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    NHK大河『いだてん』受動喫煙騒動から学んだ3つの教訓

     社会が高度に情報化されたことで、人間関係の難しさも表出している。大人力について日々考察するコラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。* * * 今日もあちこちで、いろんな人がいろんなことにクレームをつけています。立場や考え方は人それぞれ。誰もが自由に意見を言える世の中は、もちろん素晴らしいに決まっています。いっぽうで、どんな意見にも異論や反論があるのが常。今日もあちこちで、無益な炎上や対立が起きています。 NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』の中で、タバコを吸うシーンがちょくちょく出てくることに対して、公益社団法人「受動喫煙撲滅機構」が抗議の意を示しました。2月にNHK会長と番組担当責任者に宛てて、〈『いだてん』受動喫煙のシーンに関する申し入れ〉を送付。そこには、以下のふたつの要望が書かれています。一、『いだてん』において、受動喫煙のシーンは、今後絶対に出さないでください。二、『いだてん』で、受動喫煙場面が放映されたことについて、番組テロップなどで謝罪をしてください。 抗議の件が報じられると、その行為を称賛する声とともに、多くの反発の声が上がります。機構にも批判的な電話やメールが寄せられたとか。『いだてん』が描いているのは、おもに1910~60年代。その時代は街中でタバコを吸うのは当たり前の光景でした。元陸上選手の為末大さんも、ツイッターで「(申し入れは)無視していい。歴史は歴史で、その時代に事実だったものはそのまま残すべきだと思う」と投稿。ちなみに為末さんは、受動喫煙防止の活動に取り組んでいます。 NHK側はその後、無視せずにちゃんと返事を出しました。「(主人公の)キャラクターを表現する上で欠かせない要素として描いておりますが、演出上必要な範囲にとどめております」「番組の表現が視聴者の皆様にどのように受け取られるか、配慮しながら番組制作をして参りたいと思います」などと回答。それを受けて機構側は、3月6日に「(NHKが)受動喫煙を撲滅する方針を失っていないと判断致しました」という見解を発表して、事態はいちおう決着しました。 いつの間にか世の中は、誰かが大きな声で「喫煙はケシカラン!」と叫べば、言われた側は黙り込むしかない状況になっています。「そんなに目くじら立てなくても」なんて言おうものなら、どんな罵声を浴びせかけられるかわかりません。しかし、今回は少し風向きが違ったようです。ネット上などでも「そこはまあ、いいんじゃないの」という声が、いつになく目立ちました。東京・渋谷のNHK放送センターにあるスタジオパーク(ゲッティイメージズ) 回答を読むと、NHK側は「今後、喫煙シーンは出さない」とはひと言も言っていません。しかし機構側は、意外なほどすんなり矛を収めました。もしかしたら、「おいおい」という声が多い雰囲気を察知したのでしょうか。あるいは、ニュースになって「喫煙シーンを出すと面倒なことになる」とメディア側にあらためて認識させたことで、十分に目的が果たされたのでしょうか。 私はタバコは吸いませんが、嫌煙を主張する声がヒステリックな方向で高まっていく風潮には「嫌だなー、煙たいなー」という気持ちを抱かずにはいられません。ただ、だからといってこの出来事に対してケンカ腰で異を唱えたら、静かにタバコを楽しみたい方々に間接的に迷惑をかけてしまいます。意見が違う同士でも、たとえケンエンの仲でも平和に手を取り合える世の中を目指して、昨今の嫌煙ムードの高まりや今回の騒動から、がんばって3つの大人の教訓を学んでみましょう。一.気に食わないことに文句をつける場合は、なるべく極端な例をたくさん集めて「それでも認めないあなたは人でなしだ」という流れに持っていく一.誰に何を謝ればいいのか、そもそもなぜ自分がそれを要求できるのかよくわからなくても「謝罪してください」と言えば優位に立った気になれる一.世の中で一定の支持を得ている「正論」だからといって、それをタテに調子に乗って何でもかんでもクレームをつけると味方からも引かれる とてもためになる勉強をさせていただきました。ありがたいことです。もしかしたらカチンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、平和を求める姿勢に免じて、寛大な心で受け止めていただけたら幸いです。苦手な方が多いかもしれませんけど。関連記事■大河『いだてん』 五輪メダリスト投入のテコ入れ案も■『いだてん』視聴率低迷を加速させる「ストレスコーピング」■日曜20時の視聴率争い 『イッテQ』『一軒家』と他局の違い■JTが発売の新・加熱式たばこ 力の入れ方は「半端ない」■肺がんや肺炎の兆候、2週間咳が止まらなかったら要注意

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    ピエール瀧、出演作品に罪はない?

    る。ただ、音楽家の坂本龍一は自身のツイッターで「音楽に罪はない」とつぶやき、この流れに一石を投じた。芸能人はイメージが売りとはいえ、本当に議論の余地はないのだろうか。

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    ピエール瀧、出演作品の相次ぐ自粛「それでも起用」となぜ言えない

    など活動の幅が広く、多方面でさまざまな対応が行われた。 このような事件が起こるたびに議論になるのが、芸能人の逮捕で出演番組の「お蔵入り」や差し替え、映像・音楽作品の撤去や販売自粛は必要か、というものだ。インターネット上では「作品に罪はない」という意見が多く見られる。先ごろ、俳優の新井浩文被告が強制性交の疑いで逮捕された際も、出演作品の自粛や差し替えなどが相次ぎ、同様の議論があったばかりだ。 タレントの犯罪や不祥事により、対応を迫られる場合を主に三つに分けるならば、「本人の生出演」「収録済みで公開予定の作品」、そして「既に公開されて流通している作品」になる。30周年の記念ツアー中だった電気グルーヴは3月15、16日に予定されていた東京公演の中止を決定した。 また、木曜パーソナリティーを務めていたTBSラジオ『赤江珠緒たまむすび』は公式サイトから関連部分を削除し、代役などについて「協議中」としている。これらは「本人の生出演」に該当し、逮捕で不在となるのだから出演取りやめは当然だろう。 出演中のNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』は「収録済みながら公開予定の作品」に該当する。NHKは直ちに公式サイトから瀧容疑者の写真を削除した。放送こそ継続されるが、主人公に大きな影響を与える重要な役どころだけに降板は避けられない。 瀧容疑者がキリギリスに扮して出演していた住宅設備大手、LIXILのCMも差し替えられ、ユーチューブの公式チャンネルからも動画が全て削除された。ウォルト・ディズニー・ジャパンは、映画『アナと雪の女王』の日本語吹き替え版で瀧容疑者が声優を務めていたキャラクターの降板を発表、11月公開予定の続編も交代する。出身地の静岡市では、瀧容疑者が歌うPRソング「まるちゃんの静岡音頭」に関する自粛対応を決めた。電気グルーヴの石野卓球(左)とピエール瀧容疑者(2015年12月撮影) これらは「容疑者」の段階であっても、一様に起用停止の方向を打ち出している。理由は詳しく示されていないが、視聴者から受信料を受け取る立場のNHKや、税金を投入している事業の静岡市、イメージ重視のスポンサー企業など、立場はそれぞれでも「犯罪者の可能性が高くなった人物の作品を提供するのは好ましくない」という判断をしたことが容易に推察できる。視聴者などからクレームが来ることも想定しての対処だと言われれば「それでも起用を続けろ」とは言いにくい。被害者のいない罪 ただ、「既に公開されて流通している作品」も対象とするのは議論の余地が大きいだろう。セガゲームスは、昨年12月に発売されたゲームソフト「JUDGE EYES:死神の遺言」の販売自粛を発表した。俳優の木村拓哉が主演する同ゲームで、瀧容疑者はヤクザの若頭役を務めていた。また、所属レコード会社もヒット曲「Shangri-La」(シャングリラ)をはじめ、音楽・映像商品の出荷停止や店頭在庫の回収、デジタル配信停止を決めている。 これらが発売されたのは逮捕前であり、あくまで過去の話だ。音楽家の坂本龍一もツイッターで「ドラッグを使用した人間の作った音楽は聴きたくないという人は、ただ聴かなければいいだけなんだから。音楽に罪はない」と述べたように、音楽業界から疑問の声も上がっている。 確かに、この手の判断を一律に適用すれば、店頭や販売サイトに並んだ出演映画のDVDなども完全に撤去されることになってしまう。ユーザーから販売元にクレームが多数寄せられるようなことも考えにくいため、過剰反応に見えるところはある。 そもそも、犯罪加害者の出演作品の撤去は「被害者に配慮する」という理由が大きいが、犯行確認前のものにまで遡(さかのぼ)らないといけないなら、販売商品のみならず、ネット上の人物画像まで削除しなければならなくなる。世の中から人の存在の痕跡を消すことなどは難しく、「売名行為」が仕事のタレントは不可能といえる。 その観点の流れで、一部の識者やコメンテーターなどから「被害者のいない麻薬事件は例外ではないか」とする意見も出ている。もっともらしく聞こえる主張だが、被害者の有無で線引きすることは話を余計にややこしくするだけだ。 麻薬事件では販売者と使用者が同時に逮捕されることがあるが、両者がタレントであった場合、被害者をつくった販売側はアウトで、使用だけの側はセーフとするのも妙な話だ。 賭博罪なども同様で、同じ犯罪でも被害者の有無で区分けするとなると、中には法解釈で被害者かどうかを認定する裁判があった場合、それをひたすら待つということにもなってしまう。安易に「被害者がいるいない論」を持ち出すのは、刑事犯罪の「幅広さ」を想定できていない人の理屈としか思えないのだ。 海外では、米国のように、被害者のいる暴行事件の加害者であっても、逮捕されて裁判を待つ間に試合に出たプロボクサーがいるし、有罪が確定した直後にドラマ出演した俳優もいる。「米国では犯罪と経済活動を分けて考えるところがある」と指摘する米芸能ジャーナリスト、エイドリアン・ゲール氏は以下のように主張する。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「犯行とは無関係な仕事や、犯行前に正当な方法で行った仕事への対価までも奪ってしまえば、犯罪者は社会的活動を一切できなくなってしまう。だから、基本的には法や契約に従うべきだ」 つまり、この見解を裏返せば、契約に明記されない勝手な販売中止は犯罪者側の利益を不当に奪うことにもなるという見方もできるわけだ。だから、日本の一部識者の「作品を公開して、報酬を福祉団体に寄付すればいい」という論調ですら、他人の報酬を勝手に決める「暴論」になってしまうのである。自粛だけが正解じゃない ただ、海外でもシビアに販売を自粛するケースはある。出演者が人種差別発言をしたり、未成年を傷つける犯罪行為など社会的に批判の強い事件や不祥事には容赦ない。米国のベテラン女優、ロザンヌ・バーに対する米ABCテレビの対応はその最たるものだろう。 昨年5月、バーがオバマ前大統領の元アドバイザーを「猿」呼ばわりする人種差別的な発言をツイートしたことを受け、ABCは主演の人気ドラマを即刻打ち切り、バーの降板を決定した。コメディードラマ『ロザンヌ』は21年ぶりの復活で大きく話題となり、視聴率も全米トップを獲得していた。それでも、ABCは「弊社の価値観にそぐわない」という声明をハッキリ述べ、一般論ではなく「当社のモラル」を強く示した上で、人気コメディー女優の降板と番組打ち切りを決断した。 一方でバーの謝罪を受け入れ、起用を継続したメディアもあった。海外ではおおむね「ケース・バイ・ケース」で各社が自主判断をしている印象が強い。日本では、逮捕時点で関係する企業が一斉に「右にならえ」で自粛決定をしているように見える。 実のところ、日本人というのは、このケース・バイ・ケースが苦手な民族だ。筆者は日本とマレーシアを拠点として仕事しているが、多民族国家から見る日本人は「清潔でマナーが良く、仕事をきちんとする」と評判が良いが、「マニュアル以外になると臨機応変の対応が苦手」という印象を持たれることが多い。 本来、各自の判断で決めればよいものでも、「みんながそうやっているからウチも」とする風潮があるのは確かだ。だが、裏を返せば、多様な姿勢を認めにくい社会を反映しているともいえる。 そういう意味では、一部報道にあった瀧容疑者の出演映画『麻雀放浪記2020』が出演部分をカットせず、予定通り公開する方向で調整するという判断は興味深い。同じく公開を控えていた映画『居眠り磐音』が代役を立てて登場シーンを撮り直すことを決めている。映画という有料コンテンツである以上、観客である消費者に判断が委ねられるわけで、「収録済みで公開予定の作品」の対照的な「意思」に注目が集まることだろう。2019年3月13日、関東信越厚生局麻薬取締部が入る九段第三合同庁舎から出てくるピエール瀧容疑者(佐藤徳昭撮影) 自粛を決めた日本の各企業も、それぞれ強いメッセージを打ち出したらどうだろう。例えば「わが社は、いかなる種類の犯罪行為も、社会秩序を守る観点から社会的制裁を受けることもあるというメッセージを発信するため、それが被害者のいない犯罪であったり、『推定無罪』の段階であったりしても、著名人による影響の大きさを考えて、苦渋の決断で暫定的に販売中止を決定しました」と発していたら、その決断自体は現在よりも尊重される可能性も高くなる。議論の余地がある話であれば、起用側による意見発信で、判断基準を形成していくことにもつながるのではないだろうか。■なぜASKAは再び覚醒剤を使ってしまったのか■ASKAが覚醒剤から解放されるためのヒント■NHK『トクサツガガガ』私が一瞬、涙目になったワケ

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    元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑

    ただ一言「玄米を食べて育った」と書くのが絶妙です。 玄米は美容や健康にいいと言われていて、意識の高い芸能人が食べています。有名なのがローラ、吉瀬美智子、綾香など…。ビタミンやミネラル、食物繊維が豊富で、GI値(血糖値が上がる速度)が低い玄米にはさまざまな効果があるとされています。トークショーに出席した篠田麻里子=2014年2月21日(宮田剛撮影) しかし、毎日食べ続けるのは体に負担がかかるという説もあります。無機ヒ素や残留農薬が含まれていると言われていたり、固い殻で覆われているぶん、消化に悪いとも。胃腸が弱い人は、よほど元気な時じゃないと玄米は食べない方が良い、と専門家に聞いたことがあります。 「玄米を食べて育った」という麻里子さまと結婚相手は、もしかしたら生まれつき胃腸が強いのかもしれません。お互いの食生活の好みについて話しているうちに、玄米食の話から健康状態をチェックし合っていたのでしょう。 やはり添い遂げるためには、お互いの健康状態は重要です。そして夫には経済力だけでなく体力も求めていきたいです。「玄米婚」は、「玄米を消化できる体であることを確認」という意味もありました。麻里子さまは、体が頑丈で稼いでくれる、良い夫を見つけたようです…。

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    NHK『トクサツガガガ』私が一瞬、涙目になったワケ

    上村由紀子(フリーライター) そうか、6話まで見てやっと分かりました。このドラマは「親をとるか、オタ活をとるか」って単純な話ではなく、「親の価値観のもとで生きるか、自分の価値観を貫いて生きるか」という、自立の物語だったんですね。 山に囲まれた小さな町に突如ゾンビが現れ、日常と非日常とがせめぎ合う『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』や、4月から放送される『腐女子、うっかりゲイに告る。』など、最近ハネまくっているNHKのドラマ。まるでテレビ東京のプロデューサーが出向しているかのようですが、このテンション、むしろ好きです。中でも回を重ねるごとに視聴者の熱量がグイグイ上がっていったのが、NHK名古屋局制作の『トクサツガガガ』。 小芝風花演じる主人公の仲野叶(かの)は商社に勤める20代のOL。会社では「女子力が高い人」で通っているため隠していますが、実は筋金入りの特撮オタク=通称、特オタ。プライベートの時間とお金をすべて特オタ活動につぎ込み、次第に同じ特オタやアニオタ、ドルオタと仲間も増えてオタクライフを満喫する中、彼女の前に巨大な「敵」が。それは幼少時から特撮を全否定し、叶に「女の子らしい女の子」として生きてほしいと願う、松下由樹演じる母、志(ふみ)の存在です。 今は東京(どう見ても名古屋の風景が映るのに設定は東京)と関西とで離れて暮らしている母娘ですが、かわいいものを愛し、娘にも女の子らしくいてほしい母と、特撮作品が大好きな娘…そんな二人が相いれるはずもなく、叶が志から距離を取ることで、なんとかバランスを保っている状態。しかし、志のサプライズ上京で事態は一転。二人は修羅場を繰り広げることに。 勇気を振り絞り、自分の好きな特撮のことを必死に伝えた叶に対し、志が返したのは「ええ年して、こんなちっちゃい子が欲しがるようなもん集めて。こんなもの大事にして、何になるのよ!」「独りであんた、そんなこと続けるつもり?」というバズーカ砲のような口撃と大事にしているフィギュアの破壊、さらに平手打ちという所業。それに対し、叶も「じゃかましい、クソババア!」と母の頰を打ち返して「親じゃない! 育ててもらった恩とか、大学にかかったお金とか一生かかっても返すから。それでもう家族じゃない、関わらんとって!」と感情のまま言葉をぶつけます。女優の小芝風花=2017年2月(南澤悦子撮影) 痛い…いろんな意味で胸が痛い。自分の価値観こそすべてと信じ、それを娘に押し付けようとする母親と、その呪縛から放たれようともがき、経済的に自立することで親から逃げ切れたと思い込む娘。二人の魂は、子供の叶が大事にしていた特撮ヒーロー雑誌を志が庭で焼いたあの日からずっと止まったままなのに。 このドラマを母と娘、それぞれの視点で捉えると、見える風景が違ってきます。 母の志は叶と兄の望が幼い時に夫と離婚。それ以来、女手一つで兄妹を育ててきました。志は自分の離婚をポジティブに考えていないのでしょう。同じ女性である叶には普通の、幸せな結婚をして家庭を築いてほしい、それには多くの人から愛されるよう女らしく生きることが必要、それなのにこの子は男子が好きな特撮なんかに夢中になって間違った道に行こうとしている、30歳を過ぎたらもらい手もないまま1人で生きていかなくてはいけないのに…私がそれを正さなければ…。そんな思考で良かれと思い、娘を自分の思うルートに乗せようと必死です。今期ドラマの共通点 一方、娘の叶は小さい頃から好きだった特撮を否定され続け、母のマンション立ち入りで特オタがバレるまではそのことを必死で隠していました。経済的にも独り立ちしているし、成人した自分がどう生きようが自由なはず。が、母にはずっと特撮のことを言えなかった。それは心のどこかで母が望む人生を送れていない自分を申し訳ないと思う気持ちを抱えているから。 叶にとって特撮を否定されることはただの趣味を否定されることではないんですよね。それは自分の生き方や価値観を親に受け入れてもらえないことで、「ありのままの自分」を否定されているのと同じ。「毒親」と切って捨ててしまえば簡単ですが、志も心の底にあるのは娘を愛し、大事に思う気持ちであるゆえ、そう単純なことでもない。 世の中的には多様性…ダイバーシティなんて言葉もメジャーになってきましたが、家族の間で問題になるのはいつも「どうしてできないの?」VS「どうして分かってくれないの?」という、交わることのない二つの主張。 それにしても、今期のドラマにはいわゆる「毒親」が山盛りです。『初めて恋をした日に読む話(はじこい)』の主人公、春見順子(深田恭子)の母親、『ハケン占い師アタル』のアタル母、そして『トクサツガガガ』の志。そういえば『まんぷく』で今やおちゃめな存在として福子をサポートする母、鈴(松坂慶子)も、放送開始からしばらくはTwitter上で「毒親」と評されていた記憶が。 『ハケン占い師アタル』の場合はまだ見えない部分が多いので置いておきつつ、『はじこい』順子の母、しのぶ(檀ふみ)も志も自分が達成できなかったことを無意識のうちに娘の人生に背負わせているパターン。本人がそこに気づいて呪縛を解けば皆が楽になれるのに、人の心はなかなか難しい…そう簡単にはいきません。 こう言ってしまうと身もふたもないですが、『トクサツガガガ』も『はじこい』も、そして多分『ハケン占い師アタル』も、ある程度前向きな形で母娘の関係に決着がつくのでしょう。だってそれはドラマ、虚構の世界の話だから。女優の松下由樹さん だけど、現実世界を生きている私たちはそうはいきません。自分の好きなものを否定し、価値観を押し付けようとしてきた親はいつの間にか年を取り、「戦う相手」から大抵の場合「守り、フォローする対象」へと変わっていくのです。それはそれでとても切ない。 なんて、過去のモロモロを思い出し、一瞬涙目になりましたが、『トクサツガガガ』はコメディーです! 最終回で叶が作品のテーマでもある「スキなモノはスキ!」をどう貫くのか、ゴールデンボンバーが歌う主題歌『ガガガガガガガ』をともに熱唱しながらしっかり見届けたいと思う次第です。■NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった■キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側■あふれ出すSPEEDのカルマ『Body & Soul』の愛欲が止まらない

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    クイーン映画、日本人はなぜハマる?

    英ロックバンド、クイーンの軌跡を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が異例の大ヒットとなった。日本での興行収入は全米に次ぐ世界2位の100億円を突破。きょう発表される米アカデミー賞では5部門にノミネートした話題の作品だが、なぜ日本人はハマったのか。ヒットの裏側を読む。(©2018 Twentieth Century Fox)

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    サンプラザ中野くん手記「クイーン映画、ヒットの秘密は猫とトキソ」

    サンプラザ中野くん(ロック歌手) フレディ・マーキュリーが大好きである。サンプラザ中野くんだー! フレディになら抱かれてもいいと考えていた。結構マジに。そんなフレディ信者の私は公開早々、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見た。最後のライブシーンでは両手で口を押さえてはみたものの、大号泣は止められなかった。 成人してから、喉が枯れるほど泣いたのは、父親が死んだ時と、忌野清志郎さんが亡くなった時、そして20年飼った愛猫の亡き骸(がら)を土に埋めた時だけだ。三十余年前にリードボーカリストとしてロックバンド「爆風スランプ」でデビューした。肩書は「ロック歌手」である。そんな私が『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットを分析してみたい。 これまで4回見た。「Dolby(ドルビーアトモス=最新のサラウンド技術)」「極音(極上音響上映)」「IMAX」、そして「応援上映」を鑑賞した。 1回目はただありがたかった。「フレディありがとう! ロックミュージックありがとうございます〜!」と泣きながら感謝した。2回目は「ロックバンドあるある」シーンに胸躍った。 アイデアが尽きるまで試みるレコーディングのシーン、名曲を生み落とす時の胸の震え、メンバー間の名声や収入差からの不穏な関係性などなど、こそばゆくなるほどリアルに表現されていた。クイーンのメンバーが制作陣に名を連ねているからこそだと思った。 3回目はその完璧さに打たれた。全てのシーンで無駄がない、と。制作にかかわった人々の熱意と愛情と能力に感謝した。そして4回目。見ている間中、ただただ幸せだと気づいた。こんなに至福の134分間を2千円足らずで味わえる幸せに、心の中で手を合わせたよ。 おっと、これでは壮大な『ボヘミアン・ラプソディ』賛歌になってしまう。多少は批評家としての目線が必要だ、と思い起こしたら一つあった。「強いて言うなら、猫の出番がちょっと多い」と4回目を見終えた時、同行者に言っていた。そうなのだ。フレディは大の猫好きだったのである。このポイントから異例の大ヒットを分析してみたい。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox フレディの出身地は、イギリスの保護領だったタンザニアのザンジバル島。家の宗教はゾロアスター教(拝火教)である。祖先はイスラム教に追い出されてペルシャ、今のイラン辺りからザンジバルに渡った、と映画の中でフレディの父親がこぼしている。 ゾロアスター教は、イスラム教の勃興(ぼっこう)に押され東へ、そしてインドを経て中国へ、そこから日本にも渡ってきている。6世紀ごろの話とされる。火や太陽を崇拝する宗教は仏教の中に隠れて渡来したらしい。クイーンを盛り上げた日本ファン 諸説あるが、その際に猫も大陸から日本に渡ったとされる。仏教の経典をかじるネズミを追って船倉に紛れ込んだ、とかなんとか。とにかく、それまで日本に猫はいなかったようである。 ゾロアスター教の中で「猫は悪魔の使い」とされている。そのゾロアスター教をペルシャから追いやったイスラム教。イスラム教では反対に猫を敬愛しているという。 映画の中で、フレディと父親はソリが合わない。これは猫とゾロアスター教の関係と同じである。フレディは厳格な父親から逃げる、あるいは父親を越えようと音楽に没頭する。 むろん、それはフレディに音楽の才能があり、また人を魅了させる能力が高かったからに他ならない。猫のようにしなやかで悪戯(いたずら)な身のこなし、そして魅惑的な歌唱能力。当時、イギリス及び世界で流行っていたロックアーティストは、どちらかというと男らしく、時に獰猛(どうもう)なイヌ科が多かったのではないだろうか。 そこに、女性性をも振りまくエポックメイキングなロックボーカリストが登場したのである。周知の通り、彼らクイーンはイギリスのロックシーンに登場した際、強く否定された。 彼らを盛り上げたのは、日本のファンだと言われている。日本では「ネコ科ロックアーティスト」のフレディが、ハナからモテモテだったというわけだ。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox さて、日本で猫といえば招き猫である。招き猫には人を惹(ひ)きつける能力があるとされている。人が引き寄せられるから、商売繁盛に繋がるのである。 では、なぜ人は猫に惹かれるのか。それは虫に侵されているからである。そう、虫なのである。人も猫も虫に侵されているのである。 その名も「トキソプラズマ」。ごく小さな虫であり、原虫と呼ばれる類いのものだが、猫はトキソプラズマの宿主でもある。つまり、猫とトキソプラズマは共生関係にあり、言うなれば助け合っているのである。「猫の時代」の熱狂 トキソプラズマが体内にいるとき、そのヒトあるいは動物は猫を好きになる。例えば、トキソプラズマに侵されたネズミは猫を恐れなくなる。そして簡単に猫に捕食されてしまうのだそうだ。これは科学的に証明されている事実なのである。 フレディが生まれたザンジバルの街に行くと、とても猫が多いのだそうだ。調べると、現在のザンジバルでは住民の97%がイスラム教徒という。だからこそ、フレディ一家はロンドンに逃げ出していったのではないだろうか。 それはさておき、つまりフレディは子供のころにトキソプラズマと出会った確率が非常に高いのである。そして、猫を大好きになった、と。 また、トキソプラズマに侵された男性はリスクを恐れなくなり、反社会的にもなるとされる。女性の場合は社交的になり、「ふしだら」と揶揄されるほど豹変する人もいるらしい。 実は、そんなトキソプラズマに世界人口の3分の1が感染しているとされている。そして、ブラジルやフランスでは感染率がとても高いという。クイーンが南米で人気が高かったのは、それが原因だったかもしれない。 両性性を持ち合わせていたフレディは、リスクを恐れず反社会的であり、社交的でふしだらでもある。かように魅力的なネコ科のトキソなロックボーカリストに、われわれは心をわしづかみにされてしまった。つまり、われわれも「トキソな人々」と言えるだろう。 ちなみに2017年の調査結果によると、日本では猫の飼育数が犬の飼育数をとうとう上回った。実は、これは世界的な傾向であるらしく、世界各国で猫の飼育数が何十年にも渡って増え続けているという。要するに日本以外にも、トキソな人々は増殖しているということなのだ。ロック歌手のサンプラザ中野くん=2018年4月(宮川浩和撮影) 思えば、クイーンがデビューし活躍した1970年代はまだまだ「犬の時代」だったのだろう。それゆえ彼らもまた不当な評価に傷つけられていたのだろう。「猫の時代」「トキソな時代」を迎えつつある今、ようやくクイーン及びフレディ・マーキュリーは世界的に熱狂的に受け入れられ始めている。ザンジバルから「犬の国」ロンドンにやってきた「ネコ科のボーカリスト」フレディが、幕が開いたばかりの猫の時代を祝うべく、ファンファーレを今高らかに奏でている。それが『ボヘミアン・ラプソディ』なのである。 ということで、かなり斜めの方向から映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットを分析してみました。いかがだったでしょうか。  トキソな時代についに受け入れられた偉大なるネコ科ロックボーカリスト。それがフレディ・マーキュリーなのです。そう思って見ると彼のお得意の握り拳を高く掲げるポーズが招き猫のそれに見えてくる昨今です。ボヘミアンラプソディー、千客万来!※サンプラザ中野くんのオススメ  ボヘミアンラプソディーで泣いた貴方に観て欲しい音楽ドキュメンタリー映画2本『シュガーマン 奇跡に愛された男』『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』■ ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ■ ジブリの時代は終わった ! 「この世界の片隅に」ヒットが意味するもの■ 救いなきR18映画「無垢の祈り」に私の邪心が揺さぶられたワケ

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    映画『ボヘミアン・ラプソディ』日本以外で酷評の嵐だったワケ

    前田有一(映画批評家) クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が社会現象というべき大ヒットとなっている。 近年の映画興行では公開後2週間の動きで、ある程度見切られてしまうものだが、本作は公開から3カ月以上たっても勢いを維持している。こうした特徴は『君の名は。』『アナと雪の女王』といった過去のメガヒット作と同様で、本作もすでに興行収入は116億円を突破、18年の国内全公開作品中ナンバーワンとなった。 しかしこの映画、海外では批評家筋からの酷評が相次いでいることを知る人は、意外と少ないのではないか。 例えばクイーンの本国イギリスのガーディアン紙は、フレディを演じたラミ・マレックの演技こそ褒めているものの「よくできたカバーバンドを見ているようだ」と皮肉っている。また、アメリカのニューヨーク・タイムズも「YouTubeで本物の動画を見たほうがいいんじゃないか」と手厳しい。イギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズに至ってはもっと直接的に「驚くほど悪い伝記映画」とこき下ろす。 彼らが真っ先に触れているのは、主に二つの製作トラブルについてだ。一つ目は監督のブライアン・シンガーが、撮影の3分の2が終わったあたりでスタッフやキャストともめ、クビになったこと。二つ目は、当初予定されていた主演サシャ・バロン・コーエンが、クイーンの現メンバーでエグゼクティブ音楽プロデューサーでもあるブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと衝突し、方向性の違いから降板したこと。こうした出来事を批評家たちはネガティブに紹介している。 さらに同時期には、ブライアン・シンガー監督による17歳少年へのレイプ疑惑も報道された。わざわざLGBTを公言しているこの監督に、ゲイだったフレディの伝記を託したというのに、完成前にそんなスキャンダルが巻き起こるなどシャレではすまない。詳しい降板の経緯は明らかにされていないが、そんなこともあって監督側を擁護する人はほとんどいない。ゴールデン・グローブ賞で主演男優賞を受けたラミ・マレックさん(中央)と、「クイーン」のブライアン・メイさん(左)、ロジャー・テイラーさん=2019年1月6日、米ロサンゼルス郊外ビバリーヒルズ(ロイター=共同) 実はこうした製作トラブルのある映画については、作品の出来不出来にかかわらず玄人筋はあまり褒めたがらない。トラブルには表に出ない被害者がつきものであり、下手に映画を褒めると彼らの恨みを買いかねないからだ。生産者に嫌われると内輪の情報を得られなくなるライターや批評家たちは、立場上そうしたリスクを取りたがらない。 また、そうしたいわくつきの映画がコケたときに絶賛していたとなれば、読者からも鑑賞眼を疑われてしまう。だから業界人的には、公開前に『ボヘミアン・ラプソディ』を褒めるのは、極めてリスクだったわけだ。 だが、ふたを開けてみれば、大衆は本作を手放しで絶賛。全世界で大ヒットし、米アカデミー賞でも5部門にノミネートされた。こうなると、今さら後に引けない批評家たちによる未練がましい酷評の的外れぶりが、逆に気の毒にさえなってくる。日本で大ヒットの理由 ちなみに日本における人気ぶりは、世界的に見ても突出しており、現在アメリカに次ぐ第2位の興収を上げている。なぜ『ボヘミアン・ラプソディ』は、ここまで日本人に広く受け入れられたのだろうか。 その理由は、業界のしがらみなんぞに遠慮せず、いち早く本作を各メディアで絶賛して回った私のようなガチンコの映画批評家がいたからだ…と言いたいところだが、実際のところは、製作時のゴタゴタなど気にもせず純粋に映画の感動を口コミで広めた、心ある日本の観客たちの拡散パワーによるものだろう。 それでも、誰もがここまでのヒットを予測していない公開前の段階で「『カメラを止めるな!』に続く社会現象的大ヒットになる」「一度はIMAXスクリーンを明け渡すが、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』が失速するであろう冬休み明けには、再び独占上映されることになる」とまで正確に予測してメディア上で発言していたのは、日本広しといえど私1人だったわけで、この場を借りて日本における本作のメガヒットを改めて分析する資格くらいはあるだろう。 まず、純粋に作品の出来が良かったのはもちろんだが、それ以外の要素となると、木村拓哉主演『プライド』をはじめとするテレビドラマや、CMなどに絶えず楽曲が使われ続けたおかげで、リアルタイムのクイーンファンである中高年より若い世代にバンドの知名度が受け継がれていたことが大きい。 「Let It Go」をロング予告編で日本中に流しまくり、脳内でリフレインさせる宣伝戦略で成功した『アナ雪』が証明したように、「音楽映画は事前に劇中曲を可能な限り拡散しておく」のは、今や映画宣伝における鉄則。なにしろ音楽映画やミュージカル映画は、「初見の曲」ではなかなか盛り上がれない。 人々は「お気に入りの曲」を音響設備が整った劇場で、大勢の人々とともに「体験」したいものだ。そして、ひとたび心地よい鑑賞「体験」ができれば、彼らは一般劇場からIMAX、応援上映とリピートしてくれる。大事なのは、人々は「体験」には、何度でも追加料金を支払ってくれるということだ。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox 「体験」にこだわるこの流れこそが、通常レベルのヒットの壁を突き抜ける原動力となる。そして、主だった曲が既に日本人の脳内の「お気に入り」フォルダに入っているクイーンの場合は、労せずしてそのための最初のハードルを越えていた。 特に本作は、ヒット曲を多少聞いたことがある程度のライトなファンをこそ、メインターゲットとして作ってある。言い換えれば、浮動票を持つ観客にジャストフィットしたつくり。だから、コアなファン以上に彼らがリピーターになった日本市場における流れは、製作者にとってはまさにしてやったり、コンセプトの勝利といえるだろう。あの「違い」こそ魅力 ところが、実はこの点こそが、先述した英米の酷評記事がそろって批判するところでもある。いわく、脚本がウィキペディアをなぞっているように上っ面で、フレディたちの真実の姿に迫っていない。クイーンの音楽性の停滞やフレディの薬物、セックス、メンバーとの不仲などマイナス面を十分に描いていない、等々…。 要するに、史実・事実をいいとこどりしている、偽善的で、クイーンの本質を知りたい大人の鑑賞にたえない、というわけだ。 しかし、もともとそうした「大人の映画」とは逆の方針で作られたのだから当たり前の話で、批判は的外れと言わざるを得ない。 そもそもブライアンたちがサシャ・バロン・コーエンを降板させたのは、サシャが求めた「大人向けのクイーン映画」を作る気が、彼ら現メンバーになかったからなのだ。ブライアンたちが目指したのは、家族連れを含むごく普通の人たちに、フレディが残したものを伝えたい一心にあった。 そのために彼らは、薬物、セックス描写を極力削った。日本ではG指定で小学生でも見られるが、各国でも比較的低めのレーティングに抑えられているのはそのためだ。その上で、近年のホットワードであるLGBT問題について、最期の時まで自らの性をカミングアウトできなかったフレディに代わり大きな問題提起を行った。そんな作り手の意欲と勇気については、もっと褒めてもいいのではないだろうか。 確かに史実については、たくさんの脚色がなされている。例えば映画では、メアリーと別れた後、フレディが別の女優と付き合った件は省略されている。 また、ラストシークエンスとなるライブエイドは、フレディと仲たがいしていたメンバーの数年ぶりの集結のように描かれているが、実際は前年にアルバム「ザ・ワークス」を出しており、わずか8週間前までツアー公演もしていた。そもそもライブエイドが開催された85年には、まだフレディはエイズと診断されていなかったとされる。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox こうした点について、鬼の首を取ったように批判する人たちがいるが、個人的にはそんな意見に惑わされる必要はないと思う。映画は教科書でもなければ記録資料でもない。映画とは、何かを伝えるためにこしらえる、作り手の魂がこもった芸術作品だ。『ボヘミアン・ラプソディ』も、苦しみの中で生きたフレディ・マーキュリーという人物が遺(のこ)した美しいものを、彼を愛する人々が協力して持ち寄り、再結晶させたものだ。 そんな思いが込められたライブエイドのシーンは、実際の記録映像とはあえて違う角度とカメラワークで撮影されている。映画を見た後、実際のライブエイドの中継映像と見比べてみてほしい。それも再現性の高さなどではなく、あえて「違い」にこそ注目してみるといい。 するとどうだろう、映画版では、観客の私たちではなくフレディから見たこの世界をこそ、誰もが感じられるように作ってあると分かるはずだ。だからラミ・マレック演じるフレディ・マーキュリーが「We are the champions of the world.」と歌い上げたとき、私たちはその「世界」の真の意味に近づける。作り物であるはずの映画が、史実を超える瞬間。これこそ映画を見る醍醐味(だいごみ)だ。■「もう一度見ようとは思わない面白い高級映画」スターウォーズ第7作■ジブリの時代は終わった ! 「この世界の片隅に」ヒットが意味するもの■「時代は変わる」ボブ・ディランの受賞は文学と音楽融合の象徴である

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    「少女漫画的なフレディ現象」SNSで爆発したクイーン映画の大衆性

    杉原志啓(音楽評論家、学習院女子大講師) 英ロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』がタイヘンなヒットとか。なにしろ、昨年公開された邦画洋画の全フィルムで100億円超の興行収入を記録したのはこれだけというのだから、スゴイというよりビックリの人気ぶりだ。 むろん、フィルムばかりじゃない。先般、私は用あって銀座の「山野楽器」へ足を運んだが、CDやDVDコーナーはもとより、ギター売場でもクイーンソングの楽譜がズラリ並んでいるではないか。 また、こうした関連物品の便乗ビジネスは当然として、専門的な音楽誌も、一般向け写真週刊誌、NHKや民放の情報番組もこぞってクイーン関連の特集を組んでいる。 さらに、私がこうした現象についていかにもと思わされたのは、昨年末、かねて愛読している産経新聞の連載「モンテーニュとの対話 『随想録』を読みながら」で、同紙の桑原聡氏が、18歳の息子に誘われ、家族3人『ボヘミアン・ラプソディ』を観に映画館へ足を運んだと記し、この作品と映画のテーマソングの魅力を縷々(るる)綴っていたことだった。 つまり、かくのごとく『ボヘミアン・ラプソディ』は確かに今、一つの社会現象になっている。 ところで、ならばこれ「どういう次第で?」と言えば、まず、ファン周知の通り、そもそもクイーンは、かつて日本の夏の風物詩とまでいわれたベンチャーズのごとき、いわゆる「ビッグ・イン・ジャパン」(日本でしか売れていない洋楽の俗称)である。元来、わが国でとりわけ人気のグループだった来歴がある。 要するに、どこよりも日本の女性ファンがいち早く飛びついたとされる映画の主人公、フレディ・マーキュリーの少女マンガ的な倒錯したゲイ・キャラクターの魅力である。また、彼らの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」や「伝説のチャンピオン」がサッカーやベースボールの映像を通じて、いつの間にか多くの人の耳に浸透していたこともある。 しかも『ボヘミアン・ラプソディ』では、通常のフィルム上映に加え、手拍子や声援、ペンライトやコスプレOKという「胸アツ応援上映」なんて企画イベントも評判を呼んだとか。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox それに加え、巷間(こうかん)言われている通り、オフィシャルなウエブサイトが立ち上げられ、作品の内容をちょっとずつ小出しにした煽(あお)りの宣伝手法や、公開以前から各種会員制交流サイト(SNS)で予告動画が出回った。 このシェアがいもづる式に拡大し、連動してツイート数もどんどん増大していくなんて熱波もあっただろう。そういえば、ほんの数日前だが、新聞の文化欄に日本の映画界は「昨年興行歴代3位 SNS後押し」という見出しが躍っていた。クイーンは嵐と同じ? 要するに私のみるところ、ジャンルを問わずこの種の文化商品のメガヒットというのは、まずは普段関心のない層の人々の耳目を集めることが条件となる。『ボヘミアン・ラプソディ』のケースでいえば、ロック音楽にもクイーンにもさして情報や嗜好もない人たちに広く認知され、また大いにウケたということだ。 で、その根底に、SNSに象徴されるデジタル・インフラ=ネット社会の整備と普及・定着があるのも言うまでもない。 実際、今さらだが、スマホの普及と密着するこのインターネットの日常化は、音楽受容の(もというべきだろうが)スタイルにコペルニクス的転換をもたらしたといってもよい。 これは、たとえば今や世界中のほとんどすべての音楽を網羅した超巨大な、しかも無料のデータベースといえるユーチューブ一つを想起するだけで、だれしも一発了解だろう。そしてそんなデジタル機器やソフトの日常化によって、上記のような音楽情報をどこでもだれでも瞬時にして耳目にできるのである。 もっとも、こうしたいわば現代版口コミによる評判の拡散や拡大には、『ボヘミアン・ラプソディ』という映画作品自体やフレディ・マーキュリーなり、クイーンのコピー音楽の出来の良さが大前提となっている。 むろん私も、出来がよろしくないとも考えていない。ただ、私自身は、そもそもクイーンをビートルズやローリング・ストーンズのようなこれほどのメガヒットを当然とする正真正銘のS級アーティストと思ったことはただの一度もない。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の一場面=(C) 2018 Twentieth Century Fox また以前、このフィルム同様の手法で造られたドアーズのジム・モリソンやレイ・チャールズの伝記映画と同様、さして興味がない。なぜなら、精巧なデジタル処理でいかにもホンモノらしくできている作品よりも実物そのものの音楽に耳を傾けていたいというわけで。 にもかかわらず、今般のビックリな現象というわけで、私にはそこに今ひとつデジタル社会における大衆音楽文化の成熟という現状があると思われてならない。 というか、より正確には、今やロック音楽そのものがあらゆるレベルで特別な文化でもなんでもない。それこそアイドルグループの嵐同様、クイーンも老若男女を問わず今や日常的に消費されうるポピュラー・カルチャーの一つと化しているということだ。■ 「嵐は永遠に未完成」ゆえに完璧なアイドルになった■ 「時代は変わる」ボブ・ディランの受賞は文学と音楽融合の象徴である■ ディズニーに騙されるな!オバマの米国を暗示するズートピアの奥深さ

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    ロックはいかにして生まれ、「歴史」となったのか

    中村宏之(ジャーナリスト)「オトナの教養 週末の一冊」 本書を読んで、謎が解けた気がした。2012年のロンドン五輪の開会式の模様のことだ。ポール・マッカートニーが開会式のトリを務めるということで、テレビ中継をじっくりみていた。 式典では、英国の歴史の大きな部分を占めるのがロックであり、英国を象徴する文化として位置づけられていた。歴史を追って時代を彩ったグループや歌手が紹介される様子を見た時は、「これはイギリス文化として認定されたという意味なのか」という思いをとらわれたが、全世界が注目するイベントでまさにロックはイギリスの文化であると国をあげて宣言していたのだ。本書を読み進めるにつれて英国という国がロックに影響を与えてきた様子が非常によく理解できる。 誰が言っていたのか、あるいは書いていたのか全く忘れてしまったが、以前、遭遇した「青春期にどんな音楽を聞いて育ったかで、その人の人生は変わる」という言葉が忘れられない。個人的な体験で恐縮だが、少なくとも自分ではそうだった。 中学2年生の時、商社マンの息子で、英国から帰国したばかりの友人にビートルズを教えられ、ロックの世界を知った。こつこつお金をためて最初に買ったレコードは『アビーロード』だった。ビートルズの曲は全部聞き、イギリスと英語にあこがれて過ごした。ローリング・ストーンズなど英国のロックバンドの曲も一緒に聞いた。 その後、新聞社のロンドン特派員になり、在任中にポール・マッカートニーとミック・ジャガーにインタビューする機会に恵まれた。そして、全くの偶然なのだが、ロンドンで住んだ家はアビーロードスタジオのすぐ近くだった。ツアーで公演するポール・マッカートニー=2017年(AP=共同) もし友人にビートルズを教えてもらわなかったらそもそもロックや英語、イギリスには興味を持っていなかっただろうし、おそらく二人にインタビューをすることもなかったと思う。 中高生の時、当時人気のあった「ベストヒットUSA」という番組をよくみていたが、イギリスのロックバンドの曲を聴いていると、自分の中では、アメリカでヒットしている曲はなにかしっくりこないという感じはあった。イギリスでないとロックではないみたいなことを無意識のうちに感じていたのかもしれないと、本書を読んでみて思う。暇をもてあました若者たち 本書ではロックの歴史をこう位置づける。 〈(アメリカで)ロックン・ロールが生まれ、それが流行音楽として廃れ、しかしながらイギリスに引き継がれ、やがてアメリカに逆輸入されるかたちでロックへと移りゆく〉。 その様々な局面を彩る登場人物が出てくる。エルビス・プレスリーであり、ビートルズであり、ローリング・ストーンズであり、ジミ・ヘンドリクスであり、ボブ・ディランである。そうした存在感のあるスターを随所に、丁寧に取り上げることで、全体像を描き出している。 筆者はロックファンの一人ではあるが、マニア的に細かくロックスターの状況を知っているわけでない。むしろ知らないことの方が多い。本書を読んで初めて教えられたことも非常に多かった。読む人を納得させ、ロックの世界にいざなう著者の鋭い筆致と巧みな構成にぐいぐい引き込まれた。 印象的だったのは、イギリスにロックが生まれた社会的、時代的背景で重要なのが著者のいう「そこに暇をもてあました無数の若者がいた」という事実である。『ロックの歴史』(中山康樹、講談社) 1916年から続き、青春期を迎えたイギリスの若者の2年間を「拘束」していたイギリスの徴兵制が1960年に廃止された。「失われた2年間」のはずだった時間が一転しておまけの人生」となり、自由な時間を得た若者が直面したのは、空爆の爆発音からエレキギターの激しいビートへと変わったという指摘である。 ビートルズやストーンズなどのブリティッシュ・ロックのバンドが1960年代に大量に生まれた背景に、こうした徴兵制の廃止があったことは恥ずかしながら全く知らなかった。社会の変化が若者に影響を与え、若者が生み出す音楽が社会を変えてゆく。 筆者は1967年生まれだが、著者の鋭い分析で繰り出す分析を頭にいれながら、この時代のうねりのような動きを想像すると、当時のロックが与えた社会への影響力は今とは比較にならないほど大きかったのだろうと想像する。過去と現在を行き来 1967年のビートルズのアルバム『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』以前に、1965年に発売された『ラバーソウル』が早くも投げかけていた音楽的な意義。1964年のビートルズのアメリカ上陸で一気に「覚醒」したアメリカ。その後ジミ・ヘンドリクスの登場で、今度は逆襲へと転じたアメリカ。ボブ・ディランの不気味な存在感。音楽的に分離された状況にあったイギリスとアメリカが一体化し、国境のない統合の時代を迎える。 そうした代の流れを追う中で、多くの人の記憶に残っているミュージシャンやイベント、社会の流れを英米双方の視点から同時代的に整理し、各章でスピード感をもって詳述してゆく。まさに起伏の激しいロックミュージックを聞いているような感じがする。 驚くのは、登場するミュージシャンの多くがいまも現役であることだ。もちろん早世した天才スターも多いが、1960年代から生き続ける多くのミュージシャンが近年日本を訪れて元気な姿を見せてくれているのは感動すら覚える。 終章で筆者はロックは果たして歴史になったのかどうか総括を試みる。厳然たる時間の流れはありながら、過去と現在を行き来する側面をもつことをボブ・ディランの歩みをひきながら考察する。 〈ロックと称される世界の時間軸では60年代はまだ終わっていない〉 〈ロックの国では、どうやら人間は年をとらないようになっているのかもしれない〉、 著者はこうした表現でしめくくる。音楽の専門家でない筆者が見解を述べるのはおこがまししいと思いつつ、著者の思いには大いに共感できる。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) 7年前、ミック・ジャガーにインタビューした時、「80歳になってもサティスファクションを歌っていますか?」と聞いてみた。ミックは「それはわからないなあ」と笑いつつ、「歌うことは好きだからやめるつもりはない、いつやめるかなんて決めていない」と答えてくれた。 その時「ロックに終わりはないんだよ」とミックに言われた気がしたが、本書を読んで何か共鳴するものを感じた。自分が30年以上ロックに向き合い、様々な曲を聴きながら考えてきたことは間違っていなかったのかもしれないと、本書から力をもらった気がした。

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    クイーンの登場で「ロック少女」という概念が日本に誕生

     伝説的ロックバンド・クイーンのボーカリストであるフレディ・マーキュリーの生き様を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒット中だ。観客動員数180万人を記録(12月10日現在)。2016年公開の『シン・ゴジラ』に匹敵する驚異的な数字を叩き出している。「クイーン」が、メインボーカルのフレディとギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラー、そしてベーシストのジョン・ディーコンによって結成されたのは、1971年のこと。 それまでにない独創性に富んだクイーンの出現は、衝撃的であり画期的なものだった。しかし、当初は英国でそうした音楽性に賛否両論が渦巻いたため、アルバムはそれほど売れず、初めから大成功したといえるわけではなかった。クイーンを何度も取材してきた音楽評論家の東郷かおる子さんが語る。 「デビュー当初、薄化粧とフリルの衣装のせいで、すでにデヴィッド・ボウイらが確立していた“グラムロックの残りかす”というような言われ方をされました。つまり、時代遅れの感があったのです」 むしろ、このバンドの優れた点を当初から評価していたのは、日本のファンだった。2005年4月、クイーン初来日から30年を記念して新宿コマ劇場に設置された故フレディ・マーキュリーの記念像 「インターネットがない時代ですから、日本には英国での評価や情報が入ってきませんでした。そして日本で音楽専門誌にクイーンのグラビアが掲載されたところ、今までの筋骨隆々な男たちがシャウトするハードロックとはまるで違って映ったのです」(東郷さん) 一方の映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんはこんな指摘をする。 「日本でクイーン人気に火がついたきっかけの1つは、少女漫画誌に彼らをモデルとしたキャラクターが出てくるようになったからなんです。それによって少女漫画ファンの文化圏と、洋楽ファンの距離が近くなり、女性人気がさらに高まったのです。 その頃は男性ロックファンにとっては、あまりにも女性ファンが多いので、近寄りがたい雰囲気さえありました(笑い)」初の武道館公演で失神者続出 クイーン人気の決定打となったのは、シングル『ボヘミアン・ラプソディ』の空前のヒットだ。1975年11月に発売された4枚目のアルバム『オペラ座の夜』からシングルカットされたこの曲は、全英1位、全米4位となり、クイーンの世界的な地位を不動のものとした。映画でも、この曲が創作されるエピソードが丁寧に描かれている。 初来日は1975年。東郷さんが述懐する。 「羽田空港には2000人近い女性ファンがプラカードを持って押し寄せ、メンバーはあまりに女性ファンが多いことに“違う惑星に降り立ったのかと思った”と、戸惑いを感じたという有名な逸話が残っています。 武道館公演では失神者が続出したほど。そんなロックバンドはそれまでありませんでした。当時、『ロック少年』という言葉はありましたが、クイーンの登場によって、『ロック少女』という概念が日本に誕生したほどです」 その後、『伝説のチャンピオン』『バイシクル・レース』などのヒット曲を立て続けに発表し、1970年代を駆け抜けたクイーン。 1980年代に入ってからは、個々の活動をスタートさせるなど、新たな音楽的アプローチをするようになった。 「映画では、フレディのソロ活動にほかのメンバーが反対したように描かれていますが、事実は違います。メンバーは誰もソロ活動に反対していませんでした」(宇野さん)関連記事■ 映画『ボヘミアン・ラプソディ』 女性客が多い理由を分析■ フレディ・マーキュリー 新宿二丁目5回通うもカラオケ拒否■ F・マーキュリーがけん玉に興じるロック黄金期の貴重写真■ ケント氏「韓国には嘘が恥ずかしいという概念がないのか」■ 教育先進国デンマークはなぜ「教える」という概念を捨てた?

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    映画『ボヘミアン・ラプソディ』 女性客が多い理由を分析

     世代を超えて異例のヒットを記録している映画がある。11月9日に公開された『ボヘミアン・ラプソディ』だ。 世界的なロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45才の若さで旅立ったフレディ・マーキュリーの壮絶な生き様を描いたこの映画は、観客動員数180万人を記録(12月10日現在)。2016年公開の『シン・ゴジラ』に匹敵する驚異的な数字を叩き出している。 時は1970年代初頭。フレディはバンドを結成し、一気にスターダムへと階段を駆け上る。生涯の女友達となったメアリー・オースティンとの交際や別離、同性愛者として生きていこうとする姿などは息をのむ。1985年に「アフリカ難民救済」のため英米から世界約150か国に衛星中継された、20世紀最大のチャリティーコンサート「ライヴ・エイド」のシーンは特に印象的だ。 周りの人と一緒に歌ったり拍手したりしながら見る「応援上映」は、現在100館以上も実施。時折、すすり泣きや、周囲をはばからず号泣する声で盛り上がりを見せながら、ストーリーがクライマックスに向かうと、隣の人と手を取り合い大きな声で歌ったり、自然に手拍子が起きる。ラストは全員が立ち上がり、スタンディングオベーション。大歓声に包まれる──。 なぜこれほどまでに熱狂的な支持を得ているのか。映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんは、こう解説する。「最後の21分間の迫力あるライブシーンに向かってストーリー展開が盛り上がる秀逸な構成になっていて、当時のスタジアムにいるかのようなライブを体感できます。作品の仕上がりと観客の受け取り方が幸福な一致を見せ、非常に評価できる映画です」 目を腫らしながら映画館から出てきた女性は、こう話す。「通常の上映と応援上映で2回鑑賞しました。最も感動したのは、やはりいろいろな映像ライブが流れるところ。当時足を運んだ武道館ライブの熱狂がよみがえり、涙があふれ出て止まりませんでした。2度目は、目を閉じて、大音量での楽曲を堪能しました」(56才、保育士) 中には10回以上も見たというヘビーなリピーターも少なくない。かつてのファンもフレディの生前を知らない若い世代もストーリーの展開と音楽の両方の感動におぼれ、何度も映画館に足を運びたくなるのもこの映画の特徴といえる。2018年10月、映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開記念イベントに出席した元フィギュアスケート選手でタレントの村上佳菜子 また、女性の観客が多いのも特徴的だ。その理由を、映画の宣伝担当者はこう分析する。「クイーンは1975年に来日し第1次ブームが起きました。当時追っかけをしていた50~60代の女性たちに加え、木村拓哉さん(46才)主演のドラマ『プライド』(2004年、フジテレビ系)の主題歌『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』でクイーンを知ってファンになった女性たちが多く来場しているようです」 これがクイーンの第2次ブーム。『プライド』でクイーンの虜になり、映画を鑑賞した40代女性はこう言う。「映画を見て、クイーンやフレディ・マーキュリーについて初めて知ったことがたくさんあります」関連記事■ F・マーキュリーがけん玉に興じるロック黄金期の貴重写真■ フレディ・マーキュリー 新宿二丁目5回通うもカラオケ拒否■ X JAPAN新曲にToshl不在“方向性の違い”以上に深刻な問題■ 映画『ボヘミアン・ラプソディ』はクイーンの最新作なのか?■ この秋トレンドのフォークロアやボヘミアン 大人世代はNG

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    小西寛子告発手記「私が見た声優業界の伏魔殿、全部書きます」

    ウッドから音楽シーンへと波及し、様々な方面から「#MeToo」を付した告発がなされているが、これらは芸能界のハラスメントに限られたものではなく、あらゆる人間関係において生じる「不利益な取り扱いをなくそう」「不公正な取引をやめて、健全な社会を作ろう」という趣旨で広まった運動であると理解している。※写真はイメージです(GettyImages) むろん、告発する際には、人権侵害の恐れがあり、それこそ細心の配慮が必要だが、長きに渡る悪しき慣習を正し、社会を変えていこうする#MeTooの波を止めて欲しくない。「いつ、どこでこんな体験をした」だけでもいい、それをみんなで共有することで「あなたにとっての魔王」、つまり伏魔殿を吹っ飛ばすことだってできるかもしれない。 さて、次に世に放たれる大魔王は誰か。■元おじゃる丸声優、小西寛子手記「私を降板させたNHKに告ぐ!」■埼玉新聞に突撃取材「韓国との交流事業中止はネトウヨのせい?」■モデル西山茉希「13年間の奴隷契約」に通じるヤクザな慣習

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    嵐「活動休止」どうなるジャニーズ

    。アイドルが年を重ねても人気が続く風潮の中、確執が深刻化したり、自由を求めたりするのは無理もないが、芸能界に君臨するジャニーズはこの先どうなるのか。

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    SMAPと嵐を失っても「ジャニーズ帝国」が没落しないワケ

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント、作家) 2020年末で嵐が活動休止するという一報を聞き、驚きこそなかったが、強く感じたのはジャニーズにしてやられたという思いだ。 振り返ればここ数年、SMAPの解散、関ジャニ∞(エイト)の渋谷すばるやTOKIOの山口達也の脱退などが相次ぎ、ファンを悲しませる事態が続いている。それだけに、特にSMAPの二の舞を避けるべく、2年も前から活動休止を発表し、「円満ぶり」を演じて先手必勝を取り付けたからだ。 NGT48の暴行事件でも感じたが、ジャニーズはSMAP騒動ですら、事務所関係者が表に出ることはなかったように、嵐の活動休止に関しても最強の「危機管理能力」を見せつけたと言えるだろう。 「活動休止」で嵐のファンには活動再開の希望を十分に残しただけでなく、テレビやライブ、CMといったメディアに対する損害を最小限に抑えた。また、最も重要なのは、休止まで2年間という期間だ。この「2年」が意味するものは二つある。 一つは2020年の東京オリンピック・パラリンピックだ。これまでに何度も言及してきたが、ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏は自身の集大成として位置付けているのが東京五輪だからだ。ゆえに国民的アイドルである嵐の活動を2020年末まで担保したのだ。 五輪という大舞台でジャニーズによるエンターテインメントを世界中に知らしめ、そして後継指名した滝沢秀明(タッキー)に引き継ぐというシナリオを明確にしたと解釈すべきだろう。 もう一つは、『NHK紅白歌合戦』の司会だ。2010年から5年連続で嵐が司会を務め、16年は相葉雅紀、17年は二宮和也、18年は櫻井翔だった。残る松本潤が19年、そして最後の20年にリーダーの大野智で締めくくる構想は既定路線であり、裏側ではNHKとの「手打ち」も済ませているのだろう。ジャニーズにとっても、NHKにとってもやはり紅白は重要だからだ。 そして活動休止までの2年で1000億円は稼ぐと試算されている通り、これはジャニー氏も織り込み済みだ。SMAPの轍(てつ)を踏まず、きっちりと稼ぐ嵐に対し「YOUたちはもう自由にしていいよ」と最大の賛辞を贈ったと聞いている。2019年1月27日夜、グループ活動休止についての記者会見を終え、引き揚げる嵐の(左から)相葉雅紀、松本潤、大野智、櫻井翔、二宮和也 また、ファンもマスコミも、SMAP騒動を見て、嵐も例外ではないと感じていたはずだ。もちろん、メンバー同士の確執ではなく、年を重ねたアイドルグループの終焉は、海外の大物ロックバンドでもそうだが、メンバーの1人が将来を見据え、現状に甘んじることへの焦りを抑えきれなくなったときにやってくる。 嵐の活動休止はこうしたことを踏まえれば、ファンにはショッキングかもしれないが、遅かれ早かれ避けられないことだったと言えよう。大野の旺盛な「独立心」 そもそも、活動休止の核となっているリーダーの大野はジュニア時代から、いつ辞めてもおかしくない状況で、むしろ20年以上続いたことの方が驚きだ。大野はタレントとしての能力は高いが、あまり目立つタイプではない。それだけに、ジュニア時代に京都の劇場専属に「左遷」され、当時は大野が嵐のような国民的アイドルグループのリーダーになるとは想像もつかなかった。 そして大野は、一見大人しく目立たないキャラのようだが、本性は真逆だ。ジュニア時代には気に入らないことがあれば、他のジュニアたちを殴る蹴るといった暴行は日常的で、後輩たちから「一番怖い番長」として有名だった。現在だったら、問題になっていただろうが、それぐらいの気性を持っていたからこそ、嵐のリーダーとしてメンバーを引っ張ってくることができたのだろう。 それだけに、今回の活動休止も、たとえ他のメンバーが説得したとしても、止めることができるはずもなく、SMAP騒動などを目の当たりにしていたこともあったからだろうが、「自由」を求めた大野の方針に従ったのだろう。 もちろん、独立心があるのは大野だけではない。若いころから映画出演も多い二宮は俳優としての自信と実績を備えている。英語を習得する暇がなく、一度は立ち消えになったハリウッド進出も視野に入ってくる。活動休止になればスケジュールに余裕ができ、今さら感は強いが英語を習得して再チャレンジするはずだ。 そしてこれは全メンバーに言えることだが、封印してきた「結婚」も活動休止中に実現させることができる。もちろん、大野の意向に合わせた部分もあっただろうが、今回の決断はメンバーの総意だった可能性が高い。 では、嵐の活動休止は、今後のジャニーズにどんな影響を与えるだろうか。TOKIOやV6、関ジャニなどの古株グループは、同じ「円満解散」という経過をたどる可能性は十分ある。 一方で「ポスト嵐」は明確ではないが、おそらく「King&Prince」(愛称キンプリ)だろう。アイドル的な能力に加え、バラエティやドラマといったあらゆるジャンルで使えるだけに、若手グループでは断トツだからだ。 ジャニーズがSMAPに続き、嵐も活動休止になることについて楽観視している背景には、キンプリのような次世代を担えるグループが育ってきていることが大きい。今回の嵐の活動休止はジャニーズの「世代交代」を印象付ける舞台回しとしては申し分ない。 日本の社会構造でも同じだが、上を切らなければ下が詰まるのは当然だ。ジャニーズの財力を考えれば、古株グループを養うことぐらい全く問題ないが、先にも記したように、ジャニー氏の時代から、タッキー時代の到来を示す転換期ととらえていることもよく分かる。嵐のメンバー5人のイメージカラーを配した大野神社のだるま=2019年1月 また、SMAPなき今、ジャニーズの看板である嵐の活動休止でジャニーズ離れを憂う声も出ているが、問題はないと言っていいだろう。ジャニーズには「ファンの共有(シェア)」という伝統があるからだ。 いわゆるジャニーズファンはジャニーズ全体のファンでもあり、個々のグループを超えた支援体制ができ上がっている。これがジャニーズファン「1000万人」と言われるゆえんだ。たとえSMAPや嵐といった二大看板を失ったところで、「ジャニーズ帝国」の繁栄が今後も続いていくのは間違いない。■ 中居正広がジャニーズに残留しても「SMAP再結成」は有り得ない■ 養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■ メンバーの確執よりも重い!SMAPロスを招いた「談合」という歪み

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    嵐「2023年復活」ではじくジャニーズの皮算用

    を開き、質疑応答に対して丁寧に応じているから、本来であれば、彼らの回答が全てである。ただ、人気商売の芸能界では、真実が表に出にくいために「決断の裏に何があるか?」を探ることが重要になってくる。実際に取材を進めていくと三つのポイントが浮かび上がってきた。 一部ファンの間では、以前から噂されていた「二宮和也と伊藤綾子の結婚」や「櫻井翔の政界進出」、「メンバー間の不仲」「ジャニーズ事務所との軋轢(あつれき)」などが休止の動機として飛び交った。筆者も、ジャニーズ事務所の人間や関係の深いテレビマン、ベテラン記者らに「5人が言えなかった話は何かないのか」と聞き回った。 彼らの答えを総合すると、5人は2年近く前から時間をかけて話し合い、何とか話をまとめた「超円満解決」であったという。別に嵐や事務所に「忖度」したわけではないだろうが、「不仲」「結婚」といったキーワードは一切出てこなかった。 「リーダーが矢面に立って、リーダーが悪者になって見えているのであれば、それはわれわれの力不足だと思います」 それは、メンバー5人がそろった会見上で、あの「無責任」質問に対して二宮が答えたこの発言にも現れている。要するに、最年長38歳の大野智が「芸能活動を休止したい」と言い出したことに、他のメンバーが「大野のせいで嵐が活動休止になった」と思われてしまう可能性への懸念を共有していたことになる。これは会見前に関係者から聞いていた内容と一致する。2019年1月、嵐の記者会見を待つ報道陣=東京・赤坂のジャニーズ事務所(戸加里真司撮影) 「以前から大野クンは、ときどきアイドル活動を『辞めたい』と漏らすことがあった。デビュー直前にもそうだったし、5周年、10周年、15周年の前後もそういう話があった。恋愛ゴシップが出たときも『好きにできないならアイドルをやりたくない』と言い出した。それでも、周囲の説得に応じて思いとどまっていたので、17年6月に『事務所を辞める』と言い出したときも、いつもの『辞めたい病』かなと思った。本人は『自分のやりたいことを思う存分やりたい。3年ぐらいやれたらいいけど、そうもいかないから責任とって事務所も辞める』と今度こそ決意が固かった。そこでメンバーの中で出たのが『だったら3年間、グループを活動休止しよう。事務所も嵐も辞める必要なんてない』という逆提案だった。むしろ、大野クンは『そんな僕のワガママが許されるのか』と驚いたが、事務所とも話をして、2020年での休止を受け入れてもらった」言いにくい「ビジネス話」 この話の通り、大野は会見で「釣りをしていても明日仕事だとか意識している自分がいて、『3年ぐらい辞めたい』という都合のいい話はないと思っていたら、メンバーと事務所の方々に『お休みでもいいんじゃない』と言われ、『そういう形でもよろしいんですか?』と甘えた」と語っている。 会見では、大野だけでなく4人のメンバーも饒舌(じょうぜつ)だった。その言葉には、口裏合わせなど感じられず、だからこそ5人それぞれの微妙な温度差を感じさせる言葉が並んだ。もし、意図的に話を作ったり、すり合わせたのであれば、もっと手短に話すなど、ボロが出ないようにしたはずだ。 松本潤は「最初に話を聞いたとき、僕は驚きはしませんでした。(以前)グループを閉めることを実際考えたこともあった」と言った。読み解けば、過去に大野の言動による「解散危機」があったとも受け取れる。 一方で相葉雅紀は「まさか、現実で突きつけられたときは準備が入りました。どうにか嵐を続けていく方法はないのかと相談しました」と強い反発があったことを明かした。5人の中でも言葉を選んでいるように見えた櫻井翔は「数カ月間ずっと話し合いをした」と語り、解決には長い時間を要したことを示唆した。 そして、二宮は「僕は楽しく活動していたから」「できる方法はないのか」と、グループ継続に強い意欲を示していたことを伺わせつつ、「みんなで話し合っていく決め方」という点を繰り返し強調していた。 こうして振り返ると、彼らの発言はおおよそ真実に聞こえるし、前述の通り「超円満」の決断だったのではないだろうか。ただ、「大野クンを悪者にしたくない」という思いがあったから、彼が何度も辞めようとしていたことや、説得に時間を要したことなどをネガティブに受け取られないよう細心の注意を払っていたのだろう。 ただ、これほど丁寧に答えていた5人でも、ビジネス上の問題は言いにくかったに違いない。昨年12月23日の東京ドーム公演で、嵐が「2019年12月の東京公演まで全50公演、通算観客動員237万5000人の日本史上最大規模ツアー」を発表したのは、この活動休止があったからだと松本も認めていた。 仕事に困らない超多忙のアイドルが、これほどハードなツアーをわざわざ決めたことについて、表向きは約250万人と言われるファンに「最低、一人1回はライブを見てもらうため」だったという。しかし裏では、大野の休業を事務所に受け入れてもらうための「取引条件」だったと思われる。2015年6月、嵐のイベント前に東京ドームに集まるファン(蔵賢斗撮影) 5人が取引にするわけだから、ツアー実施で巨額のお金が動くことは想像に難くない。では、一体どれほど動くのだろうか。まず、ツアーチケットのファンクラブ会員価格は9千円であり、約237万人の動員数で計算すると約214億円となる。さらに嵐はグッズの物販収益が高いため、一人当たり1万円を消費すると考えれば、240億円ぐらい入る見込みになる。解散じゃなく「休止」のワケ これらの収益だけで、安室奈美恵のファイナルツアーを軽く超える約450億円規模に上る。櫻井が「無責任」質問に「およそ2年近く期間をかけて、感謝の思いを伝えていく期間を設定した」と答えたように、2年行えば900億円にもなる。 その間には、関連したCDやDVD発売もあるし、関係者によると170万人が登録しているファンクラブの年会費は4千円で、単純計算しても年間68億円の収益になる。 一方、コンサートの支出は主に舞台制作費や音響、照明、機材輸送、リハーサルを含めた人件費、会場費用、グッズ制作費などがあげられる。たとえ派手な大物ミュージシャン並みに億単位の経費を掛けたとしても、莫大(ばくだい)な収益が残る。総計1千億円以上とはじき出される経済効果の前には、天下のジャニーズ事務所でもおいそれと文句は言えないだろう。 少し下世話だが、こうした収益のメンバー5人の取り分は「おおよそ3割」とも言われており、低く見積もっても一人当たり数十億円になる。前出の関係者は「メンバーそれぞれソロ仕事も順調で、グループの冠番組は、後番組を残る4人のメンバーで分け合う形で続ければ、これも大きい。活動休止しても十分な収入が確保できる」と指摘する。 そして、こういうグループの活動休止では、事実上の「解散」ということが往々にしてある。4人組アイドルグループ、SPEEDはメンバーの相次ぐスキャンダルの影響もあって、どう見ても解散状態だが、所属事務所はあくまで「活動休止」状態にこだわっている。 ただ、嵐の場合は、会見で煙に巻くことはしなかった。むしろ、相葉が「リーダーが同じ方向に向いたときには(また嵐を)巻き起こすよね?」と振り、大野も「巻き起こしちゃいますか?」と笑顔で答えた。解散同然の休止なら、ファンにそのような期待感を残さないのではないか。2019年1月、「SHIBUYA TSUTAYA」に作られた嵐の特設コーナー その期待を裏付けるように、関係者から「休止から3年後に再結成する」という見立てがあることを聞いている。2024年のグループ25周年を迎える準備ができる頃合いに5人が再結集、休止前よりペースを落とした形でのリスタートにしたいようだ。いずれにせよ、これまた大きな収益が見込めるのも確かだ。 こうした見通しがキッチリついたからこそ、メンバーも事務所も周囲の人間も、もめない形で結論を出すことができたのだ。先輩のSMAPは空中分解したが、彼らはそうならなかった。 ファンがその結束力に魅力を感じているように、このような状況でもその期待を裏切らないようにしてみせた5人は、数あるアイドルグループの中でも「プロ中のプロ」と言える。記者がどんな質問を投げかけようが、そんなことで動じるようなグループではないのも、当然なのである。■ 「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」■ 「義理と人情」日本的価値観を体現したSMAP解散劇■ 元SMAP3人のホンネに国民的アイドルの真髄を見た

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    「5人で嵐」不動人気のカギは相葉雅紀だった

    関修(明治大法学部非常勤講師) 嵐の魅力。それは「個と集団の関係の絶秒なバランスと究極の普通さ」と定式化することができよう。 日本人は西洋的な個人主義より「和」を尊ぶ。例えば、サッカー日本代表のプレースタイルも、個人プレー重視より組織的なチームプレーがその持ち味と言えよう。集団を重んじるその風潮はうまく作用すれば、「3本の矢の教え」のごとく、極東の小国が世界の大国にまでなることを可能にした。しかし、マイナスに作用すれば、「出るくいは打たれる」、「烏合(うごう)の衆」といったように個の才能を埋没させてしまいかねない。まさにもろ刃の剣である。 嵐は5人のメンバーすべてが等しく存在感を発揮しながら、嵐という一つのグループにまとめ上げることで「国民的アイドル」と言える存在にまで成長した。それに先立つSMAPさえ、絶対的カリスマ「キムタク」こと木村拓哉と庶民の代表である中居正広との二極化と、その拮抗(きっこう)関係でバランスを取ることで、絶大な人気を勝ち得たと言える。 それに対し嵐は、ファンの言を借りれば、5人が皆仲の良い、その「ワチャワチャ」感がたまらないという。グループが得てして、絶対的人気を誇る主要なメンバーとそれを引き立てるその他大勢のメンバーから成り立つ場合が多い(ジャニーズで言えば、山Pこと山下智久とその仲間たちというメンバー構成だった初期のNEWSや亀梨(和也)・赤西(仁)の絶対的ツートップに従ったデビュー時のKAT-TUNなど)のに対し、嵐はまさしく稀有(けう)な存在といえよう。 もちろん、嵐とて最初から絶大な人気を勝ち得ていたわけではない。それどころか、2006年、後輩のKAT-TUNがメジャーデビューした際、CDの売り上げなどその人気は嵐を大きく上回るものとなった。そう、1999年デビューから7年がたとうとするのにその認知度は決して高くなかったのである。その理由は何か。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) それは5人のメンバーの認知度にばらつきがあったからだ。今思えば、信じられないことだろうが、大野智と相葉雅紀の存在をファン以外の日本人一般がどれほど知っていたかは実に怪しいものがあった。 いかにメンバー同士が皆、分け隔てなく仲良しであったとしても、メンバー全員が平等に認知されていない以上、ドラマ『花より男子』の道明寺司を演じたのが松本潤で、彼が所属しているグループが嵐といい主題歌を歌っている、で終わってしまう。一般市民が嵐というグループが何人編成でどのようなメンバーがいるのかまで知ろうとすることはない。相葉のためのPV ここから導き出せる教訓は、地味なメンバーの魅力が一般に認知されてこそ、そのグループの人気度は上がるということである。例えば、昨年、他のメンバーの不祥事もあり、NEWSはそのスポークスマン的役割がマッスーこと、増田貴久に回ってきたことでマッスー人気が急上昇したのは喜ばしいことだった。筆者は嵐では相葉、NEWSでは増田のファンである。彼らの魅力がわかってこそ、嵐、NEWSといったグループのトータルした魅力がより感得できようというものだ。   そんな嵐にとって、転機が訪れるのは2008年。大野がドラマ『魔王』で初主演を果たし、復讐(ふくしゅう)の鬼という二つの顔を持つ、得体の知れない主人公、成瀬領役を演じたのだ。その鬼気迫る演技で多くの人々を魅了し、大野の存在を知らしめることとなった(このドラマには敵役に生田斗真、さらに昨年大ブレークした田中圭も出演している)。 その主題歌が「truth」。この楽曲のPVこそ、5人が平等にその存在感を発揮する「嵐的」なものが確立されたことの証拠に他ならない。実はこの段階で相葉はいまだドラマの主役を演じていなかった(翌2009年、『マイガール』で連続ドラマ初主演)。しかし、PVを見たとき、筆者はこの作品が相葉のためのものかと思ったほどであった。 確かにドラマの主人公を演じる大野が曲の開始、5人のセンターを占め、ソロで歌い出す。しかし、その後、ダンスのポジションは目まぐるしくチェンジし、各メンバーが平等にセンターを占め、歌も同様に平等にソロが配分されている。そして、最後に再び大野がセンターで曲は終わる。 このスタイルはその後一貫して維持され、例えば、櫻井が主演した映画『ヤッターマン』の主題歌「Believe」であれば、櫻井がセンターで始まり、ポジションチェンジの後、再び櫻井がセンターで終わるのを確認することができよう。 しかし、「truth」では、各自微妙に異なる黒を基調とし、赤がアクセントに使われている衣装の中、いまだ主役を演じていない相葉だけが、赤いパンツで他のメンバーより目立っていた。「相葉ストール」といわれるロングストールをひらめかせ、長身の彼が踊る姿は思わず見とれること、間違いない。歌が大野中心であれば、ダンスはソロの部分など明らかに相葉が多く担当しており、相葉の存在感を上手に表現している。活動休止について会見する嵐の相葉雅紀さん=2019年1月27日夜、東京都港区(鴨川一也撮影) この作品は相葉のドラマ主演が近いものであることを予感させる、すなわち、グループとしての「嵐」が確固としたものとなったことの証しである。嵐の「後釜」は困難 こうして確立された「嵐的」なものは究極の「普通」、つまり「隣人性」と言えよう。雲の上の別世界の人間としての「スター」への憧れから、誰もが好感を持つ理想の「隣人」としての「アイドル」。 子供たちは一緒に学んでくれる理想の「お兄さん」として、「ワクワク学校(嵐が東京ドームおよび京セラドーム大阪を教室に見立てて授業を行うイベント)」に父母とともに出掛ける。お母さんは一緒に青春時代を駆け抜けたアイドルとして、いつまでも応援し、娘を連れてコンサートへ。さらに、嵐の冠番組『まごまご嵐』に象徴されるように、一人暮らしの老人はテレビの向こうのメンバーに孫を見い出し、「おはよう」と声をかける。 NHK紅白歌合戦の司会進行。日立、JAL、日産、キリンなど一流企業が「上質な市民生活(決してセレブではない)」を象徴する商品のCMに嵐を起用する。まさに、民主主義の主権在民、「市民」の理想型(M・ウェーバーのイデアル・テュプス)を体現したのが嵐だったと言えるのだ。 おそらく、今後嵐のような誰からも愛されるグループはそう簡単に登場することはないだろう。この後のジャニーズの動きとしては、まず嵐がフォローしていたファン層を、KAT-TUN、NEWS、Hey!Say!Jumpの三つのグループで、それぞれ分担する形で維持していく形になるだろう。 その間に、Sexy Zone、King&Princeがどれだけ嵐に近づけるかだろうが、現在は未知数としか言えない。タッキーこと滝沢秀明が引退し、プロデュース側に回ることになったので、その手腕が問われることになろう。他の事務所やジャンルも含め、男性アイドルは群雄割拠の時代に入るに違いない。ジャニーズ事務所の外には一報を聞いて駆けつけたファンの姿も=2019年1月、東京・赤坂(撮影・戸加里真司) アイドルである限り、それはF・ベーコンの言う先入的謬見(びゅうけん、偏見や誤りの意)たる「イドラ」、偶像でしかないのかもしれない。しかし、嵐に誰もが癒やされ、元気づけられたことは事実である。この思いを大切に、一人一人が「良質の市民」になるべく、彼らとともに日々懸命に生きることが今われわれに求められているのだと思う。■「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由

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    「嵐は永遠に未完成」ゆえに完璧なアイドルになった

    戸部田誠(ライター) 完璧な会見だった。1月27日に行われたアイドルグループ、嵐の活動休止会見である。 会見場に姿を見せた嵐の服装はスーツではなく、カジュアルなジャケット。どこまでも軽やかで、品がある嵐らしさを醸し出していた。5人はカメラ前に並ぶと口元を緩ませ笑顔を見せた。 「活動休止」の発表となると、ネガティブなものがつきまとう。けれど、この報告はそういった種類のものではないのだと、言葉を発する前から表現したのだ。 最初にリーダーである大野智が「2017年6月中旬ごろ、メンバー4人に集まってもらって自分の思いや気持ちを話させていただきました。自分の嵐としての活動をいったん終えたいと。自分の思いとしては、自由に生活をしてみたいとメンバー4人に伝えて、その後、何度も何度も話し合いを重ね、期限を設けて、2020年をもって、嵐を休止するという形になりました」と自らが言い出したことであることも包み隠さず、簡潔かつ具体的に説明。その後、記者の質問を受け付けるという形だった。 その受け答えも、全方位に配慮が行き届いている。気が利いている。 何度となく「何年くらい休むのか」「活動再開はいつ頃か」と未確定で答えようのない質問がされ、大野智が答えに窮していると、「決まってないでしょ? 決まってるなら教えて(笑)」と松本潤が助け舟を出しつつ、場を和ませる。 「ケンカや言い合いになったりということは」という、いかにもセンセーショナルな言葉を引き出そうという質問にも、二宮和也が「『ケンカしてた』って、書くんだからもう(笑)」と返すと、すかさず相葉雅紀が「ウソでもしておけばよかったなぁ」と笑いを取っていく。嵐活動停止について会見するメンバー(左から)相葉雅紀、松本潤、大野智、桜井翔(櫻井翔)、二宮和也 =2019年1月27日、東京・赤坂のジャニーズ事務所(撮影・戸加里真司) 一方で「無責任という指摘もあると思う」という相手には、毅然(きぜん)とした表情を見せつつ櫻井翔が丁寧な言葉で反論する。また、この質問者が批判にさらされていることに対しては、その後の1月28日の『news zero』で「あのご質問をいただいたおかげで、結果としてきちんとわれわれの思いの丈が、温度を乗せて伝えることができた」と「温度を乗せた」という表現で感情が動いたことを認めつつ、フォローも忘れない。 また、こうした決断を下した際、誰かを悪者にしがちな風潮にくぎをさすように「僕らは一人がやりたくないと言うときは、その理由をみんなで徹底的に話し合い、共有して、決断するので、もしもリーダーが悪者になっているように見えているのであれば、それはわれわれの力不足だと思います」(二宮)とグループのスタンスを示しながら牽制(けんせい)した。 さらに、この活動休止が前向きな決断だと強調しつつも「あまり前を向きすぎずに、向き合っていきたい。前を向かれすぎるとツラいと思うのでファンの方の顔を見ながら、向き合いながら、やっぱり嵐っていいなと思っていただける2年にしたい」(二宮)と前向きになれないようなファンにも配慮した。活動休止で「完成」した 見事なチームワークと隙のない完璧な仕事だ。まさに、そこには嵐のこれまでの歩みが凝縮していた。 1999年に結成され華々しくデビューした嵐だが、ジャニーズファン以外の人たちから見ると決して派手な存在ではなかっただろう。 もちろんそれぞれにキャラに華はあるが、それまでのジャニーズグループのような突出した個性のようなものは感じられなかった。どちらかと言えば、みんなが優等生的。 歪(いびつ)さがいい意味での魅力になっていた先輩グループとは違い、5人集まるときれいな丸になるようなイメージがあった。 2005年、松本潤がドラマ『花より男子』に出演し、ジャニーズアイドルの枠を超えブレーク。それをきっかけに加速度的に国民的アイドルグループになっていってもその印象は変わらなかった。 彼らはもちろんビジネスパートナーではあるが、いつまでも仲が良さげで「幼なじみ感」が薄れることがなかった。 言ってみれば彼らは多くの日本人にとっての「理想の友人関係」像なのだ。 だから「5-1=0」と考え、大野1人が脱退し、嵐を続けるという選択肢を選ばなかったのは当然の帰結だった。 「大野の思いを他の4人が受け入れたということではなく、メンバーの1人である大野の思いを、5人全員で何とか一つの着地点にたどり着くことができたというのが正確なニュアンスかなと思っています」と『news zero』で櫻井が語っているように、ただ誰か1人の言う通りにするのではなく、全員が納得するところに着地させる。しかも、それはメンバーだけではなく、事務所やファンをも納得させるものでなければならない。その狭い場所を見事に探り当てたのだ。 そもそも日本における「アイドル」というのは、未完成・未熟なものを指し、それを愛(め)でる文化から発展してきたものだ。アイドルグループ「嵐」の活動休止発表を受け、「聖地」と呼ばれている滋賀・大野神社を多くのファンが訪問=2019年1月29日(共同) そう考えると、いまや成熟した大人のアイドルグループとなって完成されていた嵐は、日本のアイドル観からは大きく逸脱している。 だが、「嵐の復活はありますか?」と問われ、『news zero』で櫻井が「ありますよ」と即答した瞬間、嵐は「終わらない」という永遠性を手に入れた。つまり、「未完成」のものとなった。だとするなら、嵐は完璧な「アイドル」になったのだ。 史上まれに見る、いや前代未聞のポジティブな活動休止会見は、いつか必ず活動が再開するという希望に満ちたものだった。5人の強い絆ゆえのいったん休止。それは「理想の友人関係」の彼らが日本社会に示した新しい選択肢だ。■「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由

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    嵐、活動休止までの大忙し 各業界事情通の見立て

    。写真集の企画は、ラストイヤーの活動に密着した撮影や、デビュー場所のハワイでの撮影が期待されます」(芸能関係者) 「告白本」の構想もある。 「5人がそれぞれ、胸の内をじっくり述べる書籍の計画があります。活動休止を決めた心境や、デビューからこれまでの歩みについてメンバーそれぞれが振り返り、テレビやラジオでは伝えきれない思いを活字として残す内容になりそうです」(出版関係者) 芸術家肌の大野は、アート方面にも進出しそうだ。 「これまで日本だけでなく中国でも個展を開いている大野くんだけに、活動休止後は芸術活動に本格的に取り組むはずです。ただしその前にファンのため、“卒業記念作品”として新作品を制作して、お披露目するかもしれません」(前出・芸能関係者) 活動休止の発表で嵐の商品価値がさらに跳ね上がったのが、広告業界だ。 「義理堅い嵐はお世話になった企業との関係を重視し、新規契約を結ばないそう。契約済みの企業は、昔のCMをつなぎ合わせて“今までありがとう”というコンセプトのCMを作る可能性があります」(前出・広告代理店関係者)※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) さまざまな企画があがるなか、嵐はできるだけその声に応えようとしているという。 「2年間の猶予を作ったのは、ファンに最高の恩返しをしたいから。どんなに忙しくても限界ギリギリ、完全燃焼するまで彼らは活動する意向です」(スポーツ紙記者) 「チーム嵐」は一丸となって、思い出を作っていく。関連記事■ どうなる嵐のコンサート ハワイ公演、新国立、映画化の話も■ 二宮和也&伊藤綾子 車中の初ツーショット写真を公開■ テレビ界が「嵐シフト」 各局の思惑と熾烈な争奪戦■ 嵐、活動休止のキーマンは二宮「辞める覚悟ある」の直談判■ 二宮和也、木村拓哉宅で活動休止や結婚問題を相談したか

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    二宮和也、木村拓哉宅で活動休止や結婚問題を相談したか

    ンは報じた。 木村と二宮は同年夏公開の映画『検察側の罪人』で共演以来、良好な関係で知られる。しかし、芸能界でも随一の「出不精」で、「芸能人同士でつるまない」といわれる二宮が、先輩の自宅をプライベートで訪ねる姿に違和感を覚えた人は多かった。「実は事務所関係者も『女性セブン』の記事で二宮さんの木村家への訪問を初めて知ったそうです。その日は自宅に工藤静香さん(48才)もいたと聞いています。今となって考えれば、嵐の活動休止や結婚問題を木村さんに相談していたんでしょう」(テレビ局関係者)※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 木村は元SMAPのメンバーの中で唯一の妻帯者だ。ドラマ『ビューティフルライフ』(TBS系)に主演していた2000年、人気絶頂期の27才で2才年上の工藤と結婚し、2人の子供を持って以降も“キムタク”を貫いてきた。「二宮さんも木村さんの話を聞いて覚悟を決めたいという思いがあったと思います」(前出・テレビ局関係者) 現在の木村の姿に将来の自分を重ね合わせたのかもしれない。関連記事■ 嵐、活動休止のキーマンは二宮「辞める覚悟ある」の直談判■ 櫻井翔の思い「誰かが孤立するような終わり方はしたくない」■ 木村拓哉と二宮和也、タブー破りの自宅会談で何を話したのか■ 二宮和也&伊藤綾子 車中の初ツーショット写真を公開■ 木村拓哉長女と次女Koki、ハワイ旅行での「美人姉妹」写真

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    「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本を代表するアイドルグループ、嵐が2020年末での活動休止を電撃的に報告した。1月27日午後5時、ジャニーズ事務所の公式サイトで発表された彼らの決断は、ニュース速報となって世界を駆け巡った。 その日の夜に、大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤のメンバー5人そろっての記者会見が行われた。ただ、テレビの生中継もなく、インターネットでの動画配信なども厳しく制限されていて、彼らの所属しているジャニーズ事務所らしい「統制」ぶりではあった。それでも、世界中の嵐のファンには、彼らがなぜ活動休止を決断したのか、その理由が丁寧な言葉とともに伝わったに違いない。 2年近くも休止まで活動期間があるため、本稿で嵐の総括をするのは適当ではないように思う。おそらくこの2年間でも、嵐は日本のアイドル史に残る偉業をさらに作り続けることは間違いないからだ。 そこで、嵐のアイドルとしての特徴を改めて振り返ってみたい。筆者は2014年から15年にかけて、嵐の活動を経済学的な観点から解説したことがある。 以下ではそのときの分析を基に、嵐の活動を経済学的視点から次の4点に絞って解説する。「嵐の経済効果の推計」「嵐ファンの『みせびらかしの消費』」「嵐ファンの『年輪モデル』仮説」、そして最も重要な「嵐の成功を支える三つの『三位一体』」である。 最初の「経済効果」だが、1年間で彼ら5人はどのくらい稼ぎ出しているのだろうか。まず挙げられるのが、ライブ収益やグッズ販売、嵐ファンクラブの会費収入、CDやDVDなどの売り上げ、そしてCMやテレビなどメディアでの収益である。 いわゆる経済効果を考えるときは、単に売り上げだけでなく、どのくらい経費がかかったかを計算する必要がある。売り上げから費用を引いた「粗利」をもって経済効果とするのが正しい。2019年1月27日夜、グループ活動休止について記者会見する「嵐」の(左から)相葉雅紀、松本潤、大野智、櫻井翔、二宮和也 ただし、費用面のデータがないので、あくまで売り上げの推計でしかないことをお断りしておく。さらに嵐の運営本体の売り上げがもたらす経済的波及効果、例えば、嵐が出演したCMがどのくらい商品の売り上げに貢献したか、といった金額も対象外とさせていただいた。 それではライブ収益から見てみよう。音楽CDの売り上げが低下するという世界的な潮流において、ライブを中心にした収益モデルが音楽系のアーティストたちの基本になっている。当然、嵐もライブ活動に力を入れている。日本のオンリー1アイドル 2013年の日本国内でライブを行った音楽系アーティストの観客動員数ランキングで、嵐は約78万人で第4位だった(日本経済新聞社調べ)。その後も観客動員数は順調に増加し、音楽ライブ情報サービス「LiveFans」の独自集計によれば、2018年には国内3位の約89万人を動員したという。 嵐のチケットの平均価格は9000円(一般)で、ファンクラブ会員の値段は一般よりも低い8500円である。ここでは、会員価格を動員数に掛けると、ライブの売り上げは約76億円になる。 他のアイドルも同様だが、嵐はグッズ販売にも力を入れている。ライブ会場では、メダルブローチや嵐メンバーの写真、会場限定販売のパンフレット、うちわに色つき電球を仕込んだ「ファンライト」、Tシャツ、ポーチ、オリジナルUSBメモリなど、筆者が2014年に調べた段階でも多様だった。 最近でもその開発の動きはとどまることを知らない。特に昨年後半から行われているデビュー20周年記念ツアー「5×20」では、会場限定チャームが人気を呼んでいた。個人的には「ARASHIかるた」に興味をそそられる。 当然、多くのファンたちはその場でしか手に入らないグッズに殺到する。売り場の混み具合によって、開演時間まで左右される場合もあるほどだ。一般に業界の経験則では、ライブのチケット代金の7割程度をグッズ購入にあてるという。この経験則を適用すると、先の76億円の7割にあたる53億円がグッズ収入として推計できる。 そして何といっても、嵐のビジネスモデルの中核となるのが、ジャニーズの系列企業が運営するファンクラブの存在だ。現時点での入会金1000円、年会費4000円を元に、会費関連収入を推計しよう。 ファンクラブに入会すると、「プラチナチケット」と化している嵐のライブチケットを優先的に購入することができる。ただし、会員番号が現在で180万台であるため、会員であっても入手は難しい。だが、一般販売はさらに入手が絶望的に困難なので、嵐のコアなファン層はほとんどファンクラブに入っているものと推定される。 もちろん、180万人の会員全てが現存せず、「幽霊会員」も混じっていると考えられるので、少なく見積もってライブに来た延べ人数の90万人ほどが年会費を支払っているとしよう。これだけでも36億円の収入になる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 世界的にCDの売り上げが低下していると先述したが、嵐の場合はその例外になっている。また、日本の他のアイドルと比べても、ユニークな立ち位置を確立している。 今のアイドル界でビジネスモデルの典型であるAKB48と比較してみよう。AKB48は、CDにさまざまなイベントの参加券や彼女たちの人気度を計る「総選挙」の投票券を付けている。簡単に言えば、熱心なファンには同じCDを複数枚購入するインセンティブが存在するわけだ。AKB48だけでなく、今のアイドルは同じメーン曲のCDを3~5パターン作成することが多い。人気支える「年輪モデル」 ところが、嵐の場合は、シングルでもアルバムでも通常盤と初回限定盤の2種類しかリリースしない。中には何枚も購入するファンもいるかもしれないが、AKB48のように、同じものを複数枚買わせる仕組みはないのである。 それにもかかわらず、売り上げはシングルでもアルバムでも60~70万枚台で、安定的に推移している。嵐のツアーを記録したDVDの売り上げも国内最高水準で、2017年の音楽ソフトの総売り上げは約109億円であった(オリコン調べ)。 ここまでの収益をざっと計算すると274億円になる。同様の推計をした2014年は260億円で、売り上げが拡大しているが、これが全貌ではない。嵐を利用したCM・広告料収入、書籍や雑誌収入、テレビなどメディアへの出演料などが残されているからだ。これらを全部含めると300億円をはるかに上回ることが予想される。重要なのは、この収益水準が、嵐がデビューしてから20年、成長することはあっても衰えないことに特徴がある。いったいその理由はなんだろうか。 嵐の魅力の一つに、彼らのライブの構成力がある。ムービングステージやトロッコ、リフトなどを先駆的に実験し、それは他のアーティストやアイドルたちにも影響を与えたほどだ。 彼らのライブを目の当たりにしたファンが、会員制交流サイト(SNS)でその魅力を拡散し、それを見た他の人たちが生で嵐のライブを見たいと思う。これを「みせびらかしの消費」といい、次は自分も見たいという誘惑を生み出す効果がある。それでも、ライブ構成力は、嵐の多彩な魅力の一部でしかない。 さらに発展する嵐の人気を支えるのが、ファンクラブを核にした「年輪モデル」だ。年輪モデルというのは、若いうちに嵐のファンになった人たちが、年を経てもほとんど抜け落ちることなくファンで居続ける。さらに、より若い層もファンとして取り込んでいき、あたかも木の年輪が形成されるように、時とともに巨大化していくモデルのことを指し、日本ではアニメやマンガ市場でも見受けられる。 このモデルを可能にしている要素の一つが「卒業のないアイドル」というものだ。本来、アイドルは男女問わず、若いときが人気のピークであり、20代前半を過ぎれば大概はアイドルとして終わる、というのが、1970年代から90年代ごろまでのイメージだった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ところが、ジャニーズ事務所の男性アイドルの多くは、中年になっても「アイドル」として活躍を続けた。メンバーの平均年齢が30代後半の嵐には、「先行モデル」として同じ事務所にSMAPやTOKIO、V6などがいた。つまり、年齢を重ねてもアイドルでいられるノウハウを、所属事務所が経験知として蓄積しているということが分かる。 だが、SMAPの「一時期の休止」(個人的に「解散」とは書きたくないのでメディアの通例に反してこう表現する)により、ジャニーズ事務所の運営に対して、厳しい批判が起きた。だが、今回の嵐の活動休止は、SMAPの一件とは無縁である。嵐の真の「強み」 筆者は休止に関して、メンバーの発言をそのまま真に受けることにしたい。それが彼らへのリスペクトともなるからだ。ただし、それとは別に、ジャニーズ事務所の運営に経済学的な意味で限界が来ていることを指摘しておきたい。 嵐の経済システムは、構造的にはジャニーズ事務所を中心にしたいくつのも分業化した関連企業によって支えられている。評論家の速水健朗氏は「ジャニーズのディズニー化」と形容したが、確かにジャニーズ系のアイドルの肖像権や原盤権の管理は徹底している。 事実、つい最近までネット上で嵐のメンバーの写真を見ることは極めて難しかった。今はかなり緩和されてきてはいるが、それでもK-POP勢に比べれば、管理はいまだに厳格すぎるといえる。 また、このような厳格な管理も同グループの多岐に分かれた企業群によって担われている。音楽著作権やファンクラブ運営、CM・広告制作、グッズ販売、コンサート主催、アイドルグループごとのコンテンツ管理などが挙げられる。 嵐の強みは、この嵐という「商品」を独占的に販売できるジャニーズの、企業集団としての力に大きく依存していたわけである。その力が、上記のように売り上げ拡大の基礎となるものだ。 このジャニーズ事務所の「独占力」が、業界やメディアに対して圧倒的な影響力を持つと同時に、批判の対象ともなってきた。肖像権などで緩い著作権を背景にしたK-POP勢が、BTS(防弾少年団)の国際的な展開につなげたこととは対照的に、ジャニーズ事務所のやり方はいかにも旧世代の遺物のようだ。だが、この事務所の時代からの「遅れ」をものともしない強みが、嵐にはある。2018年11月、公演する韓国の男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」のメンバーら=韓国・仁川(聯合=共同) その強みを一言でまとめるならば「三つの『三位一体』」だろう。国民的なアイドルとしての嵐には、次の三つの「三位一体」が備わっている。「テレビ×広告代理店×所属事務所=パブリシティーの『三位一体』」、「歌+ダンス×演技×バラエティー適応能力=コンテンツの『三位一体』」、そして「ライブ×テレビ×CD+DVD=媒体の『三位一体』」である。 この三つの三位一体を、メンバーが意識的にうまくコーディネートしているのが、嵐の強みである。つまり、アイドルではなく、彼ら自身が創造的な「総合監督」的な地位を獲得していることが、成功の大きなカギとなっているのである。 この強みを裏付けるように、今回の決断に至る過程においても、彼ら自身が長期間徹底的に話し合い、その後に事務所との交渉に移行したという。ファンや国民の声援を背景に、「作られるアイドル」ではなく「自らの人生を作るアイドル」、それこそが嵐の経済モデルである。■ 「義理と人情」日本的価値観を体現したSMAP解散劇■ 元SMAP3人のホンネに国民的アイドルの真髄を見た■ 韓国アイドル「BTS」が映すヘル朝鮮の現実

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    NGT事件、アイドルは守れない?

    NGT48の山口真帆がファンの男2人から暴行を受けた事件が炎上した。きっかけは彼女の告発だったが、運営会社のその後の対応も後手に回り、お堅いNHKまでが全国放送で中継するほど騒ぎが拡大した。人気絶頂アイドルを巻き込んだこの事件、何が問題だったのか。(写真はSHOWROOMより)

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    「劇場支配人は神様?」NGT事件で見えたアイドルビジネスの本音

    が、その商品を傷つけられたにもかかわらず、メディアも抱き込んで事件解明より事態収束を急いだのである。芸能界を長く取材している人間からすれば、表にできない裏事情があるからだと察しがつく。2019年1月、新潟市中央区の商業施設「ラブラ2」に入るNGT48劇場(太田泰撮影) その事情が山口の命よりも大事なのだから、運営側にとっては金儲けの邪魔になるような話であったことは容易に想像つく。運営会社のAKSは「メンバーの中に違法な行為をした者はいない」と強調したが、違法性がなくとも事件の引き金になった可能性が疑われている中での弁明は、いかにも何かを隠したいと勘繰らざるを得ない。 そんな運営側による不可解な対応を見て、私は別の女性アイドルグループのあるメンバーの愚痴を思い出した。約3年前、共通の知人を介して食事したとき、彼女は「仲間の嫌がらせがエスカレートしている」とこぼした。「愛情」と「ビジネス」の矛盾 手口も顔見知りの熱心なファンを使ったもので、ウソの熱愛話や喫煙をでっち上げられ、事実として「拡散」されたという。だが、その類いのもめ事に運営側が興味を示さなかったため、「アイドルは長くやれない」と涙し、しばらくして彼女は引退してしまった。 確かに、彼女がアイドルを続けるには、メンタルが弱かったことは否めない。「ルックスは可憐でも中身はまるで男」というような女性が多い世界である。ただ、運営側がアイドルの商品価値を落とす話にまで無関心だったのは、そうした話が表に出ることが、運営側にとっては「百害あって一利なし」だったからだろう。 そんな道理がまかり通るのは、若い女性タレントを見下してモノ扱いするような向きもあったのかもしれない。「キャバクラ商法」「風俗まがい」などと揶揄(やゆ)されるAKBのビジネスモデルは、海外メディアから「女性の性的搾取」と指摘されたこともある。 ある日、支配人ら運営側のお偉いさんがテレビ局の収録現場にやってきて、未成年を含む若い女性たちが整列して「先生、おはようございます」と一斉に頭を下げる場面に出くわしたことがある。そんな彼女らに愛想一つ振り向かず、肩で風切って闊歩する様は、私には幼稚な「ガキ大将」に見えた。いい大人が、世間知らずの若い女性たちに神様扱いされ、ボス面しているのは正直滑稽だ。 当のアイドルたちも自らの成功のために、会場に充満する汗臭さを我慢しながら大行列の握手会をさばくように、本音と建前を使い分けして生きるしかない。みんながスターを夢見る競争社会では足の引っ張り合いなど日常茶飯事であり、管理が行き届かなければ、トラブルが起きないわけがない。だが、金儲けに群がる者たちにとっては大金が稼げればそれでいい。だからこそ、ビジネス全体の価値を大きく毀損する事態以外には興味を持たないのである。 そんな世界の中では、一部の売れっ子を除けば、一人ひとりの女性を守る姿勢は希薄になりやすいのではないだろうか。事実、一人いなくなっても「代わりはいくらでもいる」と言わんばかりに、メンバーの卒業と加入が繰り返されていく。 ただ、アイドルに没頭するファンたちにとって「代わり」などいない。自分がアイドルの魅力の虜になっていたとしても、運営のビジネスモデルに気づかないほどバカではない。自分たちが注ぐ「愛情」が運営側の金儲けになっていることも分かっており、それを踏まえた上で声援をしきりに送り続けているのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) だから、アイドルの運営者に対して、ファンは潜在的な拒絶反応を示している。芸能界を大きく揺るがした、あのSMAP解散騒動では、ジャニーズ事務所がファンだけではなく、世間からも叩かれた。しかも、「無風」に見えた嵐や関ジャニ∞のファンまでも、事務所の対応を批判した。そんな「愛情」と「ビジネス」の矛盾から来るファンのストレスが、アイドルに危機が訪れたときに、大きなパワーとなって運営側に跳ね返るのである。 今回の事件は多くの謎を残しており、そう簡単には風化されないし、運営に対する非難も止むことはないだろう。アイドル活動という「ファンタジー」の舞台裏を運営者がさらけ出してしまったことは、プロとして大きな失態以外の何物でもない。 この事件でアイドルへの応援熱が冷めることに危機感を覚え、金儲けに躍起な人々は必死に取り繕おうとするだろう。だが、そんな姿勢もまた、人々に見透かされていくだけではないだろうか。■ AKB旋風で新しいアイドルが生まれ、テレビの凋落が鮮明になった■ 「お笑い」武器の“吉本ブランド” NMB48はアイドルの進化形か■ 「アイドルがニュースを伝える」日本の特殊事情はこうして始まった

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    NGT48山口真帆さんへの対応はここがマズかった

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) アイドルグループ、NGT48メンバーの山口真帆さんに対する暴行事件が話題になっています。当然、山口さんはとても怖い思いをされたわけですが、問題はこれだけではありません。山口さんを守るはずの運営側が、彼女をさらに傷つけるような対応を重ねたため、大きな批判を集めているからです。 報道を見る限り、山口さんは大切にしてきたはずのグループの仲間も、運営側にも疑念を深めているのではないでしょうか。こうなると、山口さんが二重、三重の精神的な被害を受けているのではないかと心配になってしまいます。謎と闇の深い今回の事件自体についても追及する必要がありますが、ここでは、事件後に運営側が取った行動の何が問題だったか、心理学の視点から考えてみましょう。 まず、事件の経緯を振り返りながら、運営側の対応への疑問を整理しましょう。事件が明らかになったのは、山口さん自身による動画配信サービスでの告発でした。 事件からちょうど1カ月後に行われた配信で、山口さんは「何事もなかったかのように片付けられる」「モバメ(モバイルメール:メンバーからファンにメール配信されるサービス)も止められて送れない」と発言したそうです。彼女が告発しなかったら、この件は闇に葬られていた可能性もあったのかもしれません。既にこの時点で、運営側が被害者である山口さんを守る姿勢に疑いが見えてきます。 また、山口さんのツイッターではメンバーが事件に加担していたことも示唆されていました。運営側にはメンバーの行動を管理・監督する責任があります。 メンバーが関与していた疑いが少しでもあるのであれば、まずは運営側が責任を持って情報を統括しなければなりません。そして、メンバーが関与を疑われる事態になったことそのものを反省し、山口さんのケアを含めてマスコミにも適切な対応を取るべきでした。 しかし、結局告発に至ったように被害者である山口さんとの信頼関係も十分に築くことができなかったようです。反省の態度も示されていないように映るわけで、既に責任追及は避けられない事態に陥っていたといえるでしょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) この「告発」の反響は大きく、日本では全国ニュースでも報じられました。また、米国や英国、フランスなど海外のメディアも「日本のポップスター」の事件として注目し、世界中が真相を求める状況が作られつつありました。事件はファンの間だけでなく、一般の人たちにも話題になり、臆測が臆測を呼ぶようにもなりました。 その中で、山口さんが公演中に突然の謝罪を行いました。それも、他のメンバーも運営側もいないステージにただ一人で立ちながら、何の真相への言及もないままに、「世間を騒がせた」と頭を下げたのです。本当に「何事もなかった」? まるで、何者かが「軽率なアイドルが勝手に騒いだだけ」という筋書きで事態を収束させたいように見えてしまいます。被害者が一方的に傷つけられる展開に、国内外で批判と疑問の声が後を絶たない状況になりました。この謝罪で運営側が幕引きを図ったのであれば、逆効果でした。 山口さんが謝罪した公演終了後に、ようやく運営側からのコメントが発表されます。そのメッセージでは、メンバーが関わっていたことを認めつつも、違法行為がなかったことを強調し、防犯ベルを持たせるという再発防止策も併せて発表されました。 しかし、今回の事件は防犯ベルで防げるものではなく、運営側が責任ある態度を示さなければ、再発防止につながらないことは誰の目にも明らかです。暴行事件に関与したメンバーには違法行為はなかったものの、事件を誘発する行為があったことは疑いないからです。 当たり前の話ですが、違法でなければ何をやっても良いわけではありません。本来であれば、メンバーへの厳しい指導や教育的処分など、管理監督者としての責任ある対応が必要です。しかし、コメントや発表タイミングからはそのような態度が見えず、運営側の「危機管理」意識の低さに、さらに批判のボルテージが上がってしまいました。幕引きを狙ったとしたら、またもや逆効果に終わっています。 ここまでの展開を見る限り、「何事もなかったように収めたい」という運営側の意図が見えてきます。もしかしたら、本当に「何事もなかった」と思っていたのかもしれません。 このことは、山口さんの告発の中でわかるように、彼女自身も実感し、危惧していました。仮に、山口さんの危惧が本当であったとしたら、運営側は、危機管理のための防災心理学で言われる「恒常性錯覚」という心理に陥っていたといえるでしょう。2019年1月、取材に応じるAKSの松村匠・運営責任者(左)とNGT48劇場の早川麻依子新支配人 恒常性錯覚とは、危険な状況に陥っているにもかかわらず、自分の日常(恒常)が失われる事態になることを否認して、何事もなかったかのように振る舞おうとする心理です。私たちの日常は、私たちが日々の努力を重ねて全力で築き上げたもので、とても大切なものです。 それが失われることを考えると、心の痛みに襲われます。私たちは心の痛みを無意識に避ける心の仕組みを持っているので、かえって危険を拡大してしまう心理に陥るのです。 山口さんが巻き込まれた事件は、運営側にとっては想定の範囲外だったことでしょう。したがって、考えられないような出来事に映ったと察することができます。その意味では、運営側も大変気の毒であり、恒常性錯覚に陥るのもやむを得ない面もあります。実際、恒常性錯覚の影響で、台風や地震といった自然災害でも、被害が拡大しやすいといわれています。運営はどのように対応すべきか しかし、組織の管理・監督責任者は組織を守るのが仕事です。絶対に恒常性錯覚に陥ってはいけない立場にあるのです。 ただ、時に責任者としての自覚が足りず、恒常性錯覚に陥ってしまうこともあります。責任者(支配人)は交代しましたが、他のグループ運営から異動した新支配人も、突然のことで当事者意識がまだ希薄なのかもしれません。対応を見ていると、前支配人だけでなく、全ての運営側の人間が恒常性錯覚に陥っているかのようです。 このことは、全国の管理・監督者にとっても、このたびの展開がいい教訓になるといえるでしょう。「人は本能的に苦痛を避けてしまうものなので、恒常性錯覚が起こり得る」という認識の下で、日々の業務と向き合う必要があります。 それでは「危機管理」という意味で、運営側はどのように対応すべきだったのでしょうか。まずは、山口さんを会員制交流サイト(SNS)などで告発する事態に追い込まないことが重要でした。確かに、刑事事件にはなりにくい事件でしたので、被害者が運営側の恒常性錯覚に「協力」する形で沈黙していれば「何事もなかった」とできる可能性はありました。 しかし、これは考えてはいけないことです。被害者の人権を無視する行為で、さらに傷つけてしまうだけです。被害者は既に日常を壊されてしまっているのです。被害者が日常を取り戻せるように、一丸となって事に対応する態度こそ必要でした。 次に真相を把握して、加害者や関与したメンバー、そしてマスコミにどのように対応すべきか、山口さんと話し合うべきでした。ここで運営側の恒常性錯覚に協力するように強いる態度があってはいけません。あくまでも被害者の感情を最優先していれば、今回の事態は起こらなかったでしょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 運営側にはぜひとも世間が納得する対応をお願いしたいところですが、もう一つお願いしたいことがあります。 この件における被害者は、山口さんだけでなく、ある意味では私たち日本人の全てだといえるかもしれません。暴行事件の被害者である山口さんが謝罪し、加害者である男性たちは「山口さんと話したいだけだった」という供述で釈放されました。あまりにも公平さを欠く顛末(てんまつ)であり、残念極まりないものでした。 そのため、海外からも日本の女性の人権意識を疑う声が寄せられています。運営側は、NGTをはじめAKB48グループの今後の活躍を通して、メンバーを大切に扱う姿勢を国内外に強く示して、この件で傷ついた日本人の名誉を取り戻してほしいと思います。■ 剛力彩芽はきっとZOZO前澤友作氏を踏み台にする■ キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側■ やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質

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    「やくざ的手法」悪質ファンとアイドルの正しい距離感

    についてなど、さまざまな憶測が飛び交っています。その真偽については定かではありませんが、弁護士として芸能界の問題に数多く携わってきた経験から、やくざ的な手法を取る悪質なアイドルファンの実態と運営側が取り組むべき本質的な問題点について指摘したいと思います。 ファンの中には「自分だけは特別な存在でいたい」という感情を強く持つファンもいます。この感情を実現する一歩目が、複数回握手会に行き、好きなメンバーに名前を覚えてもらうことです。この行動は「認知」と呼ばれたりします。 そして、握手会などでアイドルに接触する回数をさらに重ね、中には自分だけが知っている情報というのを引き出そうとするファンもいます。ここまではファンの行動として許される範囲内でしょう。 しかし、さらにアイドルに近づきたいと思うあまり、コンサート会場で出待ちしたり、自宅までついていったりするケースもあります。私が過去相談を受けたケースでは、プレゼントの中に衛星利用測位システム(GPS)が入っていたケースもありました。さらにゴミ袋をあさったりと完全にストーカーの域に入ってきます。 ただ、アイドルにとって最も厄介なのは、個人のストーカー的ファンというよりグループで行動している「輩(やから)」のようなファンです。彼らは、あの手この手でアイドル側の情報を入手しようとします。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) 特に彼らは、まだあまり人気ではないメンバーをターゲットにします。最初はファンとして頻繁に握手会に参加し、イベントでも熱のこもった応援をし、人気投票の際にはCDをたくさん買うことで手に入れた投票権を全力投入します。人気が出ることはもちろんアイドルの方もうれしいわけで、そのファンを次第に特別扱いするとともに、「そのファンに離れられたくない」と考えるようになります。 そして例えば、帰宅時に出待ちをされていた際、アイドル側の内心はどうであれ、このようなファンを邪険にはできないわけです。そして次第に、プレゼントをもらう、連絡先を交換する、2人だけで会う、交際する、といった具合にどんどん関係を深めていくケースもあります。他にもツイッターのアカウントを握手会で伝え、ダイレクトメッセージ(DM)でやりとりをするというのも典型的なパターンです。「逃げられない」決定打 アイドルだから恋愛禁止というわけではありませんが、現状、運営側のほとんどは異性交際をよしとしていませんから、アイドルの方としては運営に言えない秘密をファンに握られることになります。 そして、アイドルが引退に追い込まれる典型的なケースが、交際相手に2ショット写真を撮られるというケースです。交際がうまくいっている間は、恋人同士の思い出として幸せなワンショットです。 しかし、別れる別れないのトラブルになったり、ファンから「他のメンバーを紹介してくれ」ということになると、アイドルとしてもう断れない状況になります。断ったら「写真をネットに流出させるぞ」「週刊誌に売るぞ」「運営にチクるぞ」となるわけです。 アイドルの方としても「恋愛禁止という内部ルールに反してしまった」「運営や他のメンバーにばれたらどうしよう」「ネットに流出したらどうしよう」「週刊誌に売られたらどうしよう」ということで頭がいっぱいになります。 こうなるとアイドル本人だけではもうどうすることもできません。このようなことを計画的に繰り返しているファンに対して、経験の少ない10代のアイドルが自分一人では到底太刀打ちできないのです。 さて、このようにメンバーに危険が及んだ際、運営側が防犯を強化する。もちろんこれも重要です。しかし運営側はもっと本質的な問題に目を向けるべきです。 同じグループ内のメンバー同士で人気を競わせることが、ファンにとって魅力になっているアイドルグループも実際少なくありません。ファンとしても自分の「推しメン(推しているメンバー)」がグループ内で人気になっていく姿を見ることが楽しい、という人も一定数いるでしょう。新潟市を拠点とするアイドルグループ、NGT48=2017年4月、新潟県(小山理絵撮影) しかし運営側が、人気メンバーと不人気メンバーを露骨に、差別的に扱っていたとすれば、人気のないメンバーが傷つくだけでなく、運営側の大人たちが人気メンバーを偏愛する雰囲気がメンバーにも伝わります。これはメンバー自身の「人気が全てでしょ」「人気になればそれでいいんでしょ」という考え方を助長することになります。そうしていくうちに、アイドルにとって「敵は身内」という状況が出来上がっていくのです。運営「本質的な課題」 グループにはセンターとして輝くメンバーもいれば、リーダーとしてまとめる立場のメンバーもいます。そして人気や肩書がなかったとしても、メンバーを裏で支えたりケアしたりする、グループにとってとても重要なメンバーもいるわけです。そういったさまざまなメンバーが一つになって感動を与えるのがアイドルグループです。 「メンバー同士、切磋琢磨(せっさたくま)しながらも協力して、良いパフォーマンスをしていこう」というようなグループを目指して運営していくことが重要なのです。運営側の人気偏重主義は結果的に悲劇を招くことになりかねません。 ファンが推しメンを応援することはあっても、運営側が推しメンをひいきすることはあってはならないのです。そのメンバーを受け入れた以上、人気のないメンバーに対してケアする義務があります。今回の件で、運営がメンバーに対してどのようにコミュニケーションを取っていたかを省みることも重要でしょう。 実際、運営側としてもアイドルグループを運営していくことはかなり大変なことです。メンバーをやる気にさせ、時に競わせ、時に守りながら育てていく。その中でも売り上げを維持しスタッフやメンバーに給料を支払っていく。組織を維持するために、ルール違反をしたメンバーに対して「ルール違反をしたら即懲戒」という処分をすればいいということであれば簡単でしょう。しかしそれでは本質的な解決にはなりません。 メンバー同士をただ競わせるというスタイルではなく、「運営が人気のないメンバーも大切にする」ことがメンバー自身の自覚を強め、「このグループが好き」「ここに居場所がある」「自分がグループの一員として何ができるか考える」「他のメンバーに迷惑をかけたくないからルールは守ろう」ということにもつながりますし、「何かあったら親身に守ってくれる運営に相談しよう」となるのではないでしょうか。NGT48に関わる騒動について会見に応じる(左から)AKS取締役の松村匠氏、NGT48劇場支配人の早川麻依子氏、NGT48劇場副支配人の岡田剛氏=2019年1月、東京都千代田区(撮影・加藤圭祐) そして、このようにメンバーと運営との間で信頼関係が築けていれば、何かあったときに密にコミュニケーションを取り、運営もメンバーもみんなで協力して乗り越えていこうということになると思います。 どんなに警察が警備を強化しても、日本から犯罪はなくなりません。今回のような騒動を機に運営側が警備を強化することももちろん大切ですが、運営とメンバーとの信頼関係を築くことこそが向き合うべき本質的な課題ではないでしょうか。■ モデル西山茉希「13年間の奴隷契約」に通じるヤクザな慣習■ 「洗脳上等だよ」清水富美加と能年玲奈を救えなかった傲慢レプロの罪■ 元SMAPメンバーは「労働者」と言えるのか

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    ジャニーズとAKS「アイドルの危機管理」はこんなにも違う

    顔で答える。当たり前だが、仲が悪くなくても、好き嫌いはあり、それは表面上の返答でしかない。 そもそも芸能人は、友達が少ない印象が一般的であることと、特にグループになれば、むしろ仲が良い方が珍しい。それはグループのメンバー同士が必ずしも「友達」という関係性ではないからである。 それは一般企業でも同じだろう。自分の同僚、つまり「仕事仲間」が友達と言えないことと同じだ。僕がかつて所属していたジャニーズでも同様であり、メンバー同士が苦楽をともにしていたとはいえ、友達という意識はなかった。綺麗事で言えば「ライバル」だが、その本音は「蹴落としたい敵」である。 AKBをはじめ、多くのアイドルグループに言えることだが、出身地も年齢もバラバラで構成されているグループならなおさらだ。意識的に「仲良し」を集めたグループではないだけに、それは仕事仲間でしかない。古い友達同士で結成してメジャーを目指す「バンド」などとは全く異なった関係性がアイドルグループにはあるのだ。 もっとも、こういった「知らない者同士」の関係なのに、「仲良しグループ」という印象を全面的に出したいのが運営側だ。それが分かっているから、温度差はあるが、メンバー同士は仲が悪くても「演技」で親友を演じている。カメラが止まったり、ステージをいったん下りれば、目も合わさず、口もきかないなんてことはザラにある。 悪口や陰口もあれば、それをマネジャーや事務所に告げ口することだってある。衣装を切られたり、隠されたりなんて日常的だが、最も怖いのは今回のNGT騒動でも問題になった「プライベート情報」の流出である。ちょっと仲良くなった相手に、つい漏らした相談事が「彼氏の事」であれば、そんな情報はすぐに世間を駆け巡る。 そもそも芸能界だけでなく、企業内の不祥事も、その出所は「内部の人間」だったというケースが圧倒的に多い。ゆえにアイドルの場合も、まずファンがどよめく「噂」のレベルから始まり、それがエスカレートして週刊誌などにスクープとして掲載される流出写真なども、出所は身近な人物が「犯人」だったケースが多い。ただ、いずれにせよ当人の脇の甘さが根本の原因なのだが。NGT48の山口真帆=2017年3月(古厩正樹撮影) さて、被害を受けたアイドルが悩ましいのは、ネタを流した「犯人」を知っていながら、それを公にしにくいことだ。分かっていても確たる証拠がなく、その上相手を責めれば事が大きくなるだけに勇気もない。一歩間違えれば、アイドルとして自滅を招くリスクは大きい。要するに、アイドルの世界にいる者は「友達を作ってはダメ」なのである。 今も僕のところに人間関係について相談にくる若手もいるが、芸能界で生きていく覚悟を決めた人へのアドバイスは「芸能人たるもの誰も信じるな」である。もちろんメンバーだけではない。地元の友達や親兄弟、親族であっても「危険人物」になり得る。むしろ加害者が家族のケースが最も恐ろしい。実際、歌手の倉木麻衣の暴露本は、そのネタ元が実の父親だった。「最強」なのはジャニーズ ここで重要なのは、住所などがバレていることが問題ではなく、その情報を使って何をするのか、何をされるかということだ。先にも記したが、アイドルグループのメンバー同士は「蹴落としたい敵同士」である。 敵であるメンバーを陥れることなど実に簡単だ。ジャニーズで言えば、社長のジャニー喜多川氏に「あいつ、彼女いるよ」とか、「ファンと遊んでいる」といった幼稚な告げ口も効果はある。もちろんマスコミがリークできるほどのスキャンダルなら確実だし、おまけにカネにもなるだけに、秘密を売り込む仲間も少なくない。 要するに、自宅や帰宅時間をバラされて暴行事件に発展したNGT48の山口のケースは、場合によっては危険だが、この程度で終わってよかったと言えるトラブルでしかない。本来は日常茶飯事なのに、かわいらしい女性アイドルが裏側で「蹴落とし合い」をしていたドロドロ感を垣間見た世間が興味を持ったに過ぎないのである。 一方、NGTの運営会社「AKS」の対応はあまりにひどかった。スキャンダラスな事も含めてタレント個々にある諸問題を管理するのは非常に大変かつ困難であることは理解できる。とはいえ、AKSぐらいの芸能事務所であれば、そんなことは承知の上だったはずである。  それだけに、今回の不手際の背景に「驕(おご)り」があったことは間違いない。当初はたかがアイドル同士の確執だと高をくくったのだろう。本来、タレントが自らの意志と都合によって「事件」を明らかにして訴えるケースは稀(まれ)であり、俳優の船越英一郎と泥沼の離婚劇を繰り広げた女優、松居一代以来のスキャンダルと言える。 事件としては些細だったが、NGTの山口の場合は民事的なトラブルではなく、警察当局の捜査も及んでいたにもかかわらず、AKSが軽視していたことは間違いない。運営会社として最も重要な「芸能人としての教育」が行き届いていなかっただけでなく、事務所やスタッフ、マネジャーらとの信頼関係が構築できていなかったことは容易に想像つく。 当事者の山口としては、悔しさや悲しさを押し殺すことができないほど追い詰められていたのだろう。それを「山口は精神的にオカシイ」と軽くあしらった運営側の軽率な判断が火に油を注ぐ結果になったのである。 関与したメンバーや犯行に及んだファンの男2人の素性も、すべて分かっているはずだが、NGT48劇場の支配人を更迭したり、第三者委員会を設置したりする杓子定規(しゃくしじょうぎ)な対応を見れば、他にも重大な不手際を隠したいがための、打算的な対応だったとしか思えない。この件について総合プロデューサーの秋元康氏が叱責したそうだが、それは当然だろう。 一連の事件を表に出さず内々で収めたかったAKSの本音が見え見えだ。そもそも、所属アイドルの不祥事を内々で収めることができるのは、僕が知る限りジャニーズ事務所だけである。昨年、ジャニーズアイドルの不祥事が相次いだが、会見に事務所の人間が出てきたことは一度もない。この事実一つを取っても、ジャニーズの対応にはただただ「感服」させられるばかりだ。東京都港区のジャニーズ事務所 会員制交流サイト(SNS)が発達した今、所属アイドルの勝手な発信が繰り返されれば、NGT騒動と同じような「事件」が今後も相次ぐだろう。僕の古巣だけに繰り返し言及して恐縮だが、こうした時代に合わせたアイドルの統制まで行き届いたジャニーズは、やはり最強組織であり、AKSをはじめとする他の芸能事務所などは所属タレントの「危機管理」としてぜひ見習うべきだろう。■ローラの「奴隷契約」を公取委のメスは是正できるか■山口達也を結果的に追い詰めたジャニーズ「損失回避」の心理■夫婦って何? 松居一代と船越英一郎の「泥沼離婚」が問うもの

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    NGT暴行事件 アイドルグループの闇「真面目タイプ」が孤立

    者向けの部屋が大半をしめる。エントランスはオートロックとセキュリティーはしっかりしているが、都内の“芸能人マンション”のように管理人が24時間常駐しているわけではない。新潟の中においても、いたって“普通”の住居だ。 このマンションが「アイドル暴行事件」の舞台となったことは周辺の住民で知る人は、ほとんどいなかった──。《先月、公演が終わり帰宅時に男2人に襲われました。暴行罪で逮捕されましたがもう釈放されてしまいました》 1月9日、自身の公式ツイッターでこう訴えた(現在は削除)のは、AKB48の姉妹グループで、新潟県を拠点に活動するNGT48の山口真帆(23才)。 昨年12月8日午後9時頃、冒頭のマンションに帰宅した山口は、男性ファン2人から顔を押されるなどの暴行を受けた。2人は駆け付けた警察官に逮捕されたが、驚かされたのは山口のこんな告白だった。《あるメンバーに公演の帰宅時間を教えられ、あるメンバーに家、部屋を教えられ、またあるメンバーは私の家に行けと犯人をそそのかしていました》(現在は削除) グループのメンバーが暴行の手引きをしたとの前代未聞の告発に世は騒然とした。 10日にNGT48のデビュー3周年公演に出演した山口が「お騒がせして申し訳ありません」と謝罪すると、「被害者に謝らせるのか」との異論が噴出。AKB48グループのリーダー的存在である指原莉乃(26才)が「運営側のすべての対応がひどかった」と13日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で発言するなど、騒動は拡大する一方だ。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) あの晩、何が起こったのか。真相を知るNGT48関係者が重い口を開いた。「逮捕されたのは無職男性A(25才)と大学生B(25才)。2人は有名なファングループに所属しており、メンバーとも仲がよかった。彼らは“太オタ”(グループに多額をつぎ込むオタク)として知られ、AKB48グループの選挙では“選挙対策委員会”を作り、推しメンの上位進出をサポートする役もやっていたそうです。彼らのグループの中にはインターネット上で商品を売買する“転売ビジネス”で成功しているファンもいて、潤沢な資金を持つ。また、イケメンもいるようで、メンバーからも歓迎されていた。2人は昨年の4月頃からイベントに顔を出さなくなったので、一部メンバーと直接連絡が取れる仲になったと噂されていました」孤立する真面目タイプ AとBは警察に暴行容疑で逮捕されたが、その後不起訴になった。「問題の夜、山口が帰宅して部屋の鍵を開けようとしたところ、廊下を挟んだ向かいのドアが開き、Aが出て来たそうです。Aが声をかけ、驚いた山口が大声を出すと、Aと、その場に合流したBが彼女の口をふさいで声を止めようとしました。動揺した山口はその場で運営に電話し、警察が駆け付けました。2人は昨年4月頃から、山口らNGT48メンバーの住まいを特定し、同じマンションに住み始めたそうです」(前出・NGT48関係者) 気になるのは、山口が告発した他メンバーの関与だ。「運営側が、メンバーがファンに山口の帰宅時間が推測できる情報を漏らしていたことを認め、スポーツ新聞が“そのメンバーは犯人グループと面識があった”と報じたため、騒動が過熱。山口がツイッターのフォロワーを外した太野彩香(21才)と西潟茉莉奈(23才)が疑われ、警察でも話をしたそうですが、犯行とは無関係でした。 現在は、“あるファンに公演からの帰宅時間を聞かれて答えてしまったメンバーがいたが、それは意図的ではなく犯行に加担した事実はない”という結論で落ち着いているようです。今後、第三者委員会での調査が始まりますが、内部犯行説は払拭されつつあります」(スポーツ紙記者)“内部犯行説”が囁かれるに至った背後には、「アイドルグループ特有の競争心がある」と芸能関係者は指摘する。※画像は本文と関係ありません(GettyImages)「そもそもNGT48や、博多を拠点とするHKT48のメンバーは事務所の用意したマンションを“寮”として住むことが多い。だからお互いの私生活がよくわかるんです。すると生活態度が真面目なグループと、夜遊びなどをするヤンチャグループが二極化します。真面目グループが運営側に“〇〇さんは不真面目だから、何とかしてほしい”と苦言を呈せば、ヤンチャグループは“わざわざ、チクるなんて”と不満に思い、両者の仲はギクシャクする。どちらかといえばヤンチャグループの方が愛嬌があって先輩メンバーや運営側からかわいがられやすく、真面目タイプが孤立しやすいかもしれない。山口さんもそういったことでナーバスになっていた面もあるようです」メンバー間「格差」◆火種になるのはメンバー間の「格差」 AKB48のような多感な時期の女性が集うアイドルグループでは、メンバー同士の衝突が起きやすい。 「あるグループは人気上位の2人の仲が悪く、派閥でグループが二分化されたことがありました。研究生が“こんなに怖い場所だとは思わなかった”とブログでいじめを暴露して辞めたケースも。メンバーが、気に入らないメンバーの男性関係をマスコミにリークしたこともあったそうです」(前出・芸能関係者) メンバー間の「悪口」が飛び交うこともある。「総選挙で上位に入った鼻の低いメンバーについて、“ブタ鼻”と陰口を叩いたり、年上のメンバーを“ババア”と言うのは当たり前。ネットで整形疑惑の出たメンバーが、陰で“サイボーグ”と呼ばれたこともありました」(前出・スポーツ紙記者) なかでも火種になるのは、メンバー間の「格差」だ。「どうしても仕事のある子とない子の差が広がり、不平不満はたまります。あるグループはメンバーに仕事メールの一斉送信があるので、お互いの仕事が把握できて、“私も〇〇ちゃんに負けないように頑張ろう”とモチベーションにつながる一方、仕事がないメンバーはみんなの“さらし者”になる。そうした格差から僻みや妬みが生まれていくようです」(芸能ライター) それぞれの人気が“見える化”される握手会も鬼門だ。「握手会では他のメンバーのファンがどれだけ並んでいるか一目でわかり、人気のバロメーターになります。“何であの子の列が私より長いの”“私より人気がないのに仕事があるのね”との嫉妬が募ったあまり、握手会でファンに“あの子は性格が悪いんだよ”“〇〇ちゃんは彼氏ができたみたい”などと、ニセ情報を流すメンバーもいたそうです」(前出・芸能ライター) 競争心から素晴らしいパフォーマンスが生まれ、グループ全体のレベルが上がったが、その一方でいきすぎた行為が生まれてしまったようだ。「運営は風紀の乱れを認め、今後、おかしくなった部分の改善を徹底するそうです」(前出・スポーツ紙記者) 近くなりすぎたファンとの距離も改善の余地があるだろう。悲劇が起きる前に、周囲の大人がやるべきことは多い。関連記事■姫乃たま 性被害告白した元AV女優自伝に「私も救われた」■AV女優のHIV陽性判明、感染発覚以降も撮影は行われた■ 少年院上がり・戦慄かなのが明かす壮絶過去、虐待とJKビジネス■ AKB最終候補者が出会い喫茶に潜入 露骨な交渉の一部始終■ 深田恭子、ハイヤー内でお相手社長と密着し微笑む写真5枚

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    NGT48騒動に見る、不思議の国ニッポン

    網尾歩 (コラムニスト)  日本のアイドルが謝罪した。「2人の男に襲撃された」ことを理由に――。海外ではそう報じられたNGT48メンバーの暴行事件。この騒動の恐ろしさは、メンバーがネット上で告発を行わなければ、暴行事件も運営の未熟な対応も明るみに出なかったことだろう。命がけの告発だった。 暴行事件が起こったのは12月8日。加害者は逮捕されたが、不起訴になり釈放。この時点で、アイドルが事件に巻き込まれたという報道は行われなかった。年が明けた1月8日、被害に遭ったメンバーが動画を配信。続けてツイッターでも思いを綴った。自宅玄関前で被害に遭ったことや、運営側が対応を行わないことについての生々しい告発だった。これを受け、NHKが暴行事件を報じた。 報道後も運営側の動きは非常に鈍く、ようやく記者会見が行われたのが1月14日。問題を指摘され、ネット上では辞任を求める署名活動も行われていた支配人については「人事異動」と発表された。 騒動を説明するための会見に登場したのは、AKS運営責任者兼取締役の男性、新しくNGT48の支配人となった女性、副支配人となった男性の3人だった。事件が起こった際に支配人を務めていた今村悦郎元支配人は姿を見せなかった。 会見に出てきた3人の謝罪は、どこかひとごとに見えた。メインで喋ったのは責任者兼取締役の松村匠氏。松村氏は「お詫び申し上げます」「誠に申し訳ございません」と繰り返したが、今村元支配人については「人事異動」、新たに女性支配人が就任するのは「女性ということで女性の立場を理解し」ているから、把握している情報については「警察の捜査内容に関わることですので差し控えさせていただきたい」。<※参考:AKS運営責任者&新支配人による質疑応答全文/モデルプレス/1月14日> ネット上で散々指摘されている、「なぜ今村元支配人が説明や謝罪を行わないのか」に向き合おうとしたフシがない。会見からわかるのは、今村元支配人をかばわざるを得ない何らかの事情があるのだろうということだけだ。NGT48劇場。館内の通路には結成からこれまでの写真が展示されている=2016年1月9日、新潟市中央区 被害者を黙らせようとした構造の解明が求められている場に柄シャツ柄ネクタイでのこのこと登場し、「説明しない」態度で押し切った。女性を支配人に据えるような小手先のパフォーマンスが通じると思っているなら、ファンや視聴者を完全に舐めている。表舞台に出るメンバーへのリスペクトやファンへの感謝なく、「支配人」が劇場運営やメンバーを文字通り「支配」したがるような構造だったなら、いっそその気持ちの悪い支配人制度をやめたらどうなのか。松本人志のアウト発言 とはいえ、AKSの会見と同等もしくはそれ以上にネット上で拡散されていたのは、ワイドナショーでの松本人志の指原莉乃に対する受け答えだ。先週、指原莉乃自身が同番組で見解を語ったことを明らかにしていたため番組の放送を心待ちにしていた人が多かったこともあり、松本の発言に批判が集まった。 番組の中でのやり取りはこうだ。指原「偉い人たちが仕切っても何もできない状況じゃないですか。わたしが(運営として)立っても何もできないとは思うんです。あれだけの(メンバーの)人数で、少ない運営なので」松本「ま、でも、それはお得意のなんか、体を使ってなんとかするとか、そういう」東野幸治(司会)「すみません、指原さん」指原「何言ってるんですか、ヤバ…」東野「ヤバいですね、本当に」古市憲寿「指原さんがトップって説得力あるんじゃないですか。だってこんな感じでトップに行けたわけでしょ。AKBの中で」指原「そんなわけない。なんで両端から責められるんですか」 スタジオは険悪なムードではなく、指原も松本も他の出演者も笑いながら喋っている。しかし書き起こしてみると、その下劣さが際立つ。指原は真面目に話し、松本の反応に拒否感を示しているが、松本やその他の出演者の笑い声が、それを打ち消している。ネット上では特に松本の発言について、「面白いと思っているなら良識を疑う」といったコメントが散見された。 女性の訴えが茶化されることはよくある。女性が必死になればなるほど、ありとあらゆる言葉を尽くしてこき下ろされ、茶化され、バカにされ、揚げ足を取られ、大した聞く価値のないものに「格下げ」されることはこれまでも行われてきた。松本のように人気があり権力のある男性がそう振る舞うと、周囲は強くたしなめられない。そして「笑う」という行為で、全てがモヤに包まれる。「揉めてなんかいなかったよ、俺たち」という状況証拠が作られていく。 司会の東野は「すみません、指原さん」と「代理謝罪」をしたが、「松本さん、それはおかしい」とは言っていない。古市憲寿も松本ではなく指原をさらに「責め」、その横に座っていた乙武洋匡はただ笑っていた。 日本のあらゆる組織のオフィスや飲み会で、同じことが日々繰り返されている。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) インターネットには種々の功罪があるが、このような場面がネット上で拡散され繰り返し視聴され検証されるのは有意義だ。被害者の置かれる理不尽さがひと目で共有されるからだ。セクハラやパワハラの現場には、加害と被害の当事者、加害者に協力する同調者、見ているだけの傍観者がいて、止めに入る人の言葉はほとんど効果的ではない。あからさまにその構図が再現された場面だった。 セクハラの被害に遭いやすい若い女性に話させ、その周囲を男性が取り囲むという構図。スタジオでは男性が多数派で女性は少数派。その「絵」に私たちが慣れきってしまっていることも指摘しておきたい。

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    平成のドラマが描いた女性像 ドクターXからミタ、昼顔まで

     この平成時代、数々のドラマが制作されてきたが、女性の登場人物はどのように変化してきたのか--見えてきた特徴とは? コラムニストのペリー荻野さんが解説する。 * * * いよいよ平成最後の年末。30年間、さまざまなドラマが放送された。その大きな特長は、なんだかんだとわいわいやりつつ1話が終わるホームドラマや涙と笑いの青春ドラマといったスタイルは激減、テーマが仕事でも恋愛でも「勝ち負け」をくっきりと描く作品が増えたことだ。ドラマの中の女性像も「勝ち負け」が分かれ、視聴者は共感したり同情したり。全体に味は濃い目であった。 平成ドラマ「勝った女」の代表といえば、特殊技能系。昭和のドラマにも「弁護士」「医師」などが活躍するシリーズが2時間ドラマを中心に数多くつくられたが、平成はさらに一歩進んで「スーパー」がつくほどの特殊技能系女性たちのドラマがヒット。その二大巨塔は『ドクターX』シリーズの米倉涼子と『科捜研の女』シリーズの沢口靖子である。「私、失敗しないので」「科学は嘘をつかない」。勝ち組女子は、決めセリフもきっぱりとしている。 非正規雇用、セクハラ、パワハラ、さまざまな社会問題が話題になる中、ただ文句を言うだけでなく、自分の持つ力で道を切り開き、不当な圧力をかける相手をぎゃふんと言わせる。いわば社会問題を逆手にとったような形で「勝った」のが、『ごくせん』の仲間由紀恵、『ハケンの品格』の篠原涼子、『家売る女』の北川景子、『義母と娘のブルース』の綾瀬はるかなどである。 また、過激な強さでは、最高視聴率40%を記録した『家政婦のミタ』の松嶋菜々子や『Missデビル 人事の悪魔・椿眞子』の菜々緒もいる。ヒロインが幸せな結末を迎えるのが「勝ち」だと思っていたが、この2作については任務遂行のみが「勝ち」に見える。どこか無機質な「勝ち」は、斬新であった。 では、「負けた女」は誰か。目立ったのは、悪女ドラマだ。米倉涼子(2004年)、武井咲(2017年)が主演した『黒革の手帖』は、裏金を横領して夜の世界でのし上がる悪女には、最後は大きなワナが待っていた。野心むき出しの狡猾さと女としてのもろさと。あっと驚いた武井の「ハズキルーペ」CMも含め、悪女役が女優をタフにするというのもよくわかる。テレビ朝日系ドラマ「ドクターX」シリーズで主演の大門未知子を演じる米倉涼子=2016年10月(加藤圭祐撮影) もう1つ話題になったのが、不倫ドラマ。『セカンドバージン』の鈴木京香は、年下の妻子持ちのやり手社長(長谷川博己)と熱烈な恋愛に突入。しかし、彼の妻(深田恭子)は離婚を断固拒否する。一方、自身も夫がいて、相手にも妻がいるといういわゆるW不倫の2人を描いて大きな反響を得たのが、上戸彩の『昼顔』だった。この作品でも相手(斎藤工)は妻と別れることはできず、切ない終わりを迎える。 どちらのドラマもヒロインは恋しい男を「夫」にすることはできない。結婚が「勝ち」だとすれば「負け」である。だが、負けたからこそ、ドラマチック。この2作が映画化され、女優の代表作になったことを思うと、「負け」のほうが有利ともいえる。 のんきなドラマがなかなか許されなくなった平成30年間。次の時代ものんきなドラマが成立することは難しいだろう。どんな女が「勝ち」「負け」るのか。そればっかりじゃ、ちょっと疲れる気もするけど。関連記事■ TBSの人気アナ・安住紳一郎の元カノが過去の関係を告白する■ 海老蔵と復縁説の米倉涼子に「安住アナの方がお似合い」の声■ 米倉涼子の夫 仕事のため大阪行くも夜の街でよく目撃される■ 高岡早紀、密会した実力派俳優との密着写真4枚■ 花田美恵子さん再婚! 13才年下夫との2ショット3連発

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    大晦日だよ、テレビ特番考

    かつて大晦日のお茶の間は、NHK『紅白歌合戦』の一択だった。時代が変わり、ライフスタイルも激変した今、「テレビ離れ」は平成を象徴する言葉となった。お笑いや格闘技、ドラえもんといった定番化が進む年末特番の何が変わり、変わっていないのか。各局テレビ番組を考察する。(写真は日本テレビ提供)

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    ダウンタウン松本が『笑ってはいけない』終了を決断する時

    をも取り込む要素となっている。「風物詩」になったワケ また、今年の総決算として、その年に話題になった芸能人が意外な形で登場したり、普段はバラエティーに出ないような大物芸能人が出演したりすることや、芸人や芸能人がギャグを披露して年明け早々のトピックとなり、お茶の間を騒がせることも人気の要因の一つと言えるだろう。 2016年の『絶対に笑ってはいけない科学博士24時!』で、俳優の斎藤工が芸人「サンシャイン池崎」を完コピし、「サンシャイン斎藤」と名乗ってダウンタウンらを爆笑の渦に巻き込んだように、番組きっかけでブレークするギャグや芸人、芸能人が出てくることで、視聴者に「この番組を押さえておけば年明けの話題についていける」と思わせることも人気の一因になり得たと考えられる。 さらに、レギュラー陣であるダウンタウン、ココリコ、月亭方正という5人のバランスも、番組の見どころとなっている。 ココリコの2人は、この番組が始まって以来、結婚、出産、そして離婚と、人生の節目において何らかの形で家族が多数番組に登場し、どんなシリアスな出来事でさえ爆笑に変えるという妙技を見せてくれている。 特に遠藤は、千秋と離婚し「(毎年番組に出演していた千秋も)もう出ないだろう」と誰もが思っていたにもかかわらず、離婚直後に千秋が番組にしれっと登場したことが視聴者の度肝を抜いた。だが、一番驚いていたのは他ならぬ遠藤本人だったことが、さらなる爆笑を誘った。 また、田中といえばタイキックだが、2013年の『絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時!』での田中の息子からの心温まる手紙からのタイキックの流れは、他メンバーも「これはあかんやろ」「(どう捉えたらいいか)情緒がわからん(笑)」と、笑っていいのかどうか分からないとしながらも、結果的に爆笑し、田中は号泣したままタイキックを受けるという、ある種のタブーを犯した名シーンとなった。日本テレビ提供 このような、まるで毎年親戚の年賀状を見るようなタイミングでお茶の間に人生の移り変わりを見せてくれるココリコとは違い、極限状態に追い込まれたときの人間のズルさや汚さ、開き直りを見せ、毎回爆笑させてくれるのが月亭方正である。恒例のプロレスラー、蝶野正洋から受けるビンタをなんとか回避しようと必死につくウソや言い逃れ、ダメ人間っぷりが視聴者の心をくすぐり続けるのだ。 また、元マネジャーという理由から、番組当初から進行役を務めている藤原寛氏が、現在はよしもとクリエイティブ・エージェンシーの社長であるということも、地味に面白い要素となっている。ガキ使年末特番が終わる時 そして、言わずもがなのダウンタウンである。結成36年、お笑い界のトップランナーであり続ける面白さに陰りはみられない。加えて、近年の松本のムダな筋肉や浜田の変わらない顔面の面白さなど、55歳にして鉄板のイジり要素をも兼ね備えた2人が笑いを堪え、また他のメンバーを笑わせるさまは、圧巻であると同時にただただ面白い。 そんな『笑ってはいけないシリーズ』は一体いつまで続くのだろうか。 毎年「今年で最後」説が出る『笑ってはいけないシリーズ』だが、平成最後の年末となる今年(2018年)は、もしかするとやめるには良いタイミングと言えるのかもしれない。 しかし、毎回「今回で最後」「もう限界」などと会見で発言する松本だが、おそらくそれは口だけで、本当はまだまだ続ける意志があるのではないかと私は思う。松本の「これで最後」は、「今月で閉店します」という看板を掲げたまま何年も営業を続ける店の「閉店商法」みたいなもので、本気でやめようと思っての発言ではないように感じるのだ。 そもそも、『笑ってはいけないシリーズ』が年越し特番となった2006年の時点で、ダウンタウンは既に43歳。つまり「演者が若いからこそできていた企画」ではない。日本テレビとしても、依然民放ナンバーワンの視聴率を誇り、すでに紅白に次ぐ「大みそかの風物詩」ともなっている当番組を終わらせたいと思っていないだろう。したがって、本人たちが本当にやめたいと思わない限り、『笑ってはいけないシリーズ』はまだまだ続いていくのではないだろうか。 では「本人たちが本当にやめたいと思った時」とはどんな時なのだろうか? おそらくそれは、罰ゲームを受けている姿を視聴者が見た時に、「かわいそう」だと思ってしまった時なのではないかと思う。お笑いコンビ、ダウンタウンの松本人志=2017年11月、大阪市中央区(柿平博文撮影) 現在、40〜50代と高齢化が進むレギュラー陣だが、「罰ゲームとしてお尻を棒でたたかれる」際に笑いが起こることには変わりがない。そこに「惨めさ」や「かわいそう感」はないのだ。しかしもし、「たたかれてかわいそう」だと思われてしまった時、また「思われた」と感じた時には、松本は潔く番組を終える決意をすることだろう。その見極めができない芸人ではない。 だが、個人的には、仮にダウンタウンがおじいちゃんと呼ばれるような年齢やルックスになったとしても、やはり「お尻を棒でたたかれる」姿に爆笑しているだろうと思う。なぜなら、そこにはきっと変わらない「面白さ」があるだろうから。■岡村にも読んでほしい! めちゃイケ「復活劇」の台本はこれしかない■「お笑いと社会批評の境界」茂木健一郎が考える日本の政治コメディ■「M-1憎まれ役」上沼恵美子がプロの仕事をしたと言える理由

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    『NHK紅白歌合戦』男女対抗に固執する意味がどこにある

    はいかにも「不自然」であると、当時の知識人が「男女合同」の演劇を提唱したにもかかわらず、歌舞伎は伝統芸能として残り、宝塚歌劇は大正期(1914年)になって新たに誕生した上に、一時存在した男子部がなくなり、女性だけの劇団に落ち着いたという経緯がある。変容のバロメーター こうした日本社会の歴史をみれば、男女対抗という形式こそが、紅白への共感、すなわち高視聴率を支えてきたという見方もできる。 しかし、性の多様性についての議論も高まる中で、さすがにこの形式はジェンダー平等に反しているのではと思われる。しかも、この形式に共感する限りは、先進国としては異常なほど低い日本の男女格差指数の改善は望めない(主要144カ国中、2017年114位、18年110位)のではと考える。 併せて、出演者の歌の内容についても、時代の心性とのズレが生じている。紅白のトリといえば、昭和期には演歌の大御所の定位置であり、演歌歌手は歌唱力が高いので、その意味では年末番組を飾る歌手としての実力を有している。 しかし、演歌の内容は、いわゆる水商売の女性の寂しさや、報われない恋といった、悲劇的なトーンのものが多く、この内容も昭和期には一定のリアリティーがあったが、女性の人生の選択肢が広がっている現在では共感を得にくいのではないかと思われる。 欧米社会の新年では、クリスマスに既に家族だんらんを済ませていることもあり、若者同士で派手に大騒ぎという年越しがみられるのに、日本ではなぜ悲しい歌を耳にしながら年越しをするのか、新しい年を迎えるのだから、陽気に騒ぐ方が自然なのではないか。海外での年越しを経験した筆者個人の素朴な疑問でもある。 日本の大みそかは、除夜の鐘で粛々と迎えるという習慣があるため、陽気な音楽よりもしみじみした楽曲の方がマッチしているということもあるのだろうが、「歌は世につれ世は歌につれ」という言い回しも、現状の日本社会にあまりそぐわなくなっているのかもしれない。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) とはいえ、視聴率が数%レベルに落ち込んでいるのならともかく、紅白歌合戦はいまだテレビ番組全体の中では健闘しているコンテンツである。「下火だよね」と否定的に見るのではなく、上記のように、日本社会の幸せ感や家族観の変化の反映ととらえるのであれば、視聴率の低下もまた「国民」の生活変化の象徴であり、その意味で確かに「国民的番組」である。 年末年始の多様な過ごし方の一つとしては、紅白歌合戦も依然、一定の位置を占めており、今後の変化もまた日本社会の変容を考えるバロメーターとして注目されるのである。■松田聖子と安室奈美恵、昭和と平成のトップアイドルはここが違う■「革新的アイドル」西城秀樹は理屈じゃ語れない■「特別枠」を乱発しすぎた紅白歌合戦の苦悩と違和感

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    『笑ってはいけない』のベッキーへの尻蹴りが笑えない理由

    ックボクサーに尻を蹴り上げられるシーンがあった。この企画に対して、ネット上で批判の声が上がっている。芸能担当記者が話す。「たしかに最近は何でもかんでもクレームを入れるという視聴者も中にはいて、その行為がバラエティ番組をつまらなくさせている大きな原因の1つになっていると思います。しかし、この問題に関しては過剰なクレームという一言では片付けられません」 6日にはベッキー自身が、「タレントとして本当にありがたかったなと思います」と発言したことで、いったん事態は収束したかに見えるが、当事者が納得していればよい、という問題でもない。わずか2年ほど前、『世界の果てまでイッテQ!』『天才!志村どうぶつ園』(ともに日テレ系)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系、※番組名は当時)など地上波に7本ものレギュラーを持ち、超売れっ子タレントだったベッキーは不倫騒動によって、一気にその地位を失った。 「ベッキーは世間から大バッシングを受け、レギュラー番組を全て失いました。最近では多少、メディア露出が増え始めたとはいえ、タレントとしては非常に厳しい状況と言えるでしょう。そんな“強者”から“弱者”になったベッキーを蹴り上げたら、いじめの構図に見えてしまうんです。 笑いは、弱者が強者をいじるところから生まれるのではないでしょうか。たとえば、コント55号は萩本欽一が7歳も年上の坂上二郎を舞台上で追い込んでいった。ボケの二郎さんが突っ込みの欽ちゃんより年上だったから、観客は腹を抱えて笑えた。ビートたけしは欽ちゃんが『視聴率100%男』と言われて権威だった時代に、アットホームな笑いを徹底的に批判しました」(同前)2018年7月、ラジオ番組収録のためエフエム東京を訪れたベッキー(山田俊介撮影) 結果的にたけしは、当時お笑い界の頂点にあった欽ちゃんからその座を奪い、現在もお笑い界のトップに立ち続けている。「下のものが上のものに盾突くから面白いのであって、現在お笑い界の頂上にいると目されているダウンタウンの番組で、人気のなくなったベッキーが蹴り上げられる構図は、世間から見ればいじめに見えてしまいかねない。とても笑っていられる状況ではないと思います。 逆に言えば、現在ビッグ3やダウンタウンに歯向かっていくお笑いタレントはほぼ皆無で、むしろ服従しているようにすら映っている。新たなバラエティ番組のヒットが生まれづらい、いつまでもお笑い界に世代交代が起こらないのは、そこに原因があるのではないでしょうか。オリエンタルラジオの中田敦が昨年、松本人志に意見したことはいつの間にかうやむやになりましたが……。ベッキーへの企画も、誰かが『これは笑えない』と意見できなかったから放送されたわけです」(同前) 昨今のお笑い界が抱える服従構造の延長線上に、ベッキーへの尻キックがあったとも考えられるようだ。関連記事■ ゲス不倫が人間関係に影? ベッキーと上戸彩が共演NGの理由■ 復帰したベッキーはいつまで生娘的なキャラを演じ続けるのか■ 石田ゆり子が3億円豪邸を新築、気になる同居相手■ 小川菜摘 女芸人に浜田の不倫いじられ「前から知ってたわよ」■ 『あさイチ』降板の有働アナ、決定に至るまでの様々な葛藤

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    NHK紅白歌合戦、特別枠に「要らない」と疑問の声出る

    です。そうした事情を考えると、今後、特別枠で出場する歌手はますます増えていくのではないでしょうか」(芸能関係者) いずれ出場歌手のほとんどが特別枠になったりして?関連記事■ 紅白 米津玄師、ドリカム、B’zにギリギリまで交渉か■ 稲葉浩志、結婚20年の妻と誕生日に銀座デート撮■ 福山雅治の下ネタに吉高「私のオッパイいいでしょ」と返した■ TOKIO城島茂と25才年下恋人との「変装なし」最新2ショット■ 渡辺謙、軽井沢の土地面積1000坪別荘で恋人と新生活

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    上沼恵美子「M-1騒動」が笑えない

    漫才日本一を決める『M-1グランプリ』で審査員を務めた上沼恵美子への暴言騒動が炎上した。「笑えない」暴言の主であるとろサーモン、久保田かずのぶらへの批判は当然だが、もとより芸人が芸のないネタで話題をさらったことの方が恥ずかしい。せっかくなので、この騒動を少し真面目に考えてみましょう。

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    「M-1憎まれ役」上沼恵美子がプロの仕事をしたと言える理由

    この問題には主に三つの観点がある。まず、「先輩タレントに無礼な言動をした」ことによる波紋で、これは「芸能界の厳しい人間関係」を公にした。 普段は率直な発言をする「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳も、ラジオでは「『(お笑いコンビの)霜降り明星が優勝したM-1グランプリ』って付けてあげてほしいですね。僕はもうそれだけです。それ以外のことは当事者でやっていただいて」とトラブルそのものには言及しなかった。あの明石家さんまも「会社に止められているから」と発言を控えた。久保田と武智を糾弾する以外、大物芸人たちでさえもジョークでイジりにくいほど、デリケートな問題だというのが伺える。 「人物そのものを売るタレント業では、その人物を批判すれば相手の商売を邪魔することにもなるからね。先輩に牙をむけば、その先輩に関わる事務所や番組、テレビ局など業界全体を敵に回すことになる」とは、あるタレントマネジャーの見方だ。芸能界でなくとも無礼な発言というのは嫌悪される対象ではあるが、ここでは「営業妨害」という観点が出てくるわけだ。 次に、この発言が「インターネットでの公開発言」だったという点がある。問題は12月2日の決勝放送後、武智が生中継の動画を配信中に起こった。複数の芸人が集まっていた中で、昨年の優勝者である久保田は自ら酒に酔っていることを明かしながら「そろそろ辞めてください。自分目線の感情だけで審査しないでください」と言い出した。 「1点で自分の一生が変わるんで。たぶんお笑いマニアの人は分かってますわ。おまえだよ。一番右側のクソが!」。そう言い放って机を蹴った久保田に、傍らにいた芸人らの笑い声が上がる。さらに武智と思われる声が「右のオバハンには、みんなうんざりですよ。『嫌いです』なんて言われたら、更年期障害かと思いますよ」と続けたのである。 発言内容から類推するに、これが上沼に対する暴言であることは明らかだ。動画は即座に削除されたが、視聴者の反響は大きく、2日後には二人人とも上沼の名を出して謝罪した。 タレントは売名行為も商売であり、そのためには使えるツールを何でも使う傾向が強い。たとえ、自虐ネタであっても、それを利用することで人気が上がればいいのだが、久保田と武智に関しては、わざわざ逆効果になることをやってしまったのである。 最近では、女優の剛力彩芽が恋人との熱愛ぶりをしつこいぐらいにSNSにアップして反感を買い、タレントのりゅうちぇるも入れ墨を彫ったことを公表し、バッシングを浴びた。しかも、一部ユーザーの批判に対し「こんなに偏見のある社会どうなんだろう」とわざわざ反論し、さらなる炎上を引き起こした。アナウンサーの長谷川豊に至っては「人工透析患者は殺せ」と題したブログ記事が炎上し、出演番組を全て降板する事態に発展したことは記憶に新しい。彼らに共通することは世間の反応、つまり空気を読めずに、タレントの持つ自己顕示欲の強さだけが先走ってしまったケースと言える。お笑いコンビ、スーパーマラドーナの武智。コンビで『M-1グランプリ』に4年連続で決勝進出している=2018年3月撮影 台本もなければフォローするスタッフもいない個人の活動では、そのスキルがより鮮明に露呈する。久保田も武智のケースも、後先考えずに居酒屋での放言をネットで垂れ流しただけであり、到底「芸」と呼べる代物ではなかった。 「お粗末なネット動画なんか使わないと自分を売り込めない感覚自体が二流なんだよ。他人の悪口を売り物にするというのは、芸人として最も情けない方法。『更年期障害』なんて言葉を使ってしまうのも、話芸を売るタレントとして失格でしょう」(前出マネジャー)M-1「人気」の秘密 ただ、前述のポイント2点は、当事者にとって大事ではあっても、タレントを見る側にとっては、せいぜいタレントの好き嫌いが分かれる程度の話である。それよりもっと重要な点は、この騒動で審査員と演者に「真剣勝負」の緊張感があったことが証明されたという部分に尽きる。 長年、テレビ業界を取材していると、この世界の大半のコンテンツが台本ありきの「作り物」であることがよく分かる。バラエティー番組ではお笑い芸人の発するジョークまでもが、放送作家の書く台本に沿ったものであることも珍しくない。ある番組の収録現場では、出演タレントらが高速で足踏みして歩数を競うゲームを繰り広げていたが、実は現場に計測装置などはなく、電光掲示板に表示された数値はすべて番組スタッフによる演出だった、というケースもあった。どこかの人気番組ではないが、テレビにとって「やらせ」は当たり前の感覚である。一見、出演者同士が真剣に競い合うコンテスト風を装いながら、裏では事前に優勝者が決まっている出来レース番組だって当然有り得るのである。 むろん、『NHK紅白歌合戦』の出場者の人選のように、複数のタレント事務所との関係を調整しなければならない大人の事情がある。しかし、このM-1グランプリは以前から「審査はガチ」と囁(ささや)かれてきた番組だった。 「なにしろ、島田紳助が『漫才に恩返しをしたい』と、できるだけしがらみを抑えてガチレースを実現させた番組だからね。関西のお笑い賞の中で、朝日放送は昔からガチ審査番組の試みをやってきたことがあって、その手のノウハウがあったというのもあるよ」とは関西の芸能関係者の話である。 過去には、立川談志がお笑いコンビ「スピードワゴン」の2人に対し「俺、下ネタ嫌いなんで」と100点中50点の酷評をしたこともある。松本人志もチュートリアルに対しては厳しく、島田紳助もおぎやはぎには厳しく採点をしていたが、そもそも漫才師のネタを公の場で本気でこき下ろすことは掟破りの行為である。このありそうでなかった光景こそM-1が人気となった理由の一つだろう。 これは海外でも同様の傾向があって、例えば世界的な定番となった各国のタレントオーディション番組では、決まって温情を見せない辛口の審査員がいることが前提となっている。必死の演芸を「つまらない」と一蹴する厳しさがあってこそ、珍しく褒める瞬間が最大の見せ場になり、番組の価値を上げる。 漫才のネタ中に腕を組んでピクリともせず、憮然(ぶぜん)と様子を眺めていた談志の姿は、それこそ痛快なM-1審査員の仕事だったし、遠慮しない物言いの上沼もそれを「分かって」やっていたはずだ。もっと言えば、審査員もボランティアではなく、出演料をもらっている「仕事」である以上、大御所芸人がプロの芸人を毒舌で切って捨てることも、M-1という「ショー」の大きな見どころなのである。コンテスト番組で、社交辞令のように気を使った評論が求められるのは、『NHKのど自慢』や『全日本仮装大賞』のように、出演者が素人の場合だけだ。競い合う芸人をボロクソに言えるのは、彼らが大物タレントだからであって、そうでなければ事務所同士のもめ事が絶えないはずである。 だから、視聴者をM-1に釘付けにするために、上沼は「憎まれ役」を引き受けたのあれば、彼女は「一流のプロ」の仕事をしたと言える。近年のM-1に関して言えば、古参芸人に花を持たせるように甘い採点になっていたとの指摘も多く、視聴者からは不評の声も多かった。M-1に必要なのはまさに「ガチ感」であって、審査員の発表だけでもニュースになっているのは、そのためである。落語家、立川談志さんは2002年の第2回大会決勝で審査員を務めた=2010年4月撮影 そう思えば、審査員への「噛みつき」は本来、面白い出来事だった。酷評された芸人が皆、肩を落とすだけではそれこそ予定調和にしか見えない。フィギュアスケートやプロボクシングといった採点スポーツでは、選手側の抗議はつき物であり、それこそ真剣勝負の証左でもある。 だから、「大物審査員に抗議して暴言を吐く芸人」というネタ自体は、M-1をさらに盛り上げる一種のエンターテインメントとして受け入れることもできたはずだが、残念ながら久保田と武智のそれについては、抗議の表現方法が「中傷」や「陰口」の部類にしかなっていなかった。もし、二人が上沼本人を前に、「憎まれ役」という役割を理解した上で、漫才論を投げかけたのであれば、どれだけ興味深ったことか。特に、上沼は以前「私、売れない芸人はすぐに分かるんです。間のとり方で」と言っていたこともあり、二人の主張をばっさり切り捨てたかもしれない。そうなれば、出演者と審査員の緊張が世間に伝わり、M-1にしかできない「ガチ感」が構築されたに違いない。 強いて言えば、今回の騒動が罪深いのは、これで「審査員に抗議するのはタブー」という空気感をつくったことである。ファンの間では、とかく審査の傾向に注目が集まったM-1だが、今後はそれすらタブーになりかねない。暴言を吐いた彼らの人気が今後どうなろうが知ったことではないが、真剣勝負ならではの醍醐味がもし損なわれるのだとしたら、それが一番残念である。■ やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質■ 『笑点』政権ネタの炎上騒ぎは起こるべくして起きた■ さすがダウンタウン松本「憲法9条はなめられてる」

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    上沼恵美子M-1騒動「更年期障害」でオンナは傷つきません

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家) 師走の寒い中皆さまいかがお過ごしでしょうか? ワタクシは義父が危篤のため、イギリス北部炭鉱地帯出身の家人の親戚やら地元民からかかってくる電話の、英語のズーズー弁の解読に難儀しております。義父は脳梗塞で入院した翌日にステーキを食わされるという容赦ない対応を目の当たりにし、イギリス国立病院が医療費削減にまい進しているさまを体感しております。 さて話は変わりますが、12月2日に放送された漫才日本一を決める『M-1グランプリ2018』で審査員を務めた上方漫才の大御所、上沼恵美子さんに対して、お笑いコンビ「とろサーモン」の久保田かずのぶらが暴言を吐いた件がプチ炎上しておりましたね。 M-1放送後に撮影した動画で、久保田氏は「酔ってるからっていうのを理由に言いますけど、そろそろもう辞めて下さい。審査員の方も1回劇場出てください。自分目線の、自分の感情だけで審査せんといてください。1点で人の一生変わるんで。理解して下さい。たぶんお笑いマニアの人は分かってますわ。お前だよ、一番、お前だよ。分かんだろ、右側のな」と発言しました。 そして、「スーパーマラドーナ」の武智正剛氏も「嫌いですって言われたら、更年期障害かと思いますね」と発言しております。 この発言に対して、上沼さんは9日の番組で「それとお二人のことは全くなんにも思っておりません。暴言だなんだて言ってますけども、全然結構です」と述べた上で、「悪いですけど興味ないです」と発言し、熟練した大人の対応をしておられました。 久保田と武智両氏の発言は、あまりにも尊敬を欠いた、女性をバカにしたような発言なのではないか、という批判が集まりました。「女性は感情的だから」との決めつけ、更年期障害への無理解など、炎上ポイント満載ですから、当たり前ではありますが。2018年12月8日、番組の収録を終え、読売テレビを出る上沼恵美子(門井聡撮影) さて、今回の騒動は炎上案件としては比較的小さいものであって、あまり面白いものではないのですが、それでもちょっとは考えることがありました。 まず第一に、私は久保田氏と武智氏は、お笑い芸人として全然面白いとは思いません。 そもそも他の芸人や先輩方に厳しく批判されたとしても、それをネタとして生業(なりわい)にするのが、芸人というものであります。作家や漫画、歌手と同じく、自らにかかる全ての事柄をネタにして、銭にしてナンボ。自分への批判どころか、身内の借金、DV(ドメスティック・バイオレンス)、葬式、脱腸…何でもござれで、そこで他人(ひと)さまから笑いを取るというのがプロでございましょう。 他人さまは、それこそ人の不幸や悲惨さが大好きでございます。先輩に批判され、「お前はクズだ!」と言われているさまは、同情するポイントではなく、「ああ、俺よりひどいやつがいてよかった」と安堵(あんど)し、ゲラゲラと笑うネタであって、むしろ芸人としては「いいネタになった」と先輩方に感謝しなければならないのです。 これが、コンテンツを売って銭を投げていただき、飯を食っていく人間の運命であるのです。それは芸人だけでなく、作家や歌手、漫画家、経営コンサルタントといった職業もみな同じです。 何とか賞を取ったとか、何々のすごい大学を出ている、試験の点数が高い、勲章をもらった、そんなことは箔付けところが、自らの格下げとなるお恥ずかしいことに過ぎません。言葉は悪いですが、そんなものをもらいたいと思っている根性がある時点で「芸人失格」でございます。世の中を知らないバカ男 その次でありますが、この二人の浅はかなところは、中年以上の女が更年期障害だと言われるとショックを受けると思い込んでいるところであります。 甘い、甘い。なんと世の中を知らないバカな男でありましょうや。 鬼女(既婚女性)や月のものが干上がっている熟年以上の女は、そんなことではいちいち傷つきませんし何も感じません。 何せそういう女たちというのは11歳ぐらいから毎月毎月股(また)から大量の出血をしているわけで、毎月が大量殺人現場のようなものを目撃しているのです。 股から血を吐き出しながらスカートを履いて、ひものようなパンツを尻に食い込ませ、爪と顔にいろいろ塗りたくって偽装して、ワキガを香料でごまかして何も知らないような顔をしてデートに出掛けるわけですから、相当根性の据わった「モンスター」というのが女というものなのです。 その上、出産を経験しておりますと、なんと股から人間がドバッと出てきてしまうのです。 人間が出てくるだけではなくて、そこは月のものよりも、もっとすごい大量殺人現場状態で、さらに赤の他人に股(また)を糸と針でチクチクと縫われるという、すごい体験もしております。 ワタクシの場合など、助産師に股を縫われるところを家人が「ディスカバリーチャンネルのようでなかなか面白い。股がエイリアンのあれ」と眺めているのです。人間をドバッと出した後は股がずるむけになり、ゾンビを抱えているような状態です。 出産の最中には肛門もボヨーンと出てきて、それを助産師や医者が「ダイジョブダイジョブ!」と言いながら手で押さえているわけで、あのかわいい顔をしたアイドルや女優も、そういった経験をしているのです。 殿方が電車の中で乗客全員に「こいつは包茎」とアナウンスされるより、300倍は恥ずかしいと言えましょう。 そんな体験をちょっとかわいい顔をした女もしているわけですから、女というのはその辺のヤクザも真っ青な根性を持っているわけです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 更年期障害というのは、月のものが干上がってしまった後に腹が出てきたり、頭が痛いとか、汗がなかなか止まらないという話で、まぁ年を取ればそういう体の不調というのは多かれ少なかれ、いろんな人が体験するわけです。そういう状況というのはあくまで生理現象でありますから、言われて恥ずかしいものでも怖いものでも何でもないわけです。だって、そうなっているのは事実なわけですから。 では、こういう女たちが恐れることとは一体何でしょうか? それは自分よりも若い男に何か言われることではなく、銀行口座に銭がなくなることであります。 銭がなければボケた旦那の介護を頼むこともできませんし、仏壇も用意できないわけで、墓さえも買えません。どこかの「一括払い3万円の共同墓地」に旦那を入れたりしたら、それこそ近所や親戚からいろいろ言われ、実に恐ろしい地獄が待っているわけです。 上沼恵美子さんに関しては、毎日昼間に料理人にいろいろ作らせて、その横で「あら、先生ええですわ~」と言うだけで、何もしないどころか、全然関係ない話を繰り広げるという、料理番組の新境地を開かれているわけでありますが、ボケた爺が死んだらもらえる寡婦年金がいくらになるか、日々計算する女たちの憩いの時間を提供している点では、ネットで悪口を言うことしか芸のない能無し男の5万倍は世の中に貢献しているのです。■ 医学界に蔓延する女性差別、現役女医が明かした「男社会」の現実■ テレ朝記者「セクハラ告発」に舌打ちしたオンナ記者もきっといる■ 弱者は女性だけじゃない! 女性専用車両の不思議

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    漫才道を汚したM-1騒動「敬意なき毒舌」は笑えない

    ならないテーマを、マスコミはもっと取り上げるべきだと思います。 とはいえ、娯楽も国民には必要なもの。芸能界の人々やスポーツ界の人々の言動が、どうしても注目を浴びてしまうだけに、ある意味マスコミの宿命だと言えます。 多くの人に娯楽や感動を与えてくれる、芸能人やスポーツ選手が、くだらない存在だと言うつもりはありません。彼らもまた生活がかかっていて、一芸に秀で、懸命に技を磨き、競争に勝ち残ったものだけが栄誉と報酬を得られる、厳しい世界に生きているのです。 それだけにテレビの有名人には自らの言動が、少なからず国民の興味関心の対象になるという自覚が必要です。それらがマスコミで取り扱われるときには、一般人とは違って大きく紙面を使い、長いワイドショーの時間を使って報道されます。 むろんテレビの有名人の言動が、マスコミで大きく取り扱われるということは、たまには良い意味合いを持つこともあります。今年は元アイドル歌手の女性が起こした、飲酒運転のひき逃げ事件が、一般人より大きく報道されました。 この事件は、飲酒運転、信号無視、ひき逃げ、という道路交通に関する極めて大きな違反が重なっており、われわれ情報の受け手にとっても、交通ルールの重要性を再認識するきっかけになりました。国民に対して、安全運転に対する注意喚起という、一定の役割を果たしていたと思います。 それに対して、今回のお笑い芸人による大御所芸能人への暴言トラブルについては大きな意義を感じません。私も長年テレビ番組を作ってきましたが、この程度の話題がなぜ盛り上がるのか、考えれば考えるほど首をひねります。とろサーモンの久保田かずのぶ=2018年4月、東京・虎ノ門 ただ、今回の騒動で、「芸人」という極めるべき道のあり方について、ベテランと、未熟な芸人の矜持(きょうじ)の違いがハッキリしたことは間違いありません。そもそも芸能界というものは、落語や歌舞伎などもそうですが、その道を極めた人に敬意を払い、芸を見習い、さらに芸を盗んで一人前になるものです。漫才は、落語や歌舞伎などのように明確な師弟関係がない人も多数いますが、漫才についても「漫才道」という一つの道があるように思います。 その中で、今回のとろサーモン、久保田さんらの言動は、師弟関係の厳しい芸能界において、「師匠」に暴言を吐き、しかも技を審査される立場でありながら審査員をけなすという、とんでもなく礼儀をわきまえない行為だったというのは一目瞭然です。まさに漫才道を汚したといっても過言ではありません。仮にスポーツで負けた方が、審判のせいにして暴言を吐けば、これほど見苦しいものはないでしょう。 笑える要素ゼロ その一方で、上沼さんの審査の表現に厳しいものがあるとはいえ、多数いる芸人の中で生き残ってきた大御所だからこそ言える論評であり、そこに説得力が生まれるのではないでしょうか。要は、漫才道の「師匠」としての役割を果たそうとするがゆえの厳しさに他なりません。 象徴的だったのは、上沼さんが久保田さんや武智さんから売られたケンカを買わず、今回の騒動について、「なんとも思っておりません。暴言だなんだって全然結構です。悪いですけど、興味ないです」という程度で、まともに反応していないことです。上沼さんがまともに反論していれば、「どっちもどっち」的な評価で終わっていたでしょうが、上沼さんの対応が、余計に久保田さんや武智さんの評価を落とし、共感する人が少ないゆえんだと思います。 お笑い芸人には反骨精神が必要だという考え方には、確かに一理あります。ビートたけしさんや松本人志さんらも毒舌で知られますが、その「ネタ」には一定の敬意があったように思えます。芸人が表立って発言する以上、それはシャレになるというのが前提です。今回の久保田さんらの暴言には笑える要素が一つもなく、幼稚な反抗にすぎなかったと言えるでしょう。 さらに言えば、これはご本人たち同士の問題であって、周囲からどうのこうのと論評するような話題ではありません。本気で上沼さんが間違っていると思うなら、ネットで拡散するような手段ではなく、内々に抗議するなり、反論すべきレベルのものだったと言えます。炎上すればお笑い芸人にとっては宣伝効果があるかもしれませんが、逆効果になったのは言うまでもありません。 そもそも、こんな話題でも盛り上がれるのは、ネット社会の特徴だと思います。一般のどんな人でもネット上で発言をすれば、一人前のコメンテーター気分を味わえるし、自分が人気お笑い芸人や上沼さんと同レベルで議論に参加しているような、錯覚による興奮を感じることができます。それが面白くて、今回のトラブルに関しても、参加しやすいテーマだと考える人が多かったのでしょう。 そして大手マスコミはネット上で炎上していることに対して、後追いで記事にしてまとめますが、それは単に、ネット上でこんな話題が盛り上がりましたよ、という情報を伝える意味しかないのです。かっぱ寿司のフェア「かっぱのサーモンづくし」スタート記念イベントに出席したとろサーモンの左から村田秀亮、久保田かずのぶ=2018年1月、東京・赤坂 ネット上で議論すべき喫緊のテーマは、他にもたくさんあるはずです。そんな今、お笑い芸人のマナー低下を議論している場合でしょうか。一連の騒動を見ていて、ネット社会の意識レベルの低下の方が、私には深刻に感じられました。 こんな幼稚な話題で盛り上がるのは、これを最後にもうやめましょう。それが今回この話題で盛り上がってしまった方々への、私からのお願いであります。■ やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質■ 『笑点』政権ネタの炎上騒ぎは起こるべくして起きた■ さすがダウンタウン松本「憲法9条はなめられてる」

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    芸人もアイドルもセレブも続々参戦、YouTuberはいずれ消滅する

    うサービスを悪用したとして炎上。ほかにもたくさんの炎上事件がありました。 「ユーチューバーになって、芸能人みたいに注目されたり、チヤホヤされたい」、「俺はユーチューバーになるぞ!」なんて思っている人はまだまだ多いでしょう。 では、10年後にユーチューバーはどうなっているでしょうか? 僕らは「ユーチューブというのは誰でも動画を投稿できるサービスだから、無名な人間でも実力次第で上がってこられる」と、無邪気に信じていました。だけど、そうやって人気者になったヤツらが次から次へと不祥事を起こしている。「無名からのし上がってきたユーチューバー」に対する好感度は、著しく下がっています。 それで何が起こるかと言えば、すでにある程度知名度を得ている人たちがユーチューブに流れてくるんです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) アイドルや芸人にとってテレビやライブ会場というのは、特別なステージです。そういう場で活躍できる自分に、彼らは強いプライドを持っている。 だけど、アイドルや芸人がテレビや舞台で目立てるチャンスは、どんどん減っています。テレビの視聴率は軒並み下がっているし、「ひな壇」のその他大勢になったところで、上には行けない。運良くテレビで少々顔が売れても、安心なんてできません。番組が打ち切られたら、あっという間に活躍する場がなくなってしまいます。人工知能は疲れない アイドルにせよ芸人にせよ、テレビへのこだわりは少なくなっており、アマゾンやネットフリックス、アメーバTVなどネットへの露出を増やし始めています。日本人ユーチューバーの市場も、これから2、3年でアイドルや芸人に荒らされることになるでしょう。 そして10年以内には、日本人ユーチューバーの市場がグローバルユーチューバー、例えばハリウッド俳優やセレブに荒らされることになります。世界的な知名度のあるセレブに加えて、「面白いものをパクろう」と待ち構えている数億人、数十億人。 さらに、サバンナやジャングルに暮らす部族の人たちも、秘境の映像を毎日配信してくるわけです。そんなレッドオーシャンで、日本人ユーチューバーが存在感を示すのは、ちょっと難しいんじゃないでしょうか。 今後ユーチューバーで食っていくことが難しくなっていくと、僕が考える理由がもう1つあります。 それは、配信が「ナマモノ」でなくてもよくなるから。僕たちは、動画配信は生きた人間がやるのが当たり前だと思っているけど、そういう常識が崩れつつあります。 バーチャルユーチューバーは、その先駆けでしょう。配信者の動きや表情に、CGで作られたキャラクターをかぶせて動かすのがバーチャルユーチューバー。美少女の外見をしたバーチャルユーチューバーであっても、「中の人」はおっさんだったりします。 一昔前だったら、おっさんが美少女を演じているというのがバレたら、ファンは引いたと思うんです。だけど、ライブ配信中の事故で、バーチャルユーチューバーの「中の人」が画面に出てしまったりしても、みんなそれを面白がるようになっています。現実を「盛る」ことにみんな慣れ始めているのです。 現在のバーチャルユーチューバーは、着ぐるみみたいなものです。仮想の「皮」をかぶった人が演じているだけですが、このあたりの技術はものすごいスピードで進歩しています。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 今でもCGキャラクターとのやり取りを楽しむVRゲームはありますが、人工知能がユーチューバーになる日はそう遠くないでしょう。 人間がユーチューバーである限り、配信の頻度にも限界があります。どんなに熱心であっても、人間が作れる動画なんてせいぜい1日4本くらいが限界でしょう。でも、人工知能なら疲れることもありませんから、1日24時間365日、配信し続けられます。「出来の悪いサブ世界」 その結果、どういうことが起こるでしょうか?「AIユーチューバーの住んでいる世界」そのものを提供する娯楽が誕生する、と僕は睨んでいます。いや、もうユーチューバーではないですね。配信プラットフォームとしてユーチューブを使う必要もありませんから。 中世ヨーロッパ風のファンタジー世界だったり、SFチックな未来都市だったり、そんな仮想世界がネット上に構築されている。現実と同じくらいのディテールで描かれた世界の中には、イケメンや美少女キャラ、モンスターが生きています。 仮想世界のAIキャラは毎日、ひょっとしたら1時間に1回、30分に1回といった頻度で自分の番組を配信するんです。 僕らは、仮想世界にログインして、仮想キャラの配信や生活している様子を見ることが生きがいになる。そんな美しくてドキドキする世界に比べたら、現実なんて「出来の悪いサブ世界」の1つにすぎません。 整理すると、これから数年で日本人ユーチューバーの主流はアイドルや芸人になる。10年以内には言語の壁が崩れて、グローバルユーチューバーに日本人ユーチューバーは淘汰される。そして10年後、人間ユーチューバーは、AIユーチューバーに淘汰される─―。 SF映画『ターミネーター』では、サイバーダイン社の作ったアンドロイドが人類を武力で制圧しますが、そういう未来は起こらないのではないでしょうか。 人類はたぶん人工知能に支配されるでしょう。だけど、それは武力によってではありません。 彼らの武器は、「面白さ」だったり、「可愛いらしさ」だったり、「毎日100回更新するマメさ」だったりします。人類には不可能な安定した魅力や進撃速度で、僕らの日常生活における興味関心を占有してしまうんです。 こうなると、「人工知能が支配する」という言い方はもはや適切ではないかもしれません。「人工知能が人間のフォロワーを独占する」ということになるんじゃないでしょうか。関連記事■ 岡田斗司夫 今の若者が「大事なのはお金じゃない」と語る理由■ 【欅坂46 長濱ねる】遠藤周作『沈黙』の思い出■ AI搭載の監視カメラが「神」になる日

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    上沼恵美子 久保田と武智の暴言にむしろ「傷ついた」か

    中に上沼さんをバカにした態度をとる人がいた。今回の発言にもそれを感じて、気にしたのかもしれません」(芸能関係者) 上沼は17才のときに姉と漫才コンビ「海原千里・万里」でデビュー。漫才だけでなくドラマや歌でも活躍するものの、1977年、結婚のため引退。しかし翌年本名で芸能界に復帰すると関西のトーク番組を中心に人気を集めた。 お笑い界は、女芸人が1%以下という超男社会。女性が容姿や年齢をいじられるのは日常茶飯事。そんな中で上沼はのし上がり、“西の女帝”といわれるまでに上り詰めた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 歯に衣着せぬ本音トークで人気を博し、関西では誰もが知る名司会者となった上沼。「関西で彼女に逆らえる者はいない」といわれるほどの地位を築いたが、ここ数年は彼女の意外な素顔が垣間見えることもあった。 2013年には自律神経失調症、2014年には急性肝炎と、ストレスが原因と思われる病気を発症。今年3月には、夫の存在や言動がストレスで心身に不調がでる「夫源病」であると告白した。上沼への「多大な恩」 「上沼さんは辛口ですが、実は繊細で、情に厚い人なんです。周囲のスタッフやかわいがっている後輩には目をかけ、世話を焼く。細かいことによく気づくタイプなので、そうしないと気が済まないんです。だからこそ、周りの変化に敏感でストレスもためやすいのでしょう。 そんな彼女が最近、“後輩が無礼や”“ちょっと心が弱ってきたのを感じる”とぽつりと漏らしていたことがあったそうです。自分の後輩への思いと、周囲の自分への態度にギャップを感じていたのかもしれません」(別の芸能関係者) 『M-1』でも彼女の心が折れた瞬間があった。上沼が「ジャルジャル」の漫才についてコメントしている最中、突然MCの今田耕司(52才)が舞台裏に向かって「裏側(の人)、笑わないよー! 個人の意見だからねー(笑い)」と発言。舞台裏の様子がのみ込めなかったのか、彼女は苦笑いを浮かべるしかなく、それ以上は話さなかった。 暴言を吐いた2人は、上沼に多大な恩があった。 「とろサーモンは昨年の優勝後、殺到したオファーをこなしてしまったら、どこからも声がかからなくなった。そんな時に番組に呼んでくれたのが上沼さんでした。 武智さんは、『NON STYLE』の井上裕介さん(38才)が2016年に当て逃げ事故を起こしたとき、車に同乗していたことで一時干された。そこで上沼さんは自身のイベントの前説に抜擢しました。今の人気があるのは上沼さんのおかげだと言っても過言ではない。ただ、武智さんは相方の方が上沼さんにかわいがられていると思っていたみたい。そういうモヤモヤがたまっていたのかもしれません」(スポーツ紙記者) 上沼はこの騒動後、審査員の引退を表明した。 「以前から降りることは決めていたそうで、2人の発言とは無関係でした。上沼さんは“これをだしにして、番組に2人の先輩のまっちゃん(松本人志)を呼ぼう”と笑っていましたが、どうも、空元気に見えるんですよね」(テレビ局関係者) 12月中旬、上沼を直撃すると、「今からラジオやラジオ」と言い、仕事へと向かった。関連記事■ 上沼恵美子への暴言を叱る先輩芸人たちの「深慮遠謀」に学ぶ■ 上沼恵美子も怒らせた上西小百合議員 TV出演オファー続々と■ 上沼恵美子 長男の超スピード離婚も原因で意気消沈■ 上沼恵美子、溺愛するキンコン梶原にロレックスを購入■ 上沼恵美子 TV局廊下では両側に花道作り関係者がお辞儀

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    上沼恵美子への暴言を叱る先輩芸人たちの「深慮遠謀」に学ぶ

     トラブルは期せず起きてしまうもの、おさめ方こそがその後の評価を分ける。大人力について日々研究するコラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。* * * 「M‐1グランプリ2018」での上沼恵美子の審査っぷりは、例年どおりの辛らつさでインパクト抜群でした。ただ、視聴者にとっては楽しい審査でしたが、バッサリ斬られた芸人としてはたまったもんじゃありません。いろいろ思うところもあるでしょう。 そんな流れの中、終了後の打ち上げで事件が起きてしまいます。昨年の王者「とろサーモン」の久保田かずのぶと、今年のファイナリスト「スーパーマラドーナ」の武智正剛が、酔っ払った状態でインスタグラムのライブ配信に登場。世界に向かって、上沼の審査姿勢を思いっ切り批判しました。 久保田は「自分目線の、自分の感情だけで審査せんといてください」「おまえだよ、わかんだろ。右側のな、クソが!」と罵倒し、武智も「右のオバハンにはみんなうんざりすよ。(審査で)“嫌いです”と言われたら更年期障害か?って思いますよね」と悪態をつきます。たちまちネット上では批判の嵐が巻き起こり、勢いよく炎上してしまいました。お酒って、そしてSNSって怖いですね。 ただまあ、酔いがさめた途端、ふたりとも自分が何をしでかしたかを自覚して、とり急ぎツイッターで謝罪。近いうちに上沼に会って直接謝罪したい意向も示しています。所属する吉本興業も上沼に謝罪しました。あとは当事者同士の問題です。外野が騒ぐのは大きなお世話。しょせんは仲間うちのアクシデントです。「更年期障害」という言葉を問題視したい人も多いようですが、そこをことさら責める話ではありません。 うっかりライブ動画で流れてしまったから騒ぎになっていますが、上沼としては、辛口の審査に反発する芸人がいることは百も承知しているはず。酔ったお笑い芸人が芸に真剣であるが故の率直すぎる発言を根に持って、権力を使って叩き潰すような了見が狭いことはしないでしょう。もしそうしたとしたら、かなりガッカリです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) しかし、世の中にはどうでもいい正義感を持て余していて、しかもヒマな人が多いようで、ネット上では久保田と武智に激しい批判が集まっています。他人の失敗が嬉しいのか、「これでもうあいつらはおしまいだ」という声もちらほら。みなさん、そんなに「一発レッドカード」の世の中をお望みなのでしょうか。本当これでふたりが干されてしまうなら、そんなお笑い界も世の中も、かなりガッカリです。阿吽の呼吸のチームワーク? 無責任なヤジ馬の声はさておき、後輩が行儀の悪いことをしでかしたとなると、お笑い界の先輩たちとしては黙っているわけにはいきません。上沼とともに審査員を務めたオール巨人は、ブログで「つまらん本当に情けない話が」「しっかりした大人に成れって伝えました!」と、名前はあげないもののふたりに厳しく説教したことを匂わせました。 博多大吉もラジオ番組の中で「またバカ後輩たちがやらかした」「僕史上、最大級の雷を落としますよ、あのふたりには」と宣言。司会の今田耕司も事務所の先輩として上沼に謝罪するなど、たくさんの先輩芸人がふたりへの怒りを表明しています。 先輩たちがこうして「ケシカラン」と声を上げているのは、もしかしたらふたりを助けるためかもしれません。大御所や先輩芸人があっちでもこっちでも怒っている様子を見て、外野は「あれだけ叱られたら、本人たちはさぞつらいだろう」と感じます。「とんでもないことを言ったけど、十分に罰は受けた」という印象を受けるかもしれません。 そう、怒っている先輩芸人たちは阿吽の呼吸のチームワークで、マヌケな後輩芸人へのバッシングを鎮めて、世間が何となく許す雰囲気を作ろうとしている可能性があります。いや、そういう深慮遠謀があって怒っているのか、芸人としてのカンで後輩を守る発言をしているのか、あるいは単に本気で怒っているのか、そこはわかりませんけど。 この手法は一般の会社でも使えます。部下が大きなミスをしでかしたら、お客や取引先、あるいは会社の上層部に対して、「あいつのバカさ加減ときたら!」「自分がしっかり締めておきます!」と怒りを込めて言い放ちましょう。そうすることで相手は「まあまあ、あまり叱らなくていいよ」と言いたくなる違いありません。人間は自分より激しく怒っている人がいると、なだめ役に回る習性があります。 なんて言いながら、この騒動もあっという間に忘れ去られるでしょう。そして、やらかしてしまった「とろサーモン」久保田と「スーパーマラドーナ」武智に対して、ふたりの漫才を聞いたこともないくせに、匿名で「正義の鉄槌」を下して興奮していた人たちは、すぐまた新しいターゲットを攻撃し始めるに違いありません。ふたりの暴言なんて足元にも及ばない汚い言葉を使いながら。やれやれ、お疲れさまでございます。関連記事■ 上沼恵美子、夫との関係悪化 「夫源病」で結婚41年目の別居■ 上沼恵美子 ブルドッグ柄のTシャツ着たプライベート姿■ 離婚の貴乃花と景子さん 別のパートナー報道の真相は■ 眞子さまの婚約延期、小室家だけを責めるのは筋違いか■ 上沼恵美子 長男の超スピード離婚も原因で意気消沈

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    キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側

    っても過言ではない。 その一方で、言い尽くされた感はあるが、若手のプロ意識の希薄さも否めない。これは芸能界全体に言えることである。最近、グラビアアイドルが「彼氏に反対されたので水着になれなくなりました」などと突然言い出すケースが増えているそうだが、これも一つの表れだろう。 心的な病にしても、仕事に差し支えないよう自己管理し、事が大きくなる前に誰かに相談するといった意識も低い。ひとたび病気やケガをすれば、事務所としては休養させるしか道がない。キンプリの岩橋とセクゾの松島のパニック障害の原因は、ジャニーズ事務所が彼らを酷使しているからだと、安直に考える人も多いが、そもそも過酷な環境で活動するのがアイドルたるゆえんなのである。 もとより、アイドルは極力休養する状況にならないよう、日々心掛けているはずである。病気やケガとはいえ、仕事は絶対に穴を空けてはならない。これは芸能界の常識である。誤解を恐れずに言えば、具合が悪いとか急用があるとか、下手な理由で仕事をおろそかにするタレントが昔よりも増えている気がしてならない。(イラスト・不思議三十郎) 少々厳しいようだが、本来「歩合型」の芸能界で、働けないタレントに給料など払えない。ジャニーズほどの規模と資金力、影響力があるからこそ、代えがきくのである。規模の小さい事務所であれば、タレントが回復するまで待つなど、それこそ死活問題であろう。 最近は事務所の管理責任を問う声も大きい。ひと昔前であれば、自分が病気を患っていることを伏せたまま収録に臨んだり、骨折を抱えながらも舞台で演じ切ったりするのが、トップアイドルたる生き様でもあった。もちろん、こうした話が美談となる時代が終わったのは確かである。 こんな時代であるからこそ、あえて言いたいことがある。奇(く)しくも年末に復活する90年代の『8時だJ』の復活は、ジャニー氏からタッキーへのプレゼントという意味合いよりも、むしろアイドルとは何たるかを示し、ジャニーズを継いでいく次世代スターたちに向けたメッセージでもあるのだ、と。■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■「おっさんアイドル」山口達也の悲哀は私にも分かる

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    関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント) 人気アイドルグループ「関ジャニ∞(エイト)」の大倉忠義がブログで、一部の熱狂的ファンによる行き過ぎた行為について怒りを表し、波紋を呼んでいる。週刊誌報道などによると、大倉に近づいてきたファンが体当たりしたり、カバンに物を入れたりすることに加え、プライベートな食事の席で隣のテーブルにいたこともあったようだ。 これに対し、大倉は「ストーカー行為だ」などとブログに書き込み、ジャニーズ事務所も告発もあり得るといった構えをみせている。 とはいえ、当たり前だが、アイドルにとって「ファン」とは本来、最も大切にしなければならない存在である。だからこそ、ファンにはいつも幸せな気持ちを抱いてもらえるよう振る舞っているのだが、それを逆手に取って足を踏み外してしまうファンがいるのも事実だ。 まずは、ジャニーズファンの現状から説明しておこう。およそ1千万人いるとされるジャニーズファンは、特定の個人やグループに限らずジャニーズを全体的に応援する人たちの総称だが、最近は個別に呼称をつけて色分けしている。 古くは「追っかけ」や追っかけに命をかけて力(リキ)を入れる「オリキ」と呼ばれ、最近は「ジャニヲタ」と称されている。その中に特定のグループのファンの呼称もある。例えば、KinKi Kidsのファンは行儀が良いことから「図書委員」、嵐は「アラシック」、関ジャニ∞は「エイター」だ。さらに、Kis-My-Ft2については意味不明だが「俺足族(おれあしぞく)」、 SexyZoneは「セクシーガール」、King&Prince(略称キンプリ)は「ティアラ」と呼ばれている。 そして今、問題となっているのは「ヤラカシ」と言われる、悪さをやらかす行き過ぎたファンたちだ。大倉のケースのように、個々のタレントだけの問題ではなく事務所も相当に手を焼いているのが実情である。これには「ヤラカシ対策」というファンもいて、これを監督して注意喚起を行う役割を担っている。彼らはいわゆる本当の意味での「親衛隊」である。 僕が現役の頃は、トシ派(田原俊彦)とマッチ派(近藤真彦)しかいなかった。だが、その後の「ジャニヲタ」は、シブがき隊や少年隊、さらに光GENJIに男闘呼組、忍者となり、そしてSMAPへと、移りながら、あくまでもジャニーズ内に留まって支え続けている。それだけに「親衛隊」のようなファンと素行が悪いファンが実際にぶつかることもしばしばある。 先に記したように、昔は一般的な「ファン」と、さらに気合を入れた「親衛隊」の2種類しかいなかったが、80年代の後半から「追っかけ」が登場し、90年代には「オリキ」になり、同じ頃から「ストーカー」とでも言うべき行為に走る過激なファンも増え始めた。(イラスト・不思議三十郎) つまり「追っかけ」の延長線が、ストーカーと見なされる行為に進化したのである。ただ、かつては「ストーカー」という表現がなかっただけで、大倉の悲痛なメッセージを目の当たりにした時、僕も現役時代に同様の被害に遭っていたことを思い出した。 「入待ち」や「出待ち」は温かい応援の定番であり、これを嫌がるアイドルは少ない。だが、待つ場所によっては一大事だ。テレビ局やスタジオ、あるいはコンサート会場なら常識だが、自宅前での出入り待ちはかなりの苦痛である。 もちろん、弁当やタオル、栄養ドリンクなどは当たり前のように渡されるので、家を出た瞬間から持ちきれない荷物を背負うことになる。ただ、こういうレベルはまだマシだ。 だが、エスカレートすればそうも言っていられない。「待ち伏せ」は家や最寄り駅などで行われるが、それは「仕事」の行き来なら仕方がないとはいえ、駆け出しの頃に通っていた学校やアルバイト先にまで熱狂的なファン現れると、自分の周囲の人たちにも迷惑をかけかねない。これが続くと、さすがに誰だって嫌な気分になってくる。ベッドの下にもファン また、ファンも待ち時間があまりに長いといらだち、あらゆる行動に打って出る。まずは、落書きだ。「大好き」とか「一生ついていく!」程度のものから始まり、「抱いてください」のほか、露骨に「キスして!」とか、「セックスしてください」などとエスカレートしていく。近所のガードレールや公園のベンチなどに名指しで書かれれば、自分のせいでご近所に迷惑をかけていることになり、帰宅すら億劫になる。そして、そこからは引っ越しの繰り返しである。 ちなみに、家庭ゴミはすべてファンに持っていかれるので自宅近くの集積所には出さず、最寄りの役所まで持ち込むこともざらである。それだけではない。自宅のポストをのぞかれたり、郵便物を取られたりは当たり前で、はっきり言ってプライベートは何もかも奪われていく。今ではマンションにオートロックや防犯カメラも設置されているため、こうした行為は随分防げるようになった。 これは聞いた話だが、留守中に自分の部屋に忍び込むファンもいるらしい。忍び込んだ部屋を掃除したり、食事を作って待っていたり…。ある知人のアイドルは、見知らぬ女性ファンがベッドの下に隠れていたという。 また、ここ数年は、会員制交流サイト(SNS)がファンの行動を変えている。これによって、物理的な「追っかけ」をしなくても、効率良くお目当てのアイドルに会えるようになった。 「今、どこに誰がいる」という情報は瞬く間に広がり、その動向は手に取るように把握できるネットワークをジャニヲタたちは持っている。行く先々で「なんでファンがいるの!?」と、驚きよりもむしろ恐怖に似た感情を抱くケースも多いらしい。 こうしてプライバシーが失われていく心境はアイドル本人だけでなく、家族や友人にも及び、仮に恋人がいれば、それは「攻撃の対象」にもなるため、本人の精神的なダメージはどんどん増幅する。実際にジャニーズの所属タレントと「噂」になるだけでも、酷い仕打ちを受けることがままある。もし、リアルな彼女になろうものなら、その攻撃の程度は計り知れない。 ただ、かつてと大きく変わったと感じるのは、いくら迷惑行為とはいえ、「人気者の証」とも言えるファンの言動に対して、露骨に嫌悪感を丸出しにするアイドルが増えてきたことである。本来なら大倉がブログで吐露した「そろそろ限界」は、「じゃあ、アイドル辞めろよ」と言われても仕方がない。もちろん、熱狂的ファンの迷惑行為が犯罪行為になってしまえば、当然声を上げるべきだが、その線引きはなかなか難しい。(イラスト・不思議三十郎) 当然ながらアイドルも年も重ねる。デビュー当初は我慢できても、大倉のように大人になったアイドルが限界を感じ、憂鬱な気分になるのも理解できる。 こうした現実を踏まえれば、むろん大倉に限ったことではないが、彼の悲痛な叫びは今現在も耐え忍んでいるアイドルたちの「代弁」でもあり、自分のことだけでなく、仲間や同業者の気持ちを察しているからこそ出た発言なのだろう。 勇気を持って出したであろう大倉のメッセージが、行き過ぎたファンの迷惑行為の歯止めになればいいのだが。

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    日テレ『イッテQ!』やらせ騒動の本質

    日本テレビの人気バラエティー『世界の果てまでイッテQ!』をめぐり、番組企画のやらせ疑惑が大きな騒動となった。そもそも「存在しない」祭りをでっち上げたのであれば、非難されるのも当然だが、バラエティー番組のやらせと演出の違いについては一考の余地もある。騒動の本質を読む。(番組ロゴは日本テレビ提供)

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    『イッテQ』やらせ騒動「名プロデューサー」は週刊文春という皮肉

    藤本貴之(東洋大学教授、メディア学者) 日本テレビのバラエティー番組『世界の果てまでイッテQ!』で放送されたラオスの「橋祭り」企画をめぐり、週刊文春が報じた「やらせ疑惑」が大きな問題となっている。近年のテレビでは度々、やらせや捏造(ねつぞう)が発覚し問題となっているが、今回は国民的人気番組であるだけに、より大きな騒動となって関心を集めている。 テレビにおけるやらせや捏造は古くからある。かつてはテレビ朝日『川口浩探検隊シリーズ』(1978~1985年放送)などのように、真剣な探検を装いながらも、多くが「演出」によって彩られていた人気番組は決して少なくない。むろん、視聴者の側も「やらせをやらせ」と理解しつつ、「もしかしたら…」というギリギリのリアリティーを楽しむ。そこにはエンターテインメントへの寛容な感性があったのである。 フェイクドキュメンタリーやリアリティーショーの魅力は、ドラマでも報道でもなく、それでいて見る者にリアルなハラハラ、ドキドキを感じさせる技術と表現にある。そして、視聴者の側にも当然、それを理解できる寛容さが求められる。作り手と視聴者の「共犯関係」で楽しむフェイクドキュメンタリー、リアリティーショーは今日でも名作、人気作品が世界的に多い。 しかしながら、日本では近年、メディア業界のコンプライアンス(法令順守)意識の高まりに伴い、そのような表現の問題点が指摘されるようになり、少なくとも『川口浩探検隊』のような作品はもう二度と作られないとさえ言われる。やらせと演出の「境界線」に関する議論が、ニュースになることも多い。 フェイクや台本、演出がある以上、それをドキュメンタリーや記録映像のように描いてはならない、視聴者に誤解を与えてしまうような表現は許されないという前提は今日、テレビ放送全てに当てはめられる傾向にある。報道と天気予報以外のほとんどのテレビ番組が創作物であるにもかかわらず、だ。 そうなれば、自ずと「前人未到のジャングル探検」もできないし、「UFOと米軍の密約」や「秘密組織による超能力兵器開発の証拠」も出すことはできなくなる。その結果、テレビ番組の表現にも制約がかかるし、もちろんつまらなくもなる。2018年11月、東京・渋谷で行われたイベントの後に『世界の果てまでイッテQ!』のやらせ疑惑について謝罪する宮川大輔 「第三の権力」であるメディアに誠実さを求めるという近年の流れには、筆者も大いに賛同するが、その一方で視聴者がテレビのエンターテインメント性に対して過敏になりすぎていることに違和感を覚える。ここで言う「視聴者」とは、主要な接触メディアがテレビであるという高齢者層ではなく、自ら情報発信する会員制共有サイト(SNS)なども使いつつテレビに接触する層を指す。 今回の『イッテQ!』やらせ騒動では、民放とはいえ、公共の電波を利用しているテレビが、事実とは異なる表現をしたことに不信感を持つことはやぶさかではない。しかしその一方で、『イッテQ!』の今回の番組作りをひたすら批判し、糾弾する状況に違和感を持っている人は何も筆者だけではあるまい。バラエティーに求める信頼性って? 「『イッテQ!』は単なるバラエティーでしょう?」。そうした番組本来の位置づけを忘れている人があまりにも多いように感じる。もっと言えば、そもそもバラエティー番組に公正さや正確さを厳密に求める風潮に対しては「エンターテインメントを楽しむことができる知性」の欠如も感じる。 コンプライアンス意識の高まりも重要であるし、SNSで頑張る「モノを言う視聴者=インディーズ評論家」の存在も悪いわけではない。しかし、『イッテQ!』は誰がどう見てもバラエティー番組である。記録映像や教育ドキュメンタリーのような作りにはなっていない。視聴者も真剣に応援したり、ハラハラ、ドキドキを感じていたとは思うが、最終的にはバラエティーとして楽しんでいたはずである。同じエベレスト登山の番組にしても、『イッテQ!』でお笑い芸人のイモトアヤコが登る時と、「記録映画」で冒険家の植村直己を見る時とでは、視聴者の見方も感じ方も全く違うはずだ。そもそも視聴者だって異なるだろう。 ただし、『イッテQ!』はバラエティー番組であるが、出演者(挑戦者)たちの「ガチンコ勝負」を標榜(ひょうぼう)している。出された課題に真剣に取り組んでいる出演者たちは、それが何であれ真剣勝負であっただろう。多少の誇大表現やテレビ映えする芸としての「演出」はあったにせよ、挑戦それ自体に嘘があったとは思えない。それは見ている側にも十分に伝わる。その意味では『イッテQ!』という番組自体が「やらせ番組」「捏造番組」とのそしりを受けるほどの騒動とは思えない。 例えば、格闘技などの試合中継を見ると、「ブラジル最強の男」とか「世界最速のキックを持つ男」などさまざまなうたい文句が登場する。選手の特徴や強さを分かりやすく表現するためのキャッチコピーである。それらは当然、科学的に「ブラジル最強」や「世界最速のキック」を検証したわけではないだろう。しかし、一部の例外を除けば、試合自体は真剣勝負であり、選手も観客もそこに疑いはない。キャッチコピーが正確さを欠いていたり、誇張表現だとしても、試合の真剣勝負をやらせとは思わないことと同義である。 「橋祭り」が以前からラオスに存在していたイベントであったのかどうか、という一点において、番組自体を「やらせ番組」「捏造番組」であると決めつけて糾弾し、ともすれば番組終了にまで追い込むような風潮は、今後ますますテレビ番組、特にバラエティー番組をつまらなくするのではないか。糾弾する人たちはテレビの将来に何を見ているのか。メディアの信頼性の問題といえばそれまでかもしれないが、バラエティーに求める信頼性とは一体何なのか。出演者の誠実さ以外、少なくとも筆者には思い浮かばない。 SNS時代の今日、従来であれば発覚しなかったような不正やごまかしも容易に指摘・検証され、発覚してしまう。そういう時代だからこそ、作り手にはより強い慎重さが求められる。視聴率という「甘い汁」に惑わされた日本テレビにも、そういう認識への甘さがあったことは明白だ。しかしながら、視聴者の側にもバラエティー番組をどのように楽しむか、楽しめるのかという、いわば「エンターテインメント・リテラシー(読解力)」が求められる時代になっているとも感じている。 今回の「橋祭り」の企画が実際にはどのような経緯で成立したかは当事者しか知りようがないが、個人的にはラオスの伝統を蹂躙(じゅうりん)したり、その文化風習を捏造した作りになっているようには思えない。強いて言えば、海外のテレビ番組が、ハロウィーン当夜の渋谷に若者たちがコスプレ姿で殺到して乱痴気騒ぎをする光景を「日本のハロウィーン文化」のように紹介しているケースに近い。これを「日本の文化」とされてしまうのはちょっと違う。日本政府だって「渋谷で大人たちがコスプレをして騒ぐことが日本のハロウィーン文化ですか?」と聞かれれば、きっと「ノー」と答えるだろう。ハロウィーンに対して「日本文化の捏造である」と目くじらを立てて怒る日本人がそんなにいるとも思えない。ハロウィーンの日の東京・渋谷(ゲッティイメージズ) 今までバラエティー番組として楽しんでおきながら、急にバラエティーには本来求められていない正確さや客観性の欠陥を発見したら、鬼の首でも取ったかのように「やらせだ、捏造だ」と騒ぎ立てることに何の意味があるのか。視聴者の側も改めて考えてほしい。そこには、ゴシップやスキャンダルを楽しむというエンターテインメント以上の意味を見いだすことはできないはずだ。 筆者は、今回の『イッテQ!』のいかにもバラエティー番組然とした作り(「筋肉バラエティー」にありがちな鉄骨のセットや巨大なボールの障害物など)を見て、それがラオスに古来伝わる伝統的な祭りであるとは思わなかった。「内輪でやっているゲームでしょ?」程度の感想だ。そもそも伝統的な行事に巨大なボールなど出てくるはずもない。そんなことは誰でも分かるのではないか。新たな「総合エンターテインメント」 しかし、その一方で、水上の狭くて粗末な橋を自転車で渡る、というアトラクションを見て「何かラオスの文化にゆかりがありそうだな」とも感じた。なぜなら、ラオスを代表する観光地、メコン川流域にある世界遺産ルアン・パバンという街では、川にかかる幅1メートルにも満たない竹でできた粗末な橋「バンブーブリッジ」もまた、「インスタ映え」する名物スポットであったからだ。 ラオスの世界遺産は、このルアン・パバンとワット・プーの二つしかないので、ラオスを訪れる年間300万人超の外国人観光客にとって「バンブーブリッジ」は決して無名な場所ではない。安全性に難のあるような「不安定な橋を渡る」という行為は、ラオス観光では比較的知られた「天然のアトラクション」であり、少なくとも筆者はそこに「橋祭り」企画との関連性を感じた。 番組を象徴するイモトの体を張ったバラエティーを超えた出演が、一見すると、ドキュメンタリーや記録映像のように誤解・錯覚をさせてしまったこともあるだろう。だとしても、「完全なバラエティーである」という前提を忘れてはならない。むしろ、「エンターテインメント・リテラシー(読解力)」を欠如しつつ、インディーズ評論家化した視聴者が一方的にリアリティーを求めすぎていているだけのようにも見える。 エンターテインメントの世界では、ジャングルはいつでも「前人未到の密林」であるし、出される資料は必ず「トップシークレット」である。男女間のもつれで犯罪を行う女性の多く「美人毒婦」であるし、来日する格闘家は常に「地上最強」である。ごく普通の一般人でも「内部事情に詳しい関係者」なのだ。それを「やらせ」「捏造」と捉えるか、「エンターテインメント手法の一つ」と捉えるかは、見る側の知性と感性、そして寛容さにかかる。 エンターテインメントの在り方が今、大きく変容している。この事実もまた忘れずに付記しておきたい。 バラエティー番組であるという前提を考慮に入れず、テレビ番組の中での過剰な演出や誇大表現などを「やらせだ、捏造だ」と糾弾し、それをネット民たちが騒ぎ、拡散し、テレビのニュースとなり、ひいてはテレビ局の社長や放送倫理・番組向上機構(BPO)、時には政治家などをも巻き込んだ大騒動へと発展する。その一連の騒動自体が、視聴者やネット民を楽しませる、見事にネットとテレビが融合した「総合エンターテインメント」になっているように思えてならない。 今回の件でも「ラオス政府が動き出した」とか「ラオス政府関係者によれば」といった報道も散見されるが、ニュースソースはどこなのか。ラオス政府関係者とはいったい誰なのか。『イッテQ!』のやらせ疑惑以上に「疑惑」がある。それもまた「総合エンターテインメント」を彩る演出の一つになっている。ラオスの世界遺産ルアン・パバンにある「バンブーブリッジ」(ゲッティイメージズ) 週刊文春は、そういった「総合エンターテインメント」における主役であり、視聴者を楽しませる名プロデューサーでもある。ネット上に無数に存在するSNS民たちは細かい検証をしたり、コンテンツを作ったり、拡散にいそしむ「敏腕ディレクター」であり、小回りのきく機敏な「アシスタント・ディレクター(AD)」だ。テレビ局幹部や有名タレントという豪華な「エキストラ」もいい味を出している。さらには、元テレビ局員を称する文化人や大学教授などまでが登場し、「現場を知る」という立ち位置で自分のかつての職場に対して無責任な断罪をしてトドメを刺そうとする。 「娯楽の王様」の座から陥落したテレビに代わって消費者を楽しませる「総合エンターテインメント」の中で、名プロデューサー、敏腕ディレクターたちに踊らされている視聴者もテレビ関係者たちも、そろそろこの新しいエンターテインメントの構造に気が付いた方が良いのではないか。

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    テレビのやらせは必要悪、でも『イッテQ』でっち上げはアウト!

    杉江義浩(ジャーナリスト、放送プロデューサー) またか…。というのが今回のバラエティー番組『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)の「やらせ」疑惑を報じた記事を読んで、私が率直に感じたことです。テレビで「やらせ」疑惑が騒がれるようになったのは、今に始まったことではないのです。少なくとも25年前から、何度も話題に上っています。 そもそも、テレビ番組に「やらせ」があったのか、なかったのかを議論するのは、全く不毛なことです。厳密な意味で「やらせ」のない番組は存在しないからです。どんなドキュメンタリー番組にも、制作者の意図と演出が必ず働くし、それらを受けていない「素のまま」の姿をカメラに収めるのは不可能です。 議論するとすれば、どのような「やらせ」なら許容範囲で、どのような「やらせ」が問題になるのか、その基準を考えることです。そして制作者と視聴者の間で、それらを共有することに意味があります。 テレビの番組はドラマ、ドキュメンタリー、ニュース、情報番組、娯楽番組、よく分からないバラエティー番組、とジャンルに分けられるようですが、私はそのようなジャンル分けには何の意味もないと思っています。 あえて区別するとしたら、フィクションとノンフィクション、の2種類だけ、というのが持論です。フィクションは作り話ですから、該当するのはドラマやアニメくらいでしょうか。それ以外は全てノンフィクションです。 お笑いバラエティーでも、芸人さんたちのネタは作り話ですが、番組ではそれを分かった上で、その芸人がスタジオでどれくらいのパフォーマンスを見せてくれるか、という事実関係を見るのですから、立派なノンフィクションです。シリアスな内容か、娯楽目的かにかかわらず、ニュースもドキュメンタリーもバラエティーも、ほとんどのテレビ番組はノンフィクションなのです。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) 今回の『イッテQ!』のラオスの祭りに関するコーナーは、『週刊文春』の記事を見る限り、「やらせ」の範疇(はんちゅう)を超えた、「デッチ上げ」と言うべきお粗末なものでした。演出意図による許容範囲の「やらせ」ではなく、「橋祭り」という番組の本質にかかわるメインの主題を捏造(ねつぞう)し、事実関係に反して、視聴者に対するウソを伝えたからです。 ノンフィクションで本質に関わるウソをついてしまったら、もはや許されません。バラエティーだから、娯楽だから、という言い訳は通用しません。一方、だからといって即『イッテQ!』がダメな番組だとか、日テレがひどい会社だとか、テレビというメディアがそもそも信頼できないだとか、というインターネットにありがちな論評は、あさっての方向に向かって暴走しているだけなので、私は関与する気はありません。 冒頭で記した通り、テレビ番組が「やらせ」疑惑で糾弾されるのは、今に始まった話ではありません。昔から何度も取り沙汰されては、ひと揉めすることが繰り返されており、もはや定番だとも言えるでしょう。「Nスペ」でもやらせ 少なくとも私が現役時代のNHKでは、1992年に放送されたNHKスペシャル『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』が印象に残っています。もう25年以上前ですが、「やらせ」疑惑によって検証番組が作られ、会長の減給6カ月、NHKスペシャル番組部長の減給と解任、そして担当チーフディレクターの停職6カ月という重い処分がなされました。 『ムスタン』の場合どんな「やらせ」があったのか。一つは取材チームが現地に入った際に、スタッフの1人が高山病で倒れた、というシーンがあったこと。実際にはそのスタッフは高山病にはかかっておらず、演技だったということが明らかになりました。 また、現地での雨乞いの様子を撮影したかったので、実際には降雨があったにもかかわらず、雨乞いの儀式を再現してもらった、というものです。いずれも細部の演出であって、番組の本質にかかわるような、根本的な問題ではないと私は個人的に思いました。 この時、第三者委員会が作られ、ノンフィクション作家の立花隆さんを座長に、ジャーナリストの田原総一朗さん、元NHK特別主幹の吉田直哉さん、テレビプロデューサーの今野勉さんといったメンバーが「ドキュメンタリーとは何か」と題し「やらせ」について討論しました。その中で衝撃的だったのは、「やらせ」の一切ないドキュメンタリーなど存在しない、という結論でした。カメラを向けた時点で、すでに演出だからです。 昔は今のように明るいビデオではなく、感度が悪くて1分も回せないフィルムカメラで、ドキュメンタリーを撮影していました。夜行列車で帰郷する男性のインタビューを撮る際にも、車内に煌々(こうこう)と照明をたき、15秒のフィルムにインタビューがちゃんと収まるよう、何度も主人公にリハーサルをし、物々しい雰囲気の中で収録して、あたかも「男性がふとつぶやいた素朴な一言」のように編集して使っていたそうです。 今のカメラでも、放送用の大きいカメラを向けると、ほとんどの人が普段通りの自然な心理状態ではなくなります。カメラを向けた時点で、作為・演出は始まっているのです。街頭インタビューでも、そもそもなぜ隣のおばちゃんじゃなくて、そのおばちゃんにカメラを向けたのか、フレーミングの切り取り方は意図的です。そして20人ほどにインタビューして、その中から「使えそうなもの」2、3人を選んで放送に使います。まさに作為以外のなにものでもありません。 NHK番組『鶴瓶の家族に乾杯』じゃないけど、地方の田舎町にぶっつけ本番で訪ねて行き、地元の庶民の暮らしぶりを取材する、というありがちな企画の番組は、私もいくつか担当しました。たまたま訪ねて行ったご家庭が、地元の伝統産業の職人さんだったり、特産品の農家だったり、また奥さんが地域の伝統料理を台所で作っていたりすると、なかなか面白いアットホームな番組に仕上がります。東京・渋谷のNHK放送センター 農家のご家庭の玄関口にいきなり立って、「NHKですけど、取材させてもらってよろしいですか?」と尋ねると、8割方が「大丈夫ですけど、ちょっと待ってください」と言って奥様がしばらくどこかへ行かれます。 台所で地元の素朴な食材を使って、いつもの家庭料理を作るのどかな風景を撮影したいのですが、その主婦が台所に立ったときには、真っ赤な口紅と念入りなお化粧をしていて、自宅の台所に立つ農家の主婦としては不自然極まりないのです。でも女心ですから文句は言えません。メークが完成したところで、「はじめまして、ちょっと撮影よろしいですか?」とやり直すはめになります。やらせのないテレビはない ささいなことですが、農家の主婦が普段からメークをして台所に立つ、というのは事実ではありません。また、画面では「はじめまして」と言っていますが、本当は初対面ではありません。厳密に言うとこれらも「やらせ」です。これらを私は許される範囲内の「やらせ」だと考えています。テレビ番組はこのような小さな「やらせ」や演出の集合体なのです。 でも、このような紀行番組で、訪れた家庭の奥さんが作った「伝統料理」なるものが、実は存在しなかった、そもそもこの地域にそのような伝統料理はない、ということになったらどうでしょう。番組の根幹に関わる部分で重要な事実関係を偽ったのだから、決して許されないレベルの「やらせ」もしくはデッチ上げということになります。 今回の『イッテQ!』で、問題となったラオスの祭りは、まさにこの決して許されないレベルの「やらせ」だったことは間違いなさそうです。バラエティーだから、娯楽だから甘く見る、というのは先に記した通り、考えられません。フィクションかノンフィクションかの二通りしかないのです。バラエティー番組もノンフィクションであり、スタジオでのタレントのガチなパフォーマンスを、カメラで実況するというドキュメンタリーでもあるのです。 テレビ局のカメラを向けるということ自体が、あるいはテレビ局のスタジオに入れるということ自体が、被写体を日常的な空間ではなくて、非日常的な空間の中へと追いやっている以上、なんの作為もない「真の素のまま」ということはあり得ません。今回のようなデッチ上げは別にしても、常に何らかの演出または作為が加わっていることを差し引いて、テレビの画面は解釈するべきでしょう。『世界の果てまでイッテQ!』のやらせ疑惑に関して謝罪する大久保好男・日本テレビ社長=2018年11月 私はテレビで言っていることを真に受けるな、メディアリテラシー(情報を読み解く力)を磨け、と若い人には言っています。でも、85歳になる私の母親くらいになると、テレビを盲信しています。「だってテレビで言ってたから」と信頼しきっています。公共の電波を使って放送するには、そういった情報弱者を守るべく高い倫理観が求められているはずです。テレビの情報を疑って見ろ、というのは酷な話であり、全幅の信頼を寄せられる存在であるべきです。 厳密には「やらせ」のないテレビは存在しない。そう考える私ですが、今回の文春の指摘はテレビ業界で働く者全てに対して、許されざる「やらせ」とは何かを示し、警鐘を鳴らしているように思います。 いっそのこと『イッテQ!』ほどの番組であれば、自ら検証番組を作り、「われわれはこのようにデッチ上げてしまいました。ごめんなさいスペシャル!」など放送すれば、視聴率も取れるだろうし、贖罪(しょくざい)にもなるのではないでしょうか。

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    「バラエティーだからセーフ?」やらせ疑惑『イッテQ』の盲点

    ラリー遠田(お笑い評論家、ライター) 『週刊文春』で報じられた『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)のでっち上げ疑惑が話題になっている。文春(11月15日号)では、番組側が実際には存在しないラオスの「橋祭り」を捏造(ねつぞう)したのではないかと疑問が投げかけられた。 日本テレビは、これに対し「現地では初めて行われる祭りだったと判明した」と誤りを一部認めるような文書を発表した。その後の文春(11月22日号)には、続報として過去の放送で紹介されたタイの「カリフラワー祭り」も実在しないのではないかという記事が掲載された。日本テレビはこれを受けて謝罪のコメントを発表し、「祭り企画」は当面の間休止することとなった。 この問題を考えるには、そもそも「やらせ」とは何なのか、ということをはっきりさせなくてはいけない。だが、これがなかなか難しい。テレビ制作者の間でも細かい点について意見が食い違う部分がある上に、制作者と視聴者の間にもかなりの認識のズレがあると思われるからだ。 私自身は過去にテレビ制作会社でアシスタントディレクター(AD)やディレクターとして番組制作に携わったことがある。その経験も踏まえて、やらせというものをどう考えればいいのか、自分なりの見解を示すことにしたい。 「やらせ」を辞書で引くと「テレビのドキュメンタリーなどで、事実らしく見せながら、実際には演技されたものであること」(『デジタル大辞泉』より)とある。つまり、事実ではないことを事実であるように誤認させるような行為が、やらせの定義ということになる。※写真はイメージです(GettyImages) これを現場の感覚に即して分かりやすく言い換えるなら、「0を1にするのがやらせ。1を2や3にするのが演出」ということになる。この定義自体には多くの制作者が同意するのではないかと思う。もともと存在しないものをあるように見せるのは明らかに行き過ぎた行為だが、存在するものを少し加工して面白さや分かりやすさを付け足すのはある程度までなら問題はないと考えられているのだ。 私はドキュメンタリーの制作に携わっていたこともあるが、実在する人物や実際の事件を題材にするドキュメンタリーですら、取材対象をありのままに撮るだけで番組ができる、ということはまずない。そもそもどういう企画なのか、そのために何をどうやって撮るのか、それをどうやって編集するのか、ということを考えるのが制作者の仕事である。何の意図も演出もなく、ただ撮っただけの映像を並べても、面白い番組にはならない。制作者と視聴者のズレ テレビ業界で撮影された映像のことを「素材」と呼ぶのもそのためだ。映像は番組作りのための素材である。これは料理で言うところの食材にあたる。食材としての野菜や肉を冷蔵庫から取り出して並べるだけでは料理が完成しないのは明らかだろう。焼いたり、煮たり、調味料を加えたり、といった手間を加えることで料理ができる。テレビ番組もそういう風に作られている。 ないものをあるように見せたり、明らかな嘘をついたりするのはルール違反である。ただ、番組を面白くしたり、分かりやすくしたりするために、巧妙にやらせを回避しながらギリギリのところを狙うのは演出の一部として許容されている。 例えば、嘘をつくのは問題だが、あえて都合の悪い情報を伏せておくのは間違いとはいえない。取材対象を取り上げるにあたって、どの部分をどういう風に扱うかというのは演出の範囲だと考えられるからだ。これが「1を2や3にする」という部分である。 ただ、この点に関しては、制作者と視聴者の間でかなりの認識のズレがあるのではないかと思う。テレビ業界で仕事をした経験のある私の目から見ると、視聴者の多くはテレビをあまりにも純粋に見ているのではないか、と感じることが多い。テレビで報じられていることは、そのまま真実であるかのように何の疑いもなく盲信している人が結構な割合で存在している気がする。 仮に、制作者がこっそりやっている「演出」をすべて白日の下にさらしたら、恐らく多くの視聴者は「だまされた! あれは『やらせ』だったのか!」と感じるのではないかと思う。立ち上がって謝罪する大久保好男日本テレビ社長=2018年11月、東京都(森岡真一郎 撮影) 制作者が「1を2にしているだけ」と考えていることでも、視聴者からは「それは0を1にしているのと同じじゃないか!」というように見える場合はある。そのぐらい制作者と視聴者の間には感覚的な違いがある。 今回の『イッテQ!』の騒動に関しては「バラエティーなんだからそんなに目くじらを立てる必要はない」という擁護論もあった。だが、私はこれには異論を唱えたい。テレビはテレビであり、バラエティーにだけ何らかの特権が与えられたり、例外が許されたりしているわけではない。「やらせは絶対に許されない」という基本的なルールは同じだ。「致命的」なやらせなのか? ただ、バラエティーでは見る側の意識が違うのである。報道番組ではそこで報じられるニュースの一語一句が間違いのないように作り込まれているのに対して、バラエティーではそこまで厳密に考えられていない場合もある。 なぜなら、視聴者の間にそれを演出の一部として許容する感覚があるからだ。番組が面白ければ、そして番組の核となる部分に嘘や間違いがなければ、特に問題はないと思う人が大半だろう。 今回の『イッテQ!』の騒動で番組側を擁護する意見が目立っていたのは、文春で指摘された「祭り捏造疑惑」が、視聴者の多くにとっては特に核心的な問題だとは感じられていなかったからだろう。 『イッテQ!』の面白さは、宮川大輔、イモトアヤコなどのタレントが海外ロケで体を張って過激な企画に挑戦するところにある。現地で実際に祭りが存在するかどうかは特に重要だと思われていなかった。だから見逃されたのである。 例えば、今回の疑惑が「イモトアヤコは本当はキリマンジャロに登っていなかった!」といった内容だったとしたら、間違いなくもっと大きい騒動になっていたはずだ。なぜなら、制作者が最もこだわっている「挑戦」の過程そのものに嘘があったとしたら、それはこの番組の核心にかかわる致命的なやらせであるということになるからだ。お笑い芸人、宮川大輔=2010年10月、東京ビッグサイト(撮影・千村安雄) ただ、今回はたまたま多くの視聴者がやらせを問題視しなかっただけであり、やらせが悪くないわけではない。外国の文化について誤った情報を発信したことは事実であり、その責任は決して軽くはない。日本テレビも本件については事実を認めて謝罪している。 ここまで述べたように、やらせと演出の違いは曖昧なものである。このため、制作者は無意識のうちに境界を踏み越えてやらせと呼ばれるような行為に手を染めてしまうことがある。それがどれほど深刻なものであるかということは「バラエティーならセーフ」「視聴者が気にしなければセーフ」といった大ざっぱな一般論に頼るのではなく、あくまでも個別に考えて判断していくしかないだろう。

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    やらせへの危機意識を鈍らせた『イッテQ』の芸人依存体質

    コーナーで人気を獲得したが、当初から週刊誌などで「やらせ疑惑」が報じられていた。そこで番組は次第に、芸能人たちの心理戦に焦点をあてたゲーム企画に比重を移していった。 大見が指摘するように、「芸人たちは『お笑い』というゲームのプレーヤーとして自己を演じることに巧みになり、視聴者たちはプレーヤー(を演じる芸人)の心理を、評論家的立場から楽しむというスタンスに移行する」(前掲書、304頁)。この変化こそが『アメトーーク!』(テレビ朝日、2003年~)や『ロンドンハーツ』(テレビ朝日、1999年~)の成功につながっていく。 『アメトーーク!』について、お笑い評論家のラリー遠田は近著の中で、「ひな壇芸人」「先輩・後輩ハッキリさせようSP」といった企画を通じて、芸人たちの知られざる「職人的な世界」を視聴者が学んでしまったこと、いわば「ドキュメンタリー」の様相を呈していることが画期的な点であったと考察している。 したがって、90年代のドキュメントバラエティーに比べると、「ドキュメンタリー」と「バラエティー」は現在、芸人たちの「コミュニケーション能力」や「空気を読む力」――その無双ぶりを社会学者の太田省一は「芸人万能社会」と呼んでいる――に支えられ、より自然で、安全な形で結びついているといえるだろう。※写真はイメージです(GettyImages) しかし、裏を返せば、冒頭で述べたように、こうして番組のジャンルが融解しているからこそ、バラエティーであるという理由だけで、過剰な演出が免責されることはない。その代わり、そもそもドキュメンタリーだからといって、一切の演出や脚色が許されないわけでもない。 皮肉なことだが、芸人たちの「空気を読む力」や「ソツのなさ」が卓越しているからこそ、いつしかそれに番組制作者が甘えてしまい、演出という行為につきまとう危うさに対して、感性が鈍ってしまっている恐れはないだろうか。※参考文献・高野光平『テレビと動画 ―ネットがテレビを乗り越えるまで』(高野光平、加島卓、飯田豊編著『現代文化への社会学 ―90年代と「いま」を比較する』北樹出版、2018年)・ラリー遠田『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり ―〈ポスト平成〉のテレビバラエティー論』(イースト新書、2018年)・大見崇晴『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)・太田省一『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書、2016年)

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    大間の「若手No.1」漁師 マグロ番組ヤラセ疑惑に余裕の反論

     「ネットでヤラセじゃないかって指摘されてるの見たけど、このシロートが! って思ったね」 そう憤るのは、青森県・大間のマグロ漁師・南芳和さん(33)だ。彼が出演したドキュメンタリー『マグロに賭けた男たち』(テレビ朝日系、2月18日放送)で、釣り上げた直後の映像に不自然な点があるとネット上で指摘が出たのだ。 同番組は、2003年から続く青森県・大間に住むマグロ漁師を追った2時間枠の人気ドキュメンタリー。2月18日に放送された回では、大間で「若手ナンバーワン」と紹介された南さんが弟とともに兄弟船でマグロを釣り上げる場面に密着している。 指摘されたのは次のような内容だ。 「釣り上げたばかりのマグロの眉間に神経締めをしたような跡があるが、この細かい作業を海中で処理することは不可能なため、ヤラセの可能性が高いのではないか」 神経締めとは、魚の眉間に細い穴を開けて針金を通すことで“脳死状態”にさせ、鮮度を保つという技法。一般的には魚を船上に釣り上げてから行なわれるため、釣ったばかりのマグロに神経締めの跡があるのは不自然というのだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 実際はどうなのか。真相を確かめるべく、記者は大間まで飛んだ。 漁を終えて仲買人の事務所の畳スペースで仲間たち4~5人とくつろいでいた南さん。体重100キロ超と思しき巨漢で、首には金色のネックレスをかけており、一見すると強面だ。思い切って本題を切り出した。──釣ったばかりのマグロに、すでに神経締めの跡があったことから、ヤラセではないかと言われていますが、実際はどうなのですか? 「ああ、あれはさ、わい(俺)はマグロにカギをひっかけてクレーンでぶら下げた状態で神経締めしているけえ、甲板さ上がったときにはもう穴が空いとるんだ。普通は甲板の上でマグロば押さえつけて神経締めするけど、わいは少しでも鮮度を良くして美味いマグロば届けたいけえ、そうしとるんよ。研究した結果じゃけえ、ヤラセは絶対にないよ」あまり言いたくなかった理由 その後、放ったのが冒頭の一言だ。南さんが続ける。 「わいは役者じゃないけえ、カメラの前で芝居みたいなことしたら、ぎこちなくなってしまう。でも、神経締めの跡があるからおかしいとか、ずいぶん細かいところまで見てるんだなあと感心したわ」 また、漁の“こだわり”についても語ってくれた。「お客さんがせっかく大間のマグロさ食ったのに、思ったより美味くないなんてことがあったら申し訳ないけえ、鮮度には一番こだわってる。クレーンで吊り上げた状態で神経締めしているっていうのは、真似されたくないからあまり言いたくなかったけど、疑惑があるならちゃんと答えたいからね」 クレーンで吊った状態で神経締めしているシーンはテレビでは放送されなかったため、誤解を招いてしまったというわけだ。テレビ朝日もこの件について、次のように答えた。 「マグロは船に引き揚げる直前にクレーンで吊るした状態で神経締めをしており、やらせというご指摘は全くあたりません」(宣伝部) 南さんは、「こんなふうにネットで叩かれるのが面倒だからテレビに出たくなかったんだけど……でも、大間のマグロのことを多くの人に知ってもらえたなら、出て良かったよ」と笑っていた。◆取材・文/西谷格(ジャーナリスト)関連記事■ 1.5億マグロ釣った漁師 父も過去に最高額マグロ釣り上げた■ 止まると死ぬといわれるマグロ 実際は止まっても死なない■ 1.5億マグロ釣った漁師 やっかみの声やいたずら電話に悩む■ 大間のマグロ漁船のTV取材 一回につき10万円弱の謝礼が相場に■ 一攫千金狙って若い漁師が奮起 マグロ出荷増加し初競り暴落

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    『イッテQ』やらせ報道で今後の視聴率への影響は?

     日本テレビの人気番組『世界の果てまでイッテQ!』が窮地に追い込まれている。11月8日発売の『週刊文春』が、同番組で5月20日に放送された「橋祭りinラオス」のやらせ疑惑を報道。日テレ側は「番組サイドで企画したり、セットなどを設置した事実はなく、また番組から参加者に賞金を渡した事実もございません」と否定していたが、大久保好男社長が15日の会見でその見解が誤りであると認めた。 同日発売の『週刊文春』は、「カリフラワー祭りinタイ」のやらせ疑惑も報道。大久保社長は一連の騒動を謝罪するとともに、祭り企画を当面休止することも発表した。 日テレ看板番組のやらせ騒動は視聴率にどう影響を与えるのか。8日の報道直後の11日放送分は16.6%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)と相変わらずの高視聴率を記録した。テレビ局関係者が話す。「問題発覚後の初回から大きな下落はまずありません。視聴習慣が根づいているし、話題になっていることもありますからね。それよりも、数か月後どうなっているかに注目すべきです」(以下同) テレビとやらせの問題は今に始まったことではない。代表的な例を挙げれば、1985年の『アフターヌーンショー』(テレビ朝日系)、1999年の『愛する二人別れる二人』、2007年の『発掘!あるある大事典II』、2013年の『ほこ×たて』(いずれもフジテレビ系)という人気番組でやらせが発覚し、終了に追い込まれている。 一方で、“やらせ疑惑”が報じられた後も続いた番組もある。『イッテQ』と同じように日曜のゴールデン帯で、ファミリー層に人気の高かった『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)は1992年から放送され、1990年代後半にはコンスタントに視聴率20%台を記録していた。しかし、2000年3月13日、18日発売の『週刊ポスト』が2号連続で〈さんま超人気番組「からくりTV」の街頭インタビューはヤラセだった!〉〈さんま「からくりTV」“酔っ払いサラリーマン”もヤラセ俳優だった〉と疑惑を投げ掛けた。21日発売の『週刊女性』にも〈さんまどうする『からくりTV』やらせ告発〉の文字が踊った。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)「一般通行人を呼び止めてセイン・カミュがインタビューする『からくりファニエスト・イングリッシュ』や『サラリーマン早調べクイズ』のコーナーで、エキストラ会社などから人を集めて、オーディションを行ない、合格者を出演させていることが発覚したのです。 これは演出か、やらせか判断の分かれる所でもあり、番組は継続することになりましたが、視聴者が拒否反応を示したことは、数字が物語っています。 疑惑前である2月6日から3月5日まで、『からくりTV』は5週連続で19%以上を獲っていました。それが『週刊ポスト』の新聞広告が掲載された3月12日に17%となり、13日、18日と疑惑報道が続いた後の19日の放送では16.8%と落ちていた。もちろん、これを報道の影響と一口で済ますには安易ですし、充分な高視聴率です。 ただ、12日、19日とも裏番組の『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)に敗北。この年初めての出来事でした。この同時間帯のライバル関係は、現在の日テレ『イッテQ』とテレ朝『ポツンと一軒家』に似ています」看板番組にも陰り? 日曜ゴールデン帯が日本テレビの一人勝ち状態だった数か月前と違い、昨年10月から不定期放送していたテレビ朝日の『ポツンと一軒家』が今年10月からレギュラー化され、全て2ケタ視聴率を記録。11日、19時からの2時間スペシャルでは最高の15.4%を獲得。『イッテQ』には1.2%及ばなかったが、日テレの19時台『鉄腕DASH』の14.6%を上回っている。「2時間番組と1時間番組を単純に比較はできませんが、日テレにとって脅威であることは間違いない。『からくりTV』と『鉄腕DASH』の例を振り返ると、当時4月以降は巨人戦があったため2番組の直接対決は減りましたが、4月から7月までは2勝2敗の五分。7月2日、14.4%の『からくりTV』は20.1%の『鉄腕DASH』に大きく引き離されました。 翌週の『からくりTV』は12.9%とやらせ疑惑発覚前では考えられない数字に落ち込みます。これも含め7月、8月で12%台、13%台を各2回ずつ叩き出し、下落が顕著になりました。やらせ報道が全てとは言い切れないが、影響があったのは確かでしょう」 野球シーズンの終わった10~12月、2番組の直接対決では『鉄腕DASH』が7勝2敗と圧倒した。 「やらせ疑惑の出る番組は珍しくないですが、『イッテQ』は『からくりTV』と同じく日曜ゴールデン帯という時間帯、家族みんなで観られるという特性を持っている。そのため、いずれ数字に影響が出るでしょう。まして、テレ朝に人気番組が出てきたため、視聴者は乗り換える選択肢ができた。『イッテQ』に救いがあるとすれば、最近のテレビ局は長時間のスペシャル番組を連発して、視聴習慣を身につけさせられていないこと。テレ朝の日曜の編成もその傾向が強かった。その反省からなのか、『ポツンと一軒家』は10月7日の開始以来、毎週放送してきました。しかし、11月18日は休止に。 テレ朝がスペシャル番組の乱発から脱して、毎週日曜20時に『ポツンと一軒家』を放送し続ければ、『イッテQ』を抜く日も遠くないかもしれません」 相次ぐ疑惑が表面化した『イッテQ』。4年連続視聴率3冠王を続けている日テレにとって、単なる一番組の問題に留まらない影響を及ぼすかもしれない。関連記事■ 『イッテQ!』の全祭りを検証、11個が存在を確認できず■ 『イッテQ!』ヤラセ疑惑を大特集するフジに「鬱憤晴らしか」■ 広瀬すず&アリス 「彼氏できても仕事優先」と相互監視■ 親友同士だった満島ひかりと安藤サクラが絶縁状態になるまで■ 長谷川博己、鈴木京香との結婚Xデーは? 休日おひとり撮