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    元SMAP圧力報道で表沙汰、芸能界「暗黙のルール」は必要悪か

    サービスは扱いませんし、スポンサー企業の意に反するテレビ番組はご法度です。 また、番組に出演している芸能人やCMに活用している芸能人が不祥事を起こした場合には、その番組やCMのスポンサー企業のイメージも傷ついてしまいます。そのため、テレビ局側や芸能事務所側には不祥事を起こした場合の多額の違約金が予定されています。 要するに、民放テレビ局はスポンサー企業の意向には逆らえないわけです。とりわけ、このスポンサー企業に対するジャニーズ事務所の影響力が半端ではないということです。 なぜなら、ジャニーズ事務所所属のタレントが出演しているCMの好感度やCM商品の購買力は相当高いでしょうし、また、ジャニーズ事務所所属のタレントが出演しているテレビ番組の視聴率も高いわけですから、スポンサー企業にとってジャニーズ事務所「様様」であり、このような「ジャニーズ事務所を大切にしているスポンサー企業」に民放テレビ局は逆らえません。 したがって、「ジャニーズ事務所を大切にしているスポンサー企業」の意向に逆らうかのような報道はできないということです。ジャニーズ事務所=2019年7月17日夜、東京都港区 最近ではジャニーズだけでなく、芸能人と事務所の契約問題が取りざたされています。「事務所を辞めたら数年間干される」という慣習への批判も散見されますが、個人的に思うところがあります。一人前までにはカネがかかる そもそも、ジャニーズに限らず、歌唱力や演技力、人を笑わせる能力といった「自らの芸能を商品として稼ぐ方々」、すなわち「芸能人」と呼ばれる方々と、彼らをマネジメントする、いわゆる「芸能事務所」という団体との間では、(1) 芸能事務所が芸能人に対し、テレビに出演したり、コンサートで歌ったりするタレント業務を依頼し、その対価として報酬を支払う(2) 他方で、芸能人は芸能事務所に対し、自らの芸能の育成やマネジメントを依頼するといったことを内容とする双方向的な依頼関係があります。これらが、よく世間で「タレント・マネジメント契約」「専属契約」と呼ばれているものです。 この種類の契約では、芸能人は芸能事務所から「今度、こういうコンサートで歌ってください」「このドラマに出演してください」という依頼はありますが、「こういうふうに歌ってください」「こういう演技をしてください」といった指揮命令を受けることはありません。 なぜなら、芸能人は「芸能」という自らの能力で商売をしているわけですから、歌手でいえば「歌い方」、俳優でいえば「役づくり」に対し、いちいち指示を受けることは本末転倒だからです。 もっとも、ジャニーズに限らず、スカウトやオーディションによって芸能事務所に所属したばかりの芸能人の「タマゴ」たちは、ろくに歌も歌えませんし、ダンスや役作りもできません。 そこで、芸能事務所は1人、または1組の芸能人を世に売り出すまで、お金をかけて歌い方やダンスを教え、演技を指導し、そして、一定のコンセプトをもってメンバーを選定した上でテレビや雑誌などに営業活動を行い、彼らの知名度を上げていくといった「事前の投資」を行います。相当のお金がかかることでしょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そのため、芸能事務所としては、カネをかけて育てた芸能人をもって投下資本の回収を図らなければなりません。しかし、ここに至って「自分たちは十分に育ててもらいました。『売れた』ので独立します。あとは自分たちでやります」というのは、例えば、「一般企業において、仕事のやり方を覚えたので独立します」という場合と異なり、相当程度、制約されなければならないと考えるべきでしょう。 というわけで、芸能界という特殊性に鑑みれば、独立後数年間は「干される」のも、芸能界という世界に内在する自己防衛システムとして、一定程度は許容してあげても良いと思います。■ 元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴■ モデル西山茉希「13年間の奴隷契約」に通じるヤクザな慣習■ 元SMAPメンバーは「労働者」と言えるのか

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    ジャニーさんには「家族葬」があまりにも似合い過ぎる

    戸部田誠(ライター) ジャニー喜多川ほど「謎」の人物であり、よく知られた人物は珍しい。 ほとんどメディアに登場することはないから、彼の人物像をわれわれが知ることは難しいはずだが、バラエティー番組でジャニーズ事務所のアイドルたちが口々に語るエピソードで漏れ伝わってくるのだ。 そこで語られる「ジャニーさん」は、いつだってちょっとおちゃめ。愛すべきおじいちゃんだ。タレントたちを「YOU」と呼び、突然電話をかけ、唐突に「YOU、やっちゃいなよ」と促す。 もちろん、テレビでは明かせないような僕たちが知る由もない部分もあるだろうが、それらの語り口を聞いて確かに感じ取れるのは、ジャニーズアイドルから強く愛されていることだ。既に移籍、独立したタレントたちからも変わらずジャニー喜多川への感謝やエピソードが語られるのもそれを物語っている。 2006年から始まった滝沢秀明主演のミュージカル「滝沢演舞城」は、ジャニー喜多川が作、構成、総合演出を担当した舞台だ。最新技術を駆使し、火や水、バンジー、フライング、マジックなどのド派手なパフォーマンスを盛り込んだものだった。それが2010年からの滝沢秀明自身が演出を担当する「滝沢歌舞伎」につながっていった。 この「滝沢演舞城」で一度、大きな問題が起きたことがある。最初の年の公演で、上演中に火事が発生し、公演を一時中止せざるを得なくなってしまったのだ。滝沢秀明氏(イラスト・不思議三十郎) この時のジャニー喜多川の対応が彼の哲学をよく表している。彼は総合演出だが、多くの人の前で何かを言うというようなことはめったにないのだという。けれど、この時ばかりは、全役者を集めて言った。国分太一の「秀逸な批評」 「(舞台装置の)機構が動かなくても役者のみんなが熱量込めたらファンの皆さんには伝わるから、皆さんが機構以上の動きをしてください」 「君たちが衣装で君たちが照明なんだよ」 この言葉で役者陣の士気が一気に高まったのだという(『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)2017年2月26日)。 「僕らの仕事はお客さんを選んじゃいけない」とジャニー喜多川はよく語っている。たとえ、言葉の通じない海外の人であっても目で楽しませなければならない。そのためには「普通」であってはならない。時に奇抜とも思えるような演出も、ジャニー喜多川にとって不可欠なものなのだ。 堂本光一が実質的に演出を任されているミュージカル作品シリーズ「SHOCK」。そこでジャニー喜多川と意見がぶつかったことがあったという。それはクライマックスで暗く切ない曲を流そうとしたときだ。それを見たジャニー喜多川は「信じられないよ」と帰ってしまったという。彼のモットーは「悲しい時ほど明るい曲をやる」なのだ。 「この顔、一番ジャニーさんが嫌がっていると思うんですけど…」と『ビビット』(TBS)のスタジオで号泣しながらTOKIOの国分太一はジャニー喜多川の訃報を伝えた。そして野球好きだったジャニー喜多川にかけて、彼を「2軍の監督」だったと評した。「1軍」ではなく若手が中心の「2軍」だと。 「基礎だったり精神論というものをまず2軍で学び、そして1軍でデビューする。その1軍になった時にはもうプロフェッショナルになっていると思うんですよね。プロフェッショナルになっている僕たちには、あとは自分たちの考えでやりなさいっていうような精神を教えてくれた」。「若い子、ジュニアとかをどうやって世に出すかということに命を懸けていた人だと思う」と。 間近で見てきたからこその秀逸な批評だ。実際に上記の舞台でもコンサートでも、ある時期を境に演出をタレント本人に任せている。これはなかなかできることではないだろう。ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの死去を伝える街頭テレビ=2019年7月10日 そして、彼の少年を見る審美眼の鋭さは、もはや言うまでもない。数多くのアイドルを生み出し、ヒットさせた。「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」としてギネスにも認定された。そうした記録以上に、彼が、日本独自の男性アイドルグループを愛(め)でる文化を作った功績は大きいはずだ。アイドルを続ける「資質」 珍しくラジオ出演した際(『蜷川幸雄のクロスオーバートーク』2015年1月1日)、対談相手の蜷川幸雄に「感心してるのは、ジャニーさんとこは懐深いね。ああいう森田(剛)くんとかさ、変わった子を」と切り出され、「ああ、顔だけでは選ばないということですね」と答えた。 「人間はやっぱりそれぞれみんないいところがあるの」「ハートがやっぱり伝わってくるんですよね。みんなそれぞれ、若い人って本当に気持ちがありますよね」 アイドルを続ける資質を問われると「真面目なこと」だと答える。「アイドル作りは人間作り」だと。 さらに蜷川に「いい子だと思って残しといたら、ちょっとも成長しない子もいるでしょ?」と問われたジャニー喜多川は食い気味に「いない」と即答した。 「僕は失敗はないと思いますよ。やっぱり人間を扱ってるから、間違いがないですよ。どの子だってみんな人間の美しさってあるんです」。こうした言葉から感じられるのはジャニー喜多川の懐の深さだ。 というよりも、比喩以上に「親」と「子」の関係なのだろう。成長を見守りながら、「YOU、やっちゃいなよ」という言葉で彼らの背中を押し続ける。 速水健朗は、『大人のSMAP論』(宝島新書)の中で、ジャニーズの本質は「家族」だと評した。事実、ファンクラブの名称も「ジャニーズファミリークラブ」だ。「家族」だからその絆が途切れることはない。 ジャニーズ事務所は、ジャニー喜多川の通夜、告別式について、「ジャニーの子供でございますタレントたちとJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきます」と発表した。ジャニーズ事務所がジャニー喜多川社長が死去したことを知らせる文書 家族葬。それはあまりに象徴的で、あまりにもぴったりなジャニー喜多川の弔い方だ。願わくは、「哀しい時ほど明るい曲」を流すことをモットーとした彼の思いの通り、ごきげんなジャニーズナンバーで送ってほしい。■ 僕だけが知っている「帝王」ジャニーさんの素顔■ 養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■ 元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

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    ジャニーさんだけが知っていたスターの本質

    からおよそ1週間が経過したが、彼の死を惜しむ声が途切れることはない。数々の国民的アイドルを生み出し、芸能界に絶大な影響力を持ち続けたジャニー氏。「ジャニーズ帝国」を一代で築き上げた比類なきプロデュース力をさまざまな角度から検証する。

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    「雄=オトコとは対極」ジャニーさん成功の鍵をひも解く

    れ、病に倒れられるまでその創作意欲が衰えることはなかった。しかし、日本人にとってジャニー氏といえば、芸能界に「男性アイドル」という新たなジャンルを開拓し、「ジャニーズ帝国」と呼ばれる一大勢力を築き上げた人物として記憶に残ることだろう。 もちろん、それまでも「御三家」といった絶大な人気を誇る男性芸能人は存在していた。しかし、ジャニー氏が世に問うたのは「少年たち」によるグループというスタイルだった。あの「ジェット団」らは早くも1969年、ジャニーズ創成期の4人組グループ「フォーリーブス」によってその名も『少年たち』というタイトルのミュージカルに生まれ変わり、上演された。今年の3月には50周年記念作品として映画化もされている。逝去に関する事務所発表で「子供たち」と表現されているのは、この原点から始まった「少年たち」に他ならない。米ニューヨークのタイムズスクエア(ゲッティイメージズ) では、この「少年たち」の特徴とは何か。それはまず、年齢的に「若い」ということだ。ただし、故西城秀樹氏もデビュー時17歳であったし、それは嵐のそれとさほど変わらない。そして、30歳後半となった今も「嵐」はある意味、「少年たち」であり続けている。「雄=オトコ」の対極 つまり、生物学的年齢と関係のない永遠の「少年らしさ」。それはまた、「雄=オトコ」といったセックスアピールとは対極の清廉潔白な無垢(むく)さともいえよう。これは女性だけの「宝塚歌劇団」の「清く正しく美しく」と通じる日本人独特の「美学」と考えられる。 チャッキリスらの「シャーク団」がどこかマッチョなアメリカ人好みの若者たちだったのに対し、ジャニーズの「少年たち」はまさに対極的な美の体現者たちである。しかし、ジャニー氏は自らのポリシーを終生変えることはなかった。 世界を席巻したK-POPがコンテンツの輸出先に適合したスタイルで成功を収めたのとはまったくスタンスが違う。韓国人歌手PSY(サイ)の「江南(カンナム)スタイル」はコミカルなダンスとウイットの効いたメッセージによって欧米で爆発的人気を博し、日本では「東方神起」の憎いまでの心配りの癒やしが女性たちを魅了した。それに対し、ジャニー氏は自らのスタイルが世界に通用するよう日々精進を怠らなかったのである。 それは、氏が布教のため異教の地へと派遣された仏僧の家の出であることと無縁ではなかろう。あくまで教義をゆがめることなく、それを異文化の現場で伝えることは並大抵のことではない。時間をかけた地道な活動が必要とされる。 そして、時は満ち、近年、マンガ、アニメといったコンテンツが世界中で人気を博し、「カワイイ」は世界基準の価値観となった。こうした変遷は、「オリンピック」と「万国博覧会」が再びそれぞれ日本の同じ都市で開催されることに象徴されよう。前回のイベントが戦後復興から日本が「欧米」の世界水準に追いついたことを内外に知らしめたのに対し、今回の開催はまさに「日本的なもの」が世界基準となったことを証明するものである。例えば、「和食」はフランス料理などと並んで世界遺産として世界中でもてはやされている。ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの死去を伝える街頭テレビ=2019年7月10日 2011年、ギネス認定の際、必要に応じてジャニー氏は写真を公開した。裏方に徹し、自分の写真を決して公にしない人物として知られていたにもかかわらず、だ。確かにキャップをかぶりサングラス姿のその写真は余りに謎めいてはいるが、それはひとえに世界進出のためと言われている。ジャニー氏もまた、「少年たち」が世界に通用する日が近いことに気付かれていたのであろう。そこに至るまで半世紀もの時間が費やされたのだった。ジャニーズの特殊性 では、ジャニーズの「少年たち」が体現する世界に通じる「日本的なるもの」とは何か。それは「たち」の文化と言えよう。西洋の個人主義に立脚したグループはあくまで「個」の集団化に他ならない。切磋琢磨(せっさたくま)といえば聞こえは良いが、一方で常に競争にさらされ、弱肉強食の世界観と言える。これはまたK-POPにも通用し、練習生の中から生き残った者のみがデビューの日の目をみる。 それに対し、ジャニーズのスターシステムは、ジュニアとして加入したその日からバックダンサーとはいえ舞台に立つことさえあり得る。ファンもまた、お気に入りのジュニアをいち早く見つけ、彼らが成長しデビューするのを願って一緒に応援して行くのだ。完成品を提供するK-POPに対し、育てるスタイルのアイドル。これはAKBなど女性アイドルでも行われている。 また、確かにそうしたジュニアの中からジャニー氏はグループのメンバーを選抜することになるが、一概に人気順、成績順といったわけでない。あくまでそれぞれのグループのコンセプトにとって必要なメンバーを絶妙なバランスで選ぶのだ。 年長、年少の世代間の縦のコントラストと年長組がちょっとヤンチャな年少組をいとおしく見守るのが魅力の「V6」、テレビ全盛時代、ドラマとバラエティーというそれぞれのジャンルに才能を開花させたメンバーを横断的に配置した「SMAP」、そして極め付きが、一人一人は抜きんでて突出しているわけでないが、5人揃ってグループとして活動するとその相乗効果は老若男女を問わず誰をも惹きつけるものがある日本の顔とも言うべき「嵐」。これこそまさに少年「たち」による「和」の力ではないだろうか。 そして、その中で個人は決して集団に吸収されるわけでもなく、それぞれの個性をのびのびと発揮し、それがさらにまたグループの人気を高めることになる。個人主義でもなく、全体主義でもない。これまた、個性豊かなキャラクターが多々登場するも、つぶし合うことなく、互いが互いにその世界を豊かにしてゆく日本のアニメと共通しているのではないだろうか。ジャニー氏「成功の鍵」 こうした「少年たち」のプロデューサーとして、ジャニー氏の評価は高い。しかし、その成功の鍵はまさにジャニー氏自身が「少年たち」の一員であり、しかも、すべてのグループに共通の「少年」として存在していたからではないだろうか。つまり、タレント=「現われ」としての「少年たち」は「存在者」であり、その「存在者」を根拠づける「存在」としての「少年」が他ならないジャニー氏だったのだ。 こうした究極の存在は「一者」であり、永遠の一者は「神」である。しかし、人として生を得た限り、必ず「老い」さらに「死」は到来する。半世紀以上にわたり、「少年たち」と共にあったジャニー氏も次の「少年」にバトンタッチする必要を感じたのではないだろうか。そして、その適任者こそ、ジュニア時代からひときわ「ジュニアの中のジュニア」として抜きんでた才能を発揮していたタッキーこと、滝沢秀明氏である。 彼に「特定」の少年「たち」とのグループ化は似合わない。彼は「すべて」の「少年たち」と共に在る「少年」、まさにジャニー氏と同じポジションがふさわしい。伝わるところによると、ジャニー氏はジュニア時代から、滝沢氏に自身の仕事ぶりを見せていたという。これもまた、氏の先見の明に他ならない。 時代の流れの中で、昨年、ジャニーズはユーチューブに「ジャニーズJr.チャンネル」を開設した。現在、サイトではジュニアによる五つのユニットの映像が公開されている。その中の一つ、「SixTONES(ストーンズ)」が昨年11月、滝沢氏プロデュースによるミュージックビデオを公開した。その曲が「JAPONICA STYLE」であったことも、ジャニーズが世界基準の「日本的なもの」を発信している証しではなかろうか。 ジャニー氏は来年に迫ったオリンピック、さらには2025年の万国博覧会にもさまざまなイベントのアイデアを持っていたに違いない。あえて公開したご自身の写真の背後に滝沢氏を隠すことで「裏方」としての在り方をもっと学んでほしいと思っていたに違いない。東京都港区のジャニーズ事務所 それにしても、運命とはかくも残酷なものか。死が突然訪れることとなってしまった。しかし、ジャニー氏はこうしてまさに「永遠の少年」となったのである。そして、日々成長していく「少年たち」と共に在り、また私たちとも共に在る。 心よりご冥福をお祈りいたします。■ 僕だけが知っている「帝王」ジャニーさんの素顔■ ジャニー喜多川もお手本にしたヒデキのアイドル道■ 元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

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    ジャニーさん亡き後だから、あえて贈る事務所への「忠告」

    活動休止表明。特に、ここ2、3年で、ジャニーズ事務所は幾度も「荒波」にもまれながらも、長年築いてきた芸能界のポジションを守り続けてきた。 しかし、事務所の創業者として大黒柱を担い続け、多くの所属タレントに慕われてきたジャニー喜多川社長の訃報は、事務所の今後の運営と発展という面においては、比較にならないほど大きな衝撃と影響を与えうるものであることは想像に難くない。 ジャニーさんの死去で失われるものは、あまりにも多い。まず、ジャニーさんに見いだされたことを恩義に感じているタレントが非常に多いということだ。ジャニーズ事務所では、自薦他薦による入所志望の可否判断をジャニーさんが一手に引き受けていたことは、よく知られている。 所属タレントとすれば、「ジャニーさんに見いだされた」という思いがあるゆえ、たとえ事務所のマネジメントや会社のあり方に不満があったとしても「ジャニーさんのために耐える」という心理になりやすい。事務所を否定することはジャニーさんを否定することでもあり、ひいては自身の価値、アイデンティティーにかかわるからだ。 その意味で、不平不満のはけ口となりうる「一つの大きな恩義」を失ったといえる。もし今後、新たな退所者が出るとすれば、これは大きな背景にもなるだろう。 二つ目は、事務所としての危機管理能力である。事務所のトップとしての行動として、有事の際に最終的に記者の質問に答えることは、当たり前といえば当たり前に思われるだろう。ただ、一方で撮影や録音はしないという合意が前提ながらも、時に記者の質問にNGなしで取材を受け、混乱を収める姿勢を見せたことは、事態収拾への道筋を作っていたと思われる。米ニューヨークのタイムズスクエア(ゲッティイメージズ) さらに、エンターテイナーとしてのロールモデル(手本)を失った。ジャニーさんは徹底的な現場主義としても知られ、生涯現役を貫いた。戦争を経験した彼は、「平和があってこそ芸能が成り立つ」との理念のもとに、米国のショービジネスへ触れたことをきっかけに事務所を興した。絶大な「ガス抜き能力」 「時代を追う」のではなく、「自分が時代を創る」という姿勢は、芸能に身を置くタレントにとっても、生き残りを図ったり、自己発揮していくための見本であり、道しるべであっただろう。だが、調子がよいときはともかく、問題はタレントが道に迷ったときである。ジャニーさんが亡くなったことで、大きな道筋を示せる存在はもういないからだ。 また、他者の敬服を前提に、「ジャニーズ事務所が地位を維持し続けるためのシンボル」としてジャニーさんは存在していた。ジャニーズの所属タレントのみならず、他事務所のタレントや関係者からも一目置かれ、先人としての敬意を持たれていたことは、訃報を受けた反応を見るに、齟齬(そご)はない。 とはいえ、弱肉強食の芸能界において、シンボルを失ったことによって潮目が変わる可能性がある。これを一つの区切りとして、同業他社がジャニーさんに気兼ねなく新たな事業を展開するという局面もあり得るだろう。 新人の発掘やスターの育成能力は、彼ならではであっただろう。履歴書の写真を見ただけで10年後の少年の姿が見えるとされた逸話があるように、彼がプロデュースしたタレントは例外なく売れた。 もちろん、希代の国民的スターに育ったSMAPには飯島三智マネジャーがいたように、敏腕スタッフが側近にいたことも大きい。しかし、原石を発掘し、「推し」を決めたのはジャニーさんだとされており、その眼力は結果を見れば明らかである。果たして、今後その役を担える人材は存在するのだろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) また、ジャニーさんには上手な気配り、つまり「ガス抜き能力」があったように見受けられる。彼は所属タレントからも社長ではなく「さん付け」では呼ばせたり、タレント同士も「君付け」で呼び合ったりするなど、日本的な上下関係を嫌った。 これは、人間関係の中で生じるネガティブな壁を排除し、集団としての凝集性を高めるためでもあったと思う。また、一部のタレントにタメ口で接することを許していたのは、芸能界という厳しい環境にあって、事務所の社長でありながら家族的存在として支えていたと考えられる。 殊に、人が悩みや不安を抱えた際、一番の助けになるのは、専門家以上に家族の存在が大きい。いざというときに率直に相談できたり、支えられたりする関係性を普段から作っていたことは、年少のタレントをマネジメントしていく上で、目には見えないリスク管理であったと思われる。事務所への「忠告」 その意味でいえば、ジャニーさん亡きあと、事務所が決して行ってはならないのは、タレントとの関係性が極端にビジネスライクになることである。要するに、事務所関係者が所属タレントに「この事務所は大きく変わってしまった」と思わせないようなマネジメントが重要である。 そして一番大きいのは、精神的な支えを失ったことに尽きる。 ジャニーさんが多くの所属タレントにとって、精神的支柱になっていたことは想像に難くない。では、具体的にどのような形で精神面を支えていたかといえば、「人をその気にさせる力」があったということである。 組織内において、特に新人や若手のやる気を高めるには、本人のモチベーションに加えて、他者のエンパワーメント(後押し)が必要である。ジャニーさんはそれをよく理解していた。 ジャニーさんのエンパワーメントは、端的にいえば、所属タレントを愛し、認め、肯定的な評価を伝えることである。 中でも、人を認め、肯定的な評価を本人に伝わる形で発信するという面においては、類いまれなセンスを持っていたことを感じさせる。ジャニーズ事務所=2019年7月9日夜、東京都港区 言い換えれば、「人を褒め、やる気につなげる」ということであるが、心理学的には大きく三つの方法がある。具体的には、「直接的に行動や業績を褒める」「その人の存在自体、ならではの良さを認める」「間接的に褒める」であり、ジャニーさんはこの三つの方法を自然に駆使していた。 「直接的に行動や業績を褒める」ことは、一般にそれほど難しいことではない。やるべき何かをやったら褒め、認めるし、やらなければ認めない、褒めない、という単純な方法だからだ。ただ、これだけで人は育たない。「間接的に褒める」効果 「その人の存在自体、ならではの良さを認める」ことと「間接的に褒める」ことは学校や会社など、一般社会でも組織内マネジメントに活用されているとは言い難い。しかし、実は非常に大きなパワーやモチベーションにつながる方法なのである。 ジャニーさんは、「YOU(ユー)、やっちゃいなよ!」「ユー、来ちゃいなよ!」「出ちゃいなよ!」とたびたびタレントに伝えていたといわれる。しかも、いまだデビューもしていないタレントに対しても、である。これは、言い換えると「君ならできるよ」という、その人そのものを認めるメッセージであり、それを意気に感じない者はいなかったのではないだろうか。 そして、各人のキャラクターを認めた上で、おのおのが得意だったり、できそうな発揮の仕方を教示し、導いているようにも見える。これも、まず対象のタレントそのものの「良さ」を認めていて、その前提があってこそである。 また心理学的に、間接的に褒めることは、時に直接褒める以上の影響力を持つことがある。「あなたのこと、〇〇さんが褒めていたよ」と言われることが、直接褒められるよりも何だかうれしかった経験は、誰にでもあることだろう。 ジャニーさんは主にメディアを通じて、それを行っていた。滝沢秀明が引退、育成・プロデュース業への専念を発表したときに出された「社長メッセージ」は、最たるものだろう。本人以外の人間やメディアに対して、肯定的評価を発信することは、その本人のみならず、集団としてのモチベーションアップにつながることを、彼は知っていたのだと思う。 「社会人でプロならば、自分自身でモチベーションを高めてしかるべし」という見方もあるだろう。しかし、それだけでは、やはり限界がある。本人が持っている能力をさらに高めつつ、実際に発揮するためには、他者の介在が欠かせないのである。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 一般社会の組織マネジメントにも通じる一つのモデルを、ジャニーさんは生き方を通して世の中に提示していたように感じるのだ。なお、これらのジャニーさんの行動に効果があったかどうかは、倒れた際や訃報に際しての所属タレントの言動を見れば、言わずもがな、である。 ジャニーさんの座右の銘であった「SHOW MUST GO ON(ショーは終わらない)」が貫き通せるかどうかは、彼に育て上げられたタレントが改めて価値を発揮できるかにかかっている。ジャニーさんのご冥福を心よりお祈りしたい。■ 僕だけが知っている「帝王」ジャニーさんの素顔■ 養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■ SMAPと嵐を失っても「ジャニーズ帝国」が没落しないワケ

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    夢は米国のジャニー社長「実はダメだったメンバーはいない」

    出すること。嵐がデビュー会見した場所がハワイだったことも、全米進出への強い思いの表れだと思います」(芸能関係者) 全米進出を夢見るジャニーさんは、「ポスト・ジャニー」についてどう考えるのか。『AERA』(1997年3月24日号)のインタビューでジャニーさんはこう語っている。《ジャニーが死んじゃったら、あとはないんじゃないかって言う人がいるの。マネジャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。まだ、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。ボクいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ》 生涯現役を貫くジャニーさん。彼が作り上げた少年アイドルとともに見つめる先には、今なお未知の世界が広がる。関連記事■ジャニー社長、中居正広やマッチに灰皿を投げた厳しい一面も■ジャニー社長の珍逸話の数々と、口癖「YOU」の理由■ジャニー社長が苦悩した郷ひろみ脱退、窮地救ったたのきん■ジャニーズ事務所が所有する不動産 資産価値は500億円超か■ジャニーズ“年功序列”リスト グループまたぐ複雑な上下関係

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    ジャニー社長、中居正広やマッチに灰皿を投げた厳しい一面も

    マッチや元SMAPの中居正広さん(46才)は、灰皿や電話機を投げつけられたこともあったといいます」(芸能関係者) さまざまな素顔を持つジャニーさんが、日本の芸能界の屋台骨を支える人物であることは間違いない。 木村拓哉(46才)は中学2年生の頃、親戚が勝手に事務所に書類を送った。それを見て、「ぜひお会いしたい」と申し入れたジャニーさんの依頼を木村は4回も断った。 だが5回目に親戚から、「(アイドルを)やりたくてもやれない人がいるから、(レッスンに)1回行ってみなさい」と言われて、木村はジャニーさんに会うことを決意。その時、Jr.が300人以上いたがジャニーさんの審美眼にかない、今に至る。 そんなジャニーさんだけに、タレントからの信頼は厚い。例えば嵐の大野智(38才)は、少年隊以来、歴代のジャニーズアイドルが受け継いだミュージカル『PLAYZONE』の東京公演が終了した際、こう心境を吐露した。「最初に“いい”って言ってくれたのって、ジャニーさんだったのね。夜中に少年隊とぼくとで通し稽古をした時“すごくいい”って言ってくれて、ジャニーさんが言うんだからいいんだなって」 ジャニーズのアイドルたちはみな、大野と同じ気持ちでいるはずだ。関連記事■ジャニー社長の珍逸話の数々と、口癖「YOU」の理由■嵐、ジャニー氏入院5日後にもお見舞い 大阪から直接病室へ■ジャニー社長が苦悩した郷ひろみ脱退、窮地救ったたのきん■ジャニーズ事務所が所有する不動産 資産価値は500億円超か■【動画】ジャニーズ事務所の圧倒的経営力 年商は1000億円超か

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    春ドラマ「得した人損した人」

    かつて朝ドラ『おしん』の放映中、父親役の伊東四朗や姑役の高森和子に抗議が殺到したように、俳優の好感度は否が応でも役のイメージに左右される。特に今期の春ドラマでは、役柄で「得した人」と「損した人」の明暗が顕著だったようだ。『わたし、定時で帰ります。』といった話題の6作品を振り返る。

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    『あなたの番です』原田知世が女優として大損したワケ

    上村由紀子(フリーライター) 俳優ってつくづく因果な商売ですよね。なにがキツいって、演じている役柄がそのまま本人のイメージと重なってしまうこと。例えば現在、NHK-BSで再放送中の昭和の朝ドラ『おしん』。 本放送中には、今で言うところの毒親キャラ=おしんの父、作造役の伊東四朗の自宅まで押しかけて抗議をするやからが現れたり、「史上最凶の姑(しゅうとめ)」役、高森和子に「佐賀のイメージが悪くなる」と抗議の電話が殺到したりと、現実と画面の中の区別がごっちゃになる視聴者が続出。それだけ俳優の演技が真に迫っていたということなのでしょうが、現実とフィクションの区別がつかなくなるってどんな生活してるんだ。まずはタフマン飲んで落ち着いていただきたい。 まあでも、役のイメージが演者の好感度に影響するのも世の常といえば常。そういえば4月から6月にオンエアされた春ドラマでも、役によって「得した俳優」「損した俳優」がパッキリ分かれた気もします。まずは「得した俳優」から振り返ってみましょうか。『わたし、定時で帰ります。』吉高由里子&向井理 そのタイトルからお仕事コメディードラマでは?と思わせて、実は「働き方改革」や「ワークバランス」といった社会的テーマにも斬り込んだ『わた定』。これまでぶっ飛んだイメージも強かった吉高由里子が芯の強さをたたえながら、チームを柔らかくまとめる東山結衣役を好演し、オフィスでのファッションやメークもかわいいと女性からの好感度も急上昇。吉高さん、この後CM増えそうです。さらに昨年、同じくTBSの火曜10時枠で放送された『きみが心に棲みついた』で、主人公に執着する上司役を演じ「気持ち悪い」「怖い」と散々な評価を受けた向井理が『わた定』ではそのイメージを好反転。ワーカーホリックでありながら、さりげなく結衣をサポートし、イケメンモードとスタイルの良さを隠した無頓着キャラが逆に萌えを誘発するという現象を巻き起こし、SNSでも大きな話題を呼びました。『集団左遷!!』香川照之 完全に「働く中年男性」をメインターゲットに据えたTBSの日曜9時枠。銀行を舞台にした『集団左遷!!』で得した俳優といえば香川照之。『半沢直樹』や『新しい王様』で見せた、トムヤムクンの中にハバネロをブチ込んだかのようなアクの強い芝居ではなく、福山雅治演じる銀行員、片山洋を穏やかにサポートする真山徹役をストレートに演じて「ああ、香川さんって普通のキャラクターもできるんだ」と、視聴者に日本茶のような味わいを残してくれました。お茶の間の評価も上がったところで、この夏は安心して虫取りにいそしんでいただきたい。俳優の香川照之=2014年2月、東京都新宿区(撮影・吉澤良太)『きのう何食べた?』内野聖陽 テレビ東京系列の深夜ドラマということもあり、視聴率は3%台と振るわなかったものの「視聴熱」は常に高く、見逃し配信サイト「ネットもテレ東」において歴代最高のPV数を記録した『きのう何食べた?』。主役2人の原作再現性の高さも秀逸で、特にゲイの美容師ケンジ役、内野聖陽のかわいらしさやいじらしさは女子のハートを撃ち抜きました。大みそかにケンジがひとりでサッポロ一番を食べながら「ジャニーズカウントダウンライブ」を見てニヤニヤするシーンはもはや伝説。最終回のアドリブっぽいエビのくだりは…うん、とても生々しかったです…。野性味あふれる刑事から小指を立ててケーキを食べるキュートな男子まで完璧に演じきる内野聖陽。この作品でさらに「演技派」の冠に磨きをかけたのでは。「損した俳優」は? では「損した俳優」といえば誰でしょう。『東京独身男子』高橋一生&滝藤賢一 春ドラマで期待値の高さを1番裏切ってくれたのが、テレビ朝日系列の『東京独身男子』。AK=あえて結婚しない男子、とのことで、これを流行語にしたかった広告代理店と制作サイドの大人の事情とあざとさが見え隠れ。そしてなにより高橋一生、滝藤賢一のキャラクター設定が大失敗でした。クセが強く、周囲から逸脱したキャラクターを演じて輝くこの2人を、バブル時代を思わせるマンションに住まわせ、なにかというと集まって「アジェンダ」を語る男性版『SEX AND THE CITY』にしたことですべてが水の泡。主軸3人のうち、遊び人だが根は純粋というキャラクターをまっとうした斉藤工のみがなんとか逃げ切った印象です。『ストロベリーナイト・サーガ』二階堂ふみ この件に関しては二階堂ふみに一切の罪はないと断言したい。9年前の同じくフジテレビ、竹内結子主演版の印象がいまだ強い上に、今回のサーガでは、前半にオリジナル版のエピソードを撮りなおして放送したことで視聴者の「コレジャナイ」感が爆発。二階堂ふみの地に足のついた演技も良かったし、姫川班の面々をはじめ、周囲のキャラクターもきれいすぎるガンテツ役の江口洋介を除き破綻はなく、非常にもったいなかったです。原作にとらわれず、ドラマオリジナルのエピソードを足せば良かったのかも。『あなたの番です』原田知世 通常1クール=3カ月でドラマが終了する中、半年間の放送を決めた日本テレビ『あなたの番です』。メッセージも哲学も最初から捨て、マンション内の交換殺人という、謎解きとインパクトだけ楽しんでくださいという、分かりやすい企画と構成が潔いっちゃあ潔い。『おっさんずラブ』でかわいいキャラを会得した田中圭が、そのまま大型犬さながらの芝居を見せる中、昭和の角川映画『時をかける少女』『早春物語』とまったく同じテンションで登場する12歳年上の妻役・原田知世。が、彼女を知らない世代にとっては「あの変なワカメちゃんみたいな髪型の人誰?」と結構な言われようです。今年もブレンディのCMは流れるのでしょうか。今や夏の風物詩ですね。女優の原田知世=2014年9月、東京都(南澤 悦子撮影) こうして「得した俳優」「損した俳優」を並べてみると、そのキーワードが「イメージの転換」であるのが分かります。これまで自分が得意としてきた役柄からうまくシフトチェンジができた「得したチーム」と、「イメージの転換」に失敗し大けがを負うか、過去の自分のイメージを守り過ぎてイタくなってしまったかの「損したチーム」。こうなると、もらい事故感が強い二階堂ふみが非常に気の毒ではありますが。 現在動き出している夏ドラマでは、杏、石原さとみ、深田恭子、上野樹里、黒木華と女優メインの作品が目白押し。こちらのアレコレも秋に向けてチェックしていきたいと思います。■朝ドラ『なつぞら』女優ポーズを崩さない松嶋菜々子が浮いている■NHK『トクサツガガガ』私が一瞬、涙目になったワケ■LGBTドラマから学ぶ、ゲイを「カミングアウト」しない生き方

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    僕だけが知っている「帝王」ジャニーさんの素顔

    ざまな事務所のスタッフやタレントたちとの調整などをテキパキとこなす姿が印象深かった。 ジャニーさんが芸能界に入った当時は渡辺プロダクション(ナベプロ)のスタッフだったことから、ナベプロのタレントたちとのやりとりが多く、ジュリー(沢田研二)と会話している姿を間近で見られたのは至福の喜びだった。そもそも、僕はキャンディーズとジュリーにあこがれて芸能界を目指しただけに、そんな夢のようなことがジャニーさんといると日常的だった。 ちなみにナベプロでジャニーさんが初めて手がけたタレントは、実は森進一だ。スカウトから育成まで担い、世に送り出した。だから森進一の息子のTaka(現ONE OK ROCK)を預かったことがあり、親交はずっと続いていた。 森進一を手掛けた後、「ジャニーズ」(4人組)をナベプロからデビューさせて独立し「ジャニーズの事務所」という意味で「ジャニーズ事務所」を設立した。自らの完全マネジメント「フォーリーブス」で大当たりし、郷ひろみでソロの成功、川崎麻世やたのきんトリオと、複数のトップアイドルを生み出し、手腕を発揮した。 同時に「リアリスト」(現実主義)のジャニーさんは、音楽への取り組みは素晴らしくステージは常にバンドによる生演奏にこだわっていた。テレビより「舞台」や「コンサート」に重点を置き、「生」の素晴らしさへの熱意は人一倍。世界一の記録保持者である動員や回数など実績が証明しているように、「生」の迫力を追求してきた結果がジャニーズだ。一時期は「口パク」とか「カラオケ」とか揶揄(やゆ)されてきた時代もあったが、ジャニーさんはステージでは常に本物のビジュアルと音楽で勝負してきた。 現場に足を運び、設営から音響や照明を必ず自らチェックするのは当然だが、ステージに立ちキャストが数十人からなる構成でも全体の動きを詳細に把握する能力はずば抜けていた。「ユー、間違えたでしょ」「ユー、落ちたでしょ」とかよく言われたが、大勢が舞台にいるのになぜ分かったのか不思議だった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) その感動を実体験した人は魅了されて虜になり、決して離れられないジャニーズワールドにハマってしまう。ジャニーズのステージを見たことがない人たちに言いたいが、テレビや雑誌のレベルで知り得たのは本物ではなく、真実は舞台にあり、これを見ずして判断してほしくはない。だからこそ、その強い意志を継げるのは、ジャニーさんが舞台演出のセンスと実績があるとして後継指名した滝沢秀明なのだ。すべてはジャニーさんの意志 また、ジャニーさんの机の上には、常に台本や脚本などが積まれ、ジュニアたちの写真も並べられていた。後になって分かったことだが、ジュニアたちの写真はグループの編成を構想するために使っていたようだ。写真を並べてグループの結成にふさわしいビジョンを机上で描いていたのだろう。 ただ、ジャニーさんは好き嫌いがハッキリしていることでも有名だった。好きなものはとことん推すが、嫌いになったら存在すら認識しない「白黒のスペシャリスト」でもある。幼き僕らもそれは理解でき、レッスンやリハーサルのときにも好きな子は踊れなくても前、嫌いな子には無視か酷いときには「ユー、来ちゃダメ!」という厳しい言葉もあった。単純明快で好かれる(認められる)=デビューできるのが、すべてはジャニーさんの意思で決まるだけにジャニーさんに気に入られることは重要だった。 好き嫌いで決まることは多いとはいえ、これまで記したようにジャニーさんの僕たちタレントに対する熱意はあまりに大きく、ジャニーさんが多くの所属タレントに慕われていたゆえんだろう。 だが、人気が出て稼げるようになると、勝手な行動に出るタレントも少なくないのが今の風潮だ。ジャニーさんからすれば、「親子」の感覚で、一生懸命育てた子が、活動休止や解散など、数年前から頻繁に起こる事態は辛かったにちがいない。 SMAP解散騒動の際には「僕もこんな歳だから気持ちを理解してほしい」とメンバーたちに懇願したのも記憶に新しい。また、「東京オリンピックまでは元気でいたい」と話していたといい、倒れる直前まで大きな目標を掲げていたという。2016年5月、都庁の第1本庁舎壁面に掲示された2020年東京五輪の新たな公式エンブレム「組市松紋」の大型パネル(山崎冬紘撮影) 自身の最期を悟っていたのか、「僕はもういないから」と東京五輪以降の予定には関与しておらず、すべて副社長の藤島ジュリー景子氏やスタッフに委ねていたといい、東京五輪への思い入れは計り知れない。自らが育て上げたタレントたちが、東京五輪という最高の舞台で演じるパフォーマンスを見届けたかったのだろう。それだけに、冒頭で記したように、せめてあと1年少々元気でいてもらいたかった。僕はこれだけが残念でならない。 14歳の僕を抱きしめてくれた「優しきオジサン」は、いつしか日本を代表するスーパープロデューサーとなり、その名を歴史に刻む功績を無数に残して天に召された。偉人となった晩年は多くの反乱や裏切りに見舞われ、幸せだったかどうかは本人の気持ち次第だが、1千万人を超える人たちに幸せを提供してきたことはまちがいなく、ジャニーさんの功績は永遠に語り継がれるだろう。■ 嵐「2023年復活」ではじくジャニーズの皮算用■ ジャニー喜多川もお手本にしたヒデキのアイドル道■ 元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

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    雨上がり宮迫のウソより怪しい吉本「闇営業」の言い訳

    。今月4日にはお笑いコンビ、カラテカの入江慎也さんの契約が解消されて話題になりましたが、今回の発表で芸能界にそれ以上の衝撃が走りました。 謹慎処分の理由は、5年ほど前、振り込め詐欺(最近は特殊詐欺と呼ぶことも多い)などを行う反社会的勢力グループの忘年会に参加し、吉本興業を通さずに金銭を授受していた、つまり「闇営業」をしていたことのようです。 吉本興業は「反社会的勢力主催の会合であるとの認識はなく、また、報じられていたような金額ではありませんでしたが、会合への参加により一定の金銭を受領していたことが認められました」と説明しています。今回の件で話題になっている「闇営業」と「反社とのつながり」の実態について、芸能界の問題に携わってきた経験から述べたいと思います。 闇営業とは、芸能プロダクションに所属しているタレントが、プロダクションを通さず営業(芸能)活動を行い、独自に報酬を得ることをいいます。この闇営業は、タレントがプロダクションに負っている専属義務に違反しています。 通常、芸能プロダクションとタレントの間では専属マネジメント契約が結ばれています。この専属マネジメント契約はなぜ必要なのでしょうか。お笑いコンビ「カラテカ」の入江慎也さん=2012年2月28日、大阪市浪速区の大阪府立体育会館(寺口純平撮影) それは投資回収のためです。芸能プロダクションは、所属するタレントに投資をし、芸能活動の場を提供します。そしてタレントが芸能活動から得た報酬を芸能プロダクションがいったん回収し、その報酬をプロダクションの売り上げ、タレントへの報酬、他のタレントへの投資、スタッフの人件費などへ分散するというビジネスモデルで運営が成り立っています。 専属マネジメント契約書は、芸能プロダクションとタレントの間の①お金関係を明確にする②権利関係を明確にする③タレントを当該プロダクションに縛る(他のプロダクションに移籍させない)、という役割を持っています。怪しい「反社との関係」 6月始めのテレビ番組で、吉本興業に所属する加藤浩次さんと近藤春菜さんが「吉本興業との間で契約書を交わしていない」と発言していたことから、吉本興業は所属する芸人との間で契約書を作成していない可能性があります。 しかし、口頭での契約でも契約としては有効であり、一般的にタレントは、上記①に関連し、専属義務条項に合意しています。「所属事務所を通さずに芸能活動を行い、報酬を得てはいけない」や、「タレントは所属事務所の専属タレントとして、本契約期間中、事務所の指示に従い、芸能活動を行うものとする。タレントは、事務所の事前承諾なくして、第三者のために芸能活動をしてはならない」といった条項です。 この専属義務条項は、芸能界では当然の業界ルールであり、常識です。  つまりタレントが闇営業を行う場合、すなわち、プロダクションを通さず、報酬を受け取る場合、この専属条項に違反しているわけで、芸能プロダクションは投資の回収ができず、ビジネスモデルが崩れることになるのです。なので、専属義務条項に違反した場合、契約が解除されるケースも多くあります。 今回のケースは、吉本興業の芸人が専属義務条項に違反してしまったということも問題ですが、さらに問題なのが、闇営業として出席していたのが次に述べる反社集団の会合だったという点です。 吉本興業の芸人が出席していた忘年会は振り込め詐欺を行っていた犯罪集団だったという情報があります。2015年に、警視庁が特殊詐欺を行っていた大規模詐欺集団のメンバーを40人近く逮捕しましたが、芸人が出席した忘年会がこの大規模詐欺集団の会合であり、主犯格の男や架け子や受け子もいたとの情報もあります。謹慎処分となった雨上がり決死隊の宮迫博之さん 芸能界は昔から反社とのつながりが強いと言われています。吉本興業の場合、2011年に島田紳助さんが反社関係者とメールのやりとりをしていたとし、同氏は芸能界を引退することになりました。当時、吉本興業は「反社会的勢力との関係を断ち切る取り組みを一層強化していく」と言い、行動憲章でも法令の遵守や反社の排除を掲げていましたが、わずか3年後の2014年頃に今回のケースが起こってしまっていたわけで、芸人への教育不足や監督不行き届きを追及されるのは必至です。 吉本興業は今回「反社会的勢力主催の会合であるとの認識はなく」と弁明していますが、吉本興業の内部を考えてみますと、各芸人にはマネジャーがついています。11人もの所属芸人、しかも宮迫さんレベルの芸人が本当にマネジャーやスタッフも知らない状況で忘年会に出席したのかという意見も出てくると考えられます。騒動の代償 テレビや各種メディアに出てくる芸人と反社との間につながりがあったということは大問題です。 筆者が所属している弁護士会の民事介入暴力特別委員会では、特殊詐欺についても研究しています。特殊詐欺では、高齢者など老後の生活のために貯蓄していた金銭を詐取するケースが多く、7000万円以上を詐取された例もあります。詐取された金銭が手元に戻ってくることはまずなく、さらに一度詐取された被害者はカモと認定され、複数回、詐欺被害に遭うこともあるという凄惨(せいさん)な実態があります。 特殊詐欺の撲滅を目指し、国や捜査機関、企業など、各関係者で対策を講じている中でこのような事件が起こったわけで、芸人や吉本興業の信頼の失墜は避けられないでしょう。 これまでにも件(くだん)の芸人がMCを務めるバラエティー番組について、スポンサーだった複数の企業がスポンサーから外れたという報道がありました。NHKは今月19日の時点で、忘年会に出席していた芸人が出演する番組の放送を取りやめたと説明しましたが、他局でも今後、番組を打ち切る局が出てくるかもしれません。 加えて、忘年会に出席していた芸人が出演するCMがお蔵入りすることもあり得ます。CMの場合、通常、①広告主と芸能プロダクションとを仲介する広告代理店の間で仲介契約②広告代理店と芸能プロダクションで広告出演契約、を結んでいます。広告出演契約では、「芸能プロダクションがタレントのイメージを保持させなければならない義務」条項が規定されています。 今回、吉本興業の芸人が忘年会に出席していた事実について、吉本興業は「タレントのイメージを保持する義務」に違反したとして、広告代理店に損害賠償の支払い義務や、違約金の支払い義務を負うことになります。安倍首相(中央)は吉本新喜劇に出演した=2019年4月20日、大阪市中央区の「なんばグランド花月」(安元雄太撮影) 入江さんの契約解消、要はトカゲのしっぽ切りで終わらなかった今回の騒動ですが、今回の吉本興業のプレスリリースを法律家の観点から見ますと、個人的には疑問が残ります。 それは謹慎の根拠が曖昧であり、芸人の立場がないがしろにされていないかという点です。吉本興業が「反社会的勢力と知らなかったがそのような会合に参加し金銭を受領したこと」をもって時期未定の謹慎処分を下したというのは、非常に曖昧な言い分ではないでしょうか。 というのも、今回の報道で「金銭を受領していたこと」が決め手のようにフォーカスされていますが、仮に闇営業に対する処分を考えた場合、継続して闇営業をしていたか、金額の規模などの点を考慮し、まずは厳重注意をするのが一般的です。今回のケースを考えれば、単発の闇営業だけをもって謹慎とするのは処分が重すぎます。 そこには「反社の会合だった」ことが加味されていると推測できるわけですが、一方で「反社とは知らず=関係はない」ことを吉本興業と11人の芸人が口をそろえて表明しています。これこそ吉本興業が最低限守りたいラインなのでしょうが、そのせいで処分の根拠が曖昧になってしまっています。 また、仮に吉本興業と芸人の間の契約が業務委託契約で芸人が個人事業主だった場合、本来は対等な立場にあるにもかかわらず、プロダクション側から一方的に芸能活動を停止させる処分が行われたことになります。生活に困る芸人やその家族も出てくるかもしれません。  芸人11人を謹慎処分したことをもって、今回の騒動が鎮火するかは甚だ疑問です。近年、吉本興業は政府や自治体など公の仕事に積極的でした。安倍晋三首相が4月に「吉本新喜劇」に出演し、6月6日には吉本所属の芸人が安倍首相の出演御礼のため、官邸に表敬訪問していました。今回の問題がどこまで波及するか気になります。■天下を取った女芸人「山田邦子」復活の道は一つしかない■山里亮太「テラハ婚」辛酸なめ子にはお見通しだったワケ■『バイキング』で王道をあえて外す司会者、坂上忍が見せた弱み

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    LGBTドラマから学ぶ、ゲイを「カミングアウト」しない生き方

    吉田潮(ライター・イラストレーター) 知人男性Aは、物腰の柔らかい二枚目で、着ている服も持ち物も、持ってきてくれる土産物までおしゃれ。話も面白いというか、80年代女性アイドルも妙に詳しい。そのほかにも「これは…」と思う言動が多々あったので、初めて会ったときからゲイだと思っていた。 Aがゲイであろうとなかろうと人間関係に変わりはないのだが、実は私の女友達がAに恋心を抱いている、という背景がある。余計なお世話と思いつつも、Aに何度か尋ねてみたのだが、「違うよ」と否定した。女友達は女友達で、Aをただ単に煮え切らない異性愛者だと思っていて、諦めきれない様子。女友達には幸せになってほしい(彼女は結婚を望んでいる)ので、Aにその気がないなら気を持たせるなと思ってしまった。まあ、ちょっと背中を押しにくい、貸借の関係がふたりの間にあるので、つい女友達の肩を持ってしまうのだが。 幸いなことに、今期はLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチョニング)、特にゲイのドラマが多かった。なんとなくヒントをもらった気もする。独りよがりだったかなと反省する点もあれば、このふたりにも「新しい人間関係の構築」があるのかなと思ったりして。勝手に決めつけず、視野狭窄(きょうさく)にならないためにも、とても役立ったので感謝している。 『腐女子、うっかりゲイに告る。』(NHK)は、ゲイであることを友達にも親にも隠している男子高校生(金子大地)が主人公だ。妻子がいる年上の男性(谷原章介)が恋人で、性生活は謳歌(おうか)しているように見えるが、その苦悩は想像を超えるものだった。日常で異性愛者の友人(小越勇輝・内藤秀一郎)や、シングルマザーで育ててくれた母(安藤玉恵)との会話や行動で、「普通の男子」として振る舞わなければいけない息苦しさ。明朗快活だが、腐女子であることを隠しているクラスの女子(藤野涼子)と付き合うことになったのも、「普通」を手に入れたかったからだ。そこには、「ゲイである自分を認められない」苦しみがある。 腐女子とゲイの交際は、一見「アリ」じゃないかと思わせたのだが、あるきっかけでゲイであることがバレてしまう。クラスメイトに白眼視された金子が、教室のベランダから飛び降りるという衝撃的な展開もあった。実際に同様の事件が起きて、男性が亡くなったことも知っていたので、胸が締め付けられた。ただ、金子は命を取りとめ、藤野や小越の配慮と優しさと素直さに励まされ、生きていく決意を固める。学校内でもゲイであることをカミングアウト(まあ、半ば藤野の演説による暴露「アウティング」なのだが)して、前に進んでいくのだ。「腐女子、うっかりゲイに告る。」に出演した藤野涼子(大西正純撮影) 最終的に、金子は藤野と別れる。「知らない人たちの中でこれまでと違う生き方ができるかどうか試してみたい」と話し、大阪へ引っ越す。もちろん、谷原とも別れる。谷原は「既婚のゲイ」である自分を鳥でもケモノでもないコウモリに例えて話す。「男しか好きになれなかったが、家族が欲しかったから結婚した。卑怯(ひきょう)と呼ばれても、ゲイであることを隠し通して生きていく」と断言する谷原。金子は寂しさと切なさと諦めを、ないまぜにした表情を見せ、爽やかに別れを告げる(その直後に泣き崩れるのだが)。 そして、ラストシーンが印象的だった。大阪に引っ越し、大学に進学した金子。初めての授業で自己紹介をする。「僕は…」と話したところで、ドラマは終わった。「僕はゲイです」と言ったかどうかは、視聴者に委ねたのだ。ゲイのカミングアウトするかしないか ゲイであることを周囲に言うか言わないか、それは本人が決めることだ。誰かに強制的に言わされるものでもないし、カミングアウトしなければいけないわけでもない。 くだんのAもそうだ、そうなのだ。彼には彼の生き方がある。もしかしたら、私の女友達とは本当に気が合っているので、結婚や恋愛ではないパートナーシップを築けるのかもしれない。それを外野の私が言うべきことではなかったと反省している。金子大地と谷原章介のおかげだし、自分は藤野涼子にならなくてもいいのだと思った。 また、話題となっているドラマが『きのう何食べた?』(テレビ東京系)だ。西島秀俊と内野聖陽という、二大肉体派「渋メン」俳優のふたりがゲイカップルを演じているからだ。職場にはカミングアウトしていない弁護士の西島と、全方位にカミングアウトしている美容師の内野が織りなす日常には、些末(さまつ)だけど大切なパートナーシップの要素がぎゅっと詰まっている。相手を思いやる気持ち、自己主張のさじ加減、ゲイであることへの肯定感、一緒に食べるご飯や過ごす時間の尊さなどなど。 ここでも、西島から「カミングアウトしない生き方」を学んだ。学んだというか、そこにまつわる苦労に気づかされる。両親(志賀廣太郎・梶芽衣子)にはカミングアウトしているのだが、彼らが理解しているとは言いにくい。「一過性のもの」「好みの問題」としてとらえているフシもある。 その面倒臭さに耐えがたく、老いた両親とは少し距離を置いている西島。一方、内野は、テンションが高い母や姉とは仲良しで、姉には子供もいる。ただし、父親とは音信不通。よそに女を作り、金をせびり、暴力をふるった父親を断ち切った過去があり、今も生きていて生活保護を受給していることだけはわかっている状態。ゲイに理解はなくても仲の良い両親に対して、愚痴をもらす西島を諭す。「もうちょっと感謝してもいいんじゃない?」と。ドラマ「きのう何食べた?」に出演した西島秀俊(三尾郁恵撮影) ドラマとしては、日常茶飯事を通して、ふたりの考え方の相違やズレをお互いにちょっとずつ譲歩していき、パートナーシップを深めていく構図に。惚れた腫れたの、その先を淡々と描いていて、これは異性愛だろうと同性愛だろうと性的志向に関係ない、全人類に共通する人間ドラマになっている。男女の恋愛ドラマが表層的なことしか描かず、いまいち心の深部に浸透しないこのご時世、ゲイカップルに教わることがたくさんあるというのは、救いでもある。放っておいてほしい人もいる このふたつの作品から共通して学んだのは、「ほうっておいてほしい人もいる」ことだ。LGBTQであることを言えずに苦しんでいる人に勇気を与える一方で、なんでもかんでも言えばいいってもんじゃない、と思う人もいる。もしかしたら「主に、異性愛者の女性たちに、自分たちの日常や苦悩を萌え対象にされて不愉快だ」と思う人もいるかもしれない。正直、私自身も、金子大地の青臭い透明感に萌えたし、内野聖陽の乙女心に心撃ち抜かれた。 妻子に内緒にしている谷原章介や、職場には内緒にしている西島秀俊に、歯がゆさを覚えたりもした。それでも、二作品のどちらにも「カミングアウトしないという矜持」が描かれていたので、気づかされた。その思いや生きざまも含めて、考えるべきだと。 Aはゲイではなく、バイセクシュアルかもしれないし、もしかしたら性的志向が決まっていない、あるいは迷っている「クエスチョニング」かもしれない。その線引きを私がするべきではないし、そもそも線引きする必要もない。ドラマが教えてくれることはたくさんある、と改めて痛感したクールだった。 と、終わりにしようと思ったが、もうひとつ『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ系)があった。古田新太演じる女装ゲイが高校教師となって、生徒も先生も親も巻き込んで「生きるとは何か?」を伝えていく。生意気で残酷、あるいは葛藤を抱える生徒たちが次第に心を開き、古田を慕っていくのだが、どうやら古田は膵臓(すいぞう)の病気で余命宣告されているっつう話だ。「腐女子、うっかりゲイに告る。」の原作小説 『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(KADOKAWA刊) サイケな女装で、はちゃめちゃだが芯の通った言動のヒロインに、もれなく感動を呼ぶ病気をセット。エンタメと痛快とほろりを入れこむ学園モノは、日テレの十八番。偏見クソくらえの精神で、生きづらさをパワーに変える古田の姿が、若者の心をつかんでいるようだ。 が、仕掛けに満ちた課外授業が多く、エンタメ性が強すぎて、古田本人のバックボーンにいまいち焦点が当たらない。もう少し早く、そして濃く、古田の背景を見せてくれていたら、『きのう何食べた?』と『腐女子、うっかりゲイに告る。』と並べたいのだけれど。まあ、古田を主人公にした意義はあると思う。世の中、見目麗しいゲイだけではないから。 LGBTQを主人公あるいは主題にしたドラマが好調というのは、いい兆しでもある。テレビ局が丁寧に、そして真摯に作ろうと心がけるようになった気もする。「流行りだから入れとけ」という雑な作品は正直、見向きもされない。テレビ局も視聴者も成熟した時代に突入した、と思いたい。■あえて振り返る俳優「ピエール瀧」とは何だったのか■NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった■私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない

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    山里亮太「テラハ婚」辛酸なめ子にはお見通しだったワケ

    うずまく番組なので、周りの人の恋愛の発展にも貢献しています。 山里さんが会見で、蒼井さんのことを、「芸能界一のモテ女優」とか「魔性の女」と呼ばれて、そうじゃないとかばった発言が男らしいと評価されています。個人的に魔性の女というのはそんなに悪いイメージがなく、むしろ魅力的で憧れるのですが、そう言われてばかりの当事者としてはうんざりしていたのかもしれません。 「『魔性』っていう単語使ってるけど、僕はそんな人間じゃないっていうのを一緒にいてずっと見てたんで、みなさんが思う、その『魔性』から発生する心配ってのは一切ございません」ときっぱり言い放った姿が男らしかったです。 「魔性」の定義もいろいろですが、周りを翻弄(ほんろう)する女性、という意味では、軽井沢を舞台にした前シーズン、『TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS』に出演していた女子大生、優衣さんはかなりの逸材でした。男性と交際経験がないという色白でおとなしそうな女子大生の登場に、スタジオメンバーは「かわいい」とか「天使」とかすっかりだまされていたのですが、徐々に本性が明らかに…。 山里さんが「俺同じ性格だから分かる」「MVP」と言うほどでした。優衣さんは、振られたばかりの女子に笑いながら優位性を見せつけたり、男子の前で泣いて相談して相手を悪者にしたり、女子2人にそれぞれ悪口を言っていたと吹聴し仲を悪くさせたり、陰で男子と深い仲になっていたり、天然でやっているとしたら恐るべき魔性ぶりでした。入籍会見でフォトセッションに臨む蒼井優(右)と南海キャンディーズの山里亮太=2019年6月5日、東京都新宿区(納冨康撮影) 言わなくてもいいことをわざわざ密告して、年上でモデルの利沙子さんを皆で責めて泣かしたのが「靴下事件」。利沙子さんがキャラクターものの靴下をお土産にあげるときに、「あなたのことは信用しているからあげる」と言って、別の子については「信用していないけどしかたなくあげた」と言ったとか言っていないとかどうでもいい事件です。さらに、利沙子さんが陰でやらせの恋愛を提案していたとか、デートに誘われて面倒くさがっていたとか、本当かどうか分からないですが、この時優衣さんによって暴露されていました。山里「地獄…」と呟いたワケ 優衣さんは優衣さんで、「うるせぇババア」と罵倒していたという本性が明らかに。彼女たちに比べたら、蒼井優さんは全然魔性ではありません。大人の常識人です。 この時、女子同士のもめ事を、山里さんはうれしそうに眺めていました。おそらく蒼井さんとは交際前でしたが、その責め立てられていたモデルの利沙子さんは、少し蒼井さんに雰囲気が似ていました。 その利沙子さんに恋心を抱き、支えていたのがミュージシャンの理生さんです。「ゲスの極み乙女。」のメンバーで既に成功しているセレブですが、ぽっちゃり系でメガネというルックスで、山里さんに「僕のアバター」と言われていました。理生さんは自分のライブ終わりに利沙子さんに告白するも、玉砕。その時、感情移入していた山里さんは、潜在意識下で自分がリベンジしたいという思いになっていったのかもしれません。 この番組は、視聴者も恋愛の疑似体験ができたり、学ぶことが多々ありますが、山里さんも若者の恋愛模様を観察しながら、自分のモチベーションとスキルを高めていったのでしょうか。「自然にキスに持ち込む方法」「いい人で終わらないためには」など、スタジオメンバーに真剣に相談する姿も見られました。 「若くてかわいい子がキスしていいですか、って言うのはすごいかわいいと思うんだよね。でもおじさんが…」というYOUさんの言葉に「やめて、死んじゃう」と悲鳴を上げていた山里さん。「いい人で終わる問題」に対して、トリンドル玲奈さんとYOUさんが「生理的なものだから」「どうしようもない」と言うのに対しては「地獄…」と呟いていました。入籍会見に臨む蒼井優(右)と南海キャンディーズの山里亮太=2019年6月5日、東京都新宿区(納冨康撮影) 時には厳しい意見に鍛えられながら「テラスハウス」で誘い方やアプローチ法を学ばれていった山里さん。リアリティードラマの番外編が現実世界でも続いていくのでしょう。テラハカップルの誰よりも円満で幸せになることを祈ります。 ■天下を取った女芸人「山田邦子」復活の道は一つしかない■元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑■あふれ出すSPEEDのカルマ『Body & Soul』の愛欲が止まらない

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    磯野貴理子と離婚した年下夫を責められないオンナはつらいよ

    鈴木涼美(社会学者) 24歳年下の男性と婚姻関係にあった磯野貴理子さんが、テレビ番組で離婚したことを打ち明けた。自身にとって2度目の離婚となったが、何より元旦那から告げられたその理由が「自分の子供が欲しい」という内容だったことが、一部で物議を醸している。 磯野さんは現在50代、元旦那は30代。女性の方が現実的に子供を授かるのが難しい年齢であるため、その離婚事由は多くの女性から「残酷すぎる」「わかっていたはずなのに無責任」「あまりに悲しい」などの反応を引き出したし、30代後半の未婚女性である私にも、そのニュースはずっしり重く響いた。 この男性について、冷酷である、と攻め立てることは容易ではある。少なくとも常識的に考えて結婚する際には添い遂げることを想定するはずなのに、彼女の年齢を考えて答えを出したはずではなかったのか。経済面での援助を期待していたのではないか、などと臆測を立てることも簡単だ。 ただ、そんなことを言ってもどんな夫婦にも離婚の事由はあるわけだし、女性が一定の年齢を越えれば子供を作るのが現実的でなくなるのも事実だし、人の気持ちがそうそう一貫していないことも責められないし、彼を責めたところで少なくとも私は救われた気がしない。 大体、当該夫婦が24歳も年が離れていたことが必ず合わせて報道されるが、旦那のこのような選択は、実は磯野さんが同い年の男性と結婚をしていたとしても起こり得ることなのだ。 男性は50代だろうと70代だろうと新たに「自分の血のつながった」子供を作れる可能性がある。同い年の男性と、自分がまだ子供を作るのに適した年齢の頃に結婚したところで、子宝に恵まれなかった女性が、40代50代になった時に、磯野さんと同じような理由で離婚を言い渡される可能性は十分あるし、実際にそのようなことを経験して傷ついた女だって少なからずいるだろう。 以前、大変年の離れた男性と結婚した女性政治家が、やはりテレビ番組で男性側の「普通の家庭を作り子供を育てる可能性」を奪ったなんて言われたことがあるが、男性の生殖機能を考えれば年齢差が大きく関係しているとは言いにくく、そんなことを言ったらすべての高齢女性はどんな年齢の男性とも結婚を許されない、あるいは身体的な理由で不妊となった男性しか選べないということになるので見当違いな批判だと言って良い。 では、そもそも磯野さんの旦那の選択の何が「残酷だ」と感じさせるのだろうか。左から『おそく起きた朝は…(現在のはやく起きた朝は…)』に出演する森尾由美、磯野貴理子、松居直美=大西正純撮影 年齢の離れた女性と結婚しておいて今さら気持ちが揺れたことだろうか。女性の気持ちより自分の願望を優先したことだろうか。そもそも年齢的にある程度制限のある女性と結婚したことだろうか。夫婦の形を壊さないまま養子縁組などの解決策を探さなかったことだろうか。妻にだけ子供ができない責任を押し付けたことだろうか。 では、子供が欲しいからという理由で別れを告げられるのと、夫婦関係を維持したまま、外で子供を作られるのと、女性はどっちが酷だと感じるだろうか。男性に求められること 私が大学院生で銀座の小さなクラブでバイトをしていた頃、結婚して15年以上たつ某有名企業の社長から相談をされたことがある。彼は若い時に3歳年下の女性とお見合いに近いかたちで結婚をしたが自然に子を授かることはなかったという。そのことについてはものすごく悲観しているわけではなかったし、妻を大切にしてきたが、せっかく築き上げた財産や会社のことを思うと、50歳が見えてきた頃、やはり自分の子供が欲しいと思うようになった。養子をきちんと愛して育てる自信はない。妻と離婚しようとは思わないが、外で子供を作ろうと思っている。ついては私にそういった子作りに興味がないかを聞いてきた。 彼は「物分かりの良いうちの妻はきっと理解するだろう」と楽観視していたが、自分の授かることのなかった子供を別の女性との間に作る旦那を見て、何も感じないとは考えにくい。就職活動中だった私は彼の申し入れを真剣に考えることはなかったため、その後彼がどんな選択をしたのかは当然知りもしないが、もし彼が想定していたように子供を作っていたとして、彼の妻が感じたことと、磯野さんが感じたこと、想像を巡らせてもどちらが重くどちらがマシかなんてわからない。人の心理を勝手に決めつけることはできないが、少なくとも、私だったら傷ついたと思う。 「産まない自由」も「性別による役割からの解放」も叫ばれて久しい。それについて異存を唱えるのはもはや難しいが、産まない選択の傍らで、子育ての苦労や負担を感じている人がいて、そういう人によって社会がある程度の人口を維持し、人口がある程度維持されることを想定してデザインされた社会がその形を保っているのも事実だ。 「自分の子供が欲しい」と離婚を決意した男性は、たしかに結婚生活について責任を全うしなかったという批判を受け付けるが、社会の維持についてはむしろ責任を全うしようとした、とも解釈され得るわけで、安易な攻撃が無効化されるのは目に見えている。 そんな事情がある以上、圧倒的な説得力を持って彼の決断をやめさせることはできないだろうし、今後も彼のような選択をする男性が出てくることも否定しにくい。女性にとってそれがどんなに冷酷に思えても、今の時点で止めるのは、離婚を禁止にするか、女性の身体を根元から改造するか、と非現実的かつ不自由な方法しか私には思いつかない。※写真はイメージです(GettyImages) たしかに社会制度や医療は変化していくが、絶対に変わらないのは、私たち女性の身体が男性の身体とは違うかたちをしていることと、男性が「自分のオンナの」身体を交換することは離婚制度や再婚などによって可能だが、私たち女が「自分の女性としての」身体を新品と交換することはできない、ということだ。最も普遍的かつ、実は最も残酷なのはその事実なのだと私には思える。 私たちは交換できない身体を抱えて、時に冷たく時に過酷な現実を生きる覚悟と精神力こそ持たなければいけないのだろうし、男性に求められるのは、彼らが愛したり別れたりする相手の女が、そういった現実と向き合っていることに対する想像力くらいのものだろう。想像なんて、と思ってしまうけれど、それでも心のどこかで痛みを想ってくれるなら、私としてもちょっと救われる気がするのだ。■「愛なき結婚は不幸」松居一代が教えてくれた現代ニッポンの幻想■『週刊SPA!』を謝罪させた女たちは一体何にムカついているのか■上沼恵美子M-1騒動「更年期障害」でオンナは傷つきません

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    元メンバーの「悪行」が分けたKAT-TUNとSMAPの明暗

    メンバー、田口淳之介が大麻取締法違反容疑で逮捕、起訴された。例によってマスコミは大騒ぎをしているが、芸能人の薬物問題など今さら珍しくもないだろう。 少々目を引いたのは「元KAT-TUNの田口淳之介」というマスコミの表記だ。逮捕のニュースが流れた当初は「アイドルグループの元メンバー」だったが、各社が突如として「KAT-TUN」を使った報道に変えた。ジャニーズへの配慮もあって「元KAT-TUN」は使いづらいのが本音だが、田口と言われてピンとくる人はファンぐらいだけに、使わざるを得なかったのだろう。 もう一つ気になるのは、大麻取締法違反容疑による元メンバーの逮捕は、田中聖(後に不起訴処分)に続いて2人目という点だ。さらに、この2人以外にも、女優の黒木メイサと結婚したことで知られる赤西仁も脱退している。もちろん赤西については事件などの不祥事はない。 このように、結成時に6人だったKAT-TUNは、すでにメンバーの半分が脱退しているのだ。それでも解散や活動休止に至っていないのがKAT-TUNたるゆえんでもある。 そもそもKAT-TUNは、堂本光一(KinKi Kids)のバックダンサーとして結成され、グループ名は、脱退した3人を含む、現メンバーの亀梨和也、上田竜也、中丸雄一計6人の頭文字を並べたものだ。 ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏は2001年の結成当時、このKAT-TUNに大きな期待を抱いていた。ジャニー氏の先見通り、06年の正式デビュー前からドーム公演を満員にする偉業を達成したほか、楽曲のシングル27曲がすべて1位を記録。これはKinKi Kidsの記録に次ぐ歴代2位で、ジャニーズのアイドルグループの中でも、かなりの実力だと言える。 それだけに「KAT-TUNによるKAT-TUNのためのKAT-TUNのレーベル」として「J-One Records」(デビュー当時)を設置するなど、これは嵐以来の待遇だ。また、ソロ活動も豊富なグループとしても知られており、亀梨、赤西、上田はソロコンサートも開催するなど、これも嵐に似たマネジメント手法だった。 こうした輝かしい実績とは裏腹に、元メンバーが2人も薬物事件で逮捕されるといった黒歴史を刻んできたのもKAT-TUNなのだ。ただ、これだけ負のイメージがつきまといながらも、グループが存続している理由は、繰り返しになるが、ジャニーズのアイドルグループの中でも稀有な実力を持ち、根強い人気を誇っているからだ。逮捕された元KAT-TUNメンバーの田口淳之介容疑者=2019年5月、東京都千代田区(納冨康撮影) では、なぜKAT-TUNは稀有な実力を持ち合わせていると言えるのか。その一方で、KAT-TUNならではの黒歴史はどのように刻まれてきたのか。脱退したメンバーも含めて軌跡を追ってみよう。 そもそも、現メンバーである亀梨は、ジャニーズ所属タレントの人気投票で2連覇している。端正な顔立ちやスタイルはもちろん、ステージパフォーマンスの技術、さらに出演番組での扱いなどから、幅広い年齢層に圧倒的な支持を受けている。スポーツ(特に野球)番組での丁寧でストイックさもさながら、脱退騒動が相次ぐKAT-TUNを最後まで守ろうとする姿勢も人気を支える要因と言えるだろう。 一方、現メンバーながら、KAT-TUNの活動以外の舞台でも高い評価を得ているのが上田だ。他のメンバーがいろんな意味で「濃い」だけに、一般的には印象が薄いキャラだが、作詞や作曲も手がけるアーティストで、ソロコンサートで5万人を動員する実力派でもある。ビジュアル系のようなスタイルが「やや難」だが、現メンバーの中丸と並ぶ年長者で、意外にもシッカリ者として知られ、KAT-TUNを引っ張ってきた。異質なメンバー そして最年長の中丸だが、彼は安定的に露出が最も多い。コンスタントに出演しているドラマのほか、情報番組のレギュラーまで自らのポジションをそつなくこなし、イラストデザインの才能もある。 また、アイドルとして活動しながら5年もかけて早稲田大の通信教育課程を卒業した努力家で、人間性も高くメンバーのまとめ役でもあった。それだけに、メンバーの相次ぐ脱退に最も苦しんでいたようだ。 次は脱退したメンバーだ。 「世界で最もハンサムな顔100人」や「最も影響力あるアーティスト賞」などを手中に収め、世界を舞台として活躍しているのが赤西だ。メンバー時代は、亀梨とのツートップでKAT-TUNのデビュー前からの爆発的な人気の立役者だったことはまちがいない。 だが、デビューの年から突然渡米し、活動を休止するなど「異端児」ぶりを発揮する。結果的に最初に脱退したのが赤西で、立役者である反面KAT-TUNメンバーの「脱退ドミノ」のきっかけを作ったのも事実だ。 異端児と言えば、田中もそうだろう。度重なる事務所のルール違反を理由にジャニーズを追われる形で脱退したが、このような理由で契約解除されたのは、後にも先にも田中だけ。太り過ぎてポジションを奪われた「忍者」の古川栄司という面白い過去もあるが、田中のケースは異例中の異例だった。大麻の所持量が微量だったため、結果的に不起訴処分となったとみられるが、ジャニーズが先に契約解除していたのは、まさに「先見性」と言えるだろう。 そして、田中と同い年で、今回逮捕された田口だ。KAT-TUNを脱退する際は「何のビジョンもなく白紙」として確たる理由もなく去っていったが、10年以上の交際を続けてきた元女優の小嶺麗奈(大麻取締法違反罪で起訴)との関係が原因とも言われていた。逮捕された元女優の小嶺麗奈容疑者=2019年5月、東京都千代田区(納冨康撮影) 一部報道でもあるように、田口の大麻使用は「10年前から」とされており、真相は今後の捜査などで明らかになると思うが、小嶺とのつながりが転落の始まりと言ってもいい。ジャニーズからすれば、胸をなでおろしていることだろうが、昨年末にレコード会社も契約解除されていることから見ればその「危険性」は高まっていたとみるべきだ。 このように見てくると、KAT-TUNがいかに異質なメンバーで構成されたグループであることが改めて実感できただろう。 ただ、KAT-TUNについては、逮捕者まで出る不祥事とはいえ、いずれも脱退後の話だ。よくよく考えてみれば、「国民的アイドル」として伝説と化したSMAPは、2001年に稲垣吾郎が道交法違反容疑などで逮捕され、草彅剛も09年に公然わいせつ容疑で逮捕されている。 逮捕容疑に違いがある以上、単純比較はできないとしても、KAT-TUNとSMAPの「罪深さ」にさほど差があるとは思えない。一方で、メンバー個々人の実力もこの二つのグループに大きな差はなく、相次ぐ脱退やその後の事件などがなければ、KAT-TUNもSMAP同様に国民的アイドルの地位を得ることができたかもしれない。 SMAPの解散、そして嵐の活動休止のように、ジャニーズの大御所グループが一線を引く風潮の中、元メンバーの所業とはいえ、負のイメージがぬぐい切れないKAT-TUNにどのような「終末」が待っているのだろうか。■文春砲「関ジャニ錦戸脱退」にジャニーズが沈黙を続ける理由■あえて振り返る俳優「ピエール瀧」とは何だったのか■AKBに「トドメ」を刺すのは韓国かもしれない

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    天下を取った女芸人「山田邦子」復活の道は一つしかない

    本の記事である。彼女は4月27・28日に歌舞伎座で行われた「長唄杵勝(きねかつ)会」に出演していた。芸能生活40周年の記念の年に長唄杵勝会の名取「杵屋勝之邦」を襲名するという特別な公演だった。この公演に関して彼女はブログで以下のように書いていた。 39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした。この事は新しい令和の年に向けいろいろ整理が付く、出来事にもなりました。残念です。 事務所のスタッフが誰も見に来なかったことに苦言を呈したのである。これを受けて、『女性セブン』では直撃取材を受けた彼女がコメントをしていた。20年ほど前に社長が代わってから事務所の様子が変わり、自分のマネジャーが動いていない状態に陥ってしまったのだという。その後の報道で彼女の「独立説」までささやかれた。 5月21日の囲み取材で現時点での独立は否定したものの、彼女と事務所が実際にどのような関係にあるのかは分からない。かつては屋台骨として事務所を支えていた彼女が、現在では事務所に見放されて軽く扱われている、ということなのかもしれない。太田プロダクションからの独立騒動について、「ない!」と完全否定した山田邦子=2019年5月21日、東京都(森岡真一郎 撮影) 90年代前半頃の山田の勢いはすさまじいものだった。全盛期には週14本のレギュラー番組を抱え、8社のCMに出演。映画やドラマの出演も多数、CDや小説を出せば軒並みベストセラーに。NHKの「好きなタレント」調査では8年連続で女性部門1位を獲得。本人の話によると、当時の月収は約1億円だったという。女芸人の質・量ともにかつてないほど充実している現在でも、全盛期の彼女の実績を超えられそうな人材は見当たらない。 なぜ山田はそれほど圧倒的な人気を誇っていたのだろうか。その最大の理由は、彼女のキャラクターが当時は斬新だったということだ。山田は学生時代から成績がオール5の優等生だった。芸人でありながら、演技ができて、歌がうまくて、独特のファッションセンスがあり、文章も面白い。彼女が芸人の枠にとどまらないマルチな活躍ができたのは、そもそも優等生タイプの新しい女性芸人だったからだ。山田邦子「唯一の活路」 当時は今よりもずっと「笑いは男の仕事」という風潮が強かった。そのため、女性芸人自体があまり目立っていなかった。今でこそ、女性芸人がドラマに出たり、本を書いたり、ファッションセンスを評価されたりするのは珍しいことではない。だが、当時はそういう女性芸人がほとんどいなかったため、山田の存在感は際立っていた。派手なファッションで明るいキャラクターの彼女は、バブル期前後の浮かれた空気に似つかわしいタイプの芸人だった。 だが、日本の景気低迷に伴って、彼女の人気もどんどん落ちていった。山田以外の女性芸人も続々と世に出てくるようになり、あぐらをかいていられる状態ではなくなってきた。優等生だった彼女はこれまでどんな女性芸人も達したことがなかったような高みにまで上り詰めてしまったため、そこから落ちていくときの勢いもすさまじく、地道に撤退戦を戦い抜くことはできなかった。   最近、山田をテレビで見かける機会が少ないのは、彼女が一度は頂点を極めてしまった芸人だからだろう。彼女は全盛期には自分の番組をたくさん持っていて、司会を務めていた。自分が仕切ることに慣れているので、いまさらひな壇に座って大勢いるゲストの1人という立場に置かれても、そこでうまく立ち回ることができないのだろう。 テレビタレントは、時代の移り変わりに合わせて自分のキャラクターをマイナーチェンジしていく必要がある。また、年齢を重ねることで世間から求められるものも少しずつ変わってくる。山田は良くも悪くもキャラクターが若い頃からずっと変わっていないようなところがあるため、それが時代の空気や自分の年齢に合わなくなってきたのではないか。 ただ、逆に考えると、最近の山田が事務所と何やらもめているというのは、必ずしも悪い話ではない。なぜなら、何も話題にならないよりも、たとえネガティブであっても話題になっている方がタレントとしては望ましいからだ。芸能人物、派手なチュウリップスカートで”新恋人”?のRYO(右)と新曲「涙の贈り物」を披露する山田邦子=1993年2月 キャリアが長く、いまさら守るものもない彼女は、芸能界で起こったことに関して気兼ねなく好きなことを言える立場にある。坂上忍や梅沢富美男の最近の活躍ぶりを見れば分かるように、臆することなく自分の意見を発信できる「ぶっちゃけキャラ」は今のテレビでは重宝される存在だ。山田がテレビタレントとしてこれから復活することがあるのだとすれば、そんな「ご意見番」路線しかないのではないかと思う。■『バイキング』で王道をあえて外す司会者、坂上忍が見せた弱み■元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑■剛力彩芽はきっとZOZO前澤友作氏を踏み台にする

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    三原じゅん子手記「がん公表、私の思い」

    日本人の死因トップは依然がんである。2人に1人が罹患するとされ、関心が高いだけに著名人の相次ぐ「がん公表」は反響も大きい。こうした中、10年前、報道によってがん公表に至った元女優で参院議員の三原じゅん子氏がiRONNAに手記を寄せた。誰もが当事者になり得るがんだが、著名人の公表にどう向き合うべきか。

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    三原じゅん子手記「著名人のがん公表、私はこう思う」

    三原じゅん子(参議院議員) 私が子宮頸がんを患ったのは今から約10年前、芸能界で活動していたときでした。人間ドックをきっかけにがんが見つかったときは、ショックで頭が真っ白になりました。 私は当初、自分ががんであることを隠していました。今では、芸能人によるがんの告白は珍しいものではありません。しかし、当時はがんへの理解や医学的進歩も今ほど進んでいませんでしたし、私の周囲でも、がんを公表する方はほとんどいませんでした。 私ががんを公表しなかった一番の理由は、仕事がなくなってしまうからです。レギュラー番組は取れなくなり、健康ではないイメージがつく可能性があることから、コマーシャルの仕事も受けられなくなることを恐れたのです。女優という仕事柄、イメージを固定したくないという気持ちも強くありました。 しかし、マスコミによって、子宮頸がんであることを公表されてしまったのです。もちろん大変、憤りました。繰り返しますが、がん告知は今と当時とでは大きく違います。当時は、本人や家族にさえ告知されないケースも多かったのです。 がんの公表によって、私に対する周りの目が変わり出しました。腫れものに触るような態度。私も知らない間にこうした態度を取っていたかもしれないと反省しました。 公表されてからは心を入れ替え、がんと闘っている方々とどんどん接触し、友人となっていきました。私より、ずっと苦しい病と闘っている方々が元気にがん撲滅の活動をしている姿を見て勇気をもらいました。 もう泣いてなどいられません。立ち上がるべきときは今だと思いました。そのころ私は介護施設を運営していましたが、芸能界を引退し、政治家として、がん対策と介護・福祉について取り組んでいこうと決意しました。なかなか、一気に進むわけにはいきませんが、それでもライフワークとしてこの政策を続け約10年。今後もずっと、がん対策に取り組んでいきます。自民党の三原じゅん子参院議員=2017年4月17日、東京・永田町の参院議員会館(酒巻俊介撮影) 有名人のがんに関する情報発信については、良い面と良くない面があると考えています。まず、良い面としては、同じ病の皆さんに勇気を与えることができることと、情報をお伝えできること。 患者は孤独になりがちなので、闘病の励みとなることはプラスの面としてあると思います。ただし、あくまでも参考情報としてのレベルと思っていただきたいのです。 病気は個人差があるので同じがんの同じステージでも治療法は異なってきます。ですから、有名人が治療しているからといって、その治療法がすべて正しいわけではないということです。治療の時期も体力もさまざまです。人と比べて一喜一憂しないことが大切です。がん治療と仕事の両立 がん検診の受診率が低いことも大きな課題です。とりわけ女性特有の病気は分かりにくいため、啓発活動もあまり進んでいない現状があります。たとえば、子宮内膜症、子宮筋腫、子宮頸がんなど子宮にはいろいろな病気があります。一時的な身体の不調なのか、病気なのか、素人判断ではなく、一日も早い病院での検診が重要であると考えます。 私の場合は、43歳の頃に腰と胃に不調を感じ、たまたま知人に勧められた人間ドックを受けることにしました。40歳を過ぎていたので、せっかくの機会だからというのが検診のきっかけでした。 特に自覚症状はありませんでしたが、オプションで子宮頸がんと子宮体がんの検査も受けたところ、子宮頸がんが見つかりました。当時は、子宮頸がんに対する知識も皆無でしたし、自覚症状もありませんでしたので、やはり検診の重要性を痛感しました。 私のこれからの決意として、がん検診促進、がん患者の皆さまの就職支援、がん教育の推進。この3点に取り組んでいきたいと考えています。 子宮頸がんの検診率は、欧米では70~80%ですが、わが国では20~30%と先進国の中でも極めて低い状況にあります。 早期発見は早期治療に直結します。私も何となくチェック印を付けた子宮の検診で、がんが見つかったわけですから、専門家の検診は何より大切なものです。 また、医学的知見に裏打ちされているワクチンの接種も、がん予防の観点から必要なものといえます。国内外の医学者から縷々(るる)指摘されていますが、日本ではHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの接種が世界で例を見ないほど少なく、極めて残念なことにわが国では子宮頸がん患者が増加し続けています。 また、がん患者の皆さまの離職防止と再就職支援にも取り組んでいきます。がん治療と仕事の両立は深刻で、なかなか上司や同僚に理解されないのが現実です。私がこの活動に参加してからもう10年、全く変わりません。勤務者ががんと診断されたのちに、その34%の方々が、依願退職や解雇に追い込まれているというデータもあります。 がん治療と仕事の両立も、私自身の経験からきている願いでもありますし、がん患者会の皆さまとも共有した思いです。そして、これら2つを包括したがん教育も大切です。がん検診率の低さや、がん患者の皆さまの離職問題も、やはり社会の理解不足が根幹にあると思います。※写真はイメージです(GettyImages) 今では放射線療法や科学療法も著しく進化していますし、ゲノム医療や創薬の発展により、がんは治る病気となりつつあります。しかし安易に自己判断や油断はせずに、しっかり検診と体調管理に努めることが大切です。人生100年時代、そして女性活躍時代に向けてまい進していきましょう。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

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    葛藤の末に選んだ「がん公表」に色眼鏡なんていらない

    自身の公式ブログで明かした。堀さんは、4月15日にステージ1の食道がんであることも公表した。 最近は芸能人や著名人が病名を公表することも増え、会員制交流サイト(SNS)には「勇気づけられた」「応援したい」といったコメントが一斉に書き込まれる。一方、ワイドショーでは周囲の人が哀れむ声が繰り返し放送され、臆測による病状の詮索(せんさく)などがメディアに溢れる様を見ていると、「いたたまれなくなる」というがん当事者の声も聞く。 私は15年前から「がんと暮らし」をテーマに取材を重ねてきたが、がん経験者の多くが口にするのは、「かわいそうだと思われたくない」「がん患者扱いしてほしくない」という思いだ。だからこそ、「周りの人にがんをどう伝えたらいいのか…」と悩むのだという。 ここ10年、20年でがん治療は進歩し、より多くのがん患者に治癒が期待できるようになってきた。しかし、社会の側は相変わらず、がんになった人に「もう治らない」「がん=死」というレッテルを貼る。 とすると、がんを公表しない方が、気を遣われずに済むし普通に接してもらえていい、という考え方もある。逆に、公表した方が、社会の意識を変えることにつながり、がんを隠してビクビクしながら暮らさずに済むようになるかもしれない、という考え方もある。 がんを公表することは、正解でも不正解でもない。公表する、しない、どちらの考えも尊重されるべきだと考える。どちらの考え方も阻害されてはいけない、とさえ思う。 公表はあくまでも個人個人の選択であり、生き方。社会の側にがんの理解が進まず、厳然とした「意識ギャップ」があるからこそ、葛藤の末に選び取る選択だからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 公表が同調圧力のように強要される社会もまた、息苦しい。公表と黙秘の中間地点である、グレーの選択があってもよいと思う。 私の身近に乳がんを発症し、会社勤めと子育てをしながら治療も続けている女性がいる。彼女は、直属の上司と同じ部署の同僚には仕事を円滑に進めるために、がんの種類や進行度、治療法まで情報をオープンに開示しており、それ以外の社員にはあえて病気のことは伝えていないという。その線引きもまた、それぞれの考え方次第だ。「顔の見える情報」は力強い 公表の是非が問題なのではない。例えば、「芸能人はがんのことを公表しなくてもいい」という意見を目にすることがあるが、批評の対象にするのは、がんを公表する本人の行為ではなく、公表を受けて「過剰に騒ぐ周りの行為」なのではないか。 フリーアナウンサーとして活躍していた小林麻央さんは、生前、「一度きりの人生なので、なりたい自分になろう」と、自分の言葉で「今の気持ち」を発信し続けた。ブログの開設前は、「極秘入院」などとスクープ合戦が繰り広げられ、夫であり歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが緊急会見を開く騒ぎになっていた。 SNSは、がんに罹患(りかん)した人が社会とつながる新たな手段であり、同時に、著名人にとっては、本人主導で情報発信することで、臆測による情報の混乱を未然に防ぐ手段にもなり得ているのだと思う。 情報を享受する側に視点を置いて考えてみると、著名人によるがん闘病の発信は、「顔の見える情報」だ。当事者そのものによるリアルな情報だけに、影響力は少なくない。池江選手の発信を受けて、献血する人が増え、骨髄バンクに対する問い合わせやドナー登録が急増したという。 社会の側に根強くある「がん=死」という偏見をなくす上でも、「顔の見える情報」は力強い。 池江選手は、2月12日にこう発信している。 (白血病という診断を受けたことに対して)私自身、未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすれば完治する病気でもあります。 当時、診断直後でありながらも、冷静に病気のことを受け止めようとする意志が感じ取れた。道を閉ざされてかわいそうな人というわけではなく、治療に立ち向かい、希望をつなぐ存在としてあり続けるのだという、ポジティブな宣言だとも受け取れる。 白血病にもさまざまな種類があり、病気の種類や罹患した年齢によって治療法や経過は異なる。ただ、長年白血病の治療に携わってきた血液内科医によれば、18歳の池江選手のような「AYA世代」(15〜39歳)の白血病の中で、小児がんと同様、治癒率が高まってきたがんの種類もあるのだという。2019年2月、競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを報じる東京・有楽町の街頭テレビ ここ数十年の医療の進歩により、小児がん(0〜14歳)の70〜80%が治るようになったと言われる背景があり、特に10代、20代の若い世代については、小児に準じる形で治療のスケジュールを組み立てる場合があるというのだ。「心のつえ」はどこに AYA世代のがんは情報も少なく、同じ種類のがんを経験した患者同士で繋がり合いたいというニーズもある。同世代でないと分かり合えない生活上の悩みもある。がんを特別視せず、「必要な人が必要な人とつながっていく手段の一つとして『公表』もありだよね」とフラットに考える人が増えれば、著名人であっても、一般人であっても、もっと安心してがんのことを打ち明けられるようになるだろう。 堀ちえみさんが公表した舌がんを含む「口腔(こうくう)・咽頭がん」は、罹患者数が全がんの約2・3%(国立がん研究センター2018年のがん統計予測)にすぎない。希少がんの患者にとっては、術後の「日常」の発信もまた、大事な情報源になる。 3月9日に堀さんが更新したブログでは、舌がんの手術後に食べ物の嚥下(えんげ、飲み込み)の訓練をする模様をこう記している。 人参ゼリーは、つるんとしているので、舌がもたついているうちに、口の中でどこかにいってしまいます。(中略)右奥の残っている舌が、とても健気でね… もたつく新しい舌を、一生懸命に引っ張ってゼリーを追いかけて。そしてゴール(喉元へ)に向かって、シュート!(中略)これから嚥下の練習は毎食ごとにあります。楽しみながら乗り切っていきたいと思います。 堀さんは舌がんの進行度がステージ4であることも公表しているが、人生の真ん中には暮らしがあり、悩みも笑いもあり、進行がんという色メガネが不要であるということが、じかに、ポジティブに伝わってくる。 もちろん、がん患者本人の発信だからといって、あらゆる患者が分かり合えるわけではない。情報の押し付けは、相手への迷惑になることもある。堀ちえみのブログ「hori-day」 私が望ましいと感じるのは、先にがんを経験した人から後に続く人への「心のつえ」となるような情報が、手を伸ばせばあちこちに、ポン、ポンとさりげなく置かれているような社会だ。その情報を取りたい人が取ればいい。 今は、個人が情報を発信しやすく、自分が「心のつえ」を得た経験を「誰か」に届けることができる時代だ。発信する人の有名無名を問わず、実名と匿名のどちらにせよ、「がんを公表する社会」の最大のメリットは、そこにあるのではないか。 だからこそ、問われるべきなのは、がんの当事者の善意により公開された情報を引用したり、転用したりする側の、情報モラルなのだと思う。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

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    「がん公表」患者へのエールを歪める心理バイアス

    大場大(東京オンコロジーセンター代表) タレントの堀ちえみさんが、深刻な病期の舌がん、そして食道がんであることをブログで公表しました。個人的には、堀さんの舌がん公表直前に報じられた、競泳の池江璃花子選手の白血病公表に大変なショックを受けました。あれほどまばゆいばかりの活躍を続けていた最中、池江選手は白血病であることが判明したのです。 皆さんは「AYA世代のがん」という言葉をご存じでしょうか。AYAとはAdolescent and Young Adultの略で、年齢的に15~39歳ころまでの、思春期と若年成人世代を指します。AYA世代で、がんと診断される罹患(りかん)数は、国内では年間に約2万1千人にのぼります。 このAYA世代にとって重要なのは、多くの大切なライフイベントが重なる時期でもあることです。例えば、学業(中学、高校、大学)や就職、恋愛、結婚、妊娠、出産などが挙げられます。 そのような人生のターニングポイントとなる時期に、がんを発症してしまった患者さんに対して、家族や友人、職場(同僚)、地域社会がどのようにサポートしてあげるのが適切でしょうか。皆さんにもさまざまな考えが浮かぶことでしょう。 ところが、これらが国家的な問題として取り上げられたり、大人たちによる建設的な議論に発展することもあまり多くないのも事実です。結局、先日辞任したある閣僚による、池江選手へのコメントに関する報道が流れ、物議を醸しただけです。 実は、池江選手も属する15~19歳の年代で、最も多い疾患が白血病(24%)です。したがって、彼女から発信されるメッセージは、どんなにささいなものだとしても、AYA世代の患者さんに大きなエールになることは間違いありません。池江璃花子選手を応援しようと、鶴を折る子どもたち=2019年4月、東京都江戸川区 池江選手に対して、東京五輪を目前に控え、競泳選手としての復活を望む声が大きいのは理解できます。個人的には、つらい治療を乗り越えた先に、AYA世代の一人の女性としての日常を再び取り戻してほしいと切に願います。 さて、今回「有名人のがん公表の意義」というテーマで執筆依頼をいただいたとき、私はやや重い気持ちになりました。なぜなら、話の切り口によっては非常にデリケートで難しいテーマであり、客観的に論じるのは難しいと感じたからです。ちなみに、本稿で扱う「がん」とは、然(しか)るべき治療によって治癒が得られやすいがんではなく、より深刻な病期の「がん」に罹患したケースを想定しています。有名人に群がる「詐欺医療」 昨年8月、代表作『ちびまる子ちゃん』とともに皆に愛されながら、この世を去られた漫画家、さくらももこさんのように、自身のがんを公表することなく、最期まで黙して人生を全うされる生き方もあります。もちろん、当事者の心理や気持ちについては推し量ることができませんので、個々人の公表の是非について意見を述べるつもりはありません。 ひと昔前までは、医者が「がんであることを本人に告げないでほしい」と家族に切望され、患者本人にはがんであることが伏せられたまま、最期まで手術や抗がん剤治療が施されていた時代がありました。しかし、今はインフォームド・コンセント(十分な説明と同意)が当たり前です。 それに、医療者側の営為が医学的コレクトネス(適切性)の追求に終始するあまり、かえって患者との対話が不足し、患者の幸福にそれほど寄与できていない可能性もあります。そのような昨今、がんであることを知った有名人が自ら公表することにより、支持者からのエールで孤独感や精神的苦痛から少しでも解放されたり、前向きに生きるためのモチベーションを保ち続けられる効果は少なくないでしょう。 一方で、有名人のがん公表は、良きにつけあしきにつけ、個人のプライバシーを越え、大きな影響力を与えてしまうこともあります。また、有名人の病気に対するリテラシー(情報判断能力)や、施されている医療レベルも見て取れることもあるはずです。 そうなると「なぜあのような手術を選択してしまったのだろうか」「インチキ免疫療法だと理解して受けているのだろうか」「非常に辛そうな印象だが、緩和ケアはしっかりされているのだろうか」「怪しい食事療法に妄信的過ぎないか」と思い至ることだって十分考えられます。 しかし、そのようなことを言外に示しただけでも、「本人が納得して下した判断だから、外野から言うのはやめるべきだ」「個人の人生に、後からケチをつけるな」などと、負の感情論が引き起こされ、批判を受けることも少なくありません。ゆえに、ある種の医学情報として公にすることの影響力に関して、有名人は自覚的であってもよいと、個人的には思います。 有名人のように経済的な余裕があるからこそ、「隠れた特別な治療があれば、高額な費用を払ってでも頼りたい」気持ちが募ることもあるでしょう。確かに行動経済学から見れば、「上手な秘訣(ひけつ)」を求めてしまう心理バイアス(偏り)について一定の理解を示すこともできます。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ただ、詐欺的医療ビジネスに関わる人たちは、リテラシー欠如というポイントを突いて、有名人に必死で近寄ろうとします。そして、いつしかエセ医学の広告塔の役割を果たす人までも出てしまうわけです。 そのような、いわゆる「がん克服ビジネス」「生き証人ビジネス」に加担している有名人の話には批判的にとらえた方がよさそうです。サプリメント、青汁などの栄養食品や、食事療法、漢方、インチキ免疫療法、高濃度ビタミンC、点滴療法といったものに「がん免疫力」の効能を強調した場合は要注意といえるでしょう。メディアを動かす「世間の性」 改めて、今回のテーマについて考察するとき、常に意識しておくべきことがあります。それは、有名人のようにスポットライトを浴びることもなく、厳粛なリアルを受け入れながら、同じがんと明るく向き合っている患者さんが、社会には数え切れないほど多くいることです。 歌舞伎役者、市川海老蔵さんの妻の小林麻央さんが、自身が乳がんであることを公表されたときのエピソードは記憶に新しいことでしょう。治癒の難しいがんを背負いながらも、愛する夫、子供、家族のために、1日でも長く、自分らしく生きたいと希求する表現の数々がブログに綴られました。それらは、同じ病気と日々向き合っている、多くの患者さんたちにとっても、大きな勇気や希望となっていたのは間違いありません。 しかし、残念な問題も生じました。有名人が病気になると、世間には、より詳細なプライバシーを知りたい欲求にかられる性(さが)があります。それががんであれば、なおさらの話です。メディアの方も、世間の欲求に応えようと、必死で情報を先取りすべく行動します。 麻央さんの場合でも、ブログでのがん公表以来、どこの病院でどのような治療を受けているか報じようと、メディアが躍起になって麻央さんや家族を追いかけ回しました。揚げ句には、生命予後を勘ぐるような記事までも出てくる始末です。 結局のところ、有名人のがんを報道するメディア側の深層に、がんへの偏見や先入観があるようにみえます。こうして、がんは「死をイメージさせる暗くて怖い特別な病気」のように映るわけです。 一方で、お茶の間の視聴者も、ワイドショーで報じられる有名人のセンセーショナルながん公表に、感情だけを面白おかしくかき立てられ、思考が停滞しているのではないでしょうか。そうなれば、がんに関する考えも論理的ではなく、半ば直感的にしか及ばないことも少なくありません。そのような「ヒューリスティック」と呼ばれる心理バイアスに巧みにつけ込むことで、有名人ががんで死去した途端、さまざまなエピソードを上手に利用して「がんは放置するに限る」というエセ思想の流布に成功した人物さえいました。妻の小林麻央さんが乳がんで1年8カ月間闘病していることを公表した歌舞伎俳優の市川海老蔵=2016年6月(蔵賢斗撮影) がんは、生涯において2人に1人が罹患するリスクを抱えている「国民病」の様相を呈しています。裏を返せば、がんがそれだけ身近な出来事であることを意味します。何も、昨今増えている有名人のがん公表を特別扱いするような話ではないのです。 ワイドショーから流れてくる有名人の「物語」に、一時的に感情的になるのはもちろん自由です。でも、自身や家族にがんというリアルが訪れた際、どのようなリテラシーを育み、どのように振る舞えるか、そちらの方が重要ではないでしょうか。皆さんには、一人一人ががんのことを真摯(しんし)に考える契機となれば幸いです。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

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    樹木希林さん、貴重な「遺言講演」の知られざる中身

     昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)の「言葉」を綴った本がベストセラーとなっている。しかし彼女はメディアから言葉を求められても、「それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ」「そんなこと話して私に何の得があるの」と突き放すこともしばしば。そのため講演を引き受けることはほとんどなかったという。 そんななか発表された貴重な記録が、DVDつき書籍『樹木希林 ある日の遺言 食べるのも日常 死ぬのも日常』(小学館)だ。 2016年10月29日、静岡市で開催された「樹木希林の遺言」という約1時間の講演は、旧知のテレビ・プロデューサー、田川一郎氏(80)によって実現したものだ。田川氏が話す。「その内容は、希林さんの人生観や死生観がしっかり語られ、病気になった人を勇気づける素晴らしいものでした。映画館で公開しようと希林さんに相談したのですが、彼女は“映画館ねぇ、そこは監督さんが必死に作った作品を上映する場所でしょう”と。実現には至りませんでした。 ところが、希林さんは逝ってしまった。このまま埋もれさせてしまうのはもったいない。そこで娘の也哉子さんに相談したんです。そしたら“母の話を聴いてみたい、と言ってくださる方がいるのであればいいのかもしれませんね”と言ってもらえました」“向こう側”を想像して 古い留袖を自ら仕立て直した黒い衣装で現われた希林さんは、軽妙なジョークを挟みながら、観衆を独特な世界観に引き込んでいく。身振り手振りを交え、時にステージを歩き回る姿は、まるで独り芝居かのようだ。 希林さんが話し始めたのは、2004年に乳がんが発覚した時のことだった。手術のため、タイのプーケットでの映画の撮影をキャンセルする。ところが滞在するはずだったその日に、多数の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の津波が、彼の地を襲ったのだという。映画「万引き家族」の完成披露試写会舞台あいさつに出席した樹木希林さん=2018年4月(山田俊介撮影)「(手術の前に)そういうものにぶつかってたわけ。だから、いずれにしても人間はスレスレのところで生きてるんだなっていうふうに感じるわけです。 だから逆に乳がんの手術した時に、もう何があっても、御の字。何かそこで吹っ切れたって覚悟が決まったっていうか、そういう時から、その私のがんの生活、始まったんです」 希林さんは「死」について考えるのは決して悲観的なことではないとも語る。「健康な人も一度自分が、向こう側へ行くということを想像してみるといいと思うんですね。そうすると、つまんない欲だとか、金銭欲だとか、名誉欲だとか、いろんな欲がありますよね。そうしたものからね、離れていくんです」驚きのタロット占い 希林さんがお土産やプレゼントを徹底して受け取らず、一度手にしたものは常に最後まで使い切っていたことはよく知られている。「モノを拒否するってことは、逆にエネルギーが要るのね。だけどしていかないとね、もう片付かないの。(中略、モノは)多けりゃいいというもんじゃないのね。私はモノに対して執着を捨てたときに、ただ捨てるんじゃなくて、モノの冥利も考えて、どう活かすかってことを考える」 冥利とは仏教用語で、仏が与える利益、恩恵のこと。人生もモノも「十分に活かしきること」を考えるのが希林流なのだ。驚きのタロット占い 講演が一際盛り上がったのは、希林さんが夫・内田裕也さん(享年79)について語った場面だった。 娘の也哉子さんがイギリスでタロット占いをしてもらった時のことだ。母親の病気、そしてその後に残されるかもしれない父親について心配していると聞くと、占い師はこう答えたという。「『あ、大丈夫ですよ、お父さんはお母さんが死ぬときに首根っこ捕まえて一緒に連れて行きますから。グーッと連れて行きますから』って、そう言ったんですって。私それ聞いてね、それはいいね、それは安心だね、別にタロット占いを信用してるワケじゃないけど、ほっとしちゃったんですよね。それで夫が機嫌の良いときに話したんですよ。そしたら(裕也さんは)真剣な顔をして『お前な、頼むから一人で行ってくれ』って(笑い)」 このときは笑い話だったが、占い師の“予言”通り、内田裕也さんは今年3月、妻の後を追うようにこの世を去った。2人の因縁を感じさせるエピソードだ。 そして希林さんは、夫についてこうも語った。「すごくいいヤツでね、あの夫じゃなかったらば、こんな面白い人生はなかったと思います」 結婚わずか1年半で別居。夫の生き様に苦しめられたこともある。しかしそれでも、希林さんは夫との出会いを徹底して面白がったのだ。紹介したのはDVDの内容のほんの一部。これ以外にも深く頷かされる言葉を数多く聴ける。関連記事■宮沢りえ、安藤サクラ 希林さん告別式での喪服姿■内田裕也さん“内縁妻”と本木夫婦が「お別れ会」巡り衝突■樹木希林さんの金言、「男にも響く言葉」5選■樹木希林さん がん発症から14年、生き抜いた秘密■樹木希林、西城秀樹に魯山人の器とともに送った直筆のお礼状

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    食道がん併発の堀ちえみ 夫の前向きな対応で公表決意か

     《今度は食道癌です》、《転移でも再発でもないとの事です》。堀ちえみ(52才)が4月15日、「食道がん」にかかっていることをブログで公表した。堀は2月にステージIVの「舌がん」であることを公表、舌の約6割を切除する11時間におよぶ手術を受けたばかり。懸命のリハビリ生活を送るさなか、今度は別のがんにかかっていたという告白に、世間では驚きが広がった。 今回見つかった食道がんは、舌がんからの転移や再発ではなく、2つのがんが、比較的近い場所で併発したという。「前回の人間ドックでは食道に異常はなかったそうです。普通なら見過ごしてしまう位置にあり、早期発見はラッキーだと本人も冷静に受け止めています。周囲のかたからは他の部位には発生していないかなど心配する連絡が届いているようです」(堀の知人) 大腸がんや乳がんなど遺伝性が認められる「がん家系」についてはよく聞かれるが、今回の堀のような併発のケースに因果関係はあるのか。 「堀さんのように転移ではなく2つのがんが見つかることを『ダブルキャンサー』といいます。扁平上皮がんは体の表面や内部が空洞になっている臓器の内側の粘膜から発生するがんです。食道扁平上皮がんも遺伝的要因が指摘されています。簡単にいえば、転移ではなくがんが複数箇所に発生するかたは、がんになりやすい体質といえます。定期的に検査を受け、とにかく早期発見に努めることが大切です」(内科医で医療ガバナンス研究所の上昌広さん)取材に応じる(左から)松本伊代、堀ちえみ、早見優=2016年10月、東京都内 舌がんのリハビリ中での新たながん発覚は身体的にも大きな負担になるはずだが、堀はあくまで前向きだ。「ご主人が“このタイミングで検査を受けて見つかったのは運がよかった”とポジティブな対応をしてくれたことで、一時期は落ち込んでいた堀さん自身も気持ちを転換できて今回の公表に至ったようです」(前出・堀の知人) 堀は食道がんを公表したブログを《また癌が見つかったけど、それでも自分の身体が愛おしいです。いろいろな病気を経験してきましたが、全て無意味ではないと思っています。頑張ります!》と締めくくっている。 舌がん発覚後も、一時は面会謝絶状態ながらカラオケや義母の病院付き添いなど奇跡的な回復を見せていた堀。今回も家族一丸で乗り越えていく。関連記事■アクセス数断トツ! 堀ちえみ「決意のグラビア」未公開写真■5児の母・堀ちえみ 24年ぶり決意のグラビアで魅せた肢体■堀ちえみ 新恋人と出会うため犬を連れてウロウロしていた■頻繁に渡韓の堀ちえみ レーザー整形と舌がんに関係あるか■堀ちえみが82年組同窓会を希望、明菜への連絡係は小泉今日子

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    朝ドラ『なつぞら』女優ポーズを崩さない松嶋菜々子が浮いている

    上村由紀子(フリーライター) NHK朝ドラ100作目の『なつぞら』が絶好調です。 初回から約2週にわたって主人公・奥原なつの子供時代のエピソードが続き、それがドラマチックかつ子役の粟野咲莉(さり)が非常に巧みだったため、高校生になったなつ=広瀬すずへのシフトも心配されました。しかし、なつが幼なじみに北海道時代を回想し語るという構成を取ったため、そこは難なくクリア。 かつて「生涯で一番思い入れがある作品」と大河ドラマ『真田丸』について語った草刈正雄も、スタッフの多くが『真田丸』と重なる『なつぞら』の現場で、なつが身を寄せる柴田牧場の牧場主・柴田泰樹(たいじゅ)役として大フィーバー。いかんなく『アルプスの少女ハイジ』のおんじ感を醸し出しつつ、ドラマに深みを与えています。 広瀬すずは馬を乗りこなし、死にかけている子牛に人工呼吸を施して、山に向かって「教えてー!」と叫ぶなど、十勝に生きる酪農少女を好演。クラスに女子が2人のみという状況の中、もう1人の女子・よっちゃんを牛に見立てて蘇生術を再現するなど、「美少女だから何やっても許されると思ってんじゃねーぞ!」的なキャラクターを楽しそうに演じる姿はとてもチャーミング。 そんな『なつぞら』の中で、何とも言えない違和感をまとっているのが、柴田牧場の柴田剛男と富士子夫妻。演じているのは藤木直人と松嶋菜々子です。JALボーイング737型機に特別塗装された「なつぞら」=日本航空羽田格納庫(撮影・矢島康弘) もともと剛男となつの実父は戦友で、どちらかが戦死したら残った方が相手の家族を助けようと約束を交わした仲。剛男はその約束を守り、戦災孤児として東京の施設に収容されていたなつを引き取り、十勝へと連れ帰って、家族の一員として育てることに。 なつには兄と妹がいるはずなのに、どうして剛男はなつ1人を十勝に連れて行ったのか。ドラマの冒頭、そんな疑問を持った視聴者も多いと思うのですが、藤木直人から表出するほわんとした天然感で「あれ、取りあえず見つけた1人だけ確保しちゃった?」と思わずにはいられませんでした。実際は、兄は自分の意志で東京に残り、妹は親戚の家に預けられていたわけですが。 また、剛男は北海道の家族にも戦友の遺児を連れて帰ると伝えていなかったため、十勝サイドもプチ混乱。ある日突然、戦地から帰ったお父さんが見知らぬ女の子を連れていたら、待っていた家族もそりゃあびっくりしますよね。報告、連絡、相談大事。松嶋の「女優ポーズ」 この剛男と富士子の夫婦、驚くくらい「酪農感」がありません。なつ役の広瀬すずが役作りのために体重を増やし、日焼けした状態を表現するのに顔をドーランで汚しているのと対照的に、松嶋さんは完璧なスタイルにきれいな白い肌メーク。牧場を歩く時も二の腕がスっと美しく見えるポーズを忘れない姿はさすが「女優」。役としての生活感がないというか、生まれてからずっと父親に育てられ、幼いころから酪農に携わってきた空気が1ミリも感じられないというか。 藤木さんからも土の匂いが全くしない。もともと柴田家の入り婿である剛男は、泰樹が連れてきた富士子の婿候補の中で完全なダークホース。いつも本を読んでいて、コイツはないな、と泰樹が思っていたところ、富士子が選んだのが剛男だったという結末。 そう、なんかこうこの2人って、戦後すぐの北海道で大地に根付いて自然とともに生きている夫婦のテンションじゃないんですよ。夏休みで東京から親戚のところにホームステイしてます感が強過ぎて。今は農協にお勤めの剛男なんて、おしゃれなカフェで普通にパンケーキとか食べてそうですから。泰樹おんじが十勝を開墾したゴリゴリの開拓者の風情なのとは真逆のたたずまい。 女優、特に松嶋菜々子のように、ずっと主役かヒロインの枠で常に画面の中央に立っていた人が、ある時期から「主役のお母さん」をはじめ、助演に回ったり、役柄が変わっていくのって、ご本人の気持ちを考えてもなかなか難しいことだと思います。そういえば、50代以上の日本の女優で主演オンリーなのって、今や沢口靖子姫、もしくは吉永小百合王女しかいない気が。 だけどこのままだと、『なつぞら』の富士子ちゃんこと松嶋さん、過去の朝ドラヒロインが100作目に大集合!のうちの1人で終わっちゃう気もするのです。もっと富士子のたくましさや本当の強さをしっかり見たい。今は比較的出番も少なめで見せ場もほぼない「おしん」こと小林綾子がこの先本気を出してきたら大変ですよ。向こうは橋田壽賀子ファミリーよ。女優、松嶋菜々子=2018年1月12日、東京・丸の内(撮影・中井誠) もちろん『なつぞら』のヒロインはなつなので、彼女を中心に物語が展開するのは当然ですが、もう少し泰樹以外の柴田家の人々もじっくり見たいなあ、とも思うわけです。あまりにいろんなことがきれいで生活感がなく、北海道の美しい景色がバンバン映し出されるのを見ていると、リアリティーがなさ過ぎて、ちょっとむずむずしてしまう。 と、好き勝手書いていたら、あっという間に泰樹は農協への加入を決め「舅VS婿のミルク問題」は30秒で解決。えええー、さすが朝ドラ。ヒロインが舞台に立ったことをきっかけに、あんなにくすぶっていた火種もあっさり消えちゃうんですね。そしてなつが東京に向かうことで事態はいろいろ動きそうな予感。今後の展開がどうなるのか、柴田牧場の牛とともに見守りたいと思います。■NHK『トクサツガガガ』私が一瞬、涙目になったワケ■NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった■『半分、青い。』共感できないヒロイン、それでも私は好きである

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    NGT山口真帆卒業「秋元康よ、AKBを去れ」

    デューサーの秋元康氏の姿勢は、筆者にはこのように思えた。 さらに、取り巻きの「アイドル語り」と一部の芸能マスコミも同罪だ。この構造、財務省が主導する消費増税などの緊縮路線と似ている。 4月21日、NGT48のメンバー、山口真帆が101日ぶりに公演に登場し、公演終盤で同グループからの卒業を表明した。山口は昨年末、ファンを自称する若者たちから自宅マンションで暴行被害を受けた。NGT48の運営の対応に不信感を強めた山口は、1月8日に動画配信サービス「SHOWROOM」において、事件の経緯と運営への批判を語った。 ところが、NGT48の運営は沈黙を守っただけでなく、あろうことか山口を3周年記念公演の場で謝罪させるという暴挙に出た。結局、この問題は国際的にも大きく取り上げられ、さらに注目が集まった。暴行事件の被害者に、運営サイドが公衆の面前で謝罪させ、自らの責任には一切触れないという非道ともいえる姿勢は、社会的にも大きな批判を浴びた。 社会的な批判を受けて、AKSは3人の弁護士からなる第三者委員会を設置して事件の調査を行った。しかし、3月22日に調査報告を行ったAKSの松村匠取締役らの記者会見を視聴していた山口本人が、自身のツイッターでその報告書に書かれていない事件の核心について率直に告発したのである。この告発が記者会見と同じタイミングで行われたことも、強い社会的な関心を引き起こした。2019年4月21日、便箋につづったメッセージを読み上げる形で卒業を発表したNGT48の山口真帆(C)AKS 暴行事件を直接引き起こした若者たちの社会的責任が重大であるのは、言うまでもないことだ。不起訴処分であったから「無罪」というのは、法律的に結論付けられても、社会的な良識からはもちろん許されるべきことではない。 そしてこの問題の深層には、AKSという組織、その幹部たちの精神的な腐敗というものが強く関わっていることが、山口の告発からわかる。先ほどの「報告書に書かれていない事件の核心」とは、そのことを意味する。山口の告発を引用しよう。私は松村匠取締役に1月10日の謝罪を要求されました。私が謝罪を拒んだら、「山口が謝らないのであれば、同じチームのメンバーに生誕祭の手紙のように代読という形で山口の謝罪のコメントを読ませて謝らせる」と言われました。他のメンバーにそんなことさせられないから、私は謝りました。助長されたミスリード 前代未聞ともいえる暴行被害者の謝罪について、AKS幹部である松村氏の直接的な関与を訴えたのである。AKSの体質が極めて社会的な常識を逸脱することが、このツイートからも明白である。 既に、AKS側が山口とのコミュニケーションを取る努力を十分にしていない可能性も公にされていた。一方で、一部のアイドル語りの論者やマスコミの中には、山口の「思い込み」というミスリードを流す傾向も見られた。 これらも、山口への精神的重圧を生み出してきたことだろう。もちろんそのような報道について、事務所側は積極的に否定するどころか、放置したままである。それどころか、ミスリードをむしろ助長したのではないか、という疑いもある。山口のツイッターには、以下のように書かれていたからである。記者会見に出席している3人は、事件が起きてから、保護者説明会、スポンサー、メディア、県と市に、私や警察に事実関係を確認もせずに、私の思い込みのように虚偽の説明をしていました。なんで事件が起きてからも会社の方に傷つけられないといけないんでしょうか。 少なくとも、AKS側は山口への精神面のサポートを全くしていないか、していたとしても完全に失敗していることだけは明らかである。 21日の公演では、山口とともに、彼女の理解者と思われる菅原りこ、長谷川玲奈のメンバー2人も卒業を発表した。これが単なる卒業報告ではないことは自明である。彼女たち3人が同時に卒業表明することで、今回の問題の核心がNGT48の運営、そしてその主体であるAKSという組織固有のものであることを厳しく指摘したといっていいだろう。記者会見中に山口真帆のツイートを確認するAKSの松村匠取締役(左)ら=2019年3月22日午後、新潟市 問われているのは、暴行事件を引き起こした運営のセキュリティの甘さだけではない。その不誠実で、また社会常識から逸脱した振る舞いによって、AKSはその在り方を厳しく追及されるべきだと筆者は考えている。 何より、暴行被害者を事実上、自らの組織から追い出すとは度が過ぎている。しかも、このようなやり口は、1月の謝罪公演と全く同じ発想に基づいているのではないか。秋元氏の「沈黙」 つまり、AKSには「自らには大した落ち度もなく、むしろ問題はアイドル側にある」とでもいうべき、およそ常識外れの姿勢が見て取れる。今回の山口の卒業報告にもその点が明記されている。 事件のことを発信した際、社長には「不起訴になったイコール事件じゃないってことだ」って言われ、そして今は、「会社を攻撃する加害者だ」と言われていますが、ただ、仲間を守りたい健全なアイドル活動できる場所であってほしかっただけで、何をしても不問なこのグループに、もうここには、私がアイドルをできる場所でなくなってしました。 目をそらしてはいけない問題に対して、「そらせないなら辞めろ、新生NGT48を始められない」というのがこのグループの答えでした。 組織や企業の問題を告発した人間が、その組織から追いやられるというのは、ブラック企業の典型的な手法である。山口がこのような辛い心情に陥り、そしてNGT48を去ることは本当に残念で仕方がない。 またNGT48だけではなく、AKB48グループの総合プロデューサーである秋元康氏の「沈黙」も、非常に問題ではないか。秋元氏の言及は、社会的な批判が強まった1月14日にAKS側が開いた会見で、事件について「大変憂慮している」と松村氏が明かしたぐらいだ。 だが、社会的には、NGT48も他のAKBグループも「秋元康のAKB48」というイメージで見られていることは間違いない。そして彼は、NGT48が順調なうちは、このイメージを利用していたのではないだろうか。NGT48結成直後の2015年、当時の泉田裕彦新潟県知事との対談で、NGTを利用した地方創生について熱く語っていた。 上手くいくときには、AKB48の制作者として自身を売り出し、そして現在のような批判の強い時期には沈黙を続ける。これもまた社会的な常識とはかけ離れているように、筆者には思える。AKB48グループの総合プロデューサーを務める作詞家の秋元康氏 もし「事務所内部での仕事では、アイドルのマネジメントには関わっていない」というムラ的な発想を持ち出すのであれば、「秋元康のAKB48」という虚像で今まで得てきた「対価」を捨て去るべきだろう。率直にいえば、AKBグループから去るべきである、と筆者は思う。 2013年、筆者は『日本経済復活が引き起こすAKB48の終焉(しゅうえん)』(主婦の友社)を上梓した。その書籍では、景気変動と女子アイドルグループの盛衰を指摘した。その際に「予言」したのが、社会的なものとの対立がAKB48存亡の鍵を握ることであった。同著の一節を引用して結びたい。 社会とAKB48の世界は、相互にその関係を深めていき、AKB48も意識的に「社会を変える」位置についたと私は認識しています。その相互のコミットが強まれば強まるほど、AKB48ワールドと一般社会の緊張の度合いもまた強まっていかざるを得ないのです。■ NGT48山口真帆さんへの対応はここがマズかった■ AKBに「トドメ」を刺すのは韓国かもしれない■ 「劇場支配人は神様?」NGT事件で見えたアイドルビジネスの本音

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    あえて振り返る俳優「ピエール瀧」とは何だったのか

    吉田潮(ライター・イラストレーター) 善人だがうだつの上がらない夫、いぶし銀のベテラン刑事からホンマモンの極道まで、現代社会のどのフィールドにもいそうな「人物のリアリティー」を匂わせる役者、それがピエール瀧だった。コカイン摂取による麻薬取締法違反で逮捕という報道は衝撃を受けたし、それ以上に30年近く薬物依存症だったことに驚いた。 起用した側はてんてこまい、特にNHKでは多くの作品に貢献していただけに、対応に追われたようだ。上映や放送、制作物の販売を自粛するかどうかはその媒体の体制や姿勢次第、そこはもう仕方ない。ただ、役者・ピエール瀧に惚れ込んだ人々の思いには同調したい。役者としての貢献度は高かったし、全てをなかったことにする「世の中の潔癖」は恐ろしいと思うので。 ピエール瀧は演技力が抜群にうまいタイプではなかったが、その場の空気を一変させるような存在感に、映画やドラマの作り手は惚れ込んでいたのだと思う。うまい人がほしいのではなく、虚構の世界に一滴の現実味がほしい、そんなニーズに応え続けてきたのだろう。 これはピエール瀧に限ったことではない。特に、NHKはミュージシャンの俳優起用が実にうまい。「主演俳優は大手事務所で順繰りに回す」民放局ドラマの悪しきシステムが一切ない。そして、「CM出演で認知度や好感度が高い=スポンサーを引っ張れる」という広告代理店マターのきなくさい条件も一切不要だ。そのドラマの世界観に本当に合致する人材を引っ張ってくることができる。 例えば、朝ドラ『カーネーション』(2011年)でヒロイン・小原糸子(尾野真千子)のいとこを演じたのが、ロックバンド、黒猫チェルシーの渡辺大知だ。キョトンとした坊ちゃん感を見せる一方で、『サイレント・プア』(2014)では鬱々とした引きこもりの青年役を演じたり、『ゾンビが来たから人生見直した件』(2019年)ではミュージシャン希望の青臭い青年だが、ゾンビになってしまう切ない大役を果たした。NHK放送センター建物のロゴ=東京・渋谷 また、ロックバンド、銀杏BOYZの峯田和伸も同様に、NHKから斬新な抜てきをされた役者である。BSプレミアム『奇跡の人』(2016年)では、落ち着きのないロックなクズだが、目と耳に障がいのある女児と心を通わせる青年を好演。朝ドラ『ひよっこ』(2017年)では田舎でくすぶるビートルズ好きのおじさん役で人気を博した。現在、大河『いだてん』でも気風のよい人力車夫を演じている。 受信料を徴収する皆さまのNHKなので、不祥事が起これば大惨事&大掃除となるのは仕方ないとして、この一連のミュージシャン起用は、民放ドラマ界のキャスティングにもかなりよい影響を与えてきた、と思っている。裏社会の役ばかりに注目 話をピエール瀧に戻す。ひとたび罪を犯すと、裏社会のその手の雰囲気の役をやっていたことばかりが取り沙汰されるが、そこに異論を唱えておこう。連ドラ初主演作はお馬鹿な学園コメディー『おじいさん先生』(2007・日テレ系)だった。 演じる山之内金太郎は、ラクダシャツにステテコ姿、口は常にモチャモチャと動き、つえをつきながら徘徊(はいかい)もする「THEおじいさん」である。不良たちで荒廃しきった高校で、このおじいさん先生がさまざまな案件を解決、というか、和やかに穏やかに鎮静化させるという荒唐無稽なコメディーだった。 すさんだ高校生たちの心の中に実は芽生えている優しさや真面目さを、おじいさん先生が意図せず掬(すく)いあげて、人としての成長を促す、みたいな物語だ。心温まる学園モノと手放しで称賛するにはやや問題があるけれど、とにかく笑える。おじいさんっぷりがそこはかとなくおかしくて。ガタイがいいのに、中腰でブルブルと震えながら徘徊(はいかい)し、たん唾をあちこちにペッと吐き捨てる。頻繁に死にかけては三途の川の手前で蘇る。今まで見たことがないようなスーパーヒーローだった。 また、『64』(2015年・NHK)では元刑事で、今は県警広報官という主役を見事に演じ切った。この役は背負わされているものが実に多く、難役だったと思う。 醜形恐怖症の娘が今も行方不明という家庭の問題、昭和64年に起きた女児誘拐殺害事件を解決できなかった元刑事の忸怩(じくじ)たる思い、そして現在は警察上層部の隠蔽(いんぺい)体質に翻弄(ほんろう)される広報官として、新聞記者連中からつるし上げられる苦悩。熱血漢の一言では片付けられない、複雑な感情を抱えた男を好演した。 映画版もあるが、個人的にはこのドラマ版のほうが真に迫るものがあり、緊張感と憤慨をダイレクトに味わえたと思っている。ただし、新井浩文も出演していたドラマなので、現実的にはお蔵入りなのだが。映画の舞台挨拶に登壇したピエール瀧=2016年03月、東京都千代田区有楽町(撮影・加藤圭祐) もうひとつ、『きんぴか』(2016年・WOWOW)の適役&熱演も忘れられない。跡目争いで捨て駒にされたヤクザと、議員の罪をまるっと被せられた元官僚の秘書、そして、安全保障関連法案の撤回を上層部に命を賭して要求した陸上自衛隊員。この3人が「肚(肝っ玉)」「頭(頭脳明晰)」「腕(腕っぷし)」としてひそかに集められ、腐りきった世の中の巨悪に鉄槌を下す、というドラマだった。さて、ここで問題。ピエールはこの3つのうち、どれを演じたでしょうか。役者ピエール瀧をもう一度 答えは「腕」の陸上自衛隊員。ヤクザは中井貴一、元官僚はユースケ・サンタマリアが演じた。上意下達の組織の中で己の正義に従って動いた熱血漢を、ピエールは見事に体現した。初回、迷彩服に身を包み、上層部の会議にたったひとりで直談判に行き、自衛隊員が戦争に加担させられる法案に断固として反対したのだ。これ、普通のドラマだったら迫力不足のイケメン俳優とか、体育会系御用達俳優が演じて、「キャーかっこいい」で終わるところだが、ピエールの、決してマッチョではない、まんべんなくがっちりした分厚い体型が妙にマッチしていた。 3人の中ではちょっとコミカルな役どころでもあり、家族からは見捨てられた哀しき英雄でもあり、惚れた女を部下に託して身を引く男気のある役でもあり。大立ち回りのアクションも、ロケットランチャーぶっ放す姿も、やたら魚肉ソーセージを頰張る「男気」演技も、さまになっていた。今となっては遠い目になってしまうのだが、役者・ピエール瀧が最もかっこよかった名作でもある。怪演した映画も実に多数あるのだが、今回は割愛。まずはテレビドラマにおけるピエール瀧の功績をちゃんと称えておきたい。 保釈時、七三分けで心なしかやつれた顔でメディアの前に姿を現したピエール瀧。長いこと頭を下げていた彼に願うことは、なにはともあれ長期戦になるであろう治療である。警察と厚労省が解明すべきは、薬物を買った人だけでなく売った人と作った人のルートだ。見せしめの効果は絶大だが、社会的制裁が社会的抹殺になってしまうのはどうかと思う。 保釈され謝罪するピエール瀧被告=2019年4月4日、東京都江東区(撮影・蔵賢斗) 今後、世間の熱しやすく冷めやすい処罰感情をどうとらえるか。テレビ局や映画配給会社の信条が問われることになる。誰がどう判断するか、そこに信念があるかどうか、である。 そして一番大事なのは本人の心だ。治療に専念して、依存症を克服できた場合、どうしたいか。表舞台に復帰したいのか、それとも一般人としてささやかに暮らしていきたいのか。今すぐ答えを出せ、というわけではない。省みる時間は十分にあるはず。勝手ながら私は、役者・ピエール瀧をいつかもう一度観たいなぁと思っている。■ピエール瀧、出演作品の相次ぐ自粛「それでも起用」となぜ言えない■NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった■『半分、青い。』共感できないヒロイン、それでも私は好きである

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    週刊文春に「NO」が突き付けられた日

    網尾歩(コラムニスト) マスコミと視聴者、両方にツッコめるのは芸人だけなのかもしれない。 不倫疑惑を報じられたことをきっかけに引退を表明した小室哲哉の記者会見を受け、疑惑を報じた週刊文春が「炎上」した。これまでタレントや政治家など数々の有名人の不倫を暴いてきた文春。2016年には「センテンススプリング」や「文春砲」が新語・流行語大賞がノミネートされ、この年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞にはベッキーの不倫スクープが選ばれた。 有名人の不倫を次々とスクープする文春砲を肯定的に捉える世論が強かった中、これまでも少なからず批判はあった。ジャーナリズム大賞の受賞については、少なくともネット上の一部では批判が噴出していた。「日本のジャーナリズムはずいぶんと高尚なんだね!」と皮肉る人や、「日本のジャーナリズムは死んだ」と直球で批判する人もいた。 また、ホリエモンこと堀江貴文は2016年末に自身の熱愛疑惑が報じられたことなどから、一貫して文春を批判。記者を名指ししたり、「人間の屑の集合体」など厳しい批判を繰り返していた。 とはいえ、今回ほど文春が批判に晒されるのは、「センテンススプリング」以降では初めてのことだろう。先日、検索欄に「週刊文春」を打ち込むと、サジェストされたのは「やりすぎ」という言葉だった。 多くの人が指摘している通り、これまでの文春砲がほぼ好意的に迎えられ、今回がそうでなかった理由は、小室の「介護問題」や引退表明への同情があるのだろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 昨年末、ウーマンラッシュアワーが「THE MANZAI」で見せたネタが話題になった。日本ではタブー感のある政治問題に切り込み、最後は社会問題よりも不倫報道ばかりに興味を持つ「国民」を強烈に皮肉った。「本当に危機を感じなければいけないのは」「国民の意識の低さ」の掛け合いの後、村本大輔は「お前たちのことだー!」と観客席に向かって言い放った。テレビを見ている私たち一人ひとりが批判されたわけである。今後の不倫報道は変わるか 不倫なんてくだらないネタを、いつまで面白がって騒いでいるのか。「お前たち」のレベルが上がらなければ、報道(ネットスラングで“マスゴミ”)のレベルも低いままだ。村本のネタにそんな意図があったとすれば、今回の文春砲に「国民」が「No」を突きつけた動きは、一歩前進とも言えるのかもしれない。 こうなってくると気になるのは、今後、この騒動の余波が収まらぬ中で文春もしくは他の週刊誌が不倫を報道したとき、世の中はどのような反応をするのかである。「小室さんの不倫報道はダメだけど、○○ならいい」、そのような線引きが始まるのだろうか。 “ベッキーの不倫は、これまで「いい子」を演じてきたタレントの醜聞だから面白がれた”“小室の場合、妻を介護する日常の中で起こったことであり、天才と言われたアーティストが「こんなこと」で引退するのは忍びなく、面白がれない” 大衆の、そのときの感覚によって、「私刑」しても良いかどうかが決まる。この流れのきっかけをつくってしまったのは文春だ。そして今回のように、風向きが突然変わり、文春自身が「私刑」に遭うことがある。 騒動後、文春の新谷学編集長は、カンニング竹山との対談の中で、ベッキーへのバッシングについて「予想できなかった」「かわいそうだと思った」と語った。この対談をAERAで振り返ったベッキーと同じ事務所である竹山は、「事前に用意してしゃべった言葉だろうなとは思いました。でも、報じた立場ならそう言うしかないよなとも思いましたね」と冷静に分析している。参考:カンニング竹山が週刊文春編集長との対談で感じた違和感(AERA) また、竹山は週刊誌のスクープを引用して報じるだけのテレビについて「ニュースをパクって火を付けて、油を注いで大騒ぎにしちゃった」と批判。さらに、「記事を読んでもいないし、その雑誌を買ってもいないのに、テレビで引用されるものを見て『ああでもない、こうでもない』って騒ぎ立てたのは我々視聴者であって、世間じゃないか」と続けた。 人のプライベートに土足で足を突っ込む週刊誌、そしてその騒ぎを大きくするマスコミやネットメディアは批判されてしかるべきだが、その批判からはそれを面白がってきた視聴者も免れない。これはウーマンラッシュアワーのネタと同じ示唆である。 ネットで誰もが発信できる時代、大手メディアは以前ほど絶対的な存在ではない。今回の文春バッシングのように、受け取り手である「大衆」は、「No」をメディアに突き付けることができる。ただしそのバッシングが権力ではなく、ただ不倫をしただけの有名人に向けられてきた過去について、どのように考えている人が多いのだろう。今後の不倫報道はあるのか、またそれについての反応を注視したい。

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    AKBに「トドメ」を刺すのは韓国かもしれない

    かに、かつ速やかに火消しを行ったでしょう。しかし、AKB48グループは、何だかんだ言ってもしょせんは芸能界の新興勢力。やり方がマズければ、マスコミだって全力でたたきはじめます。ジャニーズみたいに、右にならえの翼賛体制でサポートしてはくれません。 しまいにはAKS社が、第三者委員会の報告書として、「事件が起きたのは新潟の都市部が狭く、交通機関が発達しておらず、またファンの絶対数が少ないという特殊性があったため」という文書を公開。地域型アイドルなのになぜか地域をディスり始める、謎の事態に発展しております。 そんなわけで、騒動は運営側自らの手によって、現在進行形で延焼拡大しているところです。今やNGT48は新潟でのレギュラー番組が消え、地元のイベントも中止が相次いでいます。NGT(NIIGATA)と名を冠しているのに、新潟がらみの仕事がガンガン減っているわけです。グループの趣旨的にも、マズいんじゃないでしょうか。NGT48の山口真帆への暴行被害事件を受け、第三者委員会を設置して原因を調査していた運営会社のAKSが新潟市内で会見=2019年3月、新潟市(小山理絵撮影) 一方、AKB48グループが毎年実施しているメンバーの人気投票、いわゆる「総選挙」も、今年は行わないという発表がありました。やらない理由としては、昨年が10回目の実施だったから、ということのようです。 人気メンバーを決めるのに、10回目だろうが20回目だろうが、節目も何もないように感じますが、運営側のコメントによると「区切りというのが大きな理由」とのことです。まあ新潟の事件も、あくまで「小さな理由」としては計上しているんじゃないでしょうか。韓国は「世界標準」 もっとも、AKB48グループはもともと、グループの運営組織がメンバー全員をガッチリと管理しているわけではありません。メンバーのマネジメントを一元的に行う組織としてはAKS社が有名ですが、人気メンバーは在籍中から積極的に他プロダクションへと移籍します。 言い換えれば、AKB48グループとかAKS社というのを、あくまでもグループ卒業後にさらなる芸能活動をするための通過点としてとらえているメンバーも少なくない、ということです。 というわけで、AKB48グループ本体が不祥事で求心力を失いつつあるならば、ここをステップにして、外部での活動を模索するメンバーが今後さらに増えていくものと思われます。 図らずも、昨年から本格的に始動しているAKB48グループの日韓共同プロジェクト「PRODUCE48」などは、メンバーにとって理想的な「外部」になりつつあります。 このプロジェクトは韓国の音楽専門チャンネル「Mnet」の企画で、簡単に言うと視聴者投票型のアイドルオーディション番組です。 ただ、そこで選ばれるメンバーは、当然のことながら日本とは違います。楽曲や意匠はAKB48っぽいのに、セクシーなルックスやダンス、歌唱力の高さは明らかにK-POP風という、アイドルファンとしては「なんだこれ見たことねーぞ」的な面白さがあるのです。 このオーディションには、日本のAKB48からも何人かメンバーが参加しましたが、いずれも敗退。K-POP直系の、高度なパフォーマンス力に圧倒されてしまいました。東京・秋葉原のAKB48劇場=2014年6月(小山理絵撮影) そもそも、なぜK-POPのアイドルは日本に比べて超絶ハイクオリティが好まれるのか。それは、もともと日本のエンターテインメント産業が世界第2位の規模だったことに関係します。 要するに、日本はガラパゴスな市場でも十分カネ周りがよかった、ということです。運営側とメンバーは日本人向けの商品を作って、ファンである日本人もそれを楽しんで、みんな海外なんて意識しなくても、生きていけた。 これに対してK-POPの産業規模は、もともと日本よりずっと小さかったわけです。だから韓国内だけでなく欧米やアジア市場で買ってもらう必要があった。そんなわけで、次第に楽曲やパフォーマンスがグローバル標準に洗練されていったのです。正気じゃない運営 PRODUCE48に参加したAKB48のメンバーも、日本では優れたパフォーマンスを披露していました。しかし、世界標準の韓国では太刀打ちできようはずがありません。高橋朱里や竹内美宥などはショックを受け、オーディション後まもなくAKB48を卒業してしまいました。 ただし、彼女たちは現在、今後は韓国で活動したいと意欲を見せています。これはつまり、彼女たちはいい意味で「世界を知った」ということです。AKB48グループは、国内では文句なしに最大の規模を持つアイドルグループです。しかし、その外にも世界は存在した。それを知って世界に出て行くのは、いいことじゃないでしょうか。 まあ、アイドルファンとしては永遠にグループにいる姿を追い続けたい気もしますが、より「訓練された」アイドルファンになると、卒業して順調にキャリアを伸ばしていく「推し」を、微温的なまなざしで応援するようになっていきます。 しかも近年では、アイドルグループのメンバー脱退や別グループ加入も珍しくないのです。だから所属グループ内の雰囲気があんまりよろしくないのであれば、もう、保護者のような気持ちで、「ああ、早く外部に出てほしい!そうしたら気兼ねなく応援できるようになるのに!」と思うファンも増えるかもしれません。 まして、AKB48グループ本体がゴタゴタしているのであれば、国内にこだわる必要はないわけです。韓国での活動を明らかにした高橋朱里(左)=2015年9月(山内倫貴撮影) そんなことをやっていると日本の貴重なアイドル人材はガンガン国外流出しますが、第三者委員会の報告書で、「日本の地域社会でアイドル活動するのが間違っている」的な開き直りが書かれていたのを見るに、運営サイドは意外とのほほんと構えているようです。つまり、メンバーを手厚くケアして、日本にいてもらおうという気はないのかもしれません。 しかし、そういう運営側が雇用者を軽視した体制が、他国への人材流出をガンガン招いているのは、既にアイドルに限らない分野の例で明らかです。早く正気に戻っていただきたい次第であります。■元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑■「劇場支配人は神様?」NGT事件で見えたアイドルビジネスの本音■NGT48山口真帆さんへの対応はここがマズかった

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    文春砲「関ジャニ錦戸脱退」にジャニーズが沈黙を続ける理由

    く問題のない円満な例など皆無といっていいぐらいだ。 では、なぜ錦戸の脱退話が浮上したのか。そもそも、芸能人の場合、グループや組織の一員としての立場と、ソロ活動ではかなり差異がある。例えばグループの曲は作れないが、ソロ活動としての曲なら作れるといったアーティストは少なくない。 「たのきんトリオ」のメンバーで、後にバンド「THE GOOD-BYE」に参加した、野村義男(よっちゃん)は、かつて「他の曲は作れるがTHE GOOD-BYEの曲は作れない」と悩んでいた。 チェッカーズの藤井フミヤやLUNA SEAの河村隆一らも同様に「組織」(バンドやグループ)と「個人」で活動の性格が異なってくる。要は、同じ人がマイクを持つにしても、ステータスやポリシーも変われば、できること、やれることの全てが変わってくる。 こうしたことを前提に、錦戸について言えば、最近では昨年のNHK大河ドラマ『西郷どん』やフジの月9ドラマ『トレース~科捜研の男~』に出演するなど、俳優としての地位を確立しつつある。一目瞭然だが、俳優と関ジャニのメンバーでは、同じ芸能活動であってもまったく種を異にする。 その中で、音楽的な実力を持った渋谷すばるが脱退し、さらにSMAPや嵐の例を目の当たりにしただけに、関ジャニの活動が足かせに感じるようになってきているのは確かだ。(イラスト・不思議三十郎) また、錦戸が脱退や解散を口にし始めた理由はもう一つある。関ジャニは当初、文字通り8人でスタートしたが、当時未成年だった内博貴が飲酒騒動を起こして脱退。その後は7人となったが、錦戸にしてみれば、7人で現在の地位を築いたグループとの思いが強く、誰か一人抜けても加入しても、それは関ジャニではなく他の違うものだと言いたいのだ。 渋谷の脱退会見の際、錦戸だけが「残ってほしかった」と話し、涙を流していたのは、人一倍こうした思いが強いからだ。渋谷脱退を機に、錦戸は関ジャニも解散するべきだとの思いが強かったようだが、今回自身も脱退する意志を固めたことで、再度解散を持ちかけたのだろう。 振り返れば、錦戸はかつて関ジャニとNEWSを掛け持ちしていた。既に原型をとどめていないNEWSを脱退して関ジャニを選んだ錦戸だから言える「オリジナル」の重要性を強調してきたことはよく知られている。嵐の活動休止が影響? また、SMAPの解散や嵐の活動休止の際にも指摘してきたが、人気アイドルグループが「長寿化」する傾向が強い今、金銭的にはもちろん、個人の能力にも自信を持っているだけに、同様のケースが連鎖的になるのは当然だ。 SMAPは解散したが、嵐をはじめ、TOKIOやV6などを見ていれば、このまま年を重ねていくことに不安を感じずにはいられない。錦戸は今34歳だが、そろそろグループからの脱却を本気で考える年になったというだけだ。要するに錦戸は、すでにオリジナルでなくなった関ジャニを無理に続けるより、それぞれの道を歩むべきだと考えているのだ。 世間ではジャニーズの崩壊などと煽るが、これは別にアイドルグループやジャニーズに限ったことではない。 ただ、錦戸の脱退騒動がこれまでと違うのは、ジャニーズ事務所の対応だろう。関ジャニほどのグループの騒動にもかかわらず、沈黙を続けている。もちろん、不祥事ではない以上、早急な対応は必要ないだけではなく、週刊文春の報道と言えども、ジャニーズ事務所は反応するに値しないと判断しているようだ。 また、これまで僕が何度も指摘してきたが、社長のジャニー喜多川氏は2020年の東京五輪しか頭にないといっても過言ではない。滝沢秀明(タッキー)を後継指名したことと、嵐の活動休止を五輪後まで担保したことで、関ジャニの処遇など問題視していない可能性もある。 ただ、本来なら、ジャニーズ事務所が明確に否定するか、記者会見を開いて錦戸の脱退や解散について説明させてもいいはずだ。これは、やはり嵐の活動休止の影響がないとはいえないだろう。(イラスト・不思議三十郎) すでにジャニーズは関ジャニの処遇についていくつかの案を持っているとされており、関ジャニのコンサートや出演番組などへの影響を最小限にするタイミングについて、実質的に事務所を切り盛りする副社長の藤島ジュリー景子氏が頭を抱えているようだ。 嵐が2020年末での活動休止という形で円満に公表した直後だけに、関ジャニの活動休止や解散、錦戸の脱退のタイミングについては、さすがのジャニーズもすぐに決められないのだろう。 今回のジャニーズの沈黙の背景には、ジャニー氏の明確な指示がないことに加え、嵐の活動休止の前か後かなど、円満に軟着陸させるための時間稼ぎの可能性が高い。 先にも記したが、錦戸の脱退、もしくは関ジャニそのものの解散や活動休止についての正式発表は、そう遠い話ではない。■キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由

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    NHK大河『いだてん』受動喫煙騒動から学んだ3つの教訓

     社会が高度に情報化されたことで、人間関係の難しさも表出している。大人力について日々考察するコラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。* * * 今日もあちこちで、いろんな人がいろんなことにクレームをつけています。立場や考え方は人それぞれ。誰もが自由に意見を言える世の中は、もちろん素晴らしいに決まっています。いっぽうで、どんな意見にも異論や反論があるのが常。今日もあちこちで、無益な炎上や対立が起きています。 NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』の中で、タバコを吸うシーンがちょくちょく出てくることに対して、公益社団法人「受動喫煙撲滅機構」が抗議の意を示しました。2月にNHK会長と番組担当責任者に宛てて、〈『いだてん』受動喫煙のシーンに関する申し入れ〉を送付。そこには、以下のふたつの要望が書かれています。一、『いだてん』において、受動喫煙のシーンは、今後絶対に出さないでください。二、『いだてん』で、受動喫煙場面が放映されたことについて、番組テロップなどで謝罪をしてください。 抗議の件が報じられると、その行為を称賛する声とともに、多くの反発の声が上がります。機構にも批判的な電話やメールが寄せられたとか。『いだてん』が描いているのは、おもに1910~60年代。その時代は街中でタバコを吸うのは当たり前の光景でした。元陸上選手の為末大さんも、ツイッターで「(申し入れは)無視していい。歴史は歴史で、その時代に事実だったものはそのまま残すべきだと思う」と投稿。ちなみに為末さんは、受動喫煙防止の活動に取り組んでいます。 NHK側はその後、無視せずにちゃんと返事を出しました。「(主人公の)キャラクターを表現する上で欠かせない要素として描いておりますが、演出上必要な範囲にとどめております」「番組の表現が視聴者の皆様にどのように受け取られるか、配慮しながら番組制作をして参りたいと思います」などと回答。それを受けて機構側は、3月6日に「(NHKが)受動喫煙を撲滅する方針を失っていないと判断致しました」という見解を発表して、事態はいちおう決着しました。 いつの間にか世の中は、誰かが大きな声で「喫煙はケシカラン!」と叫べば、言われた側は黙り込むしかない状況になっています。「そんなに目くじら立てなくても」なんて言おうものなら、どんな罵声を浴びせかけられるかわかりません。しかし、今回は少し風向きが違ったようです。ネット上などでも「そこはまあ、いいんじゃないの」という声が、いつになく目立ちました。東京・渋谷のNHK放送センターにあるスタジオパーク(ゲッティイメージズ) 回答を読むと、NHK側は「今後、喫煙シーンは出さない」とはひと言も言っていません。しかし機構側は、意外なほどすんなり矛を収めました。もしかしたら、「おいおい」という声が多い雰囲気を察知したのでしょうか。あるいは、ニュースになって「喫煙シーンを出すと面倒なことになる」とメディア側にあらためて認識させたことで、十分に目的が果たされたのでしょうか。 私はタバコは吸いませんが、嫌煙を主張する声がヒステリックな方向で高まっていく風潮には「嫌だなー、煙たいなー」という気持ちを抱かずにはいられません。ただ、だからといってこの出来事に対してケンカ腰で異を唱えたら、静かにタバコを楽しみたい方々に間接的に迷惑をかけてしまいます。意見が違う同士でも、たとえケンエンの仲でも平和に手を取り合える世の中を目指して、昨今の嫌煙ムードの高まりや今回の騒動から、がんばって3つの大人の教訓を学んでみましょう。一.気に食わないことに文句をつける場合は、なるべく極端な例をたくさん集めて「それでも認めないあなたは人でなしだ」という流れに持っていく一.誰に何を謝ればいいのか、そもそもなぜ自分がそれを要求できるのかよくわからなくても「謝罪してください」と言えば優位に立った気になれる一.世の中で一定の支持を得ている「正論」だからといって、それをタテに調子に乗って何でもかんでもクレームをつけると味方からも引かれる とてもためになる勉強をさせていただきました。ありがたいことです。もしかしたらカチンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、平和を求める姿勢に免じて、寛大な心で受け止めていただけたら幸いです。苦手な方が多いかもしれませんけど。関連記事■大河『いだてん』 五輪メダリスト投入のテコ入れ案も■『いだてん』視聴率低迷を加速させる「ストレスコーピング」■日曜20時の視聴率争い 『イッテQ』『一軒家』と他局の違い■JTが発売の新・加熱式たばこ 力の入れ方は「半端ない」■肺がんや肺炎の兆候、2週間咳が止まらなかったら要注意

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    ピエール瀧、出演作品の相次ぐ自粛「それでも起用」となぜ言えない

    など活動の幅が広く、多方面でさまざまな対応が行われた。 このような事件が起こるたびに議論になるのが、芸能人の逮捕で出演番組の「お蔵入り」や差し替え、映像・音楽作品の撤去や販売自粛は必要か、というものだ。インターネット上では「作品に罪はない」という意見が多く見られる。先ごろ、俳優の新井浩文被告が強制性交の疑いで逮捕された際も、出演作品の自粛や差し替えなどが相次ぎ、同様の議論があったばかりだ。 タレントの犯罪や不祥事により、対応を迫られる場合を主に三つに分けるならば、「本人の生出演」「収録済みで公開予定の作品」、そして「既に公開されて流通している作品」になる。30周年の記念ツアー中だった電気グルーヴは3月15、16日に予定されていた東京公演の中止を決定した。 また、木曜パーソナリティーを務めていたTBSラジオ『赤江珠緒たまむすび』は公式サイトから関連部分を削除し、代役などについて「協議中」としている。これらは「本人の生出演」に該当し、逮捕で不在となるのだから出演取りやめは当然だろう。 出演中のNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』は「収録済みながら公開予定の作品」に該当する。NHKは直ちに公式サイトから瀧容疑者の写真を削除した。放送こそ継続されるが、主人公に大きな影響を与える重要な役どころだけに降板は避けられない。 瀧容疑者がキリギリスに扮して出演していた住宅設備大手、LIXILのCMも差し替えられ、ユーチューブの公式チャンネルからも動画が全て削除された。ウォルト・ディズニー・ジャパンは、映画『アナと雪の女王』の日本語吹き替え版で瀧容疑者が声優を務めていたキャラクターの降板を発表、11月公開予定の続編も交代する。出身地の静岡市では、瀧容疑者が歌うPRソング「まるちゃんの静岡音頭」に関する自粛対応を決めた。電気グルーヴの石野卓球(左)とピエール瀧容疑者(2015年12月撮影) これらは「容疑者」の段階であっても、一様に起用停止の方向を打ち出している。理由は詳しく示されていないが、視聴者から受信料を受け取る立場のNHKや、税金を投入している事業の静岡市、イメージ重視のスポンサー企業など、立場はそれぞれでも「犯罪者の可能性が高くなった人物の作品を提供するのは好ましくない」という判断をしたことが容易に推察できる。視聴者などからクレームが来ることも想定しての対処だと言われれば「それでも起用を続けろ」とは言いにくい。被害者のいない罪 ただ、「既に公開されて流通している作品」も対象とするのは議論の余地が大きいだろう。セガゲームスは、昨年12月に発売されたゲームソフト「JUDGE EYES:死神の遺言」の販売自粛を発表した。俳優の木村拓哉が主演する同ゲームで、瀧容疑者はヤクザの若頭役を務めていた。また、所属レコード会社もヒット曲「Shangri-La」(シャングリラ)をはじめ、音楽・映像商品の出荷停止や店頭在庫の回収、デジタル配信停止を決めている。 これらが発売されたのは逮捕前であり、あくまで過去の話だ。音楽家の坂本龍一もツイッターで「ドラッグを使用した人間の作った音楽は聴きたくないという人は、ただ聴かなければいいだけなんだから。音楽に罪はない」と述べたように、音楽業界から疑問の声も上がっている。 確かに、この手の判断を一律に適用すれば、店頭や販売サイトに並んだ出演映画のDVDなども完全に撤去されることになってしまう。ユーザーから販売元にクレームが多数寄せられるようなことも考えにくいため、過剰反応に見えるところはある。 そもそも、犯罪加害者の出演作品の撤去は「被害者に配慮する」という理由が大きいが、犯行確認前のものにまで遡(さかのぼ)らないといけないなら、販売商品のみならず、ネット上の人物画像まで削除しなければならなくなる。世の中から人の存在の痕跡を消すことなどは難しく、「売名行為」が仕事のタレントは不可能といえる。 その観点の流れで、一部の識者やコメンテーターなどから「被害者のいない麻薬事件は例外ではないか」とする意見も出ている。もっともらしく聞こえる主張だが、被害者の有無で線引きすることは話を余計にややこしくするだけだ。 麻薬事件では販売者と使用者が同時に逮捕されることがあるが、両者がタレントであった場合、被害者をつくった販売側はアウトで、使用だけの側はセーフとするのも妙な話だ。 賭博罪なども同様で、同じ犯罪でも被害者の有無で区分けするとなると、中には法解釈で被害者かどうかを認定する裁判があった場合、それをひたすら待つということにもなってしまう。安易に「被害者がいるいない論」を持ち出すのは、刑事犯罪の「幅広さ」を想定できていない人の理屈としか思えないのだ。 海外では、米国のように、被害者のいる暴行事件の加害者であっても、逮捕されて裁判を待つ間に試合に出たプロボクサーがいるし、有罪が確定した直後にドラマ出演した俳優もいる。「米国では犯罪と経済活動を分けて考えるところがある」と指摘する米芸能ジャーナリスト、エイドリアン・ゲール氏は以下のように主張する。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「犯行とは無関係な仕事や、犯行前に正当な方法で行った仕事への対価までも奪ってしまえば、犯罪者は社会的活動を一切できなくなってしまう。だから、基本的には法や契約に従うべきだ」 つまり、この見解を裏返せば、契約に明記されない勝手な販売中止は犯罪者側の利益を不当に奪うことにもなるという見方もできるわけだ。だから、日本の一部識者の「作品を公開して、報酬を福祉団体に寄付すればいい」という論調ですら、他人の報酬を勝手に決める「暴論」になってしまうのである。自粛だけが正解じゃない ただ、海外でもシビアに販売を自粛するケースはある。出演者が人種差別発言をしたり、未成年を傷つける犯罪行為など社会的に批判の強い事件や不祥事には容赦ない。米国のベテラン女優、ロザンヌ・バーに対する米ABCテレビの対応はその最たるものだろう。 昨年5月、バーがオバマ前大統領の元アドバイザーを「猿」呼ばわりする人種差別的な発言をツイートしたことを受け、ABCは主演の人気ドラマを即刻打ち切り、バーの降板を決定した。コメディードラマ『ロザンヌ』は21年ぶりの復活で大きく話題となり、視聴率も全米トップを獲得していた。それでも、ABCは「弊社の価値観にそぐわない」という声明をハッキリ述べ、一般論ではなく「当社のモラル」を強く示した上で、人気コメディー女優の降板と番組打ち切りを決断した。 一方でバーの謝罪を受け入れ、起用を継続したメディアもあった。海外ではおおむね「ケース・バイ・ケース」で各社が自主判断をしている印象が強い。日本では、逮捕時点で関係する企業が一斉に「右にならえ」で自粛決定をしているように見える。 実のところ、日本人というのは、このケース・バイ・ケースが苦手な民族だ。筆者は日本とマレーシアを拠点として仕事しているが、多民族国家から見る日本人は「清潔でマナーが良く、仕事をきちんとする」と評判が良いが、「マニュアル以外になると臨機応変の対応が苦手」という印象を持たれることが多い。 本来、各自の判断で決めればよいものでも、「みんながそうやっているからウチも」とする風潮があるのは確かだ。だが、裏を返せば、多様な姿勢を認めにくい社会を反映しているともいえる。 そういう意味では、一部報道にあった瀧容疑者の出演映画『麻雀放浪記2020』が出演部分をカットせず、予定通り公開する方向で調整するという判断は興味深い。同じく公開を控えていた映画『居眠り磐音』が代役を立てて登場シーンを撮り直すことを決めている。映画という有料コンテンツである以上、観客である消費者に判断が委ねられるわけで、「収録済みで公開予定の作品」の対照的な「意思」に注目が集まることだろう。2019年3月13日、関東信越厚生局麻薬取締部が入る九段第三合同庁舎から出てくるピエール瀧容疑者(佐藤徳昭撮影) 自粛を決めた日本の各企業も、それぞれ強いメッセージを打ち出したらどうだろう。例えば「わが社は、いかなる種類の犯罪行為も、社会秩序を守る観点から社会的制裁を受けることもあるというメッセージを発信するため、それが被害者のいない犯罪であったり、『推定無罪』の段階であったりしても、著名人による影響の大きさを考えて、苦渋の決断で暫定的に販売中止を決定しました」と発していたら、その決断自体は現在よりも尊重される可能性も高くなる。議論の余地がある話であれば、起用側による意見発信で、判断基準を形成していくことにもつながるのではないだろうか。■なぜASKAは再び覚醒剤を使ってしまったのか■ASKAが覚醒剤から解放されるためのヒント■NHK『トクサツガガガ』私が一瞬、涙目になったワケ

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    元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑

    ただ一言「玄米を食べて育った」と書くのが絶妙です。 玄米は美容や健康にいいと言われていて、意識の高い芸能人が食べています。有名なのがローラ、吉瀬美智子、綾香など…。ビタミンやミネラル、食物繊維が豊富で、GI値(血糖値が上がる速度)が低い玄米にはさまざまな効果があるとされています。トークショーに出席した篠田麻里子=2014年2月21日(宮田剛撮影) しかし、毎日食べ続けるのは体に負担がかかるという説もあります。無機ヒ素や残留農薬が含まれていると言われていたり、固い殻で覆われているぶん、消化に悪いとも。胃腸が弱い人は、よほど元気な時じゃないと玄米は食べない方が良い、と専門家に聞いたことがあります。 「玄米を食べて育った」という麻里子さまと結婚相手は、もしかしたら生まれつき胃腸が強いのかもしれません。お互いの食生活の好みについて話しているうちに、玄米食の話から健康状態をチェックし合っていたのでしょう。 やはり添い遂げるためには、お互いの健康状態は重要です。そして夫には経済力だけでなく体力も求めていきたいです。「玄米婚」は、「玄米を消化できる体であることを確認」という意味もありました。麻里子さまは、体が頑丈で稼いでくれる、良い夫を見つけたようです…。

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    NHK『トクサツガガガ』私が一瞬、涙目になったワケ

    上村由紀子(フリーライター) そうか、6話まで見てやっと分かりました。このドラマは「親をとるか、オタ活をとるか」って単純な話ではなく、「親の価値観のもとで生きるか、自分の価値観を貫いて生きるか」という、自立の物語だったんですね。 山に囲まれた小さな町に突如ゾンビが現れ、日常と非日常とがせめぎ合う『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』や、4月から放送される『腐女子、うっかりゲイに告る。』など、最近ハネまくっているNHKのドラマ。まるでテレビ東京のプロデューサーが出向しているかのようですが、このテンション、むしろ好きです。中でも回を重ねるごとに視聴者の熱量がグイグイ上がっていったのが、NHK名古屋局制作の『トクサツガガガ』。 小芝風花演じる主人公の仲野叶(かの)は商社に勤める20代のOL。会社では「女子力が高い人」で通っているため隠していますが、実は筋金入りの特撮オタク=通称、特オタ。プライベートの時間とお金をすべて特オタ活動につぎ込み、次第に同じ特オタやアニオタ、ドルオタと仲間も増えてオタクライフを満喫する中、彼女の前に巨大な「敵」が。それは幼少時から特撮を全否定し、叶に「女の子らしい女の子」として生きてほしいと願う、松下由樹演じる母、志(ふみ)の存在です。 今は東京(どう見ても名古屋の風景が映るのに設定は東京)と関西とで離れて暮らしている母娘ですが、かわいいものを愛し、娘にも女の子らしくいてほしい母と、特撮作品が大好きな娘…そんな二人が相いれるはずもなく、叶が志から距離を取ることで、なんとかバランスを保っている状態。しかし、志のサプライズ上京で事態は一転。二人は修羅場を繰り広げることに。 勇気を振り絞り、自分の好きな特撮のことを必死に伝えた叶に対し、志が返したのは「ええ年して、こんなちっちゃい子が欲しがるようなもん集めて。こんなもの大事にして、何になるのよ!」「独りであんた、そんなこと続けるつもり?」というバズーカ砲のような口撃と大事にしているフィギュアの破壊、さらに平手打ちという所業。それに対し、叶も「じゃかましい、クソババア!」と母の頰を打ち返して「親じゃない! 育ててもらった恩とか、大学にかかったお金とか一生かかっても返すから。それでもう家族じゃない、関わらんとって!」と感情のまま言葉をぶつけます。女優の小芝風花=2017年2月(南澤悦子撮影) 痛い…いろんな意味で胸が痛い。自分の価値観こそすべてと信じ、それを娘に押し付けようとする母親と、その呪縛から放たれようともがき、経済的に自立することで親から逃げ切れたと思い込む娘。二人の魂は、子供の叶が大事にしていた特撮ヒーロー雑誌を志が庭で焼いたあの日からずっと止まったままなのに。 このドラマを母と娘、それぞれの視点で捉えると、見える風景が違ってきます。 母の志は叶と兄の望が幼い時に夫と離婚。それ以来、女手一つで兄妹を育ててきました。志は自分の離婚をポジティブに考えていないのでしょう。同じ女性である叶には普通の、幸せな結婚をして家庭を築いてほしい、それには多くの人から愛されるよう女らしく生きることが必要、それなのにこの子は男子が好きな特撮なんかに夢中になって間違った道に行こうとしている、30歳を過ぎたらもらい手もないまま1人で生きていかなくてはいけないのに…私がそれを正さなければ…。そんな思考で良かれと思い、娘を自分の思うルートに乗せようと必死です。今期ドラマの共通点 一方、娘の叶は小さい頃から好きだった特撮を否定され続け、母のマンション立ち入りで特オタがバレるまではそのことを必死で隠していました。経済的にも独り立ちしているし、成人した自分がどう生きようが自由なはず。が、母にはずっと特撮のことを言えなかった。それは心のどこかで母が望む人生を送れていない自分を申し訳ないと思う気持ちを抱えているから。 叶にとって特撮を否定されることはただの趣味を否定されることではないんですよね。それは自分の生き方や価値観を親に受け入れてもらえないことで、「ありのままの自分」を否定されているのと同じ。「毒親」と切って捨ててしまえば簡単ですが、志も心の底にあるのは娘を愛し、大事に思う気持ちであるゆえ、そう単純なことでもない。 世の中的には多様性…ダイバーシティなんて言葉もメジャーになってきましたが、家族の間で問題になるのはいつも「どうしてできないの?」VS「どうして分かってくれないの?」という、交わることのない二つの主張。 それにしても、今期のドラマにはいわゆる「毒親」が山盛りです。『初めて恋をした日に読む話(はじこい)』の主人公、春見順子(深田恭子)の母親、『ハケン占い師アタル』のアタル母、そして『トクサツガガガ』の志。そういえば『まんぷく』で今やおちゃめな存在として福子をサポートする母、鈴(松坂慶子)も、放送開始からしばらくはTwitter上で「毒親」と評されていた記憶が。 『ハケン占い師アタル』の場合はまだ見えない部分が多いので置いておきつつ、『はじこい』順子の母、しのぶ(檀ふみ)も志も自分が達成できなかったことを無意識のうちに娘の人生に背負わせているパターン。本人がそこに気づいて呪縛を解けば皆が楽になれるのに、人の心はなかなか難しい…そう簡単にはいきません。 こう言ってしまうと身もふたもないですが、『トクサツガガガ』も『はじこい』も、そして多分『ハケン占い師アタル』も、ある程度前向きな形で母娘の関係に決着がつくのでしょう。だってそれはドラマ、虚構の世界の話だから。女優の松下由樹さん だけど、現実世界を生きている私たちはそうはいきません。自分の好きなものを否定し、価値観を押し付けようとしてきた親はいつの間にか年を取り、「戦う相手」から大抵の場合「守り、フォローする対象」へと変わっていくのです。それはそれでとても切ない。 なんて、過去のモロモロを思い出し、一瞬涙目になりましたが、『トクサツガガガ』はコメディーです! 最終回で叶が作品のテーマでもある「スキなモノはスキ!」をどう貫くのか、ゴールデンボンバーが歌う主題歌『ガガガガガガガ』をともに熱唱しながらしっかり見届けたいと思う次第です。■NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった■キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側■あふれ出すSPEEDのカルマ『Body & Soul』の愛欲が止まらない

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    クイーン映画、日本人はなぜハマる?

    英ロックバンド、クイーンの軌跡を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が異例の大ヒットとなった。日本での興行収入は全米に次ぐ世界2位の100億円を突破。きょう発表される米アカデミー賞では5部門にノミネートした話題の作品だが、なぜ日本人はハマったのか。ヒットの裏側を読む。(©2018 Twentieth Century Fox)

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    サンプラザ中野くん手記「クイーン映画、ヒットの秘密は猫とトキソ」

    サンプラザ中野くん(ロック歌手) フレディ・マーキュリーが大好きである。サンプラザ中野くんだー! フレディになら抱かれてもいいと考えていた。結構マジに。そんなフレディ信者の私は公開早々、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見た。最後のライブシーンでは両手で口を押さえてはみたものの、大号泣は止められなかった。 成人してから、喉が枯れるほど泣いたのは、父親が死んだ時と、忌野清志郎さんが亡くなった時、そして20年飼った愛猫の亡き骸(がら)を土に埋めた時だけだ。三十余年前にリードボーカリストとしてロックバンド「爆風スランプ」でデビューした。肩書は「ロック歌手」である。そんな私が『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットを分析してみたい。 これまで4回見た。「Dolby(ドルビーアトモス=最新のサラウンド技術)」「極音(極上音響上映)」「IMAX」、そして「応援上映」を鑑賞した。 1回目はただありがたかった。「フレディありがとう! ロックミュージックありがとうございます〜!」と泣きながら感謝した。2回目は「ロックバンドあるある」シーンに胸躍った。 アイデアが尽きるまで試みるレコーディングのシーン、名曲を生み落とす時の胸の震え、メンバー間の名声や収入差からの不穏な関係性などなど、こそばゆくなるほどリアルに表現されていた。クイーンのメンバーが制作陣に名を連ねているからこそだと思った。 3回目はその完璧さに打たれた。全てのシーンで無駄がない、と。制作にかかわった人々の熱意と愛情と能力に感謝した。そして4回目。見ている間中、ただただ幸せだと気づいた。こんなに至福の134分間を2千円足らずで味わえる幸せに、心の中で手を合わせたよ。 おっと、これでは壮大な『ボヘミアン・ラプソディ』賛歌になってしまう。多少は批評家としての目線が必要だ、と思い起こしたら一つあった。「強いて言うなら、猫の出番がちょっと多い」と4回目を見終えた時、同行者に言っていた。そうなのだ。フレディは大の猫好きだったのである。このポイントから異例の大ヒットを分析してみたい。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox フレディの出身地は、イギリスの保護領だったタンザニアのザンジバル島。家の宗教はゾロアスター教(拝火教)である。祖先はイスラム教に追い出されてペルシャ、今のイラン辺りからザンジバルに渡った、と映画の中でフレディの父親がこぼしている。 ゾロアスター教は、イスラム教の勃興(ぼっこう)に押され東へ、そしてインドを経て中国へ、そこから日本にも渡ってきている。6世紀ごろの話とされる。火や太陽を崇拝する宗教は仏教の中に隠れて渡来したらしい。クイーンを盛り上げた日本ファン 諸説あるが、その際に猫も大陸から日本に渡ったとされる。仏教の経典をかじるネズミを追って船倉に紛れ込んだ、とかなんとか。とにかく、それまで日本に猫はいなかったようである。 ゾロアスター教の中で「猫は悪魔の使い」とされている。そのゾロアスター教をペルシャから追いやったイスラム教。イスラム教では反対に猫を敬愛しているという。 映画の中で、フレディと父親はソリが合わない。これは猫とゾロアスター教の関係と同じである。フレディは厳格な父親から逃げる、あるいは父親を越えようと音楽に没頭する。 むろん、それはフレディに音楽の才能があり、また人を魅了させる能力が高かったからに他ならない。猫のようにしなやかで悪戯(いたずら)な身のこなし、そして魅惑的な歌唱能力。当時、イギリス及び世界で流行っていたロックアーティストは、どちらかというと男らしく、時に獰猛(どうもう)なイヌ科が多かったのではないだろうか。 そこに、女性性をも振りまくエポックメイキングなロックボーカリストが登場したのである。周知の通り、彼らクイーンはイギリスのロックシーンに登場した際、強く否定された。 彼らを盛り上げたのは、日本のファンだと言われている。日本では「ネコ科ロックアーティスト」のフレディが、ハナからモテモテだったというわけだ。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox さて、日本で猫といえば招き猫である。招き猫には人を惹(ひ)きつける能力があるとされている。人が引き寄せられるから、商売繁盛に繋がるのである。 では、なぜ人は猫に惹かれるのか。それは虫に侵されているからである。そう、虫なのである。人も猫も虫に侵されているのである。 その名も「トキソプラズマ」。ごく小さな虫であり、原虫と呼ばれる類いのものだが、猫はトキソプラズマの宿主でもある。つまり、猫とトキソプラズマは共生関係にあり、言うなれば助け合っているのである。「猫の時代」の熱狂 トキソプラズマが体内にいるとき、そのヒトあるいは動物は猫を好きになる。例えば、トキソプラズマに侵されたネズミは猫を恐れなくなる。そして簡単に猫に捕食されてしまうのだそうだ。これは科学的に証明されている事実なのである。 フレディが生まれたザンジバルの街に行くと、とても猫が多いのだそうだ。調べると、現在のザンジバルでは住民の97%がイスラム教徒という。だからこそ、フレディ一家はロンドンに逃げ出していったのではないだろうか。 それはさておき、つまりフレディは子供のころにトキソプラズマと出会った確率が非常に高いのである。そして、猫を大好きになった、と。 また、トキソプラズマに侵された男性はリスクを恐れなくなり、反社会的にもなるとされる。女性の場合は社交的になり、「ふしだら」と揶揄されるほど豹変する人もいるらしい。 実は、そんなトキソプラズマに世界人口の3分の1が感染しているとされている。そして、ブラジルやフランスでは感染率がとても高いという。クイーンが南米で人気が高かったのは、それが原因だったかもしれない。 両性性を持ち合わせていたフレディは、リスクを恐れず反社会的であり、社交的でふしだらでもある。かように魅力的なネコ科のトキソなロックボーカリストに、われわれは心をわしづかみにされてしまった。つまり、われわれも「トキソな人々」と言えるだろう。 ちなみに2017年の調査結果によると、日本では猫の飼育数が犬の飼育数をとうとう上回った。実は、これは世界的な傾向であるらしく、世界各国で猫の飼育数が何十年にも渡って増え続けているという。要するに日本以外にも、トキソな人々は増殖しているということなのだ。ロック歌手のサンプラザ中野くん=2018年4月(宮川浩和撮影) 思えば、クイーンがデビューし活躍した1970年代はまだまだ「犬の時代」だったのだろう。それゆえ彼らもまた不当な評価に傷つけられていたのだろう。「猫の時代」「トキソな時代」を迎えつつある今、ようやくクイーン及びフレディ・マーキュリーは世界的に熱狂的に受け入れられ始めている。ザンジバルから「犬の国」ロンドンにやってきた「ネコ科のボーカリスト」フレディが、幕が開いたばかりの猫の時代を祝うべく、ファンファーレを今高らかに奏でている。それが『ボヘミアン・ラプソディ』なのである。 ということで、かなり斜めの方向から映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットを分析してみました。いかがだったでしょうか。  トキソな時代についに受け入れられた偉大なるネコ科ロックボーカリスト。それがフレディ・マーキュリーなのです。そう思って見ると彼のお得意の握り拳を高く掲げるポーズが招き猫のそれに見えてくる昨今です。ボヘミアンラプソディー、千客万来!※サンプラザ中野くんのオススメ  ボヘミアンラプソディーで泣いた貴方に観て欲しい音楽ドキュメンタリー映画2本『シュガーマン 奇跡に愛された男』『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』■ ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ■ ジブリの時代は終わった ! 「この世界の片隅に」ヒットが意味するもの■ 救いなきR18映画「無垢の祈り」に私の邪心が揺さぶられたワケ

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    映画『ボヘミアン・ラプソディ』日本以外で酷評の嵐だったワケ

    前田有一(映画批評家) クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が社会現象というべき大ヒットとなっている。 近年の映画興行では公開後2週間の動きで、ある程度見切られてしまうものだが、本作は公開から3カ月以上たっても勢いを維持している。こうした特徴は『君の名は。』『アナと雪の女王』といった過去のメガヒット作と同様で、本作もすでに興行収入は116億円を突破、18年の国内全公開作品中ナンバーワンとなった。 しかしこの映画、海外では批評家筋からの酷評が相次いでいることを知る人は、意外と少ないのではないか。 例えばクイーンの本国イギリスのガーディアン紙は、フレディを演じたラミ・マレックの演技こそ褒めているものの「よくできたカバーバンドを見ているようだ」と皮肉っている。また、アメリカのニューヨーク・タイムズも「YouTubeで本物の動画を見たほうがいいんじゃないか」と手厳しい。イギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズに至ってはもっと直接的に「驚くほど悪い伝記映画」とこき下ろす。 彼らが真っ先に触れているのは、主に二つの製作トラブルについてだ。一つ目は監督のブライアン・シンガーが、撮影の3分の2が終わったあたりでスタッフやキャストともめ、クビになったこと。二つ目は、当初予定されていた主演サシャ・バロン・コーエンが、クイーンの現メンバーでエグゼクティブ音楽プロデューサーでもあるブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと衝突し、方向性の違いから降板したこと。こうした出来事を批評家たちはネガティブに紹介している。 さらに同時期には、ブライアン・シンガー監督による17歳少年へのレイプ疑惑も報道された。わざわざLGBTを公言しているこの監督に、ゲイだったフレディの伝記を託したというのに、完成前にそんなスキャンダルが巻き起こるなどシャレではすまない。詳しい降板の経緯は明らかにされていないが、そんなこともあって監督側を擁護する人はほとんどいない。ゴールデン・グローブ賞で主演男優賞を受けたラミ・マレックさん(中央)と、「クイーン」のブライアン・メイさん(左)、ロジャー・テイラーさん=2019年1月6日、米ロサンゼルス郊外ビバリーヒルズ(ロイター=共同) 実はこうした製作トラブルのある映画については、作品の出来不出来にかかわらず玄人筋はあまり褒めたがらない。トラブルには表に出ない被害者がつきものであり、下手に映画を褒めると彼らの恨みを買いかねないからだ。生産者に嫌われると内輪の情報を得られなくなるライターや批評家たちは、立場上そうしたリスクを取りたがらない。 また、そうしたいわくつきの映画がコケたときに絶賛していたとなれば、読者からも鑑賞眼を疑われてしまう。だから業界人的には、公開前に『ボヘミアン・ラプソディ』を褒めるのは、極めてリスクだったわけだ。 だが、ふたを開けてみれば、大衆は本作を手放しで絶賛。全世界で大ヒットし、米アカデミー賞でも5部門にノミネートされた。こうなると、今さら後に引けない批評家たちによる未練がましい酷評の的外れぶりが、逆に気の毒にさえなってくる。日本で大ヒットの理由 ちなみに日本における人気ぶりは、世界的に見ても突出しており、現在アメリカに次ぐ第2位の興収を上げている。なぜ『ボヘミアン・ラプソディ』は、ここまで日本人に広く受け入れられたのだろうか。 その理由は、業界のしがらみなんぞに遠慮せず、いち早く本作を各メディアで絶賛して回った私のようなガチンコの映画批評家がいたからだ…と言いたいところだが、実際のところは、製作時のゴタゴタなど気にもせず純粋に映画の感動を口コミで広めた、心ある日本の観客たちの拡散パワーによるものだろう。 それでも、誰もがここまでのヒットを予測していない公開前の段階で「『カメラを止めるな!』に続く社会現象的大ヒットになる」「一度はIMAXスクリーンを明け渡すが、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』が失速するであろう冬休み明けには、再び独占上映されることになる」とまで正確に予測してメディア上で発言していたのは、日本広しといえど私1人だったわけで、この場を借りて日本における本作のメガヒットを改めて分析する資格くらいはあるだろう。 まず、純粋に作品の出来が良かったのはもちろんだが、それ以外の要素となると、木村拓哉主演『プライド』をはじめとするテレビドラマや、CMなどに絶えず楽曲が使われ続けたおかげで、リアルタイムのクイーンファンである中高年より若い世代にバンドの知名度が受け継がれていたことが大きい。 「Let It Go」をロング予告編で日本中に流しまくり、脳内でリフレインさせる宣伝戦略で成功した『アナ雪』が証明したように、「音楽映画は事前に劇中曲を可能な限り拡散しておく」のは、今や映画宣伝における鉄則。なにしろ音楽映画やミュージカル映画は、「初見の曲」ではなかなか盛り上がれない。 人々は「お気に入りの曲」を音響設備が整った劇場で、大勢の人々とともに「体験」したいものだ。そして、ひとたび心地よい鑑賞「体験」ができれば、彼らは一般劇場からIMAX、応援上映とリピートしてくれる。大事なのは、人々は「体験」には、何度でも追加料金を支払ってくれるということだ。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox 「体験」にこだわるこの流れこそが、通常レベルのヒットの壁を突き抜ける原動力となる。そして、主だった曲が既に日本人の脳内の「お気に入り」フォルダに入っているクイーンの場合は、労せずしてそのための最初のハードルを越えていた。 特に本作は、ヒット曲を多少聞いたことがある程度のライトなファンをこそ、メインターゲットとして作ってある。言い換えれば、浮動票を持つ観客にジャストフィットしたつくり。だから、コアなファン以上に彼らがリピーターになった日本市場における流れは、製作者にとってはまさにしてやったり、コンセプトの勝利といえるだろう。あの「違い」こそ魅力 ところが、実はこの点こそが、先述した英米の酷評記事がそろって批判するところでもある。いわく、脚本がウィキペディアをなぞっているように上っ面で、フレディたちの真実の姿に迫っていない。クイーンの音楽性の停滞やフレディの薬物、セックス、メンバーとの不仲などマイナス面を十分に描いていない、等々…。 要するに、史実・事実をいいとこどりしている、偽善的で、クイーンの本質を知りたい大人の鑑賞にたえない、というわけだ。 しかし、もともとそうした「大人の映画」とは逆の方針で作られたのだから当たり前の話で、批判は的外れと言わざるを得ない。 そもそもブライアンたちがサシャ・バロン・コーエンを降板させたのは、サシャが求めた「大人向けのクイーン映画」を作る気が、彼ら現メンバーになかったからなのだ。ブライアンたちが目指したのは、家族連れを含むごく普通の人たちに、フレディが残したものを伝えたい一心にあった。 そのために彼らは、薬物、セックス描写を極力削った。日本ではG指定で小学生でも見られるが、各国でも比較的低めのレーティングに抑えられているのはそのためだ。その上で、近年のホットワードであるLGBT問題について、最期の時まで自らの性をカミングアウトできなかったフレディに代わり大きな問題提起を行った。そんな作り手の意欲と勇気については、もっと褒めてもいいのではないだろうか。 確かに史実については、たくさんの脚色がなされている。例えば映画では、メアリーと別れた後、フレディが別の女優と付き合った件は省略されている。 また、ラストシークエンスとなるライブエイドは、フレディと仲たがいしていたメンバーの数年ぶりの集結のように描かれているが、実際は前年にアルバム「ザ・ワークス」を出しており、わずか8週間前までツアー公演もしていた。そもそもライブエイドが開催された85年には、まだフレディはエイズと診断されていなかったとされる。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox こうした点について、鬼の首を取ったように批判する人たちがいるが、個人的にはそんな意見に惑わされる必要はないと思う。映画は教科書でもなければ記録資料でもない。映画とは、何かを伝えるためにこしらえる、作り手の魂がこもった芸術作品だ。『ボヘミアン・ラプソディ』も、苦しみの中で生きたフレディ・マーキュリーという人物が遺(のこ)した美しいものを、彼を愛する人々が協力して持ち寄り、再結晶させたものだ。 そんな思いが込められたライブエイドのシーンは、実際の記録映像とはあえて違う角度とカメラワークで撮影されている。映画を見た後、実際のライブエイドの中継映像と見比べてみてほしい。それも再現性の高さなどではなく、あえて「違い」にこそ注目してみるといい。 するとどうだろう、映画版では、観客の私たちではなくフレディから見たこの世界をこそ、誰もが感じられるように作ってあると分かるはずだ。だからラミ・マレック演じるフレディ・マーキュリーが「We are the champions of the world.」と歌い上げたとき、私たちはその「世界」の真の意味に近づける。作り物であるはずの映画が、史実を超える瞬間。これこそ映画を見る醍醐味(だいごみ)だ。■「もう一度見ようとは思わない面白い高級映画」スターウォーズ第7作■ジブリの時代は終わった ! 「この世界の片隅に」ヒットが意味するもの■「時代は変わる」ボブ・ディランの受賞は文学と音楽融合の象徴である

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    「少女漫画的なフレディ現象」SNSで爆発したクイーン映画の大衆性

    杉原志啓(音楽評論家、学習院女子大講師) 英ロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』がタイヘンなヒットとか。なにしろ、昨年公開された邦画洋画の全フィルムで100億円超の興行収入を記録したのはこれだけというのだから、スゴイというよりビックリの人気ぶりだ。 むろん、フィルムばかりじゃない。先般、私は用あって銀座の「山野楽器」へ足を運んだが、CDやDVDコーナーはもとより、ギター売場でもクイーンソングの楽譜がズラリ並んでいるではないか。 また、こうした関連物品の便乗ビジネスは当然として、専門的な音楽誌も、一般向け写真週刊誌、NHKや民放の情報番組もこぞってクイーン関連の特集を組んでいる。 さらに、私がこうした現象についていかにもと思わされたのは、昨年末、かねて愛読している産経新聞の連載「モンテーニュとの対話 『随想録』を読みながら」で、同紙の桑原聡氏が、18歳の息子に誘われ、家族3人『ボヘミアン・ラプソディ』を観に映画館へ足を運んだと記し、この作品と映画のテーマソングの魅力を縷々(るる)綴っていたことだった。 つまり、かくのごとく『ボヘミアン・ラプソディ』は確かに今、一つの社会現象になっている。 ところで、ならばこれ「どういう次第で?」と言えば、まず、ファン周知の通り、そもそもクイーンは、かつて日本の夏の風物詩とまでいわれたベンチャーズのごとき、いわゆる「ビッグ・イン・ジャパン」(日本でしか売れていない洋楽の俗称)である。元来、わが国でとりわけ人気のグループだった来歴がある。 要するに、どこよりも日本の女性ファンがいち早く飛びついたとされる映画の主人公、フレディ・マーキュリーの少女マンガ的な倒錯したゲイ・キャラクターの魅力である。また、彼らの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」や「伝説のチャンピオン」がサッカーやベースボールの映像を通じて、いつの間にか多くの人の耳に浸透していたこともある。 しかも『ボヘミアン・ラプソディ』では、通常のフィルム上映に加え、手拍子や声援、ペンライトやコスプレOKという「胸アツ応援上映」なんて企画イベントも評判を呼んだとか。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox それに加え、巷間(こうかん)言われている通り、オフィシャルなウエブサイトが立ち上げられ、作品の内容をちょっとずつ小出しにした煽(あお)りの宣伝手法や、公開以前から各種会員制交流サイト(SNS)で予告動画が出回った。 このシェアがいもづる式に拡大し、連動してツイート数もどんどん増大していくなんて熱波もあっただろう。そういえば、ほんの数日前だが、新聞の文化欄に日本の映画界は「昨年興行歴代3位 SNS後押し」という見出しが躍っていた。クイーンは嵐と同じ? 要するに私のみるところ、ジャンルを問わずこの種の文化商品のメガヒットというのは、まずは普段関心のない層の人々の耳目を集めることが条件となる。『ボヘミアン・ラプソディ』のケースでいえば、ロック音楽にもクイーンにもさして情報や嗜好もない人たちに広く認知され、また大いにウケたということだ。 で、その根底に、SNSに象徴されるデジタル・インフラ=ネット社会の整備と普及・定着があるのも言うまでもない。 実際、今さらだが、スマホの普及と密着するこのインターネットの日常化は、音楽受容の(もというべきだろうが)スタイルにコペルニクス的転換をもたらしたといってもよい。 これは、たとえば今や世界中のほとんどすべての音楽を網羅した超巨大な、しかも無料のデータベースといえるユーチューブ一つを想起するだけで、だれしも一発了解だろう。そしてそんなデジタル機器やソフトの日常化によって、上記のような音楽情報をどこでもだれでも瞬時にして耳目にできるのである。 もっとも、こうしたいわば現代版口コミによる評判の拡散や拡大には、『ボヘミアン・ラプソディ』という映画作品自体やフレディ・マーキュリーなり、クイーンのコピー音楽の出来の良さが大前提となっている。 むろん私も、出来がよろしくないとも考えていない。ただ、私自身は、そもそもクイーンをビートルズやローリング・ストーンズのようなこれほどのメガヒットを当然とする正真正銘のS級アーティストと思ったことはただの一度もない。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox また以前、このフィルム同様の手法で造られたドアーズのジム・モリソンやレイ・チャールズの伝記映画と同様、さして興味がない。なぜなら、精巧なデジタル処理でいかにもホンモノらしくできている作品よりも実物そのものの音楽に耳を傾けていたいというわけで。 にもかかわらず、今般のビックリな現象というわけで、私にはそこに今ひとつデジタル社会における大衆音楽文化の成熟という現状があると思われてならない。 というか、より正確には、今やロック音楽そのものがあらゆるレベルで特別な文化でもなんでもない。それこそアイドルグループの嵐同様、クイーンも老若男女を問わず今や日常的に消費されうるポピュラー・カルチャーの一つと化しているということだ。■ 「嵐は永遠に未完成」ゆえに完璧なアイドルになった■ 「時代は変わる」ボブ・ディランの受賞は文学と音楽融合の象徴である■ ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ

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    ロックはいかにして生まれ、「歴史」となったのか

    中村宏之(ジャーナリスト)「オトナの教養 週末の一冊」 本書を読んで、謎が解けた気がした。2012年のロンドン五輪の開会式の模様のことだ。ポール・マッカートニーが開会式のトリを務めるということで、テレビ中継をじっくりみていた。 式典では、英国の歴史の大きな部分を占めるのがロックであり、英国を象徴する文化として位置づけられていた。歴史を追って時代を彩ったグループや歌手が紹介される様子を見た時は、「これはイギリス文化として認定されたという意味なのか」という思いをとらわれたが、全世界が注目するイベントでまさにロックはイギリスの文化であると国をあげて宣言していたのだ。本書を読み進めるにつれて英国という国がロックに影響を与えてきた様子が非常によく理解できる。 誰が言っていたのか、あるいは書いていたのか全く忘れてしまったが、以前、遭遇した「青春期にどんな音楽を聞いて育ったかで、その人の人生は変わる」という言葉が忘れられない。個人的な体験で恐縮だが、少なくとも自分ではそうだった。 中学2年生の時、商社マンの息子で、英国から帰国したばかりの友人にビートルズを教えられ、ロックの世界を知った。こつこつお金をためて最初に買ったレコードは『アビーロード』だった。ビートルズの曲は全部聞き、イギリスと英語にあこがれて過ごした。ローリング・ストーンズなど英国のロックバンドの曲も一緒に聞いた。 その後、新聞社のロンドン特派員になり、在任中にポール・マッカートニーとミック・ジャガーにインタビューする機会に恵まれた。そして、全くの偶然なのだが、ロンドンで住んだ家はアビーロードスタジオのすぐ近くだった。ツアーで公演するポール・マッカートニー=2017年(AP=共同) もし友人にビートルズを教えてもらわなかったらそもそもロックや英語、イギリスには興味を持っていなかっただろうし、おそらく二人にインタビューをすることもなかったと思う。 中高生の時、当時人気のあった「ベストヒットUSA」という番組をよくみていたが、イギリスのロックバンドの曲を聴いていると、自分の中では、アメリカでヒットしている曲はなにかしっくりこないという感じはあった。イギリスでないとロックではないみたいなことを無意識のうちに感じていたのかもしれないと、本書を読んでみて思う。暇をもてあました若者たち 本書ではロックの歴史をこう位置づける。 〈(アメリカで)ロックン・ロールが生まれ、それが流行音楽として廃れ、しかしながらイギリスに引き継がれ、やがてアメリカに逆輸入されるかたちでロックへと移りゆく〉。 その様々な局面を彩る登場人物が出てくる。エルビス・プレスリーであり、ビートルズであり、ローリング・ストーンズであり、ジミ・ヘンドリクスであり、ボブ・ディランである。そうした存在感のあるスターを随所に、丁寧に取り上げることで、全体像を描き出している。 筆者はロックファンの一人ではあるが、マニア的に細かくロックスターの状況を知っているわけでない。むしろ知らないことの方が多い。本書を読んで初めて教えられたことも非常に多かった。読む人を納得させ、ロックの世界にいざなう著者の鋭い筆致と巧みな構成にぐいぐい引き込まれた。 印象的だったのは、イギリスにロックが生まれた社会的、時代的背景で重要なのが著者のいう「そこに暇をもてあました無数の若者がいた」という事実である。『ロックの歴史』(中山康樹、講談社) 1916年から続き、青春期を迎えたイギリスの若者の2年間を「拘束」していたイギリスの徴兵制が1960年に廃止された。「失われた2年間」のはずだった時間が一転しておまけの人生」となり、自由な時間を得た若者が直面したのは、空爆の爆発音からエレキギターの激しいビートへと変わったという指摘である。 ビートルズやストーンズなどのブリティッシュ・ロックのバンドが1960年代に大量に生まれた背景に、こうした徴兵制の廃止があったことは恥ずかしながら全く知らなかった。社会の変化が若者に影響を与え、若者が生み出す音楽が社会を変えてゆく。 筆者は1967年生まれだが、著者の鋭い分析で繰り出す分析を頭にいれながら、この時代のうねりのような動きを想像すると、当時のロックが与えた社会への影響力は今とは比較にならないほど大きかったのだろうと想像する。過去と現在を行き来 1967年のビートルズのアルバム『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』以前に、1965年に発売された『ラバーソウル』が早くも投げかけていた音楽的な意義。1964年のビートルズのアメリカ上陸で一気に「覚醒」したアメリカ。その後ジミ・ヘンドリクスの登場で、今度は逆襲へと転じたアメリカ。ボブ・ディランの不気味な存在感。音楽的に分離された状況にあったイギリスとアメリカが一体化し、国境のない統合の時代を迎える。 そうした代の流れを追う中で、多くの人の記憶に残っているミュージシャンやイベント、社会の流れを英米双方の視点から同時代的に整理し、各章でスピード感をもって詳述してゆく。まさに起伏の激しいロックミュージックを聞いているような感じがする。 驚くのは、登場するミュージシャンの多くがいまも現役であることだ。もちろん早世した天才スターも多いが、1960年代から生き続ける多くのミュージシャンが近年日本を訪れて元気な姿を見せてくれているのは感動すら覚える。 終章で筆者はロックは果たして歴史になったのかどうか総括を試みる。厳然たる時間の流れはありながら、過去と現在を行き来する側面をもつことをボブ・ディランの歩みをひきながら考察する。 〈ロックと称される世界の時間軸では60年代はまだ終わっていない〉 〈ロックの国では、どうやら人間は年をとらないようになっているのかもしれない〉、 著者はこうした表現でしめくくる。音楽の専門家でない筆者が見解を述べるのはおこがまししいと思いつつ、著者の思いには大いに共感できる。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) 7年前、ミック・ジャガーにインタビューした時、「80歳になってもサティスファクションを歌っていますか?」と聞いてみた。ミックは「それはわからないなあ」と笑いつつ、「歌うことは好きだからやめるつもりはない、いつやめるかなんて決めていない」と答えてくれた。 その時「ロックに終わりはないんだよ」とミックに言われた気がしたが、本書を読んで何か共鳴するものを感じた。自分が30年以上ロックに向き合い、様々な曲を聴きながら考えてきたことは間違っていなかったのかもしれないと、本書から力をもらった気がした。

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    クイーンの登場で「ロック少女」という概念が日本に誕生

     伝説的ロックバンド・クイーンのボーカリストであるフレディ・マーキュリーの生き様を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒット中だ。観客動員数180万人を記録(12月10日現在)。2016年公開の『シン・ゴジラ』に匹敵する驚異的な数字を叩き出している。「クイーン」が、メインボーカルのフレディとギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラー、そしてベーシストのジョン・ディーコンによって結成されたのは、1971年のこと。 それまでにない独創性に富んだクイーンの出現は、衝撃的であり画期的なものだった。しかし、当初は英国でそうした音楽性に賛否両論が渦巻いたため、アルバムはそれほど売れず、初めから大成功したといえるわけではなかった。クイーンを何度も取材してきた音楽評論家の東郷かおる子さんが語る。 「デビュー当初、薄化粧とフリルの衣装のせいで、すでにデヴィッド・ボウイらが確立していた“グラムロックの残りかす”というような言われ方をされました。つまり、時代遅れの感があったのです」 むしろ、このバンドの優れた点を当初から評価していたのは、日本のファンだった。2005年4月、クイーン初来日から30年を記念して新宿コマ劇場に設置された故フレディ・マーキュリーの記念像 「インターネットがない時代ですから、日本には英国での評価や情報が入ってきませんでした。そして日本で音楽専門誌にクイーンのグラビアが掲載されたところ、今までの筋骨隆々な男たちがシャウトするハードロックとはまるで違って映ったのです」(東郷さん) 一方の映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんはこんな指摘をする。 「日本でクイーン人気に火がついたきっかけの1つは、少女漫画誌に彼らをモデルとしたキャラクターが出てくるようになったからなんです。それによって少女漫画ファンの文化圏と、洋楽ファンの距離が近くなり、女性人気がさらに高まったのです。 その頃は男性ロックファンにとっては、あまりにも女性ファンが多いので、近寄りがたい雰囲気さえありました(笑い)」初の武道館公演で失神者続出 クイーン人気の決定打となったのは、シングル『ボヘミアン・ラプソディ』の空前のヒットだ。1975年11月に発売された4枚目のアルバム『オペラ座の夜』からシングルカットされたこの曲は、全英1位、全米4位となり、クイーンの世界的な地位を不動のものとした。映画でも、この曲が創作されるエピソードが丁寧に描かれている。 初来日は1975年。東郷さんが述懐する。 「羽田空港には2000人近い女性ファンがプラカードを持って押し寄せ、メンバーはあまりに女性ファンが多いことに“違う惑星に降り立ったのかと思った”と、戸惑いを感じたという有名な逸話が残っています。 武道館公演では失神者が続出したほど。そんなロックバンドはそれまでありませんでした。当時、『ロック少年』という言葉はありましたが、クイーンの登場によって、『ロック少女』という概念が日本に誕生したほどです」 その後、『伝説のチャンピオン』『バイシクル・レース』などのヒット曲を立て続けに発表し、1970年代を駆け抜けたクイーン。 1980年代に入ってからは、個々の活動をスタートさせるなど、新たな音楽的アプローチをするようになった。 「映画では、フレディのソロ活動にほかのメンバーが反対したように描かれていますが、事実は違います。メンバーは誰もソロ活動に反対していませんでした」(宇野さん)関連記事■ 映画『ボヘミアン・ラプソディ』 女性客が多い理由を分析■ フレディ・マーキュリー 新宿二丁目5回通うもカラオケ拒否■ F・マーキュリーがけん玉に興じるロック黄金期の貴重写真■ ケント氏「韓国には嘘が恥ずかしいという概念がないのか」■ 教育先進国デンマークはなぜ「教える」という概念を捨てた?

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    映画『ボヘミアン・ラプソディ』 女性客が多い理由を分析

     世代を超えて異例のヒットを記録している映画がある。11月9日に公開された『ボヘミアン・ラプソディ』だ。 世界的なロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45才の若さで旅立ったフレディ・マーキュリーの壮絶な生き様を描いたこの映画は、観客動員数180万人を記録(12月10日現在)。2016年公開の『シン・ゴジラ』に匹敵する驚異的な数字を叩き出している。 時は1970年代初頭。フレディはバンドを結成し、一気にスターダムへと階段を駆け上る。生涯の女友達となったメアリー・オースティンとの交際や別離、同性愛者として生きていこうとする姿などは息をのむ。1985年に「アフリカ難民救済」のため英米から世界約150か国に衛星中継された、20世紀最大のチャリティーコンサート「ライヴ・エイド」のシーンは特に印象的だ。 周りの人と一緒に歌ったり拍手したりしながら見る「応援上映」は、現在100館以上も実施。時折、すすり泣きや、周囲をはばからず号泣する声で盛り上がりを見せながら、ストーリーがクライマックスに向かうと、隣の人と手を取り合い大きな声で歌ったり、自然に手拍子が起きる。ラストは全員が立ち上がり、スタンディングオベーション。大歓声に包まれる──。 なぜこれほどまでに熱狂的な支持を得ているのか。映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんは、こう解説する。「最後の21分間の迫力あるライブシーンに向かってストーリー展開が盛り上がる秀逸な構成になっていて、当時のスタジアムにいるかのようなライブを体感できます。作品の仕上がりと観客の受け取り方が幸福な一致を見せ、非常に評価できる映画です」 目を腫らしながら映画館から出てきた女性は、こう話す。「通常の上映と応援上映で2回鑑賞しました。最も感動したのは、やはりいろいろな映像ライブが流れるところ。当時足を運んだ武道館ライブの熱狂がよみがえり、涙があふれ出て止まりませんでした。2度目は、目を閉じて、大音量での楽曲を堪能しました」(56才、保育士) 中には10回以上も見たというヘビーなリピーターも少なくない。かつてのファンもフレディの生前を知らない若い世代もストーリーの展開と音楽の両方の感動におぼれ、何度も映画館に足を運びたくなるのもこの映画の特徴といえる。2018年10月、映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開記念イベントに出席した元フィギュアスケート選手でタレントの村上佳菜子 また、女性の観客が多いのも特徴的だ。その理由を、映画の宣伝担当者はこう分析する。「クイーンは1975年に来日し第1次ブームが起きました。当時追っかけをしていた50~60代の女性たちに加え、木村拓哉さん(46才)主演のドラマ『プライド』(2004年、フジテレビ系)の主題歌『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』でクイーンを知ってファンになった女性たちが多く来場しているようです」 これがクイーンの第2次ブーム。『プライド』でクイーンの虜になり、映画を鑑賞した40代女性はこう言う。「映画を見て、クイーンやフレディ・マーキュリーについて初めて知ったことがたくさんあります」関連記事■ F・マーキュリーがけん玉に興じるロック黄金期の貴重写真■ フレディ・マーキュリー 新宿二丁目5回通うもカラオケ拒否■ X JAPAN新曲にToshl不在“方向性の違い”以上に深刻な問題■ 映画『ボヘミアン・ラプソディ』はクイーンの最新作なのか?■ この秋トレンドのフォークロアやボヘミアン 大人世代はNG

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    小西寛子告発手記「私が見た声優業界の伏魔殿、全部書きます」

    ウッドから音楽シーンへと波及し、様々な方面から「#MeToo」を付した告発がなされているが、これらは芸能界のハラスメントに限られたものではなく、あらゆる人間関係において生じる「不利益な取り扱いをなくそう」「不公正な取引をやめて、健全な社会を作ろう」という趣旨で広まった運動であると理解している。※写真はイメージです(GettyImages) むろん、告発する際には、人権侵害の恐れがあり、それこそ細心の配慮が必要だが、長きに渡る悪しき慣習を正し、社会を変えていこうする#MeTooの波を止めて欲しくない。「いつ、どこでこんな体験をした」だけでもいい、それをみんなで共有することで「あなたにとっての魔王」、つまり伏魔殿を吹っ飛ばすことだってできるかもしれない。 さて、次に世に放たれる大魔王は誰か。■元おじゃる丸声優、小西寛子手記「私を降板させたNHKに告ぐ!」■埼玉新聞に突撃取材「韓国との交流事業中止はネトウヨのせい?」■モデル西山茉希「13年間の奴隷契約」に通じるヤクザな慣習

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    嵐「活動休止」どうなるジャニーズ

    。アイドルが年を重ねても人気が続く風潮の中、確執が深刻化したり、自由を求めたりするのは無理もないが、芸能界に君臨するジャニーズはこの先どうなるのか。

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    SMAPと嵐を失っても「ジャニーズ帝国」が没落しないワケ

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント、作家) 2020年末で嵐が活動休止するという一報を聞き、驚きこそなかったが、強く感じたのはジャニーズにしてやられたという思いだ。 振り返ればここ数年、SMAPの解散、関ジャニ∞(エイト)の渋谷すばるやTOKIOの山口達也の脱退などが相次ぎ、ファンを悲しませる事態が続いている。それだけに、特にSMAPの二の舞を避けるべく、2年も前から活動休止を発表し、「円満ぶり」を演じて先手必勝を取り付けたからだ。 NGT48の暴行事件でも感じたが、ジャニーズはSMAP騒動ですら、事務所関係者が表に出ることはなかったように、嵐の活動休止に関しても最強の「危機管理能力」を見せつけたと言えるだろう。 「活動休止」で嵐のファンには活動再開の希望を十分に残しただけでなく、テレビやライブ、CMといったメディアに対する損害を最小限に抑えた。また、最も重要なのは、休止まで2年間という期間だ。この「2年」が意味するものは二つある。 一つは2020年の東京オリンピック・パラリンピックだ。これまでに何度も言及してきたが、ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏は自身の集大成として位置付けているのが東京五輪だからだ。ゆえに国民的アイドルである嵐の活動を2020年末まで担保したのだ。 五輪という大舞台でジャニーズによるエンターテインメントを世界中に知らしめ、そして後継指名した滝沢秀明(タッキー)に引き継ぐというシナリオを明確にしたと解釈すべきだろう。 もう一つは、『NHK紅白歌合戦』の司会だ。2010年から5年連続で嵐が司会を務め、16年は相葉雅紀、17年は二宮和也、18年は櫻井翔だった。残る松本潤が19年、そして最後の20年にリーダーの大野智で締めくくる構想は既定路線であり、裏側ではNHKとの「手打ち」も済ませているのだろう。ジャニーズにとっても、NHKにとってもやはり紅白は重要だからだ。 そして活動休止までの2年で1000億円は稼ぐと試算されている通り、これはジャニー氏も織り込み済みだ。SMAPの轍(てつ)を踏まず、きっちりと稼ぐ嵐に対し「YOUたちはもう自由にしていいよ」と最大の賛辞を贈ったと聞いている。2019年1月27日夜、グループ活動休止についての記者会見を終え、引き揚げる嵐の(左から)相葉雅紀、松本潤、大野智、櫻井翔、二宮和也 また、ファンもマスコミも、SMAP騒動を見て、嵐も例外ではないと感じていたはずだ。もちろん、メンバー同士の確執ではなく、年を重ねたアイドルグループの終焉は、海外の大物ロックバンドでもそうだが、メンバーの1人が将来を見据え、現状に甘んじることへの焦りを抑えきれなくなったときにやってくる。 嵐の活動休止はこうしたことを踏まえれば、ファンにはショッキングかもしれないが、遅かれ早かれ避けられないことだったと言えよう。大野の旺盛な「独立心」 そもそも、活動休止の核となっているリーダーの大野はジュニア時代から、いつ辞めてもおかしくない状況で、むしろ20年以上続いたことの方が驚きだ。大野はタレントとしての能力は高いが、あまり目立つタイプではない。それだけに、ジュニア時代に京都の劇場専属に「左遷」され、当時は大野が嵐のような国民的アイドルグループのリーダーになるとは想像もつかなかった。 そして大野は、一見大人しく目立たないキャラのようだが、本性は真逆だ。ジュニア時代には気に入らないことがあれば、他のジュニアたちを殴る蹴るといった暴行は日常的で、後輩たちから「一番怖い番長」として有名だった。現在だったら、問題になっていただろうが、それぐらいの気性を持っていたからこそ、嵐のリーダーとしてメンバーを引っ張ってくることができたのだろう。 それだけに、今回の活動休止も、たとえ他のメンバーが説得したとしても、止めることができるはずもなく、SMAP騒動などを目の当たりにしていたこともあったからだろうが、「自由」を求めた大野の方針に従ったのだろう。 もちろん、独立心があるのは大野だけではない。若いころから映画出演も多い二宮は俳優としての自信と実績を備えている。英語を習得する暇がなく、一度は立ち消えになったハリウッド進出も視野に入ってくる。活動休止になればスケジュールに余裕ができ、今さら感は強いが英語を習得して再チャレンジするはずだ。 そしてこれは全メンバーに言えることだが、封印してきた「結婚」も活動休止中に実現させることができる。もちろん、大野の意向に合わせた部分もあっただろうが、今回の決断はメンバーの総意だった可能性が高い。 では、嵐の活動休止は、今後のジャニーズにどんな影響を与えるだろうか。TOKIOやV6、関ジャニなどの古株グループは、同じ「円満解散」という経過をたどる可能性は十分ある。 一方で「ポスト嵐」は明確ではないが、おそらく「King&Prince」(愛称キンプリ)だろう。アイドル的な能力に加え、バラエティやドラマといったあらゆるジャンルで使えるだけに、若手グループでは断トツだからだ。 ジャニーズがSMAPに続き、嵐も活動休止になることについて楽観視している背景には、キンプリのような次世代を担えるグループが育ってきていることが大きい。今回の嵐の活動休止はジャニーズの「世代交代」を印象付ける舞台回しとしては申し分ない。 日本の社会構造でも同じだが、上を切らなければ下が詰まるのは当然だ。ジャニーズの財力を考えれば、古株グループを養うことぐらい全く問題ないが、先にも記したように、ジャニー氏の時代から、タッキー時代の到来を示す転換期ととらえていることもよく分かる。嵐のメンバー5人のイメージカラーを配した大野神社のだるま=2019年1月 また、SMAPなき今、ジャニーズの看板である嵐の活動休止でジャニーズ離れを憂う声も出ているが、問題はないと言っていいだろう。ジャニーズには「ファンの共有(シェア)」という伝統があるからだ。 いわゆるジャニーズファンはジャニーズ全体のファンでもあり、個々のグループを超えた支援体制ができ上がっている。これがジャニーズファン「1000万人」と言われるゆえんだ。たとえSMAPや嵐といった二大看板を失ったところで、「ジャニーズ帝国」の繁栄が今後も続いていくのは間違いない。■ 中居正広がジャニーズに残留しても「SMAP再結成」は有り得ない■ 養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■ メンバーの確執よりも重い!SMAPロスを招いた「談合」という歪み

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    嵐「2023年復活」ではじくジャニーズの皮算用

    を開き、質疑応答に対して丁寧に応じているから、本来であれば、彼らの回答が全てである。ただ、人気商売の芸能界では、真実が表に出にくいために「決断の裏に何があるか?」を探ることが重要になってくる。実際に取材を進めていくと三つのポイントが浮かび上がってきた。 一部ファンの間では、以前から噂されていた「二宮和也と伊藤綾子の結婚」や「櫻井翔の政界進出」、「メンバー間の不仲」「ジャニーズ事務所との軋轢(あつれき)」などが休止の動機として飛び交った。筆者も、ジャニーズ事務所の人間や関係の深いテレビマン、ベテラン記者らに「5人が言えなかった話は何かないのか」と聞き回った。 彼らの答えを総合すると、5人は2年近く前から時間をかけて話し合い、何とか話をまとめた「超円満解決」であったという。別に嵐や事務所に「忖度」したわけではないだろうが、「不仲」「結婚」といったキーワードは一切出てこなかった。 「リーダーが矢面に立って、リーダーが悪者になって見えているのであれば、それはわれわれの力不足だと思います」 それは、メンバー5人がそろった会見上で、あの「無責任」質問に対して二宮が答えたこの発言にも現れている。要するに、最年長38歳の大野智が「芸能活動を休止したい」と言い出したことに、他のメンバーが「大野のせいで嵐が活動休止になった」と思われてしまう可能性への懸念を共有していたことになる。これは会見前に関係者から聞いていた内容と一致する。2019年1月、嵐の記者会見を待つ報道陣=東京・赤坂のジャニーズ事務所(戸加里真司撮影) 「以前から大野クンは、ときどきアイドル活動を『辞めたい』と漏らすことがあった。デビュー直前にもそうだったし、5周年、10周年、15周年の前後もそういう話があった。恋愛ゴシップが出たときも『好きにできないならアイドルをやりたくない』と言い出した。それでも、周囲の説得に応じて思いとどまっていたので、17年6月に『事務所を辞める』と言い出したときも、いつもの『辞めたい病』かなと思った。本人は『自分のやりたいことを思う存分やりたい。3年ぐらいやれたらいいけど、そうもいかないから責任とって事務所も辞める』と今度こそ決意が固かった。そこでメンバーの中で出たのが『だったら3年間、グループを活動休止しよう。事務所も嵐も辞める必要なんてない』という逆提案だった。むしろ、大野クンは『そんな僕のワガママが許されるのか』と驚いたが、事務所とも話をして、2020年での休止を受け入れてもらった」言いにくい「ビジネス話」 この話の通り、大野は会見で「釣りをしていても明日仕事だとか意識している自分がいて、『3年ぐらい辞めたい』という都合のいい話はないと思っていたら、メンバーと事務所の方々に『お休みでもいいんじゃない』と言われ、『そういう形でもよろしいんですか?』と甘えた」と語っている。 会見では、大野だけでなく4人のメンバーも饒舌(じょうぜつ)だった。その言葉には、口裏合わせなど感じられず、だからこそ5人それぞれの微妙な温度差を感じさせる言葉が並んだ。もし、意図的に話を作ったり、すり合わせたのであれば、もっと手短に話すなど、ボロが出ないようにしたはずだ。 松本潤は「最初に話を聞いたとき、僕は驚きはしませんでした。(以前)グループを閉めることを実際考えたこともあった」と言った。読み解けば、過去に大野の言動による「解散危機」があったとも受け取れる。 一方で相葉雅紀は「まさか、現実で突きつけられたときは準備が入りました。どうにか嵐を続けていく方法はないのかと相談しました」と強い反発があったことを明かした。5人の中でも言葉を選んでいるように見えた櫻井翔は「数カ月間ずっと話し合いをした」と語り、解決には長い時間を要したことを示唆した。 そして、二宮は「僕は楽しく活動していたから」「できる方法はないのか」と、グループ継続に強い意欲を示していたことを伺わせつつ、「みんなで話し合っていく決め方」という点を繰り返し強調していた。 こうして振り返ると、彼らの発言はおおよそ真実に聞こえるし、前述の通り「超円満」の決断だったのではないだろうか。ただ、「大野クンを悪者にしたくない」という思いがあったから、彼が何度も辞めようとしていたことや、説得に時間を要したことなどをネガティブに受け取られないよう細心の注意を払っていたのだろう。 ただ、これほど丁寧に答えていた5人でも、ビジネス上の問題は言いにくかったに違いない。昨年12月23日の東京ドーム公演で、嵐が「2019年12月の東京公演まで全50公演、通算観客動員237万5000人の日本史上最大規模ツアー」を発表したのは、この活動休止があったからだと松本も認めていた。 仕事に困らない超多忙のアイドルが、これほどハードなツアーをわざわざ決めたことについて、表向きは約250万人と言われるファンに「最低、一人1回はライブを見てもらうため」だったという。しかし裏では、大野の休業を事務所に受け入れてもらうための「取引条件」だったと思われる。2015年6月、嵐のイベント前に東京ドームに集まるファン(蔵賢斗撮影) 5人が取引にするわけだから、ツアー実施で巨額のお金が動くことは想像に難くない。では、一体どれほど動くのだろうか。まず、ツアーチケットのファンクラブ会員価格は9千円であり、約237万人の動員数で計算すると約214億円となる。さらに嵐はグッズの物販収益が高いため、一人当たり1万円を消費すると考えれば、240億円ぐらい入る見込みになる。解散じゃなく「休止」のワケ これらの収益だけで、安室奈美恵のファイナルツアーを軽く超える約450億円規模に上る。櫻井が「無責任」質問に「およそ2年近く期間をかけて、感謝の思いを伝えていく期間を設定した」と答えたように、2年行えば900億円にもなる。 その間には、関連したCDやDVD発売もあるし、関係者によると170万人が登録しているファンクラブの年会費は4千円で、単純計算しても年間68億円の収益になる。 一方、コンサートの支出は主に舞台制作費や音響、照明、機材輸送、リハーサルを含めた人件費、会場費用、グッズ制作費などがあげられる。たとえ派手な大物ミュージシャン並みに億単位の経費を掛けたとしても、莫大(ばくだい)な収益が残る。総計1千億円以上とはじき出される経済効果の前には、天下のジャニーズ事務所でもおいそれと文句は言えないだろう。 少し下世話だが、こうした収益のメンバー5人の取り分は「おおよそ3割」とも言われており、低く見積もっても一人当たり数十億円になる。前出の関係者は「メンバーそれぞれソロ仕事も順調で、グループの冠番組は、後番組を残る4人のメンバーで分け合う形で続ければ、これも大きい。活動休止しても十分な収入が確保できる」と指摘する。 そして、こういうグループの活動休止では、事実上の「解散」ということが往々にしてある。4人組アイドルグループ、SPEEDはメンバーの相次ぐスキャンダルの影響もあって、どう見ても解散状態だが、所属事務所はあくまで「活動休止」状態にこだわっている。 ただ、嵐の場合は、会見で煙に巻くことはしなかった。むしろ、相葉が「リーダーが同じ方向に向いたときには(また嵐を)巻き起こすよね?」と振り、大野も「巻き起こしちゃいますか?」と笑顔で答えた。解散同然の休止なら、ファンにそのような期待感を残さないのではないか。2019年1月、「SHIBUYA TSUTAYA」に作られた嵐の特設コーナー その期待を裏付けるように、関係者から「休止から3年後に再結成する」という見立てがあることを聞いている。2024年のグループ25周年を迎える準備ができる頃合いに5人が再結集、休止前よりペースを落とした形でのリスタートにしたいようだ。いずれにせよ、これまた大きな収益が見込めるのも確かだ。 こうした見通しがキッチリついたからこそ、メンバーも事務所も周囲の人間も、もめない形で結論を出すことができたのだ。先輩のSMAPは空中分解したが、彼らはそうならなかった。 ファンがその結束力に魅力を感じているように、このような状況でもその期待を裏切らないようにしてみせた5人は、数あるアイドルグループの中でも「プロ中のプロ」と言える。記者がどんな質問を投げかけようが、そんなことで動じるようなグループではないのも、当然なのである。■ 「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」■ 「義理と人情」日本的価値観を体現したSMAP解散劇■ 元SMAP3人のホンネに国民的アイドルの真髄を見た

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    「5人で嵐」不動人気のカギは相葉雅紀だった

    関修(明治大法学部非常勤講師) 嵐の魅力。それは「個と集団の関係の絶秒なバランスと究極の普通さ」と定式化することができよう。 日本人は西洋的な個人主義より「和」を尊ぶ。例えば、サッカー日本代表のプレースタイルも、個人プレー重視より組織的なチームプレーがその持ち味と言えよう。集団を重んじるその風潮はうまく作用すれば、「3本の矢の教え」のごとく、極東の小国が世界の大国にまでなることを可能にした。しかし、マイナスに作用すれば、「出るくいは打たれる」、「烏合(うごう)の衆」といったように個の才能を埋没させてしまいかねない。まさにもろ刃の剣である。 嵐は5人のメンバーすべてが等しく存在感を発揮しながら、嵐という一つのグループにまとめ上げることで「国民的アイドル」と言える存在にまで成長した。それに先立つSMAPさえ、絶対的カリスマ「キムタク」こと木村拓哉と庶民の代表である中居正広との二極化と、その拮抗(きっこう)関係でバランスを取ることで、絶大な人気を勝ち得たと言える。 それに対し嵐は、ファンの言を借りれば、5人が皆仲の良い、その「ワチャワチャ」感がたまらないという。グループが得てして、絶対的人気を誇る主要なメンバーとそれを引き立てるその他大勢のメンバーから成り立つ場合が多い(ジャニーズで言えば、山Pこと山下智久とその仲間たちというメンバー構成だった初期のNEWSや亀梨(和也)・赤西(仁)の絶対的ツートップに従ったデビュー時のKAT-TUNなど)のに対し、嵐はまさしく稀有(けう)な存在といえよう。 もちろん、嵐とて最初から絶大な人気を勝ち得ていたわけではない。それどころか、2006年、後輩のKAT-TUNがメジャーデビューした際、CDの売り上げなどその人気は嵐を大きく上回るものとなった。そう、1999年デビューから7年がたとうとするのにその認知度は決して高くなかったのである。その理由は何か。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) それは5人のメンバーの認知度にばらつきがあったからだ。今思えば、信じられないことだろうが、大野智と相葉雅紀の存在をファン以外の日本人一般がどれほど知っていたかは実に怪しいものがあった。 いかにメンバー同士が皆、分け隔てなく仲良しであったとしても、メンバー全員が平等に認知されていない以上、ドラマ『花より男子』の道明寺司を演じたのが松本潤で、彼が所属しているグループが嵐といい主題歌を歌っている、で終わってしまう。一般市民が嵐というグループが何人編成でどのようなメンバーがいるのかまで知ろうとすることはない。相葉のためのPV ここから導き出せる教訓は、地味なメンバーの魅力が一般に認知されてこそ、そのグループの人気度は上がるということである。例えば、昨年、他のメンバーの不祥事もあり、NEWSはそのスポークスマン的役割がマッスーこと、増田貴久に回ってきたことでマッスー人気が急上昇したのは喜ばしいことだった。筆者は嵐では相葉、NEWSでは増田のファンである。彼らの魅力がわかってこそ、嵐、NEWSといったグループのトータルした魅力がより感得できようというものだ。   そんな嵐にとって、転機が訪れるのは2008年。大野がドラマ『魔王』で初主演を果たし、復讐(ふくしゅう)の鬼という二つの顔を持つ、得体の知れない主人公、成瀬領役を演じたのだ。その鬼気迫る演技で多くの人々を魅了し、大野の存在を知らしめることとなった(このドラマには敵役に生田斗真、さらに昨年大ブレークした田中圭も出演している)。 その主題歌が「truth」。この楽曲のPVこそ、5人が平等にその存在感を発揮する「嵐的」なものが確立されたことの証拠に他ならない。実はこの段階で相葉はいまだドラマの主役を演じていなかった(翌2009年、『マイガール』で連続ドラマ初主演)。しかし、PVを見たとき、筆者はこの作品が相葉のためのものかと思ったほどであった。 確かにドラマの主人公を演じる大野が曲の開始、5人のセンターを占め、ソロで歌い出す。しかし、その後、ダンスのポジションは目まぐるしくチェンジし、各メンバーが平等にセンターを占め、歌も同様に平等にソロが配分されている。そして、最後に再び大野がセンターで曲は終わる。 このスタイルはその後一貫して維持され、例えば、櫻井が主演した映画『ヤッターマン』の主題歌「Believe」であれば、櫻井がセンターで始まり、ポジションチェンジの後、再び櫻井がセンターで終わるのを確認することができよう。 しかし、「truth」では、各自微妙に異なる黒を基調とし、赤がアクセントに使われている衣装の中、いまだ主役を演じていない相葉だけが、赤いパンツで他のメンバーより目立っていた。「相葉ストール」といわれるロングストールをひらめかせ、長身の彼が踊る姿は思わず見とれること、間違いない。歌が大野中心であれば、ダンスはソロの部分など明らかに相葉が多く担当しており、相葉の存在感を上手に表現している。活動休止について会見する嵐の相葉雅紀さん=2019年1月27日夜、東京都港区(鴨川一也撮影) この作品は相葉のドラマ主演が近いものであることを予感させる、すなわち、グループとしての「嵐」が確固としたものとなったことの証しである。嵐の「後釜」は困難 こうして確立された「嵐的」なものは究極の「普通」、つまり「隣人性」と言えよう。雲の上の別世界の人間としての「スター」への憧れから、誰もが好感を持つ理想の「隣人」としての「アイドル」。 子供たちは一緒に学んでくれる理想の「お兄さん」として、「ワクワク学校(嵐が東京ドームおよび京セラドーム大阪を教室に見立てて授業を行うイベント)」に父母とともに出掛ける。お母さんは一緒に青春時代を駆け抜けたアイドルとして、いつまでも応援し、娘を連れてコンサートへ。さらに、嵐の冠番組『まごまご嵐』に象徴されるように、一人暮らしの老人はテレビの向こうのメンバーに孫を見い出し、「おはよう」と声をかける。 NHK紅白歌合戦の司会進行。日立、JAL、日産、キリンなど一流企業が「上質な市民生活(決してセレブではない)」を象徴する商品のCMに嵐を起用する。まさに、民主主義の主権在民、「市民」の理想型(M・ウェーバーのイデアル・テュプス)を体現したのが嵐だったと言えるのだ。 おそらく、今後嵐のような誰からも愛されるグループはそう簡単に登場することはないだろう。この後のジャニーズの動きとしては、まず嵐がフォローしていたファン層を、KAT-TUN、NEWS、Hey!Say!Jumpの三つのグループで、それぞれ分担する形で維持していく形になるだろう。 その間に、Sexy Zone、King&Princeがどれだけ嵐に近づけるかだろうが、現在は未知数としか言えない。タッキーこと滝沢秀明が引退し、プロデュース側に回ることになったので、その手腕が問われることになろう。他の事務所やジャンルも含め、男性アイドルは群雄割拠の時代に入るに違いない。ジャニーズ事務所の外には一報を聞いて駆けつけたファンの姿も=2019年1月、東京・赤坂(撮影・戸加里真司) アイドルである限り、それはF・ベーコンの言う先入的謬見(びゅうけん、偏見や誤りの意)たる「イドラ」、偶像でしかないのかもしれない。しかし、嵐に誰もが癒やされ、元気づけられたことは事実である。この思いを大切に、一人一人が「良質の市民」になるべく、彼らとともに日々懸命に生きることが今われわれに求められているのだと思う。■「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由

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    「嵐は永遠に未完成」ゆえに完璧なアイドルになった

    戸部田誠(ライター) 完璧な会見だった。1月27日に行われたアイドルグループ、嵐の活動休止会見である。 会見場に姿を見せた嵐の服装はスーツではなく、カジュアルなジャケット。どこまでも軽やかで、品がある嵐らしさを醸し出していた。5人はカメラ前に並ぶと口元を緩ませ笑顔を見せた。 「活動休止」の発表となると、ネガティブなものがつきまとう。けれど、この報告はそういった種類のものではないのだと、言葉を発する前から表現したのだ。 最初にリーダーである大野智が「2017年6月中旬ごろ、メンバー4人に集まってもらって自分の思いや気持ちを話させていただきました。自分の嵐としての活動をいったん終えたいと。自分の思いとしては、自由に生活をしてみたいとメンバー4人に伝えて、その後、何度も何度も話し合いを重ね、期限を設けて、2020年をもって、嵐を休止するという形になりました」と自らが言い出したことであることも包み隠さず、簡潔かつ具体的に説明。その後、記者の質問を受け付けるという形だった。 その受け答えも、全方位に配慮が行き届いている。気が利いている。 何度となく「何年くらい休むのか」「活動再開はいつ頃か」と未確定で答えようのない質問がされ、大野智が答えに窮していると、「決まってないでしょ? 決まってるなら教えて(笑)」と松本潤が助け舟を出しつつ、場を和ませる。 「ケンカや言い合いになったりということは」という、いかにもセンセーショナルな言葉を引き出そうという質問にも、二宮和也が「『ケンカしてた』って、書くんだからもう(笑)」と返すと、すかさず相葉雅紀が「ウソでもしておけばよかったなぁ」と笑いを取っていく。嵐活動停止について会見するメンバー(左から)相葉雅紀、松本潤、大野智、桜井翔(櫻井翔)、二宮和也 =2019年1月27日、東京・赤坂のジャニーズ事務所(撮影・戸加里真司) 一方で「無責任という指摘もあると思う」という相手には、毅然(きぜん)とした表情を見せつつ櫻井翔が丁寧な言葉で反論する。また、この質問者が批判にさらされていることに対しては、その後の1月28日の『news zero』で「あのご質問をいただいたおかげで、結果としてきちんとわれわれの思いの丈が、温度を乗せて伝えることができた」と「温度を乗せた」という表現で感情が動いたことを認めつつ、フォローも忘れない。 また、こうした決断を下した際、誰かを悪者にしがちな風潮にくぎをさすように「僕らは一人がやりたくないと言うときは、その理由をみんなで徹底的に話し合い、共有して、決断するので、もしもリーダーが悪者になっているように見えているのであれば、それはわれわれの力不足だと思います」(二宮)とグループのスタンスを示しながら牽制(けんせい)した。 さらに、この活動休止が前向きな決断だと強調しつつも「あまり前を向きすぎずに、向き合っていきたい。前を向かれすぎるとツラいと思うのでファンの方の顔を見ながら、向き合いながら、やっぱり嵐っていいなと思っていただける2年にしたい」(二宮)と前向きになれないようなファンにも配慮した。活動休止で「完成」した 見事なチームワークと隙のない完璧な仕事だ。まさに、そこには嵐のこれまでの歩みが凝縮していた。 1999年に結成され華々しくデビューした嵐だが、ジャニーズファン以外の人たちから見ると決して派手な存在ではなかっただろう。 もちろんそれぞれにキャラに華はあるが、それまでのジャニーズグループのような突出した個性のようなものは感じられなかった。どちらかと言えば、みんなが優等生的。 歪(いびつ)さがいい意味での魅力になっていた先輩グループとは違い、5人集まるときれいな丸になるようなイメージがあった。 2005年、松本潤がドラマ『花より男子』に出演し、ジャニーズアイドルの枠を超えブレーク。それをきっかけに加速度的に国民的アイドルグループになっていってもその印象は変わらなかった。 彼らはもちろんビジネスパートナーではあるが、いつまでも仲が良さげで「幼なじみ感」が薄れることがなかった。 言ってみれば彼らは多くの日本人にとっての「理想の友人関係」像なのだ。 だから「5-1=0」と考え、大野1人が脱退し、嵐を続けるという選択肢を選ばなかったのは当然の帰結だった。 「大野の思いを他の4人が受け入れたということではなく、メンバーの1人である大野の思いを、5人全員で何とか一つの着地点にたどり着くことができたというのが正確なニュアンスかなと思っています」と『news zero』で櫻井が語っているように、ただ誰か1人の言う通りにするのではなく、全員が納得するところに着地させる。しかも、それはメンバーだけではなく、事務所やファンをも納得させるものでなければならない。その狭い場所を見事に探り当てたのだ。 そもそも日本における「アイドル」というのは、未完成・未熟なものを指し、それを愛(め)でる文化から発展してきたものだ。アイドルグループ「嵐」の活動休止発表を受け、「聖地」と呼ばれている滋賀・大野神社を多くのファンが訪問=2019年1月29日(共同) そう考えると、いまや成熟した大人のアイドルグループとなって完成されていた嵐は、日本のアイドル観からは大きく逸脱している。 だが、「嵐の復活はありますか?」と問われ、『news zero』で櫻井が「ありますよ」と即答した瞬間、嵐は「終わらない」という永遠性を手に入れた。つまり、「未完成」のものとなった。だとするなら、嵐は完璧な「アイドル」になったのだ。 史上まれに見る、いや前代未聞のポジティブな活動休止会見は、いつか必ず活動が再開するという希望に満ちたものだった。5人の強い絆ゆえのいったん休止。それは「理想の友人関係」の彼らが日本社会に示した新しい選択肢だ。■「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由

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    二宮和也、木村拓哉宅で活動休止や結婚問題を相談したか

    ンは報じた。 木村と二宮は同年夏公開の映画『検察側の罪人』で共演以来、良好な関係で知られる。しかし、芸能界でも随一の「出不精」で、「芸能人同士でつるまない」といわれる二宮が、先輩の自宅をプライベートで訪ねる姿に違和感を覚えた人は多かった。「実は事務所関係者も『女性セブン』の記事で二宮さんの木村家への訪問を初めて知ったそうです。その日は自宅に工藤静香さん(48才)もいたと聞いています。今となって考えれば、嵐の活動休止や結婚問題を木村さんに相談していたんでしょう」(テレビ局関係者)※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 木村は元SMAPのメンバーの中で唯一の妻帯者だ。ドラマ『ビューティフルライフ』(TBS系)に主演していた2000年、人気絶頂期の27才で2才年上の工藤と結婚し、2人の子供を持って以降も“キムタク”を貫いてきた。「二宮さんも木村さんの話を聞いて覚悟を決めたいという思いがあったと思います」(前出・テレビ局関係者) 現在の木村の姿に将来の自分を重ね合わせたのかもしれない。関連記事■ 嵐、活動休止のキーマンは二宮「辞める覚悟ある」の直談判■ 櫻井翔の思い「誰かが孤立するような終わり方はしたくない」■ 木村拓哉と二宮和也、タブー破りの自宅会談で何を話したのか■ 二宮和也&伊藤綾子 車中の初ツーショット写真を公開■ 木村拓哉長女と次女Koki、ハワイ旅行での「美人姉妹」写真

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    嵐、活動休止までの大忙し 各業界事情通の見立て

    。写真集の企画は、ラストイヤーの活動に密着した撮影や、デビュー場所のハワイでの撮影が期待されます」(芸能関係者) 「告白本」の構想もある。 「5人がそれぞれ、胸の内をじっくり述べる書籍の計画があります。活動休止を決めた心境や、デビューからこれまでの歩みについてメンバーそれぞれが振り返り、テレビやラジオでは伝えきれない思いを活字として残す内容になりそうです」(出版関係者) 芸術家肌の大野は、アート方面にも進出しそうだ。 「これまで日本だけでなく中国でも個展を開いている大野くんだけに、活動休止後は芸術活動に本格的に取り組むはずです。ただしその前にファンのため、“卒業記念作品”として新作品を制作して、お披露目するかもしれません」(前出・芸能関係者) 活動休止の発表で嵐の商品価値がさらに跳ね上がったのが、広告業界だ。 「義理堅い嵐はお世話になった企業との関係を重視し、新規契約を結ばないそう。契約済みの企業は、昔のCMをつなぎ合わせて“今までありがとう”というコンセプトのCMを作る可能性があります」(前出・広告代理店関係者)※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) さまざまな企画があがるなか、嵐はできるだけその声に応えようとしているという。 「2年間の猶予を作ったのは、ファンに最高の恩返しをしたいから。どんなに忙しくても限界ギリギリ、完全燃焼するまで彼らは活動する意向です」(スポーツ紙記者) 「チーム嵐」は一丸となって、思い出を作っていく。関連記事■ どうなる嵐のコンサート ハワイ公演、新国立、映画化の話も■ 二宮和也&伊藤綾子 車中の初ツーショット写真を公開■ テレビ界が「嵐シフト」 各局の思惑と熾烈な争奪戦■ 嵐、活動休止のキーマンは二宮「辞める覚悟ある」の直談判■ 二宮和也、木村拓哉宅で活動休止や結婚問題を相談したか

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    「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本を代表するアイドルグループ、嵐が2020年末での活動休止を電撃的に報告した。1月27日午後5時、ジャニーズ事務所の公式サイトで発表された彼らの決断は、ニュース速報となって世界を駆け巡った。 その日の夜に、大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤のメンバー5人そろっての記者会見が行われた。ただ、テレビの生中継もなく、インターネットでの動画配信なども厳しく制限されていて、彼らの所属しているジャニーズ事務所らしい「統制」ぶりではあった。それでも、世界中の嵐のファンには、彼らがなぜ活動休止を決断したのか、その理由が丁寧な言葉とともに伝わったに違いない。 2年近くも休止まで活動期間があるため、本稿で嵐の総括をするのは適当ではないように思う。おそらくこの2年間でも、嵐は日本のアイドル史に残る偉業をさらに作り続けることは間違いないからだ。 そこで、嵐のアイドルとしての特徴を改めて振り返ってみたい。筆者は2014年から15年にかけて、嵐の活動を経済学的な観点から解説したことがある。 以下ではそのときの分析を基に、嵐の活動を経済学的視点から次の4点に絞って解説する。「嵐の経済効果の推計」「嵐ファンの『みせびらかしの消費』」「嵐ファンの『年輪モデル』仮説」、そして最も重要な「嵐の成功を支える三つの『三位一体』」である。 最初の「経済効果」だが、1年間で彼ら5人はどのくらい稼ぎ出しているのだろうか。まず挙げられるのが、ライブ収益やグッズ販売、嵐ファンクラブの会費収入、CDやDVDなどの売り上げ、そしてCMやテレビなどメディアでの収益である。 いわゆる経済効果を考えるときは、単に売り上げだけでなく、どのくらい経費がかかったかを計算する必要がある。売り上げから費用を引いた「粗利」をもって経済効果とするのが正しい。2019年1月27日夜、グループ活動休止について記者会見する「嵐」の(左から)相葉雅紀、松本潤、大野智、櫻井翔、二宮和也 ただし、費用面のデータがないので、あくまで売り上げの推計でしかないことをお断りしておく。さらに嵐の運営本体の売り上げがもたらす経済的波及効果、例えば、嵐が出演したCMがどのくらい商品の売り上げに貢献したか、といった金額も対象外とさせていただいた。 それではライブ収益から見てみよう。音楽CDの売り上げが低下するという世界的な潮流において、ライブを中心にした収益モデルが音楽系のアーティストたちの基本になっている。当然、嵐もライブ活動に力を入れている。日本のオンリー1アイドル 2013年の日本国内でライブを行った音楽系アーティストの観客動員数ランキングで、嵐は約78万人で第4位だった(日本経済新聞社調べ)。その後も観客動員数は順調に増加し、音楽ライブ情報サービス「LiveFans」の独自集計によれば、2018年には国内3位の約89万人を動員したという。 嵐のチケットの平均価格は9000円(一般)で、ファンクラブ会員の値段は一般よりも低い8500円である。ここでは、会員価格を動員数に掛けると、ライブの売り上げは約76億円になる。 他のアイドルも同様だが、嵐はグッズ販売にも力を入れている。ライブ会場では、メダルブローチや嵐メンバーの写真、会場限定販売のパンフレット、うちわに色つき電球を仕込んだ「ファンライト」、Tシャツ、ポーチ、オリジナルUSBメモリなど、筆者が2014年に調べた段階でも多様だった。 最近でもその開発の動きはとどまることを知らない。特に昨年後半から行われているデビュー20周年記念ツアー「5×20」では、会場限定チャームが人気を呼んでいた。個人的には「ARASHIかるた」に興味をそそられる。 当然、多くのファンたちはその場でしか手に入らないグッズに殺到する。売り場の混み具合によって、開演時間まで左右される場合もあるほどだ。一般に業界の経験則では、ライブのチケット代金の7割程度をグッズ購入にあてるという。この経験則を適用すると、先の76億円の7割にあたる53億円がグッズ収入として推計できる。 そして何といっても、嵐のビジネスモデルの中核となるのが、ジャニーズの系列企業が運営するファンクラブの存在だ。現時点での入会金1000円、年会費4000円を元に、会費関連収入を推計しよう。 ファンクラブに入会すると、「プラチナチケット」と化している嵐のライブチケットを優先的に購入することができる。ただし、会員番号が現在で180万台であるため、会員であっても入手は難しい。だが、一般販売はさらに入手が絶望的に困難なので、嵐のコアなファン層はほとんどファンクラブに入っているものと推定される。 もちろん、180万人の会員全てが現存せず、「幽霊会員」も混じっていると考えられるので、少なく見積もってライブに来た延べ人数の90万人ほどが年会費を支払っているとしよう。これだけでも36億円の収入になる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 世界的にCDの売り上げが低下していると先述したが、嵐の場合はその例外になっている。また、日本の他のアイドルと比べても、ユニークな立ち位置を確立している。 今のアイドル界でビジネスモデルの典型であるAKB48と比較してみよう。AKB48は、CDにさまざまなイベントの参加券や彼女たちの人気度を計る「総選挙」の投票券を付けている。簡単に言えば、熱心なファンには同じCDを複数枚購入するインセンティブが存在するわけだ。AKB48だけでなく、今のアイドルは同じメーン曲のCDを3~5パターン作成することが多い。人気支える「年輪モデル」 ところが、嵐の場合は、シングルでもアルバムでも通常盤と初回限定盤の2種類しかリリースしない。中には何枚も購入するファンもいるかもしれないが、AKB48のように、同じものを複数枚買わせる仕組みはないのである。 それにもかかわらず、売り上げはシングルでもアルバムでも60~70万枚台で、安定的に推移している。嵐のツアーを記録したDVDの売り上げも国内最高水準で、2017年の音楽ソフトの総売り上げは約109億円であった(オリコン調べ)。 ここまでの収益をざっと計算すると274億円になる。同様の推計をした2014年は260億円で、売り上げが拡大しているが、これが全貌ではない。嵐を利用したCM・広告料収入、書籍や雑誌収入、テレビなどメディアへの出演料などが残されているからだ。これらを全部含めると300億円をはるかに上回ることが予想される。重要なのは、この収益水準が、嵐がデビューしてから20年、成長することはあっても衰えないことに特徴がある。いったいその理由はなんだろうか。 嵐の魅力の一つに、彼らのライブの構成力がある。ムービングステージやトロッコ、リフトなどを先駆的に実験し、それは他のアーティストやアイドルたちにも影響を与えたほどだ。 彼らのライブを目の当たりにしたファンが、会員制交流サイト(SNS)でその魅力を拡散し、それを見た他の人たちが生で嵐のライブを見たいと思う。これを「みせびらかしの消費」といい、次は自分も見たいという誘惑を生み出す効果がある。それでも、ライブ構成力は、嵐の多彩な魅力の一部でしかない。 さらに発展する嵐の人気を支えるのが、ファンクラブを核にした「年輪モデル」だ。年輪モデルというのは、若いうちに嵐のファンになった人たちが、年を経てもほとんど抜け落ちることなくファンで居続ける。さらに、より若い層もファンとして取り込んでいき、あたかも木の年輪が形成されるように、時とともに巨大化していくモデルのことを指し、日本ではアニメやマンガ市場でも見受けられる。 このモデルを可能にしている要素の一つが「卒業のないアイドル」というものだ。本来、アイドルは男女問わず、若いときが人気のピークであり、20代前半を過ぎれば大概はアイドルとして終わる、というのが、1970年代から90年代ごろまでのイメージだった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ところが、ジャニーズ事務所の男性アイドルの多くは、中年になっても「アイドル」として活躍を続けた。メンバーの平均年齢が30代後半の嵐には、「先行モデル」として同じ事務所にSMAPやTOKIO、V6などがいた。つまり、年齢を重ねてもアイドルでいられるノウハウを、所属事務所が経験知として蓄積しているということが分かる。 だが、SMAPの「一時期の休止」(個人的に「解散」とは書きたくないのでメディアの通例に反してこう表現する)により、ジャニーズ事務所の運営に対して、厳しい批判が起きた。だが、今回の嵐の活動休止は、SMAPの一件とは無縁である。嵐の真の「強み」 筆者は休止に関して、メンバーの発言をそのまま真に受けることにしたい。それが彼らへのリスペクトともなるからだ。ただし、それとは別に、ジャニーズ事務所の運営に経済学的な意味で限界が来ていることを指摘しておきたい。 嵐の経済システムは、構造的にはジャニーズ事務所を中心にしたいくつのも分業化した関連企業によって支えられている。評論家の速水健朗氏は「ジャニーズのディズニー化」と形容したが、確かにジャニーズ系のアイドルの肖像権や原盤権の管理は徹底している。 事実、つい最近までネット上で嵐のメンバーの写真を見ることは極めて難しかった。今はかなり緩和されてきてはいるが、それでもK-POP勢に比べれば、管理はいまだに厳格すぎるといえる。 また、このような厳格な管理も同グループの多岐に分かれた企業群によって担われている。音楽著作権やファンクラブ運営、CM・広告制作、グッズ販売、コンサート主催、アイドルグループごとのコンテンツ管理などが挙げられる。 嵐の強みは、この嵐という「商品」を独占的に販売できるジャニーズの、企業集団としての力に大きく依存していたわけである。その力が、上記のように売り上げ拡大の基礎となるものだ。 このジャニーズ事務所の「独占力」が、業界やメディアに対して圧倒的な影響力を持つと同時に、批判の対象ともなってきた。肖像権などで緩い著作権を背景にしたK-POP勢が、BTS(防弾少年団)の国際的な展開につなげたこととは対照的に、ジャニーズ事務所のやり方はいかにも旧世代の遺物のようだ。だが、この事務所の時代からの「遅れ」をものともしない強みが、嵐にはある。2018年11月、公演する韓国の男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」のメンバーら=韓国・仁川(聯合=共同) その強みを一言でまとめるならば「三つの『三位一体』」だろう。国民的なアイドルとしての嵐には、次の三つの「三位一体」が備わっている。「テレビ×広告代理店×所属事務所=パブリシティーの『三位一体』」、「歌+ダンス×演技×バラエティー適応能力=コンテンツの『三位一体』」、そして「ライブ×テレビ×CD+DVD=媒体の『三位一体』」である。 この三つの三位一体を、メンバーが意識的にうまくコーディネートしているのが、嵐の強みである。つまり、アイドルではなく、彼ら自身が創造的な「総合監督」的な地位を獲得していることが、成功の大きなカギとなっているのである。 この強みを裏付けるように、今回の決断に至る過程においても、彼ら自身が長期間徹底的に話し合い、その後に事務所との交渉に移行したという。ファンや国民の声援を背景に、「作られるアイドル」ではなく「自らの人生を作るアイドル」、それこそが嵐の経済モデルである。■ 「義理と人情」日本的価値観を体現したSMAP解散劇■ 元SMAP3人のホンネに国民的アイドルの真髄を見た■ 韓国アイドル「BTS」が映すヘル朝鮮の現実

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    NGT事件、アイドルは守れない?

    NGT48の山口真帆がファンの男2人から暴行を受けた事件が炎上した。きっかけは彼女の告発だったが、運営会社のその後の対応も後手に回り、お堅いNHKまでが全国放送で中継するほど騒ぎが拡大した。人気絶頂アイドルを巻き込んだこの事件、何が問題だったのか。(写真はSHOWROOMより)

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    「劇場支配人は神様?」NGT事件で見えたアイドルビジネスの本音

    が、その商品を傷つけられたにもかかわらず、メディアも抱き込んで事件解明より事態収束を急いだのである。芸能界を長く取材している人間からすれば、表にできない裏事情があるからだと察しがつく。2019年1月、新潟市中央区の商業施設「ラブラ2」に入るNGT48劇場(太田泰撮影) その事情が山口の命よりも大事なのだから、運営側にとっては金儲けの邪魔になるような話であったことは容易に想像つく。運営会社のAKSは「メンバーの中に違法な行為をした者はいない」と強調したが、違法性がなくとも事件の引き金になった可能性が疑われている中での弁明は、いかにも何かを隠したいと勘繰らざるを得ない。 そんな運営側による不可解な対応を見て、私は別の女性アイドルグループのあるメンバーの愚痴を思い出した。約3年前、共通の知人を介して食事したとき、彼女は「仲間の嫌がらせがエスカレートしている」とこぼした。「愛情」と「ビジネス」の矛盾 手口も顔見知りの熱心なファンを使ったもので、ウソの熱愛話や喫煙をでっち上げられ、事実として「拡散」されたという。だが、その類いのもめ事に運営側が興味を示さなかったため、「アイドルは長くやれない」と涙し、しばらくして彼女は引退してしまった。 確かに、彼女がアイドルを続けるには、メンタルが弱かったことは否めない。「ルックスは可憐でも中身はまるで男」というような女性が多い世界である。ただ、運営側がアイドルの商品価値を落とす話にまで無関心だったのは、そうした話が表に出ることが、運営側にとっては「百害あって一利なし」だったからだろう。 そんな道理がまかり通るのは、若い女性タレントを見下してモノ扱いするような向きもあったのかもしれない。「キャバクラ商法」「風俗まがい」などと揶揄(やゆ)されるAKBのビジネスモデルは、海外メディアから「女性の性的搾取」と指摘されたこともある。 ある日、支配人ら運営側のお偉いさんがテレビ局の収録現場にやってきて、未成年を含む若い女性たちが整列して「先生、おはようございます」と一斉に頭を下げる場面に出くわしたことがある。そんな彼女らに愛想一つ振り向かず、肩で風切って闊歩する様は、私には幼稚な「ガキ大将」に見えた。いい大人が、世間知らずの若い女性たちに神様扱いされ、ボス面しているのは正直滑稽だ。 当のアイドルたちも自らの成功のために、会場に充満する汗臭さを我慢しながら大行列の握手会をさばくように、本音と建前を使い分けして生きるしかない。みんながスターを夢見る競争社会では足の引っ張り合いなど日常茶飯事であり、管理が行き届かなければ、トラブルが起きないわけがない。だが、金儲けに群がる者たちにとっては大金が稼げればそれでいい。だからこそ、ビジネス全体の価値を大きく毀損する事態以外には興味を持たないのである。 そんな世界の中では、一部の売れっ子を除けば、一人ひとりの女性を守る姿勢は希薄になりやすいのではないだろうか。事実、一人いなくなっても「代わりはいくらでもいる」と言わんばかりに、メンバーの卒業と加入が繰り返されていく。 ただ、アイドルに没頭するファンたちにとって「代わり」などいない。自分がアイドルの魅力の虜になっていたとしても、運営のビジネスモデルに気づかないほどバカではない。自分たちが注ぐ「愛情」が運営側の金儲けになっていることも分かっており、それを踏まえた上で声援をしきりに送り続けているのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) だから、アイドルの運営者に対して、ファンは潜在的な拒絶反応を示している。芸能界を大きく揺るがした、あのSMAP解散騒動では、ジャニーズ事務所がファンだけではなく、世間からも叩かれた。しかも、「無風」に見えた嵐や関ジャニ∞のファンまでも、事務所の対応を批判した。そんな「愛情」と「ビジネス」の矛盾から来るファンのストレスが、アイドルに危機が訪れたときに、大きなパワーとなって運営側に跳ね返るのである。 今回の事件は多くの謎を残しており、そう簡単には風化されないし、運営に対する非難も止むことはないだろう。アイドル活動という「ファンタジー」の舞台裏を運営者がさらけ出してしまったことは、プロとして大きな失態以外の何物でもない。 この事件でアイドルへの応援熱が冷めることに危機感を覚え、金儲けに躍起な人々は必死に取り繕おうとするだろう。だが、そんな姿勢もまた、人々に見透かされていくだけではないだろうか。■ AKB旋風で新しいアイドルが生まれ、テレビの凋落が鮮明になった■ 「お笑い」武器の“吉本ブランド” NMB48はアイドルの進化形か■ 「アイドルがニュースを伝える」日本の特殊事情はこうして始まった