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    吉本芸人がギャグにできない「闇営業」をおしまいにする三原則

    川上和久(国際医療福祉大教授、吉本興業「経営アドバイザリー委員会」座長) 大みそかの風物詩『NHK紅白歌合戦』、坂本冬美の歌唱前に登場したビートたけしをたまたま眺めていたときのことだった。たけし恒例の「表彰状ネタ」で、ちょうど紅白にゲスト出演した際のエピソードに入ったところだ。 「本番で出ていった瞬間に『残り10秒』というカンペを出されてしまい、わたしはそのまま闇営業に行こうかと…」とたけしが口走ると、総合司会の内村光良に「やめてください、生放送です!」と突っ込まれ、会場は笑いに包まれたのである。それだけ「闇営業」という言葉を誰もが知っており、2019年を象徴する言葉であることを印象付けたシーンだった。 恒例の「2019ユーキャン新語・流行語大賞」で、年間大賞には、ラグビーワールドカップの盛り上がりで「ONE TEAM」が輝いた。それでも、トップ10に「計画運休」「軽減税率」「スマイリングシンデレラ/しぶこ」「タピる」「#KuToo」「◯◯ペイ」「免許返納」「令和」と並び、「闇営業」が選出されている。 思えば、吉本興業に所属するタレントは、世相を反映させる数々の流行語を生み出して、新語・流行語大賞の受賞対象となってきた。2008年にエド・はるみの「グ~!」が年間大賞に選ばれたのをはじめ、レイザーラモンHGの「フォーー!」(05年)、楽しんごの「ラブ注入」(11年)、とにかく明るい安村の「安心してください、はいてますよ」(15年)がトップ10に入っている。 「闇営業」という言葉も、それまで国語辞典にも載っていなかった、いわば造語だ。しかし、吉本のタレントが自らの芸を磨きながら創り出し、世間にアピールした言葉ではない。 吉本のタレントによる、週刊誌が暴き出した「不祥事」を象徴する言葉として流行語になったことは、会社としては不名誉な事態であった。2019新語・流行語大賞では「ONE TEAM」が年間大賞を受賞したほか、「闇営業」がトップ10に選ばれた=2019年12月2日(鴨川一也撮影) 発端は2014年12月に、詐欺グループに関わっていた人物が代表を務める団体の忘年会に、吉本のタレントらが参加した様子が、19年6月になって週刊誌に掲載されたことだった。その時点で、親会社の吉本興業ホールディングス(HD)では、当該タレントの処分以外に、こういった問題を今後起こさないためにどうしたらいいか、組織としての対応が検討されていたのも当然の話である。 その延長線上に「経営アドバイザリー委員会」構想が浮上した。そして、私がこの委員会の座長をお引き受けすることになった。三つの優先課題 なぜ、私が座長をお引き受けすることになったか。同社の岡本昭彦社長と旧知であったということもあるが、似たような状況で委員を務めた経験があったからである。 2007年に、第1次安倍晋三内閣で「タウンミーティング問題」が浮上した。小泉純一郎内閣の下で始められた政治対話集会であったが、予算の不適切な使い方や参加者の動員、やらせなど、マスコミによる批判が高まりつつあった。 このときには、当時内閣府副大臣だった林芳正参院議員を委員長とする「タウンミーティング調査委員会」が立ち上げられた。林氏を含む2人の国会議員と、2人の弁護士、そして行政広報の学識経験者として私、この5人の委員で会合を重ね、タウンミーティングの改善を答申した。 今回の事例では、この方式がふさわしいのではないか、という思いがあった。 よく、経営アドバイザリー委員会を第三者委員会に擬する向きもあるが、第三者委員会は外部の人間が特定の不祥事に対して、徹底的にその原因を追及する。経営アドバイザリー委員会は、特定の不祥事ではなく全体として、不祥事が起きないようなシステムづくりを考える、手術の事故の原因究明委員会と、予防医学の違いのように考えればいいだろう。 吉本側から示された諮問事項は、「反社会的勢力との決別」「契約のあり方」「コンプライアンス」「ガバナンス」であり、吉本が健全な企業として発展を遂げていくための不可欠の課題が挙げられていた。委員も、こういった課題を議論するにふさわしい7人が選出された。 その中でおのずと優先順位が定められた。第一の優先課題とされたのが「反社勢力との決別」である。闇営業という言葉が端的に示すように、今回の騒動のそもそもの発端は、タレントが吉本に断りなく、詐欺集団と関わっていたことから始まっている。2019年7月、「闇営業」問題など一連の騒動に関する会見で、涙をぬぐった吉本興業の岡本昭彦社長(尾崎修二撮影) だが、コトはそう簡単ではない。吉本が企業などと取引する際には、相手先の企業が反社勢力と関わりがないか、属性調査を行っている。上場企業ではきちんと行っているが、吉本は上場企業から非上場となってからもこの属性調査を徹底して行っていた。 一方で、吉本のタレントが無届けで仕事を請け負ってしまえば、属性調査のやりようもない。ルールと報酬の「透明化」 そこでまず、タレントが自分で直接仕事を請け負うことを「直営業」とした。結果的に反社勢力と関わる直営業は闇営業であって、より幅広い意味で直営業という言葉を用いることにしたのである。 そして、直営業の場合にはルールを設け、報酬の有無にかかわらず届け出る形を採ることが望ましいとした。吉本側の属性調査は膨大になるが、これによってある程度タレントを守ることができる。届け出ることで、より適切な税務申告の方法を指導できるわけだ。 また、仕事以外でも反社勢力に接触してしまう場合もある。タレントには「反社勢力とは関わらない」という意識を、コンプライアンス研修を充実・強化するなどでしっかり持ってもらうことが肝要となる。 しかも反社勢力は、政府自体が「定義が難しい」としているように、半グレや詐欺集団など多岐にわたる。会社もタレントも、「怪しい臭い」に敏感になることが求められる。委員会の中では、マネジャーをはじめとする現場がそういった感覚を研ぎ澄ませたり、従来あるホットラインを充実・強化したり、メンタルケアを手厚くすることなども議論された。 第二の優先課題は「契約の見直し」だ。直営業などでルールを作る以上、ルールを守る、破ったらペナルティーを科すことも必要になる。 だがこれまでは、口頭契約(諾成契約)で「こういったことを守らなければこういうペナルティー」ということも明確でない部分があった。それについては、吉本のタレントと、最低限「所属覚書」という形で、反社勢力との関わりを持たないなど、守らなければならないルールをいくつか明確化した。 吉本が社会から評価される企業であるために、「タレントが反社勢力と関わりを持たない」という意識を徹底させる端緒になったのではないかと思っている。2019年7月、「闇営業」問題などについての記者会見を終え、頭を下げる雨上がり決死隊の宮迫博之(左)とロンドンブーツ1号2号の田村亮 契約についても、吉本は膨大なタレントを抱え、その中から「M-1グランプリ」を制覇して売れっ子になっていくタレントもいれば、アルバイトをしながら劇場出演が年間数回にとどまるタレントもいる。そこで、それぞれのニーズに合わせて「専属エージェント契約」「専属マネジメント契約」「所属覚書」という形で契約を交わす。 報酬についても従前よりも透明化し、テレビ出演であれば、テレビ局から支払われた額と、その中から自分の取り分がどれだけあるか、ということが明確になるような方向性をアドバイスした。透明化されることで、タレントにとっては、自分自身の評価が明確になるわけだ。「ピンチはチャンス」 どんな組織でもそうだが、制度としては設けていても、それを守ろうとする人の「思い」がなければ、制度が機能しているとは言えない。 第三の優先課題は、直営業にしても反社勢力との決別にしても、「設けたルールを守ろうとする意識を醸成していく」ことだ。その意味では、従前からコンプライアンス研修を行っていたが、コンプライアンスの順守が企業を守り、ひいては自分自身のタレントとしてのパフォーマンスを発揮できる基礎になることを一人一人が理解し、納得しなければならない。 今回の不祥事で、「流行語大賞」でトップ10に入ったレイザーラモンHGは謹慎、楽しんごは契約解除となった。芸人の世界は浮き沈みが激しいと言われる。それでも、委員会の発言の中で印象的だった言葉がある。「知識を意識にしていくことが大事だ」という言葉だ。 タレントは企業の社員とは違う。自らよって立ちながら、パフォーマンスを発揮して社会的評価を得ることで、吉本という企業とも「WIN-WIN」の関係を構築することができる。そのために最低限必要なことは何なのか、見失いがちだったことから今回の事件が起きたと言えよう。 12月20日、経営アドバイザリー委は中間とりまとめを行うことができた。優先課題として取り上げた点以外にも、諮問されたガバナンスの問題など4回の委員会を開催して闊達(かったつ)な議論を行い、2019年の区切りに、まずはこれからなすべきことについて一定の方向を示すことができたと思っている。ご関心のある向きには、同社のホームページにも掲載されているのでぜひご覧いただきたい。 この中間とりまとめに対し、吉本HDの大崎洋会長と岡本社長の連名によるコメントも頂戴している。2019年12月20日、吉本興業の経営アドバイザリー委員会の中間とりまとめ報告をした川上和久座長 不名誉な週刊誌報道で流行語大賞にノミネートされるのは、これで終わりにしなければならない。そのために経営アドバイザリー委員会があったのだから。タレントが自らの創意工夫で最大限のパフォーマンスを発揮し、今年の流行語大賞でも旋風(せんぷう)を巻き起こしてもらいたい。 吉本興業は、笑いを基軸としてエンターテインメントを世間に提供しながらも、さらに幅広い飛躍を目指している。そのためには、今回のことだけでなく、さまざまな問題が起きた際に、単にその問題を解決するだけでは済まない。 問題の背景を読み取ることで、ピンチをチャンスにし、発展につなげていく強靱(きょうじん)なガバナンスが求められているといえよう。

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    マイケル・カービー手記「断種強いる性同一性障害特例法は非情」

    マイケル・カービー(元オーストラリア最高裁判事) 法の目的とは、人を保護し、公正な原則に従って社会を成り立たせることにあります。こうした観点から見れば、日本の性同一性障害特例法は、人を保護せず、かつ不公正といえます。人に断種(生殖腺除去)を強制するこの仕組みを継続する何らの理由もなく、同法はただちに改正されるべきです。同法が改正されない限り、日本が他国の後塵を拝する状況は変わりません。 日本が2004年に性別認定(戸籍上の性別変更)に関する法律を制定したことは、日本政府によるジェンダーとセクシュアリティの問題への対処をめぐる大きな転換点でした。 確かに当時、ドイツやオランダ、私の母国のオーストラリアなど日本の主要な友好国や貿易相手国はすべて、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)の法律上の性別を認める条件として断種を定めていました。 その後、今挙げた各国政府はすべて、またアルゼンチンからネパールまで数十カ国の政府が、手術を法律上の性別認定の条件から外す法律を制定しました。こうした新たな法的体制のもとで、トランスジェンダーは生き生きと生活できるようになり、社会はトランスジェンダーというマイノリティ(少数者)グループに与えられた自由と尊敬の拡大によって利益を得ています。 近年、世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会(WPATH)、健康と拷問に関する国連特別報告者、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際組織は、日本政府に対し、現行の戸籍上の性別の変更の手続きを改める必要があると指摘しています。マイケル・カービー氏(斎藤浩一撮影) 世界保健機関(WHO)も、何人も法律で断種を強制・強要されるべきでないと、この立場を支持しています。東京レインボープライド共同代表理事でフェンシング元女子日本代表の杉山文野氏ら、日本のトランスジェンダー活動家たちは、今夏の東京五輪・パラリンピックが、日本の人権状況に注目を集めると指摘しています。そして性同一性障害特例法は、依然としてそこに影を落とすものなのです。 数年前、私が香港で法律とトランスジェンダーに関する国連の専門家会議に出席したときのことです。主催者は風変わりなことをしました。政治家と人権専門家からなる会合に、ベルギーで最も権威のある外科医を招待したのです。社会にあるまじき その外科医は、医師の常として「修正手術(correctional surgery)」の写真スライドを持ってやって来ました。そしてその写真は、性別適合手術が、いかに侵襲性が高いかを物語るものでした。そして、トランスジェンダーの多くが望んでいるのが新しいパスポートや身分証明証であるにもかかわらず、手術を望まない人にまでこの手術を強いることが、あまりにも不均衡であるかをも示していました。 最終的に、当時香港議会で提案されていた法律は撤回されました。性別適合手術を望まない人にもこの手術を要件とすべきだという多くの人がいますが、その人々は性別適合手術のスライドを見るべきです。そして、自らが何者たるかを知り、それを証明するのに侵襲的な手術は不要だと考える同じ人間に対し、いったい何を要求しているのか、しっかりと考えるべきです。 実際、社会の繁栄はより多くの人々が認められ、包摂され、保護されることでもたらされます。人としての基本的権利を得る要件として、誰に対してであれ、侵襲的かつ不可逆的な手術を要求することは、個人を辱めることであり、社会にあるまじきことです。 こうした状況は、性的少数者(LGBT)か否かにかかわらず、すべての若者に対し、トランスジェンダーは、他の人々とかけ離れているので、基本的な権利を付与されるためには医学的に「修正」される必要があると、教えていることになります。 国連人権理事会の「普遍的定期的審査」(UPR)で2017年、日本はニュージーランドの「性同一性障害特例法の改正を含む、性的指向と性同一性による差別に対処する措置を講じるべき」との勧告を受け入れています。この約束を行動に移すときです。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) トランスジェンダーには、手術を望む人も、そうでない人もいます。政府の責任とは、この手術という極めて重要な事柄が、法による強制ではなく、本人の選択によるものとすることにこそあります。日本もこうした法改正の列に加わり、トランスジェンダーへの強制的な断種を過去のものにするべきときではないでしょうか。

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    江藤淳の遺言に今、耳を傾けよ 「人が死ぬ如く国も滅ぶ」

     江藤淳が自死してから20年になる。戦後を代表する文芸評論家であり、保守論客であった氏は、戦後の民主主義の欺瞞と閉された言語空間を批判した。氏の言葉は今日の日本に至要な訓戒として響いている。文芸評論家の富岡幸一郎氏が、改めて江藤の“遺言”の意味を解説する。* * * 江藤淳が亡くなって、本年で二十年の歳月が経つ。没後十年の平成二十一年、本誌で特集を組み筆者も原稿を寄せたが、その文章の冒頭に次のように書いた。「もしあの人物が健在であれば、日本と世界の情勢についてどんな発言をしてくれるのだろうか、と期待せずにはおられない論客、それが江藤淳にほかならない」と。 平成の世の終焉に際し思い起こすのは、三十年前、昭和天皇の崩御と平成改元の直後に筆者がインタビューしたときの江藤淳の言葉である。「人が死ぬ如く国も亡ぶのであり、何時でもそれは起こりうる」。 平成六年には『日本よ、亡びるのか』という表題の本も刊行しているが、今日の日本の現状を見れば、“亡国”という不吉な言葉がにわかにリアリティーを帯びてくるのである。外国人(移民)労働者の受け入れ拡大は労働力の問題である以上に、国のかたちを変えるものであるが、政府・与党はただ法案成立を急ぎ、憲法改正という国家の基盤的問題はまた先送りされつつある。 米中の新冷戦時代に突入しながら改憲や国防の課題を、政府も国民も他人事めいたことにしている。江藤淳は、竹下・宇野・海部・宮沢、そして細川内閣辞任へとめまぐるしく交代する政治のありさまを「百鬼夜行の平成政治」と批判し、「平成日本はいつ滅びるかわからない。ますます滅びそうだと思っている」といったが、民主党政権の三年余で文字通り亡国の淵にまでいった日本は、安倍晋三の再登場によって“一強”政治などと称されながらも、その内実たるや新自由主義の妖怪を跋扈させるばかりであった。 江藤淳がもし健在であれば、言下に日本は「ますます滅び」つつあると断ずるであろう。なぜなら、江藤淳がその後半生を賭して探究した「戦後史」の呪縛から日本人は七十有余年も経ても、少しも脱却できていない、いやむしろ自ら進んでアメリカという超大国への幻想的依存を深めることで、真に自立した国家としての道を歩むことを放棄する、自己欺瞞に陥ってきたからである。評論家の江藤淳さん=1999年7月撮影萎縮する「日本の言語空間」 江藤淳は昭和五十三年を起点に米国の占領政策の実態を一次資料から改めてさぐり、戦後の日本人が「閉された言語空間」に置かれてきたことをあきらかにした。GHQによる検閲や戦後憲法の制定のプロセスなどの歴史的な検証がその仕事の中心となっていたが、重要なのはそれは決して過去の歴史研究ではなく、今ここに現前している日本と日本人の「自由」と「生存」の根本的な問題として在り続けていることだ。『閉された言語空間』(平成元年)で江藤淳は占領下における米国の検閲が「眼に見えない戦争」すなわち日本の「文化」と「思想」にたいする殲滅戦であり、占領が終了した後も現在に至るまで、日本人がこの戦後「体制」を改めようとせずにきた事実を鋭く指摘した。萎縮し続ける「日本語」 なぜ、改めようとしないのか。それはこの「体制」によって「利得の構造」を保持してきた政治・教育・文化の“戦後利得者”たちが、今日に至るまでマスコミ、ジャーナリズムの主流を占めてきたからである。 この構造は保守派であろうが左翼リベラルであろうが、体制側であろうが反体制側であろうが同じである。冷戦構造が崩壊して三十年を経てもそれは全く変わっていない。いや、むしろ江藤淳が当時厳しく糾弾した「日本を日本ではない国」にすることで利益をむさぼっている“利得者”たちは、グローバリズムと新自由主義政策の拡大のなかで、新たな「階級」として白蟻のように増殖し、日本社会のその骨格を蝕んでいる。 自由貿易の名のもとに国内の産業を破壊しつくし、アベノミクスは脱デフレを標榜しながら国内の賃金低下をもたらし、あげくの果てに欧州ではすでに惨憺たる結果となった「移民」労働力の受け入れを急ごうとする。 戦後レジームにおいて左右の政治勢力として対立してきた“利得者”たちは、イデオロギーの仮面を脱いで、経済効率主義の名目のもとに、今この国の破壊にいそしんでいるのだ。江藤淳は『閉された言語空間』においてこう指摘した。「(占領軍による徹底した検閲は)言葉のパラダイムの逆転であり、そのことをもってするアイデンティティの破壊である。以後四年間にわたるCCD(占領軍民間検閲支隊)の検閲が一貫して意図したのは、まさにこのことにほかならなかった。それは、換言すれば「邪悪」な日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらにいえば日本を日本ではない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企てであった」「日本」は今やまさにグローバル企業に席巻される「一地域」に変貌しようとしている。それは日本人が「日本人以外」の「何者か」になりつつあるからだが、その淵源は戦後のわれわれが日本人の「歴史」と「文化」と「思想」に根ざした言語空間を喪失しつづけてきたからに他ならない。強大な権力を背景に、戦後日本の民主化政策を推し進めた連合軍総指令部(GHQ)が入る東京・日比谷の第一生命館=1951年6月30日 GHQによる占領下の検閲の延長に、自己検閲の罠から脱却することもせず、むしろそこに従属し安住することで、アメリカニズムを「自由」「平和」「民主主義」と言い換えてきたからである。 江藤淳はCCDの言論検閲が戦後日本の言語空間を拘束しつづけ、そこから日本人の「歴史への信頼」の「内部崩壊」が地滑り的に起こり、深刻化していることを詳細に指摘したが、今日のニッポン語「コンプライアンス」「……ハラスメント」「LGBT」etc.を見るまでもなく、日本語は刻々と萎縮しつづけて止むことがないのである。対米従属は政治・外交上の問題、さらには国防の問題というよりは、その核心にあるのはむしろ言語・日本語という文化的根源の危機なのではないか。「今日の日本に、あるいは“平和”もあり、“民主主義”も“国民主権”もあるといってもいいのかも知れない。しかし、今日の日本に、“自由”は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然の儘にあらしめ、息づかしめよ。このことが実現できない言語空間に、“自由”はあり得ないからである」(『閉された言語空間』)亡国での皇統持続とは何か亡国での皇統持続とは何か 平成元年二月十六日に江藤淳に長時間のインタビューをした。筆者とそれ以前に行なった二回の対談とともに『離脱と回帰と昭和文学の時空間』という対談集としてまとめた。 そこで江藤淳が昭和天皇への深い敬愛と、天皇という存在が世俗的空間をこえた聖なるものであることをとりわけ強調していたことが、今も印象に残っている。崩御の日、皇居前に集い記帳した多くの日本人の姿は、「天皇制」などというコミンテルンの用語(戦後は占領軍当局が共産党のこの用語をそのまま採用し広めた)ではなく、日本文化の本質たる皇統の顕現、昭和帝が天皇として戦前・戦後を生きられたことを何よりも物語っていると江藤淳は指摘した。そして皇統が維持されてきたことの重要さを次のように語った。「僕は百二十五代、皇統が続いているということの意味で、大嘗祭もあまり形式的に考える必要はないという意見なんです。もちろん大嘗祭は、日本がこれだけの繁栄に浴している時代に、皇位継承に伴う諸行事が滞りなく行われない理由は何もないから、当然行われるでしょう。 それで名実ともに新帝は即位されて、皇統を持続されるだろうと思いますけれどね。過去に皇統が持続してきた間に、大嘗祭が行われなかった例もあります。そうであってもなおかつ皇統は持続してきている。(中略)皇室を廃するということを、日本人は一度もしなかった。(中略)この歴史的事実をわれわれは心の支えにしていくほかないと思うのです」 江藤淳には『昭和の文人』という名著があり、昭和天皇の崩御の折に「字余りのお歌」という一文で、「我ハ先帝ノ遺臣ニシテ新朝ノ逸民」という言葉も記していた。自らも昭和という時代と人生を共にしてきたとの感慨であろう。昭和が終わり平成となり、その平成の三十年も今終わろうとしている。皇統の歴史も新たな時代をむかえる。1946年2月、戦後の全国巡幸が始まり、戦災者が住む横浜市を訪れた昭和天皇 しかし「日本」が「日本ではない国」となれば、そもそも皇統の持続とは何か。江藤淳が警鐘を鳴らしたように、日本人が自らの歴史と伝統を語りうる言葉を回復しないかぎり、主体的な自由な言語空間を取り戻さなければ、日本と日本人は真に自立しえないであろう。それどころか、遠からずして亡国もありうるのである。【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京都生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。著書に『虚妄の「戦後」』(論創社)、『西部邁 日本人への警告』(共著、イースト・プレス)などがある。関連記事■石原慎太郎氏が産経新聞に怒りの「絶筆宣言」の真相■角居勝彦調教師 競走馬にとって2着は意味があることなのか■「すっぽん刑事」が明かす、いい泥棒と悪い泥棒の違い■戦後の矛盾に気付き冷戦後の迷走も予測 甦る山本七平の言葉■中国訪問、結婚、日韓W杯…「今上陛下のお言葉」を振り返る

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    戦後の矛盾に気付き冷戦後の迷走も予測 甦る山本七平の言葉

     東京都「築地移転問題」にせよ、東芝「巨額損失」問題にせよ、組織の迷走が昨今目につく。組織を動かすのはリーダーシップではなく、こうあってほしい、こうなるだろうという「空気」。責任の所在を問おうにも問えない。 これを日本人特有の問題として摘出したのが思想家・山本七平だ。キリスト教一家に生まれ、フィリピンで終戦を迎え、戦後、防衛庁前で小さな書店を営んだ。その男が数十年前に警鐘を鳴らした「言葉」は古びるどころか、いっそうの危機感を伴い、我々に気づきを与える。文芸評論家の富岡幸一郎氏が、山本七平について語る。* * * 確かに、そろそろ山本七平に立ち返るべき時がきたのかもしれない。その理由としてまず、「アメリカ・ファースト」を主張するトランプ政権をはじめ、現在、世界的にポピュリズムが盛り上がりを見せていることが挙げられよう。 ポピュリズムとは大衆迎合主義であり、庶民の常識を政治に反映するものである。現在では、より所得の低い人たちが特権階級の富裕層を批判するものとなっている。欧米は移民問題に直面し、イギリスがEU離脱を決めたのはその象徴だ。山本七平氏 しかし、日本における先の舛添バッシングなどの同調圧力を「ポピュリズム」と言えるかは疑問である。世界的なポピュリズムの動きとは異なり、日本では独特の精神を反映した「ポピュラリズム(人気主義)」なのではないだろうか。 それはすなわち、かつて山本七平が言った日本人特有の宗教風土、文化精神に根ざす“空気”が濃密に現れた結果であり、それを正確に表す言葉がないために、とりあえず「ポピュリズム」としていると言ってもよい。我々は、その空気の正体を見極めなければならない。 もう一つの理由として、20世紀後半の冷戦崩壊後、新たな「文明の衝突」が起こっている。それまでの共産主義と自由主義といったイデオロギーの対立ではない。ISの連続テロ、またはトランプ政権によるイスラム教徒の入国拒否騒動を持ち出すまでもなく、宗教が前面に出た衝突である。 これら宗教は「一神教」であり、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3つである。そしてこの3つの源流は旧約聖書にある。ところが、旧約聖書となると日本人には皆目分からない。日本人は歴史的に、一神教の成り立ちや構造、信仰の深さを理解できない。 一神教には常に神という絶対者が存在する。そのため、すべては相対化される。日本は多神教、汎神論的な世界であるため、相対というものがない。逆に言えば、絶対の対象となるものが無数にある。その対象が次から次へと変わる特殊な構造を持っているためにどうしても一神教的世界観を理解することができず、世界史からズレてしまうのだ。 その点、山本七平は若い頃にキリスト教の洗礼を受けており、原点に宗教というものがあった。しかも、どこかの教会や神学に属しているのではなく、日本人としてそれを学び、かつ考え抜いた人なのだ。だから山本著作を読むと、世界とのズレが顕在化する。行間を読む民族行間を読む民族 そして、そのズレを覆い隠せない時代がきている。日本は冷戦構造の中、アメリカの軍事力の下で高度成長を遂げてきた。これは極めて特殊なもので、冷戦崩壊とともに終焉を迎えた。しかし戦後70年が過ぎた今も、安倍首相はトランプ大統領のところに出向き、日米同盟が非常に大事だと説く。既に失われた冷戦構造という“空気”に日本人は未だとらわれている。 もう一つ、現在自衛隊を認める人は約9割。ところが憲法第9条の改正を求めるのは6割程度と不思議な状況となっている。これについても山本七平の思考に当てはめてみよう。一神教では神と人間の契約である「法」が最も重要となる。そこでは「はじめに言葉ありき」というように言葉の重みが大きい。 これに対し日本人は言外、行間を読むことを良しとする。真意は言葉の外にあることも多い。日本人にとっては、「法」も重要だが、「法の外」にあるものも重要な場合があるのだ。まさに自衛隊は法の外にある。 冷戦時はそれでも十分に通用した。しかし現在の世界情勢では、法の外のままではいられなくなってきているのはご承知の通りだ。諸刃の剣 山本七平を改めて読むと、今のいわゆる保守派の日本文化論の幅が狭くなってきていることに気付く。一般的に山本は保守派として知られているが、現在の保守派の中には全く受け付けない人間も出てくるだろう。本質を突く山本の言葉は、諸刃の剣となるが、それこそが思想家としての面白さなのだ。 今なら天皇の譲位問題のことも、山本に聞いてみたい。きっと皇室典範の改正を主張するのではないかな。特措法は「法の外」であるからだ。しかし改正となると「天皇とは何か?」という根本から議論しなければならない。山本の視点であれば、そうなるはずだ。 山本七平は一種の預言者であると考えている。未来を予測する予言ではなく、神の言葉を預かる者。大いなる何かから言葉を預かり、それを語る。その預言は、やはり日本人への預言であったのではないかと感じる。彼が遺した多種多様な著作は、現在だからこそそこに通底する深い意味が見えてくるのではないだろうか。【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。在学中に執筆した「意識の暗室―埴谷雄高と三島由紀夫」で、「群像」新人賞評論優秀作を受賞、文芸評論活動に入る。関東学院大学文学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。◆取材・構成/大木信景、浅井秀彦、原田美紗(以上、HEW)、清水典之関連記事■山本七平 「日本人とは何か」を探求し続けた70年■『ファースト・マン』ライアン・ゴズリング Interview!■小池知事から岡ちゃんまで 山本七平学の「継承者」たち■ダライ・ラマ トランプ大統領を道徳心が足りぬと批判■ライアンとチャゼル監督の最強タッグ来日!『ファースト・マン』来日記念イベント

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    大人たちの「完璧主義」がニッポンの子供を追い詰める

    リングダール裕子(ベルゲン大常勤講師) 子供が親に虐待され、殺される事件が後を絶たない。心が張り裂けるようである。驚くべきことに、今年1月に起きた千葉県野田市の小4女児死亡事件では、加害者である当の父親は、職場で温厚な人として一同から好かれていたという。これはいったい何を意味しているのだろうか。 日本の子供は両親に従い、学校では教師に、そして社会のルールに従うことを徹底的に教え込まれる。確かに、始業時間を厳守することが、交通事故に気をつけるよりも大事であるような雰囲気があると、ある小学校の教師から聞いたことがある。そんな教育環境で育った子供が大人になって、日本の社会を築いていくのだ。 私の住むノルウェー西部ベルゲン市のある高校では、日本の高校と姉妹校になっており、年に一度学校を相互訪問している。ある年、日本から来た高校生がこちらの高校を訪問し、日本の学校などの紹介をする際に、メモを見ながら発表していた。 ところが暗記せずに臨んだことで、その生徒は日本側の教師から怒鳴られたそうだ。その光景を目の当たりにしたベルゲンの高校生はショックを受けてしまった。 怒鳴られた理由も全く理解できなかったし、メモを見ながら発表することがなぜいけないのか、全く腑に落ちなかった。また、日本の高校生たちは常に教師の目を気にしており、不安な様子を見せていたという。 ノルウェーの学校でも、メモなどを見ずに発表することを生徒に要求する教師がいることは確かだ。特に試験の際には、メモを見ながらであれば成績に響く、ということは生徒自身も理解している。虐待で亡くなった小4女児の自宅前に手向けられた花束=2019年2月、千葉県野田市 だからといって、国際交流の場でメモを見ながら発表して、注意されることはまずない。もし注意しなければならない場合でも、外国からの招待生徒の目の前では決してなく、後で当の生徒と2人きりの場所で、穏やかに行うのが普通だ。 そもそも、日常の学校内で教師が生徒を叱りつけることはしない。常に穏やかな調子で生徒を指導しているため、生徒たちが教師の目を気にして始終怯えることはあり得ない。社会に出ても叱られる 日本では前述した通り、目上の者に従順で、また完全な行為をすることを良しとする教育環境で育っていく。だから、親や教師の叱責は日常茶飯事である。 大人になると今度は上司や客などから叱責を受け、社会に出ても叱られる環境から抜け出すことができない。私もノルウェーで日本人観光客のガイドをしていたときに、小さなミスを犯したことで添乗員から叱責され、非常に不愉快な思いをしたことがある。 人間は不完全であり、多少の間違いを犯すことは普通であるはずだ。それなのに、日本人がなぜこれほどまでに完全さを求めるのか、不思議でならない。 運動会などの組体操が事故多発で問題になっているのも、完全を求める日本人の意識が背後にあることが一因ではないだろうか。組体操が立派に成功すれば、保護者をはじめ、教育関係者などから多くの支持や称賛を受けられる。だが、子供たちに対する危険な行為の強制は続き、事故のリスクも一向に減らないだろう。 ノルウェーでは、完全さを要求するのではなく、不完全さを受け入れられる土台がある。そのおかげで子供たちはゆとりを持ち、お互いの不完全さを受容しながら健やかに育っていくことができる。同時に、18歳未満の子供たちの人権を保障する国際児童基金(ユニセフ)の「子どもの権利条約」を重視するため、児童や生徒たちに対して、学校が危険な行為を強制することはない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ノルウェーでの例をいくつか挙げてみよう。ある小学校の教師に日本の道徳教材の話をしたところ、興味を持ってくれたので、同じ内容の教材をノルウェー語に訳して、ノルウェーの子供がどのように答えるか試してみることになった。教材に使った物語の概要は次の通りだ(子供の名前は仮に付けている)。 小学校の児童2人が、買い物をしにバスで街に向かった。下車の際に子供の1人、「宏くん」がお金を忘れたことに気付く。友だちの「亮くん」に貸してと頼んだが、母親に貸してはいけないと言われているために、貸してもらえなかった。ところが運転手は、誰かに借りて絶対に支払わなければいけないといい、宏くんはパニックになって泣き出した。すると乗客の1人が近づき、忘れ物をした宏くんに怒りながらも支払いをしてくれた。バスを降りると、宏くんのポケットにお金が入っているのが見つかった。不完全を受け入れられる「土台」 この話を使って日本の学校では、責任を問う。研究のために訪問した学校のある小学6年生のクラスでは、1人を除いてクラス全員がお金を忘れた宏くんに責任があり、亮くんも2人の大人も悪くないという結果になった。 もちろん、授業の進め方はノルウェーでも各人によるが、ある教師に話を聞くと、教師としての個人意見を述べるよりも、児童たちに自由に話し合いをさせたり問題提起したりすることで、児童たちが深く考える機会を作らせることに心を砕くだろうということだった。話し合いをさせているうちに、教師がなるほどと気づくこともあるかもしれないし、同時に児童たちが他の人の意見も聞くということを学べるだろうという理由からだった。 そうして出したノルウェーの子供たちの答えは、同じ小6であっても、日本の児童と大きな違いがあった。忘れ物はいけないし、宏くんはポケットをよく調べるべきだったが、他の3人にも責任があるというのが圧倒的多数を占めたのだ。 亮くんは友達なのに冷たいし、運転手も融通がきかないという感想だった。その上で、支払いをした乗客と同じく、相手は子供であることを考慮すべきだったと指摘したのだ。 教師の対応も、まず公平にそれぞれの子供たちの意見を聞くことに努めている。たとえ日本の子供のように「宏くんが一番悪い」といった多数派と違った意見であっても、あえてそれを直そうとはせず、そのまま受け入れていくのである。 不完全さを受け入れられる「土台」は、何も教育だけにある話ではない。ベルゲン市内で、子供向けの手作り人形劇をボランティアで続けている知人がいる。手作りだけあって、劇が行われる幼稚園や地域の集会所では、子供から大人まで誰もが人形作りに参加できる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 彼の作る人形も決して高度な技術を使うこともないので、多少のゆがみも左右非対称も気にしない。材料にしても、古新聞やトイレットペーパーの芯なども使い、素朴で温かみがある。舞台装置も大きな段ボールを切り抜いて作ったものだ。 劇を披露する段になれば、舞台を裏から支える役回りを、見学者が名乗り出て引き受けてくれる。こうして、人形劇の場から、高齢者から子供までお茶を飲みながら楽しく談話でき、子供連れの家族もゆったりと日曜日の午後を過ごす土壌が生まれるのである。完璧を求める大人たち ノルウェーでも専門家が素晴らしい人形劇を各地で行っているが、なぜ彼の作るような素朴な劇も受け入れられるのだろうか。それは、子供たちが自分にも作れるという自信が湧き、想像力を働かせて、発達過程における子供自身の成長と教育に役立つからだそうだ。材料も家庭で普段使うものだから、さほど苦労もせずに見つけることができる。 クリスマスが近づくと、欧米ではジンジャー・ブレッド(生姜入り菓子)を焼いて、それで家を作って盛り上げるのが定番だ。ベルゲンでもクリスマスの1カ月前から、毎年恒例のジンジャー・ブレッドでできたベルゲンの街が展示されるが、開催前に市民の作ったジンジャー・ブレッドの家を公募している。 選ばれた中には本格的で立派な家もあるが、私と幼少期だった息子と作ったささやかな家も展示されたこともあった。こうして、個人から幼稚園、学校など誰でも自由に作った作品が街に飾られるのである。 他にも多くの例がある。公共交通機関で遅れが出ても、多少のロスは誰も気にしないし、横断歩道などは日本のように完璧な白線を引いてあるとは限らない。多くのノルウェー人にとっては、線が何を示しているか分かれば十分であり、多少の歪みがあっても問題はないのだ。 ところが日本では、あらゆる場面で完璧を求められる。日本の鉄道では、運転手がトイレに行く時間もなく、乗務員は常に時間厳守を強いられている。懲罰的な運転士教育や過密ダイヤが問題視された2005年の尼崎JR脱線事故を覚えている人も多いだろう。 学校でも、子供たちの行為が一点の曇りもないように指導し、一般教師はおろか、学校教育に携わるリーダーたちも子供の権利に関する知識に乏しく、かえって強制行為を正当化していることは先述した通りだ。ノルウェー・ベルゲンのクリスマス風景(ゲッティイメージズ) このように、日本人は学校や職場では、教師や上司から叱責や処罰を受けないように、完全を目指して最大限の努力を払う。ただ、自宅に戻れば、逆に憂さ晴らしができるようになっている。 このような環境では、不幸な事件が連続するだけである。多少の間違いは大目に見ること、また多少の「乱れ」も受け入れることが、日本に真のゆとりある社会を形成するにあたり、重要ではないだろうか。

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    グレタ現象を盛り上げる「最強のアンチ」はもう一人いる

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさんの話題が世界中で沸騰している。米誌タイムが「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に彼女を選出したことでもわかるように、「グレタ現象」はともかく賛否を超えた話題だった。 ただタイムの読者投票では、香港の「抗議者たち」が断然トップだっただけに、グレタさんの選出はタイム編集側の意向が色濃く出ているのだろう。その意向が中国政府への「忖度(そんたく)」だったかどうか、考えるに値する問題ではある。 ところで、なぜグレタ現象が発生したのだろうか。二つの要因が挙げられるだろう。 一つは、コアなファン層のゲットに成功したこと、そしてビックネームの「アンチ」が存在していることだろう。この点について、筆者は日本のアイドル論を援用した方が理解しやすいと思っている。 現代のアイドルは、ツイッターやユーチューブといった会員制交流サイト(SNS)を通して、自分の行動だけでなく私生活までも事実上商品化している。また、SNS上で自分が成長段階にあること(拙い歌やダンス、トーク技術など)を強調することで、ファンと連帯感情を生み出している。 アイドルの成長を見守り応援しつつ、自らとアイドルの人生を重ね合わせて一体化していく。これが現代アイドルの「成長物語の消費」の在り方である。COP25の会場で開かれたイベントで演説するグレタ・トゥンベリさん=2019年12月、マドリード(共同) また、現代のアイドルはSNSを利用するとともに、ライブや握手会などで実際に「会いに行ける」存在だ。この「会いに行ける」親密さも、ファンがアイドルに感情移入しやすい構図を生み出す。グレタさんの「最優先活動」 これらの「成長物語」を共有したコアなファン層が文字通り中心に位置しながら、雑誌やテレビ、新聞のような旧来メディアが頻繁に取り上げるようになれば、いよいよ「国民的アイドル」の必要条件を満たしてくる。ただし、コアなファンを手堅く確保し続ける必要があるので、従来型の「会いにいけるアイドル」、つまりライブ重視や成長物語の継続は重要なアピールポイントである。 グレタ現象を支える二つのキーと思えるもののうち、コアなファン層形成に彼女は大きく成功している。グレタさんは、9月に国連本部で行われる「気候行動サミット」に合わせた、積極的な地球温暖化対策を求める若者たちの抗議活動「グローバル気候マーチ」に米ニューヨークで参加した。主催団体によると、参加者は163カ国・地域で400万人以上だったという。 この環境運動ストライキの象徴はもちろんグレタさんであった。ただ、この段階では、既にマスメディアでグレタさんの活動が頻繁に紹介されていたので、本当のコアなファン層の実数を把握できない。 ただし、「ライブ=デモ」に今後も参加することが、彼女がどんなに多忙であっても最優先の活動になるだろう。なぜなら、コアなファン層獲得には「会いに行ける」ことが極めて重要だからだ。 アイドルの場合では、コアなファンたちがアイドルのおススメするグッズや関連商品を買ったり、発言の影響でライフスタイルまでまねることが多い。グレタさんは、飛行機による移動が環境に負荷を与えるとして、ヨットや鉄道での移動を好む。 スウェーデン語で「flygskam(フリュグスカム)」と言われ、日本の一部メディアが「飛び恥」と紹介する、この効果が若い人たちに影響を与えているという。欧州の鉄道では「飛び恥」効果を織り込んで、補助金の活用や割引料金の導入などサービス拡大の商機としているようだ。温暖化対策の強化を求め、米ニューヨークをデモ行進するグレタ・トゥンベリさん(手前左)=2019年9月(ゲッティ=共同) ただ、飛行機を「悪者」扱いしすぎるのは禁物だろう。経済学者でミシガン大のジャスティン・ウォルファース教授の指摘によれば、飛行機はいまや自家用車よりもエネルギーの利用効率がよくなっているという。 他方で、二酸化炭素(CO2)排出量の絶対値が大きいのも事実である。成長と環境配慮は二者択一の問題、つまりいずれか一方だけ採用してしまうと、社会全体の「幸福」を損ねてしまうだろう。「若さ」が免罪符になる? 本図では、社会の幸福が曲線I1とI2で示されている。I1よりもI2の方が、人々の「幸福」がより大きいとしよう。 原点から離れれば離れるほど「幸福」は大きくなっており、曲線は原点に対して「おなか」が出た形状をしている。本来、このような「幸福」曲線は一種の等高線のように稠密(ちゅうみつ)に引かれているが、本稿では便宜的に2本だけにしている。 もし「成長」だけと「環境」だけ、それぞれどちらか一つだけ追い求めると、両方を何らかの形で組み合わせて選んだ選択よりも「幸福」が低くなるのは明らかだろう。「成長」と「環境」はトレードオフの関係にはあるが、他方でどちらか一方しか選択しない姿勢では、人々の幸福は改善されないのである。 ところで、グレタさんの「若さ」は、アイドル性を考えるときに重要なポイントとなる。必ずしも必要ではないが、それでも「若さ」は重要なのだ。 それは「成長物語」を裏付けるポイントにもなるし、アイドルを批判からディフェンスする際にも有効に機能する。たとえ現時点の彼女の行動や発言が未熟であっても、「成長物語」を共有するコアなファンにとっては「まだまだやれる」という伸びしろになり、積極的な評価のポイントとなるのだ。この時点で、否定的な観点はほぼ徹底的に排除される。 これは筆者の体験だが、ある日本のアイドルが新聞で憲法論を寄稿した際、排除に遭ったことがある。そもそも、アイドルや歌手が憲法について新聞で意見を表明することについての評価と、その発言内容に対する評価が別になるのは当然だろう。 たまたま「憲法で財政を緊縮的に縛る」趣旨の意見だったので批判したが、コアなファンから理屈に合わない非難を受けた経験がある。要するに「偉そうに言うな」といった類いの発言だ。 これと似たリアクションがグレタさんの発言を批判する人たちについてまわる。最近でも、脳科学者の茂木健一郎氏がツイッターで「なぜ、いい年をした男の人がグレタさんに反発」するのか、と批判していた。この類いの「弁護」や「反批判」はグレタ現象の名物ともなっている。 もう一つ注目ポイントを挙げると、アイドルと「運営」の関係に類したものがうかがえる。もちろん、ここではグレタさんと背後にいると言われている「大人たち」の関係である。「アンチ」がオタになる 両親をはじめ、彼女を支援する「大人たち」は多いだろう。この「大人たち」はいろんな意味でアイドルの一種の「免罪符」としても機能する。コアなファンはアイドルに何かトラブルがあれば、その責任を運営=大人たちのせいにすることができる。うまくいっているときでも、「まわりの大人たちの意図には安易に妥協しないし、自分の意見をはっきり持つ」と、好意の論拠として「大人たち(運営)」を用いることがある。 また、グレタさんに批判的な人たち、いわゆる「アンチ」も、彼女の周囲の「大人たち」にしばしば注目して、「彼女は周りの大人たちに利用されている」と批判する。だが、このアンチの発言とコアなファンの発言は同根である。言い換えると、アンチによるこの種の批判は、グレタ現象をかえって活発化することはあっても、決定的なダメージを与えることは難しいのである。 この意味で、グレタさん自身には迷惑だろうが、世界各国の首脳や著名人たちが彼女の発言を批判することは、実はグレタ現象をアイドル現象として分析した場合に、筆者にとって見慣れた光景になる。つまり、人気アイドルにはアンチはどうしても発生するものなのだ。だからといって、厄介な迷惑行為が絶対に禁物であることを決して忘れてはならない。 しかし、そのアンチが米国のトランプ大統領やロシアのプーチン大統領ともなると影響力が半端ない。アイドル論としてグレタ現象を読み解くときに、いまや「アンチ代表」のトランプ大統領こそが、実はコアなファンを凌駕(りょうが)する「トップオタ(TO、実はアンチのTOでもある)」になっているともいえる。 タイム誌の「今年の人」の記事に、トランプ大統領が「(グレタさんは)友達と映画でも見に行け」といった批判的な趣旨をツイートすると、グレタさんは、自身のツイッターの自己紹介欄にトランプ大統領の発言を批判的に引用することで「応戦」していた。 2人は一見すると、いや本当のところでもお互いに「宿敵」なのだろうが、おそらくコアのさらにコアなグレタファンになると、このやり取りに対して違う感想を抱いたとしても不思議ではない。ひょっとして「直接にやりとりできるトランプ大統領がうらやましい。だから彼を批判する」という感情が芽生えているかもしれない。この辺りまで来ると推測の域を出ないが、可能性は十分にあるだろう。 ただ、彼女のアンチに地球温暖化問題の「重大責任者」の一人でもある中国の習近平国家主席がいないのが気になる。グレタさんの論法からすれば、「私たちについてこなければならない」という「権力者たち」の筆頭に、CO2排出量で断然の世界トップである中国の指導者が挙げられるのは道理である。米ニューヨークの国連本部で、トランプ大統領(左)を見るスウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(中央)=2019年9月(ロイター=共同) まさか、中国が発展途上国だとか、成長の果実をまだ十分に得ていないから遠慮しているだとか考えているのだろうか。そのような理屈ならば、世界の権力者たちと意見は大差ないはずだ。 ひょっとしたら、グレタさんは「くまのプーさん」のファンなのかもしれない。プーさんは中国で検閲対象になったと言われるほど、習主席に似ているとSNS上で話題になっている。第25回締約国会議(COP25)からの帰国途中に彼女がツイッターに投稿した、ドイツ鉄道の車中で膨大な荷物の横で座る自身の写真に、筆者もプーさんを探したのだが、どうもいないようだった。

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    「禁煙五輪」パニックは防げない?

    来夏の東京五輪・パラリンピックは「タバコのない五輪」として、関連施設が原則全面禁煙となる。世界標準に照らせば、常識になりつつあり、当然の措置といえるだろう。とはいえ、そもそも五輪はあらゆる価値観を持つ国や地域が参加するだけに、分煙さえ許さない排除は混乱や対立を招きかねない。改めて禁煙問題を考えたい。

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    多様性を排除する「タバコのない五輪」に異議あり

    新見正則(公益財団法人愛世会理事長) 僕はタバコの煙が大嫌いです。タバコのにおいがそこそこある場所にいると、気にならないこともありますが、タバコのにおいが全くしない環境では、はるか遠くのタバコの煙にも気がついてしまいます。 そんなタバコ嫌いの僕ですが、競技会場の敷地内を全面禁煙とする2020年東京五輪・パラリンピックの「タバコのない五輪」というキャッチフレーズは気に入りません。 選手村は「原則禁煙」となり、アスリートがタバコを吸うことができるのは、限られた喫煙スペースになります。タバコを吸っても、金メダルを取ることができれば、それでよいではないですか。たくさんの犠牲を払って金メダルを目指すアスリートが、あえてタバコを吸うという選択肢を選ぶのであれば、それは尊重すべきです。法律に違反しているわけではありません。ましてやドーピング規定にも違反しません。 このように、東京五輪で喫煙できる環境が極めて限られることに不公平さを感じます。喫煙環境の排除ではなく、分煙設備を設けることを望みます。アスリートに限らず、オリンピックを楽しむ観客も、同時にタバコを楽しむ設備があってもよいではないですか。 もちろん、タバコが身体に悪いことをしっかりと伝えることは必要です。また、喫煙者の周りにいる人が受動喫煙による健康被害を受けるリスクも伝える必要があるでしょう。しかし、身体に悪いことは基本的に気持ちがいいのです。そんなリスクを承知でタバコを吸う人に対し、東京五輪の対応はあまりに酷です。だから僕は「タバコのない五輪」といったキャッチフレーズには大反対です。 僕の趣味はトライアスロンです。泳いで、自転車に乗って、そして走ります。50歳まで金槌(かなづち)でしたが、50歳で健康のために水泳を始めました。凝り性なので、自分の努力に従って上達する、つまり日々進歩する自分を楽しんでいました。そして泳げるようになり、泳げる距離が伸びてくるに従い、他の有酸素運動にも興味を持ち始めました。そして自転車に乗り、ランニングを始めたのです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 52歳で五輪と同じ距離のトライアスロンを完走しました。1・5キロを泳いで、40キロ自転車に乗り、10キロを走ります。そして凝り性な僕は、合計236キロに及ぶ日本最長のトライアスロンを53歳で完走しました。いろんな生き方あっていい 3・8キロを泳ぎ、自転車で佐渡(さど)を一周して190キロ、そして最後が42・2キロのフルマラソンを14時間ちょっとで完走しました。さすがにここまでの長い距離は身体にダメージを与え、健康にも良くないでしょう。でもその達成感と、それを実現した道のりが自分の人生の宝物になりました。身体に悪いが、気持ちがいい、つまり健康以外の御利益があるということです。 そしてその数カ月後、自転車で転倒し、鎖骨と肋骨(ろっこつ)を数本折りました。救急車で搬送され、たくさんの方にご迷惑をおかけしました。それでも今も続けています。 僕は自分が嫌いなことを一致団結して拒絶する空気感が嫌いです。独善的で自己中心的に思えるのです。いろいろな生き方があり、いろいろな死に方があってよいではないですか。ある程度、人にご迷惑をかけてもよいではないですか。僕は、自分の価値観とは異なる、ちょっと迷惑で困ることがあっても、お互いさまと思って寛容でいられる人でいたいのです。そして多くの人がそんな寛容さを持つことを望んでいます。 タバコは確かに身体に悪です。しかし、糖分の取り過ぎがもっと身体に悪いと僕は思っています。タバコを吸って肺がんやCOPD(慢性閉塞性肺疾患)になる人は少なからずいます。一方で、世の中に溢(あふ)れかえっている甘いもので糖尿病になる人は、それ以上に存在します。 タバコだけを害悪と想定し、ひたすらその害悪を世の中で唯一の害悪の様に宣伝する風潮が嫌いです。そして喫煙は法律を犯しているわけではありません。 10月1日より公益法人愛世会の理事長を拝命しました。公益財団法人愛世会は急性期・慢性期、そして精神疾患の病棟を持っています。また老人保健施設もあります。そして歯科技工士学校と検診業務を行っています。2020年東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場。2019年11月30日、東京都新宿区 僕は「いろいろな生き方があっていいし、いろいろな死に方があっていい」と思っています。もちろん健康に悪いからタバコをやめろと言う啓蒙(けいもう)には大賛成ですが、それを承知で吸う人を僕は嫌いにはなれません。 そこで、僕は堂々と喫煙できる病院や老人保健施設をつくりたいと思っています。その喫煙が可能な限られた施設内の職員も喫煙者ですし、患者さんや入所者も喫煙者で、施設内でタバコが吸えるのです。死ぬまでタバコを吸いたいという患者さんや入所者に優しい受け入れ先があってもよいように思うのです。 いろいろな生き方、いろいろな死に方を応援したいのです。東京オリンピックには愛煙家のアスリートも全力を出し切れる環境にしてもらいたいと思っています。また愛煙家の観戦者にも優しい取り組みを望みます。 「タバコのない五輪」などくそ食らえです。

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    「タバコなき東京五輪」をレガシーにするにはココが足りない

    春日良一(スポーツコンサルタント) 私はヘビースモーカーだった。日本オリンピック委員会(JOC)の職員だったころ、事務局での過酷な業務の疲れを、あの一服がどれほど癒やしてくれたか分からない。 4年に1度のオリンピック競技大会とアジア競技大会の開催が近づくと、日本代表選手団の派遣業務が始まるが、心身ともにハードだった。健康診断からユニホームの採寸、渡航手続きや名簿作成に至るまで、時に500人からなる代表選手や役員一人一人の面倒を見なければならないからだ。 多くは事務的な仕事であるが、単純な肉体労働も待ち受けていた。選手団の荷物に大会組織委員会から配布される特別な公認シールを張れば、税関もフリーパスで通れるとあって、さまざまな競技のあらゆる荷物が事務局に殺到する。 そこに選手団本部の荷物が加わる。選手村内に置かれる本部で選手を管理・支援するには、業務を支える備品や食料、医療品など幅広くそろえる必要がある。 大量の荷物をJOCの責任で全て確認して、計量・整理したうえで荷造りしなければならない。さらに、荷物を倉庫から出して航空機にチェックインするまでの搬送に関わる全作業が事務局職員にのしかかった。 夏季大会の場合は、準備期間も暑い時期になるので、文字通り汗まみれになった。大会2カ月前からほとんど毎日残業で、深夜帰宅になる。18時になって冷房が切られると、窓を開けて、タオルを首に巻きながら仕事を続けた。 そんなとき、休憩に吹かす1本のタバコがどれだけ励みになっただろうか。冷たい缶コーヒーを飲みながらショートホープに火をつける。一服を終えれば、「さあ、あともうひと頑張りだ」と気合を入れたものだ。 また、選手団派遣業務では神経をすり減らす緻密な労働もあった。それは選手団のエントリーである。 特に、大会2週間前に行う個人エントリーは「氏名のエントリー」とも呼ばれ、選手一人一人のデータを登録しなければならない。当時は競技団体の代表選考も大会直前というギリギリのタイミングが多く、時間との闘いも強いられた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) それでもミスを犯すことは許されない。締め切りに遅れたら、選手が出場できなくなる。名前を一字スペルミスしただけで、その選手の努力は水泡に帰す。 いくら念には念を入れても、足りないくらいだ。迫りくるエントリー締め切り日という名のデッドライン(死の線)まで精神を研ぎ澄まして、英文タイプライターで一字一句打ち込む日々が続いた。禁煙に熱心だった「中興の祖」 私にはこの神経をすり減らす仕事の合間にも一服がどうしても必要だった。一時的な現実逃避だったかもしれないが、集中力を復活させられる気がしたのも確かだ。 それに、タイプを打ちながらのくわえタバコは眠気防止のためであった。こうして、私の喫煙習慣は続いた。1日30本から40本、しかもニコチン度もタール度も高いショートホープを愛煙した。 そんな私の喫煙思考にきつい一撃を加えたのが、カナダから届いた1枚のレターだった。1988年カルガリー冬季五輪組織委からの書簡であった。 大会マスコットのホッキョクグマのハイデイとハウディがプリントされたそのレターヘッドには、「カルガリーオリンピックはエアフレッシュ・ポリシーを挙行します」と書かれてあった。会場の禁煙化とタバコ会社からのスポンサードを辞退する「禁煙方針」を打ち出したのである。 この大会は私が五輪に参加する初めての大会であった。選手団本部員として渉外を担当することになっていた。 組織委や各国選手団、そして国際オリンピック委員会(IOC)との交渉が主な仕事だった私は、さすがに選手団本部に缶詰めになることはなかった。それでも、本部の張りつめた空気から解放されるために、一服がどうしても必要だった。 ところが、カルガリーではその一服もままならなくなったわけである。選手村全域が禁煙対象になれば、その中に設置される選手団本部も全面禁煙となるからだ。 組織委の通達を破ることなど、本部員として到底できるわけがない。しかも、先発でカルガリー入りする私は、ほぼ1カ月の禁煙を覚悟しなければならなかった。 結局、カルガリー五輪の「禁煙体験」でも私はタバコから離れられなかったが、大会の間は何とか断つことができるようになった。その後も五輪に参加するたびに喫煙思考の束縛から逃れられるようになり、日常でもタバコと完全にサヨナラをすることができた。禁煙するようになって既に10年以上がたつ。東京で行われた国際オリンピック委員会総会で、1996年の夏季五輪が米アトランタに決定し、あいさつする同委のアントニオ・サマランチ会長=1990年9月18日 そんな「禁煙方針」も含む環境問題への取り組みに熱心だったのが、IOCの「中興の祖」アントニオ・サマランチ元会長だった。五輪を商業化した人物として言及されることが多いサマランチ氏だが、五輪のプロ化や「五輪休戦」の伝統復活などと並ぶ、彼の計り知れない功績の一つだろう。 以前から「スポーツと健康」「スポーツと環境」について意識していたサマランチ氏は1990年、スポーツと文化に加えて、環境を五輪活動の3本柱にすると明言し、95年の「スポーツと環境委員会」の設置につながる。また、国際スポーツ界においても、80年代には既に、喫煙者がスポーツ運営に関わる者として好ましい存在ではないと見なされる空気があり、国際会議でも全面禁煙が常識となっていった。「全面禁煙」唯一の欠陥 こうして、カルガリー五輪で提唱された「空気を新鮮に」政策がその後の大会にも引き継がれていった。2010年にはサマランチ氏の後継となったジャック・ロゲ会長が世界保健機関(WHO)と「健康なライフスタイルの推進」で合意し、「タバコのないオリンピック」の実現を目指すことになった。 このオリンピック運動の築いた伝統を、2020年東京五輪も受け継ぐ。今年2月、大会期間中は加熱式タバコを含めた会場敷地内を全面禁煙にすることを、東京オリンピック・パラリンピック組織委が発表している。 実際、これまでの五輪開催都市では、受動喫煙防止に関する法令が施行されてきた。面白いことに、2020年五輪招致時に東京のライバルであったマドリードやイスタンブールは、立候補の段階で受動喫煙防止法が施行されていた。だが、東京都で受動喫煙防止条例が全面施行されるのは、開幕4カ月前の2020年4月になってのことだ。 五輪の理念を広める「オリンピックムーブメント」は、より良い社会、より平和な社会を作る運動でもある。これまでも五輪を契機として、社会改善のための施策が実行されてきた。 2012年のロンドン五輪では、大会メイン会場を意図的に中心部から外れた東地区に設けた。深刻な土壌汚染と貧困問題を抱える最も治安の悪い地域に、五輪スタジアムだけでなく、競技会場や選手村、プレスセンターも集中的に配置された。 それまで「暴漢に襲われても仕方がない」地域が、大会後にはメイン会場を中心に再開発が進み、今や「イースト・ビレッジ」と呼ばれる市民に人気の場所へと生まれ変わった。五輪が終わった後でも大きな雇用を生み出しているという。 1964年の東京五輪は首都高を生み、モノレールを生み、新幹線を生んだと言われる。ただ、以前から進められた計画に五輪が乗ったと言った方が正しいかもしれない。どれも五輪がなくても実施計画があったからだが、東京五輪が早期実現へと動かしたことは間違いない。 あれから56年が過ぎた2020年の東京五輪が、インフラストラクチャーとして大きなものを残すのは難しい。そのような状況下で、新鮮な空気を東京に残せたとしたら、それだけでも大きな貢献になるだろう。 そこで、組織委による「全面禁煙」方針の欠陥を一つだけ指摘したい。それは「長期間滞在する選手村などに限り、例外的に喫煙スペースを設ける」としている点だ。東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長(中央右)へあいさつに訪れた、JOCの山下泰裕会長(同左)。右から2人目は五輪日本選手団の福井烈団長=2019年12月 五輪がモチベーションとなって社会構造に影響を与えるために必要なのは、大会の運営主体が方針の完全実施を決心することだ。それに五輪の精神からいえば、選手村こそ五輪の理想を実現させる場にほかならない。 組織委の決意により、各国代表の選手や役員だけでなく、運営に携わる人々にまで、妥協なき「エアフレッシュ・ポリシー」を行き渡らせる。それが居酒屋での一服を隣に座る人のために我慢する愛煙家の心につながるはずだ。

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    ニコチン入り外国産「電子タバコ」野放しにするつもりか

    薗潤(日本タバコフリー学会代表理事、医師)  2002年に世界保健機関(WHO)が、「タバコフリー・スポーツ、スポーツはタバコと無縁でやろう」と提唱して以来、世界のスポーツ界ではタバコ規制が進んできた。オリンピック(五輪)やワールドカップサッカーなどは、完全禁煙が既定方針となり、タバコ産業は大会の公式スポンサーから排除されている。 東京五輪(パラ五輪を含む、以下同じ)では、直前の2020年4月に、改正健康増進法(健康増進法)と東京都の受動喫煙防止条例(都条例)が全面施行される。以下に東京五輪のタバコ対策について、いくつかの問題点を考えてみた。 競技会場内の敷地内完全禁煙は、2018年冬の平昌五輪で初めて実施されたが、規則破りや近隣周辺での喫煙が問題になった。同様の問題は、五輪に限らず施設の敷地内禁煙実施に必ず付随して起こり、根本的な解決策は周囲(五輪の場合は競技会場外)も禁煙にすることしかない。役所が敷地内禁煙になり、役所周辺が条例で路上喫煙禁止になっているため、実質的に地方公務員が勤務時間内禁煙となった例もある。 大会組織委員会のホームページによれば、競技会場は東京都内に限らず、42カ所が予定されている。最近、これに加えてマラソンと競歩が札幌市で開催されることになった。これらの競技では、観衆のいる沿道も競技場内と考えられ、沿道も完全禁煙の徹底が求められる。 喫煙規制が遅れている競技の会場も心配である。プロ野球の球場には、観客用の喫煙所があり、監督・コーチ・選手用にダッグアウト裏の喫煙所があると聞いている。また先頃行われた野球の国際大会「WBSCプレミア12」は、東京五輪の予選とも言える大会だったが、テレビ放映のスポンサーに日本たばこ産業(JT)が入っていた。 五輪の放映には、公式スポンサーから排除されているタバコ産業のCMが入らないことが必須である。バレーボールには男女ともJTのチームがあるし、ゴルフにはJTカップがありJTが多額の賞金のスポンサーだ。 東京都は、健康増進法に上乗せして「受動喫煙を防止しにくい立場の従業員や、健康影響を受けやすい子供を守る」ことを都条例(「子どもを受動喫煙から守る条例」を含む)制定の目的としてうたっている。成立した受動喫煙防止条例について説明する東京都の小池百合子知事(中央)=2018年6月27日、都庁 都条例は加熱式タバコを、より有害性が低いものと位置付け、「指定タバコ専用喫煙室」内では飲食可能としたが、大きな汚点である。諸外国に先駆けて加熱式タバコの人体実験場となった日本で、急性好酸球性肺炎などの重篤な副作用が報告されているからである。ニコチン入り電子タバコ 海外で若者を中心に流行している電子タバコには、ニコチンが含まれているが、日本製の電子タバコにニコチンを含有させることは、医薬品医療機器等法(旧・薬事法)で禁止されている。従って、日本製は健康増進法や都条例でもタバコの規制を受けない。 しかし、問題は海外から大量に持ち込まれるであろう海外製電子タバコの規制である。米国疾病予防管理センター(CDC)は今秋、電子タバコにより2051例の肺疾患が発生し、39例が死亡したと発表した。原因として添加物のビタミンEアセテートによるリポイド肺炎が疑われている。 その被害を受けて全米各州で電子タバコを禁止する動きが広まりつつあるが、メーカー側は一部のフレーバー付き銘柄の製造を中止したのみだ。東京五輪の際に全面禁止になっていなければ、海外製電子タバコの規制は、紙巻きタバコと同様に厳格にすべきで、「指定タバコ」などに分類すべきではない。 競技会場以上に心配されるのが選手村である。選手村は原則禁煙で、動線から離れた場所に喫煙所を設けるとしている。宿舎はプライベート空間ではあるが、五輪後は民間住居として提供されるのであるから、シックハウス症候群の原因となる喫煙は厳禁、違反者にはペナルティーを科すべきである。 加熱式および電子タバコによる肺疾患はすべて急性影響であり、選手村などで使用された場合、急性の重篤な健康被害が生ずる可能性がある。東京五輪では、そのような事態を予防するためにも「加熱式および電子タバコの使用禁止」を明確に宣言し、「初の電子タバコ禁止五輪」とすべきである。 ロシアは世界アンチ・ドーピング機構(WADA)から国ぐるみのドーピング不正を摘発され、国としては五輪に出場できず、潔白が証明された選手のみが個人資格での参加を許可されている。カナダなど大麻が合法化されている国もあり、最近も芸能人逮捕で話題になった合成麻薬のMDMAなど、麻薬の使用も懸念される。もちろん、ドーピング検査により、大麻や麻薬の違反者は摘発される。 また、競技12時間前から競技直後の検査で、ニコチンはカフェインと共に検査される。しかし、検出されてもドーピング違反にならない監視プログラム物質(興奮薬)の中に分類されている。カフェインはともかく、依存性のある毒物ニコチンは違反物質に分類されるべきである。 まず、求められることは競技場内で参加者や観客に、明確に完全禁煙の方針を周知徹底することであり、さまざまなツールや機会をとらえての多言語による広報・発信である。 第二に、スタッフやボランティアが、競技場内外で喫煙しないことは当然だ。そのためにも喫煙者の方々は、ぜひ今からでも禁煙にチャレンジして、五輪を迎えてほしい。次回の五輪からは、スタッフやボランティアは、非喫煙者に限るという方針を採るべきであろう。 第三に、東京五輪のタバコ対策を十分に理解することが求められる。そのための教育プログラムとして、グローバル・スタンダードであるWHOの「タバコ規制枠組条約」(FCTC)について、周知・徹底しておくべきである。日本はFCTC批准国でありながら、東京五輪競技の場内ではFCTC水準、場外ではその水準に達していないことも啓発すべきである。米ニューヨークで電子たばこを使用する人=2014年2月(AP=共同) 悪質な違反に対しては、スタッフやボランティアが、大会本部に申告する制度を設け、度重なる悪質違反者については、大会本部から氏名や国名を公表するなどの不名誉を科すべきだ。スモーキーカントリー日本 屋内分煙では、受動喫煙被害を防止できないことは世界の常識であり、日本は、この点では非常識な国である。FCTC水準の東京五輪競技場を一歩出れば、そこは「スモーキー・カントリー日本」であったという変化に困惑する外国人の姿が目に浮かぶ。屋外では歩行喫煙禁止条例の救済措置、または吸い殻のポイ捨て防止対策として、駅周辺などにタバコ産業協賛の屋外喫煙所があるが、外国人には奇異に感じられるであろう。 受動喫煙によって日本だけで年間1万5千人の死亡と、その他にも重篤な健康被害が明らかになっている以上、「何人たりとも受動喫煙で殺されてはならない」という大原則を忘れてはならない。子供だけでなく、大人を含めた全ての人を守る「分煙を認めず・例外なし・罰則(過料)付き」の受動喫煙条例や法律の制定が絶対に必要である。 まして、日本はWHOのFCTC批准国である。先進国中最低といわれる受動喫煙防止対策を改善すべきだ。東京五輪後の喫緊の課題は、五輪会場内のグローバル・スタンダードのタバコ対策を、日本全国に展開することである。 タバコ産業は「吸う人も吸わない人も心地よい分煙」などという、実現不可能な空間を宣伝し、喫煙者と非喫煙者の対立の構図をあおってきた。 最近では「製品もマナーへ」のタイトルで、火を使わない・煙の出ない・においが付かない「マナータバコ」を目指すと宣言している。JTの宣伝文句を借りれば「ひとつずつですが、未来へ」向かおうとも、タバコ産業が依存性毒物ニコチンをビジネスから手放すはずがない。タバコ産業は過去・現在とニコチンを利用して莫大(ばくだい)な利益を上げてきた依存症ビジネス産業であり、未来もニコチンなしではありえないからだ。 タバコ問題は、趣味嗜好(しこう)の問題ではない。人々をニコチン依存症のとりこにし、WHOによれば毎年世界で800万人の早期死亡者を生み出しているタバコは、喫煙者の「生存権」という最も重要な人権を侵害する依存性毒物である。 タバコ犠牲者のうち、世界で毎年受動喫煙で死亡する120万人は、きれいな空気を吸う権利という「基本的人権」を侵害され、その上「生存権」まで絶たれた悲劇の主人公である。タバコは喫煙者に加えて、周囲の人々をも巻き込んで、人々の「生きる権利」を奪う恐ろしい毒物であり、可及的早期に禁止すべきだ。 悪質な喫煙者の言動は腹立たしいが、脳をニコチンによってマインドコントロールされている結果である。タバコの犠牲者でもある喫煙者との対決の構図は、タバコ産業の思うつぼであり、「タバコを憎んで、人(喫煙者)を憎まず」が大原則である。コンビニ内のタバコ売り場 日本タバコフリー学会は、今後もタバコフリー(=タバコのない)社会の実現を目指して、世界の良識ある人々と共に頑張りたい。そのためにも、日本は東京五輪でタバコ対策を終わらせることなく、その後も継続的にタバコ規制を進歩させ、少なくとも可及的早期にFCTC水準に追いつくことが重要である。

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    「喫煙所内格差」も発生 加熱式たばこ普及に幾多のハードル

     従来の紙巻きたばこのように火で燃やさないために煙が出ず、一服後の呼気(蒸気)に含まれる有害成分も紙巻きたばこと比べて大幅に削減したとうたわれる「加熱式たばこ」──。受動喫煙防止の高まりも受け、紙巻きから加熱式に変える“愛煙家”が後を絶たないが、そんな中で指摘され始めたのが、普及スピードの鈍化だ。 10月23日、日本で加熱式たばこのトップシェアを誇るフィリップ・モリス・インターナショナル(PMI)の「アイコス」が新モデルとなる「iQOS 3」2機種を発表した(発売は11月15日~)。 既存のアイコスユーザーが抱いていた〈充電時間の長さ〉や〈加熱を行う本体の壊れやすさ〉、〈クリーニングの煩わしさ〉などの不満点を改善したうえに、カラーバリエーションの豊富さを含め、よりスタイリッシュなデザイン性にもこだわったという。 発表会に現れたPMIのCEO(最高経営責任者)、アンドレ・カランザポラス氏も、「日本は(最初の製品発売から)わずか4年でどの国よりも多くのアイコスファンを獲得した。だからこそ、ここ日本で世界に先駆けて“史上最高”のアイコスを発表することになった」 と新モデルの出来に大きな自信をみせた。だが、その一方で、「製品の発売だけで、成人喫煙者に紙巻きたばこから加熱式たばこに切り替えていただけるものではなく、さまざまなコミュニケーション活動を通じて製品の特性を正確に理解していただかなければならない。 アイコスは紙巻きたばこを吸い続けるよりも害のリスクは少なくなることが見込まれる、より良い代替製品。日本が煙のない社会になるためには、政府からの奨励も必要でしょう」 と述べるなど、今後の販売促進には慎重姿勢も覗かせた。「iQOS」の新モデルを発表するPMIのアンドレCEO 現在、紙巻きたばこも併売するPMIから“脱煙”の言葉が出るのは違和感があるが、じつはPMIはたばこを販売する各国の喫煙文化や喫煙率などを見ながら、将来的には紙巻きたばこからの「撤退」を宣言している。そのため、加熱式たばこが重要な稼ぎ頭となるうえ、アイコスがもっとも売れている日本は、紙巻き→加熱式への完全シフトを実行する重点市場となっているはずだ。 だが、その先行きには暗雲も漂っている。“乗り換えユーザー”の限界「アイコスの日本でのユーザー数は500万人を超え、加熱式たばこを吸ったことのある人のうち、7~8割がアイコスを使用するなどシェアトップは堅持しているものの、アンドレCEOも認めているように、ユーザー数の伸びはPMIの想定よりも徐々に落ちているようです。 その理由として、他社の加熱式製品であるJT(日本たばこ産業)の『プルーム・テック』やブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)の『グロー』がじわじわとユーザーを増やし、販売競争が熾烈になったからとの見方もありますが、それだけではありません」(全国紙記者) アイコスの伸び鈍化は決してPMだけの問題ではなく、加熱式市場全体のパイが伸びていかないから──と同記者は分析する。確かに製品を問わず、加熱式たばこの普及を阻むハードルはいくつも待ち受けている。 まず、これから紙巻きたばこをやめて新たに加熱式オンリーになる“乗り換えユーザー”の需要が限られていることが大きい。 いま、加熱式たばこユーザーは紙巻きたばこの全体市場の約2割を超え、2020年には30%を占めるとする予測もあるが、そもそも日本の喫煙人口は減少の一途をたどっている。男女合わせた喫煙者率は17.9%で、喫煙人口は1880万人(2018年5月現在)と2000万人を切っている。 おまけに、長年紙巻きたばこを習慣的に吸ってきたシニア層はなかなか加熱式に移行したがらない傾向が強いという。あるたばこメーカー関係者もこういう。「長年たばこを吸ってきた高齢者は、『いまさら加熱式に変える意味がなく、自分の好きにさせてほしい』と考えている。仮に乗り変えたくても喫煙に機器を扱い、充電やクリーニングも必要な加熱式に不便さを感じているようだ」 もちろん20歳を超えた若者や紙巻きのニオイが気になる喫煙女性なども新規ユーザーになり得るが、分煙よりも禁煙社会が一層進んでいきそうな現状をみると、そう多くは望めない。 次に、繰り返される増税による価格問題は無視できない。 この10月にも紙巻き、加熱式ともに一斉値上げがあったばかりで、たばこ1箱「500円時代」が現実のものとなった。JTが1箱の本数を減らして価格を下げる紙巻きの銘柄を発表したり、加熱式でもPMIがアイコスの値上げした「ヒートスティック」(500円)より30円安い新ブランド商品を発売する意向を表明したりするなど対策を講じる動きは出ているものの、ユーザーの経済的負担は限界に達している。「1日1箱500円使っていたら生活が苦しくなる。しかも、加熱式は本体の値下げキャンペーンなどがあるとはいえ、機器の寿命や故障の度に買い替えなければならず、出費がかさむ。これ以上、たばこ増税するなら、いっそやめようかとも考えている」(加熱式ユーザー) ちなみに、たばこ税の増税は、今後も紙巻きで2021年、加熱式で2022年まで段階的に行われる予定だ。今回の増税では値上げ前の「駆け込み需要」が業界が想定していたほどの盛り上がりを見せなかった模様で、その中には前出ユーザーのように、「やめることも覚悟で、敢えて買いだめはしない」と話す喫煙者も多かった。“吸える環境”はどこに そして、加熱式ユーザーにとって最も懸念すべき問題が、今後の規制の行方だろう。すでに紙巻きたばこの受動喫煙対策を巡っては、国が改正健康増進法を、東京都が受動喫煙防止条例をそれぞれ成立させ、飲食店など人が多く利用する施設は「屋内原則禁煙」が徹底されることになる。 どちらも四方を壁で仕切って換気基準をクリアした「喫煙専用室」を設ければ、そこでの喫煙は可能になるが、議論が分かれているのが、加熱式たばこの扱いだ。国は「まだ健康への影響が明確でない」として、加熱式については専用エリアを確保しさえすれば飲食しながらでも喫煙できる経過措置を設けたが、都は紙巻きも加熱式も同じレベルの規制を課したい構えだ。 ただ、現状で加熱式たばこを吸っている人の行動をみても、すでに屋内・屋外ともに紙巻きたばこの喫煙者と同じ「喫煙所」に行くのは当たり前の習慣になっており、周囲への迷惑を顧みず、所構わず吸う人は皆無に等しいだろう。「加熱式に変えても、自宅では相変わらず“ホタル族”。ベランダで吸うのが家族の約束となっている」と話す加熱式ユーザーも多い。 しかも、屋内の喫煙所では“喫煙所内格差”も起きている。「各所の屋内喫煙所では、加熱式ユーザーが空気の入れ替えが多い入口付近の落ち着かない場所に固まっている光景をよく目にする。理由を聞くと、『紙巻きたばこの煙のニオイが嫌だから』と話す人が多い。せっかく紙巻きから加熱式に切り替えているのに、狭い喫煙所で紙巻きたばこの煙にさらされていては意味がない」(たばこメーカー社員) このままでは紙巻きたばこのリスク低減(ハーム・リダクション)を目的に、代替品として加熱式たばこを開発したメーカーの自助努力が報われないばかりか、紙巻きから加熱式へのシフトも思うように進まない可能性がある。 そのため、PMでは、「今までオフィスや飲食店などが抱える喫煙環境の悩みの解決提案を行っており、その結果、紙巻きたばこは禁煙だが、加熱式たばこは使用可という場所が全国1万か所以上に広がっている」(PM日本法人の広報担当者)と話す。加熱式たばこ専用の「喫煙室」が増えている 国や都の規制強化がますます進んでいけば、喫煙所を撤去して屋内全面禁煙にしようという施設が増える恐れもある。かといって、屋外でも環境美化条例によって路上禁煙にしている自治体は数多い。「結局、加熱式たばこもどこで吸えばいいのかという不満が広がってくると、普及はなかなか進んでいかない」(前出・PM広報担当者) もはや、たばこは一部の人が楽しむ嗜好品となりつつある今、新たに登場した加熱式たばこがどこまで市場を形成することができるか──。普及スピードを上げるカギは、限られたパイを奪い合うメーカー間の製品争いだけでなく、第三者機関も交えたさまざまなリスク検証や情報公開をしながら、いかに“吸える環境”を整えられるかにかかっているともいえる。関連記事■加熱式たばこ 吸殻処理やマナー問題をメーカーに聞いてみた■加熱式たばこ 新デバイスも登場してシェア争いは一層熾烈に■JT加熱式たばこ 無臭にこだわり続けた開発苦労は報われるか■自殺した地方アイドルが苦悩していた「家庭でのトラブル」■水面下で蔓延しつつある液体大麻 常習者の身勝手な理屈

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    【法律相談】喫煙後のエレベーター使用禁止は喫煙者差別か

     受動喫煙の悪影響が取り沙汰されたり東京五輪も控え、喫煙に関する様々なルール作りが進んでいるが、最近話題になったのが、奈良県生駒市役所の「タバコを吸ったら、エレベーターの使用禁止」という決まりだ。そこまで制約を加えるのは、果たして法的に許容範囲なのか? 弁護士の竹下正己氏が回答する。【相談】 これは喫煙者に対する差別なのではないでしょうか。生駒市役所が実施している「タバコを吸った者は45分間、エレベーターの使用を禁止する」という決まりです。喫煙者はマナーを徹底すべきですが、生駒市役所の無慈悲な決まり事はあんまりだと思います。この規則事項は人権問題にならないのですか。【回答】 受動喫煙とはタバコの煙と喫煙者が吐き出す煙に含まれる有害成分が周りの人に及ぼす悪影響の問題で、二次喫煙ともいわれています。 実験では喫煙者の息には吸い終わってからも、45分間はタバコの匂いが残るとされ、その間、息は有害成分を含んでいることになります。市は密閉されたエレベーターに喫煙後の人と同乗すると、受動喫煙の危険があると判断したのでしょう。こう考えると、生駒市のエレベーター利用制限も、一概に不当・不合理とは思えません。 地方自治法は地方公共団体の長が「公の施設を設置し、管理し、及び廃止すること」を担当業務とする旨を定め、施設の管理の事項は条例で定めなければならないとしています。生駒市の市庁舎管理規則を見ましたが、喫煙後45分以内のエレベーター利用制限に関する規定はありませんでした。しかし、規則になくても必要な事項は、そのつど市長が定めるとされているので、市長さんが庁舎管理権に基づいて定めたものだと考えられます。 インターネットで調べると職員には使用禁止を命じ、来庁者には協力を求めているようです。来庁者に対する関係では心理的な制約を除いて実害はありません。あなたの気分を害するでしょうが、受動喫煙の怖れがあるので、協力を求められても、やむを得ません。「45分エレベーターを使うな」は法的にどうなのか 職員に対する関係では庁舎の管理権というより、労働契約上の指揮命令権に基づくものであるようにも思います。市は雇用している職員に対して安全配慮義務を負っており、厚労省のガイドライン等により、職場の禁煙又は分煙の措置をとるべき義務があります。職員の受動喫煙を避けるために喫煙した職員に、その影響がなくなるまでエレベーターの利用を禁じても、指揮命令権の濫用であるとはいえないと思います。【弁護士プロフィール】竹下正己(たけした・まさみ):1946年、大阪生まれ。東京大学法学部卒業。1971年、弁護士登録。関連記事■公園の受動喫煙裁判 判決は「非喫煙者が喫煙者から離れよ」■たばこと肺がんの因果関係「男性の6割近くが無関係」と識者■喫煙シーン検閲「たばこ描けないなら作品書かぬ」と倉本聰氏■「エアポート投稿おじさん」が話題、次の新種おじさんは?■最近寒すぎるけど、-89.2度の南極基地の寒さ対策はどうなってるの?

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    むやみに脱プラしたがる欧州の「エゴ」に日本はどう付き合うべきか

    小倉正男(ジャーナリスト) 脱プラスチック、すなわち脱プラの取り組みが加速している。 その背景には、プラスチックごみによる海洋汚染が世界的に注目されたという事情がある。環境問題に敏感な欧州連合(EU)、そして環境について無関心なトランプ政権のアメリカにおいてもカリフォルニア州など各州ベースで脱プラに向けての規制が導入されている。 環境汚染が深刻化する中国は、日本や欧米からプラスチックごみを輸入していたが、2017年に李克強首相が「海外ごみの輸入を厳しく禁じる」と表明。18年1月からプラスチックごみをはじめとする資源ごみを原則輸入禁止とした。 日本は脱プラの取り組みが遅れていると言われてきたが、今年6月に原田義昭環境相(当時)が「レジ袋の無料配布を廃止する」と発表。コンビニなど多くの店舗で無料配布されているプラスチック製レジ袋を一律に有料化する法令を制定すると宣言した。すでにスーパーなどはプラスチック製レジ袋の有料化に踏み込んでおり、レジ袋を廃止する企業も出てきている。 少し余談となるが、9月末に開催された国連気候行動サミットでは、小泉進次郎新環境相が地球環境問題に関連して「楽しくクールでセクシーに」と発言して国内メディアに揶揄(やゆ)されたりした。アジェンダ(議題)としての本質上、なかなか「クールでセクシー」というわけにもいかない。だが、ともあれ日本の脱プラも後戻りできない状況となっていることは間違いない。 しかし、お国の動向を待つまでもなく、企業は脱プラに動き出している。 アパレルの世界的企業であるH&M(エイチ・アンド・エム=スウェーデン)は、2018年12月にプラスチック製袋を廃止し、手提げ用紙袋に切り替えた。しかも、紙袋は有料化(20円)、結果として客にエコバッグ携帯のショッピングをアピールした。 さらに今年4月に東京・銀座並木通りにオープンした世界旗艦店の「無印良品 銀座」は原則としてプラスチック製包装袋を廃止して、手提げ用紙袋を採用した。寝具のような一部の大型商品にはプラスチック製の袋が用意されるが、有料化(150円)されている。次回来店時に返却すれば、キャッシュバックされるシステムが採られている。 同店はさらに、「マイバック」として、コットンや麻素材の低価格なバッグを並べて購買を促している。さらに、商品をつり下げているフックをプラスチック製から紙製のものに切り替える試みも行っている。無印良品としては、このやり方を銀座店から全店に広げていくと宣言し、エコ・イメージをアピールしている。 4月にリニューアルオープンした「銀座ロフト」もプラスチック製袋を紙袋に切り替えた。ロフトも脱プラの動きを今後、全店に広げていくと表明している。インドネシアの海岸にたまったプラスチックごみ=2018年4月(ロイター=共同) このように、流行の発信地である銀座から脱プラの動きがスタートしたことは今後の動向にインパクトを持つことになる。「紙袋はエコでクールだ」、という価値観やライフスタイルが広がっていく可能性も高い。日本の場合、動き出せば、一気に浸透していく傾向がある。もはや脱プラの動きは避けて通れない、と判断し、前向きに取り組む企業も増えてくるだろう。 H&M、無印良品などのように、いち早く先手を打って脱プラ、すなわちプラスチック製袋廃止に取り組めば、企業や店舗にとってエコ・イメージをアピールできる。企業としては、脱プラが避けて通れない経営事案であるとすれば、企業・店舗のエコ・イメージを向上させる経営オプションとして躊躇(ちゅうちょ)しないというわけである。紙袋は本当にエコか イオングループは、2007年から一部の店舗でレジ袋の有料化を行っていたが、コンビニのミニストップやドラッグストアのウエルシアホールディングス(HD)もプラスチック製レジ袋の有料化を拡大。化粧品、健康食品メーカーのファンケルは今年3月に紙袋への転換を打ち出した。そして遅ればせだが、今年9月にユニクロのファーストリテイリングも追随した。  脱プラの当面の主役は、プラスチック製レジ袋に代わる、手提げ用の紙袋にほかならない。紙袋で最大手企業であるザ・パックは「色々な企業から紙袋に引き合いが活発化している」(藤井道久常務コーポレート本部長)と表明。紙袋製造企業は百貨店の退店などにより低迷に直面していたが、脱プラによって需要に強い追い風が吹いている。 ただ、紙袋が完全に「エコ」であると言い切れない面もある。紙製品はもちろん自然由来であるが、木材チップからパルプ、パルプから紙に加工する段階で大量の重油を使用する。また森林資源の保全という問題も抱えている。 紙関連業界は、FSC(フォレスト・スチュワードシップ・カウンシル=森林管理協議会)認証を取得して森林保全に配慮する企業姿勢を見せているのだが、自然由来だけに、紙製品を大量に供給・消費すれば森林資源の枯渇につながりかねない。脱プラでプラスチック製袋から紙袋に需要が切り替わるのは確かに悪いことではない。しかし、それはそれで手放しで良いことばかりではないのだ。 脱プラの切り札として、当面は紙袋に需要が大きく回帰するのは間違いない。だが、紙袋の問題は、企業にとってプラスチック製袋に比べるとコスト面でかなり割高である。しかも今後、さらに価格が上昇していく可能性もある。紙袋に入れた商品を手渡すH&Mジャパンの男性従業員=2019年2月、東京都渋谷区 2018年後半には製紙大手企業が紙袋の原材料となるクラフト紙の15%超の値上げを実施した。製紙企業は、原材料である木材チップ、パルプ価格の上昇を値上げの理由としている。製紙企業は人手不足による物流費高、人件費の高騰なども値上げの理由として並べている。 紙袋企業はクラフト紙などの原材料高を受け、製品価格への転嫁を進めているが、脱プラにより紙袋への需要が一極集中するといった事態が起こっており、こうした需給要因からも価格転嫁が浸透しているのだ。日本は「プラ」で勝負を このように、紙袋の最終的な顧客である企業・店舗の需要者側は、紙袋のコスト負担に苦しむことになりかねない。紙袋のコスト負担がさらに増加すれば、外資系アパレル企業のH&Mのように紙袋を有料化して、客に一部を負担させるということに帰結していくことも考えられる。しかし、仮に紙袋を10~20円で有料化を行っても、提供する企業・店舗側はそれでも持ち出しで赤字とみられる。 H&Mが先行して行った紙袋の有料化は、結果的には今後の新しい「世界基準」という見方もできる。同社は苦し紛れに自社の紙袋コスト負担を軽減するために紙袋有料化を行ったわけだが、これは客のエコバッグ携帯を促進するには、理論的にも正当なやり方という見方もできる。ただし、これはまだ決定的なトレンドにはなっていない。 「紙袋が有料化されるのか無料配布となるのか世界的にもまだはっきり見えていない。日本でもアパレル企業、あるいは百貨店、専門店、化粧品企業などでそれぞれ取り組みが異なっている」(紙袋業界筋)。 現状は紙袋を有料化するのか無料なのか、はっきりしたトレンドにはならずカオス状態である。それだけに各企業はプラスチック製レジ袋を紙袋に切り替える段階で「有料化か無料化か」という判断に迫られる。各企業としては、どう判断するか悩ましい状況と言える。 そもそも、日本が脱プラに遅れたのは、プラスチック生産で世界5位、日本人 1 人当たりのプラスチックごみ廃棄量が世界2位に位置していることと無関係ではない。 プラスチックは、安価で造形性に優れ、しかも耐久性があり、ありとあらゆるモノに用途拡大を成し遂げてきたのが現実である。 プラスチックは鉄やセラミックなどの特殊産業分野まで代替してきており、半導体関連などを含めてハイテク製品でもプラスチックが席巻しており、まさに技術革新(イノベーション)のたまものと言える製品ジャンルである。G20エネルギー・環境相会合で環境負荷の少ない素材で作ったコップを手にする世耕経産相(中央)。右は原田環境相※共に当時=2019年6月、長野県軽井沢町 世界的な脱プラの動きは、日本のプラスチック関連業界を直撃するが、過去がそうであったように技術革新で生き残るしかない。取り換えがきかないと思われてきた特殊産業分野などはまだまだあり、プラスチックは他の素材の代替する用途開発が進められることになる。 逆境をテコに環境のサステナビリティーと調和を目指す、分解できるプラスチック製品の提供なども今後の開発の焦点になるとみられる。

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    「ロスジェネ中年」なぜ恐ろしいのか

    30代後半~40代は「ロストジェネレーション」(失われた世代)と呼ばれ、貧困や引きこもり、犯罪などが社会問題化している。安倍政権はこうした就職氷河期世代を「人生再設計第一世代」とし、就労支援などを行う方針だが、あまりに深いロスジェネの闇を今さら解消できるのか。

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    永遠に抜け出せない「ロスジェネ世代」の救いなき飢餓感

    古谷経衡(文筆家) 複雑と言おうか。悲しいというか。ロスジェネ世代に関する衝撃的なニュースが飛び込んできた。兵庫県宝塚市によるロスジェネ世代救済の施策である。 就職氷河期世代(ロスジェネ世代)」とされる30代半ば~40代半ばの人を正規職員として採用する方針を明らかにしていた兵庫県宝塚市は30日、募集締め切りとなる同日までに計1816人の応募があったと発表した。募集人数の3人に対し、倍率は600倍強となった。(略)中川智子宝塚市長は取材に「予想を超える応募状況。それだけ多くの方が支援を必要としていると実感した」。さらに「宝塚市だけでは砂漠に一滴の水を落とすようなもの」と述べ、他の自治体や民間企業に就職氷河期世代の人々を安定的に雇うよう訴えた(2019年8月30日、朝日新聞、一部筆者による強調、言い換えなどあり) なんと悲しいニュースであろう。ロスジェネ世代がたった3人の応募枠の中に殺到する。砂漠に行って木に水を落とすようなものではなく、まさにカンダタに対する「蜘蛛の糸」ではないか。 かくいう筆者も36歳で、いわゆるロスジェネ世代に当たる。団塊ジュニア世代とも呼ばれるこの世代は、バブル景気が崩壊し、民間各社が新規採用を絞り、「リストラ」の嵐が吹き荒れていた1990年代後半~ゼロ年代前半までに多感な青春時代を迎えた層であった。 筆者は、関西の某私大に2001年入学、順調にいけば05年卒業(就職)の年代なので、まさにこのロスジェネ世代の飢餓感は他人事とは思えない。筆者の出た私大は、まず関西の中では知名度が高い部類に入り「就職に強い」などと自己喧伝(けんでん)していたが、いわんや文学部歴史学科と言う地味な学科での就職状況は厳しいものがあった。 中世における荘園の多重構造を研究していたA君は、大阪にあるマヨネーズ製造会社の内定をもらった。荘園とマヨネーズ。私には、A君が学部とはいえ4年をかけて追求してきた史学のテーマと、マヨネーズがどう考えても結びつかなかった。 土佐勤皇党の研究をしていたB君はキヤノン(東京本社)の内定をもらっている。土佐勤皇党とキヤノンもまた、筆者の中では自動車とマグロくらい、似ても似つかないものであった。南北朝動乱期における北朝研究に邁進したC君は、京都銀行の内定をもらった。北畠親房と京都銀行。これも正直いって何の相関性があるのか筆者にはよく分からない。 みな、大学の4年間でやった研究テーマなどかなぐり捨てて、学校の知名度だけを唯一のよりどころとして、「へたな鉄砲数うちゃ当たる」方式で機械式にエントリーシートを出して、また相手側も本学の知名度のみをよりどころにして一定数の採用枠を設け、そこに滑り込んだだけのお話である。こう考えると、大学での高等教育って何なんだろうとさえ思う。それだけ、就職事情が厳しかったということだ。 かくいう筆者はどうであったのかと言うと、そもそも不良学生で大学の必要卒業単位を大幅に取りこぼして、その結果大学を7年度目まで留年した人間の屑(くず)であるから、逆に泰然自若と言おうか、達観した感慨になって、必死になって就活している彼ら同級の学生らと距離を取って観察することができた。1996年6月、大学卒業者の就職浪人を対象に開かれた就職面接会=東京都文京区の東京ドーム「プリズムホール」 他には、京都府庁、京都市役所、大阪府庁、大阪市役所、関西圏の各小都市の市役所など公務員の道に進む者。関西アーバン銀行(現関西みらい銀行)、滋賀銀行、和歌山銀行(現紀陽銀行)、京都信用金庫、京都中央信用金庫、大阪信用金庫、大阪市信用金庫(現大阪シティ信用金庫)など地銀・信金組合に進む者。 あとは、(これは本学でも優秀な部類だが)オムロン、京セラ、島津製作所、日本電産、任天堂、村田製作所、ロームなどの、いわゆる「京都企業」に辛うじて引っかかる者。残りは前掲した企業群よりももっと小規模な私企業か、大学院進学か、実家に帰るか、フリーターをやるかの千差万別であり、正直言って2005年当時、まだしも関西の私学では「良い就職実績の部類」であった。「オンラインサロン」という疑似宗教 しかし、前掲したように、これらの企業への就職と当時の学生らの4年間にわたる研究テーマが合致していたのかというと、疑問を抱かざるを得ない。みな、就職活動に必死だったことだけは確かである。 冒頭の宝塚市のニュースのように、ロスジェネ世代には妙な飢餓感がある。まず、自分の進みたい将来方針に対する選択肢が皆無であったこと。自分の進もうとする将来方針を、物理的に遮蔽する時代状況が存在したこと。あるいは、自分の進みたい将来方針の策定さえ、未準備で就職戦線に放り出され、失敗を繰り返すうちにやる気を失い、就職戦線自体から離脱していく者。こういった人々が本当に多い。 1997年まで一応の経済成長を遂げていた日本は、同年の消費税増税(5%)および97年から翌98年の金融危機(山一證券、北海道拓殖銀行の破綻など)でダブルパンチに陥り、一挙にマイナス成長へと転がり落ちた。不景気が長引き「構造改革」が必要だとされた時期にさっそうと登場してきたのが小泉純一郎政権であった。 しかしながら、この構造改革は、まだ辛うじて健在であった都市部における中産階級の所得を軒並み落としこみ、代わりに経済界の要望であった非正規雇用が激増するという、社会階層のほとんどすべてを巻き込んだ大混乱の時代へとつながっていく。 「ハケン」という言葉がある種の流行語となったのもゼロ年代中盤である。現在、非正規雇用は労働者全体4割にも及ぶが、まさにこの空間的スポットともいうべき社会のどん詰まりに陥ったのがロスジェネ世代である。 自らの自己実現が達成できない飢餓感。あるいは、自らの自己実現方針が何なのか分からないまま、悶々と社会の輪転機として存在し続ける自己存在への懐疑。まさしく、こういった世代を対象に隆盛しているのが「オンラインサロン」というネット上の疑似宗教である。「教祖」(サロン開設者)の言うことを聞けば、富やスキルが手に入る。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 何のことはない、これは「ネット宗教」の一種だが、飢餓感と窒息感で満たされていない、と感じるロスジェネ世代はここに殺到する。オンラインサロンの平均加入者は、圧倒的に30~40代が多いこともその証左であろう。彼らの満たされない飢餓感が消えるのは、いったいいつのことになるのだろうか。 そんなときは永遠に来ないというのが、筆者の見方である。誠に絶望的な、誠に深刻な「時代の犠牲者」こそがロスジェネ世代であり、たった3人の「砂粒」に1800人が殺到する(宝塚市)。この異様な飢餓感の打開策は、残念ながらない。

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    同じ「ロスジェネ中年」でも女性が凶悪犯罪を起こさないワケ

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) ここ2~3年ほどの間、日本では40代もしくは50代の子供が70代や80代の親と同居し、親の年金や収入に頼る「8050(7040)問題」や、就職氷河期に正社員になれず、40代、50代の現在もフリーターや非正規雇用の社員として厳しい生活を送っている「ロスジェネ問題」が話題になるようになりました。 団塊やそのちょっと上の世代の80代の親たちが、高齢化して病気がちになったり、要介護になったり、亡くなる例が増えてきた、また、子供たち世代が若いとは言えない中年世代になり、将来の先き行きに不安を実感するようになったのが原因でしょう。 かくいう私も大学を出たのが1998年で、就職氷河期ど真ん中世代であります。 同級生の大半は公務員になったり、インフラ系企業に就職、もしくは学生時代のアルバイトの延長からマスコミ系企業の社員になる、当時盛り上がりつつあったネット業界で働き始めるという感じです。 ほとんどが正社員で採用されてはいるのですが、その後会社が傾いて格下の企業に転職したり、かなり厳しい業績目標にさらされてヒーヒー言っているなど、数年前の世代や、今の20代に比べると不利な条件で働いているという状況であります。しかし、仕事があるだけでもありがたいのですが。 私の場合は大卒後アメリカの院に進学して、新卒ではありましたが、中途採用みたいな感じでネット業界に入って日本と海外を巡回しておりますので、ロスジェネの典型的な就職パターンとはかなり違う道を歩んでおります。 しかし、私も同級生たちも、ここ5年ぐらいの間に親が亡くなったり、要介護になったり、体調が悪化したり、自身も血圧や血糖値が上がって老いを感じるようになったりと、時の流れを考えてしまう年齢になり、さらに子供と親の介護費用の板挟みで、自分の老後はどうなるのかと不安だらけであるので、ロスジェネ的な悩みにどっぷりであります。 さらに気になりますのが、ここ最近日本で起きている凄惨(せいさん)な事件の容疑者が、40~50代で、まさに自分と同じロスジェネ世代であることです。 例えば川崎20人殺傷の岩崎隆一容疑者(51)=被疑者死亡のまま書類送検、京都アニメーション放火事件の青葉真司容疑者(41)、あおり運転・暴行の宮崎文夫容疑者(43)などです。※写真はイメージです(GettyImages) これらの事件の原因を、彼らがロスジェネ世代で就職できなかったからだ、社会の先行きが見えないからだという陳腐で型通りの批判で済まそうとは思いません。しかし、こういった事件の容疑者が男性で、引きこもりや周囲とのトラブルがあり、現状や将来への不安により精神が不安定になったという要素もないとは言えないでしょう。 しかし、ロスジェネと申しましても、男性も女性も同じような悩みを抱えております。凶悪犯罪、なぜ男性ばかり? なぜ男性が関与する事件ばかりが目立つのか? 海外でも大量銃撃や凶悪犯罪などに女性が関わることは男性よりも少ないわけですが、潜在的不安やつらさを抱えた日本のロスジェネ世代も、外に暴発するということはないようです。 たしかに40代女性がダンプで牛丼屋に突っ込んだという事件は耳にしませんね。しかし非正規雇用の70%は女性で、平成29年の国税庁の調査によれば、非正規の女性の年間平均給与は151万円という貧困レベルで、生活は相当苦しいはずです。 しかし、女性は暴発はしない。これは日本では新卒就職するはずだった1998年頃でも「どうせ女の子だからお嫁に行くのよね。派遣でもいいわよ」といわれ、親も親戚も特に期待せず、職場でも補助的な仕事ばかりあてがわれ、最初から社会のカースト外だったというのがあるでしょう。 最初から期待されない分、男性のようなプレッシャーにはさらされず、「派遣なの」「契約なの」と言っても飲み会で「そうなんだ~」と言われるだけで、厳しい視線にはさらされない。最初からあきらめ状態だった分、男性よりは貯まる怒りも少なく、親には介護要員と期待されることもあり、自分の感情を抑制して忍耐強く生きている人が多いからでしょう。 境遇はつらいですが、日本のロスジェネ女性たちは柳のように柔軟で強いです。つらい中でもささやかな楽しみを見つけ出します。 家は丁寧に掃除され、服にはアイロンをかけて、100円ショップで見つけた季節を感じさせるインテリアを部屋に飾って、クーポンを活用して友達とおしゃべりしながらワイワイと気晴らしをします。私が知っている女性ロスジェネ世代はそんな感じです。 高齢になった女性たちや、夫を先に亡くした女性たちも同じですが、女性はやはり男性よりも逆境に強く柔軟だと思います。そんなことを言うなんて差別的だと言われるかもしれませんが、やっぱり女は、料理とか、ちょっと掃除がうまくいったとか、友達との他愛もないおしゃべりとか、爪を塗ってみるとか、そういう細かいことで気晴らしをするのが上手ですし、社会的地位にはあまりこだわらない人が多いです。 男性を見ておりますと、同窓会や会合で、われ先にと仕事や地位の自慢を始め、名刺を交換し、男性同士の飲み会では自分がいかに強いか、金があるかということをマウンティングし合います。それは女の世界ではあまり見られないことです。男性には手芸とか爪を塗るとか、部屋を飾るという小さな楽しみで満足する人があまりいませんね。そういう違いが、ロスジェネ世代の男性の暴発を生んでいる気がしてなりません。※写真はイメージです(GettyImages) しかしながら、ロスジェネ世代の女性も今後の生活のためには自衛が必要です。女性の柔軟性と頭の良さを駆使して対策を取りましょう。住宅ローン、夫、子供を抱えてない分、対策が取りやすいという利点もあります。ロスジェネ女性同士で暮らす まず私がおすすめしたいのが、ロスジェネ世代の女性同士で同居することです。 イギリスには50代以上の独身女性だけが住めるシェアハウスがあります。庭とキッチンとリビングは共同で、部屋は別ですが、気が向いたときにおしゃべりしたり、庭を手入れしたりという風に過ごします。一軒家をシェアしていますから家賃も格安です。何かあったら他の人に救急車を呼んでもらえます。 60歳以上とか70歳代になると高齢者用アパートに移る人もいますが、そこもシェアハウスのような作りのことが多いです。違いは常駐の看護師がいたりすることです。 また、私の知人の80代日本人女性は、女友達と一軒家を買って20年ほど前から二人で住んでいます。気心知れた友達なので気兼ねもなく、病気のときはお互いに看病しあっています。 一緒に住むのは別に親族でなくても構わないのです。女性は柔軟ですし、男性みたいなマウンティングもしないし、身の回りのことはちゃんとする人が多いので案外うまくいきます。家賃も光熱費も節約になりますし、何よりも生活に張り合いがでます。 2点目は非正規雇用だからと諦めずに、勉強継続してスキルを身に着けて転職したり、副業で稼ぐことです。 例えば事務職だった方がデータベースの作り方やLAN(ローカルエリアネットワーク)の組み方を学んで、情報システム部も兼ねた総務部員として働けば、キャリアの選択肢がぐんと増えます。中小企業や地方の職場、福祉施設等は案外そういうデュアルなスキルを持った人がいないので重宝されます。そういうスキルの組み合わせ、さらに人が足りていないところを探します。今は人手不足なのでチャレンジすればチャンスは巡ってきます。 副業に関しては仕事をしながら家でもできることにコツコツ取り組むこと。1カ月に稼げるのが1万円でも2万円でもあれば大成功です。チリも積もれば山となるでコツコツやっていけばお金はたまります。 動画に広告をつけて配信する、手作り品をネットで売る、絵を書いて売ってみる、アンケートに答える、自分の得意なことをブログに書いて広告を付けてみる。とにかくなんでも構わないのです。トライアンドエラーでとにかくやってみて、うまくいきそうな方向を見つけて注力する。その繰り返しです。 3点目はとにかくお金を貯めることです。年をとっても年金だけでは生活はできないので、とにかくお金をためること。そして「タネ銭」がたまったら運用することです。ただし株は素人には難しいので大手の会社のインデックスファンドに投資をします。毎月少しずつでも構いません。※写真はイメージです(GettyImages) さらに生活を「ダウンサイジング」する方法を考えます。ダウンサイジングとは縮小するという意味です。例えば賃貸に住むのをやめて、住んでいた人が高齢化して空き家になっている中古住宅を購入して住んでみる。リフォームはDIY(日曜大工)でも可能な物件もたくさんあります。 こういう家は首都圏の通勤圏にかなりあります。自分は一室に住んで他の部屋の他の人に貸すという方法もありでしょう。値段が安いので貯金で買えることもあります。

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    「もう思春期じゃない」令和のロスジェネたちになぜ勝負させるのか

    熊代亨(精神科医) 就職氷河期世代、いわゆる「ロスジェネ世代」について語るとき、当該世代である私はどうしても政治的にならざるを得ない。ここでいう「政治的」とは、「ロスジェネ世代の肩を持たずにはいられない」ということだ。 2019年4月、政府はこのロスジェネ世代の支援策を発表した。「人生再設計第一世代」と呼んで、雇用の安定化や中途採用等支援助成金の緩和などを推し進めていくという。 しかし、「人生再設計第一世代」とは一体何だろう。私の周囲には、このボキャブラリーに白けきっているロスジェネ世代が少なくなかった。 私個人は「臭いものに蓋(ふた)」をするような、一種の言葉狩りだとも思った。ロスジェネ世代をポジティブに言い換えてみたところで、暮らし向きは変わらない。過ぎた時間も戻らない。 そう、私たちの世代にはもう何もかもが遅すぎた。政府のかけ声とは裏腹に、ロスジェネ世代の多くには、人生の再設計の余地があまり残っていない。 米国の心理学者、E・エリクソンの発達段階説で考えるなら、今、この世代が迎えているのは壮年期であり、もはや思春期ではない。エリクソンの学説に沿って、壮年期の特徴をざっくり語ると、壮年期とは、思春期までの人生経験によって生産的にも停滞的にもなる人生の時期であるとされる。2019年9月、「就職氷河期世代」を対象とした兵庫県宝塚市の採用試験に臨む受験者 ロスジェネ世代の過半が30代も半ばを過ぎていることを思うと、「もう勝負の時期は過ぎている」ということだ。政府は、何より国民は、どうしてもっと早くロスジェネの人生に手を差し伸べられなかったのか。「自己責任論」という麻酔 理由の一端は、当時流行した自己責任論があるだろう。雇用の流動化と、より自由な個人生活を追い風として、90年代~00年代にかけて、自己責任論が最先端の考えとして、もてはやされていた。 今、自己責任論というと、全面的にロスジェネ世代を虐げた風潮だとみなす人も多いかもしれない。だが、実のところ、少なくないロスジェネ世代自身がこれを肯定していたことを私は憶えている。 当時の自己責任論には、単なるシバキ主義では説明しきれない、個人の自由を尊重した、新しいライフスタイルを肯定する響きが混じっていた。自己責任論の背後にべったりと張り付いた「より自由なライフスタイル」という響きは、終身雇用制度がまさに破壊されようとしている端境期のロスジェネ世代に麻酔のように効き、おそらく他の世代をも麻酔してしまった。 個人の自由などと言っていられない状況であるという認識が本格的に広がったのは、00年代の後半あたりからである。 もちろん、ロスジェネ世代にもサバイバーがいなかったわけではない。実力によって、タフネスによって、何より強運によって就職氷河期を泳ぎきり、生産的な人生の盛りを迎えている人たちだ。 エリクソンが語る生産的な壮年期とは、子育てをすることだけを指すのではない。職場の後進の育成に努めたり、自分の業界をリードしたりすることも含まれる。今、さまざまな業界の第一線では、ロスジェネ世代のサバイバーたちが活躍している。2019年7月、就職氷河期世代の「支援推進室」の職員に訓示する茂木経済再生相 他方で、あまりにもたくさんのロスジェネ世代が時代に翻弄(ほんろう)され、生産的になり難い境地に立たされたまま令和の時代を迎えている。エリクソン自身は停滞的な壮年期についてやや批判的な書き方をしていたし、それは彼が活躍した古き良きアメリカ白人社会では妥当するものだったかもしれない。 だが、毎日の生活で精いっぱいのまま令和の時代を迎えた日本のロスジェネ世代、生産的な社会的ポジションにたどり着きたくてもその機会に恵まれず、今世紀に入ってからも流浪の生活を余儀なくされた壮年の人々を見知ってもなお、停滞的な壮年に批判的な目線を向けるのは困難である。いま支援する「意味合い」 ロスジェネ世代に対する政府の支援は、もちろん無いよりはずっと良いし、重い腰をあげたことは評価すべきだろう。しかし、ロスジェネ世代がまだ思春期だったころに政府が支援するのと、もう壮年を迎えてから支援するのでは、その意味合いはまったく異なる。 政府の支援があと10~20年早かったら、まだ思春期の面影を残していた彼らの人生には可塑(かそ)性があり、将来的に子育てをしたり、後進の育成に努めたり、業界をリードしたりする人材になり得たかもしれない。社会的立場という意味でも、心理的な布置という意味でも、思春期とはそういう時期だからだ。 ところが、今ロスジェネ世代を支援して得られるのは、思春期的な可塑性や可能性ではない。社会的にも心理的にも生産的になりきれない人々に糊の口を提供し、停滞的ではあっても年金と税金を支払うマシーンとして生き続けていただく。そのための支援にならざるを得ないのではないだろうか。 時の政府は、この支援を「人生再設計第一世代」と呼ぶけれども、その内実は敗戦処理であり、鬱屈(うっくつ)した日々のなかで停滞的にならざるを得なかった壮年を、どうにか生かし続け、社会が困ってしまわないようにするための手だてであるように、私には見えてしまう。今となっては、それはそれで必要な支援ではあろうけれども、若返りの霊薬として効くことはあるまい。 昨今、ロスジェネ世代の犯人によって世間を大きく騒がせる事件が相次いで報道され、そこからロスジェネ世代の行き詰まりについて論じる向きがある。が、私個人は、世間を騒がせるような大事件は、まずその犯人の個別性や異質性が十二分に検討されるべきで、安易に世代論に還元してはいけないと考えている。 仮に、特定の世代や思想信条が事件を生む傾向があるとしても、それは統計的に裏付けられていなければならない。また、もしそのような目で法務省の犯罪白書を眺めるなら、ロスジェネ世代よりも団塊世代に対し、そのような目線は向けられてしかるべきではないだろうか。2019年8月、京都市伏見区の「京都アニメーション」第1スタジオ近くの献花台にささげられた折り鶴とメッセージ 事件の報道とは関係なく、不遇のうちに苦闘してきたロスジェネ世代の、構造的な行き詰まりにはこれからも意識を差し向け、支援がなされるべきだろう。私はそのような社会的合意が形づくられることを、望まずにはいられない。 世代のマスボリュームから考えても、今日まで続く雇用の不安定性から考えても、それは自己責任の論法で片付けられるものとは思えないからだ。

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    なぜ日本でこれだけ引きこもりが増えたのか

    本多カツヒロ (ライター)『子育てが終わらない』小島貴子准教授インタビュー 川崎市多摩区で起きた殺傷事件の容疑者が引きこもりであったことから、引きこもりがまるで犯罪予備軍であるかのような報道があった。これに対し当事者らでつくる団体は偏見を助長すると声明を発表した。 今年3月に内閣府が公表した推計値では、40歳から64歳の中高年の引きこもりが全国に61.3万人いるという。キャリアカウンセラーとして引きこもりや就職困難者の支援を行ってきた小島貴子・東洋大学理工学部生体医工学科准教授と、引きこもり問題の第一人者として臨床に携わる精神科医の斎藤環氏が対談した『子育てが終わらない』(青土社)。今回、中高年の引きこもり状態の背景に何があるのかなどについて小島氏に話を聞いた。――今年3月に内閣府が中高年の引きこもりが約61万人と発表し衝撃を持って受け止められました。引きこもりや就職困難者の支援を続けてきた小島先生にとっても驚きでしたか?小島:内閣府の調査では、約61万人と公表されましたが、私たちは100万人近い中高年の引きこもりがいると推定しているので特に驚きはありませんでした。 斉藤先生と出会ったのは10年以上前に開かれたパネルディスカッションでした。当時、すでに引きこもりの子どもが40代で、親が70代の「4070問題」があったので、より高齢化し現在のように「5080問題」になるのはわかっていました。――一口に引きこもりの子どもがいる家庭と言っても、さまざまな状況があるのは承知していますが、なかでも多く見られるのはどのような家庭状況でしょうか?小島:親にある程度の経済力がないと引きこもることはできませんから、一定以上の経済力のある世帯に多いですね。たとえば以前、日本の大手企業で、社員に妻や20歳以下の子ども、高齢の両親などを除き扶養家族がどれくらいいるか調べてもらったことがあります。その結果、部長、課長クラス以上の世帯に引きこもりと思われる成人の扶養家族がいることがわかりました。 また引きこもりの子どもがいる家庭では、夫婦関係が機能していないケースが目立ちます。引きこもりのカウンセリングでは、相談に訪れるお母さんの多くが「子育てに失敗した」「私が悪い」と自責の念にかられています。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) こうした家庭では男性が稼ぎ、女性が子どもを育てる役割を担っている場合が多いので、夫は妻に対し「お金は十分渡しているのに子どもの教育に失敗して、学校にも行かないし働きもしないじゃないか」と妻を責め立てる。もしくは、まったく口をきかず、無視をする。あるいは、学校が悪いと外に責任を押し付ける傾向があります。本来ならば、家庭で起きた問題は夫婦が協力して解決するべきですが、どちらかに責任の比重が重くのしかかり、夫婦関係が正常に機能していません。会話量と理解力はイコール――夫婦関係が機能していない場合、どうすれば再び機能するようになるのでしょうか?小島:単語だけで会話をする夫婦は機能しているとは言えません。会話量と理解力はイコールなのです。ヨーロッパ、特にフランスやイタリア、スペインなどではカフェなどでよく話している光景を目にします。 その理由をイタリア人と結婚した親友に聞くと「争わないため」だと言います。ヨーロッパは有史以来、地理的に地続きで争いが絶えなかったので話し合うことで戦争に発展しないようにしていると言うのです。いまでもパートナーや親しい人たちと頻繁に会話するのは争いごとを避けるためだと言います。 日本人は言葉にすると逆に争いごとになると思い会話をしない傾向があります。言葉にしないから相手が何を考えているのか理解できずに、忖度して物事を進め、結果的に子どもが深刻な問題を抱えていることがある。夫婦間の会話がないと子どもも自然と話さなくなります。おしゃべりな引きこもりはいません。――なぜ日本でこれだけ引きこもりが増えたのでしょうか?小島:社会に欠損があるからだと思います。特に社会に蔓延する「同調圧力」の強さです。 人と人がわかり合うには、まず自分自身を理解しないといけません。たとえば「私は〇〇です」と〇〇の部分を授業で学生に埋めてもらうと最初の30~40個はだいたい皆同じものが出てきます。41個目から出てくるものが個性です。 学校という装置のなかでは、集団性に対する美化、同調圧力により人と違うこと、つまり個性が認められない。そうなると、個性を持ち、集団に馴染めない子どもたちは生きづらさを感じるようになります。生きづらいと引きこもりやすくなります。引きこもるきっかけは様々ですが、小中学校時代から不登校がちだったりと、子どものときから生きづらさを抱えている人は多い印象です。――子どもが将来引きこもりにならないために、子育ての中で意識するとよい点はありますか?小島:子ども自身が考え、決定するトレーニングはしたほうが良いですね。親が優秀であればあるほど、自分の考えが正しいと思い込み「子どものためだから」と判断し、指図しがちです。――たとえば「この学校を受験し、この会社に入りなさい」といった具合にですか?小島:もちろん、それが子どもにとって重要だと考えるから指図していると思いますが、その道を進んで子どもが本当に幸せかどうかはわかりません。――もし引きこもってしまった場合にはどうすればよいのでしょうか?相談に対する高いハードル小島:第三者である行政やNPOなどに相談すると解決はしやすいです。ただし、無理矢理部屋から引きずり出すなど暴力的に引きこもりを解決しようとする団体には注意が必要です。 しかし、これだけ引きこもりがいる現状を見ると、いかに相談に対するハードルが高いかがわかります。まず支援側は「相談に乗ります」ではなく、「最近、親子の会話が少なくて困っていませんか」「夫婦の会話が少なくないですか」「子どもが部屋から出てこないことがありますか」など具体的な事例でハードルを下げアウトリーチすることが大事です。――引きこもりの方のカウンセリングを担当されていたわけですが、実際はどのように相談が進むのですか?小島:最初は、相談すること自体のハードルが高いので相談者に対し寄り添うことが重要です。たとえばお母さんが来てくれた場合、「よく相談に来てくれましたね」「いままで大変でしたね」と言ったように。 子どもが引きこもった経緯は聞きません。そして帰り際に「今日はどうでしたか?」と聞くと、大抵は「スッキリした」「気持ちが楽になった」と答えてくれます。 それを夫や子どもに伝えてくださいとアドバイスします。子どもも夫もお母さんや妻に対し悪いと思っているので、お母さんの気持ちが楽になって良かったと思うわけです。そうすると次からは夫も相談に来るようになります。 相談に来て話すことの何が良いかというと、自分がしたことや思っていたことを言葉にするので、言語で認知することになり、客観視できるようになります。そこが重要で、そうなれば解決の糸口が見えてきます。最終的には当事者が出てきてくれれば、解決する確率が高くなります。 当事者が相談に来たら、どんな仕事でも良いので挑戦してみるように話をします。親は、すぐに正社員で雇ってくれるところが良い、安定が一番だとなりますが、そこで急いではいけません。『子育てが終わらない 新装版 ―「30歳成人」時代の家族論』(小島貴子,斎藤環 著、青土社) そもそも「安定」は社会的な装置ではなく、自分のなかにあるものです。毎日、やることや行くところがあり、「よし今日も一日が終わった」と自分を認めてあげられるのが大事です。会社や人間関係に依存していればそれがなくなった瞬間に「安定」はなくなります。――本書のタイトル「子育てが終わらない」という状態はまさに引きこもりに悩む親の悲痛な叫びではないでしょうか。小島:子育てには精神的、社会的、経済的に何歳ごろまでにどうやって自立させるかといったある程度のタイムスケジュールが必要です。本当の意味での自立とは、どんな状況でも暮らしていくことができること。自立することで自尊感情が生まれます。ところが、日本社会の自立の基準は、「ちゃんとした学校を出て、ちゃんとした会社に勤める」という「ちゃんと」という曖昧な基準で子どもを縛っている。 また、「あの子はできるのに、うちの子はできない」と他の子と比較するのをやめましょう。子どもによって発育も違います。他人と比較し、善悪を判断している限り、子育ては終わらないのではないでしょうか。

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    「下級国民」へと落ちこぼれた氷河期世代を救済することはできるか

     2019年6月に神奈川県川崎市で起きた小学生児童ら20人を切りつけた事件に、翌7月には東京都練馬区の住宅街で元農林水産事務次官が長男を刺殺した事件が続き、「大人のひきこもり」が大きくクローズアップされた。40~50代のひきこもりの多くは、バブル崩壊後の1990年代半ばから続いた「就職氷河期」で新卒採用が抑制され、その後もなかなか定職に就けず、長い間、世間から排除されてきたことが背景にあるといわれる。 さまざまな要因が複雑に絡み、長きにわたって排除されてきたことで「下級国民」とのレッテルが貼られがちな彼ら/彼女らに救いの道はないのか。 作家の橘玲氏は、新刊『上級国民/下級国民』(小学館新書)で「平成の日本の労働市場では、若者(とりわけ男性)の雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の雇用が守られた」と論じ、ひきこもりについて多角的な検証を加えている。「若いことが大きな価値をもつ女性と違って、男性がモテようとすれば、社会的・経済的な成功が求められます。男の性愛では『(権力やお金を)持てること』と『モテること』が一体化していて、社会的・経済的に成功できなければ『非モテ』として、社会からも性愛からも排除されてしまいます。これがネットスラングでいう『モテ/非モテ』ですが、男は年収が低いほど未婚率が高いことはデータからも明らかで、就職氷河期で正社員になれず、多くが非正規雇用に追い込まれた40代の男性を苦境に陥れています」(橘氏・以下同) 橘氏によれば、その先には「残酷すぎる現実」が待ち構えているという。「エリートやセレブは『努力して実現する目標』であり、近代以降、階級(クラス)は移動できるものになりましたが、『上級国民/下級国民』は、個人の努力がなんの役にも立たない冷酷な自然法則のようなものとしてとらえられています。 40歳過ぎまで『仕事がない、お金がない、女の子からも相手にされない』といった『非モテ』の人生を送ってきたら、そこから挽回するのはほぼ不可能です。いったん『下級国民』に落ちてしまえば、あとは『下級国民』のまま老い、死んでいくしかない。『上級国民/下級国民』というネットスラングには、そんな彼らの絶望が象徴されていると思います」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 安倍政権は「就職氷河期」世代を「人生再設計世代」と言い換えるほか、「就職氷河期世代支援プログラム」により、これからの3年間で30代半ば~40代半ばの氷河期世代の正規雇用者を30万人増やそうという計画を立てている。しかしながら、これまでずっと非正規で働き続け、すでに世間的に「仕分け」の済んでしまったひとたちが、いきなり正規雇用になってどんな仕事ができるのだろうか。「下級国民」から這い上がっていく道は、きわめて厳しい。◆橘玲(たちばな・あきら):1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。近著に『上級国民/下級国民』(小学館新書)、『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある』(集英社)など。関連記事■社会に適応できず“人間廃棄物”として排除される「下級国民」の現実■理不尽すぎる扱いを受け続けた「氷河期世代」に救いはあるか■「上級国民」というネットスラングの大拡散が示す日本人の心中■中高年の引きこもり、全国61.3万人とされるが実際は2倍以上か■氷河期世代が直面した過酷な就活と植え付けられた劣等感

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    中高年の引きこもり、全国61.3万人とされるが実際は2倍以上か

     元農林水産事務次官、熊沢英昭容疑者(76)による44歳の息子殺害事件は、“罪は罪”と指弾する声とともに、父親としての苦しみに共感する声も聞こえてくる。 多くの人々がこの事件に底知れぬ不安を掻き立てられるのは、決して「他人事」とは受け取れないからだ。 内閣府は引きこもりを「自室や家からほとんど出ない状態に加えて、趣味の用事や近所のコンビニ以外に外出しない状態が6か月以上続く場合」と定義する。同府の2018年の調査によると、自宅に半年以上引きこもっている40~64歳は全国に61万3000人。うち76.6%が男性だ。 この数字は、氷山の一角にすぎないと指摘するのは、引きこもりを20年以上取材するジャーナリストの池上正樹氏だ。「内閣府の調査は『本人回答』というやり方で、川崎市で起きた私立カリタス小学校児童ら殺傷事件の岩崎隆一容疑者(51)のように“自分は引きこもりではない”という人はカウントされていません。 親元を長く離れていた元事務次官の息子のようなケースも同様です。本人が否定しても客観的に見れば引きこもりというケースを含めると、実際には2倍以上いると推測されます」 つまり、すでに同じような状況の人が全国に120万人以上いることになる。長男が刺されて死亡する事件があった、元農水事務次官の熊沢英昭容疑者の自宅=2019年6月 こんな数字もある。2015年に厚生労働省が行なった調査では、「50歳まで一度も結婚したことがない人」の割合を示す生涯未婚率は男性23.4%、女性14.1%で、男性の約4人に1人、女性の約7人に1人にあたる。 総務省統計局の調査(2016年)によれば、親と同居する高年未婚者(45~54歳)は約160万人で、この人数は過去35年でおよそ8倍に急増したとされる。この高年未婚者は、将来的に失職などで収入が絶たれた場合、親に頼るほかなくなり、引きこもりになるリスクをはらんでいるとも言える。暗転するパターンも「働かない」「結婚しない」「家から出ない」人が増加する中、こうした子供を抱える親は日々、「この先自分たちがいなくなったら、この子はどうやって生活するのか」と思い悩む。引きこもりの問題に詳しい介護・福祉ジャーナリストの高室成幸氏はこう話す。「この三要素が揃っていなくても、将来的に熊沢容疑者のように家庭内でトラブルを抱えてしまうケースもあるので注意が必要です。 たとえば週に何日かアルバイトで働いていても、独身で親と同居している場合、老親が介護状態になったり死亡してしまったら子供はその後の生活に困ってしまう。独身の娘が実家にいる場合などは家事手伝いなどをしてくれるので親が歓迎するケースも多いのですが、親が亡くなった後のことを考えたら娘自身の収入が少しもないというのは不安要素になります」「就職に失敗」したことがきっかけで暗転してしまうパターンもある。無職の長男(41)と同居する元中学教師A氏(64)はこう話す。「真面目な性格の長男は第一志望の大学に合格し、楽しそうに学生生活を過ごしていた。しかし、就活時に50社を受けて一つも内定がもらえず大きなショックを受け、そのまま家にこもってしまった。 いまでは口を開くのは週1回、それも『カネ』と言うだけ。断わると激昂されるので黙って1万円を渡しています。就活時に働く意欲はあっただけに、ひとつでも仕事が決まっていればと悔やむばかりです」 特に現在の30代半ばから40代半ばまではバブル崩壊後の就職氷河期世代にあたり、非正規労働、フリーターなど職業が不安定な人が多い。 受験競争を勝ち抜いて名門校に入学しても、将来は安泰ではない。実際、元次官の息子の英一郎氏も偏差値70超で東大合格率も高い、都内の名門中高一貫高校に入学していた。関連記事■AV女優のHIV陽性判明、感染発覚以降も撮影は行われた■【動画】川崎襲撃事件 容疑者の“兄”はカリタス出身との証言■息子殺害の元事務次官 「今の若者は難しい」と口にしていた■元次官長男殺害 「引きこもりは恥」と考える親の問題点■弁護士男性局部切断 指とは比較できぬ激痛と吹き出す大出血

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    「仏作って魂入れず」山本太郎にあぶり出された障害者対策法の穴

    山田肇(東洋大名誉教授) 先の参院選で、山本太郎氏率いる「れいわ新選組」から2人の障害者が議員となった途端に国会の設備改修がニュースとなり、会期中の介護費用をだれが負担するかをめぐって喧々諤々(けんけんがくかく)の議論が起きている。 そもそも、わが国は2006年に国連で採択された障害者権利条約を批准し、障害者に関わる法体系を整備してきた。それなのに現状は「仏作って魂入れず」の典型である。 障害者権利条約は世界161カ国が署名している障害者に関する人権条約だ。第29条は「政治的及び公的活動への参加」で、選挙人(有権者)と被選挙人としての権利を定める。第29条のポイントは「締約国は、障害者に対して政治的権利を保障し、及び他の者との平等を基礎としてこの権利を享受する機会を保障する」である。 さらに、障害者権利条約の批准にあたって制定された国内法の一つである、障害者差別解消法は第7条で「行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない」と定めている。 「障害があるのに立候補して当選したのだから、当選後の活動が円滑に進むように手当てするのは障害を持つ議員の責任である」とは、これらの国際法と国内法からは読み取れない。 ましてや「常時介護が必要な障害者は立候補しない方がよい」という意見は、法の下での平等を定めた憲法にも反する暴論というしかない。 障害者権利条約の根本的な考え方は、障害者の社会参加への障壁を除去するのは社会の側の責任というもので、それは国内法にも引き継がれている。参院選の比例代表特定枠で当選を決めた木村英子氏(左)と笑顔で撮影に応じる「れいわ新選組」の山本太郎代表=2019年7月、東京・平河町(酒巻俊介撮影) しかし、すべてが社会の側の責任といわれても躊躇(ちゅうちょ)するかもしれない。そこで、条約も国内法も「合理的な範囲での配慮を求める」となっている。莫大な費用がかかる場合や、せっかく配慮しても利用される可能性がほとんどない場合を除くためである。 障害者の権利保護について世界を先導してきた米国で、合理的とは言えない場合として、しばしば示される仮想事例がある。大陸間弾道ミサイル(ICBM)を監視する仕事に視覚障害者が就きたいと言っても無理、というのがそれだ。 レーダーが表示する情報を音声で的確に伝える技術を開発するには莫大な費用がかかるし、いざというときに視覚に障害を持つオペレーターが瞬時に対応するのはむずかしい。だからこれは合理的配慮の枠を超えるというわけだ。明るみになった「付け焼刃」 ところで、わが国ではなぜ今こうした事態が起きているのだろうか。 2015年に東京都北区で聴覚障害者が議員に当選したところ、急遽議場に音声同時翻訳ソフトが導入された。障害者が議員になる可能性を想定して北区議会があらかじめ準備しておかなかったためだが、付け焼刃で対応しようとする状況は今の国会も同様である。 合理的な配慮の範囲がどこまでかについて、法の定めも、政府の公式見解も、裁判例もない。法体系は整備しても、その実施に不可欠な合理的な配慮の範囲について規定していなかったわけだ。だから、障害者議員の国会登院中の介護費用をだれが持つかなどについて付け焼刃の議論が起きている。国際法も国内法も知らない論者が意見を発している恐れすら感じる。 今、国会で進められている配慮は、米国の仮想事例に比べれば、ごくごく当たり前の対応である。障害を持つ国会議員がすべての審議に参加できるようにすることで莫大な費用がかかるわけではないし、実際に利用される。 れいわの議員の介護費用について「参議院が負担するのは不平等だ」との主張もあるが、根底にあるのは「自分は健常者だ」という思い込みだろう。そもそも、自民党前幹事長の谷垣禎一氏のように、事故で脊髄を損傷して障害者になる可能性はすべての国会議員にある。自分が障害を負ったときに排除されても構わないか、それを考えてから発言すべきである。 ただ、筆者は、れいわの議員2人を支持しているわけではない。なぜなら、彼らが特定枠という「抜け道」を通って議員になったのも事実で、選挙制度として欠陥が露呈した特定枠は直ちに廃止すべきだと考える。しかし、今の制度で当選した彼らが国会議員としての職務を全うするのを阻んではならない。 当たり前だが、社会が考えるべきは議員向けの配慮だけではない。聴覚障害者が議会を傍聴しても、音声同時翻訳ソフトなり要約筆記がなければ、どんな審議が進んでいるか伝わらない。 これは障害者の傍聴する権利を制限したことに他ならないのだが、どの議会も気づいていない。車いす利用者が傍聴しようとしたら傍聴席まで車いすで入れるか心配になるが、入場できると公式サイトに明記してある議会は少ない。突然出向いたら騒ぎになるかもしれないと思い、傍聴を遠慮しようと考える車いす利用者が出るかもしれない。これも傍聴権を制限するものだ。参院本会議出席のため議場に入場するれいわ新選組の木村英子氏(左)と舩後靖彦氏=2019年8月、国会(春名中撮影) 法体系、つまり「仏」の形は整えても現場での対応は放置されてきた。つまり、「魂」を入れてこなかったために今の問題が起きている。 国会も地方議会も、障害を持つ議員の有無にかかわらず、対応を急ぐべきだ。東京都港区議会が聴覚障害者向けの対応を強化すると報じられたが、あらかじめ準備する方向に動き出した点は評価に値するだろう。■老老介護は「セカンドハネムーン」という考え方■三原じゅん子手記「著名人のがん公表、私はこう思う」■被害者の「匿名問題」に隠された障害者差別という現実

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    男性の育休「義務化」で忘れられた労働問題の本質

    池田心豪(労働政策研究・研修機構主任研究員) 男性に育休取得を義務づけようという議論がにわかに盛り上がっている。既に民間では市民団体が男性育休取得義務化を訴える運動を展開しており、企業の中にも男性育休取得率100%を掲げて積極的に男性社員に育休取得を促しているところもある。有名なコンサルティング会社は「男性育休100%宣言」企業を募集している。こうした熱気を受ける形で、6月5日に自民党は男性育休の「義務化」を目指す議員連盟(以下、議連)を発足させた。 前日に発表された厚労省の「平成30年度雇用均等基本調査」(速報版)によれば、男性の育休取得率は6・16%、前年度比1・02ポイントの上昇であり、6年連続で上昇している。だが、政府が来年2020年までの目標としている13%にはほど遠い。もう一段階のてこ入れが必要、そのような問題意識を持つことは不思議ではない。 議連の発表によれば、個人に直接育休取得を義務づけるのではなく、個人に取得を促すことを企業に義務づけることを目指すという。 念のため確認しておきたいのだが、企業に対する育休の義務化は現行の育児・介護休業法で既に行われている。女性のみならず男性においても、労働者が育休取得を申し出た場合、企業はこれを拒否できないことになっている。しかし、労働者の申請を承認するという受け身の姿勢を企業がとっていては大幅な育休取得率上昇は見込めそうにないという主張も理解できる。 厚労省が昨年3月に出した「今後の仕事と育児の両立支援に係る総合的研究会報告書」で紹介されている民間シンクタンクの調査結果によれば、末子出産時に自身の会社に育休制度がなかったと回答している男性は約半数にのぼる。法律を踏まえればそんなはずはないのだが、男性本人が自分は育休適用対象外であると勘違いしているのかもしれない。男性の育児休業取得の義務化を目指す自民党議員連盟会長の松野元文科相(左)から提言書を受け取る安倍首相=2019年7月、首相官邸(共同) 一方、勤務先に制度があり取得希望があっても取得しなかった理由としては、職場の雰囲気や人手不足、仕事の担当の問題などを挙げる回答が目立つ。職場や仕事の状況を勘案して育休取得申請を控える、そのような男性もいるのである。このような場合、労働者から育休取得申請をすることはないだろう。企業としても申請がないものは承認しようがない。育休のデメリット これに対して、現在出ている育休義務化論は、育休取得に向けた企業の能動的な関与を促すことを目指していると言える。だが、実は既に企業の能動的な関与を促す法規制はある。2017年10月施行の改正育児・介護休業法は、労働者個人に対する育休制度の個別周知を企業の努力義務としている。「育休制度はあるけど取らないでくださいね」というような周知は不自然と考えれば、これを努力義務から義務化することでも議連の目的は達成されそうである。 しかし、周知されても職場や仕事の事情を勘案して取得を控えるという可能性はあるだろう。そこで、「育休取りませんか」という、より積極的な声かけ、つまり取得勧奨をしている企業もある。個別企業における男性育休義務化は、厳密に言えばこの取得勧奨である。 次世代法に基づく「くるみん」や「プラチナくるみん」を取るための実績づくりとして、取得勧奨を企業が行っているケースもある。だが、会社から育休取得を勧められても断る社員はいるだろう。それでも全員に取らせるべきだ、女性の産後6週間のような強制休業にすべきだというのは行き過ぎである。 育休には仕事を休んで子育てに専念できるというメリットだけでなく、所得ロスとキャリアロスというデメリットもある。 所得ロスとは、育児休業給付が出るとはいえ、休業中は無給になるため収入は減るという不利益である。キャリアロスは休業取得中に仕事を中断することによって、将来のキャリアにつながる仕事の機会を逸してしまう不利益である。育児の練習をする男性。男性の育児休業の義務化に賛成する人が増えている=2013年8月、和歌山県(益田暢子撮影) この二つのロスは女性の育休にも付随するものであり、キャリアロスを小さくするため女性においても早期の復職が望ましいと言われている。男性の育休期間は多くの場合短いため、女性と同等には扱えないが、仮に2週間や1カ月の休業であっても、そのタイミングで大事な仕事が入ってくる可能性はある。 現行法は、こうした不利益と育児に専念できる利益の双方を勘案して、不利益の方が大きいと判断した場合は育休を取らない自由を労働者に認めている。その自由がなくなってしまうと、人によっては育休がベネフィットではなくペナルティーになってしまうおそれがある。女性は義務化しなかったワケ 一口に「義務」といってもその強さには程度がある。ここまでの議論を整理すれば、(1)取得申請の承認、(2)個別制度周知、(3)取得勧奨、(4)取得強制という4段階に大別できる。(1)では不十分というのが男性育休取得義務化論の問題意識であるが、(4)はやり過ぎである。すると、(2)から(3)あたりが実質的な争点になると考えられる。 民間企業が先行して個別に取り組んでいる男性育休義務化を参照するなら、(3)の取得勧奨を義務化するという話になるかもしれない。しかし、(3)は強く勧奨すれば(4)の強制に限りなく近付いていくし、弱ければ(2)に近づいていく。どのくらいの力加減が適切と言えるのか、気心の知れた個別企業の労使関係を超えた法政策として一律の基準を示すことは容易ではないだろう。 この隙間を埋めるために、男性育休の必要性について企業と労働者の対話を促すことが重要である。振り返れば、女性にとっても育休が取りづらいという時代はあった。今でもこの問題が解消したとは言えないが、仕事と育児の両立について理解を深める研修や面談といった対話の機会を企業の中につくることで、女性が育休を取りやすい環境を整えてきた。女性が育休を取れるように取得を義務化しているという話を筆者は聞いたことがない。 最近はそうした両立支援の研修に女性社員の配偶者やパートナーを同伴させる企業が増えているようである。職場結婚をした自社の男性社員だけでなく、他社に勤務する夫にも出席を求めていると聞く。夫婦の役割分担について家庭での対話を促す取り組みと言えるが、職場においても育休を女性だけの問題とする先入観を改める契機になるであろう。 このような対話のプログラムを開発し、男性育休に関する意識改革が進めば、取得率は後からついてくるに違いない。上述の個別制度周知や取得勧奨の声かけも、労使の対話を促すという文脈で考えることが重要である。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 要するに、「労働問題は労使コミュニケーションを通じて解決を図る」という基本中の基本に立ち返ることが重要と言える。育休の取りにくさとは企業と労働者個人の個別労使関係の問題であり、女性の育休はまさに労使コミュニケーションを深めることによって取りやすくなった。男性育休についても実効性ある政策を行うためには、この基本に忠実になることが重要である。■あなたの給料が減っても「働き方改革」を支持しますか?■「親の苦情と戦えない」小さな命を救えなかった虐待現場の叫び■ニッポンの企業に蔓延する「働き方改革疲れ」の実態

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    まるで「人身売買」偽装留学生ビジネスの実態

    石橋通宏(参議院議員) 3月7日の参議院予算委員会で、大学などの教育機関における偽装留学生問題を取り上げたところ、内外から想像以上の大きな反響があった。特に、質問を終えたとき、与党・自民党席から大きな拍手喝采を受けたのは、野党議員である私にとって初めての体験であった。 その後続けて、文教科学委員会や予算委員会において「東京福祉大学」の問題に焦点を当ててこの問題を追及。厚生労働委員会でも、留学生の就労問題に焦点を当てた追及を行っている。結果、メディアでもこの問題が大きく取り上げられ、国民の関心を喚起するきっかけになったことはうれしく思っているし、所管官庁である文部科学省および法務省から、この偽装留学生問題の実態調査と具体的対策に向けた検討を速やかに行っていくという答弁を得たことも、大きな収穫であった。 ただ大事なのは、政府や世間が、この問題を単に一教育機関における特異な問題として捉えるのではなく、過去10年以上にわたって政府の肝いりで展開されてきた留学生拡大施策の構造的問題として捉えて、その実態に踏み込んだ検証と改革ができるか否かである。その問題意識を踏まえ、以下、そもそも私がこの問題を委員会で取り上げるに至った経緯と、その裏側にある構造的な問題について詳述してみたい。 私が偽装留学生問題に注目し始めたのは、遅くとも5年くらい前のことである。当時、特に外国人技能実習生の人権侵害などの問題がクローズアップされていて、私も技能実習制度に代わる新しい就労制度の構築について議論をスタートしていた頃であった。そのときすでに、留学生制度が本来の学業目的ではなく、就業目的で使われているのではないかという疑念が私たちの中でも認知されていたのである。 しかし、その頃、政府が「外国人技能実習法案」の検討に着手したこともあって、留学生に関わる問題は後回しになっていた。その後、2016年に「外国人技能実習法」が成立し(17年11月施行)、甚だ不十分ながらも技能実習制度の規制、監視強化が図られたことで、より規制の緩い留学生制度に悪徳ブローカーの魔の手が向かうのではないかという危惧が生まれ、そのときから改めて留学生問題にも目を向け始めた。参院予算委で質問する石橋通宏参議院議員 そして昨年、安倍総理の鶴の一声で「人手不足の解消」策として外国人労働者の受け入れ拡大が政治課題となり、入管法改正案が具体的な中身のないままに秋の臨時国会に提出され、ごく短時間の審議で成立(今年4月1日から施行)したことは皆さんもご承知の通りである。実は、この一連の政府の動きを受け、私たちも具体的な対案づくりに着手し、①多文化共生社会基本法の制定②外国人一般労働者のための新しい雇用制度の創出③外国人技能実習制度の段階的な移行・廃止などに加え④留学生制度(留学ビザ)の抜本的見直しによる規制強化、を掲げて関係者や有識者らからのヒアリングや情報収集を続けていた。こうした中で、突然浮上してきたのが、東京福祉大問題だったのである。信じられない「タレコミ」 実は昨年の段階から、いくつかの大学や専門学校、日本語教育機関が留学生制度を悪用している実態があるとの情報をつかんでいた。しかし、それらはあくまで外部情報であり、具体的な物証は得られなかった。そんな時に、あるルートを通じて、東京福祉大で信じられないような偽装留学生の実態があるという情報が私の元にもたらされた。 しかし、最初に話を聞いたときは、正直、にわかには信じられなかった。この3年間で、多くの留学生が「除籍」扱いになっており、そのほとんどが所在不明だというのだが、その数が1千人以上に上るという話だったからだ。しかも、それが大学の創設者である前理事長によって、学生数減少を補う「金もうけ」のために意図して行われていることだというのだから、慎重にならざるを得なかったのである。 ところが、実際に東京福祉大の関係者に話を聞く機会を得、証拠となる資料なども見せてもらったところ、それが事実であることが確認できたのである。内部資料には、過去3年間、月ごとに退学ないしは除籍となった留学生のリストと、その理由が明記されていたが、ほとんどが「所在不明による」と記されていたからだ。 現場で懸命に頑張っておられる東京福祉大の教職員や関係者の名誉のためにあえて申し上げておくが、東京福祉大もかつては福祉分野において実績のある、評判のよい大学で、就職率も良かったし志願者も多かった。いまなお、学生たちのために本来あるべき教育を提供しようと頑張っている方々がおられる。だからこそ、今のような状況を続けさせてはいけないと、その実態を告発するに至ったわけだ。 結局、東京福祉大においては、ある時期から志願者が減りはじめ、定員の維持が難しくなった。実は、先に述べた前理事長は、2008年に刑事事件による罪で懲役2年の実刑判決を受けている。以降、大学経営には関わらないという約束を文科省に対してもさせられたが、いまだに大学運営の実権を握っているとされている。その前理事長が起こした事件が学生数の減少にどれだけ影響があったのか、直接の因果関係は分からない。ただ、学生数が減少し、経営に影響が出るようになった頃から、前理事長らが外国人留学生に目を付け始めたようである。東京福祉大学正門(寺井融撮影) 2011年頃、東京福祉大内部の運営会議で、前理事長が留学生をうまく使うことで「120億の金が入るわけだよ…何でそれをやらんの」などと発言していたことが報道されている。私もその議事録を読んだが、衝撃的なやり取りが行われていて、そして確かにその後から、東京福祉大における留学生が急増していったのだ。東京福祉大の実態 調べてみると、次々と驚くべき事実が明らかになった。まず、東京福祉大における留学生の数は、348人(2013年度)から5133人(2018年度)にまで増大していた。これだけ短期間に留学生数がなんと15倍に膨れあがったというのは、他に例を見ない。いや、あり得ないし、あってはならない。お分かりだと思うが、これでまともな教育などできるわけがないからだ。事実、東京福祉大では教室が足りなくなり、あちらこちらに間借りをしていて、その一つが銭湯の2階だったという笑えない話は、報道されていた通りである。 さらに、その留学生の8割以上、約4千人が「研究生」という名の非正規だったことも明らかになった。正規の学生は、受け入れ可能な上限枠が決められている。しかし、非正規留学生には数の制限がなく、事実上、青天井になっている。しかも、研究生なので、志願する方にも敷居は低いため、双方にとってメリットある手法だったわけだ。 なお、その4千人の研究生は全員が、国内の日本語教育機関からの受け入れだったことも明らかになっている。当初私たちは、東京福祉大が直接、海外からブローカーなどを使って留学生をかき集めていたのではないかと思っていたのだが、そうではなく、国内の日本語学校から卒業生をかき集めていたのだ。 この点が、自分たちは「日本語教育機関を修了・卒業した留学生の受け皿」であり、「なくてはならない存在なのだ」と東京福祉大が主張している根拠になっている。これはまさにその通りで、「大学進学率〇〇%!」という宣伝文句を出すために進学実績を確保したい日本語学校にとっては、東京福祉大のような存在は言ってみれば救世主だろう。 そしてまた、東京福祉大の研究生の多くが、その後、今度は専門学校などに移っていく実態もあった。東京福祉大はグループ内に関連の専門学校を持っていて、そこに簡単に移っていける仕組みであり、グループ内で留学生を環流させながら、学生数と授業料収入を確保しているシステムだと思われる。「適正校」の認定を取り消された東京福祉大の系列専門学校=2019年6月12日午後、名古屋市中区(共同) つまり、今回、東京福祉大の問題で明らかになったのは、まさに留学制度を悪用した金もうけのための「ビジネスモデル」が構築されている実態だったと言える。いや、これは単なる授業料収入のためだけではない。同時に、各地で不足する労働力を外国人留学生で補い、経済やサービスを回して金を稼ぐというビジネスモデルにもなっているのだろう。東京福祉大だけでなく、全国で多くの教育機関が、このモデルに知ってか知らずか、関わっているということになる。留学生30万人改革の裏 最初の予算委員会の質問で、2017年の1年間だけで、留学生の不法在留者、いわゆるオーバーステイが新たに発生した全国の教育機関が570機関、1852人に上っていたことや、全国の教育機関から法務省に報告があっただけで、退学、除籍、失踪者などの数字が、なんと5千人に近くに上っていたことを指摘して、政府の姿勢を追及した。 これらの数字は、今回新たに法務省と文科省へ提供を求め、明らかになった数字なのだが、当初、両省ともなかなか数字を出してこなかったことも記しておきたい。 2017年だけでこれだけ多くの不法在留や除籍者が出ていたのに、なぜ両省はその問題を放置していたのだろうか? 実は、昨年6月の段階で、東京福祉大の有志教職員が文部科学省に告発に行っている。しかし、文科省は「門前払い」を食らわせたのだそうだ(※文科省はそうではないと否定しているが)。 恐らく、この種の内部情報の提供は、東京福祉大からだけではなかったはずで、そのことは両省の関係者も暗に認めている。つまり、偽装留学生の問題は、以前から各種データや情報提供などで明らかになっていたにもかかわらず、法務省も文科省もなんら具体的な対応を行ってこなかった、というのが実態なのだ。 ではなぜ、両省とも迅速に動かなかったのだろうか? 皆さんも、「留学生30万人計画」はご存じだろう。2008年に、当時の福田康夫総理が所信表明演説で「留学生30万人計画」をぶち上げたところから、国策として留学生の受け入れ拡大が始まった。余談だが、実はその前年、07年に発足した第1次安倍政権時の「骨太の方針」において、すでに留学生の受け入れ拡大が政策の一つに掲げられていた。この点は、そもそも何の目的で留学生30万人計画が始められたのかを考える上で、重要なポイントの一つだと思う。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 当然だが、日本でレベルの高い教育を受けたいと願う外国人留学生が増えて、それが日本人学生にもよい影響を及ぼして教育の質が高まり、次代を担う人材の育成につながるのであれば私も大いに歓迎する。留学生30万人計画も、少なくとも当初はそのような崇高な目標の下に始められたと信じたいし、よもや、最初から労働力確保策の一環として捉えていたとは思いたくないが、結果としてそうなってしまったのは動かしがたい事実だ。政府ぐるみの「悪用」 いったい何が起こったのか? この「30万人」という数値目標を達成するために、次々と規制が緩和されたのである。例えば、専門学校における留学生の受け入れ上限が撤廃されたり、かつての就学ビザが留学ビザに統合されるなど、留学ビザの要件が緩和をされていた事実も明らかになった。 つまり、以前に比して簡単に留学生の受け入れができ、かつ留学ビザの取得も容易になったことで、需要と供給のバランスが成り立ったわけだ。そこに目を付けた人間たちが、留学ビザを就労目的で悪用、乱用するビジネスモデルを構築していったのであろう。 許してはならないのは、多くの外国人留学生がその犠牲になっていることだ。この間に増大した留学生の多くは、アジアの途上国、しかも地方の貧しい地域からやってきている若者たちが多い。現地でブローカーが「日本に行けば働いてたっぷり稼げる」と言って若者を勧誘し、「日本で稼げばあっという間に返済して、貯金や仕送りもできる」と言って費用を借金で工面させ、日本に送り込むのだ。 本来、留学ビザ申請の審査が適切に行われていれば、財政負担能力の証明などが必要なので、そんなに簡単にビザは下りないはずだ。それが簡単に下りている。審査がずさんだからではないか。そもそも、日本に来るだけで少なくとも百数十万円の費用がかかるし、学費に加えて日本での生活費もかかる。途上国の、しかも地方に住む貧しい家庭出身の若者たちに、そんな負担能力があろうはずがない。そんなことを法務省入管局や外務省の大使館が知らないはずはなかろう。 つまり、「留学生30万人計画」を達成するために、政府を挙げて取り組んできたというのが、この偽装留学生問題の実相ではないだろうか。そしてその裏には、当初からか途中からそうなったのかはさておいて、留学生を「人手不足を補うための労働力」として使うという意図があったのではないかと疑わざるを得ない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そのようなシステムに乗せられ、多額の借金を抱えて日本に来た留学生は、働かなかったら借金が返せないので、ひたすら働くことになる。週28時間の就労時間制限を守っていたら借金が返せないし、生活の維持もできない。必然的に、勉強より仕事に精を出すことになるわけだ。 結局のところ、構造的かつ組織的に、人手不足の穴埋めとして留学生制度が悪用され、途上国の貧しい地域の若者たちが食い物にされているのがこの偽装留学生問題の真相なのだとすれば、国際的にみれば「人身売買」との批判すら受けかねないこのような悪弊を許しておくわけにはいかない。今後は、現状の問題点や課題をさらに深く掘り下げた上で、真に日本で学びたい、活躍したいと思ってくてくれる留学生が安心して日本に来て、学ぶことのできる留学制度の構築に向け、努力を傾注していきたいと考えている。■256万人の「移民予備軍」に口ごもる自民党の矛盾■「外国人労働者は移民ではない」日本はドイツの失敗を直視せよ■「日本の中に別の国」安倍政権はローマの失敗を直視せよ

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    すでに「移民国家・日本」、どこへ向かうのか

    ほんだ・かつひろ 1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。

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    「先住民族」アイヌの次は沖縄だ!

    アイヌを「先住民族」と初めて明記した新法が先月施行された。閣議決定から3カ月、議論が深まらないまま成立した感があり、批判の声も根強い。国連は沖縄の人々も先住民族と認めるよう勧告しているが、沖縄では「独立論」もはびこる。それだけに、振興は重要とはいえ、安易な先住民認定は国家の分断を助長しかねない。

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    日本のアイヌ政策は世界の常識からこんなにズレている

    紙智子(参議院議員) 「アイヌ新法」(アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)が今年4月に成立しました。 私はアイヌ新法について、2007年の「先住民族の権利に関する国連宣言」や、08年の国会決議「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を踏まえること。そして何よりも先住権を明確にしてアイヌ民族の意向に沿った内容にすべきだと主張してきましたが、法案に盛り込まれることはありませんでした。 国連で採択された「先住民族の権利宣言」は、先住民族のすべての人権と基本的自由の十分な享受の権利、差別からの自由、自決権、自治権、それを補償する土地や領域、資源の権利、言語、文化、雇用や就学での格差是正を求めています。 とりわけ、言語と文化は民族的共感の根源となるものであり、これらの伝承も含めた先住民族としての自決権の保障と民族性の回復などを保障するための国連加盟国が守るべきルールと基準を示しています。「宣言」を機に、オーストラリア政府は先住民を差別扱いしていたことを謝罪、カナダ政府も同化教育政策を謝罪しました。 ところが、日本政府は宣言に賛成しながら、反省・謝罪はおろか先住民と認めなかったため、北海道ウタリ協会(当時)などはアイヌを先住民と認め、その生活と権利を向上させるために集会を開き、国会に向けた活動を活発化し、各党の国会議員への働きかけを行いました。 日本共産党の私も要請を受け、政府への質問主意書(08年10月31日)を提出しました。その中で、国連の先住民族の権利宣言採択を受けた政府の認識を問い、アイヌ民族の現状を明らかにし、アイヌ政策全体を議論する審議機関を政府内に設置するよう求めました。 一方、北海道出身議員を中心に「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」が立ち上がり、私もこの議連に参加しました。学習会をくり返し、08年6月に衆議院と参議院両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を採択するに至りました。国連事務所=ジュネーブ(GettyImages) 国会決議は国連宣言を踏まえて「アイヌ民族の長年の悲願を反映したものであり、同時に、その趣旨を体して具体的な行動をとることが国連人権条約監視機関から我が国に求められている」と指摘した上で、①同国連宣言を踏まえ「アイヌの人々を日本列島周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認める②「同宣言における関連条項を参照しつつ、高いレベルで有識者の意見を聞きながら、これまでのアイヌ政策をさらに推進し、総合的な施策の確立に取り組む」として有識者懇談会を設置するよう求めました。 これを受けて、当時の町村信孝官房長官は「アイヌは先住民族である」と政府として初めて認める所信を行いましたので、国会決議でアイヌ民族が「差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない」と述べていることを踏まえると、新法も含めた施策の抜本的拡充とともに緊急課題を国の責任で解決することが求められました。なぜ10年もかかったのか 歴史的にみれば、江戸時代、北海道はアイヌが住む地域と和人が住む地域に区分されていました。和人地は渡島半島西南地域で、それ以北はアイヌ民族が住む蝦夷島でした。明治政府は、アイヌ民族を日本国民に編入し、アイヌ民族が生活していた土地を取り上げ、サケ漁などを禁止したうえ、学校教育で和人社会への同化を押しつけ、1899年には差別法である「北海道旧土人保護法」を制定したのです。この法律が廃止されたのが100年後の1997年です。 しかし、代わって制定された「アイヌ文化振興法」もアイヌ民族の権利を骨抜きにし、アイヌ民族の「先住権」は言うまでもなく、アイヌ民族の経済生活を保障する施策は何一つ記されず、「アイヌ文化の振興」策のみをうたったものでした。 政府は、今年、アイヌ新法を成立させましたが、国連宣言や衆参両院で国会決議をあげても、10年近く動かず、ようやく重い腰をあげたと言わざるを得ません。あまりにも時間がかかりすぎていることを反省すべきです。 日本共産党は73年に行われた12回党大会で「少数民族としての権利を保障しアイヌ文化の保護と一切の差別の一掃、生活に対する特別の対策を実施する」と提起しました。それ以来、情勢の変化やアイヌの意見を反映させて発展させ、2007年の国連先住民族権利宣言を受けて策定した政策提言などをもとに、取り組んで来ました。 アイヌ新法に「先住民族」と言う言葉は入りましたが、アイヌの方々が事前説明会で出した意見要望がどのように扱われたのか、詳細に公表すべきです。明治政府がアイヌから土地や生業(なりわい)を奪い、同化を強要したり、長年にわたり行ってきた差別政策への謝罪もありません。 また、国連の宣言を踏まえて権利回復の手立てを実効性のあるものにすることや、北海道が行った調査により、大学進学率や所得に著しい格差があるなど、アイヌ世帯が厳しい生活環境に置かれていることが明らかになっていますので、経済的・社会的な苦難を解消する生活・教育支援が必要です。アイヌ民族の集落で代表者らと意見交換する菅義偉官房長官(左側の前列左から3人目)=2018年8月20日、北海道釧路市(田村龍彦撮影) 文化や歴史の保護、伝承と合わせて古老・高齢者の生活保障、アイヌ女性が気軽に相談できる窓口の拡充、給付制奨学金の創設が求められていますが、新法にはそれらが排除されています。アイヌ民族の権利や歴史を正しく教えることにより、アイヌ民族の存在や歴史について正しい理解を広げ、奪われた先住民族としての権利や、民族としての尊厳を回復できるよう、教育をはじめあらゆる施策を強めることが必要です。 また、明治期よりアイヌ人墓地から研究目的と称して遺骨が持ち持ち出され、いまなお返還されていない遺骨もあります。これはアイヌ民族に対する差別的処遇の象徴です。アイヌは土から生まれて土に帰るのが幸せとされている、と聞きました。巨大なコンクリート慰霊施設への集中は適当ではありません。アイヌ遺骨は地域受け入れ先と協議のうえ、元に戻すことを基本に、返還する必要があります。※「土人」は、現代では不適切な表現ですが、かつて存在した法律名として記載しています。■小林よしのり×香山リカ アイヌと差別をめぐる対決対談■アイヌ民族の「権利確立」を 鈴木宗男の10年■朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない

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    アイヌ新法成立で大きくなる「琉球独立工作」の火種

    仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長) アイヌ民族を法律として「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法が4月19日、国会で成立した。この政府の動きは、沖縄問題を専門として活動している筆者にとっても看過できないものだと認識している。 昨年8月16、17日の2日間にわたり、スイス・ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会で対日審査が行われた。日本政府代表の外務省の大鷹正人・国連担当大使は、初日の全体説明で、真っ先に2020年4月にアイヌ文化センターをオープンすることについて紹介した。先住民族であるアイヌの象徴空間を建設し、文化保護に力を入れていることをアピールしたのだ。 全体説明終了後、各委員から日本政府に対して質問が行われた。「アイヌ語は危機にひんしているが、学校で教えられていない」「教育や労働、文化・言語の権利が保障されていないのではないか」などといった内容であった。 先住民族の人権問題として指摘されているのはアイヌだけでない。沖縄についても多くの指摘を受けた。・琉球・沖縄の人たちを先住民族として認め、権利を守ることが必要である。しかし、日本は先住民と認めることを拒否している。・日本の本土から移住した人は別として、琉球の人たちの先住民性を認め、権利を守る必要がある。・琉球・沖縄について、日本は先住民族ではないというが、米軍基地があり、事故が起き、人々が苦しんでいる。 2日目、大鷹代表から前日の質問に対する回答が述べられた。アイヌに関しては、「アイヌ生活実態調査が定期的に行われているが、生活状況の向上は着実に効果を上げている」と回答した。 沖縄に関しては、「先住民はアイヌ以外には存在しない。沖縄の人々が先住民だとの認識は国内に広く存在しない」「米軍による事故について、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設が、危険を一刻も早く除去する唯一の解決策である」と回答している。糸数慶子参院議員=2017年8月(斎藤良雄撮影) 沖縄についての回答は、筆者もその通りだと思う。アイヌに関しては専門家でないので、問題点の指摘は他の専門家に譲る。 しかし、アイヌ新法の成立が「琉球独立工作」という最も危険な火種に油を注ぎ込むことになるのではないかと、大きな危惧を抱いている。それは、今から約5年前の出来事がちらついて離れないからである。 2014年、糸数慶子参院議員が米ニューヨークの国連本部で、先住民族代表としてスピーチを行ったことが地元紙に報じられた。筆者はその報道を知り、抗議するために、彼女の所属する沖縄社会大衆党の事務所の連絡先を探し出し、電話で次のように追及した。筆者が驚愕した「答え」筆者: 私は沖縄県出身の者だが一度も自分を先住民族だと思ったことはない! あなた方は『沖縄の自己決定権の回復』を唱えているが、それは日本政府に沖縄県民を先住民族と認めさせて、その権利を獲得するということではないのか。社大党職員: はい、そうです。筆者: では、大事なことを隠しているのではないか? 先住民族の権利を獲得するかもしれないが、それにより、日本人としての権利を失うではないか。それを隠しているのは卑怯(ひきょう)だ。 この追及に対し、社大党職員が言葉に詰まるだろうと予想していたが、思いもよらない回答が返ってきた。 仲村さん、心配はいらないですよ。アイヌの人々は、既に政府により先住民族だと認められていますが、彼らは日本国民であり何の権利も失いませんよ。 この答えに、筆者は衝撃を受けた。彼らの求める沖縄の「自己決定権」とは、総額3千億円の沖縄振興予算を受け取る権利を維持しながら、先住民族の土地の権利により、米軍基地を撤去する権利を新たに獲得する運動だったからだ。 先住民族の特権のみを獲得しても、何一つ失うものはない。つまり、新たな巨大な「在日特権」が日本に出現するということを意味する。 そして、彼女の言葉に、アイヌが先住民族として認められたのなら、いずれ沖縄も先住民族として認められるべきだという思いも込められていることにも、強い危機感を覚えた。 2015年9月、沖縄県の翁長雄志前知事の国連人権理事会での演説に同行していた非政府組織(NGO)代表がいる。沖縄県民を先住民に認定させる運動を展開する「市民外交センター」代表で、恵泉女学園大の上村英明教授だ。2019年2月24日、「反対」が有権者の4分の1を超える見込みとの報道を受け、那覇市内の県民投票連絡会の事務所で「頑張ろう」の声をあげる人たち(桐原正道撮影) NGO「反差別国際運動」が発行した「日本と沖縄~常識をこえて構成な社会をつくるために」にという小冊子に、彼のプロフィルが掲載されている。 1987年以降、アイヌ民族の先住民族としての権利を支援し、国連人権機関を舞台に活動。1996年以降、琉球民族の代表の国連における活動を支援。2015年、翁長雄志沖縄県知事とともに、国連人権理事会に参加。 つまり、彼は30年以上前から国連を舞台にアイヌの先住民族の権利を獲得させる運動を開始していた。さらに、沖縄についても県民や県出身者の全く知らないところで、同様の活動を20年以上続けてきたのだ。 また、反差別国際運動のホームページ(HP)の人種差別の項目には、「日本には目に見えなくされた人種差別がある」とした上で、「その影響を受けているのは、部落、アイヌ、琉球・沖縄の人びと、日本の旧植民地出身者とその子孫、そして外国人・移住労働者です」と書かれている。独り歩きした「7割の民意」 このNGOが、アイヌと沖縄両方の先住民族の権利獲得運動の事実上の本部と見て間違いないだろう。つまり、アイヌ新法が成立した後は、琉球民族の権利獲得運動に全力をつぎ込むことが予想されるのだ。 次に現在の沖縄の政治状況を見てみよう。2月24日に辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が行われたが、投票率は52・48%で、埋め立て「反対」が有効投票の約72%だった。 新聞やテレビはこの結果をタテに「圧倒的多数の7割の県民が反対」と報じているが、それはトリックだ。今回の県民投票は、政治家を選ぶ選挙ではなく、県民全体の世論を確認する投票だから、有権者全体を基準にした数字を見る必要があるからだ。 そもそも、今回の県民投票は当初、不参加表明をする自治体が現れるなど、実施意義を問われながら始まったいわくつきの「政治イベント」である。結果的に全県実施となったが、県民投票そのものに不満を抱く県民もいるため、約48%の県民は「棄権」という形で意思を表したとも言える。 この棄権数を踏まえれば、反対票は有権者の38%足らずということになる。とても「多数の民意」といえる数字ではない。 それでも、共産党や社民党、労組などでつくる「オール沖縄会議」は、3月16日には圧倒的多数の民意を背景に、辺野古移設阻止を訴える「県民大会」を開催し、玉城デニー知事は所用で欠席したものの、代読のあいさつで「建設断念まで闘い続ける」と表明した。 今回特異なのは、この県民投票の結果を地元紙沖縄タイムスが英語と中国語でも報道したことだ。もちろん、中国共産党機関紙の人民日報など、大手中国メディアも取り上げて報道した。 そこでは、独り歩きした「7割の民意」が国際発信されている。さらに「琉球処分」などの沖縄の歴史解説などを加えると、「日本の先住民族たる琉球民族の人々の7割が、日米両政府による米軍基地の押し付けに反対している」という認識が国際的に広がっていくことにつながる。 つまり、県民投票は県民の意識調査ではなく、琉球差別の「国際世論戦のツール」だったのだ。「沖縄県民が先住民族だ」という認識ほど、簡単なプロパガンダは無い。日本国内も「琉球王国」の存在を認めているからだ。辺野古埋め立ての是非を問う県民投票の結果を安倍晋三首相へ手渡す玉城デニー沖縄県知事(左)=2019年3月1日(春名中撮影) 逆に、外国人に対して、琉球王国が日本から独立した外国だったと認めながら、その子孫である沖縄の人たちは先住民族ではないと説得することのほうが、不可能なぐらい困難なのだ。 そのような国際世論が広がったとき、筆者は一つの懸念がぬぐえない。「アイヌを先住民族として認めながら、琉球王国という独立した国家と文化と歴史を持つ琉球の人々を先住民族として認めないのはおかしい!差別だ!」 このようにアイヌ新法をてことして、琉球独立運動家やその支持団体が琉球独立運動に利用した場合、日本政府はどのように反論するのだろうか。■ 沖縄で騒がれ出した「独立論」の正体■ 沖縄「反基地ヒーロー」に担がれたウーマン村本が気の毒である■ 石平が警告、玉城デニー「中国一帯一路に沖縄活用」提案の危険度

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    真のアイヌを知らないニッポン、私が反新法を訴えるこれだけの理由

    合田一彦(「日本国民の声・北海道」主宰) 近ごろ北海道を訪れた方々は、空港のロビーなどに掲げられた「イランカラプテ(こんにちは)」や「アイヌ」をモチーフにしたポスター、展示物など、北海道の観光テーマとして「アイヌ」が大きくアピールされていることにお気づきかと思います。 これらは観光立国を掲げる北海道が、自治体として「アイヌ」を積極的に宣伝しているもので、人気漫画『ゴールデンカムイ』とのコラボ企画なども行われています。 こうしたアピールにより、また昭和の北海道観光ブームの定番の土産物「木彫り熊」や「イオマンテ(熊送り)」などで、何となく知っているような「アイヌ」ですが、現在、彼らはどのように暮らしているのでしょうか。日本の国土の片隅で独自の習俗を守って暮らす「異民族」なのでしょうか。 もちろん、そんなことはありません。昭和10年、アイヌ出身の言語学者・文学博士の知里眞志保氏は「過去のアイヌと現在(そして未来)のアイヌは区別すべき」として、「伝統の殻を破って、日本文化を直接に受け継いでいる」と語っています。また「アイヌ民俗」をアピールする人たちに向かっては、こうした言葉も残しています。 「保護法の主旨の履き違えから全く良心を萎縮させて、鉄道省あたりが駅前の名所案内に麗々しく書き立てては吸引これ努めている視察者や遊覧客の意を迎うべく、故意に旧態を装ってもって金銭を得ようとする興業的な部落(コタン)も二、三無いでは無い。けれどもそれらの土地にあってさえ、新しいジェネレーションは古びた伝統の衣を脱ぎ捨てて、着々と新しい文化の摂取に努めつつあるのである」 つまり、80年以上も昔に、観光土産物屋でアイヌ衣装で売り子をしていたり、見世物をしているのは、故意に旧態を装って金銭を得るための興業だと指摘しています。 では「古びた伝統の衣」を纏(まと)い「旧態を装った」生活をしていた方々は、同じ日本の国土に住まう日本人でありながらも、日本人としての生活に事欠く状況なのでしょうか? いえ、そんなこともありません。いろりを囲み、アイヌ民族の歴史や文化を伝承するポロトコタンの夜 昭和43年の内閣委員会の席上、それまで適用されていた「北海道旧土人保護法」に対する答弁として以下のように語られています。 「この支給規定は昭和11年ごろまでに適用したのであって、その後はもう現実に死文化されておると私は聞いておるのです。それ(北海道旧土人保護法)に代わって生活保護法の制度による教育扶助、住宅扶助、あるいは不良環境の改善というようなところへ目標を変えておられるわけです」 つまり、たとえ個人としてあるいは世帯として貧しい方がおられたとしても、等しく日本国民として「生活保護の適用対象」であり、北海道旧土人保護法は既に死文化しているという説明の通り、独自の保護・保障は必要ないという見解が、すでに50年前に示されています。客観的資料のないアイヌ ところで、こうした「独自の保護・保障」を行政として日本人の一部に対してのみ供与することは、憲法14条に定められた「法の下の平等」に反していないでしょうか。条文にも「社会的身分又は門地により(中略)差別されない」と記載されている通り、門地(出自・血統)での特別扱いは憲法の条文に違反するという指摘もあります。 ただ、これについては、実際は「合理的な理由が有れば必要に応じて支援を行うことは憲法違反ではない」という判断があるようです。 例えば、原爆訴訟などをご存じの方は分かると思いますが、目に見えない被爆の影響が「ある」と「法的に認められた」場合は、「原爆被爆者」として公費での医療助成などが受けられます。ただし、その認定は非常に厳密かつ客観的に判断されるため、依然として認定を求める訴訟が続くのは、それだけ「客観的な資料」と「法的基準」の狭間で「いかに合理的か」を判断すべく行われる論争があるわけです。 さて、ここで「アイヌ」について考えてみると、前述の「独自の保護・保障は必要ない」という見解が示された以降も、自治体として住宅購入支援から免許取得支援、修学助成金、就労支援など、数多くの支援が行われており、それらは北海道の平均よりも高い世帯所得があってさえも「アイヌ支援」としての受給資格が認められています。 では、それだけの福祉施策が受けられるのなら、どれだけ厳しい公的な認定基準があるのでしょうか。認定を求めて訴訟も辞さない覚悟が必要でしょうか。いえ、認定を求める訴訟など必要ありません。 「アイヌ協会」が、希望者に対して独自の認定基準で判断して「アイヌ」として認め、さらには「アイヌ協会」が推薦状を出すことで、北海道や札幌市からの支援が受けられるのです。また、アイヌ協会の認定ルール上は「戸籍等の客観的な資料」および「家系図などの系譜を示すもの」で「判断する(アイヌ協会が)」とありますが、実際には、既に閲覧禁止となっている壬申戸籍の時代ならばともかく、今現在の戸籍制度上はかつての身分を確認することはできません。参院本会議で「アイヌ民族支援法」が可決、成立し、傍聴席で喜ぶアイヌの人たち=2019年4月、国会 これは「壬申戸籍オークション騒動」の際に、法務省から「身分などが分かる」ことを理由に改めて報道発表された通り、実際には「身分が分かる戸籍」を公的に入手することは不可能です。 つまりは、公的な資料はなくても、アイヌ協会が認定すればアイヌであり、アイヌ協会が推薦状を出せば助成の受給資格を満たせる、という図式です。 そしてまた、今年2月の予算委員会で丸山穂高衆院議員が指摘した通り、「アイヌ支援」の前提となっている「アイヌ生活実態調査」も、これもアイヌ協会が「協力」して行うものです。 つまりは公的な「アイヌ基準」がないから行政としては「どこの誰の世帯を調査すべきか」をアイヌ協会に依頼するよりほかなく、結局はアイヌ協会による「機縁法」つまりは「有為抽出法」ですから、これを「実態調査」と称するのは統計的に正しくないでしょう。「特別な支援は不要」 ましてや実施団体が利害関係のある「身内組織」ですから、なおさらバイアスが加わる可能性を否定できません。結果、アイヌ協会が認定したアイヌの「生活が苦しい」「進学率が低い」といった「生活実態」に基づいて、まだまだ助成が足りていない、という主張に繋がっています。 こうした状況の中、とうの昔に国会では「今後は特別な支援は不要である」と説明されたはずのものが、自治体レベルでは支援が継続して行われているという、どこかで見覚えのある構図が存在しているわけです。 さて、やっとここで本題の「アイヌ新法」です。正式名称は「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」。国会に政府提出され、可決された法案であり、その問題点に気が付いておられる方々は決して多くはありません。 まず、正式名称に掲げられている「アイヌの人々」。これ、どういう意味でしょうか。むろん、一般的にイメージされる「アイヌ」の方々を指していることは分かりますが、では「法律」として考えたときに、かつての「北海道旧土人保護法」はすでになく、現状、自治体レベルで「支援を希望する者」への受給要件に「アイヌ協会の推薦状」が必要とされているだけで、法的には「アイヌの人」を区分する法律・法制度はありません。 さらに、第1条には「この法律は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々の…」とあります。先の通り「アイヌの人々」が定義できないうえに、今度は「先住民族」です。 日本列島は、沖縄から北海道まで、当時の縄文人が北から南まで交流していました。その後、ロシア北東部から北海道東部に渡ってきたと考えられるオホーツク文化人や、さらに続いていくつかの部族ごとに渡ってきた方々との混交の末にアイヌ文化が成立したとされています。アイヌ民族の集落で代表者らと意見交換する菅義偉官房長官(左側の前列左から3人目)=2018年8月、北海道釧路市(田村龍彦撮影) つまり、先住性でいえば、元から日本中に住んでいた縄文の血統こそが先住民であり、大陸北東部から渡ってきた方々との混交で生じたアイヌは、むしろ「後発」なのです。 これは縄文期の遺跡から発掘された人骨や、その後の時代のアイヌの方々の遺跡の人骨、それから遺骨、さらに大陸北東部の諸部族の方々のDNAを比較分析することで判明した科学的な事実であり、北海道には最初からアイヌが住んでいたという主張は幻想に過ぎません。 また「先住民族」というワードは、特に国際社会においては「先住民族の権利に関する国際連合宣言」とセットで用いられるため、非常に危険です。 これはつまり、オーストラリアのアボリジニやニュージーランドのマオリ、北米のネイティブアメリカンや南米のインカなど、それまで白人(異民族)文明とは無縁に過ごしていた「先住民族」を、大航海の末にたどり着いた白人が蹂躙(じゅうりん)し、土地や財物を略奪し、虐殺したうえに勝手に住みついて、その揚げ句に、今度は「保護が必要だ」として「彼らは元から住んでいた『先住民族』だ。その権利を守り、彼らの文化を維持するための義務(略奪者の責任)を負う」ための宣言です。不十分な議論 こうした観点から見れば、日本におけるアイヌの存在は、その当初から交流・混交による成立であり、またその後も常に交易を行っていた(それも日本だけではなく、ロシアや中国とも交易していた記録があります)のですから、無縁の異民族による突然の侵略といった歴史もありません。 そして「アイヌは先住民族」を法律上に明記することは、世界の先住民族の虐げられ、滅ぼされた歴史と同じことを、日本がアイヌに対して行ったものと解釈される危惧があります。 しかも、国会で行われた予算委員会における安倍晋三総理の発言がこれです。 「アイヌであることの確認に当たり、北海道アイヌ協会理事長等の推薦書の提出を求めているところでありまして、同協会においては、戸籍等の客観的な資料をもとにしながらアイヌであることを確認した上で推薦書を作成しているものと承知をしております」 安倍総理に、アイヌであることは「アイヌ協会が確認」し、かつ、法的には旧身分が分かるはずもない「戸籍」を資料にしている、と語らせてしまいました。 「戸籍等」とあるから戸籍だけで判断しているわけじゃない、というのは詭弁(きべん)でしょう。合理的な客観資料が存在するのならば、それを筆頭に挙げれば良いだけであって、それを語らずに「戸籍等」と記載する必要があるとは言えません。 むろん、失われつつある文化の保護や継承は大切ですし、日本の郷土文化の一つとして尊重し、伝統を未来に繋げていく必要性は誰も否定できない「文化事業」でしょう。大阪府吹田市の国立民族学博物館で展示されたアイヌの家=2002年12月(朝田康嗣撮影) けれども、このような状況の中、誰がアイヌかも、どのようなアイヌ差別が今なおあるのかも、そうした認定や統計調査をアイヌ協会が担ったままで策定された政策を基に、新たな法律を制定して良いものでしょうか。 批准済みの「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の再検討も含め、国会においてはアイヌ新法への議論を充分に尽くしたうえで、国策としてどのように判断すべきであるかを是非とも検討していただきたいと願います。※「土人」は、現代では不適切な表現ですが、かつて存在した法律名として記載しています。■アイヌ民族の「権利確立」を 鈴木宗男の10年■沖縄の基地集中は「人種差別」危険な国連勧告の裏側を読む■沖縄知事選は反差別の理不尽と戦う「日本解体闘争」である

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    DNA分析で縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明

     われわれの祖先はどのように日本に渡り、どのように変貌したのか。最先端のDNA分析により得られた新事実を、ヒトゲノムによって日本人の起源を探る研究の第一人者、国立遺伝学研究所の斎藤成也教授が明かす。* * * DNA分析という手法の開発により、分子生物学によって日本人のルーツを探る研究は劇的に進歩した。 DNAは「たんぱく質の設計図」とされる物質で、親から子に遺伝情報を継承する。 人体を構成する約60兆個の細胞は、すべて最初の1個の受精卵が起源であり、細胞増殖によって体が作られる。この増殖でDNAが複製されるとき、稀にDNAが部分的な突然変異を起こすことがある。変異が精子や卵子などの生殖細胞で起きると、部分的に変異したDNAはそのまま子や孫へと引き継がれていく。 アフリカで誕生した人類は7万年前から世界に拡散していったが、特定の集団のなかで誰かの生殖細胞に変異が起き、集団内でそれが広まり蓄積することがあった。また、別の集団との交流により、混血で変異が共有されることもあった。 つまり、現代人と遺跡から出土する人骨のDNAを分析し変異の痕跡を比較すれば、どこで変異が発生し、どう受け継がれてきたかが分かり、人類がアフリカからどのようなルートを辿って拡散したかが見えてくるのだ。 では、日本人はどこからやってきたのか。若干の想像を交えて、最新のDNA分析の結果から推定されるルートを提示してみよう。 およそ7万年前に我々の祖先がアフリカを出たことはすでに判明している。数度に亘る「出アフリカ」の何回目かにアフリカを出た人々がアラビア半島を渡り、ユーラシア大陸の南側に進出。5万年ほど前に台湾や琉球諸島を経て、日本列島の地を踏んだと考えられる。これがいわゆる「縄文人」だ。1万年前までは最終氷河期で、海面は今より70m低かった。氷河にも覆われていたので、台湾、琉球からの渡来はそう難しくはなかっただろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 一方、7万年前にアフリカを出て東アジアに渡った人々は、小麦農耕の技術を身に付け、今でいう中国の中原と呼ばれる地域で人口を爆発的に増やした。そこからあふれ出た人々が稲作の技術を携えて移動し、およそ3000年前に朝鮮半島を経て、北九州に渡った。それが「渡来系弥生人」と考えられる。 実はこの説は、DNA分析が行なわれる前からあったが、従来は、農耕民の弥生人により狩猟採集民の縄文人が駆逐され、北海道に追いやられたのが「アイヌ人」、南に追いやられたのが「沖縄人」と考えられていた。しかし、現代日本人のDNA分析によって縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明し、両者の間で交流があったことが認められた。関連記事■終の棲家探し どこで生きるかより、どう生きるかが重要■ボーっと運転しているクルマが渋滞を拡大させている根拠■認知症の予防には10~15才の記憶を意識的に思い出すと良い■セウォル号事故「空白の7時間」を現地取材 口をつぐむ人々■中国がAI活用のテロ対策 6兆8000億円投入の狙い

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    ポスト平成の天皇制は沖縄、アイヌ、創価学会との接し方が鍵

     作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が「平成史」を語り合うシリーズ。国際情報誌SAPIO誌上で行われた対談は最終回を迎え、単行本『平成史』(小学館)としてまとめられた。最後のテーマは、「今上天皇の足跡」となった。* * *片山:今上天皇は昭和天皇のカリスマが付与された上、祭祀への熱心さや災害時での国民と共感共苦する姿勢の顕示によって、公と私のバランスはよくとれていたと思います。 ところが皇太子になりますと、もっと私の方につっこんでいる印象がある。今上天皇は人間天皇として素晴らしいと言える。それなら皇太子が人間皇太子を突き詰めて、本当に人間になってしまった方がいいのではないですかと言いたいくらいに、あまりに普通な感じになってくるのではないか。それこそ人間天皇の最終型とも言えるけれど、それで天皇像が新たな民主主義的強固さを獲得できるかというと別問題でしょう。佐藤:私はポスト平成の天皇制と日本社会は、日本の外部空間との接し方で変わると考えているんです。片山:外部空間ですか?佐藤 :そうです。日本には沖縄、アイヌ、そして創価学会という天皇神話を共有していない領域が三つある。この領域との軋轢がどうなっていくかが天皇制の将来を左右するのでは、と。片山:とくに沖縄とアイヌに対して、今上天皇は意識的にアプローチされてきたように思います。ただ、いまだに沖縄との断絶は存在するし、アイヌについての理解は進んでいない。こうした外部空間との付き合い方から、次代の天皇のありようが更新されていかないと。万世一系というだけでは持続性に陰りが見えてくるように感じます。佐藤:いま日本は危機に陥っています。それが分断であり、政治の右と左の対立であり、格差です。平成以後、日本人の天皇観がどう変わるか。すなわち直面する危機や、世間外との軋轢を調整できる形になるのか。逆に、その世間外の人々を非国民化していき、さらなる分断や格差を招く形になるのか。ここが一つの大きなポイントになるでしょう。作家の佐藤優氏片山:とすると平成の次の時代、一つの議論が蘇ると想像できます。天皇制ではなく、日本共和国でよいのではないかと。平成とは今上天皇の思想と行動によって特徴づけられた時代でした。今上天皇の「譲位」とともに、天皇のありようは変わるでしょう。佐藤:その天皇のありようによって、ポスト平成の日本社会の方向性が決まっていくと言えるでしょうね。●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究家。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。共著に『新・リーダー論』『あぶない一神教』など。SAPIO連載5年分の論考をまとめた『世界観』が発売中。関連記事■佐藤優・片山杜秀対談──天皇制をキリスト教神学で読み解く■今上天皇退位で「天皇制は敗戦期に匹敵するほど流動化する」■今上天皇のお言葉の意味 親子二代で「人間宣言」を完成した■天皇に対する国民の意識が変化、普段は無意識化した存在に■佐藤優氏「堀江氏と村上世彰氏、判決を分けた決定的な差」

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    三原じゅん子手記「がん公表、私の思い」

    日本人の死因トップは依然がんである。2人に1人が罹患するとされ、関心が高いだけに著名人の相次ぐ「がん公表」は反響も大きい。こうした中、10年前、報道によってがん公表に至った元女優で参院議員の三原じゅん子氏がiRONNAに手記を寄せた。誰もが当事者になり得るがんだが、著名人の公表にどう向き合うべきか。

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    三原じゅん子手記「著名人のがん公表、私はこう思う」

    三原じゅん子(参議院議員) 私が子宮頸がんを患ったのは今から約10年前、芸能界で活動していたときでした。人間ドックをきっかけにがんが見つかったときは、ショックで頭が真っ白になりました。 私は当初、自分ががんであることを隠していました。今では、芸能人によるがんの告白は珍しいものではありません。しかし、当時はがんへの理解や医学的進歩も今ほど進んでいませんでしたし、私の周囲でも、がんを公表する方はほとんどいませんでした。 私ががんを公表しなかった一番の理由は、仕事がなくなってしまうからです。レギュラー番組は取れなくなり、健康ではないイメージがつく可能性があることから、コマーシャルの仕事も受けられなくなることを恐れたのです。女優という仕事柄、イメージを固定したくないという気持ちも強くありました。 しかし、マスコミによって、子宮頸がんであることを公表されてしまったのです。もちろん大変、憤りました。繰り返しますが、がん告知は今と当時とでは大きく違います。当時は、本人や家族にさえ告知されないケースも多かったのです。 がんの公表によって、私に対する周りの目が変わり出しました。腫れものに触るような態度。私も知らない間にこうした態度を取っていたかもしれないと反省しました。 公表されてからは心を入れ替え、がんと闘っている方々とどんどん接触し、友人となっていきました。私より、ずっと苦しい病と闘っている方々が元気にがん撲滅の活動をしている姿を見て勇気をもらいました。 もう泣いてなどいられません。立ち上がるべきときは今だと思いました。そのころ私は介護施設を運営していましたが、芸能界を引退し、政治家として、がん対策と介護・福祉について取り組んでいこうと決意しました。なかなか、一気に進むわけにはいきませんが、それでもライフワークとしてこの政策を続け約10年。今後もずっと、がん対策に取り組んでいきます。自民党の三原じゅん子参院議員=2017年4月17日、東京・永田町の参院議員会館(酒巻俊介撮影) 有名人のがんに関する情報発信については、良い面と良くない面があると考えています。まず、良い面としては、同じ病の皆さんに勇気を与えることができることと、情報をお伝えできること。 患者は孤独になりがちなので、闘病の励みとなることはプラスの面としてあると思います。ただし、あくまでも参考情報としてのレベルと思っていただきたいのです。 病気は個人差があるので同じがんの同じステージでも治療法は異なってきます。ですから、有名人が治療しているからといって、その治療法がすべて正しいわけではないということです。治療の時期も体力もさまざまです。人と比べて一喜一憂しないことが大切です。がん治療と仕事の両立 がん検診の受診率が低いことも大きな課題です。とりわけ女性特有の病気は分かりにくいため、啓発活動もあまり進んでいない現状があります。たとえば、子宮内膜症、子宮筋腫、子宮頸がんなど子宮にはいろいろな病気があります。一時的な身体の不調なのか、病気なのか、素人判断ではなく、一日も早い病院での検診が重要であると考えます。 私の場合は、43歳の頃に腰と胃に不調を感じ、たまたま知人に勧められた人間ドックを受けることにしました。40歳を過ぎていたので、せっかくの機会だからというのが検診のきっかけでした。 特に自覚症状はありませんでしたが、オプションで子宮頸がんと子宮体がんの検査も受けたところ、子宮頸がんが見つかりました。当時は、子宮頸がんに対する知識も皆無でしたし、自覚症状もありませんでしたので、やはり検診の重要性を痛感しました。 私のこれからの決意として、がん検診促進、がん患者の皆さまの就職支援、がん教育の推進。この3点に取り組んでいきたいと考えています。 子宮頸がんの検診率は、欧米では70~80%ですが、わが国では20~30%と先進国の中でも極めて低い状況にあります。 早期発見は早期治療に直結します。私も何となくチェック印を付けた子宮の検診で、がんが見つかったわけですから、専門家の検診は何より大切なものです。 また、医学的知見に裏打ちされているワクチンの接種も、がん予防の観点から必要なものといえます。国内外の医学者から縷々(るる)指摘されていますが、日本ではHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの接種が世界で例を見ないほど少なく、極めて残念なことにわが国では子宮頸がん患者が増加し続けています。 また、がん患者の皆さまの離職防止と再就職支援にも取り組んでいきます。がん治療と仕事の両立は深刻で、なかなか上司や同僚に理解されないのが現実です。私がこの活動に参加してからもう10年、全く変わりません。勤務者ががんと診断されたのちに、その34%の方々が、依願退職や解雇に追い込まれているというデータもあります。 がん治療と仕事の両立も、私自身の経験からきている願いでもありますし、がん患者会の皆さまとも共有した思いです。そして、これら2つを包括したがん教育も大切です。がん検診率の低さや、がん患者の皆さまの離職問題も、やはり社会の理解不足が根幹にあると思います。※写真はイメージです(GettyImages) 今では放射線療法や科学療法も著しく進化していますし、ゲノム医療や創薬の発展により、がんは治る病気となりつつあります。しかし安易に自己判断や油断はせずに、しっかり検診と体調管理に努めることが大切です。人生100年時代、そして女性活躍時代に向けてまい進していきましょう。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

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    葛藤の末に選んだ「がん公表」に色眼鏡なんていらない

    古川雅子(ジャーナリスト) 今年2月中旬に、競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことをツイッターで公表。そのわずか1週間後には、タレントの堀ちえみさんが「左舌扁平(へんぺい)上皮がん」、いわゆる舌がんと診断されたと自身の公式ブログで明かした。堀さんは、4月15日にステージ1の食道がんであることも公表した。 最近は芸能人や著名人が病名を公表することも増え、会員制交流サイト(SNS)には「勇気づけられた」「応援したい」といったコメントが一斉に書き込まれる。一方、ワイドショーでは周囲の人が哀れむ声が繰り返し放送され、臆測による病状の詮索(せんさく)などがメディアに溢れる様を見ていると、「いたたまれなくなる」というがん当事者の声も聞く。 私は15年前から「がんと暮らし」をテーマに取材を重ねてきたが、がん経験者の多くが口にするのは、「かわいそうだと思われたくない」「がん患者扱いしてほしくない」という思いだ。だからこそ、「周りの人にがんをどう伝えたらいいのか…」と悩むのだという。 ここ10年、20年でがん治療は進歩し、より多くのがん患者に治癒が期待できるようになってきた。しかし、社会の側は相変わらず、がんになった人に「もう治らない」「がん=死」というレッテルを貼る。 とすると、がんを公表しない方が、気を遣われずに済むし普通に接してもらえていい、という考え方もある。逆に、公表した方が、社会の意識を変えることにつながり、がんを隠してビクビクしながら暮らさずに済むようになるかもしれない、という考え方もある。 がんを公表することは、正解でも不正解でもない。公表する、しない、どちらの考えも尊重されるべきだと考える。どちらの考え方も阻害されてはいけない、とさえ思う。 公表はあくまでも個人個人の選択であり、生き方。社会の側にがんの理解が進まず、厳然とした「意識ギャップ」があるからこそ、葛藤の末に選び取る選択だからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 公表が同調圧力のように強要される社会もまた、息苦しい。公表と黙秘の中間地点である、グレーの選択があってもよいと思う。 私の身近に乳がんを発症し、会社勤めと子育てをしながら治療も続けている女性がいる。彼女は、直属の上司と同じ部署の同僚には仕事を円滑に進めるために、がんの種類や進行度、治療法まで情報をオープンに開示しており、それ以外の社員にはあえて病気のことは伝えていないという。その線引きもまた、それぞれの考え方次第だ。「顔の見える情報」は力強い 公表の是非が問題なのではない。例えば、「芸能人はがんのことを公表しなくてもいい」という意見を目にすることがあるが、批評の対象にするのは、がんを公表する本人の行為ではなく、公表を受けて「過剰に騒ぐ周りの行為」なのではないか。 フリーアナウンサーとして活躍していた小林麻央さんは、生前、「一度きりの人生なので、なりたい自分になろう」と、自分の言葉で「今の気持ち」を発信し続けた。ブログの開設前は、「極秘入院」などとスクープ合戦が繰り広げられ、夫であり歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが緊急会見を開く騒ぎになっていた。 SNSは、がんに罹患(りかん)した人が社会とつながる新たな手段であり、同時に、著名人にとっては、本人主導で情報発信することで、臆測による情報の混乱を未然に防ぐ手段にもなり得ているのだと思う。 情報を享受する側に視点を置いて考えてみると、著名人によるがん闘病の発信は、「顔の見える情報」だ。当事者そのものによるリアルな情報だけに、影響力は少なくない。池江選手の発信を受けて、献血する人が増え、骨髄バンクに対する問い合わせやドナー登録が急増したという。 社会の側に根強くある「がん=死」という偏見をなくす上でも、「顔の見える情報」は力強い。 池江選手は、2月12日にこう発信している。 (白血病という診断を受けたことに対して)私自身、未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすれば完治する病気でもあります。 当時、診断直後でありながらも、冷静に病気のことを受け止めようとする意志が感じ取れた。道を閉ざされてかわいそうな人というわけではなく、治療に立ち向かい、希望をつなぐ存在としてあり続けるのだという、ポジティブな宣言だとも受け取れる。 白血病にもさまざまな種類があり、病気の種類や罹患した年齢によって治療法や経過は異なる。ただ、長年白血病の治療に携わってきた血液内科医によれば、18歳の池江選手のような「AYA世代」(15〜39歳)の白血病の中で、小児がんと同様、治癒率が高まってきたがんの種類もあるのだという。2019年2月、競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを報じる東京・有楽町の街頭テレビ ここ数十年の医療の進歩により、小児がん(0〜14歳)の70〜80%が治るようになったと言われる背景があり、特に10代、20代の若い世代については、小児に準じる形で治療のスケジュールを組み立てる場合があるというのだ。「心のつえ」はどこに AYA世代のがんは情報も少なく、同じ種類のがんを経験した患者同士で繋がり合いたいというニーズもある。同世代でないと分かり合えない生活上の悩みもある。がんを特別視せず、「必要な人が必要な人とつながっていく手段の一つとして『公表』もありだよね」とフラットに考える人が増えれば、著名人であっても、一般人であっても、もっと安心してがんのことを打ち明けられるようになるだろう。 堀ちえみさんが公表した舌がんを含む「口腔(こうくう)・咽頭がん」は、罹患者数が全がんの約2・3%(国立がん研究センター2018年のがん統計予測)にすぎない。希少がんの患者にとっては、術後の「日常」の発信もまた、大事な情報源になる。 3月9日に堀さんが更新したブログでは、舌がんの手術後に食べ物の嚥下(えんげ、飲み込み)の訓練をする模様をこう記している。 人参ゼリーは、つるんとしているので、舌がもたついているうちに、口の中でどこかにいってしまいます。(中略)右奥の残っている舌が、とても健気でね… もたつく新しい舌を、一生懸命に引っ張ってゼリーを追いかけて。そしてゴール(喉元へ)に向かって、シュート!(中略)これから嚥下の練習は毎食ごとにあります。楽しみながら乗り切っていきたいと思います。 堀さんは舌がんの進行度がステージ4であることも公表しているが、人生の真ん中には暮らしがあり、悩みも笑いもあり、進行がんという色メガネが不要であるということが、じかに、ポジティブに伝わってくる。 もちろん、がん患者本人の発信だからといって、あらゆる患者が分かり合えるわけではない。情報の押し付けは、相手への迷惑になることもある。堀ちえみのブログ「hori-day」 私が望ましいと感じるのは、先にがんを経験した人から後に続く人への「心のつえ」となるような情報が、手を伸ばせばあちこちに、ポン、ポンとさりげなく置かれているような社会だ。その情報を取りたい人が取ればいい。 今は、個人が情報を発信しやすく、自分が「心のつえ」を得た経験を「誰か」に届けることができる時代だ。発信する人の有名無名を問わず、実名と匿名のどちらにせよ、「がんを公表する社会」の最大のメリットは、そこにあるのではないか。 だからこそ、問われるべきなのは、がんの当事者の善意により公開された情報を引用したり、転用したりする側の、情報モラルなのだと思う。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

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    「がん免疫療法」の闇、高額なのに効果不明瞭の実態

    浅野有紀(Wedge編集部) 「免疫療法を標準治療と併用することで、治療効果を上げられると実感している。免疫療法にもたくさん種類がある。躊躇(ちゅうちょ)せず使える治療法は全て行わないとだめだ」 都内の某有名クリニックが開催する免疫療法セミナーで、壇上の医師はがん治療における免疫療法の効果を語った。免疫療法は、人が持つ免疫本来の力を回復させることによってがんを治療する方法で、現在研究が進められている段階だ。しかし残念ながら「一部の効果が明らかなものを除いて、多くの免疫療法は国から承認されておらず、その効果が確認されていない」(国立がん研究センターがん対策情報センター長・若尾文彦氏)という。 冒頭の医師が語った「標準治療」とは、科学的エビデンスを基に、専門家が決めた現在の医学で最善の治療のことで、各学会が作成した診療ガイドラインに記載されている。がんの標準治療は「手術」、「放射線治療」、「薬物療法(抗がん剤)」の三大治療が基本であり、免疫療法で標準治療に組み込まれているものは、免疫チェックポイント阻害剤など一部に限られる。代表的な免疫療法に、樹状細胞ワクチン療法、NK細胞療法、がんペプチドワクチン療法などがあるが、いずれも治療効果は認められておらず、昨年12月に臨床腫瘍学会が策定した免疫療法のガイドラインでも推奨されていない。 免疫療法は2014年に、免疫チェックポイント阻害剤のニボルマブ(商品名オプジーボ)が開発されたことで一気に注目を浴びた。「当時、多くのメディアが免疫チェックポイント阻害剤という難しい名前を『免疫療法』と簡略化して表現したことで、あたかも全ての免疫療法が、がん治療に効果があると誤解されるようになった。免疫療法を提供するクリニックも急増した」(若尾氏)。 そして現在、市井のクリニックをはじめ、大学病院などでも、効果が認められていない免疫療法が、保険が適用されない自由診療として高額で提供されていることが問題となっている。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「合計で800万円近くをがんの治療費に使いました。貯蓄はすべてなくなりました」 そう語るのは、免疫療法をはじめとした標準治療外の治療を複数の医療機関で受けたにもかかわらず、卵巣がんが進行した林紀子さん(仮名・60歳)だ。ある病院では、治療を受ける前に「何があっても当院を訴えません」という誓約書にサインさせられたという。林さんは現在、標準治療である抗がん剤治療を受けている。先進医療を外れた治療 「私のところにも、こうした治療に高額の費用を支払うも効果が出ず、セカンドオピニオンを求めに来る患者が多い」と日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授の勝俣範之氏は語る。こうした声は、今回取材した複数のがん専門医からも耳にした。彼らは一様に「もっと早く来てくれていれば抗がん剤も効いたかもしれないと思うとやりきれない気持ちになる」と嘆く。免疫療法に通った患者の中には、「お金が払えなくなった途端に放置され、相談も聞いてもらえなくなった」という人も多いという。  免疫療法は、現段階で効果が認められていないだけで、将来には効果が認められるかもしれない。それを提供して何が悪いのか? そう思う人もいるかもしれない。事実、免疫療法を提供する病院やクリニックのホームページでは、「現段階ではまだ効果が認められていないが、標準治療で治らなかった患者のために」「がん治療をあきらめない」といった表現がよく見られる。 だが、本当に患者のためならば、その治療が将来、科学的に効果が認められることを目指した取り組みを行うべきではないか。例えば、国が定めた一定の条件を備えた医療機関では、新しい試験的な医療技術を、将来の保険適用を視野に入れ、国が承認する「先進医療」という形で提供される。 また、新しい治療法や薬の候補が標準治療として認められ、広く普及することを目指した研究として、臨床研究法に則った適切なモニタリングや監査を経て行われる「臨床研究」という仕組みがある。効果が認められていない治療を提供するのであれば、このような枠組みに沿ってデータを積み上げながら行うべきだろう。 自由診療で免疫療法を提供する某クリニック主催のセミナーで、自由診療ではなく、臨床研究で行うべきではないかと質問をしたところ、「できれば臨床試験でやりたいとは思っているが、必要な資金が足りず実施できない」という答えが返ってきた。 埼玉医科大学国際医療センター婦人科腫瘍科教授の藤原恵一氏は「高額の治療費をとっているのなら、それらを基金として研究を行い、データを積み重ねればいい。それをしないのであれば、効果があることを証明する自信がないと受け取られても仕方がない」と指摘する。 質の高い専門的ながん医療の提供を行う病院として厚生労働省から認可された病院を「がん診療連携拠点病院」(以下、がん拠点病院)というが、「がん拠点病院の中にも、先進医療から外れた形で免疫療法を提供している病院がある」(若尾氏)というから驚きだ。 あるがん拠点病院のホームページ(9月7日現在)を見ると、「新規に活性化自己リンパ球移入療法を希望する患者には、先進医療A(以下、先進A)の取り扱いは終了しており、自由診療の取り扱いで先進Aと同じ療法で治療を行う」という内容の記載(17年2月14日付)がある。厚生労働省の指示により先進Aから(より厳格な対応が求められる)先進Bへの変更手続きを行うことになり、先進Aを新規希望者に提供することができなくなった。そこで、希望者に対し、全く同じ治療を自由診療で提供している。 がん拠点病院を指定する検討会でも、免疫療法の取り扱いは問題視されている。下の表は、今年の1月12日に行われた、「第12回がん診療連携拠点病院等の指定に関する検討会」の議事録からの抜粋だ。(出所)2017年1月12日の第12回がん診療連携拠点病院等の指定に関する検討会・議事録 (注)新規指定を申請した埼玉県(上尾中央総合病院)の提供する免疫療法に対する発言抜粋 上尾中央総合病院(埼玉県上尾市)のホームページで「樹状細胞ワクチン療法を200万円の自費診療で提供」と表示されていることなどから、自由診療として免疫療法を行っている点が問題視され、地域のがん診療を担う病院として推薦されることに疑義が呈された。ネット上の情報の波に飲まれる こうした免疫療法を提供する医療機関、そしてそれを受ける患者が後をたたないのはなぜなのだろうか。卵巣がん体験者の会スマイリー代表の片木美穂氏によれば、「これ以上できる治療法はないと医師に言われた患者が、何か他に方法はないものかとインターネットや口コミなどで手だてを探そうとし、結果的に免疫療法にたどりつく」という。 標準治療外の治療法に計800万円を費やした先述の林さんは「インターネットや書店でがん治療に関する情報を調べると、『抗がん剤は効かない』といったような標準治療を否定する情報がたくさんあり、それを信じてしまった」と当時の心境を語る。 インターネットで、「がん 治療」と打ち込み検索すると、免疫療法に関する情報が大量に出てくる。こうした情報は国立がん研究センターが提供している科学的にエビデンスのあるものから、個人の体験談までさまざまだ。 現在、医療広告に関しては、医療法に基づく医療広告ガイドラインにより掲載ルールが定められている。例えば、客観的事実であることを証明できない広告や、虚偽・誇大な広告などは禁止されている。今年の6月の医療法改正(1年以内に施行)により医療機関のホームページも医療広告に該当することになった。 活用したいのが厚生労働省が8月24日から始めた『医療機関ネットパトロール』だ。医療機関のウェブサイトにうそや大げさな表示がないかどうかを監視し、問題があれば是正を求める。一般の人々も、専用の窓口に通報することができる。 しかし、これまでもルールから逸脱した医療広告についての問い合わせ窓口を各自治体の保健所が担い、問題のある医療機関に指導を行う体制が組まれていたが、実際は、「保健所によっては、対応できる人員にも限りがあり、効果的に機能していなかった」(インターネット医療協議会事務局長の三谷博明氏)。実効的なものになるかどうかは行政がいかに取り締まれるかにかかっている。 根本的には、科学的に効果の認められていない治療法を、先進医療や臨床研究としてデータを積み上げる形でなく自由診療で提供することに対し、何かしらの条件を設けるなどの仕組みが必要ではないか。この点について、厚生労働省医政局総務課保健医療技術調整官の木下栄作氏は、「高度な専門知識を有した医師によって適切な診療が行われることが大前提。国としては、衛生面など最低限度の規制は行うが、診療内容に関して一律に規制を行うようなことは現実的ではない」と語る。その前提が崩れているという認識はないのだろうか。 問題の解決にはまだまだ時間がかかりそうだ。全国がん患者団体連合会理事の桜井なおみ氏は「本来、効果の認められていない治療を受けるときには担当医に相談しセカンドオピニオンを受けることが一番だが、多くの患者が担当医に気をつかい、それをためらう」と、医師と患者との意思疎通の難しさについても指摘する。 「がんを治したい」と願い、さまざまな治療を受ける患者の気持ちは否定できない。しかし残念ながら、短期的には患者自身で自衛することが必要だ。がん治療に関する正しい情報は、国立がん研究センターが運営する「がん情報サービス」を見たり、無料で相談に乗ってもらえるがん相談支援センターも活用できる。免疫療法を本当に将来の患者に役立てたい者だけが提供を続けられるような仕組みにしていかなければならない。

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    樹木希林さん、貴重な「遺言講演」の知られざる中身

     昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)の「言葉」を綴った本がベストセラーとなっている。しかし彼女はメディアから言葉を求められても、「それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ」「そんなこと話して私に何の得があるの」と突き放すこともしばしば。そのため講演を引き受けることはほとんどなかったという。 そんななか発表された貴重な記録が、DVDつき書籍『樹木希林 ある日の遺言 食べるのも日常 死ぬのも日常』(小学館)だ。 2016年10月29日、静岡市で開催された「樹木希林の遺言」という約1時間の講演は、旧知のテレビ・プロデューサー、田川一郎氏(80)によって実現したものだ。田川氏が話す。「その内容は、希林さんの人生観や死生観がしっかり語られ、病気になった人を勇気づける素晴らしいものでした。映画館で公開しようと希林さんに相談したのですが、彼女は“映画館ねぇ、そこは監督さんが必死に作った作品を上映する場所でしょう”と。実現には至りませんでした。 ところが、希林さんは逝ってしまった。このまま埋もれさせてしまうのはもったいない。そこで娘の也哉子さんに相談したんです。そしたら“母の話を聴いてみたい、と言ってくださる方がいるのであればいいのかもしれませんね”と言ってもらえました」“向こう側”を想像して 古い留袖を自ら仕立て直した黒い衣装で現われた希林さんは、軽妙なジョークを挟みながら、観衆を独特な世界観に引き込んでいく。身振り手振りを交え、時にステージを歩き回る姿は、まるで独り芝居かのようだ。 希林さんが話し始めたのは、2004年に乳がんが発覚した時のことだった。手術のため、タイのプーケットでの映画の撮影をキャンセルする。ところが滞在するはずだったその日に、多数の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の津波が、彼の地を襲ったのだという。映画「万引き家族」の完成披露試写会舞台あいさつに出席した樹木希林さん=2018年4月(山田俊介撮影)「(手術の前に)そういうものにぶつかってたわけ。だから、いずれにしても人間はスレスレのところで生きてるんだなっていうふうに感じるわけです。 だから逆に乳がんの手術した時に、もう何があっても、御の字。何かそこで吹っ切れたって覚悟が決まったっていうか、そういう時から、その私のがんの生活、始まったんです」 希林さんは「死」について考えるのは決して悲観的なことではないとも語る。「健康な人も一度自分が、向こう側へ行くということを想像してみるといいと思うんですね。そうすると、つまんない欲だとか、金銭欲だとか、名誉欲だとか、いろんな欲がありますよね。そうしたものからね、離れていくんです」驚きのタロット占い 希林さんがお土産やプレゼントを徹底して受け取らず、一度手にしたものは常に最後まで使い切っていたことはよく知られている。「モノを拒否するってことは、逆にエネルギーが要るのね。だけどしていかないとね、もう片付かないの。(中略、モノは)多けりゃいいというもんじゃないのね。私はモノに対して執着を捨てたときに、ただ捨てるんじゃなくて、モノの冥利も考えて、どう活かすかってことを考える」 冥利とは仏教用語で、仏が与える利益、恩恵のこと。人生もモノも「十分に活かしきること」を考えるのが希林流なのだ。驚きのタロット占い 講演が一際盛り上がったのは、希林さんが夫・内田裕也さん(享年79)について語った場面だった。 娘の也哉子さんがイギリスでタロット占いをしてもらった時のことだ。母親の病気、そしてその後に残されるかもしれない父親について心配していると聞くと、占い師はこう答えたという。「『あ、大丈夫ですよ、お父さんはお母さんが死ぬときに首根っこ捕まえて一緒に連れて行きますから。グーッと連れて行きますから』って、そう言ったんですって。私それ聞いてね、それはいいね、それは安心だね、別にタロット占いを信用してるワケじゃないけど、ほっとしちゃったんですよね。それで夫が機嫌の良いときに話したんですよ。そしたら(裕也さんは)真剣な顔をして『お前な、頼むから一人で行ってくれ』って(笑い)」 このときは笑い話だったが、占い師の“予言”通り、内田裕也さんは今年3月、妻の後を追うようにこの世を去った。2人の因縁を感じさせるエピソードだ。 そして希林さんは、夫についてこうも語った。「すごくいいヤツでね、あの夫じゃなかったらば、こんな面白い人生はなかったと思います」 結婚わずか1年半で別居。夫の生き様に苦しめられたこともある。しかしそれでも、希林さんは夫との出会いを徹底して面白がったのだ。紹介したのはDVDの内容のほんの一部。これ以外にも深く頷かされる言葉を数多く聴ける。関連記事■宮沢りえ、安藤サクラ 希林さん告別式での喪服姿■内田裕也さん“内縁妻”と本木夫婦が「お別れ会」巡り衝突■樹木希林さんの金言、「男にも響く言葉」5選■樹木希林さん がん発症から14年、生き抜いた秘密■樹木希林、西城秀樹に魯山人の器とともに送った直筆のお礼状

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    日本でLGBTが「市民権」を得ても同性婚議論が煮詰まらないワケ

    高橋知典(弁護士) 同性婚をめぐり全国13組の同性カップルが今年2月、一斉提訴した。今回の訴訟において原告らは、男女の結婚しか認めていない民法や戸籍法について、憲法が保障する「婚姻の自由」や法の下の平等を定める憲法に違反するものであるとしている。同性婚を認めない法律は憲法違反だと主張しているのだ。 一方、同性婚に反対する人たちは、現行憲法は同性婚を想定しておらず、同性婚を認めるには憲法改正が必要だと主張している。安倍首相も2015年2月18日の参院本会議において、「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」「同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、わが国の家庭のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」との見解を示した。 その根拠になる条文が、憲法24条1項だ。日本国憲法第二十四条1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 同性婚に反対する立場の者は、この憲法の文言の字面を強調する。すなわち「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」の「両性」という言葉は、通常「男性と女性。雌性と雄性。(大辞林第3版)」の意味として使われることからも、憲法は「婚姻は男性と女性の合意のみに基づいて成立する」と考えているのだ。また、続く「夫婦」という文言からも、あくまで婚姻は男女間でするもので、憲法は明文で同性婚を想定していないどころか否定しており、それでも日本で同性婚を認めるには、改憲も必要ではないかと主張している。 これには単純に疑問がある。本来人権を保障している憲法からすれば少々不思議な議論であるとも思うが、議論を整理すると、憲法の態度は、簡単に言えば三つ考えられる。①権利として保護し価値を推奨している態度(個人の尊厳や表現の自由などに対する態度)、②禁止する態度(戦争に対する態度のようなもの)、③憲法上は何も言わない態度(どっちでも気にしない態度)だ。同性婚を求め全国13組のカップルが一斉に提訴、東京地裁で提訴の手続きを終え支援者と会見に臨む原告団=2019年4月、東京都千代田区(桐山弘太撮影) 実際には、憲法が同性の婚姻を明確に「禁止(②の態度)」していると読めないならば、憲法改正は不要であり、少なくとも③のどちらでもいいと思っている態度ならば、国会で立法して憲法では保証していない制度を用意してよいことになる。安倍首相の発言を読み解く 先述した安倍首相の発言からは、同性婚を認めるにあたって改憲を必要とする立場か否かは判然としない。しかし同性婚を認めるにあたって改憲が必要だと主張するということは、憲法24条1項には「男性と女性の組み合わせ以外に婚姻はさせてはいけない」とまで記載しているという解釈、すなわち憲法が同性婚をあえて禁止している態度(②)だと読んでいることになる。 一方で、訴訟を提起した原告側は、憲法の解釈について、いくつかの理由から①の「同性婚の自由は憲法上保護される自由である」と主張することになると考えられる。逆にこれができず、②の禁止や、③の憲法は保障も禁止もしていないという結論であれば、訴訟は敗訴になり、同性婚は立法(もしくは改憲)を待ってくださいということになる。 原告側・同性婚賛成側からすれば、例えば、憲法24条1項は、「男性と男性、女性と女性」という同性の組み合わせであっても、「独立」した個人の「性」が「二つ」の意味で、「両性」と読める。また「夫婦」との表記は、戦前の婚姻では女性が軽視されていたことに対する反省としてあえて記載したにすぎないといった考え方をとることで、憲法24条1項における婚姻は同性間でも「当人ら」の「意思」があれば成立することを保障していると主張することになるだろう。 このような解釈に無理があるとなれば、賛成側は先述のように憲法24条1項は少なくとも同性婚を否定してはいないものとし(③の無関心の態度)、他の憲法上の規定、例えば個人の尊重(13条)や、平等権(14条)に照らし、同性同士のパートナーは、結婚という自由な選択を阻害されているとか、異性同士のパートナーに比べて不平等であるといった主張をすると考えられる。 法律上の主張の内容には、これ以外にも無数の解釈の仕方や解釈の理由が実際にあり得る。今後の判決にも注目したい。発足会見を行ったLGBT自治体議員連盟の世話人5人=2017年7月6日、都庁 しかし、今回裁判所が判断するときには、究極的には現在の日本において「婚姻とは何か」「同性同士のパートナー関係を社会がどう思っているか」または「どう思うべきか」といったことに話が煮詰まっていくものと考えられる。憲法の解釈も時代とともに変わっている。だからこそ今の時代の価値観、結婚観が問われるのだ。仏教国の同姓婚 結婚観や同性婚について、これまでの日本はどうだったのだろうか。 宗教的な関係と、同性婚や同性愛に対する考え方は、かなり関係性があるように考えられる。というのも、主要な宗教と同性婚や同性愛に対する国家の姿勢に一定の関連があるように考えられるからである。 例えば、キリスト教、イスラム教では、一般的に同性愛というものを否定する考えがあるといわれる。実際にイスラム教国では、現在でも同性愛を極刑にしている国がある。 一方で、キリスト教国でいわゆる先進国といわれている国では、同性婚制度かまたは婚姻とは別のパートナー制度が整備されている。キリスト教自体の考え方は同性愛に否定的であっても、結婚という制度が個人の自由のもとになされるという意識が、度重なる議論を超え、こうした同性婚制度などの成立に力を発揮させているものと考えられる。 では、日本も含まれる仏教の影響の強い国においてはどうか。 仏教では一般に、同性同士の性行為が「悪」であるというような考え方はなく、「欲」そのものの持ち方を問題視する考え方があるようだ。「邪淫」という考え方である。 この考えには、男性女性の組み合わせを問わず、「性的な欲に溺れること」が問題であり、別段同性同士の性行為を禁止しない一方で、欲に溺れているならば男女の性行為であっても問題になる。 このためか、仏教国では、同性婚について賛成も反対とも判断していない国が多い。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) こうした背景から考えると、仏教的な考え方が強い地域では、同性愛について賛成も反対もしない、ある意味「無頓着」さがある。実際、日本の多くの方にとって一番近い感覚がこれだと思う。このために、一人一人に答えもなく、社会の中での大きな対立も(少なくとも今までは)ないから深い議論もない。 一方で、婚姻制度について日本は家父長制度を前提とする「家を存続させるため」の制度をとってきた。家父長制度のもとでは婚姻は個人の感情や人生の選択の延長線上にはなく、あくまでも「家」という単位を存続させるための判断によってされるもので、個人の自由で婚姻するということはできない。 今でも結婚しようとしたときに家同士の格を比べる地域や家庭があり、そのことで悩む方から相談を受けることもあるのだから、その影響は根強いと感じる。同姓婚反対派の矛盾 日本では「個人の意思に基づく自由な婚姻」という結婚観は、70年前の日本国憲法によって明確にさせられた、比較的新しい考え方であるといえる。特に年齢によって、その感じ方にかなりのばらつきがあると感じる。 同性婚反対派は「婚姻は個人の意思でする」と言いつつ、「同性婚では子供ができる可能性がない」ことなどを指摘して「自然ではない」から反対だと言う。 しかし、男女の夫婦の場合、子供を産むか産まないか選択ができる。さらに、そもそも男女の場合、生殖年齢を超えた60代になっても自由に結婚できる。こうした自由な結婚制度がある一方で、子供ができるかできないかによって同性婚を認めないのは矛盾であると言える。こうした反対派の発言は明らかに現在の結婚制度と矛盾しているが、依然として撤回される様子はない。 この反対派の矛盾しているように見えるのに撤回されない(自信満々な)主張について、その根底にある考え方を「婚姻は個人の意思でする」から、「婚姻は家の存続のためにする」に変えると非常に分かりやすくなる。同性婚では「家の血のつながりを残す」ことが難しく、「自然」ではないからである。 このように、日本では宗教倫理的には無頓着で話し合いの集積がなく、かつての結婚観はそもそも今の婚姻制度と離れすぎて参考にならない。そうした意味で、過去の日本の事柄は同性婚制度をどう考えるべきかに答えを提供してくれない。 このために、同性婚をどう考えるべきかは、賛成派も反対派も、過去の日本の在り方に答えを探せず、今を生きる私たちが考え、私たちが答えを出すほかないと考えられるのだ。 確かに、欧米諸国をはじめとして、同性婚やそれに類するパートナー制度を用意している国は多いが、それはさまざまな議論を経てのものである。結婚は当事者2人の自由でできるが、解消に関する離婚の制度、結婚後の子供についてなど、諸制度との関わりの中で考えるべきことがあると思う。オーストラリアで行われた同性婚合法化の是非を問う郵便投票で、賛成多数の結果に喜ぶ人々=2017年11月、メルボルン(ゲッティ=共同) 今回の訴訟では、先に見たような宗教倫理的な無頓着と、まだ慣れない「自由意思に基づく婚姻制度」の中で、なかなか煮詰まらず、進まない議論に対し、実際に今の時代を生きて、愛する人と結婚をしたいと願う人たちからの、世の中に対する問いかけであると考えられる。この訴訟は、本当は性的少数者だけのことではなく、この国の「結婚観」や「家族観」を再度問うものであると言えるのではないだろうか。■私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない■「LGBTなんて言葉なくなればいい」元女子高生の僕が伝えたいこと■稲田朋美手記「杉田さん、LGBTを尊重するのが保守の役割です」

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    秋篠宮家の評判に関係なく「愛子天皇」を真剣に議論すべきである

    河西秀哉(名古屋大准教授) 愛子内親王が今後、天皇になるような方向性へ皇室典範を改正すべきではないか。 そもそも、日本には女性天皇が8人10代いた。現在のように、男性しか天皇になれないという規定は、明治時代に決められたものである。 明治の日本は、江戸期の「鎖国」によって、自らは欧州よりも遅れていると認識していた。欧州の植民地にならないため、そしてそれらに追いついて国際関係で肩を並べるため、国民を統一し、より強く国家をまとめ上げる必要があった。 そのための方策として、明治政府は国民に家制度を定着させようとする。それは家長である戸主を中心にした集合体で、戸主の統率によって家のまとまりを強固にし、それを国家のまとまりにつなげようとした。 そうした制度は、江戸時代の武士の家父長制的な伝統を引き継いでおり、基本的に戸主は男性とされる。こうして、明治期に制定された民法の中で、絶対的な権限を持つ戸主が規定され、家制度が出来上がった。 国民には、男性が家長であると言っているわけだから、国のトップが女性だと示しがつかなくなる。そこで、1889年に制定された旧皇室典範において、天皇を男性に限定した。2017年4月、「オール学習院の集い」の大合同演奏会に出演した愛子さま その他にも、男性優位は日本の固有の慣習、女性が天皇になれば夫に政治関与される、歴史上の女性天皇は「中継ぎ」であったので例外、などの理由を説明している。 この男系男子に天皇を限定する仕組みは、家制度が崩壊した敗戦後に変化させるべきであった。日本国憲法では第14条で「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあり、女性が天皇になれないことはそれに反する可能性があるからである。 明治期の「男性優位は日本の固有の慣習である」という説明が正しいかどうかは別として、そうした陋習(ろうしゅう)はここで断ち切られたはずであった。ただし当時は、民法が改正され家制度がなくなったとはいえ、その慣習が社会にまだ残っていた。女性天皇は「中継ぎ」にあらず そして、男性皇族もまだ多く、切迫した状況ではなかったかもしれない。そのため、女性天皇は考慮されず、旧皇室典範が廃止され、法律として新たに制定されたものの、明治期に形成された制度がそのまま継続した。 現在の日本社会は、国連の女子差別撤廃条約の批准、いわゆる男女雇用機会均等法の制定と改正などが行われ、敗戦直後以上に性別による差をなくす方向性に進んでいる。社会が、男女が平等になるようにさまざまな努力がなされている中で、なぜ天皇だけが男性に限定されるのだろうか。女性が天皇になれば夫に政治関与されるという明治期になされた説明も、天皇が政治に関わることがなくなった象徴天皇制においては意味をなさない。 そもそも、なぜ男性天皇は妻に政治関与されないという前提があるのだろうか。それこそ、女性ならば人の意見に左右されやすいという、女性への差別的な考え方が根本にあるのであり、現在では相いれない思考だろう。 歴史上の女性天皇は「中継ぎ」であったという説明も、現在の日本古代史の研究によって、それは否定されている。その時期の皇族の中で政治的に優れた年長の女性が天皇に即位しており、ならば現在でも人物的に優れた人物であれば男性でも女性でも関係なく天皇に即位することが、「伝統」的な考え方に合致しているのではないか。 むしろ、現在の象徴天皇制は、その人物がいかなる考えを持ち、行動をするかがマスメディアを通じて伝えられ、それによって人々から支持されている。「平成流」への評価はその最たるものだろう。性別に関係なく「人物本位」というのは、現在の流れとも合致する。 ここ最近、週刊誌やインターネット上で、「愛子天皇」待望論が出ている。しかしこれは、これまで述べてきた理由で提起されたものではない。従来、秋篠宮家の世間の評判は高かった。病気を抱える雅子皇后が皇太子妃時代、公務をこなす量が少ないことから、批判が出て、相対的に秋篠宮家への評価は高くなっていた。 しかし、この状況が変化するのが、眞子内親王と小室圭さんの問題である。小室さんの実家の金銭問題が浮上、それへの適切な説明がないと見られ、批判が噴出している。 妹の佳子内親王が国際基督教大(ICU)卒業に際して発表した文書の中で、自らの意思を強く示し、「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と姉を擁護したことも、批判が高まる要因となった。これらから、秋篠宮家に対する評価が下がり、今度は逆に相対的に皇太子一家への評価が上がり、「愛子天皇」待望論へと向かっているのである。2019年3月、「千葉県少年少女オーケストラ」の東京公演を鑑賞するため、会場に到着された秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さま(代表撮影) これは、いい意味での女性天皇誕生ではない。秋篠宮家の評判が落ちているから、またその評判をより落とすために、たまたま女性である愛子内親王を天皇にしようとする動きが出ているに過ぎない。 求められているのはそうした動きではなく、現在の社会に合致した象徴天皇制のあり方である。国民の生活と遊離したもの、世間の風に影響されすぎるものではない。愛子内親王が天皇になることは、皇室典範を改正し、今後も女性天皇・女系天皇を安定的に認めていく制度にすることである。■ 「眞子さまへの純真は本物か」小室圭氏よ、試練を歩み解を出せ■ 女性宮家の創設とは「制度化された道鏡」に他ならない■ 女性宮家以外にも「皇統の断絶」を防ぐ手立てはある

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    秋篠宮家 お子さまの教育は結果的に「ほったらかし」か

     眞子さま(27才)の結婚に向けたステップは膠着状態にある。昨年2月、結婚行事の「2年延期」が発表され、11月に秋篠宮さまは現状では「納采の儀は行えない」と明言された。一方、婚約内定者である小室圭さん(27才)は同年8月、アメリカに3年間の留学へ。「小室家が抱えるトラブルや、発覚後の対応の影響で、ご夫妻は結婚に対してかなり慎重です。しかし、眞子さまの結婚の意思は相変わらず固い。皇室全体に影響するので、早く結論を出すべきだという声は日増しに大きくなっているのですが、結婚についての親子の話し合いもままならない状況が続いているそうです」(秋篠宮家に近い関係者) 妹の佳子さま(24才)は3月22日、国際基督教大学(ICU)卒業にあたって文書を公表。ご両親について《公的な仕事に関することや、意見を聞いたほうが良いと感じる事柄についてアドバイスを求めることがあります》と明かされた。「両親とは仕事などの公的な会話にとどまり、“聞いた方がいいと判断したことだけ聞く”という宣言にも聞こえました。文書では同様の文言が繰り返され、佳子さまの強い意志を感じます」(皇室ジャーナリスト) さらに、眞子さまの結婚延期にも言及された。「佳子さまは《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい》と述べられ、『納采の儀は行えない』と発言された秋篠宮さまとの齟齬が鮮明になりました」(前出・皇室ジャーナリスト) そうした秋篠宮家の内親王姉妹の言動は、世間で大きな物議を醸している。ただし、ある宮内庁関係者は、「ご夫妻の教育方針に基づけば、仕方がないこと」だと言う。「ご夫妻は皇族としての『公』の部分と、プライベートの『私』の部分とを明確に分けることを徹底され、私的な部分では自主性を重んじる教育を施されてこられました。だからこそ、姉妹には“趣味や恋愛、結婚など私的なことは自由にしたい”というお気持ちが強い。 ただし、そうした姿勢は、“どのようなときにも立場としての義務が最優先であり、私事はそれに次ぐもの”という天皇皇后両陛下が貫かれた信念とは相いれないように思います。また、同じ人格の中の『公』と『私』に大きなギャップがあれば、国民も戸惑うでしょう」2019年3月、国際基督教大の卒業式を前に、写真撮影に応じられる秋篠宮家の次女佳子さま(代表撮影) 前出の秋篠宮家に近い関係者がご一家の内情を明かす。「皇室では、公務で多忙なご両親に代わり、ベテラン職員が自然に“お世話係”になってお子さま方の面倒を見ることが多い。しかし、紀子さまのあまりの“厳格さ”に対応できる職員が少なく、秋篠宮家の職員は短期間に交代してしまうので“お世話係”が育たず、お子さま方の教育やしつけに目が行き届かないんです。自主性を重んじると言えば聞こえがいいものの、結果的には“ほったらかし”の状態のようです」 秋篠宮家は、御代がわり後、皇太子家待遇の「皇嗣家」となり、秋篠宮さまが皇位継承順位1位、悠仁さまが同2位になられる。「秋篠宮家にその重責が担えるのか、ひいては、宮家からの天皇を国民が受け入れられるのか。宮家の現状に鑑みて、不安の声が高まっています」(前出・皇室ジャーナリスト)関連記事■佳子さま「恋愛についてご両親の言うことは聞かない」宣言か■孤立する眞子さま 悠仁さまがよろしくない態度を取ることも■小室圭さんはなぜさっさと「400万円」返して解決しないのか■秋篠宮さま、なぜ小室圭さん一家の詳細を知らなかったのか■小室圭さん母、夫と義父の死後遺産交渉 代理人の衝撃告白

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    愛子さまの目覚ましい成長、女性天皇容認の結論は令和3年か

     3月28日に共同通信が報じたニュースが、にわかに注目を集めている。《政府が1997~2004年、皇位継承資格者を女性皇族に拡大できるかどうか極秘の検討会を開いていたことが分かった。(中略)2004年春の文書には、女性・女系天皇を認める皇室典範の早期改正方針が記されていた》 当時の小泉純一郎首相は、有識者会議を経て、典範改正に乗り出そうとしたが、2006年の悠仁さま誕生で断念したという驚きの内容だ。 なぜ改元直前のこのタイミングで報じられたのか。一部には、「新天皇の即位後、政府がすみやかに女性天皇を容認する典範改正議論を始めようとしていることへの布石」という見方が根強い。皇室ジャーナリストの神田秀一さんが指摘する。「天皇家にとって最大の使命は、皇統を途切れさせず、安定的に続かせることです。それは天皇陛下含め、皇族方が大切に考えていらっしゃることです。皇統の継承のために、女性天皇容認や女性宮家創設の可能性を含めた、さまざまな議論をすべきでしょう」 実際、皇太子さまは今年2月の誕生日会見で、「制度に関しての言及は控えたい」と付言しつつも、「女性皇族は結婚により皇籍を離脱しなければならないということは、将来の皇室の在り方とも関係する問題」と述べられている。 眞子さま(27才)や佳子さま(24才)の最近の振る舞いもあって、秋篠宮家の教育方針への疑問が少なからず浮かび上がっている。眞子さまは「結婚延期問題」が収束しておらず、佳子さまはICU卒業時に出した文書でご両親について《公的な仕事に関することや、意見を聞いたほうが良いと感じる事柄についてアドバイスを求めることがあります》と明かされた。静養先の長野県でスキーを楽しむ皇太子家の長女愛子さま=2019年3月(宮内庁提供) これに対しては皇室ジャーナリストから「両親とは仕事などの公的な会話にとどまり、“聞いた方がいいと判断したことだけ聞く”という宣言にも聞こえました。文書では同様の文言が繰り返され、佳子さまの強い意志を感じます」という声もある。 その一方で、皇太子ご一家への信頼感が増している。特に、高校生になられた愛子さまの成長ぶりには、周囲も目を見張るところがあるという。愛子さまへ高まる期待愛子さまへ高まる期待「愛子さまは幼い頃、“自分がなぜ注目されるのか”が理解できず、戸惑われることが多かった。学習院初等科時代には雅子さまに付き添われて登校されていたこともありました。ただ、幼い子供に“将来の天皇の一人っ子”であることの重責など理解できないのは当然のことです。 ところが、成長されるにつれ、ご両親の立場を理解し、ご自身の置かれた状況も深く自覚されるようになりました。愛子さまはもともと明るくて聡明な方です。それでも、自分が結婚して皇籍を離れるのか、天皇になる可能性があるのか、いまだに不安定な立場でおつらいにもかかわらず、ご自分の一挙手一投足が皇室全体に与えるイメージまでお考えになり、ふさわしい振る舞いをされることは、並大抵のことではありません。そうした愛子さまの健気な姿が今、メディアを通じて多くの国民に伝わっているのではないでしょうか」(宮内庁関係者) 3月下旬、長野でのご静養からの帰京時、東京駅日本橋口から姿を見せた皇太子ご一家を、何百人という人が出迎えた。「愛子さま!」と呼びかける声で溢れ、白いケープにラベンダー色のインナー、ベージュのワイドパンツにローファーを合わせた愛子さまは立ち止まって振り返られ、笑顔で手を振り会釈された。元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司さんが語る。「最近の愛子内親王殿下は記者の質問に対して、少しはにかんだご様子ですが、笑顔で答えられ、その内容も高校生らしく親しみが持てます。立派に成長されているのは、皇太子殿下の影響が大きいでしょう。ご自身を厳しく律せられ、常に他人を気遣う皇太子殿下の振る舞いや考え方にお生まれになったときから接してこられたことで、自然に身につけられたものと思います。“愛子さまに天皇になっていただきたい”と期待する声の高まりも理解はできます」「女性天皇を容認するかどうか」の最新の世論調査(東京新聞1月3日付)の結果では、実に84.4%が「容認」と答えている。日本世論調査会によると、1975年には31.9%だった容認派が、2005年には83.5%、2016年には85%にまで達した。男女平等の理念は日本社会に浸透し、大多数の国民はすでに「天皇は男性でなければならない」というルールにこだわってはいないのだ。「皇統の安定的な継続のためだけでなく、秋篠宮家への不安も、女性天皇容認の声を後押ししていることは間違いありません。秋篠宮家に、天皇にふさわしい人格を育てる帝王教育ができるのか。将来、小室圭さん(27才)を義兄に持つ天皇が誕生して国民の信頼を得られるのか。そうした国民感情は、無視することはできません」(皇室ジャーナリスト) 菅義偉官房長官は3月18日、国会で「(新天皇の)即位後にすみやかに検討を始める」と、凍結されていた女性天皇や女性宮家についての議論を再開する意向を示した。 それでは、典範改正に向けた議論が一気に加速するのはいつだろうか。ある政府関係者は「今から2年後の『令和3年』だろう」と予測する。「2年後には小室さんが留学から帰国し、眞子さまとの縁談が進展する可能性が高い。また現在、お茶の水女子大学附属中学校に通われている悠仁さまは2年後、高校受験のシーズンを迎え、どのような進路を選ばれるかが注目される時期です。 さらに言えば、女性天皇に否定的な政治信条を持つ安倍首相は再来年の9月で任期が切れ、2年後の9月以降は首相ポストにいません。愛子さまが20才になられる『令和3年』に、何らかの結論が出そうです」 新時代の幕開けに、新しい皇室の在り方を模索する議論の号砲が鳴った。関連記事■佳子さま「恋愛についてご両親の言うことは聞かない」宣言か■孤立する眞子さま 悠仁さまがよろしくない態度を取ることも■秋篠宮家 お子さまの教育は結果的に「ほったらかし」か■愛子さま「激やせからの15キロ増」に周囲は心配の声■小室圭さんはなぜさっさと「400万円」返して解決しないのか

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    「文春よ、お前もか」気まぐれ読者を追いかける週刊誌の断末魔

    向谷匡史(作家、ジャーナリスト) 「あんなの、週刊誌じゃねぇよ」。辣腕で鳴らした総合週刊誌の元デスクが酎ハイをグイとあおれば、 「同感」と、フリーのベテラン記者がうなずいて、 「あの食品がダメ、この薬がアブナイ、はてまた死ぬ前の手続きがどうしたなんて大特集を毎週読まされたんじゃ、気が滅入っちゃうよ」 「まさにその通り」。女性週刊誌で「鬼」と呼ばれた元編集長が引き取って、「週刊誌はスキャンダルが勝負。斬った張ったで俺たちはメシを食ってきた。健康ネタ、終活ネタは、新書かムックのテーマだ」 一同、大きくうなずき、それぞれのグラスで氷がカラコロと音を立てた。今年初め、気の置けない仲間と一杯やったときのことだった。 私は総合週刊誌の記者として十余年を過ごした。現役批判はOBの常とは言え、総合週刊誌の全盛時代を知る彼らだけに、一杯やると必ず批判や苦言が飛び出す。 「誌面に勢いがない」「現場を踏まなくなった」「企画に工夫が足りない」 だが、こうした批判や苦言は、週刊誌ジャーナリズムという大枠でのこと。誌面づくりは時代によって変化はしても、「ニュース&スキャンダル」という基本は変わらない。クルマにたとえればマイナーチェンジのようなものだった。 ところが最近になって、いきなりフルモデルチェンジ。しかもセダンがワンボックスカーになったようなもので、元辣腕デスクが「あんなの、週刊誌じゃない」と憤慨するほどの変わりようなのである。 週刊誌の変化ぶりは、電車の吊り広告や表紙を見れば一目瞭然だ。目玉の特集記事が「健康」と「終活」になってきた。私の手元にある週刊誌の見出しを拾うだけでも、「食べてはいけない『外食チェーン』」(週刊新潮)、「専門医10人『私は絶対に飲まない薬』」(週刊ポスト)、「間違いだらけの『死後の手続き』」(週刊現代)、「30の症状に効く『最強食』」(週刊文春)…。 タイトルこそ扇情的な週刊誌タッチだが、これらは「実用記事=ためになる記事」であって、週刊誌が王道としてきた「ニュース&スキャンダル」、すなわち「ためにならない記事」の対極に位置するものなのである。 むろん週刊誌に「健康」「終活」の特集があってかまわない。必要な情報でもある。だが、このテーマが毎週、しかもメジャー誌がこぞって掲載するとなると、これはもう「週刊誌のフルモデルチェンジ」である。先に述べたが、クルマにたとえれば一車種だけのモデルチェンジではなく、クルマ業界全体が、売れ行き不振のセダンからワンボックスカーに右へならえしたのと同じということになる。 「健康ネタ」をメーンで打ち出したのは、『週刊現代』が最初だったと記憶する。大胆な変身に戸惑いはしたものの、高血圧の薬を長年服用している私は、「高血圧の薬は不要」といった見出しに目が吸い寄せられた。週刊文春の企画「減らせる薬11『症状別』リスト」 これまで総合週刊誌には見向きもしなかった愚妻も、「あら、血圧の話?」と言いながら、そばからのぞき込んでいる。健康は大いなる関心事なのだ。 さらに「終活」が「健康」の延長線上にあることから特集がこれに向かうのは必然で、辛気くさいテーマではあるが、実年・熟年が興味を引かれることは確かだ。幕の内弁当とビュッフェ 「あんなの、週刊誌じゃねぇよ」と、OBが毒づいたところで、数字は正直。週刊現代は「健康」と「終活」を両輪として部数を伸ばし、2019年1月の雑誌月間売上冊数で、『週刊文春』を抑えて10位に躍進(日販調べ)。「文春砲」を炸裂させても、週刊現代の「健康&終活ガイド」には部数では勝てなかったということになる。 かくして、総合週刊誌は雪崩を打つようにして「健康&終活ガイド」に走り、いまも走り続けているということになる。 私に言わせれば、総合週刊誌は「幕の内弁当」である。スキャンダルがメーンのおかずで、「海老フライ」や「鶏の唐揚げ」がそれに当たる。ニュースやハウツーがサブメーンの「卵焼き」「焼き魚」「天ぷら」で、連載小説やコラムが「煮物」「漬け物」といった添え物ということになる。 細々と何種類もおかずが詰めてあるのは、人によって好き嫌いがあるからだ。言い換えれば、好き嫌いにかかわらず、幕の内弁当は、そのすべてを購入しなければならない。 「私はニンジンが嫌いだから、それを外して卵焼きを増やして」というわけにはいかない。ここがウナギ弁当やアナゴ飯、イカ飯といった単品弁当と違うところで、幕の内弁当が総合週刊誌なら、これらは専門雑誌ということになる。 さらに、インターネットで閲覧する記事はビュッフェである。嫌いなものはスルーして、欲しい食べ物を欲しいだけ皿に取る。「ニンジンが嫌いだから、それを外して卵焼きを増やす」ということが、いくらでもできる。ITの進展、価値観の多様化、そしてそれを認める社会は、生活のすべてにおいて「ビュッフェ時代」になったと言っていいだろう。 こう考えると、幕の内弁当の総合週刊誌は、おかずに何を詰めるかは頭の痛い問題になってきた。ビュッフェ時代にあっては、いくらおかずの品数を増やそうと、従来の「押しつけ」では多くの読者を引きつけるのは難しく、部数はじり貧である。売れ筋だったスキャンダル砲をブッ放してみても、テレビのワイドショーが素早くそれを横取りする。リアルタイムで面白おかしく放送するため、たちまち霞(かす)んでしまう。 実際、ある総合週刊誌の編集長は、「ニュースもスキャンダルも、テレビとインターネットには太刀打ちできない。読ませるものに活路を見いだすしかない」と言い切る。 週刊現代が「健康テーマ」を打ち出したとき、「老人雑誌化」したと業界で陰口を叩かれたが、超高齢時代を背景に大当たり。弁当にたとえれば、「海老フライ」や「鶏の唐揚げ」といった脂っこい総菜を引っ込め、「ヘルシー&栄養」を謳(うた)ったおかずをメーンにしたら大いに売れたということになる。 つまり、総花的な幕の内弁当に、売れ筋の単品弁当をメーンに組み込んだのが、最近の総合週刊誌ということになる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 売れてナンボとなれば、総合週刊誌も読者のニーズに応じて変わっていかなければならない。だが、読者は気まぐれだ。気まぐれを相手にするのは、決して追いつくことのない影を追うようなもので、必ず息切れする。 これから総合週刊誌はどこへ向かうのか。かつて大部数を誇った『週刊明星』、『週刊平凡』は時代の変化の中で消えていった。スキャンダル砲の健闘を期待しつつも、「健康&終活テーマ」に舵を切った総合週刊誌は、まさに自身が〝終活〟を始めたような気が私はするのだ。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

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    ある雑誌を廃刊に導いた「ベンチャー企業礼賛」の理由

    吉田典史(ジャーナリスト・記者・ライター) 今回は、ある雑誌の廃刊の裏側を私が知る範囲で見つめなおし、「使えない上司・使えない部下」について考えたい。この雑誌の廃刊の背景にあるものを探ると、人事のあり方もが透けて見える。読者諸氏は、この事例から何を感じるだろうか。 1年ほど前、ある雑誌が廃刊になった。この出版社の社員数人や退職者5人ほどから聞く限りでは、売れ行きが長年伸び悩んでいたのだという。「使える」と思われている編集長を数年ごとに変えて編集態勢を刷新するものの、大きな変化はなかったようだ。10数年前に創刊し、20~30代の比較的、意識の高い会社員を読者対象にしたものだった。 私は10年ほど前、フリーライターとして関わった。編集者から指示を受け、会社員などにインタビューをして、記事を書いた。そのころから、強い違和感を感じていた。一言でいえば、記事や雑誌全体の内容を創り込みすぎなのではないかと思った。企業社会の実態からかけ離れた内容になっていた。 その象徴が、ベンチャー企業の取り上げ方だった。ほとんどの記事が、「ベンチャー企業は風通しがよく、働きがいがある」「実力主義で、結果を出せば正当に評価される、すばらしい会社」といった内容になっていた。大企業を「終身雇用で、年功序列の古い会社」「20~30代の意識の高い人は結果を出しても、報われない」と暗に揶揄しているように見えた。この大企業の認識は、実態とは相当に異なるものに私には思えた。 しかも、毎回、同じようなベンチャー企業を取材し、記事にしていた。いわゆる、メガベンチャーといわれる10社ほどのほか、知名度の高い30社ほどを加えた40社ほどである。たった40社ほどで、「ベンチャー企業とは…」と語ってしまうのだ。 全国には、無数のベンチャー企業がある。なぜ、40社しか取材しないのか。いわゆる、「バーター(取引)」か、「何らかの癒着」か、それとも、忙しく、時間がないがゆえに、付き合いがあり、取材がしやすい40社だけを取材していたのか…。 ベンチャー企業のほとんどは、中小企業政策における基本的な政策対象の範囲を定めた「原則」に基づくと、「中小企業」の範疇に入る。その「原則」ではたとえば、サービス業では「資本金の額又は出資の総額が5000万円以下の会社又は常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人」を「中小企業」としている。 通常、中小企業は、解雇や賃金不払い、パワハラなどの多発エリアである。厚生労働省や各都道府県の労政事務所などが発表する労使紛争のデータを見ると、それは明らかだ。大企業よりは、労使間のトラブルははるかに多い。 東京都では、都内6カ所の労働相談情報センターにおいて、中小企業の労使双方からの労働相談に応じ、紛争当事者間での自主的解決を援助するあっせんを行っている。2017年は労働相談件数が、5万1294件(前年度比3.3%減)で、5万件を超える状況が続く。このような職場で多くの社員が苦しんでいることを心得ているならば、雑誌としてもっと節度ある姿勢が必要だったのではないだろうか。 私が、廃刊になった雑誌の編集者たちと話し合った限りでは、ベンチャー企業の内情や実態に極めて疎く、不勉強だった。特に労働条件をはじめとした就労環境には何の関心も払わない。私よりもはるかに年齢が若いはずなのだが、おそろしく鈍感だった。 それどころか、ベンチャー企業の経営者や役員、人事部の管理職などが取材時に話すことを無批判に受け入れていた。中には、「〇〇さんは人間的にもできている」と、たった1回の取材でメガベンチャー企業の創業社長を熱狂的に称えていた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「取材者としての経験が浅い」と言えばそれまでだが、私はその熱狂から「宗教的なもの」を感じた。こちらが少しでも、メガベンチャー企業の創業社長を否定的にとらえて話すと、「〇〇さんはそんな人じゃない!」と興奮して言い返す編集者もいた。彼女の目に涙がたまっていたことを覚えている。 ほとんどの雑誌には、一定の読者層がいる。この雑誌ならば「20~30代の比較的、意識の高い会社員」なのだろう。そのような会社員たちが求める情報を記事として提供していくことは当然だとは思う。しかし、価値観などがあまりにも多様化し、混沌とした時代に、特定の企業を繰り返し取り上げ、礼さんするような報道は慎むべきだったのではないだろうか。少なくとも、その印象を与えていたことは否定しがたい。しかれたかん口令 なぜ、この雑誌の編集者たちはたった40社ほどのベンチャー企業を熱狂的に報じ続けたのだろうか。そこには様々な要因が折り重なっていたのだろうが、大きな理由の1つに、この出版社の社内の事情があったのではないかと私は見ている。 一言でいえば、ずさんな人事評価や配置転換、昇進・昇格などに愛想がつき、「隣の芝生は青い」のような思いで、ベンチャー企業をうらやましく見ていたのだと思う。その意識が、記事や雑誌の随所に出ていたのではないだろうか。つまり、ある意味で「悲鳴」であり、「溜息」であり、「あきらめ」の念が雑誌には凝縮していたように私には見えるのだ。 この雑誌を発売する出版社は、比較相対的に高学歴な社員が多いこともあり、20代の頃の意識はある程度は高い。しかし、30代になるとやる気を失い、失速する人が増えてくると退職した元社員5人ほどは語る。社内の人事の仕組み(人事評価や育成、配置転換など)は相当にお粗末で、ほかの業界でいえば、社員数が30人以下の零細企業と大差ないのだという。「まじめに仕事をするほどにむなしくなる」と5人は話していた。 たとえば、廃刊となったこの雑誌編集部では数年前、ある編集者が副編集長(課長級)の経験がないのに、編集長(部長級)になったという。通常、こんな昇格はありえないはずだ。ところが、「抜擢人事」として断交されたそうだ。「使える編集長」を起用し続けたが、その多くが「使えない編集長」とレッテルをはられ、職を離れていたという。 販売不振の起死回生策として、副編集長の経験がない編集者を編集長にしたのだが、案の定、破たんしたらしい。その編集長は経験不足のために、部下である副編集長をはじめ、7人前後の編集者を自らが意図したように動かすことができないようだった。結局、編集長という権力で動かすようになる。ときに強く当たり、ときには大きな声でしかりつける。このことに不満をもった編集者数人が企業内労組に「編集長からのパワハラに遭っている」と訴えたそうだ。 企業内労組の役員が、編集長の上にいる役員などに「組合員(訴えた編集者のこと)から苦情が来た」と伝えた。すると、役員は編集長にそのことを話し、労組に訴えた編集者数人と編集長などを含め、関係者10人ほどで解決に向けての話し合いをした。「パワハラ」は「双方のコミュニケーション不足」で生じたものであり、「編集長にその意識はない」という結論になったのだという。その後の人事異動で関係者たちの一部は、他部署へ異動となったようだ。 この一連の騒動は、関係者の間ではかん口令がしかれ、タブーになったままだという。退職者5人のうちの数人は、「役員は、社外の労組(ユニオン)などに話を持ち出されないようにするための懐柔策として話し合いの場を設け、そこで不満分子の編集者にガス(不満)抜きをさせた。その後、人事異動で態勢をシャッフルし、すべてをシークレットにした」と話す。 私の取材経験をもとにいえば、「パワハラ」はする側、される側それぞれの認識に大きな差があり、どちらの言い分が正しいのか、正確に判断することは難しい。仮に、この一連の騒動がすべて事実であるとすると、20~30代で意識の高い編集者はやり切れぬ思いになるのではないだろうか。 このほかにも、この出版社の人事のあり方には、話を聞く限りでは首を傾げたくなることが多々あった。おそらく、廃刊となった雑誌の編集者たちがベンチャー企業にあそこまで感化され、称え続けたのは、自らが勤務する会社の旧態依然とした人事のあり方に嫌気がさしていたからではないか、と私は思うのだ。 通常、会社員の多くは、人事評価や育成、配置転換、昇進・昇格に異議を申し立てることはなかなかできない。この雑誌の編集者たちも同じく、言えなかったのだろう。そのようなときに、ベンチャー企業をわずかながら取材し、そこが自分たちのうっ積した不満がまったくないような職場に見えたのではないか、と思う。 実は、人事制度や賃金制度は未熟で、人事評価や育成、配置転換などに深刻な問題を抱え込んでいるのだが、そのことに気がつかなかったのだろう。そのような思いでベンチャー企業を取材し、記事にしていたのならば、売れなくなるのは無理もない。 今回のことは、あくまで私が元退職者たちから聞いたものである。現役の社員に連絡をしても、ここまでは答えなかった。私が強調したいのは、何かの商品や製品、サービスが売れなくなるとき、そこには社内の人事にきしみが生じていることが多いことだ。それらを販売しないようにしたところで、問題は残り続けるのではないだろうか。よしだ・のりふみ ジャーナリスト・記者・ライター。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、『震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

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    「中国産」「添加物」消費者が週刊誌に踊らされなくなっている?

    松永和紀(科学ジャーナリスト) 最近、週刊誌がまたもや、「食が危ない」という記事を量産しています。食の安全取材歴20年近い私としては、周期的にやってくるこの“ブーム”にはもううんざり。今回は、中国産批判を繰り広げる「週刊文春」と、国産が危ないとする「週刊新潮」の対決の様相を示しているのが興味深いところです。 ところが、消費者側の反応がどうもこれまでと異なります。従来だと、食品メーカーのお客様相談室に抗議の電話が鳴り響き、生協にも問い合わせが相次いでいました。今回、企業や生協、業界団体等に尋ねて回ったのですが、抗議はもとより、問い合わせもほとんどなく、あったとしても、週刊誌の書いていることと実態との違いをきちんと説明すると、わかってもらえる、といいます。もちろん、売れ行きにも影響がありません。 なぜ、これまでと異なるのか? どうも複合的な理由があるようです。取材を通じて考えてみました。「中国産たたき」「食品添加物たたき」はこれまでも定期的に行なわれてきたが、今回は消費者の反応がどうも異なるようだ まずは、週刊誌がどのような報道をしているか、少し見てみましょう。 週刊文春は、4月12日号から4回にわたり、「危ない中国食品2018」と報道し、「産地隠しが巧妙化している」とも訴えています。 中国産批判は同誌恒例。手法も従来通り。中国産で違反が相次いでいる、と厚労省の輸入検疫の結果をリスト化。危ない食品がこんなに入っている、と見せて、読者はその数と種類の多様さに圧倒されて嘆息する、という仕掛けです。 残念ながら、これはトリックです。たしかに、中国産の違反数は多い。しかし、中国産は、輸入件数が他国に比べて際立って多く、全体の32%に上ります。2位のアメリカ10%、3位フランス9%を大きく引き離し、年間に約70万件もの輸入届出があるのです(2016年度厚生労働省統計)。 したがって、違反数は多いのですが、違反割合はそうでもありません。中国の違反率は0.024%、各国平均は0.033%で、中国はむしろ低いのです。 中国産食品、私たちは食べていないつもりでもさんざんお世話になっています。居酒屋で出てくるほうれんそうのお浸しや里芋の煮物の多くは中国産冷凍野菜。回転寿司のネタは、一貫ごとにスライスされ包装されて輸入されます。高齢者施設で欠かせない「骨のない魚」は、中国の工場でピンセットを用い細かい骨を抜いたうえで入ってきます。 人は雑菌だらけ、髪の毛なども落ちるので、人が手をかけるほど違反リスクは高まります。細かな手作業を要する品目が多いのに低い違反率、というのは、実はなかなかたいしたものです。(厚生労働省輸入食品監視統計より作成) 十数年前、中国からの輸入が急増し始めた時期、たしかに中国産は問題山積で、冷凍ほうれんそうの農薬高濃度残留が発覚し、餃子に農薬が混入される事件もありました。これらを教訓に、現在では中国政府の国家質量監督検験検疫総局が監視を行い、日本への輸出は許可制に。日本の商社なども多くが社員を常駐させ、指導や監視をしています。中国産の品質は飛躍的に向上しました。中国の日本向け冷凍野菜工場。衛生管理は日本の工場よりも上だった。日本の商社が厳しく指導し、原材料として使用する食品メーカーがたびたび監査・点検に訪れる 国際社会で体面を重んじる中国政府が目を光らせ、日本の商社や中国産を原料とする食品メーカーも問題が起きたら、世間から「まだ中国産を使っているのか!」と他国産の違反より著しく厳しく非難されるので、そうならないように必死です。中国で作られるピンからキリまでの食品のうちのピン的存在が、日本に輸出されています。日本の食品関係者は、他国産よりむしろ、中国産を信頼できるのではないか、と言います。私も中国で日本向けの食品を作る工場をいくつも見ていますが、印象はおなじです。 それが日本向けの中国産のすべて、とは言えません。どの世界にも例外があり不届き者もいる以上、質や衛生管理の悪い食品はあるでしょう。週刊文春は、日本向けの食品がいかにずさんな衛生管理をしているかもリポートしています。しかし、日本向けの食品全部がその調子ではありません。添加物違反は「非科学的」 ずさんな中国産が輸入される陰には必ず、一時的に儲かればいい、という日本の輸入業者や、品質が悪くても安ければいいと原料を求める日本の悪質な業者がいます。中国だけに責任を負わす記事の印象操作は、アンフェアです。 では、週刊新潮が書くように「国産食品」は危ないのか? 国産=安全ではないのは事実です。同誌は書いていませんが、日本の中小事業者の中には衛生管理のレベルの低い企業が少なくありません。そもそも、衛生管理の国際標準であるHACCPは欧米では義務化が進んでいて、中国でも輸出を手がける工場は当然のごとく導入されています。国内でも、大手企業は取り組んでいますが、欧米のように中小企業やまちの飲食店まで、とはなっていません。今国会でやっと、HACCPを原則として義務付ける改正食品衛生法が成立した段階です。 しかし、週刊新潮が書く食品添加物やトランス脂肪酸のリスク指摘は、相当に的外れです。食品添加物について、記事は次のように書きます。野本氏が警告を発するのは、この物質と保存料のソルビン酸の組み合わせである。「亜硝酸Naとソルビン酸の組み合わせには、相乗毒性があることが分かっています」(中略)実際、内閣府の「食品安全委員会」の添加物評価書にはこんな記述が。<ソルビン酸が広範に使用される一方、亜硝酸塩も食肉製品の発色剤として多用され、両者がしばしば共存するという事実と、両者の加熱試験反応によりDNA損傷物質が産生されることが報告されている><マウスへのソルビン酸単独(15 mg/kg 体重/日)の30日間経口投与による染色体異常試験において、最終投与後24時間後に染色体異常は有意に増加しないが、亜硝酸ナトリウム単独(2 mg/kg 体重/日)で有意に増加し、ソルビン酸と亜硝酸ナトリウム同時(7.5+1 mg/kg 体重/日)ではさらに増加している> つまりは、ジャーナリストが相乗毒性を指摘し、公的機関も危険を指摘しているのに……という文脈です。 しかし、これは食品安全委員会の評価書のごく一部の抜き出しです。評価書はこの後に、DNA損傷物質が産生するのは、通常の食品の条件と異なる場合であることや複数の試験結果で矛盾があることなどから、結論として通常条件下での使用では、ヒトの健康に対する悪影響はないという趣旨を明記しています。食品安全委員会の添加物評価書「ソルビン酸カルシウム」P19 後半、特殊な実験条件下では起きても、食品中での共存で実際に形成されることは意味しない、と説明があるが、記事は後半は引用しなかった。 自分たちにとって都合の良い文脈だけを抜き出してストーリーを組み立てる。科学では絶対にやってはいけないことであり、ジャーナリズムとしても許されません。週刊新潮のこのシリーズ記事を受けて、食品安全委員会はFacebookで3回にわたって、「評価書全体を読むように」と指摘しています。 実は、このシリーズが始まる前に私のところにも週刊新潮編集部から電話がかかってきて取材されました。最初は、食品添加物の規制がリスクアナリシスに基づいて行われていることなどを平易に説明しようとしたのですが、あまりにも知識不足で初歩的なことばかり聞かれるので閉口しました。 もしかすると、彼らは食品安全委員会の評価書の意味をよく理解できぬまま引用しているのではないか、とすら思います。うま味調味料による味覚障害の可能性やトランス脂肪酸のリスクについても記事化されていますが、一事が万事、この調子で、記事は科学的ではありません。彼らにとって都合の良い部分のみを抜き出して、「危ない食品リスト」を並べる手法。ただひたすらに、国内の加工食品を誹謗中傷しているようにしか、私には思えません。 こんな酷い内容の記事、企業として抗議するべきではありませんか? 最初はそう考えました。週刊文春、新潮を見て、追随する週刊誌も出てきています。また、食べてはいけないブームが来た? いやになります。 でも、企業の人たちに話を聞いて考えが変わりました。「だって、お客様相談室に電話がかかってこないんですよ。消費者が、記事に踊らされなくなっているんです」とどの社も異口同音に言います。 たとえば、週刊新潮に「味覚破壊トリオ商品」として名指しされたメーカーには、記事後の消費者からの問い合わせはわずか2件。もっと派手に、社名と商品名を繰り返し掲載され、2週にわたって批判された食品メーカーであっても、お客様相談室への電話は50件超。事業規模、記事での取り上げられ方の執拗さを考えると、非常に少ないと言って良い。しかも、記事を真に受けた「もう食べない」とか「食べて大丈夫か」という批判・質問ばかりではなく、「記事に抗議すべきだ」「放送で反論したらどうか」というような意見もあったそうです。 以前なら、記事が出ると企業には抗議が殺到。電話で1時間でも2時間でも粘って罵詈雑言浴びせかけ、お客様相談室の担当者のメンタルがやられてしまった、なんて話がごろごろありました。今回はまったく違います。同じような情報に飽きた? 九州や関西、北陸、首都圏の生協にも問い合わせてみました。どこも「組合員からの問い合わせがほぼない。これまでの食が危ない記事が出た時と、様相が異なる」と口を揃えます。 最初は、紙媒体、しかも読者がシルバー層なので、インターネット社会の今、情報が拡散しないのか、と考えました。が、少し遅れて、ではありますが、ほぼ同じ内容がネットでも公開されています。しかし、消費者の心に、食品への猜疑心という火はつかないようなのです。 TwitterなどSNSを調べてみても、ごく一部の人しか記事の内容を取り上げていないのは明らかです。 企業が雑誌編集部に抗議をすると、揚げ足を取られて次の記事で面白おかしく取り上げられることがままあります。消費者が反応していない以上、記事は黙殺する、というのが企業の合理的な判断です。 ではなぜ、消費者が騒がなくなったのか? さまざまな関係者に尋ねて回りましたが、どうも決め手はありません。理由は複数ありそうです。(1)同じような情報に飽きている 食品関係者は期待を込めて「さすがに、消費者は危ない情報に飽きたのではないか」と言います。たしかに、1999年に発行された書籍「買ってはいけない」が大ベストセラーになって以降、冒頭で書いたように周期的に中国産や食品添加物等で「危ない」という情報が振りまかれます。新味はありません。(2)陰謀論にも飽き飽き 記事が槍玉にあげる中国、日本の政府機関、大手食品メーカー……。悪いことをやっているに決まっている、という陰謀論のロジックで、記事は展開します。批判を展開するのは、これまでその論法で“食ってきた”評論家、ジャーナリストが目立ちます。 でも、日本の食がそれほど悪い、という実感が消費者にあるでしょうか? 中国など諸外国からの輸入品と国産がミックスされ、日本の食品メーカーの大変な努力もあって、それなりにおいしいし、問題もそれほど多くは起きていないよね、というのが本音ではないでしょうか。 ちょうど、朝日新聞の「論壇時評」で5月31日、歴史社会学者の小熊英二氏が日本に来る観光客の急増について、次のように書いていました。 欧米の大都市だと、サンドイッチとコーヒーで約千円は珍しくない。香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。ホテルなども同様だ。これなら外国人観光客に人気が出るだろう。1990年代の日本は観光客にとって物価の高い国だったが、今では「安くておいしい国」なのだ。日本向け小松菜を栽培する契約農場。大学を出た指導員が、害虫の発生状況などを調べている。害虫被害が多ければ農薬散布など指示し、日本の農薬取締法に合致した農薬が使用される これが、多くの人の実感では? 小熊氏は、その陰で搾取されている外国人労働者に注目しています。私は、安全でおいしく、と努力する大勢の国内食品メーカー社員や、中国の工場で見た、丹念に野菜からごみや虫等を取り日本向けに加工する女性たちの顔を思い浮かべます。 ふんぞりかえって中国や国内食品メーカーを誹謗する記事の欺瞞に、実は多くの人は気づいているのではないでしょうか。(3)不安を煽るテクニックがばれた こちらも、関係者を期待を込めて言うところ。結局のところ、こうした記事は、多くの情報から都合の良い部分のみをつまみ食いし、つなぎ合わせてもっともらしいストーリーに仕立てています。食の安全に関して少しでも知識があれば、「変だなあ」と思って不思議ではありません。 週刊新潮はうま味調味料などにより味覚障害が起きている、と書きますが、論文や公的報告書などの科学的根拠は示さず、ジャーナリストのコメントを載せるだけ。これでは、さすがに読者も納得できないでしょう。それくらいの科学リテラシーは多くの人に備わってきたのではないか、というわけです。現実的な理由も(4)間違った情報を是正する情報が数多くある 「買ってはいけない」が出版された当時、一般の人たちはこうした情報に“免疫”がありませんでした。「危ない」という情報になら人は、わざわざお金を出して購入します。「その情報を覚えておけば安全になれる。人に伝えたら喜ばれる」と信じるからです。一方、「危なくない」という情報は安心にはつながりますが、とくに覚えておかなくてもいいことなので、書籍や雑誌になってもあまり売れません。 しかし、インターネットでは現在、行政や企業が「実は危なくない」「こうやって総合的に安全を守っている」と解説する無料コンテンツが、大量にあります。それらの多くは、科学的根拠が示されています。食品安全委員会の評価書もすべて、公開されています。 おかしな記事が出た後には、安全委員会は評価書自体を示して反論しましたし、間違いを指摘する個人ブログも出てきています。 つまり、侵入してくる病原体=間違った情報に対して、ワクチンやら抗生物質やらがまあまああり、効果を発揮しているのかもしれません。(5)ほかにニュースがいっぱい 以上は、関係者の希望的観測でもあります。一方、「現実には……」として考察されているのは「ほかに関心を集めている話題があるから、盛り上がらないのでは」という指摘です。 つまり、北朝鮮、日本大学アメリカンフットボール部、紀州のドン・ファン、サッカー・ワールドカップ……。テレビやラジオ等もこれらの取材に力を入れ、多くの時間を割いて報道します。以前なら、週刊誌記事を受けてテレビやラジオ等でも食の話題が取り上げられ、メディアミックスで「食べてはいけない」情報が広がったけれど、今はたまたまそういう状況にない、という説です。(6)問い合わせや抗議をするほどの余裕が、消費者にはもうない 汲々とした生活の中で、食費も切り詰めている人が増えているのが現実です。市販の食品は概ね安全、品質もまあまあ、と信じないと暮らしていけない、という人が多いのかもしれません。 大丈夫です。農薬や食品添加物等についてはほぼ、問題がありません。たとえばトランス脂肪酸が気になるとしても、バランスのよい食事をし、菓子や菓子パンを毎日食べる、というような偏食はしない、という「常識」で十分です。 特定の食品の良し悪しにはこだわらず、野菜やくだものたっぷりのバランスの良い食事をすることで、がんや心臓疾患等のリスクが大きく下がる、という科学的根拠があります。 おそらく、消費者が踊らされない要因は、これらがいくつも組み合わされた複合的なものでしょう。 いずれにせよ、惑わされないリテラシーが大事です。この点で、消費者は少しずつ成長しているのではないか、と思いたい。 今回の騒動を受けて食品企業等をかなり取材しました。私から見れば名誉毀損ものの酷いことを書かれたメーカーが「自分たちもまだ努力が足りないことを思い知った。これからさらに努力したい」と言い、「記事に書かれているような中国の問題が、我が社の取引工場で起きていないか再点検して、ないことを確認した」という商社もありました。 日本企業の多くも、そして、中国の生産者や加工業者の多くも、頑張っています。まつなが・わき 科学ジャーナリスト。1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。「第三者委員会報告書格付け委員会」にも加わり、企業の第三者報告書にも目を光らせている。

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    「子供部屋おじさん」61万人はニッポンの恥ずべき現象なのか

    齢層が多数派というわけではない。 この調査結果を受けて、根本匠厚生労働相が「大人のひきこもりは新しい社会問題だ」と述べたと報じられている。しかし、支援体制や方法が不十分であるがゆえに「取り残されてきた問題」という側面もあるのではないだろうか。詳細な分析が待たれるところだが、報告書の集計値からもその点は伺われる。私が注目するべきと考えるのはこの点だ。参院本会議で答弁する根本匠厚生労働相=2019年1月(春名中撮影) 例えば、「初めて現在の状態になったのは何歳頃か」という質問に対して、40~44歳の層では、30代までにと答えている人の合計は実に83%(20代までは67%)、45~49歳では50%(20代までは33%)である。 30代ということは、10~15年前の期間である。つまり、ひきこもりに関わる支援政策が開始されて以降の時期と重なるのだ。このことの意味は重い。政策的取り組みが開始されたのは2000年からであり、旧ガイドラインは03年に発表され、地域精神保健の中にひきこもり支援を位置づけることが明記された。ひきこもりの「死角」 そして2006年には就労支援機関として地域若者サポートステーション(以下、サポステ)が設置されはじめ、現在では全国170カ所以上ある。09年には厚労省がひきこもり対策推進事業としてひきこもり地域支援センターを都道府県、政令指定都市に設置を開始し、翌年には新ガイドラインも発表された。 つまり、ひきこもりになった40代がまだまだ「若者」として支援対象となりうる年齢にありながら、支援とつながらなかったか、あるいはつながっても相応の効果が得られないまま今日に至るということになる。 実際、相談経験についても質問されており、47人の中で「相談する意思はもっている」と答えた36人について見ても、その半数以上は「関係機関に相談したことはない」と答えている。40代前半の11人については相談経験有りが7人と60%を超えるのだが、その中で利用されたのは病院・診療所が主であり、その他の支援機関を利用したのは1人のみである。 もとより「ひきこもり」該当者50人足らずの中で、さらに年齢層で分ければごくごく少ないケースとなり、それに依拠して全体の傾向を推測するには無理もある。その限界は踏まえなければならない。 とはいえ、大方は30代までに現在の状態が始まったという40代前半の層で、サポステも含め、ひきこもり支援を掲げて設置されてきた機関や相談窓口が、あまり機能してこなかった可能性を示唆する結果であろう(ただし、利用という点では親など同居者の相談経験にも注目すべきではある)。 私はある支援機関で2001年からいわば定点観測をしてきたことになるが、当初は10年以上ひきこもってようやく支援機関につながったという人はまったく珍しくなかった。しかし、近年では、ひきこもりが始まった後、親が支援機関にアプローチするまでの時間は短くなり、本人が20代までである場合などは、ひきこもっていた期間もせいぜい数年というパターンが多くなっているようだ。そして本人が出てくるのも、その後の展開(さまざまな活動への取り組み)も早くなっている。橋本市「若者サポートステーションきのかわ」開設に向けた打ち合わせをするサポステきのかわのスタッフ=2013年9月、橋本市(成瀬欣央撮影) 特に親自身が30~40代ぐらいであれば、ネットなども使った情報収集能力が高くなっていることも伺え、個人的には、ひきこもり支援についての情報がそれなりに浸透してきたことの効果は生じているとも感じてきた。しかし、それは甘すぎる認識であったと反省せざるを得ない。サポステの設計ミス 調査の40~50歳代について見ると、ひきこもり継続期間が5年以上という人が6割程度にもなる。ひきこもりには、長期化することで、往々にして家族全体が疲弊し、援助を求める力がさらに低下する側面がある。親や兄弟が高齢化すればなおさらだ。支援現場では確かに懸命な取り組みが行われてきたのではあるが、政策的には多くの人を取り残してきてしまったというよりない。この点ついては、どのあたりに問題があるのだろうか。 まず、支援資源について地域格差が非常に大きいことが指摘できよう。ひきこもり地域支援センターは都道府県と政令指定都市のレベルに設置されるものであり、誰でも通える範囲にあるわけではない。 また、相談やカウンセリングだけでなく、家族や本人が継続的に通うことができ、社会的交流を取り戻していく場が、ひきこもり支援には不可欠である。 だが、そうした実質的な受け皿が存在する地域は決して多くない。不登校支援以来の集積がある大都市部や、地方都市ではあるが一定の経験と規模を備え、さまざまな支援メニューをそろえた民間支援団体が存在するようなところは、比較的資源に恵まれた地域といえる。あとは、地域の保健所や社会福祉協議会が極めて積極的になんらかの取り組みを行っている場合でもない限り、支援につながることは物理的にも難しい。 また、支援方法や予算配分のあり方にも見直しが必要であろう。サポステは全国170カ所以上と相対的に多い機関である。2006年から10年ほどは、ひきこもり支援も期待され、彼ら彼女らも含めた就労困難層を受け止めるために、受託団体によっては持ち出しで「居場所」を用意することなども行ってきた。広島市で開かれた「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の全国大会=2018年11月(共同) しかし、特に2015年度以降、短期的に一般就労に結びつきそうな層に対象が限定され、現在ではひきこもりは対象外とされている。当然のことではあるが、あくまでも就労支援が中心課題となる機関である以上、少なくともひきこもり状態にある本人や家族を支援する機能には大きな限界があった。サポステについては、「積み過ぎた箱舟」と表現されたこともあったが、そもそも設計上、「積み残された」層もまた大きかったことが、この度明らかになったということであろう。ひきこもり政策は失敗だった こうした現状について、大阪の支援実践者としても経験の長い田中俊英氏が、「サポステは失敗だった」と題する記事をweb上に発表している(3月30日 ヤフー個人)。サポステが一定の役割を果たしてきたことは認めつつも、まだ就労には踏み出せないと感じた若者たちは、サポステに数回通った後に離脱し、潜在化してしまう。ならば、「日常生活支援」を経験すべき段階にある多くの人々をすくい上げるために、サポステを縮小し、その分の予算を「居場所」の設置や運営に投入すべきであると、明瞭に論じている。卓見である。 ひきこもりとは、本人に出会うことそのものが困難であり、また、その背景が非常に多様で、より時間をかけて当人や家族の困難を把握していく必要性の高い問題である。すぐには変わらない状態においても、家族や本人をつなぎ止め、もろもろの回復や生きる場の探索に、伴走的に支援していくことが求められる。いずれ就労に結びつく場合でも、その前にそれとはまた異なる方法と経験を備えた支援の場や過程が必要だ。単に現行支援機関の利用年齢制限を取り外せば済むというものではない。 以上のように支援政策について、早急に問い直すべきことが、この調査結果から読み取るべき課題であると思われる。しかし、政策のあり方だけが、こうした長期化した中高年のひきこもりを生み出してきたわけではなかろう。冒頭でも触れたが、今回の報道後、中高年のひきこもり者を「子供部屋おじさん」と呼ぶ書き込みがネット上で散見された。 「子供部屋おじさん」という表現は、中立的に解釈すれば、実家から離れることなく自室を使い続けながら暮らしている中年男性ということになろう。そうした「離家」がなされないことについては、一人暮らしがしたくてもできない経済的理由も大きいことが、社会調査の結果として既に明らかにされている。そしてこうした状況にある中年男性が、すべからく「ひきこもり」的生活をしているわけではないことはいうまでもない。 しかし、問題は「子供部屋おじさん」という表現が、決して中立的なものではなく、蔑称であることだ。「いい年をして子供のように実家に寄生する中年男」といった侮蔑(ぶべつ)的な意味が込められていることは、その使われ方をみれば明らかであろう。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ある雑誌記事では、働かず、人を避け、アニメに浸りながら、高齢の親には暴君として振る舞い年金を巻き上げる、そんな事例が「子供部屋おじさん」として紹介されていた。長期のひきこもり者が時にこうした暴君となってしまうケースもあることは、関係専門家や支援者は知るところであり、私もこうした人などいないといった反論をするつもりはない(ただ、もちろんこうした人が多いという根拠もないことは確認しておきたい)。「ひきこもりが許せない」 とはいえ、一定年齢を過ぎても実家で暮らしているという一事をもって、あるいはたとえそうした暴君であれ、なぜそのようになったのか、なぜそのようにしか生きられなかったのか、問うことも想像することもないまま、侮蔑の言葉やまなざしを投げかけるとすれば、それは問題であろう。 調査結果で、就職氷河期世代にあたる40代前半の層では、20代前半にひきこもり始めた人が33%と突出して多い。40代後半では17%、バブル世代といわれる50代前半では0%である。もちろん他の要因も検討されるべきであろうが、社会的な状況や個々人のさまざまな事情が折り重なって、ひきこもりという状態が生み出されることは繰り返し確認すべきところである。 そして、そうした背景や事情をなんら考慮しない「子供部屋おじさん」といった言葉が、当人とその家族をさらに孤立させることは容易に想像できよう。一方的に「恥ずべき存在」として侮られ批判されることが十分に予測できてしまう。そして実際にそうした経験もしやすい社会の中で、自分や自分たちの苦境を明らかにしながら支援を求めることは非常に困難だ。支援に結びつくこともなく、事態が悪化していくことをもたらしたのは、世の中のこうした悪意ある言葉やまなざしも影響してのことではないだろうか。 そうした言葉やまなざしを投げつける人々は、もとより当事者を孤立させることこそ望んでいるようにすら見えてしまう。ひきこもり中年やその家族が支援されることなく、苦境に陥っていくことこそ望んでいるのかもしれない。その暗い期待にもそれなりの背景があるようにも思われる。 私が講義でひきこもり支援の話をした際、「いじめや周囲からの暴言にも耐えてここまできた自分と、逃げて自室にひきこもった人間が、同じようにこの世で生きていけるなど許せない」というコメントを寄せた学生がいた。出口無しの感も否めない。 しかし、この学生が激しい痛みを経験したときに、適当な避難場所があったのであれば、違っていたのではないか。この学生を受け止め、ともにその状況に向き合ってくれる存在がいたのであれば、他者への想像力や公的支援についての見方もまた異なるものになりえたのではないだろうか。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ひきこもり問題に限らず、自分や家族だけではどうにも対応できない状況について、より抵抗なく相談でき必要な支援も受けられる社会を求めるか、一度歯車が狂ったら最後、一人でもがき続けるしかない社会を是とするか。後者のイメージも強い日本社会から、前者の社会への転換は、コンセンサスを形成すること自体、困難ではあろう。当面は、各種問題への局所的取り組みや部分的制度変更を通じて、人々の人生や社会についての体験のされ方が変わっていくことに希望をつなぎたい。■老老介護は「セカンドハネムーン」という考え方■「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!■NHK「老人漂流社会」プロデューサーが見た親子共倒れの現実

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    新元号発表に「権力者は安易に元号にかかわるべきではない」

     日本の元号の歴史は、約1300年前にさかのぼる。『日本書紀』によれば、最初の元号は645年の「大化」。飛鳥時代の孝徳天皇の即位に際して設けられ、遠く平成の御代になっても、その名は小学校の歴史の授業で学ぶ「大化の改新」と共に、多くの人に記憶されている。「大化」から「平成」まで、247の元号があった。元号は原則として「一世一元」。つまり、天皇1人の治世につき1つの元号というのがルールだ。しかし、約200年ぶりの譲位に伴う今回の改元の舞台裏では、その名を冠することになる「新天皇」が“ないがしろ”にされかねない事態が起きている──。 新元号が発表される4月1日、東京都心・皇居を囲む桜はちょうど満開を迎え、お濠には桜吹雪が舞うだろう。入学式や入社式など、今年の年度初めの行事は「平成最後の」と形容され、長く人々の記憶に残るに違いない。 新時代の名前は何になるのか──発表よりも一秒でも早く報じようと報道各社は熾烈な取材合戦を繰り広げている。「昭和改元の際には東京日日新聞(現在の毎日新聞)が新元号を『光文』とスクープしましたが、結果的に誤報になった。今回も新聞やテレビの政治部が中心となって『元号取材班』を組んでいます。 特に注力するのが、安倍晋三首相(64才)周辺や官邸関係者への取材です。そもそも“時代に名前をつける”という行為は、時の為政者が自身の権力を誇示するためのもの。強権的な政治姿勢をとる安倍首相も、新元号に強いこだわりを持っているとされます」(全国紙政治部記者) たとえば、その「出典」だ。これまでの元号はすべて中国の古典(漢籍)から選ばれてきたが、安倍首相は周辺に「出典は日本で書かれた書物(国書)がいい」と話しているという。国書とは、『古事記』や『日本書紀』などを指す。実際に菅義偉官房長官(70才)は3月25日、国文学や日本史学などの専門家に考案を委嘱したことを明らかにした。「安倍首相は“なぜ日本の元号制定に中国の手を借りなければならないのか”という感覚だそうです。一部では、安倍首相の『安』の字を採用するという話も浮上しています」(政治ジャーナリスト)私利私欲の道具にしてはならない 3月26日、新元号の発表は菅官房長官が行う方針だと報じられた。だが、この報道以前には、発表者は長らく「検討中」とされ、さまざまな憶測を呼んでいた。自民党役員会に臨む安倍首相(右)と二階幹事長=2019年3月15日午後、国会(共同)「安倍総理はこの8月まで政権を維持すれば、第1次政権を含めた通算で戦後最長の在職期間になります。ただ、“首相として歴史に残る大事業を行ったか”と問われれば、いまいちパッとしない。そこで、新元号を自ら発表することで末永く記憶に残る政治家になりたいという意欲があったと囁かれていました」(官邸関係者) たしかに「平成」の額縁を高々と掲げた小渕恵三官房長官(当時)の会見は、時代を象徴する1ページとして、繰り返し目にしてきた。「元号について見識の深い人たち、特に皇室関係者の間では、“権力者が自らの権威づけのために、安易に元号にかかわることは避けるべき”と考えられています。 たとえば、明治天皇は15才という若さであったとはいえ、『明治』をくじ引きで決めたことは有名です。大正天皇も昭和天皇も、天皇の最高諮問機関『枢密院(すうみついん)』の判断に任せた上で、追認しました。『平成』も竹下登首相ではなく、小渕官房長官が発表した。 御代の名前の決定は、向こう何十年かの国の平安を左右するかもしれない責任重大な行為であって、過去の為政者たちでさえ慎重に距離を取った、畏れ多い行為なのです。私利私欲の道具にしていいものではありません」(宮内庁関係者)関連記事■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か■新元号の選び方に法則性 平成の次の頭文字はKか■「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■「元号」と「年号」の違いと元号の6つの条件とは?■改元控え、皇太子さまと秋篠宮さまの「不穏な関係」に心配

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    新元号で「一世一元」に矛盾 急ごしらえ退位特例法に批判も

     安倍晋三首相(64才)は2月22日、東京・元赤坂の東宮御所を訪れ、皇太子さま(59才)と約30分の面談をした。首相が国政などに関して天皇陛下に報告することは「内奏」と呼ばれ、年に数回行われるが、皇太子さまへの報告は異例のことだ。実は、そこで驚きの会話がされたという。皇室ジャーナリストはこう語る。「首相から皇太子さまへ、来年に迫った東京オリンピックや天皇陛下の譲位に関連する儀式について報告するだけでなく、新元号についての説明もあったそうです。新元号の複数の案を示し、その中には(安倍首相の)『安』の文字もあったとされます。皇太子さまは穏やかに“みなさんでよくよく検討してください”といった対応をされたそうです。 また、首相は新元号の決定や公布の手続きを報告したようです。ただ、そのプロセスは皇太子さまのお立場を軽視したものではないかと波紋を呼んでいます」 そもそも、元号を最終決定するのは誰なのか。「昭和」までの246の元号は、天皇自らが決めてきた。元号は天皇の治世を表す名前であり、崩御されたあとは「おくり名」になる。天皇の意志が優先されるのは自然なことだ。 ところが、1979年に「元号法」が制定されると、内閣が新元号を決めることに変わる。具体的には、内閣から委嘱された専門家の提案の中から3案程度が絞り込まれ、有識者会議で検討されたのち、閣議にて改元政令が決定される。衆院議院運営委員会で天皇陛下の譲位を可能にする特例法案が可決され、佐藤勉委員長(左)と握手する大島理森衆院議長(中央)=2017年6月1日、衆院(斎藤良雄撮影) ただし、元号が天皇の御代に対応するものであることに変わりはなく、閣議決定後、天皇が政令に「署名」して初めて、新元号が公表される。前回の平成改元では、即位直後の天皇陛下が『明仁』とサインされた。「本来ならば、新天皇の即位後の最初の国事行為が、新元号の政令への署名になるべきです。次の元号は、皇太子さまの御代の名前なのだから、皇太子さまが『徳仁』とサインされるのが筋です。 しかし、4月1日の時点では、皇太子さまはまだ天皇ではないため、国事行為である署名を行うことはできません。つまり、今上天皇が『明仁』とサインされることになる。安倍首相は皇太子さまとの面会でそうしたプロセスを説明されたと考えられます」(前出・皇室ジャーナリスト) つまり、伝統的に続いてきた「一世一元」の原則が一時的に崩れ、皇太子さまは自分の治世の名を“自分で決める”ことができないということになるのだ。 生前退位という異例の御代がわりではあるが、「皇室の伝統を理解していない政治家や官僚が急ごしらえで退位特例法を作ったからこういう矛盾が出てくる」(別の皇室ジャーナリスト)という声も大きい。関連記事■新元号発表に「権力者は安易に元号にかかわるべきではない」■新元号発表日、ネットニュースがスクープ合戦の舞台に■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か■「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■過去データを元に元号通が予想した新元号本命は何か?

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    朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない

    山岡鉄秀(AJCN代表) 2018年、私はケント・ギルバートさんとともに朝日新聞を追及し、その結果を『朝日新聞との対決全記録』という一冊の本にまとめた。 われわれが当初追及したのは、朝日新聞が英語版でひそかに続ける「慰安婦強制連行プロパガンダ」だった。2014年8月、朝日は吉田清治証言に基づく「虚報」を撤回して謝罪した。ところが、iRONNAでも指摘したように、英語版では「強制連行と性奴隷化」を想起させる表現を使い続けていたからだ。(Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II. 第二次世界大戦前と最中、日本兵に性行為を強要された慰安婦) 朝日新聞はわれわれの問いかけに対し、「慰安婦とされた女性の訴えは人によって、あるいは時期や場所、戦況によって大きなばらつきがあり、個々の状況全体を総合して具体的に説明するのは困難です」と回答した。「慰安婦の多様性」を認めながらも、前述の画一的な表現を改めることは拒否したのである。 その後、同様の表現を使用していた英字紙ジャパン・タイムズが編集方針を改め、そのような表現を今後は使用しないと宣言した。しかし、朝日新聞はわれわれとの交信で自己矛盾を露呈しながらも、方針変更についてはかたくなに拒否した。 そんな朝日新聞は、まるでウルトラセブンに追い詰められ、隠密行動を放棄した宇宙人が巨大化して街を破壊するような行為に打って出てきた。いよいよその暴力性を隠す気も無くしたようだ。最新の例を二つ挙げよう。 韓国が慰安婦に関する日韓合意を事実上破棄したことを受けて、朝日新聞は「慰安婦財団、残したものは」という記事を掲載した。これは日韓合意を受けて韓国側が設立した「和解・癒やし財団」の活動を振り返る記事だが、慰安婦に関する説明が添えられている。そこには次のような記述がある。 戦時中、日本軍の関与の下でつくられた慰安所で、朝鮮半島出身の女性が将兵の性の相手を強いられた。(筆者注:強いられた=forced to provide sex)「慰安婦財団、残したものは」2019.01.28 朝日新聞東京本社版朝刊 6ページ われわれの追及の過程で、朝日新聞が虚報を撤回したことを認めた記事を、利用者が特定のウェブページを訪問することを防ぐようにする「メタタグ」などを使用して検索できないようにしていたことが発覚した。朝日新聞は慰安婦問題に関してはもはや逃げ隠れせず、日本語の世界でも「強制性」を事実として流布することを決めたようである。どんなことをしてでも、日本と日本人を貶(おとし)めたい朝日新聞の執念が感じ取れる。朝日新聞東京本社ビル=2018年10月(宮崎瑞穂撮影) しかし、日本語版では無難な記事を書きながら、英語版で徹底的に日本を貶めるという、朝日新聞の作戦は終了していない。先般閣議決定された、いわゆる「アイヌ新法案」をめぐる記事の日本語版と英語版の齟齬(そご)には驚きを禁じ得なかった。日本語と英語「凄まじい違い」 ここで、2019年2月18日に朝日新聞デジタルで配信された日本語記事を紹介する。先住民族の明記評価 自治体「格差」懸念もアイヌ新法案 閣議決定 国のアイヌ政策の基本となるアイヌ新法案が15日、閣議決定された。アイヌ民族を「先住民族」と明記し、差別禁止やアイヌ文化にかかわる特例措置などを盛り込んだ。法案を評価する声が聞かれる一方、自治体により「格差」が生じると心配する声もある。政府は今国会の成立を目指す。 次に英語版を見てみよう。英語表記と和訳を併記する。こちらは一足早く2月6日に配信されている。Bill finally recognizes Ainu as indigenous people of Japan(法案はついにアイヌを日本の先住民だと認める)After more than a century of forced assimilation and discrimination that nearly blotted out their culture, the Ainu are finally to be recognized as indigenous under legislation to be submitted to the ordinary Diet session. (アイヌの文化をほぼ壊滅させた1世紀以上にも及ぶ強制的な同化政策と差別の果てに、ついにアイヌ民族を法的に先住民族と認める法案が通常国会に提出される) このすさまじい違いは何を意味するか。 この表現では、日本政府が今回の「アイヌ新法」でアイヌを先住民と正式に認めることが、「アイヌ侵略史観」まで公式に認めたと受け取られかねない。「そんなつもりはない」と日本政府が言っても、明確に説明(立論)しなければ、自動的にそうなる。これに朝日新聞が食らいつかないはずがない。それが前述の英語記事につながるわけだ。 日本政府は、アイヌを正式に先住民と認め、さらに手厚く支援することで国際社会の心証が良くなることを期待しているのだろうか。ひょっとしたら、人気漫画『ゴールデンカムイ』のイメージを利用して観光資源になることまで考えているのかもしれない。 2018年12月末、いつの間にか「アイヌ担当大臣」という新たなポストが設置され、公明党の石井啓一国土交通相が指名されたことを知らない人も多いだろう。そして2020年4月には北海道白老町の8600平方メートルの敷地に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園がオープンする予定だ。このように、東京五輪に合わせて海外向けの情報発信が急ピッチで進んでいることもあまり知られていない。2018年12月、北海道庁赤れんが庁舎の外壁に浮かび上がる、アイヌ文化を紹介する「プロジェクションマッピング」 日本政府は、この政策によって「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」「徴用工」などに続いて、「アイヌ侵略」が日本政府公認の歴史的犯罪として世界に拡散される危険性を理解していない。慰安婦に関する日韓合意によって、「慰安婦性奴隷説」は世界で定着した。今後、前述の朝日のような「日本人の犯罪としてのアイヌ侵略」を強調する英語記事が世界中にますますあふれてしまえば、日本人は永遠に税金を使って償い続けることを余儀なくされるだろう。 政府は慰安婦問題で、あれほど日本の名誉を貶められ、国益を損ねながら、またもや進んで情報戦の餌食になってしまった。ここぞとばかり牙をむく朝日新聞の高笑いが聞こえてきそうである。■「慰安婦は誰が強制したのか」曖昧な英文記事、朝日のヘリクツ■慰安婦を「ゲスな演出」でアピールする韓国に反論してもムダである■慰安婦問題で韓国に「無条件降伏」し続ける外務省のホームページ

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    愛煙家は認めよう、けれどタバコ休憩が生んだ「喫煙貴族」は許せない

    常見陽平(千葉商科大学国際教養学部専任講師) 39歳の若さで脳腫瘍により亡くなった父は愛煙家だった。実にかっこよくタバコを吸う大人だった。カートン買いが普通だった。 寝たきりになる前は、選挙速報があるたびに大量のタバコを用意し、かじりついて開票結果を見ていた。歴史学者の父は、病室でも洋書をめくりながらタバコとコーヒーを嗜(たしな)んでいた。危篤状態になり、集中治療室に入ってからも「タバコが吸いたい」と言った。 同業の母も喫煙者で、63歳のときに一度体調を崩すまで吸っていた。もう禁煙して10年になる。洋書をめくり、タバコとコーヒーを嗜(たしな)む両親を見て育った。 さらに、祖父は、日本たばこ産業(JT)の前身である日本専売公社の職員だった。戦前の樺太(当時)でタバコを売っていたこともあるそうだ。実家のアルバムには「ピース」の缶を持って地方紙に載っている記事がスクラップされている。 このような生粋の「タバコ家系」で育ったにも関わらず、私は喫煙者ではない。ただ、嫌煙原理主義者ではない。 嫌煙団体の皆さんはがっかりするかもしれないが、タバコを吸う人は「かっこいい」と思う方だ。例えば、2013年に宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』が公開され、主人公が喫煙することについて抗議の声が上がったが、私はそのような声に疑問を持った。1960年6月、発売前日の産経新聞に掲載された、日本専売公社が新発売したたばこ「ハイライト」の広告 喫煙する権利は認めなくてはならない。喫煙は文化でもある。言うまでもなく、産業でもある。 しかし、「タバコ休憩」だけは納得がいかないのだ。なぜ喫煙者だけが、1時間に10分程度休むことができるのか。謎の「喫煙者特権」 タバコ一家に育ったのにも関わらず、タバコ休憩批判を展開するのは、何より育ててくれた家族に対する忘恩的な行為ともいえるだろう。喫煙者からすると、その気持ちなど歯牙にもかけぬ傲慢(ごうまん)な言動に思えるかもしれない。 しかし、今ここで立ち上がらないならば、人類滅亡の危機さえ招くことを直覚し、私は重大な決意のもと、この檄を叩きつける。たとえ、孤立無援になろうとも、この「タバコ休憩」批判だけは、非妥協的に主張しなくてはならないのだ。ルビコン川を渡るほどの強い決意で、同様の疑問を持った同志たちに勇躍決起することを呼びかけるとともに、日本の労働社会における休憩のあり方について警鐘を乱打したい。 大学卒業後、15年間会社員をした。そのころからずっと喫煙者の「タバコ休憩」特権が謎だった。なぜ、喫煙者だけ1時間に10分程度、喫煙所に消えていくのかと。 仮に、勤務時間が1日7時間半だとすると、このペースで休憩をとると、1日あたりの休憩時間は、昼休みの1時間にプラスして、もう1時間強も休憩をとっていることになる。これは不公平ではないか。 同じ人間なのに、休憩時間が長いのはなぜか。この不公平、不平等を断罪したい。満腔(まんこう)の怒りを叩きつけたい事案である。 しかも、この喫煙所にはコストがかかる。分煙にどこまで力を入れるかにもよるが、個室による分煙を行う場合は、スペースの確保だけでなく、煙やニオイが喫煙スペースにこもったり、非喫煙スペースに漏れたりしないように、給気口や排気口など、一定の気流が確保できる換気設備の設置が必要となる。 喫煙席などの上部に排気設備を設置して、煙が周囲に広がる前に、屋外へ排気する局所排気による分煙も同様にコストがかかる。メンテナンスにもコストがかかることは言うまでもない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 喫煙者のために、いつの間にか投資が行われているのだ。喫煙者が減る中、果たして、この投資分のリターンはあるのだろうか。 しかも、この喫煙所は「サロン化」する。プラスの側面で捉えると、年次・役職や部門を超える交流が行われる。一方で、非喫煙者は排除される。以前の職場では、役職者に喫煙者が多く、その場で決めたことが非喫煙者に共有されないなどのコミュニケーション上のトラブルも発生していた。喫煙エゴイズムに屈するな 自分たちだけ非喫煙者よりも多く休憩をとり、会社から設備の投資も受ける。自分たちだけのコミュニティーをつくる。いわば、彼らは「喫煙貴族」ではないか。 このような社内格差を断じて許してはならない。喫煙エゴイズムに屈してはならない。 もちろん、私のような小市民に、赤々と怒りの炎を燃やされても、迷惑だと感じる喫煙者もいるだろう。「タバコ休憩」は喫煙者が作り出したものとは必ずしも言えない。分煙化の流れの副産物だと言えるだろう。つまり、分煙の徹底が進んだがゆえに広がったものだと私は見ている。 やや自分語りで恐縮ではあるが、私が会社員になった1990年代後半は、営業のフロアでは喫煙しながら仕事をするのが普通だった。営業会議などの際は、会議室は煙だらけになり、吸い殻が山のように積まれる。 灰皿は時に凶器にもなった。灰皿を投げて威嚇する上司もいた。相手に当たらないように、しかもビジュアル的に派手になるように、投げ方にも工夫が感じられた。体に当たらなくても、すでにパワハラであることは言うまでもない。 ただ、いずれにせよ、社内において、結果として「喫煙貴族」が誕生していることについて、われわれは虚心に直視しなくてはならない。非喫煙者たちは「喫煙貴族」と比べて、飛躍的に労働強度が増している可能性があることに気づかなくてはならない。このような策動の貫徹など、絶対に許してはならないのだ。 「喫煙貴族」への怒りは燎原(りょうげん)の火のように燃え広がっている。ただ、誤解なきように言うが、私はこのような不公平な状態を「喫煙貴族」と呼んでいるわけであって、喫煙者を否定するわけではない。最近、出産した前田敦子の名セリフ風に言うならば、タバコ休憩を嫌いになったものの、喫煙者が嫌いになったわけではない。損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険本社の休憩スペース。かつては喫煙室だった=東京都新宿区 人は「喫煙貴族」に生まれるのではない。「喫煙貴族」になるのである。彼らは社会の変化の中で生まれたものだとも言えるのだ。 この日和見的な姿勢は禁煙原理主義者から嫌われそうだし、日和見的な姿勢が糾弾されそうだが、私は権利としての喫煙、文化としての喫煙を否定してはいけないと考えるのだ。「休み方革命」の時代 ただ、喫煙者が結果として、非喫煙者よりも職場で休む機会が多いと感じること、さらには喫煙者に企業から予算が投入されてしまっていることに憤慨しているのである。この分煙化の予算は、誰のためのものかという議論はあるだろうが。 この喫煙者と非喫煙者の断絶、分断とも言える状態、社内での冷戦状態への解決策は「多様な休憩を認めること」ではないか。昼休みの60分の他に、結果として取ってしまっている「タバコ休憩」だけでなく「カフェ休憩」「スイーツ休憩」「おしゃべり休憩」「スポーツ休憩」「読書休憩」など多様な休憩を認めるべきである。また、喫煙スペース以外にも設備投資を行うべきだ。 すでに日本企業においても、イスラム教徒などのために、礼拝室を設け、その時間は抜けることを容認するなどの配慮が進んでいる。これは信仰のためである。さまざまな理由から、職場を抜けて休むこと、休むだけではなく、何かに取り組むことを容認する風土をつくりたい。 これは「休み方改革」とも言えるものだ。すでに「働き方改革」の一環として、1時間単位で有給休暇をとることができる企業、1日の労働時間を見直す企業などが出現している。この「喫煙者以外にも自由な休憩を」というのは、今すぐ取り組むべきことではないか。 時代は、売り手市場を通り越して「採用氷河期」である。人材の獲得、定着のためには労働環境の改善が必要だ。非喫煙者への休憩の拡大、休み方の多様化もその一環として考えたい。 もうすぐ新時代が始まる。新時代を「休み方革命」の時代とするために、抜本的改善を勝ち取り、乾坤一擲(けんこんいってき)、全力を振り絞って奮闘するのでなければならないのだ。平成は喫煙者にとっても、非喫煙者にとっても「暗黒の時代」だった。喫煙者は肩身の狭い思いをし、非喫煙者は不公平な思いをする。2019年3月1日、就職活動が解禁され、学生が集まった大阪市住之江区の合同企業説明会会場(前川純一郎撮影) しかし、「暗黒の時代」とは決して「絶望の時代」を意味しない。どん底の底が破れるときに、光まばゆい世界が開けるのだ。 この国の未来を考えた場合、喫煙者と非喫煙者の対立など不毛である。あたかも、政治における左右の対立のように矮小(わいしょう)化、プロレス化してはならない。ヘビースモーカーの両親から生まれた私が、非喫煙者として円満な親子関係を築けたように、人はきっと分かり合える。 そのために、分煙化推進の副産物である「喫煙貴族」のあり方について見直し、非喫煙者も時間的にも投資額的にも報われる輝かしい未来を作らなくてはならない。非喫煙者の休む権利を勝ち取るために、前進を勝ち取るのだ。■ 喫煙者の皆さん、残念ながら「タバコを吸う権利」はありません■ 潔癖の代償―喫煙ヘイト亡国論―■ 加熱式タバコの安全神話「有害物質9割減」のトリック

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    「タバコ休憩=サボり」喫煙者へのレッテルはむしろ逆効果である

    は必須ではなく、感染拡大を助長しないために一定期間、家で静養するのが望ましい」 年々危機感が煽られて社会問題化しつつあるインフルエンザですが、最新のアメリカ疾病管理予防センターの報告によると、「一部の重篤化の恐れのある幼児や高齢者以外は、寝ておきましょう」というのが新たな世界のスタンダードになりつつあるといいます。嫌煙は優性世論 しかし、いくら「インフルエンザが怖くない」と米国の政府系機関が太鼓判を押したからと言っても、「診察に行かないほうがいい」なんて言われると、人によっては、ちょっとおかしいと思うかもしれません。 さらなる応用問題を考えてみます。 「世界的には、今、大麻の一部成分であるカンナビジオール(略称CBD)は健康に害がないものとして、医療用大麻として合法化されるという動きがある。日本においてはこれを是とする姿勢は見せておらず、一般にも、大麻=悪とのイメージが根強い」 インフルエンザに対して、「診察に行く、行かない」の二択であればまだしも、医療用大麻に対して、「認める、認めない」の二択も、世の中には存在します。いくら依存性がないから安心だよといっても、「大麻の一部成分」を処方されたら、不安に感じる人もいることでしょう。 どちらも、それなりの専門知識がないと、にわかにどちらが正しいとは、断言しづらいと思います。しかし、問題の構造は、喫煙と同じなのです。煙草は単純に、煙たくてにおいが不快で、世論が優勢だから、結論に至る心理過程もシンプルになりがちである、というだけのことです。 「こっちが正しい、あっちが悪者」というレッテルを貼る行為が、現実を変革する効力を持つとは限りません。むしろ変わらない現実を固定化することだって、あります。インフルエンザ対策で加湿器の売れ行きが好調なビックカメラ有楽町店の売り場=2019年2月 大切なのは、他者の考えに対して想像を巡らすということです。そのうえで、「表面的な結果に直接働きかける」のではなく「内在的な真の課題を探しに行く」ことが肝心です。私個人の場合は、そうしたことを続けている中で「恩師の一喝」というご縁をいただきました。喫煙習慣を辞するきっかけは、百人いたら百通りあると思います。 要は、個人個人がそれに対する準備ができているか、という問題なのだと思うのです。嫌煙タカ派の方々におかれては、そんな観点でキャンペーンのプロジェクトを立案されることをご提案し、愛煙家の皆さまにはご自身を責めず、周囲に配慮のうえで喫煙を楽しまれることをお祈りし、サイレント・マジョリティの皆さまには相手陣営の方の心を推し量ることお勧めして、本稿を終えたいと思います。■「加熱式」で知恵を絞れば見えてくるタバコ規制論争の行方■潔癖の代償―喫煙ヘイト亡国論―■肺がん患者の自問自答「喫煙者との対立はなくせないのか」

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    全面禁煙化に潜む「排除された不合理性」

    千葉雅也(立命館大学准教授)千葉 あらゆる施設内を一律に禁煙化するという方針には、ある政治性が、イデオロギーが含まれていると考えられます。それは一言でいうと、「身体の私的所有」の強化です。――どういう意味なのでしょうか。千葉 自らの身体を外界から区切られた「領地―プロパティ(私有財産)―不動産」として考え、境界を侵犯するものを拒絶することです。近年、右派と左派のいかんを問わず「身体の私的所有」を強める傾向が見られると思います。 たとえば右派の場合、在日外国人や移民に対する拒絶反応が顕著です。自国の領土を身体の延長のように見なし、侵犯者を敵と捉え、アメリカのトランプ大統領のように「国境に壁をつくる」といってみせる。 対する左派においては、マイノリティの権利擁護の場面で、アイデンティティの取り扱いを単純化し、当事者の申し立てを「当人が自分はこうだといっているのだからそうなのだ」と固定化するような傾向があるのではないか。 右派の場合は国家や民族など集団的アイデンティティを護り、左派の場合は細分化されたマイナーなアイデンティティを護る、という相違はあるけれど、いずれも「身体という領土」の防衛という点では一致している。身体は自分だけのものである、という認識です。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 受動喫煙への嫌悪もまた、自分の「身体という領土」を一片たりとも侵されたくない、というイデオロギーの表れではないでしょうか。 さらに、たばこの煙に限らず、「電車内のベビーカーや赤ん坊の泣き声が神経に障る」というサラリーマンや、恋愛やセックスのストレスを避ける「草食系」の傾向も、「身体という領土」を脅かす存在を拒絶するという意味で、「身体の私的所有」の観点から説明可能でしょう。 さらにいえば、「身体という領土」とは、「自分という資本」です。それをガッチリ掴んでいる。他者との偶発的な関係によって「自分という資本」が目減りする、不完全化するのを避けたいというわけです。失われた身体のコミュニティ――おっしゃるような拒絶のメンタリティはいつ、どのようにして社会に広まったのでしょうか。千葉 その質問に答えるにはまず、受動喫煙が問題にならなかった時代の社会に何が存在したのか、その後に何が消えたのかを考えなければならない。 結論をいうと、現代社会から失われたのは身体のコミュニティ、身体の共有性でしょう。かつては、自分と他人の境界がもっと曖昧であり、「身体の私的所有」という観念はもっと弱かったのだと思います。 旧来の共同体で生きていた人たちは、「自分の生活は100%自分の意志でコントロールできるものではない、時には他者が土足で踏み込んでくることもある」といった身体感覚を共有していた。 しかし21世紀に入ってグローバル化が進行すると、市場原理主義に基づくネオリベラリズム(新自由主義)の経済体制が強まり、社会の細分化・個人主義が進みました。それと並行して、社会から身体を共有する意識が失われていったというのが、私の見立てです。 この点をより理解するために、「右派」「左派」と「禁煙推進派」「喫煙擁護派」の4者の相関関係を図にしてみましょう。 この図式における政治的立場とたばこの相関関係は理念的仮説であって、混合したタイプや例外も当然あるだろうという注意をまず述べておきます。 さて、右上の「禁煙推進派かつ右派」は、グローバル化と不可分のネオリベラリズムと、国家の閉鎖性の護持という真逆の思想が組み合わさった人びとであり、このタイプは、それがグローバルな(つまり経済的な)大勢であるという理由、かつ身体(私=国家)の私的所有の観点から、禁煙を推進する可能性が高いと思います。 他方、左上の「禁煙推進派かつ左派」は、リベラルの立場から無迷惑社会に賛同する人たちですが、皮肉なことに彼らの主張は、個人を身体のコミュニティから引き剥がすネオリベラリズムと通底している。 このように自らがネオリベと共犯関係にあることを自覚している左派がどれだけいるでしょうか。 興味深いのは、「喫煙擁護派かつ右派」と「喫煙擁護派かつ左派」のタイプです。 右派の論者に喫煙擁護派がしばしば見られるのは、彼らが古いコミュニティ(共同体)に信頼を抱いているからだと思われます。おそらくコアな保守主義者は、「完全な個人主義は成り立たない」ということは実存の本質に関わるテーゼであると、経験を通して直観している。 他方、今日の激した資本主義に異議を唱える左派の議論を深掘りすると、突き当たるのは「コミュニティ」の重視、すなわち「コミュニズム」です。ここにおいて、ラディカル(急進的)な左派とコアな右派は相通じることになる。 対照的に、コミュニズムに無自覚で、結局はネオリベ追従の左派と右派は共に思想のぬるさにおいて同じ穴のムジナといえるでしょう。不合理性の排除は人類の自殺千葉 ここで若干、コミュニズムという言葉の説明が必要ですね。コミュニズムを日本語で直訳すると「共産主義」であり、歴史上、社会主義政権として現れた中央集権の独裁体制を想起して警戒する人がいるかもしれないからです。 しかし、広義でいえばコミュニズムは必ずしも政治体制に限定されるものではなく、私たちの生活のあらゆる場面に「潜在」しているのです。 私が念頭に置いているのは、デヴィッド・グレーバー(『負債論』『アナーキスト人類学のための断章』の著者)らが議論している、「いまここにあるコミュニズム」です。 日常生活のなかで、われわれは必ずしも見返りを求めない贈与やサービスのやりとりを行なっています。その背後にあるのは、合理的な利害関係、損得勘定に収まらない考え方です。自他の利害を白黒はっきりさせず、互いのグレーゾーンにおいて展開する関係性がコミュニズムの基盤だといえる。 われわれの生活の基底には「アナルコ・コミュニズム」と呼ばれるべき状況がある。「アナルコ」とはアナーキズム(無政府主義)。 やはり誤解を避けるために説明すると、この場合のアナーキズムとは、暴力や騒乱を求める思想ではありません。政府による上からの統治ではなく、下からの相互扶助によってコミュニティを成立させることは可能か、という問いに真剣に取り組むための概念なのです。 21世紀の社会では、ネオリベラリズムとアナログなコミュニティが軋轢を起こしています。一方では、責任を担う主体同士がフォーマル(正規)な契約関係を結び、経済活動を行なっている。 しかしその底、あるいはただなかには、自他の境界が明確でないインフォーマル(非正規)な互助関係が多様に展開してもいる。私の懸念は、「責任」の明示を求めることが、後者のグレーな世界を蒸発させてしまうことなのです。大きくいえば、責任という概念自体が、身体の私的所有と根深く結び付いている。――表面上の個人主義や合理主義だけでは社会が成り立たない。千葉 たばこの話に戻ると、全面禁煙化の訴えは、アナログコミュニティを破壊し、合理的主体の勝利をめざすプロパガンダの一環であると思われるのです。 単純な合理主義者にとっては、喫煙と発がん率の相関関係を見るような計量的エビデンスが唯一、価値判断を可能にするのでしょう。しかし人間は、実存の根底において、計量化されない不合理性によって生きています。 私は論考「アンチ・エビデンス」(『10+1 web site』2015年4月号所収)で、質的な根拠よりも量的な証拠を過剰に優先するエビデンス主義(エビデンシャリズム)が、「正しさ」を形骸化させていることを指摘しました。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そのようなエビデンス主義とは、身体のコミュニティの喪失にほかなりません。端的にいって、これは人類の自殺なのではないか……そう考えるのは、「元人類」の古い感覚なのかもしれません。 しかし、いまこそ過剰なエビデンス主義と無迷惑社会の理想に懐疑の目を向け、世界の不合理性を受け入れ直し、不合理性と合理性のグレーゾーンにおいていかに生きるかを模索すべき時が来ていると思うのです。ちば・まさや 立命館大学准教授。1978年、栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(紀伊國屋じんぶん大賞2013、第5回表象文化論学会賞)、『別のしかたで』(いずれも河出書房新社)など。関連記事■ 千葉雅也 著者に聞く『勉強の哲学』■ 山本博 酒とたばこは心の安らぎ■ 「チクショー。やめろ」 オウム真理教・麻原死刑囚最後の日

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    NHK大河『いだてん』受動喫煙騒動から学んだ3つの教訓

     社会が高度に情報化されたことで、人間関係の難しさも表出している。大人力について日々考察するコラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。* * * 今日もあちこちで、いろんな人がいろんなことにクレームをつけています。立場や考え方は人それぞれ。誰もが自由に意見を言える世の中は、もちろん素晴らしいに決まっています。いっぽうで、どんな意見にも異論や反論があるのが常。今日もあちこちで、無益な炎上や対立が起きています。 NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』の中で、タバコを吸うシーンがちょくちょく出てくることに対して、公益社団法人「受動喫煙撲滅機構」が抗議の意を示しました。2月にNHK会長と番組担当責任者に宛てて、〈『いだてん』受動喫煙のシーンに関する申し入れ〉を送付。そこには、以下のふたつの要望が書かれています。一、『いだてん』において、受動喫煙のシーンは、今後絶対に出さないでください。二、『いだてん』で、受動喫煙場面が放映されたことについて、番組テロップなどで謝罪をしてください。 抗議の件が報じられると、その行為を称賛する声とともに、多くの反発の声が上がります。機構にも批判的な電話やメールが寄せられたとか。『いだてん』が描いているのは、おもに1910~60年代。その時代は街中でタバコを吸うのは当たり前の光景でした。元陸上選手の為末大さんも、ツイッターで「(申し入れは)無視していい。歴史は歴史で、その時代に事実だったものはそのまま残すべきだと思う」と投稿。ちなみに為末さんは、受動喫煙防止の活動に取り組んでいます。 NHK側はその後、無視せずにちゃんと返事を出しました。「(主人公の)キャラクターを表現する上で欠かせない要素として描いておりますが、演出上必要な範囲にとどめております」「番組の表現が視聴者の皆様にどのように受け取られるか、配慮しながら番組制作をして参りたいと思います」などと回答。それを受けて機構側は、3月6日に「(NHKが)受動喫煙を撲滅する方針を失っていないと判断致しました」という見解を発表して、事態はいちおう決着しました。 いつの間にか世の中は、誰かが大きな声で「喫煙はケシカラン!」と叫べば、言われた側は黙り込むしかない状況になっています。「そんなに目くじら立てなくても」なんて言おうものなら、どんな罵声を浴びせかけられるかわかりません。しかし、今回は少し風向きが違ったようです。ネット上などでも「そこはまあ、いいんじゃないの」という声が、いつになく目立ちました。東京・渋谷のNHK放送センターにあるスタジオパーク(ゲッティイメージズ) 回答を読むと、NHK側は「今後、喫煙シーンは出さない」とはひと言も言っていません。しかし機構側は、意外なほどすんなり矛を収めました。もしかしたら、「おいおい」という声が多い雰囲気を察知したのでしょうか。あるいは、ニュースになって「喫煙シーンを出すと面倒なことになる」とメディア側にあらためて認識させたことで、十分に目的が果たされたのでしょうか。 私はタバコは吸いませんが、嫌煙を主張する声がヒステリックな方向で高まっていく風潮には「嫌だなー、煙たいなー」という気持ちを抱かずにはいられません。ただ、だからといってこの出来事に対してケンカ腰で異を唱えたら、静かにタバコを楽しみたい方々に間接的に迷惑をかけてしまいます。意見が違う同士でも、たとえケンエンの仲でも平和に手を取り合える世の中を目指して、昨今の嫌煙ムードの高まりや今回の騒動から、がんばって3つの大人の教訓を学んでみましょう。一.気に食わないことに文句をつける場合は、なるべく極端な例をたくさん集めて「それでも認めないあなたは人でなしだ」という流れに持っていく一.誰に何を謝ればいいのか、そもそもなぜ自分がそれを要求できるのかよくわからなくても「謝罪してください」と言えば優位に立った気になれる一.世の中で一定の支持を得ている「正論」だからといって、それをタテに調子に乗って何でもかんでもクレームをつけると味方からも引かれる とてもためになる勉強をさせていただきました。ありがたいことです。もしかしたらカチンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、平和を求める姿勢に免じて、寛大な心で受け止めていただけたら幸いです。苦手な方が多いかもしれませんけど。関連記事■大河『いだてん』 五輪メダリスト投入のテコ入れ案も■『いだてん』視聴率低迷を加速させる「ストレスコーピング」■日曜20時の視聴率争い 『イッテQ』『一軒家』と他局の違い■JTが発売の新・加熱式たばこ 力の入れ方は「半端ない」■肺がんや肺炎の兆候、2週間咳が止まらなかったら要注意