検索ワード:社会問題/150件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    男性の育休「義務化」で忘れられた労働問題の本質

    池田心豪(労働政策研究・研修機構主任研究員) 男性に育休取得を義務づけようという議論がにわかに盛り上がっている。既に民間では市民団体が男性育休取得義務化を訴える運動を展開しており、企業の中にも男性育休取得率100%を掲げて積極的に男性社員に育休取得を促しているところもある。有名なコンサルティング会社は「男性育休100%宣言」企業を募集している。こうした熱気を受ける形で、6月5日に自民党は男性育休の「義務化」を目指す議員連盟(以下、議連)を発足させた。 前日に発表された厚労省の「平成30年度雇用均等基本調査」(速報版)によれば、男性の育休取得率は6・16%、前年度比1・02ポイントの上昇であり、6年連続で上昇している。だが、政府が来年2020年までの目標としている13%にはほど遠い。もう一段階のてこ入れが必要、そのような問題意識を持つことは不思議ではない。 議連の発表によれば、個人に直接育休取得を義務づけるのではなく、個人に取得を促すことを企業に義務づけることを目指すという。 念のため確認しておきたいのだが、企業に対する育休の義務化は現行の育児・介護休業法で既に行われている。女性のみならず男性においても、労働者が育休取得を申し出た場合、企業はこれを拒否できないことになっている。しかし、労働者の申請を承認するという受け身の姿勢を企業がとっていては大幅な育休取得率上昇は見込めそうにないという主張も理解できる。 厚労省が昨年3月に出した「今後の仕事と育児の両立支援に係る総合的研究会報告書」で紹介されている民間シンクタンクの調査結果によれば、末子出産時に自身の会社に育休制度がなかったと回答している男性は約半数にのぼる。法律を踏まえればそんなはずはないのだが、男性本人が自分は育休適用対象外であると勘違いしているのかもしれない。男性の育児休業取得の義務化を目指す自民党議員連盟会長の松野元文科相(左)から提言書を受け取る安倍首相=2019年7月、首相官邸(共同) 一方、勤務先に制度があり取得希望があっても取得しなかった理由としては、職場の雰囲気や人手不足、仕事の担当の問題などを挙げる回答が目立つ。職場や仕事の状況を勘案して育休取得申請を控える、そのような男性もいるのである。このような場合、労働者から育休取得申請をすることはないだろう。企業としても申請がないものは承認しようがない。育休のデメリット これに対して、現在出ている育休義務化論は、育休取得に向けた企業の能動的な関与を促すことを目指していると言える。だが、実は既に企業の能動的な関与を促す法規制はある。2017年10月施行の改正育児・介護休業法は、労働者個人に対する育休制度の個別周知を企業の努力義務としている。「育休制度はあるけど取らないでくださいね」というような周知は不自然と考えれば、これを努力義務から義務化することでも議連の目的は達成されそうである。 しかし、周知されても職場や仕事の事情を勘案して取得を控えるという可能性はあるだろう。そこで、「育休取りませんか」という、より積極的な声かけ、つまり取得勧奨をしている企業もある。個別企業における男性育休義務化は、厳密に言えばこの取得勧奨である。 次世代法に基づく「くるみん」や「プラチナくるみん」を取るための実績づくりとして、取得勧奨を企業が行っているケースもある。だが、会社から育休取得を勧められても断る社員はいるだろう。それでも全員に取らせるべきだ、女性の産後6週間のような強制休業にすべきだというのは行き過ぎである。 育休には仕事を休んで子育てに専念できるというメリットだけでなく、所得ロスとキャリアロスというデメリットもある。 所得ロスとは、育児休業給付が出るとはいえ、休業中は無給になるため収入は減るという不利益である。キャリアロスは休業取得中に仕事を中断することによって、将来のキャリアにつながる仕事の機会を逸してしまう不利益である。育児の練習をする男性。男性の育児休業の義務化に賛成する人が増えている=2013年8月、和歌山県(益田暢子撮影) この二つのロスは女性の育休にも付随するものであり、キャリアロスを小さくするため女性においても早期の復職が望ましいと言われている。男性の育休期間は多くの場合短いため、女性と同等には扱えないが、仮に2週間や1カ月の休業であっても、そのタイミングで大事な仕事が入ってくる可能性はある。 現行法は、こうした不利益と育児に専念できる利益の双方を勘案して、不利益の方が大きいと判断した場合は育休を取らない自由を労働者に認めている。その自由がなくなってしまうと、人によっては育休がベネフィットではなくペナルティーになってしまうおそれがある。女性は義務化しなかったワケ 一口に「義務」といってもその強さには程度がある。ここまでの議論を整理すれば、(1)取得申請の承認、(2)個別制度周知、(3)取得勧奨、(4)取得強制という4段階に大別できる。(1)では不十分というのが男性育休取得義務化論の問題意識であるが、(4)はやり過ぎである。すると、(2)から(3)あたりが実質的な争点になると考えられる。 民間企業が先行して個別に取り組んでいる男性育休義務化を参照するなら、(3)の取得勧奨を義務化するという話になるかもしれない。しかし、(3)は強く勧奨すれば(4)の強制に限りなく近付いていくし、弱ければ(2)に近づいていく。どのくらいの力加減が適切と言えるのか、気心の知れた個別企業の労使関係を超えた法政策として一律の基準を示すことは容易ではないだろう。 この隙間を埋めるために、男性育休の必要性について企業と労働者の対話を促すことが重要である。振り返れば、女性にとっても育休が取りづらいという時代はあった。今でもこの問題が解消したとは言えないが、仕事と育児の両立について理解を深める研修や面談といった対話の機会を企業の中につくることで、女性が育休を取りやすい環境を整えてきた。女性が育休を取れるように取得を義務化しているという話を筆者は聞いたことがない。 最近はそうした両立支援の研修に女性社員の配偶者やパートナーを同伴させる企業が増えているようである。職場結婚をした自社の男性社員だけでなく、他社に勤務する夫にも出席を求めていると聞く。夫婦の役割分担について家庭での対話を促す取り組みと言えるが、職場においても育休を女性だけの問題とする先入観を改める契機になるであろう。 このような対話のプログラムを開発し、男性育休に関する意識改革が進めば、取得率は後からついてくるに違いない。上述の個別制度周知や取得勧奨の声かけも、労使の対話を促すという文脈で考えることが重要である。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 要するに、「労働問題は労使コミュニケーションを通じて解決を図る」という基本中の基本に立ち返ることが重要と言える。育休の取りにくさとは企業と労働者個人の個別労使関係の問題であり、女性の育休はまさに労使コミュニケーションを深めることによって取りやすくなった。男性育休についても実効性ある政策を行うためには、この基本に忠実になることが重要である。■あなたの給料が減っても「働き方改革」を支持しますか?■「親の苦情と戦えない」小さな命を救えなかった虐待現場の叫び■ニッポンの企業に蔓延する「働き方改革疲れ」の実態

  • Thumbnail

    記事

    まるで「人身売買」偽装留学生ビジネスの実態

    石橋通宏(参議院議員) 3月7日の参議院予算委員会で、大学などの教育機関における偽装留学生問題を取り上げたところ、内外から想像以上の大きな反響があった。特に、質問を終えたとき、与党・自民党席から大きな拍手喝采を受けたのは、野党議員である私にとって初めての体験であった。 その後続けて、文教科学委員会や予算委員会において「東京福祉大学」の問題に焦点を当ててこの問題を追及。厚生労働委員会でも、留学生の就労問題に焦点を当てた追及を行っている。結果、メディアでもこの問題が大きく取り上げられ、国民の関心を喚起するきっかけになったことはうれしく思っているし、所管官庁である文部科学省および法務省から、この偽装留学生問題の実態調査と具体的対策に向けた検討を速やかに行っていくという答弁を得たことも、大きな収穫であった。 ただ大事なのは、政府や世間が、この問題を単に一教育機関における特異な問題として捉えるのではなく、過去10年以上にわたって政府の肝いりで展開されてきた留学生拡大施策の構造的問題として捉えて、その実態に踏み込んだ検証と改革ができるか否かである。その問題意識を踏まえ、以下、そもそも私がこの問題を委員会で取り上げるに至った経緯と、その裏側にある構造的な問題について詳述してみたい。 私が偽装留学生問題に注目し始めたのは、遅くとも5年くらい前のことである。当時、特に外国人技能実習生の人権侵害などの問題がクローズアップされていて、私も技能実習制度に代わる新しい就労制度の構築について議論をスタートしていた頃であった。そのときすでに、留学生制度が本来の学業目的ではなく、就業目的で使われているのではないかという疑念が私たちの中でも認知されていたのである。 しかし、その頃、政府が「外国人技能実習法案」の検討に着手したこともあって、留学生に関わる問題は後回しになっていた。その後、2016年に「外国人技能実習法」が成立し(17年11月施行)、甚だ不十分ながらも技能実習制度の規制、監視強化が図られたことで、より規制の緩い留学生制度に悪徳ブローカーの魔の手が向かうのではないかという危惧が生まれ、そのときから改めて留学生問題にも目を向け始めた。参院予算委で質問する石橋通宏参議院議員 そして昨年、安倍総理の鶴の一声で「人手不足の解消」策として外国人労働者の受け入れ拡大が政治課題となり、入管法改正案が具体的な中身のないままに秋の臨時国会に提出され、ごく短時間の審議で成立(今年4月1日から施行)したことは皆さんもご承知の通りである。実は、この一連の政府の動きを受け、私たちも具体的な対案づくりに着手し、①多文化共生社会基本法の制定②外国人一般労働者のための新しい雇用制度の創出③外国人技能実習制度の段階的な移行・廃止などに加え④留学生制度(留学ビザ)の抜本的見直しによる規制強化、を掲げて関係者や有識者らからのヒアリングや情報収集を続けていた。こうした中で、突然浮上してきたのが、東京福祉大問題だったのである。信じられない「タレコミ」 実は昨年の段階から、いくつかの大学や専門学校、日本語教育機関が留学生制度を悪用している実態があるとの情報をつかんでいた。しかし、それらはあくまで外部情報であり、具体的な物証は得られなかった。そんな時に、あるルートを通じて、東京福祉大で信じられないような偽装留学生の実態があるという情報が私の元にもたらされた。 しかし、最初に話を聞いたときは、正直、にわかには信じられなかった。この3年間で、多くの留学生が「除籍」扱いになっており、そのほとんどが所在不明だというのだが、その数が1千人以上に上るという話だったからだ。しかも、それが大学の創設者である前理事長によって、学生数減少を補う「金もうけ」のために意図して行われていることだというのだから、慎重にならざるを得なかったのである。 ところが、実際に東京福祉大の関係者に話を聞く機会を得、証拠となる資料なども見せてもらったところ、それが事実であることが確認できたのである。内部資料には、過去3年間、月ごとに退学ないしは除籍となった留学生のリストと、その理由が明記されていたが、ほとんどが「所在不明による」と記されていたからだ。 現場で懸命に頑張っておられる東京福祉大の教職員や関係者の名誉のためにあえて申し上げておくが、東京福祉大もかつては福祉分野において実績のある、評判のよい大学で、就職率も良かったし志願者も多かった。いまなお、学生たちのために本来あるべき教育を提供しようと頑張っている方々がおられる。だからこそ、今のような状況を続けさせてはいけないと、その実態を告発するに至ったわけだ。 結局、東京福祉大においては、ある時期から志願者が減りはじめ、定員の維持が難しくなった。実は、先に述べた前理事長は、2008年に刑事事件による罪で懲役2年の実刑判決を受けている。以降、大学経営には関わらないという約束を文科省に対してもさせられたが、いまだに大学運営の実権を握っているとされている。その前理事長が起こした事件が学生数の減少にどれだけ影響があったのか、直接の因果関係は分からない。ただ、学生数が減少し、経営に影響が出るようになった頃から、前理事長らが外国人留学生に目を付け始めたようである。東京福祉大学正門(寺井融撮影) 2011年頃、東京福祉大内部の運営会議で、前理事長が留学生をうまく使うことで「120億の金が入るわけだよ…何でそれをやらんの」などと発言していたことが報道されている。私もその議事録を読んだが、衝撃的なやり取りが行われていて、そして確かにその後から、東京福祉大における留学生が急増していったのだ。東京福祉大の実態 調べてみると、次々と驚くべき事実が明らかになった。まず、東京福祉大における留学生の数は、348人(2013年度)から5133人(2018年度)にまで増大していた。これだけ短期間に留学生数がなんと15倍に膨れあがったというのは、他に例を見ない。いや、あり得ないし、あってはならない。お分かりだと思うが、これでまともな教育などできるわけがないからだ。事実、東京福祉大では教室が足りなくなり、あちらこちらに間借りをしていて、その一つが銭湯の2階だったという笑えない話は、報道されていた通りである。 さらに、その留学生の8割以上、約4千人が「研究生」という名の非正規だったことも明らかになった。正規の学生は、受け入れ可能な上限枠が決められている。しかし、非正規留学生には数の制限がなく、事実上、青天井になっている。しかも、研究生なので、志願する方にも敷居は低いため、双方にとってメリットある手法だったわけだ。 なお、その4千人の研究生は全員が、国内の日本語教育機関からの受け入れだったことも明らかになっている。当初私たちは、東京福祉大が直接、海外からブローカーなどを使って留学生をかき集めていたのではないかと思っていたのだが、そうではなく、国内の日本語学校から卒業生をかき集めていたのだ。 この点が、自分たちは「日本語教育機関を修了・卒業した留学生の受け皿」であり、「なくてはならない存在なのだ」と東京福祉大が主張している根拠になっている。これはまさにその通りで、「大学進学率〇〇%!」という宣伝文句を出すために進学実績を確保したい日本語学校にとっては、東京福祉大のような存在は言ってみれば救世主だろう。 そしてまた、東京福祉大の研究生の多くが、その後、今度は専門学校などに移っていく実態もあった。東京福祉大はグループ内に関連の専門学校を持っていて、そこに簡単に移っていける仕組みであり、グループ内で留学生を環流させながら、学生数と授業料収入を確保しているシステムだと思われる。「適正校」の認定を取り消された東京福祉大の系列専門学校=2019年6月12日午後、名古屋市中区(共同) つまり、今回、東京福祉大の問題で明らかになったのは、まさに留学制度を悪用した金もうけのための「ビジネスモデル」が構築されている実態だったと言える。いや、これは単なる授業料収入のためだけではない。同時に、各地で不足する労働力を外国人留学生で補い、経済やサービスを回して金を稼ぐというビジネスモデルにもなっているのだろう。東京福祉大だけでなく、全国で多くの教育機関が、このモデルに知ってか知らずか、関わっているということになる。留学生30万人改革の裏 最初の予算委員会の質問で、2017年の1年間だけで、留学生の不法在留者、いわゆるオーバーステイが新たに発生した全国の教育機関が570機関、1852人に上っていたことや、全国の教育機関から法務省に報告があっただけで、退学、除籍、失踪者などの数字が、なんと5千人に近くに上っていたことを指摘して、政府の姿勢を追及した。 これらの数字は、今回新たに法務省と文科省へ提供を求め、明らかになった数字なのだが、当初、両省ともなかなか数字を出してこなかったことも記しておきたい。 2017年だけでこれだけ多くの不法在留や除籍者が出ていたのに、なぜ両省はその問題を放置していたのだろうか? 実は、昨年6月の段階で、東京福祉大の有志教職員が文部科学省に告発に行っている。しかし、文科省は「門前払い」を食らわせたのだそうだ(※文科省はそうではないと否定しているが)。 恐らく、この種の内部情報の提供は、東京福祉大からだけではなかったはずで、そのことは両省の関係者も暗に認めている。つまり、偽装留学生の問題は、以前から各種データや情報提供などで明らかになっていたにもかかわらず、法務省も文科省もなんら具体的な対応を行ってこなかった、というのが実態なのだ。 ではなぜ、両省とも迅速に動かなかったのだろうか? 皆さんも、「留学生30万人計画」はご存じだろう。2008年に、当時の福田康夫総理が所信表明演説で「留学生30万人計画」をぶち上げたところから、国策として留学生の受け入れ拡大が始まった。余談だが、実はその前年、07年に発足した第1次安倍政権時の「骨太の方針」において、すでに留学生の受け入れ拡大が政策の一つに掲げられていた。この点は、そもそも何の目的で留学生30万人計画が始められたのかを考える上で、重要なポイントの一つだと思う。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 当然だが、日本でレベルの高い教育を受けたいと願う外国人留学生が増えて、それが日本人学生にもよい影響を及ぼして教育の質が高まり、次代を担う人材の育成につながるのであれば私も大いに歓迎する。留学生30万人計画も、少なくとも当初はそのような崇高な目標の下に始められたと信じたいし、よもや、最初から労働力確保策の一環として捉えていたとは思いたくないが、結果としてそうなってしまったのは動かしがたい事実だ。政府ぐるみの「悪用」 いったい何が起こったのか? この「30万人」という数値目標を達成するために、次々と規制が緩和されたのである。例えば、専門学校における留学生の受け入れ上限が撤廃されたり、かつての就学ビザが留学ビザに統合されるなど、留学ビザの要件が緩和をされていた事実も明らかになった。 つまり、以前に比して簡単に留学生の受け入れができ、かつ留学ビザの取得も容易になったことで、需要と供給のバランスが成り立ったわけだ。そこに目を付けた人間たちが、留学ビザを就労目的で悪用、乱用するビジネスモデルを構築していったのであろう。 許してはならないのは、多くの外国人留学生がその犠牲になっていることだ。この間に増大した留学生の多くは、アジアの途上国、しかも地方の貧しい地域からやってきている若者たちが多い。現地でブローカーが「日本に行けば働いてたっぷり稼げる」と言って若者を勧誘し、「日本で稼げばあっという間に返済して、貯金や仕送りもできる」と言って費用を借金で工面させ、日本に送り込むのだ。 本来、留学ビザ申請の審査が適切に行われていれば、財政負担能力の証明などが必要なので、そんなに簡単にビザは下りないはずだ。それが簡単に下りている。審査がずさんだからではないか。そもそも、日本に来るだけで少なくとも百数十万円の費用がかかるし、学費に加えて日本での生活費もかかる。途上国の、しかも地方に住む貧しい家庭出身の若者たちに、そんな負担能力があろうはずがない。そんなことを法務省入管局や外務省の大使館が知らないはずはなかろう。 つまり、「留学生30万人計画」を達成するために、政府を挙げて取り組んできたというのが、この偽装留学生問題の実相ではないだろうか。そしてその裏には、当初からか途中からそうなったのかはさておいて、留学生を「人手不足を補うための労働力」として使うという意図があったのではないかと疑わざるを得ない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そのようなシステムに乗せられ、多額の借金を抱えて日本に来た留学生は、働かなかったら借金が返せないので、ひたすら働くことになる。週28時間の就労時間制限を守っていたら借金が返せないし、生活の維持もできない。必然的に、勉強より仕事に精を出すことになるわけだ。 結局のところ、構造的かつ組織的に、人手不足の穴埋めとして留学生制度が悪用され、途上国の貧しい地域の若者たちが食い物にされているのがこの偽装留学生問題の真相なのだとすれば、国際的にみれば「人身売買」との批判すら受けかねないこのような悪弊を許しておくわけにはいかない。今後は、現状の問題点や課題をさらに深く掘り下げた上で、真に日本で学びたい、活躍したいと思ってくてくれる留学生が安心して日本に来て、学ぶことのできる留学制度の構築に向け、努力を傾注していきたいと考えている。■256万人の「移民予備軍」に口ごもる自民党の矛盾■「外国人労働者は移民ではない」日本はドイツの失敗を直視せよ■「日本の中に別の国」安倍政権はローマの失敗を直視せよ

  • Thumbnail

    記事

    すでに「移民国家・日本」、どこへ向かうのか

    ほんだ・かつひろ 1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。

  • Thumbnail

    テーマ

    「先住民族」アイヌの次は沖縄だ!

    アイヌを「先住民族」と初めて明記した新法が先月施行された。閣議決定から3カ月、議論が深まらないまま成立した感があり、批判の声も根強い。国連は沖縄の人々も先住民族と認めるよう勧告しているが、沖縄では「独立論」もはびこる。それだけに、振興は重要とはいえ、安易な先住民認定は国家の分断を助長しかねない。

  • Thumbnail

    記事

    日本のアイヌ政策は世界の常識からこんなにズレている

    紙智子(参議院議員) 「アイヌ新法」(アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)が今年4月に成立しました。 私はアイヌ新法について、2007年の「先住民族の権利に関する国連宣言」や、08年の国会決議「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を踏まえること。そして何よりも先住権を明確にしてアイヌ民族の意向に沿った内容にすべきだと主張してきましたが、法案に盛り込まれることはありませんでした。 国連で採択された「先住民族の権利宣言」は、先住民族のすべての人権と基本的自由の十分な享受の権利、差別からの自由、自決権、自治権、それを補償する土地や領域、資源の権利、言語、文化、雇用や就学での格差是正を求めています。 とりわけ、言語と文化は民族的共感の根源となるものであり、これらの伝承も含めた先住民族としての自決権の保障と民族性の回復などを保障するための国連加盟国が守るべきルールと基準を示しています。「宣言」を機に、オーストラリア政府は先住民を差別扱いしていたことを謝罪、カナダ政府も同化教育政策を謝罪しました。 ところが、日本政府は宣言に賛成しながら、反省・謝罪はおろか先住民と認めなかったため、北海道ウタリ協会(当時)などはアイヌを先住民と認め、その生活と権利を向上させるために集会を開き、国会に向けた活動を活発化し、各党の国会議員への働きかけを行いました。 日本共産党の私も要請を受け、政府への質問主意書(08年10月31日)を提出しました。その中で、国連の先住民族の権利宣言採択を受けた政府の認識を問い、アイヌ民族の現状を明らかにし、アイヌ政策全体を議論する審議機関を政府内に設置するよう求めました。 一方、北海道出身議員を中心に「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」が立ち上がり、私もこの議連に参加しました。学習会をくり返し、08年6月に衆議院と参議院両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を採択するに至りました。国連事務所=ジュネーブ(GettyImages) 国会決議は国連宣言を踏まえて「アイヌ民族の長年の悲願を反映したものであり、同時に、その趣旨を体して具体的な行動をとることが国連人権条約監視機関から我が国に求められている」と指摘した上で、①同国連宣言を踏まえ「アイヌの人々を日本列島周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認める②「同宣言における関連条項を参照しつつ、高いレベルで有識者の意見を聞きながら、これまでのアイヌ政策をさらに推進し、総合的な施策の確立に取り組む」として有識者懇談会を設置するよう求めました。 これを受けて、当時の町村信孝官房長官は「アイヌは先住民族である」と政府として初めて認める所信を行いましたので、国会決議でアイヌ民族が「差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない」と述べていることを踏まえると、新法も含めた施策の抜本的拡充とともに緊急課題を国の責任で解決することが求められました。なぜ10年もかかったのか 歴史的にみれば、江戸時代、北海道はアイヌが住む地域と和人が住む地域に区分されていました。和人地は渡島半島西南地域で、それ以北はアイヌ民族が住む蝦夷島でした。明治政府は、アイヌ民族を日本国民に編入し、アイヌ民族が生活していた土地を取り上げ、サケ漁などを禁止したうえ、学校教育で和人社会への同化を押しつけ、1899年には差別法である「北海道旧土人保護法」を制定したのです。この法律が廃止されたのが100年後の1997年です。 しかし、代わって制定された「アイヌ文化振興法」もアイヌ民族の権利を骨抜きにし、アイヌ民族の「先住権」は言うまでもなく、アイヌ民族の経済生活を保障する施策は何一つ記されず、「アイヌ文化の振興」策のみをうたったものでした。 政府は、今年、アイヌ新法を成立させましたが、国連宣言や衆参両院で国会決議をあげても、10年近く動かず、ようやく重い腰をあげたと言わざるを得ません。あまりにも時間がかかりすぎていることを反省すべきです。 日本共産党は73年に行われた12回党大会で「少数民族としての権利を保障しアイヌ文化の保護と一切の差別の一掃、生活に対する特別の対策を実施する」と提起しました。それ以来、情勢の変化やアイヌの意見を反映させて発展させ、2007年の国連先住民族権利宣言を受けて策定した政策提言などをもとに、取り組んで来ました。 アイヌ新法に「先住民族」と言う言葉は入りましたが、アイヌの方々が事前説明会で出した意見要望がどのように扱われたのか、詳細に公表すべきです。明治政府がアイヌから土地や生業(なりわい)を奪い、同化を強要したり、長年にわたり行ってきた差別政策への謝罪もありません。 また、国連の宣言を踏まえて権利回復の手立てを実効性のあるものにすることや、北海道が行った調査により、大学進学率や所得に著しい格差があるなど、アイヌ世帯が厳しい生活環境に置かれていることが明らかになっていますので、経済的・社会的な苦難を解消する生活・教育支援が必要です。アイヌ民族の集落で代表者らと意見交換する菅義偉官房長官(左側の前列左から3人目)=2018年8月20日、北海道釧路市(田村龍彦撮影) 文化や歴史の保護、伝承と合わせて古老・高齢者の生活保障、アイヌ女性が気軽に相談できる窓口の拡充、給付制奨学金の創設が求められていますが、新法にはそれらが排除されています。アイヌ民族の権利や歴史を正しく教えることにより、アイヌ民族の存在や歴史について正しい理解を広げ、奪われた先住民族としての権利や、民族としての尊厳を回復できるよう、教育をはじめあらゆる施策を強めることが必要です。 また、明治期よりアイヌ人墓地から研究目的と称して遺骨が持ち持ち出され、いまなお返還されていない遺骨もあります。これはアイヌ民族に対する差別的処遇の象徴です。アイヌは土から生まれて土に帰るのが幸せとされている、と聞きました。巨大なコンクリート慰霊施設への集中は適当ではありません。アイヌ遺骨は地域受け入れ先と協議のうえ、元に戻すことを基本に、返還する必要があります。※「土人」は、現代では不適切な表現ですが、かつて存在した法律名として記載しています。■小林よしのり×香山リカ アイヌと差別をめぐる対決対談■アイヌ民族の「権利確立」を 鈴木宗男の10年■朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない

  • Thumbnail

    記事

    アイヌ新法成立で大きくなる「琉球独立工作」の火種

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) アイヌ民族を法律として「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法が4月19日、国会で成立した。この政府の動きは、沖縄問題を専門として活動している筆者にとっても看過できないものだと認識している。 昨年8月16、17日の2日間にわたり、スイス・ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会で対日審査が行われた。日本政府代表の外務省の大鷹正人・国連担当大使は、初日の全体説明で、真っ先に2020年4月にアイヌ文化センターをオープンすることについて紹介した。先住民族であるアイヌの象徴空間を建設し、文化保護に力を入れていることをアピールしたのだ。 全体説明終了後、各委員から日本政府に対して質問が行われた。「アイヌ語は危機にひんしているが、学校で教えられていない」「教育や労働、文化・言語の権利が保障されていないのではないか」などといった内容であった。 先住民族の人権問題として指摘されているのはアイヌだけでない。沖縄についても多くの指摘を受けた。・琉球・沖縄の人たちを先住民族として認め、権利を守ることが必要である。しかし、日本は先住民と認めることを拒否している。・日本の本土から移住した人は別として、琉球の人たちの先住民性を認め、権利を守る必要がある。・琉球・沖縄について、日本は先住民族ではないというが、米軍基地があり、事故が起き、人々が苦しんでいる。 2日目、大鷹代表から前日の質問に対する回答が述べられた。アイヌに関しては、「アイヌ生活実態調査が定期的に行われているが、生活状況の向上は着実に効果を上げている」と回答した。 沖縄に関しては、「先住民はアイヌ以外には存在しない。沖縄の人々が先住民だとの認識は国内に広く存在しない」「米軍による事故について、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設が、危険を一刻も早く除去する唯一の解決策である」と回答している。糸数慶子参院議員=2017年8月(斎藤良雄撮影) 沖縄についての回答は、筆者もその通りだと思う。アイヌに関しては専門家でないので、問題点の指摘は他の専門家に譲る。 しかし、アイヌ新法の成立が「琉球独立工作」という最も危険な火種に油を注ぎ込むことになるのではないかと、大きな危惧を抱いている。それは、今から約5年前の出来事がちらついて離れないからである。 2014年、糸数慶子参院議員が米ニューヨークの国連本部で、先住民族代表としてスピーチを行ったことが地元紙に報じられた。筆者はその報道を知り、抗議するために、彼女の所属する沖縄社会大衆党の事務所の連絡先を探し出し、電話で次のように追及した。筆者が驚愕した「答え」筆者: 私は沖縄県出身の者だが一度も自分を先住民族だと思ったことはない! あなた方は『沖縄の自己決定権の回復』を唱えているが、それは日本政府に沖縄県民を先住民族と認めさせて、その権利を獲得するということではないのか。社大党職員: はい、そうです。筆者: では、大事なことを隠しているのではないか? 先住民族の権利を獲得するかもしれないが、それにより、日本人としての権利を失うではないか。それを隠しているのは卑怯(ひきょう)だ。 この追及に対し、社大党職員が言葉に詰まるだろうと予想していたが、思いもよらない回答が返ってきた。 仲村さん、心配はいらないですよ。アイヌの人々は、既に政府により先住民族だと認められていますが、彼らは日本国民であり何の権利も失いませんよ。 この答えに、筆者は衝撃を受けた。彼らの求める沖縄の「自己決定権」とは、総額3千億円の沖縄振興予算を受け取る権利を維持しながら、先住民族の土地の権利により、米軍基地を撤去する権利を新たに獲得する運動だったからだ。 先住民族の特権のみを獲得しても、何一つ失うものはない。つまり、新たな巨大な「在日特権」が日本に出現するということを意味する。 そして、彼女の言葉に、アイヌが先住民族として認められたのなら、いずれ沖縄も先住民族として認められるべきだという思いも込められていることにも、強い危機感を覚えた。 2015年9月、沖縄県の翁長雄志前知事の国連人権理事会での演説に同行していた非政府組織(NGO)代表がいる。沖縄県民を先住民に認定させる運動を展開する「市民外交センター」代表で、恵泉女学園大の上村英明教授だ。2019年2月24日、「反対」が有権者の4分の1を超える見込みとの報道を受け、那覇市内の県民投票連絡会の事務所で「頑張ろう」の声をあげる人たち(桐原正道撮影) NGO「反差別国際運動」が発行した「日本と沖縄~常識をこえて構成な社会をつくるために」にという小冊子に、彼のプロフィルが掲載されている。 1987年以降、アイヌ民族の先住民族としての権利を支援し、国連人権機関を舞台に活動。1996年以降、琉球民族の代表の国連における活動を支援。2015年、翁長雄志沖縄県知事とともに、国連人権理事会に参加。 つまり、彼は30年以上前から国連を舞台にアイヌの先住民族の権利を獲得させる運動を開始していた。さらに、沖縄についても県民や県出身者の全く知らないところで、同様の活動を20年以上続けてきたのだ。 また、反差別国際運動のホームページ(HP)の人種差別の項目には、「日本には目に見えなくされた人種差別がある」とした上で、「その影響を受けているのは、部落、アイヌ、琉球・沖縄の人びと、日本の旧植民地出身者とその子孫、そして外国人・移住労働者です」と書かれている。独り歩きした「7割の民意」 このNGOが、アイヌと沖縄両方の先住民族の権利獲得運動の事実上の本部と見て間違いないだろう。つまり、アイヌ新法が成立した後は、琉球民族の権利獲得運動に全力をつぎ込むことが予想されるのだ。 次に現在の沖縄の政治状況を見てみよう。2月24日に辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が行われたが、投票率は52・48%で、埋め立て「反対」が有効投票の約72%だった。 新聞やテレビはこの結果をタテに「圧倒的多数の7割の県民が反対」と報じているが、それはトリックだ。今回の県民投票は、政治家を選ぶ選挙ではなく、県民全体の世論を確認する投票だから、有権者全体を基準にした数字を見る必要があるからだ。 そもそも、今回の県民投票は当初、不参加表明をする自治体が現れるなど、実施意義を問われながら始まったいわくつきの「政治イベント」である。結果的に全県実施となったが、県民投票そのものに不満を抱く県民もいるため、約48%の県民は「棄権」という形で意思を表したとも言える。 この棄権数を踏まえれば、反対票は有権者の38%足らずということになる。とても「多数の民意」といえる数字ではない。 それでも、共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄会議」は、3月16日には圧倒的多数の民意を背景に、辺野古移設阻止を訴える「県民大会」を開催し、玉城デニー知事は所用で欠席したものの、代読のあいさつで「建設断念まで闘い続ける」と表明した。 今回特異なのは、この県民投票の結果を地元紙沖縄タイムスが英語と中国語でも報道したことだ。もちろん、中国共産党機関紙の人民日報など、大手中国メディアも取り上げて報道した。 そこでは、独り歩きした「7割の民意」が国際発信されている。さらに「琉球処分」などの沖縄の歴史解説などを加えると、「日本の先住民族たる琉球民族の人々の7割が、日米両政府による米軍基地の押し付けに反対している」という認識が国際的に広がっていくことにつながる。 つまり、県民投票は県民の意識調査ではなく、琉球差別の「国際世論戦のツール」だったのだ。「沖縄県民が先住民族だ」という認識ほど、簡単なプロパガンダは無い。日本国内も「琉球王国」の存在を認めているからだ。辺野古埋め立ての是非を問う県民投票の結果を安倍晋三首相へ手渡す玉城デニー沖縄県知事(左)=2019年3月1日(春名中撮影) 逆に、外国人に対して、琉球王国が日本から独立した外国だったと認めながら、その子孫である沖縄の人たちは先住民族ではないと説得することのほうが、不可能なぐらい困難なのだ。 そのような国際世論が広がったとき、筆者は一つの懸念がぬぐえない。「アイヌを先住民族として認めながら、琉球王国という独立した国家と文化と歴史を持つ琉球の人々を先住民族として認めないのはおかしい!差別だ!」 このようにアイヌ新法をてことして、琉球独立運動家やその支持団体が琉球独立運動に利用した場合、日本政府はどのように反論するのだろうか。■ 沖縄で騒がれ出した「独立論」の正体■ 沖縄「反基地ヒーロー」に担がれたウーマン村本が気の毒である■ 石平が警告、玉城デニー「中国一帯一路に沖縄活用」提案の危険度

  • Thumbnail

    記事

    真のアイヌを知らないニッポン、私が反新法を訴えるこれだけの理由

    合田一彦(「日本国民の声・北海道」主宰) 近ごろ北海道を訪れた方々は、空港のロビーなどに掲げられた「イランカラプテ(こんにちは)」や「アイヌ」をモチーフにしたポスター、展示物など、北海道の観光テーマとして「アイヌ」が大きくアピールされていることにお気づきかと思います。 これらは観光立国を掲げる北海道が、自治体として「アイヌ」を積極的に宣伝しているもので、人気漫画『ゴールデンカムイ』とのコラボ企画なども行われています。 こうしたアピールにより、また昭和の北海道観光ブームの定番の土産物「木彫り熊」や「イオマンテ(熊送り)」などで、何となく知っているような「アイヌ」ですが、現在、彼らはどのように暮らしているのでしょうか。日本の国土の片隅で独自の習俗を守って暮らす「異民族」なのでしょうか。 もちろん、そんなことはありません。昭和10年、アイヌ出身の言語学者・文学博士の知里眞志保氏は「過去のアイヌと現在(そして未来)のアイヌは区別すべき」として、「伝統の殻を破って、日本文化を直接に受け継いでいる」と語っています。また「アイヌ民俗」をアピールする人たちに向かっては、こうした言葉も残しています。 「保護法の主旨の履き違えから全く良心を萎縮させて、鉄道省あたりが駅前の名所案内に麗々しく書き立てては吸引これ努めている視察者や遊覧客の意を迎うべく、故意に旧態を装ってもって金銭を得ようとする興業的な部落(コタン)も二、三無いでは無い。けれどもそれらの土地にあってさえ、新しいジェネレーションは古びた伝統の衣を脱ぎ捨てて、着々と新しい文化の摂取に努めつつあるのである」 つまり、80年以上も昔に、観光土産物屋でアイヌ衣装で売り子をしていたり、見世物をしているのは、故意に旧態を装って金銭を得るための興業だと指摘しています。 では「古びた伝統の衣」を纏(まと)い「旧態を装った」生活をしていた方々は、同じ日本の国土に住まう日本人でありながらも、日本人としての生活に事欠く状況なのでしょうか? いえ、そんなこともありません。いろりを囲み、アイヌ民族の歴史や文化を伝承するポロトコタンの夜 昭和43年の内閣委員会の席上、それまで適用されていた「北海道旧土人保護法」に対する答弁として以下のように語られています。 「この支給規定は昭和11年ごろまでに適用したのであって、その後はもう現実に死文化されておると私は聞いておるのです。それ(北海道旧土人保護法)に代わって生活保護法の制度による教育扶助、住宅扶助、あるいは不良環境の改善というようなところへ目標を変えておられるわけです」 つまり、たとえ個人としてあるいは世帯として貧しい方がおられたとしても、等しく日本国民として「生活保護の適用対象」であり、北海道旧土人保護法は既に死文化しているという説明の通り、独自の保護・保障は必要ないという見解が、すでに50年前に示されています。客観的資料のないアイヌ ところで、こうした「独自の保護・保障」を行政として日本人の一部に対してのみ供与することは、憲法14条に定められた「法の下の平等」に反していないでしょうか。条文にも「社会的身分又は門地により(中略)差別されない」と記載されている通り、門地(出自・血統)での特別扱いは憲法の条文に違反するという指摘もあります。 ただ、これについては、実際は「合理的な理由が有れば必要に応じて支援を行うことは憲法違反ではない」という判断があるようです。 例えば、原爆訴訟などをご存じの方は分かると思いますが、目に見えない被爆の影響が「ある」と「法的に認められた」場合は、「原爆被爆者」として公費での医療助成などが受けられます。ただし、その認定は非常に厳密かつ客観的に判断されるため、依然として認定を求める訴訟が続くのは、それだけ「客観的な資料」と「法的基準」の狭間で「いかに合理的か」を判断すべく行われる論争があるわけです。 さて、ここで「アイヌ」について考えてみると、前述の「独自の保護・保障は必要ない」という見解が示された以降も、自治体として住宅購入支援から免許取得支援、修学助成金、就労支援など、数多くの支援が行われており、それらは北海道の平均よりも高い世帯所得があってさえも「アイヌ支援」としての受給資格が認められています。 では、それだけの福祉施策が受けられるのなら、どれだけ厳しい公的な認定基準があるのでしょうか。認定を求めて訴訟も辞さない覚悟が必要でしょうか。いえ、認定を求める訴訟など必要ありません。 「アイヌ協会」が、希望者に対して独自の認定基準で判断して「アイヌ」として認め、さらには「アイヌ協会」が推薦状を出すことで、北海道や札幌市からの支援が受けられるのです。また、アイヌ協会の認定ルール上は「戸籍等の客観的な資料」および「家系図などの系譜を示すもの」で「判断する(アイヌ協会が)」とありますが、実際には、既に閲覧禁止となっている壬申戸籍の時代ならばともかく、今現在の戸籍制度上はかつての身分を確認することはできません。参院本会議で「アイヌ民族支援法」が可決、成立し、傍聴席で喜ぶアイヌの人たち=2019年4月、国会 これは「壬申戸籍オークション騒動」の際に、法務省から「身分などが分かる」ことを理由に改めて報道発表された通り、実際には「身分が分かる戸籍」を公的に入手することは不可能です。 つまりは、公的な資料はなくても、アイヌ協会が認定すればアイヌであり、アイヌ協会が推薦状を出せば助成の受給資格を満たせる、という図式です。 そしてまた、今年2月の予算委員会で丸山穂高衆院議員が指摘した通り、「アイヌ支援」の前提となっている「アイヌ生活実態調査」も、これもアイヌ協会が「協力」して行うものです。 つまりは公的な「アイヌ基準」がないから行政としては「どこの誰の世帯を調査すべきか」をアイヌ協会に依頼するよりほかなく、結局はアイヌ協会による「機縁法」つまりは「有為抽出法」ですから、これを「実態調査」と称するのは統計的に正しくないでしょう。「特別な支援は不要」 ましてや実施団体が利害関係のある「身内組織」ですから、なおさらバイアスが加わる可能性を否定できません。結果、アイヌ協会が認定したアイヌの「生活が苦しい」「進学率が低い」といった「生活実態」に基づいて、まだまだ助成が足りていない、という主張に繋がっています。 こうした状況の中、とうの昔に国会では「今後は特別な支援は不要である」と説明されたはずのものが、自治体レベルでは支援が継続して行われているという、どこかで見覚えのある構図が存在しているわけです。 さて、やっとここで本題の「アイヌ新法」です。正式名称は「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」。国会に政府提出され、可決された法案であり、その問題点に気が付いておられる方々は決して多くはありません。 まず、正式名称に掲げられている「アイヌの人々」。これ、どういう意味でしょうか。むろん、一般的にイメージされる「アイヌ」の方々を指していることは分かりますが、では「法律」として考えたときに、かつての「北海道旧土人保護法」はすでになく、現状、自治体レベルで「支援を希望する者」への受給要件に「アイヌ協会の推薦状」が必要とされているだけで、法的には「アイヌの人」を区分する法律・法制度はありません。 さらに、第1条には「この法律は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々の…」とあります。先の通り「アイヌの人々」が定義できないうえに、今度は「先住民族」です。 日本列島は、沖縄から北海道まで、当時の縄文人が北から南まで交流していました。その後、ロシア北東部から北海道東部に渡ってきたと考えられるオホーツク文化人や、さらに続いていくつかの部族ごとに渡ってきた方々との混交の末にアイヌ文化が成立したとされています。アイヌ民族の集落で代表者らと意見交換する菅義偉官房長官(左側の前列左から3人目)=2018年8月、北海道釧路市(田村龍彦撮影) つまり、先住性でいえば、元から日本中に住んでいた縄文の血統こそが先住民であり、大陸北東部から渡ってきた方々との混交で生じたアイヌは、むしろ「後発」なのです。 これは縄文期の遺跡から発掘された人骨や、その後の時代のアイヌの方々の遺跡の人骨、それから遺骨、さらに大陸北東部の諸部族の方々のDNAを比較分析することで判明した科学的な事実であり、北海道には最初からアイヌが住んでいたという主張は幻想に過ぎません。 また「先住民族」というワードは、特に国際社会においては「先住民族の権利に関する国際連合宣言」とセットで用いられるため、非常に危険です。 これはつまり、オーストラリアのアボリジニやニュージーランドのマオリ、北米のネイティブアメリカンや南米のインカなど、それまで白人(異民族)文明とは無縁に過ごしていた「先住民族」を、大航海の末にたどり着いた白人が蹂躙(じゅうりん)し、土地や財物を略奪し、虐殺したうえに勝手に住みついて、その揚げ句に、今度は「保護が必要だ」として「彼らは元から住んでいた『先住民族』だ。その権利を守り、彼らの文化を維持するための義務(略奪者の責任)を負う」ための宣言です。不十分な議論 こうした観点から見れば、日本におけるアイヌの存在は、その当初から交流・混交による成立であり、またその後も常に交易を行っていた(それも日本だけではなく、ロシアや中国とも交易していた記録があります)のですから、無縁の異民族による突然の侵略といった歴史もありません。 そして「アイヌは先住民族」を法律上に明記することは、世界の先住民族の虐げられ、滅ぼされた歴史と同じことを、日本がアイヌに対して行ったものと解釈される危惧があります。 しかも、国会で行われた予算委員会における安倍晋三総理の発言がこれです。 「アイヌであることの確認に当たり、北海道アイヌ協会理事長等の推薦書の提出を求めているところでありまして、同協会においては、戸籍等の客観的な資料をもとにしながらアイヌであることを確認した上で推薦書を作成しているものと承知をしております」 安倍総理に、アイヌであることは「アイヌ協会が確認」し、かつ、法的には旧身分が分かるはずもない「戸籍」を資料にしている、と語らせてしまいました。 「戸籍等」とあるから戸籍だけで判断しているわけじゃない、というのは詭弁(きべん)でしょう。合理的な客観資料が存在するのならば、それを筆頭に挙げれば良いだけであって、それを語らずに「戸籍等」と記載する必要があるとは言えません。 むろん、失われつつある文化の保護や継承は大切ですし、日本の郷土文化の一つとして尊重し、伝統を未来に繋げていく必要性は誰も否定できない「文化事業」でしょう。大阪府吹田市の国立民族学博物館で展示されたアイヌの家=2002年12月(朝田康嗣撮影) けれども、このような状況の中、誰がアイヌかも、どのようなアイヌ差別が今なおあるのかも、そうした認定や統計調査をアイヌ協会が担ったままで策定された政策を基に、新たな法律を制定して良いものでしょうか。 批准済みの「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の再検討も含め、国会においてはアイヌ新法への議論を充分に尽くしたうえで、国策としてどのように判断すべきであるかを是非とも検討していただきたいと願います。※「土人」は、現代では不適切な表現ですが、かつて存在した法律名として記載しています。■アイヌ民族の「権利確立」を 鈴木宗男の10年■沖縄の基地集中は「人種差別」危険な国連勧告の裏側を読む■沖縄知事選は反差別の理不尽と戦う「日本解体闘争」である

  • Thumbnail

    記事

    DNA分析で縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明

     われわれの祖先はどのように日本に渡り、どのように変貌したのか。最先端のDNA分析により得られた新事実を、ヒトゲノムによって日本人の起源を探る研究の第一人者、国立遺伝学研究所の斎藤成也教授が明かす。* * * DNA分析という手法の開発により、分子生物学によって日本人のルーツを探る研究は劇的に進歩した。 DNAは「たんぱく質の設計図」とされる物質で、親から子に遺伝情報を継承する。 人体を構成する約60兆個の細胞は、すべて最初の1個の受精卵が起源であり、細胞増殖によって体が作られる。この増殖でDNAが複製されるとき、稀にDNAが部分的な突然変異を起こすことがある。変異が精子や卵子などの生殖細胞で起きると、部分的に変異したDNAはそのまま子や孫へと引き継がれていく。 アフリカで誕生した人類は7万年前から世界に拡散していったが、特定の集団のなかで誰かの生殖細胞に変異が起き、集団内でそれが広まり蓄積することがあった。また、別の集団との交流により、混血で変異が共有されることもあった。 つまり、現代人と遺跡から出土する人骨のDNAを分析し変異の痕跡を比較すれば、どこで変異が発生し、どう受け継がれてきたかが分かり、人類がアフリカからどのようなルートを辿って拡散したかが見えてくるのだ。 では、日本人はどこからやってきたのか。若干の想像を交えて、最新のDNA分析の結果から推定されるルートを提示してみよう。 およそ7万年前に我々の祖先がアフリカを出たことはすでに判明している。数度に亘る「出アフリカ」の何回目かにアフリカを出た人々がアラビア半島を渡り、ユーラシア大陸の南側に進出。5万年ほど前に台湾や琉球諸島を経て、日本列島の地を踏んだと考えられる。これがいわゆる「縄文人」だ。1万年前までは最終氷河期で、海面は今より70m低かった。氷河にも覆われていたので、台湾、琉球からの渡来はそう難しくはなかっただろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 一方、7万年前にアフリカを出て東アジアに渡った人々は、小麦農耕の技術を身に付け、今でいう中国の中原と呼ばれる地域で人口を爆発的に増やした。そこからあふれ出た人々が稲作の技術を携えて移動し、およそ3000年前に朝鮮半島を経て、北九州に渡った。それが「渡来系弥生人」と考えられる。 実はこの説は、DNA分析が行なわれる前からあったが、従来は、農耕民の弥生人により狩猟採集民の縄文人が駆逐され、北海道に追いやられたのが「アイヌ人」、南に追いやられたのが「沖縄人」と考えられていた。しかし、現代日本人のDNA分析によって縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明し、両者の間で交流があったことが認められた。関連記事■終の棲家探し どこで生きるかより、どう生きるかが重要■ボーっと運転しているクルマが渋滞を拡大させている根拠■認知症の予防には10~15才の記憶を意識的に思い出すと良い■セウォル号事故「空白の7時間」を現地取材 口をつぐむ人々■中国がAI活用のテロ対策 6兆8000億円投入の狙い

  • Thumbnail

    記事

    ポスト平成の天皇制は沖縄、アイヌ、創価学会との接し方が鍵

     作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が「平成史」を語り合うシリーズ。国際情報誌SAPIO誌上で行われた対談は最終回を迎え、単行本『平成史』(小学館)としてまとめられた。最後のテーマは、「今上天皇の足跡」となった。* * *片山:今上天皇は昭和天皇のカリスマが付与された上、祭祀への熱心さや災害時での国民と共感共苦する姿勢の顕示によって、公と私のバランスはよくとれていたと思います。 ところが皇太子になりますと、もっと私の方につっこんでいる印象がある。今上天皇は人間天皇として素晴らしいと言える。それなら皇太子が人間皇太子を突き詰めて、本当に人間になってしまった方がいいのではないですかと言いたいくらいに、あまりに普通な感じになってくるのではないか。それこそ人間天皇の最終型とも言えるけれど、それで天皇像が新たな民主主義的強固さを獲得できるかというと別問題でしょう。佐藤:私はポスト平成の天皇制と日本社会は、日本の外部空間との接し方で変わると考えているんです。片山:外部空間ですか?佐藤 :そうです。日本には沖縄、アイヌ、そして創価学会という天皇神話を共有していない領域が三つある。この領域との軋轢がどうなっていくかが天皇制の将来を左右するのでは、と。片山:とくに沖縄とアイヌに対して、今上天皇は意識的にアプローチされてきたように思います。ただ、いまだに沖縄との断絶は存在するし、アイヌについての理解は進んでいない。こうした外部空間との付き合い方から、次代の天皇のありようが更新されていかないと。万世一系というだけでは持続性に陰りが見えてくるように感じます。佐藤:いま日本は危機に陥っています。それが分断であり、政治の右と左の対立であり、格差です。平成以後、日本人の天皇観がどう変わるか。すなわち直面する危機や、世間外との軋轢を調整できる形になるのか。逆に、その世間外の人々を非国民化していき、さらなる分断や格差を招く形になるのか。ここが一つの大きなポイントになるでしょう。作家の佐藤優氏片山:とすると平成の次の時代、一つの議論が蘇ると想像できます。天皇制ではなく、日本共和国でよいのではないかと。平成とは今上天皇の思想と行動によって特徴づけられた時代でした。今上天皇の「譲位」とともに、天皇のありようは変わるでしょう。佐藤:その天皇のありようによって、ポスト平成の日本社会の方向性が決まっていくと言えるでしょうね。●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究家。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。共著に『新・リーダー論』『あぶない一神教』など。SAPIO連載5年分の論考をまとめた『世界観』が発売中。関連記事■佐藤優・片山杜秀対談──天皇制をキリスト教神学で読み解く■今上天皇退位で「天皇制は敗戦期に匹敵するほど流動化する」■今上天皇のお言葉の意味 親子二代で「人間宣言」を完成した■天皇に対する国民の意識が変化、普段は無意識化した存在に■佐藤優氏「堀江氏と村上世彰氏、判決を分けた決定的な差」

  • Thumbnail

    テーマ

    三原じゅん子手記「がん公表、私の思い」

    日本人の死因トップは依然がんである。2人に1人が罹患するとされ、関心が高いだけに著名人の相次ぐ「がん公表」は反響も大きい。こうした中、10年前、報道によってがん公表に至った元女優で参院議員の三原じゅん子氏がiRONNAに手記を寄せた。誰もが当事者になり得るがんだが、著名人の公表にどう向き合うべきか。

  • Thumbnail

    記事

    三原じゅん子手記「著名人のがん公表、私はこう思う」

    三原じゅん子(参議院議員) 私が子宮頸がんを患ったのは今から約10年前、芸能界で活動していたときでした。人間ドックをきっかけにがんが見つかったときは、ショックで頭が真っ白になりました。 私は当初、自分ががんであることを隠していました。今では、芸能人によるがんの告白は珍しいものではありません。しかし、当時はがんへの理解や医学的進歩も今ほど進んでいませんでしたし、私の周囲でも、がんを公表する方はほとんどいませんでした。 私ががんを公表しなかった一番の理由は、仕事がなくなってしまうからです。レギュラー番組は取れなくなり、健康ではないイメージがつく可能性があることから、コマーシャルの仕事も受けられなくなることを恐れたのです。女優という仕事柄、イメージを固定したくないという気持ちも強くありました。 しかし、マスコミによって、子宮頸がんであることを公表されてしまったのです。もちろん大変、憤りました。繰り返しますが、がん告知は今と当時とでは大きく違います。当時は、本人や家族にさえ告知されないケースも多かったのです。 がんの公表によって、私に対する周りの目が変わり出しました。腫れものに触るような態度。私も知らない間にこうした態度を取っていたかもしれないと反省しました。 公表されてからは心を入れ替え、がんと闘っている方々とどんどん接触し、友人となっていきました。私より、ずっと苦しい病と闘っている方々が元気にがん撲滅の活動をしている姿を見て勇気をもらいました。 もう泣いてなどいられません。立ち上がるべきときは今だと思いました。そのころ私は介護施設を運営していましたが、芸能界を引退し、政治家として、がん対策と介護・福祉について取り組んでいこうと決意しました。なかなか、一気に進むわけにはいきませんが、それでもライフワークとしてこの政策を続け約10年。今後もずっと、がん対策に取り組んでいきます。自民党の三原じゅん子参院議員=2017年4月17日、東京・永田町の参院議員会館(酒巻俊介撮影) 有名人のがんに関する情報発信については、良い面と良くない面があると考えています。まず、良い面としては、同じ病の皆さんに勇気を与えることができることと、情報をお伝えできること。 患者は孤独になりがちなので、闘病の励みとなることはプラスの面としてあると思います。ただし、あくまでも参考情報としてのレベルと思っていただきたいのです。 病気は個人差があるので同じがんの同じステージでも治療法は異なってきます。ですから、有名人が治療しているからといって、その治療法がすべて正しいわけではないということです。治療の時期も体力もさまざまです。人と比べて一喜一憂しないことが大切です。がん治療と仕事の両立 がん検診の受診率が低いことも大きな課題です。とりわけ女性特有の病気は分かりにくいため、啓発活動もあまり進んでいない現状があります。たとえば、子宮内膜症、子宮筋腫、子宮頸がんなど子宮にはいろいろな病気があります。一時的な身体の不調なのか、病気なのか、素人判断ではなく、一日も早い病院での検診が重要であると考えます。 私の場合は、43歳の頃に腰と胃に不調を感じ、たまたま知人に勧められた人間ドックを受けることにしました。40歳を過ぎていたので、せっかくの機会だからというのが検診のきっかけでした。 特に自覚症状はありませんでしたが、オプションで子宮頸がんと子宮体がんの検査も受けたところ、子宮頸がんが見つかりました。当時は、子宮頸がんに対する知識も皆無でしたし、自覚症状もありませんでしたので、やはり検診の重要性を痛感しました。 私のこれからの決意として、がん検診促進、がん患者の皆さまの就職支援、がん教育の推進。この3点に取り組んでいきたいと考えています。 子宮頸がんの検診率は、欧米では70~80%ですが、わが国では20~30%と先進国の中でも極めて低い状況にあります。 早期発見は早期治療に直結します。私も何となくチェック印を付けた子宮の検診で、がんが見つかったわけですから、専門家の検診は何より大切なものです。 また、医学的知見に裏打ちされているワクチンの接種も、がん予防の観点から必要なものといえます。国内外の医学者から縷々(るる)指摘されていますが、日本ではHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの接種が世界で例を見ないほど少なく、極めて残念なことにわが国では子宮頸がん患者が増加し続けています。 また、がん患者の皆さまの離職防止と再就職支援にも取り組んでいきます。がん治療と仕事の両立は深刻で、なかなか上司や同僚に理解されないのが現実です。私がこの活動に参加してからもう10年、全く変わりません。勤務者ががんと診断されたのちに、その34%の方々が、依願退職や解雇に追い込まれているというデータもあります。 がん治療と仕事の両立も、私自身の経験からきている願いでもありますし、がん患者会の皆さまとも共有した思いです。そして、これら2つを包括したがん教育も大切です。がん検診率の低さや、がん患者の皆さまの離職問題も、やはり社会の理解不足が根幹にあると思います。※写真はイメージです(GettyImages) 今では放射線療法や科学療法も著しく進化していますし、ゲノム医療や創薬の発展により、がんは治る病気となりつつあります。しかし安易に自己判断や油断はせずに、しっかり検診と体調管理に努めることが大切です。人生100年時代、そして女性活躍時代に向けてまい進していきましょう。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

  • Thumbnail

    記事

    葛藤の末に選んだ「がん公表」に色眼鏡なんていらない

    古川雅子(ジャーナリスト) 今年2月中旬に、競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことをツイッターで公表。そのわずか1週間後には、タレントの堀ちえみさんが「左舌扁平(へんぺい)上皮がん」、いわゆる舌がんと診断されたと自身の公式ブログで明かした。堀さんは、4月15日にステージ1の食道がんであることも公表した。 最近は芸能人や著名人が病名を公表することも増え、会員制交流サイト(SNS)には「勇気づけられた」「応援したい」といったコメントが一斉に書き込まれる。一方、ワイドショーでは周囲の人が哀れむ声が繰り返し放送され、臆測による病状の詮索(せんさく)などがメディアに溢れる様を見ていると、「いたたまれなくなる」というがん当事者の声も聞く。 私は15年前から「がんと暮らし」をテーマに取材を重ねてきたが、がん経験者の多くが口にするのは、「かわいそうだと思われたくない」「がん患者扱いしてほしくない」という思いだ。だからこそ、「周りの人にがんをどう伝えたらいいのか…」と悩むのだという。 ここ10年、20年でがん治療は進歩し、より多くのがん患者に治癒が期待できるようになってきた。しかし、社会の側は相変わらず、がんになった人に「もう治らない」「がん=死」というレッテルを貼る。 とすると、がんを公表しない方が、気を遣われずに済むし普通に接してもらえていい、という考え方もある。逆に、公表した方が、社会の意識を変えることにつながり、がんを隠してビクビクしながら暮らさずに済むようになるかもしれない、という考え方もある。 がんを公表することは、正解でも不正解でもない。公表する、しない、どちらの考えも尊重されるべきだと考える。どちらの考え方も阻害されてはいけない、とさえ思う。 公表はあくまでも個人個人の選択であり、生き方。社会の側にがんの理解が進まず、厳然とした「意識ギャップ」があるからこそ、葛藤の末に選び取る選択だからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 公表が同調圧力のように強要される社会もまた、息苦しい。公表と黙秘の中間地点である、グレーの選択があってもよいと思う。 私の身近に乳がんを発症し、会社勤めと子育てをしながら治療も続けている女性がいる。彼女は、直属の上司と同じ部署の同僚には仕事を円滑に進めるために、がんの種類や進行度、治療法まで情報をオープンに開示しており、それ以外の社員にはあえて病気のことは伝えていないという。その線引きもまた、それぞれの考え方次第だ。「顔の見える情報」は力強い 公表の是非が問題なのではない。例えば、「芸能人はがんのことを公表しなくてもいい」という意見を目にすることがあるが、批評の対象にするのは、がんを公表する本人の行為ではなく、公表を受けて「過剰に騒ぐ周りの行為」なのではないか。 フリーアナウンサーとして活躍していた小林麻央さんは、生前、「一度きりの人生なので、なりたい自分になろう」と、自分の言葉で「今の気持ち」を発信し続けた。ブログの開設前は、「極秘入院」などとスクープ合戦が繰り広げられ、夫であり歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが緊急会見を開く騒ぎになっていた。 SNSは、がんに罹患(りかん)した人が社会とつながる新たな手段であり、同時に、著名人にとっては、本人主導で情報発信することで、臆測による情報の混乱を未然に防ぐ手段にもなり得ているのだと思う。 情報を享受する側に視点を置いて考えてみると、著名人によるがん闘病の発信は、「顔の見える情報」だ。当事者そのものによるリアルな情報だけに、影響力は少なくない。池江選手の発信を受けて、献血する人が増え、骨髄バンクに対する問い合わせやドナー登録が急増したという。 社会の側に根強くある「がん=死」という偏見をなくす上でも、「顔の見える情報」は力強い。 池江選手は、2月12日にこう発信している。 (白血病という診断を受けたことに対して)私自身、未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすれば完治する病気でもあります。 当時、診断直後でありながらも、冷静に病気のことを受け止めようとする意志が感じ取れた。道を閉ざされてかわいそうな人というわけではなく、治療に立ち向かい、希望をつなぐ存在としてあり続けるのだという、ポジティブな宣言だとも受け取れる。 白血病にもさまざまな種類があり、病気の種類や罹患した年齢によって治療法や経過は異なる。ただ、長年白血病の治療に携わってきた血液内科医によれば、18歳の池江選手のような「AYA世代」(15〜39歳)の白血病の中で、小児がんと同様、治癒率が高まってきたがんの種類もあるのだという。2019年2月、競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを報じる東京・有楽町の街頭テレビ ここ数十年の医療の進歩により、小児がん(0〜14歳)の70〜80%が治るようになったと言われる背景があり、特に10代、20代の若い世代については、小児に準じる形で治療のスケジュールを組み立てる場合があるというのだ。「心のつえ」はどこに AYA世代のがんは情報も少なく、同じ種類のがんを経験した患者同士で繋がり合いたいというニーズもある。同世代でないと分かり合えない生活上の悩みもある。がんを特別視せず、「必要な人が必要な人とつながっていく手段の一つとして『公表』もありだよね」とフラットに考える人が増えれば、著名人であっても、一般人であっても、もっと安心してがんのことを打ち明けられるようになるだろう。 堀ちえみさんが公表した舌がんを含む「口腔(こうくう)・咽頭がん」は、罹患者数が全がんの約2・3%(国立がん研究センター2018年のがん統計予測)にすぎない。希少がんの患者にとっては、術後の「日常」の発信もまた、大事な情報源になる。 3月9日に堀さんが更新したブログでは、舌がんの手術後に食べ物の嚥下(えんげ、飲み込み)の訓練をする模様をこう記している。 人参ゼリーは、つるんとしているので、舌がもたついているうちに、口の中でどこかにいってしまいます。(中略)右奥の残っている舌が、とても健気でね… もたつく新しい舌を、一生懸命に引っ張ってゼリーを追いかけて。そしてゴール(喉元へ)に向かって、シュート!(中略)これから嚥下の練習は毎食ごとにあります。楽しみながら乗り切っていきたいと思います。 堀さんは舌がんの進行度がステージ4であることも公表しているが、人生の真ん中には暮らしがあり、悩みも笑いもあり、進行がんという色メガネが不要であるということが、じかに、ポジティブに伝わってくる。 もちろん、がん患者本人の発信だからといって、あらゆる患者が分かり合えるわけではない。情報の押し付けは、相手への迷惑になることもある。堀ちえみのブログ「hori-day」 私が望ましいと感じるのは、先にがんを経験した人から後に続く人への「心のつえ」となるような情報が、手を伸ばせばあちこちに、ポン、ポンとさりげなく置かれているような社会だ。その情報を取りたい人が取ればいい。 今は、個人が情報を発信しやすく、自分が「心のつえ」を得た経験を「誰か」に届けることができる時代だ。発信する人の有名無名を問わず、実名と匿名のどちらにせよ、「がんを公表する社会」の最大のメリットは、そこにあるのではないか。 だからこそ、問われるべきなのは、がんの当事者の善意により公開された情報を引用したり、転用したりする側の、情報モラルなのだと思う。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

  • Thumbnail

    記事

    「がん免疫療法」の闇、高額なのに効果不明瞭の実態

    浅野有紀(Wedge編集部) 「免疫療法を標準治療と併用することで、治療効果を上げられると実感している。免疫療法にもたくさん種類がある。躊躇(ちゅうちょ)せず使える治療法は全て行わないとだめだ」 都内の某有名クリニックが開催する免疫療法セミナーで、壇上の医師はがん治療における免疫療法の効果を語った。免疫療法は、人が持つ免疫本来の力を回復させることによってがんを治療する方法で、現在研究が進められている段階だ。しかし残念ながら「一部の効果が明らかなものを除いて、多くの免疫療法は国から承認されておらず、その効果が確認されていない」(国立がん研究センターがん対策情報センター長・若尾文彦氏)という。 冒頭の医師が語った「標準治療」とは、科学的エビデンスを基に、専門家が決めた現在の医学で最善の治療のことで、各学会が作成した診療ガイドラインに記載されている。がんの標準治療は「手術」、「放射線治療」、「薬物療法(抗がん剤)」の三大治療が基本であり、免疫療法で標準治療に組み込まれているものは、免疫チェックポイント阻害剤など一部に限られる。代表的な免疫療法に、樹状細胞ワクチン療法、NK細胞療法、がんペプチドワクチン療法などがあるが、いずれも治療効果は認められておらず、昨年12月に臨床腫瘍学会が策定した免疫療法のガイドラインでも推奨されていない。 免疫療法は2014年に、免疫チェックポイント阻害剤のニボルマブ(商品名オプジーボ)が開発されたことで一気に注目を浴びた。「当時、多くのメディアが免疫チェックポイント阻害剤という難しい名前を『免疫療法』と簡略化して表現したことで、あたかも全ての免疫療法が、がん治療に効果があると誤解されるようになった。免疫療法を提供するクリニックも急増した」(若尾氏)。 そして現在、市井のクリニックをはじめ、大学病院などでも、効果が認められていない免疫療法が、保険が適用されない自由診療として高額で提供されていることが問題となっている。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「合計で800万円近くをがんの治療費に使いました。貯蓄はすべてなくなりました」 そう語るのは、免疫療法をはじめとした標準治療外の治療を複数の医療機関で受けたにもかかわらず、卵巣がんが進行した林紀子さん(仮名・60歳)だ。ある病院では、治療を受ける前に「何があっても当院を訴えません」という誓約書にサインさせられたという。林さんは現在、標準治療である抗がん剤治療を受けている。先進医療を外れた治療 「私のところにも、こうした治療に高額の費用を支払うも効果が出ず、セカンドオピニオンを求めに来る患者が多い」と日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授の勝俣範之氏は語る。こうした声は、今回取材した複数のがん専門医からも耳にした。彼らは一様に「もっと早く来てくれていれば抗がん剤も効いたかもしれないと思うとやりきれない気持ちになる」と嘆く。免疫療法に通った患者の中には、「お金が払えなくなった途端に放置され、相談も聞いてもらえなくなった」という人も多いという。  免疫療法は、現段階で効果が認められていないだけで、将来には効果が認められるかもしれない。それを提供して何が悪いのか? そう思う人もいるかもしれない。事実、免疫療法を提供する病院やクリニックのホームページでは、「現段階ではまだ効果が認められていないが、標準治療で治らなかった患者のために」「がん治療をあきらめない」といった表現がよく見られる。 だが、本当に患者のためならば、その治療が将来、科学的に効果が認められることを目指した取り組みを行うべきではないか。例えば、国が定めた一定の条件を備えた医療機関では、新しい試験的な医療技術を、将来の保険適用を視野に入れ、国が承認する「先進医療」という形で提供される。 また、新しい治療法や薬の候補が標準治療として認められ、広く普及することを目指した研究として、臨床研究法に則った適切なモニタリングや監査を経て行われる「臨床研究」という仕組みがある。効果が認められていない治療を提供するのであれば、このような枠組みに沿ってデータを積み上げながら行うべきだろう。 自由診療で免疫療法を提供する某クリニック主催のセミナーで、自由診療ではなく、臨床研究で行うべきではないかと質問をしたところ、「できれば臨床試験でやりたいとは思っているが、必要な資金が足りず実施できない」という答えが返ってきた。 埼玉医科大学国際医療センター婦人科腫瘍科教授の藤原恵一氏は「高額の治療費をとっているのなら、それらを基金として研究を行い、データを積み重ねればいい。それをしないのであれば、効果があることを証明する自信がないと受け取られても仕方がない」と指摘する。 質の高い専門的ながん医療の提供を行う病院として厚生労働省から認可された病院を「がん診療連携拠点病院」(以下、がん拠点病院)というが、「がん拠点病院の中にも、先進医療から外れた形で免疫療法を提供している病院がある」(若尾氏)というから驚きだ。 あるがん拠点病院のホームページ(9月7日現在)を見ると、「新規に活性化自己リンパ球移入療法を希望する患者には、先進医療A(以下、先進A)の取り扱いは終了しており、自由診療の取り扱いで先進Aと同じ療法で治療を行う」という内容の記載(17年2月14日付)がある。厚生労働省の指示により先進Aから(より厳格な対応が求められる)先進Bへの変更手続きを行うことになり、先進Aを新規希望者に提供することができなくなった。そこで、希望者に対し、全く同じ治療を自由診療で提供している。 がん拠点病院を指定する検討会でも、免疫療法の取り扱いは問題視されている。下の表は、今年の1月12日に行われた、「第12回がん診療連携拠点病院等の指定に関する検討会」の議事録からの抜粋だ。(出所)2017年1月12日の第12回がん診療連携拠点病院等の指定に関する検討会・議事録 (注)新規指定を申請した埼玉県(上尾中央総合病院)の提供する免疫療法に対する発言抜粋 上尾中央総合病院(埼玉県上尾市)のホームページで「樹状細胞ワクチン療法を200万円の自費診療で提供」と表示されていることなどから、自由診療として免疫療法を行っている点が問題視され、地域のがん診療を担う病院として推薦されることに疑義が呈された。ネット上の情報の波に飲まれる こうした免疫療法を提供する医療機関、そしてそれを受ける患者が後をたたないのはなぜなのだろうか。卵巣がん体験者の会スマイリー代表の片木美穂氏によれば、「これ以上できる治療法はないと医師に言われた患者が、何か他に方法はないものかとインターネットや口コミなどで手だてを探そうとし、結果的に免疫療法にたどりつく」という。 標準治療外の治療法に計800万円を費やした先述の林さんは「インターネットや書店でがん治療に関する情報を調べると、『抗がん剤は効かない』といったような標準治療を否定する情報がたくさんあり、それを信じてしまった」と当時の心境を語る。 インターネットで、「がん 治療」と打ち込み検索すると、免疫療法に関する情報が大量に出てくる。こうした情報は国立がん研究センターが提供している科学的にエビデンスのあるものから、個人の体験談までさまざまだ。 現在、医療広告に関しては、医療法に基づく医療広告ガイドラインにより掲載ルールが定められている。例えば、客観的事実であることを証明できない広告や、虚偽・誇大な広告などは禁止されている。今年の6月の医療法改正(1年以内に施行)により医療機関のホームページも医療広告に該当することになった。 活用したいのが厚生労働省が8月24日から始めた『医療機関ネットパトロール』だ。医療機関のウェブサイトにうそや大げさな表示がないかどうかを監視し、問題があれば是正を求める。一般の人々も、専用の窓口に通報することができる。 しかし、これまでもルールから逸脱した医療広告についての問い合わせ窓口を各自治体の保健所が担い、問題のある医療機関に指導を行う体制が組まれていたが、実際は、「保健所によっては、対応できる人員にも限りがあり、効果的に機能していなかった」(インターネット医療協議会事務局長の三谷博明氏)。実効的なものになるかどうかは行政がいかに取り締まれるかにかかっている。 根本的には、科学的に効果の認められていない治療法を、先進医療や臨床研究としてデータを積み上げる形でなく自由診療で提供することに対し、何かしらの条件を設けるなどの仕組みが必要ではないか。この点について、厚生労働省医政局総務課保健医療技術調整官の木下栄作氏は、「高度な専門知識を有した医師によって適切な診療が行われることが大前提。国としては、衛生面など最低限度の規制は行うが、診療内容に関して一律に規制を行うようなことは現実的ではない」と語る。その前提が崩れているという認識はないのだろうか。 問題の解決にはまだまだ時間がかかりそうだ。全国がん患者団体連合会理事の桜井なおみ氏は「本来、効果の認められていない治療を受けるときには担当医に相談しセカンドオピニオンを受けることが一番だが、多くの患者が担当医に気をつかい、それをためらう」と、医師と患者との意思疎通の難しさについても指摘する。 「がんを治したい」と願い、さまざまな治療を受ける患者の気持ちは否定できない。しかし残念ながら、短期的には患者自身で自衛することが必要だ。がん治療に関する正しい情報は、国立がん研究センターが運営する「がん情報サービス」を見たり、無料で相談に乗ってもらえるがん相談支援センターも活用できる。免疫療法を本当に将来の患者に役立てたい者だけが提供を続けられるような仕組みにしていかなければならない。

  • Thumbnail

    記事

    樹木希林さん、貴重な「遺言講演」の知られざる中身

     昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)の「言葉」を綴った本がベストセラーとなっている。しかし彼女はメディアから言葉を求められても、「それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ」「そんなこと話して私に何の得があるの」と突き放すこともしばしば。そのため講演を引き受けることはほとんどなかったという。 そんななか発表された貴重な記録が、DVDつき書籍『樹木希林 ある日の遺言 食べるのも日常 死ぬのも日常』(小学館)だ。 2016年10月29日、静岡市で開催された「樹木希林の遺言」という約1時間の講演は、旧知のテレビ・プロデューサー、田川一郎氏(80)によって実現したものだ。田川氏が話す。「その内容は、希林さんの人生観や死生観がしっかり語られ、病気になった人を勇気づける素晴らしいものでした。映画館で公開しようと希林さんに相談したのですが、彼女は“映画館ねぇ、そこは監督さんが必死に作った作品を上映する場所でしょう”と。実現には至りませんでした。 ところが、希林さんは逝ってしまった。このまま埋もれさせてしまうのはもったいない。そこで娘の也哉子さんに相談したんです。そしたら“母の話を聴いてみたい、と言ってくださる方がいるのであればいいのかもしれませんね”と言ってもらえました」“向こう側”を想像して 古い留袖を自ら仕立て直した黒い衣装で現われた希林さんは、軽妙なジョークを挟みながら、観衆を独特な世界観に引き込んでいく。身振り手振りを交え、時にステージを歩き回る姿は、まるで独り芝居かのようだ。 希林さんが話し始めたのは、2004年に乳がんが発覚した時のことだった。手術のため、タイのプーケットでの映画の撮影をキャンセルする。ところが滞在するはずだったその日に、多数の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の津波が、彼の地を襲ったのだという。映画「万引き家族」の完成披露試写会舞台あいさつに出席した樹木希林さん=2018年4月(山田俊介撮影)「(手術の前に)そういうものにぶつかってたわけ。だから、いずれにしても人間はスレスレのところで生きてるんだなっていうふうに感じるわけです。 だから逆に乳がんの手術した時に、もう何があっても、御の字。何かそこで吹っ切れたって覚悟が決まったっていうか、そういう時から、その私のがんの生活、始まったんです」 希林さんは「死」について考えるのは決して悲観的なことではないとも語る。「健康な人も一度自分が、向こう側へ行くということを想像してみるといいと思うんですね。そうすると、つまんない欲だとか、金銭欲だとか、名誉欲だとか、いろんな欲がありますよね。そうしたものからね、離れていくんです」驚きのタロット占い 希林さんがお土産やプレゼントを徹底して受け取らず、一度手にしたものは常に最後まで使い切っていたことはよく知られている。「モノを拒否するってことは、逆にエネルギーが要るのね。だけどしていかないとね、もう片付かないの。(中略、モノは)多けりゃいいというもんじゃないのね。私はモノに対して執着を捨てたときに、ただ捨てるんじゃなくて、モノの冥利も考えて、どう活かすかってことを考える」 冥利とは仏教用語で、仏が与える利益、恩恵のこと。人生もモノも「十分に活かしきること」を考えるのが希林流なのだ。驚きのタロット占い 講演が一際盛り上がったのは、希林さんが夫・内田裕也さん(享年79)について語った場面だった。 娘の也哉子さんがイギリスでタロット占いをしてもらった時のことだ。母親の病気、そしてその後に残されるかもしれない父親について心配していると聞くと、占い師はこう答えたという。「『あ、大丈夫ですよ、お父さんはお母さんが死ぬときに首根っこ捕まえて一緒に連れて行きますから。グーッと連れて行きますから』って、そう言ったんですって。私それ聞いてね、それはいいね、それは安心だね、別にタロット占いを信用してるワケじゃないけど、ほっとしちゃったんですよね。それで夫が機嫌の良いときに話したんですよ。そしたら(裕也さんは)真剣な顔をして『お前な、頼むから一人で行ってくれ』って(笑い)」 このときは笑い話だったが、占い師の“予言”通り、内田裕也さんは今年3月、妻の後を追うようにこの世を去った。2人の因縁を感じさせるエピソードだ。 そして希林さんは、夫についてこうも語った。「すごくいいヤツでね、あの夫じゃなかったらば、こんな面白い人生はなかったと思います」 結婚わずか1年半で別居。夫の生き様に苦しめられたこともある。しかしそれでも、希林さんは夫との出会いを徹底して面白がったのだ。紹介したのはDVDの内容のほんの一部。これ以外にも深く頷かされる言葉を数多く聴ける。関連記事■宮沢りえ、安藤サクラ 希林さん告別式での喪服姿■内田裕也さん“内縁妻”と本木夫婦が「お別れ会」巡り衝突■樹木希林さんの金言、「男にも響く言葉」5選■樹木希林さん がん発症から14年、生き抜いた秘密■樹木希林、西城秀樹に魯山人の器とともに送った直筆のお礼状

  • Thumbnail

    記事

    日本でLGBTが「市民権」を得ても同性婚議論が煮詰まらないワケ

    高橋知典(弁護士) 同性婚をめぐり全国13組の同性カップルが今年2月、一斉提訴した。今回の訴訟において原告らは、男女の結婚しか認めていない民法や戸籍法について、憲法が保障する「婚姻の自由」や法の下の平等を定める憲法に違反するものであるとしている。同性婚を認めない法律は憲法違反だと主張しているのだ。 一方、同性婚に反対する人たちは、現行憲法は同性婚を想定しておらず、同性婚を認めるには憲法改正が必要だと主張している。安倍首相も2015年2月18日の参院本会議において、「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」「同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、わが国の家庭のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」との見解を示した。 その根拠になる条文が、憲法24条1項だ。日本国憲法第二十四条1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 同性婚に反対する立場の者は、この憲法の文言の字面を強調する。すなわち「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」の「両性」という言葉は、通常「男性と女性。雌性と雄性。(大辞林第3版)」の意味として使われることからも、憲法は「婚姻は男性と女性の合意のみに基づいて成立する」と考えているのだ。また、続く「夫婦」という文言からも、あくまで婚姻は男女間でするもので、憲法は明文で同性婚を想定していないどころか否定しており、それでも日本で同性婚を認めるには、改憲も必要ではないかと主張している。 これには単純に疑問がある。本来人権を保障している憲法からすれば少々不思議な議論であるとも思うが、議論を整理すると、憲法の態度は、簡単に言えば三つ考えられる。①権利として保護し価値を推奨している態度(個人の尊厳や表現の自由などに対する態度)、②禁止する態度(戦争に対する態度のようなもの)、③憲法上は何も言わない態度(どっちでも気にしない態度)だ。同性婚を求め全国13組のカップルが一斉に提訴、東京地裁で提訴の手続きを終え支援者と会見に臨む原告団=2019年4月、東京都千代田区(桐山弘太撮影) 実際には、憲法が同性の婚姻を明確に「禁止(②の態度)」していると読めないならば、憲法改正は不要であり、少なくとも③のどちらでもいいと思っている態度ならば、国会で立法して憲法では保証していない制度を用意してよいことになる。安倍首相の発言を読み解く 先述した安倍首相の発言からは、同性婚を認めるにあたって改憲を必要とする立場か否かは判然としない。しかし同性婚を認めるにあたって改憲が必要だと主張するということは、憲法24条1項には「男性と女性の組み合わせ以外に婚姻はさせてはいけない」とまで記載しているという解釈、すなわち憲法が同性婚をあえて禁止している態度(②)だと読んでいることになる。 一方で、訴訟を提起した原告側は、憲法の解釈について、いくつかの理由から①の「同性婚の自由は憲法上保護される自由である」と主張することになると考えられる。逆にこれができず、②の禁止や、③の憲法は保障も禁止もしていないという結論であれば、訴訟は敗訴になり、同性婚は立法(もしくは改憲)を待ってくださいということになる。 原告側・同性婚賛成側からすれば、例えば、憲法24条1項は、「男性と男性、女性と女性」という同性の組み合わせであっても、「独立」した個人の「性」が「二つ」の意味で、「両性」と読める。また「夫婦」との表記は、戦前の婚姻では女性が軽視されていたことに対する反省としてあえて記載したにすぎないといった考え方をとることで、憲法24条1項における婚姻は同性間でも「当人ら」の「意思」があれば成立することを保障していると主張することになるだろう。 このような解釈に無理があるとなれば、賛成側は先述のように憲法24条1項は少なくとも同性婚を否定してはいないものとし(③の無関心の態度)、他の憲法上の規定、例えば個人の尊重(13条)や、平等権(14条)に照らし、同性同士のパートナーは、結婚という自由な選択を阻害されているとか、異性同士のパートナーに比べて不平等であるといった主張をすると考えられる。 法律上の主張の内容には、これ以外にも無数の解釈の仕方や解釈の理由が実際にあり得る。今後の判決にも注目したい。発足会見を行ったLGBT自治体議員連盟の世話人5人=2017年7月6日、都庁 しかし、今回裁判所が判断するときには、究極的には現在の日本において「婚姻とは何か」「同性同士のパートナー関係を社会がどう思っているか」または「どう思うべきか」といったことに話が煮詰まっていくものと考えられる。憲法の解釈も時代とともに変わっている。だからこそ今の時代の価値観、結婚観が問われるのだ。仏教国の同姓婚 結婚観や同性婚について、これまでの日本はどうだったのだろうか。 宗教的な関係と、同性婚や同性愛に対する考え方は、かなり関係性があるように考えられる。というのも、主要な宗教と同性婚や同性愛に対する国家の姿勢に一定の関連があるように考えられるからである。 例えば、キリスト教、イスラム教では、一般的に同性愛というものを否定する考えがあるといわれる。実際にイスラム教国では、現在でも同性愛を極刑にしている国がある。 一方で、キリスト教国でいわゆる先進国といわれている国では、同性婚制度かまたは婚姻とは別のパートナー制度が整備されている。キリスト教自体の考え方は同性愛に否定的であっても、結婚という制度が個人の自由のもとになされるという意識が、度重なる議論を超え、こうした同性婚制度などの成立に力を発揮させているものと考えられる。 では、日本も含まれる仏教の影響の強い国においてはどうか。 仏教では一般に、同性同士の性行為が「悪」であるというような考え方はなく、「欲」そのものの持ち方を問題視する考え方があるようだ。「邪淫」という考え方である。 この考えには、男性女性の組み合わせを問わず、「性的な欲に溺れること」が問題であり、別段同性同士の性行為を禁止しない一方で、欲に溺れているならば男女の性行為であっても問題になる。 このためか、仏教国では、同性婚について賛成も反対とも判断していない国が多い。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) こうした背景から考えると、仏教的な考え方が強い地域では、同性愛について賛成も反対もしない、ある意味「無頓着」さがある。実際、日本の多くの方にとって一番近い感覚がこれだと思う。このために、一人一人に答えもなく、社会の中での大きな対立も(少なくとも今までは)ないから深い議論もない。 一方で、婚姻制度について日本は家父長制度を前提とする「家を存続させるため」の制度をとってきた。家父長制度のもとでは婚姻は個人の感情や人生の選択の延長線上にはなく、あくまでも「家」という単位を存続させるための判断によってされるもので、個人の自由で婚姻するということはできない。 今でも結婚しようとしたときに家同士の格を比べる地域や家庭があり、そのことで悩む方から相談を受けることもあるのだから、その影響は根強いと感じる。同姓婚反対派の矛盾 日本では「個人の意思に基づく自由な婚姻」という結婚観は、70年前の日本国憲法によって明確にさせられた、比較的新しい考え方であるといえる。特に年齢によって、その感じ方にかなりのばらつきがあると感じる。 同性婚反対派は「婚姻は個人の意思でする」と言いつつ、「同性婚では子供ができる可能性がない」ことなどを指摘して「自然ではない」から反対だと言う。 しかし、男女の夫婦の場合、子供を産むか産まないか選択ができる。さらに、そもそも男女の場合、生殖年齢を超えた60代になっても自由に結婚できる。こうした自由な結婚制度がある一方で、子供ができるかできないかによって同性婚を認めないのは矛盾であると言える。こうした反対派の発言は明らかに現在の結婚制度と矛盾しているが、依然として撤回される様子はない。 この反対派の矛盾しているように見えるのに撤回されない(自信満々な)主張について、その根底にある考え方を「婚姻は個人の意思でする」から、「婚姻は家の存続のためにする」に変えると非常に分かりやすくなる。同性婚では「家の血のつながりを残す」ことが難しく、「自然」ではないからである。 このように、日本では宗教倫理的には無頓着で話し合いの集積がなく、かつての結婚観はそもそも今の婚姻制度と離れすぎて参考にならない。そうした意味で、過去の日本の事柄は同性婚制度をどう考えるべきかに答えを提供してくれない。 このために、同性婚をどう考えるべきかは、賛成派も反対派も、過去の日本の在り方に答えを探せず、今を生きる私たちが考え、私たちが答えを出すほかないと考えられるのだ。 確かに、欧米諸国をはじめとして、同性婚やそれに類するパートナー制度を用意している国は多いが、それはさまざまな議論を経てのものである。結婚は当事者2人の自由でできるが、解消に関する離婚の制度、結婚後の子供についてなど、諸制度との関わりの中で考えるべきことがあると思う。オーストラリアで行われた同性婚合法化の是非を問う郵便投票で、賛成多数の結果に喜ぶ人々=2017年11月、メルボルン(ゲッティ=共同) 今回の訴訟では、先に見たような宗教倫理的な無頓着と、まだ慣れない「自由意思に基づく婚姻制度」の中で、なかなか煮詰まらず、進まない議論に対し、実際に今の時代を生きて、愛する人と結婚をしたいと願う人たちからの、世の中に対する問いかけであると考えられる。この訴訟は、本当は性的少数者だけのことではなく、この国の「結婚観」や「家族観」を再度問うものであると言えるのではないだろうか。■私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない■「LGBTなんて言葉なくなればいい」元女子高生の僕が伝えたいこと■稲田朋美手記「杉田さん、LGBTを尊重するのが保守の役割です」

  • Thumbnail

    記事

    秋篠宮家の評判に関係なく「愛子天皇」を真剣に議論すべきである

    河西秀哉(名古屋大准教授) 愛子内親王が今後、天皇になるような方向性へ皇室典範を改正すべきではないか。 そもそも、日本には女性天皇が8人10代いた。現在のように、男性しか天皇になれないという規定は、明治時代に決められたものである。 明治の日本は、江戸期の「鎖国」によって、自らは欧州よりも遅れていると認識していた。欧州の植民地にならないため、そしてそれらに追いついて国際関係で肩を並べるため、国民を統一し、より強く国家をまとめ上げる必要があった。 そのための方策として、明治政府は国民に家制度を定着させようとする。それは家長である戸主を中心にした集合体で、戸主の統率によって家のまとまりを強固にし、それを国家のまとまりにつなげようとした。 そうした制度は、江戸時代の武士の家父長制的な伝統を引き継いでおり、基本的に戸主は男性とされる。こうして、明治期に制定された民法の中で、絶対的な権限を持つ戸主が規定され、家制度が出来上がった。 国民には、男性が家長であると言っているわけだから、国のトップが女性だと示しがつかなくなる。そこで、1889年に制定された旧皇室典範において、天皇を男性に限定した。2017年4月、「オール学習院の集い」の大合同演奏会に出演した愛子さま その他にも、男性優位は日本の固有の慣習、女性が天皇になれば夫に政治関与される、歴史上の女性天皇は「中継ぎ」であったので例外、などの理由を説明している。 この男系男子に天皇を限定する仕組みは、家制度が崩壊した敗戦後に変化させるべきであった。日本国憲法では第14条で「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあり、女性が天皇になれないことはそれに反する可能性があるからである。 明治期の「男性優位は日本の固有の慣習である」という説明が正しいかどうかは別として、そうした陋習(ろうしゅう)はここで断ち切られたはずであった。ただし当時は、民法が改正され家制度がなくなったとはいえ、その慣習が社会にまだ残っていた。女性天皇は「中継ぎ」にあらず そして、男性皇族もまだ多く、切迫した状況ではなかったかもしれない。そのため、女性天皇は考慮されず、旧皇室典範が廃止され、法律として新たに制定されたものの、明治期に形成された制度がそのまま継続した。 現在の日本社会は、国連の女子差別撤廃条約の批准、いわゆる男女雇用機会均等法の制定と改正などが行われ、敗戦直後以上に性別による差をなくす方向性に進んでいる。社会が、男女が平等になるようにさまざまな努力がなされている中で、なぜ天皇だけが男性に限定されるのだろうか。女性が天皇になれば夫に政治関与されるという明治期になされた説明も、天皇が政治に関わることがなくなった象徴天皇制においては意味をなさない。 そもそも、なぜ男性天皇は妻に政治関与されないという前提があるのだろうか。それこそ、女性ならば人の意見に左右されやすいという、女性への差別的な考え方が根本にあるのであり、現在では相いれない思考だろう。 歴史上の女性天皇は「中継ぎ」であったという説明も、現在の日本古代史の研究によって、それは否定されている。その時期の皇族の中で政治的に優れた年長の女性が天皇に即位しており、ならば現在でも人物的に優れた人物であれば男性でも女性でも関係なく天皇に即位することが、「伝統」的な考え方に合致しているのではないか。 むしろ、現在の象徴天皇制は、その人物がいかなる考えを持ち、行動をするかがマスメディアを通じて伝えられ、それによって人々から支持されている。「平成流」への評価はその最たるものだろう。性別に関係なく「人物本位」というのは、現在の流れとも合致する。 ここ最近、週刊誌やインターネット上で、「愛子天皇」待望論が出ている。しかしこれは、これまで述べてきた理由で提起されたものではない。従来、秋篠宮家の世間の評判は高かった。病気を抱える雅子皇后が皇太子妃時代、公務をこなす量が少ないことから、批判が出て、相対的に秋篠宮家への評価は高くなっていた。 しかし、この状況が変化するのが、眞子内親王と小室圭さんの問題である。小室さんの実家の金銭問題が浮上、それへの適切な説明がないと見られ、批判が噴出している。 妹の佳子内親王が国際基督教大(ICU)卒業に際して発表した文書の中で、自らの意思を強く示し、「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と姉を擁護したことも、批判が高まる要因となった。これらから、秋篠宮家に対する評価が下がり、今度は逆に相対的に皇太子一家への評価が上がり、「愛子天皇」待望論へと向かっているのである。2019年3月、「千葉県少年少女オーケストラ」の東京公演を鑑賞するため、会場に到着された秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さま(代表撮影) これは、いい意味での女性天皇誕生ではない。秋篠宮家の評判が落ちているから、またその評判をより落とすために、たまたま女性である愛子内親王を天皇にしようとする動きが出ているに過ぎない。 求められているのはそうした動きではなく、現在の社会に合致した象徴天皇制のあり方である。国民の生活と遊離したもの、世間の風に影響されすぎるものではない。愛子内親王が天皇になることは、皇室典範を改正し、今後も女性天皇・女系天皇を安定的に認めていく制度にすることである。■ 「眞子さまへの純真は本物か」小室圭氏よ、試練を歩み解を出せ■ 女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」に他ならない■ 女性宮家以外にも「皇統の断絶」を防ぐ手立てはある

  • Thumbnail

    記事

    愛子さまの目覚ましい成長、女性天皇容認の結論は令和3年か

     3月28日に共同通信が報じたニュースが、にわかに注目を集めている。《政府が1997~2004年、皇位継承資格者を女性皇族に拡大できるかどうか極秘の検討会を開いていたことが分かった。(中略)2004年春の文書には、女性・女系天皇を認める皇室典範の早期改正方針が記されていた》 当時の小泉純一郎首相は、有識者会議を経て、典範改正に乗り出そうとしたが、2006年の悠仁さま誕生で断念したという驚きの内容だ。 なぜ改元直前のこのタイミングで報じられたのか。一部には、「新天皇の即位後、政府がすみやかに女性天皇を容認する典範改正議論を始めようとしていることへの布石」という見方が根強い。皇室ジャーナリストの神田秀一さんが指摘する。「天皇家にとって最大の使命は、皇統を途切れさせず、安定的に続かせることです。それは天皇陛下含め、皇族方が大切に考えていらっしゃることです。皇統の継承のために、女性天皇容認や女性宮家創設の可能性を含めた、さまざまな議論をすべきでしょう」 実際、皇太子さまは今年2月の誕生日会見で、「制度に関しての言及は控えたい」と付言しつつも、「女性皇族は結婚により皇籍を離脱しなければならないということは、将来の皇室の在り方とも関係する問題」と述べられている。 眞子さま(27才)や佳子さま(24才)の最近の振る舞いもあって、秋篠宮家の教育方針への疑問が少なからず浮かび上がっている。眞子さまは「結婚延期問題」が収束しておらず、佳子さまはICU卒業時に出した文書でご両親について《公的な仕事に関することや、意見を聞いたほうが良いと感じる事柄についてアドバイスを求めることがあります》と明かされた。静養先の長野県でスキーを楽しむ皇太子家の長女愛子さま=2019年3月(宮内庁提供) これに対しては皇室ジャーナリストから「両親とは仕事などの公的な会話にとどまり、“聞いた方がいいと判断したことだけ聞く”という宣言にも聞こえました。文書では同様の文言が繰り返され、佳子さまの強い意志を感じます」という声もある。 その一方で、皇太子ご一家への信頼感が増している。特に、高校生になられた愛子さまの成長ぶりには、周囲も目を見張るところがあるという。愛子さまへ高まる期待愛子さまへ高まる期待「愛子さまは幼い頃、“自分がなぜ注目されるのか”が理解できず、戸惑われることが多かった。学習院初等科時代には雅子さまに付き添われて登校されていたこともありました。ただ、幼い子供に“将来の天皇の一人っ子”であることの重責など理解できないのは当然のことです。 ところが、成長されるにつれ、ご両親の立場を理解し、ご自身の置かれた状況も深く自覚されるようになりました。愛子さまはもともと明るくて聡明な方です。それでも、自分が結婚して皇籍を離れるのか、天皇になる可能性があるのか、いまだに不安定な立場でおつらいにもかかわらず、ご自分の一挙手一投足が皇室全体に与えるイメージまでお考えになり、ふさわしい振る舞いをされることは、並大抵のことではありません。そうした愛子さまの健気な姿が今、メディアを通じて多くの国民に伝わっているのではないでしょうか」(宮内庁関係者) 3月下旬、長野でのご静養からの帰京時、東京駅日本橋口から姿を見せた皇太子ご一家を、何百人という人が出迎えた。「愛子さま!」と呼びかける声で溢れ、白いケープにラベンダー色のインナー、ベージュのワイドパンツにローファーを合わせた愛子さまは立ち止まって振り返られ、笑顔で手を振り会釈された。元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司さんが語る。「最近の愛子内親王殿下は記者の質問に対して、少しはにかんだご様子ですが、笑顔で答えられ、その内容も高校生らしく親しみが持てます。立派に成長されているのは、皇太子殿下の影響が大きいでしょう。ご自身を厳しく律せられ、常に他人を気遣う皇太子殿下の振る舞いや考え方にお生まれになったときから接してこられたことで、自然に身につけられたものと思います。“愛子さまに天皇になっていただきたい”と期待する声の高まりも理解はできます」「女性天皇を容認するかどうか」の最新の世論調査(東京新聞1月3日付)の結果では、実に84.4%が「容認」と答えている。日本世論調査会によると、1975年には31.9%だった容認派が、2005年には83.5%、2016年には85%にまで達した。男女平等の理念は日本社会に浸透し、大多数の国民はすでに「天皇は男性でなければならない」というルールにこだわってはいないのだ。「皇統の安定的な継続のためだけでなく、秋篠宮家への不安も、女性天皇容認の声を後押ししていることは間違いありません。秋篠宮家に、天皇にふさわしい人格を育てる帝王教育ができるのか。将来、小室圭さん(27才)を義兄に持つ天皇が誕生して国民の信頼を得られるのか。そうした国民感情は、無視することはできません」(皇室ジャーナリスト) 菅義偉官房長官は3月18日、国会で「(新天皇の)即位後にすみやかに検討を始める」と、凍結されていた女性天皇や女性宮家についての議論を再開する意向を示した。 それでは、典範改正に向けた議論が一気に加速するのはいつだろうか。ある政府関係者は「今から2年後の『令和3年』だろう」と予測する。「2年後には小室さんが留学から帰国し、眞子さまとの縁談が進展する可能性が高い。また現在、お茶の水女子大学附属中学校に通われている悠仁さまは2年後、高校受験のシーズンを迎え、どのような進路を選ばれるかが注目される時期です。 さらに言えば、女性天皇に否定的な政治信条を持つ安倍首相は再来年の9月で任期が切れ、2年後の9月以降は首相ポストにいません。愛子さまが20才になられる『令和3年』に、何らかの結論が出そうです」 新時代の幕開けに、新しい皇室の在り方を模索する議論の号砲が鳴った。関連記事■佳子さま「恋愛についてご両親の言うことは聞かない」宣言か■孤立する眞子さま 悠仁さまがよろしくない態度を取ることも■秋篠宮家 お子さまの教育は結果的に「ほったらかし」か■愛子さま「激やせからの15キロ増」に周囲は心配の声■小室圭さんはなぜさっさと「400万円」返して解決しないのか

  • Thumbnail

    記事

    秋篠宮家 お子さまの教育は結果的に「ほったらかし」か

     眞子さま(27才)の結婚に向けたステップは膠着状態にある。昨年2月、結婚行事の「2年延期」が発表され、11月に秋篠宮さまは現状では「納采の儀は行えない」と明言された。一方、婚約内定者である小室圭さん(27才)は同年8月、アメリカに3年間の留学へ。「小室家が抱えるトラブルや、発覚後の対応の影響で、ご夫妻は結婚に対してかなり慎重です。しかし、眞子さまの結婚の意思は相変わらず固い。皇室全体に影響するので、早く結論を出すべきだという声は日増しに大きくなっているのですが、結婚についての親子の話し合いもままならない状況が続いているそうです」(秋篠宮家に近い関係者) 妹の佳子さま(24才)は3月22日、国際基督教大学(ICU)卒業にあたって文書を公表。ご両親について《公的な仕事に関することや、意見を聞いたほうが良いと感じる事柄についてアドバイスを求めることがあります》と明かされた。「両親とは仕事などの公的な会話にとどまり、“聞いた方がいいと判断したことだけ聞く”という宣言にも聞こえました。文書では同様の文言が繰り返され、佳子さまの強い意志を感じます」(皇室ジャーナリスト) さらに、眞子さまの結婚延期にも言及された。「佳子さまは《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい》と述べられ、『納采の儀は行えない』と発言された秋篠宮さまとの齟齬が鮮明になりました」(前出・皇室ジャーナリスト) そうした秋篠宮家の内親王姉妹の言動は、世間で大きな物議を醸している。ただし、ある宮内庁関係者は、「ご夫妻の教育方針に基づけば、仕方がないこと」だと言う。「ご夫妻は皇族としての『公』の部分と、プライベートの『私』の部分とを明確に分けることを徹底され、私的な部分では自主性を重んじる教育を施されてこられました。だからこそ、姉妹には“趣味や恋愛、結婚など私的なことは自由にしたい”というお気持ちが強い。 ただし、そうした姿勢は、“どのようなときにも立場としての義務が最優先であり、私事はそれに次ぐもの”という天皇皇后両陛下が貫かれた信念とは相いれないように思います。また、同じ人格の中の『公』と『私』に大きなギャップがあれば、国民も戸惑うでしょう」2019年3月、国際基督教大の卒業式を前に、写真撮影に応じられる秋篠宮家の次女佳子さま(代表撮影) 前出の秋篠宮家に近い関係者がご一家の内情を明かす。「皇室では、公務で多忙なご両親に代わり、ベテラン職員が自然に“お世話係”になってお子さま方の面倒を見ることが多い。しかし、紀子さまのあまりの“厳格さ”に対応できる職員が少なく、秋篠宮家の職員は短期間に交代してしまうので“お世話係”が育たず、お子さま方の教育やしつけに目が行き届かないんです。自主性を重んじると言えば聞こえがいいものの、結果的には“ほったらかし”の状態のようです」 秋篠宮家は、御代がわり後、皇太子家待遇の「皇嗣家」となり、秋篠宮さまが皇位継承順位1位、悠仁さまが同2位になられる。「秋篠宮家にその重責が担えるのか、ひいては、宮家からの天皇を国民が受け入れられるのか。宮家の現状に鑑みて、不安の声が高まっています」(前出・皇室ジャーナリスト)関連記事■佳子さま「恋愛についてご両親の言うことは聞かない」宣言か■孤立する眞子さま 悠仁さまがよろしくない態度を取ることも■小室圭さんはなぜさっさと「400万円」返して解決しないのか■秋篠宮さま、なぜ小室圭さん一家の詳細を知らなかったのか■小室圭さん母、夫と義父の死後遺産交渉 代理人の衝撃告白

  • Thumbnail

    記事

    「文春よ、お前もか」気まぐれ読者を追いかける週刊誌の断末魔

    向谷匡史(作家、ジャーナリスト) 「あんなの、週刊誌じゃねぇよ」。辣腕で鳴らした総合週刊誌の元デスクが酎ハイをグイとあおれば、 「同感」と、フリーのベテラン記者がうなずいて、 「あの食品がダメ、この薬がアブナイ、はてまた死ぬ前の手続きがどうしたなんて大特集を毎週読まされたんじゃ、気が滅入っちゃうよ」 「まさにその通り」。女性週刊誌で「鬼」と呼ばれた元編集長が引き取って、「週刊誌はスキャンダルが勝負。斬った張ったで俺たちはメシを食ってきた。健康ネタ、終活ネタは、新書かムックのテーマだ」 一同、大きくうなずき、それぞれのグラスで氷がカラコロと音を立てた。今年初め、気の置けない仲間と一杯やったときのことだった。 私は総合週刊誌の記者として十余年を過ごした。現役批判はOBの常とは言え、総合週刊誌の全盛時代を知る彼らだけに、一杯やると必ず批判や苦言が飛び出す。 「誌面に勢いがない」「現場を踏まなくなった」「企画に工夫が足りない」 だが、こうした批判や苦言は、週刊誌ジャーナリズムという大枠でのこと。誌面づくりは時代によって変化はしても、「ニュース&スキャンダル」という基本は変わらない。クルマにたとえればマイナーチェンジのようなものだった。 ところが最近になって、いきなりフルモデルチェンジ。しかもセダンがワンボックスカーになったようなもので、元辣腕デスクが「あんなの、週刊誌じゃない」と憤慨するほどの変わりようなのである。 週刊誌の変化ぶりは、電車の吊り広告や表紙を見れば一目瞭然だ。目玉の特集記事が「健康」と「終活」になってきた。私の手元にある週刊誌の見出しを拾うだけでも、「食べてはいけない『外食チェーン』」(週刊新潮)、「専門医10人『私は絶対に飲まない薬』」(週刊ポスト)、「間違いだらけの『死後の手続き』」(週刊現代)、「30の症状に効く『最強食』」(週刊文春)…。 タイトルこそ扇情的な週刊誌タッチだが、これらは「実用記事=ためになる記事」であって、週刊誌が王道としてきた「ニュース&スキャンダル」、すなわち「ためにならない記事」の対極に位置するものなのである。 むろん週刊誌に「健康」「終活」の特集があってかまわない。必要な情報でもある。だが、このテーマが毎週、しかもメジャー誌がこぞって掲載するとなると、これはもう「週刊誌のフルモデルチェンジ」である。先に述べたが、クルマにたとえれば一車種だけのモデルチェンジではなく、クルマ業界全体が、売れ行き不振のセダンからワンボックスカーに右へならえしたのと同じということになる。 「健康ネタ」をメーンで打ち出したのは、『週刊現代』が最初だったと記憶する。大胆な変身に戸惑いはしたものの、高血圧の薬を長年服用している私は、「高血圧の薬は不要」といった見出しに目が吸い寄せられた。週刊文春の企画「減らせる薬11『症状別』リスト」 これまで総合週刊誌には見向きもしなかった愚妻も、「あら、血圧の話?」と言いながら、そばからのぞき込んでいる。健康は大いなる関心事なのだ。 さらに「終活」が「健康」の延長線上にあることから特集がこれに向かうのは必然で、辛気くさいテーマではあるが、実年・熟年が興味を引かれることは確かだ。幕の内弁当とビュッフェ 「あんなの、週刊誌じゃねぇよ」と、OBが毒づいたところで、数字は正直。週刊現代は「健康」と「終活」を両輪として部数を伸ばし、2019年1月の雑誌月間売上冊数で、『週刊文春』を抑えて10位に躍進(日販調べ)。「文春砲」を炸裂させても、週刊現代の「健康&終活ガイド」には部数では勝てなかったということになる。 かくして、総合週刊誌は雪崩を打つようにして「健康&終活ガイド」に走り、いまも走り続けているということになる。 私に言わせれば、総合週刊誌は「幕の内弁当」である。スキャンダルがメーンのおかずで、「海老フライ」や「鶏の唐揚げ」がそれに当たる。ニュースやハウツーがサブメーンの「卵焼き」「焼き魚」「天ぷら」で、連載小説やコラムが「煮物」「漬け物」といった添え物ということになる。 細々と何種類もおかずが詰めてあるのは、人によって好き嫌いがあるからだ。言い換えれば、好き嫌いにかかわらず、幕の内弁当は、そのすべてを購入しなければならない。 「私はニンジンが嫌いだから、それを外して卵焼きを増やして」というわけにはいかない。ここがウナギ弁当やアナゴ飯、イカ飯といった単品弁当と違うところで、幕の内弁当が総合週刊誌なら、これらは専門雑誌ということになる。 さらに、インターネットで閲覧する記事はビュッフェである。嫌いなものはスルーして、欲しい食べ物を欲しいだけ皿に取る。「ニンジンが嫌いだから、それを外して卵焼きを増やす」ということが、いくらでもできる。ITの進展、価値観の多様化、そしてそれを認める社会は、生活のすべてにおいて「ビュッフェ時代」になったと言っていいだろう。 こう考えると、幕の内弁当の総合週刊誌は、おかずに何を詰めるかは頭の痛い問題になってきた。ビュッフェ時代にあっては、いくらおかずの品数を増やそうと、従来の「押しつけ」では多くの読者を引きつけるのは難しく、部数はじり貧である。売れ筋だったスキャンダル砲をブッ放してみても、テレビのワイドショーが素早くそれを横取りする。リアルタイムで面白おかしく放送するため、たちまち霞(かす)んでしまう。 実際、ある総合週刊誌の編集長は、「ニュースもスキャンダルも、テレビとインターネットには太刀打ちできない。読ませるものに活路を見いだすしかない」と言い切る。 週刊現代が「健康テーマ」を打ち出したとき、「老人雑誌化」したと業界で陰口を叩かれたが、超高齢時代を背景に大当たり。弁当にたとえれば、「海老フライ」や「鶏の唐揚げ」といった脂っこい総菜を引っ込め、「ヘルシー&栄養」を謳(うた)ったおかずをメーンにしたら大いに売れたということになる。 つまり、総花的な幕の内弁当に、売れ筋の単品弁当をメーンに組み込んだのが、最近の総合週刊誌ということになる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 売れてナンボとなれば、総合週刊誌も読者のニーズに応じて変わっていかなければならない。だが、読者は気まぐれだ。気まぐれを相手にするのは、決して追いつくことのない影を追うようなもので、必ず息切れする。 これから総合週刊誌はどこへ向かうのか。かつて大部数を誇った『週刊明星』、『週刊平凡』は時代の変化の中で消えていった。スキャンダル砲の健闘を期待しつつも、「健康&終活テーマ」に舵を切った総合週刊誌は、まさに自身が〝終活〟を始めたような気が私はするのだ。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

  • Thumbnail

    記事

    ある雑誌を廃刊に導いた「ベンチャー企業礼賛」の理由

    吉田典史(ジャーナリスト・記者・ライター) 今回は、ある雑誌の廃刊の裏側を私が知る範囲で見つめなおし、「使えない上司・使えない部下」について考えたい。この雑誌の廃刊の背景にあるものを探ると、人事のあり方もが透けて見える。読者諸氏は、この事例から何を感じるだろうか。 1年ほど前、ある雑誌が廃刊になった。この出版社の社員数人や退職者5人ほどから聞く限りでは、売れ行きが長年伸び悩んでいたのだという。「使える」と思われている編集長を数年ごとに変えて編集態勢を刷新するものの、大きな変化はなかったようだ。10数年前に創刊し、20~30代の比較的、意識の高い会社員を読者対象にしたものだった。 私は10年ほど前、フリーライターとして関わった。編集者から指示を受け、会社員などにインタビューをして、記事を書いた。そのころから、強い違和感を感じていた。一言でいえば、記事や雑誌全体の内容を創り込みすぎなのではないかと思った。企業社会の実態からかけ離れた内容になっていた。 その象徴が、ベンチャー企業の取り上げ方だった。ほとんどの記事が、「ベンチャー企業は風通しがよく、働きがいがある」「実力主義で、結果を出せば正当に評価される、すばらしい会社」といった内容になっていた。大企業を「終身雇用で、年功序列の古い会社」「20~30代の意識の高い人は結果を出しても、報われない」と暗に揶揄しているように見えた。この大企業の認識は、実態とは相当に異なるものに私には思えた。 しかも、毎回、同じようなベンチャー企業を取材し、記事にしていた。いわゆる、メガベンチャーといわれる10社ほどのほか、知名度の高い30社ほどを加えた40社ほどである。たった40社ほどで、「ベンチャー企業とは…」と語ってしまうのだ。 全国には、無数のベンチャー企業がある。なぜ、40社しか取材しないのか。いわゆる、「バーター(取引)」か、「何らかの癒着」か、それとも、忙しく、時間がないがゆえに、付き合いがあり、取材がしやすい40社だけを取材していたのか…。 ベンチャー企業のほとんどは、中小企業政策における基本的な政策対象の範囲を定めた「原則」に基づくと、「中小企業」の範疇に入る。その「原則」ではたとえば、サービス業では「資本金の額又は出資の総額が5000万円以下の会社又は常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人」を「中小企業」としている。 通常、中小企業は、解雇や賃金不払い、パワハラなどの多発エリアである。厚生労働省や各都道府県の労政事務所などが発表する労使紛争のデータを見ると、それは明らかだ。大企業よりは、労使間のトラブルははるかに多い。 東京都では、都内6カ所の労働相談情報センターにおいて、中小企業の労使双方からの労働相談に応じ、紛争当事者間での自主的解決を援助するあっせんを行っている。2017年は労働相談件数が、5万1294件(前年度比3.3%減)で、5万件を超える状況が続く。このような職場で多くの社員が苦しんでいることを心得ているならば、雑誌としてもっと節度ある姿勢が必要だったのではないだろうか。 私が、廃刊になった雑誌の編集者たちと話し合った限りでは、ベンチャー企業の内情や実態に極めて疎く、不勉強だった。特に労働条件をはじめとした就労環境には何の関心も払わない。私よりもはるかに年齢が若いはずなのだが、おそろしく鈍感だった。 それどころか、ベンチャー企業の経営者や役員、人事部の管理職などが取材時に話すことを無批判に受け入れていた。中には、「〇〇さんは人間的にもできている」と、たった1回の取材でメガベンチャー企業の創業社長を熱狂的に称えていた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「取材者としての経験が浅い」と言えばそれまでだが、私はその熱狂から「宗教的なもの」を感じた。こちらが少しでも、メガベンチャー企業の創業社長を否定的にとらえて話すと、「〇〇さんはそんな人じゃない!」と興奮して言い返す編集者もいた。彼女の目に涙がたまっていたことを覚えている。 ほとんどの雑誌には、一定の読者層がいる。この雑誌ならば「20~30代の比較的、意識の高い会社員」なのだろう。そのような会社員たちが求める情報を記事として提供していくことは当然だとは思う。しかし、価値観などがあまりにも多様化し、混沌とした時代に、特定の企業を繰り返し取り上げ、礼さんするような報道は慎むべきだったのではないだろうか。少なくとも、その印象を与えていたことは否定しがたい。しかれたかん口令 なぜ、この雑誌の編集者たちはたった40社ほどのベンチャー企業を熱狂的に報じ続けたのだろうか。そこには様々な要因が折り重なっていたのだろうが、大きな理由の1つに、この出版社の社内の事情があったのではないかと私は見ている。 一言でいえば、ずさんな人事評価や配置転換、昇進・昇格などに愛想がつき、「隣の芝生は青い」のような思いで、ベンチャー企業をうらやましく見ていたのだと思う。その意識が、記事や雑誌の随所に出ていたのではないだろうか。つまり、ある意味で「悲鳴」であり、「溜息」であり、「あきらめ」の念が雑誌には凝縮していたように私には見えるのだ。 この雑誌を発売する出版社は、比較相対的に高学歴な社員が多いこともあり、20代の頃の意識はある程度は高い。しかし、30代になるとやる気を失い、失速する人が増えてくると退職した元社員5人ほどは語る。社内の人事の仕組み(人事評価や育成、配置転換など)は相当にお粗末で、ほかの業界でいえば、社員数が30人以下の零細企業と大差ないのだという。「まじめに仕事をするほどにむなしくなる」と5人は話していた。 たとえば、廃刊となったこの雑誌編集部では数年前、ある編集者が副編集長(課長級)の経験がないのに、編集長(部長級)になったという。通常、こんな昇格はありえないはずだ。ところが、「抜擢人事」として断交されたそうだ。「使える編集長」を起用し続けたが、その多くが「使えない編集長」とレッテルをはられ、職を離れていたという。 販売不振の起死回生策として、副編集長の経験がない編集者を編集長にしたのだが、案の定、破たんしたらしい。その編集長は経験不足のために、部下である副編集長をはじめ、7人前後の編集者を自らが意図したように動かすことができないようだった。結局、編集長という権力で動かすようになる。ときに強く当たり、ときには大きな声でしかりつける。このことに不満をもった編集者数人が企業内労組に「編集長からのパワハラに遭っている」と訴えたそうだ。 企業内労組の役員が、編集長の上にいる役員などに「組合員(訴えた編集者のこと)から苦情が来た」と伝えた。すると、役員は編集長にそのことを話し、労組に訴えた編集者数人と編集長などを含め、関係者10人ほどで解決に向けての話し合いをした。「パワハラ」は「双方のコミュニケーション不足」で生じたものであり、「編集長にその意識はない」という結論になったのだという。その後の人事異動で関係者たちの一部は、他部署へ異動となったようだ。 この一連の騒動は、関係者の間ではかん口令がしかれ、タブーになったままだという。退職者5人のうちの数人は、「役員は、社外の労組(ユニオン)などに話を持ち出されないようにするための懐柔策として話し合いの場を設け、そこで不満分子の編集者にガス(不満)抜きをさせた。その後、人事異動で態勢をシャッフルし、すべてをシークレットにした」と話す。 私の取材経験をもとにいえば、「パワハラ」はする側、される側それぞれの認識に大きな差があり、どちらの言い分が正しいのか、正確に判断することは難しい。仮に、この一連の騒動がすべて事実であるとすると、20~30代で意識の高い編集者はやり切れぬ思いになるのではないだろうか。 このほかにも、この出版社の人事のあり方には、話を聞く限りでは首を傾げたくなることが多々あった。おそらく、廃刊となった雑誌の編集者たちがベンチャー企業にあそこまで感化され、称え続けたのは、自らが勤務する会社の旧態依然とした人事のあり方に嫌気がさしていたからではないか、と私は思うのだ。 通常、会社員の多くは、人事評価や育成、配置転換、昇進・昇格に異議を申し立てることはなかなかできない。この雑誌の編集者たちも同じく、言えなかったのだろう。そのようなときに、ベンチャー企業をわずかながら取材し、そこが自分たちのうっ積した不満がまったくないような職場に見えたのではないか、と思う。 実は、人事制度や賃金制度は未熟で、人事評価や育成、配置転換などに深刻な問題を抱え込んでいるのだが、そのことに気がつかなかったのだろう。そのような思いでベンチャー企業を取材し、記事にしていたのならば、売れなくなるのは無理もない。 今回のことは、あくまで私が元退職者たちから聞いたものである。現役の社員に連絡をしても、ここまでは答えなかった。私が強調したいのは、何かの商品や製品、サービスが売れなくなるとき、そこには社内の人事にきしみが生じていることが多いことだ。それらを販売しないようにしたところで、問題は残り続けるのではないだろうか。よしだ・のりふみ ジャーナリスト・記者・ライター。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、『震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

  • Thumbnail

    記事

    「中国産」「添加物」消費者が週刊誌に踊らされなくなっている?

    松永和紀(科学ジャーナリスト) 最近、週刊誌がまたもや、「食が危ない」という記事を量産しています。食の安全取材歴20年近い私としては、周期的にやってくるこの“ブーム”にはもううんざり。今回は、中国産批判を繰り広げる「週刊文春」と、国産が危ないとする「週刊新潮」の対決の様相を示しているのが興味深いところです。 ところが、消費者側の反応がどうもこれまでと異なります。従来だと、食品メーカーのお客様相談室に抗議の電話が鳴り響き、生協にも問い合わせが相次いでいました。今回、企業や生協、業界団体等に尋ねて回ったのですが、抗議はもとより、問い合わせもほとんどなく、あったとしても、週刊誌の書いていることと実態との違いをきちんと説明すると、わかってもらえる、といいます。もちろん、売れ行きにも影響がありません。 なぜ、これまでと異なるのか? どうも複合的な理由があるようです。取材を通じて考えてみました。「中国産たたき」「食品添加物たたき」はこれまでも定期的に行なわれてきたが、今回は消費者の反応がどうも異なるようだ まずは、週刊誌がどのような報道をしているか、少し見てみましょう。 週刊文春は、4月12日号から4回にわたり、「危ない中国食品2018」と報道し、「産地隠しが巧妙化している」とも訴えています。 中国産批判は同誌恒例。手法も従来通り。中国産で違反が相次いでいる、と厚労省の輸入検疫の結果をリスト化。危ない食品がこんなに入っている、と見せて、読者はその数と種類の多様さに圧倒されて嘆息する、という仕掛けです。 残念ながら、これはトリックです。たしかに、中国産の違反数は多い。しかし、中国産は、輸入件数が他国に比べて際立って多く、全体の32%に上ります。2位のアメリカ10%、3位フランス9%を大きく引き離し、年間に約70万件もの輸入届出があるのです(2016年度厚生労働省統計)。 したがって、違反数は多いのですが、違反割合はそうでもありません。中国の違反率は0.024%、各国平均は0.033%で、中国はむしろ低いのです。 中国産食品、私たちは食べていないつもりでもさんざんお世話になっています。居酒屋で出てくるほうれんそうのお浸しや里芋の煮物の多くは中国産冷凍野菜。回転寿司のネタは、一貫ごとにスライスされ包装されて輸入されます。高齢者施設で欠かせない「骨のない魚」は、中国の工場でピンセットを用い細かい骨を抜いたうえで入ってきます。 人は雑菌だらけ、髪の毛なども落ちるので、人が手をかけるほど違反リスクは高まります。細かな手作業を要する品目が多いのに低い違反率、というのは、実はなかなかたいしたものです。(厚生労働省輸入食品監視統計より作成) 十数年前、中国からの輸入が急増し始めた時期、たしかに中国産は問題山積で、冷凍ほうれんそうの農薬高濃度残留が発覚し、餃子に農薬が混入される事件もありました。これらを教訓に、現在では中国政府の国家質量監督検験検疫総局が監視を行い、日本への輸出は許可制に。日本の商社なども多くが社員を常駐させ、指導や監視をしています。中国産の品質は飛躍的に向上しました。中国の日本向け冷凍野菜工場。衛生管理は日本の工場よりも上だった。日本の商社が厳しく指導し、原材料として使用する食品メーカーがたびたび監査・点検に訪れる 国際社会で体面を重んじる中国政府が目を光らせ、日本の商社や中国産を原料とする食品メーカーも問題が起きたら、世間から「まだ中国産を使っているのか!」と他国産の違反より著しく厳しく非難されるので、そうならないように必死です。中国で作られるピンからキリまでの食品のうちのピン的存在が、日本に輸出されています。日本の食品関係者は、他国産よりむしろ、中国産を信頼できるのではないか、と言います。私も中国で日本向けの食品を作る工場をいくつも見ていますが、印象はおなじです。 それが日本向けの中国産のすべて、とは言えません。どの世界にも例外があり不届き者もいる以上、質や衛生管理の悪い食品はあるでしょう。週刊文春は、日本向けの食品がいかにずさんな衛生管理をしているかもリポートしています。しかし、日本向けの食品全部がその調子ではありません。添加物違反は「非科学的」 ずさんな中国産が輸入される陰には必ず、一時的に儲かればいい、という日本の輸入業者や、品質が悪くても安ければいいと原料を求める日本の悪質な業者がいます。中国だけに責任を負わす記事の印象操作は、アンフェアです。 では、週刊新潮が書くように「国産食品」は危ないのか? 国産=安全ではないのは事実です。同誌は書いていませんが、日本の中小事業者の中には衛生管理のレベルの低い企業が少なくありません。そもそも、衛生管理の国際標準であるHACCPは欧米では義務化が進んでいて、中国でも輸出を手がける工場は当然のごとく導入されています。国内でも、大手企業は取り組んでいますが、欧米のように中小企業やまちの飲食店まで、とはなっていません。今国会でやっと、HACCPを原則として義務付ける改正食品衛生法が成立した段階です。 しかし、週刊新潮が書く食品添加物やトランス脂肪酸のリスク指摘は、相当に的外れです。食品添加物について、記事は次のように書きます。野本氏が警告を発するのは、この物質と保存料のソルビン酸の組み合わせである。「亜硝酸Naとソルビン酸の組み合わせには、相乗毒性があることが分かっています」(中略)実際、内閣府の「食品安全委員会」の添加物評価書にはこんな記述が。<ソルビン酸が広範に使用される一方、亜硝酸塩も食肉製品の発色剤として多用され、両者がしばしば共存するという事実と、両者の加熱試験反応によりDNA損傷物質が産生されることが報告されている><マウスへのソルビン酸単独(15 mg/kg 体重/日)の30日間経口投与による染色体異常試験において、最終投与後24時間後に染色体異常は有意に増加しないが、亜硝酸ナトリウム単独(2 mg/kg 体重/日)で有意に増加し、ソルビン酸と亜硝酸ナトリウム同時(7.5+1 mg/kg 体重/日)ではさらに増加している> つまりは、ジャーナリストが相乗毒性を指摘し、公的機関も危険を指摘しているのに……という文脈です。 しかし、これは食品安全委員会の評価書のごく一部の抜き出しです。評価書はこの後に、DNA損傷物質が産生するのは、通常の食品の条件と異なる場合であることや複数の試験結果で矛盾があることなどから、結論として通常条件下での使用では、ヒトの健康に対する悪影響はないという趣旨を明記しています。食品安全委員会の添加物評価書「ソルビン酸カルシウム」P19 後半、特殊な実験条件下では起きても、食品中での共存で実際に形成されることは意味しない、と説明があるが、記事は後半は引用しなかった。 自分たちにとって都合の良い文脈だけを抜き出してストーリーを組み立てる。科学では絶対にやってはいけないことであり、ジャーナリズムとしても許されません。週刊新潮のこのシリーズ記事を受けて、食品安全委員会はFacebookで3回にわたって、「評価書全体を読むように」と指摘しています。 実は、このシリーズが始まる前に私のところにも週刊新潮編集部から電話がかかってきて取材されました。最初は、食品添加物の規制がリスクアナリシスに基づいて行われていることなどを平易に説明しようとしたのですが、あまりにも知識不足で初歩的なことばかり聞かれるので閉口しました。 もしかすると、彼らは食品安全委員会の評価書の意味をよく理解できぬまま引用しているのではないか、とすら思います。うま味調味料による味覚障害の可能性やトランス脂肪酸のリスクについても記事化されていますが、一事が万事、この調子で、記事は科学的ではありません。彼らにとって都合の良い部分のみを抜き出して、「危ない食品リスト」を並べる手法。ただひたすらに、国内の加工食品を誹謗中傷しているようにしか、私には思えません。 こんな酷い内容の記事、企業として抗議するべきではありませんか? 最初はそう考えました。週刊文春、新潮を見て、追随する週刊誌も出てきています。また、食べてはいけないブームが来た? いやになります。 でも、企業の人たちに話を聞いて考えが変わりました。「だって、お客様相談室に電話がかかってこないんですよ。消費者が、記事に踊らされなくなっているんです」とどの社も異口同音に言います。 たとえば、週刊新潮に「味覚破壊トリオ商品」として名指しされたメーカーには、記事後の消費者からの問い合わせはわずか2件。もっと派手に、社名と商品名を繰り返し掲載され、2週にわたって批判された食品メーカーであっても、お客様相談室への電話は50件超。事業規模、記事での取り上げられ方の執拗さを考えると、非常に少ないと言って良い。しかも、記事を真に受けた「もう食べない」とか「食べて大丈夫か」という批判・質問ばかりではなく、「記事に抗議すべきだ」「放送で反論したらどうか」というような意見もあったそうです。 以前なら、記事が出ると企業には抗議が殺到。電話で1時間でも2時間でも粘って罵詈雑言浴びせかけ、お客様相談室の担当者のメンタルがやられてしまった、なんて話がごろごろありました。今回はまったく違います。同じような情報に飽きた? 九州や関西、北陸、首都圏の生協にも問い合わせてみました。どこも「組合員からの問い合わせがほぼない。これまでの食が危ない記事が出た時と、様相が異なる」と口を揃えます。 最初は、紙媒体、しかも読者がシルバー層なので、インターネット社会の今、情報が拡散しないのか、と考えました。が、少し遅れて、ではありますが、ほぼ同じ内容がネットでも公開されています。しかし、消費者の心に、食品への猜疑心という火はつかないようなのです。 TwitterなどSNSを調べてみても、ごく一部の人しか記事の内容を取り上げていないのは明らかです。 企業が雑誌編集部に抗議をすると、揚げ足を取られて次の記事で面白おかしく取り上げられることがままあります。消費者が反応していない以上、記事は黙殺する、というのが企業の合理的な判断です。 ではなぜ、消費者が騒がなくなったのか? さまざまな関係者に尋ねて回りましたが、どうも決め手はありません。理由は複数ありそうです。(1)同じような情報に飽きている 食品関係者は期待を込めて「さすがに、消費者は危ない情報に飽きたのではないか」と言います。たしかに、1999年に発行された書籍「買ってはいけない」が大ベストセラーになって以降、冒頭で書いたように周期的に中国産や食品添加物等で「危ない」という情報が振りまかれます。新味はありません。(2)陰謀論にも飽き飽き 記事が槍玉にあげる中国、日本の政府機関、大手食品メーカー……。悪いことをやっているに決まっている、という陰謀論のロジックで、記事は展開します。批判を展開するのは、これまでその論法で“食ってきた”評論家、ジャーナリストが目立ちます。 でも、日本の食がそれほど悪い、という実感が消費者にあるでしょうか? 中国など諸外国からの輸入品と国産がミックスされ、日本の食品メーカーの大変な努力もあって、それなりにおいしいし、問題もそれほど多くは起きていないよね、というのが本音ではないでしょうか。 ちょうど、朝日新聞の「論壇時評」で5月31日、歴史社会学者の小熊英二氏が日本に来る観光客の急増について、次のように書いていました。 欧米の大都市だと、サンドイッチとコーヒーで約千円は珍しくない。香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。ホテルなども同様だ。これなら外国人観光客に人気が出るだろう。1990年代の日本は観光客にとって物価の高い国だったが、今では「安くておいしい国」なのだ。日本向け小松菜を栽培する契約農場。大学を出た指導員が、害虫の発生状況などを調べている。害虫被害が多ければ農薬散布など指示し、日本の農薬取締法に合致した農薬が使用される これが、多くの人の実感では? 小熊氏は、その陰で搾取されている外国人労働者に注目しています。私は、安全でおいしく、と努力する大勢の国内食品メーカー社員や、中国の工場で見た、丹念に野菜からごみや虫等を取り日本向けに加工する女性たちの顔を思い浮かべます。 ふんぞりかえって中国や国内食品メーカーを誹謗する記事の欺瞞に、実は多くの人は気づいているのではないでしょうか。(3)不安を煽るテクニックがばれた こちらも、関係者を期待を込めて言うところ。結局のところ、こうした記事は、多くの情報から都合の良い部分のみをつまみ食いし、つなぎ合わせてもっともらしいストーリーに仕立てています。食の安全に関して少しでも知識があれば、「変だなあ」と思って不思議ではありません。 週刊新潮はうま味調味料などにより味覚障害が起きている、と書きますが、論文や公的報告書などの科学的根拠は示さず、ジャーナリストのコメントを載せるだけ。これでは、さすがに読者も納得できないでしょう。それくらいの科学リテラシーは多くの人に備わってきたのではないか、というわけです。現実的な理由も(4)間違った情報を是正する情報が数多くある 「買ってはいけない」が出版された当時、一般の人たちはこうした情報に“免疫”がありませんでした。「危ない」という情報になら人は、わざわざお金を出して購入します。「その情報を覚えておけば安全になれる。人に伝えたら喜ばれる」と信じるからです。一方、「危なくない」という情報は安心にはつながりますが、とくに覚えておかなくてもいいことなので、書籍や雑誌になってもあまり売れません。 しかし、インターネットでは現在、行政や企業が「実は危なくない」「こうやって総合的に安全を守っている」と解説する無料コンテンツが、大量にあります。それらの多くは、科学的根拠が示されています。食品安全委員会の評価書もすべて、公開されています。 おかしな記事が出た後には、安全委員会は評価書自体を示して反論しましたし、間違いを指摘する個人ブログも出てきています。 つまり、侵入してくる病原体=間違った情報に対して、ワクチンやら抗生物質やらがまあまああり、効果を発揮しているのかもしれません。(5)ほかにニュースがいっぱい 以上は、関係者の希望的観測でもあります。一方、「現実には……」として考察されているのは「ほかに関心を集めている話題があるから、盛り上がらないのでは」という指摘です。 つまり、北朝鮮、日本大学アメリカンフットボール部、紀州のドン・ファン、サッカー・ワールドカップ……。テレビやラジオ等もこれらの取材に力を入れ、多くの時間を割いて報道します。以前なら、週刊誌記事を受けてテレビやラジオ等でも食の話題が取り上げられ、メディアミックスで「食べてはいけない」情報が広がったけれど、今はたまたまそういう状況にない、という説です。(6)問い合わせや抗議をするほどの余裕が、消費者にはもうない 汲々とした生活の中で、食費も切り詰めている人が増えているのが現実です。市販の食品は概ね安全、品質もまあまあ、と信じないと暮らしていけない、という人が多いのかもしれません。 大丈夫です。農薬や食品添加物等についてはほぼ、問題がありません。たとえばトランス脂肪酸が気になるとしても、バランスのよい食事をし、菓子や菓子パンを毎日食べる、というような偏食はしない、という「常識」で十分です。 特定の食品の良し悪しにはこだわらず、野菜やくだものたっぷりのバランスの良い食事をすることで、がんや心臓疾患等のリスクが大きく下がる、という科学的根拠があります。 おそらく、消費者が踊らされない要因は、これらがいくつも組み合わされた複合的なものでしょう。 いずれにせよ、惑わされないリテラシーが大事です。この点で、消費者は少しずつ成長しているのではないか、と思いたい。 今回の騒動を受けて食品企業等をかなり取材しました。私から見れば名誉毀損ものの酷いことを書かれたメーカーが「自分たちもまだ努力が足りないことを思い知った。これからさらに努力したい」と言い、「記事に書かれているような中国の問題が、我が社の取引工場で起きていないか再点検して、ないことを確認した」という商社もありました。 日本企業の多くも、そして、中国の生産者や加工業者の多くも、頑張っています。まつなが・わき 科学ジャーナリスト。1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。「第三者委員会報告書格付け委員会」にも加わり、企業の第三者報告書にも目を光らせている。

  • Thumbnail

    記事

    「子供部屋おじさん」61万人はニッポンの恥ずべき現象なのか

    齢層が多数派というわけではない。 この調査結果を受けて、根本匠厚生労働相が「大人のひきこもりは新しい社会問題だ」と述べたと報じられている。しかし、支援体制や方法が不十分であるがゆえに「取り残されてきた問題」という側面もあるのではないだろうか。詳細な分析が待たれるところだが、報告書の集計値からもその点は伺われる。私が注目するべきと考えるのはこの点だ。参院本会議で答弁する根本匠厚生労働相=2019年1月(春名中撮影) 例えば、「初めて現在の状態になったのは何歳頃か」という質問に対して、40~44歳の層では、30代までにと答えている人の合計は実に83%(20代までは67%)、45~49歳では50%(20代までは33%)である。 30代ということは、10~15年前の期間である。つまり、ひきこもりに関わる支援政策が開始されて以降の時期と重なるのだ。このことの意味は重い。政策的取り組みが開始されたのは2000年からであり、旧ガイドラインは03年に発表され、地域精神保健の中にひきこもり支援を位置づけることが明記された。ひきこもりの「死角」 そして2006年には就労支援機関として地域若者サポートステーション(以下、サポステ)が設置されはじめ、現在では全国170カ所以上ある。09年には厚労省がひきこもり対策推進事業としてひきこもり地域支援センターを都道府県、政令指定都市に設置を開始し、翌年には新ガイドラインも発表された。 つまり、ひきこもりになった40代がまだまだ「若者」として支援対象となりうる年齢にありながら、支援とつながらなかったか、あるいはつながっても相応の効果が得られないまま今日に至るということになる。 実際、相談経験についても質問されており、47人の中で「相談する意思はもっている」と答えた36人について見ても、その半数以上は「関係機関に相談したことはない」と答えている。40代前半の11人については相談経験有りが7人と60%を超えるのだが、その中で利用されたのは病院・診療所が主であり、その他の支援機関を利用したのは1人のみである。 もとより「ひきこもり」該当者50人足らずの中で、さらに年齢層で分ければごくごく少ないケースとなり、それに依拠して全体の傾向を推測するには無理もある。その限界は踏まえなければならない。 とはいえ、大方は30代までに現在の状態が始まったという40代前半の層で、サポステも含め、ひきこもり支援を掲げて設置されてきた機関や相談窓口が、あまり機能してこなかった可能性を示唆する結果であろう(ただし、利用という点では親など同居者の相談経験にも注目すべきではある)。 私はある支援機関で2001年からいわば定点観測をしてきたことになるが、当初は10年以上ひきこもってようやく支援機関につながったという人はまったく珍しくなかった。しかし、近年では、ひきこもりが始まった後、親が支援機関にアプローチするまでの時間は短くなり、本人が20代までである場合などは、ひきこもっていた期間もせいぜい数年というパターンが多くなっているようだ。そして本人が出てくるのも、その後の展開(さまざまな活動への取り組み)も早くなっている。橋本市「若者サポートステーションきのかわ」開設に向けた打ち合わせをするサポステきのかわのスタッフ=2013年9月、橋本市(成瀬欣央撮影) 特に親自身が30~40代ぐらいであれば、ネットなども使った情報収集能力が高くなっていることも伺え、個人的には、ひきこもり支援についての情報がそれなりに浸透してきたことの効果は生じているとも感じてきた。しかし、それは甘すぎる認識であったと反省せざるを得ない。サポステの設計ミス 調査の40~50歳代について見ると、ひきこもり継続期間が5年以上という人が6割程度にもなる。ひきこもりには、長期化することで、往々にして家族全体が疲弊し、援助を求める力がさらに低下する側面がある。親や兄弟が高齢化すればなおさらだ。支援現場では確かに懸命な取り組みが行われてきたのではあるが、政策的には多くの人を取り残してきてしまったというよりない。この点ついては、どのあたりに問題があるのだろうか。 まず、支援資源について地域格差が非常に大きいことが指摘できよう。ひきこもり地域支援センターは都道府県と政令指定都市のレベルに設置されるものであり、誰でも通える範囲にあるわけではない。 また、相談やカウンセリングだけでなく、家族や本人が継続的に通うことができ、社会的交流を取り戻していく場が、ひきこもり支援には不可欠である。 だが、そうした実質的な受け皿が存在する地域は決して多くない。不登校支援以来の集積がある大都市部や、地方都市ではあるが一定の経験と規模を備え、さまざまな支援メニューをそろえた民間支援団体が存在するようなところは、比較的資源に恵まれた地域といえる。あとは、地域の保健所や社会福祉協議会が極めて積極的になんらかの取り組みを行っている場合でもない限り、支援につながることは物理的にも難しい。 また、支援方法や予算配分のあり方にも見直しが必要であろう。サポステは全国170カ所以上と相対的に多い機関である。2006年から10年ほどは、ひきこもり支援も期待され、彼ら彼女らも含めた就労困難層を受け止めるために、受託団体によっては持ち出しで「居場所」を用意することなども行ってきた。広島市で開かれた「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の全国大会=2018年11月(共同) しかし、特に2015年度以降、短期的に一般就労に結びつきそうな層に対象が限定され、現在ではひきこもりは対象外とされている。当然のことではあるが、あくまでも就労支援が中心課題となる機関である以上、少なくともひきこもり状態にある本人や家族を支援する機能には大きな限界があった。サポステについては、「積み過ぎた箱舟」と表現されたこともあったが、そもそも設計上、「積み残された」層もまた大きかったことが、この度明らかになったということであろう。ひきこもり政策は失敗だった こうした現状について、大阪の支援実践者としても経験の長い田中俊英氏が、「サポステは失敗だった」と題する記事をweb上に発表している(3月30日 ヤフー個人)。サポステが一定の役割を果たしてきたことは認めつつも、まだ就労には踏み出せないと感じた若者たちは、サポステに数回通った後に離脱し、潜在化してしまう。ならば、「日常生活支援」を経験すべき段階にある多くの人々をすくい上げるために、サポステを縮小し、その分の予算を「居場所」の設置や運営に投入すべきであると、明瞭に論じている。卓見である。 ひきこもりとは、本人に出会うことそのものが困難であり、また、その背景が非常に多様で、より時間をかけて当人や家族の困難を把握していく必要性の高い問題である。すぐには変わらない状態においても、家族や本人をつなぎ止め、もろもろの回復や生きる場の探索に、伴走的に支援していくことが求められる。いずれ就労に結びつく場合でも、その前にそれとはまた異なる方法と経験を備えた支援の場や過程が必要だ。単に現行支援機関の利用年齢制限を取り外せば済むというものではない。 以上のように支援政策について、早急に問い直すべきことが、この調査結果から読み取るべき課題であると思われる。しかし、政策のあり方だけが、こうした長期化した中高年のひきこもりを生み出してきたわけではなかろう。冒頭でも触れたが、今回の報道後、中高年のひきこもり者を「子供部屋おじさん」と呼ぶ書き込みがネット上で散見された。 「子供部屋おじさん」という表現は、中立的に解釈すれば、実家から離れることなく自室を使い続けながら暮らしている中年男性ということになろう。そうした「離家」がなされないことについては、一人暮らしがしたくてもできない経済的理由も大きいことが、社会調査の結果として既に明らかにされている。そしてこうした状況にある中年男性が、すべからく「ひきこもり」的生活をしているわけではないことはいうまでもない。 しかし、問題は「子供部屋おじさん」という表現が、決して中立的なものではなく、蔑称であることだ。「いい年をして子供のように実家に寄生する中年男」といった侮蔑(ぶべつ)的な意味が込められていることは、その使われ方をみれば明らかであろう。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ある雑誌記事では、働かず、人を避け、アニメに浸りながら、高齢の親には暴君として振る舞い年金を巻き上げる、そんな事例が「子供部屋おじさん」として紹介されていた。長期のひきこもり者が時にこうした暴君となってしまうケースもあることは、関係専門家や支援者は知るところであり、私もこうした人などいないといった反論をするつもりはない(ただ、もちろんこうした人が多いという根拠もないことは確認しておきたい)。「ひきこもりが許せない」 とはいえ、一定年齢を過ぎても実家で暮らしているという一事をもって、あるいはたとえそうした暴君であれ、なぜそのようになったのか、なぜそのようにしか生きられなかったのか、問うことも想像することもないまま、侮蔑の言葉やまなざしを投げかけるとすれば、それは問題であろう。 調査結果で、就職氷河期世代にあたる40代前半の層では、20代前半にひきこもり始めた人が33%と突出して多い。40代後半では17%、バブル世代といわれる50代前半では0%である。もちろん他の要因も検討されるべきであろうが、社会的な状況や個々人のさまざまな事情が折り重なって、ひきこもりという状態が生み出されることは繰り返し確認すべきところである。 そして、そうした背景や事情をなんら考慮しない「子供部屋おじさん」といった言葉が、当人とその家族をさらに孤立させることは容易に想像できよう。一方的に「恥ずべき存在」として侮られ批判されることが十分に予測できてしまう。そして実際にそうした経験もしやすい社会の中で、自分や自分たちの苦境を明らかにしながら支援を求めることは非常に困難だ。支援に結びつくこともなく、事態が悪化していくことをもたらしたのは、世の中のこうした悪意ある言葉やまなざしも影響してのことではないだろうか。 そうした言葉やまなざしを投げつける人々は、もとより当事者を孤立させることこそ望んでいるようにすら見えてしまう。ひきこもり中年やその家族が支援されることなく、苦境に陥っていくことこそ望んでいるのかもしれない。その暗い期待にもそれなりの背景があるようにも思われる。 私が講義でひきこもり支援の話をした際、「いじめや周囲からの暴言にも耐えてここまできた自分と、逃げて自室にひきこもった人間が、同じようにこの世で生きていけるなど許せない」というコメントを寄せた学生がいた。出口無しの感も否めない。 しかし、この学生が激しい痛みを経験したときに、適当な避難場所があったのであれば、違っていたのではないか。この学生を受け止め、ともにその状況に向き合ってくれる存在がいたのであれば、他者への想像力や公的支援についての見方もまた異なるものになりえたのではないだろうか。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ひきこもり問題に限らず、自分や家族だけではどうにも対応できない状況について、より抵抗なく相談でき必要な支援も受けられる社会を求めるか、一度歯車が狂ったら最後、一人でもがき続けるしかない社会を是とするか。後者のイメージも強い日本社会から、前者の社会への転換は、コンセンサスを形成すること自体、困難ではあろう。当面は、各種問題への局所的取り組みや部分的制度変更を通じて、人々の人生や社会についての体験のされ方が変わっていくことに希望をつなぎたい。■老老介護は「セカンドハネムーン」という考え方■「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!■NHK「老人漂流社会」プロデューサーが見た親子共倒れの現実

  • Thumbnail

    記事

    新元号発表に「権力者は安易に元号にかかわるべきではない」

     日本の元号の歴史は、約1300年前にさかのぼる。『日本書紀』によれば、最初の元号は645年の「大化」。飛鳥時代の孝徳天皇の即位に際して設けられ、遠く平成の御代になっても、その名は小学校の歴史の授業で学ぶ「大化の改新」と共に、多くの人に記憶されている。「大化」から「平成」まで、247の元号があった。元号は原則として「一世一元」。つまり、天皇1人の治世につき1つの元号というのがルールだ。しかし、約200年ぶりの譲位に伴う今回の改元の舞台裏では、その名を冠することになる「新天皇」が“ないがしろ”にされかねない事態が起きている──。 新元号が発表される4月1日、東京都心・皇居を囲む桜はちょうど満開を迎え、お濠には桜吹雪が舞うだろう。入学式や入社式など、今年の年度初めの行事は「平成最後の」と形容され、長く人々の記憶に残るに違いない。 新時代の名前は何になるのか──発表よりも一秒でも早く報じようと報道各社は熾烈な取材合戦を繰り広げている。「昭和改元の際には東京日日新聞(現在の毎日新聞)が新元号を『光文』とスクープしましたが、結果的に誤報になった。今回も新聞やテレビの政治部が中心となって『元号取材班』を組んでいます。 特に注力するのが、安倍晋三首相(64才)周辺や官邸関係者への取材です。そもそも“時代に名前をつける”という行為は、時の為政者が自身の権力を誇示するためのもの。強権的な政治姿勢をとる安倍首相も、新元号に強いこだわりを持っているとされます」(全国紙政治部記者) たとえば、その「出典」だ。これまでの元号はすべて中国の古典(漢籍)から選ばれてきたが、安倍首相は周辺に「出典は日本で書かれた書物(国書)がいい」と話しているという。国書とは、『古事記』や『日本書紀』などを指す。実際に菅義偉官房長官(70才)は3月25日、国文学や日本史学などの専門家に考案を委嘱したことを明らかにした。「安倍首相は“なぜ日本の元号制定に中国の手を借りなければならないのか”という感覚だそうです。一部では、安倍首相の『安』の字を採用するという話も浮上しています」(政治ジャーナリスト)私利私欲の道具にしてはならない 3月26日、新元号の発表は菅官房長官が行う方針だと報じられた。だが、この報道以前には、発表者は長らく「検討中」とされ、さまざまな憶測を呼んでいた。自民党役員会に臨む安倍首相(右)と二階幹事長=2019年3月15日午後、国会(共同)「安倍総理はこの8月まで政権を維持すれば、第1次政権を含めた通算で戦後最長の在職期間になります。ただ、“首相として歴史に残る大事業を行ったか”と問われれば、いまいちパッとしない。そこで、新元号を自ら発表することで末永く記憶に残る政治家になりたいという意欲があったと囁かれていました」(官邸関係者) たしかに「平成」の額縁を高々と掲げた小渕恵三官房長官(当時)の会見は、時代を象徴する1ページとして、繰り返し目にしてきた。「元号について見識の深い人たち、特に皇室関係者の間では、“権力者が自らの権威づけのために、安易に元号にかかわることは避けるべき”と考えられています。 たとえば、明治天皇は15才という若さであったとはいえ、『明治』をくじ引きで決めたことは有名です。大正天皇も昭和天皇も、天皇の最高諮問機関『枢密院(すうみついん)』の判断に任せた上で、追認しました。『平成』も竹下登首相ではなく、小渕官房長官が発表した。 御代の名前の決定は、向こう何十年かの国の平安を左右するかもしれない責任重大な行為であって、過去の為政者たちでさえ慎重に距離を取った、畏れ多い行為なのです。私利私欲の道具にしていいものではありません」(宮内庁関係者)関連記事■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か■新元号の選び方に法則性 平成の次の頭文字はKか■「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■「元号」と「年号」の違いと元号の6つの条件とは?■改元控え、皇太子さまと秋篠宮さまの「不穏な関係」に心配

  • Thumbnail

    記事

    新元号で「一世一元」に矛盾 急ごしらえ退位特例法に批判も

     安倍晋三首相(64才)は2月22日、東京・元赤坂の東宮御所を訪れ、皇太子さま(59才)と約30分の面談をした。首相が国政などに関して天皇陛下に報告することは「内奏」と呼ばれ、年に数回行われるが、皇太子さまへの報告は異例のことだ。実は、そこで驚きの会話がされたという。皇室ジャーナリストはこう語る。「首相から皇太子さまへ、来年に迫った東京オリンピックや天皇陛下の譲位に関連する儀式について報告するだけでなく、新元号についての説明もあったそうです。新元号の複数の案を示し、その中には(安倍首相の)『安』の文字もあったとされます。皇太子さまは穏やかに“みなさんでよくよく検討してください”といった対応をされたそうです。 また、首相は新元号の決定や公布の手続きを報告したようです。ただ、そのプロセスは皇太子さまのお立場を軽視したものではないかと波紋を呼んでいます」 そもそも、元号を最終決定するのは誰なのか。「昭和」までの246の元号は、天皇自らが決めてきた。元号は天皇の治世を表す名前であり、崩御されたあとは「おくり名」になる。天皇の意志が優先されるのは自然なことだ。 ところが、1979年に「元号法」が制定されると、内閣が新元号を決めることに変わる。具体的には、内閣から委嘱された専門家の提案の中から3案程度が絞り込まれ、有識者会議で検討されたのち、閣議にて改元政令が決定される。衆院議院運営委員会で天皇陛下の譲位を可能にする特例法案が可決され、佐藤勉委員長(左)と握手する大島理森衆院議長(中央)=2017年6月1日、衆院(斎藤良雄撮影) ただし、元号が天皇の御代に対応するものであることに変わりはなく、閣議決定後、天皇が政令に「署名」して初めて、新元号が公表される。前回の平成改元では、即位直後の天皇陛下が『明仁』とサインされた。「本来ならば、新天皇の即位後の最初の国事行為が、新元号の政令への署名になるべきです。次の元号は、皇太子さまの御代の名前なのだから、皇太子さまが『徳仁』とサインされるのが筋です。 しかし、4月1日の時点では、皇太子さまはまだ天皇ではないため、国事行為である署名を行うことはできません。つまり、今上天皇が『明仁』とサインされることになる。安倍首相は皇太子さまとの面会でそうしたプロセスを説明されたと考えられます」(前出・皇室ジャーナリスト) つまり、伝統的に続いてきた「一世一元」の原則が一時的に崩れ、皇太子さまは自分の治世の名を“自分で決める”ことができないということになるのだ。 生前退位という異例の御代がわりではあるが、「皇室の伝統を理解していない政治家や官僚が急ごしらえで退位特例法を作ったからこういう矛盾が出てくる」(別の皇室ジャーナリスト)という声も大きい。関連記事■新元号発表に「権力者は安易に元号にかかわるべきではない」■新元号発表日、ネットニュースがスクープ合戦の舞台に■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か■「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■過去データを元に元号通が予想した新元号本命は何か?

  • Thumbnail

    記事

    朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない

    山岡鉄秀(AJCN代表) 2018年、私はケント・ギルバートさんとともに朝日新聞を追及し、その結果を『朝日新聞との対決全記録』という一冊の本にまとめた。 われわれが当初追及したのは、朝日新聞が英語版でひそかに続ける「慰安婦強制連行プロパガンダ」だった。2014年8月、朝日は吉田清治証言に基づく「虚報」を撤回して謝罪した。ところが、iRONNAでも指摘したように、英語版では「強制連行と性奴隷化」を想起させる表現を使い続けていたからだ。(Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II. 第二次世界大戦前と最中、日本兵に性行為を強要された慰安婦) 朝日新聞はわれわれの問いかけに対し、「慰安婦とされた女性の訴えは人によって、あるいは時期や場所、戦況によって大きなばらつきがあり、個々の状況全体を総合して具体的に説明するのは困難です」と回答した。「慰安婦の多様性」を認めながらも、前述の画一的な表現を改めることは拒否したのである。 その後、同様の表現を使用していた英字紙ジャパン・タイムズが編集方針を改め、そのような表現を今後は使用しないと宣言した。しかし、朝日新聞はわれわれとの交信で自己矛盾を露呈しながらも、方針変更についてはかたくなに拒否した。 そんな朝日新聞は、まるでウルトラセブンに追い詰められ、隠密行動を放棄した宇宙人が巨大化して街を破壊するような行為に打って出てきた。いよいよその暴力性を隠す気も無くしたようだ。最新の例を二つ挙げよう。 韓国が慰安婦に関する日韓合意を事実上破棄したことを受けて、朝日新聞は「慰安婦財団、残したものは」という記事を掲載した。これは日韓合意を受けて韓国側が設立した「和解・癒やし財団」の活動を振り返る記事だが、慰安婦に関する説明が添えられている。そこには次のような記述がある。 戦時中、日本軍の関与の下でつくられた慰安所で、朝鮮半島出身の女性が将兵の性の相手を強いられた。(筆者注:強いられた=forced to provide sex)「慰安婦財団、残したものは」2019.01.28 朝日新聞東京本社版朝刊 6ページ われわれの追及の過程で、朝日新聞が虚報を撤回したことを認めた記事を、利用者が特定のウェブページを訪問することを防ぐようにする「メタタグ」などを使用して検索できないようにしていたことが発覚した。朝日新聞は慰安婦問題に関してはもはや逃げ隠れせず、日本語の世界でも「強制性」を事実として流布することを決めたようである。どんなことをしてでも、日本と日本人を貶(おとし)めたい朝日新聞の執念が感じ取れる。朝日新聞東京本社ビル=2018年10月(宮崎瑞穂撮影) しかし、日本語版では無難な記事を書きながら、英語版で徹底的に日本を貶めるという、朝日新聞の作戦は終了していない。先般閣議決定された、いわゆる「アイヌ新法案」をめぐる記事の日本語版と英語版の齟齬(そご)には驚きを禁じ得なかった。日本語と英語「凄まじい違い」 ここで、2019年2月18日に朝日新聞デジタルで配信された日本語記事を紹介する。先住民族の明記評価 自治体「格差」懸念もアイヌ新法案 閣議決定 国のアイヌ政策の基本となるアイヌ新法案が15日、閣議決定された。アイヌ民族を「先住民族」と明記し、差別禁止やアイヌ文化にかかわる特例措置などを盛り込んだ。法案を評価する声が聞かれる一方、自治体により「格差」が生じると心配する声もある。政府は今国会の成立を目指す。 次に英語版を見てみよう。英語表記と和訳を併記する。こちらは一足早く2月6日に配信されている。Bill finally recognizes Ainu as indigenous people of Japan(法案はついにアイヌを日本の先住民だと認める)After more than a century of forced assimilation and discrimination that nearly blotted out their culture, the Ainu are finally to be recognized as indigenous under legislation to be submitted to the ordinary Diet session. (アイヌの文化をほぼ壊滅させた1世紀以上にも及ぶ強制的な同化政策と差別の果てに、ついにアイヌ民族を法的に先住民族と認める法案が通常国会に提出される) このすさまじい違いは何を意味するか。 この表現では、日本政府が今回の「アイヌ新法」でアイヌを先住民と正式に認めることが、「アイヌ侵略史観」まで公式に認めたと受け取られかねない。「そんなつもりはない」と日本政府が言っても、明確に説明(立論)しなければ、自動的にそうなる。これに朝日新聞が食らいつかないはずがない。それが前述の英語記事につながるわけだ。 日本政府は、アイヌを正式に先住民と認め、さらに手厚く支援することで国際社会の心証が良くなることを期待しているのだろうか。ひょっとしたら、人気漫画『ゴールデンカムイ』のイメージを利用して観光資源になることまで考えているのかもしれない。 2018年12月末、いつの間にか「アイヌ担当大臣」という新たなポストが設置され、公明党の石井啓一国土交通相が指名されたことを知らない人も多いだろう。そして2020年4月には北海道白老町の8600平方メートルの敷地に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園がオープンする予定だ。このように、東京五輪に合わせて海外向けの情報発信が急ピッチで進んでいることもあまり知られていない。2018年12月、北海道庁赤れんが庁舎の外壁に浮かび上がる、アイヌ文化を紹介する「プロジェクションマッピング」 日本政府は、この政策によって「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」「徴用工」などに続いて、「アイヌ侵略」が日本政府公認の歴史的犯罪として世界に拡散される危険性を理解していない。慰安婦に関する日韓合意によって、「慰安婦性奴隷説」は世界で定着した。今後、前述の朝日のような「日本人の犯罪としてのアイヌ侵略」を強調する英語記事が世界中にますますあふれてしまえば、日本人は永遠に税金を使って償い続けることを余儀なくされるだろう。 政府は慰安婦問題で、あれほど日本の名誉を貶められ、国益を損ねながら、またもや進んで情報戦の餌食になってしまった。ここぞとばかり牙をむく朝日新聞の高笑いが聞こえてきそうである。■「慰安婦は誰が強制したのか」曖昧な英文記事、朝日のヘリクツ■慰安婦を「ゲスな演出」でアピールする韓国に反論してもムダである■慰安婦問題で韓国に「無条件降伏」し続ける外務省のホームページ

  • Thumbnail

    記事

    愛煙家は認めよう、けれどタバコ休憩が生んだ「喫煙貴族」は許せない

    常見陽平(千葉商科大学国際教養学部専任講師) 39歳の若さで脳腫瘍により亡くなった父は愛煙家だった。実にかっこよくタバコを吸う大人だった。カートン買いが普通だった。 寝たきりになる前は、選挙速報があるたびに大量のタバコを用意し、かじりついて開票結果を見ていた。歴史学者の父は、病室でも洋書をめくりながらタバコとコーヒーを嗜(たしな)んでいた。危篤状態になり、集中治療室に入ってからも「タバコが吸いたい」と言った。 同業の母も喫煙者で、63歳のときに一度体調を崩すまで吸っていた。もう禁煙して10年になる。洋書をめくり、タバコとコーヒーを嗜(たしな)む両親を見て育った。 さらに、祖父は、日本たばこ産業(JT)の前身である日本専売公社の職員だった。戦前の樺太(当時)でタバコを売っていたこともあるそうだ。実家のアルバムには「ピース」の缶を持って地方紙に載っている記事がスクラップされている。 このような生粋の「タバコ家系」で育ったにも関わらず、私は喫煙者ではない。ただ、嫌煙原理主義者ではない。 嫌煙団体の皆さんはがっかりするかもしれないが、タバコを吸う人は「かっこいい」と思う方だ。例えば、2013年に宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』が公開され、主人公が喫煙することについて抗議の声が上がったが、私はそのような声に疑問を持った。1960年6月、発売前日の産経新聞に掲載された、日本専売公社が新発売したたばこ「ハイライト」の広告 喫煙する権利は認めなくてはならない。喫煙は文化でもある。言うまでもなく、産業でもある。 しかし、「タバコ休憩」だけは納得がいかないのだ。なぜ喫煙者だけが、1時間に10分程度休むことができるのか。謎の「喫煙者特権」 タバコ一家に育ったのにも関わらず、タバコ休憩批判を展開するのは、何より育ててくれた家族に対する忘恩的な行為ともいえるだろう。喫煙者からすると、その気持ちなど歯牙にもかけぬ傲慢(ごうまん)な言動に思えるかもしれない。 しかし、今ここで立ち上がらないならば、人類滅亡の危機さえ招くことを直覚し、私は重大な決意のもと、この檄を叩きつける。たとえ、孤立無援になろうとも、この「タバコ休憩」批判だけは、非妥協的に主張しなくてはならないのだ。ルビコン川を渡るほどの強い決意で、同様の疑問を持った同志たちに勇躍決起することを呼びかけるとともに、日本の労働社会における休憩のあり方について警鐘を乱打したい。 大学卒業後、15年間会社員をした。そのころからずっと喫煙者の「タバコ休憩」特権が謎だった。なぜ、喫煙者だけ1時間に10分程度、喫煙所に消えていくのかと。 仮に、勤務時間が1日7時間半だとすると、このペースで休憩をとると、1日あたりの休憩時間は、昼休みの1時間にプラスして、もう1時間強も休憩をとっていることになる。これは不公平ではないか。 同じ人間なのに、休憩時間が長いのはなぜか。この不公平、不平等を断罪したい。満腔(まんこう)の怒りを叩きつけたい事案である。 しかも、この喫煙所にはコストがかかる。分煙にどこまで力を入れるかにもよるが、個室による分煙を行う場合は、スペースの確保だけでなく、煙やニオイが喫煙スペースにこもったり、非喫煙スペースに漏れたりしないように、給気口や排気口など、一定の気流が確保できる換気設備の設置が必要となる。 喫煙席などの上部に排気設備を設置して、煙が周囲に広がる前に、屋外へ排気する局所排気による分煙も同様にコストがかかる。メンテナンスにもコストがかかることは言うまでもない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 喫煙者のために、いつの間にか投資が行われているのだ。喫煙者が減る中、果たして、この投資分のリターンはあるのだろうか。 しかも、この喫煙所は「サロン化」する。プラスの側面で捉えると、年次・役職や部門を超える交流が行われる。一方で、非喫煙者は排除される。以前の職場では、役職者に喫煙者が多く、その場で決めたことが非喫煙者に共有されないなどのコミュニケーション上のトラブルも発生していた。喫煙エゴイズムに屈するな 自分たちだけ非喫煙者よりも多く休憩をとり、会社から設備の投資も受ける。自分たちだけのコミュニティーをつくる。いわば、彼らは「喫煙貴族」ではないか。 このような社内格差を断じて許してはならない。喫煙エゴイズムに屈してはならない。 もちろん、私のような小市民に、赤々と怒りの炎を燃やされても、迷惑だと感じる喫煙者もいるだろう。「タバコ休憩」は喫煙者が作り出したものとは必ずしも言えない。分煙化の流れの副産物だと言えるだろう。つまり、分煙の徹底が進んだがゆえに広がったものだと私は見ている。 やや自分語りで恐縮ではあるが、私が会社員になった1990年代後半は、営業のフロアでは喫煙しながら仕事をするのが普通だった。営業会議などの際は、会議室は煙だらけになり、吸い殻が山のように積まれる。 灰皿は時に凶器にもなった。灰皿を投げて威嚇する上司もいた。相手に当たらないように、しかもビジュアル的に派手になるように、投げ方にも工夫が感じられた。体に当たらなくても、すでにパワハラであることは言うまでもない。 ただ、いずれにせよ、社内において、結果として「喫煙貴族」が誕生していることについて、われわれは虚心に直視しなくてはならない。非喫煙者たちは「喫煙貴族」と比べて、飛躍的に労働強度が増している可能性があることに気づかなくてはならない。このような策動の貫徹など、絶対に許してはならないのだ。 「喫煙貴族」への怒りは燎原(りょうげん)の火のように燃え広がっている。ただ、誤解なきように言うが、私はこのような不公平な状態を「喫煙貴族」と呼んでいるわけであって、喫煙者を否定するわけではない。最近、出産した前田敦子の名セリフ風に言うならば、タバコ休憩を嫌いになったものの、喫煙者が嫌いになったわけではない。損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険本社の休憩スペース。かつては喫煙室だった=東京都新宿区 人は「喫煙貴族」に生まれるのではない。「喫煙貴族」になるのである。彼らは社会の変化の中で生まれたものだとも言えるのだ。 この日和見的な姿勢は禁煙原理主義者から嫌われそうだし、日和見的な姿勢が糾弾されそうだが、私は権利としての喫煙、文化としての喫煙を否定してはいけないと考えるのだ。「休み方革命」の時代 ただ、喫煙者が結果として、非喫煙者よりも職場で休む機会が多いと感じること、さらには喫煙者に企業から予算が投入されてしまっていることに憤慨しているのである。この分煙化の予算は、誰のためのものかという議論はあるだろうが。 この喫煙者と非喫煙者の断絶、分断とも言える状態、社内での冷戦状態への解決策は「多様な休憩を認めること」ではないか。昼休みの60分の他に、結果として取ってしまっている「タバコ休憩」だけでなく「カフェ休憩」「スイーツ休憩」「おしゃべり休憩」「スポーツ休憩」「読書休憩」など多様な休憩を認めるべきである。また、喫煙スペース以外にも設備投資を行うべきだ。 すでに日本企業においても、イスラム教徒などのために、礼拝室を設け、その時間は抜けることを容認するなどの配慮が進んでいる。これは信仰のためである。さまざまな理由から、職場を抜けて休むこと、休むだけではなく、何かに取り組むことを容認する風土をつくりたい。 これは「休み方改革」とも言えるものだ。すでに「働き方改革」の一環として、1時間単位で有給休暇をとることができる企業、1日の労働時間を見直す企業などが出現している。この「喫煙者以外にも自由な休憩を」というのは、今すぐ取り組むべきことではないか。 時代は、売り手市場を通り越して「採用氷河期」である。人材の獲得、定着のためには労働環境の改善が必要だ。非喫煙者への休憩の拡大、休み方の多様化もその一環として考えたい。 もうすぐ新時代が始まる。新時代を「休み方革命」の時代とするために、抜本的改善を勝ち取り、乾坤一擲(けんこんいってき)、全力を振り絞って奮闘するのでなければならないのだ。平成は喫煙者にとっても、非喫煙者にとっても「暗黒の時代」だった。喫煙者は肩身の狭い思いをし、非喫煙者は不公平な思いをする。2019年3月1日、就職活動が解禁され、学生が集まった大阪市住之江区の合同企業説明会会場(前川純一郎撮影) しかし、「暗黒の時代」とは決して「絶望の時代」を意味しない。どん底の底が破れるときに、光まばゆい世界が開けるのだ。 この国の未来を考えた場合、喫煙者と非喫煙者の対立など不毛である。あたかも、政治における左右の対立のように矮小(わいしょう)化、プロレス化してはならない。ヘビースモーカーの両親から生まれた私が、非喫煙者として円満な親子関係を築けたように、人はきっと分かり合える。 そのために、分煙化推進の副産物である「喫煙貴族」のあり方について見直し、非喫煙者も時間的にも投資額的にも報われる輝かしい未来を作らなくてはならない。非喫煙者の休む権利を勝ち取るために、前進を勝ち取るのだ。■ 喫煙者の皆さん、残念ながら「タバコを吸う権利」はありません■ 潔癖の代償―喫煙ヘイト亡国論―■ 加熱式タバコの安全神話「有害物質9割減」のトリック

  • Thumbnail

    記事

    「タバコ休憩=サボり」喫煙者へのレッテルはむしろ逆効果である

    は必須ではなく、感染拡大を助長しないために一定期間、家で静養するのが望ましい」 年々危機感が煽られて社会問題化しつつあるインフルエンザですが、最新のアメリカ疾病管理予防センターの報告によると、「一部の重篤化の恐れのある幼児や高齢者以外は、寝ておきましょう」というのが新たな世界のスタンダードになりつつあるといいます。嫌煙は優性世論 しかし、いくら「インフルエンザが怖くない」と米国の政府系機関が太鼓判を押したからと言っても、「診察に行かないほうがいい」なんて言われると、人によっては、ちょっとおかしいと思うかもしれません。 さらなる応用問題を考えてみます。 「世界的には、今、大麻の一部成分であるカンナビジオール(略称CBD)は健康に害がないものとして、医療用大麻として合法化されるという動きがある。日本においてはこれを是とする姿勢は見せておらず、一般にも、大麻=悪とのイメージが根強い」 インフルエンザに対して、「診察に行く、行かない」の二択であればまだしも、医療用大麻に対して、「認める、認めない」の二択も、世の中には存在します。いくら依存性がないから安心だよといっても、「大麻の一部成分」を処方されたら、不安に感じる人もいることでしょう。 どちらも、それなりの専門知識がないと、にわかにどちらが正しいとは、断言しづらいと思います。しかし、問題の構造は、喫煙と同じなのです。煙草は単純に、煙たくてにおいが不快で、世論が優勢だから、結論に至る心理過程もシンプルになりがちである、というだけのことです。 「こっちが正しい、あっちが悪者」というレッテルを貼る行為が、現実を変革する効力を持つとは限りません。むしろ変わらない現実を固定化することだって、あります。インフルエンザ対策で加湿器の売れ行きが好調なビックカメラ有楽町店の売り場=2019年2月 大切なのは、他者の考えに対して想像を巡らすということです。そのうえで、「表面的な結果に直接働きかける」のではなく「内在的な真の課題を探しに行く」ことが肝心です。私個人の場合は、そうしたことを続けている中で「恩師の一喝」というご縁をいただきました。喫煙習慣を辞するきっかけは、百人いたら百通りあると思います。 要は、個人個人がそれに対する準備ができているか、という問題なのだと思うのです。嫌煙タカ派の方々におかれては、そんな観点でキャンペーンのプロジェクトを立案されることをご提案し、愛煙家の皆さまにはご自身を責めず、周囲に配慮のうえで喫煙を楽しまれることをお祈りし、サイレント・マジョリティの皆さまには相手陣営の方の心を推し量ることお勧めして、本稿を終えたいと思います。■「加熱式」で知恵を絞れば見えてくるタバコ規制論争の行方■潔癖の代償―喫煙ヘイト亡国論―■肺がん患者の自問自答「喫煙者との対立はなくせないのか」

  • Thumbnail

    記事

    全面禁煙化に潜む「排除された不合理性」

    千葉雅也(立命館大学准教授)千葉 あらゆる施設内を一律に禁煙化するという方針には、ある政治性が、イデオロギーが含まれていると考えられます。それは一言でいうと、「身体の私的所有」の強化です。――どういう意味なのでしょうか。千葉 自らの身体を外界から区切られた「領地―プロパティ(私有財産)―不動産」として考え、境界を侵犯するものを拒絶することです。近年、右派と左派のいかんを問わず「身体の私的所有」を強める傾向が見られると思います。 たとえば右派の場合、在日外国人や移民に対する拒絶反応が顕著です。自国の領土を身体の延長のように見なし、侵犯者を敵と捉え、アメリカのトランプ大統領のように「国境に壁をつくる」といってみせる。 対する左派においては、マイノリティの権利擁護の場面で、アイデンティティの取り扱いを単純化し、当事者の申し立てを「当人が自分はこうだといっているのだからそうなのだ」と固定化するような傾向があるのではないか。 右派の場合は国家や民族など集団的アイデンティティを護り、左派の場合は細分化されたマイナーなアイデンティティを護る、という相違はあるけれど、いずれも「身体という領土」の防衛という点では一致している。身体は自分だけのものである、という認識です。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 受動喫煙への嫌悪もまた、自分の「身体という領土」を一片たりとも侵されたくない、というイデオロギーの表れではないでしょうか。 さらに、たばこの煙に限らず、「電車内のベビーカーや赤ん坊の泣き声が神経に障る」というサラリーマンや、恋愛やセックスのストレスを避ける「草食系」の傾向も、「身体という領土」を脅かす存在を拒絶するという意味で、「身体の私的所有」の観点から説明可能でしょう。 さらにいえば、「身体という領土」とは、「自分という資本」です。それをガッチリ掴んでいる。他者との偶発的な関係によって「自分という資本」が目減りする、不完全化するのを避けたいというわけです。失われた身体のコミュニティ――おっしゃるような拒絶のメンタリティはいつ、どのようにして社会に広まったのでしょうか。千葉 その質問に答えるにはまず、受動喫煙が問題にならなかった時代の社会に何が存在したのか、その後に何が消えたのかを考えなければならない。 結論をいうと、現代社会から失われたのは身体のコミュニティ、身体の共有性でしょう。かつては、自分と他人の境界がもっと曖昧であり、「身体の私的所有」という観念はもっと弱かったのだと思います。 旧来の共同体で生きていた人たちは、「自分の生活は100%自分の意志でコントロールできるものではない、時には他者が土足で踏み込んでくることもある」といった身体感覚を共有していた。 しかし21世紀に入ってグローバル化が進行すると、市場原理主義に基づくネオリベラリズム(新自由主義)の経済体制が強まり、社会の細分化・個人主義が進みました。それと並行して、社会から身体を共有する意識が失われていったというのが、私の見立てです。 この点をより理解するために、「右派」「左派」と「禁煙推進派」「喫煙擁護派」の4者の相関関係を図にしてみましょう。 この図式における政治的立場とたばこの相関関係は理念的仮説であって、混合したタイプや例外も当然あるだろうという注意をまず述べておきます。 さて、右上の「禁煙推進派かつ右派」は、グローバル化と不可分のネオリベラリズムと、国家の閉鎖性の護持という真逆の思想が組み合わさった人びとであり、このタイプは、それがグローバルな(つまり経済的な)大勢であるという理由、かつ身体(私=国家)の私的所有の観点から、禁煙を推進する可能性が高いと思います。 他方、左上の「禁煙推進派かつ左派」は、リベラルの立場から無迷惑社会に賛同する人たちですが、皮肉なことに彼らの主張は、個人を身体のコミュニティから引き剥がすネオリベラリズムと通底している。 このように自らがネオリベと共犯関係にあることを自覚している左派がどれだけいるでしょうか。 興味深いのは、「喫煙擁護派かつ右派」と「喫煙擁護派かつ左派」のタイプです。 右派の論者に喫煙擁護派がしばしば見られるのは、彼らが古いコミュニティ(共同体)に信頼を抱いているからだと思われます。おそらくコアな保守主義者は、「完全な個人主義は成り立たない」ということは実存の本質に関わるテーゼであると、経験を通して直観している。 他方、今日の激した資本主義に異議を唱える左派の議論を深掘りすると、突き当たるのは「コミュニティ」の重視、すなわち「コミュニズム」です。ここにおいて、ラディカル(急進的)な左派とコアな右派は相通じることになる。 対照的に、コミュニズムに無自覚で、結局はネオリベ追従の左派と右派は共に思想のぬるさにおいて同じ穴のムジナといえるでしょう。不合理性の排除は人類の自殺千葉 ここで若干、コミュニズムという言葉の説明が必要ですね。コミュニズムを日本語で直訳すると「共産主義」であり、歴史上、社会主義政権として現れた中央集権の独裁体制を想起して警戒する人がいるかもしれないからです。 しかし、広義でいえばコミュニズムは必ずしも政治体制に限定されるものではなく、私たちの生活のあらゆる場面に「潜在」しているのです。 私が念頭に置いているのは、デヴィッド・グレーバー(『負債論』『アナーキスト人類学のための断章』の著者)らが議論している、「いまここにあるコミュニズム」です。 日常生活のなかで、われわれは必ずしも見返りを求めない贈与やサービスのやりとりを行なっています。その背後にあるのは、合理的な利害関係、損得勘定に収まらない考え方です。自他の利害を白黒はっきりさせず、互いのグレーゾーンにおいて展開する関係性がコミュニズムの基盤だといえる。 われわれの生活の基底には「アナルコ・コミュニズム」と呼ばれるべき状況がある。「アナルコ」とはアナーキズム(無政府主義)。 やはり誤解を避けるために説明すると、この場合のアナーキズムとは、暴力や騒乱を求める思想ではありません。政府による上からの統治ではなく、下からの相互扶助によってコミュニティを成立させることは可能か、という問いに真剣に取り組むための概念なのです。 21世紀の社会では、ネオリベラリズムとアナログなコミュニティが軋轢を起こしています。一方では、責任を担う主体同士がフォーマル(正規)な契約関係を結び、経済活動を行なっている。 しかしその底、あるいはただなかには、自他の境界が明確でないインフォーマル(非正規)な互助関係が多様に展開してもいる。私の懸念は、「責任」の明示を求めることが、後者のグレーな世界を蒸発させてしまうことなのです。大きくいえば、責任という概念自体が、身体の私的所有と根深く結び付いている。――表面上の個人主義や合理主義だけでは社会が成り立たない。千葉 たばこの話に戻ると、全面禁煙化の訴えは、アナログコミュニティを破壊し、合理的主体の勝利をめざすプロパガンダの一環であると思われるのです。 単純な合理主義者にとっては、喫煙と発がん率の相関関係を見るような計量的エビデンスが唯一、価値判断を可能にするのでしょう。しかし人間は、実存の根底において、計量化されない不合理性によって生きています。 私は論考「アンチ・エビデンス」(『10+1 web site』2015年4月号所収)で、質的な根拠よりも量的な証拠を過剰に優先するエビデンス主義(エビデンシャリズム)が、「正しさ」を形骸化させていることを指摘しました。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そのようなエビデンス主義とは、身体のコミュニティの喪失にほかなりません。端的にいって、これは人類の自殺なのではないか……そう考えるのは、「元人類」の古い感覚なのかもしれません。 しかし、いまこそ過剰なエビデンス主義と無迷惑社会の理想に懐疑の目を向け、世界の不合理性を受け入れ直し、不合理性と合理性のグレーゾーンにおいていかに生きるかを模索すべき時が来ていると思うのです。ちば・まさや 立命館大学准教授。1978年、栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(紀伊國屋じんぶん大賞2013、第5回表象文化論学会賞)、『別のしかたで』(いずれも河出書房新社)など。関連記事■ 千葉雅也 著者に聞く『勉強の哲学』■ 山本博 酒とたばこは心の安らぎ■ 「チクショー。やめろ」 オウム真理教・麻原死刑囚最後の日

  • Thumbnail

    記事

    NHK大河『いだてん』受動喫煙騒動から学んだ3つの教訓

     社会が高度に情報化されたことで、人間関係の難しさも表出している。大人力について日々考察するコラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。* * * 今日もあちこちで、いろんな人がいろんなことにクレームをつけています。立場や考え方は人それぞれ。誰もが自由に意見を言える世の中は、もちろん素晴らしいに決まっています。いっぽうで、どんな意見にも異論や反論があるのが常。今日もあちこちで、無益な炎上や対立が起きています。 NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』の中で、タバコを吸うシーンがちょくちょく出てくることに対して、公益社団法人「受動喫煙撲滅機構」が抗議の意を示しました。2月にNHK会長と番組担当責任者に宛てて、〈『いだてん』受動喫煙のシーンに関する申し入れ〉を送付。そこには、以下のふたつの要望が書かれています。一、『いだてん』において、受動喫煙のシーンは、今後絶対に出さないでください。二、『いだてん』で、受動喫煙場面が放映されたことについて、番組テロップなどで謝罪をしてください。 抗議の件が報じられると、その行為を称賛する声とともに、多くの反発の声が上がります。機構にも批判的な電話やメールが寄せられたとか。『いだてん』が描いているのは、おもに1910~60年代。その時代は街中でタバコを吸うのは当たり前の光景でした。元陸上選手の為末大さんも、ツイッターで「(申し入れは)無視していい。歴史は歴史で、その時代に事実だったものはそのまま残すべきだと思う」と投稿。ちなみに為末さんは、受動喫煙防止の活動に取り組んでいます。 NHK側はその後、無視せずにちゃんと返事を出しました。「(主人公の)キャラクターを表現する上で欠かせない要素として描いておりますが、演出上必要な範囲にとどめております」「番組の表現が視聴者の皆様にどのように受け取られるか、配慮しながら番組制作をして参りたいと思います」などと回答。それを受けて機構側は、3月6日に「(NHKが)受動喫煙を撲滅する方針を失っていないと判断致しました」という見解を発表して、事態はいちおう決着しました。 いつの間にか世の中は、誰かが大きな声で「喫煙はケシカラン!」と叫べば、言われた側は黙り込むしかない状況になっています。「そんなに目くじら立てなくても」なんて言おうものなら、どんな罵声を浴びせかけられるかわかりません。しかし、今回は少し風向きが違ったようです。ネット上などでも「そこはまあ、いいんじゃないの」という声が、いつになく目立ちました。東京・渋谷のNHK放送センターにあるスタジオパーク(ゲッティイメージズ) 回答を読むと、NHK側は「今後、喫煙シーンは出さない」とはひと言も言っていません。しかし機構側は、意外なほどすんなり矛を収めました。もしかしたら、「おいおい」という声が多い雰囲気を察知したのでしょうか。あるいは、ニュースになって「喫煙シーンを出すと面倒なことになる」とメディア側にあらためて認識させたことで、十分に目的が果たされたのでしょうか。 私はタバコは吸いませんが、嫌煙を主張する声がヒステリックな方向で高まっていく風潮には「嫌だなー、煙たいなー」という気持ちを抱かずにはいられません。ただ、だからといってこの出来事に対してケンカ腰で異を唱えたら、静かにタバコを楽しみたい方々に間接的に迷惑をかけてしまいます。意見が違う同士でも、たとえケンエンの仲でも平和に手を取り合える世の中を目指して、昨今の嫌煙ムードの高まりや今回の騒動から、がんばって3つの大人の教訓を学んでみましょう。一.気に食わないことに文句をつける場合は、なるべく極端な例をたくさん集めて「それでも認めないあなたは人でなしだ」という流れに持っていく一.誰に何を謝ればいいのか、そもそもなぜ自分がそれを要求できるのかよくわからなくても「謝罪してください」と言えば優位に立った気になれる一.世の中で一定の支持を得ている「正論」だからといって、それをタテに調子に乗って何でもかんでもクレームをつけると味方からも引かれる とてもためになる勉強をさせていただきました。ありがたいことです。もしかしたらカチンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、平和を求める姿勢に免じて、寛大な心で受け止めていただけたら幸いです。苦手な方が多いかもしれませんけど。関連記事■大河『いだてん』 五輪メダリスト投入のテコ入れ案も■『いだてん』視聴率低迷を加速させる「ストレスコーピング」■日曜20時の視聴率争い 『イッテQ』『一軒家』と他局の違い■JTが発売の新・加熱式たばこ 力の入れ方は「半端ない」■肺がんや肺炎の兆候、2週間咳が止まらなかったら要注意

  • Thumbnail

    記事

    たばこ休憩とネットサーフィン 「職務専念義務違反」なのは

     勤務時間内の「たばこ休憩」は1日どの程度なら許されるのか――。 事あるごとに勃発するこの議論。当サイトでも過去に取り上げ、〈他の社員がトイレに行ったりジュースを買いに行ったりする頻度や時間と同じくらいであれば社内で波風も立たない〉とする社会保険労務士の見解を紹介した。昼休みを除き、時間は1回5分、1日3回程度が許容範囲である、と。 しかし、この問題はいつの間にかエスカレートし、「あり」か「なし」かの二者択一を迫る風潮になっている。 11月11日に放送された情報番組の『ミヤネ屋』(日本テレビ系列)でも、市民団体「兵庫県タバコフリー協会」が調査した公務員の「たばこ休憩調査」を取り上げ、スタジオゲストを交えて激論が繰り広げられた。 同調査によれば、兵庫県尼崎市役所の職員が喫煙所に訪れた人数を目視でカウント。1日に547人いたことを確認し、「1本吸う時間5分+移動時間5分×547(人)=離席時間約91.2時間」と算出した。 そして、調査しなかった水道局や環境局などの外局を含めて年間の給料に換算。尼崎市役所だけで少なくても1億円以上、全国の公務員の合計では年間920億円の給料にあたると試算した。 国民の税金から給料が賄われている公務員だけに、時給換算で年920億円もの税金がムダになっていると聞けば、「けしからん」との批判も高まろう。しかし、問題は「たばこ休憩」から「休憩」の意義が考慮されていないことにある。 同番組のコメンテーターである読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏は、こう擁護した。〈計算上はそうかもしれないけど、(勤務時間内に)トイレに行くときだってあるし、体操したほうが(仕事の)効率が上がるときだってある。じゃあ、机に座っていればいいんですか? という話です。仕事よりもたばこ(喫煙所)に行っている時間が主になれば問題ですが、要は程度問題だと思います〉たばこ休憩を巡る議論は尽きない この意見に異を唱えたのは弁護士の本村健太郎氏だ。地方公務員法や国家公務員法の記載において、公務員は勤務時間中“職務に専念する義務”があるとの解説にかぶせ、〈これは民間企業も同じで、トイレのような生理現象は労働時間に含めていいが、たばこは個人の私的行為なので本来は許されない〉 と断罪した。司会の宮根誠司氏はたまらず、〈公務員の人は、トイレ以外はずっと仕事してなアカンいうこと?〉と質問すると、本村氏は〈机に座っていること自体が義務なので、抜ける(離席する)ことがダメ〉と回答。〈10分離れたらアウト、せいぜい30秒なら……〉と補足した。チームワークも大事だが… では、実際にたばこ休憩は「職務専念義務違反」にあたるのか。当サイトでは人事ジャーナリストの溝上憲文氏に聞いた。「もちろん労働契約で勤務時間はきちんと定められていますが、職務専念義務違反行為にあたる離席理由や時間が定義されているわけではありません。 特に許容範囲が広い正社員の場合は、たとえば子供の学校送迎で30分出社するのが遅れることになっても、会社に報告すれば30分相当の給料を引かれることはないでしょう。また、昼休みの外食で注文したソバがなかなかこず、会社に戻るのが1時20分になっても、誰も咎める人はいないでしょう。多少の時間なら周囲も暗黙のうちに認めているのです。 もし、勤務時間を厳密に管理しようと思えば、職場の就業規定に離席理由を細かく明記し、詳細な記録を取ったり、書面による届け出制にすればいいのですが、そんなことをしたら仕事のフレキシビリティが欠けますし、社員のモチベーションや生産性にも影響してくるでしょう」(溝上氏) そもそも、いくら机に座っていても、私語が絶えなかったり、職務と関係のないネットサーフィンをしたり、スマホゲームに勤しんだり……とサボッている社員はいるはず。これらの行為も立派な職務専念義務違反ではないのか。「もちろん該当します。会社のPCでネットサーフィンをしているのであれば、会社の財産を私的に流用したことになるので、たばこ休憩より罪が重い。 喫煙所では他部署の人たちとの“タバコミュニケーション”により、新しいアイデアや企画が生まれることもあります。そういう意味では、たばこ休憩が必ずしも会社の生産性向上や業績アップにマイナスになるとはいえません」(前出・溝上氏) ミヤネ屋の放送は「ちゃんと仕事をやればいいだけ」という結論で幕を閉じたが、そこはシビアに捉える必要があると、溝上氏も同調する。「職場のチームワークも大事ですが、基本的には勤務時間内に個人がどれだけ成果や業績を上げられたかどうかが問われるべき。そこをはき違え、目くじらを立てて時間管理を徹底すれば、ギスギスと歪な職場になってしまいます。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 喫煙者も周囲に迷惑をかけるほど、たばこ休憩を頻繁に取るのは控えなければなりません。『1回1本5分』などと自分でルールを決め、1時間の昼休みを毎日30分で切り上げ、残りの30分をたばこ休憩に振り分けるなど、工夫してほしいと思います」(溝上氏) たばこに限らず、休憩やサボり時間が増えれば増えるほど、仕事の効率が上がらなくなるのは当然。その自覚がない人は、周囲に咎められるまでもなく、結果となって跳ね返ってくるだけだ。関連記事■午後ワイドなら『ミヤネ屋』といわれる強さの秘密■在京テレビ局 大阪北部地震報道に温度差がある?■『ミヤネ屋』のお天気お姉さん 目標は信頼されるキャスター■活躍目覚ましい報道局美人記者 最強お手本は日テレ小西美穂■稲垣、草なぎ、香取の素顔が顔を出す人狼ゲームは新鮮だった

  • Thumbnail

    記事

    「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ

    久保田康介(弁護士YouTuber) 私は弁護士登録をする以前、司法試験対策の講師として活動していました。その際、自分のユーチューブ(YouTube)チャンネルでサンプル講義をアップロードしていました。そうした講義をアップロードする中で、「弁護士がユーチューブで日々のニュース等を法律的に解説する動画をアップロードすれば、需要があるのではないか」と常々考えておりました。 そして、とある事件をきっかけに弁護士登録をすることになり、同時に「弁護士ユーチューバー(YouTuber)」としての活動を開始しました。 ユーチューブの広告収入は、動画の広告が表示・再生されることにより発生する仕組みとなっています。現在では、チャンネル登録者数1000人およびチャンネル全体の動画再生4000時間という基準をクリアしないと収益化することができません。つまり。この基準を満たさなければ入ってくるお金はゼロなのです。 私がユーチューブから受け取る広告収入は、月によって変動がありますが、おおよそ全国の新卒社員の平均額程度です。「弁護士ユーチューバー」として活動を始めた頃は、弁護士会費用(月額5万円ほど)を捻出できれば十分だと考えていたので、それを思うと結構な額をいただいている印象を受けます。 広告収入が多い日は(≒動画がたくさん再生された日は)、一日で10万円を超える収益が発生することもあります。その日が突然やってくることもあるわけですから、これはユーチューブドリームと言っても過言ではないでしょう。 ユーチューブにおいて、より多くの広告収入を得るためには、動画の再生回数を増やし、その動画内の広告の表示・再生回数を増やす必要があります。そうすると、注目を集めるために過激な動画を制作するユーチューバーが現れます。そうした過激な動画が、法律に違反していたり、モラル的に許容し難いものであれば、ユーチューブのコメント欄や他のSNS(会員制交流サイト)投稿などで多くの批判・批評を集めることになります。いわゆる「炎上」ですね。 例えば、「白い粉ドッキリ」という刑事裁判になっているケースがあります。これは、ユーチューバーが警察官の前でわざと白い粉を落として、慌てた様子でそれを拾い、全力で逃走することで、違法薬物だと考えた警察官がユーチューバーを追いかけるのですが、その様子をユーチューバーの関係者が撮影したという映像を動画としてアップロードしたものです。 この動画は、アップロードされた当日に約100万回ほど再生されたはずですが、上記ユーチューバーは逮捕され、上述のように現在は刑事裁判中です。 他方で、意図せずに炎上してしまうケースもあります。例えば、とある有名ユーチューバーが軽犯罪法に違反することを知らずに違反行為をしてしまったケースがあります。このケースでは、そのユーチューバーは数カ月間活動を自粛するに至りました。 炎上すると、コメント欄やSNS投稿を通じてさまざまな意見が飛び交います。中には、意見と誹謗(ひぼう)中傷を織り交ぜたようなコメントや、誹謗中傷するだけのコメントも大量に投稿されます。ユーチューバーが驚愕した事件 炎上中に動画投稿活動を行うと、さらに炎上が拡大することもあることから、炎上中のユーチューバーは謝罪動画をアップロードしたり、活動を休止することが多いです。 炎上をきっかけに、実被害をもたらすケースもあります。過去には、氏名・住所等の個人情報が特定・拡散されたり、過去のプライベートな内容を掘り起こされたり、勝手にユーチューバーの住所を宛先に着払いで物を注文されたりといった例があります。ひどい場合には、炎上したユーチューバーの実家を特定し、物を壊すなどといったケースもあったようです。 過激な動画には一定の需要があり、そうした動画を望む声もないわけではありません。現に、私は過激な動画について法律的な見解を示す動画を制作することがありますが、その動画に「ユーチューブがテレビみたいになってつまらなくなるからやめろ」といったコメントがつけられることがあります。 しかしながら、ユーチューブは規制強化に踏み切りました。近時のコミュニティーガイドラインの変更では、例えば、危険なチャレンジ・いたずらを内容とする動画が禁止されました。禁止の内容に興味をお持ちの方は以下のページをご覧ください。よくある質問:危険なチャレンジやいたずらに対するガイドライン変更に関して ユーチューバーのみならずユーチューブ自体も広告で収益を上げていることから、広告主の意向に背くことはできません。では、広告主が自らの広告を過激な動画につけてほしいかと言われれば、答えは「No」でしょう。結局、ユーチューブもテレビと同様に規制強化へと舵(かじ)をとらざるを得ないことは既定路線だったと言っても過言ではありません。YouTube本社=カリフォルニア州サンブルーノ(GettyImages) 数カ月前に、ユーチューブのコミュニティーガイドライン違反を理由として、とある有名ユーチューバーのユーチューブアカウントが削除されるという事件がありました。その事件は多くのユーチューバーを驚愕(きょうがく)させました。 その事件を受けてなのか、それとも規制強化を受けてなのかは分かりませんが、ユーチューブ全体の傾向として、現在は以前よりも過激な動画が減少しているとの印象を受けます。今後も、健全化とのお題目の下で規制強化が図られることは避けられないと思いますので、私もいちユーチューバーとして、たびたびコミュニティーガイドラインを確認することで自らを省みる必要があると感じています。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか■ テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

  • Thumbnail

    記事

    人気YouTuberの「振り返りブスババ抜きゲーム」が炎上

    網尾歩(コラムニスト) 街を歩く女性の肩を後ろから叩き、ブスだったら「ババ」。「俺らももうちょっとね、女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」「ということでね、振り返りブスババ抜きゲーム!!」 こんなやり取りから始まる動画に批判が集まっている。この動画は、「へきトラハウス」という男性3人組の人気Youtuberが配信したもの。 「第2回振り返りブスババ抜きゲーム!!!」と題し、街なかで後ろから女性の肩を叩き、振り返って「美人」か「ブス」かを競うゲームをしている。振り返って「美人」だと判定された女性をメインに編集されているが、中には振り返った瞬間に顔にモザイクがかけられる女性や、「ただいまブスにつき、映像が乱れております。」という画像が挿入されるシーンもある。 メンバーが「出しちゃいけないレベルのブス」「あれはドボン」と発言したり、「ブス」と判定された女性の顔マネをしたりするシーンもあった。また、動画の冒頭では、肩を叩いた女性に無視され、「ブスのくせに振り向かねえ」「(本当はかわいかったけど相手にされなかったんでしょと指摘され)かわいい子は(俺を)相手にしねえんだ、お高くとまってんな!」などと発言していた。 動画は、19日午後の時点で33万回以上視聴されているが、「高く評価」している人が6169人なのに対し、「低く評価」している人は5896人。人気Youtuberの動画としては、低評価に晒されている。1552件のコメントがついているが、批判的なコメントが多い。共感を集めているのは下記のようなコメントだ。※写真とイメージは関係ありません(ゲッティイメージズ) 「これは本当に酷い企画。女性に対するルッキズムを助長する動画だよ。面と向かってブスだと言わなきゃそれでいいと思ってんだろうけど、後ろから肩叩かれて『あー…大丈夫です』って言われるだけでどういうことかすぐに理解できる。ただ道を歩いているだけでカメラ回しながら美人かブスか勝手に見た目ジャッジされるのって、通り魔に遭うような気持ちだろうよ」メンバーの開き直り 通常、こういった企画が炎上すると謝罪が行われるものだが、「へきトラハウス」は批判に対して、「討論している平和ボケしたブスは今すぐブラウザバックして『オオカミくんには騙されない』でも観てブスという現実から出来るだけ長い時間目を背けていてください。」というコメントを動画下につけている。※「オオカミくんには騙されない」は、インターネットテレビの人気番組。 本人たちも顰蹙を買うことを前提にこういった動画を制作しているのだろうから、ツッコんだ方が負けなのかもしれないが、負けと言われても不快なものは不快である。上にあげたコメントが倫理的な問題点については触れているが、付け足すのであれば、後ろからいきなり肩を叩く行為について。 たまに、街なかのナンパについていった女性が性被害や窃盗被害に遭うニュースが報じられる。「ナンパについていく方も悪い」と言う人もいるが、強引なナンパは実際にあるし、ナンパを無視して舌打ちをされたり、「ブス!」と怒鳴られたりした経験のある女性もいる。いきなり声をかけてきた相手に「穏便にお引取りいただくスキル」が女性にだけ求められている現実もある中で、本人に直接言ってないとはいえ、声かけを無視した女性に対して「ブス」「お高くとまってる」と毒づくのは、弱い者いじめにしか見えない。 また、この動画はそもそも、次のような掛け合いで始まる。欠席しているメンバーがデートだという説明→なぜアイツに彼女がいて俺らにいないんだと思う?→意識が低いからじゃない?→違います。女を見る目がないからです。→(彼女のいるメンバーは)自分とフィットする相手を選ぶのがうまい。 ここで、冒頭のセリフにつながる。「俺らももうちょっとね、女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」「ということでね、振り返りブスババ抜きゲーム!!」 いや、ちょっと待て。むしろ保守的な企画 彼女のいるメンバーは「自分とフィットする相手を選ぶのがうまい」という話から、「女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」につながるのはわかる。しかし、そこでなぜ「じゃあ自分とフィットする相手ってどんな子か?」や、「フィットする相手を見つけに行こう」とならず、「振り返りブスババ抜きゲーム!!」という見た目査定になるのか。 誰もが認める「美人」と付き合うことが自分にとっての「幸せ」だと考えているならば、幸せの基準を他人に投げ売っている。もちろん、企画ありきで適当に前振りを考えただけなのだろうが、その雑さにとりあえずツッコんでおきたい。地上波ではできない「ブスいじり」できちゃう俺たちカッケーなのかもしれないが、旧来の価値観にのっとっているだけの、むしろ保守的な企画である。 彼らが配信している動画はほかにも、「奇抜な服装してる女全員ブス説」「マスクしてる女全員ブス説」「二重の女、一重の女友達を100%見下してる説」など女性に対してルッキズムを執拗に突きつけている。 また他には「隠れゲイを見つけるまで帰れま10!!!」「中卒のヤツ見つけるまで帰れません!!」など、セクシャルマイノリティや学歴をネタにした企画もあり、タイトルで炎上を狙っているかも知れないのだが、動画を見ると、女性に対して「出しちゃいけないレベルのブス」などと言っていたのに比べ、男性に対しては言動にまだ気遣いを感じる。 これらの動画では、セクシャルマイノリティの男性や「中卒」の人に実際に街なかで出会うのだが、彼らはそういった人たちに対しては優しく接している。少なくともあからさまにバカにする態度は取っていない。だからこそ、なぜ「ブス」認定した女性に対してだけ、あれほど失礼な態度を取れるのか不思議なのである。 2010年には、首都大学東京の学生が「ドブスを守る会」という映像作品を制作し、退学処分を受けている。これは街なかで女性に「ドブス写真集を作りたい」などと声をかけ、その反応を記録した映像だった。この学生たちの説明は「不道徳なものから生じるおかしみを表現したかった」だったという。※写真と本文は関係ありません(ゲッティイメージズ) 何が言いたいかと言うと、「振り返りブスババ抜きゲーム」は他にない発想では特になく、不謹慎ネタとしてありふれている。同じ不謹慎なら「振り返り極道ババ抜きゲーム」でもやってみてほしい。 ちなみに「へきトラハウス」は11月3日から始まる「明大祭(明治大学の学園祭)」に出演予定だそうだ。

  • Thumbnail

    記事

    はじめしゃちょー主演YouTubeドラマから見えた人気の理由

     YouTubeが始めた新サービスYouTube Premiumで、ドラマが配信されている。そのひとつが、人気YouTuber“はじめしゃちょー”が主演する『The Fake Show』だ。YouTuberと聞くと炎上狙いの過激な撮影をしているイメージが強いが、実際のYouTuberは、過激派と穏健派に分かれている。地上波テレビにもときどき登場するHIKAKINは穏健派のひとりで、はじめしゃちょーもそちらだ。人を不快にさせない、汚い言葉づかいをしない、好感度の塊のような穏健派YouTuber初主演ドラマについて、イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、実はラジオに近いYouTuber人気について考えた。* * * 2018年11月、日本で「YouTube Premium」のサービスがスタートした。月額1,180円を払えば、広告カット、ダウンロード、バックグラウンド再生とYouTubeの機能を拡張できる。ま、それはどうでも良くて。 職業柄、興味を惹かれたのが「YouTube Originals」。会員だけが観られるオリジナルコンテンツが用意されるとのこと。ラインナップを見ていると、あるドラマに僕の目が留まった。そのタイトル名は『The Fake Show』、説明文にはこう書いてある。「主演を務めるのは人気YouTuber“はじめしゃちょー”」“はじめしゃちょー”……って、えええあの! 最初、空目を疑ったもんね。もう、すごい時代になった。 数多いるYouTuber、そのなかで日本一のチャンネル登録者数を誇るのが“はじめしゃちょー”だ。高身長の優男、「〇〇やってみた」といった実験系動画で人気者に。長期間、ほぼ毎日新作動画を公開している。そのなかで新たな挑戦をしたいと思ったのか、どうか。本当の理由はわからないが、デビュー作が主演作。もう観るしかない! こうして“はじめしゃちょー”が「俳優をやってみた」、『The Fake Show』の鑑賞へと至った。 あらすじはコチラ。2017年8月、UUUMの上場セレモニーに参加した人気ユーチューバーのHIKAKIN(左)と鎌田和樹代表取締役CEO“はじめしゃちょー”が演じるのは、日本一のYouTuberショウ。書かずもがな、自分をモデルとした役柄だ。ある出来事をキッカケにショウは、自分のドッペルゲンガーを生み出してしまう。そのドッペルゲンガーが悪人だった。ショウのアカウントを乗っ取り、イタズラ動画を勝手に配信。炎上するショウ、カリスマYouTuberに未来はあるのか!? ジャンルでいえばサスペンス、想像以上にシリアスな作風だった。“はじめしゃちょー”が企画段階から関わったということもあり、ドラマのなかで「職業としてのYouTuberとは?」なんて葛藤も描かれる。はじめしゃちょーの演技力は? 動画のためなら他人を巻き込むことを厭わない。こう、思われがちなYouTuber。EP1で早速「YouTuberかなんだか知らないですけど、普通の人巻き込んで非常識だと思いますよ!」と注意されるショウ。当人が抱える苦悩が漏れている、そこから物語に引き込まれていく。 続いて、気になっている方も多いだろう“はじめしゃちょー”の演技力について。ショウ役は想像以上に良かった。しかし、考えてみれば当たり前。普段の動画と同じにように“はじめしゃちょー”を演じれば良いのだ。堂に入った演技は、助演を務める技巧派俳優陣に囲まれていても浮いてなかった。 逆にしんどかったのが、ドッペルゲンガー役。サスペンスドラマにおいて、視聴者はもう1人のショウに人外的な恐怖を求める。しかし、演技初挑戦の“はじめしゃちょー”には荷が重すぎる。狂気を一切感じられないドッペルゲンガーに仕上がっていた。怖さのレベルを例えてみれば、中学生の反抗期ぐらい。初主演で一人二役、配役からしてハード。しかし、最後までやりきった“はじめしゃちょー”はなんだかんだスゴい。 やりきる力と軽薄短小さ、YouTuberの魅力はココに集約される。彼らが公開する動画に前知識はいらない。エンターテインメントでも美術、文学、映画とは異なる文脈。敷居は極端に低く、誰しもが楽しめるウェルカム体勢。よって低年齢層のファンが増えるのも納得できる。 人気YouTuberは笑顔を振りまく。撮影場所が自宅といったことも多い。動画の隅々から垣間見える余裕と景気が良さそうな暮らしっぷり(芸能人のお宅訪問とかもう死語)。鬱屈とした世の中で人生を謳歌しているYouTuber。テレビのゴールデンタイムに子供も楽しめるバラエティ番組が減った昨今、小学生の羨望の眼差しが集って必然。 意外と鋭い目線を持つ子供、YouTuberが問われているのは人間性だ。面白い動画を作る以上にそれが1番大事。毎日観ても食傷しない顔、口調、そしてリアクションとオーラ、そして諸々。YouTuberと視聴者は1対1の関係、構造としてはテレビよりもラジオに近い。動画ゆえラジオ以上に情報量は多く、素顔を隠して配信を続けるのは難しい。先天的にタレント性を持った人以外、YouTuberで稼ぐのはムリだろう。『The Fake Show』もそういった意味では同じだった。ストーリーが兎に角難儀で、話が想像もしない方向へと進む。良い意味で予定調和がなく、悪く言えば突飛。ドラマというよりは“はじめしゃちょー”の魅力を詰めたプロモーションビデオに近い。鑑賞者の多くは“はじめしゃちょー”だから観るはず。そう考えると普段公開している動画と変わらない気もする。つまり、ドラマとしてはなんとも不完全燃焼な出来だったのである。●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週1度開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)。関連記事■今も色褪せない『マネーの虎』の教え 動画で人気なのも道理■ケンカ三昧の『あいのり』 ベッキーのコメントでは収拾不能■YouTuberになった山根明氏「テレビに踊らされるワシやない」■にゃんこスター・アンゴラ村長が「Vチューバー転身」か■過激ゆるキャラ・ちぃたん☆を直撃! クビにされた感想は?

  • Thumbnail

    記事

    辛酸なめ子氏、炎上大国日本を憂える「何を当たり前と思うか」

     テレビをつけても、ネットを見ても、はたまた電車の中やお店でも…何だか窮屈に感じたり、「そこまで必要!?」と思うような過剰サービスに遭遇したりすることが最近多いのではないだろうか。“和を以って貴しとなす”がわが国の美徳だったのに、見回せば不寛容や過干渉、過剰反応ばかり──。このイヤ〜な雰囲気、どう思いますか? 漫画家でコラムニストの辛酸なめ子さんは、かねてから炎上大国・日本の現状を憂いてきたSNSウオッチャーの1人だ。「最近は、女性芸能人のSNSが、取るに足らないことで炎上します。例えば“いちご狩りでコンデンスミルクをつけて食べたらたたかれた”“手作りの恵方巻が大きすぎて炎上した”など、些細なことを目の敵にしてたたくのは、芸能人の幸せぶりに格差を感じ、対する自分は幸せではないと嫉妬が増幅されて、彼女らを引きずり下ろしてやれと思う人が増えたため。 TwitterやYouTubeでは、不用意な投稿が多いのに対し、FacebookやInstagramはキラキラしたリア充を見せつけられるので、より悶々とする人が多いのでは」(辛酸さん・以下同) 最も攻撃的なのは書き込む人だが、周囲も黙ってそれを見ていてウサを晴らしており、ネットニュースのユーザー投稿欄にも、厳しい批判や正義感を振りかざした意見が並ぶようになったことに恐怖を感じるという。「実は先日、そんな日本と正反対のインドを旅してきました。インフラもルールもまったく整っていないインドの田舎は、土の道はデコボコ、トイレもすごく汚なくて、1000年前から変わらないような暮らしをしています。でも、不思議とすれ違う人々はピュアな笑顔ときれいな目をしていて、貧しくとも幸せそうでした。クラクションの音さえプワ〜と間の抜けた感じで、高速道路を車が逆走しても怒る人はいない。 それに比べて日本はすべてがきっちり整いすぎていて、少しの遅れやミスも許せない。つまり、何を当たり前と思うかで人の幸福度は変わり、寛容度も違ってきます」漫画家でコラムニストの辛酸なめ子氏 匿名性の高いSNSはイライラ・カリカリのはけ口になりがちなので、気をつけて発信しているそうだ。「私が書く時は、『元・海の王子のKKさんはマグロ漁船に乗ったり、皇居に住みついたたぬきに懐かれたりしたら信頼度がアップするのに…』などとできるだけお笑いやボケ、脱力の方向を心がけ、炎上エネルギーを鎮魂したいと思っています」関連記事■不寛容や過干渉に過剰反応、二宮金次郎像や寛一お宮像も…■ベビーカー、保育園で論争&炎上 日本人は不寛容なのか■三波春夫の「お客様は神様です」をはき違えるクレーマー■セルフレジに戸惑う高齢者が発したひと言でふと我に返った話■増える「不謹慎狩り」 炎上は0.1%のクレーマーによるもの

  • Thumbnail

    記事

    首相参拝よりはるかに深刻、靖国神社「天皇御親拝ゼロ」の衝撃

    島田裕巳(宗教学者) 靖国神社が揺れている。2代続けて宮司が任期途中で退任するという出来事が起こった。しかも、それは病気が理由ではない。これはかつてない事態である。 天皇自らが神社に参拝することは「親拝(しんぱい)」と呼ばれるが、平成の時代には、一度も親拝が行われなかった。平成が終わる4月の末までに親拝が行われる可能性はゼロに等しい。 戦没者の慰霊のための天皇親拝が、靖国神社にとって最も重要な事柄である。それが果たされなくなったことは、宮司交代とは比較にならないほど重大事であるはずである。 首相の靖国神社参拝ということがずっと問題になってきたが、親拝に比較すれば本来それほど重要なことではない。平成の時代に宗教をめぐって起こった重大な、そして深刻な事態は、その著しい衰退である。 各宗教団体の信者数は、文化庁が毎年刊行している『宗教年鑑』に掲載される。信者数は、あくまでそれぞれの団体が申告した数で「自称」ということになるが、それだけを追っても、宗教の衰退ぶりは激しい。 神道系の信者は、平成の間に9千万人から8千万人に減った。これは、人口減少が本格化する前の数字である。 神道系以上に衰退が激しいのは仏教系で、8500万人から4800万人に減少した。3700万人も減ったのである。日蓮正宗の総本山、大石寺にある日本庭園「法祥園」の桜=静岡県富士宮市(ゲッティイメージズ) ただ、その中には、日蓮系の日蓮正宗の信者が1780万人から69万人に減ったことが含まれる。平成が始まったころ、日蓮正宗と長年密接な関係を持っていた創価学会が破門されるという出来事が起こった。その数を差し引いても、仏教系は2千万人減っている。靖国「固有の事情」 神道系と仏教系を足せば、平成の間に3千万人が減少した。もっとも、氏子として神道系に数えられると同時に檀家(だんか)として仏教系に数えられる人間も少なくないので、実際の減少数はもっと少ない。 だが、2千万人以上減少していることは間違いないことで、日本人全体の5分の1程度が信仰から離れたことを意味する。これは、あまりに急激な変化である。 靖国神社の場合には、その影響を受けるだけではなく、固有の事情がある。 靖国神社では、戦没者を英霊として祀っているわけだが、太平洋戦争が終わってから74年が過ぎようとしている。参拝者の中には、戦没者の遺族が膨大な数に含まれたわけだが、今や、遺族の多くは亡くなっている。 2017年度には、軍人恩給を受け取る戦没者の妻は2万人を切った。靖国神社に祀られるということと、軍人恩給を授けられるということは連動している。だからこそ、遺族の集まりである日本遺族会は、かつては125万5千世帯(1967年)もの会員数を誇ったのだ。在任時、共同通信社のインタビューに応じる靖国神社の小堀邦夫前宮司 戦没者の遺族が亡くなるということは、靖国神社に肉親が祀られているために参拝する人間の数が大幅に減少することを意味する。現在、靖国神社を参拝する人々の大半は、戦没者の遺族ではなくなっている。 それは、靖国神社の存在意義を曖昧なものにすることに結びついている。 「陛下は靖国を潰そうとしている」と発言して宮司の職を退くことになった小堀邦夫氏は、『靖国神社宮司、退任始末』という小冊子を出している。そこには、靖国神社の神職たちが、創建150年のための派手な事業には熱心でも、肝心な戦没者を祀るという行為には必ずしも誠実ではない実態が綴られている。将来に対する大きな不安 具体的には、戦没者が亡くなった日を記した『祭神祭日暦略(れきりゃく)』に、日中戦争や太平洋戦争の戦没者の氏名が記されず、「諸命(もろもろのみこと)」として、祝詞の中で名前が奏上されない事態が放置されている。 小堀元宮司は、伊勢神宮に禰宜(ねぎ)として奉職していた経験があり、伊勢神宮についての著作もある人物である。伊勢神宮では、その性格上、神を祀るということに厳しい態度で臨む。そうした立場からすれば、単立の宗教法人としての靖国神社の運営や、そこに奉職する神職のあり方は、相当に弛緩(しかん)したものに映ったのだろう。 もちろん、『靖国神社宮司、退任始末』に綴られたことは小堀元宮司の個人的な見解であり、新しい宮司をはじめ、靖国神社の神職からは反論もあるに違いない。だが、靖国神社が置かれた現在の状態から考えると、その存在意義が薄れ、将来に対して大きな不安が存在していることは間違いない。 戦前の靖国神社は、内務省や陸軍、海軍両省が共同で管理する国の機関だった。その点で、靖国神社のあり方は国が決定した。 しかし、戦後、靖国神社は民間の一宗教法人となった。しかも、その特殊な性格から、神社本庁には包括されなかった。それは、靖国神社のあり方は、神社側が決められるということを意味する。 国の機関であった靖国神社が民間の機関になったことに最大の問題があり、また矛盾がある。 靖国神社の国家護持の運動が盛り上がりを見せたとき、それを実現するには「非宗教化」が必要だとされた。内閣法制局も、非宗教化には何が必要か、具体的な指針も示した。靖国神社の第二鳥居と神門(ゲッティイメージズ) 靖国神社のことを国民全体で考え、その上で将来の方向性を定めるには、改めて、非宗教化によって国の機関に戻す道を模索する必要もあるのではないだろうか。■総理は「敗戦の日」にわざわざ靖国参拝すべきではない■皇室の未来と「象徴」の地位を縛りかねない陛下のお言葉■私はあえて言う、陛下のお言葉は「失敗」だったと

  • Thumbnail

    テーマ

    「セカンドレイプ」はなぜ起きる?

    派遣型マッサージ店の女性に性的暴行を加えたとして、強制性交容疑で俳優の新井浩文容疑者が逮捕された事件は、きょう拘留期限を迎える。起訴か、不起訴か、捜査当局の判断にも注目が集まるが、一方で被害者の側に立てば性的二次被害、いわゆるセカンドレイプの問題も出てくる。なぜ後を絶たないのか。

  • Thumbnail

    記事

    なぜレイプ事件が「不起訴」になるのか、その理由をすべて説く

    上谷さくら(弁護士) 強制性交容疑で俳優の新井浩文容疑者が逮捕されたニュースは、世間を驚かせた。ただ、性犯罪は、不起訴処分になることが少なくない。ではなぜ、こうした状況になるのか、本稿ではその背景について考えたい。 2018年10月以降、「ミスター慶応コンテスト」出場歴のある慶応大生らが、複数の女性に対する準強制性交容疑などで計5回逮捕されたが、横浜地検が不起訴処分にした。これについては、5回も逮捕されてなぜ不起訴なのか、性犯罪加害者に甘いのではないか、また再犯したらどうするのか、などという批判的な意見も出ている。 しかし、性犯罪が不起訴になる理由はさまざまで、被害者を保護するためであることも多い。ここでは、強制性交罪(旧強姦罪)を例に説明する。 まず、逮捕はしたものの、双方の言い分が全く食い違い、客観的証拠に欠けるケースがある。典型的なのは、性行為があったこと自体に争いはないが、加害者は「合意があった」と言い張るケースだ。 全体的な状況から被害者が合意していなかったことが推認されるが、「暴行・脅迫により反抗を著しく困難にした」といえる証拠がない、という場合である。そもそも性犯罪は密室で行われることが多い。そのため、目撃者がいないのが通常で、犯行状況が防犯カメラなどに写っておらず、被害者が涙を呑むことになってしまう。 次に、証拠がそろっていても、不起訴になる場合もある。これは、加害者が犯行を否認している場合と、認めている場合に分けて検討する。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) なお、平成29年7月の刑法改正で、性犯罪は親告罪ではなくなったため、証拠がそろっていれば検察官は起訴できるが、被害者の心情を考慮し、被害者が起訴を望まない場合にはその意思を尊重する運用がなされている。したがって、不起訴=証拠が足りなかった、というわけではない。 加害者が犯行を否認している場合、被害者は法廷で事件の詳細について証言しなければならない。加害者がどれほど荒唐無稽な弁解をしていたとしても、その証言は避けられない。 起訴されるまでの間に、被害者は警察にも検察にも何度も同じ話を繰り返し説明しており、被害現場に行ったり、被害状況を再現したりして、被害の再体験を強いられ、既に心身に相当なダメージを受けている。 法廷で証言するとなると、さらに尋問に備えた準備が不可欠となる。その場合、自分の被害のことを話せばいいだけではなく、加害者の弁護人からの峻烈な、時には悪意に満ちた反対尋問にも耐える準備をしなければならない。PTSDが障害になる証言 被害者は事件を忘れたいのに、忘れないように努力しなければならず、その狭間で苦しみ、被害回復が遅れる。もうこれ以上苦しみたくない、早く忘れたい、日常生活に戻りたい、という気持ちから、起訴を断念する場合がある。 この過程で、被害者に代理人がついていなかったり、警察や検察、支援団体のサポートが不十分だと、十分な情報が得られずに起訴を断念してしまうこともある。 被害者が法廷で証言する際、被害者のプライバシーを守るための制度はあるのだが、悪意ある(もしかして本当に無知なだけかもしれない)弁護人から、「法廷で証言すると、あなたは晒し者になる。名前もわかるし、興味本位の人たちがたくさん傍聴に来て、ネットに面白半分に書かれ、傷ついてしまう」などと言われ、心が折れてしまう。 その時、弁護人の見解が誤っていることを指摘できる人が周囲にいればいいのだが、一度折れてしまった心を再度つなぐのは難しい作業であるし、やる気のない警察官や検察官が担当だと、なんのフォローもなく事件終了となってしまうこともある。 また、加害者が否認している場合、被害者が復讐を恐れ、起訴を断念することがある。加害者が認めている場合であっても、被害者は多かれ少なかれ加害者からの逆恨みを警戒するものであるが、否認しているとなると、その恐怖感は倍増する。 さらに、レイプの被害者は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症していることが多く、日常生活を送れないほどに症状が重いケースも少なくない。そうすると、証言自体が不可能で、起訴できない場合もある。 心理の専門家は、被害者に証言させること自体、症状を重くしたり、いったん収まった症状が再発するので、証言などさせるべきではないという意見を述べる人が多いが、裁判上、この点に関する手当はなんらされていないのが現実である。 次に、証拠がそろっていて加害者が犯行を認めていても不起訴になる場合について説明する。性犯罪の場合、被害者の方が誘ったのではないか、美人局(つつもたせ)ではないか、お金目当てではないか、被害者は日頃から異性関係が乱れている、服装が派手だなどの的外れな偏見が根強い。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) また、被害が性的なことにかかわるため、話をすること自体、とても恥ずかしい気持ちになってしまう。そのため、被害者は、被害を誰にも言えなかったり、ごく一部の人にしか打ち明けられないことがほとんどである。 家族や恋人にも黙っているケースも多い。そうすると、いつまでも捜査や裁判にかかわっていると、いつか被害がバレるのではないか、という恐怖心がある。親に怒られる、恋人に嫌われる、婚約を破棄される、といった心配がつきまとう。このようなことは、被害者の杞憂ではなく、実際に生じていることである。レイプを許す人はいない また、被害者の家族や恋人、信頼している友人らに打ち明けたものの、「早く忘れなさい」「裁判にすると嫌な目に遭うに決まっている」「奇異な目で見られるからやめて」などと反対され、味方になってくれる人がおらず、孤独感から裁判を諦める人もいる。捜査段階の取り調べ等で疲弊し、PTSDも発症し、一日も早く終わりたい、事件から解放されたいとの一心で裁判を拒絶する人もいる。 さらに、行きずりの犯行の場合、加害者は被害者の名前を知らないのに、裁判になると起訴状に被害者の名前が記載され、加害者が被害者を特定できてしまうという問題がある。 法律では、起訴状に被害者の名前を記載することは求められていないが、実務上、被害者名を匿名とすることはほとんど認められておらず、原則として実名である。被害者の名前が分かると、会員制交流サイト(SNS)で被害者の人間関係、生活圏などの個人情報がすぐに分かってしまうことから、加害者に復讐されたり、被害自体や個人情報を暴露されたりすることを危惧する被害者は多い。そのため、証拠も固く、被害者も刑事裁判を望んでいるのに、泣き寝入りを強いられるケースもある。 最後に、不起訴の場合、示談が成立している場合が多いので、示談について述べる。示談というのは一般的に、加害者が被害者に対して一定額の金銭を支払い、交換条件として被害届を取り下げると思われているようであるが、必ずしもそうではない。 賠償金を受け取るが被害届は取り下げないという示談もある。もちろん、加害者側としては賠償金と引き換えに被害届を取り下げてほしいところであろうが、被害者に多大な経済的・精神的損害を与えた以上、賠償金を支払うのは当然のことであり、刑事処分とは全く別の問題である。 また、示談の際、「加害者を許す」という言葉を入れることにこだわる弁護人が多いが、レイプした加害者を許す人などいない。「許してもいい」という被害者がいるとしたら、事件のことで頭が混乱しているか、「許す」と言わないと賠償金を支払ってもらえないと勘違いしているかのどちらかである。本心では絶対に許したくないのに「許す」などという文言を交わし、賠償金を受け取った場合、被害者はその後ずっと苦しみ続けることになり、被害は回復しない。※写真と本文は関係ありません(ゲッティイメージズ) 私は被害者に必ず、「加害者を許す気持ちがあるか」ということを確認する。これまでに「許してもいい」と言ったのは、電車内でスカートの上からお尻を触られたという痴漢被害に遭った女性一人しかいなかった。それほどに性犯罪被害の実態は残酷なのである。被害に遭ったことがなく、想像力も共感力もない人が「犯人を許すべきである」などと軽々しく言うべきではない。 不起訴によって加害者が野放しになり、再犯の恐れが生じたとしても、それは被害者の責任ではない。性犯罪の再犯率が高いのは、服役したところで同様であり、再犯防止を考えるのは行政や政治の責任である。性被害は「魂の殺人」と言われる。被害者には、自分の回復のことだけを考えてほしい。■性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ■「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■私が慶大で出会った広告学研究会という滑稽な「リア充」たち

  • Thumbnail

    記事

    性犯罪「カネで解決」法律と感情のギャップはこんなにある

    山岸純(弁護士) 性犯罪事件の報道において、その犯人の「属性」がニュースバリューになることが多々あります。 犯人の「属性」が、「慶応の学生」「イケメン俳優」「〇〇区役所の課長」「〇〇テレビの局長」「誰々(著名人)の次男」などといったように、より世間体を気にする必要があったり、世の中でもてはやされているような職業であったりする場合、それが性犯罪事件とともに伝えられることで、より人々の耳目を集めるわけです。 そして、その後のニュースで「不起訴」と報道されると、世の中はさらに疑問の声を上げることになります。 このような時、必ず巻き起こるのが「親がどうのこうのだから」「カネがどうのこうのだから」といった憶測です。そして、これらの憶測のほとんどが的を射ています。 実は、性犯罪の犯人が起訴されるか否かは、よほど大きなケガをさせていない限り、「カネ」を払って許してもらえるかどうかによります。 要するに、被害者が許してくれるだけのカネを払えるなら、そこで「示談」が成立するわけです。当たり前ですが、被害者が「1千万円もらっても犯人を許さない」という態度であれば「示談」は成立せず起訴されるでしょうし、「示談」に応じるということは、「カネを受け取る」=「許す(処罰を求めない)」ということなので、この場合は不起訴になります。 言い換えれば、被害者が「カネは受け取るが許さない」ならば、犯人も「カネは払わない」のであって、「カネを受け取る」=「許す(処罰を求めない)」は極めて密接な関係にあるのです。 犯人を起訴するか否かについて独自の考えで判断できる「検察官」は、この辺りを見極めています。被害者がカネを受け取り、処罰も求めていないのに、わざわざ正義を貫く(起訴する)必要もないと考えるわけです。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ところが、このような「仕組み」について、国民はなかなか納得できないでしょう。「(親などの)カネの力で解決した汚いやつ」というレッテルを長い間貼られることになります。 しかし、批判を覚悟で言うならば、先ほどの検察官の考え方も含め、「法学」という世界においては、「カネ」で解決することは至極当然のことと考えられています。「性犯罪」に対する国民感情と法律の世界にはギャップがあるのです。 なぜなら、現代社会のほとんどの国は、刑事事件においてメソポタミア文明の象徴である『ハンムラビ法典』のような「犯罪に対しては同じ苦痛を与える」という制度を採用しておらず、また民事事件においては「被害の回復はカネによる」と明文化されているからです(民法709条)。「同意の有無」の難しさ また、平成29年に「性犯罪」に関する刑法の規定が改正されるまでは、性的暴行などは「親告罪」とされており、被害者の処罰意思(告訴)がなければ検察官であっても起訴することができませんでした。したがって、被害者が「カネを受け取っている」などを理由に「処罰を求めていない」ならば、制度的に起訴できなかったのです。 このため、たとえ「性犯罪」が平成29年の改正によって「親告罪」ではなくなった(被害者の処罰意思、つまり告訴がなくても起訴できる)今でも、「被害者の処罰意思」については、起訴するかどうかを判断する際に最優先で考えることにしているわけです。 この点は、覚醒剤の使用などの薬物犯罪というものが、「被害者が存在しない犯罪」であるにもかかわらず、「薬物を違法とする国の制度を揺るがす犯罪」であるから、犯人に同情するような点があっても起訴される(処罰される)ことと違いますね。 このように、「法学」という世界においては…などと偉そうに書いてきても、「すわ、性犯罪は女性蔑視の際たるものである!」「『襲われる女性にも隙があった』などとトンデモないことを言う識者は全滅しろ!」などという声が大きいことは確かです。 しかし、再び批判を覚悟で言うならば、殴る蹴るといったよっぽどヒドい暴力を用いた「性犯罪」ではない限り、「同意なく、無理やり」であったかどうかは「紙一重」の場合があります。 もちろん、見ず知らずの犯人、行きずりの犯罪、ケガもした、というものであればぐうの音も出ません。しかし、犯人と顔見知りであり、普段から仲も良く、直前に一緒に食事もしていた、といった事実関係があった場合において、果たして「同意なく、無理やり」という環境がどこまできっちりと揃っていたかについては、慎重に判断せざるを得ない事件もあるわけです。 なぜなら、「性犯罪」が成立するためには、「相手方の反抗を著しく困難にする程度の暴行・脅迫」という、ある程度強い「暴行・脅迫」が必要であり、「嫌がっていた」だけでは「性犯罪」とはなり得ないからです。 この手の話になると、「暴行・脅迫」の程度が問題なんじゃない、セクハラのように「相手が嫌がっていたかどうかが重要なんだ」と主張する方もいらっしゃいます。 しかし、「刑罰」というものが、社会のルールを逸脱した行為・者に対する最終手段として位置付けられている以上、「性犯罪」が成立するための「暴行・強迫」の存否は慎重に判断すべきなのです。東京地方裁判所=東京・千代田区霞が関(撮影・吉澤良太) それでも、なお「性犯罪」に対する厳罰化の声が大きいことは確かですし、私も「『罰するため』に犯罪を成立しやすくする」のではなく、上記のように犯罪の成否を絞って慎重に起訴・不起訴を判断した上でのことであれば、もちろん賛成です。 ただし、その際に忘れていけないのが「制度」としての「執行猶予」との関係です。 実は、平成29年の改正により「強制性交罪(昔の強姦(ごうかん)罪)」の法定刑が5年以上20年以下の懲役刑となったので、制度上「情状酌量」といった減刑の理由がない限り、「執行猶予」がつけられないのです。 つまり、日本では「初犯は、覚醒剤事件なども含めて、だいたい執行猶予がつく」という「相場」があるのですが、「強制性交罪」の場合、一発で刑務所行きとなるわけです。 とすると、やはり最初に戻り、「示談」が成立し「被害者の処罰意思」がないようなケースにおいては、何が何でも厳罰化という流れではなくても良いのではないかと思うわけです。■「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■「性犯罪の中でも小児性愛は別格である」私が見た依存症治療の現実■性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ

  • Thumbnail

    記事

    性暴力「正義の味方」目線で吊し上げるメディアの方が罪深い

    原田隆之(筑波大教授) 俳優の新井浩文が2月1日、派遣マッサージ店の女性従業員に性的暴行をした容疑で逮捕された。有名人の性犯罪だけに、ネット上では炎上し、テレビのワイドショーは連日このニュースを取り上げた。 しかし、ここでまず押さえておかなければならない点は、ワイドショーなどが騒ぎ立てたのは容疑の段階だったということである。その時点で「犯人」と決めつけて、過去の行状にまで遡って非難したり、人格攻撃までしたりするのは非常に問題である。 性犯罪、特に強制性交罪のような極めて重い罪が疑われるケースでは、世間はとかく感情的になりやすい。もちろん、性犯罪は許すことのできない卑劣な犯罪であることに間違いない。とはいえ、影響力の大きなメディアが、いかにも「正義の味方」のような顔をして、容疑の段階でこぞって人々の感情を煽り立てることに何の正義があるのだろうか。 ところで、性犯罪への刑罰は、2017年の刑法改正で大きな変化があった。たとえば、かつての「強姦罪」が「強制性交罪」へと名称が変更された。これによって、それまで「強制わいせつ罪」として処罰されていた行為(たとえば口腔性交や肛門性交)も、そこに含まれるようになり、実質的な厳罰化だといえる。 また、強制性交罪の懲役の下限は、旧強姦罪の3年から5年に引き上げられたことで、よほどの酌むべき事情などがない限り、起訴されれば執行猶予がなく必ず実刑となることになった。 さらに、強姦罪や強制わいせつ罪は、従来は被害者が告訴しなければ起訴されない「親告罪」であったが、それも撤廃された。被害者が声を上げにくいことに乗じた「逃げ得」ができなくなったのである。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) このように、全体の傾向は、厳罰化の方向にあるものの、まだ不十分との意見も多い。たとえば、懲役の下限が引き上げられたとはいえ、強制性交罪の上限は20年、強制わいせつ罪は10年のままである(下限は6カ月)。このような犯罪は、被害者に計り知れない大きなダメージを負わせるものであるのに、それでも20年で済むのは軽すぎるという意見は、確かにその通りであると思う。 また、多くの場合、性犯罪は密室で被害者と加害者しかいない場面で起こる事件であるため、立件や立証が難しい。ゆえに、捜査や裁判の過程で「唯一の証人」として被害者がいわゆる「セカンドレイプ」を受けることも少なくない。被害者への配慮はまだまだ不十分である。懸念される人権侵害 さらに、強制性交罪が成立するには、「反抗を著しく困難ならしめる程度の暴行・脅迫」が必要とされている。加害者はしばしば「合意の上だった」などと言い訳をして罪を免れようとするし、どの程度の暴行・脅迫がなされたのかは、明白な外傷などがある場合を除いて、後になってからは誰も分からなくなってしまう。 こうしたことを考慮すれば、2017年の刑法改正をもって、これでよしとするのではなく、今後も折に触れて「罪と罰」が見合っているのかどうか、慎重に検討することが必要なことは言うまでもない。法改正に当たっても、施行3年後をメドに再検討することが盛り込まれたのはそのためである。 とはいえ、その一方で、行き過ぎた厳罰化にも問題がある。まず、冒頭で述べたとおり、メディアやネットでの「吊し上げ」のような風潮は、放置しておくべきではない。中には、被害者まで特定されたり、あるいは逆に批判されたりすることもめずらしくはないことを考えれば、被害者、容疑者双方の人権について、われわれはもっと真剣に考慮する必要がある。 また、厳罰化には犯罪抑制効果がないことは、多くの研究ではっきりしている。性犯罪については、全地球測位システム(GPS)の装着、居住地の公開などの対策が諸外国ではなされているが、これらの「効果」が実証された研究は1つもない。むしろ、研究知見は一致して、これらの方法には再犯抑制効果がなく、コストばかりが著しく増大することを示している。そして、言うまでもなく人権上の懸念も大きい。 量刑を引き上げるなど、より苛酷な刑罰を科すことについても同様に再犯抑制効果は見られず、むしろわずかであるが、再犯率を上昇させることも分かっている。議論するにあたって、このような科学的知見をきちんと押さえておきたい。 ただ、性犯罪は、われわれ社会が真剣に取り組むべき重要な問題の一つである。これには誰も異論はないだろう。しかし、その際に重要なことは、一時の怒りや不安などの感情に流されることなく、真に効果のある対策を冷静に検討することである。 世界中で、有効な対策をめぐって議論が交わされる中で、われわれ犯罪心理学者は、その使命として、真に効果のある対策について研究を重ねている。そして、われわれが提唱しているのは、刑罰と併せて「治療」を実施することである。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) たとえば、わが国では2006年に法務省が刑務所と保護観察の枠組みにおいて、「性犯罪者再犯防止プログラム」を開始し、一定の成果を上げている。 また、われわれの研究グループは、民間の精神科クリニックにおいて性犯罪者の治療を実施し、こちらも着実な成果を上げている。治療では、認知行動療法と呼ばれる心理療法が中心であり、ケースによっては薬物療法も併用している。感情論は解決にならず 治療内容は、性犯罪者の女性や性に対する「認知のゆがみ」を分析して、それを修正したり、性犯罪に至る「行動の連鎖」を解析し、それを断ち切るための具体的な対策を身に付けさせたりする。 モチベーションがない者に対しては、それを高めるためのアプローチもある。共感性の欠如、コミュニケーションスキルの欠如、暴力的な問題解決パターンなど、彼らが有している個別的な問題性に対しても、アセスメントをしたうえで一つ一つ対処を重ねる。 具体的な治療成果を数字で示すと、複数回の逮捕歴や再犯歴がある性犯罪者の中で、われわれの治療を受けた者の1年間の再犯率はわずか3%である。しかも、刑務所と比べるとコストは比較にならないくらい安い。刑務所で受刑者1人当たり、年400万円弱の税金がかかるのに対し、病院の治療では数十万円で済む(本人負担はその3割)。 海外の研究に目を向けると、研究によって治療成績はまちまちであるが、相対的に見ると再犯率はおおむね30%から50%程度は抑制できることが分かっている。 もちろん、残念ながら今のところ再犯率を0%にはできない。ゼロにするためには、死刑にするか、一生涯刑務所に閉じ込めておくしか方法はない。「だったらそうしろ」とヒステリックに叫ぶ人は多いが、現実的でない意見を感情的に叫んだとしても、それは何も言っていないに等しい。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) このような発言をすることは、自分の鬱憤(うっぷん)を晴らすことにしか興味がなく、性犯罪対策について真面目に考えていないことの証拠である。 ここで紹介した「加害者臨床」には、科学で犯罪と闘うためのアプローチとして、今世界中で注目が集まっている。加えて、被害者に対する心理的なケアも併せて充実させることが重要だということは言うまでもない。 犯罪のない未来へと少しでも前進するためにわれわれは何をすべきか、冷静に科学の声に耳を傾けてほしい。容疑者をたたくだけたたいて、1週間もすれば忘れて次のニュースを餌食にするのはもうそろそろ見直すべきではないだろうか。■性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ■「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■私が慶大で出会った広告学研究会という滑稽な「リア充」たち

  • Thumbnail

    記事

    性犯罪被害者を苦しめる「無意識のレイプ」という考え方

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 刑法の目的は犯罪の予防です。刑法それ自体は、犯罪被害者のためにあるわけではないでしょう。被害者一同が加害者を許してほしいと懇願したとしても、だからといって無罪放免にはなりません(親告罪は別ですが)。また、被害者が事件を思い出すことがとても苦しい時にも、警察や裁判所は事情を聞き、証言を求めることもあります。 性犯罪は、残虐な犯罪です。レイプだけでなく、客観的には軽微な犯罪ですら、時には被害者の一生を左右するほどの心の傷を残します。心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しむ人もいます。すっかり自信をなくす人や、男性と交際できなくなる人もいます。二次的問題として、学校や仕事を続けられなくなることもあります。 このような性犯罪に対しては、世間の怒りも強くなります。実際に刑法上も厳罰化の方向で改正が進み、強姦(ごうかん)罪も「強制性交罪」となって、他の多くの犯罪と同様に非親告罪になりました。非親告罪は、被害者などが訴えなくても、法的に罪が問える犯罪です。 多くの犯罪被害者は犯人逮捕を願います。窃盗犯が捕まって盗まれたものが返ってくればうれしいですし、そうでなくても、犯人逮捕によって応報感情が満たされ、心の癒やしにつながることも多いでしょう。だから、被害者は進んで被害を訴え、加害者が起訴されることを望みます。 しかし、性犯罪は必ずしもそうではありません。あなたが被害者だったり、被害者家族だったらどうでしょうか。 黙っていれば誰にも知られませんが、警察に届ければさまざまな困難が予想されます。警察は、犯人逮捕のために細部にわたって事情を聞きます。証拠を確保するために、体を調べられたり、下着を提出したりすることもあります。 裁判も苦痛でしょう。刑事裁判では、推定無罪のもと、検察が犯罪を立証しなければなりません。被害者は、「供述の信用性」をめぐって厳しい尋問に晒(さら)されることもあります。マスコミに報道されれば、たとえ実名はでなくても、大きな負担になるでしょう。性犯罪被害者は、被害を訴えることによって、「セカンドレイプ」と言われるような、さらなる被害を受ける可能性があります。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 世間の人たちは、犯罪に興味や関心を持ちます。特に被害者が若い女性だと、世間の関心は被害者に向きがちです。被害者は、好奇の目で見られ、プライバシーが暴かれてしまうこともあります。 それでも被害者は訴えるべきでしょうか。私たちの社会は、加害者を罰し治安を維持するために、起訴し裁判を開くべきでしょうか。不起訴の弊害 非親告罪は、被害者の訴えがなくても裁判を開けますが、実際は被害者の協力なしに公判を維持することは難しくなります。被害者は裁判に協力すべきでしょうか。ただそれでも、被害を届けなかったり起訴されなかったりすることで、事態が悪化することもあります。 性犯罪の被害者はとても深く傷つくのに、加害者側は性犯罪をとても軽く考えがちです。逮捕されない、事件化されないとなれば、なおさらでしょう。加害者は犯行を繰り返します。 2014年の日本映画『ら』は、映画監督の水井真希氏が自らの被害体験をもとにして作られた映画です。映画では、ある性犯罪被害者が被害を警察に届けないままにします。その結果、第2、第3の被害者が出るというストーリーです。 このような事例は数多く起きています。また、逮捕されても、示談などが成立し起訴されないことで、さまざまな問題が起きることもあります。 以前、ある大学の学生たちによる集団準強姦事件が発生しました。学生らは逮捕されて実名報道もされ、大学から無期停学処分を受けました。しかし、被害者との示談が成立し、不起訴となります。すると学生側は、大学の処分が不当だとする民事裁判を起こしました。 民事裁判では推定無罪ではないので、訴えられた大学側が処分の正当性を立証しなくてはなりません。しかし、示談が成立した被害者からの協力は得られません。大学側は苦しい戦いになります。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 1審では、大学の処分が無効とされます。2審でも、集団準強姦があったとはされないものの、学生らの行動は問題があったとして、大学の処分は有効とされました。真実はどうだったかは闇の中です。性犯罪は、被害者が泣き寝入りをすることが多い一方で、冤罪(えんざい)もまた多くなりやすい犯罪です。 犯罪被害を受けた人は、きちんと警察に届けるべきでしょう。必要なら裁判もすべきでしょう。しかし、私たちは被害者にそれを強いることはできません。犯罪予防のために被害者に協力を乞うのであれば、被害者を保護しなければなりません。無責任な「野次馬」 以前であれば、性犯罪被害者の家にパトカーと制服警官が来ることも普通でした。男性警官が、遠慮なく事情を聞くことも当然と思われていました。 しかし、現在は、近所に目立たないように私服警官が普通の車で来ることもできます。被害者に配慮しつつ、女性警官が事情を聞くこともできます。被害者が大人の場合で本人が希望すれば、家族にも秘密で調べを進めることもできます。届け出前の相談から、届け出後の捜査段階まで、カウンセラーなどとも連携した被害者保護の整備が進められています。このような現状を被害者に知らせることも必要でしょう。 そうはいっても、対応はいまだに不十分であり、またどんなに配慮しても、被害者にとってはやはり負担でしょう。「社会のために」という理由だけで、被害者に協力要請することは心苦しくも思います。 届け出を出さないことも個人の判断ですし、示談にすることも悪いことではありません。だから、警察に届け出ること、裁判に協力すること自体が、被害者にとって有益なものにしたいと思います。 フォトジャーナリストである日本人女性が、アメリカでレイプ被害を受けました。犯人は逮捕され、有罪判決を受けましたが、彼女はもちろん激しく落ち込みます。 しかし、彼女は立ち上がります。彼女は、フォトジャーナリストとしてレイプ被害をカミングアウトしている人々を取材します。そして、被害者らの凛々(りり)しい顔写真と共に、戦う被害者たちを一冊の本にまとめました(『STAND―立ち上がる選択』大藪順子著、いのちのことば社)。 欧米で女性長期監禁事件が発覚すると、被害者女性は性犯罪被害者でもあるのに、顔と実名を出して記者会見を行うことがあります。欧米社会は、被害者女性を英雄として扱い、被害者は多額の保証金を得たり、手記を出版したりするなどして、新しい人生を力強く歩み始めます。被害者が隠れて生きなければならない日本とは、大きく事情が異なります。米ペンシルベニア州で再会した父親(右)に抱きつく10年間監禁されていた女性=2006年3月(AP=共同) 性犯罪被害者が警察に被害を届け出て、裁判に協力する。その勇気ある行動を社会全体が支援しなくてはなりません。支援の気持ちを表さず、犯人を起訴し罰することだけを望むのは、無責任な態度ではないでしょうか。 内閣府の2015年の調査では、女性の6・5%が無理やり性交された経験があると回答しています。「被害者を支援しない人たちは、加害者側に加担しているのだ」とさえ語る被害者の声を、私たちは忘れてはいけないのです。■ 女性記者の「セクハラ告発」でテレビ朝日が犯した二つの過ち■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 肥大した欲望を抑えるだけの社会との絆はなかったのか

  • Thumbnail

    記事

    性犯罪被害者の苦悩、警察による捜査で心と体の傷に塩

     「私は相手の男性を告発したいのではありません。性犯罪の被害者が泣き寝入りせざるを得ない日本の司法システムや捜査方法、そして被害者に対して不寛容な社会のあり方を少しでも改善したくて、声を上げたのです」 力を込めて語るのは、ジャーナリストの伊藤詩織さん(28才)。詩織さんは2015年4月3日、レイプ被害を受けたという。国際的なジャーナリストを目指し、希望に満ちていた彼女の人生は、この晩の出来事で一変してしまった。 10月18日に著書『Black Box』(文藝春秋)を上梓した彼女は、そこで初めてフルネームを明らかにした。 ニューヨークの大学でジャーナリズムと写真を専攻していた詩織さんは2013年秋頃、仕事で同地を訪れた元TBSテレビ報道局ワシントン支局長の山口敬之氏(51才)と知り合った。山口氏から仕事の話をするという理由で2人で会った後に、レイプ被害に遭ったという。 詩織さんは警察に被害届を提出。山口氏を準強姦容疑で告発し、裁判所から逮捕状も出た。だが、逮捕当日になり、刑事部長の判断で突然執行が中止に。結果、2016年7月に「嫌疑不十分」として不起訴になった。 2015年に日本で発生した強姦事件の件数は1167件。これは世界的に見てもかなり少ない。実際、国連薬物犯罪事務所のデータ(2013年)によると、人口10万人あたりの各国のレイプ事件の件数は、日本は1.1件で世界87位。1位のスウェーデン(58.5件)のおよそ60分の1だ。だが、この数字は、実態をありのまま反映したものではない。ニューヨークの国連本部で記者会見するジャーナリストの伊藤詩織さん(中央)=(共同) 「スウェーデンでは性的暴行は起こった回数分カウントします。例えば、数年にわたって毎日のように同じ人から被害を受けていたら何百回、というように。また、被害に遭ったらすぐに治療・検査が受けられる24時間365日体制のレイプ緊急センターがあり、女性警察官の割合も日本と比べ高く、性犯罪の捜査に取り組む環境が整っていて被害届を出しやすい面もある。逆に日本は、性被害を受けても警察に届けにくい環境なので、泣き寝入りが増え、結果的に発生件数が少なくなります」(詩織さん) 内閣府の調査(2014年)によると、異性から無理やり性交させられた経験のある女性のうち、警察に相談した人は4.3%にとどまる。一方、どこにも相談しなかった人は67.5%に達する。「よくある話」で終わる なぜ、日本では性被害者が声を上げにくいのか。詩織さんが身をもって体験したのは「警察のサポート体制の希薄さ」だ。詩織さんは押し寄せる恐怖と痛みに苦しんだ末、事件から5日後に警察を訪れた。 「受付で『女性の警官をお願いします』と言っても話が通じない。他の待合者がいるなかで『強姦の被害に遭いました』と伝えました」(詩織さん) その後ようやく現れた女性警官にもう一度、事件の詳細を伝えた。 「つらい記憶を思い出して脂汗を流しながら何とか話し終わるやいなや、『これから刑事課の者を呼びます』と言われました。私が2時間かけて詳細を伝えた女性警官は管轄外の、交通課の所属だったのです。 刑事課の男性捜査員にまた同じ話をしましたが、その後も、地域が管轄外などの理由で繰り返し同じ話をしなくてはいけませんでした。トラウマ状態にある中、心身ともに疲れ果てました。もし最初から、警察に性犯罪被害者に対するマニュアル、捜査員への教育などが整っていれば、負担は大きく軽減されたでしょう」(詩織さん)デリケートな点にまで詰め寄られる 自分が受けた性被害の詳細を他人に話すことは極めて過酷な作業だ。それが何度も繰り返されればなおさらだろう。詩織さんの苦悩はさらに続いた。 「被害を相談しても、警察は捜査に後ろ向きでした。日時を改めて面会した所轄の警察官からは、『よくある話だし、事件として捜査するのは難しい』と告げられました。あの恐怖と苦痛が『よくある話』として処理されてしまうのはあまりにも理不尽です。何とか食い下がって捜査を始めてもらいましたが、その後の取り調べでは、捜査員から何度も『処女ですか』と聞かれたり、男性捜査員が見ている前で人型の人形を相手にマットの上で事件を再現させられたり、つらい体験が続きました」※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ただでさえ傷ついた被害者の心と体の傷にどこまで塩を塗るつもりなのか――。 性犯罪に詳しい上谷さくら弁護士も、警察の捜査が被害者に大きな負担を強いていると指摘する。 「警察のなかでも、強姦事件を担当する捜査一課や刑事課は殺人や強盗を取り扱う部署のため、男女を問わず、声が大きく態度が威圧的な刑事もいる。『どっちの胸を触られましたか?』『陰部に指が入ったの?何本?どこまで?』などと、デリケートな点まで被害者は何度も詰め寄られます。なぜ、その質問が必要かという説明もなく、ただ質問攻めにされたら、普通の女性なら『自分にも落ち度があったのではないか』『私が悪いんだ』と思ってしまいます」「被害者らしくしろ」 詩織さんもそう感じた1人だ。ある時、捜査員は詩織さんにこう告げた。 「もっと泣くとか怒るとか、被害者ならば被害者らしくしてくれないと伝わらない」 詩織さんが続ける。 「捜査をしていくなかで強く感じたのは、密室で顔見知りから受けた性暴力は立証が難しいということ。被疑者が『相手は喜んでついてきた、合意があった』と言えば、それを否定するのは簡単なことではありません。捜査の末、『一緒に部屋に入っただけで合意だ』と見なされて起訴されないケースだってあるのです。 私の場合は、ホテル入口の監視カメラに山口氏に引きずられるようにして部屋に入っていく映像が残っていました。にもかかわらず、『その後部屋の中である程度時間が経っている。その間に何が起きたのかは第三者にはわからない』と何度も言われました。意識のない状態で部屋に引きずりこまれた人間が、その後どう『合意』するというのでしょうか…」 捜査に協力する過程で警察から何度も「立証は難しい」と言われ、精神的に追い込まれていった詩織さん。 「捜査に協力した数か月は精神的にも身体的にも仕事を続けられる状況ではありませんでした。自分の行動を疑われ、再現させられ、まるで私が加害者として取り調べをされていると錯覚することさえあった。早く終わりにしたいと何度も感じました」(詩織さん)※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 問題は警察だけではない。5月の会見以降、“世間の無理解”が詩織さんに襲いかかった。 「『死ねばいいのに』という誹謗中傷だけでなく、丁寧な言葉で『女性としてあなたの行動は恥ずかしい』『私は飲みに行く時間も場所も選ぶ。あなたは自業自得だ』『あなたは被害者に見えない、山口氏を陥れようとしているのではないか』というメールをいただきました。正直、驚きましたし、ショックでした」(詩織さん) こうした声は少数ではない。6月にNHK『あさイチ』が性暴力を特集した際は、「最後まで抵抗することをやめなければよかった」との70代男性の意見が寄せられた。しかし強姦事件で抵抗すれば、殺害される恐れもある。 アパートの一室から9人の遺体が見つかるという猟奇性で、現在、日本中を戦慄させている神奈川県座間市の死体遺棄事件も、10代を含む女性被害者8人は全員、強姦されていたとされている。それでも、ネット上には「SNSで知り合った男性についていく方が悪い」という声が散見されており、被害者に対する世間の風当たりは強い。関連記事■ 伊藤詩織さん「山口氏と闘うつもりない。仕組みを変えたい」■ 雑誌モデルからAVに転身して「救われた」女優の告白■ 首相腹心記者の強姦告発会見 全国紙は1行も報じなかった■ 子育て支援サービスの裏で性犯罪が続発、というジレンマ■ 痴漢公務員「ババアか、俺に触られただけありがたいと思え!」

  • Thumbnail

    記事

    性的犯罪の通報率は2割以下、未遂であっても110番する癖を

     不審者に遭遇した時、小学生の7~8割が抵抗できないという。だからこそ被害に遭わない習慣が大切。犯行が起こりやすい場所や時間の傾向を知って対策を立てよう。 不審者に遭遇した時に抵抗できた子の割合だ。中学生以上でも、半分以下。年齢が下がるほどさらに難しくなる。ならば、最初から被害に遭わないようにするしかない。科学警察研究所犯罪予防研究室室長の島田貴仁さん(「」内以下同)は、こう提言する。「まず、どんな時間帯、どんな場所、どんな状態だと不審者に会いやすいかを、親子ともに知ることが第一です」 警視庁の調べによると、小学生が狙われやすいのは、平日の午後4時頃。つまり、下校後に塾や友達の家に行く時などが多い。狙われやすい場所は、集合住宅の場合、階段や廊下、エレベーターだ。 この時間に出かけるな、この場所に行くなというわけではなく、いつもより気をつけようという意識を持つことが大切なのだ。「犯罪者の約36%が、被害者が1人でいたから狙ったと答えていますが、実際は子供が2人以上でも被害が起きています。子供だけで出かける時は特に注意し、行く場所は必ず聞き、帰宅時間も決めておくのがおすすめです」 連れ去りは一瞬だ。帰宅時間が5分遅れたら、車で市区外まで連れて行かれているかもしれないし、無事帰ってきたとしても何かあった可能性がある。「性的犯罪の通報率は2割以下と非常に低く、ほとんどが声を上げられないまま泣き寝入りをしていることを知っておいてほしい」『警察白書』によれば、略取誘拐事件は毎年100件前後報告されているが、未遂や報告に上がってこない分を考えると、実際に起きているのはさらに多いといわれている。特に子供の場合、親を心配させる、怒られるのではないかと話せず、ますます心の傷を深めるケースも少なくない。未遂であっても110番する癖を 島田さんは、万一被害に遭った場合、また遭いそうになった時でも、ためらわずに通報してほしいと強調する。「怪しい人物や車を目撃しただけでもいいんです。気軽に110番してください。警察側としても、知らせてもらうメリットは大きいのです。 子供や女性への声かけなどは、ある場所で一度起きると、遠くない将来、同じような場所で犯罪が起きるということが最近の研究でわかりました。そうなると、1件でも多く、少しでも早く情報を知らせてもらった方が、警察としても警戒しやすいのです」 そうはいっても、性被害は人に話しづらいケースが多い。110番がしづらい時や、事件から日数が経った時は、全国統一の性犯罪被害相談電話を活用してほしい。「『♯8103』を押すと、発信した地域を管轄する各都道府県警察の性犯罪被害相談電話窓口につながります」 対応するのは、犯罪被害者の心理について教育を受けた専門家。未遂でも、時間が経っていても、電話をかけることで、次に狙われる子供の被害防止につながるかもしれない。勇気を出してダイヤルしてほしい。関連記事■ 元受刑者が明かす子供への猥褻行為の手口、6mの距離で実行■ 「おい、ちょっと」放課後のトイレに堂々と少女を連れ込んだ男■ 「足が悪くて…」子供の親切心を利用する鬼畜なわいせつ犯■ 昼の住宅街でも発生する連れ去り事件「すれ違い」は魔の瞬間■ 子供に教えておきたい… 不審者はこう声をかけてくる

  • Thumbnail

    記事

    くら寿司にセブン、バイトテロ「見せしめの法的措置」はむしろ逆効果

    黒葛原歩(弁護士) 「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざがある。 雄弁に語ることも大事だが、語るべき時と語らざるべき時との区別をわきまえ、沈黙を守るべき時には沈黙するということは、それにも増して大切である、という意味である。会員制交流サイト(SNS)を利用する時には、ぜひとも心しておくべき言葉だと思う。 SNSの投稿には反応があるので、つい反応する人のことばかりが気になってしまいがちだ。しかし、SNSの投稿はしばしば拡散し、投稿者が予想もしなかったような影響をもたらすこともある。ちょっとでも「これは言わない方がいいかな」と思ったら、何も書かずに黙っておくのがよい。筆者としても、常に心にとどめている教訓の一つである。 さて、「不適切動画」が昨今話題となっている。 次々に事例が出てきており、逐一紹介することはできないが、その内容はおおむね、「アルバイトが仕事中に撮影した動画をSNSに投稿し、その動画の内容が、本来の職務内容からして著しく不適切であった」というものである。 もとより、使用者(雇用主)はアルバイトに対して、プライベートの動画を撮影させるために給料を払っているのではない。仕事中というのは、基本的にはプライベートの発信を差し控えるべき時間帯である。法的見地から見ても、こうした行動は労働契約上の義務に違反し、戒告などの懲戒処分に値するものだと言えるだろう。 ところが、最近では不適切動画投稿の事案において、企業側が懲戒処分というレベルを超え、当該労働者に対して損害賠償まで請求するケースが出てきているという。ここまで来ると「おいおい、ちょっと待ってくれよ」と言いたくなってくる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そもそも、こういう場合、使用者から労働者に対する損害賠償請求というのは認められるものなのか。 もともと判例上、使用者の労働者に対する損害賠償請求というのは、かなり厳しく制限されている。使用者は労働者を指揮命令することができ、しかも労働者の労働によって利益を得る立場にあるから、労働という活動に伴うミスから生じる危険も負担するべきだという「報償責任」という考え方が、その背景にある。賠償請求の現実 最高裁の判例(最高裁 昭和51年7月8日・茨城石炭商事事件判決)は、「使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被りまたは使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被った場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防もしくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償または求償の請求をすることができる」としている。 この判例の事案では、使用者は労働者に対して、労働者の過失による車の物損事故によって生じた損害の賠償請求をしていたが、裁判所はこれを損害額の4分の1の範囲でしか認めなかった。 従業員による加害行為が故意によるものである場合には、こうした減額がなされないケースもあるが、最高裁判例の文面上は、加害行為が故意によるか、過失によるかという点は、あくまで「加害行為の態様」の一つとして考慮されているにすぎない。 いわゆる不適切動画の投稿についても、こういった減額がなされる余地はある。アルバイトであって賃金水準が低いことや、正社員である監督者の不在などは、減額要素として考慮される可能性があるだろう。 また、企業側が不適切動画の投稿に伴い発生した会社の売り上げ減少とか、信用回復のために要した費用について賠償請求できるのかというのも、実はかなり微妙な問題である。筆者としては、動画投稿者がこういう損害の賠償義務を負うことは、普通は考えられず、仮にあるとしても、かなりまれなことであろうと考えている。 売り上げ減少とか、信用回復のための費用というのは、不適切動画の拡散により、食品の衛生管理に関する消費者からの信頼を落としたことによる損害と位置付けられる。一言で言えば「信用毀損(きそん)」による損害である。この点については参考になるのは、イオン対文藝春秋事件の高裁判決である(東京高裁 平成29年11月22日判決)。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) これは、『週刊文春』がイオンによる弁当やおにぎりの原料米の産地偽装問題を取り上げるにあたり、雑誌の広告の中で「中国猛毒米」という表現を使用したことが信用毀損に当たるとして起こった裁判だ。イオンから株式会社文藝春秋に対し、売り上げ減少分の補塡(ほてん)や、信用回復のために行った広告の費用など、約1億6000万円の損害賠償請求がなされた。あの週刊文春でさえ… 第一審の東京地裁は、文藝春秋側に約2500万円の賠償義務があると認めた。これに対して第二審の東京高裁は、この広告の「猛毒」という部分が事実に反する信用毀損表現であることを認めたものの、損害の算定においては、わずか110万円の損害賠償しか認めなかった。 この理由は、売り上げの減少や信用回復のための広告費用は、上記の違法な表現行為によってもたらされた損害とはいえない、と判断されたためである。売り上げの減少については、そもそも弁当やおにぎりの販売数量は、天候や休日日数といった要因によっても左右されるなどとして、表現行為によってもたらされた損害とは認められなかった。また、イオンが行った信用回復のための意見広告の費用についても、違法行為によって通常生じる損害とは認められなかった。 この判決は、『週刊文春』という、世間で広く名の知られた雑誌について、それも電車の中づり広告などで多くの人が目にするものについて、その表現行為の違法性が「ある」とされた上での判断である。そのような事件ですら、この程度の賠償額しか認められていない。 まして、本来的には限られた範囲にしか閲覧者がいない、インスタグラムのようなSNSの投稿動画について 、被害に遭った企業の売り上げの減少や、信用回復のための広告費のようなものまで、動画投稿行為と因果関係のある損害と認定されるものだろうか。筆者としては、裁判所において、普通はそういう判断はなされないのではないかと考えている。 今般、不適切動画の話題が広く論じられるようになったきっかけは、アルバイトに対する賠償請求などを実際に行う旨を宣言する企業が実際に出てきているという、従前にはなかった現象がみられたのも一因だろう。 しかし、そもそもこういう賠償請求は、実際に賠償請求を行う企業を利するものなのだろうか。インスタグラムのアプリ(ゲッティイメージズ) 前述したように、不適切動画の投稿に伴う損害賠償請求というのは、法的には決して簡単なものではない。また、この場合に訴えられるのは、めぼしい資産を持たない若年のアルバイトであろうから、仮に裁判で企業側が勝ったとしても、現実の回収は困難である。もちろん、そのアルバイトの親族に、賠償を肩代わりする義務があるわけでもない。 そうすると、この種の訴訟は、費用対効果の見込めない、いわば「見せしめ」のための訴訟とならざるを得ない。賠償請求のデメリット 他方、この種の事件で賠償請求に打って出ることによるデメリットは、決して軽視できないものがある。こういう裁判は誰から見ても「見せしめ」と映るから、現場の労働者、そして求職者を萎縮させる。アルバイトはお金が欲しくて働きにくるのに、逆に会社から訴えられて巨額の賠償請求をされるかもしれないというのでは、面接に向かう足も遠のくというものだろう。 現在、「飲食物調理」や「接客・給仕」といった仕事の有効求人倍率は3倍を超えており、立派な人手不足産業である。こうした中にあって、あえて求職者の足を遠のかせるようなことをするのは、どちらかといえば「悪目立ち」の類いの行動である。 なるほど、確かに不適切動画の投稿はよくないことである。しかし、だからといって、投稿者を法廷に引きずり出して懲らしめるという方法を採ることは、その企業自身を利するものではないように思われる。 筆者自身は、実際のところ、昨今発覚したような事態は、飲食業の現場では他にも多々起きていることなのではないかと思っている。日本で働いているアルバイトの数は1000万人規模なのだから、その中におかしな行動に出る者が一定数いることは、別に不思議なことではない。 こうした中で、イレギュラーの事態に際して、感情任せでない、理に即した対応を行うことこそが肝要である。「あえて法には訴えない」という判断は、決して企業の価値を下げるものではない。むしろ企業価値を高めることである。事実をきちんと確認し、法的な見通しをつけ、企業の損得を冷静に見極める視座こそが求められる。 そうして熟慮した結果が、「事を荒立てない」というところに至ったならば、静かにそれを実践すればよい。冷厳に懲戒処分を実行し、必要な範囲で社会に向けて謝罪し、他の従業員に対しては規律の引き締めを通達する、それで十分ではないだろうか。そして、実際に日本の経営者の多くは、そのように実践してきたのではないだろうか。 もとより若者というのは、人生経験の不足ゆえに、時として「若気の至り」からの失敗もするものである。そのような若者の失敗をいつまでもあげつらい、法廷で多額の賠償金を支払えといきり立てるのが、見識ある経営者の姿であるとは思えない。 近時、不適切動画をめぐっていくつかの企業の名前がクローズアップされたが、むしろ、そこに名前の出てこない企業の対応にこそ、学ぶべきところが多いように思われるのである。くら寿司は「不適切動画」に断固たる姿勢を示した なるほど、このような事態に直面すれば、経営者の方は悔しいと思われるかもしれない。なればこそ、まさしく「沈黙は金なり」と申し上げたい。冷静な判断の結果は決して「泣き寝入り」ではない。 すぐには目に見えず、形にならないかもしれないが、実際には沈黙こそが、法廷において雄弁を振るうよりも、多くのものを会社にもたらしてくれるはずである。■なぜインスタグラムに狂う女子が爆発的に増えたのか■「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている■貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?

  • Thumbnail

    テーマ

    バイトテロを「ただの馬鹿」と思うなかれ

    バイトテロ。最近、こんな言葉が巷をにぎわす。コンビニや飲食店のアルバイト店員らが勤務中に悪ふざけした不適切動画が相次いで投稿され、炎上が続いたためだ。「ただのバカ」「若気の至り」…。さまざまな声も聞こえてくるが、何が問題なのか。この現象の意味を考えたい。

  • Thumbnail

    記事

    「若気の至り」バイトテロを司法が裁くのは当然の報いである

    戸村智憲(日本マネジメント総合研究所理事長) サイバーセキュリティ月間(2月1日~3月18日)の最中、非正規社員(アルバイトやパート)による会員制交流サイト(SNS)への不適切投稿、いわゆる「バイトテロ」の問題が相次いでいる。 手のひらの上から起こる業務妨害や器物損壊、株価下落など、刑事・民事ともにIT機器とSNSを介した問題が多発する中、筆者が常々述べていることだが、最大のセキュリティ・ホール(脆弱性)は、ITより人の心にあることが露呈された形だ。 不適切投稿は今に始まったことではなく、一昔前には、有名ホテルのレストランや大手金融機関などでの顧客のプライバシー垂れ流し事件の他、飲食店での悪質な業務妨害行為の不適切投稿で閉店や廃業を余儀なくされた事件もあった。 正社員よりも比較的簡単に、ある日ひょっこりと有名企業などの一員となりやすいアルバイトなどの非正規社員が、いきなり現場サイドの顧客と近い接点を持つだけに、違法・不適切な言動に及ぶリスクは高い。だが、非正規社員だからと言って法的や社会的に許されるものではない。 悪ふざけの動画をSNSに不適切投稿した者に対する非難や、弁護士の法的観点からの記事など、多種多様な意見が見受けられるが、筆者は「内部統制」「リスク管理」「危機管理」の定石として、企業が当然取るべき不祥事対策と留意点をまとめておく。 筆者なりの言い方だが、とかく難解にとらえられがちな内部統制は、「健全に儲け続けるための仕組み」である。そのキーワードは平仮名4文字を用いれば、「そもそも」であり、そもそも問題が起こりにくい仕組みづくりや職場づくりが重要だということである。 もちろん、人間が仕事を行う以上、故意に悪行に及ぶ問題行為であれ、意図せず善意でうっかり問題視される事態に至るものであれ、企業経営を継続している以上は、どれだけ未然の防止策を講じても不祥事リスクはゼロにはならない。 そこで、未然の対策と併せて講じる不祥事対策として、問題が起こった後に①ダメージの最小化②早期の回復(信頼・損失・売上など)③再発防止策、という災害時の事業継続計画(BCP)にも通じる、「事後の危機管理3原則」が重要となる。 この度、某社の不適切投稿の問題で、抑止力としての刑事・民事の法的措置について、告訴や訴訟はやりすぎだという声も少なくない。だが、企業の危機管理3原則においては、③の再発防止策に位置づけられるものとして何ら不思議はない。 筆者は多様な意見や個性を否定するわけではない。本稿は、事前と事後の不祥事対策の観点から、企業経営として法的・社会的に必要とされる重要な点を説明することが狙いだ。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) まず、正社員ではない非正規社員(アルバイト・パートなど)の若者の「若気の至り」であるかのように扱われがちな不適切投稿は当然、司法判断に委ねられるべきものである。 勤労学生控除の制度があてはまる学費を稼ぐ学生でも、また部活やサークルの合間に軽いノリで小遣い稼ぎをする学生などであっても、労働の対価を得る仕事は、正規であれ非正規であれ、企業の法に基づく経済活動だからだ。 仮に若気の至りや「若者は間違いを犯しやすいもの」という議論があった場合、そこに年齢差別や多様性尊重の大前提であるコンプライアンス(法令遵守+社会通念)の欠落がないか、「ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包摂)」の観点でも留意が必要である。欠かせない司法判断 また、若気の至りや学生の事情の勘案、情状酌量、違法性の有無を確定的に識別し断定できるのは、企業の法務部でもなければ市井の一弁護士による意見や評価でもなく、事実に基づく独立客観的な裁判官による司法判断以外にない。 企業の実務面で見れば、信頼性低下リスクが現実化して生じた株価下落や売上減少などについて、株主など利害関係者への説明責任を果たし、損害保険の請求手続きなども確実に処理する上でも、不祥事対策には司法判断が欠かせない。 学校教育における学生への指導的機能に着目し、学生など若者に対して起こす告訴や訴訟はいかがなものかという議論もあるが、その議論や意見などは多様性の観点から当然、さまざまな考えがあってよい。 しかし、警察の協賛企業でもないのなら、会社は犯罪者更生施設でもなく、ましてや学校教育施設でもなく、純然たる経済活動の場である。あえて言えば、司法判断が常につきまとう社会教育の場にはなり得るとは言えよう。 中には、いわゆる「日本的な家族経営」を美化した議論もあろうが、日本においても人員解雇によるリストラや経営陣による現場の軽視などから、既に少なからぬ企業現場の実態として、「日本的な家族経営」は崩壊しているように思われる。 むしろ、「日本的な家族経営」という文言が悪用され、サービス残業という名の違法労働の横行を誘引している。また、不正発見時などに「家族」という名の会社、「親」である経営陣のため、異を唱えず違法状態を黙認させる危険な企業実態すら少なからず見受けられる。 こうした中で、コンプライアンス研修は正規・非正規を問わず全役職員に提供されるべきであるが、これは学校教育としての研修ではない。経済活動で善悪の判断基準を備え、「そもそも」不正を起こしにくくする予防的な不祥事対策としての研修である。 筆者が日本で初めて提唱し各社に指導を行ってきた「ソーシャルメディア・コンプライアンス」では、まず未然に企業が不適切投稿で「そもそも」問題が起きにくいよう講じておくべき点は、主に以下の5つの点である。 まず、一つ目はソーシャルメディアポリシーやガイドラインの策定と不正防止研修の実施だ。内部統制の日本版「COSO」(米国トレッドウェイ委員会組織委員会)モデルで言えば「統制環境」にあたるが、不正を許さぬ風土づくりとして、善悪の判断基準づくりと周知徹底が出発点だ。 経営陣や上司が気まぐれで善悪の基準を変えて、非正規社員にパワハラなどを行っていたなら、それ自体が企業の不祥事だが、お互いに判断基準や何をどうすれば良いかが明確な状態で、公平で安心な業務体制づくりが不祥事対策に必須である。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 二つ目は、採用・入社時の誓約書への署名と不適切投稿などによる損害賠償責任を正式書面で通知することだ。三つ目は、不適切投稿を行った者の末路や仲間以外のネットユーザによる個人情報の晒(さら)しなど、事例考察を交えた指導を実施することである。 さらに、ある不適切投稿では「クビ」になること覚悟で意図的な問題行為があったようだが、四つ目として単に「クビ」かどうかではなく刑事事件・民事訴訟となり得ることを明確化しておくこと、五つ目は懲戒処分を隠して履歴書を提出すれば、経歴詐称であることを認識させておくことだ。 一方で、ソーシャルメディア・コンプライアンスにおける、不適切投稿が起こってしまった際の事後対応としては、主に以下の3つの点が重要となる。いずれも、防災対策などで普及が進んできたBCPに通じる点でもある。重要な導き型指導 まず、不適切投稿を把握した段階で、①ダメージを最小限にするため、社内法務部門や広報部門、顧問弁護士と連携し、企業は加害者側として事実確認と危機管理広報での顧客・関係各位への謝罪、会社としての対応などを早期に発信する。 ②(売上・信頼などの)ダメージの早期回復策として、器物損壊や衛生状態の悪化などに対し、どのような回復措置を講じるかといった初期の情報発信の他、継続的にイメージ回復の広報対応を行う。 ③再発防止策として、どのような不適切行為をどう予防する対応を講じるかについての初期の情報発信とともに、「そもそも」問題が起きにくい措置を採用、入社時点から平素の運営・管理監督に至るまで、継続的に講じる。 顧客や利害関係者などへの広報実務面としては、炎上状態の際は危機管理広報として早期是正の活動の周知に努めることが重要になる。また、炎上沈静化の後は、企業イメージ回復と向上のために、広告・宣伝・PR活動へと移行する組織的対応が必要となる。 ただ、ソーシャルメディア・コンプライアンスは、現場の正規・非正規の役職員を委縮させる目的で行うものではない。また、SNSなどにおける言論や表現の自由を損ねたり、逆にヘイトスピーチ的な問題を放置したりするものでもない。 日本企業が設けるソーシャルメディアポリシーやガイドラインは、とかく禁止事項列挙型で現場を委縮させがちだが、SNSを用いるならどのようにしてお互いに楽しく幸せになる活用の仕方をするかという、導き型の指導が重要である。 また、労働基準法などを無視して、安直に役職員に過剰な罰金を科すことなどは、不適切投稿による不祥事の抑止のつもりでも、その過剰な罰金を科すこと自体が、労働法上の違法行為となり不祥事そのものとなり得ることにも、気をつけなければならない。 さらに、不祥事対策に司法判断が欠かせないが、裁判権の濫用(濫訴)による役職員の人権侵害や恫喝的な法的対応は、仮に不祥事を減らす効果があったとしても、違法性も社会通念上も問題がある不適切な対応となり得るため避けるべきである。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 会社側にも非正規社員側にも、相互に権利の濫用や不適切行為がない状態かどうか、また、入管法改正に伴う職場の多国籍化・多様化に備え、「ダイバーシティ&インクルージョン」による対応が十分浸透しているかといった点も、この機に検証すべきだろう。 以上、筆者の日本企業各社への不祥事対策指導や、元国連の専門官としての経験をベースに不適切投稿についての私見をまとめてみた。 本稿に対する異論反論は歓迎である。だが、事実と評価の混同による曲解コメントや誹謗中傷など違法性阻却事由を満たさない投稿などは、スラップ訴訟(批判的言論への威嚇目的訴訟)に直面した筆者としては、やむなく法的措置を講じざるを得ないこともあるので、ご留意いただきたい。■「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋■かまってちゃんをこじらせた「低能先生」のキケンな化学反応■「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている

  • Thumbnail

    記事

    バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す

    日沖健(経営コンサルタント) くら寿司やセブン-イレブンなど飲食店・小売店でのアルバイト店員による不適切動画の投稿が問題になっている。 この件について社会学者の古市憲寿氏が2月7日のフジテレビ系『とくダネ!』で、「もともとみんながやってたことを、表に出してしまったから。くら寿司もたぶん昔から、もしかしたらああいうことって従業員同士でお遊びで行われていて、それがたまたま動画になって、ネットに拡散したから、みんなが知ることになっただけだと思う」と発言し、ネットで炎上した。 炎上の一部始終を確認したわけではないが、古市氏の発言そのものは、大いに問題だ。古市氏から「みんながやっていた」と指摘された飲食店や小売店は、どう反論できようか。過去の全店舗と全店員を調査して「うちはやっていない」と否定することは、物理的に不可能だ。古市氏の指摘には、反証可能性がないのである。 哲学者、カール・ポパーの反証主義によると、反証可能性がない仮説、つまりどのような手段によっても間違っていることを示す方法がない仮説は、科学ではない。本業は学者の古市氏が、いくらワイドショーとはいえ、科学哲学の基本中の基本を忘れて奔放に発言しているのは、ちょっと驚きだ。 人が何を考えようと勝手だから、反証可能性のない仮説を思い付くこと自体は何ら問題ない。しかし、まじめに働いている多くの飲食店・小売店やその社員に対し、社会的に影響力のある古市氏がメディアを使って反証可能性がない批判を一方的に浴びせるのは、もはや「言論の暴力」である。古市氏には猛省を促したい。 ただ、そうは言っても古市氏の指摘それ自体は正しいという見方が多い。古市氏が指摘するように、悪ふざけで不適切行為をしている場合はあるだろう。あるいは、嫌になったバイト先を辞める際に腹いせでやったというケースも考えられる。社会学者の古市憲寿氏(伴龍二撮影) しかし、会員制交流サイト(SNS)やユーチューブなど動画サイトは以前から存在したから、この1~2年で不適切動画が急増している状況について、「たまたま動画になって拡散した」という推測は、説得力に欠ける。ケース・バイ・ケースなのだろうが、昔から皆がやっていることを「たまたま」動画化したのではなく、多くの場合、積極的に「ぜひたくさんの人に見てほしい!」と思い立って不適切行為を働いたのではないだろうか。 世は写真共有アプリ、インスタグラム全盛の時代だ。他人から注目され、承認されることが重視される。不適切動画を投稿すれば世間の注目を集めることができる。うまくすれば全国ニュースになるかもしれない、ニュースでは顔も名前も出ないから就職や結婚で困ることもない、厳正な処分といっても「クソなバイト先をクビになるだけ」といった思いもあるかもしれない。厳罰化の効果は? とにかく注目されたいという承認欲求(自己顕示欲)が強い人にとって、不適切動画はメリットがやたら大きく、言わばデメリットがない「完全犯罪」である。個人的には、これくらいの件数で済んでいるのがむしろ不思議だ。この私の推測が正しいかどうか、不適切動画をアップした元店員に動機を確かめてほしいものである。 私の推測が正しいとすれば、正攻法の対策は、不適切動画を投稿することのデメリットを大きくし、店員に「不適切動画は割に合わない」と思わせることだ。具体的には、損害賠償の請求である(氏名や顔写真の公表も効果があるが、未成年には適用できない)。今回、くら寿司は元店員に損害賠償を請求する方針だ。 ただ、損害賠償請求など厳罰化には、反対意見も強く、賛否両論がある。印象としては、ネット掲示板で多くのユーザーが厳罰化を支持し、マスメディアで専門家は「そんなに単純な話ではない」と反対している(例えば、店舗経営コンサルタントの佐藤昌司氏など)。 専門家が厳罰化に反対する理由は、大きく2点ある。①どんなに厳罰化しても、悪事はなくならない。厳罰化の効果は知れている。②それよりも、オペレーションをアルバイト店員任せにした店側の責任もあるのだから、まずはオペレーションを見直すとともに、店員への倫理教育を徹底するべきだ。 まず、①はロジックが稚拙だ。麻薬は常習性が強いが、「常習者はどうせやめられないから、厳罰を科さず放置しよう」とは誰も考えない。全国各地で犯罪が発生しているが、「どうせ犯罪はなくならないんだから、警察なんて不要」とも考えない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 死刑制度があっても殺人事件がなくならないように、厳罰が通じない悪人は確かにいる。しかし、悪事を働くかどうか躊躇(ちゅうちょ)する普通の人にとって、厳罰には一定の抑止効果がある。「通用しない人がいるからやめておこう」ではなく、「効果が出るように、きちんと制度設計をしよう」と考えるべきだ。 一方、②のオペレーションの見直しや倫理教育は、それ自体は正論らしく聞こえ、真っ向から反対しにくい。しかし、厳罰化と比べて、はるかに効果が小さいのではないか。オペレーションの見直しとは、ロボット化・機械化してアルバイト店員をゼロにすることだろうか。それとも、アルバイト店員を店内で1人にさせないよう監視役の正社員かロボットを張り付けることだろうか。いずれも、現時点では有効な解決策とは思えない。「人を憎まず」の限界 それよりも悩ましいのが、倫理教育だ。こうした不祥事が起こると、企業は決まって社員への倫理教育を行う。 しかし、倫理教育の効果は極めて小さい。私は経営コンサルタントとしてこの17年間、数々の不祥事企業を間近に見てきたが、倫理教育によって「会社が生まれ変わった!」という事例は皆無である。 考えてみれば当然だろう。不正を働く社員は、不正だと知らなかったわけではない。不正だと知りつつ、「目立ちたい」「収益を上げるため」「上層部から命令されて」「昔からやっているから」といった理由で不正に手を染める。 研修で弁護士とか外部専門家から「これは法律違反です」「社会に迷惑がかかります」と改めて説教されても、社員の心には響かない。かえって、承認欲求が強い人は、法律違反や迷惑行為だと聞いて「よし、もっと派手にやってやろう!」と決意を新たにするのではないか。 企業としては、世間から批判されている状況で「倫理教育なんて必要ない」とは言いにくいだろう。しかし、倫理教育は「ちゃんとやっていますよ」という対外アピール以外に意味がないことを肝に銘じるべきだ。 なお、オペレーションの見直しも、倫理教育も、効果が小さいというだけで「絶対にやるな」という主張ではないので、悪しからず。特にオペレーションについては、飲食店・小売店の現場は人手不足で疲弊しており、不祥事に関係なく改革が急務だ。 では、不祥事には「打つ手なし」だろうか。不祥事を起こした後、生まれ変わった企業はないのだろうか。いや、数こそ少ないが、生まれ変わった企業は確かに存在する。変革のカギは、社員の評価を「信賞必罰(しんしょうひつばつ)」に変えることだ。 日本人は、結果よりも動機を重視するので、不祥事という最悪の結果を招いても「会社のためを思ってやった」といった動機が認められれば、さほど厳しく処分されない。一方、企業を発展させる大きな業績を残しても「みんなで頑張ったチームワークの成果だから」と個人はさほど高く評価されない。 しかし、不祥事から生まれ変わった企業は、信賞必罰を徹底している。利益を増やしたり、社会からの評価を高めるといった結果に報奨を与える。利益を減らしたり、社会からの評価を下げるといった結果を厳しく処罰する。厳罰化オンリー(=減点主義)ではなく、良い結果を高く評価することも忘れてはいけない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるように、日本では「罰するよりもまず教育」という主張が支持されやすい。その結果、効果のない倫理教育をして「やれやれ、世間の批判も収まった」と満足しても、実態は何も変わらず、しばらくしてまた不祥事が起こる。 三菱自動車など不祥事企業の多くは、何年かおきに不祥事を起こす「常習犯」である。日本企業は「信賞必罰」の徹底でこの不祥事サイクルから抜け出せるかどうか、重大な岐路に立っている。■なぜインスタグラムに狂う女子が爆発的に増えたのか■「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている■貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?

  • Thumbnail

    記事

    残業命じる上司に契約従業員「怒鳴られてまで働かない」の反乱

     女性セブンの体当たり系名物記者「オバ記者」こと野原広子(61才)。短期バイトとして働き始めると人間ドラマが見えてきた。最近は、本業のライターをしつつ、短期バイトを転々としている。* * *「さあ、今日はどんな職場かな」 短くて1日、長くて5日の超短期の契約で働くようになって3か月。 毎回、わくわくとハラハラ、うひひひとムカムカの間を行ったり来たりしている。61才にして初めて目にする人、味わう思い!「DMのピッキング、封入れ、梱包作業」をするために都内の倉庫へ朝8時半に着いたら、何やら大声でモメている。「段取り、どうなってるの!」「これでどうしろって?」 あせたオリーブ色の作業着を着た年配の常勤のパート女性6人が、歌手の吉幾三から生気を抜いたような50代男に口々に詰め寄っているの。日雇いパートの私たちは、放置されたまま20分、30分…。 やっとこっちを見たと思ったら、「何、ボーッと突っ立ってんの。掃除してよ。道具はあっち!」と、私たちをアゴで指示したのが、漆黒のボブヘアの、60代半ばのHさん。 蛍光灯の明かりの倉庫に、彼女のだみ声が鳴り響いていた。ベルトコンベヤーの前に立って、流れてくる書類を次々と1つの封筒に入れる作業は、NHKの朝ドラ『ひよっこ』の“谷田部みね子”になったみたい。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) みね子がしていたのはトランジスタラジオの組み立てで、手先の不器用な彼女はよく手を挙げてラインを止めていたっけ。「遅いよ。これじゃ遅すぎ」 ボブヘアのHさんに言われて、“吉幾三”が流れるスピードを少しずつ速める。「今日初めての人もいるし、最初はゆっくりでいいんじゃない?」と、他の人がたしなめても、聞こえないふりだ。ヒステリーの「ツケ」 ベルトコンベヤーが動き出した。必死で冊子を封筒に入れる。だけどタイミングがずれると作業が終わらないまま、次の人に流れていってしまい、パニック。 川上から、「止めてくださ~い」という声があがった。「ごめんなさい、止めてください」「すみませんっ」。 同じ人が4回目に手を挙げたとき、Hさんは「いい加減にしてッ。何回失敗をするの」と、ヒステリックな声をあげたんだわ。 空気が張り詰めたその直後のこと。今度は私がはがきを入れ忘れた。ラインを止めないと! だけどそうはしなかった。「面倒なことはやめ、やめ」ととっさに黒い私がささやき、頬かむり。 何日か同じ職場で働くなら、面罵を受け入れたと思うよ。でも「今日だけ」だしなぁ。 ときどき食品の“異物混入”がニュースになるけれど、原因はこんなことではないか、などと思っているうち、封入れ作業に慣れて、私は二度とミスをしなかった。 午後5時。“吉幾三”が私たちパートの間を、「7時まで残業をお願いできませんか?」と言って回り出した。無言。とうとう、「怒鳴られてまで働きたくないです」と吐き捨てた人の後に次々と5人が続いて帰った。 さて、怒鳴ったHさんはどうする。自分のせいで5人の労働力を失った後始末は? 時給に150円プラスの条件もさることながら、事の顛末を見届けたくて私は残った。 だけど、期待したようなことは何ひとつ起こらないんだよね。仲間から「みんな帰っちゃったから、あと3時間は頑張らないと」と、あからさまに嫌みを言われても、「もう、やんなっちゃうよね」とどこ吹く風。 なるほどね。そのときの感情で場を仕切るけど、“責任”は取らないHさん。そして1日だけの職場だと思って、職業的な良心がグッと低くなった私。 どっちもどっちだわと、今は思うけど、もう一度同じことが起こったら…。やっぱり機械を止められないかなぁ~。関連記事■ 61才オバ記者、派遣の倉庫勤務で30代社員からバカ呼ばわり■ オバ記者は見た! 派遣いじめする社員の言い分とやる気アピール■ オバ記者炎上体験振り返る 電気代使い不愉快の種探しやめる■ 中国ブラック料理店 バイト女性に給料払わず罰金請求の手口■ 吉原で中国人客への不満多数、煙草の灰を嬢の頭に落とす輩も

  • Thumbnail

    記事

    「親の苦情と戦えない」小さな命を救えなかった虐待現場の叫び

    山脇由貴子(心理カウンセラー、元児童心理司) 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さんが自宅浴室で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕される事件が起きてしまった。この事件の経過を分析すると、「事件を防ぐことができた」「救える命だった」と私は確信する。本稿では、今後二度と同じような事件が起きないためにも、今回の事件での児童相談所や学校、教育委員会など各機関の問題点を検証したい。 きっかけは、心愛さんの通う小学校が2017年11月6日に実施した、いじめに関するアンケートだ。心愛さんは、氏名を記入した上で「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と答え、父親からの虐待を訴えたのである。 学校は翌日、当時の担任が心愛さんから聞き取りした上で千葉県柏児童相談所に通告、通告を受けた児童相談所も一時保護を決定した。ここまでは良い対応だったといえる。 問題はその後だ。一時保護した児童相談所は今年1月28日に記者会見しているが、17年12月27日に行った一時保護解除の判断について「重篤な虐待ではないと思い込んでいた」と述べている。児童相談所はなぜ「重篤な虐待ではない」と判断したのだろうか。 アンケートには、本人の訴え以外にも、担任が聞き取ったメモ書きが残っていた。そこには「叩かれる」「首を蹴られる」「口をふさがれる」「こぶしで10回頭を叩かれる」といった内容が書かれており、明らかに重篤な虐待といえる。 さらに、児童相談所は一時保護中に、心愛さん本人からも虐待について聞き取りしていると考えられる。加えて、心理の専門家が心愛さんの「心の傷」の度合いなども検査しているはずだ。 学校で虐待について話すことができた子供だから、児童相談所で話していないとは考えづらい。その内容について一切公表されていないが、「重篤な虐待ではない」という判断から分かるのは、「心愛さんの訴えをなかったことにした」ということである。結局、児童相談所は、最終的に父親からの恫喝(どうかつ)に負け、心愛さんを帰してしまったのだろう。千葉県野田市が公開した、栗原心愛さんが父からの暴力被害を訴えた学校アンケートの自由記述欄 私も、児童相談所に児童心理司として勤務していたころ、虐待を受けて来た子供に対して、聞き取りや心理テストを数多く行ってきた。子供からの聞き取り内容は最優先であり、子供が「父親が怖い」と言えば、会わせることはしなかった。 今回の事件では、心愛さんを児童相談所が一時保護した際に、医師が心的外傷後ストレス障害(PTSD)の疑いがあると診断していた、という報道もある。虐待によって心に傷を負った子供を、家に帰すことなんて考えられるはずはない。 17年12月、児童相談所が一時保護を解除した際に、父方の親族に帰すことを条件にしたのも問題の一つだ。自宅ではないといえども、父方である以上、父親の味方である可能性が高い。その場に心愛さんを帰せば、すぐに父親の所に戻されることは容易に想像できる。 実際、児童相談所は会見で「2カ月程度で自宅に戻す予定だった」と述べている。しかし、その戻し方も問題だ。 昨年2月26日、児童相談所は親族宅から自宅に戻すかどうか判断するために父親と面談したとき、父親から心愛さんが書いたという手紙を見せられている。だが、文面を見て「おそらく父親に書かされたのだろう」と認識しながらも、父親が心愛さんを家に連れて帰るのを許してしまったのである。少女を「放置」した児相 そもそも、父親は一貫して虐待を認めていない。前述の通り、「重篤な虐待ではない」と判断して一時保護を解除し、父方の親族宅に帰した時点で不適切である。ましてや、父親の要求に従って自宅に戻すなど、絶対にあってはならないことだ。虐待だけでなく、ドメスティック・バイオレンス(DV)もある家庭だったからである。 この時、父親は児童相談所に対して「これ以上引っかき回すな」と言っており、児童相談所による今後の関わりを一切拒絶している。児童相談所の役割とは、虐待再発を防ぐために、定期的に家庭訪問し、親子の様子を確認しながら、学校訪問も重ね、子供の本心を聞くことにある。 その児童相談所の指導に「従わない」と父親は言っているのだから、父親の要求の全てを、児童相談所は拒絶しなくてはならなかったのだ。だが実際は、父親との面会以降、児童相談所は自宅訪問せずに、心愛さんを「放置」している。 心愛さんが自宅に戻った後の昨年3月19日、児童相談所は学校で心愛さんに会い、手紙は「父親に書かされた」と打ち明けられ、自分の意思で書いたものではないことを確認している。ただ、この時に、本人からの虐待の訴えがなければ、一時保護は難しいだろう。 しかし、それでも児童相談所は定期的に会いに行かなければならなかった。もし叩かれているのなら、「今度は必ずあなたを守る」「絶対に家に帰さない」と心愛さんに伝え続け、そして訴えの機会を待ち、保護すべきだった。 厚生労働省は児童相談所運営指針で、児童相談所が親の同意なく子供を一時保護する権限を有するという方針を掲げている。とはいえ、同意もなしに学校や保育園から子供を保護するわけだから、親が激高するのも当然だ。私も親権者から「訴えてやる」と何度も言われたり、「つきまとって人生滅茶苦茶にしてやる」と脅されたこともある。 時には親と敵対してでも子供を守るのは児童相談所の責任だが、職員も人間である以上、脅しや恫喝に恐怖を感じるのは無理からぬ話だ。私自身も「全く怖くなかった」と言えば嘘になるし、恐怖心を抱いたことは多々あった。本当に後をつけられているのではないか、と家への帰り道に不安になったこともある。 それでも戦わなくてはならないのだが、経験の浅い同僚の児童福祉司が親との面談で恐怖心を抱き、本当に辞めようかと悩んでいた姿を見たことがある。激しい攻撃をしてくる親と「もう関わりたくない」「あの父親には二度と会いたくない」と思ってしまう福祉司もいた。 一度でもそのように思ってしまうと、子供に会って、虐待が再発していないかどうか確認をすることもためらわれてしまう。児童福祉司は裁量が大きい分、心理的な負担も大きい。その負担の大きさもこの事件の原因の一つと言えるだろう。2019年2月、千葉の小4女児死亡事件で会見する柏児童相談所の二瓶一嗣所長(右)と千葉県健康福祉部児童家庭課虐待防止対策室の始関曜子室長(桐山弘太撮影) むろん、不適切な対応だったのは児童相談所だけではない。昨年1月15日に野田市教育委員会が、心愛さんが虐待を訴えたアンケートのコピーを父親に渡してしまったのも大きな問題だ。同市は、情報公開条例違反に当たり、関係者の処分を検討しているという。 だが、それ以前にアンケートを渡してしまえば、虐待が再発・エスカレートすることは、当然予測できたはずだ。それなのに、市教委の担当者は「威圧的な態度に恐怖を感じた」と述べており、つまりは父親の攻撃に屈した、ということだ。自分の身を守るために、心愛さんを「犠牲」にしたということになる。クレーム対応の知識がなさ過ぎるとしか言いようがない。 しかしながら、学校も児童相談所と同様、親との信頼関係を維持しなくてはならないため、「クレームに断固として戦う」という慣習がないのも事実である。私も、児童心理司時代に、学校から「親のクレームに困っている」という相談を何度も受けたことがある。 本来、学校や教育委は一時保護に関するクレームを引き受ける必要はない。一時保護の決定を児童相談所が行うのは、児童虐待防止法で定められている通りだ。 そこで私は、「一時保護に対する不満は児童相談所に言ってください」と学校から親に伝えてもらうようにお願いすることで対応していた。学校や教師を児童相談所が守らなければ、学校は虐待に関する通告をためらってしまうかもしれない。長期休暇後「欠席」のサイン そして、学校と児童相談所の連携が不十分だったことも大きな問題だ。心愛さんは冬休み明けの今年1月7日から小学校を欠席し、父親から学校に「沖縄の妻の実家にいるために休む」と連絡があったという。 父親の虐待が疑われる子供に対しては、夏休みや冬休み、長期休暇後の欠席を絶対に放置してはいけない。長期休暇中は、虐待がエスカレートするリスクが非常に高いからである。 「欠席の理由は傷やあざを隠すためかもしれない」と常に疑いの目を持つことが必要だ。子供が長期休暇明けに欠席した場合、学校は直ちに児童相談所に連絡すべきであり、児童相談所はすぐに姿を確認しなければならない。 もし、父親から「沖縄の母方親族の所にいる」と言われたら、児童相談所は沖縄の児童相談所に心愛さんの確認を依頼すべきだった。「親族宅にいる」「親族の具合が悪い」というのは虐待加害者が子供の姿を見せないために使う常套(じょうとう)句である。その言葉を疑い、沖縄での確認、そして家庭訪問を行っていれば、心愛さんの命は助かったかもしれない。 この事件は、児童相談所も学校も市教委も、全ての組織が父親の攻撃に屈し、言いなりになってしまったために起こった事件といえるだろう。学校や市教委にも問題はあるが、子供を虐待から守る権限は児童相談所にしかなく、その責任は重い。 同様の事件を繰り返さないように、児童相談所の改革は必須の課題だ。特に求められるのが児童福祉司の育成だ。警察や国税専門官、家庭裁判所調査官のように、年単位の研修期間を経て、児童福祉司として児童相談所に配属されるシステムを作る必要がある。 虐待する親の心理をはじめ、親との面接や子供からの聞き取りスキル、攻撃してくる親への対応を丹念に学ぶ。さらに、先輩福祉司の面接や訪問に同行し、失敗も成功も全て目の当たりにしながら、現場での判断の仕方を学んだ上で、現場に立つ。 子供の命、そして家族の人生の責任を負う仕事だから、専門家としての育成は急務である。また、福祉司本人にとっても、最初の着任前に知識とスキルが身に付いていれば、負担も減るはずだ。 また、現在の児童相談所は、子供を親から強権的に保護する役割と、親との信頼関係を築きながら子供を家に帰す役割、という矛盾する業務を行っている。しかも、この二つの役割を一人の児童福祉司が担当している。 そこで、虐待の再発可能性を疑い続けるチームと、親との信頼関係をもとに話し合いを続けるチームを分ける。自治体によっては既に実施されている役割分担を、全国的に広げることも重要だ。 児童相談所は子供を守るための強い権限を持っている。それでも救えない子供がいる。2019年1月、亡くなった栗原心愛さんの自宅がある千葉県野田市内のマンション 安倍晋三首相は、2019年度に児童相談所の専門職員を1千人増員して、5千人体制に拡充する方針を打ち出したが、今まで繰り返されてきた強化策ではなく、児童相談所という組織そのものの変革が必要である。何より、この事件の問題点を丁寧に検証し、幼い命を救うことができるように、全国の児童相談所で共有することが求められる。■ 「南青山は成金趣味の街?」児童相談所建設、反対派の困った論理■ 「受動喫煙はまさに児童虐待だ!」私が都の禁煙条例を草案した理由■ 三橋貴明DV事件を機に考えたい「家庭内暴力の経済学」

  • Thumbnail

    記事

    大坂なおみ会見、テニスと無関係質問だらけになった複雑背景

     全米オープンテニスで優勝を果たし、世界を驚かせた大坂なおみ選手(20才)が、東レ・パンパシフィックオープン(9月17~23日)出場のため、13日早朝に日本に帰国。会見には150人もの報道陣が集まった。 テレビのニュースでは「今? 眠い」「お寿司はおいし~い!」といった大坂選手のユニークな受け答えが報じられ、その人柄に頬を緩めた視聴者も多いだろう。 だが、会見の裏側では、多くの報道陣がピリピリとした緊張感に包まれていた。ある民放キー局の局員が明かす。 「今、大坂選手に対しては『NGワード』があるんです。それは『彼氏や恋人の話』。将来的な話、例えば結婚願望があるかどうかの質問も“絶対にするな”と釘を刺されています」 その背景には、全米オープン決勝で戦ったセリーナ・ウィリアムズ選手(36才)の、主審に対する猛抗議があるという。 「暴言などを理由にペナルティーを科されたセリーナは、“男子であれば罰せられなかった”として、女性への差別だと訴えました。全米オープンではこのセリーナの激昂ばかりが問題視され、大坂選手の優勝に“みそ”がついてしまった。もしその直後の会見で“彼氏はいるか”や“結婚したいか”など、男性アスリートにはしないような質問を大坂選手にすれば、日本のメディアが“女性を蔑視している”と海外から批判されかねないし、セリーナバッシングが再燃しかねません。関係者が“決勝戦のゴタゴタを蒸し返したくない”と考え、テレビ局に通達しているそうです」(前出・局員) その影響というわけではないだろうが、会見では「カツ丼や抹茶アイスクリームはもう食べた?」など、テニスとはまったく関係のない質問が相次いだ。2019年1月、テニスの全豪オープン女子シングルスで優勝し、記者会見する大坂なおみ(共同) それでも笑顔で答えていた大坂選手だが、ある記者に、 「海外では、大坂選手の今回の優勝が、“古い日本人像を見直したり、考え直したりするきっかけになっている”との報道もある。ご自身のアイデンティティーをどう考えるか?」 と質問された時には、 「テニスのこと? それって質問なの?」 と怪訝な表情を浮かべ、 「私はあまり自分のアイデンティティーについて深く考えません。私は私」 とキッパリ答えた。この瞬間をのぞけば、終始おだやかな表情で質問に答えていた大坂選手。でも内心では「せっかくテニスで世界一になったのに。テニスに関する質問はないの?」と思っていたのかも。 東京五輪は「日本代表」として出場することが期待されている大坂選手。メディアの質問が原因で「日本は嫌」なんて思わないでくださいね!関連記事■ 大坂なおみの祖父「日本人として試合に出続けたらうれしい」■ 石原さとみ、ドラマ打ち上げで「悔しい」「全責任は私」と涙■ 中居正広、声を酷使するプロが頼る「駆け込み寺」に極秘通院■ 田中圭 メガネ&キャップ、ハーフパンツで少年のような私服姿■ 田中圭、超多忙でも自宅夕食のため即帰宅の愛妻家生活

  • Thumbnail

    記事

    「男性が女性に言い寄る権利を擁護」仏女優の発言で議論白熱

    《私たちは性の自由にとって必要不可欠な、男性が女性に言い寄る権利を擁護します》 フランスを代表する大女優カトリーヌ・ドヌーヴ(74才)が9日、女性約100人とともに「ル・モンド」紙に寄稿した声明が、世界中で大論争を巻き起こしている。 ドヌーヴはSNSを中心に、セクハラ被害を告発するムーブメント「#MeToo」運動を《魔女狩りのよう》と批判。《膝に触れたり、キスしようとしたり、仕事上の会食で親密なことを話したり、片思いの女性にメッセージを送ったりしただけの多くの男性を辞職に追い込んだ》と続け、告発と批判合戦がヒートアップする「#MeToo」運動に一石を投じた。 日本でもこの発言は大注目。美保純(57才)は『5時に夢中!』(TOKYO MX)でドヌーヴの意見に「誘われてこそ女優って気がするんですよ」「もし(誘ってきた)プロデューサーがいい男でかっこいい人だったら、逆に来てほしいってなるじゃないですか」とドヌーヴに賛成。 マツコ・デラックス(45才)は、「ドヌーヴが生きてきた環境はめちゃくちゃおしゃれ」とフランスの名だたる紳士が女優を素敵に口説いてきた時代だったと言い、「日本で言うと、森繁久彌さんとか。女優のおしり触ったりおしゃれなセクハラっていうか。そういう気の利いた社会を見てきた人と実際の被害者は別」 とした上で、想像だけでセクハラを語るフェミニストに異論を唱えた。「#MeToo」の発端は、昨年10月初め、ハリウッドの大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン(65才)による女優やスタッフへの性的暴力が発覚したこと。アンジェリーナ・ジョリー(42才)ら100人以上の女性が次々に被害を告発し、世界中がパニックになった。 ハリウッド女優の1人が《もしあなたが性的嫌がらせや虐待を受けたら、このツイートに『me too』とリプライして》と発信すると、一般女性も次々と自らが今まで受けてきたセクハラ被害を投稿。フェイスブックには24時間以内に1200万に及ぶ投稿やリアクションがあるなど大反響を呼び、#MeTooは「泣き寝入りせずに声を上げる」という意思の象徴に。 運動は激しさを増し、ノルウェーやフランスではセクハラへの抗議デモが起こり、アメリカではブッシュ元大統領(93才)が過去のセクハラ告発を受けて謝罪。イギリスでも国防大臣が15年前のセクハラ問題を認めて辞任した。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 1月7日に行われたゴールデン・グローブ賞の授賞式は、セクハラへの抗議を示すためにハリウッド女優たちが揃って喪服のように黒のドレスで出席。セクハラ告発運動は世界中で拡大し続けている。 ドヌーヴの主張はあくまで行きすぎた正義に警鐘をならしたもので、セクハラやパワハラを根絶する目的よりも運動のメンバーであることが重要になりつつある現状を憂い、《私たちには、不器用に口説くこととレイプを混同しない聡明さがあるはずです》と訴えた声明だったが、このドヌーヴの発言も攻撃対象に。「セクハラ擁護」「女性蔑視」「せっかくの取り組みが台無しになる」と猛反発を受け、謝罪コメントを発表する事態となった。関連記事■ 卑劣なデートレイプドラッグ 被害が表面化しにくい理由■ 寺田理恵子×近藤サト「お尻にタッチ、バリバリありました」■ 秋元優里アナも? 真面目な人ほど「車内」にハマる傾向■ 渡辺謙と南果歩 離婚交渉が難航する背景に「婚前契約」■ 行司セクハラと3力士への服装注意、背景に貴乃花vs執行部か