような文脈でとらえる論調もある。だが、それは大きな誤りだろう。 最近の中国が明らかにしているのは、自由で民主的な社会の価値観とは全く異なる国家権力の膨張である。つまり、中国的ルールをもとにした監視社会、尖閣諸島や南アジア、インド洋、アフリカなどで展開されている大国主義的活動、不透明な経済体制である。「異質」という表現よりも、日本や欧米主要国と対立し、むしろ抗争的な価値観を実行している国家といっていいだろう。 一言で表現すれば「人権圧殺国家」だろう。新疆ウイグル自治区では、イスラム系住民を中心に約100万人が拘束され、「行方不明」になり、収容所で「再教育」を受けている。 彼らは「洗脳施設」に収容され、自分たちのアイデンティティーである民族的誇りや宗教的信条を奪われ、常に監視状態に置かれるという。まさにディストピア(反理想郷)である。2018年9月、「東方経済フォーラム」全体会合で、中国の習近平国家主席(左)と並んで入場する安倍晋三首相(代表撮影) 日本のメディアでは、ウイグルでの人権弾圧をあたかも「右派」や「保守」の専売特許のように認定し、単なる「中国嫌い」とでもいうべき言論として扱うおかしな識者もいる。まったく見下げた論評だ。「監視社会」三つの要素 例えば、反トランプ的な言論を展開している米国の主要メディアも、ウイグルでの人権弾圧を厳しく批判し、米国世論の形成に寄与している。先のペンス副大統領による中国政府への批判スピーチにもこのウイグル問題などが含まれているのは、その成果の一つでもあったろう。 中国政府の人権抑圧的な監視社会は、実に巧妙に運営されている。もちろん、欧米や日本でも監視社会の危険性は今までも議論されてきた。日本では、繁華街での監視カメラの設置をめぐって論争が起きたこともある。 だが、中国の監視社会は、質的にも量的にも同列には論じられないのは自明だ。それは、主に三つの要素から成立している。表面的に「自由」なコミュニケーション、長期間の孤絶化、プロパガンダ(宣伝)を伴った「謝罪」や「幸福感」の表明である。 経済学者で香港大のベイ・チン准教授、ストックホルム大のダーヴィド・ストロンベルグ教授、南カリフォルニア大のヤンフイ・ウー准教授らの研究によれば、中国政府はソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)を厳しく事前検閲するよりも、むしろかなりの程度「自由」に泳がせていると考えている。 これは日本での常識とは、かなり異なる印象を受ける。SNSではないが、最近では国際刑事警察機構(ICPO)の孟宏偉総裁が長期間失踪したニュースを伝えるNHK海外放送がブラックアウト(画面がまっ黒になる)し、放映が一時中断したような中国政府の事前検閲をしばしば目撃しているからだ。 だが、ストロンベルグ教授らは、中国政府は厳しい事前検閲をするとSNSで利用すべき情報が取れないと考えているようだと指摘している。むしろ、厳しい事前検閲よりも、SNSの情報を利用して、デモや地方政府の汚職の情報を収集し、事後的にそれらを処罰した方が効率的だと考えているようだと、中国政府のやり口を解明している。 つまり、表向きは「自由」にSNS上でコミュニケーションさせるのだ。ストロンベルグ教授らによると、この表向き「自由」なSNSの活用により、デモや反体制集会をほぼ開催前日に政府が感知できるとしている。2018年7月、ウイグル族が集住するカシュガルの「旧市街」で、警察に促され記者の前で民族の踊りを披露する女性=中国新疆ウイグル自治区(共同) さらに、国際的女優、ファン・ビンビン(范冰冰)や前述した孟宏偉氏のケースでも明らかなように、その社会的地位を問わず、中国政府は拘束し拉致・監禁して尋問を展開する。それは、まさに周囲の人間から見れば「失踪」に等しい。この「失踪」の手法により、その人を社会的な関係から遮断し、情報を閉ざす中で、孤独を深め、ついには、自分が何者からも見捨てられた状態であると絶望を植えつけていく手法を、中国政府は自国民に強要しているわけである。 この手法を、政治哲学者のハンナ・アーレントは主著『全体主義の起源』で、全体主義国家の常套(じょうとう)手段である「孤絶化」であるとしている。ウイグルの強制収容所は、その大規模かつ徹底的なこの孤絶化の実行と考えられる。まさに人権のジェノサイド(集団殺害)である。しかも、精神への暴力だけでなく、身体への暴力の可能性も否定できない。「人権圧殺」押し付けの兆候 この個人を社会関係から見捨てられた状態にする「孤絶化」は、同時に全体主義的な国家にとって、洗脳とプロパガンダの機会としても利用されている。何とも逆説的だが、人々から見捨てられ、そこに救いを求めることができなければ、弾圧している政府そのものを「救世主」として見なしてしまうのである。 米CNNの報道では、ウイグルの強制収容所で「再教育」を受けている人たちが「幸福感を増した」とする収容所の当局者の発言を伝えている。まさに欺瞞(ぎまん)そのものなのだが、おそらくこの収容された人たちの「幸福感」は本当かもしれないところに、精神の地獄を感じる。そこまで精神的に追い込まれているのだろう。洗脳の恐ろしさが顕著に分かる事例だ。 先のストロンベルグ教授らは、SNSが政府のプロパガンダを流す手段として有効利用されていると指摘していた。もちろん、テレビや新聞などの旧来型メディアも政府のプロパガンダに巧妙に利用されている。ファン・ビンビンが巨額の脱税を「懺悔(ざんげ)」したのは代表的な事例である。汚職摘発キャンペーンも、もちろん習近平体制を支える重要なメディア戦略である。 このような「人権圧殺国家」との外交は、用心するに越したことはない。この人権圧殺が中国国内だけではなく、各国の国民にも及ぶ可能性があるからだ。 事実、その兆候はある。中国高官が自民党などの国会議員の前でメディア規制を唱えたことは無視すべきではない兆候だ。海外の大学出版局に対して、事実上の言論統制を試みたこともあった。 それらはまだ小さい可能性だが、中国政府のやり口は、まずは小出しにして、力を得れば一気に強権を実行している。つまり、これらのシグナルは無視すべきではないのだ。 評論家の石平氏は、中国の政治体制の危険性に注意を向けた上で、訪中した安倍首相が中国の策略に乗らないように警告を発している。マレーシアやモルディブなどでは反中国的な政権が誕生し、現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の頓挫が伝えられている。2018年10月、日中与党交流協議会の閉幕式に出席する自民党の二階幹事長(左)と中国共産党の宋濤中央対外連絡部長 そのような情勢の中で、中国政府が安倍首相にこの一帯一路への支援を求める危険性と、さらにトランプ政権と日本との離反を仕向ける罠があると指摘している。石平氏の論説には、全くうなずける。 もちろん、外交はケンカをする場所ではないし、最初から口ケンカをしに訪中すると考えるのは単純な思考でしかない。要するに、中国の「人権圧殺国家」としての性格、そして大国主義的な振る舞いに十分に気を付けて、余計な言質を与えないことが今回の外交の必要最小限の前提である。その上で、中国の「人権圧殺国家」、大国主義の振る舞いに国際的警鐘を鳴らすことも、日本政府にとっては重要な課題なのである。

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    消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) もし、2019年10月に消費税率10%への引き上げが実施されれば、どのような影響を及ぼすだろうか。初めに明言しておくが、筆者の立場は消費増税に反対である。なぜなら、日本経済は1990年代初めから2012年の後半まで陥っていたデフレを伴う長期停滞から、ようやく脱出しかけている段階だからだ。この勢いをわざわざ止める政策を実行するのは「特上の下策」である。 だが、問題は、19年の消費増税で日本経済がどの程度マイナスの影響を受けるかだ。そんな中で、インターネットを中心にして「消費増税ハルマゲドン」とでもいうべき極端な発言を目にすることがある。来年の消費増税によって日本経済もアベノミクスも、そしてその中心であるリフレ政策(日本銀行のインフレ目標付き金融緩和)もすべて終了というシナリオである。 政治的にアベノミクスをやめる可能性は常にあるだろう。もちろん、それはどんな政権であれ愚かなことである。だが、日本経済が終焉(しゅうえん)することはない。終焉しているのであれば、2014年4月の引き上げで、すでに日本経済は崩壊していただろう。 要するに、ネットでよく見受けられる無知と悪意ゆえの極端なお騒がせ程度の話だ。消費増税ハルマゲドンは群集心理のヒステリーに似ている。つまり、経済政策を議論する上で、確実に障害にしかならないのである。 ただし、消費増税は、せっかくの経済の好転を阻害することは間違いない。そしてその停滞は無視できない社会的損失を短期的・長期的にもたらすだろう。アベノミクスの中心であるリフレ政策にも大きなマイナスの影響をもたらすことは疑いない。2018年10月、IMFのラガルド専務理事(左)と握手する安倍首相 安倍晋三首相は15日の臨時閣議で消費増税の実施を表明した。引き上げは来年10月1日からであり、実施まで1年近く先なのに早い話である。来年の増税はすでに法律に実施を明記されており、去年の衆院選でその使途を教育無償化に回すとも表明している。今回の「表明」による首相の意図は、1年かけての消費税対策を関係省庁に指示するということだろう。 いずれにせよ、この「表明」で、消費税増税実施は政治的には確定事項としてさらに拍車がかかっていくことになる。ただ、菅義偉(よしひで)官房長官は同日、まだ首相はまだ最終決定をしていないとも説明している。さらにリーマンショック級の出来事があれば延期はありうるという発言も再三繰り返した。 14年4月の8%への引き上げでは、表明が13年10月1日でちょうど半年前だった。そして、前回の駆け込み需要は年明けから本格化し、14年の4月に急激な反動減が襲った。前回に比べて今回は引き上げ幅が小さいことは当然に考慮にいれなければいけない。前回に比すると今回はだいたい7割近くの上げ幅になる。消費も雇用も見事に停滞 2011年の消費総合指数を100とすると、前回の消費増税の影響が顕在化する前の同指数は104・1であり、現在の消費総合指数もまた104・3である(2018年8月)。14年4月の消費増税以降、消費は長く低迷し、ようやく2017年3月に現状並みに戻ってきて今日に至っている。決して力強い回復とはいえないが、それでも前回の消費増税前の水準に回帰してきた。 別な視点から考えれば、ギリシャ危機、英国の欧州連合(EU)離脱、米大統領選の不透明感などで世界経済が動揺していた影響が消費を押し下げたかもしれない。だが、消費増税以降、その低迷は長く続き、14年4月から増税前の水準に回帰するまで3年もかかってしまっている。 消費増税は、雇用の面でも停滞をもたらした。この点を完全失業率で見ておこう。 アベノミクスの効果は、実際には2012年の安倍首相が自民党総裁選に勝利した直後から始まる。ただし、ここでは簡便のために、政権が発足した2012年12月の完全失業率4・3%に注目してみたい。それ以降、消費税率が8%に引き上げられた14年4月には3・6%と、0・7ポイント改善していた。だが、増税以降、失業率の低下は停滞する。同じ0・7ポイント低下するまでに、消費回復と同じようにほぼ3年を要している。 ちなみに、17年2月から現状まで0・5%低下するのに1年半しかかかっていない。失業率は改善が進むほどに低下スピードが衰えるはずだが、現状の改善スピードよりも極めて遅かったことで、消費増税が雇用にも深刻な影響を与えていたことが分かる。 しかも、消費停滞や雇用の改善スピードの遅れが17年から修正されたのは、日本の経済政策によるものとは思われない。一つは米トランプ政権の経済政策への期待感や連邦準備制度理事会(FRB)の金融政策に対する市場の安心感などで、株価が上昇し、円安も促進した。これらが企業の業績を回復させ、雇用の改善スピードを上げ、消費の停滞をなんとか解消させていったのではないか。つまり日本の経済政策の力ではなく、あくまで「他力本願」だということだ。 もちろん、日銀が金融緩和の姿勢を崩していないという貢献を無視することはできない。金融緩和の継続を放棄すれば、それこそ対外環境が改善されても、「失われた20年」がそうだったように、米国の景気がよくなろうが、日本経済はより深く停滞してしまっただろう。日本の「金融緩和ありき」の状況は押さえるべき必要条件である。2014年3月、消費税8%引き上げ直前の駆け込み需要でにぎわう千葉県浦安市内のスーパー(栗橋隆悦撮影) さて、今回の消費増税は上げ幅だけ見れば、前回引き上げの7割ほどのショックをもたらすだろう。もちろん、政府では増税後の負担軽減として、軽減税率の導入や、政府が検討している中小小売店でクレジットカードを使い購入した際に、2%をポイント還元するという案もある。 ただ、軽減税率に関しては、低所得者層に与える影響が限定的で、さまざまな税制が複雑化することで社会的コストがかかるという指摘がある。また、政府がさまざまな負担減を狙う政策の裏には、ちょうどそれを帳消しにするような、新税(出国税など)や公的年金の負担増などが控えている。その正味の効果は分からない。過度な悲観は禁物でも 日銀の片岡剛士政策委員は、最近の講演で「耐久財やサービス消費はぶれを伴いながら増加しているものの、飲食料品や衣料品などを含む非耐久財消費は低迷が続いており、家計消費には依然として脆弱(ぜいじゃく)性が残っている」と指摘している。妥当な見方だろう。 しかも、問題は前回の経験でいえば、消費が一度落ち込むと、回復が長期間見られないことだ。これは現実の経済成長率の足を引っ張る。また、完全雇用の水準近くまで来た失業率の改善も、ここで再びストップするだろう。さらにはインフレ目標の達成が当面困難になるのは明白である。 1年後の経済成長率や雇用の状況を今から予測することは、現在の米中貿易戦争などの事態を考えると不透明であり、確言するのは難しい。ただし、2014年の引き上げ時点に比べれば、雇用の状況は少なくともはるかにいいことが、ただ一つの救いである。 ただし、筆者が片岡氏と、2013年10月に「消費増税ショックと今後の経済政策」(『日本経済は復活するか』(藤原書店)所収)で書いたことは、今回もほぼそのまま通用する。 消費増税は恒久的な影響を持つので、一時的な財政対応ではその負の影響を打ち消すのは難しいだろう。特に金融政策の効果がここでまた大きくそがれることになることは、アベノミクスの根幹を揺るがすに違いない。ただ、14年4月当時よりも経済状況は現時点ではいい(1年後は何度も書くが分からない)。過度な悲観は禁物だが、過度の楽観はかなり皮相な見方だ。 日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁は、今度の消費増税が前回に比べて、3分の1か4分の1のマイナスの影響にとどまると楽観的である。だが、黒田総裁は前回の消費増税の影響も過小判断していた。その反省はどう生かされたのだろうか。 そもそも、彼を支える雨宮正佳副総裁ら日銀エコノミストたちは、完全雇用時の失業率水準が3・5%と主張してきたトンデモ集団であり、その反省はいまだ聞こえてこない。「自省なき官僚集団」に堕しているのが、日銀生え抜き集団の特徴だ。黒田総裁の発言もその影響ではないか。2018年10月、G20財務相・中央銀行総裁会議の閉幕後、記者会見する麻生財務相(左)と日銀の黒田総裁=インドネシア・バリ島のヌサドゥア(共同) 安倍首相の消費増税引き上げの決断は、冒頭にも書いた通り、特上の下策である。おそらく消費増税を実施すれば、金融緩和により負担がかかるだろう。だが、その負担に応えるだけの対応がなされるのか、いまの「黒田-雨宮ライン」を見ていると不安しかない。 先の田中・片岡論説で指摘したのは、消費増税への対応に、まず日銀法を改正し、雇用の安定化とインフレ目標の導入を明記すること、また政府の目標を名目経済成長率4%、実質経済成長率2%に引き上げることである。そして、今の日銀がまだなんとか保持しているように、物価水準が2%を超えても緩和姿勢を続けることを表明し続けることが重要だ。この政策の大枠を変更すること、いわゆるレジーム(政策ルールの束)の転換が求められるのである。

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    加計理事長にも「悪魔の証明」を求める愚劣な論調

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 自民党総裁選が終わり、第4次安倍改造内閣が発足し、これから政策論争の時期か、と思ったら、また「モリカケ問題」である。具体的にいえば、今回は「カケ」の方で話題が盛り上がった。 学校法人加計学園(岡山市)の運営する岡山理科大獣医学部を巡る問題で、同学園の加計孝太郎理事長が、7日に学部のある愛媛県今治市で記者会見を開いた。この会見で、加計理事長は、以前から問題視されてきた愛媛県や今治市に対して行った、加計氏と安倍晋三首相との面談に関する虚偽の説明を謝罪した。 もちろん、虚偽の説明自体は、倫理的な意味でも行政的な観点からも問題である。今後このような虚飾に満ちた、政治家の利用はやめたほうがいい。今でも、大して面識もない有力政治家とのつてや、あるいは中央省庁との有力なコネをひけらかす人たちは絶えない。ただの自己顕示欲に満ちた悪習でしかないだろう。 ただし、加計氏と安倍首相が面談したこと自体がいったいどんな「汚職」や「深刻な疑惑」につながるのか、筆者にはさっぱりわからない。そもそも、面談した客観的な証拠もないのだが、仮に面談が事実だからといって、それの何が道義的な意味も含めて「犯罪」的なのだろうか。 おそらく、疑惑を求める人が、そこに根拠のない疑惑を見いだしているだけなのだろう。いわゆる「疑惑喰(く)い」とでもいうべき消費者のスタイルだ。基本的に芸能スキャンダルを好む心性と変わらない。 政府側の人たちは「権力者なので悪」、というような単純な善悪二元論で判断されやすい。これを経済学では「悪魔理論」という。 基本的には魔女狩りと変わらない。人はどんどん尽きることない「疑惑」を相手に投げかけていくのだ。視聴者の「疑惑」の量が多ければ多いほど、テレビなどはその話題性をさらに増幅していく。単純に視聴率稼ぎのためである。2018年10月7日、岡山理科大獣医学部の新設を巡る問題で、記者の質問を受ける学校法人「加計学園」の加計孝太郎理事長 ただし、以前よりも下火になってきたのか、今回の加計氏の記者会見を取り上げるワイドショーなどは、現時点では少数だろう。もっとも、これからまた煽り始めるかもしれないが、それを予測することはできない。懲りずに「疑惑商法」に便乗する野党 一方、新聞やネットニュースでは、「疑惑」の煽りが今も盛んである。相変わらず「(して)ないことを証明せよ」という悪魔の証明を求める論調も根強い。「悪魔はいない」という人たちにその非存在を証明することを求めているのだが、これは基本的に不可能である。 最大野党の立憲民主党も、相変わらず「疑惑商法」とでもいうべきものに懲りずに便乗している。同党の福山哲郎幹事長は、加計氏の記者会見を「より疑惑が深まった」として、関係者の国会招致を要求する構えのようだ。 この動きは2年近い間、繰り返されてきたのだが、その都度起こったのは、安倍政権への支持率の減少(不支持率の増加)とその後の回復である。それは、まるで景気循環のようだ。 さすがにこのワンパターンを繰り返していくと、世論は二つに分断されてくる。根拠もなく「疑惑」におぼれる人たちと、代替的な情報を手に入れて違う考えを抱く人たちだ。 要するに、社会はこの疑惑商法で分断されてきたのである。分断の責任は「悪魔の証明をせよ」と要求する側にあると思うが、「そうではない」とあくまで「疑惑が深まった」と主張する人たちは言うだろう。こうなると、まさに価値判断の闘争である。学校法人「加計学園」が運営する岡山理科大獣医学部=2018年10月、愛媛県今治市 さて、そもそも「加計学園問題」とはなんだろうか。まず、安倍首相の何らかの違法な関与の証拠は全くないので、その種の「疑惑」は論外である。 だが、問題はあった。それは「市場からの排除」の問題である。 経済学の基本では、政策によって暮らし向きが良くなった人が、暮らし向きが悪くなった人たちに補償して、それでもなお政策が実行される前よりも暮らし向きがいいのであれば、その政策は経済の資源配分を効率化する、という原則がある。この場合、実際に補償するかどうかは問題ではなく、あくまでも仮説的な推論のレベルで正しければいい。不合理すぎる「門前払い」 この概念を「効率化原則」と大阪大の八田達夫名誉教授(国家戦略特区ワーキンググループ座長)は名付けている。この「効率化原則」は、いくつかの制度的な環境の下で、市場システムが国民の厚生を向上させることを意味している。 例えば、獣医学部の新設によって、それまで排他的な利益を享受してきた、日本獣医師会や文部科学省といった業界団体は不利益を受けるかもしれない。他方で、獣医学部の新設によって、学生や新設地域の住民などが利益を得るかもしれない。つまり、後者の利益が前者の損失を上回ると予測できるならば、その改革を行うべきだ、という概念が「効率化原則」である。 だが、モリカケ問題で話題になっているのは、この経済学的な「効率化原則」が適用される以前の話である。マスコミの報道では鮮明に区別されず、曖昧に報道されているが、獣医学部新設の申請を認めることと、その後の学部新設の認可はまったく違うプロセスだということだ。 前者はいわば「門前払い」である。この門前払いのことを「市場からの排除」と呼ぶ。これは、子供や病人、高齢者といった極度の貧困に直面する人や市場で対価を得る手段のない人たちを救済することなく、経済的な取引(例:食料の購入など)から排除することと、経済学的には同じである。 加計学園だけではなく、獣医学部新設に名乗りを上げていた新潟市や京都市はこの「市場からの排除」の犠牲者といえる。この「市場からの排除」は、文科省の単なる告示で行われてきた。そして、文科省はこの告示を正当化する理由を、国家戦略特区諮問会議の場で示すことができなかったのである。2018年5月、衆院本会議で、学校法人「加計学園」問題を巡る野党議員の質問を聞く安倍首相 このような不合理で、また道義的にも問題のある「市場からの排除」を改善することは、われわれの自由を重んじる社会にとって極めて重要なことである。ただし、申請が認められても、学部設置が認可されるかどうかは、また別問題である。 この点に関しては、文科省の大学設置・学校法人審議会(設置審)で十分に審議されて認可されている。こちらの方への批判は全く聞かないが、その理由は単に「安倍下ろし」「安倍叩き」というこのモリカケ問題の本質的な事情によるものなのだろう。ちなみに、学部設置自体は、先ほどの「効率化原則」のストレートな適用による。 幸い、今のところ新学部は学生たちに喜ばれ、また地域にも貢献すると思われる。そのことはこのモリカケ「疑惑」の基本的な愚劣さを思うとき、唯一といっていい救いである。

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    基地依存から脱却「アベノミクスの逆説」が変えた沖縄の民意

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 米軍普天間飛行場から名護市辺野古への移設問題を主要な争点とした沖縄県知事選は、翁長雄志前知事の「遺志」を継ぐとした前衆議院議員の玉城デニー氏が、安倍政権の支援を強く受けた前宜野湾市長の佐喜真淳氏を打ち破った。知事選とはいえ、日本の安全保障政策を巡る問題が争点だけに、この玉城氏の勝利は、さまざまな形で国政に影響するというのが大方の見方のようである。 例えば、筆者のリベラル寄りの、何人かの知人は、これが安倍政権の「終わりの始まり」であるとして、今回の沖縄知事選における野党共闘の在り方が、来年の参院選においても安倍退陣の有効打になると考えている。もちろん、選挙は組織戦の側面も強いので、野党共闘が実現すれば、参院選でもかなり有効な戦略となるだろう。 だが、沖縄知事選では県民の意見を二分する形で、移設問題が主要論点となっていた。今の野党陣営に果たして、参院選において国論を二分する論点を提起する力はあるのだろうか。 野党第1党の立憲民主党の凋落(ちょうらく)ぶりはすさまじいものがある。各種世論調査でも、党の支持率低下に歯止めがかかっていない。この理由には、森友・加計学園問題などで「疑惑」だけあおり、まともな政策提起をしていないと多くの国民にみなされていることが主因としてあるのではないか。 立憲民主党の経済政策は、景気浮揚政策に消極的な一方、再分配政策に重点を置いたものである。再分配政策、つまり社会保障や教育、医療などの政策が重要なのは言うまでもない。 だが、過去の民主党政権の悲惨な実績をみればわかるように、景気浮揚を二の次にした再分配政策は、「コンクリートから人へ」どころか、人の価値を度外視した経済を低迷させ、雇用や生活を持続的に悪化させるだけの結果に終わった。 それでも、「旧民主党なるもの」には反省はない。最近でもこの旧民主党の一部であり、現在の野党第2党である国民民主党が、反金融緩和と財政緊縮という経済を低迷させる政策を打ち出していた。要するに、経済政策について、旧民主党なるものに反省が一切ないのである。来夏の参院選比例代表で立憲民主党が擁立を決めた漫才師のおしどりマコ氏=2018年9月 また原発問題、正確には「放射能デマ」の対処についても、特に立憲民主党はその潜在的な支持者を落胆させている。来年の参院選比例代表で、漫才師のおしどりマコ氏を擁立することを党の常任幹事会が決めたからだ。 このおしどりマコ氏の擁立は、少なくとも筆者はソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)やインターネット上の論説で、安倍政権の支持・不支持を超え、理性的な反対の声を多く見聞している。おしどりマコ氏は、東日本大震災以降、放射能の過剰な「被ばくデマ」とでもいうべきものに関与したと批判を受けている。「放射能の恐怖」をあおる人々 もちろん、本人は「デマ」とは思っていないだろう。だが、おしどりマコ氏が放射能の恐怖を過剰に喧伝(けんでん)したことは間違いないと筆者は思っている。立憲民主党などは「原発ゼロ基本法」を目指しているが、そのために放射能の恐怖をあおる戦略を採用したのかもしれない。 経済学者の多くは現状の原発の経済的コストが過大であるとし、その非効率性を指摘している。ただし、当面は電力不足が深刻化する状況であり、原発の稼働は安全基準を満たすならやむを得ないというのが主流だろう。しかし、実体のない「放射能の恐怖」で国民をあおるのであるならば、そのようなタイプの恐怖を中核とする反原発政策に未来はない。 一方で、安倍首相が総裁選中から強く打ち出した憲法改正はどうだろうか。これについては、野党に「取りあえず安倍首相の言っている改憲を批判する」というレベルでの「共闘」はできるかもしれない。 だが、改憲について、野党にも統一した主張も戦略もない。また、来年の参院選に国論を二分するほど、改憲そのものが政治的スケジュールに上がっているのか、現段階では不透明である。 要するに、沖縄知事選は確かに安倍政権に打撃を与えたが、それがそのまま国政レベルでの野党勢力の伸長につながるとはいえそうもないということだ。 このような野党のふがいなさはさておき、今回の沖縄知事選には筆者には無視できない「教訓」があると思う。それは「アベノミクスの逆説」とでもいうべき事態だ。 沖縄県の経済構造は、日本への復帰以降続いていた「基地依存」体質から改善している。しかも、2012年末今日にかけて県民総所得、つまり沖縄経済全体に占める観光所得のウエートが急上昇している。今では、沖縄経済に占める基地関連収入の割合が、せいぜい5%台なのに対し、観光はその3倍近くまで増加しているのである。 直近の経済指標を見ても実質成長率が高く、消費や投資、雇用も堅調に推移している。観光を中心に、県内の「民需」が堅調なために、地価も上昇し、これが担保価値を高めることで、県内への銀行の貸し出しの伸びも高い。2018年9月、新執行部が発足し、立憲民主党の枝野代表(左から2人目)と握手する国民民主党の玉木代表 勘のいい読者は当然お分かりだろうが、この沖縄経済の好調は、2012年終わりからのアベノミクスによる金融緩和政策、その一つの表れである円安によって観光収入が大きく改善したことにある。 沖縄県の入域観光客数は7月にストップするまで、2012年10月以降69カ月連続で前年同月比を上回った。国内からの観光客の増加もあるが、要因はやはり国外からの観光客の伸びが顕著なことにある。不十分だった安倍政権の「応援団」 いわば、沖縄経済が基地依存から脱却していく上で、アベノミクスが大きな貢献を果たしているのである。だが他方で、基地依存からの脱却を経済的にも強く意識した沖縄の人々の心理を、安倍政権はおそらく今回の選挙できちんと拾えていなかったと思われる。これが「アベノミクスの逆説」の意味だ。 ただ、沖縄経済は活況とはいえ、もちろん1人当たりの県民所得は全国最下位に変わりない。社会保障の面でも深刻な問題を抱えたままである。一例だが、子供の貧困率も、全国水準が16・3%に比べて、29・9%と極めて高い。 つまり、沖縄の人たちの生活は現状ではまだまだ改善すべきなのだ。その方策はアベノミクスのさらなる加速、すなわち民需中心の経済成長、そして貧困対策など再分配政策の拡充だ。 だがこの面で、今回の沖縄知事選では、佐喜真氏に対する安倍政権の「応援団」には不十分なものを感じた。佐喜真氏の経済政策面での公約は、県民所得を底上げし、そして教育の無償化や子育て支援、貧困対策も強調していた。その意味では、成長と再分配のバランスの取れた政策を提起していた。 佐喜真氏は、子ども食堂への公的援助をめぐる発言で、あたかも子供の貧困を軽視するかのようだとして批判を受けた。ここは反省すべき点もあっただろうが、基本的な経済政策面のバランスは趣旨としてはよかったように思える。 問題は、それを実現できるのは、国の経済政策の在り方に大きく依存しているということだ。ところが、菅義偉(よしひで)官房長官らが沖縄入りしたが、そこでは携帯電話料金の引き下げなど来年の消費増税対策の「目玉」と政権が妄信しているような主張が大きく報道されていた。それではダメだろう。 佐喜真氏の経済政策をバックアップするはずの国の政策観が、消費増税ありきなど緊縮政策にとらわれてしまっているのではないか。沖縄経済をさらに改善していく意欲が国に見られない、と県民に判断されたのかもしれない。それはさらにいえば、経済面での基地依存から脱却しつつある沖縄の人々の意識に、安倍政権がきちんと向きあっていなかったといえるかもしれない。2018年9月の沖縄県知事選、石垣市内で街頭演説を行う菅義偉官房長官 翁長知事の時代は、アベノミクスの成果を受けていた、沖縄経済の基地依存からの脱却が急激に進んだ過程でもある。沖縄の人々の翁長氏への根強い支持の背景には、この経済状況の好転も大きくあったのではないか。そして、翁長氏を政治的に継承することをうたった玉城氏に有権者の票が大きく流れた可能性がある。ここにも「アベノミクスの逆説」があるのではないか。 今回の沖縄知事選の教訓を、日本全体の経済政策に生かすとしたら、どんなことがいえるか。それはもっと現実の経済成長率を高め、それを安定化し、より積極的に貧困・教育などの再分配政策に力点を置くことであり、そして人々の対立する政治的価値観、安全保障観と政治家が面と向かうことだろう。

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    憲法改正はタブー、反安倍カルトよりヤバい「増税ハルマゲドン」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 2017年初頭から始まった、いわゆる「モリカケ問題(森友・加計学園問題)」で、安倍晋三首相夫妻に何か「汚職」めいたものがあることをにおわし、それをあおったマスコミの報道は、要するにこの政権の改憲志向を許容できない勢力の政治的な動きであったと思う。当面は、自民党総裁選や来年の参院選での安倍政権の終焉(しゅうえん)、百歩譲って首相の政治的求心力の低下を図るのが、この反安倍勢力の目指すところだろう。 取りあえず、総裁選は、安倍首相が3選を果たしたが、この総裁選を契機にして安倍政権のレームダック(死に体)化が始まるとする観測や、石破茂元幹事長の善戦をしきりに報道するメディアや識者が多い。それらは、実は総裁選前から仕込まれたネタでしかないだろう。つまり、「何が何でも反安倍」という価値判断から出てくるものでしかない。 こう書くと、反安倍系の人たちはすぐに「安倍擁護」「安倍御用」なる批判をするのであるが、筆者は、残念ながら安倍政権のマクロ経済政策の骨格に積極的評価を与えているだけである。政策ベースでの評価でしかないのに、それで「御用」と見なすならば、批判する側がカルト化しているだけだろう。 そんな良識もないままカルト化したり、そして特に確証もなくいまだにモリカケ問題の「疑惑」が解消されないと信じている世論が一部で存在している。反安倍系マスコミや識者の生み出した負の遺産は深刻である。 今回、筆者は安倍3選の報道を、少し空間的に距離を置いて台湾から見ていた。その台湾の蔡英文総統や米国のトランプ大統領らが、安倍3選にツイッターで積極的な賛辞を贈る中で、安倍政権に対する日本のメディアのゆがんだ報道にはやはりあきれ果てるしかなかった。2018年9月23日、ニューヨークでの夕食会を前にトランプ米大統領(右)の出迎えを受ける安倍首相(内閣広報室提供・共同) 総裁選前夜のテレビ朝日『報道ステーション』では、安倍政権への支持を占うには、党員票が55%を超えることが注目点であると、ジャーナリストの後藤謙次氏が発言していた。要するに、この55%を超えないと党員(世論の一部)と永田町(国会議員)の間に政治的意識の開きがあることになり、また石破氏の今後の政治生命にも関わるだろう、というのが報ステの伝え方であった。 ふたを開ければ、国会議員票は石破氏73票に対し、安倍首相332票と、首相の占有率は81・8%に上った。また、党員票は石破氏181票で、224票であった安倍首相の占有率は55・3%を占めた。この「党員票55%」というのは、安倍政権に批判的なマスコミや識者が設定した高めのハードルだったと思われる。 ところが、このハードルを安倍首相が超えても、日本のマスコミでは石破氏の善戦や、党員票獲得で首相側が苦戦したと伝えるものが多かった。客観的に見てもダブルスコアの得票差であり、まさに首相の地すべり的勝利と言っていい。改憲案に潜む「日本弱体化」 しかし、それを一切認めないのが日本のマスコミと、それに誘導されている世論の一部、特にテレビのワイドショーなどの影響を多く受ける人たちであろう。本当にあきれるばかりである。安倍政権を批判するならば、もう少し首尾一貫してほしいと思うのは筆者だけではないだろう。 さらに「安倍政権レームダック論」も根強い。これは総裁選前から筆者の周囲でも至るところで見かけた発言だ。それが、3選後にはマスコミでも積極的に取り上げられている。安倍政権への印象操作以外で「レームダック論」の真意を挙げるとすれば、やはり来年の参院選における与党敗北、そして憲法改正もできぬまま、安倍首相が退陣するというシナリオが前提になってのものだろう。本当に徹頭徹尾の世論操作である。 確かに、安倍首相が今回の総裁選で意欲を示していた憲法改正は、ハードルが極めて高い。演説で主張するのは簡単だが、まだどのような改憲案が憲法審査会に提出されるかさえも、はっきりしない。 安倍首相の演説だけを読み解くと、憲法9条に第3項を追加して自衛隊の存在を明記することと、教育の無償化がまず挙げられていた。しかし、自民党の改正草案には、財政規律の明示化など、筆者のような経済学者からしても無視することが到底できない条項が入っている。 これは財務省的な緊縮政策を志向する条項であり、防衛費も十分なインフラ整備や防災、教育支出さえも、この条項が入ることで大きな制約に直面するだろう。いわば「日本弱体化条項」である。このような経済関係でもトンデモ条項が入っているのだが、この草案をそのまま出すのか、それとも首相が総裁選で言及した項目だけなのか、それもまだ不透明だ。 さらに憲法改正には、憲法審査会による議決、国会での発議、そして国民投票が必要であり、これら一連の流れを考えても、やはり政治的ハードルが高い。具体的な動きも、早くて来年になる可能性が高い。 今までの反安倍マスコミのやり口では、憲法改正の議論を広く国民に訴えるよりも、何がなんでも言論封殺的な動きに出てもおかしくはない。その一端が、実はモリカケ問題であったはずだ。2018年9月、安倍首相が意欲を示す憲法改正を巡り、批判する立憲民主党の枝野代表 筆者は、憲法改正を政治の最優先課題にするには反対の立場である。だが他方で、国民が広く憲法改正を議論する意義はあると思ってもいる。当たり前だが、憲法改正が言論のタブーであっていいわけはない。しかし、それが長い間認められなかったのが日本のマスメディアの空間だった。 筆者は上記の通り、憲法改正を最優先する安倍政権の戦略は正しいものとは思えない。最優先すべきは、経済の安定と進歩である。これがなければ、どんなに憲法を変えてもわれわれの生活は貧しくなるだけである。 現状の日本経済を見れば、ようやくデフレ停滞の影響からほぼ脱した段階にある。これからが本当のリフレ過程になるのである。消費増税ハルマゲドン リフレ過程とは、バブル経済崩壊後の日本経済が失ってきた名目経済価値(代表的には名目国内総生産(GDP)の損失分)を回復するための動きを指す。具体的には、国民の一人ひとりの名目所得が、前年比4%以上拡大しなければならない。しかも、その期間は何十年にも及ぶものにしなくてはいけないのだ。 現状では、そのリフレ過程にまだいたっていない。金融緩和政策を主軸にし、積極財政政策でアシストすることで、このリフレ過程に乗せる必要がある。安定的にリフレ過程に乗せれば、マクロ経済政策の優先度は自然と後退していくだろう。だが、今の日本で政策優先度は第1位である。 そのためには、来年の消費増税について、事実上の凍結を狙うことが最優先であろう。だが、今のところ消費税凍結などの動きは、安倍政権には見られない。デフレ脱却完遂を目前にしながらの増税などという、緊縮政策への転換はどんな事態を引き起こすか、言うまでもないだろう。 ところで、最近「消費増税したら日本経済終焉=ハルマゲドン」という極端に悲観的なトンデモ論をよく目にする。この説がもし正しければ、税率を8%に引き上げた2014年4月で終焉していただろう。 もちろん、消費の大幅な落ち込みとその後の経済成長率の鈍化、インフレ目標達成の後退(金融政策の効果減退)が消費増税でもたらされたことは確かだ。しかし、この「消費増税したら日本経済終焉」論者たちは、その後も雇用改善が持続していることを無視しているか、「雇用改善は人口減少のおかげ」といったよくある別なトンデモ論を信奉しているだけである。 では、なぜ消費増税の悪影響が出ても、日本経済は「終焉」せずに、歩みが後退しながらも持続的に改善していったのか。その「謎」は、そもそも日本の長期停滞が日本銀行の金融政策の失敗によって引き起こされたことを踏まえていないからだ。 現状では、改善の余地は多分にありながらも、日銀の金融緩和は継続している。つまり、問題があるとはいえ、長期停滞脱出の必要条件を満たしている状況を、このハルマゲドン論者たちは見ていないのだろう。もちろん消費増税に筆者も全力で反対である。だが、それは消費増税を日本破滅のように信じている極端論者(それは事実上、金融政策を無視し財政政策中心主義に堕しているに等しい)とは一線を画すということもこの際、マイナーな論点だが注記したい。買い物客でにぎわう心斎橋筋商店街。2019年10月に予定される消費税率引き上げで、個人消費への影響が懸念される=2017年11月(門井聡撮影) では、消費増税をわれわれでは阻止することができないのか。そんなことはない。今の政治家やマスコミ、官庁もみなインターネット上の世論の動きを見ている。 例えば、官僚組織の一部では、識者のネット上の発言でリツイートの多いものを幹部で回覧しているという。彼らはネット世論を無視できないのだ。識者の発言へのリツイートや「いいね」をするコストなどないに等しいだろう。つまり、誰でも簡単に行うことができるレベルでも、国民が消費増税に抗する手段になるのである。

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    「池上彰MeToo炎上」専門家は使い捨て、テレビの軽さに潜むリスク

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) ジャーナリストの池上彰氏が司会を務める番組について、インターネットを中心に批判が相次いでいる。きっかけは、徳島文理大教授で評論家の八幡和郎氏によるフェイスブックでの投稿だ。 八幡氏は池上氏の番組制作スタッフから、八幡氏の意見を池上氏のものとして番組で利用したいという申し出があったことを明かした。八幡氏はその申し出を断ったという。この八幡発言をきっかけにして、ネット上で似た経験のある著名な識者たちが続出し、ユーチューバーで政治活動家のKAZUYA氏によれば「謎のMeToo(ミートゥー)運動」が発生した。 池上氏はメディアの取材に対し、「特定の先生が言ったことを自分の意見として言うことはありえない」と全面否定したという。 実は、筆者も2012年初頭、池上氏がメーンキャスターを務めた番組に関わったことがある。そのときの不満も、当時の筆者のツイッターに記録されている。いわば「プレ池上番組MeToo」といえる一人だ。 ただ、八幡氏や他の識者たちの経験とはかなり異なる。そのときの経緯をざっとまとめると、次のようになる。 番組では東日本大震災の復興需要や欧州の経済危機など、当時の経済問題が話題になった。特に復興需要関連のパートで、番組制作の助言者となった。ただし、筆者のクレジットを表記しないということは、制作スタッフから事前に告げられていた。2015年10月、著書『池上彰のそこが知りたい!ロシア』刊行イベントを行った池上彰氏 助言者を引き受けた筆者は、台本を事前に受け取り、それをチェックしていくのだが、残念なことにスタッフの経済に関する知識にひどい偏りがあった。これが大きな摩擦となった。そこで、スタッフと話し合いの機会を設け、筆者の不満をぶつけた上で、このままでは番組の助言者を降りるということを告げた。専門知は「使い捨てツール」 ただ、話し合いのおかげでスタッフとの考えの齟齬(そご)がかなり埋まり、筆者は番組への助言を続けることにした。結果として、復興需要関連で、緊縮財政批判や積極財政や金融緩和の話を番組の中に盛り込むことにつながった。 当時の日本は民主党政権の下で、アベノミクスの「ア」の字の可能性もなく、デフレは深まっていった。しかも、政策の関心といえば、復興増税、そして消費増税という緊縮政策ばかりだった。 この中で、リフレ的な主張を、人気のある池上氏の番組で放送できることは、筆者のクレジットや報酬を度外視しても最優先で行う必要があるように思えた。結果、放送された番組は、制作スタッフとの齟齬を乗り越えた、それなりにましな内容になったと思う。 ただ、後から考えても、この番組の制作スタッフの専門的な知識に対する軽い扱いは、後々も嫌な思いとして残った。筆者が強く主張しなければ、いったいどんな番組になってしまったのだろうか。 今回の池上番組MeToo運動においても、識者たちが自分たちの専門的知見を都合のいいように番組スタッフに利用されているという強い批判は、このときに筆者が感じた番組スタッフの「軽さ」につながるものだろう。 その後、筆者は扱いにくいと思われたのか、この番組とはそれっきりである。ただこの前後で、筆者と似た主張を持つ経済学者やエコノミストたちにも、別の放送内容について依頼がなされていたという。そして、そのたびに何か摩擦めいたことを起こしたとも聞く。さらにここが肝心だが、それ1回きりの付き合いが定番のようである。2016年7月、テレビ東京系「池上彰の参院選ライブ」に出演するジャーナリストの池上彰氏(中央)ら つまり、われわれ専門家はただの「使い捨てツール」でしかない。まさに、専門知を軽んじる態度である。 嘉悦大教授の高橋洋一氏は、池上氏の番組の問題について、専門家の知見を利用した旨のクレジットを入れることを提案している。それはある意味正しいだろう。クレジットじゃ済まないテレビの「実態」 ただ、以前、池上氏の番組とは別のワイドショーに出演したとき、事前の確認なくスタジオに流された映像資料に「田中秀臣氏による」というクレジットが出された。ところが、筆者はそんなことに全く関与していなかった。たまたまスタジオにいたので、その場で「僕が調べたのではなく、番組のスタッフが調べたもの」と急ぎ訂正したことがある。 これは恐ろしいことだな、と思った。自分の関与していないものにクレジットを付されて、それが広範囲に放送されてしまう。その場で訂正できたからいいようなものを、これができなかったらどんなことになっていただろうか。 だから、クレジットをつけることも一案だが、筆者のようなケースもあることは注意を促したい。つまりは、テレビの番組制作において、現場ベースではかなりずさんな実態があるのではないか。 例えば、今回の運動も、番組スタッフだけではなく、番組の中心である池上氏本人がスタッフや専門家とともに一緒に議論する時間を設けたら違う展開にもなるだろう。また助言を求める専門家を使い捨てのように毎回代えるのではなく、長期的な助言者として参画させるのも一案ではないか。 そんなに手間暇をかけられない、というのであれば、今回のようなMeToo運動に似た社会的問題が繰り返されるだろう。それが番組のリスクとして顕在化すれば、手間暇かけるコストなど問題にならなくなる可能性さえも出てくるのではないか。2013年6月、インタビューに応じるジャーナリストの池上彰氏 ちなみに、池上氏自身の経済観、特に日本銀行の金融政策の考え方については、批判すべき点もある。一例だが、彼の『改訂新版 日銀を知れば経済がわかる』(平凡社新書)には注文をつけたい、いや全力で批判したい箇所がかなりある。 例えば、日銀の出口政策のとらえ方を、国債暴落といったあまりにも安易なあおりに結び付けている点などだ。ただ、池上氏の番組と大きく異なるのは、本書にはきちんと主要参考文献が付されていることだ。つまり、クレジットが明記されているのである。 ただ、池上氏の他の膨大な書籍を検証することはできていない。だが、少なくとも池上氏の番組を批判することと、池上氏の考えとの関係をどう見るか、そこは慎重に区別し、その上で議論していく必要があるだろう。

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    石破茂さん、菅野完のインタビューまで受けてどうする

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 今の政治情勢では、自民党総裁はそのまま日本の総理大臣の椅子につながる。安倍晋三首相と石破茂元幹事長の一騎打ちとなった自民党総裁選は、そのまま日本の政治権力のトップを競うものとなる。自民党員だけではなく、国民の関心も高いものになるだろう。 経済や安全保障、外交、そして憲法改正など重要な問題で、両者は厳しく対立している。しかも、今夏の猛暑や台風、そして大地震など自然災害に、日本の政府がどう対応するのか、国民はこの点でも注目している。 ところで、この記事を書いている最中に、目にして極めて驚いたことが一つある。石破氏がジャーナリストの菅野完(たもつ)氏のインタビューを受けたことだ。インタビュー記事は「『激しい批判をする野党の後ろにも国民はいる』。総裁選出馬を決めた石破茂が語る国会・憲法・沖縄」と題し、ハーバー・ビジネス・オンラインに掲載されている。 筆者は自民党の党員ではないし、自民党を特に支持しているわけでもない。安倍首相が進めるリフレ政策を応援しているだけである。 それもあってか、石破氏が総裁選について誰のインタビューを受けようが、特に大して関心はない。だが、これはさすがにまずいのではないか、と心配してしまう。 なぜなら、菅野氏は『週刊現代』の記事で話題になり、ちょうど最近もハフィントンポストで報じられたように、米国で日本人女性への傷害罪で再逮捕状が出され、いまも有効なままだという。 菅野氏自身もこの事実は認めているようで、彼の米国からの出国について、ハフィントンポストでは「逃亡」と記述している。実際に「逃亡」なのかどうかは、法的な問題なので筆者にはわからない。2017年3月、森友学園問題に関して、報道陣に囲まれるジャーナリストの菅野完氏(宮崎瑞穂撮影) だが、一つ明白なのは、もし「罪を憎んで人を憎まず」ならば、罪の償いが優先される。菅野氏自身が罪を自ら償っていない今、彼のジャーナリストとしての活動は少なくとも距離を置いて見みなければいけないものではないか。 当然、石破氏もこの事実ぐらいは知っていたのではないだろうか。米国で女性への傷害で再逮捕状を出されていることを考えれば、少なくとも相手を選ぶケースであったと思う。率直にいって、石破氏とその側近の対応は、将来首相の座を担うものとしては疑問である。憲法も防衛も、土台は「経済力」 石破氏の憲法観や安全保障についての見解は、人それぞれの評価があるだろう。憲法第9条の改正点については、稲田朋美元防衛相がツイッターで簡潔にまとめている。 総理と石破先生の憲法9条改憲案の違いは、総理は2項維持で自衛隊明記。石破先生は2項削除して国防軍創設。総理案は集団的自衛権行使は限定的なままだが、自衛隊違憲論はなくなる。石破案では集団的自衛権行使は憲法上無制限になり、普通の軍隊になる。稲田氏の公式ツイッター 憲法改正は法制度の改変の問題だが、それだけではない。日本が将来にわたって国として社会として豊かで平和になることが重要である。その観点でいえば、憲法改正の違いだけ見るのは適切ではない。特にキーになるのは経済だ。 首相のスピーチライターである谷口智彦内閣官房参与が、近著『安倍晋三の真実』(悟空出版)で、安倍首相の考えについて次のように書いている。 強い経済がない限り、税収は増えません。税収が増えないと、自衛官、警官、消防士、それから教師の給料が増えません。もちろん、自衛隊の正面装備など充実できない。ですから、一に経済、二に経済、三、四がなくて、五に経済だとばかり安倍総理が経済のことを重視するのは、「あらゆることを試みて、日本を強くし、若い世代に引き継ぎたい」と言っていることと、ほぼ同義なのです。(中略)憲法だけ、防衛力だけ、考えているはずはありません。全部、繋がっている。その土台が、経済力なわけです。谷口智彦『安倍晋三の真実』192ページ この経済力を実現する具体策として、安倍首相のアベノミクスがあるのだろう。つまり、長期停滞に抗するための金融緩和、積極財政、そして成長戦略である。 もちろん実際には、金融緩和政策の効果が目覚ましく、雇用を中心に経済状況は安定化しつつある。だが、積極財政であったのはせいぜい初年度の2013年だけで、それ以降は消費増税などにより事実上の緊縮スタンスに転じている。 ただし、2回の消費増税延期は忘れてはいけないポイントだ。これは想像以上に政治的なハードルが高かったと思う。規制緩和を中心とした成長戦略は、加計学園問題の事例でもわかるが、既得権側の猛烈な抵抗などもあり、なかなか進まない分野である。総じていえば、合格点を与えることはできるが、さらに改善の余地がある。 他方で、そもそも石破氏は経済を根幹に据えて、憲法改正や防衛問題を考えているか不明である。彼の経済政策は基本的に緊縮政策的な色彩が強い。金融緩和政策には否定的な姿勢であり、財政政策についても消費増税を中心とした「財政再建」色が強い。成長戦略については口ではどうとでもいえるが、「石破四条件」ともいわれる規制緩和に抗する事案で名前が挙がるのは、不名誉なことではないか。2018年9月7日、自民党総裁選への立候補届け出を終え、記者団の質問に答える石破茂元幹事長(松本健吾撮影) 石破氏については、その反リフレ的な姿勢からついつい辛口な論評になってしまう。あたかも野党側しか重視しないような見出しをつけられてしまうインタビューを受けるなど、ガードも甘すぎる。 日本をよくしたい気持ちは石破氏も強いことだろう。ぜひ石破氏にはもう一度、日本の国民にとって何が大切なのか具体的な提言を出してほしい。その点を今後の総裁選の論戦でも期待している。

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    「支持率ゼロ」国民民主党がそっぽを向かれる理由はこれだった

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 国民民主党の代表選は、9月4日午後に投開票が行われ、玉木雄一郎共同代表が津村啓介元内閣府政務官を破って再選を果たした。テレビや新聞などでは、告示から今まで、それなりに話題になっていたようだ。 だが、告示後に行ったFNN・産経新聞の最新の世論調査によれば、同党の支持率は0・7%(前回より0・1ポイント減少)と「支持率0%政党」のままである。野党第1党の立憲民主党も低下傾向を続けているので、野党全体の低調が問題かもしれない。 それにしても、国民民主党の支持率の0%台は異様でもある。衆参両議員の数で総議員の1割を超えるのに、この低調ぶりである。その原因は、立憲民主党にも共通するが、やはり「民主党なるもの」を引きずっていることは間違いない。過去の民主党政権による経済政策や対外安全保障、震災・原発問題の対応に関して、国民の多数が民主党政権時代に暗いマイナスのイメージを抱いているのだろう。 民主党政権といえば、「コンクリートから人へ」に代表される経済観が挙げられる。これはより正確にいえば、経済成長よりも分配重視の政策であった。積極的な財政拡大や金融緩和政策により経済規模を安定的に拡大するのではなく、まずは公共事業の拡大などから社会保障などの拡充に振り向ける政策だった。 確かに社会保障の拡充は重要だ。だが、そのための前提となる経済成長に、民主党政権はまったく消極的だった。言葉ではどうとでもいえる。実際に採用した政策は、デフレを伴う経済停滞を脱却するための前提である金融緩和政策には完全に消極的だったし、財政政策には復興増税、消費増税を法案として通すことに躍起だった。 一例では、金融緩和政策については、当時の民主党政権に採用してもらうように、筆者も多くの人たちとともに「デフレ脱却国民会議」に参加して陳情活動などを行ったが、その声はまったく届かなかった。財政政策は、いわば財務省の主導する「財政再建」という美名の増税政策だったし、金融政策も当時の日本銀行の何もしないデフレを受容した政策が続けられたのである。2018年9月、国民民主党代表選の街頭演説会を行った玉木雄一郎共同代表(左)と津村啓介元内閣府政務官(酒巻俊介撮影) そして民主党がリードし、自公も巻き込んだ消費増税法案は、今も日本経済の先行きに暗くのしかかっていて、「民主党的なるもの」の呪縛をわれわれは脱却しきれていない。 今回の代表選に候補した2人、玉木氏と津村氏はそれぞれ元財務省と元日銀の出身である。いわば民主党政権時代の経済停滞を生み出した「二大元凶」の出身者である。 帰属していた省庁や組織の考えがそのまま本人たちに表れるとは思わない。だが、日銀出身の津村氏は、アベノミクス以前の日銀の政策思想そのものに見える。2人とも逃れられない「あしき呪縛」 彼の政策提言では、「インフレ目標2%とマイナス金利の取り下げ」「民主党政権後期の『税と社会保障の一体化』のバージョンアップ」「消費税軽減税率の導入反対」がマクロ経済政策において強調されている。つまり、金融緩和政策には反対だというのがその趣旨であろう。そして消費増税については、民主党政権時代のバージョンアップとあり、具体的なことは書いていないが、さらなる消費増税の提言もありえるかもしれない。 財務省出身の玉木氏もやはり財務省的である。かつての小泉純一郎政権による構造改革と似ているが、構造問題を強調し、特に人口減少が問題だと指摘している。 ちなみに、人口減少であってもそれは長期間に生じる現象であり、いきなり社会の購買力が減少して不況に陥るわけではない。人口がゆるやかに減少しても、社会的な購買力が順調に伸びていけば不況は生じないからだ。 だが、玉木氏はそう考えないようだ。「コドモミクス」と称して、子育て支援政策を打ち出している。その趣旨はいい。しかし民主党政権と同じように、財政拡大ではなく、既存の財政規模の中から分配の仕方を変更しようという意図がみられる。 政府の海外援助や消費税の複数税率を取りやめて1兆円を捻出するという発想がそれである。ちなみに消費税の複数税率とは、10%引き上げ時点での軽減税率のことを指すのだろう。つまりは消費税10%引き上げを前提にしているのである。 この点は津村氏と大差ない。実際に、両者は消費税10%への引き上げを予定通り実施すべきだ、と記者会見で発言している。 また玉木氏は「こども国債」の発行での財源調達を主張している。もし、新規国債を発行する形で財政規模を拡大すれば、現状の日銀における金融政策のスタンスからいえば、それは金融緩和として自然に効果を現す。もしそのような形で「こども国債」を利用するならば筆者は賛成である。だが、玉木氏には現状の金融政策についての積極的な評価も、それに代わるような金融政策についての具体的な見通しもない。際立つのは、消費増税や財源調達でのゼロサム的発想である。 要するに、代表候補の彼らは現状の雇用改善などを実現した金融緩和政策に、消極的ないし否定的である。そして財政政策のスタンスも、増税志向で緊縮スタンスが鮮明だったのである。すなわち、津村氏が勝っても、経済政策の方針に変わりはなかっただろう。まさに「民主党政権なるもの」の正しい継承者である。 だが、国民民主党の経済政策を批判しても、問題が終わるわけではもちろんない。今回、支持率0%台の政党の代表選を取り上げたのは、この代表選を戦った2人の候補に、まさに日本を長期停滞に陥れてきた経済政策の見方が典型的に出ているからである。2018年7月、国民民主党本部が入るビルの屋上に新たに設置された党名看板(春名中撮影) 一つは、金融緩和政策への否定的態度、もう一つは構造問題などを理由にした財政再建的な発想(消費増税、ゼロサム的発想など)である。この二つの考え方は、与野党問わず広範囲に存在する「悪しき呪縛」だ。 国民民主党に意義があるとしたら、日本経済をダメにしてきた悪しき呪縛を最もよく体現する政党である、ということだろう。支持率0%台は、その意味で日本国民の良識の判断であるかもしれない。世論調査には懐疑的な筆者だが、この結果だけは納得してしまうのである。

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    首相3選は確実でも「アベノミクス殺し」日銀の刺客が黙ってない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 安倍晋三首相が鹿児島県で自民党総裁選への立候補を表明した。すでに出馬表明した石破茂元幹事長との一騎打ちの公算が大きい。 安倍首相は総裁選での3選を決めた後に、憲法改正を具体的な視野に入れる政治的スケジュールを組むといわれている。最新の世論調査では、「正直、公正」をキャッチフレーズにした石破氏を、首相が支持率で上回っていると報じられている。私見だが、石破氏のあまりにも道徳の説教めいた、そして具体的な政策の見えない発言が、当初あった彼の支持率を減少させてしまったのではないだろうか。 現在のところ、勝利の確率は、安倍首相の方がはるかに高いだろう。一方、石破氏に対しては、朝日新聞だけでなく、なぜか野党勢力までもが、熱心に推しているようだ。だが、印象論ではあるが、石破氏の保守層での人気が急速に冷めているように感じる。 いずれにせよ、「石破応援団」が野党や反安倍的な報道を繰り返した朝日新聞などであれば、彼らが声援を送れば送るほど、石破氏には不利に働くのは素人でも分かる。ひょっとしたら、反安倍陣営こそが熱烈な「安倍3選応援団」かもしれない。 ところで、安倍首相が仮に3選されたとして、その後の見通しはそれほど明るくはない。むしろ、次の点を考えると、日本の経済に暗雲が待ち構えている。その暗雲こそ、安倍首相が3選されれば避けては通れない問題である。 その問題とは日本銀行に関することだ。日銀の政策がまったくふ抜けになっていて、その主因は雨宮正佳(あまみやまさよし)副総裁を中心とした「反アベノミクス」勢力が日銀内部で力を得てきていることである。 黒田東彦(はるひこ)総裁と安倍首相の間には、一定の信頼関係が構築されている。だが、現在の日銀の政策決定の動向を見ていると、アベノミクスの「第1の矢」とは違う方向に政策が傾斜していることは明白だ。例えば、最近の金融政策決定会合の内容と、会合に参加する政策委員会の審議委員の対応を見れば、「雨宮一派」が日銀の中で勢力を増しているのは、ほぼ確かだろう。2018年8月、自民党総裁選への出馬表明後、鹿児島市内での演説会を終えて森山国対委員長と握手する安倍晋三首相(奥清博撮影) 7月31日に開かれた政策決定会合では、「政策金利のフォワードガイダンス(将来の指針)」、「長期金利が上下にある程度変動しうるもの」を決めた点に大きな特徴がある。そしてこれらが、私見ではアベノミクスの目標であるデフレ脱却と日本経済の再生にむしろ逆行しかねないものだと思う。 前者については、正直、何が言いたいのか分からない。おそらく自分たち(雨宮なるもの)が勝手に経済状況に応じて「デフレから脱却していようがしていまいが政策金利を操作します」という宣言ではないだろうか。日銀官僚の「悪しき裁量」 後者の政策だが、長期金利を不明瞭な範囲で上下動することは、まさに市場にも不明瞭なシグナルを発することになる。一般的に、長期金利を引き下げることには、経済を刺激する効果がある。経済を刺激することができれば、それだけ日銀の掲げるインフレ目標の実現を果たしやすくなる。 だが、長期金利でこれまた官僚的な案配とでも言うべきものが生まれてしまうと、市場の予想は揺らいでしまうだろう。官僚が自分たちの都合で長期金利の案配をいかようにも決める、という「悪しき裁量」に見えるからである。 総じて、これらの政策は、経済への刺激策を強化するためではない。むしろ日銀官僚が、デフレ脱却に向けた政府との協調を、自分たちの都合でいかようにも修正することができる「あいまいな余地」を確保するためのものに思える。言ってみれば、経済などどうでもよく、自分たちの官僚的都合を優先した結果である。 現在、審議委員の構成を見ると、筆者と同じ立場は、若田部昌澄(まさずみ)副総裁、原田泰委員、片岡剛士委員である。これに、定見はなさそうなのだが、桜井真委員がいわゆるリフレ政策(積極的な金融緩和政策)に多少理解がありそうである。 7月の決定会合で出された二つの政策については、原田委員と片岡委員が反対している。筆者は、片岡委員が就任以来、経済動向と日銀のインフレ目標達成に深い懸念を表明し、政策決定会合で反対票を投じ続けていることに賛同している。 反対票を続けることは、官僚的組織の中ではストレスの多いことだろう。まさに国を憂う信条なくしては継続できないのである。 また今回、原田委員も反対票を投じた。その理由は筆者とほぼ同じ趣旨だろう。つまり「インフレ目標の実現との関係が意味不明」なのだ。繰り返すが、今回の決定で新たに加わった2点は、日銀官僚が政府との協調の意味を勝手に解釈する余地を生み出す「官僚文学」でしかない。2018年3月、日銀副総裁に就任し記者会見する雨宮正佳氏(左)と若田部昌澄氏 日銀執行部、つまり正副総裁の間では激論があったと予想される。なぜなら、若田部副総裁は筆者とまったく同じ考えを持っているからである。 そう考えると、他の「何もしない委員」たちが今回の会合で提案された政策をリードしたとは考えにくい。残されたのは、黒田総裁と雨宮副総裁である。提案は執行部から出てくるので、その意味でも主導したのは黒田-雨宮ラインであろう。「二大権威」の本性 雨宮副総裁が理事から昇格したことで、より政策決定に悪しき影響力を持ったと考えることは無理な解釈ではない。要するに、雨宮副総裁はアベノミクスを殺す方向性を持った政策決定の主導権を握っていそうである。 おそらく、表向きではデフレの完全脱却や、政府との協調を演出する発言を弄(ろう)するだろう。そして、安倍首相も現段階では疑問を持っていないようだ。雨宮副総裁、その忠実な代弁者に堕した黒田総裁によってアベノミクスが抹殺されるという危機を抱いてないのかもしれない。 首相のスピーチライターの谷口智彦内閣官房参与は、著書『安倍晋三の真実』の中で、首相の特性について次のように書いている。 してみると、アベノミクスの生まれ出るプロセスとは、徹頭徹尾政治家としての安倍さんらしいものだったと言えそうです。判断の尺度は、『人』に関する見極めにあったわけです。権威と称する『人』の話に耳を傾けながら、信用していいのか相手の人格まで評価に組み込みつつ、判断していった。その中で、日銀、財務省の二大権威が言うことを、そのまま鵜呑みにしてはいけないという強い認識を育てていったのでしょう。谷口智彦『安倍晋三の真実』(悟空出版) そして谷口氏は、安倍首相は、日銀がデフレ脱却の責任を取らない本性を見抜いていたと指摘している。もし、谷口氏の評価が正しければ、安倍首相は、黒田総裁の後ろで権威を高めつつある「雨宮的日銀」の無責任な官僚たちの姿を見抜くべきである。 しかも、雨宮的日銀は、増税志向の財務省や、「ポスト安倍」のさらに次を狙う若い政治家たちとも連携している可能性がある。消費増税を実行すれば、金融政策の効果は大きくそがれる。 その効果を、今の雨宮的日銀が「今の金融緩和政策が限界である」と都合よく解釈する可能性がある。それが今回の官僚文学的な政策決定の持つ方向性でもある。つまり、消費増税による財政面での「アベノミクス殺し」のついでに、金融政策も抹殺しようとしているのではないか。2018年7月、金融政策決定会合後に記者会見する日銀の黒田東彦総裁(宮川浩和撮影) 安倍首相が3選しても、雨宮的日銀が刺客として、その政治的レームダック化を狙うかもしれない。首相はだまされてはいけない。 これは真剣な提言だが、安倍首相はぜひ日銀内のリフレ派を外野から後押ししてほしい。具体的な方策はお任せしたいが、首相の「応援」があるだけで、雨宮的日銀の官僚には大きな脅威になるはずだ。そして、安倍政権の基盤強化につながることは間違いないからである。

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    雇用よりも財閥、文在寅の失政で現実味を増す「韓国消滅論」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の支持率が急落した。韓国の世論調査会社「リアルメーター」の発表によれば、6月には70%台だった支持率が、7月では約56%に大きく減少した。韓国メディアは、この支持率の大きな落ち込みが、文大統領の経済政策への評価と、側近の関係する政治スキャンダルが作用していると報じている。 文政権の経済政策は、日本でいえば民主党政権や、その流れをくむ立憲民主党の政策に類似している。その特徴は、経済全体の拡大よりも再分配政策を重視するスタンスだ。簡単に言うと、ケーキの大きさは変わらないものとみなし、ケーキをどんな人たちに分けるかに関心を向ける政策である。 文政権は雇用重視を唱えて、最低賃金の引き上げや残業時間の短縮などの政策を打ち出していた。つまり、働く場で弱い立場にある人たちにより多くの恩恵を与える政策を主軸にしていた。この政策の裏は、朴槿恵(パク・クネ)前政権が倒れた背景に、若年層を中心にした不安定な経済状況を抱えた人たちを核とした社会的不満があることを、意識してのものだったろう。 だが、文政権の雇用政策は破綻したのではないか、という点について、韓国でも激しい議論が生じているようだ。批判する側の論理は簡単で、最低賃金の引き上げや残業時間の短縮によって、経営側の実質的なコストが膨大なものになってしまった。そのため新たに人を雇うことを抑制してしまう。 このときに最も割を食うのが、韓国の若年層である。若年層の失業率は、前年同月比で9・3%と高止まりしたままだ。なお全体の失業率は3・7%で、前年同月比では0・3%悪化した。失業率は先々月、4%に上昇した後に減少したように思えるが、それは悪い「減少」である。 韓国での就業者(実際に働く場所を得た人)の状況は、あのリーマンショック並みに悪化している。つまり、失業率の見かけの「減少」は、単に景気が悪くなり、働き場所が見つからないために働くことを断念した人たちが増えたために生じているのである。実際労働力人口(労働する意思と能力をもつ人)は前月より減少し、同時に就業者数も減っている。2018年8月、休暇先で読書する韓国の文在寅大統領(韓国大統領府提供・共同) もちろん文政権の雇用政策が失敗している可能性があるが、核心は今の韓国国内で続く経済政策論争から見落とされている部分にある。最低賃金の引き上げなどは副次的な意味でしかない。真因は文政権のマクロ経済政策の失敗にある。特に、金融政策に失敗したことである。 韓国の中央銀行はインフレ目標を採用しているが、消費者物価上昇率の目標値は2%である。現状は前年同月比で1・5%だが、確かに朴政権時代の実質的なデフレ状態に比べれば、かなり改善しているのは事実であると言えよう。文政権は「実質デフレ」 だが、それでも金融政策の緩和基調は極めて抑制されており、それが経済全体の拡大も抑えている。実際に、韓国銀行の政策金利は据え置かれたままである。 韓国は朴政権から今の文政権にかけて、それ以前まで採用していた高めのインフレ目標をやめている。その背景には、韓国の資産・負債の構造がある。 対外債務残高が前政権時代から現在にかけて増加基調にあり、現時点では約4千億ドルに膨らんでいる。この対外債務の実質額が拡大することを、政府と中央銀行が恐れているために、より一層の緩和といった経済刺激策が採れないというのが、もっともらしい言い訳のようである。 だが、実際には類似した資産・負債構造であっても、朴政権以前は、リーマンショック以後と比べて、今より高いインフレ率と失業率の低下傾向(就業者の増加傾向)が「同居」していた。ちなみに、2012年まではインフレ目標の中央値は3%であり、上限は4%(下限は2%)だった。 13年以降の2%への引き下げによって急激に低インフレ化し、むしろ実質デフレ経済に陥っているのである。見方を変えれば、物価抑制という目標に絞れば、金融政策は「成功」しているのかもしれない。 つまり、政府と中央銀行は、韓国の大企業の対外債実質増を警戒しすぎて、それによって雇用を犠牲にしているのである。その大きなしわ寄せの象徴が、若年雇用の悲惨な実態というわけだ。 どの国の中央銀行の金融政策も、インフレ目標はあくまでも中間的なものでしかない。日本ももちろんそうである。あくまで、インフレ目標の実現を通じて、雇用全体の改善や経済の安定化を目指すことが、各国中央銀行の政策目標なのである。2018年7月、インド・ニューデリー近郊のサムスン電子の新工場竣工式に出席した韓国の文在寅大統領(右端)、同社の李在鎔副会長(左端)ら(聯合=共同) その意味では、韓国政府と韓国銀行は金融政策の目的を、銀行や大企業に対してあまりにも「忖度(そんたく)」しすぎて、その半面、肝心要の雇用を犠牲にしていることになる。経済・雇用の全体的な状況が改善しないままに、最低賃金の引き上げなどが行われれば、どうなるだろうか。 冒頭の例に戻ろう。韓国の金融政策が緩和基調ではないために、むしろ雇用を全体として縮小させてしまっている。つまり、ケーキの大きさが前よりも小さくなっているわけだ。そのとき、ケーキの切り分けを変えることをしたらどうなるか。きっと最も力の強い人たちに、より多くのケーキが配られるだろう。韓国経済の「不幸」 つまり、小さくなったケーキでも、すでに働いている正社員たちに、より多くの配分が与えられるのである。他方で、非正規社員や新卒の人たちは割を食う。最低賃金の引き上げはこの状況をさらに悪化させているのである。 日本では、アベノミクスの採用以降、雇用が増加し、最低賃金も6年連続で引き上げられた。これはケーキの拡大の中で、最低賃金の引き上げが若年層などの雇用を悪化することなく行われたことを意味している。つまり、ケーキの配分の変更をスムーズにするには、ケーキの拡大が必要だということだ。これを誤ると、若年雇用だけが悪化してしまう。 わが国でも過去の民主党政権や現在の立憲民主党は、ケーキの拡大に極めて消極的であると同時に、ケーキの配分には積極的である。その帰結がどうなるか、民主党政権での経験が端的に表現している。だが、まだこれだけの雇用改善を前にしても「アベノミクスは失敗で、民主党政権の方がよかった」というトンデモ意見が絶えないのである。その人たちには現在の韓国の状況を理解することはできないだろう。 ところで、韓国の経済政策論争を見てみると、最低賃金引き上げや残業時間規制などの是非ばかりに目が行っていて、日本的なアベノミクス、つまり金融政策による雇用最大化を主張する意見は皆無である。米エール大の浜田宏一名誉教授が韓国銀行でスピーチしたとき、出席者すべてが金融緩和政策による雇用創出、つまりリフレ政策に否定的だったという。 私の経験でも、韓国の三大ネットワークのテレビ番組に出演したときに、リフレ政策(アベノミクスによる金融緩和政策)を主張したのだが、同じ主張をする韓国側の出演者は皆無だった。韓国には日本でいうリフレ政策を唱える人がいないとしか思えない。政策のアイデアを助言する人が韓国にいなければ、そもそもその政策が採用される可能性も低い。そこに韓国経済の不幸を見いだすことができる。 しかも、事はさらに深刻である。韓国の若年失業率の高止まりが続くことで、すでに若年から中年に移行した人たちの経済状況が低迷している。非正規雇用の割合も極めて高く、その人たちの所得水準は不安定である。観光客の若者が多く訪れる青瓦台=2017年5月、韓国・ソウル(川口良介撮影) この韓国の30代の未婚率は日本をかなり上回る。この事態を放っておけば、未婚率が経済的な要因でさらに上昇していくだろう。韓国でも未婚率と合計特殊出生率はかなり強い関係にある。つまり、金融政策の失敗が、将来的な韓国の大幅な人口減と高齢者の割合の急増をもたらす可能性がある。 しかも、そのスピードは日本よりも早い。韓国が「消滅」するかどうか、その方が巷(ちまた)でよく目にする「韓国崩壊」論よりもよほど深刻な事態である。

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    石破茂もワイドショーの餌になる? 総裁選が不毛な理由を私が書く

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 自民党の石破茂元幹事長が9月の総裁選への立候補を表明した。今の政治情勢では、自民党総裁がそのまま日本の総理大臣になるだろうから、筆者も含めて、総裁選の動向からやはり目が離せない。 もちろん、現状で石破氏が勝利する確率はそれほど高くはない。地方票で圧勝するような展開でもないと、国会議員票の劣勢を覆すことは難しいだろう。だが、それでも石破氏の政治的意欲は強く、立候補表明以降、積極的にメディアで発言を繰り返している。 ところで、その政治的な意欲は果たして中身を伴ったものかというと、話は別である。石破氏の総裁選特設ホームページや、7月に出版した『政策至上主義』(新潮新書)、さらに立候補以後のインタビューなどを読んだ限りで言えば、筆者の主な関心である経済問題に絞っても、具体性に欠け、ペラペラな印象を強く抱かせる主張しか読み取ることができない。 特に石破氏が、ワイドショー向きと形容したくなる印象論を、そのまま売りにしていることが目立つ。なんといっても、一番の売りが「正直で公正な政治」を目指すことだそうである。 TBSの番組に出たときも、石破氏は政府が嘘をつかない、信頼回復を目指すという点を強調していた。もちろん、このような道徳の教科書のような発言を繰り返しているのは、森友・加計学園での国民の「疑惑」を受けてのものだろう。 筆者は、以前から森友・加計学園問題に関して、安倍晋三首相や昭恵夫人には全く責任がない、と主張し続けている。つまり、政治家やマスコミ、識者たちといった反安倍的な勢力が生み出した「冤罪(えんざい)」に似たものだと思っている。いわば、現代版「魔女狩り」である。2018年8月、自民党総裁選への立候補を正式表明する石破元幹事長 テレビ報道は、善悪の二元論を採用して、視聴者に分かりやすい構図を作る。それが最も視聴者の受けがいいからだ。その二元論では、政府は常に悪の化身であり、悪の化身の代表として安倍首相が位置づけられている。 これは実にワイドショー的で、善悪はっきりした構図として採用しやすい。筆者はこのようなワイドショー的報道と、それに伴う森友・加計学園問題の異常な騒ぎに対し、1年以上批判を繰り返してきた。まさに悪い意味での大衆迎合主義の極致である。石破氏のアベノミクス批判は野党的? 確かに、ワイドショーが大衆に迎合するのは、視聴率などを考えれば、ある程度は仕方がないかもしれない。しかし、一国の重責を担う総理大臣になる資格を得るだろう自民党総裁にふさわしいだろうか。 答えは書くまでもなく、ノーだろう。そんな悪い意味での大衆迎合にくみするのであれば、政治家としての見識を疑ってしまう。ただ、それで説得される国民も多そうなので、むしろ、国民の側の見識こそ問われるのかもしれない。 それでは、石破氏の経済政策について見ておきたい。金融政策については、すでに別の論説でも厳しく批判したが、石破氏はアベノミクス、特に金融緩和政策について否定的な見解である。 アベノミクスは円安や株価の上昇で企業業績を改善したが、企業の売り上げも人々の所得(実質賃金)も増加していない、と石破氏は批判している。さらに、現状の雇用改善が、高齢化を反映した構造的な人手不足の結果生じたものであり、アベノミクスの成果とはいえない、というものだ。 なんだか、与党議員の発言というよりも、野党側からしばしば聞くアベノミクス批判に似ている。まず、高齢者の退職などで人手が不足しているという見解は、単に雇用の実態を理解していない誤解である。 高齢者の退職などによる生産年齢人口の減少は、安倍政権以前から続いている。むしろ、働き場がなく就職を諦めることで、かえって失業率が低下するという、地獄のような現象があった。2018年4月、漫画「ドラゴンボール」に登場するキャラクター「魔人ブウ」に扮した自民党の石破茂元幹事長(鳥取マガジン提供) だが、アベノミクス採用以後は、就職を諦めていた人たちが働ける場所を見つけることが可能となり、多くの若者や「失われた世代」と言われた人たちが、新たに正規雇用などに転換できている。 残念ながら、このような認識を石破氏は持っていない。まさに生活の基礎である働く場に対する認識がないのだろう。 ちなみに経済全体の売上高は大きく増加しているし、また(名目・実質)賃金の上昇トレンドも明瞭になってきている。ちなみに、先ほどのように、働き場がなく就職を断念する人が多く、失業率「低下」も見られる中で、実質賃金が上昇することがある。これは単にデフレを伴う不況のときに見られる現象である。つまり、実質賃金の上昇を重視する見解は、経済の実態を無視する傾向が強く、偏った見解になりがちである。「人生100年リスク」で消費伸びず? ところで、石破氏の財政政策や社会保障に関する見解も、問題にすべき点がある。その象徴が消費増税を巡る立場である。まず、消費が現状で伸びていないという石破氏の指摘は、2014年4月に税率が8%に拡大した消費増税の影響により、急激な落ち込みからいまだ回復していないからだ。消費増税は、恒常的な影響を消費に及ぼしているのである。 ちなみに、消費増税直前の13年、個人消費は極めて高い水準で上昇していた。だが、石破氏は近著で「消費が伸びないのは、『人生100年リスク』のせいだ」と指摘している。つまり、社会保障が充実していないせいで将来不安を抱えるから、消費が伸びないというのだ。 実はこの理屈、消費増税をしたい人たちに共通している。では、果たして14年の増税後に将来不安が解消して、消費が回復しただろうか。その点への石破氏の反省が見られない。 それどころか、「反省」を違った側面に求めているようだ。石破氏によれば「税と社会保障の一体改革」に問題があったという。一つは、消費増税がもたらす政治的リスクであり、もう一つは社会保障給付が多様なものかどうかを巡るものである。 ただ、後者の多様性に欠けるかどうかの具体的な議論を、石破氏が主張しているようには思えない。実際に、石破氏は近著で国民にその選択を任せている。しかし、それでは政治的リーダーシップというものを、石破氏はどう考えているのだろうか。 自分よりも国民の方が賢明な選択をするというのならば、それは一つの見識かもしれない。だが、消費増税が政権交代などの政治的リスクをもたらすという点だけを問題視するのはどんなものだろうか。 むしろ、消費増税の問題というのは、低所得者層がさらに苦しい生活を強いられる可能性、さらには経済全体の不安定化に原因があるだろう。石破氏が、本当に国民1人当たりの国内総生産(GDP)の改善を目指すのであれば、まずは消費増税の凍結か減税を行って、経済を安定化することが最優先ではないだろうか。2018年03月、衆院本会議に臨む自民党の石破茂元幹事長(右)と小泉進次郎筆頭副幹事長(斎藤良雄撮影) だが、そのような発想は石破氏にはない。公平に言えば、安倍首相も、来年の消費増税についてはそのような立場を採用してはいない。 両者の違いといえば、今のところ消費増税と金融緩和政策の効果ぐらいだろう。安倍首相は過去に消費増税を1回実施し、2回先送りし、石破氏は今書いたように増税派が好む「将来不安解消論」を採用している。国民の暮らしが本当の論点にならない 金融緩和政策の効果に関しても、安倍首相は積極推進派だが、石破氏は、緩和政策が国民の生活を改善するものとは見なしていない。要するに、金融緩和に否定的、そして政治リスクには注目するが経済的リスクを軽視している点で、緊縮政策側の「住人」であると言っていい。 ただ、石破氏には、積極的な財政政策を唱えているように見える点もある。財政政策はいたずらに拡大するのではなく、有意義なものをつくるべきだ、という主張だ。 だが、それは具体性を著しく欠けたものに映る。むしろ、今まで政府支出全体を削減(当然それは現在の経済状況を不安定化させる)してきた構造改革主義的な理屈に近い響きを持つ。いずれにせよ、具体像が少しも見えないのである。 こうして石破氏の主張を検証していると、ペラペラの中身にややげんなりしてきた。金融緩和を積極的に唱え、また財政政策も新しい提案を積極的に行っている金子洋一前参院議員の方がはるかに充実している。では、最後に金子氏の財政政策の具体的な提案を見ておこう。 もちろん金子氏は消費増税に反対である。その上で、積極的な財政政策として英労働党の政策である「公的ファンド」方式を採用して次のような主張を行っている。 総額50兆円以上のファンドを創設。教育・子育ての無償化をはじめ、次世代エネルギー開発、現状でも混雑・不足しているインフラ整備を大胆拡充するなど、わが国経済の将来の成長を促すための投資ともいうべき政府支出を増やします。教育や長期的な基礎研究、技術革新を促すといったことは、長い目で見れば必要なことですが、短期的に採算が合わないため民間にはリスクが大きすぎます。民間がやれないからこそ政府の出番です。 このファンドは現在の歴史的な低金利を利用し、超長期国債を原資の中心とした国債の追加発行でまかないます。『デフレ脱却戦記2 日銀貴族を討て!編』 今の日本経済の状況に応える素晴らしい提案だろう。正直かつ公平にいえば、石破氏にはこのような具体的なビジョンはない。また、安倍首相にも今のところ、そのような積極的な財政政策の姿勢は見られない。2016年6月、閣議に臨む安倍晋三首相(左)と石破茂地方創生担当相(斎藤良雄撮影) このままでは、単なるワイドショー的な「印象報道」の餌でしかなくなるだろう。経済、国民の暮らしが本当の論点にならないのである。ここに事実上の総理大臣の選択である、自民党総裁選の不毛さが現れているのである。

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    「中国五千年のウソ政治」石平氏の視点は実にユニークである

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 評論家、石平氏の最新作『中国五千年の虚言史』(徳間書店)は、現代中国の政治状況に対する痛烈な批判の書になっている。何より、本書の題名からして一つの「ウソ」が込められている。 そもそも、中華の地は歴代さまざまな異民族支配を受けてきた歴史があり、また王朝や支配者の交代を繰り返してきたわけで、一貫した体制が維持されてきたわけではないのである。つまり、しばしば呼称される「中国五千年」自体が一つの大きなウソなのである。これを書名にした石平氏と出版社の、皮肉というか批判精神は本書を最初から最後まで通底している。 本書は「永久独裁」を目指している習近平国家主席とその政権に常に批判的である。それは中国だけではなく、「中国的なもの」が次第にまん延してきている、日本を含む世界の状況への批判にもなっているのである。 本書では中国最初の統一王朝となった秦(しん)から現代までの、権力者たちの何度となく繰り返されるウソと大ウソ、それによる権力の簒奪と堕落、そして交代というワンパターンが鮮烈な筆致で描かれている。 例えば、数千万人が飢え死にしたといわれる毛沢東による「大躍進政策」のエピソードを見てみよう。当時の地方政府の役人たちによるウソのつきぶりは全く笑えない。 毛沢東の独裁者ならではの無謀な要求を、自分たちの評価を高めようと実際よりもコメの収穫量をけた外れに申告する。そして法外な収穫量が明らかに疑わしいにもかかわらず、政治的な保身や打算により、当時の専門家やメディアはこぞって、このウソを全国民に喧伝(けんでん)していった。 こうして、コメは過大な収穫量に応じて、中央政府に税として徴収され、その結果、猛烈な飢餓が実現してしまったのである。これは自然災害ではなく、まさに政治のウソが招いた人災である。 アジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・センは、このような飢饉(ききん)を「権原」によるものであると指摘した。つまり、実際には豊富な食糧があるにもかかわらず、国民の大多数はその食糧を得る権利が、政治的にも経済的にもないのである。評論家で拓殖大学客員教授の石平氏(春名中撮影) このような状況は、300万人の餓死者を出した1940年代のベンガル大飢饉、そして数百万人の餓死者を出した90年代の北朝鮮の大飢饉などと、全く同じ構図である。その構図とは真実、この場合では「食料が実は豊かにあること」を知らせず、ウソを流布することで国民の大多数を死に至らしめる政治の在り方である。 しかも、このウソによる民衆の苦境や、権力の醜い交代劇は、中国の歴史の中に何度も何度も反復して現れるのである。それはなぜだろうか。「人治」こそ中国の常識 ここに石平氏の実にユニークな視点がある。このウソに基づく中国政治の在り方には、その根本に政治制度自体の改革を目指すのではなく、あくまでも時の権力者の人格に「徳」を求める儒教主義的な政治観があるということである。 この儒教にのっとった「人治主義」的な見方は権力者たちだけではなく、広く中華に住まう人たちに共通して抱かれている。極めて強い「常識」となっているのである。 時の権力者たちは、本当のことはさておき、自らが儒教的精神のかなった徳のある統治者であると「偽装」する必要性が生じる。ウソでも何でも民衆を信じ込ませないと、自分の権力者としての地位が危ないからだ。 特にウソがばれたり、徳がないとみなされると、新しい権力者に取って代わられることもやむを得ない。むしろ、それが必然であることが、中国社会の「常識」になっている。このような権力者の交代劇を「易姓革命」という。 「革命」を避けるためには、ともかくウソでも偽善でもいいから、歴代の支配者たちは自分が高潔な人格であることや、腐敗を退治することを家臣や民衆にアピールしてきたのである。ただし、実際には政治的ライバルを粛清するだけであった。もちろん、石平氏がこのような欺瞞(ぎまん)に満ちた政治の交代劇に、極めて批判的なのは言うまでもない。 例えば、習主席は、政治家や官僚たちの腐敗追及キャンペーンで自分の業績を顕示してきた。その「徳」によって、彼は無期限の国家主席の座を得ようとしてきた。 だが、この腐敗追及キャンペーンがそのような独裁体制の強化の手段であり、極めて偽善的なものであることを、石平氏が本書でも痛烈に批判している。いわゆる「パナマ文書」で習主席のファミリーが海外で膨大な蓄財をしていると指摘されると、中国は「パナマ文書」に関する国内での報道や言及を厳しく規制した。つまり、政治的な徳を満たすことができるのか疑いの目を向けられることを、習主席と中国政府は極端に恐れているのである。 もちろん、このような政治的構図自体は、まだ従来の人物の「徳」が本当にあるかないか、なければ「革命」で政治権力を交代させるという、従来の「中国政治劇」の再演でしかない。問題は権力者の性格ではなく、むしろ政治や経済制度の改革にある。北京市内に掲げられた中国共産党の習近平総書記を「核心」として結束を呼びかけるスローガン(共同) この視座について、ノーベル平和賞を受賞した中国の民主活動家、劉暁波氏と石平氏の視点は大きく交差している。劉暁波氏は現在の中国政治を「ポスト全体主義体制」として批判した。だが、あくまで人治主義的な観点での批判ではなく、政治体制の漸進的で民主的な改革を唱えたのである。しかし、このまっとうな批判は、中国「ウソ政治」の伝統の信奉者から猛烈な反発と弾圧を招いたことは多くの人が知ることだろう。 石平氏の著作は、しばしば日本のリベラル派から大きな誤解で見られている。だが、彼の著作や発言に通底している「人々をウソにまみれた政治から自由にしたい」という情熱は、より正当な評価を受けるべきではないだろうか。

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    文科省汚職、マスコミの追及が手緩いのは前川喜平さんのおかげである

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 文部科学省の腐敗が次々に明らかになっている。その先駆けになったのが、昨年1月に政府の調査で詳細が明らかになり、関係者の処分が行われた、いわゆる「天下り斡旋(あっせん)」を巡る文科省の組織ぐるみの違法行為である。 官僚の再就職については、国家公務員法によって厳しい取り締まり規定が存在している。だが、文科省は人事局を中心に、OB組織とも連携しながら、法律に違反する形の再就職の斡旋を繰り返していたのである。 しかも、文科省当局は「斡旋の事実はない」などと、虚偽の説明を政府に伝え、悪質な欺瞞(ぎまん)行為を繰り返した。組織ぐるみの違法行為であり、文科省の事務方トップである前川喜平事務次官(当時)の責任は特に重大であった。 この「天下り斡旋」についての調査報告書を見ても、前川氏らがこの「天下り斡旋」の組織ぐるみの構造に深く関与していたことがわかる。また、具体的な斡旋事例についても、前川氏は「天下り斡旋」の調整を担っていたのである。 天下りは、監督官庁であるという権益を背景に、官僚の私的な利害の追求だけを目的として、民間の組織や大学に対して再就職などを行うことを意味している。監督する側と監督される側が懇ろになり、その関係性から腐敗や特別な便宜の供与などが発生すれば、当然国民の利益を損ねるだろう。2018年7月、「政と官の在り方」をテーマに講演する文科省前事務次官の前川喜平氏 例えば、私立大学に文科省の官僚たちが教員の地位で天下りしたとしよう。天下りした多くの教員は専門的な知識に乏しいにもかかわらず、高給取りとして優遇されて雇用されることになる。 この状況は、専門的な研究に努力を続ける有能な若い研究者たちの就職の道を閉ざしてしまう。つまり、日本の研究者の国内研究機関への就職が困難になり、そのことが日本の研究を停滞させる一因になっているのである。 そして、単に文科省の役人でしかない、空っぽに近い「ブランド」のために、高い給料を払っている。このことは、そのまま学生や保護者の授業料の過剰な負担になり、まともな教育が行われない背景にもつながる。まさに教育を食い物にしていたのが、文科省の実態だったといえる。35年ぶりの「出会い」 この天下り斡旋問題の構造を担っていた前川氏の責任は重いのだが、ご存じのように加計学園問題に関して、彼はマスコミや「反安倍」といえる政治勢力たちに担ぎ上げられている。特に、前川氏自身は講演会などで安倍政権批判を熱心に行っていると報じられている。 その姿勢が「反安倍無罪」とでもいうマスコミの風潮に乗って、マスコミや反安倍勢力での「人気」に結びついているのだろう。だが、前川氏のマスコミ「人気」と、彼が官僚時代に行った不正を比較してみると、「反安倍無罪」というべきマスコミの姿勢の問題性が浮かび上がってくるはずだ。 また文科省の腐敗は、この天下り斡旋だけにとどまっていない。文科省の幹部職員が「裏口入学疑惑」と「接待疑惑」で起訴ないし逮捕されている。両方ともいわゆる「霞が関ブローカー」が関与した、あまりに絵に描いたような汚職事件である。 文科省前局長の佐野太被告がこの「霞が関ブローカー」の調整を受けて、東京医科大側から自分の子供のいわゆる「裏口入学」の便宜を得た。佐野氏はその見返りに東京医科大側に私学支援事業の書き方を指導したとされている。 また、同じブローカーが同省前国際統括官の川端和明容疑者に対して、飲食店だけではなく、高級風俗店などでも長期間接待を繰り返したという。川端容疑者はそれに対して、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士をブローカーの関係する講演会に派遣する便宜を図ったとされている。 このような接待や裏口入学の手引は、まさに古典的な汚職の手段であり、それが今日まで文科省で長く行われていたことは驚くべきことである。この「霞が関ブローカー」の暗躍は前川事務次官時代を含めてかなり長期に及び、その文科省への侵入度合いが、果たしてこの2事例だけでとどまるのか、さらに組織的な広がりがあるか否かが大きな関心の的だろう。幹部職員が相次ぐ逮捕・起訴されている文部科学省(鴨川一也撮影) 実は、筆者は個人的にも大きな驚きをこの事件について抱いている。なぜなら、川端容疑者は筆者の大学生時代の教養ゼミの同級生だからだ。 川端容疑者が大学を卒業してからは全く交流もなく、同窓会などでも遭遇することはなかったと記憶している。そのためこの35年ぶりの「出会い」は本当に驚きであった。この問題も「反安倍無罪」? 筆者の所属していた教養ゼミは学年をまたいで親密になりながら、熱心に議論することで有名であった。先輩や同期はマスコミ関係に進む人間が多く、例えば最近『「共感報道」の時代』(花伝社)を出版したジャーナリストの谷俊宏氏は筆者の1年先輩であり、川端容疑者ともども勉学に励んでいた。 ただ、川端容疑者の報告は、他のゼミ生の報告内容を今でも記憶していることに比して、全く印象に残っていない。地味で目立たず、あまり積極的に発言もしなかった。 コンパの席上でも、他のゼミ生が政治から文化の話題まで幅広く談論風発する中で、川端容疑者は寡黙な人という印象であった。簡単に言うと、華はないが、実にまじめという印象だ。 筆者は海外放浪をして1年留年したので、川端容疑者の方が先に卒業していった。その就職先が科学技術庁(現文科省)と知ったときは、地道で手堅いな、となんとなく納得したものである。 今回、このデタラメとしかいえない汚職の報を聞いて、「彼は昔の彼ならず」なのか、という素朴な感想を持つ。それとも、文科省という組織そのものが、あの実直な青年をここまで堕落させたのだろうか。文科省国際統括官の川端和明容疑者=2018年7月撮影 この問題も、文科省の構造的なものかどうか検証が求められるが、他方で、この事案でも「反安倍無罪」的な報道姿勢がありはしないだろうか。例えば、現状で2人の野党議員の関与が噂されている。すでに一部の識者はラジオなどでその名前も明らかにしている。 だがマスコミ各社の報道の動きは極めて鈍い。もちろん野党自体にも追及の声は皆無に近い。テレビのワイドショーも、普段から「モリカケ」問題で取るに足りない情報だけで大騒ぎし、番組を挙げて政権批判を繰り返してきた姿勢とあまりに対照的である。 ひょっとしたら、モリカケ問題であまりにも官僚側を「称賛」しすぎてしまった反動で、文科省への腐敗追及の手が緩んではいないだろうか。まさかとは思うが、「反安倍無罪」がマスコミにありはしないか、一つの注目点である。

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    「LGBTに生産性なし」杉田水脈の言論の機会まで奪ってどうする

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「言論の機会」を奪うか否か、とでもいった議論が白熱している。ユーチューバーの世界で保守系といわれる政治活動家のKAZUYA氏の公式チャンネル『KAZUYA Channel』が、ユーチューブ側によって一時凍結されたことを契機としている。 あくまでもカッコ付きで表現したいのだが、「右派」と「左派」と目される人たちが言論対立を先鋭化させて、お互いの言論の機会を奪う行為までエスカレートすることが、しばしば見受けられる。今、カッコ付きで表現したのは、必ずしも政治的イデオロギーの対立だけではなく、単に他者を誹謗(ひぼう)中傷したくて群れる人たちが大集団で発生し、事態の対立を先鋭化することもネットでは常態化しているからだ。 それはさておき、KAZUYA氏のユーチューブアカウント閉鎖に賛意を示す人たちが、著名言論人を含めて多かった。ユーチューブ側の規約に違反したのだから仕方がないという意見である。だが閉鎖の翌日、ユーチューブ側は規約違反がなかったとして、アカウント凍結を解除している。 ただ、KAZUYA氏は、22日夜の段階でツイッターのアカウントも凍結されている。これについては原因不明である。 ユーチューブもツイッターもともに民間企業の運営サイトであり、それぞれが独自の規約で運営されているため、その判断はもちろん尊重されるべきものである。だが、今回の「事件」の流れを見ていると、ネット世論の中で、自分が批判すべきだと思う相手の言論の機会を奪うことが正当であるかのような風潮を見かける。そのような風潮は、われわれの自由に基づく社会を損なってしまう。 このような、自分が批判すべき意見の持ち主から言論の機会を奪うのが妥当であるかのような意見に、筆者が賛成しかねるのは、思想や言論の自由こそがわれわれの社会の基盤だからである。同種の問題に関しては、昨年、本連載で百田尚樹氏の講演中止問題について意見を述べたし、また、香山リカ氏の講演中止問題も、自分のブログで書いたことがある。ユーチューバーのKAZUYA氏 そのときの意見は、19世紀の啓蒙(けいもう)思想家、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(1859年)に基づくものだった。今でもその考えは変わらないので、次では百田氏の事件のときの内容を、一部記述を付加して改めて紹介しよう。反論あらば議論せよ ミルは、古典的著作『自由論』の中で、規制されることのない言論の場こそが人々の満足(効用)を増加することができるとした。 ミルが言論の自由の根拠としてあげた理由は主に4点あった。①多様な意見がないと特定の意見を誤りがまったくないものとみなしやすい②多様な意見が衝突することで、意見の持つ問題点や改善点が明らかになる③反論に出会うことで自分の支持している意見の合理的な根拠を考えることにつながりやすい④反論に出会うことがないと、人格や行動に生き生きとした成長の機会がなくなる、というものである。 そして意見の集約するところで、言論を巡る人々の満足が最大化することになる。もちろん、たとえ意見の集約が達成できなくても、議論すること自体で、議論の機会がない場合よりも効用は高まるだろう。ちなみに、相手側に不当に議論を迫るのは犯罪行為に等しいので、自粛すべきなのはもちろんである。 もちろん、ミルは異なる立場での意見の集約について、常に楽観的ではない。むしろ、言論の自由が意見の対立を激しくするケースや、またヘイトスピーチにあたるケースにも配慮している。だが、ミルはヘイトスピーチを規制することはかえって言論市場を損ねてしまうと批判的だ。政治的や法的な規制ではなく、ミルは世論の賢慮に委ねているのである。 この「世論の賢慮」の中には、前回の連載でも書いたことだが、間違った噂であるデマへの対策についても、まず世論の中で対処していくべきであり、そのためのいくつかの試みを紹介している。 特に、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)はデマの拡散に貢献してしまうこともあるが、他方で、多様な意見の存在や、何がより客観的な事実かを知ることができる場でもあり、「世論の賢慮」が発揮できる可能性を紹介した。思想家、ジョン・スチュアート・ミル(ゲッティイメージズ) だからこそ、KAZUYA氏の『KAZUYA Channel』に反論すべき意見があるならば、まずは議論すべき点を徹底的に論じるべきだろう。ところが、規約違反を声高に主張し、何が何でもチャンネル削除を求める声もよく見かける。そのような意見に上記の理由から筆者は賛同できないのである。 ミルはこのようにも書いている。 自分たちが、自分たちの判断にしたがって非難している意見だという理由で、ある意見の発表の機会を奪うのが有害であることをもっと十分に示すには、具体的な例をあげて議論するのが望ましい。その際には、わたしにとってもっとも不利な例をあえて選ぶことにする。ミル『自由論』(光文社文庫、山岡洋一訳より) 当然だが、筆者にも自分の価値判断からいって許容できない発言は多い。もちろん、犯罪や脅迫、単純明快な誹謗中傷などのたぐいの発言について言っているのではない。「意見」表明の水準での、自らの価値判断にそぐわない言論のことである。扇動に加担する人たち 要するに、ミルが上記の引用の最後で言っている「わたしにとってともっとも不利な例」のことを指す。最近の筆者の場合では、『新潮45』8月号(新潮社)に掲載された杉田水脈衆院議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論考がそれにあたる。杉田氏の論考の中心的な発言は、次の文章に表れているので、ご覧いただきたい。 例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。杉田水脈「『LGBT』支援の度が過ぎる」(『新潮45』2018年8月号) だが、杉田氏が「子供を作らないこと」で表した「生産性」は、国民のために税金を使う使わないという話には全くつながらないのである。単に、杉田氏のLGBTカップルへの差別的感情が出ているとしか思えない。 このほかにも、杉田氏の発言について、筆者は賛同しかねるものが多い。だからといって、雑誌やメディアで杉田氏の発言の機会を奪うべきだとは、みじんも思わない。その理由の一つは、ミルではないが、自分と全く違う考え方が、ひょっとしたら無視できないほど世の中に受け入れられている意見だとしたら、その意見と議論すべきだと思うからである。 それは自分自身の意見が間違っている可能性を検討することにもなる。なぜなら、理性的なものは、初めから完全には人に与えられていないからだ。 ましてや、杉田氏を脅迫するなどもってのほかである。そのような脅迫の表明は、全く言論に値しない単なる犯罪行為である。報道によれば、実際に杉田氏に殺害を予告した人物もいたようである。それは、言葉の正しい意味での「自由への脅威」である。2018年5月、憲法記念日に静岡市富士市内で講演を行った杉田水脈衆院議員(田中万紀撮影) 冒頭のKAZUYA氏の動画チャンネルにもいろいろな議論の余地があるかもしれない。筆者は『KAZUYA Channel』の愛好者ではない。詳しく見たといえば、年初に経済評論家の家庭内暴力が報じられたとき、公開された動画上の発言を最近では知るのみである。もっとも、KAZUYA氏の意見に筆者はおおむね肯定的であった。 また、その他にも動画上で表明する意見を断片的に見聞きしたが、肯定も否定もまちまちである。だが、たとえ否定的な意見を表明したからとして、それだけをもって他者から言論の機会を奪い、それを扇動することに加担することだけはすべきではない。そう常に考えている。

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    豪雨災害「クーラーデマ」を否定しない蓮舫議員もどうかしている

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 間違った内容を伴う噂であるデマはインターネットの普及に伴って、それ以前の社会ではみられなかった二つの現象を引き起こしている。一つはデマの伝達する速度と範囲が爆発的に拡大したことだ。もう一つはデマの抑制に関するもので、噂が間違っていれば即座に訂正されることも珍しくなくなったことである。ただ、前者と後者いずれが大きな効果を社会的に持つかは、個々のケースによってまちまちであろう。 また、噂が真実ではなく間違った内容であっても、「真実」としてネットの中で生き残ることもしばしば見受けられる。特に、政治的な集団が先鋭的に対立している場合では、この「デマの延命」が見られるようである。 西日本の豪雨災害では、いまだ被災地で復旧作業や安否不明者の捜索が懸命に続いている。テレビや新聞の報道だけではなく、実際の被災者がほぼリアルタイムで知らせてくれる現状の一端は、被災地にいる人だけではなく、他の地域に住む人たちにも貴重な情報になっている。 民間の方々はもちろん、自治体や警察、消防、自衛隊などの人たちの必死の努力もネットなどで伝わってくる。事実、ボランティアの参加方法、寄付の注意点、また募金の重要性なども、筆者はネットを中心にして知ることができた。 他方でひどいデマにも遭遇した。中でも「風評被害」だと思えるケースが、岡山県倉敷市の「観光被害」とでもいうべきものだ。 今回の豪雨で、倉敷市の真備地区が深刻な浸水被害を受けた。だが倉敷の市域は広く、県内有数の観光地である美観地区はほとんど被害がない。観光施設や店舗なども平常通り営業している。 だが、「倉敷市が豪雨災害を受けている」というニュースや情報が、テレビでヘリコプターなどから映されている広域にわたって浸水した街の姿などとともに流布してしまうと、市域の広さや場所の違いなどが無視されて人々に伝わってしまう。ただし、観光客のキャンセルなどもあるようだが、この種の「風評被害」は、ネットメディアや一般の人たちの努力で打ち消していく動きも顕著である。2018年7月17日、風評被害により、観光客もまばらな岡山県倉敷市の美観地区(小笠原僚也撮影) 例えば、ツイッター上では「#美観地区は元気だったよ」というハッシュタグによる「拡散活動」が展開されている。また、大原美術館の防災の試みを紹介するネットメディアの記事で、今回は美術館のある美観地区が災害から免れているという紹介もあわせて説明されていて、それがよくネットでも注目を集めている。この種の試みや工夫は非常に重要だ。 これらの試みは、いわば民間の自主的な努力によるものである。言論や報道の自由が、あたかも市場での自由な取引のように行われることで、その権利が保たれるという見解がある。「言論の市場理論」とでもいうべき考え方だ。「クーラーデマ」と「コンビニデマ」 代表的には、19世紀の啓蒙(けいもう)思想家、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』の中で展開されている。今回のようにネットでのさまざまな風評被害を防ごうという試みは、多くは人々の自主的な言論活動で行われている。 他方で、冒頭でも指摘したが、より対応が難しいのは、政治的に対立した人たちが放つデマである。今回の豪雨被害では、ネットを中心に代表的なケースが二つあった。一つは、先週、安倍晋三首相が岡山の被災地を視察に訪れ、避難所を訪問した際のことである。ところが、この訪問後に、ツイッターで「安倍首相が視察に来るので慌ててエアコンを設置した」というデマが拡散した。 最初にデマを「ウソに基づく噂」と書いたことからもわかるように、これは真実ではない。このデマに対しては、世耕弘成経産相がツイッターで即時に否定した。被災各地の避難所へのクーラーの設置は、被災者を多く収容している施設にまずは優先的に行われていることを、世耕氏は指摘したのである。 もう一つのデマは、政府が自衛隊の車両を緊急利用して、品薄が続くコンビニエンスストアに食品や飲料などを輸送したことへの批判である。これには「物流費を肩代わりするとは官民協力ではなく、官民癒着だ」という批判が上がった。また自衛隊への心ない批判も多くみられた。 もちろんこれは「官民癒着」などではなく、デマである。すぐさまネットでは、これらの施策が1年前に「災害対策基本法」に基づいて、「官民が一体となった取組の強化を図るため、内閣総理大臣が指定する指定公共機関について、スーパー、総合小売グループ、コンビニエンスストア7法人が新たに指定公共機関として指定」されたと指摘している。 当然だと思うのだが、被災地のコンビニで、以前と同じように品物がそろうことは被災している人たちにも助けになることは間違いない。「官民癒着」も間違いならば、官民連携によるコンビニ「復旧」を批判するのは、あまりにデタラメではないだろうか。 ただし問題はここからで、このような「クーラーデマ」「コンビニデマ」でも、いまだに政治的に対立する人たち、例えば安倍政権を批判することの好む人たちの中では健在である。だから、取るに足らない理由でデマを延命させている「努力」について、確認することは難しくない。2018年7月11日、岡山県倉敷市の避難所を訪れ、被災者の話を聞く安倍首相 特に野党議員など、国会レベルでの政治的な対抗勢力の人たちがこのデマに加担していることも確認できるだけに、政治的な思惑でのデマの流布により、社会的な損失がしぶとく継続しがちだと思われる。なぜなら、政治的な対立者たちが合理的なデマの拡散者である、という可能性も否定できないからだ。 デマの拡散力とデマを否定する力と、どちらが大きくなるかは、「正しさ」の観点だけで決めるのはなかなか難しい。いずれが打ち勝つかはケースによる、と冒頭でも書いた通りだ。特にこのような政治が絡む案件ではデマは真実だけでは打ち消せないかもしれない。政治的バイアスを打ち砕けるか ネット社会の問題について詳しい法学者、米ハーバード大のキャス・サンスティーン教授が著書『うわさ(On Rumors)』(2009)の中で、類似したケースを紹介している。要するに、人々の自由な言論ではこの種のデマを防ぐことは難しいと、サンスティーン氏は指摘している。 ではどうすればいいのか。サンスティーン氏は「萎縮効果(Chilling Effect)」に注目している。つまり、法的ないし社会的なペナルティーを与えることによって、この種のデマを抑制することである。 例えば、デマの合理的な流布者に対し、悪質度に応じて、法的な制裁やまたは情報発信の制限を与えてしまうのである。これを行うことで、他のデマの合理的な発信者たちに、デマを流すことを抑制できるとする考え方である。 このような「萎縮効果」は確かに有効だろう。だが、あまりに厳しければ、それはわれわれの言論の自由を損なってしまう。 現状でもあまりに悪質なものには、法的な処罰やまたソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のアカウントの制限や削除などが運営ベースで行われている。それが「萎縮効果」をもたらしているかもしれない。「萎縮効果」はやはり補助的なものだと考えた方がいいだろう。 立憲民主党の蓮舫議員はツイッターで以下のようなことを書いている。 総理視察の直前に避難所にクーラーが設置されたとのツイッターに、経産大臣が随分とお怒りの様子で、かつ上から目線のような書きぶりで反応されていたが、もはや避難所にクーラーのレベルではなく、災害救助法上のみなし避難所の旅館・ホテルを借り上げ、被災者の居場所を確保すべきです。蓮舫氏の7月13日のツイッター 「クーラーデマ」を明瞭に否定せずに、世耕氏の発言を「上から目線」として批判することで、かえってデマをあおる要素もこの発言にはある。ただし、この蓮舫氏の宿泊施設への対策が政府にあるかないかについて、即座に自民党の和田政宗議員が次のように反応している。 ご意見有難うございます。ご指摘いただいた前日までに政府は既に対応済みで、12日の非常災害対策本部の会合で、被災者向けに公営住宅や公務員宿舎、民間賃貸住宅など7万1千戸を確保し、旅館・ホテル組合の協力により800人分も受け入れ可能となっている旨、報告されています。r.nikkei.com/article/DGXMZO …和田政宗氏の7月15日のツイッター2018年6月18日、参院決算委員会に臨む立憲民主党の蓮舫氏(春名中撮影) この与野党の国会議員のやりとりを、ネットユーザーが直接見ることができ、それに評価を下すことができる。確かに、政治的バイアスを打ち砕くのは至難の業である。だが、同時にわれわれの言論の自由は、その種の政治的バイアスに負けない中でこそ養われていくことを、災害だけではなく、さまざまな機会で確認したい。

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    死刑制度はオウム再犯の抑止力になり得るか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) オウム真理教の元教祖、麻原彰晃(本名、松本智津夫)ら元幹部7人に対して死刑執行が行われた。1995年の地下鉄サリン事件に代表されるオウムの引き起こした、社会的影響の大きかった一連の残忍な事件について、思いを深くするこの数日だった。 特に、インターネットや新聞、テレビなどで、今回の死刑執行をめぐってその是非が議論されている。中でも、6月に何人かの著名な識者が呼びかけ人となって設立された「オウム事件真相究明の会」が、麻原への死刑執行に対し、事件の真相究明を妨げたとして厳しい批判活動を行っている。 これに対して、ジャーナリストの江川紹子氏は「『真相究明』と言うが、オウム事件は、裁判を通じてすでに多くの事実が明らかになっている」としたうえで、同会に代表されるような麻原への死刑執行を反対する姿勢に「欺瞞(ぎまん)」さえ感じていると、事実検証をもとに詳細な反論を行っている。江川氏の論考を一読した筆者も全くの同意見である。 たいだい、裁判記録に加えて、ネットでは公安調査庁がまとめたオウム真理教関係の事件の概要、被害者やご遺族の方々の声、そしてオウム後継団体の問題点と監視の現状などがまとめられており、これらを参考にできるはずだ。あれほど真相究明に時間と労力・費用をかけて、江川氏の指摘するように核心部分が解明されているのに、「まだ真相究明がなされていない」と断じるのはあまりにも無責任ではないだろうか。 このように、十分な根拠を持たなくても、少しでも「疑惑」や「疑問」があれば、問題の全てを肯定・否定的に扱うやり口が最近、さまざまな事象で「悪用」されている。 地下鉄サリン事件が起きた95年前後でも、オウム真理教を好意的ないし弁護する識者の意見が多かった。それに乗じるマスコミも悪質で、例えばTBSの報道姿勢は弁護士一家殺人事件につながり、今も深刻な問題を残している。2018年6月、記者会見で、松本智津夫死刑囚の執行に反対する雨宮処凛さん(右)と森達也さん また、94年の松本サリン事件では、被害者家族を容疑者扱いにする、まるで魔女狩りのようなテレビ報道も大きな問題であった。このようなワイドショー的な魔女狩り報道は、現在も全く改善されていない。 特に今回の死刑執行に際して、各テレビ局の報道を見ても、TBSの重大な過誤や当時の魔女狩り報道、さらにはオウム真理教の「宣伝」「布教」の場と化していたさまざまな討論番組の功罪については、今日ろくに再検証されていないのが実情である。二十数年を経て、事件を「風化」させているのは、マスコミのこの無反省な姿勢にあるのだろう。無責任極まる「革命」崇拝 オウム真理教に好意的だった当時の一部の識者たちの姿勢を、宗教学者の大田俊寛氏が以下のように簡潔に整理している。大田:このように、中沢(新一)さんや浅田(彰)さんを初めとする日本のポストモダンの思想家たちは、オウムというカルトの運動を見過ごしたし、後押しもしてしまった。しかし、その責任を取ろうとはしませんでした。そして何より、まずはオウムという現象を客観的に分析するというのが学問の本分であったと思いますが、それがまったくできなかった。その代わりに、「オウムは間違ったけれども、次の革命とはこうだ。ポストモダンの社会とはこうあるべきだ」といったナンセンスな革命論が提示され、それに基づいた空虚なアジテーションが繰り返された。それは今もなお、形を変えて反復されています。大田俊寛×山形浩生「「幻惑する知」に対抗するために」 Sangha 2012年8月号 あまりに単純素朴な「革命」崇拝に類した態度は、先の江川氏の論考でも、地下鉄サリン事件発生から3年後(1998年)の雨宮処凛氏の言葉として紹介されている。ムチャクチャありますよ。サリン事件があったときなんか、入りたかった。「地下鉄サリン、万歳!」とか思いませんでしたか? 私はすごく、歓喜を叫びましたね。「やってくれたぞ!」って。吉田豪「ボクがこれをRTした理由」、TABLO 2018.06.08 事件発生当時、このような単純素朴で、それゆえに無責任極まる「革命」崇拝的な姿勢が、有名無名問わず当時の人たちに、いささかなりとも共有されていたことがわかるだろう。ひょっとしたら、このような「革命」崇拝を、今も無反省に続けているのではないだろうか。 次にオウム真理教幹部たちへの死刑執行について、経済学的な考察を紹介しておきたい。まず死刑については、人権尊重から廃止する必要があるとか、反対に社会的な応報感情を満たすために必要である、という価値判断を議論することが重要である。 だが、経済学でも、死刑が凶悪犯罪の抑止に効果的かどうか、しばしば議論されてきた。リフレ派の経済学者としても知られる駒沢大の矢野浩一教授や、法と経済学の専門家である駒大の村松幹二教授らが、1990年から2010年前半までの月次データを用いて分析している。2018年7月、松本智津夫死刑囚ら7人の刑執行について記者会見する上川法相 その研究によると、死刑判決や執行数では、殺人などの凶悪犯罪に対する抑止効果が見られなかったという。一方で、時効の延長、有期刑の上限の延長は、強盗殺人・致死に対して抑止効果がみられたというのである(村松幹二、デイビッド・ジョンソン、矢野浩一「日本における死刑と厳罰化の犯罪抑止効果の実証分析」、『犯罪をどう防ぐか』岩波書店シリーズ「刑事司法を考える」第6巻、2017)。なぜ「重大な再犯」が行なわれないのか ほかにも、死刑があまり凶悪犯の抑止に役立たないことは、米国でもベストセラーとなった『ヤバい経済学(増補版)』(東洋経済新報社)でも簡単に実証されていた。また、村松氏は論文「日本における死刑の近年の動向」の中で、オウム事件の犯罪者たちを「政治犯」として区別し、それを死刑判決数のサンプルの中に入れても入れなくても、上記の結論に関係ないことを示している。 オウム真理教の犯罪者たちを「政治犯」もしくは国家転覆を狙ったテロ組織の一員とみなすのは妥当な見解だろう。欧米でも話題になっているが、テロ犯罪者たちの再犯率のエビデンス(根拠)が不足し、再犯を抑止する政策についてはまだまだ未開拓の領域である。ただしオウム事件に限定してみると、元信者たちのテロなど重大な再犯はほとんど観測されていない。 麻原を含めた犯罪者たちの死刑判決や死刑執行が、オウム元信者の再犯抑止にどのような効果があるのか。また、今も公安の監視対象にある後継組織の抑止に貢献しているのか。これらは明確にわかっていない。社会や公安などの監視の厳しさ、漸増しているとはいえ厳しく制約されている活動資金や人的資源なども、テロの再犯を難しくしている可能性があるからだ。 ただ、以下のことはいえるのではないか。経済学では、さまざまな政策ルールの束というべきレジーム(体制)が変化することは、人々の行動も大きく変えてしまう。死刑判決・執行という「部分」だけに、どうしても目が行きがちである。しかし、それらも含めて、現在の社会監視体制や法体系、刑の執行など「政策」ルールの束が有効に機能しているために、今のところオウム元信者たちの再犯や後継団体による犯罪も未然に防げているのかもしれない。 事実は、それをある程度裏付けてもいる。もちろん、オウムの再犯抑制レジームを支えるもっとも弱いルールとして、死刑判決・執行をとらえることもできるかもしれない。村松氏らの実証はそれをある程度支持している。 ただしルールの束として考えるとなると、一つのルールに注目してその効果を判断することは妥当ではなくなる。例えば、サッカーにおいて、人数はそれほど大きなウエートを占めるルールではないかもしれない。でも、11人制を6、7人制にするルール変更を行えば、試合展開、観客の楽しみ方など含め、ゲームを大きく変化させてしまうだろう。つまり、レジーム転換が起きてしまうわけで、犯罪に関しては犯罪の動機付けを大きく変化させかねない事態を引き起こすのである。2018年7月6日、アレフ大阪道場の調査を終えた公安調査庁の職員ら=大阪市生野区(鳥越瑞絵撮影) 特に日本のように「厳罰化」の流れが生じている中で、大衆が死刑廃止という厳罰化ではないルール変更を受け取ったときに、レジームは大きく不安定化する。これは経済政策でいえば、アベノミクスがデフレ脱却レジームを採用すると言い、金融政策ではデフレ脱却ルールを続けながら、財政政策で消費増税など緊縮ルールを採用することにより、政策効果が大きく損なわれたことに似ている。 もしこの推論が正しければ、安易なレジーム変更につながるような、現在の死刑制度の廃止には筆者は即座に賛成しかねる。あくまでもオウム真理教的な事件に限っての試論的な考察であるが、最小限の予防ルールとして死刑制度を維持すべきという立場を採用したいと考えている。

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    雇用大崩壊を経験した「ロスジェネ」はあれからどうなったか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 今から10年近く前、いわゆるリーマンショックによる経済大停滞を契機にした経済と雇用の急激な悪化を受けて、筆者は『雇用大崩壊』(NHK出版)を出版した。そこでは「ロスジェネ世代」と呼ばれる、当時25歳から35歳の人たちの雇用の長期的な悪化を問題にしていた。あれから10年近くが経過し、いわゆるロスジェネ世代をマクロ的(全体的)にどのように捉えていくべきか、試論的に考察していきたい。 まず、ロスジェネ世代について、現状でもその雇用や金銭的な面を不安視する意見は根強い。必ずしもロスジェネ世代と完全に一致はしないまでも、40代の正規雇用者の給与だけが5年前に比べて減少していることが話題になった。 この起点が過去の就職氷河期での困難にあると考え、その困難が今も続いているという解釈を見かける。確かにロスジェネ世代の経済的困難は大きい。しかし、40代の正規雇用の給与が5年前と比較して減少したことを深刻な問題とするには、かなり違う視点が必要ではないだろうか。 その点の検討に移る前に、そもそも「なぜロスジェネ世代が生まれたのか」、この分析が重要である。上の世代がバブル期などに構造的に過大な採用を行ったために、その反動でロスジェネ世代が生まれたのであろうか。あるいは、日本の産業構造がグローバル化に対応できておらず旧態然としているからか。あるいは、日本の労働者の働き方が生産性に欠けるからだろうか。生産性が、働き方という構造的な要因によって低下しているために、従来よりも多くの雇用を実現できないのか。 このような「構造的要因」説は、事実としても経済学の論理としても完全に破たんしている。構造的な要因でロスジェネ世代が生まれるとしたら、構造的失業率が上昇しているはずだからである。 ところが、最近ではこの失業率は2・2%と、1992年10月以来という水準にまで低下している。その一方で、構造的失業に到達したときに観測されるインフレ率の加速はそれほど見られない。写真はイメージです(iStock) むしろ、インフレ目標の達成がまたもや先送りされている状況なのだ。要するに、ロスジェネ世代が生まれたのは、構造的要因ではなく、経済の変動を説明するもう一つの要因である循環的要因、「総需要不足」で考えるほうが妥当である。 簡単に言えば、総需要不足とは、人々が使うお金が日本経済の潜在能力を全て活用するほど足りない状況を意味している。経済がなかなか「健康体」にならないのは、栄養が不足し、風邪をこじらせているからなのだ。その処方箋は栄養や風邪薬を摂ること、つまり「お金」が必要になることは、個々人で考えてもわかるだろう。日本の雇用「三つの層」 経済全体で「お金」は、政府が財政政策という形で、日本銀行が金融政策という形で、われわれに与えてくれる。ところが、この財政政策と金融政策がうまくいかないと、経済不況は長期化し、雇用面で問題を生み出してしまう。 実際に、ロスジェネ世代の誕生と長期停滞は切り離せない関係にあった。日本の雇用社会は大きく三つの構成要素をもっている。正規従業員からなる層、非正規従業員からなる層、そして求職意欲喪失者の層である。 求職意欲喪失者は、働こうと思って職を探していても見つからないために雇用市場から退出した人たちを指している。一方で、この三層のうち、最も雇用社会で交渉力が相対的に強いのが、すでに企業で正規の職についている人たちの層である。ただ、長期停滞が続くと、正規層もリストラなどに遭遇する確率が飛躍的に増加する。 だが「就職氷河期」という名称通り、経営者との交渉力の劣る新卒者など若年層の雇用が最もわりを食うことになる。あるいは職を得ても不安定な非正規雇用層や、求職意欲喪失者層にやむなく入った人たちも実に多かったろう。 非正規雇用の増加とそれに伴う経済格差拡大の「象徴」としてロスジェネ世代が取り上げられることを、今日でもしばしば見かける。40代の給与減少の報道もその関連で行われたのかもしれない。 だが、10年前に比べると、ロスジェネ世代の雇用状況はかなり改善している。失業率の低下はすでに説明した通りだ。ここでは正規雇用者数と非正規雇用者数の変化をみてみよう。 まず、筆者が『雇用大崩壊』を出版した2009年、ロスジェネ世代の雇用状況をみると、男性の正規雇用は599万人、非正規は90万人だった。女性の正規は303万人、非正規は219万人であった。写真はイメージです(iStock) ロスジェネ世代は、今やだいたい35歳から44歳になっている。この世代を2018年4月と5月の平均値で考えると、男性の正規は649万人で、09年に比べて50万人増加し、非正規は24万人減少して66万人になっている。一方、女性の正規は290万人で、09年に比べて13万人減少し、非正規は88万人増加して306万人となっている。ロスジェネ世代を生み出した「責任」 女性の非正規雇用の大幅増加は、主婦層がアルバイトやパートなどを始めたことで、求職意欲喪失者層から非正規層に流入したことが主因だろう。この場合、家計の所得補助となる可能性が大きく、世帯的にはむしろ所得の安定に寄与する。それゆえ、非正規の増加がそのまま所得の不安定化をもたらすと考えるのは間違いである。 さらに注目すべきなのは、ロスジェネ世代で正規雇用が10年前に比べ、男女合計で31万人増、率でいうと3・3%大きく増加したことだ。増加に伴って、男性の非正規雇用も大幅に減少し、10年前と比べて約27%減少している。 この正規雇用の増加により、いわゆる「ニューカマー効果」を生み出すだろう。非正規層や求職意欲喪失者層にいた人たちが正規層に入っても、そこで同じ世代の人たちが従来手にしていた待遇と同レベルのものを得ることは難しいだろう。要するに、給与が抑えられる可能性が大きいのである。この雇用改善と平均賃金の低下の関係性をニューカマー効果という。 ただし、経済の安定化が継続すれば、やがて平均賃金も上昇していくことを注意しなくてはいけない。このニューカマー効果が、冒頭で言及した40歳代の給与が5年前と低下した可能性を、ある程度は説明できているかもしれない。いずれにせよ、ロスジェネ世代の雇用環境は大幅に改善していることだけは確かなのである。 それでは、ロスジェネ世代の象徴といわれた経済格差はどうだろうか。経済格差を示す指標である「ジニ係数」をみてみると、2009年と比べれば、世帯主が40歳代の世帯でも、30歳から49歳までの世代でも低下している。つまり、経済格差は改善しているのである。 これがさらに継続しているかどうかは今後の調査をみなければいけない。だが、拙著でも言明したが、ロスジェネ世代による経済格差が雇用改善とともに縮小するのは大いにあり得る事態である。2018年5月、経済財政諮問会議であいさつする安倍首相(左)。政府は社会保障給付費について2040年度に約190兆円に上るとの推計結果を公表した もちろんロスジェネ世代が生み出されたのはこの世代の人たちのせいではない。すでに指摘したように、政府と日銀の責任である。そして、さらなる改善もこの二つの政策に大きく依存しているのである。 また、ロスジェネ世代が、マクロ経済政策だけでは改善できないほど生涯所得が落ち込んだり、所得の落ち込みが将来の年金など社会保障の劣化を招くとしたら、今まさに積極的な社会保障政策を先行してこのロスジェネ世代に活用することも必要だろう。あくまで、まだ議論されている最中だが、ロスジェネ限定のベーシックインカム(最低所得保障)の早期導入も考えられるのではないか。

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    大阪直下地震で思い出す「増税なくして復興なし」のペテン

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 6月18日朝、大阪府で震度6弱の強い地震が生じた。この論説を書いていた同日午前の時点で被害の全貌はわかっていなかったが、ブロック塀の倒壊などで5人の方が亡くなり、また300人近くが負傷したという。 そして、発生が通勤時間中だったこともあり、関西地方を中心に交通網がまひし、ビルのひび割れ、落下物、インフラ不全などの情報が伝わっている。多くの人は不安を抱えて、地震の大きさに恐怖している。被害に遭われた方々を心中からお見舞いするとともに、今後も余震など十分に警戒していただきたい。 今回の地震でも、ツイッターをはじめとするソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で、地震の個人的な体験や公的情報などを伝える動きが活発である。誤った情報も少なからずあるだろうが、SNSが被災時に機能し、非常に便利であるのは間違いない。 日本は地震大国であるにもかかわらず、経済対策の側面では、地震に全く弱い国だと言わざるを得ない。しかも弱いだけではなく、災害につけ込んで、官僚や政治家が「私的な利益」をむさぼろうとする国でもある。 東日本大震災のとき、筆者は経済評論家の上念司氏と共著で『震災恐慌』(宝島社)を出版した。この本は後に、嘉悦大の高橋洋一教授の補論を備えて、さらに内容を強化して『「復興増税」亡国論』(宝島社新書)として刊行した。 題名からも趣旨は明瞭だが、東日本大震災からの復興を名目にして行われようとしていた「復興増税」を中心とした、政府と日本銀行の緊縮政策を批判する内容であった。当時、われわれは国会議員などとも協力し、増税反対の国民運動を展開したが、残念ながら「復興増税」は復興特別税として実施されてしまった。2011年11月、東日本大震災に関する復興増税や消費増税を食い止めようと、約1500人が「増税NO」のシュプレヒコールをあげながらデモ行進した(緑川真実撮影) この税は現在も所得税、地方税を対象に継続中だ。所得税は2037年まで、地方税も2023年まで上乗せされており、長期間の負担が続く。 もちろん、被災地支援のためにお金が必要なのは当然である。だが、当時の民主党政権の時代は、今日とは異なり、リーマンショックと長期停滞の「合わせ技」で、極めて深刻な不況に陥っていた。そこに増税を課すのは、日本経済にダメージをさらに負わせ、もちろん被災地にも深刻で回復不能の打撃を与えると、われわれは警鐘を鳴らしたのである。 そのため、増税よりも、それこそ永久ないし超長期の復興国債を発行することによって、日本銀行がそれを事実上引き受け、積極的な復興支援を行うべきだとした。これが長期停滞への脱出と、震災復興の両方を支援できる経済政策だというのが当時のわれわれの主張であった。 だが、財務省を中心とする増税勢力にはそんな論法は通じなかった。彼らのやり口は実に巧妙であり、「復興増税」を民主党、そして当時は野党だった自民党と公明党で実現させたのである。さらに、この三党協調をもとに、おそらく当初からその狙いであった消費増税の実現にまで結び付けた。当時の日本経済からすればまさに人災に等しい「大緊縮路線」の成立である。「最悪の人災」=増税 緊縮政策が、不況もしくは不況から十分に脱出できないときに採用されれば、人命を損ねる結果になる。職を失い、社会で居場所を失った人たちなど、自殺者数の増加など負の効果は計り知れない。その意味では、天災を口実にした「最悪の人災」=増税という緊縮政策の誕生であった。ちなみに、民主党は現在、国民民主党や立憲民主党などに分裂しているが、経済政策は全く同じ発想である。 このような緊縮路線は今日も健在どころか、最近はその勢いを強めている。消費増税をはじめとする緊縮政策の一番の推進者は、言うまでもなく財務省という官僚機構である。財務官僚とそのOBたちのゆがんだエリート意識とその醜い利権欲は、いまや多くの国民が知ることだろう。 セクハラ疑惑によるトップの辞任、財務省の局をあげての文書改ざん、何十年も繰り返される「財政危機」の大うそ、社会的非難が厳しくても繰り返される高額報酬目当ての天下りなど、ブラック企業も顔負けである。このようなブラック官庁がわれわれの税金で動いているのも、また日本の悲劇である。 しかも財務官僚だけではなく、増税政治家、経団連や経済同友会などの増税経済団体、増税マスコミ、増税経済学者・エコノミストなど、緊縮政策の軍団は実に広範囲である。しかも、グロテスクな深海魚がかわいらしくみえるほどの奇怪な多様性を持っている。 例えば、反貧困や弱者救済を主張する社会運動家が、なぜかその弱者を困難に陥れる増税=緊縮路線を支持しているのも、日常的な風景である。増税したその見返りが、自分たちの考える「弱者」に率先して投入されるとでも思っているのだとしたら、考えを改めた方がいいだろう。 日銀の岩田規久男前副総裁は、メディアの最近の取材や筆者との私的な対話の中で、日本が20年も長期停滞を続けたため、非正規雇用など低所得者が増えたと指摘している。さらに、岩田氏によると、年金世代が全世帯の3割以上に増えたことで、消費増税による経済への悪影響を強めているという。 つまり、増税、特に低所得者層に強い影響が出る消費増税は、日本において最悪の税金である。「弱者救済」を唱える人たちが財務省になびくのは、まるで冗談か悪夢のようにしか思えないのである。電車のダイヤが乱れ、阪急梅田駅前の階段に座る人たち=2018年6月18日、大阪市北区(安元雄太撮影) 最近、この消費増税、緊縮政策路線が、政府の経済財政諮問会議により提起され、閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」にも強く採用され続けている。経済活動が活発化し、その結果として財政が改善していくのが、経済学で教わらなくても普通の常識であろう。 だが、財務官僚中心の発想は違う。まず財政再建ありきなのである。財政再建が目的であり、われわれの経済活動はその「奴隷」でしかない。これは言い方を変えれば、財務省の奴隷として国民とその経済活動があることを意味する。恐ろしい傲慢(ごうまん)な発想である。財務省の目論み 例えばしばしば「財政健全化」の一つの目標のようにいわれる基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化。この概念は、そもそも経済不況を根絶するために積極的な財政政策を支持した経済学者、エブセイ・ドーマーによって主張されたものである。 つまり、緊縮財政を唱える論者を否定するために持ち出した概念が、なぜか財務省的発想で緊縮財政のために利用されているのである。まさにゆがんだ官僚精神をみる思いで、あきれるばかりである。 PBは、経済が停滞から脱出し、経済成長率が安定すれば、それに見合って財政状況も改善するということを言いたいのが趣旨だ。何度もいうが、これが逆転して、増税勢力に都合のいい「財政再建」や「社会保障の拡充」という緊縮政策に悪用されてしまっている。 しかも経済学的には意味を見いだしがたいPBの黒字化目標を、2020年度から25年度にずらしたところで、緊縮病から抜け出せるわけではない。あくまで目標にするのは経済の改善であって、PB目標などどうでもいいのだ。 だが、PB先送りについて、朝日新聞の論説にかかると「骨太の方針 危機意識がなさ過ぎる」んだそうである。まずは、この朝日新聞の論説を書いた人の経済認識こそ、危機意識が足りないと思う。地震で崩れた外壁=2018年6月18日、大阪市淀川区(渡辺恭晃撮影) また、国債市場では取引が不成立なことがしばしば起こることをもって、「国債危機」的な煽り記事もある。これは、単に日本銀行が「今の積極的な金融緩和を続けるためには、もっと政府が新規の国債を発行することを求めている」、市場側のシグナルの一つでしかない。つまり経済は、緊縮よりももっと積極的な経済政策を求めている。だが、全ては「財政危機」「社会保障の拡充」という上に書いたようなゆがんだ経済認識に利用されているのが実情だ。 数年前、いや今も天災さえも利用して自らの増税=緊縮政策を貫いた財務省を核とした「ブラックな集団」が日本に存在していること、これこそが日本の「最大級の人災」である。そして対策は、このブラック企業顔負けの集団の核である、財務省の解体しかないことを、世間はより強く知るべきではないだろうか。

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    韓国アイドル「BTS」が映すヘル朝鮮の現実

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「BTS(防弾少年団)」という世界的に人気な韓国の男性アイドルグループがいる。彼らは2013年にデビューしてから、韓国国内の人気だけでなく、最近では米国のヒットチャートでも1位を獲得している。 彼らの作品は本心(現実)と偽り(虚構)とのギリギリの緊張関係を描くものが多い。その作風は最近ではますます陰影を深めて、複雑さを増している。例えば、全米1位を獲得した最新アルバム『LOVE YOURSELF 轉 ‘Tear’』の代表曲「FAKE LOVE」には、「かなうことのない夢の中で咲くことのない花を育てた」というフレーズが繰り返される。 この歌は、偽りの愛と本当の愛の葛藤を歌ったものだろう。だが、BTSの歌にはそれだけではない意味合いを見いだすこともできる。彼らがデビューした2013年、この年は韓国経済にとって重要な意味を持っているからだ。 簡単にいえば、2013年は韓国の若者たちの雇用がさらに「地獄」へ突入した年にあたる。そしてその「地獄」は、今も勢いを失うことなく続いている。 若者たちの夢の多くは咲くこともなく、現実の雇用状況の前で踏みにじられているのである。BTSの歌の多くは、この若者たちが直面する「地獄」とそこからの脱出への願いを象徴しているのではないだろうか。 韓国の失業率は、全体こそ3%台で推移している。しかし、15歳から29歳までの若年失業率に絞ると、2017年には9・9%にのぼる。これは韓国の研究者たちが指摘するように、「体感失業率」でいえば22%台に到達している。2018年5月、韓国・ソウルで最新アルバム発売の記者会見に出席した「BTS(防弾少年団)」のメンバー(聯合=共同) しかも、この状況が既に数年も継続しているのである。まさに若者たちの雇用は「ヘル朝鮮」、まさに「地獄の韓国」といっていい。日本でいえば、過去のリーマンショック時点での雇用悪化を上回る。また量的な面での悪化にはとどまっていないのである。 韓国ではリーマンショック以降から、非正規雇用労働者の比率が激増している。だが、2013年からは、特に男性の若年労働者で急上昇を見せている。韓国の非正規雇用は日本と同様に、企業の業績悪化を防ぐための衝撃緩衝に利用されているのである。世界でも突出した韓国の自殺者数 待遇は劣悪であり、不安定の度合いも深刻だ。非正規雇用の若者たちの報酬が、最低賃金に達していない割合は、なんと30%を優に越している。日本でも深刻な不況のときは、ブラックな処遇をする企業の話題に事欠かなかったが、韓国ではさらにその境遇が悪い。 日本では「失われた20年」の間、多くの人命が経済無策の前に損なわれてしまった。実際、今も日本の自殺者数は多い。 だが、経済協力開発機構(OECD)によれば、韓国での自殺者数は人口比でみると最悪の数値で、世界でも突出している。しかも、若者の自殺者が非常に多く、自殺未遂者を含めると年間数万人から最大10数万人の若者たちが自死を選んだという推計も成り立つのである。 日本でも韓国でも、自殺と経済の悪化は強い因果関係にある。韓国で特に指摘されるのは、学校や企業などの「競争の場」から排除・疎外されることによる精神的な衝撃である。韓国社会で自分の価値や「自分がなんであるか」を失いがちになる傾向が、雇用状況の悪化とともに加速してしまうのである。 最近の研究では、自殺と緊縮的な経済政策との関連が指摘されている。実は、韓国でも2013年以降、極めて緊縮的なスタンスが採用されていることを見逃してはいけない。そのカギは金融政策のスタンスにある。 韓国の中央銀行である韓国銀行は、インフレ目標を採用しているが、2013年以降はそれ以前にくらべてインフレ抑制的な目標に推移している。2012年まではインフレ目標の中央値は3%であり、上限は4%(下限は2%)だった。 ところが、現状の目標では2%である。それに合わせるように、韓国では急激に低インフレ経済に移行し、場合によればデフレ転落の可能性も懸念されるようになった。2018年4月、屋外に設置された大型スクリーンで南北首脳会談を見ながら統一旗を振る若者たち=韓国・坡州(共同) この低インフレ、実質的なデフレ経済は、インフレ抑制の長所をはるかに超える負担を、若年層の雇用に押し付けたとみることが可能だ。つまり、金融政策がデフレ型に移行したことによる「人災」という側面が、韓国の若年雇用の悪化に求めることができる。 ただ、韓国の労働市場には固有の問題がある。大企業と中小企業の「二重構造」だ。多くの若者が大企業への就職を求めて殺到するが、採用される人はわずかであり、不採用の多くは非正規雇用のプールに陥ってしまう。求職自体を諦めて事実上の長期失業の状態に陥る人も少なくない。就職難は政策転換で変わる 韓国国内では、財閥系中心の硬直した雇用市場が招いた構造的な要因という指摘も多い。また大企業の強力な労働組合が、既存の労働者の立場を確保するために、新しい外部労働者である若者たちの新規参入を拒んでいる面も強い。 だが、韓国には、日本の最近の経済政策による効果と若年雇用との関係を想起してほしいものだ。日本では、「アベノミクス」の核心政策である金融緩和が積極的に行われた結果、新卒採用が大幅に改善した。いわゆる「人出不足」の状況が現出したのである。 大企業だけでなく、中小企業も今までの構造的に思えた厳しい採用方針を転換して、新卒採用に努力を重ねている。それは待遇の改善にもつながる動きが本格化している。非正規雇用も減少に転じて、正規雇用が増加する傾向が定着しつつある。 また、最低賃金が上昇し、反映される形でバイトやパートの時給も顕著に上昇している。これらの日本の雇用状況は、日本人の物忘れの激しさもあり指摘されることは少ないが、つい数年前までは日本の「構造問題」が邪魔してなかなか実現できない、と指摘されていたものばかりである。 つまり、韓国でもインフレ目標の目標値を引き上げるなど積極的な金融緩和政策を採用すれば、若者たちの状況も大きく変わる可能性があるのである。 しかし、文在寅(ムン・ジェイン)政権による若者の雇用対策は、どうも明後日の方向を向いているようだ。最近では、国内の就職状況を自ら解決することではなく、日本のような若者の雇用状況がいい国への就職を推進する政策を採ろうとしているのである。 労働問題を担当する文大統領直属の雇用委員会は、「海外地域専門家養成方策」という計画を発表し、日本や東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国へ1万8千人の就業を促進することを打ち出した。もちろん韓国に限らず、日本でも有能な人材が国際的な労働市場に参画することは、個人の夢の実現にもつながる。2018年1月、ソウル市内で韓国の文在寅大統領の年頭記者会見のテレビ映像を見る市民(AP=共同) だが、そもそも韓国の日本など海外への就職推進政策は、自らが生み出した深刻な若年雇用の悪化という「負の遺産」を、海外に責任転嫁する政策だといっていいだろう。はっきり言えば、文政権の「責任逃れ」でしかない。文政権はまず雇用改善の前提条件ともいえる金融政策の転換を実施する必要がある。 BTSには『血、汗、涙』という代表曲がある。韓国の若者たちの血、汗、涙がどのような原因で生まれるのか、韓国政府は他国に責任を押し付けることなく、自らその解消に真摯(しんし)に取り組むべきである。

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    「地位財の消費」が教える紀州のドン・ファン変死の謎

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「紀州のドン・ファン」の異名を持つ77歳の企業家が不可解な死を遂げた。資産家としても知られる野崎幸助氏は、和歌山県田辺市にある自宅で亡くなったのだが、その後の司法解剖で体内から覚醒剤成分が検出されたという。 筆者が偶然見たテレビの特集では、自宅の中の詳細が画面に映し出されていたのが印象的だった。番組では、死亡当時自宅にいたとされる家政婦の女性が取材に答えていた。死亡時には、今年2月に再婚したばかりの20代の妻も在宅し、彼女が第一発見者であったという。 薬物と死亡との因果関係はわからない。ただ、和歌山県警が殺人容疑で、野崎氏の自宅や会社、東京都内の関係先などを捜査したと報じられている。さらには、野崎氏がかわいがっていた愛犬が最近「変死」したという報道も相次ぎ、不可解さは増している。 筆者は「相変わらずモリカケ問題で盛り上がる懲りない報道」をチェックするために、たまたまワイドショーを見ていたところ、この報道に接した。そして、野崎氏に対しては、今回の事件よりも彼の独特のキャラクターに興味を抱いた。そういえば、以前から本屋に野崎氏の近著『紀州のドン・ファン 野望篇』(講談社)が平積みされていて、その帯文が「オレは死ぬまで美女を抱く!」と刺激的だったことが強く印象に残っている。 また、ワイドショーで彼の半生や人生観を面白おかしく取り上げられ、「1億円なんて紙切れ」という発言や「美女4000人に30億円をつぎ込んだ」といった情報が拡散され、筆者のような傍観者に消費されてきた。だが、「ワイドショーの伝えるイメージは、政治や経済と同じくやはり皮相なものだな」と、今回の事件を機に読んだ野崎氏の著作で再認識した。 筆者もテレビで見たが、確かに、野崎氏の自宅内部は豊かな資産家にふさわしい住居であることは間違いない。ただ、高価な絵画などもあるようだったが、資産家としては「見せびらかしの消費」がわりと抑制されているな、という印象を受けた。むしろ、世の中に拡散しているイメージからすると「地味」にさえ思えた。 もっとも、この印象はあくまで筆者個人の感想でしかないので、違う意見の人もいるだろう。いま「見せびらかしの消費」と書いたが、これはアメリカの経済学者、ソースティン・ヴェブレンが『有閑階級の理論』(1899年)で明らかにした視点だ。当時の富裕層の行う野放図な消費を批判的に描写したものである。チャリティーオークションでデヴィ夫人(左)が描いた絵画を落札し、夫人から受け取る野崎幸助氏(提供写真) 最近、経済書で話題になった『ダーウィン・エコノミー』の著者であるコーネル大学のロバート・フランク教授は、このヴェブレンの「見せびらかしの消費」をさらに改定して、「地位財」という考えを提起している。地位財というのは、それを消費することがその人の社会的な権威のあり方を示す財をいう。ベンツやBMWなどの高級車が、まさにそれに当たる。 フランク教授は、現在の米国や一部の国では、地位財への需要が急激に高まっていることに注目している。特に、地位財への需要が所得の増加率以上に伸びているのだという。この場合の「所得」とはその国の1人当たりの値を指す。交遊は「必需品」の消費 平均的な所得の増加率よりも地位財の需要増加率が上回る原因は、所得の低い人でも、将来の所得を担保にして、負債をつくることで地位財を購入している、とも考えられる。他方で、フランク教授が注目しているのは、所得上位1%の層による地位財の消費である。 一部の経営者やプロスポーツ選手、俳優などに所得が集中し、その人たちが非効率ともいえる消費を行っていることに、フランク教授は警鐘を鳴らし続けてきた。彼らの膨大な所得の多くは単に運がいいだけだったにすぎない。言い換えると、努力の見返りにしてはあまりにも報酬と地位財の消費の無駄が多いということになる。 そのため、フランク教授は無駄な消費を抑えるために累進消費税を提案している。つまり、生活必需品を無税か低率の消費課税にする一方で、ぜいたく品には高税率を課すというわけである。フランク教授の主張の背景には、富裕層の所得の多くがたまたま運良くそれを得ているにすぎない、という洞察があるのである。 ところで、筆者は野崎氏の近著を読んで、ワイドショーによる「1億円なんて紙切れ」的な紹介のされ方とは違う印象を強く抱いた。まず、野崎氏は、自らの努力の末に事業が成功したことを単なる事実として記述しており、あまり誇ることはしていない。むしろ、運の良さを自覚しているとも記述している。 さらに、野崎氏は高級車やブランド品の購入といった典型的な地位財の消費に批判的でもある。ただ一つの例外が、美女との交遊だったのである。それも、交際人数を誇ることはあるにはあるのだが、もちろん他人に見せびらかすための消費ではなかった。 著書から読み解ける野崎氏の人生は、その美女との交遊の成功と失敗の歴史だったのである。それどころか、失敗談の方が印象的だ。単なる色男の自慢話ではないのである。「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(提供写真) 究極的には、野崎氏自ら語るように「妻という名の恋人」を求めることに、女性たちとの交遊が帰着している。端的にいえば、野崎氏にとって、美女との交遊は地位財ではなく、一種の「必需品」の消費ともいえる。フランク教授の描いた地位財の消費に走る富裕層のイメージとはかなり違うのである。 もちろん、実際の野崎氏がどのような人物であったかはわからない。単に著作を読んだだけの感想であり、ワイドショーの報道を真に受けているのと変わらないかもしれない。そして、今回の事件の真相によっては、今書いたイメージとは違う事実も出てくるのかもしれない。 一部報道によれば、野崎氏の遺産は30億円を超えるという。もしこれが本当だとすれば、資産30億円を超える超富裕層は全世界でも約20万人しかいない。日本の超富裕層に属する人の具体的な姿があまり見えない中で、そのユニークさが注目に値したことだけは事実であろう。

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    新聞、テレビの受け売り「モリカケ安倍陰謀説」の無責任

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設問題で、愛媛県から国会に提出された「新文書」が話題となり、国会で野党が安倍晋三首相を追及している。一方、学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐる国有地売却問題では、籠池泰典被告夫妻が保釈され、記者会見を開いて注目された。 つまり、メディアは相変わらず「モリカケ」である。まず、これらの「モリカケ新現象」について簡単にコメントしておく。 加計問題に関して、愛媛県の新文書の要点は、2015年2月25日に加計学園の加計孝太郎理事長が安倍首相と会って、自ら学園の獣医学部構想を話し、それに対して首相が「新しい獣医大学の考えはいいね」と答えたことが重大事らしい。従来の安倍首相の国会答弁と生じた矛盾が争点のようである。 だが、この矛盾は本当に争点なのだろうか。安倍首相の答弁では、国家戦略特区への加計学園の関与を知ったのがいつなのか、という文脈での話である。問題になっている日時は、加計学園が国家戦略特区に関与する以前の話であり、時系列的に全く無縁である。しかも、問題の日に首相と加計氏があった証拠も証言もない。 ところが、メディアや識者の一部は、まるで機密事項の打ち合わせで両者が隠密行動をしていたかのような印象操作に余念がない。だが、単に「獣医学部いいね!」と言うだけで隠密行動をとるというのは、奇怪な妄想だろう。2018年5月27日、記者団の取材に応じる愛媛県の中村時広知事 ちなみに、問題の日の前後には加計理事長と安倍首相は何度も会っていて、記録にも残っている。「いいね」がそんなに国家機密的な発言なのだろうか。 いいかげん、この種の「疑惑」を抱く人はそろそろ自らの思考そのものを省みてほしい。要するに、これは単なる「安倍下ろし」という政治的な策動の一環にすぎないのだ。 報道では全く注目されていないが、そもそも新文書では、政府側の発言として、獣医学部構想についての技術的なアドバイスはあっても政治的介入はできないと断言している。問題はこれで終わりのはずだが、政治的な思惑だけで「モリカケ」は動いているので、終焉(しゅうえん)はないだろう。もう一度書くが、「疑惑」を無反省に抱く世論にも重大な責任はある。テレビや新聞の受け売りはそろそろやめたらどうだろうか。怒れる中村知事の「非常識」 ところで最近は、その新文書を公開した愛媛県の中村時広知事の発言が大きく取り上げられている。加計学園が「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えた」として、担当者の発言を謝罪した。 なんでも中村知事は、県文書を否定されたこのコメントに対して、かなりご立腹のようである。つまり「愛媛県への謝罪と説明が先だろう」というのである。だが、これは本当におかしな話である。 嘉悦大の高橋洋一教授が、ツイッターで「この知事は身勝手で非常識な人だ。文書を出すときにそこに書かれている関係者(加計)に確認したのかね。自分はやらないで相手は求めるタイプ。その確認をしておけばこんなぶざまなことにならないのに」と厳しく批判している。筆者も基本的にその通りだと思う。 正確な記述ともいえない文書を、関係者への事前確認もないままに世の中に出すのは、常識外れか、知事個人の政治的な配慮があるのではないか、と批判されても仕方がない。国会の要請で出したから当然である、という擁護の意見も見かけたが、国会で議論の対象にされるなら、なおさらきちんと関係者に内容を確認してから出すべきである。 さらに森友学園問題のほうでも動きがあった。こちらは籠池被告夫妻が保釈され、その後に記者会見を行ったことが大きく取り上げられた。ただ、アメフト部の「危険タックル」問題で揺れる日本大学の記者会見よりは、インパクトが乏しかったという印象だ。会見内容も聞くべきところはなかった。 ただ籠池氏が「国策勾留だ」と言ったことに妄想を刺激された人も多かったようである。筆者がチェックした範囲でも、「政権の不正を暴露したのに起訴されるのは理不尽」などというツイートを拡散した人がいた。これが「アベ批判無罪」かとあきれたものである。2018年5月、保釈後に会見を行う森友学園前理事長の籠池泰典被告(手前)と妻の諄子被告(手前から2人目、安元雄太撮影) 籠池夫妻の逮捕・勾留は、政治的な争点である安倍首相夫妻が森友学園の小学校用地の価格交渉への関与とは全く異なる次元のものだ。あくまで、籠池夫妻が小学校建設で国の補助金を詐取した容疑と、幼稚園などへの大阪府と市の補助金詐欺などの容疑が、両夫妻の訴追の原因だ。 だが、次元が違う話であっても、なぜか安倍政権批判の文脈で解釈する人たちも多い。本当におかしな話である。「モリカケ問題」の問題点 財務省が公開した文書改ざん前の、森友学園と近畿財務局との交渉過程の記録は重要である。それを見ると、森友学園側と近畿財務局側との熾烈(しれつ)ともいえる交渉が明らかになっている。そして、交渉経過を簡単に述べると、財務省と近畿財務局側の「交渉ミス」で終わっているのである。 交渉そのものは違法ではない。下手を打っただけである。最大の交渉ミスは、学園との相対取引ではなく、最初から公開入札を採用すべきだったということだ。もちろん、その後の財務省による文書改ざんは言語道断であることは言うまでもない。 「モリカケ問題」の問題点は、総じてみると、官僚と政治家の政策の割り当てがいかに難しいかということ、そしてメディアが公平なプレーヤーではなく、時にノイズとなり、時に政治的にふるまうことで世論が扇動されがちなこと、この2点に集約される。 前者は、官僚は行政上の情報や特別な知識を保有しているので、効率性を追求して経済や社会のパイの大きさを拡大していく役割が期待される。そして、政治家はそのパイをどのように配分するかを考えて再分配政策を進める役割を持つ。政治主導とは、この意味での効率性を考える官僚と、再分配政策を行う政治家を政策的にきちんと割り当てることにあるのである。 だが、実際にはモリカケをみても難しいものがある。加計問題では、獣医学部の申請自体を日本獣医師会や獣医師会に支持された政治家といった既得権側が反対していた。そして獣医学教育サービスの効率化を目指すべき文部科学省の官僚は、申請すら受け付けない形で抵抗していた。 官僚が効率性の追求に特化できずに、既得権益を保護する側に強硬に立った結果が、今回の問題がこじれている背景にある。それを端的に表すのが、前川喜平元文科事務次官による「行政がゆがめられた」をはじめとする一連の発言だろう。加計学園から報道機関に送られたファクス また森友問題についていえば、公開入札というスキームではなく、学園側との相対取引を採用したため、官僚側が効率化に徹しきれずに、交渉の不備をもたらしていったわけである。 しかも、より深刻なのは、今のメディアの多くが事実を追求せずに「安倍批判ありき」を繰り返し、無理筋の「安倍陰謀説」めいた話で世論をあおり続けることにある。また、あおりを真に受けて、「疑惑がいよいよ深まった」と思い込んでいる世論にも大きな責任がある。だが、問題の真因は、やはり思い込みをもたらすメディアや政治、官僚のあり方にあることを忘れてはならない。

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    消費増税廃止、マハティールにできて安倍首相にできない道理はない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) マレーシアでマハティール政権が誕生したことは、英国からの独立後初めてとなる政権交代を実現させたこと以外に、二つの驚きをもたらした。一つは、マハティール氏が92歳の高齢にも関わらず、15年ぶりに首相の座につき意欲的な政治姿勢を鮮明にしたことである。特に中国の「一帯一路」政策について、厳しく批判している。 このマハティール氏の姿勢は正しい。中国の「国際的なインフラ事業」を偽装した、中国本位の安全保障対策に付き合うとロクなことにはならないだろう。そもそも、インフラ投資を名目にした「中華的帝国主義」の実体化である。付言すれば、この「一帯一路」政策をいかに骨抜きにし、無害化するかが今後、国際社会の求められる姿の一つだろう。 さらに、もう一つの驚きは、経済の安定化策として、「消費税」の廃止を公約にして、それを実行に移すことである。最近のマレーシアは、経済成長率が低下していて、その主因が消費の減少に求められていた。「元凶」は、ナジブ前政権が2015年に導入した物品サービス税(消費税)である。マハティール氏は、6月1日に税率を0%にすることで事実上廃止し、早速公約を実現したのである。 マレーシア経済も最近、発展が目覚ましいとはいえ、まだ発展途上国である。いわば所得格差も大きい。そのため、低所得層に負担の大きい消費税の導入には、国民世論的にも批判が高まっていた。特に、マハティール氏がかつて主導していた政策は、外資の積極的な導入による経済成長の促進策と、再分配政策の両輪を追求するものだった。これに対して、ナジブ前政権の消費増税政策は、過度に財政再建に傾きすぎていたと評価することができる。 これらのマハティール新政権の基本方針は、実は今の日本でも非常に参考になるはずだ。アジアインフラ投資銀行(AIIB)を中核とした中国の「一帯一路」政策は、巨大化しているようだが、かなり粉飾されているように見える。実際に、AIIBによるインフラ中心の投資額は、日本が主導するアジア開発銀行(ADB)の融資額に比べてまだまだ劣る。 だが、他方で最近、欧州の政策担当者たちから指摘されているように、AIIBのガバナンス(組織統治)が中国本位であるという批判は正当なものだろう。既にADBとAIIBは協調融資を実施している。2018年5月、マレーシア下院選勝利を受け、記者会見するマハティール元首相=クアラルンプール それでも、日本の政策当局者は「一帯一路」、そしてその手段の一つであるAIIBによる中国本位の融資の動きを常に監視し、警戒していく責務があると思う。また、それがアジアや中東などのインフラ需要を、中国本位ではない、それぞれの国民にとっての生活本位として満たすことにつながるだろう。 特に、ただ単に巨額の融資額に目がくらむようではダメだ。インフラ投資は、きちんと行えば経済成長に寄与し、国民の福祉を向上させる。だが、インフラ投資は投資先の国や地域の権力と結託することで、汚職の温床になったり、非効率的な投資につながることで、かえって経済成長を阻害することがある。 中国の政策当事者たちに、各国本位に立った政策構築を求めることは、度のすぎたジョークに等しいだろう。その意味でも、マハティール政権が中国資本による高速鉄道計画の見直しを表明していることは、国民本位のインフラ整備なのかどうかを再考するいい機会ではないだろうか。対案よりも「消費税廃止」 さらにマハティール政権の政策で注目すべきなのは、消費税の廃止である。今後の日本経済における最大の不安定要因は、2019年10月に予定されている消費増税である。現状の経済政策をざっとみれば、金融政策は緩和を継続する一方で、財政政策は積極的とはいえない状況である。今の国際情勢や経済情勢が運よくこのまま継続すれば、来年前半にはインフレ目標2%台に何とか到達し、そのときに雇用も最大化しているだろう。 しかし、情勢が運よくこのまま継続する保証などみじんもない。要するに、「2%台」も「雇用の最大化」もバカげた予測にすぎないのである。だからこそ、実際に経済が安定化するには、最大の国内障害である消費増税を凍結するか、もしくは廃止するのが理想的である。 そもそも現状の消費税のあり方についても、筆者は反対である。ただし今回は、来年の消費増税のみに議論を絞りたい。最近、財務省の宣伝工作と思われるが、新聞などで消費増税による悪影響への対案が報じられている。 このような悪影響がはっきりしているのであれば、対案を出すよりも、まず消費増税をやめることが第一である。ところが、財務官僚とそのパートナーである「増税政治家」と「増税マスコミ」には、そんな常識は通用しない。彼らにとっては「増税ありき」であり、理由などもはやどうでもいいのだ。 経済が安定化しつつある現状でさえ、税収の増加が顕著である。それをさらに軌道に乗せ、税収も安定すれば、財政再建の必要条件が満たされるだろう。だが、増税政治家と財務省にとってはそんな理屈はどうでもいいのだろう。消費税を上げるのは偏狂的な政治的姿勢が生み出した妄執であろう。そんな妄執は、国民にとって「経済災害」以外のなにものでもない。 与党だけではなく、対抗勢力である枝野幸男代表率いる立憲民主党、支持率が1%にも満たない国民民主党などの野党も含め、国会議員の大半がこの「消費増税病」にかかっている。ちなみに、日本共産党は消費増税に反対だが、経済回復の大前提である金融緩和に否定的なのでお話にならない。このように、国会議員ほぼ全員が消費増税病という事態は、本当に日本の深刻な危機である。2018年5月、立憲民主党の枝野幸男代表(右手前から4人目)ら幹部にあいさつする国民民主党の(左手前から)玉木雄一郎、大塚耕平両共同代表 最近、自民党のLINEを使ったアンケート結果を見たが、そこには経済対策を求める声が大きい。だが、その対策に消費増税が入っているとは思えない。ということは、自民党議員の多くは支持者を裏切るスタンスを採用しているともいえる。 そのような支持者たちを裏切る政治的背反はやめたほうがいい。そして何よりも、経済が安定化していない段階での消費増税は過去の失敗を見てもわかるように、いいかげん放棄すべき愚策である。 それを理解できない議員を政治的に排除していくことこそ、国民が選挙などで求められる視線かもしれない。その意味では、マレーシアのように、消費増税廃止を公約に掲げて国政選挙を行ってもいいぐらいだろう。 現状では、安倍晋三首相もこの消費増税路線を堅持している。首相の本音がどこにあるのかはわからない。過去2回延期したという貢献があるにせよ、今のところ消費増税路線を維持している限り、安倍政権もまた批判を免れることはできない。安倍政権には経済を安定化させる義務がある。それが対中安全保障を含め、この長期政権に今までも求められてきた最重要課題だからである。

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    政治的娯楽「モリカケショー」があまりにバカバカしい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 元首相秘書官の柳瀬唯夫経済産業審議官の国会への参考人招致を契機にして、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設問題に再び注目が集まっている。ただし、筆者に言わせれば、相変わらずの悪質な誘導報道めいた動きや、多くの野党の「疑惑がますます深まった」症候群が加速化しているだけでしかない。 この問題は日本のメディアの低レベルと政治の薄っぺらさを実証する以外に何の成果もないのである。だが、世論調査では、圧倒的多数の人が柳瀬氏の国会での発言に納得していないようだし、テレビのワイドショーの「識者」の発言も同じく批判的だ。 しかし、筆者の考えでは、加計学園問題は一種の政治的な娯楽で消費されているに過ぎず、いわば受け手や作り手の「好き嫌い」しか反映されていないものだと思う。つまり、映画や遊園地で遊んだことについて、お客さんに「満足」か「不満足」かのいずれかを問うものと同じレベルであるということだ。 世論調査では、加計学園問題に関する柳瀬氏の答弁や安倍晋三首相の説明について、世論、いや消費者たちは圧倒的に「不満足」である。彼らは政治的娯楽を「もっともっと」求めているように思える。 多くの野党議員が口にする「疑惑はますます深まった」という言葉も、要するに「次回のモリカケは?」とドラマやアニメの予告編を知らせるせりふでしかない。そこには真実の追求もなければ、政治的な展望もないのである。もはや、政治はワイドショーの「奴隷」のような状況だろう。 ちなみに、柳瀬氏が加計学園の獣医学部新設をめぐり、学園や愛媛県の関係者と面談したことは、事実関係でも単純な論理としても、安倍首相サイドによる優遇には全くつながっていない。一部マスコミの見出しでは、まるで加計学園サイドに「優遇して」面談の機会が与えられたかのような印象報道もある。2018年5月10日、衆院予算委の参考人質疑で答弁する柳瀬唯夫元首相秘書官(松本健吾撮影) でも、あくまで柳瀬氏側と面会の予約をすることができたかどうかの問題でしかないのである。それが何の疑惑の根拠になるのだろうか。真実よりも「好き嫌い」 また、愛媛県の中村時広知事や「反安倍」の識者、マスコミ、野党は、「首相案件」という文言にこだわっている。では、「総理案件」だろうが「首相案件」だろうが、フレーズがいずれであっても、いったい何の疑惑を生み出すものなのだろうか。まるで「疑惑ゆえに疑惑あり」「予告編は面白おかしくていい」というような薄っぺらい印象でしかない。 もう一度簡単に書くが、柳瀬氏と面談すること、そしてそのときのメモ書きに「首相案件」などと書かれていたことが、何か重大な政治的ミス、道義的な重大ミス、あるいは国益を損ねる犯罪などになるのだろうか。 実は、この問いに対し、具体的に答えた人はいまだにいない。国民の多くは、テレビや新聞、インターネットなどから「犯罪映画の予告編」を延々と流され、「なんか怪しそうだ」とあおられているだけである。まさに異常な事態といえるだろう。 筆者はこの異常事態をしばしば「魔女狩りの経済学」という視点で取り上げてきた。冒頭にも書いたように、加計学園と学校法人「森友学園」(大阪市)のいわゆる「モリカケシリーズ」は、報道ではなく娯楽の消費なのである。 すなわち、真実の価値よりも、単に「好き嫌い」や「面白い面白くない」が優先されるのである。そしてメディアは、世論にできるだけ楽に消費してもらえるように、勧善懲悪的な見方や単純な構図、そして一つの話題をなるべく使い回すことを選ぶ。 メディアにとって、真実の追求は「おまけ」でしかなく、かえって真実がゆがめられて報道されている。しかし訴訟を起こされない範囲であれば、この娯楽としての報道にリスクは生じない。特に任期も限られていて、公的な地位が高く、訴訟リスクの低い国会議員などは、娯楽としての報道には最適の道具でしかないからである。 他方で、長期的な「取引関係」にあるといっていい官庁や警察、有力芸能事務所などへの批判は控えめになる。これらのマスコミの「取引先」は大切なお得意さまなのかもしれない。2018年5月8日、閣議後、記者の質問に答える麻生財務相 例えば、財務省で立て続けに明らかになった文書改ざん問題やセクハラ問題は、財務省の体質や制度そのものに起因する悪質なものである。ところが、マスコミの多くは麻生太郎副総理兼財務相の「クビ」しか関心がない。財務省自体に損失を与えると、自らにとっても「マイナス」になるかのように、彼らの批判の矛先は麻生氏に向けられたままだ。「モリカケ問題」今後は? さらにマスコミは、政府が「悪」、それに対抗する勢力は「善」、と勧善懲悪的に描かれる。今回の加計学園問題においても、政府側は悪役であり、くめども尽きない「疑惑の泉」でもある。 筆者の知る人気のサブカルチャー識者の中にも「常に政府に反対するのが正しい」と主張する人もいる。あまりにも薄っぺらい見方だが、国民の一定割合の支持を受けているだけに侮れない。 一方で、ワイドショーをはじめとするテレビ・新聞の報道を真に受けない人たちも増えてきている。これらのマスコミの情報を踏まえながらも、ネットでの代替的・補完的な情報や意見を参考にする人たちである。 もちろんネットの情報には多くの深刻な間違いがある。また、ネット上の意見の多くがマスコミの意見や分析の焼き直しであることも多い。ただ、これらのマイナス面を割り引いても、インターネットの進歩が、既存のメディアが好んで作り出す「娯楽としての報道の危険性」に一定のブレーキをかけていることは間違いない。 ところで、モリカケ問題はこれからどのような動きを見せるのだろうか。真実の追求よりも娯楽の追求が問題の「真相」だとすれば、答えは一つしかない。テレビであれば他の番組にチャンネルが変わること、新聞であれば他の重大問題に一面が変わることである。 つまり、より「楽しい」娯楽が提供されるまでは、この問題に関する「疑惑」は生産され、消費され続けるしかないのである。経済学のゲーム理論を応用すれば、これはゲームのルールが変更されることを待つしかない。悲観的な見方ではあるが、実はそれほど絶望的でもない。娯楽はすぐに飽きられる面もあるからだ。2018年5月10日、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致を伝える東京・秋葉原の大型モニター 実際、一部の世論調査では、内閣支持率も下げ止まりをみせて微増に転じているようだ。これは北朝鮮などの外交問題といった違う娯楽を求め始める動きや、消費者の飽きを示すものかもしれない。もちろん、真実を望む多くの人たちの、ネットなどを中心とした言論活動の成果かもしれない。 いずれにせよ、既存のマスコミが真実を追求する報道ではなく、娯楽としての報道を提供する限り、それを国が保護する何の理由もない。今後、マスメディアに対する規制緩和、特に放送法の改正などが重要な課題になっていくであろう。

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    「日本型ハラスメント」がなくならない理由はコレだった

    善指導が可能となる法改正が望まれるとしている。大和田氏の重要な指摘を忘れてはならない。追記:今回で「田中秀臣の超経済学」も連載100回を迎えました。今回書いた日本のマクロ経済や、個々の働く人の問題、貧困、格差、弱者の問題、さらには政治と国際問題について、さらに議論をすすめていきたいと思います。読者諸賢のご理解とご支援を今後もよろしくお願いできれば幸いです。

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    「ウナギが食べられない」歴史的不漁より影響が大きい噂の経済効果

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) ゴールデンウイークの始まりとともに、今年のシラスウナギの採捕期間が終わる。ニホンウナギの稚魚であるシラスウナギは、12月から翌年4月末までが漁期である。この期間中、シラスウナギの劇的な減少が話題になった。 昨年末、国内の養殖池で育てるために主要取引先の香港から輸入されたシラスウナギの量が、前年同時期の92%減となった。この歴史的な不漁が明らかになり、インターネット上でも「ウナギが食べられなくなる」「ウナギを食べるのをやめよう」といった発言が活発化した。 その後、3月に入って採捕量が増加し、シラスウナギを養殖池に放流する「池入れ」の量は回復していったようだ。それでも、報道によれば、平年の6割程度の池入れ状況だという。 シラスウナギの不漁の原因にはさまざまな理由があり、海流の変化、乱獲、環境の悪化などが挙げられている。だが、回復への決定打はないようで、わかっているのは、シラスウナギの採捕量が毎年減少傾向にあるということだけである。 ところで、「土用の丑(うし)の日」にウナギを食べるというのはいつから始まったのだろうか。記憶が曖昧でなければ、筆者の子供のころである昭和30年代から40年代は、あまり一般的な風習でもなければ、巷で広まってもいなかったように思える。バレンタインデーや恵方巻きがいつの間にか季節の風物詩になったのと同じように、業界の思惑が見え隠れしている。 いずれにせよ、通説では江戸時代後期に、平賀源内が夏の売り上げ不振に悩む鰻(うなぎ)屋のために、「土用の丑の日」にウナギを食べることを宣伝文句として考え出したといわれる。これも真偽については諸説あるようだ。ウナギの稚魚シラスウナギ(第11管区海上保安本部提供) ただ、PR戦術としては、かなりうまい工夫だと思う。最近でこそ、「今日は××の日」などと記念日が連日あるように、特定の財やサービスの消費を促す仕組みには困らない。それどころか、同じ日にいろいろな名目の記念日が並ぶことさえも珍しくない。 例えば、7月7日は、ラッキーナンバーの「7」が並ぶせいか、記念日の「猛ラッシュ」である。七夕はもちろん、国土交通省が便乗した「川の日」、ポニーテールの日、乾麺デー、サマーバレンタインデー、冷やし中華の日、カルピスの日、ゆかたの日、果てはギフトの日まで、軽く2桁に届いてしまう。「ウナギ好き」を後押しした相乗効果 多くは関連業界の販促目的であり、いわば「現代の平賀源内」が活躍した成果でもある。ちなみに筆者の誕生日の9月7日は、オーストラリアでは「絶滅危惧種の日」だそうだ。 このように「今日は××の日だから」××を食べよう、着よう、買おうと促されると、ついつい財布のひもが緩んだりする消費者も少なくないだろう。これを経済学では「フレーミング効果」と名付けている。フレームとは「参照される枠組み」ということであり、つまり、何かにかこつけることができる人は不合理な行動に出てしまうというものである。 例えば、フェイスブックに「友達」というカテゴリーがある。私もこの「友達」に何人ものユーザーを登録している。そしてフェイスブックでは「友達」だけが、自分の書いた投稿を閲覧できる、公開範囲の設定機能がついている。つまり、「友達」というフェイスブック内のフレームが、ユーザーに一種の安心感を与えているのである。そのため、「友達」向けに書く内容は、一般に公開される投稿よりもプライベートな情報が多くなりやすい。 でも、その「友達」が本当にプライベートな情報について他に漏らさないことを、フェイスブックはもちろんのこと、誰も保証してはくれない。そのため、重要な情報が「友達」の外に漏れてしまい、ネットで炎上するなど思わぬ損害を招く可能性がある。 このように、フレーミングには人に合理的な判断を不可能にさせる心理的な効果がある。もちろん「友達」のフレームを信じて、「友達」同士がより親しくなり、信頼関係を強化していく効果もある。フレーミングは、非合理性が人の不幸にも幸福にも貢献することを示しているともいえるだろう。 さて、「土用の丑の日」にウナギを食べるというフレーミング効果が、かなり発揮されていることに疑いはない。しかも、個々人がフレーミング効果の「とりこ」になっているだけではなく、相乗効果もある。台湾から空輸されたウナギ。漁獲量の減少から絶滅危惧種に指定された=2017年7月、成田空港 みんなが「土用の丑の日」でウナギを食べているので、私も便乗して食べよう、という判断も生じるからである。これを「バンドワゴン効果」という。バンドワゴンとは、カーニバルなど行列の先頭に登場する巨大な楽隊車を指す。つまり、みんながお祭り気分になる効果である。これもまた合理的ではなく、非合理的な消費態度だといえるだろう。 日本人は20世紀まで世界のウナギ消費量の3分の2を占めていた。まさに平賀源内のフレーミング効果と、バンドワゴン効果の「合わせ技」がフル回転していたわけである。その消費量は15万トンに及んでいた。ところが、21世紀に入ると、日本の消費量は急減してしまう。2012年には3万7千トンにまで落ち込んでいる。21世紀中に、世界全体のウナギ消費量が中国などの需要増の影響で微増しているにも関わらずである。 他方で、ウナギが、国際自然保護連合から絶滅危惧種の指定を受けたことも記憶に新しいだろう。絶滅危惧種の指定自体は、ウナギの消費動向や捕獲に関する罰則付き規定の導入に直ちに結び付いているわけではない。ただ一部の論者の中には、この絶滅危惧を重大視し、水産庁の対応不足などを指摘している。つまり、規制を強化すべきだと主張しているのである。「噂」の経済効果の影 研究者や企業も、ウナギの完全養殖や代替可能な食品の製造などに取り組んではいるが、まだまだ道半ばである。その意味では、絶滅危惧種指定を重大視すれば、この種の規制が重要になるかもしれない。では、21世紀に入ってからの日本のウナギ消費の急減は、この環境意識の芽生えが貢献しているのだろうか。 だが、答えはどうも違うようである。実は、日本における21世紀のウナギの消費量急減の背景には、中国産ウナギについての評価が影響を及ぼしているという指摘がある。一説によれば、中国産のウナギについて、一時期話題になった残留薬物問題や産地偽装問題がいまだに尾を引いたために輸入が急減し、そのことがウナギの消費自体まで減少させたという。 もちろん明言しておくが、現在の中国産ウナギには厳格な管理・検査態勢が敷かれているので、不適当な食材として流通する可能性は皆無に等しいだろう。だが「噂」の経済効果はばかにはできない。これはフレーミング効果が反対に作用し、消費を減らす効果を持ったといってもいいだろう。 要するに、「中国産」というフレーミングの、消費に対するマイナス効果が、「土用の丑の日」というフレーミングのプラス効果をかなり打ち消してしまったのだろう。さらに、多数の人間がそのような嗜好(しこう)に変わってしまったことで、バンドワゴン効果も消費を減らすことに大きく貢献しまったのである。 中国産ウナギの安全性が保証されても、マイナスのフレーミングとバンドワゴン効果を打ち消すことがなかなかできない。人間の非合理性のやっかいなところでもある。 それでは、日本産ウナギの方はどうだろうか。これについてはそもそもの捕獲量の減少も加えて、21世紀になって高価格帯を推移している。冒頭にも書いたように、今年は例年にない高値になりそうだ。 今までのウナギのかば焼きの価格推移をみると、中国産ウナギの消費が好調であった90年代は、1匹当たり500円台から600円台で推移していた。それが21世紀に入った現在は、日本産ウナギの価格が急上昇し、1000円台になっている。ウナギのかば焼き この価格上昇が、日本のウナギ消費量を抑制する一因にもなっているだろう。ただし、消費抑制の一方で、ウナギの供給者にとっては、完全養殖ウナギの開発や、ウナギに近い触感や味わいを持つ食材の開発を刺激する効果も持つかもしれない。これは消費者にとって供給を増加させるから好ましい動きともいえる。 実は、筆者もウナギが大好物である。だから、絶滅の危険がさらに高まって、消費そのものが禁止されてしまうと非常に困る。ウナギの未来は、複雑な経済の動きにかかっているのである。

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    #MeTooに便乗した枝野幸男のセクハラ追及は「限りなくアウト」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 立憲民主党や希望の党など、野党はいったい何をしているのだろうか。福田淳一財務事務次官のセクハラ問題からせきを切ったように、野党の安倍政権への「猛攻撃」が始まっている。だが、その「猛攻撃」に理はあるのだろうか。筆者は率直に言って理解しかねる面が多すぎると思う。特に野党6党の国会審議拒否、麻生太郎財務相の20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議への出席や、小野寺五典防衛相の訪米を認めない姿勢は国益を損ねている。 まず福田氏のセクハラ問題自体は、福田氏個人の問題である。麻生財務相はあくまでも事務次官の「職務上の行為」について責任を負っているにすぎない。もちろん、麻生氏が「謝罪」をするのは社会常識的に正しい。だが、それ以上に職員の私的行為にいちいち責任を負わなければいけないとしたら、あまりにも行き過ぎた要求だと思う。 それでも、セクハラ問題が報道された直後、財務省が、被害者の身元を財務省の窓口に自己申告してほしいという姿勢を採ったことは確かに傲慢(ごうまん)である。セクハラ問題の対象者が財務省の事務方トップであるならば、財務省とは別の官庁、例えば、厚労省や内閣府を窓口とすることを考えなかったのだろうか。 ただし、財務省の指定した弁護士事務所の対応細目はあまり注目されていないが、かなり丁寧なものだ。もちろん、それが被害者にとって十分な対応かは、別途議論の余地がある。だが、財務省にはセクハラを隠蔽する意図があるとは社会常識的に思えない。そもそも、問題がここまで公然化しているので不可能である。 また、被害者のプライバシー保護を無視することも難しい。要するに、自省の人間がセクハラを起こしたとき、しかもその相手が報道機関を利用して匿名で告発したときの初期対応が「傲慢」な印象を与えた。だが、これをもって麻生氏の辞任の口実にするにはあまりにも行き過ぎである。 筆者はいままで財務省や、場合によっては財務次官個人への批判を20年近く行ってきた。時には財務相の辞任を願うこともあった。だが、それはあくまでも財務省の仕事に関連した話である。 もちろん今後、財務省のセクハラ疑惑の解明が独自に進められると思う。その過程で、疑惑ではなく「真実」だと財務省が判断すれば、当該職員にペナルティーが課せられる可能性が大きいのではないか。この解明作業が不十分であり、社会的に見てもあまりにずさんであれば、そのときは別の批判を財務省に向ければよい。2018年4月20日、財務事務次官のセクハラ疑惑を受け「#MeToo」と書かれた紙を手に財務省へ抗議に訪れた野党議員ら だが、まだ被害者本人に財務省はおそらくコンタクトしていないだろう。これからの過程を静かに見守ることが、このようなセクハラの事象には必要ではないだろうか。物事を拙速に決めつけて進むべき問題ではないように思う。 だが、野党の姿勢は、この私的なセクハラ問題をむしろ「政治闘争」の素材にしてしまっているのではないか。中でも一部の野党議員は「#MeToo(私も)」運動を標榜(ひょうぼう)し、黒いスーツを着用して国会を中心にパフォーマンスを展開している。「身内」と矛盾する立憲民主党2018年4月22日、松山市内で取材に応じる立憲民主党の枝野代表 今回のセクハラ問題に対して、本当に野党6党が共同で抗議するのであれば、まずはセクハラ問題を起こした野党議員への対処をしたらどうか。例えば、J-CASTニュースによれば、立憲民主党のセクハラ問題を起こした2人の衆院議員について、同党の枝野幸男代表らは双方で話し合いや和解が済んでいることを理由にして、現状以上の処分を避けている。むしろ、野党6党が今、麻生氏に退陣要求している理屈を援用すれば、枝野氏自らの進退にもかかわるのではないか。 もし、現状の立憲民主党と同じ方針を採用するのであれば、財務省のケースも、まずは双方による調停や、また財務省が行っている調査や処分の経過を見守るのが正しいのではないか。今の立憲民主党による麻生氏への辞任要求は、さすがに「身内」への態度とあまりにも矛盾している。 だいたい、現在の世界情勢を考えると、国際的な情報収集のために、今こそ政治家たちが与野党問わず、奮闘すべきときだと思う。確かに、セクハラ問題の解明も重要であるが、現在は財務省の今後の対応を見守るべき段階であろう。むしろセクハラ問題を、見え透いた倒閣目的での利用に走る野党が残念で仕方がない。 マスコミにも問題はある。特に女性記者が在籍しているテレビ朝日である。自社の女性記者が上司に相談したとき、セクハラの訴えを事実上抑圧してしまっているからだ。そのため、女性記者は『週刊新潮』に身に起きた事態を告げたのだろう。また自社の記者がセクハラ被害をうけたときの社内対応が全くできておらず、それが1年以上続いたことで問題の長期化を招いた疑いもある。 だが、テレビ朝日の報道・情報番組では、自社の対応への反省よりも、ともかく安倍政権批判にが優先であるように思える。その一端が、問題発覚直後に放送された『報道ステーション』の一場面に現れている。 4月19日の番組内で、コメンテーターの後藤謙次氏は「テレビ朝日が最初、女性記者から相談を受けたときの対応は大いに反省してもらいたい」としつつも、「ただ今回、記者会見をして事実公表したことで、ギリギリセーフ」と述べた。 この見解はさすがにおかしい。女性記者の訴えが上司によって事実上握りつぶされてしまっていたからだ。また、女性記者がセクハラを長期間耐え忍んだことに、セクハラを事実上許してしまう会社の体質や、セクハラに対して不十分な態勢が影響していたのかどうか。それらの疑問点が番組では全く明かされることはなかった。 むしろ「ギリギリセーフ」どころか「限りなくアウト」としか筆者には思えない。また、多くのマスコミも一部を除いて、テレビ朝日の対応に批判的な声が上がっているようには見えない。これも実におかしなことである。テレビ朝日をはじめとするマスコミや、野党による今回のセクハラ問題をめぐる対応には、いろんな点でますます疑惑が深まるばかりである。

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    小ネタの波状攻撃「安倍政権撲滅キャンペーン」にモノ申す

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 3月2日の朝日新聞の報道から始まった「安倍政権撲滅キャンペーン」はいまだ続行中だが、現段階でまとめられることと批判を書いておきたい。 まず問題の局面は三つに分かれる。「森友学園をめぐる財務省の文書改ざん」「自衛隊イラク派遣時の日報問題」「加計学園に関する『首相案件』メモ」である。これにおまけとして「安倍晋三首相や麻生太郎副総理兼財務相などの発言や態度」「福田淳一財務事務次官のセクハラ疑惑」などが挙げられる。 こう列挙するといろいろな話題があったが、安倍内閣に総辞職に値するほどの責任があるかといえば、よほど政治的な思惑がない限り、答えはノーであろう。 もっとも、「安倍政権撲滅キャンペーン」の一番の狙いは、今秋に行われる自民党総裁選での安倍首相の3選阻止だろう。そのためには、一撃で辞任に値するほどの責任など必要はない。「小ネタ」を何度も繰り出して波状攻撃をかけていけば、それだけ世論は安倍政権への支持を下げていく。これがおおよそ、反安倍陣営の描いているシナリオではないだろうか。 事実、連日のようにテレビや新聞では、安倍政権への批判が盛んである。今のところ、反安倍派の狙いはかなり当たっており、言い換えれば視聴者や読者に安倍批判報道が好まれていることを意味している。何せ、米英仏によるシリア空爆という国際的な大ニュースよりも、日本の報道番組が上記の五つのニュースに割く時間の方が圧倒的に長い。 そのことだけで、いかに「安倍政権撲滅キャンペーン」がうまくいっているかを端的に表している。もちろんあらかじめ明言しておくが、そのような事態を好意的に評価しているわけでは全くない。むしろ、真に憂うべき状況なのである。獣医学部新設を巡り、愛媛県の職員が作成したとされる記録文書 さて、上記の五つの問題の現状について簡単にみていく。まず、「森友学園をめぐる財務省の文書改ざん」である。森友学園問題は、簡単にいうと財務省と学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐる公有地売却に関係する問題であり、その売却価格の8億円値引きに安倍昭恵首相夫人が関わっていたかどうかが焦点である。現状ではそのような事実がないばかりか、安倍首相自身が関与したという決定的証拠もないのである。 ただし「反安倍的な見解」によると、「関与」の意味が不当なほど拡大解釈されてしまっている。例えば、文書改ざんでいえば、財務省の文書には森友学園前理事長の籠池泰典被告と近畿財務局の担当者の間で、昭恵夫人の名前が出たという。昭恵夫人の名前が籠池被告の口から出ただけで大騒ぎになったのである。森友は政権撲滅への「持ち駒」 ところが、それで財務省側が土地の価格交渉で何らかの有利な働きかけを森友学園側にしたという論理的な因果関係も、関係者の発言などの証拠も一切ない。それでも、印象報道の累積による結果かどうか知らないが、筆者の知るリベラル系論者の中には、「首相夫妻共犯説」のたぐいを公言する人もいて、老婆心ながら名誉毀損(きそん)にならないか、心配しているほどである。 また、文書改ざん自体は、筆者は財務省の「ムラ社会」的な体質が生み出したものであると発覚当初から批判している。ただし現在、佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官ら関係者の立件を検察側が見送るとの報道が出ている。だが、法的には重大ではないとはいっても、財務省の改ざん行為が国民の信頼を大きく失墜させたのも確かだ。 政府側は、この機会に財務省改革を進めるべきであろう。識者の中でも、ブロックチェーン導入などによる公文書管理の在り方や、歳入庁創設に伴う財務省解体、また消費増税の先送りなどが議論されている。 だが、野党側やマスコミには政権側への責任追及が強くても、一方で財務省への追及は全くといっていいほど緩い。なぜだろうか。それは森友学園問題も文書改ざんも、あくまで安倍政権を降ろすことが重要であり、そのための「持ち駒」でしかないからだ。だからこそ、財務省改革など、多くの野党や一部マスコミの反安倍勢力には思いも至らない話なのだろう。 ちなみに、文書改ざんについて、麻生財務相や安倍首相の責任を追及し、辞任を求める主張がある。確かに、麻生氏が財務省改革について消極的ならば、政治的な責任が問われるだろう。その範囲で安倍首相にも責任は波及するが、あくまで今後の政府の取り組み次第である。とはいえ、官僚たちが日々デスクでどんな作業をし、どんな文書を管理し、どんな不正をしているかすべて首相が知っていて、その責任をすべて取らなければいけないとしたら、首相が何人いても足りない。今、安倍首相に辞任を迫るのは、ただのトンデモ意見なのである。 さて、「自衛隊イラク派遣部隊の日報問題」は安倍政権に重大な責任があるのだろうか。そもそもイラク派遣は2003年から09年まで行われており、第2次安倍政権発足以前の話である。日報そのものも、小野寺五典防衛相が調査を指示して見つかったという経緯がある。確かに、この問題は防衛省と自衛隊の間の関係、つまり「文民統制」にかかわる問題である。東京・霞が関の財務省の外観・看板=2018年3月(桐原正道撮影) だが、日報が現段階で見つかった過誤を、安倍首相の責任にするのは論理的にも事実関係としても無理がありすぎる。どう考えても、第一に日報を今まで提出しなかった自衛隊自体の責任であろう。この問題も今後の調査が重要であり、また文書管理や指揮系統の見直しの議論になると思われる。 この問題についても、リベラル系の言論人は「小野寺防衛相は責任をとって辞任せよ」という珍妙な主張をしている。文書の存在を明らかにした大臣がなぜやめなければいけないのか、甚だ不可思議だが、反安倍の感情がそういわせたのか、あるいは無知かのいずれかとしか思えない。加計問題、首相「介入」の意味はあるか 次に最新の話題である「加計学園に関する『首相案件』メモ」に移ろう。2015年4月に当時首相秘書官だった柳瀬唯夫経済産業審議官が愛媛県職員らと面会し、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設についての助言を求めた事案である。 そのときの面会メモに「首相案件」という柳瀬氏の言葉が記載されている。メモの存在は、当初朝日新聞などが報道し、その後、愛媛県の中村時広知事が職員の備忘録として作成したと認め、農林水産省にもメモの存在が確認されている。 柳瀬氏は国会での答弁で、何度も加計学園関係者との面談の記憶がないと言い続けてきた。だが、その愛媛県職員のメモには、柳瀬氏の発言として「本件は、首相案件となっており、内閣府の藤原(豊地方創生推進室)次長(当時)による公式のヒアリングを受けるという形で進めていただきたい」とあった。 面会の記憶は本当になかったのか、それとも、国会答弁をろくに調べもせずに答えたり、あるいは隠したりしたような違う事情があるのか、今後の進展をみなければいけない。いずれにせよ面会の事実はあるわけだから、柳瀬氏は反省すべきだろう。ちなみに、柳瀬氏が面会の記憶がないとコメントしたことを安倍首相が「信頼する」と述べたことを問題視する勢力がある。そもそも反証の事実が確定しないときに、国会の場で自分の元部下の発言を「信頼できない」ということ自体、社会常識的におかしいとは思わないのだろうか。 ところで、柳瀬氏のメモ内での発言である「首相案件」は、果たして安倍首相の「加計学園ありき」の便宜を示すものなのだろうか。いま明らかになっているメモの内容を読み解けば、何十年も新設を認められなかった獣医学部の申請自体をいかに突破すべきなのか、助言が中心である。 では、愛媛県側が首相秘書官に会い、助言を求めたことが大問題なのだろうか。筆者が公表された部分のメモを読んだ限りでは、まったく道義的にも法的にも問題はない。例えば、筆者も複数の国会議員にデフレ脱却のためにどうすればいいか、今まで何度も相談してきた。それが何らかの「利益供与」になるのだろうか。もしそう考える人がいたとしたらそれはあまりにも「ためにする」議論の典型であろう。その「ため」とは、もちろん「安倍政権批判ありき」という心性であろう。記者団の取材に応じる元首相秘書官の柳瀬唯夫経済産業審議官=2018年4月、経産省 加計学園は面会した2015年4月の段階で、内閣府の国家戦略特区諮問会議に獣医学部新設で名乗りを上げる前であった。そもそも、国家戦略特区諮問会議で決めたのは獣医学部の新設ではない。文部科学省による獣医学部新設申請の「告示」を規制緩和することだけだったのである。 獣医学部の設置認可自体は、文科省の大学設置・学校法人審議会が担当する。そして特区会議も設置審も、ともに民間の議員・委員が中心であり、もし安倍首相が加計学園を優先的に選びたいのであれば、これらの民間議員や委員を「丸め込む」必要がある。そんなことは可能ではなく、ただの妄想レベルでしかないだろう。 実際、今まで安倍首相からの「介入」を証言した議員や委員はいない。そもそも首相が「介入」する意味さえ乏しい。なぜなら、加計学園による獣医学部の申請が認められたことで、これ以後、獣医学部申請を意図する学校法人は全て同じ条件で認められるからだ。疑惑を垂れ流す「首相案件」 つまり、制度上は加計学園への優遇措置になりえないのだ。それが国家戦略特区の規制緩和の特徴なのである。この点を無視して、首相と加計学園の加計孝太郎理事長が友人関係であることをもって、あたかも重大な「疑惑」でもあるかのように連日マスコミが報道するのは、まさに言葉の正しい意味での「魔女狩り」だろう。 ちなみに「首相案件」は、言葉そのものの読解では、国家戦略特区諮問会議や構造改革特区推進本部のトップが安倍首相である以上、「首相案件」と表現することに不思議はない。そもそも「首相案件」ということのどこに法的におかしいところがあるのか、批判する側は全く証拠を示さない。ただ「疑惑」という言葉を垂れ流すだけである。 何度も書くが、これを「魔女狩り」と言わずして何というべきだろうか。政府の行動に対して常に懐疑的なのは、慎重な態度かもしれない。しかしそれが行き過ぎて、なんでもかんでも批判し、首相の退陣まで要求するのであれば、ただの政治イデオロギーのゆがみでしかない。ただ単にマスコミなどの「疑惑商法」にあおられただけで、理性ある発言とはいえない。 「安倍首相や麻生副総理兼財務相などの発言や態度」については、論評する必要性もない。この種の意見を筆者も高齢の知識人複数から耳にしたことがある。簡単にいえば、この種の報道は、首相が高級カレーを食べたとか、麻生副総理が首相時代にカップラーメンの値段も知らないとか、今までも散々出てきた話である。 確かに、国会発言が適当か不適当かはその都度議論もあるだろう。しかしこの種の「言い方が下品」系の報道で政治を判断するのは、筆者からするとそれは政治評価ではなく、単に批判したい人の嫌悪感情そのものを表現しているだけにすぎないように思う。 最後は「福田財務次官のセクハラ疑惑」である。これについては事務次官個人の問題であり、現段階では事務次官本人がセクハラ疑惑を否定している。また、セクハラ疑惑を報道した出版社を訴える構えもみせている。セクハラを受けたという女性記者たちと、事務次官双方の話を公平に聴かない限り、何とも言えない問題である。マスコミは、この財務事務次官のセクハラ疑惑も安倍政権批判に援用したいようだが、これで安倍政権の責任を求めるのはあまりにもデタラメな理屈である。財務省を出る福田淳一事務次官(奥中央)=2018年4月13日 筆者は安倍政権に対して、以前からリフレ政策だけ評価し、他の政策については是々非々の立場である。最近では裁量労働制について批判を展開し、消費増税のスタンスにも一貫して批判的だ。だが、上記の五つの問題については、安倍首相を過度に批判する根拠が見当たらない。要するに、これらの事象を利用して、安倍政権を打倒したい人たちが嫌悪感情、政治的思惑、何らかの利害、情報不足による無知などにより、批判的スタンスを採用しているのだろう。 もちろん、まっとうな政策批判、政権批判は行われるべきだ。だが、安手の政治的扇動がマスメディアを通じて日々増幅され、世論の少なからぬ部分が扇動されているのなら、少なくとも言論人は冷静な反省を求めるのが使命ではないだろうか。だが、筆者が先にいくつか事例を紹介したが、リベラル系の言論人を中心に、むしろ扇動に寄り添う態度を強く示すものが多い。まさに日本は「欺瞞(ぎまん)の言論空間」に覆われつつある。

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    雇用の前提を誤った「イシバノミクス」が賢明ではない理由

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)  4月に入って、興味深い「変化」が観測された。自民党の石破茂元幹事長の発言の「変化」である。だが、この「変化」はただの「印象」でしかない。 石破氏は、ことあるごとに安倍政権の批判を繰り返すことで、「政治的ライバル」の位置関係を自ら築いてきた。経済政策のスタンスも「反アベノミクス」というものである。特に金融緩和政策(リフレ政策)への消極姿勢は際立っていて、リフレ政策を導入すればやがてハイパーインフレにつながる可能性を主張していた。また消費増税による財政再建にも積極的であった。 ところが、ロイター通信によれば、石破氏は6日の講演会において、財政政策や金融政策の「激変策」を採用しないと述べたという。これだけ聞くと石破氏が従来の反アベノミクスの立場を修正したかのように思えてしまう。だが、そんなことは全くないのである。 ロイターの記事をよく読めば、積極的な財政政策や金融緩和の維持可能性に言及しているが、従来の石破氏の経済観と矛盾していない。要するに「積極的な財政政策はいつまでも維持できない」ということは、「やがて消費増税しなければいけない」と述べているのと同じである。また、金融緩和をいつまでも維持できない、すなわち何年も続けるとハイパーインフレになる、というように従来の主張と無理なく読み替えることができる。やはり全く変わっていなかったのである。 さらに、石破氏で注目すべきは、賃金が上がらない理由について、生産年齢人口が高齢層にシフトしたことや、女性や非正規などへの構造的変化に求めていることだ。これはまさにアベノミクスの発想と異なる。しばしばアベノミクス批判として利用される理屈と同じである。2018年4月、東京都内のホテルで講演する自民党の石破元幹事長 「アベノミクス元年」の2013年度から、高齢者の再雇用が増加し、またパートやアルバイトなどで女性の雇用も増えていることが指摘できる。これはアベノミクス採用以前では顕在化していなかった現象である。例えば、民主党政権時代やリーマンショックの直撃を受けた麻生太郎政権では、不況のために職を探すのを断念した「求職意欲喪失者」が急増していた。その中核は、高齢者や専業主婦層、新卒者たちだったのである。 だが、アベノミクスが採用されてから、景気が安定化していくことで働こうという意欲を再び持つ人たちが増えていく。退職後にも再雇用される人たちやパート・アルバイトができる専業主婦層が増加したのである。もちろん新卒採用も増加した。これは生産年齢人口の変化とは全く関係ない。 なぜなら、今説明したような労働市場への供給増加(労働力人口増加)のペース以上に、労働需要(就業者数)の増加ペースの方が上回ることで失業率が低下していく現象を、生産年齢人口の推移では説明できないからだ。国民が迷惑するのはご勘弁 また、女性の雇用増加もアベノミクス以降の雇用環境の改善が後押ししている。非正規雇用についても5カ月減少が続き、不本意な形で非正規雇用になっている人たちも減少している。対して、正規雇用はやはり増加し続けている。これらは労働力調査など統計を単に検索すればわかることであり、石破氏の想定とは違っているのである。 石破氏は雇用の構造的変化を前提にして、つまりアベノミクスによる雇用増を無視して、再分配的な賃上げが必要だと考えるのだろう。だが、現状では構造的な変化ではなく、景気の改善という循環的要因での変化が主流である。石破氏の認識は前提からして間違っていることは指摘した通りだ。ならば、賃上げは、まず「人手不足」(労働への超過需要)のさらなる全般化で生じるだろう。 例えば、よく反アベノミクス論者で話題になる「実質賃金が低下しているからアベノミクス失敗」というトンデモ経済論がある。これは上述したように、新たに採用される高齢者やパート・アルバイト、そして新卒の増加という、いわゆる「ニューカマー効果」を全く無視した議論である。失業率が低下するなど雇用状況が改善していけば、実質賃金の低下はままみられる現象である。これは単純な割り算でもわかることだ。 実質賃金は、平均賃金を物価水準で割ったものである。仮に物価水準は変わらないとしよう。今まで働いていた人の賃金を30万円とすると平均賃金も30万円である。そこに新しく採用された大卒社会人の賃金が20万円だと、平均賃金は30万円から25万円に低下する。これがニューカマー効果である。このニューカマー効果を無視して、実質賃金の低下ばかりに目が行く議論は筋悪である。 では、物価の変化を加味するために、平均賃金ではなく、総雇用者所得でもみてみよう。総雇用者所得は、平均値ではなく、簡単に言うと経済全体の所得のうち、働く人たちがどのくらい得ているかを表す指標である。これを物価水準で割ったものが実質雇用者報酬である。最近の数値でいうと、実質総雇用者所得の2018年1月の対前年比は0・8%増(名目は2・2%増)である。この1年あまりの対前年比の平均は1・2%増となっている。 緩やかな増加傾向にあるといってよく、さらに加速させていくことが重要になる。増加させるためには、さらなる積極的な経済刺激策が求められる。財政再建による消費税増税や金融緩和の出口政策を取ることではないのである。だが、この発想はもちろん石破氏にはない。2016年3月、衆院本会議で予算案が可決され、石破茂地方創生担当相(中央)らと笑顔を交わす安倍晋三首相(右、斎藤良雄撮影) ただし、石破流「再分配的な賃上げ」を筆者は否定しない。例えば、「就職氷河期」といわれる世代の生涯所得の落ち込みが深刻である。十分な所得を得られないままだと定年後に年金などの社会保障を十分に得られない可能性もある。この対応には、石破氏の案でもなんでもないが、就職氷河期世代に対象を絞った持続的な再分配政策も一案だと思っている。 他方で、経済認識の前提を誤った上で、うまくいっているアベノミクスを維持可能性がないからといって次第に弱めてしまうことが賢明とはいえない。石破氏が賢明でなくても別に構わないが、国民が迷惑することだけは勘弁願いたい。

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    昭恵夫人喚問は「疑惑のインフレ」 マスコミの洗脳報道を疑え!

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官への証人喚問が行われた後の世論調査が徐々に判明している。安倍晋三内閣の支持率をみると、共同通信では支持が42・4%(3・7ポイント増)、不支持は47・5%(0・7ポイント減)だった。また読売新聞では同じく支持率は42%(6ポイント減)、不支持は50%(8ポイント増)である。 共同は支持率が増加しているものの、読売は大幅に減少した。また2社の調査ともに不支持率が支持率をかなり上回っている。他のマスコミ各社の世論調査も順次明らかになってくるが、私見ではかなり厳しい数字が出てもおかしくはないと思っている。 今の世論調査に大きな影響を及ぼしているのは、テレビや新聞などの旧来型のメディアだろう。一方、ネットで内閣支持率調査が行われると圧倒的に支持が不支持を上回るが、いわゆる「ネット世論」はかなり限定されたものと捉(とら)えた方がいいかもしれない。ただ「世論」で正しい政策評価や、また事実の解明が判断されるとは必ずしも言えないのは当然のことである。 世論調査が「真実」を表すものではないことは、常識的には自明なのだが、一部の識者の中には「私は世論を信じます」という人もいるようだ。だが、本当にそれでいいのだろうか。 マスコミでは、景気の実感についてもしばしばアンケートを採っている。1年前と比べて現在の暮らし向きは良くなったのかどうかなどを聴くものだ。マスコミの調査では景気の実感を抱いていない人が圧倒多数のようである。 例えば、朝日新聞が昨年11月に景気の実感を聞いたところ、「変化がない」など8割以上の人は、景気が良くなっている実感がなかった。では、この世論調査を信じて、現在の経済状況や経済政策を判断していいのだろうか。 答えはノーだろう。調査の「実感」について、日本銀行の原田泰政策委員が面白い解説をしている。内閣府の世論調査を分析してみると、10%以上の経済成長率を成し遂げていた高度成長期を除いて、ほとんどの人は景気が良くなった実感を抱いていないのである。1年前に比べて、景気がよくなったと感じる割合は5%程度で安定している。それは、バブル期でも、バブル崩壊後の長期停滞期でも、今日でも変わらない。2018年3月27日、衆院予算委で行われた佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問を中継する街頭テレビ(福島範和撮影) この数字は先のマスコミの調査とも符合する。そこで、原田氏は1年前から景気が「向上している」から「低下している」を引いた指標を作り直した。それでみると安倍政権がバブル崩壊以降、最も良好な数字になっていることが分かると指摘している。 筆者もある講演会で、会場の人に景気実感を聞いたら、1年で給料が倍ぐらいにならないと実感できない、との回答を得た。そんなことは現実的ではないだろう。日本の雇用制度がそれなりに機能するのは、年収が3~4%程度ベースアップすることによってである(参照:田中秀臣『日本型サラリーマンは復活する』NHK出版)。昭恵夫人を「忖度罪」では問えない 仮に、安倍首相が今年の春闘で呼びかけた3%の賃上げを、経済界が採用したとしても、年収が倍になるまでには計算上23年もかかる。23年かかっても、それが「普通」の状態である。むしろ、それすら実現していなかったのが、アベノミクス以前の日本経済の「失われた20年」だったのである。 さて、話を現在の政権支持率に戻そう。実は、佐川氏の証人喚問を見る前から、筆者はラジオやTwitter(ツイッター)などで、証人喚問が終わればマスコミと野党は必ず「ますます疑惑は深まった」と盛んに言い立てるだろうと予測した。いわば「疑惑のインフレーション」である。 その理由は、今回の証人喚問は、マスコミにとっても野党にとっても政権へのイメージダウン以外の目的を見いだしにくいからだ。実際に政治家慣れしている佐川氏の証言を野党は全く切り崩すことができなかったし、どうみても切り込む手段にも欠けていた。 喚問が終わると、野党は「安倍昭恵首相夫人の証人喚問を」と声を連ね、それを一部のマスコミも連日大きく取り上げるだけだろう、とも思った。だが、この連載でも何度も指摘しているように、森友学園問題に昭恵夫人が土地取引で「関与」した事実はいまだない。それでも、マスコミの洗脳めいた報道がよほど効いているのかもしれない。 筆者も学術界の年配の方々と最近話す機会があったが、いずれも「8億円の値引きを忖度(そんたく)させたのは昭恵夫人」説を信じ込んでいた。そもそも「忖度」も「忖度させたこと」も心の中の問題なので、実証はできない。 また現段階で、森友学園前理事長の籠池泰典被告の証人喚問での証言や、財務省の当事者たちも昭恵夫人の関与を否定している。そして忖度罪も忖度させた罪も日本の法律にはない。だが「関与」も「忖度」も、お化けのように膨れ上がった存在と化している。 このような「魔女狩り」にも似た世論の一部、政治の在り方を批判するのも、マスコミや言論における本来の役目のはずだ。今はどうひいき目にみても、反安倍と安倍支持に分断してしまっている。これは憂うべき事態である。2018年1月、山口県下関市で支援者と談笑する安倍首相(右)。左は昭恵夫人 世論調査の動向によって、安倍政権が万が一レームダック(死に体)化すれば、経済政策や安全保障政策を中心に不確実性が増してしまうだろう。特に経済政策では、「ポスト安倍」を狙う自民党内のライバルは総じて財政再建という美名を利用した「増税・緊縮派」である。 また、消費増税や緊縮財政はマスコミの大好物でもあり「応援団」にも事欠かない。自民党内のポスト安倍勢力が今後、世論の動向でますます力を得れば、日本経済にとって不幸な結果をもたらすだろう。

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    「平成政治史に残る大誤解」父親譲り、小泉進次郎のトンデモ持論

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 森友学園問題が、財務省の文書改ざん問題に発展してから、財務省の政策を強化する政治的な動きが表面化している。こう書くと不思議に思う人たちも多いだろう。なぜなら、財務省の文書改ざん問題は、現在までの情報によれば、財務省理財局と近畿財務局が起こした問題だからだ。常識的に考えれば、社会的な批判を受けて、財務省は「おとなしくしている」ことの方が普通である。だが実際には違う。 この財務省の「政策強化」の動きのうち最たるものが、緊縮政策を主張する政治的勢力が元気づいていることだ。その代表が小泉進次郎衆院議員である。彼は自民党の筆頭副幹事長でもあるが、朝日新聞などの報道によると、政権批判的な姿勢を鮮明にしつつあるようだ。最近では、安倍昭恵首相夫人の証人喚問の必要性を示唆したり、また改ざん問題を「平成政治史に残る大事件」とまるで野党のような発言も残している。 森友学園問題自体は「平成政治史に残る大事件」かもしれない。だが、それはマスコミの一部と野党、それに政権批判勢力が作り出した政治的な茶番であり、「魔女狩り」であるという意味である。本来は関西における一学校法人と財務省の出先機関による交渉の不始末をめぐる問題でしかない。安倍晋三首相も昭恵夫人も今まで公開された事実レベルでは、何の関与の証拠もない。政治的あるいは感情的なバイアスがなければ、この見方が常識的ではないだろうか。2018年3月25日、東京都内で開かれた第85回自民党大会で、「森友学園」を巡る財務省の決裁文書改ざんに関し陳謝する安倍首相 ところが、小泉氏の発言はそうではなく、安倍首相や昭恵夫人しか知りえない「(関与にかかわる)事実」を匂わし、それゆえ昭恵氏の証人喚問の必要性を示唆しているのだろう。ある意味では野党などと同じ発想である。 ところで、安倍首相や昭恵夫人の「関与」については広範な誤解がある。昨年2月の衆院予算委での首相発言「私や妻が(国有地)払い下げや(小学校設置)認可に関与したら、それはもう総理の職も国会議員の職も辞することになります」のうち、テレビや新聞そして「反安倍勢力」とでもいうべき人たちは、この森友学園の土地の払い下げや認可に関わっていたら、という部分を省いて考えている。そのため、森友学園の籠池泰典前理事長の発言の中に一度、昭恵夫人の名前が出ただけで「関与だ」と大騒ぎするほどである。これでは本当の意味で魔女狩りだろう。まだある財務省の「政策強化」2018年3月、訪問先の香港で講演する自民党の岸田政調会長(共同) さて、財務省による「政策強化」の動きは小泉氏だけではない。例えば、自民党の岸田文雄政調会長は香港で、日本銀行の出口戦略を強調したり、また消費増税の必要性を強くコミットした。岸田氏はおそらく自他ともに認めるポスト安倍の1番手だろう。その岸田氏が金融緩和中心のアベノミクスに否定的で、さらに現状でも拡大基調とはいえない財政政策スタンスを増税による緊縮に転換すると公言したのである。これも反安倍=緊縮政策の流れとして見逃せない。 ところで、一部の人はなぜか財政政策のスタンスだけをみて緊縮か反緊縮かを評価している。そのため、財政だけをみて「安倍政権は緊縮だ」という批判があるが、相当に深刻な偏見である。経済全体が不調なときにそれを刺激する政策は二つある。一つは金融緩和政策で、もう一つは財政拡張政策である。 アベノミクスでは、改善の余地がまだあるにせよ、金融緩和政策は極めて高い水準で実行中である。他方で、財政政策は14年の消費増税によって事実上抑制気味であり、拡大の余地が大いにある。むしろ、消費減税するくらいがちょうどよく、19年10月に実施予定の消費増税の停止、廃止も早く打ち出すべきだ。ただし、財政政策の不十分性をもって、安倍政権の経済政策全体が緊縮政策だとする評価は、雇用を中心とした経済の改善をまったく説明できなくなる。単にトンデモ意見でしかないことをあえて注記しておく。 その上で考えると、今問題になっている緊縮政策の勢力は、小泉氏、岸田氏、そして石破茂元幹事長らポスト安倍勢力と事実上同じである。 ここから再び小泉氏に焦点を戻そう。小泉氏の政治的な貢献に、「全農改革」といわれる構造改革が挙げられる。農林水産省、農林族議員、農業団体の既得権益を打ち破る「功績」をあげたと評価されることが多い(田崎史郎『小泉進次郎と福田達夫』文春新書など参照)。小泉氏の父親である小泉純一郎元首相が道路公団民営化や郵政改革などで政官民の既得権益の壁を打ち破り、「構造改革」で支持を増やしていったのと似た構図である。増税論者の小泉氏には思い至らない発想 もちろん、農業の岩盤規制に風穴を開けることは重要である。だが、小泉政権の「構造改革」ブームを象徴した言葉「構造改革なくして景気回復なし」という経済政策の誤認識を小泉氏も持っているように思える。ちなみに、それは父親譲りというよりも日本の政治家の大半が抱えている深刻な偏見である。2018年3月25日、第85回自民党大会の終了後、記者団の質問に応える小泉進次郎筆頭副幹事長(春名中撮影) 例えば、構造改革をスムーズに行うためには、マクロ経済の安定が欠かせない。景気がよくなれば、人やモノ、お金の移動もスムーズになる。規制緩和すれば、それによって消費者の潜在的な便益の方が農業生産者の潜在的な損失を大きく上回り、それによって国民全体の生活水準が向上するというのが経済学の基本だ。また、時間が経過していけば、生産側にも経営資源の向上などで農業の生産性自体が実現できる可能性も高まる。 このような教科書通りのシナリオが現実通りにいくかどうかは、慎重に検討していく必要がある。特に経済全体が不況では、農業生産者が新しい試みをしても社会の購買力が不足してしまい、実現できずに頓挫する可能性が高まる。実際に、日本の長期停滞において、開業率と廃業率を比べると後者の方が継続的に高かった。これは企業ベースの話だが、企業内部や個人事業者のさまざまな試みは、不況期の方が頓挫しやすいことも想像に難しくない。簡単にいえば、「規制緩和≒構造改革」の果実が得られるかどうかの大きな前提条件として、マクロ経済の安定が欠かせないのである。 だが、そういう発想と小泉氏は真っ向から対立している。例えば、小泉氏が主導した「2020年以降の経済財政構想小委員会」の提言で一時期話題になった、いわゆる「こども保険」だ。現在の社会保険料に定率の増加分を乗せて、それで教育の無償化を狙うスキームである。「こども保険」と呼ばれているが、実体はただの「こども増税」である。 教育への投資は非常に見返りの大きいものであるため、国債を発行することで、薄く広く各世代がその教育投資を負担することが望ましい。しかも現時点では、追加的な金融緩和の必要性があり、そのために「こども国債」を新たに発行し、それを日銀が市場経由で購入することは、日本のマクロ経済の安定化に貢献するだろう。 だが、小泉氏のような増税論者=緊縮主義には思い至らない発想でもある。そしてこのような緊縮主義こそ財務省が長年維持している政策思想でもある。ここに財務省が現段階で危機にあるようでいて、むしろ財務省の権力が増加する可能性が大きい理由があるのである。