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    「文春よ、お前もか」気まぐれ読者を追いかける週刊誌の断末魔

    向谷匡史(作家、ジャーナリスト) 「あんなの、週刊誌じゃねぇよ」。辣腕で鳴らした総合週刊誌の元デスクが酎ハイをグイとあおれば、 「同感」と、フリーのベテラン記者がうなずいて、 「あの食品がダメ、この薬がアブナイ、はてまた死ぬ前の手続きがどうしたなんて大特集を毎週読まされたんじゃ、気が滅入っちゃうよ」 「まさにその通り」。女性週刊誌で「鬼」と呼ばれた元編集長が引き取って、「週刊誌はスキャンダルが勝負。斬った張ったで俺たちはメシを食ってきた。健康ネタ、終活ネタは、新書かムックのテーマだ」 一同、大きくうなずき、それぞれのグラスで氷がカラコロと音を立てた。今年初め、気の置けない仲間と一杯やったときのことだった。 私は総合週刊誌の記者として十余年を過ごした。現役批判はOBの常とは言え、総合週刊誌の全盛時代を知る彼らだけに、一杯やると必ず批判や苦言が飛び出す。 「誌面に勢いがない」「現場を踏まなくなった」「企画に工夫が足りない」 だが、こうした批判や苦言は、週刊誌ジャーナリズムという大枠でのこと。誌面づくりは時代によって変化はしても、「ニュース&スキャンダル」という基本は変わらない。クルマにたとえればマイナーチェンジのようなものだった。 ところが最近になって、いきなりフルモデルチェンジ。しかもセダンがワンボックスカーになったようなもので、元辣腕デスクが「あんなの、週刊誌じゃない」と憤慨するほどの変わりようなのである。 週刊誌の変化ぶりは、電車の吊り広告や表紙を見れば一目瞭然だ。目玉の特集記事が「健康」と「終活」になってきた。私の手元にある週刊誌の見出しを拾うだけでも、「食べてはいけない『外食チェーン』」(週刊新潮)、「専門医10人『私は絶対に飲まない薬』」(週刊ポスト)、「間違いだらけの『死後の手続き』」(週刊現代)、「30の症状に効く『最強食』」(週刊文春)…。 タイトルこそ扇情的な週刊誌タッチだが、これらは「実用記事=ためになる記事」であって、週刊誌が王道としてきた「ニュース&スキャンダル」、すなわち「ためにならない記事」の対極に位置するものなのである。 むろん週刊誌に「健康」「終活」の特集があってかまわない。必要な情報でもある。だが、このテーマが毎週、しかもメジャー誌がこぞって掲載するとなると、これはもう「週刊誌のフルモデルチェンジ」である。先に述べたが、クルマにたとえれば一車種だけのモデルチェンジではなく、クルマ業界全体が、売れ行き不振のセダンからワンボックスカーに右へならえしたのと同じということになる。 「健康ネタ」をメーンで打ち出したのは、『週刊現代』が最初だったと記憶する。大胆な変身に戸惑いはしたものの、高血圧の薬を長年服用している私は、「高血圧の薬は不要」といった見出しに目が吸い寄せられた。週刊文春の企画「減らせる薬11『症状別』リスト」 これまで総合週刊誌には見向きもしなかった愚妻も、「あら、血圧の話?」と言いながら、そばからのぞき込んでいる。健康は大いなる関心事なのだ。 さらに「終活」が「健康」の延長線上にあることから特集がこれに向かうのは必然で、辛気くさいテーマではあるが、実年・熟年が興味を引かれることは確かだ。幕の内弁当とビュッフェ 「あんなの、週刊誌じゃねぇよ」と、OBが毒づいたところで、数字は正直。週刊現代は「健康」と「終活」を両輪として部数を伸ばし、2019年1月の雑誌月間売上冊数で、『週刊文春』を抑えて10位に躍進(日販調べ)。「文春砲」を炸裂させても、週刊現代の「健康&終活ガイド」には部数では勝てなかったということになる。 かくして、総合週刊誌は雪崩を打つようにして「健康&終活ガイド」に走り、いまも走り続けているということになる。 私に言わせれば、総合週刊誌は「幕の内弁当」である。スキャンダルがメーンのおかずで、「海老フライ」や「鶏の唐揚げ」がそれに当たる。ニュースやハウツーがサブメーンの「卵焼き」「焼き魚」「天ぷら」で、連載小説やコラムが「煮物」「漬け物」といった添え物ということになる。 細々と何種類もおかずが詰めてあるのは、人によって好き嫌いがあるからだ。言い換えれば、好き嫌いにかかわらず、幕の内弁当は、そのすべてを購入しなければならない。 「私はニンジンが嫌いだから、それを外して卵焼きを増やして」というわけにはいかない。ここがウナギ弁当やアナゴ飯、イカ飯といった単品弁当と違うところで、幕の内弁当が総合週刊誌なら、これらは専門雑誌ということになる。 さらに、インターネットで閲覧する記事はビュッフェである。嫌いなものはスルーして、欲しい食べ物を欲しいだけ皿に取る。「ニンジンが嫌いだから、それを外して卵焼きを増やす」ということが、いくらでもできる。ITの進展、価値観の多様化、そしてそれを認める社会は、生活のすべてにおいて「ビュッフェ時代」になったと言っていいだろう。 こう考えると、幕の内弁当の総合週刊誌は、おかずに何を詰めるかは頭の痛い問題になってきた。ビュッフェ時代にあっては、いくらおかずの品数を増やそうと、従来の「押しつけ」では多くの読者を引きつけるのは難しく、部数はじり貧である。売れ筋だったスキャンダル砲をブッ放してみても、テレビのワイドショーが素早くそれを横取りする。リアルタイムで面白おかしく放送するため、たちまち霞(かす)んでしまう。 実際、ある総合週刊誌の編集長は、「ニュースもスキャンダルも、テレビとインターネットには太刀打ちできない。読ませるものに活路を見いだすしかない」と言い切る。 週刊現代が「健康テーマ」を打ち出したとき、「老人雑誌化」したと業界で陰口を叩かれたが、超高齢時代を背景に大当たり。弁当にたとえれば、「海老フライ」や「鶏の唐揚げ」といった脂っこい総菜を引っ込め、「ヘルシー&栄養」を謳(うた)ったおかずをメーンにしたら大いに売れたということになる。 つまり、総花的な幕の内弁当に、売れ筋の単品弁当をメーンに組み込んだのが、最近の総合週刊誌ということになる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 売れてナンボとなれば、総合週刊誌も読者のニーズに応じて変わっていかなければならない。だが、読者は気まぐれだ。気まぐれを相手にするのは、決して追いつくことのない影を追うようなもので、必ず息切れする。 これから総合週刊誌はどこへ向かうのか。かつて大部数を誇った『週刊明星』、『週刊平凡』は時代の変化の中で消えていった。スキャンダル砲の健闘を期待しつつも、「健康&終活テーマ」に舵を切った総合週刊誌は、まさに自身が〝終活〟を始めたような気が私はするのだ。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

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    ある雑誌を廃刊に導いた「ベンチャー企業礼賛」の理由

    吉田典史(ジャーナリスト・記者・ライター) 今回は、ある雑誌の廃刊の裏側を私が知る範囲で見つめなおし、「使えない上司・使えない部下」について考えたい。この雑誌の廃刊の背景にあるものを探ると、人事のあり方もが透けて見える。読者諸氏は、この事例から何を感じるだろうか。 1年ほど前、ある雑誌が廃刊になった。この出版社の社員数人や退職者5人ほどから聞く限りでは、売れ行きが長年伸び悩んでいたのだという。「使える」と思われている編集長を数年ごとに変えて編集態勢を刷新するものの、大きな変化はなかったようだ。10数年前に創刊し、20~30代の比較的、意識の高い会社員を読者対象にしたものだった。 私は10年ほど前、フリーライターとして関わった。編集者から指示を受け、会社員などにインタビューをして、記事を書いた。そのころから、強い違和感を感じていた。一言でいえば、記事や雑誌全体の内容を創り込みすぎなのではないかと思った。企業社会の実態からかけ離れた内容になっていた。 その象徴が、ベンチャー企業の取り上げ方だった。ほとんどの記事が、「ベンチャー企業は風通しがよく、働きがいがある」「実力主義で、結果を出せば正当に評価される、すばらしい会社」といった内容になっていた。大企業を「終身雇用で、年功序列の古い会社」「20~30代の意識の高い人は結果を出しても、報われない」と暗に揶揄しているように見えた。この大企業の認識は、実態とは相当に異なるものに私には思えた。 しかも、毎回、同じようなベンチャー企業を取材し、記事にしていた。いわゆる、メガベンチャーといわれる10社ほどのほか、知名度の高い30社ほどを加えた40社ほどである。たった40社ほどで、「ベンチャー企業とは…」と語ってしまうのだ。 全国には、無数のベンチャー企業がある。なぜ、40社しか取材しないのか。いわゆる、「バーター(取引)」か、「何らかの癒着」か、それとも、忙しく、時間がないがゆえに、付き合いがあり、取材がしやすい40社だけを取材していたのか…。 ベンチャー企業のほとんどは、中小企業政策における基本的な政策対象の範囲を定めた「原則」に基づくと、「中小企業」の範疇に入る。その「原則」ではたとえば、サービス業では「資本金の額又は出資の総額が5000万円以下の会社又は常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人」を「中小企業」としている。 通常、中小企業は、解雇や賃金不払い、パワハラなどの多発エリアである。厚生労働省や各都道府県の労政事務所などが発表する労使紛争のデータを見ると、それは明らかだ。大企業よりは、労使間のトラブルははるかに多い。 東京都では、都内6カ所の労働相談情報センターにおいて、中小企業の労使双方からの労働相談に応じ、紛争当事者間での自主的解決を援助するあっせんを行っている。2017年は労働相談件数が、5万1294件(前年度比3.3%減)で、5万件を超える状況が続く。このような職場で多くの社員が苦しんでいることを心得ているならば、雑誌としてもっと節度ある姿勢が必要だったのではないだろうか。 私が、廃刊になった雑誌の編集者たちと話し合った限りでは、ベンチャー企業の内情や実態に極めて疎く、不勉強だった。特に労働条件をはじめとした就労環境には何の関心も払わない。私よりもはるかに年齢が若いはずなのだが、おそろしく鈍感だった。 それどころか、ベンチャー企業の経営者や役員、人事部の管理職などが取材時に話すことを無批判に受け入れていた。中には、「〇〇さんは人間的にもできている」と、たった1回の取材でメガベンチャー企業の創業社長を熱狂的に称えていた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「取材者としての経験が浅い」と言えばそれまでだが、私はその熱狂から「宗教的なもの」を感じた。こちらが少しでも、メガベンチャー企業の創業社長を否定的にとらえて話すと、「〇〇さんはそんな人じゃない!」と興奮して言い返す編集者もいた。彼女の目に涙がたまっていたことを覚えている。 ほとんどの雑誌には、一定の読者層がいる。この雑誌ならば「20~30代の比較的、意識の高い会社員」なのだろう。そのような会社員たちが求める情報を記事として提供していくことは当然だとは思う。しかし、価値観などがあまりにも多様化し、魂胆とした時代に、特定の企業を繰り返し取り上げ、礼さんするような報道は慎むべきだったのではないだろうか。少なくとも、その印象を与えていたことは否定しがたい。しかれたかん口令 なぜ、この雑誌の編集者たちはたった40社ほどのベンチャー企業を熱狂的に報じ続けたのだろうか。そこには様々な要因が折り重なっていたのだろうが、大きな理由の1つに、この出版社の社内の事情があったのではないかと私は見ている。 一言でいえば、ずさんな人事評価や配置転換、昇進・昇格などに愛想がつき、「隣の芝生は青い」のような思いで、ベンチャー企業をうらやましく見ていたのだと思う。その意識が、記事や雑誌の随所に出ていたのではないだろうか。つまり、ある意味で「悲鳴」であり、「溜息」であり、「あきらめ」の念が雑誌には凝縮していたように私には見えるのだ。 この雑誌を発売する出版社は、比較相対的に高学歴な社員が多いこともあり、20代の頃の意識はある程度は高い。しかし、30代になるとやる気を失い、失速する人が増えてくると退職した元社員5人ほどは語る。社内の人事の仕組み(人事評価や育成、配置転換など)は相当にお粗末で、ほかの業界でいえば、社員数が30人以下の零細企業と大差ないのだという。「まじめに仕事をするほどにむなしくなる」と5人は話していた。 たとえば、廃刊となったこの雑誌編集部では数年前、ある編集者が副編集長(課長級)の経験がないのに、編集長(部長級)になったという。通常、こんな昇格はありえないはずだ。ところが、「抜擢人事」として断交されたそうだ。「使える編集長」を起用し続けたが、その多くが「使えない編集長」とレッテルをはられ、職を離れていたという。 販売不振の起死回生策として、副編集長の経験がない編集者を編集長にしたのだが、案の定、破たんしたらしい。その編集長は経験不足のために、部下である副編集長をはじめ、7人前後の編集者を自らが意図したように動かすことができないようだった。結局、編集長という権力で動かすようになる。ときに強く当たり、ときには大きな声でしかりつける。このことに不満をもった編集者数人が企業内労組に「編集長からのパワハラに遭っている」と訴えたそうだ。 企業内労組の役員が、編集長の上にいる役員などに「組合員(訴えた編集者のこと)から苦情が来た」と伝えた。すると、役員は編集長にそのことを話し、労組に訴えた編集者数人と編集長などを含め、関係者10人ほどで解決に向けての話し合いをした。「パワハラ」は「双方のコミュニケーション不足」で生じたものであり、「編集長にその意識はない」という結論になったのだという。その後の人事異動で関係者たちの一部は、他部署へ異動となったようだ。 この一連の騒動は、関係者の間ではかん口令がしかれ、タブーになったままだという。退職者5人のうちの数人は、「役員は、社外の労組(ユニオン)などに話を持ち出されないようにするための懐柔策として話し合いの場を設け、そこで不満分子の編集者にガス(不満)抜きをさせた。その後、人事異動で態勢をシャッフルし、すべてをシークレットにした」と話す。 私の取材経験をもとにいえば、「パワハラ」はする側、される側それぞれの認識に大きな差があり、どちらの言い分が正しいのか、正確に判断することは難しい。仮に、この一連の騒動がすべて事実であるとすると、20~30代で意識の高い編集者はやり切れぬ思いになるのではないだろうか。 このほかにも、この出版社の人事のあり方には、話を聞く限りでは首を傾げたくなることが多々あった。おそらく、廃刊となった雑誌の編集者たちがベンチャー企業にあそこまで感化され、称え続けたのは、自らが勤務する会社の旧態依然とした人事のあり方に嫌気がさしていたからではないか、と私は思うのだ。 通常、会社員の多くは、人事評価や育成、配置転換、昇進・昇格に異議を申し立てることはなかなかできない。この雑誌の編集者たちも同じく、言えなかったのだろう。そのようなときに、ベンチャー企業をわずかながら取材し、そこが自分たちのうっ積した不満がまったくないような職場に見えたのではないか、と思う。 実は、人事制度や賃金制度は未熟で、人事評価や育成、配置転換などに深刻な問題を抱え込んでいるのだが、そのことに気がつかなかったのだろう。そのような思いでベンチャー企業を取材し、記事にしていたのならば、売れなくなるのは無理もない。 今回のことは、あくまで私が元退職者たちから聞いたものである。現役の社員に連絡をしても、ここまでは答えなかった。私が強調したいのは、何かの商品や製品、サービスが売れなくなるとき、そこには社内の人事にきしみが生じていることが多いことだ。それらを販売しないようにしたところで、問題は残り続けるのではないだろうか。よしだ・のりふみ ジャーナリスト・記者・ライター。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、『震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

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    「中国産」「添加物」消費者が週刊誌に踊らされなくなっている?

    松永和紀(科学ジャーナリスト) 最近、週刊誌がまたもや、「食が危ない」という記事を量産しています。食の安全取材歴20年近い私としては、周期的にやってくるこの“ブーム”にはもううんざり。今回は、中国産批判を繰り広げる「週刊文春」と、国産が危ないとする「週刊新潮」の対決の様相を示しているのが興味深いところです。 ところが、消費者側の反応がどうもこれまでと異なります。従来だと、食品メーカーのお客様相談室に抗議の電話が鳴り響き、生協にも問い合わせが相次いでいました。今回、企業や生協、業界団体等に尋ねて回ったのですが、抗議はもとより、問い合わせもほとんどなく、あったとしても、週刊誌の書いていることと実態との違いをきちんと説明すると、わかってもらえる、といいます。もちろん、売れ行きにも影響がありません。 なぜ、これまでと異なるのか? どうも複合的な理由があるようです。取材を通じて考えてみました。「中国産たたき」「食品添加物たたき」はこれまでも定期的に行なわれてきたが、今回は消費者の反応がどうも異なるようだ まずは、週刊誌がどのような報道をしているか、少し見てみましょう。 週刊文春は、4月12日号から4回にわたり、「危ない中国食品2018」と報道し、「産地隠しが巧妙化している」とも訴えています。 中国産批判は同誌恒例。手法も従来通り。中国産で違反が相次いでいる、と厚労省の輸入検疫の結果をリスト化。危ない食品がこんなに入っている、と見せて、読者はその数と種類の多様さに圧倒されて嘆息する、という仕掛けです。 残念ながら、これはトリックです。たしかに、中国産の違反数は多い。しかし、中国産は、輸入件数が他国に比べて際立って多く、全体の32%に上ります。2位のアメリカ10%、3位フランス9%を大きく引き離し、年間に約70万件もの輸入届出があるのです(2016年度厚生労働省統計)。 したがって、違反数は多いのですが、違反割合はそうでもありません。中国の違反率は0.024%、各国平均は0.033%で、中国はむしろ低いのです。 中国産食品、私たちは食べていないつもりでもさんざんお世話になっています。居酒屋で出てくるほうれんそうのお浸しや里芋の煮物の多くは中国産冷凍野菜。回転寿司のネタは、一貫ごとにスライスされ包装されて輸入されます。高齢者施設で欠かせない「骨のない魚」は、中国の工場でピンセットを用い細かい骨を抜いたうえで入ってきます。 人は雑菌だらけ、髪の毛なども落ちるので、人が手をかけるほど違反リスクは高まります。細かな手作業を要する品目が多いのに低い違反率、というのは、実はなかなかたいしたものです。(厚生労働省輸入食品監視統計より作成) 十数年前、中国からの輸入が急増し始めた時期、たしかに中国産は問題山積で、冷凍ほうれんそうの農薬高濃度残留が発覚し、餃子に農薬が混入される事件もありました。これらを教訓に、現在では中国政府の国家質量監督検験検疫総局が監視を行い、日本への輸出は許可制に。日本の商社なども多くが社員を常駐させ、指導や監視をしています。中国産の品質は飛躍的に向上しました。中国の日本向け冷凍野菜工場。衛生管理は日本の工場よりも上だった。日本の商社が厳しく指導し、原材料として使用する食品メーカーがたびたび監査・点検に訪れる 国際社会で体面を重んじる中国政府が目を光らせ、日本の商社や中国産を原料とする食品メーカーも問題が起きたら、世間から「まだ中国産を使っているのか!」と他国産の違反より著しく厳しく非難されるので、そうならないように必死です。中国で作られるピンからキリまでの食品のうちのピン的存在が、日本に輸出されています。日本の食品関係者は、他国産よりむしろ、中国産を信頼できるのではないか、と言います。私も中国で日本向けの食品を作る工場をいくつも見ていますが、印象はおなじです。 それが日本向けの中国産のすべて、とは言えません。どの世界にも例外があり不届き者もいる以上、質や衛生管理の悪い食品はあるでしょう。週刊文春は、日本向けの食品がいかにずさんな衛生管理をしているかもリポートしています。しかし、日本向けの食品全部がその調子ではありません。添加物違反は「非科学的」 ずさんな中国産が輸入される陰には必ず、一時的に儲かればいい、という日本の輸入業者や、品質が悪くても安ければいいと原料を求める日本の悪質な業者がいます。中国だけに責任を負わす記事の印象操作は、アンフェアです。 では、週刊新潮が書くように「国産食品」は危ないのか? 国産=安全ではないのは事実です。同誌は書いていませんが、日本の中小事業者の中には衛生管理のレベルの低い企業が少なくありません。そもそも、衛生管理の国際標準であるHACCPは欧米では義務化が進んでいて、中国でも輸出を手がける工場は当然のごとく導入されています。国内でも、大手企業は取り組んでいますが、欧米のように中小企業やまちの飲食店まで、とはなっていません。今国会でやっと、HACCPを原則として義務付ける改正食品衛生法が成立した段階です。 しかし、週刊新潮が書く食品添加物やトランス脂肪酸のリスク指摘は、相当に的外れです。食品添加物について、記事は次のように書きます。野本氏が警告を発するのは、この物質と保存料のソルビン酸の組み合わせである。「亜硝酸Naとソルビン酸の組み合わせには、相乗毒性があることが分かっています」(中略)実際、内閣府の「食品安全委員会」の添加物評価書にはこんな記述が。<ソルビン酸が広範に使用される一方、亜硝酸塩も食肉製品の発色剤として多用され、両者がしばしば共存するという事実と、両者の加熱試験反応によりDNA損傷物質が産生されることが報告されている><マウスへのソルビン酸単独(15 mg/kg 体重/日)の30日間経口投与による染色体異常試験において、最終投与後24時間後に染色体異常は有意に増加しないが、亜硝酸ナトリウム単独(2 mg/kg 体重/日)で有意に増加し、ソルビン酸と亜硝酸ナトリウム同時(7.5+1 mg/kg 体重/日)ではさらに増加している> つまりは、ジャーナリストが相乗毒性を指摘し、公的機関も危険を指摘しているのに……という文脈です。 しかし、これは食品安全委員会の評価書のごく一部の抜き出しです。評価書はこの後に、DNA損傷物質が産生するのは、通常の食品の条件と異なる場合であることや複数の試験結果で矛盾があることなどから、結論として通常条件下での使用では、ヒトの健康に対する悪影響はないという趣旨を明記しています。食品安全委員会の添加物評価書「ソルビン酸カルシウム」P19 後半、特殊な実験条件下では起きても、食品中での共存で実際に形成されることは意味しない、と説明があるが、記事は後半は引用しなかった。 自分たちにとって都合の良い文脈だけを抜き出してストーリーを組み立てる。科学では絶対にやってはいけないことであり、ジャーナリズムとしても許されません。週刊新潮のこのシリーズ記事を受けて、食品安全委員会はFacebookで3回にわたって、「評価書全体を読むように」と指摘しています。 実は、このシリーズが始まる前に私のところにも週刊新潮編集部から電話がかかってきて取材されました。最初は、食品添加物の規制がリスクアナリシスに基づいて行われていることなどを平易に説明しようとしたのですが、あまりにも知識不足で初歩的なことばかり聞かれるので閉口しました。 もしかすると、彼らは食品安全委員会の評価書の意味をよく理解できぬまま引用しているのではないか、とすら思います。うま味調味料による味覚障害の可能性やトランス脂肪酸のリスクについても記事化されていますが、一事が万事、この調子で、記事は科学的ではありません。彼らにとって都合の良い部分のみを抜き出して、「危ない食品リスト」を並べる手法。ただひたすらに、国内の加工食品を誹謗中傷しているようにしか、私には思えません。 こんな酷い内容の記事、企業として抗議するべきではありませんか? 最初はそう考えました。週刊文春、新潮を見て、追随する週刊誌も出てきています。また、食べてはいけないブームが来た? いやになります。 でも、企業の人たちに話を聞いて考えが変わりました。「だって、お客様相談室に電話がかかってこないんですよ。消費者が、記事に踊らされなくなっているんです」とどの社も異口同音に言います。 たとえば、週刊新潮に「味覚破壊トリオ商品」として名指しされたメーカーには、記事後の消費者からの問い合わせはわずか2件。もっと派手に、社名と商品名を繰り返し掲載され、2週にわたって批判された食品メーカーであっても、お客様相談室への電話は50件超。事業規模、記事での取り上げられ方の執拗さを考えると、非常に少ないと言って良い。しかも、記事を真に受けた「もう食べない」とか「食べて大丈夫か」という批判・質問ばかりではなく、「記事に抗議すべきだ」「放送で反論したらどうか」というような意見もあったそうです。 以前なら、記事が出ると企業には抗議が殺到。電話で1時間でも2時間でも粘って罵詈雑言浴びせかけ、お客様相談室の担当者のメンタルがやられてしまった、なんて話がごろごろありました。今回はまったく違います。同じような情報に飽きた? 九州や関西、北陸、首都圏の生協にも問い合わせてみました。どこも「組合員からの問い合わせがほぼない。これまでの食が危ない記事が出た時と、様相が異なる」と口を揃えます。 最初は、紙媒体、しかも読者がシルバー層なので、インターネット社会の今、情報が拡散しないのか、と考えました。が、少し遅れて、ではありますが、ほぼ同じ内容がネットでも公開されています。しかし、消費者の心に、食品への猜疑心という火はつかないようなのです。 TwitterなどSNSを調べてみても、ごく一部の人しか記事の内容を取り上げていないのは明らかです。 企業が雑誌編集部に抗議をすると、揚げ足を取られて次の記事で面白おかしく取り上げられることがままあります。消費者が反応していない以上、記事は黙殺する、というのが企業の合理的な判断です。 ではなぜ、消費者が騒がなくなったのか? さまざまな関係者に尋ねて回りましたが、どうも決め手はありません。理由は複数ありそうです。(1)同じような情報に飽きている 食品関係者は期待を込めて「さすがに、消費者は危ない情報に飽きたのではないか」と言います。たしかに、1999年に発行された書籍「買ってはいけない」が大ベストセラーになって以降、冒頭で書いたように周期的に中国産や食品添加物等で「危ない」という情報が振りまかれます。新味はありません。(2)陰謀論にも飽き飽き 記事が槍玉にあげる中国、日本の政府機関、大手食品メーカー……。悪いことをやっているに決まっている、という陰謀論のロジックで、記事は展開します。批判を展開するのは、これまでその論法で“食ってきた”評論家、ジャーナリストが目立ちます。 でも、日本の食がそれほど悪い、という実感が消費者にあるでしょうか? 中国など諸外国からの輸入品と国産がミックスされ、日本の食品メーカーの大変な努力もあって、それなりにおいしいし、問題もそれほど多くは起きていないよね、というのが本音ではないでしょうか。 ちょうど、朝日新聞の「論壇時評」で5月31日、歴史社会学者の小熊英二氏が日本に来る観光客の急増について、次のように書いていました。 欧米の大都市だと、サンドイッチとコーヒーで約千円は珍しくない。香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。ホテルなども同様だ。これなら外国人観光客に人気が出るだろう。1990年代の日本は観光客にとって物価の高い国だったが、今では「安くておいしい国」なのだ。日本向け小松菜を栽培する契約農場。大学を出た指導員が、害虫の発生状況などを調べている。害虫被害が多ければ農薬散布など指示し、日本の農薬取締法に合致した農薬が使用される これが、多くの人の実感では? 小熊氏は、その陰で搾取されている外国人労働者に注目しています。私は、安全でおいしく、と努力する大勢の国内食品メーカー社員や、中国の工場で見た、丹念に野菜からごみや虫等を取り日本向けに加工する女性たちの顔を思い浮かべます。 ふんぞりかえって中国や国内食品メーカーを誹謗する記事の欺瞞に、実は多くの人は気づいているのではないでしょうか。(3)不安を煽るテクニックがばれた こちらも、関係者を期待を込めて言うところ。結局のところ、こうした記事は、多くの情報から都合の良い部分のみをつまみ食いし、つなぎ合わせてもっともらしいストーリーに仕立てています。食の安全に関して少しでも知識があれば、「変だなあ」と思って不思議ではありません。 週刊新潮はうま味調味料などにより味覚障害が起きている、と書きますが、論文や公的報告書などの科学的根拠は示さず、ジャーナリストのコメントを載せるだけ。これでは、さすがに読者も納得できないでしょう。それくらいの科学リテラシーは多くの人に備わってきたのではないか、というわけです。現実的な理由も(4)間違った情報を是正する情報が数多くある 「買ってはいけない」が出版された当時、一般の人たちはこうした情報に“免疫”がありませんでした。「危ない」という情報になら人は、わざわざお金を出して購入します。「その情報を覚えておけば安全になれる。人に伝えたら喜ばれる」と信じるからです。一方、「危なくない」という情報は安心にはつながりますが、とくに覚えておかなくてもいいことなので、書籍や雑誌になってもあまり売れません。 しかし、インターネットでは現在、行政や企業が「実は危なくない」「こうやって総合的に安全を守っている」と解説する無料コンテンツが、大量にあります。それらの多くは、科学的根拠が示されています。食品安全委員会の評価書もすべて、公開されています。 おかしな記事が出た後には、安全委員会は評価書自体を示して反論しましたし、間違いを指摘する個人ブログも出てきています。 つまり、侵入してくる病原体=間違った情報に対して、ワクチンやら抗生物質やらがまあまああり、効果を発揮しているのかもしれません。(5)ほかにニュースがいっぱい 以上は、関係者の希望的観測でもあります。一方、「現実には……」として考察されているのは「ほかに関心を集めている話題があるから、盛り上がらないのでは」という指摘です。 つまり、北朝鮮、日本大学アメリカンフットボール部、紀州のドン・ファン、サッカー・ワールドカップ……。テレビやラジオ等もこれらの取材に力を入れ、多くの時間を割いて報道します。以前なら、週刊誌記事を受けてテレビやラジオ等でも食の話題が取り上げられ、メディアミックスで「食べてはいけない」情報が広がったけれど、今はたまたまそういう状況にない、という説です。(6)問い合わせや抗議をするほどの余裕が、消費者にはもうない 汲々とした生活の中で、食費も切り詰めている人が増えているのが現実です。市販の食品は概ね安全、品質もまあまあ、と信じないと暮らしていけない、という人が多いのかもしれません。 大丈夫です。農薬や食品添加物等についてはほぼ、問題がありません。たとえばトランス脂肪酸が気になるとしても、バランスのよい食事をし、菓子や菓子パンを毎日食べる、というような偏食はしない、という「常識」で十分です。 特定の食品の良し悪しにはこだわらず、野菜やくだものたっぷりのバランスの良い食事をすることで、がんや心臓疾患等のリスクが大きく下がる、という科学的根拠があります。 おそらく、消費者が踊らされない要因は、これらがいくつも組み合わされた複合的なものでしょう。 いずれにせよ、惑わされないリテラシーが大事です。この点で、消費者は少しずつ成長しているのではないか、と思いたい。 今回の騒動を受けて食品企業等をかなり取材しました。私から見れば名誉毀損ものの酷いことを書かれたメーカーが「自分たちもまだ努力が足りないことを思い知った。これからさらに努力したい」と言い、「記事に書かれているような中国の問題が、我が社の取引工場で起きていないか再点検して、ないことを確認した」という商社もありました。 日本企業の多くも、そして、中国の生産者や加工業者の多くも、頑張っています。まつなが・わき 科学ジャーナリスト。1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。「第三者委員会報告書格付け委員会」にも加わり、企業の第三者報告書にも目を光らせている。

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    「子供部屋おじさん」61万人はニッポンの恥ずべき現象なのか

    齢層が多数派というわけではない。 この調査結果を受けて、根本匠厚生労働相が「大人のひきこもりは新しい社会問題だ」と述べたと報じられている。しかし、支援体制や方法が不十分であるがゆえに「取り残されてきた問題」という側面もあるのではないだろうか。詳細な分析が待たれるところだが、報告書の集計値からもその点は伺われる。私が注目するべきと考えるのはこの点だ。参院本会議で答弁する根本匠厚生労働相=2019年1月(春名中撮影) 例えば、「初めて現在の状態になったのは何歳頃か」という質問に対して、40~44歳の層では、30代までにと答えている人の合計は実に83%(20代までは67%)、45~49歳では50%(20代までは33%)である。 30代ということは、10~15年前の期間である。つまり、ひきこもりに関わる支援政策が開始されて以降の時期と重なるのだ。このことの意味は重い。政策的取り組みが開始されたのは2000年からであり、旧ガイドラインは03年に発表され、地域精神保健の中にひきこもり支援を位置づけることが明記された。ひきこもりの「死角」 そして2006年には就労支援機関として地域若者サポートステーション(以下、サポステ)が設置されはじめ、現在では全国170カ所以上ある。09年には厚労省がひきこもり対策推進事業としてひきこもり地域支援センターを都道府県、政令指定都市に設置を開始し、翌年には新ガイドラインも発表された。 つまり、ひきこもりになった40代がまだまだ「若者」として支援対象となりうる年齢にありながら、支援とつながらなかったか、あるいはつながっても相応の効果が得られないまま今日に至るということになる。 実際、相談経験についても質問されており、47人の中で「相談する意思はもっている」と答えた36人について見ても、その半数以上は「関係機関に相談したことはない」と答えている。40代前半の11人については相談経験有りが7人と60%を超えるのだが、その中で利用されたのは病院・診療所が主であり、その他の支援機関を利用したのは1人のみである。 もとより「ひきこもり」該当者50人足らずの中で、さらに年齢層で分ければごくごく少ないケースとなり、それに依拠して全体の傾向を推測するには無理もある。その限界は踏まえなければならない。 とはいえ、大方は30代までに現在の状態が始まったという40代前半の層で、サポステも含め、ひきこもり支援を掲げて設置されてきた機関や相談窓口が、あまり機能してこなかった可能性を示唆する結果であろう(ただし、利用という点では親など同居者の相談経験にも注目すべきではある)。 私はある支援機関で2001年からいわば定点観測をしてきたことになるが、当初は10年以上ひきこもってようやく支援機関につながったという人はまったく珍しくなかった。しかし、近年では、ひきこもりが始まった後、親が支援機関にアプローチするまでの時間は短くなり、本人が20代までである場合などは、ひきこもっていた期間もせいぜい数年というパターンが多くなっているようだ。そして本人が出てくるのも、その後の展開(さまざまな活動への取り組み)も早くなっている。橋本市「若者サポートステーションきのかわ」開設に向けた打ち合わせをするサポステきのかわのスタッフ=2013年9月、橋本市(成瀬欣央撮影) 特に親自身が30~40代ぐらいであれば、ネットなども使った情報収集能力が高くなっていることも伺え、個人的には、ひきこもり支援についての情報がそれなりに浸透してきたことの効果は生じているとも感じてきた。しかし、それは甘すぎる認識であったと反省せざるを得ない。サポステの設計ミス 調査の40~50歳代について見ると、ひきこもり継続期間が5年以上という人が6割程度にもなる。ひきこもりには、長期化することで、往々にして家族全体が疲弊し、援助を求める力がさらに低下する側面がある。親や兄弟が高齢化すればなおさらだ。支援現場では確かに懸命な取り組みが行われてきたのではあるが、政策的には多くの人を取り残してきてしまったというよりない。この点ついては、どのあたりに問題があるのだろうか。 まず、支援資源について地域格差が非常に大きいことが指摘できよう。ひきこもり地域支援センターは都道府県と政令指定都市のレベルに設置されるものであり、誰でも通える範囲にあるわけではない。 また、相談やカウンセリングだけでなく、家族や本人が継続的に通うことができ、社会的交流を取り戻していく場が、ひきこもり支援には不可欠である。 だが、そうした実質的な受け皿が存在する地域は決して多くない。不登校支援以来の集積がある大都市部や、地方都市ではあるが一定の経験と規模を備え、さまざまな支援メニューをそろえた民間支援団体が存在するようなところは、比較的資源に恵まれた地域といえる。あとは、地域の保健所や社会福祉協議会が極めて積極的になんらかの取り組みを行っている場合でもない限り、支援につながることは物理的にも難しい。 また、支援方法や予算配分のあり方にも見直しが必要であろう。サポステは全国170カ所以上と相対的に多い機関である。2006年から10年ほどは、ひきこもり支援も期待され、彼ら彼女らも含めた就労困難層を受け止めるために、受託団体によっては持ち出しで「居場所」を用意することなども行ってきた。広島市で開かれた「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の全国大会=2018年11月(共同) しかし、特に2015年度以降、短期的に一般就労に結びつきそうな層に対象が限定され、現在ではひきこもりは対象外とされている。当然のことではあるが、あくまでも就労支援が中心課題となる機関である以上、少なくともひきこもり状態にある本人や家族を支援する機能には大きな限界があった。サポステについては、「積み過ぎた箱舟」と表現されたこともあったが、そもそも設計上、「積み残された」層もまた大きかったことが、この度明らかになったということであろう。ひきこもり政策は失敗だった こうした現状について、大阪の支援実践者としても経験の長い田中俊英氏が、「サポステは失敗だった」と題する記事をweb上に発表している(3月30日 ヤフー個人)。サポステが一定の役割を果たしてきたことは認めつつも、まだ就労には踏み出せないと感じた若者たちは、サポステに数回通った後に離脱し、潜在化してしまう。ならば、「日常生活支援」を経験すべき段階にある多くの人々をすくい上げるために、サポステを縮小し、その分の予算を「居場所」の設置や運営に投入すべきであると、明瞭に論じている。卓見である。 ひきこもりとは、本人に出会うことそのものが困難であり、また、その背景が非常に多様で、より時間をかけて当人や家族の困難を把握していく必要性の高い問題である。すぐには変わらない状態においても、家族や本人をつなぎ止め、もろもろの回復や生きる場の探索に、伴走的に支援していくことが求められる。いずれ就労に結びつく場合でも、その前にそれとはまた異なる方法と経験を備えた支援の場や過程が必要だ。単に現行支援機関の利用年齢制限を取り外せば済むというものではない。 以上のように支援政策について、早急に問い直すべきことが、この調査結果から読み取るべき課題であると思われる。しかし、政策のあり方だけが、こうした長期化した中高年のひきこもりを生み出してきたわけではなかろう。冒頭でも触れたが、今回の報道後、中高年のひきこもり者を「子供部屋おじさん」と呼ぶ書き込みがネット上で散見された。 「子供部屋おじさん」という表現は、中立的に解釈すれば、実家から離れることなく自室を使い続けながら暮らしている中年男性ということになろう。そうした「離家」がなされないことについては、一人暮らしがしたくてもできない経済的理由も大きいことが、社会調査の結果として既に明らかにされている。そしてこうした状況にある中年男性が、すべからく「ひきこもり」的生活をしているわけではないことはいうまでもない。 しかし、問題は「子供部屋おじさん」という表現が、決して中立的なものではなく、蔑称であることだ。「いい年をして子供のように実家に寄生する中年男」といった侮蔑(ぶべつ)的な意味が込められていることは、その使われ方をみれば明らかであろう。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ある雑誌記事では、働かず、人を避け、アニメに浸りながら、高齢の親には暴君として振る舞い年金を巻き上げる、そんな事例が「子供部屋おじさん」として紹介されていた。長期のひきこもり者が時にこうした暴君となってしまうケースもあることは、関係専門家や支援者は知るところであり、私もこうした人などいないといった反論をするつもりはない(ただ、もちろんこうした人が多いという根拠もないことは確認しておきたい)。「ひきこもりが許せない」 とはいえ、一定年齢を過ぎても実家で暮らしているという一事をもって、あるいはたとえそうした暴君であれ、なぜそのようになったのか、なぜそのようにしか生きられなかったのか、問うことも想像することもないまま、侮蔑の言葉やまなざしを投げかけるとすれば、それは問題であろう。 調査結果で、就職氷河期世代にあたる40代前半の層では、20代前半にひきこもり始めた人が33%と突出して多い。40代後半では17%、バブル世代といわれる50代前半では0%である。もちろん他の要因も検討されるべきであろうが、社会的な状況や個々人のさまざまな事情が折り重なって、ひきこもりという状態が生み出されることは繰り返し確認すべきところである。 そして、そうした背景や事情をなんら考慮しない「子供部屋おじさん」といった言葉が、当人とその家族をさらに孤立させることは容易に想像できよう。一方的に「恥ずべき存在」として侮られ批判されることが十分に予測できてしまう。そして実際にそうした経験もしやすい社会の中で、自分や自分たちの苦境を明らかにしながら支援を求めることは非常に困難だ。支援に結びつくこともなく、事態が悪化していくことをもたらしたのは、世の中のこうした悪意ある言葉やまなざしも影響してのことではないだろうか。 そうした言葉やまなざしを投げつける人々は、もとより当事者を孤立させることこそ望んでいるようにすら見えてしまう。ひきこもり中年やその家族が支援されることなく、苦境に陥っていくことこそ望んでいるのかもしれない。その暗い期待にもそれなりの背景があるようにも思われる。 私が講義でひきこもり支援の話をした際、「いじめや周囲からの暴言にも耐えてここまできた自分と、逃げて自室にひきこもった人間が、同じようにこの世で生きていけるなど許せない」というコメントを寄せた学生がいた。出口無しの感も否めない。 しかし、この学生が激しい痛みを経験したときに、適当な避難場所があったのであれば、違っていたのではないか。この学生を受け止め、ともにその状況に向き合ってくれる存在がいたのであれば、他者への想像力や公的支援についての見方もまた異なるものになりえたのではないだろうか。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ひきこもり問題に限らず、自分や家族だけではどうにも対応できない状況について、より抵抗なく相談でき必要な支援も受けられる社会を求めるか、一度歯車が狂ったら最後、一人でもがき続けるしかない社会を是とするか。後者のイメージも強い日本社会から、前者の社会への転換は、コンセンサスを形成すること自体、困難ではあろう。当面は、各種問題への局所的取り組みや部分的制度変更を通じて、人々の人生や社会についての体験のされ方が変わっていくことに希望をつなぎたい。■老老介護は「セカンドハネムーン」という考え方■「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!■NHK「老人漂流社会」プロデューサーが見た親子共倒れの現実

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    新元号発表に「権力者は安易に元号にかかわるべきではない」

     日本の元号の歴史は、約1300年前にさかのぼる。『日本書紀』によれば、最初の元号は645年の「大化」。飛鳥時代の孝徳天皇の即位に際して設けられ、遠く平成の御代になっても、その名は小学校の歴史の授業で学ぶ「大化の改新」と共に、多くの人に記憶されている。「大化」から「平成」まで、247の元号があった。元号は原則として「一世一元」。つまり、天皇1人の治世につき1つの元号というのがルールだ。しかし、約200年ぶりの譲位に伴う今回の改元の舞台裏では、その名を冠することになる「新天皇」が“ないがしろ”にされかねない事態が起きている──。 新元号が発表される4月1日、東京都心・皇居を囲む桜はちょうど満開を迎え、お濠には桜吹雪が舞うだろう。入学式や入社式など、今年の年度初めの行事は「平成最後の」と形容され、長く人々の記憶に残るに違いない。 新時代の名前は何になるのか──発表よりも一秒でも早く報じようと報道各社は熾烈な取材合戦を繰り広げている。「昭和改元の際には東京日日新聞(現在の毎日新聞)が新元号を『光文』とスクープしましたが、結果的に誤報になった。今回も新聞やテレビの政治部が中心となって『元号取材班』を組んでいます。 特に注力するのが、安倍晋三首相(64才)周辺や官邸関係者への取材です。そもそも“時代に名前をつける”という行為は、時の為政者が自身の権力を誇示するためのもの。強権的な政治姿勢をとる安倍首相も、新元号に強いこだわりを持っているとされます」(全国紙政治部記者) たとえば、その「出典」だ。これまでの元号はすべて中国の古典(漢籍)から選ばれてきたが、安倍首相は周辺に「出典は日本で書かれた書物(国書)がいい」と話しているという。国書とは、『古事記』や『日本書紀』などを指す。実際に菅義偉官房長官(70才)は3月25日、国文学や日本史学などの専門家に考案を委嘱したことを明らかにした。「安倍首相は“なぜ日本の元号制定に中国の手を借りなければならないのか”という感覚だそうです。一部では、安倍首相の『安』の字を採用するという話も浮上しています」(政治ジャーナリスト)私利私欲の道具にしてはならない 3月26日、新元号の発表は菅官房長官が行う方針だと報じられた。だが、この報道以前には、発表者は長らく「検討中」とされ、さまざまな憶測を呼んでいた。自民党役員会に臨む安倍首相(右)と二階幹事長=2019年3月15日午後、国会(共同)「安倍総理はこの8月まで政権を維持すれば、第1次政権を含めた通算で戦後最長の在職期間になります。ただ、“首相として歴史に残る大事業を行ったか”と問われれば、いまいちパッとしない。そこで、新元号を自ら発表することで末永く記憶に残る政治家になりたいという意欲があったと囁かれていました」(官邸関係者) たしかに「平成」の額縁を高々と掲げた小渕恵三官房長官(当時)の会見は、時代を象徴する1ページとして、繰り返し目にしてきた。「元号について見識の深い人たち、特に皇室関係者の間では、“権力者が自らの権威づけのために、安易に元号にかかわることは避けるべき”と考えられています。 たとえば、明治天皇は15才という若さであったとはいえ、『明治』をくじ引きで決めたことは有名です。大正天皇も昭和天皇も、天皇の最高諮問機関『枢密院(すうみついん)』の判断に任せた上で、追認しました。『平成』も竹下登首相ではなく、小渕官房長官が発表した。 御代の名前の決定は、向こう何十年かの国の平安を左右するかもしれない責任重大な行為であって、過去の為政者たちでさえ慎重に距離を取った、畏れ多い行為なのです。私利私欲の道具にしていいものではありません」(宮内庁関係者)関連記事■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か■新元号の選び方に法則性 平成の次の頭文字はKか■「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■「元号」と「年号」の違いと元号の6つの条件とは?■改元控え、皇太子さまと秋篠宮さまの「不穏な関係」に心配

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    新元号で「一世一元」に矛盾 急ごしらえ退位特例法に批判も

     安倍晋三首相(64才)は2月22日、東京・元赤坂の東宮御所を訪れ、皇太子さま(59才)と約30分の面談をした。首相が国政などに関して天皇陛下に報告することは「内奏」と呼ばれ、年に数回行われるが、皇太子さまへの報告は異例のことだ。実は、そこで驚きの会話がされたという。皇室ジャーナリストはこう語る。「首相から皇太子さまへ、来年に迫った東京オリンピックや天皇陛下の譲位に関連する儀式について報告するだけでなく、新元号についての説明もあったそうです。新元号の複数の案を示し、その中には(安倍首相の)『安』の文字もあったとされます。皇太子さまは穏やかに“みなさんでよくよく検討してください”といった対応をされたそうです。 また、首相は新元号の決定や公布の手続きを報告したようです。ただ、そのプロセスは皇太子さまのお立場を軽視したものではないかと波紋を呼んでいます」 そもそも、元号を最終決定するのは誰なのか。「昭和」までの246の元号は、天皇自らが決めてきた。元号は天皇の治世を表す名前であり、崩御されたあとは「おくり名」になる。天皇の意志が優先されるのは自然なことだ。 ところが、1979年に「元号法」が制定されると、内閣が新元号を決めることに変わる。具体的には、内閣から委嘱された専門家の提案の中から3案程度が絞り込まれ、有識者会議で検討されたのち、閣議にて改元政令が決定される。衆院議院運営委員会で天皇陛下の譲位を可能にする特例法案が可決され、佐藤勉委員長(左)と握手する大島理森衆院議長(中央)=2017年6月1日、衆院(斎藤良雄撮影) ただし、元号が天皇の御代に対応するものであることに変わりはなく、閣議決定後、天皇が政令に「署名」して初めて、新元号が公表される。前回の平成改元では、即位直後の天皇陛下が『明仁』とサインされた。「本来ならば、新天皇の即位後の最初の国事行為が、新元号の政令への署名になるべきです。次の元号は、皇太子さまの御代の名前なのだから、皇太子さまが『徳仁』とサインされるのが筋です。 しかし、4月1日の時点では、皇太子さまはまだ天皇ではないため、国事行為である署名を行うことはできません。つまり、今上天皇が『明仁』とサインされることになる。安倍首相は皇太子さまとの面会でそうしたプロセスを説明されたと考えられます」(前出・皇室ジャーナリスト) つまり、伝統的に続いてきた「一世一元」の原則が一時的に崩れ、皇太子さまは自分の治世の名を“自分で決める”ことができないということになるのだ。 生前退位という異例の御代がわりではあるが、「皇室の伝統を理解していない政治家や官僚が急ごしらえで退位特例法を作ったからこういう矛盾が出てくる」(別の皇室ジャーナリスト)という声も大きい。関連記事■新元号発表に「権力者は安易に元号にかかわるべきではない」■新元号発表日、ネットニュースがスクープ合戦の舞台に■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か■「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■過去データを元に元号通が予想した新元号本命は何か?

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    朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない

    山岡鉄秀(AJCN代表) 2018年、私はケント・ギルバートさんとともに朝日新聞を追及し、その結果を『朝日新聞との対決全記録』という一冊の本にまとめた。 われわれが当初追及したのは、朝日新聞が英語版でひそかに続ける「慰安婦強制連行プロパガンダ」だった。2014年8月、朝日は吉田清治証言に基づく「虚報」を撤回して謝罪した。ところが、iRONNAでも指摘したように、英語版では「強制連行と性奴隷化」を想起させる表現を使い続けていたからだ。(Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II. 第二次世界大戦前と最中、日本兵に性行為を強要された慰安婦) 朝日新聞はわれわれの問いかけに対し、「慰安婦とされた女性の訴えは人によって、あるいは時期や場所、戦況によって大きなばらつきがあり、個々の状況全体を総合して具体的に説明するのは困難です」と回答した。「慰安婦の多様性」を認めながらも、前述の画一的な表現を改めることは拒否したのである。 その後、同様の表現を使用していた英字紙ジャパン・タイムズが編集方針を改め、そのような表現を今後は使用しないと宣言した。しかし、朝日新聞はわれわれとの交信で自己矛盾を露呈しながらも、方針変更についてはかたくなに拒否した。 そんな朝日新聞は、まるでウルトラセブンに追い詰められ、隠密行動を放棄した宇宙人が巨大化して街を破壊するような行為に打って出てきた。いよいよその暴力性を隠す気も無くしたようだ。最新の例を二つ挙げよう。 韓国が慰安婦に関する日韓合意を事実上破棄したことを受けて、朝日新聞は「慰安婦財団、残したものは」という記事を掲載した。これは日韓合意を受けて韓国側が設立した「和解・癒やし財団」の活動を振り返る記事だが、慰安婦に関する説明が添えられている。そこには次のような記述がある。 戦時中、日本軍の関与の下でつくられた慰安所で、朝鮮半島出身の女性が将兵の性の相手を強いられた。(筆者注:強いられた=forced to provide sex)「慰安婦財団、残したものは」2019.01.28 朝日新聞東京本社版朝刊 6ページ われわれの追及の過程で、朝日新聞が虚報を撤回したことを認めた記事を、利用者が特定のウェブページを訪問することを防ぐようにする「メタタグ」などを使用して検索できないようにしていたことが発覚した。朝日新聞は慰安婦問題に関してはもはや逃げ隠れせず、日本語の世界でも「強制性」を事実として流布することを決めたようである。どんなことをしてでも、日本と日本人を貶(おとし)めたい朝日新聞の執念が感じ取れる。朝日新聞東京本社ビル=2018年10月(宮崎瑞穂撮影) しかし、日本語版では無難な記事を書きながら、英語版で徹底的に日本を貶めるという、朝日新聞の作戦は終了していない。先般閣議決定された、いわゆる「アイヌ新法案」をめぐる記事の日本語版と英語版の齟齬(そご)には驚きを禁じ得なかった。日本語と英語「凄まじい違い」 ここで、2019年2月18日に朝日新聞デジタルで配信された日本語記事を紹介する。先住民族の明記評価 自治体「格差」懸念もアイヌ新法案 閣議決定 国のアイヌ政策の基本となるアイヌ新法案が15日、閣議決定された。アイヌ民族を「先住民族」と明記し、差別禁止やアイヌ文化にかかわる特例措置などを盛り込んだ。法案を評価する声が聞かれる一方、自治体により「格差」が生じると心配する声もある。政府は今国会の成立を目指す。 次に英語版を見てみよう。英語表記と和訳を併記する。こちらは一足早く2月6日に配信されている。Bill finally recognizes Ainu as indigenous people of Japan(法案はついにアイヌを日本の先住民だと認める)After more than a century of forced assimilation and discrimination that nearly blotted out their culture, the Ainu are finally to be recognized as indigenous under legislation to be submitted to the ordinary Diet session. (アイヌの文化をほぼ壊滅させた1世紀以上にも及ぶ強制的な同化政策と差別の果てに、ついにアイヌ民族を法的に先住民族と認める法案が通常国会に提出される) このすさまじい違いは何を意味するか。 この表現では、日本政府が今回の「アイヌ新法」でアイヌを先住民と正式に認めることが、「アイヌ侵略史観」まで公式に認めたと受け取られかねない。「そんなつもりはない」と日本政府が言っても、明確に説明(立論)しなければ、自動的にそうなる。これに朝日新聞が食らいつかないはずがない。それが前述の英語記事につながるわけだ。 日本政府は、アイヌを正式に先住民と認め、さらに手厚く支援することで国際社会の心証が良くなることを期待しているのだろうか。ひょっとしたら、人気漫画『ゴールデンカムイ』のイメージを利用して観光資源になることまで考えているのかもしれない。 2018年12月末、いつの間にか「アイヌ担当大臣」という新たなポストが設置され、公明党の石井啓一国土交通相が指名されたことを知らない人も多いだろう。そして2020年4月には北海道白老町の8600平方メートルの敷地に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園がオープンする予定だ。このように、東京五輪に合わせて海外向けの情報発信が急ピッチで進んでいることもあまり知られていない。2018年12月、北海道庁赤れんが庁舎の外壁に浮かび上がる、アイヌ文化を紹介する「プロジェクションマッピング」 日本政府は、この政策によって「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」「徴用工」などに続いて、「アイヌ侵略」が日本政府公認の歴史的犯罪として世界に拡散される危険性を理解していない。慰安婦に関する日韓合意によって、「慰安婦性奴隷説」は世界で定着した。今後、前述の朝日のような「日本人の犯罪としてのアイヌ侵略」を強調する英語記事が世界中にますますあふれてしまえば、日本人は永遠に税金を使って償い続けることを余儀なくされるだろう。 政府は慰安婦問題で、あれほど日本の名誉を貶められ、国益を損ねながら、またもや進んで情報戦の餌食になってしまった。ここぞとばかり牙をむく朝日新聞の高笑いが聞こえてきそうである。■「慰安婦は誰が強制したのか」曖昧な英文記事、朝日のヘリクツ■慰安婦を「ゲスな演出」でアピールする韓国に反論してもムダである■慰安婦問題で韓国に「無条件降伏」し続ける外務省のホームページ

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    愛煙家は認めよう、けれどタバコ休憩が生んだ「喫煙貴族」は許せない

    常見陽平(千葉商科大学国際教養学部専任講師) 39歳の若さで脳腫瘍により亡くなった父は愛煙家だった。実にかっこよくタバコを吸う大人だった。カートン買いが普通だった。 寝たきりになる前は、選挙速報があるたびに大量のタバコを用意し、かじりついて開票結果を見ていた。歴史学者の父は、病室でも洋書をめくりながらタバコとコーヒーを嗜(たしな)んでいた。危篤状態になり、集中治療室に入ってからも「タバコが吸いたい」と言った。 同業の母も喫煙者で、63歳のときに一度体調を崩すまで吸っていた。もう禁煙して10年になる。洋書をめくり、タバコとコーヒーを嗜(たしな)む両親を見て育った。 さらに、祖父は、日本たばこ産業(JT)の前身である日本専売公社の職員だった。戦前の樺太(当時)でタバコを売っていたこともあるそうだ。実家のアルバムには「ピース」の缶を持って地方紙に載っている記事がスクラップされている。 このような生粋の「タバコ家系」で育ったにも関わらず、私は喫煙者ではない。ただ、嫌煙原理主義者ではない。 嫌煙団体の皆さんはがっかりするかもしれないが、タバコを吸う人は「かっこいい」と思う方だ。例えば、2013年に宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』が公開され、主人公が喫煙することについて抗議の声が上がったが、私はそのような声に疑問を持った。1960年6月、発売前日の産経新聞に掲載された、日本専売公社が新発売したたばこ「ハイライト」の広告 喫煙する権利は認めなくてはならない。喫煙は文化でもある。言うまでもなく、産業でもある。 しかし、「タバコ休憩」だけは納得がいかないのだ。なぜ喫煙者だけが、1時間に10分程度休むことができるのか。謎の「喫煙者特権」 タバコ一家に育ったのにも関わらず、タバコ休憩批判を展開するのは、何より育ててくれた家族に対する忘恩的な行為ともいえるだろう。喫煙者からすると、その気持ちなど歯牙にもかけぬ傲慢(ごうまん)な言動に思えるかもしれない。 しかし、今ここで立ち上がらないならば、人類滅亡の危機さえ招くことを直覚し、私は重大な決意のもと、この檄を叩きつける。たとえ、孤立無援になろうとも、この「タバコ休憩」批判だけは、非妥協的に主張しなくてはならないのだ。ルビコン川を渡るほどの強い決意で、同様の疑問を持った同志たちに勇躍決起することを呼びかけるとともに、日本の労働社会における休憩のあり方について警鐘を乱打したい。 大学卒業後、15年間会社員をした。そのころからずっと喫煙者の「タバコ休憩」特権が謎だった。なぜ、喫煙者だけ1時間に10分程度、喫煙所に消えていくのかと。 仮に、勤務時間が1日7時間半だとすると、このペースで休憩をとると、1日あたりの休憩時間は、昼休みの1時間にプラスして、もう1時間強も休憩をとっていることになる。これは不公平ではないか。 同じ人間なのに、休憩時間が長いのはなぜか。この不公平、不平等を断罪したい。満腔(まんこう)の怒りを叩きつけたい事案である。 しかも、この喫煙所にはコストがかかる。分煙にどこまで力を入れるかにもよるが、個室による分煙を行う場合は、スペースの確保だけでなく、煙やニオイが喫煙スペースにこもったり、非喫煙スペースに漏れたりしないように、給気口や排気口など、一定の気流が確保できる換気設備の設置が必要となる。 喫煙席などの上部に排気設備を設置して、煙が周囲に広がる前に、屋外へ排気する局所排気による分煙も同様にコストがかかる。メンテナンスにもコストがかかることは言うまでもない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 喫煙者のために、いつの間にか投資が行われているのだ。喫煙者が減る中、果たして、この投資分のリターンはあるのだろうか。 しかも、この喫煙所は「サロン化」する。プラスの側面で捉えると、年次・役職や部門を超える交流が行われる。一方で、非喫煙者は排除される。以前の職場では、役職者に喫煙者が多く、その場で決めたことが非喫煙者に共有されないなどのコミュニケーション上のトラブルも発生していた。喫煙エゴイズムに屈するな 自分たちだけ非喫煙者よりも多く休憩をとり、会社から設備の投資も受ける。自分たちだけのコミュニティーをつくる。いわば、彼らは「喫煙貴族」ではないか。 このような社内格差を断じて許してはならない。喫煙エゴイズムに屈してはならない。 もちろん、私のような小市民に、赤々と怒りの炎を燃やされても、迷惑だと感じる喫煙者もいるだろう。「タバコ休憩」は喫煙者が作り出したものとは必ずしも言えない。分煙化の流れの副産物だと言えるだろう。つまり、分煙の徹底が進んだがゆえに広がったものだと私は見ている。 やや自分語りで恐縮ではあるが、私が会社員になった1990年代後半は、営業のフロアでは喫煙しながら仕事をするのが普通だった。営業会議などの際は、会議室は煙だらけになり、吸い殻が山のように積まれる。 灰皿は時に凶器にもなった。灰皿を投げて威嚇する上司もいた。相手に当たらないように、しかもビジュアル的に派手になるように、投げ方にも工夫が感じられた。体に当たらなくても、すでにパワハラであることは言うまでもない。 ただ、いずれにせよ、社内において、結果として「喫煙貴族」が誕生していることについて、われわれは虚心に直視しなくてはならない。非喫煙者たちは「喫煙貴族」と比べて、飛躍的に労働強度が増している可能性があることに気づかなくてはならない。このような策動の貫徹など、絶対に許してはならないのだ。 「喫煙貴族」への怒りは燎原(りょうげん)の火のように燃え広がっている。ただ、誤解なきように言うが、私はこのような不公平な状態を「喫煙貴族」と呼んでいるわけであって、喫煙者を否定するわけではない。最近、出産した前田敦子の名セリフ風に言うならば、タバコ休憩を嫌いになったものの、喫煙者が嫌いになったわけではない。損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険本社の休憩スペース。かつては喫煙室だった=東京都新宿区 人は「喫煙貴族」に生まれるのではない。「喫煙貴族」になるのである。彼らは社会の変化の中で生まれたものだとも言えるのだ。 この日和見的な姿勢は禁煙原理主義者から嫌われそうだし、日和見的な姿勢が糾弾されそうだが、私は権利としての喫煙、文化としての喫煙を否定してはいけないと考えるのだ。「休み方革命」の時代 ただ、喫煙者が結果として、非喫煙者よりも職場で休む機会が多いと感じること、さらには喫煙者に企業から予算が投入されてしまっていることに憤慨しているのである。この分煙化の予算は、誰のためのものかという議論はあるだろうが。 この喫煙者と非喫煙者の断絶、分断とも言える状態、社内での冷戦状態への解決策は「多様な休憩を認めること」ではないか。昼休みの60分の他に、結果として取ってしまっている「タバコ休憩」だけでなく「カフェ休憩」「スイーツ休憩」「おしゃべり休憩」「スポーツ休憩」「読書休憩」など多様な休憩を認めるべきである。また、喫煙スペース以外にも設備投資を行うべきだ。 すでに日本企業においても、イスラム教徒などのために、礼拝室を設け、その時間は抜けることを容認するなどの配慮が進んでいる。これは信仰のためである。さまざまな理由から、職場を抜けて休むこと、休むだけではなく、何かに取り組むことを容認する風土をつくりたい。 これは「休み方改革」とも言えるものだ。すでに「働き方改革」の一環として、1時間単位で有給休暇をとることができる企業、1日の労働時間を見直す企業などが出現している。この「喫煙者以外にも自由な休憩を」というのは、今すぐ取り組むべきことではないか。 時代は、売り手市場を通り越して「採用氷河期」である。人材の獲得、定着のためには労働環境の改善が必要だ。非喫煙者への休憩の拡大、休み方の多様化もその一環として考えたい。 もうすぐ新時代が始まる。新時代を「休み方革命」の時代とするために、抜本的改善を勝ち取り、乾坤一擲(けんこんいってき)、全力を振り絞って奮闘するのでなければならないのだ。平成は喫煙者にとっても、非喫煙者にとっても「暗黒の時代」だった。喫煙者は肩身の狭い思いをし、非喫煙者は不公平な思いをする。2019年3月1日、就職活動が解禁され、学生が集まった大阪市住之江区の合同企業説明会会場(前川純一郎撮影) しかし、「暗黒の時代」とは決して「絶望の時代」を意味しない。どん底の底が破れるときに、光まばゆい世界が開けるのだ。 この国の未来を考えた場合、喫煙者と非喫煙者の対立など不毛である。あたかも、政治における左右の対立のように矮小(わいしょう)化、プロレス化してはならない。ヘビースモーカーの両親から生まれた私が、非喫煙者として円満な親子関係を築けたように、人はきっと分かり合える。 そのために、分煙化推進の副産物である「喫煙貴族」のあり方について見直し、非喫煙者も時間的にも投資額的にも報われる輝かしい未来を作らなくてはならない。非喫煙者の休む権利を勝ち取るために、前進を勝ち取るのだ。■ 喫煙者の皆さん、残念ながら「タバコを吸う権利」はありません■ 潔癖の代償―喫煙ヘイト亡国論―■ 加熱式タバコの安全神話「有害物質9割減」のトリック

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    「タバコ休憩=サボり」喫煙者へのレッテルはむしろ逆効果である

    は必須ではなく、感染拡大を助長しないために一定期間、家で静養するのが望ましい」 年々危機感が煽られて社会問題化しつつあるインフルエンザですが、最新のアメリカ疾病管理予防センターの報告によると、「一部の重篤化の恐れのある幼児や高齢者以外は、寝ておきましょう」というのが新たな世界のスタンダードになりつつあるといいます。嫌煙は優性世論 しかし、いくら「インフルエンザが怖くない」と米国の政府系機関が太鼓判を押したからと言っても、「診察に行かないほうがいい」なんて言われると、人によっては、ちょっとおかしいと思うかもしれません。 さらなる応用問題を考えてみます。 「世界的には、今、大麻の一部成分であるカンナビジオール(略称CBD)は健康に害がないものとして、医療用大麻として合法化されるという動きがある。日本においてはこれを是とする姿勢は見せておらず、一般にも、大麻=悪とのイメージが根強い」 インフルエンザに対して、「診察に行く、行かない」の二択であればまだしも、医療用大麻に対して、「認める、認めない」の二択も、世の中には存在します。いくら依存性がないから安心だよといっても、「大麻の一部成分」を処方されたら、不安に感じる人もいることでしょう。 どちらも、それなりの専門知識がないと、にわかにどちらが正しいとは、断言しづらいと思います。しかし、問題の構造は、喫煙と同じなのです。煙草は単純に、煙たくてにおいが不快で、世論が優勢だから、結論に至る心理過程もシンプルになりがちである、というだけのことです。 「こっちが正しい、あっちが悪者」というレッテルを貼る行為が、現実を変革する効力を持つとは限りません。むしろ変わらない現実を固定化することだって、あります。インフルエンザ対策で加湿器の売れ行きが好調なビックカメラ有楽町店の売り場=2019年2月 大切なのは、他者の考えに対して想像を巡らすということです。そのうえで、「表面的な結果に直接働きかける」のではなく「内在的な真の課題を探しに行く」ことが肝心です。私個人の場合は、そうしたことを続けている中で「恩師の一喝」というご縁をいただきました。喫煙習慣を辞するきっかけは、百人いたら百通りあると思います。 要は、個人個人がそれに対する準備ができているか、という問題なのだと思うのです。嫌煙タカ派の方々におかれては、そんな観点でキャンペーンのプロジェクトを立案されることをご提案し、愛煙家の皆さまにはご自身を責めず、周囲に配慮のうえで喫煙を楽しまれることをお祈りし、サイレント・マジョリティの皆さまには相手陣営の方の心を推し量ることお勧めして、本稿を終えたいと思います。■「加熱式」で知恵を絞れば見えてくるタバコ規制論争の行方■潔癖の代償―喫煙ヘイト亡国論―■肺がん患者の自問自答「喫煙者との対立はなくせないのか」

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    全面禁煙化に潜む「排除された不合理性」

    千葉雅也(立命館大学准教授)千葉 あらゆる施設内を一律に禁煙化するという方針には、ある政治性が、イデオロギーが含まれていると考えられます。それは一言でいうと、「身体の私的所有」の強化です。――どういう意味なのでしょうか。千葉 自らの身体を外界から区切られた「領地―プロパティ(私有財産)―不動産」として考え、境界を侵犯するものを拒絶することです。近年、右派と左派のいかんを問わず「身体の私的所有」を強める傾向が見られると思います。 たとえば右派の場合、在日外国人や移民に対する拒絶反応が顕著です。自国の領土を身体の延長のように見なし、侵犯者を敵と捉え、アメリカのトランプ大統領のように「国境に壁をつくる」といってみせる。 対する左派においては、マイノリティの権利擁護の場面で、アイデンティティの取り扱いを単純化し、当事者の申し立てを「当人が自分はこうだといっているのだからそうなのだ」と固定化するような傾向があるのではないか。 右派の場合は国家や民族など集団的アイデンティティを護り、左派の場合は細分化されたマイナーなアイデンティティを護る、という相違はあるけれど、いずれも「身体という領土」の防衛という点では一致している。身体は自分だけのものである、という認識です。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 受動喫煙への嫌悪もまた、自分の「身体という領土」を一片たりとも侵されたくない、というイデオロギーの表れではないでしょうか。 さらに、たばこの煙に限らず、「電車内のベビーカーや赤ん坊の泣き声が神経に障る」というサラリーマンや、恋愛やセックスのストレスを避ける「草食系」の傾向も、「身体という領土」を脅かす存在を拒絶するという意味で、「身体の私的所有」の観点から説明可能でしょう。 さらにいえば、「身体という領土」とは、「自分という資本」です。それをガッチリ掴んでいる。他者との偶発的な関係によって「自分という資本」が目減りする、不完全化するのを避けたいというわけです。失われた身体のコミュニティ――おっしゃるような拒絶のメンタリティはいつ、どのようにして社会に広まったのでしょうか。千葉 その質問に答えるにはまず、受動喫煙が問題にならなかった時代の社会に何が存在したのか、その後に何が消えたのかを考えなければならない。 結論をいうと、現代社会から失われたのは身体のコミュニティ、身体の共有性でしょう。かつては、自分と他人の境界がもっと曖昧であり、「身体の私的所有」という観念はもっと弱かったのだと思います。 旧来の共同体で生きていた人たちは、「自分の生活は100%自分の意志でコントロールできるものではない、時には他者が土足で踏み込んでくることもある」といった身体感覚を共有していた。 しかし21世紀に入ってグローバル化が進行すると、市場原理主義に基づくネオリベラリズム(新自由主義)の経済体制が強まり、社会の細分化・個人主義が進みました。それと並行して、社会から身体を共有する意識が失われていったというのが、私の見立てです。 この点をより理解するために、「右派」「左派」と「禁煙推進派」「喫煙擁護派」の4者の相関関係を図にしてみましょう。 この図式における政治的立場とたばこの相関関係は理念的仮説であって、混合したタイプや例外も当然あるだろうという注意をまず述べておきます。 さて、右上の「禁煙推進派かつ右派」は、グローバル化と不可分のネオリベラリズムと、国家の閉鎖性の護持という真逆の思想が組み合わさった人びとであり、このタイプは、それがグローバルな(つまり経済的な)大勢であるという理由、かつ身体(私=国家)の私的所有の観点から、禁煙を推進する可能性が高いと思います。 他方、左上の「禁煙推進派かつ左派」は、リベラルの立場から無迷惑社会に賛同する人たちですが、皮肉なことに彼らの主張は、個人を身体のコミュニティから引き剥がすネオリベラリズムと通底している。 このように自らがネオリベと共犯関係にあることを自覚している左派がどれだけいるでしょうか。 興味深いのは、「喫煙擁護派かつ右派」と「喫煙擁護派かつ左派」のタイプです。 右派の論者に喫煙擁護派がしばしば見られるのは、彼らが古いコミュニティ(共同体)に信頼を抱いているからだと思われます。おそらくコアな保守主義者は、「完全な個人主義は成り立たない」ということは実存の本質に関わるテーゼであると、経験を通して直観している。 他方、今日の激した資本主義に異議を唱える左派の議論を深掘りすると、突き当たるのは「コミュニティ」の重視、すなわち「コミュニズム」です。ここにおいて、ラディカル(急進的)な左派とコアな右派は相通じることになる。 対照的に、コミュニズムに無自覚で、結局はネオリベ追従の左派と右派は共に思想のぬるさにおいて同じ穴のムジナといえるでしょう。不合理性の排除は人類の自殺千葉 ここで若干、コミュニズムという言葉の説明が必要ですね。コミュニズムを日本語で直訳すると「共産主義」であり、歴史上、社会主義政権として現れた中央集権の独裁体制を想起して警戒する人がいるかもしれないからです。 しかし、広義でいえばコミュニズムは必ずしも政治体制に限定されるものではなく、私たちの生活のあらゆる場面に「潜在」しているのです。 私が念頭に置いているのは、デヴィッド・グレーバー(『負債論』『アナーキスト人類学のための断章』の著者)らが議論している、「いまここにあるコミュニズム」です。 日常生活のなかで、われわれは必ずしも見返りを求めない贈与やサービスのやりとりを行なっています。その背後にあるのは、合理的な利害関係、損得勘定に収まらない考え方です。自他の利害を白黒はっきりさせず、互いのグレーゾーンにおいて展開する関係性がコミュニズムの基盤だといえる。 われわれの生活の基底には「アナルコ・コミュニズム」と呼ばれるべき状況がある。「アナルコ」とはアナーキズム(無政府主義)。 やはり誤解を避けるために説明すると、この場合のアナーキズムとは、暴力や騒乱を求める思想ではありません。政府による上からの統治ではなく、下からの相互扶助によってコミュニティを成立させることは可能か、という問いに真剣に取り組むための概念なのです。 21世紀の社会では、ネオリベラリズムとアナログなコミュニティが軋轢を起こしています。一方では、責任を担う主体同士がフォーマル(正規)な契約関係を結び、経済活動を行なっている。 しかしその底、あるいはただなかには、自他の境界が明確でないインフォーマル(非正規)な互助関係が多様に展開してもいる。私の懸念は、「責任」の明示を求めることが、後者のグレーな世界を蒸発させてしまうことなのです。大きくいえば、責任という概念自体が、身体の私的所有と根深く結び付いている。――表面上の個人主義や合理主義だけでは社会が成り立たない。千葉 たばこの話に戻ると、全面禁煙化の訴えは、アナログコミュニティを破壊し、合理的主体の勝利をめざすプロパガンダの一環であると思われるのです。 単純な合理主義者にとっては、喫煙と発がん率の相関関係を見るような計量的エビデンスが唯一、価値判断を可能にするのでしょう。しかし人間は、実存の根底において、計量化されない不合理性によって生きています。 私は論考「アンチ・エビデンス」(『10+1 web site』2015年4月号所収)で、質的な根拠よりも量的な証拠を過剰に優先するエビデンス主義(エビデンシャリズム)が、「正しさ」を形骸化させていることを指摘しました。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そのようなエビデンス主義とは、身体のコミュニティの喪失にほかなりません。端的にいって、これは人類の自殺なのではないか……そう考えるのは、「元人類」の古い感覚なのかもしれません。 しかし、いまこそ過剰なエビデンス主義と無迷惑社会の理想に懐疑の目を向け、世界の不合理性を受け入れ直し、不合理性と合理性のグレーゾーンにおいていかに生きるかを模索すべき時が来ていると思うのです。ちば・まさや 立命館大学准教授。1978年、栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(紀伊國屋じんぶん大賞2013、第5回表象文化論学会賞)、『別のしかたで』(いずれも河出書房新社)など。関連記事■ 千葉雅也 著者に聞く『勉強の哲学』■ 山本博 酒とたばこは心の安らぎ■ 「チクショー。やめろ」 オウム真理教・麻原死刑囚最後の日

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    NHK大河『いだてん』受動喫煙騒動から学んだ3つの教訓

     社会が高度に情報化されたことで、人間関係の難しさも表出している。大人力について日々考察するコラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。* * * 今日もあちこちで、いろんな人がいろんなことにクレームをつけています。立場や考え方は人それぞれ。誰もが自由に意見を言える世の中は、もちろん素晴らしいに決まっています。いっぽうで、どんな意見にも異論や反論があるのが常。今日もあちこちで、無益な炎上や対立が起きています。 NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』の中で、タバコを吸うシーンがちょくちょく出てくることに対して、公益社団法人「受動喫煙撲滅機構」が抗議の意を示しました。2月にNHK会長と番組担当責任者に宛てて、〈『いだてん』受動喫煙のシーンに関する申し入れ〉を送付。そこには、以下のふたつの要望が書かれています。一、『いだてん』において、受動喫煙のシーンは、今後絶対に出さないでください。二、『いだてん』で、受動喫煙場面が放映されたことについて、番組テロップなどで謝罪をしてください。 抗議の件が報じられると、その行為を称賛する声とともに、多くの反発の声が上がります。機構にも批判的な電話やメールが寄せられたとか。『いだてん』が描いているのは、おもに1910~60年代。その時代は街中でタバコを吸うのは当たり前の光景でした。元陸上選手の為末大さんも、ツイッターで「(申し入れは)無視していい。歴史は歴史で、その時代に事実だったものはそのまま残すべきだと思う」と投稿。ちなみに為末さんは、受動喫煙防止の活動に取り組んでいます。 NHK側はその後、無視せずにちゃんと返事を出しました。「(主人公の)キャラクターを表現する上で欠かせない要素として描いておりますが、演出上必要な範囲にとどめております」「番組の表現が視聴者の皆様にどのように受け取られるか、配慮しながら番組制作をして参りたいと思います」などと回答。それを受けて機構側は、3月6日に「(NHKが)受動喫煙を撲滅する方針を失っていないと判断致しました」という見解を発表して、事態はいちおう決着しました。 いつの間にか世の中は、誰かが大きな声で「喫煙はケシカラン!」と叫べば、言われた側は黙り込むしかない状況になっています。「そんなに目くじら立てなくても」なんて言おうものなら、どんな罵声を浴びせかけられるかわかりません。しかし、今回は少し風向きが違ったようです。ネット上などでも「そこはまあ、いいんじゃないの」という声が、いつになく目立ちました。東京・渋谷のNHK放送センターにあるスタジオパーク(ゲッティイメージズ) 回答を読むと、NHK側は「今後、喫煙シーンは出さない」とはひと言も言っていません。しかし機構側は、意外なほどすんなり矛を収めました。もしかしたら、「おいおい」という声が多い雰囲気を察知したのでしょうか。あるいは、ニュースになって「喫煙シーンを出すと面倒なことになる」とメディア側にあらためて認識させたことで、十分に目的が果たされたのでしょうか。 私はタバコは吸いませんが、嫌煙を主張する声がヒステリックな方向で高まっていく風潮には「嫌だなー、煙たいなー」という気持ちを抱かずにはいられません。ただ、だからといってこの出来事に対してケンカ腰で異を唱えたら、静かにタバコを楽しみたい方々に間接的に迷惑をかけてしまいます。意見が違う同士でも、たとえケンエンの仲でも平和に手を取り合える世の中を目指して、昨今の嫌煙ムードの高まりや今回の騒動から、がんばって3つの大人の教訓を学んでみましょう。一.気に食わないことに文句をつける場合は、なるべく極端な例をたくさん集めて「それでも認めないあなたは人でなしだ」という流れに持っていく一.誰に何を謝ればいいのか、そもそもなぜ自分がそれを要求できるのかよくわからなくても「謝罪してください」と言えば優位に立った気になれる一.世の中で一定の支持を得ている「正論」だからといって、それをタテに調子に乗って何でもかんでもクレームをつけると味方からも引かれる とてもためになる勉強をさせていただきました。ありがたいことです。もしかしたらカチンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、平和を求める姿勢に免じて、寛大な心で受け止めていただけたら幸いです。苦手な方が多いかもしれませんけど。関連記事■大河『いだてん』 五輪メダリスト投入のテコ入れ案も■『いだてん』視聴率低迷を加速させる「ストレスコーピング」■日曜20時の視聴率争い 『イッテQ』『一軒家』と他局の違い■JTが発売の新・加熱式たばこ 力の入れ方は「半端ない」■肺がんや肺炎の兆候、2週間咳が止まらなかったら要注意

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    たばこ休憩とネットサーフィン 「職務専念義務違反」なのは

     勤務時間内の「たばこ休憩」は1日どの程度なら許されるのか――。 事あるごとに勃発するこの議論。当サイトでも過去に取り上げ、〈他の社員がトイレに行ったりジュースを買いに行ったりする頻度や時間と同じくらいであれば社内で波風も立たない〉とする社会保険労務士の見解を紹介した。昼休みを除き、時間は1回5分、1日3回程度が許容範囲である、と。 しかし、この問題はいつの間にかエスカレートし、「あり」か「なし」かの二者択一を迫る風潮になっている。 11月11日に放送された情報番組の『ミヤネ屋』(日本テレビ系列)でも、市民団体「兵庫県タバコフリー協会」が調査した公務員の「たばこ休憩調査」を取り上げ、スタジオゲストを交えて激論が繰り広げられた。 同調査によれば、兵庫県尼崎市役所の職員が喫煙所に訪れた人数を目視でカウント。1日に547人いたことを確認し、「1本吸う時間5分+移動時間5分×547(人)=離席時間約91.2時間」と算出した。 そして、調査しなかった水道局や環境局などの外局を含めて年間の給料に換算。尼崎市役所だけで少なくても1億円以上、全国の公務員の合計では年間920億円の給料にあたると試算した。 国民の税金から給料が賄われている公務員だけに、時給換算で年920億円もの税金がムダになっていると聞けば、「けしからん」との批判も高まろう。しかし、問題は「たばこ休憩」から「休憩」の意義が考慮されていないことにある。 同番組のコメンテーターである読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏は、こう擁護した。〈計算上はそうかもしれないけど、(勤務時間内に)トイレに行くときだってあるし、体操したほうが(仕事の)効率が上がるときだってある。じゃあ、机に座っていればいいんですか? という話です。仕事よりもたばこ(喫煙所)に行っている時間が主になれば問題ですが、要は程度問題だと思います〉たばこ休憩を巡る議論は尽きない この意見に異を唱えたのは弁護士の本村健太郎氏だ。地方公務員法や国家公務員法の記載において、公務員は勤務時間中“職務に専念する義務”があるとの解説にかぶせ、〈これは民間企業も同じで、トイレのような生理現象は労働時間に含めていいが、たばこは個人の私的行為なので本来は許されない〉 と断罪した。司会の宮根誠司氏はたまらず、〈公務員の人は、トイレ以外はずっと仕事してなアカンいうこと?〉と質問すると、本村氏は〈机に座っていること自体が義務なので、抜ける(離席する)ことがダメ〉と回答。〈10分離れたらアウト、せいぜい30秒なら……〉と補足した。チームワークも大事だが… では、実際にたばこ休憩は「職務専念義務違反」にあたるのか。当サイトでは人事ジャーナリストの溝上憲文氏に聞いた。「もちろん労働契約で勤務時間はきちんと定められていますが、職務専念義務違反行為にあたる離席理由や時間が定義されているわけではありません。 特に許容範囲が広い正社員の場合は、たとえば子供の学校送迎で30分出社するのが遅れることになっても、会社に報告すれば30分相当の給料を引かれることはないでしょう。また、昼休みの外食で注文したソバがなかなかこず、会社に戻るのが1時20分になっても、誰も咎める人はいないでしょう。多少の時間なら周囲も暗黙のうちに認めているのです。 もし、勤務時間を厳密に管理しようと思えば、職場の就業規定に離席理由を細かく明記し、詳細な記録を取ったり、書面による届け出制にすればいいのですが、そんなことをしたら仕事のフレキシビリティが欠けますし、社員のモチベーションや生産性にも影響してくるでしょう」(溝上氏) そもそも、いくら机に座っていても、私語が絶えなかったり、職務と関係のないネットサーフィンをしたり、スマホゲームに勤しんだり……とサボッている社員はいるはず。これらの行為も立派な職務専念義務違反ではないのか。「もちろん該当します。会社のPCでネットサーフィンをしているのであれば、会社の財産を私的に流用したことになるので、たばこ休憩より罪が重い。 喫煙所では他部署の人たちとの“タバコミュニケーション”により、新しいアイデアや企画が生まれることもあります。そういう意味では、たばこ休憩が必ずしも会社の生産性向上や業績アップにマイナスになるとはいえません」(前出・溝上氏) ミヤネ屋の放送は「ちゃんと仕事をやればいいだけ」という結論で幕を閉じたが、そこはシビアに捉える必要があると、溝上氏も同調する。「職場のチームワークも大事ですが、基本的には勤務時間内に個人がどれだけ成果や業績を上げられたかどうかが問われるべき。そこをはき違え、目くじらを立てて時間管理を徹底すれば、ギスギスと歪な職場になってしまいます。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 喫煙者も周囲に迷惑をかけるほど、たばこ休憩を頻繁に取るのは控えなければなりません。『1回1本5分』などと自分でルールを決め、1時間の昼休みを毎日30分で切り上げ、残りの30分をたばこ休憩に振り分けるなど、工夫してほしいと思います」(溝上氏) たばこに限らず、休憩やサボり時間が増えれば増えるほど、仕事の効率が上がらなくなるのは当然。その自覚がない人は、周囲に咎められるまでもなく、結果となって跳ね返ってくるだけだ。関連記事■午後ワイドなら『ミヤネ屋』といわれる強さの秘密■在京テレビ局 大阪北部地震報道に温度差がある?■『ミヤネ屋』のお天気お姉さん 目標は信頼されるキャスター■活躍目覚ましい報道局美人記者 最強お手本は日テレ小西美穂■稲垣、草なぎ、香取の素顔が顔を出す人狼ゲームは新鮮だった

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    「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ

    久保田康介(弁護士YouTuber) 私は弁護士登録をする以前、司法試験対策の講師として活動していました。その際、自分のユーチューブ(YouTube)チャンネルでサンプル講義をアップロードしていました。そうした講義をアップロードする中で、「弁護士がユーチューブで日々のニュース等を法律的に解説する動画をアップロードすれば、需要があるのではないか」と常々考えておりました。 そして、とある事件をきっかけに弁護士登録をすることになり、同時に「弁護士ユーチューバー(YouTuber)」としての活動を開始しました。 ユーチューブの広告収入は、動画の広告が表示・再生されることにより発生する仕組みとなっています。現在では、チャンネル登録者数1000人およびチャンネル全体の動画再生4000時間という基準をクリアしないと収益化することができません。つまり。この基準を満たさなければ入ってくるお金はゼロなのです。 私がユーチューブから受け取る広告収入は、月によって変動がありますが、おおよそ全国の新卒社員の平均額程度です。「弁護士ユーチューバー」として活動を始めた頃は、弁護士会費用(月額5万円ほど)を捻出できれば十分だと考えていたので、それを思うと結構な額をいただいている印象を受けます。 広告収入が多い日は(≒動画がたくさん再生された日は)、一日で10万円を超える収益が発生することもあります。その日が突然やってくることもあるわけですから、これはユーチューブドリームと言っても過言ではないでしょう。 ユーチューブにおいて、より多くの広告収入を得るためには、動画の再生回数を増やし、その動画内の広告の表示・再生回数を増やす必要があります。そうすると、注目を集めるために過激な動画を制作するユーチューバーが現れます。そうした過激な動画が、法律に違反していたり、モラル的に許容し難いものであれば、ユーチューブのコメント欄や他のSNS(会員制交流サイト)投稿などで多くの批判・批評を集めることになります。いわゆる「炎上」ですね。 例えば、「白い粉ドッキリ」という刑事裁判になっているケースがあります。これは、ユーチューバーが警察官の前でわざと白い粉を落として、慌てた様子でそれを拾い、全力で逃走することで、違法薬物だと考えた警察官がユーチューバーを追いかけるのですが、その様子をユーチューバーの関係者が撮影したという映像を動画としてアップロードしたものです。 この動画は、アップロードされた当日に約100万回ほど再生されたはずですが、上記ユーチューバーは逮捕され、上述のように現在は刑事裁判中です。 他方で、意図せずに炎上してしまうケースもあります。例えば、とある有名ユーチューバーが軽犯罪法に違反することを知らずに違反行為をしてしまったケースがあります。このケースでは、そのユーチューバーは数カ月間活動を自粛するに至りました。 炎上すると、コメント欄やSNS投稿を通じてさまざまな意見が飛び交います。中には、意見と誹謗(ひぼう)中傷を織り交ぜたようなコメントや、誹謗中傷するだけのコメントも大量に投稿されます。ユーチューバーが驚愕した事件 炎上中に動画投稿活動を行うと、さらに炎上が拡大することもあることから、炎上中のユーチューバーは謝罪動画をアップロードしたり、活動を休止することが多いです。 炎上をきっかけに、実被害をもたらすケースもあります。過去には、氏名・住所等の個人情報が特定・拡散されたり、過去のプライベートな内容を掘り起こされたり、勝手にユーチューバーの住所を宛先に着払いで物を注文されたりといった例があります。ひどい場合には、炎上したユーチューバーの実家を特定し、物を壊すなどといったケースもあったようです。 過激な動画には一定の需要があり、そうした動画を望む声もないわけではありません。現に、私は過激な動画について法律的な見解を示す動画を制作することがありますが、その動画に「ユーチューブがテレビみたいになってつまらなくなるからやめろ」といったコメントがつけられることがあります。 しかしながら、ユーチューブは規制強化に踏み切りました。近時のコミュニティーガイドラインの変更では、例えば、危険なチャレンジ・いたずらを内容とする動画が禁止されました。禁止の内容に興味をお持ちの方は以下のページをご覧ください。よくある質問:危険なチャレンジやいたずらに対するガイドライン変更に関して ユーチューバーのみならずユーチューブ自体も広告で収益を上げていることから、広告主の意向に背くことはできません。では、広告主が自らの広告を過激な動画につけてほしいかと言われれば、答えは「No」でしょう。結局、ユーチューブもテレビと同様に規制強化へと舵(かじ)をとらざるを得ないことは既定路線だったと言っても過言ではありません。YouTube本社=カリフォルニア州サンブルーノ(GettyImages) 数カ月前に、ユーチューブのコミュニティーガイドライン違反を理由として、とある有名ユーチューバーのユーチューブアカウントが削除されるという事件がありました。その事件は多くのユーチューバーを驚愕(きょうがく)させました。 その事件を受けてなのか、それとも規制強化を受けてなのかは分かりませんが、ユーチューブ全体の傾向として、現在は以前よりも過激な動画が減少しているとの印象を受けます。今後も、健全化とのお題目の下で規制強化が図られることは避けられないと思いますので、私もいちユーチューバーとして、たびたびコミュニティーガイドラインを確認することで自らを省みる必要があると感じています。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか■ テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

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    人気YouTuberの「振り返りブスババ抜きゲーム」が炎上

    網尾歩(コラムニスト) 街を歩く女性の肩を後ろから叩き、ブスだったら「ババ」。「俺らももうちょっとね、女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」「ということでね、振り返りブスババ抜きゲーム!!」 こんなやり取りから始まる動画に批判が集まっている。この動画は、「へきトラハウス」という男性3人組の人気Youtuberが配信したもの。 「第2回振り返りブスババ抜きゲーム!!!」と題し、街なかで後ろから女性の肩を叩き、振り返って「美人」か「ブス」かを競うゲームをしている。振り返って「美人」だと判定された女性をメインに編集されているが、中には振り返った瞬間に顔にモザイクがかけられる女性や、「ただいまブスにつき、映像が乱れております。」という画像が挿入されるシーンもある。 メンバーが「出しちゃいけないレベルのブス」「あれはドボン」と発言したり、「ブス」と判定された女性の顔マネをしたりするシーンもあった。また、動画の冒頭では、肩を叩いた女性に無視され、「ブスのくせに振り向かねえ」「(本当はかわいかったけど相手にされなかったんでしょと指摘され)かわいい子は(俺を)相手にしねえんだ、お高くとまってんな!」などと発言していた。 動画は、19日午後の時点で33万回以上視聴されているが、「高く評価」している人が6169人なのに対し、「低く評価」している人は5896人。人気Youtuberの動画としては、低評価に晒されている。1552件のコメントがついているが、批判的なコメントが多い。共感を集めているのは下記のようなコメントだ。※写真とイメージは関係ありません(ゲッティイメージズ) 「これは本当に酷い企画。女性に対するルッキズムを助長する動画だよ。面と向かってブスだと言わなきゃそれでいいと思ってんだろうけど、後ろから肩叩かれて『あー…大丈夫です』って言われるだけでどういうことかすぐに理解できる。ただ道を歩いているだけでカメラ回しながら美人かブスか勝手に見た目ジャッジされるのって、通り魔に遭うような気持ちだろうよ」メンバーの開き直り 通常、こういった企画が炎上すると謝罪が行われるものだが、「へきトラハウス」は批判に対して、「討論している平和ボケしたブスは今すぐブラウザバックして『オオカミくんには騙されない』でも観てブスという現実から出来るだけ長い時間目を背けていてください。」というコメントを動画下につけている。※「オオカミくんには騙されない」は、インターネットテレビの人気番組。 本人たちも顰蹙を買うことを前提にこういった動画を制作しているのだろうから、ツッコんだ方が負けなのかもしれないが、負けと言われても不快なものは不快である。上にあげたコメントが倫理的な問題点については触れているが、付け足すのであれば、後ろからいきなり肩を叩く行為について。 たまに、街なかのナンパについていった女性が性被害や窃盗被害に遭うニュースが報じられる。「ナンパについていく方も悪い」と言う人もいるが、強引なナンパは実際にあるし、ナンパを無視して舌打ちをされたり、「ブス!」と怒鳴られたりした経験のある女性もいる。いきなり声をかけてきた相手に「穏便にお引取りいただくスキル」が女性にだけ求められている現実もある中で、本人に直接言ってないとはいえ、声かけを無視した女性に対して「ブス」「お高くとまってる」と毒づくのは、弱い者いじめにしか見えない。 また、この動画はそもそも、次のような掛け合いで始まる。欠席しているメンバーがデートだという説明→なぜアイツに彼女がいて俺らにいないんだと思う?→意識が低いからじゃない?→違います。女を見る目がないからです。→(彼女のいるメンバーは)自分とフィットする相手を選ぶのがうまい。 ここで、冒頭のセリフにつながる。「俺らももうちょっとね、女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」「ということでね、振り返りブスババ抜きゲーム!!」 いや、ちょっと待て。むしろ保守的な企画 彼女のいるメンバーは「自分とフィットする相手を選ぶのがうまい」という話から、「女の子を見る目を鍛えたほうがいいと思う」につながるのはわかる。しかし、そこでなぜ「じゃあ自分とフィットする相手ってどんな子か?」や、「フィットする相手を見つけに行こう」とならず、「振り返りブスババ抜きゲーム!!」という見た目査定になるのか。 誰もが認める「美人」と付き合うことが自分にとっての「幸せ」だと考えているならば、幸せの基準を他人に投げ売っている。もちろん、企画ありきで適当に前振りを考えただけなのだろうが、その雑さにとりあえずツッコんでおきたい。地上波ではできない「ブスいじり」できちゃう俺たちカッケーなのかもしれないが、旧来の価値観にのっとっているだけの、むしろ保守的な企画である。 彼らが配信している動画はほかにも、「奇抜な服装してる女全員ブス説」「マスクしてる女全員ブス説」「二重の女、一重の女友達を100%見下してる説」など女性に対してルッキズムを執拗に突きつけている。 また他には「隠れゲイを見つけるまで帰れま10!!!」「中卒のヤツ見つけるまで帰れません!!」など、セクシャルマイノリティや学歴をネタにした企画もあり、タイトルで炎上を狙っているかも知れないのだが、動画を見ると、女性に対して「出しちゃいけないレベルのブス」などと言っていたのに比べ、男性に対しては言動にまだ気遣いを感じる。 これらの動画では、セクシャルマイノリティの男性や「中卒」の人に実際に街なかで出会うのだが、彼らはそういった人たちに対しては優しく接している。少なくともあからさまにバカにする態度は取っていない。だからこそ、なぜ「ブス」認定した女性に対してだけ、あれほど失礼な態度を取れるのか不思議なのである。 2010年には、首都大学東京の学生が「ドブスを守る会」という映像作品を制作し、退学処分を受けている。これは街なかで女性に「ドブス写真集を作りたい」などと声をかけ、その反応を記録した映像だった。この学生たちの説明は「不道徳なものから生じるおかしみを表現したかった」だったという。※写真と本文は関係ありません(ゲッティイメージズ) 何が言いたいかと言うと、「振り返りブスババ抜きゲーム」は他にない発想では特になく、不謹慎ネタとしてありふれている。同じ不謹慎なら「振り返り極道ババ抜きゲーム」でもやってみてほしい。 ちなみに「へきトラハウス」は11月3日から始まる「明大祭(明治大学の学園祭)」に出演予定だそうだ。

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    はじめしゃちょー主演YouTubeドラマから見えた人気の理由

     YouTubeが始めた新サービスYouTube Premiumで、ドラマが配信されている。そのひとつが、人気YouTuber“はじめしゃちょー”が主演する『The Fake Show』だ。YouTuberと聞くと炎上狙いの過激な撮影をしているイメージが強いが、実際のYouTuberは、過激派と穏健派に分かれている。地上波テレビにもときどき登場するHIKAKINは穏健派のひとりで、はじめしゃちょーもそちらだ。人を不快にさせない、汚い言葉づかいをしない、好感度の塊のような穏健派YouTuber初主演ドラマについて、イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、実はラジオに近いYouTuber人気について考えた。* * * 2018年11月、日本で「YouTube Premium」のサービスがスタートした。月額1,180円を払えば、広告カット、ダウンロード、バックグラウンド再生とYouTubeの機能を拡張できる。ま、それはどうでも良くて。 職業柄、興味を惹かれたのが「YouTube Originals」。会員だけが観られるオリジナルコンテンツが用意されるとのこと。ラインナップを見ていると、あるドラマに僕の目が留まった。そのタイトル名は『The Fake Show』、説明文にはこう書いてある。「主演を務めるのは人気YouTuber“はじめしゃちょー”」“はじめしゃちょー”……って、えええあの! 最初、空目を疑ったもんね。もう、すごい時代になった。 数多いるYouTuber、そのなかで日本一のチャンネル登録者数を誇るのが“はじめしゃちょー”だ。高身長の優男、「〇〇やってみた」といった実験系動画で人気者に。長期間、ほぼ毎日新作動画を公開している。そのなかで新たな挑戦をしたいと思ったのか、どうか。本当の理由はわからないが、デビュー作が主演作。もう観るしかない! こうして“はじめしゃちょー”が「俳優をやってみた」、『The Fake Show』の鑑賞へと至った。 あらすじはコチラ。2017年8月、UUUMの上場セレモニーに参加した人気ユーチューバーのHIKAKIN(左)と鎌田和樹代表取締役CEO“はじめしゃちょー”が演じるのは、日本一のYouTuberショウ。書かずもがな、自分をモデルとした役柄だ。ある出来事をキッカケにショウは、自分のドッペルゲンガーを生み出してしまう。そのドッペルゲンガーが悪人だった。ショウのアカウントを乗っ取り、イタズラ動画を勝手に配信。炎上するショウ、カリスマYouTuberに未来はあるのか!? ジャンルでいえばサスペンス、想像以上にシリアスな作風だった。“はじめしゃちょー”が企画段階から関わったということもあり、ドラマのなかで「職業としてのYouTuberとは?」なんて葛藤も描かれる。はじめしゃちょーの演技力は? 動画のためなら他人を巻き込むことを厭わない。こう、思われがちなYouTuber。EP1で早速「YouTuberかなんだか知らないですけど、普通の人巻き込んで非常識だと思いますよ!」と注意されるショウ。当人が抱える苦悩が漏れている、そこから物語に引き込まれていく。 続いて、気になっている方も多いだろう“はじめしゃちょー”の演技力について。ショウ役は想像以上に良かった。しかし、考えてみれば当たり前。普段の動画と同じにように“はじめしゃちょー”を演じれば良いのだ。堂に入った演技は、助演を務める技巧派俳優陣に囲まれていても浮いてなかった。 逆にしんどかったのが、ドッペルゲンガー役。サスペンスドラマにおいて、視聴者はもう1人のショウに人外的な恐怖を求める。しかし、演技初挑戦の“はじめしゃちょー”には荷が重すぎる。狂気を一切感じられないドッペルゲンガーに仕上がっていた。怖さのレベルを例えてみれば、中学生の反抗期ぐらい。初主演で一人二役、配役からしてハード。しかし、最後までやりきった“はじめしゃちょー”はなんだかんだスゴい。 やりきる力と軽薄短小さ、YouTuberの魅力はココに集約される。彼らが公開する動画に前知識はいらない。エンターテインメントでも美術、文学、映画とは異なる文脈。敷居は極端に低く、誰しもが楽しめるウェルカム体勢。よって低年齢層のファンが増えるのも納得できる。 人気YouTuberは笑顔を振りまく。撮影場所が自宅といったことも多い。動画の隅々から垣間見える余裕と景気が良さそうな暮らしっぷり(芸能人のお宅訪問とかもう死語)。鬱屈とした世の中で人生を謳歌しているYouTuber。テレビのゴールデンタイムに子供も楽しめるバラエティ番組が減った昨今、小学生の羨望の眼差しが集って必然。 意外と鋭い目線を持つ子供、YouTuberが問われているのは人間性だ。面白い動画を作る以上にそれが1番大事。毎日観ても食傷しない顔、口調、そしてリアクションとオーラ、そして諸々。YouTuberと視聴者は1対1の関係、構造としてはテレビよりもラジオに近い。動画ゆえラジオ以上に情報量は多く、素顔を隠して配信を続けるのは難しい。先天的にタレント性を持った人以外、YouTuberで稼ぐのはムリだろう。『The Fake Show』もそういった意味では同じだった。ストーリーが兎に角難儀で、話が想像もしない方向へと進む。良い意味で予定調和がなく、悪く言えば突飛。ドラマというよりは“はじめしゃちょー”の魅力を詰めたプロモーションビデオに近い。鑑賞者の多くは“はじめしゃちょー”だから観るはず。そう考えると普段公開している動画と変わらない気もする。つまり、ドラマとしてはなんとも不完全燃焼な出来だったのである。●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週1度開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)。関連記事■今も色褪せない『マネーの虎』の教え 動画で人気なのも道理■ケンカ三昧の『あいのり』 ベッキーのコメントでは収拾不能■YouTuberになった山根明氏「テレビに踊らされるワシやない」■にゃんこスター・アンゴラ村長が「Vチューバー転身」か■過激ゆるキャラ・ちぃたん☆を直撃! クビにされた感想は?

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    辛酸なめ子氏、炎上大国日本を憂える「何を当たり前と思うか」

     テレビをつけても、ネットを見ても、はたまた電車の中やお店でも…何だか窮屈に感じたり、「そこまで必要!?」と思うような過剰サービスに遭遇したりすることが最近多いのではないだろうか。“和を以って貴しとなす”がわが国の美徳だったのに、見回せば不寛容や過干渉、過剰反応ばかり──。このイヤ〜な雰囲気、どう思いますか? 漫画家でコラムニストの辛酸なめ子さんは、かねてから炎上大国・日本の現状を憂いてきたSNSウオッチャーの1人だ。「最近は、女性芸能人のSNSが、取るに足らないことで炎上します。例えば“いちご狩りでコンデンスミルクをつけて食べたらたたかれた”“手作りの恵方巻が大きすぎて炎上した”など、些細なことを目の敵にしてたたくのは、芸能人の幸せぶりに格差を感じ、対する自分は幸せではないと嫉妬が増幅されて、彼女らを引きずり下ろしてやれと思う人が増えたため。 TwitterやYouTubeでは、不用意な投稿が多いのに対し、FacebookやInstagramはキラキラしたリア充を見せつけられるので、より悶々とする人が多いのでは」(辛酸さん・以下同) 最も攻撃的なのは書き込む人だが、周囲も黙ってそれを見ていてウサを晴らしており、ネットニュースのユーザー投稿欄にも、厳しい批判や正義感を振りかざした意見が並ぶようになったことに恐怖を感じるという。「実は先日、そんな日本と正反対のインドを旅してきました。インフラもルールもまったく整っていないインドの田舎は、土の道はデコボコ、トイレもすごく汚なくて、1000年前から変わらないような暮らしをしています。でも、不思議とすれ違う人々はピュアな笑顔ときれいな目をしていて、貧しくとも幸せそうでした。クラクションの音さえプワ〜と間の抜けた感じで、高速道路を車が逆走しても怒る人はいない。 それに比べて日本はすべてがきっちり整いすぎていて、少しの遅れやミスも許せない。つまり、何を当たり前と思うかで人の幸福度は変わり、寛容度も違ってきます」漫画家でコラムニストの辛酸なめ子氏 匿名性の高いSNSはイライラ・カリカリのはけ口になりがちなので、気をつけて発信しているそうだ。「私が書く時は、『元・海の王子のKKさんはマグロ漁船に乗ったり、皇居に住みついたたぬきに懐かれたりしたら信頼度がアップするのに…』などとできるだけお笑いやボケ、脱力の方向を心がけ、炎上エネルギーを鎮魂したいと思っています」関連記事■不寛容や過干渉に過剰反応、二宮金次郎像や寛一お宮像も…■ベビーカー、保育園で論争&炎上 日本人は不寛容なのか■三波春夫の「お客様は神様です」をはき違えるクレーマー■セルフレジに戸惑う高齢者が発したひと言でふと我に返った話■増える「不謹慎狩り」 炎上は0.1%のクレーマーによるもの

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    首相参拝よりはるかに深刻、靖国神社「天皇御親拝ゼロ」の衝撃

    島田裕巳(宗教学者) 靖国神社が揺れている。2代続けて宮司が任期途中で退任するという出来事が起こった。しかも、それは病気が理由ではない。これはかつてない事態である。 天皇自らが神社に参拝することは「親拝(しんぱい)」と呼ばれるが、平成の時代には、一度も親拝が行われなかった。平成が終わる4月の末までに親拝が行われる可能性はゼロに等しい。 戦没者の慰霊のための天皇親拝が、靖国神社にとって最も重要な事柄である。それが果たされなくなったことは、宮司交代とは比較にならないほど重大事であるはずである。 首相の靖国神社参拝ということがずっと問題になってきたが、親拝に比較すれば本来それほど重要なことではない。平成の時代に宗教をめぐって起こった重大な、そして深刻な事態は、その著しい衰退である。 各宗教団体の信者数は、文化庁が毎年刊行している『宗教年鑑』に掲載される。信者数は、あくまでそれぞれの団体が申告した数で「自称」ということになるが、それだけを追っても、宗教の衰退ぶりは激しい。 神道系の信者は、平成の間に9千万人から8千万人に減った。これは、人口減少が本格化する前の数字である。 神道系以上に衰退が激しいのは仏教系で、8500万人から4800万人に減少した。3700万人も減ったのである。日蓮正宗の総本山、大石寺にある日本庭園「法祥園」の桜=静岡県富士宮市(ゲッティイメージズ) ただ、その中には、日蓮系の日蓮正宗の信者が1780万人から69万人に減ったことが含まれる。平成が始まったころ、日蓮正宗と長年密接な関係を持っていた創価学会が破門されるという出来事が起こった。その数を差し引いても、仏教系は2千万人減っている。靖国「固有の事情」 神道系と仏教系を足せば、平成の間に3千万人が減少した。もっとも、氏子として神道系に数えられると同時に檀家(だんか)として仏教系に数えられる人間も少なくないので、実際の減少数はもっと少ない。 だが、2千万人以上減少していることは間違いないことで、日本人全体の5分の1程度が信仰から離れたことを意味する。これは、あまりに急激な変化である。 靖国神社の場合には、その影響を受けるだけではなく、固有の事情がある。 靖国神社では、戦没者を英霊として祀っているわけだが、太平洋戦争が終わってから74年が過ぎようとしている。参拝者の中には、戦没者の遺族が膨大な数に含まれたわけだが、今や、遺族の多くは亡くなっている。 2017年度には、軍人恩給を受け取る戦没者の妻は2万人を切った。靖国神社に祀られるということと、軍人恩給を授けられるということは連動している。だからこそ、遺族の集まりである日本遺族会は、かつては125万5千世帯(1967年)もの会員数を誇ったのだ。在任時、共同通信社のインタビューに応じる靖国神社の小堀邦夫前宮司 戦没者の遺族が亡くなるということは、靖国神社に肉親が祀られているために参拝する人間の数が大幅に減少することを意味する。現在、靖国神社を参拝する人々の大半は、戦没者の遺族ではなくなっている。 それは、靖国神社の存在意義を曖昧なものにすることに結びついている。 「陛下は靖国を潰そうとしている」と発言して宮司の職を退くことになった小堀邦夫氏は、『靖国神社宮司、退任始末』という小冊子を出している。そこには、靖国神社の神職たちが、創建150年のための派手な事業には熱心でも、肝心な戦没者を祀るという行為には必ずしも誠実ではない実態が綴られている。将来に対する大きな不安 具体的には、戦没者が亡くなった日を記した『祭神祭日暦略(れきりゃく)』に、日中戦争や太平洋戦争の戦没者の氏名が記されず、「諸命(もろもろのみこと)」として、祝詞の中で名前が奏上されない事態が放置されている。 小堀元宮司は、伊勢神宮に禰宜(ねぎ)として奉職していた経験があり、伊勢神宮についての著作もある人物である。伊勢神宮では、その性格上、神を祀るということに厳しい態度で臨む。そうした立場からすれば、単立の宗教法人としての靖国神社の運営や、そこに奉職する神職のあり方は、相当に弛緩(しかん)したものに映ったのだろう。 もちろん、『靖国神社宮司、退任始末』に綴られたことは小堀元宮司の個人的な見解であり、新しい宮司をはじめ、靖国神社の神職からは反論もあるに違いない。だが、靖国神社が置かれた現在の状態から考えると、その存在意義が薄れ、将来に対して大きな不安が存在していることは間違いない。 戦前の靖国神社は、内務省や陸軍、海軍両省が共同で管理する国の機関だった。その点で、靖国神社のあり方は国が決定した。 しかし、戦後、靖国神社は民間の一宗教法人となった。しかも、その特殊な性格から、神社本庁には包括されなかった。それは、靖国神社のあり方は、神社側が決められるということを意味する。 国の機関であった靖国神社が民間の機関になったことに最大の問題があり、また矛盾がある。 靖国神社の国家護持の運動が盛り上がりを見せたとき、それを実現するには「非宗教化」が必要だとされた。内閣法制局も、非宗教化には何が必要か、具体的な指針も示した。靖国神社の第二鳥居と神門(ゲッティイメージズ) 靖国神社のことを国民全体で考え、その上で将来の方向性を定めるには、改めて、非宗教化によって国の機関に戻す道を模索する必要もあるのではないだろうか。■総理は「敗戦の日」にわざわざ靖国参拝すべきではない■皇室の未来と「象徴」の地位を縛りかねない陛下のお言葉■私はあえて言う、陛下のお言葉は「失敗」だったと

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    「セカンドレイプ」はなぜ起きる?

    派遣型マッサージ店の女性に性的暴行を加えたとして、強制性交容疑で俳優の新井浩文容疑者が逮捕された事件は、きょう拘留期限を迎える。起訴か、不起訴か、捜査当局の判断にも注目が集まるが、一方で被害者の側に立てば性的二次被害、いわゆるセカンドレイプの問題も出てくる。なぜ後を絶たないのか。

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    なぜレイプ事件が「不起訴」になるのか、その理由をすべて説く

    上谷さくら(弁護士) 強制性交容疑で俳優の新井浩文容疑者が逮捕されたニュースは、世間を驚かせた。ただ、性犯罪は、不起訴処分になることが少なくない。ではなぜ、こうした状況になるのか、本稿ではその背景について考えたい。 2018年10月以降、「ミスター慶応コンテスト」出場歴のある慶応大生らが、複数の女性に対する準強制性交容疑などで計5回逮捕されたが、横浜地検が不起訴処分にした。これについては、5回も逮捕されてなぜ不起訴なのか、性犯罪加害者に甘いのではないか、また再犯したらどうするのか、などという批判的な意見も出ている。 しかし、性犯罪が不起訴になる理由はさまざまで、被害者を保護するためであることも多い。ここでは、強制性交罪(旧強姦罪)を例に説明する。 まず、逮捕はしたものの、双方の言い分が全く食い違い、客観的証拠に欠けるケースがある。典型的なのは、性行為があったこと自体に争いはないが、加害者は「合意があった」と言い張るケースだ。 全体的な状況から被害者が合意していなかったことが推認されるが、「暴行・脅迫により反抗を著しく困難にした」といえる証拠がない、という場合である。そもそも性犯罪は密室で行われることが多い。そのため、目撃者がいないのが通常で、犯行状況が防犯カメラなどに写っておらず、被害者が涙を呑むことになってしまう。 次に、証拠がそろっていても、不起訴になる場合もある。これは、加害者が犯行を否認している場合と、認めている場合に分けて検討する。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) なお、平成29年7月の刑法改正で、性犯罪は親告罪ではなくなったため、証拠がそろっていれば検察官は起訴できるが、被害者の心情を考慮し、被害者が起訴を望まない場合にはその意思を尊重する運用がなされている。したがって、不起訴=証拠が足りなかった、というわけではない。 加害者が犯行を否認している場合、被害者は法廷で事件の詳細について証言しなければならない。加害者がどれほど荒唐無稽な弁解をしていたとしても、その証言は避けられない。 起訴されるまでの間に、被害者は警察にも検察にも何度も同じ話を繰り返し説明しており、被害現場に行ったり、被害状況を再現したりして、被害の再体験を強いられ、既に心身に相当なダメージを受けている。 法廷で証言するとなると、さらに尋問に備えた準備が不可欠となる。その場合、自分の被害のことを話せばいいだけではなく、加害者の弁護人からの峻烈な、時には悪意に満ちた反対尋問にも耐える準備をしなければならない。PTSDが障害になる証言 被害者は事件を忘れたいのに、忘れないように努力しなければならず、その狭間で苦しみ、被害回復が遅れる。もうこれ以上苦しみたくない、早く忘れたい、日常生活に戻りたい、という気持ちから、起訴を断念する場合がある。 この過程で、被害者に代理人がついていなかったり、警察や検察、支援団体のサポートが不十分だと、十分な情報が得られずに起訴を断念してしまうこともある。 被害者が法廷で証言する際、被害者のプライバシーを守るための制度はあるのだが、悪意ある(もしかして本当に無知なだけかもしれない)弁護人から、「法廷で証言すると、あなたは晒し者になる。名前もわかるし、興味本位の人たちがたくさん傍聴に来て、ネットに面白半分に書かれ、傷ついてしまう」などと言われ、心が折れてしまう。 その時、弁護人の見解が誤っていることを指摘できる人が周囲にいればいいのだが、一度折れてしまった心を再度つなぐのは難しい作業であるし、やる気のない警察官や検察官が担当だと、なんのフォローもなく事件終了となってしまうこともある。 また、加害者が否認している場合、被害者が復讐を恐れ、起訴を断念することがある。加害者が認めている場合であっても、被害者は多かれ少なかれ加害者からの逆恨みを警戒するものであるが、否認しているとなると、その恐怖感は倍増する。 さらに、レイプの被害者は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症していることが多く、日常生活を送れないほどに症状が重いケースも少なくない。そうすると、証言自体が不可能で、起訴できない場合もある。 心理の専門家は、被害者に証言させること自体、症状を重くしたり、いったん収まった症状が再発するので、証言などさせるべきではないという意見を述べる人が多いが、裁判上、この点に関する手当はなんらされていないのが現実である。 次に、証拠がそろっていて加害者が犯行を認めていても不起訴になる場合について説明する。性犯罪の場合、被害者の方が誘ったのではないか、美人局(つつもたせ)ではないか、お金目当てではないか、被害者は日頃から異性関係が乱れている、服装が派手だなどの的外れな偏見が根強い。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) また、被害が性的なことにかかわるため、話をすること自体、とても恥ずかしい気持ちになってしまう。そのため、被害者は、被害を誰にも言えなかったり、ごく一部の人にしか打ち明けられないことがほとんどである。 家族や恋人にも黙っているケースも多い。そうすると、いつまでも捜査や裁判にかかわっていると、いつか被害がバレるのではないか、という恐怖心がある。親に怒られる、恋人に嫌われる、婚約を破棄される、といった心配がつきまとう。このようなことは、被害者の杞憂ではなく、実際に生じていることである。レイプを許す人はいない また、被害者の家族や恋人、信頼している友人らに打ち明けたものの、「早く忘れなさい」「裁判にすると嫌な目に遭うに決まっている」「奇異な目で見られるからやめて」などと反対され、味方になってくれる人がおらず、孤独感から裁判を諦める人もいる。捜査段階の取り調べ等で疲弊し、PTSDも発症し、一日も早く終わりたい、事件から解放されたいとの一心で裁判を拒絶する人もいる。 さらに、行きずりの犯行の場合、加害者は被害者の名前を知らないのに、裁判になると起訴状に被害者の名前が記載され、加害者が被害者を特定できてしまうという問題がある。 法律では、起訴状に被害者の名前を記載することは求められていないが、実務上、被害者名を匿名とすることはほとんど認められておらず、原則として実名である。被害者の名前が分かると、会員制交流サイト(SNS)で被害者の人間関係、生活圏などの個人情報がすぐに分かってしまうことから、加害者に復讐されたり、被害自体や個人情報を暴露されたりすることを危惧する被害者は多い。そのため、証拠も固く、被害者も刑事裁判を望んでいるのに、泣き寝入りを強いられるケースもある。 最後に、不起訴の場合、示談が成立している場合が多いので、示談について述べる。示談というのは一般的に、加害者が被害者に対して一定額の金銭を支払い、交換条件として被害届を取り下げると思われているようであるが、必ずしもそうではない。 賠償金を受け取るが被害届は取り下げないという示談もある。もちろん、加害者側としては賠償金と引き換えに被害届を取り下げてほしいところであろうが、被害者に多大な経済的・精神的損害を与えた以上、賠償金を支払うのは当然のことであり、刑事処分とは全く別の問題である。 また、示談の際、「加害者を許す」という言葉を入れることにこだわる弁護人が多いが、レイプした加害者を許す人などいない。「許してもいい」という被害者がいるとしたら、事件のことで頭が混乱しているか、「許す」と言わないと賠償金を支払ってもらえないと勘違いしているかのどちらかである。本心では絶対に許したくないのに「許す」などという文言を交わし、賠償金を受け取った場合、被害者はその後ずっと苦しみ続けることになり、被害は回復しない。※写真と本文は関係ありません(ゲッティイメージズ) 私は被害者に必ず、「加害者を許す気持ちがあるか」ということを確認する。これまでに「許してもいい」と言ったのは、電車内でスカートの上からお尻を触られたという痴漢被害に遭った女性一人しかいなかった。それほどに性犯罪被害の実態は残酷なのである。被害に遭ったことがなく、想像力も共感力もない人が「犯人を許すべきである」などと軽々しく言うべきではない。 不起訴によって加害者が野放しになり、再犯の恐れが生じたとしても、それは被害者の責任ではない。性犯罪の再犯率が高いのは、服役したところで同様であり、再犯防止を考えるのは行政や政治の責任である。性被害は「魂の殺人」と言われる。被害者には、自分の回復のことだけを考えてほしい。■性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ■「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■私が慶大で出会った広告学研究会という滑稽な「リア充」たち

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    性犯罪「カネで解決」法律と感情のギャップはこんなにある

    山岸純(弁護士) 性犯罪事件の報道において、その犯人の「属性」がニュースバリューになることが多々あります。 犯人の「属性」が、「慶応の学生」「イケメン俳優」「〇〇区役所の課長」「〇〇テレビの局長」「誰々(著名人)の次男」などといったように、より世間体を気にする必要があったり、世の中でもてはやされているような職業であったりする場合、それが性犯罪事件とともに伝えられることで、より人々の耳目を集めるわけです。 そして、その後のニュースで「不起訴」と報道されると、世の中はさらに疑問の声を上げることになります。 このような時、必ず巻き起こるのが「親がどうのこうのだから」「カネがどうのこうのだから」といった憶測です。そして、これらの憶測のほとんどが的を射ています。 実は、性犯罪の犯人が起訴されるか否かは、よほど大きなケガをさせていない限り、「カネ」を払って許してもらえるかどうかによります。 要するに、被害者が許してくれるだけのカネを払えるなら、そこで「示談」が成立するわけです。当たり前ですが、被害者が「1千万円もらっても犯人を許さない」という態度であれば「示談」は成立せず起訴されるでしょうし、「示談」に応じるということは、「カネを受け取る」=「許す(処罰を求めない)」ということなので、この場合は不起訴になります。 言い換えれば、被害者が「カネは受け取るが許さない」ならば、犯人も「カネは払わない」のであって、「カネを受け取る」=「許す(処罰を求めない)」は極めて密接な関係にあるのです。 犯人を起訴するか否かについて独自の考えで判断できる「検察官」は、この辺りを見極めています。被害者がカネを受け取り、処罰も求めていないのに、わざわざ正義を貫く(起訴する)必要もないと考えるわけです。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ところが、このような「仕組み」について、国民はなかなか納得できないでしょう。「(親などの)カネの力で解決した汚いやつ」というレッテルを長い間貼られることになります。 しかし、批判を覚悟で言うならば、先ほどの検察官の考え方も含め、「法学」という世界においては、「カネ」で解決することは至極当然のことと考えられています。「性犯罪」に対する国民感情と法律の世界にはギャップがあるのです。 なぜなら、現代社会のほとんどの国は、刑事事件においてメソポタミア文明の象徴である『ハンムラビ法典』のような「犯罪に対しては同じ苦痛を与える」という制度を採用しておらず、また民事事件においては「被害の回復はカネによる」と明文化されているからです(民法709条)。「同意の有無」の難しさ また、平成29年に「性犯罪」に関する刑法の規定が改正されるまでは、性的暴行などは「親告罪」とされており、被害者の処罰意思(告訴)がなければ検察官であっても起訴することができませんでした。したがって、被害者が「カネを受け取っている」などを理由に「処罰を求めていない」ならば、制度的に起訴できなかったのです。 このため、たとえ「性犯罪」が平成29年の改正によって「親告罪」ではなくなった(被害者の処罰意思、つまり告訴がなくても起訴できる)今でも、「被害者の処罰意思」については、起訴するかどうかを判断する際に最優先で考えることにしているわけです。 この点は、覚醒剤の使用などの薬物犯罪というものが、「被害者が存在しない犯罪」であるにもかかわらず、「薬物を違法とする国の制度を揺るがす犯罪」であるから、犯人に同情するような点があっても起訴される(処罰される)ことと違いますね。 このように、「法学」という世界においては…などと偉そうに書いてきても、「すわ、性犯罪は女性蔑視の際たるものである!」「『襲われる女性にも隙があった』などとトンデモないことを言う識者は全滅しろ!」などという声が大きいことは確かです。 しかし、再び批判を覚悟で言うならば、殴る蹴るといったよっぽどヒドい暴力を用いた「性犯罪」ではない限り、「同意なく、無理やり」であったかどうかは「紙一重」の場合があります。 もちろん、見ず知らずの犯人、行きずりの犯罪、ケガもした、というものであればぐうの音も出ません。しかし、犯人と顔見知りであり、普段から仲も良く、直前に一緒に食事もしていた、といった事実関係があった場合において、果たして「同意なく、無理やり」という環境がどこまできっちりと揃っていたかについては、慎重に判断せざるを得ない事件もあるわけです。 なぜなら、「性犯罪」が成立するためには、「相手方の反抗を著しく困難にする程度の暴行・脅迫」という、ある程度強い「暴行・脅迫」が必要であり、「嫌がっていた」だけでは「性犯罪」とはなり得ないからです。 この手の話になると、「暴行・脅迫」の程度が問題なんじゃない、セクハラのように「相手が嫌がっていたかどうかが重要なんだ」と主張する方もいらっしゃいます。 しかし、「刑罰」というものが、社会のルールを逸脱した行為・者に対する最終手段として位置付けられている以上、「性犯罪」が成立するための「暴行・強迫」の存否は慎重に判断すべきなのです。東京地方裁判所=東京・千代田区霞が関(撮影・吉澤良太) それでも、なお「性犯罪」に対する厳罰化の声が大きいことは確かですし、私も「『罰するため』に犯罪を成立しやすくする」のではなく、上記のように犯罪の成否を絞って慎重に起訴・不起訴を判断した上でのことであれば、もちろん賛成です。 ただし、その際に忘れていけないのが「制度」としての「執行猶予」との関係です。 実は、平成29年の改正により「強制性交罪(昔の強姦(ごうかん)罪)」の法定刑が5年以上20年以下の懲役刑となったので、制度上「情状酌量」といった減刑の理由がない限り、「執行猶予」がつけられないのです。 つまり、日本では「初犯は、覚醒剤事件なども含めて、だいたい執行猶予がつく」という「相場」があるのですが、「強制性交罪」の場合、一発で刑務所行きとなるわけです。 とすると、やはり最初に戻り、「示談」が成立し「被害者の処罰意思」がないようなケースにおいては、何が何でも厳罰化という流れではなくても良いのではないかと思うわけです。■「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■「性犯罪の中でも小児性愛は別格である」私が見た依存症治療の現実■性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ

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    性暴力「正義の味方」目線で吊し上げるメディアの方が罪深い

    原田隆之(筑波大教授) 俳優の新井浩文が2月1日、派遣マッサージ店の女性従業員に性的暴行をした容疑で逮捕された。有名人の性犯罪だけに、ネット上では炎上し、テレビのワイドショーは連日このニュースを取り上げた。 しかし、ここでまず押さえておかなければならない点は、ワイドショーなどが騒ぎ立てたのは容疑の段階だったということである。その時点で「犯人」と決めつけて、過去の行状にまで遡って非難したり、人格攻撃までしたりするのは非常に問題である。 性犯罪、特に強制性交罪のような極めて重い罪が疑われるケースでは、世間はとかく感情的になりやすい。もちろん、性犯罪は許すことのできない卑劣な犯罪であることに間違いない。とはいえ、影響力の大きなメディアが、いかにも「正義の味方」のような顔をして、容疑の段階でこぞって人々の感情を煽り立てることに何の正義があるのだろうか。 ところで、性犯罪への刑罰は、2017年の刑法改正で大きな変化があった。たとえば、かつての「強姦罪」が「強制性交罪」へと名称が変更された。これによって、それまで「強制わいせつ罪」として処罰されていた行為(たとえば口腔性交や肛門性交)も、そこに含まれるようになり、実質的な厳罰化だといえる。 また、強制性交罪の懲役の下限は、旧強姦罪の3年から5年に引き上げられたことで、よほどの酌むべき事情などがない限り、起訴されれば執行猶予がなく必ず実刑となることになった。 さらに、強姦罪や強制わいせつ罪は、従来は被害者が告訴しなければ起訴されない「親告罪」であったが、それも撤廃された。被害者が声を上げにくいことに乗じた「逃げ得」ができなくなったのである。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) このように、全体の傾向は、厳罰化の方向にあるものの、まだ不十分との意見も多い。たとえば、懲役の下限が引き上げられたとはいえ、強制性交罪の上限は20年、強制わいせつ罪は10年のままである(下限は6カ月)。このような犯罪は、被害者に計り知れない大きなダメージを負わせるものであるのに、それでも20年で済むのは軽すぎるという意見は、確かにその通りであると思う。 また、多くの場合、性犯罪は密室で被害者と加害者しかいない場面で起こる事件であるため、立件や立証が難しい。ゆえに、捜査や裁判の過程で「唯一の証人」として被害者がいわゆる「セカンドレイプ」を受けることも少なくない。被害者への配慮はまだまだ不十分である。懸念される人権侵害 さらに、強制性交罪が成立するには、「反抗を著しく困難ならしめる程度の暴行・脅迫」が必要とされている。加害者はしばしば「合意の上だった」などと言い訳をして罪を免れようとするし、どの程度の暴行・脅迫がなされたのかは、明白な外傷などがある場合を除いて、後になってからは誰も分からなくなってしまう。 こうしたことを考慮すれば、2017年の刑法改正をもって、これでよしとするのではなく、今後も折に触れて「罪と罰」が見合っているのかどうか、慎重に検討することが必要なことは言うまでもない。法改正に当たっても、施行3年後をメドに再検討することが盛り込まれたのはそのためである。 とはいえ、その一方で、行き過ぎた厳罰化にも問題がある。まず、冒頭で述べたとおり、メディアやネットでの「吊し上げ」のような風潮は、放置しておくべきではない。中には、被害者まで特定されたり、あるいは逆に批判されたりすることもめずらしくはないことを考えれば、被害者、容疑者双方の人権について、われわれはもっと真剣に考慮する必要がある。 また、厳罰化には犯罪抑制効果がないことは、多くの研究ではっきりしている。性犯罪については、全地球測位システム(GPS)の装着、居住地の公開などの対策が諸外国ではなされているが、これらの「効果」が実証された研究は1つもない。むしろ、研究知見は一致して、これらの方法には再犯抑制効果がなく、コストばかりが著しく増大することを示している。そして、言うまでもなく人権上の懸念も大きい。 量刑を引き上げるなど、より苛酷な刑罰を科すことについても同様に再犯抑制効果は見られず、むしろわずかであるが、再犯率を上昇させることも分かっている。議論するにあたって、このような科学的知見をきちんと押さえておきたい。 ただ、性犯罪は、われわれ社会が真剣に取り組むべき重要な問題の一つである。これには誰も異論はないだろう。しかし、その際に重要なことは、一時の怒りや不安などの感情に流されることなく、真に効果のある対策を冷静に検討することである。 世界中で、有効な対策をめぐって議論が交わされる中で、われわれ犯罪心理学者は、その使命として、真に効果のある対策について研究を重ねている。そして、われわれが提唱しているのは、刑罰と併せて「治療」を実施することである。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) たとえば、わが国では2006年に法務省が刑務所と保護観察の枠組みにおいて、「性犯罪者再犯防止プログラム」を開始し、一定の成果を上げている。 また、われわれの研究グループは、民間の精神科クリニックにおいて性犯罪者の治療を実施し、こちらも着実な成果を上げている。治療では、認知行動療法と呼ばれる心理療法が中心であり、ケースによっては薬物療法も併用している。感情論は解決にならず 治療内容は、性犯罪者の女性や性に対する「認知のゆがみ」を分析して、それを修正したり、性犯罪に至る「行動の連鎖」を解析し、それを断ち切るための具体的な対策を身に付けさせたりする。 モチベーションがない者に対しては、それを高めるためのアプローチもある。共感性の欠如、コミュニケーションスキルの欠如、暴力的な問題解決パターンなど、彼らが有している個別的な問題性に対しても、アセスメントをしたうえで一つ一つ対処を重ねる。 具体的な治療成果を数字で示すと、複数回の逮捕歴や再犯歴がある性犯罪者の中で、われわれの治療を受けた者の1年間の再犯率はわずか3%である。しかも、刑務所と比べるとコストは比較にならないくらい安い。刑務所で受刑者1人当たり、年400万円弱の税金がかかるのに対し、病院の治療では数十万円で済む(本人負担はその3割)。 海外の研究に目を向けると、研究によって治療成績はまちまちであるが、相対的に見ると再犯率はおおむね30%から50%程度は抑制できることが分かっている。 もちろん、残念ながら今のところ再犯率を0%にはできない。ゼロにするためには、死刑にするか、一生涯刑務所に閉じ込めておくしか方法はない。「だったらそうしろ」とヒステリックに叫ぶ人は多いが、現実的でない意見を感情的に叫んだとしても、それは何も言っていないに等しい。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) このような発言をすることは、自分の鬱憤(うっぷん)を晴らすことにしか興味がなく、性犯罪対策について真面目に考えていないことの証拠である。 ここで紹介した「加害者臨床」には、科学で犯罪と闘うためのアプローチとして、今世界中で注目が集まっている。加えて、被害者に対する心理的なケアも併せて充実させることが重要だということは言うまでもない。 犯罪のない未来へと少しでも前進するためにわれわれは何をすべきか、冷静に科学の声に耳を傾けてほしい。容疑者をたたくだけたたいて、1週間もすれば忘れて次のニュースを餌食にするのはもうそろそろ見直すべきではないだろうか。■性犯罪対策のカギは「景色解読力」不審者ではなく場所に注意せよ■「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■私が慶大で出会った広告学研究会という滑稽な「リア充」たち

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    性犯罪被害者を苦しめる「無意識のレイプ」という考え方

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 刑法の目的は犯罪の予防です。刑法それ自体は、犯罪被害者のためにあるわけではないでしょう。被害者一同が加害者を許してほしいと懇願したとしても、だからといって無罪放免にはなりません(親告罪は別ですが)。また、被害者が事件を思い出すことがとても苦しい時にも、警察や裁判所は事情を聞き、証言を求めることもあります。 性犯罪は、残虐な犯罪です。レイプだけでなく、客観的には軽微な犯罪ですら、時には被害者の一生を左右するほどの心の傷を残します。心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しむ人もいます。すっかり自信をなくす人や、男性と交際できなくなる人もいます。二次的問題として、学校や仕事を続けられなくなることもあります。 このような性犯罪に対しては、世間の怒りも強くなります。実際に刑法上も厳罰化の方向で改正が進み、強姦(ごうかん)罪も「強制性交罪」となって、他の多くの犯罪と同様に非親告罪になりました。非親告罪は、被害者などが訴えなくても、法的に罪が問える犯罪です。 多くの犯罪被害者は犯人逮捕を願います。窃盗犯が捕まって盗まれたものが返ってくればうれしいですし、そうでなくても、犯人逮捕によって応報感情が満たされ、心の癒やしにつながることも多いでしょう。だから、被害者は進んで被害を訴え、加害者が起訴されることを望みます。 しかし、性犯罪は必ずしもそうではありません。あなたが被害者だったり、被害者家族だったらどうでしょうか。 黙っていれば誰にも知られませんが、警察に届ければさまざまな困難が予想されます。警察は、犯人逮捕のために細部にわたって事情を聞きます。証拠を確保するために、体を調べられたり、下着を提出したりすることもあります。 裁判も苦痛でしょう。刑事裁判では、推定無罪のもと、検察が犯罪を立証しなければなりません。被害者は、「供述の信用性」をめぐって厳しい尋問に晒(さら)されることもあります。マスコミに報道されれば、たとえ実名はでなくても、大きな負担になるでしょう。性犯罪被害者は、被害を訴えることによって、「セカンドレイプ」と言われるような、さらなる被害を受ける可能性があります。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 世間の人たちは、犯罪に興味や関心を持ちます。特に被害者が若い女性だと、世間の関心は被害者に向きがちです。被害者は、好奇の目で見られ、プライバシーが暴かれてしまうこともあります。 それでも被害者は訴えるべきでしょうか。私たちの社会は、加害者を罰し治安を維持するために、起訴し裁判を開くべきでしょうか。不起訴の弊害 非親告罪は、被害者の訴えがなくても裁判を開けますが、実際は被害者の協力なしに公判を維持することは難しくなります。被害者は裁判に協力すべきでしょうか。ただそれでも、被害を届けなかったり起訴されなかったりすることで、事態が悪化することもあります。 性犯罪の被害者はとても深く傷つくのに、加害者側は性犯罪をとても軽く考えがちです。逮捕されない、事件化されないとなれば、なおさらでしょう。加害者は犯行を繰り返します。 2014年の日本映画『ら』は、映画監督の水井真希氏が自らの被害体験をもとにして作られた映画です。映画では、ある性犯罪被害者が被害を警察に届けないままにします。その結果、第2、第3の被害者が出るというストーリーです。 このような事例は数多く起きています。また、逮捕されても、示談などが成立し起訴されないことで、さまざまな問題が起きることもあります。 以前、ある大学の学生たちによる集団準強姦事件が発生しました。学生らは逮捕されて実名報道もされ、大学から無期停学処分を受けました。しかし、被害者との示談が成立し、不起訴となります。すると学生側は、大学の処分が不当だとする民事裁判を起こしました。 民事裁判では推定無罪ではないので、訴えられた大学側が処分の正当性を立証しなくてはなりません。しかし、示談が成立した被害者からの協力は得られません。大学側は苦しい戦いになります。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 1審では、大学の処分が無効とされます。2審でも、集団準強姦があったとはされないものの、学生らの行動は問題があったとして、大学の処分は有効とされました。真実はどうだったかは闇の中です。性犯罪は、被害者が泣き寝入りをすることが多い一方で、冤罪(えんざい)もまた多くなりやすい犯罪です。 犯罪被害を受けた人は、きちんと警察に届けるべきでしょう。必要なら裁判もすべきでしょう。しかし、私たちは被害者にそれを強いることはできません。犯罪予防のために被害者に協力を乞うのであれば、被害者を保護しなければなりません。無責任な「野次馬」 以前であれば、性犯罪被害者の家にパトカーと制服警官が来ることも普通でした。男性警官が、遠慮なく事情を聞くことも当然と思われていました。 しかし、現在は、近所に目立たないように私服警官が普通の車で来ることもできます。被害者に配慮しつつ、女性警官が事情を聞くこともできます。被害者が大人の場合で本人が希望すれば、家族にも秘密で調べを進めることもできます。届け出前の相談から、届け出後の捜査段階まで、カウンセラーなどとも連携した被害者保護の整備が進められています。このような現状を被害者に知らせることも必要でしょう。 そうはいっても、対応はいまだに不十分であり、またどんなに配慮しても、被害者にとってはやはり負担でしょう。「社会のために」という理由だけで、被害者に協力要請することは心苦しくも思います。 届け出を出さないことも個人の判断ですし、示談にすることも悪いことではありません。だから、警察に届け出ること、裁判に協力すること自体が、被害者にとって有益なものにしたいと思います。 フォトジャーナリストである日本人女性が、アメリカでレイプ被害を受けました。犯人は逮捕され、有罪判決を受けましたが、彼女はもちろん激しく落ち込みます。 しかし、彼女は立ち上がります。彼女は、フォトジャーナリストとしてレイプ被害をカミングアウトしている人々を取材します。そして、被害者らの凛々(りり)しい顔写真と共に、戦う被害者たちを一冊の本にまとめました(『STAND―立ち上がる選択』大藪順子著、いのちのことば社)。 欧米で女性長期監禁事件が発覚すると、被害者女性は性犯罪被害者でもあるのに、顔と実名を出して記者会見を行うことがあります。欧米社会は、被害者女性を英雄として扱い、被害者は多額の保証金を得たり、手記を出版したりするなどして、新しい人生を力強く歩み始めます。被害者が隠れて生きなければならない日本とは、大きく事情が異なります。米ペンシルベニア州で再会した父親(右)に抱きつく10年間監禁されていた女性=2006年3月(AP=共同) 性犯罪被害者が警察に被害を届け出て、裁判に協力する。その勇気ある行動を社会全体が支援しなくてはなりません。支援の気持ちを表さず、犯人を起訴し罰することだけを望むのは、無責任な態度ではないでしょうか。 内閣府の2015年の調査では、女性の6・5%が無理やり性交された経験があると回答しています。「被害者を支援しない人たちは、加害者側に加担しているのだ」とさえ語る被害者の声を、私たちは忘れてはいけないのです。■ 女性記者の「セクハラ告発」でテレビ朝日が犯した二つの過ち■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 肥大した欲望を抑えるだけの社会との絆はなかったのか

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    性犯罪被害者の苦悩、警察による捜査で心と体の傷に塩

     「私は相手の男性を告発したいのではありません。性犯罪の被害者が泣き寝入りせざるを得ない日本の司法システムや捜査方法、そして被害者に対して不寛容な社会のあり方を少しでも改善したくて、声を上げたのです」 力を込めて語るのは、ジャーナリストの伊藤詩織さん(28才)。詩織さんは2015年4月3日、レイプ被害を受けたという。国際的なジャーナリストを目指し、希望に満ちていた彼女の人生は、この晩の出来事で一変してしまった。 10月18日に著書『Black Box』(文藝春秋)を上梓した彼女は、そこで初めてフルネームを明らかにした。 ニューヨークの大学でジャーナリズムと写真を専攻していた詩織さんは2013年秋頃、仕事で同地を訪れた元TBSテレビ報道局ワシントン支局長の山口敬之氏(51才)と知り合った。山口氏から仕事の話をするという理由で2人で会った後に、レイプ被害に遭ったという。 詩織さんは警察に被害届を提出。山口氏を準強姦容疑で告発し、裁判所から逮捕状も出た。だが、逮捕当日になり、刑事部長の判断で突然執行が中止に。結果、2016年7月に「嫌疑不十分」として不起訴になった。 2015年に日本で発生した強姦事件の件数は1167件。これは世界的に見てもかなり少ない。実際、国連薬物犯罪事務所のデータ(2013年)によると、人口10万人あたりの各国のレイプ事件の件数は、日本は1.1件で世界87位。1位のスウェーデン(58.5件)のおよそ60分の1だ。だが、この数字は、実態をありのまま反映したものではない。ニューヨークの国連本部で記者会見するジャーナリストの伊藤詩織さん(中央)=(共同) 「スウェーデンでは性的暴行は起こった回数分カウントします。例えば、数年にわたって毎日のように同じ人から被害を受けていたら何百回、というように。また、被害に遭ったらすぐに治療・検査が受けられる24時間365日体制のレイプ緊急センターがあり、女性警察官の割合も日本と比べ高く、性犯罪の捜査に取り組む環境が整っていて被害届を出しやすい面もある。逆に日本は、性被害を受けても警察に届けにくい環境なので、泣き寝入りが増え、結果的に発生件数が少なくなります」(詩織さん) 内閣府の調査(2014年)によると、異性から無理やり性交させられた経験のある女性のうち、警察に相談した人は4.3%にとどまる。一方、どこにも相談しなかった人は67.5%に達する。「よくある話」で終わる なぜ、日本では性被害者が声を上げにくいのか。詩織さんが身をもって体験したのは「警察のサポート体制の希薄さ」だ。詩織さんは押し寄せる恐怖と痛みに苦しんだ末、事件から5日後に警察を訪れた。 「受付で『女性の警官をお願いします』と言っても話が通じない。他の待合者がいるなかで『強姦の被害に遭いました』と伝えました」(詩織さん) その後ようやく現れた女性警官にもう一度、事件の詳細を伝えた。 「つらい記憶を思い出して脂汗を流しながら何とか話し終わるやいなや、『これから刑事課の者を呼びます』と言われました。私が2時間かけて詳細を伝えた女性警官は管轄外の、交通課の所属だったのです。 刑事課の男性捜査員にまた同じ話をしましたが、その後も、地域が管轄外などの理由で繰り返し同じ話をしなくてはいけませんでした。トラウマ状態にある中、心身ともに疲れ果てました。もし最初から、警察に性犯罪被害者に対するマニュアル、捜査員への教育などが整っていれば、負担は大きく軽減されたでしょう」(詩織さん)デリケートな点にまで詰め寄られる 自分が受けた性被害の詳細を他人に話すことは極めて過酷な作業だ。それが何度も繰り返されればなおさらだろう。詩織さんの苦悩はさらに続いた。 「被害を相談しても、警察は捜査に後ろ向きでした。日時を改めて面会した所轄の警察官からは、『よくある話だし、事件として捜査するのは難しい』と告げられました。あの恐怖と苦痛が『よくある話』として処理されてしまうのはあまりにも理不尽です。何とか食い下がって捜査を始めてもらいましたが、その後の取り調べでは、捜査員から何度も『処女ですか』と聞かれたり、男性捜査員が見ている前で人型の人形を相手にマットの上で事件を再現させられたり、つらい体験が続きました」※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) ただでさえ傷ついた被害者の心と体の傷にどこまで塩を塗るつもりなのか――。 性犯罪に詳しい上谷さくら弁護士も、警察の捜査が被害者に大きな負担を強いていると指摘する。 「警察のなかでも、強姦事件を担当する捜査一課や刑事課は殺人や強盗を取り扱う部署のため、男女を問わず、声が大きく態度が威圧的な刑事もいる。『どっちの胸を触られましたか?』『陰部に指が入ったの?何本?どこまで?』などと、デリケートな点まで被害者は何度も詰め寄られます。なぜ、その質問が必要かという説明もなく、ただ質問攻めにされたら、普通の女性なら『自分にも落ち度があったのではないか』『私が悪いんだ』と思ってしまいます」「被害者らしくしろ」 詩織さんもそう感じた1人だ。ある時、捜査員は詩織さんにこう告げた。 「もっと泣くとか怒るとか、被害者ならば被害者らしくしてくれないと伝わらない」 詩織さんが続ける。 「捜査をしていくなかで強く感じたのは、密室で顔見知りから受けた性暴力は立証が難しいということ。被疑者が『相手は喜んでついてきた、合意があった』と言えば、それを否定するのは簡単なことではありません。捜査の末、『一緒に部屋に入っただけで合意だ』と見なされて起訴されないケースだってあるのです。 私の場合は、ホテル入口の監視カメラに山口氏に引きずられるようにして部屋に入っていく映像が残っていました。にもかかわらず、『その後部屋の中である程度時間が経っている。その間に何が起きたのかは第三者にはわからない』と何度も言われました。意識のない状態で部屋に引きずりこまれた人間が、その後どう『合意』するというのでしょうか…」 捜査に協力する過程で警察から何度も「立証は難しい」と言われ、精神的に追い込まれていった詩織さん。 「捜査に協力した数か月は精神的にも身体的にも仕事を続けられる状況ではありませんでした。自分の行動を疑われ、再現させられ、まるで私が加害者として取り調べをされていると錯覚することさえあった。早く終わりにしたいと何度も感じました」(詩織さん)※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 問題は警察だけではない。5月の会見以降、“世間の無理解”が詩織さんに襲いかかった。 「『死ねばいいのに』という誹謗中傷だけでなく、丁寧な言葉で『女性としてあなたの行動は恥ずかしい』『私は飲みに行く時間も場所も選ぶ。あなたは自業自得だ』『あなたは被害者に見えない、山口氏を陥れようとしているのではないか』というメールをいただきました。正直、驚きましたし、ショックでした」(詩織さん) こうした声は少数ではない。6月にNHK『あさイチ』が性暴力を特集した際は、「最後まで抵抗することをやめなければよかった」との70代男性の意見が寄せられた。しかし強姦事件で抵抗すれば、殺害される恐れもある。 アパートの一室から9人の遺体が見つかるという猟奇性で、現在、日本中を戦慄させている神奈川県座間市の死体遺棄事件も、10代を含む女性被害者8人は全員、強姦されていたとされている。それでも、ネット上には「SNSで知り合った男性についていく方が悪い」という声が散見されており、被害者に対する世間の風当たりは強い。関連記事■ 伊藤詩織さん「山口氏と闘うつもりない。仕組みを変えたい」■ 雑誌モデルからAVに転身して「救われた」女優の告白■ 首相腹心記者の強姦告発会見 全国紙は1行も報じなかった■ 子育て支援サービスの裏で性犯罪が続発、というジレンマ■ 痴漢公務員「ババアか、俺に触られただけありがたいと思え!」

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    性的犯罪の通報率は2割以下、未遂であっても110番する癖を

     不審者に遭遇した時、小学生の7~8割が抵抗できないという。だからこそ被害に遭わない習慣が大切。犯行が起こりやすい場所や時間の傾向を知って対策を立てよう。 不審者に遭遇した時に抵抗できた子の割合だ。中学生以上でも、半分以下。年齢が下がるほどさらに難しくなる。ならば、最初から被害に遭わないようにするしかない。科学警察研究所犯罪予防研究室室長の島田貴仁さん(「」内以下同)は、こう提言する。「まず、どんな時間帯、どんな場所、どんな状態だと不審者に会いやすいかを、親子ともに知ることが第一です」 警視庁の調べによると、小学生が狙われやすいのは、平日の午後4時頃。つまり、下校後に塾や友達の家に行く時などが多い。狙われやすい場所は、集合住宅の場合、階段や廊下、エレベーターだ。 この時間に出かけるな、この場所に行くなというわけではなく、いつもより気をつけようという意識を持つことが大切なのだ。「犯罪者の約36%が、被害者が1人でいたから狙ったと答えていますが、実際は子供が2人以上でも被害が起きています。子供だけで出かける時は特に注意し、行く場所は必ず聞き、帰宅時間も決めておくのがおすすめです」 連れ去りは一瞬だ。帰宅時間が5分遅れたら、車で市区外まで連れて行かれているかもしれないし、無事帰ってきたとしても何かあった可能性がある。「性的犯罪の通報率は2割以下と非常に低く、ほとんどが声を上げられないまま泣き寝入りをしていることを知っておいてほしい」『警察白書』によれば、略取誘拐事件は毎年100件前後報告されているが、未遂や報告に上がってこない分を考えると、実際に起きているのはさらに多いといわれている。特に子供の場合、親を心配させる、怒られるのではないかと話せず、ますます心の傷を深めるケースも少なくない。未遂であっても110番する癖を 島田さんは、万一被害に遭った場合、また遭いそうになった時でも、ためらわずに通報してほしいと強調する。「怪しい人物や車を目撃しただけでもいいんです。気軽に110番してください。警察側としても、知らせてもらうメリットは大きいのです。 子供や女性への声かけなどは、ある場所で一度起きると、遠くない将来、同じような場所で犯罪が起きるということが最近の研究でわかりました。そうなると、1件でも多く、少しでも早く情報を知らせてもらった方が、警察としても警戒しやすいのです」 そうはいっても、性被害は人に話しづらいケースが多い。110番がしづらい時や、事件から日数が経った時は、全国統一の性犯罪被害相談電話を活用してほしい。「『♯8103』を押すと、発信した地域を管轄する各都道府県警察の性犯罪被害相談電話窓口につながります」 対応するのは、犯罪被害者の心理について教育を受けた専門家。未遂でも、時間が経っていても、電話をかけることで、次に狙われる子供の被害防止につながるかもしれない。勇気を出してダイヤルしてほしい。関連記事■ 元受刑者が明かす子供への猥褻行為の手口、6mの距離で実行■ 「おい、ちょっと」放課後のトイレに堂々と少女を連れ込んだ男■ 「足が悪くて…」子供の親切心を利用する鬼畜なわいせつ犯■ 昼の住宅街でも発生する連れ去り事件「すれ違い」は魔の瞬間■ 子供に教えておきたい… 不審者はこう声をかけてくる

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    くら寿司にセブン、バイトテロ「見せしめの法的措置」はむしろ逆効果

    黒葛原歩(弁護士) 「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざがある。 雄弁に語ることも大事だが、語るべき時と語らざるべき時との区別をわきまえ、沈黙を守るべき時には沈黙するということは、それにも増して大切である、という意味である。会員制交流サイト(SNS)を利用する時には、ぜひとも心しておくべき言葉だと思う。 SNSの投稿には反応があるので、つい反応する人のことばかりが気になってしまいがちだ。しかし、SNSの投稿はしばしば拡散し、投稿者が予想もしなかったような影響をもたらすこともある。ちょっとでも「これは言わない方がいいかな」と思ったら、何も書かずに黙っておくのがよい。筆者としても、常に心にとどめている教訓の一つである。 さて、「不適切動画」が昨今話題となっている。 次々に事例が出てきており、逐一紹介することはできないが、その内容はおおむね、「アルバイトが仕事中に撮影した動画をSNSに投稿し、その動画の内容が、本来の職務内容からして著しく不適切であった」というものである。 もとより、使用者(雇用主)はアルバイトに対して、プライベートの動画を撮影させるために給料を払っているのではない。仕事中というのは、基本的にはプライベートの発信を差し控えるべき時間帯である。法的見地から見ても、こうした行動は労働契約上の義務に違反し、戒告などの懲戒処分に値するものだと言えるだろう。 ところが、最近では不適切動画投稿の事案において、企業側が懲戒処分というレベルを超え、当該労働者に対して損害賠償まで請求するケースが出てきているという。ここまで来ると「おいおい、ちょっと待ってくれよ」と言いたくなってくる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そもそも、こういう場合、使用者から労働者に対する損害賠償請求というのは認められるものなのか。 もともと判例上、使用者の労働者に対する損害賠償請求というのは、かなり厳しく制限されている。使用者は労働者を指揮命令することができ、しかも労働者の労働によって利益を得る立場にあるから、労働という活動に伴うミスから生じる危険も負担するべきだという「報償責任」という考え方が、その背景にある。賠償請求の現実 最高裁の判例(最高裁 昭和51年7月8日・茨城石炭商事事件判決)は、「使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被りまたは使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被った場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防もしくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償または求償の請求をすることができる」としている。 この判例の事案では、使用者は労働者に対して、労働者の過失による車の物損事故によって生じた損害の賠償請求をしていたが、裁判所はこれを損害額の4分の1の範囲でしか認めなかった。 従業員による加害行為が故意によるものである場合には、こうした減額がなされないケースもあるが、最高裁判例の文面上は、加害行為が故意によるか、過失によるかという点は、あくまで「加害行為の態様」の一つとして考慮されているにすぎない。 いわゆる不適切動画の投稿についても、こういった減額がなされる余地はある。アルバイトであって賃金水準が低いことや、正社員である監督者の不在などは、減額要素として考慮される可能性があるだろう。 また、企業側が不適切動画の投稿に伴い発生した会社の売り上げ減少とか、信用回復のために要した費用について賠償請求できるのかというのも、実はかなり微妙な問題である。筆者としては、動画投稿者がこういう損害の賠償義務を負うことは、普通は考えられず、仮にあるとしても、かなりまれなことであろうと考えている。 売り上げ減少とか、信用回復のための費用というのは、不適切動画の拡散により、食品の衛生管理に関する消費者からの信頼を落としたことによる損害と位置付けられる。一言で言えば「信用毀損(きそん)」による損害である。この点については参考になるのは、イオン対文藝春秋事件の高裁判決である(東京高裁 平成29年11月22日判決)。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) これは、『週刊文春』がイオンによる弁当やおにぎりの原料米の産地偽装問題を取り上げるにあたり、雑誌の広告の中で「中国猛毒米」という表現を使用したことが信用毀損に当たるとして起こった裁判だ。イオンから株式会社文藝春秋に対し、売り上げ減少分の補塡(ほてん)や、信用回復のために行った広告の費用など、約1億6000万円の損害賠償請求がなされた。あの週刊文春でさえ… 第一審の東京地裁は、文藝春秋側に約2500万円の賠償義務があると認めた。これに対して第二審の東京高裁は、この広告の「猛毒」という部分が事実に反する信用毀損表現であることを認めたものの、損害の算定においては、わずか110万円の損害賠償しか認めなかった。 この理由は、売り上げの減少や信用回復のための広告費用は、上記の違法な表現行為によってもたらされた損害とはいえない、と判断されたためである。売り上げの減少については、そもそも弁当やおにぎりの販売数量は、天候や休日日数といった要因によっても左右されるなどとして、表現行為によってもたらされた損害とは認められなかった。また、イオンが行った信用回復のための意見広告の費用についても、違法行為によって通常生じる損害とは認められなかった。 この判決は、『週刊文春』という、世間で広く名の知られた雑誌について、それも電車の中づり広告などで多くの人が目にするものについて、その表現行為の違法性が「ある」とされた上での判断である。そのような事件ですら、この程度の賠償額しか認められていない。 まして、本来的には限られた範囲にしか閲覧者がいない、インスタグラムのようなSNSの投稿動画について 、被害に遭った企業の売り上げの減少や、信用回復のための広告費のようなものまで、動画投稿行為と因果関係のある損害と認定されるものだろうか。筆者としては、裁判所において、普通はそういう判断はなされないのではないかと考えている。 今般、不適切動画の話題が広く論じられるようになったきっかけは、アルバイトに対する賠償請求などを実際に行う旨を宣言する企業が実際に出てきているという、従前にはなかった現象がみられたのも一因だろう。 しかし、そもそもこういう賠償請求は、実際に賠償請求を行う企業を利するものなのだろうか。インスタグラムのアプリ(ゲッティイメージズ) 前述したように、不適切動画の投稿に伴う損害賠償請求というのは、法的には決して簡単なものではない。また、この場合に訴えられるのは、めぼしい資産を持たない若年のアルバイトであろうから、仮に裁判で企業側が勝ったとしても、現実の回収は困難である。もちろん、そのアルバイトの親族に、賠償を肩代わりする義務があるわけでもない。 そうすると、この種の訴訟は、費用対効果の見込めない、いわば「見せしめ」のための訴訟とならざるを得ない。賠償請求のデメリット 他方、この種の事件で賠償請求に打って出ることによるデメリットは、決して軽視できないものがある。こういう裁判は誰から見ても「見せしめ」と映るから、現場の労働者、そして求職者を萎縮させる。アルバイトはお金が欲しくて働きにくるのに、逆に会社から訴えられて巨額の賠償請求をされるかもしれないというのでは、面接に向かう足も遠のくというものだろう。 現在、「飲食物調理」や「接客・給仕」といった仕事の有効求人倍率は3倍を超えており、立派な人手不足産業である。こうした中にあって、あえて求職者の足を遠のかせるようなことをするのは、どちらかといえば「悪目立ち」の類いの行動である。 なるほど、確かに不適切動画の投稿はよくないことである。しかし、だからといって、投稿者を法廷に引きずり出して懲らしめるという方法を採ることは、その企業自身を利するものではないように思われる。 筆者自身は、実際のところ、昨今発覚したような事態は、飲食業の現場では他にも多々起きていることなのではないかと思っている。日本で働いているアルバイトの数は1000万人規模なのだから、その中におかしな行動に出る者が一定数いることは、別に不思議なことではない。 こうした中で、イレギュラーの事態に際して、感情任せでない、理に即した対応を行うことこそが肝要である。「あえて法には訴えない」という判断は、決して企業の価値を下げるものではない。むしろ企業価値を高めることである。事実をきちんと確認し、法的な見通しをつけ、企業の損得を冷静に見極める視座こそが求められる。 そうして熟慮した結果が、「事を荒立てない」というところに至ったならば、静かにそれを実践すればよい。冷厳に懲戒処分を実行し、必要な範囲で社会に向けて謝罪し、他の従業員に対しては規律の引き締めを通達する、それで十分ではないだろうか。そして、実際に日本の経営者の多くは、そのように実践してきたのではないだろうか。 もとより若者というのは、人生経験の不足ゆえに、時として「若気の至り」からの失敗もするものである。そのような若者の失敗をいつまでもあげつらい、法廷で多額の賠償金を支払えといきり立てるのが、見識ある経営者の姿であるとは思えない。 近時、不適切動画をめぐっていくつかの企業の名前がクローズアップされたが、むしろ、そこに名前の出てこない企業の対応にこそ、学ぶべきところが多いように思われるのである。くら寿司は「不適切動画」に断固たる姿勢を示した なるほど、このような事態に直面すれば、経営者の方は悔しいと思われるかもしれない。なればこそ、まさしく「沈黙は金なり」と申し上げたい。冷静な判断の結果は決して「泣き寝入り」ではない。 すぐには目に見えず、形にならないかもしれないが、実際には沈黙こそが、法廷において雄弁を振るうよりも、多くのものを会社にもたらしてくれるはずである。■なぜインスタグラムに狂う女子が爆発的に増えたのか■「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている■貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?

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    バイトテロを「ただの馬鹿」と思うなかれ

    バイトテロ。最近、こんな言葉が巷をにぎわす。コンビニや飲食店のアルバイト店員らが勤務中に悪ふざけした不適切動画が相次いで投稿され、炎上が続いたためだ。「ただのバカ」「若気の至り」…。さまざまな声も聞こえてくるが、何が問題なのか。この現象の意味を考えたい。

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    「若気の至り」バイトテロを司法が裁くのは当然の報いである

    戸村智憲(日本マネジメント総合研究所理事長) サイバーセキュリティ月間(2月1日~3月18日)の最中、非正規社員(アルバイトやパート)による会員制交流サイト(SNS)への不適切投稿、いわゆる「バイトテロ」の問題が相次いでいる。 手のひらの上から起こる業務妨害や器物損壊、株価下落など、刑事・民事ともにIT機器とSNSを介した問題が多発する中、筆者が常々述べていることだが、最大のセキュリティ・ホール(脆弱性)は、ITより人の心にあることが露呈された形だ。 不適切投稿は今に始まったことではなく、一昔前には、有名ホテルのレストランや大手金融機関などでの顧客のプライバシー垂れ流し事件の他、飲食店での悪質な業務妨害行為の不適切投稿で閉店や廃業を余儀なくされた事件もあった。 正社員よりも比較的簡単に、ある日ひょっこりと有名企業などの一員となりやすいアルバイトなどの非正規社員が、いきなり現場サイドの顧客と近い接点を持つだけに、違法・不適切な言動に及ぶリスクは高い。だが、非正規社員だからと言って法的や社会的に許されるものではない。 悪ふざけの動画をSNSに不適切投稿した者に対する非難や、弁護士の法的観点からの記事など、多種多様な意見が見受けられるが、筆者は「内部統制」「リスク管理」「危機管理」の定石として、企業が当然取るべき不祥事対策と留意点をまとめておく。 筆者なりの言い方だが、とかく難解にとらえられがちな内部統制は、「健全に儲け続けるための仕組み」である。そのキーワードは平仮名4文字を用いれば、「そもそも」であり、そもそも問題が起こりにくい仕組みづくりや職場づくりが重要だということである。 もちろん、人間が仕事を行う以上、故意に悪行に及ぶ問題行為であれ、意図せず善意でうっかり問題視される事態に至るものであれ、企業経営を継続している以上は、どれだけ未然の防止策を講じても不祥事リスクはゼロにはならない。 そこで、未然の対策と併せて講じる不祥事対策として、問題が起こった後に①ダメージの最小化②早期の回復(信頼・損失・売上など)③再発防止策、という災害時の事業継続計画(BCP)にも通じる、「事後の危機管理3原則」が重要となる。 この度、某社の不適切投稿の問題で、抑止力としての刑事・民事の法的措置について、告訴や訴訟はやりすぎだという声も少なくない。だが、企業の危機管理3原則においては、③の再発防止策に位置づけられるものとして何ら不思議はない。 筆者は多様な意見や個性を否定するわけではない。本稿は、事前と事後の不祥事対策の観点から、企業経営として法的・社会的に必要とされる重要な点を説明することが狙いだ。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) まず、正社員ではない非正規社員(アルバイト・パートなど)の若者の「若気の至り」であるかのように扱われがちな不適切投稿は当然、司法判断に委ねられるべきものである。 勤労学生控除の制度があてはまる学費を稼ぐ学生でも、また部活やサークルの合間に軽いノリで小遣い稼ぎをする学生などであっても、労働の対価を得る仕事は、正規であれ非正規であれ、企業の法に基づく経済活動だからだ。 仮に若気の至りや「若者は間違いを犯しやすいもの」という議論があった場合、そこに年齢差別や多様性尊重の大前提であるコンプライアンス(法令遵守+社会通念)の欠落がないか、「ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包摂)」の観点でも留意が必要である。欠かせない司法判断 また、若気の至りや学生の事情の勘案、情状酌量、違法性の有無を確定的に識別し断定できるのは、企業の法務部でもなければ市井の一弁護士による意見や評価でもなく、事実に基づく独立客観的な裁判官による司法判断以外にない。 企業の実務面で見れば、信頼性低下リスクが現実化して生じた株価下落や売上減少などについて、株主など利害関係者への説明責任を果たし、損害保険の請求手続きなども確実に処理する上でも、不祥事対策には司法判断が欠かせない。 学校教育における学生への指導的機能に着目し、学生など若者に対して起こす告訴や訴訟はいかがなものかという議論もあるが、その議論や意見などは多様性の観点から当然、さまざまな考えがあってよい。 しかし、警察の協賛企業でもないのなら、会社は犯罪者更生施設でもなく、ましてや学校教育施設でもなく、純然たる経済活動の場である。あえて言えば、司法判断が常につきまとう社会教育の場にはなり得るとは言えよう。 中には、いわゆる「日本的な家族経営」を美化した議論もあろうが、日本においても人員解雇によるリストラや経営陣による現場の軽視などから、既に少なからぬ企業現場の実態として、「日本的な家族経営」は崩壊しているように思われる。 むしろ、「日本的な家族経営」という文言が悪用され、サービス残業という名の違法労働の横行を誘引している。また、不正発見時などに「家族」という名の会社、「親」である経営陣のため、異を唱えず違法状態を黙認させる危険な企業実態すら少なからず見受けられる。 こうした中で、コンプライアンス研修は正規・非正規を問わず全役職員に提供されるべきであるが、これは学校教育としての研修ではない。経済活動で善悪の判断基準を備え、「そもそも」不正を起こしにくくする予防的な不祥事対策としての研修である。 筆者が日本で初めて提唱し各社に指導を行ってきた「ソーシャルメディア・コンプライアンス」では、まず未然に企業が不適切投稿で「そもそも」問題が起きにくいよう講じておくべき点は、主に以下の5つの点である。 まず、一つ目はソーシャルメディアポリシーやガイドラインの策定と不正防止研修の実施だ。内部統制の日本版「COSO」(米国トレッドウェイ委員会組織委員会)モデルで言えば「統制環境」にあたるが、不正を許さぬ風土づくりとして、善悪の判断基準づくりと周知徹底が出発点だ。 経営陣や上司が気まぐれで善悪の基準を変えて、非正規社員にパワハラなどを行っていたなら、それ自体が企業の不祥事だが、お互いに判断基準や何をどうすれば良いかが明確な状態で、公平で安心な業務体制づくりが不祥事対策に必須である。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 二つ目は、採用・入社時の誓約書への署名と不適切投稿などによる損害賠償責任を正式書面で通知することだ。三つ目は、不適切投稿を行った者の末路や仲間以外のネットユーザによる個人情報の晒(さら)しなど、事例考察を交えた指導を実施することである。 さらに、ある不適切投稿では「クビ」になること覚悟で意図的な問題行為があったようだが、四つ目として単に「クビ」かどうかではなく刑事事件・民事訴訟となり得ることを明確化しておくこと、五つ目は懲戒処分を隠して履歴書を提出すれば、経歴詐称であることを認識させておくことだ。 一方で、ソーシャルメディア・コンプライアンスにおける、不適切投稿が起こってしまった際の事後対応としては、主に以下の3つの点が重要となる。いずれも、防災対策などで普及が進んできたBCPに通じる点でもある。重要な導き型指導 まず、不適切投稿を把握した段階で、①ダメージを最小限にするため、社内法務部門や広報部門、顧問弁護士と連携し、企業は加害者側として事実確認と危機管理広報での顧客・関係各位への謝罪、会社としての対応などを早期に発信する。 ②(売上・信頼などの)ダメージの早期回復策として、器物損壊や衛生状態の悪化などに対し、どのような回復措置を講じるかといった初期の情報発信の他、継続的にイメージ回復の広報対応を行う。 ③再発防止策として、どのような不適切行為をどう予防する対応を講じるかについての初期の情報発信とともに、「そもそも」問題が起きにくい措置を採用、入社時点から平素の運営・管理監督に至るまで、継続的に講じる。 顧客や利害関係者などへの広報実務面としては、炎上状態の際は危機管理広報として早期是正の活動の周知に努めることが重要になる。また、炎上沈静化の後は、企業イメージ回復と向上のために、広告・宣伝・PR活動へと移行する組織的対応が必要となる。 ただ、ソーシャルメディア・コンプライアンスは、現場の正規・非正規の役職員を委縮させる目的で行うものではない。また、SNSなどにおける言論や表現の自由を損ねたり、逆にヘイトスピーチ的な問題を放置したりするものでもない。 日本企業が設けるソーシャルメディアポリシーやガイドラインは、とかく禁止事項列挙型で現場を委縮させがちだが、SNSを用いるならどのようにしてお互いに楽しく幸せになる活用の仕方をするかという、導き型の指導が重要である。 また、労働基準法などを無視して、安直に役職員に過剰な罰金を科すことなどは、不適切投稿による不祥事の抑止のつもりでも、その過剰な罰金を科すこと自体が、労働法上の違法行為となり不祥事そのものとなり得ることにも、気をつけなければならない。 さらに、不祥事対策に司法判断が欠かせないが、裁判権の濫用(濫訴)による役職員の人権侵害や恫喝的な法的対応は、仮に不祥事を減らす効果があったとしても、違法性も社会通念上も問題がある不適切な対応となり得るため避けるべきである。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 会社側にも非正規社員側にも、相互に権利の濫用や不適切行為がない状態かどうか、また、入管法改正に伴う職場の多国籍化・多様化に備え、「ダイバーシティ&インクルージョン」による対応が十分浸透しているかといった点も、この機に検証すべきだろう。 以上、筆者の日本企業各社への不祥事対策指導や、元国連の専門官としての経験をベースに不適切投稿についての私見をまとめてみた。 本稿に対する異論反論は歓迎である。だが、事実と評価の混同による曲解コメントや誹謗中傷など違法性阻却事由を満たさない投稿などは、スラップ訴訟(批判的言論への威嚇目的訴訟)に直面した筆者としては、やむなく法的措置を講じざるを得ないこともあるので、ご留意いただきたい。■「歪んだネット社会の正義」不謹慎狩りをなくす3つの処方箋■かまってちゃんをこじらせた「低能先生」のキケンな化学反応■「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている

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    バイトテロ「みんなやってる」古市憲寿の炎上発言にモノ申す

    日沖健(経営コンサルタント) くら寿司やセブン-イレブンなど飲食店・小売店でのアルバイト店員による不適切動画の投稿が問題になっている。 この件について社会学者の古市憲寿氏が2月7日のフジテレビ系『とくダネ!』で、「もともとみんながやってたことを、表に出してしまったから。くら寿司もたぶん昔から、もしかしたらああいうことって従業員同士でお遊びで行われていて、それがたまたま動画になって、ネットに拡散したから、みんなが知ることになっただけだと思う」と発言し、ネットで炎上した。 炎上の一部始終を確認したわけではないが、古市氏の発言そのものは、大いに問題だ。古市氏から「みんながやっていた」と指摘された飲食店や小売店は、どう反論できようか。過去の全店舗と全店員を調査して「うちはやっていない」と否定することは、物理的に不可能だ。古市氏の指摘には、反証可能性がないのである。 哲学者、カール・ポパーの反証主義によると、反証可能性がない仮説、つまりどのような手段によっても間違っていることを示す方法がない仮説は、科学ではない。本業は学者の古市氏が、いくらワイドショーとはいえ、科学哲学の基本中の基本を忘れて奔放に発言しているのは、ちょっと驚きだ。 人が何を考えようと勝手だから、反証可能性のない仮説を思い付くこと自体は何ら問題ない。しかし、まじめに働いている多くの飲食店・小売店やその社員に対し、社会的に影響力のある古市氏がメディアを使って反証可能性がない批判を一方的に浴びせるのは、もはや「言論の暴力」である。古市氏には猛省を促したい。 ただ、そうは言っても古市氏の指摘それ自体は正しいという見方が多い。古市氏が指摘するように、悪ふざけで不適切行為をしている場合はあるだろう。あるいは、嫌になったバイト先を辞める際に腹いせでやったというケースも考えられる。社会学者の古市憲寿氏(伴龍二撮影) しかし、会員制交流サイト(SNS)やユーチューブなど動画サイトは以前から存在したから、この1~2年で不適切動画が急増している状況について、「たまたま動画になって拡散した」という推測は、説得力に欠ける。ケース・バイ・ケースなのだろうが、昔から皆がやっていることを「たまたま」動画化したのではなく、多くの場合、積極的に「ぜひたくさんの人に見てほしい!」と思い立って不適切行為を働いたのではないだろうか。 世は写真共有アプリ、インスタグラム全盛の時代だ。他人から注目され、承認されることが重視される。不適切動画を投稿すれば世間の注目を集めることができる。うまくすれば全国ニュースになるかもしれない、ニュースでは顔も名前も出ないから就職や結婚で困ることもない、厳正な処分といっても「クソなバイト先をクビになるだけ」といった思いもあるかもしれない。厳罰化の効果は? とにかく注目されたいという承認欲求(自己顕示欲)が強い人にとって、不適切動画はメリットがやたら大きく、言わばデメリットがない「完全犯罪」である。個人的には、これくらいの件数で済んでいるのがむしろ不思議だ。この私の推測が正しいかどうか、不適切動画をアップした元店員に動機を確かめてほしいものである。 私の推測が正しいとすれば、正攻法の対策は、不適切動画を投稿することのデメリットを大きくし、店員に「不適切動画は割に合わない」と思わせることだ。具体的には、損害賠償の請求である(氏名や顔写真の公表も効果があるが、未成年には適用できない)。今回、くら寿司は元店員に損害賠償を請求する方針だ。 ただ、損害賠償請求など厳罰化には、反対意見も強く、賛否両論がある。印象としては、ネット掲示板で多くのユーザーが厳罰化を支持し、マスメディアで専門家は「そんなに単純な話ではない」と反対している(例えば、店舗経営コンサルタントの佐藤昌司氏など)。 専門家が厳罰化に反対する理由は、大きく2点ある。①どんなに厳罰化しても、悪事はなくならない。厳罰化の効果は知れている。②それよりも、オペレーションをアルバイト店員任せにした店側の責任もあるのだから、まずはオペレーションを見直すとともに、店員への倫理教育を徹底するべきだ。 まず、①はロジックが稚拙だ。麻薬は常習性が強いが、「常習者はどうせやめられないから、厳罰を科さず放置しよう」とは誰も考えない。全国各地で犯罪が発生しているが、「どうせ犯罪はなくならないんだから、警察なんて不要」とも考えない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 死刑制度があっても殺人事件がなくならないように、厳罰が通じない悪人は確かにいる。しかし、悪事を働くかどうか躊躇(ちゅうちょ)する普通の人にとって、厳罰には一定の抑止効果がある。「通用しない人がいるからやめておこう」ではなく、「効果が出るように、きちんと制度設計をしよう」と考えるべきだ。 一方、②のオペレーションの見直しや倫理教育は、それ自体は正論らしく聞こえ、真っ向から反対しにくい。しかし、厳罰化と比べて、はるかに効果が小さいのではないか。オペレーションの見直しとは、ロボット化・機械化してアルバイト店員をゼロにすることだろうか。それとも、アルバイト店員を店内で1人にさせないよう監視役の正社員かロボットを張り付けることだろうか。いずれも、現時点では有効な解決策とは思えない。「人を憎まず」の限界 それよりも悩ましいのが、倫理教育だ。こうした不祥事が起こると、企業は決まって社員への倫理教育を行う。 しかし、倫理教育の効果は極めて小さい。私は経営コンサルタントとしてこの17年間、数々の不祥事企業を間近に見てきたが、倫理教育によって「会社が生まれ変わった!」という事例は皆無である。 考えてみれば当然だろう。不正を働く社員は、不正だと知らなかったわけではない。不正だと知りつつ、「目立ちたい」「収益を上げるため」「上層部から命令されて」「昔からやっているから」といった理由で不正に手を染める。 研修で弁護士とか外部専門家から「これは法律違反です」「社会に迷惑がかかります」と改めて説教されても、社員の心には響かない。かえって、承認欲求が強い人は、法律違反や迷惑行為だと聞いて「よし、もっと派手にやってやろう!」と決意を新たにするのではないか。 企業としては、世間から批判されている状況で「倫理教育なんて必要ない」とは言いにくいだろう。しかし、倫理教育は「ちゃんとやっていますよ」という対外アピール以外に意味がないことを肝に銘じるべきだ。 なお、オペレーションの見直しも、倫理教育も、効果が小さいというだけで「絶対にやるな」という主張ではないので、悪しからず。特にオペレーションについては、飲食店・小売店の現場は人手不足で疲弊しており、不祥事に関係なく改革が急務だ。 では、不祥事には「打つ手なし」だろうか。不祥事を起こした後、生まれ変わった企業はないのだろうか。いや、数こそ少ないが、生まれ変わった企業は確かに存在する。変革のカギは、社員の評価を「信賞必罰(しんしょうひつばつ)」に変えることだ。 日本人は、結果よりも動機を重視するので、不祥事という最悪の結果を招いても「会社のためを思ってやった」といった動機が認められれば、さほど厳しく処分されない。一方、企業を発展させる大きな業績を残しても「みんなで頑張ったチームワークの成果だから」と個人はさほど高く評価されない。 しかし、不祥事から生まれ変わった企業は、信賞必罰を徹底している。利益を増やしたり、社会からの評価を高めるといった結果に報奨を与える。利益を減らしたり、社会からの評価を下げるといった結果を厳しく処罰する。厳罰化オンリー(=減点主義)ではなく、良い結果を高く評価することも忘れてはいけない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるように、日本では「罰するよりもまず教育」という主張が支持されやすい。その結果、効果のない倫理教育をして「やれやれ、世間の批判も収まった」と満足しても、実態は何も変わらず、しばらくしてまた不祥事が起こる。 三菱自動車など不祥事企業の多くは、何年かおきに不祥事を起こす「常習犯」である。日本企業は「信賞必罰」の徹底でこの不祥事サイクルから抜け出せるかどうか、重大な岐路に立っている。■なぜインスタグラムに狂う女子が爆発的に増えたのか■「ネット後発組」が日本社会を後ろ向きに変えている■貧しき人たちの憂さ晴らし「不謹慎狩り」はなぜ起きる?

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    残業命じる上司に契約従業員「怒鳴られてまで働かない」の反乱

     女性セブンの体当たり系名物記者「オバ記者」こと野原広子(61才)。短期バイトとして働き始めると人間ドラマが見えてきた。最近は、本業のライターをしつつ、短期バイトを転々としている。* * *「さあ、今日はどんな職場かな」 短くて1日、長くて5日の超短期の契約で働くようになって3か月。 毎回、わくわくとハラハラ、うひひひとムカムカの間を行ったり来たりしている。61才にして初めて目にする人、味わう思い!「DMのピッキング、封入れ、梱包作業」をするために都内の倉庫へ朝8時半に着いたら、何やら大声でモメている。「段取り、どうなってるの!」「これでどうしろって?」 あせたオリーブ色の作業着を着た年配の常勤のパート女性6人が、歌手の吉幾三から生気を抜いたような50代男に口々に詰め寄っているの。日雇いパートの私たちは、放置されたまま20分、30分…。 やっとこっちを見たと思ったら、「何、ボーッと突っ立ってんの。掃除してよ。道具はあっち!」と、私たちをアゴで指示したのが、漆黒のボブヘアの、60代半ばのHさん。 蛍光灯の明かりの倉庫に、彼女のだみ声が鳴り響いていた。ベルトコンベヤーの前に立って、流れてくる書類を次々と1つの封筒に入れる作業は、NHKの朝ドラ『ひよっこ』の“谷田部みね子”になったみたい。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) みね子がしていたのはトランジスタラジオの組み立てで、手先の不器用な彼女はよく手を挙げてラインを止めていたっけ。「遅いよ。これじゃ遅すぎ」 ボブヘアのHさんに言われて、“吉幾三”が流れるスピードを少しずつ速める。「今日初めての人もいるし、最初はゆっくりでいいんじゃない?」と、他の人がたしなめても、聞こえないふりだ。ヒステリーの「ツケ」 ベルトコンベヤーが動き出した。必死で冊子を封筒に入れる。だけどタイミングがずれると作業が終わらないまま、次の人に流れていってしまい、パニック。 川上から、「止めてくださ~い」という声があがった。「ごめんなさい、止めてください」「すみませんっ」。 同じ人が4回目に手を挙げたとき、Hさんは「いい加減にしてッ。何回失敗をするの」と、ヒステリックな声をあげたんだわ。 空気が張り詰めたその直後のこと。今度は私がはがきを入れ忘れた。ラインを止めないと! だけどそうはしなかった。「面倒なことはやめ、やめ」ととっさに黒い私がささやき、頬かむり。 何日か同じ職場で働くなら、面罵を受け入れたと思うよ。でも「今日だけ」だしなぁ。 ときどき食品の“異物混入”がニュースになるけれど、原因はこんなことではないか、などと思っているうち、封入れ作業に慣れて、私は二度とミスをしなかった。 午後5時。“吉幾三”が私たちパートの間を、「7時まで残業をお願いできませんか?」と言って回り出した。無言。とうとう、「怒鳴られてまで働きたくないです」と吐き捨てた人の後に次々と5人が続いて帰った。 さて、怒鳴ったHさんはどうする。自分のせいで5人の労働力を失った後始末は? 時給に150円プラスの条件もさることながら、事の顛末を見届けたくて私は残った。 だけど、期待したようなことは何ひとつ起こらないんだよね。仲間から「みんな帰っちゃったから、あと3時間は頑張らないと」と、あからさまに嫌みを言われても、「もう、やんなっちゃうよね」とどこ吹く風。 なるほどね。そのときの感情で場を仕切るけど、“責任”は取らないHさん。そして1日だけの職場だと思って、職業的な良心がグッと低くなった私。 どっちもどっちだわと、今は思うけど、もう一度同じことが起こったら…。やっぱり機械を止められないかなぁ~。関連記事■ 61才オバ記者、派遣の倉庫勤務で30代社員からバカ呼ばわり■ オバ記者は見た! 派遣いじめする社員の言い分とやる気アピール■ オバ記者炎上体験振り返る 電気代使い不愉快の種探しやめる■ 中国ブラック料理店 バイト女性に給料払わず罰金請求の手口■ 吉原で中国人客への不満多数、煙草の灰を嬢の頭に落とす輩も

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    「親の苦情と戦えない」小さな命を救えなかった虐待現場の叫び

    山脇由貴子(心理カウンセラー、元児童心理司) 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さんが自宅浴室で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕される事件が起きてしまった。この事件の経過を分析すると、「事件を防ぐことができた」「救える命だった」と私は確信する。本稿では、今後二度と同じような事件が起きないためにも、今回の事件での児童相談所や学校、教育委員会など各機関の問題点を検証したい。 きっかけは、心愛さんの通う小学校が2017年11月6日に実施した、いじめに関するアンケートだ。心愛さんは、氏名を記入した上で「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と答え、父親からの虐待を訴えたのである。 学校は翌日、当時の担任が心愛さんから聞き取りした上で千葉県柏児童相談所に通告、通告を受けた児童相談所も一時保護を決定した。ここまでは良い対応だったといえる。 問題はその後だ。一時保護した児童相談所は今年1月28日に記者会見しているが、17年12月27日に行った一時保護解除の判断について「重篤な虐待ではないと思い込んでいた」と述べている。児童相談所はなぜ「重篤な虐待ではない」と判断したのだろうか。 アンケートには、本人の訴え以外にも、担任が聞き取ったメモ書きが残っていた。そこには「叩かれる」「首を蹴られる」「口をふさがれる」「こぶしで10回頭を叩かれる」といった内容が書かれており、明らかに重篤な虐待といえる。 さらに、児童相談所は一時保護中に、心愛さん本人からも虐待について聞き取りしていると考えられる。加えて、心理の専門家が心愛さんの「心の傷」の度合いなども検査しているはずだ。 学校で虐待について話すことができた子供だから、児童相談所で話していないとは考えづらい。その内容について一切公表されていないが、「重篤な虐待ではない」という判断から分かるのは、「心愛さんの訴えをなかったことにした」ということである。結局、児童相談所は、最終的に父親からの恫喝(どうかつ)に負け、心愛さんを帰してしまったのだろう。千葉県野田市が公開した、栗原心愛さんが父からの暴力被害を訴えた学校アンケートの自由記述欄 私も、児童相談所に児童心理司として勤務していたころ、虐待を受けて来た子供に対して、聞き取りや心理テストを数多く行ってきた。子供からの聞き取り内容は最優先であり、子供が「父親が怖い」と言えば、会わせることはしなかった。 今回の事件では、心愛さんを児童相談所が一時保護した際に、医師が心的外傷後ストレス障害(PTSD)の疑いがあると診断していた、という報道もある。虐待によって心に傷を負った子供を、家に帰すことなんて考えられるはずはない。 17年12月、児童相談所が一時保護を解除した際に、父方の親族に帰すことを条件にしたのも問題の一つだ。自宅ではないといえども、父方である以上、父親の味方である可能性が高い。その場に心愛さんを帰せば、すぐに父親の所に戻されることは容易に想像できる。 実際、児童相談所は会見で「2カ月程度で自宅に戻す予定だった」と述べている。しかし、その戻し方も問題だ。 昨年2月26日、児童相談所は親族宅から自宅に戻すかどうか判断するために父親と面談したとき、父親から心愛さんが書いたという手紙を見せられている。だが、文面を見て「おそらく父親に書かされたのだろう」と認識しながらも、父親が心愛さんを家に連れて帰るのを許してしまったのである。少女を「放置」した児相 そもそも、父親は一貫して虐待を認めていない。前述の通り、「重篤な虐待ではない」と判断して一時保護を解除し、父方の親族宅に帰した時点で不適切である。ましてや、父親の要求に従って自宅に戻すなど、絶対にあってはならないことだ。虐待だけでなく、ドメスティック・バイオレンス(DV)もある家庭だったからである。 この時、父親は児童相談所に対して「これ以上引っかき回すな」と言っており、児童相談所による今後の関わりを一切拒絶している。児童相談所の役割とは、虐待再発を防ぐために、定期的に家庭訪問し、親子の様子を確認しながら、学校訪問も重ね、子供の本心を聞くことにある。 その児童相談所の指導に「従わない」と父親は言っているのだから、父親の要求の全てを、児童相談所は拒絶しなくてはならなかったのだ。だが実際は、父親との面会以降、児童相談所は自宅訪問せずに、心愛さんを「放置」している。 心愛さんが自宅に戻った後の昨年3月19日、児童相談所は学校で心愛さんに会い、手紙は「父親に書かされた」と打ち明けられ、自分の意思で書いたものではないことを確認している。ただ、この時に、本人からの虐待の訴えがなければ、一時保護は難しいだろう。 しかし、それでも児童相談所は定期的に会いに行かなければならなかった。もし叩かれているのなら、「今度は必ずあなたを守る」「絶対に家に帰さない」と心愛さんに伝え続け、そして訴えの機会を待ち、保護すべきだった。 厚生労働省は児童相談所運営指針で、児童相談所が親の同意なく子供を一時保護する権限を有するという方針を掲げている。とはいえ、同意もなしに学校や保育園から子供を保護するわけだから、親が激高するのも当然だ。私も親権者から「訴えてやる」と何度も言われたり、「つきまとって人生滅茶苦茶にしてやる」と脅されたこともある。 時には親と敵対してでも子供を守るのは児童相談所の責任だが、職員も人間である以上、脅しや恫喝に恐怖を感じるのは無理からぬ話だ。私自身も「全く怖くなかった」と言えば嘘になるし、恐怖心を抱いたことは多々あった。本当に後をつけられているのではないか、と家への帰り道に不安になったこともある。 それでも戦わなくてはならないのだが、経験の浅い同僚の児童福祉司が親との面談で恐怖心を抱き、本当に辞めようかと悩んでいた姿を見たことがある。激しい攻撃をしてくる親と「もう関わりたくない」「あの父親には二度と会いたくない」と思ってしまう福祉司もいた。 一度でもそのように思ってしまうと、子供に会って、虐待が再発していないかどうか確認をすることもためらわれてしまう。児童福祉司は裁量が大きい分、心理的な負担も大きい。その負担の大きさもこの事件の原因の一つと言えるだろう。2019年2月、千葉の小4女児死亡事件で会見する柏児童相談所の二瓶一嗣所長(右)と千葉県健康福祉部児童家庭課虐待防止対策室の始関曜子室長(桐山弘太撮影) むろん、不適切な対応だったのは児童相談所だけではない。昨年1月15日に野田市教育委員会が、心愛さんが虐待を訴えたアンケートのコピーを父親に渡してしまったのも大きな問題だ。同市は、情報公開条例違反に当たり、関係者の処分を検討しているという。 だが、それ以前にアンケートを渡してしまえば、虐待が再発・エスカレートすることは、当然予測できたはずだ。それなのに、市教委の担当者は「威圧的な態度に恐怖を感じた」と述べており、つまりは父親の攻撃に屈した、ということだ。自分の身を守るために、心愛さんを「犠牲」にしたということになる。クレーム対応の知識がなさ過ぎるとしか言いようがない。 しかしながら、学校も児童相談所と同様、親との信頼関係を維持しなくてはならないため、「クレームに断固として戦う」という慣習がないのも事実である。私も、児童心理司時代に、学校から「親のクレームに困っている」という相談を何度も受けたことがある。 本来、学校や教育委は一時保護に関するクレームを引き受ける必要はない。一時保護の決定を児童相談所が行うのは、児童虐待防止法で定められている通りだ。 そこで私は、「一時保護に対する不満は児童相談所に言ってください」と学校から親に伝えてもらうようにお願いすることで対応していた。学校や教師を児童相談所が守らなければ、学校は虐待に関する通告をためらってしまうかもしれない。長期休暇後「欠席」のサイン そして、学校と児童相談所の連携が不十分だったことも大きな問題だ。心愛さんは冬休み明けの今年1月7日から小学校を欠席し、父親から学校に「沖縄の妻の実家にいるために休む」と連絡があったという。 父親の虐待が疑われる子供に対しては、夏休みや冬休み、長期休暇後の欠席を絶対に放置してはいけない。長期休暇中は、虐待がエスカレートするリスクが非常に高いからである。 「欠席の理由は傷やあざを隠すためかもしれない」と常に疑いの目を持つことが必要だ。子供が長期休暇明けに欠席した場合、学校は直ちに児童相談所に連絡すべきであり、児童相談所はすぐに姿を確認しなければならない。 もし、父親から「沖縄の母方親族の所にいる」と言われたら、児童相談所は沖縄の児童相談所に心愛さんの確認を依頼すべきだった。「親族宅にいる」「親族の具合が悪い」というのは虐待加害者が子供の姿を見せないために使う常套(じょうとう)句である。その言葉を疑い、沖縄での確認、そして家庭訪問を行っていれば、心愛さんの命は助かったかもしれない。 この事件は、児童相談所も学校も市教委も、全ての組織が父親の攻撃に屈し、言いなりになってしまったために起こった事件といえるだろう。学校や市教委にも問題はあるが、子供を虐待から守る権限は児童相談所にしかなく、その責任は重い。 同様の事件を繰り返さないように、児童相談所の改革は必須の課題だ。特に求められるのが児童福祉司の育成だ。警察や国税専門官、家庭裁判所調査官のように、年単位の研修期間を経て、児童福祉司として児童相談所に配属されるシステムを作る必要がある。 虐待する親の心理をはじめ、親との面接や子供からの聞き取りスキル、攻撃してくる親への対応を丹念に学ぶ。さらに、先輩福祉司の面接や訪問に同行し、失敗も成功も全て目の当たりにしながら、現場での判断の仕方を学んだ上で、現場に立つ。 子供の命、そして家族の人生の責任を負う仕事だから、専門家としての育成は急務である。また、福祉司本人にとっても、最初の着任前に知識とスキルが身に付いていれば、負担も減るはずだ。 また、現在の児童相談所は、子供を親から強権的に保護する役割と、親との信頼関係を築きながら子供を家に帰す役割、という矛盾する業務を行っている。しかも、この二つの役割を一人の児童福祉司が担当している。 そこで、虐待の再発可能性を疑い続けるチームと、親との信頼関係をもとに話し合いを続けるチームを分ける。自治体によっては既に実施されている役割分担を、全国的に広げることも重要だ。 児童相談所は子供を守るための強い権限を持っている。それでも救えない子供がいる。2019年1月、亡くなった栗原心愛さんの自宅がある千葉県野田市内のマンション 安倍晋三首相は、2019年度に児童相談所の専門職員を1千人増員して、5千人体制に拡充する方針を打ち出したが、今まで繰り返されてきた強化策ではなく、児童相談所という組織そのものの変革が必要である。何より、この事件の問題点を丁寧に検証し、幼い命を救うことができるように、全国の児童相談所で共有することが求められる。■ 「南青山は成金趣味の街?」児童相談所建設、反対派の困った論理■ 「受動喫煙はまさに児童虐待だ!」私が都の禁煙条例を草案した理由■ 三橋貴明DV事件を機に考えたい「家庭内暴力の経済学」

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    大坂なおみ会見、テニスと無関係質問だらけになった複雑背景

     全米オープンテニスで優勝を果たし、世界を驚かせた大坂なおみ選手(20才)が、東レ・パンパシフィックオープン(9月17~23日)出場のため、13日早朝に日本に帰国。会見には150人もの報道陣が集まった。 テレビのニュースでは「今? 眠い」「お寿司はおいし~い!」といった大坂選手のユニークな受け答えが報じられ、その人柄に頬を緩めた視聴者も多いだろう。 だが、会見の裏側では、多くの報道陣がピリピリとした緊張感に包まれていた。ある民放キー局の局員が明かす。 「今、大坂選手に対しては『NGワード』があるんです。それは『彼氏や恋人の話』。将来的な話、例えば結婚願望があるかどうかの質問も“絶対にするな”と釘を刺されています」 その背景には、全米オープン決勝で戦ったセリーナ・ウィリアムズ選手(36才)の、主審に対する猛抗議があるという。 「暴言などを理由にペナルティーを科されたセリーナは、“男子であれば罰せられなかった”として、女性への差別だと訴えました。全米オープンではこのセリーナの激昂ばかりが問題視され、大坂選手の優勝に“みそ”がついてしまった。もしその直後の会見で“彼氏はいるか”や“結婚したいか”など、男性アスリートにはしないような質問を大坂選手にすれば、日本のメディアが“女性を蔑視している”と海外から批判されかねないし、セリーナバッシングが再燃しかねません。関係者が“決勝戦のゴタゴタを蒸し返したくない”と考え、テレビ局に通達しているそうです」(前出・局員) その影響というわけではないだろうが、会見では「カツ丼や抹茶アイスクリームはもう食べた?」など、テニスとはまったく関係のない質問が相次いだ。2019年1月、テニスの全豪オープン女子シングルスで優勝し、記者会見する大坂なおみ(共同) それでも笑顔で答えていた大坂選手だが、ある記者に、 「海外では、大坂選手の今回の優勝が、“古い日本人像を見直したり、考え直したりするきっかけになっている”との報道もある。ご自身のアイデンティティーをどう考えるか?」 と質問された時には、 「テニスのこと? それって質問なの?」 と怪訝な表情を浮かべ、 「私はあまり自分のアイデンティティーについて深く考えません。私は私」 とキッパリ答えた。この瞬間をのぞけば、終始おだやかな表情で質問に答えていた大坂選手。でも内心では「せっかくテニスで世界一になったのに。テニスに関する質問はないの?」と思っていたのかも。 東京五輪は「日本代表」として出場することが期待されている大坂選手。メディアの質問が原因で「日本は嫌」なんて思わないでくださいね!関連記事■ 大坂なおみの祖父「日本人として試合に出続けたらうれしい」■ 石原さとみ、ドラマ打ち上げで「悔しい」「全責任は私」と涙■ 中居正広、声を酷使するプロが頼る「駆け込み寺」に極秘通院■ 田中圭 メガネ&キャップ、ハーフパンツで少年のような私服姿■ 田中圭、超多忙でも自宅夕食のため即帰宅の愛妻家生活

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    「男性が女性に言い寄る権利を擁護」仏女優の発言で議論白熱

    《私たちは性の自由にとって必要不可欠な、男性が女性に言い寄る権利を擁護します》 フランスを代表する大女優カトリーヌ・ドヌーヴ(74才)が9日、女性約100人とともに「ル・モンド」紙に寄稿した声明が、世界中で大論争を巻き起こしている。 ドヌーヴはSNSを中心に、セクハラ被害を告発するムーブメント「#MeToo」運動を《魔女狩りのよう》と批判。《膝に触れたり、キスしようとしたり、仕事上の会食で親密なことを話したり、片思いの女性にメッセージを送ったりしただけの多くの男性を辞職に追い込んだ》と続け、告発と批判合戦がヒートアップする「#MeToo」運動に一石を投じた。 日本でもこの発言は大注目。美保純(57才)は『5時に夢中!』(TOKYO MX)でドヌーヴの意見に「誘われてこそ女優って気がするんですよ」「もし(誘ってきた)プロデューサーがいい男でかっこいい人だったら、逆に来てほしいってなるじゃないですか」とドヌーヴに賛成。 マツコ・デラックス(45才)は、「ドヌーヴが生きてきた環境はめちゃくちゃおしゃれ」とフランスの名だたる紳士が女優を素敵に口説いてきた時代だったと言い、「日本で言うと、森繁久彌さんとか。女優のおしり触ったりおしゃれなセクハラっていうか。そういう気の利いた社会を見てきた人と実際の被害者は別」 とした上で、想像だけでセクハラを語るフェミニストに異論を唱えた。「#MeToo」の発端は、昨年10月初め、ハリウッドの大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン(65才)による女優やスタッフへの性的暴力が発覚したこと。アンジェリーナ・ジョリー(42才)ら100人以上の女性が次々に被害を告発し、世界中がパニックになった。 ハリウッド女優の1人が《もしあなたが性的嫌がらせや虐待を受けたら、このツイートに『me too』とリプライして》と発信すると、一般女性も次々と自らが今まで受けてきたセクハラ被害を投稿。フェイスブックには24時間以内に1200万に及ぶ投稿やリアクションがあるなど大反響を呼び、#MeTooは「泣き寝入りせずに声を上げる」という意思の象徴に。 運動は激しさを増し、ノルウェーやフランスではセクハラへの抗議デモが起こり、アメリカではブッシュ元大統領(93才)が過去のセクハラ告発を受けて謝罪。イギリスでも国防大臣が15年前のセクハラ問題を認めて辞任した。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 1月7日に行われたゴールデン・グローブ賞の授賞式は、セクハラへの抗議を示すためにハリウッド女優たちが揃って喪服のように黒のドレスで出席。セクハラ告発運動は世界中で拡大し続けている。 ドヌーヴの主張はあくまで行きすぎた正義に警鐘をならしたもので、セクハラやパワハラを根絶する目的よりも運動のメンバーであることが重要になりつつある現状を憂い、《私たちには、不器用に口説くこととレイプを混同しない聡明さがあるはずです》と訴えた声明だったが、このドヌーヴの発言も攻撃対象に。「セクハラ擁護」「女性蔑視」「せっかくの取り組みが台無しになる」と猛反発を受け、謝罪コメントを発表する事態となった。関連記事■ 卑劣なデートレイプドラッグ 被害が表面化しにくい理由■ 寺田理恵子×近藤サト「お尻にタッチ、バリバリありました」■ 秋元優里アナも? 真面目な人ほど「車内」にハマる傾向■ 渡辺謙と南果歩 離婚交渉が難航する背景に「婚前契約」■ 行司セクハラと3力士への服装注意、背景に貴乃花vs執行部か

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    「南青山は成金趣味の街?」児童相談所建設、反対派の困った論理

    た5歳の女児が虐待されて、昨年3月に死亡した事件はまだ記憶に新しい。この事件のような児童虐待が大きな社会問題になっているときだけに、虐待された子供たちを救う施設の建設には反対する理由はないのである。児童相談所設置を巡り東京都港区が開いた住民説明会=2018年12月14日夜 港区側の説明にも不十分な点があったかもしれないが、少なくとも児童相談所は産業廃棄物最終処分場とは違うのであり、青山ブランドを傷つけることにはならない。逆に、虐待された子供を救出するための施設があることが、かえって街の価値を上げることにもつながる。 児童相談所については、東京都と特別区がどのような役割分担をするのかが大きな問題となる。例えば、世田谷区は2020年度に児童相談所を開設する予定であるが、世田谷区には都の世田谷児童相談所が既にある。二つ併存する理由を見つけるのは困難である。世田谷以外の区で都の児童相談所があるのは、足立、江東、北、品川、杉並、新宿の6区であるが、ここに区の児童相談所を造らねばならない理由をどう説明するのであろうか。 さらには、地方自治体は国有地の払い下げを優先的に受ける権利があるが、その活用方法については、広範なコンセンサスを得る努力が必要であろう。今回の児童相談所の建設問題は、青山ブランド騒動を超えて多くの議論すべき問題を内包していることを指摘しておきたい。■アパマン爆発事故「不動産屋はぼったくり」は本当か?■「プラ製ストローは害」という欺瞞に日本人が付き合う道理はない■むしろ避難しない方が安全? 「防災マップ」はこんなにもヤバい

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    平成最後の9月と平成最初の9月、日本人の意識の差異は

     失われた○年、という言い方がある。このまま日本は「30年」を失うことになるとする論調も増えてきた。コラムニストの石原壮一郎氏が「平成最後の9月」と「平成最初の9月」を比較した。* * *「政党の都合より国のこと考えよ」(無職、66歳、男性)「標準語、公用文は“ら”ありで」(主婦、61歳、女性)「社会に全く目を向けぬ学生たち」(学生、19歳、男性)「妊婦の甘えた意識こそ問題」(主婦、49歳、女性)「高齢化社会のビジョン示せ」(無職、76歳、男性) 新聞の投書欄から、いくつかのタイトルを拾ってみました。最近の新聞ではありません。今から30年前、平成元年9月の朝日新聞と毎日新聞の投書欄です。 平成最後の9月が始まりました。政治方面では自民党総裁選の話題が盛り上がり、スポーツ界では女子体操の「パワハラ問題」が注目を集めています。私たちはいつも、さまざまなニュースに触れることで、いろんな意見や怒りを抱かずにはいられません。平成最初の9月、世間はどんな問題に関心を持ち、どんなことに怒っていたのか。だんだん残り少なくなっていく平成を惜しむ意味を込めつつ、30年前を振り返ってみましょう。 平成元年9月とえいば、バブル真っ只中。海部俊樹氏が総理大臣になったばかりで、増え続ける偽装難民や消費税廃止論議、礼宮さま(現・秋篠宮文仁親王)と紀子さんの婚約などが話題になっていました。株価が上がり続ける中、マネー記事では株式やマンションなどへの積極的な投資を煽っています。まんまと背中を押された人は、そのあとどうなったのか……。諸行無常です。 この月に朝日新聞が投書欄で力を入れていたテーマは「子を持たぬ生き方」。自分は子どもを持ちたくないという若い女性の投書に対して、「結論出さずに素直に生きて」(会社員、30歳、女性)とやさしく寄り添う意見もあれば、「現実から逃避としか思えぬ」(無職、71歳、男性)と厳しい口調で非難する意見もあります。30年後の今も、その後広まった「少子化」というキーワードは加わりそうですけど、たぶん似た議論になるでしょう。 毎日新聞のこの月の投書欄は「敬老」というテーマに力を入れています。「友情と生き甲斐に恵まれて」(無職、80歳、女性)といった意見は、現在でも30年後でも違和感はないでしょう。「金余りが生み出した地価高騰のあおりで、永年住み慣れた借家を追い出される低所得の老齢者家族が多い」という問題提起は、この時代ならではという気もするし、前半の原因の部分は変われどいつの時代もありそうな気もします。ちなみにこの頃は「人生八十年時代」という言葉が、ちょっと流行していました。 最初にあげた「政党の都合より国のこと考えよ」という投書には、こんな一節があります。「今は大臣ゲームをやっているみたいに映って仕方ない。政党の都合などどうでもよいので、真剣に国のことを考えるべきであろう。世相は、かつて何回か起きた恐ろしい大事件が起きても不思議ではないような土壌ができつつあるような不吉な予感がする」 仮に今このまま投書に書いても、十分な説得力を持つフレーズです。政党の都合しか考えないのは、いつの時代も変わらない政治家の本能なのでしょうか。そして、そのことに憤って半ば無駄とわかりつつ批判するのも、有権者の本能なのかもしれません。 日本で生まれ育ったのに外国籍を持っていることで差別を受けていることや、いっこうになくならない男女差別を嘆く投書からは、問題の根深さやこの30年、あるいはもっと長いあいだ、私たちがいかに反省しないまま過ごしてきたかが伺えます。専門家が投書するコーナーには「五輪大義の自然破壊やめよ」という一文も。ここで言う五輪は長野五輪のことですが、長野を東京に入れ替えれば、そのまま通用しそうな主張です。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 30年前の日本人も今の日本人も、おおむね同じようなことで腹を立て、よく似た問題意識を持っていると言えるでしょう。たしかにニュースを見聞きすると、腹が立つことは少なくありません。しかし、30年前の勇ましい投書の数々は、たいていのことは「今に始まったわけではない」し「すぐにどうなるわけでもない」と教えてくれます。 SNSが広まって他人の怒りや問題意識が見えやすくなり、つられて腹が立つことも増えました。どんなにもっともらしい怒りの表明も、結局は空回りでありきたりで自己満足の域を出ないと思えば、いたずらに心乱されずに済むかも。とはいえ、飛行機内での禁煙を訴えた「日本の空でもたばこ追放を」(団体職員、52歳、男性)のように、ちゃんと世の中がそうなった例も見受けられます。どうしても怒らずにいられない人は、数打ちゃ当たるという希望と諦念を持ちつつ、ハタ迷惑にならない程度にがんばりましょう。関連記事■ ニュータウンの末路 希望持てる街と廃墟化する街の差異は■ 平成最後の10年 東日本大震災、iPS細胞、安室奈美恵引退■ ゴルフ界の若手スター 石川遼・松山英樹の決定的差異は体格■ 日本唯一の宝くじ研究家が教える「平成最後の宝くじ」ツキ売り場■ 往年の名選手たちが考える「平成最後の20勝投手」は誰?

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    監視社会はどこまで進んだか

    東京・渋谷のクレイジーハロウィーン事件で、警視庁が男4人を逮捕した。この捜査の決め手になったのは防犯カメラ。250台のカメラを徹底解析し、現場から容疑者の自宅まで特定したというのだから驚きである。犯罪抑止への効果は絶大だが、行き過ぎた「監視」には一抹の不安もある。監視社会はどこまで進んだか。

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    監視社会と日本人の奇妙な関係

    阿部潔(関西学院大学社会学部教授) 2018年夏以降、首都圏を走るJR在来線・新幹線のすべての車両に防犯カメラが導入されつつある。 近年、電車内や駅構内でのトラブルはあとを絶たない。痴漢事件は頻発し、さらに新幹線車両内で殺人事件まで発生した。こうした動静をふまえれば、互いに見ず知らずの人々が集い、何が起こるか分からない物騒な電車内に防犯カメラを導入することは、鉄道会社が果たすべき当然必要な措置だと受け止められることだろう。通勤・通学のために日々電車を利用する乗客の多くは、車内での自らの安全・快適が約束されることを期待してカメラ設置を歓迎しているように見受けられる。 だが同時に、JRが公表したカメラ設置方針に対して疑問や違和感を投げかける意見もネット上には見て取れる。そこでは「プライバシーが侵害されるのではないか」とか「カメラ設置で痴漢はなくなるのか」とのもっともな疑問が提起される。 たしかに、防犯カメラを導入することで犯罪が劇的に減少し、電車内が誰にとっても安全・安心な空間になるのであれば、それに越したことはない。だが、既にこれまでカメラはさまざまな場所に設置されてきたが、それで万事が解決したとはいいにくい。例えば、現在ではすべてのコンビニに防犯カメラがあるが、それで深刻な万引被害が撲滅されたわけではないだろう。 現在進められつつある電車内への防犯カメラの設置にはどのような意図があり、またどのような課題が潜んでいるのか。以下で考えてみよう。 街中や商業施設にカメラが導入される際、それは多くの場合「防犯カメラ」と呼ばれる。なぜならそれは、文字通り犯罪や事件などが起こることを未然に防ぐ=防犯することを期待されているからだ。だからこそ、治安悪化や凶悪事件の頻発を危惧する世論は、そうした事態を回避し解決するための有効な手段として防犯カメラ設置を支持するのであろう。 だが、最近テレビニュースなどで報道されるカメラの効用は、それとはどこか異なる。なぜならば、犯罪事件の捜査・解決との関連でカメラの威力が伝えられるとき、そこでは、映像として残された事件現場の様子や容疑者の姿を手掛かりに事件解決=容疑者逮捕へと至ったことが喧伝されているからだ。JR山手線の車両内に設置された防犯カメラ=2018年5月、東京都品川区(共同) もちろん、容疑者が特定・逮捕されること自体は善良なる市民にとって喜ばしいことだろう。だが、ここで見落としてならないのは、最近のマスメディアによる防犯カメラの称讃(しょうさん)は必ずしも防犯効果の検証と結びついていない点である。 メディアと世論が褒めたたえるのは、あくまで犯罪捜査と容疑者摘発におけるカメラの活躍であり、その意味で肯定されているのは防犯というよりは監視としてのカメラの効用である。容疑者摘発に意味はあるとしても、ここで称讃されているのは防犯カメラがそもそも目指した犯罪の未然防止とは別次元の事柄である。 防犯なのか監視なのか おそらく多くの人々にとって、犯罪に対してカメラが果たしている役割が防犯なのか監視なのかはたいした問題ではない。なぜならどちらの場合であれ、事件を解決し犯人を逮捕するうえで効果があるならばそれで十分であり、そんな便利なカメラを使わない理由などどこにもないからだ。 そう人々は考えるからこそ、近年さまざまな場所へのカメラ導入は世論に後押しされる形で推奨される。しかしながら、そもそもカメラを公共の場に設置することの正当な理由を根元から考えようとするならば、カメラが果たす防犯と監視の役割をめぐる違いは重要な問いとして立ち現れてくる。 問われているのは、防犯なのか監視なのか。この視点から最近の電車内へのカメラ導入の動きを考えてみると、防犯と監視がそこで混同されている様が確認できる。 そもそもカメラ設置で目指されているのは「犯罪が起こらない安全な車内」なのか「痴漢犯の確実な逮捕」なのか。無自覚にその両者が同時に追い求められるとき、カメラの設置と導入は無原則に肯定され、どこまでも進んでいく。 実のところ、この事態は最近の電車内でのカメラ設置によって初めて生じたものではない。むしろ、ここ20年あまりの日本社会における監視強化を推し進めてきた強力なロジックを、そこに鮮明に見て取ることができる。  これまで監視社会化の趨勢(すうせい)に対して、学者・運動家たちはプライバシー重視の立場から異議を唱えてきた。だが近年、監視批判派の旗色は悪い。ネット上の議論などでは、プライバシー擁護派に対して「そもそも電車内という公共の場にプライバシーなどない!」とか「隠しておきたい疾(やま)しいことがあるから、プライバシーを振りかざすのでは?」といった乱暴な物言いが繰り広げられがちだ。 近代社会におけるプライバシー権の思想的根拠を正鵠(せいこく)に理解するならば、こうした印象論や邪推とは異なるまっとうな論争も可能だろう。だが現実には、監視が強化される昨今の趨勢への疑問や批判を主張するとたちどころに「きっと隠したい=疾しく感じる秘密があるからプライバシーを盾に監視に反対しているに違いない」とのレッテル貼りがなされてしまう。※画像はイメージです(GettyImages) 逆に言えば、自分に疾しいことが何一つなければ、そもそも監視に反対する理由などない。そのように自らを納得させることで、多くの人々は日常生活のさまざまな場面への監視の広がりを容認しているように見て取れる。 だが、ここに大きな落とし穴がある。過去の監視の歴史を振り返ればすぐ分かるように、社会において何が隠すべきことで、人が何に対して疾しく感じるのかは、実のところ個人が好き勝手に決められる代物ではない。たとえ当人にとってごく当たり前の私的な事柄であっても、時の権力がそれを「けしからん」と見なせば、途端に個人にとって隠すべき、疾しい秘密になってしまう。時の権力者の狙い つまり、この世の中において「隠すべき事柄」はあらかじめ決まってはいない。それは時代の趨勢によって、いかようにでも変わるのだ。 だとすれば、今現在の社会状況のもとで「隠すべき疾しいことなど一つもない」と自信満々に高をくくっている人でも、当人自身はみじんも変わっていないにもかかわらず、いつの日か気がつけば他人に知られては困る隠すべき秘密を持ってしまう可能性はいくらでもある。そのことへの想像力と自覚を持った上で「隠したいことなどないから、監視強化は構わない」とうそぶくのでなければ、その主張に説得力はないだろう。 今の日本社会で「2020年東京オリンピック・パラリンピックまでに!」とのスローガンはちまたにあふれている。首都圏を走る電車内への防犯カメラの導入も「2020年までに!」の典型例である。 オリンピックなどメガイベントの実施に際して、開催都市・国家の監視対策が一気に高度化する現象は、これまで幾度となく繰り返されてきた。例えば、成田空港や関空空港への顔認証装置の導入は、2002年開催のサッカーワールドカップにおける暴動対策(フーリガン対策)の一環としてなされたものである。 東京大会開催までの残された期間、さまざまな監視対策が「オリンピックでのセキュリティー確保のため!」とのかけ声のもとで一気に推し進められるだろう。多くの人々はそれを歓迎するに違いない。 なぜなら、万全なセキュリティー対策を講じてこそ日本文化の美徳である「おもてなし=OMOTENASHI」を世界に示すことができると考えるからだ。だが、メガイベント開催に際して加速化される監視の真の狙いは、声高に掲げられる目的とは異なるところに置かれていることが少なくない。 思い起こせば日本で開催されたワールドカップの試合会場に、あれほど恐れられたフーリガンは結局現れなかった。その理由は、法務省入国管理局(入管)での水際対策が功を奏したからであろうか。おそらくそうではない。そもそも大会前に喧伝されていた「フーリガンがやって来る!」との報道やキャンペーン自体が、実態とはかけ離れた過剰なものだったのだ。2002年サッカーW杯フーリガン対策訓練を実施した関西空港税関支署の職員ら(斎藤良雄撮影) だが興味深いことに、監視を推進する側の人々にとっては、それでも一向に構わない。なぜなら、国際空港での顔認証装置の導入が目論んでいたのはフーリガン対策などではなく、当時アメリカ合衆国を中心とした「テロとの戦争」に全面協力すべく出入国管理における監視を徹底することであり、その目標は世論の反対を引き起こすことなくスムーズに達成されたからだ。 このように過去の事例を思い返すと、電車内での事件や犯罪への人々の不安と危機感に応える形で現在推し進められている防犯カメラ設置がもたらす社会的影響は、おそらく人々が素朴に感じている以上に広範な領域に及ぶものであることが理解できよう。無きに等しい「ルール」 電車内をはじめとする不特定多数の人々がかかわり合う「公共の場」におけるカメラ設置の是非が議論されるとき、多くの人はカメラの視線が向かう先を「私たち」ではなく「あの人たち」と想定しがちである。 車内防犯カメラが照準するターゲットは、女性に痴漢行為をする犯罪者や駅職員に言いがかりをつける不届き者であって、善良なる乗客である自分たちではない。そう考えるからこそ大多数の人々は、監視強化を肯定し、時に歓迎すらできるのだ。 だが実際のところ、テクノロジーとして作動する監視のまなざしはすべての人々を平等に見張る、もしくは見守る冷徹な装置にほかならない。車内万引の常習犯も会社帰りのサラリーマンも関係なく、すべての乗客の姿と行動が映像として撮影され、データとして保管される。収集された膨大なデータがどのようなルールのもとで保管され、何の目的で利用されるのかは、カメラの視線に曝(さら)される私たち一人ひとりに必ずしも明らかにされていない。 欧州連合(EU)諸機関では、監視カメラに映像として収められた人の姿を個人情報と位置づけた上で、その保護に関する法制化がなされている。そもそもどのような目的で、誰を対象としてカメラを用いた監視が行われ、そこで得られた映像データは何の目的に使われ、どのように処理されるのか(保存方法・期間や消去方法など)に関しては、個人情報保護の観点からポリシーとして公開されている。 こうしたEU諸機関での取り組みと比較すると、現時点の日本での行政や企業によるカメラ設置とデータ処理に関するルールは無きに等しいと言わざるを得ない。官民一体となって防犯カメラの導入がなされる際に掲げられる目的が、本当に果たされているかどうかを検証する上でも、カメラのまなざしに曝される当事者の権利を盛り込んだ形で、映像データの取り扱いに関する法制定とルールづくりを進めることが不可欠であろう。※画像はイメージです(GettyImages) だが現実には、一方でデータベースと接続された顔認証装置の導入など監視の高度化が急速に進みながら、他方でそのことによって引き起こされるプライバシー侵害や個人データ流用に対する危機意識は必ずしも高まっていない。むしろ人々は、いたるところでカメラに見守られることで得られる利益や快適さを重視しがちなように見受けられる。だからこそ、自分の姿や行動に関わる映像データがどこで、どのように、誰によって取り扱われているのかについて、さほど気にかけないことは珍しくない。 こうした監視と私たちの奇妙な関係は、既に日常の一部となっている。インターネットで買い物をし、お気に入りのサイトで最新情報をチェックし、会員制交流サイト(SNS)で友達と楽しくやり取りするたびに、ネット利用者は膨大な個人情報を電子空間に残していく。行動が常に把握される時代 それらすべては、信販会社やマーケティング企業をはじめとする各種のビジネスにとって貴重なデータとして収集・保管・分析・活用される。しばらく前からビッグデータというはやり言葉が至るところで喧伝されているのは、それがもたらすこれらビジネスチャンスの高まりを背景としてのことである。 駅構内や電車内といった物理的空間におけるカメラ導入の高まりは、当然ながらこうしたネット空間でのデータ監視と連動している。例えば、あなたがスマホを手に自らの位置情報を発信しながら目的地へと向かうとき、ネットに残された履歴と駅や車内の至るところに設置された防犯カメラが捉えた映像を照らし合わせれば、あなたという一個人の行動はほぼ完璧なかたちでデータとして第三者に知られてしまう。 いつ、どこからどこへ、誰と一緒に、何をしながら空間を移動したのか。今後、電車という公共交通機関を用いることで、そうした個人情報を曝し出しながら日々の生活を送ることを私たちは強いられるだろう。 そもそも「移動する自由」は、「居住、移転の自由」と同様に個人に与えられた基本的な権利であるはずだ。どこへ行って、何をするのかは文字通り個人のプライバシーであり、他人から干渉される事柄ではない。 幸いなことに、物理的な移動を強権的に制限されることは今の日本社会ではまれであろう。だが、ネット空間と現実世界とが地続きとなったSNS時代を迎え、今後、ビッグデータの必要性と有効性が喧伝されるなか、人々がたどる移動の経路と履歴はデータとしてどこまでも追跡され捕捉される事態を免れないだろう。 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、電車利用をはじめとする都市空間での人の流れ(human mobility)に対する監視が徹底されていくならば、これまで当たり前に享受されてきた「移動の自由」はどのような変貌を遂げていくのだろうか。※画像はイメージです(GettyImages) 来るべき未来における「移動の自由」をめぐる技術的かつ社会的条件の変化。そこに潜む課題を「あの人たち」ではなくほかならぬ「私たち」自身の問題として考える想像力を持てたとき、日頃ごく自然に受け止めがちな公共の場に置かれた防犯カメラは、これまでとはどこか違った風景として眼前に立ち現れてくるかもしれない。■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

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    防犯カメラとプライバシー「不自由な社会」への恐れを生む真因

    中島洋(MM総研所長兼国際大学教授) 「防犯カメラ」とは何か、「プライバシー」とは何か。2つの概念があいまいだと議論は空転するだけである。端から見ていると、空転する議論ほど面白いものはないので、エンターテインメントとしては格好の材料である。ただ、筆者としては、議論をつまらなくするかもしれないが、あえて2つの概念を明確にさせてみたい。 まず、「防犯カメラ」である。 「防犯カメラ」は監視カメラの一種である。監視カメラは、カメラ装置によって撮影した画像、映像で、リアルタイムまたは時間を置いた形で、周辺の状況を把握し、特に人間の行動をとらえて不審な点がないか点検するものだ。通常は遠隔地でこれらの映像や画像を見る仕組みになっている。監視者は不審があれば警備行動に移り、または、後日の犯罪の分析や捜査、あるいは裁判のための記録に供される。 「防犯カメラ」とはいえない「監視カメラ」もある。例えば監獄の中の囚人を監視する監視カメラは必ずしも「防犯」目的とはいえない。言葉の厳密な意味での「監視」である。この監獄の監視カメラのイメージを引きずりながら防犯カメラを論ずると、一般市民が監獄の中の囚人と同じ扱いである、と強い抵抗感を持つことになる。また、オフィス内のスタッフの行動を撮影して動線などを分析し、業務改善策を講じることにも使われている。こうしたものも防犯目的ではない監視カメラの一種といえるだろう。 一方で、市民や利用者の安全を確保するために、防犯目的でカメラを設置する動きがある時期から広がった。繁華街への設置が「プライバシーの侵害」と批判する市民運動家やマスコミもあったが、実際に犯罪者の早期摘発をもたらし、周辺住民の不安解消に役立ったことから普及し、今では住宅街に広がっている。これも「監視カメラ」なのだが、防犯目的だということで、抵抗感の少ない「防犯カメラ」という呼び名を選ぶようになった。多発する痴漢被害を防ぐため、JR埼京線に試験的に設置された車内防犯カメラ=2009年12月、埼玉県川越市(共同)  街頭だけではなく、あまり議論もなく、オフィスやマンションのエレベーターにも内部の状況を監視する防犯カメラが目立たない形で設置され、マンションでは廊下にも設置されるところが出ている。カメラがあることが犯罪抑止につながるので、コンビニやスーパーの店内でも目立つ形で「カメラ」を設置している。 犯罪が起きてから摘発に役立っても「防犯」にはならない、と否定的議論も一時あったが、早期摘発で再犯を防ぐことやカメラがあることで犯罪を抑止する効果もはっきりしたので、やはり「防犯カメラ」と呼ぶべきだろう。 電車の内部を撮影するカメラも「監視カメラ」には違いないが、痴漢や暴力行為を抑止する「防犯」が目的なので、監獄の中のカメラとは性格が違い、「防犯カメラ」と呼ぶのが適切だろう。「プライバシー」の正体 「防犯カメラ」は「防犯」を標榜(ひょうぼう)している以上、それ以外、例えばカメラで撮影したデータを通行量調査やマーケティング調査に使うのは「反則」である、というのが日本の社会通念になりつつある。これは「違法」とはいえないが、一部の市民の強い抵抗がある上、特に強い関心がない市民の多くは「反対する人がいるなら気持ちが悪いので自分も賛成しない」と考えているからだ。 一般市民にとっては、自分にとって直接に利益が感じられないので、深い考えがあるわけではないが、強い反対の声があると、それが多数派になり、社会常識は慎重論へと傾いてゆく。その際に、強い反対論の根拠として唱えられるのが「プライバシー侵害」の「恐れ」がある、という主張である。 ここでは定義のされていない「プライバシー」とあいまいな「恐れ」という概念が組み合わさっているので反論が難しい。電車の中の防犯カメラの議論でも同様のあいまいな定義の基に抵抗論が展開される可能性が大である。そこで、筆者としては、先回りしてまず「プライバシー」について考えたい。 「プライバシー」は相対的なものである。一部の人は、絶対的に保護されるべき「人権」である、というが、それは誤りである。プライバシーの定義については諸説があるので、ここですべてを吟味するわけには行かないが、最近の日本では少しあいまいだが「他人に侵されない個人の領域」というような理解が多いようなので、その理解に沿って「相対性」を論じておこう。 時代や環境によってプライバシーの感覚は変化している。少し前の日本の家屋では、鍵のかからない障子や襖(ふすま)で部屋が区切られていた。「他人に侵されない個人的な空間」をもつことなど考えもしなかった。自分の個室はプライバシー空間である、という考え方は、鍵のかかる部屋を持つことができるようになってからのものである。以前は、母親が子供の部屋をのぞくというのはプライバシーを侵すものとは思われなかった。※画像はイメージです(GettyImages) プライバシーとは「他人に知られたくない個人的な秘密」というあいまいな理解もある。人によって「秘密」の感覚は異なるので相対的にならざるを得ない。一般論では語れないものだ。どのようなことが秘密なのか、その人に宣言してもらわなければなるまい。 電車の中のカメラとプライバシーの問題でいえば、電車の中で撮影されるとその人のどのようなプライバシーが侵されるのか。その電車に乗っていること自体が秘密なのだろうか。覆面で顔を隠しでもしない限りカメラに撮られようが撮られまいが保たれるはずのない秘密である。あるいは、もしかして、痴漢行為を働いているという「他人に知られたくない秘密」が守られるべきプライバシーなのだろうか。こんなプライバシーは守る必要がない。「人権」でもあるまい。もっと深刻な「監視」 プライバシーが相対的であるというのは「自由」という概念と似ているかもしれない。 人はむやみに他人を殺す自由はない。コンビニで万引をする自由はない。理由もなく公衆の面前で他人を面罵する自由もない。しかし、そういう社会を「不自由な社会」「自由のない社会」というだろうか。「自由」とはある条件下、特定の制限の中で許されるもので、絶対的な自由は存在しない。プライバシーも同様である。絶対的なプライバシーなどない。 最後に「恐れ」だが、これも相対的というか、主観的なものである。だれかが「恐れがある」といえば、反論は難しい。しかし、効用とのてんびんにかけて判断は可能だ。自動車は事故によって人の命を奪う恐れがあるので、自動車は社会からなくすべきだ、という議論はほとんどの人の納得は得られまい。「恐れ」よりも自動車を利用する効用の方が圧倒的に大きいからだ。 後は事故を減らす工夫に力を注ぐ方がよい。同様に電車の中の防犯カメラはプライバシーを侵す「恐れ」があっても、侵されるプライバシーより、カメラによって電車内にもたらされる「安全」「安心」という効用の方が大きいと筆者は思う。痴漢は大幅に減少し、多くの乗客は安心して通勤や通学ができるようになるだろう。撮影記録を分析すれば、「痴漢」の冤罪(えんざい)も少なくなるだろう。サラリーマンも安心して混雑する電車に乗ることができる。 こうした効用を打ち消すほどの「プライバシーの侵害」の「恐れ」とは、具体的に何なのだろうか。その例証がない限り、筆者は電車の中に防犯カメラが設置されても、プライバシーの侵害は起こらないと結論付けざるを得ない。 むしろ、もっと重大なプライバシーの侵害は別のところに起きている。米国やアジア各国で生まれた日本でも大人気のメールサービスや会員制交流サイト(SNS)は、それぞれの国で治安組織によって傍受されている兆候がある。あるいはサービス事業者が交信記録を治安当局のみならず外部に提供している事実もはっきりしている。※画像はイメージです(GettyImages) 治安当局などと大仰なことを言わなくとも、スマホで撮影したグループの写真が勝手にSNSにアップされて、知られたくない交友関係が公にされるようなプライバシーの侵害は枚挙にいとまがないほどである。 「プライバシー尊重」の意識が向上することは望ましいが、その対象を間違えず、本当に尊重すべきプライバシーとは何かを考えるきっかけになれば電車内カメラとプライバシーを議論するのは価値がある。■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

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    「監視社会もゲーム感覚」痴漢常習者の頭の中

    ッティイメージズ) 痴漢問題に対して、私たちができることはその正確な実態を理解することだ。痴漢問題を社会問題と捉え直し、他人事(ひとごと)ではなく自分事であると一人ひとりが当事者性を持つことこそ、今必要なことであると考えている。■ 性犯罪者の再犯率を半減させた「心理+薬物」ダブル療法の威力■ 「なぜ抵抗しないのか」改正後も性犯罪被害者を苦しめる立件の壁■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ

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    「世界一安全な日本の鉄道へ」防犯カメラ、AI活用で広がる未来

    阿部等(ライトレール代表取締役社長) 2009年にJR東日本の埼京線で「痴漢防止」を目的に防犯カメラが導入されました。また、今年6月に起きた新幹線殺傷事件の対策として、JR東日本が新規導入車両のすべてに防犯カメラを導入するなど、問題が起こる度に電車内の防犯カメラは増えています。これは駅構内も同じです。 一方、鉄道内の防犯カメラ増加に対し、記録はできても抑止効果はあるのか、監視社会が広がるのではないか、といった懸念の声も聞こえます。また、鉄道会社が「無策」と責められるのを恐れ、根本的な対策が不十分なまま、防犯カメラを設置している面もあります。 例えば、痴漢防止には満員電車の解消が不可欠ですが、これを実現するにはコストも時間もかかって難しいので、せめて防犯カメラを設置しているとの見方もあります。私は、そういった批判をするつもりはなく、以下、前向きなお話をしたいと思います。 鉄道の車両故障・設備の保守不良・従事員の取扱いの誤りなど内部原因による事故は、1872年以来、150年近い日本の鉄道の歴史の中で、痛い思いをする度に対策を練ってきました。 そういった先人たちの努力により、一度に何十人も何百人も亡くなるような内部原因による事故は今後まず起きないでしょう。そして、さらに高度の対策として、地下鉄サリン事件、新幹線での焼身自殺や無差別殺人などの「テロ」を防ぐ、あるいは被害を小さくする努力が求められています。 外部から持ち込まれる犯罪は、仕方ない面もあるものの、それでもできる限りの手は打とうと、大きな事件が起きるたびに手荷物検査の話が必ず出ます。ですが、莫大なコストを要し、場所もとり、利便性も下がります。JR東海は新幹線での不測の事態に備えた訓練を実施した=2018年8月、静岡県三島市(吉沢智美撮影) 中国では、都市間鉄道のテロ対策は空港と同レベルで、都市鉄道の全駅には荷物検査設備と2人以上の検査員が配置されています。でも、上海地下鉄では、ほとんどの乗客が無視して通り過ぎ、ましてや悪意を持っている人がそんなところを通るはずもなく、コストのわりに効果があるのか怪しいのが現実です。 ただし、イノベーションにより、通り過ぎる人と荷物を無人で照査してナイフや爆弾などを見つけられるようになったら、設置すべきです。悪用はどこでも起きる 従来の手荷物検査より、設置が進んだ防犯カメラをより有効活用する方策を考えた方が得策です。そこで、AI(人工知能)によるディープラーニング(深層学習)と、カメラのネットワーク化を提案しています。 画像解析技術とAIを活用し、不審な行動をしている人をシステム上で見つけ出すことは実用レベルになっています。同じ場所を行ったり来たりする、大きな荷物を置いて立ち去る、服装や所持品がおかしいなどです。 さらに、車上と駅構内のカメラをネットワーク化することで、マークした人をカメラで順々に追跡するようにできます。突発的に犯行に及ぶような人がどういう行動をとるのかも、ディープラーニングを重ねることで確度高く見つけ出せるようになるでしょう。「防犯カメラがある」ことによる抑止効果だけでなく、犯罪や事件が起きる前に見つけ出して取り押さえることが重要です。 一方、監視社会への懸念に対する配慮も欠かせません。防犯カメラで撮影された映像が悪用されるかもしれないという心配は当然です。そのために、管理する会社や人が善人ばかりではないという前提に立ってシステムを作らなければいけません。 銀行では、一万円札を大量に扱う職場で、行員が悪事を働くかもしれないという前提で監視の仕組みを入れています。それでも時々、着服事件が起きるわけです。 だからこそ、防犯カメラで撮影され蓄積されたデータを悪用したりする人が、社会を混乱させたり個人の人権を侵害することのないような、具体的な仕組みを構築し、さらに多くの人たちへの利益を提示した上で、社会の合意を得なければいけません。  例えば、撮影された映像の保存期間を定める、複製できないようなコピープロテクトをかけるなど、システム上の対策も盛り込みます。※画像はイメージです(GettyImages) 社会の合意を得ることは、鉄道会社だけでなく社会全体の話ですから、その整理は国の役割です。国土交通省が警察庁と連携し、国民の生命と財産を守るための得策だと示し、かつ悪用されない仕組みを導入することをきちんと説明することで検討が進みます。そして日本は、技術力のあるメーカーがサポートし、国民の賛同を得て導入するというプロセスを踏める民度の高い国だと信じています。 国民の間で、防犯カメラに対する違和感や嫌悪感はかなり薄れてきたと思います。さらに、そのAIシステムにより、車内や駅に忘れ物をしたときに教えてくれたり、体調が悪くて倒れた人がいたら救急車が自動手配されたり、さらには傍若無人の輩(やから)を警察に通報してくれるようになります。鉄道大国ニッポンの使命 高速道路のサービスエリアのトイレの個室にまで、忘れ物センサーが導入され始めています。そういったメリットも周知しつつ、「監視社会への不安」を解消できるよう、一つずつ丁寧にメリットとリスクヘッジを伝えていきたいです。 さらに、早期に導入するには費用負担の整理も不可欠です。AIシステムの導入に伴う投資と経費増は、トラブルの低減などによる鉄道会社の収益増と経費削減だけでは賄えません。 社会全体の安全・安心のために一定の税金を投入することは、丁寧な説明により人々の理解と賛同を得られると考えます。費用分担は、国・自治体・鉄道会社で3分の1ずつくらいが適切でしょう。鉄道会社の負担分として、運賃の値上げも一策です。 2020年の東京五輪まで2年を切った今、テロ対策をはじめとした防犯対策は重要なテーマです。ITと通信システムの高度化により、私がJRの社員時代に実体験した人海戦術ではなく、システムの力で不安要素をピックアップし、要所では人が判断・行動する効果的な防犯システムを開発できる時代になりました。 日本以上にテロに困っている欧米各国には、すさまじい数の防犯カメラが設置されていますが、AI活用やネットワーク化は進んでおらず、費用のわりに効果が不十分と感じます。東京五輪は世界にアピールできるチャンスであり、このシステムで万全の安全を達成すれば、世界中が同じシステムの導入を望むでしょう。株式会社ライトレール代表取締役社長・阿部等氏 世界的にテロから身を守りたいという機運が高まる中、日本の治安が良いことは、それ自体が日本に訪れる一つの要因です。AIシステムを導入できれば、より大きな財産になり、かつ日本発の技術として世界に広められます。いや、世界一の鉄道を持つ日本が広めなければいけません。(聞き手/専修大学・大江茉那、小松幸男、山田風香) あべ・ひとし 株式会社ライトレール社長。昭和36年、東京都生まれ。東京大工学部都市工学科修士終了。JR東日本にて鉄道の実務と研究開発に17年間従事。平成17年にライトレールを創業し、交通計画のコンサルティングに従事。著書に東京都の小池百合子知事が公約に掲げた「満員電車ゼロ」のベースとなった『満員電車がなくなる日 改訂版』(戎光洋出版)。■ 殺傷事件はやむなし? JRは新幹線の保安検査を本気で検討せよ■ イスラム国テロ組織が絶好の標的として虎視眈々と狙う「東京五輪」■ イスラム国に共鳴した日本人テロリストが「聖戦」に走る最悪シナリオ

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    犯罪や事故の捜査・抑止に期待の画像検索は日本がリード中

     ネット検索といえば、文字によるものが中心だった。最近は、画像やイメージによる検索やコミュニケーションが発達してきている。新刊『武器としての経済学』でも近未来のビジネス環境について解説している経営コンサルタントの大前研一氏が、画像検索の進化によって、変わりゆく世界について指摘する。 * * * 今、ネットを活用した「画像検索」や「イメージサーチ」のサービスが劇的に進化している。 たとえば、ITベンチャーのヴァシリーが開発した「スナップ・バイ・アイコン(SNAP by IQON)」は、写真共有アプリのインスタグラム(Instagram)に投稿されたファッションコーディネートに使われているアイテムを写真解析し、その商品や類似商品を検索・購入できるウェブサービスだ。 自分が好きな写真や画像をシェアできる「ピンタレスト(Pinterest)」も画像検索機能を追加し、スマートフォンのカメラを使って類似商品などが探せる。グーグルも、画像検索でサングラスや靴、バッグなどの似ている商品をECサイトで探すことができるサービスを導入している。 このように、ますます“進化”する画像検索サービスだが、その技術が最も重要視されるのは犯罪や事故の捜査・抑止に利用するセキュリティ分野である。 今や東京23区内をはじめとする大都市の都心部や空港、駅、イベント施設などは至る所に防犯カメラや監視カメラが設置されており、そのネットワークから外れる場所はほとんどないと言われている。犯罪が起きた後の容疑者の追跡などは、変装していたとしても骨相などから検索可能になっているという。 そして、この分野では日本企業が世界をリードしている。 たとえば、NECの顔認証システム「ネオフェイス(NeoFace)」は、アメリカ国立標準技術研究所(NIST)による初の動画顔認証の性能評価コンテストで、静止画に続いて4回連続で最高評価を獲得した。同社によれば、このコンテストには世界の有力企業16社が参加し、2位以下を大きく引き離す精度の高さが認められたという。「ネオフェイス」は、PCアクセス認証やビル・施設への入退場管理などの企業ユース、顔パス入場などのエンターテインメント分野、さらには出入国管理や国民IDシステムなど国家レベルのセキュリティ管理といった幅広い用途で日本をはじめ世界40か国以上で導入されており、なかでもアメリカでは州警察の3分の1ほどに採用されている。NECは2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、これからますますセキュリティ関連ニーズが高まるとみて、顔認証技術の開発にいっそう力を入れる方針だ。 さらに今は、事件や事故を予測・予防する技術の開発が急速に進んでいる。具体的には、イベント会場や駅のホームといった大勢の人が集まる場所で、不審な動きをする人間をマークしたり、鉄道自殺を予防したりする技術だ。 実際、防犯テクノロジーの専門会社アースアイズは、ベンチでうなだれて列車を何本も見送るような自殺の前兆をAI搭載カメラが検知して駅員に自動通報するシステムを開発したと報じられている。 このセキュリティ分野は、非常にレンジが広い。たとえば、1人暮らしの若い女性が夜遅く帰る時、不審者やストーカーが自宅の周りをうろついていないかどうか、待ち伏せしていないかどうかといったことを、帰宅前にスマホから画像検索でチェックすることができれば、犯罪被害を未然に防ぐことができる。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) セコムやアルソックなどの警備会社も、そうした技術開発に積極的に取り組んでいる。たとえばアルソックは、テロや犯罪を未然に防ぐための“人の感情を可視化する技術”を活用した不審者検出システムを開発しているという。だが、優れた画像検索技術を開発すればするほど、それらの警備会社は不要になるわけで、実に皮肉な話である。 とはいえ、これまで人の眼や感覚に頼ってきた写真や画像のチェックは、今後、AIやロボットにどんどん代替されていく。趣味や買い物の利便性は上がるが、安全・安心と監視社会とのバランスなど難しい問題も浮上している。そのカギを握る画像検索技術の覇権争いが、これから様々な分野で激化するのは間違いない。※週刊ポスト2017年9月15日号関連記事■ 現場の捜査経験乏しい 特捜部=「最強の捜査機関」はウソ■ 勝谷誠彦 検察は福島第一原発事故の捜査をただちに開始せよ■ 事件や事故の実名と写真報道 ネット普及で議論に■ 730日以上の捜査で清原を逮捕 組対5課の実態と捜査手法■ 名誉を守るドライブレコーダー 交通犯罪の抑止にも効果

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    中国の監視社会 携帯盗んだ犯人がすぐ特定されてしまうほど

     中国は監視社会といわれるが、その“精度”のほどはこんな些末な事件からも伺い知ることができる。現地の情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏がレポートする。* * * いったい何を焦点に記事を書くべきか、迷ってしまう事件である。武漢市青山区で起きたスマートフォンの窃盗事件の顛末である。まずは、事件を報じた地元紙、『楚天都市報』(4月11日付)のタイトルからみてほしいのだが、それは、〈携帯電話を盗んだ男が、盗まれた男の妻とデートの約束 現場に現れてところで逮捕〉 というものだった。 簡単にはシチュエーションが浮かんでこないのだが、要するに携帯を盗んでおいて、その被害者の妻とのデートの約束を取り付け、待ち合わせにのこのこ現れたところで御用となったという話だ。 この泥棒がナンパの達人なのか、それとも被害者の妻というのが背徳夫人なのか、と思って記事に読み進めると、さにあらず。要するに、夫に何度電話してもつながらない妻が心配して連絡を取り続け、まんまと犯人を誘い出したという捕り物劇であった。 当初、妻は夫に20数回も電話をかけたがずっとつながらない。うち、2回ほど誰かが応答したのだが、返事をしないまま通話は途切れたという。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 何か深刻な事件の巻き込まれたのでは。それを心配した妻が、夫の入り浸っているネットカフェに向かうと、夫は自分の携帯が盗まれたことも知らずに遊んでいたという。携帯電話は新しいものを買ったばかりで、暗証番号の設定をする前だった。 ほどなくして犯人がウィチャットの設定をしたらしく妻が「友達」に入れられ、そこから巧妙に犯人を誘い出したというストーリーである。いわゆる「妻のお手柄」というやつだが、驚いたのは、警察の捜査能力である。 通報を受けて間もなく、ネットカフェに残った映像を確認。顔認証システムに照合したらすぐに男の身元(張と名乗る40歳の洪湖人)が特定されたと記事にはある。要するに妻が呼び出さなくても犯人は間もなく捕まっていたことは間違いない。恐るべき監視社会の一端が垣間見えた事件である。関連記事■ 中国の汚職取り締まり 年間18万人処分の監視組織を更に強化■ 中国党政法委 盲目の人権活動家の監視に昨年は7.8億円使う■ 大メディアは権力の監視機能を放棄し権力に取り込まれている■ 中国の中学校生徒21人が通り魔被害、犯人は復讐目的の卒業生■ もしもあなたの母校が「使えない大学」認定されてしまったら

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    奨学金制度は何が問題か

    大学進学などで利用した奨学金の返済が行き詰まる「奨学金破産」が増えているという。「奨学金というシロアリが社会を食い荒らす」。制度へのこうした批判が相次ぐ中、日本学生支援機構(JASSO)の遠藤勝裕理事長がiRONNAに反論手記を寄せた。ニッポンの奨学金制度は何が問題なのか。

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    JASSO理事長手記「奨学金シロアリ報道に反論する」

    遠藤勝裕(日本学生支援機構理事長) 日本学生支援機構(JASSO)の奨学金制度に関し、このところ「奨学金破産」「保証人から説明せずに全額請求」などの新聞報道が見られ、過日に放送されたNHKの『クローズアップ現代プラス』では「社会の土台を食い荒らすシロアリのような存在」とまで言及されている。 こうしたネガティブキャンペーンの意図は不明ながら、これらにより奨学金制度が誤解され、勉学意欲と能力がある若者たちが奨学金の利用による大学や専修学校への進学をあきらめる、といった事態だけは断じて避けなくてはならないと思っている。そこで、奨学金制度を正しく理解していただくために、限られたスペースではあるが、制度の現状と課題について申し上げたい。 そもそも、JASSOの奨学金は、憲法第26条と教育基本法第4条に定められた「教育の機会均等」を実現するための国の制度である。制度の発足は古く、昭和18年10月まで遡(さかのぼ)るが、以来支援した学生数は1288万人に上り、その若者たちが戦後復興から経済発展の担い手となり、70有余年に亘り日本社会を支えてきたと言えよう。そして現在は高等教育機関に学ぶ学生のほぼ3人に1人をJASSOの奨学金が支援しており、社会を支える重要インフラとして機能している。決して「シロアリ」などではない。 平成29年度の貸与人員は約130万人、貸与金額は1兆円に上り、わが国全体の奨学金事業のほぼ9割を占めている。貸与人員の8割強は大学、大学院などであるが、特徴的なのは専修学校の学生も22万人近くに上っているほか、放送大学等通信制で学ぶ人たちも支援していることである。 このため、貸与学生の在籍学校数は3647校を数え、うち専修学校は2485校と7割近くを占めている。JASSOの奨学金は専門的技術・技能の習得に向けて学ぶ学生を支えており、この面でも社会の重要インフラとして機能している。 貸与奨学金には無利子(第一種)と有利子(第二種)があるが、ここ数年は奨学生の負担軽減のため、無利子のウェイトを高めている。ちなみに平成25年度の25%に対して29年度には33%、約3分の1が無利子となっている。 なお、有利子の金利について、「3%という高利を貪っている」と誤解され、あるいは歪曲され喧伝されることがあるが、3%は法令上定められた上限金利である。実際にはJASSOが国から借入れる財政融資資金の金利と同一に設定され、現在は0・01%(変動の場合)、そしてこれはそのまま国に償還しており、JASSOが民間金融機関の様に「利鞘(りざや)を稼いでいる」ことは全くない。 ところで年間1兆円にも上る巨額の貸与原資をJASSOはどう調達しているのであろうか。ちなみに平成30年度予算では、8割強(81・9%)が返還金となっており、これは返還者が稼いだ金が後輩たちへの貸与資金となっていることを意味しており、この流れは「健全な日本社会の象徴」と私は自負している。日本学生支援機構の遠藤勝裕理事長(同機構提供) なお、残り2割は財政資金のサポートを受けているが、有利子奨学生については、在学中は金利負担を猶予しているため、この間は規則により財政資金が借りられず、債券発行や借入により、民間の金融市場から調達している。余談ながらJASSOが発行する債券は、国際資本市場協会(ICMA)が定める社会的課題解決のために発行される社会貢献度の高い債券、いわゆる「ESG債」と認定されており、JASSOは国際的にも「社会貢献度の高い組織」と位置づけられている。 さて、こう記してくると、「貸与原資となっている返還金の元は何なのか」との疑問がわいてこないであろうか。そもそも制度スタートの時に資金がなければならないからである。昭和18年10月に「大日本育英会」(JASSOの前身)としてスタートした際、まず国は財政資金100万円(当時)を投じているが、翌昭和19年4月、昭和天皇自らが御手許(おてもと)金100万円を拠出され、あわせて200万円(当時)でJASSOの事業が始まっている。 この200万円を原資として、以後連綿として「貸与、返還、貸与」の好循環が繰り返され、現在の資金規模となっている。元を正せば天皇陛下の拠出金を含め全て公的資金である。返還率は上昇 前述の通り、貸与原資の8割が返還金であり、これが大きく滞れば制度が成り立たなくなるか、あるいは公的資金(税金)の追加投入を余儀なくされることになろう。時に「JASSOは高利貸のように取り立に狂弄(きょうほん)している」と非難されるが、返還にこだわるのはまさに「次世代への貸与原資」を確保しなければならないからだ。 ちなみにJASSOが日本育英会から事業を引き継いだ平成16年度末の3カ月以上の延滞者数は18万3千人で、返還者数の9・9%にも上っていたが、29年度末は15万7千人、同3・7%にまで低下している。返還率で言えば90・1%から96・3%にまで上昇している。仮に16年度の10%近くの延滞率が続いていたとすれば、制度の存続について大きな議論になったのではないかと推測される。 この延滞率の低下、返還率の上昇は、基本的には日本の若者たちの生真面目さによるものと思われるが、この間にJASSOが制度存続のために尽くした様々な努力、例えば延滞者への地道な働きかけ、債権回収会社(サービサー)への回収委託、個人信用情報機関への登録などの成果と言えよう。 こうした中、400万人にも上る返還者の中には様々な事情(病気、失業など)により返還したくても返還できない人も存在している。このため、減額返還、返還期限猶予、返還免除などの救済制度(セーフティネット)を設けており、近年は返還者の実情に応じ、制度の充実に努めている。同時にこれらの周知徹底にも取組んでいるが、残念ながら制度を知らずに延滞に陥る方々も存在している。返還が困難な状況になった場合には悩まずに、遠慮なくJASSOにご相談いただきたい。 冒頭にも触れたように、奨学金破産や保証人問題が大きく報道され、あたかも奨学金制度自体を否定する様な論調も見受けられる。これはまさに「木を見て森を見ざる」の議論と思われる。従ってこれらについての事実を申し上げ、奨学金により大学や専修学校への進学を考えている若者たちが、奨学金制度を安心して利用できる一助としたい。 まず「奨学金破産」について申し上げたい。奨学金返還者のうち平成28年度に新たに自己破産に陥ったのは2009件、返還者全体の0・05%である。これが多いのか少ないのか、立場によって議論も分かれるところであるが、わが国全体の自己破産割合(20歳以上の人口1・1億人に対し、6万3727件の自己破産)は0・06%であることが一つの目安となろう。 ただ、JASSOの立場からは「奨学金破産」という造語自体に違和感を抱いている。それは、自己破産の債務内訳を知り得る限り調べると奨学金のウェイトは平均して2割前後であり、中には億単位の債務のうち50万円が奨学金といったケースも「奨学金破産」とされている。さらに破産者の31%は破産時に奨学金は延滞していない事実もある。大学入試センター試験に臨む受験生ら=2017年1月、東京都文京区の東大 (福島範和撮影) 昨今、奨学金の延滞者に対し「自己破産を勧めている人たちがいる」との報道もあるが、JASSOの立場からは極力法的措置、裁判所の判断に委ねることとしている。理由は2点、すなわち自己破産はJASSOの債権が損なわれ、これは公的資金(国民の税金)のロスにつながること、そして自己破産は返還者本人の経済的な再起を難しくすること、などである。 次に、保証人問題について申し上げておきたい。最近大きく報道されており、世の中的には奨学金制度上の大問題のように受け止められているが、制度全体の極く一部の事象として捉えている。なぜならば、報道では「分別の利益がある保証人に対し全額請求」としているが、対象者は29年度中に167人、22~29年度累計で825人程であり、その比率は、返還者全体の0・02%、人的保証選択者の0・04%と極めて低いためである。 そしてJASSOの「法的には問題ない」との姿勢が誤りとする見解も見受けられるが、改めてJASSOに差入れられている保証人の保証文面を見ると「保証人は本人が負担する一切の債務につき債務履行の責を負う」と明記されている。ただ、法的な議論はさておき、奨学金絡みで一人でも問題を抱えている人がいるとすれば、JASSOは問題解決に向け、前向きに対応しているので積極的に相談窓口に連絡していただきたい。「給付型」は理想論 私は平成23年7月に理事長に就任して以来7年有余、様々な課題に直面しながら関係者、とり分けJASSOの職員と共に走り続けてきた。解決できたこと、まだまだ途上にあるもの、さらには新たな課題も発生しているが、それらは大きく入口、真中、出口と三つの時間軸に存在する。 これは奨学金の申込者への対応に課題が集約される。手続きが煩瑣(はんさ)、分かりにくい、説明書の字が小さいなど、ここでは本人、保護者らに対する親切な説明と同時に高校らの先生方の協力も不可欠と認識している。このため、29年度から日本ファイナンシャル・プランナーズ協会の協力の下、スカラシップアドバイザー制度を創設、約3千人のアドバイザーを高校などへ派遣して丁寧な説明に務めている。 要望があれば大学などのオープンキャンパスに出向くこととしている。ただ、毎年のように奨学金制度の変更や新設があり、とりわけ学校現場からの苦情、要望が多いのが実情だ。これらにいかに親切に対応していくか、大きな課題と認識している。 そして、まず第一の課題は在学中の適格認定の問題で、すなわち奨学生としてふさわしい状態にあるかについて、大学などにしっかり把握してもらう必要がある。現在の制度が形骸化しない工夫も必要と考えている。第二は貸与学生の金融リテラシー向上のサポート。現在新入生の段階で、「本当に必要な金額?借り過ぎに注意!」と啓蒙しているが、在学生に対しても同様のアピールをすると同時に、減額や貸与辞退も可能と呼びかけている。第一、第二の課題は奨学金と勉学とを学生たちにどうリンクして意識づけるか、ということであり、この面での学校サイドの理解とJASSOとの連携強化も大きな課題である。 JASSOの貸与奨学金は通常、卒業してから半年後の10月に返還が始まる。前述の様にこの返還率は新規返還者で97%、全体でも96%と極めて高い。しかしながら、母集団が大きいため人数的には、全体で15万7千人が3カ月以上の延滞者となっている。確かに16万人近くが延滞しているが、逆に410万人は通常通り返還しているのは誇るべきことである。 しかし、JASSOとしては、延滞状況に陥った返還者への対応、すなわち前述のセーフティネットのさらなる充実が大きな課題である。そして、自己破産や保証人問題が指摘される中、保証人制度の抜本的改革も基本的な課題として視野に入れるべきであろう。すなわち、奨学金の人的保証制度を廃止し、機関保証制度に一本化するということである。もちろんこの実現のためには、保証機関、保証料率の水準と徴収方法、既往返還者への対応など検討を要する事項も少なくないが、フィージビリティスタディ(実行可能性調査)を開始すべき時期にきているのではなかろうか。学生らに胴上げされる東大合格者ら=2011年3月、東京都文京区の東大(三尾郁恵撮影) 奨学金制度改革の理想は全て返還負担のない給付型にすることであろう。しかし、全て給付型の先進国では、財源としての消費税率は20~30%と高く、わが国の実情からはなかなか難しい。従って今後の現実的な対応としては、貸与型に給付型をミックスし、貸与型をより返還者の立場に立って改善していくことである。 幸い現在法的にも給付型が可能となり平成30年度から本格的にスタートしているのは、その一つの足掛りとなろう。また、29年度から全て機関保証を条件とし、所得に応じ返還額が変動する新たな所得連動返還制度も始まっている。こうしたことの拡充により「日本型」の奨学金制度がより進化していくことを願って止まない。

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    奨学金取り立てが「サラ金と同じ」でどうする

    高橋知典(弁護士) 日本学生支援機構(JASSO)が、民法上、保証人には連帯保証人も含めた人数で等分に割った額しか支払い義務がないことを積極的に説明せずに、全額請求していたことが問題視されていますが、本来今回のような日本学生支援機構の対応に法的な問題はないと言えます。 日本学生支援機構の奨学金制度は、法的には「金銭消費貸借契約」であり、銀行や消費者金融からお金を借りることと変わりはありません。 金銭消費貸借契約では、支払いを確実にするために、人的な担保である保証人を付けられます。その中でも「連帯保証人」と「保証人」の2種類があり、今回はその「保証人」の取り扱いについて問題が提起されました。 現在、保証人をつけて奨学金を借りるためには、連帯保証人(親等)1人と、保証人(4親等内の親族)1人が必要とされています。保証人は連帯保証人と違って、簡単に言えば「まずは主債務者(お金を借りた人)に請求してもらう」(催告の抗弁)ことができ、「主債務者がお金を持っている場合には、そちらから払ってもらう」(検索の抗弁)ことができるという特徴があります。こうした保証人が持つ特徴の一つで、今回問題提起されたのが「分別の利益」の取り扱いです。 保証人が持つ「分別の利益」は、1人で借金の全部を払わなければならないのではなく、他の保証人と分担して払えばいいということです。例えば、連帯保証人1人と保証人1人がついているならば、1000万円を借りた時には、保証人は500万円を自分の負担分として払えばいいということになるのです(連帯保証人は、全額を払う必要があります)。日本学生支援機構の奨学金を利用すべきか悩む学生=2009年3月、東京都内(安田幸弘撮影) しかし、債権者(お金を貸した者)は、保証人から全額の返済を受けてはいけないということはなく、保証人が「任意に払うのならば受け取っていい」ということにしています。仮に保証人が分別の利益を超えて、他の保証人分を支払った時は、保証人は、他の保証人から払ってもらうということになっているのです。 また、本来こうした「分別の利益」は、債権者が保証人に請求した場合に、支払いをしたくない保証人側から、主張することになっています。 このために、今回の「分別の利益」の主張について、貸した側が借りた側に「分別の利益」の主張を教えてあげるということは、通常は敵に塩を送るような行為です。厳しいようですが通常は保証人側で勉強したり、弁護士に相談したりして主張すべき事柄であり、払ってしまった保証人は、本来は主債務者か、連帯保証人に払ってもらうことになるのです。 以上から、法的には、説明しなかったことが問題になるとは言いにくいところがあります。フツーの金融機関と同じ このように本来的には、保証人が自分で調べて主張しなければならないのですが、一方で今回、日本学生支援機構が「分別の利益」について、説明しなかったことは問題があるといえるでしょう。 学生やその保護者は、日本学生支援機構に対する信用・信頼から、お金を借りる心理的なハードルが低く、そのために学生側はお金を借りるのだろうと解されます。実際に私自身もかなりの金額の貸与を受けていますが、やはり学校の校舎の中にパンフレットを置ける金融機関であって、奨学金という名称で広く受け入れられており、さらには学校の先生から利用を勧められることさえあることを考えれば、その信用・信頼は、他の金融機関とは隔絶したものがあると考えるべきでしょう。 それは、支払いの場面でも同様であると考えられます。一般の金融機関や、消費者金融からの請求であれば、保証人も弁護士に相談に行っていたかもしれませんが、日本学生支援機構からの請求については、保証人もまさか弁護士に相談しなければならないようなことはないだろう、という前提があったと考えられます。 今回「分別の利益」を説明しない請求方法は、法的に見れば妥当かもしれませんが、他の金融機関とは明らかに違った土俵でお金を貸している日本学生支援機構としては、他の金融機関とは違った公正性のある対応をすべきであり、それを全うしていないということが、問題意識になっていると考えられます。今後は、事前に連帯保証人や保証人についての役割等を説明するべきだと考えられます。  では次に、そもそも奨学金の人的保証制度に問題はないか、考えてみたいと思います。人的な保証制度は、不動産などの有力な担保が無い借り入れの場合に必要とされることが多い担保の形ですが、近年はこうした人的保証制度自体を見直す傾向にあるといわれます。※画像はイメージです(GettyImages) というのも、日本では、会社経営者がお金を借りる時、以前は必ず会社経営者個人も連帯保証をさせ、会社が破産すれば必ず会社経営者家族も破産するという、個人を追い詰めてしまう状況がありました。このために、近年では見直しの動きが起こっており、人的保証から経営の実績や事業計画への評価を通じた貸し付けを行うようにシフトしている状況があります。もっと根深い問題がある 今回の奨学金における問題の提起から、奨学金を借りて卒業した人の貧困と、その後の親族への波及、連鎖破産などの問題が明らかになるならば、今後は現在の人的保証制度と、選択式になっている機関保証制度が、奨学金を借りる際の保証の主流になる可能性があります。もっとも、機関保証制度は、奨学金から保証料として保証会社にお金を払うということもあり、学生にとっては、保証人制度も選べる現状からすればマイナスの変化にもなりかねません。 奨学金の制度は、本来は子供が高校や大学等の高等教育を受ける際に経済的負担が大きくなるものの、その後就職して経済的に充実していくという流れを前提に、一時的にお金が不足する期間のある学生に、お金を貸し、卒業後の経済活動で返済していくことをモデルとしているものと考えられます。しかし、現在学生たちが置かれている経済状況を前提にすると、就職難、ワーキングプア、非正規雇用など、実際にはモデルのように生きることが難しい現実があります。 奨学金に関して、学生側が意識的に検討すべき内容として、教育機関で得られるものとそれにいくらお金を払うかということを冷静に見るべきでしょう。大学に行く目的、そこにかける費用は「みんなが行くから行こう」と思って行くには、随分と高くつくようになっていると思います。 もちろん、奨学金は、学生が無金利または低い金利でかなりの金額を借りることができる非常に有り難い制度であって、さらには返済の際に返済期間の猶予制度などもあり、適切に制度を利用すれば奨学金制度は好ましいものでしょう。 しかし、今回の問題でも明らかになったように、日本学生支援機構は、返済の際には普通の金融機関と同じように、厳しい請求をします。だからこそ、奨学金を借りる時には、なぜ借りるのか、なぜお金を借りても学ぶのかを吟味する必要があるでしょう。※画像はイメージです(GettyImages) また一方で、仮に酷に思える回収をせずに、日本学生支援機構が貸与した奨学金を返せる人から回収できていないとなれば、次の世代への貸し付けをする原資がなくなり、奨学金として貸したお金を無駄にしてしまうという別の問題になりえます。 学生の経済的困窮を教育期間中に軽減することが奨学金の目的であり、保証人からの回収というのは、そもそも借りた学生本人とその連帯保証人の親が返済できなかったことを意味しています。その意味は、単に日本学生支援機構の取り立てが公正性を欠くということ以上に、この国の若年層の経済事情と教育制度のあり方についての課題を提示していると考えられます。

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    「奨学金は借りたくない」キャバ嬢学生の思いは本当に甘えなのか

    北条かや(著述家) 奨学金の返済に追われる若者が増えている。大学進学率が上昇し、若者の2人に1人が大学へ進むようになった一方、高止まりする学費が家計を圧迫しているからだ。日本の全大学の8割を占める私立では、平均130万円という授業料がのしかかる。さらに、一人暮らしの学生なら、家賃と生活費が年間150万円にもなる。 4年間で実に1200万円。長引く不況の影響で、この大金を負担できる家庭は減っており、今や2人に1人の学生が奨学金を借りている。 奨学金のほとんどは、給付型ではなく貸与型だ。つまり、将来何十年にもわたって返済が求められる「借金」である。後で詳述するが、この借金を背負いたくないがためにアルバイトに追われ、中にはキャバクラや風俗などの水商売で働く学生もいる。奨学金を借りていないからといって、経済的に豊かな学生とは限らないのである。 牧歌的な考えの大人たちは、こう思うかもしれない。「授業料が安い国公立大に自宅から通えばいいじゃないか」と。「奨学金に頼る必要はない、甘えるな」と。 本当にそうだろうか。まず、前述の通り、日本の大学は圧倒的に私立が多く、国立と公立大の割合はそれぞれ約1割にすぎない。大学生のほとんどが、年間100万円以上の授業料を納める私大生だ。授業料が低い国立大の多くは難易度が高いので、学力が足りなければ公立や私立へ進学するしかない。 さらに、学力は、幼少期からの塾通いなど多額の教育投資ができる富裕層ほど高くなる。東大生の親は約6割が年収1千万円以上だ。国立教育政策研究所の濱中義隆総括研究官によるデータ解析では、国立大生の親の方が、公立や私立よりも「年収1050万円以上」「850~1050万円」の割合が高いという。皮肉というべきか、授業料の安い国立大に通うためのチケットは、富裕層ほど安く手に入るのだ。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) 以上のことから、もはや高い学費を払って国立以外の大学に通う学生は多数派であるといえる。親の収入状況で進学先が左右される以上、借金してまで大学に通う学生を「本人の甘え」とか「努力が足りない」などと非難するのは早計だ。 ある女子学生は、学費と生活費を補うため、ファストフード店でアルバイトを始めた。時給800円。授業の後に1日3時間働いて週4日、1日2400円、1カ月で4万円にもならず、毎月12万円かかる生活費が払えない。利益と搾取に「絶望」 ある日、繁華街で配られているポケットティッシュに「誰でも簡単、高収入」の文字を見つけた。「お酒が飲めなくてもOK」「週1日~時給4千円以上、1万円も可」と書いてある。ファストフード店と比べておそろしく魅力的な条件だった。そう、キャバクラである。 拙著『キャバ嬢の社会学』でも述べたが、キャバクラやガールズバーの多くは、水商売の初心者でも「気軽に」働けることをウリにしている。「飲酒なしでOK」「ノルマなし」「未経験者歓迎」など、若い女性ならほとんど誰でも良いというようなキャッチコピーで人を集めるのだ。 彼女は勇気を出して面接へ行った。ニコニコしたおじさんが出てきてシステムの説明をされ、身分証を提示したら、その日から働くことができた。夜中の12時まで4時間働き、1万6千円を手にした。ファストフード店の5倍。親への罪悪感はあったが、学費を払うために四の五の言う暇はなかった。 そこからは、週3回キャバクラ勤務の日々が始まった。毎月12万円の生活費、年間100万円の授業料は払ったが、寝ずに授業へ行く日が続き、ノルマのために深酒するようになった。2年以上、キャバクラ嬢として売り上げを上げ続けたが、ある日、色恋に狂った客からレイプされそうになり、店のスタッフがそれを止めなかったことで、全てが嫌になった。自分が若さや女を売りにして利益を得ることが、搾取されることと表裏一体であることに絶望したのだ。 「ものすごく傷ついたし、学費を払うためにどうしてこんなに苦労しなきゃいけないのか、最悪だと思った。でも、いろいろ大事な経験をしたと思う」と、彼女は静かに語った。 これは私の肌感覚だが、2008年のリーマン・ショック後に、キャバクラ嬢として働く女子大生が急激に増えた。理由はほとんどが「親の仕送りがなくなったから」。一見するとキャバクラで勤務しているようには見えない、というと語弊があるが、世間が思う派手なキャバクラ嬢とは違う、「真面目そうな普通の女子大生」が夜の店で働くようになった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 時を同じくして、ガールズバーやラウンジなど、キャバクラよりもさらに「ゆるい」形態の水商売が盛り上がりを見せた。飲酒しなくてよい、私服でよい、髪の毛をセットしなくてよい。接客はカウンター越しで、セクハラの心配も少ない(ということになっている)。夜の仕事のハードルはどんどん下がり、親の仕送りに頼れない学生や、生活費にゆとりが欲しい学生の一部がそこへ流れていった。 「大学のユニバーサル化」は同時に、「水商売に従事する大学生のユニバーサル化」も進めた。男子学生さえ、例外ではなかった。「やっぱり病みますよ」 「奨学金とか高いじゃないですか。借金するくらいなら、自分で稼いだ方が全然いいと思ったんで」 ある男子学生は、親が無理して通わせてくれた理系学部の授業料、年間200万円を工面しようと、新宿の歌舞伎町でスカウトマンの仕事を始めた。街で女性に声をかけ、風俗産業へと斡旋(あっせん)する。別の大学の友人は、週1日の出勤で月収30万円を稼いでいた。「完全自由出勤」「完全歩合制でノルマなし」という条件に引かれた。これなら授業と両立できる。 面接は雑居ビルの一室で、スーツを着たコワモテのお兄さんたちに囲まれて怖かった。「とにかく女の子に声をかけて、キャバクラか風俗店に連れて行って」と言われ、新宿へ通う日々が始まった。 女性と話すのは好きだったので、ナンパのようなノリで声をかけ続けるのも、それほどつらくはなかった。大学の同級生からは「女性にモテる」「コミュ力が高い」と褒められるようになった。 キャバクラ嬢を新しい店に紹介できれば、店から一件あたりいくらかの収入が手に入る。性風俗店なら、その女性が勤務し続ける限り、女性の給料の10%が彼の懐に入り続ける。月収は30万円を超えた。だが、本音は「やっぱり病みますよ」。 「女の子の愚痴や色恋の管理とか、あとは罪悪感。ヤバい人たちとの絡みもたまにありますし。でもこれ以上稼げる仕事はないです。やりがいもあるし。でもそろそろ単位が危なくなってきたので、ちょっとキツいですね」 信じられない人もいるだろうが、多くの学生にとって夜の世界は、奨学金に頼らず学生生活を送るための手段になっている。学費のためにキャバクラやクラブ、性風俗店などで働く大学生のほとんどは、奨学金を借りていない。そして、たいてい私立大に通っている。彼、彼女らは「自立」するために、大人の社会に依存する。いずれも「親に甘えずに」大学へ通おうとした結果である。 ある女性は、学費のために銀座のクラブで働いたが、その目的は「クラブに来る客の中から、自分を経済的に支えてくれる人を探すためだった」という。20歳の彼女が見つけたのは59歳の会社役員。学費を払ってもらう代わりに、体の関係を提供している。 深夜まで勤務するホステスやクラブは学業と両立できないので、「スポンサー」ができたらすぐにやめるつもりだった。還暦間近の男性とホテルで会うたびに虚しさが募ったが、最近は慣れてきたという。大学を無事に卒業し、無借金で社会に出ることが彼女にとっては何より大切だからだ。「貸与型」では限界 友人にも似たようなパターンの女子大生は多いという。昨今流行りの「パパ活」も、一部は学費を捻出するために行われているのかもしれない。 彼女たちにとって、学生生活を送ることはお金を稼ぐこととほとんど同じである。それでも大学へ行きたい。親には頼れない。でも奨学金は借りたくない。だから大人の社会を利用し、また利用されてお金を稼ぐのである。それでもまだ、「甘えるな」と言う資格が私たちにあるだろうか。 「そこまでして大学へ行く必要があるのか」という問いには、こう答えよう。高等教育の充実は社会的な善であり、よほどの代替案がない限り、大学進学率の上昇は歓迎されるべきことだ、と。やみくもに「大学へ行くな」という権利など誰にもない。 学生を借金漬けにする、もしくは学業に支障をきたすほどのアルバイトを強いる。言うまでもなく、これほど高額な授業料がそもそも問題なのだ。対処するには、全大学の8割を占める私立大が、貸与型ではなく給付型の奨学金制度を増やさなければならないだろう。授業料の減免制度を設けている私大は多いが、個別の大学ごとの格差が大きい上、学生の授業料負担を平均して下げる効果があるとまでは言えない。 だからこそ、私大同士が垣根を越えて資金を出し合い、給付型の奨学金制度を新たに作ることが望ましい。まずは生活費負担が相対的に重い、都市部の私大から連携を始めてはどうか。 こうした大学のうち、特に難易度が中程度から高程度のマンモス校は、地方からも多くの学生が集まる。地方から都市部へと、若年人口を吸い上げる代わりに、給付型の奨学金で彼らの生活費負担を少しでも下げることはできないか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 資本の論理でいけば、こうした提案は利潤追求に反するかもしれない。が、若者に「甘えるな」と自己責任論を押し付け、やたらと高額な学費を吸い上げる高等教育機関など、無責任以外のなにものでもない。 大学とは経営主体である前に、教育理念を持った社会的存在であるべきだ。2人に1人が進学する時代だからこそ、「大学の社会的責任」を、学費負担という観点からも検討すべきではないだろうか。

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    「学歴」が分断する現代日本社会

    つひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。

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    奨学金に絡む自己破産者は15000人以上 増加傾向にあり

     「まさか大学に行ったことが、人生の“枷”になるとは、予想だにしていませんでした」。都心の飲食チェーン店でアルバイトをして暮らすA子さん(28才)は、ガックリとうなだれる。 東京の有名私立大学を卒業後、念願のアパレル業界に入社。しかし残業は毎月70時間を超え、給与は雀の涙。完全にブラック企業だった。人間関係にも悩み、わずか2年間で退職。以降、派遣やバイトなど非正規で働く日々を送っている。そんな彼女に今、重くのしかかるものがある。「学生時代の奨学金です。合計300万円超。まだ半分も返済できていません。社会人になったら毎月2万円ずつ返す予定だったのですが、延滞し続けていて…。現在、アルバイトの給与が月に手取り11万円で、家賃が5万円。生活費の5万円を引くと、どうしても払うことができないんです」 そう話すA子さんは最近、真剣に自己破産を検討しているという。 「奨学金を借りた日本学生支援機構(JASSO)からは催促の通知が絶えません。ただ、自己破産しても連帯保証人である親に支払い義務が行ってしまうので、それも申しわけなくて。もう、どうしたらいいのか…。完全に袋小路に追い詰められています」(A子さん) 彼女のケースは氷山の一角だ。昨今、学生時代の奨学金の返済ができずに破産する人が激増している。JASSOによれば、返済の滞納が3か月以上続く人は、16万人(2016年度末時点)。「今後決められた月額を返還できる」と回答した人は3割強しかいなかった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 奨学金に絡む自己破産者は、2016年までの5年間で1万5338人。内訳は本人が8108人、保証人が計7230人。2016年度は過去最高の3451人が破産した。「年収300万円以下など低所得者を対象にした奨学金の返済猶予制度の猶予期限は10年。期限切れによる自己破産者は今後さらに増える見込みです」(全国紙記者) なぜこんな事態になったのか。『ブラック奨学金』(文春新書)の著者でNPO法人『POSSE』代表の今野晴貴氏が語る。「根本的な原因は学費の高騰です。国立大の授業料は2017年時点で年間約53万円。過去40年で15倍近く上がっている。私立はさらに高い。入学金も含め、4年間支払うのは家計に大きな負担がかかります。結果、奨学金に頼る学生が急増しました」 現在、奨学金の受給者数は130万人にのぼり、20年前の46万人から3倍近く増加した。学生の2人に1人がなんらかの形で奨学金を借りている状態である。ここに、就職難とブラック企業問題が重なった。「MARCH(明治、青学、立教、中央、法政)を出ても非正規労働者がゴロゴロしている時代です。正社員でも過重労働で超低賃金というブラック企業も多い。体調を崩して休職したり、辞めてしまったりすると、奨学金の返済は至難になります」(今野氏)関連記事■ 国立有名大学の奨学金延滞率 トップは名大、ワーストは一橋■ 奨学金の「延滞率」 ワースト大学は10人に1人が延滞■ 奨学金「延滞者数」が多い大学 ワースト10■ 早稲田vs慶應 奨学金の延滞人数は早大が慶大の3倍■ 奨学金受給率と入試難易度に相関関係 難関大ほど受給率低い

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    「高等教育の無償化」が救うのは学生でなく倒産危機の大学

     安倍政権が打ち出した「高等教育無償化」は、“奨学金を借りる学生を減らす政策”に見える。だが、本当にそうか──。 過当競争で私大の4割が定員割れを起こしているのに加えて、今年から18歳人口が急激に減少に向かい、奨学生が払う学費では大学経営が維持できなくなってくる。安倍政権の掲げる「大学無償化」からは、“奨学金でこれ以上、大学生を増やせないのなら、授業料を国が払って18歳全員が大学に行けるようにしよう。そうすれば大学は生き残れる”という発想が透けて見える。元文部科学省審議官の寺脇研・京都造形芸術大学教授が指摘する。「無償化がすべての大学を対象にするなら、三流大学は大喜びですよ。タダなら大学行こうとみんな入学してくれる。例えば総理の友人が経営する加計学園グループは岡山理科大学以外は定員割れ。そうした大学の救済措置と言われても仕方がない」 日本学生支援機構のデータから加計グループ3大学の奨学金受給率を見ると、岡山理科大(50.7%)、倉敷芸術科学大(57.0%)、千葉科学大(51.7%)と奨学生によって経営を支えられていることがわかる。その中でも安倍側近の萩生田光一・自民党幹事長代行が客員教授を務めていた千葉科学大の奨学金延滞率は2.1%と全大学平均(1.3%)より高い。 安倍政権の大学無償化の最大の問題は、大学の生き残りが優先され、「大学生に国が投資し、国に利益が還元されるか」という重要な視点が抜けていることだ。卒業生に借りた奨学金を返済するための「生活力」を持たせられない大学の授業料を無償化して学生を通わせても、国は税金投入に見合うリターンを得ることができるはずがない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 安倍内閣の大臣には、大学経営の経験者がいる。奨学金延滞者数ランキングでワースト3位の近畿大学元理事長である世耕弘成・経産相だ。近大卒業生の延滞をどう考えるのかぶつけると、事務所を通じてこう回答した。「経営から離れて5年以上経過していることもあり、ご質問に答えることは差し控えさせていただきます」 大学無償化の本当の狙いは、奨学生が背負いきれなくなった私大経営の支援を、納税者に肩代わりさせることではないのか。そうなる前に、卒業生の「生活力」を基準に大学を評価する“目”を受験生とその親が、そして全国民が持つことも必要になってくる。●取材協力/峯亮佑(フリーライター)関連記事■ 女子大生風俗嬢を生み出す「奨学金制度」の弊害■ 私大トップクラスの「奨学金返済能力」を誇る大学は?■ 奨学金の「延滞率」 ワースト大学は10人に1人が延滞■ 奨学金「延滞者数」が多い大学 ワースト10■ 国立有名大学の奨学金延滞率 トップは名大、ワーストは一橋

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    「プラ製ストローは害」という欺瞞に日本人が付き合う道理はない

    武田邦彦(中部大学特任教授) 環境省は「日本近海にプラスチック廃棄物が多い」と発表し、プラスチック・ストローの環境破壊を改善するため、紙製ストローを製造する企業に補助金を出すという。ちなみに、紙製のストローには防水加工のため塗料が使われており、この塗料による環境汚染については、語られない。 筆者の友人で新潟の海岸線に住んでいる方からのメールによると、「確かに海岸に漂着するプラスチックごみは多いが、その大半は中国で捨てられたことが明らかだ。また、私は一度もストローは見たことがない」という。 日本は科学技術立国と言われるが、「科学」というのは「思想」を後退させて、まずは事実を整理し、考えること、そして自分の考えを他人に押し付けないことが基本だ。だが、「環境問題」は常に他人を押さえつけるために使われてきた。 これらのことを頭に入れて論を進めていきたい。  環境省などによると、石油などから作られるプラスチックは年間約4億トン近く製造され、そのうち、約800万トンが海に放出されているという。だが、特殊で高価な工業部品以外のプラスチックは比重が1・0以下で軽く水に浮くので、もし分解されなければ海の表面を覆うはずである。すでに40年ほど前からプラスチックは大量に使われているので、海に放出されたプラスチックがそのまま漂流を続けていたら、海水面はプラスチックで覆われている計算になる。 しかし、現実はそうなっていない。ならば、プラスチックが海に流れることは道徳的には望ましくはないが、科学的にはプラスチックによる海洋汚染は当面は考えなくてもよいことになる。これは以下に示す科学的原理や、長年の実績とも合っている。 そもそも、プラスチックは油性だから海に存在する有害な有機性化合物が付着すると言われているが、魚もプランクトンもプラスチックと同じ油性である。プランクトンや魚の存在量は明確ではないものの、40億トン程度とみられ、それからみると、プラスチックの流出量は0・2%に過ぎない。ゆえに、大量の油性生物に対し、プラスチックが環境を汚染することはあり得ない。 一方、地上の生物の食料はすべてCO2(温暖化ガス)が原料であり、それを還元して作る「炭素-炭素結合(C-Cボンド)」が生物の体を作り、エネルギーを供給する。したがって、生物の死骸である石油はC-Cボンドの化合物からなり、それは人間にとっても生物にとっても最も大切なエネルギー源である。 人間はC-Cボンドをすぐに分解できないので、食料にすることはできないが、多くの生物はこの貴重なエネルギー源を利用する。海洋に流出したプラスチックは一部の微生物にとって貴重な食料であり、分解して自分の体にしたりエネルギーにしたりする。これが海洋に流出するプラスチックが減少する理由である。プラスチック製に代わり、ヒルトン大阪で使われている紙製のストロー=2018年7月29日、大阪市北区(柿平博文撮影) 環境問題でよく出される写真に「海底でのペットボトル」などがあるが、これは実に不思議である。ポリエチレンやポリプロピレンなどのポリオレフィン類ならともかく、エステル結合を持つポリエステルが海底でそのまま分解せずに存在することは不可能だからである。おそらく、この手の写真は「投下されたばかりのもの」を選択して撮影していることは間違いない。 筆者は20年にわたって多摩美術大学でデザインを教えてきたが、デザインや映像でやってはいけないことは自らの才能を生かして「事実ではないこと」を強く印象付ける手法をとることである。これは絶対「NO!」である。環境問題のほとんどがウソ 筆者の著書『生物多様性のウソ』(小学館101新書)や『科学者が読み解く環境問題』(シーエムシー出版)で詳しく書いたが、1990年から吹き荒れているリサイクルの破綻、ダイオキシンや環境ホルモンの害の他、生物の絶滅が早くなっていること、温暖化で海水面が上がっていること、森林がCO2を吸収すること、アルプスの氷が解けていること、などはいずれも一部の科学者の見解であって根拠がない。 リサイクルについては、「リサイクルしなければ8年で廃棄物処理場が満杯になる」という宣伝は、筆者が正確に計算したところ150年だった。また、「ダイオキシンは猛毒だ」と言われたときだけテレビに患者が出て、テレビが報道しなくなったら世界で一人の患者も出なくなった。今の若い人たちは「ダイオキシン」という名前すら覚えていないだろう。ゆえに、当時ダイオキシンが猛毒だと思っていた人がどういう情報ソースを持っていたかを検証することは意味がある。 さらに、環境ホルモンについては、生物の多くがオスとメスが入れ替わる事実を大衆が知らないことを狙った全くのウソであった。これは質の悪い誤報にすぎなかった。他にも、温暖化はアルキメデスの原理や相平衡の温度など中学校で教える理科でも分かる非科学的な結論ばかりである。 なぜ、こんなウソに大人がウロウロするのかというと、「科学オンチ」、「感情優先」、さらには「環境利権」がキーワードだが、もっと端的に言えば「日本人の幼児化」だろう。 プラスチックは年間4億トンも使っているから、汚染の可能性はあるが、現実には800万トン程度しか海に流出しておらず、さらにプラスチックが大量に使用されてから数十年も経て、今ごろ「海洋がプラスチックで汚染されている」という事実もないのに騒ぎだけが始まる。 特に、日本の環境省はひどい。日本近海のプラスチックのほとんどが中国で流され、それが海流に乗ってきていることを知っていて、国際的に「日本近海が多い」と表現するのだからはっきりした反日官庁である。 環境汚染を防止するというのは「まじめな活動」でなければ意味がない。「事実として海洋を汚染していること、海洋におけるプラスチックの分解が遅いこと、特にポリエチレン、ポリプロピレンの分解がどうなっているか」など重要な環境科学は研究の必要はあるが、緊急性はない。 まして、プラスチック・ストローなどは海洋に放出されるプラスチックの1万分の1にもならないことは明白だ。それを問題にするのだからまさに「幼児」と言えるだろう。東京農工大のチームが東京湾で採取したマイクロプラスチック=2015年1月 そもそも、ヨーロッパの北西に居住するアングロサクソン、ノルマン、ゲルマンというアーリア民族はややこしい。世界中で侵略を繰り返し、自分たちだけ豊かな生活をしながら、やれリサイクルだ、たばこやストローが害だと言い出して他人の生活を制限する。 でも、そんな民族が「震源地」の誤った環境問題に右往左往する日本人も魂を失ったものだ。この際、ダイオキシンやたばこの錯覚に思いを致し、日本人の誇りを取り戻してほしいものである。

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    SNS世代の女性が「シンデレラ体重」に心奪われるのはなぜか

    早見直美(大阪市立大講師) ダイエットは日本をはじめ、多くの国で常に人々の関心事であり、若い女性を中心にダイエットを取り巻くさまざまな情報に翻弄されている。2018年2月ごろにソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で話題となった「シンデレラ体重」もまた、若い女性を中心とした「やせたい」気持ちが投影された理想体重の一つである。 シンデレラ体重は、身長(メートル)×身長(メートル)×20×0・9という計算式で算出されるという。通常、標準体重を算出する際に使用するのは、最も死亡率や病気の罹患(りかん)率が低いとされる体格指数(BMI)=22を基準とした身長(メートル)×身長(メートル)×22である。 そのため、仮に身長160センチの女性の場合、標準体重は1・6×1・6×22=56・3キロであるのに対し、シンデレラ体重は1・6×1・6×20×0・9=46・1キロとなり、健康的な標準体重からすると、その差は歴然としている。 シンデレラ体重はBMIでいう18を基準とした体重であり、この体重になった場合、BMI18・5未満の「やせ」に分類される。若い女性がやせになると、貧血や月経不順、ホルモンバランスの乱れ、免疫力の低下、骨粗鬆(こつそしょう)症、低出生体重児の出産など、さまざまな健康障害につながることが危惧される。 また、シンデレラ体重に近づこうとして無理なダイエットを続けた結果、摂食障害を発症するリスクも高く、決して推奨されるものではない。 シンデレラ体重をいつ、誰が提唱したかについては、エステティック業界やメディアによるものではないかなど諸説あるが、定かではない。しかし、シンデレラ体重は今に始まった話ではなく、これまでも何度か話題になったようである。 また、名前は違えど、美容体重、モデル体重など、標準体重よりもさらに軽い、女性が憧れる体重の指標は以前より話題になってきている。今回、シンデレラ体重が改めて話題になったのは、このシンデレラという響き、シンデレラのように夢をかなえることができるのではという、ある種、自身の願望を投影させるようなネーミングが、改めてSNS世代の若い女性の心をつかんだのかもしれない。 やせ願望は日本人に限らず、多くの女性が抱くものである。しかし、実際の体形を考えると、日本人の20代女性のうち20・7%がすでにやせに分類される。これは先進国において非常に高い割合であり、肥満が健康課題となる他国とは状況が異なる。(ゲッティイメージズ) 3月末に国立青少年教育振興機構が報告した高校生対象の国際比較調査によれば、日本の高校生はBMIの判定で普通体重の割合が7割を超え、比較した米国・中国・韓国より高かった。それにもかかわらず、女子の半数以上が「太っている」「少し太っている」と感じており、この割合も日本が最も高かった。さらに、自身の体形に「満足している」「まあ満足している」女子の割合は2割強にとどまり、4カ国の中で最も低かったことが報告されている。 ではなぜ、日本の若年女性はこうもやせたがるのだろうか。体形に関する認識や感情に影響を与える要因の一つに、自己肯定感がある。かねてより自己肯定感が低いことはやせ願望や危険なダイエット行動にかかわっていることが指摘されており、先の調査においても、日本の高校生は他国と比較して自己肯定感が最も低かったことから、その関連性がうかがえる。 思春期以降、体形の変化を経験する中で、他者からどう見られているかを気にするようになり、人と違うことへの不安が募りやすい。異性への関心の高まる年代であることからも、見た目を重視するようになる。「万年ダイエッター」の恐怖 それに加えて、日本では、今でこそ個性を尊重する時代の流れにあるものの、いまだ人と同じことで安心する、人と違うこと、目立つことを好ましくないと捉える文化がある。このような背景から、自分の体形や見た目に不満を持つ人、自分自身を好きだと胸を張って言えない人が多く存在するのかもしれない。 このほかにも、影響力の大きな外的要因として、社会文化的要因が挙げられる。これは大きく家族や友人、そしてメディアにかかわるものとされる。「家族に太ったと言われた」「友人がやせていてうらやましいと思った」「体形のことをからかわれた」「やせた芸能人のようになりたい」など大なり小なり誰もが体形に関するメッセージを受け取った経験があるのではないだろうか。 とりわけ、近年インターネットやSNSが普及し、情報量が一気に増えた。SNSの中で彼女たちが見るのは、やせて成功したように見える人たち、やせていてオシャレな服を着て、毎日が充実していそうな女性たちだ。 さらには自身の日常の写真をアップする人が増える中、常に自分自身が人にどう見られているかを意識せざるを得ない状況にある。女性は「上方比較」と言われる、自分よりも優れていると思う対象と自分自身を比較し、自身をダメだと考える傾向にあるという。 つまり、現代の若年女性は常に他者との比較を強いられているとも言え、やせ願望をより抱きやすい。また、ダイエットに関する情報も氾濫していることから、容易にダイエットに踏み切ってしまうのである。また、やせていて「かわいい」女性が好まれると思い込んでいる、またはそのようなイメージが伝えられているのかもしれない。 やせると男性にモテると思う女性は多い。実際には、男性はやせすぎの女性を好まないと回答している調査が多いものの、一方で太っている女性は好まない。これをやせている方がモテると解釈し、ダイエットをすれば素敵な男性に出会えると考える女性もいるのだろう。 若年女性に限らず、日本社会全体として「やせることを良し」とする風潮があることも否めない。「メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)」という言葉が多くの人に認知される中、「太っている=メタボ」、自己管理ができていないなどの否定的なイメージを持つ人も多い。健康管理の観点から、肥満解消のために減量しようとすることそのものは良いことである。 しかし、肥満によるデメリットの認知度と比較して、女性や高齢者におけるやせによる健康リスクは十分に理解されていない現状がある。メディアでは、ダイエットをしていることがまるでステータスかのように称賛される情報が伝えられることも多い。そのような風潮の中、必要でないにもかかわらず「万年ダイエッター」となっている人もいる。(ゲッティイメージズ) 個人がメディアリテラシーを持つことはもちろん重要であるが、わが国における正しい情報発信の在り方について検討がなされるべきである。国際的に見ても、フランスやスペインのファッション業界ではやせたモデルを起用しないことが制度化されるなど、やせすぎへの対策が積極的に採られている。 やせているからではない、その人自身の魅力を受け止めることで、健康的な本来の美しさが引き出されるのである。日本人の若年女性は、シンデレラ体重を目指しても、待っているのは必ずしもハッピーエンドではないことに気づくべきである。