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    レジ袋でも侮れぬ官僚とメディアの「癒着力」

    新型コロナ禍によって、埋没した感のある小泉進次郎環境相が存在感を取り戻している。レジ袋有料義務化が7月から始まるためだが、疑問の声も少なくないのに、家計負担を懸念する報道をあまり見かけないのはなぜだろうか。将来の負担増の布石かと勘ぐりたくなるほど、官僚とメディアの「癒着力」は侮れない。

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    レジ袋有料化、官僚とメディアがつくり出す「反理想郷」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 7月1日から、全国の小売店でプラスチック製買い物袋(レジ袋)の有料化を義務付ける国の制度が始まる。海洋プラスチックごみ問題の対策や、持続可能な環境対策の一環として行われるのだという。 新型コロナ危機でほとんどテレビに露出しなくなった小泉進次郎環境相だが、「環境省プラごみゼロアンバサダー」に任命したタレントの西川きよしと、東京海洋大名誉博士でタレントのさかなクン、モデルのトラウデン直美と一緒に積極的にキャンペーンを展開している。当然テレビでの露出も増えていくことだろう。 環境省はCM用のアニメーションも作成し、テレビ放送も開始されている。みんながマイバッグを使うことで、レジ袋の使用を辞退しようと呼びかける内容だ。さらに「資源の枯渇」「海洋ごみ」「地球温暖化」という巨大なテーマが映し出され、人々の問題意識を啓発している。 新型コロナ危機で影が薄くなっていたのは、小泉氏だけではなく、環境問題の活動家全般ではないだろうか。一例を挙げるなら、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリ氏だ。 彼女のことも日本のメディアでほとんど話題にならなくなった。一つには、環境活動家たちの多くが夢想している人為的な経済活動の抑制によって、実に厳しい生活の困難を引き起こすことが明らかになったからだ。 また、経済活動の強制的な自粛からくる精神的・肉体的なストレスも半端ではなく、そのことが世界の人たちに実感として認識されたからだろう。環境への配慮と経済活動のトレードオフは、一歩間違えれば、現実世界のディストピア(反理想郷)、つまり地獄に陥る。 今、小泉氏がワイドショーなどで積極的に露出を展開している、日本のレジ袋有料化もこの地獄への入口の一つかもしれない。それは、先述したCMが公開された29日の閣議後の記者会見にも表れている。新型コロナウイルスの感染拡大を避けるため、国会内で屋外会見を行う小泉進次郎環境相=2020年4月(奥原慎平撮影) NHKによると、小泉氏は「海洋プラスチックごみの問題は依然として危機的で、2050年の世界の海では魚よりプラスチックごみのほうが多くなるのではないかとも言われている。なぜ有料化が必要なのかをしっかり伝えて、多くの人に納得してもらいたい」と述べたという。この問題意識を伝える役割は、任命されたプラごみゼロアンバサダーが受け持つ。 特に注目されるのが、国民的人気の高いさかなクンの発言だ。彼は25日に行われたキャンペーンの席上で、「魚に会いたくて海に潜ると、レジ袋や細かいプラスチックごみがたくさん浮かんでいるんです」と述べた。さかなクンより侮れない「力」 ただ、さかなクンの国民的人気が高いがゆえに、このような発言がそのまま真実とされてしまうのは問題がある。NHK的なら「ボーっと生きてんじゃねーよ!」といったところか。実際にすぐさま、郵便学者の内藤陽介氏がツイッター上で具体的な事実をもとに反論した。漂着プラごみの種類別割合では、重量比でレジ袋が全体の0・4%で漁網等が41・8%、容積比ではレジ袋0・3%に対して漁網等が26・2%。彼はどこの海に潜ったのか 内藤氏の方が、さかなクンの情緒に訴えるやり方に比べれば、格段に納得がいくだろう。しかし、侮れないのがメディアと官僚たちの力だ。 消費税引き上げの際もそうだが、既存メディア、とりわけテレビはなぜか増税の前には、それを引き上げる政府や官僚側のスポークスマンになることが多い。あれほど、普段では「安倍晋三首相が河井克行、案里議員夫妻を介して町議レベルまで現金を配っている」かのような印象報道を猛烈に垂れ流すのに、増税については事前では「そろそろやるよ」的な告知に成り下がっている番組が大半だ。 そして、増税した後に「税金が上がって苦しい」的なニュースを流す。日本のテレビや新聞が、いかに官僚組織の代弁者であるかがよく分かる見慣れたシーンだ。 官僚組織は、情報のリークや官製情報の解説者として、マスコミと長期的な関係を築いている。つまり、彼らは同じ「ムラ」、同じ利害関係を有する「仲間」なのである。 それでいて、たまには都合の悪い一部の仲間を切り捨てて、それをムラの外に追い出すと同時に、「スキャンダル」としてマスコミに豪華な「エサ」として売ることも忘れない。最近では、産経新聞記者、朝日新聞元記者との賭けマージャンで失職した東京高検の黒川弘務前検事長がいい例だろう。レジ袋辞退者の倍増に向けたキャンペーンの発足式で、マイバッグの活用を呼び掛けるさかなクン=2020年6月25日 このマスコミと官僚のもたれ合いは、マスコミと政治家のそれほどに国民は批判していない。実際に現在のテレビニュースのほとんどは、官公庁のホームページを見ていれば足りるレベルである。 筆者は日常的にはテレビのニュースはほとんど見ないし、日本の新聞もほとんど読まない。時事問題の解説や論考を書いているにもかかわらずである。つまり、プロフェッショナルとして使えない情報の集まりなのだ。 テレビや新聞の大半は、一次情報を加工した二次情報でしかない。そんなものを利用するよりもデータそのもの、政府などの決定そのものの一次情報にアクセスした方が正確である。「ポイント還元」と入れ替わり このテレビと新聞は二次情報の集まりである、という意見は一般には目新しいらしい。嘉悦大の高橋洋一教授が新著『「NHKと新聞」は噓ばかり』(PHP新書)で詳細に解説していることでもある。 テレビのニュース番組を見るときは、必ず映像の印象に惑わされないようにする。今回のレジ袋有料化の場合なら、それこそ海に浮かぶ大量のレジ袋でも映すかもしれない。そういう映像の作為から距離を置くことが大切だ。 だが、現実にはテレビの印象だけで、モノゴトの成否を決める人が多い。「ワイドショー民」現象と個人的に名付けているものだ。 レジ袋の有料化をめぐっては、さまざまな議論がある。私見では、「資源の枯渇」「海洋ごみ」「地球温暖化」に与える影響はほとんど無に等しい政策だと思っている。レジ袋有料化の問題点については、先の内藤氏のツイッターなどを参考にしてほしい。 筆者の専門であるマクロ経済の観点からいえば、少なくとも「今」実行する政策ではない。経済アナリストの森永康平氏も、やはりツイッターで次のようにつぶやいている。今月末でポイント還元が終わって、7月からレジ袋が有料にまだコロナの影響で経済は弱ってるのに、問答無用で全てが予定通りに進んでいくっていうね…ここから更に「コロナ税」なんてやったら、何が起きるかは言うまでもない消費オジサンはおこです 森永氏の懸念はかなり当たっているだろう。ちょうど、レジ袋有料化の開始と入れ替わりで、消費税増税に合わせて政府が導入した、キャッシュレス決済のポイント還元が終了するタイミングにある。7月1日からのレジ袋有料化を知らせるファミリーマートムスブ田町店の張り紙=2020年6月、東京都港区 この事実上の消費税の追加増税などをめぐる報道は、ワイドショー民をターゲットに「増税に慣らすこと」を、官僚側がマスコミと一緒に画策でもしているかのようである。実際レジ袋有料化とポイント還元終了について、各家計の負担を強調する報道を事前にはしていない。この点を確認するために、ここ数日の新聞とテレビの報道はチェックしたが、メディアのいつものパターンはここでも発揮されていた。 レジ袋有料化を何のために実施するのか、本当に理由が分からない。もし「理由」があるとすれば、それは家計の負担増に慣らすためのメディアと官僚の思惑かもしれない。

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    『テラハ』の教訓、SNSとテレビ共振の罠

    恋愛リアリティー番組『テラスハウス』の出演者が急死しておよそ1カ月。SNSにおける過度の誹謗中傷が問題視されているが、論点はこれだけではない。SNSとテレビ番組が共振することで生じる悪循環を指摘する専門家もいる。テラハ問題が社会に投げかけたものは何だったのか。(写真はイメージ=Getty Images)

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    『テラハ』問題だけではない、SNSとテレビの共振が生む悪循環

    えば、ツイッターでは10年代に外食チェーンやコンビニなどの従業員による不適切な投稿が相次ぎ、たびたび社会問題化した。特に19年の2〜3月にかけては、ネットの炎上現象として、インスタグラムや動画配信アプリ「ティックトック」などに相次いで投稿された不適切動画を、テレビの情報番組が集中的に取り上げた。 食品衛生や交通法規などに関わる不祥事は多くの視聴者が関心を寄せることもあり、テレビで扱われやすい。とはいえ、問題の動画自体を繰り返し放送していることからして、「人々の関心に応える」というよりも「不快感や嫌悪感をやみくもに誘引している」と表現するのが正確かもしれない。 ネット炎上に関する調査によれば、炎上はネットの中だけで完結している現象ではないことがはっきりと裏付けられている。たとえ火種はSNSの投稿であっても、新聞やテレビが報道することによって、深刻な大炎上をもたらし、社会問題として広く認知されるようになる。 そしてマスメディアで報道されたという事実がネットニュースを介してSNSに還流し、さらに再燃していく。まさしく「火に油を注ぐ」という例えが最適だろう。SNSでの動画投稿が隆盛している近年、テレビとの共振作用はますます大きくなっている。具体的な内容については、私の別の論考を参照されたい。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 『テラスハウス』の出演者に対する目配りがなぜ行き届かなかったのか。もう一つ、別の課題を指摘しておこう。 18年11月、日本テレビ系『世界の果てまでイッテQ!』が存在しない祭りをたびたびでっち上げていたとして、やらせ疑惑が持ち上がった。このとき私がiRONNAに寄稿した論考の要点を、繰り返しになるが改めて述べておきたい。メディアが果たすべき責任 この記事では、日本のドキュメントバラエティーの系譜、もくしはリアリティー番組の先駆といえるものに焦点を当てている。日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、リアリティショー番組の手法として先鞭(せんべん)をつけた。TBS系『ウンナンのホントコ!』内で人気を集めた「未来日記」シリーズ、あるいはフジテレビ系『あいのり』のように、主として一般人を起用したドキュメントバラエティーも人気を博した。 これらの番組は、テレビが「やらせ」なのは当たり前だと考え、過剰な演出や不自然な演技を含めて楽しむ冷めた視聴態度を育んでいった反面、ネット上の電子掲示板などでは、テレビなんて「やらせ」だから嫌いと全面的に敵視する見方も目立つようになる。 ネットの普及に伴い、テレビに対する敵意が可視化されたことに加えて、番組に出演した一般人に加え、ロケの協力者や目撃者などによって制作の手の内がバラされやすくなったことも無視できない。 その結果、2000年代以降からバラエティー番組の中で一般人が大きな役割を担う機会は格段に減っていき、ドキュメントバラエティーもお笑い芸人を中心にキャスティングされるようになった。ドキュメンタリーとバラエティーは、芸人たちの「コミュニケーション能力」や「空気を読む力」に支えられ、より自然で安全な形で結びつくようになったわけである。 皮肉なことだが、芸人たちの空気を読む力やソツのなさが卓越しているからこそ、いつしかそれに制作者が甘えてしまい、演出という行為にはらむ危うさに対して、感性が鈍ってしまったのではないか。 バラエティー番組の演出については長年、やらせとの境界が問われてきたにもかかわらず、『イッテQ!』の場合、そうした試行錯誤の先例を踏まえることなく、芸人の器用さをあてにして危ない橋を渡ってしまったのかもしれない。 そして『テラスハウス』においても、ヒール(悪役)レスラーを本職としていた出演者に対して、同じような甘えがあったのではないかと思う。亡くなった出演者は生来の努力家で、礼儀も優しさも兼ね備えていたといった人物評も聞こえてくる。 芸人と同じように、コミュニケーション能力や空気を読む力に長け、レスラーとしてのプロ意識や向上心を備えていなければヒールを演じ切ることはできないだろう。番組の中で期待された役割を果たすため、あまりにも見事にヒールを演じすぎてしまったという見方は恐らく正しい。 だからといって、出演者としてのパフォーマンスを高く評価しても、番組制作上の構造的な課題を不問に付すことがあってはならない。特にリアリティー番組の場合、視聴者の腹立たしい感情が、制作者ではなく出演者に直接向かい、SNSでの誹謗中傷につながりやすいことは海外での先例からも明らかだった。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 繰り返しになるが、これはリアリティー番組だけの問題ではない。残念ながら、現状ではSNS上で暴走する悪意に歯止めが利かない。だからこそ、その標的になるリスクから出演者や取材対象者を守るための安全配慮義務を、全ての制作者が覚悟を持って引き受ける必要があるのである。

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    「ヘルプマーク」がむしろ当事者を苦しめる

    最近、赤地に白い十字とハートの「ヘルプマーク」を身に着けた人を見かけるようになった。目に見えない障害や疾患などで助けが必要なことを周知する目的だが、マークの定着に伴い、かえって福祉に立ちはだかる「壁」を感じる人もいる。障害者認定を機に自身も利用するフリーライターの松沢直樹氏が理想と現実を説く。

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    障害者になって分かった、福祉に資する「ヘルプマーク」の理想と現実

    松沢直樹(フリーライター) 唐突だが、私は一昨年障害者になった。双極性障害という、他の人には見えない疾患と向き合いながら日々を過ごしている。 自分の体の変化を一言で表すとしたら、「短時間で電池が切れてしまう年代物のスマートフォン」になったような状態である。充電すれば、なんら機能の制限なく普通に動くが、電池がすぐ切れるために不便極まりない。 実際、医師の制限で、以前のような活動は制限されている。そのため、調子が良いときでも3時間程度しか働くことができない。また、外出時も突然発作に襲われることがあるため、処方薬の持参はもちろん、落ち着くまでベンチに座って、休憩しなければならないことがある。 困ったことに、私は一般的な同年代の男性より体格が良い。したがって、電車内の優先席利用がはばかられる。また、年配の方から優先席の利用をとがめられた際に、写真付きの障害者手帳(私の場合は精神保健福祉手帳だが)を提示するのも癪(しゃく)である。そのため、外出時は「ヘルプマーク」を付けるようになった。 ヘルプマークとは、東京都福祉保健局が作成したマークである。私のような精神障害や、内臓の障害などといった目に見えない疾患で、日常生活に支障がある人が、さりげなく周囲にサポートを求めるためのマークである。 経済産業省は、2017年7月20日に、東京五輪・パラリンピックに向け、国内外の観光客に分かりやすい案内用図号を採用することを目的に、案内用図記号(JIS Z8210)の規格を見直した。その中にヘルプマークが採用されている。 この機に周知が進んだのか、電車や交通機関利用時に、配慮してくださる人と出会う機会が増えた。障害者手帳(左)とハートマーク(筆者撮影) しかしながら、これだけ周知が進み、来たる五輪でも公式に使われるマークであるにもかかわらず、ヘルプマークは全国共通ではない。ヘルプマークを発案し、提唱し続けている東京都の調査によれば、2020年5月末時点で熊本、大分、鹿児島の3県にはヘルプマークが導入されていない。 また、配布方法についても、まちまちである。長野県、宮城県富谷市などは郵送を受け付けているが、大多数の自治体は手渡しでの配布となっている。また、配布場所も一律ではない。マークが示す「皮肉」 東京都においては、都営交通の駅や営業所などで配布が行われているが、大多数は自治体の役所窓口で配布している。そのため、情報も錯綜し、外出困難な障害者がますますヘルプマークの入手が困難となっている。 加えて問題なのは、ヘルプマークの受け取りに法的な拘束力がないということである。一部の自治体では配布の際に障害などの状態を確認しているが、原則として障害者手帳を交付されていないと受け取れないなどといった規制はない。そのため、悪用されるのではないかといった懸念の声も耳にする。 実際に一時期、フリーマーケットサイトなどでヘルプマークが転売されているケースが確認されていた。さすがに批判が集まったのか目にしなくなってきたが、転売以外に何か悪用されるケースが生じないか、利用当事者としては心配である。 ヘルプマーク利用当事者として、次に心配なのは犯罪被害である。そもそも、ヘルプマークは目に見えない障害と共存しなければならない人に配慮され、生まれてきたものである。 したがって、マークを付けていなければ、健康な方となんら見分けがつかない。ただし、皮肉なことに、ヘルプマークを付けることによって、障害者であることが分かってしまう。つまり、「犯罪被害に遭っても抵抗できません」と公言しながら、街中を歩いているようなものだ。 このため、ひったくりなどの盗難や女性に対しての性暴力、これらの被害が加速しないか非常に心配である。この点について、すぐに防護策を講じてほしいと思う。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 自身が障害者になってよく分かったが、健康なときは全く問題がなかったことが、いきなり高いハードルになることが日常の中でよくある。例えば、医療機関で診察を受けて、外部の調剤薬局で薬をもらうことですら、極めて困難なときがある。 また、悪意があるのではないかと思うくらい、福祉関連の情報は閉鎖的で、積極的に開示されない。運動と制度の格差 実際、私は障害者になった際に、住民票を置く役所の障害支援課で障害者手帳申請用の診断書をもらい、医師から診断書を書いてもらって障害者手帳の交付を受けた。だが、そのような病状になっても、病院側から障害者手帳の交付について勧められたことはなかった。 また、精神科診療においては、働けなくなる人が多いため、診療を受けた際に一定以上の患者自身の医療費を減らせる「自立支援医療制度」というものがある。それにもかかわらず、障害者手帳を交付してもらった後も、役所や医療機関から制度について教えてもらえなかった。加えていうなら、自立支援医療制度は1年更新だが、役所から更新手続きについての連絡は来ない。 心を病んで、事理判断能力が低下しているのに、そのようなサポートがないというのは極めて疑問である。 極め付きは「障害年金」である。私自身、毎年の確定申告は自分で計算して行っているが、その程度の事理判断能力を保っていても、およそ一人で申請できる性質のものではない。専門知識を有する社会保険労務士を頼ったが、意図的に申請を避けようとする悪意すら感じる手続きを求められる。 なぜ、ヘルプマークのような配慮がある運動の影で、福祉は当事者目線で制度が考えられていないのだろうか。 介護を公的に担う問題について、介護職人材の不足や、介護保険制度などの制度の欠陥や運用の問題が指摘されるようになって久しい。 考えてみれば、長寿社会となった今、私たちのほぼ全員が介護を必要とする時代である。身体的介助や認知症の見守りが必要になるということは、私たち全員が障害者になり得るということでもある。「ヘルプマーク」は外見からはわかりにくい障害や難病を持つ人や、妊娠初期の人など援助や配慮が必要な人が、周囲に知らせて助けを得られやすくするのに役立つ=2018年12月、宮城県庁 そのことを考えれば、私が先述した問題は、単に人生の中途で障害と生きることになった私のような者だけの問題だけではなく、読者のみなさん一人ひとりの生活に関わってくると思うのだが、いかがだろうか。※本稿においては、視覚障害の方が自動読み上げソフトを利用されることを考慮して、一般的に使われる「障がい」という表記ではなく、「障害」と表記させていただいた。ご了承いただきたい。

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    医療機関が怖れる「6月危機」 夏のボーナス払えない医院も

     5月1日に日本医師会と四病院団体協議会(四病協)が加藤勝信厚生労働相に提出した「新型コロナウイルス感染症における診療体制に関する要望書」は、コロナ治療対策についてだけでなく、日本の医療を支える存在が崩壊する危機を訴えたものだった。その訴えによれば、コロナ禍で患者数が激減した4月の診療報酬の支払時期にあたる6月は大幅な収入減となり、日本全国の医療機関で、そこが大病院でも町医者でも、すべてが経営危機を迎える可能性がある。コロナ治療の有無に関わりなくほぼすべての医療機関が経済的危機に直面しているというのだ。この困難な時期、少しでも出費を抑えたい小さな医療機関のもとに、高額なアルコール消毒液が届いた。ライターの宮添優氏が、苦境にありながらそれを訴えづらい医師たちの実態についてレポートする。* * *「多くの医療従事者が、まさに不退転の決意で新型コロナウイルスと戦っている。同じ医師として誇らしい気持ちでいっぱい、私も医療従事者の端くれとして何かしらお手伝いしたい、協力したいという思いはあるのですが……」 福岡県内のクリニック院長・澤田義彦さん(仮名・40代)が漏らすのは、自身が医師であるにもかかわらず、新型コロナウイルスに関する医療に全く寄与できていないという喪失感、そして何より「生活が立ち行かなくなってしまう」危機感だ。澤田さんが経営するのは、内科と整形外科の外来診療のみを行う小さな「町医者」。3月の下旬ごろから患者数はガクッと減り、4月は日に数人、5月に入っても患者数は、以前の水準の2割ほどだという。「こういう時期ですから、患者さんにも週一だった通院を二週間に一度に、月に一度にと減らすように勧めてはいるのですが、そもそも緊急事態宣言下の自粛要請のおかげで、通院控えする患者さんが多い。感染拡大のために患者さんも苦しい思いをしているし、それが世のためだというのはその通り。ただ、私どもの生活は苦しくなる一方」(澤田さん) 言うまでもなく医療機関は生活に必要不可欠な機関であり、当然「自粛要請」の対象には入っていない。医療機関が閉じてしまえば、持病を持った患者、急に体調を崩したり怪我をしてしまった患者は路頭に迷う。ただ、世の中の医療機関のうち、コロナ患者に対応できるような病院は、実はほんの一握り。「医者」といえば、景気や社会情勢に左右されず、高い収入が維持できる仕事、というイメージが根強い。そのためパンデミック下において、ほぼ全ての産業が大ダメージを受ける中で、医療機関だけは「儲かっているのではないか」と考える人も少なくなく、だからこそ「医療機関の救済」などとは声高に語られることもなかったのだ。※写真はイメージ(Getty Images)「医療機関は、商売というより社会奉仕的なイメージが強い。だから金の話は特にしづらいんですが、他の商売と同様に経営が成り立たなければその社会奉仕すらできない」(澤田さん) 多くの医療機関は、このコロナ禍でも市民の健康や命を守るために業務を続けているが、その台所事情は真綿で首を絞められるように悪くなっている。医療崩壊の危機 5月1日、日本医師会などが加藤厚労省に要望書を提出したが、それによると3月時点、医療機関の「収入」である診療報酬の請求権はすでに15~20%の落ち込みを見せていたという。4月の落ち込みについても「外来・入院ともに大幅に患者が激減」とあり、従業員の給料を確保することが難しく、新型コロナウイルスの感染終演後に地域医療が崩壊するかもしれないという懸念にも触れられている。「はっきり言ってきついですが、患者さんに通院してください、とは言いにくい。病院が3密になってしまえばそれこそ元も子もないですから」 こう話すのは、東京都世田谷区内の診療所に勤務する内科医・田中亮介さん(仮名・30代)。普段はと言えば、朝から高齢者が診療所の前に列をなし、夕方の診療終わりまでひっきりなしに患者が訪れる。「病院がまるで高齢者の憩いの場になっている」などと揶揄される光景ではあったが、こうした患者のおかげで「食えていた」とも吐露する。「高齢の患者さんの多くは、コロナを恐れての診療・通院控えをされています。高齢者がコロナに感染すると重症化する、といった報道がなされた4月以降、患者がゼロの日もあるほど。しかし、患者が来ないからと言って診療所を休みにすることはできません。看護師やスタッフを減らすこともできず、とにかく開け続けているのですが、それだけでも現金は出ていきます」(田中さん) そんな苦境の中、田中さんの下に突然「大量のアルコール剤」が届いたのは、ちょうどゴールデンウィーク明けのことだった。「地域の保健所を通じて、厚労省から医療機関・福祉施設などに消毒用のアルコールが優先販売されるという案内が届きました。それが4月の上旬くらい。当時はアルコールだけでなく、マスクも全く足りていない状況で、アルコールは薄めて、マスクは同じものを一週間も使い回しました。5リットルほどを注文したのはよかったのですが、それ以降何の音沙汰もなし。ゴールデンウィーク中に何とかアルコール消毒剤は入手できたのですが、ゴールデンウィーク明けに宅急便でいきなり5リットルの消毒剤が届きました。そもそも、供給できる状態になったら事前に連絡するという説明も書かれていましたのに連絡無し。届いたものの価格は市価の2倍近くでした。アベノマスク同様、もはやいらないものを高額で押し売りされたようなもの。ただでさえ大切な手元の現金が減ることに、不安を感じます」(田中さん) この件については、すでに一部マスコミでも取り上げられている。国の斡旋で販売された消毒液が市価の数倍もし、しかも注文した医療機関らが「忘れた頃」、およそ1ヶ月後に届けられたということで、現場が混乱しているという。日本医師会もすでに実態調査を進めているというが「頑張っている医療従事者のために」と、政府は事あるごとに「配慮の姿勢」をほのめかすものの、消毒剤の件といい、医療機関の現実をしっかりと把握しているのか疑わしい限り。 さらに田中さんが恐れるのは、業界では「6月危機」とも呼ばれる、経済的な要因による「医療崩壊」の可能性だ。※写真はイメージ(Getty Images)「診療報酬は、約2ヶ月後に医療機関に支払われます。患者が激減した4月分の診療報酬は6月に支払われるのですが、現状で言えば完全な赤字。概ね6月から8月にスタッフに支払っている夏ボーナスについても、出どころを確保できていない医療機関も多いと聞きます。当たり前ですが、人がいなくなれば医療機関も無くなります。医療機関がなくなれば、人が死ぬんです。恥も外聞も捨てて、金をくれというしかない。」(田中さん) 世間からの「医療従事者は頑張れ、応援してます」という声は、彼らにとっても嬉しいだろうし、励みになるものだろう。ただ、そのおかげで弱音を吐けなくなっているという医療従事者、医療機関が増えている現実にも目を向けなければならない。コロナ後の世界が、医療機関が減り、医療従事者が職にあぶれる、というものであれば、今以上の苦しみが世界を再び襲うことも確実なのだ。関連記事■雅子さま 感染者や医療従事者に向け、前代未聞のお言葉発表■新型コロナの免疫 普通の風邪にかかって獲得する可能性も■命を譲るカード論争に大村崑氏(88)「私は絶対に譲らない」■コロナで毎日が不安な人へ 心理カウンセラーからメッセージ■石田純一が退院2日後に散歩 家族とは一緒に食卓囲めぬ状況

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    欧米も首を傾げる、日本の新型コロナ「押さえ込み」は奇跡か必然か

    山田順(ジャーナリスト) どう考えても、「神国ニッポン」としか思えないことが現在進行中だ。もちろん、この先どうなるかは誰にも分からない。 しかし、本稿執筆時点では、新型コロナウイルス感染症による日本の死亡者数は、世界の主要国、特に欧米諸国に比べて圧倒的に少ない。感染者数もまたしかりだ。 緊急事態宣言は5月25日に全面解除された。しかも、日本の現状は、欧米諸国から見ると、異常というか、うらやましいというか、ミステリーというか、奇跡というか、どう解釈していいのか分からない。 これに関しては、欧米メディアも本当に困惑していて、首をひねっているところが多い。米外交誌フォーリン・ポリシー(電子版)は5月14日、「日本の『生ぬるい』新型コロナ対応がうまくいっている不思議」という論評記事を掲載した。要旨は次のようだ。 日本は中国に近く、中国からか観光客を大勢受け入れてきた。ソーシャルディスタンスも外出禁止も「要請ベース」と中途半端。「自粛疲れ」も起こっている。PCR検査数も国際水準を大きく下回り、5月14日までの実施件数はなんと米国の2・2%。 共同通信が10日に実施した調査では、回答者の57・5%が新型コロナウイルスに関する政府の対応を「評価しない」と回答している。 にもかかわらず、COVID−19が直接の原因で死亡した人の数は異常に低い。この結果は、敬服すべきものだが、単に幸運だったとも言える。ともかく、日本がなぜ諸外国のような感染危機にいたらなかったのかは大きな疑問だ。 実は、私もこの件について、これまでずっと疑問に思ってきた。欧米の感染爆発の凄まじさを知るにつけ、「いずれ東京もニューヨークのようになる」という警告を長い間信じてきた。 しかし、今日までそうはなっていない。5月28日時点の日本の確認感染者は1万6651人で、死亡者数は858人、人口100万人当たりの死亡者は6人。これに対して、米国は確認感染者169万9073人、死亡者10万411人、人口100万人当たりの死亡者は303人である。 米国と日本の人口比は約3倍なのに、確認感染者数で約95倍、死亡者数では約110倍、人口100万人当たりの死亡者数で約45倍も差がある。となると、この数値をそのまま受け取れば、日本はコロナ対策の成功国と言うほかない。参照:米ジョンズ・ホプキンズ大システム科学工学センター(CSSE) 次の表は、世界の主な国をピックアップし、確認感染者数、死者数、人口100万人当たりの死者数を比較したものだが、これを見れば、欧米諸国と比べた日本の特殊性は際立つ。確認感染者数や死亡者数より、人口100万人当たりの死亡者数の方が「コロナ禍」の実際を表しているので、トップ5を見てみると、全て欧州の国になる。 1位:ベルギー773人、2位:スペイン590人 、3位:イタリア525人、4位:英国508人、5位:フランス423人(米国は9位)で、日本は6人だから、ベルギーのなんと約130分の1となる。つまり、これほど「コロナ禍」を抑え込んでいることになる。 5月14日、緊急事態宣言の一部解除の記者会見で、安倍晋三首相は次のように自画自賛した。 中国からの第1波の流行を抑え込むことができた。欧米経由の第2波も抑え込みつつある。人口当たりの感染者数、死亡者数はG7、主要先進国の中でも圧倒的に少なく抑え込むことができている。これは数字上明らかな客観的事実だ。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14 こう言われては、返す言葉がない。 ある日突然、学校の一斉休校を言い出し、汚れている欠陥アベノマスクを配り、ミュージシャンと勝手にコラボして「自宅でくつろぐ姿」動画を流したりした。リーダーとして指導力を発揮できずに、何かといえば「専門家会議」「専門家のみなさま」と言い続けた。そして会見では、毎回プロンプターの原稿を読み上げるだけだ。新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言の全面解除を表明し会見で記者団の質問に答える安倍晋三首相=2020年5月25日(春名中撮影) そんな中、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議と厚生労働省は、国民がいくら「検査を増やせ」と言っても増やさず、「8割削減」だの「新しい生活様式」だのと対策をうやむやにしてきた。このように、どこからどう見ても、世界のどの国よりも遅れて劣るコロナ対策しかしてこなかったのに、結果は「吉」と出ているのだ。降って沸いたBCGワクチン説 先述の記者会見で、安倍首相と専門家会議の尾身茂副座長は、記者から、日本の死亡者数の少なさに関して、「BCGを日本人は受けているからじゃないかとか、あとは文化的な違いがあるんじゃないかといった俗説がありますが、これについて総理や尾身先生はどのような差がこういった結果につながったというふうにお考えでしょうか」という質問を受けた。これに対する首相と尾身氏の答えはこうだ。安倍首相 私もBCGとの関連等について、もちろんいろいろな説があるということは承知をしております。日本において10万人当たりの死亡者の数というのは0・5近辺でありまして、世界でも圧倒的に小さく抑え込まれています。それについて様々な議論があるというふうに承知しておりますが、これは正に専門家の尾身先生から御紹介を頂きたいというふうに思いますが、いずれにいたしましても、現在の感染者数、もちろんこれだけの数の方が亡くなられたことは本当に痛ましいことでありますし、心から御冥福をお祈りしたいと思いますが、我々も欧米と比べて相当小さく抑え込まれているこの水準の中において何とか終息させていきたいと思っています。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14尾身氏 簡単に。まずはBCGのことは、BCGが有効だというエビデンスは今のところございません。それから日米欧との差ですが、これは基本的には、私は三つあると思います。一つ目は、やはり日本の医療制度が比較的しっかりして、全員とは言いませんけれども、多くの重症者が今のシステムで探知できて、適切なケアが行われて、医療崩壊が防げているということが1点目だと思います。それから2点目は、特に初期ですね、感染が始まった初期に、いわゆるクラスター対策というのがかなり有効だったと思います。それから3点目は、これが最も重要かもしれませんけれども、国民のいわゆる健康意識が比較的高いという、この三つが大きな原因だと今のところ私は考えております。「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」2020.05.14 首相も尾身氏も明確な回答になっていない。尾身氏は専門家らしく、結核予防のBCGワクチン説にエビデンスはないとは言うものの、全体としてなんとなくそう思えるという点を述べているにすぎない。 しかも、聞き様によっては、「対策は成功した」と言い、「国民の健康意識」というデータでは示せないことにすり替えている。そこで、次からはこれまで出ている「仮説」を整理して、検証してみたい。 日本で「BCGワクチン説」が広まったのは、4月初めに「medRxiv」という査読前の英文論文を掲載するサイトに、BCGワクチンを摂取している国と、新型コロナウイルス感染症の症例数と死亡者数が少ない国との間に相関関係が見られるという論文が掲載されたことによる。 この論文では、BCGワクチンを定期接種にしている国(日本、中国、韓国、香港、シンガポールなど)は感染者が少なく、接種をしていない国(イタリア、スペイン、米国、フランス、英国)では感染者が多いとしていた。これを受けて、日本でも統計解析が行われ、統計的には確認された。 ただし、因果関係を議論するためには、最低限、「症例対照研究」が必要とされるが、そちらの方は進んでいない。オーストラリアなど複数の国で、BCGワクチンによる新型コロナ予防効果を見る臨床研究が開始されたと報道されたが、続報はない。 次の画像は、「PLOS MEDICINE」というサイトに掲載されたBCGワクチン実施の世界地図だ。Aが国民全員にワクチンを実施している国で、Bがかつてワクチンを推薦実施していたが今はしていない国、Cが昔も今も実施していない国である。 BCGワクチン説が広まる中、5月14日にBCG効果を否定する論文がイスラエルのテルアビブ大の研究グループによって発表された。  この論文は、イスラエルでは1982年までBCGワクチンの定期接種が行われていたことに注目し、接種を受けた世代と受けていない世代で感染する割合に差があるか解析したものだった。それによると、新型コロナに感染した人、重症化した人に差はなかったという。つまり、BCGワクチンには予防効果は認められなかったというのだ。 ところで、日本でBCG接種が義務付けられたのは1951年以降のことだ。よって、今の70歳以上はほとんど接種していない。 高齢者ほど感染すると重症化し、死亡リスクが高まるという点から見ても、BCGワクチン説は怪しい。しかし、今のところ有力説の一つなので、ぜひ早く解明してほしい。  これまで、PCR検査の異常な少なさが全ての原因のように言われてきた。死亡者数が少ないのも、PCR検査数が少ないからで、例えば、死亡者に対してPCR検査をしていなければカウントされない。実際はもっといるのではないかと言われてきた。「インフルエンザによる肺炎、誤嚥(ごえん)性肺炎などで死亡診断された人の中に新型コロナの人がたくさん紛れているのでは?」そんな声もよく聞かれた。 米紙ニューヨークタイムズ(電子版)に「失われた7万4千人の死亡者」(74000 Missing Deaths)という記事がある。この記事では、世界の多くの国で「超過死亡」が不自然に増加しているということを報じ続けている。 「超過死亡」とは、インフルエンザが流行した際に、インフルエンザによる肺炎死がどの程度増加したかを示す推定値のことだ。死亡者の数を週単位で集計し、それを過去数年の死亡者数と比べて、不自然に死亡者が増加していれば、この増加はインフルエンザの流行によるものと判断する。肥満の新たなリスク これは新型コロナでも同じで、超過死亡には新型コロナとは直接関連ない死亡者も含まれる。新型コロナ流行に伴う医療崩壊によって、他の病気の治療を受けられなかった人がそれに当たる。 イタリアでは、2月20日~3月31日の新型コロナウイルスによる死亡者は1万2428人と発表された。しかし、過去5年間の平均と比較した同期間の「超過死亡」は2万5354人に上っていた。 他の欧州諸国と比べ、新型コロナ対策に成功したとされるドイツでさえ、3月の「超過死亡」は3706人と、新型コロナウイルスの公式死亡者の2218人を上回っていた。これはニューヨークも同じで、ニューヨークでは医療崩壊により、少なくとも7千人がコロナ関連死したと推定されている。 そこで、日本のコロナ死亡者数が本当に少ないのかどうかは、この「超過死亡」を確かめればいいことになる。東京の新型コロナ新規感染者は、4月に一時200人を超えたが、今月に入って大きく減少している。5月15日に9人、16日には16人、17日には5人となって、もう感染は完全に下火になったと言える。 では、死亡者数はどうか。こちらも徐々に減ってきている。 国立感染症研究所(感染研)では、インフルエンザ関連死亡迅速把握システムを用いた「21都市のインフルエンザ・肺炎死亡報告」を公表している。これを見ると、日本の21都市で、今年1~3月までの「超過死亡」はない。 感染者がピークとなった4月の数字は執筆時点でまだ出ていないので、確定的なことは言えないが、日本では欧米諸国のようなことは起こっていないといえる。 ただし、東京都だけは2020年8週目以降に「超過死亡」があり、合計すると130人ほど超過している。「グラフストック」というサイトに、そのグラフがあるので、確かめてほしい。  ただ、米ブルームバーグ通信は5月14日、都内の1〜3月の死亡者が3万3106人と過去4年の同時期平均を0・4%下回ったと報じている。いずれにせよ、日本ではいまのところ「超過死亡」は見られず、死亡者数が少ないのは間違いないといえる。 ニューヨークなどの死亡例に肥満者が多かったというのは、既によく知られている。2009年に大流行した新型インフルエンザでも、肥満者は発症と合併症リスクが高かったという。 そのせいか、今回の新型コロナでも同様の調査研究が行われた。例えば、肥満の指数である体格指数(BMI)が高いほど、死亡リスクも高いというものだ。 英オックフォード大の研究チームはNHS(国民健康医療サービス)の約1743万人の健康記録を分析し、新型コロナウイルス感染が原因で死亡した5683人の「コロナ死の主な要因」を分析した。それによると、BMIが40以上のコロナ死亡率は標準の2・27倍だった。 米ニューヨーク大で市のコロナ患者4103人を調べて、肥満がリスクを増大さていることをオッズ化した。BMIIが30未満を1とした場合、30~40で4・26倍、40超で6・2倍にリスクが高まる。2020年4月、米ニューヨークでマスクを着用して地下鉄に乗る人々(AP=共同) ちなみに、BMIは体重(キロ)を身長(メートル)の2乗で割った指数で、世界保健機関(WHO)では、25以上を「過体重」30~34・9を「肥満」、35以上を「高度肥満」としている。ちなみに、日本肥満学会では25以上を肥満(メタボ)としていて、理想値は男性が22、女性が21である。 そこで、世界各国の肥満度を見ていくと、日本は、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で男女ともにBMIが最も低い。次に韓国が低く、最も高いのは米国の28・8で、英国が27・3で続く。スペイン、イタリア、フランスも25を超えている。ただ、100万人当たりの死亡率でトップのベルギーは25を超えていない。ちなみに、日本人のBMIは男性平均23・6、女性平均22・5だ。 欧州諸国では、新型コロナによる死亡者のなんと半数が、介護施設に入居していた高齢者だった。米国でも死亡者の4分の1は老人施設の入居者だ。 となると、超高齢社会の日本では、高齢者の死亡者数が増えてもおかしくない。ところが、日本では海外に比べ、高齢者施設での死亡者が少ないのである。ウイルスは絶えず変化する ダイヤモンド・オンラインの『日本のコロナ死亡者が欧米より少ない理由、高齢者施設クラスターの実態』で、中央大の真野俊樹教授は、このことを指摘した上でこう述べている。 日本は制度上、病院が病気のみならず、高齢者のケアも行うというスタイルを取っていた。一時期批判されたが、『社会的入院』のように、高齢者が長期入院して生活を病院の中で行うということもあった。(中略) 海外に比べ、日本は病院以外の高齢者施設が少ない。世界一高齢者の比率が高い国でなぜこれが成り立っていたかというと、病院に高齢者が入院していたからである。すなわち、病院が高齢者施設の代わりをしているのは『日本の特殊性』ということになる。さらにいえば、急速な高齢化に伴い高齢者施設を増やしており、かつ日本の医療保険制度や介護保険制度を見習っている韓国でも同じように、病院が高齢者施設を代替している。ちなみに韓国も日本と同様、人口当たりの死亡者数が少ない。ダイヤモンド・オンライン「日本のコロナ死亡者が欧米より少ない理由、高齢者施設クラスターの実態」 2020.05.13  おそらく、これは一面の真実かもしれないが、死亡者数が少ない全ての理由ではないだろう。 ウイルスは常に変異(ミューテーション)を遂げるものだという。新型コロナウイルスも同じだ。欧米の医学者らが運営する新型コロナウイルスのゲノムに関する専門サイト「ネクストトレイン」(nextrain)によると、ウイルスは15日間に一度のペースで変異を遂げているという。 この変異を分類したのが、英ケンブリッジ大などの研究チームで、4月9日、医療研究者による国際データベース「GISAID」にその結果を公表した。それによると、新型コロナウイルスのリボ核酸(RNA)の塩基配列について変異パターンを比べると、ウイルスは3タイプに大別されたという。 武漢を中心に中国で蔓延したAタイプと、Aから分かれて中国から東アジア諸国に広がったBタイプ、そしてBタイプから分かれて米国や欧州各国に広まったCタイプだ。つまり、日本で感染拡大せず、死亡者も少ないのは、欧米とはウイルスのタイプが違うからという説が、この研究から推測できる。 日本の感染研も、4月28日に同じような研究結果を公表した。中国発のウイルスと米国・欧州のウイルスは変異の結果、違うタイプになっていたというのである。 感染研では、国内外の患者5073人から収集した新型コロナウイルスのゲノム情報を解析した。それによると、1年間で25・9カ所に塩基変異が起きると推定され、それは単純計算すると平均14日間に一度のペースになる。 こうしたことに基づいてウイルスを追跡すると、日本では、1月初旬に武漢で発生した「武漢株」を基点に各地で感染者が出た。しかし、これはその後消失へと転じた。 その一方で、世界では欧米で感染爆発が起きたが、これは中国から伝播して変異した株だった。その後、この「欧米株」が日本にもやってきて、感染拡大を引き起こした。つまり、日本の感染拡大は「武漢株」が第1波で、「欧米株」が第2波というのだ。 安倍首相が5月14日の記者会見で述べたのは、このことだったわけだが、ならば、欧州株による第2波が、なぜ、日本では欧米諸国のような感染爆発を起こさなかったのだろうか。この点は大いに疑問が残る。 ただし、この欧州株が日本に上陸して、再変異していたとしたらどうだろうか。感染研では、2月に大量の感染者を出したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で確認された陽性患者のうち、70人の新型コロナウイルス・ゲノム情報を武漢株と比較したところ、1塩基のみ変異していたと発表している。 そして、この株は乗員乗客以外から検出されていないという。とすれば、日本に上陸した「欧州株」は日本だけで変異して、欧州株より毒性が弱まったとはいえまいか。新型コロナウイルスについて中国の専門家と共同記者会見するWHOのエイルワード氏=2020年2月、北京(共同) 日本人は既に集団免疫を獲得している、という仮説も出ている。武漢で謎の肺炎が発生したのが昨年暮れのことだ。 しかし、日本は全く無警戒で、昨年12月には71万人、今年1月には92万人もの中国人を受け入れている。武漢が封鎖され、ダイヤモンド・プリンセスが寄港した2月になっても、入国を規制しなかったため、10万人を超える中国人が来日した。 つまり、この3カ月間で、多くの日本人が「武漢株」に感染し、ほとんど無症状のまま免疫を獲得したというのである。アジア諸国の謎 京都大大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と、吉備国際大の高橋淳教授らの研究グループが唱えた説で、5月11日の夕刊フジによると、感染力や毒性の異なる三つの型のウイルス(S型、K型、G型)の拡散時期が重症化に影響したという。 簡単に説明すると、研究チームは新型コロナウイルスに感染した場合、インフルエンザに感染しないという「ウイルス干渉」に着目した。インフルエンザの流行カーブの分析で、通常では感知されないS型とK型の新型コロナウイルス感染の検出に成功した。 そして、日本で拡散したのはK型という初期の弱毒性ウイルスであり、欧米に拡散したのはその後に変異して感染力や毒性が高まったG型だというのだ。よって、日本に遅れて入ってきたG型は、既にK型で集団免疫ができていたため、第2波になっても感染拡大しなかったという。 しかし、そんなに早く集団免疫が獲得できるものなのか。抗体検査が今後進めば、仮説の真偽ははっきりしそうだ。 先の示した「主な国の確認感染者数、死亡者数」の一覧から、アジアの国を見ると、日本だけではなく、ほとんどの国で100万人当たりの死亡者数が少ないことに驚く。 なにしろ、新型コロナウイルス発生源の中国が日本の6人より少ない3人である。アジア諸国を列記していくと、フィリピンと台湾が7人で、韓国は5人、シンガポール、インドネシア、香港は4人となる。さらに、タイは0・8人、ベトナムにいたってはゼロだ。 こうなると、アジア人は特別で、コロナに強い何かを持っているのではという仮説が成り立つ。この仮説がさらに真実味を増すのは、同じアジアの国でも、台湾、韓国などと日本ではコロナ対策に大きな差があるにもかかわらず、結果が同じだということだ。 ただし、アジア以外でも死亡者が少ない国はある。オーストラリアもニュージーランドも100万人当たりの死亡者は4人だ。こうなると「アジア人だから」とは言えなくなる。 こうして、諸説を堂々巡りした末に行き着くのが、日本人は公衆衛生の観念が他の国の人々より強く、清潔好きだということだ。普段からマスクを着けるし、手もよく洗う。 また、欧米の家屋では靴を脱がないが、日本人は靴を脱ぐ。こうした生活習慣の違いが、感染者数や死亡者数が少ない大きな要因だというのだ。 確かに、欧米人はマスクを着ける習慣がない。今回のコロナ禍が起こる前まで、たとえインフルエンザが大流行しても、欧米人はマスクを着けなかった。 また、文化の違いも大きいという。欧米人はハグやキス、握手を日常的に行うが、日本人はあまりしない。接触という点から見れば、この違いは大きい。さらに、食文化も違う。これが影響しているという。2020年3月、イタリア・ミラノの駅を出発する乗客を調べる兵士ら(AP=共同) こうしたことを言われると、そうかもそれないとは思うが、どれも科学的ではない。証明しろといっても、証明しようがない。 いずれにせよ、コロナ禍はまだまだ続く。ある一国が感染拡大防止に成功したからといって、周囲の国ができていなければ交流できないので、世界は元に戻らない。つまり、全世界が感染拡大防止に成功しない限り、コロナ禍は終わらない。 集団免疫理論が正しいかどうかは分からないが、ワクチンと治療薬がない以上、集団免疫以外に解決しようがない。ちなみに、ワクチンは擬似感染だから、これも集団免疫獲得の一手段である。 果たして、日本は今後どうなるのか。「検査数が世界でもダントツに低いのにもかかわらず、確認感染数も死亡者数も圧倒的に少ない」という現状が続いていき、このまま終息に向かうのか。 そうだとしてもしなくても、 誰かこの現状を本当に解明してほしい。このまま「日本の奇跡」「日本はやはり『神の国』」で終わるとするなら、いったい私たちはなんのために「自粛」したのだろうか。そしてこの先、なんで「新しい日常」を始められるのだろうか。

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    コロナ休校の逆境で見えた、捨て去るべき教育の絶対的価値観とは?

    池田章子(明治大特定課題研究ユニット客員研究員、ライター) 新型コロナウイルスの流行が、日本の経済や社会に大きな影響をもたらしてから数カ月がたちました。ようやく外出自粛の効果が表れ、感染者数も減少傾向となり、段階的な制限緩和が開始されました。しかし、このウイルスの全容はまだまだ見えず、闘いは長期戦となることが確実視されています。 感染拡大防止のために日常生活は大きく変わってしまい、今後も年齢や立場を問わず、各々が自ら考えて行動することが求められます。なぜなら、未曾有(みぞう)のウイルスのまん延であるため不確実なことが多く、これまでもこれからも、「誰もが納得できる方法」を明確にルール化することができないからです。 しかしここで改めて、今なお日本の教育の中心にある「正しい答え」を求めようとする価値観が、こうした問題への対応を難しくしていると私は強く感じています。 例えば、最近よく耳にするようになった「自粛警察」がそれにあたります。自粛を過度に主張するあまり、事情を問わず従わない人々を激しく非難し、自らが考える正義を絶対的なものとする人々が現れたことも、「正しい答え」を求めようとする価値観の弊害の一つといえるかもしれません。 新型コロナ問題が浮上する以前から、教育改革の必要性は常に問われてきました。コロナ禍の現状を前向きにとらえるならば、これまでにはない状況だからこそ、出てくる知恵があるはずです。教育に関わる全ての人々が、それぞれの立場から何を考えどう動くか。その姿勢が、今後の教育の在り方を大きく変えていくかもしれません。 私自身の身近なところでは、この4月に子供が小学校に入学し、緊急事態宣言を受けてすぐに休校となりました。まさに今、自宅学習のために配布された課題を子供に取り組ませることに試行錯誤しています。私は教育の専門家ではありませんが、このタイミングで子供が就学児童となったことは、改めて教育について深く考える契機をもたらすこととなりました。 外出自粛によって、教育の場の中心が一時的に学校から家庭へと移ったことは、普段つい学校任せにしてしまう親が子供の学習に向き合うよい機会なのかもしれません。自宅で執筆活動をしている私にとって、この状況は現実的には大きな負担ですが、ここはまず探究心を持って子供の学習に関わってみようと気持ちを切り替えることにしました。 まず改めて気づくのは、教育カリキュラム自体はその内容が時代と共に変化していることです。文部科学省の学習指導要領では、平成元年の改訂で「生活科」が新設されました。そして平成10年改訂では、自分で学び考える「『生きる力』の育成」という文言が記載されたことはよく知られています。アクティブラーニングを取り入れた検定に合格した教科書=2020年3月、東京・霞が関(佐藤徳昭撮影) 直近の平成29年改訂で提示された「主体的・対話的で深い学び」という視点は「いかに学ぶか」を追求するもので、まさに本年度から適用となった内容です。 現行の小学校1年生の教科書にも「考えてみよう」という問いが散見され、単なる答え探しではなく子供が主体的に学ぶことを促していることが分かります。しかし、自宅学習で痛感したことは、「限られた学習時間内で、こうした問いに取り組むのがいかに難しいか」ということです。アクティブな学び 保育園や幼稚園とは異なり、小学校からは学習プリントや教科書の指定ページを課題として提示されます。しかし、子供は親の前で、当然のごとく文句が出たり好きなことをやり出したりします。学習を通して日々何かしら考えてもらおうとしても、すぐに行き詰まってしまい、課題をこなすことで精いっぱいです。 決められた学習の枠組みの中で、子供に知識を伝達する以上のことをしようと思えば「これは相当の工夫が必要だ」と、自分が学習に関わってみてよく分かりました。改めて、現場の先生方のご苦労には頭が下がると同時に、家庭だけではできない「学校という場」が生み出す学びの価値を実感します。 知識だけならインターネットでいくらでも手に入るこの時代、いろいろな個性を持つ先生方や共に学ぶ仲間がいる学校の価値は、より貴重なものとなります。例えば、学習指導要領の改定に伴って、より注目されるようになった「協同学習」や「学び合い」などの方法では、知識は一方的に伝達されるのではなく、グループでの課題達成といった実践的な関わりの中で創造的に学んでいくと考えられています。「こうした学び」こそが、学校教育の価値となりうるでしょう。 ところが、多くの先生がさまざまな工夫を試みている一方で、学びを生徒任せにしてしまう先生もいることで、こうした学習方法がむしろ批判の対象になってしまう事態も起こっています。その背景には、学習計画の厳しさだけでなく「子供が学ぶ内容には、誰が教えても変わらない『正しい答え』がある」という考え方が心のどこかにあるように思えてなりません。 学びに関わる人がこうした考えを持っている限り、学びを「創造する」ことは難しくなります。子供が主体的に考えることを促すためには、どこかにある「正しい答え」を探すことではなく、教員も含めて一人ひとりが自分自身と目の前で起こっていることに真摯(しんし)に向き合う必要があります。 最近では、生徒の主体的な学習を促す「アクティブ・ラーニング」という表現がさらによく聞かれますが、「アクティブ」となるのは多くの場合生徒であると理解されています。しかし、学校を「学びを創造する場」へと変革するならば、生徒だけでなく教員もまた自らがどう「学び」に関わるべきかを「アクティブ」に学ぶ主体になるべきではないでしょうか。 例えば、「先生自身が『学び合い』にどう参加すればいいか」ということを生徒たちに投げかけ、意見を募るということも考えられます。つまり、「教員はいつでも答えを知っており、『正しい答え』がある」という考えこそ問い直すべきであり、そこに参加している全員が対話を通してみんなでその場で「答え」を作っていくのです。こうした経験こそが、生徒たちに考える力をつけるのではないでしょうか。スマートフォンの使い方について議論する府立京都すばる高校の生徒と宇治市立槇島小学校の児童ら=2018年11月30日、京都府宇治市の宇治市立槇島小学校(桑村大撮影) さらに言うならば、学校だけでなく家庭や地域社会もまた「アクティブ」な学びの主体のはずです。子供たちの学びのプロセスをいかに作っていくかをそれぞれの立場で考え、互いにいかに関わり合っていくのかを模索することが求められます。それは大人たち全ての責任であり、責任を押し付け合うことは全く意味のないことなのです。 学びのプロセスそれ自体にも、あらゆる文脈に当てはまる「正しい答え」などありません。互いの境界をなくし、短期間で「答え」を出すのではなく長期的に考え、対話を続けながら試行錯誤することで、初めてそれぞれの文脈の中でベストな方法にたどりつくはずです。 何より、大人たちが主体性を持って学びのプロセスに関わっていく姿勢を見せることこそが、将来的に子供たちが自ら考える力をつけるための最大のきっかけになるのではないでしょうか。衆知の大切さ コロナ禍では、周知のようにより大きな教育制度問題への対応が迫られています。ですが、私はここでも「正しい答え」を追求することで、解決の糸口が見えなくなっていると考えています。 今年の3月初旬に突然「全国一斉休校」を発表した安倍晋三首相は、恐らく必要な措置だったにもかかわらず大きな批判を受け、各方面からその是非を問う議論が巻き起こりました。しかし、未曾有の事態で求められるのは、その時点で正しいと評価される決定ではなく、まだ明らかにはなっていない事態に対応するための体制作りなのではないでしょうか。 政府はたとえ一刻を争う状況でも、衆知を集めて暫定的な対応方法を発信し、対策の稼働後に露呈した問題について方策を考える体制を作ることは可能だったはずです。政府側が知識や情報の不足を率直に公表し、現状を把握するために教育現場からの報告ツールをしっかりと設ければ、より信頼と協力を得られたことでしょう。 報告ツールさえあれば、速やかに教育現場と問題を共有することができます。現場からも問題だけでなく、それに対していかなる工夫と努力が可能かを発信することで、政府側は利用可能なリソースを即時的に検討でき、より実現可能な知恵が生まれてくるのです。 政府が対応を丸投げしたり、それに対して現場が決定の責任を追及したりしてしまうのは、結局どこかに「正しい答え」があると考えるからです。答えありきの考え方を捨て、目の前で起こっている問題状況を共有してそれぞれが主体的に考え、対話することで初めてベストな「答え」にたどりつくのだと思います。子供たちの学習の遅れという問題に長期的な対応が求められる今後は、よりこうした意識が問われます。 来年度の導入見送りが濃厚となった9月入学に関しても、現状で「正しい答え」を求めるより、多様な方面から議論すること自体に大きな意味があります。今教育に関わる全ての人が主体性を持って発信し、そこに耳を傾けて各機関が対話を続けることで、現時点では思考の及ばない「答え」にたどりつく可能性が広がります。 教育に限らず、これまで日本では十分な知識や情報がないながらも権限だけを与えられた政府の判断によって、重要な決定が重ねられてきました。そして問題状況や知恵が共有されずに責任の所在だけが問われてきた結果、さまざまな問題が解決されることなく山積みとなっていきました。 新型コロナウイルスという大きな災いが引き起こした数々の不幸を不幸で終わらせないためにも、この機会を無駄にすべきではありません。情報不足の中で「正しい答え」を求めるのではなく、異なる知識や経験を持つ一人ひとりが主体的に考えて発信し、その「知恵を結集する」ことができれば、決定の質は今後確実に上がります。※写真はイメージ(Getty Images) 衆知とそれに伴う決定こそが、これまでの教育を、そして日本を変えると思います。 誰もが当事者であるこの新型コロナ問題で、今一人ひとりが自分の置かれている状況について問い直し、互いに発信し合い対話することは、これまでにはなかった衆知を生み出すことでしょう。わが家にも6月からの段階的な学校再開が通知されていますが、微力ながら私自身も親として自宅学習に協力し、気付いたことを先生にお伝えして、お互いの知恵と工夫を共有したいと思います。

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    「はき違えた正義」LGBT運動を妨げる国会議員の新宿騒動

    松浦大悟(元参院議員) 毎年ゴールデンウィークに合わせて行われている日本最大のLGBT(性的少数者、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の祭典「東京レインボープライド」(TRP)。代々木公園(東京都渋谷区)をスタート地点に、渋谷や原宿をパレードしており、過去にテレビでご覧になった方も多いだろう。 例年なら20万人を超えるイベントだが、今年は新型コロナウイルスの影響で初のオンライン開催となった。主催者は会員制交流サイト(SNS)でのハッシュタグ「#おうちでプライド」をつけた投稿を呼びかけ、性的マイノリティの当事者、当事者の家族、共感を寄せる非当事者のみなさんがそれぞれの思いをつづった。 しかし、光があれば闇もあるのが世の常。きらびやかなお祭りの話題でかき消されてしまったが、TRPの約1カ月前に生じた「ある事件」がLGBTを二分する大論争を巻き起こしたことはあまり知られていない。そしてそれは今も火種となってくすぶっている。 きっかけは『AsageiBiz』(アサ芸ビズ)が配信したニュースだった。記事によると、同性愛を公表している立憲民主党の石川大我参院議員が、新型コロナウイルスの感染拡大が問題になっていた3月20日の未明、ゲイタウンである新宿2丁目で警察官を相手に大騒動を起こしたというのだ。 石川氏は午前2時ごろ、たまたま通りかかったパトカーをにらみつけ、いきなり動画で撮影し始めた。警察官がやめるように注意すると「オレは2丁目を偉そうに歩き回る警察を撮るのが趣味なんだ」「警察に肖像権はない」と挑発した。 さらに「名前を言え! 警察手帳を撮らせろ」と大声でわめいたかと思うと、今度は自分でその場から110番通報をして別の警察官を呼び、「オレは国会議員だぞ! ビビっただろう」と権力をちらつかせた。公衆の面前でのやり取りは約1時間続いたとのこと。泥酔していた様子の石川氏は、最後は警察官になだめられ帰途に就いたそうだ。 この報道を受けて石川氏のもとには非難が殺到した。市井のLGBT当事者からも国会議員としての自覚のなさを嘆く声が寄せられた。 ところが、日頃から石川氏を支持している一部のLGBT活動家だけは逆だった。「警察はわざとハッテン場に張り付いている」「性的指向をもとに職質のターゲットを絞っている」と、事もあろうに警察批判を展開し、石川氏を英雄とみなす人も出てきた(ハッテン場とは、不特定多数の男性が男性同士の性行為を目的に集まる空間のこと。全国に約170店あり、都内には新宿区を中心に約70店ある)。外出自粛要請を受け、東京・新宿の繁華街で通行人に声掛けをする警察官=2020年4月 同じくゲイであることをカミングアウトしている政治家として「これはまずい」と思った筆者は、すぐさま次のような内容をツイッターにアップした。 警察が新宿2丁目のハッテン場前を重点的にパトロールしているのは、薬物を使うゲイがあまりにも多いからです。何でもかんでもゲイ差別と結びつけて思考停止するのではなく、どうすれば薬物との関係を断ち切れるのかみんなで考えるべきだと思います西浦氏発言は「差別」だったのか? ゲイと薬物との親和性については昔から問題視されてきた。ゲイナイトでプレイするDJやドラァグクイーン(男性が女性の姿で行うパフォーマンス)、ゲイバーのママが逮捕された話は事欠かない。覚せい剤取締法違反(所持)容疑などで2度目の逮捕、起訴となったミュージシャンの槇原敬之被告の秘匿捜査を進めていたのも新宿2丁目を管轄する警視庁四谷署だ。 ハッテン場周辺の見回りは性的指向への偏見によるものではなく、性行為での興奮をより高める目的で違法薬物を使用するゲイが減らないからである。こうした情報は新宿2丁目をフィールドワークした経験のある人なら誰もが承知していることであり、警察は決して「性的少数者いじめ」をしているわけではないのだ。 だがこれは、リベラル政党やLGBT活動家にとっては「不都合な真実」に他ならない。近年ようやくLGBTの権利が注目されるようになってきたのに、ゲイの負の部分が国民に見えてしまうとムーブメントに水を差すことになる。だから、警察を攻撃することで、人々の目が真実に向かないようにしているのだと感じる。 かつて筆者も新宿3丁目の日焼けサロンで似たような出来事に遭遇したことがある。巡回に来た警察官が非常口に積んであったゲイナイトのフライヤーの入った段ボール箱を見て「もしものときに邪魔になるといけないので場所を移動してもらえますか」と店側にお願いしたところ、身の置き所のなくなった店員がいきなり「ゲイ差別だ」と騒ぎ始めたのだ。 「差別」だと名指しすれば相手は強張り怯(ひる)む。ゲイの一部に「差別」という言葉を理不尽な要求を押し通すためのキラーワードとして使っている側面があることは残念ながら否定できない。石川氏を擁護したLGBT活動家もしかり。火消しのための「葵の御紋」として利用したと言われても仕方がない。 無論、世の中から差別がなくなったわけではない。筆者も地元の国会議員に「同性愛者のあなたは秋田の代表としてふさわしくない。選挙の候補者を降りるべきだ」との旨を真顔で言われたときには一人枕を濡らした。それゆえに差別解消に向けて尽力したい気持ちは人並み以上だ。でも、だからこそ、はき違えた正義についてはLGBT当事者自身が声を上げていかなくてはならないと思う。 また、こんなこともあった。「8割おじさん」こと厚生労働省クラスター対策班の西浦博北海道大教授がインタビューで、新型コロナウイルス感染拡大の事例として「性的に男性同士の接触がある人も多い」と説明した。 すると突然、過激なLGBT活動家から「同性愛差別だ」と難癖をつけられたのだ。小池百合子東京都知事が「三密」を避けるよう緊急会見した3月25日以降もハッテン場は営業を続けていた。エロ系のゲイ・クラブイベントも中止されることなく強引に開かれていた。西浦氏が警鐘を鳴らしたのは当然のことだった。新型コロナウイルスのクラスター感染防止策について、記者会見する北海道大の西浦博教授(中央)=2020年4月、厚労省 しかしながら「差別」という言葉にあおられた人々は反射的に西浦氏を断罪した。結局西浦氏は、早期に事態を収拾させるために謝罪せざるを得なかった。この理不尽な糾弾劇を見て怒ったのは一般のゲイたちだった。「西浦氏は謝る必要はない」「われわれには自浄作用がない。LGBT団体も見て見ぬふりをし、ハッテン行為を自粛しろとは言わない。西浦先生に言わせてしまって申し訳ない」と、LGBT運動の問題点を冷静に分析するコメントで溢れた。 このエピソードからも分かるように、LGBT活動家と「普通」に暮らすLGBT当事者との感覚のズレは近頃ますます大きくなっている。韓国での例だが、ゲイが集うクラブで感染爆発が起き、身元を明かされることを恐れた約3千人と連絡が取れないとの情報もあり、そうなる前に啓発した西浦氏の行動には意味があったと言えよう。同性婚が必要な理由 一般社会からは見渡せない部分のゲイのライフスタイルに言及すると、猛烈に攻撃してくる人たちがいる。筆者も以前、文芸評論家の小川榮太郎氏との対談(『月刊Hanada』2018年12月号)で「ゲイのセックス経験人数は平均でだいたい三ケタというのが私の実感」と指摘したところ、うそつき呼ばわりされた。もちろん当てはまらない人はいるだろう。 だがこれは、ゲイの一生涯の累積として学術的にも妥当な数字だ。東大の三浦俊彦教授は最近の論説でゲイの性交渉人数は平均500人だとする米国の心理学者の推定を紹介。サンフランシスコでのパイオニア的調査ではゲイの75%が100人以上、27%が1千人以上で、レズビアンは大半が10人未満だったという。統計をとると男性は女性よりも性体験が豊富なことが分かっているが、この傾向は同性愛者であっても変わらない。 ゲイは男性的性欲に従い、レズビアンは愛するパートナーとの安定した関係を持ちたがる。ゲイ男性同士は男女のカップルよりも性交合意のハードルが低いので数が増えるのは自然なのだ、と。そして三浦氏は、これは偏見でも差別でも暴言でもないと説く。「男の性欲は、貶(おとし)めたり隠したりすべきものではなく、コントロールすべきものです。生物学的デフォルトの性差を直視しない社会は、科学をないがしろにする社会」だと諭す。 筆者は小川氏との対談で、このような刹那的な生き方にふたをするための同性婚の必要性を訴えたのだった。制度があることによって人は自らを律していく。結婚制度に同性愛者を組み入れることで、ゲイは「新しい生活様式」を見いだすことができるし、国家はさらなる安定性を担保することができる。コロナ危機の国難において、保守派にとっての重要な視座だと筆者は思う。同性婚に反対する年配の方々にも、ぜひ一考してもらいたい。 なぜ、LGBT活動家はゲイの性愛を語ることを嫌うのか。そもそも「性的指向とエロスは関係ない」とのロジックは、性欲を忌むキリスト教圏で同性愛を正当化するために作られた方便だった。 ところが、わが国のLGBT運動は、歴史的経緯の違う欧米理論をそのまま輸入してしまった。その結果、事情を知らない若い活動家は同性愛を高尚で美しい恋愛パートナーの話なのだと真に受けてしまったのだ。つまりネタがベタになったというわけだ。 そうした彼らの純愛信仰は、裏を返せば内なるホモフォビア(同性愛嫌悪)の表出だといえる。性欲を忌避するLGBT活動家は、本当の社会的弱者の声をすくい上げることをしない。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 首都圏のウリ専(ボーイが指定された場所に赴き有料で性的サービスをするゲイ風俗のことで、女性の利用者も少なからずいる)にはドメスティック・バイオレンス(DV)や貧困から逃げてきた若者も多い。地方から上京し、合宿所で暮らしている人もいる。彼らは食べていくためにコロナ禍であっても働かざるを得ないのだ。 イタリアの哲学者であるジョルジョ・アガンベン氏は今から25年以上も前に「ホモ・サケル」という概念を提起した。ホモ・サケルとは「排除から排除されたもの」という意味だ。 つまり、包摂か排除かを選別される人たちとは別に、あらかじめ選別の土俵から締め出された人たちがいるということ。華やかな面ばかりを伝えるLGBT報道はキラキラした強い光線を放つことでハレーションを引き起こし、真の課題を見えなくしている。ある事への敏感さが別の事への鈍感さに繋がってはならない。変わりゆく時代に合った法整備を LGBTは幼少期から他者との違いに怯えて暮らしてきた人が少なくない。たとえ実態としての被害はなかったとしても、本人にとっての疎外感は確かに存在するのだ。そう、犯罪心理学が研究する「治安」と「体感治安」の違いのように。蓄積された被害者意識はコップに注がれた水のごとく一定の表面張力を超えると溢れ出る。ただし、そのベクトルは自罰に向かう場合も他罰に向かう場合もある。 本来のLGBT運動は「フェアな社会」を要求するものであるが、他罰感情から社会と敵対する当事者も生まれやすい。そこをどう乗り越えていけるか。これまでのLGBT運動が向き合ってこなかった部分だ。 LGBT活動家はゲイの薬物乱用や過剰な性交人数について、背景には社会の無理解を原因とする自尊心の低さがあると弁明してきた。一昔前ならそうした分析にもリアリティを感じられたが、これだけネットによってゲイの多様な生活が可視化された現在では説得力に欠ける。むしろ、当事者の甘えを肯定するために機能してしまっている。 ここ数年、LGBTが社会的に認知されるようになってきたことと比例して、世間の眼差しも変わりつつある。2017年に1907(明治40)年の法制定以来110年ぶりの刑法改正がなされ、強姦罪の名称が強制性交等罪に変わった。「口腔性交」や「肛門性交」も含まれることになり、男性間での性行為も対象となった。 LGBT運動は自分たちを「一級市民」として認めてほしいと訴えてきたけれども、権利が向上すれば社会の成員としての義務も生じる。それは、これまで性的マイノリティゆえに「お目こぼし」されてきたゲイ・カルチャーが「法の外」として通用しなくなることを意味する。 たとえば衆人環視の中で男女が偶然を装って性的な行為に及ぶハプニングバーは、しばしば「公然わいせつほう助」として摘発されているが、ほぼ同じ理由でハッテン場の経営者が捕まるケースも出てきている。 ジェンダー・イクオリティの観点からいつかはこうなると分かっていたとはいえ、戸惑いを隠しきれないゲイは多い。現在風営法は異性間の性風俗店しか登録できないため、店側としてもルールの作りようがないのだ。 あるハッテン場は店内にバーカウンターを設け、パンツだけははくようにと客に指示を出す努力はしているが、一歩奥に入れば大部屋での乱交は平常通り。あるクラブイベントは壁際でオーラルセックスをしている客をスタッフが注意して回っているものの、どこまでが合法なのか判断がつかない状態だ。国会による不作為が、関係者たちを法の狭間で困惑させている。  性的マイノリティを表明する国会議員がやるべきことはLGBT活動家と一緒になって聞こえのよいスローガンをお題目として叫ぶことではないはずだ。不人気になることを覚悟のうえで現行制度とどう折り合いをつけていくかを考えるべきである。なぜなら、社会のチューニング(微調整)こそが国政の役割だからだ。2016年4月、参院選秋田選挙区で野党統一候補に決まり記者会見する松浦大悟氏=秋田市山王 献血禁止規定の問題もその一つだろう。新型コロナウイルスによる外出自粛などの影響で血液不足が深刻化しているが、日本赤十字社のガイドラインでは過去6カ月以内に男性同士の性的接触があると献血できないことをご存じだろうか。ゲイやバイセクシュアル男性はHIV感染の高リスクグループだというのが理由だ。情報共有でオープンな議論を ただ、現在の検査技術は2カ月が経過していればHIV抗体の検出を可能としており、このたび米国は禁止期間を12カ月から3カ月に緩和した。未曽有の危機に自らも国を救うために貢献したいと考えるゲイやバイセクシュアル男性は大勢いる。性的マイノリティ議員には、ぜひこうした立法にこそ力を入れてほしい。 先日、筆者が1万8千もの「いいね」をもらったツイッターの投稿がある。 ゲイの私から皆さんに言えることがあるとすれば、一言。「弱者の言葉が常に正しいわけじゃない。LGBTの嘘に騙されるな」ということ。「ちゃんと自分の頭で考えよう」ということ 差別がないとは言わない。けれどLGBT運動が殊更に弱者としての姿を強調し、あらゆる手段を使ってきたことは事実。時には大風呂敷を広げ、またあるときには都合の悪い情報を伏せて大衆を丸め込んできた。彼らの焦る気持ちは分からなくもないが、そうしたご都合主義はいずれ信頼を失う。 同性婚の議論もそうだ。「同性婚を導入すれば一夫多妻婚や動物婚も認めなければならなくなる」と心配する保守派に対し、LGBT活動家は「あり得ない」と全面否定した。だが、現実は違った。文化人類学の立場からドイツの動物性愛者団体を研究している濱野ちひろ氏は、去年『聖なるズー』で開高健ノンフィクション賞に輝いた。 その濱野氏はインタビューで「動物性愛は、医学的には精神疾患として分類されていますが、最近ではLGBTのような『性的指向』の一つだとする性科学者の意見もあります」と話している。 また、津田塾大の萱野稔人教授は著書『リベラリズムの終わり その限界と未来』で、米国では同性婚合憲化以降、重婚も認めてほしいとの要求が出てきたことを報告している。モルモン原理主義者を中心に一夫多妻生活を実践している人たちが約3万~4万人おり、その中から真剣に結婚の自由を訴える世代が登場し始めているのだ。 萱野氏は「他人に危害が及ばない限り社会は各人の自由に干渉してはならない」というリベラリズムの原理を突き詰めれば、同性婚だけ認めて本人の自由意志のもとでなされる一夫多妻婚や一妻多夫婚、近親婚を容認しないことはできないと断言する。 リベラル派の人たちがこれらから目を背けるのは、思考の不徹底以外の何ものでもない、と(近親婚に反対する理由として先天異常の子供が生まれるリスクを挙げる人がいるが、それを言うなら高齢出産も禁止しなければならない)。 そのうえで萱野氏は「リベラリズムの限界に自覚的たれ」という。われわれはどうして、一夫多妻婚や近親婚に嫌悪感を抱くのか。なぜそれらにリベラリズムの原理を適用しようとしないのか。それはリベラリズムの原理より先に、リベラリズムの有効範囲を画するような、より根源的な規範意識があるからだと解説する。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) そして「より根源的な秩序原理とリベラリズムとのすり合わせこそが重要」だと述べる。これは筆者があえて憲法改正での同性婚を主張する理由でもある。社会を壊すことなく同性婚を実現させるためにはナショナリズムの論理しかない。どこまでが「われわれ」の範囲なのかを再帰的に確認し、時代に合わせて拡張していく方法だ。ナショナリズムと同性婚を結びつける議論に読者のみなさんは驚かれたかもしれない。 だが、みなさんにこそ、この問題に関わってもらいたいのだ。筆者は現職の国会議員だったとき、誰よりもLGBT政策に取り組んできた。それだけに、左派が暴走している今の状況を憂いている。LGBT運動を軌道修正し、時代を一歩前に進めるために力を貸してもらいたい。

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    9月入学の決断でこれだけ増える「未来への投資」

    石渡嶺司(大学ジャーナリスト) 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、9月入学制の検討が進んでいる。そして、この是非をめぐる多くの課題があり、多くの専門家が意見を述べている。 iRONNAでも文字通り、いろいろな意見が出ると聞いている。私は、全部網羅するよりも焦点を絞った方が適当と考え、本稿では就職や国家試験にテーマを絞ることにした。 就職や国家試験については、9月入学の導入について、課題があるとする論調の記事が多い。産経新聞でも次のように書かれている。 ただ、現状では企業などの就職・採用活動や公的資格の試験など多くの日程は4月を起点とする会計年度に基づいており、明星大の樋口修資(のぶもと)教授(教育行政学)は「9月入学制は教育改革ではなく社会改革だ」と指摘する。産経新聞「9月入学 渦巻く賛否」2020.05.12 こうした論調は産経新聞だけでなく、朝日新聞や読売新聞など他のメディアでもほぼ変わらない。それでは、日程を変えることが難しいかといえば、私はそうは思わない。どちらも解決可能だと考える。 そこで、就職と医師や薬剤師、管理栄養士などの国家試験に分けて解説したい。 まずは就職から考えてみたい。現行の就活ルールでは、大学3年生の3月1日に広報解禁、4年生の6月1日に選考解禁、同10月1日が内定日となっている。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、マスク姿で合同会社説明会の会場に向かう就職活動の学生ら=2020年3月1日、東京都港区 このスケジュールからすれば、卒業が7月下旬だった場合、2カ月間の空白期間を生むことになる。その間、就職が決まっている学生であっても無職になるのか、という問題が出てくるであろう。 ただ、あくまでも現行の就活ルールを当てはめれば、という話であり、実際には机上の空論に過ぎない。というのも、現行の就活ルールは政府主導によるものではあるが、法的な拘束力があるわけではない。「9月入社」企業の対応は? 付言すれば、政府主導となる前には経団連が取りまとめていたが、こちらも法的拘束力は特になかった。もっと言えば、大学生の就職活動が定着した大正時代(1920年代)から昭和、平成、令和と年号が変わる中、何度となく就職時期が議論された。しかし、1928年にできた日本初の就職協定も含め、全て法律で定義されたことは一度もない。 理由は簡単で、企業からすれば採用活動になるが、就職活動を法律で規制することは、集会、結社の自由を制限するかどうか、という話にもなり、相当難しいからだ。前述の通り、1928年の就職協定から約90年間、就職時期を公式に定めても、法制化されたことは一度もない。法的な拘束力がない以上、順守する企業は少数派であり、多くの企業が守るわけがない。 令和となった現在も全く同じだ。リクルートキャリア・就職みらい研究所の「就職白書2020」によると、選考解禁より前の4年生5月以前に内々定を出した企業は66・5%にものぼる。 これは学生も同じだ。広報解禁より前の3年生2月に就職活動を始めた学生は65・7%であり、企業側とそう変わらない。6割強の企業・学生が就職ルールを前倒ししており、9月入学に合わせて9月入社に変更しても十分に対応できる。 ただ、「いくら、4年生5月以前の内々定通知が6割強と言っても、内定者研修などは数カ月から半年はかかる」「9月入学と9月入社を同時に実施するのは無理」という意見もあるだろう。 そもそも、企業側は9月入学について肯定的だ。経団連は2011年に東京大学が秋入学を議論した際も、支持している。今回の9月入学についても、経団連の中西宏明会長は支持を表明している。 経団連の中西宏明会長は11日の記者会見で、「海外との連携を考えると、9月入学はごく自然なこと」と歓迎する見解を示した。産経新聞「経団連歓迎『自然なこと』」2020.05.12経団連の中西宏明会長 それに、就職時期は過去30年間で6回も変更されている。1996年以前 広報時期:4年生4~5月 / 選考時期:4年生8月ごろ1997~2004年(自由化) 広報時期:3年生10月前後 / 選考時期:3年生3月~4年生4月2005~2011年 広報解禁:3年生10月1日 / 選考解禁:4年生4月1日2012~2014年 広報解禁:3年生12月1日 / 選考解禁:4年生4月1日2015年 広報解禁:3年生3月1日 / 選考解禁:4年生8月1日2016年~現在 広報解禁:3年生3月1日 / 選考解禁:4年生6月1日※卒業年次ではなく実施年の表記 時期変更が議論されるたびに、内定者研修の短期化などが指摘されたが、結果的に企業側は対応できている。今回の9月入学についても、合わせる形で9月入社となった場合、企業側は十分に対応できるのではないだろうか。「国家試験」大学の不都合な事実 次に国家試験について解説したい。国家試験のうち、医師、看護師、理学療法士などの医療職関連の資格と、管理栄養士は、いずれも2月から3月上旬に集中している。 当然ながら、関連の大学・短大・専門学校は、いずれもこの国家試験の受験日に合わせてカリキュラムを編成している。こちらは就職活動と異なり、対応は難しそうだ。 ただ、管理栄養士は2011年、東日本大震災で被災した東北地方の受験生に対して、特例扱いで7月31日に東京などでの受験を認めている。特例扱いではあるが、過去にこうした事例があるため、対応が無理ということもないだろう。 それと、医療関連の国家試験や管理栄養士試験については、大学が合格率の高さをアピールしようとするあまり、受験を制限する事件・騒動が過去に起きている。 成績が悪く合格しそうにない学生を受験させなければ、その分見かけの合格率を上げることができる。それを受験生に対してアピールする材料としているのだ。こうした問題も、国家試験の日程を後ろ倒しにすることで解決できる。 9月入学に合わせて、すぐに受験日を7月前後に変更するのは確かに難しい。変更初年度の学生が大きな不利益を受けるからだ。・現行の3月に加えて7月の2回受験日を設けて、両方受験可能とする。・国家試験合格・卒業から入職までの日程が空く場合は、国がインターンシップを実施し、給料を出す。こうすれば、病院などに派遣することで人手不足にも対応できる。・奨学金を利用している学生は移行期間中、卒業扱いとせず、返済を猶予する。 変更初年度もしくは数年間、特例扱いでこのような方策が必要となるであろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 以上、就職と国家試験については、条件付きながら9月入学について対応可能であることがご理解いただけただろう。留学生には関係ない? 最後にもう一点、留学についても指摘しておきたい。9月入学に移行すると、グローバルスタンダードに対応できると支持する論調が強い。一方、このグローバルスタンダードについて「留学するのはごく少数だ」と反対する向きも多い。 確かに、日本人留学生も海外からの留学生も現状では少ないことは事実だ。日本学生支援機構の調査によると、外国人留学生は31万2214人(2019年度)、日本人留学生は11万5146人(2018年度)にとどまっている。 大学生数は約290万人であるから、外国人留学生と日本人留学生を合わせても全体の約15%に過ぎない。このデータだけ見れば「15%の学生だけしか、9月入学は関係ない」と論じることもできる。 しかし、日本人留学生が約11・5万人にとどまっているのには理由がある。長期間の留学で留年することにもなりかねず、就職活動にも不利になると懸念したり、そもそも長期間の留学を終えてから就職活動を始めても、既に出遅れていると危惧したりする学生や保護者が多いからだ。 実際には、長期留学して留年しても、就職活動にはほとんど影響しない。例えば、グローバル系大学として有名な国際教養大(秋田県)は2018年卒業者のうち、4年で卒業した割合は58・2%にとどまっている。 これは長期留学者の多い他大学も同様で、東京外国語大28・6%、大阪大外国語学部(旧大阪外国語大)33・7%、神戸市外国語大39・4%、宇都宮大国際学部50・5%などとなっている。では、こうした大学の就職実績が悪いかと言えば、むしろいいのである。「鳥取城北日本語学校」で授業を受ける留学生と見学する事業所の関係者ら=2020年2月13日 就職活動も、長期留学者の多い大学・学部であれば、対象を限定した学内説明会兼選考会を実施している。つまり、就職活動が留学によって出遅れるとするのは、大いなる誤解に過ぎない。それに、こうした問題も9月入学によって解消される。 現在の留学生数は確かに少ない。しかし、それは留年に対する誤解や4月入学による弊害などによるものである。 現状の対象者が少ないと言っても、それも9月入学によって大きく引き上げられる可能性は極めて高い。むしろ未来への投資と考えても、9月入学、そして9月入社への変更は理にかなっているのである。

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    祖父母が熱狂する「ランドセル商戦」 9月入学ならいつに?

     休校が続く中、東京・大阪の両知事らの猛プッシュもあって急浮上している「9月入学」だが、実施に伴う影響は相当大きなものになりそうで、学校行事の“季節感”も様変わりすることになる。 例えば、お盆休みに実家に帰り、祖父母と一緒にランドセルを買いにいく──小学校入学を翌春に控えた子供がいる家庭では当たり前の光景となっている。祖父母にとって、孫の喜ぶ顔が見られる“大イベント”だ。 「最近では百貨店などにランドセルが並ぶ時期はどんどん早まっていて、おじいちゃん、おばあちゃんが春先にチェックして、お盆休みに一緒に買いに行くわけです」(トレンド評論家の牛窪恵氏) もし9月入学になったら、ランドセルはいつ買うことになるのか。「入学直前のお盆休みでは“孫が欲しい商品が品切れだったら”という不安があるし、入学1年前のお盆休みでは、さすがに早すぎる。そこで候補にあがってくるのが『正月休み』です」 だが、9月入学を実施している欧米では、夏休みが長い分、年末年始の休みはほとんどない。日本もそうした日程に近づくなら、正月に実家へ立ち寄ることはできても、ランドセルを一緒に買いに行く時間まで捻出できる家庭は少なくなりそうだ。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) 「おじいちゃん、おばあちゃんがお年玉と一緒にランドセル代を振り込み、そのお金で親がランドセルを買うことになってしまうかもしれません。 若い世代のお父さん、お母さんが買うなら売り場ではなく、ネット通販の利用が増えて、今のような特設コーナーを作って売るという光景も減るのでは」(牛窪氏) 祖父母にとって、孫の小学校入学という節目が、少し淋しいものになってしまうかもしれない。関連記事■「9月入学」になったら学校でプール授業なくなる可能性も■小学生の「置き勉」 ランドセルを軽くするだけでは解決しない■運動会に変化、生年月日順徒競走やゼッケン全廃に英語導入■小学校卒業式の「袴スタイル」 親のインスタ映え競争が激化■中学受験で子どもをツブす「教育虐待パパ」の共通点

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    9月入学で発生する大混乱 「1学年の人数が増える」問題とは

     4月に小学校に入学した生徒たちが休校で学校に通えない状況が続くなか、小池百合子・都知事らは「9月入学」へのスライドを提唱している。ただ、その場合、大混乱は避けられない。「来年以降の5年間は『1学年の人数を増やす』という施策が必要になってくる」──そう話すのは、名古屋大学大学院発達科学研究科准教授で教育評論家の内田良氏だ。 なぜそうしなければならないのか。内田氏が続ける。「学校は9月から始まるにもかかわらず、『新一年生になるのは4月1日時点で満6歳の子供』というように、5か月のギャップが生じてしまうからです。 これを解消するために、年齢の基準も『9月1日時点で満6歳』と揃える必要があります。今年はもう間に合いませんから、来年から揃えるとすると、『2021年4月1日時点で満6歳』の子供たちに加えて、2021年4月2日~9月1日までの5か月間に6歳になった子供も追加で入学することになってしまい、学校がパンクしてしまうのです」 そうなると事態は深刻だ。教育ジャーナリストの木村誠氏がこう話す。「教育現場では、とくに大変なのが小学1年生です。幼稚園で英語まで勉強してきている子もいる一方で、大半は先生の話を真面目におとなしく聞くという学習態度もできていない子たち。その様々な1年生が増えた時の現場の混乱は、想像を絶するものがあります」 これを解消する手段として検討されているのが、“ちょっとずつ増やす”というものだ。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ)「具体的には、来年の9月に入学するのは、2020年4月2日~2021年5月1日までの13か月間に6歳の誕生日を迎える子、再来年は2021年5月2日~2022年6月1日に6歳になる子……といった具合でいけば、2026年9月には帳尻が合う。5年で解消できる計算になります」(内田氏) そうなれば、年齢が違う「4月生まれ」でも今年4月に6歳になった子供と、来年4月に6歳になる子供(現在5歳)が同学年になる、という奇妙なことも起こってしまう。 教員や教室が足りなくなるといったトラブルを回避するためにはやむをえないかもしれないが、とにかくややこしい。関連記事■9月入学論が浮上、なぜ日本は「4月新年度」が続いてきたか■【写真あり】萩生田文科相 宴会で「俺は一斉休校には反対だった」■中学受験で子どもをツブす「教育虐待パパ」の共通点■1台27万円? 小中学校に「PCを1人1台」で膨れ上がる予算■小学校卒業式の「袴スタイル」 親のインスタ映え競争が激化

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    ナイナイ岡村「風俗嬢」発言と日本社会の現実

    ナインティナイン、岡村隆史の「風俗嬢」発言について、女性蔑視などとの批判が相次いだ。新型コロナ禍で生活苦になった女性が風俗業を余儀なくされ、それを楽しみにするといった主旨だけに批判は免れない。ただ、この問題の根本は個人批判だけでは見えてこない。今回は、浮き彫りになった日本社会の現実と課題を直視する。

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    ナイナイ岡村「風俗嬢」発言を後押しする日本社会の悪循環

    佐伯順子(女性文化史研究家、同志社大大学院教授) 4月23日、ラジオの深夜番組内で、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史が、新型コロナウイルス感染拡大の終息後について「面白いことがあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども美人さんがお嬢(風俗の女性)やります」などと語り、批判が相次いだ。 女性蔑視、女性への人権侵害として、出演番組からの降板を求める署名活動にも発展。発言者の岡村は同月30日に、同じラジオ番組内で反省の弁を述べた。だが、その謝罪内容についても、「失礼な発言であった」との形式的なもので、本当の謝罪になっていないとのさらなる批判を招いている。 この問題は、発言者個人を批判して済むものではなく、日本の歴史的、社会的背景による根深い構造的問題を抱えている。単なる失言で終わらせるべき問題ではない。遊女や春画の研究を通じ、日本のセクシュアリティの研究をしてきた見地から、日本の性文化の過去の問題点を整理し、何を改善すべきなのか、再発防止には何が必要なのかを指摘したい。 日本文化の歴史的背景として、性的な話題を「お笑い」と認識し、その場を和(なご)ませるツールとする現象が存在した。女性と男性の営みを生殖器もあらわに描く浮世絵の春画は、当時は「笑い絵」と呼ばれ、落語にも艶笑話が含まれる。日本の祭礼にも、性的な行為を演じて観客を笑わせたり、生殖器をご神体として担いで練り歩いたりして、見物人の笑いを誘うものが継承されている。 日常生活では隠している下半身をさらけ出したり、恥ずかしい性的な話題をあえて共有したりすることで、お笑いというリラックス効果が生じ、さらに、そのお笑いを共有する人々がお互いの警戒心を解き、仲間意識を高める意味での一種のコミュニケーション手段として、日本社会における性表現は社会的に機能していた。 ゆえに、現在でも酒席などでいわゆる猥談(わいだん)をして気心が知れるという習慣は、特に男性同士の社交文化において、おおっぴらに語られなくとも残存している。森鴎外の『ヴィタ・セクスアリス』に、先輩が後輩を色街に連れて行く「男社会」の習慣が描かれているように、男性同士のホモソーシャルな絆を確認するために、風俗業界が利用されるという社会現象が、日本社会には歴史的に存在したのである。 この歴史から推測できることは、今回問題化した芸能人発言だけではなく、同じように思っている男性が実は日本社会には一定数存在するのではないかということである。仮に「あなたも同じように思っていますか」というアンケートをしたとしても、性的な話題について本音の回答を得られるかどうかはおぼつかない。インタビューに答えるお笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史=2016年10月、東京都世田谷区(川口良介撮影) だが、「ほんまはそう思てる男性いっぱいおるよね」という無言の後押しがなければ、メディア出演を仕事とする著名な芸人が、ラジオであのような無防備な発言はしないと思われる。私は彼個人よりも、彼の発言を潜在的に後押ししたと思われる「岡村予備軍」ともいうべき日本男性の心性的慣習を問題視したい。 発言者の意識を推測してみると、性的な話題が「笑い」とみなされ、場を和ませる肯定的要素として受け止められた歴史があったため、お笑い芸人という本業から、新型コロナ感染拡大下の沈うつな社会を和ませるサービス精神が出てしまった、つい「笑い」をとりにいった、悪気はなく逆にウケると思っていたとも想像できる。蔓延する大いなる誤解 であれば、「本気の謝罪」になりにくいのも必然である。私は決して、歴史的背景に照らして、岡村発言を擁護するつもりはない。逆に、「表で言ったからアカンのやろ、どうせ同じことを思っている男はこの世にいっぱいおるはずやから、まあ表向き謝罪しといたらええわ」というような発想を生み出す社会的、歴史的背景をこそ、問題にしたいのである。 上記のような歴史的背景から、現代社会では、水商売の女性や女性の容姿をネタにして笑うことを女性に対する侮蔑であると認識できず、むしろサービス精神だととらえる大いなる誤解が蔓延している。 しかし、このことは、セックスワーカーに対する偏見でもあり、女性を容姿で判断するというあからさまな過ちという意味でも、二重に問題をはらんでいる。こうした文化的慣習からくる日本社会の女性観、女性についての認識自体を根本から改めなければ、再発は永遠に防止できない。 ラジオという公共の電波で発言したから悪い、プライベートではこういう発言も許される、というようにこの問題を矮小化するべきではない。 では、江戸時代なら許されて現代はだめなのか、という疑問が生じるであろうが、江戸時代の「笑い絵」は、女性も男性も鑑賞するものであり、実は春画には遊女の姿は少ないのだ。 夫婦の営みや恋人の関係が主として描かれる春画の場合、性の歓びを女性も男性も謳歌する要素が強く、好意もない異性に経済的困窮から仕方なく性的サービスを提供する遊女たちの苦痛に満ちた性はモチーフになりにくいのである(筆者共編著『浮世絵春画を読む 下』の「春画と遊女」、筆者著書『「愛」と「性」の文化史』)。 しかし、明治の近代化以降、西洋文明の影響下で、ストイックな近代的性道徳が女子教育を通じて主流化し、江戸以前の「笑い絵」の文化が否定されるとともに、女性は「貞操」や「処女」性を重視され、清く、正しく、美しくあることを求められるようになった。展示された歌川国貞の肉筆春画「金瓶梅」=2015年9月、東京都文京区の永青文庫 ところが逆に男性については、江戸以前と同様、遊廓に通って先輩後輩の絆を深めたり、場を和ませる手段としての猥談をしたりすることが、一種の社交手段として許容され続け、セクシュアリティをめぐる女性と男性をめぐる非対称性、ダブルスタンダードが明治以降に強化されて今日に至る。 女性たちの多くもまた、明治の近代教育における夫や息子に従属すべきという儒教的規範を内面化して、男性の猥談を許容したり、性的な嫌がらせを我慢し続けたりしてきたのである。求められる意識改革 だが、こうした性のダブルスタンダードは、ジェンダー平等の実現を目指す現代社会では当然不適切であり、これまでは当たり前と思われていたからこれからも当たり前、という男性中心の性文化の発想をまずは根本から転換する必要がある。岡村発言のみを批判してことたれりとするのではなく、その背後にある過去の日本男性の「性的常識」自体の根本的意識改革こそが、これを契機に求められているのである。 岡村発言の背景にある日本社会全体の問題は、女性と男性の経済格差としても存在する。国際比較上、女性と男性の収入の格差は、日本では男性に対して女性が7割程度を推移してきたが、欧州などは8~9割程度の地域もある。 男性の収入で妻と子供の一家全員の生計をまかなう「男性一人稼ぎ手モデル」が、この格差に影響しており、男性を主たる生計の担い手として位置づける社会的認識が、特に高度成長期に主流化した。 このため、男女の収入の格差はむしろ助長され(男性の収入を増やすことが家計全体にプラスと判断されがちになるため)、配偶者の収入が一定額を超えると扶養控除がなくなるという税制もこうした傾向を助長する。配偶者、特に女性の側に収入があることはいけないことではないか、配偶者よりも稼ぐことは男性の面子をつぶしてしまうのではないか、という間違った倫理道徳観さえ、そこから派生してしまう。 経済の低成長時代を迎え、男性一人稼ぎ手モデルが自明ではなくなり、専業主婦の数はデータ上、減っているとはいえ、長時間労働、ワークライフバランスの解消が前に進まないこともあり、日本女性の労働市場への参画は十分に進まない。 また、昇進すると責任が増えたり、ハードワークになる危惧があったりするため、あえて出世を望まない場合もあり、管理職への女性の進出も進まず、男女の賃金格差も解消されないという悪循環を生む。 結果として、女性がまとまった収入を得るために、いわゆる水商売に走るという戦前のような発想は、現在も隠微に存在している。女性の職業選択肢は明治末から大正期にかけて増え、地道に働いて収入を得る手段も皆無ではないが、現代では長時間労働や遠距離通勤もあり、女性男性を問わず日本の組織は負担が大きいために、まとまった収入を得るためには水商売に行くしかないかとの発想を女性が持ってしまうことにもつながる。 男女共同参画や、女性「活躍」というスローガンが掲げられて久しいが、世界経済フォーラムによる日本女性のジェンダー平等指数の順位は、国際比較上、上昇しているどころか、近年は下降している。「すべての女性が輝く社会づくり推進室」の看板をかける安倍晋三首相と有村治子女性活躍担当相(当時)=2014年10月、内閣府(代表撮影) ジェンダー・ギャップ指数は欧米基準だとの批判もあるが、2019年には153カ国中121位と下位の記録を更新、むしろ2010年代までの方が、80位(06年)、98位(11年)と、90位台から最低101位を推移しており、日本のジェンダー状況は進化するどころか退化している。女性にも求められる発想の転換 なぜなのか。明治女性の労働参画を研究していて明らかなことは、近代化初期の女性の労働参画は、自己実現のためというよりも、生計を担う覚悟で責任を持って働くことが求められたということである。 明治の女性労働としては『女工哀史』がよく知られるが、労働する当事者としての彼女たちは、少なからず、家計を助けて働くことに誇りと責任感を抱いていた(サンドラ・シャール著『女工哀史を再考する』)。 ところが、昨今の女性「活躍」という表現は、テレビドラマの主人公のように、医師や弁護士など、あたかも「華やかに活躍」しなければ女性労働には意味がない、との誤解を生みかねず、地味な仕事について生計のために苦労するくらいなら、安定収入のある男性と結婚するのが人生の「勝ち組」であると判断する若い女性も出てきてしまう。 職業に貴賎はない。表面的憧れにとらわれることなく、女性も地道に生計労働をする覚悟を持てば、新型コロナ終息後に生活に困ったため風俗業に走る、という短絡的発想も解消されるはずである。 女性にもまた、生計のためには「外に出れば七人の敵がいる」という、どのような職場にもある悩みに臆することなく、風俗以外の業界で生きるという発想の転換が必要なのである。 お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志が、ホステスなどに対する税金による支援について疑問視する発言(4月上旬時点)があったが、その意味では正論である。女性の働き口をそうした業界以外にも広げる工夫をする方が、広い視野で見て、男性一人稼ぎ手モデルを構造改革する日本社会の転換につながるのである。新型コロナウイルス感染拡大で風俗店などの休業が相次ぐ歌舞伎町=東京都新宿区 ただし、同時にこの発想の転換が、セックスワーカー全体の差別につながることがあってはならない。ぎりぎりまで選択肢を考えた上で、なおかつその業界に足を踏み入れざるを得ない女性たちはやはり存在するし、性に携わる女性をやみくもに蔑視することも明らかに差別である。 岡村発言の背後にある日本社会の構造的問題を改善し、過去の「性文化の常識」の悪い面を改めることこそが、現代社会には求められている。これこそが再発防止のあるべき方向性である。

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    独身貴族の岡村隆史は、こうして「女嫌い」をこじらせた

    水島新太郎(同志社大嘱託講師) 2020年4月23日、ニッポン放送「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で、パーソナリティーを務める岡村隆史が風俗に関する発言をし、物議を醸している。新型コロナウイルスによる外出自粛のため、風俗に行くことができないと嘆くリスナーに対し、岡村は次のように発言した。 「コロナ明けたら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります。これ、なぜかと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなったときに今までのお仕事よりかは。これ、僕3カ月やと思っています。苦しいの、3カ月やと思います。(中略)この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう」 これは発言の一部に過ぎないが、新型コロナによる失業で生活困窮者が風俗に流れ、最低3カ月間はかわいい風俗嬢の数が増えると、推考していることからも分かるだろう。岡村発言は、個人の発言としては具体的であり、皮肉るならば、風俗を熟知した人間の哲学的思想のようにも見える。 リスナーに諭すように語りかける彼の口調からも、それは一目瞭然である。本稿では、ジェンダー研究者の立場から、岡村発言と、翌週の番組で「公開説教」した相方、矢部浩之の発言を批判的に分析し、生物学上同じ男性としての立場から、岡村が今後取り組むべきことについて述べたい。分析に必要なキーワードは、「ミソジニー」(女性蔑視)、「ホモソーシャル」(従来型の男性同士の絆)、「オン・オフ問題」、そして「アローン」(おひとりさま)だ。 依然、日本列島が新型コロナによる自粛ムードの中、岡村は自ら発した風俗発言によって窮地に立たされるわけだが、実は、同じ日にジェンダー失言をした人物がもう一人いる。スーパーでの密閉、密集、密接の「3密」回避案を、自らの主観だけで語った大阪市の松井一郎市長だ。 松井氏は、男性は決められたものだけを買うから、女性よりも買い物が速い、と独自の「解決策」を掲げ、その後、主婦たちからの猛反発にあう羽目となる。2人とも新型コロナ禍が深刻化する中、女性を蔑視する失言をし、猛反発にあっている。 ただ、今のような国難でなくとも、彼らの発言は時代の変容に追いつけないまま現代に至る男性の本音であり、批判は免れない。特に、女性を性的搾取の対象として蔑視する岡村発言は、タレントのMattをはじめとするジェンダーレス男子たちが体現する、意識と生活スタイルが多様化した今日において、時代を逆行していると言わざるを得ない。会見する大阪市の松井一郎市長=2020年4月(安元雄太撮影) 公開説教で、矢部が「風俗キャラ、それがキャラクターになっていたから」と述べているように、風俗猥談(わいだん)を好む岡村を以前から知っている筆者は、岡村のことを典型的な「女嫌いな男」であると考えてきたが、今回の発言でこの考えに確信を持つことができた。 一般的に、女性との性行為を思い巡らす者は女好きな男であると考えられがちだが、ジェンダー研究において、女好きな男と女嫌いな男の間に大きな違いはない。ここでの「嫌い」は「蔑視」と同義の言葉として考えてほしい。両者は女性を性的搾取の対象としてとらえ、時として、岡村のような風俗発言を、後先考えずに行う。つまり、女好きな男ほど、女嫌いなのである。変われる余地はある 岡村発言を「男性の本能」と一笑に付す歌手のMINMIや、「速やかな謝罪をすれば許す」とする番組スポンサー、「高須クリニック」の高須克弥院長など、岡村を擁護する声が多数ある。その一方で、インターネット上の署名サイト、Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)では岡村のレギュラー番組降板を求める署名活動が展開されるなど、意見は二分化している。 フェミニストの中には、女性を蔑視する男性を容赦なく批判し、中には社会から徹底的に抹殺しようとする人も確かにいる。だが、筆者は相方・矢部の公開説教に対する彼の受け答えを聞いていて、岡村には変われる余地があると思えた。 2人は大阪・茨木西高のサッカー部の先輩後輩であり、コンビ結成まで後輩の矢部は岡村に敬語を使っていたらしいが、結成後にやめたと言っている。そして、今回の件で、岡村は矢部の一言一言に、力なくではあるが応じ、自分を客観視する機会を得てもいる。 岡村にとっては、よい自己反省の場となったことだろう。しかし、2人の会話の節々から、互いを思う男性同士のホモソーシャルな絆を感じずにはいられなかった、というのが筆者の正直な感想である。 前述したミソジニストな男たちの多くは、男らしく群れる、つまりホモソーシャルを好む男たちといえるだろう。女性の権利を訴えるフェミニズムにおいて、ホモソーシャルという言葉は、一人の女性を性的に搾取、共有する2人の男の絆を指す「対女性的言葉」として、しばしば批判的に用いられる。昔のハリウッド西部劇映画などには、「お前は俺の認めた男だから、今夜だけは俺の女と寝てもいいぞ」と粋がる主人公がよく描かれたものである。 話を戻すが、ホモソーシャルな男たちの関係において、2人の男は主従関係をベースに男同士の絆を強化していくことになる。先輩である岡村と後輩である矢部の関係を思い浮かべてもらうといいだろう。 いまだに矢部が「岡村さん」と呼んでいることからも分かる通り、敬語使用をやめた以降も、両者の間にはある種、無意識的な権力関係が存在しているといえる。また、ジェンダー研究において、ホモソーシャルという言葉が、男のパワーゲームを表す形容詞としてしばしば使われていることも知っておいていただきたい。ナインティナインの矢部浩之(左)と岡村隆史 ミソジニーの解説でも触れたが、ホモソーシャルな絆において、男たちは女性を性的搾取の対象としてだけとらえ、彼らは女を侍らせ、男らしく群れることを好む。 例えば、男同士の飲み会で酔いも回ってくると、女性にまつわる下ネタが重宝されることがないだろうか。『男の絆』(筑摩書房)で福島大の前川直哉・特任准教授が述べているように、男同士の絆において、「猥談をぽろっと出すと、一気に『話せる奴』」として認められるのだ。 岡村と矢部の関係以外に、彼とスタッフ、さらにはリスナーとの関係性が、まさに本稿で言う、ホモソーシャルな絆という言葉に集約できる。事実、岡村の猥談を笑うスタッフの声がマイク越しに聞こえたし、男性リスナーからの擁護発言もネット上で散見される。「身内」で完結する危険性 こうした男性主導を基盤にしたホモソーシャルな関係は、芸人の世界ではよく目にする関係である。そういえば、お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志は、新型コロナの影響で生活難に直面する後輩芸人に100万円を無利子・無担保で貸し付けるプランが報じられたし、昨年の吉本の騒動でも、明石家さんまの後輩思いな面が改めてクローズアップされた。 つまり、芸人の世界は主従関係、つまりホモソーシャルが中心で成り立っているといって過言ではないだろう。ただ、筆者は、決して芸人世界の先輩・後輩という主従関係が悪いと言っているわけではない。 先に、矢部の公開説教を例に、先輩後輩の主従関係の逆転について触れたが、この点において、岡村発言および矢部による公開説教を擁護できない点が多々ある。それは、まず第一に、この後輩による説教が、自分(岡村)にとって最も近しい後輩(兼相方)によって成されたものであるという点である。 現に、矢部は説教の最中、岡村に対して「身内」という言葉を繰り返し使っている。このことについて、5月3日放送のTBS系『サンデージャポン』では、同じ芸人のカズレーザーが鋭い指摘をしている。今回の件が当該者である女性たちではなく、説教という形でコンビ間で完結してしまっていると危惧しているのだ。 たとえ先輩後輩の立場は逆転しても、結局のところ、2人の関係はフェミニストの女性の多くが敵視する、ホモソーシャルな関係のままなのである。筆者は、矢部が優しく相方を諭す声をラジオで聴いたとき、深く同情した自分自身の内にもホモソーシャルな規範があることを実感した次第である。 プロフェミニスト(女性擁護者)を装うことなく、男としての本音を吐露する岡村が、もう少し今日のジェンダー問題、たとえば「#MeToo(私も)」運動などに関心を持っていたなら、フェミニズムが求める、女性の政治的、社会的、経済的平等の理論を無視した今回のような発言はしなかったはずだ。 相方の矢部は、公開説教の中で、2010年に体調不良で休養した岡村が復帰における謝罪に言及し、自分はきちんと謝罪をしてもらっていないと語っている。矢部は岡村について、番組など「オン」の状況下では素直に謝るのに、そうでない「オフ」では決して謝らないと、岡村の怠慢さに触れているが、これは的確な指摘だと言える。 岡村にとって、「オン」が自己を演じる場であるのに対し、今回のラジオは、仕事とはいえ、少人数のスタッフ以外とは顔を合わせなくてよい「オフ」な場になっていたのだ。現在、テレワークを余儀なくされているみなさんの中にも、「オフ」な状態がゆえ、つい気が緩んでしまう瞬間を経験された方がいるのではないだろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 現在、大学生を教える立場の筆者は、コロナによる自宅待機のため、4月中旬から「オフ」状態が続いている。普段、学生を前に教師を演じる「オン」の状態から、オンデマンド型の授業という「オフ」の状態でいると、やはり、顔と顔を向き合わせていないせいか、血の通った人間関係を実感できず、仕事に身が入らない日が正直ある。 声のみでの交流に軸を置いたラジオは、対面という「オン」の状態で自己を誇示する面を持つ岡村にとって「オフ」な状況を意味していたのかもしれない。今回、われわれが「オフ」の岡村を知ることができたのも、ラジオの内容が即座にネット上に公開される今日であるからにほかならない。今後、岡村は「オフ」でどう行動していくかを見せることで自分自身と向き合っていく必要がある。「独身貴族」ゆえの浅はか さて、吉本興業所属の芸人の間に、「アローン会」なるグループが存在しているのをご存知だろうか。名誉会長に坂田利夫、最高顧問にさんま、会長に今田耕司を据え、岡村は部長職にあるらしい。全員、芸人世界では名の知れた独身貴族である。 独身男性にまつわる話に関連するが、矢部による公開説教の中で同調できた部分が一つある。それは、矢部が「景色を変えた方がいい。結婚が偉いとかではなく、全く変わるから」と、岡村が独身であることに言及し、今回の失言の要因が独身であることに起因していると指摘した点である。 ネットで散見される数々の記事に目を通すと、ほとんどがこの指摘を否定するものだった。だが、矢部の言う「結婚して子供にも恵まれて、より(女性への)リスペクトが増していった」という言葉に、筆者の心は打たれた。 筆者はこれまで、市民講座などで頭の固い(ように一見みえる)おじさんたち相手に、女性の立場を体験してみませんか? と語りかけたり、『週刊SPA!』で「男性記者が実体験―オンナは大変だった!」特集に参加したりしてきた。このような他者体験を勧めてきた身だけに、反対意見はあるだろうが、矢部の発言には一理あると考える。 特に、このような失言を生んだ浅はかな考えの背景には、大河ドラマやレギュラー番組を抱え、お金に何不自由なく、配偶者を養う責任もなく、好きな時間に好きなことのできる順風満帆な人生を送る、「独身貴族」というカテゴリーだからと言えなくもない。そう考えれば、一般独身男性と同一視すべきではない。 ジェンダー研究において、今回の岡村の男性観は、学びの例としては教科書に載せるに堪えうる全ての条件を兼ね備えているといえる。対面授業が開始された折には、ディスカッションの題材として活用したいくらいである。 ミソジニストな男が、ホモソーシャルな関係を好み、何不自由ないアローンな状態で自己陶酔型な人生を謳歌(おうか)した結果、時代に逆行するKY発言で打ちのめされ、新たな行動を注視される状況に追いやられる。このような話は、依然、日本に古いジェンダー観を持つ男が多く存在していることを説く一つの教材であり、そんな男がどうすれば変わることができるか、議論の余地すら与えてくれる。社会学者の上野千鶴子さん=2019年6月 ホモソーシャルの話の中でも少し述べたが、金や地位が男に一種の主従関係や権力を与えるのなら、そのような権力を持った男の「おひとりさま」以上に怖い者はこの世に存在しないのかもしれない。 日本のフェミニズムを牽引(けんいん)してきた社会学者でフェミニストの上野千鶴子さんは、自著『男おひとりさま道』(文藝春秋)で「『弱さの情報公開』のできない男同士の関係では、困ったときの助けにならない」と、強がる男たちに叱咤(しった)激励を送った。上野さんの叱咤のように、今回、後輩で相方である矢部に弱さを見せることができた岡村には一度、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られ、新しい人間としての再スタートを切っていただきたい。

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    風俗業女性支援の最前線、不要不急と言えない苦悩を知っているか

    坂爪真吾(一般社団法人ホワイトハンズ代表理事) 1218件。これは、新型コロナウイルスの影響が問題になり始めた、今年2月1日から5月8日までの約3カ月間に、私たちが運営している風俗で働く女性のための無料生活・法律相談窓口「風テラス」に寄せられた相談の合計件数である。 コロナ禍による自粛・休業の影響は風俗業界を直撃し、短期間で収入が激減、あるいはゼロになってしまう女性が全国的に増加した。 風俗で得られる現金日払いの収入によって生活を維持していた人は、家賃や携帯代などの毎月の支払いや返済ができなくなり、一気に生活困窮の状態に追いやられた。 メディアでは、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史の風俗をめぐる失言問題が大々的に取り上げられた。だが、実際の風俗の現場ではほとんど話題にもなっておらず、そもそも誰も気にしていない。 「それどころではない」というのが、最前線にいる支援者としての率直な感想だ。 特に4月は、全国各地から1カ月で816件もの相談が寄せられ、連日早朝から深夜まで、相談窓口のLINEやツイッターの通知が鳴りやまない状況が続いた。風テラスでは、弁護士とソーシャルワーカー(社会福祉士、精神保健福祉士)で複数のチームを作り、殺到する相談に対応した。 コロナ禍の渦中、短期間で1200人を超える風俗で働く女性の相談を受ける中で見えてきたのは、風俗に大きく依存しているにもかかわらず、風俗をないがしろにしている日本経済の危うさだ。新型コロナウイルス感染拡大で休業が相次ぐ歌舞伎町の店舗=東京都新宿区 風俗業界の人々が休業要請の出ている中でも働かざるを得ないのは、当たり前のことだが、生活のためである。風俗店は一見すると、「不要不急」の娯楽産業の象徴に見えるかもしれない。しかしその実態は、さまざまな事情で「大至急」「今すぐに」現金収入を必要としている女性たちが集まる「切実な」仕事場である。 風俗店が休業することで一番困るのは、決して利用客の男性ではない。そこで働く女性たちなのである。ギグワーカーとしての彼女たち 風俗で働く女性は会社員ではなく、個人事業主である。彼女らはUber Eats(ウーバーイーツ)の配達員のように時間的拘束を受けず、好きな時間に好きな分量の仕事をする働き方をしている。 「写メ日記」と呼ばれるブログやツイッターで宣伝・集客する女性も多く、いわゆる「ギグワーカー」(インターネットなどで募集している単発の仕事を受注し、収入を得ている労働者)に近い。 問題は、多くの女性が、ギグワーカーとして働いているにもかかわらず、自分がギグワーカーであることに対する自覚が全くないことにある。「とにかく短時間で高収入を得たい」という動機でこの業界に入り、社会保険や収入証明などの手続き、無申告のリスクなどについて何も知らない、または知らされないまま、個人事業主として働き続けている。 この業界で働く人々は、そうした無自覚なギグワーカーが非常に多い。 その結果、今回のようなコロナ禍が起こると、瞬く間に仕事と収入を失い、何の補償も保険も受けられず、支援制度や給付金の申請手続きに必要な書類をそろえることもできないまま、出口の見えない生活困窮と社会的孤立の状態に追いやられることになる。 風俗の仕事がバレてしまうこと、そしてこれまで無申告だったことに対する不安の中で、身動きが取れなくなり、本当は利用できる支援や制度があるのに「風俗で働いていた自分には利用できない」と思い込んでしまい、さらに状況を悪化させてしまう。※写真はイメージ=Getty Images 風俗業界は、少なく見積もっても全国で30万人を超える女性が働いている。市場規模は数兆円に及ぶとも言われ、地域経済や家計に与える影響も少なくない。風俗店が休業や閉店になることで、生活が破綻してしまう個人や家庭、経済が停滞してしまう地域は確実に存在する。 風テラスには、「風俗の収入でどうにか家計を維持してきたが、コロナの影響で風俗の収入がなくなり、生活そのものが成り立たなくなった」というシングルマザーや既婚女性からの相談も数多く寄せられている。 風俗業界で働くこと自体の是非論を脇に置けば、医療や福祉、小売りや運輸と同様に、風俗で働く女性も家庭や地域に不可欠なライフラインを支える「エッセンシャルワーカー」なのだ。風俗業界にも給付金を 私たちの生活や経済が、実は風俗で働く女性をはじめとした「無自覚なギグワーカー」「見えないエッセンシャルワーカー」による経済活動に大きく依存している。それにもかかわらず、国は風俗を排除している。 コロナの影響で収入の減った個人事業主や中小企業に対する「持続化給付金」に関しても、あらゆる仕事や業界の中で、性風俗事業者だけが不給付要件にされている。この不給付要件自体が憲法14条、つまり法の下の平等に違反するものであると同時に、合理的根拠のない職業差別であることは明白である。 現場の経営者からは、「きちんと税金を払っているのに、なぜ給付金を受けられないのか」という声や、「抗議のために、休業要請を無視して営業を再開したい」という声も上がっている。 5月12日の参院財政金融委員会で、中小企業庁は「性風俗業界で個人事業主として働く人も支給対象になる」という見解を明らかにした。しかし5月14日現在、風俗店はいまだに対象外のままである。店舗が無くなってしまえば、当然女性も収入を失うことになるので、女性だけを支給対象にしても問題の根本的な解決にはならない。 今必要なのは、適正に納税を行い、法令を順守して営業している性風俗業者を持続化給付金の対象に含めることだ。 現在の状況は、風俗業界で働く人たちの間で「きちんと納税すれば報われる」という認識を広めるための千載一遇のチャンスでもある。 「無自覚なギグワーカー」たちの納税意識と権利意識を高め、そして「見えないエッセンシャルワーカー」たちの努力や苦労に報いる制度を作ることができれば、彼女たちに大きく依存している私たちの社会全体にとって大きなプラスになるはずだ。料亭全店の休業を始めた歓楽街「飛田新地」=2020年4月3日、大阪市西成区 転職や起業、失業や定年などの理由で、望む望まざるにかかわらず、ギグワーカーとして働くことになる可能性は誰にでもある。そして、不要不急や公序良俗の名の下に抑圧・排除されがちな業界の中にこそ、エッセンシャルワーカーがひしめき合っているという事実は、より広く知られるべきだろう。 今回のコロナ禍のような社会的危機の状況下において、全ての人が、理不尽な差別や排除を受けずに、等しく支援を受けられる制度の確立を強く望む。

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    ナイトワークの従事者たちにも補償や給付が必要とされる理由

     緊急事態宣言にともない、東京都は6つの業態や施設に休業を要請した。そこには予想通りキャバレーやナイトクラブ、個室付浴場業に係る公衆浴場など、いわゆる水商売、風俗業と言われる分野の施設が含まれていた。仕事ができなくなってしまった彼ら、彼女たちにどのように安定した生活を保たせるべきか。ネットの一部で言われているように、彼らに支援は必要ないと切り離してよいものなのか。ライターの森鷹久氏が水商売に携わる人たちの実情をレポートし、支援について考えた。* * * 新型コロナウイルスの感染拡大で、小中高校の休校が続いている。3月の全国一斉休校が決まった直後、仕事を休職せざるを得なくなった保護者に休業補償がされることが決まった。この制度には当初、「風俗業」「接待を伴う飲食業」で働く人々は含まないとされていたが、彼らも同じように補償の対象となるよう方針が変更された。「世論から差別ではないか、などと批判が相次ぎ見直した格好」(民放政治部記者)というが、果たしてこれで本当に困っている人々に金が行き渡るのか。 非常事態宣言に伴う休業要請とは別に追加で休業を求められている、いわゆる「接待を伴う飲食店」に分類される東京都港区のクラブオーナー・Hさん(50代)は言う。 「補償の門戸を広くしてくれたことには感謝します。水商売にとっては1~2月は閑散期、3~4月の歓送迎会シーズンを楽しみに待っていたらこれでしょ。近くの店のスタッフから陽性患者が出たこともあり、うちも3月終わりから休業中。基本的には、歩合、出ただけ給与がもらえるシステムですから、その収入に準じて補償がなされるのかは不透明。そもそも、それが給付なのか補助なのか、借金なのか、よくわからないけども、それでも、制度自体はありがたい」(Hさん) 補償と一括りに行っても、子供の休校に伴う給与補償、そして休業を余儀なくされた業種従事者への雇用調整など、受け取る側の事情に応じて用意されてはいる。ただ、自分自身がどの属性なのか、正直わかっていない人も多い実情。いずれにせよ。一時的にでも、どんな形でも金を受け取れるという事実は、歓迎されている。 とはいうものの、不満もある。 「いまだに”水商売=暴力団”というイメージで、厚労省が我々を説明したことです。確かに昔は関係がありました。しかし、お上が厳しくとりしまったおかげで、私の周囲の店で、暴力団が運営している、関係しているところはほとんどない。普通の会社としてやっているんです。さらにいえば、賃金補償額が1日上限8330円。これじゃアルバイトと変わらない。バカにしている金額だし、すでに売り上げの下がっていた二月分の給与もベースに換算されると、その少ない金額の満額を手にできない可能性すらあります」(Hさん)東京・新宿の歌舞伎町(ゲッティイメージズ) 「風俗業」が補償対象に含まれた現状でも、なお不満は残る。しかし、本田さんの店で働く女性たちに幾らかでも出るなら甘んじて受け入れるつもりだという。一方「風俗業」というものの現実が全く反映されていない、そう話すのは都内の複数店舗を展開するグループ関係者・M氏だ。 「偏見でもなんでもなく、夜の世界で働く人々には様々な事情があり、この世界でしか働くことができない、という方も多い、たった1~2日でも仕事を休むと生活が困窮するというパターンも少なくない。実際に補償金や給付が行われるまで数ヶ月かかるとなると、その間に生活は立ち行かなくなる。すでに生活が行き詰まっている人がいるというのに、あまりに現実を見ていません」(M氏)本当に「自業自得」なのか さらに深刻なリアルを語ってくれたのは、千葉県内で営業する店舗の関係者・S氏。 「様々な事情で、昼の仕事や表立った仕事ができなくなり、こっち(の業界)で働いている女性、ママはたくさんいます。離婚したDV夫に借金を背負わされて…という人も本当にいて、そういう人が、グレーなところで、なんとか日銭を稼ぎなら子育てをしている。申告や納税がおろそかになっているパターンもあり、こういった人々は収入を証明しづらく、当然、給付や助成対象にはなりづらいでしょう。しかしそもそも、国や福祉から見捨てられ、生活保護も受けられないからこそグレーな世界で働くしかなくなったという経緯を、役人は知ろうともしない」(S氏) 補償や給付、助成金の支払いに関して、政府は「支払う」とはいっているものの、その対象の決定でさえ二転三転し、実際にどのようなプロセスを経てどれくらいの期間で国民の元に現金が行き渡るのか、いまだにはっきりしない。すみやかな給付を求める国民の声に、政府は「どうやったら給付できるか」というより「給付できない理由」を並べ立てるばかりで、ネット上では「ドケチ政府」などとも揶揄される。多少の貯蓄があれば、こうした動きについて、イライラしながらもまだ冷静に見てはいられるかもしれない一方で、切羽詰まった人たちはすでに行動に移し始めている。 「グレーな店舗で働いていたり、納税申告などを行ってない水商売従事者たちが、すでにネットを使った商売に走っている。感染を抑制するどころか、拡大させかねない。平時なら、なんとか踏みとどまっていた一線を簡単に超え始めています。コロナ感染の危険性が高まることはおろか、治安の悪化だって懸念される」(S氏) これでもまだ、こうした女性たちの自業自得だ、という声が聞こえてきそうではある。しかし、彼女たちは結局、様々な事情から生活しづらくなり、さらに福祉に見捨てられた人々が多い。それでも、なんとか他人に迷惑をかけまい、そして子供をしっかり育てていきたいと歯を食いしばっていきてきた人たちである。申告や納税の部分が疎かになっていた事実はあろう。だが、福祉の恩恵という一般人とってはあって当たり前の見返りを受けられなかったこそ、そうした生活をせざるを得なくなったという現実を見ずに批判するのは、あまりに残酷だ。 「政府が言う基準に当てはまる人って、要は低賃金で長時間働いている非正規労働者だけ。中流、上流の人たちには関係のない話だし、ここにきて、奴隷に当てはまらない人たちは切り捨て。国民一人一人に等しく給付が行われるならまだしも、選別が行われている」(S氏) 非常事態にこそ、人間の本当の姿が見えるというもの。人間として日本人として、そして隣人として接してきた人たちに、誰がどのような応じ方をしているのかが視覚化できるようにもなった。ウイルスのおかげで化けの皮がはがれ始めたのは政府であり、私たち国民だ。 ふだん、水商売で大金を儲けているのだから、それに比べて今回の損害は小さいのではないかと思う向きもあるだろう。だが、メディアに出てくるような派手で華やかな生活を本当に送っている当事者は、ごく一握りだ。誰もがきらびやかに見えるかもしれないが、会社勤めだったら負担してもらえる必要な備品、たとえばドレスやヘアメイクなどについても自腹であるのが普通だ。大半が、実は普通の会社勤めと変わらないか、それより厳しい懐事情である場合が多い。きらびやかな格好は仕事のため、サラリーマンがスーツにネクタイを締めて会社に行くことと同じなのだ。 それでも、納税も満足にできない人たちへの給付は納得がいかないという人たちがいる。だが、今回の給付の目的は、感染症拡大を防ぐ公衆衛生の問題だ。そのためには、すべての人の生活を安定させることが重要だ。もし、明らかに不利な人が一定数、発生してしまうと、切羽詰まった彼らが生きるために非合法な手段をとりかねない。もしこのことをきっかけに貧富の差が固定化してしまうと、社会の安定、ひいては安全保障上のリスクになる可能性もある。 目先の金銭の分配を回避することで、より大きなもの、公衆衛生の維持や、社会の安定を手放すことになるのだということを、忘れてはいけない。関連記事■志村けんさん 「オレの子供を産んでくれ」と頼んだ女性■若手声優との結婚を夢見る45歳「子供部屋おじさん」の末路■志村けんさん、子供を授かっていた過去「共演したかった…」■桐谷まつりが実践する「正しい手の洗い方」と「業界の対策」■ストリッパーになった名物書店員・新井さん 「楽になった」自業自得

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    矢部浩之の説教力 ”じゃないほう芸人”の劣等感は響いたか

     ナインティナイン・岡村隆史(49才)をラジオで公開説教した相方・矢部浩之(48才)のぶっちゃけ発言が、世間だけでなくお笑い関係者たちをもざわつかせている。その理由は、岡村の日常での勘違いぶりなどにまで容赦なく糾弾したことだけでなく、矢部が自らコンビの実力にまで言及したからである。 まず、騒動を振り返ろう。4月23日放送のニッポン放送「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で、「コロナが明けたら美人さんが風俗嬢やります」と発言して、大炎上した。3月には、今年のNHK紅白歌合戦の司会候補にまで名前が挙がり、パブリックイメージは最高潮だった岡村は一転、奈落の底へ落ちた。 大ピンチの中、1週間後の4月30日の放送には、途中から矢部が登場。驚き、詫びる岡村に、1時間20分の「公開説教」をした。矢部は「ええ機会やから」と、件の失言だけではなく、岡村の周囲への態度や考え方などについて追及。例えば、・2010年の体調不良による長期休養(通称・パッカーン事件)明けに、矢部にはメール1行「全て笑いに」と送るだけで、謝罪の一言も無かったこと・コーヒーを持ってくるADへ「ありがとう」も言わないこと・目上の人に誘われても、楽屋に戻ってからマネジャーに断らせる逃げ癖・妊婦のマタニティマークを不要と主張したり、妻に謝罪や感謝の言葉を述べる矢部に「白旗上げたか」と発言するなどの、日常的な女性への気遣いの無さ・ヘアメイクやスタイリストらに「ケチ」と陰口されている事実 など、長年相方として見てきた岡村の言動について、具体的に批判したのだ。芸歴と人気を得て、いつの間にか偉くなり、誰も注意してくれなくなったぬるま湯の環境にあぐらをかいていた結果だと指摘した。 さらに、岡村が長らく女性にコンプレックスを持ち続ける「かわいそうさん」と厳しい分析をして、「だからほかのタレントさんが言ったら炎上することも、あんたが言っても(これまでは)炎上しなかった」と語った。 ただし、矢部は、岡村を叱るだけではなかった。「俺は自分のことおもろいと思ったことない。最初から今まで、岡村隆史のビジュアル個性はなかなか突き抜けてんのよ、それやからコンビが成功したのは」と、自らの“お笑い能力”の低さと、ナイナイが売れた理由までぶっちゃけた。あるベテランのお笑いテレビ番組関係者は、そこに驚いたという。ナインティナインの矢部浩之 「矢部さんは岡村さんだけに恥をかかせなかった。自分の“じゃないほう芸人”としてのコンプレックスまで、初めて明言したんです。しかも、自分たちが売れたのは、漫才やコントのネタ力ではなく、何をやってもコミカルに映る岡村さんの見た目のおかげとまで言い切った」 お笑い界の頂点の一角に立つコンビなのに、自ら価値を落としかねないような本音を吐露したのだ。 「そこに覚悟を感じました。倒れるときは1人にさせない。死なばもろともという、矢部さんのコンビ愛、相方愛が言わせたんだと思います」(前出・番組関係者)コンビの「危機管理の鉄則」 別のあるバラエティー番組ディレクターは、こうも話した。 「ここ1年は、ベテランコンビの“看板芸人”のほうが、失態を続けています。雨上がり決死隊・宮迫博之さん(50才)、チュートリアル・徳井義実さん(45才)、TKO・木下隆行さん(48才)、そして岡村さん。どちらかといえば、コンビで“目立つほう”が世間を悪い意味で騒がせてしまっているように見えます」 矢部は、放送の中で「徳井なんかにせよ、一瞬そういうの入ったと思うねん。誰にも注意されへんしって、そしてドンや」と言及した。“裸の王様”になったからの失態だと、指摘した。前出のバラエティー番組ディレクターが続ける。 「看板芸人は、売れていることが“自分の力だ”と実感し、調子に乗ってしまう。今回の矢部さんは、“じゃない方芸人”の代表として、蛍原(徹)さんたちも言いたかったことを代弁したと言えるんじゃないでしょうか」 世論以上に身内が厳しく接するのが、危機管理の鉄則といわれる。実際に、世間のムードも、矢部の説教で終息に傾いてきたように見える。 「物事が冷静に見えていてコンビ愛のあった矢部さんのファインプレー。ただ、あれだけ容赦なく言えたのは、それだけ岡村さんに溜めていた思いがあったからでもある。ここからが、ナイナイさんの正念場です」(前出の番組ディレクター) 岡村が、矢部の忠言をどう受け止めるのか。「岡村さんの改心が見えてくれば、風向きは必ず変わります。ここからは岡村さん自身の問題です」(同前) 4月30日の放送終了後。わずか3分で出口に出てきた矢部はタクシーに乗り、岡村より先に走り去った。岡村はいつもの自家用車ではなく、スタッフに連れられて大型車で帰宅した。今度こそ岡村は、カメラの回らないところでも矢部に個人的な謝罪ができたのか。 どん底からの再スタートの第一歩は、5月7日のラジオで明らかになる。関連記事■ナイナイ岡村隆史 松本人志との会談を求めたことの衝撃■北川景子とDAIGO、「神社で安産祈願」写真6枚■【動画】矢部浩之の1800万円高級車生活 プライベートショット4枚■長澤まさみ&斎藤工、マグロ解体と飲み続けた9時間■森高千里「オバさんになってない」奇跡の51才白シースルー姿

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    「#検察庁法改正案に抗議します」にかまける与野党の愚策

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをツイッター上で目にしたのが、5月10日の朝だった。正確には、検察庁法の改正部分を含んだ国家公務員法改正案についての話題である。 このハッシュタグは何百万件もリツイートされ、インターネット社会の「熱狂」を示すものとしても注目された。特に、著名芸能人やアイドルらがこのハッシュタグをつけて、法案への異議や、政権に対する批判を表明していた。 個人的には、この法案がそれほど重大なものとは思っていなかっただけに、この「熱狂」は意外だった。筆者はアイドル研究もしているので、その意味で、複数のアイドルが政治的なスタンスを表明していることに興味を惹かれた。 ところで、このハッシュタグをリツイートしている人たちは、この法案のどこが問題だと感じていたのだろうか。具体的な法案の内容にコミットしている人はほとんど見かけなかった。 ただ、民主主義の危機や「三権分立の危機」について投稿した人はいた。安倍政権と東京高検の黒川弘務検事長との関係を問題視するものなども散見された。 率直に指摘すると、ハッシュタグをリツイートしている人たちの圧倒的多数は、おそらく法案を読んでいなかったのではないか。リツイートした後に「法案は読んだか」と指摘され、慌てて確認した人がいたようだ。 自分が反対意見を表明するには、根拠をきちんと述べなければならないが、多くは「熱狂」に身をまかせた直観や感情的なリアクションだったと思われる。この種の「熱狂」は、集団自衛権、秘密保護法の問題や、いわゆる「モリカケ」「桜」問題、最近では「アベノマスク」などで頻繁に見かけた現象である。 では、法案にはどんなことが書いてあるのだろうか。国家公務員法改正案は、2011年(民主党政権時)と18年(自公政権)の過去2回にわたる、人事院の「意見の申出」を受けたものだ。ちなみに、人事院は「内閣の所轄の下に置かれる、国家公務員の人事管理を担当する中立的な第三者・専門機関」である。 さらには、08年に成立した国家公務員制度改革基本法で、定年を65歳まで引き上げることについて検討すると明記されたことにさかのぼる。定年延長は、高齢化を背景にした社会的な動向を反映したものと同時に、公務員の早期退職による関係団体への天下りなどを防止する意味もあったはずだ。参院予算委員会に臨む安倍晋三首相(左)。右は菅義偉官房長官=2020年3月(春名中撮影) もちろん、公務員の定年を一律延長するだけでなく、公務員の職務のさらなる効率化を促す仕組みをつくるべきだ、という指摘はありうる。だが、今回のハッシュタグ騒動は、そういう合理的な意見に基づく反論は稀(まれ)だった。単に政治的な思惑からの「熱狂」でしかなかったと思う。 とりわけ、安倍政権と「親密な関係」だとされる黒川氏の定年延長と関係しているかのような主張が散見された。これは全く関係ないことは既に指摘した通りだ。政権と検察「癒着」対策は? そもそも法案の施行予定日は令和4年4月1日なので、その時点で安倍政権が交代している可能性が高いし、仮に黒川氏が検事総長になったとしても定年を迎えている。安倍政権と黒川氏の関係に、法案自体が直接関わることはないのである。 こういう意見もあった。黒川氏の定年延長を「後付け」で肯定するために、この法案を通そうとしているという指摘だ。 だが、これも先述したように、そもそも法案自体が十数年の流れの中で、具体化してきたもので、「後付け」ではないことは明白である。 黒川氏の定年延長問題が政治的に重要であれば、法案と関係なく議論していけばいいだけだろう。仮に法案が成立しても、黒川氏の定年延長に関する政府の対応を問題視して議論することに、損失が生じることはない。繰り返すが、両者は無縁の問題だからだ。 ちなみに、黒川氏の定年延長について私見を述べれば、法解釈の問題で済ますことのできない違法な決定だと思う。このような決定をしたことが、背後で何か「汚職隠し」のような嫌疑や陰謀論の類を生じさせてしまっている。 これは明らかに政権の過ちだろう。黒川氏は速やかにその職を辞任することが望ましい、と筆者は考える。 国家公務員法改正案に話を戻すが、検察と政府の関係は行政府の中での人事問題なので、これも別に、三権分立に抵触する問題でもない。 内閣が検察官の定年延長を行うことができる特例自体が問題だ、と指摘する人もいる。一見すると、もっともらしい論点だ。定年延長をエサにして、時の政権の顔色をうかがう判断を検察トップがしたらどうなるか。 だが、そもそも検事総長や次長検事、検事長といった検察トップの任命権者は内閣である。もし政権と検察の癒着が心配であれば、定年延長に焦点を当てるだけではなく、検察人事を内閣から不可侵の領域にするか、日本銀行の正副総裁などと同じように国会同意人事にすべきだろう。2020年2月、検察長官会同に出席した黒川弘務東京高検検事長長=法務省 ただ、国会同意人事は、時の国会多数会派、すなわち内閣を形成する政治集団に任命が事実上託されるので、「癒着」を懸念する人たちから見たら同じことになる。では、内閣は検察の人事に、口を一切はさむことができないのか。 そうなると、検察は人事院(国会同意人事、内閣任命、天皇陛下の任免の認証で人選が決まる)などの「中立・公正」な機関以上のスーパー権力を有することになるだろう。それこそ、三権分立を侵すバカげた発想である。迫る「25兆円」落ち込み 解決策の一つとして、内閣が定年延長を決める際の具体的な準則を設けることが挙げられる。この中味は国会での議論に値するだろう。ただそのときも、政府と検察の「癒着」的な陰謀ありきの議論は避けるべきだ。 ハッシュタグ騒動は冒頭にも書いたように、ただの「熱狂」だと理解している。ただし、法案自体も無理して通過させるほどの価値があるか疑問だ。 この論考では、主にハッシュタグ「熱狂」の中味が全く空洞であることに注目している。法案の可否については、緊急性もないので、新型コロナ危機の対応後に時間をかけてやればいいのではないか、と思っている。政治紛争の材料として、この法案が過大視されるかもしれないが、今行うのは与野党ともに愚かなことである。 むしろ、国家公務員法改正案と比較にならないぐらい、第2次補正予算の具体的内容を議論した方が何よりもいいだろう。追加の経済対策のため第2次補正予算も規模とスピードが重視される。 第1次補正予算や成立前から進められた経済対策は、せいぜい緊急事態宣言中の5月初旬までの経済的落ち込みをぎりぎりカバーすることしかできない。つまり、緊急事態宣言の延長がもたらす経済の落ち込みには対応していない。 複数のエコノミストによる平均的な予測では、緊急事態宣言の延長によって約25兆円ほどの経済の落ち込みがあるという。これを補うための経済対策が急がれる。 ただし現状においても、中味の具体像が絞られていない。大学生などへの学費補助、家賃支援、雇用調整助成金の上乗せなどが検討されているという。今回の経済落ち込みだけに焦点を絞るのか、感染期の長期的継続や、それ以後の本格的な経済対策の立案まで含めるのか、補正予算のコンセプトも議論されるべきだろう。 現在、自民党の一部の議員とのリフレ政策の勉強会「経世済民研究会」(座長:三原じゅん子参院議員)で、一部の議員から補正予算の予備費を多額に積み上げておくという意見を拝聴したが、いい提案だと思う。 新型コロナウイルスは不確実性の大きな疫学的現象である。比喩で言えば、明日は晴れかどしゃぶりの雨か、確率が分からない事象だ。この場合は、暑さ対策グッズも雨具も両方詰められる大きめのバッグを用意するのが望ましい。国会内で会談に臨む立憲民主党の安住淳国対委員長(左)と自民党の森山裕国対委員長=2020年4月9日(春名中撮影) このように、予備費を積み上げておけば、臨機応変に不確実性と闘える。それも総額が多ければ多いほど望ましい。政府に「白紙委任」を出すという意見もあるかもしれないが、使途を新型コロナ危機の経済対策に限定すれば、与野党の合意も得やすいだろう。 もちろん、感染期間中は継続して支払われる定額給付金、劣後ローンの構築、家賃モラトリアム(支払猶予)、消費減税など採用すべき経済政策は無数にある。今回はこの予備費活用を、特に注目すべき政策オプションとして紹介した次第である。このような新型コロナ危機に立ち向かうハッシュタグの方がよほど広まってほしい、と筆者は願っている。

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    新型コロナ長期戦、自粛疲れは「あきらめる心」で癒される

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) 新型コロナウイルスの猛威を受け、日本全国に緊急事態宣言が出されています。人の流れも活動も抑制され、国民の不便と我慢が続いています。 人の移動と接触を極力抑えることは、感染症の拡大を防ぐ効果的な方法の一つです。この不便も、我慢も、混乱も、全ては「感染症に打ち勝って、明日を生きるためだ」と説明されています。我慢の限界に近い方も少なくないと思われますが、今のところ、国民は懸命に受け入れようとしています。 今、「コロナ自粛疲れ」への対策が必要とされています。もちろん、経済的な「疲れ」も深刻です。この混乱の中で、生活に窮する人が出てくることは必然でしょう。 ただ、どんな混乱の中でも、心理的な安定だけは保ちたいものです。心理的な安定は、適切な行動を促すからです。 心は環境に反応するものなので、本来なら環境が早く落ち着くことが、何より大切です。環境が落ち着けば、自然と心も安定するからです。しかし、なかなか落ち着きそうにありません。 そこで本稿では、どんな落ち着かない環境の中でも、「コロナ自粛疲れ」を生き抜く方法を紹介したいと思います。そのために、まずは私たちを疲れさせる「コロナストレス」とでも言うべき事態の正体を心理学的に考えてみましょう。 まず、今、クラブなどの社交の場や映画館、スポーツジムといった「(生きるために)不要不急」な場は営業自粛を余儀なくされました。また、芸能などの文化活動も非常に制限され、個人的なイベントも自粛を求められています。 また、公園では子供の遊具にも「使用禁止」と書かれた黄色いテープが張り巡らされています。学校や幼稚園も閉鎖され、友達に会うこともできません。 これらは、人が集まることでクラスター(感染者集団)が発生することを恐れたためでしょう。このため、私たちは「気晴らし」の場を奪われたと言えます。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「生きるため」だけの活動では、気分はどんどんすり減っていくものです。民俗学者の桜井徳太郎はこの状態を、「ケ(褻)」という普段の暮らしを営む心のエネルギーが枯れた状態、つまり「ケガレ」と表現しました。「ケ」を回復させるには「ハレ」、日常のストレスから開放された時空が必要なのです。 しかし、今の私たちに「ハレ」はありません。桜井の言うところの「ケガレ」の状態にあるのです。もう一つの大きなストレス 次に、経済活動の停滞のように、社会の混乱と近い未来への不安も大きなストレスです。ここでは、私が属する大学界の混乱を例にしてみたいと思います。 まず、大学への入構禁止や海外への渡航禁止で運命が変わった学生がいます。例えば、生物系など分野によっては、中断されたことで致命的なダメージを受ける研究もあります。 研究成果が失われることは、研究者人生にとっても深刻なダメージです。また、留学の準備を何年もかけて進めていた学生は、在学期間の関係で留学をあきらめざるを得ない場合もあります。 進学のために都市部に引っ越したばかりの新入生は、慣れない新居で孤独に過ごしています。孤独で目的意識のない学生は危険薬物やカルト教団への勧誘といったリスクに晒されやすくなるだけでなく、メンタルヘルス(心の健康)の維持も心配されます。この混乱の中で、ご両親が悲しむような事態に陥る学生が増えないか心配です。 このように、学生だけでも「コロナ対策」の中で描いていた未来が崩されたり、脅かされたりする人たちがいます。同じことは、企業の経営者や勤務する人たちにも言えることでしょう。 何カ月、何年もかけて用意していたビジネスプランやビジネスモデルが、この混乱の中で崩壊したり、大ダメージを受けたといった話は、私の狭い耳にもよく入ります。運命が変わった企業や個人も多いと思います。 一方で、オンライン化が一気に加速しそうな勢いがあります。その中で、産業構造も、ネットワークやコネクションのような人と人の繋がり方も、大きく変わりそうです。これまでの利点が失われる人や組織、逆にこの混乱の中で有利になる人や組織、どう転ぶか分かりません。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) このように、私たちは「アフターコロナ」とでも言うような世界、つまり、これからの展望が見えなくなりました。人は未来の展望に導かれて生きる存在です。展望を見失うことも大きなストレスになるのです。新型コロナウイルスの猛威から生き残ったとしても、その先の人生が見通せないとしたら絶望するしかないのです。 このように、私たちは「ケガレ」と「展望の崩壊」という二つの大きなストレスに疲れていると考えられます。どちらも長引くとよいことはありません。 しかし、今の状況ではまだまだ「我慢」が必要なようです。どうすればいいのでしょうか。見過ごされる「心地よい感覚」 ここで、「どうしようもない事態」のために開発された心理支援についてご紹介しましょう。それは「マインドフルネス(mindfulness)」と総称されるものです。 日本語に訳しにくいので、直感的には分かりにくいかもしれません。そこで、この真逆の状態「マインドレスネス(mindlessness)」すなわち「心」を「亡」くす状態、「忙」から説明しましょう。 「忙しい」と私たちはどうなるでしょうか。「あれはこうしなきゃ、これはこうでなきゃ」に囚われて、身の回りのさまざまなことを見落としてしまいませんか。マインドレスネスは辞書で「不注意」と書かれていますが、心理支援的には「身の回りの、本当は私たちを豊かにしてくれる何か」を見落としてしまう状態を表しています。 マインドフルネスはこの逆の状態です。実は、私たちの日常は、冷たい水やビールの喉越し、軽い運動や入浴の爽快感などなど、「忙しい」ときには意識を向けないような心地よい感覚にあふれているのです。 いろんな不満や心配に囲まれた毎日ではありますが、手立てがないときは、思い切って無理に考えることをあきらめましょう。そして、このような心地よい感覚に浸るのはいかがでしょうか。 このようなマインドフルな状態は、私たちの何気ない日々にさまざまな発見や喜びを増やしてくれることが知られています。新しいアイデアも湧いてくると言われています。今、私たちが置かれている状況では、マインドフルネスが有効だといえるでしょう。 ただ、実際問題として、本当に「忙しい」現代人はずっとマインドフルネスの状態に陥って、忙しい自分に戻れなくなることが心配なこともあるようです。そんなときは、「忙しいスイッチ」になるような「サイン」を何か決めておきましょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 例えば、「緊急事態宣言が解除されたら(これがサインの一つ)、◯◯を考え、△△を実行して…」というアクションプランをメモして壁に貼っておきましょう。まだサインが来ていないときは、スイッチを入れる必要はありません。存分にマインドフルになっていい、ということです。 毎日、アクションプランを確認できるので、そのときが来れば前のように「忙しく」活動できるはずです。これなら、安心してマインドフルに浸れますね。 私たちは感染症との戦いだけでなく、「コロナ自粛疲れ」という大きなストレスにも立ち向かわなければなりません。まだまだ先行きが見えませんが、「マインドフルネス」に浸って、「ビフォーコロナ」では見落としていた、心地よい感覚とともに過ごすのもよいかもしれません。皆さんと一緒に生き抜きましょう。

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    「地下鉄サリン」25年、日本は化学テロに勝てる国になったのか

    濱田昌彦(元陸上自衛隊化学学校副校長) 先日、悲しい知らせが届いた。新型コロナウイルスによって、予定されていた「地下鉄サリン25年の集い」が中止になってしまったのだ。関係者の方々、特に事件で夫を亡くした高橋シズヱさんの心情を思うと、残念でならない。 一方で、この事件(テロ)は確実に風化しつつある。消防関係者への講演においても、聴衆の大半が平成生まれということはよくある。サリン事件を知らない、覚えていない世代が、現場で、あるいは一般市民の中で大半を占めるようになった。 無理もない。あれから四半世紀が経過しているのである。当時を知る者は、陸上自衛隊でも東京消防庁でも、退官しているか、あるいは逝去されているケースが多い。そんな中で、知見や教訓の伝承が困難になっているという声をよく耳にする。 日本では、知見の多くが個人に蓄積されていることが多い。従って、その「名人」「権威」が退官すると組織の「知恵」が失われてしまう。これはわが国のナレッジマネジメントの弱点である。これは、消防・警察・自衛隊など、どこの組織でも見られる傾向である。 それ以前に、そもそも本格的な事件の教訓分析はあったのかという声もある。日本のどの組織も目前の業務が忙しいので、まとまった資料は米国の元海軍長官、リチャード・ダンジグ氏の報告書の方が参考になるという見方まである。 公安調査庁が最近公開した興味深い動画がある。「オウム真理教」は、形を変えて今も生きているという内容だ。「Aleph」(アレフ)や「ひかりの輪」といった組織が、若い人たちの間に浸透し、再び信者や資産を増やしているという。そうした現実も踏まえ、将来のテロに備えて今われわれが何をするべきかを考えてみたい。 簡単に当時を振り返っておこう。1995年3月20日にこの事件(テロ)は起こった。死者13人、負傷者は約6300人に及んだ。注目すべきは、当日活動した東京消防庁職員の9・9%(135人)、実に1割近くに二次汚染被害が発生したことだ。このことが、その後の消防での化学テロ対応のあり方に大きな影響を与えることになる。 当日の朝、旧営団地下鉄(現東京メトロ)霞ケ関駅を目指す5本の車両内で、同時にサリンが散布された。地下鉄サリンでは、1袋あたり500~600グラムの純度35%程度のサリンが使われた。日比谷線築地駅前の路上で手当てを受ける地下鉄サリン事件の被害者=1995年3月20日 この事件の前年には、松本サリン事件が発生しており、捜査で追い込まれていたオウムに、サリンを再蒸留して精製する余裕はなかった。溶媒のジエチルアニリンなどはそのまま含まれていたため、多くの被害者が異臭を感じたという。本来、サリンは無色無臭のものである。 なお、事件当時、駅の空調は稼働していた。これに関しては、空調吹き出し口に被害者を待機させたためにサリンが飛散し、症状を重くさせたという指摘がある。一方で、空調システムがしっかりしていて稼働し続けていたからこそサリン濃度が高くならなかったという見方もある。困難極めた当時の現場 いずれにせよ、オウムのこのサリンの散布要領、すなわち「ポリ袋に入れてとがらせた傘の先で突く」というやり方は、稚拙で効果的ではなかったという見方が強い。 ちなみに、松本サリン事件では、サリン噴霧車(改造された2トントラック)を使い、ガスバーナーで加熱した鉄板にほぼ100%のサリンを滴下して気化させ、ファンで噴霧するやり方であった。夜間だが、加熱された蒸気は上昇し、症状が出た者は500メートル四方に及んでいる。 次に、化学テロ対応において、主要な機能である検知、防護、除染、救護という4つの分野において、当時と今で何が変わったかについて概観してみたいと思う。 まず、検知である。25年前には、まだ消防にも警察にも、化学物質に対する携行型の検知器はなかった。可搬型のものさえなかった。そもそもサリンなどの神経剤や化学兵器に関しては、陸上自衛隊にしかその知見はなかった時代である。その陸上自衛隊化学科にさえ、信頼性のある検知器はなかったのである。 一部にIMS(混合物中の化合物を、その衝突断面積によって分離する手法)原理の国産検知器が装備品としてあったが、現場では使われなかった。信頼性が低く、使い物にならなかったためだ。 現場では検知能力はほぼなかったといっても過言ではない。従って検知識別から判定まで3時間かかったというのも、当然といえば当然かもしれない。当時の映像を見ると、警察関係者が、デシケーター(保管用容器)の中に新聞紙(に包まれたサリン入りポリ袋)を入れて持ち帰る場面が出てくる。 デシケーターのふたは逆向きで、しかも素手で運んでいる。そもそもデシケーターの用途とは、容器を密閉し、シリカゲル(乾燥剤)によって内部の湿気を一定にすることで検体の成分を保全し漏れないようにするためだ。検知能力が十分あるなら、事件の証拠品を保全せず、毒物を素手で触るようなマネはしないだろう。当時は有効なサンプリングキットさえなかったことが推察できる。地下鉄サリン事件発生当日、八丁堀構内から続々と運び出され、救急隊員から手当てを受ける乗客ら=1995年3月20日、東京都中央区 当時のある消防士長は、化学機動中隊の小隊長として新宿消防署に勤めていた。あの日、勤務に就いた直後の午前8時33分、危険排除の要請を受け、地下鉄中野坂上駅に出場、駅構内に入った。そこには事務室の長椅子などで横たわる多くの乗客たち、そして彼らを救護する救急隊員の姿があった。 この小隊は、可燃性ガス測定器などで駅構内の大気を測定しながら進入した。その後、事務室の横に置かれていたビニール袋が危険物質である可能性が高いとの情報を受けて、地上に持ち出したという。向上した検知技術 それを車両に積載していた赤外線ガス分析装置などで測定したところ、アセトニトリル(農薬の原料にも用いられる)という有毒物質であることが判明した。当時は可搬型の小型FT-IR(化学剤や麻薬、爆薬などの物質を分析する装置)などなかったため、わざわざ分析装置を積載した車両まで危険物を持ち出す必要があった。 だが、そもそもサリンは当時の赤外線分析装置のライブラリーにないので検知ができるわけがなかった。誰もサリンなど想像できなかっただろう。その後、この消防士長は地上で救助活動を手伝っていたのだが、周囲の消防隊員やその他の関係者が続々と倒れ始めた。自分も同じようになるのではと、命の危険を感じたという。 現在では地下鉄サリン事件の教訓も踏まえて、多種多様な携行型、可搬型の検知器材がある。東京消防庁だけでなく、政令指定都市や大規模な広域消防本部ならば、現場到着から5~10分で原因物質の概定に至るのではないかと思われる。 さらに、東京五輪・パラリンピックを前にして、会場のスタジアム近傍の消防には、スタンドオフセンサーを配置する動きもある。実際に、先般のラグビーW杯では横浜スタジアムなどで準備されたという。 この装備は数キロ先のサリンの化学剤雲も検知でき、テレビカメラの横などに配置しておけば、観客席で不審なガスが発生した際にもほぼリアルタイムで検知可能である。その他に、ラマン分析(分子レベルの構造を解析する手法)による検知器を装備する消防、警察もある。これはペットボトルや封筒の中の物質を開封することなく検知識別できる優れものである。 最近の傾向として、検知器をネットワーク化して化学剤雲の動きをリアルタイムで表示できるソフトやアプリが出てきている。これにより、地下鉄サリン事件のような「今、どこで、何が起こっているのかが分からない」という状況不明な事態を少しでも改善することが期待される。 そもそも地下鉄サリン事件の初動においては、サリンが使われたという認識はなかった。従って、駅員だけでなく、消防や警察においても素面で行動している関係者が多く見られた。東京消防庁の隊員も、多くが空気呼吸器の面体を首から提げた状態で動いている。これが、二次被害を大きくした要因であろう。地下鉄サリン事件で防毒マスクなどで完全武装し駅構内に向かう警視庁の捜査員ら =1995年3月20日、霞ケ関駅周辺 PPE(個人防護具)の数量、その質も限定的であった。HAZMAT(Hazardous material、危険物のこと)への防護レベル対応意識も低かった。HAZMATは4つの防護措置レベル(A、B、C、D)に分けられている。 レベルAは危険物が特定されていない状況かつ酸素ボンベと重厚なマスクをフル装備した防護措置、レベルBは危険物が特定されている状況でAの装備より若干装備が少なく、レベルCは防護マスクと全身防護服、レベルDは作業服にマスクという軽装備だ。当時はなかった「ゾーニング」 当時レベルAで行動している消防関係者とは対照的に、普段のままの(レベルD相当)救急隊員が混在していた。また、原因物質がサリンと判明した後も、レベルAが使われ続けていた。これはレベルBやレベルCの装備が現場になかった時代であったためと推察される。 陸自の場合、専門部隊である化学科はブチルゴム(合成ゴム)の化学防護衣と防護マスクを装着したレベルCで行動した。吸収缶は活性炭+HEPAフィルターのもの。普通科部隊は活性炭繊維の戦闘用防護衣のみである。なお、25年前には陸自にさえレベルA装備はなかった。戦場において、宇宙服のようなタイプが必要とは考えにくかったためであろう。 現在では、化学テロも考慮し、レベルAだけでなくレベルBやCをバランスよく装備する消防も多くなっている。また、陸自も化学科部隊を主体にレベルAを装備するようになってきた。市街地の戦闘や対テロ作戦において、高濃度ガスや酸素がない状況も想定してのことである。 さらに、防護に関連してゾーニング(区域設定)という考え方は当時なかった。だからこそ、多くの消防隊員がホームまで降りて状況確認や救助を試みて二次被害にあったのである。昨今の新型コロナウイルスで話題となっているゾーニングだが、「Nuclear」「Biological」「Chemical」(NBC)事案では風向きを考慮し、風下に原因物質が推定される場所に適宜ホットゾーンを設定していく。現在では、ゾーニングの考え方は、多くの消防関係者に浸透しているためホットゾーンに不用意に入ることはないであろう。 ただ、これはCBRNeテロのスイッチがタイミングよく入ったという前提に立っている(CBRNeとは、化学:Chemical、生物:Biological、放射性物質:Radiological、核:Nuclear、爆発物:Explosiveを指す)。 最近では、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄で2017年にマレーシアで殺害された金正男(キム・ジョンナム)氏をVXにて暗殺した事件にしても、英国で2018年にロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の元大佐らが神経剤のノビチョクで襲撃された事件にしても、それが化学剤に絡んだ事態であることは、初動においてはまったく認識されていない。 3日ほど、もしくは10日ほどたってから、ようやくスイッチが入るというのが実態である。もちろん、揮発性のサリンとほとんど気化しないVXやノビチョクを簡単には比較できないし、暗殺と大量殺傷型テロを単純に比較はできないが、最初のスイッチを入れることの難しさは認識しておくべきであろう。 そもそも、25年前に「除染」という言葉を知っていたのは、陸自の化学科関係者くらいではなかったかと思う。ちなみに、除染は米軍教範の中にあった英語の「de」(除)と「contamination」(汚染)をそのまま素直に和訳したものだという。旧軍の「除毒」という用語にする案もあったらしい。15歳も年上の先輩から聞いた話である。地下鉄サリン事件を受け、丸ノ内線の後楽園駅で車両を洗浄する自衛隊員=1995年3月20日、東京・文京区(陸上自衛隊提供) その除染は、地下鉄サリン事件ではまったく実施されなかった。従って、医療関係者も含めて多くの二次被害を出すことになった。あのときに組織的な避難や脱衣の着意があったなら、と思う。その後、除染テントなど器材の充実、訓練の活発化が進んで今日に至っている。東京五輪への備えは? ただ、二次被害者を多く出したことは、やや「膾(なます)を吹く」ような状況を引き起こし、また除染においては「除染とはシャワーである」というイメージが固定化されたことも否めないであろう。 現在では、脱衣の重要性や露出部の液滴の拭き取り、ラダーパイプシステムの活用(消防車2台によるシャワーカーテン)などが広く知られるようになった。これは世界的な流れとなっている「PRISM」(事態現場の初期対応マネジメント)に従ったものである。 その背景には、特に神経剤によるテロの場合では、シャワー除染を待つ人々が長蛇の列を作るような除染要領は現実的でなく、逆に地下鉄サリン事件の際の死者数では済まなくなるだろうという危機感があった。それでも、マスデカン(数百~数千人という大量の被災者の除染)において、何が最適かという問いには答えが出されていない。 地下鉄サリン事件では、その救命にいわゆる解毒剤である「アトロピン」と「パム」が大活躍した。特に、特殊な薬品であるパムが間に合うかどうかというのが、大きなポイントであった。多くの患者が殺到した聖路加病院では、松本サリン事件を担当した医師からのアドバイスもあり、熟慮の末にパムを患者に投与、その効果を確認した。これにより多くの命が救われることになった。 だが、問題もあった。それはパムが特殊な薬であり、在庫が20人分しかなかったことだ。薬剤部長がパムを扱う問屋の名古屋のS社に電話で要請した。東京中で大量のパムが必要になったため、ありったけのパムを運んでほしいというものである。 S社の責任者は、各地の倉庫にパムを集めるよう直ちに指示した。彼はそのまま新幹線に飛び乗り、沿線の浜松、静岡、横浜の各倉庫から新幹線のホームでパムを受け取る作戦を取り、合計230人分が集まったのである。発注からわずか3時間半のことであった。 現在では必要なパムなどは国内の要点に備蓄されており、さらに東京五輪・パラリンピックに向けて新たな備蓄が必要とされているが、その細部の備蓄要領や輸送については明らかにされていない。地下鉄サリン事件で、毒物除去作業を行なうため、日比谷線築地駅構内に向かう陸上自衛隊員ら=1995年3月20日、東京・築地 米国においては、「CHEMPACKプログラム」として備蓄の実務は地方自治体レベルに任されており、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)が全体を統括している。備蓄は、全米人口の90%が1時間以内に投与を受けられるように配置されているという。 配置場所は、主に病院か消防署のようだ。備蓄用コンテナには2種類あり、緊急用コンテナと病院用コンテナである。病院用コンテナには静脈注射用に薬品が1千人分程度入っているのに対して、緊急用には454人分の神経剤自動注射器(オートインジェクター)が入っている。ここが日本と違うところである。禁物なのは「思考停止」 日本ではこれまでオートインジェクターの検討はなされてこなかった。しかし、地下鉄サリン事件のようなケースでは自動注射器で対応しなければ救えない命があることは明らかだった。そんな中で、東京五輪・パラリンピックを前にして、日本でも自動注射器を準備しておこうという動きが出てきている。しかもスタジアムなどで何かあったときには、医師でなくても使えるようにする予定である。 だれがどうやって化学テロ(CBRNeテロ)のスイッチを入れるかという問題は依然として残る。また、COP(Common Operational Picture )という「同じ絵を当初から関係者全員で見て動く」ことも求められる。いずれも、難しい課題だ。 また、よく指摘されるのは、パターン思考に陥っていないかという点である。「地下鉄サリン事件で止まっていないか」「いつも同じようなシナリオで、ワンパターンな検知と除染の訓練で終わっていないか」というのは、陸自の現役のころに某師団長からよく指導があったところである。 さらに、時間(スピード)の概念を初動対応において重視しないと、このままでは患者を助けられないとの思いも関係者の間で強い。特にゾーニングや除染のプロセスにおいて「時間は命」という認識が広がっている。 エージング(化学物質への解毒剤の有効時間)の早いソマン(2分)まで視野に入れると、さらにスピードが求められる。なお、除染の困難性で言えば、北朝鮮が保有しているとみられる粘性ソマンは極めて粘性が強く、通常の除染要領では対応できないと言われている。 その他に、検知器につきものである誤報(一部成分が同じゆえニンニクをマスタードガスとして認識してしまうなど)、サンプリングと「Chain of Custody(履歴管理)」という人やモノの流れを記録することの重要性。偽物や不審物への対応手順、化学テロにおいていつもレベルAが必要かという疑問、それに関連して「防火衣+空気呼吸器(SCBA)」でサリンの中へ突入しても30分程度なら倦怠(けんたい)感や発汗増加があるだけ、という米国陸軍の検証結果の取り扱いなど、議論すべきことは多く残っている。 先にも触れた除染に関して言えば、「除染のシャワーを待つな! 苦しんでいる人を前に、本格的シャワーシステムの到着を延々と待つのか? できることはないか?」という共通認識は、全国の消防の中に相当浸透してきていると思う。また、日本災害医学会(JDAM)のMCLS-CBRNe(化学物質などによる大量殺傷型テロ対応)コースなどを見ていてそう感じる。 「全く同じことは起こらないが、大事件は姿を変えた形で再び起こる」というのが、警察関係者の言い伝えとしてあるという。われわれは、この25年間でありえないようなテロや事件、事故をいくつも見てきた。防護服を着て化学テロなどを想定した訓練に取り組む警察官や消防隊員ら=2018年6月、川崎市(外崎晃彦撮影) 米同時多発テロ「9・11」や東海村JCO臨界事故、東日本大震災の津波による福島原発事故など、どれを取っても想像をはるかに超えていた。こうした事件や事故を踏まえれば、誰が地下鉄サリン事件を予測できただろうか。同じように、誰がVXによる暗殺を、ノビチョクの使用を予測できたかという思いがある。 これからの25年でも、予期しない大変な事態は起こるだろう。それは、新たな形での化学テロかもしれない。そのときに現実的に対応できるだろうか。思考停止を越えて、考え続けようと思う。

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    小西寛子の緊急提言「批判やまない『新道徳教育』かくありたい」

    小西寛子(声優、シンガーソングライター) 「坂道で大きな荷物を抱えて困っていたおじいさんを助けた5人の子供たち。ごほうびにもらった6枚のチョコレート、みんなで分けたら1枚残った。さあ、どうやって分けようか」。読者のみなさんも一緒に考えていただきたい。 ①一番重い荷物を運んだA君に ②一番年上のB君に ③妹がいるCさんに ④チョコが大好きなD君に ⑤みんなで等分に この設問は、東京都の各小中学校などで行っている「道徳授業地区公開講座」のワークショップで取り上げられたものだ。この講座は、主に保護者や地域の方々を対象として道徳授業を公開している。ワークショップなどを通じて意見交換を行い、学校・家庭・地域社会が一体となった道徳教育の充実を図るために、東京都教育委員会が平成10年度から実施している取り組みだ。 道徳の教科化については批判的な意見も多い中、小学校では平成30年度から、中学校では31年度から「特別の教科 道徳」として始まった。深刻なモラル崩壊に歯止めがかかる様子もなく「不寛容社会」と嘆かれる現代、目まぐるしく変化する予測不可能な社会の中で、子供たちにどのような教育が望まれ、どのような未来が託されているのだろうか。 冒頭の設問だが、みなさんはどれを選んだだろうか? 筆者は、どれも言い分としてアリだよなぁ〜と思いつつ、どれか1つ選べと言われたら、⑤の「みんなで等分」を選んだ。ワークショップの結果は、一番多かったのが⑤。数人が①、③が1人だった。その理由は以下の通りだ。【一番多かった⑤と回答した理由】・平等でよい・経験上、子供たちが一番納得する(学校教諭の意見)・みんなで分けたらおいしい・みんな同じ気持ちで行動したから、みんなで分かちあう【①と回答した理由】・働いた人に相応の評価をすることで社会の仕組みが理解できる・労働の大きさに応じて差をつけて評価すべき・一番よく働いたA君にはもらう権利がある【②と回答した理由】・自分たちだけでなく、他の人のことも考えていてよい どれも理由として、なるほどぉ〜と思う。もちろん、どれが正解というものはない。およそ40年前にこれらの道徳性を調査したのが、道徳性発達理論の提唱者で心理学者のローレンス・コールバーグで、興味深いことに、国によって選択傾向が違うという。 ①を最も多く選ぶ国はアメリカ、②は韓国、⑤は北欧などの福祉国家だそうだ。なるほど、これまた概ね納得できる傾向である。アメリカは成果主義、韓国は儒教の影響、福祉国家はみんなで分け合う。うーむ、筆者はこの時点で、道徳教育の多難さにうなだれてしまった。 1975年生まれの筆者の時代の道徳といえば、善悪の判断や思いやりの心を育てるような物語を読んで、登場人物の気持ちを考えるという感じの授業だったと記憶している。では、「特別の教科」という冠がつけられた道徳科は、いったい今までの道徳と何が違うのだろうか。文部科学省の教材「私たちの道徳」 公開授業を参観してみると、テーマとしては、人への思いやりや困難を乗り越える大切さなど、筆者の時代とは変わらない定番の内容だったが、低学年クラスでは、ちょっと変わった作業をしていた。 生徒に1枚ずつ紙が配られ、感想を書かせるのかと思いきや、紙には空白の吹き出しの付いたイラストが印刷されていて、登場人物になったつもりで気持ちをセリフにして書き出し、子供たちは活発に発表していた。高学年のクラスを覗いてみると、テーマにまつわるストーリーを自分たちの社会に置き換え、グループで議論し、出し合った意見をパネルにまとめ発表するという作業を目にした。根強い反対論 これが、新しい学習指導要領から実践されている「考え、議論する道徳」なのだ。そこには正解も不正解もない。「自己を見つめ、物事を広い視野から多面的・多角的に考え、人間としての生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」(小学校学習指導要領解説より)ことを目標としている。 道徳科の成績評価については、達成度などの段階評価は行わず、教諭は、良いところを褒(ほ)める、励ますなどの文章で評価する。これら道徳科における新しい教育プログラムの理念は、他の教科やあらゆる教育活動においても妥当で、学校生活全般を通して各々の活動を補い、深め合い、育成されることが望まれている。 では、なぜ道徳を学ぶのか? 自分自身を見つめるというプロセスの重要性は従来から変わりないが、道徳が「教科化」された背景には時代の趨勢(すうせい)があるようだ。 一つは、グローバリズムという世界的な流れだ。国内外問わず異文化の理解や多種多様な他者との関わり方、グローバルなコミュニケーション能力の育成は極めて重要で、子供たちが自らと向き合い多様な価値観に触れることで、時代に即した「多様性に対する多角的なものの考え方」を身につけることが期待されている。 もう一つは、深刻な「いじめ問題」がある。2012年に発覚した大津市の中学2年の生徒が犠牲となった痛ましい事件は記憶に新しい。翌年、いじめ防止対策推進法が施行されたものの、今もなお悲痛ないじめ問題は後を絶たない。 この事件を端に、これまで教育課程上の「領域」であったがゆえに、他の教科に振り替えられ道徳の時間が削られるといった問題を含んでいた道徳の「教科化」という動きが一気に加速した。 これらの背景から、新しい道徳教育というものが急務の課題として検討されたことは十分理解できるが、道徳の教科化については根強い反対意見が多いのも特徴である。 その理由としては、戦前の教育勅語体制下の「修身」の復活につながるだとか、議論によってむしろ一つの正解へと導き一定の価値観を植え付ける、違う意見を持つことで教室に居づらくなる、いじめを助長するなどの指摘がなされている。 筆者は知らなかったが、NHKの番組『クローズアップ現代』でも新しい道徳教育を取り上げた内容に大きな反響があったと聞く。新しい道徳教育はそれほどまでに危険なのだろうか。教育出版の道徳教科書の教材「下町ボブスレー」に掲載された安倍晋三首相の写真 確かに、授業の進め方によっては、多数によって形成される価値観だけが切り取られて、結局は排他的、一方的な道徳感や価値観の押しつけになってしまうといった状況は容易に想像できるし、多様性に対応する能力の育成でありながら、人と違う価値観を孤立させる結果を生じないとまでは言えない。  しかし、筆者が目にした教育現場において、「考え、議論する道徳」自体にそれほど悪い印象はなかった。むしろ、受け身の学習ばかり経験してきた筆者からしてみれば、そういった議論を通じてコミュニケーション能力を育むチャンスが与えられる今の小学生たちをうらやましいとさえ思えた。教職員の養成も急務 ただ、一方で、指導プログラムのノウハウが未熟で手探りの状態という印象は否めなかった。新しい道徳教育に対応する教職員の育成もまた急務だろう。 とにかく、子供たちのメンタルを扱う分野なだけに、風当たりも強いのは当然といえば当然だろうが、残業を重ねて真剣に取り組む現場の教職員の方たちの姿にも目を向けてほしいと思う。 『クローズアップ現代』で露呈された道徳教育の問題点については、取り扱う教材の質(現実感や妥当性など)と議論のプロセスにおけるモラルが問われるべきで、決して「考え、議論する道徳」を否定するものではないと筆者は考える。 議論というプロセスにおいては、時に衝突、苦悩、葛藤、誤解などがあって当然だと思うし、そういった過程の中で得られた道徳観や異なる価値観の気づきなどは、むしろ人生の宝物となるべく経験に転化して考えていくべきではないだろうか。 道徳に限らず教育とは常に手探りであり、楽観的で言い方は悪いかもしれないが、試験的な試みを積み重ねていく必要があるのではないかと思う。 そして、「考え、議論する道徳」に不可欠な要素となるのは言葉の教育だ。人の心は読めない。言葉で表現しなければ、心の中で考えたり感じたりしたことは人には伝わらないものである。 小学校学習指導要領では「言語活動の充実」を掲げている。その目的は「話し合いなどによって自分の心の中を言葉で表現し、文章に書き出すなどして、友達の考えを聞き、自分の考えを伝えるというプロセスを通じて、多様な感じ方・考え方に触れ、考えを深める」といった、言葉を活かした学習の充実だ。 人は自分の知っている言葉でしか表現できない。例えば、何かを手に入れたいときに、幼稚園の頃は「これほしい」とか「これちょうだい」くらいの表現しかできないが、小学生になると「○○ください」とか「○○はありませんか?」と人に尋ねたり、「△△だから○○を買ってほしい」と理由をつけて要求したりすることもできるようになる。 つまり、伝えたい気持ちがあっても、表現する言葉をたくさん知っている人と、あまり知らない人では、コミュニケーションに大きな差が出てくる。 また、すでに筆者が学生の頃から嘆かれ続けてきた「日本語の乱れ」の問題がある。当時はもっぱら「若者の言葉遣い」が批判の対象だったが、その若者たちが大人になり、子育てをし、いつしか家族そろって乱れた言葉を日常的に、時・所を選ばず使用している。声優でミュージシャンの小西寛子氏 どのような場面でどのような言葉遣いを用いるのが適切か不適切かという判断はおろか、善悪の分別すら未熟な発達途上にある子供たちの耳に入る場所で、そういった粗雑な言葉遣いが交わされていることについて、筆者は「当時の若者」の一人として、保護者に反省と改善を促したい。保護者はもっと関心を なぜ、きれいな言葉を使うべきか、というと、同じ意味の言葉でも、言葉遣いによって受け取る側に温度差が生じるからだ。きれいな言葉、丁寧な言葉というのは、日本人にとっていわば「共通言語」であり、自分の気持ちや考えを伝える上でより正確に、豊かな表現ができる。 悪態をつきたい、悪ぶってみたいという子供たちの気持ちはよく分かるし、言葉遣いが悪い人でも人情味ある礼儀正しい人だってたくさんいる。 だから百歩譲って、きれいな言葉遣いではないと理解した上で、「限定した場面で、故意に、あえて選択して使用する悪態」についてはスパイス的な要素として許容し、きれいな言葉を基本とし、乱れた言葉を日常的に使わないなどの緩やかなルールを家庭内で設けて、言葉を使い分けてみてはどうだろうか。言語活動を充実させるには、単純に学習によって語彙を増やすという作業と共に、家庭や地域社会、そしてマスコミの役割も大きい。 いずれにせよ、道徳教育は一筋縄ではいかない。批判的な立場から見れば危うさばかりが目に付くかもしれない。しかし、人は誰しも失敗の中から学ぶことがたくさんある。そんな簡単に物事は順調に進まないものだ。 大切なのは、試みの中で生じた齟齬(そご)にいち早く気づき、それに対応すること。特に子供たちの心の動きには細心の注意と配慮、ケアがあってほしいし、いじめにつながるような事態は絶対にあってはならないと切に願う。 また、保護者らにももっと道徳教育に関心を持ってほしい。今回、筆者がお邪魔した公開講座は、土曜日ということもあり授業を参観する父親の姿や夫婦での来校も多かったが、ワークショップに参加した人の数は全児童数の5%にも満たない。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 新しい道徳がどのような理念と目的で実践され、どういった教育論で行われているのかを把握、理解することで、家庭における親(保護者)としての役割がより具体的に見えてくるのではないだろうか。ぜひとも、この「考え、議論する道徳」を意義あるものにしてほしい。

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    連帯責任なんてもう古い?日大ラグビー部にみるニッポンの不寛容さ

    上西小百合(前衆議院議員) 日大ラグビー部の部員が大麻取締法違反(所持)容疑で先月逮捕され、その後起訴された。「自分で使った」と容疑を認めていたことを受け、同部は無期限の活動停止と、捜査に協力し再発防止に向けて全力で取り組むと発表した。 以前も高校野球大会で準決勝まで駒を進めていた強豪校の部員数名が喫煙していたという理由で大会の出場を辞退した上に、当面の活動を自粛したことがあったので、おなじみの不思議な連帯責任劇に日本文化の悪い部分をまざまざと見せつけられた気がした。  同時に、その処分により巻き添えを食らい、努力を無駄にされた同部員たちのメンタルを案じる気持ちが沸きあがってきた。 日本ラグビー協会の会長は、日大ラグビー部員が逮捕されたことを受け「がっくりくる。1人の行動によって、ラグビー界全体が言われるんだということの教育をやらないといけない」と述べている。  当然、事件の再発防止や逮捕された学生の処分は厳正に対処していただきたいところだが、なぜ日大は逮捕された部員1人の責任を、大麻と何の関係のない部員たちに「連帯責任」という罰で押しつけたのだろうか。 遊ぶ間を惜しみ、寝る間を惜しみ、厳しい部活練習に耐えてきたにもかかわらず、チームの1人がプライベートで悪事に手を染めたため、その努力が無駄にされてしまう。そんな連帯責任を負わされた報われない学生たちにいったい何が残るというのだろうか。人ならば誰しもが当たり前に抱く感情、「憎しみ」「怒り」「悔しさ」が残るのではないだろうか。生涯でたった4年間しかない大学生活の主軸を権力者によって「連帯責任」で奪われるのだ。 実際日大は、今季の関東大学リーグ戦では1部に所属し2位。昨年12月に行われた全国大学選手権では8強進出を達成したが、逮捕された部員は選手権大会ではベンチ外だった。ラグビー大学選手権準々決勝(早稲田大対日本大)後半点差を広げられた日大フィフティーン=2019年12月21日 (岡田茂撮影) 加えて、こういう案件が生じれば、その分野のイメージが悪くなるという声が毎回のように上がるが、実際問題そんなことはない。報道を見る読者も視聴者も、そこまで冷静な判断ができないわけではない。単に集団の中の個に問題があっただけで、それは一部の話だということくらい理解できる。 つまり、今回の処分は日大の上層部が「日本大学」ブランドを守ることに執着をし、大学の権力者たちが非権力者の学生たちに連帯責任という罰を負わせ、世間体だけを保っているとしか考えられない状況なのだ。連帯責任の根底にあるもの 実は日本には歴史的に見ても1人(個人)の責任を連帯責任(全員)にすり替える習慣がある。律令制の「五保」や江戸時代にあった「五人組」、戦前の「隣組」も似たような発想によるものであり、相互扶助の精神を大切にするためと建前で言いつつも、一番の目的は集団の和を乱さずに、権力者への貢納確保や密告が目的だったと言われている。 すべての者に同じように従うことを求め、外れてしまったものは村八分といういじめに遭わせる。要するに、権力者が非権力者に対して自分の支配力を高めるために「連帯責任」を利用してきたという悲しい一面がある。 こうした背景もあってか、日本は基本的に、すべて皆同じようにあらねばならず、個は認められにくい、いわゆる「不寛容社会」だ。 不寛容社会の象徴とも言えるのが、何でもかんでも謝罪を欲しがる大衆の心理である。連日、テレビをつけると騒動を起こした有名人や政治家が「辞めろ」「謝れ」と恐ろしいほどに袋だたきにされている。 そして、俳優が不祥事で「引退する」と言えば、「潔い」と大絶賛ムードに、閣僚が疑惑報道で辞任すれば、「やったぜ!」というムードに世間が包まれる。「皆」が「同じようにとりあえず謝罪」して引っ込めば、根本は何も解決せぬままに物事が一段落していく。ばかばかしいこと限りない。 このマイナス面を現代にまで大切に握りしめておくのはいかがなものかと思うが、決して「連帯責任」自体が「悪」というわけではない。 私は衆議院議員時代に自衛隊員の方々から話を聞く機会があったのだが、自衛隊の訓練の中ではあらゆる局面で連帯責任を負うそうだ。緊迫する環境下で人命にかかわる職務を遂行する際に、1人がふと気を抜いてしまったことで人の生死や国家の安全にとんでもない影響が出ることも想定される。 ゆえに自衛隊員は、個ではなく集団として協力することでさまざまな障壁を乗り越え、国民の生命や財産を守ってくれている。これが日本の自衛隊のクオリティの高さのゆえんでもあるため、一概に「連帯責任」が「悪」とは言えない。 ただ今回の日大のケースは、連帯責任によるマイナス面の影響が大きいと言えよう。あくまでも、ケースバイケースで臨機応変に“連帯責任の使い方”を判断していかなければならない。※写真はイメージ(GettyImages) こんな社会ゆえ、日大側が「謝罪して引っ込むのが一番の幕引き」という思考回路に陥ってしまうのだろうが、理不尽に責任を負わされた日大ラグビー部員たちには、どうかくじけずに残りの大学生活有意義なものにしていただきたい。 「連帯責任」の本当の意味や歴史を理解し、適切に使うことが必要だ。

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    パワハラ「ザル法」に怒り心頭

    今年6月に施行される「改正労働施策総合推進法(パワハラ防止法)」に異論が噴出している。厚労省が指針案で示したパワハラの定義や具体例を詳しく見ると、「抜け穴」だらけで、根絶とは程遠いシロモノとの指摘も多いからだ。一筋縄ではいかない問題であることは百も承知だが、「ザル法」との批判が避けられそうもない。

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    パワハラ対策は穴だらけ、厚労省も毒された「会社の論理」

    松沢直樹(フリーライター) 2019年10月21日、厚生労働省は労働政策審議会の雇用環境・均等分科会において、職場のパワーハラスメント(パワハラ)防止の素案を示した。これまで労働基準法などをはじめとした労働関係法令で積極的に取り締まりを行ってこなかったパワハラ(職務上の権限を利用してのいやがらせ)について、具体的な規制の指針を示した形となる。 ところが、肝心の素案に対して批判が集中した。とりわけパワハラに「該当しない」例に対して批判が集中し、日本労働弁護団をはじめとする団体は、使用者側が責任を逃れるための「弁解カタログ」と糾弾している。 厚労省が提示したパワハラ規制についての素案が物議を醸す中、また新たな労働行政の穴が露呈した。いわゆる「就活セクハラ」問題である。 2019年12月2日、東京大など複数の大学の女子学生などからなる有志団体が会見を開いた。会見の趣旨は、厚労省が意見募集しているハラスメント対策についてであった。 有志団体によれば、就職を希望する企業にセクシュアルハラスメントの相談窓口があっても、相談することによって採用への道が閉ざされてしまう可能性を考えてしまうそうだ。その結果、多くの女子学生が、就活セクハラの被害を告発できない状態が続いているという。 この会見は衝撃を与えた。「穴だらけ」と指摘されたパワハラ防止素案に続いて、ハラスメント対策をうたい、改正に至ったばかりの法律にも穴があったことが露呈したからである。厚労省が公表したパワハラ指針の素案の見直しを求めて開かれた緊急集会=2019年10月、東京・永田町 2019年5月29日、参院本会議で女性の労働者をハラスメントから保護することを企業に義務付けた法律が可決、成立した。女性活躍・ハラスメント規制法(女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律)では、女性活躍推進法、労働施策総合推進法、男女雇用機会均等法、労働者派遣法、育児介護休業法の5本を併せて改正した。 これによって、企業は女性労働者に対し、業務上必要相当な範囲を超えた待遇を与えることが禁止された。これらの規制の中には、従来問題になっていたセクハラやマタニティーハラスメント(マタハラ・妊娠中の女性社員へのいやがらせ)についても不利益取り扱いの禁止が明文化されている。また、企業側に対する罰則についても明記されており、行政指導を行っても改善が見られない場合には、企業名を公表することとなった。はびこる悪しき「フィルター」 だが、「就活セクハラ」問題で露呈したように、この法改正には抜け穴があった。就職活動中の女子学生や、取引先の女性労働者、委託労働といった労働基準法で保護されない中で働く女性労働者は、保護対象外となりうることが顕在化したのである。 これを受けて、厚労省は現在までに公表しているパワハラの6類型を細分化し、どのような言動や行動がハラスメントに当たるかを定義するとともに、就活生や労働基準法で保護されない委託労働者など、社外の女性に対するハラスメント行為を防ぐことも企業に求める方針を打ち出した。それでも、「労働者の実態に沿うものになるのか」と疑問視する声は依然として強い。 厚労省のハラスメント対策の穴については、言うまでもなく弁解の余地はない。しかしながら私は、根本的な原因は他にあると考えている。その一つが、会社というフィルターを通してしまえば、犯罪が犯罪と意識されなくなってしまうことを、社会の誰も指摘しないことである。 少し説明を加えたい。例えば、人を殴ったり恫喝(どうかつ)すれば、問答無用で逮捕される。それなのに、会社内でこのようなことが行われても、「パワハラ」というソフトなイメージの言葉に包まれて、誰も糾弾しなくなるのはなぜだろうか。 セクハラも同様である。男性が女性に対して一方的な性的いやがらせを行えば、やはり問答無用で性犯罪者として逮捕される。それなのに、会社の中で行われた加害は、なぜ「セクハラ」というソフトな言葉に覆われて、有耶無耶(うやむや)にされがちなのだろうか。  会社というフィルターを通すと、皆が犯罪として認識されなくなってしまう現象について、私は、日本国憲法28条と労働組合法が機能していた時代の悪影響ではないかと考えている。2019年11月、厚労省で行われた記者会見で就活ハラスメントの経験を話す町田彩夏さん(左)ら 憲法28条ならびに労働組合法では、労働者が労働組合を作る権利、会社と対等の立場で交渉を行う権利を保障している。逆に言えばこれは、会社内においては、労働者が自治権を持っているので、第三者の介入を許さない権利ともいえる。 労働関係法令を中心に取り締まりを行う警察官(特別司法警察員)でもある労働基準監督官は、全国で3241人(2016年現在)しかいない。現代に起こる「歪なトラブル」 かつては正社員が大多数だったし、各会社に労働組合が結成されていた。そのため、労働基準監督官に頼らなくても労働者が安全に働ける環境を守ることができた。その結果、会社内で起こることについて、明確に刑法に抵触するような事件以外は、公権力が介入しなくなった経緯がある。 時代が変わり、非正規労働者が多数になった現在では、各会社に労働組合があることは珍しくなった。しかしながら、憲法28条と労働組合法では労働者の会社内の自治権が保障されているため、警察権を持っている労働基準監督署は積極的に介入しない方針を維持している。 そのため、大多数の労働者は、会社内で労働トラブルが発生しても、公権力の介入が期待できなくなる。こうして、会社側からの理不尽な加害を甘受することだけを刷り込まれることとなった。 また、会社法の改正によって、少額の資本金で会社を興せるようになり、はなから労働法を守る意識がないブラック企業が跋扈(ばっこ)している。厚労省が、パワハラをはじめとしたハラスメント対策について、実態にそぐわない素案しか挙げられない背景にはこういった事情がある。正確な実態を調査しようにも、専門家の数も足りない上に、法的な介入が難しいケースが多々生じてしまうのだ。 残念なことに、会社が公権力の介入を許さない閉鎖的な空間となる中で、新たな問題が生じている。弱い立場のはずの労働者が、さらに弱い立場の人への加害に走るケースが顕在化してきているのである。正社員が非正規労働者に対して行う差別的な対応がそれである。 この問題が顕在化してきたことについて、私はパワハラやセクハラとは無関係ではないと考えている。弱い立場の者を隷属(れいぞく)させることで愉悦を満たすゆがんだ心理がパワハラやセクハラの増加につながっているのではないだろうか。また、先述のように、会社という閉鎖的な空間になると順法意識が薄くなる心理も影響しているように思う。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 根本的な解決を図るには、厚労省はもちろん、国がきちんと法的な線引きを行う必要があるのは言うまでもない。ただ、最も重要なのは、先に述べたように「会社は順法意識が薄くなりやすい閉鎖的な空間であること」を意識し、常に風通しをよくすることだ。 そして、労働形態や役職、性別に関係なく公平性を保つ意識を社会全体で醸成していくことが重要だと考える。

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    部下をつぶす「クラッシャー上司」が出世する会社に未来はあるか

    松崎一葉(筑波大教授) 労働施策総合推進法が改正され、今年6月に通称「パワハラ防止法」が施行される。今後は「職場におけるパワーハラスメント防止のために、雇用管理上必要な措置を講じることが事業主の義務」となる。それに先立ち、昨年12月には厚生労働省のガイドライン(指針)案が示されており、これに対応するため企業や自治体では、ハラスメントを防止するための研修やコンプライアンス体制の強化への取り組みが進んでいる。 だが、この取り組みによって組織のハラスメントは実質的に減るのだろうか? 本稿では、わが国のハラスメントの特徴について解説し、企業がとるべきハラスメント対策の根幹について述べたい。 わが国の、特に大企業におけるハラスメントの特徴は二点に集約される。 一点目は、多くのハラスメントは、上司にとって陰湿な「イジメ」というより、むしろ「良かれ」と思っての「過剰な強圧的指導」であることだ。 なぜなら、ハラスメント的な強圧的指導をする上司は、次のような信念を持っていることが多い。 「イマドキのゆとり世代・さとり世代の若者には、これくらい厳しく指導しないと一人前にならない」「俺はお前を成長させるために、あえて愛のムチを振るっているんだ」「それをハラスメントと言うなら通報してみろ、俺に悪意はない」「会社の業績向上のためには、これくらいの厳しさが必要」といったものだ。 そのため、コンプライアンス通報を受けて指導方法に対する改善命令が下っても、彼らは心の底では納得せず、マキャベリズム的な誤った発想を持っている(マキャベリズム:目的のためには手段を選ばず、また反道徳的な行為でも結果がよければ正当化される)。同時に企業側も、ハラスメント事例を判断する際に「悪気はないよなあ」と、ついつい甘い処遇になりがちなのである。 この構造がわが国のハラスメントの根本的な是正を阻害している。多くのハラスメント行為者は「自分の強圧的な指導は、会社のための必要悪である」との思い込みがあるのだ。 このタイプの行為者は、実際に仕事がデキる人であることが多く、自分の仕事のスタイルを部下に押しつける。部下の意見を聞き入れず、自分の駒として、とことんこき使って仕事を遂行し、高い業績を上げていく。このような「とてもデキる」けれども「部下に強圧的な態度をとる」タイプを筆者らは「クラッシャー上司」と定義している。つまり、部下をどんどんつぶし(クラッシュ)ながら業績を上げて出世していくタイプである。 彼らが高い業績を残すが故に、会社はクラッシャーを本気で処罰することができない。その結果、クラッシャーは知らず知らずのうちに会社の経営幹部まで上り詰めていくことになり、企業のハラスメント体質は、さらに是正されにくくなるという悪循環に陥るのである。※写真はイメージです(GettyImages) 二点目は、被害者側もハラスメント的な指導自体は間違っていないと認識していることだ。  この問題には、部下・被害者側に生じやすい、抱え込みの構造がある。つまり、被害者は「これだけ厳しい指導をされ、人格否定をされるのは自分の能力のなさが原因だ」と自己批判的に認識して、ハラスメントを通報せずに抱え込むのである。 その結果として、長期化したハラスメントに忍従したストレスで、精神を病み、時には自殺することになる。筆者らが産業医学の現場で経験したメンタル不全事案では、内省的で生真面目な部下ほどこのような傾向が強かった。会社への帰属意識が強く、忠誠を誓い向上心が強い部下ほど抱え込みやすく、クラッシャーにつぶされやすいのである。デキる若者ほど離れていく さて、これらをふまえてハラスメントが企業にもたらす悪影響についてまとめたい。 まず、能力の高いクラッシャーであっても、本当に会社にとって有益であると言えるだろうか。確かにクラッシャーは、間違ったマキャベリズムによって短期的には業績をあげていくのだが、彼らは部下の多様性を容認しない。自分と同じような考え方のコピー部下をひたすら「再生産」していく。そして、中長期的に見れば、職員の構成は金太郎飴(あめ)化して多様性が低下する。それはワークライフバランスを大切にする若者を許さず、さらには女性やLGBT(性的少数者)への偏見に満ちあふれる環境につながり、結果として才能ある彼らは離職していく。 昨今の価値観が多様化し、情報が高速に飛び交う時代において、十年一日のごとく過去の栄光にしがみつく仕事観は、早晩時代遅れになっていく。自分の過去の成功体験を踏まえながらも、若者のユニークな視点と着想を取り込んで革新的なアウトプット(成果物)を出していくという戦略感覚を持ったワークスタイルを目指さないと、企業は時代から置いていかれるだろう。 最近では、若者のワークモチベーションが大きく変化してきている。従来は「滅私奉公」して終身雇用の中での立身出世が至上とされていたが、最近ではデキる若者ほど「自己成長感」を重要視している。 「この企業で自分がどれだけ成長できるか?」「スキルが身につくか?」「その上で起業をしたい」と考える若者が増えているようである。つまり、古い成功体験を押しつけられるような企業には、デキる若者は居つかず、離職が増える。さらに、悪いうわさは会員制交流サイト(SNS)によって瞬時に飛び交う。結果、それらの企業には有能な新人は来なくなる。このようにして、クラッシャーによるハラスメントは企業の人材確保にも悪影響を及ぼし、企業を中長期的に衰退させていくのである。 そして、ハラスメントが生産性に及ぼす影響についても研究がなされている。※写真はイメージです(GettyImages) ハラスメントの現場を見るだけで、周囲の生産性は低下すると報告されている。つまりハラスメントが常態化している職場ではモラール(士気)が低下し、仕事の効率は上がらないのである。 ハラスメントは倫理的、道義的にもあってはならないことだが、以上で述べたように、企業はハラスメントがもたらす中長期的なマイナス効果についても十分に認識する必要がある。そして、経営戦略の観点から本腰を入れてハラスメントを駆逐していく必要があるだろう。

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    企業の命取りになるパワハラ対応ミスと「ブラック社員」の罠

    田岡春幸(労働問題コンサルタント、元厚生労働官僚) 職場でのパワーハラスメント(パワハラ)防止を企業に義務付ける労働施策総合推進法の改正案が昨年5月、可決・成立した(施行は大企業では2020年6月、中小企業では22年4月の予定)。 この法改正の背景には、労使間のトラブルを扱う全国の労働局の労働紛争相談に寄せられたパワハラを含む職場の「いじめ・いやがらせ」に関するものが2018年度に8万2797件に上り、年々増加していることがある。それだけ職場におけるいじめやいやがらせが深刻になっているということである。 法改正の特徴は、パワハラを「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」と、定義したことだ。 これまでは「身体的な攻撃」「精神的な攻撃」「人間関係からの切り離し」「過大な要求」「過小な要求」「個の侵害」などが示されていただけであったが、法律で定義づけされた意義は大きい。 パワハラ関連で注意しなければならないことは、刑法などに該当する場合は、パワハラ防止法に関係なく、当然だが「一発アウト」であるということだ。あくまでも法律には抵触しないが、グレーで判断できない場合に今回の法律が適用されるということである。 定義を具体的に見ていくと、「優越的な関係を背景にした言動」とは、「言動を受ける労働者が行為者に対して抵抗または拒絶することができない蓋然性が高い関係」である。 上司はもちろん、同じ職位、部下であっても発言権の強い人の言動は内容次第でハラスメントと言える。男性が女性に高圧的な態度をとったり、新入社員にベテラン社員がいやがらせ発言をしたりすることなどが挙げられる。同僚または部下からの集団による行為で、これに抵抗、拒絶することが困難であるものも含まれる。 また、「業務上必要な範囲を超えたもの」とは、社会通念に照らし、当該言動が明らかに当該事業主の業務上必要性がない、またはその態様が相当でないもの。「業務上必要な範囲」とは、「ここは間違っているので直して」などの業務上の必要な指示だ。「超えたもの」とは、「こんなのもできないのか、このバカ」「給与ドロボー」などである。 これらの発言は人格否定になる。特に後者は経営者が口にしやすい発言であり注意が必要だ。当該行為の回数、行為者の数など、その態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える言動も含まれる。 「就業環境を害する」とは、当該言動により労働者が身体的または精神的に苦痛を与えられ、労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなど、当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じること、としている。厚生労働省が入る中央合同庁舎第5号館=東京都千代田区(納冨康撮影) 注意したいのは、「善意の指導つもり」や「自分たちもこうして成長した」「昔はこうだった」という自分の意図(意思)は関係なく、行為や発言そのものが問題になる点だ。スポーツ界で最近パワハラ報道が多く見受けられるが、これは今までの指導を踏襲したりすることでパワハラが起こることが多い。叩いたり、殴ったりするのはパワハラを超えた犯罪であると今一度認識するべきである。気の遣い過ぎもマイナス 要するに、パワハラを防ぐには密なコミュニケーションが重要になってくるだろう。この指導はこういう意味があるなど、指導ごとに具体的に説明し、従業員を納得させる必要がある。仕事や指導などを上から押し付けることは、パワハラと言われるリスクをはらんでいると考えてよい。  一方で、近年企業は、なにかと難癖をつける問題社員(ブラック社員)の出現によりその扱いに苦慮するケースが増えている。こうした社員の対応を誤ると、「パワハラ」と認定されてしまい、問題が大きくなることが多い。 ではこのような社員への対応はどうすればよいか。基本は1人で対応せず、最低2人で対応し、女性の場合は同性に対応してもらう。その際、必ず録音されているとの認識で対応することが重要である。 間違っても感情的な対応(暴言含む)をしてはいけない。そこを切り取られてマスコミなどに流されてしまうからだ。毅然とした態度で臨み、専門家の活用を検討すべきである。ブラック社員による「パワハラ告発」は、経営側だけでなく周りの社員にもマイナス影響を与える。些細なことであっても始末書を書かせるなど、こまめな指導をしていく必要があり、対応を間違えば多大な労力をかけられる。 会社として相談があった場合は、事案ごとにその内容・程度とそれに対する指導の態様などの相対的な関係性が重要な要素となる。このため、個別の事案の判断としては、相談窓口の担当者らがこうした事項に十分留意し、丁寧に事実確認などを行うことが肝要になってくる。当事者だけでなく、第三者の社員へのヒアリングをしっかり行うことや、就業規則などに相談窓口について規定を作成していく必要もある。 最近では、パワハラが裁判になることも多く、その際の慰謝料相場(100万円前後のケースが多い)が上昇しており、裁判で1千万円以上の請求が認められることもある。特に精神的疾患が伴った場合は高額になりがちだ。 また、現在はかつてと時代が違い、特にネットの普及により、炎上するケースが増えている。パワハラ企業との認識がいったん広がると、この認識を払拭させるには時間と労力、費用がかかる。パワハラ=ブラック企業として広まれば、人材獲得や売り上げ、信用に影響し企業にとって最大のリスクになってしまうことを認識すべきである。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 要するに、経営者の従業員への度を越した発言はパワハラと認定され、会社を滅ぼすことに繋がりかねない。自分の従業員への言動が周りから見てどのように映っているか第三者に確認してもらう必要がある。ただし、変にパワハラになるかもしれないと過剰に意識し、従業員に気を遣い過ぎることもマイナス要素でしかない。 最後にパワハラに該当する発言の一部を以下のようにまとめてみたので参考にされたい。一つでもチェックが当てはまる場合は、注意が必要である。【パワハラにあたる発言例の一部】「バカ野郎」「甘ったれるな」「ボコボコにするぞ」「しめたるぞ」「プロジェクトから外すぞ」「もう明日から来なくていい」「休みがあると思うなよ」「お前の代わりはいくらでもいる」「お前なんかいらない」「他の人はできるのに、なんでお前はできない」「ダメ人間」「給与ドロボー」「親の顔が見てみたい」「飯は食うんだ」「役立たず」「お前みたいのは転職しても同じ」「クズ」「休憩(年休)なんかあるわけない」「脳無し」

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    中野信子氏が解説「パワハラ、セクハラの上手な切り抜け方」

    見えてくるでしょう。──職場のセクハラに対してもよいキレ方はありますか?中野:これだけセクハラ発言が社会問題になっていても、「どうして結婚しないの?」などと失礼な質問をして女性の反応を見て面白がる男性が多いのも事実です。本当にセクシャルな行為で不愉快になる人もいるでしょうし、「子供は?」といった発言だけでも十分傷つく人もいます。しかし、そうした発言がセクハラであるという認識がない人は、過剰に反応しても、なぜキレられるのか、その人の価値観では気づきません。だからと言って、笑ってごまかすと、相手は言ってもよいものだと思ってしまいます。 ですから、「もうそんなことを言っている時代ではないですよ」と教えてあげるつもりで言葉を返す必要もあると思います。 この場合のポイントも、相手に「後ろめたさ」を感じさせることです。「セ・パ両リーグ制覇ってご存じですか? セクハラ・パワハラの両方をする人のことです」「上司が部下にそういうことをおっしゃるということはコンプライアンス的にいかがでしょうか?」と言いながら、余裕ある態度で不愉快であることを伝えましょう。もしくは、怒りを通り越してがっかりしたという表情で、「○○部長もそんなことを言うのですか…。びっくりしました」と言ってため息をつき、言外に深い失望を示すのもよいでしょう。──言い返すのが苦手な人も多いと思いますが、どのようなことを心がければよいのでしょうか?中野:言い返すことは私自身も得意ではありませんが、言い返す練習をあまりしてこなかったからです。これは「コミュニケーション力」という正体のよくわからないものなどではなく、上手にキレるための「語彙力」と「運用力」が足りないだけなのです。切り返しの上手な同僚を観察したり、キレるのが上手な芸人さんのやりとりをテレビで見たりするなどして、後天的に身に付けられるスキルでもあるのです。 著書の中にもいくつか切り返し方の例を紹介しましたが、いろいろなパターンを覚えて、「これは先週のケースで使えたな」「こういう切り返し方はあの人だったらアリだな」とイメージしながら検証し、できればこっそり口に出したりして練習してみましょう。 心がけたいのは、気持ちでキレても、言葉でキレないこと。怒りの感情から、相手を追い詰めてしまうような言い方をしてしまうことがありますが、追い詰めるような言い方をすると、伝えたい本質が伝わらず、むしろ関係がこじれ、より面倒な事態を招いてしまいかねません。言い返すにしても、会話の中に相手にも自分にも落ち着いて考える余裕をつくる必要があると思います。2019年11月6日 中野信子氏(撮影・池田昇) 客観的に見て、自分に非がないと思ったら、「今日、ちょっといじりがきつくないですか? 何かあったんですか?」などと、茶目っ気がありつつ、余裕を見せるような言い返し方をするのもよいのではないかと思います。 誰も損をせずに不快な気持ちを伝える切り返し方こそ、戦略的なよいキレ方です。相手を傷つけず、きちんと自分の言いたいことを伝え、不当な攻撃から自分を守る。そういう言葉を一つでも多く身に付けたいものです。いろいろなパターンを覚えて、相手の暴言や攻撃的な言動を、ウィットに富んだやり方で返せるようになったら、もっと毎日が楽しいものになるのではないでしょうか。【PROFILE】中野信子(なかの・のぶこ)/1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学工学部応用化学科卒業。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピンに博士研究員として勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに研究や執筆活動を行い、テレビコメンテーターとしても活躍中。現在、東日本国際大学教授。著書は『ヒトは「いじめ」をやめられない』『キレる! 脳科学から見た「メカニズム」「対処法」「活用術」』(小学館)、『サイコパス』(文藝春秋)など多数。

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    吉本パワハラ体質 家父長型からインフラ型へ組織改革が急務

    “闇営業”を行い契約解消となった芸人の宮迫博之(49)らが一転、吉本興業からパワハラを受けたと訴えた問題は、「お笑い帝国」の屋台骨を揺るがす事態にまで発展している。5時間半に及んだ同社の岡本昭彦社長(52)の会見から見えてきたのは、時代にそぐわない家父長主義の企業体質そのものだ。組織論に詳しい同志社大学政策学部教授の太田肇氏が厳しく指摘する。 * * * 吉本興業に所属する芸人と反社会的勢力とのつながりに端を発したスキャンダルは、マスコミや世間の関心が吉本興業の芸人に対するパワハラ問題へ移っていくという思わぬ展開をみせている。「身内の意識で家の中で怒っている感覚しかなかったが、相手にそう感じさせなかった…」 吉本興業の岡本社長が7月22日の会見で語ったこの一言が問題の本質を象徴的に表している。一般企業や教育現場、スポーツの競技団体などでパワハラが告発されたときに、責任者がたびたび口にする「信頼関係があると思っていた」という言い訳とそっくりではないか。 そう、社長が芸人たちを「あの子」と呼び、自分たちは「ファミリー」だと公言する吉本興業こそ、わが国の伝統的な家父長主義の権化なのだ。そして、そこにパワハラを生む構造的な体質がある。 家父長主義の怖いところは、実際にパワハラが行われていても悪いことだという自覚がないことだ。それどころか、むしろ教育や指導の延長として善意で行っている場合が少なくない。そのため客観的に見たら到底許されないような言動が平気で飛び出す。 吉本興業の社長は、芸人に対して「会見したら全員クビや」と言ったのは「父親が息子にもう勘当やみたいな話」で場を和ますためであり、「テープ録ってんちゃうの」との発言は冗談だったと釈明した。しかし、恫喝やパワハラまがいの言動が日常的に行われていたことは、ほぼ間違いないようだ。 また驚くべきことに、会社と芸人との間に正式な契約は交わされていなかったらしい。にもかかわらず問題を起こした芸人に契約解消を言い渡し、風向きが悪くなったらそれを撤回するという行き当たりばったりの対応も「身内」に対する甘えからきているといえよう。さらにいうなら、芸人を「謹慎」させるのも考えてみれば家父長主義そのものである。◆成人したわが子を「子ども扱い」する親と同じ そもそも家父長主義は、その名が表すとおり父の子に対する絶対的な権力と上下関係を擬制したものであり、相手の成熟度と時代背景によっては許される場合があった。まず、相手が人間的に幼く未成熟だということが前提になっている。そして「教育」や「指導」のためなら少々の暴力や暴言が容認された時代があったことも事実だ。 戦前・戦後の時期、多くの会社では右も左もわからない少年少女たちを親代わりとして引き受け、仕事だけでなく生活面も含めて一から教育し、一人前の人間に育てあげてきた。吉本興業でも中卒や高校中退のやんちゃな子どもたちを手塩にかけて芸人、タレントとして独り立ちできるよう育成してきた。今の時代に認められないやり方があったとしても、その功績は認めなければならないだろう。 問題は、相手が成長し、一人前になっても家父長的な関係が続いてきたところにある。50歳に手が届くほどの年齢になり、テレビ界で活躍するようなスターになっても、吉本のなかでは子ども扱いされていたと知って驚いたのは私だけではなかろう。わが子がいくつになっても子離れできない親とまるで同じではないか。 家父長主義は蜜月状態にあるときは居心地がよい。だから、ついつい双方が甘えてしまう。そして、だんだんと支配する側とされる側が互いに相手に依存する「共依存」の関係から抜け出せなくなる。しかも外からは目が届かない密室だ。多くのパワハラやDVはこのような環境の中で起きている。 にもかかわらず、問題の本質が家父長主義そのものにあることにはなかなか気づかないものだ。◆組織の仕組みを変えることが不可欠 吉本興業の社長会見でも今後の対応としてあげられたのは、マネジメントに携わる人をもっと増やすとか、コミュニケーションを良くし、芸人と話し合って理解を得るといった現在の延長線上にあるものばかりである。 だが、それでは抜本的な問題解決にならず、たとえ当面は収まりがついたとしても、ほとぼりが冷めたころには問題が再燃しかねない。また組織に囲い込んだままでは、彼らの能力や可能性を最大限に発揮させることはできない。  社長は「芸人・タレントファースト」を涙で宣言した。しかし、真の芸人ファーストはこれまでのように閉ざされた組織の中で彼らを庇護することではない。必要なのは組織そのものを根本的に作り直す覚悟である。2019年7月22日 闇営業問題について宮迫と田村亮が行った謝罪会見を受け、一連の騒動に関する会見を開いた吉本興業の岡本昭彦社長(撮影・尾崎修二) 出発点として、まず芸人やタレントを大人扱いすること。すなわち彼らは個人事業主であり、社会的にも活躍するプロだと認識しなければならない。従って、上下関係を軸にした家父長型組織は馴染まず、少なくとも彼らが一人前に育った後には、会社と個人が対等なヨコの関係で契約する組織に切り替えるべきである。 私は20年前に上梓した著書『仕事人(しごとじん)と組織』(有斐閣/1999年)の中で、吉本興業も例に挙げながら、芸能事務所にはプロスポーツの組織や大学、法律事務所などと同じように個人に活動の場を提供し、側面からサポートする「インフラ型組織」が相応しいと述べた。分かりやすくいうと従来のピラミッド型組織を逆さにして、主役である芸能人やスポーツ選手、専門職をマネジャーや経営層が支えるといったイメージである。 今回の芸能人による不祥事を受け、コンプライアンスの徹底を理由に家父長主義による管理が一層強化されるとしたら本末転倒である。関連記事■吉本辛辣批判 ハリセンボン春菜に事務所幹部が面談要請■宮迫博之vs吉本興業 この後に待っている「違約金」の綱引き■宮迫博之の息子が芸人になっていた 「将来有望」の評価■ファンキー加藤 宮迫謹慎で「不倫騒動トラウマ再発」の理由■宮迫らに喝、千原ジュニアは「闇営業芸人を軽蔑してる」の評

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    日産の再建に立ちはだかるゴーンより手ごわい「宿縁」

    片山修(経済ジャーナリスト、経営評論家) 果たして、事件は仕組まれた陰謀だったのか。 会社法違反(特別背任)と金融商品取引法違反の罪で起訴された日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告は1月8日午後、逃亡先のレバノンで記者会見し、自らの容疑は「クーデター」によるものだとする持論を展開し、改めて無実を主張した。 ゴーン元会長の逮捕からさかのぼること3年ほど前から、日産と仏ルノー、フランス政府の間はぎくしゃくしていた。ルノー株の15%を持つ大株主であるフランス政府が自国での雇用や生産活動を強化するため、ルノーと日産の経営統合案を画策したのだ。 日産は猛反発した。ゴーン元会長も当初、ルノー・日産のアライアンスは、「ウイン・ウイン」の関係でなければ機能しないとして、フランス政府を牽制(けんせい)した。実際、三菱自動車を加えた3社アライアンスは、資本の論理を優先した提携がことごとく失敗に終わる中、緩やかな連携によって成長を続けてきた数少ない成功例だ。 フランス政府との交渉役を担ったのは、当時、副社長の西川(さいかわ)廣人氏だ。フランス政府から日産の経営には介入しないとの約束を取り付けた。このときの奮闘ぶりを買われて、西川氏は後日、ゴーン元会長から次期社長に推薦されたといわれる。 ところが、フランス政府との「密約」と引き換えにゴーン元会長は変節した。その「密約」とは、2022年までにルノーと日産の統合を進めるという条件のもと、ゴーン元会長のルノー最高経営責任者(CEO)の任期を22年まで延長するという内容だったといわれる。横浜市西区にある日産自動車グローバル本社の外観=2019年10月(古厩正樹撮影) つまり、ゴーン元会長は、自らのルノーCEOの続投を見返りにフランス政府に譲歩したのではないかと報じられている。それこそ、ゴーン元会長の「変節」による一種の単独「クーデター」を仕掛けたといっていい。「クーデター」は「悪事」か それを察知した日産は猛反撃に出る。当時の川口均専務執行役員をリーダーとする秘密の「調査チーム」を立ち上げて、内部調査を進め、東京地検特捜部に内部資料を持ち込んだ。その際、「調査チーム」は特捜部と司法取引に合意し、起訴を見送ってもらう見返りに、捜査に協力したとみられている。 その一方で、日産は18年春ごろから、ルノーとの経営統合案について、経済産業省と協議を始めていたといわれている。日本政府としても、日産とアライアンスメンバーの三菱自がルノーの支配下に置かれることを歓迎するはずがない。 日本経済を支える重要な柱である自動車産業がルノーに吸収されれば、経産省にとって大きな痛手だ。日産と経産省は、ルノーとの経営統合を阻止したいという思惑で一致したとみていいだろう。 日産は、東京地検および経産省と密接な関係を持ちながら、極秘の社内調査を進め、ゴーン元会長の逮捕および解任劇を進めていたと思われる。また、日産経営陣と経産省はがっちり手を組み、ゴーン元会長を追い落とすことでルノーとの統合を阻止しようと計画したと考えられる。つまり、日産によるゴーン元会長に対する「逆クーデター」である。 ゴーン元会長は記者会見の席上、「クーデター」に関与した人物として、西川前社長と川口前副社長のほかに、今津英敏元監査役、経産省出身の豊田正和社外取締役ら5人の実名を挙げた。加えて、実名はレバノン政府に迷惑がかかるとの理由で明かさなかったが、「クーデター」には、日本政府関係者も関わっていたと述べた。 「クーデター」説には、日産が取締役会でゴーン元会長を会長職から解任し、刑事告発するという手順を踏まず、東京地検特捜部が突然逮捕したことがある。手際が良すぎたのは確かである。逃亡先のベイルートで記者会見を開き、合間に記念撮影に応じるカルロス・ゴーン被告(右)=2020年1月8日(ロイター=共同) ゴーン元会長は、「クーデター」をあたかも「悪事」のように主張するが、そんな単純な話ではない。企業では主導権をめぐって争いが起きるのは珍しくない。そして、社内のトップをめぐる人事抗争は、必ず「クーデター」の様相を呈するものだ。したがって、ゴーン元会長による「クーデター」説は説得力がないが、しかし、人事抗争の視点からみれば、確かに「クーデター」説は成り立つ。またも「官」に頼る? 問題は、日産が今、全力を挙げなければいけないのは、毀損(きそん)したブランド価値の回復だということだ。一刻も早く、ゴーン事件を終わりにして、経営再建に集中したいはずだ。売れるクルマをつくり、販売の回復にも努めなければならない。ところが、ことは簡単ではない。 ゴーン元会長は12月31日、代理人を通じて、次のような挑発的な声明文を発表した。「私は裁判から逃れたのではなく、不公平さと政治的な迫害から解き放たれた。ようやくメディアと自由にやりとりできる身になった。来週から始めるつもりだ」 ゴーン元会長は今後も日産経営陣に対する攻撃を続けていくだろう。そうなれば、日産のイメージはさらに傷つき、業績回復の足かせになりかねない。 実際、ゴーン元会長の逮捕後、日産は急速に業績が悪化した。西川氏が社長辞任に追い込まれ、幹部も相次いで会社を去った。12月1日、内田誠社長兼CEO、アシュワニ・グプタ最高執行責任者(COO)、関潤副COOの3氏によるトロイカ体制が発足したが、関副COOは1カ月で辞任を表明した。失態続きで、経営体制の混乱は一向に収まりそうもない。 100年に一度といわれる自動車産業の大変革期の中、経営の停滞は避けなければならない。ゴーン問題の痛手は今後、ボディーブローのように効いてくるだろう。   ゴーン問題は、いつ決着がつくのか。日産は、立ち直ることができるのか。山積する課題を自らの力で乗りこえることができるのか。2019年10月、就任記者会見を終え退席する梶山経産相 一部には、ルノー・日産のアライアンス解消説まで流れている。またしても、その際、「官」に頼るつもりなのか。「自律」を抜きにして、日産の再建はない。

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    吉本芸人がギャグにできない「闇営業」をおしまいにする三原則

    川上和久(国際医療福祉大教授、吉本興業「経営アドバイザリー委員会」座長) 大みそかの風物詩『NHK紅白歌合戦』、坂本冬美の歌唱前に登場したビートたけしをたまたま眺めていたときのことだった。たけし恒例の「表彰状ネタ」で、ちょうど紅白にゲスト出演した際のエピソードに入ったところだ。 「本番で出ていった瞬間に『残り10秒』というカンペを出されてしまい、わたしはそのまま闇営業に行こうかと…」とたけしが口走ると、総合司会の内村光良に「やめてください、生放送です!」と突っ込まれ、会場は笑いに包まれたのである。それだけ「闇営業」という言葉を誰もが知っており、2019年を象徴する言葉であることを印象付けたシーンだった。 恒例の「2019ユーキャン新語・流行語大賞」で、年間大賞には、ラグビーワールドカップの盛り上がりで「ONE TEAM」が輝いた。それでも、トップ10に「計画運休」「軽減税率」「スマイリングシンデレラ/しぶこ」「タピる」「#KuToo」「◯◯ペイ」「免許返納」「令和」と並び、「闇営業」が選出されている。 思えば、吉本興業に所属するタレントは、世相を反映させる数々の流行語を生み出して、新語・流行語大賞の受賞対象となってきた。2008年にエド・はるみの「グ~!」が年間大賞に選ばれたのをはじめ、レイザーラモンHGの「フォーー!」(05年)、楽しんごの「ラブ注入」(11年)、とにかく明るい安村の「安心してください、はいてますよ」(15年)がトップ10に入っている。 「闇営業」という言葉も、それまで国語辞典にも載っていなかった、いわば造語だ。しかし、吉本のタレントが自らの芸を磨きながら創り出し、世間にアピールした言葉ではない。 吉本のタレントによる、週刊誌が暴き出した「不祥事」を象徴する言葉として流行語になったことは、会社としては不名誉な事態であった。2019新語・流行語大賞では「ONE TEAM」が年間大賞を受賞したほか、「闇営業」がトップ10に選ばれた=2019年12月2日(鴨川一也撮影) 発端は2014年12月に、詐欺グループに関わっていた人物が代表を務める団体の忘年会に、吉本のタレントらが参加した様子が、19年6月になって週刊誌に掲載されたことだった。その時点で、親会社の吉本興業ホールディングス(HD)では、当該タレントの処分以外に、こういった問題を今後起こさないためにどうしたらいいか、組織としての対応が検討されていたのも当然の話である。 その延長線上に「経営アドバイザリー委員会」構想が浮上した。そして、私がこの委員会の座長をお引き受けすることになった。三つの優先課題 なぜ、私が座長をお引き受けすることになったか。同社の岡本昭彦社長と旧知であったということもあるが、似たような状況で委員を務めた経験があったからである。 2007年に、第1次安倍晋三内閣で「タウンミーティング問題」が浮上した。小泉純一郎内閣の下で始められた政治対話集会であったが、予算の不適切な使い方や参加者の動員、やらせなど、マスコミによる批判が高まりつつあった。 このときには、当時内閣府副大臣だった林芳正参院議員を委員長とする「タウンミーティング調査委員会」が立ち上げられた。林氏を含む2人の国会議員と、2人の弁護士、そして行政広報の学識経験者として私、この5人の委員で会合を重ね、タウンミーティングの改善を答申した。 今回の事例では、この方式がふさわしいのではないか、という思いがあった。 よく、経営アドバイザリー委員会を第三者委員会に擬する向きもあるが、第三者委員会は外部の人間が特定の不祥事に対して、徹底的にその原因を追及する。経営アドバイザリー委員会は、特定の不祥事ではなく全体として、不祥事が起きないようなシステムづくりを考える、手術の事故の原因究明委員会と、予防医学の違いのように考えればいいだろう。 吉本側から示された諮問事項は、「反社会的勢力との決別」「契約のあり方」「コンプライアンス」「ガバナンス」であり、吉本が健全な企業として発展を遂げていくための不可欠の課題が挙げられていた。委員も、こういった課題を議論するにふさわしい7人が選出された。 その中でおのずと優先順位が定められた。第一の優先課題とされたのが「反社勢力との決別」である。闇営業という言葉が端的に示すように、今回の騒動のそもそもの発端は、タレントが吉本に断りなく、詐欺集団と関わっていたことから始まっている。2019年7月、「闇営業」問題など一連の騒動に関する会見で、涙をぬぐった吉本興業の岡本昭彦社長(尾崎修二撮影) だが、コトはそう簡単ではない。吉本が企業などと取引する際には、相手先の企業が反社勢力と関わりがないか、属性調査を行っている。上場企業ではきちんと行っているが、吉本は上場企業から非上場となってからもこの属性調査を徹底して行っていた。 一方で、吉本のタレントが無届けで仕事を請け負ってしまえば、属性調査のやりようもない。ルールと報酬の「透明化」 そこでまず、タレントが自分で直接仕事を請け負うことを「直営業」とした。結果的に反社勢力と関わる直営業は闇営業であって、より幅広い意味で直営業という言葉を用いることにしたのである。 そして、直営業の場合にはルールを設け、報酬の有無にかかわらず届け出る形を取ることが望ましいとした。吉本側の属性調査は膨大になるが、これによってある程度タレントを守ることができる。届け出ることで、より適切な税務申告の方法を指導できるわけだ。 また、仕事以外でも反社勢力に接触してしまう場合もある。タレントには「反社勢力とは関わらない」という意識を、コンプライアンス研修を充実・強化するなどでしっかり持ってもらうことが肝要となる。 しかも反社勢力は、政府自体が「定義が難しい」としているように、半グレや詐欺集団など多岐にわたる。会社もタレントも、「怪しい臭い」に敏感になることが求められる。委員会の中では、マネジャーをはじめとする現場がそういった感覚を研ぎ澄ませたり、従来あるホットラインを充実・強化したり、メンタルケアを手厚くすることなども議論された。 第二の優先課題は「契約の見直し」だ。直営業などでルールを作る以上、ルールを守る、破ったらペナルティーを科すことも必要になる。 だがこれまでは、口頭契約(諾成契約)で「こういったことを守らなければこういうペナルティー」ということも明確でない部分があった。それについては、吉本のタレントと、最低限「所属覚書」という形で、反社勢力との関わりを持たないなど、守らなければならないルールをいくつか明確化した。 吉本が社会から評価される企業であるために、「タレントが反社勢力と関わりを持たない」という意識を徹底させる端緒になったのではないかと思っている。2019年7月、「闇営業」問題などについての記者会見を終え、頭を下げる雨上がり決死隊の宮迫博之(左)とロンドンブーツ1号2号の田村亮 契約についても、吉本は膨大なタレントを抱え、その中から「M-1グランプリ」を制覇して売れっ子になっていくタレントもいれば、アルバイトをしながら劇場出演が年間数回にとどまるタレントもいる。そこで、それぞれのニーズに合わせて「専属エージェント契約」「専属マネジメント契約」「所属覚書」という形で契約を交わす。 報酬についても従前よりも透明化し、テレビ出演であれば、テレビ局から支払われた額と、その中から自分の取り分がどれだけあるか、ということが明確になるような方向性をアドバイスした。透明化されることで、タレントにとっては、自分自身の評価が明確になるわけだ。「ピンチはチャンス」 どんな組織でもそうだが、制度としては設けていても、それを守ろうとする人の「思い」がなければ、制度が機能しているとは言えない。 第三の優先課題は、直営業にしても反社勢力との決別にしても、「設けたルールを守ろうとする意識を醸成していく」ことだ。その意味では、従前からコンプライアンス研修を行っていたが、コンプライアンスの順守が企業を守り、ひいては自分自身のタレントとしてのパフォーマンスを発揮できる基礎になることを一人一人が理解し、納得しなければならない。 今回の不祥事で、「流行語大賞」でトップ10に入ったレイザーラモンHGは謹慎、楽しんごは契約解除となった。芸人の世界は浮き沈みが激しいと言われる。それでも、委員会の発言の中で印象的だった言葉がある。「知識を意識にしていくことが大事だ」という言葉だ。 タレントは企業の社員とは違う。自らよって立ちながら、パフォーマンスを発揮して社会的評価を得ることで、吉本という企業とも「WIN-WIN」の関係を構築することができる。そのために最低限必要なことは何なのか、見失いがちだったことから今回の事件が起きたと言えよう。 12月20日、経営アドバイザリー委は中間とりまとめを行うことができた。優先課題として取り上げた点以外にも、諮問されたガバナンスの問題など4回の委員会を開催して闊達(かったつ)な議論を行い、2019年の区切りに、まずはこれからなすべきことについて一定の方向を示すことができたと思っている。ご関心のある向きには、同社のホームページにも掲載されているのでぜひご覧いただきたい。 この中間とりまとめに対し、吉本HDの大崎洋会長と岡本社長の連名によるコメントも頂戴している。2019年12月20日、吉本興業の経営アドバイザリー委員会の中間とりまとめ報告をした川上和久座長 不名誉な週刊誌報道で流行語大賞にノミネートされるのは、これで終わりにしなければならない。そのために経営アドバイザリー委員会があったのだから。タレントが自らの創意工夫で最大限のパフォーマンスを発揮し、今年の流行語大賞でも旋風(せんぷう)を巻き起こしてもらいたい。 吉本興業は、笑いを基軸としてエンターテインメントを世間に提供しながらも、さらに幅広い飛躍を目指している。そのためには、今回のことだけでなく、さまざまな問題が起きた際に、単にその問題を解決するだけでは済まない。 問題の背景を読み取ることで、ピンチをチャンスにし、発展につなげていく強靱(きょうじん)なガバナンスが求められているといえよう。

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    マイケル・カービー手記「断種強いる性同一性障害特例法は非情」

    マイケル・カービー(元オーストラリア最高裁判事) 法の目的とは、人を保護し、公正な原則に従って社会を成り立たせることにあります。こうした観点から見れば、日本の性同一性障害特例法は、人を保護せず、かつ不公正といえます。人に断種(生殖腺除去)を強制するこの仕組みを継続する何らの理由もなく、同法はただちに改正されるべきです。同法が改正されない限り、日本が他国の後塵を拝する状況は変わりません。 日本が2004年に性別認定(戸籍上の性別変更)に関する法律を制定したことは、日本政府によるジェンダーとセクシュアリティの問題への対処をめぐる大きな転換点でした。 確かに当時、ドイツやオランダ、私の母国のオーストラリアなど日本の主要な友好国や貿易相手国はすべて、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)の法律上の性別を認める条件として断種を定めていました。 その後、今挙げた各国政府はすべて、またアルゼンチンからネパールまで数十カ国の政府が、手術を法律上の性別認定の条件から外す法律を制定しました。こうした新たな法的体制のもとで、トランスジェンダーは生き生きと生活できるようになり、社会はトランスジェンダーというマイノリティ(少数者)グループに与えられた自由と尊敬の拡大によって利益を得ています。 近年、世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会(WPATH)、健康と拷問に関する国連特別報告者、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際組織は、日本政府に対し、現行の戸籍上の性別の変更の手続きを改める必要があると指摘しています。マイケル・カービー氏(斎藤浩一撮影) 世界保健機関(WHO)も、何人も法律で断種を強制・強要されるべきでないと、この立場を支持しています。東京レインボープライド共同代表理事でフェンシング元女子日本代表の杉山文野氏ら、日本のトランスジェンダー活動家たちは、今夏の東京五輪・パラリンピックが、日本の人権状況に注目を集めると指摘しています。そして性同一性障害特例法は、依然としてそこに影を落とすものなのです。 数年前、私が香港で法律とトランスジェンダーに関する国連の専門家会議に出席したときのことです。主催者は風変わりなことをしました。政治家と人権専門家からなる会合に、ベルギーで最も権威のある外科医を招待したのです。社会にあるまじき その外科医は、医師の常として「修正手術(correctional surgery)」の写真スライドを持ってやって来ました。そしてその写真は、性別適合手術が、いかに侵襲性が高いかを物語るものでした。そして、トランスジェンダーの多くが望んでいるのが新しいパスポートや身分証明証であるにもかかわらず、手術を望まない人にまでこの手術を強いることが、あまりにも不均衡であるかをも示していました。 最終的に、当時香港議会で提案されていた法律は撤回されました。性別適合手術を望まない人にもこの手術を要件とすべきだという多くの人がいますが、その人々は性別適合手術のスライドを見るべきです。そして、自らが何者たるかを知り、それを証明するのに侵襲的な手術は不要だと考える同じ人間に対し、いったい何を要求しているのか、しっかりと考えるべきです。 実際、社会の繁栄はより多くの人々が認められ、包摂され、保護されることでもたらされます。人としての基本的権利を得る要件として、誰に対してであれ、侵襲的かつ不可逆的な手術を要求することは、個人を辱めることであり、社会にあるまじきことです。 こうした状況は、性的少数者(LGBT)か否かにかかわらず、すべての若者に対し、トランスジェンダーは、他の人々とかけ離れているので、基本的な権利を付与されるためには医学的に「修正」される必要があると、教えていることになります。 国連人権理事会の「普遍的定期的審査」(UPR)で2017年、日本はニュージーランドの「性同一性障害特例法の改正を含む、性的指向と性同一性による差別に対処する措置を講じるべき」との勧告を受け入れています。この約束を行動に移すときです。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) トランスジェンダーには、手術を望む人も、そうでない人もいます。政府の責任とは、この手術という極めて重要な事柄が、法による強制ではなく、本人の選択によるものとすることにこそあります。日本もこうした法改正の列に加わり、トランスジェンダーへの強制的な断種を過去のものにするべきときではないでしょうか。

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    江藤淳の遺言に今、耳を傾けよ 「人が死ぬ如く国も滅ぶ」

     江藤淳が自死してから20年になる。戦後を代表する文芸評論家であり、保守論客であった氏は、戦後の民主主義の欺瞞と閉された言語空間を批判した。氏の言葉は今日の日本に至要な訓戒として響いている。文芸評論家の富岡幸一郎氏が、改めて江藤の“遺言”の意味を解説する。* * * 江藤淳が亡くなって、本年で二十年の歳月が経つ。没後十年の平成二十一年、本誌で特集を組み筆者も原稿を寄せたが、その文章の冒頭に次のように書いた。「もしあの人物が健在であれば、日本と世界の情勢についてどんな発言をしてくれるのだろうか、と期待せずにはおられない論客、それが江藤淳にほかならない」と。 平成の世の終焉に際し思い起こすのは、三十年前、昭和天皇の崩御と平成改元の直後に筆者がインタビューしたときの江藤淳の言葉である。「人が死ぬ如く国も亡ぶのであり、何時でもそれは起こりうる」。 平成六年には『日本よ、亡びるのか』という表題の本も刊行しているが、今日の日本の現状を見れば、“亡国”という不吉な言葉がにわかにリアリティーを帯びてくるのである。外国人(移民)労働者の受け入れ拡大は労働力の問題である以上に、国のかたちを変えるものであるが、政府・与党はただ法案成立を急ぎ、憲法改正という国家の基盤的問題はまた先送りされつつある。 米中の新冷戦時代に突入しながら改憲や国防の課題を、政府も国民も他人事めいたことにしている。江藤淳は、竹下・宇野・海部・宮沢、そして細川内閣辞任へとめまぐるしく交代する政治のありさまを「百鬼夜行の平成政治」と批判し、「平成日本はいつ滅びるかわからない。ますます滅びそうだと思っている」といったが、民主党政権の三年余で文字通り亡国の淵にまでいった日本は、安倍晋三の再登場によって“一強”政治などと称されながらも、その内実たるや新自由主義の妖怪を跋扈させるばかりであった。 江藤淳がもし健在であれば、言下に日本は「ますます滅び」つつあると断ずるであろう。なぜなら、江藤淳がその後半生を賭して探究した「戦後史」の呪縛から日本人は七十有余年も経ても、少しも脱却できていない、いやむしろ自ら進んでアメリカという超大国への幻想的依存を深めることで、真に自立した国家としての道を歩むことを放棄する、自己欺瞞に陥ってきたからである。評論家の江藤淳さん=1999年7月撮影萎縮する「日本の言語空間」 江藤淳は昭和五十三年を起点に米国の占領政策の実態を一次資料から改めてさぐり、戦後の日本人が「閉された言語空間」に置かれてきたことをあきらかにした。GHQによる検閲や戦後憲法の制定のプロセスなどの歴史的な検証がその仕事の中心となっていたが、重要なのはそれは決して過去の歴史研究ではなく、今ここに現前している日本と日本人の「自由」と「生存」の根本的な問題として在り続けていることだ。『閉された言語空間』(平成元年)で江藤淳は占領下における米国の検閲が「眼に見えない戦争」すなわち日本の「文化」と「思想」にたいする殲滅戦であり、占領が終了した後も現在に至るまで、日本人がこの戦後「体制」を改めようとせずにきた事実を鋭く指摘した。萎縮し続ける「日本語」 なぜ、改めようとしないのか。それはこの「体制」によって「利得の構造」を保持してきた政治・教育・文化の“戦後利得者”たちが、今日に至るまでマスコミ、ジャーナリズムの主流を占めてきたからである。 この構造は保守派であろうが左翼リベラルであろうが、体制側であろうが反体制側であろうが同じである。冷戦構造が崩壊して三十年を経てもそれは全く変わっていない。いや、むしろ江藤淳が当時厳しく糾弾した「日本を日本ではない国」にすることで利益をむさぼっている“利得者”たちは、グローバリズムと新自由主義政策の拡大のなかで、新たな「階級」として白蟻のように増殖し、日本社会のその骨格を蝕んでいる。 自由貿易の名のもとに国内の産業を破壊しつくし、アベノミクスは脱デフレを標榜しながら国内の賃金低下をもたらし、あげくの果てに欧州ではすでに惨憺たる結果となった「移民」労働力の受け入れを急ごうとする。 戦後レジームにおいて左右の政治勢力として対立してきた“利得者”たちは、イデオロギーの仮面を脱いで、経済効率主義の名目のもとに、今この国の破壊にいそしんでいるのだ。江藤淳は『閉された言語空間』においてこう指摘した。「(占領軍による徹底した検閲は)言葉のパラダイムの逆転であり、そのことをもってするアイデンティティの破壊である。以後四年間にわたるCCD(占領軍民間検閲支隊)の検閲が一貫して意図したのは、まさにこのことにほかならなかった。それは、換言すれば「邪悪」な日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらにいえば日本を日本ではない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企てであった」「日本」は今やまさにグローバル企業に席巻される「一地域」に変貌しようとしている。それは日本人が「日本人以外」の「何者か」になりつつあるからだが、その淵源は戦後のわれわれが日本人の「歴史」と「文化」と「思想」に根ざした言語空間を喪失しつづけてきたからに他ならない。強大な権力を背景に、戦後日本の民主化政策を推し進めた連合軍総指令部(GHQ)が入る東京・日比谷の第一生命館=1951年6月30日 GHQによる占領下の検閲の延長に、自己検閲の罠から脱却することもせず、むしろそこに従属し安住することで、アメリカニズムを「自由」「平和」「民主主義」と言い換えてきたからである。 江藤淳はCCDの言論検閲が戦後日本の言語空間を拘束しつづけ、そこから日本人の「歴史への信頼」の「内部崩壊」が地滑り的に起こり、深刻化していることを詳細に指摘したが、今日のニッポン語「コンプライアンス」「……ハラスメント」「LGBT」etc.を見るまでもなく、日本語は刻々と萎縮しつづけて止むことがないのである。対米従属は政治・外交上の問題、さらには国防の問題というよりは、その核心にあるのはむしろ言語・日本語という文化的根源の危機なのではないか。「今日の日本に、あるいは“平和”もあり、“民主主義”も“国民主権”もあるといってもいいのかも知れない。しかし、今日の日本に、“自由”は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然の儘にあらしめ、息づかしめよ。このことが実現できない言語空間に、“自由”はあり得ないからである」(『閉された言語空間』)亡国での皇統持続とは何か亡国での皇統持続とは何か 平成元年二月十六日に江藤淳に長時間のインタビューをした。筆者とそれ以前に行なった二回の対談とともに『離脱と回帰と昭和文学の時空間』という対談集としてまとめた。 そこで江藤淳が昭和天皇への深い敬愛と、天皇という存在が世俗的空間をこえた聖なるものであることをとりわけ強調していたことが、今も印象に残っている。崩御の日、皇居前に集い記帳した多くの日本人の姿は、「天皇制」などというコミンテルンの用語(戦後は占領軍当局が共産党のこの用語をそのまま採用し広めた)ではなく、日本文化の本質たる皇統の顕現、昭和帝が天皇として戦前・戦後を生きられたことを何よりも物語っていると江藤淳は指摘した。そして皇統が維持されてきたことの重要さを次のように語った。「僕は百二十五代、皇統が続いているということの意味で、大嘗祭もあまり形式的に考える必要はないという意見なんです。もちろん大嘗祭は、日本がこれだけの繁栄に浴している時代に、皇位継承に伴う諸行事が滞りなく行われない理由は何もないから、当然行われるでしょう。 それで名実ともに新帝は即位されて、皇統を持続されるだろうと思いますけれどね。過去に皇統が持続してきた間に、大嘗祭が行われなかった例もあります。そうであってもなおかつ皇統は持続してきている。(中略)皇室を廃するということを、日本人は一度もしなかった。(中略)この歴史的事実をわれわれは心の支えにしていくほかないと思うのです」 江藤淳には『昭和の文人』という名著があり、昭和天皇の崩御の折に「字余りのお歌」という一文で、「我ハ先帝ノ遺臣ニシテ新朝ノ逸民」という言葉も記していた。自らも昭和という時代と人生を共にしてきたとの感慨であろう。昭和が終わり平成となり、その平成の三十年も今終わろうとしている。皇統の歴史も新たな時代をむかえる。1946年2月、戦後の全国巡幸が始まり、戦災者が住む横浜市を訪れた昭和天皇 しかし「日本」が「日本ではない国」となれば、そもそも皇統の持続とは何か。江藤淳が警鐘を鳴らしたように、日本人が自らの歴史と伝統を語りうる言葉を回復しないかぎり、主体的な自由な言語空間を取り戻さなければ、日本と日本人は真に自立しえないであろう。それどころか、遠からずして亡国もありうるのである。【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京都生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。著書に『虚妄の「戦後」』(論創社)、『西部邁 日本人への警告』(共著、イースト・プレス)などがある。関連記事■石原慎太郎氏が産経新聞に怒りの「絶筆宣言」の真相■角居勝彦調教師 競走馬にとって2着は意味があることなのか■「すっぽん刑事」が明かす、いい泥棒と悪い泥棒の違い■戦後の矛盾に気付き冷戦後の迷走も予測 甦る山本七平の言葉■中国訪問、結婚、日韓W杯…「今上陛下のお言葉」を振り返る

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    戦後の矛盾に気付き冷戦後の迷走も予測 甦る山本七平の言葉

     東京都「築地移転問題」にせよ、東芝「巨額損失」問題にせよ、組織の迷走が昨今目につく。組織を動かすのはリーダーシップではなく、こうあってほしい、こうなるだろうという「空気」。責任の所在を問おうにも問えない。 これを日本人特有の問題として摘出したのが思想家・山本七平だ。キリスト教一家に生まれ、フィリピンで終戦を迎え、戦後、防衛庁前で小さな書店を営んだ。その男が数十年前に警鐘を鳴らした「言葉」は古びるどころか、いっそうの危機感を伴い、我々に気づきを与える。文芸評論家の富岡幸一郎氏が、山本七平について語る。* * * 確かに、そろそろ山本七平に立ち返るべき時がきたのかもしれない。その理由としてまず、「アメリカ・ファースト」を主張するトランプ政権をはじめ、現在、世界的にポピュリズムが盛り上がりを見せていることが挙げられよう。 ポピュリズムとは大衆迎合主義であり、庶民の常識を政治に反映するものである。現在では、より所得の低い人たちが特権階級の富裕層を批判するものとなっている。欧米は移民問題に直面し、イギリスがEU離脱を決めたのはその象徴だ。山本七平氏 しかし、日本における先の舛添バッシングなどの同調圧力を「ポピュリズム」と言えるかは疑問である。世界的なポピュリズムの動きとは異なり、日本では独特の精神を反映した「ポピュラリズム(人気主義)」なのではないだろうか。 それはすなわち、かつて山本七平が言った日本人特有の宗教風土、文化精神に根ざす“空気”が濃密に現れた結果であり、それを正確に表す言葉がないために、とりあえず「ポピュリズム」としていると言ってもよい。我々は、その空気の正体を見極めなければならない。 もう一つの理由として、20世紀後半の冷戦崩壊後、新たな「文明の衝突」が起こっている。それまでの共産主義と自由主義といったイデオロギーの対立ではない。ISの連続テロ、またはトランプ政権によるイスラム教徒の入国拒否騒動を持ち出すまでもなく、宗教が前面に出た衝突である。 これら宗教は「一神教」であり、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3つである。そしてこの3つの源流は旧約聖書にある。ところが、旧約聖書となると日本人には皆目分からない。日本人は歴史的に、一神教の成り立ちや構造、信仰の深さを理解できない。 一神教には常に神という絶対者が存在する。そのため、すべては相対化される。日本は多神教、汎神論的な世界であるため、相対というものがない。逆に言えば、絶対の対象となるものが無数にある。その対象が次から次へと変わる特殊な構造を持っているためにどうしても一神教的世界観を理解することができず、世界史からズレてしまうのだ。 その点、山本七平は若い頃にキリスト教の洗礼を受けており、原点に宗教というものがあった。しかも、どこかの教会や神学に属しているのではなく、日本人としてそれを学び、かつ考え抜いた人なのだ。だから山本著作を読むと、世界とのズレが顕在化する。行間を読む民族行間を読む民族 そして、そのズレを覆い隠せない時代がきている。日本は冷戦構造の中、アメリカの軍事力の下で高度成長を遂げてきた。これは極めて特殊なもので、冷戦崩壊とともに終焉を迎えた。しかし戦後70年が過ぎた今も、安倍首相はトランプ大統領のところに出向き、日米同盟が非常に大事だと説く。既に失われた冷戦構造という“空気”に日本人は未だとらわれている。 もう一つ、現在自衛隊を認める人は約9割。ところが憲法第9条の改正を求めるのは6割程度と不思議な状況となっている。これについても山本七平の思考に当てはめてみよう。一神教では神と人間の契約である「法」が最も重要となる。そこでは「はじめに言葉ありき」というように言葉の重みが大きい。 これに対し日本人は言外、行間を読むことを良しとする。真意は言葉の外にあることも多い。日本人にとっては、「法」も重要だが、「法の外」にあるものも重要な場合があるのだ。まさに自衛隊は法の外にある。 冷戦時はそれでも十分に通用した。しかし現在の世界情勢では、法の外のままではいられなくなってきているのはご承知の通りだ。諸刃の剣 山本七平を改めて読むと、今のいわゆる保守派の日本文化論の幅が狭くなってきていることに気付く。一般的に山本は保守派として知られているが、現在の保守派の中には全く受け付けない人間も出てくるだろう。本質を突く山本の言葉は、諸刃の剣となるが、それこそが思想家としての面白さなのだ。 今なら天皇の譲位問題のことも、山本に聞いてみたい。きっと皇室典範の改正を主張するのではないかな。特措法は「法の外」であるからだ。しかし改正となると「天皇とは何か?」という根本から議論しなければならない。山本の視点であれば、そうなるはずだ。 山本七平は一種の預言者であると考えている。未来を予測する予言ではなく、神の言葉を預かる者。大いなる何かから言葉を預かり、それを語る。その預言は、やはり日本人への預言であったのではないかと感じる。彼が遺した多種多様な著作は、現在だからこそそこに通底する深い意味が見えてくるのではないだろうか。【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。在学中に執筆した「意識の暗室―埴谷雄高と三島由紀夫」で、「群像」新人賞評論優秀作を受賞、文芸評論活動に入る。関東学院大学文学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。◆取材・構成/大木信景、浅井秀彦、原田美紗(以上、HEW)、清水典之関連記事■山本七平 「日本人とは何か」を探求し続けた70年■『ファースト・マン』ライアン・ゴズリング Interview!■小池知事から岡ちゃんまで 山本七平学の「継承者」たち■ダライ・ラマ トランプ大統領を道徳心が足りぬと批判■ライアンとチャゼル監督の最強タッグ来日!『ファースト・マン』来日記念イベント

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    大人たちの「完璧主義」がニッポンの子供を追い詰める

    リングダール裕子(ベルゲン大常勤講師) 子供が親に虐待され、殺される事件が後を絶たない。心が張り裂けるようである。驚くべきことに、今年1月に起きた千葉県野田市の小4女児死亡事件では、加害者である当の父親は、職場で温厚な人として一同から好かれていたという。これはいったい何を意味しているのだろうか。 日本の子供は両親に従い、学校では教師に、そして社会のルールに従うことを徹底的に教え込まれる。確かに、始業時間を厳守することが、交通事故に気をつけるよりも大事であるような雰囲気があると、ある小学校の教師から聞いたことがある。そんな教育環境で育った子供が大人になって、日本の社会を築いていくのだ。 私の住むノルウェー西部ベルゲン市のある高校では、日本の高校と姉妹校になっており、年に一度学校を相互訪問している。ある年、日本から来た高校生がこちらの高校を訪問し、日本の学校などの紹介をする際に、メモを見ながら発表していた。 ところが暗記せずに臨んだことで、その生徒は日本側の教師から怒鳴られたそうだ。その光景を目の当たりにしたベルゲンの高校生はショックを受けてしまった。 怒鳴られた理由も全く理解できなかったし、メモを見ながら発表することがなぜいけないのか、全く腑に落ちなかった。また、日本の高校生たちは常に教師の目を気にしており、不安な様子を見せていたという。 ノルウェーの学校でも、メモなどを見ずに発表することを生徒に要求する教師がいることは確かだ。特に試験の際には、メモを見ながらであれば成績に響く、ということは生徒自身も理解している。虐待で亡くなった小4女児の自宅前に手向けられた花束=2019年2月、千葉県野田市 だからといって、国際交流の場でメモを見ながら発表して、注意されることはまずない。もし注意しなければならない場合でも、外国からの招待生徒の目の前では決してなく、後で当の生徒と2人きりの場所で、穏やかに行うのが普通だ。 そもそも、日常の学校内で教師が生徒を叱りつけることはしない。常に穏やかな調子で生徒を指導しているため、生徒たちが教師の目を気にして始終怯えることはあり得ない。社会に出ても叱られる 日本では前述した通り、目上の者に従順で、また完全な行為をすることを良しとする教育環境で育っていく。だから、親や教師の叱責は日常茶飯事である。 大人になると今度は上司や客などから叱責を受け、社会に出ても叱られる環境から抜け出すことができない。私もノルウェーで日本人観光客のガイドをしていたときに、小さなミスを犯したことで添乗員から叱責され、非常に不愉快な思いをしたことがある。 人間は不完全であり、多少の間違いを犯すことは普通であるはずだ。それなのに、日本人がなぜこれほどまでに完全さを求めるのか、不思議でならない。 運動会などの組体操が事故多発で問題になっているのも、完全を求める日本人の意識が背後にあることが一因ではないだろうか。組体操が立派に成功すれば、保護者をはじめ、教育関係者などから多くの支持や称賛を受けられる。だが、子供たちに対する危険な行為の強制は続き、事故のリスクも一向に減らないだろう。 ノルウェーでは、完全さを要求するのではなく、不完全さを受け入れられる土台がある。そのおかげで子供たちはゆとりを持ち、お互いの不完全さを受容しながら健やかに育っていくことができる。同時に、18歳未満の子供たちの人権を保障する国際児童基金(ユニセフ)の「子どもの権利条約」を重視するため、児童や生徒たちに対して、学校が危険な行為を強制することはない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ノルウェーでの例をいくつか挙げてみよう。ある小学校の教師に日本の道徳教材の話をしたところ、興味を持ってくれたので、同じ内容の教材をノルウェー語に訳して、ノルウェーの子供がどのように答えるか試してみることになった。教材に使った物語の概要は次の通りだ(子供の名前は仮に付けている)。 小学校の児童2人が、買い物をしにバスで街に向かった。下車の際に子供の1人、「宏くん」がお金を忘れたことに気付く。友だちの「亮くん」に貸してと頼んだが、母親に貸してはいけないと言われているために、貸してもらえなかった。ところが運転手は、誰かに借りて絶対に支払わなければいけないといい、宏くんはパニックになって泣き出した。すると乗客の1人が近づき、忘れ物をした宏くんに怒りながらも支払いをしてくれた。バスを降りると、宏くんのポケットにお金が入っているのが見つかった。不完全を受け入れられる「土台」 この話を使って日本の学校では、責任を問う。研究のために訪問した学校のある小学6年生のクラスでは、1人を除いてクラス全員がお金を忘れた宏くんに責任があり、亮くんも2人の大人も悪くないという結果になった。 もちろん、授業の進め方はノルウェーでも各人によるが、ある教師に話を聞くと、教師としての個人意見を述べるよりも、児童たちに自由に話し合いをさせたり問題提起したりすることで、児童たちが深く考える機会を作らせることに心を砕くだろうということだった。話し合いをさせているうちに、教師がなるほどと気づくこともあるかもしれないし、同時に児童たちが他の人の意見も聞くということを学べるだろうという理由からだった。 そうして出したノルウェーの子供たちの答えは、同じ小6であっても、日本の児童と大きな違いがあった。忘れ物はいけないし、宏くんはポケットをよく調べるべきだったが、他の3人にも責任があるというのが圧倒的多数を占めたのだ。 亮くんは友達なのに冷たいし、運転手も融通がきかないという感想だった。その上で、支払いをした乗客と同じく、相手は子供であることを考慮すべきだったと指摘したのだ。 教師の対応も、まず公平にそれぞれの子供たちの意見を聞くことに努めている。たとえ日本の子供のように「宏くんが一番悪い」といった多数派と違った意見であっても、あえてそれを直そうとはせず、そのまま受け入れていくのである。 不完全さを受け入れられる「土台」は、何も教育だけにある話ではない。ベルゲン市内で、子供向けの手作り人形劇をボランティアで続けている知人がいる。手作りだけあって、劇が行われる幼稚園や地域の集会所では、子供から大人まで誰もが人形作りに参加できる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 彼の作る人形も決して高度な技術を使うこともないので、多少のゆがみも左右非対称も気にしない。材料にしても、古新聞やトイレットペーパーの芯なども使い、素朴で温かみがある。舞台装置も大きな段ボールを切り抜いて作ったものだ。 劇を披露する段になれば、舞台を裏から支える役回りを、見学者が名乗り出て引き受けてくれる。こうして、人形劇の場から、高齢者から子供までお茶を飲みながら楽しく談話でき、子供連れの家族もゆったりと日曜日の午後を過ごす土壌が生まれるのである。完璧を求める大人たち ノルウェーでも専門家が素晴らしい人形劇を各地で行っているが、なぜ彼の作るような素朴な劇も受け入れられるのだろうか。それは、子供たちが自分にも作れるという自信が湧き、想像力を働かせて、発達過程における子供自身の成長と教育に役立つからだそうだ。材料も家庭で普段使うものだから、さほど苦労もせずに見つけることができる。 クリスマスが近づくと、欧米ではジンジャー・ブレッド(生姜入り菓子)を焼いて、それで家を作って盛り上げるのが定番だ。ベルゲンでもクリスマスの1カ月前から、毎年恒例のジンジャー・ブレッドでできたベルゲンの街が展示されるが、開催前に市民の作ったジンジャー・ブレッドの家を公募している。 選ばれた中には本格的で立派な家もあるが、私と幼少期だった息子と作ったささやかな家も展示されたこともあった。こうして、個人から幼稚園、学校など誰でも自由に作った作品が街に飾られるのである。 他にも多くの例がある。公共交通機関で遅れが出ても、多少のロスは誰も気にしないし、横断歩道などは日本のように完璧な白線を引いてあるとは限らない。多くのノルウェー人にとっては、線が何を示しているか分かれば十分であり、多少の歪みがあっても問題はないのだ。 ところが日本では、あらゆる場面で完璧を求められる。日本の鉄道では、運転手がトイレに行く時間もなく、乗務員は常に時間厳守を強いられている。懲罰的な運転士教育や過密ダイヤが問題視された2005年の尼崎JR脱線事故を覚えている人も多いだろう。 学校でも、子供たちの行為が一点の曇りもないように指導し、一般教師はおろか、学校教育に携わるリーダーたちも子供の権利に関する知識に乏しく、かえって強制行為を正当化していることは先述した通りだ。ノルウェー・ベルゲンのクリスマス風景(ゲッティイメージズ) このように、日本人は学校や職場では、教師や上司から叱責や処罰を受けないように、完全を目指して最大限の努力を払う。ただ、自宅に戻れば、逆に憂さ晴らしができるようになっている。 このような環境では、不幸な事件が連続するだけである。多少の間違いは大目に見ること、また多少の「乱れ」も受け入れることが、日本に真のゆとりある社会を形成するにあたり、重要ではないだろうか。

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    グレタ現象を盛り上げる「最強のアンチ」はもう一人いる

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさんの話題が世界中で沸騰している。米誌タイムが「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に彼女を選出したことでもわかるように、「グレタ現象」はともかく賛否を超えた話題だった。 ただタイムの読者投票では、香港の「抗議者たち」が断然トップだっただけに、グレタさんの選出はタイム編集側の意向が色濃く出ているのだろう。その意向が中国政府への「忖度(そんたく)」だったかどうか、考えるに値する問題ではある。 ところで、なぜグレタ現象が発生したのだろうか。二つの要因が挙げられるだろう。 一つは、コアなファン層のゲットに成功したこと、そしてビックネームの「アンチ」が存在していることだろう。この点について、筆者は日本のアイドル論を援用した方が理解しやすいと思っている。 現代のアイドルは、ツイッターやユーチューブといった会員制交流サイト(SNS)を通して、自分の行動だけでなく私生活までも事実上商品化している。また、SNS上で自分が成長段階にあること(拙い歌やダンス、トーク技術など)を強調することで、ファンと連帯感情を生み出している。 アイドルの成長を見守り応援しつつ、自らとアイドルの人生を重ね合わせて一体化していく。これが現代アイドルの「成長物語の消費」の在り方である。COP25の会場で開かれたイベントで演説するグレタ・トゥンベリさん=2019年12月、マドリード(共同) また、現代のアイドルはSNSを利用するとともに、ライブや握手会などで実際に「会いに行ける」存在だ。この「会いに行ける」親密さも、ファンがアイドルに感情移入しやすい構図を生み出す。グレタさんの「最優先活動」 これらの「成長物語」を共有したコアなファン層が文字通り中心に位置しながら、雑誌やテレビ、新聞のような旧来メディアが頻繁に取り上げるようになれば、いよいよ「国民的アイドル」の必要条件を満たしてくる。ただし、コアなファンを手堅く確保し続ける必要があるので、従来型の「会いにいけるアイドル」、つまりライブ重視や成長物語の継続は重要なアピールポイントである。 グレタ現象を支える二つのキーと思えるもののうち、コアなファン層形成に彼女は大きく成功している。グレタさんは、9月に国連本部で行われる「気候行動サミット」に合わせた、積極的な地球温暖化対策を求める若者たちの抗議活動「グローバル気候マーチ」に米ニューヨークで参加した。主催団体によると、参加者は163カ国・地域で400万人以上だったという。 この環境運動ストライキの象徴はもちろんグレタさんであった。ただ、この段階では、既にマスメディアでグレタさんの活動が頻繁に紹介されていたので、本当のコアなファン層の実数を把握できない。 ただし、「ライブ=デモ」に今後も参加することが、彼女がどんなに多忙であっても最優先の活動になるだろう。なぜなら、コアなファン層獲得には「会いに行ける」ことが極めて重要だからだ。 アイドルの場合では、コアなファンたちがアイドルのおススメするグッズや関連商品を買ったり、発言の影響でライフスタイルまでまねることが多い。グレタさんは、飛行機による移動が環境に負荷を与えるとして、ヨットや鉄道での移動を好む。 スウェーデン語で「flygskam(フリュグスカム)」と言われ、日本の一部メディアが「飛び恥」と紹介する、この効果が若い人たちに影響を与えているという。欧州の鉄道では「飛び恥」効果を織り込んで、補助金の活用や割引料金の導入などサービス拡大の商機としているようだ。温暖化対策の強化を求め、米ニューヨークをデモ行進するグレタ・トゥンベリさん(手前左)=2019年9月(ゲッティ=共同) ただ、飛行機を「悪者」扱いしすぎるのは禁物だろう。経済学者でミシガン大のジャスティン・ウォルファース教授の指摘によれば、飛行機はいまや自家用車よりもエネルギーの利用効率がよくなっているという。 他方で、二酸化炭素(CO2)排出量の絶対値が大きいのも事実である。成長と環境配慮は二者択一の問題、つまりいずれか一方だけ採用してしまうと、社会全体の「幸福」を損ねてしまうだろう。「若さ」が免罪符になる? 本図では、社会の幸福が曲線I1とI2で示されている。I1よりもI2の方が、人々の「幸福」がより大きいとしよう。 原点から離れれば離れるほど「幸福」は大きくなっており、曲線は原点に対して「おなか」が出た形状をしている。本来、このような「幸福」曲線は一種の等高線のように稠密(ちゅうみつ)に引かれているが、本稿では便宜的に2本だけにしている。 もし「成長」だけと「環境」だけ、それぞれどちらか一つだけ追い求めると、両方を何らかの形で組み合わせて選んだ選択よりも「幸福」が低くなるのは明らかだろう。「成長」と「環境」はトレードオフの関係にはあるが、他方でどちらか一方しか選択しない姿勢では、人々の幸福は改善されないのである。 ところで、グレタさんの「若さ」は、アイドル性を考えるときに重要なポイントとなる。必ずしも必要ではないが、それでも「若さ」は重要なのだ。 それは「成長物語」を裏付けるポイントにもなるし、アイドルを批判からディフェンスする際にも有効に機能する。たとえ現時点の彼女の行動や発言が未熟であっても、「成長物語」を共有するコアなファンにとっては「まだまだやれる」という伸びしろになり、積極的な評価のポイントとなるのだ。この時点で、否定的な観点はほぼ徹底的に排除される。 これは筆者の体験だが、ある日本のアイドルが新聞で憲法論を寄稿した際、排除に遭ったことがある。そもそも、アイドルや歌手が憲法について新聞で意見を表明することについての評価と、その発言内容に対する評価が別になるのは当然だろう。 たまたま「憲法で財政を緊縮的に縛る」趣旨の意見だったので批判したが、コアなファンから理屈に合わない非難を受けた経験がある。要するに「偉そうに言うな」といった類いの発言だ。 これと似たリアクションがグレタさんの発言を批判する人たちについてまわる。最近でも、脳科学者の茂木健一郎氏がツイッターで「なぜ、いい年をした男の人がグレタさんに反発」するのか、と批判していた。この類いの「弁護」や「反批判」はグレタ現象の名物ともなっている。 もう一つ注目ポイントを挙げると、アイドルと「運営」の関係に類したものがうかがえる。もちろん、ここではグレタさんと背後にいると言われている「大人たち」の関係である。「アンチ」がオタになる 両親をはじめ、彼女を支援する「大人たち」は多いだろう。この「大人たち」はいろんな意味でアイドルの一種の「免罪符」としても機能する。コアなファンはアイドルに何かトラブルがあれば、その責任を運営=大人たちのせいにすることができる。うまくいっているときでも、「まわりの大人たちの意図には安易に妥協しないし、自分の意見をはっきり持つ」と、好意の論拠として「大人たち(運営)」を用いることがある。 また、グレタさんに批判的な人たち、いわゆる「アンチ」も、彼女の周囲の「大人たち」にしばしば注目して、「彼女は周りの大人たちに利用されている」と批判する。だが、このアンチの発言とコアなファンの発言は同根である。言い換えると、アンチによるこの種の批判は、グレタ現象をかえって活発化することはあっても、決定的なダメージを与えることは難しいのである。 この意味で、グレタさん自身には迷惑だろうが、世界各国の首脳や著名人たちが彼女の発言を批判することは、実はグレタ現象をアイドル現象として分析した場合に、筆者にとって見慣れた光景になる。つまり、人気アイドルにはアンチはどうしても発生するものなのだ。だからといって、厄介な迷惑行為が絶対に禁物であることを決して忘れてはならない。 しかし、そのアンチが米国のトランプ大統領やロシアのプーチン大統領ともなると影響力が半端ない。アイドル論としてグレタ現象を読み解くときに、いまや「アンチ代表」のトランプ大統領こそが、実はコアなファンを凌駕(りょうが)する「トップオタ(TO、実はアンチのTOでもある)」になっているともいえる。 タイム誌の「今年の人」の記事に、トランプ大統領が「(グレタさんは)友達と映画でも見に行け」といった批判的な趣旨をツイートすると、グレタさんは、自身のツイッターの自己紹介欄にトランプ大統領の発言を批判的に引用することで「応戦」していた。 2人は一見すると、いや本当のところでもお互いに「宿敵」なのだろうが、おそらくコアのさらにコアなグレタファンになると、このやり取りに対して違う感想を抱いたとしても不思議ではない。ひょっとして「直接にやりとりできるトランプ大統領がうらやましい。だから彼を批判する」という感情が芽生えているかもしれない。この辺りまで来ると推測の域を出ないが、可能性は十分にあるだろう。 ただ、彼女のアンチに地球温暖化問題の「重大責任者」の一人でもある中国の習近平国家主席がいないのが気になる。グレタさんの論法からすれば、「私たちについてこなければならない」という「権力者たち」の筆頭に、CO2排出量で断然の世界トップである中国の指導者が挙げられるのは道理である。米ニューヨークの国連本部で、トランプ大統領(左)を見るスウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(中央)=2019年9月(ロイター=共同) まさか、中国が発展途上国だとか、成長の果実をまだ十分に得ていないから遠慮しているだとか考えているのだろうか。そのような理屈ならば、世界の権力者たちと意見は大差ないはずだ。 ひょっとしたら、グレタさんは「くまのプーさん」のファンなのかもしれない。プーさんは中国で検閲対象になったと言われるほど、習主席に似ているとSNS上で話題になっている。第25回締約国会議(COP25)からの帰国途中に彼女がツイッターに投稿した、ドイツ鉄道の車中で膨大な荷物の横で座る自身の写真に、筆者もプーさんを探したのだが、どうもいないようだった。

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    「禁煙五輪」パニックは防げない?

    来夏の東京五輪・パラリンピックは「タバコのない五輪」として、関連施設が原則全面禁煙となる。世界標準に照らせば、常識になりつつあり、当然の措置といえるだろう。とはいえ、そもそも五輪はあらゆる価値観を持つ国や地域が参加するだけに、分煙さえ許さない排除は混乱や対立を招きかねない。改めて禁煙問題を考えたい。

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    多様性を排除する「タバコのない五輪」に異議あり

    新見正則(公益財団法人愛世会理事長) 僕はタバコの煙が大嫌いです。タバコのにおいがそこそこある場所にいると、気にならないこともありますが、タバコのにおいが全くしない環境では、はるか遠くのタバコの煙にも気がついてしまいます。 そんなタバコ嫌いの僕ですが、競技会場の敷地内を全面禁煙とする2020年東京五輪・パラリンピックの「タバコのない五輪」というキャッチフレーズは気に入りません。 選手村は「原則禁煙」となり、アスリートがタバコを吸うことができるのは、限られた喫煙スペースになります。タバコを吸っても、金メダルを取ることができれば、それでよいではないですか。たくさんの犠牲を払って金メダルを目指すアスリートが、あえてタバコを吸うという選択肢を選ぶのであれば、それは尊重すべきです。法律に違反しているわけではありません。ましてやドーピング規定にも違反しません。 このように、東京五輪で喫煙できる環境が極めて限られることに不公平さを感じます。喫煙環境の排除ではなく、分煙設備を設けることを望みます。アスリートに限らず、オリンピックを楽しむ観客も、同時にタバコを楽しむ設備があってもよいではないですか。 もちろん、タバコが身体に悪いことをしっかりと伝えることは必要です。また、喫煙者の周りにいる人が受動喫煙による健康被害を受けるリスクも伝える必要があるでしょう。しかし、身体に悪いことは基本的に気持ちがいいのです。そんなリスクを承知でタバコを吸う人に対し、東京五輪の対応はあまりに酷です。だから僕は「タバコのない五輪」といったキャッチフレーズには大反対です。 僕の趣味はトライアスロンです。泳いで、自転車に乗って、そして走ります。50歳まで金槌(かなづち)でしたが、50歳で健康のために水泳を始めました。凝り性なので、自分の努力に従って上達する、つまり日々進歩する自分を楽しんでいました。そして泳げるようになり、泳げる距離が伸びてくるに従い、他の有酸素運動にも興味を持ち始めました。そして自転車に乗り、ランニングを始めたのです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 52歳で五輪と同じ距離のトライアスロンを完走しました。1・5キロを泳いで、40キロ自転車に乗り、10キロを走ります。そして凝り性な僕は、合計236キロに及ぶ日本最長のトライアスロンを53歳で完走しました。いろんな生き方あっていい 3・8キロを泳ぎ、自転車で佐渡(さど)を一周して190キロ、そして最後が42・2キロのフルマラソンを14時間ちょっとで完走しました。さすがにここまでの長い距離は身体にダメージを与え、健康にも良くないでしょう。でもその達成感と、それを実現した道のりが自分の人生の宝物になりました。身体に悪いが、気持ちがいい、つまり健康以外の御利益があるということです。 そしてその数カ月後、自転車で転倒し、鎖骨と肋骨(ろっこつ)を数本折りました。救急車で搬送され、たくさんの方にご迷惑をおかけしました。それでも今も続けています。 僕は自分が嫌いなことを一致団結して拒絶する空気感が嫌いです。独善的で自己中心的に思えるのです。いろいろな生き方があり、いろいろな死に方があってよいではないですか。ある程度、人にご迷惑をかけてもよいではないですか。僕は、自分の価値観とは異なる、ちょっと迷惑で困ることがあっても、お互いさまと思って寛容でいられる人でいたいのです。そして多くの人がそんな寛容さを持つことを望んでいます。 タバコは確かに身体に悪です。しかし、糖分の取り過ぎがもっと身体に悪いと僕は思っています。タバコを吸って肺がんやCOPD(慢性閉塞性肺疾患)になる人は少なからずいます。一方で、世の中に溢(あふ)れかえっている甘いもので糖尿病になる人は、それ以上に存在します。 タバコだけを害悪と想定し、ひたすらその害悪を世の中で唯一の害悪の様に宣伝する風潮が嫌いです。そして喫煙は法律を犯しているわけではありません。 10月1日より公益法人愛世会の理事長を拝命しました。公益財団法人愛世会は急性期・慢性期、そして精神疾患の病棟を持っています。また老人保健施設もあります。そして歯科技工士学校と検診業務を行っています。2020年東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場。2019年11月30日、東京都新宿区 僕は「いろいろな生き方があっていいし、いろいろな死に方があっていい」と思っています。もちろん健康に悪いからタバコをやめろと言う啓蒙(けいもう)には大賛成ですが、それを承知で吸う人を僕は嫌いにはなれません。 そこで、僕は堂々と喫煙できる病院や老人保健施設をつくりたいと思っています。その喫煙が可能な限られた施設内の職員も喫煙者ですし、患者さんや入所者も喫煙者で、施設内でタバコが吸えるのです。死ぬまでタバコを吸いたいという患者さんや入所者に優しい受け入れ先があってもよいように思うのです。 いろいろな生き方、いろいろな死に方を応援したいのです。東京オリンピックには愛煙家のアスリートも全力を出し切れる環境にしてもらいたいと思っています。また愛煙家の観戦者にも優しい取り組みを望みます。 「タバコのない五輪」などくそ食らえです。

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    「タバコなき東京五輪」をレガシーにするにはココが足りない

    春日良一(スポーツコンサルタント) 私はヘビースモーカーだった。日本オリンピック委員会(JOC)の職員だったころ、事務局での過酷な業務の疲れを、あの一服がどれほど癒やしてくれたか分からない。 4年に1度のオリンピック競技大会とアジア競技大会の開催が近づくと、日本代表選手団の派遣業務が始まるが、心身ともにハードだった。健康診断からユニホームの採寸、渡航手続きや名簿作成に至るまで、時に500人からなる代表選手や役員一人一人の面倒を見なければならないからだ。 多くは事務的な仕事であるが、単純な肉体労働も待ち受けていた。選手団の荷物に大会組織委員会から配布される特別な公認シールを張れば、税関もフリーパスで通れるとあって、さまざまな競技のあらゆる荷物が事務局に殺到する。 そこに選手団本部の荷物が加わる。選手村内に置かれる本部で選手を管理・支援するには、業務を支える備品や食料、医療品など幅広くそろえる必要がある。 大量の荷物をJOCの責任で全て確認して、計量・整理したうえで荷造りしなければならない。さらに、荷物を倉庫から出して航空機にチェックインするまでの搬送に関わる全作業が事務局職員にのしかかった。 夏季大会の場合は、準備期間も暑い時期になるので、文字通り汗まみれになった。大会2カ月前からほとんど毎日残業で、深夜帰宅になる。18時になって冷房が切られると、窓を開けて、タオルを首に巻きながら仕事を続けた。 そんなとき、休憩に吹かす1本のタバコがどれだけ励みになっただろうか。冷たい缶コーヒーを飲みながらショートホープに火をつける。一服を終えれば、「さあ、あともうひと頑張りだ」と気合を入れたものだ。 また、選手団派遣業務では神経をすり減らす緻密な労働もあった。それは選手団のエントリーである。 特に、大会2週間前に行う個人エントリーは「氏名のエントリー」とも呼ばれ、選手一人一人のデータを登録しなければならない。当時は競技団体の代表選考も大会直前というギリギリのタイミングが多く、時間との闘いも強いられた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) それでもミスを犯すことは許されない。締め切りに遅れたら、選手が出場できなくなる。名前を一字スペルミスしただけで、その選手の努力は水泡に帰す。 いくら念には念を入れても、足りないくらいだ。迫りくるエントリー締め切り日という名のデッドライン(死の線)まで精神を研ぎ澄まして、英文タイプライターで一字一句打ち込む日々が続いた。禁煙に熱心だった「中興の祖」 私にはこの神経をすり減らす仕事の合間にも一服がどうしても必要だった。一時的な現実逃避だったかもしれないが、集中力を復活させられる気がしたのも確かだ。 それに、タイプを打ちながらのくわえタバコは眠気防止のためであった。こうして、私の喫煙習慣は続いた。1日30本から40本、しかもニコチン度もタール度も高いショートホープを愛煙した。 そんな私の喫煙思考にきつい一撃を加えたのが、カナダから届いた1枚のレターだった。1988年カルガリー冬季五輪組織委からの書簡であった。 大会マスコットのホッキョクグマのハイデイとハウディがプリントされたそのレターヘッドには、「カルガリーオリンピックはエアフレッシュ・ポリシーを挙行します」と書かれてあった。会場の禁煙化とタバコ会社からのスポンサードを辞退する「禁煙方針」を打ち出したのである。 この大会は私が五輪に参加する初めての大会であった。選手団本部員として渉外を担当することになっていた。 組織委や各国選手団、そして国際オリンピック委員会(IOC)との交渉が主な仕事だった私は、さすがに選手団本部に缶詰めになることはなかった。それでも、本部の張りつめた空気から解放されるために、一服がどうしても必要だった。 ところが、カルガリーではその一服もままならなくなったわけである。選手村全域が禁煙対象になれば、その中に設置される選手団本部も全面禁煙となるからだ。 組織委の通達を破ることなど、本部員として到底できるわけがない。しかも、先発でカルガリー入りする私は、ほぼ1カ月の禁煙を覚悟しなければならなかった。 結局、カルガリー五輪の「禁煙体験」でも私はタバコから離れられなかったが、大会の間は何とか断つことができるようになった。その後も五輪に参加するたびに喫煙思考の束縛から逃れられるようになり、日常でもタバコと完全にサヨナラをすることができた。禁煙するようになって既に10年以上がたつ。東京で行われた国際オリンピック委員会総会で、1996年の夏季五輪が米アトランタに決定し、あいさつする同委のアントニオ・サマランチ会長=1990年9月18日 そんな「禁煙方針」も含む環境問題への取り組みに熱心だったのが、IOCの「中興の祖」アントニオ・サマランチ元会長だった。五輪を商業化した人物として言及されることが多いサマランチ氏だが、五輪のプロ化や「五輪休戦」の伝統復活などと並ぶ、彼の計り知れない功績の一つだろう。 以前から「スポーツと健康」「スポーツと環境」について意識していたサマランチ氏は1990年、スポーツと文化に加えて、環境を五輪活動の3本柱にすると明言し、95年の「スポーツと環境委員会」の設置につながる。また、国際スポーツ界においても、80年代には既に、喫煙者がスポーツ運営に関わる者として好ましい存在ではないと見なされる空気があり、国際会議でも全面禁煙が常識となっていった。「全面禁煙」唯一の欠陥 こうして、カルガリー五輪で提唱された「空気を新鮮に」政策がその後の大会にも引き継がれていった。2010年にはサマランチ氏の後継となったジャック・ロゲ会長が世界保健機関(WHO)と「健康なライフスタイルの推進」で合意し、「タバコのないオリンピック」の実現を目指すことになった。 このオリンピック運動の築いた伝統を、2020年東京五輪も受け継ぐ。今年2月、大会期間中は加熱式タバコを含めた会場敷地内を全面禁煙にすることを、東京オリンピック・パラリンピック組織委が発表している。 実際、これまでの五輪開催都市では、受動喫煙防止に関する法令が施行されてきた。面白いことに、2020年五輪招致時に東京のライバルであったマドリードやイスタンブールは、立候補の段階で受動喫煙防止法が施行されていた。だが、東京都で受動喫煙防止条例が全面施行されるのは、開幕4カ月前の2020年4月になってのことだ。 五輪の理念を広める「オリンピックムーブメント」は、より良い社会、より平和な社会を作る運動でもある。これまでも五輪を契機として、社会改善のための施策が実行されてきた。 2012年のロンドン五輪では、大会メイン会場を意図的に中心部から外れた東地区に設けた。深刻な土壌汚染と貧困問題を抱える最も治安の悪い地域に、五輪スタジアムだけでなく、競技会場や選手村、プレスセンターも集中的に配置された。 それまで「暴漢に襲われても仕方がない」地域が、大会後にはメイン会場を中心に再開発が進み、今や「イースト・ビレッジ」と呼ばれる市民に人気の場所へと生まれ変わった。五輪が終わった後でも大きな雇用を生み出しているという。 1964年の東京五輪は首都高を生み、モノレールを生み、新幹線を生んだと言われる。ただ、以前から進められた計画に五輪が乗ったと言った方が正しいかもしれない。どれも五輪がなくても実施計画があったからだが、東京五輪が早期実現へと動かしたことは間違いない。 あれから56年が過ぎた2020年の東京五輪が、インフラストラクチャーとして大きなものを残すのは難しい。そのような状況下で、新鮮な空気を東京に残せたとしたら、それだけでも大きな貢献になるだろう。 そこで、組織委による「全面禁煙」方針の欠陥を一つだけ指摘したい。それは「長期間滞在する選手村などに限り、例外的に喫煙スペースを設ける」としている点だ。東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長(中央右)へあいさつに訪れた、JOCの山下泰裕会長(同左)。右から2人目は五輪日本選手団の福井烈団長=2019年12月 五輪がモチベーションとなって社会構造に影響を与えるために必要なのは、大会の運営主体が方針の完全実施を決心することだ。それに五輪の精神からいえば、選手村こそ五輪の理想を実現させる場にほかならない。 組織委の決意により、各国代表の選手や役員だけでなく、運営に携わる人々にまで、妥協なき「エアフレッシュ・ポリシー」を行き渡らせる。それが居酒屋での一服を隣に座る人のために我慢する愛煙家の心につながるはずだ。

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    ニコチン入り外国産「電子タバコ」野放しにするつもりか

    薗潤(日本タバコフリー学会代表理事、医師)  2002年に世界保健機関(WHO)が、「タバコフリー・スポーツ、スポーツはタバコと無縁でやろう」と提唱して以来、世界のスポーツ界ではタバコ規制が進んできた。オリンピック(五輪)やワールドカップサッカーなどは、完全禁煙が既定方針となり、タバコ産業は大会の公式スポンサーから排除されている。 東京五輪(パラ五輪を含む、以下同じ)では、直前の2020年4月に、改正健康増進法(健康増進法)と東京都の受動喫煙防止条例(都条例)が全面施行される。以下に東京五輪のタバコ対策について、いくつかの問題点を考えてみた。 競技会場内の敷地内完全禁煙は、2018年冬の平昌五輪で初めて実施されたが、規則破りや近隣周辺での喫煙が問題になった。同様の問題は、五輪に限らず施設の敷地内禁煙実施に必ず付随して起こり、根本的な解決策は周囲(五輪の場合は競技会場外)も禁煙にすることしかない。役所が敷地内禁煙になり、役所周辺が条例で路上喫煙禁止になっているため、実質的に地方公務員が勤務時間内禁煙となった例もある。 大会組織委員会のホームページによれば、競技会場は東京都内に限らず、42カ所が予定されている。最近、これに加えてマラソンと競歩が札幌市で開催されることになった。これらの競技では、観衆のいる沿道も競技場内と考えられ、沿道も完全禁煙の徹底が求められる。 喫煙規制が遅れている競技の会場も心配である。プロ野球の球場には、観客用の喫煙所があり、監督・コーチ・選手用にダッグアウト裏の喫煙所があると聞いている。また先頃行われた野球の国際大会「WBSCプレミア12」は、東京五輪の予選とも言える大会だったが、テレビ放映のスポンサーに日本たばこ産業(JT)が入っていた。 五輪の放映には、公式スポンサーから排除されているタバコ産業のCMが入らないことが必須である。バレーボールには男女ともJTのチームがあるし、ゴルフにはJTカップがありJTが多額の賞金のスポンサーだ。 東京都は、健康増進法に上乗せして「受動喫煙を防止しにくい立場の従業員や、健康影響を受けやすい子供を守る」ことを都条例(「子どもを受動喫煙から守る条例」を含む)制定の目的としてうたっている。成立した受動喫煙防止条例について説明する東京都の小池百合子知事(中央)=2018年6月27日、都庁 都条例は加熱式タバコを、より有害性が低いものと位置付け、「指定タバコ専用喫煙室」内では飲食可能としたが、大きな汚点である。諸外国に先駆けて加熱式タバコの人体実験場となった日本で、急性好酸球性肺炎などの重篤な副作用が報告されているからである。ニコチン入り電子タバコ 海外で若者を中心に流行している電子タバコには、ニコチンが含まれているが、日本製の電子タバコにニコチンを含有させることは、医薬品医療機器等法(旧・薬事法)で禁止されている。従って、日本製は健康増進法や都条例でもタバコの規制を受けない。 しかし、問題は海外から大量に持ち込まれるであろう海外製電子タバコの規制である。米国疾病予防管理センター(CDC)は今秋、電子タバコにより2051例の肺疾患が発生し、39例が死亡したと発表した。原因として添加物のビタミンEアセテートによるリポイド肺炎が疑われている。 その被害を受けて全米各州で電子タバコを禁止する動きが広まりつつあるが、メーカー側は一部のフレーバー付き銘柄の製造を中止したのみだ。東京五輪の際に全面禁止になっていなければ、海外製電子タバコの規制は、紙巻きタバコと同様に厳格にすべきで、「指定タバコ」などに分類すべきではない。 競技会場以上に心配されるのが選手村である。選手村は原則禁煙で、動線から離れた場所に喫煙所を設けるとしている。宿舎はプライベート空間ではあるが、五輪後は民間住居として提供されるのであるから、シックハウス症候群の原因となる喫煙は厳禁、違反者にはペナルティーを科すべきである。 加熱式および電子タバコによる肺疾患はすべて急性影響であり、選手村などで使用された場合、急性の重篤な健康被害が生ずる可能性がある。東京五輪では、そのような事態を予防するためにも「加熱式および電子タバコの使用禁止」を明確に宣言し、「初の電子タバコ禁止五輪」とすべきである。 ロシアは世界アンチ・ドーピング機構(WADA)から国ぐるみのドーピング不正を摘発され、国としては五輪に出場できず、潔白が証明された選手のみが個人資格での参加を許可されている。カナダなど大麻が合法化されている国もあり、最近も芸能人逮捕で話題になった合成麻薬のMDMAなど、麻薬の使用も懸念される。もちろん、ドーピング検査により、大麻や麻薬の違反者は摘発される。 また、競技12時間前から競技直後の検査で、ニコチンはカフェインと共に検査される。しかし、検出されてもドーピング違反にならない監視プログラム物質(興奮薬)の中に分類されている。カフェインはともかく、依存性のある毒物ニコチンは違反物質に分類されるべきである。 まず、求められることは競技場内で参加者や観客に、明確に完全禁煙の方針を周知徹底することであり、さまざまなツールや機会をとらえての多言語による広報・発信である。 第二に、スタッフやボランティアが、競技場内外で喫煙しないことは当然だ。そのためにも喫煙者の方々は、ぜひ今からでも禁煙にチャレンジして、五輪を迎えてほしい。次回の五輪からは、スタッフやボランティアは、非喫煙者に限るという方針を採るべきであろう。 第三に、東京五輪のタバコ対策を十分に理解することが求められる。そのための教育プログラムとして、グローバル・スタンダードであるWHOの「タバコ規制枠組条約」(FCTC)について、周知・徹底しておくべきである。日本はFCTC批准国でありながら、東京五輪競技の場内ではFCTC水準、場外ではその水準に達していないことも啓発すべきである。米ニューヨークで電子たばこを使用する人=2014年2月(AP=共同) 悪質な違反に対しては、スタッフやボランティアが、大会本部に申告する制度を設け、度重なる悪質違反者については、大会本部から氏名や国名を公表するなどの不名誉を科すべきだ。スモーキーカントリー日本 屋内分煙では、受動喫煙被害を防止できないことは世界の常識であり、日本は、この点では非常識な国である。FCTC水準の東京五輪競技場を一歩出れば、そこは「スモーキー・カントリー日本」であったという変化に困惑する外国人の姿が目に浮かぶ。屋外では歩行喫煙禁止条例の救済措置、または吸い殻のポイ捨て防止対策として、駅周辺などにタバコ産業協賛の屋外喫煙所があるが、外国人には奇異に感じられるであろう。 受動喫煙によって日本だけで年間1万5千人の死亡と、その他にも重篤な健康被害が明らかになっている以上、「何人たりとも受動喫煙で殺されてはならない」という大原則を忘れてはならない。子供だけでなく、大人を含めた全ての人を守る「分煙を認めず・例外なし・罰則(過料)付き」の受動喫煙条例や法律の制定が絶対に必要である。 まして、日本はWHOのFCTC批准国である。先進国中最低といわれる受動喫煙防止対策を改善すべきだ。東京五輪後の喫緊の課題は、五輪会場内のグローバル・スタンダードのタバコ対策を、日本全国に展開することである。 タバコ産業は「吸う人も吸わない人も心地よい分煙」などという、実現不可能な空間を宣伝し、喫煙者と非喫煙者の対立の構図をあおってきた。 最近では「製品もマナーへ」のタイトルで、火を使わない・煙の出ない・においが付かない「マナータバコ」を目指すと宣言している。JTの宣伝文句を借りれば「ひとつずつですが、未来へ」向かおうとも、タバコ産業が依存性毒物ニコチンをビジネスから手放すはずがない。タバコ産業は過去・現在とニコチンを利用して莫大(ばくだい)な利益を上げてきた依存症ビジネス産業であり、未来もニコチンなしではありえないからだ。 タバコ問題は、趣味嗜好(しこう)の問題ではない。人々をニコチン依存症のとりこにし、WHOによれば毎年世界で800万人の早期死亡者を生み出しているタバコは、喫煙者の「生存権」という最も重要な人権を侵害する依存性毒物である。 タバコ犠牲者のうち、世界で毎年受動喫煙で死亡する120万人は、きれいな空気を吸う権利という「基本的人権」を侵害され、その上「生存権」まで絶たれた悲劇の主人公である。タバコは喫煙者に加えて、周囲の人々をも巻き込んで、人々の「生きる権利」を奪う恐ろしい毒物であり、可及的早期に禁止すべきだ。 悪質な喫煙者の言動は腹立たしいが、脳をニコチンによってマインドコントロールされている結果である。タバコの犠牲者でもある喫煙者との対決の構図は、タバコ産業の思うつぼであり、「タバコを憎んで、人(喫煙者)を憎まず」が大原則である。コンビニ内のタバコ売り場 日本タバコフリー学会は、今後もタバコフリー(=タバコのない)社会の実現を目指して、世界の良識ある人々と共に頑張りたい。そのためにも、日本は東京五輪でタバコ対策を終わらせることなく、その後も継続的にタバコ規制を進歩させ、少なくとも可及的早期にFCTC水準に追いつくことが重要である。

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    【法律相談】喫煙後のエレベーター使用禁止は喫煙者差別か

     受動喫煙の悪影響が取り沙汰されたり東京五輪も控え、喫煙に関する様々なルール作りが進んでいるが、最近話題になったのが、奈良県生駒市役所の「タバコを吸ったら、エレベーターの使用禁止」という決まりだ。そこまで制約を加えるのは、果たして法的に許容範囲なのか? 弁護士の竹下正己氏が回答する。【相談】 これは喫煙者に対する差別なのではないでしょうか。生駒市役所が実施している「タバコを吸った者は45分間、エレベーターの使用を禁止する」という決まりです。喫煙者はマナーを徹底すべきですが、生駒市役所の無慈悲な決まり事はあんまりだと思います。この規則事項は人権問題にならないのですか。【回答】 受動喫煙とはタバコの煙と喫煙者が吐き出す煙に含まれる有害成分が周りの人に及ぼす悪影響の問題で、二次喫煙ともいわれています。 実験では喫煙者の息には吸い終わってからも、45分間はタバコの匂いが残るとされ、その間、息は有害成分を含んでいることになります。市は密閉されたエレベーターに喫煙後の人と同乗すると、受動喫煙の危険があると判断したのでしょう。こう考えると、生駒市のエレベーター利用制限も、一概に不当・不合理とは思えません。 地方自治法は地方公共団体の長が「公の施設を設置し、管理し、及び廃止すること」を担当業務とする旨を定め、施設の管理の事項は条例で定めなければならないとしています。生駒市の市庁舎管理規則を見ましたが、喫煙後45分以内のエレベーター利用制限に関する規定はありませんでした。しかし、規則になくても必要な事項は、そのつど市長が定めるとされているので、市長さんが庁舎管理権に基づいて定めたものだと考えられます。 インターネットで調べると職員には使用禁止を命じ、来庁者には協力を求めているようです。来庁者に対する関係では心理的な制約を除いて実害はありません。あなたの気分を害するでしょうが、受動喫煙の怖れがあるので、協力を求められても、やむを得ません。「45分エレベーターを使うな」は法的にどうなのか 職員に対する関係では庁舎の管理権というより、労働契約上の指揮命令権に基づくものであるようにも思います。市は雇用している職員に対して安全配慮義務を負っており、厚労省のガイドライン等により、職場の禁煙又は分煙の措置をとるべき義務があります。職員の受動喫煙を避けるために喫煙した職員に、その影響がなくなるまでエレベーターの利用を禁じても、指揮命令権の濫用であるとはいえないと思います。【弁護士プロフィール】竹下正己(たけした・まさみ):1946年、大阪生まれ。東京大学法学部卒業。1971年、弁護士登録。関連記事■公園の受動喫煙裁判 判決は「非喫煙者が喫煙者から離れよ」■たばこと肺がんの因果関係「男性の6割近くが無関係」と識者■喫煙シーン検閲「たばこ描けないなら作品書かぬ」と倉本聰氏■「エアポート投稿おじさん」が話題、次の新種おじさんは?■最近寒すぎるけど、-89.2度の南極基地の寒さ対策はどうなってるの?

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    「喫煙所内格差」も発生 加熱式たばこ普及に幾多のハードル

     従来の紙巻きたばこのように火で燃やさないために煙が出ず、一服後の呼気(蒸気)に含まれる有害成分も紙巻きたばこと比べて大幅に削減したとうたわれる「加熱式たばこ」──。受動喫煙防止の高まりも受け、紙巻きから加熱式に変える“愛煙家”が後を絶たないが、そんな中で指摘され始めたのが、普及スピードの鈍化だ。 10月23日、日本で加熱式たばこのトップシェアを誇るフィリップ・モリス・インターナショナル(PMI)の「アイコス」が新モデルとなる「iQOS 3」2機種を発表した(発売は11月15日~)。 既存のアイコスユーザーが抱いていた〈充電時間の長さ〉や〈加熱を行う本体の壊れやすさ〉、〈クリーニングの煩わしさ〉などの不満点を改善したうえに、カラーバリエーションの豊富さを含め、よりスタイリッシュなデザイン性にもこだわったという。 発表会に現れたPMIのCEO(最高経営責任者)、アンドレ・カランザポラス氏も、「日本は(最初の製品発売から)わずか4年でどの国よりも多くのアイコスファンを獲得した。だからこそ、ここ日本で世界に先駆けて“史上最高”のアイコスを発表することになった」 と新モデルの出来に大きな自信をみせた。だが、その一方で、「製品の発売だけで、成人喫煙者に紙巻きたばこから加熱式たばこに切り替えていただけるものではなく、さまざまなコミュニケーション活動を通じて製品の特性を正確に理解していただかなければならない。 アイコスは紙巻きたばこを吸い続けるよりも害のリスクは少なくなることが見込まれる、より良い代替製品。日本が煙のない社会になるためには、政府からの奨励も必要でしょう」 と述べるなど、今後の販売促進には慎重姿勢も覗かせた。「iQOS」の新モデルを発表するPMIのアンドレCEO 現在、紙巻きたばこも併売するPMIから“脱煙”の言葉が出るのは違和感があるが、じつはPMIはたばこを販売する各国の喫煙文化や喫煙率などを見ながら、将来的には紙巻きたばこからの「撤退」を宣言している。そのため、加熱式たばこが重要な稼ぎ頭となるうえ、アイコスがもっとも売れている日本は、紙巻き→加熱式への完全シフトを実行する重点市場となっているはずだ。 だが、その先行きには暗雲も漂っている。“乗り換えユーザー”の限界「アイコスの日本でのユーザー数は500万人を超え、加熱式たばこを吸ったことのある人のうち、7~8割がアイコスを使用するなどシェアトップは堅持しているものの、アンドレCEOも認めているように、ユーザー数の伸びはPMIの想定よりも徐々に落ちているようです。 その理由として、他社の加熱式製品であるJT(日本たばこ産業)の『プルーム・テック』やブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)の『グロー』がじわじわとユーザーを増やし、販売競争が熾烈になったからとの見方もありますが、それだけではありません」(全国紙記者) アイコスの伸び鈍化は決してPMだけの問題ではなく、加熱式市場全体のパイが伸びていかないから──と同記者は分析する。確かに製品を問わず、加熱式たばこの普及を阻むハードルはいくつも待ち受けている。 まず、これから紙巻きたばこをやめて新たに加熱式オンリーになる“乗り換えユーザー”の需要が限られていることが大きい。 いま、加熱式たばこユーザーは紙巻きたばこの全体市場の約2割を超え、2020年には30%を占めるとする予測もあるが、そもそも日本の喫煙人口は減少の一途をたどっている。男女合わせた喫煙者率は17.9%で、喫煙人口は1880万人(2018年5月現在)と2000万人を切っている。 おまけに、長年紙巻きたばこを習慣的に吸ってきたシニア層はなかなか加熱式に移行したがらない傾向が強いという。あるたばこメーカー関係者もこういう。「長年たばこを吸ってきた高齢者は、『いまさら加熱式に変える意味がなく、自分の好きにさせてほしい』と考えている。仮に乗り変えたくても喫煙に機器を扱い、充電やクリーニングも必要な加熱式に不便さを感じているようだ」 もちろん20歳を超えた若者や紙巻きのニオイが気になる喫煙女性なども新規ユーザーになり得るが、分煙よりも禁煙社会が一層進んでいきそうな現状をみると、そう多くは望めない。 次に、繰り返される増税による価格問題は無視できない。 この10月にも紙巻き、加熱式ともに一斉値上げがあったばかりで、たばこ1箱「500円時代」が現実のものとなった。JTが1箱の本数を減らして価格を下げる紙巻きの銘柄を発表したり、加熱式でもPMIがアイコスの値上げした「ヒートスティック」(500円)より30円安い新ブランド商品を発売する意向を表明したりするなど対策を講じる動きは出ているものの、ユーザーの経済的負担は限界に達している。「1日1箱500円使っていたら生活が苦しくなる。しかも、加熱式は本体の値下げキャンペーンなどがあるとはいえ、機器の寿命や故障の度に買い替えなければならず、出費がかさむ。これ以上、たばこ増税するなら、いっそやめようかとも考えている」(加熱式ユーザー) ちなみに、たばこ税の増税は、今後も紙巻きで2021年、加熱式で2022年まで段階的に行われる予定だ。今回の増税では値上げ前の「駆け込み需要」が業界が想定していたほどの盛り上がりを見せなかった模様で、その中には前出ユーザーのように、「やめることも覚悟で、敢えて買いだめはしない」と話す喫煙者も多かった。“吸える環境”はどこに そして、加熱式ユーザーにとって最も懸念すべき問題が、今後の規制の行方だろう。すでに紙巻きたばこの受動喫煙対策を巡っては、国が改正健康増進法を、東京都が受動喫煙防止条例をそれぞれ成立させ、飲食店など人が多く利用する施設は「屋内原則禁煙」が徹底されることになる。 どちらも四方を壁で仕切って換気基準をクリアした「喫煙専用室」を設ければ、そこでの喫煙は可能になるが、議論が分かれているのが、加熱式たばこの扱いだ。国は「まだ健康への影響が明確でない」として、加熱式については専用エリアを確保しさえすれば飲食しながらでも喫煙できる経過措置を設けたが、都は紙巻きも加熱式も同じレベルの規制を課したい構えだ。 ただ、現状で加熱式たばこを吸っている人の行動をみても、すでに屋内・屋外ともに紙巻きたばこの喫煙者と同じ「喫煙所」に行くのは当たり前の習慣になっており、周囲への迷惑を顧みず、所構わず吸う人は皆無に等しいだろう。「加熱式に変えても、自宅では相変わらず“ホタル族”。ベランダで吸うのが家族の約束となっている」と話す加熱式ユーザーも多い。 しかも、屋内の喫煙所では“喫煙所内格差”も起きている。「各所の屋内喫煙所では、加熱式ユーザーが空気の入れ替えが多い入口付近の落ち着かない場所に固まっている光景をよく目にする。理由を聞くと、『紙巻きたばこの煙のニオイが嫌だから』と話す人が多い。せっかく紙巻きから加熱式に切り替えているのに、狭い喫煙所で紙巻きたばこの煙にさらされていては意味がない」(たばこメーカー社員) このままでは紙巻きたばこのリスク低減(ハーム・リダクション)を目的に、代替品として加熱式たばこを開発したメーカーの自助努力が報われないばかりか、紙巻きから加熱式へのシフトも思うように進まない可能性がある。 そのため、PMでは、「今までオフィスや飲食店などが抱える喫煙環境の悩みの解決提案を行っており、その結果、紙巻きたばこは禁煙だが、加熱式たばこは使用可という場所が全国1万か所以上に広がっている」(PM日本法人の広報担当者)と話す。加熱式たばこ専用の「喫煙室」が増えている 国や都の規制強化がますます進んでいけば、喫煙所を撤去して屋内全面禁煙にしようという施設が増える恐れもある。かといって、屋外でも環境美化条例によって路上禁煙にしている自治体は数多い。「結局、加熱式たばこもどこで吸えばいいのかという不満が広がってくると、普及はなかなか進んでいかない」(前出・PM広報担当者) もはや、たばこは一部の人が楽しむ嗜好品となりつつある今、新たに登場した加熱式たばこがどこまで市場を形成することができるか──。普及スピードを上げるカギは、限られたパイを奪い合うメーカー間の製品争いだけでなく、第三者機関も交えたさまざまなリスク検証や情報公開をしながら、いかに“吸える環境”を整えられるかにかかっているともいえる。関連記事■加熱式たばこ 吸殻処理やマナー問題をメーカーに聞いてみた■加熱式たばこ 新デバイスも登場してシェア争いは一層熾烈に■JT加熱式たばこ 無臭にこだわり続けた開発苦労は報われるか■自殺した地方アイドルが苦悩していた「家庭でのトラブル」■水面下で蔓延しつつある液体大麻 常習者の身勝手な理屈

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    むやみに脱プラしたがる欧州の「エゴ」に日本はどう付き合うべきか

    小倉正男(経済ジャーナリスト) 脱プラスチック、すなわち脱プラの取り組みが加速している。 その背景には、プラスチックごみによる海洋汚染が世界的に注目されたという事情がある。環境問題に敏感な欧州連合(EU)、そして環境について無関心なトランプ政権のアメリカにおいてもカリフォルニア州など各州ベースで脱プラに向けての規制が導入されている。 環境汚染が深刻化する中国は、日本や欧米からプラスチックごみを輸入していたが、2017年に李克強首相が「海外ごみの輸入を厳しく禁じる」と表明。18年1月からプラスチックごみをはじめとする資源ごみを原則輸入禁止とした。 日本は脱プラの取り組みが遅れていると言われてきたが、今年6月に原田義昭環境相(当時)が「レジ袋の無料配布を廃止する」と発表。コンビニなど多くの店舗で無料配布されているプラスチック製レジ袋を一律に有料化する法令を制定すると宣言した。すでにスーパーなどはプラスチック製レジ袋の有料化に踏み込んでおり、レジ袋を廃止する企業も出てきている。 少し余談となるが、9月末に開催された国連気候行動サミットでは、小泉進次郎新環境相が地球環境問題に関連して「楽しくクールでセクシーに」と発言して国内メディアに揶揄(やゆ)されたりした。アジェンダ(議題)としての本質上、なかなか「クールでセクシー」というわけにもいかない。だが、ともあれ日本の脱プラも後戻りできない状況となっていることは間違いない。 しかし、お国の動向を待つまでもなく、企業は脱プラに動き出している。 アパレルの世界的企業であるH&M(エイチ・アンド・エム=スウェーデン)は、2018年12月にプラスチック製袋を廃止し、手提げ用紙袋に切り替えた。しかも、紙袋は有料化(20円)、結果として客にエコバッグ携帯のショッピングをアピールした。 さらに今年4月に東京・銀座並木通りにオープンした世界旗艦店の「無印良品 銀座」は原則としてプラスチック製包装袋を廃止して、手提げ用紙袋を採用した。寝具のような一部の大型商品にはプラスチック製の袋が用意されるが、有料化(150円)されている。次回来店時に返却すれば、キャッシュバックされるシステムが採られている。 同店はさらに、「マイバック」として、コットンや麻素材の低価格なバッグを並べて購買を促している。さらに、商品をつり下げているフックをプラスチック製から紙製のものに切り替える試みも行っている。無印良品としては、このやり方を銀座店から全店に広げていくと宣言し、エコ・イメージをアピールしている。 4月にリニューアルオープンした「銀座ロフト」もプラスチック製袋を紙袋に切り替えた。ロフトも脱プラの動きを今後、全店に広げていくと表明している。インドネシアの海岸にたまったプラスチックごみ=2018年4月(ロイター=共同) このように、流行の発信地である銀座から脱プラの動きがスタートしたことは今後の動向にインパクトを持つことになる。「紙袋はエコでクールだ」、という価値観やライフスタイルが広がっていく可能性も高い。日本の場合、動き出せば、一気に浸透していく傾向がある。もはや脱プラの動きは避けて通れない、と判断し、前向きに取り組む企業も増えてくるだろう。 H&M、無印良品などのように、いち早く先手を打って脱プラ、すなわちプラスチック製袋廃止に取り組めば、企業や店舗にとってエコ・イメージをアピールできる。企業としては、脱プラが避けて通れない経営事案であるとすれば、企業・店舗のエコ・イメージを向上させる経営オプションとして躊躇(ちゅうちょ)しないというわけである。紙袋は本当にエコか イオングループは、2007年から一部の店舗でレジ袋の有料化を行っていたが、コンビニのミニストップやドラッグストアのウエルシアホールディングス(HD)もプラスチック製レジ袋の有料化を拡大。化粧品、健康食品メーカーのファンケルは今年3月に紙袋への転換を打ち出した。そして遅ればせだが、今年9月にユニクロのファーストリテイリングも追随した。  脱プラの当面の主役は、プラスチック製レジ袋に代わる、手提げ用の紙袋にほかならない。紙袋で最大手企業であるザ・パックは「色々な企業から紙袋に引き合いが活発化している」(藤井道久常務コーポレート本部長)と表明。紙袋製造企業は百貨店の退店などにより低迷に直面していたが、脱プラによって需要に強い追い風が吹いている。 ただ、紙袋が完全に「エコ」であると言い切れない面もある。紙製品はもちろん自然由来であるが、木材チップからパルプ、パルプから紙に加工する段階で大量の重油を使用する。また森林資源の保全という問題も抱えている。 紙関連業界は、FSC(フォレスト・スチュワードシップ・カウンシル=森林管理協議会)認証を取得して森林保全に配慮する企業姿勢を見せているのだが、自然由来だけに、紙製品を大量に供給・消費すれば森林資源の枯渇につながりかねない。脱プラでプラスチック製袋から紙袋に需要が切り替わるのは確かに悪いことではない。しかし、それはそれで手放しで良いことばかりではないのだ。 脱プラの切り札として、当面は紙袋に需要が大きく回帰するのは間違いない。だが、紙袋の問題は、企業にとってプラスチック製袋に比べるとコスト面でかなり割高である。しかも今後、さらに価格が上昇していく可能性もある。紙袋に入れた商品を手渡すH&Mジャパンの男性従業員=2019年2月、東京都渋谷区 2018年後半には製紙大手企業が紙袋の原材料となるクラフト紙の15%超の値上げを実施した。製紙企業は、原材料である木材チップ、パルプ価格の上昇を値上げの理由としている。製紙企業は人手不足による物流費高、人件費の高騰なども値上げの理由として並べている。 紙袋企業はクラフト紙などの原材料高を受け、製品価格への転嫁を進めているが、脱プラにより紙袋への需要が一極集中するといった事態が起こっており、こうした需給要因からも価格転嫁が浸透しているのだ。日本は「プラ」で勝負を このように、紙袋の最終的な顧客である企業・店舗の需要者側は、紙袋のコスト負担に苦しむことになりかねない。紙袋のコスト負担がさらに増加すれば、外資系アパレル企業のH&Mのように紙袋を有料化して、客に一部を負担させるということに帰結していくことも考えられる。しかし、仮に紙袋を10~20円で有料化を行っても、提供する企業・店舗側はそれでも持ち出しで赤字とみられる。 H&Mが先行して行った紙袋の有料化は、結果的には今後の新しい「世界基準」という見方もできる。同社は苦し紛れに自社の紙袋コスト負担を軽減するために紙袋有料化を行ったわけだが、これは客のエコバッグ携帯を促進するには、理論的にも正当なやり方という見方もできる。ただし、これはまだ決定的なトレンドにはなっていない。 「紙袋が有料化されるのか無料配布となるのか世界的にもまだはっきり見えていない。日本でもアパレル企業、あるいは百貨店、専門店、化粧品企業などでそれぞれ取り組みが異なっている」(紙袋業界筋)。 現状は紙袋を有料化するのか無料なのか、はっきりしたトレンドにはならずカオス状態である。それだけに各企業はプラスチック製レジ袋を紙袋に切り替える段階で「有料化か無料化か」という判断に迫られる。各企業としては、どう判断するか悩ましい状況と言える。 そもそも、日本が脱プラに遅れたのは、プラスチック生産で世界5位、日本人 1 人当たりのプラスチックごみ廃棄量が世界2位に位置していることと無関係ではない。 プラスチックは、安価で造形性に優れ、しかも耐久性があり、ありとあらゆるモノに用途拡大を成し遂げてきたのが現実である。 プラスチックは鉄やセラミックなどの特殊産業分野まで代替してきており、半導体関連などを含めてハイテク製品でもプラスチックが席巻しており、まさに技術革新(イノベーション)のたまものと言える製品ジャンルである。G20エネルギー・環境相会合で環境負荷の少ない素材で作ったコップを手にする世耕経産相(中央)。右は原田環境相※共に当時=2019年6月、長野県軽井沢町 世界的な脱プラの動きは、日本のプラスチック関連業界を直撃するが、過去がそうであったように技術革新で生き残るしかない。取り換えがきかないと思われてきた特殊産業分野などはまだまだあり、プラスチックは他の素材の代替する用途開発が進められることになる。 逆境をテコに環境のサステナビリティーと調和を目指す、分解できるプラスチック製品の提供なども今後の開発の焦点になるとみられる。

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    「ロスジェネ中年」なぜ恐ろしいのか

    30代後半~40代は「ロストジェネレーション」(失われた世代)と呼ばれ、貧困や引きこもり、犯罪などが社会問題化している。安倍政権はこうした就職氷河期世代を「人生再設計第一世代」とし、就労支援などを行う方針だが、あまりに深いロスジェネの闇を今さら解消できるのか。

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    永遠に抜け出せない「ロスジェネ世代」の救いなき飢餓感

    古谷経衡(文筆家) 複雑と言おうか。悲しいというか。ロスジェネ世代に関する衝撃的なニュースが飛び込んできた。兵庫県宝塚市によるロスジェネ世代救済の施策である。 就職氷河期世代(ロスジェネ世代)」とされる30代半ば~40代半ばの人を正規職員として採用する方針を明らかにしていた兵庫県宝塚市は30日、募集締め切りとなる同日までに計1816人の応募があったと発表した。募集人数の3人に対し、倍率は600倍強となった。(略)中川智子宝塚市長は取材に「予想を超える応募状況。それだけ多くの方が支援を必要としていると実感した」。さらに「宝塚市だけでは砂漠に一滴の水を落とすようなもの」と述べ、他の自治体や民間企業に就職氷河期世代の人々を安定的に雇うよう訴えた(2019年8月30日、朝日新聞、一部筆者による強調、言い換えなどあり) なんと悲しいニュースであろう。ロスジェネ世代がたった3人の応募枠の中に殺到する。砂漠に行って木に水を落とすようなものではなく、まさにカンダタに対する「蜘蛛の糸」ではないか。 かくいう筆者も36歳で、いわゆるロスジェネ世代に当たる。団塊ジュニア世代とも呼ばれるこの世代は、バブル景気が崩壊し、民間各社が新規採用を絞り、「リストラ」の嵐が吹き荒れていた1990年代後半~ゼロ年代前半までに多感な青春時代を迎えた層であった。 筆者は、関西の某私大に2001年入学、順調にいけば05年卒業(就職)の年代なので、まさにこのロスジェネ世代の飢餓感は他人事とは思えない。筆者の出た私大は、まず関西の中では知名度が高い部類に入り「就職に強い」などと自己喧伝(けんでん)していたが、いわんや文学部歴史学科と言う地味な学科での就職状況は厳しいものがあった。 中世における荘園の多重構造を研究していたA君は、大阪にあるマヨネーズ製造会社の内定をもらった。荘園とマヨネーズ。私には、A君が学部とはいえ4年をかけて追求してきた史学のテーマと、マヨネーズがどう考えても結びつかなかった。 土佐勤皇党の研究をしていたB君はキヤノン(東京本社)の内定をもらっている。土佐勤皇党とキヤノンもまた、筆者の中では自動車とマグロくらい、似ても似つかないものであった。南北朝動乱期における北朝研究に邁進したC君は、京都銀行の内定をもらった。北畠親房と京都銀行。これも正直いって何の相関性があるのか筆者にはよく分からない。 みな、大学の4年間でやった研究テーマなどかなぐり捨てて、学校の知名度だけを唯一のよりどころとして、「へたな鉄砲数うちゃ当たる」方式で機械式にエントリーシートを出して、また相手側も本学の知名度のみをよりどころにして一定数の採用枠を設け、そこに滑り込んだだけのお話である。こう考えると、大学での高等教育って何なんだろうとさえ思う。それだけ、就職事情が厳しかったということだ。 かくいう筆者はどうであったのかと言うと、そもそも不良学生で大学の必要卒業単位を大幅に取りこぼして、その結果大学を7年度目まで留年した人間の屑(くず)であるから、逆に泰然自若と言おうか、達観した感慨になって、必死になって就活している彼ら同級の学生らと距離を取って観察することができた。1996年6月、大学卒業者の就職浪人を対象に開かれた就職面接会=東京都文京区の東京ドーム「プリズムホール」 他には、京都府庁、京都市役所、大阪府庁、大阪市役所、関西圏の各小都市の市役所など公務員の道に進む者。関西アーバン銀行(現関西みらい銀行)、滋賀銀行、和歌山銀行(現紀陽銀行)、京都信用金庫、京都中央信用金庫、大阪信用金庫、大阪市信用金庫(現大阪シティ信用金庫)など地銀・信金組合に進む者。 あとは、(これは本学でも優秀な部類だが)オムロン、京セラ、島津製作所、日本電産、任天堂、村田製作所、ロームなどの、いわゆる「京都企業」に辛うじて引っかかる者。残りは前掲した企業群よりももっと小規模な私企業か、大学院進学か、実家に帰るか、フリーターをやるかの千差万別であり、正直言って2005年当時、まだしも関西の私学では「良い就職実績の部類」であった。「オンラインサロン」という疑似宗教 しかし、前掲したように、これらの企業への就職と当時の学生らの4年間にわたる研究テーマが合致していたのかというと、疑問を抱かざるを得ない。みな、就職活動に必死だったことだけは確かである。 冒頭の宝塚市のニュースのように、ロスジェネ世代には妙な飢餓感がある。まず、自分の進みたい将来方針に対する選択肢が皆無であったこと。自分の進もうとする将来方針を、物理的に遮蔽する時代状況が存在したこと。あるいは、自分の進みたい将来方針の策定さえ、未準備で就職戦線に放り出され、失敗を繰り返すうちにやる気を失い、就職戦線自体から離脱していく者。こういった人々が本当に多い。 1997年まで一応の経済成長を遂げていた日本は、同年の消費税増税(5%)および97年から翌98年の金融危機(山一證券、北海道拓殖銀行の破綻など)でダブルパンチに陥り、一挙にマイナス成長へと転がり落ちた。不景気が長引き「構造改革」が必要だとされた時期にさっそうと登場してきたのが小泉純一郎政権であった。 しかしながら、この構造改革は、まだ辛うじて健在であった都市部における中産階級の所得を軒並み落としこみ、代わりに経済界の要望であった非正規雇用が激増するという、社会階層のほとんどすべてを巻き込んだ大混乱の時代へとつながっていく。 「ハケン」という言葉がある種の流行語となったのもゼロ年代中盤である。現在、非正規雇用は労働者全体4割にも及ぶが、まさにこの空間的スポットともいうべき社会のどん詰まりに陥ったのがロスジェネ世代である。 自らの自己実現が達成できない飢餓感。あるいは、自らの自己実現方針が何なのか分からないまま、悶々と社会の輪転機として存在し続ける自己存在への懐疑。まさしく、こういった世代を対象に隆盛しているのが「オンラインサロン」というネット上の疑似宗教である。「教祖」(サロン開設者)の言うことを聞けば、富やスキルが手に入る。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 何のことはない、これは「ネット宗教」の一種だが、飢餓感と窒息感で満たされていない、と感じるロスジェネ世代はここに殺到する。オンラインサロンの平均加入者は、圧倒的に30~40代が多いこともその証左であろう。彼らの満たされない飢餓感が消えるのは、いったいいつのことになるのだろうか。 そんなときは永遠に来ないというのが、筆者の見方である。誠に絶望的な、誠に深刻な「時代の犠牲者」こそがロスジェネ世代であり、たった3人の「砂粒」に1800人が殺到する(宝塚市)。この異様な飢餓感の打開策は、残念ながらない。

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    同じ「ロスジェネ中年」でも女性が凶悪犯罪を起こさないワケ

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) ここ2~3年ほどの間、日本では40代もしくは50代の子供が70代や80代の親と同居し、親の年金や収入に頼る「8050(7040)問題」や、就職氷河期に正社員になれず、40代、50代の現在もフリーターや非正規雇用の社員として厳しい生活を送っている「ロスジェネ問題」が話題になるようになりました。 団塊やそのちょっと上の世代の80代の親たちが、高齢化して病気がちになったり、要介護になったり、亡くなる例が増えてきた、また、子供たち世代が若いとは言えない中年世代になり、将来の先き行きに不安を実感するようになったのが原因でしょう。 かくいう私も大学を出たのが1998年で、就職氷河期ど真ん中世代であります。 同級生の大半は公務員になったり、インフラ系企業に就職、もしくは学生時代のアルバイトの延長からマスコミ系企業の社員になる、当時盛り上がりつつあったネット業界で働き始めるという感じです。 ほとんどが正社員で採用されてはいるのですが、その後会社が傾いて格下の企業に転職したり、かなり厳しい業績目標にさらされてヒーヒー言っているなど、数年前の世代や、今の20代に比べると不利な条件で働いているという状況であります。しかし、仕事があるだけでもありがたいのですが。 私の場合は大卒後アメリカの院に進学して、新卒ではありましたが、中途採用みたいな感じでネット業界に入って日本と海外を巡回しておりますので、ロスジェネの典型的な就職パターンとはかなり違う道を歩んでおります。 しかし、私も同級生たちも、ここ5年ぐらいの間に親が亡くなったり、要介護になったり、体調が悪化したり、自身も血圧や血糖値が上がって老いを感じるようになったりと、時の流れを考えてしまう年齢になり、さらに子供と親の介護費用の板挟みで、自分の老後はどうなるのかと不安だらけであるので、ロスジェネ的な悩みにどっぷりであります。 さらに気になりますのが、ここ最近日本で起きている凄惨(せいさん)な事件の容疑者が、40~50代で、まさに自分と同じロスジェネ世代であることです。 例えば川崎20人殺傷の岩崎隆一容疑者(51)=被疑者死亡のまま書類送検、京都アニメーション放火事件の青葉真司容疑者(41)、あおり運転・暴行の宮崎文夫容疑者(43)などです。※写真はイメージです(GettyImages) これらの事件の原因を、彼らがロスジェネ世代で就職できなかったからだ、社会の先行きが見えないからだという陳腐で型通りの批判で済まそうとは思いません。しかし、こういった事件の容疑者が男性で、引きこもりや周囲とのトラブルがあり、現状や将来への不安により精神が不安定になったという要素もないとは言えないでしょう。 しかし、ロスジェネと申しましても、男性も女性も同じような悩みを抱えております。凶悪犯罪、なぜ男性ばかり? なぜ男性が関与する事件ばかりが目立つのか? 海外でも大量銃撃や凶悪犯罪などに女性が関わることは男性よりも少ないわけですが、潜在的不安やつらさを抱えた日本のロスジェネ世代も、外に暴発するということはないようです。 たしかに40代女性がダンプで牛丼屋に突っ込んだという事件は耳にしませんね。しかし非正規雇用の70%は女性で、平成29年の国税庁の調査によれば、非正規の女性の年間平均給与は151万円という貧困レベルで、生活は相当苦しいはずです。 しかし、女性は暴発はしない。これは日本では新卒就職するはずだった1998年頃でも「どうせ女の子だからお嫁に行くのよね。派遣でもいいわよ」といわれ、親も親戚も特に期待せず、職場でも補助的な仕事ばかりあてがわれ、最初から社会のカースト外だったというのがあるでしょう。 最初から期待されない分、男性のようなプレッシャーにはさらされず、「派遣なの」「契約なの」と言っても飲み会で「そうなんだ~」と言われるだけで、厳しい視線にはさらされない。最初からあきらめ状態だった分、男性よりは貯まる怒りも少なく、親には介護要員と期待されることもあり、自分の感情を抑制して忍耐強く生きている人が多いからでしょう。 境遇はつらいですが、日本のロスジェネ女性たちは柳のように柔軟で強いです。つらい中でもささやかな楽しみを見つけ出します。 家は丁寧に掃除され、服にはアイロンをかけて、100円ショップで見つけた季節を感じさせるインテリアを部屋に飾って、クーポンを活用して友達とおしゃべりしながらワイワイと気晴らしをします。私が知っている女性ロスジェネ世代はそんな感じです。 高齢になった女性たちや、夫を先に亡くした女性たちも同じですが、女性はやはり男性よりも逆境に強く柔軟だと思います。そんなことを言うなんて差別的だと言われるかもしれませんが、やっぱり女は、料理とか、ちょっと掃除がうまくいったとか、友達との他愛もないおしゃべりとか、爪を塗ってみるとか、そういう細かいことで気晴らしをするのが上手ですし、社会的地位にはあまりこだわらない人が多いです。 男性を見ておりますと、同窓会や会合で、われ先にと仕事や地位の自慢を始め、名刺を交換し、男性同士の飲み会では自分がいかに強いか、金があるかということをマウンティングし合います。それは女の世界ではあまり見られないことです。男性には手芸とか爪を塗るとか、部屋を飾るという小さな楽しみで満足する人があまりいませんね。そういう違いが、ロスジェネ世代の男性の暴発を生んでいる気がしてなりません。※写真はイメージです(GettyImages) しかしながら、ロスジェネ世代の女性も今後の生活のためには自衛が必要です。女性の柔軟性と頭の良さを駆使して対策を取りましょう。住宅ローン、夫、子供を抱えてない分、対策が取りやすいという利点もあります。ロスジェネ女性同士で暮らす まず私がおすすめしたいのが、ロスジェネ世代の女性同士で同居することです。 イギリスには50代以上の独身女性だけが住めるシェアハウスがあります。庭とキッチンとリビングは共同で、部屋は別ですが、気が向いたときにおしゃべりしたり、庭を手入れしたりという風に過ごします。一軒家をシェアしていますから家賃も格安です。何かあったら他の人に救急車を呼んでもらえます。 60歳以上とか70歳代になると高齢者用アパートに移る人もいますが、そこもシェアハウスのような作りのことが多いです。違いは常駐の看護師がいたりすることです。 また、私の知人の80代日本人女性は、女友達と一軒家を買って20年ほど前から二人で住んでいます。気心知れた友達なので気兼ねもなく、病気のときはお互いに看病しあっています。 一緒に住むのは別に親族でなくても構わないのです。女性は柔軟ですし、男性みたいなマウンティングもしないし、身の回りのことはちゃんとする人が多いので案外うまくいきます。家賃も光熱費も節約になりますし、何よりも生活に張り合いがでます。 2点目は非正規雇用だからと諦めずに、勉強継続してスキルを身に着けて転職したり、副業で稼ぐことです。 例えば事務職だった方がデータベースの作り方やLAN(ローカルエリアネットワーク)の組み方を学んで、情報システム部も兼ねた総務部員として働けば、キャリアの選択肢がぐんと増えます。中小企業や地方の職場、福祉施設等は案外そういうデュアルなスキルを持った人がいないので重宝されます。そういうスキルの組み合わせ、さらに人が足りていないところを探します。今は人手不足なのでチャレンジすればチャンスは巡ってきます。 副業に関しては仕事をしながら家でもできることにコツコツ取り組むこと。1カ月に稼げるのが1万円でも2万円でもあれば大成功です。チリも積もれば山となるでコツコツやっていけばお金はたまります。 動画に広告をつけて配信する、手作り品をネットで売る、絵を書いて売ってみる、アンケートに答える、自分の得意なことをブログに書いて広告を付けてみる。とにかくなんでも構わないのです。トライアンドエラーでとにかくやってみて、うまくいきそうな方向を見つけて注力する。その繰り返しです。 3点目はとにかくお金を貯めることです。年をとっても年金だけでは生活はできないので、とにかくお金をためること。そして「タネ銭」がたまったら運用することです。ただし株は素人には難しいので大手の会社のインデックスファンドに投資をします。毎月少しずつでも構いません。※写真はイメージです(GettyImages) さらに生活を「ダウンサイジング」する方法を考えます。ダウンサイジングとは縮小するという意味です。例えば賃貸に住むのをやめて、住んでいた人が高齢化して空き家になっている中古住宅を購入して住んでみる。リフォームはDIY(日曜大工)でも可能な物件もたくさんあります。 こういう家は首都圏の通勤圏にかなりあります。自分は一室に住んで他の部屋の他の人に貸すという方法もありでしょう。値段が安いので貯金で買えることもあります。

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    「もう思春期じゃない」令和のロスジェネたちになぜ勝負させるのか

    熊代亨(精神科医) 就職氷河期世代、いわゆる「ロスジェネ世代」について語るとき、当該世代である私はどうしても政治的にならざるを得ない。ここでいう「政治的」とは、「ロスジェネ世代の肩を持たずにはいられない」ということだ。 2019年4月、政府はこのロスジェネ世代の支援策を発表した。「人生再設計第一世代」と呼んで、雇用の安定化や中途採用等支援助成金の緩和などを推し進めていくという。 しかし、「人生再設計第一世代」とは一体何だろう。私の周囲には、このボキャブラリーに白けきっているロスジェネ世代が少なくなかった。 私個人は「臭いものに蓋(ふた)」をするような、一種の言葉狩りだとも思った。ロスジェネ世代をポジティブに言い換えてみたところで、暮らし向きは変わらない。過ぎた時間も戻らない。 そう、私たちの世代にはもう何もかもが遅すぎた。政府のかけ声とは裏腹に、ロスジェネ世代の多くには、人生の再設計の余地があまり残っていない。 米国の心理学者、E・エリクソンの発達段階説で考えるなら、今、この世代が迎えているのは壮年期であり、もはや思春期ではない。エリクソンの学説に沿って、壮年期の特徴をざっくり語ると、壮年期とは、思春期までの人生経験によって生産的にも停滞的にもなる人生の時期であるとされる。2019年9月、「就職氷河期世代」を対象とした兵庫県宝塚市の採用試験に臨む受験者 ロスジェネ世代の過半が30代も半ばを過ぎていることを思うと、「もう勝負の時期は過ぎている」ということだ。政府は、何より国民は、どうしてもっと早くロスジェネの人生に手を差し伸べられなかったのか。「自己責任論」という麻酔 理由の一端は、当時流行した自己責任論があるだろう。雇用の流動化と、より自由な個人生活を追い風として、90年代~00年代にかけて、自己責任論が最先端の考えとして、もてはやされていた。 今、自己責任論というと、全面的にロスジェネ世代を虐げた風潮だとみなす人も多いかもしれない。だが、実のところ、少なくないロスジェネ世代自身がこれを肯定していたことを私は憶えている。 当時の自己責任論には、単なるシバキ主義では説明しきれない、個人の自由を尊重した、新しいライフスタイルを肯定する響きが混じっていた。自己責任論の背後にべったりと張り付いた「より自由なライフスタイル」という響きは、終身雇用制度がまさに破壊されようとしている端境期のロスジェネ世代に麻酔のように効き、おそらく他の世代をも麻酔してしまった。 個人の自由などと言っていられない状況であるという認識が本格的に広がったのは、00年代の後半あたりからである。 もちろん、ロスジェネ世代にもサバイバーがいなかったわけではない。実力によって、タフネスによって、何より強運によって就職氷河期を泳ぎきり、生産的な人生の盛りを迎えている人たちだ。 エリクソンが語る生産的な壮年期とは、子育てをすることだけを指すのではない。職場の後進の育成に努めたり、自分の業界をリードしたりすることも含まれる。今、さまざまな業界の第一線では、ロスジェネ世代のサバイバーたちが活躍している。2019年7月、就職氷河期世代の「支援推進室」の職員に訓示する茂木経済再生相 他方で、あまりにもたくさんのロスジェネ世代が時代に翻弄(ほんろう)され、生産的になり難い境地に立たされたまま令和の時代を迎えている。エリクソン自身は停滞的な壮年期についてやや批判的な書き方をしていたし、それは彼が活躍した古き良きアメリカ白人社会では妥当するものだったかもしれない。 だが、毎日の生活で精いっぱいのまま令和の時代を迎えた日本のロスジェネ世代、生産的な社会的ポジションにたどり着きたくてもその機会に恵まれず、今世紀に入ってからも流浪の生活を余儀なくされた壮年の人々を見知ってもなお、停滞的な壮年に批判的な目線を向けるのは困難である。いま支援する「意味合い」 ロスジェネ世代に対する政府の支援は、もちろん無いよりはずっと良いし、重い腰をあげたことは評価すべきだろう。しかし、ロスジェネ世代がまだ思春期だったころに政府が支援するのと、もう壮年を迎えてから支援するのでは、その意味合いはまったく異なる。 政府の支援があと10~20年早かったら、まだ思春期の面影を残していた彼らの人生には可塑(かそ)性があり、将来的に子育てをしたり、後進の育成に努めたり、業界をリードしたりする人材になり得たかもしれない。社会的立場という意味でも、心理的な布置という意味でも、思春期とはそういう時期だからだ。 ところが、今ロスジェネ世代を支援して得られるのは、思春期的な可塑性や可能性ではない。社会的にも心理的にも生産的になりきれない人々に糊の口を提供し、停滞的ではあっても年金と税金を支払うマシーンとして生き続けていただく。そのための支援にならざるを得ないのではないだろうか。 時の政府は、この支援を「人生再設計第一世代」と呼ぶけれども、その内実は敗戦処理であり、鬱屈(うっくつ)した日々のなかで停滞的にならざるを得なかった壮年を、どうにか生かし続け、社会が困ってしまわないようにするための手だてであるように、私には見えてしまう。今となっては、それはそれで必要な支援ではあろうけれども、若返りの霊薬として効くことはあるまい。 昨今、ロスジェネ世代の犯人によって世間を大きく騒がせる事件が相次いで報道され、そこからロスジェネ世代の行き詰まりについて論じる向きがある。が、私個人は、世間を騒がせるような大事件は、まずその犯人の個別性や異質性が十二分に検討されるべきで、安易に世代論に還元してはいけないと考えている。 仮に、特定の世代や思想信条が事件を生む傾向があるとしても、それは統計的に裏付けられていなければならない。また、もしそのような目で法務省の犯罪白書を眺めるなら、ロスジェネ世代よりも団塊世代に対し、そのような目線は向けられてしかるべきではないだろうか。2019年8月、京都市伏見区の「京都アニメーション」第1スタジオ近くの献花台にささげられた折り鶴とメッセージ 事件の報道とは関係なく、不遇のうちに苦闘してきたロスジェネ世代の、構造的な行き詰まりにはこれからも意識を差し向け、支援がなされるべきだろう。私はそのような社会的合意が形づくられることを、望まずにはいられない。 世代のマスボリュームから考えても、今日まで続く雇用の不安定性から考えても、それは自己責任の論法で片付けられるものとは思えないからだ。

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    なぜ日本でこれだけ引きこもりが増えたのか

    本多カツヒロ (ライター)『子育てが終わらない』小島貴子准教授インタビュー 川崎市多摩区で起きた殺傷事件の容疑者が引きこもりであったことから、引きこもりがまるで犯罪予備軍であるかのような報道があった。これに対し当事者らでつくる団体は偏見を助長すると声明を発表した。 今年3月に内閣府が公表した推計値では、40歳から64歳の中高年の引きこもりが全国に61.3万人いるという。キャリアカウンセラーとして引きこもりや就職困難者の支援を行ってきた小島貴子・東洋大学理工学部生体医工学科准教授と、引きこもり問題の第一人者として臨床に携わる精神科医の斎藤環氏が対談した『子育てが終わらない』(青土社)。今回、中高年の引きこもり状態の背景に何があるのかなどについて小島氏に話を聞いた。――今年3月に内閣府が中高年の引きこもりが約61万人と発表し衝撃を持って受け止められました。引きこもりや就職困難者の支援を続けてきた小島先生にとっても驚きでしたか?小島:内閣府の調査では、約61万人と公表されましたが、私たちは100万人近い中高年の引きこもりがいると推定しているので特に驚きはありませんでした。 斉藤先生と出会ったのは10年以上前に開かれたパネルディスカッションでした。当時、すでに引きこもりの子どもが40代で、親が70代の「4070問題」があったので、より高齢化し現在のように「5080問題」になるのはわかっていました。――一口に引きこもりの子どもがいる家庭と言っても、さまざまな状況があるのは承知していますが、なかでも多く見られるのはどのような家庭状況でしょうか?小島:親にある程度の経済力がないと引きこもることはできませんから、一定以上の経済力のある世帯に多いですね。たとえば以前、日本の大手企業で、社員に妻や20歳以下の子ども、高齢の両親などを除き扶養家族がどれくらいいるか調べてもらったことがあります。その結果、部長、課長クラス以上の世帯に引きこもりと思われる成人の扶養家族がいることがわかりました。 また引きこもりの子どもがいる家庭では、夫婦関係が機能していないケースが目立ちます。引きこもりのカウンセリングでは、相談に訪れるお母さんの多くが「子育てに失敗した」「私が悪い」と自責の念にかられています。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) こうした家庭では男性が稼ぎ、女性が子どもを育てる役割を担っている場合が多いので、夫は妻に対し「お金は十分渡しているのに子どもの教育に失敗して、学校にも行かないし働きもしないじゃないか」と妻を責め立てる。もしくは、まったく口をきかず、無視をする。あるいは、学校が悪いと外に責任を押し付ける傾向があります。本来ならば、家庭で起きた問題は夫婦が協力して解決するべきですが、どちらかに責任の比重が重くのしかかり、夫婦関係が正常に機能していません。会話量と理解力はイコール――夫婦関係が機能していない場合、どうすれば再び機能するようになるのでしょうか?小島:単語だけで会話をする夫婦は機能しているとは言えません。会話量と理解力はイコールなのです。ヨーロッパ、特にフランスやイタリア、スペインなどではカフェなどでよく話している光景を目にします。 その理由をイタリア人と結婚した親友に聞くと「争わないため」だと言います。ヨーロッパは有史以来、地理的に地続きで争いが絶えなかったので話し合うことで戦争に発展しないようにしていると言うのです。いまでもパートナーや親しい人たちと頻繁に会話するのは争いごとを避けるためだと言います。 日本人は言葉にすると逆に争いごとになると思い会話をしない傾向があります。言葉にしないから相手が何を考えているのか理解できずに、忖度して物事を進め、結果的に子どもが深刻な問題を抱えていることがある。夫婦間の会話がないと子どもも自然と話さなくなります。おしゃべりな引きこもりはいません。――なぜ日本でこれだけ引きこもりが増えたのでしょうか?小島:社会に欠損があるからだと思います。特に社会に蔓延する「同調圧力」の強さです。 人と人がわかり合うには、まず自分自身を理解しないといけません。たとえば「私は〇〇です」と〇〇の部分を授業で学生に埋めてもらうと最初の30~40個はだいたい皆同じものが出てきます。41個目から出てくるものが個性です。 学校という装置のなかでは、集団性に対する美化、同調圧力により人と違うこと、つまり個性が認められない。そうなると、個性を持ち、集団に馴染めない子どもたちは生きづらさを感じるようになります。生きづらいと引きこもりやすくなります。引きこもるきっかけは様々ですが、小中学校時代から不登校がちだったりと、子どものときから生きづらさを抱えている人は多い印象です。――子どもが将来引きこもりにならないために、子育ての中で意識するとよい点はありますか?小島:子ども自身が考え、決定するトレーニングはしたほうが良いですね。親が優秀であればあるほど、自分の考えが正しいと思い込み「子どものためだから」と判断し、指図しがちです。――たとえば「この学校を受験し、この会社に入りなさい」といった具合にですか?小島:もちろん、それが子どもにとって重要だと考えるから指図していると思いますが、その道を進んで子どもが本当に幸せかどうかはわかりません。――もし引きこもってしまった場合にはどうすればよいのでしょうか?相談に対する高いハードル小島:第三者である行政やNPOなどに相談すると解決はしやすいです。ただし、無理矢理部屋から引きずり出すなど暴力的に引きこもりを解決しようとする団体には注意が必要です。 しかし、これだけ引きこもりがいる現状を見ると、いかに相談に対するハードルが高いかがわかります。まず支援側は「相談に乗ります」ではなく、「最近、親子の会話が少なくて困っていませんか」「夫婦の会話が少なくないですか」「子どもが部屋から出てこないことがありますか」など具体的な事例でハードルを下げアウトリーチすることが大事です。――引きこもりの方のカウンセリングを担当されていたわけですが、実際はどのように相談が進むのですか?小島:最初は、相談すること自体のハードルが高いので相談者に対し寄り添うことが重要です。たとえばお母さんが来てくれた場合、「よく相談に来てくれましたね」「いままで大変でしたね」と言ったように。 子どもが引きこもった経緯は聞きません。そして帰り際に「今日はどうでしたか?」と聞くと、大抵は「スッキリした」「気持ちが楽になった」と答えてくれます。 それを夫や子どもに伝えてくださいとアドバイスします。子どもも夫もお母さんや妻に対し悪いと思っているので、お母さんの気持ちが楽になって良かったと思うわけです。そうすると次からは夫も相談に来るようになります。 相談に来て話すことの何が良いかというと、自分がしたことや思っていたことを言葉にするので、言語で認知することになり、客観視できるようになります。そこが重要で、そうなれば解決の糸口が見えてきます。最終的には当事者が出てきてくれれば、解決する確率が高くなります。 当事者が相談に来たら、どんな仕事でも良いので挑戦してみるように話をします。親は、すぐに正社員で雇ってくれるところが良い、安定が一番だとなりますが、そこで急いではいけません。『子育てが終わらない 新装版 ―「30歳成人」時代の家族論』(小島貴子,斎藤環 著、青土社) そもそも「安定」は社会的な装置ではなく、自分のなかにあるものです。毎日、やることや行くところがあり、「よし今日も一日が終わった」と自分を認めてあげられるのが大事です。会社や人間関係に依存していればそれがなくなった瞬間に「安定」はなくなります。――本書のタイトル「子育てが終わらない」という状態はまさに引きこもりに悩む親の悲痛な叫びではないでしょうか。小島:子育てには精神的、社会的、経済的に何歳ごろまでにどうやって自立させるかといったある程度のタイムスケジュールが必要です。本当の意味での自立とは、どんな状況でも暮らしていくことができること。自立することで自尊感情が生まれます。ところが、日本社会の自立の基準は、「ちゃんとした学校を出て、ちゃんとした会社に勤める」という「ちゃんと」という曖昧な基準で子どもを縛っている。 また、「あの子はできるのに、うちの子はできない」と他の子と比較するのをやめましょう。子どもによって発育も違います。他人と比較し、善悪を判断している限り、子育ては終わらないのではないでしょうか。

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    「下級国民」へと落ちこぼれた氷河期世代を救済することはできるか

     2019年6月に神奈川県川崎市で起きた小学生児童ら20人を切りつけた事件に、翌7月には東京都練馬区の住宅街で元農林水産事務次官が長男を刺殺した事件が続き、「大人のひきこもり」が大きくクローズアップされた。40~50代のひきこもりの多くは、バブル崩壊後の1990年代半ばから続いた「就職氷河期」で新卒採用が抑制され、その後もなかなか定職に就けず、長い間、世間から排除されてきたことが背景にあるといわれる。 さまざまな要因が複雑に絡み、長きにわたって排除されてきたことで「下級国民」とのレッテルが貼られがちな彼ら/彼女らに救いの道はないのか。 作家の橘玲氏は、新刊『上級国民/下級国民』(小学館新書)で「平成の日本の労働市場では、若者(とりわけ男性)の雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の雇用が守られた」と論じ、ひきこもりについて多角的な検証を加えている。「若いことが大きな価値をもつ女性と違って、男性がモテようとすれば、社会的・経済的な成功が求められます。男の性愛では『(権力やお金を)持てること』と『モテること』が一体化していて、社会的・経済的に成功できなければ『非モテ』として、社会からも性愛からも排除されてしまいます。これがネットスラングでいう『モテ/非モテ』ですが、男は年収が低いほど未婚率が高いことはデータからも明らかで、就職氷河期で正社員になれず、多くが非正規雇用に追い込まれた40代の男性を苦境に陥れています」(橘氏・以下同) 橘氏によれば、その先には「残酷すぎる現実」が待ち構えているという。「エリートやセレブは『努力して実現する目標』であり、近代以降、階級(クラス)は移動できるものになりましたが、『上級国民/下級国民』は、個人の努力がなんの役にも立たない冷酷な自然法則のようなものとしてとらえられています。 40歳過ぎまで『仕事がない、お金がない、女の子からも相手にされない』といった『非モテ』の人生を送ってきたら、そこから挽回するのはほぼ不可能です。いったん『下級国民』に落ちてしまえば、あとは『下級国民』のまま老い、死んでいくしかない。『上級国民/下級国民』というネットスラングには、そんな彼らの絶望が象徴されていると思います」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 安倍政権は「就職氷河期」世代を「人生再設計世代」と言い換えるほか、「就職氷河期世代支援プログラム」により、これからの3年間で30代半ば~40代半ばの氷河期世代の正規雇用者を30万人増やそうという計画を立てている。しかしながら、これまでずっと非正規で働き続け、すでに世間的に「仕分け」の済んでしまったひとたちが、いきなり正規雇用になってどんな仕事ができるのだろうか。「下級国民」から這い上がっていく道は、きわめて厳しい。◆橘玲(たちばな・あきら):1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。近著に『上級国民/下級国民』(小学館新書)、『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある』(集英社)など。関連記事■社会に適応できず“人間廃棄物”として排除される「下級国民」の現実■理不尽すぎる扱いを受け続けた「氷河期世代」に救いはあるか■「上級国民」というネットスラングの大拡散が示す日本人の心中■中高年の引きこもり、全国61.3万人とされるが実際は2倍以上か■氷河期世代が直面した過酷な就活と植え付けられた劣等感