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    靖国神社「150年目の危機」

    靖国神社が揺れている。天皇代替わり後の今年6月に創建150年を迎えるが、平成の時代は陛下の御親拝が一度もないまま幕を閉じる可能性が高い。むろん靖国の存立に関わる危機である。いや、それだけではない。2代続けて宮司が任期途中で退任し、首相の参拝も見送られたままだ。いま靖国で何が起こっているのか。

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    元幹部告白手記「靖国神社150年目の危機」

    宮澤佳廣(靖国神社元総務部長) 筆者が靖国神社創建150年を極めて重く受け止めているのは、何も50年毎の節目だからというわけではない。靖国神社にとっての重大な岐路が、あたかもこの記念の年に符合して差し迫っているように思えてならないからである。 よくよく考えてみれば、150年という佳節を迎えたとき、靖国神社が国家の施設として維持されてきた戦前の歴史は約76年、他方、宗教法人として維持されてきた戦後の歴史は約74年になる。そして現状のまま推移すれば、宗教法人としての歴史が今後、一方的に積み重ねられて行くことになるのだ。 もとより靖国神社が私的な一宗教法人として存続することを余儀なくされたのは、連合国軍総司令部(GHQ)の強圧的な宗教政策によるもので、靖国神社が自主的に選択した途(みち)でも、国民の合意のもとに決せられた性格変更でもなかった。 しかも占領下にあっては護国神社とともに特別に危険視され、何時でも廃止・解散の対象とされ得る不安定な状況に置かれたのである。 さらに、占領解除後も昭和30年代には「祭神合祀と厚生省の事務協力」が、40年代には「靖国神社国家護持法案」が、50年代には「首相の靖国神社参拝」が国会論議の争点となり、60年8月15日に中曽根康弘首相が公式参拝を行って以降は、いわゆる「A級戦犯問題」が外交問題化して「天皇の靖国参拝」中止の直接的な原因と指摘されるまでに至っている。 今や靖国神社をめぐる諸問題は「A級戦犯問題」の解決によってそのすべてが解消されるかのような錯覚を与えているが、それはあまりに皮相的な見方である。戦後の靖国神社の歴史を振り返れば瞭然のように、それら問題はすべて、占領政策によって法制度上の地位が強制変更され「靖国の公共性」が不明瞭にされたことに起因するからだ。 つまり、占領政策の核心部に位置するこの問題を解消しない限り、すべての解決などは望むべくもないのである。 まして靖国神社は「特定の教義を信じる信者によって組織された私的な宗教団体」でもなく、靖国神社と国民とのつながりは、個人の信教の自由に基づいて信じる、あるいは信じないといった関係性にはない。さらに宗教法人法にいう宗教団体は社団的な性格が色濃く、宮司や少数の責任役員の意向で神社のあり様をいかようにも変質させることができ、場合によっては消滅することも起こり得る。 筆者が平成29年に『靖国神社が消える日』(小学館)を上梓して「国家護持」という言葉をあえて議論の俎上に乗せようとしたのは、このまま戦争の記憶が薄らぎ、靖国神社は宗教法人であって当然といった意識が支配的になれば、やがて「靖国の公共性」が喪失してしまうのではないかという危機感を抱いたからである。73回目の「終戦の日」を前に、靖国神社を訪れた参拝者=2018年8月14日、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影) そもそも神社が国家の宗祀とされた戦前は、神社の公共性は国の法律によって他律的に維持されていた。しかし、宗教法人となった戦後は、宮司と少数の責任役員の自覚と見識によって自律的に神社の公共性が維持されているに過ぎない。 そこに神社の「公共性」と宗教法人の「私事性」の相克が生じ、公共性が顕著な神社であればあるほど、その矛盾が大きな形となって表出する。靖国神社をめぐる諸問題はその最たる事例と言えるのだ。靖国の「公共性」 わけても靖国神社は、天皇の権威のもとに国民国家が形成されて行く明治維新の過程で創建された、嘉永6年以降の国事に殉じた人々の神霊を国家・国民の守護神たる「靖国の神」として祀る神社である。天皇・国家との密接不離な関係は言うまでもなく、その極めて顕著な公共性ゆえに「国家護持」が求められてきたのであった。 このように指摘すれば、靖国神社をめぐって論じられているさまざまな問題が、本源的には「靖国の公共性」に由来していることに理解が及ぶのではなかろうか。仮に「靖国の公共性」が喪失すれば、それら諸問題もその時点で終焉する。 国家が靖国の英霊に敬意を表する必然性がなくなれば、首相が靖国神社に参拝する意義など問われることもなく、「A級戦犯問題」も一宗教法人の私的信仰の問題となって外交上の懸案事項から外されよう。そして戦没者追悼のための新施設の必要性が、より声高に叫ばれることにもなるのだろう。 だが、靖国神社が宗教法人としてどれほど長い年月を過ごそうとも、「靖国の神」は永久に、国家国民統合の象徴である天皇という存在によって祀られた国事に殉じた同胞の神霊なのである。その事実は後世のいかなる力をもってしても変えることはできない。宗教法人である靖国神社が「国家護持」という目標を自ら放棄できない理由はそこにある。 むろん、現時点において、かつての靖国法案に盛り込まれたような特殊法人化などは望むべくもない。社会状況は大きく変わっているのだ。筆者が拙著で主張した「国家護持」とは、「靖国神社の英霊祭祀に国が一定の責任を負う仕組み」「靖国の公共性を担保する制度構築」といった意味合いに過ぎない。少なくとも、そうした議論が起こるだけでも「靖国の公共性」を持続させるに有益ではないかと考えたのである。 いずれにせよ、宗教法人の「私事性」を強めれば強めるほど神社の「公共性」が喪失されていく不安定な状態に置かれたままの靖国神社が、創建以来の伝統である「靖国の公共性」を今後も保持し続けるためには、遺族や戦友が少なくなってもなお、国民の中から「国家護持」の声が沸き起こるほどに絶大な支持と信頼を得られるかが課題となる。 当面は公益法人に求められる程度の法人運営を自発的に追求しつつ、国民意識の醸成を俟(ま)つほかないが、靖国神社自ら、私人の一宗教の類と認めることだけは断じて許されない。 なお、昭和50年を最後に途絶えてはいるが、鎮座以来、靖国神社にはその創建の由来と祭神の特殊性から折に触れて天皇のご参拝があった。50年毎の節目の年を振り返っても、大正8年の御鎮座50年には大正天皇が、昭和44年の御鎮座100年には昭和天皇が記念大祭に参拝されている。本年は御鎮座150年の記念大祭が斎行される年でもあり、天皇陛下のご参拝をひたすら乞祈(こいのむ)ばかりである。靖国神社元総務部長の宮澤佳廣氏 一部には例大祭に勅使の参向があることを理由にご参拝の重要性に言及するのを避ける向きもあるが、靖国神社の英霊祭祀は、宮司以下神職がいくら丁重に祭祀を執行したところで全うされるものではなく、天皇陛下のご参拝が事あるごとにあって初めて「厳修」されることになるのだと思う。 天皇陛下のご参拝を心待ちにしているのは他でもない、九段の宮居に鎮まる246万6千余柱に及ぶ国事に殉じた神霊なのだ。短い期間ではあったが、筆者が靖国神社の神職として奉仕する中で感得させられたのは、実にそのことなのである。■実は「天皇の靖国参拝」に道を開くカギがあった■なぜ創価学会は首相の靖国参拝を許さないのか■日本人も知らない靖国神社「A級戦犯」合祀のウソ

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    靖国宮司の天皇批判に思う「日本人が忘れた靖国神社の本質」

    新田均(皇學館大現代日本社会学部学部長) 今回の原稿依頼は「天皇の代替わりと重なる今年、靖国神社前宮司の小堀邦夫氏の発言に触れながら、創建150年を迎えた靖国神社の存在意義、天皇陛下や首相が参拝しないことの意味や是非などを論じてほしい」というものでした。そのような依頼が来たのは、私が以前、『首相が靖国参拝して何が悪い!!』(PHP)という本を書いたからでしょう。 そこでまず、小堀前宮司の発言についてですが、『文藝春秋2018年12月号』に載った「靖国神社は危機にある」という弁明によれば、今回の発言は、天皇陛下が一度も参拝されることなく譲位され、そのために新天皇の参拝も期待できなくなってしまうことと、靖国神社職員の意識の低さに対する強い危機感が原因だったようです。 ただ「天皇陛下に対して不敬な言葉遣いだったことは心から反省しています」と本人も認めているように、神社内の研究会における発言とはいえ、やはり表沙汰になれば、辞職せざるを得ない物言いだったことは間違いないでしょう。 この発言に関連して私見を二つ述べたいと思います。一つは、場合によっては組織内の深刻な対立や外部からの厳しい非難を受けかねない問題に対して、リーダーの発言はいかにあるべきか、ということです。そうした場面で私が考えていることは、会員制交流サイト(SNS)時代の今日、「ここだけの話」というのはもはや通用しないということです。 たとえ、友達との会話であっても、家族との電話であっても、それが世間に出たときに、致命傷にならない言い方を心がける。そうすることで、大切な問題について足元をすくわれる危険を避ける。とりわけ、国家の根幹に関わる組織のリーダーは、そのように普段から意識して自らの言動を自らチェックするべきだと思います。 二つ目は、靖国神社の意義に関わることです。靖国神社には二種類のご祭神が祀られています。一つは戦争で亡くなられた方々、もう一つは戊辰(ぼしん)戦争以前の維新の変革の中で犠牲になられた方々です。後者は数こそ少ないですが、志半ばで倒れていった同志をしのび、その志を継承して、生き残った者たちが営んだ招魂祭に由来し、それが靖国神社の原点でした。靖国神社の参拝に訪れる人々=2018年8月、東京・九段(鴨川一也撮影) その招魂祭が明治天皇のおぼしめしで東京招魂社に、やがて靖国神社へと発展する過程で「伝統的な温情と和解の心」が働いたと、東大名誉教授の小堀桂一郎氏は指摘しています(『靖国神社と日本人』PHP文庫)。 倒れていった志士たちは幕府によって反逆者や罪人として殺されたり処刑されたりした人々です。しかし、その幕府は天皇から統治を委任されていました(大政委任論)。したがって、その罪を突き詰めると天皇を批判することにもなりかねません。靖国神社の本質 また、明治政府は、幕府側で戦った人々をも政府の構成員として採用しました。五稜郭(ごりょうかく)の戦いで有名な榎本武揚(たけあき)らです。そうなると、許されて相応の名誉を保証された旧幕府関係者と、その幕府の手にかかって恨みをのんで死んでいった者たちとの関係はどうなるのか。それを解決したのが「冤枉(えんおう)罹禍(りか)」という発想でした。 志士たちは、幕府の判断ミスで無実の罪で災いを被った。その幕府の人々を朝廷が許したこと、また、犠牲になった志士たちの功績をたたえ、ともに祀ることで、犠牲者方でも、その事情を理解し、堪忍してやってもらいたい。これでかつての敵同士双方を、何とか円満になだめ、幽明境を異にしての和解をもたらそうとした。これが小堀桂一郎氏の解釈です。 靖国神社の祭神の中には、無念の思いで亡くなっていかれたであろう方々も多くいます。例えば、堺事件の犠牲者たちです。戊辰戦争の過程で、土佐藩の歩兵隊が誤ってフランス海軍の水兵20人(推定)を射殺してしまった事件です。 明治政府は、フランスによって土佐藩士20人の死刑を約束させられ、その結果、命令した隊長4人以外の16人を隊員の中からくじ引きで選びました。11人まで切腹したところで、フランスの立会人が凄惨(せいさん)さに耐えられず軍艦に逃げ帰ってしまい、残りの9人はフランスからの助命申請によって死を免れました。国家間の力の圧倒的な差によってもたらされた不条理な死です。ここには先の大戦の結果、BC級戦犯として処刑された人々にも通ずるものがあります。 今日の「靖国神社社憲」に「嘉永(かえい)六年(ペリー来航)以降国事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀(さいし)を斎行して、その『みたま』を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため」とある通り、靖国神社は、犠牲を強調して敵国に対する恨みを増長させたり、ひたすら祭神の功績をたたえて戦争を賛美したりすることを目的にしてはいません。ご成婚の2カ月半後に、お二人そろって靖国神社に参拝された皇太子ご夫妻 「万世にゆるぎない太平の基を開き」「安国の理想を実現」するために、「みたま」を慰め奉る。さまざまな状況の中で、さまざまな願いや思いを残して亡くなっていかれた方々の死を、意義深いものとして受け止め、「伝統的な温情と和解の心」を諸外国に対しても働かせにいく。そこにこの神社の本質があると私は思っています。 そのような観点から見て、靖国神社について語る際には、敵としてみえる相手に対しも、自らがどれだけ「伝統的な温情と和解の心」が体現できるのか。そういう課題が、語り手の側にも突きつけられることになると思います。 靖国神社が置かれている状況は複雑ですし、個々にみれば祀られている祭神も多様です。それらすべてを包み込む温情と和解の心の表現として、天皇陛下、内閣総理大臣には参拝していただきたいと思っています。■なぜ創価学会は首相の靖国参拝を許さないのか■大嘗祭の国費支出「天皇家の意向」を無視する政府の思惑■小室圭さんへの反発は「民主化した天皇制」の象徴かもしれない

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    両陛下、被災地「祈りの旅路」

    東日本大震災は、きょう発生から8年を迎えた。4月30日に譲位する天皇陛下と皇后さまは、この間幾度となく被災地に足を運ばれ、被災者に寄り添われた。そのお姿にどれだけ国民が勇気づけられたか。平成最後の年。両陛下の被災地訪問の歩みを改めて振り返る。

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    釜石市長手記「被災地を照らし続けた両陛下のお姿」

    野田武則(釜石市長) 東日本大震災のあの悲しみの日から8年の歳月が流れました。 いまだ、仮設住宅の生活を余儀なくされている方々もたくさんおられます。それでも、復興公営住宅や宅地造成など、被災された方々の住まいの再建も進み、ある程度復興の姿が見えてきました。 この8年間にわたり、復旧、復興のため、全国あるいは世界中からあたたかいご支援をいただきました。心からお礼申し上げます。 振り返れば、あの瓦礫(がれき)と化した街の中、避難所は十分な環境を確保できず、被災された方々は不安を感じながらも身を寄せ合い、助け合いながら、厳しい環境を乗り越えようとしていました。市内の至るところに設置された遺体安置所へ、行方の分からないご家族、知人、友人の確認のために、ご遺族の皆さんが訪ね歩き、巡りながら日々過ごしてきたことを思い出すと、今でも胸が痛みます。 そのような折、2011年5月6日に、天皇、皇后両陛下が釜石市にお見舞いに来られました。当時、報道で天皇陛下の体調があまり思わしくないと聞いていたので、大変心配しながらお待ちしていましたが、ヘリコプターから降りてくる両陛下の元気なお姿には、そのような様子は感じられませんでした。きっと無理をしながらも、何よりも「被災地の人々を励ます」という思いで、遠いこの地まで足を運んでくださったことに感銘しました。避難所を訪れ被災者に声をかけられる天皇陛下=2011年5月6日、岩手県釜石市の市立釜石中(代表撮影) 私は、両陛下と用意されたマイクロバスに乗り、多くの方々が避難していた釜石中学校へ向かいました。沿道には、手を振ってお出迎えをする多くの方々がいました。マイクロバスの中では、沿道の両側から手を振る市民へ、両陛下が右に左に移動しながら、まさに一人一人に声をかけるがごとく、手を振られていました。 私は「お疲れになりますから、どうぞお座りになられてください」と何度もお願いしましたが、天皇陛下は「市民の皆さんが手を振っていますから、私も手を振らなければなりません」と30分以上もの道中、立ちっぱなしで手を振り続けられました。両陛下の、ご自身の使命を果たそうとされるお気持ちと、体にむち打ちながらも、市民に手を振る姿を目の当たりにし、感動するとともにありがたい気持ちでいっぱいになったことを昨日のことのように覚えています。お見舞い中の地震にも… 釜石中学校の避難所で、被災された皆さんに会う前、両陛下とお話をする機会をいただきました。天皇陛下は「釜石では多くの方々が犠牲になられましたが、子供たちは皆、助かりましたね。子供たちの避難行動は素晴らしかったですね」と話されました。 当時はテレビや新聞などで、釜石の子供たちの避難行動が何度も取り上げられました。両陛下もその報道をご覧になっていたのでしょう。とてもよくご存じで、そのことについて話され、子供たちの成長と防災教育の大切さに思いをはせておられました。 避難所の体育館では、多くの皆さんに出迎えていただきました。両陛下はすぐさま膝をついて、励ましと、いたわりのお言葉を一人一人にかけ、被災者の心の痛みに優しく寄り添われました。被災された皆さんも大変に喜び、涙を流して感激していました。 両陛下がお見舞いを終えようとしていたそのとき、震度3の地震が避難所を襲いました。両陛下は揺れも気になさらず、被災された方々に励ましの言葉をかけ続けられていました。皇后さまの側にいた74歳の女性は、揺れに驚き、とっさに皇后さまの手を握ってしまいました。皇后さまは優しく手を握り返され「こうした地震は今もあるのですね。怖いでしょうね。大丈夫ですよ。落ち着いてください」と気遣われていました。 悲惨な状況の中で、励まし続け、被災地を気にかけてくださる両陛下のお姿は、被災地、被災者に勇気と希望を与えてくださいました。家族、友人、知人を失い、悲しみに暮れている方に、両陛下が励ましの言葉をかけられている。このご様子を見るにつけ、両陛下の存在とありがたさを感じました。避難所を訪問し、被災者に声をかけられる天皇、皇后両陛下=2011年5月6日、岩手県釜石市の市立釜石中学校(代表撮影) 震災直後、被災地には多くの支援物資やさまざまな支援の手などが必要でしたが、それ以上に、多くの方々が被災地を見てくれている、励ましてくれているという心と心の絆を感じることが大切だと思うのです。 全国のみならず世界中からいただいた支援と、それへの感謝。そこには、多くの人々が助け合い励まし合うという「絆」の大切さを感じずにはいられません。また、日本にはまだその絆があると確信が得られました。 平成の時代が終わろうとしています。天皇、皇后両陛下は30年の長きにわたり、日々、平和と国民の幸せを祈り続けてくださいました。心から感謝を申し上げます。そして次の時代も、人と人との絆を大切にする日本であってほしい、日本が絆を大事にする国であり続けてほしいと願ってやみません。

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    語り継がれる「天皇の旅」 批判はあっても膝をつかれた陛下のスタイル

    増長する民進党、女性宮家は皇統の「禁じ手」である■陛下のご意向を機に天皇の「人権」まで語り出す奇妙な皇室廃絶論

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    「天皇はかくあるべし」上から目線の知識人が錯覚した陛下のお気持ち

    高森明勅(皇室研究家) 東日本大震災よりずいぶん前。保守系の大物知識人がこんな発言をしていた。 「天皇陛下は、わざわざ被災地にまでお出ましになる必要はない。ただ宮中の奥深くで、神聖な祭祀(さいし)に携わっておられればよい」と。 一方、リベラル系の知識人には、それと正反対の意見もあった。 「天皇陛下は、被災者やハンセン病療養所の入所者のような、ハンディキャップを背負った人々に寄り添ってくだされば、古くさい祭祀などをお続けになる必要はない」と。 これらの意見は真っ向から対立しているかのように見えて、はっきりとした共通点がある。どちらも「上から目線」で、陛下の誠心誠意のなさりように、あれこれ無責任に注文をつけていること。いったい、何様のつもりかと思う。また、「皇室の祭祀」と「人々に寄り添うこと」を、切り離された別々のことのように捉えていること。これは大きな錯覚だ。この点について以下に述べよう。 天皇陛下が制度上の義務としてなさらなければならないことは、限られている。具体的に言えば、憲法に規定されている13項目の「国事行為」だけだ。憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ…」(4条)と明記している。 だから、他には公共的な性格を持つ行為は、一切なさらなくてもよい。むしろ、「なさるべきではない」という憲法解釈さえある。 だが、国事行為は原則として「国民」との接点が全くない(ご即位に伴う「祝賀御列の儀」で沿道の国民から祝意をお受けになるのがほとんど唯一の例外か)。それでは「日本国の象徴」ではあり得ても、「国民統合の象徴」としての役割を十分に果たすことはできない。 憲法は規範である。そこに「国民“統合”の象徴」と規定しているということは、客観的な事実(ザイン)を記述しているのではない。「かくあるべし」という当為(ゾルレン)を、天皇陛下に突きつけているのに他ならない。 その上、「国民統合の象徴」であるべきなのは、これまでの天皇の長い歴史からの要請でもあろう。 少なくとも、陛下はそのような理解に立っておられるように拝される。だからこそ、ご即位以来、全身全霊でご自身が果たされるべき「国民統合の象徴」としての役割を、追い求めてこられた。 国民の「統合」は、政治的対立や経済格差などさまざまな理由で、常に分断の危機をはらむ。その場合、当然ながら憲法にリストアップされた国事行為以外の(国政権能にかかわらず、象徴としてのお立場と矛盾しない)ご活動を探る必要が出てくる。それが「象徴としての公的な行為」だ(責任は内閣が負う)。 象徴行為は国事行為と違って、あらかじめ「正解」が用意されているわけではない。国民側からの依頼にお応えになるもの以外は、陛下ご自身が知恵を巡らされ、手探りで追求され続ける以外にない。それが制度上の「義務」でない以上、陛下の国民への強いお気持ちが前提となる。仙台市若林区の仮設住宅を訪れ、出迎えの人たちに手を振って応えられる天皇、皇后両陛下=2012年5月13日(代表撮影) 大規模な自然災害があった時に、なるべく早い時点で被災地にお入りになる。それも、天皇陛下がご自身で選び取られた象徴行為の一つだ。災害に苦しむ人々を絶対に孤立させない。その人々が「国民の輪」の中から外れたような孤独感を、決して抱かせない。「国民統合の象徴」として、その意思を身をもって明確に示されているのが、被災地へのお見舞いだ。 天皇陛下の被災地へのお見舞いは、いまや恒例のことのように受け止められているかもしれない。しかし、昭和時代にはほとんど例がなかった。今上陛下の強いお気持ちで続けられてきた「国民統合の象徴」としてのお務めの一つである事実を、見落とすべきではあるまい。「無私」のオーラ 平成3年の雲仙・普賢岳の大規模噴火の際に、まだ「安全宣言」が出ていない時点で現地入りされたのを皮切りに、直近では昨年、西日本豪雨と北海道胆振(いぶり)東部地震の被災地に赴かれている。その間、「初回」のお出ましだけで20回近い(陛下はその後も、繰り返し被災地にお入りになってきた)。 最も規模が大きかった東日本大震災の場合は、平成23年3月末から5月にかけて7週連続、しかも日帰りでのお見舞いという、極めて過酷なスケジュールを自ら組まれた。 当時、陛下は前立腺がん再発の不安を抱えてホルモン治療を続けておられたばかりでなく、同年2月には心臓疾患の兆候も見つかっていた。大げさではなく、まさに「命懸け」と言うべきお見舞いだった。実際に、同年11月には19日間にわたりご入院。翌年2月には冠動脈バイパス手術をお受けになっている。 陛下のお見舞いを受けた被災地の人々は、大きな「癒やし」や「励まし」を受け取る経験をしている。これは普通の出来事ではない。なぜそのようなことが可能になるのか。 ある記者はこう書いていた。 「被災者の心にまっすぐ届く言葉を発せられる人は少ない。それは巧みな修辞などではない。その人が被災者の悲しみを自身のことのように感じているかどうか。絶望の淵にある人は、言葉の奥にある感情を敏感に察知するのではないだろうか」(日本経済新聞・井上亮記者)と。 陛下の場合、ご日常そのものが、国民への「祈り」で貫かれている。その祈りの具体化が皇室の祭祀だ。 日々、人間を超えた存在と、清浄かつ無私な境地で触れ合う経験を重ねてこられている。その祭祀は、祭司(宗教者)による祭祀ではない。「国民統合の象徴」たる方の祭祀であり、したがって「国民のため」の祭祀だ。 ならば、その国民が傷つき、苦しんでいる時に、国民から遠く隔たった宮中奥深くで、陛下がもっぱら祭祀だけに打ち込んで、国民をまるで顧みないようなことは、あり得ない。それは、「国民統合の象徴」たる天皇の祭祀の意味「それ自体」を否定しているに等しい。 また、苦しむ国民も、国家の公的秩序の頂点(日本国の象徴)の地位におられる天皇陛下が、日々謙虚に神霊の前に深々と頭(こうべ)を垂れて、国民のために懸命に祭祀に携わる経験を重ねることで、自(おの)ずと身につけられた「無私のオーラ」に気づかないはずがない。 そのような方が、自分たちの声に優しく耳を傾けてくださり、心をこめてお声をかけてくださるからこそ、勇気づけられるのである。全国から献上され、新嘗祭に用いられる新穀を見られる天皇陛下=2013年11月1日(宮内庁提供) 陛下の祭祀は国民のための祭祀であり、その神聖な祭祀に携わられ、無私なご日常を過ごしておられる陛下のお見舞いだからこそ、国民にとってかけがえのない励ましになる。この両者を切り離したり、二者択一で考えることは、見当外れもはなはだしい。 ちなみに、「日本国の象徴」としての国事行為は、臨時代行や摂政への全面的な委任も可能だ。しかし、「国民統合の象徴」としての務め(象徴行為)は、そうはいかない。だからこそ、陛下はご高齢によるお身体の衰えを自覚されて、「ご譲位」という選択肢をお考えになったのである。■平成改元「運命の一日」官邸発表までの舞台裏■日本人に覚悟を問う「皇室は民主主義のロボットではない」■天皇大権を蔑ろにする「元号の事前公表」黒幕は誰か

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    「国民を見捨てない」陛下の覚悟さえも貶めた裏切り者の日本人

    倉山満(憲政史家、皇室史学者) 今年元旦から、皇室史学者を名乗ることとした。わが国の皇室のあり方を自分なりに勉強して、陛下が何をなされてきたのか、そして何をなされようとしているのかを、考えるべきではないかと強く思ったからだ。 現在の象徴天皇制は、古来の伝統法に文明国の通義に合わせて出来上がった明治の立憲君主制が、敗戦による外国勢力の介入に耐えて出来上がっている。そもそも、わが国の伝統法とは何か。戦前は国体と呼んだ。わが国の国体の根源は、君臣の絆(きずな)である。そして、わが国において天皇が民を見捨てることはなかった。 天災や飢饉が起きたときでさえ、歴代天皇は己の不徳を天に詫びるのが常だった。かの後醍醐天皇ですら、そうだった。古くは元寇に際し、時の治天の君である亀山上皇は「自分の身はどうなろうとも、国と民を守り給え」と皇室の御先祖である神々に祈られた。 はっきり言えば、亀山上皇や後醍醐天皇はわが国史において暗君ではあるが、外国の君主に両帝のような態度を示した君主が何人いるか。わが国の暗君も、外国では聖主なのである。 敗戦に際し、昭和天皇が自らの命を懸け、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーを説得したのは近代史の出来事である。1990年、どこぞの国の君主は、自国が外国に占領されたとき、国民を見捨てて真っ先に亡命した。わが国の皇室の歴史は、外国とはまったく違うのである。 戦前憲法学の泰斗であった、佐々木惣一京都帝国大教授の門下生に語り継がれている教えがある。佐々木先生は、憲法改正無限界説を唱え、「アカ」呼ばわりされた。当時の通説である憲法改正限界説が「いかなる憲法改正であっても、皇室を廃止することは許されない」と主張した。通説であり、政府の有権解釈だった。 これに対し、佐々木先生は「いくら法律の条文や解釈で縛ろうとも、国民が皇室を廃止しようとした場合、止められるものではない。よって、法学者としては限界説を採ることはできない」と反論した。法律論として、不可能は要求できないとする、法実証主義の立場だ。 ただし、これには続きがある。もし、国民が皇室を見捨てたときのことだ。佐々木先生は、「その時、日本は日本ではなくなる」とおっしゃられたと聞く。「である」論としての法律論と、「べき」論としての政治論は分けておられたのだ。昭和天皇とマッカーサー元帥=昭和20年5月 事態は佐々木先生が想像されたよりも早く訪れた。もちろん敗戦である。天皇は「象徴」とされた。ただ、マッカーサーにとって「象徴」とは決して軽い意味ではなかった。日本国憲法の草案はマッカーサーノートと呼ばれるが、そこには「Symbol=Head of state」と走り書きがなされている。象徴とは国家元首の言い換えなのだ。 だが、これを「ロボット」にしたのは裏切り者の日本人だ。東京大法学部教授の宮澤俊義と、当時の内閣法制局長官、吉國一郎だ。激励権行使は合憲 宮澤は教科書で「天皇はめくら判を捺すロボット」と断言した(『コンメンタール 全訂日本国憲法』74頁)。吉國は、「天皇の行動があらゆる行動を通じて国政に影響を及ぼすことがあってはならない」と言い切った(昭和50年11月20日参議院内閣委員会答弁)。 しかし、これらの解釈は世界の立憲君主国の標準、すなわち文明国の通義からかけ離れている。 世界の憲政の模範はイギリスだ。そのイギリスで「権威書」として憲政運用の解釈書として尊重されている、ウォルター・バジョットの『英国憲政論』は、立憲君主とは独裁者ではないと説く。同時に、単なる傀儡(かいらい、ロボット)でもないとも説く。 バジョットは、『英国憲政論』(『世界の名著』124頁)で「イギリスのような立憲君主制の下では、君主は三つの権利―諮問に対し意見を述べる権利、奨励する権利、警告する権利―をもっている。そして君主がすぐれた感覚や英知をもっているならば、このほかに必要とするものはなにもない。このような君主は、他に何も持っていないので、この三つの権利を非常に効果的に行使できることを知っている」と述べ、以下延々と君主が国政に対し影響を及ぼす方法について述べている。 君主が国政に影響力を行使してはならない、などとは言っておらず、逆なのだ。その証拠に日本国憲法第4条第1項を見よ。「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とある。 権限(権能)がないとは書いているが、影響力を行使してはならないとは、どこにも書いていない。マッカーサーですら象徴天皇とは国家元首だと理解していたが、日本人自らの手で天皇をロボットに叩き落したのだ。そして、戦後教育においては、皇室と国民の絆を断ち切らんとする教育が行われ続けた。 さて、このような状況で陛下は平成の三十有余年を天皇としてのお務めを全うされた。国事はもちろん、祭祀にも熱心で、さらに国民との絆を保つ活動を、二度の大病を乗り越えて行ってこられた。 平成23年3月11日の東日本大震災に際し、社会の指導者たるべき人間たちが、原発事故の放射能が怖くて逃げた。あまつさえ、「陛下も京都へ逃げた」とデマを流しながら。 だが、事実は違った。3月16日、突如として「ビデオメッセージ」が流れてきた。横文字で何のことか分からないが、要するに玉音放送である。ただただ、国民を励まされるだけだった。激励権の行使である。ただし、国民に向けて語りかけられるという異例の形式だが、現行憲法下でも違憲ではない。仮設住宅を訪れ、出迎えの人たちに手を振って応えられる天皇、皇后両陛下=2012年5月、宮城県仙台市(代表撮影) 何も言い訳もしないし、ましてや自分を悪(あ)しざまに罵(のの)しった者どもに言い返しもしない。しかし、「決して国民を見捨てて逃げはしない」と明確に訴えられていた。 幾多の風雪に耐えた平成の御世が終わりかけている、今思う。国体は健在なり。(文中一部敬称略)■皇室の未来と「象徴」の地位を縛りかねない陛下のお言葉■自問すべきは「日本のかたち」 国民は陛下のご意向を静かに待てばよい■天皇大権を蔑ろにする「元号の事前公表」黒幕は誰か

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    被災地と「未来の皇室」 悠仁親王の配偶者問題は避けて通れない

    小田部雄次(静岡福祉大名誉教授) 被災地への訪問は、被災者の心の重さを受け止め、それに寄り添う純粋な心がなければ、逆効果になることもある。実際「上から目線」で視察して反発されたり、物見遊山で被災地に出掛けて顰蹙(ひんしゅく)を買ったり、そうした為政者やボランティアの事例も少なくない。 今上陛下の被災地訪問は、皇太子時代の1959年、天皇の名代として伊勢湾台風の被害地域を訪れたのが始まりだった。このとき、被災地は歓迎の声ばかりではなかった。むしろ、救助活動などで忙しい現場に皇太子が出向いていくことに批判の声も上がった。 しかし、皇太子の誠意が通じて、苦境に沈んだ多くの被災者の心を励まし、復興への前向きな気持ちを引き出した。皇太子自身も被災現場に立つことで、被災者の負った苦悩を共有し、そのことで被災を受けなかった多くの国民にも事態の深刻さを広く知らしめる役割を果たした。また、自らも将来の象徴天皇として果たすべき道を一歩踏み出したのである。 伊勢湾台風の際、美智子妃殿下は妊娠中で同行できなかったが、その後はご夫妻での被災地訪問が続いた。皇太子時代の1986年には、三原山の大噴火で東京に避難していた住民たちを見舞い、ご夫妻で床に膝をついて一人一人に言葉をかけた。被災者と同じ目線で接する「励まし」の始まりであった。 天皇に即位した後も、1990年に長崎県・雲仙普賢岳の噴火があり、北海道南西沖地震と奥尻島への津波、阪神・淡路大震災、三宅島噴火、新潟県中越地震や中越沖地震と自然災害が続き、その都度被災地を訪れた。そして、2011年3月11日に発生した東日本大震災では7週連続で各地の避難所を回られ、多くの被災者を見舞われたことは記憶に新しい。 この大地震は大規模な津波の被害のみならず、東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能被害及びそれによる地域の風評被害など、従来にない形と規模の災害となった。2011年4月、東日本大震災で被災した茨城県北茨城市の大津漁港を訪れ、黙礼される天皇、皇后両陛下(代表撮影) このとき、両陛下は関係機関と連絡を取りながら、細心の注意を払って、被災地訪問の計画を立てて実行された。最初に東京と埼玉の避難所から回られ、次に千葉、茨城両県を訪問されたのである。心のケアは誰がするのか その後、地震被害の最も大きかった宮城、岩手、福島の被災3県へ向かわれたが、被災3県が最後になったのは、被災直後で混乱が続く現地の状況や、復興しない交通手段の現状など、受け入れ側の立場を十分に尊重し、被災者一人一人と向き合おうとしたためであった。翌日の3月12日には、長野でもこの地震が誘発した大きな余震があり、そのことも視野に入っていたのであろう。 しかも、両陛下は現地に向かって被災者に言葉をかけるという形式化したスタイルを再現するのではなく、その被災の状態ごとに、どうすれば被災者たちの心に寄り添えるかという、自問自答も重ねられたという。 時に自分自身も災害の被害の過酷さを知ることで、その重さに潰れそうになる心を支えながら、肉体の限界まで努力してきたことが、その後の側近や関係者などの記録からうかがえる。そもそも、被災者の過酷な経験を、心を込めて聞くということは、自らもその過酷さを追体験することに他ならない。被災者の心を受け止めた両陛下の心のケアは誰がするのかと、今さらながら懸念は尽きない。 両陛下の訪問は、復興に必要な物や金銭を直接配ることを目的とはされていない。しかし、物や金銭では解決できない被災者の心のケアに努めることで、物や金銭以上の復興へのエネルギーを導き出している。 また、両陛下がそうした被災地を訪れることで、被災の現状が多くの国民に伝えられ、国民の支援を引き出すことになり、政府や行政の活動を活性化させることにもなる。その結果、多くの物や金銭も送られてくるのである。 平成は災害が多い時代であった。東日本大震災後も、各地で地震や集中豪雨などの被害が続いた。両陛下はそうした被災地に可能な限り、いち早く足を運んで被災者を励ましてきた。2016年9月、宿泊先の岩手県大槌町の「三陸花ホテルはまぎく」でハマギクをご覧になる天皇、皇后両陛下。左は千代川茂社長(代表撮影) だが、天皇の公務はこうした被災地慰問だけではない。憲法で定められた国事行為のほか、外国への親善訪問や「三大行幸啓(ぎょうこうけい)」(国民体育大会、全国植樹祭、全国豊かな海づくり大会)などの公的行為や、宮中儀式などの私的行為も含めると相当な数になる。 こうした公務のうち、憲法に規定されていないものまで行う必要はないとの声や、国事行為以外は伝統を維持するための宮中儀式だけしていればいいとの指摘もある。求められる負担への配慮 しかし、陛下自身も述べてられているように、天皇としての務めとは、人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なのである。その意味で、被災地訪問は天皇にとって重要な務めと言えよう。 政府や行政機関側も、天皇、皇后が被災地を訪問することで、物や金銭による救援の遅れや不備に対して、被災者側からの不満が大きく鎮められることを知っている。そのため、政府や行政機関にとっても天皇、皇后の被災地訪問は重要なのである。 とはいえ、こうした政府や行政機関の救援の遅れや不備の「補填」として、天皇、皇后の被災地訪問が形式化してしまうと、政府や行政機関の救済支援を「糊塗(こと)」するためと誤解され、被災者側からの不満がかえって高まる危険はある。 次代の天皇、皇后以後も、被災地の現状に無理をかけず、それでいてできるだけ早急に現地に向かい、被災者の心を受け止める心を持って対等に接し、一人一人を励ましていく努力が大切なものとなろう。 さらには、新天皇は水問題の専門家でもあり、水害を中心とした災害予防や被災対応への科学的な提言、それに基づく具体的なプロジェクト支援などを、政治的発言とならない範囲で期待できるのではないか。また、適応障害で苦労された新皇后も自らの体験を被災者の心に重ねることで、より踏み込んだ被災者への寄り添いがなされるのではないだろうか。 ただ、懸念されるのは、地球環境の変動に伴い、今後さらなる自然災害が頻発する懸念はぬぐい切れず、被災地訪問を担う天皇、皇后の負担が増えていくことである。天皇、皇后も人間である。肉体的、精神的な限界もあろう。そうした天皇、皇后の負担への配慮は、政府や行政、そして私たち国民一人一人に求められるべきことなのかもしれない。2009年9月、和船にお乗りになられた天皇、皇后両陛下と秋篠宮妃紀子さま、悠仁さま=神奈川県葉山町(栗橋隆悦撮影) 将来、秋篠宮悠仁親王の配偶者はこうした被災地訪問を心から成しえる方が望まれることとなろう。悠仁親王が天皇になるのはまだ40年ほど先かもしれない。 しかし、女性皇族が適齢期となり、いつでも皇籍を離れることができる現在、男系男子を維持するのであれば、悠仁親王の配偶者問題はそろそろ検討されなければなるまい。男子を産むだけでなく、被災者の心に寄り添って天皇とともに被災者を励ますことができる方となると、その候補者はかなり限られてしまうからだ。

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    皇居のハマギク 被災地ホテルに「逆境に立ち向かう力」くれた

     天皇皇后両陛下は、全国の国民一人ひとりの目の前に立ち、私たちの言葉に、思いに、幸せに、苦悩に、耳を傾けられる。「今上天皇ほど、国内外の各地を訪問された天皇はいません。各種資料を丹念に調べると、即位後に限っても『旅』の総移動距離は62万kmを超えます。地球を約15周半もできる距離です。天皇皇后両陛下は、平成の30年間という“マラソンコース”を、一つひとつ丹念に心を込めた旅を通じて“全力疾走”で駆け抜けられたという印象を抱きます」 そう語るのは、『旅する天皇 平成30年間の旅の記録と秘話』(小学館)を上梓した歴史探訪家で、文筆家の竹内正浩さんだ。平成という時代に、「旅」を通じて寄り添われた両陛下。東日本大震災の被災地も常に気にかけていらっしゃった。平成9年(1997年)岩手県 1997年、岩手県の大槌漁港を訪れた両陛下は、海沿いの「浪板観光ホテル」に宿泊された。その時、近くの崖際に咲く可憐な白い花に目をとめた天皇陛下は、「あの花は何ですか」と同ホテルの常務だった千代川茂さんに尋ねられた。 それは、日本原産の野菊であるハマギクだった。後日、千代川さんの兄・山崎龍太郎社長はハマギクの苗を皇居に贈った。 それから14年後、東日本大震災が発生した。町を襲った22mの津波に山崎社長はのみ込まれ、ホテルも営業休止に追い込まれた。 悪夢から半年後、美智子さまの誕生日に宮内庁が公開した写真には、皇居に咲く真っ白なハマギクが映っていた。「それを見た千代川さんは、“以前、皇居に贈ったハマギクに違いない”と息をのみました。ハマギクの花言葉は『逆境に立ち向かう』。写真と花言葉に勇気づけられた千代川さんは苦境から立ち上がりホテルの再建を目指しました」(竹内さん、以下同) 2013年8月、社長となった千代川さんのもと、ホテルは「三陸花ホテルはまぎく」と名を改めて再開された。平成28年(2016年)岩手県ハマギクが咲く花壇から海岸線の崖を見つめる、「三陸花ホテルはまぎく」の千代川茂社長=2016年9月、岩手県大槌町 2016年9月、3年ぶりに岩手県入りされた両陛下は、再開したホテルを訪問された。「お待ちしておりました」 玄関口で出迎えた千代川さんは万感の思いでそう告げた。「すると天皇陛下は、千代川さんに『がんばりましたね』と優しく声をかけられました。沖縄や三宅島などと同じく、三陸でも両陛下の旅が苦しむ人々の支えとなったのです」 千代川さんにとっての「ハマギク」のような勇気と希望を、両陛下は国民に与え続けられた。そんな長い旅が、もうすぐ終わろうとしている。関連記事■ 三陸のホテルと皇居をつないだハマギクの花の物語■ 警察権力の陰謀に立ち向かうチーム・バチスタ・コンビの最新作■ 被災地ホテルで「電話の受け方」マナー講習をする奇妙な光景■ 32才OL かつて嫌いだった継父がDV夫に立ち向かってくれ号泣■ バレンタインデーに中年男が美しく立ち向かうための作法指南

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    被災者の心を癒され続けた美智子さま その手は柔らかかった

    子さまの姿に『これは私も頑張らねえと』と心を決め、地震から3か月後に店を再開しました」(松田さん) 皇室ジャーナリストの山下晋司さんが続ける。 「皇后陛下を拝見していると、『国民に寄り添う』とはどういうことかがわかります。被災地ご訪問でも、相手のかたと一体化しているように、相手のかたのことをご自分のことのようにお話しされています」 被災地訪問と同時に、美智子さまが大事にしているのが「宮中祭祀」だ。宮中祭祀とは、天照大神が祀られている賢所、歴代天皇・皇族が祀られている皇霊殿、神殿からなる宮中三殿で行われる祭儀のこと。 「宮中祭祀では、国家の安寧、国民の幸せ、世界の平和が祈られます。国民とともにある皇室を願われる両陛下は、宮中祭祀を『最も重要なお務め』と位置づけて、決して休んだり手を抜いたりなさいません」(前出・宮内庁関係者) どんな時も国民とともにあり、尽くそうとされる美智子さま。聖心女子大学で美智子さまの3学年先輩だった作家の曽野綾子さん(86才)は、そのお姿は聖心時代の大勢いた下級生の1人だった頃から少しも変わっていないだろうと言う。 「皇后さまは、昔も今もご自分を立派に保ちつつ、しかも周囲のことを心にかけていらっしゃいますね。聖心には、『できることを以って人のために尽くせることを光栄と思え』という空気があり、誰もができる範囲で他人のため社会のために尽くすことが自然にできるように訓練されています。『その時にできる人が、できることをやる』ことがいいのです」 美智子さまのどこまでも相手を思いやり、尽くそうとする心は、学校で培われたものかもしれない。曽野さんは聖心女子大学の「愛」の教えは美智子さまに根づいていると続ける。 「『愛』とは人を好きになることではありません。どんなに自分がつらい状況でも、見返りを求めず、相手に尽くすことができることです。愛とは『見つめ合うことではない。同じ目標を見ること』だそうですから。皇后さまというお立場は、むしろご自分を犠牲にされても…とお考えかもしれません」 近年、ご高齢な上に、頸椎症性神経根症など、満身創痍の体で公務を続けてこられた。すべては国民のために。 いかなる困難を前にされても決して立ち止まることなく、歩みを進めてこられた美智子さまの姿に、いつしか人々は“国母”と呼び、崇めるようになった。そして美智子さまもそんな国民の思いに、全身全霊を懸けて応えられた。関連記事■ 美智子さまご登場に当時の若い女性が抱いた親近感と嬉しさ■ 皇室を国民にとって身近なものに変えた美智子さまの歩み■ 美智子さまが雅子さまの手を握り「皇室を支えてくださいね」■ 紀子さま 眞子さま結婚披露宴での「前例破り」に向け準備■ 天皇皇后両陛下 退位後の仮住まい候補地に問題山積

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    今上天皇の偉大さは沖縄問題への対応を見れば理解できる

    教団体 元号と改元めぐる暗闘■ 小林よしのり×石破茂 生前退位で安倍首相にもの申す■ 小室圭さん 「皇室のしきたり」を破り記者は顔色を変えた

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    もし父親なら小室圭さんに娘を託せるか、ましてや皇女である

    して望ましいことではないだろう。 ちなみに、天皇陛下の譲位、新天皇の即位の後には「天皇の退位に関する皇室典範特例法」に衆参両院がつけた付帯決議にしたがって、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等」が検討される。今回の眞子さまのご婚約をめぐる問題は、それについての重大な警告となっているように思う。 言うまでもなく、「女性宮家」の創設を積極的に推し進めようとしている人々の狙いは、女性皇族に皇位継承権を与えるだけでなく、民間男性との結婚によって生まれた男系の血を引かない子孫にも皇位継承権を与えることにある。 この主張は、女性宮家を認めさえすれば、宮家にふさわしい民間男性は簡単に見つかるという前提に立っている。しかし、今回の件は、いろいろな意味で、皇室に入るにふさわしい男性を見つけることは、容易ではなく、選択を誤ると皇室の内部に大きな災いを招き入れることになりかねないということを教えてくれた。秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとの結婚延期発表から一夜明け、自宅マンションを出る小室圭さん=2018年2月7日、横浜市港北区 小室さんと眞子さまの出会いは平成25年で、翌年にはプロポーズに至っている。そして、婚約内定発表が平成29年。お二人の交際は約5年間に及んでいるが、この間、小室家をめぐる問題が大切な問題として両家や宮内庁内で取り上げられ、検討されることはなかったようだ。ここに、皇族の自由意思による恋愛結婚の難しさが表れている。関係諸機関も大きな教訓として謙虚に受け止めるべきではなかろうか。■小室圭さんへの反発は「民主化した天皇制」の象徴かもしれない■「歌舞伎町の王子」と重なる小室圭さんの複雑なプライド■元東宮侍従手記「小室圭さんを興味本位で論評すべきではない」

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    小室圭さんは眞子さまにふさわしいか

    1年前のきょう、秋篠宮家の長女、眞子さまと小室圭さんの婚約延期が発表された。発端は小室さんの母親をめぐる金銭トラブルだったが、小室さん側が突如公表した文書には「解決済み」と記され、再び物議を醸した。お二人の幸せを心底願いたいが、どうもモヤモヤが止まらない。皆さんはどう思いますか?

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    「小室文書」で確信した! 彼が眞子さまにふさわしいとは思えない

    「解決済み」と主張する文書=2019年1月(共同) 内親王をはじめ女性皇族が民間人と結婚する場合は、皇室典範12条の規定に従い皇族の身分を離れることになる(皇籍離脱)。確かに憲法24条は婚姻の条件を「両性の合意のみ」に限定しているとはいえ、これまで女性皇族のお相手はいずれも名家の男性であった。2014年、高円宮家の次女、典子さまは出雲大社の権宮司、千家国麿氏のもとに嫁がれた。天皇陛下の長女で内親王の清子さまも、東京都庁勤務の黒田慶樹氏とご結婚され、さらに最近では、高円宮家の三女、絢子さまが大企業のエリート社員のもとに嫁がれている。 一方、小室氏は眞子さまと知り合うことになったICU(国際基督教大学)を卒業後、一橋大大学院に通う傍ら、都内の法律事務所にパラリーガル(弁護士の業務をサポートする法律事務職員)として勤務している。いわゆるシングルマザーの家庭に育ち、決して裕福でなかったとはいえ、それが直ちに内親王の配偶者となる資格を有しないということにはならない。 しかし将来のことはともかく、現在の小室氏自身に果たして内親王と結婚する基本要件としての経済力があるかと問われれば、歯切れのよい回答を出すことはなかなか難しかろう。もちろん眞子さまには婚姻に際し一時金が給されるが、秋篠宮ご夫妻のお悩みが軽減されるとは思えない。不運な出会いは必然 メディアの中には当初、「宮内庁が婚約に至る早い段階からお相手の身辺調査を行っているから心配ない」と報じる記事が少なくなかった。そうした報道の影響なのか、一般国民の間にもそう理解している人々が多いのではなかろうか。確かに皇族には警察庁直属の皇宮警察が身辺警護のためにSPを配置している。しかし彼らの任務はあくまで皇族方を警護し、そのセキュリティーを確保することにとどまっている。一般の人々が想像しがちな身辺調査のような任務を帯びているわけではない。 いわゆる皇室のお世話役である宮内庁もそうした役割を担っていない。宮内庁を直接的に規定している内閣府設置法や宮内庁法にもそうした任務について具体的な条文はうたわれてはいない。自由恋愛が当たり前のこの時代に、政府の一行政機関がいかに重要なこととはいえ、お相手である一般の民間人に対して歳費を割いてまで調査することなど憲法上許されることではない。 そもそも宮家と宮内庁の宮務課の間で女性皇族の婚姻に向けた身辺調査をめぐり協議がなされることはない。にわかに信じがたいと思う読者も少なくないかもしれないが、古びたイメージをもたれがちな宮内庁も今や通常の政府機関と何ら異なるところはない。 そうすると、今回のような不運な出来事から眞子さまをお守りできるのは、秋篠宮ご夫妻をおいて他にいないといっても過言ではない。憲法上、皇族には職業選択の自由や選挙権、被選挙権など基本的人権が制約されている。しかし象徴天皇制度の下では、天皇や皇族は国民の敬慕やあこがれの対象であり、政治利用を回避するための制約はあっても、その他の面では意外と自由を享受されている。 皇族も結婚や子育てなど自由の半面として、一般国民と同様の悩みを抱えられている。現に、秋篠宮家の教育方針も尊重され、皇族方お一人おひとりの自由も大幅に認められている。悠仁さまも学習院初等科ではなく、お茶の水女子大学付属小学校に入学、次女の佳子さまも学習院からICUに転校されている。皇室にあっても、時代とともに価値観の多様化が進んでいると言ってよかろう。したがって、今回のような不運な出会いは、起こるべくして起こったと言えなくもない。 一方、小室氏のような内親王の配偶者にふさわしくない男性が今後も浮上する可能性も多分に残されている。小室家の教育方針や小室氏の考え方はよく分からないが、必ずしも経済力に見合わない進路を選択し、しかもそうした教育費の不足を母親の元婚約者の金銭支援に頼ったことがこうした不幸な結果を生み出した側面は大きい。報道陣の取材に応じる小室圭さん=2017年5月17日、東京都中央区(桐原正道撮影) 一般に、金銭にルーズな人間は周囲から信頼されない。そのような男性が内親王の配偶者となることは避けられねばならない。渡米しニューヨーク州弁護士を目指してロースクールに通う小室氏にもさまざまな可能性があるとはいえ、現在の彼に将来皇位につかれる悠仁さまの義兄となる資格があるとはとても思えない。 現在の皇室が抱える大きな不安には、皇族の減少がある。婚姻に伴い皇籍を離脱した内親王やその配偶者にも、その深刻さを共有し、現代の「藩屏(はんぺい、皇族の守護の意)」として外側から皇室を支援するだけの力量と覚悟が求められている。小室氏にはあまりに荷が勝ち過ぎてはいまいか。■元東宮侍従手記「小室圭さんを興味本位で論評すべきではない」■小室圭さんへの反発は「民主化した天皇制」の象徴かもしれない■「歌舞伎町の王子」と重なる小室圭さんの複雑なプライド

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    「眞子さまへの純真は本物か」小室圭氏よ、試練を歩み解を出せ

    性の身分や家柄は問わなくなった。ただ、それでも皇族男子の結婚相手は、婚姻により皇族となることもあり、皇室会議の審議を経て、認可されなければならなかった。 過去において、今上天皇の皇后である正田美智子さん(当時は皇太子妃)、正仁親王(常陸宮)と津軽華子さん、寛仁親王(三笠宮)と麻生信子さん、憲仁親王(高円宮)と鳥取久子さん、文仁親王(秋篠宮)と川嶋紀子さん、そして皇太子徳仁親王と小和田雅子さんとの婚姻が、それぞれ可決されて実現したのである。津軽さん以外は全て旧華族家の出自ではなく、実業家や外交官、大学教授など一般市民社会の家で生まれ育った。 中でも大学教授の長女であった紀子妃は「3LDKのプリンセス」と称されるなど、庶民的な育ちがクローズアップされることもあり、その長女と次女もそうした環境と周囲の印象の中で育った。秋篠宮ご自身も皇位継承問題からは遠く隔たって育った方であり、どちらかと言えば自由で庶民的であった。婚約内定の記者会見で、小室圭さんを見つめられる眞子さま=2017年9月、東京・元赤坂の赤坂東邸 ところが、「将来の男子後継者がいなくなる」という危機感と世論の中で、当時一番若かった秋篠宮ご夫妻に男子出産の期待がかかり、めでたく悠仁親王がお生まれになった。だが、このため皇位継承順位は、皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王、悠仁親王の順となり、今まで皇位継承問題などあまり意識しなかった眞子、佳子両内親王も、将来は天皇の長女、次女となり、さらには未来の天皇の姉となるという重い立場を負うことになったのである。 「将来は皇室を去る身なのだから、どこに嫁いでも恥ずかしくない生活態度や教養などを学ばせ、かつ伴侶となる男性は自分の目と心を信じて選んでほしい」。おそらく、秋篠宮ご夫妻は2人の内親王の教育において、このように望んでいたのだろう。従来と異なり、学習院大ではなく国際基督教大(ICU)への進学を容認したのも、そうした思慮があったからに違いない。法的問題はなし 実際、両内親王は、のびやかで思いやりがあり、かつ自立心のある素晴らしい女性に成長されたと、多くの人が認めている。しかし、2人が適齢期を迎え、そのお相手を巡り、少なからず暗雲も立ち込め始めたのも確かなようだ。 皇室典範第12条は「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とあり、皇室会議でのお相手の審議などは義務付けられていない。「皇室を離れるのだから、特に審議は不要である」という考えなのだろう。 戦前であれば、内親王は皇族に嫁ぐものとされ、明治天皇の4人の内親王は適齢のお相手がいないため、新たに竹田宮、朝香宮、東久邇宮を創設したほどである。昭和天皇の長女も戦前に結婚したため、東久邇宮家に嫁いでいる。 しかし、戦後当初は旧華族の鷹司家、池田家、島津家などに嫁いだが、近年になって今上天皇の長女、紀宮清子内親王は、東京都の職員で旧華族家の流れではない黒田慶樹氏に嫁いだ。黒田氏は清子さんの兄である秋篠宮文仁親王の後輩にあたり、そうした縁があったという。 いずれにせよ、内親王の結婚相手も一般市民となり、かつ皇室会議の審議もないので、今後は内親王の結婚もより自由で制約のない形になっていくかと思われた。そうした中で、眞子内親王の「騒ぎ」が起きたわけである。 確かに、日本国憲法第24条の条文が存在するとはいえ、一般社会においても、婚姻は個人の問題ではなく、両家や両家につらなる親族などとの関係も強く作用してくる。このため直前に破断となった事例も少なくないはずだ。戦後日本では、憲法の条文と必ずしも一致しない慣習的な判断が諸方面に残るのも事実だ。そのため、法的には問題がなくとも、世論や雰囲気で実現されないことがしばしばある。案件によっては、憲法を超えた根強い慣習法が影響を持つ場合もあるようだ。 今回の眞子内親王のご結婚へ向けての法的な問題は、たぶん存在しないであろう。そもそも皇族女性が、婚姻で皇籍を離れること自体、認められているし、そのお相手に関する条件については何もない。皇室会議の審議も不要なのである。米国に出発する小室圭さん=2018年8月7日、成田空港 それでは、いったい何が問題なのか。小室圭氏の母親とかつて交際していたという男性との間の金銭トラブルが一番の原因としてあり、そのことの処理を巡る対応がうまくいっていないことにあろう。 おそらくは、皇族女性の婚姻相手も皇室会議での審議を義務づけられていたら、今回のような問題は事前に把握されていたろうし、しかるべき対応がなされたであろう。「フリーパス」であったがゆえに、かえって世論の奔流に巻き込まれ、それへの対応がさらに問題視されるという泥沼への道が始まったのであろう。時代の罠にはまった2人 このままでは、事態がますます悪化し、最悪の場合、眞子内親王も小室氏も傷ついて終わるだけだろう。前途ある内親王と、その内親王に認められた男性が、ここまでの試練を受けなければならないほどの「罪科」をなしたのであろうか。どこか時代の罠にはまった王女とその恋人の姿にも見える。 もっとも、小室氏がどんな人間なのか、私には判断する材料が全くない。眞子内親王がそこまで支持する男性なのだから、相応の人間なのだろうと信じ、まずはその前提に立って考えるのが「人間としての正しい道」と思っているだけである。 ただ、事態がここまで広がってしまった以上、私としても真相がどこにあるのか、知りたい気持ちは強い。そもそも、小室氏が400万円の金額が融通できない人間なのか、それとも不当な支払いには安易に応じないという信念の持ち主なのか、見えてこない。 この金銭トラブルへの対応の仕方に、小室氏が眞子内親王の伴侶としてふさわしいかどうかの「解答」があるような気もする。不当な支払い要求には安易に応じず、多くのバッシングにもめげず、ひたすら眞子内親王への純真を貫いているのであれば、私は小室氏を高く評価したい。そして、もしかしたら天皇になることも有り得る内親王の伴侶という、さらなる試練の道を歩める人物として大いに期待したい。 その私の期待を現実のものにするには、まずは事態の原因となった「金銭問題」を公正に解明してほしい。それも秘密裏に済ますのではなく、事態の発端や経緯を公にし、国民が広く事実を共有できる形にしてほしい。眞子さまのご婚約に関するニュースを伝える電光掲示板=2017年5月17日、和歌山市 そして、金銭問題の経緯や協議が、当事者同士で納得いく形で収まったのなら、国民もそれを受け入れ、小室圭氏を内親王のお相手として認めるべきであろう。逆に、協議の過程で、明らかに内親王のお相手として当初から問題がある方であったことが明確になれば、眞子内親王にもあきらめていただくしかないのではないか、とも思う。 いずれにせよ、現状のままでは、この「騒ぎ」のどこが法的に問題なのか見えないし、「騒ぎ」が将来の皇室安泰のためになされているとも思えない。事態がさらに泥沼化する前に、まずは国民にさらしても恥ずかしくない形で金銭問題を処理すべきだろう。 できれば、時間がかかっても民事裁判に任せた方が、かえっていいだろう。そのことは、内親王のお相手を巡る「騒動」の決着に対して、日本が世論扇動や密室処理で事態を収めてしまう時代遅れの「未開社会」ではなく、「公正」や「正義」という高い理念を有した現代社会にふさわしい法治国家の証しを、内外に示すことにもなろう。■小室圭さんへの反発は「民主化した天皇制」の象徴かもしれない■元東宮侍従手記「小室圭さんを興味本位で論評すべきではない」■「歌舞伎町の王子」と重なる小室圭さんの複雑なプライド

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    眞子さまと小室圭さんの仲を金銭トラブルで引き裂いていいのか?

    を存続させるべく、敗戦直後から天皇の「民主的」なエピソードを積極的に描いた。 また、戦前では低かった皇室記者たちへの扱いが、戦後になって大きく変わったことは、彼らにとって「民主化」を実感する契機ともなった。そして、そうした感情を基にした記事を量産していく。そのため、国民に「民主的」な象徴天皇像が定着したのである。 そのマスメディアも、経済成長に伴う大衆化や消費化が進む状況の中で、象徴天皇制をより民主的な側面から取り上げる記事を執筆していく。その頂点が、明仁皇太子と正田美智子さんによる1959年の「皇太子ご成婚」であった。 マスメディアに大きく取り上げられた2人の「恋愛結婚」は、まさに日本国憲法の理念との親和性を表現するものであった。それまでは、元皇族や元華族との結婚が噂されていた皇太子が、自分の意志を貫いて「平民」出身の正田さんと結婚することに、若い世代の国民は喝采を寄せた。国民はマスメディアで報道される美智子皇太子妃を歓迎し、「ミッチーブーム」となった。 そして、象徴天皇制は一つの到達点を迎えることとなる。この年を契機に、国民の中でも見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転したという。皇族の結婚が国民のモデルともなったのである。 こうした傾向は、平成に入り、徳仁皇太子や秋篠宮の結婚にも継続していく。平成の象徴天皇制は「開かれた皇室」といわれ、国民により近しい形へと変化して支持を得ていったこともあり、天皇や皇族もそのように行動していった。 2人の男性皇族の結婚も「恋愛結婚」として、マスメディアで大きく報じられ、国民からの支持を受けていった。国民に近しい「モデル」としての皇室が、象徴天皇制であったのである。2018年2月、ご婚約の延期発表から一夜明け、自宅マンションを出る小室圭さん。心境を尋ねる質問には応じず、タクシーに乗り込んだ 秋篠宮眞子内親王と小室圭さんとの「婚約内定」もこの延長線上にあった。2人は、国際基督教大学(ICU)の同級生として出会っており、まさにそれは宮内庁や誰かに選定されたものではない「恋愛」であったと考えられる。それは、国民の支持を受けてきた現在の象徴天皇制そのものでもある。 これを否定することは、現在の皇室のあり方自体を否定することにも繋がるのではないか。また、日本国憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」することにも、抵触することになろう。 親の金銭問題によって、2人の仲が裂かれることが、果たして現代社会にふさわしいのであろうか。そうではないだろう。一方で、国民の支持を調達することを基盤としてきた象徴天皇制において、文書一枚で「法律的に解決した」と述べるだけでは、やはり国民の納得を得られないようにも思われる。小室さんには、その点が求められているように思う。■ 「歌舞伎町の王子」と重なる小室圭さんの複雑なプライド■ 元東宮侍従手記「小室圭さんを興味本位で論評すべきではない」■ 眞子さまが「ゴシップ報道」小室圭さんを選んでも別に不思議じゃない

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    小室圭さんはなぜさっさと「400万円」返して解決しないのか

    アクションでしょう。事態が動き出したとは言えますが、秋篠宮殿下の言う“理解と祝福”まではほど遠い」(皇室記者) ダンマリを決め込んできた1年以上の間に世の批判は増すばかりだが、ここに至ってなお、小室さんが頑なに「借金トラブルは残っていない」と主張する理由はどこにあるのか。 「1つは、小室家の経済状況があるでしょう。父・敏勝さんは10年以上前に亡くなり、小室さんは、佳代さん、祖父との3人暮らしでした。法律事務所でパラリーガルとして働く小室さんと、洋菓子店でのパート勤務だった佳代さんの稼ぎは、すぐに400万円が返済できるほど潤沢とは思えない」(皇室ジャーナリスト) といっても、横浜市内の自宅マンションは敏勝さんが亡くなった際に住宅ローンが弁済されている。金融機関から“堂々と”借り入れてトラブルを解決することも可能に思える。 しかも、無事眞子内親王との結婚が実現した暁には、1億円以上の結婚一時金(女性皇族の結婚の際、「元皇族としての品位を保つ」ために支給される金銭)が夫妻の家計に入るという“見通し”もある。「何かしらの方法でお金は工面できたとしても、返済した場合、“やはり借金だった”と自ら認めてしまうことになる。小室さんサイドは、当初から『贈与』だと主張しており、秋篠宮ご夫妻にもそう説明していた。返済したらしたで、“皇族にウソをついていた”という別の問題が出てくる。※写真はイメージです(GettyImages) それが原因で破談にでもなれば、結婚一時金は入らず、“借金”だけが残る可能性もある」(前出の皇室記者) 小室さんに残された道は、「母の元婚約者に“解決済み”と認めてもらう」ことしかないのかもしれない。関連記事■ 「美智子さまが眞子さまロマンスに終止符」英国紙報道の波紋■ 眞子さま、婚約延期も職場では「結婚します!」と幸せオーラ■ 眞子さま 小室圭さんと最後にお会いになった時の行為が波紋■ 新天皇と秋篠宮、雅子妃と紀子妃 5月から様変わりする関係■ 眞子さまと小室圭さんが破談になったら…宮内庁が恐れること

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    眞子さまはまるで「人質」、秋篠宮さま「小室文書」への怒り

    呈した。小室家に要求する前に、まず家庭内の断絶を何とかするべきではないかという厳しい声もあります」(皇室関係者) 恋に身を焦がし、一途になる娘を前に、父親は無力だ。その点で秋篠宮さまを責めるのは、酷なようにも思える。親の言うことに聞く耳を持ってほしい、その一方で、思った通りに自由に幸せになってほしい。父親はそんな真っ二つの感情の間で、揺れ動く。 それでも、秋篠宮さまには小室さんに対して、どうしても許せないことがあるという。文書が公表された際に、《眞子さまと小室さんの結婚の意思は固い。眞子さまも文書の公表を把握している》と報じられた。※写真はイメージです(GettyImages)「眞子さまがメディアにお話しされるわけがないので、小室さん側からのリークとみられます。秋篠宮さまはかねてから、“借金問題は、まだ婚約前の他人の家のことであり、当家とは無関係の問題”という立場を貫いてこられました。皇族がそのような金銭トラブルに巻き込まれることは許されないという意識から、充分に注意されてきたのでしょう。 しかし、小室さん側が『眞子さまも文書の公表を把握』と報じさせたことで、眞子さまがスキャンダラスな借金問題の当事者に巻き込まれてしまうことになった。眞子さまが小室母子の主張を認めたことになり、Aさんから“なぜ眞子さまはそんな文書が出されることを認めたのか”と問題視されないとも限らない。それこそが非常に重大な問題であり、秋篠宮さまが怒られている点なのです。秋篠宮さまにとっては、眞子さまを“人質”に取られたにも等しいことになってしまった」(前出・別の宮内庁関係者)関連記事■ 小室圭さんはなぜさっさと「400万円」返して解決しないのか■ 小室圭さんが文書発表、母の元婚約者の困惑と眞子さまの落胆■ 紀子さま実弟のNPO、「100万円で食事」は皇室の利用か?■ 秋篠宮家と職員の関係と紀子さま「高学歴志向」の影響■ 小室圭さんの母、両陛下への「直談判」を試み周囲困惑

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    日本人が知らない改元の意味

    改元とは何か。この意味をきちんと説明できる人は恐らく日本人でも少ないだろう。大化以降の歴史をひも解くと、江戸時代まで天皇の在位中に慶事や大災害があれば頻繁に改元が行われた。天皇一代限りの一世一元が原則になったのは明治以降である。平成の終わりに、改元の意味を考えたい。

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    平成改元「運命の一日」官邸発表までの舞台裏

    石附弘(日本市民安全学会会長、元内閣官房長官秘書官) 「Xデー」、それは111日目にやってきた。1989(昭和64)年1月7日の昭和天皇の崩御である。 あの日の小渕恵三官房長官による「平成の元号」発表(総理官邸記者会見室)の映像は、NHKニュースの視聴率が21%を超え、発表直後の読売新聞の電話調査で元号の好感度は61%を超えるなど、大変印象深く国民の目に映ったようだ。 そして誰とはなしに小渕長官に「平成おじさん」の異名が付いた。この愛称には長官も苦笑されていたが、国民に元号への親しみを持って受け入れられていることを示すこれ以上の言葉はない。その後も再三放映され、今や平成時代の始まりを代表する映像になっている。 実は、その元号が入った額を、会見場で小渕長官に手渡したのは、当時官房長官秘書官であった若き日の私であった。 総理官邸の内閣官房長官には、政務と事務の秘書官が付く。当時、事務の秘書官は、大蔵、外務、警察出身の3人で21省庁を3分割し、国レベルで対応すべき事案について、いわば「官房長官の黒子」として補佐していた。 例えば、官房長官には、政府の公式スポークスマンとして朝夕の記者会見を行うという重要な職責がある。内外で発生する事象に対して、政府の考え方を説明し記者からの質問に答える責務があり、秘書官はこの記者会見に備え、あらかじめ関係省庁から報告を受けたり、自らも関係情報を収集し長官と事前の打ち合わせをしたりする。警察庁出身の私は宮内庁を担当しており、頻繁に宮内庁と連絡を取り合っていた。 そもそも、元号は誰が発表するのか、元号法に定めはない。「昭和」の際は、宮内省が発表した。国家の一大事として総理大臣会見という選択肢もあったと思うが、小渕長官が竹下登総理と相談され、「政府唯一の公式スポークスマンである官房長官」が発表すると決まったと聞く。 そこで宮内庁担当であった私に「元号の発表方法を検討せよ」との下命があった。すわ一大事、大変な難問をもらったと思った。なぜなら先例がない。すなわち、明治天皇崩御から大正の時は新聞発表(ラジオがなかった)、大正から昭和の時はラジオ放送を使った発表であり、まるで参考にならない。テレビ時代にふさわしい元号の発表をゼロから考えなければならなかったのである。 平成元号の制定手順や発表のあり方について調べていくと、下記のような課題があることが分かった。 ①現憲法下、初の御代替わりに伴う元号であり、法令に定められた制定手続きを踏まえなければならない。②先例のないテレビ時代の元号発表方法を考案しなければならない(映像を通じて国民に親しみを持ってもらえるような発表)。③「元号」が有する歴史の重み(崩御という国民の深い悲しみの中で、新時代の幕開けにふさわしく、厳粛に、かつ格調高いものであることが望ましい)。④「Xデー」に間に合うように極秘裏、かつ迅速に諸準備を進めなければならない。1989年1月7日、元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官=首相官邸 元号の字(縦書きか横書きか)、何に書くのか、見せ方などいろいろな選択肢があったが、①日本の筆の文化により墨書で縦2文字とし②揮毫(きごう)は河東純一(雅号は蜂城)氏(官房人事課所属で内閣組閣時に総理大臣等の辞令を書く書家で、後に「書の名人」として人事院総裁賞を受賞)が担当③元号を収める額は白木とすることが早めに決まった。そこで元号の揮毫者をご紹介いただき、揮毫と元号の額の扱い、記者会見室での発表のあり方までの流れを頭で描きながら検討を進めた。事前漏洩防止は必須 問題は、揮毫された墨痕が乾ききらぬ元号墨書の固定であった。書の固定は表具するのが一般的であるが、生乾きの紙では難しい。物がモノだけにアイロンをかけるわけにもいかない。ましてや、接着剤は使い方によって紙が傷む。とはいえ、何よりも超スピードで額を官房長官室へ運び、速やかに記者会見に間に合わせなければならない。 後々の保存のことを考えれば、元号の表面を、上からガラスなどで押さえつけて固定するのが書を傷めないベストの方法である。そこで長官番記者の方に内々に意見を求めたところ、記者会見場はテレビカメラのライトの光が四方八方から照射してしまうので、額の表面が反射するものは困るとの注文がついた。早速、河東先生に相談し、書を傷つけない程度の簡易固定を考案していただいた。 発表された元号の紙面の大きさであるが、実物がどのくらいの大きさだったかはあまり知られていない。縦41・5センチ×横29・5センチ、ほぼA3の紙を縦にした大きさである。 余談であるが、河東先生によれば、元号を書く紙は古来、公文書でよく使われる奉書紙と決めたものの、特製の紙は紙が厚く墨を良く吸うので擦れが出やすい。芸術作品であればともかくも、元号に擦れは許されない。そこで墨の濃さ、筆の墨量、運筆の速さなどを随分とご研究されたという。本番では一気に4枚「平成」と書き、4枚目を発表用とし、他はその場で廃棄されたという。 この額は後日、本表具され竹下総理の手元に、その後国立公文書館に寄贈された。 そもそも「Xデー」の始まりは、前年1988(昭和63)年9月19日、陛下が大量出血され、ご病床に就かれたことであった。当時、小渕長官のお供で東北地方に出張中であったが、陛下が欠かさずご覧になられていた大相撲をキャンセルされたという第一報に、嫌な胸騒ぎを覚えたことを思い出す。 陛下は、その前年の87(昭和62)年9月、宮内庁病院で手術を受けられていたため、この時の御不例は、天皇のご年齢も考慮し、内閣として万一に備え、諸準備を極秘裏に急ピッチで進めることになった。首相官邸の庭で竹下登首相(左)と談笑する小渕恵三官房長官=1987年12月撮影 小渕長官は、石原信雄内閣官房副長官、古川貞二郎内閣官房首席内閣参事官、的場順三内政審議室長、藤森昭一宮内庁長官、後藤田正晴前官房長官、佐々淳行内閣安全保障室長とよく連絡を取られていた。竹下総理の女房役として、「Xデー」という歴史の重圧を前に、秘めたる壮心と覚悟がみなぎっていたように思う。 大正から昭和への御代替わりでは、世紀の大誤報と揶揄された「光文事件」が発生したことから、事務方への指示として特に言われていたのは第一に、元号の事前漏洩防止だった。的場内政審議室長の一元管理とし、極秘裏に作業が進められた。私も揮毫者も直前まで「平成」の2文字については知らされていなかった。 二つ目は、新元号が国民の理想に沿う、国民に親しみのあるもの、受け入れやすいものであるようにということだった。新元号を国民がどのように迎え入れてくれるか、「庶民内閣」竹下総理の右腕であった小渕長官としては当然の思いであったろう。これには「昭和」の元号が当初、国民の評判がいまひとつであったという史実が背景にあった。 そして、その日がやってきた。89年1月7日午前6時33分、昭和天皇が皇居・吹上御所で崩御されたのである。宝算87。好評だった「平成」 「Xデー」の官房長官日程は、まさに分刻みというより秒刻みの超過密スケジュールであった。ご危篤(きとく)のお見舞い記帳、崩御の弔問記帳、「剣璽(けんじ)等承継の儀」参列等宮中関係の行事、また元号発表に先立ち、ご危篤や崩御の発表等総理官邸での記者会見(計5回)、崩御や元号制定のための一連の法的・事務的手続(事務次官会議、計4回の臨時閣議のほか、衆参両院や懇談会等多数)をタイムスケジュール通りに進めなければならない。 長官が手際よく段取りを進めていただけるよう関係先と連絡を取りつつ、黒子の私は朝から水分摂取を自粛した。トイレタイムで長官にご迷惑をかけたくなかったのである。 こうして、何とかつつがなく手順通りに粛々と一連の行事を終え、崩御から約8時間後の午後2時35分、ついに元号発表までこぎ付けた。「Xデー」という言葉の原義は軍事用語に由来するが、まさに危機管理作戦であったことを身を持って実感させられた。 そして記者会見において、元号をどのように情報発信すべきかということも大きな難問であった。最悪のケースは額を天地逆に見せてしまうことであり、黒子としては切腹ものだ。これを回避するため、内政審議室から届けられた紫の風呂敷の固い結び目を解き、額を出して官房長官室で一度リハーサルを行ったことが懐かしい。 次に、長官の胸元に額を立てるのか、両手で上に掲げるのか、左右に見えるように動かすのかなど、額の掲示方法についても長官番の記者や、官邸報道室はじめ多くの方から意見をいただき、長官に意見具申させていただいた。当時、お世話になった方には改めて感謝したい。 ところで、長官からの二つの宿題はどうなったかと言えば、まず元号が発表前に漏れることはなかった。そして「平成」の元号については、多くの国民が「安定」「明るい」「発展」というプラスイメージの評価で直後の電話調査(読売)では好感度61%(非常に好感27%、多少好感34%)であった。この報告に、小渕長官もほっとされておられた。そのお顔は今も忘れられない。なお、1カ月半後の調査では好感度は69%にはね上がった。 忘れられないのは、元号発表直後から官房長官(秘書官)のところに、複数の大臣や党の幹部など政財界の大物著名人から「記念にしたいので、ぜひ平成の揮毫をいただけないだろうか」との電話が鳴り続けたことである。ラジオ発表ではこういう現象は起こらなかったであろう。テレビの影響力を実感した瞬間でもあった。 2019年5月1日に、皇太子様が新天皇に即位するのに伴い、元号が今、再び話題になっている。これを受け、国立公文書館は所蔵品の「平成」の書の「平成クリアファイル」グッズ化を決め販売を始めたところ人気上々だという。「平成」の人気、今昔物語である。国立公文書館が販売している小渕官房長官が新元号の発表会見で掲げた「平成」の書のクリアファイル 当時、竹下内閣は、消費税の初導入と新元号制定という二大事業を成し遂げ、緊張の合間を縫って総理主催の官邸内幹部ら内輪の慰労会が行われた。その席上で竹下総理は、一国の総理たる気概・政治理念を熱く語った後、隣の小渕長官を見ながら「俺は消費税で『名』を残したが、この小渕は元号で『顔』を残した」と言って皆を爆笑させた。 テレビでは連日、元号発表報道がなされ、小渕長官には「平成おじさん」の異名が付いていたことは先に述べた。鎌倉時代の説話集『十訓抄』に「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」とあるが、映像時代にあっては、「皮」と「名」に加え、「顔」も付け加えなければならないだろう。■新元号をめぐる「タブーなき議論」こそ平成と昭和の差である■こうして元号は「時代を映す鏡」になった■67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった

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    幕末幻の元号「令徳」が示す改元のインパクト

    後藤致人(愛知学院大文学部歴史学科教授) 元号とは、漢字と数字を組み合わせて、天皇の在位期間を基準にした政治的紀年法の一つである。ただ、明治に一世一元制を採用する以前は、災異や大変革が起こるといわれる年「辛酉(しんゆう)革命・甲子(かっし)革令」に基づく改元があった。 現在、元号は日本にしか存在しない。元号は、漢字と数字の単純な組み合わせではなく、そこに皇帝・天皇・国王の在位期間という要素が必要条件となる。元号とは、君主が時を支配するという思想に基づいた暦年法なのである。現在、漢字文化圏で君主制の残っている国は日本しかないため、元号もまた日本にしか存在していない。 中華人民共和国では公暦を使っており、これは西暦と同じである。台湾では、民国何年という数え方をしている。漢字+数字なので、一見元号のようであるが、これは元号ではない。1911年の辛亥革命で清朝が滅び、中華民国政府成立した1912年から数え始めた年の数え方であり、君主制とは関係がないので、元号とはいえない。 元号は、中国の漢代から始まっている。それが漢字文化圏に広がっていくのだが、日本では大化の改新で有名な「大化」から始まる。ただ、途中元号が建てられなかった時期があり、今日まで連続して元号が建てられるようになったのは、大宝律令で有名な701年の「大宝」が最初となる。律令体制は文書主義であり、文書に記述するため、より正確に時を記述する必要があったのであろう。 朝鮮では、日本の大化の改新より約100年前から新羅(しらぎ)暦が存在していた。ところが、その後独自の元号は持たず、中国暦を使用している。これは、新羅は中国唐の力を借りて、悲願の朝鮮半島統一を成し遂げたことに由来している。 唐を宗主国として立てる必要があり、そこから独自の元号である新羅暦を廃止したのである。以後、高麗(こうらい)王朝も朝鮮王朝も一時期を除いて独自の元号を持たず、中国暦を使用した。「大化の改新」の孝徳天皇をまつる豊崎神社=大阪市北区(木戸照博撮影) ところが、19世紀末に突如朝鮮暦は復活する。これには当時の国際状況の激変が背景としてある。19世紀後半、東アジア的な国際秩序が揺らぐ中で、ヨーロッパ的な国境概念が入ってきた。 日本は明治維新後、ヨーロッパ的国境概念に転換するが、中国の清は伝統的な中華思想を維持し、内国とは別に、朝鮮やインドシナ、チベットは属国(朝貢国・藩部)として位置づけていた。 この清による属国概念に、まずフランスが挑戦した。インドシナを舞台に清仏戦争でフランスが勝利すると、清による属国を否定した上で、インドシナを植民地とした。 朝鮮半島では、日本がこの属国概念に挑戦し、1894~95年の日清戦争で勝利すると、下関条約で朝鮮の独立を清に認めさせた。その結果、1897年に清の属国ではない大韓帝国が成立し、元号も建てられたのである。満州にも独自の元号 1896年、太陰太陽暦からグレゴリオ暦に転換するときに元号「建陽(けんよう)」が建てられ、清の元号から独立し、1897年大韓帝国成立とともに、「光武」に改元している。しかし、この大韓帝国の元号は1910年韓国併合によって消滅した。 「満州事変」後に成立した満州国でも独立した元号が建てられている。1932年3月、満州国が建国され、清朝最後の皇帝、溥儀(ふぎ)を「執政」の地位につけ、元号を「大同」とした。そして、1934年3月、溥儀が満州国皇帝に即位し、これをきっかけに元号を「康徳」に改元している。 満州国は事実上日本が実権を握っている国ではあったが、植民地ではなく、君主制を敷いていたため、元号が時を数える暦年として存在していたのである。「康徳」は、満州国滅亡まで続いた。 元号に使われる漢字には、時にメッセージが込められている。室町幕府15代将軍、足利義昭は、室町幕府の復興を祈念して「元亀」という元号を天皇に奏請している。 しかし、織田信長はこの元号を嫌い、1573年義昭を畿内から追放し、事実上室町幕府を滅ぼすと、改元を促した。そして、信長の旗印「天下布武」にちなみ、「天正」としたのであった。 幕末の元号にも、メッセージ性の強いものがある。ペリー来航以降の元号を並べてみよう。「嘉永(かえい)」・「安政」・「万延」・「文久」・「元治」・「慶応」・「明治」・「大正」・「昭和」・「平成」。どれが最もメッセージ性の強い元号か、分かるだろうか。満州国建国 満州国皇帝・愛新覚羅溥儀(左)と乾杯する武藤元帥(右) 「明治」は、その改元手続きが画期的であったことが知られている。明治天皇が東京へ行幸するのを前に、天皇代替わりに基づく改元を行うこととなった。このとき岩倉具視は一世一元を主張、あわせてそれまで行われていた公卿(くぎょう)による議論を繰り返す難陳(なんちん)という手続きの廃止を求めた。 この提言に基づいて、文学・史学の漢籍を専門とする「文章(もんじょう)博士家」である菅原氏らの勘文(かんぶん)の中から、議定の松平慶永が2、3の良案を選定して上奏した。 そして天皇は宮中の賢所(かしこどころ)でそれをくじで選び、明治の改元を行ったのである。天皇がくじで決めた元号というのは、このときをおいて他にない。ただ、「明治」という元号自体は、メッセージ性の強いものではない。 元号に使う字は、何でもいいわけではない。もちろん縁起の良くない字は不可であるし、国や時代によっても使う漢字の傾向は異なっている。近世以降の日本では「長く、平和で、安定した世の中が続きますように」というニュアンスの文字が並ぶことが多い。幻となった「令徳」 「嘉永」は、「嘉(よろこ)ばしく、永遠に」というニュアンスであるし、「安政」も「安定した政治」と解される。「万延」も「万のように永遠に」など、「平和で安定した政治」という意味合いのものばかりである。 ところが、「元治」は違う。「元」も「治」も元号ではよく使われる漢字ではあるが、これを組み合わせると、「元(はじま)りの政治」となり、新政府を宣言するメッセージが現れるのである。 この元号は、実は第2候補であった。本当はもっとメッセージ性の強い元号になるはずだったのだ。それは「令徳」である。この元号の衝撃度は、お分かりだろうか。レ点を付けて読めば、「徳川に命令する」となり、これからは朝廷が幕府よりも上位の世の中となる、ということを露骨に世間に宣言している。 江戸時代、改元手続きの主導は事実上幕府にあったが、この元号を主導したのは朝廷であった。1862年勅使関東下向によって文久の幕政改革が進み、その後1863年、将軍・諸大名が上洛(じょうらく)した。 幕府は安政の大獄の失政を謝罪した上で孝明天皇に忠誠を誓い、天皇・公家に対する武家側の儀礼が朝廷を上位として改善された。改元に関しても、幕府側の露骨な介入がはばかられたのだ。 1864年、甲子革令に基づく改元を行うとき、朝廷では「令徳」と「元治」が候補に挙がり、「令徳」が第1候補だとして、関白から幕府に内談があった。二条城二の丸御殿で再現された大政奉還のようす=2017年10月、京都市中京区(寺口純平撮影) 老中らは、「徳川に命令する」意味に解されるとして難色を示したが、老中からの申し立てはできかねる、と松平慶永に関白らへのあっせんを求め、第2候補の「元治」に決定したのであった。江戸幕府が相当苦慮していたことがうかがえよう。江戸幕府にしてみれば、「元治」もメッセージ性を含んではいるが、「令徳」だけは避けたかったのである。 こうして元号の歴史を考察してみると、「文久」と「元治」の間に、大きな政治的な変化があったことが分かる。1863年に将軍諸大名が上洛して以降、武士の間では「皇国帝都」という言葉が流行していた。つまり、日本は天皇を戴く国であり、帝のいるところが首都であるという考え方が広まっていたのである。 近代天皇制国家の出発は、必ずしも明治維新ではないのではないか。元号の歴史は、そのことを暗示している。■こうして元号は「時代を映す鏡」になった■67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった■新元号をめぐる「タブーなき議論」こそ平成と昭和の差である

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    天皇大権を蔑ろにする「元号の事前公表」黒幕は誰か

    はさておき、そもそも元号の事前公表とは、どういう問題なのか。明治維新に際して一世一元の制が定められ、皇室典範で成文法化された(旧典範第12条)。だが、敗戦の際に旧典範は廃止され、その後は慣習法が元号の法的根拠となった。 やがて学界と言論界を中心に元号廃止運動が盛り上がり、対抗する形で保守陣営が元号法制化運動を進め、法制化された。成文法でも根拠を持った形になる。現行の元号法は2条しかない、短い法律だ。【元号法】第一条 元号は、政令で定める。第二条 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。【附 則】 第一項 この法律は、公布の日から施行する。第二項 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。 最初の元号である「大化」以来、元号が事前に公表された先例はない。皇室を論じる場合に最も大事なのは、先例である。皇室において、新儀は不吉である。新儀はやむ得ない場合に行うものであり、自ら行うものではない。 そうした日本国憲法どころか帝国憲法よりも以前から存在する皇室の慣習法を知らずとも、現行元号法のどこをどう読めば、元号を事前公表できるのか。 昭和から平成への御世代わりを思い出してみよ。1年間、昭和天皇のご病状は悪く、政府は「その日」に備えて新たな元号を用意していた。しかし、昭和64年1月7日の崩御まで公表は差し控えられた。同日、当時の小渕恵三官房長官が「平成」の元号を公表したのを昨日のごとく思い出す方も多いだろう。システム上の問題など、特になかった。 当時の竹下登内閣は、日本人としての道理を知っていた。竹下登と言えば中国に日本を売り飛ばした極悪人であり、闇将軍として次々と傀儡(かいらい)の総理大臣を挿げ替え平成の最初の10年を汚してくれた大悪党である。その竹下ですら、元号の事前公表などという暴挙は行わなかった。その暴挙を、保守を自任する安倍内閣が行おうとしている。 一世一元の制においては、元号は新帝の贈り名となる。だから、新帝の名で公表されるのだ。現行憲法では使われない用語だが、改元は天皇の大権なのである。一世一元の制において新帝践祚(せんそ)に際してのみ元号が公表されることにより、現行憲法改元大権は健在なのである。元号法第2条こそ、改元大権の規定なのだ。全国障害者スポーツ大会の開会式に出席された皇太子さま=2018年10月、福井市 どうしても事前公表したいのなら、元号法を改めるなり、一世一元の制をやめるなりすればよい。正当な手続きである、新規立法により行うべきだ。 わが国の国体とは、皇室と国民の絆である。その国民による選挙で選ばれた国会議員が法律を変えたいと言い出した時、止める方法はない。仮に元号の事前公表のために元号法を変えるなら、一世一元の制を廃することとなる。蔑ろにされた天皇大権 一世一元の制など150年の伝統しかないのだから、それ以前の先例に従い、天皇崩御に際して贈り名を熟議すればよい。結果として新帝の贈り名が先帝の御世に公表された元号であっても、この方法なら天皇の改元大権を傷つけない。今回で言えば、平成の間に元号を公表し、その元号が新帝の贈り名となっても、たまたま新帝が改元をしなかったというだけの話になるので。 今上陛下の御譲位が決まってから、1年もあった。新規立法の時間など、十二分にあった。政府が新元号を早めに公表したいのなら、国会に元号法の改正案を提出すればよかったのだ。ところが、何を今さら?安倍内閣は解釈により「事前公表は可能」との立場を採る。 なぜ、国会による立法ではなく、政府による解釈で乗り切ろうとするのか。これは安倍内閣の不手際のように見えるが、違う。陰謀である。改元大権を干犯しようとする黒幕の。 この場合の政府とは、安倍晋三でも杉田和博でもない。法律の解釈権を握る者だ。ここまで書けば、賢明なる読者諸氏には黒幕が誰か明らかだろう。  内閣法制局長官、横畠裕介である。  内閣法制局とは、憲法を頂点とする日本国の法令のすべてに対する解釈権を持つ。政府が国会に提出する法律は、法制局の審査(つまり許可)がなければ、閣議決定されない。今の日本国に、法制局の見解に逆らえる政治家と官僚は、一人もいない。その法制局は「天皇ロボット説」に固執し続けている。今上陛下の譲位に際しても徹底的に抗い続け、「天皇の意思による譲位はさせない」との立場を貫いた。衆院憲法審査会の参考人発言に対する政府見解について説明に臨む横畠裕介内閣法制局長官(手前)=2015年6月、国会内(酒巻俊介撮影) 今回、法解釈による元号の事前変更を安倍内閣にさせようとしている。安倍内閣の意思だけで、そんな大それたことができるわけがない。法制局の見解がお墨付きを与えていないはずがない。もしかしたら、安倍内閣の閣僚は、誰も事の重大性を分かっていないのではないか。改元大権を干犯しようとしていること、大化以来の先例を蹂躙(じゅうりん)しようとしていることの重大性を。 立法ではなく法解釈により改元前に事前公表すると、天皇の元号ではなく、政府の元号となる。新たな元号の下で、皇室も、政治家も、政治家を選んだ国民も、法制局の権威の下で生きていくということだ。 安倍内閣に申し上げたい。今からでも遅くはない。元号の事前公表など、はっきりやらないと宣言すべきだ。 確かに元号は常に時の権力者に左右されてきた。その意味で、改元大権は最も蔑(ないがし)ろにされた天皇大権の一つである。それでも、皇室は今まで生き残ってきた。だから、今回も改元大権が蔑ろにされたところで、天皇にも皇室にも傷はつかない。 しかし、これだけは言っておく。蔑ろにした者は、逆賊だ。(文中一部敬称略)■67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった■日本人に覚悟を問う「皇室は民主主義のロボットではない」■皇室の未来と「象徴」の地位を縛りかねない陛下のお言葉

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    新元号の決め方と情報漏れ防ぐための厳し過ぎる掟

    る。 「今回はご譲位のため、新元号を予想することは決して不敬には当たらないと思います。むしろ、国民が皇室を身近に感じることができる絶好の機会ですので、新元号について広く議論が交わされるのがいいのではないでしょうか」(鈴木氏)著名人も続々と予想や希望を出す 実際、譲位決定後、多くのメディアで新元号についての議論が巻き起こっている。 例えば、2017年12月11日放送のラジオ『東京ポッド許可局』(TBSラジオ)では、マキタスポーツ(47才)、プチ鹿島(47才)、サンキュータツオ(41才)の芸人3人が新元号談議に花を咲かせている。過去に「貞治」という、王貞治の名を使った元号が存在したことから、平成のホームラン王・松井秀喜から取った「秀喜」やスクープを連発する『週刊文春』から取った「文春」といった独自の案を披露した。 昨年12月24日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)では、ダウンタウン・松本人志(54才)が「ぼくやっぱりベタに『志』って好きなので」と自身の名前の一文字を使った新元号を希望。 『週刊ポスト』(2017年6月30日号)では、中国の唐の時代の法律を基に日本で編纂された書に出てくるめでたい言葉から取った「景星」などが予想されている。 また『めざましテレビ』(フジテレビ系)でも「幸せに成る」という意味の「幸成」などの街の声も紹介している。 一方で、名前の一部に「平成」が入っている「Hey! Say! JUMP」やお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」のためにも、「変えなくていいのでは」という意見も上がった。 今や新元号は国民の関心事となっており、今後、さらに議論は白熱していくだろう。関連記事■ 新元号 頭文字がM・T・S・Hと異なるKが有力との説も■ 朝日vsNHK、そして政治部vs社会部 新元号スクープの戦い■ 11月の眞子さまご結婚で、第二次佳子さまフィーバーも■ 2019年新天皇即位で「平成31年硬貨」は製造されるのか■ 天皇生前退位で新元号の準備着々、政府主導で制定へ

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    戦後に元号廃止の危機 「昭和」は法的根拠なく32年使われた

    され、朝鮮半島やベトナムもすでに使っていない。 日本でも戦後、元号廃止の危機があった。昭和22年に旧皇室典範が廃止されたときに、元号制度は法的根拠を失った。「昭和」は法的根拠がないまま使われていた期間があったのだ。 法的に“復活”したのはそれから32年後の昭和54年である。元号法が成立し、平成6年に「公文書の年表記に関する規則」ができ、公文書では原則、元号を用いると決められた。改元を前に、そうした歴史があったことも知っておきたい。●ふじい・せいどう/1955年生まれ。23歳で第1回「星新一ショートショート・コンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家として現在も活動中。関連記事■ 「改元」の残念な歴史 2か月で改元、15年の空白期間など■ 眞子さま「破談」となれば小室さんに1億円以上の解決金か■ 結構適当な「改元」 奈良時代には「亀」で4回決めた例も■ 小室圭さん、秋篠宮邸を訪れても眞子さまと会えず門前払い■ 美智子さま 史上初「退位行事」への静かなるご決断

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    平成の代替わりを仕切った石原信雄氏が語る「平成後」の変化

    来年の天皇の代替わりは、過去3代とは違う。崩御ではなく、今上天皇の意思表明によって、約200年ぶりに皇室典範に定めのない譲位(生前退位)という形式で行なわれる。「昭和から平成に時代がかわるとき、昭和天皇はそれ以前からずっと重篤な状態でした。崩御されたら、われわれ行政は次の瞬間から元号やら何やら具体的な準備をすぐ進めなければならない。でも、天皇陛下が崩御されることを前提に行政が動いているなんていうことを公にはできなかった。 今回の代替わりは一応法律をつくって行なわれることではありますが、発端は今上陛下の率直なお気持ちの表明からであったことは誰もが知っています。ですから、政府には今後の手続きも本当にオープンに進めてほしいと思います」〈天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます〉動き始めた“平成後” 2年前にそう述べられた天皇のお言葉から始まった譲位の動きは、それがオープンに進められてきたが故に、国民は近づく平成という時代の終わりを日々感じながら、新しい時代に向けた不安と希望に心を波立たせているのだ。動き始めた“平成後” 果たして“平成後”は国民の意識、生活、社会にどんな変化が起きるのだろうか。石原氏に問うた。「平成という時代は確かに『内平かに』という国内の平和は実現できましたが、国際的にみると中東や北朝鮮の問題があり、世界の秩序は揺れ動いている。次の時代の日本の課題でしょう。 そして国内的にも平成という時代はこの国の将来に大きな負の財産を残している。一つは赤字国債の乱発で国はたいへんな借金を抱えてしまった。子や孫たちに申し訳ない。平成は地震、台風など自然災害も多発し、これに備える国づくりもこれからです。 こうした負の財産を解決できずに次の次の時代にまで持ち越すことだけはやってはいけない。大切なのは、国民の一人一人が能力に応じて社会を支えるための負担に向き合うことではないでしょうか。 私の生まれた頃は3世代同居の大家族が当たり前、兄弟はライバルで支え合う仲間でもあった。また、昔の地域社会では子供が悪いことをすれば近所のおじさん、おばさんが叱ってくれた。そういうことが本当になくなってしまった。平成の課題を解決するには、日本社会が地域や家族の絆を復活できるかどうかがカギを握っているように思える」関連記事■ 小室圭さん、看板のない個室マッサージに月2回通う■ 雅子さま、ご成婚25周年で会見を開かれなかった本当の理由■ 小室圭さんの留学先が異例の優遇、ロイヤルパワーの濫用か■ 新元号発表から大嘗祭まで 天皇退位と即位に関する日程■ 眞子さまと小室圭さん、6か月間デートしていない状態

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    秋篠宮さま「宮内庁に叱責」の深意

    新天皇の即位に伴う皇室行事「大嘗祭」の公費支出をめぐり、秋篠宮さまが天皇家の私費で賄う具体案を提示していたことが明らかになった。先の会見では「宮内庁が聞く耳を持たなかった」とも述べられ、同庁が火消しに回ったことは記憶に新しい。秋篠宮さまの発言の深意を読む。

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    日本人に覚悟を問う「皇室は民主主義のロボットではない」

    れ、今や名ばかり経済大国にまで落ちぶれようとしている。しかし、すべてを失ったとしても、わが日本国には皇室がおられる。国民が皇室を守る限り、日本は何度でもよみがえるのだ。今までだって何度も危機を乗り越えてきた。 だから、お世継ぎ問題こそはすべてに優先する日本国の最も重要な課題なのだ。これは、単なる宮務ではなく、国の命運がかかった国民全体の関心事であると自覚しなければならない。 ここで、皇室を守るためにこそ、不吉を承知で申し上げたい。「皇室を滅ぼす最も手っ取り早い方法」を。悠仁親王殿下の結婚を可能な限り遅らせ、ご公務漬けにして子作りの時間をなくさせる。 さて、今の宮内庁がこれをやらないという保証を、誰ができるというのか。もちろん、宮内庁の職員諸君全員が皇室を滅ぼしたいわけではなかろう。しかし、今のお役所仕事の宮内庁に任せておけば、間違いなくこうなる。そして、それをやめさせよう、ご公務を軽減してお世継ぎづくりに専念してもらおうとする者の動きを妨害だけしていればよい。そうすればどうなるか? 皇室は滅ぼせる。 悠仁親王殿下に男の子ができないと明確になったときこそ、女系天皇の出番だ。そのときになれば、「今までの伝統である男系男子は維持できなくなった。皇室維持のためには、皇室と血のつながる女性に皇位を継いでいただき、その御子孫に皇位を継承していただきたい」と言い出す者も出てくるだろう。 まさか、女系を実現したいがために、悠仁親王殿下のお世継ぎづくりを邪魔する者など、宮内庁にはいないと信じたい。だが、信じられる根拠がないのも、また確かだ。 さて、ここまで書くのにも尋常ではない決心をした。庶民であっても、他人の家庭の子作りに口を出すなど、非礼だ。まして、ことは皇族の方々のお世継ぎである。だが、先日の秋篠宮殿下の記者会見を拝聴し、今まで書くのをためらってきたお世継ぎ問題について言及する覚悟を決めた。該当部分を引用する。チリ訪問から帰国された秋篠宮ご夫妻 =2017年10月、羽田空港(代表撮影) 「今、宮内庁として考えていることは、いったん全て皇太子殿下のお仕事を宮内庁の方で引き取って、それを整理して、それで次に私がどのものをその後行っていくか、というのを検討しているところです」 私はこの発言を聞いて、秋篠宮殿下は尋常ではない覚悟で発言されたと直感した。もし、私が皇室を滅ぼそうとする勢力の手先なら、こういう論陣を張るだろう。 「皇室の方々がご公務を引き受けてくださることで、多くの国民が喜び、皇室と国民の絆が強くなる。また、今上両陛下は、皇室と国民の絆を守るために、多くのご公務をなされてきた。ご公務軽減と言うが、簡単な問題ではない」と。公務見直しは重大事 もしかしたら、善意でそういう発言をする人も出てくるかもしれない。しかし、大日本帝国の末期のコミンテルン(国際共産党)の手口を思い出してほしい。「普段は何もしない。組織的、国家的に愚かな振舞いをしているときは、見ているだけで良い。正論が通りそうになったときだけ邪魔すればいい。それが成功すれば、気配を消せばいい」だった。 そして共産主義者で知られる尾崎秀実は、スパイ容疑で逮捕されるまで、熱狂的な愛国者を装っていた。尾崎の言論に煽(あお)られた大衆は熱狂し、泥沼の支那事変に突き進んでいった。「いったい、何のために戦っているのだ? 何を達成すれば、この事変は終わるのだ?」という当然の疑問の声はかき消された。 確かに、支那事変の尾崎は過去の話だ。だが、未来のお世継ぎ問題でこれをやらないという保証はどこにもない。お世継ぎ問題より大事なご公務とは何か。お世継ぎ問題は、すべてに優先する最優先事項ではないのか。そういう声がかき消されないなら、日本はとっくに正論が通る世の中になっている。 そもそも、今上両陛下の場合は、男子がお二人いらっしゃる。おそれ多くも、一身に皇室の存続を背負われることになる悠仁親王殿下の場合とは、事情が異なりすぎる。東宮となられる秋篠宮殿下が、皇太子殿下のご公務をすべてお引継ぎになられたとしよう。将来、悠仁親王殿下が東宮となられるとき、そのすべてを引き継ぐことになるのか。そうなれば、お世継ぎづくりに御専念できなくなるではないか。 秋篠宮殿下の立太子においてご公務を見直すというのは、極めて重大事だと見なすべきだろう。秋篠宮殿下のご発言を受け、マスコミは「お婿さん問題」に集中しているが、どうでもよろしい。それよりも、はるかに重要な発言を殿下はなされた。 秋篠宮殿下は「宗教色が強い行事は国費で賄(まかな)うのは適当かどうか。内廷会計で行うべき」との趣旨を仰られた。この発言の後に「大嘗祭(だいじょうさい)は絶対に行うべき。身の丈に合った儀式にすれば。これを宮内庁長官は聞く耳を持たなかった」と続く。 中には「皇族は黙ってろ」「政府に逆らうな」と言わんばかりの人もいるが、その根拠は何なのか。 譲位に関する「玉音放送」(なぜかビデオメッセージと称されている)に際し、共産党まで含めて陛下にひれ伏したというのに、一部の保守の輩(やから)だけが陛下に対する罵倒を繰り返した。陛下の慰霊の旅を罵(ののし)る宮司、「天皇は安倍政権の邪魔をするな」とわめいた雑誌編集長…。いつからわが国は、皇室に対して弓を引く人間が保守を名乗るようになったのか。象徴としてのお務めについての「お気持ち」をビデオメッセージで表明される天皇陛下=2016年8月(宮内庁提供) 自称保守が殿下に対し不敬をなすなら、私はその者どもを逆賊と呼ぶ。昔は皇族に対し物申すなど命懸けだったが、日本国憲法のおかげで軽くなったものだ。連中に救いがないのは、自分が誰に操られているかも理解していないことだ。たいていの自称保守、特に「天皇や皇族は黙っていろ」と言っているような安倍応援団は、自分の言っていることが分かっているのか。 両陛下や皇族は黙っていろというのは、「天皇ロボット説」だからだ。東大教授の宮澤俊義が「天皇は盲判を捺すロボット」と教科書で言い出し(『コンメンタール全訂日本国憲法』74頁。原文ママ)、内閣法制局長官の吉国一郎が政府の有権的解釈にした(昭和50年11月20日参議院内閣委員会答弁)。 一部の保守が主張する「天皇や皇族は黙っていろ。安倍さんの邪魔をするな」は、いっそ「内閣法制局が決めた日本国憲法の解釈に従え」と言い直してみたらわかりやすい。そのような人は宮澤俊義が言い出した「天皇ロボット説」に洗脳されているのだから。「皇室はロボットではない」 そもそも、今の安倍内閣自体が天皇ロボット説なのだから、無知蒙昧(むちもうまい)な安倍信者たちが、そこから抜け出せるわけがない。安倍内閣も、安倍応援団も、東大憲法学と内閣法制局の走狗(そうく)なのだ。 もちろん、皇族のご発言には慎重であるべきだ。政治にかかわることに関してのご発言は、特に。発言すべきか否かと聞かれたら、私は「原則として否」と答える。しかし、「発言してはならないか」と聞かれたら、「発言して良い」と答える。今回の秋篠宮殿下のご発言は、よくよくのことではないか。特に宮内庁長官を名指しで「聞く耳を持たなかった」とまで批判された。 臣民として恐懼(きょうく)すべきである。ところが、宮内庁も政府も「困惑するばかり」と、事の重大さを理解していない。帝国憲法下ならば、即座に宮内大臣は辞表を提出したはずだ。少なくとも私が名指しされた山本信一郎宮内庁長官ならば、己の不明を恥じ、即座に骸骨を乞う。山本長官は旧自治省出身だが、歴代宮内庁長官は全員が旧内務省系官庁の出身者だ。陛下にお仕えする宮内庁の長を、単なる天下りと思ってもらっては困る。 もしかして政府も宮内庁も、今の皇室を「国民主権下で認めてやっている」とでも思っているのか。日本国憲法第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。象徴天皇など、国民が認めてやっている。東大憲法学も内閣法制局も安倍内閣も、同じ穴の狢(むじな)だ。 もはや、国民ひとり一人が自覚して、皇室の藩屏(守り)たらねばならない。秋篠宮殿下の真意は私のような身には計り知れない。しかし、慮(おもんぱか)ることはできる。 大嘗祭を国の予算ではなく、内廷会計(皇室の予算)で行うべきとはどういうことか。国費で行うということは、憲法に縛られ政府の干渉を受ける。実際、過去の政府は皇室を蔑(ないがし)ろにしてきた歴史がある。昭和から平成の御世代わりの大喪の礼においては、「移動式鳥居」なる代物まで登場した。皇居、宮内庁、宮殿=東京都千代田区(産経新聞チャーターヘリから) 憲法が規定する政教分離の観点から、皇室の行事では鳥居があって良いが、国の行事ではあってはならないので、鳥居を移動させられたのだ。神道色が強い祭具はすべて撤去された。すべて政府の所業であり、何を宗教色が強いとするかの解釈も内閣法制局が一手に握る。 私すら、このような政府に皇室の最も重要な祭事の一つである大嘗祭に触れてほしくないと思う。安倍内閣とて法制局の言いなりなのだから。 そもそも論だが、連合国軍総司令部(GHQ)が皇室の財産を大幅に取り上げた。皇室はスズメの涙ほどの財産しかない。明治天皇の時代のように軍艦を作れるほどの予算が必要かどうかはともかく、約3億円の内廷費は少なすぎるだろう。これでは自然とがんじがらめにされてしまう。 何度でも言う。皇室は民主主義のロボットではない。もし、民主主義がわが国に必要ならば、それは国民が皇室を守る。それがわが国の民主主義だ。(文中一部敬称略)■憲法上の問題をはらんだNHKの天皇陛下「ご意向」スクープ■自問すべきは「日本のかたち」 国民は陛下のご意向を静かに待てばよい■「生前退位」は選択肢の一つ、 望ましくない陛下のご意向の既成事実化

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    元東宮侍従手記「秋篠宮殿下は皇室の意思を代弁するにふさわしい」

    として行われますが、大嘗祭(だいじょうさい)は宗教的色彩を有するとの観点から、国事行為としてではなく皇室の公的行事として行われます。そしてその費用は、皇室の公的な活動に充てられる公金である宮廷費から支出されることに決定しています。 他方、毎年、皇室の行事として宮中祭祀(さいし)が行われており、この祭祀のうち、最も重要な祭祀が新嘗祭(にいなめさい)といわれ、毎年11月23日に行われております。大嘗祭は、新天皇が即位したときに新嘗祭の規模を大きくした形で一世に一度挙行されるものです。 新嘗祭を含む宮中祭祀は、宗教的色彩を有するため、皇室の私的行事として行われます。そのため、その費用は、憲法の政教分離の原則から天皇および皇太子ご一家の日常の費用に充てられる内廷費から支出されております。大嘗祭も新嘗祭と同様の性格を有することから、その費用は内廷費から支出することが論理的に整合性を有するものと考えられます。 しかし、政府としては「大嘗祭については、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然であり、その意味において、大嘗祭は公的性格があり、その費用を宮廷費から支出する」との立場であります。 実際、今上天皇の大嘗祭においてもこのような立場から、その費用は、公金である宮廷費から支出されました。来年の大嘗祭においては、前回の例を踏襲することにしております。つまり、大嘗祭は、宗教的色彩を有するものの、公的性格があることから皇室の公的行事としてとり行うとの説明がなされております。宮内庁の山本信一郎長官=2017年9月3日午前、宮内庁(撮影・松本健吾) 大嘗祭については、旧皇室典範において「即位の礼および大嘗祭は京都において行う」と規定されていましたが、現行の皇室典範においては「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」との規定になり、大嘗祭を行うとの規定がなくなりました。 このような状況のもと、大嘗祭を行う必要はないという意見もあれば、大嘗祭を国事行為として行うべきであるとする意見まで存在しております。政府としては、総合的に判断して「皇室の公的行事」として、その費用は、公金である宮廷費から支出するとの結論に至ったものと考えられます。「ご発言」3つのポイント 秋篠宮殿下は、11月30日のお誕生日に際しての記者会見で質問に答え、①「宗教色の強い大嘗祭の費用は、内廷費から支出すべきであり、来年の大嘗祭の費用を先例に基づき宮廷費から支出することとなったことにすっきりしない感じをもっている」、②「相当の費用がかかるけれど、できる範囲で、身の丈に合った儀式にすることが本来の姿ではないか」、③「(山本信一郎)宮内庁長官に話したが、聞く耳を持たなかったのは、非常に残念なことだった」と発言されました。 秋篠宮殿下の内廷費から支出すべきとのご発言は、上述したように政教分離の観点から論理的に導き出されるもので本来、至極正当なご見解と思われます。 他方、大嘗祭の挙行を可能にする手だてを講ずることは当然であるとする政府の見解も、過去において、経済的理由などにより大嘗祭を挙行できなかった時代があったことを想起すれば理解すべきものと思います。 ただ、素朴に考えれば、宮廷費であろうと内廷費であろうと、どちらも国の予算から出ていることに変わりはありません。従って、憲法の政教分離の原則への疑義を指摘されない内廷費から支出することの方がすっきりするものと思われます。そのために、必要に応じて、内廷費を増やすことにすればよいのではとも思いますが、果たしてこのような議論が行われたのかは分かりません。 次に、秋篠宮殿下の2番目のご指摘も重要と思われます。今上天皇の大嘗祭の時は、一晩限りの大嘗宮を建設するのに、14億5000万円かかり、その他の費用を入れると全体で22億5000万円かかったとのことです。来年の場合にはもっと増えるかもしれません。53歳の誕生日を前に開かれた記者会見で、記者の質問に答える秋篠宮さま=2018年11月22日、東京・元赤坂の秋篠宮邸(代表撮影) 今上天皇は、ハンセン病患者や自然災害の被災者をお見舞いするなど社会的弱者や困難な立場にいる人々に心を寄せられてきております。また、国民に負担がかからないようとのお気持ちを持たれ、自らのご陵についてさえ経費削減を求められております。 質素とお慎みを旨とされておられるのです。そんな今上天皇をはじめ皇室の方々が、皇室行事として行われる大嘗祭に多額の国費が使われることに対し、どうお考えになっておられるでしょうか? 秋篠宮殿下の「身の丈に合った儀式とする」といったお考えに賛同する人が多いのではと思われます。宮内庁の意志疎通不足 1990年の大嘗祭の際につくられた大嘗宮は、大嘗祭の後、しばらく一般公開されました。私は当時、即位の礼の準備などに携わっており、大嘗宮を近くから見る機会がありました。14億5000万円もかけて作ったものを一晩だけ使用して取り壊してしまうことに、何ともったいないと思ったものです。 秋篠宮殿下の3番目のご発言、「宮内庁長官は聞く耳を持たなかった」との点については、お二人の会話がいかなるものであったか承知していないので、コメントしようがありません。宮内庁長官は「聞く耳は持っている」とし、「さまざまな議論がされた結果として宮廷費から支出することになった経緯などをご説明申し上げたが、そのようにお受け止めになられたのであれば、申し訳なかった」と述べております。 殿下が記者会見でこのようなご発言をされることにならないよう、十分な意思の疎通が図られればよかったものと考えます。いずれにしても、政府としては、改めて何らかの対応をすることは考えていないとの立場です。 秋篠宮殿下は「国事行為に関しては、何か発言することはできないけれど、皇室の行事に関してはある程度、私の考えというものもあっても良いのではないかと思っています」とも述べられております。 皇室のことについて、皇室の中の方が思ったことを述べられることは、あってしかるべきものではないかと思います。おそらく、秋篠宮殿下は皇室の意思を代弁される立場にふさわしいのかもしれません。皇室の中からのお気持ちについては、やはり、真摯(しんし)に対応することが望ましいのではと思います。皇居・東御苑に設営された大嘗宮(だいじょうきゅう)=1990年11月(共同) 以前、秋篠宮殿下は、2011年11月のお誕生日に際しての記者会見において、天皇の高齢化を念頭に、定年制などを検討すべきではないかと発言されたことがありました。このようなご発言に対して、周囲が積極的に対応したのかについては、疑問が残ります。結局、その後2016年8月8日に天皇陛下のビデオメッセージがあり、来年4月30日に退位することになった次第であることを最後に付記しておきます。■ 元東宮侍従手記「小室圭さんを興味本位で論評すべきではない」■ 大嘗祭は皇室の「家庭行事」 秋篠宮さまが問題提起した意味■ 大嘗祭、公費支出に疑義「秋篠宮さまは少し勘違いされている」

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    秋篠宮さまの戸惑い「聞く耳を持てない」宮内庁の裏事情

    篠宮さまの「戸惑い」に一定の理解を示している識者も多い。 問題は、そうした発言を記者会見という場で、皇室に最も身近な立場にいる宮内庁の山本信一郎長官に対し「聞く耳を持たなかった」と述べたことにあろう。直後、山本長官も「ちょっとつらいが、そう受け止められたのであれば申し訳ない」と、突然の「お叱り」に動揺した。 また、日を置いて、宮内庁の西村泰彦次長も「大変申し訳なく感じています」と詫びた。その後、秋篠宮さまも言葉が過ぎたと語ったと伝えられる。宮さまと宮内庁とのこうしたやりとりは、国民の多くに、宮さまと宮内庁の間の意思疎通はどうなっているのだろうかとの疑念を抱かせた。2018年11月29日、水産功績者表彰式後、記念のパーティーに出席された秋篠宮さま 秋篠宮さまと山本長官との間で、日ごろからさまざまな事柄についての会話が全くなかったわけではないだろう。会話はあったが、その会話は、秋篠宮さまと山本長官が、お互いの話を公的な場の公的発言として、受け止め合うことができなかったのだろう。 そもそも、宮内庁長官が皇族の発言を公的に受け止めて、それを政府に伝え、その内容を吟味して、妥当性があれば、具体的な対応を進めるというシステムは、現在の皇室にはない。かつて、昭和天皇の時代には、天皇の私的な相談に応じる参与的存在がいた。彼らは宮内庁幹部や政府要人との間のとりつなぎ役として、皇室が抱える問題などを円滑かつ合法的に処理する機能を果たしていた。突然ではなかったお言葉 首相経験者でもある吉田茂、かつての内大臣であった木戸幸一、慶応大学塾長であった小泉信三ら、錚々(そうそう)たるメンバーが皇室と政府の間の問題解決に尽力していた。このため、天皇や皇族方の発言は、時にスクープによって取り沙汰されることもあったが、公の場で突然「吐露」されることは少なかった。 「吐露」という意味では、天皇はじめ、皇室の方々との記者会見は、もっとも「吐露」しやすい場であった。想定された質問ではあっても、記者をはじめ、その会見を楽しみとする多くの国民は、生で語られる天皇や皇族方の発言から、日ごろ知ることができない皇室の内部事情などに触れることができ、そのことに心をときめかせてきたのである。 憲法が天皇の政治的発言を禁じているため、その条文が敷衍(ふえん)され、皇室の方々が「政治の裳裾(もすそ)」に触れる発言があった場合、「憲法違反」のレッテルで一蹴されるのが、従来のパターンであった。とはいえ、記者会見では時に、皇室の方々の回答が「政治の裳裾」に触れかねない質問を、あえて行っているふしもあった。 今回の秋篠宮さまの誕生日会見でも「長女の眞子さまと小室圭さんの問題」、「代替わりの行事や儀式についての考え」を問われていた。そうした問いにも、秋篠宮さまは言葉を選びつつ、誠実に答えようとしていた。その結果、「政治の裳裾」に触れざるを得ない発言となってしまった面がある。 だが、どうして、記者会見前に宮内庁幹部は秋篠宮さまの胸中を知ることができなかったのであろうか。宮内庁幹部の誰もが初めて聞いた「寝耳に水」の発言だったのだろうか。 そうではあるまい。秋篠宮さまは、日ごろから胸中を述べていたのだ。事実、会見でも「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね」と話している。そして「言ってみれば、まあ、話を聞く耳を持たなかった」と語ったのである。 秋篠宮さまは日ごろから何度も胸中を述べていて、山本長官もおそらく聞いてはいたはずだ。しかし、それは私的な雑話か公的な進言か、区別がつかない場でのやりとりだったのだろう。2018年10月30日、高円宮家の三女絢子さんの皇籍離脱を皇統譜に登録する宮内庁の山本信一郎長官=宮内庁書陵部(代表撮影) 皇族が宮内庁長官に、その胸中を述べる公的なシステムはない。そして皇族の胸中を聞いた宮内庁長官が政府に、その具体的解決を求めるシステムもない。「どちらが悪い」話ではない ある識者は「皇族方も自由な発言を持つだろうが、それは皇室会議で述べるのがいい」と提案していた。示唆的な案である。 しかし、現実の皇室会議は皇室に入られる女性の婚姻の可否を決める際に開かれることが多く、先の今上天皇の譲位についても、政府の方針が固まってから国民の同意を得る法的な必要上で開かれたのである。「皇族方の胸中を吐露していただくために」、議長がしばしば皇室会議を招集するわけにもいくまい。 戦後も70年以上たって、憲法制定当時には想定できなかった諸問題が皇室を取り巻いている。皇室の方々が、新たに生起する現代的な諸問題に誠実に対応するには、独りその胸中に秘めているだけでは済まないだろう。 しかし、発言する公的な場がないために、その言葉は聞き流されるし、聞いた宮内庁長官もうかつには動けない。そうした時間が蓄積されて、あるとき、記者会見の場で突然の「吐露」となるのだろう。 だが、実は突然ではなかったのだ。山本長官も「聞く耳をもたなかった」のではなかった。聞いてはいるが、何もできなかったし、解決すべき問題との認識がなかった。一方、秋篠宮さまは「あれほど言っていたけれど…」との思いを深めていた。そこに行き違いがあった。 これはシステムの問題であり、秋篠宮さまか、山本長官および宮内庁幹部のどちらかが悪い、というようなレベルの議論ではない。皇族方が置かれた新時代の複雑な環境から生じるさまざまな問題への胸中を公的に受け止め、妥当性があれば、その具体的解決の道を探るシステムがない限り、今後もこうした皇族方のイレギュラーな発言は続くだろう。 これをイレギュラーとして驚き、憲法違反だと騒ぐのなら、まずは、皇室と宮内庁で非公式にせよ定期的な皇室懇談会のようなものを開き、互いの意見を交換する場を設けることが大事なのではないか。そして、その場で提案されて、具体化が必要と判断された議題は、皇族と宮内庁長官に加え、首相、最高裁長官、衆参両院議長の三権の長を交えた皇室会議のような場に提起されてはどうだろうか。2018年10月、宮内庁で開かれた皇室経済会議(代表撮影) そうすることで、変転する時代の中で、皇族方が抱える新たな問題を、適切に解決していく道を探ることもできよう。政府や宮内庁長官がそれすら考えないというのであれば、それこそ今回の秋篠宮さまの発言に「聞く耳を持たなかった」ことになるのではないか。■ 大嘗祭は皇室の「家庭行事」 秋篠宮さまが問題提起した意味■ 大嘗祭、公費支出に疑義「秋篠宮さまは少し勘違いされている」■ 眞子さま「早まった婚約」の裏にある皇族女子のアイドル化

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    崩御から30年、なぜ昭和天皇の戦争責任論はなくならないのか

    著者 上田英明(東京都在住) 昭和天皇の崩御から30年目となった今年、生前の知られざる苦悩が明らかにされた。以下、産経新聞の記事「『細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる』昭和天皇85歳、ご心情 故小林忍侍従日記に記述」を引用する(2018年8月23日付)。 昭和天皇が85歳だった昭和62年4月に「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と漏らしていたことが22日、元侍従の小林忍氏が残した日記の記述で分かった。 先の大戦を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任を気にかけていた心情が改めて浮き彫りになり、重要史料といえる。62年4月7日の欄に「昨夕のこと」と記され、昭和天皇がこの前日に住まいの皇居・吹上(ふきあげ)御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた これは、共同通信が小林氏の遺族から預かったという日記に書かれている内容で、産経新聞に限らず新聞各紙が報じている。東京裁判の前段階では、昭和天皇の「戦争責任」を問うか否かが争点となり、結果としてそれは回避された。 だが、昭和天皇ご本人にはそれが生涯重荷となっていたらしい。現に世間にはそういう論調が根強くあり、面と向かって言う人まではいなくても、耳に入ることはあったのであろう。 また、朝日新聞の記事によれば、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と述べたという。 これを報じた、朝日新聞をはじめとする新聞各紙にもさすがに昭和天皇の「戦争責任」を求める論調はないが、中国や韓国に言われるがまま先の大戦が日本の「侵略戦争」だったという考え方は根強い。その急先鋒として「歴史修正」を非難しているのが当の朝日新聞に他ならないが、「戦争責任」論の大本にはこの考え方がある。春の園遊会に臨席された昭和天皇=1988年5月、東京・赤坂御苑 昭和天皇に「戦争責任」が問われるとすれば、それこそ昭和の、支那事変に端を発する大東亜戦争ということになるであろう。その最高責任者としての責任ということなのだろうが、清国時代からの因縁で中国には昭和以前から相応の地盤が築かれていたし、当時「世界」の大半を支配していたのは連合国側の諸国であった。あれが昭和天皇主導の「侵略戦争」であったと言えるのか。 もっとも、昭和天皇が感じたのは、他国の「侵略」に対する「戦争責任」より、多くの犠牲者を出した「敗戦責任」ではないか。有罪ありきの「判決」 昭和天皇自らが首相に任命し、大東亜戦争を主導したとされる東條英機は、戦後の東京裁判で「A級戦犯」の一人として死刑を言い渡され、今も極悪人扱いされている。自身が責任を免れても、昭和天皇がこれを「過去の歴史の一こま」で片付けられるわけがない。 戦争のみならず、激動の時代を生き抜いた昭和天皇には、責任論を耳にするたび人知れぬ心の痛みがあったのではないだろうか。 生前のみならず、亡き後も昭和天皇を責め続ける人々がいる。2000年12月8~11日の4日間(7日に前夜祭)、皇居に近い東京・九段会館で「女性国際戦犯法廷」なるイベントが開催された。 これは、日本の慰安婦問題について責任を追及するため法廷を模した民間団体の抗議活動である。「判決」は1年後の2001年12月4日にオランダのハーグで言い渡されるという手の込み様だった。 この「判決」は、日本政府側の言い分など、はなから聞く気もないものだと分かってはいるが、慰安婦問題の「判決」の一部分を見てみよう。 前文で  天皇は日本兵によって行なわれた犯罪に、明らかに気づいていたと私たちは結論づけた。特に、あまりにも悪名高いために「南京大虐殺」や「マニラ大虐殺」として知られた事件のさなかに、日本兵が強かんや性暴力を含む一連の残虐行為を犯していることを天皇が知らないでいることは事実上不可能であったはずだ。その虐殺や強かんは日本国内でも国際的にも広く報じられていたとした上で、  本法廷は天皇裕仁が、「慰安制度」がより人目につき、問題視される地元女性に対する強かんの代替策と称して急速に拡大されていったこと、「慰安制度」内で強かんと性奴隷制が行われていたことを知っていなければならなかったと認定する。さらに私たちは、その地位および戦争遂行に果たす重要性に基づいて、彼が黙示的あるいは積極的に「慰安制度」の存在と拡大を承認することで少なくとも関与していたことを認定する。よって、先の判定を再確認し、天皇裕仁を(中略)人道に対する罪としての強かんと性奴隷制で〈有罪〉と認定すると判断している。 そもそも東京裁判で昭和天皇の「戦争責任」が問われることはなかった。ところが、この「法廷」では、まず「天皇であろうと」刑事責任は免除されないと宣言し、戦争そのものに対する責任を問うならまだしも、その存在そのものが疑わしい「南京大虐殺」、旧日本軍の末端の裏事情でなおかつ昭和天皇崩御後に持ち上がった慰安婦問題の責任を、その昭和天皇に負わせようと言うのだから強引かつ傲慢(ごうまん)極まりない。最初から有罪ありきの「判決」である。 大きな「戦争責任」論に心を痛めていた昭和天皇が、慰安所設置の責任まで押し付けられたと知ったら、どう思うだろうか。

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    平成の最後、皇室と宮内庁幹部の距離感が目立ってきた背景

    )」(11月14日)に続いて、再来年に予定されている秋篠宮の「立皇嗣の礼」まで2年に及ぶ。 そうした皇室行事の運営を取り仕切るのが、1027人の宮内庁職員たちだ。宮内庁の組織が複雑なのは、皇居で働く職員には、宮内庁の組織には所属せず、天皇家が直接雇用する「内廷職員」がいることだ。 代表的なのは皇居の宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)での祭祀を行なう「掌典」(男性)や、巫女の「内掌典」と、それを補佐する「仕女」である。さらに皇后が蚕を飼っている「御養蚕所」や、天皇の「生物学研究所」の職員など人数は約50人とされる。 天皇家の衣食住すべてを国家公務員が支えながら、憲法の「政教分離」の原則で、宮中祭祀などに関わる職員は非公務員でなければならないため、内廷職員の給料は天皇の私的な費用の内廷費から支払われる。 宮内庁の上層部は霞が関の主流官庁出身者が独占し、その下にプロパー職員、そして天皇の最も近くに侍る内廷職員は天皇家が直接雇用する。複雑な組織のあり方が「菊のカーテン」を形作ってきた。変わりゆく「長官」の姿 昭和から平成の途中までは、その「菊のカーテン」が皇室の権威と政治権力を隔てる役割を果たしてきた。元外交官の村上政俊・皇學館大学非常勤講師が語る。2017年12月1日、皇室会議のため、宮内庁に入る山本信一郎宮内庁長官(代表撮影) 「かつて天皇の藩屏として存在していた旧皇族や旧華族が廃止された後も、戦後の長い間、宮内庁と皇室の関係を支えてきたのは官僚個人の精神性でした。昭和天皇の時代には天皇陛下にお仕えしているという戦前の雰囲気が宮内庁に残っていたし、信頼できる側近がいた。 平成に入ってからも、今上天皇の侍従長を長く務めた渡辺允氏(元ヨルダン大使)の曾祖父は明治天皇崩御時の宮内大臣・渡辺千秋伯爵で、そうした家庭に育ったというバックボーンがあった」 渡辺・元侍従長の後任の川島裕・元侍従長(元外務事務次官)も曾祖父が犬養毅・首相である。 昭和天皇の率直な気持ちを記した「富田メモ」の存在が明らかになったときには、富田朝彦・元宮内庁長官への信頼の厚さが際立った。 2代前の羽毛田信吾・元宮内庁長官は、天皇皇后の悲願である「女性宮家創設」を、当時の野田佳彦政権に要請したこともある。しかし、平成の終わりが近づくにつれ、皇室と宮内庁幹部の間の距離感が目立ってきた。皇族の結婚にも関わる 「個人の見識に頼るのは限界がある。宮内庁にはキャリア官僚を独自に採用して幹部に育てる仕組みがなく、皇室への精神性を維持する制度が担保されていない。その結果、次第に皇室を“お守りする”という気概を持った人材が少なくなり、現在の皇室は孤立した“裸城”のような状態です」(同前) そもそも、今上天皇が2年前の8月に異例の「お気持ち表明」をしなければならなかったこと自体、宮内庁が皇室と政治権力とのバランスをとる機能を失っていたことの現われだろう。 「当時の風岡典之・長官は“お気持ち表明”を抑えられなかったことへの責任を政治の側から問われ、辞任に追い込まれたとされている」(皇室記者) その後任が、秋篠宮の誕生日会見で大嘗祭の費用について、「聞く耳を持たない」と批判されるほど、官僚としての“本分”に徹し、「官邸の意向」に忠実な山本信一郎現長官だった。 変容していく組織をかつてのトップはどうみるのか。羽毛田元長官を訪ねたが、「私はその立場にはありませんから、何も申し上げることはございません」と言葉少なだった。皇族の結婚にも関わる 秋篠宮は会見で、国民の関心が高い眞子内親王の結婚について問われると、婚約内定者の小室圭さんが「それ相応の対応をするべき」と語り、金銭問題を解決しない限り、結婚はさせない、という意向を示した。宮内庁OBは言う。 「皇族は発言の自由がありません。何か言えば、“政治的発言だ”と批判されてしまう。渡辺侍従長や川島侍従長が《オク》にいた頃は、不自由な皇族のために心を砕いていることが庁内に伝わってきました。 強い信頼関係があれば、皇族にも率直に意見を言える関係を築くことができる。しかし、今回の眞子内親王の婚約延期についても、宮内庁は“事なかれ”に終始していたように見える。《オク》を任せられた方々がもっと秋篠宮家とのコミュニケーションを密にしてお相手の情報を共有していたら違う状況になったかもしれないと悔やまれます」 皇室には、眞子内親王をはじめ、佳子内親王や愛子内親王という、これから“適齢期”を迎えるプリンセスたちがいる。そして唯一の未成年男子皇族である悠仁親王にもいずれその時が来る。かつて皇太子の結婚に際して宮内庁が「お妃選び」に奔走した経緯がある。 来年の新天皇即位で新皇后となる雅子妃の病気もまだ平癒はしていない。御代がわりの後、皇族にとって、ますます宮内庁のサポートが重要になる。 そうした中、宮内庁幹部や職員の意識が時代とともに「天皇家の官吏」から、一行政機関としての「宮内庁の役人」へと変わりつつあることは、新しい時代の「象徴天皇制」にどんな影響を及ぼすのだろうか。関連記事■ 小室圭さん、仕事の会食の席に眞子さま同席させたことも■ 眞子さま 小室圭さんと最後にお会いになった時の行為が波紋■ 「結婚辞退を!」秋篠宮さまの通告に小室圭さんどう答えるか■ 眞子さま、婚約延期も職場では「結婚します!」と幸せオーラ■ 「宮内庁」の解剖 その複雑組織図と2つの採用ルートとは

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    宮内庁関係者が危惧「小室さん親子が釈明会見を開いたら…」

    旬の期末試験を終えると、故郷で年を越すため帰国するという。 さて、小室さんは帰ってくるのか──それは皇室記者たちの大きな関心事だ。「帰国すれば空港には警備態勢が敷かれ、神奈川県横浜市の自宅マンションへの帰り道にもSPの私服警官がつきます。小室さんの留学後、空っぽになった自宅前のポリスボックスにも再び制服の警官が立つことになるでしょう。秘密裏に帰国することはできず、小室さんの周辺には絶えず物々しい空気が漂います。天皇皇后両陛下が今のお立場で過ごす最後の年越しです。静謐な空気の中でお過ごしいただきたいところなのですが…」(皇室記者) 平成最後の1年間は、眞子さまの結婚問題に揺れた。2017年5月、NHKが眞子さまの婚約を報じると、9月にはおふたりそろっての婚約内定会見が開かれた。ところが、12月に小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルが噴出すると、2018年2月に「結婚行事の2年延期」が発表された。 8月には小室さんが3年間の米国留学に発った。「プリンセス・マコのフィアンセ」と大学のホームページで紹介されると、「年間約700万円の学費が免除されたのは、“天皇の孫の結婚相手” という立場をアピールしたからだ」と、小室さんに皇室利用の批判が巻き起こった。2018年8月、留学先の米ニューヨークのフォーダム大ロースクールに通学する、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまとの婚約が内定している小室圭さん(右、共同)《いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません》 秋篠宮さまは11月末の誕生日会見で、そう明言された。「小室さんの留学先の大学は年末年始の休みが少ないので、帰国する余裕はないのではないかといわれています。もし帰国しても、秋篠宮ご夫妻がお会いになることはないそうです。金銭トラブルについての小室さんの説明不足には、秋篠宮さまは強い不信感をお持ちだそうです。美智子さまが『これはもう眞子本人が気づいて、決めるしかないこと』だと静観されている中で、秋篠宮さまが今、お会いになる理由はありません」(皇室ジャーナリスト) 誕生日会見に同席された紀子さまは《家族として非常に難しい状況の中にあります》と述べられた。秋篠宮家の“異変”秋篠宮家の“異変” 12月13日から3日間、宮内庁職員や皇族方の作品が展示される、宮内庁の「文化祭」が、一般には非公開で行われた。その中で、秋篠宮家の“異変”が感じられたという。「13日朝、学校がお休みだった悠仁さまは、眞子さまと一緒に会場を訪れました。2018年のご一家の作品は、秋篠宮さまによる写真と、悠仁さまによる粘土細工のトンボだけでした。2017年は、家族全員で作られた昔の日本家屋の模型を展示されていたので、今回は紀子さま眞子さま、佳子さまの出展がなかったことになります。眞子さまの結婚問題以降、特に紀子さまと眞子さまの間で緊張感があり、作品の制作を見送られたのかもしれません」(皇室関係者) 眞子さまはまだ小室さんとの結婚の意思をお持ちで、ご夫妻とは結婚についての話し合いができていない状態が続いている──それが、秋篠宮家周辺の一致する見解だ。「秋篠宮さまの娘の幸せを思うお気持ちが、裏目に出てしまうかもしれません」と語るのは、ある宮内庁関係者。「秋篠宮さまは誕生日会見で、小室家に《それ相応の対応》、つまり、会見など公の場で、トラブルに関する説明責任を果たすことを求めました。それをクリアすればまだ結婚の可能性を残すという、秋篠宮さまの優しさから出たお言葉だったのでしょう。 しかし、宮内庁関係者の一部で案じられているのは、“実際に小室さんと母・佳代さんが会見を開いたらどうするつもりなのか”ということです。小室さんがこのクリスマス休暇や年末年始にも一時帰国し、会見を開かないとも限らないのです」 会見を開けば、あらゆるメディアが殺到するはずだ。質問を一切受け付けないということもできず、鋭い質問が飛ぶことも予想できる。「小室家が、秋篠宮さまからどのように結婚延期を伝えられたのか、ご夫妻や眞子さまとどういう話し合いがされてきたのか、その内幕が明かされてしまうかもしれません。さらに言えば、小室家が説明を尽くし、国民の祝福につながれば、結婚を許さない理由がなくなる、ということです」(前出・宮内庁関係者) ある皇室関係者は、「覆水盆に返らず。一度、秋篠宮殿下の信頼を失ったら、元には戻らない」と話すが、小室さんが《それ相応の対応》をクリアすれば、結婚を認めざるを得なくなるのではないか。「小室さんは眞子さまが信頼された人柄ですから、多少の難があっても、結婚生活は送れるかもしれません。ただ、佳代さんが“皇族の親戚”になるということの方が、決定的に難しいのではないでしょうか」 そう前出の宮内庁関係者は呟くのである。関連記事■ 「結婚辞退を!」秋篠宮さまの通告に小室圭さんどう答えるか■ 小室圭さん、仕事の会食の席に眞子さま同席させたことも■ 眞子さま、婚約延期も職場では「結婚します!」と幸せオーラ■ 小室圭さん、教授と楽しくランチ! NYでの留学生活写真3枚■ 小室圭さんと母のマンションで警察沙汰、汚物投げ込み事件

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    秋篠宮さま、大嘗祭「異例発言」の意味

    来年の皇位継承に伴う大嘗祭について、秋篠宮さまが公費支出に疑問を示されたことに波紋が広がっている。宗教色の強い大嘗祭への公費支出をめぐっては、過去にも議論を呼んだが、皇族による問題提起はやはり異例である。秋篠宮さまの発言の意味を考えたい。

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    大嘗祭は皇室の「家庭行事」 秋篠宮さまが問題提起した意味

    え、憲法では「天皇」としか書かれていない。秋篠宮は「皇族」ではあるが、「天皇」ではない。日本国憲法や皇室典範には皇族の行動に関する条文は全くなく、どのような行動をするか、何が規制されるか、法的には規定されていない。 それゆえ、日本国憲法第4条が直接的に秋篠宮には適用されないものの、戦後の歴史の中で、皇族は天皇の「象徴」規定の理念に準ずる形で行動してきたように思われる。戦後直後は、昭和天皇の弟である三笠宮などが政治的発言をすることは多々あった。 しかし、それは社会的に問題となり、次第に皇族が自身の行動を自律的に規制し、社会もそれを求めていったように思われる。その意味では、政府が一度決めた方針への異議を唱えた今回の秋篠宮の発言は、そうした流れとは反しているのではないか。53歳の誕生日を前に、紀子さまと共に記者会見される秋篠宮さま=2018年11月22日、東京・元赤坂の宮邸(代表撮影) しかも、秋篠宮はこの後、「皇嗣」となって皇位継承順位第1位となる立場である。次に大嘗祭を執り行う可能性がある。もしそのとき、今回の発言を踏まえて、時の政府が方針を変えてしまったらどうするのか。それは、秋篠宮の発言が政治を動かしてしまったことになる。提起した「家庭」の行事 前述の三笠宮のように皇位継承順位が比較的低い皇族とは異なり、秋篠宮はいずれ天皇になる可能性があり、また大嘗祭の執行者として当事者になる可能性もあるため、その影響力が大きい。公に発言するときにはより配慮が必要だったのではないか。 また今回、宮内庁の山本信一郎長官に自らの意思を述べたが「話を聞く耳を持たなかった」という発言も、秋篠宮はしている。これは山本長官への批判でもあり、皇族が公務員をある種「個人攻撃」するということにもなっている。 この発言を受け、今後は山本長官への批判が世間から出てくることもあろう。その意味でも、やはり発言にはより配慮が必要だったのではないか。 他方で、これは宮内庁が秋篠宮の意見を聞きながらも、うまく説得、納得させられなかったことを意味している。秋篠宮に不満を募らせてしまった宮内庁の問題も考える必要があるだろう。 そして、こうした問題を助言したり、高所から解決したりする人物が今、宮内庁にいないのではないか。宮内庁と秋篠宮の意思疎通がうまくいっていないことは、皇嗣のあり方をどうするのかという問題とも直結してくる。その修復は象徴天皇制の今後にとって、大きな課題となろう。 それでも、秋篠宮が今回のような発言をした意図も、理解することはできる。2004年5月の皇太子徳仁親王による「人格否定発言」、2016年8月の明仁天皇による退位の意向を示した「おことば」など、平成の皇室は自らの意思を表明する機会がたびたびあった。 こうした発言は、「人間」「家庭」としての皇室を求めたゆえになされたと思われる。「象徴天皇制」という制度の中で、かなりの制約を負わされていることに対して、その問題を提起したのである。「跡継ぎ」を産まなければならないというプレッシャーに自らの妻が置かれていることを述べた皇太子、高齢となってもさまざま公務を継続させていく必要性があることを述べた天皇、いずれも「人間」と天皇や皇族の立場の矛盾を公に表明したと思われる。2016年9月、職員へあいさつする山本信一郎宮内庁長官。右は風岡典之前長官(代表撮影) 私たち国民は人としての権利(人権)を有するものの、天皇や皇族には必ずしも同様の権利はなく、制限されている。日本国憲法の第1章(天皇)とそれ以降の章(基本的人権など)は矛盾があるのである。その点がこれまでほとんど考慮されず、天皇や皇族にある種の「犠牲」を強いてきた。それを当事者から問題視したのである。 秋篠宮の今回の発言も、その延長であるように思われる。大嘗祭は宗教性を含む、皇室の行事である。その意味では「家庭」の行事ともいえるものであろう。そうした行事が巨大化し、国家的なものとして執り行われる。それは天皇制の権威が強化される可能性、そしてそれが利用される危険性も考えられる。だからこそ、そうならないように、皇室の「家庭」としての行事であると提起したとも言える。 今回の秋篠宮の発言は、大嘗祭への国費投入の可否のみならず、天皇や皇族の存在をも考えるきっかけになったのではないだろうか。■ 小室圭さんへの反発は「民主化した天皇制」の象徴かもしれない■ 眞子さま「早まった婚約」の裏にある皇族女子のアイドル化■ 先細りする「ご公務」の担い手、女性皇族をいかに皇室にとどめるか

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    大嘗祭の国費支出「天皇家の意向」を無視する政府の思惑

    ら見れば、秋篠宮文仁親王の大嘗祭(だいじょうさい)に関する意見は至極当たり前であり、きわめて正当だ。皇室の神道儀式を国費で行えば、法律的には国自身が神道儀式を行ったに等しいからである。 国及びその機関のいかなる宗教的活動も禁止している憲法20条第3項に、真っ向から背くことだ。同時にまた、公金を宗教上の組織・団体のために支出することを禁じている憲法89条にも反する(これらの禁止が政教分離原則の要である)。 憲法の定める象徴天皇制を政教分離原則と整合的にとらえた上で大嘗祭をするのであれば、皇室の費用(内廷費)の範囲内で皇室の内輪の行事としてやるしかない。それ以外の結論はあり得ない。 秋篠宮が先の大嘗祭の時から、今回の記者会見での意見と同じ考えだったことは「これは平成の時の大嘗祭の時にも、そうする(国費で行う)べきではないという立場だったわけですが、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですが」との発言からうかがい知れる。 また、記者会見でのご発言全体を注意深く読めば、秋篠宮はさまざまな問題について常日頃から天皇家で意見交換されてきたことが分かる。両親である天皇、皇后両陛下や皇太子殿下も、秋篠宮の今回の発言内容を先刻承知と思われる。 一方、政府は既に今年4月3日、今回の大嘗祭も先の大嘗祭のときの方針(1989年12月21日閣議口頭了解)を踏襲して行うと決定した。天皇家の意向を聴取・尊重した気配はまったくない。政府が繰り返し言及するその閣議口頭了解とは、次のような内容だった。これをそのまま踏襲するというのだ。(1) 大嘗祭が宗教上の儀式であることは否定できないから、国事行為として行うことは困難。(2) しかし、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然。(3) その意味において、大嘗祭には公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費(国費)から支出することが相当。大嘗祭への国費支出に抗議してハンストに入った日本基督教団などの牧師たち=1990年11月、札幌市 司法試験の憲法でこんな答案を書いたら、まちがいなく不合格だ。(1)で言っていることと(2)、(3)とはまったく矛盾しており、憲法解釈に一貫性がないからだ。国事行為としてはできないが、国の公的行事としてするのは相当(できる)とは、支離滅裂で何の論理性もない。 このお粗末な理屈によりかかって、政教分離原則を無視して行われた平成の大嘗祭に対しては、外国籍者を含め約1700人の納税者が大阪地方裁判所に結集し、「われわれが支払った税金を、憲法違反の即位の礼・大嘗祭に使うな」と訴訟を起こした(即位礼・大嘗祭国費支出差止等請求事件)。政府が国費支出にこだわる理由 1審は門前払いの敗訴判決だったが、1995年3月9日の2審・大阪高裁判決は一転、納税者の権利侵害による慰謝料請求は認めなかったものの、判決理由の中で次のように述べて、大嘗祭への国費支出を違憲と判断し、原告納税者の異議申し立てに軍配を上げた。納税者が実質勝訴したのだ。 「大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であり、これを公的な皇室行事として宮廷費をもって執行したことは、前記最高裁大法廷昭和52年7月13日(津地鎮祭事件-筆者注)判決が示したいわゆる目的効果基準に照らしても、少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない」 この大阪高裁判決は、即位の礼についても、現実に実施された諸儀式・行事の多くが「神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと等、宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」と憲法違反を指摘した。 原告らは、もともと慰謝料が目的で訴訟を起こしたわけではなかった。訴訟のルール上、慰謝料請求を掲げただけであったため、即位礼・大嘗祭への国費支出は政教分離原則違反、との判断を得たので最高裁への上告はせず、1995年3月9日の大阪高裁判決は確定した。 日本の裁判史上、大嘗祭への国費支出について実態に立ち入って判断した判決は、唯一この大阪高裁の違憲判決のみだ。国費支出を合憲とした判決は当然存在しない。にもかかわらず、政府は大阪高裁判決を無視し、支離滅裂な先の閣議口頭了解を踏襲して今回も国費を支出する方針だという。その憲法理解は、秋篠宮の足元にも及ばない。 なぜ、政府は大嘗祭への国費支出に、そこまでこだわるのか。秋篠宮が代弁されたとも受け取れる天皇家の意見に「聞く耳を持たず」ゴリ押しするのか。 それは、納税者の拠出した税金を支出することによって、「大嘗祭は単なる皇室の私的神道儀式ではなく、国家の重要な儀式である」との観念を、知らず知らずのうちに国民に植え付けることを意図しているからだ。 憲法の象徴天皇制とはまったく無関係な、神話に基づく天皇像を温存し、国民の統合と政権の安定に利用しようとしているのである。それは皇室も望んでいない(と推測される)政府の勝手な都合でしかない。2018年11月、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」で発言する安倍晋三首相(手前、春名中撮影) 天皇の政治的利用は、尊王攘夷を唱えて幕府を倒し、政権を奪った明治維新政府にまでさかのぼる。それまで千年以上も政治的権力を幕府に奪われ、何らの世俗的権力も持たなかった天皇を担ぎ出し、明治維新政府は成立した。 その維新政府は伊藤博文を中心に、皇室を西欧におけるキリスト教に匹敵する日本の基軸に仕立て上げる明確な意図をもって大日本帝国憲法を制定した。さまざまな皇室行事が整備・新設され、国家的行事と位置づけられたのは、実際のところ明治維新以降のことでしかない。いわば文化的存在だった天皇と皇室は、神格化され徹底的に利用された。 日本国憲法の規定する天皇像は、大日本帝国憲法時代とはもちろん、江戸時代とも、それ以前とも全く異なる。これを一連のものとみなして、大嘗祭に国費を支出することなどにより介入し、そのことによって皇室を政治的に利用することは厳しく排除されなければならない。■ 小室圭さんへの反発は「民主化した天皇制」の象徴かもしれない■ 女性宮家以外にも「皇統の断絶」を防ぐ手立てはある■ 先細りする「ご公務」の担い手、女性皇族をいかに皇室にとどめるか

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    大嘗祭、公費支出に疑義「秋篠宮さまは少し勘違いされている」

    高森明勅(皇室研究家) 去る11月30日は秋篠宮殿下の53歳のお誕生日だった。この日に公表された殿下と記者たちとのやりとりの一部が波紋を広げている。 反響を呼んだのは、来年11月に予定されている皇太子殿下の皇位継承に伴う大嘗祭(だいじょうさい)の在り方について、かなり踏み込んだご発言をされた部分だ。 「宗教色の強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか」「平成の時の大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だった」「私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」「身の丈にあった儀式にすれば」「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、聞く耳を持たなかった」「私は非常に残念なことだったなと思っています」 こうした発言については、率直に申し上げて、いくつか勘違いされている部分があるのではなかろうか。 まず、大嘗祭は秋篠宮殿下のおっしゃる通り「皇室の行事」と位置づけられている。だが、その費用の出どころをどう判断するかは、もっぱら国政事項に属する。皇族がそこに踏み込み、政府方針への不満を直接述べられたのは、憲法が天皇に禁じた(国政)権能との関わりで疑問を持たれかねない。もちろん、天皇ではない皇族なら国政権能に関与してよい、というわけではない。 平成の大嘗祭でも既に公費(宮廷費)が充てられ、そのことは特に重大な憲法上の疑義を生じることもなく、大方の国民にも素直に受け入れられている。これにことさら異議を強く唱えられることは、「国民統合の象徴」たる天皇のご近親としても、必ずしもふさわしくないのではあるまいか。 前例の宮廷費支出を改めて「身の丈にあった儀式にすれば」という表現は、そのまま受け取ると、あたかも天皇陛下がご自身で執り行われた大嘗祭が「身の丈を越えた」ものであったかのような印象を与えてしまうのではなかろうか。皇居に入られる秋篠宮さま=2018年10月30日、半蔵門 そもそも大嘗祭は天皇一代に一度限りの重大な祭儀である。天皇以外の方が、その在り方にあれこれ言及されるのは、僭越(せんえつ)な振る舞いともみられかねないだろう。 もちろん、大嘗祭は神道最大の祭儀とも言い得るものだ。したがって「宗教色」は否定できない。しかし、その一方で古代以来、皇位継承に伴う大切な伝統的儀式であり続けて来たという揺るぎない事実がある。 政府は大嘗祭の宗教的意義とは関係なく、憲法それ自体が皇位の世襲継承を要請している限り、その継承に伴うべき伝統儀式の執行には公的責任を負うという判断に立つ。その立場から前回も公費を支出したし、今回もそれを踏襲しているのである。 たとえば、奈良の法隆寺や東大寺の仏像などは当然、宗教的な礼拝対象だ。それでも、その修復に際しては、文化財保護という観点から公費が支出される。これと共通した考え方だ。よって、これを直ちに憲法の政教分離原則に抵触すると考えるのは、当たらない。宮内庁長官批判にも疑問 秋篠宮殿下は、大嘗祭を「内廷会計(内廷費)」で賄うべきだとおっしゃったが、内廷費は皇室経済法施行法で規定された定額が毎年、国庫から支出されており、その額はわずか3億2400万円に過ぎない。この金額から、皇室の恒例祭祀を支える20人余の掌典(しょうてん)職など内廷職員の人件費も支出されている。その使い道は、ほぼ決まっているのである。そのどこから大嘗祭の費用を工面できるとお考えなのであろうか。 殿下は「大嘗祭は絶対にすべきものだ」とおっしゃっている。大嘗祭は毎年恒例の新嘗祭(にいなめさい)とは明確に異なる。その区別を踏まえて皇位継承儀礼にふさわしい形で行おうとするならば、内廷費の全額を充てても到底足りない。 その点で、大嘗祭の「本来の姿」についても、いささか誤解されている節がある。大嘗祭の古儀の在り方については、貞観の「儀式」や「延喜式」に詳しい規定がある。それらを見れば、大嘗祭がいかに壮大な国家・国民を挙げての祭儀であったかが分かる(拙著『天皇と民の大嘗祭』(展転社)参照)。 なお、内廷費は「天皇のお手元金」という性格を持つ。そうであれば、いくらご近親であっても、その使途について内廷「外」の方が口を挟むのは、少し筋が違うのではないか。 宮内庁の山本信一郎長官に対して「聞く耳を持たなかった」と極めて強く非難されたのも、殿下の品位のためには、望ましいことではなかった。改めて言うまでもなく、宮内庁長官は大嘗祭費用の出どころを決定するような国政事項に関与すべき立場にはない。政府の一員として、その方針に従っているに過ぎないのである。 今回の秋篠宮殿下の大嘗祭に関するご発言は、記者の関連質問にできるだけ親切に答えようとされる中で出てきたものだ。殿下が「もう、それ(大嘗祭への宮廷費の支出)は決まっているわけです」とおっしゃられているように、特に政治的効果を意図されたものでないことは明らかだ。皇居・東御苑に設営された大嘗宮(だいじょうきゅう)=1990年11月撮影 そのお考えの基礎にあるのは「税金の使い方は厳格に」という国民への深い思いやりだろう。誠にありがたい。 ただし、ご発言の一部については、ご自身の重い立場に照らして十分に慎重なものだったとは断言しにくいのではあるまいか。 以上、私なりの感想をあえて忌憚(きたん)なく述べさせていただいた。妄言の数々、ご無礼の段は平にお詫び申し上げる。■ 女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」に他ならない■ 眞子さまが苦悩する「高貴なる者の責務」とは何か■ 先細りする「ご公務」の担い手、女性皇族をいかに皇室にとどめるか

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    宮中祭祀で天皇は何を祈っておられるのか

    3月、伊勢神宮内宮を参拝され、参道を歩かれる天皇陛下(沢野貴信撮影) たとえば、大晦日元旦にかけて、皇室では重要な宮中祭祀が続く。はたして、天皇は何を祈っておられるのか。もちろん、宮中祭祀で何が行なわれているかは秘されているが、西暦1100年ごろに藤原の師通の命を受けて大江匡房が編纂したと伝わる『江家次第』などから、その一端を垣間見ることができる。 簡単にいえば、天皇は大晦日から元旦にかけて、「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます。国民を罰しないでください。国民をお守りください」と祈っておられるのである。「明けましておめでとう」の意味 これはこういうことであろう。 日本神話には天岩戸の話がある。天照大神が須佐之男命との乱暴狼藉に驚き歎いて岩屋に籠もってしまい、世の中が真っ暗になって禍々がしいことがたくさん起きた、という神話である。つまり、天照大神がお怒りになると、日が昇らなくなってしまうと考えられていたのである。日本には、そういう発想があった。 大晦日から元旦もそうである。大晦日は1年の終わりだが、この1年の罪障が多ければ、天照大神が怒って、新しい年の太陽が昇ってこないかもしれない。そこで天皇は、天照大神はじめ神々に、「今年はこのようなことがありました。しかし、全部、私が悪いのです。国民に当たったり、国民を罰したりするのはやめてください」と一生懸命お祈りする。天照大神が「お前にも色々あるのだろうから、今年は許しましょう」とお許し下されば、元旦の太陽が昇ってくる。 元旦の太陽が昇ってくれば、国民は喜び、祈ってくれた天皇に感謝する。だから「明けましておめでとう」ということになる。去年1年の罪悪や厄災は、天皇の祈りによって許され、新しい1年がやってきた。ありがたいし、おめでたい。去年のことはすべて水に流して、今年1年、また気持ちを新たに頑張ろう。それが日本のお正月の伝統なのである。 古来、日本人は日の出が大好きである。大昔の日本人は、日が昇るところを求めて東へ東へと進み、それで海にぶつかって気に入った日向(宮崎県)、伊勢(三重県)、さらに常陸(日立=茨城県)の地に、大きな神社を建てたのではなかろうか。そんな風に考えたくなるほど、日本の太陽信仰には根強いものがある。天照大神をお祀りしている神社は、日本各地にあるが、とりわけ伊勢(三重県)には数多くある。さすがに伊勢の神宮があるだけのことはある。 ともあれ、日本の天皇は、千年単位の長い期間にわたって、このような祈りを毎年毎年、積み重ねてきた。マッカーサーが来たからといって祈りを変えるはずがない。国民のなかには、長い間にわたって天皇がそのように祈っておられるのも知らず、天皇との一体感を持たなかった者もいるが、天皇は、常に国民と一体だと認識してこられた。 「大御心」と「御心」という言葉がある。「御心」といえば、その天皇個人の「お心」ということになるが、「大御心」というと、歴代天皇すべての「お心」を合わせたものを指す。 歴代の天皇が積み重ねてきた祈り、国民への思い、そういうものをすべてわが身で背負おうという「心」である。もちろん、それが容易いはずはない。だが、そうあろうと、日夜、天皇は努力しておられる。宮崎・高千穂の渓谷(ゲッティイメージズ) 天皇が国や民を思う心の深さは、われわれの想像の及ぶ範囲ではない。 われわれ日本人は、そういう物語を持っている国民である。このような物語は、世界のどこを探してもない。たとえばイギリスの国歌では、冒頭で「God save our gracious Queen(King)」と歌う。「神よ、われらの慈悲深き女王(国王)陛下を守り給え」と、国民の側が神に祈るのである。もちろん英国民たちは、神に祈るという形を取りながら、実のところ本心では、女王や王に「慈悲深くしてください」とお願いをしている。世界に稀な「いい国」 このような姿は、天皇が国民のために「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます。国民をお守りください」と祈る日本とは、まったく違う。日本の場合、天皇は慈悲深いに決まっている。 西洋でも中国でも、王様や皇帝といえば、権力を持ち、軍事力も備え、国民を収奪し処罰する「力」の存在であることが一般的である。だが、日本は違う。日本の天皇は、国民のために祈る「情」の存在として、国民の心の中に息づいているのである。 日本では、多くの人が天皇はありがたいという。だが、なぜありがたいかをいう人は少ない。その点について、私が思っているのは、いま書いてきたようなことである。 天皇がなぜありがたいかを知っていないと、逆に国民が天皇に、知らないうちに残酷な仕打ちをしてしまうことにもなる。「大御心」で「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます」と祈って下さっている方に対して、国民の側から、あたかも完全無欠でなければならないかのような高みを要求するのは失礼千万というものであろう。 もっとご自由になれる時間があってもいいし、お休みがあってもいい。定年退職があってもいい。少なくとも江戸時代以前はそうしていたはずである。皇族の方が若き日に海外に留学されるとき、もう少し羽を伸ばされてもいい。在英日本大使館にいた私の知人が「ご留学中、変な噂が立たないように、あまり色々な人と親しく接することがないよう気をつけるのが大変だった」というのを聞いて、私などは「余計なことをしなくていいのに」と思わずにはいられなかった。もっと「情」があってもいい。 また、皇室財産も戦後、GHQによって縮小されて、それきりである。「情」が伝わるのは「自腹」が何よりである。「御下賜金」といって、天皇がご自身の財産から、国民に義援金や奨励金などを下し賜わることがある。これはいわば、陛下の自腹である。だが、財産が減ってしまったので、いま、そのようなことも昔のように十分にはできない。このままにしておくのは、あまりに申し訳ない。 皇室財産を増やそうとすると、社会主義的な考えを持つ人びとが反対するのだろうが、そのような考えは貧相な嫉みや嫉みであって、あまり「情深い」といえない。昭和天皇のお励ましもあって、せっかく日本もここまで豊かになったのである。いつまでもGHQの軛に縛られず、皇室財産をもっと増やすことを考えてもバチは当たるまい。 繰り返すが、天皇はご立派な振る舞いをされるから偉いのではない。千年以上にわたって、「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます」という祈りを続けてこられた「情」の存在だからこそ尊いのである。日本国民として、それは忘れぬようにしたいものである。一つの国の歴史やあり方、権力の源というものは、すべてこのような「History」であり「Story」なのである。皇居・二重橋前(ゲッティイメージズ) 素晴らしいストーリーがあれば、皆、「いい国に生まれた」と思い、団結が強くなって、喜んで社会に貢献する。東日本大震災の折もそうだったように、世界の人が驚き、称賛するような立派で勇気ある行動をしていく。そうするとますます、「いい国に生まれた」と皆が思えるようになる好循環が生まれる。 天皇ご自身が「情」の存在であり、国としても「情」の社会であった日本は、そのような意味からしても、世界に稀なる「いい国」なのである。関連記事■ 日本文化圏と日本精神圏の誕生■ 日下公人 韓国「徴用工」問題の愚かさ■ 未来予測!世界はいずれ「日本化」する

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    平成に高額だと批判された大嘗祭 費用抑制を意識して簡素に

    間隔が10日しかなく、天皇の負担が大きかったが、今回は新天皇の負担軽減を考慮して22日間空けられた。皇室問題に詳しい京都産業大学名誉教授の所功氏が言う。「大嘗祭は神道形式をとるため前回同様、政教分離の原則に配慮して国事行為としません。『皇室の公的行事』として皇室の伝統的な祭礼が厳粛に行なわれる形です。しかも皇位の継承と不可分の公的性格の強い一代一度の大行事だから、経費は宮廷費を充てる必要があるのです」 平成への代替わりでは、即位儀式に関連する支出が政府全体で約123億円にのぼり、「高額だ」と批判の声も上がった。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司氏がいう。 「今上陛下も皇太子殿下も普段から、“華美にならないように”というお考えをお持ちですから、費用の抑制も意識されていると思われます」 「平成の終わり方」と「新時代の始まり方」には、代替わりに携わる人々の姿勢も問われている。関連記事■ 眞子さま「破談」となれば小室さんに1億円以上の解決金か■ 新元号発表から大嘗祭まで 天皇退位と即位に関する日程■ 新元号発表 新天皇即位当日に公布となる可能性も■ 眞子さまと小室さんに外出デート禁止令 面会も職員同席か■ 美智子さまの胸中に「なぜ、このような状況に…」のお気持ち

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    小室圭さん 眞子さまとの一時金1.5億円減額・辞退の可能性

     最近、秋篠宮さまに関して報じられたあるニュースが、宮内庁関係者や皇室記者の間で意外な注目を浴びている。〈大嘗祭「公費支出避けるべきでは」秋篠宮さまが懸念〉(毎日新聞8月25日朝刊) 大嘗祭とは、天皇の即位後に初めて行われる新嘗祭(天皇が行う収穫祭)のことで、新天皇にとっての晴れの舞台だ。来年5月に皇太子さまが即位した後、11月14・15日に予定されている。 「平成の大嘗祭では、総額22億円以上が支出されました。政府は現時点では、『宮廷費』という皇室の公費でまかなうつもりですが、本来は、憲法で定める政教分離の原則から、宗教色の強い皇室祭祀は『内廷費』という天皇家の私的な生活費から支出すべきという意見も根強くあります。秋篠宮さまは、原則を優先した上で、多額の公費支出を懸念し、およそ3億円という内廷費の予算の範囲内で大嘗祭を行ったらどうかと、宮内庁幹部に話されたそうです」(皇室ジャーナリスト) 以前から、皇室の在り方について積極的に発言されてきた秋篠宮さまらしい。一部には、「兄の新天皇の門出にケチをつけるのか」(ベテラン皇室記者)という意見もあるが、税金である公費を大切に使おうとする姿勢だ。一時金が金銭トラブルの解決策になる さらに、この話は眞子さまのご結婚にも大きく関わってくるとも言われている。 秋篠宮家の長女・眞子さまが15日、新潟県佐渡市で開かれた「特別天然記念物トキの放鳥式」に参加された。佐渡トキ保護センターや多摩動物公園(東京)などで生まれた19羽が、野生復帰ステーション(佐渡市)で訓練を受け、うち11羽が眞子さまらの手で放鳥された。淡いピンク色の羽を広げ、自由な大空へ飛び立っていったトキを、眞子さまはどう見つめられただろうか。2018年2月、ドキュメンタリー映画「の特別試写会に臨まれる秋篠宮さまと長女・眞子さま(代表撮影) 「3年間の米国留学中の小室圭さんとの結婚は、いまだに見通しがついていません。それでも、公務は平常心で臨まれていて、秋篠宮ご夫妻も安心されているようです。秋篠宮さまとしては、かけがえのない娘の幸せですから、できる限り叶えてあげたい。若いふたりには、“このままでは納采の儀は行えない”と伝えていますが、“破談”にまでは踏み込んでいません」(別の皇室記者) ここで振り返りたいのが、前述の大嘗祭に関する秋篠宮さまの発言だ。結婚への「大逆転プラン」「言ってみれば、国民の税金で賄われるのだから、皇室の予算をできるだけ節約しようという発言でした。そうした発言を受けて、宮内庁関係者の一部からは、“もしかして秋篠宮さまは、眞子さまが結婚に伴って受け取られる『一時金』の減額、ないしは辞退を考えていて、そのための布石の発言ではないのか”という声が出ているのです」(前出・ベテラン皇室記者) 11日に開かれた皇室経済会議では、高円宮家の三女・絢子さまの結婚に伴う一時金支給額が1億675万円に決まった。そのように、皇族の女性が一般の男性と結婚して皇族の身分を離れる場合、一時金が支払われる。限度額は皇室経済法によって定められており、2005年に結婚された紀宮さま(黒田清子さん)には1億5250万円が支給された。 皇室ジャーナリストの山下晋司さんが解説する。 「天皇との関係(子、孫、ひ孫など)で上限額が決まっています。紀宮殿下のような内親王の場合は、皇族費の定額(現在は3050万円)の半分の10倍で、1億5250万円となります。絢子女王殿下のような女王の場合はその3割減です。 戦後、眞子内親王殿下のような天皇の孫にあたる内親王の結婚では上限額の1割減でしたが、将来の『天皇の長女』『天皇の姉』という立場に鑑みれば、上限額の1億5250万円が支払われる可能性もあります」 ちなみに、一時金には税金はかからない。サラリーマンの生涯年収の半分近くに当たる大金だが、用途に明確な規定はない。元皇族としての品位ある生活を送るための資金とだけ説明される。 「眞子さまの結婚にあたり、この一時金の支払いもハードルになっています。小室さんの母・佳代さんが抱える金銭トラブルや小室さんの留学資金に、税金が原資である一時金が充てられるのは、国民感情としては受け入れづらい」(前出・別の皇室記者) そこで、結婚のための大逆転プランとして浮上しているのが、「一時金の辞退」なのだ。 「小室さんと眞子さまが話し合って“一時金1億5000万円はいりません”という意思を示したら、結婚への疑問の声は一気に沈静化するでしょう。それほどに純粋な愛情なのかと、小室さんの評価の潮目がガラリと変わると思います。“兄の門出”でも経費削減を訴えた秋篠宮さまですから、“娘の結婚”でも同様の主張をするのではないかと囁かれているわけです。 ただ、明確な目的のある一時金の辞退を皇室経済会議がどう決めるかはわかりません。それでも、一度でも辞退の覚悟を表明すれば、国民の不信感を払拭するには充分でしょう」(宮内庁関係者)関連記事■ 小室圭さんと母のマンションで警察沙汰、汚物投げ込み事件■ 眞子さまと小室さん、別れのタイムリミットは6か月か■ 小室圭さん、残高証明難しく留学ビザ取得ならず 一時帰国か■ 秋篠宮家の皇族費は6710万円 小室さんとの結婚式費用は?■ 小室圭さんの母、パート先から姿消す 息子を追って渡米説も

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    なぜ小室圭さんバッシングは止まないのか

    秋篠宮家の長女、眞子さまとの結婚が延期となった小室圭さんをめぐり、週刊誌のバッシングが止まない。実家の金銭トラブルに端を発した一連の報道に小室さんは沈黙を続けるが、留学で渡米した後もその過熱ぶりが変わらないのはなぜか。

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    「歌舞伎町の王子」と重なる小室圭さんの複雑なプライド

    ように見える。 昨年婚約が発表されたとはいえ、週刊誌報道の後に不自然に延期されており、彼はまだ正式な皇室の関係者ですらないような気もするが、元「海の王子」であることは間違いないので、待遇がさながらプリンス並でも当然なのだろう。 いくつかの報道では、彼らの結婚は暗礁に乗り上げてしまったような印象を受けるが、少なくとも彼のこれまでの振る舞いや雰囲気、行動を見ると、その理不尽のようにも思える延期発表や、週刊誌によって一方的につけられる悪印象について必死に抗おうというような態度は見受けられない。 そもそも週刊誌には彼の母親の元婚約者であり、彼の留学資金などを用立てたA氏の声が登場するが、それに対する公の場での反論すら発していない。 母親がどんなつもりでA氏から現金を受け取ったのか、といったことは各自の妄想の域を出ないが、そんな家庭の事情があったとしても、愛する女との結婚に向けて、弁解したり謝ったりしてでも守り抜く、という気概が彼から全然感じられないのだ。 私は正直、母親が「裏ッピキ」(夜の商売をする女の間で、客から直接金銭を受け取る行為を呼ぶ)の天才だったとか、そんな話はどうでもよくて、延期をすんなり受け入れるような、その辺りに彼の不気味さを感じる。米国に出発する小室圭さん(中央)=2018年8月7日、成田空港 本当に眞子さまとの「恋愛結婚」を遂行したいのであれば、公の場で母親をフォローするでもいいし、和泉元彌のように母親の呪縛を振り切ったっていいような気もするのだが、お付きの人などをつけて胸を張って米国のロースクールに通学する様子は、それなりの希望を叶えたというような印象まで醸し出す。 父親を亡くし、低収入の母と2人、時には第三者の助けを借りながらも力強く生きてきた彼のような人を、奮い立たせるものはなんだろうか。決して恵まれた状況にいなくとも、優秀さと気高さを放棄せずに、いかにも恵まれた状況の人が歩むような道を歩むというのは並大抵の覚悟ではできない。「歌舞伎町の王子」 彼とはまた全然関係のない話だが、シングルマザーの元で経済的な苦労をして育った男というのは、夜の世界では毎日のように出会う。彼らの多くは恵まれた状況の人が歩むような道とはまた別の、恵まれた状況にいないからこそ飛び込みやすい世界でやはり巨万の富を得ようとする。 彼らの行いは、ごく一般的に恵まれた、あるいはとても贅沢(ぜいたく)で恵まれた状況にいる私たちから見ると、時に想像を絶するほど卑(いや)しく、非人道的で、酷い。自分の親や相手の親まで巻き込んで女を信じさせ、金銭を奪い、目的が達成されればゴミのように捨てたりもする。 信じやすいような女を見抜き、平気で嘘をつき、弱みにつけ込んで、働きづめにさせて、何百万、何千万円を一人から搾り取ったりもする。別に、彼らは悪人ではない。 昼間のエリートの世界で出会う男たちの何倍も家族思いで、稼げば稼いだ分だけ母親に送金し、初めて売上が100万円を超えた月など、稼ぎのほぼ全てを親に渡すような男は想像の数倍多い。少なくとも私が大学や新聞社で出会った男たちで、母親に毎月現金を送るような男はほとんどいなかった。 別にホストにマザコンが多い、という話ではなく、ある側面から見れば残虐なほど道徳に反した彼らにも、彼らなりの正義とプライドがあるという話である。 そしてその正義は、彼らではない私たちの想像しづらいところにある。それは母親に送る金額を絶対に一度も下げないというようなこともあれば、売上ナンバーワンの写真が載った情報誌を実家に送る、というような場合もある。 米ロースクールで学び出した海の王子と、歌舞伎町の王子たちを並べるのは不毛で失礼だが、私はこの騒動を見て、彼は「歌舞伎町の王子」と同じくらい、あるいはそれ以上の複雑な正義とプライドとともに生きている可能性は大いにあり得ると感じている。 そしてその場合、その正義は私たち大衆が簡単に想像し得るものではない。関係者の紹介でも名家とのお見合いでもない、民間人との「完全な恋愛結婚」であることに不安を感じる宮内庁関係者もいると報じられるが、「完全な恋愛結婚」であることよりも、「完全な恋愛結婚」ではなかった場合の方がゾッとする。 神奈川県藤沢市の観光をPRする「湘南江ノ島海の王子」として活動していた当時の小室圭さん=2010年撮影(提供写真) もし、彼の正義が、愛する女と一緒になることや彼女を守り抜くことを第一の目標としない場合には、儀式延期が決まりVIPとして米国留学をするこの状況は必ずしも彼にとって不都合ではない。米国での彼の様子を伝える週刊誌報道はいかにもそんな想像をかき立てるように綴られている。 ただし、人間は複雑であるが、それほど明確ではないのもまた事実で、平気で嘘をつき、いいように働かせ、金を搾り取った後に、その相手の女を妻として迎え、幸福になったような夜の事例も実はごまんと転がっている。 冒頭で触れた高橋一生のドラマの予告編はこんなコピーで締めくくられる。「愛さえも嘘ですか?」。おそらく国民が案じる2人の今後は、このような問いにかかっている。

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    小室圭さんへの反発は「民主化した天皇制」の象徴かもしれない

    れたわけではなかったのである。小室さんという、今までとは異なる人物の登場であるがゆえに、報道の当初、皇室がより近くなったことを歓迎する声が多数聞かれた。 しかし、それゆえに反発する人々も現れ、現在のような状況となったのではないだろうか。それは「象徴」とは何かを考える違いに起因しているようにも思われるのである。

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    元東宮侍従手記「小室圭さんを興味本位で論評すべきではない」

    んに対するバッシングともとれる記事を含め、お二人のご結婚をめぐってさまざまな報道が続いております。 皇室にかかわるマスコミの報道の在り方については、いろいろな意見があると思います。皇后さまのご結婚、皇太子殿下のお妃候補、昭和天皇のご病気などに際してのマスコミ各社の報道ぶりは大変なもので、記者の皆さんの努力には、時として頭が下がる思いもありました。昭和天皇のご病気の際には、宮内庁の前にテントを張って、24時間体制で臨んでいたことを記憶しております。 一方において、過剰とも思われる取材のやり方については、批判もありました。皇后さまや皇太子妃雅子さまのご結婚に至る過程での取材については、平穏な日常生活が妨げられるような取材攻勢があったと聞いております。 また、これらの報道の中には有意義な記事もありますが、事実と異なる記事や誤った事実を前提にして書かれた記事が含まれていたことがありました。皇后さまに対するいわれのない批判記事の連続により、皇后さまが声を失われる事態に陥られたこともありました。 他にも皇太子妃候補として多くの女性の皆さんが、週刊誌で報道されました。関係のない女性の皆さんにとっては、大変迷惑であったものと思われます。留学先の米ニューヨークのフォーダム大ロースクールに通学する小室圭さん(右)=2018年8月13日(共同) 宮内庁では報道室が中心になって、必要に応じて正確な事実関係を指摘してきております。眞子さまと小室さんにかかわる一部週刊誌の記事についても、宮内庁はホームページにおいて事実関係を説明してきております。本年7月30日には、「今回の記事(週刊文春7月26日号)によって読者のみならず、さまざまな形でこの問題に関係する人々にも誤解が生じないよう重ねて説明することにしました」と結んでいます。    お二人のご結婚が延期に至った事情や小室さんの母親の金銭にかかわることなどについて、私は何ら事実関係を承知していませんので、いかなる論評も行う立場にありません。多くの皆さんも同じだと思います。 皇室関係の記事が続くのは、それだけ読者の関心が高い表れとも思われます。読者が正確な理解を深めることができるように、事実に基づいた記事や論評が報道されるよう望みたいと思います。決して、関係者を傷つけることがないよう願うばかりです。 私は、自著『皇室ってなんだ!?』のまえがきの中で、「天皇陛下はいつもわれわれ国民の幸せを祈ってくださっている」と書きました。私は、この場をお借りして、眞子さまと小室さん、及び関係者の皆さまのお幸せを祈念いたします。

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    スウェーデン王女を射止めた「民間人王子」の並々ならぬ努力

    れることが見込まれています。 こちらに住んでいると、スウェーデン王室は国民からも慕われており、日本の皇室に比べると、より「親しみやすい」という印象を受けます。 これはおそらく、王室がなるべく国民との距離や壁をなくし、民間にオープンな王室作りを目指しているからなのだと思います。 自然体で比較的自由に発言をし、外出時の警備も緩やか。恋愛に関しても厳重な監視はなく、ヴィクトリア王女が民間人だったダニエル王子と結婚したのを始め、カール・フィリップ王子やマデレーヌ王女も自由に楽しんでいるようです。2010年10月、スウェーデン政府主催の夕食会で、談笑するビクトリア王女(左)と結婚相手のダニエル・ベストリングさん(AP) また、王妃や王女がファッションアイコンとしても好まれ、王室関係のニュースやスキャンダルは芸能人並みに高い関心が寄せられているのも、スウェーデンの特徴かもしれません。特にSvensk Damtidning(スウェーデン女性誌)という国内国外の王室情報を扱った週刊誌は、現在10万部の定期購読に加えて、4万を越える部数が店頭に並ぶほどです。「王室」というセレブリティを保持しながらも、明るく気さくな姿をメディアを通して見せる態度に、人々は好感を持つのでしょう。一方で、人気の下降も目立つ スウェーデン王室が、2011年秋から自身の公式Facebookを公開していることも特筆すべき点です。メディアやパパラッチの行き過ぎた行為を防ぐ目的もありますが、王室からの語り掛けに国民が直接反応できる場として、こうしたソーシャルネットワークはとても貴重な働きをしています。今回のヴィクトリア王女の出産も、王室はFacebookを通して随時近況を報告。一日で1万人を越える新規ファンができ、数万の人々が見守りました。 しかし、新王女誕生で盛り上がる一方、近年は共和主義協会の活動も盛んになり、国民の間でも、王政・王室の人気が下降気味にあるという数値も出ています。 社会・情報研究調査団体(Forskningsgruppen för Samhälls- och Informationsstudier)が行った調査によると、1996年には国民の70%が王政を支持していたのに対して、2010年には46%に減少。王政に否定的な世論は15%から25%に、王室に否定的な世論は13%から28%に上昇しています。また、共和主義協会によると、今年最初の四半期だけで会員が7962人から9703人に、つまり約22%の増加となりました。 こうした傾向の背景には、民主主義、平等社会のより一層の確立、そして王室の人権保護といった理由に加え、近年取り沙汰される王子王女の恋愛問題や贅沢な私生活パーティーの報道、そしてシルヴィア王妃の父親がナチス党員だったことの発覚なども挙げられます。 さらには、2010年11月にカール・グスタフ国王の過去の女性問題やポルノクラブ通いなどを暴露した本が出版。その後、その証拠隠滅のために犯罪組織と取引をしていたことも明らかになりました。 ここ最近は、カール・グスタフ国王の退位を求めると共に、ヴィクトリア王女に早く王位を継承すべきだという声が強まっています。国民との距離が比較的近い分、オープンな部分が場合によってはバッシングの対象になることもあるのかもしれません。 2010年6月19日、ヴィクトリア王女は長い交際期間を経てダニエル王子と結婚しました。二人が出会ったのは2001年のこと。慣れない公務や体型をバッシングするメディアに疲労したヴィクトリア王女は1996年頃から食欲不振に悩まされ始め、1997年秋、王室が正式にヴィクトリア王女の拒食症を発表しました。2010年6月、結婚するスウェーデンのビクトリア王女とダニエル王子の登場を、国旗を持って待つ少女(ゲッティイメージズ) その後王女は、治療と安静のためにアメリカに渡り、しばらく公式の場から離れます。2000年にスウェーデンに戻ってきたヴィクトリア王女にジムに通うことを勧めたのが、妹のマデレーヌ王女でした。そして、そこでヴィクトリア王女のパーソナルトレーナーに就いたのが、ダニエル王子だったのです。2002年、二人の交際が公になります。民間人だった王子の並々ならぬ努力 しかし、完全な民間人だったダニエル王子との交際は、当初王室からも社会からも強く反対されました。一部では「無愛想」「田舎者」というダニエル王子への中傷も飛び交いました。ですが、ヴィクトリア王女の元気で幸せな姿にいつしか王室も社会も、ダニエル王子を迎え入れられるようになりました。 この間の王子の努力も並々ならぬもので、立ち振る舞いから服装、マナー、英語・仏語・独語の習得や美しいスウェーデン語の話し方、そして歴史や公務に関する教養を積んでいったのです。こうして2009年2月24日、ヴィクトリア王女とダニエル王子の婚約が正式に認められました。 昨年の夏。なんと、ヴィクトリア王女夫妻そしてマデレーヌ王女と同じ飛行機に乗り合わせました。 遅い時間だったとは言え、専用機などではなく、ごく普通の便に乗っていたことにまず驚きました。さらには、御一行がなんと私達に混じって荷物受取り場で待たれていたのです。ボディーガードはもちろんいましたが、たった3席ほど離れたベンチに座ってみても警戒する気配もありません。 あたかもそれが当然かのような大衆的な姿には、やはりとても親近感が沸きました。一方で一般の人々も、興奮の空気は漂っていたものの、大騒ぎしたり写真を撮ったりするような人はいませんでした。個人の人権を思う気遣いが、なんともスウェーデン人らしく素敵だなと思った瞬間でした。2017年4月、スウェーデンのヴィクトリア王女を出迎えられる皇太子さま=東京・元赤坂の東宮御所(代表撮影) 日本の皇室もスウェーデンの王室も、国の象徴としてとても大きな役割を担っています。しかし、世界で民主主義化が進む中、どの国でも従来の社会体制は成り立たなくなってきており、スウェーデンでも国民の王室離れに対する危機感は年々増しています。 そのような中、ベルナドッテ王朝初の女性元首であり、民間人と結婚したヴィクトリア王女は、この風潮を変える切り札として期待されています。エステル新王女の誕生によって今後2代王女の即位が続くことも、スウェーデン王室にとっては一つの大きな転換点となるかもしれません。 彼女たちが、国民との間に強い「絆」を結び、王室の存在感をどのようにして高めていくのか。スウェーデン国内のみならず、皇位継承問題を抱える日本の関心も集めるでしょう。

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    小室圭さん 「皇室のしきたり」を破り記者は顔色を変えた

    その直前の週末、眞子さまに直接、“お別れ”を告げるため、会われるのではないかと予想されていました」(皇室記者) 皇室や宮内庁周辺を取材する記者たちは、8月4日土曜日を慌ただしく迎えた。 結婚を視野に入れて交際をしているカップルが、長いお別れの前に、一緒の時間を過ごすのは当たり前のことだ。しかし、留学先の大学のウェブサイトから、一度は記載された「フィアンセ」の文字が消された今となっては、そうした“当たり前”にも暗雲が立ちこめる。勤務先の法律事務所に出勤する小室圭さん=2018年2月7日、東京都中央区(共同)「留学先の大学は、返済不要な奨学金を出したり、弁護士資格がないのに弁護士待遇で授業プログラムを受けさせたりするなど、“特別待遇”で小室さんを受け入れます。それは小室さんが皇族の親戚になるという立場を利用したからではないかと、宮内庁周辺で疑念を抱く人もいます。 そのように、根強く“破談”が囁かれる中、本当に眞子さまが小室さんと会われるのか、疑わしい面もありました」(前出・皇室記者) それでも4日の朝には、秋篠宮邸のある赤坂御用地周辺では、記者たちがそのときを待ち構えていた。緊張感が走ったのは17時過ぎ。「小室さんがこちらに向かっているようだ」という情報が駆け巡ったのだ。皇室のしきたりを軽視?◆皇室のしきたりを軽視してまで 赤坂御用地周辺にいた記者たちは、小室さんがいつ姿を見せるのかとじっと「門」を見つめている。すると19時前、なぜか警備が解除された。配備されていた警察官が次々と門内に引き揚げていく。 小室さんは今日は来ないのかと首をかしげていると、驚きの事実が耳に入ってきた。「小室さんは、すでに秋篠宮邸にいる」──。一体どこから入ったのかと訝しんだ記者たちは、その「門」の名前を聞いて顔色を変えた。「多くの報道陣が待ち構えていたのは、赤坂御用地にある6つの門のうちの『巽門』でした。秋篠宮邸のすぐ近くにあり、秋篠宮ご一家が出入りされるのはもちろん、宮邸を訪れるほとんどの人が使います。小室さんもこれまではこの門から出入りしていました。ただ、報道陣は万一のことを考えて、秋篠宮邸へのアクセスがいい『鮫が橋門』や『東門』にも人員を配置していました」(別の皇室記者) ところが小室さんはそのどの門も通らなかった。『東宮御所正門』を通って赤坂御用地に入っていたのだ。皇室ジャーナリストの山下晋司さんは驚きを隠さない。「東宮御所とは皇太子ご一家のお住まいのことで、そこに最も近いのが東宮御所正門です。基本的に皇太子ご一家のほかは天皇皇后両陛下や東宮御所の来賓など、ごく限られた人だけが使う門です。他の宮家を訪ねるなど、東宮御所と関係のない人が使うというのは、異例と言っていいでしょう」 その日、皇太子さまと雅子さまは全国高校野球の開会式に出席するため、兵庫県入りされていた。愛子さまもイギリスへ短期留学中だ。「東宮御所が留守だったとはいえ勝手に通っていいものではありません。皇室のしきたりを軽視するほど、小室さんは重要視される存在なのでしょうか」(宮内庁関係者) もちろん、東宮御所正門を通るという判断を小室さんが下せるはずがない。「眞子さまにも決定権はありませんから、秋篠宮ご夫妻の判断ということです。小室さんに堂々と報道陣の前を通ってもらっては困ると考え、報道陣を避けて、迎え入れたとしか見えません」(前出・別の皇室記者)京・上野の人形メーカー「真多呂人形」が2017年の世相を映した変わりびなを発表した。お披露目された秋篠宮家の長女、眞子さまと小室圭さんのご婚約内定を題材に取り上げた=2017年11月28日、東京都台東区(宮川浩和撮影) 赤坂御用地に入る小室さんの姿を捉えられなかったテレビ局の報道陣は、「正門」から入ったという情報を聞くと、各社で手分けをして6つの門すべてにカメラを配置。21時過ぎ、秋篠宮家の車に乗り、再び正門をくぐって出てくる小室さんの姿はカメラにおさめられることになった。小室さんの秋篠宮邸への滞在時間は、およそ150分。「小室さんは、秋篠宮ご夫妻、そして佳子さまともご挨拶はされたようですが、長時間、ご一家と小室さんが一緒に過ごしたとは考えにくい。小室さんは眞子さまとふたりで夕食をとられ、ふたりでお過ごしになった時間もあったようです。次に会えるのがいつになるかはわかりませんから」(皇室ジャーナリスト)関連記事■ 眞子さま ブラジル・アマゾン河ご視察で見せたサングラス姿■ 小室圭さん、マッサージ店で1時間半の施術後のスッキリ写真■ 小室圭さん、看板のない個室マッサージに月2回通う■ 小室圭さん、母と秋篠宮邸を訪問し「両家会談」に参加■ 眞子さまと婚約延期の小室圭さんをNYタイムズが擁護する事情

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    眞子さまと婚約延期の小室圭さんをNYタイムズが擁護する事情

    に家族の背景を重視する日本人の結婚観があるからだ〉として、宮内庁の姿勢や日本の世論に疑問を呈した」(皇室記者) さらに今年5月に英王室のヘンリー王子と結婚したメーガン妃を引き合いに、〈(メーガン妃の親族が)注目を集めたが、結婚そのものを批判したり、反対するものではなかった〉とした。英王室に詳しいジャーナリスト・多賀幹子氏の解説。「確かに“メーガンは王室に相応しくない”とは議論されませんでした。“愛さえあれば、本人たちが望むなら結婚を認めるべき”という英米圏の人権意識と日本の価値観との違いに理由があるかもしれません」※画像はイメージです(GettyImages) ただ、そうした海外の見方に抜け落ちている部分もある。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。「NYTの記事では、小室さんの母が元婚約者から借りた金銭が小室さん本人の学費に使われたことや、元婚約者との話し合いの場に小室さんが同席した事実などが記されていませんでした。トラブルが、小室さん本人とは無関係のものとも読めてしまう。そうなれば、『旧態依然とした日本の皇室』という印象ばかりが強調されてしまう。 退位、即位という一大行事を前に、あらぬバッシングに繋がってしまわないかと、大変不安に思います」 NYTの記者は、多忙を理由に取材に応じなかった。火種を残したまま、小室さんは間もなく、留学先のニューヨークへ旅立つ。関連記事■ 小室圭さん、看板のない個室マッサージに月2回通う■ 小室圭さん、マッサージ店で1時間半の施術後のスッキリ写真■ 眞子さまと小室圭さん、6か月間デートしていない状態■ 小室圭さん、米紙見出しに「婚約者と呼ばないで」の波紋■ 眞子さま 親友との1泊2日箱根旅行で弾ける笑顔写真

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    眞子さま「結婚延期報道」に私も言いたい

    秋篠宮家の長女、眞子さまの結婚延期が発表されてから、はや2カ月。お相手の小室圭さんをめぐり、さまざまな週刊誌報道が飛び交う中、新聞、テレビは相変わらず沈黙を続ける。宮内庁も「週刊誌報道が延期の理由ではない」と火消しに躍起だが、どうも腑に落ちない。眞子さま結婚延期を私たちはどう受け止めるべきか。

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    週刊誌「小室圭さんバッシング」報道が意味するもの

    河西秀哉(神戸女学院大学准教授) 皇室に関係する情報を私たちはどこで知るのだろうか。新聞、雑誌、テレビ、インターネット、まずはその辺りだろうか。そうしたメディアを通じて、私たちは皇室について、天皇や皇后、皇族の動向を知り、そして「象徴天皇」とはこうした姿なのだとイメージする。こうしたあり方は、長い伝統ではない。メディアが発達する前の人々は、このように皇室を知ることはできなかった。近代になって構築された体制だったのである。 明治維新後、日本でも新聞が刊行されるようになり、新聞はこぞって皇室に関する記事も紙面の中に掲載していく。メディアは大衆消費社会が成立する状況の中で、ニュース素材として皇室を取りあげ、人々の興味関心をかき立てていった。 とはいえ、政府と宮内省の下にマスメディアは統制されており、現在の私たちとは異なる形で皇室を見ていたはずである。つまり、どこか触れてはいけない権威として、天皇や皇族を捉えていたのではないか。だからこそ、戦時中には「国体」が強固に人々を拘束していったのである。 しかし敗戦によって、その関係性は変化する。敗戦は、昭和天皇の戦争責任が追及され、天皇制廃止へと向かう可能性も想定される未曾有(みぞう)の危機であった。それを回避するため、宮内省はメディアを通じて世間に天皇への同情心を集め、責任追及の動きを和らげようとする。 昭和21(1946)年1月1日に発布されたいわゆる「人間宣言」は、メディアが新たな天皇像をアピールする機会となった。政府と宮内省はメディアを味方にしつつ、敗戦後の天皇制の危機を脱し、象徴天皇制へと着地させようとしていたのである。 新聞を中心とするメディアは、平和的で家庭的な昭和天皇像を数多く描くことで、人々にそのイメージを定着させた。メディアは政府・宮内庁の期待に応えたともいえる。一方で、象徴天皇のあり方をメディアが規定していったとも考えられる。この時期、両者は最も「蜜月関係」だったといえるかもしれない。1946(昭和21)年2月、戦後の全国巡幸が始まり、戦災者が住む横浜市の稲荷台共同宿舎を訪れた昭和天皇=横浜市西区 その後、昭和33(1958)年11月からの「ミッチーブーム」によって、その関係は変化する。1950年代前半より、メディアは皇太子明仁親王の「お妃候補」を多数登場させ、人々の興味関心を集める記事を掲載していく。この時期、戦後経済は復興を遂げ、『週刊新潮』や『週刊文春』などの週刊誌、『週刊女性』や『女性自身』といった女性向け週刊誌などが創刊され始めていた。 そうした新興週刊誌は、『週刊朝日』や『サンデー毎日』などの老舗週刊誌から読者を奪うため、より人々の興味を引きつけるような記事を生み出していく。毎週のように新しい皇太子妃候補の名前が登場し、その人となりが紹介されるような「スクープ合戦」が展開されたのである。そこでは、プライバシーという概念は希薄だった。各雑誌が新しい皇太子妃候補を書き、そしてそうした記事の中で彼女たちは消費されていくことになる。象徴天皇制の内実を築いたテレビ この時、新聞は当初は同様に(とはいえ、雑誌ほど過激ではない)皇太子妃候補を報道していたものの、宮内庁からの求めに応じて協定を締結、正式発表までの報道を自粛する。そして、正田美智子さんに決まったことを最初に伝えたのは、協定の枠外にいた『週刊大衆』『週刊明星』などの新興雑誌であった。 宮内庁の正式発表を待って報道を開始するものの、公的機関からの求めに応じて報道しない新聞の姿勢は、戦時中のメディアを想起させ、人々からの不信を得てしまう。それゆえ、その後の皇室報道の中心は新聞から他のメディアへと移っていく。 では雑誌ばかりになったのかと言うと、そうでもない。ミッチーブームはテレビという新しいメディアが家庭に浸透したことで生み出された現象であったからだ。人々はその後、テレビの中で動く皇太子一家を見ることで、あこがれの存在としての彼らを受容していく。 この時の天皇制とマスメディアの関係は、戦前とも、敗戦直後とも全く異なっていた。宮内庁はメディアの動向をコントロールできず、むしろメディアの方がブームを形作り、象徴天皇制の内実を形成していったのである。 こうしてメディアは、人々の興味関心に基づき、皇室記事を量産していく。そこには、権威的な天皇像を伝えようとする意図も、人間的な天皇像から民主化を伝えようとする意図もなかった。まさに消費する対象として、天皇制を報じていたのである。 平成に入って、メディアは「開かれた皇室」として新しい動向を歓迎するような記事を掲載していった。それは、人々に身近になったと感じさせた象徴天皇制へのメディア側からの「支持表明」とも言えるだろうか。1958(昭和33)年11月27日、皇太子妃になることが正式に決まり、宮内庁で両親とともに記者会見する正田美智子さん 皇太子徳仁親王の「お妃候補」報道も、雑誌を中心としたメディアで大きく展開された。父親の時と同じように、各誌がさまざまなお妃候補を紹介していくあり方である。この時はワイドショーを中心に、テレビでもそうした報道が繰り返された。 小和田雅子さんに決まったとき、男女雇用機会均等法施行後の女性の社会進出を象徴する存在として、彼女に対する期待感にあふれた報道が相次いだ。平成の「新しい皇室」として歓迎する雰囲気が生まれていたのである。ミッチーブームの時ほどでないにせよ、人々の関心は高まったといえる。 もちろん、期待一辺倒だけではなく、『週刊文春』をはじめとする週刊誌を中心に「美智子皇后バッシング」なども展開され、「開かれた皇室」への批判とともに、やはり象徴天皇制を消費的に扱う記事も多かった。 とはいえ、これは昭和天皇時代の天皇制を懐古する勢力から行われた攻撃でもあった。その意味では権威的ともいえる。この報道は、美智子皇后が倒れ失語症になったことをきっかけに大勢が変化し、基本的には平成のあり方を支持する動向が強くなった。「生前退位」報道にものぞかせる権威性 近年、頻発する自然災害の被災者に対して、80歳を超えた天皇、皇后が体育館の床に膝をついて同じ目線で話を聞く姿をメディアは積極的に報じている。そうした二人の人格的な振る舞いを評価するエピソードが、近年のメディアには多数あふれた。 戦争の記憶に触れ、戦没者を慰霊する天皇、皇后の行為も、やはりどこかに道徳的なあり方としてメディアでは紹介されることが多くなった。こうした姿を、テレビや新聞は積極的に伝えている。このような姿勢は、天皇や皇室を、人間的とも消費的とも扱う動向とはまた異なっているように思われる。 どこかにその権威性を見出し、それに現在の日本社会が失いつつある何かを取り戻すためのシンボルとして描いているようにもみえる。けれども、平成の最初に昭和天皇の時代を懐かしんでいた権威とはやや異なるレベルの権威でもありそうである。 しかしながら、週刊誌などの雑誌は少し異なるスタンスのようにも感じる。雅子皇太子妃の病気の問題などを大々的に報じるのは、新聞やテレビではなく、やはり週刊誌である。そこにはどこか、消費的に天皇・皇族を扱う姿勢が見え隠れする。 2016年の「生前退位」報道はNHKというテレビ発の出来事であった。そして、その報道によって方向性が規定され、一挙に退位へと結実することとなった。ただ「象徴天皇制とは何か」といった議論がなされないままに、天皇の「おことば」から、退位以外の選択肢は考えられない雰囲気になってしまった。 その意味では、どこか権威性を天皇から見る動向から始まったものであったかもしれない。本来、こうした象徴天皇制を左右する報道が、一社のスクープから始まったことにはやや疑問を感じる。より広い議論を呼び起こすような展開があり得たようにも思われる。 一方、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんとの婚約をめぐる報道は、週刊誌をはじめとする雑誌がリードし続けていた。「美智子皇后バッシング」や雅子皇太子妃の病気について報道するときと同じような形のようにも見える。その意味では消費的な動向とも言えるだろう。2018年2月、報道陣に一礼し、職場を出る小室圭さん=東京都中央区 しかし、小室さんやその家族に対する、ややバッシングにも見える報道の根底には、「皇族の女性はそれなりの家柄の男性と結婚しなければならない」との考え方も見え隠れする。その意味では権威的とも言えるかもしれないが、天皇や皇后をそう見るレベルとは異なっているように思う。むしろ、非常に復古的な流れではないか。 この両者の関係性は今後どうなっていくのだろうか。そして、インターネットという新しいメディアの登場も、まったく別の方向が生まれる可能性を有している。今後の皇室報道のあり方に注目していく必要があるだろう。

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    眞子さま「早まった婚約」の裏にある皇族女子のアイドル化

    された。 一方、皇族男子の相手は、皇族のほか有力豪族の娘などの場合もあった。近代になっても、明治の旧皇室典範第39条には「皇族ノ婚嫁ハ同族又ハ勅旨ニ由リ特ニ認許セラレタル華族ニ限ル」とあり、皇族男子の結婚相手は皇族か特定の華族(旧公家や旧武家の上流階層)に限定されていた。こうした伝統と法令により、明治天皇と大正天皇はそれぞれ旧公家の一条、九条、昭和天皇は皇族の久邇宮(くにのみや)の女子を皇后とした。 また、明治天皇の成人した4人の内親王の嫁ぎ先も、みな皇族であった。大正天皇に女子はなく、昭和天皇には4人の成人女子がいた。 昭和天皇の長女の成子内親王は、戦前に結婚し、皇族の東久邇宮に嫁いだ。次女以下は戦後の結婚となり、新憲法や新皇室典範のもと、皇族ではないが、それぞれ旧華族につながる鷹司家、池田家、島津家に嫁いだ。中でも四女の貴子内親王は昭和35(1960)年に結婚する若い戦後世代であり、結婚直前の誕生日会見で語った「私の選んだ人」は流行語になった。 当時はまだ見合い結婚が一般的であり、自由恋愛はどちらかといえば「ふしだら」とみられがちなころで、皇族女子が新時代の結婚のあり方をリードした形となった。貴子さんは戦後の自由な社会を体現した皇族女子の代表的存在であったが、誘拐されて身代金を要求された事件もあり、皇族が一般社会に溶け込む難しさの一面もみせた。 昭和天皇の長男である今上天皇の結婚も大きな話題となった。将来の皇后たるべき女子は皇族あるいは旧華族上流の出身であるべきことという慣行とは異なり、新興財閥の令嬢を皇太子妃としたからである。このため旧上層階層の一部では反発する動きもあったが、民間からは歓迎された。この結婚も、大衆化する日本社会を一歩リードする形となった。1963年10月、共同募金で街頭に立つ(左から)島津貴子さん、秩父宮妃殿下=東京・渋谷の東急文化会館前 その後、今上天皇の次男の文仁親王が大学教授の長女である川嶋紀子さんと、長男の徳仁親王が外交官の長女である小和田雅子さんと結婚するなど、天皇家の男子の婚姻相手はいわゆる旧上層階層の家柄に限定されなくなった。今上天皇の長女である紀宮清子内親王も地方公務員の妻となるなど、天皇の女子が民間に嫁ぐ道も開かれた。 現在、未婚の内親王は皇太子家の愛子内親王、秋篠宮家の眞子内親王、佳子内親王の3人、女王は三笠宮家の彬子女王、瑶子女王、高円宮家の承子女王、絢子女王の4人の計7人である。今回の眞子内親王の結婚延期は、これらの皇族女子の今後の結婚のあり方にいくつか課題を投げかけたともいえる。皇族女子「アイドル化」の危うさ まず、結婚は両性の合意によって成り立つものであるが、それぞれの属する両家の関係も重要な要素であることだ。これは皇室のみならず、民間でも同様であり、結婚直前になって両家の行き違いなどでトラブルが起きるケースは少なくない。 次に、皇族の身分を離れる際に支出される一時金は国庫金であり、その使用には一定の国民の理解が必要になることである。今回の延期の理由の一つと推測される週刊誌報道の「400万円」の借財は、一般の資産家の令嬢であれば、その親元などから支出することも可能である。しかし、皇室の場合は、収入の基礎を国庫金としているため、結婚相手の借財返済に充てることに対する国民の理解は難しい。 結婚相手の金銭トラブルは、皇室側にとって大きな障害となる。結婚した後に、婚家が金銭トラブルに巻き込まれるケースもありうるわけだが、その場合も皇室から婚家に救済の手をさしのべることは容易ではなかろう。 加えて、結婚前の事前調査の可否が挙げられる。戦前には、警察などを介して相手の家系などを詳細に調査することもあった。民間では今でも結婚前に相手の家庭調査をすることがあるが、皇室は公然とは行えないだろう。 戦後の新皇室典範第10条には、「立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経る」とあり、皇族男子の結婚には一定の審議がある。しかし、皇族女子は第12条に「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とあるのみで、婚姻相手に関する合法的な審査機関はない。相手側の事前調査を誰がどのように行えるかは、大きな課題である。 さらに、現典範第12条にある「天皇及び皇族」と結婚できる皇族女子が現在いるのかといえばいない。皆近親であり、独身の皇族男子は悠仁親王ひとりなのだ。現典範のままでは、皇族女子は婚姻ですべて皇族の身分を離れることになる。 しかし、女系容認や女性宮家創設の議論は決着がつかず、この十数年の間、内親王や女王たちは、自身の将来の生き方を自ら決めがたく、政治の流れに翻弄(ほんろう)されている状態にある。眞子内親王の「早まった婚約説」も聞かれるが、そうした心理的焦りを誘発した一因には、内親王や女王が置かれた不安定な法的立場もあったろう。2016年9月、鳥取空港に到着された秋篠宮の次女・佳子さま(恵守乾撮影) 最後に挙げておきたいのが、皇族女子の「アイドル化」である。適齢期の女子が雑誌などで話題になるのは、戦前にもあった。しかし、情報化が進む現代にあっては、かなりプライベートな事項まで尾ひれ付きで伝達されてしまう。 アイドル化して皇室と民間との交流が親密になるのは、プラス面もあろうが、マイナス面も生じよう。過剰に脚光を浴びる存在に複雑な感情を持ち、あらぬ攻撃を加える者も現れよう。アイドル化自体を抑えるのは難しいとしても、アイドルにされる側の脇を固めないと、スキャンダルのターゲットになりやすいというのも、今回の教訓ではないだろうか。