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    【太田房江特別寄稿】大相撲「女人禁制」 私の解決策

    太田房江(参院議員) 京都府舞鶴市で4月4日に行われた大相撲春巡業の際に起きた、土俵の「女人禁制」問題は今も尾を引き、日々ワイドショーで取り上げられている。これは、私が大阪府知事に就任した2000年から8年間、「大阪場所での府知事賞は自分の手で優勝力士に渡したい」と発言したことが発端になっている。また現在、私が自民党女性局長を務めている立場から、この問題について改めて再考したい。 今回の問題は、舞鶴市の多々見良三市長が土俵上で倒れ、観客と思われる女性数人が心臓マッサージなどを施し、必死の救命措置が行われている最中に起きた。その際、繰り返し流れた「女性の方は土俵から降りて下さい」という場内放送が不適切であったことは、直後に日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)が謝罪した通りであり、この相撲協会の対応は的確だったと評価している。「人命」と「伝統」とでは、「人命」が重いことに疑う余地はない。 私は、この件に関するマスコミの取材には「勇気を持って土俵に上がり、『降りて下さい』のアナウンスが何度も流れる中で、必死に人命救助に当たられた女性を、同じ女性として誇りに思い、拍手を送る」と答えた。これは正直な感想である。 ただ、表彰などで女性が土俵に上がって良いかどうかは、こうした緊急時の対応とは別に熟考すべき問題である。大阪府知事として8年間、8回にわたって、相撲協会に「今回はいかがでしょうか」と問いかけを行ったのも、「日本の伝統」と「女性活躍」という社会の変化について、多くの方に考えていただく契機にしてもらいたいと思ったからであり、どうしても土俵に上がりたかったという訳ではない。 横綱審議委員も務め、東北大学大学院で大相撲の研究をした脚本家の内館牧子氏によれば、「土俵は聖域」であり、そこが「女人禁制」であることを理解する知性と品性が必要、と述べている。もともとは、中国において仏教徒の修行の場を囲み、修行僧の心を乱す障害物が入らないように「区切った」ことが始まり、とも説明していた。女人禁制の寺院が、日本で今も残っているのは、その流れだろうか。大阪場所で優勝した貴闘力関に楯を贈呈する太田房江・大阪府知事(当時)= 2001年2月28日  この他にも、昔は炭鉱で石炭を掘るための坑道や、石油を採取する海上のリグ(掘削装置)などにも女性は立ち入りできなかった。私は旧通産省(経済産業省)の出身だが、1986年、初の女性局長として札幌通商産業局長となった先輩の坂本春生(はるみ)氏が、その伝統を変えて仕事のために坑道に入った時には、心の中で拍手を送ったものだ。 このように、「男性が命を懸けて戦う」、あるいは「男性が集中力を絶やしてはいけない区域」には、女性が入ることができない歴史は、様々な分野に存在してきた。これらを前提に、女性が表彰のために土俵に上がることを、女性総理が近い将来誕生するかもしれない現代にどう考えるべきか。伝統と女性を両立させる方策があった 内館牧子氏は、ある取材(2007年2月)にこう答えている。「どうしても女人禁制を止めるなら、力士、親方、行司、呼び出し以外の人間は、男女とも神送りの儀式を済ませた後の土俵に上げることです。千秋楽の式次第を変え、神送りの後に表彰式セレモニーとする案です。でも、私はそこまでする必要はないと思っています」 私が大阪府知事時代、部下の女性が、解決の道がないか調べてくれたことがあるが、同じような答えだったと記憶している。千秋楽の弓取り式が、内館氏の言う「神送り」に当たると彼女は言っていた。従って、弓取り式の後は女性が土俵に上がっても問題はない。神は天上にお上がりになって、土俵には宿っておられないから、というものだったと思う。京都府舞鶴市の大相撲春巡業で、倒れた多々見良三市長を救おうと土俵で救命処置を行う女性 (ユーチューブより)  あの時は、それを相撲協会に提案する勇気はなかったが、あれから10年たって、女性総理も現実味がある時代を迎え、改めて「伝統」と「女性」を両立させる方策はこれしかないのか、と思い始めた。「緊急時」と「知事や市長など国民が選んだ女性が、力士の表彰を行う場合」には、神送りの後に一定の間「女人禁制」を解く、というものである。 舞鶴市での様々な状況を見ると、「女人禁制」は相撲界に永く、深く浸み入った伝統であり、そう簡単に変えられる問題ではないということはよく分かっている。 ただ、今、多くの課題に取り組もうとしている相撲協会は、常に国民の目線を忘れず、一つ一つの問題に説明責任を果たしていく必要がある。もちろん、それが「こういう理由で出来ません」というものであっても良い。国民に向かって説明する、明らかにすることが大事だ。 大相撲は、①神事であり、②スポーツであり、③伝統文化であり、④興行であり、⑤国技であり、⑥公益財団法人である。この6つを認識しバランスを取りながら、一つ一つ丁寧に説明していく。その姿勢が大相撲に対する国民からの信頼を取り戻すことにつながるのではないだろうか。一相撲ファンとしても、そう願いつつ、「勇気を出して」提案する次第である。

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    相撲協会の「パワハラ」に耐え抜く貴乃花親方の男気

    小林信也(作家、スポーツライター) 元日馬富士による傷害事件以降、日本相撲協会との対立が続いていた貴乃花親方の「独り相撲」が終わった。弟子の十両、貴公俊が付け人を暴行した問題が発覚したことで、これまでの姿勢を一変させ、日本相撲協会の処分後には「弟子の育成と大相撲の発展のためにゼロからスタートしてまいります」という談話まで発表した。 その真摯(しんし)な反省ぶりは当然とも言えるが、なかなかできることではない。とはいえ、貴乃花親方にとって愛弟子の暴行問題はまさに青天の霹靂(へきれき)であり、最もあってはならない出来事だった。この件については言い訳をせず、逃げ道も探さなかった。報道陣に向かって真っすぐ謝り、責任をすべて自分に向けた姿勢を世間はどう受け止めただろうか。 貴公俊の暴行が発覚するまで、貴乃花親方と相撲協会の確執は一層深まり、春場所中には無断欠勤や奇行ぶりなど勤務態度がたびたび問題視され、協会だけでなくメディアからも厳しく非難された。頑(かたく)なに対決姿勢を貫いていたことを思えば、貴乃花親方の「軟化」は驚くべき変化である。 貴公俊に最悪の処分が下ることを案じた親方なりの精一杯の思いとも理解できるが、これまで日本相撲協会に「角界改革」を突きつけて戦ってきただけに、心中を察するには余りある。 ところが、これまでの報道をみる限り、メディアは貴乃花親方へのバッシングをどんどん強め、まるで「鬼の首を取った」かのような論調を展開した。貴乃花親方の謝罪で図に乗る親方衆、相撲評論家らの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)ぶりは見るに堪えない。3月28日付スポーツ報知は、次のように報じている。 日本相撲協会の役員以外の親方で構成される年寄会が28日に臨時年寄総会を開き、その後、貴乃花親方(45)=元横綱=へ「降格」以上の厳罰を求める意見書を執行部に提出する動きがあることが27日、分かった。年寄会は、春場所中に無断欠勤を重ね、8日目(18日)に弟子の十両・貴公俊(たかよしとし、20)の暴行が発覚するなどした同親方を問題視。臨時総会では降格のほか、「解雇」に相当する「契約解除」など厳しい処分を求める声が上がる見込み。 一読して、疑問符ばかりが浮かぶ。あれだけ頑なだった態度を一変させ、誠心誠意謝罪に努める貴乃花親方に対して、ここまで言うのか。メディアも、どんな意図と根拠を持って、このような報道で煽(あお)るのか。2018年3月、京都市内のホテルで行われた貴乃花部屋の千秋楽パーティーに出席し、報道陣の質問に耳を傾ける貴乃花親方 このように人の心の機微が理解できない、人間関係の思いやりを持たない「イジメっ子」たちが、今の角界には溢(あふ)れている。このことが相撲界を揺るがす深刻な問題の温床だと、いみじくも露呈している。貴乃花親方への「パワハラ」? 貴公俊の暴行問題が起こる直前、日本相撲協会と貴乃花の関係は冷え切った状態だった。例えば、3月14日付スポーツ報知は次のように伝えている。 春場所の欠勤を初日から続けている大相撲の貴乃花親方(45)=元横綱=に、出勤要請を出したことを14日、日本相撲協会の春日野広報部長(元関脇・栃乃和歌)が明かした。 協会によると、2日目の12日に貴乃花親方から連絡が入り、元横綱・日馬富士関の暴行事件で被害者となった弟子の貴ノ岩に関して、医師と連絡を取る必要があり、役員待遇委員として役員室に常時滞在することは極めて難しい旨が伝えられたという。だがその主張を「出勤しない理由にはならない」と協会側は同親方に連絡。3日目の13日夜に再度、協会への返答があったが「体育館(エディオンアリーナ大阪)で柔軟に対応する」という趣旨で、役員室へ常駐する意思は示されていなかったという。 これを受けて協会側は欠勤を認められないと判断。「今後出勤するように理事長名で指示します」(春日野部長)とした。また貴乃花親方とは12日の段階から電話がつながらず、FAXでの文書のやり取りで連絡をとっているという。同親方は1月に初の理事解任処分となった際に、協会からの電話に出ることも求められていた。 貴乃花親方が春場所直前、内閣府に「告発状」を提出したことも、協会が態度を硬化させた背景にある。3月18日付デイリースポーツによれば、 職務放棄が問題となっている貴乃花親方(45)=元横綱=が17日、役員室に3日連続で入り、最短25秒で退室し、会場を後にした。15日は数分、16日は1分未満の役員室滞在だったが“記録”を更新。3日連続の“超速早退”に協会側はついに最後通告となる文書を突き付けた。 女子レスリングのパワハラ騒動に関して、筆者は「両者を公平に扱ってはいけない」と指摘した。「パワハラを受けた」と感じている側の言い分をまず存分に聞くべきであって、パワハラをしていると告発された側は一方的に否定したり、被害者の気持ちを踏みにじる言動、行動があってはならない。ところが、貴乃花親方の場合、親方の訴えは全く受け入れられることなく、全否定され、むしろ断罪され続けていたのである。2018年3月、日本相撲協会の危機管理委による事情聴取を終え、会場のホテルを出る貴公俊関(左)。右は貴乃花親方 貴乃花親方をめぐる一連の騒動を「日本相撲協会」対「貴乃花」の正義をかけた戦い、次の理事長選も見据えた「勢力争い」のように見る向きが多かった。それだけ貴乃花親方は孤高の存在感であり、横綱としての実績も大きかった。世間もメディアも、いや筆者自身も勘違いしていたが、実は一連の騒動が「日本相撲協会による貴乃花へのパワハラだったのではないか?」と今は思っている。 「貴乃花親方は立場ある人間だからパワハラとは言えない」「協会の人間として大相撲の発展に努めるのは当然」という声も聞こえてきそうだが、貴公俊の暴行問題が起きるまでの貴乃花親方の表情や心理状態を察すると、まさに孤立無権であり、組織の権力によってどんどん追い込まれ、自らの主張を一切封じられた状況ではなかったか。そして、ついには理事という立場まで奪われたのである。まさに日本相撲協会による「パワハラの構図」だったと言えないだろうか。正論を権力に踏みつぶされる現実 日本相撲協会という強大な組織を相手に、貴乃花親方と言えども、たった一人で戦えるはずがない。権力側が自らの権力を行使すれば、一人の情熱や正論など蹴散らされ、踏みつぶされる現実をこの数カ月で私たちは見せつけられてきた。2018年3月、大相撲春場所を直前に控え、朝稽古に励む十両貴ノ岩 何より貴乃花親方は、大切な弟子を酒席とはいえ現役の横綱に凶器を持って殴打され、重傷を負わされた被害者である。その被害者がいつしか「極悪人」のように扱われ、理事を解任された。それだけを切り取っても単純におかしい。貴乃花親方は事件を知ってすぐ警察に届けたが、協会に対しては協力しなかった。その初動対応を協会側は根に持ち、貴乃花親方への反発を強め、相撲評論家たちまでも一丸となって「親方のやり方はまずかった」と口をそろえたのである。しかし、現に相撲協会は、日馬富士の暴行を知りながら公表せず、日馬富士を土俵に上げて九州場所を開催した。その責任はなぜかうやむやになり、協会批判を繰り返した貴乃花親方だけが重い処分を科せられたのである。 本来は第三者的な組織で、理事会側と貴乃花親方の双方から話を聞いて判断すべきだったが、裁定したのは理事会の上位組織である評議員会だった。協会の意向に沿って処分を承認したことは想像に難くない。これもおかしな話である。「パワハラ」という認識があろうとなかろうと、評議員会は本来、理事会側の言い分だけを鵜呑(うの)みにするのではなく、貴乃花親方の訴えや気持ちを存分に聞くべき立場である。それもしていない。貴乃花親方は、苦しみを訴えれば訴えるほど、否定され、非難されたのである。 パワハラの観点から見れば、相撲協会と貴乃花は「パワハラをする側とされる側の関係」が成り立っている。規則を盾にすれば権力側はいくらでも要求し、支配し、冷遇し、心身ともに追い込むことができる。前述した新聞記事を改めて読み直せば分かると思うが、パワハラにもがき苦しむ貴乃花親方の哀切を思いやる気持ちなど、そこには一切うかがえない。メディアの多くも、日本相撲協会の片棒を担ぎ、パワハラに加担したのである。 自業自得とばかりに、相撲協会は上から目線の通告を繰り返した。パワハラの空気が充満する役員室に足を踏み入れることが、貴乃花親方にとっては苦痛そのものだったに違いない。それなのに、そうした心情や、権力者側によって作られたハラスメントの状態が容認される。こうした認識の鈍さ、配慮のなさが、日本社会に根強くはびこるパワハラの温床だと、私たちは気づき、学ぶべきではないのだろうか。 むろん、貴乃花親方自身は「パワハラ」という言葉を一切使っていない。それは自分の尊厳でもあり、相撲協会への思いの表れかもしれない。だが、貴乃花親方が終始訴えていたのは、権力側の不当な「パワハラ」に通じる。問題は終わっていない 貴乃花親方は貴公俊の暴力問題が発覚して、素直に謝罪し、これまでの姿勢を改めた。ある相撲リポーターは「やっとツキモノが取れた」と表現した。相撲界の改革を求め、確信を持って問いかけ続けてきた貴乃花親方に対して、あまりに失礼な言葉である。貴乃花親方の訴え方に一考の余地はあっても、一貫して主張した内容は理に適っている。むしろ、日本相撲協会が猛省し、改めるべきことが山ほどある。だが、協会は数の力でこれを退け、自分たちこそ正論、正道との態度を変えていない。そんな愚かな現実が放置され、何か発展はあるのだろうか。 「一兵卒としてやり直す」とまで語り、先の記者会見でも「頑(かたく)なな姿勢を取ってしまった」と貴乃花親方は反省の言葉を繰り返した。貴乃花が態度を改めたことで、一連の騒動は結末を迎えた格好だが、相撲協会は「完全勝利」をアピールする一方、貴乃花の「独り相撲だった」というシナリオで幕を閉じるつもりだろう。 だが、この問題は決して終わってなどいない。貴乃花親方一人の問題ではなく、間違いなく協会全体の問題である。貴乃花という「仮想敵」がいなくなった今こそ、相撲協会の根本的な体質が問われるべき段階に入ったと言える。2018年3月26日、日本相撲協会の理事長に3選され、記者会見する八角理事長 幸い、3月28日の年寄会では、「貴乃花親方の契約解除を求める決議」までは出なかった。安堵(あんど)するというより、そんな理に合わない怒りをあらわにする次元が悲しすぎる。「大相撲を発展させたい」「角界を変えたい」と声を上げた人間を、たとえ「意見が合わない」「その改革が実施されると自分の権益が失われる」といった不利益があったにせよ、寄ってたかって攻撃する構図は、旧態依然とした相撲協会の「縄張り意識」が根底にあったと言えよう。 一連の騒動を振り返って、貴乃花親方の信念が封殺される状況を歓迎してはならない、とつくづく思う。貴乃花自身の「完敗宣言」に乗じて、まるで「自分たちが正しかった」と図に乗るような輩がのさばる世の中に未来などない。

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    貴乃花親方は悪くない

    貴乃花親方の孤独な戦いが終わった。愛弟子の暴行問題や勤務態度がたびたび問題視され、日本相撲協会は貴乃花親方を委員から年寄へ2階級降格とする処分を決めた。会社員で言えば平社員への格下げである。角界改革を掲げ、協会と対峙し続けた「貴の乱」はなぜ失敗したのか。

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    「闘う親方」貴乃花も屈した相撲協会の恐るべき暴力体質

    橋本強司(著述家、開発コンサルタント) 日本相撲協会の暴力問題が後を絶たず、隠蔽体質も改まる気配はない。協会の「暴力体質」といえば、問題が生じるたびに世間の批判を受けて反省し、その都度対策をとるにもかかわらず、暴行が繰り返されている。暴力の根絶を含む協会改革を訴えてきた貴乃花親方ですら、自らの部屋の暴力を防げなかったことに象徴されている。 では、内閣府に告発状を出してまで、相撲協会幹部と対決する姿勢を見せていた貴乃花親方が、十両貴公俊(たかよしとし)の「暴力事件」をきっかけになぜ「豹変(ひょうへん)」したのか。この点から相撲協会の暴力体質を論じなければ、協会の抜本的改革にはつながらないと私は考える。ただ、そのような議論が公には出ないというのも、恐らく日本社会の根底にある一種の「暴力体質」と言えるかもしれない。 貴乃花親方が豹変したのは、何より貴公俊に対して寛容な処置を願うからに他ならない。だが、貴公俊は今日の理事会において1場所出場停止処分を受け、貴乃花親方も「委員」から「年寄」へ2階級降格した。「暴力はいけない」という一緒くたにされた議論によって、貴公俊は一時、引退勧告を受けかねない状況に追い込まれたのである。実際、今回の貴公俊の暴行事件について、場所中の支度部屋での暴行だからと、前例のない重大事として論じる向きがあった。また、大手メディアも、今回の暴行をこれまでの問題と同列にして、批判的に論じるだけである。2018年1月、十両昇進が決まり会見する貴公俊(左)と同席した貴乃花親方(桐山弘太撮影) だが、相撲部屋は、親方とおかみさんを「親代わり」とする「家族」である。語弊を恐れずにあえて言うなら、貴公俊の暴力は「兄弟げんか」なのである。もちろん貴公俊には非があり、それは貴乃花親方が誰よりもよく認識している。だが「兄弟げんか」である以上、本来は親方とおかみさんが指導すれば済むことである。 だからこそ、「子供」である力士を救うために、親がその地位も主張も、もちろん改革の意思も投げ出すのは当然ではないだろうか。「家族」内での「兄弟げんか」をきっかけとして貴乃花親方と貴公俊が置かれている状況は、それほど危機的なのである。 そのような危機的状況を作り出した体質こそ、私が相撲協会の「暴力体質」と呼ぶものである。先の理事候補選挙で、相撲協会はいざというときの見事な内部統制を披露した。そのほか、相撲記者クラブを通じて情報を流して大手メディアを操作したり、興行上の配慮を優先し、外部批判を受け流して内部告発を押さえ込もうとする姿勢を見ても、相撲協会が恐るべき組織であることがわかる。幹部がその気になったら、一力士に引導を渡すことぐらいなんでもないだろう。このような「親方日の丸」の大組織の暴力体質を、貴乃花親方が恐れるのは当然のことである。「事なかれ」理事たちに改革は出来ない そのような相手だから、横綱日馬富士による暴行事件の対応で、貴乃花親方は多くの人に違和感を抱かせる言動をせざるを得なかったのだと思う。だが、そのことに気付く人がいない現状を、私は理解できない。多くの人が大手メディアの論調に支配されているということであるならば、これは少数意見を無意識のうちに封じ込める日本社会にある一種の「暴力体質」というべきだろう。2018年3月、京都府宇治市の貴乃花部屋宿舎で取材に応じる貴乃花親方 個人攻撃するのは本意ではないが、再任された八角理事長は、器量の乏しい人物が能力を超える地位に就くと強権的になる、という典型例に思える。報道されている限りでは、最近の重要事項を決める理事会で自ら発案し、理事にほとんど議論をさせず満場一致で議決をしている様子が見て取れる。 他の理事をはじめとする親方たちは、「安倍一強」すら思い起こさせる専制的体制に対して、議論を提起する意思すらないようである。理由は二つある。一つは、自分の部屋の発展が何よりの関心事で、相撲協会をより良くしようとの意思がないことである。もう一つは余計なことを言って協会幹部の不興を買い、自分の立場を損ないたくないという保身だろう。 だから、理事長が「土俵の充実」や「暴力の根絶」の掛け声を上げても、親方衆が当事者意識を持って取り組まなくては、実現はおぼつかない。「土俵の充実」のためには、厳しい稽古が不可欠だが、それは単に肉体を鍛えることにとどまらない。力士としての自覚を持たせる精神面の鍛錬が伴わなくてはいけないからである。 さらに関取にまでなった者に対しては、「特権階級」としての誇りと社会的責任を植え付けなくてはならない。相撲協会をより良くしようとの意思がなく、自らの保身のために「長いものに巻かれる」しかない親方に、このような指導が期待できるだろうか。 「暴力の根絶」は、小さな暴力すら見逃さない監視体制によって、表向きは実現するかもしれない。しかし、そのような密告を奨励する体制が、親方に稽古場での厳しい指導を躊躇(ちゅうちょ)させるようなことがあっては、元も子もないだろう。いじけた親方によって、特権階級としての誇りと社会的責任を自覚した関取が生み出されるわけがない。 権威主義によって議論を封じ込めるのは、一種の「暴力」である。そもそも押さえ込むことで暴力行為を根絶することなどできないからだ。かえって暴発の圧力を高めてしまうだろう。それ以上に、改革の力がそがれてしまう。だからこそ、貴乃花親方が主張するように、日本相撲協会を風通しの良い世界にすることが重要だ。 誰もが新しいことを提案し、圧力を感じることなく自由に議論する世界を実現しなければならない。これこそ、貴乃花親方が大相撲の頂点にいる横綱の本質を「包容力」と表現した相撲協会を実現するための、抜本的改革の第一歩であると私は思う。

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    貴乃花親方は本当に「角界の改革者」と言えるのか

    う「組織の論理」に生きる人々であったわけだ。 これまで、ワイドショーをはじめとするマスメディアは、「相撲協会=悪、貴乃花親方=正義」という構図で、ずっと、この問題を報道し続けてきた。こういう対立構造がいちばん単純に物事を伝えやすいし、また、視聴者、読者を惹きつけるからだ。 しかし、その結果、「貴乃花親方=正義」側にある数々の問題点はスルーされた。そのため、正義感の強い坂上忍氏のような司会者から落語家の立川志らく氏など数多くのコメンテーターが誘導され、みな“貴乃花擁護論”を展開してきた。報道陣の取材に応じた貴乃花親方=2018年3月28日、エディオンアリーナ大阪(撮影・岡田茂) もちろん私は、このことを冷ややかに見てきた。なぜそう見てきたのか? ここではその理由を整理して書き留めておきたい。 「スポニチ」が春日野部屋での4年前の暴行事件をスクープし、フジの「とくダネ!」が被害者の矢作嵐さんのインタビューを放映した。しかし、貴乃花部屋でも同じような暴行事件があったことは報じなかった。 貴乃花部屋の引退力士・貴斗志が貴乃花親方に無理やり引退届を出されたとして、2015年3月、相撲協会を相手取り「地位確認等請求」「報酬の支払い」などを求めて東京地裁に提訴。この裁判の過程で、貴斗志は、なんと今回の日馬富士暴行事件の被害者・貴ノ岩から暴行を受けたと主張。さらに2人の元貴乃花部屋の元力士が証言台に立ち、貴ノ岩や同じく貴乃花部屋の現世話人である嵐望などから暴行を受けたと証言している。貴乃花も暴力事件を起こしていた? さらに、資料を当たればすぐにわかることだが、2012年に「週刊新潮」(5月3・10日号)は、貴乃花親方からくり返し暴行を受けたという18歳の元弟子の告発を掲載している。このときは、当時、協会の危機管理委員会副委員長を務めていた八角親方が「貴乃花親方に事情を聴いたが、暴行の事実は否定していた。いまの状況で協会が介入することはない」として幕引きをしている。 不思議なことに、この問題をテレビはほとんど報道しなかった。昨年12月28日、相撲協会は臨時理事会で、元顧問の小林慶彦氏に1億6500万円の損害賠償請求の訴訟を行ったと発表した。この訴訟は、小林氏が相撲協会から金銭をだまし取ったことを告発し、その損害賠償を求めたもの。 小林氏は、2012年に力士をキャラクターにしたパチンコ台制作を業者と契約交渉中、代理店関係者から500万円の裏金を受け取っていたことが2014年に発覚し、「裏金顧問」と呼ばれるようになった。そしてその後も金銭トラブルが跡をたたず、2016年1月に八角理事長によって協会を追放された。しかし、小林氏はこれを不当として、地位保全の裁判を起こし、いまも協会と係争中である。 この小林氏は、故・北の湖理事長が連れてきたコンサルで、貴乃花親方と親しくなり、貴乃花一門のパーティーには積極的に参加していた。そんななか、八角理事長がまだ理事長代行だった2015年、小林氏がある会社の債券70億円分を協会に買わせようとしたとき、貴乃花親方は“援護射撃”を行った。さらに、小林氏が追放されたとき、貴乃花親方は協会執行部に「なぜだ」と詰め寄った。大相撲協会との裁判を終えて東京地裁から出てきた小林慶彦元顧問=2018年2月27日東京地裁(撮影・今野顕) “炎の行者”として有名な池口恵観氏に、自身の決意を吐露するメールを送っていたことが、「週刊朝日」によって明らかになった。 このメールで、貴乃花親方は、自分を「大相撲の起源を取り戻すべくの現世への生まれ変わり」(原文ママ、以下同じ)とし、それが「私の天命」と言っている。また、相撲道を「角道の精華」と言い、相撲協会は「陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体」としている。そして、相撲教習所に掲げられている「角道の精華」の訓話を、「陛下からの賜りしの訓」とし、「陛下の御守護をいたすこと力士そこに天命あり」などとも言っている。貴乃花が肩入れする「新興宗教」 もし、このような考えが実行されたら、相撲協会は右翼団体にならねばならず、力士はその構成員にならなければならなくなるだろう。残念だが、相撲教習所に掲げられている「角道の精華」は、陛下の言葉ではない。「大井光陽作」とちゃんと書かれている。貴乃花親方は、なぜか誤解していた。 貴乃花親方は、新興宗教団体「龍神総宮社」に異常とも言える“肩入れ”をしている。この2月3日には、京都宇治市にある「龍神総宮社」豆まきイベントに部屋の力士を大勢引き連れて参加している。この宗教団体の現祭主(代表)の辻本公俊氏は、2006年に『2012人類の終焉~太陽からの啓示』(ブックマン社)という本を出版しているが、貴乃花親方はこの本に推薦文を顔写真付きで寄せている。大阪場所で貴乃花部屋は龍神総宮社の施設を宿舎にしている。貴乃花部屋の相撲界初の双子力士「貴源治」「貴公俊」のしこ名は、「龍神総宮社」創始者である辻本源冶郎、現祭主の辻本公俊の名前と一致する。龍神総宮社祭主・辻本公俊氏=2017年12月9日、京都府宇治市(撮影・山戸英州) 「龍神総宮社」のHPには、「龍神とは、神の世界の最高位の称号を現すもので、この大宇宙の中であらゆる問題を解決なされるお力をお持ちである神様のことを龍神とお呼びするのです」とあり、「ガンが消えた!大学病院もびっくり」「奇跡!!大津波が庭の直前で止まった 神様ありがとうございました」などの信者のコメントが載っている。 1月13日、貴乃花部屋付きの音羽山親方(元幕内光法)が退職した。音羽山親方の年寄株は借株だったため、元幕内北太樹(山響部屋)の引退に伴う年寄名跡の「玉突き」で、別の名跡を借りないと協会に残れない状況に陥っていた。しかし、貴乃花親方は株を用意できなかった。 音羽山親方は、8年前、貴乃花親方が初めて理事選挙に立候補した際、自分の一門に造反して貴乃花親方に投票した恩人である。貴乃花の求心力が落ちている? 2月2日の相撲協会の理事選の前に、貴乃花親方は一門の票はすべて阿武松親方に入れて欲しい、自分は自身の1票で構わないと発言したとされた。そのため、スポーツ紙、ワイドショーは他の一門からの“隠れ貴乃花票”を指摘し、票読み合戦を繰り広げた。地下駐車場で車に乗り込む貴乃花親方=2018年3月15日、エディオンアリーナ大阪(撮影・岡田茂) しかし、蓋を開けてみると、貴乃花親方が実際に獲得したのはわずかに2票。阿武松親方の8票を加えても、基礎票の11票にすら届かなかった。貴乃花親方の2票は自身と高砂一門の陣幕親方の1票とされるので、他の一門からの票を集めるどころか、逆に一門内の2票が流出したことになる。 こうした結果に、「今回は締め付けが厳しかった」と大方のメディアは総括したが、実際は貴乃花一門の票ははじめから阿武松親方に流れており、貴乃花親方は一門のなかでも求心力を失っていたとする見方がある。 貴乃花親方派は山響親方の票を奪おうとしたが、山響親方はすでに執行部側に回っていた。しかも、貴乃花一門の親方2人の票は山響親方へ流れた。 「週刊文春」(2018年1月4・11日新年号)は『貴乃花激白』という記事を掲載、「相撲協会は私を処分したいのならすればいい。被害者に非があったかのような言われ方は残念。私はこのままで終わるつもりはありません」という内容を伝えた。また、同時期の『週刊新潮』も貴乃花親方のインタビューを掲載した。しかし、これは貴乃花親方本人が周囲に語ったこととなっていた。 これを問題視した相撲協会は、協会の聴取には協力しないのに「本人が話さず、周囲に話させるのはいかがなものか」と貴乃花親方を問いただした。すると、貴乃花親方は「一切、そういう人に話したことはないし、話すよう指示したこともない。週刊誌の取材を受けたこともない」と否定したと報道された。 しかし、この否定は事実ではなく、実際は本人がインタビューに応じていた。というのは、相撲協会の処分が決まった後の「週刊文春」(2018年1月17日号)では、『貴乃花を再び直撃』という記事が掲載され、「週刊文春に話したのは事実です。一連の経緯に納得はしていないが、貴ノ岩は必ず土俵に戻します」となっていたからだ。(『Yahoo!ニュース個人』より2018年2月8日分を転載)

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    「貴乃花騒動」に揺れる相撲協会は西武ライオンズを見習え

    赤坂英一(スポーツライター)  相撲協会はこういう姿勢を見習うべきではないか。プロ野球キャンプたけなわの6日、西武が投手・今井達也(19歳)が未成年にもかかわらず、1月下旬に所沢市内で喫煙していたことを公表。4月末までユニフォームを着用させず、対外試合出場を停止する処分をくだした。西武の教育不足であり、恥ずべき不祥事には違いないが、国技・大相撲の隠蔽体質が批判されている折、プロスポーツ団体としてコンプライアンスの模範を示した、とかえって高く評価したくなった。所属する今井達也投手の未成年喫煙が判明し、頭を下げる鈴木葉留彦球団本部長 =2018年2月6日、宮崎県日南市(共同) こういう事件、一昔前のプロ野球界なら十中八九、表沙汰にしていないはず。相撲協会の幹部ふうに言えば、「内々で済む話だろう」とばかりにもみ消そうとするのが常だった。いや、いまでも球団や選手によっては、ひた隠しにしようとするかもしれない。 今井は作新学院高校出身で、最速152㎞を誇り、高校3年時の2016年夏、甲子園で優勝投手になった元高校球界のスターだ。その年のドラフト会議で西武が単独1位指名、かつて岸孝之(現楽天)が背負っていた背番号11を与えて、菊池雄星に次ぐエース候補として育成していた。右肩の故障などでまだ一軍未登板ながら、たばこを吸っていることがバレたら雇ったほうにとっても赤っ恥だ、と球団サイドが考えてもおかしくはない。たぶん、相撲協会の関係者ならそう考えるだろう。 しかし、西武はあえて〝金の卵〟の失態を自ら公表した。今井は公共の場所で喫煙しており、不特定多数の市民にも目撃され、外部から球団に通報があったことを重大視したのだ。今井は現在、高知市春野町のB班(二軍)キャンプで練習中だが、ライオンズのロゴが入ったユニフォームを着ることを禁じられ、ひとりジャージ姿で汗を流している。19歳の若者にとっては非常に厳しいペナルティーだが、それだけに自分の落ち度、社会人としての未熟さを痛感しているに違いない。 今井に限らず、西武は近年、この種の選手の不祥事を自ら明らかにすることが多い。16年12月には、やはり未成年の選手が寮の部屋で喫煙、吸いがらを消し忘れたまま外出し、火災報知器を作動させてしまった。寮内での出来事で、公共の場所ではなかったことから実名は伏せられたが、厳重注意と外出禁止の処分を科したことは発表された。もはや「内々で済む話」などない 12年12月には、ドラフト2位で翔凜高校から入団した投手・相内誠が、無免許運転とスピード違反で千葉県警に摘発されている。このときは入団が一時凍結され、翌13年3月に西武がようやく契約に踏み切ったところ、その年の暮れに未成年にもかかわらず飲酒・喫煙していたことが、球団公式ホームページへのファンの書き込みによって発覚。6カ月間の外出禁止、試合出場停止、ユニフォーム着用禁止処分が科された。道交法違反容疑で摘発されたことについて謝罪する相内誠投手=2013年3月10日、埼玉所沢市(瀧誠四郎撮影) 西武がかくもコンプライアンスに厳しく、かつ神経質になっている背景には、親会社の西武ホールディングス(HD)が14年4月、9年4カ月ぶりに果たした東証1部への再上場がある。 同社の前身・西武鉄道は04年12月、有価証券報告書の虚偽記載で上場廃止となった。親会社にそういう過去がある以上、関連会社・ライオンズの選手の不祥事も、相撲協会のように隠蔽し、「内々で済ませる」わけにはいかない。春日野部屋での14年の暴行事件のように、あとで警察沙汰になっていたことが明るみに出たら、親会社にとっても大打撃となるからだ。実際、西武が未成年選手の不祥事を明らかにし始めたのは、再上場の動きが本格化してきた時期と重なっている。 親会社が西武鉄道だった時代は、隠蔽体質と批判されるような事件も起こした。00年9月、免停中の松坂大輔(現中日)が柴田倫世(現夫人)の自宅マンション前にセルシオを停めて駐車違反に問われた。このとき、当時広報課長だった黒岩彰(現富士急行スケート部監督)が身代わり出頭したところ、すぐに露見してしまい、黒岩課長が犯人隠避、松坂が道交法違反で書類送検されたのだ。 ここまで情報化が進み、コンプライアンス第一となった世の中に、もはや「内々で済む話」などない。相撲協会が西武球団をはじめとするプロ野球に学ぶべきことは多い。この際、再発防止委員会に、球界のコンプライアンス担当を招聘してはどうだろうか。あかさか・えいいち 1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒。日刊現代・スポーツ編集部記者を経て2006年独立。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」にレギュラー出演中。『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園――記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)、『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)、『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

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    「もうひとつの暴力事件」相撲協会と加害力士の「嘘」暴く

     貴乃花部屋に所属する貴公俊(十両14)による“付け人殴打”が起きた春場所中日の3月18日、相撲協会は「峰崎部屋で暴力問題が起きていた」と発表した。本誌・週刊ポストが突き止めた真相は、改めて角界の闇の深さを浮き彫りにするものだった──。峰崎親方(元前頭・三杉磯)=2012年9月16日、両国国技館(撮影・吉澤良太)「何の話か、よくわかりませんね」 記者の問いにそう答えたのは、加害者力士・Aだ。本誌はこの暴力問題の情報をいち早く掴み、1か月以上にわたって取材を続けていた。そして協会が問題を発表する前日の3月17日、Aに直撃取材を敢行。 あなたの暴力が原因で廃業した弟弟子について聞きたい──そう問うと、Aは“全否定”したのだ。 にもかかわらず、この取材の翌18日、協会は「昨年9月末から今年1月にかけて、峰崎部屋の力士が、弟弟子に対して4回にわたり素手で殴るなどの暴力を振るっていた」と発表したのである。暴行が原因で引退した弟弟子・Bの父親が、1月末に峰崎親方(元前頭・三杉磯)に事実関係を質す手紙を送ったことで事態が発覚し、危機管理委員会が双方に事実関係を確認した上で、2月下旬に示談が成立したという発表内容だった。 要は“十分に調査をして、すでに解決済み”という説明だったが、協会の発表は“示談成立”とする時期から2週間以上が経過したタイミングだった。春場所に出場していた加害者力士・Aが発表後に休場したことから考えても、あらかじめ準備された発表ではなく、本誌の直撃取材を受けて慌てて対応した形跡がある。発表が貴公俊による暴行当日に重なったことでメディアの扱いは小さくなったが、問題は深刻だ。 Aは春場所が開催される大阪が地元の三段目力士で、部屋の熱心なファンには“イケメン”として人気だった。一方、廃業に追い込まれた被害者の元力士・Bは、引退当時の番付が三段目。入門4年目でAより1つ年下になる。峰崎部屋の関係者が明かす。「AはBに対し、“付け人としての仕事がなってない”などと言っては、平手打ちを浴びせたり、蹴り倒した後に馬乗りになって顔を拳で殴ったりしていた。元日馬富士の暴行事件が発覚した昨年11月以降も複数回、暴行があった。Bは初場所の直前に部屋から姿を消していますが、“仕事ができない”とAに咎められて掌底を食らったのが引き金になったといいます」 その後、郷里に戻ったBが父親に経緯を明かし、発覚に至る。「Aは親方らによる聞き取りに対して暴行の事実を認め、Bは危機管理委員会による聴取で復帰の可能性があるようなニュアンスの説明を受けたといいますが、結果的には、“前例がない”ということで認められなかった。Bとしては、現役を続けていた時は、親方や後援会、両親らに状況を話すと、報復でイジメが酷くなるのを恐れて相談できなかったのではないか。幕下以下の力士は大部屋で一緒に生活していて逃げ場もないから、一人で悩んでしまったのだろう」(同前)発表するつもりがなかった?◆「初めて聞きました」 だが、直撃取材に対し、Aは問題の存在すら認めなかった。──危機管理委員会には呼ばれていないのか。「ないです」──Bが引退したのは暴力が原因ではない?「初めて聞きました。なんで辞めたかも全然知らないです」──初場所直前の暴行が廃業のきっかけではないのか。「辞めたというのは知っていますが、(暴力というのは)初めて聞きましたね」──突然いなくなった?「そうですよ。スカした男でしたから。“なんで逃げたの?”という感じでした」 暴力問題など存在しなかった、危機管理委員会にも呼ばれていない──翌日に協会が発表する内容とは正反対の話をしたのである。 これはA個人の問題ではない。加害者のAが“身に覚えがない”というほど危機管理委員会の調査はぬるく、処分するつもりさえなかったことが窺える。 公表にあたり、春日野広報部長(元関脇・栃乃和歌)はAの処分について「元日馬富士の暴力事件が判明した後も暴力行為を続けていたことを重くみる」と厳罰を匂わせたが、2月初旬、Aはツイッター(現在は削除)に初場所の土俵内容の反省を綴り、地元である大阪場所に向けて、〈応援よろしくお願いします〉と投稿している。すでに暴力問題が協会内部で把握されている時期であるにもかかわらず、Aは“春場所の土俵に問題なく上がれる”と考えていたのだ。理事会へ向かう春日野部屋の春日野親方=2018年2月1日、両国国技館(撮影・田村亮介) しかも、発表翌日(3月19日)に協会は「示談が成立」という報道発表を「和解が成立」と“修正”している。この不可解な修正の意味は何か。 引退した弟弟子・Bは本誌の取材に対し、こう話している。「峰崎親方には、本当にお世話になったと思っています。だから、この件について取材は受けられません。ただ、示談書にはハンコは捺していないです。Aから直接、謝罪してもらうのが(示談の)絶対条件ですから。廃業して以降、今に至るまで、Aからは何の連絡もありません」 協会は「現時点での見解は当初の発表の通り」とするのみ。本誌の取材がなければ発表するつもりがなかったのではないか、という問いには答えなかった。 このままでは、角界で何度も同じ問題が繰り返されることになる。関連記事■ 峰崎部屋暴力事件で加害者力士に直撃 協会発表と重大な矛盾■ 番付1枚で年収1600万円が0円に転落 力士の恐ろしい現実■ 大相撲の懸賞金1本6万2000円 力士の取り分はいくらか■ 様々な仕事をする行司 最高位の年収は1300万~1500万円■ 力士の新幹線移動 大半は普通席にぎゅうぎゅう詰め

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    花田景子さん 単独で協会と闘う貴乃花に「もう無理…」

     大相撲春場所を直後に控えた3月上旬、大阪駅前のホテルで「貴乃花部屋激励会」が開かれた。マイク片手に熱唱する貴乃花親方(45才)に向かって、おかみさんの景子夫人(53才)が投げかける視線は心なしか冷ややかだった。九重親方告別式弔問に訪れた貴乃花部屋・女将の花田景子さん=2016年8月7日、東京・墨田区(撮影・小倉元司)「景子さんは、2月に相撲協会の理事選で親方が落選したあと、近い友人に“負けてよかった。これで、余計なことに気を取られないで、親方としての仕事に集中してもらえる”って漏らしていました。でも、当の親方は協会執行部相手の闘いを続けようとしていて…。陰日向に支えてきた景子さんも、さすがに“もう無理…”とあきれてしまっているようなんです」(相撲関係者) 迎えた春場所初日。暴行騒動の被害者・貴ノ岩(28才)が、168日ぶりの本場所復帰を白星で飾った。だが、会場のエディオンアリーナ大阪に貴乃花親方の姿はなかった。「理事選に負けたとはいえ、3月末までは貴乃花親方は役員待遇の身であり、本場所中は役員室に出勤しなくてはいけません。そもそも、すべての親方に必ず仕事がある。にもかかわらず、事前に連絡もなく『無断欠勤』したことに協会執行部も大騒ぎでした。翌12日も、ファクスで理由を届け出たものの『欠勤』でした」(相撲記者) 3月9日、貴乃花親方は内閣府に告発状を提出し、13日に受理された。内容は、傷害事件への協会の対応に重大な疑義があり、立ち入り検査や適切な是正措置を求めるというものだ。「告発状の提出やテレビでの告白などは、貴乃花一門の他の親方たちに一切相談せずに行ったそうです。親方衆としても、これ以上協会に反抗的な態度は取りたくないというのも本音。でも、貴親方の“暴走”が止まらない。そのため、一門から離れようという動きもあるそうです」(前出・相撲関係者) 冒頭の「激励会」は、当初「貴乃花一門会」として開かれる予定だった。当然、一門の親方衆も出席する場だったのだが…。「冒頭に司会者から“一門会として集まってもらったが、貴乃花部屋の激励会に変更します”と説明されただけ。他の親方衆の姿もなく、戸惑った後援者も多くいました。最近は、景子さんが中心になっていた一門の『おかみさん会』も開催されていないそうです。親方同士がバラバラなんですから、当然ですよね。土俵外乱闘にばかりのめり込み、弟子たちのことはおろそかに。それでは、力士たちの母親代わりを務める景子さんが、親方に背を向けてしまうのもしょうがないことでしょう」(前出・相撲関係者)“孤高の闘い”は大きな犠牲を払っているようだ。関連記事■ 貴乃花親方が「99人の敵」発言 自ら一門離脱の可能性も■ 告発状提出の貴乃花親方、部屋では“付け人”問題発生■ 相撲協会執行部が進める貴乃花一門の掃討戦は続行中■ 貴乃花を支持すると醜聞出る…と「おかみ票」切り崩された■ 森友問題 自殺した職員の人柄と亡くなる前の嘆き

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    貴乃花親方を阻む不倶戴天の敵

    天」。貴乃花親方の心中を察したとき、ふとこの言葉が思い浮かんだ。「同じ天の下には生かしておけない」。相撲協会の理事候補選挙で落選した親方は何と闘っていたのだろう。相撲道を追求する理念はもっともだが、それを阻む「真の敵」が誰か、どうも見えにくい。この騒動の核心を読む。

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    貴乃花親方が戦う「真の敵」をモンゴル人横綱は理解できまい

    。しかし、この敗戦は実は「世紀の大誤審」と呼ばれる一番だったのだが、大鵬は「横綱が物言いのつくような相撲を取ったことが恥ずかしい」と自らを責めたのである。土俵入りする横綱・大鵬幸喜=両国国技館 この大誤審がきっかけとなり、後にビデオ判定が導入される。日本中が大鵬に同情し、悲運の横綱として社会現象を巻き起こす。凡人であればこの国民的熱狂に便乗し、「私は勝っていた。誤審がなければ連勝記録はまだ続いていた。私は犠牲になった」と声高に叫び続けたことだろう。大鵬もまた、高潔な精神を備えていたのである。 相撲の取り口で理想とされるのは「後(ご)の先(せん)」と呼ばれる。相手より遅れて立って攻めさせる。しかし、その後の攻防で先に立つ。これが横綱相撲と呼ばれた。しっかり相手を受け止めてから自分のペースに持ち込む。決して立ち合いで逃げたり、先制攻撃をしたりはしない。それは弱者の戦法である。横綱相撲が取れなくなった横綱は引退する。ここに大相撲の横綱としての矜持(きょうじ)がある。 そもそも大相撲は神事である。天皇の前で取り組む「天覧相撲」は最高の名誉である。その最高位に位置する横綱は「四手(しで)」を垂らした「注連縄(しめなわ)」を腰に巻く。神の化身である。どんな身分の者であろうと横綱になれば帯刀が許された。取り組む前には水で口を漱(すす)ぎ、塩を撒(ま)く。土俵を神聖な場所として清めるためである。農耕民族の命である土地の中の邪悪な悪霊を追い出すために「四股(しこ)」を踏む。すべて神事に則って行われる儀式的格闘技である。  今、相撲はインターナショナルなものになりつつあるが、それはあくまでも「SUMO」であって大相撲とは似て非なるものである。SUMOはスポーツであるのに対し、大相撲は神事である。このことを強く認識し、本来の伝統を堅持しようと真剣に取り組んでいるのは、貴乃花親方の他にその存在を見いだすことはできない。その全身全霊を傾ける姿には感銘を受ける。 彼は言う。 「大相撲の紋章には桜があしらわれています。桜は日本人の心の象徴で『大和心』を意味しています。だから大和心の正直さ、謙虚さ、勇敢さでもって大相撲に命懸けで取り組まなければなりません」 相撲道をとことん極めようとする彼の生き方は、厳しい修行に打ち込む求道者にも似たものがある。他の民族には理解できない 昨今の大相撲を取り巻く事件や醜聞が日本中を席巻している。マスコミはおもしろおかしく報道し、相撲協会と貴乃花親方との対立、不和を煽っている。しかし、私見ではあるが、これは貴乃花親方と相撲協会との確執ではなく、対白鵬に向けられた「追放儀式」と思えてならない。 前段で述べてきた大相撲の神聖性や格式に於(お)いて、その欠片(かけら)も見られない白鵬の言動に業を煮やした貴乃花親方が仕掛けた大相撲維新であり、復古戦である。白鵬は日本の文化と伝統を内在する大相撲に於ける最高位たる横綱には不適格者である。遊牧民族のモンゴル人は「力こそ正義である」と信じて疑わない。厳しい大自然の中でそれと対峙(たいじ)し、闘い続ける力を持つ者が最も立派であり、尊敬される。最も評価されるのは「力」であり、年齢や階層には重きを置かない。 白鵬は、横綱の品格とは何かと問われ、「勝つことが品格だ」と答えている。負けた一番について「小さな子どもでも分かる判定ミスだ」と嘘ぶく。直近の例では、敗れた直後の土俵で、実は「待った」だったと手を挙げて抗議し、土俵に上がろうとしなかった。千秋楽の優勝インタビューでは観衆に萬歳(ばんざい)三唱を強要する。このような下劣な言動は何なのか。まるで「傍若無人の独裁横綱」である。大相撲は日本国籍を有しないと親方にはなれない。しかし、彼はモンゴル籍のままで自分だけは親方になれる特例を求めていたという。やりたい放題である。厳しい表情で年寄総会に臨む貴乃花親方 =2017年12月27日、東京・両国国技館 これは妄想だが、モンゴル出身力士の中で唯一、思い通りにならない貴乃花部屋の貴ノ岩が日馬富士に殴られたのも、実は白鵬が黒幕だったのではないか。照ノ富士は致命的なケガを膝に負っているにもかかわらず、正座を強要されたという。あの鳥取の夜、貴ノ岩が殴られたのは、説教の度を超えた白鵬の命令を素直に受け入れなかったからではないか、とさえ思えてくる。繰り返すが、これはあくまで筆者の妄想である。 大和民族は大自然と共生することを目的にそれを徳とし、この自然界のありとあらゆるものを神として崇(あが)め、拝み、その恵(めぐみ)に感謝し、貝塚を作り、その小さな生命(いのち)を頂いたことにも慰霊する。この気高き精神の輝きは、自然界を勝手に食い散らかしてきた他の民族には到底理解できないだろう。 貴乃花親方が真に戦う相手は、相撲協会ではなく、その地位や名誉でもなく、ただ相撲道を汚す許し難い横綱に対してのものなのである。

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    「白鵬を切れ」貴乃花親方が許せなかった相撲協会の及び腰

    に関して「一番悪いのは白鵬である」と断じてきた。不可解に思える貴乃花親方の言動に対しても、親方の日本相撲協会改革に対する真摯(しんし)な姿勢をくんで、ある程度理解しているつもりである。したがってこれまでの経緯と現状を踏まえ、主に次の2点で大いに不満を抱いている。それは、横綱白鵬に対する処分とその理由が懲罰としてほとんど意味がないことと、貴乃花親方に対する処分が相撲協会とその「御用機関」による強引な理由付けによるもので、著しく不当といえることだ。大相撲初場所4日目、嘉風に敗れた後に支度部屋で記者から質問を受けるも、力ない返答をする白鵬=2018年1月、東京・両国国技館(大橋純人撮影) そもそも貴乃花親方の理事降格処分によって問題が「一件落着」となり、立行司式守伊之助のスキャンダルがあったにもかかわらず、初場所は行われた。初場所は白鵬の相撲ぶりに注目が集まったが、私は、立ち合いの張り手やかち上げによる荒い相撲を控えている白鵬に対して、「さすが大横綱だ」といった評価が出てくるたびに、今回の問題の本質が隠されてしまうと懸念していた。しかし、白鵬は平幕相手に連日金星を献上したうえ、古傷の右足親指を痛め、早々と休場してしまった。 今回の問題については、貴乃花親方が意図したかどうかはさておき、親方の言動がメディアの注目を集めて事態を大きくし、広く社会的議論が生じているのは事実である。そのことによって問題の本質が見えかけてきた面もあるのに、興行を優先することによって、本質をうやむやにしてしまっては、相撲協会の改革などおぼつかない。一部の相撲ファンが感じ始めていても、関係者や識者は誰もそれを言わない。だからこそ、私がそれを指摘したい。 まず、昨年12月20日の横綱審議委員会(横審)後の北村正任委員長の説明で、貴乃花親方への非難が「委員会の総意」として示されたことは象徴的である。逆に親方の言動がやむを得ないものであったことを、改めて示したものであろう。横審の「通常の組織ではありえない言動」という見解こそ全く本質を外している。まず相撲協会は「通常の組織」ではないからだ。そしてその組織を抜本的に改革することが、貴乃花親方が意図してきたことである。改革を志す親方を非難することが改革を潰すことと同じであることに横審は気づいていないのだろうか。 相撲協会の「御用機関」である横審が改革を論じる立場にないことが、ほかならぬ北村委員長の説明ではっきりした。しかも、北村氏は付け足しのように白鵬の相撲に対して大相撲ファンから「美しくない」「見たくない」と言った批判が寄せられていると報告した。そのうえで協会に対して改善のために「何らかの工夫・努力をしてほしい」と述べたのである。 言うまでもなく、白鵬に物申す必要があった場合、その第一の役割は横審にある。それにより、相撲協会に対して改善の実行を迫る立場にあるはずである。その役割を放棄して協会に工夫・努力を委ねるようでは責任の放棄といわざるをえない。白鵬に対して八角理事長が及び腰であるのは、横審も知っているだろう。北村氏の苦言は、白鵬に対して厳しい処分ができない協会の意向を踏まえたうえで、軽すぎる処分に対する後ろめたさを埋め合わせようとしたのではないだろうか。 ただ、初場所の白鵬の相撲を見ると、横審の苦言が効果を上げたように見える。しかしながら、苦言を出すのがあまりに遅かったため、苦言に御用機関として協会幹部の意向を忖度(そんたく)する不適切な姿勢も現れている。そもそも、横審の控えめな苦言を出すまでの無策ぶりが、白鵬をあまりにも増長させてしまったのである。そのことに対する反省がなければ、今後の改革に期待が持てない。 また、白鵬の相撲が変わったのは、白鵬自身が自分の非を認識し立場が悪いことを感じているからである。それに対して、変化をほめたたえるだけではいけないだろう。白鵬がそのように認識しているのは、この間の騒動を通じて、世論が問題の本質と協会改革の必要性をうすうす感じるようになってきたからであろう。白鵬に「情報操作」された報告書 一方、日馬富士の暴行問題について12月20日に危機管理委員会の高野利雄委員長が公表した報告書は、いつ誰が何を言って何が起こったのかを、極めて具体的かつ明確に説明しているが、白鵬が「情報操作」したとみられる部分がいくつかある。このうち2カ所だけ指摘しよう。臨時理事会終了後に記者会見する日本相撲協会の八角理事長(中央)。左は鏡山危機管理部長、右は危機管理委員会の高野俊夫委員長=2017年12月、東京・両国国技館(斎藤浩一撮影) 一つは、10月25日の食事会(1次会)に、照ノ富士や貴ノ岩が出席することを白鵬は知らなかったというが、あり得ない話だ。食事会は巡業が行われていた島根県の高校で学んだ照ノ富士と貴ノ岩のために、地元関係者が一席設けたものである。主催者として横綱にも同席してもらいたいと考えるのは不自然ではない。特に照ノ富士の伊勢ケ浜部屋での兄弟子である日馬富士が同席するのは自然である。しかし、報告で日馬富士は「食事会の当日頃、白鵬において、…日馬富士を誘い…」とあるように、白鵬に誘われて同席することにしたのである。 もう一つは、2次会で日馬富士が貴ノ岩に暴力をふるった際、白鵬が止めに入ったタイミングが曖昧にされている。日馬富士がボトルを振り上げたが、手が滑って取り落とし、その後リモコンで殴りだした。これを「一連の動作」と表現することで、肝心の白鵬が止めに入ったタイミングがわからなくなっている。白鵬は「物は持たないようにしましょう」と声をかけたそうだが、それはいつ言ったのだろうか。その後日馬富士はリモコンで殴りだしたが、白鵬がようやく止めに入ったのはいつなのかはっきりしない。 これらの点について、危機管理委は白鵬から聞き取り「白鵬がそう言った」ということを報告しているだけなのである。高野委員長は後日、貴乃花親方から聞き取りをした際に元検事らしく厳しく「取り調べ」をしたようだが、白鵬にはこれらの発言を問い詰め、裏を取ることはしなかったのだろうか。 しかも、貴乃花親方から聴取した危機管理委の報告は、相撲協会側の見方で固まってしまっている。これでは、相撲協会から相撲記者クラブを通じてリークされる情報に基づき、貴乃花親方の責任を問う印象操作に加担している大手メディアと同じだ。報道からではまだ私が知りえないことがあるが、その限りにおいても危機管理委の「偏向」は明らかである。その偏向姿勢についても二つ指摘したい。 一つは、貴乃花親方の報告義務に関してだ。高野委員長の報告では「(親方は)10月26日に事件発生を知り、その後、県警に被害届を提出するに至る同月29日までの間、結局、何らの事情も把握できないまま事態を放置し、このことが本件をここまで長期化させ、深刻化させた大きな原因の一つとなった」という。これは裏を返せば、親方が事件を速やかに協会に報告していたならば、短期に解決できたと示唆していることになる。つまり、日馬富士の傷害事件は深刻化しなかったはずだと言っているに等しい。実際は、貴乃花親方の言動によってメディアによる騒ぎが大きくなり、協会は問題をうやむやのうちに収めることができなくなってしまった。日馬富士は白鵬の意向を受けた「下手人」 貴ノ岩の最初の「説明」を受けて、すぐに協会に一報すべきだったとする高野委員長の見解は、私には言いがかりのように聞こえる。鳥取県警に被害届を出した際、協会にも連絡をするよう親方が求めたことは妥当である。また貴乃花親方が、加害者側の伊勢ケ浜親方から協会に報告すべきと考えた、というのも事実だろう。この間の貴乃花親方の行動は、親方の協会不信を考えるならば当然というべきである。今回の問題を協会が興行上の配慮からうやむやにされる懸念を抱いたならば、貴乃花親方の言動は適切だったと理解できるからだ。 もう一つは、協会が鳥取県警からの連絡を受けて開いた11月11日の臨時理事会での対応だ。貴乃花親方が依頼したとおり、協会には県警から連絡があり、八角理事長以下の協会執行部に報告された。先の高野委員長の報告では、執行部が臨時理事会で「緊急に対応すべき案件とは認識していなかったため、報告はされ」なかったという。その際、理事会終了後に、鏡山危機管理部長が貴乃花親方と伊勢ケ浜親方に対して当事者同士で話し合うように要請したとある。内々で収めて解決したことにして、翌日に控えた九州場所を滞りなく興行させることを明らかに優先したのである。この重要な点について、危機管理委の報告は曖昧であり詰めが甘いと言わざるを得ない。 このように危機管理委の対応も不適切だが、そもそも日馬富士の暴行については、白鵬の言動に問題があった。当初、白鵬は貴ノ岩の言動を問題視し、「説教」を始めたところ、態度が悪い貴ノ岩を日馬富士が「制裁」を加えたのだ。白鵬ははじめ静観していたが、流血の事態になるに及んで、ようやく日馬富士を止めたようだ。まるで日馬富士は白鵬の意向を受けた「下手人」だ。どう見ても、一番悪いのは白鵬である。その白鵬が力士界を代表しておわびをし、「膿(うみ)を出し切る」と善人面で公言したのである。 要は白鵬が自分の非を感じていることは明らかである。九州場所の嘉風戦で、行司の裁きに不満を示して批判を浴びたことも併せて、自分の立場の危うさを感じたことは想像に難くない。それが千秋楽の優勝インタビューで、観客に万歳三唱を提案するという挙に出たに違いない。批判をかわすため「大相撲ファンは自分の味方だ」ということを演出したかったのだろう。2014年4月、靖国神社で奉納相撲が行われ、土俵入りした(左から)日馬富士、白鵬、鶴竜のモンゴル3横綱=東京都千代田区 ただ、白鵬が貴ノ岩を「教育」しようとしたのには、当然前提がある。モンゴル力士たちが自分の「支配」のもとで協調しているのに対して、貴ノ岩が従わないからに違いない。この考え方がそもそも間違っている。大相撲相撲部屋を中心として運営されている。その上に一門があり連合げいこをすることもあるが、それ以外の徒党を組むことは悪い意味での「なれ合い」やひいては八百長を助長しかねないので、望ましくないのである。白鵬の二重三重の「しきたり破り」 稽古土俵での「かわいがり」は当たり前のことであり、これは出稽古に来たほかの部屋の力士に対しても同じだ。しかし、土俵外で他部屋の力士への「指導」は禁じ手であり、暴力以前の話である。確かに、上位力士が個人的に目をかけているほかの部屋の力士の面倒をみることはある。実際日馬富士は自分と境遇が似ている貴ノ岩に目をかけていたようだ。とはいえ、たとえ横綱でも、他の部屋の親方を差し置いてその所属力士を「教育」することは越権行為である。白鵬の場合、相撲協会における自分の立場を強化するために、モンゴル力士で徒党を組み、ほかの部屋の力士を「教育」しようとしたのである。 このように、白鵬は二重三重に相撲界の「しきたり破り」をしている。これは今回の事件に限ったことではなく、根が深い。相撲界の規律に厳しく、また現役時代から自らを律してきた貴乃花親方が白鵬の日ごろの言動を不快に思っていたことは、想像に難くない。しかし立場上、白鵬批判をするわけにはいかない。だからこそ、自らが仕切る部屋の力士に対する教育によって相撲界の規律を貫き、貴ノ岩はその指導を忠実に守ってきたのである。それに対して公然と反抗したのが、今回の白鵬であり、意に反して片棒を担がされたのが日馬富士である。 今回の問題には伏線があり、以前、白鵬が日本国籍を取得せずに親方になれるかどうか議論された際、私は次のように論じた。 白鵬は、勝ち負けに対する意識が非常に強いと私は感じる。記録という数字に対して、強いこだわりがあるのだと思う。それが数々の偉大な記録につながってきたのであろうが、勝負や数字に対するこだわりのために、立ち合いの駆け引きが目立ち、ときとしてダメ押しをしてしまう。常々素行の悪さを指摘されていた朝青龍が、事実上追放されたことは、白鵬の記録へのこだわりを生んだきっかけではないか。その傾向は、朝青龍の優勝回数に近づいたころから目立つようになった。記録で目にものを見せて、例外の存在を認める世論の盛り上がりを期待してきたのだと私は思う。毎日新聞『論点:大相撲の親方と日本国籍』(2015.03.20) そして白鵬の相撲ぶりや土俵態度については、すでに2011年ごろから問題を指摘されていた。また、2013年に朝青龍の優勝回数を超えたころから、徐々に張り手やかち上げが目立つようになった。2017年11月、大相撲九州場所12日目、御嶽海に張り手を見舞う白鵬=福岡国際センター(仲道裕司撮影) この白鵬の取り組みに関する評議員会の対応も問題がある。年明けの1月4日の評議員会では、貴乃花親方の2階級降格が決まったが、その際、池坊保子議長は貴乃花親方について「著しく礼を欠いていた」と厳しく批判した。その後池坊氏は、張り手はルール違反ではないと白鵬を擁護した。さらに「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれない」と述べたと伝えられる。大相撲に対する見識のなさをさらけ出したと言ってよい。ダメ押しと「礼」、池坊議長の矛盾 ダメ押しがモンゴル文化に起因するというならば、日本の伝統文化の重要な一部である大相撲の精神として「それでよいのか」と問わねばならない。池坊氏のダメ押しについての見解は、貴乃花親方を批判した際、相撲は「礼に始まり礼に終わる」と言ったことと矛盾しているが、このことにご本人は気付いていないようだ。 池坊氏の言葉からも、協会の意向に合わせる姿勢がうかがえる。そもそもこのように大相撲に対して見識のない人間が、理事の承認や解任に責任を持つ評議員会の議長に就くのはなぜなのだろうか。相撲協会の改革のために、外部委員を入れて設置された評議員会の人選は、誰がいかなる基準で行っているのだろうか。2018年1月、日本相撲協会の臨時評議員会後、記者会見に応じる評議員会の池坊保子議長(加藤圭祐撮影) このように一連の問題で明らかになった日本相撲協会の本質は、多くの人が指摘するように、問題が生じた際に内々でうやむやに収めようとする「閉鎖性」だ。また、外部批判をかわし内部告発を押さえ込もうとする「興行優先」の姿勢だ。この姿勢が、親方や力士の不適切な言動に対して、自浄機能が働かず悪を助長してしまうのであろう。 こうした体質を象徴する例として、私は半世紀近く前の横綱玉の海の急逝を思い出す。死に至る経緯について私はさまざまな疑問を抱き、入院先の虎の門病院の大失態との意見もあったが、結局真相は報道されず「虫垂炎の手術は成功したが、肺血栓によって死亡した」との説明がいつの間にか定着してしまった。力士の虫垂炎の場合、術後の対応にことのほか気を付けなくてはならないことは、当時でも医者の間では知られていたはずだ。肺血栓は明らかに合併症であり、「虫垂炎の手術は成功した」とは言えないだろう。大病院と相撲協会との間に、何らかの裏取引があったのではないか、と私は勘繰っている。 そして今回新たに発覚した春日野部屋の暴力問題は、相撲協会の閉鎖性や自浄能力のなさといった問題の根深さだけでなく、協会と大手メディアや官僚機構に代表される日本社会、さらには世間一般との奇妙な関係をも垣間見させている。貴乃花親方の不可解に思える言動にも、それなりの深い理由があることを感じさせる。貴乃花親方が目指した「抜本的改革」とは ならば、貴乃花親方が目指す「抜本的改革」とは何だろうか。それは心技体を鍛え上げた力士が、堂々とぶつかり合って相撲の美を示すことができるよう、相撲部屋と一門の体制を強化し、いい意味での特権階級としての力士の意識をたたき込むことではないか。そして相撲部屋が機能しないときは、日本の伝統を守る特殊社会としての意識をもって協会が強い指導力を発揮することである。 北の湖前理事長は常に「土俵の充実」を掲げていた。八角理事長も今回の問題を受けて、初場所で同じ言葉を掲げ、稽古の重要性を強調した。確かにその通りだが、掛け声だけでは実現しない。大相撲の伝統においては、あくまで相撲部屋が基本なのである。その重要性を私は著書『大相撲の心技体』で以下のように論じた。 第1に、相撲部屋は、力士が鍛え抜かれた体と精神を持ち、すぐれた技芸を実現するための鍛錬の場である。第2に、相撲界特有の規範意識は、相撲部屋において親方の指導の下で身に付けるのが、最も効果的で意味がある。猛稽古を通じて勝ち取る特権階級の資格の意味及びそれに伴う社会的責任を力士に植え付けるのも、基本的に相撲部屋の役割であろう。第3に、相撲界と一般大衆との接点は、相撲部屋によって最も実質的に広げることができるはずである。『大相撲の心技体』(幻冬舎ルネッサンス) 心技体を鍛え上げた力士同士によるガチンコ勝負が、大相撲の基本であり魅力である。一方で大相撲には「儀礼文化」としての側面もあり、相撲ファンの期待、場所の状況や相手力士の調子、さらには相撲人生の流れによって、ときとして「なれあう」ことも大相撲に固有の一面である。古語の「なれやふ」とはひとつにする、互いに情が通じ合う、といった中立的な意味であり、共謀とも悪事とも無縁だったという。 鍛えぬいた力士同士のガチンコ勝負が基本としてあったうえで、「なれあい」の技芸は伝統芸能としての大相撲の興行を支える一面といえる。ガチンコ勝負となれあいとのバランスは、各力士が自らの責任において取るべきことである。このようないわば「心の勘定」を、「金の勘定」によって置き換えてしまうのが、世間でいう八百長である。 大相撲の世界は、世界のどのスポーツにも引けを取らない猛稽古によって支えられている特殊世界である。その中で強い精神と肉体を作り上げ、すぐれた技芸を身に付けた者が関取となる。関取は特権階級であり、さまざまな有形・無形の特典を享受するとともに、日本の伝統の重要な一部である大相撲を支え継承する社会的責任を持つ。 力士であっても社会的常識がなくてはいけないのは当然のことである。その一環として「暴力はいけない」というのは、本来力士に対して言わずもがなのことなのである。心技体を鍛え上げた力士は、社会に対して範を示すべき存在であり、「暴力はいけない」といった世間並みの説教によって力士をおとしめてはいけない。改革に反するモンゴル力士の「交流」 私は大相撲改革はまず自覚の問題だと思う。相撲協会としての姿勢、理事長や理事による親方の指導、親方による力士の指導、そのための意識改革と、相撲部屋と一門を中心とした協会の構造改革が必要である。相撲界という特殊世界に対する一般大衆による適切な認識は、意識改革に伴ってついてくるものであろう。 結局、このような改革に反するのが、一部モンゴル力士による部屋と一門を越えた「交流」だったのではないだろうか。その頂点にある白鵬に対して、協会はなすすべなく、美しくない相撲と不適切な言動を許してきた。今回の問題で明らかになったのは、白鵬の増長に象徴される国技の危機であり、その背景にある協会の長年にわたって解決されない問題であり、横審も危機管理委も協会の御用機関に留まっている。短期的な興行上の配慮によって、危機に対して気付かぬふりをしてはならないのである。 だが、私は外国出身力士が大相撲を豊かにしていると感じている。特に、モンゴル出身の白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱が大相撲の伝統をつないでくれたことをありがたいことと思っている。伝統芸能を支え神事を体現する横綱ならば、ぜひとも日本の国籍を取って、引退後も協会に残って大相撲の継承・発展に貢献してほしいと願ってきた。 大相撲の伝統を守るにふさわしい力士といえる、日馬富士が引退に追い込まれ、貴ノ岩は被害者として大きなダメージを受けた。最近の美しくない相撲と不適切な言動によって、大相撲の伝統をおとしめ辱めてきた白鵬に対して、興行上の配慮から協会は及び腰である。ではどうしたらよいのだろうか。 貴乃花親方は立場上「白鵬を切れ」とは言えない。白鵬が大相撲に対する大変な功労者であることは否定できないからだ。白鵬は相撲協会における自らの立場を強化するために、モンゴル力士を糾合するまでもない。長年第一人者として大相撲を支えてきた白鵬の貢献は大きく、相撲協会に対する影響力が大きいことは、誰でもわかっているだろう。だからこそ、白鵬には大相撲への高い見識を求めたい。そのためには白鵬に対して強い指導力を発揮する者が必要である。それが誰であるか、私の目には明らかである。2012年1月、土俵祭りに出席した貴乃花親方(手前)と横綱白鵬=両国国技館(今井正人撮影) 日馬富士は、幕内最軽量でありながら、厳しい鍛錬によって小よく大を制すという、大相撲の醍醐(だいご)味を味わわせてくれた立派な横綱だった。その「全身全霊をかけて」という大相撲への取り組みは、大きな称賛に値する。暴力をふるってしまったので引退は仕方ないとはいえ、大相撲への多大な貢献にかんがみ、いつか復権してほしいと心より願っている。 戦後の大相撲は、あの大横綱双葉山の時津風理事長の時代、栃錦の春日野親方を若乃花の二子山親方が支え「第二の栃若時代」と言われた春日野理事長の時代、そして若貴フィーバーによって空前の大相撲ブームを巻き起こした出羽海理事長(のち境川理事長)の時代を経ながら、発展してきた。これらの時代を知るものとして、大相撲の現状と今後について強い懸念を持っている。 北の湖前理事長以降、開かれた日本相撲協会としての体裁を整える中で、協会とともに「国技」が軽くなってきた印象はぬぐえない。これからの大相撲と協会について、また協会と大手メディアや世間一般との関係について、あるべき姿をもう一度考え直す必要がある。そのための契機になるならば、今回の問題によるさまざまな犠牲も意味があったのかもしれない。

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    私が聞いた「モンゴル互助会」と相撲協会の黒い噂

    の再聴取を受けるため、鳥取に向け出発する元横綱日馬富士関=2017年12月、羽田空港 ところが、日本相撲協会にしてみれば、その事件の本質が表に出れば、日馬富士だけでなく、現場で傍観していた白鵬、鶴竜と横綱3人が一挙に辞任を余儀なくされ、そうなると興行そのものが成り立たなくなることから、高野利雄危機管理委員長(元名古屋高検検事長)と一緒になって逆に事件の隠蔽(いんぺい)に走り、協会への報告義務などを怠ったとの理由で自分を解任したとみているそうだ。 貴乃花親方にしてみれば、自分の属する組織に自浄作用がないから警察に頼ったまでであり、自分にはまったく非はないと考えている。 それどころか、相撲を愛する貴乃花親方は、そうした組織は一刻も早く改革しなければならない、それも内部からということで、そのためには発言力を付ける必要があるから時を置かず、理事候補選に出たわけであり、それに何の矛盾もない。八角理事長の恐怖政治に怯える親方たち もっとも、今回、貴乃花一門から貴乃花親方、それに阿武松親方(元関脇・益荒雄)の2人が出馬したことに対し、貴乃花親方のこの間の協会への徹底した非協力的な態度に一門内でも「分裂」した結果との見方もあるが、そんなことはない。 候補者を2人立てた理由は二つあり、一つは、たとえ貴乃花親方が当選しても、協会とつるむ評議員会(元文科副大臣の池坊保子議長)が認可しない可能性が十分あり得るとみていたからだ。本当にそうなっても、阿武松親方が当選すれば、彼を通じて貴乃花親方の意向を反映できるように「保険」を掛けたわけだ。 もう一つの理由は、貴乃花一門が2人立てなかったら、理事は定員10人のところ、10人しか立候補者はなく、無風選挙になるところだった。各一門、相変わらず「談合」で出馬を決めており、2010年2月、貴乃花親方が二所ノ関一門を離脱して立候補し、無風選挙の慣例を破った「貴ノ乱」以降、4期連続選挙になっているわけで、何としても再び無風選挙にしたくないという思いもあってのことではないか。 もっとも、貴乃花一門の確定票数は昨年末、無所属になった錣山親方(元関脇・寺尾)ら3人を入れても11票。当選には1人あたり9~10票必要であることを思えば、2人当選は非常に厳しいとの見方が専らだった。しかし、若手を中心に改革を目指す貴乃花親方を密かに支持する親方は一門外に相当数おり、理事候補選が実施されるまでは、勝算があると考えたからこそ2人立てたのだろう。 ただし、1人しか当選しない場合は阿武松親方の方が通らないと評議員会の未承認があり得る。結果的に貴乃花親方は2票にとどまり落選したが、一門内では当初、阿武松親方6票、貴乃花親方5票で調整していたのだろう。 最後に、貴乃花親方がどのような改革を目指しているかについてだが、八百長一掃のために現在の年6回の本場所回数を減らすほか、負傷の場合、翌場所も同じ地位にとどまることができる「公傷制度」の復活なども視野に入れていると聞く。 それから、こんな八角理事長体制に多くの親方が従うのは、「正論」を貫く貴乃花親方を徹底してイジメ抜く、恐怖政治に怯えてのことだろうが、その一方で、一部の幹部や取り巻きは「利権」に預かっているからでもある。2016年3月の横綱審議委員会に出席した八角理事長(右から3人目)、貴乃花理事(同2人目)ら=両国国技館(今野顕撮影) 貴乃花親方はその利権について、余剰金、親方の退職慰労金など総額200億円ともいわれている協会資金の流用疑惑といった不正の可能性があるとみており、それにメスを入れて行くつもりもあるようだ。

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    決戦前夜、貴乃花親方が笑顔に変わったワケ

    小林信也(作家、スポーツライター) 任期満了に伴う日本相撲協会の理事候補選挙は、貴乃花親方が得票2票で落選した。 理事定数10に対して11人が立候補。1人だけ落選する選挙は101人の年寄(親方)による無記名選挙で行われた。当選した理事は3月、協会の最高決議機関である評議員会の選任決議を経て正式に就任する。今回は貴乃花親方が理事を解任され、もし選挙で当選しても評議員会が「認めない可能性がある」とけん制された中で行われた。そのこともあって、貴乃花一門からは一門の総帥である貴乃花親方だけでなく、阿武松親方も立候補した。阿武松親方は無事当選し、一門の理事枠は一つ確保した形となった。 選挙前に開かれた貴乃花一門の会合で、「今回は立候補を自粛し、2年間待つ方が賢明ではないか」との声も上がったが、貴乃花親方はこれを制して立候補の決意を表明。「みなさんは阿武松親方に投票してほしい。自分は一票で構わない」と発言し、当落にこだわらない姿勢を明かした。その前後から、貴乃花親方の表情はかなり清々(すがすが)しいものに変わり、テレビでも笑顔の貴乃花親方が見られるようになった。十両昇進が決まった貴公俊の会見に同席し、 笑顔を見せる貴乃花親方=2018年1月31日、両国国技館 弟子の貴公俊(たかよしとし)の十両昇進会見に同席したときの笑顔は、慶事ゆえに当然といえば当然だ。しかし、昨年末の貴景勝の小結昇進会見には姿を見せておらず、心境と状況の変化もうかがえる。立候補にあたってブログを更新した貴乃花親方は、「大相撲は誰のものか」というメッセージを発信し、かなりの共感を得たとも報じられている。無言を貫いていた時期には「何を考えているのか分からない」と周囲をやきもきさせる場面もあったが、ようやく本人の思いが語られたのである。 理事当選は「ほぼ絶望的」と見られた中で、あえて立候補した真意は何だったのだろうか。私見だが、二つの理由を挙げたい。一つは、選挙権を持つ101人の親方に対する痛烈な問いかけだ。 2010年の理事候補選で貴乃花親方は大方の予想を覆して当選した。後に「貴の乱」と呼ばれたが、これは一門の縛りを越えて、一部の親方が自らの意志で貴乃花親方に投票した結果だ。無記名投票による選挙なのだから、大方の予想を覆す結果になることは十分有り得る。 ただ、貴乃花親方がブログで「もっと自由に議論できる協会に」と提言したのはこの辺りを意味するのだろう。だが、他の一門の引き締めが一段と強かった今回は、貴乃花親方自身、当選に足る得票は期待していなかったに違いない。それでも、貴乃花親方が立候補したことで、他の親方にとっては「自分たちの権益を守るような動きばかりで良いのか」と自問自答する機会になったはずである。言い換えば、その問いかけこそが、貴乃花親方が立候補した本当の意味であり、目的ではなかっただろうか。リーダーは自ずと決まるもの 貴乃花親方の得票はわずか2票。これは、貴乃花親方が政治的な動きや裏工作をしなかった表れと見ることもできるだろう。「清々しい笑顔の裏には、裏取引が成立した」という勝算があったのではなく、自分の進むべき道が改めて見えた。そのことを晴れやかに示したのである。 貴乃花親方はブログの中で、下記のように綴っている。「改革するのではないのです。古き良きものを残すために、時代に順応させながら残すのです」「相撲は競技であると同時に日本の文化でもあります。つまり我々は文化の守り人であるということも忘れてはなりません」 相撲協会が公益財団法人である以上、理事が選挙で選ばれるのは当然である。一方で、文化を重んじるのであれば、投票や政治的な駆け引きは必ずしも馴染(なじ)まない。その道の継承者、次代のリーダーは自ずと決まって行くのが、歌舞伎であれ、華道や茶道の家元であれ、伝統芸能や文化の流れである。貴乃花親方も、北の湖前理事長とはそういった思いや使命感を共有していたのではないだろうか。 一門内での「談合」も、今は権益を守るための策謀のように語られるが、利権を他に渡したくないためだけの慣習ではなかっただろう。文化芸能の世界は、達人や名人に対する崇敬の念が基本にある。日本相撲協会の北の湖前理事長の銅像の前で記念撮影する(左から)貴乃花理事、八角理事長、(1人おいて)とみ子夫人、 横綱日馬富士関=2017年10月1日、川崎市 はっきり感じるのは、貴乃花親方が自分の利益のために協会の要職に就くつもりはなかったという事実である。相撲を取った経験のない日本人が増えている。力士になりたいと思う少年が、今どれほどいるのだろう。大相撲を取り巻くあまりに厳しい現実と切実への危機感。このままでは入門者がいなくなり、興行だって立ち行かなくなる。もはや大相撲は「絶滅危惧種のような存在」になっていると、貴乃花親方は認識し、他の親方も薄々感じている。だが、そうした危機感も組織を変革するうねりにはならなかった。 北の湖理事長の右腕として、吉本新喜劇の舞台に立ってまで大相撲のPRをし、それが「スー女(相撲女子)」ブームを生み出したと言われる貴乃花親方。次の2年間は、進境著しい4人の関取を持つ親方として土俵を沸かせる仕事もできる。今回の落選で貴乃花親方が失うものは決して大きくない。

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    貴乃花親方の理念はどうすれば実現できるか

    春日良一(スポーツコンサルタント) 2月2日に行われた公益財団法人日本相撲協会の理事候補選挙は、注目を一身に集めた貴乃花親方が落選した。苦戦が予想されていたとはいえ、貴乃花親方の投じた一石が実らなければ、大相撲の未来はそれほど明るいものにはならないだろう。2018年1月、新十両昇進を決めた貴公俊の記者会見に臨む貴乃花親方=東京・両国国技館 元横綱日馬富士の暴行事件に始まる一連の流れを冷静に見れば、大相撲の抱えているガバナンス(組織統治)の欠陥に貴乃花親方が挑んでいたことだけは確かである。愛(まな)弟子が暴行を受けたとすれば、それを訴えるのは当然だが、そのような「事件」をうやむやにする体質が相撲協会にはあり、それを十分知り尽くしている貴乃花親方が法的処置を優先し、警察を通して相撲協会に報告が届く戦術を取ったのも、その証左であろう。 巡業部長が事件を報告しなければならないと同時に、愛弟子を守る親方としての倫理的行動が優先されるのは当然といえば当然である。なぜなら、相撲協会のルールは協会内部を統括する規定であり、暴行事件はそれよりも大きな社会、つまり和集合における問題であるからだ。 貴乃花親方が理事会に提出した報告書(貴乃花文書)の内容が明らかになり、そこには八角理事長や尾車、鏡山、春日野の各理事から「内々で済む話だろう」と被害届の取り下げを貴乃花親方に執拗(しつよう)に要請した事実が記載されている。これまでも相撲協会は社会的問題になりそうなトラブルが起これば、理事会がその都度、内々に「事なかれ」にしてきたことが推察できる。 それは私自身の経験からも、肌感覚で分かる問題である。かつて私は、日本体育協会という公益財団法人(当時は財団法人)の職員であった。1989年に日本体育協会から日本オリンピック委員会(JOC)が独立し、オリンピック運動推進と競技力向上を二本柱としてスタートするまでの十数年、協会に籍を置いた。ちなみに、JOCに日本体育協会(体協)から完全移籍したのは91年のことである。 体協は「みんなのスポーツ」運動を推進するが、この両団体ともスポーツ振興法(現スポーツ基本法)に定められたスポーツ界、唯二の特定公益増進法人であり、スポーツに関する寄付金の免税を享受できる希少団体であった。その二つの公益財団法人に身を尽くした経験から相撲協会の混迷がリアルに想像できるのである。 体協からJOCが独立するきっかけは、88年ソウル五輪の日本代表の低迷であった。金メダルが4つという厳しい結果にスポーツ界が声を上げ、「国民体育振興」を標榜する体協から独立して選手強化に集中するという建前だったが、実はJOCの本音はそうではなかった。 それは80年のモスクワ五輪不参加という、嘉納治五郎初代体協会長(講道館創始者)が築いた日本のオリンピック運動への不名誉に対する呵責(かしゃく)にあった。「オリンピックは参加することに意義がある」という理念を裏切った歴史的教訓を生かすために、当時の体協若手理事らが独立後のJOCの構想を練り、時を待っていたのである。それは日本のスポーツ史に残る「革命」とも言っていい出来事であった。スポーツ団体に派閥ができるワケ 80年当時のJOCは、体協の一組織という地位でありながら、国内唯一のオリンピック委員会として、日本代表の顔も持つアンビバレンツ(二律背反)な存在であった。体協は、当時会長だった河野謙三元参院議長が政治的パワーを駆使し、スポーツへの国庫補助金を増大させた実績を持つ組織だった。 1979年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するという名目で、時のカーター米大統領がモスクワ五輪ボイコットを自由主義圏に要請した。日米同盟を重視する大平正芳内閣は、伊東正義官房長官を体協理事会に派遣し、JOCがモスクワ五輪の不参加を表明するよう圧力をかけたのである。このとき、志あるJOC役員らは強硬に参加を主張したが、「君たちはもう日本のスポーツ界に金はいらん、というのか」という河野会長の恫喝(どうかつ)にひるみ、結果として不参加を決めた。この問題はマスコミにも大きく取り上げられたが、時のJOC体制派は世論に耳を傾けることよりも、大平政権の意向に従うべく調整を図る方向に動いたのである。 当時の若手理事の筆頭には、堤義明氏(コクド社長、アイスホッケー、スキー)や岡野俊一郎氏(サッカー)、古橋広之進氏(水泳)、笹原正三氏(レスリング)、松平康隆氏(バレー)、上田宗良氏(ホッケー)など、日本のスポーツ界を牽引した顔触れがそろっていた。むろん、彼らも五輪参加の志はあったが、体制派の前では本心を隠し、沈黙せざるを得なかった。1980年5月、JOC臨時総会後、モスクワ五輪の不参加を発表する柴田勝治委員長(中央)。右は岡野俊一郎氏=東京・渋谷の岸記念体育館 つまり、89年に誕生した新生JOCは「スポーツの自律」を守るという、五輪精神を体現する意味もあったのである。これは貴乃花親方が日馬富士暴行事件以来、相撲協会という旧態依然の組織と対峙して改革を訴えたのと重なる。 どういうわけか、スポーツ団体には必ず「派閥」が生まれる。それは、各スポーツで頂点を争った競技者たちが、そのスポーツとともに一生を遂げたいという心が遠因であるような気がしてならない。スポーツの世界では現役を引退すれば、それぞれ第二の人生を歩む。そして、ある程度の年齢になると、競技団体から役員就任の声が掛かり、自らが切磋琢磨(せっさたくま)したスポーツの振興に尽くそうとする。しかし多くの場合、役員は無報酬であり、いわば「手弁当」で団体運営を支える。濃淡はあれど、個々の思いで団体に関わり続けるのである。 競技団体は、選手強化や競技普及という目的を実現する「機能集団」であると同時に、ボランティア精神が支える「共同体社会」にもなる。そして、人の好き嫌い、相性の良し悪しでグループができ、いつしか組織のトップに立つという野心が芽生える。すると、そのグループは次第に結束を強め、「派閥」を形成していくのである。 スポーツ団体の役員改選は、2年に一度行われるのが通例である。むろん、どんな組織でも同じだが、その都度トップの座に誰が座るのか、役員同士の駆け引きが始まり、そこに派閥が絡んでいく。多くの場合、現体制を受け継ぐか、それに対抗する反体制派かで大きく分かれるが、仮に複数の派閥が絡んでいたとすれば、派閥同士の勢力バランスを意識しながら、役員改選が行われる。それはJOCも同じであり、過去には会長人事をめぐる「派閥抗争」が表面化したこともあった。結局好きか嫌いか 以上のことから鑑(かんが)みるに、今回の相撲協会理事選挙も同じように派閥抗争があったようである。体制派の筆頭である八角理事長に、反旗を翻した貴乃花親方という構図は分かりやすいが、水面下ではさまざまな駆け引きがあったことは想像に難くない。 むろん派閥同士の争いは、メディア操作も意識する。かつては怪文書が主流だったが、今の時代はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)もある。どのようにメディアを利用するか、その戦術も頭にはあっただろう。春日野部屋の暴行事件隠蔽(いんぺい)も、なぜこのタイミングだったのか、誰もが思うところはあったのではないか。 こうした暴露合戦は、スポーツ団体では起こりやすい。JOCの場合、理事選出の際にはプロジェクトチームが組まれて、ある意味大っぴらに「根回し」が行われるが、大相撲にはこうしたプロセスがないので、メディアを利用した暴露合戦が散見される。テレビのワイドショーなどでは、理事が立候補演説などで自分の施策を述べれば、投票がしやすいという趣旨の発言をするコメンテーターもいたが、スポーツ界は「論理」よりも「好きか嫌いか」で左右される世界である。2018年1月、報道陣に囲まれる大砂嵐(右から2人目)=東京・両国国技館 「貴乃花親方の理念についていく!」ではなく、それが正しいかどうかでもなく、結局は親方が好きだから投票するのである。それがスポーツ界の派閥が形成される「第一原理」であるとも言える。大相撲全体のことを考えれば、必ずしもライバルの弱点を暴露することが良い方向に行くとは思わないが、この派閥争いに勝つための手段として、好きな親方のために悪手を選ばざるを得ない場合もあるのだろう。 混迷を深める大相撲であるが、もっと大きな問題はこれだけ不祥事があっても満員御礼が続いているという事実である。つまり、どんなに不祥事が発覚しようと、相撲は大多数の国民に受け入れられている。だから「事なかれ」でいいという結論になってしまう。とはいえ、健全なスポーツとして大相撲を普及させるという観点からみれば、今の状況が望ましいとは言えない。 この問題の核心は管理運営(アドミニストレーション)に対するプロフェッショナリズムの欠如にあると言える。大相撲の運営は、ある意味スポーツの理想形かもしれないが、引退した力士(年寄)が協会の仕事に就いて運営する形式である。確かに相撲のプロではあったかもしれないが、実際の運営能力についてはどうであろうか。  五輪関係組織の場合、役員と職員のバランスを保つことが肝心となる。例えば、体協職員は日本のスポーツ振興を担う唯一無二の組織であり、プロフェッショナルとしてその実務に使命をもって臨まなければならない。JOC職員はオリンピック運動普及を担う唯一無二のプロフェッショナルとして邁進(まいしん)しなければならない。それぞれの役員は、プロである職員の用意したシナリオを理解し、それを実行すべく会議で発言し、公の場で行動に移していく。使命を果たす気なければ「ただのサロン」 JOCであれば、オリンピック運動のための施策を役員が示し、それに職員がこれまでの知識、経験、情報を基に議論し、行動計画を策定して実行に移すプロセスが最も理想的な関係である。私の場合、最もうまく機能したのが、荻村伊智朗JOC国際委員長(国際卓球連盟会長)の時であり、彼との蜜月関係が長野冬季五輪招致の成功やアジアスポーツ界の分裂回避、そして東アジア会議創設などにつながった。 しかし、このような成功例は一方で、役職員がその使命を果たそうと思わなければ、それは「ただのサロンの集まり」と化す危険性もはらんでいる。言い換えれば、地位にさえ安住していれば、そこで起きたトラブルは、仲間同士でうまく解決することを優先してしまう。つまり、事が起こること自体を回避するのが目的となってしまう。今の大相撲はまさにこの悪循環ではないだろうか。 日本相撲協会は役員もかなりの高額報酬を得ていると聞く。報道によれば、理事で年収2100万円。お金も名誉も手に入れれば、そこに安住したくなるのが人情というものである。今後は、真摯(しんし)に「相撲道」を追求するという協会の目標に向かって、無報酬でも取り組む人材で理事会を構成し、事務局強化に資金を投じることを考えるべきではないだろうか。大相撲初場所を終え、横綱審議委員会に臨む八角理事長(右から2人目)ら日本相撲協会執行部=両国国技館(田村亮介撮影) また、相撲協会の定款には「目的」の一つに「国際親善活動」が明記されている。この活動にもっと精力的に取り組めば、世界への普及という新たな視野が開け、密室的な相撲協会の体質改善になるだろう。外国人力士が増えてきた今こそ、彼らを大相撲アンバサダーとして海外に派遣し、相撲の普及を図り、日本の精神を世界に広める活動に力を注ぐべきである。 言うまでもないが、JOCの場合、オリンピック競技大会が「世界平和構築」運動という理念の場に参加するのが目的である。そこに参加する各競技の選手役員は、自身の競技だけではない「次元を超えた体験」をし、その意志を目覚めさせる。 大相撲は日本の伝統的国技であり神事でもあるが、一方でスポーツとしての価値も追求すべきだろう。詳しくはまた別の機会をいただきたいが、かつて私は世界の格闘技を研究し、相撲ほど格闘技の粋を圧縮したものはないと思っている。「総合格闘技の頂点」として、大相撲のあり方も相撲協会再生のヒントになれば幸甚である。大相撲を救うのは、世界への視野と行動しかないのかもしれない。

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    相撲協会理事選 注目すべきは親方株の所有者

     日本相撲協会では、2年に一度の理事選が近づくと、存在しながら誰も襲名していない“空き株”を襲名するためにベテラン力士の引退が相次ぐのが慣習だ。ただし、引退した力士が親方となった時、自らの意思で理事選に「1票」を投じられるとは限らない。「借株」という慣習の存在が、事態を複雑にする。一月場所が終わり開かれた横綱審議委員会(左から)山内昌之委員、杉田亮毅委員、岡本昭委員、北村正任委員長、宮田亮平委員、勝野義孝委員(右手前から)芝田山親方、鏡山親方、八角理事長、尾車親方、春日野親方、藤島親方=2018年1月29日両国国技館(撮影・田村亮介)「相撲協会が2014年に公益財団法人化された際、年寄株の売買は表向き禁じられました。しかし、実態としては退職した元年寄などが所有権を持ったまま、後継者から指導料などの名目で“家賃(名跡使用料)”を受け取っているケースがある。それが『借株』です」(若手親方の一人) たとえば、昨年末に翔天狼が襲名した「春日山」は、借株であるために大トラブルに発展した過去を持つ年寄株だ。 先代の春日山親方(元前頭・濱錦)が、先々代の春日山親方(元前頭・春日富士=故人)から借りていた年寄株を買い取る交渉が決裂し、法廷闘争に発展。2016年8月、東京地裁は元濱錦に名跡証書を受け取る対価として1億7160万円を支払うよう命じている(高裁で和解)。「億単位の額を一度に払える引退力士はほとんどいないので、多くが借株となる。借株の場合、理事選の投票では“所有権”を持つ人物の意向が優先されるのです。 今回の元翔天狼が継承した『春日山』も借株で、元春日富士の遺族が所有しているとされます。翔天狼は出羽海一門の力士でしたが、春日富士は時津風一門の力士だったので、この『1票』は時津風一門のものになる。しかも、春日富士の遺族の意向で反貴乃花サイドの票に回されると見られます」(ベテラン記者) つまり注目すべきは残る空き株の“所有者”なのである。残る5つある空き株のうち3つは、現役力士が所有している。混沌とした勢力図「押尾川」は尾車部屋(二所ノ関一門)のベテラン力士・豪風(前頭13)が、「秀ノ山」は佐渡ヶ嶽部屋(二所ノ関一門)の元大関・琴奨菊(前頭2)、「安治川」は先場所幕内に返り咲いた伊勢ヶ濱部屋の安美錦(前頭10)が所有する。「残る『間垣』は時津風部屋に所属した元小結・時天空の遺族が、最後の『熊ヶ谷』は元十両・金親(2015年、暴行事件で協会解雇)の所有とされています」(同前) これら空き株が、借株として理事選における「1票」に変わっていくことで、協会の勢力図が少しずつ書き換えられていくのだ。「執行部が警戒するのは『秀ノ山』と『間垣』の行方です。前者は所有する琴奨菊の師匠である佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)が貴乃花親方に近いし、昨年1月に悪性リンパ腫のため37歳で亡くなった時天空も、師匠だった時津風親方(元前頭・時津海)は貴乃花グループとみられています。この2つの空き株が貴乃花親方サイドの『1票』に変わることを八角理事長陣営は全力で防ぎにいくはず。初場所の土俵なんかに、構っている暇はないのです」(同前)貴乃花親方と春日野親方(右)=2017年11月30日午後、東京・両国国技館(撮影・大橋純人) 空き株に限らず、借株が存在することで情勢はより混沌としてくる。幕内上位の力士が、引退前に年寄株を取得し、その株をすでに引退した元力士に貸すケースもあるのだ。「田子ノ浦部屋(二所ノ関一門)の横綱・稀勢の里が所有する『荒磯』は、元前頭・玉飛鳥が借株として襲名し、同じ一門の片男波部屋の部屋付き親方となっている。こういうふうに同じ一門内での貸し借りなら話はシンプルだが、一門をまたいだ貸し借りは意図が訝られることになる。 たとえば八角理事長(元横綱・北勝海)のいる高砂一門に属する九重部屋の千代鳳(幕下9)が所有する『佐ノ山』は、時津風部屋の元前頭・土佐豊が借株で襲名して部屋付き親方になっている。時津風親方と貴乃花親方が近いとされるため、そのパイプは九重親方(元大関・千代大海)にもつながっていると考えられるわけです」(協会関係者)関連記事■ 相撲協会理事選が近づくとベテラン力士引退が相次ぐ事情■ 花田景子さんの手腕で貴乃花支持拡大 親方衆の約半分確保か■ 暴行事件被害者・貴ノ岩 心の拠り所はおかみさん・景子さん■ 貴乃花親方がいじめられ、小泉進次郎氏がいじめられない理由■ 貴乃花理事解任で揺れる角界 そもそも「一門制」とは?

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    「栃ノ心優勝」を喜ぶ前に必要な相撲界の大手術

    赤坂英一(スポーツライター) 大相撲初場所は西前頭3枚目の栃ノ心が初優勝を飾った。ジョージア出身の力士としてはもちろん初めてで、平幕優勝は1場所15日制が定着した1949年夏場所以降、2012年夏場所の西前頭7枚目・旭天鵬以来6年ぶり。栃ノ心が所属する春日野部屋では1972年初場所の初代・栃東以来、実に46年ぶりのことで、歴史的快挙と言ってもいい優勝だった。初場所優勝から一夜明け、笑顔の栃ノ心=2018年1月29日、東京・墨田区の春日野部屋(撮影・田村亮介) 青い目を潤ませながら「きょうは最高の日です。うれしいです」と語った栃ノ心の優勝インタビューを見て、胸が熱くなったテレビ桟敷のファンも多いだろう。2006年春の入門から12年目、手塩にかけて育て上げた春日野親方(元関脇・栃乃和歌)が感涙にむせんでいたのも無理はない。が、愛弟子がこれほど感動的な優勝を飾ったいまだからこそ、一般社会に対してはっきり説明しておかなければならないことが、この親方にはあるはずだ。 初場所の最中、過去に春日野部屋で力士による暴行事件が発生していた事実が明らかになった。2014年、兄弟子(現在は引退)が弟弟子の矢作嵐さん(22歳)に殴る蹴るの暴行を加え、顎を骨折させるなど全治1年6カ月の重傷を負わせたものである。病院で治療を受けたいと言う矢作さんに対し、春日野親方は「冷やしておけば治る」などと言って部屋のかかりつけの整体治療院へ行くよう指示。その後、矢作さんが病院で診察を受けると、即座に手術を受けるようにとの診断が下り、現在も味覚障害などの後遺症が残っているという。 矢作さんは約1カ月後、兄弟子を傷害容疑、春日野親方を保護責任者遺棄容疑でそれぞれ刑事告訴。兄弟子は16年に懲役3年、執行猶予4年の有罪判決が確定し、春日野親方は不起訴処分になった。春日野親方は相撲協会理事長・北の湖親方、危機管理部長・貴乃花親方、広報部長・出来山親方(いずれも当時)には報告したと話しているが、協会は一連の事実を一切公表していない。こうした対応に納得できなかった矢作さんは、17年3月22日付で、春日野親方と兄弟子に3000万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。 当然のことながら、同じ春日野部屋にいる栃ノ心もこの事件を知っていたはずだ。それ以前に、栃ノ心自身、春日野親方に手ひどい暴行を受けているのである。矢作さんの事件より3年前の2011年、親方は栃ノ心ら3人の弟子を拳に加え、ゴルフのアイアンで殴打。部屋に警視庁本所署の捜査が入り、グリップの折れたアイアンが発見された。親方は任意の事情聴取に、「外出の際に着物を着るよう何度も注意したが、言うことを聞かないので殴った」と証言。記者会見にも応じ、「正直、やり過ぎたと反省しています。弟子たちには、もうげんこつは入れないと言いました」と、殊勝にコメントしていたものだ。相撲協会に必要な大手術とは この事件は、栃ノ心らが被害届を出さなかったため、これで沙汰止みになった。被害者のひとり、栃矢鋪は本所署の事情聴取に対し、「自分たちが悪かったのだから被害届は出しません」と語ったと報じられたが、果たして真相はどうだったのか。それから僅か3年後に矢作さんが兄弟子に顎の骨が折れるほどの暴行を受けたことを考えると、春日野部屋では依然として恒常的に暴力が振るわれていた可能性もある。 相撲界では2007年、時津風部屋で斉藤俊(当時17歳、四股名:時太山)が時津風親方や兄弟子の暴行によって死亡。親方をはじめ加害者4人が傷害致死容疑で逮捕され、親方には懲役5年の実刑判決が下った。この事件のあと、北の湖親方は自ら文科省に出向いて謝罪し、「再発防止委員会」を設立。協会を挙げて暴力や体罰の根絶に取り組んでいたはず。時津風部屋では金属バットが凶器に使われていたことから、竹刀や木刀を持って指導に当たっていた親方たちには、そのような凶器になる物を稽古場に持ち込まないようにとのお達しも下った。 しかし、現実には4年後の11年、バットではなくアイアンで、春日野親方が栃ノ心らを殴っていたのだ。その3年後の14年、今度は矢作さんが兄弟子の拳骨で顎を骨折させられていた。原因も状況も異なるとはいえ、貴ノ岩が日馬富士にカラオケのリモコンで、頭が割れるほど殴られた事件も、そうした過激な暴力を容認している角界独特の雰囲気が生み出したような気がしてならない。会見に臨む春日野広報部長=2018年2月1日、両国国技館(撮影・山田俊介) 栃ノ心の優勝は確かに感動的だった。が、それでは、感動したファンが、自分の子供が相撲取りに憧れているからといって、春日野部屋に入れたいと思うだろうか。相撲協会は遅まきながら、文科省の指示を受け、全力士から暴力問題に関する聞き取りを行うというが、どこまで徹底した調査が行われるのか。これまで相次いだ不祥事の事後処理を見る限り、甚だ疑問と言わざるを得ない。 同じ公益財団法人の全柔連は2013年、セクハラ、パワハラ、金銭問題などで理事が総辞職した。相撲協会も同じくらいの〝大手術〟が必要なときに来ているように思う。あかさか・えいいち スポーツライター。1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒。日刊現代・スポーツ編集部記者を経て2006年独立。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」にレギュラー出演中。『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園――記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)、『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)、『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

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    相撲の品位」とはなんぞや

    あきれ顔で発言した。むろん、この言葉の裏にあるのは角界を揺るがす相次ぐ不祥事である。神事を起源とする相撲は、わが国の国技として古くから愛される伝統文化のはずだが、なぜスキャンダルがこうも後を絶たないのか。

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    「ガチンコと品格」を求めたら、相撲になかったことがバレてしまう

    八百長)を容認している。それを伝統文化であるとし、国技だとしている。そんな国技ならないほうがマシだ。相撲協会は公益財団法人を返上すべきだ。なぜ擁護するのか」「これでは相撲はプロレスと同じだ。それなら、協会はそれを認めるべきだ。なぜそのように書かないのか」「ガチンコだと力士の身体が持たないと言うなら、年間の場所数や巡業を減らすなり工夫すればいい。そのような建設的な提案をすべきではないか」「あなたは結果的に相撲協会を擁護している。注射という不正行為が行われているなら、それを告発するのがジャーナリストとしての正しい態度ではないか」 2017年5月、大相撲夏場所12日目の立合いで栃煌山(左)にかち上げをする白鵬=両国国技館(山田俊介撮影) これらのどれにも私は反論できない。最後の「ジャーナリストとしての正しい態度ではないか」には、「そうですね。申し訳ない」と言うほかない。たしかに、正義を追求しなければジャーナリストではない。春日野部屋の暴行傷害事件隠蔽(いんぺい)が発覚したいまとなれば、私の姿勢は間違っていたと言うしかない。 すでに2007年の時点で、時津風部屋は17歳の力士を暴行死させている。このとき日本相撲協会は、再発防止を固く約束した。そして、2011年には八百長が発覚して裁判にもなったが、司法からお目こぼしをしてもらい、事なきを得ている。こんな経緯があるのに、結局協会はなにも変わっていない。もはや、注射がどうのなどと言っていられない。 ただし、言い訳を言わせてもらえば、私はジャーナリストとして論評したのではなく、相撲を絶えずウォッチングしてきた一ファンとして論評した。「清濁併せのむ」という言葉があるが、水をすべて清くてしまえば、魚は死んでしまう。表向きはスポーツだが、裏では談合が行われ、金銭のやり取りもある。ガチンコと注射が同時に行われる「格闘技ショー」が相撲である。 だから、清いスポーツだけになった途端、これまでの相撲相撲ではなくなり、歴史も伝統も国技もすべて吹っ飛んでしまう。「大横綱」大鵬の優勝32回も、「国民栄誉賞横綱」千代の富士の53連勝も、白鵬の最多優勝40回と63連勝も、全部吹っ飛んでしまう。すべて注射なしでは成りたたなかった記録だからだ。したがって、「それでいいのだろうか?」という気持ちがまだかすかにある。新興宗教に洗脳された殉教者 ガチンコで22回優勝した貴乃花親方が、ガチンコを貫いたからこそ「相撲道」を追求し、相撲はどこまでもフェアでなければいけないと考えるのは十分に理解できる。しかし、どんなに歴史をさかのぼっても、相撲に「道」など存在しない。あるとすれば、それぞれの力士のなかにそれぞれ別個に存在しているだけだ。そして、それらは多くの場合、単に相撲はこうあらねばならないと洗脳された結果だ。 貴乃花親方は、「偉大なる阿闍梨(あじゃり)」池口恵観法師に送ったメールに《“観るものを魅了する”大相撲の起源を取り戻すべくの現世への生まれ変わりの私の天命があると心得ており、毘沙門天(炎)を心にしたため己に克つをを実践しております》(原文ママ、『週刊朝日』2017年12月12日号)と書いているので、「張り手&カチ上げ横綱」としてもっと稼ごうとしている白鵬より、はるかに志が高い。しかし、相撲教習所に掲げられている「角道の精華」を信じているので、こうなるとまるで新興宗教に洗脳された殉教者だ。 「相撲道」=「角道」という以上、「相撲とはなにか?」を具体的に定義しなければならない。そうして初めて「道」として語れる。では、相撲とはなんだろうか。これに関しては、私に忘れられない思い出がある。以下、その思い出のもとになる『週刊文春』のコラム記事を引用する。“縄好調”千代の富士に英国賭博会社の大ボヤキ 千代の富士の意外な(?)絶好調に青ざめているのがダイノサイト社。おなじみ英国政府公認の賭博会社だ。 九州場所の優勝力士当てで、病み上がりの千代の富士に5倍のオッズをつけたら投票が殺到。10万円単位で勝負してくる客がいたりで、最終オッズは2.2に下がってしまう。「しかし、オッズ5倍のときに買った客は5倍の配当が支払われるため、千代が優勝したら胴元は大赤字です」(関係者) 旭富士は胴元のつけた2.8倍のままで、北勝海は3.5倍→3.8倍、霧島は4倍→3.4倍と大きな変動がなかったのを見ても、千代に大量投票が集まったのは明らかだ。「胴元、日本シリーズのMVP当てでも、デストラーデに40倍をつけて3千万円近い赤字を出した。『日本人は遊びを知らない、本気で大金を賭けてくる』とボヤいてます」(同) エコノミック・アニマルをナメたらいかんぜよ。『週刊文春』1990年11月29日号 とのことなのだが、この後、英ブックメーカーは本当に青ざめることになった。千代の富士が優勝してしまったからだ。これで多大な損失をかぶったうえ、さらに富山県在住の日本人会員に任意の2力士のマッチベットに大金を賭けられてこれも当てられ、なんと2500万円もの配当(リターン)を払わなければならなかったからだ。1989年7月、大相撲名古屋場所千秋楽の優勝決定戦、上手投げで北勝海を下す千代の富士。奥は審判をする北の湖親方 このとき、知り合いの日本在住の英国人記者が、私に聞いてきた。彼はブックメーカーが本命にした横綱旭富士を買って外していた。相撲は『フェアリープレー』だな 「なんで千代の富士にあんな大金を賭けられるのか教えてほしい。千代の富士は休み明けだ。競馬だったら、絶対にこない。だからブックメーカーもオッズを5倍にしたのに」。彼の質問はもっともだった。場所前、千代の富士は休場明けで稽古も足りていないとスポーツ紙は報道していた。それに比べて、夏場所と秋場所を連覇してきた旭富士は絶好調だと伝えられていた。私の答えは書くまでもない。「相撲はフェアプレーではないからね。力士たちは土俵の外で星(勝敗)の売り買いをしているんだ」「まさか」「知らなかったのか?」「ああ。となると、相撲はフェアプレーではなくて『フェアリープレー』だな」 さすがに英国人。ジョークがきつかった。フェアリーとは「fairy」で「妖精」のこと。フェアリーテールは「おとぎ話」だから、フェアリープレーはさしずめ「おとぎ遊び」になるだろう。相撲はフェアリープレー。この言葉はその後、ずっと私の頭の中に残った。 ところで、「相撲道」と言われて思うのは「横綱の品格」である。こちらもなんだかわからない。定義がない。 1992年、千代の富士が引退後の土俵で、横綱昇進間違いなしの成績を残した大関小錦は、横綱審議委員会(横審)で推挙もされなかった。それで、米紙ニューヨーク・タイムズは「小錦が横綱になれないのは人種差別のせい」という記事を載せた。要するに、外国人は品格が理解できないとして不当に差別されていると言うのだ。2010年2月、大相撲初場所中に起こした泥酔暴行問題の責任を取り、引退表明した横綱朝青龍=両国国技館(千村安雄撮影) 当時、作家の児島襄氏が『文藝春秋』に「『外人横綱』は要らない」という論文を寄稿していた。そこには、「国技である相撲は、守礼を基本とする日本の精神文化そのものであり、歴史や言語の違う外国人には理解できない」とあり、明らかに「横綱の品格」は日本人だけしか持ち合わせないものになっていた。 しかし、その後、曙、武蔵丸、朝青龍と、外国人横綱が次々誕生した。なんのことはない、外国人にも「品格」があることになってしまったのである。そのため、白鵬の「あれは待っただイチャモン」と「千秋楽みんなでバンザイ」が問題視されることになった。 このようにすべてはいい加減、そのときのムード、風潮、空気で決まる。この空気で物事が決まるというのは日本独特の文化だから、相撲はその意味で日本の伝統文化といえる。ただし、空気は存在するが、それを証明することはできない。 朝青龍は「品格」について悩んでいたという話がある。NHKの刈屋富士雄アナウンサーが相撲中継の折に、一つのエピソードとして語ったところによると、朝青龍は刈屋アナに品格とはなにかと何度も聞いてきたという。それで、刈屋アナは「人よりも自分に厳しいこと。人よりも努力をすること。そして、人に対して優しくあること」を挙げたという。朝青龍はこれを聞いてうなずいたそうだが、「それよりも勝つことのほうが大事なんじゃないか」と言ったという。道を究める必要などない どう見ても、これは朝青龍の認識のほうが正しい。このウルトラ現実主義ゆえに、朝青龍は巡業をサボって「草サッカー」をやって追放されてしまった。 日本ではどんなものにでも「道」をつけて、精神的なものに仕立てあげる。そして、入門してきた弟子たちに、精神を磨かせ、精進して道を究めさせるということになっている。「華道」「茶道」「書道」「剣道」「合気道」―みなしかりだ。 しかし、「華道」は花を活(い)けること、「茶道」はお茶をいれること、「書道」は筆で文字を書くことである。いずれも精神性などなくともできる。例えば、○○の花は茎を何センチに切って、角度は何十度に活けるなどとやれば、「華道の精神(心)」などなくても作品はでき、できた作品には心が宿っているように見えるだろう。 しかし、実際にはそうは言わない。「いまこの季節を感じさせるように、心込めて、このように、こうして剣山に1本ずつ差していきます」などと言うだけだ。これでは、入門して自分の目で確かめなければなにもできない。 そう考えると、日本の「道」は、本当はマニュアル化できてしまうのに、わざとそれをつくらずに、ない心をあるように見せかけているだけのように思える。まさに、ものすごいビジネスの知恵である。いまは、3Dプリンターでなんでもできる時代だ。かつて匠の技とされたものは、分解再生すれば、単なる複雑な工程にすぎない。どこに、道を究める必要があるだろうか。 相撲道も同じだ。マニュアル化、定義化したら、ないことがバレてしまうので、精神性にすり替えている。ルールブックを整備し、フェアプレーだけにしてしまうと、「道」も「品格」もなくなってしまうだろう。2010年7月、各部屋の力士が持ち帰る、解雇された元大関琴光喜の名前が入った大相撲名古屋場所の番付表=愛知県体育館 しかし、いまだに騒動が続く相撲界を見て思うのは、ここまで事態が泥沼化したというのに、なぜ誰もハッキリと真実を言い、私にクレームした「正義の使者」たちのような提言をしないのだろうか。相撲は虚構の上に成り立っているのだから、スポーツから外しましょうと。 いまだに相撲は新聞ではスポーツ欄に載り、テレビではスポーツニュースとして報道される。NHKは全国に生放送して、「一番一番」を垂れ流している。注射力士たちがトクをして、ガチンコ力士がソンをしているなどと、一度も言ったことがない。 それにつけても思うのは、角界を去っていった力士たちが、この状況をどう見ているのだろうかということだ。ばくちで負け続けて借金がかさみ、朝青龍に27連敗した元大関琴光喜はなにを思っているだろうか。2011年の八百長事件で、八百長を認めざるを得なくなった恵那司、春日錦、千代白鵬の3人は、どうしているだろうか。「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」とメールした清瀬海はどうしているだろうか。 テレビ局よ、できればこうした元力士たちを生出演させて、思い切り語らせてほしい。このままでは、この騒動に千秋楽は訪れないだろう。

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    貴乃花親方が「狂信的なカルト信者」に思えてきた

    杉江義浩(ジャーナリスト) 相撲が日本の国技であり神事でもある、という考え方には異論をはさむ人も、もしかしたらいるかもしれません。別に法律でそう定められているわけではなく、日本相撲協会が定款でそう名乗っているだけだからです。 一方で相撲をレスリングやボクシングのような、フルコンタクト系格闘技の一つとして、単にスポーツであると位置づけるのはもっと無理があります。古事記に由来する相撲の歴史をひもとくまでもなく、相撲が神道に基づくものであり、世界に類を見ない日本独自の重要な伝統文化であることは、誰の目にもあきらかでしょう。 私は相撲を一つの美学だと考えています。美学であるからこそ横綱には品格が求められます。また良い一番だった、良くない取組だったという、勝敗とは別の要素で評価をされることもしばしばあります。ルールブックのみに基づくのではなく、礼儀・所作をより重視したマナーの観点がそこにはあります。「大相撲beyond2020場所」で三段構えを披露する白鵬関(左)と稀勢の里関=2017年10月、両国国技館(代表撮影) 最近では横綱白鵬が「張り差し」や、「肘(ひじ)打ち」とも見られる「カチアゲ」といった打撃系の技を多用し、横綱らしい取り口ではない、と非難されるケースが多く見られました。相撲の禁じ手には「肘打ち」は含まれませんから、白鵬がスポーツとしてルール違反をしたわけではありません。 しかし顔面や頭部への「肘打ち」は深刻なダメージをもたらすため、ほとんどの格闘技においては禁止されています。私もこの技を見て危険だと思うだけではなく、相撲として美しくないと感じました。 もちろん禁じ手でなければどんな攻め方をしてもルール上はよいわけです。ローキックさえも許されます。でもはたして観客は、掌底(しょうてい)による張り手やローキックの応酬による、キックボクシングみたいな取り口の相撲を見たいと思うでしょうか。 考えてみれば相撲をスポーツとして捉えると、ルール自体は意外と曖昧で、それ以前にあうんの呼吸やしきたりで成り立っている、というべきかも知れません。もっとも重要な試合開始の瞬間さえも、互いの力士があうんの呼吸で決めているわけです。 「ゴングが鳴らない唯一の格闘技」とイギリス人の生物学者、ライアル・ワトソンは述べていますが、立ち会いの瞬間は行事が決めるのではありません。両方の力士が互いに目を合わせ、腰を下げて気迫が十分に満ち満ちたと思った瞬間が試合開始です。 その際には両者が左右の手を完全に下まで降ろしていることが、正しい立ち会いとされていますが、実際には努力目標といったところでしょう。両手が地面につかずとも、両者合意で立ち会い成功に至るケースは、しばしば見かけることがあります。重要なのは「あうん」の呼吸 立ち会いまでの、仕切りと呼ばれる時間の制限についても、NHKが中継をするようになって決められましたが、かつては両方の力士の呼吸が合うまで、好きなだけ時間を使って仕切り直しをすることができました。なんとも日本的な、あうんの呼吸で重要なことを決める、独特のシステムではないでしょうか。 さらに暗黙のマナーとして、横綱や大関が格下の力士に対して小細工を弄(ろう)するような技、関節技などを用いるべきではない、というもの。取り組み前に、滑らないように胸や腹の汗は拭っておくこと、など基本的な約束事が道徳としてあると言われています。 かつて角界のプリンスと言われた貴乃花親方は、「力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事」に始まる10カ条の訓辞を掲げています。力士道と「道」の文字を使っていることから、親方が弟子の道徳教育に熱心であったことは、たしかにうかがい知れます。  昨年貴ノ岩が暴行を受けた事件で、親方が日本相撲協会の危機管理委員会に非協力的だったのも、その弟子を思う熱心さゆえに、組織との信頼関係が築けなかったのが原因だったのだと言う意見も、多く聞かされました。理事会に出席した貴乃花親方(左)=2017年12月、東京・両国国技館(桐原正道撮影) しかし実態はどうでしょうか。貴乃花親方の目指す相撲の姿、伝統美と厳密なガチンコ相撲を両立させようとする理想像は、致命的な矛盾をはらんでおり、無理があります。これこそが相撲協会に受け入れられない真の理由だと私は考えます。伝統美の継承と、厳密なガチンコの二兎を追うことは、そもそも混乱を招くだけではないかと、私は常々思ってきました。 厳密な意味でのガチンコというのは存在しない、と私は考えています。理由は簡単。そんなことをすれば、お相撲さんが死んでしまうからです。究極のガチンコとは、立ち会いの瞬間に互いに頭と頭でぶつかり合うことです。新弟子の朝稽古では必ず最初にやらされます。しかしたちまち脳震盪(のうしんとう)を起こすので、まもなく左右どちらかの肩にぶつかる、安全なスタイルに切り替えられるのです。 その時点でもうガチンコではありません。大相撲は6場所15日間、大きなケガをせずに力士たちに土俵に上がってもらい、美しい相撲を観客に披露するのが第一の使命です。もし単なる格闘技、スポーツとして厳密なガチンコを追求すれば、ケガで休場する力士が続出するでしょう。頭突きや打撃系の技で、血まみれになった土俵を、はたして美しいと感じられるでしょうか。 二律背反である伝統美とガチンコを、両立できると信じている貴乃花親方は、もはや科学的にはありえない「神風が吹く」といった思想の域に達していると感じます。狂信的なカルト宗教の信者なのでは、とさえ私には思えるくらいです。現実的に伝統文化の継承を目指す日本相撲協会と貴乃花親方とでは、描いている理想像が異なるのが当然だと言えるでしょう。横綱は神の「依り代」 公然と星のやりとりをする八百長はいけませんが、全力でぶつかりながらも自分がケガをしない、相手にケガをさせない、といったあうんの呼吸による調整は絶対必要です。そういった曖昧な部分も含めての、限りなくガチンコに近い全力試合をする、というのが、いかにも日本的な相撲道の本質だと思います。 ちなみに日本の国技であり、神事でもある大相撲ですが、その担い手は、今やご存じのようにモンゴル人をはじめとする外国人力士たちに頼らざるを得ない状況です。その前は高見山、小錦、武蔵丸といったハワイ系アメリカ人に頼っていました。  私が相撲に関するニュースで最もショックだったのは、2007年の名古屋場所における、新弟子検査の受検者がゼロであったという、小さな新聞の囲み記事でした。おりしも時津風部屋力士暴行致死事件も発覚し、もはや日本人の若者で、力士を目指すものはいないのではないか、と暗澹(あんたん)たる気持ちになったのを覚えています。 大相撲では番付が十両に上がって、ようやく年収1600万円の報酬があるというものの、年間6場所15日、その間の地方巡業など長期にわたる拘束日数を考えると、他のプロスポーツ選手に比べて、決して割のいい商売とは言えない側面があるのは否めない事実です。明治神宮で奉納土俵入りをする横綱白鵬(右)=2018年1月、東京都渋谷区(宮崎瑞穂撮影) 恵まれた肉体を持った小中学生男子が、将来はお相撲さんよりはプロ野球選手に、あるいはプロサッカー選手になりたいと希望するのも、無理はない気がします。伝統文化という重たい職責を背負わされて、前近代的とも思われる厳しい稽古に耐えるには、それ相応の魅力がなければなりません。 最高のフィジカル・エリートとしてのプライドを持てること同時に、幕下からそれなりの報酬が保証され、横綱になれば億単位の報酬が得られるという金銭的なインセンティブが必要でしょう。それを裏付けるには、観戦料を高くしなければなりませんが、私にはそれはやむを得ないことのように思えます。 相撲は他のスポーツのようにシューズメーカーからウェアメーカーまで国際的なスポンサーがつく業界とは違って、あくまでも日本に来てもらい、観戦料を払って伝統文化に触れてもらう、典型的なインバウンド業界です。そこに日本の伝統美を感じてもらい、その精神を楽しんでもらうことができるなら、力士の国籍に関係なく熱狂的なファンをつかむことができるはずです。 求められているのは、勝敗よりも美意識です。あくまでも日本の文化として相撲の美学を貫くことによってこそ、知日派の外国人にも訴求できるはずです。例えばフランスのサルコジ元大統領は相撲を嫌ったが、シラク元大統領は大の相撲ファンだったというのは有名な話です。単なる格闘技、スポーツであれば、そこまで人を引きつけることはできなかったでしょう。 そこに相撲道という哲学がある限り、相撲は世界中の人に愛され親しまれていく可能性を十分に秘めている、日本の誇るべき伝統文化だといえます。それだけに力士たち、とりわけ綱を身につけ神の「依り代」となる横綱には、日本の美学を代表する存在として、誰からも尊敬される精神の高みを担う、特別な覚悟を持って日々を送ってもらいたいものです。

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    「はっけよい」古事記から読み解く神事としての大相撲

    小名木善行(国史研究家) 相撲界でのトラブルが話題となっています。テレビの報道番組では、国会より、そして北朝鮮問題よりもこの相撲界のトラブルの話題でもちきりです。相撲はレスリングの興行でもなければ、勝敗を競うスポーツでもありません。神事としての奉納相撲がその起源となります。ですから、行司は神官の姿をしますし、掛け声も「はっけよい、のこった」です。 これは易占いの「八卦(はっけ)良い」からきているという俗説がありますが、そうなると「のこった(残った)」の説明がつきません。それよりも、大和言葉の「はつき、よひ」を語源とするのが自然ではないでしょうか。これは「初の気は良い。だからがんばって残れ!」という意味の古い大和言葉です。「初の気」というのは、神々によって祝福を与えられているという意味ですから、もっとかみ砕いていえば、「神々の祝福が与えられているぞ。がんばって残れ!」といった意味になります。野見宿禰 相撲の歴史は古く、『古事記』の葦原中国平定の神話にまでさかのぼります。建御雷神(たけみかつちのかみ)に出雲の建御名方神(たけみなかたのかみ)が「然欲為力競(ちからくらべをなすことをほっする)」と言って、建御雷神の腕をとって投げようとしたという神事が発端になります。 この後、建御名方神が諏訪にお鎮まりになられて、諏訪大社の御祭神となられています。それが何百年前のことなのか、いまではまったくわかりませんが、少なくとも初代天皇であられる神武天皇が即位されたよりも古い時代ですから紀元前7世紀よりも、もっとずっと古い昔から続く、相撲はわが国の伝統神事となっているわけです。 相撲の始祖とされているのは、野見宿禰(のうみのすくね)と当麻蹴速(とうまのけはや)の試合です。この試合は紀元前23年の垂仁天皇の時代にあった出来事です。野見宿禰は、天穂日命(あめのほひのみこと)の一四世の子孫と伝えられる出雲国の勇士です。このことは日本書紀に詳しく書かれています。 第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)が即位して7年たった7月7日のこと、天皇の近習が、「當麻邑(とうまむら)に當摩蹶速(とうまのけはや)という名のおそろしく勇敢な人がいて、力が強く、日頃から周囲の人に国中を探してもわが力に比べる者はいない。どこかに強力者(ちからこわきもの)がいたら、死生を問わずに、全力で争力(ちからくらべ)をしたいものだ」と言っていると述べました。天皇はこれを聞くと、「朕も聞いている。當摩蹶速(とうまのけはや)は天下の力士という。果たしてこの人に並ぶ力士はいるだろうか」と群卿に問いました。一人の臣が言いました。「聞けば、出雲国に野見宿禰(のみのすくね)という勇士がいるそうです。この人を試しに召して蹶速(けはや)と当たらせてみたらいかがでしょう」 そこで倭直(やまとのあたい)の先祖の長尾市(ながおち)を遣(つか)わして、野見宿禰を呼び寄せました。即日、両者は相対して立ち、それぞれが足を上げて相い踏み、激突して野見宿禰が當摩蹶速の肋骨を踏み折りました。またその腰骨を踏み折って殺しました。 勝者となった野見宿禰には、大和国の當麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えました。野見宿禰は、その土地にとどまって朝廷に仕えました。(中略)垂仁天皇の皇后であられた日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が崩御されたとき、殉死に代えて人の形をした土器を埋めることを提案したのも野見宿禰です。これが皆さまもよくご存じの埴輪(はにわ)の由来です。 ※原文・読み下し:『古典文学体系 日本書紀(上)』(岩波書店)、現代語訳:小名木善行 さて、文中に7月7日という記述がありましたが、つい最近まで、毎年田植えが終わった7月に、全国で町や村の青年たちによる奉納神前相撲が行われていたのは、この野見宿禰の試合に依拠します。そしてこのときの試合で両者が足を挙げて四股(しこ)を踏んでいますが、これもまた現代まで続く相撲の四股そのものです。勝率96%だった伝説の力士 古事記のなかの短い一節の中でも、野見宿禰が勝っておごらず、どこまでも人の命を大切にした人物であったことが説かれています。敗れた當摩蹶速も、はじめから死生を問わずに全力で戦うと宣言し、本人は亡くなってしまいますが、その身内衆も、敗れて腐ったりしていません。 つまり力士というのは、ただ力が強くて並ぶべき人もいない強者というだけでなく、勝敗を超えたところに力士という存在があり、同時に力士は人々の生命を救う優しさを持った人物であることが説かれているわけです。 相撲界では、親方がまさに親となって力士を育て、力士は精進して大関となり、さらに人格識見ともに優れた力士と認められた人が横綱となりました。ですから横綱は、神界の力士とこの世の力士の境にある注連縄(しめなわ)を横に張る、人々の模範となる偉大な存在とされてきたのです。そして勝って奢らず、負けて腐らず、相撲を極めた存在として尊敬を集めてきたのです。そして横綱であっても、親方の前では頭を垂れます。そうした姿がまた孝の道でもあったわけです。 相撲道について、わかりやすいエピソードをもうひとつご紹介したいと思います。雷電為右衛門(らいでんためえもん)と、浦風(うらかぜ)親方のお話です。 雷電為右衛門は江戸時代の人で、大相撲史上、古今未曾有(みぞう)の「最強力士」と呼ばれている力士です。幕下を飛ばして、いきなり関脇でデビューしたと思ったら、初場所でいきなり優勝。以降、幕内通算成績は、35場所で、254勝10敗2分14預5無勝負です。優勝回数は27回。この時代の大相撲は年2場所制です。いまは、年6場所制です。年6場所になった現在でも優勝回数は白鵬の40回が最高ですから、雷電の年2場所時代の優勝27回が、どれだけすごい成績かわかると思います。ちなみに大鵬の幕内勝率は83.7%に対し、雷電は勝率96.2%です。これもまた、現在に至るも更新されていない記録です。雷電為右衛門の錦絵 そんな雷電は、下積み時代が長い力士でもありました。雷電を育てた浦風親方は、雷電の資質を見抜いていました。だからこそ、彼を本物の力士に育てるため、いつ幕内に出しても全勝間違いなしとわかっていながら、6年間も見習い力士のまま、彼を据え置いていたのです。 そしてただ相撲が強いだけでなく、書も達者で、人格も見事な、やさしさのある本物の力士をつくり上げました。浦風親方は、本当に立派な親方であったと思います。なぜなら、浦風親方は、ただ試合に勝つ力士を育てたのではなく、どこまでも「人を育てた親方」であるからです。雷電も、親方の配慮によく耐え、我慢し、人一倍練習に励みました。 そんな雷電に、ようやく初土俵の話が持ち込まれたのが、寛政2(1790)年11月のことです。寛政2年といえば、松平定信が寛政の改革を打ち出していた時代にあたります。雷電は、江戸の興行で、いきなり西方の関脇付け出しで初土俵を踏みました。 番付は、実力者で小結だった柏戸勘太夫よりも上におかれたスタートです。これは、普通ではありえないスタートです。雷電の初土俵の取り組み相手は、大柄な八角という名の猛者でした。立合いざま雷電は、右手一発の張り手を繰り出しました。この一発で大男の八角は、土俵の外まで吹っ飛ばされてしまったそうです。 さらに雷電は、この場所で横綱免許の小野川喜三郎とさえ預かり相撲(引き分け)としてしまいました。初場所でいきなり8勝2預り、負けなしです。両腕の骨を砕いた荒業 江戸相撲の一行が、小田原で巡業したときのことです。小田原に大岩というならず者がいました。この大岩が、地元で大関を張っていて、これがメチャクチャ強くて、江戸力士が挑んでもまるで歯が立ちません。ですから大岩は、江戸力士を頭から小馬鹿にしていました。 そんな大岩に、かつて投げ殺された力士の遺族から、雷電は「なんとしても仇討ちを」と頼まれました。雷電は、大群衆の見守る中で、大岩と土俵で対決することになりました。両者は、互いに土俵の上で激突しました。このとき雷電は、大岩にもっとも都合のよい組み手を意図して取らせました。「雷電不利!」と見ている誰もが思いました。 そのとき、おもむろに大岩の腕の外側から自分の腕をまわした雷電は、そのまま大岩の両腕を絞め上げました。相撲の荒業、閂(かんぬき)です。そしてそのまま大岩の両腕の骨を砕くと、激痛におののく大岩を土俵の外に振り飛ばしました。 このように、雷電は、あまりに強すぎたため、ハンデを負わされました。「張り手」「鉄砲」「閂(かんぬき)」。この3つの技が雷電にだけ、禁じられたのです。それでいて、勝率96パーセントという脅威の成績を残したのですから、いかに雷電が強かったが、わかります。 その後、雷電為右衛門は、現役力士のまま、出雲国松江藩の松平家のお抱え力士になり、文政8(1825)年、雷電は、59歳で短い命を終えました。 日本武道の精神は「心・技・体」です。何ものにも負けない強い心を鍛え、そのために技を磨き、結果として体力が身につくとされます。 西洋の格闘技は、「力と技」です。筋力があり、技がきれて、試合に勝てればそれで良い。人柄は問題になりません。だから試合に勝つと、リングのコーナーロープに登って、ガッツポーズをして猛獣のように吼(ほ)えます。それはそれで興行としては面白いのかもしれません。 しかし、どんなに試合に勝ったとしても、心が貧しくて人格が歪んでいたら、それでは人間として失格です。日本武道では、試合に勝つことよりも、己に厳しい心を涵養(かんよう)することが奨励されました。だから最強の力士には、最高の人格が求められました。雷電の勝ち手は常に壮絶なものだったけれど、彼は勝って奢らず、敗者にも実に謙虚にやさしく接した力士でした。 試合は、いつだって勝ち負けがあるものです。雷電だって、生涯勝ち続けたわけではなく、少なくとも10番は負け勝負があります。勝つことは、もちろん大事なことです。しかし「勝つ」というのは、何も試合に勝つことだけを意味するのではありません。出雲大社で土俵入りを披露する大相撲の横綱、白鵬=2013年10月23日  最近では、勝った力士がガッツポーズをとってもいい、などと言う評論家もいるようですが、それは間違っています。勝ってなお、三度を切って奢らない。自分で誇らなくたって、ちゃんとお客さんは見てくれているのです。それが日本の武人です。 雷電が6年間も親方から幕内出場を許されなかったことで、雷電は人として成長し、誰にも負けない実績を残し、逝去してすでに200年も経っているのに、雷電をしのぐ力士が現れないほどの大物になりました。 それは雷電の試合での強さばかりではなく、親方に鍛えられた心の成果です。そして、これこそ日本相撲が、日本人の誰からも愛され続けた原点なのです。2千年以上も長い伝統を持った相撲をこれからも日本人として大切にしていかなければならないと、切に思います。

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    白鵬よ、「相撲道は礼に始まる」をもうお忘れか

    荒井太郎(相撲ジャーナリスト) 「品格、力量抜群に付、横綱に推挙す」。横綱推挙状の文面にはそう記されている。ただ強いだけでは横綱にはなれない。品格が力量より先に挙げられているのは、その重要性が強さ以上であるからだろう。 それでも昭和の時代までは「品格」が問題視されるケースはほとんどなかったように思う。大きくクローズアップされたのは、ハワイ出身の小錦が全盛の頃。綱取りに挑んでいた平成4年3月場所中に発行された『文藝春秋4月号』で、横綱審議委員でもあった児島襄氏が「外国人横綱は要らない」と述べ、「外国人には横綱に必要な品格は得られない」などと持論を展開した。当時としても暴論と思えるが、小錦の土俵上の態度が横綱としてふさわしくないといった議論も協会内外では噴出した。  その後、15年1月場所後の横綱審議委員会では、満場一致で朝青龍の横綱昇進を決めたが、内館牧子委員(当時)からは「品格を直してほしいと注文し、親方に指導をお願いした」と、ここでも「品格」が取り沙汰された。 内館氏の懸念は残念ながら的中してしまう。夏巡業休場中に母国モンゴルでサッカーに興じて2場所の出場停止、前代未聞の土俵上でのガッツポーズ、極めつけは場所中にもかかわらず泥酔して知人男性を暴行し、最後は「強制引退」に追い込まれた。くしくも朝青龍事件以降、外国人横綱の「品格」は常につきまとうことになる。退断髪披露大相撲で最後の土俵入りをする横綱・朝青龍=2010年10月3日、東京都(撮影・千村安雄) 朝青龍とは対照的に「優等生」と思われてきた同じモンゴル出身の後輩横綱、白鵬もまた次第に土俵上の態度が荒々しくなっていく。勝敗が決まった後のダメ押しで相手を土俵下につき飛ばしたり、「子供が見ても分かるような相撲。なぜ、取り直しにしたのか」などと発言し、審判部を痛烈に批判。立ち合いが成立したにもかかわらず、自ら物言いをつけて土俵上で立ち尽くす暴挙に出たのは記憶に新しい。 そもそも「品格」とは何か。日本人でも、その意味を明快に説明するのは難しい。しかし、多くの社会人は無意識のうちに実践していることではないだろうか。取引先に失礼のないように言動には気をつける、上司や先輩を立てる、礼儀や一般常識をわきまえて行動する。こうした立ち居振る舞いもその一例と言える。 かつて元横綱で相撲解説者の北の富士勝昭氏は自身の現役時代を振り返り、こんなことを言っていた。  「日ごろから『品格』を特別に意識したことはなかった。普通に行動していただけでよくない行いがあれば反省し、改めればいいだけの話だ」白鵬の「かち上げ」はプロレス技に近い 「横綱は神様だ」という言葉をよく耳にする。自身を律する意味で自らそう発言した横綱も過去にはいた。相撲は神事が起源であることや、真摯(しんし)に相撲道を追求し69連勝という金字塔を打ち立てた昭和戦前の大横綱双葉山が、今も理想の力士像と位置づけられていることなどがその根拠だと思われる。しかし、横綱といえども聖人君子でもなければ、何もかもが完璧であるわけではない。当の双葉山本人が「横綱とは他の力士より、ちょっと強いだけで偉くも何ともないんだ」という言葉を残したとも伝わる。 角界に入門した新弟子はまず半年間、国技館内にある相撲教習所に通う。そこでは基本となる実技や教養を身につけるのだが、真っ先に教わるのが「相撲は礼に始まり、礼に終わる」という教えである。土俵に入るときは相手と向かい合って立礼を行い、勝負が決した後も互いに礼をして土俵を下りる。礼は相手や土俵に向けた敬意を表す。どんなに強くても相手がいなければ勝つこともできなければ、そもそも勝負は成り立たない。土俵があるからこそ、相撲が取れる。力士なら誰もが決して忘れてはならない心構えだ。そこを踏み外さなければ「品格」もおのずと備わってくるだろう。 昨年末、横綱審議委員会の北村正任委員長が横綱白鵬の取り口について「張り手、かち上げは横綱相撲とは到底言えない。美しくない。見たくない」といった多数の投書が自身や委員会宛てに来たことを明かし、その取り口を痛烈に批判した。これに対し「張り手やかち上げもルールでは認められている」「だめなら禁止にすればいい」といった反論もテレビのワイドショーなどでは、少なからず沸き起こった。相撲冬巡業・沖縄場所 横綱土俵入りを披露する白鵬 =2017年12月16日、沖縄・宜野湾市の沖縄コンベンションセンター(共同)1 相撲を取材する立場から言わせてもらえれば、白鵬のかち上げは本来のそれとは似て非なるものである。現に大関髙安のかち上げは批判の対象にはなっていない。かち上げとは相手の胸から顎の下あたりを突き上げて上体を起こす攻め方を言う。相手の顔面を狙う白鵬のそれはプロレス技のエルボーに近く、過去には相手を失神させたり、眼窩(がんか)底骨折に追い込んだりしたこともあった。言うまでもなく、これは危険極まりない行為だ。 そこに相手への敬意はあるのか。張り手、かち上げ(エルボー)を「封印」された白鵬だが適応力抜群の横綱のこと、試行錯誤を経て新たな立ち合いを編み出すことだろう。ただし、そこには「礼に始まり、礼に終わる」という相撲道の基本精神が宿ってなくてはならない。数々の大記録を更新できたのも、対戦相手がいたからこそなのだから。

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    相撲は力ではなく流れ」白鵬が語った横綱論

    明確かつ具体的なコメントをしてくれた。 その中でもとくに印象に残っているのは、白鵬自身の考える「横綱相撲」とはどういうものか、である。日本人の相撲ファンは往年の大鵬や貴乃花のように、相手の相撲をがっちり受け止め、堂々と寄り切る相撲を「横綱相撲」と認識しているが、白鵬は丁寧に言葉を選びながらこう言った。 「まあ、やっぱり、寄り切りで、一番安全な相撲ですね。こう、押していけばそうなる。相撲には流れがありますから、流れるときは流れて、こっちから出るときは出る。それで勝つのが昔ながらの横綱相撲じゃないかと、ぼくの中では思うわけですよ」 「ただ、それ(横綱相撲)、最近の(ファンの)人たちにはわからないんじゃないかな。奥が深い相撲はね。見ていても、全然面白くないでしょう。やっぱり、(観戦に)来てるお客さんたちは、激しく豪快な相撲を見たいわけですから」 その「激しく豪快な相撲」の好例として、白鵬は意外にも、当時のライバルだった朝青龍の相撲を挙げた。「いま、(ファンやマスコミの)みなさんが好きなのはああいう相撲だよね。これまでになかったスタイルの相撲だから」と言うのである。寄り倒しで横綱・朝青龍(左)を破り、全勝優勝を阻んだ大関・白鵬 =2006年7月23日、名古屋市(共同) 白鵬はいま、相撲が横綱らしくない、取り口が汚い、などと批判されている。が、白鵬は白鵬なりに、「昔ながらの横綱相撲」とは何かを理解していた。実際に、土俵でもそれをやって見せていた。にもかかわらず、客席が沸くのは常に天衣無縫に暴れ回る朝青龍のほうだったのだ。そんなジレンマに加えて、いつまでも〝優等生〟を演じることに我慢がならず、もっと好きなように相撲を取りたい、と思うようになったのではないか。白鵬の哲学「相撲は力ではなく流れ」 最近、よくタイミングをずらす、張り差しが多い、と批判されている立ち合いについても、白鵬は当時から自分なりの哲学を持っていた。そもそも「立ち合い自体が相撲にしかない独特のものだから」と、こう言うのだ。 「ああいう始め方をするのは相撲だけです。ボクシングならゴングが鳴るし、柔道は審判が〝始め!〟と言うし。陸上でも球技でも、選手は別の人に〝ヨーイドン!〟と言われて始めるでしょう」 「相撲は相手との間合いというか、お互いに呼吸を合わせて始まる。その立ち合いが成立したところで、行司が軍配を返してね。そういう意味で、相撲は力じゃない。相撲は流れなんですよ。流れがあって、その流れがちょっとでもズレたら負ける。いくら横綱でも」 相撲ならではの流れを読み、ときには流れに任せ、ときには流れを支配し、最後に勝つ。それが白鵬の考える「横綱相撲」だとすれば、現在のような立ち合いに変わったのも当然かもしれない。それが、貴乃花親方や日本人のファンの目にどう映ろうとも、だ。明治神宮で奉納土俵入りをする横綱、白鵬=2018年1月9日午後、東京都(宮崎瑞穂撮影) ちなみに、仕切りで手を着くルールが厳格に適用されるようになったのは割と最近で、2008年のことである。いまは手を着いてないと行司に仕切り直しを命じられるが、昔は手を着いた力士のほうが逆に、「奇襲に出た」などと言われた。これについて、白鵬の意見はこうである。 「仕切りって面白いよね。昭和の初めのころは、ちゃんと手を着いてたんだ。その後は、もう、手を着かない。(昭和時代の相撲の)映像を見ても、全然、着いてない。いまじゃルール違反ですけど、当時はそれでよかったんだよね」 「だから、どういう時代の横綱が一番強いかというのは、難しいでしょう。どの時代の人が強いかは、相撲も違うし、やってみた人にしかわからないんだから。昔の時代と、いまの時代と、実際にやってみたらどっちが強いかというのも、難しいですよ」 現在進行中の日馬富士暴行問題にまつわる言動はともかくとして、24歳の白鵬は極めてまっとうな「相撲論」を語っていた。ボクシングや柔道に様々なタイプの王者がいるように、大相撲にもいろいろな個性を持つ横綱がいてもいいはずである。貴乃花親方の説く相撲道は確かに正論だが、だから白鵬が間違っているとは、私には言えない。あかさか・えいいち スポーツライター。1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒。日刊現代・スポーツ編集部記者を経て2006年独立。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」にレギュラー出演中。『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園――記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)、『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)、『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

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    白鵬と稀勢の里 黒星相撲に見る両横綱の対照的な心理

    アップ。記者会見などでの表情や仕草から、その人物の深層心理を推察する「今週の顔」。今回は、大荒れの大相撲初場所をウォッチ。 * * * 波乱が続く大相撲初場所、横綱白鵬だけでなく稀勢の里も休場となった。元横綱日馬富士の暴行問題で減給処分を受け、横綱審議委員会からは立ち合いでのかち上げや張り手を批判されていたが、2場所連続41度目の優勝を狙っていた白鵬。そして、ケガによる休場明け、「戦える準備ができた」と初場所前に語っていた稀勢の里。黒星となった取り組み後の様子から、対照的な二人の横綱の表情を見てみよう。 初場所3日目、稀勢の里が関脇の逸ノ城に破れると、場内は静まりかえった。だが白鵬が前頭の北勝富士に負けると歓声が上がった。立ち合いのタイミングが合わずに仕切り直し。組んだ後は押し出されて土俵の下に落ちた白鵬。顔を上げると、負けた時によくやる口を尖らせる仕草を見せた。自分の相撲に納得がいかないのか、終わったばかりの取り組みに不満があるのか、悔しさや納得がいかない、面白くないという気持ちを示しているのだろう。大相撲一月場所2日目の白鵬=2018年1月15日、両国国技館(撮影・中井誠) 左手を大きく振りながら土俵に戻ると、唇を固く結び一瞬、北勝富士を凝視する。礼をするように頭を下げたまま、くるりと背を向け、再び2度、口を尖らした。納得のいく相撲ができず、闘士がまだまだ納まらない。そんな印象の仕草ではないか。それだけ勝利へのこだわりが強いのだろう。花道を戻る時も口はへの字。よほど負けたことが悔しかったと推察できる。白鵬は比較的感情が表情や仕草に表れやすい力士である。表情や仕草でマイナス感情やストレスを表に出すことで、無意識のうちに自らの心を落ち着かせようとしているのかもしれない。 そして迎えた4日目、相手は関脇の嘉風。九州場所では土俵の外まで寄り切られて初黒星を喫した後、茫然とした顔で立ち上がり、左手を挙げて立ち合い不成立をアピール。行司の軍配が返っていたにも関わらず、物言いをつけて、横綱の品格を問われた時の対戦相手だ。 見合った時の表情はいつもと変わらないが、はたき込まれて土俵に手をついた。起き上がると、やはり口先を尖らしたものの、左手が力なくぶらぶらと揺れている。白鵬にしては珍しい左手の動き。勝った時は、当然のことながら左手を悠々と力強く振るし、負けた時でも、その手を力なく揺らすようなことは滅多にないのだ。ますます無表情になる稀勢の里 場所中、保ち続けているはずの集中力が一旦、途切れたのだろうか? それとも自分の取り組みへの落胆と言えばいいのだろうか? 戦意を喪失したような、どこか投げやりな手の動きなのだ。 だが、それも一瞬のこと。礼をすると、口を尖らして思い切り息を吐き、花道でも下唇を強く噛んだ。歯痒さといら立ちが大きいのだろうか。そして足を軽くひきずりながら、苦々しそうに顔をしかめ、鼻と眉間にシワを寄せた。その表情には、思うようにいかない怒りだけでなく、悲しみや恥への嫌悪感など、複雑な感情が入り混じっていたようだ。マイナス感情をあえて表に出すことで、自分の心にそんな感情が積み重ならないようにしていると思われる。 一方、稀勢の里はマイナス感情やストレスが表情や仕草に出にくく、内側に抑え、ため込みやすいタイプだ。そんな“おしん”のような耐える性格が、力士として愛される所以でもあるが、黒星が続くと、抑え込んだマイナス感情が膨らみ、気持ちに余裕がなくなってしまう。 4日目には大関琴奨菊に突き落としで金星を配し、土俵に転がった。起き上がると土俵際で右膝を立て、土俵に左手をつき、しばしうなだれた。そこには悔しさというより、失意と情けなさが透けて見える。土俵を下りてからも、一点を見つめたままだ。頭の中で今の取り組みを思い返し、「なぜだ? どこがいけない?」と自問しては堂々巡りになっているように見える。思いつめると、ますます動きがなくなり、無表情になっていくようだ。。大相撲初場所・5日目 嘉風(奥右)に押し倒しで敗れた稀勢の里。=2018年1月18日、両国国技館(撮影・蔵賢斗) それでも5日目の早朝稽古の後は「最後までやり抜く」とでコメントした稀勢の里。取り組みでは嘉風に押し倒され、土俵下に転落してしまった。視線を上げることなく礼をすると土俵を下りた。自分自身の相撲に自信がもてなくなったのだろう。横綱らしい相撲を取れない、見せられないという思いが強いのか、まっすぐに前を見ない。そのまま稀勢の里は、顔を上げてはいるものの視線を落とし、無表情で花道を戻っていった。視線の動きだけでなく、表情がないことで、かえって精神的な辛さを想像させてしまうのだ。 立ち合いに迷いがあると言われた白鵬、そして休場続きで相撲の勘が戻っていないと言われた稀勢の里。それぞれの心中はおもんばかるしかないが、なんとも重たい空気がたちこめる角界だけに、次の場所こそ、ぜひともスカッとする相撲を見せてほしいと願うばかりだ。関連記事■ 白鵬が相撲協会の人種差別匂わせる発言 単なる舌禍で済まず■ 稀勢の里が大鵬、隆の里、貴乃花に並ぶガチンコ横綱に■ 朝青龍、白鵬、稀勢の里ほか… 近年の大相撲名勝負3選■ 稀勢の里 綱取りは2015年の前半が最後のチャンスにと評論家■ 5月場所は支度部屋にも異変、白鵬が稀勢の下座に座る日

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    日本人力士よ、恥を知りなさい

    えた春場所も日本人力士を寄せ付けぬ圧倒的な強さで34度目の優勝を果たした。外国人力士に押されっ放しの相撲界。日本人力士たちよ、少しは恥を知りなさい。

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    白鵬よ、日本人の心を持て

    荒井太郎(相撲ジャーナリスト) 白鵬はいったい何に怒っていたのか。先の春場所では報道陣に背を向け続け、取組後の囲み取材では15日間、一言も口を開くことはなかった。その理由について一夜明け会見で「思いはたくさんありますけど、それが伝わらなかった。相撲だけに集中したかった」などと語った。 大相撲初場所 一夜明け会見をする横綱白鵬 =2015年1月26日、東京・墨田区(撮影・今井正人) そもそもの発端は、史上単独1位となる33回目の優勝を果たした初場所直後の一夜明け会見で、審判部を痛烈に批判したことだった。「疑惑の相撲があった。子供が見ても分かるような相撲。なぜ、取り直しにしたのか」と13日目の稀勢の里戦を取り直しにさせられた不満を一気にぶちまけた。結局は取り直しの一番でも勝利を収めるのだが3日も経って、しかも全勝優勝という有終の美を飾ったにもかかわらず、言わずにはいられなかった。さらにこうもまくし立てた。「肌の色は関係ない。この土俵に上がってマゲを結っていれば日本の魂。みんな同じ人間です」。 取り直しにされたのは背後に“人種差別”があるからだと言わんばかりの口ぶりだ。そして、怒りの矛先は審判部に向けられた。「ビデオ判定(係の審判員)は何をしていたのか。もう少し緊張感をもってやってもらいたい」と大先輩の親方衆に対し、まるで上司が部下を叱責するかのような“上から目線”の言いようだ。面目を潰された審判部は真っ向から反論。稀勢の里が俵を割るより前に白鵬の右足甲が裏返って先に土俵についていたことが、のちに決定的写真の存在もあって明らかになる。白鵬が「子供が見ても(自分が勝ちだと)分かる」とした相撲は、実は自分が負けにされていてもおかしくはなかったのだった。 やや唐突とも思える「肌の色」発言だが、そこに白鵬のいらだちがうかがえる。現役トップとしてこれまで角界をけん引してきたにもかかわらず、稀勢の里戦や遠藤戦では相手の大コールが沸き起こる“完全アウエー”の中で戦わなくてはならないことに虚しさを感じていても不思議ではない。ただ、こうした現象は多分に日本人特有の“判官贔屓”という気質が含まれており、王者の宿命であることはおそらく白鵬自身も理解していることだろう。 “ヒール役”になるのは何も外国出身力士だけではない。憎らしいほど強かった北の湖が全盛を誇っていた時代はこんなものではなかった。“肌の色発言”の真意はもっと深いところにありそうだ。 白鵬は引退後、親方となって弟子を育てたいという希望を持っている。すでに自らスカウトした幕内経験者で現在は三段目の山口や新十両の石浦を「内弟子」と公言し、マスコミでもしばしばこの2人は「白鵬の内弟子」として取り上げられている。しかし、日本相撲協会寄附行為施行細則第55条2の「年寄名跡の襲名は、日本国籍を有する者に限ることとする」という条件を白鵬は現時点で満たしていないため、「内弟子」という表現はルールに従えば正しくない。 こうした事実から、白鵬は大きな実績を盾に引退後は外国籍のまま、特例で協会に残ろうと画策しているようにもうかがえる。北の湖理事長は日本国籍を取得していない白鵬には、顕著な功績を残したケースに限り力士名のまま親方になれる「一代年寄」の資格を授与しないとする以前からの見解を変えるつもりがないことを昨年九州場所中、改めて表明した。 初場所後の一夜明け会見での白鵬の“暴発”は、前人未到の大記録を達成したことで緊張感が緩み、抑えていた感情が一気に噴出してしまったのかもしれない。本当の不満の矛先は審判部ではないとも考えられる。ここ最近の白鵬の土俵態度の悪化ぶりは特例が叶わず、万策が尽きたがための絶望感が根底にあるのではないだろうか。 一連の騒動後から一気に噴出した“白鵬バッシング”とも言える報道に、本人も相当戸惑ったに違いない。一言、謝罪なり弁明をしていたら、ここまで尾を引くことはなかっただろうが、そこにこそ、日本人とモンゴル人の文化や価値観の違いがあるような気がしてならない。大相撲初場所 千秋楽 史上最多となる33回目の優勝を15戦全勝で飾り、 父ムンフバトさんにキスされる白鵬。右手前は母タミルさん=両国国技館 誤解を恐れずに言えば、モンゴルでは強い男がことさらもてはやされる国である。小生は平成20年のモンゴル巡業を取材した経験があるが、そのことをヒシヒシと感じる場面は多々あった。「権力者やチャンピオンに対するリスペクトは尋常ではない」と現地のモンゴル人ガイドも言っていた。王者=ルールブックという風潮も強い。 春場所前、仕切りでの大きな咳払いがファンの注目を浴びていた千代鳳、琴勇輝に対し「犬じゃないんだから吠えるな」と白鵬は一喝した。部屋の師匠や協会幹部から注意されるのならともかく、いくら横綱とはいえ相撲界でもこれは完全な“越権行為”だ。しかし、モンゴル人の感覚からすれば、王者としての当然の発言だったのかもしれない。“審判部批判”も優勝回数で歴代トップに立った自分こそ、言う権利があると思っていたとしても不思議ではない。 いずれにしても「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「和を以て貴しとなす」「武士の情け」といった日本的精神がこの横綱からは見えてこない。我が国固有の伝統文化の世界で綱を締める者がそれでは困る。異国の地での文化や風習、言葉の壁を乗り越える苦労は想像に難くないが、それこそ肌の色が違っていても髷を結って土俵に上がる以上は、日本人の心を持っていなければならない。それでも自己を貫くのであれば、角界にとっても自身にとっても不幸な結末しかもたらさないだろう。朝青龍がそうであったように。荒井太郎(あらいたろう)1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供も多数。2015年1月に創刊した『相撲ファン』の監修を務める。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』など。関連記事■ プロレスはもはや「老人ホーム」になった■ 内も外もよく知る「二本」人たれ■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」

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    かげりが見えない白鵬 モンゴル勢の強さの秘密を科学する

    玉村治 (スポーツ科学・科学ジャーナリスト) 大相撲九州場所(11月場所)で、希代の大横綱、大鵬と並ぶ32回目の優勝を成し遂げた白鵬。他を寄せ付けない圧倒的な強さの裏には、力と力がぶつかり合う相撲において、自分の力だけでなく、相手の力をも有効に利用してしまう「柔らかさ」「うまさ」がある。細い体から肉体を作り上げ、大鵬の最大の長所の柔らかさに加え、剛の両面を持ち、重心のスポーツとされる相撲の極意を知り尽くしたセンスは、追随を許さない。40回の優勝も現実味を帯びている。 この白鵬に続き角界を引っ張ると期待されるのが、幕下付け出しから5場所で、史上最速の関脇に昇進した逸ノ城だ。九州場所では、上位陣と当たる難しい番付ながら勝ち越し、類い希な才能を見せつけた。角界を席巻するモンゴル出身の白鵬、逸ノ城の躍進の秘密はどこにあるのか、日本人力士はどこと違うのか、迫りたい。大相撲 春場所14日目 横綱白鵬(左)は大関稀勢の里を注文相撲で下し、 1敗を堅持した=3月21日、ボディメーカーコロシアム9割の勝敗を決める立ち合い 相撲の立ち合いは、勝敗の8~9割を決めると言われる。体重150KG同士の力士が正面からぶつかり合った時の衝撃は800KG。体重が200KG同士では、1トンを超える。 この衝撃力をまともに受け止めることはどんなに鍛えていても難しい。自らも前のめりになって当たっていくか、あるいは力を逃がしたり、かわしたりしななくてならない。互いにバランスが崩れやすい瞬間であり、ここで先手をとれば、技をかけやすい有利な体勢に持ち込むことができる。 この立ち合いに絶対的な自信を持つのが白鵬だ。クッションなみに力を吸い取り、多様な攻めにつなげる柔らかい相撲を取る。それは昭和の大横綱「大鵬」(1940-2013年)と共通する。 「巨人、大鵬、卵焼き」と一世を風靡した大鵬と対戦した力士は、立ち合いでのぶつかりを異口同音にこう表現した。 「思い切ってぶつかったが、手応えがない。衝撃を吸収されてしまう感じ」。 大鵬の体の柔らかさをデータも示す。1973年に東京教育大学(現筑波大学)が、横綱の大鵬、玉の海(1944-71)ら十両以上の力士47人を対象に身体能力を測定したデータがある。大鵬は、伏臥上体そらしなど体の柔軟性を示すデータが飛び抜けていた。ちなみに、もう一つ目立ったのが「肺活量」だった。 この大鵬に対する表現と同じことを、白鵬と対戦する力士も口にする。白鵬は、立ち合いで、出遅れることなく踏み込み、相手の出方を受け止める余裕もある。変貌自在なのである。自分の型にはめ込む幅(遊び)が大きい。 白鵬は、立ち合いの時に、横綱「双葉山」(1912-1968年)が得意とした「後の先」(ごのせん)を目指している。後の先は、立ち合い時に相手の動きを見て、かすかに遅れ気味に立つことである。双葉山は、これによって相手を下から攻め、主導権を握った。一歩間違えば、相手に付け入れられてしまう危険もある。しかし、この後の先は、相手の力を吸収し、有効に利用するのに理にかなっているやり方なのである。膝を抜き、地面反力で相手の力を吸収図1 立ち合い時に力士に働く力。白鵬の力を吸収する原理 (出典:『一流選手の動きはなぜ美しいのか』(小田伸午著、角川選書)) 図1を見て欲しい。両力士が勢いよくぶつかった立ち合いである。右図から左図へと相撲が展開していく。左の力士を白鵬とすると、下位の力士は頭を下げてぶつかっていくが、「後の先」で構え、白鵬はびくともせず受け止める。そして、相手力士の力を上に押し流す(押し上げる)。力を逃がした格好だが、相手力士は力が吸収されたと感じ、白鵬は相手の力を巧みに使い、自分の型にはめ込んでいける。 関西大学人間健康学部の小田伸午教授は「稽古で鍛えられた強靱な筋力に裏打ちされた、うまさがある。具体的には、『膝の抜き』によって、強力な地面反力(地面からの力)を活用している」と指摘する。 膝の抜きとは何か。稽古が十分な横綱は、突進してくる相手に足を踏み込み、膝の力を抜き、重心を落としていく。この重心の落とし方が絶妙であればあるほど、地面から大きな力「地面反力」を受けることになる。物理でいう「作用と反作用の法則」だ。体がかたいと十分に落とせず、しかも重心を最大限、落としたところで相手を胸で受け止めれば、それだけ大きな反力を引き出すことができる。一見、体が立っているように見えるが、相手の突進力を上に押し上げることで、白鵬の足の裏には自重だけでなく、相手の体重もかかる。これによって強力な地面反力がさらに大きくなっていく。 小田教授は、「横綱はインタビューで、踏み込みがいいというが、これは膝の抜きが良かったということ。重心を落とせる筋力と、バランスが不可欠だ。稽古を積んだ力士は、このコツを体得している」と強調する。四股、鉄砲の基本動作がバランス、うまさを引き出す四股、鉄砲の基本動作がバランス、うまさを引き出す これを難なくこなすのは、白鵬が胴長短足の理想的な体形に加え、質、量ともに群を抜く練習量の裏付けがあるからだ。野球でいうキャッチボールやトスバッティングのような基本練習「四股(しこ)」「鉄砲」「股割り」「すり足」などの反復をけっして怠らない。「組んでよし、離れてよし」という柔らかさと、攻撃の両面性を持つ白鵬の原点になっている。HP「相撲健康体操イラスト図解」 (http://www.sumo.or.jp/pdf/kyokai/sumo_taiso.pdf))より 基本の稽古は、大型化が進む力士の筋力を向上させるだけでなく、柔らかさを生む。何より大事なのは、下半身と上半身をうまく連動させるための「バランストレーニング」であることだ。おろそかにはできない。 「四股」は、両足をほぼ180度開き、高く振り上げた足を降ろすと同時に、重心を落として、地面を強く踏む動作。四股を踏むという。これは、お尻の肉を鍛えるとともに、股関節周りの柔軟性と安定性を得るための練習だ。 「鉄砲」は太い木柱を腕で押すトレーニングで、腕力向上を狙うように見えるが、実は押しと足の運び方、つまり上半身と下半身をバランスよく使う「型」を覚えるものである。図3 相撲の股割り(出典:日本相撲協会HP「相撲健康体操イラスト図解」(http://www.sumo.or.jp/pdf/kyokai/sumo_taiso.pdf))より「股割り」は、足を一直線に広げて伸ばすトレーニング。下半身、特に股関節や大腿の内側の筋肉の柔軟性を高め、けがを防ぐ狙いがある。股関節の柔軟性を高めることで、膝、足首、腰などの負担が軽減する。 「すり足」は、中腰姿勢で、足を地面にスルようにして前進するトレーニング。「右脚と右腕」「左脚と左腕」を同時に動かすのがコツ。膝、股関節の筋力と下半身と上半身を連動させることを習得する。 これらのトレーニングは昔に確立された伝統的な練習だが、実は股関節などの可動域を広げ、柔軟性とけが防止、バランスを確保する意味で科学的なのである。絶対的な右四つと、多彩な取り口 白鵬がすごいのは、こうした稽古を続けながら100KG近く、体を大きくしたことにある。来日当時は身長175CM、体重62KGしかなかったが、14年経過した今は192CM、157KG。モンゴル勢は魚、野菜を食べる習慣がなかったが、白鵬は、食事について「ちゃんこを基本にし、特段、苦労はなかった」と語っている。 横綱昇進の2007年の7月場所以来、7年経ってもけがで休場したことは一度もない。それも基本練習のおかげだ。稽古場では、土俵に上がる前に四股、鉄砲を100回以上やる。ここまで徹底する力士はそう多くない。 「小学時代から肥満で、相撲しか選択肢がないという日本人力士と異なる。脂肪の少ないだけでなく、柔らかい筋肉がついていったのだろう」と専門家は分析する。図4 白鵬の得意とする右四つ左上手(手前の力士)。差し手(下手)が 右腕になっている(出典:『大相撲の見方』(桑森真介著、平凡社新書) 剛と柔をこうして培った白鵬は、「右四つ左上手」という絶対的な必勝の型を持つ。四つは両者が胸を合わせた状態のことで、右四つは、差し手(下手)が右の組み方をいう。この形から、低い姿勢で多彩な攻めを展開する。 決まり手は、四つに組んだまま、相手を土俵外に出す「寄り切り」が最も多いが、右四つ左上手からの「上手投げ」「上手出し投げ」などの投げも少なくない。大鵬よりこの上手投げなどの決まり手が多いとも言われる。絶対的の得意の型から相手の重心をずらし、投げに打つタイミングは絶妙だ。白鵬が安定しているのは、それだけではない。得意の型以外でも勝てるところにある。それは今年1年の決まり手を見ても言える(図5)。          図5 今年1年間の白鵬の決まり手モンゴル勢の強さの秘密 白鵬の強さは彼がモンゴル出身であることも大きく関係している。鶴竜、日馬富士の横綱、人気急上昇中の関脇逸ノ城を含め、九州場所の幕内力士42人中10人がモンゴル勢。今やモンゴル勢なしに、大相撲の人気は考えられない。 彼らが強いのは、日本より恵まれない環境で育った「ハングリー精神」だけではない。骨太で、筋肉が多く、子どものころから馬にまたがる機会があるため体のバランスがよい。さらに伝統のモンゴル相撲の環境要因が大きい。白鵬の父親はモンゴル相撲の永久横綱で、メキシコ五輪レスリング銀メダリストでもある。 大相撲と、どこが違うのか。論文「モンゴル人力士はなぜ強いのか」(「ユーラシア」、蓮見治雄・東京外大名誉教授)によると、大きな違いは土俵の有無。大相撲は直径5.5Mの土俵の外にでると負けになるので、「押し出し、突き出し、寄り切り」が主な決まり手になる。これに対しモンゴル相撲は土俵がなく、相手を倒す(膝から上のどの一部も土についたら負け)ことで勝敗が決着する。必然的に引き、突き、足技、投げ技などが勝負手になる。 モンゴル勢の決まり手は36種類(大相撲の決まり手は82種類)あり、このうち大技は10種類だが、「小さい技は三歳牛の毛の数ほどある」と言われている。それらの技をよく見ると、組み手争いから始まり、組み手の崩し方、引き技、突き技、かつぎ技、投げ技など多彩なのである。 しかし、モンゴル相撲の優れた力士の大半は、2、3種類の技で勝ち進んでいる。「技を器用にこなすより、自分にあった技を習熟することの方が優れている。大相撲で言えば、型を持った力士と言える」と強調する。 こうした得意の型を持ちやすいモンゴル勢に対し、日本勢は上位陣でも絶対的と呼べる型がない。大相撲解説者で、「技のデパート」と異名をとった舞の海秀平さんは「日本人力士は絶対的な自分の型がない。それがここぞというときに勝てない理由だ」と強調する。 論文の中で、蓮見名誉教授は、モンゴル力士に伝わる遺伝子(DNA)をこうまとめる。「相撲は力が強ければいいというものではない。また、腕力でとるものではない。知力や俊敏さも必要だ」ということを受け継いでいる。 そして、「上半身は前頭で、足腰は小結だ。けれども全体で横綱です」と語った白鵬の言葉を引用し、その知力の高さ、考える相撲の伝統も絶賛する。逸ノ城は白鵬を抜けるか?大相撲 出稽古先の追手風部屋で遠藤(右)を相手に取り組みを行う関脇、逸ノ城=2015年12月22日、埼玉県草加市(撮影・春名中) 白鵬と同じ、モンゴルの遺伝子を引き継ぐ逸ノ城は、白鵬を抜けるのか。多くのファンの関心事でもある。モンゴル勢初の遊牧民出身で、小さい時から馬のミルクを毎日2リットル飲み、丸太をトラックに積み込む作業で上半身、下半身を鍛えた。2010年の来日時にすでに135キロの巨体。今は193CM、199キロまで大きくなった。強みは太もも周りが92CMもあること。鳥取城北高校時代から200KGもあるタイヤを裏返すトレーニングで鍛えたという。 秋場所(9月場所)では、1横綱2大関を倒し13勝の快進撃を続けた時は、立ち合い時に白鵬が得意とする「相手に胸を合わせる」ことができていたという。 小田教授によれば、「胸を合わせるためには、膝を抜き、重心を落とすことが必要。逸ノ城は長身で、一見、腰高に見えるが、最初の位置から重心を落として、つまり膝を抜いて、落下を支えた時、体重がある分地面反力が上方向に突き上げる。これで相手はどんなに頭をつけても吸収されてしまう。地面反力の使い方が白鵬同様にうまい。ここからは投げでも、押しでも、突き上げでも何でもあり。すでに横綱相撲。剛ではなく、柔の技」と指摘する。 地面反力を活用できるのは、あの太もも裏の筋肉「ハムストリングス」だ。 秋場所終了時に逸ノ城は「体が自然に動いた」と語っていたのは、上記の地面反力をうまく使えていたことを意味する。しかし、11月場所は関脇に昇進したこともあるが、立ち合いが甘く、簡単にかわされ、あっけなく土をつく場面が多かった。 得意の右四つに持ち込んでも、9月場所のような地面反力を有効に使う前に、体制が崩れてしまうケースが目立った。立ち合いの「俊敏性が足りない」のが要因の一つと言われる。場所前に帯状疱疹に見舞われるなど本調子でもなく、稽古も不十分だったのだろう。 9月場所に横綱相手に注文相撲(立ち合い時に正面から当たらず、相手の突進をかわす取り口)について批判が集まるが、「相手をしっかり見ていないとああいう相撲はとれない。新入幕力士はガチガチで突っ込めばいいとうものではない。状況や動きを見てとれる余裕が大事」という見方もある。 落ち着き払った風格は、みるものを楽しませてくれる。白鵬並の努力家でもあり、ポスト白鵬の中心的な存在になるのは間違いない。 日本人力士も全く逸材がいないわけではない。11月場所で、白鵬から金星をとった高安のほか、妙義龍、遠藤、琴奨菊なども横綱の可能性はあり、注目したい。 今年3月場所で、引退した元大関琴欧洲は「大相撲は、基本練習の反復の精神的修練だけでなく、科学的な稽古を取り入れるべき」と朝日新聞のインタビューに答えている。特に日本の力士は、自分の育った環境がモンゴル勢などと違うことを自覚した上で、科学的なトレーニングを積む必要があろう。琴欧洲の苦言は、納得出来る面は多い。相撲は、重心のスポーツであること、地面反力の有効活用することが大事であること、バランスの崩し合いであること、柔らかさ、俊敏性など身体を知り尽くすことが心技体の充実につながることなど科学的な視点が重要だからだ。この科学的な目を持ち、稽古を積んでいくことが大相撲には必要な時期に来ている。関連記事■アントニオ猪木インタビュー『プロレスはもはや「老人ホーム」になった』■金沢克彦編集長が語るプロレス誌「ゴング」復刊の真相■男たちの聖域になぜ? プロレス会場に女性が殺到する理由

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    何が相撲の伝統を守ったか

    舞の海秀平(元小結、スポーツキャスター) 大相撲の世界には、ここ何年間でいろいろな不祥事がありました。本場所が中止になったこともあり、天皇陛下をお迎えする天覧相撲も平成23年1月を最後に、もう3年以上も行われていません(編集部注:その後、天皇、皇后両陛下は4年ぶりに平成27年初場所をご観戦)。大相撲界の不祥事が原因であり、やむをえないことなのかもしれませんが、これは本当に残念なことです。 私自身、現役時代に何度も天覧相撲を経験し、現役引退後にもNHKなどで大相撲の解説もしていますが、天覧相撲というのは、力士に不思議な力を生み出すものなのです。また、国技館のお客様が、自然と立ち上がって拍手を送る。こういう光景を見ると、なんと素晴らしい国に生まれたのだろうと思います。私たちは、天皇という大きくて深い、懐の中で、生きているのであろうと感じられるのです。 それはなぜか。単に、陛下がご覧になっていることを意識している一人一人の感覚によるものともいえるでしょうが、私は、それだけではないと考えています。それは日本の伝統文化の一つである大相撲が、実は天皇、皇室のご存在によって、1500年近く守られてきたという歴史的事実と無関係ではないのではないかと思うわけです。そのことを、いま私たちは改めて思い出し、襟を正す必要があるのではないか。私はそう考えています。相撲界に携わる者として、一日も早く、晴れて陛下にご覧いただける大相撲を取り戻さなければならない、そう考えるわけです。大相撲 住吉大社で奉納土俵入りを披露する横綱、白鵬ら=2月28日、大阪市住吉区単なるスポーツではない まず初めに大相撲が、単なるスポーツではなく、日本の伝統文化、伝統芸能であり、そして何より相撲は神事であるということを確認しておく必要があるでしょう。 神事だということは、日本の伝統的な信仰で、皇室と深くつながる神道に関わるものでもあるということです。大相撲の不祥事報道では、スポーツとしての公平さ公正さの重要性ばかりが強調されますが、これはあまりに一面的な見方なのです。 大相撲本場所のテレビ放送を見ると、誰でも相撲が伝統芸能であり、神事であるという証拠を目にすることが出来ます。例えば、呼出が扇子を持って「東~」「西~」と、力士を呼び上げます。ただのスポーツならば、観客のためにマイクで場内アナウンスをすれば済むことですが、大相撲は伝統芸能であるが故に、あの独特の所作が生むムードを必要とするわけです。歌舞伎役者がどんなに見得を切っても、音を響かせるツケ打ちさんの高い技術がなければ見栄えしないのと同じです。 相撲の取組には、神事であるからこそ、さまざまな作法があります。 土俵の力士は蹲踞をして、大きく手を広げて、ぱちっと手を叩きますが、あれは、私は武器を持っていません、正々堂々と闘います、ということを示すと同時に、柏手の意味があるそうです。丁寧な力士は叩いた手を揉んでいますが、実はこれが正式な所作であり、神社にお参りするとき、手を洗って口をすすぐ行為の代わりなのです。昔はどこにでも水がなかったから、力士は手を下に伸ばして、草をむしり、その草で手を揉んで、手を洗ったことにしたのですが、その名残なのだそうです。 土俵の中央で向かい合った後、わざわざそこで四股を踏むのもまた神事からきているそうです。大昔の人は、土の中に魔物がいると考えたそうで、力持ちの力士が大地を踏みしめて魔物を退治し、五穀豊穣を祈る意味があるそうなのです。 塩をまくのもそうです。塩は、いろいろな神事に使われますが、大相撲でも土俵を清め、邪気を払う役割もあるのです。宮中儀式にならなければ… ここで大相撲が、いかに天皇、皇室と関わりが深いものであったかということに触れておきたいと思います。 『力士漂泊』を書いた宮本徳蔵は、力士の起源を2、3世紀のモンゴル辺りとみていますが、日本では、西暦642年(皇極天皇元年)に、古代朝鮮半島の百済から来た使者を饗応するため、飛鳥の宮廷の庭で相撲を見せたという史実が、文献で確認されているそうです。 734年、聖武天皇の代には、初めて天覧相撲が行われたといわれています。聖武天皇は諸国の郡司に対して、強い力士を選んで貢進するように勅令も出しており、国家儀礼として宮中で行われる相撲相撲節会」が正式に形作られていったのです。「すもうせちえ」と読みますが、相撲は「すまい」と読まれていたことから、「すまいのせちえ」とも読みます。 平安時代に入った頃から、天覧相撲は毎年恒例となり、833年、仁明天皇の頃になると、「相撲節会というのはただ単に娯楽遊戯のためではなく、武力を鍛錬するのが、中心の目的である」と勅令を出し、諸国のすぐれた相撲人を探し求めるようになりました。 このようにして、相撲は、天皇に認められ、宮中儀式となり、そして国家的な文化として隆盛を極めるようになったといえるでしょう。 平安時代、相撲は民間各地でも豊作祈願の農耕の儀式として行われていましたが、宮中で相撲節会として扱ってもらっていなければ、やがて廃れてしまい、続いていなかったかもしれません。実際に、その後、相撲は危機に瀕することもあったのです。天覧相撲に救われた伝統天覧相撲に救われた伝統 12世紀になると武家社会が到来し、相撲は宮中から、武士の手に渡り、戦のために鍛錬するという武芸の一種のような性格が強くなっていきました。室町時代になると、いろいろな文化、芸能が起こり、芸能文化としての相撲は段々衰退していき、野蛮なものだと思われるようになっていくのです。 しかし、戦国の英雄、織田信長が相撲好きで、上覧相撲も行われるようになり、また見直されます。豊臣秀吉もそれにならいました。江戸時代になると、寺社仏閣を建てる、橋を建てるという名目で、営利目的の相撲の興行が起きるようになりました。これを勧進相撲といいます。 平和で、力のある外様大名が中央政治に関与する機会が殆ど無かった江戸時代には、各藩の大名が強い力士を探して、それぞれ抱え、藩の名誉を競うようになったようです。年に何度かある江戸、京都、大坂であった相撲の大会に出場させるわけです。たとえばいまの青森県の津軽家や鹿児島県の島津家は、本当に強い力士を探すのに熱心だったそうです。こうした熱心な大名家の領地だった土地には、いまでも輩出する力士の数が多いのです。 ちなみに、相撲に土俵が生まれたのは江戸時代だという説があります。土俵がない時代の相撲は、力士の周りに人が集まって相撲を観るために、力士双方が四つに組んで、どちらかが倒されるまで続けなければならず、なかなか勝負がつきませんでした。気が短い江戸っ子は、いつ終わるか分からない相撲を観ていられなくなり、土俵をつくるようになったというのです。 相撲の歴史では大きな進歩というべきでしょうが、一方で、土俵ができたことによって、立ち合いに変化が生まれ、力と力のぶつかり合いが必ずしも行われなくなっていったという一面もあります。現役当時の私のように、猫だましをしたり、八艘跳びをしたりする「卑怯」な力士には、いいことだったかもしれません。もちろん、これはある種の冗談というか、土俵がなかった時からみたらそう見えるということで、いま、それをしている力士が卑怯ということではありませんが…。大相撲 春場所千秋楽 初の全勝優勝で、北の湖(左)は、往年の名人横綱栃錦、現春日野理事長から天皇賜杯をうける=1977年3月27日、大阪府立体育会館  それはともかく、宮中から舞台が移っても、相撲と皇室との関わりは消えませんでした。明治時代、天皇が京都から江戸に移る時、京都の力士達は菊のご紋の陣羽織を着て先頭に立つことを名誉としたそうです。文明開化で西欧のものを取り入れるようになると、相撲はまた室町時代のように野蛮な競技だとみられるようになり、裸になることすら憚られるようになったのですが、そのとき、相撲を救ったのは明治天皇でした。 明治17年、芝延遼館で天覧相撲が行われ、明治天皇がご覧になったことで、一気に相撲が見直されるようになったのです。もし、ここで天覧相撲が行われていなかったら、時代とともに相撲はなくなっていたかもしれません。 天覧相撲とともに、相撲という伝統文化が残った大きな理由に丁髷があると私は思います。明治後、世の中の人はみな、丁髷を切ったのですが、相撲界だけは丁髷を残しましたが、これは今考えると、重要だったのではないかと思います。相撲というのは丁髷をつけているから神々しく見える。丸坊主の太った男が土俵に上がって闘っても、それほど神々しく見えないのではないでしょうか。 言い換えると、皇室によって守られた相撲が存続することで、丁髷という伝統技術も残されたということなのです。一度、丁髷をやめれば、そこで髷を結う床山は必要なくなります。そうすると床山の持っていた伝統技術もなくなるのです。復活させようとしても、もうできません。丁髷を結える人がいなくなってしまうのですから。こう考えると、皇室の存在は相撲の持つさまざまな伝統文化、技術を守っていたともいえるでしょう。身を乗り出された昭和天皇 昭和天皇は大変な相撲好きでいらしたことが知られていますが、昭和天皇のご存在が、大相撲を現在の形にしたと言っても過言ではありません。 まず、力士にとって最高の名誉である天皇賜杯。大正14年、昭和天皇が摂政宮でいらしたときに、赤坂の東宮御所で台覧相撲が行われましたが、このときの御下賜金で摂政盃(優勝賜杯)が作成され、これが現在の天皇賜杯につながっているのです。 また、天皇賜杯をいただくのに、大相撲を行う団体はきちんとしておかなければいけないということもあって、財団法人となる動きは加速し、大日本相撲協会が認可されるのです。これが現在の公益財団法人「日本相撲協会」へとつながっていくわけです。 昭和天皇はありがたいことに戦後も40回にわたり、蔵前、両国国技館にお出ましになり、大相撲をご覧になりました。東京では年3場所ありますが、3場所ともご覧になった年も何度もあるわけです。 天覧相撲といえば、昭和50年5月場所、麒麟児と富士櫻戦が有名です。麒麟児と富士櫻はお互いにまわしを取らずに突っ張るタイプの力士で、いまの力士に多いタイプとは違って、押せなかったからといって、はたかず、突っ張り合いで勝負するのです。テレビ中継では、100発を超える突っ張り合いを、昭和天皇が身を乗り出されて、香淳皇后とご一緒にご覧になる姿が放映され、非常に印象的でした。 天覧相撲では、この両力士が激突することが多かったように思います。本当かどうかは定かではないのですが、相撲協会も天覧相撲になると、わざわざ麒麟児、富士櫻戦を用意したのではないかといわれています。 プロ野球の天覧試合では、巨人・阪神戦で、巨人の長嶋茂雄選手が逆転サヨナラホームランを打った映像が有名ですが、私たち力士は、天覧相撲になると、何か不思議な力をいただくのではないかと思えるのです。ひ弱な日本人力士たちひ弱な日本人力士たち 大相撲は、現在の日本社会に大きな影響を受けています。日本社会の縮図と言っても過言ではありません。たとえば、日本の若者はひ弱になったとか、内向きになったとか、そういうことが言われますが、大相撲も最近、強いのは外国人ばかりで、つまらなくなったという声をよく聞きます。 いま大相撲を支えているのはモンゴル人なのです。モンゴル人がいるからこそ、私たちは横綱の土俵入りが見られるわけです。彼らの目的は何か。日本の大相撲界に入って、そして早く強くなって、お金を稼いで、祖国の両親、家族の面倒を見るということです。勝てるようになるまで、帰れない。そういう強い気持ちが、日本人の力士と違ってあるわけです。 朝青龍から聞いた話なのですが、朝青龍の父上は、息子に、どういう気持ちで相撲に臨むべきか、このように教えたそうです。「相手のことを、自分のお母さんのことを殺した犯人だと思って闘え」と。これを聞いた時、日本人力士は勝てないなと思いました。 それに比べて、このごろの日本人力士には「3~5年やってだめなら、田舎に帰って何か仕事を探せばいいかな」と考えている力士がたくさんいるのです。力士の親も変わってきました。昔は、息子が相撲界に入るとなると、親も「強くなるまで帰ってくるな」と送り出したものですが、いまの親は「苦しかったら、すぐ帰ってきなさい」「何も我慢することはないのよ」と送り出すのです。そうすると、すぐ帰っていきます。ひどいのになると、朝来て夜には帰ってしまうのもいるのです。 これは、相撲界だけなのでしょうか。企業の社長と話していても、「最近の若いのはすぐやめていくんだよね」というのです。「どうしてですか」ときくと、「いや、『理想の職場じゃなかった』というんだよね」というのです。どんな世界でも、いいところと悪いところがあります。みんな、我慢をしながら、仕事をしていくのになあと思います。 相撲界に外国人が増えるのは、やはり国際化、グローバル化の影響であり、もはや止めようもないことです。外国の力士を排除すべきという意見もありますが、これも難しいと思います。もし、そういうことでもすれば、外交問題に発展するでしょう。モンゴル政府は本当に怒ると思います。 ただ、その一方で相撲が日本の伝統文化、伝統芸能であり、神事であるということも忘れてはならないと思います。相撲をオリンピック競技にしてはどうかという声も出てきていますが、五輪競技になれば、スポーツの国際的基準にあわせるために、相撲の伝統的部分がどんどん失われることになるでしょう。私はそれは、決していいことだとは思いません。大相撲 初場所初日 逸ノ城(右)を寄り切りで下した遠藤 =2015年1月11日、両国国技館 (今井正人撮影) ずぶ濡れになってお見送り なぜ、大相撲がここまで続いたのかというと、日本に天皇がいらしたから、日本に皇室があったからだと思うのです。 明治時代に相撲が廃れかけたときに、明治天皇が天覧相撲を行って下さった。昭和天皇が何度も国技館に足を運んで下さり、大相撲を見守って下さった。そして今上陛下も何度も国技館に足を運んで下さいました。 クラシック音楽が宮廷音楽として発展したのと似ていますが、相撲という文化を発展させたのは天皇・皇室のご存在なのです。相撲界には谷町という存在がありますが、皇室は、大相撲の精神的な谷町であるというと、言い過ぎでしょうか。 しかし、相撲に限らず、皇室のご存在を精神的支柱とし、その中で発展してきた伝統文化は多いはずです。同じようにさまざまな伝統文化が、皇室のご存在によって生まれ、維持され、発展してきたはずです。そういう意味では、天皇・皇室は、伝統文化を守る大きなシステムであるともいえるのではないかと、私は考えています。 私たち相撲関係者は、皇室への敬意を決して失いません。相撲界の先輩から聞いた話ですが、昭和天皇が崩御された時、大相撲の親方、力士は、ご遺体が運ばれるのを、土砂降りの冷たい雨の中をずっと立って待っていたといいます。いつ到着されるか分からなかったこともあり、はじめは、みな傘を差してお待ちしていたのですが、当時の相撲協会の二子山理事長が「傘をとれ」というと、力士がみなズブぬれになりながら、頭を垂れて、ご遺体を見送ったそうです。私は、この話を聞いた時、本当に胸が熱くなりました。 私は、相撲界に携わる一人として、皇室の弥栄を心よりお祈りして参りたいと考えております。(構成/月刊正論編集部・菅原慎太郎)舞の海秀平氏 本名は長尾秀平。昭和43(1968)年、青森県生まれ。日本大学経済学部卒業。平成2年、大相撲出羽海部屋入門。基準の身長に足りず1度目の新弟子検査に不合格。頭にシリコンを入れ1カ月を過ごし、2度目の検査で合格。3年3月新十両、9月新入幕。最高位小結。11年に引退後は大相撲解説者、スポーツキャスターとして活躍。関連記事■ 元特攻隊員が語る「日本人」としての戦い■ 元海自特殊部隊小隊長が問う 日本人よ、この覚悟が理解できるか■ 大切にしたい日本の美徳