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    「シンデレラ体重」がけしからん!

    激やせモデルの起用を禁じるなど、過剰ダイエットへの見直しが国際的に広がる中、日本では「シンデレラ体重」が若い女性の間で浸透しているという。体格指数(BMI)18を基準とする彼女たちの理想は「やせ」に分類され、健康障害につながりかねない。やせ願望に駆られる彼女たちの深層心理を読み解く。

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    SNS世代の女性が「シンデレラ体重」に心奪われるのはなぜか

    早見直美(大阪市立大講師) ダイエットは日本をはじめ、多くの国で常に人々の関心事であり、若い女性を中心にダイエットを取り巻くさまざまな情報に翻弄されている。2018年2月ごろにソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で話題となった「シンデレラ体重」もまた、若い女性を中心とした「やせたい」気持ちが投影された理想体重の一つである。 シンデレラ体重は、身長(メートル)×身長(メートル)×20×0・9という計算式で算出されるという。通常、標準体重を算出する際に使用するのは、最も死亡率や病気の罹患(りかん)率が低いとされる体格指数(BMI)=22を基準とした身長(メートル)×身長(メートル)×22である。 そのため、仮に身長160センチの女性の場合、標準体重は1・6×1・6×22=56・3キロであるのに対し、シンデレラ体重は1・6×1・6×20×0・9=46・1キロとなり、健康的な標準体重からすると、その差は歴然としている。 シンデレラ体重はBMIでいう18を基準とした体重であり、この体重になった場合、BMI18・5未満の「やせ」に分類される。若い女性がやせになると、貧血や月経不順、ホルモンバランスの乱れ、免疫力の低下、骨粗鬆(こつそしょう)症、低出生体重児の出産など、さまざまな健康障害につながることが危惧される。 また、シンデレラ体重に近づこうとして無理なダイエットを続けた結果、摂食障害を発症するリスクも高く、決して推奨されるものではない。 シンデレラ体重をいつ、誰が提唱したかについては、エステティック業界やメディアによるものではないかなど諸説あるが、定かではない。しかし、シンデレラ体重は今に始まった話ではなく、これまでも何度か話題になったようである。 また、名前は違えど、美容体重、モデル体重など、標準体重よりもさらに軽い、女性が憧れる体重の指標は以前より話題になってきている。今回、シンデレラ体重が改めて話題になったのは、このシンデレラという響き、シンデレラのように夢をかなえることができるのではという、ある種、自身の願望を投影させるようなネーミングが、改めてSNS世代の若い女性の心をつかんだのかもしれない。 やせ願望は日本人に限らず、多くの女性が抱くものである。しかし、実際の体形を考えると、日本人の20代女性のうち20・7%がすでにやせに分類される。これは先進国において非常に高い割合であり、肥満が健康課題となる他国とは状況が異なる。(ゲッティイメージズ) 3月末に国立青少年教育振興機構が報告した高校生対象の国際比較調査によれば、日本の高校生はBMIの判定で普通体重の割合が7割を超え、比較した米国・中国・韓国より高かった。それにもかかわらず、女子の半数以上が「太っている」「少し太っている」と感じており、この割合も日本が最も高かった。さらに、自身の体形に「満足している」「まあ満足している」女子の割合は2割強にとどまり、4カ国の中で最も低かったことが報告されている。 ではなぜ、日本の若年女性はこうもやせたがるのだろうか。体形に関する認識や感情に影響を与える要因の一つに、自己肯定感がある。かねてより自己肯定感が低いことはやせ願望や危険なダイエット行動にかかわっていることが指摘されており、先の調査においても、日本の高校生は他国と比較して自己肯定感が最も低かったことから、その関連性がうかがえる。 思春期以降、体形の変化を経験する中で、他者からどう見られているかを気にするようになり、人と違うことへの不安が募りやすい。異性への関心の高まる年代であることからも、見た目を重視するようになる。「万年ダイエッター」の恐怖 それに加えて、日本では、今でこそ個性を尊重する時代の流れにあるものの、いまだ人と同じことで安心する、人と違うこと、目立つことを好ましくないと捉える文化がある。このような背景から、自分の体形や見た目に不満を持つ人、自分自身を好きだと胸を張って言えない人が多く存在するのかもしれない。 このほかにも、影響力の大きな外的要因として、社会文化的要因が挙げられる。これは大きく家族や友人、そしてメディアにかかわるものとされる。「家族に太ったと言われた」「友人がやせていてうらやましいと思った」「体形のことをからかわれた」「やせた芸能人のようになりたい」など大なり小なり誰もが体形に関するメッセージを受け取った経験があるのではないだろうか。 とりわけ、近年インターネットやSNSが普及し、情報量が一気に増えた。SNSの中で彼女たちが見るのは、やせて成功したように見える人たち、やせていてオシャレな服を着て、毎日が充実していそうな女性たちだ。 さらには自身の日常の写真をアップする人が増える中、常に自分自身が人にどう見られているかを意識せざるを得ない状況にある。女性は「上方比較」と言われる、自分よりも優れていると思う対象と自分自身を比較し、自身をダメだと考える傾向にあるという。 つまり、現代の若年女性は常に他者との比較を強いられているとも言え、やせ願望をより抱きやすい。また、ダイエットに関する情報も氾濫していることから、容易にダイエットに踏み切ってしまうのである。また、やせていて「かわいい」女性が好まれると思い込んでいる、またはそのようなイメージが伝えられているのかもしれない。 やせると男性にモテると思う女性は多い。実際には、男性はやせすぎの女性を好まないと回答している調査が多いものの、一方で太っている女性は好まない。これをやせている方がモテると解釈し、ダイエットをすれば素敵な男性に出会えると考える女性もいるのだろう。 若年女性に限らず、日本社会全体として「やせることを良し」とする風潮があることも否めない。「メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)」という言葉が多くの人に認知される中、「太っている=メタボ」、自己管理ができていないなどの否定的なイメージを持つ人も多い。健康管理の観点から、肥満解消のために減量しようとすることそのものは良いことである。 しかし、肥満によるデメリットの認知度と比較して、女性や高齢者におけるやせによる健康リスクは十分に理解されていない現状がある。メディアでは、ダイエットをしていることがまるでステータスかのように称賛される情報が伝えられることも多い。そのような風潮の中、必要でないにもかかわらず「万年ダイエッター」となっている人もいる。(ゲッティイメージズ) 個人がメディアリテラシーを持つことはもちろん重要であるが、わが国における正しい情報発信の在り方について検討がなされるべきである。国際的に見ても、フランスやスペインのファッション業界ではやせたモデルを起用しないことが制度化されるなど、やせすぎへの対策が積極的に採られている。 やせているからではない、その人自身の魅力を受け止めることで、健康的な本来の美しさが引き出されるのである。日本人の若年女性は、シンデレラ体重を目指しても、待っているのは必ずしもハッピーエンドではないことに気づくべきである。

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    日本で横行する中国人「民泊ビジネス」衝撃の実態

    坂東忠信(外国人犯罪対策講師、作家) 「民泊」という言葉をここ4、5年ほど前から耳にするようになった。その前は「ルームシェア」と言われていたが、私が刑事を辞めた15年ほど前には、まだその言葉さえなかった。しかし、私がまだ北京語通訳捜査官だった20世紀末ごろから、密航者の多い中国人や不法滞在者の多い韓国人により「ヤミ民泊」が行われていたのである。 新宿や池袋での交番取り扱い経験や、警視庁本部通訳センター職員としての通訳捜査経験からいうと、当時、来日中国人の半数は20万元、当時のレートで日本円にして250万円ほどの密航費用を親が知人から集め、立て替えていた。そうして、福建省から大型貨物船のバラストタンクや漁船の船底に隠れて集団密航してきた。家族の期待を背負って、来日していたのである。 残りの4割は、正規手続きで来日した末に、査証の期限が切れてオーバーステイした上海人だった。中国といっても広大だから、地域によって違うかもしれないが、合法に入国・滞在し続けていられた中国人は、体感として1割程度にすぎなかったのである。 特に福建人は莫大(ばくだい)な借金を背負って来日するため、強制送還されてもお気楽な上海の不法滞在者より切羽詰まった生活をしていた。 そのような環境の中、彼らは人脈を頼りにすみかを探し、職を探すのだが、その人脈は中国の実家に近い仲間ほどつながりが強い。借金を含む頼まれごとを「面倒」と敬遠しがちな日本人とは違って、頼りにされたら他人から借金をしてでも実力を見せつけるチャンスと捉えるからである。逆に異国の地で知り合いに頼りにされながらむげに断れば、密航費用を肩代わりしている実家の両親が「村八分」になりかねないので、これを断ることができないのである。 そんな不法滞在者や密航者などがまず困るのが、どこに行っても身分確認を迫られるアパート探しと職探しだ。犯罪者や参考人を含む中国人約1400人の話では、それでも、友人や知人を3人ぐらい介すれば、目的の手助けが得られるという。 特にアパートの場合は、1人で住むより2、3人で住み、家賃を分担したほうが1人当たりの負担も軽い。大家も月々の支払いを延滞させる日本人苦学生を相手にするより、確実な収入につながるため、契約外である複数の出入りも見て見ぬふりをしてしまう。画像はイメージです(iStock) だが、彼らは集合住宅の決まりを守らない。私が見つけた集団居住場所の中には、3人契約のはずが、16人ほどが生活しているアパートがあった。北京語を話す警察官を珍しく味方と勘違いしたのか、中まで見せてもらうことができたが、その部屋には、ベニヤ合板をうまく利用した5列3段の「簡易カプセルホテル」ができていたのである。 15人が一度に休むことができるだけでなく、2人は畳で横になれるようになっていた。しかも、昼と夜に働く人を上手に交代させていたようで、実際の利用者はその倍近くいたようだ。中国人の「経営ノウハウ」 こうして、部屋の名義人はすでにマンションを購入し、身分確認を必要としない日雇い労働者中心の利用客から1泊2000円を徴収して、「ヤミ民泊ビジネス」を進めていたのである。たまらないのは同じマンションに住む普通の日本人世帯だ。頻繁に発生する同居人どうしの口論やケンカ、それに時間帯に関係なく仕事で出入りする騒音、生ゴミを捨てずにため込むことで発生する異臭や恐怖感から、転居を余儀なくされる。 こうして日本人が出ていった部屋に、知人から頼られた中国人が大家にまた「ヤミ民泊」を持ちかけ、大勢を住まわせながら、在日中国人社会の中にメンツを立ててきた。こうした中国人密航者の「定着システム」は、20年ほど前から新宿や池袋で確認していた。「民泊」という言葉が生まれる前から、多数の中国人が都心の集合住宅に入居や購入しながら、すでに「経営ノウハウ」を蓄積していたのである。 政府は今、こうした外国人を含め、誰が泊まるか分からない宿泊場所を民泊として合法化し、観光客を誘致・収容して、経済活性化を目指している。特に、オリンピックを2年後に控えた東京都心でアパートやマンションを民泊化した場合、当然ながら人の出入りから近所に不安を与えたり、迷惑をかけることになる。一方で、逆に経営側に回れば、危険性も高いが利益も膨らむ可能性も生まれる。 とりわけ、都市部では警察による施設把握が難しい上に、施設の多くでは宿泊者の明確な身分を確認できないし、またすることもない。不法滞在の増加に伴い、警察に協力すると「客」が減る可能性さえあるからだ。 現在、民泊仲介大手の米Airbnb(エアビーアンドビー)では、インターネット上で個人住宅や空室を持つ貸主と宿泊先を求める旅行者との間のマッチングを行うため、利用者はネットで登録が必要となる。だが、安い宿では身分確認のための登録を必要としていないところが多い。 中にはマッサージ店など違法な風俗営業を伴う個室のベッドを時間限定で民泊化しているものもあり、当然ながらオプションで風俗サービスが付いたりもする民泊型売春宿もあるようだ。そもそも宿泊客と経営者の接点がない宿もある。あまりにも性善説をアテにしたシステムだが、このようなお気楽さは、かえって犯罪に好都合だといえる。 3月には1階を民泊として貸し出していた東京・世田谷区の民家で、外国人男性の遺体が発見された。世田谷といえば、今でも高級住宅地のイメージがあるが、このような地域に民泊経営者が増えれば、隣近所の顔が見える地域の安心感や、安定した収入を確保している層の住民が構成する地域のステータスを損ない、住宅価値も確実に下がるだろう。画像はイメージです(iStock) 実際に、今では中国人が戸建て住宅を購入して部屋ごとに貸し出す、1棟丸ごと民泊ビジネスを展開している。近所の住人は中国人家族が越してきたのかと勘違いするが、「家族構成」がいつも違っている上に話が通じず、地域活動にも参加しないなど接点をつくるどころか、問題発生の際の解決のめどもつかないありさまになるのだ。 さて、来日外国人の中でも多数を占める中国人の不法来日で、メーンの手段となっているのは、今や密航ではなく「なりすまし」だ。通常、中国では「公安局」と呼ばれる警察署で戸籍が管理され、旅券が発行されているため、必要な書類を警察署に提出し旅券の発行を受けて来日する。テロリストの「隠れ家」 「なりすまし」は他人の身分証明書類を、渡航に必要な書類とセットで売買するブローカーから買い取って、利用するのである。言うまでもなく、旅券自体は本物であり、使用する本人の写真もプリントされているが、記載されている個人情報が全くのニセモノというわけである。 彼らは「真正の偽造旅券」で来日するが、密航同様ブローカーに支払った大きな借金を抱えていることに変わりはない。しかし、本物の旅券で本人の顔写真が入っているため、合法滞在中に職務質問を受けても、警察官に逮捕されることはない。結局、不法滞在の末に職質を受け、旅券の記載内容を忘れた本人の供述により、入国該当者がいないことから判明するのである。 日本では、国際空港全てには顔認証システムがいまだ導入されていない上に、過去に逮捕歴や把握のあるテロリスト以外は各国のデータバンクと連携されていない。だから、最初の来日では顔認証システムさえ機能せず、「なりすまし入国」は初来日でテロデビューを狙う外国人過激派や工作員の渡航としてほぼ完璧な手段になる。 そうした人間が好む「隠れ家」こそ、なりすましの身分さえ確認しない安い民泊なのである。2013年の米ボストンマラソンで起きたテロ事件など、世界各地で実行されたテロリストの多くは民泊に身を潜めつつ、他の支援を得ながら準備を進め、犯行を実行し多数の殺害を成功させているのである。 こうした事実を現在の国際情勢に合わせて考えてみよう。軍拡を突き進む中国では、一党独裁国家の国家主席の任期を撤廃し、事実上の「完全独裁制」を確立した。もし、中国共産党が「有事」と判断すれば、日本を含む在外中国人にまで、彼らの実家を「人質」としながら法的拘束力が及ぶ「国防動員法」が発動される。その指示や命令が日本の法に触れようとも、治外法権を確保する中国公館に逃げ込めば、中国の国内法で保護されることになる。 先進7カ国(G7)で、スパイを取り締まる法律のない国は日本だけだ。日本で破壊工作を準備・実行するなら、他の工作員の協力を他国よりも得やすく、摘発される危険性も低い。その上、外見では日本人と見分けがつきにくい。そのアジトが民泊としてあなたの隣の部屋に構築される可能性も排除できないのだ。 実際、私が中国人強盗団の潜むアパートのアジトに踏み込んだとき、隣には小さい子供を育てる普通の家族が住んでいた。家宅捜索を行いながら子供の笑い声が聞こえるアンバランスさがとても印象的だったのを覚えている。画像はイメージです(iStock) これが民泊となれば、複数の国からの宿泊客が隣接した空間に壁を隔てて寝起きをともにすることになる。本来なら避難できる状況であっても、外国人には慣れない日本家屋の構造や居室、廊下の狭さが緊急避難を阻害するため、被害を最小限に抑えることは困難だ。しかも、安い民泊ほど住宅密集地にあることから、二次災害発生の危険が増大する。 だが、個人オーナーには危険を予防し、被害の責任を負う能力もない。こうした場所で爆弾の製造が行われ、万が一誤爆でもすれば、巻き添えを食らった外国人客の出身国と日本の信頼関係の喪失にまでつながりかねない。そうして、日本の無策に世界はあきれ、怒りの声が巻き起こるだろう。

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    民泊がイマイチ盛り上がらない理由

    住宅に旅行者を有料で泊める「民泊」が全国で解禁された。6月15日施行の住宅宿泊事業法(民泊新法)に基づく規制緩和だが、増え続ける訪日外国人の受け皿として期待が高まる一方、近隣トラブルや治安悪化への懸念は絶えない。「おもてなし大国」ニッポンで民泊がイマイチ盛り上がらないのはなぜか。

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    民泊解禁、成功のヒントは「大阪のおばちゃん」にあった

    溝畑宏(大阪観光局長、元観光庁長官) 海外からの観光客が急増している大阪が世界を代表する国際観光都市になるには、安心・安全・快適な宿泊環境を伴う世界トップレベルの受け入れ環境を実現することが重要な課題である。 そのため、関西、特に大阪の宿泊においては、歴史ある旅館や老舗ホテル、高級ホテルなどに、宿泊施設の整備、充実を進めていただいている(「大阪主要13ホテル稼働率92・9%」2018年日経新聞まとめ)。 しかし、新しく生まれた民泊という分野においては、その実態が十分に把握されていないのが現状であり、それゆえにヤミ民泊の騒音やゴミ投棄など、多くの問題が発生している。これらの問題は、私の推進する安心・安全・快適な宿泊環境とはまさに正反対のものだ。違法または不当な民泊については、監督や規制を強化すべきであると思う。 ただ、民泊新法施行を迎えるにあたり、大阪府は良質で安心・安全・快適な民泊づくりを推進している。大阪市が民泊の国家戦略特区に認定されて以降、関連する条例を制定し、対策に取り組んできた。世界トップレベルの受け入れ環境を実現することだけでなく、現代における多様な旅行スタイル、楽しみ方を提供する上で幅広い選択肢を準備することが重要だからだ。 大阪における2017年の来阪外国人観光客数は1111万人を超え、われわれの調査によれば、このうち20%程度は民泊を利用している。このことは単純な宿泊施設不足が原因ではなく、新たな旅行における楽しみ方の一つになっているのだと考えられる。 これまで宿泊と言えば、ただ眠るだけの場所という認識だったものが、よりその国の文化や地域の歴史を理解し楽しみたいという「思い」が形になった事例の一つが民泊だろう。訪日外国人を始め多くの観光客で賑わう大阪屈指の繁華街・ミナミ=大阪市中央区(須谷友郁撮影) そもそも、良質な民泊とは、家主と一緒になって地元の文化・歴史を知り、地元の食材を食べ、うまい酒を飲みながら地元の人々とざっくばらんに話すことができ、特別な空間として思い出を残せるような場だと考えている。 私はフランスとイタリアに住んだ経験があり、地域の人々は自らの文化や伝統に誇りを持っていた。大阪においても伝統・文化・芸術・食・スポーツなどに誇りを持つべきである。大阪のおばちゃんもおススメ 例えば、大阪の堺にはお茶や刃物の文化が残り、東大阪市にはラグビーの聖地「花園」、池田市には日清食品などが運営する世界的に有名な「カップヌードルミュージアム」、大阪市には伝統的な建築物も多数ある。また、大阪全体でみれば「粉もん文化」からミシュランガイドに掲載されている飲食店など幅広い。 このような文化・芸術・伝統を育んできたのは大阪の人であり、その心意気である。そして、この全てが詰まったものを味わえるのが良質な民泊といえるだろう。大阪のイメージと言えばお好み焼き、たこ焼き、道頓堀のグリコ看板が引き合いに出されるが、まだまだ知られていないパワースポットや観光地があふれている。 私が特におススメするのは、定番ではあるが、大阪のおばちゃんだ。行きつけの喫茶店では元気をもらい、道に迷えば「どないしたん?  アメでも食べるか?」と声をかけてくれる。そしてファッションスタイルは期待通りド派手な「ヒョウ柄」だ。 一方で、かつてのディスコスタイルの店が復活した「裏なんば」はさらに活気にあふれ、道頓堀の量販店「ドン・キホーテ」にある超低速ジェットコースターは再稼働を始めている。また、大阪市内を見れば全く自然がないように感じるが、郊外では自然があふれている。 例えば、大阪府北部に位置する能勢町では、銀寄栗(ぎんよせぐり)が有名で、5~6月にはホタルが大阪であることを忘れさせるほど美しい。夏になれば、天然もののクワガタやカブトムシを捕ることができる。 忘れてはいけないのが、能勢町に全国的にも有名なクワガタショップ「フジコン」があることだ。私も毎年能勢にクワガタやカブトムシを捕りに行っており、去年は3回足を運ばせていただいた。振り込め詐欺撲滅CMに出演し話題をさらった大阪のおばちゃんタレント、舟井栄子さん(右端ら)=2013年4月、大阪市北区 時にはクワガタが捕れないこともあったが、フジコンさんに頼んでおススメのクワガタを購入し、私の知り合いの子供にあげて喜んでもらった。 また、大阪府南部に目を向ければ、大阪で唯一の村である千早赤阪村があり、美しい棚田が広がっている。ここにある金剛山は樹氷が有名であり、冬の登山客も相当数いる。このような自然と民泊を組み合わせることができれば、これまでの宿泊施設とは一線を画した体験型のコンテンツとして世界にアピールできると思う。 金剛山のポテンシャルは東京における高尾山と考えている。ここの磨き上げを行うことで都市部にいながらにして大自然を堪能できる。旅のあり方を変える民泊 民泊とのコラボレーションで生まれる大阪の魅力を述べてきたが、民泊が抱える課題に話を戻せば、最大の使命はヤミ予約サイトの撲滅だろう。新法施行によって、民泊事業を行う事業者は都道府県などに届け出が必要となるのに加え、民泊予約仲介サイトを運営する事業者についても国への登録が義務付けられる。あわせて、仲介事業者が適正な手続きを行っていない民泊施設を斡旋することを禁じており、すでにいくつかの仲介サイトでは不適正な施設の掲載を取りやめるなどの措置も行われている。 国でこのような対策が取られている中、大阪においては、違法民泊を良質な適法民泊へ誘導していくための積極的方策として、大阪市違法民泊撲滅チームが2018年4月25日に設置された。また、この6月1日には、違法民泊指導の実動部隊も発足した。民泊対策を行う要員として環境衛生監視員に警察官OB30人などを加え、約70人まで順次増員し、適法民泊の誘導と違法民泊通報窓口に寄せられた情報などをもとに、無許可・無届で営業する違法民泊の徹底した排除に向け取り組みが強化されることになる。 大阪観光局も外国人観光客へ適法民泊の利用を啓発するなど、今後は、大阪市違法民泊撲滅チームと十分な連携を図りながら、違法民泊の排除をオール大阪で取り組んでいかなければならないと考えている。 こうした良質な民泊を推進することは、地方創生の考え方からいえば魅力ある観光コンテンツの発掘となり、大阪のさらなるプレゼンス向上につながることは間違いない。多様性から考えれば新しい楽しみ方の一つであり、旅のあり方を変えてくれるものである。 また、24時間型の観光都市という観点であれば、朝まで家主と語りあう経験は日本を理解するうえで最高の材料ではないだろうか。そして、その話によって大阪・関西の見え方が変わると思う。 私の経験から言えば、大阪はまだまだ観光分野の伸びしろが大きく、世界の名だたる観光地を目指していくべきである。大阪・関西にとって民泊は、世界トップレベルの受け入れ環境や品質を考える上で一つの好材料だ。外国人観光客が行き交う大阪城公園=大阪市中央区 今後は2019年のG20(主要国首脳会議)開催、同年のラグビーワールドカップ、2020年の東京オリンピック・パラリンピック、21年のワールドマスターズゲームズ、24年の開業を目指すIR(カジノを含む統合型リゾート)の誘致、25年の大阪万博誘致など、海外から注目が集まるイベントが目白押しだ。 ゆえに関西3空港(関西空港、伊丹空港、神戸空港)の一体化など、大阪を核とした関西は東京一極集中に対する第二極を担うことを目標に世界の高みを目指した観光、都市戦略を推進していくべきだと考えている。

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    「閉店そば屋の2階です」本当にあった山中湖の違法民泊

    分ある。 こうした現状を考慮すれば、民泊の規制緩和による経済成長戦略や宿泊施設不足解消と、犯罪などの社会問題の解決コストを天秤にかけた場合、今回施行された民泊新法では不十分だ。 ゆえに以下のような対策が早急に必要であると考える。  ①民泊の無許可営業の罰則強化 ②警察の権限強化 ③民泊の防犯カメラの設置基準強化 ④戸建て建築などでの民泊の禁止 ⑤民泊衛生管理者制度の設置 ⑥違法通報制度に対するインセンティブ ⑦地域自治会との連携による徹底したセキュリティ強化 ⑧サブリース(転貸し)の禁止 さらに、山中湖村に限れば、神奈川県の水源に隣接しており、ホテル、民泊施設などの中国資本による土地取得が進む可能性がある。そうなれば、少々大げさかもしれないが、水源の権利を中国資本に奪われるなど、安全保障にも影響しかねない。国益を害するリスクがある土地取得規制の議論に、民泊も入れるべきかもしれない。 もちろん、2020東京五輪に向けた一時的な民泊の規制緩和論や地方創生を目的とした民泊を否定はしない。ただ、あまりにリスクが大きいのが現状だ。 ゆえに、地方などで経営難に苦しむ民宿の再生プランと、急増する観光客による宿泊施設不足解消を目的とした都市部での新規民宿参入をそれぞれ分けた上で、民泊新法を議論し直すべきである。 ただ、現状としては、多くのマンション管理組合で、民泊用途の許可規定改正議案は否決されている。だれしも自分のマンションに不特定多数の旅行客が出入りすることに不安を感じるからだろう。規制や取り締まりを強化し、安心感が広がらない限り、日本において民泊は遅かれ早かれ廃れていくのではないだろうか。

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    新法の施行で「ヤミ民泊」は確実に淘汰される

    いることから、旅館業界で反発が強まり、ヤミ民泊をしているマンションの入居者との間でトラブルになるなど社会問題化していた。 これを受けて立法化の動きが強まり、今年の6月に民泊新法が成立した。来年の6月からは、全国的に合法での民泊が解禁され、一定のルールを守れば誰でも民泊事業が行えるようになる。 上山社長は「民泊仲介業者は観光庁長官への登録が必要になる。また、民泊を代行している業者も多くいるが、こうした業者も登録制になる。外資系仲介サイトも法の枠組みに入るため、かなりのヤミ民泊が淘汰されるのではないか」と指摘、今回の民泊新法の実効性が担保されれば、ヤミ民泊仲介業者と同代行業者は日本では事業ができなくなる見方を示した。 その上で「現行の旅館業法では法律に違反した場合の罰金が3万円だが、これが100万円程度にまで引き上げられる。これだけ罰金が厳しくなれば、飲酒運転の罰則を強化して飲酒運転が減ったように、ヤミ民泊をしようとする業者に対して抑止効果が働くだろう」と述べた。 また新法の実効性を担保するために「最初の1年間くらいは『ヤミ民泊バスターズ』のような監視員を置いて、業者にきちんと法律を守らせるようにすべきだ。そうすることで、新しいルールのもとで旅館業を自由競争させ、ビジネスを正常な形で伸ばしたい」と強調、監視員の設置を提案した。(iStock) 京都、軽井沢など有名観光地を抱える自治体で、新法で定められたルールを各自治体の独自判断でより厳しく運用しようという動きがあることに対しては「ルールを守ろうとする人に規制を強化するよりも、ルールを守っていない人に守らせることが先決だ」と述べ、ヤミ民泊撲滅に向けての取り組みを優先すべきだとの考えを示した。  新法の施行を受けての百戦錬磨の方針については、「民泊予約サイト『ステイジャパン』に900件ほど施設を公開しているが、新法施行の来年6月15日以降には急激に増加するだろう。今年7月、大阪の特区民泊を活用した1棟民泊マンションを開業したが、このような自社運営の宿泊施設を今後、東京や京都にも増やしていきたい」と述べ、来年から民泊運営ビジネスの拡大も計画している。ヤミ民泊は6万件 インバウンド客のさらなる増加が見込まれている2020年の東京オリンピックについては「東京五輪の前年の19年のラグビーワールドカップが開催される。これで欧州を中心に40万~50万人の外国人がやって来て長期滞在する。ラグビーの試合は地方での開催もあるので、ラグビーワールドカップは、これまでインバウンド客の訪問先が東京や京都に偏っていたのが地方も訪れることになり『地方の開国』につながる」と指摘、「ラグビー効果」に大きな期待を寄せている。 同社が取り組んでいる農村に泊まって地域の住民と交流したりイベントに参加する「農泊」については「政府が進めようとしているインバウンド客の地方誘導にもつながり、東京や大阪だけでない日本の姿を知ってもらう良い機会を提供できるので、積極的に取り組みたい」と述べた。 新たな取り組みとしては「今年の4月に長崎県平戸市で試験的に行った『お城の天守閣に泊まれる』無料招待プランや、日本の伝統的な酒蔵をホテルにして外国人に泊まってもらうなど、来日した外国人が日本文化や伝統に触れて特別の体験ができるものを提案したい。低価格で宿泊できる民泊もあれば、高級感のある宿泊施設も提供したい」と指摘、新法施行を契機に宿泊、旅行の選択肢を広げたい考えを明らかにした。 ヤミ民泊の物件数は正確な数字はないが6万件程度あると推測されている。新法が施行された後にこのうちどの程度が合法的に登録されるかは未定だが、民泊を提供しようとする住宅宿泊事業者(ホスト)は①都道府県知事への届け出②年間提供日数の上限が180日③宿泊者の衛生確保―などの条件を満たさなくてはならないため、実際に登録する件数はかなり絞り込まれるのではないかとみられている。 このため上山社長は「ラグビーワールドカップ、東京五輪で来日が予想されるインバウンド客の数からみると、ホテルの新規増設に加えて民泊が全国的に解禁されても、19年時点では宿泊施設はまだ不足するのではないか」との見方を示した。百戦錬磨の上山康博社長 政府は今年3月に観光立国日本を実現するため観光立国推進基本計画を閣議決定した。2020年までに①訪日外国人旅行者数を4千万人にする②訪日外国人旅行消費額を8兆円にするなどの目標を掲げており、民泊は訪日外国人が宿泊するための受け皿になるものと位置づけられている。 なかにし・とおる 経済ジャーナリスト。1948年岡山県生まれ。1972年共同通信社に入社、経済分野を取材し編集委員などを経て2010年に退職し、現在は経済ジャーナリスト。

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    6月新法施行の「民泊」で中国人若者観光客を泊めてみたら…

     6月15日に施行される住宅宿泊事業法(民泊新法)にともない、ネットを通じて外国人観光客らに部屋を貸し出す「民泊」への関心が高まっている。 新法によってこれまで不明瞭だった民泊の法的位置付けが明確になり、今後は多くの人が参入することになるだろう。民泊を行なう事業者は各自治体へ届出することで、年間の宿泊日数が180日以下であれば、アパートや住居を有償で貸し出すことができるようになる。 そんな民泊ビジネスのターゲットとなる訪日外国人のトップは、依然として中国だ。 国土交通省の発表によると、2017年の訪日外国人2869万人のうち、4分の1にあたる736万人が中国からの観光客だった。民泊経営をする上で中国人観光客は重要な“顧客”だが、マナーの悪さなどが指摘される彼らを実際にゲストとして受け入れると、どうなるのだろうか──。『ルポ 中国「潜入バイト」日記』(小学館新書)を上梓したライターの西谷格氏は、取材の一環として民泊サイトを使い、中国人観光客を自宅に宿泊させてみたという。「民泊を仲介する大手サイト『Airbnb』に自宅の写真と説明文を公開すると、すぐに中国人からの宿泊オファーが入りました。ヤフオクやメルカリでモノの売り買いをするのと同じような感覚で、非常に簡単です。予約が入るとサイト上に『部屋は清潔にしてありますか?』『シーツは交換しましたか?』などと細かくアドバイスが表示されるので、初心者でも無理なく民泊を始められました」 初めての宿泊客は20代半ばの中国人男性2人。「3泊したい」という予約が入った。多くの中国人観光客が訪れる日本国内最大規模の免税店、ラオックス銀座本店(iStock)「到着日は用事があったので自宅のカギを開けておき、住所と詳細な行き方を写真付きで教えて、先に入っていてくれと伝えました。会ったこともない外国人に自宅を明け渡すのは少々不安もありましたが、ある程度は割り切る必要があるのかもしれません」(西谷氏) そんな西谷氏の不安とは裏腹に、現われた中国人男性たちは礼儀正しかったという。チェックアウト寸前の“事件”「自宅に戻ると、『大家さん、どうもありがとう! お世話になります。とても快適で素敵な部屋ですね』と挨拶されました」(西谷氏) だが、チェックアウト寸前になって“事件”が起きた。「外出先から自宅に戻ると、室内が異様に“ヤニ臭い”んです。もしや、と嫌な予感がして寝室に進むと、案の定、テーブルの上の空き缶に多数のタバコの吸殻が入っていました。窓も開けずに何本も吸ったらしく、天井にはまだうっすらと煙が残っていました」(西谷氏) Airbnbで貸し手(ホスト)が定める「ハウスルール」には「禁煙」とはっきり中国語で明記していたため、西谷氏は客観的な証拠を残そうと吸殻の写真を撮り、急いで窓を開けて換気した。ちょうどその時、2人のゲストが外出から帰宅した。西谷氏が「タバコ吸った?」と聞くと、「あ、はい吸いました」と平然と答えた。ハウスルールに違反している旨を伝えたところ、しっかり読んでいなかったという中国人男性たちは「すみませんでした」と素直に詫びたという。 さらに部屋を汚した場合には最大2万円の清掃費用を徴収する旨を「予約ページに書いていた」と伝えると、2人はうなだれたそうだ。「後日、Airbnbを通じて清掃料金1万円をダメ元で請求したところ、先方はあっけなく支払いに応じてくれました。Airbnbを使いこなして海外旅行に行けるような富裕層で、しかも20代という年齢であれば、旧来の“ゴネる中国人”というイメージは当てはまらないのかもしれません。また、Airbnbが仲介に入り、ゲストも評価されるので、自分の信用を傷つけたくないという思いが働いたのでしょう」(西谷氏) 民泊を利用するような中国人は考え方が洗練されており、マナーの悪さはそれほど目立たないのかもしれない。とはいえ、中国人に限らず外国人は日本人に比べて定められた規約を大雑把にしか読まないケースが少なくないという。宿泊需要の増加が見込まれる2020年の東京五輪開催に向けて、「民泊」の事業者はこうしたトラブルへの覚悟と対応が必要になるかもしれない。【プロフィール】にしたに・ただす/1981年、神奈川県生まれ。フリーライター。早稲田大学社会科学部卒。地方新聞の記者を経て、フリーランスとして活動。2009年に上海に移住、2015年まで現地から中国の現状をレポートした。中国での潜入アルバイトについてまとめた『ルポ 中国「潜入バイト」日記』を3月29日に発売した。関連記事■ 中国「ヘビ料理店」にバイト潜入 さばくのはけっこう難しい■ 中国人留学生の部屋探し方法「“東大志望”で信用勝ち取る」■ 中国人バスツアーのガイドが告白「観光客は洗脳すればいい」■ 中国でケシの殻使った料理店が野放し、客は陽性反応&常連化■ 円谷プロが中華ウルトラマン退治へ 「勝利願う」と中国ファン

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    民泊新法でエアビーはどうするのか?

     世界最大の民泊サイトを運営する米エアビーアンドビー(エアビー)の日本法人の田邊泰之社長と、エアビー本社のグローバル政策担当最高責任者のクリストファー・レヘイン氏が、都内で記者会見し、住宅宿泊事業法(民泊新法)の6月からの施行に伴う3月15日から始まる住宅宿泊事業者(ホスト)の届け出を前に対応方針などを明らかにした。 田邊社長は民泊新法の施行について「日本でエアビーの民泊を普及させるために一番重要なことは、地域に合った形で事業を進めることだ。民泊を普及させるために協業の輪を広げていきたい」と述べ、地域との調和の必要性を強調した。また、レヘイン氏は「民泊新法と市町村の条例を順守するように努める。コミュニティとのトラブルは、世界各地の都市で多くの経験があるので防げると思う」と指摘した。 また新法施行によるホストへの影響について田邊社長は「(ルールが定められることで)ホストは参加しやすくなる。ホストに対して部屋のクリーニングサービスなどを提供しており、やりやすいようにサポートしている。現在の6万2000件のホストの数は、ほかの国と比べるとまだ少ない。日本では東京、大阪、京都などが多かったが、地方に眠っている観光資源が多くあるので、新法によりこうしたところが紹介されるようになるのではないか」と指摘、ホストの数が増えることに期待を示した。 いわゆるヤミ民泊を防止するための対策として、エアビーは15日にホスト登録のための画面を新しいものに切り替えた。エアビーのサイトに掲載するためには、ホストが自治体に登録した際に取得した民泊の許認可番号の記入が必要となり、この番号がない場合は仲介サイトに掲載しない。これにより、6月14日まではヤミ民泊はエアビーのサイトにアップされるが、新法が施行になる15日以降は許認可を得ていない違法な民泊はサイトから排除されることになる。 今後のグローバル展開についてレヘイン氏は「2028年までに世界中で10億人がエアビーの民泊を利用するようロードマップを描いている。世界の都市では民泊の規制と適合しながら事業を進めている。日本では空き家が多く、日本政府も空き家対策として民泊を活用できないか関心を持っている。エアビーの方式が役立つと確信している」と述べ、日本で受け入れられることに自信を示した。 新しい民泊サービスとして、今年2月から素晴らしいゲストがハイエンドな特別なサービスを提供できる「エアビー・プラス」という、ワンランク上の民泊サービスの提供を始めている。同社としては、他社との違いを出すためゲストの要望に応えられるように民泊のメニューを増やそうとしている。エアビー日本法人の田邊泰之社長(左)と、本社グローバル政策担当最高責任者のクリストファー・レヘイン氏 同社によると、2月1日現在の日本での宿泊登録件数は約6万2千件。内訳は東京都が2万1200件、大阪市が1万4300件、京都市が6200件。昨年2月1日から今年2月1日までの宿泊者総数は580万人だった。東京都が190万人、大阪市が160万人、京都市が66.6万人だった。平均宿泊日数は3.3日。エアビーの宿泊者数は2016年が370万人で、17年の1年間に約200万人も急増、全国にエアビー旋風を起こしたと言える。 しかし、全国の自治体では、民泊の宿泊数や場所などについて、地域住民の住宅環境への配慮などから民泊新法に上乗せした厳しい条例を定めるところが相次いでいる。この難しい環境の中で、エアビーがいままでと同様の多くのホストを獲得できるかどうかが注目される。

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    ハンドル握れば人格変わる「あおり運転」の謎

    ハンドルを握ると、なぜか人格が変わってしまう。こんな経験、一度はないだろうか。急増する「あおり運転」も、普段は大人しいのに、車に乗ると危険ドライバーに豹変したという事例も多いらしい。あおり運転はなぜ後を絶たないのか。ドライバーの運転心理や社会的背景を読み解く。

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    身近に潜む「あおり運転」危険ドライバーの深層心理

    志堂寺和則(九州大大学院教授) 普段は温厚な人でも、運転になると「まるで別人のようだ」といわれる人がいる。そして、運転には人柄や性格が表れるとも言う。本稿では、最近ニュースなどでよく取り上げられる「あおり運転」の問題を中心に、車の運転とドライバーの関係について考えてみたい。 2017年6月、神奈川県大井町の東名高速で、進路を塞がれて停止させられたワゴン車に大型トラックが追突し、夫婦が死亡した。進路を塞いだ男がやっていたのは、「ロードレイジ」や「アグレッシブドライビング」と呼ばれる悪質な行為だった。 「ロードレイジ」とは、道路上の出来事で逆上することだが、激怒した結果、怒鳴ったり物を投げつけるなどして威嚇(いかく)したり、車をぶつけたり、相手を停止させて車から引きずりおろしたりといった、相手に危害を及ぼそうとする行為、あるいは実際に危害を及ぼす行為も含んでいる。海外では、口論の結果、相手を銃で撃ち殺すというような事件も度々報じられている。 一方、「アグレッシブドライビング」は、極度の速度超過、短い車間での追従、無茶な割り込み、頻繁で不必要な車線変更、意識的な信号無視、進路妨害など、故意に交通法規を破って危険な運転をする行為だ。 日本よりも早くクルマ社会となった欧米諸国でも、これら「ロードレイジ」「アグレッシブドライビング」はかなり以前から問題視されているが、有効な解決策が見いだせていないのが現状だ。 特に「あおり運転」は、車間をピタッと詰めて追走してくる、あの逃げられない恐怖感は経験するとしばらくは忘れることができない。そして、各種調査では、多くのドライバーがあおられた経験を持つことが明らかになっている。 なぜこんなことをするのかと憤り、なんとかならないのかと考えるが、その一方で自分も過去にあおり運転をやったことがあると思い出すドライバーも多いであろう。あおるという行為には、実はちょっとはずみでやってしまう危険性が潜んでいる。 このあおり運転を攻撃行動とみなし、心理学者であるダラードの「欲求不満―攻撃仮説」やバーコウィッツの「攻撃手がかり仮説」を適用すると以下のようになる。 我々の普段の生活は、次から次へと問題が発生して対応に追われ、慢性的に不満やストレスを抱えている。車に乗る直前に発生した何がしかの出来事のせいでむしゃくしゃしているようなこともある。そして車に乗って走り出すと、渋滞に巻き込まれたり、前をノロノロと走る車がいたり、不意に割り込まれたり、大したことではないのにクラクションを鳴らされたり、怒りやイライラで興奮が高まる材料があちらこちらに転がっている。 真夏には強い日差しの中でじっと運転席に座っているということすら不満の種となる。そして「欲求不満―攻撃仮説」によると、欲求不満が高まると不快な生理的興奮や怒りがもたらされ、それらを解消する手段として攻撃行動が生じる。アクション映画を見て痛快でスカッとした気分になったときのことを思い浮かべてもらうと、攻撃行動がカタルシス効果(心の浄化作用)を持っていることがわかる。ハンドルを握ると豹変する人たち 「攻撃手がかり仮説」では、欲求不満だけでなく他者からの攻撃や過去の攻撃習慣によって攻撃へのレディネス(準備状態)が高まり、攻撃を連想する手がかりが目に入ることによって攻撃行動が起きるとされる。 他車のせいでハンドル操作やペダル操作をしなければならないことや、自分の思うような運転ができない状況は、不本意ながら対応せざるを得ないという点では攻撃を受けたのと同じであり、そういう状況をもたらした他車に対して報復や制裁をという思いが生じる。 一方で、あおり運転をやっても警察に捕まったり誰かから咎(とが)められたりすることはほとんどないため、あおることは習慣化しやすい。仮説に従うと、悪いことに回数を重ねれば重ねるほど簡単にレディネスが高まるようになるとされる。 車は人を殺傷することができる武器であり、ハンドルを握っていることは銃を手にしていることと同じだ。運転をする行為そのものが攻撃行動を誘発する格好の手がかりであることは言うまでもない。標的となるのは、すぐ目の前を走っている車である。 もちろん、欲求不満が高まり興奮したからと言っても、すべてのドライバーがあおり運転をするわけではない。人の性格や生育環境はさまざまであり、欲求不満になると他の人よりも怒りが生じやすく、他人に対して攻撃的になりやすいタイプの人たちがいる。こういった人たちは、他人からの敵意を過度に感じやすいとも言われている。 意図的ではない偶然の出来事であっても、自分に向けられた悪意と思い込む「敵意帰属バイアス」がかかってしまう。そして、報復として相手を攻撃してしまうのである。怒りを鎮める方法としては相手に怒鳴ることもできるが、残念ながら車の中では怒鳴っても相手には聞こえない。運転時に手軽に行うことができる攻撃手段は相手をあおることである。 また、攻撃的な運転をする人たちは普段の生活においても他人に攻撃的である可能性が高い。運転とライフスタイルが関連していることは多くの研究で指摘されており、交通違反が多い人は交通事故も多く、そういう人たちは運転以外の社会生活においても規則を守らなかったり他人とトラブルを起こしがちであったりすることが明らかにされている。2017年10月、移送される石橋和歩被告=福岡空港署 その一方で、ハンドルを握ると豹変する人たちがいる。生まれ持った気質としては攻撃的であったり、刺激を求める欲求が強かったりするのに、普段は大人しく振る舞っている人たちであろう。現代社会では粗暴な仕草や言動は嫌われるため、われわれは小さい頃から礼儀を失しないように振る舞う教育を受けてそれが習性となっている。 自分の家の中や車の中などプライベートな空間は周囲の目を気にする必要がないため、本来の自分が出やすくなる。特に、車の場合はスピードが興奮をもたらすため、その興奮が呼び水となって、攻撃的で刺激を求める本来の自分が呼び起こされやすくなるのではないだろうか。 また、服装によって自分の気持ちや振る舞いが変わるように、運転する車によってドライバーの気持ちや運転が変わる。大きな車、スピードの出る車、高級車に乗っているような場合は、自然と車のサイズ、パワー、価格などが周囲のドライバーに対する優越感をもたらしてくれる。 運転が楽しめ、満足感が得られること自体は悪いことではなく、そういった車を所有し、運転することで生活の質が向上するのであれば歓迎すべきことだ。しかし、中にはそういった優越感から他人を下に見て自己中心的な運転を行ってしまう人たちもいる。匿名性が助長する「あおり」 あおり運転に話を戻すと、あおり運転が危険で重大事故を招く可能性があることは明白だが、本人にその意識や罪悪感はまったくないのが特徴だ。自分は運転が上手いと思い込んでいることもあり、自分はいつもの車の中にいて安全と信じて疑わない。加えて、後でトラブルに発展すると想像できないことも、軽い気持ちでやってしまうことを後押ししている。 さらに、あおり運転をしてもすぐに身元がバレないことも大きい。似たような車は沢山走っているので、どこの誰だかわからないだろうと思い込んでいるドライバーは多い。匿名性が高いときに自制心が弱くなりがちであることは、ネットのトラブルで知られている通りである。 そして、すぐに逃げることができる。高速移動手段である車に乗っているので、興奮が収まれば、あるいはヤバイと思えば、あおっていた車からすぐに離れることが容易である。逃げてしまえば、報復されるようなことはない。 他にも、あおり運転を生じさせやすくしている原因はいろいろあるが、もう一つだけ付け加えるならば、相手(あおられている側)のドライバーの顔が見えないことも大きいであろう。顔が見えないために、相手がどう感じているかを想像することができず、共感による攻撃の抑制が生じにくい。 相手の様子を見て思いとどまる、適当なところでやめるといった機制が働かないのだ。人に対してというよりモノに対して接している感覚で、一方的に攻撃をしかけるということになる。 こうしたあおり運転の横行に対して、2018年1月に警察庁は、「いわゆる『あおり運転』等の悪質・危険な運転に対する厳正な対処について」を全国の警察に通達した。この通達には、悪質・危険な運転が認められた場合には、積極的に証拠資料を収集し、道路交通法違反だけでなく、危険運転致死傷罪、暴行罪などの法令を駆使して捜査の徹底を期すこと、積極的に交通指導取締りを実施すること、教育や広報啓発活動を推進することなどが指示されている。2017年12月、チラシを手に、ドライバーにあおり運転の禁止を呼び掛ける警視庁の白バイ隊員=首都高速平和島パーキングエリア しかしながら、諸外国も長年懸案事項としながらも有効な解決策が見いだせていない問題であり、そう簡単に解決できるとは思えない。常習者は取り締まりを多少強化したところで見つかるはずがない、捕まるわけがないと思っているであろう。 今後は、法の整備やITS(高度道路交通システム)を使った取り締まりシステムの活用、あおり運転ができない車の開発などに期待したいが、当面は自衛することが必要となる。ドライブレコーダーを設置して客観的証拠を残すようにすることは一つの手であるが、そもそもの標的とならないようきっかけを与えないことが重要だ。 あおられたドライバーは、理由もなく急にあおられたという印象を持つことが多い。しかし、気づいていないだけで実際には相手があおりたくなるなんらかの行為を行っていたであろうことがほとんどである。追い越し車線をノロノロと走っていたり、車線変更のときにちょっと危ない割り込みとなってしまったというようなことは要注意である。 前後左右、周りをしっかりと見ること、そして周囲の車に配慮を示すことが安全運転の基本であるが、現時点ではこれがあおられることを防ぐ最も有効な対策なのだ。

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    心理学者が指摘する「あおり運転」しやすい人の身体的特徴

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) クルマを運転する際の犯罪(道路交通法違反)は、ある意味で特殊である。その理由の一つは「一部の物損事故、人身事故を除く多くの違反が、重大な被害に結びつかない確率が高い」という点である。 同じ犯罪でも殺人や放火、窃盗、詐欺などは、そこには明確な被害者の存在がある。しかし、スピード違反や一時停止違反、シートベルト装着義務違反、駐停車違反、追い越し・転回・後退禁止違反…これらは事故にならない限り、どれも直接的な被害者は存在しないことがほとんどである。 そのため、仮に取り締まりに遭遇しても、「罪を犯した」という意識が他の犯罪に比べて相対的に低くなりやすい。だから、反省したり自分を責めたりするどころか、「まさか見つかるとは思っていなかった」「運が悪かった」「なんで捕まえるんだ」「これぐらいならいいじゃないか」「誰も困らないじゃないか」などと警察官を恨めしく思ってしまうことも多いだろう。 また、検挙される・されないに関わらず、厳密に言えば日常的に罪を犯している人が他の犯罪カテゴリーに比べて多いという点もある。例えば、見通しの良い幹線道路や高速道路で、制限速度をオーバーしたスピードでクルマの流れができていることは決して珍しいことではない。同じく取り締まりにあったときに、「みんなやっているじゃないか! なんで自分だけが罰を受けるんだ」と怒りをあらわにする人は決して少なくないだろう。 さらには、それが違反だったということが、免許所持者の間で完全に知られているとは言い難い違反もある。「高速道路で追い抜き車線を走行し続ける」「運転席・助手席のヘッドレストを取った状態で走る」「ライトを常にハイビームにしておく」「クラクションの乱用」…。実はわが国では、これらが全て道路交通法違反であることが明示されている。2017年5月、ゴールデンウイークのUターンラッシュで渋滞する東名高速道路の上り海老名サービスエリア付近(菊本和人撮影) このように、(1)直接的な被害者がいないことも多い(2)日常的に多数の検挙されない違反者がいる(3)違反と認識されていない行為もある、という特徴を持つ交通違反は、心理学的には「価値基準の混濁」が起こりやすい。 「価値基準の混濁」とは、何がやってもよいことで、何がやってはいけないことかが明確に認識されづらく、その場の状況や判断、文脈によって、基準がコロコロ変わり一定しないことを指す。例えば、同じ人間であっても、仕事で急いでいるときは、制限速度を上回るスピードを出していても罪の意識は薄い。一方で、休みの日で急いでいないときなどは、一時停止や歩行者の存在、スピードメーターにも相対的に強く意識が働いており、順法精神が普段より保たれている場合もあるだろう。「あおり運転」二つの分岐点 その意味では、客観的には異常行動で、常軌を逸しているように見える「あおり運転」も、当の本人からすると「自分は早く行きたいのになんで前のクルマはこんなにトロいんだ」「なんで早くどかないんだ」「あおられて当然だ」と思い込んでしまう。その行為のただ中にいる際は、特に「悪いのは相手。私の行為はおかしなことではない」と自分を過度に正当化し、「危険性の判断」の優先度も低くなってしまっているのである。 しかしながら無論、価値基準の混濁が生じているからといって、すべての人に「あおり運転」のような危険行為が伴うわけではない。 その一つの分岐点は、個人のストレスへの易反応性(反応しやすさ)である。そもそも、運転している状態が、基本的には人間の心理・身体的にはストレスフル(多くの負担がかかる)である。 言うまでもなく、運転中はさまざまなことに気を配る必要があるからだ。まず前を見て、アクセルワークをして、前車との距離を調整し、かつルームミラーやサイドミラーで後ろや横を確認する。さらにはスピードや標識を確認し、時には目的地までの道のりを考えたり、時間に間に合うかどうかのタイムマネジメントも意識しなければならない。 注意力には人それぞれのキャパシティーがある。気を配るべき対象が多くなっている状態で、前のクルマが遅いといったさらなる心理的ストレスがかかると、脳の中で理性的かつ論理的で自制心を働かせる前頭前野の力は働きにくくなる場合がある。 そのため、怒りなどの感情に率直な、衝動的な行動が出やすくなるのである。仕事で疲れていない朝は理性的に運転できても、疲労した帰りの運転は荒い、という場合も衝動性をコントロールしきれなくなっている脳の機能低下が疑われる。対向車線にはみ出して進路をふさごうとするトラック(JAFメディアワークス提供、画像の一部を処理しています) また、ストレスがかかると、身体的には「緊急反応」という、ストレス事態に対して身体的な能力を一時的に向上させ、対抗しようとする状態が生じる。具体的には、血圧や体温が上がり、心拍が早くなるなどの交感神経系の緊張と、アドレナリンの分泌が促進される。このことが、怒りの感情が生起しやすい身体的背景である。 もう一つの分岐点は、欲求阻害状況への耐性である。つまり、自分の運転やクルマに対して求めるものや考えが、他者によって阻害されたときに、その状況にどれだけ耐えられるかということである。もし耐性が低ければ、暴走、あおりといった危険行為につながりやすいと考えられる。あおり耐性を簡易的に数値化してみる そこで、個人の耐性を簡易的に数値化してみよう。下記の「運転やクルマに対して求めるもの(個人のスキーマ・図式)」の各項目に「どれだけ自分の考えに当てはまるか」を100点満点で、「他者からの阻害要因(怒り・不快の誘発因)」の各項目に「どれだけ怒り・不快感を抱くか」に100点満点で点数をつけ、それぞれの10項目の平均得点を掛け合わせる。その結果、掛け合わせた点数が高ければ高いほど、欲求阻害状況への耐性が低い、つまり「あおり・暴走運転」をしやすいと考えられる。<運転やクルマに対して求めるもの>・クルマの中は自分だけの落ち着くける空間である・クルマは自分の思い通りに移動できる・クルマでの移動はすぐに目的地に着けるものである・自分は運転の上級者だと思う・自分の運転で他人に迷惑をかけることはない・クルマの中は安全で他人に侵されることはない・自分のクルマと違う属性のクルマ(例:自分は乗用車、相手はトラックなど)に怒りを感じやすい・運転中に怒りを感じたときに、怒りの発散対象や仕返しの方法がイメージできる・信号が青に変わったら極力間髪入れずに発進すべきだ・できるだけスピードが出る道を走りたい<他者からの阻害要因>・急な車線変更や割り込みをされる・身に覚えがないのにクラクションを鳴らされる・追い越し不可の道で前のクルマが低速走行し続ける・2車線の道路で両車線のクルマが並行して低速走行している・自分のクルマがすっぽり隠れるくらいの車高の高いクルマに前方視界を遮られる・低速走行しているわけではないのに、過度に車間を詰めて走行される・後ろを走っているクルマのライトがまぶしい・他車のオーディオやエンジン音がうるさい・前のクルマが不必要にブレーキを踏む・運転の下手なドライバーが多い そのほかにも、運転は生活上の文脈効果に左右されやすい。つまり、その日の生活状況や感情、運転前に蓄積した心理的ストレスに非常に影響を受けやすいことや、日頃から運転を通じて蓄積された怒りや不快感がある日突然爆発してしまうことがあること、プライベート感覚や匿名性が高まって喜怒哀楽の感情が表出されやすいこと、なども背景として挙げられる。 ちなみに、最後に付け加えておきたいのは、よく「運転すると人が変わる」と言われることがあるが、それは確からしくない。運転中の人物像も「その人そのもの」、つまり本質が出ていると言ってもよいし、別の一面が表出しているだけにすぎないのである。 ただ、「あおり運転」につながる個人の怒りやすさは、心理カウンセリングの一技法である認知行動療法的アプローチや、怒りを制御する「アンガーマネジメント法」などによって、自己コントロールできる場合も少なくない。少しでも自覚的に問題意識がある場合は、感情をコントロールするトレーニングも可能なのだ。(iStock) なお、当然のことながら、不法で危険なあおり運転は言語道断であり、一義的に悪い。とはいえ、あおりの対象になるクルマの中には追い越し車線を走り続けるなど違反にあたる走行をしていることもある。 一方で、違反でなくとも多くの他車にとって迷惑行為にあたる走行をしている場合もある。使い古された言葉ではあるが、やはり運転には、お互いを思いやり、譲り合う心と感覚、常に周囲に気を配れる注意力が必要なのではないだろうか。

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    「路上のクレーマー」あおり運転はこうすれば回避できる!

    森口将之(モータージャーナリスト) あおり運転は「路上のクレーマー」のような存在だと考えている。ささいなことを取り上げて激高する様子がクレーマーを思わせるからだ。ささいと書いたように、被害者に大きな落ち度はないことでも共通している。こういうケースに話し合いで何でも解決できると自信を見せる人がときどきいるが、クレーマー相手に話し合いなど通用しない。それを多くの人に知らしめたのが、昨年6月、神奈川県の東名高速道路であおり運転により夫婦が死亡した事故だった。 それでは、あおり運転をされた場合にどうすればよいか。人や車が多くいる場所、つまり高速道路ならサービスエリア、一般道路であればショッピングセンターなどの駐車場に入り、車を降りずに待機するという行動は、対策の一つとして考えられるかもしれない。 人目を気にして加害者がわれに返ることがあるかもしれないし、仮に車両を襲ってくるような事態なら、周囲の人々が警察や道路緊急ダイヤル(#9910)などに通報してくれる可能性もある。加害者が車から降りてきたら、逆に発進することでその場を逃れることもできるのである。 ただ、こうした行動については、犯罪心理学の専門家のほうが、より的確な回答をしてくれそうだ。筆者はモータージャーナリストなので技術的観点からいくつかの対策を考えた。 多くの人がまず思いつくのはドライブレコーダーだろう。今年1月、神奈川県の横浜横須賀道路でごみ収集車が横転した事故では、収集車に付いていたドライブレコーダーなどからあおり運転の加害者を特定し、逮捕につながった。 これに限らず、警察ではドライブレコーダーをあおり運転摘発の証拠として採用し始めており、有効な装備として位置付けられつつある。実際に半年ぐらい前から、ドライブレコーダーの売れ行きは急激に伸びている。 電子情報技術産業協会(JEITA)とドライブレコーダー協議会がまとめた2017年度ドライブレコーダー統計出荷実績(コンシューマー用と業務用の合計)によると、第1四半期(4〜6月)が約41万台、第2四半期(7〜9月)が約43万台だったのに対し、第3四半期(10~12月)は約85万台とほぼ倍増した。最近は前方のみならず後方、さらには360度記録可能な製品も登場している。ドライブレコーダーの購入を考える人の多くは、こうした多機能型に注目しているというデータもある。2017年6月に東名高速での夫婦死亡事故が発生したのを受けて、状況を客観的に記録でき、トラブル回避に有効なドライブレコーダーへの注目が高まっている(飯田英男撮影) 筆者も先日、車庫入れなどの際に重宝するリアカメラをドライブレコーダーのカメラとして活用した製品をテストする機会があった。私が使用しているドライブレコーダーは昔の製品であり、前方の画像のみを記録する単機能タイプなので、正直うらやましいと思った。 もう一つ、最近の自動車の装備で、あおり運転対策に効果がありそうなのが、緊急通報サービスだ。例えば、レクサスの「ヘルプネット」では、ボタンを押すだけで登録ナンバーや現在位置などの情報をヘルプネットセンターへ自動送信し、車両に一定以上の衝撃が加わった場合にはボタン操作なしでつながる。呼びかけに応えない場合は即座にオペレーターが救急車の出動を要請するという。被害者にならないための「運転テク」 運転中の携帯電話の使用は認められていないので、警察や道路緊急ダイヤルなどへの連絡は当然できない。しかし、ボタン操作で同様の緊急連絡ができれば、危機的状況をいち早く外部に伝えられるだろう。 すでに、バスやタクシーには似たような装備がある。走行中にバスジャックなどの被害に遭遇した際に、ボタン操作で行き先表示板に「緊急事態発生」などと出すことで、後続車に危機的状況であることを知らせるものだ。乗用車にも似たような装備があってもいいのではないかと考えている。 技術といえばもう一つ、運転技術についても触れておきたい。それは追い越しに関する技術である。あおり運転のニュースを聞くたびに、日本のドライバーが追い越しに慣れていないことも一因ではないかと感じている。 欧米と比べると、日本の一般道路は追い越し禁止としている個所があまりにも多い。事故防止の観点からこのような措置を取っているのだろうが、見通しの良い平坦(へいたん)でまっすぐな道さえ、追い越し禁止としている状況を見ると、首をひねらざるを得ない。 ドライバーが追い越しをする機会は減るため、追い越し技術そのものが養われない。そうなれば、遅い車が前にいても追い越せないイライラが、あおり運転に発展することもあるだろう。ぜひ考え直してほしいところである。 追い越し方も大事だ。こちらは日本の高速道路を走っていて気になることだが、前の車を追い越すために走行車線から追い越し車線に出て、追い抜いたあともずっとその車線に居座り続ける人が多い。他車を追い越すつもりなどないのに追い越し車線をゆっくり走り続ける車を見ることさえある。 道路交通法では、高速道路で追い越しが完了したあとも追い越し車線を走り続けるのは「通行帯違反」であり、立派な交通違反だ。一方で追い越し車線に居座る遅い車を走行車線、つまり左側から抜く行為もまた通行帯違反となる。一般道路とは車線のルールが違うのだ。(iStock) つまり片側2車線の高速道路で、追い越し車線に遅い車が居座っていると、その車両は永遠に追い抜けないことになる。こうした状況があおり運転を誘発する可能性もあるだろう。 この通行帯違反、高速道路では速度超過(スピード違反)に続いて多い違反になっている。昨年11月から制限速度が時速100キロから110キロに引き上げられた静岡県の新東名高速道路では、80キロに据え置かれた大型トラックの追い越し車線走行が禁止されたこともあり、重点的に取り締まりを行っているという。 冒頭に書いたように、あおり運転の多くは加害者側の感情のコントロールが主因と考えている。しかし、被害者側があおられる原因をつくり出さないこともまた大切なのである。

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    危険運転致死傷罪と過失運転致死傷罪を分ける「法律の壁」

     東名高速道路で運転妨害を繰り返したうえに、追い越し車線に車を停車させ、追突事故を引き起こし夫婦の人命を奪った事件。逮捕された石橋和歩容疑者(25才)。その逮捕容疑は「過失運転致死傷罪」だ。 同罪は「7年以下の懲役または禁錮もしくは100万円以下の罰金」と定められている。これは通常の人身事故と変わらない刑罰で、罰金刑で済む可能性すらある。交通事故に詳しい東京永田町法律事務所の加藤寛久弁護士が解説する。「交通事故には、最高20年の有期刑を科す『危険運転致死傷罪』があります。ただし、これを適用するには、運転手の行為が酩酊運転、高速度運転、未熟運転、妨害運転等に該当しなければならない」 一見すると石橋容疑者の行動は「妨害運転」に該当しそうだが、司直の見解は異なる。「危険運転致死傷罪が成立するのは、先の危険運転で“人を死傷させた”ケースです。今回の事故でいえば、石橋容疑者が妨害運転をしたと認定されても、彼自身が死傷させたと判断できるかどうか。ここに法的な難しさがあるんです。今後の捜査次第で危険運転致死傷罪に該当すると判断できる可能性もあるが、現時点では難しい。このため、警察は刑の軽い『過失運転致死傷罪』で逮捕したのだと思います」(加藤弁護士) 石橋容疑者が危険運転致死傷罪での逮捕ではなかったことについて、「事故のきっかけを作っておいて、なぜ?」と疑問が噴出している。『バイキング』(フジテレビ系)でも、坂上忍(50才)が「法の矛盾を痛感する」と憤り、山本譲二(67才)も「殺人だと思う」と断言した。 過失運転致死傷罪と危険運転致死傷罪を分ける「法律の壁」は、これまで何度も議論となってきた。 2000年4月、神奈川県座間市で検問から猛スピードで逃走した車が歩道に突っ込み、通行中の大学生2人を即死させる「小池大橋飲酒運転事故」が発生した。運転手は飲酒していた上、無免許だったにもかかわらず、判決は業務上過失致死罪で懲役5年6か月。 これに対し、遺族の母親が、「人を殺めながら窃盗罪(10年以下の懲役)より軽い罪なのはおかしい」と法改正を求める署名を始めた。2006年9月、福岡・海の中道大橋飲酒運転事故の現場で、犠牲となった幼いきょうだいの冥福を祈る人ら。裁判では危険運転致死傷罪の適用が争点となった 前年(1999年)には一家4人が乗る乗用車に飲酒運転の12トントラックが追突し、女児2人が死亡する「東名高速飲酒運転事故」が起きており、相次ぐ悪質な事故とそれに見合わぬ刑罰に国民の不満が爆発。遺族は37万人超の署名を集め、2001年11月、危険運転致死傷罪が成立した。 以降、悪質な交通事故が同法で裁かれるケースは確かに増えた。2006年8月、福岡県福岡市の「海の中道大橋」で、会社員の乗用車が飲酒運転の車に追突されて博多湾に転落。同乗していた3人の子供が亡くなる事故が起きた。当時22才の運転手に同法が適用され、最高裁で懲役20年の刑が確定している。関連記事■ 東名夫婦死亡事件 被害者母が告白「解明導いた長女の強さ」■ 千野志麻「逮捕されなかったのは著名人だから」との見方あり■ 東名死亡事故石橋容疑者 女性と一緒だと態度がひどくなる■ 死亡事故被害者遺族 千野志麻に「一生、憎みます」と告げた■ 娘を失った風見しんごが「人生どうにかしなきゃ」になるまで

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    「アンガーマネジメント」できていれば東名死亡事件なかった

     怒りは敵だと思え──。こんな諺があるように、「怒り」を表に出せば、人の恨みや反感を招き、最終的には自分の身を滅ぼしかねない。だが、こんな教えは理解しつつも人は「怒る生き物」であり、時に取り返しのつかない行動を取ってしまう。東名高速夫婦死亡事故で罪のない夫婦を死に至らしめたドライバーはその典型だろう。人生を狂わせないためには「怒りのタイプ」を知ることから始めることが重要だ。 もし彼が「アンガーマネジメント」を学んでいたら、この痛ましい事故は起きなかったかもしれない──。 15才と11才の姉妹を残して、両親が無念の死を遂げた東名高速夫婦死亡事故。今年6月、東京への家族旅行の帰路、静岡市在住の萩山嘉久さん(享年45)は、神奈川県の中井パーキングエリアの出口をふさぐように停車していたワンボックスカーに対して注意をした。これに激昂した運転手は、萩山さん一家の車を追跡すると、進路妨害を繰り返し、追い越し車線に無理矢理停車させた。 その直後、後方から大型トラックが一家の車に追突し、同乗していた姉妹は軽傷で済んだものの、萩山さんと妻・友香さん(享年39)は帰らぬ人となってしまった。 事故発生から4か月後の10月11日、悪質なあおり運転で事故の原因をつくったとして、ワンボックスカーの運転手である石橋和歩被告(25才)は過失運転致死傷罪で逮捕。だが、これに対して「罪が軽すぎる」などと議論が巻き起こり、萩山さんの母も本誌の取材に対して「これは殺人事件。容疑者を厳罰に」と悲痛な思いを訴えた。 そんな遺族感情に応えるように、10月31日、横浜地検はより刑の重い危険運転致死傷罪で石橋被告を起訴した。(iStock) だが、遺族の悲しみは消えるわけではない。石橋被告の犯した罪は重い。彼があのとき感情をコントロールすることさえできていれば、今も萩山さん一家は幸せな日々を送っていたはずなのだから…。 なぜ石橋被告はキレてしまったのか、怒りを抑えることができなかったのか。寝不足、スマホの使いすぎで怒りやすくなる寝不足、スマホの使いすぎで怒りやすくなる「怒りは瞬間的にスイッチが入ります」と語るのは、早稲田大学研究戦略センターの枝川義邦教授だ。 そもそも動物が「怒り」をあらわにするのは、身を守るための行為なのだという。「脳の『扁桃体』は、五感がキャッチした多くの情報が集まる場所で、好き嫌い、快不快、不安、恐怖、悲しみといったさまざまな強い感情が湧き出るときに働いている。そして、扁桃体がかかわる感情は立ち上がりが早い。感情を向ける対象者が敵の場合、目前の敵から逃げるか、戦うかの判断を早くしないとならないからです。目の前の敵に対するストレス反応ともいえます」 石橋被告は萩山さんを敵と認識し、攻撃に転じたのだろう。だが、本来、怒りは長時間持続することはない。「人間は怒っているときには交感神経が優位になるので、心拍数や血圧が上がり、呼吸も速くなる。このようなストレス反応は長期間続かないような仕組みが体に備わっています。交感神経とバランスを取るように副交感神経の活動が高くなったり、理性を司る脳の『前頭前野』が活発化し、その怒りにブレーキをかけようとする」(枝川教授) しかし、近年、石橋被告のように、そのコントロールができない人が増えている。「寝不足、スマホの使いすぎなどでも前頭前野の機能は低下します。ストレスホルモンである『コルチゾール』の分泌が増えることでも前頭前野の機能は低下することから、ストレスに晒され続けている人は理性のブレーキが利きにくくなり、怒りが爆発しやすくなるのでしょう」(枝川教授)(iStock) だが、「怒り」はコントロールすることができるという。「自分の『怒り癖』を自覚し、『アンガーマネジメント』すれば、今よりも生きやすくなるはず」と話すのは、日本アンガーマネジメント協会の安藤俊介代表理事だ。「アンガーマネジメント」とは、その名の通り、怒りの感情を自ら管理すること。「石橋被告も『アンガーマネジメント』できていれば、きっと事故は起こらなかった。2人の命は救えたはずだし、多くの人々の人生が変わることはなかった」(安藤氏)関連記事■ 東名死亡事故石橋容疑者 女性と一緒だと態度がひどくなる■ 怒りのピークは6秒程度 社会人失格の扱いを回避する対処術■ 東名夫婦死亡事件 被害者母が告白「解明導いた長女の強さ」■ 怒る原因は自分以外にあると思いがち 実は受け取り方にある■ 東名死亡事故被害者の母「私が生きてる間は外に出さないで」

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    自殺の「意志」は現代日本でどう扱われているのか

    それを法廷で認めさせた過労自殺裁判の目的が過重労働を課す会社・社会を問い正すことだったように、それが社会問題化のうねりとも関係していると書かれていました。 そこで、現代の自殺を考えるには、個人の意志と精神の病と社会問題という3つの説明の拮抗関係を見る必要があると考え、過労自殺について調べることにしました。――電通過労自殺裁判が転換点となった背景とは?元森:そもそも長時間労働の末に自殺したとしても、労災認定が下りる見込みは非常に低かったんです。労災認定は業務を通じた健康上の損害を補償する制度です。そのため、業務起因性が明白な事故や怪我と違い、過労による死が業務上の損害とみなせるかが問題となってしまいます。 ただ、労災認定については1960年代から、例えば過労により脳・心臓疾患を患うことは徐々に認められるようになりました。しかし、自殺では、最後に死を選んだのは本人の意志ではないかという問題が、ここに加わります。 そこで、労災認定が望めない中、企業の責任を問うために提訴された電通裁判で、弁護団は、「過労で脳・心臓疾患を患う」のと同様に、過労で精神障害を患い自殺した(当人の意志ではない)という、当時としては大変インパクトのあるレトリックを採用し勝訴しました。 背景には、自殺とうつ病などの精神疾患の関係についての研究が進んだことがあげられます。自殺者の大半がうつ病などの精神疾患に罹患しているという精神医学の知見があり、WHO(世界保健機関)の「自殺予防・医療者のための資料」では、先進国、途上国ともに、自殺者の80~100パーセントが精神障害だったとされています。2006年5月、自殺対策基本法の制定を求め、JR新宿駅西口で署名運動をする人たち こうしたエビデンスにより、自殺は精神病理として扱われ、自殺の「精神医療化」と説明したくなるほどになりました。つまり、自殺を図ったということは、精神障害に罹患していた可能性が高い、となったのです。ただ、では実際に精神医療化といえるほどの事態が進んだかというと、そうでもありません。 この法理が定着し、労災認定制度にも反映された結果、労災認定や損害賠償請求裁判では、自殺した人が実際に精神障害に罹患していたかは、あまり問われなくなっています。代わりに、精神障害に罹患してもおかしくない労働状況だったかが問題となります。実務の場では、精神の病説と社会問題説がこう拮抗しているのです。電通事件は歴史的転換点――「精神疾患→自殺」というレトリックが採用されるようになった00年以降、過労自殺の損害賠償請求裁判で、遺族側が勝てるようになったのでしょうか?元森:過労自殺の場合、世間が注目するのは、自殺の責任を企業側に認めるかです。その意味では、電通裁判判決以降、労働時間などの条件が整えば、企業の責任が認定される道が開かれました。ただ、認められた場合、過失相殺(編注:被害者自身や遺族等にも過失が認められる場合、賠償額からその分を考慮し減額すること)の議論に進むことがほとんどです。 電通過労自殺裁判では、過失相殺が0でした。過失相殺が0でないケースでは、精神障害に罹患したのは、会社の責任なのか、それとも本人や家族にも責任があるのかが、結局もう1度問われていることになります。最終的な賠償額は50~80%減額されているそうです。――昨年10月に電通社員だった高橋まつりさんの自殺が労災認定され、電通本社にも東京労働局が立入調査に入るなど、注目を集めています。奇しくも新たな電通社員の死がさらなる歴史的転換点となる可能性は高いのでしょうか?元森:民事裁判では上記のように訴え方が固まってきており、労災認定も下りやすくなっています。ただ、だからといって、過重労働については歯止めが掛かっていません。その意味で、労働法上の刑事責任が問われる意義は大きいでしょうね。 また、今回、初の『過労死等防止対策白書』が公表された日に、遺族が厚生労働省で記者会見をしたことに、新しい社会問題化のうねりを感じます。 2000年代に入ると、日本社会で自殺対策が進みました。「自殺対策基本法」が2006年に制定され、2007年には「自殺総合対策大綱」が閣議決定されます。この自殺対策の中では、うつ病に罹患し、自殺しないようメンタルヘルス対策の重要性が謳われる傾向があります。労働現場でも、社員をうつにしない社会にしましょうと、15年12月から従業員50人以上の事業所でストレスチェックが義務付けられました。2017年10月、高橋まつりさんの写真を前に会見に臨む母、幸美さん(川口良介撮影) しかし、労働時間の短縮につながるかと言えば、そこは曖昧なままだったんです。そもそも、電通の裁判などで使われた精神障害に罹患し自殺したというのは、あくまで裁判に勝ち、企業側の責任を認めさせるためのレトリックだったはずです。メンタルヘルスばかりが強調されて、過重労働削減の方向へ進まないのでは意味がありません。 むしろ、メンタルヘルスを管理できない本人の責任問題が回避してしまう可能性すらあります。自殺は、精神の病か、社会の問題か、本人の意志の問題かという点は、未だ拮抗しているのです。 2014年に過労死等防止対策推進法が制定され、過労自殺は自殺問題とは別に、労働・社会問題であることが再確認されました。今回の電通事件をめぐる関係者の動きや報道を見れば、過労自殺をめぐって、社会の理解が再度変わっていく可能性はあると思っています。「いじめ自殺」を認める学校は少ない――次にもう1つの章である「いじめ自殺」の話題に移りたいと思います。いじめ自殺もよく耳にします。元森:いじめ自殺で毎年多くの子どもを失っているというイメージを多くの人が抱いているかもしれませんが、実際には統計史上最多でも2013年の9件です。こうしたいじめ自殺がどうメディアで語られるかについては、教育社会学などの研究の蓄積があります。  子どもという存在が自殺をするというのは、世間一般的にも受け入れづらい出来事だと思います。そこで、子どもの死が社会でどのような決着をつけられているかを調べてみようと、いじめ自殺をめぐる裁判の論理に注目しました。――よく話題になる論点として、生徒がいじめられている事実を学校は知っていたのか、そしてその責任はどこまで負うべきかというのがあります。判例を調べる限り、そのあたりはどうでしょうか?元森:今回、調べた限り、電通裁判以来趨勢が変わった過労自殺とは異なり、いじめ自殺に対する学校の責任を認めた判例は非常に少ないことがわかりました。  裁判では、いじめの結果、心身の傷や自殺に対する学校の責任が認められるには、そのような結果を学校が予見できたはずだということが必要になります。そこで、いじめ自殺の裁判では、自殺という結果まで予見できたとみなせるかが、問題となってきました。 最初期は、自殺は生徒の意志によるものであり、学校は自殺の意志までを予見して予防することはできなくても仕方がないと判断されました。 しかしその後、東京都の中野富士見中学でのいじめ自殺事件の判例が、現在まで続くスタンダードとなっていきます。そのポイントは4点あります。1点目にいじめの事実認定、2点目に学校側の安全配慮義務違反の認定、3点目に損害賠償範囲の認定。ここで予見可能性が問われ、自殺までの責任を認めるかどうかが問われます。 自殺までの責任が認められた場合は、4点目に過失相殺の認定に進みます。これらの4点について詳細な検討を行い、一つひとつ判断していく判例が定着しています。(iStock) その結果、いじめの事実が認定されなかったり、学校は義務を果たしていたとされたり、いじめを止められず生徒に心身の傷を負わせた責任は認めても、自殺までの責任はないとされたりすることが多く、いじめ自殺までの学校の責任は認められにくいのです。ただ、自殺の予見可能性を問うときに、当人の意志という観点で考えない判例も増えてくるなど、変化は見られます。 なお、自殺までの学校の責任を認めた判例は少ないのですが、そこだけにとらわれるのではなく、自殺までの責任はないけれどいじめを止めることが出来なかった責任は認めるという判例にも注目する必要があると思いました。 自殺までの責任を認めた判例は、すべて過失相殺に進んでいます。その結果、ひどいいじめを止められなかった責任のみを認定したケースと、自殺までの責任を認めたケースとで、認められた賠償額がほとんど変わらなかったり、ときには逆転していたりすることがあります。仮に金額を責任の重さとみなせば、いじめを止められなかった責任は十分痛烈に問われているとも言えます。過労自殺といじめ自殺は違うのか――どうしても過労自殺裁判といじめ自殺裁判を比べてしまうのですが。元森:一般的に、長時間労働を強いた企業と、いじめを止めることが出来なかった学校、そして自殺に至った社員と生徒とは、同じような構造に見えるかもしれません。ただ、加害者を見ていくと、過労自殺で長時間労働を強いたのは上司と会社、いじめ自殺ではいじめた生徒なんです。止めることが出来なかった教師や学校は、直接の加害者とは、また違うポジションにいることになります。 また、自殺するほどの長時間労働となると、会社以外での時間がほとんどないような状況になりますが、いじめの場合は、いじめられた子には、学校外での時間もたくさんあります。こういった中で、学校にむやみに自殺まで責任をとれと責め立てていくことが建設的なのかは、もっと社会的に議論していく必要があると思います。――ということは、過労自殺裁判といじめ自殺裁判では、法廷で争う論理が違ってくるわけですね?元森:過労自殺などは、精神障害に罹患していたために自殺をしたという論理で企業の責任を問うという方向性になっていますが、今まで述べてきたように、子どもの自殺ではそうはなっていません。 いじめ自殺の民事裁判を担当された弁護士に取材した際に、過労自殺では「過労→精神疾患→自殺」というレトリックで戦って企業責任が認められてきているが、いじめ自殺も「いじめ→精神疾患→自殺」という訴え方をしようとは思わないのかとたずねてみました。そうすれば、いじめを止められなかった責任さえ認められれば、事実上、自殺までの責任が問えるという形に持ち込めるのではないかと。2016年12月、会見終了後、頭を下げる電通の石井直社長(中央)ら(菊本和人撮影) ところが、それは考えていなかったという回答でした。子どもが精神疾患に罹患するという発想がなかったとのことでした。スクールカウンセラーが学校に導入されるなど、別の場面では子どもがうつ病を始めとする精神疾患に罹患することが強調されているのですが。――過労自殺と同じようなレトリックで裁判を戦っている事例はないのでしょうか?死を選ぶ権利はあってもいい元森:判例を読んだ中で、いじめで精神障害に罹患したという訴え方をしているケースは3つありました。神奈川県立野庭高校で高1の女子生徒が自殺した事件、栃木県鹿沼市の中学校で中3の男子生徒が自殺した事件、そして名古屋経済大学附属市邨中学校で中1時にいじめられた女子生徒が、転校後に自殺した事件です。このうち、野庭高校と名古屋経済大附属のケースは、実際に精神疾患という医師の診断が出ていましたから、訴状にもその旨書かれているだけです。 唯一、鹿沼の件は、精神疾患の診断がなかったにもかかわらず、いじめられてうつ病に罹患した末に自殺したと、二審では過労自殺と同じレトリックで訴えています。一審では、精神疾患については触れなかったらしいのですが、担当した弁護士が子ども事案を専門とする方でなかったから柔軟に考えられたのか、過労自殺を参考にして同じようなレトリックを組み立てたのだそうです。 裁判というのは、訴えた論理でしか判断されません。原告側が、自殺に至ったのはこういった経緯で、それがこの法律の問題に抵触しますと論理を組み立て、裏付ける証拠を添えて訴えます。裁判所は、本当にそのような経緯だったか(事実認定)、それが本当にその法律に違反しているのかを判断します。結果として、鹿沼の事件では、裁判所は「いじめ→精神障害→自殺」という原告側の論理構成には異議を挟まず、それに沿った判断を行いました。 ただ、うつ病に罹患したと推定される時期が、いじめにあった時点から離れすぎているとして、「いじめ→精神障害」という事実認定がされませんでした。もし、この裁判で勝訴していれば、いじめ自殺の電通過労自殺裁判になったかもしれません。 なお、本書の観点から見れば、これだけ自殺の原因は精神障害という論調が強まる中で、子どもが精神障害になるというレトリックで訴えようと思わないということ自体が、私たちの個人や意志、大人や子どもという想定の一端を表しているようで興味深いです。――最後に、あえてこんな人に本書を読んで欲しいというのはありますか?元森:自殺はよくないことと思ってしまいがちですが、安楽死の議論があるように、最終的に自らの意志で死を選ぶ権利はあってもいい気がしませんか?その両方に引き裂かれ、スッキリしない気持ちについて考えてみたいという人に、是非読んでほしいですね。また、個人と社会の関係性を様々な形で社会学として問いたいと考えているので、方法論的な含意も汲んでいただければ嬉しいですね。(iStock) 厭世自殺と生命保険自殺を扱った貞包英之さんの章、警察やメディアなどの現場の対応を扱った野上元さんの章も、是非読んでいただきたいです。

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    ある意味どえらい「カジノ法案」

    政府が今国会の成立を目指しているカジノを含む統合型リゾート施設(IR)実施法案の議論があまりにひどい。「週3回、月10回以内」「入場料6千円」といった具体案がようやく提示されたが、いずれもギャンブル依存症対策とは名ばかりの内容と言わざるを得ない。こんな法案でホントに大丈夫か?

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    韓国よりも生ぬるい「ギャンブル依存症」対策で大丈夫か?

    鳥畑与一(静岡大教授) カジノを含む統合型リゾート(IR)解禁に向けた「世界最高水準の依存症対策」の政府案が2月末に明らかにされ、とりわけ「1週間3回以内」、「1カ月(28日)10回以内」というカジノ入場回数制限が賛否の的となった。依存症対策としては甘すぎるという批判の一方で、カジノの収益性を損なうものという批判も出され、自民党プロジェクトチーム(PT)からは「1カ月10回以内」に絞り込むよう要望がまとめられている。 ギャンブル依存症は、ギャンブル行為を通じた脳に対する刺激による脳の変化(ドーパミンの過剰分泌など)による病気であり、ギャンブルの「頻度×継続時間×賭け額」の大きさが客観的原因(いわゆるエクスポージャー理論)とされる。 英国ノッティンガム大教授のM・グリフィス氏らによれば、個人的要因のほかに、居住地からカジノ施設の距離、カジノ数、賭け行為の間隔や時間、賭け金額、勝つ確率などの状況的・構造的要因が依存症を誘発する客観的要因とされている(『欧州における問題ギャンブル』2009年)。 例えば、米国のJ・H・ウェルテ氏らの依存症実態調査によれば、カジノに近いまたはカジノ数の多い住民ほど常習者(週2回以上の頻度)になる確率が高く、そして常習者ほど依存症率が高いことが明らかにされている。 従って、カジノへの入場回数の規制は、政府案も認めるように一般論としては依存症対策として有効である。問題は、政府提案の入場制限数が依存症対策として有効であるか否かであるが、結論から言えば、提示されている入場制限数は、依存症を促進するものであっても抑制する水準ではない。カジノへの入場禁止を行う「自己排除(Self Exclusion)」制度を導入している国は欧米でも多くみられるが、入場回数制限を行っている国は韓国とシンガポールなど稀(まれ)である。 そこで政府案では、1カ月で15回以内の韓国と8回以内のシンガポールの事例を参考に提案を行っている。しかし、政府提示の入場制限数の具体的根拠は、国民の休日数や平均的な旅行宿泊日数との適合性であって、この回数が依存症対策として有効か否かの検討が行われているとは思えない。※写真はイメージ(iStock) 例えば、韓国で国民に唯一解放されているカジノであるカンウォンランド(2000年開業)で2006年から開始された入場回数制限は1カ月15回以内(地域住民は月1回のみ)だが、それが2カ月連続した場合は入場を制限し、カウンセリング実施などの措置が取られている。 韓国のKL依存症管理センターは、入場回数で依存症発生リスクを区分しているが「2カ月連続15日出入を繰り返すなど年間100日以上の常習出入」を高リスク、「2四半期連続で30日を超える顧客など年間100日以上の常習出入」を中リスクと位置付け、高リスク利用者には「特別管理(義務カウンセリング、病院治療など)」や「本人/家族への出入禁止を強く誘導」などの対策を適用している。抑制策にならない政府案 韓国カジノ管理委員会などの依存症調査(「ギャンブル産業利用実態調査」)では、中リスク以上を依存症者と位置付けている。政府案の1カ月10回以内では年間120日のカジノ入場を許容することになり、これでは依存症の抑制策たり得ない。 シンガポールでは、2010年のカジノ開業前の2009年に自己申請・家族申請・自動排除などでカジノ入場禁止を行う「自己排除制度」が導入されていたが、2013年6月から新たに自己申請・家族申請・第三者申請による入場回数制限(1月あたり1回、2回、4回、6回、8回の選択制)が導入された。 この回数制限で注目されるのは、シンガポールの国立問題ギャンブル評議会(NCPG)が、カジノへの頻繁な入場者をリストアップし、その家計状況(銀行口座、クレジットカード利用状況など)を審査し、ギャンブルによって家計的困難が生じている場合は、個人的状況に応じた回数制限を強制的に課す第三者申請の回数制限措置である。 表1に見るように、昨年末の回数制限適用者5598人中、第三者回数制限者は3715人(66・4%)となっている。審査対象者らの詳細は2016年から非公表となっているが、2015年末には4532人が「頻繁なカジノ入場者」として審査対象となり、そのうち2012人(44・4%)に回数制限が適用されている。資料:NCPG「Active Casino Exclusions & Visit Limits 」 NCPGの依存症調査によると、2011~14年にかけて依存症率が大きく減少している(表2参照)。それぞれの調査期間は3月~8月であり、14年時のデータは回数制限導入後1年余りでしかなく、回数制限がどの程度の効果があったのかは十分な判断はできない。 しかし、同調査では、週1回以上のギャンブル経験者が常習者とされ、依存症者(病的)の83%が常習者とされるので回数制限の有効性は推測できる。だが、ここで重視されるべき点は、この回数制限は単なる回数制限にとどまるものではなく、過度の常習者に対する家計調査やカウンセリングを行った上でより厳しい回数制限を課す制度が中心であるということである。資料:NCPG「Report of Survey on Participation in Gambling Activities     among Singapore Residents」2009、12、15年版  深刻な場合は、回数制限にとどまらず、入場禁止措置も取られることになっているが、日本においても単なる回数制限で終わるのではなく、家計状況調査などを踏まえた第三者申請による回数制限や入場禁止措置と一体となったものでなければ有効性は担保できないと言える。しかし、市民と永住権取得の成人人口310万人を対象としたシンガポールの入場回数制限制度を日本において有効に実施することは極めて困難と言わざるを得ない。 ところでラスベガス観光局の調査では、初訪問者のカジノ目的比率は1%であるが、平均3泊4日の滞在期間で73%がカジノでギャンブルを体験している。その結果、再訪問者のカジノ目的比率は12%と大きく増大している(Las Vegas Visitor Profile Study 2015)。偶然性に対する賭けであるカジノのギャンブルは多くの人に勝った経験を味わいさせることでリピーターにしていくビジネスモデルであるので、最大の依存症防止策はギャンブルを経験させないことに尽きる。 その点でカジノ入場禁止を課す「自己排除制度」が回数制限以上に有効な対策となるが、政府案では事業者に本人・家族申告による利用制限措置などの実施を義務付けさせるべきと述べるにとどまっている。 多くの国で依存症対策の一つとして自己排除制度が活用されている。例えば米国では、カジノ合法化24州中20州でなんらかの自己排除制度が導入されているが、有効に機能しているとは言えない。多くは氏名、住所、写真などを記載したリスト作成に基づき入場を制限する形式だ。だが、事業者に運営が委ねられた場合は依存症の危険性の啓蒙活動や制度の存在の宣伝がおろそかになるため、申請数が少ない上に、登録した場合でも入場時の確認が不十分なため機能しないとされる。有効なシンガポールの対策 とはいえ、シンガポールの自己排除制度は、表3に見るように大きな役割を発揮している。これは独立組織であるNCPGが自己排除制度の運用を担当し、依存症の危険性や自己排除制度の宣伝や申請のしやすさなどの促進に非常に力を入れているからである。資料:NCPG「Active Casino Exclusion & Visit Limit」 ここでも注目されるのは、政府から何らかの財政的補助や法的支援を受けている者や自己破産者らの家計困難者は自動的に入場禁止を課す自動的入場禁止措置の存在である。この結果、入場禁止措置を受けているシンガポール市民らは、自己申請、家族申請、自動排除の合計で7万774人(成人人口比約2・3%)に達している。 カジノ経験率(2011年7%から14年2%に低下)から推計されるカジノ利用市民約6万余を上回る規模の市民が入場禁止措置を適用されているのである。入場回数制限と共にこの自己排除制度による入場禁止措置が、シンガポール市民のカジノ利用の抑制策として非常に有効に機能したことが依存症率の低下に貢献したものと推測される。 日本においても「世界最高水準」を標榜するならば、シンガポールNCPGのような独立のギャンブル依存症対策機関による自己排除制度の運用が欠かせないと言える。 シンガポールでは、入場料徴収(1回100シンガポールドル、年間2000シンガポールドル)の他、市民対象のカジノの宣伝や勧誘活動の禁止、ATMの設置や市民への信用供与の禁止を課す一方で、NCPGなどを通じたギャンブル依存症の危険性の啓蒙宣伝活動が盛んに行われている。これが可能なのは、シンガポールのカジノ客のほとんどが中国などの海外からの来客で占められており、シンガポール市民に依存しなくてもカジノの高収益確保が可能だからである。 外国客向けには高額の賭け資金貸付も行うジャンケットも容認されており、LVサンズなどのカジノ事業者はその巨額投資を5年ほどで回収できるほどの高収益を維持しているが、ジャンケット禁止を予定している日本において、シンガポールと同様の高収益獲得の条件が乏しいのは明らかである。シンガポールの観光の目玉となっている「マリーナベイ・サンズ」=2018年3月(鳥越瑞絵撮影) 国内客を主要ターゲットとせざるを得ない外国カジノ事業者にとって、日本政府が求める巨額投資を行いつつ、出資者が求める短期の投資回収を可能にする高収益を実現する上で、シンガポール並みの依存症対策を実行することは不可能である。 刑法の賭博禁止の違法性を阻却するためにIRの経済効果の大きさを強調するほど、収益エンジンとしてのカジノと依存症対策が両立不可能な隘路(あいろ)にはまり込んでいるのではないだろうか。 

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    ヒントは韓国にあった! カジノ依存「7・3%の層」への具体策

    木曽崇(国際カジノ研究所所長) わが国のカジノ合法化と統合型リゾート施設(IR)導入に向けた論議が大詰めを迎えている。政府は、この通常国会に提出を予定しているIR実施法案において、日本人及び在日外国人のカジノ入場に対して入場料を課す案を提示した。また、一定期間内での入場回数上限を設けるとしている。連立与党である自民党と公明党はこの政府の主張に対し、入場料の設定を6千円とし、また入場回数上限を「週3回、月10日以内」とする案を両党間協議で了承し、近く法案の国会提出を行う予定だ。 一方、これら政府が示す規制案に対しては与野党のみならず、各メディアも含めてさまざまな論議が飛び交っている。まず入場料の設定に関してだが、現在与党が合意している6千円という価格に対して、カジノ反対派や慎重派の立場にいる人間からは「それでは依存対策にならない」との意見が散見される。 しかし、そもそもこの入場料は「国民の安易なカジノ入場を防止する」目的で設定されてはいるものの、政府も昨年昨年行われたIR推進会議の総括において「依存症対策として入場料の効果についての科学的知見は必ずしも確立されていない」と明言している。そのような何ら効果の検証されていない入場料に対し、「それでは依存対策にならない」という批判自体がいかにナンセンスなものであるかが見て取れる。 そもそも、国際的なカジノ研究の中で、入場料賦課はギャンブル上の問題を抱えるプレーヤーに対して、それほど大きな行動抑制策にはならないどころか、総体としてその施策は逆効果を生むとする説が主流である。ワシントン州立大のフィランダー准教授はレジャービジネス誌『UNLV Gaming Research & Review Journal Vol.21』に掲載された論文で、二つの経済モデルを利用しながらこれら入場料の「効果」の検証を行っている。 「Entry Fees as a Responsible Gambling Tool: An Economic Analysis(『責任あるギャンブルツールとしての入場料:経済分析』)」と題したこの論文では、入場料の賦課は健全な娯楽としてギャンブルを楽しむプレーヤーの需要を大きく減退させる一方、ギャンブル上の問題を抱えるプレーヤーに対する需要抑制としてはあまり効果がないことを論じている。この論文においてフィランダー氏は、入場料の設定がむしろカジノ産業に「ギャンブル上の問題を抱える消費者からの収益に重度に依拠した産業構造」を誘発させかねない施策であるとして警鐘を鳴らしている。2018年2月、大阪市夢洲での統合型リゾート施設の構想案を説明する米MGMリゾーツ・インターナショナルのジェームス・ムーレン会長 実はこのことは、2015年に発刊された拙著『日本版カジノのすべて』においても、私自身が相当の分量を割いて論じてきたことでもある。 一方で実はこれら(入場料が採用されている)地域においても、この入場料の徴収が真の意味で依存症対策になっているかどうかに関していまだ科学的な論証はありません。また、ラスベガスやマカオなど他地域のカジノ専門家の中には、むしろこの入場料の徴収が消費者にとってのサンク・コスト(撤退を行ったとしても回収ができないコスト)として認知され、ギャンブル依存者の施設内滞在を助長している可能性も指摘されています。『日本版カジノのすべて』(日本実業出版社)カジノに行きたい「7・3%」の危険 さらに、入場料金額の多寡に関してだが、これを論ずるにあたっては国内で同様に入場料の徴収が行われている類似のギャンブル産業と比較してみる必要もあるだろう。現在の依存対策論議では、カジノの入場料設定だけが論議の焦点として取り挙げられがちであるが、実はわが国の公営競技場はそれぞれの論拠法に基づいて、カジノ施設と同様に入場料の徴収が行われている。第五条 日本中央競馬会は、競馬を開催するときは、入場者(第二十九条各号に規定する者その他の者であつて農林水産省令で定めるものを除く。)から農林水産省令で定める額以上の入場料を徴収しなければならない。ただし、競馬場内の秩序の維持に支障を及ぼすおそれがないものとして農林水産大臣の承認を受けた場合は、この限りでない。「競馬法」 この競馬法と同様の規定は、わが国のボートレースを規制するモーターボート競走法にも存在する。一方で競輪やオートレースを規制する自転車競技法や小型自動車競走法では2007年の法改正によって「規制緩和」という名目で同様の入場料規制が撤廃されている。結果として現在、各公営競技及びパチンコ産業など、カジノと類似するサービスを提供している施設への入場料設定は以下のようになっている。【注】ただし、公営競技の場外投票券売場に関して入場料はない(筆者作成) このように見ると、現在わが国のカジノで導入されることが提案されている6千円の入場料設定は、国内の類似するギャンブル産業と比べて相当以上に「高額」な設定であることが分かる。 また、カジノ入場料の金額設定に基づく日本人顧客の消費意向の変化も非常に興味深い。以下は昨年9月にヤフー・ジャパンによって実施された「カジノ入場料、いくらまでなら行ってみたい?」という意識調査の結果である。この質問に対して、500円程度の入場料では100%が「行く」と答えたのに対して、当初政府が提案していた2千円程度の入場料の場合でも、カジノ訪問意向が半分(49・1%)程度にまで下がることが分かった。出典:「IR実施に向けた制度・対策に関する検討PT資料」(内閣官房) このヤフーによる意識調査では「いくらの入場料を課すと、どの程度の需要が抑制されるか」に焦点が集まりがちだが、実は最も注視すべきなのは、カジノ入場料が「いくらでも行く」と答えた7・3%の層である。むろん、この層の中には文字通りカジノ入場料がいくらであっても構わない超高所得者層が含まれている可能性もある。しかし、一般的にインターネット上で行われるこの種の簡易調査における超高所得者層の出現率というのは限りなくゼロに近い。 すなわち、この設問で入場料が「いくらでも行く」と答えた7・3%の人たちは「入場料がいくらであったとしてもギャンブルでその分勝てばよい」と考えている層、もしくは「自身の所得水準とそれに対する適正支出水準を念頭に置かずして入場料が『いくらでも行く』と答えた」層である可能性が高い。いずれにせよ、カジノ入場に対して適正な判断能力に欠けた解答を行っている層であると考えられる。 本来、依存対策というのは、このようなカジノ利用に際し、適正な判断能力に欠けてしまっている層に対する効果のある施策でなければならない。だが、この種の人たちに対しては入場料の設定が効果的に働かないことはこの意識調査の結果からも見て取れる。「入場回数」制限でもまだ甘い では、ギャンブル上の問題を抱える人たちに対して、どのように対処を行うべきか。その答えが、政府が入場料と併せてもう一つの施策として提示している「入場回数の上限措置」である。 「依存」とはそもそも、自らの理性的な判断によってはとどめられない衝動的な欲求に基づいて特定の物事に対し過度に執着してしまうという精神障害である。ギャンブル依存の場合、そのほとんどの場合がゲームへの参加頻度の上昇としてその症状が現れる。そこに制限をかけようというのが、今回の政府による施策案である。 実は、この「入場料設定よりも入場回数規制」という依存対策の方針は、入場料の賦課を重要視する論調が強かったわが国のカジノ業界にあって、それに異を唱える少数派の研究者として私自身が長年主張してきたものだ。そして今回、政府が依存対策としてこの入場回数の上限措置を前面に打ち出したのは、そのような一連の論議背景があってのことである。 そもそも、わが国のカジノ合法化はあくまで「観光振興」の一環として、例外的にカジノを含む統合型リゾートの設置を認めるものである。国民に対して、それを「日常の娯楽」として利用することを推奨するものではない。 そこで、今回提案されたのが「観光施設」としての利用にふさわしい利用回数を制度上定め、日本国民、もしくは在留外国人のそれ以上の利用を制限するという措置だった。制限措置の具体的な数値として出てきたのが、先般自民、公明両党で合意した「週3回、月10日以内」という入場制限である。 ただし、現在政府側から示されている制度案を見る限り、政府はこの入場回数規制をどのように依存対策として「有効に機能させるか」に関して、いまだ正しい理解をしていないように想える。そもそも、この入場制限は、制度そのものだけでは依存症対策に「ならない」。たとえ入場回数の制限があったとしても、ギャンブル依存者はその限られた入場回数の中で目いっぱいのギャンブルを行い、その内容をエスカレートさせていくからである。セガサミーHDと韓国パラダイスグループが共同開発した韓国初のIR施設「パラダイスシティ」に開業した外国人専用カジノ=2017年04月、韓国・仁川 では、どのようにこの上限措置を有効に機能させるのか。そのヒントは韓国のカジノ産業にある。韓国は、世界のカジノを合法とする主要な国の中にあって、自国民に対する入場回数制限を設定する代表的な国である。 韓国の入場回数上限は月あたり最大15日と、日本が計画している制限措置よりも緩慢である。だが、一定期間のうちにこの上限回数に繰り返し到達するような利用客に対しては、その人物が依存状態に「ある・なし」を問わず、強制的に専門家によるカウンセリングを受けさせる(受けなければ再入場できない)という施策を取っている。 すなわち、多くの依存者にとって共通して現れる「ゲームへの参加頻度の上昇」という現象を基準として、該当する人の中から依存リスクの高い人を抽出し、ギャンブル依存の早期発見、早期対処につなげていく。このような仕組みが韓国の入場回数規制の背後に存在している。それを日本政府が表層的にマネるだけでは、実効性のある依存対策にならないのである。 残念ながら現在、日本政府が示している制度案の中には、依存者を早期発見して次への対処につなげていくために、韓国のような具体的な施策部分が欠けている。つまり、依存対策としての施設入場回数制限は「不完全な提案」にしかなっていないといえる。政府には今の施策案で不足している部分を、新たな制度提案によって早急に補完し、より意味のある依存対策の構築に向けて動くことが求められている。

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    カジノ法案成立で最も損をするのは誰か?

    田中紀子(ギャンブル依存症問題を考える会代表) 今国会でカジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案が議論され、諾否が問われることとなると思うが、このIR法案の最大の焦点となっているものは何と言っても「ギャンブル依存症対策」である。 ところが、このギャンブル依存症対策について与野党ともども「しっかりやる!」と掛け声はかけるが、中味が一向に伴わない。与党は「IR実施法案を通過させるための言い訳程度の対策作り」に必死であり、野党は「IR実施法案を通過させないために、ギャンブル依存症対策を進めさせない」という、日程人質作戦に打って出ているとしか思えず、非協力的な態度が目につく。 与野党ともに「ギャンブル依存症で苦しむ人のために対策を!」と声高に叫びながら、どちらも政治的駆け引きに必死であり、当事者と家族は置き去りという展開になっている。一足先に与野党全議員の賛成を得て温かく見守られながら成立したアルコール問題の対策法案「アルコール健康障害対策基本法」とは雲泥(うんでい)の差で、我々ギャンブル依存症の当事者や家族は声が届かないもどかしさを感じている。 一般の方には、分かりにくいと思うが、IR実施法案の前に国会には「ギャンブル等依存症対策基本法」が提出されている。これは、パチンコを含めた既存ギャンブルに対する依存症対策基本法である。この基本法が通らぬ限り、IR実施法は通さないというのが与党の建前にあるため、政府はこの法案の通過を急ごうとしている。 しかし現在、この法案は野党だけでなく、既存ギャンブルの側も行く手を阻んでいる。当然ながら、既存ギャンブルは、極力対策を小規模に押さえたいと考えるわけだが、時節柄、表立って依存症対策に非協力的な態度は取れない状況にある。(画像:istock) 公営ギャンブルにとってはカジノのとばっちりを受けた形だが、我々にとってはカジノのおかげで、依存症対策が推進するという皮肉な結果になっている。中でも、公営ギャンブルは「いかに真摯に対策に向き合っているように見せるか?」ということに腐心しているとしか思えない対策案が次々に浮上してきている。 例えば、日本中央競馬会(JRA)は昨年末から、本人や家族からの申告でインターネットでの競馬投票券販売を停止する措置を取った。しかし、ネット投票を停止しても、競馬場や場外馬券場に行けば購入できてしまうという批判を受け、このたび競馬場や場外馬券場でも申告があれば、入場を禁止できるという措置を決めた。 ところが、その防止策が「家族から提出された顔写真でチェックする」という実にお粗末なもので、実効性があると思えない上に、個人情報の管理や人権への配慮という点でも疑問に思わずにはいられないやり方を打ち出してきたのである。本格的に依存症対策に取り組むのであれば、入口ゲートで防止できるようなシステム化を図るべきである。不可解な依存症対策 また、パチンコを含め公営ギャンブルでも盛んに「依存症対策の相談窓口を作る」「電話相談を受ける」など、最も対策をやりやすく、産業側の売り上げダメージの少ないものを作り、対策推進をアピールしているが、このような窓口はすでに精神保健センターや保健所、または当会のような民間団体など、既にさまざまな拠点で行われており、効果のほどは限定的になると言わざるを得ない。 では、カジノの依存症対策はどのようなものが挙がっているのか。これが実に不可解な対策で、「カジノの入場料を6千円にする」「カジノへのアクセス制限として週3回まで、月10日以内とする」というものなのである。 よく考えてほしい。週末2回しか行われていないJRAですら依存症は大きな問題となっているのである。我々の所には「競馬の借金のために会社のお金を横領した」「不動産を担保に入れてまで、競馬で借金をしてしまった」といった相談は決して珍しくないのである。 それなのに、週3回に限定することにどんな意味があると政府は考えているのだろうか。また、「カジノに来て数万円から数千万円の遊びをしよう」という人に、入場料を6千円程度取ったからといって、抑止力になるのか、甚だ疑問である。 その上、「カジノが国内に何カ所作られるのか?」といった重要なポイントはいまだ明確にされていない。エビデンスもない依存症対策を、華々しく打ち上げ、いかにも依存症対策を厳格にやっているかのように見せるイメージ戦略に、我々としては誤魔化されたくないと思っている。 では、求められる依存症対策とはどのようなものか。そもそもギャンブル依存症は特効薬があるわけでも、「これだ!」という治療法が確立されているわけでもない。2014年にIR法案が初めて衆議院に提出されるまでは、ギャンブル依存症対策は議論の対象にすらならず、もちろん国や地方自治体、医療機関などでもほとんど対策はなかった。そのため、日本ではギャンブル依存症の当事者と家族が中心になって対策を行ってきた経緯がある。(画像:istock) 今からおよそ30年前の1989年に、ギャンブル依存症当事者の自助グループ「GA」が生まれ、その2年後1991年にはギャンブル依存症者の家族の自助グループ「ギャマノン」が誕生した。そこから当事者や家族が支え合い助け合う形で、きめ細かい支援を行い、わずかに理解のある医療従事者とともにさまざまな困難事例を解決してきた。 つまり、自助グループはIRの議論とともに、にわかに誕生した専門家と名乗る医療従事者や研究者、そして行政よりもはるかに多くの事例を持つ、ビッグデータの役割を果たしているのである。だからこそ、この当事者や家族の知識や経験を生かし、ギャンブル依存症対策はネットワークを作る形で、網目状に作られていくべきなのである。 例えば、家庭内で暴言・暴力、脅しなどで毎日のように金銭を要求し、断れば暴れることを繰り返しているような依存症者に対しては、「介入」が必要であり、警察や精神保健センター、保健所や医療が連携し、入院や回復施設への入寮へと促すべきである。既存ギャンブルにも当てはめるのか? また、横領や窃盗や万引きなどの事件を犯してしまった場合は、弁護士、刑務所、更生保護施設との連携、失踪した場合は警察との連携、自殺未遂の際には救急病院から精神病院への連携などが欠かせないのだが、残念ながら、これらさまざまな連携やセーフティーネットはまだほとんど機能していない状況にあり、家族は理解のない対応にさらされ右往左往している状況である。 ここまで深刻な問題になっていなくとも、多重債務の対処の仕方や、家族は本人にどう関わっていけば良いのかといった、基本的な知識を相談担当者には理解してもらう必要があるが、その基本的なこともまだ行き渡っていない。 さらに、家族が本人の勤める会社に休職を申し出た際も会社側に理解がなく、なかなかスムーズにいかないのが現状である。そして何よりも根本的な問題として「ギャンブル依存症が病気で、相談できる」ということが知れ渡ってないため、問題が重篤化しているという啓発不足も否めない。 また、入場制限のような業界側への規制を強化するなら、経験上、一番効果が上がるのは「本人及び家族申告による入場規制」だと思う。特に「家族の申告による入場制限の条件をどのようにするのか?」をカジノを含め既存ギャンブルも足並みそろえて明確にしていただきたい。加えて、カジノでは入場制限が決定した人に対して、マイナンバーで排除するようだが、その条件を「既存ギャンブルにも当てはめるのか否か」、これは重要なポイントである。 このように真に必要なギャンブル依存症対策とは多岐にわたり、簡単に作ることはできない。関係各所との繋がりや、人材育成、何よりも支援の経験というものが必要になってくる。これらの対策を日本の隅々にまで行き渡らせるには、予算の確保が肝心であり、その予算はギャンブルの売り上げを国が吸い上げた中から「ギャンブル依存症対策費に何%を回すか?」ということを決定する必要があると思う。(画像:istock) ギャンブル産業がもうけるだけもうけて、負の部分はすべて税金に押し付けるという、この国の悪しき慣習をここで終わりにすべきではないだろうか。この国にはギャンブル依存症がすでに蔓延している。この上、カジノという新しいギャンブルができることで、さらにギャンブル依存症者が蔓延してしまったら、被害を受けるのは国民なのである。 これらギャンブル産業による負の側面をこれ以上拡大させないためにも、これまでの我々の長年の経験に基づいた、幾重にも重なる、効果あるギャンブル依存症対策が導入されるよう、世論にも応援していただきたいと願っている。

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    「快感と依存は表裏一体」IR法案の前に知るべき脳内回路の仕組み

    津田岳宏(弁護士) 話題の統合型リゾート施設(IR)実施法案について、ギャンブル依存症対策として、日本人へのカジノ入場制限を課し、さらには入場料を徴収するという措置を取る方針だという。アメリカの神経科学者、デイヴィッド・リンデンの『快感回路』(河出書房新社)によると、依存症は脳の病気だという。人が何かに快感を覚えるとき、脳内の小さな一領域である内側前脳快感回路(快感回路)と呼ばれる部分が、刺激されて興奮する。 薬物であれ、ギャンブルであれ、高カロリー食であれ、あるいは慈善的な寄付行為であれ、人が快感を覚えるときには、例外なく快感回路が興奮している。薬物に手を出している人と、ボランティア活動で喜びを感じている人とで、脳内で起きている現象が同じというのは興味深い話である。 社会動物である人間は、社会的評価を受けると快感回路が強く刺激される。特に、快感回路内の「側坐核」「背側線条体」と呼ばれる部分が活性化するのだが、実は金銭的報酬で活性化する部分と同じらしい。金持ちが政治家になりたがるのは、どうやら科学的に説明できるという。 依存症者は、快感を感じ取る快感回路に異常が生じている。それは具体的に言うと「鈍く」なっているということである。普通の人と同じ量では快感がない。必然、より多くの量を求めるようになる。するとますます「鈍く」なる。さらに量を求める。この悪循環が依存症を進行させていく。 薬物依存症者は、他の人よりも薬物を欲しがるけれども、他の人ほど薬物が好きではないように見える。言われてみれば、私が麻雀店でアルバイトをしていた学生時代、「もう麻雀はあまり面白いとは思わない」と言いながら毎日来ている客がいた。それはもしかしたら依存症の初期症状だったのかもしれない。依存症予防の観点からは「昔ほど面白くないけど何となく…」と感じた時点で少し距離を置いた方がいいようだ。 依存症が進行していくときの快感回路の変化は、経験や学習によって記憶が貯蔵されていくときの神経回路の変化と同じである。皮肉なことに、人は経験によって学ぶ能力があるからこそ依存症にもなり得るのだという。 『快感回路』にはギャンブル依存症についても詳細に記載されている。ギャンブルの快感は、惜しい負け(ニアミス体験)によって増幅されていく。惜しい勝負が空振りするほど続けたくなるのだという。これはギャンブルファンなら実感できるかもしれない。ギャンブラーがもっとも快感を覚えるのは、結果が出るまでの待ち時間なのだという。スロットやルーレットが回っている時間や馬が最後の直線に入ったときに、快感回路がもっとも刺激されるわけだ。(iStock) 確かにギャンブルには快感が伴うが、全てのギャンブラーが依存症になるわけではない。誰もが食事をし、買い物をし、多くの大人は酒を飲むが、ほとんどの人は依存症にならない。同様に、たいていの人は時折ギャンブルを楽しむだけで、病的にのめり込んだりしない。 しかし、少数のギャンブラーが依存症になるのは事実だ。ギャンブル依存症の特徴は、女性より男性がはるかに多く、しかも遺伝することが多いという現実である。そして意外なことに、ギャンブル依存症者にはビジネスの世界で大きな成功を収める精力的な人物も多いことも挙げられる。少し前に著名な実業家がカジノで大枚をはたいた事件が有名となったが、当該人もビジネスマンとしては非常に優秀だったと聞いたことがある。資本主義は必然的に依存症を生み出す 依存症は脳の病気である。これには、依存症の発症は患者の責任ではないという考え方を伴う。しかし、依存症からの回復は患者の責任である。患者には、発症はさておき、回復への責任や、回復に伴うもろもろの問題への責任がある。病気なのだから責任はなく、何もしなくていいというわけでは決してない。 ギャンブルについては、患者にはもちろん、利益を上げている胴元にも、依存症の予防・回復への責任があるだろう。ギャンブル産業は大きな利益が上がる。しかしその半面、ギャンブル依存症を生むことになる。合法的ギャンブルが増えるほどギャンブル依存症者は増えるというのは事実である。とすれば、依存症への対策は、胴元の必須事項といえよう。 その観点からすると、今回の入場制限には一定の評価ができるものだ。とはいえ、当該措置に果たしてどの程度の効果があるか、疑問も残る。与党の合意によると、IR実施法案で、日本人のカジノ入場は週3回、月10回までに制限されるという。 しかし、ギャンブル依存症かどうかの診断においては、ギャンブルの回数はそれほど重視されない。そこではギャンブルを中断することによりいらだちが起きたり、ギャンブルをすることやその結果について人に嘘をついたり、ギャンブルがらみで借金をしたりする、といった付随的な行動をもとに依存症の判断がなされる。 週3回であろうが借金してまで通っているのであれば依存症であるし、毎日通っていても借金もせず嘘もつかず「健全な遊び方」をしていれば依存症ではないのだ。回数のみに着目した制限は違和感を覚える。 『快感回路』では興味深い指摘がなされている。それは資本主義と依存症との関係性だ。資本主義における経営主体の努力は、より多くの顧客を獲得しようとする努力である。それは言い換えれば、自らに依存してくれるユーザーを得ようとする努力である。より多くの「依存症ユーザー」の獲得に成功した企業が資本主義における勝ち組である。 資本主義は必然的に依存症を生み出すのだ、と。依存症はギャンブルだけの問題ではない。資本主義が高度化するにつれ、今後もさまざまな依存症が増えることが予想される。カジノ解禁に伴いギャンブル依存症対策を採るというのであれば、これを機に依存症全体のことを考えてもいいかもしれない。(iStock) カジノは賭博である。賭博について、法律はとかく臭いものにフタをしておけばいいというやり方を取っている。現行刑法にはいまだ賭博罪が存在する。しかしその「犯罪行為」を国家が経済施策として進めるのだという。賭博は悪なのか、そうでないのか。賭博は依存症を生むから悪いのだというならば、それは明らかに違う。 酒は依存症を生む。高カロリーの食事も、高額なバッグも、発達した資本主義社会における過剰サービスの多くが依存症の原因となる。魅力と依存症は表裏一体の関係にあるのだ。カジノ解禁には、ギャンブル依存症の温床となるという批判が根強い。これへのパフォーマンスとして安易な措置を取るだけは問題の本質的な部分を逃すのではないか。

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    東証は日本最大のカジノか?

    塚崎公義(久留米大学商学部教授)前向きに読み解く経済の裏側 カジノ法案が通りました。日本にも、本格的なカジノができるのでしょう。カジノというと、バクチだと言う人がいます。バクチなら競輪や競馬やパチンコと同じではないか、という人もいます。しかし、それを言うなら、東証が日本最大のカジノかもしれません。今回は、株式投資がバクチなのか否かについて、考えてみましょう。 ルーレットで、赤が出るか出ないかは、全くの偶然です。実はディーラーは赤を出すか否かコントロールできているという噂もありますが、仮にそうだとしても、顧客の立場で見れば偶然だ、ということが重要なのです。ディーラーがイカサマをしていない、ということが大前提ですが。そこで、赤に賭けるのはバクチ(賭博とも呼びます)だと言われます。 では、株式投資はどうでしょうか? 今日株を買って、明日売るとします。株価が上がるか下がるかは、偶然でしょうか? 偶然ですね。それは、株価の短期的な値動きのメカニズムを考えればわかります。 今日から明日にかけて、株価が上がったとします。それは、投資家たちが「株価は値上がりするだろうから、買い注文を出して他の投資家よりも先に買おう」と考えるからです。投資家たちがそう考える理由は、ニュースが流れたり、噂が流れたりするからでしょう。「天気が良いので気分が良くなって買い注文を出した」という投資家が多くても株価は値上がりしますが(笑)。 問題は、今日の時点では、明日の投資家が買い注文を出すか否かが分からない、ということです。「今晩、良いニュースが流れるだろう」ということを予想出来る人がいれば、それは予言者です。もちろん、当事者で、秘密の情報を知っている人もいるでしょうが、そうした人が株の売買をしたとすれば、インサイダー取引として処罰されてしまうでしょう。 あるいは、自分で株価の上がりそうな噂を流すこともできますが、そんなことをしたら相場操縦の罪で、やはり処罰されてしまうでしょう。つまり、投資家たちは、明日の株価が上がるか否か、今日の時点では知り得ないので、株式に投資することは「ルーレットで赤が出る方に賭ける」のと本質的に同じだ、ということになります。東京証券取引所(iStock) ちなみに、カジノと同様、こうした株式投資の期待値はマイナスです。カジノでは、ルーレットの赤に賭けると、当たれば2倍になりますが、当たる確率は50%より若干低い(0と00は、赤でも黒でも無いから)ので、期待値はマイナスです。株式投資も、勝ち負けの確率が五分五分だとすると、証券会社の手数料や税金の分だけ期待値はマイナスになります。 「自分は才能があるから、勝率は5割以上だ」という人もいるかもしれません。デイトレーダーと呼ばれる人の中には、相場の流れを他の投資家より素早く読み、短期売買で利益を稼いでいる人もいるようです。そうした人についてもバクチだと考えるべきか否かは微妙ですが、「麻雀がとても強くて賭け麻雀の勝率が9割だ」という人でも賭博罪で捕まりますから、腕利きのデイトレーダーもバクチだと考えて良いでしょう。刑法の賭博罪には当たりませんが(笑)。長期投資なら期待値はプラス 会社を設立し、銀行から借金をして材料を仕入れて人を雇って物を作るとします。売値から材料費を差し引いた部分は、企業が生み出した付加価値です。これを銀行の利息、社員の給料、株主の配当(及び値上がり益)の形で配分することは、極めて健全な経済活動です。 上記の短期株式投資と決定的に異なるのは、価値を生み出していることです。今日と明日で会社の価値(すなわち株券の価値)は変わりませんが、価格は変わります。それに賭けているのが短期投資です。一方の長期投資は、価値を創り出して、その分配に与ろう、という行為なのです。 もちろん、企業経営にもリスクはありますから、長期投資でも株価が上がるか下がるか、偶然に左右される面は大きいでしょう。しかし、そこまでバクチだと言ってしまうと、世の中のビジネスは全てバクチだということになってしまいます。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ですから、リスク無しで儲けることはできないからです。 日本経済は、長期的にもあまり成長しないかもしれません。しかし、それでも株式の長期投資は期待値がプラスです。株価の期待値が「現状横這い」だとすれば、配当利回り分だけプラスになるからです。実際には証券会社の手数料がかかりますが、長期投資をしている間の配当で充分に取り戻せるでしょう。また、厳密には機会費用として銀行預金の金利を差し引く必要がありますが、昨今の金融情勢であれば気にする必要はありません。 以下は余談ですが、人はなぜ、期待値がマイナスと知りながら、カジノでルーレットに興じるのでしょう? 中には霊感を信じている人もいるかもしれませんが、多くの人は「運試し」をしたかったり、あるいは「当たれ」と念じている時のワクワク感を得に行ったりするのでしょう。 そうだとすると、その意味からも、長期投資はお得です。相場は毎日動きますから、毎日の運試しが無料でできますし、毎日(あるいは毎秒)「上がれ」と念じてワクワクすることができます。(iStock) 株式の長期投資は、期待値がプラスで、しかもインフレに強い資産を持つことでインフレリスクへの備えにもなり、加えてカジノで味わえるワクワク感をずっと味わい続けることができるので、大変お得です。「株式投資は怖いから嫌だ」と考える読者もいるでしょうが、カジノへ行くより手軽で安上がりでお得ですよ。是非、トライしてみましょう。 ただ、筆者の体験だと、「上がれ」と念じている時間が長くなりすぎて、仕事に熱が入らなくなるリスクがあります。その意味では、カジノの方が仕事と休日のメリハリがあって、良いのかも知れませんね(笑)。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    フィリピンの「カジノ産業」、活況の影に潜む治安への懸念

    水谷竹秀(ノンフィクションライター)  観光地として名高いフィリピン中部のセブ州マクタン島に、カジノを含めた統合型リゾート施設(IR)が着工する運びとなった。首都マニラ以外では初のIR誕生で、フィリピンのカジノ産業が活況を呈している。 着工するIRの名称は「ラプラプ・レジャー・マクタン」。カジノを運営する政府機関、フィリピン娯楽ゲーム公社が5月上旬、事業を実施する開発公社に建設許可を出した。総工費3億4100万ドル。マクタン島の海辺に面した広さ12万5千平方メートル(東京ドーム2.5個分)の敷地に、カジノ施設をはじめ高級ホテルやコンベンションセンター、ショッピングモールが建ち並ぶ予定だ。2019年に部分開業し、22年の本格開業を目指す。 これに先立ち、昨年12月下旬にはマニラに日系のIR「オカダマニラ」がソフトオープンした。パチスロ機メーカー「ユニバーサルエンターテインメント」(本社・東京都江東区)が出資しており、総工費は24億ドル。 広さは東京ディズニーランドに匹敵する44万平方メートルで、マニラに現存する他のIR3カ所と比べても最大規模。このソフトオープンは日本でIR推進整備法案が可決された直後のことで、今後、日本にカジノができる際のモデルケースになる可能性がある。 さらに「オカダマニラ」の近くには20年、ホテルオークラが入居するIR「ウエストサイド・シティー」(広さ31万平方メートル)も開業する予定だ。 世界のカジノ産業に関する調査報告書によると、フィリピンのカジノ市場規模は、10年に5.6億ドルだったのが15年には倍以上の12億ドルを超えた。アジア域内ではマカオ(約621億ドル)、シンガポール(約71億ドル)、韓国(約26億ドル)に次ぐ4番目。韓国では今年4月、仁川国際空港の近くに初のIR「パラダイス・シティー」が開業したばかりだが、フィリピンのカジノ市場は今、韓国を追い上げる勢いで急成長している。2015年、マニラにオープンした巨大カジノリゾート施設「シティオブドリームス・マニラ」(iStock) この背景にあるのが中国人観光客の増加だ。カジノの収益は外国人富裕層を取り込めるか否かが鍵を握る。観光省によると、16年にフィリピンを訪れた観光客数は1位が韓国(約147万人)、2位が米国(約87万人)、3位が中国(約67万人)で、日本がこれまでキープしていた3位の座を中国に明け渡して4位(約53万人)に転落した。中国人観光客の増加率は前年比38%で断トツ。ドゥテルテ大統領が打ち出した親中路線の外交政策が影響しているとみられる。 一方、こうした産業活性化に水を差すように、首都マニラのIR「リゾーツ・ワールド・マニラ」では6月上旬に37人が死亡する銃撃、放火事件が発生し、一時的な営業停止に追い込まれた。焼身自殺を図って死亡した犯人は、元政府職員のフィリピン人男性と特定されたが、警備が厳重なはずのカジノに拳銃が持ち込まれたことから、治安への懸念があらためて浮上している。みずたに・たけひで ノンフィクションライター。1975年三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業、カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『脱出老人』(小学館)。

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    カジノ解禁の問題点の一つはマフィアやテロ組織上陸の可能性

     カジノの合法化を進める「統合型リゾート(IR)整備推進法案」が、昨年末衆議院で可決。いよいよ、カジノ解禁に現実味が帯びてきた。しかし、そこにはいろいろな課題が残されている。たとえば治安の問題もそのひとつ。 2011年10月までに全都道府県で施行された、暴力団排除条例に基づき、官民一体となった暴排活動が進められた結果、暴力団の資金源は逼迫しつつある。このような暴力団がカジノへの関与に強い意欲を持つことは容易に考えられる。多重債務を重ねるパチンコ依存者を見てきた弁護士の新里宏二さんはこう話す。「暴力団が直接関与しなくても、その周辺の人が、ヤミ金融などを運営し資金獲得に出るケースも考えられます。資金の調達もますます巧妙になっていくかもしれません」 一方で巨額の金が動くカジノとマネー・ロンダリング(資金洗浄)は切り離して語れない。マネー・ロンダリングは、マフィアはもとより国際テロ組織などによって世界をまたにかけて行われており、そのまま使用すれば「足」の付いてしまう非合法な手段によって入手した資金を、「表の世界」でも使用できる「きれいな」資金へと転換して行くことを指す。 日本が加盟しているマネー・ロンダリング対策の政府間会合FATFでは、カジノ事業者はマネー・ロンダリングに利用される恐れが高い非金融業者に指定されている。 麻薬取引や脱税などで得た汚れたお金をカジノを通してきれいなお金にするというケースも見られる。(iStock)「カジノ業者に疑わしい取引の届け出を求めても完全にマネー・ロンダリングを封じ込めることはできないでしょう。つまり、マフィアやテロ組織のメンバーが日本にやって来る場所を作ることになる」(新里さん)子供は賭博に対する抵抗感がないまま成長する 今回のIR方式では、カジノのほかに、ホテルやショッピングモールを併設してリゾートを形成していくという。お父さんはカジノ、お母さんはショッピング、子供たちはアミューズメントパークへと、家族そろってのレジャーを提唱している。そして夜はみんなで食事──。「これ、おかしいですよね?」と声を荒らげるのは新里さん。「せっかくの家族でのお休みなのに一緒に遊ばないんですか? 夕飯でいったいどんな話をするんでしょう?“今日、お父さん、羽振りがいいね!”“カジノで勝っちゃって”“え、カジノってそんなにもうかるの?”“なんだ、お父さん。働くのばかばかしいね”って会話があったり、“今日、しょぼいね、お父さん”“カジノで負けちゃって…だからまたこの後、行ってくる”とか、そんな感じになったらどうするのか? 子供は賭博に対する抵抗感が少ないまま成長していく危険性があり、勤労意欲を失うことも指摘されています。だから賭博は禁じられてきた。そういったことをきちんと議論されないまま通過したのがカジノ法案なんです」(新里さん)関連記事■ 中国銀行 イタリアで組織ぐるみのマネーロンダリングが摘発■ 米大手金融機関 2020年に日本が世界2位のカジノ国になると予測■ 日本のカジノ「入場料1万円ぐらいと想定」とカジノ専門家■ 日本が参考にするアジアのカジノは資金洗浄の温床的側面も■ 【書評】日本のカジノ解禁を前に新たな観光の可能性探る一冊

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    「引っ越し難民」もアマゾンのせい?

    「何千もの小売業者を倒産に追いやっている」。米インターネット通販最大手、アマゾンについて、トランプ大統領の「口撃」が止まらない。日本でもアマゾンの台頭でさまざまなサービスが打撃を受けて久しいが、この春急増した「引っ越し難民」の背景にもアマゾンの影響があるという。なぜか。

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    空前の「引っ越し難民」はなぜ社会問題化したのか

    ネット通販の急激な普及に伴う宅配貨物の急増に宅配便のシステムが追いつかず、「物流の危機」として大きな社会問題となった。今日では、物流は社会的インフラの一つとして認知され、市民生活に不可欠のサービスとなっているが、国民一般の物流に対する認識は多くが旧態依然と言える。  このおよそ50年間、わが国ではトラック運送事業の発展で常に物流の供給過多の状況が続き、必要な時にいつでも低価格(運賃)で高質なサービスが入手できるという時代が続いてきた。しかしながら、現在のわが国の物流の実情は従来と状況が一変している。 実は、これまで3月に物流ニーズの急激な高まりで物流の供給がタイトになり、混乱を来したことは経験済みであった。2014年3月に翌月からの消費増税を控えて「駆け込み需要」の発生により、物流が混乱し引っ越しサービスにまで大きな影響を及ぼす事態が生じていた。 これを機に、企業の中には人事異動の時期をずらしたり、計画を事前に作り引っ越し事業者と打ち合わせをするなど、分散化の対応を取ってきている。しかしながら、今年はかつてないほどの危機が叫ばれている。この背景にはさまざまな事情があるが、大きな理由は引っ越し需要の「繁閑の極端な格差」と「人手不足」の問題であるといえる。(画像:istock) この両者は切っても切り離せない関係にあるが、まず前者については、例年3月には通常月の約2・5倍の引っ越し需要があるという極端な波動の存在である。4月に新年度、新学年が一斉にスタートするという社会慣行の中で、引っ越し事業者は経営的に苦しみ抜いてきた。 特に、今日の引っ越しは主として「引っ越し専業者」がサービスを提供しており、かつてのように一般的なトラック運送事業者が繁忙期だけ引っ越しサービスを提供するというケースは少なくなっている。利用者が引っ越し運送に付随する各種サービス(エアコンの取り付け、各種手続きの代行等)を求めるという傾向があり、引っ越し作業には多くのノウハウと熟練を保有する作業員が必要とされることも要因の一つと言える。利便性を追求する時代は終わり 次に後者については、周知の通りである。わが国においては少子高齢化の影響もあり、ほとんどの産業分野で人手不足が顕著になっているが、物流分野は依然、労働集約的な部分が多く、人手不足の深刻度が極めて高くなっている。ちなみに、直近のトラックドライバーの有効求人倍率は2・74倍となっている。物流産業においては労働条件の改善が急務とされているが、労働者の労働時間は一般産業の2割増し、賃金は2割減といわれている。 現在、働き方改革、生産性向上を目指す動きを官民挙げて取り組んでいるが、その成果はまだ未知数といえる。人手不足対策としての外国人労働力の活用についても、宅配、引っ越しは高質のサービスレベルを要求されること、また個人宅への配達等があるため容易に進んではいない。 また、政府においては、物流分野の長時間労働問題にメスを入れ実態調査を行うとともに、総労働時間規制の強化を打ち出している。具体的には、物流事業者においては時間外労働(残業)時間の厳格化の徹底を図りつつあり、この結果サービスの時間的柔軟性は限定的となり、一層ひっ迫の度合いを深めている。残念ながら、これらの二つの大きな課題に対しては、即効的に効果を出すことのできる解決策は見いだせていない。 さらにもう一つ、近年の新たな事情を付け加えるとすれば、ネット社会の出現ということがある。今やインターネット経由がすべてに当たり前の時代となったが、引っ越しサービスにおいても同様であり、ネット上での申し込みが多数利用されている。引っ越しサービスの比較サイトはあまた存在し、利用者はワンクリックで申し込みができるという利便を享受している。 事業者サイドにおいても、直接現地へ赴いての見積もりの手間が省ける等のメリットが出ている。しかし、利用者の中には手軽にネット上で複数の引っ越し事業者へ申し込みをしたものの、解約を忘れる(しない)という事態がしばしば生じるなど、各種の混乱が続いている。 こうした事態を受け、国土交通省では今年6月から現行の標準引っ越し運送約款を改正して、当日、前日、前々日のキャンセル料金を高くすることにより、解決を図ろうとしている。一方、引っ越し事業者については全日本トラック協会が「引っ越し優良事業者認定制度」を創設している。(画像:istock) これは一定の条件をクリアした事業者を優良事業者として認定、「引越安心マーク」を付与して、利用者に安心して引っ越しサービスを提供できる事業者の情報を提供しようというものである。 最後に、繰り返しになるが引っ越しなどの物流サービスがいつでも容易に手に入る時代は過ぎ去った。このことを認識した上で、物流への関心と情報の収集に一層努めてほしいと願っている。

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    「引っ越し難民クライシス」は逆にチャンスである

    片山修(経済ジャーナリスト、経営評論家) 「物流危機」は昨年、ヤマト運輸の労働組合が荷受量の抑制を訴えたのを機に一気に浮上した。危機は、いまや宅配業者だけでなく、日本郵便や引っ越し業者にまで波及、拡大している。宅配業者は宅配ドライバー不足が決定的なうえ、宅配時の不在問題もあって、長時間労働が常態化するなど疲弊が深刻だ。このままでは宅配ビジネスが成り立たないという苦境の中で、業者は一斉値上げに踏み切った。 例えば、ヤマト運輸は、個人向け宅配料金の値上げに加え、法人向けの値上げを交渉した結果、6割の大口顧客が値上げに応じた。平均値上げ幅は15%以上に及んだ。宅配便急増の最大要因といわれたアマゾンも4割超の値上げを受け入れたとされる。日本郵便も3月、宅配便「ゆうパック」の個人向け料金を平均12%引き上げた。 その余波というべきか、宅配業者の宅配ドライバーの労働条件や賃金改善に伴って、一部の引っ越し業者のドライバーが宅配業者に移籍した。その結果、引っ越し業者は人手不足に拍車がかかったといわれている。なにしろ、3~4月の異動期は年間引っ越し件数の約3割が集中する。ドライバーや作業員不足から、希望時期に引っ越しがかなわない「引っ越し難民」続出が懸念されているのだ。 その対策の一環として、日本通運やヤマトホールディングスなど引っ越し大手は、単身者向け引っ越し料金の値上げに踏み切った。それとともにアルバイトの人件費をアップする計画だ。でないと人手が集まらないからだ。 しかし、いくら宅配業者や引っ越し業者が値上げなど対策に乗り出しても、物流危機の抜本的な問題解決にはつながらない。というのは、今後もEC(電子商取引)市場の拡大は確実なことに加え、引っ越し時期の分散には限界がある。加えて、人口減少社会のなかでドライバー不足はますます深刻化する。果たして、問題解決の糸口はあるのだろうか。 求められるのは最先端技術を使った新時代型物流網の構築だ。スマート物流の実現である。つまり、衛星利用測位システム(GPS)やインターネット、モノのインターネット(IoT)、ビッグデータ、人工知能(AI)など、最先端技術を活用した物流革命の推進である。物流危機の解消はこれしかない。2018年3月、東京都目黒区にあるアマゾンジャパン本社が入るビル(奥) 具体例を見てみよう。例えば、ドローン(小型無人機)や無人運転車の利用によって配送の無人化が模索されている。日本郵便は2016年からドローンを使った郵便物輸送の実証実験に取り組んでいる。今年3月には都心公道において、将来の無人走行を想定して自動運転車による輸送の実証実験を行った。 ヤマト運輸はDeNAと組み、自動運転の実用化に向けて、神奈川県で「ロボネコヤマト」プロジェクトの実証実験を行っている。顧客が場所と時間を指定すると、自動運転車で配送する仕組みだ。現在はドライバーが乗車するが、将来的には自動運転を取り入れるという。また、国土交通省は18年度中に高速道路の長距離輸送の効率化を目指し、後続隊列無人走行の実証実験を開始する予定だ。引っ越し業界も「危機こそチャンス」 物流業者だけでなく、荷主側のアマゾンなどの通販業者も知恵を絞っている。サイバー空間で、いくら大量の注文を受け付けても、モノを届けられなければ事業は成立しない。アマゾンやヨドバシカメラなど、EC事業者は自社配送網構築に取り組んでいる。現に、アマゾンは、米国などでドローンによる配達の実証実験を行うなど、自社配送網の構築に余念がない。楽天もこの1月、2年以内に自社配送網を構築する方針を明らかにした。 その点、オフィス用品通販大手のアスクルは、すでに配送全体の約6割を自前配送網で賄っている。「業界でもっとも物流システムが進んでいるのは、間違いなくわが社だと思います」と、アスクルの岩田彰一郎社長は自負する。効率的な配送網のカギはAIだ。 例えば、アスクルの個人向け通販「ロハコ」では、「ハッピーオンタイム」というサービスを提供中だが、AIを活用して、消費者が1時間ごとに配送時間を指定できるシステムを構築しているのである。通常、配送業者のドライバーは、決められた担当地域の地図を記憶し、荷札と比較して効率的な荷物の積み込み順や配送ルートを考える。しかし、「ハッピーオンタイム」では、システムが配送ルートと時間を計算し、消費者の希望する時間をさらに30分間に絞り込んでメールで伝える。 到着時間は、システム上では秒単位で予測されており、前後15分の余裕をもって消費者に知らせる仕組みだ。コンピューターによるルート設定やAIによる予定と実績の差分分析を行い、到着時間の予測精度は従来比25%改善。通常約2割といわれる不在率を約2%に抑えている。 同社は、ドライバーの動きをリストセンサーで分析し、研究に生かす取り組みも行っている。ベテランと新人では、ドライバーの動きは大きく異なる。配送車を停めてから荷物を届けるまでに時間がかかる場合もある。配送ルートの気象情報、従業員の経験、荷物の重量、配送地域など、すべてをデータとして取り込み、AIで分析する。今後、BtoB(企業間取引)にも応用する考えだ。 さらに、物流センターでは、EC世界初となるピッキングロボットをはじめ、多くのロボットを導入している。最終的には、荷物を持ち上げてトラックの中に運び、積み込みまで行うロボットを視野に入れる。「いろんなロボットを検討している段階なんです。われわれの最終的な目的は、AIやロボットを物流センターや配送網に実装して、お客さま価値を上げることです」と、岩田氏はいう。ニトリのグループ会社「ホームロジスティクス」が運営する西日本通販発送センター。倉庫内を無人搬送ロボット「バトラー」が走り回る=2017年12月(沢野貴信撮影)「危機こそチャンス」とは、よくいわれることだが、物流危機は従来式のアナログな物流を、最先端技術を活用したスマート物流へと進化させる大きなチャンスと見るべきだろう。引っ越し業界でも、引っ越し需要の予測精度向上に、AIのアルゴリズムを活用するなど、最先端技術を活用した業務改善の動きがある。 今後、スマート物流網が急速に進んでいくのは間違いない。近い将来、AIの活用が業界の競争力を左右することになるだろう。

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    「美しすぎるバレーボール選手」滝沢ななえが同性愛を告白した理由

    滝沢ななえ(元バレーボール選手) 2016年のリオ五輪・パラリンピックでは、セクシュアルマイノリティーをカミングアウトした選手が50人以上で過去最多となり、話題になりました。2014年、オリンピック憲章に「性的指向による差別禁止」が明記されたことも背景にあって、エンブレムに「多様性と調和」のメッセージを込めた2020年の東京五輪がどうなるのか、世界が注目していると思います。 一方で、日本の現役選手で今、カミングアウトしている人はいません。もちろんカミングアウトすることが全てではありませんが、引退したスポーツ選手でもカミングアウトしているのはわずか数人というのが現状です。 そんな中、2017年11月に放送されたバラエティー番組『衝撃のアノ人に会ってみた』(日本テレビ系)で、私は女性とお付き合いしていることを初めてメディアの前でお話しました。要はレズビアンであることをカミングアウトしたのです。 取材で来た番組ディレクターに「彼氏か旦那さんはいますか?」と聞かれたので、「彼女がいます」と答えたんです。最初はびっくりされましたが、その後に「ぜひ使わせて欲しい」と言われて、放送することになりました。 ちょうど、そのテレビ番組のお話をいただく少し前、私が所属しているジム「SPICE UP FITNESS」の代表と、セクシュアルマイノリティーとしてもっと表に出ていけたら、誰かを勇気づけたり、誰かの考えや行動に変化が生まれたり、そういうきっかけをつくることができるんじゃないかって話していたんです。だから、テレビ出演のお話はタイミングが良かったですね。インタビューに応じる滝沢ななえ氏(瀧誠四郎撮影) ここから少し自分自身の話をしようと思います。自分の恋愛対象が女性だと初めて自覚したのは、バレーボールチーム「上尾メディックス」に所属していた22歳のころでした。それまで男性とお付き合いしたこともありましたが、友達と「恋バナ」をしていると、なんとなく違和感がありました。 というのも、女の子って恋をすると恋愛モードになるというか、すごく乙女になるじゃないですか。その感覚が私にはなかったんです。付き合っている男性のことは人として尊敬していたので一緒にいることはできるのですが、どうしても「友達」のような感覚で、なんでこんなに違うんだろうと思っていました。 そんな時、女優の上野樹里さんが性同一性障害の人を演じた『ラストフレンズ』(フジテレビ系列)というドラマを偶然みたんです。私は自分が女性であることに違和感は全くなかったのですが、ちょっと男っぽい部分もあるので、「あー、私も女性とお付き合いした方が心惹かれるのかな?」と、ふと思ったんです。そして実際に女性と付き合ってみたら、「ああ、みんなが恋バナをしていたときの恋愛モードってこういう感じか!」と初めて理解できたんです。男性ファンに対する罪悪感 とはいえ、女性が好きだと自覚してからも、恋バナをするのは難しいものでした。なぜなら、恋バナをするときって、必ず「彼氏いるの?」と聞かれるからです。その時点で少し違和感がありますが、相手も決して悪気があるわけではないので難しいですよね。私の場合、男性の立場で彼女とお付き合いしているので、彼女を彼氏と置き換えて話すこともできない。なので、本当はもっとしゃべりたいこともあるし、恋もしているけれど、恋バナのときはごまかしてしまうことが多かったです。レズビアンをカミングアウトしたときの心境を語る滝沢ななえ氏(瀧誠四郎撮影) 私は基本的にポジティブで、普通に明るく楽しく生きているので、テレビのドキュメンタリーのような深刻な話ではないですけど、もう一つ、日常で違和感があるとすれば、やっぱり結婚や出産の話ですね。私の妹はすごく家庭的で、ずっと結婚したいって言っているような子なので、いつも「ななえ、結婚しないの?」「子供かわいいよ」と私に言っていました。 妹も、もちろん周りの友達も、結婚して、家庭があって、子供がいるっていう生活が幸せだと思っていたからこそ、いつか私にも幸せになってほしくて言ってくれたんだと思います。みんな悪気があるわけではなく、無意識にそう言ってくれますね。ただ、私にとっては興味がない話というか、私にとって幸せのカタチは結婚や出産ではなかったというだけなんです。 プライベートではそういう小さな違和感もありましたが、バレーボール選手として、自分がセクシュアルマイノリティーだからといって何か不便があったり、嫌なことがあったりということはほとんどなかったです。自分がセクシュアルマイノリティーだからといって、何か競技に悪影響が出ることもありませんでした。同性愛者だからという理由で試合中にミスが増えるなんてことはないじゃないですか。 一つあるとすれば、男性ファンに対しての罪悪感でした。私は現役時代、男性ファンが多くて、「ななえちゃん、かわいい」と言われると、だましているつもりはなくてもちょっと申し訳なく思っていました。 表舞台に出る人間として、周りの反応、特に応援してくれている方々の目というのはどうしても気になると思います。ファンの方は、「この選手はこういう人だろうな」という自分なりのイメージを持っていて、そのイメージをあまり崩してはいけないという意識が当時は強かった。もしイメージと異なれば、どうしてもがっかりさせてしまうのではないかと考えていました。 私自身も、ファンがあってのアスリートだと思っていたし、だからこそファンの方を大切にしたいと思っていたので、カミングアウトするより、イメージのままの「滝沢ななえ」でいる方がいいのかな、と思っていました。DNAの代わりに「考え」を残したい 私はもう引退した身ですが、それでも公表するのは怖かったですね。収録はしたものの、本当に放送されて大丈夫なのか、ずっと不安でした。正直なところ、同性愛であることを公表したら、男性ファンは引いてしまうのではないかと思っていましたし、そうなったらなったで仕方がないと、覚悟もしていましたけど…。最後はセクシュアルマイノリティーの滝沢ななえを応援してくれる人が残ってくれればそれでいい。そう思って公表しました。 もちろん、どうしても受け入れられない人もいるとは思います。でも結果的に、「ななえちゃんがどうであれ、滝沢ななえっていう人間をこれからも応援していきたい」というお言葉をいただいたり、男性の方でも今まで通り応援してくれるファンが意外に多かったり、予想以上に温かい反響をいただき少し驚きました。 冒頭でも話した通り、今現役の日本人スポーツ選手でカミングアウトしている選手はいませんが、今の日本の状況ではまだ難しいだろうと思います。LGBTというという言葉が少しずつ社会に認知されてきていますが、自身がLGBTであるということをカミングアウトするのには、まだまだ勇気が必要だと感じています。「自分のDNAよりも自分の考えを残せたら」と語る滝沢ななえ氏(瀧誠四郎撮影) それでも、現役選手の方で、モヤモヤしている方がいらっしゃるのなら、ファンの人はファンのままだから、あまり怖がらなくてもいいんじゃないかな、と伝えたいです。これは私が今回公表したことで一番実感したことです。絶対に理解してくれる人がいるし、そういう面で気持ちが晴れてくると、競技にもいい形につながってくるのではないでしょうか。 アスリートにとって、自分の支えになってくれる恋人やパートナーの存在はすごくプラスになると思います。そんなことを考えるより競技に集中しろ、というご意見もきっとあるでしょうが、スポーツはフィジカルの部分、メンタルの部分どちらも重要です。そんな心の支えになっている存在を、隠して生きていかなくてはいけない、後ろめたいことをしているわけでもなく、普通に恋愛をしているのに、という状況は、やっぱりストレスになるものです。 だからこそ、仕事や自身の生き方が少しでもLGBTの方々の応援につながっていけば幸いです。私は子孫を残す、自分のDNAを残すということにあまり興味がない代わりに「自分の考え」を残せたらいいな、と思っています。 恋愛において、みなさんの「普通」と、私たちの「普通」はきっと同じです。男性も女性も、誰が好きであれ、私たちにとっては「普通」なので、明るく受け入れてほしい。東京五輪では、LGBTの人たちも、不自由なく参加できる環境にしてもらいたいですね。(聞き手 iRONNA編集部、中田真弥)たきざわ・ななえ 元バレーボール選手。1987年東京都生まれ。八王子実践高等学校を卒業。パイオニアレッドウィングスにて3年プレーした後、上尾メディックスに移籍。上尾メディックスでの4年間の選手生活を終え、バレーボールスクールのコーチなどを経て、現在トレーニングジム「SPICE UP FITNESS」トレーナー。

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    「自慰行為は週3回」75歳のヌードモデルが吐露した性的貧困の現実

    坂爪真吾(ホワイトハンズ代表理事) 高齢期には4つの「ムエン」があると言われている。一つ目は、人間関係の貧困を意味する「無縁」。二つ目は、社会的孤立を意味する「無援」。三つ目は、経済的貧困を意味する「無円」。そして四つ目は、性的貧困を意味する「無艶」だ。 現役時代にどれだけ性的に満ち足りた暮らしを送っていた人でも、超高齢社会においては遅かれ早かれ、この「無艶」に直面する時が必ずやって来る。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2024年には人口の30%が65歳以上の高齢者になるとされている。全ての人が高齢期の「無艶」に直面せざるをえない時代の中で、私たちは「生殖なき後の性」をいかに生きればいいのだろうか。 本稿では、高齢者の中でも男性と比べてメディアで取り上げられることの少ない性的マイノリティと女性の性に視点を当てて、このテーマを考えていきたい。iStock 黒沢心平さん(75歳・仮名)は、柔らかいライトに照らされた会場の中央で、一糸まとわぬ姿で直立している。黒沢さんの周りには約20人が座っているが、声を出す人は誰もいない。静寂の中で、スケッチブックに鉛筆を走らせる音だけが響き渡っている。 ここはバリアフリーのヌードデッサン会『ららあーと』(一般社団法人ホワイトハンズ主催)の会場である。年齢や性別、障害や病気の有無にかかわらず誰でも参加することができ、20代の学生から70代の高齢者まで、様々な世代の参加者がデッサンを楽しんでいる。黒沢さんが75歳でヌードモデルにチャレンジしようと思った背景には、どのような理由があったのだろうか。 岡山県で生まれた黒沢さんは、20歳の時に上京し、電話工事の請負・施工の仕事を始めた。会社の男性寮で生活していたので女性とは無縁の毎日だった。当時は電話が交換手による人力から自動に変わる転換期であり、黒沢さんは全国各地を回って仕事を精力的にこなしていた。 30歳の時、同郷の1歳年下の女性と見合い結婚する。結婚初夜が黒沢さんにとっての初体験だったが、セックスに関する知識は雑誌や医学書で読んでいたので、行為自体はうまくいった。そして結婚2年後には子供を授かった。 34歳の時に独立し、電話工事の請負・施工業務を行う会社を設立した。当時電話工事に関する需要は山のようにあり、仕事の依頼は途切れることがなかったという。 順調に仕事と家庭を築いていく一方、黒沢さんは30代半ば頃から「自分はバイセクシュアル(両性愛者)ではないだろうか」という思いを抱えるようになる。当時は今よりもはるかに性的マイノリティに対する偏見や差別が根強い時代だったため、バイセクシュアルであることを自分から誰かに打ち明けることはしなかった。 そんな中で、同じ性的マイノリティの人たちが集まる場所とされている映画館やバーなどに何度か足を運んだ。そうした場所で誘われて、男性と身体の関係を持ったこともあった。一時的に満足できたが、冷静になって振り返ると「本当によかったのだろうか」と後悔する時もあったという。73歳でヌードモデルに挑戦 カラオケスナックで知り合った大学生の男性とは一年程度の付き合いになり、一緒に泊りで旅行に行くこともあった。彼と別れてから現在まで、男性と付き合ったことはない。それでも男性と付き合いたいという気持ちは少なからずあるという。 40~50代の時には、男性同性愛者向けの性感マッサージに通ったことがある。好奇心で何度か通ったが、確かにお客様として丁寧に扱ってくれるものの、金額に見合った価値があるようには思えず、頻繁に通うまでにはならなかった。 現在は会社を休業し、週3日パートで清掃の仕事をしている。妻とは3年前から別居していたが、最近離婚が正式に確定した。黒沢さんがバイセクシュアルであることは、はっきりとは告げていないものの妻も薄々気づいていたらしく、それも離婚の要因の一つになったのかもしれない。 離婚を協議する過程で裁判になり、妻が弁護士を立てたので、こちらも立てることになった。しかしこれまで弁護士への依頼や裁判などは一度も経験したことのない黒沢さんにとって、妻を相手に争うことはかつてない大きなストレスになった。 このままだとストレスで自分がダメになってしまう。そこで黒沢さんは、この現実に立ち向かっていけるように「今までは絶対にできなかったようなことに挑戦して自分を強くしたい」と思い、73歳にしてデッサンのヌードモデルに挑戦することにした。 最初の登壇では頭が真っ白になるほど緊張したが、次第に会場の空気になじめるようになった。参加者からも「年の割にはいい身体をしていますね」と言われて自信がついたため、2回目の登壇にも挑戦した。こうした中で「自分にもできる」という気持ちが固まり、離婚をめぐる裁判も無事に乗り越えることができた。 最近はインターネットのゲイ・同性愛専門のアダルト情報サイトで、男性同性愛者向け風俗店のページや動画を観ながら性的欲求を発散している。有料サイトではなく、無料で閲覧できる素人の投稿動画もよく見ている。独り身になって色々とやらなければいけない家事があるので、短時間で欲求を解消できる動画がいい。iStock 自慰行為は週に3回くらいの頻度で行っているという。毎晩22時から23時半の間にパソコンでネットを見るのが習慣になっており、24時の就寝直前まで見ている時もあるという。「この年になっても、そんなことをしている人はいないと思うのですが…」と黒沢さんは恥ずかしそうに苦笑いする。 離婚に伴う財産分与で、現金の財産はほとんど無くなってしまったが、今のところは年金とパートの収入で生活できている。周りに性の話ができる相手は全くいない。そうした相手がいれば理想的だが、これについては仕方がないとも感じている。性欲旺盛な高齢女性 今の性生活の満足度は、100点中80点。同年代よりも下、50代くらいの人と交際ができればという思いはあるが、この年になると、誰かと付き合うことはその相手に何らかの負担をかけることにつながる。若い人と付き合うと結局お金の関係になってしまうので、それはやりたくない。そう考えると、これからの恋愛や結婚は現実的にはちょっと難しい。そうした状況の中、今のところはネットのアダルト動画を観る程度で性的には満足できている。 黒沢さんは、最近「自分はバイで幸せだったのか?」と自問自答する時があるという。両方の性を楽しめたのだから良かったのかもしれない。でもどちらも中途半端だったので、ストレートに女性だけを好きだった方が良かったのかもしれない。こればかりは他人に聞いても答えは出ないので、最後は自分で結論を出すしかないのだろうと考えている。 高齢世代の女性に関しては、「もうセックスは卒業して、性とは無縁の穏やかで円満な夫婦関係を送っている」というイメージ、そして単身の女性高齢者に関しては「性とは無縁の枯れた存在」というイメージがある。 しかし、それらはいずれも幻想に過ぎない。『セックスレス時代の中高年「性」白書』(日本性科学会セクシュアリティ研究会編 株式会社harunosora)のデータを見ると、パートナーとの性欲ギャップに悩んでいる生々しい中高年女性の姿、いくつになってもセックスへの未練や執着を断ち切れずにモヤモヤしている単身女性の姿が浮かび上がってくる。 「この1年間に性交をしたいと思ったことはどれくらいあるか」という質問に対する回答は、「願望があった」「たまにあった」を合わせると、配偶者のいる60代女性は42%、70代女性は33%に達する。単身者の場合も、60~70代女性の32%が性交への願望を抱いている。iStock 夫婦間のコミュニケーションや性生活のメンテナンスをこれまで何十年も怠ってきた場合、高齢期になってからそれらを再始動させることは極めて困難だ。その一方で、単身の人や配偶者と離別・死別した人が新たなパートナーを獲得することにも困難が伴う。 ありもしない夫婦関係の再構築や、ありもしない恋愛や結婚(再婚)による救済に惑わされずに高齢期の性を充実させる「第三の道」としては、女性の場合、アダルトグッズの活用や性感マッサージの利用などがある。 女性向けのAVに出演している男優(通称:エロメン)のサイン会やイベントには、少なくない数の中高年の女性たちが参加しているそうだ。サイン会では来場者一人一人に対して、男優がサインや握手だけでなく、名前を呼びながらハグをしてくれる。「憧れの男性が自分の名前を覚えてくれて、抱きしめてくれる」というシチュエーションに身を投じることで、十代の頃に戻ったような高揚感を味わえるという人もいる。 握手とハグだけであれば、夫を裏切っているわけではないので罪悪感も無い。ストリップ劇場に通って全裸の踊り子を見ることでエネルギーを充填する高齢男性は昔から存在するが、中高年女性にとってのストリップ劇場に該当するのが、エロメンあるいは半裸で踊る細マッチョの韓流アイドルなのかもしれない。死生観ならぬ「私性観」 中高年の女性にとって、ダイレクトに性的なサービスを利用したり、性愛をテーマにした催しや空間に集まるのは難しいことが多いため、こうしたエロメンやアイドルのサイン会、握手会のように、あくまで今の生活を変えないような形で、非日常と日常の中間地帯で緩やかに性的なものと触れ合い、語り合えるような居場所を作っていく必要がある。 高齢期の性を充実させるために必要なのは「性に関する自分なりのパートナーや居場所を作ること」だと言える。女性の場合、小説やアダルトグッズだったり、性のことを肩肘張らずに話し合える友人・知人と喫茶店で過ごす時間であったり、出会い系サイトで偶然出会った同世代の不倫相手という場合もあるだろう。 ちなみに出会い系サイトの世界では、中高年女性への需要は確実にあるようだ。60代を過ぎた女性は「こんな年齢の自分でもよろしければ、一緒の時間を過ごしてくださいませんか」というへりくだった態度を示すことが多く、かつ「お互いのできる範囲の間で、それぞれの希望に合わせたお付き合いができればよいですね」と、相手の立場に立った提案をすることができるため、あえて年配の女性に絞ってアプローチをかける男性もいる。 どのような場所で出会った相手であっても、どのような形の存在であっても、死生観ならぬ「私性観」=性に対する自分なりの価値観と行動原理に基づいて探し当てたパートナーや居場所であれば、自分を納得させることができるはずだ。 たとえ他人や世間からみて眉をひそめられるような状態、滑稽な状態に見えたとしても、誰を(何を)パートナーや居場所として選ぶかを決めるのは、あくまで自分自身。「私の性は、私が決める」という性の自己決定原則は、生涯を通して不変なのだから。 超高齢社会における性の問題を考える上で避けて通れないテーマは、自分の意思で判断、行動することの難しくなった要介護及び認知症の状態にある人の性である。iStock 脳梗塞後に認知症を発症した87歳の河万衣子さん(仮名)は、笑いながら人前でいきなり「おっぱい!」と叫んで胸を露出する癖がある。施設のフロア内でも頻繁に胸を露出するので、周りの利用者からたしなめられたり、職員から「男性の利用者の方もおられるので、やめましょうね」と注意されている。 認知症を発症する前の河さんは敬虔(けいけん)なクリスチャンであり、夫は公的機関で重職を担っていた。長女も福祉施設の施設長であり、次女と孫は学校の教師をしている。 そうした真面目な家庭で妻としての役割を担ってきた河さんが、認知症になってからは人前で「おっぱい!」「まんこ!」といった性的な言葉を連発するようになった。デイサービスでの入浴の際にも「メンス(生理)が来たから今日はお風呂に入らない」と拒否したり、女性職員に対して「あなた、子供は何人?私は5人産んだわ。(セックスを)やったら、すぐにできるの」と語りかけてくることもある。河さんのこうした言動について、担当の看護師は「自分はまだ女性として現役である、という意識を持ちたいのではないでしょうか」と分析している。 施設内での性的な言動が頻回になり、他の利用者への影響も出るようになったため、やむをえず職員が河さんの現状を家族に伝えることにした。話を聞いた河さんの長女は、「おかあさん、お願いだからもうそんなことはやめて!」と泣き出してしまった。長女の話によると、以前にも施設の男性理学療法士に性的な発言を繰り返し、先方からの苦情でサービスを受けられなくなったことがあったとのこと。 長女への相談以降、河さんの性的な言動はしばらく鳴りを潜めていたが、一定の期間が経過すると、再びそうした言動が目立つようになってきた。最近は周囲の利用者や職員も慣れてきて、河さんの言動を良い意味で受け流すスキルが身についてきた。今では河さんが「おっぱい!」と叫んで胸を露出しても、全ての職員が「はい、しまいましょうね」と冷静に対処できるようになったそうだ。理想は「誰もが晩節を汚せる社会」 高齢者の性を「あってはならないもの」として否定的に捉えるのではなく、人間らしく生きる上で「あって当たり前のもの」として肯定的に捉え、社会資源の活用や家族・関係機関・専門職との連携を通して対応する試みは、少しずつではあるが現場に広まってきている。 日々の生活の中でのプライバシーの確保、自慰行為のできる環境の整備などの「性に対する合理的配慮」を通して、その人が最期まで人間らしく生きていくために必要な、最低限度の性の健康と権利がきちんと守られるような仕組みを作っていくこと。これから「超」超高齢社会を迎えるにあたって、私たちの社会に求められていることは、この一点に尽きる。 性は生殖の手段であるだけでなく、他者とのコミュニケーションの手段でもある。加齢によって社会との関わりを失い、離別や死別によって家族との関わりを失い、認知症や病気によって自分自身との関わりをも失ってしまった人たちにとって、性は外界と自分を結ぶ唯一の手段として最後に残された一本の命綱=「蜘蛛の糸」である。iStock 今にも切れそうなその細い糸を「あってはならないもの」として断ち切ってしまうのか、それとも「人間らしさの最後のよりどころ」として大切に見守っていくのか。この選択を誤らなければ、将来私たち自身が同じ立場になった時にも、無明の中で「蜘蛛の糸」をつかむことができるに違いない。 孤独の中で漂流・暴発しがちな高齢者の性を「受け入れる」とまではいかなくとも、不必要に問題化せずに、当たり前のこととして「受け止める」仕組み、そして当事者にとっても支援者にとってもストレスの少ない形で、良い意味で「受け流す」仕組みが社会的に整備されていれば、私たちはいくつになっても安心して性的な存在であり続けることができるはずだ。そうした社会に暮らしているという安心感こそが、加齢に伴う性的孤独を少なからず和らげてくれるのではないだろうか。 来るべき「超」超高齢社会で私たちが目指すべき社会の姿は、こうした「誰もが安心して晩節を汚せる社会」だと私は考える。

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    どうする? 老後のセックス

    ひと昔前、「死ぬまでセックス」特集が週刊誌で大々的に組まれたが、最近はお堅いNHKでも老後のセックスを取り上げるご時世である。近い将来「100歳まで生きるのが当たり前の時代になる」と言われるニッポンの超高齢社会。高齢者の性事情とスローなセックスライフについて考えたい。

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    「セックスに引退なし」ED治療薬で激変した高齢者の性事情

    たら」の意図がある。高齢世代の恋愛と性は、単なる肉体のつながりだけではない点も見いだせる。無縁社会が社会問題化する中、人と人との「縁」を結ぶものでもある。 都会、地方問わず、孤独死が社会問題として深刻視されている。50代以下の若年の孤独死もあるが、その多くは高齢者だ。 私は高齢者の孤独死のニュースに接するたびに、「高齢者の恋愛や性こそ孤独死を予防するセーフティーネット(安全網)、抑止力になり得るのではないか」と考えさせられてきた。夫婦ではない関係で考えれば、互いの住居の行き来は、周囲の目を意識する場合もあるにせよ、恋人がやって来る特別な場所だけに整理整頓、掃除を心掛ける。必然的に、住居のゴミ屋敷化を防ぐ力になる。それ以前に、携帯電話やパソコンで随時、連絡を取り合うのは安否確認にもなっている。アンチエイジングの普及で理解も 一方に不測の事態が起きたとき、子どもや親族と疎遠になっている者にとってはパートナーこそSOSを発せられるライフラインの役割も果たす。いわば、無縁社会における危機管理策、とまじめに位置づけてもいい。何より、引きこもりとも関係なく、日々の身だしなみにも気をつけ、生き生きと社会生活できるメリットは大きい。 四季折々のイベントに対して「来年のお正月も一緒に」「来年のお花見も一緒に」「来年の花火大会も一緒に」「来年の紅葉も一緒に」「来年のクリスマスも一緒に」といった希望も見いだしているゆえ、互いに進んで節制し、健康にもより気を遣う。毎日体重計に乗るのもいとわぬばかりでなく、定期的に病院に通い、それぞれの検査シートを見せ合って互いの健康状況を把握もするのである。節制と健康管理は愛する人のため、でもあるのだ。 ただ、厳しい現実の問題もあることも最後に書いておこう。 確たるデータこそないのだが、心の支えとなっている好きな人が亡くなったときの精神的ショックは残された人の死期を確実に早め、1年以内に亡くなるケースも多い、という話は医療関係者や高齢者福祉関係者が指摘するところでもある。 先に逝く人は幸福の絶頂の中で人生を終えることができる。しかし、残された人は厳粛に人生最後の恋であるパートナーの死を受け止めざるを得ず、日常生活を送るのにも苦痛な鬱(うつ)状態に陥るのだ。iStock とはいえ、それも私は「クオリティー・オブ・ライフはクオリティー・オブ・ラブである」を反映している典型例ではないか、心のときめきもなく、ただ年齢を重ねるよりも人間的ではないか、と取材から感じてきた。 日本は有史以来、初めて迎える高齢社会の中で、高齢者の恋愛と性についての社会的な理解はまだまだ日が浅いと言えるであろうが、現代の70代以上の方は、その先駆者、開拓者たる存在として歩んできた。 一昔前は「いいトシをして」「みっともない」と陰口をたたかれて、何かと抑制を課せられてきたが、アンチエイジングの普及の中で、ようやく理解を得られつつある段階に入り、現在は新たな段階への発展途上、成熟の途上にあると言えるのだろう。

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    「官能小説に刺激はいらない」超高齢社会を生きるアダルト業界の今

    安田理央(ライター、アダルトメディア研究家) 現在、アダルトメディア業界を支えているのは中高年である。特にアダルト雑誌読者の高年齢化は著しく、メインの読者層は50代である。官能小説誌などの文字中心の雑誌となると、さらに高くなり60代、70代だ。現在唯一の月刊官能小説誌である「特選小説」(綜合図書)の表紙には「小説の文字が大きくて読みやすい!」という文字が躍っている。 アダルト雑誌の中心読者が中高年だと言うと驚く人は多い。エロ本は血気盛んな若者が読むものというイメージが強いからだろう。 読者の高年齢化が目立つようになったのは、90年代後半からだ。やはり大きいのはインターネットと携帯電話の普及による影響だ。若い層は、ごっそりとそちらに取られてしまった。 既にアダルト雑誌は、事実上滅びていると言ってもいいだろう。かつてエロ本を数多く発行していた出版社のほとんどがエロ本から手を引いている。活動を停止してしまった出版社も多い。(iStock) それでも、まだ書店やコンビニにはエロ本が並んでいると思うだろうが、そこにあるのはアダルトビデオ(AV)メーカーから素材を借りてつなぎ合わせただけのDVD付きムックばかりで、発行しているのは新興の出版社である。 そして今、アダルト雑誌を買い支えているのは、高齢者で、しかもネットができないという層なのだ。誌面でネットの記事を書くと「そういうわからないものを載せるのはやめてくれ」という反応が多いという。悪い言い方をすれば、もはやエロ本は情報弱者によって生き永らえているのだ。 それもそうだろう。少しの知識があれば、ネットやスマホからいくらでも無料のアダルトコンテンツが入手できるのだから。しかも、雑誌で見るよりも過激で濃厚なものばかりだ。「やっぱり紙じゃないと」というフェティッシュなポリシーで雑誌を買い続けているような読者は、ほとんどいないのが現実だ。もっとも雑誌読者の高年齢化はアダルトジャンルに限ったことではない。全ての雑誌は読者の高年齢化に悩んでいるのが現状だ。 それでは、30年前からアダルトメディアの王者の地位を守り続けているAVはどうだろうか。 こちらもまたユーザーの高年齢化が進んでいる。雑誌に比べるといくぶん若いが、それでもメインの年齢層は40代後半であり、徐々に50代に近づきつつある。AVショップやAV女優のイベントに行っても、目につくのは中年客ばかりだ。 若い世代がAVを見ないというわけではない。むしろAVを見たことがないという若者は男女共にほとんどいないだろう。彼らに話を聞いてみると、AVは携帯電話やスマホで見るものという意識が強い。そして無料で見るものなのだ。違法にアップロードされた動画共有サイトで見たり、あるいは通販サイトのサンプル動画で満足していたりする。高齢化で先を行く「官能小説」の世界 しかし、メーカーにとってユーザーとはあくまでも購入してくれる人である。お金を払って見てくれる人に向けて作るのは当然のことだ。よって、現在のAVは中高年をターゲットに作られているわけである。 熟女物が全体の3割以上を占めているというのも、そうした背景があるからだ。AVで熟女というと30代から40代が中心。つまりユーザーの同世代か少し下の女性ということで、性の対象としてはリアルなところだろう。 もちろん、若い女の子の出演作も多いわけだが、中高年でも若い女の子が好きだという人もいるわけだから、そうした層に向けて作るのも当然である。 ただ、ここ数年の動きを見ていると、AVにおいて、女の子は若ければいいという考えはだいぶ薄れてきている。吉沢明歩やつぼみ、Rioなど10年以上活動しているAV女優が珍しくなくなっているのも、その現れだろう。風間ゆみなどは今年20周年を迎える。これは90年代までのAV業界では考えられなかったことだ。(iStock) アダルトではないが、同じことがグラビアアイドルの世界でも起きている。20代後半から30代のグラビアアイドルが人気なのだ。これもユーザー層の高年齢化による影響だろう。 若い世代の流入が難しいとなれば、この先、アダルトメディアユーザーの高年齢化は進む一方だろう。するとニーズにあわせて、内容も変化するはずだ。一足先に読者が老年化している官能小説の世界でのニーズが参考になるかもしれない。 官能小説というと、ハードな凌辱物を連想する人も多いだろうが、現在ではそうした内容はあまり人気がない。主流となっているのは、女性が積極的に誘惑してくるというもの。かといってAVで人気の痴女物のような過激な迫り方ではない。またヒロインは30代がほとんどである。20代、ましてや10代のヒロインはあまり人気がないようだ。 面白いのは40代以上も、また求められていないということ。作家が40歳のヒロインを設定すると、編集者から39歳にしてくれと注文が入ったというエピソードも聞いている。AVの熟女物では、40代、そして50代も人気があるのだが、このあたりは文章と映像の違いに起因するのかもしれず興味深い。 なによりも重視されるのは「癒やし」というキーワードだ。現在の官能小説の読者は刺激を求めていない。30代の女性と癒やされるようなセックスをする、これが理想となっているようだ。その理由を編集者は「日常で疲れているのに、官能小説を読んでまで疲れるようなことはしたくないんじゃないですか?」と分析していた。 もし、AVのユーザーがさらに高年齢化が進み、官能小説と同じような年齢層になった場合、AVでも「癒やし」が重視されるようになるのかもしれない。 過激なプレイは廃れ、穏やかなスローセックスを楽しむAV。ちょうどAV女優の人権問題が騒がれ、過激なプレイに規制がかかりそうなムードが業界にはある。ニーズに関わらず、AVはそうした方向へ向かう可能性も大きい。 AVがそちらへ向かえば、その素材に頼っているアダルト雑誌も、必然的に同じ路線を歩むことになる。 かつては過激で先鋭的なイメージのあった日本のアダルトメディアは、高齢化社会を迎えた時、「癒やし」のメディアとして存続していくのかもしれない。

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    女性介護士に求婚 「交際歴ゼロ」56歳男の暴走

     夏が近づくと、肌を見せるファッションや海辺へ出かけるときのため、むだ毛処理への関心が高くなる。むだ毛の処理は女性だけでなく男性にとっても普通のこととなりつつあるが、今ではさらに幅広い年齢層、高齢男性であっても真剣に取り組む課題のようだ。ライターの森鷹久氏が、50代になって婚活に目覚め美容に関心を払うようになった男の奮闘と、それに振り回される周囲の様子をリポートする。* * * 埼玉県南部にあるデイケア施設に通う清水さん(56歳・仮名)は二年前、職場で作業中に脳梗塞で倒れたが、緊急手術により一命をとりとめた。当初は社会復帰を目指しリハビリに励んでいたが、右半身の麻痺が悪化する一方で、若くして施設に通う事を余儀なくされたという。そんな清水さんには、あるヒミツがあるのだと施設関係者が声を潜める。「ずっと独身のあの人は、女性と付き合った経験がないらしいんです」 施設に入居した頃は、女性職員が声をかけると顔を紅潮させ、しどろもどろで返答するか、聞こえないふりを決め込んで脂汗を流していたほどの純情っぷりで、会話も成り立たないほどだった。当然、女性介護士による食事や排泄の介助も拒絶し、数少ない男性介護士が順番で清水さんの世話をしていたのだというが、30代の女性介護士・Y美さんの献身的な介助が清水さんの心を開かせた。……と、ここで終われば美談だが、現実は明後日の方向へ進んだ。(iStock)「Y美さんは既婚で二児のママさん。とにかく気立てが良く、施設の入居者の誰からも人気でした。清水さんはそんなY美さんから優しくされた事で好意を持ち、ラブレターを出してしまった。ただ、これも珍しいことではない。清水さんの場合は、その先が予想外でした」 女性の優しさに触れ、還暦直前に甘美な“恋愛感情”が芽生えた清水さん。はじめはY美さんにお菓子などのプレゼントを持ってきたりする程度だったが、日が経つにつれ、Y美さんではない介護士が清水さんの介助をしようとすると怒鳴りだし、Y美さんが休みの日は不機嫌になりモノや入居者に当たり散らし、ほとんど手がつけられない状態になっていった。優しいY美さんも、さすがに清水さんを敬遠しつつあったが、決定的な事件が起きる。「Y美さんが毛の濃い清水さんにクスリを塗りながら“毛深いですね”とつぶやいたのですが、翌週には首から下の毛が一本残らず剃り上げられていました。聞けば高齢の母親に手伝ってもらい、全身を除毛したのだと…。その直後にはY美さんのエプロンが無くなる騒ぎがあったのですが、清水さんのバックから発見され、広げると汚されていました」すっかり勘違いした清水さんは… 気味悪がっていたY美さんのよそよそしさを見て、清水さんはこれまでの言動を反省するのではなく、自分に気があるとでも勘違いしたらしい。なんと、Y美さんの前で婚姻届を取り出すと、職員や入居者の前でプロポーズをしてしまったのだ。気丈に振舞っていたY美さんもすっかり参ってしまい、グループ内の別施設に逃げるように異動した。 一方、施設に通い始めた二年前の照れ屋で純情だった面影はすっかり無くなり、今では妙な自信に漲っている清水さんは、今度はいろいろな女性へ向けて婚活に勤しんでいる。「Y美さんの後に“惚れた”女性職員の為に、髪を染めたり眉毛を整えたりしていましたが呆気無くフラれました。すると今度は、新卒の若い事務員女性の気を引こうと、母親の年金で永久脱毛に通っています。女性に介助されていい気分になるのはある程度理解できますが、清水さんの場合は手当たり次第に女性職員にセクハラを仕掛けるようになり、すでに四人が辞めるか、異動しました。“半径50cm以内に近づくと求婚される”と、女性職員は気味悪がって誰も近づきません」 清水さんの奮闘ぶりを滑稽と笑うのは簡単だ。しかし、日本の将来を考えたとき、彼の姿は特殊な例とは言い切れない時代が来るのではないか。たとえば昨年、女性との交際経験がない男性が20代未婚男性で53%にものぼったという調査結果がある(安田生命生活研究所調べ)。いま20代の男性が50代、60代になったとき、現在よりもずっと多くの人が「交際経験なし」になるだろう。異性との交際経験を積んでこなかった高齢者が、介護という仕事を自分への好意と勘違いしてしまう事態が、もっと頻繁に起きると容易に想像できる。“相手は老人”かつ“お客さん”として接するがあまり、清水さんのような婚活暴走老人が生まれてしまったというわけだが、現在でも彼の例は特殊と言い切れるものではない。関係者以外に知られていないだけだ。実際に、介護職員に思いを募らせるあまりラブレターを渡す高齢者は珍しくないし、職員の身体を触るなどのセクハラは日常茶飯事だ。 笑えそうで笑えない、超高齢化社会の我が国で起きている現実。今は取るに足らない小さなこと、特殊な事例だと思うかもしれないが、見過ごしているうちに大きな社会的問題になるだろう。関連記事■ 北近畿タンゴ鉄道アテンダント 仕事は観光客へのおもてなし■ 元鉄人・坂井宏行『アイアンシェフ』挑戦者としての出演に意欲■ 観月ありさ 清水良太郎と滝クリ従兄弟は“仲の良い友人”■ 清水富美加の著書に吉田豪氏「告白本ではなく宗教宣伝本」■ 大阪職員御用達の彫師「私は入れ墨彫った先生何人も知ってる」

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    置き去りにされてきた「高齢者の性」をめぐる問題

    つひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。

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    東大元医学部長「死ぬまで現役」は崇高で人間的で健康的

     東京大学医学部の元学部長の石川隆俊氏が、『東大名誉教授の私が「死ぬまでセックス」をすすめる本当の理由』(マキノ出版刊)を上梓したことが話題になっている。「“セックスは高齢者に生きる力を与えてくれる”ということを、真剣に伝えたかった。それが、この本を書いた理由です」と語る石川氏が、高齢者のセックスについて語る。* * * コンドームの老舗メーカー「相模ゴム工業」が、2013年に20~60代の男女1万4100人に調査したところ、40代、50代の男性(既婚者、交際者あり)の約6割がセックスレスだと回答したそうです。東大名誉教授の石川隆俊氏 広い世代に広まっているセックスレスの原因は様々でしょうが、厳しい競争社会に生きていることも関係しているのかもしれません。でも、諦めてほしくありません。この高齢者の調査結果はセックスレスに悩む若い世代にとっても励みになると思います。 あらゆる動物はホルモンの作用で発情期が限定されており、その期間にだけ生殖行為を行ないます。人間もホルモンの分泌は加齢とともに低下しますが、それでもセックス可能なのは脳の働きがあるからです。 思考や言語機能をつかさどる脳の“大脳新皮質”は、ヒトが進化する過程で著しく発達してきた。その進化により、人間は異性を生殖の相手だけでなく、恋愛の相手として認識でき、生涯を通して寄り添える関係を築けているのです。高齢者のセックスこそが、他の動物にはない、人間を人間たらしめている崇高な行為なのです。 セックスは歳をとることによって失われがちな「生きる力」を私たちに与えてくれます。高齢の男女が集まって公園でゲートボールをやっていたり、ダンス教室で踊っている光景をよく見ますよね。こうしたレクリエーション活動にも実は、異性との触れ合いを求めてやっている人が多いのです。 そうした気持ちは“いい歳してみっともない”ことではなく、とても健康的なのです。“気になるあの人がいるからオシャレしよう”や“あの人と会話できたから一日中ウキウキ”とか、そういうささやかなときめきが、生きる力になるんです。 医学的、生理学的には、「性」とは「生」なのですから、「死ぬまでSEX」を謳歌することは人間的で健康的な行為なのです。関連記事■ 地方の人口減少や都市の高齢者激増等の今後の対策を考える本■ 日本医学界の権威が「死ぬまで現役」本を出した理由■ 高齢者性特集に批判の教授「社会的意義があるのでしょうか」■ 所在確認済みの日本最高齢者は佐賀県在住の113才の女性■ 高額講習受ける高齢ドライバーは交通行政の「カネのなる木」

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    電通より長時間労働もある医療界 患者の感謝が心の支え

     過重労働が社会問題としてたびたび取り上げられているが、政府が唱える「働き方改革」が、働く人にとって有益なものとなっている気配はない。それどころか、経済界からの意見に押されて、強く規制することをためらう内容になっている。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、これから、どんな働き方を目指すべきなのかについて考察する。* * * 2015年のクリスマス、電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)が女子寮4階から飛び降り自殺した。彼女は、月100時間以上の残業を日常的に行なっていたことが問題となった。 生前のツイッターから過酷な働きぶりがうかがえる。自殺の2か月前には「体が震えるよ……しぬ」、1か月前には「がんばれると思ってたのに予想外に早くつぶれてしまって自己嫌悪だな」などと投稿していた。 東京大学卒の頑張り屋。深夜帰宅が続き、「睡眠時間2時間」という日もあった。高橋さんの自殺は過重労働のためだったと労災認定された。電通は夜10時に消灯し、深夜の残業を防止。しかし、カフェで仕事をしたり、早朝出勤したりするなど長時間労働の実態は変わっていないという指摘もある。 それにしても、1か月100時間以上の残業時間というのは尋常ではない。医療界はもっとひどい。20代の勤務医の労働時間は、平均週55時間。これに、当直や待機の時間が週12時間加わる。これを1か月に換算すると120時間を超える時間外労働をしていることになる。こんな「ブラック」な状況下で、日本の医師は患者さんの命を預かっている。それでも、何とか続けられているのは、医師としての使命感や、自分が成長するプロセスを実感できるからだろう。患者さんが元気になり、「ありがとう」と感謝されることも、心の支えになっている。 諏訪中央病院に医師が集まるのは、地方の中小病院なのに100名の医師がいて、他院より余裕が少しあるためかもしれない。高橋まつりさんのツイッターで長時間労働以上に気になるのは、上司から言われた言葉の数々だ。「君の残業時間の20時間は、会社にとって無駄」「今の業務量でつらいのはキャパがなさ過ぎる」働きすぎるとどうなるか? 新入社員の彼女の仕事ぶりは未熟なことが多かったのかもしれないが、もっと長い目で彼女を見て、仕事の一部でも評価してあげていたら、こんなことにはならなかったのではないだろうか。 いや、すでにそのレベルは超えてしまっているのかもしれない。どんなに優秀な人でも、やる気のある人でも、十分に眠れない、休めない、自分の仕事に意味を見出せないという状況下では、遅かれ早かれ擦り切れてしまう。 イギリスの医学雑誌「ランセット」に一昨年、興味深い研究論文が発表された。脳卒中になったことがない約52万9000人を、平均7.2年経過を追った結果、働く時間が長いほど脳卒中の危険性が高くなることがわかった。週55時間以上働く人は、週35~40時間働く人に比べて、脳卒中のリスクは1.33倍に増える。高血圧や糖尿病、食習慣だけではなく、労働時間も脳卒中を引き起こす要因になっているということだ。 日本の法定労働時間は、原則1日8時間、週40時間と決められている。法定労働時間を超える場合は、36協定で残業時間の上限を「月45時間、年360時間以内」と規定されているが、罰則付きのぎりぎりの特例として「月平均60時間、年720時間」という規定も設けられた。 長時間働くことは、脳卒中やうつ病、過労死など、健康に害を及ぼすリスクがあることを、もっと重く受け止める必要がある。 国をあげて働き方改革が議論されているが、雇用者側に立った「働かせ改革」ではなく、働く人の健康や生き方を大切にするような「生き方改革」を進めていってもらいたい。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『遊行を生きる』『検査なんか嫌いだ』関連記事■ 音楽家が原発労働者を訪ね歩いて知られざる現実を記したルポ■ 福島原発作業員 平均約12時間拘束で日当は2~4万円■ 高齢化が進み生活保護受給者が増えたドヤ街の現状を描いた本■ 戦時徴用は強制労働は嘘 1000名の募集に7000人殺到していた■ 44の職業に就く女性の給与明細・残業時間・長短を紹介した書

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    「電通ブラック批判」急先鋒の朝日新聞がブーメランで沈黙

     大手広告代理店・電通の女性新入社員が過重労働で自殺した問題は、2016年9月に労災が認定され、11月には厚生労働省が家宅捜索に入るという事態となった。これまで広告代理店の不祥事には及び腰と言われた大手メディアも一斉にこれを取り上げたが、中でも急先鋒となったのが朝日新聞だった。 「朝日は労働問題には定評がある。とくに今回は亡くなった女性が学生時代に『週刊朝日』でアルバイトをしていたこともあり、深く追及した」(朝日関係者) 10月12日付の「社説」では〈形式的で不十分な労働時間の把握、残業は当然という職場の空気……。企業体質の抜本的な改善が必要だろう〉と厳しく指摘。家宅捜索のあった翌日の11月8日朝刊は、1面トップ、天声人語、さらに2面でも図表入りで解説する力の入れようだった。 ところが、である。その1か月後の12月6日、朝日新聞東京本社が社員に長時間労働をさせていたとして、中央労働基準監督署(労基署)から是正勧告を受けたのである。 財務部門の20代男性社員が2016年3月、法で定められた残業時間を4時間20分超過していたと労基署は指摘。編集部門の管理職が部下の申告した出退勤時間を短く改ざんしていたことも判明した。さらに12月15日、社内調査の結果、他にも5人の社員が労使協定の上限を超える残業をしていたことが分かったと発表した。 紙面で労働問題を意欲的に取り上げている最中という“ブーメラン”だが、この最も身近な労働問題に関する報道は切れ味が鈍かった。朝日がまさかの「特オチ」 是正勧告についてはインターネットメディア『バズフィードジャパン』を始め、毎日、産経、日経などが相次いで報じたが、真っ先に情報を入手していたはずの朝日新聞はまさかの“特オチ”。各メディアの報道が出た翌日になってから「労基署、本社に是正勧告」とわずか240文字の小さなベタ記事を載せただけだった。 その後も、電通事件については14日に「過労死の四半世紀」と題した記事をオピニオン欄を全面使って展開している一方で、その翌日に発表した追加の社内調査結果については、またしても小さなベタ記事なのである。 この落差には朝日社内でも疑問の声があがった。本誌が入手した朝日労組が実施した組合員アンケートの回答には、〈電通以上のブラック企業だ〉〈電通問題を胸を張って追及できなくなった〉〈本来であれば会社が率先して外部公表する内容の事案だ〉といった辛辣な言葉が並んでいる。 朝日は報道が遅れたことについて、「是正勧告について社内で検討し、10日付朝刊の掲載に至りました」(広報部)とした上で、「弊社は現在、ワーク・ライフ・バランスの推進を重要な経営課題として掲げ、時短に取り組んでおり、今回、長時間労働について是正勧告を受けたことを重く受け止めています。再発防止に努めるとともに、引き続き、時短を一層推進していきます」(同前)と回答した。 これを“天ツバ”と言う。関連記事■ ABCマートを送検した労働Gメン ブラック企業の摘発は進むか■ AIの発達によって日本でもBIが必要になるのか■ ヤマト運輸役員「サービス残業の黙認は会社にとってリスク」■ ブラック企業、非正規雇用等 労働問題をエヴァから語る本■ “派遣の規制” 審議したのは現場の声代弁せぬ経営者や学者ら

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    大山のぶ代さん「認知症介護」が教えてくれた3つのリスク

    古川雅子(ジャーナリスト) 「妻より先に死ぬわけにはいかない」。そう言い続けていた、俳優の砂川啓介さんが7月11日、入院先の病院で天国に旅立った。80歳だった。 妻はアニメ「ドラえもん」でドラえもんの声などを務めた女優の大山のぶ代さん。砂川さんは妻の認知症を公表し、献身的に介護を続けてきた。2008年に大山さんが脳梗塞で倒れてから10年弱。さらには12年秋、アルツハイマー型認知症と診断されてから5年。自宅介護で重ねてきた時間は、実に長い。大山のぶ代、砂川啓介さん夫妻(2007年6月撮影) 6月に厚労省が発表した国民生活基礎調査によれば、介護をする人とされる人が同居する世帯のうち、介護を受ける側も担う側もともに65歳以上の「老老介護」世帯の割合が過去最高の54%に達した。75歳以上同士の「超老老介護」世帯も30・2%と、初めて3割を超えた。砂川さんと大山さん夫婦は、まさにこの「超老老介護」世帯であった。 介護をする側である砂川さん自身も、13年には胃がんの摘出手術を受け、その他にも帯状疱疹(ほうしん)、肺気腫とさまざまな病気を患っていた。介護によるストレスも関係があると、医師からは指摘されていたという。70歳を超えてからの砂川さんは、自らの老いを突きつけられながらも妻の介護に明け暮れる日々だった。だからこそ、砂川さんは「老老介護」を自認していた。自著の『娘になった妻へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』には、こんな記述がある。〈介護をする側の僕の体調だって万全じゃない。それなのに、介護をする側は、「頑張らなきゃ」「自分がなんとかしなきゃ」と、背負いこんでしまう〉 マスコミは、昨年4月に砂川さんに尿管がんが発覚して共倒れにならぬよう妻を介護施設に入居させたことを「おしどり夫婦を襲った老老介護の悲劇」として伝えていた。80近い齢(よわい)を重ねた男性が愛妻のために自宅介護を続けてきた「美談」と、介護する側が先に倒れるかもしれぬ「悲劇」の予感とが合わさり、そこに「老老介護」というわかりやすいラベルを貼ってニュースが大量生産されて…。そんな構図が垣間見えた。3つの「置き忘れの視点」 しかし、それだけでは「老老介護」の本質は見えてこない。私は一連の砂川・大山夫婦をめぐるマスコミ報道では、3つの「置き忘れの視点」があったと考える。 1つ目は、介護を担っていた側が相手をみとった後の「孤立のリスク」だ。老老介護とはいえ、少なくとも介護を担う側は健常であり、介護される側が遺(のこ)されるよりは何とかなるという思い込みがある。しかし、当初の砂川さんがそうであったように、他人を家に入れて介護サービスを受けるのが苦手、SOSを出すのも苦手な世代でもある。在宅介護を長年続け、まわりとの交流が途絶えた介護世帯が最も陥りやすいのは、孤立である。(iStock) 砂川さんの介護体験で最も学ぶべきだと私が感じたのは、自宅で介護を続けた美談よりもむしろ、妻の認知症を公表し、徐々に人に頼るということを受け入れていった「開く介護」にシフトしていった切り替えスイッチの見事さだった。著名人ゆえに当初は認知症を公表することにも躊躇(ちゅうちょ)していた砂川さんだが、公表してから途絶えていた友人との交流が戻り、支え手は自分だけでないことを知った。それまでは、〈一日中二人きりで家にいると、日によっては、どうしてもいら立ちを抑えられないことがある〉(『娘になった妻へ』より)という状態だったのが、公表してからは激励の電話、砂川さんが好きだった焼酎「百年の孤独」の差し入れ、電話をかけてきた友人などアクセスがどっと増えたという。砂川さんはそれから介護をするにも余裕が生まれ、〈一番変化したのは僕自身〉と著書にも記している。マネジャーや身の回りの世話をするお手伝いの女性にも頼ることが増えていった過程もしっかりと記録していた。仮に、砂川さんが介護をやり遂げ、妻を見送った側になったとしても、おそらくつないできたネットワークの力により孤立を回避しながら喪の時を過ごすことができただろうと想像する。 2つ目は、介護されていた側が遺された場合、その介護を引き継ぐ人との新たな介護関係が孕(はら)むリスクだ。砂川・大山夫婦には、死産など悲しい歴史があり残念ながら子供がいなかったわけだが、核家族で遠方に子供がいる夫婦の場合、老老介護で持ちこたえていた夫(妻)の一方がいなくなり、取り残された「介護をされる側」の引き取り先が子の世帯ということもある。子の側は親と暮らすこと自体に慣れておらず、介護にも不慣れ。その上、晩婚化でまだまだ子育て中というケースもある。介護と子育てとの板挟みで悩む、いわゆる「ダブルケア」状態である。連れ合いの衰えを見抜くのは難しい いきなりダブルケアに突入して混乱する現役世代側のリスクを回避するためには、遠距離で多少コストがかかったとしても、普段からなるべく親元に通って親とのコミュニケーションを増やし、親の生活習慣に目を向ける。他の支え手になりそうな親の交友関係を把握しておく。いずれ親を引き取ることも想定して脳内でシミュレーションをしておく。そんな準備期間を過ごしてきたかどうかが、いざというときに対処できるかどうかの分かれ目になるだろう。 老老介護における3つ目の置き忘れの視点は、本来は介護や手だてが必要なのにそれがなされていないという「見逃しのリスク」だ。老老介護といっても、砂川さんは身体がヨロヨロしてからも、人の手を借りてでも大山さんをしっかりフォローしていた。それは妻が認知症を発症しているという事実を認識していたからこそ。だが、夫婦の一方が認知症などで明らかに判断力が低下していたとして、見張り役の側がその異変に気づいていなかったらどうだろうか。 私が取材した40代の男性は老齢の親夫婦が九州で暮らしていた。現役世代の「子」である男性は東京で所帯を持ち働いている。久しぶりに親元に帰ったとき、80代の父親の運転する車に同乗して「これは危険だ」とそこで初めて親の老いに直面し、時間をかけて運転をやめさせるよう説得したという。一緒に暮らしている母親では日々の暮らしの延長線上にあるため、連れ合いの衰えを見抜くのは難しいのだと感じたという。 砂川さんのように、長年連れ添い自宅介護に難儀する「老老」の側面は確かに悲劇かもしれないが、家族の誰かがいきなり事故を引き起こして「老老」の現実を突きつけられるなら、惨劇である。それではあまりにも遅すぎる。(iStock) 「老老介護」の真の課題は、連れ添う夫婦の美談や介護地獄という悲劇性に涙するところで立ち止まっていては見えてこない。いかに目を背けずに、齢を重ねた者同士が支え合う世帯ならではの孤立、疎遠、無関心といった現実に向き合えるか。事前に対処できるか。それこそが「超老老介護」時代を迎える私たちが忘れてはならない大事な視点なのだと思う。

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    「老老介護」を切り捨てる国、ニッポンの悪夢

    中村淳彦(ノンフィクションライター) 日本は約4人に1人が65歳以上の高齢者であり、2035年には3人に1人になると推測されている。超高齢社会に激増する介護対策として2000年に介護保険制度が始まり、シニアビジネスへの注目が高まるようになって久しい。しかし、「介護」に焦点を当てると、どうもこれからの超高齢社会はお先真っ暗である。 介護保険制度をきっかけに、民間の力を借りて明るい超高齢社会を目指したが、それをあざ笑うかのように、また介護施設で大事件が起こった。岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」では、7月末から8月中旬のわずか半月で、入居する高齢者3人が相次いで死亡、2人がけがをして入院する事態となった。岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」= 8月18日 亡くなった高齢者3人の死因は、のどに食べ物を詰まらせる窒息死のほか、自室で頭を打ったことによる脳挫傷と頭蓋骨骨折、肋骨(ろっこつ)骨折で折れた骨が刺さり肺に血がたまる外傷性血気胸だった。事故か殺人か判然としない中、警察の捜査が続いている。 およそ半月の間で5人もの死傷者が出たのは異常な事態だが、筆者周辺の介護関係者や介護の現状に詳しい人たちは、こうした凄惨(せいさん)な事態に驚いていない。多くは「これから、こんなことばかりだろうね。高齢者はどんどん殺されるよ」と、もはや投げやりだ。 他にも、2014年に東京都北区の高齢者向け賃貸住宅で起きた入居者の80%が身体拘束される虐待事件、2015年の川崎老人ホーム連続転落死事件、さらに2016年の相模原障害者殺傷事件と、介護施設で世間を揺るがせる事件が相次いで起こり、老老介護の末に夫や妻を殺害する悲痛な事件も後を絶たない。 こうした事態の背景にあるのは、現在の介護現場で起きている異常な人手不足だ。無条件に人材採用するため、続々と専門性がない人が介護現場に投入されるといった「質の低下」を招き、それがさまざまな事件や事故の根底にあると言わざるを得ない。介護職は失業者のセーフティーネットに 本来、介護現場の人材不足は慢性的だったが、「募集をしても誰も来ない」という厳しい状況になったのは、第2次安倍内閣の発足以降だ。求人倍率が上昇して求職者が仕事を選択できるようになり、介護職の希望者は激減した。さらに2000年後半の世界不況以降、国の失業者対策で介護は雇用政策に利用されるようになり、介護福祉士の専門学校は入学定員の半分を割るという絶望的な状態になった。多くの報道陣が集まる「津久井やまゆり園」=2016年7月27日、相模原市(古厩正樹撮影) いわば介護は専門職ではなく、失業者のセーフティーネットという状況が続いている。実際、多くの介護施設では介護の「か」の字も知らない人物が介護職としてサービス提供する現実があり、本来は高齢者の命を預かる仕事だったはずだが、職員の質の低下は底なしとなっている。今回のように死をともなう事故、事件が起こることは、もはや関係者の多くが予想していた事態だった。 介護業界としては数々の凄惨(せいさん)な事故、事件に対する改善はなにもされていない。改善どころか、外国人技能実習制度で外国人介護職の大量受け入れることが決まり、刑務所出所者への就労支援で介護を重点分野にする事業が行われるなど、混乱にくさびを打つような人材確保の対策が、続々と繰り広げられている。 多くの事件や事故が象徴しているように、介護人材の質の低下は目を覆うレベルで、明らかに限界まで達している。そんな深刻な状況下で、地域では介護が必要な高齢者を65歳以上が介護する「老老介護」が拡大しているのだ。 総務省国民生活調査(2013年)によると、自宅で暮らす要介護者と主な介護者が65歳以上の世帯の割合は51.2%、介護者と要介護者が75歳以上「超老老介護」の世帯の割合は29%と、在宅介護者の半数以上が老老介護だ。65歳以上の介護者が夫や妻、親の介護をする老老介護は、介護者自身の体力が低下する中で体力的、精神的な負担は大きい。 介護者は自宅に閉じこもりがちとなり、大きなストレスを抱える。要介護者が認知症ならば徘徊(はいかい)などの問題行動が次々と起こり、介護者はどんなに疲れていようと常に目が離せない。要介護認定の理由で、最も多いのは認知症だ。介護者のストレスが大きく、ストレスや加齢から介護者自身も認知症になってしまったりする。要介護者、介護者の両者が認知症を患う認認介護は、現在大きな問題となっている。介護保険制度がどんどん悪くなる 老老介護を超えた認認介護だけでなく、認知症高齢者の単身暮らしも難しい。自立した普通の生活は、まず送れない。見守る人が必要であり、第三者がいち早く気づき、介護保険制度や地域の社会資源につなげ、誰かに助けてもらいながらなんとか生活していくしかない。しかし、苦しむ高齢者や家族にとって、最後のセーフティーネットといえる介護保険制度も、2015年4月からせきを切ったように制度改悪が進行している。 そもそも介護保険制度は3年に1度、改正される。「改悪」の例を挙げていくと、2015年の見直しで、利用者の自己負担金額が一律1割だったものが、一定以上の所得者に関しては2割に引き上げられた。高齢者が支払う金額は一瞬で2倍となった。月の自己負担金額の上限を定める「高額介護サービス費」も3万7200円から4万4400円に引き上げられ、地域のセーフティーネットとして機能する特養老人ホームには、要介護3以上の重症者しか入居できなくなった。 そして、軽度高齢者の切り捨てを目的とした自治体による地域総合事業も始まっている。地域総合事業は要支援1、2という軽度高齢者を制度から切り離し、自治体がそれぞれ支援するという社会保障費削減を目的にした苦しい施策である。 また、来年度の改正では、要介護者の介護度を改善させた自治体に財政支援する財政インセンティブの導入が決まっている。要介護高齢者が少ないほど評価される驚きの内容で、来年度からは要介護認定が厳格になる。地域によっては必要な要介護認定がされなくなり、介護保険制度は圧倒的に使いにくくなる。介護保険制度スタート。特別養護老人ホーム「デイサービス」でヘルパーらと談笑しながら食事をとるお年寄り=2000年4月1日 さらに現役世代並みの収入がある利用者の自己負担は、2割から3割にアップする。介護事業者に支払われる介護報酬も、業種によっては大幅に下がる。説明した通り、介護現場は圧倒的な負の連鎖の渦中、本格崩壊の瀬戸際にあるが、絶対に必要と現場から声が上がり続ける介護職の処遇改善どころか、さらに賃金は低下して人材獲得は困難になり、離職に拍車がかかる。異常な人手不足の中で、賃金が下がるという前代未聞の事態となるのだ。 財政難の国は、見境なく本格的な介護保険制度縮小にかじを切っている。介護保険制度はまだまだ改正を繰り返し、最終的には要介護1、2まで制度から切り離し、自己負担は収入に関係なく一律3割、現役世代の負担はさらに上昇して、高額介護サービス費もまだまだ上がるといわれている。制度から切り捨てられた高齢者の行く末 そして介護で最も手がかかるのは、実は徘徊する層だ。要介護1、2の歩行ができる認知症高齢者である。これまで続いた1割負担の時代は、軽度認知症高齢者は介護者と在宅で過ごしながらデイサービス、ショートステイなどを併用し、なんとか介護者の負担を低減しながら乗り切ってきた。 しかし、利用料を2倍、3倍と跳ね上がらせることによって、多くの中間層の高齢者は介護サービスを使えなくなる。高額な介護保険を使うのは富裕層、もしくは自己負担を公費で賄ってくれる生活保護者が中心となる。老老介護、認認介護に苦しむ多くの世帯は、高額な介護保険を使えない。制度改悪によって、必然的に老老介護、認認介護の世帯は激増することになる。 では、こうした老老介護、認認介護世帯が制度から切り捨てられることで、なにが起こるのか。入居者を介護する職員=8月29日、東京都(納冨康撮影) 認知症高齢者は住み慣れた地域でも、自宅から1歩外に出れば、道がわからない。自宅に戻ることができない。自宅を探して徘徊し、青信号、赤信号の判断もできない。赤信号を平気で渡る。主要道路の赤信号を横断したら、普通に車にひかれるだろう。 また、沿線の線路をひたすら歩くことも考えられる。都市部には踏切のある沿線が多く、認知症高齢者が自宅を求めて線路内を歩く風景が日常になれば、鉄道事故も増える可能性がある。 歩行だけでなく、認知症高齢者には、車で徘徊する人もいる。免許を返納させても、そんなことは覚えていない。信号無視の暴走、高速道路の逆走、アクセルとブレーキを踏み間違えることが相次ぐようになる。子供の集団登校に車が突っ込むような悪夢も、頻繁に起きかねない。 まして認認介護になれば、夫や妻が徘徊していなくなっても近隣に助けを求められないし、警察に通報ができない。自宅からいなくなっても、多くは捜索願すら出ない。高齢者は体が弱いだけに、地域や季節によっては、一晩で凍え死ぬことも起こりうる。 ゆえに、現在着々と進む介護制度の縮小、いわば利用料を上昇させて高齢者になるべく制度を使わせないようにする改悪は、すぐに国民全員に跳ね返ってくるおそろしいことなのだ。

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    「老老介護」とどう向き合う

    厚生労働省によると、介護が必要な65歳以上の高齢者を65歳以上の人が介護する「老老介護」の世帯の割合が過去最高の54・7%に達した。核家族化と超高齢社会が進行し、「大介護時代」に突入したニッポン。私たちはこの現実とどう向き合うべきか。

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    だんなDEATH NOTE 運営者・死神さんに開設理由聞いた

    「今すぐ死ね」「地獄に落ちればいいのに」…。名前を書かれた人は死に至るという、マンガ『DEATH NOTE』に登場した「デスノート」を模した投稿サイト「だんなDEATH NOTE」。そのあまりの闇っぷりが話題になっている。書き込むのは夫に死んでほしい妻たち。夫に対する嫌悪と殺意に満ちた過激な内容に反発し、ついにはラブラブ夫婦の書き込みサイトまで登場する騒ぎに。夫へ死んで欲しいという願いを書くホームページ「だんなデスノート」のトップページ「6月末に“オフ会をやる”ということが周知され、『旦那を殺す相談か。何を考えてんだ!』と非難轟々、アクセス数が急上昇したんです」 サイト運営者の“死神”さんは、30代半ばの独身男性だ。「現在、サイトに登録している会員は約1万人。投稿を含む1日のアクセス数は5万ほどです。投稿に対するコメントは、誹謗中傷やネガティブな内容のものについては、ぼくが全部削除しています」 子供の頃、母から父の悪口を聞かされて育ったトラウマとホスト勤務の経験から妻向けサイトを立ち上げたという。「女性って、悩みを相談するときに、実は解決策も共感も求めていないんですよね。話を黙って聞いてくれるだけでよかったりする。投稿で、少しでも吐き出してもらえれば…と。嫌悪の裏には、夫へのねじれた愛情もある気もしますけれどね」(死神さん) 「今の時代、このようなサイトが流行るのはよくわかる」と言うのは、心理学者で『どうしても「許せない」人』(ベストセラーズ刊)などの著書がある加藤諦三さんだ。「投稿をしている人には2タイプあると思います。1つは本気で死んでしまえと思っている人、もう1つは、夫への敵意に依存心が潜んでいるケースです。つまり、殺してやりたいほど憎いのだけれど、本当に死んでもらっては困る。悩む人にとって最大の救いは“悩み続けること”ですから、投稿することで少し溜飲が下がる。しかし、『私はこの問題を解決できない』という無力感は深刻化する。 それを夫のせいにして憎しみで蓋をする。人間の心理的成長とは、問題解決能力の成長です。まず、自分と向き合うこと。問題解決に向けて一歩踏み出す勇気を持たない限り、幸せにはなれません」(加藤さん)関連記事■ 中国の豚骨スープと喫煙に関するあまりにもひどいジョーク■ 米で人気の素人カップル動画投稿サイト 登録・投稿は5ドル■ 作家デビューの近道か 『ビリギャル』産んだ自伝投稿サイト■ 内職系仕事 ツイッター1クリック1円~動画投稿1万回千円~■ 「素人H写真投稿は平和だがAVはある意味残酷」と杉作J太郎

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    「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁

    上谷さくら(弁護士) 先日の国会で、性犯罪に関する刑法が一部改正され、7月13日に施行された。明治40年の刑法制定以来、法律の不備についてさまざまな指摘がなされていたが、110年たってようやく被害の実態に近づく法律になった。報道などでは一般的に「性犯罪の厳罰化」と言われることが多いが、従前の法律が被害の実態に則しておらず、軽すぎただけであるから、今回の改正は「厳罰化」ではなく、「適正化」と評価すべきである。まだまだ不十分な点は多々あるが、まずは改正されたことを素直に喜びたい。刑法改正を受けて会見する「性暴力と刑法を考える当事者の会」の山本潤代表(前列中央)ら=6月16日、東京都千代田区の参議院議員会館(桐原正道撮影) これまで多くの性犯罪被害者の相談を手掛けてきたが、刑法上、被害者を苦しめてきた問題点は大きく分けて3つあったと考えている。1つ目は、強制わいせつ罪や強姦(ごうかん)罪は、被害者が告訴しなければならない親告罪であったこと。2つ目は、刑の下限が低すぎて執行猶予判決が多かったこと。3つめは、暴行・脅迫要件のハードルが高すぎて、立件されない事件が多すぎたことである。 まず、1つ目であるが、親告罪であること自体、被害者に二次被害を与えていた。被害者は、警察に相談に行くことだけでも相当な勇気を振り絞っている。そして、警察に行きさえすれば、後は警察が捜査してくれて犯人は逮捕され、裁判になると信じている。しかし、警察や検察で「事件にするかどうか自分で決めて」と言われてしまう。このことは、被害者にとって苦痛以外の何者でもない。そこで、加害者からの逆恨みを恐れ、告訴を断念した被害者も多い。 また、ほとんどの刑事弁護人が被害者に対し、「告訴を取り下げるなら被害弁償を支払う」と持ち掛けるし、「告訴を取り下げないなら、被害弁償はしない」とか「今ならそれなりの金額を支払うけど、起訴されたら金額は下がる」などという交渉をする。すると、被害に遭って心身ともに疲弊し、仕事やアルバイトができなくなって経済的に困窮した被害者は、泣く泣く告訴を取り下げて示談金を受け取るしかなかった。本来であれば、罪を犯した者は刑事責任を負い、損害賠償という民事上の責任を負うのが当然である。ところが、強姦罪などは親告罪であったがために、被害者は刑事か民事かという二者択一を迫られ、それ自体が二次被害となり、被害回復に多大な悪影響を及ぼしていた。 しかし、今回の改正によって非親告罪となったことから、被害者の負担はかなり軽減されると思われる。今までの刑罰は軽すぎた 2つ目の問題は、強姦罪の下限が懲役3年であり、強制わいせつ罪の下限が懲役6月であるなど、法定刑の下限が極めて低かったことである。これまで、強姦罪は強盗罪とよく比較され、暴行・脅迫により犯行を抑圧され財物を奪う強盗と、性的自由を奪われる強姦とで、なぜ強姦の方が刑が軽いのかなどと批判されてきた。 また、法定刑の下限が低いことから、検察官の求刑も低めであり、そのために執行猶予付き判決が出やすかったという現実もあった。特に、肛門性交や口腔性交などの悪質な犯行態様でも、これまでは強制わいせつ罪にしかならなかったことから、法定刑の下限は6カ月であり、前科がない場合はほぼ執行猶予判決になるという極めて理不尽な結果に終わっていた。性犯罪被害に遭うと、被害者は学校や会社に行けなくなってやめてしまったり、異性と交際できなくなり結婚を諦めたりする人が多く、被害結果は極めて重大である。それにもかかわらず、被告人が執行猶予判決を受けることは、被害者にとっては無罪放免に他ならない。そのことが司法に対する不信感となり、被害回復を阻害していた。 しかし、今回の改正により、強制わいせつ罪でしか処罰されなかった肛門性交や口腔性交が従来の強姦罪と同様の強制性交等罪とされ、刑の下限が懲役5年に引き上げられたことで、強制性交等罪では基本的に実刑となることから被害者救済に資するようになる。また、性犯罪を犯すと刑務所行き、ということが国民意識として定着すれば、抑止力も期待できる。 3つ目の問題点は、「暴行・脅迫」要件のハードルが極めて高いことである。被害者が問題としているさまざまな論点の中で、おそらく最も問題視されている点であるのに、今回の改正から外れたことは極めて遺憾である。 強姦罪・強制わいせつ罪などの「暴行又は脅迫を用いて」は、「被害者の反抗を著しく困難ならしめる程度」であることが必要というのが判例である。そのため、検察官が不起訴にする事件は非常に多く、検察官が相当絞って起訴しているのに無罪判決が出ることも少なくない。 この「暴行・脅迫」要件は、加害者側の「合意があったと思った」との弁解とも関連する。具体的な事例を紹介すると、まず被害者が行きずりの被害に遭った場合、加害者が被害者に殴る蹴るの暴行を加えたり、刃物を突き付けたりすれば、「暴行・脅迫」は認められやすいが、そこまでいかないケースが圧倒的に多い。現実問題として抵抗できない 例えば、人気のない夜道でいきなり声をかけられたり腕をつかまれたりすると、普通の女の子は驚きと恐怖で固まり、声も出ない。よほど訓練を受けた人か、日ごろからイメージトレーニングをしている人でない限り、逃げたり抵抗したりできない。まさに「反抗を著しく困難にされた状態」である。しかし、取調べや裁判では、「なぜ大声を出さなかったのか」「通りかかった人がいたのに助けを求めなかったのか」などと聞かれ、それをもって合意の証であると言い張る加害者もたくさんいる。 しかし、そのような目に遭った人が誰かに助けを求めることはまず不可能である。仮に助けを求めたとして、その人が助けてくれる保証はない。特に都会では、面倒なことに巻き込まれたくないと思い、その場を立ち去る人が多いのではないか。また、助けを求めたけど、その人に聞こえなかった場合、加害者が激昂して殺されるかもしれない、という恐怖心を抱くのは当然である。相手は行きずりで強姦してくるような人間なのだから。 さらに、被害者は服を脱がされていたりするから、恥ずかしくて助けを求めることができないということもある。それをもって助けを求められるのに黙っていた、だから加害者が合意と思っても仕方ない、よって立件できないなどというケースが非常に多い。これはあまりにも被害者の置かれた立場を顧みない残酷な実情である。 また、夜の時間帯だと、お酒が入っていることも多いので判断力が鈍っており、何が起こったのか分からずにあぜんとしていたら服を脱がされ、抵抗しようにも力が入らなかった。泥酔ではなく意識はあるので、準強姦罪にもならないといったケースも多い。 次に、被害者と加害者が顔見知りだった場合は、立件のハードルはより高くなる。特に難しいのは、上司と部下、先輩と後輩のようなそもそも被害者と加害者の立場が上下関係にあるような場合である。日ごろからパワハラを受けている上司から、仕事の話があると言って呼び出されると、被害者は上司が怖いので、その時点で萎縮している。仕事を失いたくないので上司に迎合せざるを得ない面もある。一度誘いを断ったら、翌日から仕事で嫌がらせを受け、職場にいられなくなったという人もいる。家計が苦しいため、絶対に仕事は辞められないと思い、泣く泣く上司からの求めに応じ続けていたという女性もいた。被害者が救われない現実 このような立場の女性は上司から仕事名目で呼び出され、2人きりになることを余儀なくされて迫られると、応じなければクビになると考える。その場面の写真や動画を取られていれば、「逆らえばネットにばらまかれるかもしれない」とおびえる。そのことが犯行を著しく困難にされた状態といえる。しかし、性体験がある大人の女性の場合、性行為を強要されると、「早く終わってほしい」という強い気持ちから、加害者が早く射精するように協力したり、せめて妊娠だけは避けたいと思って「避妊してほしい」と頼んだりする。それをもって合意と主張されてしまうことも多いが、合意ではなく、最悪の結果を避けるための苦肉に過ぎない。学校や部活の先輩・後輩の関係にある場合も、同じようなことが起きやすい。  以上のようなケースが何の罪にも問われないのは極めて理不尽である。したがって、被害の実情に即し、暴行・脅迫要件を緩和するとか、現在の強制性交等罪よりも暴行・脅迫の程度が弱い罪を創設することが必要である。そうしなければ、性的被害に遭っている多くの人々は全く救われない。この点は、性犯罪被害に関するさまざまな団体・個人から強い要望が出ていたにもかかわらず、先日の国会ではほとんど議論もされずに終わってしまった。今回の法改正で、最も残念な点である。 次に、今回議論の俎上に上らなかったが、性犯罪に関し、緊急に解決すべき課題について述べる。 まず、盗撮規制が必要である。現在、盗撮は各都道府県条例の迷惑防止条例で一定の規制があるに過ぎないことから、次のような問題が生じている。 今や性犯罪と盗撮はセットであるといっても過言ではなく、性犯罪の場面を動画や写メで撮られていることが非常に多い。被害者にとっては性犯罪に遭ったこと自体の被害はもちろん、その写真や動画があることに著しい不安を抱く。警察が画像を削除しても、他にコピーがあるのではないか、既に知らないサイトに流れているのではないかなど、一生不安を抱き続けることになる。その不安が解消されない被害者は、別人になろうとして、髪形や髪の色を変えたり、これまでとは違うファッションをしたりする。これでは自分らしく生きることはできない。つまり、盗撮は直接性的自由を奪う犯罪よりもダメージが大きいともいえる。ネットに流される恐怖 例えば、オイルマッサージ店を経営する男が複数の女性客に対して次々と強姦罪などを犯し、5件が起訴された事件がある。この男は犯行状況をビデオで撮影しており、検察側が任意提出するように促しても拒否した。そこで、裁判所が提出命令を出し、最高裁まで争ってようやく原本が没収された。また、刑事事件でも、ビデオ原本を没収する判決が言い渡されたが、これを被告人は争い、現在もまだ確定していない。 この事件は、性犯罪行為の撮影自体を禁止する法律がないことから生じた不都合である。提出命令や没収判決で対応できるが、あまりにも時間がかかり過ぎる。被害者はそうする間にも、ネットに流されるのではないか、という恐怖心にさいなまれ、刑事事件が終わっても気持ちが安らぐことがない。 また、都道府県条例に盗撮規制があるが、「公共の乗り物、場所」での盗撮しか規制されない条例も多く、私的領域の他、駅のトイレや会社の更衣室の着替えの盗撮などが野放しになっている例が多い。例えば、会社内のトイレの盗撮の場合、条例で規制できないと建造物侵入罪の成否のみ問題となる。建造物侵入罪の被害者は建物の管理者だから、盗撮された人は被害者にもなれないのである。 そもそも都道府県条例は、市民生活の平穏を守るという風紀を保つ観点から定められたものであり、個人の性的自由を守るものではない。誰もがスマートフォンを持つ時代になり、SNSが発達した現代では、盗撮は容易である一方、インターネットに流れると被害回復はほぼ絶望的である。 以上のように、盗撮行為自体を犯罪とする法律の制定が急務といえる。 次に、性犯罪の起訴状に被害者の名前を載せていいのかという問題がある。刑事訴訟法には、起訴状にはできる限り罪となるべき事実を特定しなければならない旨記載されている。しかし、被害者の名前が必要とは書かれていないことから、起訴状で被害者の匿名が認められた時期もあった。しかし、平成28年6月、強制わいせつ致傷罪の被害者が匿名とされた起訴状について、「実名を記載することで具体的な支障は生じない」として、訴訟手続に法令違反があったと断じた判決が出た後は、起訴状の匿名はほとんど認められなくなったようである。 特に通りすがりの犯行の場合、加害者は被害者の名前を知らないことが多い。被害者は加害者に刑務所に行ってほしいと願うが、自分の名前は絶対知られたくないのが当然である。名前が分かれば、今はFacebookなどで、どこに住んでいるか、結婚しているのか、子どもがいるのかなどの個人情報が簡単に分かる。被害者はSNSをやめろ、というのは時代に即さない。もともと加害者は被害者の名前を知らないのに、司法が被害者の名前を犯人に教えるようなことは許されないはずである。起訴状の匿名は条文に反しないのだから、原則として匿名にする運用を徹底するか、明文化するのか真剣に検討すべきである。

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    「性犯罪の中でも小児性愛は別格である」私が見た依存症治療の現実

    斉藤章佳(精神保健福祉士・社会福祉士) 「性犯罪の中でも、小児性犯罪は別格である」 これは、以前担当していたある小児性犯罪者の言葉である。「その常習性と衝動性は他の性倒錯の群を抜いている。好みの子どもを見ると、まるでそれに吸い込まれるように近づいてしまうんだ」。その言葉を一度だって忘れたことはない。だから、筆者は児童への性犯罪を小児性愛と言わずに「小児性犯罪」と明確に呼ぶことにしている。小児性愛というと、どこか子どもを愛しているが故の犯行というニュアンスが強く、以前から違和感を持っていた。合意の有無にかかわらず児童への性的接触や侵入は、愛情ではなく性暴力なのである。リンさんの遺体が見つかった遺棄現場で手を合わせる人 =4月2日、我孫子市北新田(林修太郎撮影) 2017/04 今年3月、千葉県我孫子市で小学3年生のレェ・ティ・ニャット・リンさん(以下、リンさん)が何者かに殺害された。その後、リンさんが通学していた小学校で保護者会会長をしていた男性が逮捕された。 私も含め、多くの人がこの類の事件の報道を耳にすると、2004年11月にあった奈良小1女児殺害事件を思い出す。実は、この奈良の事件をきっかけに2006年からわが国では初めて矯正施設や保護観察所で「性犯罪者処遇プログラム」が始まった。これと同時期に、榎本クリニック(以下、当院)でも社会内処遇の枠組みで、民間医療機関では日本で初めて「性犯罪者の地域トリートメント」に関する取り組みが始まった。そして時は流れ、現在明治時代から110年ぶりに性犯罪に関する刑法が改正される矢先、リンさんの痛ましい事件は発生した。 リンさんの事件に関しては、推定無罪の原則から刑が確定していない現段階で断定的なことは言えない。ちなみに国際的な診断ガイドラインであるDSM-Ⅴ(精神疾患の分類と診断の手引き)では、児童に対する小児性犯罪を「小児性愛障害」と呼んでいる。以下、診断基準を簡単に紹介する。【小児性愛障害(Pedophilic Disorder)】A 少なくとも6カ月にわたり、思春期前の子どもまたは複数の子ども(通常13歳以下)との性行為に関する強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する。B これらの性的衝動を実行に移したことがある、またはその性的衝動や空想のために著しい苦痛、または対人関係上の困難を引き起こしている。C その人は少なくとも16歳で、基準Aに該当する子どもより少なくとも5歳は年長である。※青年期後期の人が12~13歳の子どもと性的関係をもっている場合は含めないこと。 小児性犯罪は他の性倒錯に比べ再犯率が高いといわれている。また、先ほど述べたように合意に関するルールについても児童の場合は成立しない。これは相手がどのように受け止めていても全て犯罪とみなされる。そして、被害児童は成人してからもずっとその被害の後遺症に悩まされ苦しむ。これは家庭内性虐待の被害も同様である。 以上のような点で、リンさんの事件を見ても分かるように小児性犯罪は被害児童や社会に与える影響、マスコミの報道の仕方など、性暴力の中でも際立った存在であるといえる。学校などに潜む小児性愛者 小児性犯罪者には、大まかに幼い子どもにのみ性的欲求を感じるタイプと、成人女性にも性的欲求を感じるタイプとに分けることができる。筆者が出会ってきた小児性犯罪者は前者が圧倒的に多く、まれにではあるが男児への性的嗜好を持っている者にも臨床の場で出会ったことがある。男児の場合、加害者に同性愛的傾向があるため治療はより困難を極める。 彼らの頭の中はどのようになっているのだろうか。典型的パターンとして、職業選択や社会的役割を自らの小児性愛的嗜好を基準に選択しているケースがある。つまり、小学校の先生や保育士、本事件のように児童と接することができる学校の役割を担うなど、児童に関わることを何らかの理由を付けることで合理化し意図的に選択している者である。 彼らは口をそろえてこう言う。 「いずれ大人になったら経験することなのだから教育的な観点で性的接触を行っただけだし、相手もそのことについて好意を持っていたはずだ」 「可愛いからついついかわいがるつもりで一線を越えてしまった。決して傷つけようと思ったわけではないし相手もそれを受け入れていた」リンさんも歩いた通学路付近で保護者と下校する児童ら=4月14日、千葉県松戸市(宮崎瑞穂撮影) とんでもない認知のゆがみだ。ここでいう、認知のゆがみとは性的逸脱行動をくり返すための本人にとって都合のいい認知の枠組みと定義できる。児童にとって教師や身近にいる大人は拒否や反発が困難な絶対的存在である。また、大人側が「やってない」と否定すれば当該児童から根掘り葉掘りされたことを聞くことはあまりない。絶対的な立場を利用した卑劣な性暴力。現在ではこのような学校内での性暴力を「スクール・セクシュアル・ハラスメント」というが、被害児童は親にも打ち明けられず不登校になったり、自傷行為でSOSを出すなどのさまざまな後遺症に苦しめられる。子どもの性被害はよく「性的いたずら」と表現されることがあるが、そんな軽い言葉で表現できるほどこの問題は生やさしいものではない。「いたずら」という言葉にはそこまで大したことはないというニュアンスが含まれるため被害児童に使うべきではないし、やはり明確に小児性犯罪というべきだろう。  次に、そんな小児性犯罪の治療について迫っていきたい。 米国ではエイブルの研究があり「未治療の性犯罪者が生涯に出す被害者の数は380人」というデータがある。ところが、筆者が国内の某刑務所で性犯罪のプログラムに参加する受刑者にこの話をしたところ、「その数字は少ない」という反応が多数を占めていた。これは、小児性犯罪を繰り返す受刑者が多い治療グループでの反応だった。ということは、表面化(逮捕)しているのは氷山の一角である。性犯罪者の治療内容 被害者に与えるダメージを考えると、性犯罪者は厳罰に処すべきという意見が根強い。性犯罪は、今回の刑法改正案で厳罰化・非親告罪化されることになる予定だが、果たして再犯は減るのだろうか。実は、厳罰化だけでは再犯率は低下しないという明確なエビデンスが存在する。近年では、加害者臨床の分野にもEBP(Evidence‐Based Practice)のパラダイムが当たり前になり、性犯罪者を罰するだけのアプローチや、GPSによる電子監視だけでは再犯防止にほとんど効果はなく、医療モデル・教育モデル・社会福祉モデルを統合的に加えたアプローチこそが、再犯防止に最も効果的であるということが明らかになってきた(Andrews & Bonta,2010)。 そして、当院では反復する性的逸脱行動を嗜癖モデルで捉え、性依存症という疾病モデルからやめ続けるには専門治療が必要な病であると考え、日々再犯防止のためのプログラムを行っている。 性犯罪者の治療はある程度確立されている。当院では、約10年前から性犯罪および性依存症からの回復のための再発防止プログラムを実施している。性犯罪の治療プログラムは、世界的に共通する「RNRモデル(リスク・ニーズ・治療反応性の原則)」が確立されている。まず、リスクアセスメントの質問シートで低・中・高のリスク判定を施行し、各リスクに応じた密度のプログラムを受講する。高リスク群と低リスク群が共に治療を受けると、低リスク群の再犯率が上がるといわれていることから、いかに正確なリスクアセスメントが重要なのかということがわかる。 さらに、痴漢なら満員電車、盗撮ならエスカレーター、小児性犯罪なら学校のプールなど、各対象者の性的逸脱行動を起こしやすい状況をピックアップし、回避・対処行動を助言し、再犯防止計画(リスクアセスメントプラン)に加えていく。そして、本人の問題に応じた、最も治療効果を引き出せるプログラムパッケージを選択する。集中して治療を行う期間は、低リスク群は半年、中リスク群は1年、高リスク群は3年である。その後はメンテナンスプログラムに移行し、再発防止のための取り組みを継続する。男のサディズムと小児性愛(イメージイラスト) 日本ではグループワークが主で、本人の能力に応じたプログラムパッケージの選択がまだまだ不十分だが、当院では集団療法と個人療法を併用して再発防止のための治療を行う。場合によっては薬物療法も実施している。睡眠不足が引き金になって対象行為に至ってしまう人には、睡眠不足にならないスケジュール管理指導と並行し、睡眠薬を処方する場合もある。抗酒剤、向精神薬、SSRIなど、患者の状態によって薬の種類は異なる。 次に、この問題を理解している治療の協力者であるキーパーソンの立場も重要である。基本的には親、パートナー、友人などで、だれもいなければクリニックのスタッフがキーパーソンを務める。治療内容などの情報を共有し、再発防止のストッパーになってもらう。性犯罪者の常套句 通常、依存症の治療では「再発(リラプス)」は回復のプロセスであると考える。しかし、性犯罪に関しては被害者が背景にいるため、再発を回復のプロセスと考えるのは理論的に無理がある。従って、再発防止に最も重点を置く。このように、加害者臨床は他の心理臨床と異なる視点をいくつか持っている。ここでこの問題を考える際のヒントとして、私が加害者臨床で重視している視点を2つ紹介したい。 まず1つ目は、『従来の心理療法は「自分の行動や症状に対して責任を取る」という範囲にとどまっていたが、加害者臨床では「他者の行動や症状に対して責任をとる」という点を重視する。つまり自分の言動や生き方について被害者が聞いたらどのように感じるかを常に思考し被害者感情に少しでも近づく努力をし続けることである。しかもこの取り返しがつかないことをしてしまった責任性は人権侵害、すなわち「人格的な生存を破壊させてしまいかねないほどの、決定的苦痛を与えた」という、究極の責任性であることを前提としたものでなければならない』と考えている。 2つ目は、『加害者の加害行為の克服は、被害者の回復を促進する方向で進められるため、従来の心理療法とは異なる方針を数多く持つ。加害者は被害者とは非対等であり、問題解決のための負担を被害者に求めない方針をとる』という視点である。この2つの重要な視点をもとに治療プログラムでは「加害行為に責任をとる」とはどういうことかを深めていく。性犯罪はどんな理由があっても再発してはいけない。これはDVなどの加害者臨床でも同様であると私は考えている。 もう一点、近年日本にも導入されてきている新しい治療モデルが「グッドライフ・モデル」である。従来のプログラムでは、「回避する」「~しない」など禁止事項が中心であった。前述のRNRモデルや、依存症治療に用いられる認知行動療法はある程度効果はあるものの、禁止事項が多ければモチベーションが下がり治療継続率も低い。 彼らは「幸せになるための手段」として性犯罪をくり返すという誤った方法をとってきた。グッドライフ・モデルでは、「性犯罪以外の方法でどうなれば幸せな人生を送れるか」に注目し治療動機を高めていく。私は、性犯罪者に理解をという気持ちは毛頭ない。しかし、彼らを社会から排除するだけでは性犯罪はなくならないのだ。 彼らは反省しながらも、また再犯を繰り返すことがある。一見、深い反省をしているようだが、その数日後再犯することもある。そして裁判で同じような発言をする。さらに刑務所では非常に模範囚である。これは性犯罪の前科者だと周囲からいじめられるということがあるからおとなしくしているのかもしれないが、それにしても妙に静かである。彼らの常套(じょうとう)句は「もう絶対にやりません。今度こそ自分の力でやめることができます」である。 確かに一時的にやめることは可能かもしれないので、この発言はあながち嘘でない。しかし、この問題は「やめる」ことよりも「やめ続ける」ことが重要なのである。彼らに「あなたはやめ続けることはできますか」と質問すると、即答で返事は返ってこないことが多い。つまり、彼らは心底から児童への性的接触を悪いとは思っていないのと、この強力な性的欲求はずっと消えないことをどこかで知っているのである。そして、その行為がどれほどの深い傷を与えるのかという想像力が働かない。小児性犯罪は、被害児童の未来を奪う。そして、人間としての尊厳を深く傷つける。悲しいかなそれが小児性犯罪の現実である。

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    厳罰化でニッポンは「性犯罪大国」になる

    性犯罪を厳罰化した改正刑法が施行された。明治40年の刑法制定以来となる大幅な見直しで、被害者の告訴を必要とする「親告罪」規定の撤廃が改正の柱だ。被害者の精神的負担が大きく、事件化は氷山の一角とも言われる。潜在化した性暴力の立件が増えれば、ニッポンは間違いなく「性犯罪大国」になる。

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    性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ

    小宮信夫(立正大文学部教授) 犯罪学では、人に注目する立場を「犯罪原因論」、場所に注目する立場を「犯罪機会論」と呼んでいる。犯罪原因論が「なぜあの人が」というアプローチから、動機をなくす方法を探求するのに対し、犯罪機会論は「なぜここで」というアプローチから、機会(チャンス)をなくす方法を探求する。つまり、動機があっても、犯行のコストやリスクが高くリターンが低い、すなわち犯罪の機会がなければ、犯罪は実行されないと考えるわけだ。 3月に起きた千葉県松戸市のベトナム国籍の女児が殺害された事件で、逮捕、起訴されたのは被害者が通っていた小学校の保護者会会長だった。この会長は、ほぼ毎日通学路で見守り活動をしていたため、保護者は「もうだれも信じられない」と嘆き、住民ボランティアは「ニコニコしながら子供に声をかけられない」と戸惑いを隠しきれなかったという。しかし、この苦悩は、間違った防犯対策による当然の帰結であり、正反対の方向に舵(かじ)を切りさえすれば、すんなりと消えてなくなるものである。 結論から言えば、注意すべき対象を人から場所(景色)へ移動すれば、問題は解決する。詳しく解説しよう。 犯罪機会論では「機会なければ犯罪なし」と考える。犯罪は、犯行の動機があるだけでは起こらず、動機を抱えた人が犯罪の機会に出合ったときに初めて起こる。それはまるで、体にたまった静電気(動機)が金属(機会)に近づくと、火花放電(犯罪)が起こるようなものだ。 海外では、犯罪原因論が犯罪者の改善更生を担当し、犯罪機会論が防犯(犯罪の未然防止)を担当している。ところが日本では、犯罪機会論は全くと言っていいほど知られていない。そのため、防犯への関心を高めた人たちが飛びついたのが犯罪原因論だった。もちろん、その人たちが犯罪原因論を意識していたわけではないが、「なぜあの人が」を連発するマスコミの影響を受けて、自然と犯罪者という「人」に目が向いたのだ。殺害されたベトナム国籍の女児が通っていた小学校正門付近にかけられた、不審者への注意を促す看板=3月27日午後、千葉県松戸市(川口良介撮影) しかし、防犯の分野では、まだ犯罪が起きていない以上、犯罪者も存在しない。したがって、「犯罪者」という言葉も使えない。そこで、苦し紛れに登場させたのが「不審者」という言葉である。 本来、犯罪対策にとっては、「事後」に登場するはずの犯罪原因論が、そのまま「事前」に持ち込まれてしまったために、事前の世界にも、犯罪者が姿を変えて、不審者として現れたわけだ。こうして、海外では使われることのない不審者という言葉が、日本では、誰もが知っていて当たり前に使われるようになったのである。外見だけで犯人特定はムリ 今でも家庭や学校では、「怪しい人に気をつけて」「知らない人にはついていかない」というように、子供たちを「人」に注目させている。しかし、こうした教え方では、「親切そうな人」「知っている人」が犯す誘拐は防げない。 私は時々、小学校で授業を行っているが、子供たちに「どんな人が不審者なのか」と聞くと、「サングラスやマスクをしている人」という答えが返ってくる。しかし、そうした姿の誘拐犯は聞いたことがない。こんな教育をしているから、子供は「サングラスやマスクをしていない人」についていく。実際、宮崎勤事件も、神戸連続児童殺傷事件も、奈良女児誘拐殺害事件も、だまされて連れ去られたケースだ。結局、外見だけでは、犯罪をたくらむ者を特定するのは不可能に近い。 それでも、無理やり不審者を探そうとすれば、平均的な日本人と外見上の特徴が異なる人を不審者とみなすことになる。過去にも、外国人、ホームレス、知的障害者が不審者扱いされ、人権が脅かされることがあった。ベトナム国籍女児遺体遺棄事件を受けて、保護者に付き添われ、集団登校する児童=4月17日、千葉県松戸市 さらに、疑心暗鬼になればなるほど誰でも怪しく見えてきて、子供たちは人間不信に陥る。子供は大人を怖がり、大人から離れていき、助けてくれる大人も拒否するようになる。一方、地域住民も自分が不審者扱いされたくないので、子供から離れていき、見て見ぬふりをするようになる。 このように、「人」に注意するやり方は、防犯面での教育効果がないだけでなく、地域の絆を切断し、犯罪者に狙われやすい環境を作り出してしまう。要するに、防犯の分野に犯罪原因論を持ち込んだ「ボタンのかけ違い」は、「百害あって一利なし」なのだ。 これに対し、犯罪機会論は「人」には興味を持たない。犯罪者が「知っている人」だろうが、誰だろうが、犯行パターンには共通点があり、その共通点を抽出することに犯罪機会論は興味を示す。 その共通点を一言で表すと、犯罪者は景色を見て、そこが「入りやすく見えにくい場所」だと判断すれば犯行を始めるが、そこが「入りにくく見えやすい場所」だと判断すれば犯行をあきらめる、ということだ。 「入りやすい場所」とは、だれもが簡単にターゲットに近づけて、そこから簡単に出られる場所である。そこなら、怪しまれずに近づくことができ、すぐに逃げることもできる。「見えにくい場所」とは、だれの目から見ても、そこでの様子をつかむことが難しい場所である。そこでは、余裕綽々(しゃくしゃく)で犯行を準備することができ、犯行そのものも目撃されない可能性が高い。子供がだまされないで済むには 住民によるパトロールというと、とかく不審者の発見を目的にしがちだが、それは有害無益と言わざるを得ない。そこで海外では、犯罪が起こりやすい場所を重点的に回る「ホットスポット・パトロール」が一般的である。ホットスポットとは、実質的には「入りやすく見えにくい場所」のことだ。残念ながら、日本でホットスポット・パトロールを実施している地域は1割にも満たない。 集団登下校やスクールバスの導入、あるいは防犯カメラの設置を提案する動きもある。しかし、子供が外にいる時間は、登下校時間の数倍に及ぶ。公園や塾の行き帰りの安全は、どう確保しようというのか。 防犯カメラにしても、犯罪機会論に基づくシミュレーションを前提にしなければ、犯人の検挙には役立っても、犯罪を未然に防止することは難しい。現状では、防犯カメラと言いながら、その実態は捜査カメラに過ぎない。 やはり、防犯対策の「1丁目1番地」は、子供が1人になったとしても、自分で自分の身を守れるようにすることだ。子供の性的誘拐のほとんどが、だまされたケースであることを考えると、最優先課題は「だまされないための教育」である。 では、どうすれば、だまされないで済むのか。人はウソをつくから、人を見ていてはだまされてしまう。だまされないためには、ウソをつかないものを見るしかない。それが景色である。景色は絶対に子供をだまさない。 私は、景色が放つメッセージを感受する力、言い換えれば、景色に潜む危険性を見抜く力を「景色解読力」と呼んでいる。景色解読力を高めれば、危険を予測して回避することが可能になる。景色に注意するだけで、人には注意しないので、地域の人間関係を損なうこともない。 では、どうすれば景色解読力を高めることができるのか。その簡単な方法が「地域安全マップ」づくりだ。地域安全マップとは、犯罪が起こりやすい場所を風景写真を使って解説した地図である。具体的に言えば、(だれもが/犯人も)「入りやすい場所」と(だれからも/犯行が)「見えにくい場所」を洗い出したものが地域安全マップだ。 ここで注意しなければならないのは、マップづくりとはいうものの、実際には能力の向上という「人づくり」であって、正確な地図の作製という「物づくり」ではない、ということだ。なぜなら、犯罪者は地図を見ながら犯行場所を探しているのではなく、景色を見ながら犯行を始めるかどうかを決めているからである。それは子供たちにとっても同じこと。地図を見ながら学校や友達の家に行ったりはしていないが、景色はいつも見ている。つまり、安全と危険は、地図の中ではなく、景色の中で判断すべきものなのだ。 景色を見ながら、安全と危険のポイントを解説した「写真集」として、『写真でわかる世界の防犯-遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)があるので、ぜひ参考にしていただきたい。そうした知的チャレンジを通して、通学路だろうが初めての場所だろうが、どこに行っても、景色からのメッセージをキャッチし、注意モードをオンにする景色解読力を高めてほしい。

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    性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力

    原田隆之(筑波大教授) 「小児性犯罪を減らす、たった一つの方法」。千葉県松戸市の女児殺害事件を踏まえ、フェイスブックで発信されたこの提案が議論を呼んでいる。提案したのは、子育て支援などに取り組むNPO法人「フローレンス」代表理事で、全国小規模保育協議会理事長を務める駒崎弘樹氏だ。一つの方法とは「子どもに関わる教師や保育士の採用時、またPTA等のボランティア参加時において、性犯罪歴をチェックできる仕組み」をつくることだという。 これに対し、子供を持つある父親が駒崎氏の提案に懐疑的なコメントを寄せた。その理由として、教育関係者による性虐待は全体の1%もないこと(大半は父親によるものである)、教育関係者への不要な疑念を増大させるだけであること、現状でも禁錮刑以上に処せられた者は教職に就けないこと、などを挙げている。私もこの意見に概(おおむ)ね賛同している。レェ・ティ・ニャット・リンさんの遺体が発見された現場で花を手向ける男性=千葉県我孫子市 両者とも子供を残虐な犯罪から守りたいという熱意による意見であり、その目的では一致しているが、対策の有効性に関しては見解が分かれている。また、類似の事件が起きるたびに、怒りや不安からヒステリックで過剰な反応を求める声が起きることはこれまでも度々経験してきたことだ。 このように性犯罪をめぐっては、われわれはとかく感情的、過剰防衛的になりやすく、そのせいで多くの事実とは異なる見解がまかり通っているのも事実だ。その例として、「性犯罪者は再犯率が高い」「性犯罪が増加している」という指摘は、事件が起きるたびにメディアでも繰り返される論調で、これはどちらも事実に反している。 犯罪白書によれば、性犯罪者の同種事件の再犯率は約5%であり、これは窃盗や薬物事犯など他の罪種と比べると「相当に低い」と法務省は述べている。また、刑務所の統計を見ると、刑務所収容人口のなかで、性犯罪者が占める割合は何年もの間一貫して約3%であり、増加しているという事実はない。 もちろん、どれだけ数が少なく、再犯率が低くても被害者や社会に与える影響は計り知れないほど重大で、性犯罪対策は重要な社会的課題でることは間違いない。しかし、だからこそ過度に感情的になったり不安を煽(あお)ったりすることは慎むべきで、どのような対策を講じるべきか冷静に議論すべきであろう。人権上問題も多い米国の対策 いずれにしても、子供を犯罪から守ることは社会の責務であり、それは性犯罪であってもそれ以外の犯罪であっても同じである。しかし、ここで重要なことは、私がたびたび主張していることであるが、「その対処に効果があるのか」という点について、冷静に科学的な視点から考慮したうえで判断すべきだということである。 つまり、科学的エビデンスに基づいた真に効果のある対処を講じなければ意味がない。感情的に反発することは、一時的に溜飲(りゅういん)を下げることには効果があっても、本当に大事な「犯罪予防」には効果がないことが多い。 そこで、一般的な性犯罪を例に取れば、世界的に見てもさまざまな対策が講じられている。駒崎氏が提案するように性犯罪者を登録しチェックする仕組みのほか、GPSによる電子監視、刑務所出所後も病院に監禁する民事拘禁などが代表的なものだ。 性犯罪者の登録について、アメリカの例を見てみると、子供を対象とした性犯罪が起きたことを契機に、1996年に性犯罪者を登録し公開する法律が施行され、それは被害者の名前を取って通称「メーガン法」と呼ばれている。 この年までに全米で数十万人の性犯罪者が登録されているが、その効果には大きな疑問が寄せられている。コネチカット州の矯正当局は、メーガン法の効果を検証した結果、法施行の前後で再犯率にも被害者数にも有意な変化が見られなかったことから、法には何の効果もなかったと結論づけている。 さらに、実際的な問題として、制度の実行は州単位であるため、別の州に移動して犯罪に至るようなケースではチェック機能が働かず、このような「犯罪の転移」を防ぐことはできないという問題なども指摘されている。 GPSによる電子監視についても、その効果は疑問だ。電子監視が犯罪抑制に及ぼす効果を膨大なデータを基に検証した研究者は、「現存するデータでは、電子監視が犯罪を抑制するツールとなることは支持されなかった」としている。 また、民事拘禁は最も極端な手段であり、人権上の懸念も大きい。カリフォルニア州では、刑務所の刑期が終了した後も、複数のメンタルヘルスの専門家によって再犯の危険が残っていると診断された場合、州立病院に「拘禁」することが可能となっている。※写真はイメージ 私もこの「病院」を訪問したことがあるが、病院とは名ばかりで、高い塀と鉄格子、高圧電流の電線で囲まれた重警備刑務所そのものであった。拘禁されている間は、当然再犯に至ることはなく、その効果は確実である。 しかも、大多数の者は事実上、一生涯釈放されることはない。ただし、その経済的コストは膨大で、カリフォルニアでの民事拘禁のための年間総予算は4200万ドル(約42億円)、年間1人当たり20万ドル(約2千万円)かかるとのことである。性犯罪を減らすたった一つの方法 このように見ると、どの対策にも効果がなかったり、コストが膨大であったりすることに加え、人権上の問題もあり、現実的な対策とは言い難い。しかし、悲観するのはまだ早い。ここで再び、膨大な研究データに目をやると、一つだけ確実に効果のある方法がある。 それは「性犯罪を減らすたった一つの方法」の正解であり、つまり「性犯罪者治療」である。具体的には、「認知行動療法」と呼ばれる心理療法や薬物療法がある。前者は、強い性衝動が起きた際にそれをコントロールするスキルを教えたり、女性に対する歪んだ認知を修正したりする。後者は、男性ホルモンの作用を抑制する薬物を投与する。 ケンブリッジ大学のレーゼル教授らの研究によると、これらの治療を受けた性犯罪者の再犯率は、治療を受けていない者に比べると、半分程度になったという。要は50%抑制されたということである。特に、心理的な認知行動療法というアプローチの効果が大きいという。 わが国でも2006年から刑務所で「性犯罪者再犯防止プログラム」が実施され、私もその開発に携わった1人であるが、その効果について法務省は一定の再犯抑制効果があったことを発表している。府中刑務所=東京都府中市晴見町 また、私は民間の精神科クリニックにおいて、性犯罪者の外来治療を行っているが、これまで400人近い人々が治療を受けている。そのほとんどは痴漢や盗撮を行った者であるが、強姦や強制わいせつ、小児性愛などに関わった者もいる。治療成績としては、これまでのところ再犯率は約3%程度である。彼らは受診する前は、再犯を繰り返し、いわば再犯率100%の者たちであるから、その効果は歴然としている。 さらに、われわれの研究グループは性犯罪者の「再犯リスク」を査定するチェックリストも開発し、それはわずか10項目の質問で80%近い正確さで再犯リスクを予測することができる。これを用いれば、まだ軽微な問題行動であるうちに、将来のリスクを予測することができ、ここで適切な治療を行えば、重大な性犯罪へと発展するのを予防することも可能である。 このように、今や科学の力、心理学の力を用いれば、社会的な病気ともいえる犯罪を効果的に「治療」することができる時代となった。もちろん、どんな病気もそうであるように、100%の効果というものは現実問題として不可能である。しかし、一時的な感情で効果のない方法に頼るよりは、よほど賢明であることは言を俟(ま)たない。 被害者の感情などを考慮すれば、今回の性犯罪に関する刑法が大幅改正されたことの意義は大きい。ただ、性犯罪の抑止については厳罰化だけではなく、心理療法や薬物療法といった手法を組み合わせることによって、さらなる効果を生み出すだろう。

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    小児性愛者を見分ける境界線 目で追う、性別で区別するなど

     千葉・松戸市で起きた小3女児殺害事件。ベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(享年9)は姿を消した2日後、自宅から10km以上離れた我孫子市内の用水路脇で、変わり果てた姿で発見された。死体遺棄で逮捕されたのは、澁谷恭正容疑者(46才)。リンちゃんと同じ学校に2人の子供を通わせる父親であり、保護者会の会長を務めていた人物である。5月26日、リンちゃんの遺影を前に、悔しさをにじませる父レェ・アイン・ハオさん=千葉県松戸市六実 2014年に神戸市長田区で起きた6才女児殺害事件の犯人は離婚歴のある生活保護受給者。2005年に広島県安芸市で7才の女児を殺害し段ボールに詰めた男は定職につかない単身者。過去に子供が犠牲者となった凄惨な事件の容疑者には、常に閉塞感や孤独がついてまわった。 だが澁谷容疑者は、「子供たちがまっすぐ育つように」と地域で積極的に活動する保護者会会長であり、子煩悩で教育熱心な2児の父。率先して通学路に立ち、毎朝登校する子供たちに挨拶を欠かさない、今までの女児相手の性犯罪者のイメージとは似ても似つかない人物だった。 しかし実際、教育熱心に見えて子供の近くにいる大人が起こすわいせつ事件は後を絶たない。文部科学省の発表(2015年度)によれば、わいせつ行為やセクハラによって懲戒処分などを受けた教員の数は前年比19人増の224人で、過去最高を更新した。被害者のうち5.4%は自校の児童、35.3%は自校の生徒、3.6%は自校の卒業生。助けてくれるはずの教師からわいせつ行為を受けていたことになる。  今年に入ってからも、1月に教室で7才の教え子の女児の胸を触った小学校教諭(36才)が起訴され、4月には教室内で教え子の女児の服を脱がせてビデオで撮影した小学校教諭(29才)が逮捕されるなど相次いでいる。 そんな現実に「子供に優しく教育熱心な大人」に、声を大にしては言えないけれど、違和感を抱いてしまう母親は少なからずいる。 「子供たちを公園で遊ばせている時に、挨拶だけじゃなくて親しげに話しかけてきたり、たまに一緒に遊んでくれる中年男性がいますが、ありがたい半面、ちょっと警戒してしまいます」(30代・2児の母) 相手が教師や保育士、スポーツクラブのコーチといった立場にある人でも、男性であればやはり気になってしまうと悩む母親もいる。 「娘の保育園の保育士さんはすごく面倒見がよくて、“子供好きなんだろうなぁ”と思うような男性です。でも、おねしょした時にすぐに飛んできて、着替えさせてくれたと聞いて、“大丈夫かな”と思ってしまった」(20代・1児の母) もちろんそのほとんどが杞憂であり、子供のことを思って行動している大人がほとんどだ。小児性愛者を見分けるには? ただ、リンちゃんの事件では親切な大人の中に“羊の皮をかぶった狼”が紛れ込んでいないとは限らないと痛感させられた。では、子供好きな人の中に潜む、澁谷容疑者のような小児性愛者を見分ける境界線はどこなのか。犯罪心理学者の長谷川博一氏は、こう解説する。「かかわろうとする子供たちを“区別するかどうか”は大きな判断基準。例えば、女の子たちばかりに声をかけているならば警戒しましょう。本来の子供好きならば性別の分け隔てなく接するはずです」澁谷容疑者にも、「女児には優しく話しかけるのに、男児には厳しかった」などの証言があった。 ゆうメンタルクリニック総院長のゆうきゆう氏が言う。 「とくに男性の場合、興味があるものを無意識に目で追いやすいという特徴があります。例えば子供が通るたびに視線を送る、子供の声につい振り返るなど、わかりやすい行動もあります。関心のある対象が目につきやすいのは誰でもそうですが、性的欲求が刺激される対象の場合は関心の度合が違ってくるんです」 スキンシップの取り方も違う。「子供の頭をポンポンとなでるのは珍しくありませんが、小児性愛者の場合、頭をなでる時に髪の毛を指に絡ませることがあります。また、子供のズボンのホコリを払うときでも、普通はサッとはたくだけなのが、なでたりさすったりするなど、疑問に感じるようなスキンシップが見られることも。変だと思ったら、自分の夫に“男性から見てどう思うか”を聞いてみるのも手です」(前出・ゆうき氏) 精神科医の片田珠美氏は「1対1になりたがる人も注意が必要」と話す。 「容疑者も、“家でプールをやるから”と子供たちを呼んでいたという報道がありましたが、そのように好みの子を家に呼んで2人きりになろうとするケースもあります」 今回の事件で、“見守り”をしてきた側も不安を抱えることになった。4月16日の保護者説明会に出席していた男性保護者が打ち明ける。「毎朝“おはよう”と言葉を交わしていた子供たちから、“第二の澁谷”みたいに思われてしまうのではないかって…」すべての子供好きを疑うべきではないにせよ、こういう事件が起こってしまったならば、大人の側も、子供たちやその親を不安にさせるような言動には注意を払うべきだろう。「疑惑の目を持たれないためには男親の場合、必ず自分の子供もしくは妻など第三者を同席させること。何らかの事情で2人きりになるなら、誰かにそのことを一言告げるといった、オープンな連絡を心がけましょう」(前出・ゆうき氏) ベトナムからやってきた未来ある少女の命が奪われた事件は、全国の父母だけでなく、“優しい隣人”たちにも暗い影を落としている。関連記事■ リンさん遺棄現場至近で15年前に消えた「フィリピン少女」■ 松戸女児殺害 澁谷容疑者、最初の結婚相手は未成年■ 澁谷容疑者 あだ名は「澁デブ」、女子は「気持ち悪い」■ 年齢詐称62才山辺容疑者 「38才か39才」は絶妙すぎる■ キラキラネーム「反対」は76.2%、しかし親には命名権あり

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    首相腹心記者の強姦告発会見 全国紙は1行も報じなかった

    「レイプは魂の殺人です。山口氏が権力者側で大きな声を発信し続けている姿を見た時は胸が締めつけられました。この2年間、なぜ生かされているのか疑問に思うこともありました。レイプという行為は私を内側から殺しました」 5月29日、東京・霞が関の司法クラブで行われた記者会見。スラリとした体形に整った目鼻立ちが印象的な美女は、大きな瞳を潤ませて声を絞り出した。 この女性は海外でジャーナリストとして活動する詩織さん(28才)。家族の意向で苗字こそ明かさなかったが、30人以上の記者や多くのカメラが並ぶ前で顔と名前を公開した。彼女が訴えたのは強姦の被害。被害者が身元を明かせば、好奇の目に晒され、さらなる心の傷を負う可能性もある。レイプ被害者として、極めて異例の会見だった。 それでも詩織さんは勇気を振り絞って会見に臨んだ。彼女が被害を訴えた相手は、元TBSテレビ報道局ワシントン支局長でジャーナリストの山口敬之氏(51才)。安倍晋三首相(62才)の腹心として知られ、テレビ出演も多く、「総理に最も食い込む男」と呼ばれている。安倍首相への直接取材を行った著書『総理』や『暗闇』が代表作だ。 今回の問題が根深いのは、レイプという卑劣な犯罪もさることながら、犯罪行為が恣意的にもみ消された疑いがあることだ。それも「私の知り得ない何か“上のパワー”」(詩織さん)が働いた形跡があるのだ。 詩織さんは、2013年、ジャーナリズムと写真を学ぶためニューヨークに留学していた。現地で知り合ったのが山口氏だった。 詩織さんの主張によると、2015年4月、詩織さんは仕事の相談をするため、一時帰国中の山口氏と都内で会食。その最中に記憶を失い、連れ込まれたホテルのベッドの上で裸にされ、山口氏からレイプを受けた。避妊具はつけられていなかった。目を覚ました彼女に向かって山口氏はこう言ったという。「ごめん。きみのことが本当に好きになってしまって」 所轄の警察署は捜査の上、準強姦罪での逮捕状を取り、2015年6月8日、成田空港で帰国する山口氏を逮捕するために待ち構えていた。ところが突然、逮捕は中止になる。捜査員の目の前を、山口氏が通りすぎて行ったという。警察トップからの圧力「当時の捜査員のかたから、“警察のトップの方”からストップがかかったと聞きました。とても異例のことだと」(詩織さん) その後、詩織さんは警察から「示談にしなさい」と言われ、警察車に乗せられ、弁護士のところに連れていかれた。それについて詩織さんは「何かしらの意図」を感じたという。 その後、山口氏は準強姦罪で書類送検されたが、嫌疑不十分で不起訴となった。詩織さんに詳しい説明はなされず、結論だけを言い渡された。当時の刑事部長は官邸から信頼が厚く、将来の警察庁長官候補と目される。この刑事部長は『週刊新潮』の取材に対し、自らが逮捕取りやめの指示をしたことを認めている。「日本の法律は必ずしも私たちを守ってくれるわけではありません。当の捜査機関が、逮捕状をもみ消してしまうからです」(詩織さん) 詩織さんは会見当日、検察審査会に不服申し立てをした。「警察のかたには、“被害者らしく振るまいなさい”という言葉を言われたこともあるんです。被害者らしくというのは、泣いたり怒ったりすること。悲しい、弱い存在でないといけない。隠れていないといけない、恥ずかしいと思わなければいけない。今回、私は何も悪いことはしていません。こういった状況に疑問を感じ、今お話ししなければと思いました」(詩織さん) 強姦疑惑発覚後、山口氏はフェイスブックで《法に触れることは一切していない》と弁明している。避妊具を使用しない性行為については明言していないものの、山口氏は詩織さんに「精子の活動が著しく低調だという病気」だとメールで釈明していたと報じられている。 なお、この会見については翌朝の全国紙はすべて1行も報じなかった。 ひとりの女性の悲痛な訴えを「女性が輝ける社会」を掲げる安倍政権は無視し続ける。それどころか昭恵さんは、報道を否定した山口氏のフェイスブックに「いいね!」を押した。しかも5月15日、都内で開かれた『安倍晋太郎氏を偲び安倍晋三総理と語る会』の席では、「いいね!しただけで、あんなに責めなくてもね」と言い放ったという。関連記事■ 城島茂のお相手、E乳グラドルが出していた過激DVDの内容■ 芸能活動再開の清水富美加、大川総裁長男との結婚説を追う■ 21才グラドルと熱愛の城島茂 「振り回されとるなあ」■ 舛添要一氏「出張費&韓国学校で左右から矢が飛んできた」■ アン・シネ 膝上30cmミニスカ美脚で全力セクシー!

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    なぜ日本人は信仰を聞かれて「無宗教」と答えたがるのか

    島田裕巳(宗教学者) 日本人は自分たちのことを「無宗教」だと考えてきた。 それを裏づける資料もある。アメリカのギャラップ社が2006年から08年にかけて行った世論調査では、日本人のなかで信仰を持っている人間は25%で、対象となった世界143カ国のうち136位という結果が出た。 日本より信仰率が低いのは、香港や北欧諸国などわずか7カ国しかない。たしかに、日本は無宗教の国であるということになる。 しかし、これが果たして正しいのかどうか、実は怪しい。 NHKが1996年に行った「全国県民意識調査」というものがあるが、全国平均では、信仰を持っている日本人の割合は31・2%であった。ギャラップ社の調査よりは高いが、7割近くが無宗教であるということになる。 ところが、都道府県別に考えると、かなりのばらつきがある。最も低いのは沖縄の7・8%で、これが飛び抜けて低いが、次いで千葉県の18・1%である。関東はおしなべて低く、一番高い東京でも27・0%である。東北も低く、すべての県が20%台である。他に20%台は、新潟、山梨、高知である。 反対に、最も高いのが福井の58・0%で、広島も53・7%と半数を超えている。40%台は、富山、石川、長崎、鹿児島、香川である。多くの参拝者が訪れる西本願寺=5月31日、京都市下京区の西本願寺(北崎諒子撮影) 長崎の場合には、キリスト教が5・1%で、このことが信仰率を押し上げているが、他に高い県は、浄土真宗の信仰が強い「真宗地帯」である。鹿児島も浄土真宗は強い。 この点は重要で、浄土真宗の信仰が強いところでは、どこでもかなり信仰率が高いのである。平均してしまうと、この地方による違いが見えなくなる。男女別にみるとさらに興味深い結果が  また、2008年にNHK放送文化研究所も加わっている国際社会調査プログラム(ISSP、International Social Survey Programme)が行った調査では、日本人の信仰率は平均で39%という結果が出たが、この調査では、男女別年齢別に集計しており、興味深いことが明らかになった。春日大社に初詣に訪れた参拝者=2017年1月1日、奈良市 16歳から29歳では、女性が20%で男性が17%とかなり低い。ところが女性の場合には、30歳から39歳で28%、40歳から49歳で39%、50歳から59歳で43%、60歳以上で56%と年齢が上がるにつれて徐々に信仰率が上がっていくのだった。 さらに興味深いのは男性の場合である。30歳から39歳で19%、40歳から49歳でやはり19%と、50歳になるまでは若い頃と変わらず低いのだが、50歳から59歳では41%と急に上昇し、60歳以上では56%と女性と肩を並べるのである。 なぜ男性は50代になると、急に信仰を持つようになるのか。おそらくそこには、定年を意識するようになるということが関係していると思われる。私が今教えている女子大生の父親は、ちょうどこの世代にあたるが、急にお寺参りをするようになったとか、私の本を読んでくれるようになったとか、そう答える学生が多い。 この二つの調査結果を踏まえて考えると、果たして日本人は本当に無宗教といえるのかどうか、そのこと自体がかなり怪しくなってくる。 もしかしたら、無宗教は建前であって、宗教を信仰しているというのが本音なのではないか、そうとさえ思えてくるのである。 自分が無宗教であると標榜(ひょうぼう)するのは、他人から信仰を聞かれたときである。そのときには、自分が信仰を持っているとは答えにくい。それだけで警戒されるかもしれないと思ってしまうからだ。 ところが、世論調査の場合には、こっそりと記入するわけで、調査機関にしかそれは分からない。匿名で記入するのであれば、なおさら、自分がどう答えるかを気にする必要がない。だから、世論調査には本音が出る。そう考えられるのではないだろうか。本音で答えない理由は何か? 世の中で宗教のことが話題になるとき、その対象は新宗教であることが多い。女優の清水富美加が出家したというときにも、出家先は新宗教の幸福の科学だった。 新宗教はかつて「新興宗教」と呼ばれることが多く、そこには布教に熱心で、信仰に凝り固まっているというイメージが伴った。特に、高度経済成長の時代に創価学会や立正佼成会などの日蓮系の教団やパーフェクトリバティー(PL)教団が急成長したときにはそうだった。 そこから、新宗教に対する警戒心が生まれ、自分に信仰があると答えれば、そうした新宗教の信者だと思われるのではないかという意識が生まれた。そこで、聞かれれば無宗教と答えるようになった。そうした面がある。 その点で、日本人の無宗教というとらえ方には、自分は怪しげな新宗教の信者ではないというニュアンスが強くこめられている。女優・清水富美加=2016年9月22日東京・港区(撮影・高橋朋彦) しかし、日本人は無宗教と言いながら、日常的に宗教の世界と深くかかわっている。初詣には大勢の日本人が出掛け、そのなかにはかなりの数の若者が含まれている。葬式離れは進んでいるものの、仏教式で葬られる人はまだ少なくない。 それが真宗地帯ともなれば、「門徒(浄土真宗の信者のこと)」としての自覚は失われていない。四国地方などは、真宗地帯に属する各県に比べれば信仰率は低いが、それは、この地域で根強い真言宗と深くかかわりを持っていても、それを信仰や宗教としては意識していないからだ。 奈良や京都で古寺がいくつも残され、他の地域でも名だたる寺や神社がきっちりと守られてきたのも、日本人には強い信仰があるからだ。無宗教化が進むヨーロッパでは、古いキリスト教の教会でも維持できなくなり、モスクに売られたりしている。 そして、年を重ね、人生の終わりや老後を意識するようになると、日本人ははっきりと自分の信仰を意識するようになる。それしか、死に向かいつつある自己を支える基盤を見いだすことができないからだ。 日本人の本音は無宗教ではない。そのことを踏まえた上で日本人の宗教観を見直す必要があるのではないだろうか。

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    「浄土ってどこにあるの?」日本人の宗教離れはこの問いに隠れている

    向谷匡史(作家) 街を歩けば、そこかしこでコンビニを目にする。全国で約5万5千店。過当競争とも聞くが、「これだけあって、よくメシが食えているな」と、経営努力に頭が下がる。 ところが宗教団体の数はそんなものではない。仏教系単位宗教法人だけで約7万7千、これに神道系やキリスト教系など諸々を合わせれば18万余りが全国に散らばっている。宗教離れが指摘され、「日本人は無宗教」と言われながら、これだけの数が存在していること自体が驚きである。「よくメシが食えているな」という感慨どころか、目をむいてしまう。不謹慎かもしれないが、晩年に至って僧籍を得た私の、これが率直な感想である。 日本人が無宗教であるかどうかはともかく、宗教に対して一定の距離を置いていることは、一般の人でも皮膚感覚でわかるはずだ。 「私は××宗の熱心な信者なんです」 初対面でこう言われれば、 「それはそれは」 と当たり障りのない応対をしながら、「この人、ちょっと変わっているな」と距離を置きたくなる。 反対に、「人間、死ねば粗大ゴミ」「葬式なんかするわけがないでしょう」「地鎮祭? バカなこと言わないでください」―と鼻で笑う人に対しても、「ちょっと変わっているな」と距離を置きたくなるだろう。 宗教に対するこの「微妙な間合い感覚」が、現代日本人の「宗教観」ではないか。宗教心について各種調査を見れば、「自分は無宗教だ」と公言する日本人は少なくないが、そのうちの大半が「宗教心は大切だ」と答えている。この矛盾と「精神的なゆらぎ」に、私は現代日本人の実相を見る。 儒教が日本に入ってきたときから、すでに日本人の無宗教化が始まったともされるが、浅学の私に大所高所からの考察はできない。道俗―すなわち、物書き(俗)と僧侶(道)のはざまに立つ「小所低所」から私見を述べたい。 去る4月8日、全国のお寺で「花祭り」(灌仏会[かんぶつえ])が行われた。釈迦(しゃか)の生誕を祝うもので、子供たちがお寺に集い、白い像を引き、稚児行列が行われるのだが、「それは大きなお寺だけですよ。うちなんか、子供の参加者が年々減ってきて、今年は10人足らずでした」と、知人の住職がボヤきながら、子供が「寺離れ」する理由の一つとして、境内を遊び場として提供できなくなったことをあげる。画像は本文と関係ありません 「いまの時代、墓石が倒れて大ケガでもしたら訴訟沙汰になりますからね。本堂の手すりから落っこちてでもすれば管理責任を問われかねない。そんなことを考えると、怖くて『遊び場にしてください』とは言えないんです」 本山は地域と密着する場として、末寺に寺の開放を求めるが、「何でも訴訟」という社会風潮は、お寺をも萎縮させているということになるだろう。幼児が遊びに来なければ若いママも来ない。若いママたちは公園に集まり、公園ママ友になっていく。「境内を交流の場とする境内ママ友なんてことになればいいんですが、現状では無理でしょうね」と、この住職は嘆息する。 若いママが「お寺離れ」すれば当然、両親・祖父母の葬儀は簡素化の一途をたどる。「葬儀はしません。納骨だけお願いします」と檀家(だんか)の嫁さんから電話があり、「うちは霊園じゃねぇ!」と思わず叫びたくなったと、別の住職は自嘲する。「宗教心は大切だ」とアンケートに答えはしても、宗教離れは確実に進行していることが、現場では皮膚感覚としてわかるのだ。それでも宗教はなくならない 日本人が「無宗教」を堂々と口にするようになったのは、先の敗戦が大きく影響しているのではないか。天皇という現人神(あらひとがみ)の「人間宣言」によって価値観が一変。論理と科学に代表される西洋文明が一気に押し寄せた。論理的・科学的に証明されないものを排除し、現代に至ってそれがますます先鋭化してきたように思う。 私が僧侶の立場で浄土往生を説けば、「浄土ってどこにあるのよ」と、必ず意地悪い質問が飛んでくる。 「お浄土は人間界から西方はるか10万億の仏土を隔てたところにあり、阿弥陀如来を教主とし…」 説明を始めるが最後まで聞かず、「それって、証明できるんですか?」とツッコミを入れてくる。科学的に証明できるかどうか、これが価値判断の基準であって、「地獄極楽の存るを問うな。わが心に地獄の棲むを問へ」―という生き方論など「坊さんのたわごと」というわけだ。 それに加えて拝金主義。任俠道という精神性を標榜するヤクザですら、バブルを境に「経済ヤクザ」なるものが登場し、「マネー・イズ・パワー」と嘯(うそぶ)いてはばからない。私は空手道場をやっているが、そういう社会風潮にあって、「清く正しく美しく」と説教しても子供たちに通じない。「縁の下の力持ちになれ」と言えば「そんなの損じゃん」と口をとがらせる。「だます人よりだまされる人になりなさい」と言えばキョトンである。 戦後70年を経て、これが日本の行きついた先であり、現代日本人の「無宗教」は、宗教論として論じるよりも、精神世界を失いつつある結果であると私はとらえている。 その一方、宗教離れを論じるとき、スピリチュアルブームが引き合いに出される。「精神世界を失いつつあると言うが、スピリチュアルはブームになっているではないか」という主張で、これは既存宗教の怠慢であるという批判でもある。画像は本文と関係ありません だが、私はこう考える。人間の意識は常に振り子のように揺れているため、科学万能主義に厭(あ)きてくると精神世界へ回帰していく。既存の宗教に回帰しない理由は、赤ちゃんが玩具に厭きて放り投げるとそれには見向きもせず、新たな興味を引くものに手を伸ばすのと同じである―と、いささか乱暴に考えるのである。 時代がどう変わろうとも、死に対する根元的な恐怖、天変地異、そして日々を生きることの不安と苦悩から私たちが逃れられない以上、死後の救済を説き、心の安逸に資する宗教は決してなくならない。「宗派・教団」には経営努力が求められ、ここにおいて「宗教」は一線を画する。「日本人はなぜ無宗教なのか」という問いに対して「無宗教も宗教」と揶揄(やゆ)するのはたやすいが、日本人の少なからざる人が無宗教と公言し、それが戦後の時代風潮のなかで加速してきた現状について、今一度、考えてみるべきではないだろうか。「小所低所」からの私の提言である。