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    監視社会はどこまで進んだか

    東京・渋谷のクレイジーハロウィーン事件で、警視庁が男4人を逮捕した。この捜査の決め手になったのは防犯カメラ。250台のカメラを徹底解析し、現場から容疑者の自宅まで特定したというのだから驚きである。犯罪抑止への効果は絶大だが、行き過ぎた「監視」には一抹の不安もある。監視社会はどこまで進んだか。

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    監視社会と日本人の奇妙な関係

    阿部潔(関西学院大学社会学部教授) 2018年夏以降、首都圏を走るJR在来線・新幹線のすべての車両に防犯カメラが導入されつつある。 近年、電車内や駅構内でのトラブルはあとを絶たない。痴漢事件は頻発し、さらに新幹線車両内で殺人事件まで発生した。こうした動静をふまえれば、互いに見ず知らずの人々が集い、何が起こるか分からない物騒な電車内に防犯カメラを導入することは、鉄道会社が果たすべき当然必要な措置だと受け止められることだろう。通勤・通学のために日々電車を利用する乗客の多くは、車内での自らの安全・快適が約束されることを期待してカメラ設置を歓迎しているように見受けられる。 だが同時に、JRが公表したカメラ設置方針に対して疑問や違和感を投げかける意見もネット上には見て取れる。そこでは「プライバシーが侵害されるのではないか」とか「カメラ設置で痴漢はなくなるのか」とのもっともな疑問が提起される。 たしかに、防犯カメラを導入することで犯罪が劇的に減少し、電車内が誰にとっても安全・安心な空間になるのであれば、それに越したことはない。だが、既にこれまでカメラはさまざまな場所に設置されてきたが、それで万事が解決したとはいいにくい。例えば、現在ではすべてのコンビニに防犯カメラがあるが、それで深刻な万引被害が撲滅されたわけではないだろう。 現在進められつつある電車内への防犯カメラの設置にはどのような意図があり、またどのような課題が潜んでいるのか。以下で考えてみよう。 街中や商業施設にカメラが導入される際、それは多くの場合「防犯カメラ」と呼ばれる。なぜならそれは、文字通り犯罪や事件などが起こることを未然に防ぐ=防犯することを期待されているからだ。だからこそ、治安悪化や凶悪事件の頻発を危惧する世論は、そうした事態を回避し解決するための有効な手段として防犯カメラ設置を支持するのであろう。 だが、最近テレビニュースなどで報道されるカメラの効用は、それとはどこか異なる。なぜならば、犯罪事件の捜査・解決との関連でカメラの威力が伝えられるとき、そこでは、映像として残された事件現場の様子や容疑者の姿を手掛かりに事件解決=容疑者逮捕へと至ったことが喧伝されているからだ。JR山手線の車両内に設置された防犯カメラ=2018年5月、東京都品川区(共同) もちろん、容疑者が特定・逮捕されること自体は善良なる市民にとって喜ばしいことだろう。だが、ここで見落としてならないのは、最近のマスメディアによる防犯カメラの称讃(しょうさん)は必ずしも防犯効果の検証と結びついていない点である。 メディアと世論が褒めたたえるのは、あくまで犯罪捜査と容疑者摘発におけるカメラの活躍であり、その意味で肯定されているのは防犯というよりは監視としてのカメラの効用である。容疑者摘発に意味はあるとしても、ここで称讃されているのは防犯カメラがそもそも目指した犯罪の未然防止とは別次元の事柄である。 防犯なのか監視なのか おそらく多くの人々にとって、犯罪に対してカメラが果たしている役割が防犯なのか監視なのかはたいした問題ではない。なぜならどちらの場合であれ、事件を解決し犯人を逮捕するうえで効果があるならばそれで十分であり、そんな便利なカメラを使わない理由などどこにもないからだ。 そう人々は考えるからこそ、近年さまざまな場所へのカメラ導入は世論に後押しされる形で推奨される。しかしながら、そもそもカメラを公共の場に設置することの正当な理由を根元から考えようとするならば、カメラが果たす防犯と監視の役割をめぐる違いは重要な問いとして立ち現れてくる。 問われているのは、防犯なのか監視なのか。この視点から最近の電車内へのカメラ導入の動きを考えてみると、防犯と監視がそこで混同されている様が確認できる。 そもそもカメラ設置で目指されているのは「犯罪が起こらない安全な車内」なのか「痴漢犯の確実な逮捕」なのか。無自覚にその両者が同時に追い求められるとき、カメラの設置と導入は無原則に肯定され、どこまでも進んでいく。 実のところ、この事態は最近の電車内でのカメラ設置によって初めて生じたものではない。むしろ、ここ20年あまりの日本社会における監視強化を推し進めてきた強力なロジックを、そこに鮮明に見て取ることができる。  これまで監視社会化の趨勢(すうせい)に対して、学者・運動家たちはプライバシー重視の立場から異議を唱えてきた。だが近年、監視批判派の旗色は悪い。ネット上の議論などでは、プライバシー擁護派に対して「そもそも電車内という公共の場にプライバシーなどない!」とか「隠しておきたい疾(やま)しいことがあるから、プライバシーを振りかざすのでは?」といった乱暴な物言いが繰り広げられがちだ。 近代社会におけるプライバシー権の思想的根拠を正鵠(せいこく)に理解するならば、こうした印象論や邪推とは異なるまっとうな論争も可能だろう。だが現実には、監視が強化される昨今の趨勢への疑問や批判を主張するとたちどころに「きっと隠したい=疾しく感じる秘密があるからプライバシーを盾に監視に反対しているに違いない」とのレッテル貼りがなされてしまう。※画像はイメージです(GettyImages) 逆に言えば、自分に疾しいことが何一つなければ、そもそも監視に反対する理由などない。そのように自らを納得させることで、多くの人々は日常生活のさまざまな場面への監視の広がりを容認しているように見て取れる。 だが、ここに大きな落とし穴がある。過去の監視の歴史を振り返ればすぐ分かるように、社会において何が隠すべきことで、人が何に対して疾しく感じるのかは、実のところ個人が好き勝手に決められる代物ではない。たとえ当人にとってごく当たり前の私的な事柄であっても、時の権力がそれを「けしからん」と見なせば、途端に個人にとって隠すべき、疾しい秘密になってしまう。時の権力者の狙い つまり、この世の中において「隠すべき事柄」はあらかじめ決まってはいない。それは時代の趨勢によって、いかようにでも変わるのだ。 だとすれば、今現在の社会状況のもとで「隠すべき疾しいことなど一つもない」と自信満々に高をくくっている人でも、当人自身はみじんも変わっていないにもかかわらず、いつの日か気がつけば他人に知られては困る隠すべき秘密を持ってしまう可能性はいくらでもある。そのことへの想像力と自覚を持った上で「隠したいことなどないから、監視強化は構わない」とうそぶくのでなければ、その主張に説得力はないだろう。 今の日本社会で「2020年東京オリンピック・パラリンピックまでに!」とのスローガンはちまたにあふれている。首都圏を走る電車内への防犯カメラの導入も「2020年までに!」の典型例である。 オリンピックなどメガイベントの実施に際して、開催都市・国家の監視対策が一気に高度化する現象は、これまで幾度となく繰り返されてきた。例えば、成田空港や関空空港への顔認証装置の導入は、2002年開催のサッカーワールドカップにおける暴動対策(フーリガン対策)の一環としてなされたものである。 東京大会開催までの残された期間、さまざまな監視対策が「オリンピックでのセキュリティー確保のため!」とのかけ声のもとで一気に推し進められるだろう。多くの人々はそれを歓迎するに違いない。 なぜなら、万全なセキュリティー対策を講じてこそ日本文化の美徳である「おもてなし=OMOTENASHI」を世界に示すことができると考えるからだ。だが、メガイベント開催に際して加速化される監視の真の狙いは、声高に掲げられる目的とは異なるところに置かれていることが少なくない。 思い起こせば日本で開催されたワールドカップの試合会場に、あれほど恐れられたフーリガンは結局現れなかった。その理由は、法務省入国管理局(入管)での水際対策が功を奏したからであろうか。おそらくそうではない。そもそも大会前に喧伝されていた「フーリガンがやって来る!」との報道やキャンペーン自体が、実態とはかけ離れた過剰なものだったのだ。2002年サッカーW杯フーリガン対策訓練を実施した関西空港税関支署の職員ら(斎藤良雄撮影) だが興味深いことに、監視を推進する側の人々にとっては、それでも一向に構わない。なぜなら、国際空港での顔認証装置の導入が目論んでいたのはフーリガン対策などではなく、当時アメリカ合衆国を中心とした「テロとの戦争」に全面協力すべく出入国管理における監視を徹底することであり、その目標は世論の反対を引き起こすことなくスムーズに達成されたからだ。 このように過去の事例を思い返すと、電車内での事件や犯罪への人々の不安と危機感に応える形で現在推し進められている防犯カメラ設置がもたらす社会的影響は、おそらく人々が素朴に感じている以上に広範な領域に及ぶものであることが理解できよう。無きに等しい「ルール」 電車内をはじめとする不特定多数の人々がかかわり合う「公共の場」におけるカメラ設置の是非が議論されるとき、多くの人はカメラの視線が向かう先を「私たち」ではなく「あの人たち」と想定しがちである。 車内防犯カメラが照準するターゲットは、女性に痴漢行為をする犯罪者や駅職員に言いがかりをつける不届き者であって、善良なる乗客である自分たちではない。そう考えるからこそ大多数の人々は、監視強化を肯定し、時に歓迎すらできるのだ。 だが実際のところ、テクノロジーとして作動する監視のまなざしはすべての人々を平等に見張る、もしくは見守る冷徹な装置にほかならない。車内万引の常習犯も会社帰りのサラリーマンも関係なく、すべての乗客の姿と行動が映像として撮影され、データとして保管される。収集された膨大なデータがどのようなルールのもとで保管され、何の目的で利用されるのかは、カメラの視線に曝(さら)される私たち一人ひとりに必ずしも明らかにされていない。 欧州連合(EU)諸機関では、監視カメラに映像として収められた人の姿を個人情報と位置づけた上で、その保護に関する法制化がなされている。そもそもどのような目的で、誰を対象としてカメラを用いた監視が行われ、そこで得られた映像データは何の目的に使われ、どのように処理されるのか(保存方法・期間や消去方法など)に関しては、個人情報保護の観点からポリシーとして公開されている。 こうしたEU諸機関での取り組みと比較すると、現時点の日本での行政や企業によるカメラ設置とデータ処理に関するルールは無きに等しいと言わざるを得ない。官民一体となって防犯カメラの導入がなされる際に掲げられる目的が、本当に果たされているかどうかを検証する上でも、カメラのまなざしに曝される当事者の権利を盛り込んだ形で、映像データの取り扱いに関する法制定とルールづくりを進めることが不可欠であろう。※画像はイメージです(GettyImages) だが現実には、一方でデータベースと接続された顔認証装置の導入など監視の高度化が急速に進みながら、他方でそのことによって引き起こされるプライバシー侵害や個人データ流用に対する危機意識は必ずしも高まっていない。むしろ人々は、いたるところでカメラに見守られることで得られる利益や快適さを重視しがちなように見受けられる。だからこそ、自分の姿や行動に関わる映像データがどこで、どのように、誰によって取り扱われているのかについて、さほど気にかけないことは珍しくない。 こうした監視と私たちの奇妙な関係は、既に日常の一部となっている。インターネットで買い物をし、お気に入りのサイトで最新情報をチェックし、会員制交流サイト(SNS)で友達と楽しくやり取りするたびに、ネット利用者は膨大な個人情報を電子空間に残していく。行動が常に把握される時代 それらすべては、信販会社やマーケティング企業をはじめとする各種のビジネスにとって貴重なデータとして収集・保管・分析・活用される。しばらく前からビッグデータというはやり言葉が至るところで喧伝されているのは、それがもたらすこれらビジネスチャンスの高まりを背景としてのことである。 駅構内や電車内といった物理的空間におけるカメラ導入の高まりは、当然ながらこうしたネット空間でのデータ監視と連動している。例えば、あなたがスマホを手に自らの位置情報を発信しながら目的地へと向かうとき、ネットに残された履歴と駅や車内の至るところに設置された防犯カメラが捉えた映像を照らし合わせれば、あなたという一個人の行動はほぼ完璧なかたちでデータとして第三者に知られてしまう。 いつ、どこからどこへ、誰と一緒に、何をしながら空間を移動したのか。今後、電車という公共交通機関を用いることで、そうした個人情報を曝し出しながら日々の生活を送ることを私たちは強いられるだろう。 そもそも「移動する自由」は、「居住、移転の自由」と同様に個人に与えられた基本的な権利であるはずだ。どこへ行って、何をするのかは文字通り個人のプライバシーであり、他人から干渉される事柄ではない。 幸いなことに、物理的な移動を強権的に制限されることは今の日本社会ではまれであろう。だが、ネット空間と現実世界とが地続きとなったSNS時代を迎え、今後、ビッグデータの必要性と有効性が喧伝されるなか、人々がたどる移動の経路と履歴はデータとしてどこまでも追跡され捕捉される事態を免れないだろう。 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、電車利用をはじめとする都市空間での人の流れ(human mobility)に対する監視が徹底されていくならば、これまで当たり前に享受されてきた「移動の自由」はどのような変貌を遂げていくのだろうか。※画像はイメージです(GettyImages) 来るべき未来における「移動の自由」をめぐる技術的かつ社会的条件の変化。そこに潜む課題を「あの人たち」ではなくほかならぬ「私たち」自身の問題として考える想像力を持てたとき、日頃ごく自然に受け止めがちな公共の場に置かれた防犯カメラは、これまでとはどこか違った風景として眼前に立ち現れてくるかもしれない。■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

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    防犯カメラとプライバシー「不自由な社会」への恐れを生む真因

    中島洋(MM総研所長兼国際大学教授) 「防犯カメラ」とは何か、「プライバシー」とは何か。2つの概念があいまいだと議論は空転するだけである。端から見ていると、空転する議論ほど面白いものはないので、エンターテインメントとしては格好の材料である。ただ、筆者としては、議論をつまらなくするかもしれないが、あえて2つの概念を明確にさせてみたい。 まず、「防犯カメラ」である。 「防犯カメラ」は監視カメラの一種である。監視カメラは、カメラ装置によって撮影した画像、映像で、リアルタイムまたは時間を置いた形で、周辺の状況を把握し、特に人間の行動をとらえて不審な点がないか点検するものだ。通常は遠隔地でこれらの映像や画像を見る仕組みになっている。監視者は不審があれば警備行動に移り、または、後日の犯罪の分析や捜査、あるいは裁判のための記録に供される。 「防犯カメラ」とはいえない「監視カメラ」もある。例えば監獄の中の囚人を監視する監視カメラは必ずしも「防犯」目的とはいえない。言葉の厳密な意味での「監視」である。この監獄の監視カメラのイメージを引きずりながら防犯カメラを論ずると、一般市民が監獄の中の囚人と同じ扱いである、と強い抵抗感を持つことになる。また、オフィス内のスタッフの行動を撮影して動線などを分析し、業務改善策を講じることにも使われている。こうしたものも防犯目的ではない監視カメラの一種といえるだろう。 一方で、市民や利用者の安全を確保するために、防犯目的でカメラを設置する動きがある時期から広がった。繁華街への設置が「プライバシーの侵害」と批判する市民運動家やマスコミもあったが、実際に犯罪者の早期摘発をもたらし、周辺住民の不安解消に役立ったことから普及し、今では住宅街に広がっている。これも「監視カメラ」なのだが、防犯目的だということで、抵抗感の少ない「防犯カメラ」という呼び名を選ぶようになった。多発する痴漢被害を防ぐため、JR埼京線に試験的に設置された車内防犯カメラ=2009年12月、埼玉県川越市(共同)  街頭だけではなく、あまり議論もなく、オフィスやマンションのエレベーターにも内部の状況を監視する防犯カメラが目立たない形で設置され、マンションでは廊下にも設置されるところが出ている。カメラがあることが犯罪抑止につながるので、コンビニやスーパーの店内でも目立つ形で「カメラ」を設置している。 犯罪が起きてから摘発に役立っても「防犯」にはならない、と否定的議論も一時あったが、早期摘発で再犯を防ぐことやカメラがあることで犯罪を抑止する効果もはっきりしたので、やはり「防犯カメラ」と呼ぶべきだろう。 電車の内部を撮影するカメラも「監視カメラ」には違いないが、痴漢や暴力行為を抑止する「防犯」が目的なので、監獄の中のカメラとは性格が違い、「防犯カメラ」と呼ぶのが適切だろう。「プライバシー」の正体 「防犯カメラ」は「防犯」を標榜(ひょうぼう)している以上、それ以外、例えばカメラで撮影したデータを通行量調査やマーケティング調査に使うのは「反則」である、というのが日本の社会通念になりつつある。これは「違法」とはいえないが、一部の市民の強い抵抗がある上、特に強い関心がない市民の多くは「反対する人がいるなら気持ちが悪いので自分も賛成しない」と考えているからだ。 一般市民にとっては、自分にとって直接に利益が感じられないので、深い考えがあるわけではないが、強い反対の声があると、それが多数派になり、社会常識は慎重論へと傾いてゆく。その際に、強い反対論の根拠として唱えられるのが「プライバシー侵害」の「恐れ」がある、という主張である。 ここでは定義のされていない「プライバシー」とあいまいな「恐れ」という概念が組み合わさっているので反論が難しい。電車の中の防犯カメラの議論でも同様のあいまいな定義の基に抵抗論が展開される可能性が大である。そこで、筆者としては、先回りしてまず「プライバシー」について考えたい。 「プライバシー」は相対的なものである。一部の人は、絶対的に保護されるべき「人権」である、というが、それは誤りである。プライバシーの定義については諸説があるので、ここですべてを吟味するわけには行かないが、最近の日本では少しあいまいだが「他人に侵されない個人の領域」というような理解が多いようなので、その理解に沿って「相対性」を論じておこう。 時代や環境によってプライバシーの感覚は変化している。少し前の日本の家屋では、鍵のかからない障子や襖(ふすま)で部屋が区切られていた。「他人に侵されない個人的な空間」をもつことなど考えもしなかった。自分の個室はプライバシー空間である、という考え方は、鍵のかかる部屋を持つことができるようになってからのものである。以前は、母親が子供の部屋をのぞくというのはプライバシーを侵すものとは思われなかった。※画像はイメージです(GettyImages) プライバシーとは「他人に知られたくない個人的な秘密」というあいまいな理解もある。人によって「秘密」の感覚は異なるので相対的にならざるを得ない。一般論では語れないものだ。どのようなことが秘密なのか、その人に宣言してもらわなければなるまい。 電車の中のカメラとプライバシーの問題でいえば、電車の中で撮影されるとその人のどのようなプライバシーが侵されるのか。その電車に乗っていること自体が秘密なのだろうか。覆面で顔を隠しでもしない限りカメラに撮られようが撮られまいが保たれるはずのない秘密である。あるいは、もしかして、痴漢行為を働いているという「他人に知られたくない秘密」が守られるべきプライバシーなのだろうか。こんなプライバシーは守る必要がない。「人権」でもあるまい。もっと深刻な「監視」 プライバシーが相対的であるというのは「自由」という概念と似ているかもしれない。 人はむやみに他人を殺す自由はない。コンビニで万引をする自由はない。理由もなく公衆の面前で他人を面罵する自由もない。しかし、そういう社会を「不自由な社会」「自由のない社会」というだろうか。「自由」とはある条件下、特定の制限の中で許されるもので、絶対的な自由は存在しない。プライバシーも同様である。絶対的なプライバシーなどない。 最後に「恐れ」だが、これも相対的というか、主観的なものである。だれかが「恐れがある」といえば、反論は難しい。しかし、効用とのてんびんにかけて判断は可能だ。自動車は事故によって人の命を奪う恐れがあるので、自動車は社会からなくすべきだ、という議論はほとんどの人の納得は得られまい。「恐れ」よりも自動車を利用する効用の方が圧倒的に大きいからだ。 後は事故を減らす工夫に力を注ぐ方がよい。同様に電車の中の防犯カメラはプライバシーを侵す「恐れ」があっても、侵されるプライバシーより、カメラによって電車内にもたらされる「安全」「安心」という効用の方が大きいと筆者は思う。痴漢は大幅に減少し、多くの乗客は安心して通勤や通学ができるようになるだろう。撮影記録を分析すれば、「痴漢」の冤罪(えんざい)も少なくなるだろう。サラリーマンも安心して混雑する電車に乗ることができる。 こうした効用を打ち消すほどの「プライバシーの侵害」の「恐れ」とは、具体的に何なのだろうか。その例証がない限り、筆者は電車の中に防犯カメラが設置されても、プライバシーの侵害は起こらないと結論付けざるを得ない。 むしろ、もっと重大なプライバシーの侵害は別のところに起きている。米国やアジア各国で生まれた日本でも大人気のメールサービスや会員制交流サイト(SNS)は、それぞれの国で治安組織によって傍受されている兆候がある。あるいはサービス事業者が交信記録を治安当局のみならず外部に提供している事実もはっきりしている。※画像はイメージです(GettyImages) 治安当局などと大仰なことを言わなくとも、スマホで撮影したグループの写真が勝手にSNSにアップされて、知られたくない交友関係が公にされるようなプライバシーの侵害は枚挙にいとまがないほどである。 「プライバシー尊重」の意識が向上することは望ましいが、その対象を間違えず、本当に尊重すべきプライバシーとは何かを考えるきっかけになれば電車内カメラとプライバシーを議論するのは価値がある。■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

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    「監視社会もゲーム感覚」痴漢常習者の頭の中

    ッティイメージズ) 痴漢問題に対して、私たちができることはその正確な実態を理解することだ。痴漢問題を社会問題と捉え直し、他人事(ひとごと)ではなく自分事であると一人ひとりが当事者性を持つことこそ、今必要なことであると考えている。■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

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    「世界一安全な日本の鉄道へ」防犯カメラ、AI活用で広がる未来

    阿部等(ライトレール代表取締役社長) 2009年にJR東日本の埼京線で「痴漢防止」を目的に防犯カメラが導入されました。また、今年6月に起きた新幹線殺傷事件の対策として、JR東日本が新規導入車両のすべてに防犯カメラを導入するなど、問題が起こる度に電車内の防犯カメラは増えています。これは駅構内も同じです。 一方、鉄道内の防犯カメラ増加に対し、記録はできても抑止効果はあるのか、監視社会が広がるのではないか、といった懸念の声も聞こえます。また、鉄道会社が「無策」と責められるのを恐れ、根本的な対策が不十分なまま、防犯カメラを設置している面もあります。 例えば、痴漢防止には満員電車の解消が不可欠ですが、これを実現するにはコストも時間もかかって難しいので、せめて防犯カメラを設置しているとの見方もあります。私は、そういった批判をするつもりはなく、以下、前向きなお話をしたいと思います。 鉄道の車両故障・設備の保守不良・従事員の取扱いの誤りなど内部原因による事故は、1872年以来、150年近い日本の鉄道の歴史の中で、痛い思いをする度に対策を練ってきました。 そういった先人たちの努力により、一度に何十人も何百人も亡くなるような内部原因による事故は今後まず起きないでしょう。そして、さらに高度の対策として、地下鉄サリン事件、新幹線での焼身自殺や無差別殺人などの「テロ」を防ぐ、あるいは被害を小さくする努力が求められています。 外部から持ち込まれる犯罪は、仕方ない面もあるものの、それでもできる限りの手は打とうと、大きな事件が起きるたびに手荷物検査の話が必ず出ます。ですが、莫大なコストを要し、場所もとり、利便性も下がります。JR東海は新幹線での不測の事態に備えた訓練を実施した=2018年8月、静岡県三島市(吉沢智美撮影) 中国では、都市間鉄道のテロ対策は空港と同レベルで、都市鉄道の全駅には荷物検査設備と2人以上の検査員が配置されています。でも、上海地下鉄では、ほとんどの乗客が無視して通り過ぎ、ましてや悪意を持っている人がそんなところを通るはずもなく、コストのわりに効果があるのか怪しいのが現実です。 ただし、イノベーションにより、通り過ぎる人と荷物を無人で照査してナイフや爆弾などを見つけられるようになったら、設置すべきです。悪用はどこでも起きる 従来の手荷物検査より、設置が進んだ防犯カメラをより有効活用する方策を考えた方が得策です。そこで、AI(人工知能)によるディープラーニング(深層学習)と、カメラのネットワーク化を提案しています。 画像解析技術とAIを活用し、不審な行動をしている人をシステム上で見つけ出すことは実用レベルになっています。同じ場所を行ったり来たりする、大きな荷物を置いて立ち去る、服装や所持品がおかしいなどです。 さらに、車上と駅構内のカメラをネットワーク化することで、マークした人をカメラで順々に追跡するようにできます。突発的に犯行に及ぶような人がどういう行動をとるのかも、ディープラーニングを重ねることで確度高く見つけ出せるようになるでしょう。「防犯カメラがある」ことによる抑止効果だけでなく、犯罪や事件が起きる前に見つけ出して取り押さえることが重要です。 一方、監視社会への懸念に対する配慮も欠かせません。防犯カメラで撮影された映像が悪用されるかもしれないという心配は当然です。そのために、管理する会社や人が善人ばかりではないという前提に立ってシステムを作らなければいけません。 銀行では、一万円札を大量に扱う職場で、行員が悪事を働くかもしれないという前提で監視の仕組みを入れています。それでも時々、着服事件が起きるわけです。 だからこそ、防犯カメラで撮影され蓄積されたデータを悪用したりする人が、社会を混乱させたり個人の人権を侵害することのないような、具体的な仕組みを構築し、さらに多くの人たちへの利益を提示した上で、社会の合意を得なければいけません。  例えば、撮影された映像の保存期間を定める、複製できないようなコピープロテクトをかけるなど、システム上の対策も盛り込みます。※画像はイメージです(GettyImages) 社会の合意を得ることは、鉄道会社だけでなく社会全体の話ですから、その整理は国の役割です。国土交通省が警察庁と連携し、国民の生命と財産を守るための得策だと示し、かつ悪用されない仕組みを導入することをきちんと説明することで検討が進みます。そして日本は、技術力のあるメーカーがサポートし、国民の賛同を得て導入するというプロセスを踏める民度の高い国だと信じています。 国民の間で、防犯カメラに対する違和感や嫌悪感はかなり薄れてきたと思います。さらに、そのAIシステムにより、車内や駅に忘れ物をしたときに教えてくれたり、体調が悪くて倒れた人がいたら救急車が自動手配されたり、さらには傍若無人の輩(やから)を警察に通報してくれるようになります。鉄道大国ニッポンの使命 高速道路のサービスエリアのトイレの個室にまで、忘れ物センサーが導入され始めています。そういったメリットも周知しつつ、「監視社会への不安」を解消できるよう、一つずつ丁寧にメリットとリスクヘッジを伝えていきたいです。 さらに、早期に導入するには費用負担の整理も不可欠です。AIシステムの導入に伴う投資と経費増は、トラブルの低減などによる鉄道会社の収益増と経費削減だけでは賄えません。 社会全体の安全・安心のために一定の税金を投入することは、丁寧な説明により人々の理解と賛同を得られると考えます。費用分担は、国・自治体・鉄道会社で3分の1ずつくらいが適切でしょう。鉄道会社の負担分として、運賃の値上げも一策です。 2020年の東京五輪まで2年を切った今、テロ対策をはじめとした防犯対策は重要なテーマです。ITと通信システムの高度化により、私がJRの社員時代に実体験した人海戦術ではなく、システムの力で不安要素をピックアップし、要所では人が判断・行動する効果的な防犯システムを開発できる時代になりました。 日本以上にテロに困っている欧米各国には、すさまじい数の防犯カメラが設置されていますが、AI活用やネットワーク化は進んでおらず、費用のわりに効果が不十分と感じます。東京五輪は世界にアピールできるチャンスであり、このシステムで万全の安全を達成すれば、世界中が同じシステムの導入を望むでしょう。株式会社ライトレール代表取締役社長・阿部等氏 世界的にテロから身を守りたいという機運が高まる中、日本の治安が良いことは、それ自体が日本に訪れる一つの要因です。AIシステムを導入できれば、より大きな財産になり、かつ日本発の技術として世界に広められます。いや、世界一の鉄道を持つ日本が広めなければいけません。(聞き手/専修大学・大江茉那、小松幸男、山田風香) あべ・ひとし 株式会社ライトレール社長。昭和36年、東京都生まれ。東京大工学部都市工学科修士終了。JR東日本にて鉄道の実務と研究開発に17年間従事。平成17年にライトレールを創業し、交通計画のコンサルティングに従事。著書に東京都の小池百合子知事が公約に掲げた「満員電車ゼロ」のベースとなった『満員電車がなくなる日 改訂版』(戎光洋出版)。■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ■ イスラム国テロ組織が絶好の標的として虎視眈々と狙う「東京五輪」■ イスラム国に共鳴した日本人テロリストが「聖戦」に走る最悪シナリオ

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    犯罪や事故の捜査・抑止に期待の画像検索は日本がリード中

     ネット検索といえば、文字によるものが中心だった。最近は、画像やイメージによる検索やコミュニケーションが発達してきている。新刊『武器としての経済学』でも近未来のビジネス環境について解説している経営コンサルタントの大前研一氏が、画像検索の進化によって、変わりゆく世界について指摘する。 * * * 今、ネットを活用した「画像検索」や「イメージサーチ」のサービスが劇的に進化している。 たとえば、ITベンチャーのヴァシリーが開発した「スナップ・バイ・アイコン(SNAP by IQON)」は、写真共有アプリのインスタグラム(Instagram)に投稿されたファッションコーディネートに使われているアイテムを写真解析し、その商品や類似商品を検索・購入できるウェブサービスだ。 自分が好きな写真や画像をシェアできる「ピンタレスト(Pinterest)」も画像検索機能を追加し、スマートフォンのカメラを使って類似商品などが探せる。グーグルも、画像検索でサングラスや靴、バッグなどの似ている商品をECサイトで探すことができるサービスを導入している。 このように、ますます“進化”する画像検索サービスだが、その技術が最も重要視されるのは犯罪や事故の捜査・抑止に利用するセキュリティ分野である。 今や東京23区内をはじめとする大都市の都心部や空港、駅、イベント施設などは至る所に防犯カメラや監視カメラが設置されており、そのネットワークから外れる場所はほとんどないと言われている。犯罪が起きた後の容疑者の追跡などは、変装していたとしても骨相などから検索可能になっているという。 そして、この分野では日本企業が世界をリードしている。 たとえば、NECの顔認証システム「ネオフェイス(NeoFace)」は、アメリカ国立標準技術研究所(NIST)による初の動画顔認証の性能評価コンテストで、静止画に続いて4回連続で最高評価を獲得した。同社によれば、このコンテストには世界の有力企業16社が参加し、2位以下を大きく引き離す精度の高さが認められたという。「ネオフェイス」は、PCアクセス認証やビル・施設への入退場管理などの企業ユース、顔パス入場などのエンターテインメント分野、さらには出入国管理や国民IDシステムなど国家レベルのセキュリティ管理といった幅広い用途で日本をはじめ世界40か国以上で導入されており、なかでもアメリカでは州警察の3分の1ほどに採用されている。NECは2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、これからますますセキュリティ関連ニーズが高まるとみて、顔認証技術の開発にいっそう力を入れる方針だ。 さらに今は、事件や事故を予測・予防する技術の開発が急速に進んでいる。具体的には、イベント会場や駅のホームといった大勢の人が集まる場所で、不審な動きをする人間をマークしたり、鉄道自殺を予防したりする技術だ。 実際、防犯テクノロジーの専門会社アースアイズは、ベンチでうなだれて列車を何本も見送るような自殺の前兆をAI搭載カメラが検知して駅員に自動通報するシステムを開発したと報じられている。 このセキュリティ分野は、非常にレンジが広い。たとえば、1人暮らしの若い女性が夜遅く帰る時、不審者やストーカーが自宅の周りをうろついていないかどうか、待ち伏せしていないかどうかといったことを、帰宅前にスマホから画像検索でチェックすることができれば、犯罪被害を未然に防ぐことができる。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) セコムやアルソックなどの警備会社も、そうした技術開発に積極的に取り組んでいる。たとえばアルソックは、テロや犯罪を未然に防ぐための“人の感情を可視化する技術”を活用した不審者検出システムを開発しているという。だが、優れた画像検索技術を開発すればするほど、それらの警備会社は不要になるわけで、実に皮肉な話である。 とはいえ、これまで人の眼や感覚に頼ってきた写真や画像のチェックは、今後、AIやロボットにどんどん代替されていく。趣味や買い物の利便性は上がるが、安全・安心と監視社会とのバランスなど難しい問題も浮上している。そのカギを握る画像検索技術の覇権争いが、これから様々な分野で激化するのは間違いない。※週刊ポスト2017年9月15日号関連記事■ 現場の捜査経験乏しい 特捜部=「最強の捜査機関」はウソ■ 勝谷誠彦 検察は福島第一原発事故の捜査をただちに開始せよ■ 事件や事故の実名と写真報道 ネット普及で議論に■ 730日以上の捜査で清原を逮捕 組対5課の実態と捜査手法■ 名誉を守るドライブレコーダー 交通犯罪の抑止にも効果

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    中国の監視社会 携帯盗んだ犯人がすぐ特定されてしまうほど

     中国は監視社会といわれるが、その“精度”のほどはこんな些末な事件からも伺い知ることができる。現地の情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏がレポートする。* * * いったい何を焦点に記事を書くべきか、迷ってしまう事件である。武漢市青山区で起きたスマートフォンの窃盗事件の顛末である。まずは、事件を報じた地元紙、『楚天都市報』(4月11日付)のタイトルからみてほしいのだが、それは、〈携帯電話を盗んだ男が、盗まれた男の妻とデートの約束 現場に現れてところで逮捕〉 というものだった。 簡単にはシチュエーションが浮かんでこないのだが、要するに携帯を盗んでおいて、その被害者の妻とのデートの約束を取り付け、待ち合わせにのこのこ現れたところで御用となったという話だ。 この泥棒がナンパの達人なのか、それとも被害者の妻というのが背徳夫人なのか、と思って記事に読み進めると、さにあらず。要するに、夫に何度電話してもつながらない妻が心配して連絡を取り続け、まんまと犯人を誘い出したという捕り物劇であった。 当初、妻は夫に20数回も電話をかけたがずっとつながらない。うち、2回ほど誰かが応答したのだが、返事をしないまま通話は途切れたという。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 何か深刻な事件の巻き込まれたのでは。それを心配した妻が、夫の入り浸っているネットカフェに向かうと、夫は自分の携帯が盗まれたことも知らずに遊んでいたという。携帯電話は新しいものを買ったばかりで、暗証番号の設定をする前だった。 ほどなくして犯人がウィチャットの設定をしたらしく妻が「友達」に入れられ、そこから巧妙に犯人を誘い出したというストーリーである。いわゆる「妻のお手柄」というやつだが、驚いたのは、警察の捜査能力である。 通報を受けて間もなく、ネットカフェに残った映像を確認。顔認証システムに照合したらすぐに男の身元(張と名乗る40歳の洪湖人)が特定されたと記事にはある。要するに妻が呼び出さなくても犯人は間もなく捕まっていたことは間違いない。恐るべき監視社会の一端が垣間見えた事件である。関連記事■ 中国の汚職取り締まり 年間18万人処分の監視組織を更に強化■ 中国党政法委 盲目の人権活動家の監視に昨年は7.8億円使う■ 大メディアは権力の監視機能を放棄し権力に取り込まれている■ 中国の中学校生徒21人が通り魔被害、犯人は復讐目的の卒業生■ もしもあなたの母校が「使えない大学」認定されてしまったら

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    奨学金制度は何が問題か

    大学進学などで利用した奨学金の返済が行き詰まる「奨学金破産」が増えているという。「奨学金というシロアリが社会を食い荒らす」。制度へのこうした批判が相次ぐ中、日本学生支援機構(JASSO)の遠藤勝裕理事長がiRONNAに反論手記を寄せた。ニッポンの奨学金制度は何が問題なのか。

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    JASSO理事長手記「奨学金シロアリ報道に反論する」

    遠藤勝裕(日本学生支援機構理事長) 日本学生支援機構(JASSO)の奨学金制度に関し、このところ「奨学金破産」「保証人から説明せずに全額請求」などの新聞報道が見られ、過日に放送されたNHKの『クローズアップ現代プラス』では「社会の土台を食い荒らすシロアリのような存在」とまで言及されている。 こうしたネガティブキャンペーンの意図は不明ながら、これらにより奨学金制度が誤解され、勉学意欲と能力がある若者たちが奨学金の利用による大学や専修学校への進学をあきらめる、といった事態だけは断じて避けなくてはならないと思っている。そこで、奨学金制度を正しく理解していただくために、限られたスペースではあるが、制度の現状と課題について申し上げたい。 そもそも、JASSOの奨学金は、憲法第26条と教育基本法第4条に定められた「教育の機会均等」を実現するための国の制度である。制度の発足は古く、昭和18年10月まで遡(さかのぼ)るが、以来支援した学生数は1288万人に上り、その若者たちが戦後復興から経済発展の担い手となり、70有余年に亘り日本社会を支えてきたと言えよう。そして現在は高等教育機関に学ぶ学生のほぼ3人に1人をJASSOの奨学金が支援しており、社会を支える重要インフラとして機能している。決して「シロアリ」などではない。 平成29年度の貸与人員は約130万人、貸与金額は1兆円に上り、わが国全体の奨学金事業のほぼ9割を占めている。貸与人員の8割強は大学、大学院などであるが、特徴的なのは専修学校の学生も22万人近くに上っているほか、放送大学等通信制で学ぶ人たちも支援していることである。 このため、貸与学生の在籍学校数は3647校を数え、うち専修学校は2485校と7割近くを占めている。JASSOの奨学金は専門的技術・技能の習得に向けて学ぶ学生を支えており、この面でも社会の重要インフラとして機能している。 貸与奨学金には無利子(第一種)と有利子(第二種)があるが、ここ数年は奨学生の負担軽減のため、無利子のウェイトを高めている。ちなみに平成25年度の25%に対して29年度には33%、約3分の1が無利子となっている。 なお、有利子の金利について、「3%という高利を貪っている」と誤解され、あるいは歪曲され喧伝されることがあるが、3%は法令上定められた上限金利である。実際にはJASSOが国から借入れる財政融資資金の金利と同一に設定され、現在は0・01%(変動の場合)、そしてこれはそのまま国に償還しており、JASSOが民間金融機関の様に「利鞘(りざや)を稼いでいる」ことは全くない。 ところで年間1兆円にも上る巨額の貸与原資をJASSOはどう調達しているのであろうか。ちなみに平成30年度予算では、8割強(81・9%)が返還金となっており、これは返還者が稼いだ金が後輩たちへの貸与資金となっていることを意味しており、この流れは「健全な日本社会の象徴」と私は自負している。日本学生支援機構の遠藤勝裕理事長(同機構提供) なお、残り2割は財政資金のサポートを受けているが、有利子奨学生については、在学中は金利負担を猶予しているため、この間は規則により財政資金が借りられず、債券発行や借入により、民間の金融市場から調達している。余談ながらJASSOが発行する債券は、国際資本市場協会(ICMA)が定める社会的課題解決のために発行される社会貢献度の高い債券、いわゆる「ESG債」と認定されており、JASSOは国際的にも「社会貢献度の高い組織」と位置づけられている。 さて、こう記してくると、「貸与原資となっている返還金の元は何なのか」との疑問がわいてこないであろうか。そもそも制度スタートの時に資金がなければならないからである。昭和18年10月に「大日本育英会」(JASSOの前身)としてスタートした際、まず国は財政資金100万円(当時)を投じているが、翌昭和19年4月、昭和天皇自らが御手許(おてもと)金100万円を拠出され、あわせて200万円(当時)でJASSOの事業が始まっている。 この200万円を原資として、以後連綿として「貸与、返還、貸与」の好循環が繰り返され、現在の資金規模となっている。元を正せば天皇陛下の拠出金を含め全て公的資金である。返還率は上昇 前述の通り、貸与原資の8割が返還金であり、これが大きく滞れば制度が成り立たなくなるか、あるいは公的資金(税金)の追加投入を余儀なくされることになろう。時に「JASSOは高利貸のように取り立に狂弄(きょうほん)している」と非難されるが、返還にこだわるのはまさに「次世代への貸与原資」を確保しなければならないからだ。 ちなみにJASSOが日本育英会から事業を引き継いだ平成16年度末の3カ月以上の延滞者数は18万3千人で、返還者数の9・9%にも上っていたが、29年度末は15万7千人、同3・7%にまで低下している。返還率で言えば90・1%から96・3%にまで上昇している。仮に16年度の10%近くの延滞率が続いていたとすれば、制度の存続について大きな議論になったのではないかと推測される。 この延滞率の低下、返還率の上昇は、基本的には日本の若者たちの生真面目さによるものと思われるが、この間にJASSOが制度存続のために尽くした様々な努力、例えば延滞者への地道な働きかけ、債権回収会社(サービサー)への回収委託、個人信用情報機関への登録などの成果と言えよう。 こうした中、400万人にも上る返還者の中には様々な事情(病気、失業など)により返還したくても返還できない人も存在している。このため、減額返還、返還期限猶予、返還免除などの救済制度(セーフティネット)を設けており、近年は返還者の実情に応じ、制度の充実に努めている。同時にこれらの周知徹底にも取組んでいるが、残念ながら制度を知らずに延滞に陥る方々も存在している。返還が困難な状況になった場合には悩まずに、遠慮なくJASSOにご相談いただきたい。 冒頭にも触れたように、奨学金破産や保証人問題が大きく報道され、あたかも奨学金制度自体を否定する様な論調も見受けられる。これはまさに「木を見て森を見ざる」の議論と思われる。従ってこれらについての事実を申し上げ、奨学金により大学や専修学校への進学を考えている若者たちが、奨学金制度を安心して利用できる一助としたい。 まず「奨学金破産」について申し上げたい。奨学金返還者のうち平成28年度に新たに自己破産に陥ったのは2009件、返還者全体の0・05%である。これが多いのか少ないのか、立場によって議論も分かれるところであるが、わが国全体の自己破産割合(20歳以上の人口1・1億人に対し、6万3727件の自己破産)は0・06%であることが一つの目安となろう。 ただ、JASSOの立場からは「奨学金破産」という造語自体に違和感を抱いている。それは、自己破産の債務内訳を知り得る限り調べると奨学金のウェイトは平均して2割前後であり、中には億単位の債務のうち50万円が奨学金といったケースも「奨学金破産」とされている。さらに破産者の31%は破産時に奨学金は延滞していない事実もある。大学入試センター試験に臨む受験生ら=2017年1月、東京都文京区の東大 (福島範和撮影) 昨今、奨学金の延滞者に対し「自己破産を勧めている人たちがいる」との報道もあるが、JASSOの立場からは極力法的措置、裁判所の判断に委ねることとしている。理由は2点、すなわち自己破産はJASSOの債権が損なわれ、これは公的資金(国民の税金)のロスにつながること、そして自己破産は返還者本人の経済的な再起を難しくすること、などである。 次に、保証人問題について申し上げておきたい。最近大きく報道されており、世の中的には奨学金制度上の大問題のように受け止められているが、制度全体の極く一部の事象として捉えている。なぜならば、報道では「分別の利益がある保証人に対し全額請求」としているが、対象者は29年度中に167人、22~29年度累計で825人程であり、その比率は、返還者全体の0・02%、人的保証選択者の0・04%と極めて低いためである。 そしてJASSOの「法的には問題ない」との姿勢が誤りとする見解も見受けられるが、改めてJASSOに差入れられている保証人の保証文面を見ると「保証人は本人が負担する一切の債務につき債務履行の責を負う」と明記されている。ただ、法的な議論はさておき、奨学金絡みで一人でも問題を抱えている人がいるとすれば、JASSOは問題解決に向け、前向きに対応しているので積極的に相談窓口に連絡していただきたい。「給付型」は理想論 私は平成23年7月に理事長に就任して以来7年有余、様々な課題に直面しながら関係者、とり分けJASSOの職員と共に走り続けてきた。解決できたこと、まだまだ途上にあるもの、さらには新たな課題も発生しているが、それらは大きく入口、真中、出口と三つの時間軸に存在する。 これは奨学金の申込者への対応に課題が集約される。手続きが煩瑣(はんさ)、分かりにくい、説明書の字が小さいなど、ここでは本人、保護者らに対する親切な説明と同時に高校らの先生方の協力も不可欠と認識している。このため、29年度から日本ファイナンシャル・プランナーズ協会の協力の下、スカラシップアドバイザー制度を創設、約3千人のアドバイザーを高校などへ派遣して丁寧な説明に務めている。 要望があれば大学などのオープンキャンパスに出向くこととしている。ただ、毎年のように奨学金制度の変更や新設があり、とりわけ学校現場からの苦情、要望が多いのが実情だ。これらにいかに親切に対応していくか、大きな課題と認識している。 そして、まず第一の課題は在学中の適格認定の問題で、すなわち奨学生としてふさわしい状態にあるかについて、大学などにしっかり把握してもらう必要がある。現在の制度が形骸化しない工夫も必要と考えている。第二は貸与学生の金融リテラシー向上のサポート。現在新入生の段階で、「本当に必要な金額?借り過ぎに注意!」と啓蒙しているが、在学生に対しても同様のアピールをすると同時に、減額や貸与辞退も可能と呼びかけている。第一、第二の課題は奨学金と勉学とを学生たちにどうリンクして意識づけるか、ということであり、この面での学校サイドの理解とJASSOとの連携強化も大きな課題である。 JASSOの貸与奨学金は通常、卒業してから半年後の10月に返還が始まる。前述の様にこの返還率は新規返還者で97%、全体でも96%と極めて高い。しかしながら、母集団が大きいため人数的には、全体で15万7千人が3カ月以上の延滞者となっている。確かに16万人近くが延滞しているが、逆に410万人は通常通り返還しているのは誇るべきことである。 しかし、JASSOとしては、延滞状況に陥った返還者への対応、すなわち前述のセーフティネットのさらなる充実が大きな課題である。そして、自己破産や保証人問題が指摘される中、保証人制度の抜本的改革も基本的な課題として視野に入れるべきであろう。すなわち、奨学金の人的保証制度を廃止し、機関保証制度に一本化するということである。もちろんこの実現のためには、保証機関、保証料率の水準と徴収方法、既往返還者への対応など検討を要する事項も少なくないが、フィージビリティスタディ(実行可能性調査)を開始すべき時期にきているのではなかろうか。学生らに胴上げされる東大合格者ら=2011年3月、東京都文京区の東大(三尾郁恵撮影) 奨学金制度改革の理想は全て返還負担のない給付型にすることであろう。しかし、全て給付型の先進国では、財源としての消費税率は20~30%と高く、わが国の実情からはなかなか難しい。従って今後の現実的な対応としては、貸与型に給付型をミックスし、貸与型をより返還者の立場に立って改善していくことである。 幸い現在法的にも給付型が可能となり平成30年度から本格的にスタートしているのは、その一つの足掛りとなろう。また、29年度から全て機関保証を条件とし、所得に応じ返還額が変動する新たな所得連動返還制度も始まっている。こうしたことの拡充により「日本型」の奨学金制度がより進化していくことを願って止まない。

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    奨学金取り立てが「サラ金と同じ」でどうする

    高橋知典(弁護士) 日本学生支援機構(JASSO)が、民法上、保証人には連帯保証人も含めた人数で等分に割った額しか支払い義務がないことを積極的に説明せずに、全額請求していたことが問題視されていますが、本来今回のような日本学生支援機構の対応に法的な問題はないと言えます。 日本学生支援機構の奨学金制度は、法的には「金銭消費貸借契約」であり、銀行や消費者金融からお金を借りることと変わりはありません。 金銭消費貸借契約では、支払いを確実にするために、人的な担保である保証人を付けられます。その中でも「連帯保証人」と「保証人」の2種類があり、今回はその「保証人」の取り扱いについて問題が提起されました。 現在、保証人をつけて奨学金を借りるためには、連帯保証人(親等)1人と、保証人(4親等内の親族)1人が必要とされています。保証人は連帯保証人と違って、簡単に言えば「まずは主債務者(お金を借りた人)に請求してもらう」(催告の抗弁)ことができ、「主債務者がお金を持っている場合には、そちらから払ってもらう」(検索の抗弁)ことができるという特徴があります。こうした保証人が持つ特徴の一つで、今回問題提起されたのが「分別の利益」の取り扱いです。 保証人が持つ「分別の利益」は、1人で借金の全部を払わなければならないのではなく、他の保証人と分担して払えばいいということです。例えば、連帯保証人1人と保証人1人がついているならば、1000万円を借りた時には、保証人は500万円を自分の負担分として払えばいいということになるのです(連帯保証人は、全額を払う必要があります)。日本学生支援機構の奨学金を利用すべきか悩む学生=2009年3月、東京都内(安田幸弘撮影) しかし、債権者(お金を貸した者)は、保証人から全額の返済を受けてはいけないということはなく、保証人が「任意に払うのならば受け取っていい」ということにしています。仮に保証人が分別の利益を超えて、他の保証人分を支払った時は、保証人は、他の保証人から払ってもらうということになっているのです。 また、本来こうした「分別の利益」は、債権者が保証人に請求した場合に、支払いをしたくない保証人側から、主張することになっています。 このために、今回の「分別の利益」の主張について、貸した側が借りた側に「分別の利益」の主張を教えてあげるということは、通常は敵に塩を送るような行為です。厳しいようですが通常は保証人側で勉強したり、弁護士に相談したりして主張すべき事柄であり、払ってしまった保証人は、本来は主債務者か、連帯保証人に払ってもらうことになるのです。 以上から、法的には、説明しなかったことが問題になるとは言いにくいところがあります。フツーの金融機関と同じ このように本来的には、保証人が自分で調べて主張しなければならないのですが、一方で今回、日本学生支援機構が「分別の利益」について、説明しなかったことは問題があるといえるでしょう。 学生やその保護者は、日本学生支援機構に対する信用・信頼から、お金を借りる心理的なハードルが低く、そのために学生側はお金を借りるのだろうと解されます。実際に私自身もかなりの金額の貸与を受けていますが、やはり学校の校舎の中にパンフレットを置ける金融機関であって、奨学金という名称で広く受け入れられており、さらには学校の先生から利用を勧められることさえあることを考えれば、その信用・信頼は、他の金融機関とは隔絶したものがあると考えるべきでしょう。 それは、支払いの場面でも同様であると考えられます。一般の金融機関や、消費者金融からの請求であれば、保証人も弁護士に相談に行っていたかもしれませんが、日本学生支援機構からの請求については、保証人もまさか弁護士に相談しなければならないようなことはないだろう、という前提があったと考えられます。 今回「分別の利益」を説明しない請求方法は、法的に見れば妥当かもしれませんが、他の金融機関とは明らかに違った土俵でお金を貸している日本学生支援機構としては、他の金融機関とは違った公正性のある対応をすべきであり、それを全うしていないということが、問題意識になっていると考えられます。今後は、事前に連帯保証人や保証人についての役割等を説明するべきだと考えられます。  では次に、そもそも奨学金の人的保証制度に問題はないか、考えてみたいと思います。人的な保証制度は、不動産などの有力な担保が無い借り入れの場合に必要とされることが多い担保の形ですが、近年はこうした人的保証制度自体を見直す傾向にあるといわれます。※画像はイメージです(GettyImages) というのも、日本では、会社経営者がお金を借りる時、以前は必ず会社経営者個人も連帯保証をさせ、会社が破産すれば必ず会社経営者家族も破産するという、個人を追い詰めてしまう状況がありました。このために、近年では見直しの動きが起こっており、人的保証から経営の実績や事業計画への評価を通じた貸し付けを行うようにシフトしている状況があります。もっと根深い問題がある 今回の奨学金における問題の提起から、奨学金を借りて卒業した人の貧困と、その後の親族への波及、連鎖破産などの問題が明らかになるならば、今後は現在の人的保証制度と、選択式になっている機関保証制度が、奨学金を借りる際の保証の主流になる可能性があります。もっとも、機関保証制度は、奨学金から保証料として保証会社にお金を払うということもあり、学生にとっては、保証人制度も選べる現状からすればマイナスの変化にもなりかねません。 奨学金の制度は、本来は子供が高校や大学等の高等教育を受ける際に経済的負担が大きくなるものの、その後就職して経済的に充実していくという流れを前提に、一時的にお金が不足する期間のある学生に、お金を貸し、卒業後の経済活動で返済していくことをモデルとしているものと考えられます。しかし、現在学生たちが置かれている経済状況を前提にすると、就職難、ワーキングプア、非正規雇用など、実際にはモデルのように生きることが難しい現実があります。 奨学金に関して、学生側が意識的に検討すべき内容として、教育機関で得られるものとそれにいくらお金を払うかということを冷静に見るべきでしょう。大学に行く目的、そこにかける費用は「みんなが行くから行こう」と思って行くには、随分と高くつくようになっていると思います。 もちろん、奨学金は、学生が無金利または低い金利でかなりの金額を借りることができる非常に有り難い制度であって、さらには返済の際に返済期間の猶予制度などもあり、適切に制度を利用すれば奨学金制度は好ましいものでしょう。 しかし、今回の問題でも明らかになったように、日本学生支援機構は、返済の際には普通の金融機関と同じように、厳しい請求をします。だからこそ、奨学金を借りる時には、なぜ借りるのか、なぜお金を借りても学ぶのかを吟味する必要があるでしょう。※画像はイメージです(GettyImages) また一方で、仮に酷に思える回収をせずに、日本学生支援機構が貸与した奨学金を返せる人から回収できていないとなれば、次の世代への貸し付けをする原資がなくなり、奨学金として貸したお金を無駄にしてしまうという別の問題になりえます。 学生の経済的困窮を教育期間中に軽減することが奨学金の目的であり、保証人からの回収というのは、そもそも借りた学生本人とその連帯保証人の親が返済できなかったことを意味しています。その意味は、単に日本学生支援機構の取り立てが公正性を欠くということ以上に、この国の若年層の経済事情と教育制度のあり方についての課題を提示していると考えられます。

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    「奨学金は借りたくない」キャバ嬢学生の思いは本当に甘えなのか

    北条かや(著述家) 奨学金の返済に追われる若者が増えている。大学進学率が上昇し、若者の2人に1人が大学へ進むようになった一方、高止まりする学費が家計を圧迫しているからだ。日本の全大学の8割を占める私立では、平均130万円という授業料がのしかかる。さらに、一人暮らしの学生なら、家賃と生活費が年間150万円にもなる。 4年間で実に1200万円。長引く不況の影響で、この大金を負担できる家庭は減っており、今や2人に1人の学生が奨学金を借りている。 奨学金のほとんどは、給付型ではなく貸与型だ。つまり、将来何十年にもわたって返済が求められる「借金」である。後で詳述するが、この借金を背負いたくないがためにアルバイトに追われ、中にはキャバクラや風俗などの水商売で働く学生もいる。奨学金を借りていないからといって、経済的に豊かな学生とは限らないのである。 牧歌的な考えの大人たちは、こう思うかもしれない。「授業料が安い国公立大に自宅から通えばいいじゃないか」と。「奨学金に頼る必要はない、甘えるな」と。 本当にそうだろうか。まず、前述の通り、日本の大学は圧倒的に私立が多く、国立と公立大の割合はそれぞれ約1割にすぎない。大学生のほとんどが、年間100万円以上の授業料を納める私大生だ。授業料が低い国立大の多くは難易度が高いので、学力が足りなければ公立や私立へ進学するしかない。 さらに、学力は、幼少期からの塾通いなど多額の教育投資ができる富裕層ほど高くなる。東大生の親は約6割が年収1千万円以上だ。国立教育政策研究所の濱中義隆総括研究官によるデータ解析では、国立大生の親の方が、公立や私立よりも「年収1050万円以上」「850~1050万円」の割合が高いという。皮肉というべきか、授業料の安い国立大に通うためのチケットは、富裕層ほど安く手に入るのだ。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) 以上のことから、もはや高い学費を払って国立以外の大学に通う学生は多数派であるといえる。親の収入状況で進学先が左右される以上、借金してまで大学に通う学生を「本人の甘え」とか「努力が足りない」などと非難するのは早計だ。 ある女子学生は、学費と生活費を補うため、ファストフード店でアルバイトを始めた。時給800円。授業の後に1日3時間働いて週4日、1日2400円、1カ月で4万円にもならず、毎月12万円かかる生活費が払えない。利益と搾取に「絶望」 ある日、繁華街で配られているポケットティッシュに「誰でも簡単、高収入」の文字を見つけた。「お酒が飲めなくてもOK」「週1日~時給4千円以上、1万円も可」と書いてある。ファストフード店と比べておそろしく魅力的な条件だった。そう、キャバクラである。 拙著『キャバ嬢の社会学』でも述べたが、キャバクラやガールズバーの多くは、水商売の初心者でも「気軽に」働けることをウリにしている。「飲酒なしでOK」「ノルマなし」「未経験者歓迎」など、若い女性ならほとんど誰でも良いというようなキャッチコピーで人を集めるのだ。 彼女は勇気を出して面接へ行った。ニコニコしたおじさんが出てきてシステムの説明をされ、身分証を提示したら、その日から働くことができた。夜中の12時まで4時間働き、1万6千円を手にした。ファストフード店の5倍。親への罪悪感はあったが、学費を払うために四の五の言う暇はなかった。 そこからは、週3回キャバクラ勤務の日々が始まった。毎月12万円の生活費、年間100万円の授業料は払ったが、寝ずに授業へ行く日が続き、ノルマのために深酒するようになった。2年以上、キャバクラ嬢として売り上げを上げ続けたが、ある日、色恋に狂った客からレイプされそうになり、店のスタッフがそれを止めなかったことで、全てが嫌になった。自分が若さや女を売りにして利益を得ることが、搾取されることと表裏一体であることに絶望したのだ。 「ものすごく傷ついたし、学費を払うためにどうしてこんなに苦労しなきゃいけないのか、最悪だと思った。でも、いろいろ大事な経験をしたと思う」と、彼女は静かに語った。 これは私の肌感覚だが、2008年のリーマン・ショック後に、キャバクラ嬢として働く女子大生が急激に増えた。理由はほとんどが「親の仕送りがなくなったから」。一見するとキャバクラで勤務しているようには見えない、というと語弊があるが、世間が思う派手なキャバクラ嬢とは違う、「真面目そうな普通の女子大生」が夜の店で働くようになった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 時を同じくして、ガールズバーやラウンジなど、キャバクラよりもさらに「ゆるい」形態の水商売が盛り上がりを見せた。飲酒しなくてよい、私服でよい、髪の毛をセットしなくてよい。接客はカウンター越しで、セクハラの心配も少ない(ということになっている)。夜の仕事のハードルはどんどん下がり、親の仕送りに頼れない学生や、生活費にゆとりが欲しい学生の一部がそこへ流れていった。 「大学のユニバーサル化」は同時に、「水商売に従事する大学生のユニバーサル化」も進めた。男子学生さえ、例外ではなかった。「やっぱり病みますよ」 「奨学金とか高いじゃないですか。借金するくらいなら、自分で稼いだ方が全然いいと思ったんで」 ある男子学生は、親が無理して通わせてくれた理系学部の授業料、年間200万円を工面しようと、新宿の歌舞伎町でスカウトマンの仕事を始めた。街で女性に声をかけ、風俗産業へと斡旋(あっせん)する。別の大学の友人は、週1日の出勤で月収30万円を稼いでいた。「完全自由出勤」「完全歩合制でノルマなし」という条件に引かれた。これなら授業と両立できる。 面接は雑居ビルの一室で、スーツを着たコワモテのお兄さんたちに囲まれて怖かった。「とにかく女の子に声をかけて、キャバクラか風俗店に連れて行って」と言われ、新宿へ通う日々が始まった。 女性と話すのは好きだったので、ナンパのようなノリで声をかけ続けるのも、それほどつらくはなかった。大学の同級生からは「女性にモテる」「コミュ力が高い」と褒められるようになった。 キャバクラ嬢を新しい店に紹介できれば、店から一件あたりいくらかの収入が手に入る。性風俗店なら、その女性が勤務し続ける限り、女性の給料の10%が彼の懐に入り続ける。月収は30万円を超えた。だが、本音は「やっぱり病みますよ」。 「女の子の愚痴や色恋の管理とか、あとは罪悪感。ヤバい人たちとの絡みもたまにありますし。でもこれ以上稼げる仕事はないです。やりがいもあるし。でもそろそろ単位が危なくなってきたので、ちょっとキツいですね」 信じられない人もいるだろうが、多くの学生にとって夜の世界は、奨学金に頼らず学生生活を送るための手段になっている。学費のためにキャバクラやクラブ、性風俗店などで働く大学生のほとんどは、奨学金を借りていない。そして、たいてい私立大に通っている。彼、彼女らは「自立」するために、大人の社会に依存する。いずれも「親に甘えずに」大学へ通おうとした結果である。 ある女性は、学費のために銀座のクラブで働いたが、その目的は「クラブに来る客の中から、自分を経済的に支えてくれる人を探すためだった」という。20歳の彼女が見つけたのは59歳の会社役員。学費を払ってもらう代わりに、体の関係を提供している。 深夜まで勤務するホステスやクラブは学業と両立できないので、「スポンサー」ができたらすぐにやめるつもりだった。還暦間近の男性とホテルで会うたびに虚しさが募ったが、最近は慣れてきたという。大学を無事に卒業し、無借金で社会に出ることが彼女にとっては何より大切だからだ。「貸与型」では限界 友人にも似たようなパターンの女子大生は多いという。昨今流行りの「パパ活」も、一部は学費を捻出するために行われているのかもしれない。 彼女たちにとって、学生生活を送ることはお金を稼ぐこととほとんど同じである。それでも大学へ行きたい。親には頼れない。でも奨学金は借りたくない。だから大人の社会を利用し、また利用されてお金を稼ぐのである。それでもまだ、「甘えるな」と言う資格が私たちにあるだろうか。 「そこまでして大学へ行く必要があるのか」という問いには、こう答えよう。高等教育の充実は社会的な善であり、よほどの代替案がない限り、大学進学率の上昇は歓迎されるべきことだ、と。やみくもに「大学へ行くな」という権利など誰にもない。 学生を借金漬けにする、もしくは学業に支障をきたすほどのアルバイトを強いる。言うまでもなく、これほど高額な授業料がそもそも問題なのだ。対処するには、全大学の8割を占める私立大が、貸与型ではなく給付型の奨学金制度を増やさなければならないだろう。授業料の減免制度を設けている私大は多いが、個別の大学ごとの格差が大きい上、学生の授業料負担を平均して下げる効果があるとまでは言えない。 だからこそ、私大同士が垣根を越えて資金を出し合い、給付型の奨学金制度を新たに作ることが望ましい。まずは生活費負担が相対的に重い、都市部の私大から連携を始めてはどうか。 こうした大学のうち、特に難易度が中程度から高程度のマンモス校は、地方からも多くの学生が集まる。地方から都市部へと、若年人口を吸い上げる代わりに、給付型の奨学金で彼らの生活費負担を少しでも下げることはできないか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 資本の論理でいけば、こうした提案は利潤追求に反するかもしれない。が、若者に「甘えるな」と自己責任論を押し付け、やたらと高額な学費を吸い上げる高等教育機関など、無責任以外のなにものでもない。 大学とは経営主体である前に、教育理念を持った社会的存在であるべきだ。2人に1人が進学する時代だからこそ、「大学の社会的責任」を、学費負担という観点からも検討すべきではないだろうか。

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    「学歴」が分断する現代日本社会

    つひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。

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    奨学金に絡む自己破産者は15000人以上 増加傾向にあり

     「まさか大学に行ったことが、人生の“枷”になるとは、予想だにしていませんでした」。都心の飲食チェーン店でアルバイトをして暮らすA子さん(28才)は、ガックリとうなだれる。 東京の有名私立大学を卒業後、念願のアパレル業界に入社。しかし残業は毎月70時間を超え、給与は雀の涙。完全にブラック企業だった。人間関係にも悩み、わずか2年間で退職。以降、派遣やバイトなど非正規で働く日々を送っている。そんな彼女に今、重くのしかかるものがある。「学生時代の奨学金です。合計300万円超。まだ半分も返済できていません。社会人になったら毎月2万円ずつ返す予定だったのですが、延滞し続けていて…。現在、アルバイトの給与が月に手取り11万円で、家賃が5万円。生活費の5万円を引くと、どうしても払うことができないんです」 そう話すA子さんは最近、真剣に自己破産を検討しているという。 「奨学金を借りた日本学生支援機構(JASSO)からは催促の通知が絶えません。ただ、自己破産しても連帯保証人である親に支払い義務が行ってしまうので、それも申しわけなくて。もう、どうしたらいいのか…。完全に袋小路に追い詰められています」(A子さん) 彼女のケースは氷山の一角だ。昨今、学生時代の奨学金の返済ができずに破産する人が激増している。JASSOによれば、返済の滞納が3か月以上続く人は、16万人(2016年度末時点)。「今後決められた月額を返還できる」と回答した人は3割強しかいなかった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 奨学金に絡む自己破産者は、2016年までの5年間で1万5338人。内訳は本人が8108人、保証人が計7230人。2016年度は過去最高の3451人が破産した。「年収300万円以下など低所得者を対象にした奨学金の返済猶予制度の猶予期限は10年。期限切れによる自己破産者は今後さらに増える見込みです」(全国紙記者) なぜこんな事態になったのか。『ブラック奨学金』(文春新書)の著者でNPO法人『POSSE』代表の今野晴貴氏が語る。「根本的な原因は学費の高騰です。国立大の授業料は2017年時点で年間約53万円。過去40年で15倍近く上がっている。私立はさらに高い。入学金も含め、4年間支払うのは家計に大きな負担がかかります。結果、奨学金に頼る学生が急増しました」 現在、奨学金の受給者数は130万人にのぼり、20年前の46万人から3倍近く増加した。学生の2人に1人がなんらかの形で奨学金を借りている状態である。ここに、就職難とブラック企業問題が重なった。「MARCH(明治、青学、立教、中央、法政)を出ても非正規労働者がゴロゴロしている時代です。正社員でも過重労働で超低賃金というブラック企業も多い。体調を崩して休職したり、辞めてしまったりすると、奨学金の返済は至難になります」(今野氏)関連記事■ 国立有名大学の奨学金延滞率 トップは名大、ワーストは一橋■ 奨学金の「延滞率」 ワースト大学は10人に1人が延滞■ 奨学金「延滞者数」が多い大学 ワースト10■ 早稲田vs慶應 奨学金の延滞人数は早大が慶大の3倍■ 奨学金受給率と入試難易度に相関関係 難関大ほど受給率低い

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    「高等教育の無償化」が救うのは学生でなく倒産危機の大学

     安倍政権が打ち出した「高等教育無償化」は、“奨学金を借りる学生を減らす政策”に見える。だが、本当にそうか──。 過当競争で私大の4割が定員割れを起こしているのに加えて、今年から18歳人口が急激に減少に向かい、奨学生が払う学費では大学経営が維持できなくなってくる。安倍政権の掲げる「大学無償化」からは、“奨学金でこれ以上、大学生を増やせないのなら、授業料を国が払って18歳全員が大学に行けるようにしよう。そうすれば大学は生き残れる”という発想が透けて見える。元文部科学省審議官の寺脇研・京都造形芸術大学教授が指摘する。「無償化がすべての大学を対象にするなら、三流大学は大喜びですよ。タダなら大学行こうとみんな入学してくれる。例えば総理の友人が経営する加計学園グループは岡山理科大学以外は定員割れ。そうした大学の救済措置と言われても仕方がない」 日本学生支援機構のデータから加計グループ3大学の奨学金受給率を見ると、岡山理科大(50.7%)、倉敷芸術科学大(57.0%)、千葉科学大(51.7%)と奨学生によって経営を支えられていることがわかる。その中でも安倍側近の萩生田光一・自民党幹事長代行が客員教授を務めていた千葉科学大の奨学金延滞率は2.1%と全大学平均(1.3%)より高い。 安倍政権の大学無償化の最大の問題は、大学の生き残りが優先され、「大学生に国が投資し、国に利益が還元されるか」という重要な視点が抜けていることだ。卒業生に借りた奨学金を返済するための「生活力」を持たせられない大学の授業料を無償化して学生を通わせても、国は税金投入に見合うリターンを得ることができるはずがない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 安倍内閣の大臣には、大学経営の経験者がいる。奨学金延滞者数ランキングでワースト3位の近畿大学元理事長である世耕弘成・経産相だ。近大卒業生の延滞をどう考えるのかぶつけると、事務所を通じてこう回答した。「経営から離れて5年以上経過していることもあり、ご質問に答えることは差し控えさせていただきます」 大学無償化の本当の狙いは、奨学生が背負いきれなくなった私大経営の支援を、納税者に肩代わりさせることではないのか。そうなる前に、卒業生の「生活力」を基準に大学を評価する“目”を受験生とその親が、そして全国民が持つことも必要になってくる。●取材協力/峯亮佑(フリーライター)関連記事■ 女子大生風俗嬢を生み出す「奨学金制度」の弊害■ 私大トップクラスの「奨学金返済能力」を誇る大学は?■ 奨学金の「延滞率」 ワースト大学は10人に1人が延滞■ 奨学金「延滞者数」が多い大学 ワースト10■ 国立有名大学の奨学金延滞率 トップは名大、ワーストは一橋

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    「プラ製ストローは害」という欺瞞に日本人が付き合う道理はない

    武田邦彦(中部大学特任教授) 環境省は「日本近海にプラスチック廃棄物が多い」と発表し、プラスチック・ストローの環境破壊を改善するため、紙製ストローを製造する企業に補助金を出すという。ちなみに、紙製のストローには防水加工のため塗料が使われており、この塗料による環境汚染については、語られない。 筆者の友人で新潟の海岸線に住んでいる方からのメールによると、「確かに海岸に漂着するプラスチックごみは多いが、その大半は中国で捨てられたことが明らかだ。また、私は一度もストローは見たことがない」という。 日本は科学技術立国と言われるが、「科学」というのは「思想」を後退させて、まずは事実を整理し、考えること、そして自分の考えを他人に押し付けないことが基本だ。だが、「環境問題」は常に他人を押さえつけるために使われてきた。 これらのことを頭に入れて論を進めていきたい。  環境省などによると、石油などから作られるプラスチックは年間約4億トン近く製造され、そのうち、約800万トンが海に放出されているという。だが、特殊で高価な工業部品以外のプラスチックは比重が1・0以下で軽く水に浮くので、もし分解されなければ海の表面を覆うはずである。すでに40年ほど前からプラスチックは大量に使われているので、海に放出されたプラスチックがそのまま漂流を続けていたら、海水面はプラスチックで覆われている計算になる。 しかし、現実はそうなっていない。ならば、プラスチックが海に流れることは道徳的には望ましくはないが、科学的にはプラスチックによる海洋汚染は当面は考えなくてもよいことになる。これは以下に示す科学的原理や、長年の実績とも合っている。 そもそも、プラスチックは油性だから海に存在する有害な有機性化合物が付着すると言われているが、魚もプランクトンもプラスチックと同じ油性である。プランクトンや魚の存在量は明確ではないものの、40億トン程度とみられ、それからみると、プラスチックの流出量は0・2%に過ぎない。ゆえに、大量の油性生物に対し、プラスチックが環境を汚染することはあり得ない。 一方、地上の生物の食料はすべてCO2(温暖化ガス)が原料であり、それを還元して作る「炭素-炭素結合(C-Cボンド)」が生物の体を作り、エネルギーを供給する。したがって、生物の死骸である石油はC-Cボンドの化合物からなり、それは人間にとっても生物にとっても最も大切なエネルギー源である。 人間はC-Cボンドをすぐに分解できないので、食料にすることはできないが、多くの生物はこの貴重なエネルギー源を利用する。海洋に流出したプラスチックは一部の微生物にとって貴重な食料であり、分解して自分の体にしたりエネルギーにしたりする。これが海洋に流出するプラスチックが減少する理由である。プラスチック製に代わり、ヒルトン大阪で使われている紙製のストロー=2018年7月29日、大阪市北区(柿平博文撮影) 環境問題でよく出される写真に「海底でのペットボトル」などがあるが、これは実に不思議である。ポリエチレンやポリプロピレンなどのポリオレフィン類ならともかく、エステル結合を持つポリエステルが海底でそのまま分解せずに存在することは不可能だからである。おそらく、この手の写真は「投下されたばかりのもの」を選択して撮影していることは間違いない。 筆者は20年にわたって多摩美術大学でデザインを教えてきたが、デザインや映像でやってはいけないことは自らの才能を生かして「事実ではないこと」を強く印象付ける手法をとることである。これは絶対「NO!」である。環境問題のほとんどがウソ 筆者の著書『生物多様性のウソ』(小学館101新書)や『科学者が読み解く環境問題』(シーエムシー出版)で詳しく書いたが、1990年から吹き荒れているリサイクルの破綻、ダイオキシンや環境ホルモンの害の他、生物の絶滅が早くなっていること、温暖化で海水面が上がっていること、森林がCO2を吸収すること、アルプスの氷が解けていること、などはいずれも一部の科学者の見解であって根拠がない。 リサイクルについては、「リサイクルしなければ8年で廃棄物処理場が満杯になる」という宣伝は、筆者が正確に計算したところ150年だった。また、「ダイオキシンは猛毒だ」と言われたときだけテレビに患者が出て、テレビが報道しなくなったら世界で一人の患者も出なくなった。今の若い人たちは「ダイオキシン」という名前すら覚えていないだろう。ゆえに、当時ダイオキシンが猛毒だと思っていた人がどういう情報ソースを持っていたかを検証することは意味がある。 さらに、環境ホルモンについては、生物の多くがオスとメスが入れ替わる事実を大衆が知らないことを狙った全くのウソであった。これは質の悪い誤報にすぎなかった。他にも、温暖化はアルキメデスの原理や相平衡の温度など中学校で教える理科でも分かる非科学的な結論ばかりである。 なぜ、こんなウソに大人がウロウロするのかというと、「科学オンチ」、「感情優先」、さらには「環境利権」がキーワードだが、もっと端的に言えば「日本人の幼児化」だろう。 プラスチックは年間4億トンも使っているから、汚染の可能性はあるが、現実には800万トン程度しか海に流出しておらず、さらにプラスチックが大量に使用されてから数十年も経て、今ごろ「海洋がプラスチックで汚染されている」という事実もないのに騒ぎだけが始まる。 特に、日本の環境省はひどい。日本近海のプラスチックのほとんどが中国で流され、それが海流に乗ってきていることを知っていて、国際的に「日本近海が多い」と表現するのだからはっきりした反日官庁である。 環境汚染を防止するというのは「まじめな活動」でなければ意味がない。「事実として海洋を汚染していること、海洋におけるプラスチックの分解が遅いこと、特にポリエチレン、ポリプロピレンの分解がどうなっているか」など重要な環境科学は研究の必要はあるが、緊急性はない。 まして、プラスチック・ストローなどは海洋に放出されるプラスチックの1万分の1にもならないことは明白だ。それを問題にするのだからまさに「幼児」と言えるだろう。東京農工大のチームが東京湾で採取したマイクロプラスチック=2015年1月 そもそも、ヨーロッパの北西に居住するアングロサクソン、ノルマン、ゲルマンというアーリア民族はややこしい。世界中で侵略を繰り返し、自分たちだけ豊かな生活をしながら、やれリサイクルだ、たばこやストローが害だと言い出して他人の生活を制限する。 でも、そんな民族が「震源地」の誤った環境問題に右往左往する日本人も魂を失ったものだ。この際、ダイオキシンやたばこの錯覚に思いを致し、日本人の誇りを取り戻してほしいものである。

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    SNS世代の女性が「シンデレラ体重」に心奪われるのはなぜか

    早見直美(大阪市立大講師) ダイエットは日本をはじめ、多くの国で常に人々の関心事であり、若い女性を中心にダイエットを取り巻くさまざまな情報に翻弄されている。2018年2月ごろにソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で話題となった「シンデレラ体重」もまた、若い女性を中心とした「やせたい」気持ちが投影された理想体重の一つである。 シンデレラ体重は、身長(メートル)×身長(メートル)×20×0・9という計算式で算出されるという。通常、標準体重を算出する際に使用するのは、最も死亡率や病気の罹患(りかん)率が低いとされる体格指数(BMI)=22を基準とした身長(メートル)×身長(メートル)×22である。 そのため、仮に身長160センチの女性の場合、標準体重は1・6×1・6×22=56・3キロであるのに対し、シンデレラ体重は1・6×1・6×20×0・9=46・1キロとなり、健康的な標準体重からすると、その差は歴然としている。 シンデレラ体重はBMIでいう18を基準とした体重であり、この体重になった場合、BMI18・5未満の「やせ」に分類される。若い女性がやせになると、貧血や月経不順、ホルモンバランスの乱れ、免疫力の低下、骨粗鬆(こつそしょう)症、低出生体重児の出産など、さまざまな健康障害につながることが危惧される。 また、シンデレラ体重に近づこうとして無理なダイエットを続けた結果、摂食障害を発症するリスクも高く、決して推奨されるものではない。 シンデレラ体重をいつ、誰が提唱したかについては、エステティック業界やメディアによるものではないかなど諸説あるが、定かではない。しかし、シンデレラ体重は今に始まった話ではなく、これまでも何度か話題になったようである。 また、名前は違えど、美容体重、モデル体重など、標準体重よりもさらに軽い、女性が憧れる体重の指標は以前より話題になってきている。今回、シンデレラ体重が改めて話題になったのは、このシンデレラという響き、シンデレラのように夢をかなえることができるのではという、ある種、自身の願望を投影させるようなネーミングが、改めてSNS世代の若い女性の心をつかんだのかもしれない。 やせ願望は日本人に限らず、多くの女性が抱くものである。しかし、実際の体形を考えると、日本人の20代女性のうち20・7%がすでにやせに分類される。これは先進国において非常に高い割合であり、肥満が健康課題となる他国とは状況が異なる。(ゲッティイメージズ) 3月末に国立青少年教育振興機構が報告した高校生対象の国際比較調査によれば、日本の高校生はBMIの判定で普通体重の割合が7割を超え、比較した米国・中国・韓国より高かった。それにもかかわらず、女子の半数以上が「太っている」「少し太っている」と感じており、この割合も日本が最も高かった。さらに、自身の体形に「満足している」「まあ満足している」女子の割合は2割強にとどまり、4カ国の中で最も低かったことが報告されている。 ではなぜ、日本の若年女性はこうもやせたがるのだろうか。体形に関する認識や感情に影響を与える要因の一つに、自己肯定感がある。かねてより自己肯定感が低いことはやせ願望や危険なダイエット行動にかかわっていることが指摘されており、先の調査においても、日本の高校生は他国と比較して自己肯定感が最も低かったことから、その関連性がうかがえる。 思春期以降、体形の変化を経験する中で、他者からどう見られているかを気にするようになり、人と違うことへの不安が募りやすい。異性への関心の高まる年代であることからも、見た目を重視するようになる。「万年ダイエッター」の恐怖 それに加えて、日本では、今でこそ個性を尊重する時代の流れにあるものの、いまだ人と同じことで安心する、人と違うこと、目立つことを好ましくないと捉える文化がある。このような背景から、自分の体形や見た目に不満を持つ人、自分自身を好きだと胸を張って言えない人が多く存在するのかもしれない。 このほかにも、影響力の大きな外的要因として、社会文化的要因が挙げられる。これは大きく家族や友人、そしてメディアにかかわるものとされる。「家族に太ったと言われた」「友人がやせていてうらやましいと思った」「体形のことをからかわれた」「やせた芸能人のようになりたい」など大なり小なり誰もが体形に関するメッセージを受け取った経験があるのではないだろうか。 とりわけ、近年インターネットやSNSが普及し、情報量が一気に増えた。SNSの中で彼女たちが見るのは、やせて成功したように見える人たち、やせていてオシャレな服を着て、毎日が充実していそうな女性たちだ。 さらには自身の日常の写真をアップする人が増える中、常に自分自身が人にどう見られているかを意識せざるを得ない状況にある。女性は「上方比較」と言われる、自分よりも優れていると思う対象と自分自身を比較し、自身をダメだと考える傾向にあるという。 つまり、現代の若年女性は常に他者との比較を強いられているとも言え、やせ願望をより抱きやすい。また、ダイエットに関する情報も氾濫していることから、容易にダイエットに踏み切ってしまうのである。また、やせていて「かわいい」女性が好まれると思い込んでいる、またはそのようなイメージが伝えられているのかもしれない。 やせると男性にモテると思う女性は多い。実際には、男性はやせすぎの女性を好まないと回答している調査が多いものの、一方で太っている女性は好まない。これをやせている方がモテると解釈し、ダイエットをすれば素敵な男性に出会えると考える女性もいるのだろう。 若年女性に限らず、日本社会全体として「やせることを良し」とする風潮があることも否めない。「メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)」という言葉が多くの人に認知される中、「太っている=メタボ」、自己管理ができていないなどの否定的なイメージを持つ人も多い。健康管理の観点から、肥満解消のために減量しようとすることそのものは良いことである。 しかし、肥満によるデメリットの認知度と比較して、女性や高齢者におけるやせによる健康リスクは十分に理解されていない現状がある。メディアでは、ダイエットをしていることがまるでステータスかのように称賛される情報が伝えられることも多い。そのような風潮の中、必要でないにもかかわらず「万年ダイエッター」となっている人もいる。(ゲッティイメージズ) 個人がメディアリテラシーを持つことはもちろん重要であるが、わが国における正しい情報発信の在り方について検討がなされるべきである。国際的に見ても、フランスやスペインのファッション業界ではやせたモデルを起用しないことが制度化されるなど、やせすぎへの対策が積極的に採られている。 やせているからではない、その人自身の魅力を受け止めることで、健康的な本来の美しさが引き出されるのである。日本人の若年女性は、シンデレラ体重を目指しても、待っているのは必ずしもハッピーエンドではないことに気づくべきである。

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    日本で横行する中国人「民泊ビジネス」衝撃の実態

    坂東忠信(外国人犯罪対策講師、作家) 「民泊」という言葉をここ4、5年ほど前から耳にするようになった。その前は「ルームシェア」と言われていたが、私が刑事を辞めた15年ほど前には、まだその言葉さえなかった。しかし、私がまだ北京語通訳捜査官だった20世紀末ごろから、密航者の多い中国人や不法滞在者の多い韓国人により「ヤミ民泊」が行われていたのである。 新宿や池袋での交番取り扱い経験や、警視庁本部通訳センター職員としての通訳捜査経験からいうと、当時、来日中国人の半数は20万元、当時のレートで日本円にして250万円ほどの密航費用を親が知人から集め、立て替えていた。そうして、福建省から大型貨物船のバラストタンクや漁船の船底に隠れて集団密航してきた。家族の期待を背負って、来日していたのである。 残りの4割は、正規手続きで来日した末に、査証の期限が切れてオーバーステイした上海人だった。中国といっても広大だから、地域によって違うかもしれないが、合法に入国・滞在し続けていられた中国人は、体感として1割程度にすぎなかったのである。 特に福建人は莫大(ばくだい)な借金を背負って来日するため、強制送還されてもお気楽な上海の不法滞在者より切羽詰まった生活をしていた。 そのような環境の中、彼らは人脈を頼りにすみかを探し、職を探すのだが、その人脈は中国の実家に近い仲間ほどつながりが強い。借金を含む頼まれごとを「面倒」と敬遠しがちな日本人とは違って、頼りにされたら他人から借金をしてでも実力を見せつけるチャンスと捉えるからである。逆に異国の地で知り合いに頼りにされながらむげに断れば、密航費用を肩代わりしている実家の両親が「村八分」になりかねないので、これを断ることができないのである。 そんな不法滞在者や密航者などがまず困るのが、どこに行っても身分確認を迫られるアパート探しと職探しだ。犯罪者や参考人を含む中国人約1400人の話では、それでも、友人や知人を3人ぐらい介すれば、目的の手助けが得られるという。 特にアパートの場合は、1人で住むより2、3人で住み、家賃を分担したほうが1人当たりの負担も軽い。大家も月々の支払いを延滞させる日本人苦学生を相手にするより、確実な収入につながるため、契約外である複数の出入りも見て見ぬふりをしてしまう。画像はイメージです(iStock) だが、彼らは集合住宅の決まりを守らない。私が見つけた集団居住場所の中には、3人契約のはずが、16人ほどが生活しているアパートがあった。北京語を話す警察官を珍しく味方と勘違いしたのか、中まで見せてもらうことができたが、その部屋には、ベニヤ合板をうまく利用した5列3段の「簡易カプセルホテル」ができていたのである。 15人が一度に休むことができるだけでなく、2人は畳で横になれるようになっていた。しかも、昼と夜に働く人を上手に交代させていたようで、実際の利用者はその倍近くいたようだ。中国人の「経営ノウハウ」 こうして、部屋の名義人はすでにマンションを購入し、身分確認を必要としない日雇い労働者中心の利用客から1泊2000円を徴収して、「ヤミ民泊ビジネス」を進めていたのである。たまらないのは同じマンションに住む普通の日本人世帯だ。頻繁に発生する同居人どうしの口論やケンカ、それに時間帯に関係なく仕事で出入りする騒音、生ゴミを捨てずにため込むことで発生する異臭や恐怖感から、転居を余儀なくされる。 こうして日本人が出ていった部屋に、知人から頼られた中国人が大家にまた「ヤミ民泊」を持ちかけ、大勢を住まわせながら、在日中国人社会の中にメンツを立ててきた。こうした中国人密航者の「定着システム」は、20年ほど前から新宿や池袋で確認していた。「民泊」という言葉が生まれる前から、多数の中国人が都心の集合住宅に入居や購入しながら、すでに「経営ノウハウ」を蓄積していたのである。 政府は今、こうした外国人を含め、誰が泊まるか分からない宿泊場所を民泊として合法化し、観光客を誘致・収容して、経済活性化を目指している。特に、オリンピックを2年後に控えた東京都心でアパートやマンションを民泊化した場合、当然ながら人の出入りから近所に不安を与えたり、迷惑をかけることになる。一方で、逆に経営側に回れば、危険性も高いが利益も膨らむ可能性も生まれる。 とりわけ、都市部では警察による施設把握が難しい上に、施設の多くでは宿泊者の明確な身分を確認できないし、またすることもない。不法滞在の増加に伴い、警察に協力すると「客」が減る可能性さえあるからだ。 現在、民泊仲介大手の米Airbnb(エアビーアンドビー)では、インターネット上で個人住宅や空室を持つ貸主と宿泊先を求める旅行者との間のマッチングを行うため、利用者はネットで登録が必要となる。だが、安い宿では身分確認のための登録を必要としていないところが多い。 中にはマッサージ店など違法な風俗営業を伴う個室のベッドを時間限定で民泊化しているものもあり、当然ながらオプションで風俗サービスが付いたりもする民泊型売春宿もあるようだ。そもそも宿泊客と経営者の接点がない宿もある。あまりにも性善説をアテにしたシステムだが、このようなお気楽さは、かえって犯罪に好都合だといえる。 3月には1階を民泊として貸し出していた東京・世田谷区の民家で、外国人男性の遺体が発見された。世田谷といえば、今でも高級住宅地のイメージがあるが、このような地域に民泊経営者が増えれば、隣近所の顔が見える地域の安心感や、安定した収入を確保している層の住民が構成する地域のステータスを損ない、住宅価値も確実に下がるだろう。画像はイメージです(iStock) 実際に、今では中国人が戸建て住宅を購入して部屋ごとに貸し出す、1棟丸ごと民泊ビジネスを展開している。近所の住人は中国人家族が越してきたのかと勘違いするが、「家族構成」がいつも違っている上に話が通じず、地域活動にも参加しないなど接点をつくるどころか、問題発生の際の解決のめどもつかないありさまになるのだ。 さて、来日外国人の中でも多数を占める中国人の不法来日で、メーンの手段となっているのは、今や密航ではなく「なりすまし」だ。通常、中国では「公安局」と呼ばれる警察署で戸籍が管理され、旅券が発行されているため、必要な書類を警察署に提出し旅券の発行を受けて来日する。テロリストの「隠れ家」 「なりすまし」は他人の身分証明書類を、渡航に必要な書類とセットで売買するブローカーから買い取って、利用するのである。言うまでもなく、旅券自体は本物であり、使用する本人の写真もプリントされているが、記載されている個人情報が全くのニセモノというわけである。 彼らは「真正の偽造旅券」で来日するが、密航同様ブローカーに支払った大きな借金を抱えていることに変わりはない。しかし、本物の旅券で本人の顔写真が入っているため、合法滞在中に職務質問を受けても、警察官に逮捕されることはない。結局、不法滞在の末に職質を受け、旅券の記載内容を忘れた本人の供述により、入国該当者がいないことから判明するのである。 日本では、国際空港全てには顔認証システムがいまだ導入されていない上に、過去に逮捕歴や把握のあるテロリスト以外は各国のデータバンクと連携されていない。だから、最初の来日では顔認証システムさえ機能せず、「なりすまし入国」は初来日でテロデビューを狙う外国人過激派や工作員の渡航としてほぼ完璧な手段になる。 そうした人間が好む「隠れ家」こそ、なりすましの身分さえ確認しない安い民泊なのである。2013年の米ボストンマラソンで起きたテロ事件など、世界各地で実行されたテロリストの多くは民泊に身を潜めつつ、他の支援を得ながら準備を進め、犯行を実行し多数の殺害を成功させているのである。 こうした事実を現在の国際情勢に合わせて考えてみよう。軍拡を突き進む中国では、一党独裁国家の国家主席の任期を撤廃し、事実上の「完全独裁制」を確立した。もし、中国共産党が「有事」と判断すれば、日本を含む在外中国人にまで、彼らの実家を「人質」としながら法的拘束力が及ぶ「国防動員法」が発動される。その指示や命令が日本の法に触れようとも、治外法権を確保する中国公館に逃げ込めば、中国の国内法で保護されることになる。 先進7カ国(G7)で、スパイを取り締まる法律のない国は日本だけだ。日本で破壊工作を準備・実行するなら、他の工作員の協力を他国よりも得やすく、摘発される危険性も低い。その上、外見では日本人と見分けがつきにくい。そのアジトが民泊としてあなたの隣の部屋に構築される可能性も排除できないのだ。 実際、私が中国人強盗団の潜むアパートのアジトに踏み込んだとき、隣には小さい子供を育てる普通の家族が住んでいた。家宅捜索を行いながら子供の笑い声が聞こえるアンバランスさがとても印象的だったのを覚えている。画像はイメージです(iStock) これが民泊となれば、複数の国からの宿泊客が隣接した空間に壁を隔てて寝起きをともにすることになる。本来なら避難できる状況であっても、外国人には慣れない日本家屋の構造や居室、廊下の狭さが緊急避難を阻害するため、被害を最小限に抑えることは困難だ。しかも、安い民泊ほど住宅密集地にあることから、二次災害発生の危険が増大する。 だが、個人オーナーには危険を予防し、被害の責任を負う能力もない。こうした場所で爆弾の製造が行われ、万が一誤爆でもすれば、巻き添えを食らった外国人客の出身国と日本の信頼関係の喪失にまでつながりかねない。そうして、日本の無策に世界はあきれ、怒りの声が巻き起こるだろう。

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    民泊がイマイチ盛り上がらない理由

    住宅に旅行者を有料で泊める「民泊」が全国で解禁された。6月15日施行の住宅宿泊事業法(民泊新法)に基づく規制緩和だが、増え続ける訪日外国人の受け皿として期待が高まる一方、近隣トラブルや治安悪化への懸念は絶えない。「おもてなし大国」ニッポンで民泊がイマイチ盛り上がらないのはなぜか。

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    民泊解禁、成功のヒントは「大阪のおばちゃん」にあった

    溝畑宏(大阪観光局長、元観光庁長官) 海外からの観光客が急増している大阪が世界を代表する国際観光都市になるには、安心・安全・快適な宿泊環境を伴う世界トップレベルの受け入れ環境を実現することが重要な課題である。 そのため、関西、特に大阪の宿泊においては、歴史ある旅館や老舗ホテル、高級ホテルなどに、宿泊施設の整備、充実を進めていただいている(「大阪主要13ホテル稼働率92・9%」2018年日経新聞まとめ)。 しかし、新しく生まれた民泊という分野においては、その実態が十分に把握されていないのが現状であり、それゆえにヤミ民泊の騒音やゴミ投棄など、多くの問題が発生している。これらの問題は、私の推進する安心・安全・快適な宿泊環境とはまさに正反対のものだ。違法または不当な民泊については、監督や規制を強化すべきであると思う。 ただ、民泊新法施行を迎えるにあたり、大阪府は良質で安心・安全・快適な民泊づくりを推進している。大阪市が民泊の国家戦略特区に認定されて以降、関連する条例を制定し、対策に取り組んできた。世界トップレベルの受け入れ環境を実現することだけでなく、現代における多様な旅行スタイル、楽しみ方を提供する上で幅広い選択肢を準備することが重要だからだ。 大阪における2017年の来阪外国人観光客数は1111万人を超え、われわれの調査によれば、このうち20%程度は民泊を利用している。このことは単純な宿泊施設不足が原因ではなく、新たな旅行における楽しみ方の一つになっているのだと考えられる。 これまで宿泊と言えば、ただ眠るだけの場所という認識だったものが、よりその国の文化や地域の歴史を理解し楽しみたいという「思い」が形になった事例の一つが民泊だろう。訪日外国人を始め多くの観光客で賑わう大阪屈指の繁華街・ミナミ=大阪市中央区(須谷友郁撮影) そもそも、良質な民泊とは、家主と一緒になって地元の文化・歴史を知り、地元の食材を食べ、うまい酒を飲みながら地元の人々とざっくばらんに話すことができ、特別な空間として思い出を残せるような場だと考えている。 私はフランスとイタリアに住んだ経験があり、地域の人々は自らの文化や伝統に誇りを持っていた。大阪においても伝統・文化・芸術・食・スポーツなどに誇りを持つべきである。大阪のおばちゃんもおススメ 例えば、大阪の堺にはお茶や刃物の文化が残り、東大阪市にはラグビーの聖地「花園」、池田市には日清食品などが運営する世界的に有名な「カップヌードルミュージアム」、大阪市には伝統的な建築物も多数ある。また、大阪全体でみれば「粉もん文化」からミシュランガイドに掲載されている飲食店など幅広い。 このような文化・芸術・伝統を育んできたのは大阪の人であり、その心意気である。そして、この全てが詰まったものを味わえるのが良質な民泊といえるだろう。大阪のイメージと言えばお好み焼き、たこ焼き、道頓堀のグリコ看板が引き合いに出されるが、まだまだ知られていないパワースポットや観光地があふれている。 私が特におススメするのは、定番ではあるが、大阪のおばちゃんだ。行きつけの喫茶店では元気をもらい、道に迷えば「どないしたん?  アメでも食べるか?」と声をかけてくれる。そしてファッションスタイルは期待通りド派手な「ヒョウ柄」だ。 一方で、かつてのディスコスタイルの店が復活した「裏なんば」はさらに活気にあふれ、道頓堀の量販店「ドン・キホーテ」にある超低速ジェットコースターは再稼働を始めている。また、大阪市内を見れば全く自然がないように感じるが、郊外では自然があふれている。 例えば、大阪府北部に位置する能勢町では、銀寄栗(ぎんよせぐり)が有名で、5~6月にはホタルが大阪であることを忘れさせるほど美しい。夏になれば、天然もののクワガタやカブトムシを捕ることができる。 忘れてはいけないのが、能勢町に全国的にも有名なクワガタショップ「フジコン」があることだ。私も毎年能勢にクワガタやカブトムシを捕りに行っており、去年は3回足を運ばせていただいた。振り込め詐欺撲滅CMに出演し話題をさらった大阪のおばちゃんタレント、舟井栄子さん(右端ら)=2013年4月、大阪市北区 時にはクワガタが捕れないこともあったが、フジコンさんに頼んでおススメのクワガタを購入し、私の知り合いの子供にあげて喜んでもらった。 また、大阪府南部に目を向ければ、大阪で唯一の村である千早赤阪村があり、美しい棚田が広がっている。ここにある金剛山は樹氷が有名であり、冬の登山客も相当数いる。このような自然と民泊を組み合わせることができれば、これまでの宿泊施設とは一線を画した体験型のコンテンツとして世界にアピールできると思う。 金剛山のポテンシャルは東京における高尾山と考えている。ここの磨き上げを行うことで都市部にいながらにして大自然を堪能できる。旅のあり方を変える民泊 民泊とのコラボレーションで生まれる大阪の魅力を述べてきたが、民泊が抱える課題に話を戻せば、最大の使命はヤミ予約サイトの撲滅だろう。新法施行によって、民泊事業を行う事業者は都道府県などに届け出が必要となるのに加え、民泊予約仲介サイトを運営する事業者についても国への登録が義務付けられる。あわせて、仲介事業者が適正な手続きを行っていない民泊施設を斡旋することを禁じており、すでにいくつかの仲介サイトでは不適正な施設の掲載を取りやめるなどの措置も行われている。 国でこのような対策が取られている中、大阪においては、違法民泊を良質な適法民泊へ誘導していくための積極的方策として、大阪市違法民泊撲滅チームが2018年4月25日に設置された。また、この6月1日には、違法民泊指導の実動部隊も発足した。民泊対策を行う要員として環境衛生監視員に警察官OB30人などを加え、約70人まで順次増員し、適法民泊の誘導と違法民泊通報窓口に寄せられた情報などをもとに、無許可・無届で営業する違法民泊の徹底した排除に向け取り組みが強化されることになる。 大阪観光局も外国人観光客へ適法民泊の利用を啓発するなど、今後は、大阪市違法民泊撲滅チームと十分な連携を図りながら、違法民泊の排除をオール大阪で取り組んでいかなければならないと考えている。 こうした良質な民泊を推進することは、地方創生の考え方からいえば魅力ある観光コンテンツの発掘となり、大阪のさらなるプレゼンス向上につながることは間違いない。多様性から考えれば新しい楽しみ方の一つであり、旅のあり方を変えてくれるものである。 また、24時間型の観光都市という観点であれば、朝まで家主と語りあう経験は日本を理解するうえで最高の材料ではないだろうか。そして、その話によって大阪・関西の見え方が変わると思う。 私の経験から言えば、大阪はまだまだ観光分野の伸びしろが大きく、世界の名だたる観光地を目指していくべきである。大阪・関西にとって民泊は、世界トップレベルの受け入れ環境や品質を考える上で一つの好材料だ。外国人観光客が行き交う大阪城公園=大阪市中央区 今後は2019年のG20(主要国首脳会議)開催、同年のラグビーワールドカップ、2020年の東京オリンピック・パラリンピック、21年のワールドマスターズゲームズ、24年の開業を目指すIR(カジノを含む統合型リゾート)の誘致、25年の大阪万博誘致など、海外から注目が集まるイベントが目白押しだ。 ゆえに関西3空港(関西空港、伊丹空港、神戸空港)の一体化など、大阪を核とした関西は東京一極集中に対する第二極を担うことを目標に世界の高みを目指した観光、都市戦略を推進していくべきだと考えている。

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    「閉店そば屋の2階です」本当にあった山中湖の違法民泊

    分ある。 こうした現状を考慮すれば、民泊の規制緩和による経済成長戦略や宿泊施設不足解消と、犯罪などの社会問題の解決コストを天秤にかけた場合、今回施行された民泊新法では不十分だ。 ゆえに以下のような対策が早急に必要であると考える。  ①民泊の無許可営業の罰則強化 ②警察の権限強化 ③民泊の防犯カメラの設置基準強化 ④戸建て建築などでの民泊の禁止 ⑤民泊衛生管理者制度の設置 ⑥違法通報制度に対するインセンティブ ⑦地域自治会との連携による徹底したセキュリティ強化 ⑧サブリース(転貸し)の禁止 さらに、山中湖村に限れば、神奈川県の水源に隣接しており、ホテル、民泊施設などの中国資本による土地取得が進む可能性がある。そうなれば、少々大げさかもしれないが、水源の権利を中国資本に奪われるなど、安全保障にも影響しかねない。国益を害するリスクがある土地取得規制の議論に、民泊も入れるべきかもしれない。 もちろん、2020東京五輪に向けた一時的な民泊の規制緩和論や地方創生を目的とした民泊を否定はしない。ただ、あまりにリスクが大きいのが現状だ。 ゆえに、地方などで経営難に苦しむ民宿の再生プランと、急増する観光客による宿泊施設不足解消を目的とした都市部での新規民宿参入をそれぞれ分けた上で、民泊新法を議論し直すべきである。 ただ、現状としては、多くのマンション管理組合で、民泊用途の許可規定改正議案は否決されている。だれしも自分のマンションに不特定多数の旅行客が出入りすることに不安を感じるからだろう。規制や取り締まりを強化し、安心感が広がらない限り、日本において民泊は遅かれ早かれ廃れていくのではないだろうか。

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    新法の施行で「ヤミ民泊」は確実に淘汰される

    いることから、旅館業界で反発が強まり、ヤミ民泊をしているマンションの入居者との間でトラブルになるなど社会問題化していた。 これを受けて立法化の動きが強まり、今年の6月に民泊新法が成立した。来年の6月からは、全国的に合法での民泊が解禁され、一定のルールを守れば誰でも民泊事業が行えるようになる。 上山社長は「民泊仲介業者は観光庁長官への登録が必要になる。また、民泊を代行している業者も多くいるが、こうした業者も登録制になる。外資系仲介サイトも法の枠組みに入るため、かなりのヤミ民泊が淘汰されるのではないか」と指摘、今回の民泊新法の実効性が担保されれば、ヤミ民泊仲介業者と同代行業者は日本では事業ができなくなる見方を示した。 その上で「現行の旅館業法では法律に違反した場合の罰金が3万円だが、これが100万円程度にまで引き上げられる。これだけ罰金が厳しくなれば、飲酒運転の罰則を強化して飲酒運転が減ったように、ヤミ民泊をしようとする業者に対して抑止効果が働くだろう」と述べた。 また新法の実効性を担保するために「最初の1年間くらいは『ヤミ民泊バスターズ』のような監視員を置いて、業者にきちんと法律を守らせるようにすべきだ。そうすることで、新しいルールのもとで旅館業を自由競争させ、ビジネスを正常な形で伸ばしたい」と強調、監視員の設置を提案した。(iStock) 京都、軽井沢など有名観光地を抱える自治体で、新法で定められたルールを各自治体の独自判断でより厳しく運用しようという動きがあることに対しては「ルールを守ろうとする人に規制を強化するよりも、ルールを守っていない人に守らせることが先決だ」と述べ、ヤミ民泊撲滅に向けての取り組みを優先すべきだとの考えを示した。  新法の施行を受けての百戦錬磨の方針については、「民泊予約サイト『ステイジャパン』に900件ほど施設を公開しているが、新法施行の来年6月15日以降には急激に増加するだろう。今年7月、大阪の特区民泊を活用した1棟民泊マンションを開業したが、このような自社運営の宿泊施設を今後、東京や京都にも増やしていきたい」と述べ、来年から民泊運営ビジネスの拡大も計画している。ヤミ民泊は6万件 インバウンド客のさらなる増加が見込まれている2020年の東京オリンピックについては「東京五輪の前年の19年のラグビーワールドカップが開催される。これで欧州を中心に40万~50万人の外国人がやって来て長期滞在する。ラグビーの試合は地方での開催もあるので、ラグビーワールドカップは、これまでインバウンド客の訪問先が東京や京都に偏っていたのが地方も訪れることになり『地方の開国』につながる」と指摘、「ラグビー効果」に大きな期待を寄せている。 同社が取り組んでいる農村に泊まって地域の住民と交流したりイベントに参加する「農泊」については「政府が進めようとしているインバウンド客の地方誘導にもつながり、東京や大阪だけでない日本の姿を知ってもらう良い機会を提供できるので、積極的に取り組みたい」と述べた。 新たな取り組みとしては「今年の4月に長崎県平戸市で試験的に行った『お城の天守閣に泊まれる』無料招待プランや、日本の伝統的な酒蔵をホテルにして外国人に泊まってもらうなど、来日した外国人が日本文化や伝統に触れて特別の体験ができるものを提案したい。低価格で宿泊できる民泊もあれば、高級感のある宿泊施設も提供したい」と指摘、新法施行を契機に宿泊、旅行の選択肢を広げたい考えを明らかにした。 ヤミ民泊の物件数は正確な数字はないが6万件程度あると推測されている。新法が施行された後にこのうちどの程度が合法的に登録されるかは未定だが、民泊を提供しようとする住宅宿泊事業者(ホスト)は①都道府県知事への届け出②年間提供日数の上限が180日③宿泊者の衛生確保―などの条件を満たさなくてはならないため、実際に登録する件数はかなり絞り込まれるのではないかとみられている。 このため上山社長は「ラグビーワールドカップ、東京五輪で来日が予想されるインバウンド客の数からみると、ホテルの新規増設に加えて民泊が全国的に解禁されても、19年時点では宿泊施設はまだ不足するのではないか」との見方を示した。百戦錬磨の上山康博社長 政府は今年3月に観光立国日本を実現するため観光立国推進基本計画を閣議決定した。2020年までに①訪日外国人旅行者数を4千万人にする②訪日外国人旅行消費額を8兆円にするなどの目標を掲げており、民泊は訪日外国人が宿泊するための受け皿になるものと位置づけられている。 なかにし・とおる 経済ジャーナリスト。1948年岡山県生まれ。1972年共同通信社に入社、経済分野を取材し編集委員などを経て2010年に退職し、現在は経済ジャーナリスト。

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    6月新法施行の「民泊」で中国人若者観光客を泊めてみたら…

     6月15日に施行される住宅宿泊事業法(民泊新法)にともない、ネットを通じて外国人観光客らに部屋を貸し出す「民泊」への関心が高まっている。 新法によってこれまで不明瞭だった民泊の法的位置付けが明確になり、今後は多くの人が参入することになるだろう。民泊を行なう事業者は各自治体へ届出することで、年間の宿泊日数が180日以下であれば、アパートや住居を有償で貸し出すことができるようになる。 そんな民泊ビジネスのターゲットとなる訪日外国人のトップは、依然として中国だ。 国土交通省の発表によると、2017年の訪日外国人2869万人のうち、4分の1にあたる736万人が中国からの観光客だった。民泊経営をする上で中国人観光客は重要な“顧客”だが、マナーの悪さなどが指摘される彼らを実際にゲストとして受け入れると、どうなるのだろうか──。『ルポ 中国「潜入バイト」日記』(小学館新書)を上梓したライターの西谷格氏は、取材の一環として民泊サイトを使い、中国人観光客を自宅に宿泊させてみたという。「民泊を仲介する大手サイト『Airbnb』に自宅の写真と説明文を公開すると、すぐに中国人からの宿泊オファーが入りました。ヤフオクやメルカリでモノの売り買いをするのと同じような感覚で、非常に簡単です。予約が入るとサイト上に『部屋は清潔にしてありますか?』『シーツは交換しましたか?』などと細かくアドバイスが表示されるので、初心者でも無理なく民泊を始められました」 初めての宿泊客は20代半ばの中国人男性2人。「3泊したい」という予約が入った。多くの中国人観光客が訪れる日本国内最大規模の免税店、ラオックス銀座本店(iStock)「到着日は用事があったので自宅のカギを開けておき、住所と詳細な行き方を写真付きで教えて、先に入っていてくれと伝えました。会ったこともない外国人に自宅を明け渡すのは少々不安もありましたが、ある程度は割り切る必要があるのかもしれません」(西谷氏) そんな西谷氏の不安とは裏腹に、現われた中国人男性たちは礼儀正しかったという。チェックアウト寸前の“事件”「自宅に戻ると、『大家さん、どうもありがとう! お世話になります。とても快適で素敵な部屋ですね』と挨拶されました」(西谷氏) だが、チェックアウト寸前になって“事件”が起きた。「外出先から自宅に戻ると、室内が異様に“ヤニ臭い”んです。もしや、と嫌な予感がして寝室に進むと、案の定、テーブルの上の空き缶に多数のタバコの吸殻が入っていました。窓も開けずに何本も吸ったらしく、天井にはまだうっすらと煙が残っていました」(西谷氏) Airbnbで貸し手(ホスト)が定める「ハウスルール」には「禁煙」とはっきり中国語で明記していたため、西谷氏は客観的な証拠を残そうと吸殻の写真を撮り、急いで窓を開けて換気した。ちょうどその時、2人のゲストが外出から帰宅した。西谷氏が「タバコ吸った?」と聞くと、「あ、はい吸いました」と平然と答えた。ハウスルールに違反している旨を伝えたところ、しっかり読んでいなかったという中国人男性たちは「すみませんでした」と素直に詫びたという。 さらに部屋を汚した場合には最大2万円の清掃費用を徴収する旨を「予約ページに書いていた」と伝えると、2人はうなだれたそうだ。「後日、Airbnbを通じて清掃料金1万円をダメ元で請求したところ、先方はあっけなく支払いに応じてくれました。Airbnbを使いこなして海外旅行に行けるような富裕層で、しかも20代という年齢であれば、旧来の“ゴネる中国人”というイメージは当てはまらないのかもしれません。また、Airbnbが仲介に入り、ゲストも評価されるので、自分の信用を傷つけたくないという思いが働いたのでしょう」(西谷氏) 民泊を利用するような中国人は考え方が洗練されており、マナーの悪さはそれほど目立たないのかもしれない。とはいえ、中国人に限らず外国人は日本人に比べて定められた規約を大雑把にしか読まないケースが少なくないという。宿泊需要の増加が見込まれる2020年の東京五輪開催に向けて、「民泊」の事業者はこうしたトラブルへの覚悟と対応が必要になるかもしれない。【プロフィール】にしたに・ただす/1981年、神奈川県生まれ。フリーライター。早稲田大学社会科学部卒。地方新聞の記者を経て、フリーランスとして活動。2009年に上海に移住、2015年まで現地から中国の現状をレポートした。中国での潜入アルバイトについてまとめた『ルポ 中国「潜入バイト」日記』を3月29日に発売した。関連記事■ 中国「ヘビ料理店」にバイト潜入 さばくのはけっこう難しい■ 中国人留学生の部屋探し方法「“東大志望”で信用勝ち取る」■ 中国人バスツアーのガイドが告白「観光客は洗脳すればいい」■ 中国でケシの殻使った料理店が野放し、客は陽性反応&常連化■ 円谷プロが中華ウルトラマン退治へ 「勝利願う」と中国ファン

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    民泊新法でエアビーはどうするのか?

     世界最大の民泊サイトを運営する米エアビーアンドビー(エアビー)の日本法人の田邊泰之社長と、エアビー本社のグローバル政策担当最高責任者のクリストファー・レヘイン氏が、都内で記者会見し、住宅宿泊事業法(民泊新法)の6月からの施行に伴う3月15日から始まる住宅宿泊事業者(ホスト)の届け出を前に対応方針などを明らかにした。 田邊社長は民泊新法の施行について「日本でエアビーの民泊を普及させるために一番重要なことは、地域に合った形で事業を進めることだ。民泊を普及させるために協業の輪を広げていきたい」と述べ、地域との調和の必要性を強調した。また、レヘイン氏は「民泊新法と市町村の条例を順守するように努める。コミュニティとのトラブルは、世界各地の都市で多くの経験があるので防げると思う」と指摘した。 また新法施行によるホストへの影響について田邊社長は「(ルールが定められることで)ホストは参加しやすくなる。ホストに対して部屋のクリーニングサービスなどを提供しており、やりやすいようにサポートしている。現在の6万2000件のホストの数は、ほかの国と比べるとまだ少ない。日本では東京、大阪、京都などが多かったが、地方に眠っている観光資源が多くあるので、新法によりこうしたところが紹介されるようになるのではないか」と指摘、ホストの数が増えることに期待を示した。 いわゆるヤミ民泊を防止するための対策として、エアビーは15日にホスト登録のための画面を新しいものに切り替えた。エアビーのサイトに掲載するためには、ホストが自治体に登録した際に取得した民泊の許認可番号の記入が必要となり、この番号がない場合は仲介サイトに掲載しない。これにより、6月14日まではヤミ民泊はエアビーのサイトにアップされるが、新法が施行になる15日以降は許認可を得ていない違法な民泊はサイトから排除されることになる。 今後のグローバル展開についてレヘイン氏は「2028年までに世界中で10億人がエアビーの民泊を利用するようロードマップを描いている。世界の都市では民泊の規制と適合しながら事業を進めている。日本では空き家が多く、日本政府も空き家対策として民泊を活用できないか関心を持っている。エアビーの方式が役立つと確信している」と述べ、日本で受け入れられることに自信を示した。 新しい民泊サービスとして、今年2月から素晴らしいゲストがハイエンドな特別なサービスを提供できる「エアビー・プラス」という、ワンランク上の民泊サービスの提供を始めている。同社としては、他社との違いを出すためゲストの要望に応えられるように民泊のメニューを増やそうとしている。エアビー日本法人の田邊泰之社長(左)と、本社グローバル政策担当最高責任者のクリストファー・レヘイン氏 同社によると、2月1日現在の日本での宿泊登録件数は約6万2千件。内訳は東京都が2万1200件、大阪市が1万4300件、京都市が6200件。昨年2月1日から今年2月1日までの宿泊者総数は580万人だった。東京都が190万人、大阪市が160万人、京都市が66.6万人だった。平均宿泊日数は3.3日。エアビーの宿泊者数は2016年が370万人で、17年の1年間に約200万人も急増、全国にエアビー旋風を起こしたと言える。 しかし、全国の自治体では、民泊の宿泊数や場所などについて、地域住民の住宅環境への配慮などから民泊新法に上乗せした厳しい条例を定めるところが相次いでいる。この難しい環境の中で、エアビーがいままでと同様の多くのホストを獲得できるかどうかが注目される。

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    ハンドル握れば人格変わる「あおり運転」の謎

    ハンドルを握ると、なぜか人格が変わってしまう。こんな経験、一度はないだろうか。急増する「あおり運転」も、普段は大人しいのに、車に乗ると危険ドライバーに豹変したという事例も多いらしい。あおり運転はなぜ後を絶たないのか。ドライバーの運転心理や社会的背景を読み解く。

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    身近に潜む「あおり運転」危険ドライバーの深層心理

    志堂寺和則(九州大大学院教授) 普段は温厚な人でも、運転になると「まるで別人のようだ」といわれる人がいる。そして、運転には人柄や性格が表れるとも言う。本稿では、最近ニュースなどでよく取り上げられる「あおり運転」の問題を中心に、車の運転とドライバーの関係について考えてみたい。 2017年6月、神奈川県大井町の東名高速で、進路を塞がれて停止させられたワゴン車に大型トラックが追突し、夫婦が死亡した。進路を塞いだ男がやっていたのは、「ロードレイジ」や「アグレッシブドライビング」と呼ばれる悪質な行為だった。 「ロードレイジ」とは、道路上の出来事で逆上することだが、激怒した結果、怒鳴ったり物を投げつけるなどして威嚇(いかく)したり、車をぶつけたり、相手を停止させて車から引きずりおろしたりといった、相手に危害を及ぼそうとする行為、あるいは実際に危害を及ぼす行為も含んでいる。海外では、口論の結果、相手を銃で撃ち殺すというような事件も度々報じられている。 一方、「アグレッシブドライビング」は、極度の速度超過、短い車間での追従、無茶な割り込み、頻繁で不必要な車線変更、意識的な信号無視、進路妨害など、故意に交通法規を破って危険な運転をする行為だ。 日本よりも早くクルマ社会となった欧米諸国でも、これら「ロードレイジ」「アグレッシブドライビング」はかなり以前から問題視されているが、有効な解決策が見いだせていないのが現状だ。 特に「あおり運転」は、車間をピタッと詰めて追走してくる、あの逃げられない恐怖感は経験するとしばらくは忘れることができない。そして、各種調査では、多くのドライバーがあおられた経験を持つことが明らかになっている。 なぜこんなことをするのかと憤り、なんとかならないのかと考えるが、その一方で自分も過去にあおり運転をやったことがあると思い出すドライバーも多いであろう。あおるという行為には、実はちょっとはずみでやってしまう危険性が潜んでいる。 このあおり運転を攻撃行動とみなし、心理学者であるダラードの「欲求不満―攻撃仮説」やバーコウィッツの「攻撃手がかり仮説」を適用すると以下のようになる。 我々の普段の生活は、次から次へと問題が発生して対応に追われ、慢性的に不満やストレスを抱えている。車に乗る直前に発生した何がしかの出来事のせいでむしゃくしゃしているようなこともある。そして車に乗って走り出すと、渋滞に巻き込まれたり、前をノロノロと走る車がいたり、不意に割り込まれたり、大したことではないのにクラクションを鳴らされたり、怒りやイライラで興奮が高まる材料があちらこちらに転がっている。 真夏には強い日差しの中でじっと運転席に座っているということすら不満の種となる。そして「欲求不満―攻撃仮説」によると、欲求不満が高まると不快な生理的興奮や怒りがもたらされ、それらを解消する手段として攻撃行動が生じる。アクション映画を見て痛快でスカッとした気分になったときのことを思い浮かべてもらうと、攻撃行動がカタルシス効果(心の浄化作用)を持っていることがわかる。ハンドルを握ると豹変する人たち 「攻撃手がかり仮説」では、欲求不満だけでなく他者からの攻撃や過去の攻撃習慣によって攻撃へのレディネス(準備状態)が高まり、攻撃を連想する手がかりが目に入ることによって攻撃行動が起きるとされる。 他車のせいでハンドル操作やペダル操作をしなければならないことや、自分の思うような運転ができない状況は、不本意ながら対応せざるを得ないという点では攻撃を受けたのと同じであり、そういう状況をもたらした他車に対して報復や制裁をという思いが生じる。 一方で、あおり運転をやっても警察に捕まったり誰かから咎(とが)められたりすることはほとんどないため、あおることは習慣化しやすい。仮説に従うと、悪いことに回数を重ねれば重ねるほど簡単にレディネスが高まるようになるとされる。 車は人を殺傷することができる武器であり、ハンドルを握っていることは銃を手にしていることと同じだ。運転をする行為そのものが攻撃行動を誘発する格好の手がかりであることは言うまでもない。標的となるのは、すぐ目の前を走っている車である。 もちろん、欲求不満が高まり興奮したからと言っても、すべてのドライバーがあおり運転をするわけではない。人の性格や生育環境はさまざまであり、欲求不満になると他の人よりも怒りが生じやすく、他人に対して攻撃的になりやすいタイプの人たちがいる。こういった人たちは、他人からの敵意を過度に感じやすいとも言われている。 意図的ではない偶然の出来事であっても、自分に向けられた悪意と思い込む「敵意帰属バイアス」がかかってしまう。そして、報復として相手を攻撃してしまうのである。怒りを鎮める方法としては相手に怒鳴ることもできるが、残念ながら車の中では怒鳴っても相手には聞こえない。運転時に手軽に行うことができる攻撃手段は相手をあおることである。 また、攻撃的な運転をする人たちは普段の生活においても他人に攻撃的である可能性が高い。運転とライフスタイルが関連していることは多くの研究で指摘されており、交通違反が多い人は交通事故も多く、そういう人たちは運転以外の社会生活においても規則を守らなかったり他人とトラブルを起こしがちであったりすることが明らかにされている。2017年10月、移送される石橋和歩被告=福岡空港署 その一方で、ハンドルを握ると豹変する人たちがいる。生まれ持った気質としては攻撃的であったり、刺激を求める欲求が強かったりするのに、普段は大人しく振る舞っている人たちであろう。現代社会では粗暴な仕草や言動は嫌われるため、われわれは小さい頃から礼儀を失しないように振る舞う教育を受けてそれが習性となっている。 自分の家の中や車の中などプライベートな空間は周囲の目を気にする必要がないため、本来の自分が出やすくなる。特に、車の場合はスピードが興奮をもたらすため、その興奮が呼び水となって、攻撃的で刺激を求める本来の自分が呼び起こされやすくなるのではないだろうか。 また、服装によって自分の気持ちや振る舞いが変わるように、運転する車によってドライバーの気持ちや運転が変わる。大きな車、スピードの出る車、高級車に乗っているような場合は、自然と車のサイズ、パワー、価格などが周囲のドライバーに対する優越感をもたらしてくれる。 運転が楽しめ、満足感が得られること自体は悪いことではなく、そういった車を所有し、運転することで生活の質が向上するのであれば歓迎すべきことだ。しかし、中にはそういった優越感から他人を下に見て自己中心的な運転を行ってしまう人たちもいる。匿名性が助長する「あおり」 あおり運転に話を戻すと、あおり運転が危険で重大事故を招く可能性があることは明白だが、本人にその意識や罪悪感はまったくないのが特徴だ。自分は運転が上手いと思い込んでいることもあり、自分はいつもの車の中にいて安全と信じて疑わない。加えて、後でトラブルに発展すると想像できないことも、軽い気持ちでやってしまうことを後押ししている。 さらに、あおり運転をしてもすぐに身元がバレないことも大きい。似たような車は沢山走っているので、どこの誰だかわからないだろうと思い込んでいるドライバーは多い。匿名性が高いときに自制心が弱くなりがちであることは、ネットのトラブルで知られている通りである。 そして、すぐに逃げることができる。高速移動手段である車に乗っているので、興奮が収まれば、あるいはヤバイと思えば、あおっていた車からすぐに離れることが容易である。逃げてしまえば、報復されるようなことはない。 他にも、あおり運転を生じさせやすくしている原因はいろいろあるが、もう一つだけ付け加えるならば、相手(あおられている側)のドライバーの顔が見えないことも大きいであろう。顔が見えないために、相手がどう感じているかを想像することができず、共感による攻撃の抑制が生じにくい。 相手の様子を見て思いとどまる、適当なところでやめるといった機制が働かないのだ。人に対してというよりモノに対して接している感覚で、一方的に攻撃をしかけるということになる。 こうしたあおり運転の横行に対して、2018年1月に警察庁は、「いわゆる『あおり運転』等の悪質・危険な運転に対する厳正な対処について」を全国の警察に通達した。この通達には、悪質・危険な運転が認められた場合には、積極的に証拠資料を収集し、道路交通法違反だけでなく、危険運転致死傷罪、暴行罪などの法令を駆使して捜査の徹底を期すこと、積極的に交通指導取締りを実施すること、教育や広報啓発活動を推進することなどが指示されている。2017年12月、チラシを手に、ドライバーにあおり運転の禁止を呼び掛ける警視庁の白バイ隊員=首都高速平和島パーキングエリア しかしながら、諸外国も長年懸案事項としながらも有効な解決策が見いだせていない問題であり、そう簡単に解決できるとは思えない。常習者は取り締まりを多少強化したところで見つかるはずがない、捕まるわけがないと思っているであろう。 今後は、法の整備やITS(高度道路交通システム)を使った取り締まりシステムの活用、あおり運転ができない車の開発などに期待したいが、当面は自衛することが必要となる。ドライブレコーダーを設置して客観的証拠を残すようにすることは一つの手であるが、そもそもの標的とならないようきっかけを与えないことが重要だ。 あおられたドライバーは、理由もなく急にあおられたという印象を持つことが多い。しかし、気づいていないだけで実際には相手があおりたくなるなんらかの行為を行っていたであろうことがほとんどである。追い越し車線をノロノロと走っていたり、車線変更のときにちょっと危ない割り込みとなってしまったというようなことは要注意である。 前後左右、周りをしっかりと見ること、そして周囲の車に配慮を示すことが安全運転の基本であるが、現時点ではこれがあおられることを防ぐ最も有効な対策なのだ。

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    心理学者が指摘する「あおり運転」しやすい人の身体的特徴

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) クルマを運転する際の犯罪(道路交通法違反)は、ある意味で特殊である。その理由の一つは「一部の物損事故、人身事故を除く多くの違反が、重大な被害に結びつかない確率が高い」という点である。 同じ犯罪でも殺人や放火、窃盗、詐欺などは、そこには明確な被害者の存在がある。しかし、スピード違反や一時停止違反、シートベルト装着義務違反、駐停車違反、追い越し・転回・後退禁止違反…これらは事故にならない限り、どれも直接的な被害者は存在しないことがほとんどである。 そのため、仮に取り締まりに遭遇しても、「罪を犯した」という意識が他の犯罪に比べて相対的に低くなりやすい。だから、反省したり自分を責めたりするどころか、「まさか見つかるとは思っていなかった」「運が悪かった」「なんで捕まえるんだ」「これぐらいならいいじゃないか」「誰も困らないじゃないか」などと警察官を恨めしく思ってしまうことも多いだろう。 また、検挙される・されないに関わらず、厳密に言えば日常的に罪を犯している人が他の犯罪カテゴリーに比べて多いという点もある。例えば、見通しの良い幹線道路や高速道路で、制限速度をオーバーしたスピードでクルマの流れができていることは決して珍しいことではない。同じく取り締まりにあったときに、「みんなやっているじゃないか! なんで自分だけが罰を受けるんだ」と怒りをあらわにする人は決して少なくないだろう。 さらには、それが違反だったということが、免許所持者の間で完全に知られているとは言い難い違反もある。「高速道路で追い抜き車線を走行し続ける」「運転席・助手席のヘッドレストを取った状態で走る」「ライトを常にハイビームにしておく」「クラクションの乱用」…。実はわが国では、これらが全て道路交通法違反であることが明示されている。2017年5月、ゴールデンウイークのUターンラッシュで渋滞する東名高速道路の上り海老名サービスエリア付近(菊本和人撮影) このように、(1)直接的な被害者がいないことも多い(2)日常的に多数の検挙されない違反者がいる(3)違反と認識されていない行為もある、という特徴を持つ交通違反は、心理学的には「価値基準の混濁」が起こりやすい。 「価値基準の混濁」とは、何がやってもよいことで、何がやってはいけないことかが明確に認識されづらく、その場の状況や判断、文脈によって、基準がコロコロ変わり一定しないことを指す。例えば、同じ人間であっても、仕事で急いでいるときは、制限速度を上回るスピードを出していても罪の意識は薄い。一方で、休みの日で急いでいないときなどは、一時停止や歩行者の存在、スピードメーターにも相対的に強く意識が働いており、順法精神が普段より保たれている場合もあるだろう。「あおり運転」二つの分岐点 その意味では、客観的には異常行動で、常軌を逸しているように見える「あおり運転」も、当の本人からすると「自分は早く行きたいのになんで前のクルマはこんなにトロいんだ」「なんで早くどかないんだ」「あおられて当然だ」と思い込んでしまう。その行為のただ中にいる際は、特に「悪いのは相手。私の行為はおかしなことではない」と自分を過度に正当化し、「危険性の判断」の優先度も低くなってしまっているのである。 しかしながら無論、価値基準の混濁が生じているからといって、すべての人に「あおり運転」のような危険行為が伴うわけではない。 その一つの分岐点は、個人のストレスへの易反応性(反応しやすさ)である。そもそも、運転している状態が、基本的には人間の心理・身体的にはストレスフル(多くの負担がかかる)である。 言うまでもなく、運転中はさまざまなことに気を配る必要があるからだ。まず前を見て、アクセルワークをして、前車との距離を調整し、かつルームミラーやサイドミラーで後ろや横を確認する。さらにはスピードや標識を確認し、時には目的地までの道のりを考えたり、時間に間に合うかどうかのタイムマネジメントも意識しなければならない。 注意力には人それぞれのキャパシティーがある。気を配るべき対象が多くなっている状態で、前のクルマが遅いといったさらなる心理的ストレスがかかると、脳の中で理性的かつ論理的で自制心を働かせる前頭前野の力は働きにくくなる場合がある。 そのため、怒りなどの感情に率直な、衝動的な行動が出やすくなるのである。仕事で疲れていない朝は理性的に運転できても、疲労した帰りの運転は荒い、という場合も衝動性をコントロールしきれなくなっている脳の機能低下が疑われる。対向車線にはみ出して進路をふさごうとするトラック(JAFメディアワークス提供、画像の一部を処理しています) また、ストレスがかかると、身体的には「緊急反応」という、ストレス事態に対して身体的な能力を一時的に向上させ、対抗しようとする状態が生じる。具体的には、血圧や体温が上がり、心拍が早くなるなどの交感神経系の緊張と、アドレナリンの分泌が促進される。このことが、怒りの感情が生起しやすい身体的背景である。 もう一つの分岐点は、欲求阻害状況への耐性である。つまり、自分の運転やクルマに対して求めるものや考えが、他者によって阻害されたときに、その状況にどれだけ耐えられるかということである。もし耐性が低ければ、暴走、あおりといった危険行為につながりやすいと考えられる。あおり耐性を簡易的に数値化してみる そこで、個人の耐性を簡易的に数値化してみよう。下記の「運転やクルマに対して求めるもの(個人のスキーマ・図式)」の各項目に「どれだけ自分の考えに当てはまるか」を100点満点で、「他者からの阻害要因(怒り・不快の誘発因)」の各項目に「どれだけ怒り・不快感を抱くか」に100点満点で点数をつけ、それぞれの10項目の平均得点を掛け合わせる。その結果、掛け合わせた点数が高ければ高いほど、欲求阻害状況への耐性が低い、つまり「あおり・暴走運転」をしやすいと考えられる。<運転やクルマに対して求めるもの>・クルマの中は自分だけの落ち着くける空間である・クルマは自分の思い通りに移動できる・クルマでの移動はすぐに目的地に着けるものである・自分は運転の上級者だと思う・自分の運転で他人に迷惑をかけることはない・クルマの中は安全で他人に侵されることはない・自分のクルマと違う属性のクルマ(例:自分は乗用車、相手はトラックなど)に怒りを感じやすい・運転中に怒りを感じたときに、怒りの発散対象や仕返しの方法がイメージできる・信号が青に変わったら極力間髪入れずに発進すべきだ・できるだけスピードが出る道を走りたい<他者からの阻害要因>・急な車線変更や割り込みをされる・身に覚えがないのにクラクションを鳴らされる・追い越し不可の道で前のクルマが低速走行し続ける・2車線の道路で両車線のクルマが並行して低速走行している・自分のクルマがすっぽり隠れるくらいの車高の高いクルマに前方視界を遮られる・低速走行しているわけではないのに、過度に車間を詰めて走行される・後ろを走っているクルマのライトがまぶしい・他車のオーディオやエンジン音がうるさい・前のクルマが不必要にブレーキを踏む・運転の下手なドライバーが多い そのほかにも、運転は生活上の文脈効果に左右されやすい。つまり、その日の生活状況や感情、運転前に蓄積した心理的ストレスに非常に影響を受けやすいことや、日頃から運転を通じて蓄積された怒りや不快感がある日突然爆発してしまうことがあること、プライベート感覚や匿名性が高まって喜怒哀楽の感情が表出されやすいこと、なども背景として挙げられる。 ちなみに、最後に付け加えておきたいのは、よく「運転すると人が変わる」と言われることがあるが、それは確からしくない。運転中の人物像も「その人そのもの」、つまり本質が出ていると言ってもよいし、別の一面が表出しているだけにすぎないのである。 ただ、「あおり運転」につながる個人の怒りやすさは、心理カウンセリングの一技法である認知行動療法的アプローチや、怒りを制御する「アンガーマネジメント法」などによって、自己コントロールできる場合も少なくない。少しでも自覚的に問題意識がある場合は、感情をコントロールするトレーニングも可能なのだ。(iStock) なお、当然のことながら、不法で危険なあおり運転は言語道断であり、一義的に悪い。とはいえ、あおりの対象になるクルマの中には追い越し車線を走り続けるなど違反にあたる走行をしていることもある。 一方で、違反でなくとも多くの他車にとって迷惑行為にあたる走行をしている場合もある。使い古された言葉ではあるが、やはり運転には、お互いを思いやり、譲り合う心と感覚、常に周囲に気を配れる注意力が必要なのではないだろうか。

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    「路上のクレーマー」あおり運転はこうすれば回避できる!

    森口将之(モータージャーナリスト) あおり運転は「路上のクレーマー」のような存在だと考えている。ささいなことを取り上げて激高する様子がクレーマーを思わせるからだ。ささいと書いたように、被害者に大きな落ち度はないことでも共通している。こういうケースに話し合いで何でも解決できると自信を見せる人がときどきいるが、クレーマー相手に話し合いなど通用しない。それを多くの人に知らしめたのが、昨年6月、神奈川県の東名高速道路であおり運転により夫婦が死亡した事故だった。 それでは、あおり運転をされた場合にどうすればよいか。人や車が多くいる場所、つまり高速道路ならサービスエリア、一般道路であればショッピングセンターなどの駐車場に入り、車を降りずに待機するという行動は、対策の一つとして考えられるかもしれない。 人目を気にして加害者がわれに返ることがあるかもしれないし、仮に車両を襲ってくるような事態なら、周囲の人々が警察や道路緊急ダイヤル(#9910)などに通報してくれる可能性もある。加害者が車から降りてきたら、逆に発進することでその場を逃れることもできるのである。 ただ、こうした行動については、犯罪心理学の専門家のほうが、より的確な回答をしてくれそうだ。筆者はモータージャーナリストなので技術的観点からいくつかの対策を考えた。 多くの人がまず思いつくのはドライブレコーダーだろう。今年1月、神奈川県の横浜横須賀道路でごみ収集車が横転した事故では、収集車に付いていたドライブレコーダーなどからあおり運転の加害者を特定し、逮捕につながった。 これに限らず、警察ではドライブレコーダーをあおり運転摘発の証拠として採用し始めており、有効な装備として位置付けられつつある。実際に半年ぐらい前から、ドライブレコーダーの売れ行きは急激に伸びている。 電子情報技術産業協会(JEITA)とドライブレコーダー協議会がまとめた2017年度ドライブレコーダー統計出荷実績(コンシューマー用と業務用の合計)によると、第1四半期(4〜6月)が約41万台、第2四半期(7〜9月)が約43万台だったのに対し、第3四半期(10~12月)は約85万台とほぼ倍増した。最近は前方のみならず後方、さらには360度記録可能な製品も登場している。ドライブレコーダーの購入を考える人の多くは、こうした多機能型に注目しているというデータもある。2017年6月に東名高速での夫婦死亡事故が発生したのを受けて、状況を客観的に記録でき、トラブル回避に有効なドライブレコーダーへの注目が高まっている(飯田英男撮影) 筆者も先日、車庫入れなどの際に重宝するリアカメラをドライブレコーダーのカメラとして活用した製品をテストする機会があった。私が使用しているドライブレコーダーは昔の製品であり、前方の画像のみを記録する単機能タイプなので、正直うらやましいと思った。 もう一つ、最近の自動車の装備で、あおり運転対策に効果がありそうなのが、緊急通報サービスだ。例えば、レクサスの「ヘルプネット」では、ボタンを押すだけで登録ナンバーや現在位置などの情報をヘルプネットセンターへ自動送信し、車両に一定以上の衝撃が加わった場合にはボタン操作なしでつながる。呼びかけに応えない場合は即座にオペレーターが救急車の出動を要請するという。被害者にならないための「運転テク」 運転中の携帯電話の使用は認められていないので、警察や道路緊急ダイヤルなどへの連絡は当然できない。しかし、ボタン操作で同様の緊急連絡ができれば、危機的状況をいち早く外部に伝えられるだろう。 すでに、バスやタクシーには似たような装備がある。走行中にバスジャックなどの被害に遭遇した際に、ボタン操作で行き先表示板に「緊急事態発生」などと出すことで、後続車に危機的状況であることを知らせるものだ。乗用車にも似たような装備があってもいいのではないかと考えている。 技術といえばもう一つ、運転技術についても触れておきたい。それは追い越しに関する技術である。あおり運転のニュースを聞くたびに、日本のドライバーが追い越しに慣れていないことも一因ではないかと感じている。 欧米と比べると、日本の一般道路は追い越し禁止としている個所があまりにも多い。事故防止の観点からこのような措置を取っているのだろうが、見通しの良い平坦(へいたん)でまっすぐな道さえ、追い越し禁止としている状況を見ると、首をひねらざるを得ない。 ドライバーが追い越しをする機会は減るため、追い越し技術そのものが養われない。そうなれば、遅い車が前にいても追い越せないイライラが、あおり運転に発展することもあるだろう。ぜひ考え直してほしいところである。 追い越し方も大事だ。こちらは日本の高速道路を走っていて気になることだが、前の車を追い越すために走行車線から追い越し車線に出て、追い抜いたあともずっとその車線に居座り続ける人が多い。他車を追い越すつもりなどないのに追い越し車線をゆっくり走り続ける車を見ることさえある。 道路交通法では、高速道路で追い越しが完了したあとも追い越し車線を走り続けるのは「通行帯違反」であり、立派な交通違反だ。一方で追い越し車線に居座る遅い車を走行車線、つまり左側から抜く行為もまた通行帯違反となる。一般道路とは車線のルールが違うのだ。(iStock) つまり片側2車線の高速道路で、追い越し車線に遅い車が居座っていると、その車両は永遠に追い抜けないことになる。こうした状況があおり運転を誘発する可能性もあるだろう。 この通行帯違反、高速道路では速度超過(スピード違反)に続いて多い違反になっている。昨年11月から制限速度が時速100キロから110キロに引き上げられた静岡県の新東名高速道路では、80キロに据え置かれた大型トラックの追い越し車線走行が禁止されたこともあり、重点的に取り締まりを行っているという。 冒頭に書いたように、あおり運転の多くは加害者側の感情のコントロールが主因と考えている。しかし、被害者側があおられる原因をつくり出さないこともまた大切なのである。

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    危険運転致死傷罪と過失運転致死傷罪を分ける「法律の壁」

     東名高速道路で運転妨害を繰り返したうえに、追い越し車線に車を停車させ、追突事故を引き起こし夫婦の人命を奪った事件。逮捕された石橋和歩容疑者(25才)。その逮捕容疑は「過失運転致死傷罪」だ。 同罪は「7年以下の懲役または禁錮もしくは100万円以下の罰金」と定められている。これは通常の人身事故と変わらない刑罰で、罰金刑で済む可能性すらある。交通事故に詳しい東京永田町法律事務所の加藤寛久弁護士が解説する。「交通事故には、最高20年の有期刑を科す『危険運転致死傷罪』があります。ただし、これを適用するには、運転手の行為が酩酊運転、高速度運転、未熟運転、妨害運転等に該当しなければならない」 一見すると石橋容疑者の行動は「妨害運転」に該当しそうだが、司直の見解は異なる。「危険運転致死傷罪が成立するのは、先の危険運転で“人を死傷させた”ケースです。今回の事故でいえば、石橋容疑者が妨害運転をしたと認定されても、彼自身が死傷させたと判断できるかどうか。ここに法的な難しさがあるんです。今後の捜査次第で危険運転致死傷罪に該当すると判断できる可能性もあるが、現時点では難しい。このため、警察は刑の軽い『過失運転致死傷罪』で逮捕したのだと思います」(加藤弁護士) 石橋容疑者が危険運転致死傷罪での逮捕ではなかったことについて、「事故のきっかけを作っておいて、なぜ?」と疑問が噴出している。『バイキング』(フジテレビ系)でも、坂上忍(50才)が「法の矛盾を痛感する」と憤り、山本譲二(67才)も「殺人だと思う」と断言した。 過失運転致死傷罪と危険運転致死傷罪を分ける「法律の壁」は、これまで何度も議論となってきた。 2000年4月、神奈川県座間市で検問から猛スピードで逃走した車が歩道に突っ込み、通行中の大学生2人を即死させる「小池大橋飲酒運転事故」が発生した。運転手は飲酒していた上、無免許だったにもかかわらず、判決は業務上過失致死罪で懲役5年6か月。 これに対し、遺族の母親が、「人を殺めながら窃盗罪(10年以下の懲役)より軽い罪なのはおかしい」と法改正を求める署名を始めた。2006年9月、福岡・海の中道大橋飲酒運転事故の現場で、犠牲となった幼いきょうだいの冥福を祈る人ら。裁判では危険運転致死傷罪の適用が争点となった 前年(1999年)には一家4人が乗る乗用車に飲酒運転の12トントラックが追突し、女児2人が死亡する「東名高速飲酒運転事故」が起きており、相次ぐ悪質な事故とそれに見合わぬ刑罰に国民の不満が爆発。遺族は37万人超の署名を集め、2001年11月、危険運転致死傷罪が成立した。 以降、悪質な交通事故が同法で裁かれるケースは確かに増えた。2006年8月、福岡県福岡市の「海の中道大橋」で、会社員の乗用車が飲酒運転の車に追突されて博多湾に転落。同乗していた3人の子供が亡くなる事故が起きた。当時22才の運転手に同法が適用され、最高裁で懲役20年の刑が確定している。関連記事■ 東名夫婦死亡事件 被害者母が告白「解明導いた長女の強さ」■ 千野志麻「逮捕されなかったのは著名人だから」との見方あり■ 東名死亡事故石橋容疑者 女性と一緒だと態度がひどくなる■ 死亡事故被害者遺族 千野志麻に「一生、憎みます」と告げた■ 娘を失った風見しんごが「人生どうにかしなきゃ」になるまで

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    「アンガーマネジメント」できていれば東名死亡事件なかった

     怒りは敵だと思え──。こんな諺があるように、「怒り」を表に出せば、人の恨みや反感を招き、最終的には自分の身を滅ぼしかねない。だが、こんな教えは理解しつつも人は「怒る生き物」であり、時に取り返しのつかない行動を取ってしまう。東名高速夫婦死亡事故で罪のない夫婦を死に至らしめたドライバーはその典型だろう。人生を狂わせないためには「怒りのタイプ」を知ることから始めることが重要だ。 もし彼が「アンガーマネジメント」を学んでいたら、この痛ましい事故は起きなかったかもしれない──。 15才と11才の姉妹を残して、両親が無念の死を遂げた東名高速夫婦死亡事故。今年6月、東京への家族旅行の帰路、静岡市在住の萩山嘉久さん(享年45)は、神奈川県の中井パーキングエリアの出口をふさぐように停車していたワンボックスカーに対して注意をした。これに激昂した運転手は、萩山さん一家の車を追跡すると、進路妨害を繰り返し、追い越し車線に無理矢理停車させた。 その直後、後方から大型トラックが一家の車に追突し、同乗していた姉妹は軽傷で済んだものの、萩山さんと妻・友香さん(享年39)は帰らぬ人となってしまった。 事故発生から4か月後の10月11日、悪質なあおり運転で事故の原因をつくったとして、ワンボックスカーの運転手である石橋和歩被告(25才)は過失運転致死傷罪で逮捕。だが、これに対して「罪が軽すぎる」などと議論が巻き起こり、萩山さんの母も本誌の取材に対して「これは殺人事件。容疑者を厳罰に」と悲痛な思いを訴えた。 そんな遺族感情に応えるように、10月31日、横浜地検はより刑の重い危険運転致死傷罪で石橋被告を起訴した。(iStock) だが、遺族の悲しみは消えるわけではない。石橋被告の犯した罪は重い。彼があのとき感情をコントロールすることさえできていれば、今も萩山さん一家は幸せな日々を送っていたはずなのだから…。 なぜ石橋被告はキレてしまったのか、怒りを抑えることができなかったのか。寝不足、スマホの使いすぎで怒りやすくなる寝不足、スマホの使いすぎで怒りやすくなる「怒りは瞬間的にスイッチが入ります」と語るのは、早稲田大学研究戦略センターの枝川義邦教授だ。 そもそも動物が「怒り」をあらわにするのは、身を守るための行為なのだという。「脳の『扁桃体』は、五感がキャッチした多くの情報が集まる場所で、好き嫌い、快不快、不安、恐怖、悲しみといったさまざまな強い感情が湧き出るときに働いている。そして、扁桃体がかかわる感情は立ち上がりが早い。感情を向ける対象者が敵の場合、目前の敵から逃げるか、戦うかの判断を早くしないとならないからです。目の前の敵に対するストレス反応ともいえます」 石橋被告は萩山さんを敵と認識し、攻撃に転じたのだろう。だが、本来、怒りは長時間持続することはない。「人間は怒っているときには交感神経が優位になるので、心拍数や血圧が上がり、呼吸も速くなる。このようなストレス反応は長期間続かないような仕組みが体に備わっています。交感神経とバランスを取るように副交感神経の活動が高くなったり、理性を司る脳の『前頭前野』が活発化し、その怒りにブレーキをかけようとする」(枝川教授) しかし、近年、石橋被告のように、そのコントロールができない人が増えている。「寝不足、スマホの使いすぎなどでも前頭前野の機能は低下します。ストレスホルモンである『コルチゾール』の分泌が増えることでも前頭前野の機能は低下することから、ストレスに晒され続けている人は理性のブレーキが利きにくくなり、怒りが爆発しやすくなるのでしょう」(枝川教授)(iStock) だが、「怒り」はコントロールすることができるという。「自分の『怒り癖』を自覚し、『アンガーマネジメント』すれば、今よりも生きやすくなるはず」と話すのは、日本アンガーマネジメント協会の安藤俊介代表理事だ。「アンガーマネジメント」とは、その名の通り、怒りの感情を自ら管理すること。「石橋被告も『アンガーマネジメント』できていれば、きっと事故は起こらなかった。2人の命は救えたはずだし、多くの人々の人生が変わることはなかった」(安藤氏)関連記事■ 東名死亡事故石橋容疑者 女性と一緒だと態度がひどくなる■ 怒りのピークは6秒程度 社会人失格の扱いを回避する対処術■ 東名夫婦死亡事件 被害者母が告白「解明導いた長女の強さ」■ 怒る原因は自分以外にあると思いがち 実は受け取り方にある■ 東名死亡事故被害者の母「私が生きてる間は外に出さないで」

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    自殺の「意志」は現代日本でどう扱われているのか

    それを法廷で認めさせた過労自殺裁判の目的が過重労働を課す会社・社会を問い正すことだったように、それが社会問題化のうねりとも関係していると書かれていました。 そこで、現代の自殺を考えるには、個人の意志と精神の病と社会問題という3つの説明の拮抗関係を見る必要があると考え、過労自殺について調べることにしました。――電通過労自殺裁判が転換点となった背景とは?元森:そもそも長時間労働の末に自殺したとしても、労災認定が下りる見込みは非常に低かったんです。労災認定は業務を通じた健康上の損害を補償する制度です。そのため、業務起因性が明白な事故や怪我と違い、過労による死が業務上の損害とみなせるかが問題となってしまいます。 ただ、労災認定については1960年代から、例えば過労により脳・心臓疾患を患うことは徐々に認められるようになりました。しかし、自殺では、最後に死を選んだのは本人の意志ではないかという問題が、ここに加わります。 そこで、労災認定が望めない中、企業の責任を問うために提訴された電通裁判で、弁護団は、「過労で脳・心臓疾患を患う」のと同様に、過労で精神障害を患い自殺した(当人の意志ではない)という、当時としては大変インパクトのあるレトリックを採用し勝訴しました。 背景には、自殺とうつ病などの精神疾患の関係についての研究が進んだことがあげられます。自殺者の大半がうつ病などの精神疾患に罹患しているという精神医学の知見があり、WHO(世界保健機関)の「自殺予防・医療者のための資料」では、先進国、途上国ともに、自殺者の80~100パーセントが精神障害だったとされています。2006年5月、自殺対策基本法の制定を求め、JR新宿駅西口で署名運動をする人たち こうしたエビデンスにより、自殺は精神病理として扱われ、自殺の「精神医療化」と説明したくなるほどになりました。つまり、自殺を図ったということは、精神障害に罹患していた可能性が高い、となったのです。ただ、では実際に精神医療化といえるほどの事態が進んだかというと、そうでもありません。 この法理が定着し、労災認定制度にも反映された結果、労災認定や損害賠償請求裁判では、自殺した人が実際に精神障害に罹患していたかは、あまり問われなくなっています。代わりに、精神障害に罹患してもおかしくない労働状況だったかが問題となります。実務の場では、精神の病説と社会問題説がこう拮抗しているのです。電通事件は歴史的転換点――「精神疾患→自殺」というレトリックが採用されるようになった00年以降、過労自殺の損害賠償請求裁判で、遺族側が勝てるようになったのでしょうか?元森:過労自殺の場合、世間が注目するのは、自殺の責任を企業側に認めるかです。その意味では、電通裁判判決以降、労働時間などの条件が整えば、企業の責任が認定される道が開かれました。ただ、認められた場合、過失相殺(編注:被害者自身や遺族等にも過失が認められる場合、賠償額からその分を考慮し減額すること)の議論に進むことがほとんどです。 電通過労自殺裁判では、過失相殺が0でした。過失相殺が0でないケースでは、精神障害に罹患したのは、会社の責任なのか、それとも本人や家族にも責任があるのかが、結局もう1度問われていることになります。最終的な賠償額は50~80%減額されているそうです。――昨年10月に電通社員だった高橋まつりさんの自殺が労災認定され、電通本社にも東京労働局が立入調査に入るなど、注目を集めています。奇しくも新たな電通社員の死がさらなる歴史的転換点となる可能性は高いのでしょうか?元森:民事裁判では上記のように訴え方が固まってきており、労災認定も下りやすくなっています。ただ、だからといって、過重労働については歯止めが掛かっていません。その意味で、労働法上の刑事責任が問われる意義は大きいでしょうね。 また、今回、初の『過労死等防止対策白書』が公表された日に、遺族が厚生労働省で記者会見をしたことに、新しい社会問題化のうねりを感じます。 2000年代に入ると、日本社会で自殺対策が進みました。「自殺対策基本法」が2006年に制定され、2007年には「自殺総合対策大綱」が閣議決定されます。この自殺対策の中では、うつ病に罹患し、自殺しないようメンタルヘルス対策の重要性が謳われる傾向があります。労働現場でも、社員をうつにしない社会にしましょうと、15年12月から従業員50人以上の事業所でストレスチェックが義務付けられました。2017年10月、高橋まつりさんの写真を前に会見に臨む母、幸美さん(川口良介撮影) しかし、労働時間の短縮につながるかと言えば、そこは曖昧なままだったんです。そもそも、電通の裁判などで使われた精神障害に罹患し自殺したというのは、あくまで裁判に勝ち、企業側の責任を認めさせるためのレトリックだったはずです。メンタルヘルスばかりが強調されて、過重労働削減の方向へ進まないのでは意味がありません。 むしろ、メンタルヘルスを管理できない本人の責任問題が回避してしまう可能性すらあります。自殺は、精神の病か、社会の問題か、本人の意志の問題かという点は、未だ拮抗しているのです。 2014年に過労死等防止対策推進法が制定され、過労自殺は自殺問題とは別に、労働・社会問題であることが再確認されました。今回の電通事件をめぐる関係者の動きや報道を見れば、過労自殺をめぐって、社会の理解が再度変わっていく可能性はあると思っています。「いじめ自殺」を認める学校は少ない――次にもう1つの章である「いじめ自殺」の話題に移りたいと思います。いじめ自殺もよく耳にします。元森:いじめ自殺で毎年多くの子どもを失っているというイメージを多くの人が抱いているかもしれませんが、実際には統計史上最多でも2013年の9件です。こうしたいじめ自殺がどうメディアで語られるかについては、教育社会学などの研究の蓄積があります。  子どもという存在が自殺をするというのは、世間一般的にも受け入れづらい出来事だと思います。そこで、子どもの死が社会でどのような決着をつけられているかを調べてみようと、いじめ自殺をめぐる裁判の論理に注目しました。――よく話題になる論点として、生徒がいじめられている事実を学校は知っていたのか、そしてその責任はどこまで負うべきかというのがあります。判例を調べる限り、そのあたりはどうでしょうか?元森:今回、調べた限り、電通裁判以来趨勢が変わった過労自殺とは異なり、いじめ自殺に対する学校の責任を認めた判例は非常に少ないことがわかりました。  裁判では、いじめの結果、心身の傷や自殺に対する学校の責任が認められるには、そのような結果を学校が予見できたはずだということが必要になります。そこで、いじめ自殺の裁判では、自殺という結果まで予見できたとみなせるかが、問題となってきました。 最初期は、自殺は生徒の意志によるものであり、学校は自殺の意志までを予見して予防することはできなくても仕方がないと判断されました。 しかしその後、東京都の中野富士見中学でのいじめ自殺事件の判例が、現在まで続くスタンダードとなっていきます。そのポイントは4点あります。1点目にいじめの事実認定、2点目に学校側の安全配慮義務違反の認定、3点目に損害賠償範囲の認定。ここで予見可能性が問われ、自殺までの責任を認めるかどうかが問われます。 自殺までの責任が認められた場合は、4点目に過失相殺の認定に進みます。これらの4点について詳細な検討を行い、一つひとつ判断していく判例が定着しています。(iStock) その結果、いじめの事実が認定されなかったり、学校は義務を果たしていたとされたり、いじめを止められず生徒に心身の傷を負わせた責任は認めても、自殺までの責任はないとされたりすることが多く、いじめ自殺までの学校の責任は認められにくいのです。ただ、自殺の予見可能性を問うときに、当人の意志という観点で考えない判例も増えてくるなど、変化は見られます。 なお、自殺までの学校の責任を認めた判例は少ないのですが、そこだけにとらわれるのではなく、自殺までの責任はないけれどいじめを止めることが出来なかった責任は認めるという判例にも注目する必要があると思いました。 自殺までの責任を認めた判例は、すべて過失相殺に進んでいます。その結果、ひどいいじめを止められなかった責任のみを認定したケースと、自殺までの責任を認めたケースとで、認められた賠償額がほとんど変わらなかったり、ときには逆転していたりすることがあります。仮に金額を責任の重さとみなせば、いじめを止められなかった責任は十分痛烈に問われているとも言えます。過労自殺といじめ自殺は違うのか――どうしても過労自殺裁判といじめ自殺裁判を比べてしまうのですが。元森:一般的に、長時間労働を強いた企業と、いじめを止めることが出来なかった学校、そして自殺に至った社員と生徒とは、同じような構造に見えるかもしれません。ただ、加害者を見ていくと、過労自殺で長時間労働を強いたのは上司と会社、いじめ自殺ではいじめた生徒なんです。止めることが出来なかった教師や学校は、直接の加害者とは、また違うポジションにいることになります。 また、自殺するほどの長時間労働となると、会社以外での時間がほとんどないような状況になりますが、いじめの場合は、いじめられた子には、学校外での時間もたくさんあります。こういった中で、学校にむやみに自殺まで責任をとれと責め立てていくことが建設的なのかは、もっと社会的に議論していく必要があると思います。――ということは、過労自殺裁判といじめ自殺裁判では、法廷で争う論理が違ってくるわけですね?元森:過労自殺などは、精神障害に罹患していたために自殺をしたという論理で企業の責任を問うという方向性になっていますが、今まで述べてきたように、子どもの自殺ではそうはなっていません。 いじめ自殺の民事裁判を担当された弁護士に取材した際に、過労自殺では「過労→精神疾患→自殺」というレトリックで戦って企業責任が認められてきているが、いじめ自殺も「いじめ→精神疾患→自殺」という訴え方をしようとは思わないのかとたずねてみました。そうすれば、いじめを止められなかった責任さえ認められれば、事実上、自殺までの責任が問えるという形に持ち込めるのではないかと。2016年12月、会見終了後、頭を下げる電通の石井直社長(中央)ら(菊本和人撮影) ところが、それは考えていなかったという回答でした。子どもが精神疾患に罹患するという発想がなかったとのことでした。スクールカウンセラーが学校に導入されるなど、別の場面では子どもがうつ病を始めとする精神疾患に罹患することが強調されているのですが。――過労自殺と同じようなレトリックで裁判を戦っている事例はないのでしょうか?死を選ぶ権利はあってもいい元森:判例を読んだ中で、いじめで精神障害に罹患したという訴え方をしているケースは3つありました。神奈川県立野庭高校で高1の女子生徒が自殺した事件、栃木県鹿沼市の中学校で中3の男子生徒が自殺した事件、そして名古屋経済大学附属市邨中学校で中1時にいじめられた女子生徒が、転校後に自殺した事件です。このうち、野庭高校と名古屋経済大附属のケースは、実際に精神疾患という医師の診断が出ていましたから、訴状にもその旨書かれているだけです。 唯一、鹿沼の件は、精神疾患の診断がなかったにもかかわらず、いじめられてうつ病に罹患した末に自殺したと、二審では過労自殺と同じレトリックで訴えています。一審では、精神疾患については触れなかったらしいのですが、担当した弁護士が子ども事案を専門とする方でなかったから柔軟に考えられたのか、過労自殺を参考にして同じようなレトリックを組み立てたのだそうです。 裁判というのは、訴えた論理でしか判断されません。原告側が、自殺に至ったのはこういった経緯で、それがこの法律の問題に抵触しますと論理を組み立て、裏付ける証拠を添えて訴えます。裁判所は、本当にそのような経緯だったか(事実認定)、それが本当にその法律に違反しているのかを判断します。結果として、鹿沼の事件では、裁判所は「いじめ→精神障害→自殺」という原告側の論理構成には異議を挟まず、それに沿った判断を行いました。 ただ、うつ病に罹患したと推定される時期が、いじめにあった時点から離れすぎているとして、「いじめ→精神障害」という事実認定がされませんでした。もし、この裁判で勝訴していれば、いじめ自殺の電通過労自殺裁判になったかもしれません。 なお、本書の観点から見れば、これだけ自殺の原因は精神障害という論調が強まる中で、子どもが精神障害になるというレトリックで訴えようと思わないということ自体が、私たちの個人や意志、大人や子どもという想定の一端を表しているようで興味深いです。――最後に、あえてこんな人に本書を読んで欲しいというのはありますか?元森:自殺はよくないことと思ってしまいがちですが、安楽死の議論があるように、最終的に自らの意志で死を選ぶ権利はあってもいい気がしませんか?その両方に引き裂かれ、スッキリしない気持ちについて考えてみたいという人に、是非読んでほしいですね。また、個人と社会の関係性を様々な形で社会学として問いたいと考えているので、方法論的な含意も汲んでいただければ嬉しいですね。(iStock) 厭世自殺と生命保険自殺を扱った貞包英之さんの章、警察やメディアなどの現場の対応を扱った野上元さんの章も、是非読んでいただきたいです。

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    韓国よりも生ぬるい「ギャンブル依存症」対策で大丈夫か?

    鳥畑与一(静岡大教授) カジノを含む統合型リゾート(IR)解禁に向けた「世界最高水準の依存症対策」の政府案が2月末に明らかにされ、とりわけ「1週間3回以内」、「1カ月(28日)10回以内」というカジノ入場回数制限が賛否の的となった。依存症対策としては甘すぎるという批判の一方で、カジノの収益性を損なうものという批判も出され、自民党プロジェクトチーム(PT)からは「1カ月10回以内」に絞り込むよう要望がまとめられている。 ギャンブル依存症は、ギャンブル行為を通じた脳に対する刺激による脳の変化(ドーパミンの過剰分泌など)による病気であり、ギャンブルの「頻度×継続時間×賭け額」の大きさが客観的原因(いわゆるエクスポージャー理論)とされる。 英国ノッティンガム大教授のM・グリフィス氏らによれば、個人的要因のほかに、居住地からカジノ施設の距離、カジノ数、賭け行為の間隔や時間、賭け金額、勝つ確率などの状況的・構造的要因が依存症を誘発する客観的要因とされている(『欧州における問題ギャンブル』2009年)。 例えば、米国のJ・H・ウェルテ氏らの依存症実態調査によれば、カジノに近いまたはカジノ数の多い住民ほど常習者(週2回以上の頻度)になる確率が高く、そして常習者ほど依存症率が高いことが明らかにされている。 従って、カジノへの入場回数の規制は、政府案も認めるように一般論としては依存症対策として有効である。問題は、政府提案の入場制限数が依存症対策として有効であるか否かであるが、結論から言えば、提示されている入場制限数は、依存症を促進するものであっても抑制する水準ではない。カジノへの入場禁止を行う「自己排除(Self Exclusion)」制度を導入している国は欧米でも多くみられるが、入場回数制限を行っている国は韓国とシンガポールなど稀(まれ)である。 そこで政府案では、1カ月で15回以内の韓国と8回以内のシンガポールの事例を参考に提案を行っている。しかし、政府提示の入場制限数の具体的根拠は、国民の休日数や平均的な旅行宿泊日数との適合性であって、この回数が依存症対策として有効か否かの検討が行われているとは思えない。※写真はイメージ(iStock) 例えば、韓国で国民に唯一解放されているカジノであるカンウォンランド(2000年開業)で2006年から開始された入場回数制限は1カ月15回以内(地域住民は月1回のみ)だが、それが2カ月連続した場合は入場を制限し、カウンセリング実施などの措置が取られている。 韓国のKL依存症管理センターは、入場回数で依存症発生リスクを区分しているが「2カ月連続15日出入を繰り返すなど年間100日以上の常習出入」を高リスク、「2四半期連続で30日を超える顧客など年間100日以上の常習出入」を中リスクと位置付け、高リスク利用者には「特別管理(義務カウンセリング、病院治療など)」や「本人/家族への出入禁止を強く誘導」などの対策を適用している。抑制策にならない政府案 韓国カジノ管理委員会などの依存症調査(「ギャンブル産業利用実態調査」)では、中リスク以上を依存症者と位置付けている。政府案の1カ月10回以内では年間120日のカジノ入場を許容することになり、これでは依存症の抑制策たり得ない。 シンガポールでは、2010年のカジノ開業前の2009年に自己申請・家族申請・自動排除などでカジノ入場禁止を行う「自己排除制度」が導入されていたが、2013年6月から新たに自己申請・家族申請・第三者申請による入場回数制限(1月あたり1回、2回、4回、6回、8回の選択制)が導入された。 この回数制限で注目されるのは、シンガポールの国立問題ギャンブル評議会(NCPG)が、カジノへの頻繁な入場者をリストアップし、その家計状況(銀行口座、クレジットカード利用状況など)を審査し、ギャンブルによって家計的困難が生じている場合は、個人的状況に応じた回数制限を強制的に課す第三者申請の回数制限措置である。 表1に見るように、昨年末の回数制限適用者5598人中、第三者回数制限者は3715人(66・4%)となっている。審査対象者らの詳細は2016年から非公表となっているが、2015年末には4532人が「頻繁なカジノ入場者」として審査対象となり、そのうち2012人(44・4%)に回数制限が適用されている。資料:NCPG「Active Casino Exclusions & Visit Limits 」 NCPGの依存症調査によると、2011~14年にかけて依存症率が大きく減少している(表2参照)。それぞれの調査期間は3月~8月であり、14年時のデータは回数制限導入後1年余りでしかなく、回数制限がどの程度の効果があったのかは十分な判断はできない。 しかし、同調査では、週1回以上のギャンブル経験者が常習者とされ、依存症者(病的)の83%が常習者とされるので回数制限の有効性は推測できる。だが、ここで重視されるべき点は、この回数制限は単なる回数制限にとどまるものではなく、過度の常習者に対する家計調査やカウンセリングを行った上でより厳しい回数制限を課す制度が中心であるということである。資料:NCPG「Report of Survey on Participation in Gambling Activities     among Singapore Residents」2009、12、15年版  深刻な場合は、回数制限にとどまらず、入場禁止措置も取られることになっているが、日本においても単なる回数制限で終わるのではなく、家計状況調査などを踏まえた第三者申請による回数制限や入場禁止措置と一体となったものでなければ有効性は担保できないと言える。しかし、市民と永住権取得の成人人口310万人を対象としたシンガポールの入場回数制限制度を日本において有効に実施することは極めて困難と言わざるを得ない。 ところでラスベガス観光局の調査では、初訪問者のカジノ目的比率は1%であるが、平均3泊4日の滞在期間で73%がカジノでギャンブルを体験している。その結果、再訪問者のカジノ目的比率は12%と大きく増大している(Las Vegas Visitor Profile Study 2015)。偶然性に対する賭けであるカジノのギャンブルは多くの人に勝った経験を味わいさせることでリピーターにしていくビジネスモデルであるので、最大の依存症防止策はギャンブルを経験させないことに尽きる。 その点でカジノ入場禁止を課す「自己排除制度」が回数制限以上に有効な対策となるが、政府案では事業者に本人・家族申告による利用制限措置などの実施を義務付けさせるべきと述べるにとどまっている。 多くの国で依存症対策の一つとして自己排除制度が活用されている。例えば米国では、カジノ合法化24州中20州でなんらかの自己排除制度が導入されているが、有効に機能しているとは言えない。多くは氏名、住所、写真などを記載したリスト作成に基づき入場を制限する形式だ。だが、事業者に運営が委ねられた場合は依存症の危険性の啓蒙活動や制度の存在の宣伝がおろそかになるため、申請数が少ない上に、登録した場合でも入場時の確認が不十分なため機能しないとされる。有効なシンガポールの対策 とはいえ、シンガポールの自己排除制度は、表3に見るように大きな役割を発揮している。これは独立組織であるNCPGが自己排除制度の運用を担当し、依存症の危険性や自己排除制度の宣伝や申請のしやすさなどの促進に非常に力を入れているからである。資料:NCPG「Active Casino Exclusion & Visit Limit」 ここでも注目されるのは、政府から何らかの財政的補助や法的支援を受けている者や自己破産者らの家計困難者は自動的に入場禁止を課す自動的入場禁止措置の存在である。この結果、入場禁止措置を受けているシンガポール市民らは、自己申請、家族申請、自動排除の合計で7万774人(成人人口比約2・3%)に達している。 カジノ経験率(2011年7%から14年2%に低下)から推計されるカジノ利用市民約6万余を上回る規模の市民が入場禁止措置を適用されているのである。入場回数制限と共にこの自己排除制度による入場禁止措置が、シンガポール市民のカジノ利用の抑制策として非常に有効に機能したことが依存症率の低下に貢献したものと推測される。 日本においても「世界最高水準」を標榜するならば、シンガポールNCPGのような独立のギャンブル依存症対策機関による自己排除制度の運用が欠かせないと言える。 シンガポールでは、入場料徴収(1回100シンガポールドル、年間2000シンガポールドル)の他、市民対象のカジノの宣伝や勧誘活動の禁止、ATMの設置や市民への信用供与の禁止を課す一方で、NCPGなどを通じたギャンブル依存症の危険性の啓蒙宣伝活動が盛んに行われている。これが可能なのは、シンガポールのカジノ客のほとんどが中国などの海外からの来客で占められており、シンガポール市民に依存しなくてもカジノの高収益確保が可能だからである。 外国客向けには高額の賭け資金貸付も行うジャンケットも容認されており、LVサンズなどのカジノ事業者はその巨額投資を5年ほどで回収できるほどの高収益を維持しているが、ジャンケット禁止を予定している日本において、シンガポールと同様の高収益獲得の条件が乏しいのは明らかである。シンガポールの観光の目玉となっている「マリーナベイ・サンズ」=2018年3月(鳥越瑞絵撮影) 国内客を主要ターゲットとせざるを得ない外国カジノ事業者にとって、日本政府が求める巨額投資を行いつつ、出資者が求める短期の投資回収を可能にする高収益を実現する上で、シンガポール並みの依存症対策を実行することは不可能である。 刑法の賭博禁止の違法性を阻却するためにIRの経済効果の大きさを強調するほど、収益エンジンとしてのカジノと依存症対策が両立不可能な隘路(あいろ)にはまり込んでいるのではないだろうか。 

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    ある意味どえらい「カジノ法案」

    政府が今国会の成立を目指しているカジノを含む統合型リゾート施設(IR)実施法案の議論があまりにひどい。「週3回、月10回以内」「入場料6千円」といった具体案がようやく提示されたが、いずれもギャンブル依存症対策とは名ばかりの内容と言わざるを得ない。こんな法案でホントに大丈夫か?

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    ヒントは韓国にあった! カジノ依存「7・3%の層」への具体策

    木曽崇(国際カジノ研究所所長) わが国のカジノ合法化と統合型リゾート施設(IR)導入に向けた論議が大詰めを迎えている。政府は、この通常国会に提出を予定しているIR実施法案において、日本人及び在日外国人のカジノ入場に対して入場料を課す案を提示した。また、一定期間内での入場回数上限を設けるとしている。連立与党である自民党と公明党はこの政府の主張に対し、入場料の設定を6千円とし、また入場回数上限を「週3回、月10日以内」とする案を両党間協議で了承し、近く法案の国会提出を行う予定だ。 一方、これら政府が示す規制案に対しては与野党のみならず、各メディアも含めてさまざまな論議が飛び交っている。まず入場料の設定に関してだが、現在与党が合意している6千円という価格に対して、カジノ反対派や慎重派の立場にいる人間からは「それでは依存対策にならない」との意見が散見される。 しかし、そもそもこの入場料は「国民の安易なカジノ入場を防止する」目的で設定されてはいるものの、政府も昨年昨年行われたIR推進会議の総括において「依存症対策として入場料の効果についての科学的知見は必ずしも確立されていない」と明言している。そのような何ら効果の検証されていない入場料に対し、「それでは依存対策にならない」という批判自体がいかにナンセンスなものであるかが見て取れる。 そもそも、国際的なカジノ研究の中で、入場料賦課はギャンブル上の問題を抱えるプレーヤーに対して、それほど大きな行動抑制策にはならないどころか、総体としてその施策は逆効果を生むとする説が主流である。ワシントン州立大のフィランダー准教授はレジャービジネス誌『UNLV Gaming Research & Review Journal Vol.21』に掲載された論文で、二つの経済モデルを利用しながらこれら入場料の「効果」の検証を行っている。 「Entry Fees as a Responsible Gambling Tool: An Economic Analysis(『責任あるギャンブルツールとしての入場料:経済分析』)」と題したこの論文では、入場料の賦課は健全な娯楽としてギャンブルを楽しむプレーヤーの需要を大きく減退させる一方、ギャンブル上の問題を抱えるプレーヤーに対する需要抑制としてはあまり効果がないことを論じている。この論文においてフィランダー氏は、入場料の設定がむしろカジノ産業に「ギャンブル上の問題を抱える消費者からの収益に重度に依拠した産業構造」を誘発させかねない施策であるとして警鐘を鳴らしている。2018年2月、大阪市夢洲での統合型リゾート施設の構想案を説明する米MGMリゾーツ・インターナショナルのジェームス・ムーレン会長 実はこのことは、2015年に発刊された拙著『日本版カジノのすべて』においても、私自身が相当の分量を割いて論じてきたことでもある。 一方で実はこれら(入場料が採用されている)地域においても、この入場料の徴収が真の意味で依存症対策になっているかどうかに関していまだ科学的な論証はありません。また、ラスベガスやマカオなど他地域のカジノ専門家の中には、むしろこの入場料の徴収が消費者にとってのサンク・コスト(撤退を行ったとしても回収ができないコスト)として認知され、ギャンブル依存者の施設内滞在を助長している可能性も指摘されています。『日本版カジノのすべて』(日本実業出版社)カジノに行きたい「7・3%」の危険 さらに、入場料金額の多寡に関してだが、これを論ずるにあたっては国内で同様に入場料の徴収が行われている類似のギャンブル産業と比較してみる必要もあるだろう。現在の依存対策論議では、カジノの入場料設定だけが論議の焦点として取り挙げられがちであるが、実はわが国の公営競技場はそれぞれの論拠法に基づいて、カジノ施設と同様に入場料の徴収が行われている。第五条 日本中央競馬会は、競馬を開催するときは、入場者(第二十九条各号に規定する者その他の者であつて農林水産省令で定めるものを除く。)から農林水産省令で定める額以上の入場料を徴収しなければならない。ただし、競馬場内の秩序の維持に支障を及ぼすおそれがないものとして農林水産大臣の承認を受けた場合は、この限りでない。「競馬法」 この競馬法と同様の規定は、わが国のボートレースを規制するモーターボート競走法にも存在する。一方で競輪やオートレースを規制する自転車競技法や小型自動車競走法では2007年の法改正によって「規制緩和」という名目で同様の入場料規制が撤廃されている。結果として現在、各公営競技及びパチンコ産業など、カジノと類似するサービスを提供している施設への入場料設定は以下のようになっている。【注】ただし、公営競技の場外投票券売場に関して入場料はない(筆者作成) このように見ると、現在わが国のカジノで導入されることが提案されている6千円の入場料設定は、国内の類似するギャンブル産業と比べて相当以上に「高額」な設定であることが分かる。 また、カジノ入場料の金額設定に基づく日本人顧客の消費意向の変化も非常に興味深い。以下は昨年9月にヤフー・ジャパンによって実施された「カジノ入場料、いくらまでなら行ってみたい?」という意識調査の結果である。この質問に対して、500円程度の入場料では100%が「行く」と答えたのに対して、当初政府が提案していた2千円程度の入場料の場合でも、カジノ訪問意向が半分(49・1%)程度にまで下がることが分かった。出典:「IR実施に向けた制度・対策に関する検討PT資料」(内閣官房) このヤフーによる意識調査では「いくらの入場料を課すと、どの程度の需要が抑制されるか」に焦点が集まりがちだが、実は最も注視すべきなのは、カジノ入場料が「いくらでも行く」と答えた7・3%の層である。むろん、この層の中には文字通りカジノ入場料がいくらであっても構わない超高所得者層が含まれている可能性もある。しかし、一般的にインターネット上で行われるこの種の簡易調査における超高所得者層の出現率というのは限りなくゼロに近い。 すなわち、この設問で入場料が「いくらでも行く」と答えた7・3%の人たちは「入場料がいくらであったとしてもギャンブルでその分勝てばよい」と考えている層、もしくは「自身の所得水準とそれに対する適正支出水準を念頭に置かずして入場料が『いくらでも行く』と答えた」層である可能性が高い。いずれにせよ、カジノ入場に対して適正な判断能力に欠けた解答を行っている層であると考えられる。 本来、依存対策というのは、このようなカジノ利用に際し、適正な判断能力に欠けてしまっている層に対する効果のある施策でなければならない。だが、この種の人たちに対しては入場料の設定が効果的に働かないことはこの意識調査の結果からも見て取れる。「入場回数」制限でもまだ甘い では、ギャンブル上の問題を抱える人たちに対して、どのように対処を行うべきか。その答えが、政府が入場料と併せてもう一つの施策として提示している「入場回数の上限措置」である。 「依存」とはそもそも、自らの理性的な判断によってはとどめられない衝動的な欲求に基づいて特定の物事に対し過度に執着してしまうという精神障害である。ギャンブル依存の場合、そのほとんどの場合がゲームへの参加頻度の上昇としてその症状が現れる。そこに制限をかけようというのが、今回の政府による施策案である。 実は、この「入場料設定よりも入場回数規制」という依存対策の方針は、入場料の賦課を重要視する論調が強かったわが国のカジノ業界にあって、それに異を唱える少数派の研究者として私自身が長年主張してきたものだ。そして今回、政府が依存対策としてこの入場回数の上限措置を前面に打ち出したのは、そのような一連の論議背景があってのことである。 そもそも、わが国のカジノ合法化はあくまで「観光振興」の一環として、例外的にカジノを含む統合型リゾートの設置を認めるものである。国民に対して、それを「日常の娯楽」として利用することを推奨するものではない。 そこで、今回提案されたのが「観光施設」としての利用にふさわしい利用回数を制度上定め、日本国民、もしくは在留外国人のそれ以上の利用を制限するという措置だった。制限措置の具体的な数値として出てきたのが、先般自民、公明両党で合意した「週3回、月10日以内」という入場制限である。 ただし、現在政府側から示されている制度案を見る限り、政府はこの入場回数規制をどのように依存対策として「有効に機能させるか」に関して、いまだ正しい理解をしていないように想える。そもそも、この入場制限は、制度そのものだけでは依存症対策に「ならない」。たとえ入場回数の制限があったとしても、ギャンブル依存者はその限られた入場回数の中で目いっぱいのギャンブルを行い、その内容をエスカレートさせていくからである。セガサミーHDと韓国パラダイスグループが共同開発した韓国初のIR施設「パラダイスシティ」に開業した外国人専用カジノ=2017年04月、韓国・仁川 では、どのようにこの上限措置を有効に機能させるのか。そのヒントは韓国のカジノ産業にある。韓国は、世界のカジノを合法とする主要な国の中にあって、自国民に対する入場回数制限を設定する代表的な国である。 韓国の入場回数上限は月あたり最大15日と、日本が計画している制限措置よりも緩慢である。だが、一定期間のうちにこの上限回数に繰り返し到達するような利用客に対しては、その人物が依存状態に「ある・なし」を問わず、強制的に専門家によるカウンセリングを受けさせる(受けなければ再入場できない)という施策を取っている。 すなわち、多くの依存者にとって共通して現れる「ゲームへの参加頻度の上昇」という現象を基準として、該当する人の中から依存リスクの高い人を抽出し、ギャンブル依存の早期発見、早期対処につなげていく。このような仕組みが韓国の入場回数規制の背後に存在している。それを日本政府が表層的にマネるだけでは、実効性のある依存対策にならないのである。 残念ながら現在、日本政府が示している制度案の中には、依存者を早期発見して次への対処につなげていくために、韓国のような具体的な施策部分が欠けている。つまり、依存対策としての施設入場回数制限は「不完全な提案」にしかなっていないといえる。政府には今の施策案で不足している部分を、新たな制度提案によって早急に補完し、より意味のある依存対策の構築に向けて動くことが求められている。

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    カジノ法案成立で最も損をするのは誰か?

    田中紀子(ギャンブル依存症問題を考える会代表) 今国会でカジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案が議論され、諾否が問われることとなると思うが、このIR法案の最大の焦点となっているものは何と言っても「ギャンブル依存症対策」である。 ところが、このギャンブル依存症対策について与野党ともども「しっかりやる!」と掛け声はかけるが、中味が一向に伴わない。与党は「IR実施法案を通過させるための言い訳程度の対策作り」に必死であり、野党は「IR実施法案を通過させないために、ギャンブル依存症対策を進めさせない」という、日程人質作戦に打って出ているとしか思えず、非協力的な態度が目につく。 与野党ともに「ギャンブル依存症で苦しむ人のために対策を!」と声高に叫びながら、どちらも政治的駆け引きに必死であり、当事者と家族は置き去りという展開になっている。一足先に与野党全議員の賛成を得て温かく見守られながら成立したアルコール問題の対策法案「アルコール健康障害対策基本法」とは雲泥(うんでい)の差で、我々ギャンブル依存症の当事者や家族は声が届かないもどかしさを感じている。 一般の方には、分かりにくいと思うが、IR実施法案の前に国会には「ギャンブル等依存症対策基本法」が提出されている。これは、パチンコを含めた既存ギャンブルに対する依存症対策基本法である。この基本法が通らぬ限り、IR実施法は通さないというのが与党の建前にあるため、政府はこの法案の通過を急ごうとしている。 しかし現在、この法案は野党だけでなく、既存ギャンブルの側も行く手を阻んでいる。当然ながら、既存ギャンブルは、極力対策を小規模に押さえたいと考えるわけだが、時節柄、表立って依存症対策に非協力的な態度は取れない状況にある。(画像:istock) 公営ギャンブルにとってはカジノのとばっちりを受けた形だが、我々にとってはカジノのおかげで、依存症対策が推進するという皮肉な結果になっている。中でも、公営ギャンブルは「いかに真摯に対策に向き合っているように見せるか?」ということに腐心しているとしか思えない対策案が次々に浮上してきている。 例えば、日本中央競馬会(JRA)は昨年末から、本人や家族からの申告でインターネットでの競馬投票券販売を停止する措置を取った。しかし、ネット投票を停止しても、競馬場や場外馬券場に行けば購入できてしまうという批判を受け、このたび競馬場や場外馬券場でも申告があれば、入場を禁止できるという措置を決めた。 ところが、その防止策が「家族から提出された顔写真でチェックする」という実にお粗末なもので、実効性があると思えない上に、個人情報の管理や人権への配慮という点でも疑問に思わずにはいられないやり方を打ち出してきたのである。本格的に依存症対策に取り組むのであれば、入口ゲートで防止できるようなシステム化を図るべきである。不可解な依存症対策 また、パチンコを含め公営ギャンブルでも盛んに「依存症対策の相談窓口を作る」「電話相談を受ける」など、最も対策をやりやすく、産業側の売り上げダメージの少ないものを作り、対策推進をアピールしているが、このような窓口はすでに精神保健センターや保健所、または当会のような民間団体など、既にさまざまな拠点で行われており、効果のほどは限定的になると言わざるを得ない。 では、カジノの依存症対策はどのようなものが挙がっているのか。これが実に不可解な対策で、「カジノの入場料を6千円にする」「カジノへのアクセス制限として週3回まで、月10日以内とする」というものなのである。 よく考えてほしい。週末2回しか行われていないJRAですら依存症は大きな問題となっているのである。我々の所には「競馬の借金のために会社のお金を横領した」「不動産を担保に入れてまで、競馬で借金をしてしまった」といった相談は決して珍しくないのである。 それなのに、週3回に限定することにどんな意味があると政府は考えているのだろうか。また、「カジノに来て数万円から数千万円の遊びをしよう」という人に、入場料を6千円程度取ったからといって、抑止力になるのか、甚だ疑問である。 その上、「カジノが国内に何カ所作られるのか?」といった重要なポイントはいまだ明確にされていない。エビデンスもない依存症対策を、華々しく打ち上げ、いかにも依存症対策を厳格にやっているかのように見せるイメージ戦略に、我々としては誤魔化されたくないと思っている。 では、求められる依存症対策とはどのようなものか。そもそもギャンブル依存症は特効薬があるわけでも、「これだ!」という治療法が確立されているわけでもない。2014年にIR法案が初めて衆議院に提出されるまでは、ギャンブル依存症対策は議論の対象にすらならず、もちろん国や地方自治体、医療機関などでもほとんど対策はなかった。そのため、日本ではギャンブル依存症の当事者と家族が中心になって対策を行ってきた経緯がある。(画像:istock) 今からおよそ30年前の1989年に、ギャンブル依存症当事者の自助グループ「GA」が生まれ、その2年後1991年にはギャンブル依存症者の家族の自助グループ「ギャマノン」が誕生した。そこから当事者や家族が支え合い助け合う形で、きめ細かい支援を行い、わずかに理解のある医療従事者とともにさまざまな困難事例を解決してきた。 つまり、自助グループはIRの議論とともに、にわかに誕生した専門家と名乗る医療従事者や研究者、そして行政よりもはるかに多くの事例を持つ、ビッグデータの役割を果たしているのである。だからこそ、この当事者や家族の知識や経験を生かし、ギャンブル依存症対策はネットワークを作る形で、網目状に作られていくべきなのである。 例えば、家庭内で暴言・暴力、脅しなどで毎日のように金銭を要求し、断れば暴れることを繰り返しているような依存症者に対しては、「介入」が必要であり、警察や精神保健センター、保健所や医療が連携し、入院や回復施設への入寮へと促すべきである。既存ギャンブルにも当てはめるのか? また、横領や窃盗や万引きなどの事件を犯してしまった場合は、弁護士、刑務所、更生保護施設との連携、失踪した場合は警察との連携、自殺未遂の際には救急病院から精神病院への連携などが欠かせないのだが、残念ながら、これらさまざまな連携やセーフティーネットはまだほとんど機能していない状況にあり、家族は理解のない対応にさらされ右往左往している状況である。 ここまで深刻な問題になっていなくとも、多重債務の対処の仕方や、家族は本人にどう関わっていけば良いのかといった、基本的な知識を相談担当者には理解してもらう必要があるが、その基本的なこともまだ行き渡っていない。 さらに、家族が本人の勤める会社に休職を申し出た際も会社側に理解がなく、なかなかスムーズにいかないのが現状である。そして何よりも根本的な問題として「ギャンブル依存症が病気で、相談できる」ということが知れ渡ってないため、問題が重篤化しているという啓発不足も否めない。 また、入場制限のような業界側への規制を強化するなら、経験上、一番効果が上がるのは「本人及び家族申告による入場規制」だと思う。特に「家族の申告による入場制限の条件をどのようにするのか?」をカジノを含め既存ギャンブルも足並みそろえて明確にしていただきたい。加えて、カジノでは入場制限が決定した人に対して、マイナンバーで排除するようだが、その条件を「既存ギャンブルにも当てはめるのか否か」、これは重要なポイントである。 このように真に必要なギャンブル依存症対策とは多岐にわたり、簡単に作ることはできない。関係各所との繋がりや、人材育成、何よりも支援の経験というものが必要になってくる。これらの対策を日本の隅々にまで行き渡らせるには、予算の確保が肝心であり、その予算はギャンブルの売り上げを国が吸い上げた中から「ギャンブル依存症対策費に何%を回すか?」ということを決定する必要があると思う。(画像:istock) ギャンブル産業がもうけるだけもうけて、負の部分はすべて税金に押し付けるという、この国の悪しき慣習をここで終わりにすべきではないだろうか。この国にはギャンブル依存症がすでに蔓延している。この上、カジノという新しいギャンブルができることで、さらにギャンブル依存症者が蔓延してしまったら、被害を受けるのは国民なのである。 これらギャンブル産業による負の側面をこれ以上拡大させないためにも、これまでの我々の長年の経験に基づいた、幾重にも重なる、効果あるギャンブル依存症対策が導入されるよう、世論にも応援していただきたいと願っている。

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    「快感と依存は表裏一体」IR法案の前に知るべき脳内回路の仕組み

    津田岳宏(弁護士) 話題の統合型リゾート施設(IR)実施法案について、ギャンブル依存症対策として、日本人へのカジノ入場制限を課し、さらには入場料を徴収するという措置を取る方針だという。アメリカの神経科学者、デイヴィッド・リンデンの『快感回路』(河出書房新社)によると、依存症は脳の病気だという。人が何かに快感を覚えるとき、脳内の小さな一領域である内側前脳快感回路(快感回路)と呼ばれる部分が、刺激されて興奮する。 薬物であれ、ギャンブルであれ、高カロリー食であれ、あるいは慈善的な寄付行為であれ、人が快感を覚えるときには、例外なく快感回路が興奮している。薬物に手を出している人と、ボランティア活動で喜びを感じている人とで、脳内で起きている現象が同じというのは興味深い話である。 社会動物である人間は、社会的評価を受けると快感回路が強く刺激される。特に、快感回路内の「側坐核」「背側線条体」と呼ばれる部分が活性化するのだが、実は金銭的報酬で活性化する部分と同じらしい。金持ちが政治家になりたがるのは、どうやら科学的に説明できるという。 依存症者は、快感を感じ取る快感回路に異常が生じている。それは具体的に言うと「鈍く」なっているということである。普通の人と同じ量では快感がない。必然、より多くの量を求めるようになる。するとますます「鈍く」なる。さらに量を求める。この悪循環が依存症を進行させていく。 薬物依存症者は、他の人よりも薬物を欲しがるけれども、他の人ほど薬物が好きではないように見える。言われてみれば、私が麻雀店でアルバイトをしていた学生時代、「もう麻雀はあまり面白いとは思わない」と言いながら毎日来ている客がいた。それはもしかしたら依存症の初期症状だったのかもしれない。依存症予防の観点からは「昔ほど面白くないけど何となく…」と感じた時点で少し距離を置いた方がいいようだ。 依存症が進行していくときの快感回路の変化は、経験や学習によって記憶が貯蔵されていくときの神経回路の変化と同じである。皮肉なことに、人は経験によって学ぶ能力があるからこそ依存症にもなり得るのだという。 『快感回路』にはギャンブル依存症についても詳細に記載されている。ギャンブルの快感は、惜しい負け(ニアミス体験)によって増幅されていく。惜しい勝負が空振りするほど続けたくなるのだという。これはギャンブルファンなら実感できるかもしれない。ギャンブラーがもっとも快感を覚えるのは、結果が出るまでの待ち時間なのだという。スロットやルーレットが回っている時間や馬が最後の直線に入ったときに、快感回路がもっとも刺激されるわけだ。(iStock) 確かにギャンブルには快感が伴うが、全てのギャンブラーが依存症になるわけではない。誰もが食事をし、買い物をし、多くの大人は酒を飲むが、ほとんどの人は依存症にならない。同様に、たいていの人は時折ギャンブルを楽しむだけで、病的にのめり込んだりしない。 しかし、少数のギャンブラーが依存症になるのは事実だ。ギャンブル依存症の特徴は、女性より男性がはるかに多く、しかも遺伝することが多いという現実である。そして意外なことに、ギャンブル依存症者にはビジネスの世界で大きな成功を収める精力的な人物も多いことも挙げられる。少し前に著名な実業家がカジノで大枚をはたいた事件が有名となったが、当該人もビジネスマンとしては非常に優秀だったと聞いたことがある。資本主義は必然的に依存症を生み出す 依存症は脳の病気である。これには、依存症の発症は患者の責任ではないという考え方を伴う。しかし、依存症からの回復は患者の責任である。患者には、発症はさておき、回復への責任や、回復に伴うもろもろの問題への責任がある。病気なのだから責任はなく、何もしなくていいというわけでは決してない。 ギャンブルについては、患者にはもちろん、利益を上げている胴元にも、依存症の予防・回復への責任があるだろう。ギャンブル産業は大きな利益が上がる。しかしその半面、ギャンブル依存症を生むことになる。合法的ギャンブルが増えるほどギャンブル依存症者は増えるというのは事実である。とすれば、依存症への対策は、胴元の必須事項といえよう。 その観点からすると、今回の入場制限には一定の評価ができるものだ。とはいえ、当該措置に果たしてどの程度の効果があるか、疑問も残る。与党の合意によると、IR実施法案で、日本人のカジノ入場は週3回、月10回までに制限されるという。 しかし、ギャンブル依存症かどうかの診断においては、ギャンブルの回数はそれほど重視されない。そこではギャンブルを中断することによりいらだちが起きたり、ギャンブルをすることやその結果について人に嘘をついたり、ギャンブルがらみで借金をしたりする、といった付随的な行動をもとに依存症の判断がなされる。 週3回であろうが借金してまで通っているのであれば依存症であるし、毎日通っていても借金もせず嘘もつかず「健全な遊び方」をしていれば依存症ではないのだ。回数のみに着目した制限は違和感を覚える。 『快感回路』では興味深い指摘がなされている。それは資本主義と依存症との関係性だ。資本主義における経営主体の努力は、より多くの顧客を獲得しようとする努力である。それは言い換えれば、自らに依存してくれるユーザーを得ようとする努力である。より多くの「依存症ユーザー」の獲得に成功した企業が資本主義における勝ち組である。 資本主義は必然的に依存症を生み出すのだ、と。依存症はギャンブルだけの問題ではない。資本主義が高度化するにつれ、今後もさまざまな依存症が増えることが予想される。カジノ解禁に伴いギャンブル依存症対策を採るというのであれば、これを機に依存症全体のことを考えてもいいかもしれない。(iStock) カジノは賭博である。賭博について、法律はとかく臭いものにフタをしておけばいいというやり方を取っている。現行刑法にはいまだ賭博罪が存在する。しかしその「犯罪行為」を国家が経済施策として進めるのだという。賭博は悪なのか、そうでないのか。賭博は依存症を生むから悪いのだというならば、それは明らかに違う。 酒は依存症を生む。高カロリーの食事も、高額なバッグも、発達した資本主義社会における過剰サービスの多くが依存症の原因となる。魅力と依存症は表裏一体の関係にあるのだ。カジノ解禁には、ギャンブル依存症の温床となるという批判が根強い。これへのパフォーマンスとして安易な措置を取るだけは問題の本質的な部分を逃すのではないか。

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    東証は日本最大のカジノか?

    塚崎公義(久留米大学商学部教授)前向きに読み解く経済の裏側 カジノ法案が通りました。日本にも、本格的なカジノができるのでしょう。カジノというと、バクチだと言う人がいます。バクチなら競輪や競馬やパチンコと同じではないか、という人もいます。しかし、それを言うなら、東証が日本最大のカジノかもしれません。今回は、株式投資がバクチなのか否かについて、考えてみましょう。 ルーレットで、赤が出るか出ないかは、全くの偶然です。実はディーラーは赤を出すか否かコントロールできているという噂もありますが、仮にそうだとしても、顧客の立場で見れば偶然だ、ということが重要なのです。ディーラーがイカサマをしていない、ということが大前提ですが。そこで、赤に賭けるのはバクチ(賭博とも呼びます)だと言われます。 では、株式投資はどうでしょうか? 今日株を買って、明日売るとします。株価が上がるか下がるかは、偶然でしょうか? 偶然ですね。それは、株価の短期的な値動きのメカニズムを考えればわかります。 今日から明日にかけて、株価が上がったとします。それは、投資家たちが「株価は値上がりするだろうから、買い注文を出して他の投資家よりも先に買おう」と考えるからです。投資家たちがそう考える理由は、ニュースが流れたり、噂が流れたりするからでしょう。「天気が良いので気分が良くなって買い注文を出した」という投資家が多くても株価は値上がりしますが(笑)。 問題は、今日の時点では、明日の投資家が買い注文を出すか否かが分からない、ということです。「今晩、良いニュースが流れるだろう」ということを予想出来る人がいれば、それは予言者です。もちろん、当事者で、秘密の情報を知っている人もいるでしょうが、そうした人が株の売買をしたとすれば、インサイダー取引として処罰されてしまうでしょう。 あるいは、自分で株価の上がりそうな噂を流すこともできますが、そんなことをしたら相場操縦の罪で、やはり処罰されてしまうでしょう。つまり、投資家たちは、明日の株価が上がるか否か、今日の時点では知り得ないので、株式に投資することは「ルーレットで赤が出る方に賭ける」のと本質的に同じだ、ということになります。東京証券取引所(iStock) ちなみに、カジノと同様、こうした株式投資の期待値はマイナスです。カジノでは、ルーレットの赤に賭けると、当たれば2倍になりますが、当たる確率は50%より若干低い(0と00は、赤でも黒でも無いから)ので、期待値はマイナスです。株式投資も、勝ち負けの確率が五分五分だとすると、証券会社の手数料や税金の分だけ期待値はマイナスになります。 「自分は才能があるから、勝率は5割以上だ」という人もいるかもしれません。デイトレーダーと呼ばれる人の中には、相場の流れを他の投資家より素早く読み、短期売買で利益を稼いでいる人もいるようです。そうした人についてもバクチだと考えるべきか否かは微妙ですが、「麻雀がとても強くて賭け麻雀の勝率が9割だ」という人でも賭博罪で捕まりますから、腕利きのデイトレーダーもバクチだと考えて良いでしょう。刑法の賭博罪には当たりませんが(笑)。長期投資なら期待値はプラス 会社を設立し、銀行から借金をして材料を仕入れて人を雇って物を作るとします。売値から材料費を差し引いた部分は、企業が生み出した付加価値です。これを銀行の利息、社員の給料、株主の配当(及び値上がり益)の形で配分することは、極めて健全な経済活動です。 上記の短期株式投資と決定的に異なるのは、価値を生み出していることです。今日と明日で会社の価値(すなわち株券の価値)は変わりませんが、価格は変わります。それに賭けているのが短期投資です。一方の長期投資は、価値を創り出して、その分配に与ろう、という行為なのです。 もちろん、企業経営にもリスクはありますから、長期投資でも株価が上がるか下がるか、偶然に左右される面は大きいでしょう。しかし、そこまでバクチだと言ってしまうと、世の中のビジネスは全てバクチだということになってしまいます。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ですから、リスク無しで儲けることはできないからです。 日本経済は、長期的にもあまり成長しないかもしれません。しかし、それでも株式の長期投資は期待値がプラスです。株価の期待値が「現状横這い」だとすれば、配当利回り分だけプラスになるからです。実際には証券会社の手数料がかかりますが、長期投資をしている間の配当で充分に取り戻せるでしょう。また、厳密には機会費用として銀行預金の金利を差し引く必要がありますが、昨今の金融情勢であれば気にする必要はありません。 以下は余談ですが、人はなぜ、期待値がマイナスと知りながら、カジノでルーレットに興じるのでしょう? 中には霊感を信じている人もいるかもしれませんが、多くの人は「運試し」をしたかったり、あるいは「当たれ」と念じている時のワクワク感を得に行ったりするのでしょう。 そうだとすると、その意味からも、長期投資はお得です。相場は毎日動きますから、毎日の運試しが無料でできますし、毎日(あるいは毎秒)「上がれ」と念じてワクワクすることができます。(iStock) 株式の長期投資は、期待値がプラスで、しかもインフレに強い資産を持つことでインフレリスクへの備えにもなり、加えてカジノで味わえるワクワク感をずっと味わい続けることができるので、大変お得です。「株式投資は怖いから嫌だ」と考える読者もいるでしょうが、カジノへ行くより手軽で安上がりでお得ですよ。是非、トライしてみましょう。 ただ、筆者の体験だと、「上がれ」と念じている時間が長くなりすぎて、仕事に熱が入らなくなるリスクがあります。その意味では、カジノの方が仕事と休日のメリハリがあって、良いのかも知れませんね(笑)。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    フィリピンの「カジノ産業」、活況の影に潜む治安への懸念

    水谷竹秀(ノンフィクションライター)  観光地として名高いフィリピン中部のセブ州マクタン島に、カジノを含めた統合型リゾート施設(IR)が着工する運びとなった。首都マニラ以外では初のIR誕生で、フィリピンのカジノ産業が活況を呈している。 着工するIRの名称は「ラプラプ・レジャー・マクタン」。カジノを運営する政府機関、フィリピン娯楽ゲーム公社が5月上旬、事業を実施する開発公社に建設許可を出した。総工費3億4100万ドル。マクタン島の海辺に面した広さ12万5千平方メートル(東京ドーム2.5個分)の敷地に、カジノ施設をはじめ高級ホテルやコンベンションセンター、ショッピングモールが建ち並ぶ予定だ。2019年に部分開業し、22年の本格開業を目指す。 これに先立ち、昨年12月下旬にはマニラに日系のIR「オカダマニラ」がソフトオープンした。パチスロ機メーカー「ユニバーサルエンターテインメント」(本社・東京都江東区)が出資しており、総工費は24億ドル。 広さは東京ディズニーランドに匹敵する44万平方メートルで、マニラに現存する他のIR3カ所と比べても最大規模。このソフトオープンは日本でIR推進整備法案が可決された直後のことで、今後、日本にカジノができる際のモデルケースになる可能性がある。 さらに「オカダマニラ」の近くには20年、ホテルオークラが入居するIR「ウエストサイド・シティー」(広さ31万平方メートル)も開業する予定だ。 世界のカジノ産業に関する調査報告書によると、フィリピンのカジノ市場規模は、10年に5.6億ドルだったのが15年には倍以上の12億ドルを超えた。アジア域内ではマカオ(約621億ドル)、シンガポール(約71億ドル)、韓国(約26億ドル)に次ぐ4番目。韓国では今年4月、仁川国際空港の近くに初のIR「パラダイス・シティー」が開業したばかりだが、フィリピンのカジノ市場は今、韓国を追い上げる勢いで急成長している。2015年、マニラにオープンした巨大カジノリゾート施設「シティオブドリームス・マニラ」(iStock) この背景にあるのが中国人観光客の増加だ。カジノの収益は外国人富裕層を取り込めるか否かが鍵を握る。観光省によると、16年にフィリピンを訪れた観光客数は1位が韓国(約147万人)、2位が米国(約87万人)、3位が中国(約67万人)で、日本がこれまでキープしていた3位の座を中国に明け渡して4位(約53万人)に転落した。中国人観光客の増加率は前年比38%で断トツ。ドゥテルテ大統領が打ち出した親中路線の外交政策が影響しているとみられる。 一方、こうした産業活性化に水を差すように、首都マニラのIR「リゾーツ・ワールド・マニラ」では6月上旬に37人が死亡する銃撃、放火事件が発生し、一時的な営業停止に追い込まれた。焼身自殺を図って死亡した犯人は、元政府職員のフィリピン人男性と特定されたが、警備が厳重なはずのカジノに拳銃が持ち込まれたことから、治安への懸念があらためて浮上している。みずたに・たけひで ノンフィクションライター。1975年三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業、カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『脱出老人』(小学館)。

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    カジノ解禁の問題点の一つはマフィアやテロ組織上陸の可能性

     カジノの合法化を進める「統合型リゾート(IR)整備推進法案」が、昨年末衆議院で可決。いよいよ、カジノ解禁に現実味が帯びてきた。しかし、そこにはいろいろな課題が残されている。たとえば治安の問題もそのひとつ。 2011年10月までに全都道府県で施行された、暴力団排除条例に基づき、官民一体となった暴排活動が進められた結果、暴力団の資金源は逼迫しつつある。このような暴力団がカジノへの関与に強い意欲を持つことは容易に考えられる。多重債務を重ねるパチンコ依存者を見てきた弁護士の新里宏二さんはこう話す。「暴力団が直接関与しなくても、その周辺の人が、ヤミ金融などを運営し資金獲得に出るケースも考えられます。資金の調達もますます巧妙になっていくかもしれません」 一方で巨額の金が動くカジノとマネー・ロンダリング(資金洗浄)は切り離して語れない。マネー・ロンダリングは、マフィアはもとより国際テロ組織などによって世界をまたにかけて行われており、そのまま使用すれば「足」の付いてしまう非合法な手段によって入手した資金を、「表の世界」でも使用できる「きれいな」資金へと転換して行くことを指す。 日本が加盟しているマネー・ロンダリング対策の政府間会合FATFでは、カジノ事業者はマネー・ロンダリングに利用される恐れが高い非金融業者に指定されている。 麻薬取引や脱税などで得た汚れたお金をカジノを通してきれいなお金にするというケースも見られる。(iStock)「カジノ業者に疑わしい取引の届け出を求めても完全にマネー・ロンダリングを封じ込めることはできないでしょう。つまり、マフィアやテロ組織のメンバーが日本にやって来る場所を作ることになる」(新里さん)子供は賭博に対する抵抗感がないまま成長する 今回のIR方式では、カジノのほかに、ホテルやショッピングモールを併設してリゾートを形成していくという。お父さんはカジノ、お母さんはショッピング、子供たちはアミューズメントパークへと、家族そろってのレジャーを提唱している。そして夜はみんなで食事──。「これ、おかしいですよね?」と声を荒らげるのは新里さん。「せっかくの家族でのお休みなのに一緒に遊ばないんですか? 夕飯でいったいどんな話をするんでしょう?“今日、お父さん、羽振りがいいね!”“カジノで勝っちゃって”“え、カジノってそんなにもうかるの?”“なんだ、お父さん。働くのばかばかしいね”って会話があったり、“今日、しょぼいね、お父さん”“カジノで負けちゃって…だからまたこの後、行ってくる”とか、そんな感じになったらどうするのか? 子供は賭博に対する抵抗感が少ないまま成長していく危険性があり、勤労意欲を失うことも指摘されています。だから賭博は禁じられてきた。そういったことをきちんと議論されないまま通過したのがカジノ法案なんです」(新里さん)関連記事■ 中国銀行 イタリアで組織ぐるみのマネーロンダリングが摘発■ 米大手金融機関 2020年に日本が世界2位のカジノ国になると予測■ 日本のカジノ「入場料1万円ぐらいと想定」とカジノ専門家■ 日本が参考にするアジアのカジノは資金洗浄の温床的側面も■ 【書評】日本のカジノ解禁を前に新たな観光の可能性探る一冊

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    「引っ越し難民」もアマゾンのせい?

    「何千もの小売業者を倒産に追いやっている」。米インターネット通販最大手、アマゾンについて、トランプ大統領の「口撃」が止まらない。日本でもアマゾンの台頭でさまざまなサービスが打撃を受けて久しいが、この春急増した「引っ越し難民」の背景にもアマゾンの影響があるという。なぜか。

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    空前の「引っ越し難民」はなぜ社会問題化したのか

    ネット通販の急激な普及に伴う宅配貨物の急増に宅配便のシステムが追いつかず、「物流の危機」として大きな社会問題となった。今日では、物流は社会的インフラの一つとして認知され、市民生活に不可欠のサービスとなっているが、国民一般の物流に対する認識は多くが旧態依然と言える。  このおよそ50年間、わが国ではトラック運送事業の発展で常に物流の供給過多の状況が続き、必要な時にいつでも低価格(運賃)で高質なサービスが入手できるという時代が続いてきた。しかしながら、現在のわが国の物流の実情は従来と状況が一変している。 実は、これまで3月に物流ニーズの急激な高まりで物流の供給がタイトになり、混乱を来したことは経験済みであった。2014年3月に翌月からの消費増税を控えて「駆け込み需要」の発生により、物流が混乱し引っ越しサービスにまで大きな影響を及ぼす事態が生じていた。 これを機に、企業の中には人事異動の時期をずらしたり、計画を事前に作り引っ越し事業者と打ち合わせをするなど、分散化の対応を取ってきている。しかしながら、今年はかつてないほどの危機が叫ばれている。この背景にはさまざまな事情があるが、大きな理由は引っ越し需要の「繁閑の極端な格差」と「人手不足」の問題であるといえる。(画像:istock) この両者は切っても切り離せない関係にあるが、まず前者については、例年3月には通常月の約2・5倍の引っ越し需要があるという極端な波動の存在である。4月に新年度、新学年が一斉にスタートするという社会慣行の中で、引っ越し事業者は経営的に苦しみ抜いてきた。 特に、今日の引っ越しは主として「引っ越し専業者」がサービスを提供しており、かつてのように一般的なトラック運送事業者が繁忙期だけ引っ越しサービスを提供するというケースは少なくなっている。利用者が引っ越し運送に付随する各種サービス(エアコンの取り付け、各種手続きの代行等)を求めるという傾向があり、引っ越し作業には多くのノウハウと熟練を保有する作業員が必要とされることも要因の一つと言える。利便性を追求する時代は終わり 次に後者については、周知の通りである。わが国においては少子高齢化の影響もあり、ほとんどの産業分野で人手不足が顕著になっているが、物流分野は依然、労働集約的な部分が多く、人手不足の深刻度が極めて高くなっている。ちなみに、直近のトラックドライバーの有効求人倍率は2・74倍となっている。物流産業においては労働条件の改善が急務とされているが、労働者の労働時間は一般産業の2割増し、賃金は2割減といわれている。 現在、働き方改革、生産性向上を目指す動きを官民挙げて取り組んでいるが、その成果はまだ未知数といえる。人手不足対策としての外国人労働力の活用についても、宅配、引っ越しは高質のサービスレベルを要求されること、また個人宅への配達等があるため容易に進んではいない。 また、政府においては、物流分野の長時間労働問題にメスを入れ実態調査を行うとともに、総労働時間規制の強化を打ち出している。具体的には、物流事業者においては時間外労働(残業)時間の厳格化の徹底を図りつつあり、この結果サービスの時間的柔軟性は限定的となり、一層ひっ迫の度合いを深めている。残念ながら、これらの二つの大きな課題に対しては、即効的に効果を出すことのできる解決策は見いだせていない。 さらにもう一つ、近年の新たな事情を付け加えるとすれば、ネット社会の出現ということがある。今やインターネット経由がすべてに当たり前の時代となったが、引っ越しサービスにおいても同様であり、ネット上での申し込みが多数利用されている。引っ越しサービスの比較サイトはあまた存在し、利用者はワンクリックで申し込みができるという利便を享受している。 事業者サイドにおいても、直接現地へ赴いての見積もりの手間が省ける等のメリットが出ている。しかし、利用者の中には手軽にネット上で複数の引っ越し事業者へ申し込みをしたものの、解約を忘れる(しない)という事態がしばしば生じるなど、各種の混乱が続いている。 こうした事態を受け、国土交通省では今年6月から現行の標準引っ越し運送約款を改正して、当日、前日、前々日のキャンセル料金を高くすることにより、解決を図ろうとしている。一方、引っ越し事業者については全日本トラック協会が「引っ越し優良事業者認定制度」を創設している。(画像:istock) これは一定の条件をクリアした事業者を優良事業者として認定、「引越安心マーク」を付与して、利用者に安心して引っ越しサービスを提供できる事業者の情報を提供しようというものである。 最後に、繰り返しになるが引っ越しなどの物流サービスがいつでも容易に手に入る時代は過ぎ去った。このことを認識した上で、物流への関心と情報の収集に一層努めてほしいと願っている。

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    「引っ越し難民クライシス」は逆にチャンスである

    片山修(経済ジャーナリスト、経営評論家) 「物流危機」は昨年、ヤマト運輸の労働組合が荷受量の抑制を訴えたのを機に一気に浮上した。危機は、いまや宅配業者だけでなく、日本郵便や引っ越し業者にまで波及、拡大している。宅配業者は宅配ドライバー不足が決定的なうえ、宅配時の不在問題もあって、長時間労働が常態化するなど疲弊が深刻だ。このままでは宅配ビジネスが成り立たないという苦境の中で、業者は一斉値上げに踏み切った。 例えば、ヤマト運輸は、個人向け宅配料金の値上げに加え、法人向けの値上げを交渉した結果、6割の大口顧客が値上げに応じた。平均値上げ幅は15%以上に及んだ。宅配便急増の最大要因といわれたアマゾンも4割超の値上げを受け入れたとされる。日本郵便も3月、宅配便「ゆうパック」の個人向け料金を平均12%引き上げた。 その余波というべきか、宅配業者の宅配ドライバーの労働条件や賃金改善に伴って、一部の引っ越し業者のドライバーが宅配業者に移籍した。その結果、引っ越し業者は人手不足に拍車がかかったといわれている。なにしろ、3~4月の異動期は年間引っ越し件数の約3割が集中する。ドライバーや作業員不足から、希望時期に引っ越しがかなわない「引っ越し難民」続出が懸念されているのだ。 その対策の一環として、日本通運やヤマトホールディングスなど引っ越し大手は、単身者向け引っ越し料金の値上げに踏み切った。それとともにアルバイトの人件費をアップする計画だ。でないと人手が集まらないからだ。 しかし、いくら宅配業者や引っ越し業者が値上げなど対策に乗り出しても、物流危機の抜本的な問題解決にはつながらない。というのは、今後もEC(電子商取引)市場の拡大は確実なことに加え、引っ越し時期の分散には限界がある。加えて、人口減少社会のなかでドライバー不足はますます深刻化する。果たして、問題解決の糸口はあるのだろうか。 求められるのは最先端技術を使った新時代型物流網の構築だ。スマート物流の実現である。つまり、衛星利用測位システム(GPS)やインターネット、モノのインターネット(IoT)、ビッグデータ、人工知能(AI)など、最先端技術を活用した物流革命の推進である。物流危機の解消はこれしかない。2018年3月、東京都目黒区にあるアマゾンジャパン本社が入るビル(奥) 具体例を見てみよう。例えば、ドローン(小型無人機)や無人運転車の利用によって配送の無人化が模索されている。日本郵便は2016年からドローンを使った郵便物輸送の実証実験に取り組んでいる。今年3月には都心公道において、将来の無人走行を想定して自動運転車による輸送の実証実験を行った。 ヤマト運輸はDeNAと組み、自動運転の実用化に向けて、神奈川県で「ロボネコヤマト」プロジェクトの実証実験を行っている。顧客が場所と時間を指定すると、自動運転車で配送する仕組みだ。現在はドライバーが乗車するが、将来的には自動運転を取り入れるという。また、国土交通省は18年度中に高速道路の長距離輸送の効率化を目指し、後続隊列無人走行の実証実験を開始する予定だ。引っ越し業界も「危機こそチャンス」 物流業者だけでなく、荷主側のアマゾンなどの通販業者も知恵を絞っている。サイバー空間で、いくら大量の注文を受け付けても、モノを届けられなければ事業は成立しない。アマゾンやヨドバシカメラなど、EC事業者は自社配送網構築に取り組んでいる。現に、アマゾンは、米国などでドローンによる配達の実証実験を行うなど、自社配送網の構築に余念がない。楽天もこの1月、2年以内に自社配送網を構築する方針を明らかにした。 その点、オフィス用品通販大手のアスクルは、すでに配送全体の約6割を自前配送網で賄っている。「業界でもっとも物流システムが進んでいるのは、間違いなくわが社だと思います」と、アスクルの岩田彰一郎社長は自負する。効率的な配送網のカギはAIだ。 例えば、アスクルの個人向け通販「ロハコ」では、「ハッピーオンタイム」というサービスを提供中だが、AIを活用して、消費者が1時間ごとに配送時間を指定できるシステムを構築しているのである。通常、配送業者のドライバーは、決められた担当地域の地図を記憶し、荷札と比較して効率的な荷物の積み込み順や配送ルートを考える。しかし、「ハッピーオンタイム」では、システムが配送ルートと時間を計算し、消費者の希望する時間をさらに30分間に絞り込んでメールで伝える。 到着時間は、システム上では秒単位で予測されており、前後15分の余裕をもって消費者に知らせる仕組みだ。コンピューターによるルート設定やAIによる予定と実績の差分分析を行い、到着時間の予測精度は従来比25%改善。通常約2割といわれる不在率を約2%に抑えている。 同社は、ドライバーの動きをリストセンサーで分析し、研究に生かす取り組みも行っている。ベテランと新人では、ドライバーの動きは大きく異なる。配送車を停めてから荷物を届けるまでに時間がかかる場合もある。配送ルートの気象情報、従業員の経験、荷物の重量、配送地域など、すべてをデータとして取り込み、AIで分析する。今後、BtoB(企業間取引)にも応用する考えだ。 さらに、物流センターでは、EC世界初となるピッキングロボットをはじめ、多くのロボットを導入している。最終的には、荷物を持ち上げてトラックの中に運び、積み込みまで行うロボットを視野に入れる。「いろんなロボットを検討している段階なんです。われわれの最終的な目的は、AIやロボットを物流センターや配送網に実装して、お客さま価値を上げることです」と、岩田氏はいう。ニトリのグループ会社「ホームロジスティクス」が運営する西日本通販発送センター。倉庫内を無人搬送ロボット「バトラー」が走り回る=2017年12月(沢野貴信撮影)「危機こそチャンス」とは、よくいわれることだが、物流危機は従来式のアナログな物流を、最先端技術を活用したスマート物流へと進化させる大きなチャンスと見るべきだろう。引っ越し業界でも、引っ越し需要の予測精度向上に、AIのアルゴリズムを活用するなど、最先端技術を活用した業務改善の動きがある。 今後、スマート物流網が急速に進んでいくのは間違いない。近い将来、AIの活用が業界の競争力を左右することになるだろう。

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    「美しすぎるバレーボール選手」滝沢ななえが同性愛を告白した理由

    滝沢ななえ(元バレーボール選手) 2016年のリオ五輪・パラリンピックでは、セクシュアルマイノリティーをカミングアウトした選手が50人以上で過去最多となり、話題になりました。2014年、オリンピック憲章に「性的指向による差別禁止」が明記されたことも背景にあって、エンブレムに「多様性と調和」のメッセージを込めた2020年の東京五輪がどうなるのか、世界が注目していると思います。 一方で、日本の現役選手で今、カミングアウトしている人はいません。もちろんカミングアウトすることが全てではありませんが、引退したスポーツ選手でもカミングアウトしているのはわずか数人というのが現状です。 そんな中、2017年11月に放送されたバラエティー番組『衝撃のアノ人に会ってみた』(日本テレビ系)で、私は女性とお付き合いしていることを初めてメディアの前でお話しました。要はレズビアンであることをカミングアウトしたのです。 取材で来た番組ディレクターに「彼氏か旦那さんはいますか?」と聞かれたので、「彼女がいます」と答えたんです。最初はびっくりされましたが、その後に「ぜひ使わせて欲しい」と言われて、放送することになりました。 ちょうど、そのテレビ番組のお話をいただく少し前、私が所属しているジム「SPICE UP FITNESS」の代表と、セクシュアルマイノリティーとしてもっと表に出ていけたら、誰かを勇気づけたり、誰かの考えや行動に変化が生まれたり、そういうきっかけをつくることができるんじゃないかって話していたんです。だから、テレビ出演のお話はタイミングが良かったですね。インタビューに応じる滝沢ななえ氏(瀧誠四郎撮影) ここから少し自分自身の話をしようと思います。自分の恋愛対象が女性だと初めて自覚したのは、バレーボールチーム「上尾メディックス」に所属していた22歳のころでした。それまで男性とお付き合いしたこともありましたが、友達と「恋バナ」をしていると、なんとなく違和感がありました。 というのも、女の子って恋をすると恋愛モードになるというか、すごく乙女になるじゃないですか。その感覚が私にはなかったんです。付き合っている男性のことは人として尊敬していたので一緒にいることはできるのですが、どうしても「友達」のような感覚で、なんでこんなに違うんだろうと思っていました。 そんな時、女優の上野樹里さんが性同一性障害の人を演じた『ラストフレンズ』(フジテレビ系列)というドラマを偶然みたんです。私は自分が女性であることに違和感は全くなかったのですが、ちょっと男っぽい部分もあるので、「あー、私も女性とお付き合いした方が心惹かれるのかな?」と、ふと思ったんです。そして実際に女性と付き合ってみたら、「ああ、みんなが恋バナをしていたときの恋愛モードってこういう感じか!」と初めて理解できたんです。男性ファンに対する罪悪感 とはいえ、女性が好きだと自覚してからも、恋バナをするのは難しいものでした。なぜなら、恋バナをするときって、必ず「彼氏いるの?」と聞かれるからです。その時点で少し違和感がありますが、相手も決して悪気があるわけではないので難しいですよね。私の場合、男性の立場で彼女とお付き合いしているので、彼女を彼氏と置き換えて話すこともできない。なので、本当はもっとしゃべりたいこともあるし、恋もしているけれど、恋バナのときはごまかしてしまうことが多かったです。レズビアンをカミングアウトしたときの心境を語る滝沢ななえ氏(瀧誠四郎撮影) 私は基本的にポジティブで、普通に明るく楽しく生きているので、テレビのドキュメンタリーのような深刻な話ではないですけど、もう一つ、日常で違和感があるとすれば、やっぱり結婚や出産の話ですね。私の妹はすごく家庭的で、ずっと結婚したいって言っているような子なので、いつも「ななえ、結婚しないの?」「子供かわいいよ」と私に言っていました。 妹も、もちろん周りの友達も、結婚して、家庭があって、子供がいるっていう生活が幸せだと思っていたからこそ、いつか私にも幸せになってほしくて言ってくれたんだと思います。みんな悪気があるわけではなく、無意識にそう言ってくれますね。ただ、私にとっては興味がない話というか、私にとって幸せのカタチは結婚や出産ではなかったというだけなんです。 プライベートではそういう小さな違和感もありましたが、バレーボール選手として、自分がセクシュアルマイノリティーだからといって何か不便があったり、嫌なことがあったりということはほとんどなかったです。自分がセクシュアルマイノリティーだからといって、何か競技に悪影響が出ることもありませんでした。同性愛者だからという理由で試合中にミスが増えるなんてことはないじゃないですか。 一つあるとすれば、男性ファンに対しての罪悪感でした。私は現役時代、男性ファンが多くて、「ななえちゃん、かわいい」と言われると、だましているつもりはなくてもちょっと申し訳なく思っていました。 表舞台に出る人間として、周りの反応、特に応援してくれている方々の目というのはどうしても気になると思います。ファンの方は、「この選手はこういう人だろうな」という自分なりのイメージを持っていて、そのイメージをあまり崩してはいけないという意識が当時は強かった。もしイメージと異なれば、どうしてもがっかりさせてしまうのではないかと考えていました。 私自身も、ファンがあってのアスリートだと思っていたし、だからこそファンの方を大切にしたいと思っていたので、カミングアウトするより、イメージのままの「滝沢ななえ」でいる方がいいのかな、と思っていました。DNAの代わりに「考え」を残したい 私はもう引退した身ですが、それでも公表するのは怖かったですね。収録はしたものの、本当に放送されて大丈夫なのか、ずっと不安でした。正直なところ、同性愛であることを公表したら、男性ファンは引いてしまうのではないかと思っていましたし、そうなったらなったで仕方がないと、覚悟もしていましたけど…。最後はセクシュアルマイノリティーの滝沢ななえを応援してくれる人が残ってくれればそれでいい。そう思って公表しました。 もちろん、どうしても受け入れられない人もいるとは思います。でも結果的に、「ななえちゃんがどうであれ、滝沢ななえっていう人間をこれからも応援していきたい」というお言葉をいただいたり、男性の方でも今まで通り応援してくれるファンが意外に多かったり、予想以上に温かい反響をいただき少し驚きました。 冒頭でも話した通り、今現役の日本人スポーツ選手でカミングアウトしている選手はいませんが、今の日本の状況ではまだ難しいだろうと思います。LGBTというという言葉が少しずつ社会に認知されてきていますが、自身がLGBTであるということをカミングアウトするのには、まだまだ勇気が必要だと感じています。「自分のDNAよりも自分の考えを残せたら」と語る滝沢ななえ氏(瀧誠四郎撮影) それでも、現役選手の方で、モヤモヤしている方がいらっしゃるのなら、ファンの人はファンのままだから、あまり怖がらなくてもいいんじゃないかな、と伝えたいです。これは私が今回公表したことで一番実感したことです。絶対に理解してくれる人がいるし、そういう面で気持ちが晴れてくると、競技にもいい形につながってくるのではないでしょうか。 アスリートにとって、自分の支えになってくれる恋人やパートナーの存在はすごくプラスになると思います。そんなことを考えるより競技に集中しろ、というご意見もきっとあるでしょうが、スポーツはフィジカルの部分、メンタルの部分どちらも重要です。そんな心の支えになっている存在を、隠して生きていかなくてはいけない、後ろめたいことをしているわけでもなく、普通に恋愛をしているのに、という状況は、やっぱりストレスになるものです。 だからこそ、仕事や自身の生き方が少しでもLGBTの方々の応援につながっていけば幸いです。私は子孫を残す、自分のDNAを残すということにあまり興味がない代わりに「自分の考え」を残せたらいいな、と思っています。 恋愛において、みなさんの「普通」と、私たちの「普通」はきっと同じです。男性も女性も、誰が好きであれ、私たちにとっては「普通」なので、明るく受け入れてほしい。東京五輪では、LGBTの人たちも、不自由なく参加できる環境にしてもらいたいですね。(聞き手 iRONNA編集部、中田真弥)たきざわ・ななえ 元バレーボール選手。1987年東京都生まれ。八王子実践高等学校を卒業。パイオニアレッドウィングスにて3年プレーした後、上尾メディックスに移籍。上尾メディックスでの4年間の選手生活を終え、バレーボールスクールのコーチなどを経て、現在トレーニングジム「SPICE UP FITNESS」トレーナー。

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    「自慰行為は週3回」75歳のヌードモデルが吐露した性的貧困の現実

    坂爪真吾(ホワイトハンズ代表理事) 高齢期には4つの「ムエン」があると言われている。一つ目は、人間関係の貧困を意味する「無縁」。二つ目は、社会的孤立を意味する「無援」。三つ目は、経済的貧困を意味する「無円」。そして四つ目は、性的貧困を意味する「無艶」だ。 現役時代にどれだけ性的に満ち足りた暮らしを送っていた人でも、超高齢社会においては遅かれ早かれ、この「無艶」に直面する時が必ずやって来る。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2024年には人口の30%が65歳以上の高齢者になるとされている。全ての人が高齢期の「無艶」に直面せざるをえない時代の中で、私たちは「生殖なき後の性」をいかに生きればいいのだろうか。 本稿では、高齢者の中でも男性と比べてメディアで取り上げられることの少ない性的マイノリティと女性の性に視点を当てて、このテーマを考えていきたい。iStock 黒沢心平さん(75歳・仮名)は、柔らかいライトに照らされた会場の中央で、一糸まとわぬ姿で直立している。黒沢さんの周りには約20人が座っているが、声を出す人は誰もいない。静寂の中で、スケッチブックに鉛筆を走らせる音だけが響き渡っている。 ここはバリアフリーのヌードデッサン会『ららあーと』(一般社団法人ホワイトハンズ主催)の会場である。年齢や性別、障害や病気の有無にかかわらず誰でも参加することができ、20代の学生から70代の高齢者まで、様々な世代の参加者がデッサンを楽しんでいる。黒沢さんが75歳でヌードモデルにチャレンジしようと思った背景には、どのような理由があったのだろうか。 岡山県で生まれた黒沢さんは、20歳の時に上京し、電話工事の請負・施工の仕事を始めた。会社の男性寮で生活していたので女性とは無縁の毎日だった。当時は電話が交換手による人力から自動に変わる転換期であり、黒沢さんは全国各地を回って仕事を精力的にこなしていた。 30歳の時、同郷の1歳年下の女性と見合い結婚する。結婚初夜が黒沢さんにとっての初体験だったが、セックスに関する知識は雑誌や医学書で読んでいたので、行為自体はうまくいった。そして結婚2年後には子供を授かった。 34歳の時に独立し、電話工事の請負・施工業務を行う会社を設立した。当時電話工事に関する需要は山のようにあり、仕事の依頼は途切れることがなかったという。 順調に仕事と家庭を築いていく一方、黒沢さんは30代半ば頃から「自分はバイセクシュアル(両性愛者)ではないだろうか」という思いを抱えるようになる。当時は今よりもはるかに性的マイノリティに対する偏見や差別が根強い時代だったため、バイセクシュアルであることを自分から誰かに打ち明けることはしなかった。 そんな中で、同じ性的マイノリティの人たちが集まる場所とされている映画館やバーなどに何度か足を運んだ。そうした場所で誘われて、男性と身体の関係を持ったこともあった。一時的に満足できたが、冷静になって振り返ると「本当によかったのだろうか」と後悔する時もあったという。73歳でヌードモデルに挑戦 カラオケスナックで知り合った大学生の男性とは一年程度の付き合いになり、一緒に泊りで旅行に行くこともあった。彼と別れてから現在まで、男性と付き合ったことはない。それでも男性と付き合いたいという気持ちは少なからずあるという。 40~50代の時には、男性同性愛者向けの性感マッサージに通ったことがある。好奇心で何度か通ったが、確かにお客様として丁寧に扱ってくれるものの、金額に見合った価値があるようには思えず、頻繁に通うまでにはならなかった。 現在は会社を休業し、週3日パートで清掃の仕事をしている。妻とは3年前から別居していたが、最近離婚が正式に確定した。黒沢さんがバイセクシュアルであることは、はっきりとは告げていないものの妻も薄々気づいていたらしく、それも離婚の要因の一つになったのかもしれない。 離婚を協議する過程で裁判になり、妻が弁護士を立てたので、こちらも立てることになった。しかしこれまで弁護士への依頼や裁判などは一度も経験したことのない黒沢さんにとって、妻を相手に争うことはかつてない大きなストレスになった。 このままだとストレスで自分がダメになってしまう。そこで黒沢さんは、この現実に立ち向かっていけるように「今までは絶対にできなかったようなことに挑戦して自分を強くしたい」と思い、73歳にしてデッサンのヌードモデルに挑戦することにした。 最初の登壇では頭が真っ白になるほど緊張したが、次第に会場の空気になじめるようになった。参加者からも「年の割にはいい身体をしていますね」と言われて自信がついたため、2回目の登壇にも挑戦した。こうした中で「自分にもできる」という気持ちが固まり、離婚をめぐる裁判も無事に乗り越えることができた。 最近はインターネットのゲイ・同性愛専門のアダルト情報サイトで、男性同性愛者向け風俗店のページや動画を観ながら性的欲求を発散している。有料サイトではなく、無料で閲覧できる素人の投稿動画もよく見ている。独り身になって色々とやらなければいけない家事があるので、短時間で欲求を解消できる動画がいい。iStock 自慰行為は週に3回くらいの頻度で行っているという。毎晩22時から23時半の間にパソコンでネットを見るのが習慣になっており、24時の就寝直前まで見ている時もあるという。「この年になっても、そんなことをしている人はいないと思うのですが…」と黒沢さんは恥ずかしそうに苦笑いする。 離婚に伴う財産分与で、現金の財産はほとんど無くなってしまったが、今のところは年金とパートの収入で生活できている。周りに性の話ができる相手は全くいない。そうした相手がいれば理想的だが、これについては仕方がないとも感じている。性欲旺盛な高齢女性 今の性生活の満足度は、100点中80点。同年代よりも下、50代くらいの人と交際ができればという思いはあるが、この年になると、誰かと付き合うことはその相手に何らかの負担をかけることにつながる。若い人と付き合うと結局お金の関係になってしまうので、それはやりたくない。そう考えると、これからの恋愛や結婚は現実的にはちょっと難しい。そうした状況の中、今のところはネットのアダルト動画を観る程度で性的には満足できている。 黒沢さんは、最近「自分はバイで幸せだったのか?」と自問自答する時があるという。両方の性を楽しめたのだから良かったのかもしれない。でもどちらも中途半端だったので、ストレートに女性だけを好きだった方が良かったのかもしれない。こればかりは他人に聞いても答えは出ないので、最後は自分で結論を出すしかないのだろうと考えている。 高齢世代の女性に関しては、「もうセックスは卒業して、性とは無縁の穏やかで円満な夫婦関係を送っている」というイメージ、そして単身の女性高齢者に関しては「性とは無縁の枯れた存在」というイメージがある。 しかし、それらはいずれも幻想に過ぎない。『セックスレス時代の中高年「性」白書』(日本性科学会セクシュアリティ研究会編 株式会社harunosora)のデータを見ると、パートナーとの性欲ギャップに悩んでいる生々しい中高年女性の姿、いくつになってもセックスへの未練や執着を断ち切れずにモヤモヤしている単身女性の姿が浮かび上がってくる。 「この1年間に性交をしたいと思ったことはどれくらいあるか」という質問に対する回答は、「願望があった」「たまにあった」を合わせると、配偶者のいる60代女性は42%、70代女性は33%に達する。単身者の場合も、60~70代女性の32%が性交への願望を抱いている。iStock 夫婦間のコミュニケーションや性生活のメンテナンスをこれまで何十年も怠ってきた場合、高齢期になってからそれらを再始動させることは極めて困難だ。その一方で、単身の人や配偶者と離別・死別した人が新たなパートナーを獲得することにも困難が伴う。 ありもしない夫婦関係の再構築や、ありもしない恋愛や結婚(再婚)による救済に惑わされずに高齢期の性を充実させる「第三の道」としては、女性の場合、アダルトグッズの活用や性感マッサージの利用などがある。 女性向けのAVに出演している男優(通称:エロメン)のサイン会やイベントには、少なくない数の中高年の女性たちが参加しているそうだ。サイン会では来場者一人一人に対して、男優がサインや握手だけでなく、名前を呼びながらハグをしてくれる。「憧れの男性が自分の名前を覚えてくれて、抱きしめてくれる」というシチュエーションに身を投じることで、十代の頃に戻ったような高揚感を味わえるという人もいる。 握手とハグだけであれば、夫を裏切っているわけではないので罪悪感も無い。ストリップ劇場に通って全裸の踊り子を見ることでエネルギーを充填する高齢男性は昔から存在するが、中高年女性にとってのストリップ劇場に該当するのが、エロメンあるいは半裸で踊る細マッチョの韓流アイドルなのかもしれない。死生観ならぬ「私性観」 中高年の女性にとって、ダイレクトに性的なサービスを利用したり、性愛をテーマにした催しや空間に集まるのは難しいことが多いため、こうしたエロメンやアイドルのサイン会、握手会のように、あくまで今の生活を変えないような形で、非日常と日常の中間地帯で緩やかに性的なものと触れ合い、語り合えるような居場所を作っていく必要がある。 高齢期の性を充実させるために必要なのは「性に関する自分なりのパートナーや居場所を作ること」だと言える。女性の場合、小説やアダルトグッズだったり、性のことを肩肘張らずに話し合える友人・知人と喫茶店で過ごす時間であったり、出会い系サイトで偶然出会った同世代の不倫相手という場合もあるだろう。 ちなみに出会い系サイトの世界では、中高年女性への需要は確実にあるようだ。60代を過ぎた女性は「こんな年齢の自分でもよろしければ、一緒の時間を過ごしてくださいませんか」というへりくだった態度を示すことが多く、かつ「お互いのできる範囲の間で、それぞれの希望に合わせたお付き合いができればよいですね」と、相手の立場に立った提案をすることができるため、あえて年配の女性に絞ってアプローチをかける男性もいる。 どのような場所で出会った相手であっても、どのような形の存在であっても、死生観ならぬ「私性観」=性に対する自分なりの価値観と行動原理に基づいて探し当てたパートナーや居場所であれば、自分を納得させることができるはずだ。 たとえ他人や世間からみて眉をひそめられるような状態、滑稽な状態に見えたとしても、誰を(何を)パートナーや居場所として選ぶかを決めるのは、あくまで自分自身。「私の性は、私が決める」という性の自己決定原則は、生涯を通して不変なのだから。 超高齢社会における性の問題を考える上で避けて通れないテーマは、自分の意思で判断、行動することの難しくなった要介護及び認知症の状態にある人の性である。iStock 脳梗塞後に認知症を発症した87歳の河万衣子さん(仮名)は、笑いながら人前でいきなり「おっぱい!」と叫んで胸を露出する癖がある。施設のフロア内でも頻繁に胸を露出するので、周りの利用者からたしなめられたり、職員から「男性の利用者の方もおられるので、やめましょうね」と注意されている。 認知症を発症する前の河さんは敬虔(けいけん)なクリスチャンであり、夫は公的機関で重職を担っていた。長女も福祉施設の施設長であり、次女と孫は学校の教師をしている。 そうした真面目な家庭で妻としての役割を担ってきた河さんが、認知症になってからは人前で「おっぱい!」「まんこ!」といった性的な言葉を連発するようになった。デイサービスでの入浴の際にも「メンス(生理)が来たから今日はお風呂に入らない」と拒否したり、女性職員に対して「あなた、子供は何人?私は5人産んだわ。(セックスを)やったら、すぐにできるの」と語りかけてくることもある。河さんのこうした言動について、担当の看護師は「自分はまだ女性として現役である、という意識を持ちたいのではないでしょうか」と分析している。 施設内での性的な言動が頻回になり、他の利用者への影響も出るようになったため、やむをえず職員が河さんの現状を家族に伝えることにした。話を聞いた河さんの長女は、「おかあさん、お願いだからもうそんなことはやめて!」と泣き出してしまった。長女の話によると、以前にも施設の男性理学療法士に性的な発言を繰り返し、先方からの苦情でサービスを受けられなくなったことがあったとのこと。 長女への相談以降、河さんの性的な言動はしばらく鳴りを潜めていたが、一定の期間が経過すると、再びそうした言動が目立つようになってきた。最近は周囲の利用者や職員も慣れてきて、河さんの言動を良い意味で受け流すスキルが身についてきた。今では河さんが「おっぱい!」と叫んで胸を露出しても、全ての職員が「はい、しまいましょうね」と冷静に対処できるようになったそうだ。理想は「誰もが晩節を汚せる社会」 高齢者の性を「あってはならないもの」として否定的に捉えるのではなく、人間らしく生きる上で「あって当たり前のもの」として肯定的に捉え、社会資源の活用や家族・関係機関・専門職との連携を通して対応する試みは、少しずつではあるが現場に広まってきている。 日々の生活の中でのプライバシーの確保、自慰行為のできる環境の整備などの「性に対する合理的配慮」を通して、その人が最期まで人間らしく生きていくために必要な、最低限度の性の健康と権利がきちんと守られるような仕組みを作っていくこと。これから「超」超高齢社会を迎えるにあたって、私たちの社会に求められていることは、この一点に尽きる。 性は生殖の手段であるだけでなく、他者とのコミュニケーションの手段でもある。加齢によって社会との関わりを失い、離別や死別によって家族との関わりを失い、認知症や病気によって自分自身との関わりをも失ってしまった人たちにとって、性は外界と自分を結ぶ唯一の手段として最後に残された一本の命綱=「蜘蛛の糸」である。iStock 今にも切れそうなその細い糸を「あってはならないもの」として断ち切ってしまうのか、それとも「人間らしさの最後のよりどころ」として大切に見守っていくのか。この選択を誤らなければ、将来私たち自身が同じ立場になった時にも、無明の中で「蜘蛛の糸」をつかむことができるに違いない。 孤独の中で漂流・暴発しがちな高齢者の性を「受け入れる」とまではいかなくとも、不必要に問題化せずに、当たり前のこととして「受け止める」仕組み、そして当事者にとっても支援者にとってもストレスの少ない形で、良い意味で「受け流す」仕組みが社会的に整備されていれば、私たちはいくつになっても安心して性的な存在であり続けることができるはずだ。そうした社会に暮らしているという安心感こそが、加齢に伴う性的孤独を少なからず和らげてくれるのではないだろうか。 来るべき「超」超高齢社会で私たちが目指すべき社会の姿は、こうした「誰もが安心して晩節を汚せる社会」だと私は考える。

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    どうする? 老後のセックス

    ひと昔前、「死ぬまでセックス」特集が週刊誌で大々的に組まれたが、最近はお堅いNHKでも老後のセックスを取り上げるご時世である。近い将来「100歳まで生きるのが当たり前の時代になる」と言われるニッポンの超高齢社会。高齢者の性事情とスローなセックスライフについて考えたい。

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    「セックスに引退なし」ED治療薬で激変した高齢者の性事情

    たら」の意図がある。高齢世代の恋愛と性は、単なる肉体のつながりだけではない点も見いだせる。無縁社会が社会問題化する中、人と人との「縁」を結ぶものでもある。 都会、地方問わず、孤独死が社会問題として深刻視されている。50代以下の若年の孤独死もあるが、その多くは高齢者だ。 私は高齢者の孤独死のニュースに接するたびに、「高齢者の恋愛や性こそ孤独死を予防するセーフティーネット(安全網)、抑止力になり得るのではないか」と考えさせられてきた。夫婦ではない関係で考えれば、互いの住居の行き来は、周囲の目を意識する場合もあるにせよ、恋人がやって来る特別な場所だけに整理整頓、掃除を心掛ける。必然的に、住居のゴミ屋敷化を防ぐ力になる。それ以前に、携帯電話やパソコンで随時、連絡を取り合うのは安否確認にもなっている。アンチエイジングの普及で理解も 一方に不測の事態が起きたとき、子どもや親族と疎遠になっている者にとってはパートナーこそSOSを発せられるライフラインの役割も果たす。いわば、無縁社会における危機管理策、とまじめに位置づけてもいい。何より、引きこもりとも関係なく、日々の身だしなみにも気をつけ、生き生きと社会生活できるメリットは大きい。 四季折々のイベントに対して「来年のお正月も一緒に」「来年のお花見も一緒に」「来年の花火大会も一緒に」「来年の紅葉も一緒に」「来年のクリスマスも一緒に」といった希望も見いだしているゆえ、互いに進んで節制し、健康にもより気を遣う。毎日体重計に乗るのもいとわぬばかりでなく、定期的に病院に通い、それぞれの検査シートを見せ合って互いの健康状況を把握もするのである。節制と健康管理は愛する人のため、でもあるのだ。 ただ、厳しい現実の問題もあることも最後に書いておこう。 確たるデータこそないのだが、心の支えとなっている好きな人が亡くなったときの精神的ショックは残された人の死期を確実に早め、1年以内に亡くなるケースも多い、という話は医療関係者や高齢者福祉関係者が指摘するところでもある。 先に逝く人は幸福の絶頂の中で人生を終えることができる。しかし、残された人は厳粛に人生最後の恋であるパートナーの死を受け止めざるを得ず、日常生活を送るのにも苦痛な鬱(うつ)状態に陥るのだ。iStock とはいえ、それも私は「クオリティー・オブ・ライフはクオリティー・オブ・ラブである」を反映している典型例ではないか、心のときめきもなく、ただ年齢を重ねるよりも人間的ではないか、と取材から感じてきた。 日本は有史以来、初めて迎える高齢社会の中で、高齢者の恋愛と性についての社会的な理解はまだまだ日が浅いと言えるであろうが、現代の70代以上の方は、その先駆者、開拓者たる存在として歩んできた。 一昔前は「いいトシをして」「みっともない」と陰口をたたかれて、何かと抑制を課せられてきたが、アンチエイジングの普及の中で、ようやく理解を得られつつある段階に入り、現在は新たな段階への発展途上、成熟の途上にあると言えるのだろう。

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    「官能小説に刺激はいらない」超高齢社会を生きるアダルト業界の今

    安田理央(ライター、アダルトメディア研究家) 現在、アダルトメディア業界を支えているのは中高年である。特にアダルト雑誌読者の高年齢化は著しく、メインの読者層は50代である。官能小説誌などの文字中心の雑誌となると、さらに高くなり60代、70代だ。現在唯一の月刊官能小説誌である「特選小説」(綜合図書)の表紙には「小説の文字が大きくて読みやすい!」という文字が躍っている。 アダルト雑誌の中心読者が中高年だと言うと驚く人は多い。エロ本は血気盛んな若者が読むものというイメージが強いからだろう。 読者の高年齢化が目立つようになったのは、90年代後半からだ。やはり大きいのはインターネットと携帯電話の普及による影響だ。若い層は、ごっそりとそちらに取られてしまった。 既にアダルト雑誌は、事実上滅びていると言ってもいいだろう。かつてエロ本を数多く発行していた出版社のほとんどがエロ本から手を引いている。活動を停止してしまった出版社も多い。(iStock) それでも、まだ書店やコンビニにはエロ本が並んでいると思うだろうが、そこにあるのはアダルトビデオ(AV)メーカーから素材を借りてつなぎ合わせただけのDVD付きムックばかりで、発行しているのは新興の出版社である。 そして今、アダルト雑誌を買い支えているのは、高齢者で、しかもネットができないという層なのだ。誌面でネットの記事を書くと「そういうわからないものを載せるのはやめてくれ」という反応が多いという。悪い言い方をすれば、もはやエロ本は情報弱者によって生き永らえているのだ。 それもそうだろう。少しの知識があれば、ネットやスマホからいくらでも無料のアダルトコンテンツが入手できるのだから。しかも、雑誌で見るよりも過激で濃厚なものばかりだ。「やっぱり紙じゃないと」というフェティッシュなポリシーで雑誌を買い続けているような読者は、ほとんどいないのが現実だ。もっとも雑誌読者の高年齢化はアダルトジャンルに限ったことではない。全ての雑誌は読者の高年齢化に悩んでいるのが現状だ。 それでは、30年前からアダルトメディアの王者の地位を守り続けているAVはどうだろうか。 こちらもまたユーザーの高年齢化が進んでいる。雑誌に比べるといくぶん若いが、それでもメインの年齢層は40代後半であり、徐々に50代に近づきつつある。AVショップやAV女優のイベントに行っても、目につくのは中年客ばかりだ。 若い世代がAVを見ないというわけではない。むしろAVを見たことがないという若者は男女共にほとんどいないだろう。彼らに話を聞いてみると、AVは携帯電話やスマホで見るものという意識が強い。そして無料で見るものなのだ。違法にアップロードされた動画共有サイトで見たり、あるいは通販サイトのサンプル動画で満足していたりする。高齢化で先を行く「官能小説」の世界 しかし、メーカーにとってユーザーとはあくまでも購入してくれる人である。お金を払って見てくれる人に向けて作るのは当然のことだ。よって、現在のAVは中高年をターゲットに作られているわけである。 熟女物が全体の3割以上を占めているというのも、そうした背景があるからだ。AVで熟女というと30代から40代が中心。つまりユーザーの同世代か少し下の女性ということで、性の対象としてはリアルなところだろう。 もちろん、若い女の子の出演作も多いわけだが、中高年でも若い女の子が好きだという人もいるわけだから、そうした層に向けて作るのも当然である。 ただ、ここ数年の動きを見ていると、AVにおいて、女の子は若ければいいという考えはだいぶ薄れてきている。吉沢明歩やつぼみ、Rioなど10年以上活動しているAV女優が珍しくなくなっているのも、その現れだろう。風間ゆみなどは今年20周年を迎える。これは90年代までのAV業界では考えられなかったことだ。(iStock) アダルトではないが、同じことがグラビアアイドルの世界でも起きている。20代後半から30代のグラビアアイドルが人気なのだ。これもユーザー層の高年齢化による影響だろう。 若い世代の流入が難しいとなれば、この先、アダルトメディアユーザーの高年齢化は進む一方だろう。するとニーズにあわせて、内容も変化するはずだ。一足先に読者が老年化している官能小説の世界でのニーズが参考になるかもしれない。 官能小説というと、ハードな凌辱物を連想する人も多いだろうが、現在ではそうした内容はあまり人気がない。主流となっているのは、女性が積極的に誘惑してくるというもの。かといってAVで人気の痴女物のような過激な迫り方ではない。またヒロインは30代がほとんどである。20代、ましてや10代のヒロインはあまり人気がないようだ。 面白いのは40代以上も、また求められていないということ。作家が40歳のヒロインを設定すると、編集者から39歳にしてくれと注文が入ったというエピソードも聞いている。AVの熟女物では、40代、そして50代も人気があるのだが、このあたりは文章と映像の違いに起因するのかもしれず興味深い。 なによりも重視されるのは「癒やし」というキーワードだ。現在の官能小説の読者は刺激を求めていない。30代の女性と癒やされるようなセックスをする、これが理想となっているようだ。その理由を編集者は「日常で疲れているのに、官能小説を読んでまで疲れるようなことはしたくないんじゃないですか?」と分析していた。 もし、AVのユーザーがさらに高年齢化が進み、官能小説と同じような年齢層になった場合、AVでも「癒やし」が重視されるようになるのかもしれない。 過激なプレイは廃れ、穏やかなスローセックスを楽しむAV。ちょうどAV女優の人権問題が騒がれ、過激なプレイに規制がかかりそうなムードが業界にはある。ニーズに関わらず、AVはそうした方向へ向かう可能性も大きい。 AVがそちらへ向かえば、その素材に頼っているアダルト雑誌も、必然的に同じ路線を歩むことになる。 かつては過激で先鋭的なイメージのあった日本のアダルトメディアは、高齢化社会を迎えた時、「癒やし」のメディアとして存続していくのかもしれない。

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    東大元医学部長「死ぬまで現役」は崇高で人間的で健康的

     東京大学医学部の元学部長の石川隆俊氏が、『東大名誉教授の私が「死ぬまでセックス」をすすめる本当の理由』(マキノ出版刊)を上梓したことが話題になっている。「“セックスは高齢者に生きる力を与えてくれる”ということを、真剣に伝えたかった。それが、この本を書いた理由です」と語る石川氏が、高齢者のセックスについて語る。* * * コンドームの老舗メーカー「相模ゴム工業」が、2013年に20~60代の男女1万4100人に調査したところ、40代、50代の男性(既婚者、交際者あり)の約6割がセックスレスだと回答したそうです。東大名誉教授の石川隆俊氏 広い世代に広まっているセックスレスの原因は様々でしょうが、厳しい競争社会に生きていることも関係しているのかもしれません。でも、諦めてほしくありません。この高齢者の調査結果はセックスレスに悩む若い世代にとっても励みになると思います。 あらゆる動物はホルモンの作用で発情期が限定されており、その期間にだけ生殖行為を行ないます。人間もホルモンの分泌は加齢とともに低下しますが、それでもセックス可能なのは脳の働きがあるからです。 思考や言語機能をつかさどる脳の“大脳新皮質”は、ヒトが進化する過程で著しく発達してきた。その進化により、人間は異性を生殖の相手だけでなく、恋愛の相手として認識でき、生涯を通して寄り添える関係を築けているのです。高齢者のセックスこそが、他の動物にはない、人間を人間たらしめている崇高な行為なのです。 セックスは歳をとることによって失われがちな「生きる力」を私たちに与えてくれます。高齢の男女が集まって公園でゲートボールをやっていたり、ダンス教室で踊っている光景をよく見ますよね。こうしたレクリエーション活動にも実は、異性との触れ合いを求めてやっている人が多いのです。 そうした気持ちは“いい歳してみっともない”ことではなく、とても健康的なのです。“気になるあの人がいるからオシャレしよう”や“あの人と会話できたから一日中ウキウキ”とか、そういうささやかなときめきが、生きる力になるんです。 医学的、生理学的には、「性」とは「生」なのですから、「死ぬまでSEX」を謳歌することは人間的で健康的な行為なのです。関連記事■ 地方の人口減少や都市の高齢者激増等の今後の対策を考える本■ 日本医学界の権威が「死ぬまで現役」本を出した理由■ 高齢者性特集に批判の教授「社会的意義があるのでしょうか」■ 所在確認済みの日本最高齢者は佐賀県在住の113才の女性■ 高額講習受ける高齢ドライバーは交通行政の「カネのなる木」

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    女性介護士に求婚 「交際歴ゼロ」56歳男の暴走

     夏が近づくと、肌を見せるファッションや海辺へ出かけるときのため、むだ毛処理への関心が高くなる。むだ毛の処理は女性だけでなく男性にとっても普通のこととなりつつあるが、今ではさらに幅広い年齢層、高齢男性であっても真剣に取り組む課題のようだ。ライターの森鷹久氏が、50代になって婚活に目覚め美容に関心を払うようになった男の奮闘と、それに振り回される周囲の様子をリポートする。* * * 埼玉県南部にあるデイケア施設に通う清水さん(56歳・仮名)は二年前、職場で作業中に脳梗塞で倒れたが、緊急手術により一命をとりとめた。当初は社会復帰を目指しリハビリに励んでいたが、右半身の麻痺が悪化する一方で、若くして施設に通う事を余儀なくされたという。そんな清水さんには、あるヒミツがあるのだと施設関係者が声を潜める。「ずっと独身のあの人は、女性と付き合った経験がないらしいんです」 施設に入居した頃は、女性職員が声をかけると顔を紅潮させ、しどろもどろで返答するか、聞こえないふりを決め込んで脂汗を流していたほどの純情っぷりで、会話も成り立たないほどだった。当然、女性介護士による食事や排泄の介助も拒絶し、数少ない男性介護士が順番で清水さんの世話をしていたのだというが、30代の女性介護士・Y美さんの献身的な介助が清水さんの心を開かせた。……と、ここで終われば美談だが、現実は明後日の方向へ進んだ。(iStock)「Y美さんは既婚で二児のママさん。とにかく気立てが良く、施設の入居者の誰からも人気でした。清水さんはそんなY美さんから優しくされた事で好意を持ち、ラブレターを出してしまった。ただ、これも珍しいことではない。清水さんの場合は、その先が予想外でした」 女性の優しさに触れ、還暦直前に甘美な“恋愛感情”が芽生えた清水さん。はじめはY美さんにお菓子などのプレゼントを持ってきたりする程度だったが、日が経つにつれ、Y美さんではない介護士が清水さんの介助をしようとすると怒鳴りだし、Y美さんが休みの日は不機嫌になりモノや入居者に当たり散らし、ほとんど手がつけられない状態になっていった。優しいY美さんも、さすがに清水さんを敬遠しつつあったが、決定的な事件が起きる。「Y美さんが毛の濃い清水さんにクスリを塗りながら“毛深いですね”とつぶやいたのですが、翌週には首から下の毛が一本残らず剃り上げられていました。聞けば高齢の母親に手伝ってもらい、全身を除毛したのだと…。その直後にはY美さんのエプロンが無くなる騒ぎがあったのですが、清水さんのバックから発見され、広げると汚されていました」すっかり勘違いした清水さんは… 気味悪がっていたY美さんのよそよそしさを見て、清水さんはこれまでの言動を反省するのではなく、自分に気があるとでも勘違いしたらしい。なんと、Y美さんの前で婚姻届を取り出すと、職員や入居者の前でプロポーズをしてしまったのだ。気丈に振舞っていたY美さんもすっかり参ってしまい、グループ内の別施設に逃げるように異動した。 一方、施設に通い始めた二年前の照れ屋で純情だった面影はすっかり無くなり、今では妙な自信に漲っている清水さんは、今度はいろいろな女性へ向けて婚活に勤しんでいる。「Y美さんの後に“惚れた”女性職員の為に、髪を染めたり眉毛を整えたりしていましたが呆気無くフラれました。すると今度は、新卒の若い事務員女性の気を引こうと、母親の年金で永久脱毛に通っています。女性に介助されていい気分になるのはある程度理解できますが、清水さんの場合は手当たり次第に女性職員にセクハラを仕掛けるようになり、すでに四人が辞めるか、異動しました。“半径50cm以内に近づくと求婚される”と、女性職員は気味悪がって誰も近づきません」 清水さんの奮闘ぶりを滑稽と笑うのは簡単だ。しかし、日本の将来を考えたとき、彼の姿は特殊な例とは言い切れない時代が来るのではないか。たとえば昨年、女性との交際経験がない男性が20代未婚男性で53%にものぼったという調査結果がある(安田生命生活研究所調べ)。いま20代の男性が50代、60代になったとき、現在よりもずっと多くの人が「交際経験なし」になるだろう。異性との交際経験を積んでこなかった高齢者が、介護という仕事を自分への好意と勘違いしてしまう事態が、もっと頻繁に起きると容易に想像できる。“相手は老人”かつ“お客さん”として接するがあまり、清水さんのような婚活暴走老人が生まれてしまったというわけだが、現在でも彼の例は特殊と言い切れるものではない。関係者以外に知られていないだけだ。実際に、介護職員に思いを募らせるあまりラブレターを渡す高齢者は珍しくないし、職員の身体を触るなどのセクハラは日常茶飯事だ。 笑えそうで笑えない、超高齢化社会の我が国で起きている現実。今は取るに足らない小さなこと、特殊な事例だと思うかもしれないが、見過ごしているうちに大きな社会的問題になるだろう。関連記事■ 北近畿タンゴ鉄道アテンダント 仕事は観光客へのおもてなし■ 元鉄人・坂井宏行『アイアンシェフ』挑戦者としての出演に意欲■ 観月ありさ 清水良太郎と滝クリ従兄弟は“仲の良い友人”■ 清水富美加の著書に吉田豪氏「告白本ではなく宗教宣伝本」■ 大阪職員御用達の彫師「私は入れ墨彫った先生何人も知ってる」

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    置き去りにされてきた「高齢者の性」をめぐる問題

    つひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。

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    電通より長時間労働もある医療界 患者の感謝が心の支え

     過重労働が社会問題としてたびたび取り上げられているが、政府が唱える「働き方改革」が、働く人にとって有益なものとなっている気配はない。それどころか、経済界からの意見に押されて、強く規制することをためらう内容になっている。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、これから、どんな働き方を目指すべきなのかについて考察する。* * * 2015年のクリスマス、電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)が女子寮4階から飛び降り自殺した。彼女は、月100時間以上の残業を日常的に行なっていたことが問題となった。 生前のツイッターから過酷な働きぶりがうかがえる。自殺の2か月前には「体が震えるよ……しぬ」、1か月前には「がんばれると思ってたのに予想外に早くつぶれてしまって自己嫌悪だな」などと投稿していた。 東京大学卒の頑張り屋。深夜帰宅が続き、「睡眠時間2時間」という日もあった。高橋さんの自殺は過重労働のためだったと労災認定された。電通は夜10時に消灯し、深夜の残業を防止。しかし、カフェで仕事をしたり、早朝出勤したりするなど長時間労働の実態は変わっていないという指摘もある。 それにしても、1か月100時間以上の残業時間というのは尋常ではない。医療界はもっとひどい。20代の勤務医の労働時間は、平均週55時間。これに、当直や待機の時間が週12時間加わる。これを1か月に換算すると120時間を超える時間外労働をしていることになる。こんな「ブラック」な状況下で、日本の医師は患者さんの命を預かっている。それでも、何とか続けられているのは、医師としての使命感や、自分が成長するプロセスを実感できるからだろう。患者さんが元気になり、「ありがとう」と感謝されることも、心の支えになっている。 諏訪中央病院に医師が集まるのは、地方の中小病院なのに100名の医師がいて、他院より余裕が少しあるためかもしれない。高橋まつりさんのツイッターで長時間労働以上に気になるのは、上司から言われた言葉の数々だ。「君の残業時間の20時間は、会社にとって無駄」「今の業務量でつらいのはキャパがなさ過ぎる」働きすぎるとどうなるか? 新入社員の彼女の仕事ぶりは未熟なことが多かったのかもしれないが、もっと長い目で彼女を見て、仕事の一部でも評価してあげていたら、こんなことにはならなかったのではないだろうか。 いや、すでにそのレベルは超えてしまっているのかもしれない。どんなに優秀な人でも、やる気のある人でも、十分に眠れない、休めない、自分の仕事に意味を見出せないという状況下では、遅かれ早かれ擦り切れてしまう。 イギリスの医学雑誌「ランセット」に一昨年、興味深い研究論文が発表された。脳卒中になったことがない約52万9000人を、平均7.2年経過を追った結果、働く時間が長いほど脳卒中の危険性が高くなることがわかった。週55時間以上働く人は、週35~40時間働く人に比べて、脳卒中のリスクは1.33倍に増える。高血圧や糖尿病、食習慣だけではなく、労働時間も脳卒中を引き起こす要因になっているということだ。 日本の法定労働時間は、原則1日8時間、週40時間と決められている。法定労働時間を超える場合は、36協定で残業時間の上限を「月45時間、年360時間以内」と規定されているが、罰則付きのぎりぎりの特例として「月平均60時間、年720時間」という規定も設けられた。 長時間働くことは、脳卒中やうつ病、過労死など、健康に害を及ぼすリスクがあることを、もっと重く受け止める必要がある。 国をあげて働き方改革が議論されているが、雇用者側に立った「働かせ改革」ではなく、働く人の健康や生き方を大切にするような「生き方改革」を進めていってもらいたい。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『遊行を生きる』『検査なんか嫌いだ』関連記事■ 音楽家が原発労働者を訪ね歩いて知られざる現実を記したルポ■ 福島原発作業員 平均約12時間拘束で日当は2~4万円■ 高齢化が進み生活保護受給者が増えたドヤ街の現状を描いた本■ 戦時徴用は強制労働は嘘 1000名の募集に7000人殺到していた■ 44の職業に就く女性の給与明細・残業時間・長短を紹介した書