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    平成のドラマが描いた女性像 ドクターXからミタ、昼顔まで

     この平成時代、数々のドラマが制作されてきたが、女性の登場人物はどのように変化してきたのか--見えてきた特徴とは? コラムニストのペリー荻野さんが解説する。 * * * いよいよ平成最後の年末。30年間、さまざまなドラマが放送された。その大きな特長は、なんだかんだとわいわいやりつつ1話が終わるホームドラマや涙と笑いの青春ドラマといったスタイルは激減、テーマが仕事でも恋愛でも「勝ち負け」をくっきりと描く作品が増えたことだ。ドラマの中の女性像も「勝ち負け」が分かれ、視聴者は共感したり同情したり。全体に味は濃い目であった。 平成ドラマ「勝った女」の代表といえば、特殊技能系。昭和のドラマにも「弁護士」「医師」などが活躍するシリーズが2時間ドラマを中心に数多くつくられたが、平成はさらに一歩進んで「スーパー」がつくほどの特殊技能系女性たちのドラマがヒット。その二大巨塔は『ドクターX』シリーズの米倉涼子と『科捜研の女』シリーズの沢口靖子である。「私、失敗しないので」「科学は嘘をつかない」。勝ち組女子は、決めセリフもきっぱりとしている。 非正規雇用、セクハラ、パワハラ、さまざまな社会問題が話題になる中、ただ文句を言うだけでなく、自分の持つ力で道を切り開き、不当な圧力をかける相手をぎゃふんと言わせる。いわば社会問題を逆手にとったような形で「勝った」のが、『ごくせん』の仲間由紀恵、『ハケンの品格』の篠原涼子、『家売る女』の北川景子、『義母と娘のブルース』の綾瀬はるかなどである。 また、過激な強さでは、最高視聴率40%を記録した『家政婦のミタ』の松嶋菜々子や『Missデビル 人事の悪魔・椿眞子』の菜々緒もいる。ヒロインが幸せな結末を迎えるのが「勝ち」だと思っていたが、この2作については任務遂行のみが「勝ち」に見える。どこか無機質な「勝ち」は、斬新であった。 では、「負けた女」は誰か。目立ったのは、悪女ドラマだ。米倉涼子(2004年)、武井咲(2017年)が主演した『黒革の手帖』は、裏金を横領して夜の世界でのし上がる悪女には、最後は大きなワナが待っていた。野心むき出しの狡猾さと女としてのもろさと。あっと驚いた武井の「ハズキルーペ」CMも含め、悪女役が女優をタフにするというのもよくわかる。テレビ朝日系ドラマ「ドクターX」シリーズで主演の大門未知子を演じる米倉涼子=2016年10月(加藤圭祐撮影) もう1つ話題になったのが、不倫ドラマ。『セカンドバージン』の鈴木京香は、年下の妻子持ちのやり手社長(長谷川博己)と熱烈な恋愛に突入。しかし、彼の妻(深田恭子)は離婚を断固拒否する。一方、自身も夫がいて、相手にも妻がいるといういわゆるW不倫の2人を描いて大きな反響を得たのが、上戸彩の『昼顔』だった。この作品でも相手(斎藤工)は妻と別れることはできず、切ない終わりを迎える。 どちらのドラマもヒロインは恋しい男を「夫」にすることはできない。結婚が「勝ち」だとすれば「負け」である。だが、負けたからこそ、ドラマチック。この2作が映画化され、女優の代表作になったことを思うと、「負け」のほうが有利ともいえる。 のんきなドラマがなかなか許されなくなった平成30年間。次の時代ものんきなドラマが成立することは難しいだろう。どんな女が「勝ち」「負け」るのか。そればっかりじゃ、ちょっと疲れる気もするけど。関連記事■ TBSの人気アナ・安住紳一郎の元カノが過去の関係を告白する■ 海老蔵と復縁説の米倉涼子に「安住アナの方がお似合い」の声■ 米倉涼子の夫 仕事のため大阪行くも夜の街でよく目撃される■ 高岡早紀、密会した実力派俳優との密着写真4枚■ 花田美恵子さん再婚! 13才年下夫との2ショット3連発

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    大晦日だよ、テレビ特番考

    かつて大晦日のお茶の間は、NHK『紅白歌合戦』の一択だった。時代が変わり、ライフスタイルも激変した今、「テレビ離れ」は平成を象徴する言葉となった。お笑いや格闘技、ドラえもんといった定番化が進む年末特番の何が変わり、変わっていないのか。各局テレビ番組を考察する。(写真は日本テレビ提供)

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    ダウンタウン松本が『笑ってはいけない』終了を決断する時

    をも取り込む要素となっている。「風物詩」になったワケ また、今年の総決算として、その年に話題になった芸能人が意外な形で登場したり、普段はバラエティーに出ないような大物芸能人が出演したりすることや、芸人や芸能人がギャグを披露して年明け早々のトピックとなり、お茶の間を騒がせることも人気の要因の一つと言えるだろう。 2016年の『絶対に笑ってはいけない科学博士24時!』で、俳優の斎藤工が芸人「サンシャイン池崎」を完コピし、「サンシャイン斎藤」と名乗ってダウンタウンらを爆笑の渦に巻き込んだように、番組きっかけでブレークするギャグや芸人、芸能人が出てくることで、視聴者に「この番組を押さえておけば年明けの話題についていける」と思わせることも人気の一因になり得たと考えられる。 さらに、レギュラー陣であるダウンタウン、ココリコ、月亭方正という5人のバランスも、番組の見どころとなっている。 ココリコの2人は、この番組が始まって以来、結婚、出産、そして離婚と、人生の節目において何らかの形で家族が多数番組に登場し、どんなシリアスな出来事でさえ爆笑に変えるという妙技を見せてくれている。 特に遠藤は、千秋と離婚し「(毎年番組に出演していた千秋も)もう出ないだろう」と誰もが思っていたにもかかわらず、離婚直後に千秋が番組にしれっと登場したことが視聴者の度肝を抜いた。だが、一番驚いていたのは他ならぬ遠藤本人だったことが、さらなる爆笑を誘った。 また、田中といえばタイキックだが、2013年の『絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時!』での田中の息子からの心温まる手紙からのタイキックの流れは、他メンバーも「これはあかんやろ」「(どう捉えたらいいか)情緒がわからん(笑)」と、笑っていいのかどうか分からないとしながらも、結果的に爆笑し、田中は号泣したままタイキックを受けるという、ある種のタブーを犯した名シーンとなった。日本テレビ提供 このような、まるで毎年親戚の年賀状を見るようなタイミングでお茶の間に人生の移り変わりを見せてくれるココリコとは違い、極限状態に追い込まれたときの人間のズルさや汚さ、開き直りを見せ、毎回爆笑させてくれるのが月亭方正である。恒例のプロレスラー、蝶野正洋から受けるビンタをなんとか回避しようと必死につくウソや言い逃れ、ダメ人間っぷりが視聴者の心をくすぐり続けるのだ。 また、元マネジャーという理由から、番組当初から進行役を務めている藤原寛氏が、現在はよしもとクリエイティブ・エージェンシーの社長であるということも、地味に面白い要素となっている。ガキ使年末特番が終わる時 そして、言わずもがなのダウンタウンである。結成36年、お笑い界のトップランナーであり続ける面白さに陰りはみられない。加えて、近年の松本のムダな筋肉や浜田の変わらない顔面の面白さなど、55歳にして鉄板のイジり要素をも兼ね備えた2人が笑いを堪え、また他のメンバーを笑わせるさまは、圧巻であると同時にただただ面白い。 そんな『笑ってはいけないシリーズ』は一体いつまで続くのだろうか。 毎年「今年で最後」説が出る『笑ってはいけないシリーズ』だが、平成最後の年末となる今年(2018年)は、もしかするとやめるには良いタイミングと言えるのかもしれない。 しかし、毎回「今回で最後」「もう限界」などと会見で発言する松本だが、おそらくそれは口だけで、本当はまだまだ続ける意志があるのではないかと私は思う。松本の「これで最後」は、「今月で閉店します」という看板を掲げたまま何年も営業を続ける店の「閉店商法」みたいなもので、本気でやめようと思っての発言ではないように感じるのだ。 そもそも、『笑ってはいけないシリーズ』が年越し特番となった2006年の時点で、ダウンタウンは既に43歳。つまり「演者が若いからこそできていた企画」ではない。日本テレビとしても、依然民放ナンバーワンの視聴率を誇り、すでに紅白に次ぐ「大みそかの風物詩」ともなっている当番組を終わらせたいと思っていないだろう。したがって、本人たちが本当にやめたいと思わない限り、『笑ってはいけないシリーズ』はまだまだ続いていくのではないだろうか。 では「本人たちが本当にやめたいと思った時」とはどんな時なのだろうか? おそらくそれは、罰ゲームを受けている姿を視聴者が見た時に、「かわいそう」だと思ってしまった時なのではないかと思う。お笑いコンビ、ダウンタウンの松本人志=2017年11月、大阪市中央区(柿平博文撮影) 現在、40〜50代と高齢化が進むレギュラー陣だが、「罰ゲームとしてお尻を棒でたたかれる」際に笑いが起こることには変わりがない。そこに「惨めさ」や「かわいそう感」はないのだ。しかしもし、「たたかれてかわいそう」だと思われてしまった時、また「思われた」と感じた時には、松本は潔く番組を終える決意をすることだろう。その見極めができない芸人ではない。 だが、個人的には、仮にダウンタウンがおじいちゃんと呼ばれるような年齢やルックスになったとしても、やはり「お尻を棒でたたかれる」姿に爆笑しているだろうと思う。なぜなら、そこにはきっと変わらない「面白さ」があるだろうから。■岡村にも読んでほしい! めちゃイケ「復活劇」の台本はこれしかない■「お笑いと社会批評の境界」茂木健一郎が考える日本の政治コメディ■「M-1憎まれ役」上沼恵美子がプロの仕事をしたと言える理由

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    『NHK紅白歌合戦』男女対抗に固執する意味がどこにある

    はいかにも「不自然」であると、当時の知識人が「男女合同」の演劇を提唱したにもかかわらず、歌舞伎は伝統芸能として残り、宝塚歌劇は大正期(1914年)になって新たに誕生した上に、一時存在した男子部がなくなり、女性だけの劇団に落ち着いたという経緯がある。変容のバロメーター こうした日本社会の歴史をみれば、男女対抗という形式こそが、紅白への共感、すなわち高視聴率を支えてきたという見方もできる。 しかし、性の多様性についての議論も高まる中で、さすがにこの形式はジェンダー平等に反しているのではと思われる。しかも、この形式に共感する限りは、先進国としては異常なほど低い日本の男女格差指数の改善は望めない(主要144カ国中、2017年114位、18年110位)のではと考える。 併せて、出演者の歌の内容についても、時代の心性とのズレが生じている。紅白のトリといえば、昭和期には演歌の大御所の定位置であり、演歌歌手は歌唱力が高いので、その意味では年末番組を飾る歌手としての実力を有している。 しかし、演歌の内容は、いわゆる水商売の女性の寂しさや、報われない恋といった、悲劇的なトーンのものが多く、この内容も昭和期には一定のリアリティーがあったが、女性の人生の選択肢が広がっている現在では共感を得にくいのではないかと思われる。 欧米社会の新年では、クリスマスに既に家族だんらんを済ませていることもあり、若者同士で派手に大騒ぎという年越しがみられるのに、日本ではなぜ悲しい歌を耳にしながら年越しをするのか、新しい年を迎えるのだから、陽気に騒ぐ方が自然なのではないか。海外での年越しを経験した筆者個人の素朴な疑問でもある。 日本の大みそかは、除夜の鐘で粛々と迎えるという習慣があるため、陽気な音楽よりもしみじみした楽曲の方がマッチしているということもあるのだろうが、「歌は世につれ世は歌につれ」という言い回しも、現状の日本社会にあまりそぐわなくなっているのかもしれない。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) とはいえ、視聴率が数%レベルに落ち込んでいるのならともかく、紅白歌合戦はいまだテレビ番組全体の中では健闘しているコンテンツである。「下火だよね」と否定的に見るのではなく、上記のように、日本社会の幸せ感や家族観の変化の反映ととらえるのであれば、視聴率の低下もまた「国民」の生活変化の象徴であり、その意味で確かに「国民的番組」である。 年末年始の多様な過ごし方の一つとしては、紅白歌合戦も依然、一定の位置を占めており、今後の変化もまた日本社会の変容を考えるバロメーターとして注目されるのである。■松田聖子と安室奈美恵、昭和と平成のトップアイドルはここが違う■「革新的アイドル」西城秀樹は理屈じゃ語れない■「特別枠」を乱発しすぎた紅白歌合戦の苦悩と違和感

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    『笑ってはいけない』のベッキーへの尻蹴りが笑えない理由

    ックボクサーに尻を蹴り上げられるシーンがあった。この企画に対して、ネット上で批判の声が上がっている。芸能担当記者が話す。「たしかに最近は何でもかんでもクレームを入れるという視聴者も中にはいて、その行為がバラエティ番組をつまらなくさせている大きな原因の1つになっていると思います。しかし、この問題に関しては過剰なクレームという一言では片付けられません」 6日にはベッキー自身が、「タレントとして本当にありがたかったなと思います」と発言したことで、いったん事態は収束したかに見えるが、当事者が納得していればよい、という問題でもない。わずか2年ほど前、『世界の果てまでイッテQ!』『天才!志村どうぶつ園』(ともに日テレ系)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系、※番組名は当時)など地上波に7本ものレギュラーを持ち、超売れっ子タレントだったベッキーは不倫騒動によって、一気にその地位を失った。 「ベッキーは世間から大バッシングを受け、レギュラー番組を全て失いました。最近では多少、メディア露出が増え始めたとはいえ、タレントとしては非常に厳しい状況と言えるでしょう。そんな“強者”から“弱者”になったベッキーを蹴り上げたら、いじめの構図に見えてしまうんです。 笑いは、弱者が強者をいじるところから生まれるのではないでしょうか。たとえば、コント55号は萩本欽一が7歳も年上の坂上二郎を舞台上で追い込んでいった。ボケの二郎さんが突っ込みの欽ちゃんより年上だったから、観客は腹を抱えて笑えた。ビートたけしは欽ちゃんが『視聴率100%男』と言われて権威だった時代に、アットホームな笑いを徹底的に批判しました」(同前)2018年7月、ラジオ番組収録のためエフエム東京を訪れたベッキー(山田俊介撮影) 結果的にたけしは、当時お笑い界の頂点にあった欽ちゃんからその座を奪い、現在もお笑い界のトップに立ち続けている。「下のものが上のものに盾突くから面白いのであって、現在お笑い界の頂上にいると目されているダウンタウンの番組で、人気のなくなったベッキーが蹴り上げられる構図は、世間から見ればいじめに見えてしまいかねない。とても笑っていられる状況ではないと思います。 逆に言えば、現在ビッグ3やダウンタウンに歯向かっていくお笑いタレントはほぼ皆無で、むしろ服従しているようにすら映っている。新たなバラエティ番組のヒットが生まれづらい、いつまでもお笑い界に世代交代が起こらないのは、そこに原因があるのではないでしょうか。オリエンタルラジオの中田敦が昨年、松本人志に意見したことはいつの間にかうやむやになりましたが……。ベッキーへの企画も、誰かが『これは笑えない』と意見できなかったから放送されたわけです」(同前) 昨今のお笑い界が抱える服従構造の延長線上に、ベッキーへの尻キックがあったとも考えられるようだ。関連記事■ ゲス不倫が人間関係に影? ベッキーと上戸彩が共演NGの理由■ 復帰したベッキーはいつまで生娘的なキャラを演じ続けるのか■ 石田ゆり子が3億円豪邸を新築、気になる同居相手■ 小川菜摘 女芸人に浜田の不倫いじられ「前から知ってたわよ」■ 『あさイチ』降板の有働アナ、決定に至るまでの様々な葛藤

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    NHK紅白歌合戦、特別枠に「要らない」と疑問の声出る

    です。そうした事情を考えると、今後、特別枠で出場する歌手はますます増えていくのではないでしょうか」(芸能関係者) いずれ出場歌手のほとんどが特別枠になったりして?関連記事■ 紅白 米津玄師、ドリカム、B’zにギリギリまで交渉か■ 稲葉浩志、結婚20年の妻と誕生日に銀座デート撮■ 福山雅治の下ネタに吉高「私のオッパイいいでしょ」と返した■ TOKIO城島茂と25才年下恋人との「変装なし」最新2ショット■ 渡辺謙、軽井沢の土地面積1000坪別荘で恋人と新生活

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    上沼恵美子「M-1騒動」が笑えない

    漫才日本一を決める『M-1グランプリ』で審査員を務めた上沼恵美子への暴言騒動が炎上した。「笑えない」暴言の主であるとろサーモン、久保田かずのぶらへの批判は当然だが、もとより芸人が芸のないネタで話題をさらったことの方が恥ずかしい。せっかくなので、この騒動を少し真面目に考えてみましょう。

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    「M-1憎まれ役」上沼恵美子がプロの仕事をしたと言える理由

    この問題には主に三つの観点がある。まず、「先輩タレントに無礼な言動をした」ことによる波紋で、これは「芸能界の厳しい人間関係」を公にした。 普段は率直な発言をする「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳も、ラジオでは「『(お笑いコンビの)霜降り明星が優勝したM-1グランプリ』って付けてあげてほしいですね。僕はもうそれだけです。それ以外のことは当事者でやっていただいて」とトラブルそのものには言及しなかった。あの明石家さんまも「会社に止められているから」と発言を控えた。久保田と武智を糾弾する以外、大物芸人たちでさえもジョークでイジりにくいほど、デリケートな問題だというのが伺える。 「人物そのものを売るタレント業では、その人物を批判すれば相手の商売を邪魔することにもなるからね。先輩に牙をむけば、その先輩に関わる事務所や番組、テレビ局など業界全体を敵に回すことになる」とは、あるタレントマネジャーの見方だ。芸能界でなくとも無礼な発言というのは嫌悪される対象ではあるが、ここでは「営業妨害」という観点が出てくるわけだ。 次に、この発言が「インターネットでの公開発言」だったという点がある。問題は12月2日の決勝放送後、武智が生中継の動画を配信中に起こった。複数の芸人が集まっていた中で、昨年の優勝者である久保田は自ら酒に酔っていることを明かしながら「そろそろ辞めてください。自分目線の感情だけで審査しないでください」と言い出した。 「1点で自分の一生が変わるんで。たぶんお笑いマニアの人は分かってますわ。おまえだよ。一番右側のクソが!」。そう言い放って机を蹴った久保田に、傍らにいた芸人らの笑い声が上がる。さらに武智と思われる声が「右のオバハンには、みんなうんざりですよ。『嫌いです』なんて言われたら、更年期障害かと思いますよ」と続けたのである。 発言内容から類推するに、これが上沼に対する暴言であることは明らかだ。動画は即座に削除されたが、視聴者の反響は大きく、2日後には二人人とも上沼の名を出して謝罪した。 タレントは売名行為も商売であり、そのためには使えるツールを何でも使う傾向が強い。たとえ、自虐ネタであっても、それを利用することで人気が上がればいいのだが、久保田と武智に関しては、わざわざ逆効果になることをやってしまったのである。 最近では、女優の剛力彩芽が恋人との熱愛ぶりをしつこいぐらいにSNSにアップして反感を買い、タレントのりゅうちぇるも入れ墨を彫ったことを公表し、バッシングを浴びた。しかも、一部ユーザーの批判に対し「こんなに偏見のある社会どうなんだろう」とわざわざ反論し、さらなる炎上を引き起こした。アナウンサーの長谷川豊に至っては「人工透析患者は殺せ」と題したブログ記事が炎上し、出演番組を全て降板する事態に発展したことは記憶に新しい。彼らに共通することは世間の反応、つまり空気を読めずに、タレントの持つ自己顕示欲の強さだけが先走ってしまったケースと言える。お笑いコンビ、スーパーマラドーナの武智。コンビで『M-1グランプリ』に4年連続で決勝進出している=2018年3月撮影 台本もなければフォローするスタッフもいない個人の活動では、そのスキルがより鮮明に露呈する。久保田も武智のケースも、後先考えずに居酒屋での放言をネットで垂れ流しただけであり、到底「芸」と呼べる代物ではなかった。 「お粗末なネット動画なんか使わないと自分を売り込めない感覚自体が二流なんだよ。他人の悪口を売り物にするというのは、芸人として最も情けない方法。『更年期障害』なんて言葉を使ってしまうのも、話芸を売るタレントとして失格でしょう」(前出マネジャー)M-1「人気」の秘密 ただ、前述のポイント2点は、当事者にとって大事ではあっても、タレントを見る側にとっては、せいぜいタレントの好き嫌いが分かれる程度の話である。それよりもっと重要な点は、この騒動で審査員と演者に「真剣勝負」の緊張感があったことが証明されたという部分に尽きる。 長年、テレビ業界を取材していると、この世界の大半のコンテンツが台本ありきの「作り物」であることがよく分かる。バラエティー番組ではお笑い芸人の発するジョークまでもが、放送作家の書く台本に沿ったものであることも珍しくない。ある番組の収録現場では、出演タレントらが高速で足踏みして歩数を競うゲームを繰り広げていたが、実は現場に計測装置などはなく、電光掲示板に表示された数値はすべて番組スタッフによる演出だった、というケースもあった。どこかの人気番組ではないが、テレビにとって「やらせ」は当たり前の感覚である。一見、出演者同士が真剣に競い合うコンテスト風を装いながら、裏では事前に優勝者が決まっている出来レース番組だって当然有り得るのである。 むろん、『NHK紅白歌合戦』の出場者の人選のように、複数のタレント事務所との関係を調整しなければならない大人の事情がある。しかし、このM-1グランプリは以前から「審査はガチ」と囁(ささや)かれてきた番組だった。 「なにしろ、島田紳助が『漫才に恩返しをしたい』と、できるだけしがらみを抑えてガチレースを実現させた番組だからね。関西のお笑い賞の中で、朝日放送は昔からガチ審査番組の試みをやってきたことがあって、その手のノウハウがあったというのもあるよ」とは関西の芸能関係者の話である。 過去には、立川談志がお笑いコンビ「スピードワゴン」の2人に対し「俺、下ネタ嫌いなんで」と100点中50点の酷評をしたこともある。松本人志もチュートリアルに対しては厳しく、島田紳助もおぎやはぎには厳しく採点をしていたが、そもそも漫才師のネタを公の場で本気でこき下ろすことは掟破りの行為である。このありそうでなかった光景こそM-1が人気となった理由の一つだろう。 これは海外でも同様の傾向があって、例えば世界的な定番となった各国のタレントオーディション番組では、決まって温情を見せない辛口の審査員がいることが前提となっている。必死の演芸を「つまらない」と一蹴する厳しさがあってこそ、珍しく褒める瞬間が最大の見せ場になり、番組の価値を上げる。 漫才のネタ中に腕を組んでピクリともせず、憮然(ぶぜん)と様子を眺めていた談志の姿は、それこそ痛快なM-1審査員の仕事だったし、遠慮しない物言いの上沼もそれを「分かって」やっていたはずだ。もっと言えば、審査員もボランティアではなく、出演料をもらっている「仕事」である以上、大御所芸人がプロの芸人を毒舌で切って捨てることも、M-1という「ショー」の大きな見どころなのである。コンテスト番組で、社交辞令のように気を使った評論が求められるのは、『NHKのど自慢』や『全日本仮装大賞』のように、出演者が素人の場合だけだ。競い合う芸人をボロクソに言えるのは、彼らが大物タレントだからであって、そうでなければ事務所同士のもめ事が絶えないはずである。 だから、視聴者をM-1に釘付けにするために、上沼は「憎まれ役」を引き受けたのあれば、彼女は「一流のプロ」の仕事をしたと言える。近年のM-1に関して言えば、古参芸人に花を持たせるように甘い採点になっていたとの指摘も多く、視聴者からは不評の声も多かった。M-1に必要なのはまさに「ガチ感」であって、審査員の発表だけでもニュースになっているのは、そのためである。落語家、立川談志さんは2002年の第2回大会決勝で審査員を務めた=2010年4月撮影 そう思えば、審査員への「噛みつき」は本来、面白い出来事だった。酷評された芸人が皆、肩を落とすだけではそれこそ予定調和にしか見えない。フィギュアスケートやプロボクシングといった採点スポーツでは、選手側の抗議はつき物であり、それこそ真剣勝負の証左でもある。 だから、「大物審査員に抗議して暴言を吐く芸人」というネタ自体は、M-1をさらに盛り上げる一種のエンターテインメントとして受け入れることもできたはずだが、残念ながら久保田と武智のそれについては、抗議の表現方法が「中傷」や「陰口」の部類にしかなっていなかった。もし、二人が上沼本人を前に、「憎まれ役」という役割を理解した上で、漫才論を投げかけたのであれば、どれだけ興味深ったことか。特に、上沼は以前「私、売れない芸人はすぐに分かるんです。間のとり方で」と言っていたこともあり、二人の主張をばっさり切り捨てたかもしれない。そうなれば、出演者と審査員の緊張が世間に伝わり、M-1にしかできない「ガチ感」が構築されたに違いない。 強いて言えば、今回の騒動が罪深いのは、これで「審査員に抗議するのはタブー」という空気感をつくったことである。ファンの間では、とかく審査の傾向に注目が集まったM-1だが、今後はそれすらタブーになりかねない。暴言を吐いた彼らの人気が今後どうなろうが知ったことではないが、真剣勝負ならではの醍醐味がもし損なわれるのだとしたら、それが一番残念である。■ やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質■ 『笑点』政権ネタの炎上騒ぎは起こるべくして起きた■ さすがダウンタウン松本「憲法9条はなめられてる」

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    上沼恵美子M-1騒動「更年期障害」でオンナは傷つきません

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) 師走の寒い中皆さまいかがお過ごしでしょうか? ワタクシは義父が危篤のため、イギリス北部炭鉱地帯出身の家人の親戚やら地元民からかかってくる電話の、英語のズーズー弁の解読に難儀しております。義父は脳梗塞で入院した翌日にステーキを食わされるという容赦ない対応を目の当たりにし、イギリス国立病院が医療費削減にまい進しているさまを体感しております。 さて話は変わりますが、12月2日に放送された漫才日本一を決める『M-1グランプリ2018』で審査員を務めた上方漫才の大御所、上沼恵美子さんに対して、お笑いコンビ「とろサーモン」の久保田かずのぶらが暴言を吐いた件がプチ炎上しておりましたね。 M-1放送後に撮影した動画で、久保田氏は「酔ってるからっていうのを理由に言いますけど、そろそろもう辞めて下さい。審査員の方も1回劇場出てください。自分目線の、自分の感情だけで審査せんといてください。1点で人の一生変わるんで。理解して下さい。たぶんお笑いマニアの人は分かってますわ。お前だよ、一番、お前だよ。分かんだろ、右側のな」と発言しました。 そして、「スーパーマラドーナ」の武智正剛氏も「嫌いですって言われたら、更年期障害かと思いますね」と発言しております。 この発言に対して、上沼さんは9日の番組で「それとお二人のことは全くなんにも思っておりません。暴言だなんだて言ってますけども、全然結構です」と述べた上で、「悪いですけど興味ないです」と発言し、熟練した大人の対応をしておられました。 久保田と武智両氏の発言は、あまりにも尊敬を欠いた、女性をバカにしたような発言なのではないか、という批判が集まりました。「女性は感情的だから」との決めつけ、更年期障害への無理解など、炎上ポイント満載ですから、当たり前ではありますが。2018年12月8日、番組の収録を終え、読売テレビを出る上沼恵美子(門井聡撮影) さて、今回の騒動は炎上案件としては比較的小さいものであって、あまり面白いものではないのですが、それでもちょっとは考えることがありました。 まず第一に、私は久保田氏と武智氏は、お笑い芸人として全然面白いとは思いません。 そもそも他の芸人や先輩方に厳しく批判されたとしても、それをネタとして生業(なりわい)にするのが、芸人というものであります。作家や漫画、歌手と同じく、自らにかかる全ての事柄をネタにして、銭にしてナンボ。自分への批判どころか、身内の借金、DV(ドメスティック・バイオレンス)、葬式、脱腸…何でもござれで、そこで他人(ひと)さまから笑いを取るというのがプロでございましょう。 他人さまは、それこそ人の不幸や悲惨さが大好きでございます。先輩に批判され、「お前はクズだ!」と言われているさまは、同情するポイントではなく、「ああ、俺よりひどいやつがいてよかった」と安堵(あんど)し、ゲラゲラと笑うネタであって、むしろ芸人としては「いいネタになった」と先輩方に感謝しなければならないのです。 これが、コンテンツを売って銭を投げていただき、飯を食っていく人間の運命であるのです。それは芸人だけでなく、作家や歌手、漫画家、経営コンサルタントといった職業もみな同じです。 何とか賞を取ったとか、何々のすごい大学を出ている、試験の点数が高い、勲章をもらった、そんなことは箔付けところが、自らの格下げとなるお恥ずかしいことに過ぎません。言葉は悪いですが、そんなものをもらいたいと思っている根性がある時点で「芸人失格」でございます。世の中を知らないバカ男 その次でありますが、この二人の浅はかなところは、中年以上の女が更年期障害だと言われるとショックを受けると思い込んでいるところであります。 甘い、甘い。なんと世の中を知らないバカな男でありましょうや。 鬼女(既婚女性)や月のものが干上がっている熟年以上の女は、そんなことではいちいち傷つきませんし何も感じません。 何せそういう女たちというのは11歳ぐらいから毎月毎月股(また)から大量の出血をしているわけで、毎月が大量殺人現場のようなものを目撃しているのです。 股から血を吐き出しながらスカートを履いて、ひものようなパンツを尻に食い込ませ、爪と顔にいろいろ塗りたくって偽装して、ワキガを香料でごまかして何も知らないような顔をしてデートに出掛けるわけですから、相当根性の据わった「モンスター」というのが女というものなのです。 その上、出産を経験しておりますと、なんと股から人間がドバッと出てきてしまうのです。 人間が出てくるだけではなくて、そこは月のものよりも、もっとすごい大量殺人現場状態で、さらに赤の他人に股(また)を糸と針でチクチクと縫われるという、すごい体験もしております。 ワタクシの場合など、助産師に股を縫われるところを家人が「ディスカバリーチャンネルのようでなかなか面白い。股がエイリアンのあれ」と眺めているのです。人間をドバッと出した後は股がずるむけになり、ゾンビを抱えているような状態です。 出産の最中には肛門もボヨーンと出てきて、それを助産師や医者が「ダイジョブダイジョブ!」と言いながら手で押さえているわけで、あのかわいい顔をしたアイドルや女優も、そういった経験をしているのです。 殿方が電車の中で乗客全員に「こいつは包茎」とアナウンスされるより、300倍は恥ずかしいと言えましょう。 そんな体験をちょっとかわいい顔をした女もしているわけですから、女というのはその辺のヤクザも真っ青な根性を持っているわけです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 更年期障害というのは、月のものが干上がってしまった後に腹が出てきたり、頭が痛いとか、汗がなかなか止まらないという話で、まぁ年を取ればそういう体の不調というのは多かれ少なかれ、いろんな人が体験するわけです。そういう状況というのはあくまで生理現象でありますから、言われて恥ずかしいものでも怖いものでも何でもないわけです。だって、そうなっているのは事実なわけですから。 では、こういう女たちが恐れることとは一体何でしょうか? それは自分よりも若い男に何か言われることではなく、銀行口座に銭がなくなることであります。 銭がなければボケた旦那の介護を頼むこともできませんし、仏壇も用意できないわけで、墓さえも買えません。どこかの「一括払い3万円の共同墓地」に旦那を入れたりしたら、それこそ近所や親戚からいろいろ言われ、実に恐ろしい地獄が待っているわけです。 上沼恵美子さんに関しては、毎日昼間に料理人にいろいろ作らせて、その横で「あら、先生ええですわ~」と言うだけで、何もしないどころか、全然関係ない話を繰り広げるという、料理番組の新境地を開かれているわけでありますが、ボケた爺が死んだらもらえる寡婦年金がいくらになるか、日々計算する女たちの憩いの時間を提供している点では、ネットで悪口を言うことしか芸のない能無し男の5万倍は世の中に貢献しているのです。■ 医学界に蔓延する女性差別、現役女医が明かした「男社会」の現実■ テレ朝記者「セクハラ告発」に舌打ちしたオンナ記者もきっといる■ 弱者は女性だけじゃない! 女性専用車両の不思議

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    漫才道を汚したM-1騒動「敬意なき毒舌」は笑えない

    ならないテーマを、マスコミはもっと取り上げるべきだと思います。 とはいえ、娯楽も国民には必要なもの。芸能界の人々やスポーツ界の人々の言動が、どうしても注目を浴びてしまうだけに、ある意味マスコミの宿命だと言えます。 多くの人に娯楽や感動を与えてくれる、芸能人やスポーツ選手が、くだらない存在だと言うつもりはありません。彼らもまた生活がかかっていて、一芸に秀で、懸命に技を磨き、競争に勝ち残ったものだけが栄誉と報酬を得られる、厳しい世界に生きているのです。 それだけにテレビの有名人には自らの言動が、少なからず国民の興味関心の対象になるという自覚が必要です。それらがマスコミで取り扱われるときには、一般人とは違って大きく紙面を使い、長いワイドショーの時間を使って報道されます。 むろんテレビの有名人の言動が、マスコミで大きく取り扱われるということは、たまには良い意味合いを持つこともあります。今年は元アイドル歌手の女性が起こした、飲酒運転のひき逃げ事件が、一般人より大きく報道されました。 この事件は、飲酒運転、信号無視、ひき逃げ、という道路交通に関する極めて大きな違反が重なっており、われわれ情報の受け手にとっても、交通ルールの重要性を再認識するきっかけになりました。国民に対して、安全運転に対する注意喚起という、一定の役割を果たしていたと思います。 それに対して、今回のお笑い芸人による大御所芸能人への暴言トラブルについては大きな意義を感じません。私も長年テレビ番組を作ってきましたが、この程度の話題がなぜ盛り上がるのか、考えれば考えるほど首をひねります。とろサーモンの久保田かずのぶ=2018年4月、東京・虎ノ門 ただ、今回の騒動で、「芸人」という極めるべき道のあり方について、ベテランと、未熟な芸人の矜持(きょうじ)の違いがハッキリしたことは間違いありません。そもそも芸能界というものは、落語や歌舞伎などもそうですが、その道を極めた人に敬意を払い、芸を見習い、さらに芸を盗んで一人前になるものです。漫才は、落語や歌舞伎などのように明確な師弟関係がない人も多数いますが、漫才についても「漫才道」という一つの道があるように思います。 その中で、今回のとろサーモン、久保田さんらの言動は、師弟関係の厳しい芸能界において、「師匠」に暴言を吐き、しかも技を審査される立場でありながら審査員をけなすという、とんでもなく礼儀をわきまえない行為だったというのは一目瞭然です。まさに漫才道を汚したといっても過言ではありません。仮にスポーツで負けた方が、審判のせいにして暴言を吐けば、これほど見苦しいものはないでしょう。 笑える要素ゼロ その一方で、上沼さんの審査の表現に厳しいものがあるとはいえ、多数いる芸人の中で生き残ってきた大御所だからこそ言える論評であり、そこに説得力が生まれるのではないでしょうか。要は、漫才道の「師匠」としての役割を果たそうとするがゆえの厳しさに他なりません。 象徴的だったのは、上沼さんが久保田さんや武智さんから売られたケンカを買わず、今回の騒動について、「なんとも思っておりません。暴言だなんだって全然結構です。悪いですけど、興味ないです」という程度で、まともに反応していないことです。上沼さんがまともに反論していれば、「どっちもどっち」的な評価で終わっていたでしょうが、上沼さんの対応が、余計に久保田さんや武智さんの評価を落とし、共感する人が少ないゆえんだと思います。 お笑い芸人には反骨精神が必要だという考え方には、確かに一理あります。ビートたけしさんや松本人志さんらも毒舌で知られますが、その「ネタ」には一定の敬意があったように思えます。芸人が表立って発言する以上、それはシャレになるというのが前提です。今回の久保田さんらの暴言には笑える要素が一つもなく、幼稚な反抗にすぎなかったと言えるでしょう。 さらに言えば、これはご本人たち同士の問題であって、周囲からどうのこうのと論評するような話題ではありません。本気で上沼さんが間違っていると思うなら、ネットで拡散するような手段ではなく、内々に抗議するなり、反論すべきレベルのものだったと言えます。炎上すればお笑い芸人にとっては宣伝効果があるかもしれませんが、逆効果になったのは言うまでもありません。 そもそも、こんな話題でも盛り上がれるのは、ネット社会の特徴だと思います。一般のどんな人でもネット上で発言をすれば、一人前のコメンテーター気分を味わえるし、自分が人気お笑い芸人や上沼さんと同レベルで議論に参加しているような、錯覚による興奮を感じることができます。それが面白くて、今回のトラブルに関しても、参加しやすいテーマだと考える人が多かったのでしょう。 そして大手マスコミはネット上で炎上していることに対して、後追いで記事にしてまとめますが、それは単に、ネット上でこんな話題が盛り上がりましたよ、という情報を伝える意味しかないのです。かっぱ寿司のフェア「かっぱのサーモンづくし」スタート記念イベントに出席したとろサーモンの左から村田秀亮、久保田かずのぶ=2018年1月、東京・赤坂 ネット上で議論すべき喫緊のテーマは、他にもたくさんあるはずです。そんな今、お笑い芸人のマナー低下を議論している場合でしょうか。一連の騒動を見ていて、ネット社会の意識レベルの低下の方が、私には深刻に感じられました。 こんな幼稚な話題で盛り上がるのは、これを最後にもうやめましょう。それが今回この話題で盛り上がってしまった方々への、私からのお願いであります。■ やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質■ 『笑点』政権ネタの炎上騒ぎは起こるべくして起きた■ さすがダウンタウン松本「憲法9条はなめられてる」

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    芸人もアイドルもセレブも続々参戦、YouTuberはいずれ消滅する

    うサービスを悪用したとして炎上。ほかにもたくさんの炎上事件がありました。 「ユーチューバーになって、芸能人みたいに注目されたり、チヤホヤされたい」、「俺はユーチューバーになるぞ!」なんて思っている人はまだまだ多いでしょう。 では、10年後にユーチューバーはどうなっているでしょうか? 僕らは「ユーチューブというのは誰でも動画を投稿できるサービスだから、無名な人間でも実力次第で上がってこられる」と、無邪気に信じていました。だけど、そうやって人気者になったヤツらが次から次へと不祥事を起こしている。「無名からのし上がってきたユーチューバー」に対する好感度は、著しく下がっています。 それで何が起こるかと言えば、すでにある程度知名度を得ている人たちがユーチューブに流れてくるんです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) アイドルや芸人にとってテレビやライブ会場というのは、特別なステージです。そういう場で活躍できる自分に、彼らは強いプライドを持っている。 だけど、アイドルや芸人がテレビや舞台で目立てるチャンスは、どんどん減っています。テレビの視聴率は軒並み下がっているし、「ひな壇」のその他大勢になったところで、上には行けない。運良くテレビで少々顔が売れても、安心なんてできません。番組が打ち切られたら、あっという間に活躍する場がなくなってしまいます。人工知能は疲れない アイドルにせよ芸人にせよ、テレビへのこだわりは少なくなっており、アマゾンやネットフリックス、アメーバTVなどネットへの露出を増やし始めています。日本人ユーチューバーの市場も、これから2、3年でアイドルや芸人に荒らされることになるでしょう。 そして10年以内には、日本人ユーチューバーの市場がグローバルユーチューバー、例えばハリウッド俳優やセレブに荒らされることになります。世界的な知名度のあるセレブに加えて、「面白いものをパクろう」と待ち構えている数億人、数十億人。 さらに、サバンナやジャングルに暮らす部族の人たちも、秘境の映像を毎日配信してくるわけです。そんなレッドオーシャンで、日本人ユーチューバーが存在感を示すのは、ちょっと難しいんじゃないでしょうか。 今後ユーチューバーで食っていくことが難しくなっていくと、僕が考える理由がもう1つあります。 それは、配信が「ナマモノ」でなくてもよくなるから。僕たちは、動画配信は生きた人間がやるのが当たり前だと思っているけど、そういう常識が崩れつつあります。 バーチャルユーチューバーは、その先駆けでしょう。配信者の動きや表情に、CGで作られたキャラクターをかぶせて動かすのがバーチャルユーチューバー。美少女の外見をしたバーチャルユーチューバーであっても、「中の人」はおっさんだったりします。 一昔前だったら、おっさんが美少女を演じているというのがバレたら、ファンは引いたと思うんです。だけど、ライブ配信中の事故で、バーチャルユーチューバーの「中の人」が画面に出てしまったりしても、みんなそれを面白がるようになっています。現実を「盛る」ことにみんな慣れ始めているのです。 現在のバーチャルユーチューバーは、着ぐるみみたいなものです。仮想の「皮」をかぶった人が演じているだけですが、このあたりの技術はものすごいスピードで進歩しています。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 今でもCGキャラクターとのやり取りを楽しむVRゲームはありますが、人工知能がユーチューバーになる日はそう遠くないでしょう。 人間がユーチューバーである限り、配信の頻度にも限界があります。どんなに熱心であっても、人間が作れる動画なんてせいぜい1日4本くらいが限界でしょう。でも、人工知能なら疲れることもありませんから、1日24時間365日、配信し続けられます。「出来の悪いサブ世界」 その結果、どういうことが起こるでしょうか?「AIユーチューバーの住んでいる世界」そのものを提供する娯楽が誕生する、と僕は睨んでいます。いや、もうユーチューバーではないですね。配信プラットフォームとしてユーチューブを使う必要もありませんから。 中世ヨーロッパ風のファンタジー世界だったり、SFチックな未来都市だったり、そんな仮想世界がネット上に構築されている。現実と同じくらいのディテールで描かれた世界の中には、イケメンや美少女キャラ、モンスターが生きています。 仮想世界のAIキャラは毎日、ひょっとしたら1時間に1回、30分に1回といった頻度で自分の番組を配信するんです。 僕らは、仮想世界にログインして、仮想キャラの配信や生活している様子を見ることが生きがいになる。そんな美しくてドキドキする世界に比べたら、現実なんて「出来の悪いサブ世界」の1つにすぎません。 整理すると、これから数年で日本人ユーチューバーの主流はアイドルや芸人になる。10年以内には言語の壁が崩れて、グローバルユーチューバーに日本人ユーチューバーは淘汰される。そして10年後、人間ユーチューバーは、AIユーチューバーに淘汰される─―。 SF映画『ターミネーター』では、サイバーダイン社の作ったアンドロイドが人類を武力で制圧しますが、そういう未来は起こらないのではないでしょうか。 人類はたぶん人工知能に支配されるでしょう。だけど、それは武力によってではありません。 彼らの武器は、「面白さ」だったり、「可愛いらしさ」だったり、「毎日100回更新するマメさ」だったりします。人類には不可能な安定した魅力や進撃速度で、僕らの日常生活における興味関心を占有してしまうんです。 こうなると、「人工知能が支配する」という言い方はもはや適切ではないかもしれません。「人工知能が人間のフォロワーを独占する」ということになるんじゃないでしょうか。関連記事■ 岡田斗司夫 今の若者が「大事なのはお金じゃない」と語る理由■ 【欅坂46 長濱ねる】遠藤周作『沈黙』の思い出■ AI搭載の監視カメラが「神」になる日

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    上沼恵美子 久保田と武智の暴言にむしろ「傷ついた」か

    中に上沼さんをバカにした態度をとる人がいた。今回の発言にもそれを感じて、気にしたのかもしれません」(芸能関係者) 上沼は17才のときに姉と漫才コンビ「海原千里・万里」でデビュー。漫才だけでなくドラマや歌でも活躍するものの、1977年、結婚のため引退。しかし翌年本名で芸能界に復帰すると関西のトーク番組を中心に人気を集めた。 お笑い界は、女芸人が1%以下という超男社会。女性が容姿や年齢をいじられるのは日常茶飯事。そんな中で上沼はのし上がり、“西の女帝”といわれるまでに上り詰めた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 歯に衣着せぬ本音トークで人気を博し、関西では誰もが知る名司会者となった上沼。「関西で彼女に逆らえる者はいない」といわれるほどの地位を築いたが、ここ数年は彼女の意外な素顔が垣間見えることもあった。 2013年には自律神経失調症、2014年には急性肝炎と、ストレスが原因と思われる病気を発症。今年3月には、夫の存在や言動がストレスで心身に不調がでる「夫源病」であると告白した。上沼への「多大な恩」 「上沼さんは辛口ですが、実は繊細で、情に厚い人なんです。周囲のスタッフやかわいがっている後輩には目をかけ、世話を焼く。細かいことによく気づくタイプなので、そうしないと気が済まないんです。だからこそ、周りの変化に敏感でストレスもためやすいのでしょう。 そんな彼女が最近、“後輩が無礼や”“ちょっと心が弱ってきたのを感じる”とぽつりと漏らしていたことがあったそうです。自分の後輩への思いと、周囲の自分への態度にギャップを感じていたのかもしれません」(別の芸能関係者) 『M-1』でも彼女の心が折れた瞬間があった。上沼が「ジャルジャル」の漫才についてコメントしている最中、突然MCの今田耕司(52才)が舞台裏に向かって「裏側(の人)、笑わないよー! 個人の意見だからねー(笑い)」と発言。舞台裏の様子がのみ込めなかったのか、彼女は苦笑いを浮かべるしかなく、それ以上は話さなかった。 暴言を吐いた2人は、上沼に多大な恩があった。 「とろサーモンは昨年の優勝後、殺到したオファーをこなしてしまったら、どこからも声がかからなくなった。そんな時に番組に呼んでくれたのが上沼さんでした。 武智さんは、『NON STYLE』の井上裕介さん(38才)が2016年に当て逃げ事故を起こしたとき、車に同乗していたことで一時干された。そこで上沼さんは自身のイベントの前説に抜擢しました。今の人気があるのは上沼さんのおかげだと言っても過言ではない。ただ、武智さんは相方の方が上沼さんにかわいがられていると思っていたみたい。そういうモヤモヤがたまっていたのかもしれません」(スポーツ紙記者) 上沼はこの騒動後、審査員の引退を表明した。 「以前から降りることは決めていたそうで、2人の発言とは無関係でした。上沼さんは“これをだしにして、番組に2人の先輩のまっちゃん(松本人志)を呼ぼう”と笑っていましたが、どうも、空元気に見えるんですよね」(テレビ局関係者) 12月中旬、上沼を直撃すると、「今からラジオやラジオ」と言い、仕事へと向かった。関連記事■ 上沼恵美子への暴言を叱る先輩芸人たちの「深慮遠謀」に学ぶ■ 上沼恵美子も怒らせた上西小百合議員 TV出演オファー続々と■ 上沼恵美子 長男の超スピード離婚も原因で意気消沈■ 上沼恵美子、溺愛するキンコン梶原にロレックスを購入■ 上沼恵美子 TV局廊下では両側に花道作り関係者がお辞儀

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    上沼恵美子への暴言を叱る先輩芸人たちの「深慮遠謀」に学ぶ

     トラブルは期せず起きてしまうもの、おさめ方こそがその後の評価を分ける。大人力について日々研究するコラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。* * * 「M‐1グランプリ2018」での上沼恵美子の審査っぷりは、例年どおりの辛らつさでインパクト抜群でした。ただ、視聴者にとっては楽しい審査でしたが、バッサリ斬られた芸人としてはたまったもんじゃありません。いろいろ思うところもあるでしょう。 そんな流れの中、終了後の打ち上げで事件が起きてしまいます。昨年の王者「とろサーモン」の久保田かずのぶと、今年のファイナリスト「スーパーマラドーナ」の武智正剛が、酔っ払った状態でインスタグラムのライブ配信に登場。世界に向かって、上沼の審査姿勢を思いっ切り批判しました。 久保田は「自分目線の、自分の感情だけで審査せんといてください」「おまえだよ、わかんだろ。右側のな、クソが!」と罵倒し、武智も「右のオバハンにはみんなうんざりすよ。(審査で)“嫌いです”と言われたら更年期障害か?って思いますよね」と悪態をつきます。たちまちネット上では批判の嵐が巻き起こり、勢いよく炎上してしまいました。お酒って、そしてSNSって怖いですね。 ただまあ、酔いがさめた途端、ふたりとも自分が何をしでかしたかを自覚して、とり急ぎツイッターで謝罪。近いうちに上沼に会って直接謝罪したい意向も示しています。所属する吉本興業も上沼に謝罪しました。あとは当事者同士の問題です。外野が騒ぐのは大きなお世話。しょせんは仲間うちのアクシデントです。「更年期障害」という言葉を問題視したい人も多いようですが、そこをことさら責める話ではありません。 うっかりライブ動画で流れてしまったから騒ぎになっていますが、上沼としては、辛口の審査に反発する芸人がいることは百も承知しているはず。酔ったお笑い芸人が芸に真剣であるが故の率直すぎる発言を根に持って、権力を使って叩き潰すような了見が狭いことはしないでしょう。もしそうしたとしたら、かなりガッカリです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) しかし、世の中にはどうでもいい正義感を持て余していて、しかもヒマな人が多いようで、ネット上では久保田と武智に激しい批判が集まっています。他人の失敗が嬉しいのか、「これでもうあいつらはおしまいだ」という声もちらほら。みなさん、そんなに「一発レッドカード」の世の中をお望みなのでしょうか。本当これでふたりが干されてしまうなら、そんなお笑い界も世の中も、かなりガッカリです。阿吽の呼吸のチームワーク? 無責任なヤジ馬の声はさておき、後輩が行儀の悪いことをしでかしたとなると、お笑い界の先輩たちとしては黙っているわけにはいきません。上沼とともに審査員を務めたオール巨人は、ブログで「つまらん本当に情けない話が」「しっかりした大人に成れって伝えました!」と、名前はあげないもののふたりに厳しく説教したことを匂わせました。 博多大吉もラジオ番組の中で「またバカ後輩たちがやらかした」「僕史上、最大級の雷を落としますよ、あのふたりには」と宣言。司会の今田耕司も事務所の先輩として上沼に謝罪するなど、たくさんの先輩芸人がふたりへの怒りを表明しています。 先輩たちがこうして「ケシカラン」と声を上げているのは、もしかしたらふたりを助けるためかもしれません。大御所や先輩芸人があっちでもこっちでも怒っている様子を見て、外野は「あれだけ叱られたら、本人たちはさぞつらいだろう」と感じます。「とんでもないことを言ったけど、十分に罰は受けた」という印象を受けるかもしれません。 そう、怒っている先輩芸人たちは阿吽の呼吸のチームワークで、マヌケな後輩芸人へのバッシングを鎮めて、世間が何となく許す雰囲気を作ろうとしている可能性があります。いや、そういう深慮遠謀があって怒っているのか、芸人としてのカンで後輩を守る発言をしているのか、あるいは単に本気で怒っているのか、そこはわかりませんけど。 この手法は一般の会社でも使えます。部下が大きなミスをしでかしたら、お客や取引先、あるいは会社の上層部に対して、「あいつのバカさ加減ときたら!」「自分がしっかり締めておきます!」と怒りを込めて言い放ちましょう。そうすることで相手は「まあまあ、あまり叱らなくていいよ」と言いたくなる違いありません。人間は自分より激しく怒っている人がいると、なだめ役に回る習性があります。 なんて言いながら、この騒動もあっという間に忘れ去られるでしょう。そして、やらかしてしまった「とろサーモン」久保田と「スーパーマラドーナ」武智に対して、ふたりの漫才を聞いたこともないくせに、匿名で「正義の鉄槌」を下して興奮していた人たちは、すぐまた新しいターゲットを攻撃し始めるに違いありません。ふたりの暴言なんて足元にも及ばない汚い言葉を使いながら。やれやれ、お疲れさまでございます。関連記事■ 上沼恵美子、夫との関係悪化 「夫源病」で結婚41年目の別居■ 上沼恵美子 ブルドッグ柄のTシャツ着たプライベート姿■ 離婚の貴乃花と景子さん 別のパートナー報道の真相は■ 眞子さまの婚約延期、小室家だけを責めるのは筋違いか■ 上沼恵美子 長男の超スピード離婚も原因で意気消沈

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    ジャニーズ「パニック障害」はなぜ起きた?

    ジャニーズの人気アイドルグループKing&Princeメンバーの岩橋玄樹と、SexyZoneの松島聡が、パニック障害を理由に相次いで活動を休止した。2人がほぼ同時期だっただけに、ファンや関係者らに衝撃が走り、さまざまな憶測も飛び交う。騒動の背景に何があったのか。(イラスト・不思議三十郎)

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    キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側

    っても過言ではない。 その一方で、言い尽くされた感はあるが、若手のプロ意識の希薄さも否めない。これは芸能界全体に言えることである。最近、グラビアアイドルが「彼氏に反対されたので水着になれなくなりました」などと突然言い出すケースが増えているそうだが、これも一つの表れだろう。 心的な病にしても、仕事に差し支えないよう自己管理し、事が大きくなる前に誰かに相談するといった意識も低い。ひとたび病気やケガをすれば、事務所としては休養させるしか道がない。キンプリの岩橋とセクゾの松島のパニック障害の原因は、ジャニーズ事務所が彼らを酷使しているからだと、安直に考える人も多いが、そもそも過酷な環境で活動するのがアイドルたるゆえんなのである。 もとより、アイドルは極力休養する状況にならないよう、日々心掛けているはずである。病気やケガとはいえ、仕事は絶対に穴を空けてはならない。これは芸能界の常識である。誤解を恐れずに言えば、具合が悪いとか急用があるとか、下手な理由で仕事をおろそかにするタレントが昔よりも増えている気がしてならない。(イラスト・不思議三十郎) 少々厳しいようだが、本来「歩合型」の芸能界で、働けないタレントに給料など払えない。ジャニーズほどの規模と資金力、影響力があるからこそ、代えがきくのである。規模の小さい事務所であれば、タレントが回復するまで待つなど、それこそ死活問題であろう。 最近は事務所の管理責任を問う声も大きい。ひと昔前であれば、自分が病気を患っていることを伏せたまま収録に臨んだり、骨折を抱えながらも舞台で演じ切ったりするのが、トップアイドルたる生き様でもあった。もちろん、こうした話が美談となる時代が終わったのは確かである。 こんな時代であるからこそ、あえて言いたいことがある。奇(く)しくも年末に復活する90年代の『8時だJ』の復活は、ジャニー氏からタッキーへのプレゼントという意味合いよりも、むしろアイドルとは何たるかを示し、ジャニーズを継いでいく次世代スターたちに向けたメッセージでもあるのだ、と。■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■「おっさんアイドル」山口達也の悲哀は私にも分かる

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    関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント) 人気アイドルグループ「関ジャニ∞(エイト)」の大倉忠義がブログで、一部の熱狂的ファンによる行き過ぎた行為について怒りを表し、波紋を呼んでいる。週刊誌報道などによると、大倉に近づいてきたファンが体当たりしたり、カバンに物を入れたりすることに加え、プライベートな食事の席で隣のテーブルにいたこともあったようだ。 これに対し、大倉は「ストーカー行為だ」などとブログに書き込み、ジャニーズ事務所も告発もあり得るといった構えをみせている。 とはいえ、当たり前だが、アイドルにとって「ファン」とは本来、最も大切にしなければならない存在である。だからこそ、ファンにはいつも幸せな気持ちを抱いてもらえるよう振る舞っているのだが、それを逆手に取って足を踏み外してしまうファンがいるのも事実だ。 まずは、ジャニーズファンの現状から説明しておこう。およそ1千万人いるとされるジャニーズファンは、特定の個人やグループに限らずジャニーズを全体的に応援する人たちの総称だが、最近は個別に呼称をつけて色分けしている。 古くは「追っかけ」や追っかけに命をかけて力(リキ)を入れる「オリキ」と呼ばれ、最近は「ジャニヲタ」と称されている。その中に特定のグループのファンの呼称もある。例えば、KinKi Kidsのファンは行儀が良いことから「図書委員」、嵐は「アラシック」、関ジャニ∞は「エイター」だ。さらに、Kis-My-Ft2については意味不明だが「俺足族(おれあしぞく)」、 SexyZoneは「セクシーガール」、King&Prince(略称キンプリ)は「ティアラ」と呼ばれている。 そして今、問題となっているのは「ヤラカシ」と言われる、悪さをやらかす行き過ぎたファンたちだ。大倉のケースのように、個々のタレントだけの問題ではなく事務所も相当に手を焼いているのが実情である。これには「ヤラカシ対策」というファンもいて、これを監督して注意喚起を行う役割を担っている。彼らはいわゆる本当の意味での「親衛隊」である。 僕が現役の頃は、トシ派(田原俊彦)とマッチ派(近藤真彦)しかいなかった。だが、その後の「ジャニヲタ」は、シブがき隊や少年隊、さらに光GENJIに男闘呼組、忍者となり、そしてSMAPへと、移りながら、あくまでもジャニーズ内に留まって支え続けている。それだけに「親衛隊」のようなファンと素行が悪いファンが実際にぶつかることもしばしばある。 先に記したように、昔は一般的な「ファン」と、さらに気合を入れた「親衛隊」の2種類しかいなかったが、80年代の後半から「追っかけ」が登場し、90年代には「オリキ」になり、同じ頃から「ストーカー」とでも言うべき行為に走る過激なファンも増え始めた。(イラスト・不思議三十郎) つまり「追っかけ」の延長線が、ストーカーと見なされる行為に進化したのである。ただ、かつては「ストーカー」という表現がなかっただけで、大倉の悲痛なメッセージを目の当たりにした時、僕も現役時代に同様の被害に遭っていたことを思い出した。 「入待ち」や「出待ち」は温かい応援の定番であり、これを嫌がるアイドルは少ない。だが、待つ場所によっては一大事だ。テレビ局やスタジオ、あるいはコンサート会場なら常識だが、自宅前での出入り待ちはかなりの苦痛である。 もちろん、弁当やタオル、栄養ドリンクなどは当たり前のように渡されるので、家を出た瞬間から持ちきれない荷物を背負うことになる。ただ、こういうレベルはまだマシだ。 だが、エスカレートすればそうも言っていられない。「待ち伏せ」は家や最寄り駅などで行われるが、それは「仕事」の行き来なら仕方がないとはいえ、駆け出しの頃に通っていた学校やアルバイト先にまで熱狂的なファン現れると、自分の周囲の人たちにも迷惑をかけかねない。これが続くと、さすがに誰だって嫌な気分になってくる。ベッドの下にもファン また、ファンも待ち時間があまりに長いといらだち、あらゆる行動に打って出る。まずは、落書きだ。「大好き」とか「一生ついていく!」程度のものから始まり、「抱いてください」のほか、露骨に「キスして!」とか、「セックスしてください」などとエスカレートしていく。近所のガードレールや公園のベンチなどに名指しで書かれれば、自分のせいでご近所に迷惑をかけていることになり、帰宅すら億劫になる。そして、そこからは引っ越しの繰り返しである。 ちなみに、家庭ゴミはすべてファンに持っていかれるので自宅近くの集積所には出さず、最寄りの役所まで持ち込むこともざらである。それだけではない。自宅のポストをのぞかれたり、郵便物を取られたりは当たり前で、はっきり言ってプライベートは何もかも奪われていく。今ではマンションにオートロックや防犯カメラも設置されているため、こうした行為は随分防げるようになった。 これは聞いた話だが、留守中に自分の部屋に忍び込むファンもいるらしい。忍び込んだ部屋を掃除したり、食事を作って待っていたり…。ある知人のアイドルは、見知らぬ女性ファンがベッドの下に隠れていたという。 また、ここ数年は、会員制交流サイト(SNS)がファンの行動を変えている。これによって、物理的な「追っかけ」をしなくても、効率良くお目当てのアイドルに会えるようになった。 「今、どこに誰がいる」という情報は瞬く間に広がり、その動向は手に取るように把握できるネットワークをジャニヲタたちは持っている。行く先々で「なんでファンがいるの!?」と、驚きよりもむしろ恐怖に似た感情を抱くケースも多いらしい。 こうしてプライバシーが失われていく心境はアイドル本人だけでなく、家族や友人にも及び、仮に恋人がいれば、それは「攻撃の対象」にもなるため、本人の精神的なダメージはどんどん増幅する。実際にジャニーズの所属タレントと「噂」になるだけでも、酷い仕打ちを受けることがままある。もし、リアルな彼女になろうものなら、その攻撃の程度は計り知れない。 ただ、かつてと大きく変わったと感じるのは、いくら迷惑行為とはいえ、「人気者の証」とも言えるファンの言動に対して、露骨に嫌悪感を丸出しにするアイドルが増えてきたことである。本来なら大倉がブログで吐露した「そろそろ限界」は、「じゃあ、アイドル辞めろよ」と言われても仕方がない。もちろん、熱狂的ファンの迷惑行為が犯罪行為になってしまえば、当然声を上げるべきだが、その線引きはなかなか難しい。(イラスト・不思議三十郎) 当然ながらアイドルも年も重ねる。デビュー当初は我慢できても、大倉のように大人になったアイドルが限界を感じ、憂鬱な気分になるのも理解できる。 こうした現実を踏まえれば、むろん大倉に限ったことではないが、彼の悲痛な叫びは今現在も耐え忍んでいるアイドルたちの「代弁」でもあり、自分のことだけでなく、仲間や同業者の気持ちを察しているからこそ出た発言なのだろう。 勇気を持って出したであろう大倉のメッセージが、行き過ぎたファンの迷惑行為の歯止めになればいいのだが。

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    日テレ『イッテQ!』やらせ騒動の本質

    日本テレビの人気バラエティー『世界の果てまでイッテQ!』をめぐり、番組企画のやらせ疑惑が大きな騒動となった。そもそも「存在しない」祭りをでっち上げたのであれば、非難されるのも当然だが、バラエティー番組のやらせと演出の違いについては一考の余地もある。騒動の本質を読む。(番組ロゴは日本テレビ提供)

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    『イッテQ』やらせ騒動「名プロデューサー」は週刊文春という皮肉

    藤本貴之(東洋大学教授、メディア学者) 日本テレビのバラエティー番組『世界の果てまでイッテQ!』で放送されたラオスの「橋祭り」企画をめぐり、週刊文春が報じた「やらせ疑惑」が大きな問題となっている。近年のテレビでは度々、やらせや捏造(ねつぞう)が発覚し問題となっているが、今回は国民的人気番組であるだけに、より大きな騒動となって関心を集めている。 テレビにおけるやらせや捏造は古くからある。かつてはテレビ朝日『川口浩探検隊シリーズ』(1978~1985年放送)などのように、真剣な探検を装いながらも、多くが「演出」によって彩られていた人気番組は決して少なくない。むろん、視聴者の側も「やらせをやらせ」と理解しつつ、「もしかしたら…」というギリギリのリアリティーを楽しむ。そこにはエンターテインメントへの寛容な感性があったのである。 フェイクドキュメンタリーやリアリティーショーの魅力は、ドラマでも報道でもなく、それでいて見る者にリアルなハラハラ、ドキドキを感じさせる技術と表現にある。そして、視聴者の側にも当然、それを理解できる寛容さが求められる。作り手と視聴者の「共犯関係」で楽しむフェイクドキュメンタリー、リアリティーショーは今日でも名作、人気作品が世界的に多い。 しかしながら、日本では近年、メディア業界のコンプライアンス(法令順守)意識の高まりに伴い、そのような表現の問題点が指摘されるようになり、少なくとも『川口浩探検隊』のような作品はもう二度と作られないとさえ言われる。やらせと演出の「境界線」に関する議論が、ニュースになることも多い。 フェイクや台本、演出がある以上、それをドキュメンタリーや記録映像のように描いてはならない、視聴者に誤解を与えてしまうような表現は許されないという前提は今日、テレビ放送全てに当てはめられる傾向にある。報道と天気予報以外のほとんどのテレビ番組が創作物であるにもかかわらず、だ。 そうなれば、自ずと「前人未到のジャングル探検」もできないし、「UFOと米軍の密約」や「秘密組織による超能力兵器開発の証拠」も出すことはできなくなる。その結果、テレビ番組の表現にも制約がかかるし、もちろんつまらなくもなる。2018年11月、東京・渋谷で行われたイベントの後に『世界の果てまでイッテQ!』のやらせ疑惑について謝罪する宮川大輔 「第三の権力」であるメディアに誠実さを求めるという近年の流れには、筆者も大いに賛同するが、その一方で視聴者がテレビのエンターテインメント性に対して過敏になりすぎていることに違和感を覚える。ここで言う「視聴者」とは、主要な接触メディアがテレビであるという高齢者層ではなく、自ら情報発信する会員制共有サイト(SNS)なども使いつつテレビに接触する層を指す。 今回の『イッテQ!』やらせ騒動では、民放とはいえ、公共の電波を利用しているテレビが、事実とは異なる表現をしたことに不信感を持つことはやぶさかではない。しかしその一方で、『イッテQ!』の今回の番組作りをひたすら批判し、糾弾する状況に違和感を持っている人は何も筆者だけではあるまい。バラエティーに求める信頼性って? 「『イッテQ!』は単なるバラエティーでしょう?」。そうした番組本来の位置づけを忘れている人があまりにも多いように感じる。もっと言えば、そもそもバラエティー番組に公正さや正確さを厳密に求める風潮に対しては「エンターテインメントを楽しむことができる知性」の欠如も感じる。 コンプライアンス意識の高まりも重要であるし、SNSで頑張る「モノを言う視聴者=インディーズ評論家」の存在も悪いわけではない。しかし、『イッテQ!』は誰がどう見てもバラエティー番組である。記録映像や教育ドキュメンタリーのような作りにはなっていない。視聴者も真剣に応援したり、ハラハラ、ドキドキを感じていたとは思うが、最終的にはバラエティーとして楽しんでいたはずである。同じエベレスト登山の番組にしても、『イッテQ!』でお笑い芸人のイモトアヤコが登る時と、「記録映画」で冒険家の植村直己を見る時とでは、視聴者の見方も感じ方も全く違うはずだ。そもそも視聴者だって異なるだろう。 ただし、『イッテQ!』はバラエティー番組であるが、出演者(挑戦者)たちの「ガチンコ勝負」を標榜(ひょうぼう)している。出された課題に真剣に取り組んでいる出演者たちは、それが何であれ真剣勝負であっただろう。多少の誇大表現やテレビ映えする芸としての「演出」はあったにせよ、挑戦それ自体に嘘があったとは思えない。それは見ている側にも十分に伝わる。その意味では『イッテQ!』という番組自体が「やらせ番組」「捏造番組」とのそしりを受けるほどの騒動とは思えない。 例えば、格闘技などの試合中継を見ると、「ブラジル最強の男」とか「世界最速のキックを持つ男」などさまざまなうたい文句が登場する。選手の特徴や強さを分かりやすく表現するためのキャッチコピーである。それらは当然、科学的に「ブラジル最強」や「世界最速のキック」を検証したわけではないだろう。しかし、一部の例外を除けば、試合自体は真剣勝負であり、選手も観客もそこに疑いはない。キャッチコピーが正確さを欠いていたり、誇張表現だとしても、試合の真剣勝負をやらせとは思わないことと同義である。 「橋祭り」が以前からラオスに存在していたイベントであったのかどうか、という一点において、番組自体を「やらせ番組」「捏造番組」であると決めつけて糾弾し、ともすれば番組終了にまで追い込むような風潮は、今後ますますテレビ番組、特にバラエティー番組をつまらなくするのではないか。糾弾する人たちはテレビの将来に何を見ているのか。メディアの信頼性の問題といえばそれまでかもしれないが、バラエティーに求める信頼性とは一体何なのか。出演者の誠実さ以外、少なくとも筆者には思い浮かばない。 SNS時代の今日、従来であれば発覚しなかったような不正やごまかしも容易に指摘・検証され、発覚してしまう。そういう時代だからこそ、作り手にはより強い慎重さが求められる。視聴率という「甘い汁」に惑わされた日本テレビにも、そういう認識への甘さがあったことは明白だ。しかしながら、視聴者の側にもバラエティー番組をどのように楽しむか、楽しめるのかという、いわば「エンターテインメント・リテラシー(読解力)」が求められる時代になっているとも感じている。 今回の「橋祭り」の企画が実際にはどのような経緯で成立したかは当事者しか知りようがないが、個人的にはラオスの伝統を蹂躙(じゅうりん)したり、その文化風習を捏造した作りになっているようには思えない。強いて言えば、海外のテレビ番組が、ハロウィーン当夜の渋谷に若者たちがコスプレ姿で殺到して乱痴気騒ぎをする光景を「日本のハロウィーン文化」のように紹介しているケースに近い。これを「日本の文化」とされてしまうのはちょっと違う。日本政府だって「渋谷で大人たちがコスプレをして騒ぐことが日本のハロウィーン文化ですか?」と聞かれれば、きっと「ノー」と答えるだろう。ハロウィーンに対して「日本文化の捏造である」と目くじらを立てて怒る日本人がそんなにいるとも思えない。ハロウィーンの日の東京・渋谷(ゲッティイメージズ) 今までバラエティー番組として楽しんでおきながら、急にバラエティーには本来求められていない正確さや客観性の欠陥を発見したら、鬼の首でも取ったかのように「やらせだ、捏造だ」と騒ぎ立てることに何の意味があるのか。視聴者の側も改めて考えてほしい。そこには、ゴシップやスキャンダルを楽しむというエンターテインメント以上の意味を見いだすことはできないはずだ。 筆者は、今回の『イッテQ!』のいかにもバラエティー番組然とした作り(「筋肉バラエティー」にありがちな鉄骨のセットや巨大なボールの障害物など)を見て、それがラオスに古来伝わる伝統的な祭りであるとは思わなかった。「内輪でやっているゲームでしょ?」程度の感想だ。そもそも伝統的な行事に巨大なボールなど出てくるはずもない。そんなことは誰でも分かるのではないか。新たな「総合エンターテインメント」 しかし、その一方で、水上の狭くて粗末な橋を自転車で渡る、というアトラクションを見て「何かラオスの文化にゆかりがありそうだな」とも感じた。なぜなら、ラオスを代表する観光地、メコン川流域にある世界遺産ルアン・パバンという街では、川にかかる幅1メートルにも満たない竹でできた粗末な橋「バンブーブリッジ」もまた、「インスタ映え」する名物スポットであったからだ。 ラオスの世界遺産は、このルアン・パバンとワット・プーの二つしかないので、ラオスを訪れる年間300万人超の外国人観光客にとって「バンブーブリッジ」は決して無名な場所ではない。安全性に難のあるような「不安定な橋を渡る」という行為は、ラオス観光では比較的知られた「天然のアトラクション」であり、少なくとも筆者はそこに「橋祭り」企画との関連性を感じた。 番組を象徴するイモトの体を張ったバラエティーを超えた出演が、一見すると、ドキュメンタリーや記録映像のように誤解・錯覚をさせてしまったこともあるだろう。だとしても、「完全なバラエティーである」という前提を忘れてはならない。むしろ、「エンターテインメント・リテラシー(読解力)」を欠如しつつ、インディーズ評論家化した視聴者が一方的にリアリティーを求めすぎていているだけのようにも見える。 エンターテインメントの世界では、ジャングルはいつでも「前人未到の密林」であるし、出される資料は必ず「トップシークレット」である。男女間のもつれで犯罪を行う女性の多く「美人毒婦」であるし、来日する格闘家は常に「地上最強」である。ごく普通の一般人でも「内部事情に詳しい関係者」なのだ。それを「やらせ」「捏造」と捉えるか、「エンターテインメント手法の一つ」と捉えるかは、見る側の知性と感性、そして寛容さにかかる。 エンターテインメントの在り方が今、大きく変容している。この事実もまた忘れずに付記しておきたい。 バラエティー番組であるという前提を考慮に入れず、テレビ番組の中での過剰な演出や誇大表現などを「やらせだ、捏造だ」と糾弾し、それをネット民たちが騒ぎ、拡散し、テレビのニュースとなり、ひいてはテレビ局の社長や放送倫理・番組向上機構(BPO)、時には政治家などをも巻き込んだ大騒動へと発展する。その一連の騒動自体が、視聴者やネット民を楽しませる、見事にネットとテレビが融合した「総合エンターテインメント」になっているように思えてならない。 今回の件でも「ラオス政府が動き出した」とか「ラオス政府関係者によれば」といった報道も散見されるが、ニュースソースはどこなのか。ラオス政府関係者とはいったい誰なのか。『イッテQ!』のやらせ疑惑以上に「疑惑」がある。それもまた「総合エンターテインメント」を彩る演出の一つになっている。ラオスの世界遺産ルアン・パバンにある「バンブーブリッジ」(ゲッティイメージズ) 週刊文春は、そういった「総合エンターテインメント」における主役であり、視聴者を楽しませる名プロデューサーでもある。ネット上に無数に存在するSNS民たちは細かい検証をしたり、コンテンツを作ったり、拡散にいそしむ「敏腕ディレクター」であり、小回りのきく機敏な「アシスタント・ディレクター(AD)」だ。テレビ局幹部や有名タレントという豪華な「エキストラ」もいい味を出している。さらには、元テレビ局員を称する文化人や大学教授などまでが登場し、「現場を知る」という立ち位置で自分のかつての職場に対して無責任な断罪をしてトドメを刺そうとする。 「娯楽の王様」の座から陥落したテレビに代わって消費者を楽しませる「総合エンターテインメント」の中で、名プロデューサー、敏腕ディレクターたちに踊らされている視聴者もテレビ関係者たちも、そろそろこの新しいエンターテインメントの構造に気が付いた方が良いのではないか。

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    テレビのやらせは必要悪、でも『イッテQ』でっち上げはアウト!

    杉江義浩(ジャーナリスト、放送プロデューサー) またか…。というのが今回のバラエティー番組『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)の「やらせ」疑惑を報じた記事を読んで、私が率直に感じたことです。テレビで「やらせ」疑惑が騒がれるようになったのは、今に始まったことではないのです。少なくとも25年前から、何度も話題に上っています。 そもそも、テレビ番組に「やらせ」があったのか、なかったのかを議論するのは、全く不毛なことです。厳密な意味で「やらせ」のない番組は存在しないからです。どんなドキュメンタリー番組にも、制作者の意図と演出が必ず働くし、それらを受けていない「素のまま」の姿をカメラに収めるのは不可能です。 議論するとすれば、どのような「やらせ」なら許容範囲で、どのような「やらせ」が問題になるのか、その基準を考えることです。そして制作者と視聴者の間で、それらを共有することに意味があります。 テレビの番組はドラマ、ドキュメンタリー、ニュース、情報番組、娯楽番組、よく分からないバラエティー番組、とジャンルに分けられるようですが、私はそのようなジャンル分けには何の意味もないと思っています。 あえて区別するとしたら、フィクションとノンフィクション、の2種類だけ、というのが持論です。フィクションは作り話ですから、該当するのはドラマやアニメくらいでしょうか。それ以外は全てノンフィクションです。 お笑いバラエティーでも、芸人さんたちのネタは作り話ですが、番組ではそれを分かった上で、その芸人がスタジオでどれくらいのパフォーマンスを見せてくれるか、という事実関係を見るのですから、立派なノンフィクションです。シリアスな内容か、娯楽目的かにかかわらず、ニュースもドキュメンタリーもバラエティーも、ほとんどのテレビ番組はノンフィクションなのです。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 今回の『イッテQ!』のラオスの祭りに関するコーナーは、『週刊文春』の記事を見る限り、「やらせ」の範疇(はんちゅう)を超えた、「デッチ上げ」と言うべきお粗末なものでした。演出意図による許容範囲の「やらせ」ではなく、「橋祭り」という番組の本質にかかわるメインの主題を捏造(ねつぞう)し、事実関係に反して、視聴者に対するウソを伝えたからです。 ノンフィクションで本質に関わるウソをついてしまったら、もはや許されません。バラエティーだから、娯楽だから、という言い訳は通用しません。一方、だからといって即『イッテQ!』がダメな番組だとか、日テレがひどい会社だとか、テレビというメディアがそもそも信頼できないだとか、というインターネットにありがちな論評は、あさっての方向に向かって暴走しているだけなので、私は関与する気はありません。 冒頭で記した通り、テレビ番組が「やらせ」疑惑で糾弾されるのは、今に始まった話ではありません。昔から何度も取り沙汰されては、ひと揉めすることが繰り返されており、もはや定番だとも言えるでしょう。「Nスペ」でもやらせ 少なくとも私が現役時代のNHKでは、1992年に放送されたNHKスペシャル『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』が印象に残っています。もう25年以上前ですが、「やらせ」疑惑によって検証番組が作られ、会長の減給6カ月、NHKスペシャル番組部長の減給と解任、そして担当チーフディレクターの停職6カ月という重い処分がなされました。 『ムスタン』の場合どんな「やらせ」があったのか。一つは取材チームが現地に入った際に、スタッフの1人が高山病で倒れた、というシーンがあったこと。実際にはそのスタッフは高山病にはかかっておらず、演技だったということが明らかになりました。 また、現地での雨乞いの様子を撮影したかったので、実際には降雨があったにもかかわらず、雨乞いの儀式を再現してもらった、というものです。いずれも細部の演出であって、番組の本質にかかわるような、根本的な問題ではないと私は個人的に思いました。 この時、第三者委員会が作られ、ノンフィクション作家の立花隆さんを座長に、ジャーナリストの田原総一朗さん、元NHK特別主幹の吉田直哉さん、テレビプロデューサーの今野勉さんといったメンバーが「ドキュメンタリーとは何か」と題し「やらせ」について討論しました。その中で衝撃的だったのは、「やらせ」の一切ないドキュメンタリーなど存在しない、という結論でした。カメラを向けた時点で、すでに演出だからです。 昔は今のように明るいビデオではなく、感度が悪くて1分も回せないフィルムカメラで、ドキュメンタリーを撮影していました。夜行列車で帰郷する男性のインタビューを撮る際にも、車内に煌々(こうこう)と照明をたき、15秒のフィルムにインタビューがちゃんと収まるよう、何度も主人公にリハーサルをし、物々しい雰囲気の中で収録して、あたかも「男性がふとつぶやいた素朴な一言」のように編集して使っていたそうです。 今のカメラでも、放送用の大きいカメラを向けると、ほとんどの人が普段通りの自然な心理状態ではなくなります。カメラを向けた時点で、作為・演出は始まっているのです。街頭インタビューでも、そもそもなぜ隣のおばちゃんじゃなくて、そのおばちゃんにカメラを向けたのか、フレーミングの切り取り方は意図的です。そして20人ほどにインタビューして、その中から「使えそうなもの」2、3人を選んで放送に使います。まさに作為以外のなにものでもありません。 NHK番組『鶴瓶の家族に乾杯』じゃないけど、地方の田舎町にぶっつけ本番で訪ねて行き、地元の庶民の暮らしぶりを取材する、というありがちな企画の番組は、私もいくつか担当しました。たまたま訪ねて行ったご家庭が、地元の伝統産業の職人さんだったり、特産品の農家だったり、また奥さんが地域の伝統料理を台所で作っていたりすると、なかなか面白いアットホームな番組に仕上がります。東京・渋谷のNHK放送センター 農家のご家庭の玄関口にいきなり立って、「NHKですけど、取材させてもらってよろしいですか?」と尋ねると、8割方が「大丈夫ですけど、ちょっと待ってください」と言って奥様がしばらくどこかへ行かれます。 台所で地元の素朴な食材を使って、いつもの家庭料理を作るのどかな風景を撮影したいのですが、その主婦が台所に立ったときには、真っ赤な口紅と念入りなお化粧をしていて、自宅の台所に立つ農家の主婦としては不自然極まりないのです。でも女心ですから文句は言えません。メークが完成したところで、「はじめまして、ちょっと撮影よろしいですか?」とやり直すはめになります。やらせのないテレビはない ささいなことですが、農家の主婦が普段からメークをして台所に立つ、というのは事実ではありません。また、画面では「はじめまして」と言っていますが、本当は初対面ではありません。厳密に言うとこれらも「やらせ」です。これらを私は許される範囲内の「やらせ」だと考えています。テレビ番組はこのような小さな「やらせ」や演出の集合体なのです。 でも、このような紀行番組で、訪れた家庭の奥さんが作った「伝統料理」なるものが、実は存在しなかった、そもそもこの地域にそのような伝統料理はない、ということになったらどうでしょう。番組の根幹に関わる部分で重要な事実関係を偽ったのだから、決して許されないレベルの「やらせ」もしくはデッチ上げということになります。 今回の『イッテQ!』で、問題となったラオスの祭りは、まさにこの決して許されないレベルの「やらせ」だったことは間違いなさそうです。バラエティーだから、娯楽だから甘く見る、というのは先に記した通り、考えられません。フィクションかノンフィクションかの二通りしかないのです。バラエティー番組もノンフィクションであり、スタジオでのタレントのガチなパフォーマンスを、カメラで実況するというドキュメンタリーでもあるのです。 テレビ局のカメラを向けるということ自体が、あるいはテレビ局のスタジオに入れるということ自体が、被写体を日常的な空間ではなくて、非日常的な空間の中へと追いやっている以上、なんの作為もない「真の素のまま」ということはあり得ません。今回のようなデッチ上げは別にしても、常に何らかの演出または作為が加わっていることを差し引いて、テレビの画面は解釈するべきでしょう。『世界の果てまでイッテQ!』のやらせ疑惑に関して謝罪する大久保好男・日本テレビ社長=2018年11月 私はテレビで言っていることを真に受けるな、メディアリテラシー(情報を読み解く力)を磨け、と若い人には言っています。でも、85歳になる私の母親くらいになると、テレビを盲信しています。「だってテレビで言ってたから」と信頼しきっています。公共の電波を使って放送するには、そういった情報弱者を守るべく高い倫理観が求められているはずです。テレビの情報を疑って見ろ、というのは酷な話であり、全幅の信頼を寄せられる存在であるべきです。 厳密には「やらせ」のないテレビは存在しない。そう考える私ですが、今回の文春の指摘はテレビ業界で働く者全てに対して、許されざる「やらせ」とは何かを示し、警鐘を鳴らしているように思います。 いっそのこと『イッテQ!』ほどの番組であれば、自ら検証番組を作り、「われわれはこのようにデッチ上げてしまいました。ごめんなさいスペシャル!」など放送すれば、視聴率も取れるだろうし、贖罪(しょくざい)にもなるのではないでしょうか。

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    やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質

    コーナーで人気を獲得したが、当初から週刊誌などで「やらせ疑惑」が報じられていた。そこで番組は次第に、芸能人たちの心理戦に焦点をあてたゲーム企画に比重を移していった。 大見が指摘するように、「芸人たちは『お笑い』というゲームのプレーヤーとして自己を演じることに巧みになり、視聴者たちはプレーヤー(を演じる芸人)の心理を、評論家的立場から楽しむというスタンスに移行する」(前掲書、304頁)。この変化こそが『アメトーーク!』(テレビ朝日、2003年~)や『ロンドンハーツ』(テレビ朝日、1999年~)の成功につながっていく。 『アメトーーク!』について、お笑い評論家のラリー遠田は近著の中で、「ひな壇芸人」「先輩・後輩ハッキリさせようSP」といった企画を通じて、芸人たちの知られざる「職人的な世界」を視聴者が学んでしまったこと、いわば「ドキュメンタリー」の様相を呈していることが画期的な点であったと考察している。 したがって、90年代のドキュメントバラエティーに比べると、「ドキュメンタリー」と「バラエティー」は現在、芸人たちの「コミュニケーション能力」や「空気を読む力」――その無双ぶりを社会学者の太田省一は「芸人万能社会」と呼んでいる――に支えられ、より自然で、安全な形で結びついているといえるだろう。※写真はイメージです(GettyImages) しかし、裏を返せば、冒頭で述べたように、こうして番組のジャンルが融解しているからこそ、バラエティーであるという理由だけで、過剰な演出が免責されることはない。その代わり、そもそもドキュメンタリーだからといって、一切の演出や脚色が許されないわけでもない。 皮肉なことだが、芸人たちの「空気を読む力」や「ソツのなさ」が卓越しているからこそ、いつしかそれに番組制作者が甘えてしまい、演出という行為につきまとう危うさに対して、感性が鈍ってしまっている恐れはないだろうか。※参考文献・高野光平『テレビと動画 ―ネットがテレビを乗り越えるまで』(高野光平、加島卓、飯田豊編著『現代文化への社会学 ―90年代と「いま」を比較する』北樹出版、2018年)・ラリー遠田『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり ―〈ポスト平成〉のテレビバラエティー論』(イースト新書、2018年)・大見崇晴『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)・太田省一『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書、2016年)

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    「バラエティーだからセーフ?」やらせ疑惑『イッテQ』の盲点

    ラリー遠田(お笑い評論家、ライター) 『週刊文春』で報じられた『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)のでっち上げ疑惑が話題になっている。文春(11月15日号)では、番組側が実際には存在しないラオスの「橋祭り」を捏造(ねつぞう)したのではないかと疑問が投げかけられた。 日本テレビは、これに対し「現地では初めて行われる祭りだったと判明した」と誤りを一部認めるような文書を発表した。その後の文春(11月22日号)には、続報として過去の放送で紹介されたタイの「カリフラワー祭り」も実在しないのではないかという記事が掲載された。日本テレビはこれを受けて謝罪のコメントを発表し、「祭り企画」は当面の間休止することとなった。 この問題を考えるには、そもそも「やらせ」とは何なのか、ということをはっきりさせなくてはいけない。だが、これがなかなか難しい。テレビ制作者の間でも細かい点について意見が食い違う部分がある上に、制作者と視聴者の間にもかなりの認識のズレがあると思われるからだ。 私自身は過去にテレビ制作会社でアシスタントディレクター(AD)やディレクターとして番組制作に携わったことがある。その経験も踏まえて、やらせというものをどう考えればいいのか、自分なりの見解を示すことにしたい。 「やらせ」を辞書で引くと「テレビのドキュメンタリーなどで、事実らしく見せながら、実際には演技されたものであること」(『デジタル大辞泉』より)とある。つまり、事実ではないことを事実であるように誤認させるような行為が、やらせの定義ということになる。※写真はイメージです(GettyImages) これを現場の感覚に即して分かりやすく言い換えるなら、「0を1にするのがやらせ。1を2や3にするのが演出」ということになる。この定義自体には多くの制作者が同意するのではないかと思う。もともと存在しないものをあるように見せるのは明らかに行き過ぎた行為だが、存在するものを少し加工して面白さや分かりやすさを付け足すのはある程度までなら問題はないと考えられているのだ。 私はドキュメンタリーの制作に携わっていたこともあるが、実在する人物や実際の事件を題材にするドキュメンタリーですら、取材対象をありのままに撮るだけで番組ができる、ということはまずない。そもそもどういう企画なのか、そのために何をどうやって撮るのか、それをどうやって編集するのか、ということを考えるのが制作者の仕事である。何の意図も演出もなく、ただ撮っただけの映像を並べても、面白い番組にはならない。制作者と視聴者のズレ テレビ業界で撮影された映像のことを「素材」と呼ぶのもそのためだ。映像は番組作りのための素材である。これは料理で言うところの食材にあたる。食材としての野菜や肉を冷蔵庫から取り出して並べるだけでは料理が完成しないのは明らかだろう。焼いたり、煮たり、調味料を加えたり、といった手間を加えることで料理ができる。テレビ番組もそういう風に作られている。 ないものをあるように見せたり、明らかな嘘をついたりするのはルール違反である。ただ、番組を面白くしたり、分かりやすくしたりするために、巧妙にやらせを回避しながらギリギリのところを狙うのは演出の一部として許容されている。 例えば、嘘をつくのは問題だが、あえて都合の悪い情報を伏せておくのは間違いとはいえない。取材対象を取り上げるにあたって、どの部分をどういう風に扱うかというのは演出の範囲だと考えられるからだ。これが「1を2や3にする」という部分である。 ただ、この点に関しては、制作者と視聴者の間でかなりの認識のズレがあるのではないかと思う。テレビ業界で仕事をした経験のある私の目から見ると、視聴者の多くはテレビをあまりにも純粋に見ているのではないか、と感じることが多い。テレビで報じられていることは、そのまま真実であるかのように何の疑いもなく盲信している人が結構な割合で存在している気がする。 仮に、制作者がこっそりやっている「演出」をすべて白日の下にさらしたら、恐らく多くの視聴者は「だまされた! あれは『やらせ』だったのか!」と感じるのではないかと思う。立ち上がって謝罪する大久保好男日本テレビ社長=2018年11月、東京都(森岡真一郎 撮影) 制作者が「1を2にしているだけ」と考えていることでも、視聴者からは「それは0を1にしているのと同じじゃないか!」というように見える場合はある。そのぐらい制作者と視聴者の間には感覚的な違いがある。 今回の『イッテQ!』の騒動に関しては「バラエティーなんだからそんなに目くじらを立てる必要はない」という擁護論もあった。だが、私はこれには異論を唱えたい。テレビはテレビであり、バラエティーにだけ何らかの特権が与えられたり、例外が許されたりしているわけではない。「やらせは絶対に許されない」という基本的なルールは同じだ。「致命的」なやらせなのか? ただ、バラエティーでは見る側の意識が違うのである。報道番組ではそこで報じられるニュースの一語一句が間違いのないように作り込まれているのに対して、バラエティーではそこまで厳密に考えられていない場合もある。 なぜなら、視聴者の間にそれを演出の一部として許容する感覚があるからだ。番組が面白ければ、そして番組の核となる部分に嘘や間違いがなければ、特に問題はないと思う人が大半だろう。 今回の『イッテQ!』の騒動で番組側を擁護する意見が目立っていたのは、文春で指摘された「祭り捏造疑惑」が、視聴者の多くにとっては特に核心的な問題だとは感じられていなかったからだろう。 『イッテQ!』の面白さは、宮川大輔、イモトアヤコなどのタレントが海外ロケで体を張って過激な企画に挑戦するところにある。現地で実際に祭りが存在するかどうかは特に重要だと思われていなかった。だから見逃されたのである。 例えば、今回の疑惑が「イモトアヤコは本当はキリマンジャロに登っていなかった!」といった内容だったとしたら、間違いなくもっと大きい騒動になっていたはずだ。なぜなら、制作者が最もこだわっている「挑戦」の過程そのものに嘘があったとしたら、それはこの番組の核心にかかわる致命的なやらせであるということになるからだ。お笑い芸人、宮川大輔=2010年10月、東京ビッグサイト(撮影・千村安雄) ただ、今回はたまたま多くの視聴者がやらせを問題視しなかっただけであり、やらせが悪くないわけではない。外国の文化について誤った情報を発信したことは事実であり、その責任は決して軽くはない。日本テレビも本件については事実を認めて謝罪している。 ここまで述べたように、やらせと演出の違いは曖昧なものである。このため、制作者は無意識のうちに境界を踏み越えてやらせと呼ばれるような行為に手を染めてしまうことがある。それがどれほど深刻なものであるかということは「バラエティーならセーフ」「視聴者が気にしなければセーフ」といった大ざっぱな一般論に頼るのではなく、あくまでも個別に考えて判断していくしかないだろう。

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    『イッテQ』やらせ報道で今後の視聴率への影響は?

     日本テレビの人気番組『世界の果てまでイッテQ!』が窮地に追い込まれている。11月8日発売の『週刊文春』が、同番組で5月20日に放送された「橋祭りinラオス」のやらせ疑惑を報道。日テレ側は「番組サイドで企画したり、セットなどを設置した事実はなく、また番組から参加者に賞金を渡した事実もございません」と否定していたが、大久保好男社長が15日の会見でその見解が誤りであると認めた。 同日発売の『週刊文春』は、「カリフラワー祭りinタイ」のやらせ疑惑も報道。大久保社長は一連の騒動を謝罪するとともに、祭り企画を当面休止することも発表した。 日テレ看板番組のやらせ騒動は視聴率にどう影響を与えるのか。8日の報道直後の11日放送分は16.6%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)と相変わらずの高視聴率を記録した。テレビ局関係者が話す。「問題発覚後の初回から大きな下落はまずありません。視聴習慣が根づいているし、話題になっていることもありますからね。それよりも、数か月後どうなっているかに注目すべきです」(以下同) テレビとやらせの問題は今に始まったことではない。代表的な例を挙げれば、1985年の『アフターヌーンショー』(テレビ朝日系)、1999年の『愛する二人別れる二人』、2007年の『発掘!あるある大事典II』、2013年の『ほこ×たて』(いずれもフジテレビ系)という人気番組でやらせが発覚し、終了に追い込まれている。 一方で、“やらせ疑惑”が報じられた後も続いた番組もある。『イッテQ』と同じように日曜のゴールデン帯で、ファミリー層に人気の高かった『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)は1992年から放送され、1990年代後半にはコンスタントに視聴率20%台を記録していた。しかし、2000年3月13日、18日発売の『週刊ポスト』が2号連続で〈さんま超人気番組「からくりTV」の街頭インタビューはヤラセだった!〉〈さんま「からくりTV」“酔っ払いサラリーマン”もヤラセ俳優だった〉と疑惑を投げ掛けた。21日発売の『週刊女性』にも〈さんまどうする『からくりTV』やらせ告発〉の文字が踊った。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「一般通行人を呼び止めてセイン・カミュがインタビューする『からくりファニエスト・イングリッシュ』や『サラリーマン早調べクイズ』のコーナーで、エキストラ会社などから人を集めて、オーディションを行ない、合格者を出演させていることが発覚したのです。 これは演出か、やらせか判断の分かれる所でもあり、番組は継続することになりましたが、視聴者が拒否反応を示したことは、数字が物語っています。 疑惑前である2月6日から3月5日まで、『からくりTV』は5週連続で19%以上を獲っていました。それが『週刊ポスト』の新聞広告が掲載された3月12日に17%となり、13日、18日と疑惑報道が続いた後の19日の放送では16.8%と落ちていた。もちろん、これを報道の影響と一口で済ますには安易ですし、充分な高視聴率です。 ただ、12日、19日とも裏番組の『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)に敗北。この年初めての出来事でした。この同時間帯のライバル関係は、現在の日テレ『イッテQ』とテレ朝『ポツンと一軒家』に似ています」看板番組にも陰り? 日曜ゴールデン帯が日本テレビの一人勝ち状態だった数か月前と違い、昨年10月から不定期放送していたテレビ朝日の『ポツンと一軒家』が今年10月からレギュラー化され、全て2ケタ視聴率を記録。11日、19時からの2時間スペシャルでは最高の15.4%を獲得。『イッテQ』には1.2%及ばなかったが、日テレの19時台『鉄腕DASH』の14.6%を上回っている。「2時間番組と1時間番組を単純に比較はできませんが、日テレにとって脅威であることは間違いない。『からくりTV』と『鉄腕DASH』の例を振り返ると、当時4月以降は巨人戦があったため2番組の直接対決は減りましたが、4月から7月までは2勝2敗の五分。7月2日、14.4%の『からくりTV』は20.1%の『鉄腕DASH』に大きく引き離されました。 翌週の『からくりTV』は12.9%とやらせ疑惑発覚前では考えられない数字に落ち込みます。これも含め7月、8月で12%台、13%台を各2回ずつ叩き出し、下落が顕著になりました。やらせ報道が全てとは言い切れないが、影響があったのは確かでしょう」 野球シーズンの終わった10~12月、2番組の直接対決では『鉄腕DASH』が7勝2敗と圧倒した。 「やらせ疑惑の出る番組は珍しくないですが、『イッテQ』は『からくりTV』と同じく日曜ゴールデン帯という時間帯、家族みんなで観られるという特性を持っている。そのため、いずれ数字に影響が出るでしょう。まして、テレ朝に人気番組が出てきたため、視聴者は乗り換える選択肢ができた。『イッテQ』に救いがあるとすれば、最近のテレビ局は長時間のスペシャル番組を連発して、視聴習慣を身につけさせられていないこと。テレ朝の日曜の編成もその傾向が強かった。その反省からなのか、『ポツンと一軒家』は10月7日の開始以来、毎週放送してきました。しかし、11月18日は休止に。 テレ朝がスペシャル番組の乱発から脱して、毎週日曜20時に『ポツンと一軒家』を放送し続ければ、『イッテQ』を抜く日も遠くないかもしれません」 相次ぐ疑惑が表面化した『イッテQ』。4年連続視聴率3冠王を続けている日テレにとって、単なる一番組の問題に留まらない影響を及ぼすかもしれない。関連記事■ 『イッテQ!』の全祭りを検証、11個が存在を確認できず■ 『イッテQ!』ヤラセ疑惑を大特集するフジに「鬱憤晴らしか」■ 広瀬すず&アリス 「彼氏できても仕事優先」と相互監視■ 親友同士だった満島ひかりと安藤サクラが絶縁状態になるまで■ 長谷川博己、鈴木京香との結婚Xデーは? 休日おひとり撮

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    大間の「若手No.1」漁師 マグロ番組ヤラセ疑惑に余裕の反論

     「ネットでヤラセじゃないかって指摘されてるの見たけど、このシロートが! って思ったね」 そう憤るのは、青森県・大間のマグロ漁師・南芳和さん(33)だ。彼が出演したドキュメンタリー『マグロに賭けた男たち』(テレビ朝日系、2月18日放送)で、釣り上げた直後の映像に不自然な点があるとネット上で指摘が出たのだ。 同番組は、2003年から続く青森県・大間に住むマグロ漁師を追った2時間枠の人気ドキュメンタリー。2月18日に放送された回では、大間で「若手ナンバーワン」と紹介された南さんが弟とともに兄弟船でマグロを釣り上げる場面に密着している。 指摘されたのは次のような内容だ。 「釣り上げたばかりのマグロの眉間に神経締めをしたような跡があるが、この細かい作業を海中で処理することは不可能なため、ヤラセの可能性が高いのではないか」 神経締めとは、魚の眉間に細い穴を開けて針金を通すことで“脳死状態”にさせ、鮮度を保つという技法。一般的には魚を船上に釣り上げてから行なわれるため、釣ったばかりのマグロに神経締めの跡があるのは不自然というのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 実際はどうなのか。真相を確かめるべく、記者は大間まで飛んだ。 漁を終えて仲買人の事務所の畳スペースで仲間たち4~5人とくつろいでいた南さん。体重100キロ超と思しき巨漢で、首には金色のネックレスをかけており、一見すると強面だ。思い切って本題を切り出した。──釣ったばかりのマグロに、すでに神経締めの跡があったことから、ヤラセではないかと言われていますが、実際はどうなのですか? 「ああ、あれはさ、わい(俺)はマグロにカギをひっかけてクレーンでぶら下げた状態で神経締めしているけえ、甲板さ上がったときにはもう穴が空いとるんだ。普通は甲板の上でマグロば押さえつけて神経締めするけど、わいは少しでも鮮度を良くして美味いマグロば届けたいけえ、そうしとるんよ。研究した結果じゃけえ、ヤラセは絶対にないよ」あまり言いたくなかった理由 その後、放ったのが冒頭の一言だ。南さんが続ける。 「わいは役者じゃないけえ、カメラの前で芝居みたいなことしたら、ぎこちなくなってしまう。でも、神経締めの跡があるからおかしいとか、ずいぶん細かいところまで見てるんだなあと感心したわ」 また、漁の“こだわり”についても語ってくれた。「お客さんがせっかく大間のマグロさ食ったのに、思ったより美味くないなんてことがあったら申し訳ないけえ、鮮度には一番こだわってる。クレーンで吊り上げた状態で神経締めしているっていうのは、真似されたくないからあまり言いたくなかったけど、疑惑があるならちゃんと答えたいからね」 クレーンで吊った状態で神経締めしているシーンはテレビでは放送されなかったため、誤解を招いてしまったというわけだ。テレビ朝日もこの件について、次のように答えた。 「マグロは船に引き揚げる直前にクレーンで吊るした状態で神経締めをしており、やらせというご指摘は全くあたりません」(宣伝部) 南さんは、「こんなふうにネットで叩かれるのが面倒だからテレビに出たくなかったんだけど……でも、大間のマグロのことを多くの人に知ってもらえたなら、出て良かったよ」と笑っていた。◆取材・文/西谷格(ジャーナリスト)関連記事■ 1.5億マグロ釣った漁師 父も過去に最高額マグロ釣り上げた■ 止まると死ぬといわれるマグロ 実際は止まっても死なない■ 1.5億マグロ釣った漁師 やっかみの声やいたずら電話に悩む■ 大間のマグロ漁船のTV取材 一回につき10万円弱の謝礼が相場に■ 一攫千金狙って若い漁師が奮起 マグロ出荷増加し初競り暴落

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    元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 元SMAPの稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の3人の公式サイト「新しい地図」が誕生して1年がたった。彼らの会員制交流サイト(SNS)の利用があまりにも自然で、新鮮で、また驚きでもあった日々だった。ファンもいろいろな楽しみを見いだしたのではないだろうか。 彼らの日々つぶやかれるツイッターでの発言。時にはメンバーに向けて、時にはファンに向けて時間を問わずつぶやく。タイムラインにいきなり現れるその言葉を目にすると、大スターと同じ時間を生きているうれしさを直接に感じる。 個人的な趣味で申し訳ないが、稲垣吾郎のブログが好きだ。短いセンテンスの中で複雑な韻や陰影をこめて、さらに他者への配慮を忘れない明晰(めいせき)さ。ちょっとおちゃめなところもある。文章は人なり、そしてブログに掲載されている写真も人なり、だ。特に、距離を置いた自撮りや風景写真は絶品である。 最初のうちは、いくら彼らが大スターとはいえ、SNSでも人気になるとは限らないと、ツイッターのフォロワー数やブログのコメント数、そして3人がレギュラー出演するAbemaTVの番組視聴数など量的なところに関心がいってしまった。だが、そんな心配は杞憂(きゆう)であり、むしろ質を楽しむことが最近の日常になってしまった。 もちろん稲垣だけではない。草彅のユーチューバーとしての活動も注目だ。最近では、ユーチューバーの祭典『U-FES.2018 プレミアムステージ』にサプライズで登場したことがニュースになった。そこで他のHIKAKIN(ヒカキン)、はじめしゃちょーといった人気ユーチューバーと共演した。まさに「新しい地図」、「新しい世界」を自ら描いている。 数は気にしない、と書いておきながら何だが、「ユーチューバー 草彅チャンネル」のチャンネル登録数は85万人に達している。ちなみに、これだけほのぼのしたチャンネルは、地上波や商業系のネット番組では絶対にありえないので、未見の人はぜひ、と頼まれてもいないのに宣伝したくなる魅力がある。 そして芸術的なセンスと、じわりとくる楽しさが持ち味の香取も独自性を行く。インスタグラムに自らの絵を掲載して、そこにツイッターのフォロワーたちが塗り絵を楽しむ。SNSを有機的に利用し、ファンや絵心のある人たちを直接刺激し、交流の輪を広げていく。 またSNSではないが、コンビニの前を通り過ぎたときに、「あれ? 慎吾ママ?」と思ったが、実は「慎吾母」だったというじんわりくるCMも、彼のキャラクターならではだろう。9月に行われた香取のルーブル美術館での初個展も素晴らしい偉業だ。「NAKAMA des ARTS」と題された個展は、ファンたちとアートを通じてつながりたいと、先ほどの塗り絵をつなぎ合わせた作品が展示された。まさにSNSの有機的結合を絵画として表現している。2018年9月、パリの展覧会の内覧会で草彅剛(右)、稲垣吾郎(中央)と話す香取慎吾(共同) 「新しい地図」のSNSの利用は、それぞれの領域で目覚ましい。SMAP時代の「反SNS」とでもいうべき戦略とは一新している。特に、「NAKAMA(「新しい地図」のファンの総称)」との結びつきがさらに深まっているように思える。特徴的なのは、香取の試みにも代表されるように、SNSの世界とリアルの世界を結びつける点だ。3人がジャニーズを動かした? 来年初めに予定されている最初のファンミーティング『NAKAMA to MEETING_vol.1』にもその特徴が顕著である。そのファンミーティングで話題になったのは、「お一人様NAKAMAシート(エリア)」の導入である。これは新しいファンを開拓していく戦略でもあるだろう。 例えば、筆者が彼らのファンミーティングに行きたくとも、「今まで女子アイドルばかりの現場しか経験していないので大丈夫かな?」と考えたりして、やはり一人だと気後れするかもしれない。そんな気後れを解消する狙いがこの「お一人様NAKAMAシート(エリア)」にはあるようだ。一人で来場した人同士が、自然と交流できるエリア設置になるという。ファンミーティングのイノベーション(技術革新)が期待できる。 SNSの特徴の一つは、よくも悪くも「本音」が透かしてみえることだ。これはファンの声もあからさまになるということだ。 だが、ツイッターなどで「#(ハッシュタグ)新しい地図」と検索すれば、新しい地図のNAKAMAたちが、いかに穏やかで温かい人たちが多いか、一読でわかるだろう。別におべっかを書いているわけではない。この連載で、SMAPに関して論じていたときから指摘していたことだ。ちなみに、筆者はまだSMAPの再生を夢見ている。 このようなSNSを全面的に活用し、新しいファン層までも有機的にリアルの場で結合していく戦略は、日本の男性アイドルの中では既に突出したものになりつつある。国際的な展開でも十分期待できるだろう。 このような「新しい地図」のSNS戦略は、古巣のジャニーズ事務所のSNS戦略にも影響を与え、重大な転換をもたらしているかもしれない。ユーチューブで「ジャニーズJr.チャンネル」(チャンネル登録者数40万)を開設し、Jr.内ユニット「SixTONES(ストーンズ)」の新曲のミュージックビデオを同チャンネル上で公開したことが、大きな試金石になる。 日本のアイドルは韓国のアイドルに比較して、SNSの利用に関して格段の後れを取っていた。その原因は、ジャニーズ事務所などが採用している「厳格な著作権」管理にある。まず、SNS上にあるジャニーズ系のアイドルの動画はことごとく削除されてしまい、目にすることなど通常ではなかった。2018年7月、チャリティーソングの売上金を寄付し、記念撮影する元SMAPの(後列左から)香取慎吾、稲垣吾郎、草彅剛ら それに対して、韓国のアイドルたちは、テレビの音楽番組もあっという間にユーチューブなどにアップされ、それがファンの手で解説や各国語の字幕とともに世界に伝わっていく。この「緩い著作権」戦略は、日本のアイドルも積極的に採用すべきだと、筆者はことあるごとに指摘してきた。 おそらく、この「永久凍土」とでもいうべき日本の現状を打ち崩したのが、「新しい地図」のこの1年の活動にあったのだろう。彼らの個性をベースにし、SNSとリアルを結び付けた、ファン=NAKAMAとの活動は、まだ幕が開いたばかりだ。その行方には、おそらくより広い世界のNAKAMAが待っている。まったりとした雰囲気の彼らのSNSに触れながら、その野心的な試みの行方を見守っていきたい。

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    ムロツヨシに惹かれるのは「オキシトシン系」男子だから?

    強い」男性や、「男尊女卑のメンタルマッチョ」はかなり嫌われる。テレビでも物言いが横柄な司会者や、他の芸能人をからかっていじり倒すような芸人は敬遠される時代だ。年寄りはそういう人材が大好きだが、若い世代は「ハラスメント」意識も強く、不快だと思う人が増えている。 俳優は俳優で、人気がうなぎ上りになったかと思えば、すぐにプライベートや過去の発言が掘り起こされる。少しでもやんちゃな面や、女性やスタッフに対して横柄な発言があると総スカンを喰(く)らう。かなり年下の女優と熱愛報道が出ると、一気にブーイングが起こり、手のひら返しで袋だたきに遭う。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) そんな時代に、ムロツヨシ。どこにでもいそうな中肉中背で人畜無害、しかも日本人が大好きな「苦労人」だ。熱愛報道もスキャンダルもいまのところない。年下の俳優から好かれているので、「役者論」なる説教も垂れなさそうだし、俺様臭ともメンタルマッチョとも程遠い立ち位置を確立している。芸能人男性が中年期に陥りがちな「健康志向の筋肉自慢病」にも「趣味没頭で生活破綻病」にもかかっていない。常に低姿勢で空気を読み、かつ、機を見るに敏(びん)。奇跡の40代俳優、といってもいいだろう。ムロは「オキシトシン系」 女性票だけではない。男性人気も相当高い。多くの人気俳優と仲が良く、一見、提灯(ちょうちん)持ちかコバンザメかと思われがちだが、逆である。皆がムロツヨシを必要としているのだ。小泉孝太郎しかり、新井浩文しかり。自分が出るトーク番組にムロツヨシを呼んじゃうくらい、NO LIFE,NO MUROである。気配りができても、媚びるわけではない。むき出しの自意識を発動するテイを装うも、実際は冷静に俯瞰(ふかん)している趣もある。おそらくホモソーシャルでうまくわたっていける、可愛げと愛嬌(あいきょう)があるのだろう。 とあるテレビ局の男性プロデューサーに聞いた話だが、低姿勢というよりは誰に対してもフラットなのだとか。下っ端だろうが大御所だろうが、アシスタントディレクターだろうがプロデューサーだろうが、態度が変わらないという。肩書にも権力にもおもねらない。男性はそういう部分に「信頼感」を覚えるのかもしれない。 なんつって、適当な想像で書いているけれど、ムロツヨシが老若男女に好かれる存在であることに間違いはない。個人的にはムロツヨシを見ていると、「オキシトシン」というホルモンが思い浮かぶ。共感や協調性を高めたり、人の気持ちに配慮する作用をもたらす脳内神経伝達物質で、「育児ホルモン」「愛着ホルモン」とも呼ばれている。寛容性を増したり、痛みや苦しみなどの嫌な記憶を消す作用もあるらしい。 生き馬の目を抜く俳優界には、野心や攻撃性が高くてオラオラした俺様イメージの「アドレナリン系」がいる。逆に、快楽や愉悦、うっとり感と癒やしを与える王子様イメージの「セロトニン系」もいる。俺様でも王子様でもないのが「オキシトシン系」のムロツヨシというわけだ。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) とかく世の中は、強き者・美しき者・高貴な者をほめそやす。戦いや争い、マウンティングの頂点に立った勝者を絶賛する。その図式に疲弊した人が、共感と協調性を呼ぶムロツヨシに心を動かされたのではないか。美男美女が繰り広げる恋愛劇にリアリティーを感じない人が、全身全霊でムロツヨシの恋愛を応援したくなったのではないか。 彼の暗躍がドラマ界に波紋を広げてくれるといいなぁ。二の線も三の線もイケる、真の実力をもつ役者が、もっともっと起用されますよう。美化しすぎない、ごく日常の人間模様が描かれますよう。

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    あふれ出すSPEEDのカルマ『Body & Soul』の愛欲が止まらない

    されています。でも当時の不倫相手の俳優とは別れ、新しい男性と入籍。TAKAKOはメンタル強すぎです。芸能ニュースサイトによると、TAKAKOと出会った瞬間に「コウ氏の下半身に『ビビビッ』と電流が走った」とのこと。下半身に電流を走らせる魔性ぶり、半端ないです。 ERIKOも10月に動きがありました。2017年の不倫釈明会見での「一線を越えてはいない」発言が話題になりましたが、そのお相手の橋本氏とまだ切れていなかったのです。 元市議の橋本氏は、妻と離婚し、政務活動費約690万円を不正に受け取ったとして詐欺罪で起訴され、有罪判決が言い渡されました。ゴルフやガールズバーに流用したそうですが、そんな彼でもERIKOの恋心はさめず…。ERIKOは「現在、私今井絵理子は元神戸市議会議員の橋本健さんとお付き合いさせていただいております」とブログで発表。 ちなみに橋本氏の前に半同棲(どうせい)が報じられたA氏は、中学生に本番行為をさせた風営法・児童福祉法違反容疑で逮捕されています。ERIKOは弁護士費用など支払ったそうです。どんなダメな男でも受け入れるERIKOの包容力…。ダメンズというよりは、ちょいワル男子に弱いのかもしれません。その博愛精神を、議員としてもっと国民のために使ってほしいような…。初登院し、記者の質問に答える自民党の今井絵理子氏=2016年8月、東京・永田町の国会議事堂前(桐原正道撮影) そして気になるのは、音信が途絶えている新垣仁絵(HITOE)。文字通り『HITOE’S 57 MOVE』、どこかに行ってしまいました。ヨガインストラクターの資格を取り、ヨガ教室を開講し、一般男性と結婚。ヨガで直感力が高まった彼女は、このままグループのメンバーと一緒にいたら、カルマの渦に巻き込まれる、と予知したのかもしれません。 でも、メンバーを女の業から救い出せるのはHITOEだけかもしれません。ヨガの癒やしと浄化のパワーによって、肉体レベルの愛にとらわれているメンバーをわれに返らせたり…。SPEEDの救世主であるHITOEの再降臨を、元ファンとして祈念いたします。

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    養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由

    マッチに関して言えば、いまさら何を指導できるのか。そう、レーサーとして車の運転を教えることができても芸能界では生きていけない。(イラスト・不思議三十郎) 要はジャニー氏の後継者として、マッチもヒガシも話題性や将来性、実力を踏まえれば物足りないのだ。 そもそもジャニーズの次期社長やジャニー氏の後継ぎをイメージするとき、タレントばかりに注目してウワサすること自体が間違っている。事実、明石家さんまや松本人志が吉本興業の後継者としてウワサにもならない。ホリプロの役員でもある和田アキ子が同社を継ぐならまだあり得るが、それでも事務所経営を担うのは無理だろう。 ジャニーズにしても次期社長は既定路線のまま、現副社長の藤島ジュリー景子氏が就くのはジャニー氏も公言している通りで、すでに複数のグループ会社の代表になっている。ジュリー景子氏は唯一の若い血縁者であり、そこは「テッパン」だと僕はかなり前から強調してきたが、これは間違いない。ジュリー景子も無理 ジュリー景子氏は仕込まれた帝王学と潤沢な資金を背景に事務所経営は大丈夫だろうが、プロデューサーとしてジャニー氏の代わりは一切務まらない。衣装のプランやビジュアル面では現場経験があり、女優として演じていた時期もあるが、アイドル候補を発掘して育成、その上でステージのすべてを作り上げる才能も力もない。 つまり、ジャニーズのエンターテインメントの本質においては全く役に立たないのだ。それは母親であるメリー喜多川氏(ジャニー氏の姉)も同じで、最強の営業力と管理能力を持っていても演出やプロデュースには縁がない。専らそれはジャニー氏の仕事であり、彼にしかできない。実際、これまで姉や姪(めい)であっても演出分野においては一切、口を出していない。 ジャニー氏がずっと心配してきたことといえば、ジャニーズ事務所の存続ではなく、ジャニーズがジャニーズであり続けるために自分の思想を受け継いでくれる分身的な後継者がいないという現実だった。そもそもジャニー氏は当初、自分しかできないことを他の誰かに引き継ぐ気などなかった。 生涯現役であり続けることにこだわってきただけに、これまで後継者の話題が出てこなかったのもその証拠だ。自分以外が代わりを務められるわけがないと、そう思いながらここまできたのだ。 しかし、事態は一転した。それはSMAPの解散騒動だ。ジャニー氏はあの騒動で、ジャニーズが壊れていく様子を垣間見てしまった。これは想像していなかったことで、あまりにショックが大きかったのだ。国民的アイドルとして絶頂にありながら、ジャニーズを離れていくアイドルがいる現実は受け入れ難いものがあった。 SMAPの解散を受け、「ジャニーズの終焉」や「ジャニー氏の求心力の衰え」といった、そんな声が嫌ほど入ってくる事態になり、このままにしておくわけにはいかないと感じたのだろう。 そこで、信用できる自分の分身を考えたとき、たった一人、タッキーしかいなかったのだ。タッキーには、ジャニーズとジャニー氏への最上の愛があり、誰よりも自分を理解していると感じていたようだ。(イラスト・不思議三十郎) 重視したのは、アイドルとして歌って踊れるだけでなく、ジャニーズにとって最も大切なステージ(生舞台)をプロデュースできる点だ。ジャニー氏のまねをしながら育ってきたタッキーは、いつしか匹敵するレベルの能力を培っていたという。 もう少し、ジャニー氏がタッキーを選んだ理由を記しておこう。メジャーアーティストを輩出した人数などが世界一としてギネス認定されるほど人を見る目に長(た)けたジャニー氏だが、その能力と同時に白黒ハッキリした好みがある。 ルックスや性格など一般的な好みはもちろんだが、際立って興味を示すのはそのアイドルの持っているプロフィールにある。まず、家族構成だ。どういった環境で育ってきて今どのように暮らしているのかに強い興味を持ち、さらに、その環境が幸か不幸かによって好みが強く出てくる。養子縁組は確実 例えば「幸」の場合、嵐の櫻井翔のように将来有望な元官僚の親を持っていたり、関ジャニ∞の大倉忠義のように何百億円もの資産を持つ企業の御曹司といった、生い立ちに興味を抱く。 ただ、どちらかと言えば、ジャニー氏は「不幸」と思われる環境の方に、より強い関心を持っている。極端な例では、孤児だったり、片親だったりするだけで、非常に目をかけてくれる。片親の僕は実体験だが、本当によくしてもらった。「君は片親だから、両親がそろっている家庭と比べれば恵まれている度合いは半分しかない。だからその半分をチャンスとしてあげたい」と、言葉をかけてもらった。 タレント性を見いだすヒントとして、その人が育ってきた環境や背景を知ることはとても重要なのだろう。官僚の子や企業の御曹司より、人間的な魅力を作ろうとするプロデューサーは不幸な子のハングリー精神を求めるようだ。そういった意味ではタッキーも深い関心の中で育てあげた成功例といえるのだ。 あまり知られていないが、タッキーの父親は母親の再婚相手であり、実父とは小学生のときに離別している。事実上片親を経験していることもジャニー氏にとっては放っておけない存在であり、大きなチャンスをあげたいと感じたに違いない。 タッキーは中学生のころからあの美貌を持ち、さらに明るい性格で、なおかつ真面目で芯が強かった。僕も初めてタッキーと対面したときは言葉を失ったくらいだ。 そもそもジャニー氏がアイドルとして最高評価をしているのは、KinKi Kidsの堂本光一だが、その光一にあこがれてジャニーズ入りしたタッキーが、自分が作るステージで華やかに舞い観客を魅了する姿を楽しんでいたのだ。 ジャニー氏は、子供も伴侶もなく、血縁者も2人しかいない。そんな中で、自分が発掘して育ててきたタレントはみんな自身の子供と表現するが、光一とタッキーだけは本当の家族にしたいと思っているようだ。 今回の後継指名に関して、タッキーと養子縁組するという情報もあるが、この可能性は極めて高い。ジャニー氏は恵まれない子供たちを支援する団体の設立を目指しており、自らの財産と生き様を伝承して後世に残せるジャニーズを残すためにも、タッキーとの養子縁組は信頼できる「家族」を作る最初で最後のチャンスといえるからだ。(イラスト・不思議三十郎) タレントを完全に引退し、ジャニー氏を継ぐ覚悟のタッキーへのエールは業界を超えて広い範囲から多く寄せられているが、こうした期待と歓迎ムードに仕立てたのはジャニー氏ならではの演出といえるだろう。 タッキーがマッチやヒガシのようになってからでは遅く、ニッキのように長く裏方に入ってしまってからでは話題にも乏しい。かつての山口百恵や、先月引退した安室奈美恵のように絶頂期だからこそ価値があるからだ。 普通に考えればもったいないし、ファンからすれば引退しないでほしいと思うところだが、与えられた大きな使命を思えばタッキーはジャニー氏の後継者として「永遠」に語り継がれる存在となるだろう。

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    剛力彩芽はきっとZOZO前澤友作氏を踏み台にする

    臭いモノがあった。同局の番組『アナザースカイ』では、12日のゲストが剛力彩芽だったからだ。 これは、芸能人や有名人をゲストに呼び、「海外にある、第二の故郷」を語ってもらうトーク番組だ。剛力がパリに訪れ、買い物を楽しみ、パリコレを最前列で鑑賞し(隣にはもちろん前澤氏が座っている)、アイデンティティーを表現するダンスをお披露目し、最近一人暮らしを始めた旨などを語っていた。自分から発信したいと思うようになってSNS(会員制交流サイト)も始めた、などなど、つっこみたくてウズウズするような内容ではあった。実際、司会の今田耕司はウズウズを抑えきれずにつっこみを入れたのだが、剛力は笑ってスルー。映像もさらっと編集してあった。 ふむふむ。そういうことか。剛力が今まで築いてきたイメージをZOZO前澤氏なんかに崩されたくないわけだ。従順で真面目でおぼこいゴーリキちゃんが「恋愛に溺れておかしくなっている」のではなく、「今、いろいろなことにチャレンジして新しく脱皮しようとしているブランニュー・ゴーリキ」方向へ持っていきたいんだな。「第2回ミス美しい20代コンテスト」概要説明記者発表会に出席した剛力彩芽=2018年3月22日、グランドプリンスホテル高輪(撮影・田村亮介) ゴーリキちゃんについて、少し触れておきたい。彼女は7歳からモデルを目指し、15歳で『セブンティーン』のモデルデビューを果たす。私が記憶しているのは、ドラマ『IS~男でも女でもない性~』(テレ東系、2011年)だ。 性分化疾患のインターセクシュアルという難しい役柄を見事にこなした。中性的なルックスと不思議な佇(たたず)まいに心がざわついた。その後、あれよあれよとスターダムにのしあげられるゴーリキちゃん。オスカーという巨大事務所の3枚看板(武井咲、忽那汐里とともに)として、毎クール必ずどこかしらのドラマに主演級で出演することに。ちまたでは「事務所がゴリ押しのゴーリキちゃん」と揶揄(やゆ)され、私自身も実際そう思っていた。いや、事実なんだろうけど。ゴーリキちゃんの転機 彼女自身は歌って踊ることも大好きなようで、念願の歌手デビューも果たした。菓子パンCMを始め、CM女王にも輝くほどの活躍。主演したドラマはどれもイマイチ視聴率が振るわなかったが、着実にキャリアを積んでいた。 ところが、ここ1~2年のゴーリキちゃんは、ゴールデン枠からプライム枠、そして深夜枠のドラマへと移行していき、正統派ヒロインだけでなく、かぶり物やコスプレがメインのキャラクターを演じるようにもなった。『レンタルの恋』(TBS系、2017年)というドラマが実にクオリティーの低い仮装なのだが、物語としてはものすごく納得のいく結末なのでぜひ見てほしい。そして、今は2時間モノで「主演の男性俳優についていくサブポジション」にたどり着いている。視聴者としては「最近、ゴーリキちゃんの扱いが雑になってきたな」と思ってしまう。本人が働き方を変えたいと思ったのか、さっさと妊娠・結婚した武井咲に感化されて反抗したのか。それともドラマ業界でメインに据えるニーズがなくなったからなのかは、正直分からない。 おそらく、18歳の頃から休みが一切なく、25歳までは恋愛禁止で、馬車馬のように働かされてきたゴーリキちゃんに「いい転機」が来たのだと思う。『アナザースカイ』でも話していたが、「初めて三連休をもらったのに、何をしていいのか分からなくて結局何もしなかった」そうだ。そして「今、仕事をもらえているのも、自分の実力じゃないじゃん、と。甘えていたんだなと思って。自分から発信していきたいと思うようになった」と言うのだ。 SNS炎上に対する事務所へのフォロー発言かなと思いつつも、10代から働き続けてきた女性の本音と恨み節を垣間見たような気もする。10代後半の多感で多動でかけがえのない楽しい時期を、汚れた大人の言いなりになって優等生を演じてきたゴーリキちゃんが今、解放感を味わっているのだ。TBS系ドラマ『レンタルの恋』の取材会に出席した(左から)岸井ゆきの、剛力彩芽、太賀=2017年2月、横浜市青葉区 つまり、前澤氏はゴーリキちゃんにとっての踏み台でもある。世間では「清純派で箱入り娘のゴーリキちゃんがZOZOに遊ばれて捨てられる!」と懸念しているようだが、実は逆ではないか。海外旅行での解放感にはしゃぎ、念願のパリコレも見て、アートの重要性と可能性とうんちくを聞き流し、さまざまな経験をさせてくれたら、後は自分の仕事に生かすだけ。 26歳のゴーリキちゃんにはまだたくさんの可能性と時間がある。やりたいことも目白押し。42歳の前澤氏(しかも結婚しない主義)から必要なものをインプットできたら、後は捨てるだけ。金目当ての元カノとは異なり、芸の肥やしでしかないと思うのだ。よそはよそ、ゾゾはゾゾ、うちはうち。ゴーリキちゃんがいつか「ZOZOを踏み台にした女」と呼ばれる日が来るはずだ。あ、なぜか破局する前提で書いているけれど。

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    ファン・ビンビン巨額脱税、中国当局が狙い撃つ人気女優の利用価値

    TV(中国中央テレビ)の人気キャスター、崔永元氏の告発です。彼はCCTVに在籍中から、メディアの中で芸能界に横行する不正なお金の流れを告発するための資料を大量に保管していて、今回、その一部を暴露したといわれています。告発の動機は芸能界への恨みです」習近平が意識した「相手」 また、関係者はこうも語った。「崔氏は、もともと『国民的』とも称される人気キャスターだったのですが、キャスターをスキャンダラスに描いた映画『手機』のモデルにされたことで精神をやられ、最終的には職を辞すことになってしまった。それだけでも恨み骨髄なのに、そのグループが新たに続編の『手機2』を制作する予定だと知り、怒りが爆発したようです。攻撃の本命は映画監督の馮小剛(フォン・シャオガン)と、エンターテインメントビジネス界の雄、華誼兄弟伝媒(フアイー・ブラザーズ・メディア)グループの王兄弟ですが、彼女も一味と見なされたのでしよう」 SNSでは、告発直後の6月にファンが崔氏に「あなたがそんなに傷ついていたとは知らなかった」と泣いて電話があり、それに対し崔氏が「知らないはずないだろう」と冷たく突き放したという話も流れている。いずれにせよ、これほど堂々と不正が告発されれば、ただで済むはずはなかった。 しかも崔氏の告発は、後付けながら当局にとって実に利用価値のあるものとなったという。別のメディア関係者が語る。 「中国はちょうど各地の税務局を国税局と一体化させる組織改革方案を7月20日付で発出したばかりで、新組織の船出に勢いをつける材料を探していた。そこに降って湧いたのがファンの事件ということです。組織改革の目的は、中央のコントロールの強化ですから、北京は勢いづくことでしょう」 また、高額所得者の象徴である芸能界のスターからきっちり税金を取り立てたことは、中国がさらに力を入れる所得の再分配にも追い風となる。 中国は今後の社会と経済の安定のために中小企業への手厚い保護と中間所得層の拡大を目標として定めている。前者の目的のため、8月20日には第1回となる中小企業発展促進会議を行っていて、また後者については低所得者のために大幅な減税に着手している。 中国の納税者を可処分所得に従って5分割して、下から3段階を対象に減税を行っているのだ。「中国を過去に逆戻りさせた」と表現される習近平国家主席の政策は、常に「持たざる者」を意識して進められてきたが、その大きな流れから見た通り、ファンの脱税にも厳しい裁きが下されたわけである。中国の人気女優、ファン・ビンビン(范冰冰) ただ、問題はファン一人が断罪されても収まらないという。 「告発は芸能界の裏の体質を白日の下にさらしてしまった。当然類は他のスターたちにも及ぶでしょう。芸能界をはじめすべてのエンターテインメントビジネスにかかわる人々は、今やもう戦々恐々です。飛ぶ鳥を落とす勢いだった華誼兄弟も、当初こそ崔さんに反論していましたが、もうすっかり静かです」 中国では映画の興行収入が日本の4倍を超え、数年で米国をも追い抜くと騒がれてきたが、その絶好調の映画界では、これから非常に冷たい風が吹き荒れることになるのだろう。

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    飲酒ひき逃げ、吉澤ひとみは「孤独の病」を克服できるか

    の危険な飲み方について注意をしたり、診察を勧めたりしていなかったのだろうか。そうだとすれば、華やかな芸能界にいるように見えて、何という希薄な人間関係、何という孤独な環境だろうかと暗澹(あんたん)たる気持ちになる。 このような重大な事故を起こしてしまえば、ますます周囲から人が離れ、本人も自信や自尊心を失い、孤立を深めていく恐れがある。送検のため警視庁原宿署を出る吉澤ひとみ容疑者(奥)=2018年9月7日 事件について、罪を償うのは当然だが、どれだけ厳しい罰を受けたとしても、アルコール依存症は治らないのが現実だ。そもそも、飲酒運転については厳罰化が進んでいるが、厳罰化はこの種の事件を抑制できないというエビデンス(臨床的根拠)があり、今や常識となっている。 吉澤被告の事件を踏まえ、最も重要なことは、治療につなげることである。そして、その中で新たな人間関係を築き、これ以上自分の体や心を傷つけないようにすることだ。さらに、自尊心を取り戻し、社会生活を取り戻すことが何より大切になる。 また、その一方で、われわれ社会の側も立ち直ろうとする人を受け入れ、バックアップすることが必要だろう。自分を大切にできない人が、他人を大切にできることなどありえない。本当の償いや再出発は、そこからスタートする。

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    さよなら、安室奈美恵

    歌手の安室奈美恵さんが芸能界を引退した。26年前にデビューした節目の日での引退である。瞬く間にトップスターに上り詰めた彼女の歌や踊り、ファッションは同世代の女性の心をつかみ、社会現象にもなった。「平成の歌姫」と呼ばれた彼女の軌跡をたどりながら、時代を彩るアイドル像について考えたい。

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    松田聖子と安室奈美恵、昭和と平成のトップアイドルはここが違う

    太田省一(社会学者、文筆家) 2018年9月16日、安室奈美恵が芸能界を引退した。およそ1年前の「引退宣言」は現実になったのである。 芸能人の引退、とりわけアイドルの引退となると、活動の華やかさとの対比もあって、ファンならずとも寂しさがこみあげてくる。今回の安室奈美恵の引退にも、私を含めてそんな思いに駆られる人は少なくないはずだ。 アイドルの歴史をさかのぼってみると、同じく社会現象となった引退劇として、1970年代の「キャンディーズの引退」がある。ステージ上で突然解散を発表したときの「普通の女の子に戻りたい」という伊藤蘭の叫びは流行語にもなった。そこには、アイドルと一般人は全く違う世界に生きているという感覚が根強くあった。だからキャンディーズが引退してしまうことは、ファンからすれば彼女たちの存在自体があたかも永遠に消えてしまうかのような衝撃があったと、当時のことを知る私は思い出す。 一方、安室奈美恵の引退は少し違っている。「安室奈美恵」という芸能人の活動は終わっても、安室奈美恵という一人の女性の人生は続く。当たり前のことといえばそうだが、ファンはなんともいえない寂しさを抱きながらも、そのことをよく分かっているようにみえる。 そこにあるのは、「ともに生きる」という感覚である。 1977年、沖縄に生まれた安室奈美恵は、地元のタレント養成スクール「沖縄アクターズスクール」に通った後デビュー、1995年の『TRY ME~私を信じて~』がヒットして一躍時の人となった。その人気は歌だけにとどまらず、ファッション面にも及んだ。彼女をまねて茶髪に細眉、ミニスカートに厚底ブーツでストリートを闊歩(かっぽ)する「アムラー」と呼ばれる少女たちがマスコミを賑(にぎ)わせたのは、よく知られている通りだ。 そうした髪形やファッションに影響を及ぼしたアイドルの先達としては、やはり1980年代の松田聖子が思い浮かぶ。前髪でおでこを隠した「聖子ちゃんカット」もまた、当時の少女たちが我も我もとこぞってまねをした。 ただ松田聖子は、それだけでは終わらなかった。『赤いスイートピー』(1982年)などの歌を通して同性ファンを増やし、アイドルを一過性のものではなく長続きするものにした。松田聖子と同世代の女性ファンは、「聖子ちゃん」が大人になって恋愛をし、結婚・出産、さらには離婚など、人生経験を積み重ねていくのを見守り、折に触れて彼女の存在に励まされながら、自分たちもまたそれぞれの人生を生きた。つまり、アイドルとファンは「ともに生きる」ようになったのである。「風立ちぬ」でゴールデン・アイドル賞を受賞した松田聖子=帝国劇場 安室奈美恵は、そんなアイドルとしての生き方を受け継いだ。20歳で結婚、そして出産のため産休に入り、その後復活。離婚してからはシングルマザーとして生きてきた。ファンもまた、そんな彼女の必ずしも順調とばかりはいえない人生とともにずっと生きてきた。 ただ、松田聖子と安室奈美恵とでは、時代背景は大きく異なっている。そもそも安室奈美恵はアイドルなのか? 松田聖子が登場した1980年代は、女性にかわいさ、従順さが求められる時代から女性が自立して生きる時代への転換期だった。松田聖子のファンたちの多くはいわゆる「均等法世代」であり、現実にはさまざまな障壁があったにしても、女性の社会進出が当たり前になり始めた時代だ。当初は「ぶりっ子」と呼ばれた松田聖子も、「アイドル」を職業と認めさせたパイオニアとなった。言うなれば、松田聖子は「自立したアイドル」だった。 「自立したアイドル」という点では、安室奈美恵もそうである。パフォーマンスの面では歌の魅力ももちろん大きいが、特にダンスを通じた自己表現にその側面は表れていると言うべきだろう。誰かに教えられてその通りにやる「振り付け」がそれまでのアイドルの踊りだったとすれば、安室奈美恵の「ダンス」は、身体の内側からほとばしり出る表現であり、一つの存在の主張になっていた。 安室奈美恵がブレークした1995年は、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と大きな災害、事件が重なった年として記憶に残る。それらは、戦後の復興から高度経済成長を通じてようやく得られたはずの安定した日常生活が、足元から崩されるような極めてショッキングな出来事だった。その数年前に起こったバブル崩壊から続く不況と併せ、「既存の世の中の仕組み」の大きな動揺が誰の目にも明らかになった。 「アムラー」、あるいはギャルという存在は、そんな時代の転換期と深いところでつながっているように思える。従来の学校や家庭に収まることなく、街中を自分の居場所にするギャルは、世の中の仕組みが機能不全に陥りかけている中で、自分たちの存在証明を求めて漂流した。「今日もため息の続き 一人街をさまよってる」「でも明日はくる」(『SWEET 19 BLUES』の歌詞より)と歌う安室奈美恵は、そんな彼女たちに優しく寄り添う存在であり続けた。 「安室奈美恵はアイドルなのか?」多少なりともアイドルの歴史や文化に関心を持つ人ならば、一度は頭に浮かんだことのある問いではなかろうか。全国ツアーの東京公演で熱唱する歌手・安室奈美恵=2006年9月、東京(戸加里真司撮影) かわいらしい少女で、しぐさや言動も含めて守ってあげたくなるような魅力を持つ存在こそがアイドルだと考える人もいるだろう。そういう意味では、安室奈美恵をアイドルとみなすことに躊躇(ちゅうちょ)してしまうかもしれない。 しかし、アイドルが私たちにとって「身近な存在のこと」を指すとすれば、「どこにでもいそう」というような近さではなく、ここまで述べてきたように「私たちとともに生きる」という近さにおいて、安室奈美恵をアイドルとみなすことは可能なはずだ。そして、そんな「アイドルらしくないアイドル」こそが、実は「昭和のアイドル」と一線を画す「平成のアイドル」だったのではあるまいか。 異例の厳しい暑さが連日続いた夏も終わり、平成最後の秋を迎えようとする今、「平成のアイドル」の象徴であった安室奈美恵も芸能界を去った。だが冒頭にも触れたように、彼女の引退は、その後の彼女の人生がこれからも続くと感じさせる点で、かつてのキャンディーズのそれとは違っている。そしてファンや私たちもまた、彼女がくれた忘れがたい記憶をずっと胸に抱きつつ、平成から次の時代へとそれぞれの人生を再び歩み始める。

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    音楽評論家の私をもうならせた「安室奈美恵の衝撃度」

    富澤一誠(音楽評論家) 安室奈美恵は、6月3日に東京ドームでラスト・ツアーの最終公演を行った。5大ドーム17公演とアジア3都市6公演を巡り、計80万人をドーム動員した「引退イベント」の千秋楽。この歴史的な記念日に立ち会い「歴史の証人」にならなければならない、と思ったのは私だけではないだろう。 正直に言って、音楽評論家として47年間のキャリアを持つ私は数々の現場を見てきたが、今回の安室の「引退ラスト・ツアー」は全てにおいて音楽史に残る特別なメモリアルと言っても過言ではない。 安室の「引退宣言」は衝撃的だった。2017年9月20日、公式サイトで正式に発表されたときのショックは今でも鮮明に覚えているほどだ。 希有(けう)のスーパーアイドル、スーパースター、スーパーエンターテイナーの彼女だけに超ド級の衝撃度だった。私のところにもテレビやラジオ、新聞、雑誌からたくさんのコメントの依頼があった。当時、私はこんな風に答えている。「ファッションリーダーでもあり、全盛期で結婚・出産するなど自分の生き方を通してライフスタイルまで提供したことで、それまでのアイドルというジャンルをアーティストまで引き上げた。ダンスも凄く、アスリートに近いものがあった。ナンバーワンでオンリーワンの存在。突然の引退発表にびっくりしたが山口百恵さんやBOOWYのように全盛期にやめることで、素晴らしい記憶が瞬間冷凍され、伝説になると思う」 アーティストには2通りのタイプがある、と私は考えている。一つは、時代に関係なく、あくまでも自分を押し通していくタイプ。もう一つは、時代との距離をいつも一定に保っているタイプだ。 前者は吉田拓郎や矢沢永吉のような「俺が…」的なアーティスト。一方、後者はどんなに時代が変わろうとも、その時代の波をうまくとらえて、時代のサーファーのように乗りこなしてしまう松任谷由実や桑田佳祐のようなアーティストだ。具体的に言うと、自分は人とはちょっと違うかっこいい生き方をしていると思っている人たちの一歩先を行くこと。音楽だけではなく、生き方をひっくるめて、同世代のライフスタイルをくすぐってちょっと変えてしまうような…。 ユーミンは他人より一歩先を常に歩いてきた。そこに女性を引きつける魅力があるのだ。だからこそ、女性の憧れの的になったのだろう。「私もユーミンみたいになりたい」。そう思ってユーミンの後を追う。初の台湾ソロ公演で熱唱する歌手の安室奈美恵=2004年、台北市・新荘体育館 それと同じものが安室にもある。そもそも人気絶頂期の結婚などはなかなかできるものではない。ライブでMCをしないこともそうだ。 だが、安室は全て自分の意志で押し通してきた。自分の意志を持つ女性の美しさを実践したのだ。だからこそ、彼女に憧れて彼女のように生きたいと思う人たちがたくさん生まれて「アムラー現象」が起きたのだ。最後のMCで語ったこと 加えて、安室世代にはユーミン世代にはなかったダンスパフォーマンスによるアスリートへの憧れという新しい魅力が加わっている。ダンスはいつしか学校教育の中に組みこまれたことにより、ダンスパフォーマンスのできる人は、一流アスリートと同じ尊敬の対象となった。安室は言うまでもなく、そんな素晴らしいダンスパフォーマーでもあるので「スーパースター」になり得たのである。 ラスト・ツアー最終公演の千秋楽は、聖火台をバックに、NHKのリオデジャネイロ五輪テーマソング『Hero』で幕が開けた。1曲目から全開といった雰囲気で、歌とダンスと8変化の衣装、それこそノンストップのエンターテインメント・ショーは息もつかせぬ圧倒的なパワーだった。安室の完成度の高いパフォーマンスが光っていた。 曲もバラエティーに富んでいた。『Don't wanna cry』『CAN YOU CELEBRATE?』など、誰もが知っている大ヒット曲から『Do it For Love』などの最新曲までをとり混ぜ、見せて聴かせて、とまさに「安室ワールド」が満開だった。それにしても、ステージの端から端まで走り抜けるタフさ、これにはびっくりした。まさにメダルを狙えるアスリートのようだ。 あっという間の2時間45分、そして歌手人生最後のツアーを飾るラストソングは『How do you feel now?』。ちょうど30曲目となったこの曲を歌い終えると、安室は16人のダンサーと抱き合い涙を流した。そしてマイクを握った。コンサートではMCをしないことで有名な安室が、ラストということで、5万2千人の聴衆は固唾(かたず)を飲んで安室の言葉を待った。 「今日はどうもありがとうございました」 「9月16日以降、私がこうしてステージに立つことはありません。だからこそ、この25年間が私の中でとても大切な思い出になりました」 安室の言葉が一言ずつ心に入ってきた。と同時に、いろいろなシーンがよみがえってきた。しかし、それも今日で終わりだ。あとは瞬間冷凍されて、それぞれの心の中で「伝説」として残っていくのだ。25年間の感動ドラマはそれぞれの心の中で永遠に残ることだろう。安室奈美恵のラストツアーDVD&ブルーレイ「namie amuro Final Tour 2018 Finally」が発売され、JR渋谷駅前に登場した巨大PR看板=2018 年8月29日、東京・渋谷(早坂洋祐) 安室奈美恵のそんなドラマチックな25年間を凝縮したのが8月29日にブルーレイディスク(BD)とDVDが各5バージョンで発売された「namie amuro Final Tour 2018~Finally~」だ。これを見ることで、私たちはいつでも瞬間冷凍された「安室伝説」を解凍することができるのである。

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    「波乱万丈」美空ひばりと重なる安室奈美恵のアイドル性

    笑い評論家、江戸川大教授) 突然の引退発表から1年。デビュー26周年を迎える9月16日、安室奈美恵は芸能界を引退した。彼女の引退発表を知った時、僕はまだまだ余力を残しながら引退を決断するトップアスリートを連想したものだ。  安室のコンサートはほとんどMCを入れず、着替えの間に映像作品を流す以外は、ずっと歌い続け、踊り続けることで知られている。9月20日で41歳になる安室だが、これまで、激しいパフォーマンスを続ける体力と、デビュー以来全く変わらない体型は日頃の努力によって維持することができていた。 しかし、当然ながら、それはいくつになってもできるというものでもない。今後を考えれば、年齢に合わせて無理のないステージを見せていくことは可能でも、彼女自身は現在のクオリティーを落としてまで続けることをしたくなかったのだろう。そうした思いが今回の決断につながったように思う。  小学5年でジャネット・ジャクソンにあこがれ、本格的に歌とダンスのレッスンを開始。1992年9月にアイドルグループ「SUPER MONKEY'S(スーパーモンキーズ)」のセンターボーカルとしてメジャーデビューを果たしたものの、当時は男性アイドルも女性アイドルも「冬の時代」を迎えており、デビュー曲はオリコンチャート29位に終わっている。  94年4月からフジテレビ系の子供番組『ポンキッキーズ』に16歳でレギュラー出演するようになった時も、そのポジションはアイドル的なものだった。安室はピンク色のうさぎの着ぐるみを身につけて、グレーのうさぎに扮した鈴木蘭々と番組内ユニット「シスターラビッツ」を結成。「うさぎとかめ」「金太郎」「桃太郎」「浦島太郎」「一寸法師」などの童謡をメドレーにまとめた「一寸桃金太郎」と題する曲を2人で様々なコスプレをしながら歌って踊る映像が、月~金の帯で流されていた。  たまたまチャンネルを合わせて、その映像を見た僕は、彼女の持つ才能と魅力に釘付け状態となった。どこかバタ臭さのある、飛び抜けて可愛いルックスに加え、何より、抜群のリズム感と表現力に裏打ちされたダンスが素晴らしかったのだ。ライブツアーで熱唱する安室奈美恵=2006年9月 振付はお遊戯とヒップホップの要素をミックスしたようなものだったが、手足の角度、動きのキレ、メリハリのつけ方…、ダンスに関して言えば鈴木蘭々と「モノが違う」のは一目瞭然であった。彼女が97年に同番組を降板してから、この曲を引き継いだ二代目、三代目、四代目のシスターラビッツにも、安室のレベルに迫ったメンバーは1人もいなかった。  95年のソロデビューとレコード会社の移籍を経て、小室哲哉プロデュースの曲をリリースするようになると、その才能は大きく開花してミリオンセラーを連発する。同年代の女性たちが彼女のファッションや髪型やメイクを真似る「アムラー現象」が巻き起こり、男性ファン中心のアイドルから、女性ファン中心のアーティストへと変貌を遂げるに至った。こだわりは「量」より「質」 一方で、ほぼ同時期に大ブレイクしたSMAPはアイドルの枠に留まりつつも、老若男女から愛される国民的アイドルグループとなった。やや遅れて登場した宇多田ヒカルや浜崎あゆみがアーティストとして成功したのも、先に道を切り開いた安室の存在があったからこそと言えるだろう。   その後は、TRFのダンサー、SAMとの結婚(97年)、出産(98年)、母親が殺害された事件(99年)、小室プロデュースの終結(2001年)、離婚(02年)など、様々な出来事が続いた。 だが、彼女は多くを語らぬまま、ブレることなく自分の仕事で結果を出し続けることで、歌やパフォーマンスだけでなく、その生き方や芯の強さに共感する女性ファンの支持が増えた。こうした安室とファンの関係性は、美空ひばりとファンとの関係に酷似しているように見える。  そして、今回の1年かけての引退カウントダウンは、ラストツアー、CD、DVD、グッズ、企業とのコラボ商品など、莫大な経済効果を生んでみせた。キャンディーズの解散(78年)と山口百恵の引退(80年)までのカウントダウンも社会的に大きな盛り上がりを見せたが、時代の違いを考慮に入れたとしても、ビジネスのスケールでは今回のケースと比べられないほどの差があったのではないか。  現在も続く大人数の女性アイドルグループ黄金期は、90年代後半の「モーニング娘。」のブームから始まった。その前の80年代半ばには「おニャン子クラブ」のブームがあった。ここ10年ほどは秋元康プロデュースによるAKBグループが圧倒的な人気を誇り、同じ秋元が手掛ける「坂道」シリーズも台頭した。  CD不況と言われる時代にあって、驚異的な売り上げを記録してきた彼女たちの強みの一つが大人数のメンバーという「量」であることは確かだろう。80年代まではソロのアイドルが主流だったが、メンバーそれぞれのファンの集合体をターゲットとしたビジネスシステムが定着してからは、成功するソロアイドルがとんと出てこなくなった。結婚会見で仲良く腕を組む安室奈美恵(右)とTRFのSAM=東京・青山  そうした状況下において、安室はパフォーマンスの「質」にこだわり続けることで、ソロにも関わらず、数多くの記録を打ち立ててきた。  山口百恵の引退の前後にはやたらに「ポスト百恵は誰か」と騒がれたのに対し、今回、「ポスト安室は誰か」という声はほとんど聞こえてこない。安室のような存在は周りが作ろうとして生まれてくるものでないことが皆、分かっているようだ。 日本社会の「安室ロス」が当面の間、続いていくのは間違いない。

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    「引退も祝福してくれますか?」安室奈美恵、引き際の美学

    ングだった思います。成人したら息子さんまでマスコミに追い回される可能性があります。それを避けるために芸能人を辞めて母親として、プライベートな生活に軸足を移したいのだったら、それも理解できます。 いずれにしても安室さんの天賦の才能と感性、そして沖縄の女性らしいたくましさと、世界への発信力は今後も残るでしょう。これからはそれを生かして、アジアを代表する一人の女性として、家族と地元沖縄を大切にした、自由な活動を続けていかれることを願っています。

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    イモトと奇跡の共演果たした安室奈美恵、舞台裏の壮絶苦労

    イモトは本物”と認められています。ネタではなく本気度が伝わるからこそ、今回もここまで話題になった」(芸能関係者) サプライズ企画はそれだけでは終わらず、30分にわたる対談も行われた。「安室さんからいつも『イッテQ』を見ていると言われたイモトさんは言葉を失っていました。エベレストやキリマンジャロなど世界の名峰の登頂に挑んできた細かいエピソードも話していたので、本当に見ていてくれているんだと現場は感動の嵐だったようです」(前出・番組関係者) イモトの安室愛あふれる過去のVTRを見て、安室がもらい泣きする場面もあった。そしてついにツーショット撮影に成功し、番組を終えた。イモトアヤコ=2015年12月 テレビでは“未公開”の舞台裏は、相当な苦労があったという。「台湾での安室人気は絶大。どこにでもパパラッチがついてきます。ドッキリのために、安室さんはまずダミーの店に入り、そこで店員と同じチャイナドレスに着替えて裏口から再び出発。人気のない商店街の裏路地で降りると、イモトさんのロケ現場へ。その後も空調もきかないような部屋で待ち続けていました。そこまで念入りの準備だったので、安室さんも“失敗したらどうしよう”とイモトさんより緊張した様子だったそうです」(前出・番組関係者) 奇跡のツーショット写真は安室の軌跡をたどる体感型の展覧会『namie amuro Final Space』(東京や沖縄など全国で開催中)で見られるという。夢は叶うと教えてくれた。■ イモトアヤコ 親友・竹内結子と同じマンションの一部屋購入■ 小林麻耶 ”海老蔵似”夫と手つなぎデートで幸せ絶頂写真5枚■ 坂上忍、消えた義足の愛犬「飼育放棄騒動」の真相を語った■ イモトアヤコ マッキンリー下山後は竹内結子の自宅にお泊り■ イモトアヤコ 初彼氏は中2、後藤真希に敗北など過去の伝説

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    小室哲哉が生んだシンデレラストーリーとカラオケの関係性

     1990年代半ばから2000年代にかけてヒットチャートを席巻したのが小室哲哉(59才)プロデュースによる“TKサウンド”だ。安室奈美恵、篠原涼子、鈴木亜美(当時・鈴木あみ)ら、多くの女性アーティストをプロデュースし、ブレークさせた。 しかし、そんな小室も『週刊文春』の不倫報道を受けて、引退を表明。その是非について、様々な議論が展開されている。 TKサウンドが人気を博していた1990年代後半。特に女性リスナーたちを熱狂させたのは、小室がプロデュースした女性アーティストたちの背景にある“シンデレラストーリー”だった。 小室が手がけたシンデレラとして真っ先に名前が挙がるのは、『I'm proud』や『I BELIEVE』がヒットした華原朋美(43才)だろう。1995年、華原のデビュー直前にふたりの熱愛がスクープされた際、小室が言った「アーティストに手をつけたのではなく、恋人に曲を書いてデビューさせただけ」という言葉は、世の女子たちを沸かせた。 当時レコード会社に勤めていたラジオパーソナリティーでコラムニストのジェーン・スーさんも、小室のスゴさをこう振り返る。「当時の小室さんは絶対に打ち上げを成功させるロケット発射台のような存在で、音楽業界で働いていた人間としては羨ましかった。特に朋ちゃんが世に出てきたときのことは、『これが本当のシンデレラストーリーだ…』と度肝を抜かれたことを覚えています。普通のかわいい女の子が、いきなりエンタメシーンの中心にかつぎ出され、海外ロケをはじめとする豪華なMVはもちろん、スタイリングやメイクまで、野口強やソニア・パークといった一流のスタッフからのバックアップを受けてどんどん洗練されていく。スター街道を駆け上がっていく様は、当時の女の子なら誰もが憧れたのではないでしょうか」 小室マジックで変身したのは華原だけではない。バラエティー番組を中心に活動していた篠原涼子(44才)は『恋しさと せつなさと 心強さと』で大ブレーク。お茶の間に顔が売れたことにより、トップ女優への道を開いた。第37回日本レコード大賞新人賞にノミネートされた華原朋美さんの伴奏をする小室哲哉さん=東京・赤坂のTBS=1995年12月31日 安室奈美恵はご存じの通り、同年代の女子から絶大な人気を得て、「アムラー」という社会現象も生んだ。 後の小室の妻となるKEIKO(45才)はオーディションで小室の目にかない、『globe』のボーカルとなりミリオンヒットを連発。 無名だった夢見る女子たちが“with t”の文字がつくやいなや、スターへの階段を駆け上がっていった。 海外ロケにハイブランドのドレス、そして自分だけのために書かれた曲。小室哲哉という才能を注入されて光り輝く彼女たちに、同世代の女子たちは自分を重ね、夢を見た。 ライターの速水健朗氏は、それを後押ししたのが、その頃全盛期を迎えていたカラオケだったと分析する。「当時の女性たちは小室さんにプロデュースされた“シンデレラ”になりきってカラオケで歌っていた。また、小室さんもカラオケで歌われることを意識して、歌っている側の爽快感を重視して曲作りをしています」関連記事■ 小室哲哉不倫報道論争 逃げ場を残すのは報じる側の矜持■ 眞子さま婚約者小室圭さん巡る「祖父と父の遺産と母の恋人」■ 好きな小室哲哉プロデュース楽曲、トップ20を発表■ globe・KEIKO ゆず・北川悠仁と本気で結婚したがっていた■ 記憶を取り戻したKEIKO 小室哲哉の呼びかけにglobe歌う

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    『半分、青い。』共感できないヒロイン、それでも私は好きである

    吉田潮(ライター・イラストレーター) テレビドラマで増えているオーディオコメンタリー。本編と同時に、副音声で出演者や監督・脚本家が撮影時の苦労話やたわいもない話をくっちゃべる。私はほとんど聞かない。ドラマそのものに集中したいから。出演者が合間のCMに笑顔で登場するのも大嫌い。 もっといえば、せっかくキャラクターが熟して、物語に濃淡も出始めた頃に、突如撮影秘話だの役者が暑苦しい思い入れを語る特別編を入れてきたり、別枠トーク番組を挿入するのも大嫌い。大河ドラマ『西郷どん』がそうだったな。しかも2回も。肩透かしを喰(く)らって、「なんでやねん」と舌打ちした記憶が。 いろいろときなくさい事情はあるらしい。演者が他局の同一時刻番組に出るせいで、裏かぶりを忌避するために力の弱い局のほうが泣く泣く体裁を変えるとか……。ま、NHKは弱かぁないので別の事情だとは思うが、物語に集中して毎週楽しみにしている人間からすれば、興ざめの一言である。とにもかくにもドラマが作り出した虚構の世界にどっぷり浸りたいから、裏話は後日談で十分と思っている。 ところが、大多数の視聴者は違うようだ。ただドラマを見るだけではなく、周辺情報を同時に入手しつつ、感想を共有したり、わが意を得たり、あるいは許せない!と憤慨して発信したりで、大忙しの状態を好む。ドラマのHP・演者や関係者の会員制交流サイト(SNS)をチェックし、ともに作品を作り上げる喜び、という感覚なのかもしれない。 本題に入る。NHKの朝ドラ『半分、青い。』である。脚本家の北川悦吏子がツイッターに裏事情をつぶやき、絶賛するファンも増やす一方で、アンチも増やしているという。メディアも「北川ツイッター発言=炎上」の構図をいちいち取り上げたりもする。ちなみに、アンチ派は「#半分白目」で辛辣(しんらつ)な文句をつぶやいているのが、なかなかに面白い。ドラマの作り手が言わんでええ内部事情(肝いりのセリフやシーンがカットされたこと)や役者との交流を逐一つぶやいちゃうので、まあ、賛否両論勃発もさもありなん。 それでも、こんなにSNSで話題になっていることを考えれば、戦法としてアリだと思うし、斬新だ。朝ドラと言えども、いつまでもあぐらをかいていられないわけで、新規客は常に欲しいところ。今年4月期のドラマ『おっさんずラブ』(テレ朝系)は、登場人物のインスタグラム(写真共有アプリ)と連動して、ある種のブームを起こしたわけだし、今クールも「dele」で主演の菅田将暉と山田孝之がインスタを使って、放送前から話題だけは呼んでいたし。 ただし、大失敗も忘れてはならぬ。昨年大ゴケしてしまった『セシルのもくろみ』(フジ系)では、主演の真木よう子が張り切ってツイッターを始めたものの、その言いようが嫌われて総スカンを喰らってしまった黒歴史もある。NHK朝ドラ「半分、青い。」 冒頭で書いた通り、私自身は裏話や暑苦しい思い入れは、本編と同時である必要性はない、と思っている。でも、それが本編の画面に出てくることはないので、まったく問題ない。流れてくる情報を受け流せばいいだけ、ドラマに集中すりゃいいだけのこと。脚本家の奮闘と暴走、揚げ足取りの視聴者、ファンとアンチの小競り合いをいったん横に置いて、「半分、青い。」をどう見ているか、だ。 ヒロインが同世代ということで、最初から興味津々だったし、今もずっと見続けている。ファンでもなければアンチでもない。疑問も文句もあるが、最後まで見たいと思っているので、ファンなのだろう。何が私の心をとらえるか 私が苦手なのは、ただ1点。ナレーションが多すぎる。祖母役の風吹ジュンが悪いのではない。もう途中から風吹ジュンではなく、北川悦吏子の声にしか聞こえなくなってきた。とにかく人間関係も心情描写も、ナレーションが饒舌(じょうぜつ)すぎる。過去、祖母がナレーションというのは多々あったが、もっと淡々と、あるいは距離を置いての語りだったはず。ところが、制作側の大人の事情だの、時代背景との齟齬(そご)の解説まで語ってしまう。神の視点か。役者の見せ場がナレーションに強奪されたシーンを何度も見て、ため息。なんでこのばあさんは成仏しないのか。ヒロインがうまいこといかないのは、死んだばあさんの呪いだと思うことにした。なので、もう、慣れた。 展開が早すぎる・雑すぎるという「ショートカットっぷり」も気にはなるが、悪く言えば性急、よく言えば緩急。そこは今の時代、というか、軽薄な70年代生まれを描くにちょうどいいのではないか。また、イケメン俳優を次々投入、というのも今に始まったことではない。大河ドラマも同じ手口ね。そのファン層(特に、粘着質でヒマで金は持っててイベントをやれば来てくれる中年女性)がついてくれれば御の字、というNHKの意向も理解できる。 では、何が私の心をとらえるか。ひとえに、ヒロイン・楡野鈴愛(永野芽郁)が清くも正しくもないからだ。思ったことを口にするし、口にするのを憚(はばか)られるような文言もスルリと吐いてしまう。 羽根より軽いと揶揄(やゆ)されるほど口が軽く、内緒話を速攻拡散してしまう。悪気や悪意はないが、思いやりも優しさもさほど持ち合わせていない。ドジっ娘の範疇(はんちゅう)を超えたヘマをしでかすし、自己主張も強くて頑固。ちゃっかりしていて依存体質。幼少期から幼なじみの佐藤健に精神的に依存。離婚後、実家に戻って、幼なじみが働き口を紹介してくれても上から目線で断り、経済的に実家に依存。さらには実母・松雪泰子の虎の子を五平餅店開業に使いこもうと目論(もくろ)んだり。朝ドラにこんな自己中心的なヒロインがいただろうか。もしかしたら、『純と愛』の夏菜、「まれ」の土屋太鳳に続く「3大・不穏なヒロイン」かもしれない。別名「共感を呼びにくいヒロイン」とも。 でも、私は嫌いじゃない。しかも、永野は「才能がない」という、朝ドラヒロインがあまり背負わない絶望を味わっている。プライドが低いように見えて実は高い。漫画家としての才能の限界に気づき、打ちのめされたのだ。才能って、努力や根性、周囲の助けでなんとかなるものではない。どうしようもない、乗り越えられない高い壁にぶち当たり、「きっぱり諦める」道を選んだ。映画監督の夢を諦めきれない夫・間宮祥太朗を許さなかったのも、あの苦い経験があったからこそ。NHK朝ドラ「半分、青い。」 人を傷つけないよう、気兼ねしたまま、自分の人生をそーっと歩くヒロインよりも、永野のほうが人生に悔いも恨みも残らないだろう。誰かを傷つけても、自分が傷ついても、自分が主語でいることを変えない。恨まれたり、やっかまれることがあっても、負の感情に直面しなさそう。というか、それに気づかない鋼のメンタルとも言える。 他人と比べて卑下して地面を見て歩くよりも、誰が何と言おうと空を見上げて歩きたい、と言い切る。漫画家、百均ショップ店員から五平餅屋と、行き当たりばったりの博打(ばくち)人生だが、こんなヒロインがいてもいい。朝ドラヒロインの多様性を快く受け入れたい。ということで『半分、青い。』を推している。褒めちゃいないが、好きである。

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    芸能人キャスターのどや顔がムカつく

    こともある。そこに深みもなければ、説得力もない。ただの感想である。そもそもニュースを扱う情報番組に「芸能人キャスター」なんて要るのか。

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    「客観報道よりツッコミ」芸能人キャスターへの違和感はここにある

    ビの情報番組は、多数のスタッフによる複雑な分業と協働によって成り立っている。 この番組では、華のある芸能人がスタジオでいかに存在感を放っていても、あくまでチームの一員にすぎない。メーンパーソナリティー(=芸能人)とニュースキャスター(=アナウンサー)とは役割が区別されていて、制作者による綿密な采配のもと、軽妙なチームプレイによって番組が成り立っている。 そもそも「情報番組」とは、90年代までは「ワイドショー」と呼ばれていたジャンルで、報道に特化した「ニュース番組(報道番組)」とは明確に区別される。多くの情報番組は「報道フロアからの中継」という演出を用いて、報道局との境界を示している。近年は「情報バラエティー」や「情報エンターテインメント」を自称している番組も多い。 言うまでもなく、ワイドショーの司会に芸能人が起用されるのは、最近になって始まったことではない。良いか悪いかはともかく、日本のテレビ文化の伝統といえるだろう。 ところが、2000年代に入るとワイドショーのみならず、ニュース番組のキャスターに芸能人が起用される機会が格段に増え、視聴者から見ると、双方の境界が分かりにくくなっている。 かつては、経験を積んだジャーナリストやアナウンサーがニュース番組のキャスターとして個性を発揮し、芸能人が活躍するワイドショーとのすみ分けができていたが、今ではジャンルの区別がほとんどなくなってしまった。 このような近年のニュース番組において、取材内容を報道する役割を担い、制作者の意図や主張を伝達する責任を負っているのは、多くの場合、メーンキャスターではない。それはアシスタントのアナウンサー、あるいはスタジオに入れ代わり登場するリポーターなどの仕事である。会見で被害者に対して謝罪をするTOKIO・山口達也=2018年4月26日午後、東京都千代田区のホテルニューオータニ(撮影・大橋純人) それに対し、キャスターに課せられた仕事は、決して権威的に振る舞うことなく、スタジオで無難に話題を循環させることである。言い換えれば、コミュニケーションの「場」の機能を守ることに他ならない。そもそも、アメリカのニュース番組で定着している、熟練のジャーナリストなどが取材・編集・構成に大きく関与する「ニュースアンカー」とは、期待されている役割が全く異なっている。新しい「ニュース番組」の見方 「客観報道」という理念に支えられたジャーナリズムが健全に作動していた時代には、ニュースアンカーが日本でも広い支持を集めることができた。しかし、現在はテレビによって延命してきた日本人の「総中流意識」が完全に崩壊し、多様な情報環境のもとで言論が細分化している。これまでと同じ報道姿勢では、人々の政治意識や生活感覚の多様性に十分な目配りができなくなってしまった。 情報の内容を担うリポーターとは対照的に、番組の形式を維持するのがキャスターの役割であると考えれば、これに芸能人を起用するのは、安易だという批判は避けられないとしても、極めて合理的な選択といえる。 スタジオの「空気」を読み、あるべき話の流れを察する「コミュニケーション能力」、そして世の中にあふれかえる情報に対する「ツッコミ的視線」は、芸能人の中でも、とりわけお笑い芸人に要求される資質と相性が良い。 したがって、芸能人がキャスターを務めることの是非は、テレビジャーナリズムの危機的状況によって起きている「ニュース番組のフォーマット自体の変化」を批判的に捉えることと切り離して考えることはできない。このような趨勢(すうせい)を抜本的に見直し、古き良きニュースアンカーの復権を目指すことが理想的かもしれないが、既に述べた理由から、その道のりは困難を極めるだろう。 行き詰まってしまったが、消去法的な現状肯定で終わっては読後感が悪いだろうから、少し見方を変えてみよう。 冒頭で触れたように、テレビ制作の集団的性格を踏まえるならば、出演者個人の資質を問うだけでは、ニュース番組の良し悪しを評価することはできない。 思い返せば、NHKで1994年から16年間続いた『週刊こどもニュース』の進行役は、マスコットキャラクターだった。ブタの「スクープくん」、メガネザルの「ピントくん」が進行し、時に子供たちが取材に出向くこともあった。NHKの「週刊こどもニュース」でお父さん役を卒業した同局の鎌田靖解説委員(左端)と岩本裕解説委員(後列右)=2009年3月28日(篠田哉撮影) これが「ニュースごっこ」に甘んじることなく、大人も楽しめる良質なニュース番組たり得たのは、アンカーに相当する「お父さん」役の安定感は言うまでもないが、出演者と制作者のチームプレイによるところが大きかった。 例えばサッカー観戦において、各選手の技能や持ち味だけでなく、チームの戦略や戦術を読み解きながら楽しむように、ニュース番組を視聴する際、チームとしてのフォーメーション、そして制作者の采配にも厳しく目を向けてみてはどうだろう。 アナウンサーやリポーターが何を主張していて、キャスターやコメンテーターはそれをアシストできているだろうか。その一連のコミュニケーションの中には、テレビジャーナリズムの困難に向き合い、それを乗り越えようとする制作者の創意工夫がみられるだろうか。キャスターやコメンテーターが芸能人であることが、その一助になっているだろうか。 こうしてニュース番組のフォーマット自体を批評しあうことが、翻って、これからの時代に求められるキャスターのあり方を新たに見いだしていくことにもつながるかもしれない。参考文献・水島久光『「情報バラエティー」のダイクシスとアドレス 制作者と視聴者が交錯する言説場の検証』(石田英敬、小森陽一編『社会の言語態』東京大学出版会、2002年)・太田省一『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書、2016年)・池上彰『これが「週刊こどもニュース」だ』(集英社文庫、2000年)

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    「ニュースを伝える怖さ」に気づいた柴田理恵は立派だった

    リスト、放送プロデューサー) 最近はテレビのワイドショーや報道番組に、ジャニーズをはじめ、たくさんの芸能人が出ています。番組に出演させるのはいいけれど、ニュースを扱う場合に、彼ら芸能人の立ち位置を間違えると、番組自体が大変なことになってしまいます。さらに言えば番組自体と言うよりも、テレビというメディア自体が大変なことになると、私は思っています。 今年4月に明らかになったTOKIOの元メンバー、山口達也さんの強制わいせつ事件を受けて、『ビビット』(TBS系)でニュースキャスターを務める同メンバー、国分太一さんが番組冒頭で謝罪をする光景に、私は強い違和感を覚えました。『ビビット』を見たのは、その時が初めてでしたが、国分さんに対して「なんで君がニュースキャスターをやっているの?」という違和感でした。 国分さんとはお仕事をご一緒させてもらったこともあり、実に魅力的な好青年だと感じていましたが、そもそも報道番組でニュースを伝えるのは「ニュースの素人」にはできるわけがないと私は考えています。彼らは歌ったり踊ったり、人を楽しませることのプロであり、ニュースのプロではありません。ニュースのプロでなければ、ニュース解説の聞き手役になることはあっても、ニュースを伝える側には立つべきではないのです。 6月に同じジャニーズのアイドルグループ、NEWSの小山慶一郎さんと加藤シゲアキさんが、未成年の女性に酒の一気飲みを煽っていたという事実が週刊文春の報道で明らかになり、大きく騒がれました。このときにも小山さんが『news every.』(日テレ系)のメーンキャスターを務めていたこと、加藤さんが『ビビット』にコメンテーターとして出演していたということで、問題が大きくなりました。 私は『news every.』も『ビビット』もあまり見ていませんでしたが、これほどまでにニュースキャスターという仕事を、畑違いのアイドルやお笑いタレントに任せている、最近の民放各局のやり方に、危機感を募らせました。視聴率を稼ぎたいのは分かるけど、報道機関としてやっていいことと悪いことがあり、その一線を越えてしまったのが、素人にニュースを扱わせるという、昨今の民放の「ニュース情報バラエティー」の傾向だと思うのです。 別にどんな芸能人がどんな不祥事を起こそうと、私は個人的に何の興味も関心もありませんが、日本の報道番組がその作り方からしておかしな状況に陥っているのだとすると、テレビ屋の一人として黙っているわけにはいきません。元NHKキャスターの池上彰氏 最近の日本の報道番組は、記者が書いたニュース原稿をアナウンサーが読み上げるだけの「ストレートニュース」よりも、ニュースを伝えた上で、それをより分かりやすく解説し、興味深くなるようワイドショーに仕立てた「ニュース情報バラエティー」の方が増えています。それ自体は決して悪い傾向ではないと思います。芸能人やタレントが参加することにより、ニュースがより身近で親しみやすいものに感じられるからです。 私自身もかつてNHKでジャーナリストの池上彰さんと苦楽を共にして『週刊こどもニュース』という、ニュースと子供向けバラエティーを合体したような番組を開発し、8年間にわたって担当した経験があります。初代お母さん役を女優の柴田理恵さんにお願いし、お父さん役の池上彰さんが家族にニュースをかみ砕いて、興味深く解説するという、当時としては斬新なスタイルだったと思います。 ストレートニュースの部分は、豚のアニメキャラクターが伝える形でしたが、ナレーションはNHK報道局から正式に上がってきたニュース原稿を使いました。それをNHK報道局のベテラン記者がリライトした、オリジナルのニュース原稿に仕上げ、声優の龍田直樹さんが正確に読み上げる、という手法をとりました。柴田理恵さんも苦戦 NHK内部では、ニュースとは報道局の記者が書いた原稿をアナウンサーが読み上げる、または記者自身が読み上げるもの、という伝統がありましたから、アニメキャラクターがニュースを伝えるなどもってのほか、と上層部からの猛反対に遭ったこともあります。しかし、ベテラン記者が書いた原稿を一字一句違わず読み上げる、ということでニュースとしての正確性を担保し、番組名には「ニュース」の4文字を入れることが何とか許されました。 また、番組にはニュースを受けて、その解説や家族同士の会話をするコーナーがあり、ここで交わされる芸能人のフリートークをどう扱うかも問題になりました。私たちの場合は、お父さん役の池上彰さんが現役記者であったため、お母さん役が女優でも、子役が勝手にしゃべろうとも、そのコーナーはあくまでも池上彰さんによる記者解説の変形であるということで、NHK上層部を説得しました。 今では多く見られる「ニュース情報バラエティー」の走りのような番組でしたが、あくまでもニュースを伝えるのは、ニュースのプロである記者、そして芸能人たちはニュースの受け手の役割、と明確に立場が決められており、その関係性の中で成り立っていたという点で、最近多く見られる芸能人がニュースを伝える番組とは異なります。 ちなみに、池上彰さんと試みた『週刊こどもニュース』も、家族の会話という演出を長く続けるうちに、「ジェンダーイクオリティ」の問題に気がつきました。いつも物知りなのは男性である父親で、女性である母親は教えてもらう立場、という演出はジェンダーの観点からしていかがなものか、という問題です。 池上さんの提案で「たまには母親がニュースを解説する側になる日もあって良いのではないか」という話になり、さっそくそのような演出を試みました。お母さん役の柴田理恵さんを解説役とし、生放送の進行表は私が書きました。柴田さんは、一週間かけてみっちりとその週のニュースについて勉強し、池上さんからニュースの背景や問題点についてレクチャーを受け、万全の体制で生放送に備えたのです。 ディレクターの私から見ていても、気の毒になるくらい熱心に、柴田さんは勉強していましたが、いざ生放送の本番を迎えると、結果はボロボロでした。実を言うと、この試みは一回限りでおしまい。柴田さんからは「二度とニュースを伝える役などやらせないで欲しい」と哀願されました。それほどまでに、テレビでニュースの生放送を伝えるという仕事のプレッシャーは大きく、インテリ女優でも押しつぶされるほど重い責任があったのです。女優でタレントの柴田理恵さん 今のアイドルやお笑いタレントで、平然とニュースキャスターを引き受ける人たちは、この重責を感じていないのだろうかと、私から見ると逆に不思議に思います。画面に映らないところで出されるカンペ(カンニングペーパー)を「ただ読み上げていれば良い」と言われているのでしょうか。自分の言葉で解説したり、感想をコメントしたりするときに、十分なニュースの知識を持って語れているのでしょうか。 「ニュース情報バラエティー」という番組のジャンルは、『週刊こどもニュース』のような番組を、どう分類したら良いのだろう、と後になって私が考え、定義したジャンルに過ぎません。しかし、このような報道番組からワイドショーまで含めた、ニュースに関する番組を作る上で、メーンキャスターはカンペを読むのではなく、自分の頭で考えた、自分の言葉でニュースを語らなければ、番組として成立しないと思います。 『週刊こどもニュース』以前にもニュースキャスターが、分かりやすくニュースを解説する番組はありました。『ニュースステーション』(テレビ朝日系)の久米宏さん。『NEWS23』(TBS系)の筑紫哲也さん。それぞれアナウンサー出身、新聞記者出身と経歴は異なりますが、どちらも報道機関で揉まれてきた、たたき上げのジャーナリストであり、ニュースのプロでした。古舘伊知郎さんも、ご本人はニュースのプロではないと謙遜されているようですが、ニュースについて極めて深く突っ込んだ取材をされた上で、自分の言葉で伝えていました。信頼感が抜群の池上彰 こういった人たちから伝えられるニュースは、ずっしりと重みがあり、信頼感があり、また視聴者が考えさせられる深みを持っていました。私たちが優れた「ニュース情報バラエティー」をテレビで見て楽しむとき、そのニュースの背景について考え、そのニュースの真相について自分なりに考える、というように知的好奇心をフル回転することによって、世の中の出来事をより深く知る喜びを味わっているのです。 視聴者の知的好奇心がいかに満たされるのか、そのレベルはニュースを伝えるメーンキャスターが、そのニュースについていかに深く知識を持っているのか、によって自ずと決まってきます。メーンキャスターの知識が軽く薄っぺらなものであれば、視聴者の論考も軽く薄っぺらなものにしかなりません。跳んだりはねたり、踊ったり歌ったりする訓練しか受けていないアイドルや、人を笑わせることが本業のタレントが、カンペを読んで伝えるニュースには、厚みも信頼感もなく、視聴者に論考を促すレベルには至りません。 いまだに池上彰さんの解説する「ニュース情報バラエティー」が、飛び抜けて大きな信頼度と、高い視聴率を保っている理由は、彼自身の中に蓄積されたニュースに関する膨大な知識と、それを裏打ちする長年の取材経験があるからです。 誰もが池上さんのレベルにならなければニュースキャスターを務められない、という訳ではありませんが、十分な取材経験と知識を持ったニュースのプロが他にもいるはずです。そういった人がメーンキャスターを務める、大人の「ニュース情報バラエティー」をもっと見てみたいと、私は常々思っています。アイドルや芸能人は聞き手であったり、質問者であったり、といったニュースの素人の代表として出演してくれればいいのです。 大好きなアイドルがメーンキャスターを務めているから、という単純な理由だけでニュース番組を見ていると、日本人はどんどん思考力を失っていくことでしょう。そうして世の中の真相を深く知ることもせず、様々な事象について表面的で浅薄な知識しか持たず、自分自身の頭を使って自分の意見を語ることもできない愚衆が増えることになり、為政者にとっては御しやすい国になるかもしれません。「ここがポイント‼池上彰解説塾」(テレビ朝日系)の収録後会見した池上彰氏=2014年4月 しかし、国民がニュースを見て自分なりに論考を深め、自分なりの意見を持つ訓練を普段からしておかなければ、真の民主主義を実現することはできません。テレビというメディアが何のためにあるのか、エンターテイメント以外の重要な使命とは何なのか。それは報道機関として、世の中で起きている事実を的確に伝え、批判すべき所は批判できるように、主権者たる国民に深い論考を促し、鋭い判断の材料を届けることです。 アメリカではCBS、NBC、ABCの三大ネットワークで、夕方に放送する全国ニュースに限っては、アンカー(ニュースキャスター)1人で進行します。彼らは国民から高い信頼を寄せられており、「大統領が勝手なことを言えない者がこの国に3人だけいる。三大ネットのアンカーだ」という格言まであります。 日本でもそれくらい信頼感のある、骨太な本物のジャーナリストに活躍してもらいたいものです。少なくとも、踊ったり歌ったりするアイドルではなく、本職としてニュースの経験を積んできたニュースのプロが、ニュースキャスターの役割を務める、まっとうな報道番組のあり方を、今こそ取り戻すべき時ではないでしょうか。

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    ニュースは「職人の世界」覚悟があるなら櫻井翔でも構わない

    事務所のアイドルグループ、NEWSのメンバー、小山慶一郎さんが何者なのかスラスラ出てくる人は、相当な芸能通ではなかろうか。 山口さんは、バラエティー番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の人気コーナー「DASH島」での無人島開拓で何度か見たことがある。芸能人とは思えないほど、腰の軽い、気さくな性格が番組の随所に見られて、好印象を持っていたから、女子高生への強制わいせつ事件を聞いて、いささか驚いた。 ただ、山口さんが日テレ朝の情報番組『ZIP!』でメーンパーソナリティーをしていたことは、チャンネルを動かしていて、スーツにネクタイという意外な姿だったことから記憶にはある。だからと言って、別に彼の「ニュース情報番組」を見たいと思ったことはない。 ましてや、後者のアイドルは顔も名前も全く知らなかった。つまり、私にとっては、どの人が芸能人ニュースキャスターなのかを識別する術はほとんどない。プロであろうが芸能人であろうが、ニュースの伝え方、捌(さば)き方、コメント力で判断するしかないのである。 だから、「芸能人がキャスターをやることについて」というテーマ自体にも、私は違和感を覚える。つまり、「芸能人」というくくりに、発言者や識者の意識の中に「芸能人ごときが」という見下した臭いを嗅ぎ取ってしまうからである。 それは、私自身が差別や排除に過敏なのかもしれない。世に言う立派なジャーナリストから見たら、「シロウトが芸能のノリでやって欲しくない」という思いがあるのだろう。 今回のことに限らず、討論番組や情報番組で芸能人による政治や社会の問題についての発言に関して、よく思い出したのは、学生時代に読んだ吉本隆明さんの『情況』(河出書房)の「芸能の論理」だった。私の記憶に鮮明に残っているくだりは次の箇所だ。 ふだん政治的冗談や芸人的冗談を売りものにしているような男が、『まじめ』くさった顔をしてなんかいうときは、嘘をついているにきまっているのだ。文芸評論家の吉本隆明さん=1999年6月撮影 私には、この呪縛があるためか、長きにわたって芸能人を売り物にしたニュースや情報番組は、意識することなくスルーしてきたのかもしれない。しかし、<嘘をついているにきまっている>という指摘には、違和感があった。もちろん、吉本さん流の辛辣な表現で、「プロの世界は生齧りのヤツで無く、その道のプロに任せろ」という思いがあったからだとも推察できる。 確かに、現役の新聞記者や放送記者、そのOBの中にも、「芸能人がニュースキャスターやコメンテーターをやるなんて…」と眉をひそめる向きも少なくない。2002、3年のころだったか、作家の本田靖春さんと千葉県流山市内の病院横の川沿いで、2人してたばこをくゆらせながら、四方山(よもやま)話をしたことがあった。かくいう本田さんも、芸能人やタレントが「コメンテーターもどき」をすることに対して、かなり厳しく批判していた。「芸能人だから」起こしたのか 主旨としては、一見チャラチャラした芸人が、専門外の安全保障や外交、環境問題などを「芸能のノリで語るな」というようなものだった。それは普段の本田さんにしては、珍しく語気が強かったのでよく覚えている。吉本さんと本田さんの共通点は、当時のニュースキャスターやコメンテーターが「ニュースの職人」としての力量も技量も矜持も持っていた時代のことだと思う。 先般の山口さんの事件をきっかけに「芸能人キャスター」の是非を問うのなら、私は諸手を挙げて賛成はしないけれど、あっても構わないと考えている。それには理由が二つある。 一つは、破廉恥事件を起こしてしまったのは「芸能人だから」なのか、を考慮する必要があるからだ。これまでだって、放送局のアナウンサーであろうが、新聞社から出向してきた記者のコメンテーターだろうが、似たような事件で画面から消えた例は少なくない。 第一、つい先ごろも民放の元ワシントン支局長が、現役記者時代に若いマスコミ志望の女性に酒を飲ませて、ホテルに連れ込みレイプして、準強姦容疑で逮捕状まで準備されながら、それをもみ消したとの報道もあったではないか。 彼はフリーになるや、民放各局に出ずっぱりで、「政権の番犬」よろしく「ヨイショ」コメントを繰り返したり、ヨイショ本を出したりしていた。つまり「芸能人」はダメで、経験豊富な「ジャーナリスト」だったら安心だという設定は、既に崩壊しているに等しい。 もう一つは、伝え方や捌き方、コメントに難がある「芸能人」は自然淘汰されていくはずだからである。わが家は、家人と高校3年生の娘の3人だが、3人ともドラマ『喰いタン』や『必殺仕事人』のファンだったから、役者として立派な東山紀之さんが、キャスターを務める朝の情報番組を実は2回見たことがある。 私は「仕事人」の東山さんが、世の悪とどう斬り結ぶかに少し興味を持っていた。こう見えて私も実はミーハーなのである。だが、「名探偵」も「仕事人」も、ことニュース情報番組となるとどう捌いて、どう仕掛ければいいのか、馴染めなさそうな、場違いな雰囲気を画面から感じた。 それは、むしろ気の毒に思えたほどであり、その後見る機会はなくなった。そこには、東山さんにはドラマで活躍してもらえば良いという気持ちがあるからに違いない。東山さんの起用も山口さんも、芸能事務所とテレビ局のレベルの低い、質の悪い幹部の安易な視聴率稼ぎの被害者のようにも映った。テレビ朝日『ニュースステーション』のキャスターを務めた久米宏(左)と小宮悦子=1996年3月撮影 事ほど左様に、「悪貨は良貨を駆逐する」前に「金メッキは所詮メッキ、いずれ剥げる」と思えば、その道の職人でない人がニュースを伝えようが、先は見えている。それは芸能人に限らず、プロを自認するキャスターや記者にしても、日々研鑽しなければ同様であろう。  そもそも、ニュース番組に民放が力を入れるようになったのはいつのころからだろうか。黒柳徹子さんとのコンビで大人気だったTBSの伝説的歌番組『ザ・ベストテン』の司会者だった久米宏さんが、テレビ朝日の『ニュースステーション』を始めた1985年ごろからではなかったか。ニュースは職人の世界 その前に御巣鷹山の日航機墜落事故があり、生存者がいたという奇跡の報道をフジテレビが独占生中継した。生き残った少女をヘリコプターにつり上げる場面を大々的に放送し、「民放やるじゃん!」と社会的評価は一気に高まった。これまでNHKの独壇場、金城湯池と思われてきたニュースの世界に民放も参戦してきたように、同じ時代を筆者も放送記者として過ごしただけによく分かる。 当時の民放は、ニュース捌きの良いアナウンサーやキャスターに力を入れていた。テレビ朝日の久米さんに対抗して、TBSは筑紫哲也さん、フジテレビは露木茂さんや安藤優子さん、日本テレビは徳光和夫さんだっただろうか。 その影響は記者たちにも見られるようになった。「見られるニュース」に触発されてか、日が落ちるとネオン街に消えていった民放記者たちが、本気で夜討ち朝駆け取材するようになったのもこのころからではなかったか。日テレやテレビ東京の女性記者たちも、検察官舎やガサ入れ先に張り込んでいる姿を目の当たりにして、「ニュース戦争勃発」を肌で感じた。 しかし、90年代に入ってからか、恐らくフジテレビが先鞭をつけたという印象が強いのだが、タレントや芸能人とあまり変わらない大学ミスコンテスト入賞の美人アナウンサーをドンドン投入し始めて、ニュースショーなのか美人コンテストなのか区別が付きにくくなった。 とにかく、内容よりも外見で視聴率を稼ごうというテレビ局の魂胆が見え見えだった。美人でかわいいアナウンサーを見るのは嫌いではないし、否定するつもりはないが「学芸会の延長」のような異様な感じであることに変わりはない。その流れが今日のタレント起用に繋がっているのだと思う。 考え方はさまざまで、嵐の櫻井翔さんのファンが、彼がニュース番組をやることで、これまで興味のなかった報道に関心を持つようになると善意に解釈することもできる。私だって、もし韓国のアイドルグループ「少女時代」のユナちゃんが出演する番組があったら、ニュースであろうが何であろうが、きっと何度もうなずきながらで見ているだろう(すみませんミーハーで)。 その一方で、従来通りのニュースを見たい層は、NHKの桜井洋子さんや森田美由紀さん、民放では小宮悦子さん、安藤優子さんが出る「正当派のニュース」に、自然とチャンネルを合わせるに違いない。TBS系 『筑紫哲也 NEWS23』でキャスターを務めた筑紫哲也さん=1993年7月撮影 今、わが家ではテレビ朝日『グッド!モーニング』を、朝5時半からつけっぱなしにしている。メーンの坪井直樹アナウンサーを取り巻く松尾由美子アナウンサーら「4人娘」がそつなく自然と視聴者に溶け込んでいて、実に巧みだと思う。女子大生の福田成美さんも最初は素人むき出しでハラハラさせるところがあったが、今ではしっかりしてきた。 つまり、ニュースとは「職人の世界」なのである。職人は作った(出した)物で勝負する。記者は埋もれたネタを掘り起こし、ディレクターは分かりやすく視聴者に届ける工夫をし、アンカーはそれを自信を持って視聴者に伝える。 報道の世界に入って通用する、勝負ができるのなら、芸能人でもスポーツ選手でも女子大生でも、「この道50年」というような伝統工芸の職人さんや看護婦さんというのもよいではないか。後輩記者たちに言い続けてきた「目線は低く、志は高く」。これが私の40年来の持論である。

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    「アイドルがニュースを伝える」日本の特殊事情はこうして始まった

    と、一部で批判的な声が強まった。NHKの元キャスター、池上彰氏は文春オンラインの記事(6月6日)で「芸能人がニュースを伝えるのは国際的に見て日本ならではの奇観です」と語っている。 確かに、ポップミュージシャンのジャスティン・ビーバーがニュース番組のキャスターを務める姿は想像もできない。日本でも70~80年代まで、フォーリーブスや光GENJIのメンバーのキャスター進出などは考えられないことだった。 では、どうして現在のような状況に至ったのか。まず、80年代に起こった「MANZAIブーム」でお笑い芸人の活躍の場が広がったことが要因の一つだろう。89年に島田紳助の総合司会による報道・政治討論番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系)がスタートし、『ビートたけしのTVタックル』(同)が始まったのも同年のことだ。 一方で、88年にフジテレビにアナウンサーとして入社した有賀さつき、河野景子、八木亜希子の活躍で「女子アナ」という言葉が定着して以降、ルックス重視の傾向が強まったことで女子アナのタレント化とアイドル化が進んでいる。フジテレビの新人女子アナ3人組(当時)。左から河野景子さん、八木亜希子さん、有賀さつきさん ジャニーズアイドルの在り方も、90年代に入って大きく変わり始めた。SMAPが91年にCDデビューを果たすもののヒットに結びつかず、バラエティー番組とドラマに本格的に挑戦するようになった。 このため、それまでの10代の女性ファンを対象とした存在から、老若男女に親しまれる国民的アイドルへと成長を遂げたのだ。彼らの後に多くの後輩グループが続き、30代、40代になってもアイドルで居続けられる状況ができあがっていった。 バラエティーの司会ができる所属タレントが増えた次の段階として、事務所がニュース番組への進出を考えるのも当然の流れと言えた。キャスター路線の口火を切ったのは、2006年から『NEWS ZERO』の月曜日のキャスターを務める嵐の櫻井である。高学歴化するアイドル その翌年に、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏は、NEWSの小山に「YOUはアナウンサーに向いてるよ」と言ったと伝えられている。これらの背景には、慶応大卒の櫻井や明治大卒の小山の他、『ビビット』レギュラーで青山学院大卒の加藤シゲアキ(NEWS)、『めざましテレビ』レギュラーで明大卒の伊野尾慧(Hey!Say!JUMP)など、ジャニーズアイドルの高学歴化の影響もあったと思われる。 高学歴化の傾向は女性アイドルの場合も同様で、元おはガールで慶応大卒の平井理央と元モーニング娘。で同じく慶応大卒の紺野あさ美はテレビ東京、元乃木坂46の市來玲奈は日本テレビにアナウンサーとして入社した。 他にも、元AKB48の小林茉里奈は福岡放送のアナウンサーに、元NMB48の村上文香はNHK大津放送局の契約キャスターに、元SKE48の柴田阿弥はセント・フォース所属のフリーアナとなるなど、アイドルから女子アナへの転身が後を絶たない状況である。 そもそも、女子アナという存在が日本独自のものである上に、ニュース番組に芸能人キャスターが増えている状況は、池上氏の言うように世界的な「奇観」であるのは間違いない。  しかし、それを言うなら、ニュース番組だけに限らず、朝から晩まで一日中これだけ多くのアイドルやお笑い芸人がテレビに出ている国は世界で日本だけではないか。つまり、それだけ、日本のテレビの視聴者は「容姿端麗で華のある人」や「瞬時に面白いことの言える人」が大好きなのだ。 70年代のテレビから歌の上手さを上回る魅力的なルックスと個性を持ったアイドル歌手が次々に生まれた。現代につながる日本独自のアイドル文化が花開いたのも、寄席での名人に比べて上手さや芸を感じさせないが、テレビで笑わせることのできる若手お笑い芸人のブームが起きたのも、そうした視聴者の好みが根底にあったからだろう。TOKIOの山口達也メンバーが強制わいせつ容疑との一報を受け、警備員が配置されたジャニーズ事務所=2018年4月、東京都港区(桐山弘太撮影) 実力より魅力が評価されがちな日本のテレビ界を批判するのは簡単だが、そこから独自の新しい面白さが生まれるケースがあることも確かであり、筆者は芸能人キャスターの増加が悪いことだとは思っていない。 フジテレビでは新しいニュース番組のキャスターとして出演予定だった人の週刊誌報道などが原因でのスタート寸前の降板が続いたが、今までに増して慎重なキャスターの選定と出演者の自覚を持った行動が求められていくのは言うまでもないことだ。

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    大物二世の一茂と良純 「炎上しない安心感」で爆売れ中

     114回と138回──これは、長嶋一茂(52才)と石原良純(56才)が、今年の上半期にテレビ出演した回数。タレントではトップクラスだ。 情報番組のコメンテーターからバラエティーまで、「顔を見ない日はない」人気を誇る2人は、それぞれ“ミスタープロ野球”の長嶋茂雄(82才)と、元東京都知事の石原慎太郎(85才)という大物の血を引く「ぼんぼん」。時に、恵まれたおぼっちゃん生活を話のネタにすることもあるのだが、どこかにくめないところがあって、視聴者からの支持を広く集めている。上智大学教授の碓井広義さん(メディア文化論)の分析。「一茂さんと良純さんのファンは、比較的年齢層が高い印象です。それこそ、ミスターや慎太郎さん、叔父の石原裕次郎さん(享年52)の活躍を知っている世代が、“やんちゃ坊主”を見るような気持ちで応援しています。怖いものなしで好き勝手に物申す姿が、むしろかわいらしく映ってウケているんでしょう」 突拍子のない発言が多い“天然系”の2人だが、テレビスタッフたちは困らないのだろうか。「“育ちがいい”というか、“金持ちけんかせず”というか、他人を悪くこき下ろすような発言はしないという安心感があります。毒舌がウケる人は、たまにアクセルを踏みすぎてしまうことがあってハラハラしますが、この2人の場合には、ちょっと天然も入っているから、“炎上”には繋がらないだろうと、安心して起用できるんです」(テレビ局関係者)「大物二世」のタレント、長嶋一茂(左)と石原良純がテレビで引っ張りだこだという その証拠が、冒頭のテレビ出演回数なのだろう。最近では、キャラがカブる2人の“セット売り”も多く、今年2月に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に並んでゲスト出演。5月の『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)では神奈川・湘南に男2人旅に赴き、6月15日の『ぴったんこカン・カン』(TBS系)では、一茂の個人事務所が入るビルの屋上でバーベキューパーティーを開いた。関連記事■ 江角マキコ 長嶋一茂宅落書き騒動でCM打ち切りの可能性検討■ 江角マキコ 落書き騒動で真っ先に謝った夫と「今も週4回」発言■ 木村拓哉長女と次女Koki、ハワイ旅行での「美人姉妹」写真■ 木村拓哉次女Koki 超スレンダーな母娘2ショット写真■ 小栗旬、娘とデレデレ手つなぎ幼稚園お迎えショット

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    米朝首脳会談報道に見る各局キャスターの悲喜こもごも

     放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、米朝首脳会談当日の各局の報道体制に注目。* * * 史上初となる米朝首脳会談がシンガポール南部のセントーサ島にて行われた12日午前。 現地に取材記者を送り込み、LIVE映像と共に中継したり、東京のスタジオに専門家を招いたりと、在京テレビ各局は対応に追われた。「歴史的な一日」を「現地でリポート」というのは、報道に携わる者なら当たり前の願望だと思うが、朝8時台の帯番組でメインキャスターが現地に行っていたところは私が見た限りゼロだった。 日本テレビの『スッキリ』は、「加藤さん!事件です」でおなじみの阿部祐二リポーターが担当。阿部氏は語学が堪能で海外の現場でも物怖じしないという特徴はある。が、前のめりな取材姿勢と大げさな伝え方が良くも悪くもワイドショー的なので、今回ばかりは、やや浮いていたように感じた。 TBSは、『ビビット』と夕方の『Nスタ』を合体させたイレギュラー体制。LIVE映像の向かって左側のワイプには『Nスタ』の井上貴博アナとホラン千秋が、右側のワイプには『ビビット』の国分太一や真矢ミキが映るという、TBSが『ビビット』に忖度したような画面となった。思い切って報道特番にしてしまっても、視聴者の多くは納得したのではないか。 そんななか、昨春に『Nスタ』から『ビビット』に異動した堀尾正明キャスターが口を真一文字に結んでいたのが印象的だった。井上アナよりずっと先輩で、NHK時代は『ニュース10』のメインキャスターを務めていた堀尾氏。シンガポールに行きたくてウズウズしていたとしても不思議はないし、『ビビット』のスタジオを仕切りたかったのではないか。 そしてフジテレビの『とくダネ!』は、今春、夕方の『みんなのニュース』から異動してきた伊藤利尋アナが、ここぞとばかりにスタジオを仕切っていた。 伊藤アナは、どちらかといったら報道よりは情報の人であり、完璧な進行と、わかりやすい解説で視聴者ウケがひじょうにいい、フジテレビの男子アナの中では、トップと言ってもいいMC力の持ち主だ。『ノンストップ!』には荷が重い『みんなのニュース』時代も、伊藤アナの明るさで現場もスタッフももっていたように見えていたし、「報道の伊藤アナ」の評価はなぜか自局より他局で高かったものである。本人もやっと報道に慣れてきて、番組としてもいい具合に進化しつつあったところで『プライムニュース イブニング』に変わったことに落胆していた人は多いものだ。 が、とにかく同局のトップは『プライムニュース』に思い入れがあることは、これまでにもさまざま伝えられてきた。それは、12日の『とくダネ!』終了後、『プライムニュース イブニング』の反町理キャスターと島田彩夏アナ、そして、長年、北朝鮮取材をしてきた同局の女性記者をメインに特別番組を編成してきたことでもわかろう。 そのため休止になったのは『ノンストップ!』。確かに、生活情報番組であり、バナナマンの設楽統が仕切るなか、芸人のゲストが目立つ同番組で米朝首脳会談というのは荷が重い。 テレビ朝日は『羽鳥慎一モーニングショー』で通常通り。日頃から北朝鮮問題を長尺で扱っているだけに、手慣れたものだった。そしてテレビ東京はもちろん、生活情報番組『なないろ日和』をいつも通りのタイムスケジュールでオンエアしていた。 ──と、メインキャスターが現地・シンガポールには行っていなかった朝帯の番組である。 かといって、かの池上彰氏が指摘するように、現在、午前中の生番組の大半はタレントがMCをしているため、今回のように歴史的会談が行われたりすると、それぞれ、そこかしこに弱さが露呈してしまうのは事実だ。フジテレビ『プライムニュース イブニング』キャスターの反町理・フジテレビ報道局解説委員長(佐藤徳昭撮影) 少々驚いたのは、『スッキリ』を通常通り10時25分までオンエアし、米朝首脳会談をメインで扱うも、その後の『PON!』や『ヒルナンデス!』がほぼ通常通りだった日本テレビだ。 日本テレビの平日は『ヒルナンデス!』後も、読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』だし、女性の報道記者が読んでいた「東京からのニュース」は、先週から日本テレビの女子アナに代わったばかり。午前中から午後にかけては、日本テレビの報道記者の出番がほとんどなかったということになる。 ちなみに、『ミヤネ屋』がシンガポールに送り出していたのは同局の報道局解説委員長、春川正明氏。これは、視聴者も納得の人選だろう。『スーパーニュース』の安藤優子再び 昼間は、TBSが『ひるおび』、テレビ朝日が『ワイド!スクランブル』を通常通りオンエアしながら、いつものコメンテーターに加えて専門家を招いて米朝首脳会談オンリーといってもいいなか、フジテレビは、バラエティー班制作の『バイキング』。大半を日大問題に割いていた。果たして数字は、どう出るだろう。 最後に『直撃LIVEグッディ!』の安藤優子氏だ。前日、「もう間に合わない」と満面の笑みを浮かべながら、いきなりMC席から立ちあがった安藤氏。トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の類似性について、2回、叫んだ後、コメンテーターの尾木直樹氏に「どう思います?」と尋ねたのだが、尾木ママは安藤さんのハイテンションについていけていけなかったのか無言に。安藤さんの心は既にシンガポール…という雰囲気丸出しだった。 メインの高橋克実が舞台出演のため11日から7月27日まで番組を休むなか、八嶋智人がピンチヒッターを務め始めた初日の番組中盤の出来事。安藤氏はシンガポールに旅立ったのである。 これまでにも高橋克実の長期欠席はあって、それは恐らく番組オファーを引き受けるときの“条件”だったのだと思われる。俳優の高橋が、いくら「歴史的な一日」と言われても、本業のスケジュールを優先するのは当たり前のこと。 だが、それが理由でシンガポールに行けない…ということは安藤さんの中にはなかったということだ。 さて、これまでにも『グッディ!』での安藤氏の“据わりの悪さ”は度々視聴者の間で取沙汰されてきた。「よくぞ言った」という意味でネットニュースにあがるのはサブキャスターの三田友梨佳アナの発言ばかり。昨年来、松居一代ネタや日大問題などを長尺で扱い、ライバル『ミヤネ屋』に視聴率で肉薄するも、「私の専門はこれではない」と言いたげで、どこか居心地悪そうにしていた安藤氏のことがひじょうに気になっていた。フジテレビ『直撃LIVEグッディ!』キャスターの安藤優子(野村成次撮影) が、12日の番組冒頭、『グッディ!』の東京のスタジオではほとんど着ることがなかった白のインナーに紺のジャケットといういでたちで、“『スーパーニュース』の安藤優子再び”…という雰囲気でプレスセンターから中継した安藤氏のイキイキしていたことといったら…。 何度か入った中継においても、なぜかスタンバイ中の音声が聞こえてきてしまったのだけれど、「はい!」「わかりました」と現場スタッフに対し、てきぱき対応している安藤さんの様子が伝わってきた。 私はかねてから、安藤さんがもっともイキイキしているのはヘリコプターに乗って中継しているときだと書いてきた。キャスターにも向き不向きというものがあり、安藤さんは、やはりワイドショー的な『グッディ!』ではなく、報道番組のほうが見ているほうにも、しっくる。そして、スタジオよりも現場が似合う人なのである。関連記事■ さまよい続ける田中みな実 狙うべきは女性層か!?■ フリーアナ思いのTBS 『はやドキ!』は人材の宝庫■ 横澤夏子 女芸人としてレアケースな活躍ぶりの理由■ 時々やってくる「ジャニーズの異端児」風間俊介ブーム■ 山口達也事件で改めて考える“ガールズ番組”の業界ルール

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    RADWIMPS「愛国ソング」の何が悪い!

    中宮崇(サヨクウォッチャー) 人気ロックバンド、RADWIMPSの新曲『HINOMARU』がネットで炎上した。歌詞に「さぁいざ行かん 日出づる国の御名のもとに」「気高きこの御国の御霊」といった愛国的な表現があったためだ。ネットではサヨクから「軍歌だ」とする批判が殺到し、ボーカルの野田洋次郎氏がツイッターなどで謝罪する「言論弾圧事件」に発展した。こういう流れなのか。野田「新曲です、HINOMARU。みんな聴いてね」左翼「愛国的でけしからん」野田「え? 傷つけたらごめんなさい」左翼「謝罪するなよバカ」野田「え? じゃあ、日本が好きだと言って何が悪い!(とライブで叫ぶ)」左翼「うぉ許さん!」どう考えても左翼が意味不明な気が RADWIMPSの新曲をめぐる言論弾圧事件を踏まえたツイッターのあるつぶやきである。まあ、これがごく一般的な市民感情であろう。 そもそもRADWIMPSは大ヒットアニメ映画『君の名は。』のオープニング曲を提供したグループで知られる。朝日新聞が何度も紙面に登場させてきた「レイシストをしばき隊」は、普段からオタクを「危険で有害で、犯罪者予備軍」と言ってはばからぬ差別集団だが、そんな連中はRADWIMPSに以下のように言いたいのだと思われる。 「危険で有害で、犯罪者予備軍が見るようなアニメ映画の歌い手ごときが愛国ソングを歌いやがった」と、これは法政大教授の山口二郎氏がかつて安保法制反対デモで叫んだように「お前は人間じゃねぇ! たたっ斬る!」ということになるのだろう。 しかし、思考回路が「意味不明」なのがサヨクのサヨクたるゆえんである。普通、それは分かりやすい言葉で言えば「嘘つき」「二枚舌」「ダブルスタンダード」であり、今回の事件を「そもそも言論弾圧などではない」とおっしゃるサヨクまでいる。人気ロックバンド、RADWIMPSのボーカル・ギターの野田洋次郎。ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲も担当する 例えば、コラムニストの小田嶋隆氏である。彼はツイッターで「弾圧という言葉は、行政当局なり警察組織なりの公権力が介入した場合に限って使うのが普通だと思う」と発言し、「RADWIMPSが謝罪に追い込まれた事件はサヨクによる言論弾圧などではない」という。これまた意味不明な二枚舌で、サヨク差別組織による言論弾圧を正当化しておられるのだ。 6月3日に川崎市で行われる予定だった男性弁護士の講演会に、反ヘイトスピーチの市民団体などが大挙して押しかけ演者の入場を妨害し、中止に追い込んだ。この「悪質なテロ」も小田嶋氏の定義によれば「言論弾圧などではない」と言うことなのか。サヨクによる言論の自由に対するテロを正当化する恐ろしいロジックである。 中国や韓国、北朝鮮が日本のサヨクを手先として使い、日本人の表現の自由を踏みにじる「言論テロの民間委託」が今後もさらに増えることになるだろう。 私が小田嶋氏を「二枚舌」と言ったことにはワケがある。なぜなら彼は、2年前に全く逆のことを言って、「安倍」や「ネトウヨ」による「批判」を「言論弾圧である!」と決めつけていたからだ。 言論の自殺幇助でいえば言論弾圧って、憲兵がやってきて、言論の自由を掲げる闘士をしょっぴくみたいなイメージがあるじゃないですか。でも、実際は違って、公安や警察が直接手を出すことなんてまずあり得ない。戦前もそうだったけど、自主規制なんですよ(「日刊ゲンダイDIGITAL」2015年11月2日) こうやって都合のいいように舌を使い分ける卑劣なダブルスタンダードこそが、サヨクの本質である。実にダサい。実際、この二枚舌は小田嶋氏だけでなく、サヨク全体に普遍的に見られる症状である。 今回の「RADWIMPS言論弾圧事件」も朝日新聞らサヨクマスコミは「表現の自由に対する悪質な挑戦」などとは一切報じていないのがその証拠だ。その一方で、例えば2008年に起きた、たった一人の自称右翼青年の抗議により映画『靖国』が上映中止に追い込まれた際の朝日新聞の社説を見てみよう。「靖国」上映中止―表現の自由が危うい「これは言論や表現の自由にとって極めて深刻な事態である。 中国人監督によるドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』の今月公開を予定していた東京と大阪の5つの映画館が、すべて上映中止を決めた。来月以降の上映を準備しているところも数カ所あるが、今回の動きが足を引っ張ることにもなりかねない」(「朝日新聞」社説2008年4月3日) かつてサヨク連中は「中国の核はきれいな核」という呆れたたわごとをほざいていたぐらいなので、彼らにとって「自分たちの抗議はきれいな抗議、ネトウヨによる抗議は言論弾圧」と卑劣な二枚舌を弄(ろう)することに良心の呵責(かしゃく)など全くないのであろう。都合の悪いことは忘れる朝日新聞 ついでに言えば、この社説は「自由にものが言えない。自由な表現活動ができない。それがどれほど息苦しく不健全な社会かは、ほんの60年余り前まで嫌と言うほど経験している」などとして安倍政権と「ネトウヨ」を批判しているが、戦前の「息苦しく不健全な社会」を作ったのは、あなたたち朝日新聞だという事実は都合よくお忘れのようだ。 今回の事件についても、朝日新聞は6月14日付紙面で「RADWIMPS新曲が投げかける『愛国』」とのタイトルで報じている。その中でサヨクによる妨害活動を「ライブ会場での抗議運動」とのみ触れているが、それを「言論弾圧」や「表現の自由が危うい」などと批判してはいない。 ちなみに朝日新聞が言うところの「ライブ会場での抗議運動」の主催者や関係者のツイッターでの発言を引用してみよう。「同曲を廃盤にし、二度と歌わないと表明を」 朝日新聞にとって、たった一人の自称右翼少年が映画館に抗議に訪れたことは「表現の自由が危うい」ことであっても、サヨクが大挙して気に入らぬコンサートに押しかけて「廃盤にしろ! 二度と歌うな!」とわめくことは平和なデモに過ぎない、ということらしい。 朝日新聞だけではない。マスコミの見解は、小田嶋氏の「オレ様の定義こそ普通だぜ!」という思い込みと異なるようだ。例えば、2008年5月7日放送のNHK『クローズアップ現代』のタイトルは「問われる“表現の自由” ~映画『靖国』の波紋~」である。2008年5月、大阪・十三の第七芸術劇場で公開を迎えた映画「靖国 YASUKUNI」 また、2015年4月7日付毎日新聞は「言論の自由は、新聞記者や作家が書く自由のみでなく、新聞を運ぶ運転手さんや本を販売する書店員の方たちを含めて社会全体で自由が確保されるように支えていかなければならない」としている。 今年に入ってからだけでも、サヨクの組織的な「抗議」によって「ネトウヨ」とレッテルを貼られた作家や関係者が脅迫まで受けたライトノベル『二度目の人生を異世界で』のアニメ化が中止されるという事件も発生している。 朝日新聞が偉そうに言うところの「息苦しく不健全な社会」は、既に作り上げられているのである。にもかかわらず、小田嶋氏のような人たちにとっては「RADWIMPSへの抗議はきれいな抗議」である、ということらしい。 今回のRADWIMPSやラノベ『二度目の人生を異世界で』への攻撃を「言論弾圧などではない」というのは、それはそれであり得る意見の一つだろう。 しかし、彼らは「中国の核はきれいな核」という幼稚園児にも見破られてしまう、それこそ幼稚な二枚舌で一般大衆の支持を得ることができると思い込んでいる。しかも、その先に安倍政権を倒すことができると本気で思い込んでいる姿は、端から見ていて本当にダサい。 RADWIMPSを攻撃することで若者にそうしたダサさをうっかり知らしめてしまった失策は、この先彼らにとって取り返しのつかぬしっぺ返しをもたらすであろう。私はそう断言する。

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    『笑点』の安倍ネタは笑えない?

    日曜夕方のお茶の間で人気の『笑点』(日本テレビ系)がネットで炎上した。発端は名物コーナー「大喜利」で落語家が政権批判をネタにしたことだった。「この程度のネタは昔からよくあった」「そもそもネタとして笑えない」。意見が分かれる今回の炎上騒動を機に、お笑いと政治風刺を考えてみたい。

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    「笑点の安倍ネタは風刺じゃない」石平が綴った怒りの反論手記

    石平(評論家) 5月27日の日曜日、家のソファでくつろいでいた私は、日本テレビの名物番組『笑点』を久しぶりに見た。 その日の『笑点』の大喜利では、「騒音」をお題に、耳をふさいだ落語家が笑いを誘う「珠玉の一言」を繰り出す設問があった。そしてその中で、いつもの顔ぶれの落語家たちの口から、次のような「政治ネタ」が連続的に放たれたのである。 まずは三遊亭円楽さん、「安倍晋三です。トランプ氏から『国民の声は聞かなくていい』と言われました」。次は林家たい平さん、「麻生太郎です、やかましいィ。」。そして最後には、林家木久扇さんは「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」と嘆いてみせた。 以上が、後にインターネット上などで話題となった『笑点』の「三連発政治批判」である。テレビの前でそれを見た私は、「そんなのは落語としてどこが面白いのか」と思ったのが最初の感想であった。 例えば、最後の木久扇さんの「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」という答えを取ってみても、そこに何か落語の笑いの要素があるというのか。「米軍基地がいつ無くなるだろうか」という、そのあまりにも平板にしてストレートな一言を聞いて、腹の底から笑おうとする人間がいったい何人いるというのか。 程度の差はあっても、一番目の「安倍ネタ」と二番目の「麻生ネタ」も同じようなものである。要するに、この三連発の政治批判は笑いのネタとしてまずつまらないし、落語としての機転も芸も感じさせない。 そこにはむしろ、政治批判が目的となって『笑点』としての面白さは二の次となった、という感がある。はっきり言って、そんなネタはもはや『笑点』ではない。『笑点』の名を借りた政治批判にすぎないのである。 しかも、その時の政治批判は、一般庶民の視点からの政治批判というよりも、特定政党の視点からの政治批判となっているのではないか。例えば、沖縄の米軍基地について、基地が無くなってほしいと思っている庶民が、この日本全国に一体何割いるというのか。地元の沖縄でも、基地反対派と基地維持派が県民の中に両方いるはずだ。2018年1月、米軍普天間飛行場移設に向けた護岸工事が進む沖縄県名護市の辺野古沿岸部(共同通信社機から) 上述の『笑点』三連発の政治批判は、つなげて考えてみれば、要するに「反安倍政権・反米軍基地」となっている。それはそのまま、日本の一部野党の看板政策と重なっているのではないか。 私自身は『笑点』が結構好きで、日曜日の夕方に家にいれば、そしてチャンネル権が女房と子供に奪われていなければ必ずつけてみることにしている。だが、その日の『笑点』を見て、さすがにあきれて自分のツイッターで下記のようにつぶやいた。多くの共感を呼んだツイート先ほど家のテレビで久しぶりに「笑点」を見ていたら、「安倍晋三です。国民の声を聞かなくてよいとトランプに教えられた」とか、「沖縄の米軍基地はいつなくなるのか」とか、まるで社民党の吐いたセリフのような偏った政治批判が飛び出たことに吃驚した。大好きな笑点だが、そこまで堕ちたのか。石平氏の5月27日のツイート このツイッターは結局、ネット上で大きな反響を呼んだ。数日間のうち、8千人以上の方々からリツイートをいただき、1万5千人以上の方々から「いいね」をいただいた。そして私のツイッターには、この件に関して1100件以上のコメントが寄せられて、その大半は私のつぶやきに賛同する意見であった。 私がツイッターを始めたのは今から4年前だったが、今は37万人以上の方々にフォローしていただいている。正直に言って、私の「ツイッター史」において、これほど大きな反響を呼ぶツイッターを放った経験はめったにない。『笑点』の政治批判ネタに対する私の感想と苦言は、やはり多くの人々の共感を呼んだのである。 もちろん、私のツイッターに対する批判や反発の声も挙がった。お笑いタレントで演出家のラサール石井さんが自らのツイッターで、「時の権力や世相を批判し笑いにするのは庶民のエネルギーだ」「政治批判は人間としての堕落だと言いたいのか」と反論したのはその一例だ。 他にも、ネット上や、私のツイッターに寄せられたコメントの中には「権力を風刺し批判するのは落語の伝統だ」「庶民の気持ちを代弁して権力を批判するのはどこか悪いのか」といった批判があった。その中には、「落語の政治批判を許さないというのは言論統制だ、全体主義だ」と、一物書きである私のことを、まるで権力者に対するかのように厳しく糾弾するネットユーザーまでいた。 しかし、私からすれば、こういった反論と批判のほとんどは、まさに的外れのものである。政治風刺や政治批判を行うのは、確かに落語の良き伝統であろう。しかしそれは決して、観客としての私たちが、落語で行った政治批判を何でもかんでも無批判のままで受け入れなければならない、という意味合いではないのである。 政治風刺も政治批判も良いのだが、それには面白いかどうか、特定の政党や政治的立場に偏っているかどうかがつきまとう。それに対し、われわれ観客の一人一人が、自らの基準と心情に従って論評したり批判したりするのはむしろ当然のことだ。私は自分のツイッターで『笑点』のことを「堕ちた」と酷評したのだが、それも一観客としての私の感想にすぎないし、そして私にも私の感想を吐露する権利はあるのだ。2017年6月、『笑点』メンバーの(後列左から)林家三平、林家たい平、三遊亭小遊三、(前列左から)三遊亭円楽、林家木久扇 要するに、『笑点』には政治を風刺し、批判する自由はあるが、われわれ観客にも『笑点』の政治批判に賛同したり、批判したりする自由があるのである。「『笑点』は庶民の声を代弁して権力批判をしているから、『笑点』を批判してはならない」というような論法は、逆に『笑点』に対する批判を封じ込めて、『笑点』そのものを絶対的な権力にしてしまうのである。これこそ、問題の最大のポイントではないのだろうか。

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    立川談四楼手記、『笑点』はパヨク政権でもからかいます

    立川談四楼(落語家)『笑点』メンバーが政権批判をしたと騒ぎ、パヨク認定する向きがあるが、国策落語を強いられた過去を持つ落語家にはナンセンスである。政権批判は日常業務で、ツイッタランドにおける炎上案件を彼らは日毎夜毎繰り広げている。落語の黎明期には幕府を批判して島流しを食らった先達もいるくらいなのだ。 ジャスト140文字、これが5月29日の私のツイートである。ちょっと固い言葉で、抗議の体を取っています。いやあまりの言い様だったからで、「『笑点』も墜ちた」ぐらいはまだいいんだ。ロクに番組を観てない人の言い草だからね。ただ「落語家が政治に口を出すな」「落語だけやってりゃいいんだ」にはカチンときた。『笑点』を観てないことについてはいいにしても、落語と落語家の歴史をまるで理解してない輩(やから)のほとんど妄言だからね。「笑点」メンバー(前列左から)司会の春風亭昇太、新メンバーの林家三平、林家たい平(後列左から)三遊亭圓楽、三遊亭好楽、林家木久扇、三遊亭小遊三、山田隆夫=2016年5月 まあ、少人数ならそれも一つの意見だろうとスルーしたけど、名のある人まで言ってるんだ。半面、「落語について無知であります」と表明しちゃってるわけだけど、著名人だけにフォロワーも多く、「いいね」やリツイートする人がかなりいて、一応ちゃんと抗議したということなんですね。  驚いた。私のツイートに対する「いいね」とリツイートが合わせて15000に達したんだ。もちろん「クソリプ(見当外れな返信)」も飛んでくるが、賛同がはるかに凌いで、少し溜飲(りゅういん)を下げる思いがした。私は写真も動画も使わず、140文字のジャストを昼過ぎに3本投稿するのを旨としている。そりゃ過去には3万超えなんていうこともあったけど、1万を超えるツイートはなかなかないんだ。一言で言うと反響が大きかったということです。某紙もそれを取り上げるくらいに。 落語家の政権批判はホント日常なんだ。それが証拠に『笑点』では民主党政権のときもやったし、それは昔からのものなんだ。つまり伝統でね。何しろあの番組は私の師匠の談志が作ったのだから、過激になるのも当然なのさ。 酒で早くに死んでしまったんだが、春風亭梅橋(しゅんぷうていばいきょう)という人はスゴかったね。「酔っぱらい運転はなぜいけないか」の題に梅橋、こう答えたんだ。「轢(ひ)いた時に充実感がないから」。私が高校生の頃だったが、これには引っくり返ったよ。   ある日、なぞかけで「オッパイ」という題が出た。 梅橋「オッパイとかけてヤクザの出入りときます」   「その心は?」 梅橋「すったもんだで大きくなります」ときた。 「パンティ」がお題のときもスゴかった。 「パンティとかけて美空ひばりのおっ母さんとときます」   「その心は?」   「いつも娘にぴったりと張り付いてる」  全編この調子でね。今じゃ完全に炎上案件だよ。視聴率が上がるとスポンサーがうるさくなって、それで談志の降板に至る、という歴史なのさ。だから当時の過激さが少しだけ顔を出したというだけのことなのさ。戦時中の国策落語と禁演落語 戦時中の軍部との戦いにも触れないといけない。落語の本質は「三道楽煩悩(さんどらぼんのう)」の「飲む・打つ・買う」、つまり酒と博奕(ばくち)と女郎(じょうろ)買いなんだ。それをどう描くかで落語家の腕が問われるのだが、戦時中だから、どうしたって不謹慎ということになる。 時代の空気を察した落語家は、いち早く動いた。時局にふさわしくない落語53席を葬ったのだ。これが世に言う「禁演落語」で、これもなぜ53席かで面白い説があるんだ。「東海道五十三次」になぞらえての53席という説と、もう一つは「53(ゴミ)みたいな落語」。つまり、どうでもいいネタを葬って軍部の目を欺いたという説があるんだ。どっちにしろギリギリ反権力をやってるんだね。 しかし「国策落語」にはなす術(すべ)がなかった。なにしろ「お国のために国威発揚(こくいはつよう)の落語を作れ」という命令だから逃げようがないのさ。随分作られ演じられたというが、ほとんど残ってない。終戦直後、いろんな書類が焼かれたというから、ま、そういうことだろうね。落語「出征祝い」を口演する林家三平さん=2016年3月1日、東京都台東区 でも近年、林家三平師が祖父の林家正蔵作と言われる『出征祝い』を演じて話題となった。しかし評判は芳(かんば)しくなかった。慌てて声を大にして言っとくけど、三平師の技量のせいじゃないよ。国威発揚の落語が面白いわけがない、という真理によるものさ。 前述したように、落語の基本は「飲む・打つ・買う」だよ。戦争と相性がいいはずないじゃないか。戦争と落語は180度両極に位置するものだからね。 でね、その最中に志ん生はこう言ったんだ。「国策落語なんて野暮なもの、俺やだよ」。そう言って志ん生は戦時中に円生とともに中国に行ってしまうんだ。興味のある人は調べてみて。面白い話がワンサと出てくるから。 落とし咄(ばなし)をするから咄家(はなしか)と言われてた江戸時代、冒頭のツイートにある通り、わがご先祖は幕府とも戦っていたんだ。スゴいね。「島流し」ってのが。時代劇のお白州(しらす)で発せられる「遠島(えんとう)を申しつくる」ってやつだ。 いや、咄家だけでなく講釈師にもいてね。この人は島抜け、つまり脱走して捕まり、ついには死罪になったという歴史もあるんだ。吉村昭が『島抜け』という題で小説にしてるくらいでね。 どうでしょう。いくらか反権力の歴史がお分かりいただけたでしょうか。あ、今、「共産党が政権を担ったらどうする?」という声がしました。 経緯は省きますが、私は保守論壇の重鎮、西部邁先生にかわいがっていただきまして、あるとき先生が「今、一番まっとうな保守は共産党だ」と言ったのを鮮明に覚えています。それもあって、「共産党政権の誕生も夢ではない」と思う者ですが、約束します。「たとえ共産党と言えども政権を取ったら大いにからかいます」と。 是枝裕和監督の『万引き家族』がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞、安倍さんはメダルや賞が大好きなのにこれを無視、ようやく林芳正文科相が祝意を表明、それを監督が辞退するという日に記す。

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    「お笑いと社会批評の境界」茂木健一郎が考える日本の政治コメディ

    茂木健一郎(脳科学者) とてもコミュニケーションが難しい時代だと思う。対立する見解を持つ人の間で、意味のあるかたちで意見を交換するのが難しくなっている。  本来、議論というのは、違う意見を持っている人どうしがお互いの視点を持ち寄り、何らかの妥協点を見い出したり、一見相容れないものをより高いところに「止揚(しよう)」(アウフヘーベン)するのが目的のはずだ。 しかし、今の日本において、ツイッターなどのソーシャルメディアでの意見のやりとりを見ていると、さまざまなことについて対立し、反発しあっている人たちが、歩み寄ったり、響き合ったりということが難しくなっている。 やりとりしても、炎上し、反発し合うだけで、理解が深まったり、歩み寄ったりすることが難しい。インターネットで、対話をせずに一方的に相手に絡む人を英語圏では「トロール」と呼ぶ。「トロール」と議論しようとしても無駄だという意味から、「トロールに餌(えさ)を与えるな」という警句がある。 今の状況では、意見が対立することについて相手と理解を深めようとしても意味がなく、「トロール」として無視するのがよいということになりかねない。しかし、同じ社会の構成員をいつまでもトロール扱いしているのはおかしい。最後は、みんな、仲間ではないか。新しいアプローチが必要だ。 かつて、坂本龍馬は「日本を洗濯したい」と言った。今、坂本龍馬が生きていたら「日本をもみほぐしたい」と思うかもしれない。 硬直化してしまいがちな議論を、いかにやわらかくして、多様な見方を混ぜていけるか。それが、私たちの課題だ。そのために、「笑い」は大切なきっかけになる。とりわけ、意見が対立しがちな「政治」の分野でこそ、本来、笑いの力が活かせたらと思う。 昨年、私は「日本のお笑い」は「オワコン」だとツイートして、大きく炎上してしまった。その時の経験で、私は、いろいろなことを反省した。最も大きな反省点は、ただ自分の意見を表すだけでは、それは自己満足のようなもので、伝わらないし、世の中においても良い事にはならないというものだった。漫才日本一決定戦「M-1グランプリ2017」開催会見で集まった出場者ら=2017年6月 その苦い経験から、私はネットでの自分の表現の仕方を変えた。何よりも、世間で対立しそうなことに対して、一方の側の意見を書いて満足するというような態度では、何も伝わらないし、変わらないということが身にしみたから、そういう書き方はしなくなった。 結果として、私は意見の表明に対して慎重になり、価値中立的なことか、これは多くの方に知ってほしい、というような情報だけをツイートするようになった。あるいは、他愛もないこと、ほほ笑ましいこと。 ツイッターの書き方を意識的に変えたのは昨年末のことで、以来、ほぼ半年ほど、私のアカウントで「炎上」はないと認識している。このまま、穏やかな時期が続けばよいのだけれども、今後のことは、私の修練と選択にかかっている。英王室風刺にタブーはない 状況も変わるかもしれないし、人ぞれぞれでよい。政治的なことについてストレートに発言を続け、結果として炎上している多くの方々のことは尊敬しているし、応援している。人は、自分が「こっち」と思う方に行くしかないのだ。そのような多様性こそが社会である。  笑いには期待している。意見が分断しがちなネット状況でコメディの精神をうまく使えば、「日本をもみほぐしたい」という願いが叶うかもしれない。しかし、批評的な笑いは難しい。特に、政治的な問題について笑いを適用するのは難しい。 コメディアンの目的は笑いであり、社会批評ではない。社会批評をすることで笑いが起こればそれはすばらしいことだが、社会批評をしても笑いが起こらないとすれば、それはコメディアンの仕事ではない。 以前、英国のBBCで『リトル・ブリテン』というコメディ番組を大ヒットさせたコメディアン、デイヴィッド・ウォリアムスとマット・ルーカスが来日した時、話す機会があった。その時、彼らが言っていたことが忘れられない。英国においては、王室は長年にわたってコメディの対象になってきた。そこには、タブーはなかった。 ただ、目的はあくまでも笑いであって、王室批評自体がゴールなのではない。ここから先は笑えるか、それとも笑えないか。ぎりぎりの境界をコメディアンたちは探っている。 デイヴィッドとマットは、「ダイアナ妃の事故の後しばらく、英国でも王室のことを笑いにするのは難しくなった」と言っていた。ネタにしても、聴衆が笑わなくなったというのである。日本における政治ネタも、それで聴衆が笑えばコメディアンの仕事として成立するのだろうが、笑ってもらえなければ、それは社会批評であってもコメディではない。 もっとも、コメディの「境界」は常にダイナミックに変化するものであって、そのフロンティアを探ってみたいというのが、「コメディ魂」なのであろう。 そんなコメディアンたちを、私は応援したい。日本では、政治的なコメディは難しいと思われがちだが、日本には、批評的コメディのユニークな可能性があるとも思っている。 たとえば、漫才。「漫才」は、批評的スタンスを持ち込むのに適したフォーマットの可能性がある。「ボケ」と「ツッコミ」をうまく呼吸させれば、欧米のスタンダップコメディとは違ったかたちで、日本でも政治的コメディを成立させられるかもしれない。 「ボケ」が過激なことを言い、「ツッコミ」が常識に戻すことでバランスを取る。かつて、ツービートが見事に見せたように、そんなフォーマットならば、難しいと言われがちな地上波テレビでも、放送できる可能性があるのではないか。「ツービート」のビートたけし(左)とビートきよし さらに、「落語」というフォーマットの可能性。落語は、世界の各地での笑いの文化を見渡した上でも、類まれにユニークなかたちをしている。特に、一人の演者が、多数の「登場人物」を演じ分けるという点。長屋で、くまさん、八っつあん、与太郎、ご隠居などの登場人物たちが、それぞれの思惑、個性で動き、全体としておもしろい調和ができる。笑いは脳進化の「智慧」 対立したり、けんかをしたりしても、それらがすべて響き合って、やがて一つの「笑い」となる。そう考えてみると、落語は多様性を許容した「社会的包摂」そのものである。 たとえば、米朝会談を落語にしたと考えてみよう。アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の意見は対立したり、時には口げんかもするのかもしれないが、その双方を落語の一人の演者が演じることができる。 「おい、そろそろ、放棄したらどうだい」 「そうは言っても、お土産がないとなあ」 「放棄したら、お土産をあげるよ」 「だけど、放棄した後で、お土産はないよ、お前の家を壊すよ、というんじゃ、嫌だよ」 「だいじょうぶ。家は壊さないと、保証するから」 「そうは言っても、君の後ろで、こわそうなやつらが腕組みしているぜ」 ……。 そして二人の「対話」が煮詰まったら、町内の「ご隠居」を登場させることもできる。 「おいおい、いい加減にしなよ、もう、お互いに歩み寄って、決めちまいな」などと。もっとも、現実の米朝会談に「ご隠居」はいないかもしれないが。 落語という「ファンタジー」の方が、人間にとっては温かく、楽しい。笑いは、不安や恐怖に打ち勝ち、不確実なことに挑戦するために脳が進化させてきた「智慧(ちえ)」である。大阪市全24区にちなんだ創作落語「参地直笑祭」をスタートした落語家の桂文枝 すべての動物の中で、複雑な認知プロセスを通して笑うのは人間だけだ。人間は、笑うからこそ、居心地のよい「安全基地」から未知の世界に向かうことができる。人間は笑うからこそ、宇宙にも行くし、人工知能も開発できるのだ。笑いはリスクの存在下でバランスを回復し、適切な選択をとるための最前線の「安全基地」となる。 今日の日本のように、さまざまな不確実性に囲まれつつも、やはり前に進むべき状況でこそ、笑いが必要である。笑いに至る「メタ認知」、つまり客観的に自分たちを見つめる能力こそが、難しい状況での判断力を高める。だからこそ、古来、優れたリーダーはユーモアのセンスがなければと言われてきた。 政治は国全体の進む方向だが、一人ひとりの人生にも、進むべき方向がある。人生の選択に、悩む人も多いだろう。どんな学校に行くべきか。会社を辞めるか、それとももう少しがまんするか。 私は、日本で政治コメディの文化が広まるためには、社会全体のメタ認知を高めなければと思っている。自分の状況を見つめ、不確実な状況下で行くべき道を選択して、よりよい人生を生きる、そんな一人ひとりの積み重ねが必要だと感じている。 日本に政治コメディが広がらない理由を、メディアや、政治家、ましてやコメディアンたちのせいにしても仕方がない。(かつて、私が誤解を与える発言をしたことについては、改めてお詫びいたします) 「日本をもみほぐす」ためには、まずは、「自分をもみほぐす」ことが必要なのだ。